このすば*Elona (hasebe)
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第1話 仄暗いすくつの底から

【2017/02/01追記:作者からのお願い】
 各所の公式アニメの動画でこのSSのネタのコメントをするのは勘弁してください。
 コメントするくらい自作を好んでくれている事は作者としてとても嬉しく思っています。
 ですがこのSSはあくまでも二次創作でオリ主モノです。
 そういうのが嫌いな人も多くいるであろう場所でのその手のコメントは、動画やSSが荒れる温床にしかならないと自分は考えています。
 ですのでどうかご理解とご自重の程お願いいたします。


 誰かが、あなたの体を揺らしている。

 

「――」

 

 霧がかかったかのようにおぼろげだったあなたの意識が、少しずつ鮮明になっていく。

 

「――――!」

 

 バラバラだったパズルのピースが嵌るように、少しずつ、少しずつ。

 

「――――ちょっとアンタ邪魔だよ! さっさとどいてくれ!」

 

 耳をつんざく怒鳴り声に意識が覚醒するのと同時、強く腕を引っ張られたあなたは無理矢理その場から動かされた。

 ふらつきながらも倒れることは無かったのは、ひとえに運が良かったのだろう。

 そんなあなたの横を、あなたに道を塞がれていた行商の馬車が通り過ぎていく。

 どうやらあなたは町の入り口に立っていたようだ。

 

「どうしたんだ、門の前でぼけーっと突っ立って。轢かれてもしらんぜ?」

 

 あなたの手を引いたと思わしき人間が、呆けた顔をするあなたに笑いかける。

 衛兵と思わしき金属製の鎧に身を包んだ、厳つい顔をした壮年の男だ。

 

 あなたは王都から収容所に至るまで老若男女問わず、ノースティリスで出会った全ての衛兵の顔と名前を記憶しているが、この男性は初めて見る。

 少しでも経験のある衛兵であれば、確実に知っているという自負のあるあなたを知らない様子といい、新人なのかもしれない。

 

 未だ血の足りていない頭で周囲を見渡せば、そこには、あなたの見覚えの無い町並みが広がっていた。

 王都ほど栄えておらず、しかし農村ほど田舎でもない。

 特徴が無いのが特徴の、どこにでもありそうな普通の町、とでも表現すればぴったり当て嵌まりそうだ。

 

 道行く人々は普通の人類種が多いようだが、中には犬猫といった獣の耳が頭についている者、耳の長いエレアといった、あなたが初めて見る風貌のものも散見される。

 ゴブリンや妖精、カオスシェイプのような、一目見てそれだと分かる種族は見当たらない。

 

 はて、ここはどこなのだろう。

 少なくともあなたの知るノースティリスに、このような場所は存在しない。

 

「ここか? 駆け出し冒険者の街、アクセルに決まってんだろ。寝ぼけてんのか?」

 

 衛兵に尋ねてみれば、案の定というべきか、聞かされたのはあなたの知らない地名だった。

 如何なる理由か、どうやらあなたは異国に飛ばされてしまったらしい。

 

「にしてもアンタのその格好。冒険者になりに来た……ってわけじゃねえわな。腕も相当立ちそうだし。王都の方から来た冒険者か?」

 

 一目見て使い込まれていると分かる紺色の外套を纏い、頭から足までガチガチに武装を固め、150センチメートルほどの大剣を背負ったあなたの姿を見て駆け出し冒険者だと思う人間は中々いないだろう。

 正直に話せば怪しまれると判断したあなたは、適当に話をでっちあげることにした。

 

 

 

 

 

 

 自分は見聞を広めるために旅をしている他国の者で、この街には食料の補給のために立ち寄ったと告げると、衛兵は驚くほど簡単にあなたを解放した。

 それどころか、ご丁寧にお勧めの宿や店まで教えてくれた。

 オマケに冒険者ギルドへの加入を強く勧められた。

 異国でも流れ者が手っ取り早く身分証明を手に入れるためには冒険者一択らしい。

 

 面倒が無くて助かるといえば助かるのだが、街を守るべき衛兵として彼は問題無いのだろうか。

 

 いや、アクセルは駆け出し冒険者の街だという。

 相応に人の流れは活発だろうし、流れ者を少し怪しいからと、一々疑っていてはキリが無いのかもしれない。

 一人納得したあなたが周囲を見渡せば、同業者と思わしき風貌の男女がそこかしこにいる。

 

 確かに大半は駆け出し同然の力量しか持っていないと分かるが、不思議なことに中堅クラスと思わしき男たちもそれなりにいるようだ。

 

 駆け出し冒険者の街と呼ばれているからには、この地域一帯には強い生物はいない、あるいは非常に少ないと思われる。

 だというのに彼らはアクセルを拠点としているようだ。

 この街には彼らを虜にするような秘密があるのかもしれない。

 

 しかし見れば見るほど知らない場所だということばかりが分かっていく。

 果たして自分はここに来るまで、どこで何をしていたのだったか。

 

 目的も無く散策しながら記憶の糸を手繰り寄せること数分。

 ポンと手を打つのと同時、あなたは自分が間違っていたと悟る。

 

 恐らく、ここはあなたから見て異国どころか異世界だ。あるいは遠い過去か未来。

 突拍子も無い話だが、一応根拠はある。

 

 あなたに残っている最後の記憶。それは闇の中で淡く煌く幻想的な光の柱。

 

 いつものように迷宮(ネフィア)を探索していたあなたは、迷宮内で見つけたムーンゲートと呼ばれる異界に繋がる門に気まぐれで入ったのだ。

 

 そこから先の記憶が無いが、大方意識を失ったままこの地に飛ばされたのだろう。

 無数に連なる並行世界に繋がっているという、ムーンゲートの先が知らない場所なのは当然だ。

 

 どうしてこの程度のことを忘れていたのか。

 街の名の如く駆け出し冒険者でもあるまいし、と内心で苦笑する。

 分かってしまえばあまりにも単純だった。

 

 そのまま適当にぶらついたあなたは、外に向かって歩を進める。

 散策した限りでは面白そうな、あるいは見所のあるものは見当たらなかった。

 活気があって良い所だとは思うが、それだけだ。

 

「なんだ、もう行くのか? 気を付けろよ」

 

 門の前で、先ほど会話した衛兵に軽く会釈し、アクセルを後にする。

 街から一歩踏み出し、そのまま数十メートルほど何処かに続いているであろう街道を歩き続け――――何も起きなかった。

 

 あなたの前には仄暗い迷宮(ネフィア)の闇ではなく、どこまでも続く世界が広がっている。

 振り向けばそこは駆け出し冒険者の街、アクセル。頭上には太陽。今日の天気は雲一つ無い快晴。

 

 街から出ればもといた場所に戻れると予想していただけに、この結果はあなたに小さくない衝撃を与えた。

 あなたの経験上、ムーンゲートは例外なく繋がった地の入り口に復路が用意されている。

 

 しかし今現在、あなたがどこを見渡しても復路が存在しない。これは一体全体どうしたことか。

 

 ムーンゲートの先の世界は帰還の魔法が封じられてしまう。

 故に元の世界へ戻るには復路のムーンゲートを経由する必要がある。

 あるいは死ねば戻れるのかもしれないが、あなたは試したことはないし、今のところ試す気も起きなかった。

 

 ならばとあなたは異空間に物品を保管する四次元ポケットの魔法を詠唱する。

 数秒の後、あなたの手には一本の杖が握られていた。

 

 その名は願いの杖。 

 文字通り金、若さ、死と大抵の願いなら叶えてくれる女神との通信を可能にする万能の魔道具である。

 本来非常に貴重な代物なのだが手持ちにはそれなりのストックがある。多少使い捨てても惜しくない程度には。

 

『はぁい、いつもご利用ありがとう。願いの女神よ』

 

 杖を振れば聞いたことの無い音声が杖から流れてきた。

 あなたの願いが届いたのだろうか。

 困ったときの神頼みもたまにはやってみるものである。

 

『このメッセージを聞いているということは現在あなたは圏外、つまり私の力の届かない場所にいる可能性が非常に高いわ。悪いけど今回は自力で何とかして頂戴』

 

 無常にも万能アイテムが音の出るゴミと化した瞬間である。

 ガッデム、あなたは杖を地面に叩き付けた。

 やはり神は信仰するものであって安易に縋るべきものではない。

 本当の意味で困ったとき、最後に頼れるのは己の力だけだ。

 

 半ばやけっぱちになりながら今度は帰還の魔法を行使する。

 どうせ不発だろうとタカをくくっていたあなたの意思に反し、慣れ親しんだ魔力のうねりと空間の歪みを感じた。

 魔法が問題なく発動した証拠である。

 

 驚きながらも安心し佇むこと暫し。眩い光とともにあなたの姿が消え……次の瞬間、アクセルの町の入り口に立っていた。

 

「ん? まだ行ってなかったのか?」

 

 なるほど、そうきたか。あなたは思わず頬を引き攣らせた。

 距離にして数十メートルを一瞬で移動したがそんなことは何の慰めにもなりはしない。

 上げて落とされた形になり落胆もひとしおである。

 首を傾げる衛兵に気が変わったと告げ、あなたは再びアクセルの町に踏み込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 ネフィア用の完全武装を止めて街行き用の軽装に着替えたあなたは、広場のベンチに座ってひとり青空を眺める。

 あれから思いつく幾つかの方法を試したが全て失敗に終わった。

 どうやらあなたはこの世界に閉じ込められてしまったらしい。

 神の御業か悪魔の悪戯か。それともただの事故なのかは不明だが現状自力での帰還は不可能なようだ。

 今までに様々な冒険を重ねてきたあなただが、流石に帰還の当ても無い異世界に迷い込むという経験は初めてだった。

 

「もし、ベンチで黄昏ているそこのあなた」

 

 声に反応して目線を戻すと、果たしてそこには水色の法衣を纏った男性が立っていた。

 不思議なことに、あなた達の周囲20メートルほどから人気が消えている。どうやら神父はあなたに話しかけているようだ。

  

「ええあなたです。見たところ何かお困りがある様子。我らが女神アクア様を信仰するアクシズ教団に入信すれば悩みなんてあっという間に解決しますよ? 今なら洗剤と包丁を特別にサービスしましょう」

 

 何を言われるかと思えば宗教勧誘だった。

 折角のお誘いだがあなたは既に信仰する神を決めている。丁重にお断りすることにした。

 

「そうですか……残念ですが気が変わったらいつでもどうぞ」

 

 特に気分を害した様子も無く、柔らかく微笑んで神父は去っていく。

 とてつもなく既視感と親近感を覚える勧誘文句だったが、その加護は本物だろうと思える強い力を感じた。

 

 あるいは一時でも女神アクアとやらを信仰すれば本当に元の居場所に戻れたのかもしれない。

 だとしても、あなたは絶対に改宗だけはする気は無かったが。

 

《――――べ、別に嬉しくなんてないんだからねっ、バカぁっ!!》

 

 随分と懐かしい電波が届いた気がして、思わず笑みが零れる。

 幻聴だろう。あなたが生涯に渡って信仰し続けると決めたかの女神があなたにああいった外向けの、ある意味では分かりやすい物言いをしなくなって久しい。

 代わりに個性的な神々についての愚痴や己の神としての有り方に不安を零すことが多くなった。

 

 気付けばあなたの心は積もった疲労と澱が洗い流されたようにスッキリしていた。

 幻聴で持ち直すなど我ながら安いにも程があると自嘲しながら立ち上がり、晴れ心地でベンチを後にする。

 何故か周囲の人間が同情するような視線をあなたに送っているが、気分転換の切っ掛けをくれた神父に軽く礼を言っておこう。

 

「神罰を食らえオラァッ!!」

 

 神父の行方を目で追うと、他所の教区と思わしき教会の壁に小便をかけた挙句窓に向けて投石まで始めた。神罰不可避の狼藉である。

 案の定衛兵が飛んでいくが神父は脱兎の如く逃げ出してしまった。

 

 過激派な同門の異教徒への振る舞いに似ていてやはり親近感が湧くが、周囲があなたへ向ける同情的な視線の理由は理解した。

 

 

 

 

 

 

 この地での身分証明を得るため、あなたは冒険者ギルドなる場所へ歩を進める。

 元の世界に戻ったとき、女神とペット達に土産話の一つでも作れるだろうか、などと能天気なことを考えながら。

 

 確かにあなたの現状は芳しいものとは言えない。

 

 あなたはいまや右も左も分からず寄る辺もない。

 あなたの頼りになるペット達もいない。

 あなたは神の電波も届かない遠い異邦の地にただ独り。

 

 なるほど、大事件だ。

 だがそれだけだ。

 

 あなたは寄る辺が無くても苦楽を共にした装備の数々を筆頭に食料、薬、世界最高の女神の抱き枕、サンドバッグ、終末の剣(ラグナロク)、核爆弾といった旅に欠かせない荷物の数々は失っていない。

 あなたはペットがいなくても十分に戦えるし、体はまるで生まれ変わったかのように軽く清々しい。

 それにかつてのあなたは、着の身着のままで嵐の海に放り出されるという、およそ今とは比較にならない過酷な経験をしている。

 

 ムーンゲートの効果で異世界の言葉は理解できるし文字も読める。

 それにこの町はかなり平和な場所らしい。

 街中だろうが容赦なく核や終末の嵐が巻き起こったり、人体に潜んだ高レベルエイリアンが繁殖し町を埋め尽くすなどという素敵事件が割と頻繁に起きる元の世界とは大違いだ。

 

 気がかりがあるとすれば自宅であなたを待つペット達だが、あなたが年単位の長期間連絡を絶つことは今までにも何度かあった。今回も問題は無いだろう。多少寂しい思いをさせるくらいか。

 税金を滞納した罪で国中に指名手配されるのは避けられないだろうが、そんなのはいつものことだ。襲ってくる衛兵は皆殺しにしてしまえばいい。

 

 今のあなたは、いわば二度目の駆け出し冒険者である。

 遠い世界の異邦人であるあなたを知る者はどこにもいない。

 

 類稀な機会を与えてくれたムーンゲートに感謝しつつ、暫くはこの平和な世界を堪能することにした。




《elona》
フリーゲーム。
操作の仕方が分からずにゴミ箱にぶち込むまでがテンプレ。

《ノースティリス》
ティリスという大陸の北側にあるのでノースティリス。
南はサウスティリス。

《エレア》
エルフっぽい種族。
魔法が得意。

《カオスシェイプ》
成長と共に身体の部位が増える異形種。
頭が13個とかになったりする。

《ネフィア》
不思議のダンジョン的なアレ。
定期的に地面から生えたり消えたりする。

《終末》
ドラゴンとか巨人が大量にのりこめー^^してくる。
街中だろうと普通に発生する。

《ラグナロク》《核爆弾》《サンドバッグ》
冒険者のおもちゃ。


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第2話 eふeふzえろ

 辿り着いた冒険者ギルドは、あなたが思っていたよりもずっと清潔な場所だった。

 年季を感じさせる建物にも(かかわ)らず、壁に血痕も補修跡も無い。

 周囲には果物や野菜の露店は並んでいるが、ボロ雑巾と化した半死半生の乞食はいない。

 

 余程領主が善政を敷いているらしい。

 改めてこの街の治安の良さに感心しながら扉を開ける。

 

 ギルド内には酒場が併設されているようで、昼間だというのに、同業者と思わしき者達で溢れていた。

 

 仲間同士で盛り上がる者。

 他所のテーブルの同業者と呑み比べする者。

 酔い潰れて突っ伏している者。

 肩の出た露出度の高い服を着たウェイトレスの尻に手を出そうとして、グーでぶっ飛ばされている者。

 

 とても昼間とは思えない有様だが、あなたの知る冒険者とはそういうものだ。

 世界が変わっても変わらないことはある。少しだけ嬉しくなった。

 

 建物の中に入っていくと、新参者のあなたが目に入ったのか、ところどころから注目されているのを感じる。

 だがすぐに興味を失ったようで、視線はあっという間に散っていった。

 軽装に着替えて正解だったらしい。同時にやはりここは異世界なのだと、強く実感させられた。

 

 何故なら、友人を除くノースティリスの同業者は、あなたやあなたと同格の冒険者を視認した瞬間に全力で逃走を図るからだ。

 あなたの方から話しかけようものなら、即座に泣いて命乞いを始めるか、絶望のあまり神に祈り出すという衝撃の二択。世の中乱れすぎである。

 

「いらっしゃいませ、お食事なら空いてるお席へどうぞ! お仕事関係なら奥のカウンターにお願いしまーす」

 

 赤毛のウェイトレスの言葉通りに奥に目を向ければ、受付らしきカウンターが。

 四箇所あるようだが、うち三つは昼休憩中の看板と共に閉め切られており、残った一つには金髪の女性が座っている。

 早速向かおうと思ったあなただったが、《冒険者のてびき》なる小冊子が配布されているのを発見した。

 

 どうやら初心者向けに配布しているこれには、冒険者の心得やギルドに所属するに際してのルールといった、ごく基本的な事柄が記載されているようだ。

 子供でも読めるように作られているのか、挿絵もあって分かりやすい。

 

 この世界の常識も知らないあなたにとって、これはとても助かるものだった。

 折角なので話を聞く前に読んでおこう。

 

 

――冒険者とは一言で説明するなら何でも屋だが、主な仕事は街の外に存在するモンスター、もしくは人間に害を為すモノの討伐を請け負う者である。

 

――冒険者は、各々が就く職業を選ぶことができる。

 

――冒険者は討伐を繰り返すことで経験値が溜まり、レベルアップする。

 

――冒険者はレベルアップによってポイントが増え、新たなスキルなどを獲得することができる。

 

 

 冒険者そのものについての説明は、大体このような感じだった。

 非常にありがたいことに、ノースティリスにおけるそれと殆ど差は無い。

 これなら違和感無くやっていけるだろう。

 

 呑気に考えながら冊子を読み進めていたあなたはだがしかし。

 最後の一文が目に入った瞬間、ピタリと思考を停止させることになる。

 

――なお、冒険者登録には1000エリスが必要です。受付窓口にてお支払いください。

 

 エリス。

 散策中に露店などで何度か見かけた、この世界の貨幣単位だ。

 果物やパンの価格を勘案するに、1000エリスはせいぜい一食分。

 冒険者ギルドへの所属が身分証明を兼ねると考えれば、それこそ破格の値段と言えるだろう。

 

 ……なのだが、これは困ったことになった。異邦人であるあなたは勿論1エリスも持っていない。

 身分証明のために冒険者として活動すると決めている以上、どうにかして金を稼ぐ必要がある。

 

 命綱に等しい装備品や物資を売り払うのは論外。

 ノースティリスの貨幣は金貨なので、いざとなったらそれを換金するという手もあるが、ここは素直に現地調達を行うのが正解だろう。

 方法は幾つか思いつく。さて、どれを実行すべきだろうか。

 

「おうおう、見ねぇ顔だなぁオイ。ようこそ駆け出し冒険者の街、アクセルへ」

 

 演奏も悪くないが、手っ取り早いのは窃盗か強盗だろうと考えが纏まりかけたところで、あなたの隣に半裸でモヒカンの酒臭い男が座ってきた。

 感じ取れる力量はそれなり。しかし彼もまた、ギルド内にも稀に見かける駆け出しではない人間のようだ。

 

「さっきから見てたけどお前あれだろ、最後のページに書いてた登録料を払えなくて悩んでるんだろ? たまにいるんだよなあ、お前みたいなのが」

 

 挑発的に笑いながらも、あなたに絡む男から悪意は感じない。

 これで的外れな理由だったら笑い種なのだが、彼の言うとおりなので頷いておく。

 

「だろ? そこで提案だ。昨日ギャンブルに勝って懐が暖かい俺が、お前の代わりに払ってやるよ」

 

 男は酒を呷りながらおかしなことを言いだした。

 彼からはやはり悪意は感じないが、初対面のあなたに施しを行う意図が読めない。

 突っぱねるのも排除するのも簡単だが、さて。

 

「ああ、別に何かしようとか恩を着せようだなんて考えてるわけじゃねえ。理由の無い善意なんて怪しくてしょうがねえって思うのも分かる。でも一応理由はあるんだぜ?」

 

 不意に、男は懐かしそうに目を細めた。

 

「俺も駆け出しで素寒貧だったとき、今のお前さんみたいに助けてもらったかんな」

 

 当たり前と言えば当たり前だが、この男にも駆け出しの時期があったらしい。

 勿論あなたにもあった。

 

 具体的には遭難したところを助けてくれたエレアに人肉を食わされて発狂したり金を稼ごうと店を構えたのはいいが税金を払えずに犯罪者堕ちしたりガイドのアドバイスに従って自宅で魔法書を読んで大惨事になったりスライムを倒してくれという依頼を受けたら装備をボロボロにされた挙句骨まで酸で溶かされたり酒場で演奏したら聴衆の投石で頭蓋が爆散したりミノタウロスの王に辻斬りされたりした。

 他にも挙げれば幾らでも出てくる程度には散々な目にあってきたが、どれも今となってはいい思い出である。

 

「だからよ、お前さんも余裕があって気が向いたときだけでいい。同じように立ち往生してる奴を見つけたら助けてやってくれや」

 

 そう言いながら硬貨を数枚差し出してくる。

 何かを企んでいるわけではなさそうだ。

 あなたは素直に頭を下げて礼を言うことにした。

 

「なぁに気にすんな。冒険者たるもの困ったときはお互い様ってな!」

 

 あなたの背中をバンバンと叩き、ガハハハと豪快に笑いながら、男は自分のテーブルに戻っていく。

 見た目がパンクそのものとはいえ、親切な人間もいたものだ。

 天使か聖人だったのかもしれない。

 丁度よく目の前に現れたので、財布を盗むか、あるいは店の裏に連れ出そうと思っていたのだが。

 彼のおかげで余計な手間が省けた。

 

 

 

 

「初めての方ですね、本日はどうされましたか?」

 

 完璧な営業スマイルを浮かべる、金髪の受付嬢に硬貨を差し出し、冒険者登録を行う旨を伝える。

 

「はい、1000エリス丁度いただきます。では簡単にですが説明を始めさせていただきますね」

 

 目の前まで近づいて分かったのだが、この受付嬢、やけに露出度が高い。

 かなりの美人ではあるのだが、冒険者の情婦や娼婦と言われた方がよほどしっくり来る。

 現に今も、男性冒険者達から熱っぽい眼差しを送られているようだ。

 

「まず、冒険者ですが……」

 

 にっこりと魅力的な笑顔を浮かべながら、小冊子に書かれていたのと同様の説明を行う受付嬢。彼女は肩を二の腕付近まで、更に豊かな胸の大部分を露出させた衣服を着ており、ウェイトレス以上に煽情的だ。

 今は見えないが、この分では下半身もかなりきわどい格好をしていると思われる。

 

「次にこちらのカードをご覧ください。このレベルという項目ですが……」

 

 あなたの知る風の女神ほどではないが、精一杯控えめに表現しても露出癖持ちの痴女にしか見えない。

 というか、彼女は本当に正規のギルド職員なのだろうか。

 ギルドの顔が美人というのは、広告塔という点で理に適っているが、それにしたって彼女はやりすぎだ。

 こんな全方位に色気を振りまくような格好をしていては、悪戯に媚薬をぶつけられて卵を産まされても文句は言えないだろう。

 

「ここまでのことで何か質問はございますか? はい、では次にこちらの用紙に身長、体重、年齢などの身体的特徴を……」

 

 いや、もしかしたらそういった性質の悪い冒険者の目を一身に集める役目を背負っているのかもしれない。

 人畜無害な振る舞いで近づき、油断させたところを背後からグサリ、というのはどこにでも転がっている話だ。

 

 一見すると平和な街の闇に触れた気がする。あなたは用紙に自分のことを記入しながら、彼女の露出度について詮索するのは止めておこうと決心した。

 

「はい、ありがとうございます。ではこちらのカードをどうぞ」

 

 受付嬢が差し出してきた金属製のカードにはレベル、筋力、生命力、魔力、器用度、敏捷性、知力、幸運の文字が刻まれている。

 どうやら能力の項目はノースティリスのものとほぼ同じらしい。

 あちらの項目に知力は無いが、当て嵌めるなら習得だろう。

 

「そのまま触れていただければあなたのステータスが分かりますので、その数値に応じて就きたい職業を選んでいただきます」

 

 言われるままに触れてみる。

 どういう仕組みになっているのか、光と共にカードに文字が刻まれた。

 

「はい、ありがとうございます。ステータスは……おお、全体的に平均値を上回っていますね。中でも生命力はかなりのものですよ。お若いのに凄いですね」

 

 どうやら良好な数値が出たらしく、受付嬢の声色が一段高くなった。

 長くノースティリスの第一線で戦っていた身なので、能力面ではあまり心配はしていなかったが、ここは異世界であなたは異邦人だ。どんな結果が出てもおかしくない。

 かたつむり観光客以下のゴミクズですね、冒険者なんてさっさと諦めて国に帰った方がいいのでは? などと言われる可能性もあった。

 

 ほっと安心しながらカードを受け取ると同時に、あなたは瞠目した。

 レベルの部分には《eふeふzえろ》、ステータスは全ての項目に《nあnあでぃーzえろ》という文字が刻まれているように見える。

 

 ムーンゲートの翻訳が突然仕事をボイコットしたらしい。

 記述の意味がさっぱり分からず、内心で首を傾げる。

 

 確かにカードには偽造防止のための技術が使われていると説明されたが、特別な暗号でも用いられているのだろうか。

 特に高いと言われた生命力も《nあnあでぃーzえろ》だし、文字の色や形も完全に同一に見えるのだが。

 

 比較対象が欲しくてカードのサンプルを見てみれば、どの項目も普通に読めるしレベルもステータスも二桁の数字が書いてあった。

 

 どうやらあなたの特異な出自が、カードに不具合を起こしているらしい。これでは能力が高いとか低いとかそれ以前の問題だ。

 受付嬢の目にあなたのカードはどう見えているのか激しく気になるものの、胸の内に留めておこう。

 あなたはこの世界の身分証明書を手に入れに来たのだ。わざわざ藪を突いて蛇を出す必要は無い。

 

「それで、職業はどうされますか? このステータスなら今すぐ上級職、とまではいきませんが大抵の職に就けますよ」

 

 ニコニコ顔の受付嬢が提示してきたリストには戦士、魔法使い、神官、盗賊、魔法戦士といったあなたにもおなじみの職業がずらりと並んでいる。

 残念なことにピアニストは無いようだ。

 だが冒険者が選ぶ職業の中にまで、冒険者が混じっているのは何故なのか。

 

「ああ、ええと……冒険者はですね。唯一全ての職業のスキルを習得し、使うことができます。ですがスキルの習得には大量のポイントが必要になりますし、他の職業なら得られる補正が無いので威力は本職には及びません。ですのでその、あなたのような全体的にバランスのいいステータスをお持ちの方は、なんといいますか……」

 

 必死に言葉を濁しているが、露骨にお前は他に色々選べるんだからそれだけは止めておけと言っている。

 職業の冒険者はノースティリスにおける観光客ポジションらしい。

 明確な差異である、全てのスキルが習得可能という所に強く惹かれるものの、ただでさえあなたは色々とワケありの身だ。

 駆け出しは駆け出しらしく、素直に受付嬢の忠告を聞いておくことにした。

 

「……はい、魔法戦士ですね。あなたなら遠くないうちに上級職に就くことも夢じゃありませんよ」

 

 結局あなたは魔法戦士を選んだ。

 武器も魔法も扱うあなたは、自分にはこれが最も無難な選択だろうと判断したのだ。

 

「では改めまして。冒険者ギルドへようこそ。スタッフ一同、あなたの冒険者としてのこれからの活躍をお祈りしております」

 

 無事に登録が終わったわけだが、どうやらカードに書かれたあなたは他者と比較しても有望な新人らしい。実際はさておき。

 その証拠に受付嬢があなたに向ける笑顔、仕草、声からは媚びが若干含まれているように感じる。

 

 本気で目を付けられたわけではなさそうだが、初対面の流れ者相手にこの反応。

 彼女はやはりバイトで受付嬢をやっているだけで、本業は娼婦かギルドの始末屋なのではないのだろうか。




《受付嬢》
ルナさん可愛い。

《ピアニスト》
演奏を生業とするもの。
選ぶと初期装備にグランドピアノが追加される。すごい。
別にピアノしか弾けないわけじゃない。ハーモニカとかも使う。
むしろ荷物を圧迫しまくるピアノなんて使わないピアニストが殆ど。
初心者が人前で演奏するとぶっ殺される。やばい。

《かたつむり観光客》
かたつむりは最弱種族。観光客は最弱職。
最弱種族+最弱職=強制縛りプレイ。
一見無理ゲー臭が漂うが抜け道は幾らでも存在する。


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第3話 宝島と極貧リッチー

 あなたが異世界の冒険者となって、早くも二ヶ月が経った。

 討伐、料理、他の街への配達、行商の護衛、外壁の拡張工事と様々な依頼をこなし続けているあなたは、今ではアクセル有数の魔法戦士として名を馳せている。

 

 早くもギルド職員からはアクセルのエース、みたいな目で見られ始めているが、他の冒険者にお前なんでこの町にいるの? みたいなことは言われなかった。

 どうにも終始ソロで活動しているので、寂しい奴だと思われている節がある。

 

 そうして依頼を受け続ける日々を送っていると、ある日突然に条件を満たしたらしく、魔法戦士の上級職であるエレメンタルナイトになった。

 ただレベルもステータスも、あなたの目には変化していない。

 相変わらずバグったままだ。壁を越えた感触も無い。

 

 スキルのポイントも読めなかったが、こちらに関しては文字が変化したし、実際にスキルを習得できた。

 今は《zえろ》の文字が刻まれている。1ポイントのスキルを選んだが何も取得できなかったのでゼロなのだろう。

 

 さて、肝心のスキルについてだがあなたは片手剣スキル、両手剣スキル、盾スキル、魔法スキルといったように、魔法戦士として活動するのに対外的に都合がいいと思われるものを一通り揃えた。

 その中でも特筆すべきもの。それは初級魔法スキルとテレポートだろう。

 

 初級魔法スキルは殺傷力皆無の火、水、土、風属性の魔法が使えるようになるものだ。

 あなたはそれをクリエイトウォーターのためだけに習得した。

 言ってしまえば、ただの綺麗な水を出すだけの魔法である。

 

 しかしノースティリスで消毒せずに飲めるような綺麗な水は、迷宮の中で拾うか雪国の特定の井戸で汲むなど、入手する機会が非常に限られている。

 それが魔力を使うだけで、文字通り湯水の如く手に入るのだ。

 初級魔法スキルを覚えたままノースティリスに戻れれば、暮らしが楽になること請け合いである。

 

 テレポートの魔法はノースティリスにも存在するが、あちらは数十メートル以内にランダムで転移するものだ。主に敵に囲まれたときに一時離脱するために使う。

 こちらのテレポートは登録した場所に転移するというもので、自宅や“ある場所の自身が到達した最下層”などの特定の拠点に戻る《帰還の魔法》に近い性質を持っている。

 

 場所に登録が可能で上書きが可能。これまた非常に利便性が高く幾らでも悪用できそうなのだが、比例して取得コストが非常に重い。

 あなたは最初からこのスキルを狙っていたのだが、初期ポイントのあまりと二か月分の戦果のほぼ全てを注ぎ込むことになった。

 成長速度も、他と比べて圧倒的に遅いらしい。

 

 聞けば初級魔法はこの世界の冒険者にとって重要視されていないらしく、殆どの者は最初に中級魔法を習得するのだとか。

 あなたは一応中級魔法も覚えているが、覚えてしまえば魔力を消費するだけで何回でも使えるこの世界の魔法は信じられないほど画期的だ。

 

 使用回数に応じて熟練度が伸びて威力や精度が上昇するのは同じだが、魔法書を買い漁ってストックを増やす必要がないだけで、こんなに便利にもなるとは知らなかった。

 今のところ、威力は長年使い込んできたノースティリスのそれに遠く及ばないが、差し引いても夢のような魔法と呼べるだろう。

 

 

 

 

 

 

 とまあ、このようになんだかんだで異世界を堪能しているあなただったが、ある日とんでもない事件に出くわした。

 それは初心者殺しと呼ばれる、駆け出し冒険者がよく殺される狡猾な魔獣の討伐依頼を終えた日のことだ。

 

 獲物の解体を終えて帰ろうとしたところ、唐突に地下深くに強大な気配が発生したのだ。

 それを受けてあなたは最初、地殻変動が発生して迷宮(ネフィア)が発生していると錯覚した。

 気配が地下から地上に昇っていき、地響きと共に数十メートル先の大地が隆起していくのだから、これが尋常の事態ではないことは明白だ。

 

 

 そうして数分後、警戒を強めるあなたの目の前に、丘とも小山とも呼べるものが出来上がっていた。

 

 否、あなたの眼前のこれは丘でも山でもない。

 長く冒険者を続けていたあなたですら初めて見るほどの巨大な生物……大亀が、あなたの目の前に姿を現したのだ。

 

 突如あなたの目の前に現れたソレは、竜など歯牙にかけない、凪いだ海のように深く、大きく、そして静かな力を発している。

 あなたであれば逃げるのは容易い。

 だが戦って仕留めるというのならば、この世界で初めて本気で戦う必要が出てくるだろう。

 少なくとも今あなたが装備している、多少高価な市販品程度の装備で戦っていい相手ではない。ただの自殺行為だ。

 

 だが今のところ、喧嘩を売られている様子ではない。それどころか山ほどもある巨体を横たえ、じっとあなたの目を見つめている。

 あなたに何かを求めているようにも思えるが、あなたが何を言っても反応は無かった。

 

 偶然あなたの前に現れたわけではないだろう。大亀は今もなお、じっとあなたのことを見つめ続けている。

 目の前の神獣とも呼べる存在は、明確な理由の元、あなたに会うために地上に出てきたのだ。

 

 討伐依頼にこのような生物の情報は書かれていなかった。性質も生態も一切不明。

 大亀はただ何かを待つかのように、静かに横たわっている。

 

 あなたは魔物の情報は大方調べたが、このような生物の存在は知らなかった。

 調査と見通しが甘かったようだ。もっと色々な図鑑を読みこんでおくべきだったのだろう。

 あなたが腕を組んで悔やんでいると、おもむろに大亀がブルリとその巨体を震わせた。

 

 すわ何事かと構えれば、甲羅から何かの固まりがぽろぽろと地面に降り注いでいく。

 あなたは近くに落ちた中でも一際目を引いた鉱石を拾い上げた。

 強い魔力を放つ、拳大の鉱石だ。

 

 売ればそれなり以上の金額になりそうだ。ありがたく頂戴しよう。

 あなたは最近無駄な買い物をしすぎて金欠気味なのだ。

 

 大亀の思わぬ贈り物に感謝しつつ、他に落ちた物を拾いに行こうとあなたが姿を翻すと、大亀が再度、今度は少し強く体を震わせた。

 

 ふと、あなたは頭上から気配と敵意を感じた。

 見上げれば、人体ほどの巨大な鉱石のようなものが降ってきている。

 だが鉱石ではない、確かに生物の気配がする。

 

 直撃コースのそれを、あなたは回避しながら片手剣を抜き両断した。

 緑色の体液を撒き散らしながらあっけなく絶命したのは、あなたのよく知るイスの眷属によく似た、無数の触手を持った軟体生物。

 図鑑で見たことがあるモンスターだ。確か鉱石モドキとかいう、擬態能力を持った魔物だったか。

 

 何のつもりだと大亀を見上げ睨みつければ、本来甲羅であった場所はビッシリと鉱石や苔やキノコで覆われているのが分かった。

 甲羅というより、あれではまるで踏み固められた大地だ。

 

 あなたの視線が甲羅にいったのが分かったのか、大亀は三度その身を震わせる。

 土や鉱石が甲羅からポロポロと零れ落ちてくるが、積もりに積もった全てを落とすにはとても足りない。

 甲羅からは、鉱石モドキと思わしき気配もちらほらと感じる。

 

 なんとなく分かってきた。

 乗っているものはくれてやるから、甲羅を掃除してくれ。そういうことなのか。

 

 そんな意を込めて大亀と視線を交わす。四度身震いすることは無かった。

 ただようやく気付いてくれたのかと、あなたの察しの悪さに呆れたように、大亀は鼻から息を漏らすのだった。

 

 

 

 

 

 

 大亀の上に登り、時折出てくる鉱石モドキを始末しながら暫くのあいだあなたは採取と採掘を行い甲羅の掃除を続けた。

 積もりに積もった地層の如き厚みの土や岩や鉱石を掘り続ける。

 採掘自体はよく迷宮ネフィアの中でもやっている。慣れたものだ。

 

 掘って、掘って、掘って、獲って、獲って、焼いて、切って、掘って、掘り続ける。

 

 

 そうして数時間。時刻が昼に近づきだした頃。

 一息ついたあなたは決意した。

 

 効率が悪すぎる。方法を変えよう。

 

 一人でチマチマ掘っていては、とてもではないが終わりが見えない。

 あなたは大きな富は独占せずに等しく分配されるべきである、などと考えてはいないが、人間と小山サイズの大亀だ。甲羅の面積に対して人手が圧倒的に足りていない。

 ついでに言うと、この世界の採掘師としてあなたは素人以下。つまりゴミと売れる鉱石の区別が殆ど付かないのだ。

 しかし、こうして手当たり次第に拾っていくしかないというのは面倒すぎる。

 

 アクセルに戻って応援を呼ぶべきではないのか。あなたはそう考えたものの、ここからアクセルは徒歩で一日ほどの距離がある。

 こんな宝の山の存在が知れたら、懐寒い冒険者は挙って集まるだろう。集まらない理由が無い。

 それはいいのだが、間違いなく数日間に渡ってギルドが機能不全に陥る。

 

 ならばいっそ核でも使って一掃すべきだろうか。

 どうせこの大亀相手ならば核程度かすり傷にしかならない。

 普通にやるよりさぞ綺麗になることだろう。

 

 あなたはそこまで考え、核ではこの宝の山を消滅させてしまうと気付いた。

 本末転倒にも程がある愚行である。亀は満足するだろうが、自宅も手に入れていない今のあなたにそんな金銭的余裕は無い。

 

 この大亀は賢い。人間風情を利用して甲羅の掃除をしようとする程度には。

 だが甲羅の掃除をしてほしいのならば、それこそアクセルのような人里にでも行けばいいのだ。

 鉱石モドキがいるので一般人には厳しいだろうが、それでもアクセルの冒険者総出で採掘すれば山分けしてもかなりの稼ぎになるし十分綺麗になると思われる。

 

 にもかかわらずこうして地中から出てきたのは、あなたが地中の相手の力量を察したのと同じく大亀も地中からあなたの力を察したからなのか。

 お前ならまともにやるより綺麗にしてくれるだろう、と言われている気がした。

 

 真意はどうあれ、あなたが大亀に甲羅の掃除を頼まれたのは事実。つまり依頼を受けたのだ。

 報酬はこの鉱石の山。先払いで魔力の篭った鉱石を受け取った。

 

 ゆえに冒険者としてのプライドがあなたに依頼を投げ出すことを許さない。

 安いプライドだと言われればそれまでだ。

 だがあなたは冒険者としてどんな依頼だってこなしてきた。これまでも、そしてこれからも。

 

 とはいえ、やはり手伝ってくれる人手は欲しい。

 核以外の方法は思いついた。

 

 追加人員には主に鉱石の仕分けを頼む予定なので少数でいい。あなたでは逆立ちしても高価な鉱石の判別などできない。

 核ほどではないが無茶な真似をする予定なので、万が一巻き込まれても平気な頑丈な奴がいい。

 口が堅いとベスト。

 

 しかし駆け出し冒険者の街であるアクセルに、そのような都合のいい人物などいただろうか。

 諦めて自分だけで頑張るべきだろうと思ったその瞬間、あなたに天啓が降りた。

 

 

 

 …………いや、いた。

 

 

 

 確かにアクセルにもあなたの要求を満たす人物がいる。

 知識が豊富で鉱石モドキをものともしないであろう腕前で、更にあなたが無茶をしても平気と思われる者が。

 

 そうと決まれば善は急げである。

 今もアクセルにいるといいのだが。

 ついでに採取したものを詰め込むために大量の荷物袋も買っておこう。

 まだ一箇所しか無いテレポートの転移先に大亀の甲羅の上を登録し、一度準備のために戻るので少し待っていてほしい旨を大亀に告げる。

 大亀は了承したとばかりに目を閉じ、静かな寝息を立て始めた。このまま昼寝するらしい。

 

 この様子なら暫くどこかに行くことは無さそうだ。安心したあなたは帰還の魔法を唱えてアクセルの街に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 あなたは雑貨屋で道具と袋を買い込み、アクセルの街の一角にぽつんと立っている、小さなマジックアイテムを販売している魔法店に入った。

 扉を開けると同時にちりんちりんと店員に来客を告げる鈴が鳴り、奥からぱたぱたと駆け足で女性がやってくる。

 

「あっ、いらっしゃいませ! いつもご愛顧ありがとうございます! 今日は何をお求めですか?」

 

 あなたの姿を確認した瞬間、ニコニコと嬉しそうに挨拶してきた女性の名前はウィズという。

 全身を覆うゆったりとしたローブを纏い、ウェーブのかかった長い茶髪な青白い顔をした彼女はこの《ウィズ魔法店》の店主で凄腕の魔法使いだ。

 

 ちなみに最上位アンデッドであるリッチーでもある。この世界では伝説とまで言われる凶悪な存在だが、街の人間には隠して生活しているらしい。

 一目で見抜いたあなたにどうか秘密にしていてほしいと頼んできた。

 人外が街中で生活しているというのは少なくともあなたにとっては当然のことなので普通に受け入れている。

 

「爆発シリーズに新しいのを入荷したんですよ。魔力を流すと爆発するポーションなんですがいかがですか?」

 

 そして実は何を隠そう、あなたは頻繁にこの店で買い物をしているお得意様である。

 冷やかしに落ち込む彼女の姿を愛でるという悪趣味な者達からは地味に睨まれているが、それはそれ。

 

 ウィズはあなたを同好の士と認識しているし、実際それは正しい。

 ノースティリスでも見ないような珍品を見かけるとつい手が伸びてしまうのだ。

 

 ただ期待しているところ非常に申し訳ないのだが、今日はあなたは買い物に来たわけではない。

 

「そうなんですか……あ、今お茶……は切らしてるのでお水をお出ししますね」

 

 しょんぼりと寂しそうに微笑んで店の奥に引っ込もうとするウィズを手で制する。

 世間話もいいが、ウィズに依頼したいことがあると告げた。

 

「私にですか? あの、私みたいなのではなく普通の冒険者の方の方がいいと思うのですが……」

 

 首を横に振る。

 お世辞にも広いとは言えないあなたの交友関係の中で、あなたが要求する能力を持つであろう者はウィズしかいない。

 こちらの世界でもリッチーは魔法耐性に優れた種族だ。

 あなたが多少無茶をしても問題ないと判断した。

 

「……分かりました。あなたにはいつもお世話になっていますから。でも私は何をすればいいんですか?」

 

 承諾が得られたので、話の前にウィズの鉱石についての知識について確認しておく。

 

「鉱石ですか? はい、結構詳しいですよ。特にマナタイト鉱石は魔法使いに必携ですから沢山勉強しました」

 

 安心してあなたは大亀が落とした魔力の鉱石を出して見せる。

 瞬間、ウィズの目の色が変わった。

 

「こ、これ……マナタイト鉱石ですよ!? それもこんなに高純度の……どこで手に入れられたんです?」

 

 ウィズはこの鉱石の専門家だったらしい。あなたは本題である亀のことを話すことにした。

 小山ほどの大きさで強大な力を持ち、背中の甲羅に大量の鉱石や魔物がこびりついた大亀のことを。

 ウィズはこの世界の住人でアークウィザードなので知識は豊富だろうと踏んだのだ。

 

「そっ……それって宝島ですか!? 宝島が出たんですか!? どこ、どこに出たんですか!?」

 

 結果、ウィズの目の色が攻撃色に変わった。

 おっとりほんわかしたいつもの彼女からは想像もつかない剣幕であなたに詰め寄ってくる。

 

 ちなみにウィズの特記事項として、リッチーである他に極貧であることが挙げられる。

 ここ二ヶ月はあなたがそれなりに金を落としているにもかかわらず極貧である。

 

 原因は世間話をしただけで理解できる、ゼロを超えて負の方向に振り切れている商才の無さ。

 ウィズは働けば働くほど貧乏になる脅威の特殊能力を持っているのだ。

 更にこの街に見合っていない高性能の代物か、珍奇すぎるか危険すぎてあなたのような者以外買う気すら起きないものばかりを仕入れてくるのだから堪らない。

 

「今何時ってあああああああもうお昼過ぎじゃないですか! 準備! 準備しますから今すぐ行きましょう! 早く行かないと間に合いませんよ!?」

 

 あなたに発言する間を与えずに店の奥に消えるウィズ。

 家中をひっくり返しているのか、何かが割れる音まで聞こえてくる。

 

 あの亀の話を聞くのは現地でお願いしよう。今のウィズは話が通じない。

 

 

 

 

 

 

 採掘準備を終えたウィズとテレポートで大亀の甲羅に飛ぶと、いよいよウィズのテンションが大変なことになってきた。

 

「ほっ、ほああああぁ……本当にこんな所に宝島が……すごい……ああっ、あそこにフレアタイトが! ここが天国ですか!?」

 

 天国ではなく文字通りの宝島である。

 あなたは興奮するウィズを宥め、大亀の詳細な説明をしてもらった。

 

「た、宝島は玄武の俗称です。十年に一度、甲羅を干すために地中から出てくると言われています。これは普段地中で生活している玄武が甲羅のキノコや害虫を日干しするためだと言われていますが、詳細は分かっていません」

 

 どうやらあなたは十年に一度のタイミングにエンカウントしてしまったようだ。

 運が良いのか悪いのか。

 

「玄武は暗くなるまで甲羅を干します。そして希少な鉱石類を食料にするため、甲羅には希少な鉱石が……鉱石が沢山……ふぁあっ、あんなにおっきいマナタイト鉱石まで……! これが全部ひとりじめ……ふたりじめ……!?」

 

 トリップを始めたウィズを再度落ち着かせ、早速作業を行うことにした。

 玄武が暗くなると地中に戻るとなれば、時間にあまり余裕は無い。

 もう少し早く単独での採掘を切り上げて彼女に助力を頼むべきだったと悔やむのは簡単だが、今は一刻も早く採掘を進めるべきだろう。

 

「あ、あの、ところで私達しかいないんですけどいいんですか? 後で怒られたりしませんか……?」

 

 もしや玄武の発見者には報告義務があったりするのだろうか。

 もしそうなら黙っていてほしいのだが。

 

「いえ、そんな話は聞いたことが無いです……そもそも十年に一度しか地上で活動しない幻のモンスターですし」

 

 ならば問題ないだろう。

 それに怒られるも何も、ここは最寄の街であるアクセルから一日も離れた場所にある。

 人を集めて一々テレポートしていては日が沈んでしまう。選ばれた者と選ばれなかったもので無用な争いになりかねない。

 

「そ……そうですよね! 二人しかいないですけど仕方ないですよね! 遠いですもんね!」

 

 そういうことになった。

 極貧リッチーの良心が詭弁と金銭欲に屈した瞬間である。

 

 最後に大事なことを一つ聞いておく。

 玄武はどこまでやっても怒らないのかを。

 

「えっと……昔、高名なアークウィザードが爆発魔法を使ったそうなんですが、それでもダメージを与えられずに全くの無反応だったとか。あと聞き忘れてたんですけど、私はどうしてここに呼ばれたんでしょうか? 確かに凄く嬉しいですけど」

 

 満足の行く答えを得たあなたは、ウィズにあなたが掘った鉱石を分別してほしいと告げる。

 これからあなたは威力を絞った広域攻撃魔法を甲羅に向けて撃ち込んで、鉱石ごと地面を吹き飛ばす作業に入るのだ。

 リッチーのウィズならば、万が一あなたが魔法の制御を誤って魔法に巻き込まれても問題ないからこその人選である。

 

「り、理由は分かりました。でも一応暗黙の了解で玄武への攻撃は止めておこうって決まってるんですが……」

 

 ウィズが玄武に怯えたようにあなたを窘めてくるが、爆発魔法で無反応なら問題無い。

 万が一暴れ出したら命を懸けて止めるつもりだとウィズに告げる。

 

「…………分かりました。お手伝いすると言ったのは私です。責任をもってお付き合いします」

 

 剥き出しになった大きめのマナタイト鉱石の前に膝立ちになり、地面に手を当てる。

 更に忘れずにウィズに袋と耳栓を渡し、自分から離れておくように伝えておく。

 

 何か覚悟を決めたような緊張の面持ちでウィズがあなたを見ているが、あなたは玄武が反応しないと確信している。

 ウィズの手前止めると言ったが、愛剣の強化無し、更に鉱石が砕けないように意図的に威力も絞るので甲羅に傷が入るかすら怪しい。

 故に躊躇なく魔法を発動させた。

 

 

 

 

 

 

 かくして轟、という空を揺るがす爆音とともに。

 あなたの視界は土色に覆われる。

 

 発動した魔法があなたを中心に無色の爆発を発生させ、玄武にこびりついた全てをめくりあげながら周囲一帯を綺麗に吹き飛ばしたのだ。

 

 案の定あなたは砂塗れになったし口の中もジャリジャリする。

 しかし一瞬で剥き出しになった甲羅は黒く美しい光沢を放っており、全くの無傷。

 鉱石も特に砕けているようには見えない。大成功だ。

 無茶とも言える行為がもたらした結果にあなたは満足して頷き、クリエイトウォーターで口の中を濯いだ。

 これなら余裕で日没に間に合うだろう。

 

「…………」

 

 ふと気付けばウィズが鋭い表情で周囲を警戒している。

 が、一分ほどすると安心したようで安堵の息を吐いていつもの表情に戻った。

 

「じゅ、寿命が縮むかと思いました……リッチーですけど」

 

 玄武の反応を警戒していたらしい。

 問題ないと判断したようだ。

 

「ところで今のは炸裂まほ…………いや…………空気、あるいは音の爆発、ですよね?」

 

 一目見ただけでネタが割れてしまったらしい。

 凄腕アークウィザードにしてリッチーの面目躍如といったところか。

 

 あなたが使った魔法の名は《轟音の波動》。

 詠唱者を中心に音属性の爆発を発生させる広範囲攻撃魔法だ。

 

 音属性魔法はこの世界には系統すら存在しない、問答無用で異世界の技術。

 だがあなたはウィズがリッチーだということをアクセルの住人に黙っている。

 いわば弱みを握られている形になるので、ヘタにばらされることは無いだろう。

 よしんば周囲に知られて面倒ごとになったときはなったときだ。逃げるか、あるいは全てを蹴散らすか。

 所詮あなたは寄る辺も無ければ仲間もいない異邦人だ。あなたを縛るものは何も無い。

 

「でも、アークウィザードどころかリッチーのスキルにすらそんなもの……複数の魔法とスキルを組み合わせればあるいは……」

 

 ウィズが妙な誤解をしているが、残念ながらあなたにそんな器用な真似はできない。

 あなたにできるのは覚えた魔法を使うことだけだ。

 この期に及んで彼女に隠し立てする気も無い。質問には終わった後で答えると告げ、あなたは地面の爆破を続けるために甲羅の上を移動するのだった。

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ時。

 甲羅の隅々にまで轟音の波動を打ち込み、甲羅をピカピカの状態にしたあなたとウィズは採掘を終えた。

 

 見上げれば黒く輝く玄武の甲羅が夕日を反射して目に眩しい。

 

 あなたが頭のてっぺんから足の先まで砂塗れになりながら綺麗に掃除しても、10年後にはまた玄武の甲羅は元通りになっているのだろう。

 だがそれでいい。

 あなたは玄武から依頼を受けたに過ぎないのだから。ここまで完璧な状態にしたのだって所詮は自己満足だ。

 

 あなたがそう考えたところで玄武がおもむろに立ち上がった。

 気持ちよさそうに大きく伸びをした後に一際大きく身震いしたが、今度は何も落ちてこなかった。

 

 玄武はそのままあなたを一瞥すると、礼を言うように一声だけ低い声で鳴き、出てきた穴にノシノシと歩いていった。

 どうやら依頼は玄武の満足の行く結果に終わったらしい。

 

 玄武が去り、この場に残されるのはあなたとウィズと無数の袋に詰められた鉱石とキノコの山。

 全てを換金すればウィズと山分けしても相当な金額になるだろう。

 持ち運びはとりあえず四次元ポケットに全部詰め込むとして、売却方法も考えなくてはいけないというのは贅沢な悩みだ。

 

 ただ、その代償として数時間連続で唱え続けた轟音の波動のストックが底を突いた。

 轟音の波動の魔法書は一冊だけ持っているが読める回数は残り一回。ウィズに読ませるつもりなので魔法書の入手の当てが無い以上、恐らくノースティリスに戻るまで二度と使えない。

 願いの杖が使えれば魔法書も願えるのだが、産廃と化した以上無いもの強請(ねだ)りに過ぎない。

 

 異世界に来てたったの二ヶ月で特に使い慣れた魔法の一つが使えなくなったのは痛いが、こうして玄武の依頼は無事に完遂したのだ。後悔は無い。

 あなたは清々しい気分で地面に潜っていく玄武を見送るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなに、こんなにいっぱい……半分も……お願い、夢なら、夢なら覚めないでぇ……ぅわ、ふわあぁぁぁぁぁぁああああああ~~~……」

 

 ちなみにウィズは袋に詰めても詰めても減らない稀少鉱石の山に精神のキャパシティが限界を超えたのか、採掘の半ばからずっとトリップしていた。




《玄武》
web版に登場。
書籍版におけるキャベツイベントを担当。
アクアが沢山のクズ石を回収した。

《あなたの使う魔法について》
魔法書を読む事でその魔法のストックと呼ばれる固有の数値が増える。
魔法を使うとMPとストックの両方を消費し、ストックは必須。
MPは無くても使えるが反動でHPダメージを受ける。


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第4話 採掘を終えて

 玄武の姿が地中に消えた後もウィズがトリップから帰ってくる様子を見せないので、あなたは一人で鉱石の回収作業を始めた。

 よく考えてみれば、ウィズは四次元ポケットの魔法が使えない。つまりもうやることが無いのだ。

 

 あなたは最早何一つ隠すことなど無いと言わんばかりに、ウィズの目の前で四次元ポケットの魔法を使う。

 四次元ポケットに収納されていく、鉱石やキノコが詰まった大量の袋。

 すると不思議なことに、袋が減っていくごとにウィズは正気に戻っていった。

 

 

 

「ああ、消え、お金、消え……」

 

「やっぱりこれ、夢……」

 

「お願い、待って、待ってぇ……」

 

「ああっ、ダメ、行かないでぇ……」

 

「お願い、まだお店の借金がいっぱい……」

 

「また暫く綿の砂糖水しか食べられなくなっちゃいますから……」

 

 

 

 もしかしたら正気を失っていっているのかもしれない。

 悪夢にうなされるように呟き続ける、悲壮感に満ちた極貧リッチーの涙声を聞きながら、あなたは黙々と作業を進めていく。

 

 夕暮れは人を感傷的にさせるというが、そのせいなのだろうか。

 玄武の依頼を完璧に終えて宝の山も手に入れた。

 万々歳だったはずだ。なのに、あなたは無性に悲しい気分になった。

 

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。ウィズが嗚咽まで漏らし始めたところで、あなたは釣られて熱くなってきた目頭を押さえた。

 綿に含めただけの砂糖水は断じて食べ物ではない。飲み物ですらない。

 

「あ、あぁ、もうこんなに…………はっ、ここは誰っ、私はどこっ!?」

 

 八割ほどを収納したところで、ウィズの意識が現世に復帰した。まだ若干言動が怪しいが。

 同時にウィズの視界の先でまた一つ鉱石袋が消えた。

 

「……え、ええっ!?」

 

 呆けた頭が吹っ飛ぶほどの衝撃の光景だったらしい。目の前でずっと同じことをやっていたのだが。

 あなたは簡潔に、自分の世界の魔法で収納しているところなので、自分のもとに袋を持ってきてほしいと告げる。

 

「じ、自分の世界の魔法……?」

 

 未だ事態が飲み込めていないウィズから鉱石袋を受け取り、作業を進めながらあなたは訥々と語り始めた。

 曰く、自分はいわゆる異世界の人間である、と。

 

 ノースティリスと呼ばれる場所で冒険者をやっていたこと。

 およそ二ヶ月前、転移事故でこの世界に迷い込んだこと。

 現状ノースティリスに帰れる目処は全く立っていないこと。

 玄武の上で使った爆発魔法や鉱石を収納したのはあなたの世界の上級魔法であること。

 あまり食費を切り詰めるといくらアンデッドとはいえ心が荒むので、衝動買いは控え、玄武の稼ぎもいくらか貯蓄に回した方がいいこと。

 綿に含めただけの砂糖水は絶対に食べ物ではないし、飲み物でもないこと。

 

 一度口から出してしまえば、驚くほどスラスラと話すことができた。

 

 異邦人である今のあなたは誰よりも自由であるが、ある意味では誰よりも孤独だ。

 あなたは自分が異邦人であると誰かに知っていてほしかったのかもしれないと思った。

 

「異世界の人、だったんですか……? 確かに、あの爆発も袋がどこかに消えていく魔法も、私ですら初めて見る魔法の反応ではありましたけど」

 

 ウィズの物言いを見るに、この世界にも一応四次元ポケットに類する魔法はあるのかもしれない。

 ウィズがお望みならば他にもいくつか見せてもいい。

 どの魔法も一度や二度で尽きるストックではない。

 

「えっと、じゃあ宝島で見たのを……あれはもう無理? よく分かりませんけど、それなら危なくないやつをお願いします」

 

 注文の通りに魔法を行使する。

 結果を見たウィズは、あなたの予想通りに目を丸くした。

 

「え、えぇ……? これってドア、ですよね? ごく普通の」

 

 あなたが使ったのはドア生成の魔法だ。空間に固定されているので、ウィズが押しても引いても倒れることは無い。

 鍵付きのドアをその場に発生させるだけの魔法。

 流石にこんな魔法は類似品すらこの世界にも存在しないだろう。

 

 ある意味初級魔法スキルよりも使い道が無い魔法だが、一応狭い通路で敵が寄ってくるのを一時的に防いだり鍵開けを鍛えるのに使える。

 とはいえ、これはあなたが最も使わない魔法の一つだ。自宅の改装中に使うくらいか。

 あなたがドアを強めに蹴飛ばすと、ドアはあっけなくバラバラになって消えていった。あなたにもこの魔法の原理はよく分かっていない。分からないが使えるので使っている。

 

「えっと、あなたのことはよく分かりました。嘘も言っていないと思います。でも、本当に私なんかに話してしまってよかったんですか……? その、私、リッチーなんですけど……」

 

 ウィズが伝説のアンデッドであるリッチーなら、あなたは異世界人だ。物珍しさという点ではどっこいどっこいだろう。

 それにこの期に及んで良いも悪いも無いだろうとあなたは笑った。

 あれだけ派手に魔法を使った以上、今更何でもありませんでは済まないし、ウィズも表面上ではともかく、内心では納得しないに決まっているのだから。

 

 確かに積極的に他者に触れ回ってほしい類の話ではないが、必死になって隠すべきほどのことでもない。

 そんなに他者の注目を浴びたくないのならば、最初から冒険者になどならなければいいのだ。

 大体あなたが受けた依頼を手伝ってくれたウィズに対して何も教えなかったり出鱈目を話すのは幾らなんでも不誠実が過ぎる。

 

「その……はい、私なんかにそこまで言ってくれて光栄です……でいいんですかね? ってこの本は……? え、依頼を受けてくれたお礼、ですか?」

 

 全ての鉱石袋の収納を終えたあなたは、今も突然の重大告白に戸惑っている様子のウィズに轟音の波動の魔法書を差し出した。

 

 これは玄武の上で自分が使っていた魔法の魔法書なので、もしもウィズが読みたかったら読んでもいい。読めればウィズにもあれが覚えられるだろう。

 ただウィズが読めるかは分からないし、そもそも異世界の魔法書なので何が起きるか分からない上、一回読んだら無くなるから読むのなら十二分に注意してほしいと教えて。

 

「…………えっと、じゃあ、折角ですので」

 

 ウィズはおっかなびっくりといった様子で魔法書を受け取り、ぱらぱらとページをめくり始めた。

 凄腕アークウィザードとしての知識欲と研究欲が警戒心を上回ったらしい。

 魔法書は目で読むものではないので異世界人のウィズでも問題ない。轟音の魔法書は魔力と読書スキルで読むものだ。

 

 あなたは周囲に視線を飛ばす。魔法書の読書に失敗すると魔物が召喚される場合があるのだが、あなたの見る限りでは何かが起きる気配は無い。

 ウィズにも異常は無い。轟音の魔法書を読むのはそれなりに難易度が高いのだが、アークウィザードもしくはリッチーは膨大な魔力で読書スキルが無くても魔法書を読めるという事なのか、もしくは読書スキルと互換性のあるスキルを習得しているのか。

 

「あっ……」

 

 暫くの後、最後のページを読み終えたのと同時に魔法書はぼろぼろになって崩れ去った。

 何か変化はあったか尋ねてみる。

 

「多分ですけど、あなたが宝島で使っていた上級魔法が私にも使えるようになったと思います。……でも、二十回くらい使ったら二度と使えなくなりそうな感じです」

 

 初めての感覚なのか、ウィズは目を白黒させている。

 異世界人が読んでもストックの仕様は踏襲されるらしい。

 

「もうさっきの魔法が使えないっていうのは、こういう意味だったんですね」

 

 一瞬でストックという概念を理解してくれたらしい。

 ウィズの聡明さに内心で敬意を抱きながら説明する。

 

 この世界の魔法やスキルは、必要なポイントを貯めて支払えば自動で習得できるし魔法のストックも無限。覚えるだけで即戦力として運用できる。

 あなたからすれば、反則的なまでに簡単かつ便利ではあるのだが、難点を挙げるとすれば、各スキルの習得が職業と本人の資質に大きく左右される点だろうか。

 

 例外はあるだろうが、基本的に戦士は戦士よりのスキルしか取れないし、魔法使いは魔法使いよりのスキルしか取れない。

 

 だが、あなたの世界の魔法やスキルは違う。

 習得しようと思えば誰でも魔法も好きなスキルも習得できる。

 

 魔法書を読んで理解できれば、魔法使いも、戦士も、冒険者も、一般人も。誰でも同じ魔法を使うことができる。

 魔法書を理解するためには読書スキルが必要で、まともに魔法を運用するなら詠唱スキルと暗記スキルが必要になるが。

 おまけに本人の能力と魔法の習熟度も魔法の効果を大きく左右する。

 

 各スキルはギルドの専属トレーナーに指導してもらうことで本当に必要最低限の技術だけ覚えるもの。

 覚えただけで即戦力になるわけではない。そこから自力で習熟する必要があるし、習得も習熟もこれが控えめに言っても苦行だ。

 

 そして何より大事なこととして、ノースティリスにおいて職業はあくまで肩書きとその職業としてある程度の技量を保証するものであって、本人の戦闘能力やスキルを左右するものではない。

 魔法しか使わないかたつむり戦士だっているし、楽器を弾けば聴衆から石が飛んでくる底辺ピアニストが無双の銃使いだったりするのも日常茶飯事。

 ただ無敵の魔法使いだろうがストックが尽きるとその魔法は使えなくなってしまい、再度ストックを補充する必要がある。

 

 習得スキルがある程度限定されるが、習得も習熟も楽なこの世界。

 習得スキルは限定されないものの、習得も習熟も死ぬほど辛いノースティリス。

 この世界のスキルもノースティリスのスキルも一長一短だろう。

 

「一度使いきった魔法は補充するまで使えない…………えっ、さっきの魔法書ってあとどれくらい残ってるんですか……?」

 

 そこまで説明したところでウィズがおずおずと質問してきた。もっと欲しいのかもしれない。

 あなたは軽く笑って、悪いがあの一冊が自分の持つ最後の魔法書だと答える。あなたは轟音の魔法書以外は持っていなかったのだ。

 

 そもそもあなたは魔法書や願いの杖以外の魔法の杖を持ち歩かない。

 無駄に荷物を圧迫するくらいならさっさとストックや魔力に変えていた。

 

 轟音の波動の魔法書は、転移前にネフィアで拾ったものに過ぎない。

 拾ってすぐ読まなかったのは探索を優先していたからで、今日まで残していたのは魔法書はストックの有無で補充量に差があるから。

 轟音の波動のストックが切れてから、魔力を充填するなりして読もうとしていたのだ。

 ウィズに渡すと決めたので、一発で破裂する可能性を考慮して魔力の充填も控えた。

 

「そんな大事な物だったんですか!?」

 

 あまりにも予想外のウィズの反応にあなたはたじろいだ。

 今のはウィズがそこまで必死になるような話だったのだろうか。

 あなたにとって轟音の魔法書自体は貴重でも何でもないのだが。

 

「あ、当たり前じゃないですかそんなの。魔法使いなら誰だって必死になりますよ……。だって、上級魔法が一つ使えなくなっちゃったんですよ……?」

 

 普段以上に血の気の引いたウィズにそれはどういう意味だと問いかけようとして、あなたはそういうことかと得心した。

 一度魔法を覚えればずっと使い続けられるこの世界において、上級魔法が二度と使えなくなるという事実は確かに重い。

 手札の一枚が完全に死ぬのは冒険者にとって腕一本とは言わずとも、指一本がもがれたに等しい。

 

 だが、それにしたってウィズの反応は大げさすぎな気もする。

 価値観の違いといってしまえばそれまでだが、と空を仰いで、ふと一つの可能性に思い当たった。

 

 ティンダー、と呟くと同時に小さい炎があなたの指に灯る。

 攻撃力の無い、魔法使いなら誰でも覚えられる着火の初級魔法だ。

 

「あっ」

 

 それだけでウィズはあなたが言いたいことを察してくれた。

 

 ウィズはあなたが異世界人だったという衝撃が大きすぎて、あなたの表向きの肩書きを忘れていたらしい。

 以前クラスチェンジしたと話したときは微笑みながらおめでとうございますと言ってくれたのだが。

 今日だってテレポートでウィズを宝島に送ったのもあなただ。

 

 あなたは異世界(ノースティリス)の魔法を扱う冒険者だ。

 だが同時にこの世界の上級魔法戦士(エレメンタルナイト)でもある。

 

 あなたはどれだけ戦っても上級職になっても能力は伸びなかったが、スキルはこの世界のものを習得できる。

 各種武器スキルは慣れ親しんだ自前のものを使えばいいし、慣れていないこの世界の魔法はこれから習熟すればいい。

 スキルの習熟はあなたの十八番だ。なんとも素晴らしいことに魔法のストックは無限にある。

 

 たかが使い慣れた魔法が一つ使えないからといって何も問題は無い。普段使わない魔法の出番が来たと思えばいい。

 主力の各種強化魔法も、最も信を置く攻撃魔法もストックは健在。

 だからウィズが気にすることは何も無いのだ。

 

 そう告げると、ウィズは色々と忘れて取り乱した自身を恥じたのか顔を赤くして身を縮めるのだった。

 

 

 

 

 

 

「今日は本当にありがとうございました」

 

 ちょうど月が空に顔を出し始めた時間帯。あなたとウィズはアクセルに戻ってきた。

 ウィズは自分の取り分の鉱石は私的に必要な一部の高品質マナタイトなど以外は全てあなたに換金を任せてくれるという。各鉱石の相場もちゃんと教えてくれるらしい。

 日頃魅力的な品を仕入れてくれるこの極貧リッチーに少しでも楽をさせるため、これは高値で売り払わねばならないとあなたは人知れず気合を入れた。

 

 あなたにとってお気に入りの店に投資するのは当然の行為である。

 ノースティリスの武器防具屋(ブラックマーケット)に億単位の金を注ぎ込んだこともある。

 そして再度繰り返すが、綿に含んだ砂糖水は断じて食べ物でも飲み物でもないのだ。

 

「こんな滅多に無い、夢みたいな機会に私なんかを誘っていただけて嬉しかったです。それに、久しぶりに色んなことを知れてとっても楽しかったです」

 

 まるで昔に戻ったみたいで、とウィズは最後に小さく呟いたが。

 その声は街の喧騒に掻き消され、あなたの耳には届かなかった。

 

 

 

 

 

 別れる直前、あなたはまた今回のようにウィズの知識や力が必要になったと感じたら頼りにしてもいいか尋ねてみた。

 あまり彼女に頼る場面があるとは思えないが、一応確認はしておきたかったのだ。拒否された場合他の手段を探しておく必要がある。

 だがそれはとんだ杞憂だったらしい。

 

「えっと、お店もあるのであんまりたくさん誘われると困っちゃいます。……でも、お店がお休みの日でしたら、いつでも誘ってくださって構いませんよ。……あなたはお得意様で、お店の恩人ですから」

 

 そう言ってウィズは何かを懐かしむように。

 伝説のアンデッドの王であるリッチーとは思えないような、どこまでも柔らかい微笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから暫くの後、あちこちの街で一つの噂が流れた。

 

 王都をはじめとする大きな町や都市に大量の貴重な鉱石などを持ち込む人間が複数確認されたというものだ。

 性別も年齢も背格好もバラバラな彼らは不思議とその全員が一様に交渉に長けており、足元を見ようとした商人から相場以上の金額を巻き上げたとのこと。

 

 各地の勘のいい熟練の冒険者やギルドの職員は今年は宝島が地上に出現する年だと察していたが、どの街でも宝島が発見されたという話は聞かなかったので首を傾げた。

 宝島は主に人里に姿を現し、宝島が去った後その街は例外なく異常な好景気に包まれ祭もかくやという大騒ぎになるからだ。

 

 だが所詮人の噂など煙のようにあっという間に流れて消えていくもの。自身に関係が無いと来れば尚更。

 すぐに誰も彼も謎の鉱石売人に興味を無くし、次の噂話に花を咲かせることになるのだった。

 

 真実を知るものは誰もいない。

 あなたに億を優に超えるエリスを渡されて卒倒した、ある駆け出し冒険者の街で小さな魔法道具屋を経営する極貧リッチーを除いて。




《読書スキル》
魔法書を読む際に必要。
スキルレベルが魔法書の難易度に届かないと色々酷い事になる。

《詠唱スキル》
魔法の発動成功率が上昇する。
elonaの魔法は確率で不発する。

《暗記スキル》
魔法書を読んだ時に得られるストックが増える。


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第5話 どうか私をあなたのペットにしてほしい

 端数を省略して六億エリス。

 

 それが宝島をウィズと二人で鉱石などを採掘しつくし、各地で商人を泣かせながら鉱石を売り捌いた結果あなた達の懐に転がり込んできた金額である。

 

 ウィズと二分しても三億エリス。ウィズは私的に鉱石を所持しているのであなたの方に若干上乗せ。

 依頼を果たした報酬なので泡銭とまでは言わないが、たった一度の依頼で得た金額としてはあまりにも大金だ。

 

 一括で渡したとき、ウィズ魔法店の極貧リッチーは卒倒した。

 ちょうど昼飯の時間帯にお邪魔したのだが、ウィズは綿に含んだ砂糖水を口にしていた。気を失いながらも必死に綿を口に含み続けるウィズは誰もが目を覆わずにはいられない悲惨な有様だった。

 あなたはこの三億でウィズの食生活が通常レベルにまで改善しなかった場合、いっそのこと自分が彼女の食事の面倒を見た方がいいのかもしれないと考え始めている。

 こういった形での贔屓の店への投資は初めてだが、もしかしたらウィズにはこちらの方がずっと効果的かもしれない。

 

 ちなみに冒険者ギルドには宝島の件は当然のこと、この三億エリスも申請していない。ウィズにも固く口止めしておいた。

 あなたは大騒ぎになると確信している。どこで三億エリスなんて大金を手に入れたという話になったら流石に誤魔化しきれない。

 仮にギルドが秘匿を貫いたとしてもやはり駄目だ。絶対に申請するわけにはいかない。

 

 ここで話は変わるが実はこの世界の冒険者にも納税の義務がある。

 支払いは年に一度なのでノースティリスのように毎月自宅に請求書が届くわけではない。

 それは面倒が無くていいのだが、この一文をよく見てほしい。

 

 

――年収千万エリス以上の者はその年の収入の半分を収める必要がある。

 

 

 歴戦の冒険者であるあなたをして戦慄を隠せない、身の毛もよだつおぞましい数字だ。

 あなたは初めてこの文章を見たとき、恐らく貴族なのだろうがこの制度を作った奴は気が狂っていると確信した。

 ノースティリスで活動する上位冒険者の全てがあなたの考えに賛同するだろう。

 そして稀に見るシンクロ率を発揮して一致団結し、貴族の集中するこの国の王都で血の粛清と核と終末の嵐が吹き荒れること請け合いである。実際あなたも終末の剣(ラグナロク)を衝動的に抜きそうになった。

 

 あなたは玄武の一件だけで一億五千万エリスを持っていかれることになるし、様々な理由で他の冒険者が手を付けない依頼を受注しては作業のように消化していくせいでアクセルの冒険者から一緒に依頼を受ける仲間がいなくて寂しい上に頭がおかしい奴と思われ始めているあなたの依頼遂行ペースでは、玄武を抜いても年収一千万エリスなど余裕で超えてしまう。

 それを半分など法外としか表現できない金額だ。想像だけで吐き気と眩暈を覚えるほどに。

 

 玄武の金額では桁が大きすぎてピンと来ないかもしれないが、これは月収がおよそ百万として、そのうち五十万が持っていかれるという事実を意味する。

 滞納者は問答無用で犯罪者堕ちさせるノースティリスだってこんな頭のおかしい税金の取り方はしない。間違いなく重度のイスの狂気に脳と精神をやられている。

 もしどこかから玄武の件が露見した際、あなたは全力ですっとぼけるか踏み倒す心算である。

 ギルドを通しての依頼は記録を取られているので虚偽は通じないが、可能な限り滞納しようとあなたは固く心に誓っている。最悪終末の剣(ラグナロク)の出番が来ることだろう。

 

 

 

 閑話休題。

 

 

 

 あなたはこの資金を使ってアクセルに拠点を構えることにした。つまり自宅を購入するのだ。

 活動開始から半年も経たずに一括払いや屋敷や豪邸に手を出そうものなら収入源を探られかねないので、各地で様々な依頼を受けているやり手のエレメンタルナイトが買えてもおかしくなさそうな、それなりの物件を分割払いで。

 

 自宅があれば可能な行動の幅を大きく広げることができるし不要な荷物を保管できる。部屋の中に祭壇を置くこともできる。

 捧げ物はやはり信仰する女神に届かなかったが、それは祈りを止める理由にはならない。

 

 アクセル以外に家を買うという選択肢は最初から無かった。

 というのも、アクセルの街以外に居を構えようとすると非常に不便なことになってしまうからだ。

 あなたが何度か検証を行った結果分かったのだが、どうにも帰還の魔法がこの世界で最初に降り立ったアクセルの街そのものを自宅と認識しているようで、帰還の魔法を使うと強制的にアクセルの街に転移してしまうのだ。

 更に帰還の魔法の移動先を変えるためにはノースティリスで売っている《自宅の権利書》という魔法書や巻物に近いそれを使う必要がある。

 自宅の権利書は帰還の魔法と連動しているのだが、ノースティリスでは自宅の場所を決めて久しいあなたは権利書などこの世界に持ちこんでいない。

 

 だが他の町で活動しようとするのならテレポートに登録しておけばいい。テレポートはこういうときのために習得したのだから。

 それに王都など様々な街に足を運んだあなたの眼から見てアクセルの街は特に平和だ。魔物の襲撃は無いし贔屓の店もある。疲れた心と身体を休める場所としてはもってこいだろう。

 

 そんなわけであなたが買ったのは大人二人ほどが楽に暮らせる大きさの二階建ての庭付きの空き家だ。

 新築ではないがそう年月が経っているわけでもないので安くはなかったが、分割払いなので玄武の資金プールから少しずつ削っていけばいい。

 これなら当座の活動の拠点として申し分ないだろう。

 

 あなたは一通り家具や衣類などの生活用品を買い揃え、ようやく落ち着いたところで自宅に住み込みのメイドでも雇おうと考えたが、残念なことにそれはできなかった。

 家の中でノースティリスの道具やスキルを普通に使うためだ。

 故に面倒だが掃除や洗濯といった家事は全て自分だけでやる必要がある。あるいはウィズに頼むか。もしくは。

 

 あなたは苦い顔をしたまま四次元ポケットから一冊の本を取り出す。

 タイトルの書かれていない、一見するとどこにでも売っていそうな普通の本だ。

 これを読めば家事に関しては全て解決するだろう。“彼女達”はこういう面では非常に優秀だ。

 

 暫し逡巡した後、あなたはそのまま本を四次元ポケットの中に戻した。

 

――おにいちゃーん。おねえちゃーん。出してー。私はここにいるよー。

 

 戻す際、あなたは本から幼い少女の声が聞こえた気がしたが無視した。

 アレは向こうの家で待つ一人で十分間に合っている。

 ウィズにこんな些事を頼む必要は無い。家事は自分で行うことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 こうしてこの世界における活動拠点を手に入れたあなただが、ある日依頼を終えて身体を休めるあなたのもとに二人の少女が訪ねてきた。

 

「へぇ、結構いい家に住んでるんだね。家具も安物で間に合わせてるって感じはしないし、流石はアクセルでも色んな意味で評判のエレメンタルナイトってところかな」

「…………」

 

 長い金髪を後ろに纏めた少女と頬に傷跡のある露出度の高い銀髪の少女である。

 どちらもアクセルの街中やギルドで見かけたことはある気がするが、名前も知らないし会話すらしたことが無い。

 

 あなたを眼光鋭く睨みつける金髪の少女は今はいい。

 問題は興味深そうにあなたの家の中を見渡す銀髪の少女である。

 

 彼女もまたウィズと同様に人間ではない。

 

 素性を隠すためか力を抑えているようだが、あなたには彼女が微かに放つ清浄な気配には覚えがとてもあった。

 恐らく銀髪の少女は地上に降臨した神だろう。

 どこの神格かまでは不明だが、善神に属する側なのは分かる。

 リッチーに神格に異世界人。アクセルはキワモノが集まりやすい土地なのかもしれない。

 

「あ、自己紹介もせずにごめんね。あたしは盗賊のクリス。こっちの無愛想な子はクルセイダーのダクネス」

「……ん」

 

 クリスと名乗る少女はやはり神として行動しているわけではないようだ。

 お忍びで地上に降りているのかもしれない。あなたは下手な質問をして不興を買うのは止めておくことにした。

 

「あたし達は普段パーティーを組んでるんだけど、今日はダクネスがどうしてもキミに会って話したいことがあるって言ってね。……ほらダクネス」

 

 金髪の少女、ダクネスに発言を促しながらクリスが水を口に含む。

 あなたとダクネスの視線が交差した。

 

「頼みがある。どうか私をあなたの奴隷(ペット)にしてほしい」

「ぶふうううええええーっ!?」

 

 それまで一言も発しなかったダクネスが突然そう言ったと同時にクリスが派手に水を噴き出した。

 テーブルの対面に座っていたあなたの顔面に飛沫が直撃する。

 これは神水とでも呼べばいいのだろうか。信者に売れば高値を出しそうである。

 

「あ、ご、ごめんなさい……ってななななな何言ってんのダクネス!? 駄目だよ失礼でしょってえっ、本気でそんなこと言いに来たの!?」

「止めないでくれクリス! 私は街で一目見て分かったぞ、この人なら絶対に私の全てを満たしてくれる! この人なら理想のご主人様になってくれる! こうして目の前に座っているだけで今も私の直感がビンビンに囁くんだ!」

「そんな邪な理想と直感は捨てなさい!!」

 

 どうやらダクネスはあなたの仲間(ペット)になりに来たようだ。

 それはそれとしてテーブルと顔が濡れたので布巾を持ってくるとしよう。

 

「い、いきなりダクネスが変なこと言ってごめんね? あと顔とテーブルも濡らしちゃって。ちょっとこの子と話し合ってくるから少し席を外すね?」

 

 

 

 

 あなたが布巾を持って戻ったとき、テーブルにはダクネスだけが座っていた。

 

「すまない、クリスは用事を思い出したから先に帰るそうだ」

 

 あなたを視界に収めると、ダクネスは平然とのたまった。

 

 しかしあなたの視界の隅に少女のものと思わしき誰かの足が見える。

 紛うこと無き怪奇現象である。あなたはこの世界の人間の剥製は持っていないし、剥製はぴくぴくと痙攣したりしない。

 

 これは大丈夫なのだろうか。ダクネスに神罰が当たりそうだ。

 見なかったことにしてあなたはダクネスにこれは依頼なのかと質問する。拘束される期間とそれに見合った報酬は用意できるのかとも。

 

 もし依頼で適切な報酬を用意しているのならば、あとは内容次第だ。

 あなたは一度やると決めたのなら冒険者として責任をもって依頼を完璧に遂行すると決めている。

 

「……いや、違う。私の極めて私的な理由での願いだ。ゆえに私が支払えるのはこの私の身体だけということになる。幾らでもあなたの好きにしてもらって構わない」

 

 依頼では無いのなら話は早い。

 あなたはダクネスに残念だが他の者を当たってほしいと告げた。

 

「ど、どうしてもか? 私はきっとあなたにしか無理だと思う。少なくとも私はあなた以上の適任を知らない」

 

 ダクネスの目は本気だった。

 本気であなたしかいないと思っている。

 あなたとダクネスは今日がほぼ初対面にもかかわらず、この真摯な物言いである。

 気になったあなたはなぜ自分なのかと理由を問いかけてみた。

 

「その……聞いて笑わないでほしいんだが。きっとあなたは他者の調教に極めて秀でている。私の直感がそう言っているんだ」

 

 あなたは思わず目を瞑った。ダクネスの直感は間違っていない。

 あなたは潤沢な資金と物資を駆使して数多くの仲間(ペット)を育成してきた。

 その誰もが例外なく一廉の実力を持つまでに至った。

 

 だがダクネスは知らないがあなたはワケありだ。

 ゆえに本格的に仲間(ペット)にするわけにはいかないが、まあ一時的に仮の仲間(ペット)にするくらいならば構わないだろう。

 面倒な、とか厄介なことになったとは思わない。

 ここまで言われて悪い気はしない。仲間(ペット)の育成はあなたの趣味の一つだからだ。

 

「ほっ、本当か!? 本当に私を一時的にでも奴隷(ペット)にしてくれるのか!?」

 

 ダクネスが興奮してテーブルの上に身を乗り出してくる。後ろで纏めた長い金髪が動物の尻尾のように揺れた。

 

 ダクネスを仲間(ペット)にするのは一向に構わない。

 だがそれは、そこで転がっているクリスとよく話し合い、彼女を説得できたらの話だ。

 仲間を放って勝手にパーティーを抜けるなど冒険者として言語道断だ。

 あなたはそんな無責任な者を自分の仲間(ペット)にする気は無かった。

 

「うっ……す、すまない……確かにあなたの言うとおり、私が先走りすぎたようだ。クリスとは帰ってからちゃんと話し合って納得してもらってくる」

 

 あなたの咎めるような視線と物言いに、ダクネスはシュンと身体を小さくした。

 こういう所は十代半ばの外見相応の少女らしい物腰だと感じさせる。

 

「さ、先に聞いておきたいんだが……あなたの奴隷(ペット)になったら、その、私はどんなことをされてしまうのだろうか……?」

 

 ダクネスは赤い顔でもじもじと恥らうように問いかけてきた。

 どんなことをされるのか。難しい質問である。

 あなたは仲間(ペット)の成長や生活は自由意志に任せている部分がかなりある。放任主義ともいえる。

 本人がやりたいというなら最速で強くなれるように全力でサポートするが、無理矢理あなたが特訓させても身に付かないし、そんな仲間(ペット)は役に立たないからだ。

 

 あなたはこれは強制では無い、とダクネスに最初に言ってあなたの仲間(ペット)になった者が望んだ際に最初に課せられる行為を幾つか挙げた。

 

①:身動きができない状態で敵にリンチされ続ける。

②:死ぬほど頑張って自分の最大限の力を発揮し続けることで辛うじて持ち堪えられるが最終的に負ける程度の敵と戦い続ける。

③:朝昼晩の三食の全てを山盛りのハーブ(能力は上がるが味は最悪)にする。

④:人体改造。

⑤:ドーピング。

 

「二番二番絶対二番だ! そのときは是非二番で頼む! ああ、だが一番も捨てがたい……! いや、しかしやはり二番の誘惑には……! ほ、他に私はどのようなことをすればいいのだ!?」

 

 ダクネスが激しく食いついてきた。

 これは長時間続けると精神が激しく磨耗するのであまり人気が無いのだが、ダクネスは別らしい。

 きっとダクネスはあっという間に強くなれるだろう。

 

 そしてこれ以外となると、あなたの考える仲間(ペット)の重要な役割の一つといえる乗馬だろうか。

 仲間(ペット)と主人の速度差がある場合に有効な手段である。

 今のあなたに必要なわけではないが。

 

「馬に!? くっ……私に家畜のように卑しく四つん這いになれというんだな!? いいぞ、望むところだ!!」

 

 乗り心地を試してみろと言わんばかりに突然床に四つん這いになるダクネス。

 目を爛々と輝かせ、後ろ髪を振り乱し鼻息を荒くする様はまるで本物の馬のようだった。

 

「さあこい!!」

 

 その必要は無いとあなたは首を振る。

 ダクネスはどう見ても重装備型だ。あなたより速く移動できるとは思えない。

 

「足が遅いから駄目!? くそうっ……! 何故私は今まで四つん這いで走る練習をしてなかったんだ……!」

 

 ダクネスが本気で悔しそうに床を叩く。

 床からミシリと嫌な音がした。鍛えているのか力はかなりのものらしい。

 もし床が割れたら弁償してもらおう。

 

 

 

 

 あなたは落ち着かせたダクネスの得意武器を尋ねてみた。

 これはあなたの仲間(ペット)になる上で最も欠かせない大事な要素である。

 

「んくっ……確かに奴隷(ペット)なら主人の盾になって戦うのは当然だな。だがそんなものは無い」

 

 全ての武器を同程度に扱えるという意味だろうか。

 ダクネスはかなり器用らしい。

 

 あなたは近接武器はメインの剣スキルと短剣スキル、槍スキルしか習熟していない。

 他の武器を使うと愛剣がストを起こすからだ。説得の結果、辛うじて同属である刀剣類だけは扱っていいと許容してくれている。

 

 槍は女神から下賜された神器、ホーリーランスを扱うためだけに、文字通り死に物狂いで習熟した。今となっては剣と同程度に扱える自信がある。

 当然愛剣は烈火の如く怒り狂ったが、あなたもこれは信仰者として絶対に引くわけにはいかなかった。あなたが愛剣と本気で喧嘩をしたのは後にも先にもこれっきりだ。ちなみにこのときだけであなたは回数にして二桁ほど愛剣に殺されている。

 何度も血の海に沈みながらなんとか神器を使う権利を勝ち取ることができたが、今でも神器を使うと愛剣はヘソを曲げる。

 

「いや、私は武器スキルを何も習得していない。あなたの言う器用という言葉とは程遠いな」

 

 格闘スキルだけで戦うという意味らしい。

 あまり見ないが、目を剥く程に珍しいものでもない。

 腰に下げていた剣はフェイクだろうか。

 

「それも違う。私は手に入れたポイントを耐性や防御系のスキルに全振りしているからな」

 

 あなたにはダクネスの言葉の意味が分からなかった。

 それはノースティリスでいう戦術スキルも武器スキルも無いという意味だ。

 その構成でどうやって敵と戦うのだろう。

 

「戦闘では遠慮なく囮や壁にして使い潰してくれ。何なら捨て駒として見捨ててくれても構わない……んくっ……!」

 

 ダクネスは壁専門が志望だったようだ。

 あなたは残念だが、今のままではダクネスを受け入れることはできないと否を突きつけた。

 

「なっ、何故だ!? 私の何が駄目だったんだ!? クリスには納得してもらえるように説得を……!」

 

 クリスは関係ないとあなたは首を横に振った。これはダクネス本人の問題である。

 壁ができるのはいいが、壁しかできない仲間(ペット)は駄目なのだ。

 

「ど、どういう意味だ……?」

 

 もしあなたの仲間(ペット)になるのならば、剣でも斧でも拳でもいいので、ダクネスには絶対にまともな近接攻撃手段を扱えるようになってもらう。

 これはあなたと共に戦う前衛型の仲間(ペット)に対する主人としての絶対に譲れない要求だ。

 攻撃手段が皆無では仲間(ペット)をまともに育てることなどできない。

 

「ペット、育てる、調教……くふぅっ……! ……ど、どうしてもか? どうしても攻撃スキルを取得しないと奴隷(ペット)にしてもらえないのか……?」

 

 どうしてもだ。絶対に攻撃をまともに当てられるようになってもらう。

 あなたはどれだけ堅くて盾になれるのだとしても、敵をまともに倒せない者を仲間(ペット)にする気は無かった。

 本人が望まないのならば仲間(ペット)にした後に無理矢理習得させるつもりもない。

 この要求が受け入れられないならダクネスには縁が無かったと諦めてもらうしかない。

 

「ぐ……ぐぐ……ぐぐぐぐぐううううううううううううううううわああああああああ……!」

 

 あなたが絶対に意思を翻さないと感じたのか、頭を振り乱しながら掻き毟るダクネス。

 綺麗に揃えられた金髪があっという間にぐしゃぐしゃになっていく。

 

 暫く身悶えした後、激しく憔悴したダクネスはポツリと呟いた。

 

「…………一つだけ、教えてほしい。あなたの奴隷(ペット)になった私は、どれくらい強くなってしまうのだろうか? 先ほど挙げた選択肢の二番目を繰り返せば、誰でも絶対に強くなれるというのは私でも分かる」

 

 ダクネスは防御特化のスキル構成で力もかなり高い。

 頑強な肉体に技術が追いつけば極めて優秀な戦士になれるだろう。容易にソロで冒険者活動が行える程度になれる。

 先の挙げた中でも、二番目を続ける期間はそう長くないはずだ。

 ノースティリスでは深く潜れば潜るほど敵が強くなり続ける迷宮があるので最後まで二番目で行けるのだが、それが無いこの世界ではそれは望めない。

 

 

「そうか、そんなにか……。そして二番は長続きしない……わ、分かった……残念だが、本当に、本当に本当に本当に残念だが……あなたの奴隷(ペット)に……奴隷(ペット)になるのは諦めよう……」

 

「ああっ、くそっ、本当に悔しいな……絶対、絶対この人なら私の全てを受け入れてくれるって思ったし、私が思ったとおりの人だったんだ……。だが相手があなたでも、私の目的のために絶対これだけは譲るわけには……!」

 

 ダクネスは身を引き裂かれるかのような痛切な声と表情で項垂れてしまった。

 交渉は決裂したらしい。本人が駄目だというのなら仕方が無い。

 あなたに譲れないものがあるように、ダクネスにも譲れないものがあった。それだけだ。

 

 あなたにはそこまでして果たしたいダクネスの望みは分からなかったが、彼女に重度の被虐趣味があるのは長くない会話の中で簡単に分かった。

 繰り返す無数の死と蘇生(トライアンドエラー)や拷問一歩手前の過酷な鍛錬の中で精神の崩壊を防ぐため、仲間(ペット)や冒険者が被虐の悦楽に目覚めるのはそこまで珍しい話ではない。

 

 だがそれとこれとは話が別だ。

 

 

 

 

 

 

「……すまない、今日は迷惑をかけた」

 

 別に迷惑などではない。

 ダクネスがまともに攻撃を当てられるようになったのなら、あなたはいつでもダクネスを彼女の望みどおり仲間(ペット)にするだろう。

 そして主人として可能な限り全力で、彼女の望む環境(くつう)に叩き込むと約束する。

 

 あなたが去り行くダクネスの背中にそう語りかけると、ダクネスは最後に一度だけ名残惜しそうに振り返った。

 

「……本当に攻撃を当てられないと駄目か? どうしても? 絶対に? 一日だけ今のままでお試しご主人様とかも?」

 

 無言で首を横に振る。

 そんな雨に濡れて震える子犬のような潤んだ瞳で聞かれても、駄目なものは駄目である。

 

「無念だ……」

 

 ダクネスは肩を落としてとぼとぼと帰っていった。

 彼女は性的嗜好こそ若干歪んでいたが、他人に言えない嗜好など誰だって一つや二つ持っているものだ。あまりおおっぴらにすべきものではないと思うが。

 

 だがその性根は極めてまっすぐで善良な好ましい少女だった。

 あなたは彼女の被虐趣味を存分に満たしてくれる者が現れることをこの国で最も広く信仰されているエリス神に祈るのだった。

 

「――――いやいやいやいや勘弁してください! 幾ら私でもそんな無茶苦茶なお願いは聞けませんよ!? あなたは私を何だと思ってるんですか!?」

 

 あなたの祈りに反応したように突然クリスが別人のような声色と言葉遣いで叫びながら飛び起きた。ほんの一瞬だけ強く清浄な神力を発しながら。

 何故クリスがまだ自分の家に、と考えあなたはダクネスが気絶させたままだったのを思い出した。

 ダクネスも失意のあまり友人のことを忘れていたらしい。

 

「え、あれ? ……あっ、間違……うん。ちょっと凄く変な夢を見ちゃってつい……し、失礼しましたっ!」

 

 何かを誤魔化すように冷や汗をダラダラ流しながらアハハと笑うクリスはダクネスを追ってあなたの興味深そうな視線から逃げるように家を出て行った。

 なるほど、どうやらダクネスは随分と信仰深い人間だったようだ。

 

 国教として信仰されている女神の分身を地上に降ろすほどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある日のこと。

 いつものようにウィズ魔法店で買い物を終えたあなたがウィズと世間話に花を咲かせている最中に、ふとペットの話題になった。

 あなたはダクネス本人や被虐性愛は隠し、以前自分のペットになりに来た若い少女がいたと笑いながらウィズに話した。

 

 何故か一瞬で笑みを消したウィズが据わった目であなたの肩を掴んできた。

 伝説のアンデッドであるリッチーらしい、有無を言わせぬ迫力であった。

 

「ちょっとお店閉めますから奥で待っていてください。お話があります」

 

 その後、あなたはウィズに懇々とお説教をされてしまった。

 どうやらこの世界でペットとは愛玩動物や奴隷のことを指すらしい。

 

 ウィズの説明通りならダクネスは仲間ではなく奴隷志望だったようだ。自分から奴隷になりたいなどと頼んできた人間に会ったのはあなたも初めての経験だった。

 だがウィズは誤解している。ノースティリスでは奴隷も愛玩動物も仲間(ペット)の範疇なのだ。どうあってもダクネスの扱いは変わらなかっただろう。

 なのであなたは説教が終わった後にタイミングを見計らってから、自分は間違っていない、愛玩動物も奴隷も大事な仲間だし、ちゃんと責任を持って大切に面倒を見るとウィズに理解を得てもらうために声高に主張することにした。

 

 何故か説教の時間が延びた。




《謎の本》
 オニイチャーン

《乗馬スキル》
 仲間に騎乗する事で自分の速度が仲間の速度に合わせた数値になる。
 乗馬には適正が存在し、不向きな生物だと乗馬の際速度が著しく減少する。
 だが100m級のドラゴンやゴーレムが10cmのかたつむりに騎乗するなんて視覚的に無茶も真似も普通に可能。
 乗り方は四つん這いかもしれないし肩車かもしれないしそれ以外かもしれない。

《戦術スキル》
 近接物理の要、というか必須スキル。
 効果は近接と投擲ダメージの倍率増加。
 これが無い近接物理職はいくら高レベルでも同レベルの戦術持ちと比較すればゴミクズ同然。

《自宅の権利書》
 ワールドマップの好きな場所に自宅を建てる権利を得られる権利書。
 泥棒とかモンスターとかどうなってんだとか突っ込んではいけない。
 同様の権利書に倉庫や博物館や店がある。


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第6話 クリエイトウォーターの女神様

 あなたはアクセルのギルド内ではエースだの便利屋だのアクセル一のぼっちだの頭がおかしいムッツリスケベだのと呼ばれている。

 最後の一つに全く心当たりが無いのだが、それはそれとしてあなたが受注する依頼は雑用から討伐まで多岐に渡る。

 だが極一部のものを除いて討伐依頼は基本的に受けないようにしている。というかギルド側が受注させてくれない。

 

 アクセルの冒険者ギルドは初心者冒険者育成のために運営されている意味合いが強く、あなたのような上級職がいつまでも街に居座って受注可能な依頼を片っ端から片付けていくのはギルドの思惑的に大変よろしくないのだ。

 なのであなたは討伐依頼は初心者では確実に死ぬ、あるいはギルドの運営上初心者に任せるのはよろしくないとギルドが判断したものだけを回してもらっている。

 こんなことを続けているので便利屋呼ばわりされている自覚はあるが、依頼を受けるのはあなたのライフワークだし稼ぎもそれなりなので何も問題は無い。

 

「相席してもよろしいかしらー?」

 

 そんなあなたがいつも通りにアクセルのギルドで食事を行いながら次に受ける依頼の品定めを行っている最中、それは突然やってきた。

 相席の必要があるほど混んでいただろうかと、疑問に思いつつ顔を上げる。

 

 瞬間、あなたは危うく吹き出すところだった。それほどまでにありえない相手だったのだ。

 辛うじて我慢した自分をあなたは内心で褒めちぎった。この相手に女神エリスの逆のような行為は流石に不敬が過ぎる。

 

「ご指名ありがとうございまーす、アクアでーす」

 

 まるで娼館で聞きそうな台詞を言いながらあなたの目の前に現れたのは、あろうことか女神だった。エリス神に続いてまた女神だ。

 女神のように美しい女性という意味ではない。

 確かに人間離れした美貌を持つ少女ではあったが、正真正銘本物の女神がそこにいた。

 

 女神に何故地上に降臨したとはあえて問うまい。

 エリス神と同様、天上に住まう神々の思惑など所詮は定命の存在に過ぎないあなたに図れるはずも無いのだから。

 

 しかしそれにしたって何故こんな辺境とも呼べる地に女神が、それも二柱も降臨しているのか。

 アクセルの街はいよいよ魔窟と化してきた感がある。類は友を呼ぶというし、あなたにはこれからもキワモノが増え続けていく予感しかしなかった。ちなみに類がウィズである。

 そもそもこの女神は何者なのか。名前を名乗っていたようだがあなたは驚愕のあまり聞きそびれてしまっていた。聞き直すのはまずいだろう。どうするべきか。

 

「ねえあなた、こういうお店で遊ぶのって初めて?」

 

 女神が珍妙な動きでしなを作り、あなたに寄りかかってきた。

 お店も何もと言おうとして、あなたはここがギルドであると同時に酒場だったことを思い出した。

 あなたはギルド所属の冒険者、つまり常連である。

 

「あらあら、お盛んなことねー? ……ふふふ、若いわね?」

 

 確かにあなたの年齢は女神と比較すれば赤ん坊にも等しいだろう。

 あなたはポーションで年齢を保っているので実年齢と外見年齢には大きな差があるが、それも神の前では誤差の範囲だ。

 しかし女神は何の目的があってあなたに接触してきたのか。あなたは思わず表情を硬くした。

 

「ふふっ、そんなに緊張しなくてもいいのよ?」

 

 無茶なことを言うものである。

 突然女神が異邦人であるあなたの目の前に姿を現したのだ。心当たりがありすぎて逆に意図が読めない。

 仮にあなたに依頼を持ち込んできたにしても、神々があなた達に持ってくる依頼など総じて容易いものではなかった。

 余程のものでない限り、断るという選択肢は選べない。しかし内容次第では再びウィズに増援を頼むべきだろう。

 

「何か、私に聞きたいこととかあるんでしょう? どこに住んでるのかとか。普段何してるのかとか?」

 

 どうやら女神はあなたに質問を許してくれるらしい。

 ありがたい。あなたは一つ質問を投げかけてみることにした。

 

 曰くイルヴァ、あるいはノースティリスを知っているかと。

 

 今のところ元の世界の手がかりは一つも得られていない。探してもいないから当然なのだが。

 この世界は新鮮で楽しいし焦ってはいない。だが目の前の存在ならばあるいは答えられるかもしれないと若干の期待を抱きながら。

 

「……? 知らないわよイルヴァとかノースティリスなんて。食べものの名前?」

 

 女神は本当に不思議そうな顔をした。シラを切っているようには見えない。

 たまたまこの女神が知らないだけだったという線であってほしいものだが。

 

「ほら、そんなことより……いいのよ? 私の好みのタイプとかもっと色んなことを聞いても……ってちょっと何よ!? 今いいとこだったから邪魔しないでほしいんだけど!?」

 

 女神は珍妙な服装の少年に引き摺られて行ってしまった。

 彼がエリス神におけるダクネスのような存在なのだろうか。

 

「あれでいいとこだって思ってるならお前は本気でバカだ。バカの世界チャンピオンだ。どう見てもドン引きしてたじゃねえかこのバカ」

 

 違うかもしれない。

 

「人にヒキニートだの童貞だの散々言っときながら何がご指名ありがとうございますだこのバカチャンプ。どうせお前も未経験なんだろ、そんな派手な格好しといて」

「べっべべべべべ別に未経験じゃないし!? それにたとえそうだったとしても神聖な女神が処女で何が悪いのよこのクソニート!!」

 

 恐らくはあれが女神の素なのだろう。あなたの知る神々は皆個性的だったので女神の豹変に特に動じたりはしない。

 それに雰囲気はともかく、彼女の振る舞いから神聖さは全く感じなかった。

 むしろ不思議な踊りを見せ付けられている気分だったのだが、あなたはあえて口を閉ざした。

 

「いいわよ分かったわよ見てなさい! そんなに言うなら正々堂々と行ってやろうじゃないの!」

「またあの人に行くのかよ……他の人の所にしとけよ、普通に可哀想だろ」

「このまま負けっぱなしじゃ女神の名が廃るってもんだわ!」

「お前は誰と戦ってんの?」

 

 漫才のようなやり取りを繰り広げながら女神は再びあなたのテーブルにやってきた。

 彼女はどこか自身が信仰する女神と似ているかもしれない。

 頑張ってキャラを作っていたところが特に。

 

「そこの者、宗派を言いなさい! 我が名はアクア。そう、アクシズ教団の崇める御神体、女神アクアよ!」

 

 女神アクア。なんとあなたが夢にも思わぬ名前の登場であった。

 国教や貨幣単位にはなっていないものの、女神エリスの先輩とも言われている大物中の大物である。

 

「汝、もし私の信者ならば……お金を貸してくださると助かりますっ」

 

 女神直々にお布施を要求されてしまった。初めての経験である。

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 女神エリスのように素性を隠しているわけではない、本物の女神が突然アクセルの冒険者ギルドに来訪したのだ。

 もしや今日はアクシズ教の特別な日だったりするのだろうか。街中でそのような催し物はやっていなかったはずだが。

 

「具体的には私が冒険者になるために千エリスほど貸していただけると助かります……」

「おいふざけんなアクア! 俺の分は!?」

 

 しかしあなたは場の空気がおかしいことに気付いた。

 彼女が声高に名乗ったにもかかわらず、誰も女神アクアを崇めようとしないのだ。

 

 それどころか周囲には頭のおかしい小娘がやってきた、といった感じの生温い空気が蔓延している。

 あなたに送られる視線にも覚えがある。これはアクシズ教徒に絡まれた者に周囲の人間が向ける、深い同情と哀れみの視線だ。

 

「あの、何度もこのバカがすみません。こいつちょっと自分が女神とか言っちゃう頭のおかしい奴なんで……」

 

 少年はそう言っているが、よもや女神を騙る者というわけではないだろう。

 そんな真似をしようものならアクシズ教徒が駆けつけてきて即リンチにされるだろうし、彼女からは強い神性を感じる。

 アクシズ教徒が集まってこないのが不思議だが、金に困っている女神を放置していて構わないのだろうか。

 

「ちょっと放しなさいよカズマ! 私は本物なんですけど!? 本物の女神なんですけど!?」

 

 いや、あるいは彼らには彼らなりの思惑があるのかもしれない。あなたはアクシズ教の教義など全く知らないし、実際に信仰には様々な形があるものだ。

 しかし迂闊に人前に降臨しようものなら以後その日は信者達にとって永遠に祭の日になる自身の信仰する女神と扱いが対極とはいえ、女神アクアはまさかの偽物扱いである。

 少しだけ不憫になったあなたは女神アクアにお布施を行うことにした。

 

 水の女神ということはクリエイトウォーターを司る女神でもある。

 先の発言のとおり改宗はしない。改宗はしないが、感謝の気持ちとして多少お布施を行うくらいならばあなたの女神も咎めはしないだろう。

 一人に一万、計二万エリスを渡すと女神アクアはパアッと顔を輝かせた。

 

「わっ、こんなに……!? もしかしてあなた、アクシズ教徒だったの!?」

 

 勿論違う。だが言い訳は用意してある。

 あなたは初めてこのギルドに来たときに言われたのだ。

 冒険者は困ったときはお互い様だ、と。

 

「あ……ありがとうございます、親切な人! あなたに女神アクアの祝福があらんことを!」

 

 後生なのでそれだけはやめてほしい。神罰が下ってしまう。

 

 実際女神アクアにはクリエイトウォーターの件を考えれば百万エリスくらい払っても惜しくはないのだが、それは無粋の極みというものだろう。

 アクシズ教徒が手を貸さないのにあなたがそんな真似をしては彼らの思惑を台無しにするだけだし、百万エリスは間違っても駆け出しへの餞別に払っていい金額ではない。

 

「ほら見なさいカズマ! やっぱり私の美しさと神々しさは地上でも隠しきれないみたいね。あの人は信者でもないのにこんなに沢山お金をくれたわ!」

「いや、どう考えても一文無しで冒険者になろうとしてる俺達が惨め過ぎて同情してくれただけだろ……。あの人いかにもプロの冒険者って感じで強そうだしこんな金ポンと渡せるあたり絶対金持ちだぞ羨ましい」

 

 少年があなたに頭を下げた。軽く手を振って応える。

 やはりとてもではないが防衛者や黄金の騎士といった神々の従者には見えない。

 むしろ何の力も持っていない一般人の少年に見えるのだが、彼が女神アクアをこの地に降臨させたのだろうか。

 

「はぁ!? もっぺん言ってみなさいよこのクソニート! 私は惨めじゃないんですけど!? 全部アンタのせいなんですけど!?」

「ああはいはい分かった分かった。俺が悪かったからさっさと冒険者登録しようぜ」

 

 

 ……この後、女神アクアが冒険者登録を行った際にちょっとした騒ぎになった。

 圧倒的な能力を誇る女神アクアはその場で上級職のアークプリーストに就き、職員達から大歓迎されていた。

 

 かつてあなたに千エリスを恵んでくれた男にアクセルのエースに強敵登場だな、と冗談混じりに笑いながら言われたが、あなたからすればこれは当然とも呼べる結果で驚愕にすら値しない。

 世界は違えども彼女は大物女神なのだから。むしろ弱かったらそっちが驚きである。

 

 だがそんな女神アクアの能力にも問題があった。

 不運な上に知力が平均以下……つまり少々頭が残念らしい。

 後者については思い当たる節はある。主にあなたに絡んできたときのことだが。

 

 降臨して堂々と正体を名乗っても偽物扱いされたり信者に放置されている件といい、色々と凄い女神だった。

 

 

 

 

 

 

 そんなことがあったギルドからの帰り道、あなたはウィズの店に寄った。

 信じてもらえるかはさておき、女神アクアの降臨について話しておいた方がいいだろうと判断したのだ。エリス神と違って堂々としていたのだから構うまい。

 それにウィズは伝説のアンデッドとも呼ばれるリッチーだ。女神と遭遇してあまり愉快な展開になるとは思えない。

 

「あ、アクシズ教の女神様がこの街に……? うわぁ……うわぁ……」

 

 あなたの話を聞いたウィズは案の定頭を抱えてしまった。

 あっさり信じてもらえたのは少し予想外だった。

 そしてやはりアンデッドと女神は互いに相容れない存在らしい。

 

「いえ、その……確かに私はアンデッドですが、そういった存在が嫌いとか憎いとか相容れないというわけではないんです。ほら、今はリッチーなんてやってますが、一応私は人間だったわけですし」

 

 どうやらウィズからすれば、女神は不倶戴天の敵というわけではないようだ。

 では何故あのような反応をしたのだろうか。

 

「……その女神様には私が言ったことは秘密にしておいてくださいね? ……アクシズ教団の人は頭がおかしい人が多く、可能な限り関わり合いになってはいけないというのが世間の常識なんです。なので、その元締めの女神様となるとそれはもう凄いのだろうな、と……」

 

 これ以上無いほどに納得のいく理由だった。

 あなたの目から見ても確かに凄い女神だった。色々な意味で。

 

「やっぱりそうなんですね……うわぁ、会いたくないなあ……。私会っただけで浄化とかされちゃいそうなんですけどどうしましょう……」

 

 店を別の街に移せばいいだけだと思うのだが、玄武の資金を使っても無理なのだろうか。

 ただウィズが引っ越した瞬間、あなたがこの街に住む理由の九割以上が無くなってしまう訳だが。

 

「そんなに!?」

 

 確かにウィズの店の品揃えは普通では無いし、こんな駆け出しの街にあっていい店ではない。

 だがあなたはそんな店だからこそ大事に思っているし、こうして入り浸っているのだ。

 ウィズの店が普通の駆け出し冒険者が使うような店だったらきっと今あなたはここにいなかっただろう。断言してもいい。

 

「……ありがとうございます。そう言ってもらえて私とっても嬉しいです。でも、お店の引越しだけはできません。私は何があってもこのアクセルの街でお店を続けるって決めてるんです」

 

 確固たる決意を秘めた瞳をして、ウィズはそう言った。

 玄武の資金は既に底を突いていたらしい。

 三億エリスとはいったいなんだったのか。

 

「ち、違いますよ!? ちゃんとまだ残ってます! 引越しできないのはもっとちゃんとした理由なんですって!」

 

 勿論冗談である。

 あなたと同じようにウィズにも色々と事情がある。そういうことだ。

 

 

 

 

 

 

 それから二週間。

 女神アクアと連れの少年はずっと街の外壁の拡張工事を行っていた。

 あなたは毎日のように外壁付近で力仕事に勤しむ二人の姿を見かけたし、夜のギルドの酒場で酒を浴びるほど飲んで虹色のゲロゲロを吐いている女神を何度か目撃した。

 とてもあなたの知る女神と同じものとは思えない有様に首を傾げざるを得なかったが、考えてみれば今のあなたも女神アクアと似たようなものだ。

 時折外壁の工事どころか迷子の子猫の捜索や飲食店の皿洗いまで行う今のあなたを見れば、あなたを知るノースティリスの冒険者は目を剥くに違いない。友人達は指を差してあなたを笑いながら全力で煽ってくることだろう。

 そう思うと楽しそうに毎日を生きている女神アクアにどこか親近感が湧いた。

 

 もしかしたらアクシズ教徒はああやって地上で日々を楽しそうに過ごす女神アクアを見たかったからこそ、今も手を出さずに遠巻きから見守っているのかもしれない。

 

「生臭い……ぐすっ……私女神なのに……ねえカズマ、私女神なのよ……?」

「分かってるよ、分かってるから早く風呂に行こうぜ……たかがでかいだけのカエルだと思って甘く見てた俺達が馬鹿だったんだよ……」

 

 その証拠に女神アクアは今も冒険者生活を満喫しているようだ。

 どこかで丸呑みにでもされたのか、体中をガビガビにされた挙句生臭い臭気を発しながら半べそをかく女神アクアと少年が公衆浴場に入っていくのを偶然見かけたあなたは自分がノースティリスの初心者冒険者だった頃を思い出し、とても温かい気分になったのだった。



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第7話 紅魔族の少女とジャイアントトードの死闘

 あなたはこの世界ではソロでしか依頼を受けたことが無い。

 他の街に移動する隊商の護衛依頼などでは幾つかのパーティーと合同で依頼をこなすこともあるが、冒険者ギルドに所属している人間とパーティーを組んだことは一度も無い。

 

 アクセルでは良くも悪くも有名なあなたに勧誘を持ちかけてくる者はいないが、アクセル以外の街でパーティーに勧誘された経験は何度もある。

 だが一人で十分間に合っているあなたは全ての勧誘を断っているというのが現状だ。

 

 この世界の冒険者は習得スキルが限られているゆえにどうしても一人で活動するのは限界がある。

 だがあなたはノースティリスで長いあいだ戦ってきた冒険者だ。

 ノースティリスで習得可能なスキルは全て習得しているし並の冒険者以上に鍛え上げている。

 

 魔法戦士として活動しているのはあくまでこの戦闘スタイルが最も慣れ親しんでいるからに過ぎない。

 これはあなただけでなく経験を積んだノースティリスの冒険者に共通するのだが、やろうと思えば戦闘職に限っても戦士、魔法使い、神官、銃使い、弓使い、盗賊として活動することが可能なのだ。

 

 つまり他の冒険者の力を借りるまでもなく、大抵の依頼は一人で解決できてしまう。

 どうしても他者の力が必要なときはウィズに頼むつもりなので更に他人に頼る機会は少なくなる。

 あなたの正体を知るウィズの前ならばあなたは幾らでも本気を出すことができるのだ。

 

 なので最初にその勧誘を受けたとき、あなたはいつも通りに断ろうと思っていた。

 

「待っていましたよ。あなたがアクセルのエースのエレメンタルナイトですね?」

 

 あなたにパーティーの申し込みをしている者がいると受付嬢に教えられ向かったテーブルにいたのは大きめの魔女帽を被って左目に眼帯を付けた、黒髪赤目の少女だった。

 年齢は十三歳ほどだろうか。この世界ではあまり見ない若さの冒険者だ。

 

「我が名はめぐみん! アークウィザードを生業とし、最強の攻撃魔法、爆裂魔法を操る者!」

 

 マントを翻しながら彼女はそう名乗った。随分と変わった名乗りである。

 だがこの世界ではこういう名乗り方をする地域もあるのだろう。

 少なくともノースティリスで見かける“こんにちは、君いいアイテム持ってるんだって? 死ね!”より余程普通の挨拶だ。

 

 なのであなたは彼女の名乗りに倣って自己紹介した。

 エレメンタルナイトを生業とし、アクセルの便利屋と呼ばれる者だと。流石にめぐみんのように服を翻したりはしなかったが。

 

「……ほう、流石は音に聞こえたアクセルのエース。我ら紅魔族の風習に精通していましたか」

 

 紅魔族。住人の全てがアークウィザードの素質を持つという魔法のエキスパート集団だ。

 ウィズの店に品物を卸しているのが紅魔族だったはず。

 品質はいいのだが高価な上に全力でネタに走っているとしか思えない性能なので本当にあなた以外誰も買わないという曰くつきである。

 

 彼女が付けている眼帯もその類の品物なのだろうか。

 あなたの視線が眼帯にいったのに気付いたのか、めぐみんは突然ポーズを決めた。

 

「ふっ……これは我が強大な魔力を抑えるための古代の道具である。この封印が解けたとき地上には大いなる災厄が降り注ぐだろう……ゆめゆめ忘れぬようにすることだ」

 

 災厄といえば終末だろうか。

 いや、災厄と呼ぶにはたかが無数のドラゴンや巨人が異次元から召喚され人体に有毒な風が吹くだけの終末では弱すぎる。

 あなた一人でも三分あれば鎮圧できる程度で災厄ならノースティリスは毎日が災厄だ。

 つまり彼女に封じられている存在は最低でも地上に降りた神クラスである可能性が高い。

 

 何が出てくるにせよ災厄で封じられているということは敵ということだ。殺してもいいということだ。

 剥製は作れるだろうか。殺したらどんな神器(アーティファクト)を落としてくれるのだろうか。

 

 今日あったばかりのあなたでは信用も信頼もされていないめぐみんに今すぐ封印を解放してくれとは言えない。

 あなたはめぐみんの封印が解けて災厄が訪れる日が来るのを今から楽しみに待つことにした。

 そのためなら彼女とパーティーを組むのも吝かではない。

 

「……あの、ごめんなさい、嘘です。眼帯はただのオシャレで付けてるだけですからそんなに嬉しそうに眼帯を凝視しないでください。本当に取っても何も出てきませんから」

 

 めぐみんはそう言ってあっさりと眼帯を外してしまった。

 眼帯に隠されていたのはもう片方と同じ紅い目。

 どうやら本当に冗談だったようだ。期待外れの結果にあなたはガックリと肩を落とした。

 

「ず、随分と親近感を覚えるノリのよさですね。あなた実は中身が紅魔族だったりしませんか?」

 

 変な勘違いをされてしまったようだ。

 異世界なのでそういうものなのだろうと思っているだけなのだが。

 

「むう……まあいいです。聞いているとは思いますが、私とパーティーを組んでもらいたいのですが」

 

 眼帯の件が冗談だった以上、本来なら断っているところだ。

 めぐみんはウィズほどの魔法使いには見えない。むしろ駆け出しだ。

 

 だが先ほどの自己紹介で彼女は気になることを言った。

 そう、彼女は爆裂魔法の使い手と自称していたのだ。

 使えるというのだろうか、駆け出しの身で、あれを。

 

「勿論です。自慢ではありませんが私は故郷の魔法学校では一番の成績でしたから」

 

 そう言いながら自慢げにめぐみんが差し出したカードにはアークウィザードに相応しいステータスと爆裂魔法の文字が書かれていた。

 あなたのカードは相変わらずバグっているがカードの偽造はできない。どうやら本当に使えるらしい。

 

――爆裂魔法。

 

 それは数多の職業の中で唯一アークウィザードのみが習得可能な、あらゆる耐性を貫通して全ての相手に等しく甚大なダメージを与えるというあなたから見ても垂涎モノの超性能魔法(ぶっこわれ)である。

 威力こそ届かないもののその性質は必殺技(相手は死ぬ)と名高い神の裁き(うみみゃあ)に限りなく等しい。

 

 処理が面倒なメタル系や純魔法属性に耐性を持つ敵にも通用しストックいらずと、もう広範囲攻撃魔法はこいつだけでいいんじゃないかなとすら思える至れり尽くせりっぷりだ。

 難点は威力が高すぎて小回りが利かない上に習得コストがテレポート以上に重く、性能に比例して魔力消費が膨大なこと。

 

 初級魔法やテレポートほどではないものの、あなたが是非とも習得したかったスキルだ。

 こちらで覚えたスキルがあちらで使える保障など無いが、それでも覚えておきたかった。

 

 だが悲しいかな、あなたにはアークウィザードの適性が無かった。

 全てのスキルを習得できる冒険者になればいいのだが、ただでさえ重い習得コストがどうなるか想像も付かない。

 

 そんな魔法をめぐみんは習得しているという。

 実に興味深い。あなたはこの世界で最強の魔法と名高い爆裂魔法がどれほどの性能か一度見てみたかったのだ。

 恐らくはアークウィザードであるウィズも使えるのだろうが、彼女は非常に優秀な魔法使いなので並の相手ではそれこそ中級魔法でもオーバーキルになってしまう。玄武のような超級のモンスターが相手でなければあまり威力の参考にはならない。

 上級職とはいえ駆け出しのめぐみんが使ってどれほどの威力を出せるのだろうか。

 

「我が爆裂魔法は立ちはだかる全ての敵を撃ち滅ぼす究極魔法。相手がアクセルのエースといえども必ずや満足させてみせましょう」

 

 そんな頼もしいことをめぐみんは言ってくれた。

 あなたはとりあえず一度だけお試しでめぐみんとパーティーを組んでみることにした。

 種族として優秀である彼女なら二人目のウィズになれるかもしれないと期待して。

 

 幸いにして現在あなたが受注可能な討伐依頼はいくつかある。

 めぐみんに好きな依頼を選んでもらうことにしよう。

 

――北の山脈に生息する一撃熊の群れと群れの主である特別個体(ネームド)、通称“紅兜”の討伐:極めて危険。王都から派遣された上級職のみで構成されたパーティーの討伐隊が全滅しています。

――初心者狩りの討伐:番で行動しているとの目撃情報アリ。

――超大規模なモンスターの群れの調査と場合によっては討伐:各地から強力な狼系のモンスターが北の山脈に集結しつつある模様。今の所人里に被害は出ていませんが群れの長は“銀星”と呼ばれる白狼の特別個体(ネームド)の可能性が極めて高いです。

 

 どれも報酬はかなりのものだ。

 ちなみにあなたのお勧めは紅兜の討伐である。ここまで高難易度の依頼は王都にも滅多に無い。

 玄武には劣るが相手にとって不足無し。爆裂魔法の試し撃ちにもってこいではないだろうか。

 

「ふっ、ふふっ、一目で分かるほどにウキウキとしながらそんな依頼を受けようとするとは流石はアクセルのエースと呼ばれるだけのことはありますね。……あの、確かに我が爆裂魔法は必殺ですが、私は冒険者に成り立ての駆け出しなのでそれらの依頼はまだちょっとレベルとか覚悟が足りないといいますか……これでは駄目ですか?」

 

――ジャイアントトードの討伐:三日以内に五匹お願いします。

 

 あなたの選んだ依頼を見て滝のような冷や汗をかいためぐみんが選んだのはジャイアントトード討伐だった。

 難易度、報酬共に駆け出し冒険者が受注するために掲示されている依頼だ。

 

 あなたは依頼であれば何でも構わないのだが、ギルド側があなたにこれを受注させてくれるかはかなり微妙である。

 少なくともあなた一人では受付嬢に怒られるどころか冷やかしと受け取られてそんなに暇なら酒場の皿洗いか調理でも担当してくれと流されて終わりだろう。

 その程度には実績を挙げているしギルド側にも信頼されていると自負している。便利屋の異名は伊達ではない。

 

「ジャイアントトード、ですか……」

 

 あなたが持っていこうものなら確実に門前払いを食らうのでめぐみんが持っていったのだが、案の定受付嬢のルナはあなたがめぐみんと合同で受注すると知ると渋い顔をした。

 引率という形でめぐみんが詰む寸前まで手を出さないという条件でも駄目なのだろうか。

 

「いやいや、待ってください。詰む寸前までってどれだけ放置するつもりですか。私は確かにアークウィザードですけど魔法使いですからね? それに爆裂魔法は威力に比例して詠唱時間がかかるんです。前衛は必須ですよ」

 

 正論である。だがあなたが手を出してしまってはあっという間に終わってしまって爆裂魔法の威力を拝めない。

 結局あなたがジャイアントトードを足止めしてめぐみんが始末するという段取りに決定した。

 やはりルナはいい顔をしなかったが、今回だけということで受理してもらうことができた。

 

「あの、高レベルの引率ってギルド的に問題がある行為なのですか?」

「…………いえ、すみません。この人は本当に何でも一人で討伐してきてしまうので私の中で上級職への討伐依頼のハードルがおかしくなっていたみたいです。勿論駆け出しの方の引率はギルドとしても大歓迎ですよ」

「ギルド職員の価値観すら狂わせる。これがアクセルのエースですか……」

 

 めぐみんは夢を見るようなキラキラとした目であなたを見ている。

 子供に尊敬の目で見られるのはこそばゆいものだ。

 自他共に認めるアクセルの便利屋だと自己紹介したはずなのだが。

 

「ところで引率を引き受けるほどに暇なのでしたら夕方からで構いませんので酒場のキッチンに立ってもらえませんか? 丁度コックが一人体調を崩してて最近修羅場みたいなんですよ。勿論報酬は弾みますので」

「ギルド職員にキッチンスタッフを依頼される。これがアクセルのエースですか……」

 

 断る理由も無い、あなたはルナの依頼を快諾した。

 だが何故かめぐみんが夢が破れたような目であなたを見つめている。

 自他共に認めるアクセルの便利屋だと自己紹介したはずなのだが。

 

 

 

 

 

 

 ジャイアントトードは牛を超える大きさの巨大蛙だ。

 毎年繁殖の時期になるとエサを求めて人里に現れ、山羊などの家畜を丸呑みにするといわれているモンスターである。

 毎年ジャイアントトードの繁殖期に農家や人里の子供が行方不明になる程度には危険度が高い。

 だが金属を嫌うために捕食の危険が無い冒険者にとっては格好の獲物となっている。

 

 つまり、あなたにとっては他愛も無い相手というわけだ。

 本来は囮になるはずだったがめぐみんが爆裂魔法は距離を取らないと危ないと主張するので適当に痛めつけて瀕死にしたジャイアントトードを転がしてある。

 何故かめぐみんに本当に紅魔族ではないのかと問われてしまったが。

 紅魔族はモンスターを瀕死にしてトドメだけ駆け出しに刺させる養殖なる行為を行っているらしい。

 

「では行きます。我が奥義、爆裂魔法を刮目してご覧あれ――――エクスプロージョン!!!」

 

 発動と同時にめぐみんの構えた杖から光球が発射される。

 光球はジャイアントトードに突き刺さると同時に急激に膨張し、太陽の光の如き閃光と長閑な片田舎の静寂を突き破る轟音を発生させた。

 

 そして爆炎が晴れた後、あなたの眼前には何も残っていなかった。草一本すら。

 爆心地には二十メートル以上のクレーターができており、ジャイアントトードは存在の痕跡すら残していない。

 

 とてもではないが駆け出しの冒険者が自力で出していい火力ではない。神にすら届くという表現は伊達ではなかった。

 これが爆裂魔法。この世界最強の攻撃魔法。駆け出しが使ってこの威力ならばあなたの持つ装備品や魔法で強化したウィズが使おうものならどうなってしまうのか。

 

 噂に違わぬ威力にあなたが感心していると、背後でどさりと何かが倒れたような音がした。

 あなたが振り向くと、なんと今まさに必殺の魔法を放ったはずのめぐみんが地面に倒れ伏しているではないか。

 

 まさかどこかに怪我をしていたのかと慌てて駆けつけたあなたにめぐみんはこう言った。

 

「ふっ……我が爆裂魔法はその絶大な威力に比例して消費魔力もまた絶大……。つまり限界を超える魔力を使ったのでもう何も出来ません。あとお願いします……ちなみに私は爆裂魔法以外のスキルを習得していません」

 

 めぐみんは清々しいまでに一芸特化の一発屋だった。

 彼女は冒険者に必要不可欠な継戦能力という概念を母親の胎内に置き忘れたらしい。

 流石にあなたも正気を投げ捨てているめぐみんのこの無謀さには呆れるしかない。

 

 そんな中、爆裂魔法の音に釣られたのか、爆心地の反対側の地面からジャイアントトードが姿を現した。

 あなたには目もくれずにめぐみんに向かってくる。

 

「って新手のカエル来てます! 早くやっつけてください! もう私動けませんしカエルめっちゃ私の方見てますから!!」

 

 確かに倒れているがこんなに大声で叫ぶ元気があるのならば問題無いだろう。

 魔力の代わりに生命力を絞って爆裂魔法を使えばもう一匹くらい倒せそうだ。

 

「それ爆裂魔法でやったら幾ら紅魔族でも絶対死にますからね!? 干乾びてミイラになるかぼんってなりますからね!?」

 

 ジャイアントトードがめぐみんにじわじわと近づいていく。

 そしてめぐみんを射程圏内に収めると同時に身動きできない獲物を丸呑みにすべく口を開けた。

 

「やめっ……やめろぉー! 本当に止めろ!! ゆんゆんならともかく私の丸呑みとかどんな特殊性的嗜好が得するんですかこんなの!? ちょっ、待っ」

 

 ジャイアントトードの舌がめぐみんに絡み付こうとしたその瞬間、あなたは魔法戦士のスキルである氷属性付与(エンチャント・アイス)を発動させた。

 そのまま冷気を纏った長剣で一閃。舌を切断されたジャイアントトードは切断部分から凍っていき、一瞬で氷の彫像と化した。

 

 属性付与(エンチャント)のスキルは使っていて新鮮で見た目的にも楽しいのであなたのお気に入りの攻撃スキルだ。

 ちなみに威力や効果については割とどうでもいいと思っている。斬ればどうせ死ぬのだ。

 だがまだ取得していない戦士系のスキルに遠距離攻撃技があるので、それと組み合わせると面白いかもしれない。

 

 ちなみにこの属性付与だが非常に面白い逸話が残っている。

 ある国の王が暗殺者と対峙した際、火炎属性付与(エンチャント・ファイア)で自分の身体に火を付けたというのだ。

 当然王はそのまま焼死したが、その様を目撃した暗殺者曰く心底痺れたらしい。この世界でも火炎属性は扱い辛いようだ。

 

「ううっ……酷い目にあいました……本気で詰む寸前まで手を出さないとか鬼畜ですかあなたは……」

 

 めぐみんが倒れたまま涙目であなたを睨んできた。

 たかがカエルに食われかけただけで詰むだの鬼畜だのとは随分と大袈裟な物言いである。

 ギリギリ舌に巻き込まれる寸前で助けたので丸呑みにもされていないし身体も汚れていないというのに。

 

「駆け出しに身動きできない状態でカエルが少しずつ迫ってくる恐怖を体験させる人は十分鬼畜ですよ!?」

 

 一応引率として来ているので自分の力で限界まで頑張ってほしかったゆえの放置なのだが、めぐみんはお気に召さなかったようだ。

 ペットの鍛錬中なら全身がスライムに消化されても絶対に助けないのであなたの中ではむしろ有情だったくらいなのだが。

 

 

 

 

 

 

「ひょいざぶろーという名前を知っていますか?」

 

 ジャイアントトードを五匹狩り終えた帰り道、氷漬けのジャイアントトードと一緒に台車に寝転がるめぐみんがぽつりとそんなことを言った。

 ひょいざぶろー。

 確かウィズの店に品を卸している紅魔族がそんな名前だったはずだ。

 

「紅魔族の里で魔法道具を作る職人をやっている中年です」

 

 当たっていた。

 だがそのひょいざぶろーとめぐみんに何の関係があるのだろうか。

 

「ひょいざぶろーは私の父です。そしてアクセルの魔法道具店で父の作った道具を買っている物好きなエレメンタルナイトというのはあなたですよね?」

 

 めぐみんのそれは疑問というよりは確認のように聞こえた。

 どうやらめぐみんはある意味あなたの関係者の一人だったようだ。

 ウィズの店に道具を卸していたのがめぐみんの父とは世間は広いようで狭いものだ。

 

「ありがとうございました」

 

「あなたが父の作品を買ってくれるおかげで、私の家は以前より生活が楽になったんです」

 

「幼い妹は餓えて泣くことが無くなりましたし、私も少しとはいえ蓄えを持って里を出ることができました」

 

「だから……ありがとうございました……」

 

 一方的に礼だけ告げ、あなたが返答する前にめぐみんは眠ってしまった。

 爆裂魔法の消耗が余程激しかったらしい。あなたは苦笑しながら台車を押していく。

 

 めぐみんの話は一見するといい話だったように思える。実際無関係な人間からすればそれなりに感動的な話なのだろう。

 だがめぐみんの話を聞いたあなたの心は一つの疑問で埋め尽くされていた。

 

 めぐみんの家はあなた一人が買い物をするだけで生活レベルが改善されたというのに、何故三億エリスを手に入れたウィズの食生活は一向にまともにならないのだろうか。

 

 先日ウィズはパンの耳に砂糖を塗したものを食していた。ごちそうだと笑いながら言っていた。あなたはそれを見て膝から崩れ落ちそうになった。

 固形物になっただけ綿の砂糖水より百倍マシと言う者もいるかもしれない。異論は無いが違うのだ。

 異常な品を大量入荷していない以上まだ三億エリスは全額と言わずとも残っているはずだ。だというのにこれはどういうことなのか。

 おかしい。ウィズは自分がリッチーだからと自身の食生活を蔑ろにしているとしか思えない。

 

 ウィズはもうすぐキャベツの時期だと張り切っていた。三食キャベツなんてご馳走は久しぶりだとまで言っていた。

 いいだろう。あくまでもウィズが食生活を改善しないつもりならこちらにも考えがある。あなたはこの機会に一度本気を出すことを深く決意した。

 

 決戦はキャベツの収穫日だ。

 

 

 

 

 

 

「昨日はありがとうございました。同じ駆け出しの人たちがパーティーを募集しているみたいなので、私はそこにお世話になろうと思います」

 

 討伐依頼の翌日に会っためぐみんはあなたにそんなことを言った。

 アクセルの便利屋さんはちょっと鬼畜すぎるみたいですから、と冗談めかした微笑を浮かべて。

 

「では、縁があればまたどこかで相見えましょう。我が爆裂魔法に懸けていつか必ずあなたからアクセルのエースという称号を奪ってみせますから、覚悟しておいてください!」

 

 マントを派手に翻しめぐみんが去っていく。

 彼女の整った容姿と相まって、その姿はまるで一枚の絵画のように輝いていた。

 あなたが思わず一瞬見惚れるほどに。

 

 

 

 

 そしてめぐみんが意気揚々と進んでいく先のテーブルにいたのは退屈を持て余したのかコップで水芸を行っている女神アクアとテーブルに突っ伏した少年。

 そういえば彼らは昨日もパーティーの募集をしていたことをあなたは思い出した。

 

「パーティーメンバーの募集を見て来たのですが、ここで良いのでしょうか?」

「え……あ、ええそうよ! カズマ起きなさい! やっと希望者が来たわよ!」

「んあ……?」

 

 あなたはそこまで見て、何も言わずにその場を去った。

 

「我が名はめぐみん! アークウィザードを生業とし、最強の攻撃魔法、爆裂魔法を操りいずれアクセルのエースになる者!」

 

 不運で頭が弱いと太鼓判を押された女神。

 レベルに見合わぬ超火力を持つが一発でダウンする魔法使い。

 これ以上どんな人物が増えるにせよ、あなたの冒険者としての勘があのパーティーは間違いなくキワモノしか集まらないと告げていた。

 

 幸運が非常に高いと評されたはずの冒険者の少年の前途は暗い。



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第8話 女神のパンティおくれー!(物理)

 その日は朝から街中の空気がどこかピリピリしていた。

 街の人間達はしきりに空を気にしていたし、冒険者達は街中であるにもかかわらず装備を固めて迫り来る何かに備えているようであった。

 

 それはアクセルの街のエース、あるいは便利屋と呼ばれるあなたも例外ではない。

 ついに待ちに待った決戦の日が来たのだ。

 

 敵はウィズ魔法店の凄腕アークウィザードにして伝説のアンデッドであるリッチー。

 相手にとって不足無し。人事は尽くした。後は天命を待つのみ。

 

 しかし、あなたがいざ“その時”が来るまで依頼をこなして時間を潰そうとギルドに向かっている途中でそれは起きた。

 

「ヒャッハー! 当たりも当たり、大当たりだあああああああ!!」

「いやあああああああ!! ぱ、ぱんつ返してええええええええええ!!!」

 

 周囲に響き渡る男の歓声と絹を裂くような悲鳴。

 すわ何事かとあなたが声の方に向かえば、そこにはホットパンツを必死に押さえるクリスと呆然と立ち尽くすダクネス、そして白い布切れを天高く掲げる女神アクアと行動を共にする少年の姿があった。

 あなたがどれだけ好意的に解釈しても下着泥棒の現行犯にしか思えない光景である。

 

「いいやったああああああっはははははははパンツ、パンツううううううう!!!」

「返して! あたしのパンツ返してええええ!!!」

 

 少年は実にいい笑顔で下着を振り回しクリスは必死に少年に縋りつき、ダクネスは何故か鼻息を荒くしていた。

 

 女神アクアの後輩の下着に白昼堂々手を出す少年の勇気に感服しつつも、あなたの体は長年の冒険者生活で染み付いた行動を反射的に実行する。

 まず、少年が振り回す純白の布切れ目掛けて鑑定の魔法を発動。

 

――★《エリスのパンティ》

 

 流石は国教にまでなっている高名な女神の生下着だけあって非常に貴重で優秀な品物だった。

 投擲には向いていないが、その代わりに頭装備として運用可能なようだ。

 あなたがあの下着を兜のように被るだけで高い防御力と様々な有用な効果が得られるだろう。

 

 まさか直接脱がしたわけではないだろう。女神エリスは下半身を露出していない。

 それに少年は大当たりと言った。少年はパンツを偶発的に手に入れたと考えられる。

 

 確証は無いが少年が使ったのは恐らく窃盗スキルだろう。幸運判定でランダムに対象の持ち物を奪うスキルだ。

 つまりあの下着は盗むことが可能なのだ。

 

 あなたがその事実を理解して“その気”になった瞬間、自動的にあなたの持つ隠密スキルが発動した。

 隠密スキルの恩恵によってあなたの気配が限りなくゼロにまで薄くなる。それはさながら路傍の石の如き存在感の無さか。

 

 流石に戦闘中だったり今この場であなたが少年やクリスを殴れば存在を気付かれるだろうが、少年達に隠密を発動させたあなたを認識することは叶わない。

 通りすがりが突然背後や目の前に現れたくらいでは気付けない。

 

 音も無く少年の背後に立ったあなたは目にも止まらぬ早業で少年が天高く掲げるパンツ目掛けて手を伸ばした。

 そう、女神エリスのパンツに向けて窃盗を行ったのである。

 

 ノースティリスの窃盗スキルはこの世界のスティールのように幸運で判定され、ランダムに相手の持つ何かを入手する魔法のような効果を持つわけではない。

 あなた達の使う窃盗スキルは純粋に速度と技量、そして盗む物を持てるだけの筋力が要求されるが不運な者でも狙った獲物を盗ることが可能なのだ。

 

 結果、硬く握り締めているにもかかわらずあっけなく少年の手からパンツは消えた。

 まだほのかに温もりが残ったそれをあなたはまるで財布を仕舞うかのように自然な仕草で懐に入れてその場を立ち去った。姿を消していないにもかかわらず誰にも気付かれること無く。

 

 ちなみにここまで一連の行動は全て無意識のうちに行われている。

 もう一度言う。一連の行動には一片たりともあなたの意思は介在していない。

 

 あなたには悪意どころか悪戯心すら無かった。

 イイ顔で女神を辱める少年に義憤を覚えたわけでも羞恥に悶える女神エリスに劣情を催したわけでもない。

 

 実際数分後、ギルドに入ろうかというときになってようやくあなたは懐に入っている純白の布きれの存在と自分がやったことの意味に気付いたくらいである。

 

 あなたはただ珍しいものを見つけて、かつそれが盗んでもいいモノだったから自分も盗んだだけなのだ。

 無論窃盗が悪行だとは理解している。時に強盗殺人よりも重い罪になることも、窃盗が失敗しようものならその場で殺されても文句は言えないことも重々承知の上だ。

 だがこればかりは長い年月ノースティリスで培われた習性が存分に発揮されたのだから仕方無い。

 

 懐の中のパンツの存在に気付いたあなたは頭を抱えた。

 パンツを盗むのはいいがこればっかりは相手が悪すぎる。

 あなたがパンツを持っていったと女神エリスに知られようものなら神罰は不可避である。

 だが今のところ女神エリスにバレているわけではないようだ。そうなら既にあなたに接触してきているはずだからだ。

 

 数瞬ほど女神エリスに返却すべきか悩んだ後、あなたは女神がパンツを盗まれる方が悪いと開き直ることにした。

 金に換えられない貴重な品である女神のパンツを一目見て欲しいと思ったことは決して嘘ではないし、何より犯罪はバレなければ犯罪ではないのだ。このルールはノースティリスもこの世界も同じだろう。

 

 だがあなたがこのパンツを使うことは無いだろう。

 頭部という一際目立つ部位にこのパンツを装備して活動しようものならどこで女神エリスに知られるか分からない。

 かといって本気の装備として使うには性能が些か物足りない。

 もしあなたが女神エリスの信者で、この下着を女神エリス直々に賜っていたのなら絶対に使用していただろうが。

 

 そんなわけであなたのコレクションに女神エリスのパンツが追加されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ギルドの中は大騒ぎになっていた。

 冒険者の中心で女神アクアが見事な水芸を披露していたのだ。

 あなたはあの中に混じって火吹き芸を披露しようかと思ったがここは屋内で更に酒場だ。

 炎で巨大なドラゴンと剣士を作って即興劇でも始めようものなら出禁を食らいかねない。止めておくのが賢明だろう。

 

「じゃあ今回はここら辺で……おひねりは止めてくださーい!」

 

 観衆に満面の笑顔を振りまく女神アクアは今日も絶好調だ。

 己の心の赴くままに下界を満喫している。周囲で見守っているアクシズ教徒らしき者達も大満足だ。

 

 その一方で後輩の女神は少年とあなたにパンツを盗まれて紛失するという散々な目にあっていたが。

 女神エリスは貧乏くじを引きやすいタイプなのかもしれない。

 誰かの失敗の尻拭いに奔走させられるような印象を受けた。

 

「あっ」

 

 ふと、聞き覚えのある声にあなたが振り向けばあなたに背を向けている者がいた。

 あの格好と特徴的な帽子はめぐみんのものだ。

 声をかけられたと思ったのだが、どうやらあなたの気のせいだったようだ。

 

「…………」

 

 縁があればまたどこかで相見えましょうとまで言って盛大に啖呵をきって別れを決めたというのに、あっさり再会してしまったことを恥じているような声色だったのだが。

 あるいはその場のノリに流されて格好を付けたのはいいが今の今まであなたが同じ街に住んでいて普通に遭遇する可能性を忘れていた声色だった。

 

「ひ、人の心を読むのは止めてください! なんですかその無駄な精度の高さは!?」

 

 めぐみんが振り向いてあなたを真っ赤な顔でジト目で睨んできた。

 どうやら心の独白が聞こえていたようだ。

 めぐみんは読心能力持ちだったのかもしれない。

 

「明らかに聞こえるように言ってたじゃないですか! 私にギリギリ聞こえるくらいの音量で!!」

 

 あなたは吼えるめぐみんを適当にあしらいつつ依頼を物色する。

 めぐみんが私への対応がやけに雑じゃないですかと叫んでいるがそれは気のせいだ。

 

「あれ? 誰かと思えばいつかの親切な人じゃない」

 

 あなたは急激にこの場のキワモノ指数が急上昇し始めたのを理解した。

 平時から三の倍数の月に吹くエーテル風の発生時の如き上昇率だ。

 原因は当然というべきか、芸を終えてあなた達に近づいてきた女神アクアだった。

 

「あのときはありがとうね、お陰で助かったわ」

「アクア、知り合いだったのですか?」

「前に困ってたときにお金をくれたのよ。そういうめぐみんこそこの人の友達だったの? 随分仲よさそうだったけど」

 

 雑かはさておき、あなたもめぐみんに関してはウィズの次くらいに気楽に応対している自覚はある。

 恐らくめぐみんが爆裂魔法しか使わないような変態だからだろう。

 彼女の在り方はむしろノースティリスの冒険者に近い。

 防具も魔法も使わない格闘家のような変態枠だが。

 

「私だって一度だけパーティーを組んだだけですよ。そしてこの人は友達じゃなくてアクセルのエースと呼ばれているエレメンタルナイト。つまり私がいつか超えるべき宿敵です」

「ふーん。そういえばアクセルのエース目指してるって言ってたっけ」

 

 めぐみんがこのまま成長して得るのに相応しい称号は核爆弾とかワンパンウーマンとかあたまのおかしい爆裂娘とか最終兵器だろう。

 あなたはそんな未来が容易に想像できた。

 

「ねえねえ、ここで私たち三人の共通の顔見知りに会ったのも何かの縁だわ。あなたも私達のパーティーに入らない? ちょうど前衛が不足してるのよね」

「ちょっと、私は絶対嫌ですよアクア。何が楽しくて超えると決めた宿敵とパーティーを組まないといけないんですか」

「でもこの人いたら絶対楽になるわよ? 一人で活動してる上にアクセルのエースって呼ばれるくらい強いんでしょ?」

 

 折角の女神からのお誘いだがあなたは謹んで断った。

 自分のようなワケありの者がいれば女神アクアは下界を満喫できないだろう。

 更に本音を言えば女神アクアのパーティーは女神アクアを含めてキワモノが集う気しかしないので関わるのはいいが組むのは勘弁してほしかったのだ。

 あなたは神に敬意を払っているがそれとこれとは話が別だ。

 

「美しくも神々しいアークプリーストと爆裂魔法のアークウィザードが一緒なのよ? 何が不満なのかしら」

「……言い忘れてましたがアクア。この人は私と組んだときアホみたいな高難易度の討伐依頼を受けようとしてましたからね、本気で」

「高難易度ってどれくらい? カズマは冒険者だけど私達は上級職なんだから余裕でしょ。この人がいたら四人中三人が上級職。こんな豪華なパーティーなんて中々無いわよ」

 

 カエルはちょっと相性が悪かっただけだしと言葉を濁す女神アクアにめぐみんはこう言った。

 

「王都で活動する上級職だけで構成されたパーティーが全滅するような依頼です。北の山脈の紅兜の討伐といえば分かりますか?」

「これからも頑張ってね! 一人で活動するのは大変だろうけど陰ながら応援してるわ!!」

 

 女神アクアは一瞬で手の平を返した。

 笑顔が眩しいのはいいのだが二人に言外に頭がおかしい奴と言われた気がして釈然としないものがある。

 あなたは二人に一言物申そうとしたが、残念ながらそれは叶わなかった。

 

「パンツ……あたしのパンツ……お気に入りだったのに……」

「だから俺は知らないって言ってんだろ!? あんだけ確認したじゃねえか!!」

 

 突然ギルドの入り口から聞こえてきた声にあなたの心臓の音が一段早くなる。

 表情には一切出していないが背中を嫌な汗が伝った。懐にある物品を嫌でも意識してしまう。

 ストックを温存せずにさっさと四次元ポケットに入れておくべきだったと後悔しても後の祭だ。

 

「え、なにカズマ。その子に何やったの?」

「うむ、クリスはカズマにパンツを剥かれて財布を丸ごと巻き上げられた挙句パンツを家宝にされたのだ」

「おい止めろ! 家宝は誤解だ! 本当に気付いたら消えてたんだって!!」

「この子のパンツ剥いたのは事実なのね」

 

 あなたは聞かなかったことにした。

 女神のパンツともなれば家宝になってもおかしくない物品なのでどこかの誰かが手を出したのだろう。

 世に不思議な出来事は尽きないというのがあなたの謙虚な意見である。

 女神エリスの下着の紛失もそういった類のものだろう。きっと、恐らく。

 

「……ところでカズマ。もしかしてこの人もこのパーティーのメンバーなのか?」

「へ? ……あー、その節はどうもでした」

「…………」

 

 あなたの存在を認識した三人の反応は三者三様だった。

 ダクネスは被虐の予感に目を輝かせ、少年は軽く礼を言って、女神エリスは目が高速で泳いでいる。

 この反応を見るにやはり女神エリスにあなたが下着を持っていることは気付かれていないようだ。一安心である。

 

「この人は私達のメンバーじゃないわよ。ちょっと私達と縁があったから話してただけ。ねえめぐみん?」

「ええそうです。断じてパーティーメンバーじゃありませんし、今後もメンバーになる予定も立っていません」

「そうか……」

 

 ダクネスはとても残念そうな顔をして肩を落とした。

 ダクネス達は女神アクアのパーティーに加入を希望しているのだろうか。

 神二柱に上級数名と豪勢すぎる面子だが冒険者の少年と女神エリスの胃が荒れる未来しか見えないのは何故なのか。

 

「お前さ、そんなに気になるなら俺達のところじゃなくてこの人にお世話になれよ」

「駄目だよダクネス。何度も言ったけどあの人だけは絶対駄目だからね」

「何やったんですかあなたは……」

 

 あなたは呆れた様子のめぐみんに彼女とは知らずのうちに奴隷契約を結びかけた仲だとは言えなかった。

 ウィズに知られればまた数時間説教されてしまう。

 

「うむ、私は一度是非にと頼み込んでこの人のp……パーティーに入れてもらおうと思ったのだが、提示された条件がどうしても私と合わなくてな。泣く泣く諦めたのだ」

 

 危ない。本当に危ない。今のはギリギリだった。

 女神エリスが寸前でこっそりダクネスをどつかなかったらどうなっていたことか。

 

「あー……」

「やっぱり……」

 

 先ほどの会話のおかげか、女神アクアとめぐみんは上手い具合に勘違いしてくれたようだ。

 あなたの受ける討伐依頼の危険度が高すぎるせいでダクネスは諦めたと思っているのだろう。

 実際に危険な依頼を受ければ被虐趣味のダクネスは悦び勇んで特攻するだろうが。

 

「ダクネスがあの人に加入を断られた理由って何だったんだ?」

「私が武器スキルにポイントを全く振っていなくて攻撃が当たらないからだ。武器スキルを覚えたらいつでも歓迎するとは言ってくれているが……」

「これ以上無いくらいまともな理由じゃねえか。俺あの人仲間に欲しくなってきたんだけど」

「駄目ですよカズマ。死にたいんですか?」

「駄目よカズマ。アンタ死にたいの?」

 

 あなたはめぐみんと女神アクアから死神やそれに類する存在と思われているようだ。

 どうしてこんなことになってしまったのか。あなたにはまるで理由が分からなかった。

 

「……はぁ。じゃあダクネス、あたしは悪いけど臨時で稼ぎのいいダンジョン探索に参加してくるよ。誰かのせいで財布の中身と高い下着がどっかに行っちゃったから。暫くはこの人達と遊んでてよ……あとキミ、話があるからちょっといいかな」

「違うから! 確かに盗んだけど消えたのは本当に俺のせいじゃないから!」

 

 どうやら女神エリスは女神アクアのパーティーに入る気は無かったようだ。

 そしていよいよギルド内の女性が少年を見る目が大変なことになってきた。

 誰が悪いかと聞かれれば女神の下着を窃盗した挙句あなたの目の前で見せびらかすように扱った少年と下着を盗まれた女神エリスの両方が悪いのだ。多分、きっと。

 

 それはそれとしてあなたは女神エリスに呼び出されてしまった。

 例によって呼び出される理由に心当たりがありすぎる。

 

 

 

 

 

 

 ギルドの外に出た女神エリスはまずあなたに頭を下げた。

 

「本当にごめんね。あのときはダクネスが変なこと言っちゃって」

 

 あなたとしては下着の件を詰問されなければ他はどうでもいいのだ。

 そう思っていたのだが、そうは問屋がおろさないらしい。

 

「で、キミと会うことがあったら一度聞いておきたかったことがあるんだけど」

 

 スッとクリスの目が細くなった。

 同時にあなたを不可視の重圧が襲う。

 

「キミはどういうつもりでダクネスを奴隷(ペット)にしようとしていたのかな?」

『あなたはどういうつもりで彼女を奴隷(ペット)にしようとしていたのですか?』

 

 強い怒りに呼応したのか、クリスの姿と声がブレて別人のものと重複した。

 ブレた姿の先に見えるのは白い羽衣に身を包み、長い白銀の髪と白い肌をしたあなたを睨みつける少女。

 

 なるほど、確かに後輩だ。

 クリスではない方の少女、女神エリスが放つ気配は女神アクアに近い。

 

 パンツでなければ特に隠す理由も無いのであなたは女神エリスの詰問に正直に答えた。

 自分の育った環境では仲間と書いてペットと読み、あのときダクネスは自分の奴隷ではなく強くなるために仲間になりにきたと思っていたのだと。

 

「えー……。なんかもう、えーとしか言えないんだけど。それってどんな環境なのさ」

 

 呆れた声色とともに重圧と女神エリスの幻影が霧散した。

 あなたはどんな環境と聞かれてもそんな環境としか答えようが無い。

 少なくとも命がこの世界とは比べ物にならないほど軽い環境だったのだけは確かだ。

 

「……まあね、確かにあたしも少しおかしいとは思ってたんだ。その、そういうのが目的ならダクネスの攻撃が当たらないだけで断る理由は無かったわけだし。あれ以降ダクネスに近づく様子も無かったし」

 

 女神エリスにとってダクネスは余程大切な存在なようだ。

 

「当たり前だよ。大切な友達だからね」

 

 あなたには今の発言は盗賊のクリスのものではなく、女神エリスとしての言葉だったように思えた。

 仲間なだけでなく友人というのならばやけにダクネスに拘るのも納得がいく。

 あなたにとってもそれ以上に他者を思いやる理由など存在しない。

 

「でもねキミ、この国でペットっていうのは……」

 

 あなたは口を開いた女神エリスを手で制した。

 この話題は既にウィズに散々説教をされた後である。これ以上は必要ない。

 

「分かってるならいいけど、本当に気をつけた方がいいよ……もう少し常識を……」

 

 女神エリスが善意からか更に忠告しようとしたとき「その時」は来た。

 

『緊急クエスト! 緊急クエスト! 街の中にいる冒険者の各員は至急正門に集まってください! 繰り返します、街の中にいる冒険者の各員は――』

 

 ルナの声で放送が街中に響き渡り、警報代わりの鐘が鳴らされる。

 一般人たちは家の中に一斉に避難し、街中の冒険者達が正門に駆けていく。

 

「ああ、そっか。そろそろだったっけ」

 

 ついに始まってしまった。話は終わりだ。

 あなたはこのまま正門へ向かうが女神エリスはどうするのだろうか。

 先ほどはダンジョンに行くと言っていたが。

 

「あたしもこっちにしようかな。ダンジョンより手っ取り早く稼げそうだし、ダクネスがあの人たちと仲良くやれそうかちょっと見ておきたいし」

 

 女神エリスはダクネスを放置プレイするようだ。

 彼女ならそれもまたよしと悦ぶだろう。

 

「プレイって何!? 折角無口で無愛想なダクネスにあたし以外の友達が増えるチャンスなんだから大切にしたいの」

 

 その増えるであろう友人の中に女神エリスの下着を盗んだ相手がいるわけだが本人的にそれは構わないのだろうか。

 だがあなたはあえて何も言わなかった。今も懐にある白い布の存在を思い出したわけでは無い。

 

「というわけで、今回はキミがあたしと一緒にどう? 仲直りの印ってわけじゃないけど」

 

 あなたはその提案に快諾した。

 様々な理由で組みたくない女神アクアならともかく、女神エリスの誘いでかつ一時的なものであれば否やは無い。

 それにあなたは友人を大切に思う者が嫌いではなかった。

 

「うん、よろしくね。サポートは存分に任せてもらっていいから」

 

 あなたは笑顔とともに差し出された女神エリスの右手を握り返す。

 かくして、ここに異世界人の魔法戦士と女神の盗賊という異色のコンビが結成された。

 

「今年のキャベツは活きがいいんだって。アクセルのエースさんのお手並み拝見だね」

 

 あとはこの場にリッチーの魔法使いがいれば完璧だっただろう。

 パーティーのバランス的にも、三者とも周囲に己の素性を偽っているという意味でも。

 

「さあ――キャベツの収穫、いってみよう!」

 

 あなた達がこれより相対するのは飛来する雲霞の如きキャベツの群れ。

 この世界のキャベツは収穫時期になると飛ぶのだ。

 

 野菜が勝手に飛行するなどどうかしている。原理を真面目に考えると狂気度が上がりそうだ。

 にもかかわらず女神エリスや周囲の冒険者達は当たり前といった顔でキャベツの話をしている。

 あなたは人知れず溜息をついて女神エリスと共にアクセルの正門に向かうのだった。




★《エリスのパンティ》
不確定名さらさらのぱんつ。
シルク製。頭部装備。

女神の分身が穿いていた、まるで新品のように汚れ一つない白の下着だ。
薄手にも関わらずとても頑丈で頭に被っても破れない。
~このすばパンツ辞典~

「お願いだからあたしのパンツ返してよぉ!! 財布の中身全部じゃ足りないの!?」
~盗賊の少女『クリス』~

「待て誤解だ俺じゃない! いや確かに盗ったのは俺だけど気付いたら無くなってたんだよ!!」
~冒険者の少年『カズマ』~


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第9話 空を飛ぶ不思議なキャベツ

「沢山来てるねー。まあ緊急クエストで稼ぎ時だし当たり前かな」

 

 女神エリスの言葉通り、正門前には武装した冒険者が多く集まっていた。

 三桁は余裕で超えているだろう。

 

 あなたはなんとなくウィズの姿を探してみたが、正門に彼女の姿は見つからない。

 女神アクアを警戒してのことだろうか。恐らく街の中でキャベツが来るのを待っているのだろう。

 

「お、ダクネス見っけ。……うん、今のところ仲良くやれてるみたい」

 

 ダクネスもこちらに気付いているようであなた達に手を振ってきた。

 彼女はこのまま女神アクアのパーティーに加わるのだろうか。

 

 鉄壁のクルセイダーにアークプリーストの女神に最強魔法を行使するアークウィザード。

 一見するとそうそうたる顔ぶれの筈なのに、全く羨ましくないどころか少年が可哀想になってくる。

 

「パーティーは一時的なものだけど、今日はお互い頑張ろうね!」

 

 対してこちらのメンバーはなんと女神エリス。

 

 思えば神に手合わせを願うならまだしも、神と轡を並べてこういった依頼や戦闘行為を行うというのはあなたも初めての経験だ。

 あなたが信仰する女神は時折あなたに願いの杖を使わせ、敬虔な信者に請われての降臨という名目であなたの家に遊びに来るが共に迷宮に潜ったり依頼を受けたことは一度もない。他の信者に知られてしまえば大騒ぎになるのだから当然だ。

 

 いい機会だ。折角女神エリスとお近づきになれたのだからと、あなたは女神アクアにしたのと同じ質問をぶつけた。

 残念ながら女神エリスの反応は芳しくなかったが。

 

「んー、悪いけどどっちも知らないかな。食べ物の名前?」

 

 女神アクアの時点である程度予想はついていたので落胆は無い。

 ただ女神アクアと同じ反応に、あなたはやはり二柱は先輩後輩なのだな、と強く思った。

 

 そうやって女神エリスと雑談を交わすこと数分。

 冒険者の中の誰かが突然大声を張り上げた。

 

「来た! 来たぞー!」

 

 あなたが目を向けると、山の方から緑色の何かが現れているのが見えた。

 数など分からない。大地を埋め尽くすほどのおぞましい数の緑がアクセルに向かって飛んでくる。

 

「なんじゃこりゃああああああ!!」

 

 女神アクアのパーティーの少年が叫んだ。

 あなたも全くの同感である。

 

 勢いよくこちらに押し寄せるキャベツの群れはさながら緑色の波濤の如く。あるいは羽虫の大群か。

 キャベツは嫌いではないが、流石にこうも数が多いと気分がいい光景ではない。

 何が悪いといえば色と数が悪い。

 大地を埋め尽くすほどの緑色。

 そう、もしかしてアレはキャベツではなくて、もっと別の……

 

――お兄ちゃん! お兄ちゃ~ん お兄ちゃんっ お兄ちゃん? お兄~ちゃん お兄ちゃん♪

 

 あなたは衝動的に核を使いたくなった。

 緑色の中心で起爆して全てを薙ぎ払えばさぞすっきりすることだろう。

 収穫とはいったい何だったのかという話になってしまうが。

 

 核はさておき、キャベツは本当に数が多い。

 キャベツへの攻撃はどこまでやっていいのだろうか。

 火炎魔法や爆裂魔法が論外だろうというのは分かるのだが。

 

 あなたが習得している他の広範囲魔法と違って相手を必要以上に痛めつけること無く戦闘不能に追い込める轟音の波動は本来こういうときにこそ重宝するのだが、複数の理由で使えないので仕方無い。

 

「勿論無傷が最善だよ。魔法で打ち落とすと痛んじゃうから可能な限り物理で処理したいね」

 

 我先にとキャベツに突っ込んでいった冒険者は実際に剣や弓で応戦を開始しているようだ。

 時折冒険者が装備している金属の鎧や兜に勢いよくぶつかっているが、何故か平気なようでキャベツは壊れること無く形を保っている。

 むしろキャベツは積極的に人間に襲い掛かっている気がするのだが、これはどういうことなのか。

 

『冒険者の皆さん! 今年のキャベツは出来が良く、一玉の収穫につき一万エリスです! できるだけ多くのキャベツを捕獲してください!』

 

 ルナの報告に冒険者達が一斉に歓声をあげた。

 魔法使いと思わしき少女までもが目の色を変えてキャベツに突進していく。

 頭がおかしくなりそうな光景だったが、あなたはこういうものなのだろうと割り切った。異世界恐るべしである。

 

「一玉一万エリスだなんて太っ腹だね。あたし達も頑張ろう!」

 

 女神エリスが通貨のエリスの話をするというのは激しく違和感がある。

 キャベツ一玉につき一万の女神エリス。あなたは想像して頭が痛くなった。

 

 

 

 

 

 

 キャベツの収穫は大盛況のうちに終わった。

 疲労と痛みで座り込む冒険者達は皆一様に満面の笑顔だ。

 

 飛行する野菜の群れの収穫という、あまりにも慣れない作業にあなたのキャベツの収穫は難航を極めたが、それも序盤のうちだけだった。

 カズマ少年を見て分かったのだが、キャベツには窃盗スキルが効いたのだ。

 スティールは生き物にも通用するのか。そもそもこのキャベツは生きているのか。キャベツの正体はいったい何なのか。

 つぶらな瞳であなたを見つめてくるキャベツを前にしたあなたは、考えることを止めて窃盗を始めとする非殺傷系の各種スキルでキャベツを収穫し続ける機械と化した。

 

 女神エリスはスティールを使わずにキャベツを捕獲し続けるあなたの手際のよさに感心していたが、まさか窃盗スキルで自分のパンツを盗まれたとは夢にも思うまい。

 

「いやー、結構大変だったけど楽しかったね!」

 

 そして大量のキャベツを集めてほくほくと満足そうに笑う女神エリスも八面六臂の大活躍だった。

 所狭しと駆け回ってあなたの捕まえたキャベツの回収を始めとする各種サポートを行ってくれたのだ。

 

 そう、本当に激しく動き回っていたのだ。

 あなたは女神エリスを見つめた。

 初めて見たときと同じ、露出度が高めな軽装だ。

 

「どうしたの?」

 

 あなたの視線が気になったのか女神エリスが首を傾げた。

 

 女神エリスは今パンツを穿いているのだろうか。

 まさかとは思うがパンツを盗まれたままここに来て、周囲の冒険者達にあの大立ち回りを演じていたのではないのだろうか。

 もし下着を穿いていなくてもスパッツとホットパンツなので傍目には分からないだろうが。

 

「…………」

 

 女神エリスはあなたの質問を受けると真っ赤になってプルプルと震え始めた。

 先ほどのように女神本人の姿が見えるが、他の冒険者は誰も反応していないのできっと幻覚だろう。

 

「は、はいてるよ? ほんとうだよ?」

『は、はいてますよ? ほんとうですよ?』

 

 穿いているようだ。女神本人が言っているのだからきっとそうに違いない。

 なのであなたはそれ以上の追及を止めた。

 いきなり女神エリスが中腰になって股間を押さえ始めても、本人が穿いていると言っているから穿いているのだろう。

 ノーパンスパッツというある意味裸以上に煽情的な格好で大立ち回りを演じた女神などどこにもいない。どこにもいないのだ。

 あなたはただ慈愛の瞳で女神エリスを見つめ続けた。

 

「何でそんな目で見るの!? ちがうよ、はいてるよ!!」

『何でそんな目で見るんですか!? ちがいます、はいてますよ!!』

 

 穿いているはずなのに何故か涙目で中腰のままプルプルしながら逃げ出す女神エリス。

 あなたは今なら自宅に物乞いに来る薄汚い乞食にだって金を恵んでやれる気がした。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です。ちょっといいですか?」

 

 後片付けを行うあなたにめぐみんがカズマ少年と一緒にあなたに近づいてきた。

 どうにも少年はあなたに萎縮しているように見える。

 

 あなたはめぐみんが収穫中にキャベツに釣られてやってきた魔物の群れに爆裂魔法を撃ち込んでいたのを確認している。

 乾坤一擲の爆裂魔法によって魔物は消滅。

 例によってめぐみんはダウンしたが、キャベツに襲われる寸前にカズマ少年が回収してその場を離脱していた。

 どうやら歩ける程度には回復していたらしい。

 

「うちのカズマが冒険者なんですが、スキルを覚えるためにあなたが覚えているポイントが低いのを何か見せてもらえませんか? 百エリス払いますから」

「なあめぐみん、本当に大丈夫なのかよ。この人アクセルのエースって呼ばれてるんだろ?」

「大丈夫ですよ。暇なら酒場のキッチンに立つ程度にはアレな人ですから」

「酒場のキッチン……」

 

 お陰で夢が壊れましたと愚痴るめぐみんとテンションが一段下がった少年。

 冒険者は他者に伝授してもらうことで取得可能なスキルが増える。

 この世界のスキルならば断る理由は無い。あなたは頷いてめぐみんから百エリスを受け取った。

 だがスキルといっても何を見せればいいのだろうか。

 

「えっと、じゃあ……魔法系と片手剣のスキルで」

 

 魔法はいいのだが武器スキルはどうやって教えればいいのだろう。

 そもそもあなたはこの世界の片手剣スキルを使っているという自覚が無い。

 適当に剣の型を披露してみることにした。駄目だったらめぐみんが何か言ってくれるだろう。

 

「おおー。流石本職の人」

 

 次に初級魔法。

 種火や土が発生するだけだが、クリエイトウォーターはあなたの中ではこの世界で最も偉大な魔法の一つだ。

 

「……なあ、めぐみん」

「あれは一ポイントで覚えられる初級魔法です。ご覧の通り攻撃力は皆無ですから取得している魔法使いはあまりいませんよ」

 

 確かに火力は皆無だが使ってみると小回りが利いてこれが意外と便利だったりする。

 だがやはり人気は無いようだ。

 一ポイントで簡単に取得できるのだから取得しておけばいいと思うのだが。主にクリエイトウォーターのために。

 

「えっと、もう少しかっこいいというか派手なのをお願いしたいんですけど……」

「つまり爆裂魔法ですね?」

「…………」

「ねえカズマ、どうして無言で目を逸らすんですか? ……おい、私の目を見ろ」

 

 あなたが使える魔法の中で最も派手なものはメテオの魔法だが、まあ論外だろう。

 中級魔法を使ってみる。めぐみんと同じパーティーの少年にはあまり面白みの無いものだろうが。

 

「殆ど手品な初級と違ってまさに魔法って感じだな。こんなに違うのか」

「この程度、我が爆裂魔法の足元にも及びませんけどね」

 

 これ以上の魔法となると取得コストが重い。

 なのであなたは適度に安くて派手な雷属性付与(エンチャント・サンダー)を使用することにした。

 

 スキルの発動と同時に刀身が激しい紫電を帯び、バチバチと雷属性特有の音を鳴らす。

 危険を感じ取った周囲の冒険者があなた達から距離を取り始める。

 

「うおおおおおおおおお!?」

 

 だがそれを見た瞬間、少年の目がキラキラと輝き始めた。

 

「な、なんですかカズマ、そんなに興奮して。あんなのただの属性付与(エンチャント)じゃないですか」

「だって魔法剣だぞ!? 確かにめぐみんの爆裂魔法は凄かったけどやっぱファンタジーで魔法剣は外せないよな!」

「我が爆裂魔法は決して属性付与(エンチャント)なんかに劣ったりはしませんよ!」

 

 少年は属性付与(エンチャント)をいたくお気に召してくれたようだ。

 あなたもこれは面白くて好みのスキルなので気に入ってくれるのはとても嬉しい。

 折角なので最近覚えた新技も披露することにした。

 

 雷属性付与(エンチャント・サンダー)を維持したまま戦士スキルの遠距離攻撃である音速剣(ソニックブレード)を発動。空に向けて剣を振る。

 

 本来は斬撃を飛ばすだけのその技は、迸る紫電と共に空を切り裂いた。

 少年は呆然と空を見上げている。

 

 属性付与(エンチャント)を使った状態で音速剣(ソニックブレード)を放つと擬似的な攻撃魔法になるのだ。

 普通に攻撃魔法を使えと言われそうだがあなたはそれはそれ、これはこれだと思っている。

 そもそも属性付与(エンチャント)自体趣味で使っているスキルなのだ。とやかく言われる筋合いは無い。

 

「…………マジで!? マジで俺にもアレができるのか!?」

属性付与(エンチャント)音速剣(ソニックブレード)も使用者の力量に左右されるスキルですから冒険者のカズマじゃ碌なダメージは出ませんよ」

「魔法剣を使えるってこと自体がステータスになるんだよ!」

「これは私ともあろうものが人選を誤りましたか……もう少しカズマに変な影響を与えない普通の人に頼むべきでした」

 

 めぐみんはあなたに扱いが雑だと文句を言ったが、彼女も大概失礼なのではないだろうか。

 

「す、すまない!」

 

 二人に続いてダクネスまで赤ら顔で近づいてきたが、あなたはこの後彼女が何を言い出すか完璧に分かっていた。

 なにせダクネスはメラメラと瞳に暗い情欲の炎を灯しているのだから。

 一人で囮としてキャベツに突っ込んでは集中砲火を食らって悦んでいたというのに、まだ足りないらしい。

 

「先ほどの電撃を私にぶつけてくれないだろうか! 是非もっと威力を上げた状態で! むしろ電撃以外の属性付与(エンチャント)だろうがドンと来い!」

「ダクネエエエエエエス!!」

 

 女神エリスが叫びながらダクネスに突っ込んでいき、そのままダクネスを引き摺っていってしまった。

 盗賊とは思えない力強さは流石女神といったところだろうか。

 

「止めろクリス! 私を止めてくれるな!」

「止めるに決まってるでしょこのバカネス!」

「バカネス!?」

 

「俺やっぱ属性付与(エンチャント)取るの止めとくわ」

「賢明な判断ですね。あんなものよりも必殺の爆裂魔法を覚えるべきですよ」

「お、片手剣と初級魔法スキル覚えられるようになってる。習得っと……」

「無視しないでくださいよ!?」

 

 そんなこんなでキャベツの収穫は無事平和に終わった。

 だがあなたにとってキャベツの収穫などこれから始まる本番に比べれば些事に過ぎない。

 さあ、決戦の時だ。

 

 

 

 

 

 

「こんばんは。今日はご馳走になりますね」

 

 その日の夜。

 アクセルの街中が新鮮なキャベツ料理に舌鼓を打っている中、ウィズがあなたの家にやってきた。

 

 あなたは大切な相手に料理を食べさせたいのでその試食をしてほしい、という名目でウィズを呼んだのだ。

 キャベツ収穫の日なのは新鮮なキャベツを使った料理を作る予定だから。

 以前そう説明したとき、ウィズは快く試食を引き受けてくれた。楽しみにしていますと嬉しそうに笑いながら。

 

 あなたは何一つとしてウィズに嘘を言っていない。

 料理を食べさせたい相手本人に試食を頼むだけでちゃんと新鮮なキャベツを使った料理も出す。

 

「あなたが依頼で料理を作ったりしてるって聞いてたから、私今日がずっと楽しみだったんですよ」

 

 ウィズはそんな嬉しいことを言ってくれた。

 彼女の期待に沿えるといいのだが。

 

「ところで今日は何を作ってくださるんですか?」

 

 あなたはもう料理はできているので待つ必要は無いとウィズを席に着かせた。

 

「え? でもテーブルには何も……」

 

 不思議そうなウィズを尻目にあなたは四次元ポケットから料理を取り出す。

 最初に出すのはウィズを呼んだ名目であるキャベツ料理だ。品目はロールキャベツ。

 

「ああ、あの魔法で……ってええっ!?」

 

 勿論用意したのが一品だけなはずが無い。あなたは次から次へと料理をテーブルに並べていく。

 テーブルはあっという間にあなたが取り出した料理の数々に占拠されてしまった。

 

「こ、これ……本当に私が食べていいんですか……?」

 

 そのために作ってそのために呼んだのだから食べてもらわないと困る。

 

 酒場のような場所で調理の依頼を受けるときは質よりも量と速さを求められるので結果的に味もそれなりのものになる。

 だが今日用意した料理は全てあなたが持つ料理技能をフルに活かして本気で作ったものだ。

 

 あなたがそう説明するとウィズがごくり、と生唾を飲んだ。

 一度も料理から視線を外さずに。

 

「私はあなたに何をすればいいんですか? 一緒にデストロイヤーと戦えばいいんですか?」

 

 ウィズは玄武に攻撃を仕掛けたときのような、覚悟を決めた瞳で料理を凝視している。

 あなたはとてもとても悲しい気持ちになった。

 必ずこのリッチーの食生活を改善せねばならぬとあらためて決意した。

 

「あ、後で吐いて返せって言われても返しませんからね!?」

 

 あなたは食べてくれるだけでいいと言ったのだが、ウィズは凄まじく失礼だった。

 このリッチーの中ではどれだけあなたは意地汚い奴だと思われているのだろうか。

 あまりにもあまりなウィズの物言いにあなたは少しだけ頬を引くつかせる。

 あなたはウィズほど餓えていないし、ウィズも餓えないほどの資産を持っているはずなのだが。

 

「で、では、いただきます。まずはお肉を……――――」

 

 ウィズが恐る恐る一際目立つステーキを口に運んで咀嚼した瞬間、恐ろしいことが起きた。

 彼女の瞳の光と表情が一瞬で消えたのだ。

 無表情で時が止まったかのようにフォークを口に運んだままぴくりとも動かないウィズの姿に、まさか口に合わなかったのだろうかと冷や汗が流れ始める。

 

「…………」

 

 あなたが声をかけようとしたところで、目から光を失ったままのウィズが再起動した。

 普段は感情も表情も豊かなウィズが無言無表情で咀嚼し続けるのは異様な光景であった。

 

「…………美味しいです、とても。本当に」

 

 味の感想を求められたウィズは、およそ感情というものが感じられない声でそう言った。

 そのまま無表情で黙々と一心不乱に料理を頬張り始めたウィズを見たあなたは、とてもとてもとても悲しい気持ちになった。

 いったい誰が食事だけでこんな反応をされると考えられるだろうか。

 ちなみに今も目に光は戻っていないし表情も死んでいる。代わりに目尻に滴が溜まっているように見える。

 

 凄腕のアークウィザードでリッチーであるウィズのこれまでの悪い意味で非常識な食生活を慮って、あなたは危うく貰い泣きするところであった。

 餓死など何度経験したか覚えていないあなたは、餓えは文字通り死ぬほど辛いと理解しているゆえに。

 

「……ごちそうさまでした」

 

 結局ウィズは食後のデザートまで完食して紅茶を飲み終えたところで目の光と表情を取り戻した。

 

「こんなに美味しいお料理を食べたのはいつ以来か分からないくらいです。この後あなたにご馳走される人は幸せ者ですね」

 

 本当に幸せそうに微笑むウィズの口に合ったようで何よりだとあなたは安堵した。

 危険な食材は使っていなかったが、万が一ということもあった。

 

「はい、本当に美味しかったです。こんな料理なら毎日だって食べたいくらいですよ」

 

 残念だがあなたは冒険者だ。アクセルの街にいないこともそれなりにある以上それは出来ない。

 あなたにできるのはウィズが餓えないように食料を提供することくらいだろう。

 

「……ふふっ、ありがとうございます。それは助かっちゃいますね」

 

 努めて冗談に聞こえるように放ったあなたの言葉にウィズはふんわりと穏やかに微笑んだ。

 そしてあなたはウィズの返答に朗らかに笑い返しながら心の中で(ニヤリ)と邪悪に笑った。

 

 途中はどうなることかと思ったが最終的に本人の言質を取った。

 こうなってしまえば最早こちらのものだ。

 

 あなたは隠しておいた食材の数々と王都で購入したこの世界の冷蔵用の魔道具を取り出した。

 高級食材は用意していないがどれも一般人が日常的に使用する分には十分すぎる質だ。

 当然パンの耳なんていう節約食材は用意していない。

 

「え、あの……これは……?」

 

 無論ウィズが食べるための食材と保冷庫である。

 これだけあれば最低一週間はもつだろう。

 

「えっ」

 

 ウィズがあなたの言葉を社交辞令やリップサービスの類と受け取ったのだろう。

 あなた自身食後の歓談だと思われるように軽い口調で言ったのだから無理も無い。

 

 だが甘い。店を建てれば簡単に金が稼げると思った駆け出し冒険者のように甘い。

 ウィズがどう受け取るかはウィズの自由だがあなたの発言は本気のものだったのだ。

 あなたに窃盗を仕掛けて失敗した愚かな盗人を愛剣で八つ裂きにするときくらいには本気だった。

 ウィズは本気になったあなたの意志の固さと執念深さを知らない。

 

「じゃ、じゃああなたが料理を食べさせてあげたい大切な相手というのは?」

 

 勿論ウィズである。

 あなたの狭い交友関係で他にそんな相手がいるはずが無い。

 

「えっ……」

 

 あなたは依頼とあれば様々な場所に赴く冒険者だ。

 主夫になる気が無い以上は確かにウィズのために毎日毎食料理を作るというのは現実的ではない。

 だが食材を用意することならできる。女性一人分の食費を賄うなど造作も無い。

 大金があってもウィズの食生活が一向に改善されないのならばもう現物を持ってくるしかないではないか。

 何度でも言うが綿に含んだ砂糖水は食べ物でも飲み物でもないのだ。

 

「い、いや……でもほら、私はリッチーですから。無茶な食生活でも我慢できますし」

 

 我慢し続けた結果が先ほどのウィズである。アンデッドに相応しい目と表情の死にっぷりであった。

 あなたの料理を食べたことで日頃いかに自分が酷い食生活を送ってきたのか自覚してしまったゆえのあの様だと思われる。

 完全に死んだ目と表情で黙々と食事を進めるあのウィズを見れば子供は確実に泣く。

 

「う゛っ……」

 

 ウィズが胸を押さえた。

 あなたの鋭い指摘に本人も何かしら思うところがあったようだ。

 

「こ、これからはちゃんと自分でご飯を用意します! なんたってキャベツが沢山ありますから!」

 

 話にならない。問答無用で却下である。

 あなたにはキャベツのシーズンが終わればすぐにでもウィズが綿の砂糖水かパンの耳生活に戻るという予知にも似た確信があった。

 ゆえにあなたはどれだけウィズが泣こうが喚こうがストーカー呼ばわりされようがこのかたつむり野郎と罵倒されようが本気でウィズの食の面倒を見るつもりだ。

 

「幾らなんでもそこまでは言いませんよ!?」

 

 ウィズ本人から言質を得られた以上、最早あなたは自分がこの世界にいるあいだはウィズに綿に含んだ砂糖水やパンの耳に砂糖を塗したものなど食させる気は無い。

 凄まじくゴリ押しだがウィズにはあなたの生きてきた世界ではこれが普通だと理解して潔く諦めてほしい。

 

「でも……いつもお店で買い物をしてくれるあなたにそこまでしてもらうわけには……」

 

 全くの見当違いである。あなたはいつもウィズの店で買い物をしているからこうするのだ。

 本音を言えばいつものように直接店への投資として資金を大量に投入してもいいのだが、流石にウィズもそこまでされてしまっては気に病むだろう。

 むしろ現金では小額だろうが無理矢理受け取らせても一エリスも使われずに終わる可能性が極めて高いとあなたは睨んでいる。

 

「そんなの当たり前じゃないですか!?」

 

 だからこそあなたはこうして直接食料を渡しているのだ。

 ちなみに嫌だと言っても食料は定期的に無理矢理送りつけるので安心して絶望してほしい。この程度であなたの懐は全く痛まない。

 

 無論食材を売って金に代えられたり一切使わずに腐らせてしまってはどうしようもない。

 だがこれはあなたなりにウィズとウィズの店のためを思ってやっているということだけは理解してほしかった。

 

「……できませんよ。そんなこと言われてできるわけないじゃないですか……」

 

 あなたの真剣な訴えと瞳にウィズはようやく観念したのか、静かに項垂れた。

 

「…………わ、分かりました……この食材は、ありがたく受け取らせていただきます……」

 

 勝った。あなたは伝説のアンデッドであるリッチーを相手に見事*勝利*を収めたのだ。

 あなたは今夜は眠れないな! と歓喜の雄叫びを上げるとともに見事なガッツポーズを決めた。

 

「なんでそんなに嬉しそうなんですか!? うぅ、もう……どうして私なんかにそこまで……」

 

 かつてレシマスの迷宮を制覇したときに匹敵する全身を包む高揚と達成感に拳を天高く突き上げる。

 そんなあなたを見てウィズは何故か恥ずかしそうに縮まっていた。



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第10話 『友人』

――共同墓地に出没するゾンビメーカーの討伐。

 

 キャベツの収穫から数日が経ったある日、あなたはギルドでおかしな依頼が貼り出されているのを発見した。

 

 ゾンビメーカーとは質のいい死体に憑依する悪霊の一種で、他の死体を手下として操ることができるモンスターだ。

 脅威度は低く、一般的に駆け出しの冒険者パーティーでも十分討伐が可能とされている。

 

 そんなゾンビメーカーの討伐依頼なのだが、何がおかしいかというと出没している場所がおかしい。

 

 あなたが知っている共同墓地とはウィズが定期的に魂を天に還す儀式を行っているという場所なのだ。

 実際に儀式を見たことは無いが、彼女からそんな話を聞かされた記憶がある。

 アンデッドの王とも呼ばれるリッチーであるウィズは彷徨える魂達の声を聞くことができ、碌に葬式もしてもらえなかったことで現世に留まり続けている魂を解放しているのだとか。

 

 あなたはウィズが魂やゾンビを使ってよからぬことを企んでいるとは露ほどにも思わなかった。

 その程度にはあなたはウィズを信用も信頼もしている。

 だが実際に依頼はこうして出されている。

 ギルド側の勘違いという可能性もあるが、ここは一度ウィズに話を聞いてみる必要があるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「……えっと、それ、多分私だと思います」

 

 あなたからゾンビメーカーの話を聞いたウィズは、とても気まずそうにそう言った。

 

「私が墓地に行くと、まだ形が残っている死体が私の魔力に反応して勝手に目覚めてしまうんです。恐らくそれがゾンビメーカーと勘違いされてしまったのではないかと……儀式自体はずっと誰も起きていないような深夜に行っていたんですけど」

 

 たまたまその時間に通りかかった何者かに知られてしまったということなのだろう。

 今まで知られていなかったのは運が良かったに過ぎない。

 

「と、討伐依頼を出されているのならこのまま儀式を続けるというのはまずいですよね。でもそうなると彷徨える魂達が……」

 

 確かに討伐依頼が出ている以上、ウィズはいずれ冒険者と鉢合わせることになる。

 恐らく出てくる相手は駆け出しなのでウィズであれば口封じなり記憶操作なりでどうにでもなるだろう。控えめに言って善人なウィズがその手段を取れるかどうかは別として。

 だがそもそもの話、その儀式をウィズがやる必要はあるのだろうか。

 

「勿論これは本来プリーストの方がやるべき仕事です。ですが、この街のプリーストさん達は拝金主義……いえその、そういったお金の無い人達は後回しにしているといいますか……」

 

 あなたからしてみれば特に珍しい話でも無いと思うのだが、ウィズにとっては同胞とも呼べる死者の魂が放置されているというのは許容しがたいらしい。

 

「私としては埋葬されている人達の魂が迷わず天に還ってくれれば墓地に行く理由も無くなるんですが……ど、どうしましょう……?」

 

 あなたは回復や呪いを弾く魔法は使えるが死者の魂の浄化などできないしやり方も分からない。

 アンデッドだろうが死者の魂だろうが綺麗さっぱり消滅させる自信ならばいくらでもあるのだが。

 

「あの、お願いですから共同墓地の魂を相手にはやらないでくださいね? ほんとに駄目ですからね?」

 

 こうして暫くあなたとウィズが話し合った結果、最終的にウィズがギルドを通してプリーストに墓地の浄化の依頼を行うということに決まった。

 ボランティアだから誰も手を付けないのであって、依頼ならば誰か一人は引っかかるだろうという計算だ。

 

 ゾンビメーカーはたまたま通りがかったウィズが退治したことにしてしまえばいい。

 ウィズは高名な魔法使いの冒険者だったとアクセルの一部の冒険者のあいだで有名なのはあなたも知るところである。

 

 そんなウィズが何故リッチーになってアクセルの街で魔法道具屋を経営しているのか。

 興味が無いわけではないが、あなたはそれをウィズに聞いたことは一度も無い。

 およそ明るい理由とは思えない。ただの興味本位であなたが聞いていい話ではないだろう。

 

 

 

 

 そして翌日、あなたは買い物ついでにウィズから次に食べたい食材のアンケートを取るためにウィズの店に向かった。

 依頼の件がどうなったのかも尋ねてみたのだが、なんと驚くべきことにたった一日で依頼を受けてくれる相手が見つかったらしい。

 

 ちなみに依頼の報酬だが、ウィズが自腹を切ることになっている。

 幾らウィズが相手でも流石にそこまで面倒を見る気は無かった。ウィズはあなたの子供でも配偶者でもない。

 それにしても、依頼になった途端にこれである。

 現金なものだとウィズとあなたは苦笑した。

 その現金な相手は何者なのだろうか。

 

「えーっと……依頼を受けてくださったのは、冒険者のサトウカズマさんのパーティーですね」

 

 ギルドから届いた用紙を見ながらのウィズの台詞にあなたは思わず頭を抱えたくなった。

 ウィズが引いたのはよりにもよって最悪の相手だったのだ。

 

「サトウカズマさんのパーティーにはとても優秀なアークプリーストの方がいらっしゃるそうなんです。それで墓地の浄化は自分のための仕事だととても張り切ってらっしゃったとか」

 

 確かに他に類を見ないほどに優秀だし、使命感にも溢れているだろう。なにせ相手は不運とはいえ本物の女神だ。

 この場合運が悪いのはウィズなのか女神アクアなのか判断に困るところだが。

 

 あなたは一度魂の浄化というものを見てみたいという異世界人の特権をフルに駆使してウィズに同行することにした。

 依頼を受けるパーティーは自分の知り合いなので恐らく大丈夫だろうと話すとウィズは快諾してくれた。

 勿論それは建前であって、本命はウィズの身の安全の確保だ。

 

 

 

 時刻は夕方。

 あなたとウィズは街から外れた丘の近くにある共同墓地にいた。

 

「どんな方たちなんでしょうね。四人中三人が上級職らしいですよ」

 

 結局ダクネスはパーティーに加わったらしい。

 女神エリスはどこで何をしているのだろうか。

 

 そんなことを話していると、四人の気配が近づいてきた。

 

 あなたの心に少しずつ重たいものが積もっていく。

 しかし希望はまだ失われてはいない、とあなたは感じた。

 

 女神アクアがウィズの正体に気付かないというささやかな希望が。

 

「ああああああああああーーーーっ!!」

「…………ひっ!?」

 

 希望は儚く砕け散った。

 知ってた。所詮こんなものだろうとあなたは自嘲する。

 あなた程度でも初見でバレるのだから大物女神にバレない道理は無い。

 

「おい、いきなりどうしたんだよアクア!」

「リッチーよカズマ! リッチーがノコノコこんなとこに現れるとは不届きな! 成敗してやるっ!!」

 

 互いを視認した瞬間、女神アクアはこちらに向かって走り出し、ウィズはあなたの背中に隠れた。

 以前髪の色や格好を詳細に教えていたので一目であれが女神アクアだと看破したのだろう。

 

「おのれリッチー! 人質とは卑怯な……ってあれ?」

「アクア、私には頭のおかしいエレメンタルナイトとアクアに怯える人間の女性にしか見えないのですが」

「えっと……よく分かんないんだけど、あんた達が依頼を出したのか?」

 

 正確には後ろで震えているウィズである。

 あなたはただの付き添いだ。

 

「何、知り合い? アンタは知らなかったのかもしれないけど後ろのそいつはリッチーなの。汚らわしいアンデッドなの。分かった? 分かったらそこをどきなさい。私が墓地ごと浄化してやるんだから」

 

 やはり女神アクアにとってアンデッドは受け入れられない存在のようだ。

 神と悪魔やアンデッドは天敵同士だとウィズから聞いていたので何となく予想はついていたが、まさかここまで敵意を丸出しにしてくるとは。

 他のアンデッドがどうかはともかく、ウィズ本人に人類や女神への敵対の意思は無い。

 それでもなお受け入れられないというのだろうか。

 

「当たり前でしょ。そいつらアンデッドは自然の摂理に反してるの。存在自体が罪そのものよ」

「…………」

 

 敵と話す舌など持たぬと言わんばかりの態度だ。ウィズはいよいよ俯いて押し黙ってしまった。

 あまり気は進まないが仕方が無い。

 女神アクアが自身の都合を通すのと同じように、あなたはあなたの都合を押し付けさせてもらう事にした。

 無言で抜剣することでそれを女神アクアへの返答とする。

 

 ウィズを背に庇ったまま、あなたは女神アクア達に相対する。

 知り合いに剣を向けるという感傷は無い。最初からこうなることは覚悟の上であなたはこの場に立っているのだから。

 静寂に包まれた一帯に生ぬるい風が吹き、女神アクア達四人はあなたに気圧されたかのようにごくりと固唾を呑んだ。

 

「な、何よ。私達とやる気なの? お世話になった相手だからって容赦しないわよ!?」

「バカ止めろアクア! あの人目がマジだ!! っつーか俺達まで巻き込むなよ!!」

「私だってめっちゃマジなんですけど! 女神としてマジであのリッチーを浄化するつもりなんですけど!」

「挑発するようなこと言わないでください! あの人本気でやりますからね!?」

 

 当たり前の話だが、あなたは彼らに殺意など抱いていないし敵だとも思っていない。

 だがウィズを殺そうとするのならば話が別だ。

 本人がそれを望んでいない以上、彼女を殺させるわけにはいかない。

 

「あ、あの……なんとか穏便に話し合いで……」

「はぁー!? こっちにはリッチーと話すことなんて何も無いんですけど!?」

「はぅっ……」

 

 あなたとウィズはテレポート持ちだ。はっきり言ってこの場から逃げるのは容易い。

 ウィズが生き残るだけならどこか別の街に拠点を変えるだけで事足りる。

 だがウィズはいかなる理由かこの街に固執している。

 どれだけ店に閑古鳥が鳴いて借金まみれになっても、更に自身の天敵である女神が同じ街にいると理解していてもなおアクセルに居を構え続けているのだからその覚悟は筋金入りだ。

 女神アクアがこの町を出ない限り、逃走はいつか訪れる結末を先延ばしにするだけだろう。

 ウィズがリッチーだと知られたまま彼らを放置するのも良くない。最悪ウィズがこの街から追われることになる。

 

「それは……そうですけど……」

 

 ゆえにあなたはこの場で何かしらの決着を付ける必要があると考えていた。

 女神アクアが仲間たちやあなたの説得に応じてウィズの殺害を思いとどまるのならばよし。

 

 だが女神アクアに引く気が無く、ウィズを絶対に殺すつもりだったりウィズの正体を触れ回るというのならば是非もない。

 あなたは全身全霊で女神アクア達と剣を交えることになるだろう。

 たとえウィズ自身が流血を望まず、その先にどんな結末が待っていようともだ。

 女神アクア達一行とウィズではあなたは一片の躊躇無くウィズを選ぶし、たとえ見知った相手であろうとも敵として立ちはだかるならば殺すことができる。

 

 とはいえ相手は女神だ。もし本気でやるというのならば今使っている市販品ではなく愛剣を抜く必要があるだろう。

 そんな機械のように冷たい思考はウィズがあなたの服の裾を弱々しく引っ張ってきたことで中断させられた。

 

「あの、私なんかのためにありがとうございます。でも私はリッチーですから……」

 

 ウィズがリッチーだから何だというのか。自分を見捨てろとでも言いたいのなら知ったことではない。

 あなたは諦観の笑みを浮かべるウィズを無視して、再度四人に向き直る。

 

「ちょっと離しなさいよ二人とも! ゴッドブロー食らわすわよ!?」

「おいめぐみん絶対離すなよ! 俺は彼女も作らずにこんなとこで死にたくない!!」

「私だって爆裂魔法を極めずに死にたくないですよ、っていうかダクネスも手伝ってください!!」

 

 少年とめぐみんが暴れる女神アクアを必死に押さえていた。

 一人静寂を保ったままだったダクネスがあなた達に近づいてくる。

 

「以前あなたに話したように、私はエリス教徒のクルセイダーだ。アンデッドがアクセルにいたという事実は、まあアクアほどではないが正直かなり受け入れがたいものがある」

 

「その上で一つ聞きたい。後ろの彼女は、あなたの仲間なのか?」

 

 真剣な面持ちで放たれたダクネスの問いかけを静かに否定する。

 ウィズは決してあなたの仲間ではない。

 

「…………っ」

 

 それを聞いたウィズがあなたから一歩後ずさり、掴んでいた服の裾を放す。

 ダクネスは納得いかないと言わんばかりに眉を顰めて鼻を鳴らした。

 

「ならば、どうしてあなたは彼女をそうまでして護ろうとするんだ? 今のあなたからは己の命に代えてでも彼女を護ろうという不退転の覚悟を感じる。そんな目をしている」

「……え?」

 

 ウィズを、大切な友人を守るのに理由は要らない。

 あなたは彼女を守るためならば例え相手が神であっても引くつもりは無かった。

 

「友人? 彼女はリッチーなのだろう?」

 

 そう、ウィズはあなたの仲間ではない。

 あなたにとってウィズは、友人で、同好の士で、この世界であなたの素性を知っている唯一の女性だ。

 ウィズがあなたをどう思っているかは定かではない。

 だがあなたはこの平和な世界においても一際善良なウィズを放っておけない、そしてかけがえの無い大切な友人だと思っている。

 

 強くなれば強くなるほど畏怖され、隣に立つ者が減ると共に孤独に陥っていくノースティリスの冒険者達。

 数多の死を越えて強くなったことに後悔は無い。

 だが今もなおあなたの横に立つ数少ない友人達はあなたにとって金銀財宝の山よりも遥かに尊いものだった。

 

 そしてあなたにとって友であるウィズが生命の危機に瀕した以上、彼女を守るためならばあなたはあらゆる手段を躊躇うつもりは無い。

 友のためならば自分の軽い命など惜しくはないし、友の種族などあなたにとっては何の意味も為さないものだ。

 人間だろうがリッチーだろうがゴブリンだろうが友は友。そこに何の変わりもありはしない。

 

「わ、分かった。えっと……その、うん……そっか……」

 

 どうやらあなたが抱くウィズへの想いはしっかりと伝わったらしく、ダクネスがそのまま後退していく。

 ダクネスは赤面していた気がするが、あなたには夕焼けのせいにも思えた。

 

 あなたがウィズのことをどう思っているか、ウィズを含めた他人に打ち明けるのはこれが初めてだ。

 わざわざ話すようなことでもないし、あなたの狭い交友関係では当然といえば当然なのだが。

 

 食料の一件でかなり無茶な真似をやらかした自覚があるので実際のところウィズ本人はどう思っているのだろうかと考えたところで服の裾どころか背中を両手で思い切り掴まれていることに気付いた。

 どうやら幸いなことにあなたはウィズに拒絶はされていないらしい。

 だがこのままでは戦うのに支障が出てしまうだろう。

 

「……ごめんなさい。ありがとう、ございます」

 

 あなたが服を離してほしいと告げる直前、掠れた声でウィズが小さく呟いた。

 それを聞いて少年とめぐみんとダクネスがなじるような視線を女神アクアに向け始める。

 

「な、何よ。三人してそんな目で私を見て。私が悪いっていうの? 相手はリッチーなのよ? 神意に背く邪悪なアンデッドなのよ?」

「神意とかアンデッドがどうとか置いといて、俺は今この場で一番邪悪なのはあの女の人のあんな顔を見てもやる気満々なお前だと思う。流石に引くわ」

「すみませんアクア、ちょっと擁護できないです」

「私が言うのもどうかと思うが、少しアクアは空気を読んだ方がいいな」

「なんでよー!? 私は絶対悪くないんですけど!?」

 

 深くフードを被って俯くウィズの表情は終ぞ見えなかったが、彼らの見たウィズはどんな顔をしていたのだろう。

 ただあなたの背後からは、ウィズの何かを堪えるくぐもった声とぽたぽたと水滴が地面に落ちる音だけが聞こえてきたのだった。

 

 

 

 

 

 現在、落ち着いたウィズがちらちらと気まずそうにあなたを見ながら女神アクア達に自己紹介と事情の説明を行っている。

 ウィズが人間を襲わない安全な存在であるとあなたが保証したのと仲間の三人の説得の甲斐あってか、一応だが和解は成立した。

 未だに女神アクアのウィズへ向ける視線は鋭いし些か当たりも強いが、それは彼女の都合上仕方が無い。

 神敵討つべしとばかりに問答無用で浄化するような様子が見られないだけマシというものだろう。

 

 それは大変喜ばしいのだが、現在あなたの服の背中はウィズの乙女的な何かでべちゃべちゃになっている。

 どういうわけか服を強く握り続けていたウィズが突然あなたの背中に顔を押し付けてきたのだ。

 

 服がべっとりと背中に張り付く粘着質な不快感と冷たさにあなたは思わず眉を顰めて嘆息した。

 

(カズマさんカズマさん、あの人滅茶苦茶機嫌悪そうなんですけど。超怖いんですけど)

(お前に恋人を消滅させられかけたんだからそりゃああんな顔にもなるわ。今だってお前性質の悪い田舎のチンピラみたいな態度だし)

(私達じゃリッチーが相手なだけで絶望的なのに頭がおかしいエレメンタルナイトまで追加とか本気で死にますから勘弁してください。というかあの人はよくリッチーの恋人なんかやれてますね)

(ひとえに愛だな、愛。そうでなければあそこまで堂々とした啖呵は切れないだろう)

 

 女神アクア達がヒソヒソと何かを囁きあっているようだが、意識が背中に集中しているあなたの耳には届かない。

 あなたは全身に水や血を浴びるのは慣れているが背中だけ濡れるという状況にはまるで慣れていないのだ。

 更に背中以外は無事というのが逆に意識を集中させる形になって違和感と不快感を倍増させている。

 当然この場に着替えなど持ってきていない。帰ったらすぐに着替えようとあなたは心に誓った。

 

 

 

「今はその人に免じて見逃してあげる。でもこれから一回でも人間に手を出したら女神アクアの名にかけて問答無用で退治するから覚悟しておきなさい!!」

 

 女神アクアは墓地の浄化を終えた後、そう宣言して去っていった。

 これからは彼女が定期的に墓地の浄化を行ってくれるらしい。それも無償で。

 やはり女神だけあってアンデッドや彷徨える魂は自分が何とかすべきだと考えているようだ。

 同時に睡眠時間が減ると若干ごねてもいたが。

 

「あの……本当にごめんなさい。私のせいでアクア様や知り合いの方々と仲違いを……」

 

 墓地からの帰り道、無言で苛立った表情のままのあなたにウィズが泣きそうな声で謝罪してきた。

 だがそんなことはどうでもよかった。誰も致命的な結果にはならなかったのだから。

 ウィズの身が無事ならあなたはそれで良かった。

 

「でも、あなたは今だってそんなに辛そうにしてるじゃないですか……」

 

 辛いのはびしょ濡れになっている背中だけである。

 ただあなたは今はとにかく早く家に帰って着替えたかったのだ。

 いよいよ違和感が限界になってきた。ウィズの目の前で服を脱ぐことも辞さない。

 

「ごごごごごめんなさいごめんなさいっ!? 汚した服はちゃんとお洗濯して返しますっ!!」

 

 あなたがずっと仏頂面だった理由を知ったウィズがあなたに謝罪してきたが、その提案は大胆にも程があるものだった。

 洗濯して返すというがウィズはあなたにこの場で服を脱げと言っているのだろうか。

 それともこのまま自分の家に来いと言っているのか。

 もしそうだとして、ウィズの家で服を脱いだ後にどうしろというのか。

 あなたには女性の家に上半身裸で外泊するような趣味は無い。

 それならばあなたは半裸で帰宅する方を選ぶだろう。

 

「な、なら私があなたの家で洗濯しますね! それなら何も問題無いですよね!?」

 

 ウィズは本気だった。本気でいっぱいいっぱいだった。

 どこをどう考えれば何も問題無いのか分からない。

 明らかに正気では無かったが流石に自分で洗うので必要ないとは言い辛い雰囲気だ。

 あなたは素直にウィズの厚意に甘えておくことにした。

 

「頑張って真っ白になるまで洗いますね!」

 

 それは止めてほしい。

 あなたが今着ている服は白色ではないのだ。

 

 

 

 あなたの家に着くなり大量のクリエイトウォーターと火炎魔法を使って一瞬で風呂を沸かしたウィズは有無を言わさぬ勢いでゴリ押ししてきた。

 

「ゆっくり疲れを癒してください! あなたがお風呂に入ってるあいだに全部終わらせますから!」

 

 まるで天井の染みの数を数えていれば終わるような言い草である。

 実際背中は気持ち悪かったのであなたはありがたく風呂に入ったのだが、問題があったのはそれからだった。

 

 風呂あがりにあなたの目に飛び込んできたのは若干溜め込んでいたものを含めて完璧に終わった洗濯とテーブルに並べられた夕飯だった。

 材料はウィズの家から持ってきたらしい。誰もそこまでやれとは言っていない。

 移動時間を考えると恐ろしいほどの手際の良さである。加速の魔法を使ったとしか思えない。

 

 当然だがあなたは一言も夕飯を作ってくれとは頼んでいない。むしろウィズはさっさと帰って寝た方がいいのではないかと思っている。

 だがウィズは瞳をグルグル回したままいっぱいいっぱい頑張りましたと笑うのであなたは何も言わずにおいた。

 ウィズがいっぱいいっぱいなのは確かだったし、下手に突っ込んで正気に戻すと爆発しかねないと判断したのだ。

 

 余談だが、ウィズが作った夕飯はとても美味しかった。

 とても極貧生活を送っていた女性だとは思えないほどに。

 

 

 

 

 

 

 更に余談だが、それからウィズは三日ほどあなたと目を合わせようとはしなかった。

 暴走した自分の行動がよほど恥ずかしかったらしい。



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第11話 B:70 W:52 H:71

「あの……何をされているんですか?」

 

 あなたがアクセルの川の上にある橋の縁に腰掛けて釣りを行っていると、背後から誰かが話しかけてきた。

 聞きなれた声はウィズのものだ。アンデッドだけあって日光に弱いのかフードを被っている。

 店はどうしたのだろうか。

 

「今日は定休日ですしお天気もいいので久々にお散歩でもしようかと思って。今まではアクア様に会わないように控えてたんですが、結局顔を合わせちゃいましたし。……それで、あなたは何を?」

 

 ウィズは見て分からないのだろうか。

 川に向けてクリエイトウォーターを使いながら釣りをしているのだが。

 先日魚が食べたいとリクエストをしたのはウィズだ。

 

「いえ、それは分かります。……分かりますけど、なんでクリエイトウォーターを垂れ流しに?」

 

 現在あなたは初級魔法スキルの熟練度を上げている最中である。

 ウィズがあなたの家で一瞬で風呂桶を埋め尽くすほどの量の水を垂れ流しているのを見て、クリエイトウォーターでここまでできるものなのかと強く感銘を受けたのだ。

 釣りは片手でできてかつここが水場なのでやっている。釣果を期待して待っていてほしい。

 

「あ、わざわざすみません……じゃなくて。右手で釣りをしながら左手から水を出し続けてるのってすごい近づきがたい異様な光景なんですけど。現に皆さん遠巻きに見守ってますし」

 

 確かに今もあなたとウィズに複数の視線が注がれている。

 今はどちらかというとあなたに話しかけているウィズに興味が集中している気もする。

 

 だが彼らはあなたが物珍しいから離れて見物していたわけではなく、釣りの成果を楽しみにしているだけなのだ。

 近くにいないのは危険だから。

 

「釣りの成果って……この街の川じゃそんなに大したものが釣れるわけでもないのにですか? それに危険って」

 

 釣れる。釣れるのだ。

 具体的な話をしようと思った瞬間、グン、と何かが力強く竿を引き始めた。

 当たりが来たのだ。周囲がにわかにざわつき始める。

 

「な、なんか引きが強くないですか? この川は浅いですし、そんな大きな魚はいないはずなんですけど」

 

 ウィズが身を乗り出して橋の下を覗き込んだ。

 魚影は無し。ウィズは不思議そうに首を傾げている。

 

 だがあなたが思いきり竿を引くと川の中からマグロが現れた。

 黒光りする巨体は釣り上げられてまるで鳥のように空を舞った。

 

「えっ」

 

 300cmほどの巨体はビチビチと勢いよく橋の上で跳ねる。

 周囲で見物していた人間がワっと歓声を上げた。

 マグロの一本釣りは男のロマンとはあなたの友人の談である。

 

――やった! 大当たりだ!

――いいぞ!

――ブラボー!

 

 騒ぎの中、どこからともなく現れたギルドの職員と冒険者達がマグロを素早く回収して去っていった。

 必要な分以外は纏めてギルドが買い取ってくれる話になっている。

 釣果次第ではアクセルの街はキャベツに続いて魚介類祭になるかもしれない。

 

「え、なんですかあれ。……えっ?」

 

 ウィズはマグロを見たことが無かったようだ。

 あれは海に生息する大型の魚で、食べるととても美味しいのだ。

 

「マグロは知ってますけどおかしいですよね? 今の説明の中だけでも私達がいる場所と物凄い矛盾する所がありましたよね?」

 

 あなたの持つ釣竿はどれだけ浅い水場だろうと釣りをすることができる。

 原理やどこに繋がっているのかはあなたも知らない。

 これはそういう釣竿なのだ。

 ちなみにあなたの世界では駆け出し冒険者でも買える市販品である。

 釣果はエサと本人の腕次第だが。

 

 あなたが釣りのときに使うエサはノースティリスで売っている中でも最高級品のものだ。

 ノースティリスで意味も無く買い込んだものがあと五千回ぶんほど残っている。

 何度かノースティリスで見たことの無い魚が釣れたので、おそらくはこの世界の海かどこかに繋がっているのだろう。

 特筆すべきこととして、タラバガニなる甲殻類が一度だけ釣れた。ノースティリスの幸運の女神の口癖と同じ名前とは凄い偶然の一致だ。

 この世界のエサを使った時に何が釣れるのかは興味深いところではある。

 

「……よかったんですか? 思いっきり目立っちゃってますけど」

 

 良いか悪いかで言えばあまり良くないが、ノースティリスの魔法を使うよりはよほどごまかしが効く。

 それにあなたにとって釣りとはこういうものだったので、他の釣り人に混じって特に疑問も抱かずに行動してしまったのだ。

 結果、当然大騒ぎになったがあなたに聞き込みを行ってきた者やギルドの職員には旅の途中、ダンジョンで手に入れた魔法の釣竿ということで押し通した。

 

「なるほど、確かにそれなら有り得なくもないですね。私でも普通に信じちゃいそうです」

 

 魔法は本当に便利だ。

 特にこの世界のものは。

 

「ところでマグロ以外にはどんな物が釣れてるんですか?」

 

 基本的に食用のものが釣れる。見た目はゲテモノでも意外といけるものだ。

 今のところ釣れていないがクジラも釣れる。

 当然全て一本釣りだ。

 

「クジラって、なんかもう滅茶苦茶ですよ……」

 

 あなたからしてみればキャベツが空を舞って攻撃してくる方が余程滅茶苦茶なのだが。

 ちなみにハズレとしてゴミもよく釣れるが、冒険者の中には特定のハズレを専門に蒐集するコレクターもいたりするので侮れない。

 

「…………」

 

 あなたはしばらくそのまま釣りを続けていたのだが、ふとウィズがちらちらと釣竿を覗き見し始めた。

 やってみたいのかもしれない。ウィズはたまに子供っぽい面を見せるときがある。

 釣れるかどうかは分からないがあなたはウィズに釣竿を渡してみることにした。

 ウィズはあなたの世界の魔法書を読めたのだ。もしかしたらこれも扱えるかもしれない。

 

「す、すみません、なんか催促してしまったみたいで……」

 

 ウィズは照れくさそうに笑いながら受け取ってあなたの隣にごく自然に腰掛けた。

 何故か周囲が騒然とし始めた。ウィズが釣りをするのがそんなに意外なのだろうか。

 確かに格好といい雰囲気といい、インドアな印象を抱く女性ではあるが。

 

――なん、だと……?

――近くね? なあ貧乏店主さん、さっきからずっと思ってたけど距離が近くね?

 

――キテル……。

――エレウィズキテル……。

 

 結果、ウィズにも釣竿は扱うことができた。

 マグロのような大物は釣れなかったがウィズはそれでも楽しそうに笑っていた。友人が楽しそうで何よりである。

 そんなウィズを見物人の女性達は微笑ましそうに、男達は血の涙を流しながら見守っていた。

 

 そこまでは良かったのだが、ウィズは最後に一冊の本を釣った。

 とても肌色な本を。

 

「…………なんですかこれ?」

 

 ウィズが釣り上げたのは《サキュバスの『新人ちゃん』のエロ本》だ。この世界の人物だろうか。

 表紙には極めて煽情的な格好をしたスレンダーな白髪の少女が描かれている。

 皺一つ無い新品同然のそれに見物人の男達がワっと大歓声を上げた。女性達の男達を見る目がゴミを見るそれに変わった。

 

――いいぞ!!!

――ブラボー!!!!

――今日一番の大当たりじゃねえか!!!

――あの子ちょっと貧乳すぎない?

――それが……いいんじゃあないか……。

 

――ママー、あのおじちゃんたちなんであんなによろこんでるのー?

――しっ、ばっちいから見ちゃいけません!

 

「…………!!」

 

 羞恥からか、男達の歓声に耳まで真っ赤にしながら涙目でぷるぷる震え始めたウィズは《サキュバスの『新人ちゃん』のエロ本》を空に投げ捨てて上級火炎魔法で焼却処分した。

 一ページも残らずに灰燼と化した《サキュバスの『新人ちゃん』のエロ本》に周囲の男達は嘆きの声をあげるのだった。

 

 街中で上級魔法をぶっぱなしたウィズは当然のように滅茶苦茶怒られたが、周囲の男達がウィズにセクハラをしたせいだとその場の女性全員が証言したので厳重注意されるに留まった。



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第12話 ★《くろがねくだき》

 ノースティリスとこの世界には多くの差異があるが、その中でも最も目立つのが人の生死に関わることだ。

 

 この世界では一度死ぬとそのまま朽ちてしまう。

 蘇生魔法も存在するが使用者はとても少ない上に効果は一生に一度きりしか無く、二度死ぬと完全に終わってしまう。

 信じられないほどに命の価値が重い。あなたが街中で核など使おうものなら大惨事になるだろう。

 

 一方ノースティリスでは本人がそれを望まぬ限り、どんな惨い死に方をしても何度でも蘇生することができる。

 核で蒸発しても酸に骨の一片まで溶かされても元通りになるのだ。

 

 幾らでも蘇生できるゆえに命の価値が軽い。

 勿論蘇生するとはいっても痛いことは痛いし死ぬのは苦しくて辛いので死なないに越したことは無い。

 だがいざとなったら命は惜しまないというのが常識だ。どうせ十回も死ねば誰だって慣れる。

 

 更にノースティリスでは人間やモンスターを殺害すると死体から《剥製》という彫像や《カード》という本人の生命情報が記載されたアイテムが生まれることがある。

 剥製は本人の生き写しと呼べるほどに精巧なものであり、あなたを含めてこれを蒐集して博物館に飾る者は非常に多い。

 

 あなたは迷宮に魂を縛られていると蘇生できないとか蘇生できる者は魂と肉体が等しく0と1の情報で構成されているために蘇生の際のラグで剥製やカードが生まれるという眉唾物の噂話を聞いたことがあるがさっぱり理解できなかったし興味も無い。

 殺せばその相手は剥製やカードを落とすことがあってあなたはそれを集めるのを趣味の一つにしている。それだけだ。

 

 さて、ここで世界間の差異の話に戻るのだがなんと驚くべきことにこの世界では敵を殺しても剥製もカードも落とさないのだ。

 蘇生の法則が原因なのだろうが、ノースティリスと違って泣きたくなるほどにコレクターに優しくない世界である。

 あなたとしては願いでこの世界の者の剥製が入手できることを祈るばかりだ。

 

 このように剥製が手に入らないのであなたはこの世界では別の趣味で無聊を慰めると決めている。

 そう、女神エリスのパンツのような神器(アーティファクト)の蒐集である。

 

 

 

 

 

 

「知ってるか? なんでも魔王軍の幹部の一人が、この街からちょっと登った丘にある廃城を乗っ取ったらしいぜ」

 

 いつものように冒険者ギルドに足を運んだあなたの耳にそんな会話が飛び込んできた。

 話をしているのは先日剣を交えかけた女神アクアの仲間の少年と酔っぱらった中年の冒険者だ。

 

 この世界では人類と魔王なる者が率いる異種族が戦争を繰り広げているが、あなたはあまり魔王に興味が無い。

 異邦人であるあなたからしてみると国同士が戦争をしているようなものだからだ。

 

 二人はドラゴンだのヴァンパイアだのがやってきたと話をしている。

 もし本当に魔王軍の幹部とやらがいてそれがどんなモンスターだったとしても剥製を落とさない以上はあなたの興味を引く存在ではなかった。

 それに街の近くまで来ておきながら何もしてこないということはもしかしたらウィズのように非好戦的な存在かもしれない。

 目的は分からないがこちらに喧嘩を売ってくるか討伐依頼が出るまでは放置で構わないだろう。

 

 あなたはそう思っていたのだが、魔王の幹部は意外な所でアクセルの街の冒険者達に被害を与えていた。

 

「……ええ、はい。最近魔王軍の幹部らしき者が街の近くの小城に住み着きまして。この近辺の弱い魔物は逃げ出すか隠れるかしてしまって仕事が激減してしまっています。来月には王都で編成された騎士団が討伐のために派遣されますので、それまでは高難易度の依頼のみを発注させていただく形になります」

 

 普段であれば掲示板の至る所に貼り付けられている依頼が今日に限って殆ど無かったのだ。

 これはどうしたことかとルナに尋ねたところ、このような答えが返ってきた。

 どうやら魔王軍の幹部が来たというのは確定情報らしい。

 どんなモンスターがやってきているのだろう。

 

「申し訳ありません、そこまでは私達も……」

 

 ギルドや国の側から討伐依頼は出していないのだろうか。

 

「……本気ですか? 確かに魔王軍の幹部ともなれば特級の賞金首です。報奨金も相当の額にのぼりますが」

 

 ルナが真剣な目で見つめてきたが、生憎とあなたは家を手に入れているし金にも困っていないし賞金稼ぎでもない。

 だがこの世界の問題はこの世界の人間で解決すべきだとも思っていない。

 なので討伐依頼でもあれば行くのだが、魔王軍の幹部を相手にした依頼というのは王都でも見たことが無い。

 

「私も聞いたことしかありませんが、過去には幹部の討伐依頼も存在したらしいです。ですがあまりにも死者が多すぎたため、余計な犠牲者を出さないようにと禁止されたそうです」

 

 ですので緊急クエスト以外でギルド側から討伐の依頼は出せません、とルナはあなたに深く頭を下げて謝罪の意を示した。

 周囲の冒険者のあいだにもアクセルのエースでも流石に無理だろうという空気が蔓延している。

 魔王軍の幹部とやらはよほど強いらしい。

 

 気が変わったあなたは廃城に行ってみることにした。勿論一人で。

 それほどまでに強力な存在ならばさぞ良い物を持っているだろうと多大なる期待を胸に秘めながら。

 

 

 

 

 

 

 廃城までの道のりはあまりにも穏やかなものだった。

 弱い魔物はおろか動物も殆ど見かけない。

 これが魔王軍の幹部とやらの影響なのだろう。

 

 何故こんな大物が辺境の地にやってきたのか疑問ではあるが、それをあなたのような異邦人が知ったところでどうにかなるわけでもない。

 殺してもいい敵は殺す。殺して良い物を持っていたら奪う。それだけだ。

 

 そうしてあなたは廃城の前までたどり着いたのだが、何も出てこない。

 特に気配や姿を断っていたわけではないので相手もあなたの接近に気付いているはずだが、それでも廃城は静寂を保っている。

 本当にこの中に魔王軍の幹部がいるのだろうかと邪推しながらあなたは城内に正面から入っていった。

 

 これで何も出てこなかったら笑い種だと思いながらあなたが廃城の中に足を踏み入れた瞬間、気配感知に何者かが引っかかる。

 気配の主は最上階にいるようだ。おそらくこれが魔王軍の幹部とやらだろう。

 

 安心しつつ早速相手に喧嘩を売りに行こうとしたあなたの前に、どこからともなく湧いてきた無数のアンデッドナイトが立ちはだかった。

 

 どうやらあなたへの挨拶代わりに配下を寄越してきたらしい。

 召喚系の能力を持っているようだし、相手はリッチーなのだろうか。

 無尽蔵に湧いてくるアンデッドナイトを鎧袖一触とばかりに蹴散らしながら、あなたは最上階に進むのだった。

 

 

 

 

 

 

「……ほう、無事にここまで辿り着いたか。さっさと逃げ帰るとばかり思っていたのだがな」

 

 果たして、城の最上階であなたを待ち受けていたのは漆黒の鎧を纏った首の無い戦士だった。

 ウィズのようなリッチーではないのは一目見て理解できる。

 首の無いアンデッド。魔王軍の幹部の正体はデュラハンだったようだ。

 

「しかも無傷ときた。所詮は駆け出し冒険者の街とたかをくくっていたがこれは中々どうして」

 

 めぐみんよりも紅い瞳があなたを射抜く。

 動きに合わせてガシャリ、と鎧が音を鳴らした。

 

「何故貴様のような者がアクセルの街にいるのかは知らんが、これなら少しは楽しめ――――!?」

 

 瞬間、耳をつんざく轟音と爆炎があなたとデュラハンを包み込んだ。

 とてつもなく覚えのある魔力の波動である。

 

「い、今のはまさか爆裂魔法か!?」

 

 そう、あなた達を襲ったのは突然の爆裂魔法だった。

 直撃ではなく爆発の余波に巻き込まれただけなので互いにほぼノーダメージだが、何故かデュラハンは凄まじく狼狽していた。

 

「俺はともかくお前がいるのにぶちこんできやがった!! どこの馬鹿だ!? 信じられん、頭おかしいんじゃないのか!?」

 

 まさかウィズではないだろう。

 ウィズが爆裂魔法を使えるという話は聞いていないが、もし使えたら城ごとあなた達も蒸発している可能性が極めて高い。

 

 つまり下手人は継戦能力という概念を母親の胎内に置いてきた生粋の一発屋(めぐみん)だ。

 確かに頭がおかしいのは当たっている。

 めぐみんが爆裂魔法を放ったのはあなたが廃城にいると知らなかったからだろう。

 誰にも告げずにここに来たのだから知らないのは当然だ。

 ただめぐみんはあなたがいると知っていても普通に撃ってきそうだが。

 

「……なあ、お前もしかして街の奴から嫌われてるのか? わざわざ一人で来てるし。爆裂魔法撃たれてるし。これって殆ど囮みたいな扱いだぞ」

 

 デュラハンは何故か心底同情していますという声色であなたに話しかけてきた。

 なんとも失礼な魔族である。

 

「もしお前が望むのであれば俺の配下として魔王様に推薦してやらんでもないがどうする? 俺はベルディアという名前なんだが、こう見えても生前人間の騎士をやっていたのだ。不当な理由で処刑され怨念によってこうしてモンスター化したがこれでも正々堂々を旨とする真っ当な騎士のつもりだったし、こんな様になった今でもそう在りたいと思っている」

 

 デュラハンがベラベラと何かを言っているが無視してこの隙にデュラハンの装備に鑑定の魔法を使う。

 結果、大剣にだけあなたの目を引くものがあった。

 

――★《くろがねくだき》

 

 当たりだ。流石は魔王軍幹部だけあっていいものを持っている。

 そして殺してもいい相手がいいモノを持っているとなれば、やることはたった一つ。

 

 貴重な品を前にしたあなたは全身を駆け巡る喜悦に堪らず獰猛に笑った。

 

「おい、何とか言ったらどう――――ッ!?」

 

 あなたの殺気に反応したベルディアが一瞬で臨戦態勢を取る。

 

「……ふ、ふははははは! そうか、この殺気はそういうことか!」

 

 ベルディアのおかしな反応にあなたは笑みを引っ込めた。

 明らかに心当たりがあるといった感じである。

 お互い顔見知りではないはずだが。

 

「貴様がアイツの言っていた光というわけだな!? 勇者か、道理でこの俺が派遣されるわけだ!! いいだろう! 相手が勇者とあれば不足無し! 俺は魔王軍幹部筆頭、デュラハンのベルディア! 勇者よ、いざ尋常に勝負!!」

 

 ベルディアは高らかに名乗りをあげ、あなたにその長大な両手剣を向けた。

 その赤い瞳は戦意と高揚に満ちている。

 もう少し色々と情報を吐いて貰いたかったが仕方が無い。

 とりあえず殺すのは後回しにしようとあなたはベルディアに向かって駆け出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 三分後、廃城の最上階には倒れ伏したベルディアの胴体があった。

 傍らに立っているのは無傷のあなた。

 あれだけ大口を叩いておきながらベルディアはあなたに完敗を喫していた。

 あまりにも酷い顛末である。魔王軍筆頭とはいったい何だったのか。

 

「ば、馬鹿な……。信じられん、貴様、本当に人間か……?」

 

 あなたの手に掴まれたベルディアの生首が呆然と呟く。

 アンデッドに疲労は無いらしいがダメージは受ける。

 鎧は破損していなくとも中身は既にズタボロだろう。

 

 確かにベルディアは決して弱くなかった。あなたがこの世界で戦ってきた中でも間違いなく最強の相手だったと断言できる。

 魔王軍筆頭を自称するだけあって剣技は相当のものだったし、大剣の能力は極悪で倒れ伏した今もなお砕けていない鎧の防御力は尋常ではない。

 あなたの目から見てもベルディアはこのままノースティリスに放り込んでも確実に上位に食い込めるほどに高いポテンシャルを持っている。

 

 だが、所詮はその程度でしかなかった。

 

 あなたにはベルディアは己の才能を磨ききっていないと感じられる。

 少なくとも今のベルディアでは玄武やウィズのような超級の存在には程遠い。

 だからこうして愛剣すら抜いていないあなたにすら手も足も出ずに完敗する。

 

 仮にこれで筆頭だというのならそれこそベルディアと同程度の力量の者が十人いてもウィズ一人に余裕で壊滅させられるだろう。

 それくらいには隔絶とした力の差があった。

 

「…………ふん。死の宣告だの魔王様の加護だの、楽な戦い方ばかり覚えた結果がこのザマか。己の鍛錬を疎かにして何が元騎士だ笑わせる」

 

 ベルディアは自嘲するように吐き捨てた。

 あまりにも清々しい負けっぷりに何かしら思う所があったらしい。

 

「殺せ。一対多や策を使われたのならまだしも、正々堂々一対一の勝負で負けたのだ。己の不甲斐なさに憤りはすれども悔いは無い」

 

 あなたはどこかスッキリした様子のベルディアを無視して倒れたままの胴体に向かう。

 

「もし次に人間に生まれ変われるような奇跡があれば、今度こそ俺は騎士として……。……おい、貴様何を――――あいだっ!?」

 

 そのまま隙だらけの胴体に一閃。

 耳障りな金属音とともに鎧に一筋の刀傷が刻まれた。

 やはり硬いが諦めずに再度攻撃する。

 

「お、おい待て! 何故頭じゃなくてわざわざそっちに攻撃する!? この鎧には魔王様の加護がかかっている! いくら貴様の腕がよくともその程度のナマクラでは破壊できん!! 女神が浄化の力でも使って加護を弱めん限りはな!!」

 

 女神アクアを連れてこいということだろうか。

 それにしてもベルディアは随分と口数が多い。

 幹部であるにもかかわらず廃城に一人で配下も意思の無いアンデッドナイトのみ。

 あなたを配下にしようとしたことといい、もしかしたら寂しい男なのかもしれない。

 

 それはそれとしてあなたはとりあえず斬り続けてみることにした。

 

「やめ、おいバカ止めろ! 俺を嬲り殺しにする気か!? 貴様それでも本当に勇者なのか!?」

 

 あなたはただの冒険者であって勇者ではない。

 それに敗者に従う義理は無いのでそのまま攻撃を続行する。

 

 結果、百合ほど斬りつけたところで剣が真っ二つに折れた。

 剣の予想以上の脆さにあなたは思わず舌打ちする。

 一応高品質(それなり)の剣を買ったのだが所詮は市販品ということだろう。奇跡品質や神器品質の武器には遠く及ばない。

 

「ふ、ふっふっふ……俺の言葉を完璧に無視して攻撃を続けるから正直滅茶苦茶怖かったぞ。だが貴様の剣では魔王様の加護は突破できなかったようだ。貴様の諦めの悪さには脱帽するが終わりだ。さっさと頭の方に攻撃しろ!!」

 

 ベルディアは何かを勘違いしている。

 まだ王都で買った市販品(オモチャ)が折れただけだ。何も終わってなどいない。

 あなたは久しぶりに愛剣を使うことにした。

 

「えっ」

 

 あなたの召喚に応じて虚空から出現し、鞘から解き放たれたのは150cmほどの両手剣。

 うっすらと透き通った刀身は陽炎のように揺らめいているようにも見える。

 あなたが血を掃うように剣を一振りすれば刀身から奔った青白いエーテルの燐光が大気に溶けた。

 いかなる技法か、エーテル粒子を凝縮し固定化させた刃は軽量にもかかわらず他の素材の追随を許さない凄絶な切れ味を誇る。

 

 神剣もかくやという清浄な波動を放つ、この世のものとは思えない幻想的なその姿。

 だが裏腹に刀身から放たれる圧は血に狂った魔剣そのもの。

 しかしこれこそが駆け出しのときにネフィアの宝箱から偶然入手し、数多の武器を食らわせて強化し続けたあなたが他の何よりも信を置く武器だった。

 

《――――!!!!》

 

 久方ぶりに鞘から解放された愛剣の歓喜の咆哮が周囲の壁と床に亀裂を入れる。

 唐突にあなたの視界が真紅に染まり、ギチギチギチと体中を無数のムカデが這いずるような嫌悪感と強い嘔吐感が全身を襲った。

 堪らずあなたが咳き込めば口から出てきた血塊がびちゃりと床を汚す。

 

 愛剣が久しぶりにご機嫌である。これほどのはしゃぎっぷりはいつ以来だろうか。

 最近ずっと使っていた剣が折れてようやく出番が回ってきたためテンションが上がっているらしい。

 

「え、ちょ、待っ――――オイバカ止めろ! タイムタイムタイム! 神器所有者とか聞いてないぞ! 神器にしたってお前みたいな勇者がそんなの使うとか完璧に反則だろいい加減にしろ!! というか貴様何でそんな悪辣極まる呪物を持っている!? 悪いことは言わんからさっさと捨てろ! 人間がそんな物を使ってたら心と体が壊れるだけだぞ!!」

 

 優しいのか見苦しいのか判断に困るベルディアの命乞いを無視して袈裟懸けに斬り捨てる。

 久しぶりに振るった愛剣はたった一撃で硝子細工のように粉々にベルディアの鎧を打ち砕いた。

 

「ちょ、ま――――ぎゃあああああああああああ!!!」

 

 100人中100人が終わったと確信するあなたの一撃はベルディアを完璧に捉え、轟音とともに床を崩落させ城の最下層に叩き落とす。

 手応えあり。完璧に入った。

 階下に行く前に★《くろがねくだき》を回収しておく。

 紛うこと無き逸品だ。ベルディアの剣として有名でなければ折れた剣の代用にしてもいいかもしれない。

 

 さて、階下に落とされた肝心のベルディアだが彼は消滅していなかった。

 鎧は砕け中の肉体は全身がありえない方向に曲がっていたりミンチ同然にまでぐちゃぐちゃになっているし生首は白目を剥いて口から赤い泡を出してはいるが消滅していない。今はまだ。

 文句なしの会心の一撃だったにもかかわらずベルディアは存在している。今はまだ。

 

 戦士スキル《みねうち》は問題なく発動したようだ。

 あなたは普通に刃で斬りつけたが《みねうち》という名前のスキルなので何もおかしい所は無い。

 

 《みねうち》は低ポイントで習得可能にもかかわらず、高い汎用性を持ったスキルである。

 

 近接武器なら槍だろうが鈍器だろうが発動し、スキルの効果は不殺。

 《みねうち》で攻撃すると致命傷だろうがギリギリで死なない。絶対に敵を殺すことができない。

 今回の相手は頑丈な鎧を纏ったアンデッドだったが、恐らく何の戦闘力も持っていない一般人の女子供を相手に全力で攻撃しても同じ結果になる。

 

 素晴らしい。この世界のスキルは本当に素晴らしい。このスキルは大当たりだ。

 あなたは満足いく結果に口角を吊り上げた。

 会心の一撃にもかかわらずわざと仕留めなかったのが不満なのか、愛剣はガタガタと揺れながら啼きだしたが、あなたが謝罪しながら刀身を撫でればそれもすぐに収まった。

 

 四次元ポケットを開き、目的の物を取り出す。

 今あなたが手の中に握っているのはモンスターボールと呼ばれる下半分が白、上半分が赤の球体だ。

 

 そのまま瀕死のベルディアに球体を投げつける。

 もし何も反応が無いようならそのまま殺してしまうつもりだったが、ベルディアは光に包まれ球体の中に納まった。

 

 しばらく待っても出てくる気配は無い。成功だ。

 かくしてあなたは★《くろがねくだき》を入手し、魔王軍幹部のベルディアを捕獲したのだった。

 

 




《モンスターボール》
 捕獲用アイテム。
 本当に死にそうなレベルで瀕死の相手にしか使えない。
 このすば次元では★が盗めるようにユニークも捕獲可能。

《愛剣》
 主人公であるあなたの本気の武装。
 駆け出し冒険者の時に手に入れたエーテル製の生きている神器大剣。
 アーティファクト合成、もとい装備を食って強くなる。
 仮武器を買うだけでヘソを曲げてるが優しくされると即堕ちする。くっそちょろい。
 ツンデレで甘えん坊で尽くすタイプで一途で依存心が強くて寂しがりやで貞操観念がマジキチで愛がアダマンタイト製のムーンゲート級に重い世間知らずの箱入り娘。属性過積載。
 他人が握るとそいつとあなたは一瞬で身体中の穴という穴から血とか色々ぶちまけて死ぬ。
 武器なのであなたの人間関係には一切興味が無い。喋らないし擬人化もしない。
 自分が主人のナンバーワンだという自覚はあるが主人のオンリーワンであるホーリーランスの存在は苦々しく思っている。

《アーティファクト合成》
 二つの装備品を合成して強化する。
 不思議のダンジョンの合成の壷みたいなもの。
 ぼくのかんがえたさいきょうのそうびが作れる。
 反則級に強力だがバニラでは未実装。
 実装されているヴァリアントでは基本的に生きている武器には使えないし誓約も重いが、生武器を素材に出来るヴァリアントも存在する。

★《くろがねくだき》
 対人用の武器としてはある意味最強の能力を持つ大剣。酸と毒の属性を持つ。
 武器としての性能も高いが特筆すべき点は装備破壊能力。
 確率発動だが☆装備だろうが問答無用でぶっ壊す。
 出典:イストワール

《みねうち》
「しんぱいごむよう! みねうちでござる!」
 HPが1残るので死なない。
 HPが1の状態で再度《みねうち》されても死なない。
 死んだ方がマシな状態でも死なない。
 絶対に死なない。
 死ねない。


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第13話 十三階段への直行便

 《ベルディア》

 

――魔王軍の幹部随一の武闘派のデュラハン。

――人間の騎士であったらしいが詳細は不明。

――過去に幾度と無く討伐依頼が出されたがその全てを退けている。

――現在は戦場においてのみ姿が確認されている模様。

――弱者や非戦闘員に手を出さないことで有名。高レベルの者にのみ戦いを挑んでいる。

――くろがねくだき、魔王の加護がかかっているという全身鎧を装備しており、デュラハンの固有技能である死の宣告を含めて幹部の中でも高い近接戦闘力を誇る。

――懸賞金三億エリス。

 

 以上が廃城から帰ってギルドの手配書であなたが得たベルディアの簡単な情報である。

 あなたの知るベルディアの情報と照らし合わせた結果、装備から経歴に至るまでほぼ全てが周知されている。

 長年に渡ってベルディアが魔王軍の幹部として一線で戦い続けているというのもあるが、どうやらベルディアがお喋りなのは有名らしい。

 

 そう考えるとやはりベルディアはこの世界の人間にとっては相当な脅威だったのだろう。

 長く前線に立ち、これだけの懸賞金をかけられて尚今まで生き残ってきたのだから。

 

 だがここまで分かっているにもかかわらず、何故誰もベルディアを今まで倒せていなかったのか若干不思議ではあるものの、しかしそれはある意味当然なのかもしれない。

 あなたが偶然迷い込んだこの世界はノースティリスとは比較にならないほど平和だが、同時に死という現象が持つ意味が圧倒的に重い。

 この世界で生きる者達はノースティリスの冒険者のように己の屍を無数に積み重ねて強くなることができないのだ。

 かくいうあなたとて二度死ぬだけで確実な終わりが訪れるならここまで強くなっていない。それがたとえ平和なこの世界だったとしても。

 

 だがノースティリスで無数の繰り返される死と蘇生(トライアンドエラー)を越えた今のあなたでは、死ねばそこで終わりという言葉の意味は理解できても異世界なのだからそういうものなのだろう、という受け入れ方しかできない。

 仮に今のあなたが死んだらそこで終わりな状態だったとしても、やはりあなたには己を顧みずに行動するだろうという確信がある。

 そう、ウィズの命を護るために女神アクアと相対したときと同じように。

 

 しかし手加減はしていないが全く本気を出していない状態で三分で半殺しにできる相手が三億エリス。

 あなたが玄武の件で手に入れた報酬とほぼ同額である。濡れ手で粟などという話ではない。

 ウィズは魔法店をやる傍らに魔王軍の幹部を狩ればいいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

「いえ、流石にそれはちょっと……」

 

 資金繰りに魔王軍の幹部を狩ればいいのではというあなたの提案に、ウィズは苦笑いしながら首を横に振った。

 現在あなたはギルドから直行したウィズの店で紅茶を飲んでいる最中である。

 

 テーブルの対面にはいつものようにウィズが座ってあなたと同じようにお茶を飲んでいる。

 ちなみに今日は定休日でも何でもないし今も普通に営業時間中である。

 

「最近はあなたしかお客さんが来てくれなくなっちゃいましたし……元からお店の商品を買ってくれるお客さんはあなたしかいなかったですけど……」

 

 とは店主として問題ないのかと以前あなたに聞かれたウィズの弁である。

 言われてみれば確かにあなたは商品を買う気も無いのに来店して落ち込むウィズを見て愛でる者達を見ていない。

 不思議なこともあったものである。

 

「でもどうしたんですか? いきなり魔王軍の幹部の話をするなんて」

 

 どうやらウィズは廃城の件を知らなかったらしい。

 あなたはアクセルの近くに魔王軍の幹部がやってきたと教えることにした。

 

「そうだったんですか……誰が来たんでしょうか。……さんだったら今頃挨拶というか嫌味を言いに来てるはずですし……」

 

 ウィズはむむむと難しい顔で唸り始めた。

 リッチーだけあって魔王軍に顔見知りがいるらしい。

 

「え? …………ああ、はい」

 

 何故だろう。

 あなたには一瞬ウィズが何かを躊躇った気がした。

 

「……そういえばあなたに話したことは無かったですね。私、魔王軍の幹部の一人なんですよ」

 

 ウィズはいつもの世間話のように、アッサリとそんなことを言い放った。

 魔王軍の顔見知りなどという浅い話ではなかった。これ以上無いほどに関係者である。

 なんと驚くべきことにアクセルの街にこの世界の人類の敵の一員が店を構えていたのだ。

 言うまでも無いがあなたは初耳である。

 

「幹部と言っても籍を置いてるだけのなんちゃって幹部なんですけどね。魔王城の結界のことはご存知ですか?」

 

 あなたも噂程度には聞いたことがあった。

 魔王城には大規模な結界が張られており、結界を破る手段を持たない人類側は攻め込もうにも攻め込めないと。

 

「魔王軍には私を含めて八人の幹部がいます。そして八人で魔王城の結界の維持を担っているんですよ。けど以前お話ししたように私は今まで人に危害を加えたことはありませんし、魔王軍の幹部としての活動も全くやっていません。こうしてお店をやりながら結界の維持をするだけでいいと言われていますので」

 

 それだけでも十分に人類に仇なす行為なのだろうが、あなたの関心はベルディアにあった。

 自称魔王軍筆頭のベルディアは本当に自称でしかなかったらしい。

 あまりにも酷い大言壮語にただただ呆れるばかりである。

 

「…………」

 

 ウィズは店に入荷する品のセンスが終わっている以外は極めて常識的で善良な女性だ。確かに同僚を狩って資金にしようとは思わないだろう。

 幹部の狩猟を拒否した理由に納得してお茶のおかわりをカップに注ぐあなただが、何故かウィズはそれを静かに見つめている。

 あなたに話したいことでもあるのだろうか。

 自分から暴露しておいて秘密を知られたからには生かしておけないなどと言い出したら幾ら相手がウィズであってもあなたは大笑いする自信があった。

 

「……いえ、本当に大したことじゃないんです。ただ、私が魔王軍の幹部と知ってもあなたは態度も反応も何も変わらないんだなって」

 

 そこまで言って、ウィズは一息ついて紅茶を口に含んだ。

 

「幾らあなたが別の世界から来たといっても、ここまでいつもの世間話のように軽く受け取められるとは思わなかったんです」

 

 あなたはおかしなことを言い出したウィズに思わず笑ってしまった。

 大したことではないと言ったのはウィズの方だし、あなたからしても実際に大した話では無い。

 

「私が言うのもどうかと思いますけど、結構大した話だと思いますよ?」

 

 ウィズは呆れたように苦笑しているが、そんなものはこの世界の住人に限った話だ。

 別にどうでもいいとまで言うつもりはないが、リッチや妖精、ゴーレムやかたつむりなどの人外が普通に冒険者として活動している世界に住まうあなたからしてみれば魔王軍の幹部というのは精々戦争中の外国の要人程度の認識である。

 

 ゆえに人類の敵の側に属しているとしても、ウィズがあなたの友人であることに変わりは無いのだ。

 ウィズはウィズだなどという言葉はあまりに陳腐が過ぎるものの、実際に他に言いようが無いから仕方無い。

 大体にしてウィズがこの世界の大物女神である女神アクアに一方的に目の仇にされるほどの伝説のアンデッド、リッチーだと知っていて友人をやっている時点で態度が変わるも何もといった感すらある。

 

 なのであなたからウィズに言うことがあるとすれば、これからも変わらぬ付き合いをよろしく頼むといったところだろうか。

 

「えっと……はい、ありがとうございます。あらためまして、これからもよろしくお願いしますね」

 

 あなたの宣言に、ウィズは日溜りのような柔らかい笑みを浮かべることで答えた。

 

 それはさておき、ウィズが魔王軍の幹部だというのならば世間話のタネにこれを見せても構わないだろう。

 あなたはおもむろにポケットに入れていたモンスターボールを取り出した。

 

「……初めて見る道具ですね。あなたの世界の魔法道具ですか?」

 

 モンスターボールはノースティリスで用いられる捕獲用の道具だ。

 そしてこの中にはあなたが廃城で半殺しにして捕獲した魔王軍幹部であるデュラハンのベルディアが入っている。

 

「ぶふうえええええーーーッ!?」

 

 あなたの説明にウィズは盛大に茶を噴き出した。

 いつぞやの女神エリスのようにあなたの顔面に紅茶の飛沫が直撃する。

 熱くはないがだからといって何も思わないわけではない。

 

「ああああああごごごごめんなさいごめんなさい!!」

 

 ウィズといい女神エリスといい、この世界の女性は他者に飲料を吹きかける趣味でもあるのだろうか。

 特にウィズは共同墓地に続いて二回目である。

 あなたは若干呆れながら反射的に顔にかかった紅茶を舐めた。

 

「ば、ばっちいですから舐めちゃ駄目です!!」

 

 真っ赤な顔をしたウィズに怒られてしまった。

 ウィズが噴き出したものだし、別に汚くはないと思うのだが。

 

「あなたがよくても私が恥ずかしいんですってば!!」

 

 なるほど、まったくもって返す言葉も無い。

 確かにウィズのような女性の、それも噴き出した本人の前でやるにはデリカシーに欠ける行為だったかもしれない。

 あなたは髪から紅茶を滴らせながら謝罪した。

 

「い、いえ……噴き出したのは私ですから……あ、すぐに拭くもの持ってきますね!? 本当にお願いしますから絶対にそれ以上舐めたり変なことをしたりしないでくださいね!?」

 

 ウィズがあまりにも必死に懇願してくるのであなたは素直に待つことにした。

 下手な真似をすると今度は数時間の説教では済まないかもしれない。

 ただ、ウィズの言う変なこととはいったい何なのだろうかとあなたは思うのだった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……大変失礼しました」

 

 渡された布巾で顔を拭くあなたにウィズは申し訳無さそうに謝罪した。

 そんな彼女に申し訳ないと思うなら先ほどウィズが言っていた変なことについて詳しく教えてほしいとあなたは頼み込む。

 

「い、言えませんよそんな恥ずかしいこと……」

 

 ウィズは顔面にかかった紅茶であなたがどんな恥ずかしいことをすると思っているのだろうか。

 残念ながらあなたの貧困な想像力ではまるで思いつかない。

 後学のために是非ともウィズの口から教えてほしいものだ。

 これは純粋な知的欲求に基づくものであり、決して性的嫌がらせではないし耳まで真っ赤にして恥ずかしがるウィズを見て悦に入ろうとしているわけでもない。

 繰り返すがこれは決して痴的欲求でも性的嫌がらせでもない。

 その証拠にあなたはこれ以上無いほどに真剣な顔をしている。

 

「終わりです、この話はここで終わりにしましょう。これ以上続けるなら私に泣きが入りますからね」

 

 流石にそこまで言われてはどうしようもない。

 あなたは潔く追及を止めて引き下がることにした。

 

「……こほん。それで、どういった経緯でベルディアさんはこんなことになっちゃったんですか?」

 

 ウィズは頬杖をつきながらテーブルの上に転がる紅白の玉を白魚のような手の人差し指で突いている。

 あなたは魔王軍の幹部なら何か貴重な品を持っているだろうと期待して喧嘩を売りに行ったこと、実際に持っていたから強奪したこと、ベルディアがあなたのことを知っているようだったので情報を得るために半殺しにして捕獲したことを話した。

 

「またあなたはそんな滅茶苦茶なことを……異世界の人って皆こうなんでしょうか」

 

 話を聞いたウィズはテーブルに突っ伏して頭を抱えてしまった。

 力量はピンキリだが、ノースティリスの冒険者の行動原理は大体こんな感じである。

 

「あなたの世界の魔法を使ったんですか? ベルディアさんは幹部の中でも剣の腕は相当のものでしたし、使っていた装備も凄かったはずなんですけど」

 

 ウィズの目から見てもベルディアの剣技や装備は一廉のものだったらしい。

 実際は三分で魔法も使っていないあなたに半殺しにされるという結果に終わったわけだが。

 技量や装備では覆すことのできない、純粋な地力の差だ。

 

「……実はあなたも私みたいに禁呪で人外になってたりします?」

 

 あなたは即座に違うとは断言できなかった。

 きっとこの世界の住人からしてみればあなたはおぞましい人外に等しいのだろう。

 強さというのは時としてただそれだけで周囲の者に忌避されることをあなたは知っている。

 だがそれでもあなたは人間だ。

 

「そうですか……そうですね。私も自分はこんなことになってしまった今でも、心だけは人間だと思ってますから」

 

 ウィズの呟きにはどこかあなたが人間のままであることへの憧憬が含まれているようだった。

 ちなみにあなたの見立てではウィズが本気で戦えばベルディアは三分どころか秒殺されると出ている。

 実際にウィズがやるかどうかは別として。

 

「そ、そんなことは無いですよ?」

 

 若干ウィズの目が泳いだ。

 どうやら心当たりが無いわけでもないようだ。

 あるいは他の幹部を半殺しにしたことがあるのかもしれない。

 

「…………そ、それよりも。あなたはこの後ベルディアさんをどうされるんですか?」

 

 ウィズは露骨に話題を逸らしにきたが、あなたはあえてそれに乗ることにした。

 今のところベルディアは情報を搾り取った後は適当に処分する予定になっている。

 

 あなたが異世界の者だと知っている敵を生かしておく理由は無い。

 

「なんか……知り合いが処刑される話を聞くのって凄く複雑な気分になりますね。私達は人間の敵ですから、そうされて当然だと分かってはいるんですが」

 

 ウィズの表情が曇ってしまった。

 実はベルディアはウィズの知り合いどころか友人だったりするのだろうか。

 もしそうなら命までは取らないでおこう。逃がすわけにはいかないが。

 

「ベルディアさんはただの知り合いですよ。友達なんかじゃありません」

 

 ウィズは真心の欠片も篭っていない営業スマイルでキッパリと断言した。

 同じ魔王軍の幹部のはずなのだが、二人はどんな関係だったのだろう。

 

「ベルディアさんはよくわざと首を落としたフリをして私のスカートの中を覗こうとしてくる方でしたね」

 

 生かさずに殺しておいたほうがよかったのかもしれない。

 あなたは腐った生ゴミを見る目でモンスターボールを睨んだ。

 騎士とはいったい何だったのか。

 

「あとは……」

 

 ウィズは目を瞑り、まるで何かを思い出すかのように黙りこくってしまった。

 そしておよそ一分の後、目を開けたウィズはこう切り出した。

 

「彼は私がリッチーになった原因の方です。私も人間だったときに沢山の魔族を殺してますから、恨みとかは無いんですけどね」

 

 あなたはウィズの発言に、驚愕のあまり目を剥いて唸った。

 ウィズがリッチーになった原因にではない。

 ウィズがあなたにそのことを話したことに驚いたのだ。

 

「もしかしたらベルディアさんが話しちゃうかもしれませんし、それだったら先に自分から言っておこうかなって。それにいつもいつもお世話になってるあなたに隠しておくのもどうなんだろうって思ったんです。それに……」

 

 指で髪先を弄りながらウィズは言葉を濁している。

 あなたは黙って話の続きを促した。

 

「それに、その……私もですね……あなたのことは、とっても大切な友達だと思っていますから……」

 

 ウィズの方から友だと言ってくれるのはとても嬉しい話だ。

 あなたとウィズは互いの顔を見合わせて笑いあった。

 

「あの、折角の機会ですしよろしければ私が魔王軍の幹部になった経緯やここでお店をやっている理由なんかもお話ししますがどうします?」

 

 あなたは黙って首を横に振った。

 聞きたくないわけではないが、わざわざ話してもらう必要は無い。

 

「そうですか。あなたが聞きたくなったらいつでもお話ししますから言ってくださいね。……まあそんなにもったいぶるほどに大したお話でもないんですけど」

 

 ウィズは小さく笑ったが、あなたにはとてもそうは思えなかった。

 前者はまだしも、後者には何があっても絶対に店を移さないほどの何かがあった筈なのだ。

 ウィズが話したいと言うのなら勿論聞くが、あなたは自分からそれを聞きだそうとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 自宅に帰ったあなたは早速ベルディアの尋問の準備を行うことにした。

 まず部屋の中で《シェルター》を使用する。

 本来であれば緊急避難用の道具なのだが、地面に簡易的な異空間を作り出すこれがあれば何をしても外に音は漏れないし被害も出ない。

 

 しかし異世界であるがゆえにあなたはもしかしたら機能しないかもしれないと危惧したのだが、シェルターは無事に異空間を形成してくれた。

 

 次にあなたはシェルターの中でモンスターボールの中のベルディアを解放する。

 殆ど死体同然の黒い肌の男が光と共に出現した。

 相変わらず意識は無いし体はぐちゃぐちゃだが生きている。

 

 ここであなたは不思議なことが起きていることに気付いた。

 

 本来であればモンスターボールは使い捨てだ。

 捕獲した中身を出せばそこで役目を終えて崩壊してしまう。

 だが中身のベルディアを解放してもモンスターボールが無くならないのだ。

 

 再度モンスターボールをベルディアに当てるとベルディアはそのままボールの中に納まった。

 再びベルディアを出してもモンスターボールは壊れない。

 

 首を傾げながらあなたはサンドバッグにベルディアの胴体を吊るす。

 サンドバッグとはノースティリスの冒険者を恐怖で震えあがらせるほどの狂気の拷問道具である。

 

 瀕死の者しか吊るせないものの、吊るされたものは完全に無力化されサンドバッグと共に不壊、不死の概念が付与される。

 決して抵抗できないし逃げられない。死ねない。狂うこともできない。サンドバッグは壊せない。

 これ以上の説明は不要だろう。

 

 かくしてベルディアはサンドバッグに吊るされた。助けも来ない以上完全に詰みの状況である。

 

 さて、この後あなたの世界の魔法で瀕死の重傷を治療されたベルディアだが、なんと目覚めた彼は最初にこう言った。

 

「…………何が聞きたい? 俺は知っていることなら話す。だが魔王様の弱点なんぞ知らんから拷問しても無駄だぞ」

 

 あまりの物分りの良さにあなたは驚きを隠せない。

 何か策でも練っているのだろうか。

 この完全に詰んだ状況で何を企んでも無駄と思うのだが。

 

「何も企んでなどいない。どういうわけか全く身体に力が入らん。こんな生殺与奪を完璧に握られた状況で無駄に意地を張ってもどうしようもあるまい」

 

 ベルディアは深い溜息を吐いた。

 

「というか俺が口を割るまで俺を嬲り続けるつもりだろう。そして嘘でも吐こうものなら死ぬより酷い目に遭わされる予感しかしない。貴様はそういう目をしている」

 

 話が早いのは助かる。

 相手が殺してくださいと懇願するまで痛めつけるのはあなたの趣味ではないのだ。

 だがやらないともやれないとも言っていない。

 

 あなたはまずベルディアが廃城で言っていた光について尋ねてみた。

 

「アクセルの街に大きな光が舞い降りたと魔王城の予言者が言い出したのだ。俺は魔王様に命じられてその調査に来た。駆け出し冒険者の街だと思って放置していたら最悪なのが来たがな」

 

 ベルディアが来た理由は分かった。

 では何故半年以上もアクセルの街を放置していたのだろう。

 魔王城からそこまで距離は無かったはずだが。

 

「……半年? まだ予言から一月も経っていないのに俺がこんな場所に来る理由なんぞあるわけないだろう」

 

 あなたはその話を聞いて眉を顰めた。

 ベルディアの言うそれは明らかに時期が違う。

 あなたがこの世界にやってきたのはもう半年以上も前のことだ。

 

 しかしベルディアの話すそれは、女神アクアがアクセルに来訪した時期と考えれば完璧に一致している。

 

 あなたは肩透かしを食らった気分になった。

 どうやらベルディアとあなたの勘違いだったようだ。

 

「なんだ、もういいのか?」

 

 あっさりと尋問が終わってしまったのであなたはベルディアに幾つかの選択肢を突きつけた。

 

 このまま一生魔法や技能のサンドバッグとして生きる。

 この場で滅ぼされる。

 人間に敵対することを止めてあなたの下僕になる。

 死ぬよりも恐ろしい目に遭う。

 

 あなたはベルディアにはこの中からどれかを選んでもらうことにした。

 そんなあなたの提案にやってられないと言わんばかりにベルディアは深い溜息を吐いた。

 

「正気か? 何故わざわざ俺を生かそうとする」

 

 強いて言うなら気まぐれだろうか。話をした感じ人類の敵であっても悪人ではないように思えた。

 デュラハンを見たのは初めてなので育成してみたいという気は無いでもない。

 

「……そうか、やっと分かった。お前絶対勇者じゃないだろ。それどころか神器所有者のような女神に連なるものでもない」

 

 気付くのが遅すぎるとあなたは笑った。

 あなたは勇者などではなく、一介の冒険者である。

 ベルディアの言う光や勇者などとは程遠い存在だ。

 

「お前のような一介の冒険者がいてたまるか……」

 

 ベルディアの生首は疲れきったように項垂れた。

 

「……もし。もし三つ目を選んだ場合、俺は強くなれるのか?」

 

 あなたの下僕となったベルディアがそれを望むのならば、あなたはそれを叶えるだろう。

 勿論あなたの下に付く以上、あなたが命じない限りは人間に手を出さないという条件は出させてもらうが。

 

「構わん。元より弱者に興味は無いし俺は既に一度……いや、二度死んだ身だ。俺を拾ってくれた魔王様への義理は既に十分に果たしてきたし、俺を殺した連中への恨みなどとうの昔に晴れている」

 

 復讐はそいつらの死を以って終えているからな、と言ってベルディアは続ける。

 

「俺が魔王軍に籍を置いていたのはウィズ……同僚のように人間に混じれる外見ではないのと強い奴と戦えたからだ」

 

 戦闘狂というやつだろうか。

 ノースティリスでもたまにいるのだ。

 確固たる目的も理由も無く、強いて言うなら己の為に強くなったあなたとは似て非なる思考の者達が。

 

「だから、もし俺を圧倒したお前が俺を強くしてくれるというのなら……俺はお前に降ろう」

 

 ベルディアはアンデッドとは思えないほどに澄んだ目をしていた。

 あなたはベルディアの身体をサンドバッグから解放する。

 

 解放された胴体は片手で生首を拾い、もう片方の手で握手を求めてきた。

 あなたはその黒い手を握り返して強くなれるかどうかはベルディア次第だと告げる。

 

「望むところだ。……俺はデュラハンのベルディア。これからよろしく頼むぞ、ご主人」

 

 あなたの死の宣告に、元魔王軍幹部のベルディアはどこまでも不敵に笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが、後にベルディアはこう述懐している。

 

「ご主人に感謝はしている。一応。一応な」

「ただ正直、俺はあそこで死んでおけば良かったんじゃないかともたまに……時々……結構頻繁に思う」

「生きるのって辛いね。アンデッドでもマジで辛い」



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第14話 14へ行け

「結局のところ、ご主人はいったい何者なのだ?」

 

 ベルディアを仲間にしたその日の夜。

 夕食の席でベルディアはあなたにそんなことを尋ねてきた。

 

「あの異常な剣といい俺を圧倒した戦闘能力といい、本当にこの世界の者とは思えん」

 

 ベルディアはナイフとフォークを使って食事を器用に口に運んでいく。

 首が取れていても食事は普通にできるようだ。

 あなたとしては採用できる育成の幅が狭まるのは好ましくないので非常に助かる話である。

 

「もし言いたくないのであれば二度と聞かん。今の質問は忘れてくれ」

 

 ベルディアが肩を竦めるが、正式なペットに隠す話では無い。

 何故ならあなたのペットになるということは、いずれ共にノースティリスに行くということだからだ。

 あなたは自分がノースティリスという異世界の冒険者であることをベルディアに打ち明けることにした。

 

「ノースティリス? ご主人はニホンジンではないのか?」

 

 ニホンジン。あなたが初めて耳にする響きである。

 この世界固有の異世界人の名称だろうか。

 

「いや、たまにいたのだ。ニホンジンと名乗る何処の者とも知れぬ連中が。魔王様は奴らを異世界から呼び出された住人と言っていたか。実際俺も何度か戦ったことがあるのだが、楽な相手は一人もいなかったな」

 

 それでも今もなお生きているのだから全てを打ち破ってきたのだろう。

 感心するあなたを尻目にベルディアは話を続ける。

 

「奴らは皆一様に神器や強力な能力を持っていた。てっきりご主人もその類かと思っていたのだが……ご主人の反応を見るに、どうやら違うようだな」

 

 この世界にはあなたの他にも異世界人がいるようだ。

 もしかしたらノースティリスの者に出会えるかもしれない。

 友人以外の冒険者だった場合は間違いなく逃走されるだろうが。

 

「それで、異世界人なご主人はその力を以ってこの世界で何を為すつもりだ? 世界でも征服するのか」

 

 ベルディアの懸念を笑って否定する。

 あなたは使命や野望など持っていない。

 今のあなたはこの世界を楽しむことだけを考えている、ただのエレメンタルナイトだ。

 

「……なんか、楽隠居した老人みたいだぞご主人」

 

 実感は無いが、似たようなものなのかもしれない。

 あなたの肉体年齢は二十代だが、生きてきた年月はこの世界の人間からしてみれば既に老人と呼ばれてもおかしくないだろう。

 

 ベルディアの言葉に一人納得すると同時に、あなたはふと思った。

 見た目こそ二十歳前後なウィズだが、アンデッドでリッチーの彼女は実際何歳なのだろうと。

 今度直接聞いてみてもいいかもしれない。

 

「平和、平和か……確かにご主人ほどの強さがあれば大抵の場所は平和になるだろうな」

 

 ベルディアは妙な勘違いをしていた。

 そういう意味ではないのだが、あえて指摘するまでも無いだろうとあなたは捨て置くことにした。

 ペットになったばかりの今のベルディアでは何を言っても理解はできないだろうと判断したのだ。

 

 放っておいても本人が育成を希望している以上、どうせベルディアは嫌でも思い知ることになる。

 命の価値が硬貨一枚並に軽い場所で戦う冒険者のペットとして生きるというのは、果たしてどういう意味を持つのかを。

 

 

 

 

 

 

 さて、元魔王軍幹部のベルディアをペットにしたあなただが、実のところ問題はかなり多い。

 本格的にやるなら育成環境を整える必要があるし、何より魔王軍の幹部、デュラハンのベルディアといえば音に聞こえた人類の大敵である。図鑑にも名前が載っていた。

 あなたの大切な友人のように名も知られていないなんちゃって幹部ではない、現役の高額賞金首だ。

 

 非戦闘員には手を出していないらしいが、人間を殺していないわけではない。

 ベルディアを憎む者など数え切れないほど多く存在するだろう。

 

『なんだご主人、早くも後悔しているのか?』

 

 あなたが街のベンチに座って空を眺めていると、頭の中に腰に付けたモンスターボールに入っているベルディアの挑発的な声が聞こえてくる。

 後悔など有り得ない。ナイスジョークと笑い飛ばしたいところだ。

 

『……ふん、どんな目に遭わされるか精々楽しみにさせてもらおう』

 

 さし当たってはベルディアを外で呼ぶあだ名を考える所から始めるのがいいだろう。

 対外的にベルディアのままというのはどう考えても論外だ。

 

『あだ名か。まあ当たり前だな』

 

 とりあえずポチでどうだろうか。

 

『ポチ!? 今ポチっつったか!? なんでそうなった!?』

 

 騎士=忠義に厚い=主人に従順=犬=ポチ。

 非の打ち所の無い完璧な論法である。

 

『もしその名前で呼んだら俺は首を括るからな』

 

 今のはベルディア渾身のデュラハンジョークだろうか。

 あなたとしてはかなり大爆笑である。

 

『ちげーし!! ふざけんなし!!』

 

 冗談はさておき、どうやらベルディアはあなたの決めた名前がお気に召さなかったようだ。

 割とぴったりだと思ったのだが。

 

『……ご主人の劣悪なネーミングセンスは置いといて、今の俺は命惜しさに、あるいは力を求めて魔王軍を抜けた裏切り者だ。どう見ても忠義に厚いとは言えんだろ』

 

 なるほど、前半はともかく後半については異論を挟む余地は無い。

 ではベルディアから二文字抜いてベアで。

 

『なんか昔そんな名前の騎士がいたな。剣の回避スキル、パリイの達人だったか……おいご主人、誰か来たぞ』

 

「……えっと、どうも」

 

 ベルディアの声に空を見上げるのを止めたあなたの目の前にはカズマ少年とめぐみんが立っていた。

 だが二人はあなたの知る格好ではない。

 カズマ少年はあの珍妙な服装ではなく普通の服を着ていたし、めぐみんは杖を新調したと見える。

 

「こないだはうちのバカがすみませんでした。あの後よく言って聞かせておきましたんで」

 

 ベルディアに気付いていないような素振りだが、実際少年を含めて誰もベルディアの存在には気付いていない。

 彼の声はあなたにしか聞こえていないのだ。まるで電波である。

 

 少年が言っているのは共同墓地でウィズを浄化しようとした一件だろう。

 女神アクアは自分の本分を果たそうとしただけだ。あなたは彼女に隔意は持っていない。

 結果的にウィズには何も無かったわけだし、当事者であるウィズが何も言わないのならばあなたから言うことは何も無い。

 あなたがそう言うと二人は安堵の息を吐いた。ウィズを命の危機に晒したことを気にしていたようだ。やはりこの世界の命の価値は重い。

 

『……なんだ、ご主人はウィズの知り合いだったのか。そういえば冒険者の街で店をやっていたな。しかし駆け出しがウィズに戦いを挑むなど自殺もいいところだ』

 

 彼らのパーティーにはリッチーやデュラハンの天敵である女神がいるわけだが、ベルディアはそれを知らない。

 ところでその女神アクアはどうしたのだろう。

 あなたの中では彼らは三人、最近は四人で行動しているイメージがあったのだが。

 

「アクアは借金を抱えたんでバイト中です。ダクネスは実家に帰って筋トレすると言ってました。そして私達はこれから丘の上の廃城に爆裂魔法を撃ち込みに行くところです」

『……はああああああああああ!!??』

 

 やはりあの爆裂魔法はめぐみんのものだったらしい。

 そして案の定とでもいうべきか、めぐみんの発言にベルディアが発狂した。

 当然めぐみん達にベルディアの声は聞こえていないのであなたにうるさいだけでしかない。

 

『お前か! お前がやったのか!! ほんとふざっけんなよ! 俺とご主人だったからよかったものの普通死んでるからな!?』

 

 めぐみんには聞こえていないのにベルディアは興奮のままに説教を始めた。

 ベルディアはデュラハンなのに妙なところで常識的というか人がいい。元騎士だからだろうか。ウィズのスカートの中を覗こうとした破廉恥騎士だが。

 

 それにしてもめぐみんの無謀さには流石のあなたも頭が下がる思いである。

 きっとめぐみんならノースティリスでも立派にやっていけることだろう。

 

「む、無謀とは何ですか無謀とは全く失礼な。魔王軍の幹部の影響で近隣の魔物は逃げ出しましたし、廃城にだって誰も住んでいないのだからいいではないですか」

 

 そういう意味ではないとあなたは苦笑する。

 めぐみんは街を騒がしている魔王軍の幹部がどこに住んでいるのか知らなかったのだろうか。

 

「勿論知っていますとも。あまり私を馬鹿にしないでください。魔王軍の幹部はアクセルの街の近くにある廃城に……廃、城に…………」

『そう! あそこには俺がいたんだ! お前が爆裂魔法をぶちこんだ廃城にな!』

 

 魔王軍の幹部が廃城に住みついているというのはアクセルの住人にとっては周知の事実である。

 更に言うならばアクセルの近隣に廃城など一つしか存在しない。

 自分達が何をしでかしたのか気付いためぐみんとカズマ少年の顔が一瞬で青くなった。

 

「おっ、おう……私じゃなくて人違いかもしれないですし! ですよねカズマ!?」

「あいつがやったのかもしれない! 誰かは知らないし、もしめぐみんがやったとしてもまだ一発だ! 一発だけなら誤射かもしれない!!」

「知らないです私じゃありません。でも誤射しないように今日からは別の場所で爆裂魔法を撃ちましょう!」

「済んだことだもんな! いや別にめぐみんがやったって決まったわけじゃないけど!」

『何が誤射だ馬鹿にしてんのか!?』

 

 二人は滝のような冷や汗を流しながら乾いた笑いを上げている。

 まあ件の魔王軍の幹部はここにいて、めぐみんの犯行をバッチリ知ってしまったわけだが。

 

『くそ、頭のおかしい爆裂娘め……今度一週間便秘になる呪いをかけてやるから覚悟しておけ……』

 

 駆け出し相手に本気になる大人気ない元魔王軍幹部を無視して、あなたは二人の爆裂魔法の試し撃ちに付いていっていいか尋ねてみた。

 ベルディアが廃城にいなくなった今、アクセル近隣の生態系がどうなったのか確かめておこうと思ったのだ。

 もしこのまま何も変わらないようならベルディアだけ遠い地で鍛錬を行わせる予定である。

 

「どうする? 俺はいいけど」

「いいんじゃないんですか? 宿敵に以前の私とは違うということを見せ付けるいいチャンスです」

「……なあ、お前もし魔王軍の幹部が出てきたらこの人を囮にして逃げようとか考えてないか?」

 

 少年の指摘にめぐみんがびくりと反応した。

 図星だったようだ。めぐみんは外見に似合わず強かである。

 

「わ、私はアクセルのエースであるエレメンタルナイトの力を信頼しているだけです」

「こないだいつか絶対我が爆裂魔法でぶっ飛ばすって言ってたよな」

『おいご主人! この小娘最低なこと言ってるぞ!?』

 

 実際爆裂魔法で吹き飛ばされかけたので彼女の目標は半ばほど達成されているのだが。

 それはそれとしてめぐみんには頑張ってもらいたいものだ。

 絶対にパーティーは組みたくない手合いだが、あなたには彼女の行く末には大変興味があった。

 

「おいめぐみん。この人自分を吹っ飛ばすって言ってる奴を笑顔で応援しだしたぞ……」

「だから言ったじゃないですか。この人頭おかしいんですよ」

『そればっかりは俺も異論は無い』

 

 あなたとしては遺憾の意を表明したいところである。

 そんなこんなであなたはめぐみんと少年とおまけのベルディアと共にアクセルの街を出立した。

 

 

 

 

 

 

 アクセルを出立して少し出歩いたところで、あなた達は周囲の異常に気付くことになった。

 

 

「……なあめぐみん、なんか昨日と違って普通に敵感知に反応があるんだけど」

「そうですね、モンスター以外の動物の気配や鳴き声もします。魔王軍の幹部が討伐されたという話は聞いてないですし、これはどういうことなのでしょうか」

 

 三人で首を傾げる。あなたの疑問の理由は二人とは違うが。

 ギルドではアクセルの周囲の生き物が逃げ出したのは魔王軍の幹部が原因と言われていた。

 だがベルディアはここにいる。にもかかわらずこうして動物達は戻ってきている。

 

『この一帯の生物が逃げたのは俺が原因ではない。ある意味俺のせいではあるのだが』

 

 ベルディアは唐突にそんなことを言い出した。

 

『俺の愛馬は地獄に住む高位魔獣なのだがな。あれは気性が荒い上に生物の魂を食う。ゆえに弱いモンスターや動物は危険を本能的に察知して逃げ出してしまうのだ』

 

 どこか誇らしげにベルディアが自慢する。

 先日ベルディアと相対したときは見なかったが、城の最上階で馬に乗って戦うアホがいるわけないだろうとはベルディアの言である。

 

『契約者の俺が呼べばすぐにでも来るが、ご主人が攻め込んできたときに地獄に戻してそのままだ。この地域の生物は一日経っても愛馬が戻ってこないから少しずつ自分の本来の縄張りに戻ってきているのだろう』

 

 なるほど、ベルディアがいてもアクセルの街の冒険者の生活は大丈夫なようだ。

 そしてベルディアの本体が馬なら一緒にペットにしてもいいかもしれない。

 あなたはむしろ地獄の高位魔獣に興味が湧いた。

 

『た、戦ったら俺の方が強いぞ!? 俺はデュラハンだからな!!』

「幹部は帰ったのか? まさか爆裂魔法にびびって逃げたってことは無いだろ」

「分かりません。でもこのことはギルドに報告した方がいいかもしれませんね」

 

 真面目な顔で魔王軍幹部の行方について話し合うめぐみん達とその横で必死に自分の優位性をあなたに説く元魔王軍幹部。

 両者の板ばさみになったあなたとしてはかなりカオスな状況だった。

 

 

 

 

 

 

 めぐみんが爆裂魔法を撃った後の帰り道もベルディアは俺は愛馬より弱くないとしつこく食い下がってきた。

 適当に流すあなたにヤケになったのか、ベルディアは帰ったら早速鍛錬を始めると言い出した。

 やる気があるのはいいことだとあなたはベルディアの言を了承。死ぬ時間である。

 

 

 さて、突然だがあなたのペット育成方法は友人達に爆笑される程度の評価だったりする。

 

 大地の神の信者曰く「効率厨乙」

 元素の神の信者曰く「これだから脳筋は」

 収穫の神の信者曰く「三食ハーブは常識だけど他はちょっと引きます」

 風の女神の信者曰く「ご褒美すぎて俺みたいなドM以外心が耐えられない」

 機械の神の信者曰く「最初に電脳化してブレインウォッシュとチキチキしないとかお前の常識を疑う」

 

 とまあこのように言いたい放題だ。かくいう友人達もあなたと同等のことをしているのでとんだブーメランであるとあなたは思っている。

 後一人、幸運の女神の信者がいるのだが電波に脳を汚染されているのであなたでは彼女がちょっと何を言っているか分からないのだ。

 ただ、もっとペットは大事にしてあげて、のような意味合いのことを言っていたのだと思う。

 

 彼女には悪いがあなたにとって育成とはこういうものなので諦めてもらう他無い。

 ただし、それでも本人がやるというのならあなたはペットが強くなれるように全力で力を貸すと決めている。

 そう、ベルディアが本気で強さを望むというのならば。

 

「ああ、よろしく頼む。俺は本気だぞ」

 

 気炎を上げるベルディアにあなたはダクネスと同じように選択肢を突きつけることにした。

 

①:サンドバッグ状態で敵にリンチにされ続け頑丈さを鍛える。

②:死ぬほど頑張って①の敵と戦う。

③:朝昼晩の三食の全てをハーブ(能力は上がるがゲロマズ)にする。

④:人体改造(手足や頭といった体のパーツが増える)

 

 一つでもいいし、勿論全部選んでもいい。

 あなたのおススメは二番目以外を全部同時にやる、である。

 

「……ハーブとやらの味はどれくらい酷いんだ?」

 

 ハーブはノースティリスの冒険者のあいだではギリギリ食べる気にならない雑草の味、あるいは腐った食い物よりはマシと大好評である。

 腹は膨れるし栄養価も高いのだが、あなたはウィズにこれを食させる気は無い。パンの耳の方がまだマシだ。

 あなたはハーブばかり食べていた時期があったので慣れているが今は可能な限り普通の食事を摂取している。それくらいに不味いのだ。貧しい食生活は恐ろしい速度で心を荒ませる。

 

「とりあえず二番目だけで」

 

 即答だった。

 ベルディアの防具は砕いてしまったのだが今のままでいいのだろうか。

 

「構わん。防具が無くても俺は十分に戦える。光と水は勘弁だがな」

 

 若干不安だが力量自体に問題は無いだろう。これからの敵に光や水を使う相手はいない。

 この世界で“あれ”を行うのは初めてだが、さてどうなるか。

 

 

 

 

「俺を閉じ込めるのに使っていた道具か。それで何をするんだ?」

 

 家の一室にシェルターを建設し始めたあなたをベルディアは不思議そうに眺めている。

 あなたはこの中でベルディアを鍛えると教え、アンデッドの召喚は今も可能なのか質問した。

 

「ああ、アンデッドナイトの召喚は今も可能だ。魔王様に与えられた力ではないからな」

 

 ならば毎回あなたが付き添いでシェルターに同行したり、サンドバッグを用意する必要は無いだろう。

 後始末の面倒が無くていいと安心しながらあなたがやや古ぼけた一本の剣を渡すとベルディアはその紅い両目を大きく見開いた。

 

「……いいのか? これはご主人の使ったあの頭のおかしい青い剣ほどではないが、これも十分に神器と呼ぶに値する剣だろうに」

 

 あなたは無論だと頷いた。

 むしろベルディアが強くなるためにはこの剣でなければいけない。

 

「分かった、感謝する。……だがこれで何をすればいいのだ?」

 

 シェルターの中でその剣で召喚したアンデッドに攻撃してもらう。

 軽く刺すだけでいいと告げるとベルディアは眉を顰めた。同族に剣を向けるのはあまり良い気分はしないらしい。

 

「……やれと言われれば従う。だがその理由は?」

 

 どうせすぐに分かるのであなたに話すつもりは無かった。

 この育成を始めるときに毎回行うちょっとしたサプライズだ。

 どうせベルディアはこの後何回もシェルターに逝くことになる。初回くらいは前情報無しで逝ってもらおう。

 

「今、何か違わなかったか? 何か判らんがおかしくなかったか?」

 

 ベルディアは訝しげだがきっと気のせいだろう。

 あなたは何も嘘は言っていない。

 

「……まあいい。俺を正々堂々の一騎打ちで破ったご主人を信じよう」

 

 シェルターに潜る直前、あなたは一つ大事なことを思い出した。

 あなたはベルディアに服を脱ぐように命じる。

 

「ち、血迷ったかご主人! 俺にそんな趣味は無い!!」

 

 ベルディアは何を言っているのだろう。

 面倒なので無理矢理ひっぺがす。

 

「いやああああああああああああ!!!」

 

 顕になった胸板に《聴診器》を当てる。

 ベルディアの生命力とパスが繋がったのを確認する。

 これであなたはどこかでベルディアが死んだときはあなたに分かるようになったのだ。

 

「……汚されてしまった。というかご主人、それは楽しいのか? 俺は全然楽しくも嬉しくもないぞ。こういうのはウィズにやるべきだろ、絶対嬉しいから。ウィズと知り合いなら俺の言ってる言葉の意味が分かるよな?」

 

 ベルディアが何か言っているが知ったことではない。

 大体にして、ウィズはあなたのペットではないので聴診器を使う理由は無いのだ。

 

「ペット……ウィズがペット。それいいなそれはすっごくいい響きだな素晴らしい世界だな夢が広がるなご主人アンタ最低だけど最高だな!!」

 

 ベルディアはウィズの話になると早口になる。今のベルディアの反応は後でウィズに教えておこう。

 突然興奮するベルディアを促してあなたはベルディアと共にシェルターに入っていく。

 

 これからのために、そしてベルディア自身が今よりも強くなるために。

 自分や数多の先人と同じく混乱と絶望の中でのた打ち回って無様に死ね。

 

 あなたはこれ以上に効率のいいやり方など知らなかったし、あなたが育成の指揮を執る以上他の手段を採用するつもりは微塵も無かった。

 無数に積み重なった己の屍こそが最も大きな糧となると知っているがゆえに。

 

 

 

 

 

 

「おいご主人! 本当にこれでいいのか!?」

 

 現在ベルディアは召喚したアンデッドナイトを剣先でちくちくと刺している最中である。

 物言わぬアンデッドナイトは微動だにしないものの、どこか責めるような視線をベルディアに送っている。

 

「ぬぅ……こんなことを続けることで何の意味が……」

 

 そうして動かないアンデッドを刺し続けて数分後。

 あなたももしかしたらこの世界では発生しないかもしれないと思い始めたとき、ようやくそれは来た。

 

「えっ」

 

 突如、ベルディアが持つ剣から魔力でも神力でもない、説明のできないおぞましい何かが迸ったのだ。

 異世界の者であるベルディアが知るはずも無い未知の力は波紋のようにシェルターの全てを蹂躙し、壁を崩し、無数の青く輝く光の柱を発生させ、シェルター内を炎上させていく。

 

 まるでムーンゲートのような光の柱からは猛烈な勢いで青白く発光する風――エーテルが吹き込んでおり、シェルター内はあっという間に高濃度のエーテルで満ちていく。

 

「なんだ、なんなのだ、これは……おいご主人! これがご主人の見せたかったものなのか!?」

 

 異界の現象にベルディアがあなたに助けを求めるように叫ぶがまだ終わっていないとあなたは首を横に振った。

 そして、一帯がエーテルで満ちた所で光の柱からそれは現れた。

 

「な、ドラゴンだと……!?」

 

 大小様々なドラゴンと玄武ほどではないが人間とは比較にならない大きさの人型。

 数えるのも億劫になるほどのそれがシェルター内に出現する。

 思えばこの世界ではドラゴンはかなり珍しいモンスターらしい。

 これほどの数に囲まれたベルディアはさぞ驚いているであろう。

 

――■■■■■■■■■■!!!!

 

 獲物を前にした獣達の咆哮がシェルター内に響き渡った。

 青白く発光するエーテルに満ちた空間に、異次元から召喚された竜と巨人の軍勢が絶え間なく押し寄せてくる。

 それはとても幻想的で、しかし同時に世界の終わりとしか言いようの無い、どうしようもなく絶望的な光景だ。

 

 これがノースティリスにおいて《終末》と呼ばれる現象である。

 

「うそだろなにこれきいてない! たばかったなごすずん!!!!」

 

 突然の世界の終わりに錯乱するベルディアはレッドドラゴンの吐いた紅蓮の炎(ドラゴンブレス)に包まれた。

 驚いたからといって油断しすぎではないだろうか。

 

「……ぬわーーっっ!!」

 

 ブレスが終わった後、ベルディアの存在の痕跡はどこにも無かった。

 パスを確認するまでもなく死んでしまったと分かる。あなたはベルディアのあまりの脆さに思わず首を傾げる。

 防具が無いとはいえ、能力的にはもっと粘れると思っていたあなたにとってこれはあまりにも予想外の結果だった。

 

 ドラゴン達が一斉に、首を傾げるあなたに襲い掛かってくる。

 どうやら今度はあなたを獲物と見定めたようだ。

 邪魔な獣を一度一掃すべくあなたは愛剣を抜く。

 ベルディアのときはおあずけを食らったせいだろうか。数ヶ月ぶりに獲物の血が吸えると愛剣が殺戮の歓喜に震えて啼いた。

 

 

 

 

 

 

 さて、あなたがベルディアに渡したのは終末の剣(ラグナロク)と呼ばれる神器(アーティファクト)の一つで、ベルディアに課したのは同業者内で《終末狩り》と呼ばれる行為である。

 全方位を囲むドラゴンと巨人の群れを正面から打倒する力量が必要になるそれは未熟者が手を出せば一瞬で死を招く。

 

 だがここが異世界だからなのか、先ほど試しに呼び出してみたドラゴン達はあなたの知るそれよりも遥かに強化されていた。

 強化ドラゴンの強さは最低で通常の二倍、最大で五倍に届くだろう。

 

 通常の終末狩りでは物足りないと思っていたのでこちらはいい意味で誤算だった。

 魔王軍で幹部を張っていたベルディアなら防具があれば大丈夫だろう。むしろ丁度いいくらいだ。

 

 ちなみにあなたも終末狩りを始めた瞬間に思い出したのだが、ノースティリスにおいて殺したドラゴン達は魔法書を初めとする道具をよく落とす。

 そのはずだったのだが敵は魔法書はおろか何の道具も剥製も落とさなかった。肉や残骸だけだ。

 世界の蘇生の法則はこのような所にまで影響を及ぼしているようだ。

 そうそう美味い話は無いということらしいが、終末を呼べるだけでもマシだろう。

 

 そして死んだはずのベルディアだが、なんと瀕死の状態でモンスターボールの中に戻っていた。

 どうやらこれが酒場の代替になっているらしい。

 

 あなたはドラゴンを駆逐した後ベルディアを復活させるために酒場に向かったのだが、そこで初めてこの世界ではペットが死んでも酒場に転送されるわけがないということに気付いて冷や汗をかく羽目になった。

 ペットになったベルディアを一度殺しておかなかったのはあなたのミスだ。

 今回は運よくモンスターボールが酒場の役割を果たしてくれているが、これは猛省せねばなるまいとあなたは自分を戒めた。

 復活の書は持っていないし、復活の魔法のストックは精々数回分しかないのだ。育成のために無駄撃ちはできない。

 

「ひ、酷い目にあった……」

 

 さて、回復したベルディアだが、案の定ゲッソリと血の気を無くして憔悴していた。初めての終末が余程衝撃的だったようだ。

 恨めしげにあなたを睨むベルディアに対し、あなたは無言でシェルターを指差す。

 

 ベルディア、行け。

 

「な、なあご主人、俺はつい先ほど消し炭になってきたばかりなのだが」

 

 そんなものはあなたも見ていたので知っている。だがあなたには関係ない。

 きつくてもやるといったし強くなりたいと言ったのはベルディアだ。

 そんなあなたの言葉が本気だと分かったのだろう。元魔王軍幹部のデュラハンは形振り構わない行動に出た。

 

「作戦ターイム!!」

 

 認める。

 

「ご主人、ハッキリ言おう。恥ずかしい話だが何度やっても今の俺にアレは無理だ」

 

 確かに初見とはいえ秒殺はあまりにも早すぎた。

 強化されているとはいえ、あなたは全力を尽くせば圧殺されるまで最低三十分はもつと踏んでいただけにこれは驚きの結果だ。

 ベルディアは強い。力量そのものに不足は無いはず。何か別の要因があったのだろうか。

 

「ご主人、知らないのか? アンデッドは水や光以外にも火が致命的な弱点なのだぞ……」

 

 敗因を聞けば納得の答えが返ってきた。

 なるほど、初手のレッドドラゴンが鬼門だったようだ。

 だがベルディアは先ほど水と光が無ければ問題無いと言ったのだが。

 

「……あ、あんなのが出てくるとか聞いてないし、魔王様の加護が無くなったのを忘れていたのだ」

 

 確かに言っていない。一度死んでもらうつもりだったので当然だ。

 そして今まであったものが突然無くなればそのことを忘れてしまうのも道理だろう。あなたの先ほどの酒場と同じように。

 幸いにも都合よく火炎に耐性のつく護符を持っていたので貸し与えることにした。ブレス一発で即死では育成どころではない。

 他に欲しい物があれば言ってほしい。あなたは可能な限り都合をつけるつもりだった。

 

「いいのか? ……なら無くなった代わりの兜や鎧といった装備一式が欲しいところだな。今まで使っていたものとは言わんからそれなりの質の物が。くろがねくだきも持ってたら返してくれ」

 

 ベルディアの装備を砕いたのはあなただ。主人として買い与えるのは当然構わない。

 

 防具一式は許可しよう。だが武器は駄目だ。あくまでもベルディアには終末の剣で戦い続けてもらう。

 あなたはベルディアには死ぬまで無限に湧き続けるドラゴンと戦い続けてもらう気でいるのだ。

 

 だが都合よく防具一式を所持しているということは無かったので残念ながら終末に耐えられるだけのベルディアの装備を見繕うまでは自主的に特訓してもらう形になるだろう。

 

「ご主人の言ってることが絶望的すぎて死にたくなってきた」

 

 またデュラハンジョークだろうか。

 かなりの大笑いである。

 

「いや、今度は本気だぞ」

 

 ベルディアは重く深い溜息を吐いた。

 どちらにせよ、ベルディアはどうせこの先何度でも死ぬことになるので安心して無数の己の屍の山を積み重ねてほしい。

 死の感触など十回くらい死ねばすぐに慣れる。

 発狂しても絶望して倒れてもベルディアが本気で諦めない限りは無理矢理立ち上がらせて続けさせる。

 あなたも他のペット達もそうやって幾度と無く死を迎えながら今まで生きてきたのだ。

 だから何度でも絶望して死ね。

 

「生きるって大変」

 

 ベルディアの目が猫の神のような速度で濁っていく。

 今までに幾度と無く見てきた光景なのであなたは何も気にしなかった。




《猫の神》
初期状態で比較すると常人の6倍以上の速度で動く。
速度以外の能力もべらぼうに高い。極まったプレイヤー以外には最強の種族。

《強化された終末》
改造版であるomake_overhaul、通称オバホの要素。
終末に限らず、オバホではレベルが2~5倍の敵が出現する事がある。


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第15話 ウィズは経験豊富

 カズマ少年とめぐみん、更に複数の冒険者からアクセルの周囲に魔物や動物が戻りつつあると知らされたアクセルのギルドは事態の究明のためにすぐさま廃城への調査を派遣する運びになった。

 

 あなたももしものときのための戦力としてギルドから指名を受けて廃城に足を運んだわけだが、勿論廃城に魔王軍の幹部がいるはずが無い。

 なぜならば件の魔王軍幹部、ベルディアは来る終末デスマーチに備えてあなたの家にあるシェルターの中で濁った瞳のままあなたと組み手などの自己鍛錬を行っているのだから。

 

 廃城は全ての階の床の一部が崩落していたものの、死体や血痕といった戦闘の痕跡は全く残っておらずに調査チームの首を傾げさせる結果に終わった。

 調査後も厳戒態勢は続いたが、一週間何も起きなかったことでそれも解除。

 冒険者達も通常通りに依頼を受注できるようになって生活に困ることは無くなった。

 

 後のことは王都からの本格的な調査班待ちということで完全に魔王軍の幹部騒ぎが終わったわけではないが、こうして一先ずアクセルの街は平穏を取り戻したのだ。

 

 

 

「俺は全然平穏じゃないけどな」

 

 いつも通り組み手であなたに半殺しにされたベルディアがぼやいた。

 

「というかご主人。俺はそろそろウィズの店に挨拶に行きたいぞ。同じ街に住む元同僚として挨拶は当然だろう?」

 

 どこかウキウキしながらベルディアがそんなことを要求してきた。

 確かにモンスターボールを使えばベルディアも外に出られる。

 だが今のベルディアはウィズから出禁を食らっている身だ。連れていくわけにはいかない。

 

「えっ、俺出禁なの!? 初耳なんだけどどうしてそうなった!?」

 

 ベルディアはウィズの体やペットにとても興味があるようだと告げ口したらそうなっただけだ。

 何でも身の危険を感じたらしい。当然の結果である。

 

「びっくりするほど致命的!! なんで本人に言っちゃうの!? ご主人には血も涙も無いのか!?」

 

 流石にベルディアの自業自得ではないだろうか。

 首をわざと転がしてスカートを覗く輩への対応としてはだいぶ優しいものだと思うのだが。

 

「…………バレてたのか」

 

 ベルディアは真っ白になっていた。

 ちなみにあなたは自分の目の前でそんな真似をしたら容赦なく愛剣で切り刻むつもりである。

 

「ご主人がウィズのことを好き過ぎる件について」

 

 確かにウィズは大事に思っているがそれ以上にペットの不始末は主人の不始末なのだ。

 ペットが街に放火しようものならそれはあなたの責任になってしまう。

 火炎瓶を投擲して街を火の海にするお嬢様にはあなたも大層手を焼かされたものだ。

 

「ご主人と会話してると頭がおかしくなってきそうだ……」

 

 頭を抱えるベルディアは今日もとても元気だ。

 はやくまともな育成を開始してやりたいが、王都まで行ってもあなたの要求を満たす装備は無かった。

 あるにはあったが一式を揃えようとすると今のあなたではとても手が届かない額である。

 ベルディアのような大物賞金首を複数狩る必要が出てくるだろう。

 

 

 

 さて、この世界で売っている装備品は基本的にノースティリスと比較すると一定の質が保証されている。

 ノースティリスの装備品には属性への耐性や能力が弱体化するといった負のエンチャントを持った装備が当たり前のように売っているが、こちらではそれが紅魔族産以外存在しない。

 駆け出し冒険者のための街の武具屋で売っている装備であっても使用に耐えられないほどのどうしようもないゴミが存在しないのだ。

 

 その代わりなのだろうか。この世界において質のいい装備は桁を幾つか間違えているのではないかと問い詰めたくなるほどに値段が高い。

 ダンジョンで発掘されるような強力な品になると余裕で億超えである。

 ノースティリスでは無限に生成されるネフィアから幾らでも装備が発掘されるので、質こそピンキリだがそこまで法外な値段にはならない。

 これは両世界における需要と供給の差なのだろう。

 

 そんなわけであなたは自分で使う装備品に金をかけておらず、今は王都で買った高品質(それなり)の装備で身を固めている。

 

 確かに悪くはないのだが、あくまでも高レベルの上級職なら最低でもこれくらいは使っていないとおかしいというレベルの装備でしかない。

 あなたからしてみれば装備スキルと同じく対外的なアピールのためだけに使っているようなものだ。

 それでも値段を見て思わず眉を顰めた程度には値段が高い。

 

 あなたはソロで活動している高給取りであるにもかかわらずその程度の装備しか使っていないのでアクセルの受付嬢であるルナなどにはよく装備品の更新を勧められる。

 しかしあなたは現状その必要性を感じていない。

 

 今のところ高品質(それなり)の装備で十分戦えてしまっているし、あなたが満足するような質の装備ともなれば必要なエリスは億を余裕で超えてしまう。あるいは女神エリスのパンツやくろがねくだきのような金では買えない代物になるだろう。

 幸いにしてあなたには愛剣を筆頭に長年愛用している装備品の数々がある。いざとなったらこちらを使うだけでいい。

 ゆえに強力な武具を大枚叩いて購入するくらいならばウィズの魔法店で面白い珍品、危険品を買い漁る方があなたにとっては何千倍も有意義なのだ。

 

 だが残念なことにあなたが今まで使っていた剣はベルディアとの戦いで折れてしまった。

 当然どこかで買い直さなければならないわけだが、この先も破損することを考えると市販品を何度も高値で買い直すというのはどうも二の足を踏んでしまう。

 かといって駆け出しが買うような安物ではあっという間に駄目になってしまうのは火を見るよりも明らかだ。

 

 ノースティリスと同じく愛剣を使うのが最適なのだが、愛剣は元魔王軍幹部であるベルディアが狂乱する程度には異常な代物だ。愛剣自身の危険性も極めて高い。軽々しく人前で使うべきではないだろう。

 ベルディアの持っていたくろがねくだきもベルディアの愛剣として有名な品物だったので選択肢には入らない。

 

 そして肝心のベルディア本人の装備も問題だ。

 強化された終末に使えるような装備一式を購入しようとしたらどれほどの金額が必要になることか。

 

 装備品を自作できれば手っ取り早いのだが生憎とあなたにそのような技術は無い。

 

 考えただけで頭を抱えたくなるが幸いにしてあなたにはこういった知識に関して非常に頼りになる友人がいる。

 そう、困ったときの神頼みならぬ困ったときのウィズ頼みである。

 

 

 

 

 

 

「そういうことであれば、やっぱり工房に直接素材を持ち込むのがいいと思います。だいぶ安くなりますよ」

 

 相談を受けてすぐに回答してくれたウィズになるほど、とあなたは目から鱗が落ちる思いだった。

 ノースティリスの冒険者であるあなたにはオーダーメイドという発想が全く無かったのだ。

 

 勿論ノースティリスにも鍛冶屋や普通の武具店は存在するが、ネフィア産の奇跡品質や神器品質の装備と比べるとどうしても見劣りしてしまう。

 なのであなたを含めたある程度の階級の冒険者にとって装備品とは基本的にネフィア産の商品を並べている武具屋(ブラックマーケット)やネフィアで直接調達するというのが常識である。

 

「素材としてはそうですね……アダマンタイト、ミスリル、聖銀あたりが候補になると思います」

 

 ウィズが候補に挙げたのはあなたにも馴染み深い素材ばかりだ。

 あなたは採掘力には自信があった。これらの鉱石が採れる鉱山を探すとしよう。

 

「私としましては特に竜の素材をお勧めしたいですね。竜は血から骨に至るまで全てが優秀な素材として活用できますし、お肉もすっごく美味しいんですよ。冒険者のときに一度食べたんですけどほっぺたが落っこちるかと思いました」

 

 何か余計な情報が混じった気がするが、あなたはあえて何も言わなかった。

 ただ次回の食材にドラゴンの肉を追加しておこうと心の中にメモしておく。

 

 それにしてもこの世界でも竜が優秀な素材として使われているなら話は早い。

 当然竜鱗装備はノースティリスでも使われている。

 この世界に存在しない竜の素材は使えないかもしれないが、レッドドラゴンに類する竜はいたので最悪それだけでもいい。

 

「あ、素材の当てはあるんですね。もしよろしければ私が冒険者だった頃にお世話になっていたドワーフの方の工房を紹介しますよ。ちょっと王都から離れた場所に住んでらっしゃるんですけど、どうされますか?」

 

 あなたはありがたくウィズに紹介状を書いてもらうことにした。

 結局何から何までウィズのお世話になってしまった。

 持つべきものは経験豊富な友人である。

 

「な、なんか経験豊富な女って頻繁に男遊びしてる感じがして凄く嫌です……」

 

 ウィズは変な受け取り方をしてしまったらしい。

 あなたは経験豊富な友人とは言ったが経験豊富な女とは一言も言っていないのだが。

 

「男遊びなんかしてませんよ……というか私は生まれてこのかた一度も彼氏どころか異性とデートすら……いったい私の何が悪かったんでしょうか……リッチーな今はともかく人間で冒険者やってた時も何故か皆私のこと怖がってましたし。仲間は優しいからウィズなら彼氏の一人や二人はすぐに見つかるって言ってくれたけど私はこのままお嫁さんにもなれずに一人でお婆ちゃんになっちゃうのかなって……パーティー組んでた仲間は皆いい雰囲気になってたり両思いになって結ばれたりしてたんですけど……今にして思えばなんか私って戦いばっかりの灰色の青春送ってましたね……え、もしかして灰色なのは今も同じ? あ、なんかちょっと泣きそう……リッチーがウェディングドレスとかありえないですよね実際……」

 

 ウィズは表情に暗い影を落としてブツブツと何かを呟いているが男遊び云々以降は殆ど聞こえなかった。

 それにしてもあなたはウィズの地雷を踏んでしまったらしい。今の彼女は明らかに何か悪いスイッチが入ってしまっている。

 大変よろしくない傾向だ。このままではウィズが衝動的に首を吊りかねない。

 

 あなたはウィズが男遊びをしているとは思っていないと慰めることにした。

 最近まで極貧で食生活も酷い有様だったウィズにそんな金があるわけがない。

 そもそもウィズに男がいるならウィズの生活はもっと楽になっていただろう。

 恋人、あるいは友人があんな目を覆いたくなる大惨事になっていたのに平気で放っておけるような男は絶対に人間ではない。それは悪魔だ。

 

「そ、そういう慰め方ってちょっとどうかと思います。確かに今まではちょっと酷い生活をしていましたが、今はあなたのおかげでちゃんと三食美味しいご飯を食べることができてますから大丈夫ですよ」

 

 あの限界状態をちょっと酷いと言えるウィズは流石リッチーだと思わざるを得ない。

 あなたはウィズと同じ状況に陥ったとき、三日も耐えられずに街の外に狩りをしに行く自信があった。

 

「慣れって怖いですよね。私だって最初の頃は普通のご飯を食べてたんです。でもお金が無くなって食費を切り詰めるたびに私は無茶しても簡単には死なないから大丈夫だって少しずつ自分の中でハードルが下がっていったんです。そしたらいつの間にかあんな食生活に……あなたのご飯を食べなかったらどうなってたんでしょうか」

 

 ウィズは遠い目をしながらそんなことを言った。

 綿の砂糖水以下の食事があるとは考えたくないものである。

 

「次は霞ですかね……」

 

 霞を食んで生きるようになったらいよいよ行き着くところまで行った感がある。

 存在するかは定かではないが、リッチーの上位種に届きそうな勢いだ。

 名前はエルダーリッチーとかマスターリッチーが妥当だろう。

 

「こうしてあらためて考えたら私、あなたにお世話になりっぱなしですよね。お店とか宝島とかご飯のこととかアクア様のこととか」

 

 店は面白い品を扱っているから通っているし購入している。

 宝島はウィズが最適の人選だったから選んだだけだ。

 食事を助けるのはお気に入りの店への投資の代替行為。

 そして危機に陥った友人を命がけで助けるのはあなたの中では常識中の常識である。

 

 どれもこれもあなたにとっては普通のことでしかない。なのでウィズが気にすることは何も無いと思うのだが。

 そんなあなたの主張にウィズは苦笑した。

 

「それはあなたが異世界の人だからですよ。今回みたいにあなたの方から私を頼ってくれるのは凄く嬉しいんですけど、私はこれくらいじゃ今までのお礼には全然足りてないなあって思っちゃうんです」

 

 それを言われてしまうと弱いところだ。

 彼我の常識には大きな隔たりがあるというのはあなたも多分に自覚している所である。

 

「あなたは私に何かしてほしいことはありませんか? 私にできることなら何でもしますから遠慮なく言ってくださいね。お世話になってばっかりじゃ友達として心苦しいですから」

 

 私、頑張っちゃいますよとウィズは可愛らしく気合を入れた。

 あなたとしてもウィズの申し出はありがたいのだが、いきなりしてほしいことと言われてもすぐには中々出てこないものである。

 以前であれば家事を頼むところだったのだが今はベルディアがいる。

 彼はあれで意外と器用で几帳面なので留守中の家事を任せるのに不足は無い。

 

 これが付き合いの長いノースティリスの友人だったら何でもするという言質を盾に全力でアホな願いやスケベな願いをネタで迫れるのだが、ウィズを相手にそんな真似をするのは非常に躊躇われる。

 

 こういう場面で言っていい冗談と悪い冗談があることくらいはあなたも分かっているし、ウィズは純粋にあなたの助けになりたいと思ってくれているのだ。

 ニコニコとあなたを疑いもせずに微笑む彼女の信頼を裏切りたくはない。

 この尊い笑顔をよりにもよってアホなセクハラで曇らせた日にはあなたは餅を貪ってその場で命を絶つだろう。

 考えただけで軽く死にたくなってくる。

 

 それに万が一にでも承諾されてしまったら気まずいなどという話では済まない。

 というかウィズは本気でやりかねない。暴走したウィズの行動力はあなたも身に染みている。

 

 ここはノースティリスへの手がかりが得られそうなものにすべきだろう。

 女神二柱に直接聞いても空振りだったのであまり期待はできないかもしれないが。

 

「異世界に詳しい人を紹介してほしい、ですか……。私の友達にそういったことに詳しそうな物知りな方がいます。でもその、彼はちょっと変わっていると言いますか。言ってしまうと悪魔で魔王軍の幹部なんです」

 

 あなたは変人には耐性がある。

 相手が悪魔だろうがアンデッドだろうがドンとこいである。

 

「あ、勿論人間に危害を加えるような方では無いですよ? 魔王軍の幹部も辞めたがってるくらいですし」

 

 ウィズの友人であるのだからそこに不安は無い。

 むしろあなたは自分の方が直接的な危険度は高いだろうという確信があったがあえて口には出さなかった。

 

「……ふふっ、ありがとうございます。じゃあ私の方からお手紙を送っておきますね」

 

 そう言ってウィズはどこか嬉しそうに笑った。

 友人に会えるのが嬉しいのだろう。あなたにもウィズの気持ちはよく分かる。

 

 それにしても女神二柱に魔王軍幹部が三人。

 これからアクセルの街はどうなってしまうのだろうか。

 両者の決戦が始まったらとりあえずウィズに付こうとあなたは心の中で決意するのだった。

 

 

 

 

「ところで今日は何か買っていかれますか? 凄いものを入荷してるんですけど」

 

 世間話が終わって商売時と見たのか、自信ありげにウィズが取り出したのは一本の杖。

 一見すると普通の魔法の杖のように思える。

 

「なんとこれ、とても有名な紅魔族のアークウィザードの方が爆発魔法を封じ込めた杖なんです。一回っきりの使い捨てですけど、戦士の方でも凄い威力の爆発魔法が使えちゃうんですよ」

 

 説明だけ聞けば優秀な魔法道具なように思える。

 だがウィズが仕入れた品なのだ。どうせ致命的な問題や欠陥を抱えているのだろう。

 当然あなたはいつものように即金で購入した。

 

「はい、毎度ありがとうございます!」

 

 あなたはニコニコ顔のウィズに爆裂魔法の品は置いていないのか尋ねた。

 あるだけ買うので無ければ仕入れてほしいとも。

 

「流石に爆裂魔法は置いてないですね。あれは危険すぎますし使える魔法使いも少ないですから。……爆裂魔法、お好きだったんですか?」

 

 いつになく強い反応を示したあなたが気になったらしい。

 だが違う。あなたは爆裂魔法が好きなのではなく使えるようになりたかったのだ。

 どこかに爆裂魔法の魔法書でも存在しないだろうか。

 

「……じ、実は私は使えるんですよ、爆裂魔法!」

 

 あなたが無念極まりないといった声色で自身の持つ爆裂魔法の所感を説明すると、何故かウィズが唐突に大声で自慢を始めた。

 両手を腰に当て大きく胸を張り、お手本のような綺麗なドヤ顔である。

 

「実は私は使えるんですよ、爆裂魔法!!」

 

 何故か二度言った。

 

 ウィズが爆裂魔法が使えるのはとても羨ましいが驚きはない。

 彼女ほど高位のアークウィザードなら当然習得していて然るべきで、習得するまでにも相応の努力も苦労も重ねてきたはずだ。

 あなたは素直にウィズを労って称賛を送った。

 

「あ、ありがとうございます。……いえ、そうじゃなくて。ですからね、その……」

 

 どこか躊躇するようにウィズはもじもじとし始めた。

 

「もし依頼や冒険で爆裂魔法が必要になったら、私がお手伝いしますよ、なーんて……」

 

 ウィズは何かを期待するようにちらちらと上目遣いで提案してきたが、あなたにはウィズが何故こんなことを言い出したのかまるで分からなかった。

 先ほど自分を頼ってくれて良いといったのは他ならないウィズ本人だ。

 あなたはウィズに言われるまでも無く、本当に爆裂魔法が必要になったときはウィズに協力を要請するつもりだ。

 勿論反対にウィズが困ったときはいつでも自分を頼ってくれて構わないと思っているし実際に助けるつもりでいる。

 

「あ……はい!」

 

 大輪の花が咲く、とでも言えばいいのだろうか。

 ウィズの眩しい笑顔はそんな感想をあなたに抱かせるのだった。

 

 

 

 

 ちなみに肝心の杖の詳細だが杖を中心に爆発魔法が発動するので使用者は絶対に巻き込まれるらしい。

 ウィズが自信を持って凄いと薦めてきただけあってかなりの産廃性能である。

 

 ウィズは人前で使うときは気を付けてくださいと言っていたが何をどう気を付けろというのか。

 人はこういうものを攻撃用魔道具ではなく自爆用魔道具と呼ぶ。

 爆裂魔法ではないとはいえ、生半可な使用者では確実に死ぬだろう。

 これでは店が繁盛しないのも当然である。

 

 当然あなたは在庫を含めて全て買い占めた。

 ベルディアなら使っても死なないだろう。もしものための最終手段として持たせても面白そうだ。

 

 あなたはついでにもし爆裂魔法の魔法道具があったら買い占めるので可能な限り仕入れてほしいと念入りにウィズに頼んだのだが、やはり店で暴発すると危険すぎる魔法ゆえなのか、爆裂魔法が封じられた魔法道具はこの後一度もウィズの店に入荷されることは無かった。

 




《餅》
elonaにおける最凶の食べ物。
食べると時々窒息する。ペットが助けてくれなかったらそのまま死ぬ。
最強の力を持っていても窒息に抗う術は無い。
13盾と呼ばれる無敵状態だと死にたくても死ねないので考えるのを止めたカーズ状態になれる。


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第16話 空を飛ぶ不思議な生首

「……ご主人、俺に人体改造を施してほしい」

 

 ある日、ベルディアが突然そんなことを言い出した。

 とてつもなく嫌そうな声で。

 

「具体的には俺の体と首をくっ付けてほしい。色々と考えたんだが、やはり首を持つために片手が塞がっているというのはきつい。常に剣を両手持ちできないから攻撃力は下がるし盾も持てん」

 

 オマケにご主人は組み手中に隙あらば首を窃盗してくるからちょっとやってらんないとは疲れきったベルディアの言である。

 

 ベルディアの首が無いことによる不便さはあなたも常々思っていたことだ。

 片手が使えないというのはデメリットばかりが先行しているように見える。

 魔力などで浮かせることができればよかったのだがあなたもベルディアもそんなスキルは持っていない。

 最初から頭など無ければ良かったのだが。

 

「それは時々俺も思う」

 

 現状のベルディアは露骨に弱点を曝け出しているわけで、それはもう集中的に攻撃されるだろう。

 勿論人間が相手ならそれを逆手に取ることも可能だが。

 

「今までは不便だ不便だと思いながらも鳥瞰視点とか編み出して頑張って対処してたんだが、終末に出てくるドラゴンみたいなのが相手だと首を上に投げて鳥瞰視点とかいい的でしかなくてどうしようもない気がする」

 

 上空に放り投げると同時にブレスでこんがり焼かれた挙句食いつかれてバリボリと噛み砕かれるベルディアの生首。

 あるいは巨人に殴られて一瞬で血霞になるベルディアの生首。

 あなたはそんな光景がありありと想像できた。

 

「恐ろしいことを言うな! 本当にありそうで怖い!!」

 

 だがベルディアは本当にそれでいいのだろうか。

 首がくっついた首無し騎士(デュラハン)というのは最早アイデンティティー崩壊の危機である。

 首を付けた瞬間にベルディアのデュラハンとしての個性は完全に死んでしまうだろう。

 新しく腕か頭を生やした方がデュラハン的に美味しいのではないだろうか。

 

「個性が死ぬとかキャラ的に美味しいとかいいから。今そういうのいらないから」

 

 本人がそれでいいのならば人体改造を行うのは構わないのだが、あなたはその前に一つだけ試してみたいことがあった。

 デュラハンであるベルディアは頭と体が完全に独立している。

 これを遺伝子複合機に別々に突っ込むとどうなってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 そんなわけであなたとベルディアはシェルター内で人体実験を行うことにした。

 当然被検体のベルディアは嫌がったのだが、あなたの結果予測と普通に人体改造を行う場合は別の生き物の首が生えることになると聞かされると渋々ながら人体実験を受けると決めた。

 

 シェルターの内装は《ハウスボード》という道具で草原に変えてある。

 これは自宅の物件の内装を好きなように弄れるというアイテムで、ある意味冒険者の必携品の一つだ。

 現在アクセルの街はあなたの自宅として認識されているので、やろうと思えばアクセルを好きなだけ改築できるのだろうが流石にそれは駄目だろう。色んな意味で目立ちすぎるし騒ぎになる。

 

 あなたが四次元ポケットから巨大な《遺伝子複合機》を取り出すと、ベルディアは苦虫を十匹ほど纏めて噛み潰したような顔をした。

 

「なんか……滅茶苦茶やばそうだな。一目見ただけで分かったぞ」

 

 流石に歴戦の戦士だけあって勘がいい。

 《遺伝子複合機》に使われた者は素材だけを残して消滅する。

 

「死ぬということか?」

 

 遺伝子合成での消滅とは死ではない。

 この世界の人間が二度死んだら蘇生ができないのと同じように、本当の意味で終わってしまう。

 消えた者がどうなるのか、それは誰にも分からない。

 今のところあなたはネフィアなどで支配した敵しか素材に使ったことが無いが、人間の奴隷を素材にする冒険者もそれなり以上に存在する。

 

「そんな恐ろしいものに俺を突っ込むのか!?」

 

 勿論駄目そうなら何もしない。

 他の生物のパーツが嫌なら首を縫い付けるか溶接するなどして物理的に固定してしまえばいい。

 

「うわあ……」

 

 ドン引きするベルディアの胴体(Aパーツ)をベースに。

 素材にベルディアの(Bパーツ)を配置する。

 

 移せるパーツは素材一体につき一つと決まっているのでベースを頭にすると確実に酷い結果に終わる。

 だが最初から部位が一箇所しか存在しない素材を移植したとき、何が起きるのか。

 

――合成結果:デュラハンの《ベルディア》

――合成部位:頭

――付与スキル:《合体》《分離》

 

 果たして、このような結果予測が出た。

 一見しただけでは合成結果におかしな所は無いように思える。

 だがこの二つのスキルはいったい何なのだろうか。少なくともノースティリスに存在するものではない。

 

「合体スキルと分離スキルって何それ怖い」

 

 だが大きな可能性を感じるスキルではある。

 生首が着脱可能になれば戦術に大きく幅が出るだろう。ベルディアの個性も死なない。

 

「個性はともかく、確かにな。危険を押しても試してみる価値はあるか……」

 

 嫌なら止めても良いが、首をくっ付けたいなら他の選択肢は他の生き物の首を生やすか縫合か溶接である。

 魔改造されたペット達が跋扈するノースティリスならともかく、この世界では悪目立ちすることはどう足掻いても避けられないだろう。

 

「基本的にご主人が迫ってくる選択肢ってどれも畜生すぎて吐き気がしそう」

 

 十分ほど悩んだ末、ベルディアは遺伝子合成を行うことを決意した。

 

 

 

 

 

 

 予想通り、あるいは誰かの期待に反して合成は普通に終わってしまった。

 素材の生首は消失して胴体と同じ場所に出現したのだ。

 しかし相変わらずベルディアの頭は取れたままである。

 

「俺には何かが変わったようには感じないな。ご主人はどう思う?」

 

 あなたから見てもベルディアの外見には何の変化も無い。

 一度頭を乗せてスキルを試してみればいいのではないだろうか。

 

「ん、そうだな……では……俺、合体!」

 

 頭部を固定したベルディアが力強く叫ぶが、特に光ったり音が鳴ったりはしなかった。

 そのままベルディアは頭から手を離すが、ベルディアの頭は胴体から離れないしぐらついたりもしない。

 ベルディアが恐る恐る頭を突くが、やはり動かない。

 

「…………」

 

 ベルディアが歩き出す。頭は落ちない。

 ベルディアが全力で疾走を始める。それでもやはり頭はそのままだった。

 

「お、おおおおおおおおお! やった、繋がった! 俺の首が繋がったぞご主人! あはははははははは!!!」

 

 歓喜の雄叫びをあげながら草原を駆け回って頭をぐりんぐりんと振り回すベルディアはあなたの目には雪の中を走り回る犬のように見える。

 あるいはイスの狂気に侵された何か。

 ひとしきり溢れるテンションのおもむくままに草原を転がり回ったベルディアはあなたの生暖かい視線に気付いたのか、気まずそうに戻ってきた。

 

「す、すまん……あまりにも嬉しくてつい……」

 

 恥ずかしそうにそっぽを向くベルディアにあなたは少し微笑ましい気分になった。

 だがベルディアは長いあいだ頭が取れっぱなしだったのだ。あのように喜ぶのも無理は無い。

 合体は上手くいったようだしこの勢いで次は分離を試してみてはどうだろうか。

 

「そうだな。あまり使う必要があるとは思えないが……俺、分離!!!!」

 

 声高に叫んだ瞬間、ベルディアの生首はしゅぽーんという軽快な効果音が聞こえてきそうなほどに見事な速度で胴体から射出された。予想外の光景にあなたの目が点になり、生首は勢いを落とすこと無く上昇していく。

 

「ぬああああああああーー!?!?」

 

 なるほど、実に一発芸としておいしいスキルだ。

 パーティー会場で使えばどっかんどっかん場を沸かせられること請け合いである。

 

「なにこれきいてないきいてない!!」

 

 シェルターはかなり上にも広いのだがそれでも生首はぐんぐんと上に昇っていく。

 あの勢いでは天井にぶつかるのではないだろうか。

 あなたは飛行するベルディアを見て不意にそんなことを思った。

 回収しようにもモンスターボールはシェルターの外に置いてきている。今からでは間に合わない。

 

「ごっ、ごすずん! おれをたすけろごすずん!!」

 

 ペットが助けを求めているしこのままだと天井に赤い花が咲きそうなので、あなたはハウスボードを使って天井のベルディアがぶつかる地点を深い水たまりにすることにした。

 超高速で水に叩きつけられると大変なことになるらしいが、そこまでの勢いではないので多分大丈夫だろう。

 

「ぎゃがぼぼぼぼぼ……」

 

 かくしてベルディアの生首は重力に逆らったままの水源に勢いよく突っ込み、そして数秒後に落下。

 胴体が落下地点で暴れて邪魔なので投げ飛ばしておく。

 

「――――ぃゃああああああああああああああ!!!?」

 

 口から水を吐きながらまるで生娘のような悲鳴をあげて落ちてくるベルディアの生首を地面に叩きつけられる直前に回収。

 突然の死を迎えそうになったベルディアは魂が抜けたような顔をしていた。

 水浸しになっていることも相まって晒し首のような有様だ。

 

「ごほっ、がふっ……し、死んだかと思った……」

 

 だいぶ水は飲んでいるようだが、あなたが見たところ特に怪我は無いようだ。

 育成中ならともかくペットに不慮の事故で死なれるというのはあまり見たいものでは無い。

 井戸に浮かぶ仲間の死体は軽くトラウマものである。

 

 こうして危うく突然の大惨事を引き起こしかけた合体および分離スキルだが、この後の検証で分離時に力強く叫べば叫ぶほど勢いよく首が飛んでいくことが判明した。

 合体時の力強さも飛距離に影響するようだ。

 一応強く念じるだけで合体、分離することも可能でその場合は特に飛んだり跳ねたりしないらしい。

 

「首が繋がったのは本気で嬉しいが分離スキルが変態仕様すぎる。絶対頭おかしいだろ。……ああ、頭がおかしいってそういう」

 

 喜ばしいことに生首を分離させる権利は何故かベルディアの主人であるあなたにもあった。

 あなたが叫べばベルディアの首は飛ぶのだ。比喩ではなく物理的に。

 

「やるなよご主人。絶対にやるなよ?」

 

 会話中に突然首が飛翔するというのはかなり面白いと思うのだがどうだろうか。

 ギルドの酒場でやれば確実に周囲は爆笑の渦に包まれるはずだ。

 

「阿鼻叫喚の地獄絵図から俺とご主人が出禁になる未来しか見えない」

 

 ……と、このような結末を経てベルディアはデュラハンとしての個性を辛うじて保ったまま人体改造に成功した。

 望むならばあなたとしては他の部位も増やしてもよかったのだが、

 

「怖いからもう二度とやらん」

 

 とベルディアが断固として拒否するのでベルディアの人体改造はこれっきりで終わってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 あなたはモンスターボールに入れたベルディア(合体済み)を連れてアクセルの武具屋に足を運ぶ。

 ベルディアの装備を作成する際のサイズや好みの防具を調べるためである。

 

「おや、いらっしゃい。アクセルのエースさんがウチみたいな駆け出し御用達の店にどうしたよ」

 

 髭を生やした壮年の男性である武具屋の店主は来店したあなたを一瞥すると苦笑を浮かべた。

 冷やかしと思われてしまったのかもしれない。

 あなたは店主に大人の男一人分の兜、具足、篭手、鎧、盾といった防具一式を揃えたいと相談を持ちかけ、ベルディアの体のサイズや利き腕といった特徴を記載した紙を渡す。

 

「……素材や性能は不問。サイズ以外は問わないと。アンタが使うわけじゃないのか……まあそうだろうな。駆け出しの知り合いにプレゼントでもするのか? 随分とガタイがいい奴なんだな」

 

 あなたは納得がいったと言わんばかりの顔の店主に防具売り場に案内された。

 売り場には皮や鉄の鎧、魔法使い用のローブといった、いかにもな防具の数々が並んでいる。

 

『意外にも品揃えは悪くないようだが、駆け出し冒険者の街の武具屋だけあって品質はそれなりどまりのようだな』

 

 王都で売っているような品を置いても買い手がつかないだろう。ウィズの店のようになるのが関の山だ。

 

 様々な防具の中からあなたは数十分ほどかけて店主と脳内電波なベルディアと話し合いながら装備を見繕い、条件に合致したものから更にサイズを調整していった。

 そうして一通りの武具を買い揃え、店を出ようとしたところで新たな来客があった。

 

「すんません、ここって武器の下取りやってます?」

 

 カズマ少年である。今日は一人らしい。

 冒険者である彼がこの店の世話になるのに疑問は無いが、少年は豪華な装飾の大剣を持っている。

 つい先日まではあんなものを持っていなかったはずだがどこで手に入れたのだろう。

 

『おいご主人。恐らくあれは神器だ』

 

 ベルディアの言にあなたは反射的にレジの上に置かれた大剣に鑑定の魔法を使用する。

 

――★《グラム》

 

 なんとベルディアの言ったとおり、剣は本当に神器(アーティファクト)だった。

 性能はお世辞にもいいとは言えないようだが、本当に少年はこれをどこで手に入れたのだろう。

 

「……性能はともかく、一応魔剣みたいだし三百万エリスでいいなら買い取るぞ」

「マジで!? この店で一番高い剣より高いのか!?」

 

 水の女神アクアから下賜されたこの神器は担い手に人間の限界を超えた膂力を与えるが、ミツルギキョウヤなる人物以外には本来の力を引き出せないようだ。

 あなたの愛剣はあなた以外の者が持つと一瞬で発狂してあなたと持った相手を問答無用でミンチにするので担い手を選ぶにしては実にまともな武器である。

 わざと相手に持たせれば即死攻撃になるのだろうが、その場合相手が持つ前にあなたが死ぬことになる。それも二桁は余裕で。

 

「ウチは駆け出し冒険者の街の武具屋だしなあ。王都辺りの好事家ならもっと高値で買ってくれるんじゃねえか?」

「そんなコネは無いし王都なんかに行く予定も無いし何よりさっさと手放したいんだよ。三百万でも十分すぎるから買ってくれ」

「あいよ、毎度あり」

 

 少年は挨拶もそこそこに出て行ってしまった。

 神器を受け取ったミツルギキョウヤ本人が売り払うのは論外だとして、カズマ少年もまた女神アクアの同行者だ。彼女が下賜した神器を売り払うというのは大丈夫なのだろうか。

 だが手放したというのなら最早構うまい。あなたはグラムを買うことにした。

 

「……これを買うのか? 念のために言っとくけど希少価値の割にウチで一番いい剣の方が性能はいいぞ?」

 

 貴重な武器だから買うだけで、グラムの性能はどうでもいいのだ。

 そもそもあなたはグラムを武器として使うつもりは微塵も無い。

 

「いや、そりゃ買うっつーんなら売るけどよ。後で詐欺られたとか文句言わないでくれよな。価格は九百万エリスだ」

 

 神器という希少性を考えると破格ですらある。

 当然あなたはその場で支払いを終えた。

 

「分割払いも値引き交渉も無しで即決か。アクセルのエースはお大尽様だねえ」

 

 店主は呆れたように鼻を鳴らすが、すぐに神妙な顔つきになってあなたに忠告してきた。

 

「……仮にも売った武器屋の俺が言っていい話じゃねえけどよ。こんな値段に見合ってない武器に大金使うくらいならウィズさんのとこに金落としてやれよ。アンタウィズさんと懇意にしてるって聞いてるぜ?」

 

 店主はウィズのことを心配してくれているようだ。

 絶対に商売をやってはいけないレベルで商才の無いウィズの貧乏っぷりと彼女の人の良さはアクセルの街の住人のあいだでも有名である。

 だが店主に言われるまでも無く、あなたの稼ぎはその大半がウィズの店の商品代に消えている。

 それも王都などでの需要が見込める高価な魔法薬ではなく、誰も買い手が付きそうに無い珍品や危険物の方に。

 

「お、おう。そっちを買ってんのか……すげえなアンタ……」

『ウィズのために我慢して買ってるんじゃなくて本気で欲しいから買ってるところがご主人の変態っぷりを表してると俺は思う』

 

 最近はあなたが定期的に大量の食料を供給しているのでウィズの生活は以前とは比較にならないほど良くなった。

 恐らくあなたが支援を止めた瞬間にウィズの食生活は再び転げ落ちていくだろうが、今のところは極めて順調だ。

 そろそろアクセル一の貧乏店主という不名誉極まりないあだ名は返上してもいいのではないだろうか。

 

 そんなあなたの言葉に店主は一人で何かを考え始めたが、すぐに勝手に納得してしまった。

 買う物は買った。そろそろ自宅に戻ることにしよう。

 

「まいどあり。くれぐれもウィズさんを悲しませたりウィズさんから逃げるような真似はするなよ」

『う゛っ……!?』

 

 言われるまでも無いとあなたは店主の言葉に力強く頷く。

 からかったりじゃれあう程度ならともかく、あなたはこの世界で唯一の友人であるウィズを悲しませるような真似をするつもりはないのだ。

 ちなみにウィズがリッチーになった原因であるというベルディアは過去を思い出していたのか死にそうになっていた。

 

 

 

 

 

 

 そしてその十日後。

 自宅でくつろぐあなたのもとに来客があった。

 

「や、やっと会えた……貴方がアクセルのエースと呼ばれているエレメンタルナイトだろう……?」

 

 あなたを訪ねてきたのは青い鎧を纏った茶髪の青年と槍を持った少女と盗賊と思わしき少女の三人組だ。

 青年は一目見て高価だと分かる鎧を装備している割に剣はアクセルで売っている程度の物を持っている。

 そして三人とも不思議なほどに憔悴しているし青年に至っては何故か目に涙まで浮かべていた。

 

「……貴方に会うためにずっとここに通っていたんだが、全く連絡が付かなくてずっと困っていたんだ。貴方は今日までいったいどこに……いや、すまない。今はそんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃない」

 

 青年は力なく笑って首を振った。

 

「……僕の名前は御剣響夜。女神アクア様に世界を救うために選ばれた勇者で、貴方が買った魔剣グラムの持ち主だ」

 

 青年の話と三人の憔悴した姿を見て何となくだがあなたは彼らの事情を察する。

 恐らくカズマ少年がグラムを武器屋に売り飛ばしたあの日、カズマ少年はキョウヤ青年からグラムを盗んだのだろう。

 女神エリスからパンツを盗むほどの少年だ。それくらいのことは平気でやりそうである。

 

「貴方に頼みがある……あります」

 

 グラムを盗んだカズマ少年への復讐でも依頼したいのだろうか。

 申し訳ないがそういうのは自分の力だけでやってほしい。

 

「いや、そうではなくて……どうか僕にグラムを返してください! お願いします!」

「お願いします!」

「お願いします!」

 

 キョウヤ青年はそう言ってあなたの目の前で見事なジャンピング土下座を披露し、同行している二人の少女も頭を深く下げてあなたに懇願するのだった。

 

 




《合体》《分離》
使用者の気合と熱血とド根性で飛距離が変わるスーパーなロボット仕様。
使い続けてスキルのレベルを上げると……?

★《グラム》
神器にして転生者に送られる特典であるチート装備の一つ。
これ一本あれば冒険者として一生やっていけるレベルの最強クラスの魔剣。
持ち主のミツルギさん以外が使うと性能が九割以上低下するがそれ以外のデメリットが無い。
元がぶっ壊れなので弱体化しても産廃化するわけではないし頑丈さはそのまま。

ATK2000で闇弱点の敵に即死効果。
別に闇属性の武器というわけではない。


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第17話 魔剣の勇者vs首無し騎士

 ミツルギキョウヤと名乗り、見事な土下座を決めた青年はあなたにグラムを失った経緯を説明した。

 

 自身に力を授けてくれた女神アクアが檻の中に閉じ込められていて、犯人の冒険者の少年に喧嘩を売ったことや少年と女神アクアをめぐって決闘したがグラムを奪われて敗北したことなど。

 

 話を聞いてあなたは知らないとはいえ随分と余計なことをしたものだ、と思った。

 女神アクアは地上で冒険者生活を満喫中なのだ。

 彼のような敬虔な使徒が直接手を出しては何のためにアクシズ教徒が遠巻きから見守っているのか分からなくなってしまう。

 

 しかし自身の信仰する女神が檻に閉じ込められていたのなら助け出そうとするのも無理は無い。

 今は若干煤けているが、キョウヤはいかにも正義感の強そうな青年だ。

 自身を女神アクアに選ばれた勇者と言っていたし、きっと魔王から世界を救うという使命感にも溢れているのだろう。

 

 ノースティリスにも彼のような者はたまにいた。

 彼らは皆己の力に絶対の自信を持っていて、その瞳は未来への希望やネフィアの謎を解き明かすのだという使命感に溢れていた。

 

 かくいうあなたにも自分ならきっと上手くやれる、なんて根拠の無い自信に溢れていた時期があったのだ。

 最初の依頼でスライムに全身を溶かされたときに存分に身の程を思い知らされたわけだが。

 今となっては酒の肴にする程度の他愛ない話である。

 

 そんなあなたの中で最も記憶に残っている者は、何を勘違いしたのかあなたに首を紐で縛ったペットの妹を解放しろと迫ってきた年若い少年だ。

 剣を抜いて喧嘩を売ってきたので少年を敵と判断した妹本人の手によって四肢を断ちて五臓六腑を七砕せんとばかりにズタズタのギチョギチョに惨殺されたわけだが、それ以後は姿を見なくなった。

 盗賊ギルドに喧嘩を売って身包み剥がされた挙句サンドバッグの刑に処されたと風の噂で聞いたが、彼はどうなったのだろう。

 

「あの……どうしました?」

 

 青年の声に我に返る。ここはノースティリスではなくアクセルの街にあるあなたの家だ。

 どうやらあなたは望郷の念に駆られていたようだ。らしくもないと苦笑する。

 

「ま、まさか……グラムは既にどこかに売ってしまったとか……?」

 

 青い顔になったキョウヤの言を否定する。

 どれだけ劣化していようとも貴重な神器を売り払うなどあなたからしてみれば到底有り得ない。

 

「良かった……お金は幾らでも払います。ですからどうかグラムを……」

 

 しかし彼は何を言っているのだろう。あなたは呆れたように鼻を鳴らした。

 もしかしてキョウヤは自分を馬鹿にしているのか、あるいは救いようの無い馬鹿だと思われているのか。

 元所有者とはいえ、女神から賜った神器を金銭と引き換えに返してほしいなど馬鹿げた提案にも程がある。

 金銭に困っていない蒐集家(あなた)に金など幾ら積んでも無駄である。

 

 あなたがグラムの返品に応じる際に要求するものはただ一つ。

 それはあなたにとってグラムに匹敵、あるいはグラムよりも価値のある神器だけだ。

 

「そんな……! あれはアクア様に頂いた本当に特別な武器なんですよ!?」

 

 それはキョウヤがグラムに抱く価値であってあなたがグラムに抱く価値ではない。

 別に全開状態のグラムに比肩する性能の武器を持ってこいとは言っていないのだ。

 

「で、ですが、グラムほどの武器なんてそうそう見つかるはずが……」

 

 確かにそうだ。全くもってキョウヤの言葉通りであるしあなたも異論を挟むつもりは無い。

 神器がそこら辺に転がっているはずも無いし女神アクアに選ばれた勇者だと自称するキョウヤにとってグラムは何物にも代え難い武器なのだろう。

 だからこそ問うが、キョウヤは本当にグラムを金を積んだら買える程度の武器だと思っているのだろうか。

 もしそうならそれは女神アクアへの大いなる侮辱に他ならないしグラムそのものを貶めている。キョウヤが女神アクアに選ばれたというのならば尚更だ。

 

「…………」

 

 仲間の少女達があなたに物申そうとしているがキョウヤの手前それは我慢しているようだ。

 

 既に購入した以上、たとえ使いこなせなくても現在のグラムの所有者はあなたである。

 あなたはこれでも女神に賜った神器を奪われたキョウヤの不憫な身の上に同じ信仰者、同じ意思を持つ武器の担い手として多少なりとも同情して譲歩しているつもりだ。

 これがくろがねくだきのような普通の神器だった場合は知ったことかと問答無用で家から叩き出しているところである。

 

 あなたには女神に下賜された武器を盗まれたキョウヤが悪いと言って交渉に応じないという選択肢だって採ることができる。

 実際、もしあなたの持つホーリーランスに手を出そうとする輩がいようものならあなたは犯人を生まれたことを後悔する目に遭わせると誓っているのだ。

 愛剣はどうせ手を出した瞬間あなたと相手が生まれたことを後悔する羽目になるので問題ない。

 

「……そう、ですね」

 

 俯いたままのキョウヤはポツリとそう呟いた。

 

「アクア様にあれだけの不敬を働いた挙句、肝心のグラムまで金銭で譲ってもらおうものなら僕はアクア様に合わせる顔が無くなってしまう。……あなたの仰るとおり、僕は必ずグラムに見合うだけの品を手に入れてきます。ですからどうか、どうかそれまでグラムを手放さないでいただけますか?」

 

 わざわざキョウヤに言われるまでもなく承知している。

 神器を自分から手放すなど断じて有り得ない。

 

「ありがとうございます。……クレメア、フィオ、行こう」

「……ねえ、ちょっといい?」

 

 キョウヤがあなたの提案を受け入れて帰ろうとしたそのとき、それまで沈黙を保っていた盗賊の少女があなたに声をかけてきた。

 

「あなたは本当にグラムを持ってるの? 売ってないっていうんならちょっと私たちの目の前に持ってきてほしいんだけど」

 

 キョウヤが少女を諌めるがあなたは別に構わないと告げてグラムを三人の前に持ち出した。

 確かに一度は実物を見せておいた方が彼らのモチベーションを上げてくれるだろう。

 

「……良かった。グラムを大事に扱ってくれているんですね」

「…………」

 

 自身のコレクションである以上、グラムの手入れは当然欠かしていない。

 新品同然になった愛剣の無事な姿を確認したキョウヤと戦士の少女は安心した様子を見せ、盗賊の少女は若干の罪悪感、そしてそれを塗り潰す強い決意を目に湛えていた。

 目は口ほどに物を言うというが、あなたにとって少女のその目はとても見覚えがあるものだった。

 ゆえに少女がこれから何をしようとしているのかも手に取るように分かる。

 

 どうしても欲しい物がある。だがそれは今の自分では決して手が届かないもので、それでも手に入れたい。

 ならばどうすればいいのか?

 

「……フィオ、どうしたの?」

 

 戦士の少女が様子のおかしくなった少女に訝しげに声をかける。

 だがフィオと呼ばれた少女はあなたに向けて右手を突き出すことでそれに応答した。

 

 

 

 ……正確には、あなたの持つグラムに向けてだが。

 

 

 

「悪く思わないでよね! スティーr――」

 

 フィオは奇襲を仕掛けたつもりなのだろう。

 しかしあなたは恐らくこうなるだろうとは思っていた。ノースティリスでは珍しくも何ともない展開である。

 あなたは分かっていてフィオを止めなかった。そんな義理も無い。

 

 そしてフィオがあなたの持つグラムに向かって宣言するのと同時に、あなたのフィオに向ける視線の温度が反射的に絶対零度に切り替わる。

 今の今まで殺す必要が無い者(キョウヤの仲間)を見る目だったものが、殺していいモノ(マヌケなゴミ)を見るそれに。

 あなたの冷たい殺意を感じ取ったのか、グラムが何かを訴えるかのように一瞬だけ震えたが強く柄を握り締めて封殺する。

 

「止めろッ!!」

 

 果たしてそれはどちらへ向けた言葉だったのかあなたには分からない。

 ただ、フィオがスティールを発動する直前。キョウヤはフィオの頬を手の平で叩いていた。

 

「フィオ。君は、君は……自分があの人に何をしようとしたのか分かっているのか……?」

「キョウヤ……だって、だってアイツだって……!」

「アレは勝負の結果ああなっただけで、この人は金銭は受け取らないが交換に応じると言ったんだ。だというのに君は今、本当に最低なことをしていたんだぞ……」

 

 キョウヤは信頼する仲間の行いに、どこまでも悲しそうな顔をしていた。

 正義感の強いキョウヤにはフィオの騙し討ちとしか言いようの無い窃盗行為はよほど受け入れ難いものだったのだろう。

 

「――――ッ!!」

「あ、フィオ!!」

 

 フィオはそんなキョウヤから逃げるようにどこかに駆け出していき、それを戦士の少女が追いかけていく。

 残されたのは激しく憔悴したキョウヤとあなたのみ。

 

「……あの、本当に申し訳ありませんでした。僕の仲間が……」

 

 居た堪れないといった面持ちのキョウヤがあなたに謝罪してくる。

 深い溜息を吐いたあなたにビクリと肩を震わせるが、むしろフィオのスキル構成次第ではキョウヤはフィオの命を紙一重のところで救っていたわけで、あなたはそこに安心したのだ。フィオの無鉄砲な行動のせいで危うく大惨事になるところだった。

 

 フィオはキョウヤのためにスティールを行おうとしたのだろう。

 あなたが穏便に済ませようとしたのをいいことに、酷い目には遭わされないだろうと高を括っていた様子ではあった。

 あるいはカズマ少年がグラムを盗んだのだから、自分だって同じことをやっても構わないと思っていたのかもしれない。

 

 仮にスティールが成功していたのならあなたはフィオの腕前を称賛して盗み返していただろう。

 ホーリーランスや愛剣に手を出すなら話は別だが、それ以外は盗まれる方が間抜けなのだとあなたは考えているがゆえに。

 

 だがフィオが窃盗(スティール)を発動させ、失敗していた場合。

 あなたはフィオを本気で八つ裂きにしてしまうつもりだった。

 あの瞬間のあなたは間抜けな犯罪者を殺した後でどうなるかなんて自分の知ったことではないと真面目に思っていたのだ。

 

 窃盗を見咎めたら失敗した間抜けをその場で殺してもいい。

 窃盗を見咎められるような間抜けはその場で殺されても文句は言えない。

 命の価値が軽いノースティリスにおける不文律にしてあなたが他の冒険者を殺害する数少ない理由の一つである。

 時々暇を持て余したあなた達は友人に喧嘩を売る際にこれをわざと失敗している。まるで決闘を申し込む、とばかりに。

 

 この世界には窃盗のスキルが当たり前のように普及している。窃盗を見咎めたら殺して構わないなんてルールがあるはずがない。

 だが長年の常識として骨の髄にまで染み付いた慣習はたった数ヶ月そこらで抜け切るものではないのだ。

 

 アクセル以外の町で活動する際、何度かあなたにスティールを試みようとした連中はいたが、全員が一様にスティールが発動する直前にあなたから逃げ出した。

 盗賊には敵感知スキルが存在する。恐らくそれが反応しているのだろう。

 そんなわけでどちらにとっても幸いなことに、この世界では今のところ一度も窃盗失敗による死人は出ていない。

 

 まあ欲しければ奪うという考えは嫌いでは無いがあなたは金の代わりに代替の神器を持ってこいと言っただけで返却に応じないとは一言も言っていない。

 にもかかわらず相手が交渉のテーブルに着く気が無いというのならば是非も無い。仲間の失態はリーダーの失態だ。

 残念だがお引取り願おう。どうしてもグラムを欲しいというのならばフィオのように盗むかあなたを殺して奪えばいい。

 女神アクアに選ばれた勇者として正しくあろうと振舞い、仲間の失態にあれほど辛そうな顔をするキョウヤにそれが可能なのかは別として。

 

《――――》

 

 しかしあなたが顔を絶望に染めたキョウヤを叩き出そうとした瞬間、異空間の中で愛剣が小さく啼いた。

 

 女神に賜った神器というエリートな箱入り娘にもかかわらず盗まれて質に出されるほどに落ちぶれた今のグラムの境遇に同族、つまり同じ意思を持つ剣として色々と思う所があるらしい。

 愛剣はあなたが武器を買っただけで臍を曲げるくせに同族に甘いというか入れ込みやすいという、とにかくそれはもうめんどくさい性格をしている。

 だがそれは決して愛剣が慈愛に溢れているというわけではなく、むしろ落ちぶれた箱入り娘に対して自分がいかにあなたに信頼され大切に扱われているのを見せ付けたいというドス黒い優越感が根底に存在しているわけだが。

 

 愛剣はあなたが持つ武器は自分だけいればいいと思っている節があり控えめに言っても性格が悪い。

 グラムのようにあなたが使う気のないコレクションに対しても積極的に彼我の上下関係を教え込もうとする辺り筋金入りである。

 ちなみに弓や銃、手榴弾やパンツといった自分のポジションを脅かさない遠距離用の武器や防具全般に対してはこの限りでは無い。むしろ強い仲間意識を持っている。

 

 しばらく考えた後、妥協案としてあなたは自分の仲間と手合わせしてくれたら他の神器との交換に応じるとキョウヤに告げた。

 ベルディアが終末狩りを始めて既に一週間が経っている。ここらで一度仕上がりを確認しておくのも悪くないだろう。

 

 

 

 

 

 

「あなたに仲間がいるという話は初めて知りました……懇意にしている女性がいるから命が惜しかったら絶対に手を出すなというのはアクア様や仲間の方から聞いていましたが」

 

 現在、草原と化したシェルター内で青い鎧を纏ったキョウヤと竜の素材を惜しげもなく使った装備一式を纏ったベルディアが相対している。

 この装備を作るのにも一悶着があった。

 古い馴染みであるというウィズの紹介もあって装備を作るのに苦労はしなかったのだが、あなたの提供したレッドドラゴンの素材がこの世界のファイアドラゴンと合致するものではないと一目で看破されてしまったのだ。

 げに恐ろしきは熟練のドワーフ鍛冶師の目利きということだろう。

 不幸中の幸いとでも言うべきか、未知の竜の素材を扱えると知って大興奮したドワーフはあなたに素材の出所を問うことは無かったし広める真似もしないと誓っていた。

 それどころかそんなものを持ち込んだあなたもウィズが信頼する友人ならと素性を問われてもいない。

 そんなこんなで他の竜の素材もあるなら使わせろというドワーフにあなたが提出したレッドドラゴン以外の終末産の竜の素材も使って装備は完成した。あなたもベルディアに折られた剣の代わりに竜鱗の剣が手に入って万々歳である。

 いよいよウィズの家の方角に足を向けて眠れなくなってきたのではないだろうか。

 

 さて、そんな経緯を経て手に入れた装備を纏っているベルディアだが武器は現在ラグナロクや竜の素材を使った大剣ではなく組み手のときに使う安物の大剣を使っている。

 キョウヤも同等の質の剣を装備しているので得物の差は無い。

 

「ベアさん、でしたっけ。手合わせよろしくお願いします」

「…………」

 

 キョウヤが握手をしようと右手を差し出すが反応は無い。

 何かが途切れたかのように無言でその場に佇むベルディアの姿はさながら幽鬼の如く。

 

 今のベルディアは心身共に限界を超えている状態だ。

 キョウヤはあなたのペットではないのでくれぐれも殺すなと伝えてあるが大丈夫だろうか。

 もしものときはあなたが介入する必要があるかもしれない。

 

「せ、せめて何か言ってほしいんですが……」

「Gぃひiっ」

「……え?」

 

「――――ぐギャッぱぎゃキャキャキャひゃひゃひゃひゃあはははっあはははははははハハハははははははあはハハ!!!」

 

 血走った目を爛々と輝かせ、口からダラダラと涎を垂れ流しながら頭のネジが全部飛んだとしか言いようが無い狂笑をあげはじめたベルディアにキョウヤは怯えたように数歩後ずさった。

 今のベルディアは完全に徹夜明けのテンションだ。

 あなたが育成を始めたばかりのペットは皆こうなると経験則で分かっている。

 適度に食事は与えているがそれ以外昼夜を問わず不眠不休で終末狩りを行っている上に十や二十では到底足りないほど死んでいるので多少心が壊れていても仕方が無い。

 

 幸いベルディアはまだまだ元気いっぱいで余裕もあるが今のままでは意思の疎通さえおぼつかないし手元が狂ってしまうかもしれない。

 あなたは気つけのためにベルディアに雷魔法を放った。装備で耐性が付いているが無効化まではされず、ベルディアがびくんと強く痙攣する。

 

「あガぁっ!? …………死ねええええええっ!!」

 

 あなたは反射的に斬りかかってきたベルディアを投げ飛ばし、再度雷魔法で追撃する。

 起き上がったベルディアは身体をふらつかせながらも意識を取り戻していた。

 

「ああ……なんだ、ご主人だったのか。すまん敵かと思った」

 

 あなたには攻撃してくるモノ須らく殺すべしというベルディアの気持ちがとてもよく分かった。

 そして肉体の疲労は無くとも戦い続ければ頭は疲労するし睡眠も必要である。

 人間は眠らない日々が続くと感情の制御が利かなくなるし青空が黄色くなる。

 知っているがそれでも戦ってもらう。人はどんなに過酷な極限状態だろうと身を浸し続ければ慣れるものだとあなたは己の身をもって知っていたし、その先で得られる力もある。

 

「空気がうまいな、ここは……青くも赤くもないし血の臭いもしない……で、なんだっけ……俺は終わりの無い戦いの最中で全部八つ裂きにしようって……でもいつもの相手と違うよな。……なあご主人、これは組み手か? 飯は? 今何時だ? 時間の感覚が無いのだ。俺はまだ生きているか? 敵はどこだ? 敵はどこだ敵はどこだ敵はどこだ」

「か、彼は本当に大丈夫なんですか!? というか僕は本当にこんなのと戦わなけりゃいけないのか!?」

 

 魔法の効きがイマイチだったのか、再度おかしくなってきた様子のベルディアに気圧されているキョウヤ。

 大丈夫ではないが命に別状は無い。

 

 今度は弱点であるクリエイトウォーターで頭を濡らしてから氷魔法のフリーズで頭を冷やし、更に強めに雷魔法を放つことでようやくベルディアは正気に戻ったが、何故かキョウヤはぷすぷすと煙を上げるベルディアではなくあなたにドン引きしていた。

 だがベルディアを心配するくらいならこれから壊れかけの彼と戦う自分の心配をするべきだ。

 とりあえず絶対にみねうちで戦えとベルディアに念を押しておく。

 

「……で、俺がこいつと戦う理由は何だ?」

 

 あなたがキョウヤの事情を教えるとベルディアはたまらず、といった面持ちでキョウヤを哂った。

 

「このハーレム野郎……いや、盗まれた品を返せときたか。己の命に等しい神器を手放した者にそんな世迷言を吐く権利があるのか?」

「ぐっ……」

 

 ベルディアがキョウヤを嘲笑い、冷めた視線を送る。

 煽るのは勝手だが神器を手放すかどうか決める権利はベルディアには無い。

 あなたは御託はいいからさっさと戦えとベルディアを戒めた。

 

「ご主人が戦えと言うならば戦おう。かつての俺であっても得る物があるとは思えんがな」

 

 やれやれと肩を竦めるベルディアだがあなたは対人戦で今の仕上がりを確認したいだけである。

 あなたがベルディアと戦ってもいいのだがそれはいつでもできるし傍から見て分かることもあるだろう。

 

「……確かに僕はアクア様に選ばれるまでは一度も命のやりとりなんかしたことが無かった男だ。けど今はレベル37のソードマスター。グラムが無ければ戦えないと思っているなら大間違いだぞ」

「だが神器の無い今の貴様はただの上級職に過ぎんだろうに。……まあ殺しはしないから安心して死ぬ気でかかってこい」

 

 嘆息して手招きするベルディア。

 言外に貴様では相手にならないと語っていた。

 完全に舐めきった態度にいきり立つキョウヤは知らないがベルディアはキョウヤのような神器持ちを含む数多の戦士を相手にして勝ち残ってきた歴戦の元魔王軍幹部である。

 

 レベルや職業が必ずしも勝敗を決めるわけではないということなど嫌というほど知っているだろうに、ベルディアの煽り方はあまりにも露骨だ。

 さっきからベルディアは何が気に入らないのか、妙にキョウヤへの風当たりが強い。キョウヤが気付いていないだけで実はウィズのように因縁でもあったのだろうか。

 ベルディアにあいつは一人で戦っているのかと小声で聞かれたからキョウヤには互いに信頼し合っているであろう同じ年頃の少女が二人仲間にいると教え、二人とも美少女なのかと問われたので肯定しただけなのだが。

 

「…………」

 

 剣を構え、緊張感をあらわにするキョウヤに対してベルディアは剣をダラリと下げたまま構えようともしない。

 先ほどまで散々挑発し煽ってきた者とは思えない、まるで深く眠っているかのように静かな佇まい。

 更に感情を完全に殺した表情と兜の奥から垣間見える昏く澱んだ赤目が不気味な威圧感を発しているようでキョウヤは手を出せずにいるようだ。

 

「なんだ、来ないのか? ……ならばこちらから行かせてもらうぞ!!」

 

 瞬間、ベルディアの全身からどす黒い闘気が噴出する。

 それを見たあなたはベルディアの仕上がりに満足そうに頷いた。

 流石のポテンシャルとでも言えばいいのか、ベルディアはあなたの予想以上に仕上がっている。

 しかしこの分では神器のない今のキョウヤではあっという間に終わってしまうかもしれない。

 

 

 

 

 そんなあなたの予想に反してベルディアとキョウヤの戦いはベルディアが圧倒しているとはいえまともな勝負になっている。

 決して両者の実力がそれくらい近しいというわけではなく、ベルディア側が手加減こそしていないがまるで本気を出していないのが原因だ。

 今のベルディアは廃城であなたと対峙したときと同じ程度の力しか出していない。

 

 キョウヤを嬲って楽しんでいるわけではなさそうだが、どういうつもりなのか。

 眉を顰めるあなただったが、答えはベルディア本人がすぐに明かしてくれた。

 

「……ハハハハハッ! そうか、そうか俺はこんなにも!! あの地獄の日々は決して無駄ではなかった!!」

 

 ベルディアの喜色満面といった声になるほどそういうことかとあなたは得心する。

 確かに時間の感覚も無くなるほど戦って死に続けていれば自身の成長を実感しにくいのも当たり前だろう。ノースティリスのペットであればこの世界の冒険者カードのようなもので成長を実感できるのだが、ベルディアにそんなものは無い。

 だがベルディアがシェルター内に篭っていられる時間は順調に伸びているとあなたは知っている。

 

「ぐっ、強いっ……!?」

 

 対するキョウヤの戦い方は安易にグラムの威力に頼りきらずに修練を重ねてきたことを窺わせるものだったが、それでもやはりグラムを使っているつもりで剣を振るっているのであろう場面がところどころで見られる。

 

 神器無しで武闘派として有名な元魔王軍幹部を相手にするのは時期尚早だったようだ。

 そう思えばキョウヤは防戦一方とはいえよく戦っている方だろう。

 そんなキョウヤにあなたは悪いことをしただろうか、と少しだけ反省する。

 絶え間なく地獄と死を経験し続けたベルディアの底はまだ見えない。心がポッキリ折れてしまわないといいのだが。

 

 

 

 

「……弱い! 弱い弱い弱い弱い弱すぎる! なんだなんだもう終わりか!? これはどういうことだ貴様俺を舐めているのか!?」

 

 結局、自身の力を試すようにギアを少しずつ上げ続けたベルディアの猛攻の前に三分ほどでキョウヤは力尽きてしまった。

 あまりにもあっけない終わりにベルディアが咆哮するが彼我の実力を比べれば至極順当な結果といえる。

 キョウヤがグラムを持っていればもう少しまともな勝負になったのだろうが、無ければこんなものだろう。

 

「あれだけでかい口を叩いておきながらなんだこの情けないザマは! 貴様は仮にも神器の所有者ではなかったのか!?」

 

 死亡蘇生終末時々飯というヘビーローテーションを一週間こなし続けたベルディアは今では数時間ほど終末の中で生き残れるようになった。

 慣れだけでこうはいかないことはあなたがよく知っている。

 終末は慣れで乗り越えられるほど甘いものではない。しかも今の終末は大幅に強化されている。

 騎士とはお世辞にも言えないほどに精神と言動が荒み、腐りきった泥のように目が澱むのと引き換えに数値で測れない経験が確実にベルディアを強くしていた。

 

 今のキョウヤでは狩りはおろか強化された終末すら越えられない。

 二人の少女が今のキョウヤに伍する力量を持ち、更に真の力を発揮したグラムの力があればあるいは、といったところだろう。

 たとえベルディアのコンディションが最悪に近いものだったとしても負ける理由は無い。

 

「というか可愛い女の子二人も侍らせやがってクソ羨ましい! しかもめっちゃ慕われてるらしいし、もう……俺なんか……俺なんかなあ!! 毎日お前みたいなハーレム野郎なんかが想像もできないほど酷い目に遭ってんだぞ! この後また地獄にぶち込まれるんだぞ!? 辛いんだよ眠いんだよ心がゴリゴリ削られていくんだよハーブは本当にゲロマズだったし!」

 

 ベルディアがかつてあなたと対峙していたときにも見せなかった凶悪な威圧感を発している。

 この瞬間、また一つ壁を越えたらしい。原因は嫉妬と私怨だが。

 ハーブの件はベルディアが何も食べたくないと言うので現在彼の食事は味は最悪だがこれだけ食べていれば腹はパンパンに膨れるし十分生きていけるという栄養価の高い万能ハーブ、ストマフィリアになっている。直訳すると胃袋に欲情する変態性欲である。

 

「お前あれだろ、この後仲間の女の子達に慰めてもらうんだろ!? いいなあ羨ましいなあ俺なんかこれからも毎日絶対「ベルディア、行け」が続くんだぞ!? そりゃあ頼んだのは俺だしこうして強くなったから文句は無いけどなんだこの環境の落差はおかしいだろ絶対! 俺だって……俺だってなあ……! ウィズもなんかご主人といい感じらしいしさあ!! クソッタレがああああああ!!!!」

 

 ここが完全防音のシェルターの中で本当によかったとあなたは思った。

 色々と溜まっていたのか本音を炸裂させすぎである。

 

 そして血を吐くような叫びとともに放たれた渾身の一撃が意識を失ったままのキョウヤに襲い掛かるが、あなたは愛剣を使ってそれを防ぐ。

 既に決着は着いている。みねうちを使っていたとしてもこれ以上の追撃は必要ない。

 

「虚しい。あまりにも虚しい勝利だ……勝ったからといって何が得られるというのだ……だが一回も死なずに勝てるって素晴らしいな……」

 

 完勝したにもかかわらず背中が煤けているベルディアを労う。

 ペットが勝利する姿は何度見てもいいものだ。

 

「ふん、勝ったぞご主人。ご覧の有様だが言われた通り殺していないから構わんのだろう?」

 

 どこかあなたを煽っているような物言いだが、まさか嫌味の一つでも言われると思ったのだろうか。

 言いつけ通り、ちゃんと殺していないのだからあなたが言うことは何も無い。

 神器のためにベルディアと戦うのを了承したのはキョウヤの方だし、瀕死までならどうせ魔法で治せる。

 

「……そうか、ご主人はそういう人間なのだな。俺はずっと元魔王軍でデュラハンでウィズの仇だから風当たりが強いのかと思っていたのだが」

 

 あなたが傷だらけのキョウヤを回収して治療を施すのを呆然と眺めながらベルディアが呟くのであなたは噴き出してしまった。

 おかしなことを言うものだ。出禁はともかくとしてあなたはウィズとベルディアの因縁に口出しをする気は毛頭無い。

 ウィズ本人が恨みを晴らしたいというのなら二人が戦う舞台程度は整えるし、ベルディアがウィズを害そうとするのならばその時はその時だ。

 

 それに風当たりが強いというが、あなたは死ぬほど辛いと最初にベルディアに教えている。

 ベルディアが通っている道はあなたも他のペット達も等しく通ってきた道だ。止めたいならいつでも言えばいい。

 

 終末狩りはベルディアが強くなりたいと頼んだからさせているだけであなたが強制しているわけではない。

 自分の力だけで強くなりたいならそれはベルディアの自由だ。主人としてベルディアを応援しよう。

 

「…………いや、いい。実際に俺が強くなっているのはこうして理解できた。これからも宜しく頼む」

 

 続けるというのならばそれはそれでよし。

 あなたは治療が終わったが今も気絶したままのキョウヤを抱えてシェルターから退出する。

 季節はそろそろ冬に差し掛かろうとしている。

 こんな場所に放っておいたら風邪を引いてしまうかもしれないし、何よりキョウヤがこのままベルディアが行う終末狩りに巻き込まれてしまっては大変だ。

 

「そうだな、俺も手伝おう。元騎士として起きるまで看病でもしてやるか」

 

 ドサクサにまぎれてベルディアがシェルターから出てこようとしたのでその場に留める。

 ベルディアはこのまま終末狩りである。

 

「ごす、いきるってきびしいな」

 

 ちなみに一週間続けたので明日は一日休みである。

 惰眠を貪るなりして英気を養ってもらう。

 

「やばい、嬉しすぎてちょっと本気で泣きそう」

 

 シェルターによって閉じた天を仰ぐベルディアを見てあなたは不意に思いだした。

 あなたの友人曰くあなたの鍛錬法はマニ信者の友人の好むチキチキとは別の形の洗脳だという。

 ペットは強制的に電脳、義体化させてチキチキで快楽漬けにするのが趣味な彼、もとい彼女と同じ扱いとは納得し難い話である。

 鍛錬を止めるという選択肢だって与えているというのに。

 




《敵感知》
 ノースティリス勢にスティールを試みようとする際に失敗判定が出ると強制発動。
 無視して実行したら相手から問答無用で殺害対象にされる。

《マニの狂信者》
 あなたの友人の一人。性別は女。
 遺伝子合成じゃなくて人体改造(物理)とか平気でやる。
 ペットは仲間ではなく武器や防具のような所有物だと考えており自分を含めて全て義体化、電脳化させている。拒否権は無い。
 本人の本来の性別は男なのだが願いで性転換して自分の好みの美少女ロリっ子ボディに換装した。
 ペットにチキチキするのが大好き。自分にチキチキするのも大好き。


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第18話 機械仕掛けの紅白玉

 これはキョウヤ達があなたの元に訪れる一週間前、まだベルディアの心と目に微かに希望や光が灯っていた頃の話である。

 

「倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても倒しても敵が減らない。終わらない。死ぬ。死んだ。アンデッドなのに死んだ。三回も死んだ」

 

 首が繋がって装備も手に入った事で遂に始まった終末狩りの初日。

 一時間も経たずに早くも三度死んで三度復活したベルディアは青かった顔を土気色にして部屋の隅でガタガタ震えながら三角座りになっていた。

 この世界のアンデッドも肉体の疲労はせずとも精神は磨耗するらしい。

 生きているのだからそれも当然かと納得し、あなたはシェルターを指差した。

 

 ベルディア、行け。

 あなたの言葉にベルディアは怯えたようにビクリと震えた。

 

「…………ご、ご主人。俺は今まで必死こいてドラゴンの群れや巨人達と戦っていたのだ。後世に無限の敵に奇跡の孤軍奮闘、全ての騎士はベルディアの如く在るべしと伝説に謳われて然るべき戦いを繰り広げてきたのだぞ?」

 

 関係ない。行け。

 傷は癒したしアンデッドに肉体的な疲労は無いと言ったのはベルディアである。終末の中で戦えるように装備もこうして整えた。

 そんなあなたの言葉が本気だと分かったのだろう。元魔王軍幹部のデュラハンはいつかのように形振り構わない行動に出た。

 

「二度目の作戦ターイム!」

 

 認める。

 ベルディアは疲労を押し流すような深い溜め息を吐いてこう言った。

 

「疑っているわけではないが……いや、ハッキリ言って俺はご主人を疑っている。勿論ご主人が俺を圧倒するほどに強いというのは分かっているが、俺をあんな地獄に放り込んでおいてご主人はアレを本当に駆逐出来るのか? ご主人が愛剣と呼ぶあの頭のおかしい剣じゃなくてラグナロクを使うなら他はどんな手を使ってもいい。ちょっと一回俺にお手本を見せてほしいのだが」

 

 あの程度を駆逐するのは造作も無いとあなたはベルディアを笑う。

 

「な、何がおかしい!?」

 

 ベルディアはあなたを自分が出来ない事をペットに強いるような鬼畜だと思っているのだろうか。

 いい機会だとあなたは一度ベルディアに自分の本気を見せる事にした。

 二度とベルディアがおかしな不安を覚えないように。

 

 そして、数え切れない程の己と敵の屍を越えた果てに手に入る力がどういうものなのかを教える為に。

 

 装備は愛剣を筆頭にノースティリスで使い続けた本気のそれを解禁する。

 

「……その剣を見ているから今更防具が全身神器揃いなことに驚きは無いが、武器はラグナロクを使ってくれと言ったぞ」

 

 神器ではなく神器品質なのだが、今のベルディアに言っても分からない話だろう。

 それにわざわざ言われなくてもあなたは愛剣で戦うつもりはないし攻撃魔法も使うつもりはなかった。

 愛剣は補助魔法の強化に使うために抜いただけである。

 

「……むう、なら構わんが」

 

 ベルディアに呼び出してもらったアンデッドナイトをラグナロクでちくちくと突っついて終末を起こす。

 そして終末の発生と同時にこの世界のものではなく、ノースティリスの各種補助魔法を使用。

 

「さて、ご主人…………!?」

 

 瞬間、ベルディアの目からあなたの姿が掻き消える。

 別にテレポートしたわけではなく、ただ自身の速度を限界まで引き上げて更に愛剣で強化された加速の魔法を使ったあなたの速度がベルディアの動体視力をぶっちぎっただけである。

 

 勢いのまま跳躍し、あなたは魔物の一団に向けてラグナロクを振るう。

 一筋の剣閃は音もなくエーテルに満ちた大気を切り裂き、次の獲物を求めてあなたが通り過ぎた後思い出したように巨人と竜数体の首がズれてそのまま崩れ落ちた。

 

 竜という力の象徴が更に強い力によって蹂躙される。

 それはまるで悪い夢のような光景だった。

 亀と兎以上の絶対的な速度差の前に竜たちはあなたをまともに捕捉する事も叶わず、ただあなたの過ぎ去った後には一刀の元に斬殺された竜と巨人の死体が量産されていく。

 ラグナロクを使っている以上、当然終末は発生し続けるし竜も巨人も尽きる事は無いが、それは敵という脅威としてではなくただ流れ作業の如く始末される為に出てきているに過ぎない。

 

 そこには戦闘者として本来あるべき戦術も駆け引きも存在しない。

 磨き続けた技術と身体能力に任せきった単純な……悪く言えば稚拙な正面突破によるゴリ押しだった。

 だがそれはシンプルであるが故に対処が難しく、純然な戦闘能力をもって敵の数の差や連携、策といった戦術の全てを無慈悲にあざ笑いながら真正面から押し潰す。

 

 同格の者と対峙するのならば流石に話は変わってくるだろう。

 だが今のあなたとドラゴン達にはそれが可能なだけの差が存在し、無限に続く迷宮の深層で無数の敵を相手に戦い続けるあなた達の戦いとはつまりそういうものだった。

 

 

 

 

 十分後、シェルター内部は無数の肉塊と赤黒い血で埋め尽くされていた。

 シェルター内部に存在する生き物はあなたとベルディアだけ。

 思うがままに殺戮の限りを続け、そろそろベルディアも満足しただろうと判断してラグナロクではなく愛剣を使って狩りを終えたあなたは補助魔法を解除する。

 

「何だ、これは……ありえるのか……こんなモノが……」

 

 ベルディアにはどうやら満足してもらえたようだ。久々に思いっきり身体を動かせてあなたもご満悦である。装備を解除して思い切り背を伸ばす。

 放心して立ち尽くすベルディアにラグナロクを残してあなたは地上に戻る事にした。

 エーテルの風の中で大立ち回りを演じたので念のためにエーテル抗体を呷り、ウィズにお裾分けする分を含めても暫く困る事は無い程度の竜の死体を持って行きながら。

 

 そしてこの件の後からベルディアは鬼気迫る真剣さで終末狩りを行うようになった。

 比例して心身の消耗も激しくなったがあなたとしては鍛錬に身が入ったようで万々歳である。

 同時に暫くの間、ベルディアがあなたを見る目が英雄やバケモノを通り越してヒトのカタチをしたナニカに変化した。あなたにとってはとても馴染み深いものである。

 

 ノースティリスでは稀にアイツらは天才だから俺たちとは違う、などと言われる事があったがあなたはそうは思っていない。

 強くなるのに才能は必要ないし、少なくともあなたは自分の才覚はどこまで行っても並でしかないと思っている。ただ三食ハーブ漬けの毎日を送りながら己の心と体と命を顧みずに戦い続ければ誰だっていつかはあなた達と同じ域に立てるのだ。

 それをあなたや友人達はペットの育成というこれ以上無い形で証明している。

 努力を続ければどこにでもいる平凡な少女やカタツムリであっても目を瞑ったまま鼻歌混じりに終末の竜を掃除出来るようになるし、実際にあなたと最も付き合いの長いペットの少女はそうなった。

 

 

 

 

 

 

 ベルディアとの手合わせを終えたまま目を覚まさないキョウヤをあなたはベルディアの部屋のベッドに寝かせる事にした。

 流石に居間の床に寝かせるのはどうかと思うし、ベルディアの部屋はあなたの部屋や物置と違って見られて困る物は置いていないので問題ないだろう。

 一週間使っていないベッドは若干埃っぽくなっているがそこは我慢してもらうしかない。着ている鎧はどうしようかと数秒ほど考えて脱がすのも面倒なのでそのままにしておこうと判断。

 後は気が付いた時の為に水と果物でも用意しておけば良いだろう。

 

 

 

「うっ……ここは……?」

 

 あなたがリンゴの皮を剥いているとキョウヤが目を覚ました。

 何秒間か周囲を見渡していたが、すぐに落ち込んだように頭を垂れてしまった。

 

「……そうか。僕は、負けたのか」

 

 女神アクアに選ばれたという誇りを持つキョウヤはベルディアの正体を知らない。

 どこの馬の骨とも知れぬ相手に完敗を喫してしまったというショックは大きかったのかもしれない。

 

 ここに仲間の少女がいれば慰める事も出来たのだろうが、生憎どこかに行ってしまったままである。

 ベルディアをけしかけた張本人であるあなたはキョウヤを慰める口を持たない。

 

「…………」

 

 慰める事が出来ないのであなたはグラムの話をする事にした。

 確かに負けはしたがグラムの交換に応じる条件は仲間と戦う事であって勝利する事ではない。

 ベルディアも私怨で壁を一つ越えたようだしキョウヤは十分以上にあなたの望みに応えてくれたわけである。

 残念な事に、キョウヤは疲れたような苦笑を返すだけだったが。

 

 

 

「ベアさんの剣からは強い怒りが伝わってきました。一撃一撃からお前にその地位は相応しくないって怒鳴られているような気がしたんです」

 

 だが数分ほど目を瞑って黙った後、キョウヤはぽつぽつと語りだした。

 己の中で何かしらの答えを出したらしい。

 

「……当然ですね。今なら分かるけど僕はグラムを使っていたんじゃない。グラムに使われていたんだ」

 

 自嘲するキョウヤだが、ベルディアは全くもってそんな事は考えていないだろう。

 もしキョウヤがベルディアの剣から怒りを感じ取ったというのなら、それは可愛い女の子の仲間と仲良くやっているキョウヤへの醜い嫉妬、そして女っ気が欠片も無い自分の環境とキョウヤを比較して行き場の無い感情を持て余した結果だ。

 

 つまりベルディアは私怨丸出しでキョウヤに八つ当たりしただけである。

 普通にみっともないし最低だった。

 

「……レベルが上がったからって思い上がっていました。今の僕なら魔王軍の幹部にだって負けはしない、なんて考えていたんです」

 

 キョウヤに正直に教えた方がいいのだろうかと数秒悩んだが、あなたはあえて黙っておく事にした。

 どうやら前向きに受け取ってくれているようだし、わざわざお前は女連れだったから嫉妬されていたのだと本当の事を話してキョウヤにやるせない思いをさせる事もないだろう。

 

「僕の前にも多くの転生者がいたというのにまだ魔王は生きているし戦いは続いている……」

 

 顔を上げたキョウヤは強い決意をその目に湛えていた。

 つい先ほどまで敗戦のショックに打ちひしがれていた筈の彼はもうどこにもいない。

 異常なまでに立ち直りが早いのは己が女神アクアの使徒という自負がある故だろうか。

 

「ベアさんが主人と言っているからにはあなたはきっとベアさんよりも強いんでしょうね…………僕はまだまだ弱い。今度こそグラムに本当に相応しくなれるように一から鍛え直さないと」

 

 キョウヤは線が細い割に前向きというか、物語の主人公のような人間だった。

 自分達のような者は主人公はおろか、とてもではないが物語に出せないと自覚しているあなたからすればキョウヤは若干眩くすらある。

 

「もしよろしければ、またベアさんと戦わせてもらっても構いませんか?」

 

 キョウヤの申し出はあなたにとってもとてもありがたいものだった。

 あなたや終末以外での戦闘はベルディアにとってもいい刺激になるだろう。

 ただキョウヤが強くなるようにこれからもベルディアは地獄を見続けるのでどこまで両者の差が縮むかは分からないが。

 

「ベアさんの休みが八日に一日だからその日なら、ですか。……ありがとうございます」

 

 ベルディアは休日が潰れる形になるが我慢してもらおう。

 もう少し休んでいくといいとキョウヤに告げ、あなたは席を立つ。

 そろそろ夕食の時間である。よかったら食べていくといい。

 

「いえ、折角ですが出て行ってしまったフィオの事が心配です。そろそろお暇させてもらい…………えっ?」

 

 そんなあなたを見て、キョウヤがとても不思議そうな声をあげた。

 まるで有り得ない物を見たとでもいうかのようにその表情はポカンとしている。

 

「あの、すみません。ちょっといいですか?」

 

 キョウヤはおずおずとあなたの腰を指差した。

 

「あなたが腰に着けてるそれって、もしかしなくてもアレですよね?」

 

 その視線は紅白の球体に釘付けになっている。

 キョウヤはこれの事を知っているのだろうか。

 

「それです。それってあの有名なポケッ……携帯出来るモンスターのゲームとかアニメに出てくる、捕獲用のアレですよね。モンスターぼ……げふんげふん」

 

 キョウヤの言っているポケットなモンスターが何なのかは知らないが、これはモンスターボールという道具である。

 

「うわああああああああああああ言っちゃった!! ちょっとマズいですよ、止めてくださいよ本当に!! 何の為に僕が必死に名前をぼかしたと思ってるんですか!?」

 

 キョウヤは何をそんなに慌てているのだろうか。ホウムブがどうのこうのと騒いでいる。

 モンスターボールは若干使いにくいが決して危険な道具ではない。

 キョウヤが何にそんなに焦っているのかは知らないが、知っているのなら見せても構わないだろうとあなたはキョウヤにモンスターボールを渡す。

 

「うわ、うわあ……本当にそっくりそのまんまだ……。えっ、これって中に何が入ってるんですか? まさか身長40センチで体重6キロで十万ボルトが代名詞な黄色い電気ネズミは入ってないですよね?」

 

 恐る恐る、それでいて興味津々なキョウヤだがそれはどんなネズミなのだろう。

 恐ろしい、まるでバケモノではないか。

 モンスターボールの中身は空っぽであると空けて見せてキョウヤに証明する。

 現在中身は終末狩りの真っ最中である。嘘は言っていない。

 

「良かった、流石にリアルでピカ……アレを見せられた日には僕も正気じゃいられませんよ……」

 

 確かに40センチの黄色のネズミというのは想像してみるとかなり気持ち悪い。

 しかしキョウヤがどこか残念そうなのは何故なのか。

 まさかそんなクリーチャーを見てみたかったとでもいうのだろうか。

 

「……少しだけ。子供の頃から大ファンだったんです。ネットを使って対戦だってやってました。こう見えてレートも結構いいところまで……ってすみません、こんな事言っても分かんないですよね」

 

 キョウヤは気恥ずかしげに頭を掻いて子供のように笑う。

 ネットだの対戦だのの意味は不明だが、そんなクリーチャーのファンというのは実に驚くべき話である。

 他者の趣味に口出しする気は無いが、まるでノースティリスの妹が好きで好きでたまらない友人のようだ。

 

「でもやばいな、ちょっとこれは懐かしすぎる……。というかここまでゲームとかアニメのまんまの形すぎると逆に不安になってくるぞ。これ偉い人に怒られたりしないんだろうか……というか訴えられたら絶対負けるだろこれ……」

 

 郷愁と困惑に瞳を潤ませるキョウヤだったが、不意に目付きが鋭くなった。

 

「……あれ? でもそういえばグラムを貰った時見た神器のリストの中にこれがあった気がする。それも確か前任が選んだリストに……って事は、もしかしてあなたも僕と同じようにアクア様に選ばれた日本の転生者だったんですか?」

 

 勿論違う。ニホンジンなる者の事は聞いた事があるが、あなたはキョウヤのような境遇ではない。

 あなたはニホンジンとはまた別の世界の者なのだが、それを話す必要は無いだろう。

 適当にダンジョンで見つけたと出鱈目を教えるとキョウヤは納得したようだった。

 

「そうでしたか。じゃあこれはきっと僕の前任の方の物ですね……明らかにあなたは日本人の名前や顔じゃないですし、もしかしたら外国人の方なのかなって思ったけど」

 

 若干寂しそうに苦笑しながらキョウヤはあなたにモンスターボールを返却してきた。

 同郷の者に会えたと思ったのかもしれない。

 

「それ、きっとグラムと同じようなアクア様が僕達にくださった神器の一つです。どれくらい性能が落ちているかは分からないですけど大事に扱ってくださいね」

 

 キョウヤの言葉に思わず鑑定の魔法を使うと、なんと確かに★《モンスターボール》になっていると分かった。

 これは間違いなくあなたが土産屋で購入したモンスターボールなのだが、どういうわけか神器に変化してしまっているようだ。

 この特別なモンスターボールはいわゆるユニーク、つまり神であっても捕獲可能な代物らしい。

 正統な所有者は購入したあなたなので劣化は無しで捕獲したペットを逃がせば無限に再利用が可能。捕獲したペットが死ぬと瀕死の状態になってボールの中に自動で戻る。

 まさに神器と呼ぶに相応しい凄まじい超性能(ぶっ壊れ)である。

 

「あなたはそれの使い方を知っていますか?」

 

 あなたはキョウヤから手渡されたモンスターボールを手慰みに宙に放りながら肯定する。

 相手を逃げる事も抵抗する事も出来ないくらい本当にギリギリ死なないくらいにまで痛めつけた後にモンスターボールを投げつけたら相手を捕獲出来るのだ。

 

「言葉にすると酷すぎる!? 確かにそれで合ってますけど! 僕もよくやってましたし捕まえやすくする為に眠らせたり凍らせたり麻痺させたりしてましたけどね!?」

 

 正義感に溢れた好青年なキョウヤにもヤンチャな一面があったらしい。

 昏睡や麻痺、凍結状態にまでして嬲るとは中々の悪辣っぷりである。

 あなたや友人であっても遊んでないでさっさと殺すか捕まえろと呆れて悪態をつくレベルだ。

 

「ゲーム! 僕がしてるのはゲームの中の話です!!」

 

 平然とゲーム感覚で他者を痛めつける事が出来ると声高に宣言するキョウヤにあなたは眉を顰めた。

 確かに正義なんてものは個人個人で変わってしまうしあなたも自分が正義だとは思っていないが、彼のような好青年を地で行く者が遊びで他者を害する事の出来る人間だと知ってしまってはあまり良い気分はしない。

 

 善なら善でいい。悪なら悪でいい。

 しかし正義や使命感に溢れている一方で他者をゲームで痛めつけられるなどと言うキョウヤは酷く歪だ。

 あなたから見てもキョウヤはまっすぐな青年だというのに、誰か彼に善悪について教えてあげるものはいなかったのだろうか。

 それともキョウヤの心の闇はそんなにも深いものだったというのか。一度仲間の少女達にメンタルケアしてもらうべきである。

 

「違うんですなんでそうなるんですかってばああああんもおおおおおおお!!!」

 

 あなたの哀れむような言葉と視線にキョウヤは何故か頭を掻き毟って絶叫した。



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第19話 幽霊屋敷

 秋の終わりのある日の昼下がり。

 あなたはアクセルの街の郊外に佇む屋敷に訪れていた。

 

 屋敷はあなたが現在住んでいる家の十倍以上というかなりの大きさを誇っており、ノースティリスで言うならばセレブ邸だろう。

 この屋敷は元々貴族の別荘だったらしいのだが今は誰も住んでいない。

 

 ここ最近のアクセルの街では空き家に悪霊が住み着くという怪事件が多発しており、住人の頭を悩ませている。

 アンデッド絡みの件に強いと認知されているウィズもあちこち引っ張り出されているようで、それなりに多忙な日々を送っているらしい。

 

 そしてあなたが訪れたこの屋敷は特に多くの悪霊が出る場所であり、実際に大家側から討伐依頼が出されているものの何度悪霊を退治してもすぐに住み着かれてしまう曰く付きの物件である。

 

 悪霊が出没する原因を探して断つのが最善なのだが、それは他の冒険者が探っている。あなたの出る幕ではないし他者の受注した依頼に横から手を出すべきではない。

 それにあなたは悪霊だの亡霊だのといった存在は今までに何度も討伐してきている。

 プリーストが浄化の魔法を使っても駄目だというのなら直接ぶっ飛ばせばいい。

 再度湧いたとしても、何度でも何度でも。全ての悪霊がいなくなるまで。

 

 ただでさえ忙しいウィズの手を煩わせるまでも無い。いつだって最後に物を言うのは力押しだ。この手に限る。

 

 あなたは特に気負うことも無く悪霊屋敷の中に足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 屋敷の中は長く人が住んでいないというにも関わらず定期的に手入れはされていたようで、若干埃っぽいものの老朽化や痛みといったものは見られない。

 用意のいい事にどの部屋も家具は一式揃っているので、もし住もうと思えば軽く掃除をしただけでこのまま住んでしまえるだろう。

 この依頼が終わった後に購入する事も考えたがあなたは首を横に振った。流石にベルディアと二人で住むにはこの屋敷は広すぎである。

 掃除の手間だって馬鹿にならないし、殆どの部屋は物置と化してしまう。

 

 やはり今の家で十分だろうと結論を付けて探索を続けていると、あなたの耳に何者かの声が聞こえてきた。

 どうやら玄関の方から聞こえてきているようだ。

 こんな日の高い時間から悪霊が出たのだろうか。いい度胸であるとあなたは玄関の方に足を向けた。

 

「…………うわぁ」

 

 玄関に足を運んだあなたの顔を見た瞬間にそんな声を出したのは頭のおかしい爆裂娘ことめぐみんである。

 屋敷の玄関にいたのは悪霊ではなく、カズマ少年のパーティーの四人だった。

 最後尾のダクネスが真っ赤な顔であなたを凝視している。誰も気付いていないようなのであなたは黙っておく事にした。

 

 それはそれとして、彼らも屋敷の除霊依頼を受けたのだろうか。ギルド側から合同でやれという話は聞かされていないし、事後承諾で増援を寄越されると報酬で揉めるので止めてほしいのだが。

 後でギルドに苦情を入れておくべきだろう。

 

「俺達はこの屋敷を買ったんだ。大家さんが除霊してくれるなら格安で売ってくれるって言うからさ」

 

 あんまり無い金を全財産注ぎ込んだけど、と続けるカズマ少年。どうやらギルド経由でここに来たわけではないらしい。

 悪霊騒ぎがあったとはいえこの屋敷は駆け出しの彼らが買えるほどに安い物件だったと知ってあなたは目を丸くした。

 自分達が知らないだけでこの屋敷は事故物件として有名なのだろうか。長く無人だったようだし、死体が壁や床に塗り込められていたりするのかもしれない。

 

「あ、あんまり怖い事言わないでくれよ……本当にありそうな気がしてきた」

「残念ながら頭のおかしいアクセルのエースがいる時点で碌な物件じゃないのが確定しましたからね。いかなる理由でこの屋敷にいたのかは分かりませんが、この分だとどんなバケモノが出てきてもおかしくはありませんよ」

 

 めぐみんが緊張を滲ませているが、あなたがここに来たのはただの悪霊の討伐依頼である。

 

「アクセルのエースが受ける悪霊の討伐依頼……これはリッチーとかデュラハンが出るかもしれませんね……」

「駆け出し冒険者の街に伝説のアンデッドが何体もいてたまるか! っていうかお前のこの人への悪い意味での信頼は何なの?」

「私はアクセルのエースを目指すもの。越えるべき壁にして運命の宿敵(ライバル)と仲良くなんか出来るわけないじゃないですか」

 

 めぐみんはそう言うが、若干の辛辣さもあなたの力量への信頼の裏返しと思えば可愛いものである。

 ちなみにめぐみんが最近アクセルの冒険者からつけられているあだなはアクセルの喧嘩娘とかアクセルの暴れ牛とか頭のおかしい爆裂娘だ。

 めぐみんのエースへの道は遠い。どうでもいい話だが三番目はあなたが自分で流したものである。

 

「……ちょっと不安になってきたけど、それこそ本当にリッチーみたいなのが出てこない限り大丈夫だろ。こっちにはアークプリーストのアクアにアクセルのエースのエレメンタルナイトがいるんだからさ」

「うぇっ? え、ええ、そうね! ここは私の家になるんだもの。全力で頑張るわ!!」

 

 水を向けられた女神アクアはあなたを見てぎこちない笑みを浮かべた。

 どうにも女神アクアには墓場の一件以来苦手意識を持たれてしまっているようで、今も彼女はそれとなくあなたから距離をとっている。

 あなたとしては明確な殺意を持ってウィズの命を脅かさない限りは手を出す気は全く無いのだが、女神の大敵であるリッチーなウィズと友人である以上こればかりは仕方無いだろう。

 

「共同戦線は構いませんが、くれぐれも屋敷を破壊しないでくださいね。ここ私の家になるんですから」

 

 いざその時となったら悪霊ごと屋敷を吹き飛ばすのはめぐみんではないだろうか。

 確かに一撃の威力は認めるが、才能や努力を爆裂魔法に全振りという小回りの利かなさである。

 間違っても屋内で戦闘させてはいけない人種だ。絶対にダンジョンに連れて行きたくない。

 

「にゃ、にゃにおう!? あなたは私が自分の家を吹き飛ばすような間抜けだと言っているんですか、いいだろうその喧嘩買ってやろうじゃないか!! 明日の朝日が拝めるとは思わないことですね!!」

「おいお前ら。さっきから私の家って言ってるがここ俺の家だからな? お前達はあくまで俺のついでに住むだけで、この屋敷は俺が全財産はたいて買ったものだからな?」

 

 あなたがぽかぽかと殴りかかってきためぐみんを適当にあやしているとずっと黙ったままだったダクネスの目がいよいよ怪しくなってきた。

 

「はぁはぁ……はぁはぁ……」

「ダクネス、あなたさっきからエレメンタルナイトの人見てるみたいだけどどうしたの? やけに息も荒いし。ねえってば」

 

 女神アクアがダクネスの肩を叩くと彼女はびくんと痙攣して甲高い嬌声をあげる。

 激しく身を捩じらせているダクネスが発情しているのは誰の目にも明らかだった。

 

「んくぅっ!」

「お、おいダクネス。お前まさか……」

 

 ダクネスはあなたに詰め寄ってきたかと思うと力強く腕を掴んできた。

 瞳は情欲に濡れており怜悧な美貌が台無しである。

 

「分かる、分かるぞ! あなたは今まさに誰かを調教していて、それはもう言葉に出来ないほど酷い目に遭わせているんだろう!? 私の勘がかつてない勢いで叫んでいる! この感覚はあのリッチーではなくきっと私のような騎士だな。……いいなあ、凄く羨ましいなあ……一日でいいから私と代わってくれないだろうか!!」

「今すぐその妄想を止めろこのオタンコナスッ! 何もされてないのに盛るとかお前の頭の中はピンク色通り越してどどめ色か! 見ろ、エレメンタルナイトの人もお前にドン引きしてるじゃねえかほんとごめんなさい!!」

 

 ダクネスの頭を勢いよく叩いて少年が謝罪してくるが、あなたはドン引きしていたわけではなくダクネスの人智を超えた被虐への嗅覚に戦慄しただけである。

 ベルディアとダクネスが顔を合わせたらどうなってしまうのだろうか。

 

《…………》

 

 不意に背中に何者かの視線を感じたあなたは勢いよく振り返る。

 しかしそこには長い廊下が続くばかりで誰もいない。

 

 女神アクアに視線を向けるが彼女は首を傾げるばかり。

 悪霊かと思ったのだがどうやら気のせいだったようだ。

 

「な、なんですか。どうして今後ろを振り返ったんですか? そういう笑えない冗談は止めてくださいよ」

 

 悪態をつきながらもあなたを盾にしようと背中に隠れるめぐみんは背丈も相まってまるで素直になれない反抗期の妹のようでどこか微笑ましい。

 勿論ノースティリスで有名な緑色の髪をした妹ではなく、世間一般で認識されている妹という意味である。

 あなたがめぐみんにそんな気持ちを抱いた瞬間、四次元ポケットの中からとても恐ろしい電波が届いた。

 

 

 

――地の底よりも深い場所から響く、この世全ての感情を煮詰めたかのような泣き声はさながら呪詛の如く。

 

――あらゆる生物の極北に立ち、あらゆる生命に干渉しながらもあらゆる干渉を撥ね退け侵食するもの。

 

――新しい生命を産み続け増殖を続けるもの。人々の想いに紡がれて生まれる幻想。

 

――知るがよい。忌むべきその名は“妹”なり。

 

 

 

《お兄ちゃんどいて! そいつ殺せない!!》

「ぴぎゃああああああああああああああああああああああ!?」

 

 めぐみんが悲鳴をあげてあなたの背中に抱き付いてきた。

 可哀想な事に今の声が聞こえてしまったようだ。

 あなたに近かったからか、あるいはあなたがめぐみんを妹のようだと思ってしまったからだろうか。

 

「な、なんだよめぐみん。びっくりさせんなよ」

「かかかっかかっかかかかカズマには今の声が聞こえなかったんですか!?」

「……なんか聞こえたか?」

 

 ダクネスも女神アクアも首を横に振って否定した。

 

「私には聞こえたんです!! 確かに女の子の声が私に殺してやるって言ってたんです!! お兄ちゃんどいてって!!」

「おい、もう少し今のお兄ちゃんって所を詳しく頼む!」

「そんな事よりもう帰りましょうカズマ! こんな所にいたら命が幾つあっても足りません! 後の事は全部この頭のおかしいのに任せてしまえばいいんです!!」

 

 ぶるぶるとあなたの背中で小動物のように震えるめぐみんは既に軽く泣きが入っている。

 めぐみんは脳内に電波が届くという経験をした事が無かったらしい。

 ノースティリスでは割と日常茶飯事なのだが。

 

「……どうなんだよアクア。めぐみんの言うような奴に何か心当たりとか悪霊の反応は?」

「全然無いわね。そもそも悪霊が活動するのって夜とかダンジョンの中なのよ。いくら屋敷の中だからってこんな時間からハッスルなんかしないわ」

「だよなあ。やっぱりめぐみんの気のせいじゃないか? お前ずっと緊張してたし」

「そんな事はありません! ねえ、貴方には今の声が聞こえてましたよね!?」

 

 めぐみんが必死に縋り付いて来るが、あなたはまるで身内に死者が出たかのような沈痛な面持ちでめぐみんを見つめた。

 せめて嘘はつかないように否定だけはしないでおいた。

 

「どうしてそんな可哀想な人を見る目で私を見るんですか!?」

 

 自分の持っているある意味呪いの道具のせいですとは口が裂けても言えない。

 あなたは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。めぐみんにはどうか強く生きてほしい。

 

 

 

 

 

 

 めぐみんが半泣きで暴れて爆裂魔法をぶっぱなそうとするという冷や汗物のハプニングこそあったものの、それ以外は特に何も起きる事無く時間が過ぎ、悪霊の出る時間である夜更けになった。

 現在あなたは一人で屋敷の中を探索中なのだが悪霊には今の所お目にかかれていない。

 他のメンバーは就寝中で女神アクアは秘蔵の酒を悪霊に飲まれたといってあなたとは別行動中である。

 

《…………》

 

 そして、数分ほど前からずっと何者かがあなたを見つめている。

 振り返ってもそこには誰もいない。しかしやはり昼間の気配は気のせいではなかったようだ。

 気配と視線の正体を探る為に廊下の角に近づいた所であなたは突然走り出す。背後から焦ったような気配がした。

 角を曲がって少しのところであなたは足を止めて後ろを振り返る。

 

 果たして、角の向こうで出待ちしていたあなたに突っ込んできたのは幽霊と思わしき、体が若干透けた少女だった。

 出待ちしていたあなたとあなたに追いついた少女の目が合い、数秒間互いの視線が交差する。

 

《……?》

 

 少女は首を傾げてあなたの前から横に移動し、あなたの視線は少女を追う。

 

《…………!?》

 

 少女はあなたが自分を見ていると気付いたようで、驚いたように自分の顔を指差した。

 まるで自分の姿が見えているのか、とでも言うかのように。

 あなたが頷くと少女は嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねてあなたに飛びついてきた。

 

 幽霊の少女はあなたの肩の上を占領し、何かを催促するようにニコニコと屈託無く笑いながらあなたを見下ろしている。

 どうにも悪霊の類には見えない。除霊してしまって構わないのだろうか。

 まるで農村の少女を想起させる人懐っこさにどうしたものかと頭を悩ませたあなたは、数時間前に女神アクアが霊視して語っていた話の内容を思い出す。

 

 女神アクア曰く、この屋敷には貴族が遊び半分で手を出したメイドとその子供、つまり隠し子が幽閉されていたのだという。

 元々身体の弱かった貴族の男はほどなくして病死。

 母親のメイドは娘を残して蒸発。

 そして屋敷に残された娘は幼くして父親と同じ病にかかって一人寂しく亡くなってしまったのだとか。

 

 その少女の名はアンナ・フィランテ・エステロイド。

 

 確認の意を込めて名を呼ぶと幽霊の少女、アンナは嬉しそうにコクコクと頷いた。どうやらこの少女が件の幽霊だったようだ。

 女神アクアの冗談のような精度の霊視に流石は女神であるとあなたは舌を巻く。

 霊視ではアンナは悪霊ではなく、あなた達に危害を加えるような存在ではないとなっていた。

 そしてお酒を飲むような大人っぽい事に興味があり、ぬいぐるみや人形、冒険者の冒険話を聞くのが好きだとも。

 

 外の世界を知らずに亡くなったアンナを不憫に思ったあなたは今までのこの世界での経験を話す事にした。

 幸いにしてあなたは数時間話し続けても話のネタに事欠かない程度にはこの世界で様々な経験をしている。

 身振り手振りを交えて時におもしろおかしい話を、時に手に汗握る話をアンナが飽きないように気を配りながら進めていく。

 キラキラと目を輝かせるアンナだったが、それも長くは続かなかった。

 あなたも話に夢中になって半ば忘れていたがここは現在幽霊屋敷である。

 

 

「アクアあああああああああああああああ!!! アクア様あああああああああああああああああ!!!」

 

 

 夜の静寂を切り裂く悲鳴にあなたがすわ何事かと構えればなんとカズマ少年が大量の人形に追いかけられているではないか。

 カズマ少年はそのままあなたに気付く事無く部屋の一つに駆け込んでしまった。あそこは確か女神アクアの部屋だった筈である。

 

 カズマ少年を取り逃がした人形達だが、すぐさまあなたに気付き一斉に襲い掛かってくる。

 悪霊の方から来てくれるというのならば話は早いとあなたは竜鱗の剣を抜く。

 人形ごと魂を破壊してしまえばそれで終わりだ。

 

《……!? ……!!》

 

 しかしそんなあなたの頭をアンナが必死な顔でぺしぺしと叩いてきた。どうやら壊すのは止めろと言っているようだ。

 そういえばアンナは人形が好きだった。この必死な様を見るに恐らく悪霊が乗り移った人形の群れはアンナが集めたものなのだろう。

 

 あなたの手持ちの手段には人形を破壊せずに悪霊を祓える手段は無い。

 もしもあなた一人だった場合は依頼達成の為に迷わず全ての人形を破壊していただろうが、幸いにして現在この屋敷には女神アクアという対アンデッドのスペシャリストが存在する。

 あなたは人形の破壊から捕獲に切り替える事にした。飛来するキャベツを捕まえるよりは遥かに気が楽だ。

 

 ちなみになんか虫みたいで気持ち悪いとはあなたに捕獲されて袋の中で蠢く無数の人形達を見て女神アクアが漏らした言葉であるが、それを聞いてアンナは憤慨していた。

 女神アクアは当然アンナを視認出来ていたが、あなたの頭の上で片足立ち……女神アクア曰く荒ぶる鷹のポーズを決めるアンナを生温かい目で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 翌日の夜明け前。

 全ての悪霊を除霊し終えたあなたはアンナに連れられて一人で屋敷の天井裏に侵入していた。

 

 天井裏はとても埃っぽかったがそれ以外に目を引くものは無い。

 ただ一つ、アンナに連れられた最奥に鎮座していた大きい黒い箱以外は。

 

 アンナのジェスチャーを見るに箱を開けろと言っているようだ。

 

 神器でも入っているのだろうか、と愚にもつかない事を考えながら箱を開けた瞬間、あなたはあまりの驚きに目を剥いた。

 なんと箱の中にはまるで人間の少女と見紛うような、長い桃色の髪をした極めて精巧な人形が入っていたのだ。

 

 身長は120センチほど。箱にはルゥルゥと刻まれているので恐らくはこの人形の名前なのだろう。アンナはこれをどうしてほしいのだろう。

 あなたがアンナに問いかけるとアンナはゆっくりと口の動きで“こわさなかった”“おともだち”“だいじにしてね”と言った。

 どうやらアンナはこの人形をプレゼントしてくれるつもりらしい。

 

 しかし本当に構わないのだろうか。

 人形に詳しくないあなたでもルゥルゥが職人の手によって作られた逸品だと分かるし、何よりこんな場所に隠していたという事はアンナにとっても大事な人形なように思えるのだが。

 

 だがアンナは少しだけ寂しそうに笑って、やはりあなたには聞こえない声で“ひとり”“かわいそう”と言った。

 

 女神アクア達に渡すという選択肢もあっただろうに、アンナはあなたを選んだのだ。

 あなたは大事にすると固く約束し、アンナからルゥルゥを譲り受ける事にした。

 

 しかしこれ程の品をタダ同然で受け取るのは心苦しいものがある。例え相手が幽霊だったとしてもだ。

 なのであなたはとっておきの冒険の話をする事にした。

 

 女神アクア達はまだ眠っているしここは皆の部屋から遠く離れた屋根裏部屋である。少しくらい秘密の話をしても大丈夫だろう。

 あなたはルゥルゥを箱の上に座らせ、あなたも床に座って息を吐いた。

 

《……?》

 

 ルゥルゥの隣に腰掛けて不思議そうに首を傾げるアンナに秘密の話……異世界の冒険の話をしようと告げる。

 

 顔をパアっと明るくして何度も何度も頷くアンナはどうやら異世界の冒険話に興味津々なようだ。

 元いた世界の話であれば、子供に話せないような血生臭い場面をカットしてもあなたの話題の泉が枯れる事は無い。

 

「…………」

 

 自分がノースティリスに降り立つ直前、クイーンセドナ号という船に乗っていた時の事を話し始めるあなたと異世界の冒険譚にワクワクと期待に目を輝かせるアンナ。

 そんなあなた達をルゥルゥはガラス玉の、しかし確かに意思を持った優しい目でしっかりと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 余談だが、悪霊騒ぎの原因は共同墓地に広域の神聖結界が張られていた事で墓場の霊が行き場を失ったからだったそうだ。

 つまり墓場の浄化をめんどくさがって横着した女神アクアが原因だった。

 女神アクア達は悪霊騒ぎのおかげで立派な屋敷を手に入れたわけで、知らなかったとはいえ酷いマッチポンプもあったものである。



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第20話 脅威のドレインタッチ

「ふーん、やっぱり貴方にもあの子が見えてたのね。貴方の頭に乗ってあんなポーズ決めてるからまさかとは思ったけど」

 

 

 除霊騒ぎが収まって暫く経ったある日の午後、あなたはカズマ少年と女神アクアと行動を共にしていた。

 

 今日のあなたはカズマ少年からある場所への同行を打診されている身である。

 最初は何故自分なのだろうかと思ったが、カズマ少年があなたにこっそりと見せてくれた紙……あなたのとてもよく見知った場所が記載されているそれを見て深く納得した。

 確かにそこに行くのならばあなたが共に行った方が面倒が無いだろう。

 

 カズマ少年と行動を共にする女神アクアはあなたが同行すると知ると若干渋ったものの、意外にもあっさりとこれを了承。

 

「あの子も貴方を信頼してたし、少なくとも悪い人じゃないみたいだから……リッチーはともかく」

 

 とは先日と打って変わって態度が軟化した女神アクアに疑問を抱いたカズマ少年に何か心境の変化があったのかと問われた際の返答である。

 アンナが女神アクアとあなたの橋渡しをしてくれたようだ。

 

 そして話をしていて分かったのだが、女神アクアはアンナの声が聞き取れるらしい。

 流石は女神。悪霊対策に透明視の装備をしていた故にアンナの姿が見えていたのであろうあなたとは大違いである。

 

「なあ、二人はさっきから何の話をしてるんだ?」

「こないだの屋敷の除霊の時に私が霊視した女の子がいたじゃない? あの子の姿をこの人も見てたみたいで仲良くなってたみたいなのよ」

「確かアンナ……だっけ? 絶対お前の大法螺かと思ったのにお墓に名前があってびっくりしたわ。どんな感じの子なんだ?」

「除霊騒ぎの時はこの人の頭の上で荒ぶる鷹のポーズを決めてたわね。ちなみに昨日はカズマの背後でヒゲダンスを踊ってたわ」

「アンナちゃんどんだけアグレッシブな幼女幽霊なんだよ! 病弱設定じゃなかったのか!?」

「生前が病弱だったからはっちゃけてるのよ。よくある事だわ」

「はっちゃけすぎだ!!」

 

 そんな他愛も無い話を続けながらあなた達が辿り着いた場所。そこは珍品危険物を求めてあなたが足繁く通っている、他の人間にはともかくあなたからしてみれば王都の店すら凌駕するこの国随一の魔法道具店。

 

 その名は――――

 

「……ねえカズマ、思いっきり看板に《ウィズ魔法店》って書いてるんですけど」

「そうだな。絶対に暴れたりするなよ?」

「確認の為に一応聞いておくわ。ここってもしかしなくてもあのリッチーがやってる店よね?」

「そうだな。絶対に喧嘩するなよ? その為にわざわざ付いてきてもらってるんだから」

 

 女神アクアは苦虫を噛みつぶしたような顔であなたを見て溜息を吐いた。

 

「なんでこの人を同行させてるのかと思ったら……でもなんでよりにもよって私を連れてきたのよ。来たきゃカズマ一人で来なさいよ一人で」

「俺が一人でウィズの所に行ったとか知ったらお前どうするよ」

「勿論アンタをぶっ飛ばした後に浄化するわ。女神の従者がリッチーの虜になるとか断じて認めるわけにはいかないもの」

「従者はともかく、そう言うと思ったから連れてきたんだよ。それにめぐみんとダクネスはともかくお前は目を離しとくと大変な事になりそうだしな。今の俺は屋敷を買ったせいで無一文だから何かあったらマジでどうしようもないんだ。もう冬になるって時期に借金なんぞ死んでも御免だぞ」

「私が金銭トラブルを起こすの前提で話をするの止めてくれない!? 私女神なんですけど!? 神様なんですけど!?」

「こないだの悪霊騒ぎの原因が誰だったかちょっと言ってみろよ。誰が街の皆に迷惑かけたか言ってみろよオイ」

「……私です。こんな女神で本当にすみませんでした……」

 

 仲良くじゃれあう二人を微笑ましく思いながらも放置して扉を潜る。いつものようにあなたの来店を知らせる鈴の音にウィズがパタパタと店の奥から駆けてくる。あなたが何度も見てきたいつもの光景である。

 

「いらっしゃいませ! いつもご愛顧ありがとうございます! 今日はどんな……ご、ご用でしょうか……?」

 

 頑張って接客こそ出来たものの、女神アクアの姿を視認した瞬間にウィズが反射的に安全と逃走経路を確保しようとあなたにアイコンタクトしてきたのをあなたは見逃さなかった。

 

「……ちょっとカズマ。今このリッチーびっくりするほど露骨に態度が変わったんですけど。エレメンタルナイトの人見た時めっちゃ嬉しそうだったのに私を見たら一瞬で曇ったんですけど。とても客への態度だとは思えないんですけど」

「迷惑な客が来たって思われたんだろ、どう考えてもお前の自業自得だ。俺はお前を連れてきてしまった事であの心の底から幸せそうなウィズの笑顔を曇らせてしまった罪悪感に早くも後悔し始めてる」

「表に出なさいカズマ。女神アクアの名に懸けて汝を星の彼方にぶっ飛ばしてあげましょう」

「ごめんなさい違うんですちょっとびっくりしただけで決して迷惑だなんて!!」

 

 

 

 

 

 

「今お茶を淹れますので少しお待ちくださいね」

「……ふん、リッチーの癖に中々殊勝な心掛けじゃないの」

「そこまでしなくていいって。客にお茶を出す魔道具店がどこにあるんだよ」

 

 カズマ少年の至極尤もな言葉にしかしウィズはあなたに視線を投げて飛ばす事で答え、カズマ少年は何かを察したように口元を歪めた。

 

「ああ、はいはい。なるほどね……そりゃあそうなるよな」

 

 いよいよ冷やかしの客が全滅したウィズ魔法店はあまりの客の少なさに暇を持て余した店主(ウィズ)ほぼ唯一の客(あなた)と日常的に備え付けのテーブルで茶を飲んで世間話に花を咲かせる店である。

 そんなあなた達の話を聞いた女神アクアが舌打ちした。

 

「客の前でイチャイチャとか普通に止めてほしいんですけどー。何、この店は店主が客に嫌がらせすんの? 私が殴る壁の用意は出来てる? ゴッドブロー見せるわよゴッドブロー」

「ち、違いますよ!? この人の他に本当にお客さんが来ないからやる事が無いんですよ……」

 

 何が悪いかといえば全ては品揃えとウィズの商才の無さが悪い。

 ウィズ目当ての冷やかしが来なくなった以上この閑古鳥の鳴きっぷりはある意味当然である。

 

「客が来ない? 素人目で悪いけどそんなに品揃えが悪いようには見えないけどな。この青いのとかいかにも凄そうなポーションだけど、これ何なんだ?」

「それは傷を癒すポーションですね。お値段は400万エリスですよ」

 

 瀕死の重傷も癒せる強力なポーションだ。

 しかし同等以上の回復魔法が使えるあなたには必要の無い品である。

 

「たっけえ……魔剣の売値でも買えないのかよ。こっちのは?」

「毒を治すポーションです。250万エリスです」

 

 致死の猛毒だろうと治せる強力なポーションだ。

 しかし毒を無効化する装備を持っているあなたにはこれも必要の無い品である。

 

「…………これは?」

「あ、それは凄いですよ。一回きりの使い捨てですが魔法の威力を跳ね上げるポーションなんです。ちなみにお値段は500万エリスです」

 

 このポーションは若干買ってもいいかなと思わなくも無いが、魔法の威力を大幅に、そして無限回数上げる事が出来る愛剣があるのであなたには今の所必要の無い品である。他の珍品や危険物を優先したいしウィズの助力が必要になった時にもし必要になったら買えばいいくらいに思っている。

 

「どれもこれも高すぎだろ! こんな駆け出し冒険者の街じゃなくて他所で売れよ!!」

「で、でも本当にいい品なんですよ!? 確かにちょっと高いかもしれませんが、きっと買ってくれるお客さんがいる筈なんです!! いざという時の為に持っておくと役に立ちますから!!」

 

 ウィズは期待するようにあなたをチラ見してきたが、聞かぬ知らぬ一切存ぜぬとばかりに黙殺する。彼女はあなたにとって大切な友人だがそれはそれ、これはこれである。

 

「ううっ、私のオススメの商品はいっつも喜んで買ってくれるのに……」

 

 あなたのいつも通りの塩対応にウィズがへぅぅ……と弱々しく鳴いたが断じてあれらを買うつもりは無い。

 こんな蒐集欲を掻き立てない普通の品はあなたには無用なのだ。

 

 

 

 

 

 

「それで、本日はどうされたんですか?」

 

 気を取り直してお茶を淹れたウィズがそう切り出した。女神アクアはリッチーの淹れた茶なんてどうせ、と軽くいちゃもんを付けながら茶を口にしたが味の良さにぐぬぬ……と唸っている。ウィズのお茶の美味しさはあなたもよく知る所である。

 

「それなんだけどさ。以前共同墓地で会った時にリッチーのスキルを教えてくれるって言っただろ? ポイントに余裕が出来たから何か教えてもらおうと思って」

「ハアアアアアアアアア!? ちょっとアンタ何考えてんの!? 言うに事欠いてリッチーのスキルを覚えるですって!? そんなもん覚えなくても普通のスキルにすればいいじゃない! ここに丁度属性付与(エンチャント)とか教えてくれそうなのが一人いるし!!」

 

 女神アクアが叫んであなたを指差す。

 教えるのは構わないが以前教えたもの以外のスキルになるとコストが重くなるのだが少年的にそれは大丈夫なのだろうか。

 

「この人にはもう幾つか教えてもらってる。けどダクネスがうるさいから属性付与(エンチャント)は覚えないって決めてるんだよ。それに聞くけどお前は最弱職の俺が普通の魔法戦士のスキルを取得して活躍出来ると思ってんのか? 強い敵と戦って戦力になれるとでも?」

「……ごめんなさい、私が軽率だったわ」

「普通に謝るなよ! 分かってても悲しくなるだろ!?」

 

 超火力だが一発で息切れする魔法使い。

 とても硬いが攻撃が当たらない被虐性癖持ち。

 アークプリーストというある意味パーティーの要であるにも関わらず不運で頭が弱いと称されてしまった女神。

 

 一点豪華主義と呼ぶにはあまりにもアクが強すぎるメンバーである。カズマ少年がリッチーのスキルで現状を打開しようと思うのもむべなるかな。

 

「えっと……あの日見逃してもらった恩返しにスキルを教えると言ったのは私ですので、それは構わないんですけど……」

「何か問題でもあるのか?」

「私のスキルは相手がいないと発動しないんです。ですので誰かに放つ必要があるんですが……」

「へえ、そうなのか。じゃあアクア、頼んでもいいか?」

「……はぁ? なんで私がリッチーのスキルを受けなきゃいけないわけ? 確かに冒険者のカズマだとすぐ死にそうだけど他に適任がいるじゃないの」

 

 三人の視線が店内を物色中のあなたに集中した。話の流れを読むに、どうやらあなたにウィズのスキルの的になってほしいという事らしい。それくらいなら別に構わないとあなたは了承した。

 リッチーのスキルに興味が無かったといえば大嘘になるし、自分で食らっておけば他のリッチーと戦う時の対策もしやすくなるだろう。ウィズと組んだ時にも作戦が組みやすくなる。

 

「えっと……じゃあドレインタッチのスキルを使いますね。手を出してもらっていいですか?」

 

 言われるままに右手を差し出す。ドレインタッチは対象の生命力、魔力を吸い取ったり他者に移す事が出来るスキルらしい。

 

 あなたはてっきり普通に握手をするのかと思ったのだがそうではなかった。

 なんとあなたの予想に反してウィズはあなたの手に自分の両手を被せてきたのだ。何故か女神アクアとカズマ少年の視線の温度が若干下がった。

 長い戦いで傷だらけになったあなたの手を、ウィズは繊細な雪細工に触れるかのようにそっと優しく包み込む。

 アンデッドだからだろうか、ひんやりとしたウィズの体温と極上の絹のような滑らかな手触りがあなたの右手に伝わってきた。

 

「……あなたの手は、温かいですね」

「…………うげぇ」

「女神ってどっちだったっけ? ……ぼ、暴力は止めろぉ!」

 

 ウィズが微笑み、女神アクアは女神がしてはいけない顔をして、カズマ少年がウィズと女神アクアを交互に見比べて女神アクアに締め上げられていた。

 

「…………」

 

 そうして暫くウィズと手を繋いでいたのだが特に何も起きない。魔力も生命力も減っていないのだ。あなたが気付いていないというわけではなく、本当にこれっぽっちも減っていない。

 

「なあ、カードに反応が無いんだけど」

 

 カズマ少年がああ言ってるのでやはりドレインタッチは発動はしていないようだ。

 

 それに先ほどからウィズはあなたの手の感触を確かめるようにぎゅっと強めに握ったり慈しむように撫で続けたり傷跡を指でなぞっている。

 非常にくすぐったいし気恥ずかしいのだが、実は傷からの方が吸収率が良かったりするのだろうか。あるいはあなたの手がウィズの内なる性的嗜好を刺激してしまったのか。

 

「……へ?」

 

 あなたの疑問にウィズはぽかんとした表情を浮かべた。

 自分の行動に本気で気付いていなかったような顔である。無意識でやっていたらしい。

 

「あ、えっと……すみません。なんか、つい止まらなくって。今スキルを…………ひゃあっ!?」

 

 謝罪しながらもあなたの手を弄り続けるのを止めないウィズにお返しとばかりにあなたが手を強く握り返すとウィズが可愛らしい悲鳴を上げた。女性らしい程よく柔らかい手だ。あなたには手に欲情するという性的嗜好は無いがこれは少し癖になるかもしれない。

 

「んっ……やっ、ちょっと、駄目、ですってば。そんなに握られたら、くすぐったいですから…………って痛い痛い! それ痛いですって! そんなに力入れたら私の手潰れちゃいますから! いいんですか私リッチーとっておきの必殺スキル使いますよ!? 使ったら大変な事になるから止めろって言われてるスキル使いますよ!?」

 

 そんなやりとりをしながら互いの手で戯れるあなた達の様子に女神アクアとカズマ少年は遠巻きからヒソヒソ話を始めた。光の消えた目で、ご丁寧にあなたとウィズに聞こえるような大きさの声で。

 

「カズマさんカズマさーん、私無性に壁を殴りたくなってきたんですけどー」

「奇遇だなアクアー。実は俺もなんだー。こんな事ならめぐみんも連れてくりゃよかったわー。…………爆裂しろ畜生め」

「っていうかもう完全に二人の世界よね。私達がいるのを忘れてるんじゃないかしら。あまりのイチャイチャっぷりに強い怒りで悪堕ち覚醒しそうだわ。無言で腹パンだわ」

「一体前世でどんな大罪を犯したらこんなほのぼのラブコメディを目の前で見せつけられるという憤死確定の罰を食らわされるんだよ。いかん死にたくなってきた。スキル覚えたら出て行くからさっさと使ってくれってんだクソッタレ」

 

 二人はイチャイチャだというがあなたには全くそんな自覚は無かった。あなたはただウィズにされた事をやり返しただけである。

 しかしウィズの手に夢中になって女神アクアとカズマ少年の存在を忘れていたのは事実なので反省する事頻りである。ミイラ取りがミイラになってしまったとはこういう事を言うのだろう。

 

 そして二人の揶揄を聞いた事でようやく自分が何をしていたのか自覚出来たのか、ウィズの顔面がぼふんという音が聞こえてきそうな勢いで朱に染まった。

 瞳をぐるぐるにしてあうあうと呂律の回っていないウィズにあなたはとても嫌な予感がした。具体的には女神アクア達と共同墓地で対峙した日の事が脳裏に過ぎったのだ。

 

「りゃ、りゃあひきまひゅね! ドレインターッチ!!」

 

 何かを誤魔化すようなウィズの叫びと共にごっそりと魔力と生命力が持っていかれる感覚があなたを襲う。

 ウィズの力量とあなたが完全にウィズを受け入れているというのもあるのだろうが、それを差し引いても凄まじい勢いで吸われている。

 このままでは数分ほどで確実にあなたは死ぬだろう。流石はリッチーだと言える危険度のスキルである。

 

「なあアクア、俺の目がおかしいのかな。ウィズの血色が良くなってる代わりにエレメンタルナイトの人の顔色が悪くなってる気がするんだけど」

「そりゃあんな勢いで生命力と魔力を吸われれば顔色の一つや二つ悪くもなるでしょうよ。…………というかよく生きてるわねあの人。私ならともかくカズマだったら一秒でカサカサのミイラになってる勢いよアレ」

「マジか、どっちも凄いな。……でもそれなら呑気に見てないで止めた方がよくないか?」

「…………吸われてる方が何も言わないんだし別にいいんじゃない?」

 

 秒単位でガンガン吸われているのだが流石にこれは気合いを入れすぎではないのか。それとなく注意しようとしたが声の代わりにあなたの喉から出てきたのはごほりという咳だった。

 口を押さえたあなたの左手には赤い滴が垂れていた。見せるだけにしては明らかにやりすぎである。

 もしかして知らないうちに何かウィズの恨みを買うような真似をしてしまったのだろうか。まさか先ほどまでの仕返しだったりするのだろうか。

 

「え、ちょ、おいウィズ! スキルは見たからもういい! それ以上はやばいって!!」

「早く止めないとその人吐血してるわよ!? っていうかあなたも黙って吸われてないで手を離しなさいよ!!」

 

 流石に吐血は焦ったのか、大声をあげた二人にウィズが我に返り、どうやって謝ったものかと悩むあなたの口元の赤を見て一瞬で顔を青くした。

 

「ごごごごめんなさい! 今お返ししますから!!」

 

 ウィズがパニックに陥った状態で行動すると基本的に碌な事が起きない。

 いい加減学んだあなたは落ち着いてからでいいと言おうとしたのだがそれは間一髪間に合わなかった。

 

 吸われた時より遥かに強い勢いで生命力と魔力が返ってきた事による強烈なリバウンドがあなたを襲う。

 歯を食いしばって再度吐血する事だけは辛うじて耐えたが、強い眩暈と共に視界が白に染まりぷつんと何かが切れた音が聞こえた。

 これならば無理矢理にでも手を解くべきだったかとあなたは自身の選択ミスを悔やむ。世界はいつだって優しくない事ばかりだ。特にノースティリスの冒険者には。

 

 遅きに失したがこのままではまずいという己の直感に従ってあなたがウィズを突き飛ばすと同時に頭頂部から噴水のように勢いよく出血し、あっという間にあなたの全身と店の床が真紅で染まった。

 頭が爆散する可能性も考えていただけにこの程度で済んだのは僥倖と言う他無いだろう。あなたはほっと安堵の息を吐いた。

 

「――――きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「ぴゅーって! 頭から血がぴゅーってなってる!! アクアあああああ!!」

「ヒール! なんでアンタ平気な顔して突っ立ってんの!? ヒールヒールヒール!!」

 

 にも関わらず絶叫して血みどろのあなたの周囲で右往左往する三人。

 誰も彼も頭から血が噴き出したくらいで大袈裟すぎである。この程度の出血では自分の命には届かないとあなたは苦笑した。

 死に慣れているあなたは自分の命がどこまで保つのか、自分はどこまでやれば死ぬのかなど、嫌というほど知り尽くしている。確かに三人はその事を知らないだろうが、それにしたって冒険者ならば大量出血は日常茶飯事だろうに。

 

 なのであなたは自分はまだ全然大丈夫だと、この程度でウィズの友人は決して死にはしないのだと無傷なのに罪悪感からか死にそうな顔になっているウィズににっこりと笑いかけた。

 そう、あなたは戦闘中だろうが相手を恐怖させない笑顔を身に着けているのだ。時折自宅に訪問する謎のプロデューサーに「いい……笑顔です……」と太鼓判を押されるくらいに笑顔には自信がある。

 

「――――きゅうっ」

 

 にも拘らずウィズはまるでとても恐ろしいものを見たかのように顔を強張らせて気絶してしまった。

 瀕死の敵でも逃げ出さない完璧な笑顔だった筈なのに何がいけなかったのだろうとあなたは首を傾げる。

 

「何言ってんの!? ちょっと待って本当に不思議そうな顔で何を言ってるの!?」

「あんなん逆効果に決まってんだろ常識的に考えて! そんな血みどろの顔で満面の笑みとか滅茶苦茶怖いわ!!」

 

 どうやらそういうものらしい。確かに血みどろの状態でああやって穏やかに笑う事は殆ど無かったとあなたは納得した。

 

 それにしてもこの血の量では汚してしまった床を掃除するのが大変だ。

 商品が血塗れにならなかったのは不幸中の幸いだろう。そう思いながらあなたは口に入ってきた血を舐める。

 何度味わったか覚えていない、いつもの鉄の味がした。



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第21話 住み込みメイド(仮)

 女神アクアの必死の治療により出血は止まったが、相変わらずあなたの姿は自身の流血で無惨極まりない事になっているしウィズは昏倒したまま目を覚まさない。

 

「そりゃあさ、俺は確かに爆発しろとは思ったけどさ。もっとこうプークスクスざまぁ的な展開を期待してたわけで、こんなR-18G展開なんか決して俺は見たくなかった」

「なんかもう壁とかどうでも良くなってきたわね。カズマは平気?」

「……すまん、実はちょっときつい」

 

 顔を真っ青にしてカズマ少年が店の外に出て行く。むせ返るような血の臭いを嫌がったのか鼻と口を押さえ、必死にあなたと床を見ないように目を背けながら。

 まるで血を見慣れていないような反応である。カズマ少年は冒険者な筈だがどうしたのだろう。

 

「あー……カズマは、その、なんていうか……貧弱というか軟弱坊やだから血に慣れてないのよ。冒険者になってから一度も大怪我とかした事も見た事も無かったしね」

 

 確かにカズマ少年は年齢の割に体があまり作られていない。今まで何をやって暮らしていたのだろう。まるで上流階級の子弟のようだ。

 

「大体その考え方で合ってるわ。……というか私達も一回出ない? そっちも一回帰って頭洗って着替えてきた方がいいと思うの」

 

 その提案に否やは無いが、ウィズはどうするべきだろうか。

 この血の海の中でウィズを放置しておくのは良くないが、自分が抱えては血で汚れてしまうという発言に、女神アクアは嫌そうに貸し一だからねと言ってウィズを運んでくれた。

 

 着替えに帰る道中、道行く人々が血みどろのあなたを見てざわついていた。恐怖、というよりは興味津々といった雰囲気なのが謎だったが、特に憲兵に問い詰められる事は無かったので万々歳である。

 

 

 

 ――なにあれこわい。え、返り血?

 ――痴話喧嘩だ……貧乏店主さんと痴話喧嘩したんだ……。

 ――あれ絶対痴話喧嘩の傷だろ……。

 

 ――ウィズさんって愛が重い人なのね。私そういうの嫌いじゃないわ!

 ――エレウィズキテル……。

 ――キテルネ……。

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさい。結構早かったわね」

 

 あなたが自宅で血を落とし、着替えを終えてウィズの店に戻ってもウィズは気絶したままだったし、女神アクアとカズマ少年の二人は屋敷に帰らなかったようだ。

 

「いや、駄目だろ。この状態でウィズほっといて帰るのって……なんかもう人として駄目だろ」

「起きた時に大怪我させた相手がいなくなってたら錯乱しそうだからあえて起こさなかったのよ。リッチーの相手はそっちでなんとかしなさいよね」

 

 言われるまでも無いとあなたは頷いた。この大惨事の原因は選択肢をミスした自分にもあるとあなたは考えていたのだ。もう少し強引な手段を取っていればここまで大事にはなっていなかっただろう。

 

「まあウィズの事はそっちに任せるとしてさ。これはどうしようか……」

 

 カズマ少年が店内を見てそう言った。

 吹き出たあなたの血液は既に赤黒く染まっており、とてもではないが買い物に来た客が足を踏み入れたいと思える状態ではない。

 

「まるで殺人現場だ。いや、俺は殺人現場とかアニメやゲーム、ドラマでしか見た事無いけど。……家政婦、もとい女神は見たって感じで二時間ドラマが組めそうだな」

犯人(ホシ)はリッチー。被害者(ガイシャ)のエレメンタルナイトは頭部に強い衝撃を食らっていたわ。犯行の動機は浮気を疑った犯人と被害者の口論の末にリッチーがついカッとなって手を出した衝動的なものね」

「救えない事に浮気を疑われた女の子は被害者の妹で、犯人に送るプレゼントの相談をしていただけ。全ては犯人の勘違いだったんだ」

「全てが明らかになった時、なんと被害者が犯人に送るはずだったプレゼントが見つかるの。絶望に崩れ落ちるリッチー、周囲に響き渡る懺悔と慟哭……」

「酷すぎる事件だったな。後味が悪すぎる」

 

 二人の会話には幾つもあなたには理解不能な単語も混じっていたが、少なくとも考えるだけで気が滅入ってきそうな話であるのだけは確かだ。

 カズマ少年がそんなあなたと気絶して魘されているウィズを交互に見て力なく笑った。

 

「……で、二人はどっちがリッチーなんだっけ?」

「流石の私でもそれはちょっと分からないわね。どっちもアンデッドって事でいいんじゃない?」

 

 女神アクアの発言は中々言いえて妙であるとあなたは感心した。ノースティリスの冒険者であるあなた達は限りなく不死者(アンデッド)に近い。この世界で死ねばどうなるかは分からないが。

 

「ウィズを煽ったのは俺達だしやっぱ掃除した方が良いよな。でも血の汚れって落ちにくいんだよな……」

 

 カズマ少年のめんどくさそうな声に女神アクアがドヤ顔で反応した。

 

「カズマ、ここは私に任せなさい。ここはいっちょ客の前でキャッキャウフフする不届きなリッチーの鼻を明かしてやるのも悪くないわ」

「……余計な事すんなよな」

「はぁ? ちょっとカズマ。私が誰だか忘れちゃったの?」

「宴会芸の神様だろ? もしくは穀潰しの神様」

「ぶっ飛ばすわよこのクソニート! 私はアクア。水の女神アクア! ちょろーっと本気を出せば汚れ掃除なんてお茶の子さいさいなんだから!!」

 

 女神アクアの助力があるのは心強い。女神アクアは酒好きらしいのであなたは王都で一番高い酒を奉納すると約束した。

 

「そう、これよこれ! 私はこういうのを待ってたのよ! もっとこの麗しき女神である私を崇めなさい! 称えなさい! そして掃除が終わったら美しい私に美味しいお酒を献上しなさい!! 私のスペッシャルな固有魔法を見せてやるからカズマはもっとこの人みたいに私を敬う事ね!! あーあーエレメンタルナイトの人がアクシズ教徒だったら良かったのになー!!」

 

 あなたの鼓舞に絶好調になって気合いを入れた女神アクアは後光すら射しそうな満面の笑みで詠唱に入る。

 

「……なあ、これはあくまでも善意から言っておくんだけどさ。あんまりアクアを甘やかさない方がいいぞ。アイツは少しくらい雑に扱う程度で丁度いいんだよ。ちょっと煽てるとすぐ図に乗って大変な事になるんだ……」

 

 よく分からないと首を傾げるあなたとまあいつか分かるとだけ言って溜息を吐くカズマ少年。

 女神アクアがウィズの店内で血塗れの床に向けてどこからか取り出した杖を向け、声高々にその魔法を唱えた。清浄な魔力の波動が一帯に満ち、かくして神の奇跡は顕現する。

 

「ピュア・クリエイト・ウォーター!!」

 

 カズマ少年は言った。女神アクアが調子に乗ると酷い事になり、それはいつか分かる時が来ると。

 パーティーを組んでいる本人が言うのだから間違いは無いだろうとあなたは自分を戒めたが、それはいつかであって今だとは思っていなかった。

 

 

 

 端的に言うと、水の女神アクアの固有魔法は大惨事を引き起こした。

 

 

 

 

 

 

「加減しろ莫迦!!」

 

 店内にカズマ少年の怒声が響き渡り、女神アクアが身を竦めた。

 

「お前の足りてない頭でもちょっと考えればこうなる事くらい分かるだろ!! お陰でウィズの店はこの様だ! オラッなんとか言ってみろこの馬鹿チャンプ!!」

「だって、だってこうすればすぐに終わると思ったのよー!!」

 

 水を司る大物女神が使う固有のクリエイトウォーターはあなたはおろか、ウィズのクリエイトウォーターとも比較にならない程に強力なものであり、瀑布の如き水の流れは一瞬でウィズの店の汚れを綺麗さっぱり洗い流す事に成功した。

 女神アクアの宣言通り、確かに店は綺麗になった。ウィズの店は本当に綺麗になった。血塗れの床はピカピカになったのだ。そこに嘘は無い。

 

「確かにすぐ終わったな! 血塗れの床ごと店を洗い流しやがって!! 洪水にでもあったのかってレベルで滅茶苦茶じゃねえか!! 商品どころかウィズの家も駄目にしちまってお前どう責任取るつもりだよこれ!?」

 

 あなたはカズマ少年の言葉、そして女神アクアの頭の残念さを甘く見ていたという事を存分に思い知る事になってしまった。

 高い能力を持つにも関わらず知力が低いというのはどういう意味を持つのか。知力の低い高レベルが調子に乗ると何を仕出かすのか。よもやここまでの大惨事になってしまうとは。

 

「あ、あの……元はといえばドレインタッチを使った私が原因ですから……商品はかなり駄目になっちゃいましたけどお店はなんとか壊れずに済みましたし……ちょっと家の方は凄い事になっちゃってますが……」

 

 瀑布の轟音で飛び起きたウィズがカズマ少年を宥める。気絶する前の死にそうだった顔は今は無い。

 あなたは怪我も血の染み一つも無い状態だしウィズ本人もそれどころではない、というのが正直な所だろう。何せ目が覚めたら自分の家と店が滅茶苦茶になっていたのだから。

 しかしウィズは壊れずに済んだと言っているが、あなたの目には家を含めて半壊しているようにしか見えない。壁も所々派手に崩壊してしまったし、これはもう修繕するよりもいっそ一から建て直したほうがいいのではないだろうか。

 

「ううっ……ご、ごめんなさい……」

 

 あなたの指摘に女神アクアが半泣きで謝ってきた。

 今の言い方では少し当てつけの様になってしまったかもしれないとあなたは困ったように頭を掻いた。

 

「じ、実際にやらかしたのはこの馬鹿なんだ。何とかして店の修理代と商品は弁償するよ……時間はかかるだろうけど……」

 

 じゃないとエレメンタルナイトの人にマジで俺達は全員ぶち殺される、という戦々恐々とした彼の小さい呟きは誰の耳にも届かなかった。

 

「で、ですがカズマさん。駄目になっちゃったのは高価なポーションやスクロールといった魔法道具ばかりなんですけど……」

「は、払う。家と店の修繕費もどれだけ時間がかかっても頑張って払う……アクアが。それで、代金は?」

「…………本当によろしいんですか?」

 

 カズマ少年が無言で頷く。決死の覚悟を感じさせるその表情だが、ウィズは困ったように懐から一枚の紙を取り出した。

 

「……ええと、家とお店の修理代も一緒にしますと……簡単に計算しただけなのでいくらか前後するとは思いますが、全部でおよそ二億五千万エリスになります……」

 

 駄目になった商品のリストを渡しながらウィズが決死の覚悟すら容易く打ち砕く無慈悲な宣告を放つ。

 カズマ少年と女神アクアは巨額の借金に石像と化したかの如く硬直し、二人の顔からはぶわっと汗が噴き出した。

 

「におく……」

「ごせんまん……」

 

 二億五千万エリス。自他共に認める高給取りのあなたからしてみてもちょっと支払いを踏み倒したくなるレベルで冷や汗物の大金である。

 実際に一瞬ベルディアの賞金額と照らし合わせてしまったし少なくともカズマ少年のような駆け出し冒険者がポンと払える額では無い。

 

 建物の代金がどれくらいかは分からないが、あなたが珍品危険品を買い漁った結果ウィズの店に売れ残ったのは高価で有用な使い捨ての魔道具ばかり。

 それが積み重なって相当な額になってしまったという事だけは分かる。

 

 おまけに現在カズマ少年は屋敷を買う為に無一文の状態だ。仮に他のパーティーメンバーの資金を掻き集めてもその額は到底億にすら届かないだろう。

 

「あ、あの、返済はいつでも大丈夫ですので……」

 

 同情した様子のウィズを無視してカズマ少年はひそひそとあなたに耳打ちしてきた。

 

「…………なあ、アクアの使ってる羽衣ってなんでも超凄い神具らしいんだけどさ。借金返済の足しにする為に買ってもらえたりしないか?」

 

 女神アクア本人を目の前にとんでもない提案である。この少年はなんと恐ろしい事を言い出すのかとあなたは戦慄した。

 しかし女神エリスのパンツ以外に女神がその身に直接纏う神器を入手出来る機会が来るとは思わなかったあなたは勿論大賛成である。

 あなたが喜んで借金を全額負担すると告げるとカズマ少年は嬉々として女神アクアに笑いかけた。

 

「おいやったなアクア! お前のその便所紙以下の役に立たないビラビラを売る時が来たぞ!! 心優しいエレメンタルナイトの人がお前の借金全額肩代わりしてくれるってさ!!」

「わああああああああーーーーっ!! ごめんなさいごめんなさい!! 私いっぱい頑張るからこれだけは許してください! これ本当に私が女神っていう最後の証なの!! これ無くなったら私女神じゃなくなっちゃうからあ!!」

「うるせえこの駄女神が! こちとら本気で命の危機なんだよ!!」

 

 必死に羽衣を庇って泣き喚く女神アクアにカズマ少年が襲い掛かる。

 どうやら女神アクアの羽衣はあなたにとっての愛剣や聖槍に等しい物だったらしい。これでは何を用意しても交換は無理だろう。実に残念である。誰でもいいので窃盗してくれないだろうか。

 

 

 

 

 

 

「なんじゃこりゃあ……」

「うわ、ひっでえなオイ……」

 

 騒ぎを聞きつけた住人達と共にウィズの店と家の片づけを行う。

 カズマ少年の怒声により女神アクアが何かをしたというのは伝わっていたようで、始めのうちはかなりの冷たい視線と敵意が二人を襲う事になった。

 しかし女神アクアが触った水の魔法道具の暴走でこうなったとあなたが嘘の説明をすると「ああ、久しぶりだな……何年ぶりだっけこういうの……」という諦観にも似た雰囲気が野次馬の全員に満ちた挙句二人は若干同情すらされていた。

 

 どうやらウィズの店が酷い事になるのは今回が初めてではなかったようだ。

 流石に家まで半壊するというのは初めてだったようだが、今ばかりは世間一般的にどうしようもない品ばかりを入荷するウィズの凄まじい商才の無さに感謝しておきたい所である。

 

 

 

 

「しかしウィズさん、これからどうすんだい?」

「…………どうしましょうかね」

 

 半壊した自宅を片付けている最中、住人の声にウィズがぽつりと弱音を吐いた。

 自宅まで半壊したダメージが遅れてやってきたのか、今のウィズはいつになく弱々しい。

 

「……お店や家は壊れても建て直せます。荷物はいざとなれば貸し倉庫があります。でも家が直るまで住む場所は……今あるお金はお店と家の再建に消えるから余計なお金は使いたくないし……やっぱり馬小屋ですよね……寒いけど……」

 

 今にも泣き出しそうな声で暗い影を背負うウィズに、目を背けたカズマ少年と女神アクア以外全員の視線があなたに集中する。

 

 ――お前が何とかしろ。絶対に何とかしろ。死ぬ気で何とかしろ。死んでも何とかしろ。

 ――ウィズさん泣かせたらマジで許さんからな。

 ――頑張って! 頑張ってエレメンタルナイトさん!!

 ――エレメンタルナイトさん、僕にウィズさんの下着を売ってください! お金なら幾らでも払いますから!!

 

 彼らは物言わずとも瞳でそう語っているように思える。ちなみに最後の者は冷たい笑みを浮かべた屈強な男と女性達に囲まれてどこかに消えてしまった。

 他者が宿代を払うといってもウィズは絶対に受け取りを拒否して馬小屋に寝泊りするだろう。彼女はそういう女性だ。

 それを分かっているからこそ誰もウィズに何も言わないのだろうし、実際にあなたは直接食材を手渡しているのだから。

 

 幸いにしてどうにもならないわけではないし心当たりが無いでもない。しかし本当にいいのだろうか。

 あなたは全く気にならないがウィズがそうだとは限らない。食材を無理矢理押し付けた時とは話が違いすぎる。

 

 かといって傷心のウィズをこのまま放置しておくわけにもいかない。幾らなんでも友人が馬小屋で凍えながら越冬するのを見過ごすなんていうのは論外にも程がある。

 あなたは覚悟を決めて途方に暮れるウィズに向かって全部の荷物を置いておける場所とウィズが温かく越冬出来る場所に心当たりがあると告げる事にした。

 

「ほ、本当ですかっ!?」

 

 まるで砂漠でオアシスを見つけたかのような反応のウィズに何故か周囲の人間はウィズから目を背けた。

 かくいうあなたも若干良心が痛んだが、嘘は言っていないので大丈夫だと頑張って自分をごまかした。

 

 

 

 

 

 

 ウィズの家の片づけが終わったのは日がどっぷり沈んだ頃。夜中にも関わらず住人達は荷車を引いてあなたとウィズに付いてきてくれた。彼女の人徳が伺える。

 

 一方で片づけが終わるとカズマ少年と必死の形相の女神アクアは早速借金返済の為に行動すべく冒険者ギルドに向かっていった。

 今の季節は冬だ。この世界では冬の間は弱いモンスターは冬眠してしまい、活動するモンスターは手ごわいものばかりになる。

 ギルドの依頼の数も全体的に減少しているというのに彼らはこれから馬車馬の如く働くのだろう。

 

 自分にも全く責任が無いわけではない。時々彼らの依頼を手伝った方がいいのかもしれない、とあなたは荷車を引きながらそんな事を思った。

 

 そうして幾つもの荷車を引き連れたあなたが向かった場所とはどこにでもある大きめの一軒家だった。

 大人二人ほどが楽に暮らせる大きさの、二階建ての庭付きの家だ。

 新築ではないがそう年月が経っているわけでもなくどちらかというと当たりの物件と言えるだろう。

 

「あの……ここって……」

 

 困惑した様子のウィズだが無理も無い。

 何せあなたが選んだのはあなたの家なのだから。

 

 あなたは一言もウィズに嘘を言っていない。

 あなたの家はそれなりに広いしまだ部屋も余っている。いざとなれば四次元ポケットもあるので全部の荷物を置いても大丈夫だしあなたはウィズに快く寝泊り出来る部屋を提供するつもりだ。

 カズマ少年の屋敷は駄目だろう。両者が罪悪感で死にかねない。

 

「…………なんか、前にもこんな事あった気がするんですけど。あなたが私の食事の面倒を見てくれるって言った時にもあなたは同じような事を言いましたよね?」

 

 複雑な表情でウィズがあなたを見つめてきたが、あなたはあえてそれを無視した。ウィズの発言に何故か先ほどからざわついていた周囲が一斉に押し黙る。

 

 あなたは冬だろうが問題なく各地で依頼を受けるので四六時中自宅にいるわけではない。

 ここにはあなただけではなくベルディアも住んでいるが、シェルターごと連れ回すかウィズが滞在している間だけモンスターボールに入れて倉庫に突っ込んでおけばいいだろう。

 

 ウィズは呆れたように溜息を吐いたがあなたは食料の時と違ってウィズに自宅への滞在を強要するつもりはなかった。

 あなたはノースティリスの住人だがそれくらいの分別はあるのだ。

 

 なのでどうしてもウィズが嫌だというのならばウィズの寝泊りする馬小屋を普通の宿くらいにまで居心地をよくするだけの話である。言うまでも無いがこれはウィズが拒否しても強行するつもりだ。

 

「普通に馬小屋の管理人さんに迷惑すぎるのでそれは止めてください……」

 

 

「ウィズさんはこの人の事が嫌いなの? 嫌いになっちゃったの?」

 

 頭を抱えるウィズに片づけを手伝ってくれた一人である年若い少女が突然そんな事を言った。

 

「そ、そんなわけないじゃないですか!? 嫌いになるだなんて絶対にありえませんよそんなの!!」

 

 とんでもないとばかりに勢いよく首を横に振るウィズにあなたはほっと安心し、少女を始めとする女性達が生暖かい視線を送る。

 

「やっぱりキテル……」

「エレウィズキテルネ……」

「えっと、何が来てるんですか?」

 

 突如女性陣の間で飛び交い始めた謎言語に首を傾げるあなたとウィズを尻目に男性陣は死んだ目で一斉に荷車からテキパキと荷物を降ろして帰り始めた。何故か荷車を残す事無く。

 

「ええええええええ!? ちょっ、なんで皆さん帰っちゃうんですか!? 待って下さいよ!! 私この荷物どうすればいいんですか!? せめて荷車一台だけでも!!」

「すまんなウィズさん。この荷車は一人用なんだ。そこで突っ立ってる家主に全部家の中に運んでもらいな。それでいいじゃないか」

「物凄い理不尽な事言ってませんか!?」

 

 困惑するウィズを放って彼らは男女とも全員があっという間に本当に帰ってしまった。あなたの家の前には大量の荷物とぽつんと佇むウィズだけが残される。

 

「なんでしょう、この突然梯子を外された感は……もしかして私、自分で気付いてなかっただけで皆から嫌われてたんでしょうか……? ごめんなさい、私今ちょっと本気で泣きそうなんですけど……」

 

 へぅ……と項垂れるウィズの背中をさすりながらあなたはそれだけは絶対に無いと断言した。

 

「……そう、でしょうか?」

 

 涙目かつ上目遣いであなたを見つめてくるウィズに首肯する。

 嫌われていたらわざわざこんな時間まで片付けを手伝ってくれる筈が無いのだ。少なくともあなたは嫌いな相手の家の掃除など絶対にしない。むしろ率先して自宅にモンスターを召喚するしバレないように核を置く。

 

 彼らは皆ウィズの事を大事に思っているが故に、あなたと同じようにウィズが馬小屋で凍えながら寝泊りするのを耐えられなかったのだろう。

 

「だと、いいんですけど……」

 

 ぐしぐしと目を擦るウィズだが、それで実際の所ウィズはどうするつもりなのか。

 このまま荷物を家の中に運んでもいいのならば今すぐそうするが。

 同居が嫌だと言われてしまえば仕方ないので四次元に収納して倉庫に持っていくつもりだ。

 もしくはこちらが宿暮らしになればいい。

 

「……いえ、一緒に住む事については全然構わないんです。勿論知らない方や仲の良くない方と一緒に住めと言われたら絶対にお断りしますけど、あなたは違いますし。冒険者やってた時は仲間と同じ部屋に泊まるとか結構普通にやってましたしね。ベルディアさんは、まあ……セクハラさえされなければ」

 

 若干それとこれとは違う気がするが、ウィズ本人がそう言うのならばそうなのだろう。

 ベルディアがセクハラしてきたら地獄を見せると言っている。

 しかしそれならば断る理由が無いと思うのだが。

 

「だってこのままじゃ私、あなたにお世話になりっぱなしじゃないですか……今日だって私のせいであんな事になっちゃいましたし……」

 

 ドレインタッチについては殆ど事故のようなものだ。

 ウィズが気にしいなのは今更だが犬に噛まれたとでも思ってさっさと忘れた方がいい。少なくともあなたは全く気にしていなかった。むしろドレインタッチを食らえて良かったとすら思っている。

 しかしそこまで本当に迷惑をかけて申し訳ない、心苦しいと思うのならウィズの気が済むまで住み込みで料理や掃除といった家事でもやってくれればそれでいい。むしろ全力でお願いしたい。今まで家事を担当していたベルディアは現在育成中なので面倒なのだ。

 

「もう。それって結局同じ意味じゃないですか。…………でも、ありがとうございます」

 

 そこまで言って、ウィズは空を見上げた。

 互いの吐く息は白く、確かな冬の到来を感じさせる。

 

「……じゃあ、そこまで言ってくださる友達の申し出を断るのは申し訳ないので……冬の間だけ、もしくは私の家とお店が直るまで、しばらくの間あなたのお世話になりますね。なんだかんだ言いましたが、やっぱり馬小屋で凍えながら冬を越すのは……リッチーでも辛いですし……」

 

 諦めたような、それでいてどこかホッとしたように笑ってウィズがぺこりと頭を下げた。

 あなたは余計な事は言わずにこれからよろしく、とだけ簡潔に伝えて荷物の回収作業に入る。

 

 

 

 ――――あなたは、本当にいつも私を人間みたいに扱うから。私、時々勘違いしそうになっちゃうんですよ?

 

 

 

 背中越しに、そんな声が聞こえた気がした。

 ウィズに何か言ったか聞いても不思議そうに首を傾げられたので、きっと気のせいだったのだろう。

 

 

 

 

 

 かくして《ウィズ魔法店》の店主にしてリッチーであるウィズはあなたの家に家事手伝い、あるいは住み込みメイド(仮)として居候する事になったのであった。



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第22話 とあるぼっちの宣戦布告

 目が覚めて最初にあなたが感じたもの、それは焼きたてのパンの香りだった。ジュウジュウと肉の焼ける音と匂いもする。

 

 寝起きの空きっ腹にこれはちょっとした毒ですらある。あなたはごくりと生唾を飲んだ。

 しかし家の近所にパン屋はあっただろうかと覚めきっていない頭で考えながら窓に目を向けるが部屋の窓とカーテンはしっかりと閉め切られていた。今は冬なのだから当たり前の話である。

 

 となると、どうやらこの匂いはあなたの家の階下から漂ってきているようだ。早く目が覚めたベルディアが焼いてくれているのだろう。いつの間にやら戦闘力だけではなく料理技能に磨きをかけたらしい。満足そうにあなたは頷いた。

 

 

 

 

「あっ、おはようございます。朝ご飯もうすぐ出来ますから、席について待っててくださいね」

 

 しかし二階の自室から下りたあなたを出迎えたのはベルディアではなく、なんと《ウィズ魔法店》の店主であるウィズだった。

 

 声を出さずに驚愕するあなたに気付く事の無いウィズは長い髪を後ろに一つに纏め、ポニーテールのような髪型にしている。

 更にいつものゆったりとしたローブではなく上は白のブラウスに紺のセーター、下は黒のロングスカートを着ており、更に猫の刺繍がされたエプロンを付けてあなたの家のキッチンに立っていた。

 

 ウィズに促されるまま椅子に座りながら、あなたは何故ウィズはここにいるのだろうと心の中で疑問符を浮かべる。

 ここは紛れもなく自分の家である。彼女とそういう関係になった覚えは無いのだが、記憶が途切れているのだろうか。もしくは自分は夢の中にいるのか。

 

 何がそんなに楽しいのか、ご機嫌な様子で鼻歌を歌いながら料理を作るウィズを眺めながら考える事数十秒。

 あなたはなぜウィズがこんな朝から自分の家の中で料理を作っているのかを思い出す事に成功した。

 

 そう、昨日ウィズの家はある意味で不幸な事故……というか人災により店ごと半壊してしまったのだ。

 そして廃墟と化した店で途方に暮れる彼女を見かねたあなたはウィズを自宅に招き、家事を担当してもらうのと引き換えにウィズの家と店が再建されるまで自分の家で面倒を見る事になったのだ。

 

 朝から自宅にウィズがいるという光景に頭が麻痺していたようだ。

 危なかった。自分から家に招いておきながらどうしてここにいるのかなどと聞いてしまってはウィズにどんな顔をされてしまうか分かったものではない。控えめに言って最低である。

 

 

 

 朝食を三人分テーブルに並べ終え、あなたがベルディアを起こそうと席を立った所でタイミングよくゲッソリと頬をこけさせたベルディアが起きて来た。食事はストマフィリアを食べているので精神的なものだろう。

 

「うぼあ……今日からまた辛い七日間が始まる……んあ?」

 

 ベルディアはウィズを見てとても不思議そうな顔をした。

 まるで駆け出しの時に妖精のアドバイス通り自宅で魔法書を読んだら野生のドラゴンが出現したり、本を読んだだけで自分に生き別れた血の繋がっていない妹が発生した時のあなたのような表情である。いつ思い出しても怖気が走る記憶である。

 しかしそれもその筈。昨日がたまたま休みの日だったベルディアは丸一日眠っていたのでウィズがあなたの家に居候する事になったのをまだ知らないのだ。

 なのでベルディアの方はいいのだが何故かウィズも訝しげにベルディアを見ている。まるで変態や不審者を見るような目である。嫌われすぎではないだろうか。

 

「おいご主人。なんでウィズがいるんだ? ブラボー。なんだ夢か覚めたくない」

 

 ベルディアは静かに混乱していた。もしかしたら疲れが残っているのかもしれない。だが終末には行ってもらう。

 

「……あの、あなたはどちら様ですか? どこかでお会いした事がありましたか……?」

「おおっと辛辣ぅ!! 誰って俺だよベルディアだよ! というか俺ってそんなに嫌われてたのか! 朝っぱらから俺の心はボロボロだぞご主人!!」

 

 ベルディアの自業自得ではないだろうか。心当たりが無いとは言わせない。

 

「ご主人、それを言ったらお終いだろみたいな返しは止めてくれないか……」

「あっ、ああ……すみません。ベルディアさんだったんですね!」

 

 パン、と合点がいったような顔で手の平を合わせるウィズ。

 本気で他人扱いだったのだが、ウィズとベルディアは同僚ではなかったのだろうか。

 

「私、ベルディアさんの鎧姿しか見た事無かったんですよ。それにデュラハンなのにこうして首が付いているものですから本当に誰だか分からなくて……何があったんですか?」

「鎧はともかく、ご主人から聞いてなかったのか? 色々あって俺の首は着脱可能になったのだ」

「色々とは?」

「……人体改造。なんか変なスキルも覚えた」

 

 愉快な宴会芸こと合体と分離スキルに思う所があるのか、ベルディアが忌々しそうに吐き捨て、ウィズがあなたをちらりと見たので首肯する。人体改造と言うか正確には遺伝子合成の結果である。

 

「く、首の話ですよね?」

「勿論だ。分離」

 

 宣言と共にベルディアの黒い首に一筋の線が入り、ベルディアが己の頭を持ち上げると首無し騎士(デュラハン)らしい姿に戻った。やはりベルディアはこちらの姿の方がしっくり来る。

 

「まあこんな感じだな。原理はさっぱりわからんがこれで慣れると結構便利だったりも…………あっ」

 

 何度かぽーんと生首を宙に放っていたベルディアだが、不意に首がぽろりと手から転げ落ちた。首が落ちる先はなんと偶然にもウィズの足元である。

 それを見たあなたは即座に愛剣の柄だけを異空間から出して制裁の準備に入った。

 

 ベルディアはかつてあなたが行った忠告を忘れているのか、あえて無視しているのか。あるいはウィズの前でそんな無茶はしないと甘く見ているのか。

 どちらにせよベルディアがこんなに勇気のある者だとは知らなかったとあなたは感心した。そしてどうやらベルディアは愛剣の切れ味がお気に召したらしい。ついでに絶対に死なないようにサンドバッグに吊るしてやろう。なあに、かえって耐久力が上がる。

 

「ちょ、待っ…………っしゃああああああおらああああああ!!」

 

 己だけに向けられたあなたの鋭い殺気を感じ取ったのか、ベルディアは一瞬で零れ落ちていく頭を鍛え上げた反応速度で回収して勢い良く胴体に乗せる。

 人のいいウィズは今のは事故だったんですね、と安心したようだし実際に未遂だったのでサンドバッグは止めておこう。本当に事故だった可能性もゼロでは無い。あなたは愛剣を異次元に戻しながら静かに殺気を収めた。

 

「セーフ……いや、今のは本当に事故だったし……とりあえず俺、超合体!!」

 

 

 

 ――――ブッピガン!!

 

 

 

 あなたの耳に馴染みの無い謎の音がベルディアの首の接合部から鳴り、あなた達三人の間にえもいわれぬ沈黙が舞い降りた。ブッピガン。

 もう一度言う。ベルディアの首の接合部から音が鳴ったのだ。ブッピガン。

 

「…………今、なんか凄い音がしなかったか? ブッピガンって聞こえたんだが」

「しましたね。あと音が鳴った瞬間、首のくっ付いた所が一瞬だけピカって光ってましたよ……」

「なんだこのスキル!?」

 

 慌てて首周りを押さえるベルディアだが何かが起きる筈もない。もう一度分離して合体するというのはどうだろうか。合体時に気合いを入れていたので今度はシェルターの中で。

 脅威の謎スキルを会得してしまったベルディアの運命はこの先どうなってしまうのか。主人として、また一介の冒険者としても興味は尽きない。ベルディアの行き着く末が今からとても楽しみだ。

 

「うわあ、ご主人がめっちゃイイ笑顔してる。ふふふ、怖い……」

「そうですか? 私の店で買い物する時に結構あんな感じになりますけど」

「マジか……マジか……」

「何で私から距離を取るんですか!?」

 

 

 

 

 

 

「自宅が吹っ飛んだから冬の間だけご主人のお世話になる、と……いやまあ俺は全然構わないっていうか選択する権利とか無いし……うん」

 

 食後の一時、シェルターに潜る前にベルディアへの説明が行われた。

 ちなみにウィズの用意した朝食はあなたとベルディアの期待を裏切る事無くとても美味しかった。これからの食事がとても楽しみである。

 

「といっても俺は殆どシェルターの中にいるからな……顔を合わせる機会なんぞこうした休み明けか飯時くらいしか無さそうだ。おれはとてもつらいぞごす」

 

 早くも壊れ始めて乾いた笑いを上げるベルディアにウィズが若干引いた。

 ちなみにウィズはあなたとの世間話の中で力を求めてあなたの仲間になったベルディアが普段どんな事をやっているか聞かされている。既に何回も死ぬような目に遭っている事も。

 

「ところで一度ウィズに聞いておきたかったのだが、魔王軍で俺は今どういう扱いになっているんだ?」

「えっと、私も最近知ったんですけどベルディアさんは死んだ事になってるみたいです。結界に若干の綻びが出たと私にも通知がありましたので」

 

 どうやら一度死ぬと魔王城の結界は担当しなくてもいいらしい。同様にウィズも結界の維持から解放出来るのだろうが論外である。ウィズ本人に頼まれれば考えなくも無いが。

 死人扱いについてだが、実際にベルディアは毎日死んでいるのでそれも当然だろう。

 

「アンデッドの身で死人扱いとは笑えん話だが、都合がいいといえばいいのかもしれんな。俺が生きていると知られたら面倒な事になりそうだ」

 

 しかし幹部のベルディアが駆け出し冒険者の街の何者かに敗北した事を重く見た魔王軍はアクセルに大軍や次の幹部を送ってくるのではないだろうか。

 

「こんな辺境に大軍を送り込んでくる可能性は低いぞ。来るとしたら俺のような幹部だろうな。複数来る可能性はあるが……まあどうせ誰が来ても結果は同じだろう」

 

 ベルディアは何故か投げやりにそんな事を言った。

 元同僚に思う所は無いのだろうか。

 

「無くはないが……俺は自分の事で手一杯だから正直割とどうでもいい」

「それなんですけど。ベルディアさんはこの人の事をどこまで聞いているんですか?」

「一通り聞いていると思うぞ? 簡単に言うとご主人はノースティリスとかいう異世界の者なのだろう?」

「はい。実はその件について何か知っているかもしれないバニルさんに来てもらうようにお手紙を出してるんです。なので増援は恐らくバニルさんが来るのではないかと……」

 

 ウィズの友人の名前を聞いて、ベルディアはとても嫌そうな顔をした。

 

「……よりにもよってアイツが来るのか。俺アイツが苦手っていうか……うん、苦手なんだよな」

「え、えっと……バニルさんはいい人……いい悪魔だと思いますよ?」

「魔王軍幹部でも随一の性悪なアイツがか? アイツ悪感情を得ようと絶対俺の事煽って笑ってくるだろ。何なら賭けても良いぞ」

 

 ジト目のベルディアからウィズは黙って目を逸らした。バニルという名のウィズの友人はいい悪魔だがそれはそれとしてとてもイイ性格をしているようだ。

 

「というかバニルがウィズとご主人に会いに来るのなら、元を合わせて魔王軍幹部が三人も集まるのか。いよいよこの街もやばくなってきたな。駆け出し冒険者の街とは一体……うごご……」

「アクシズ教の女神、アクア様も降臨されてますし……つくづく凄い事になっちゃってますね」

 

 ウィズの溜息交じりの呟きにベルディアは劇的に反応した。

 椅子をガタンと倒して立ち上がるベルディアはこれでもかと目を見開き手が震えている。

 

「……ベルディアさん?」

「あ、アクシズ教ってあのアクシズ教か!? 悪名高い紅魔族と並んで危ないから見るな触るな関わるながモットーのロクデナシが揃ったアクシズ教か!? アレの元締めがいるとか俺は聞いてないぞ!?」

 

 軽く錯乱するベルディアに確かに女神アクアの存在をまだ教えていなかったとあなたは気付く。

 終末狩りで自宅に監禁状態のベルディアには特に話す理由も機会も無かったので当然である。あなたは女神アクアがこの街に降臨したのはベルディアが廃城に来る一月ほど前の話だと教える事にした。

 

 更に言うと女神エリスも降臨しているのだが、それはウィズも知らない。そういえば最近姿を見かけないが女神エリスは今どこで何をしているのだろうか。

 

「アクシズ教の女神がいるとかそんな話聞きたくなかった……」

 

 あなたの話を聞いたベルディアは頭を抱えてしまった。

 それにしても凄まじい嫌われっぷりである。仮にも人類の敵であった元魔王軍幹部にここまで拒絶されるとはアクシズ教徒とやらはどれだけ凄まじい連中なのか。

 あなたからしてみれば女神アクアを温かく見守り続ける、確かに少し変わってはいるもののしかし親近感の湧くとても信心深い異教徒達なのだが。

 YESアクア様NOタッチとは彼らがあなたに語った言葉である。

 あなたの信仰する女神の狂信者、それも過激派の連中に彼らの爪の垢を煎じて飲ませたい。

 

「……そうか。俺がここに派遣されたのは確実にその女神が原因だろうな。ご主人の言ってる降臨した時期と予言にあった時期が完璧に一致している」

 

 実はウィズは女神アクアの降臨をあなたを通してかなり初期の段階から知っていたのだが、ウィズは魔王軍にその情報を流していない。疑っていたわけではないが、彼女は本当に魔王城の結界の維持しか担当していないようだ。

 

「それで、その女神アクアとやらはどんな奴なのだ?」

「どんな……え、えっと……お願いします……」

 

 言葉に窮したのか、ウィズはあなたに救いを求めるような視線を送ってきた。

 確かにウィズの目線からではあまり楽しい話にはならないだろう。ウィズが女神アクアと言葉を交わしたのは二回だけだし一度目は問答無用で浄化されかけた。そして今回の二度目である。ここは自分が一肌脱ぐべきだ。

 

 女神アクアは強大な力を持ち、不運で若干頭が弱くて調子に乗りやすい女神である。

 更にウィズはあなたの関係者だからか手を出す事はなくなったが基本的にアンデッドを見たら即浄化すべし、みたいな考えを持っている。デュラハンであるベルディアも例外ではないだろう。

 

「……水と浄化とか俺では相性が悪すぎるし色々な意味でヤバそうな奴だな。あんまり関わり合いになりたくないぞ、これだからアクシズ教は嫌なんだ」

 

 若干やさぐれた様子のベルディアは何故か戦う事前提で考えているようだが、そんな機会があるのかは甚だ疑問である。

 ちなみにウィズの店と家を半壊させてウィズを家無しにしたのも女神アクアである。背負った借金は二億五千万エリス。

 

「…………」

 

 あなたの話を聞いたベルディアの顔から少しだけ険が取れた。

 女神アクアがウィズの家を破壊したからこそウィズは今ここにいる。それに気付いてしまったのだろう。それと多額の借金への同情も混じっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 状況の説明を終えてベルディアを終末に叩き込み、あなたもギルドへ向かう時間である。

 

 季節は冬だがあなたは他の冒険者のように貯蓄を切り崩してゆっくり生活する気など毛頭無い。

 ノースティリスにも冬はあるが誰も彼もいつも通りに活動するものだし、何よりあなたはこの世界の冬を経験するのは初めてなのだ。冬季限定の依頼だってあるのだから行動しない理由は無い。それこそがあなたのライフワークであるが故に。

 

 皿洗いをしていたウィズだが、あなたがいつも通りにギルドへ仕事へ向かうと声をかけると玄関先まで見送りに来てくれた。

 相変わらず髪も服装もそのままで、しかし見慣れぬやや大きめの包みを持って。

 

「行ってらっしゃい。寒いですから、身体には十分気をつけてくださいね……あとこれ、お弁当です。もしよかったらお昼に食べてください」

 

 ありがたく包みを受け取って四次元ポケットに収納する。早くも昼時が楽しみだとあなたは心を弾ませた。

 

 それにしてもウィズは何がそんなに楽しいのか、ニコニコと嬉しそうに笑っているが冒険者に身体に気をつけろというのは無茶な話ではないだろうか。

 確かにあなたは仕事を選ばない事で有名だが、この世界においても冒険者の基本は切った張ったである。そんなあなたの指摘にウィズは苦笑した。

 

「確かにそうですけど……ならせめて、ちゃんとここに帰ってきてくださいね? ここはあなたの家なんですから」

 

 ひらひらと手を振るウィズは格好も相まってまるで新婚の女性のようだとあなたは感じたが、勿論あなたとウィズはそのような関係では無い。

 ただ、ウィズのような女性と結婚する相手は幸せ者だと。あなたは心の底からそう思った。

 

 

 

 

 

 

 さて、冬の……それも早い時間という事もあってかギルドの中は普段とは比べ物にならないほどに閑散としていた。というか本当に人がいない。

 空いている受付窓口は一つだけだし、酒場のウェイトレスも殆ど姿を見かけない。

 冒険者達はまだ暖かい宿で過ごしているのだろう。昼になればもう少し人も集まってくるのだが。

 他の街、例えば王都では冬だろうが活動する冒険者はそれなりに存在するのだが駆け出し冒険者の町ではそうもいかない。

 

 いつも通りに依頼は選り取り見取りだとあなたはご機嫌で依頼の掲示板に向かったのだが、そこには一人の先客がいた。

 あなたを除けば現在唯一ギルドの中にいる冒険者である彼女は、高難易度の依頼ばかりが張り出された掲示板の前でぽつんと立ち尽くしている。

 

「ううっ……幾ら冬だからってどうしてこんなに難しい依頼ばっかりしか無いの……? 私でも大丈夫そうなのって雪精討伐くらいしか……でももしアレが出てきたら……」

 

 セミロングの黒髪をリボンで束ね、どこかで見た事のある黒一色のローブを纏った年若い少女である。

 年齢は十代半ばから後半といった所だろうか。どこかめぐみんを髣髴とさせるがめぐみんよりも若干背が高い。発育の良さは比較にすらならない。

 しばらくして依頼の受注を諦めたのか、暗い顔で振り返った少女だったがその瞳は赤かった。もしかしたらめぐみんのような紅魔族の者なのかもしれない。

 

「…………!!」

 

 一瞬少女とあなたの目が合ったのだが、少女は何も言わずにそそくさとテーブルに座ってしまった。あなたと少女以外に誰もいない、この寒いギルドの中でぽつんと一人で。ウェイトレスを呼んで何かを頼もうとする様子も無い。

 言葉の様子を鑑みるに彼女は若いにも関わらず一人で活動しているようだ。随分と変わった少女だと自分の事を棚に上げて考えつつも依頼掲示板の前に立ったあなただが、ふと背中に熱い視線を感じた。

 

「…………」

 

 視線の主は言うまでも無く黒髪の少女である。

 彼女はあなたに声をかけるでもなくひたすらにあなたを見つめ続けている。

 

 どこかで会った事がある人物だろうか、とあなたは暫く記憶を探ったが全く引っかからなかった。

 辛うじてギルドの中で彼女に似た人物を見た事があるような気がしないでもないが、少なくともあなたと彼女が会話をした事は一度も無い。

 

「…………っ!!」

 

 自分に何か用事だろうかとあなたが振り向くと、少女はバっと勢い良く顔を背けてしまった。しばらくそのまま見つめていたがプルプルと震えだしたので視線を掲示板に戻す。あのままだと少女に泣きが入る予感がしたのだ。

 

「…………ほっ」

 

 しかし少女は再びあなたに視線を飛ばしてきた。それどころか今度は席を立ってあなたの視界に入る位置からチラチラとあなたを窺ってくる始末。

 凄まじく露骨な自己アピールにあなたはそう来たか、と内心で唸った。これは歴戦の冒険者であるあなたをして初めて出会うタイプの相手である。まるで対処法が思い浮かばない。

 用事があるのならば何か言ってほしいのだが、やはり少女の方からあなたに声をかけてくる気配は無い。という事はまあ、少女が喧嘩を売っているのでなければこれはつまりそういう事なのだろう。

 

「えっ……あ、えっ……?」

 

 どうやらこちらから声をかけてほしがっているようだし、いい加減にこのままでは埒が明かないのであなたは自分から少女に話しかける事にした。先ほどから自分を見ているようだが何か用があるのかと。

 

「あ、あぇ……その……あの……えっと…………ひ、一人、なのかな、って……」

 

 そこまで言って少女は俯いて両手で服の裾をぎゅっと握ってしまった。

 とても庇護欲、あるいは嗜虐心をそそられる仕草だが今はそれどころではない。

 あなたは溜息を吐きそうになったが辛うじて堪える。どうにもこの少女は引っ込み思案なようだ。それにしては妙な所で行動力があるようだが。

 

 緊張しているのはあなたが年上だというのも関係しているのかもしれない。

 どうしたものかと考えていたが互いに黙りこくったまま澱んだ空気が流れ始める。まずい、これは些か自分の手に余る手合いだ。

 あなたは今すぐウィズに増援を頼みたくなった。彼女ならきっと何とかしてくれるのではないだろうかという半ば無責任な信頼の下に今すぐ丸投げを行ってしまいたい。

 

 しかし、あなたはそこで先ほど少女が依頼掲示板で独り立ち尽くしていた時に言っていた事を思い出す事に成功した。

 

 ――ううっ……幾ら冬だからってどうしてこんなに難しい依頼ばっかりしか無いの……? 私でも大丈夫そうなのって雪精討伐くらいしか……でももしアレが出てきたら……。

 

 なるほど、つまり彼女は合同で依頼を受ける相手を探していたのだろう。そして自分と同じくソロで活動しているあなたに目をつけたのだ。他に誰もいないというのもあっただろうが。

 あなたは活路を開くべく、どの依頼を受けるつもりなのか少女に問いかけてみた。

 

「えっ、あ……わ、私なんかとパーティーを組んでくれるんですか!?」

 

 おかしい、一気に話が飛んでしまった。誰もそんな事は言っていない。

 どうやらあなたが若干勘違いしていたようだが、パーティーを組みたいのならば掲示板で募集すればいいのではないだろうか。冬季なので厳しいだろうが可能性はある。

 

「…………」

 

 あなたの素朴な疑問に少女は無言でパーティー募集の掲示板を指差した。そこには随分と前から残っているのか、だいぶボロボロになった張り紙が一枚だけ残されている。

 見ろと言っているようなので内容を確かめるべく掲示板に足を向けたあなただが、そこにはこんな事が記されていた。

 

 

 

 《パーティーメンバーを一名募集しています》

 《優しい方、真面目な方、私の話を聞いてくれる方、名前を笑わない方、趣味の合う方、年齢が離れすぎていない方、休日は私と一緒に遊んでくれる方、ご飯を一緒に食べてくれる方 (以下延々と続く)……を希望しています》

 《レベルや職業は問いません。こちらアークウィザードです》

 

 

 

 ああ、これは駄目なやつだ。それもとびっきり駄目なやつだ。

 

 張り紙の内容を読んだあなたはうぼあ、と小さく呟いた。思わず両手で目を覆いたくなるようなやるせない気持ちでいっぱいになってしまった。

 これではパーティーメンバーの募集ではなく友人の募集だし、友人の募集にしてもこれは酷すぎる。用紙にビッシリと友達の条件を書き連ねるような者と関わり合いになるくらいなら他を選ぶだろう。誰だってそうする。

 

 この募集を見て応募する者は頭がどうかしている。むしろこんな募集で人が来ると思っているのならそっちの方がどうかしているだろう。

 あなたは未だにこの世界の常識に疎い部分が多いが、そんなあなたにもこれがいわゆる“核地雷”だという事は容易に理解出来る。決して踏んではいけない。

 

 まさかあの少女がこの募集の主なのだろうか。振り返ると期待に目を爛々と輝かせた少女が至近距離からあなたを見つめていた。

 おお、なんという事だろう。あなたはどうやらとびきりの地雷を踏んでしまったようだ。

 

 

 しかしあなたは現在パーティーメンバーは求めていない。そもそも他者の助力が必要になった時は真っ先にウィズに願い出ると彼女と約束しているのだ。あなたは平気で嘘をつける人間だが友人との約束を違えるつもりは無い。

 

「ふ、不束者ですがこれからよろしくお願いします……!」

 

 深々と頭を下げる彼女の中ではあなたと自分がパーティーを組むのは確定事項になっているようだ。まるで意味が分からない。本を読んだだけでお嬢様が無理矢理仲間に加わるかのような唐突さと強引さである。

 これ程の強引さがあれば仲間などすぐに捕まるだろうに、と若干呆れながらもあなたは少女に申し訳ないが自分ではこの募集要項を満たせないし、そもそも自分はパーティーメンバーを必要としていないと正直に告げた。

 

「あっ、え…………ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 格好を見るに恐らく彼女は紅魔族なのだろう。仲間や友人が欲しいのならあなたの知り合いにめぐみんという紅魔族の少女がいるので紹介する事が出来るがどうだろうか。

 

「えっ……めぐみん……?」

 

 少女はその名を聞くとぽかん、と口を開けた。

 もしかして知り合いだったのだろうか。確かに二人の年齢は近いが。

 

「し、知り合いというか……その……あなたは……めぐみんのお友達の方だったんですか?」

 

 友人ではない。それなりに仲はいいと思っているが彼女に一方的に敵視というかライバル視されているだけの知り合いである。

 

「ライバル……。……あの、あなたの名前をお聞きしても宜しいですか?」

 

 あなたの名を聞いた瞬間、ギラリと少女の赤い目が血のように鮮烈な赤に染まった。

 

「そう、ですか……あなたが、あの……あのアクセルのエース……!」

 

 あなたを見つめる少女の紅瞳に強い決意の火が灯り、ばさりとその黒いマントを翻す少女の姿はまるでかつてのめぐみんを再現するかのように瓜二つだった。

 

「わ……我が名はゆんゆん! アークウィザードにして上級魔法を習得せんとする者! やがて紅魔族の長になる者にして…………紅魔族随一の魔法の使い手であるめぐみんの生涯のライバル!!」

 

 声高に名乗った紅魔族の少女、ゆんゆんがあなたに指を突きつけてくる。

 あなたを親の仇の如く睨みつけてくる姿に先ほどまでの気弱な少女の面影はどこにもない。

 

 

 

 

「アクセルのエースにしてめぐみんが宿敵と見なす者よ!! 我が宿敵、めぐみんの随一のライバルの座を賭けて……私はあなたに勝負を申し込みます!!」



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第23話 ★《遥かな蒼空に浮かぶ雲》

「アクセルのエースにしてめぐみんが宿敵と見なす者よ!! 我が宿敵、めぐみんの随一のライバルの座を賭けて……私はあなたに勝負を申し込みます!!」

 

 しん、と。耳が痛くなる程の静寂が冬の早朝のギルドを支配する。

 受付の方からガタリと椅子を蹴倒したような音が聞こえた。

 

 ゆんゆんはウィズと同じアークウィザードだという。

 めぐみんのライバルというくらいだから爆裂魔法だって使えるのかもしれない。

 

 しかし先ほどゆんゆんにも話したが、めぐみんはあなたのライバルではない。

 アクセルのエースを目指しているというめぐみんが現在エースと呼ばれているあなたを一方的に宿敵(ライバル)に認定しているだけである。

 それを知ってなお挑んでくるというのならばよし。そこまでの覚悟をもって挑んでくるというのであればこちらも受けて立とう。

 

「も、勿論です! それでもしょ、勝負しないと……! たとえ勝ち目が薄くても、私が私であるために……私は……あなたに勝つまで何度だって勝負を挑ませてもらいます!!」

 

 彼我の力量差は感じ取っているのか涙目になりながらもゆんゆんは己を曲げる事は無かった。

 あなたは彼女のような前に進み続ける者、諦めの悪い者が嫌いではないしむしろ好きだ。

 かくいうあなたも諦めの悪さには自信があるし、実際に何度死んで心が折れて絶望に膝を屈しても決して諦める(埋まる)事だけはしなかったのだから。

 

 

 

 だがあなたには疑問が一つだけあった。

 当のめぐみん本人は本当に自分の事をライバルだと思っているのだろうか、と。

 

 

 

 あなたがめぐみんに越えるべき壁、あるいは目標として認識されているのは間違いない。実際に本人がそう言っているしあなたもそう感じている。

 しかしめぐみんがあなたを本来の意味でのライバル……つまり互いに競い合う相手として認識しているかと聞かれると首を傾げてしまう。

 

 

 あなたが競い合う相手と聞いてまず連想するものは時に《無》と呼ばれる事もある、追放された神や多くの魂が彷徨しているとも伝えられる時空の切り離された終わりの無い無限ネフィアの超深層に身を置く者達だ。

 つまりあなたにとってライバルとはほぼ友人に等しい。全力の互いを殺し得る存在とも言える。

 

 

 あなたはめぐみんとゆんゆんの関係など知らないが、めぐみんに本当の意味でのライバルがいるとすればそれはゆんゆんに他ならないのではないだろうか。このゆんゆんの気迫を見るに、とてもではないがぽっと出のあなたが割り込める関係には思えない。

 

「えっ……そ、そうですか……?」

 

 ゆんゆんはあなたと戦う前に一度めぐみんの中での自分の立ち位置をはっきりさせておくべきだとあなたは説得した。

 このまま戦ってゆんゆんを血祭りにあげてしまっては最悪めぐみんのライバルがいなくなってしまう。それはあなたの望むところでは無い。切磋琢磨出来る相手がいるというのは幸せな事だとあなたは知っているのだ。

 

「ち、ちちちち血祭り!? わわ私は別にそこまでは……」

 

 ゆんゆんが何故か一歩あなたから距離をあけた。

 

 随一のライバルの座を賭けての勝負なのだから、当然やるべきは命を賭けた決闘だろう。

 あなた達も時々やっているのでよく分かる。ちなみにあなたはマニ信者とエヘカトル信者にロックオンされている。

 

 無論勝負である以上、あなたはこれっぽっちも手加減する気は無い。愛剣を使用して全開でゆんゆんの相手をしよう。

 冒険者の、それも本気の勝負に性別や年齢は関係ないし手加減などゆんゆんの覚悟への侮辱に他ならないからだ。

 

「え、あの、えっと……せめてもう少し穏便な方法で……」

「待ってください!」

 

 ゆんゆんが蚊の鳴くような声で何かを言ったが、残念ながらそれはあなた達の間に走りこんできたルナの大声でかき消されてしまった。

 

「ただの喧嘩はともかく、命を賭けた私闘となるとギルドとしても流石に看過出来ません!!」

 

 そうは言うが勝負を仕掛けてきたのはゆんゆんだ。

 あなたはゆんゆんに応じているに過ぎない。

 

「だからといって命の奪い合いをする必要はどこにもありません。他にもっとやりようがある筈です!」

「ルナさんの言うとおりだって。悪い事は言わないから決闘とか止めときなよ。この人滅茶苦茶強いから」

「そうそう、あんたみたいな女の子が命を無駄に散らす事は無いって。この人冬の王都でもソロでバリバリやってるって評判の頭のおかしいエレメンタルナイトだからね?」

「アークウィザードなんでしょ? 若いのに凄いじゃない。生きてればきっといい事あるわよ」

 

 ゆんゆんの大声を聞きつけてあなた達に近づいてきたウェイトレス達も口々にゆんゆんに勝負を止めるように説得し始めた。

 完全にゆんゆんが殺される事前提で話をしている。

 命を賭けて挑んできたゆんゆんにそれは失礼ではないだろうか。

 

 たとえ今のゆんゆんとあなたが戦えば目隠しして座っていてもあなたが勝てるほどに年季と地力が違いすぎるとしても、彼女は勝算があるからこそ挑んできている筈なのだ。

 勝算の無い相手に命を賭けて挑むのは勝負ではない。それではただの自殺である。断頭台(ギロチン)にわくわくと首を差し出すようなものだ。紅魔族は皆賢い事で有名なのでそこまで馬鹿ではないだろう。

 まあ今のあなたを殺すためにはギロチンを数百回落とす必要があるのだが。

 

「あ……えっと、違……あぅ……ど、どうしてこんな事になっちゃったの……?」

 

 ゆんゆんは四方をルナとウェイトレスに囲まれ、涙目でおろおろしながら救いを求めるように周囲を見渡している。

 あんな募集をかけるくらいだから人馴れしていないのかもしれない。あなたは少しだけゆんゆんに同情した。

 

「あっ……!」

 

 突然目を止めたゆんゆんの視線の先を追えばそこには依頼掲示板が。

 

「そうだ雪精! 勝負は雪精の討伐数にしましょう多くやっつけた方がめぐみんの随一のライバルですよはい決まり!!」

 

 声をかける間も無く一息に捲し立ててゆんゆんは脱兎の如くギルドから出て行ってしまった。

 残されたあなた達は顔を見合わせる。

 

「……もしかしてあの子、決闘じゃなくてもっと別の方法で戦ってほしかったんじゃない?」

 

 今更ながらあなたもそんな気がしていた。

 しかし互いの上下関係を決めるのに他に向いている勝負などあるのだろうか。

 

「それを言われちゃうと困るんだけど……料理勝負とか?」

「流石にそれはないわ。随一のライバルを決めたがってたんだし、冒険者ならやっぱ腕っ節でしょ常識的に考えて」

「決闘じゃないとしたらあの子が言ったように討伐依頼を競うのが冒険者らしいっちゃらしいよね」

 

 依頼で競い合うという概念の存在しないあなたには今一ピンと来なかったが、どうやらそういうものらしい。

 ならばゆんゆんには悪い事をしてしまっただろうか。

 

「……でもさあ、この季節に討伐競争とかどう考えても無茶でしょ。ジャイアントトードならまだしも雪精ってやばくない?」

「やばい。討伐競争とか絶対冬将軍出てくる」

「ルナさん、冬将軍の目撃情報ってどうなってるんです?」

「今期はまだ未確認ですね。ですがこの時期は基本的に冒険者の方は活動しませんから出会う機会すら稀なモンスターですし」

「ですよねー」

 

 冬将軍とは国が高額賞金をかけた名前の如く冬季限定の特別指定モンスター、つまり賞金首である。

 冬の精霊である冬将軍は眷属である雪精に手出しをしなければ決して人間に敵対せず、雪精に手を出しても礼を尽くして謝罪すれば見逃してくれるらしい。

 

 これだけ温厚だというのに冬将軍の首にかけられた懸賞金はなんと二億エリス。

 

 ベルディアの懸賞金である三億エリスには届かないものの、ベルディアには魔王軍幹部として長きに渡って人類に辛酸を舐めさせてきたというキャリアがある。

 危険度が極めて低いにも拘わらずこの破格の高額賞金。それこそが冬将軍の戦闘力を如実に示していた。

 

 神器を持っているのならば是が非でも会いに行くのだが、そのような話は聞いていないので冬将軍はあなたの興味を引く相手ではない。

 冬将軍は白い異国の鎧を身に纏い、更に冷気を発する武器を持っているようだがそれは鎧も含めて精霊の体の一部、つまり爪や牙のようなものであって独立した武具ではないのだとか。

 更に精霊は倒せば霧散して何も残らないとくれば戦う理由が一つも無いのだ。

 

 

 ちなみに季節を司る高額賞金首の精霊には春を告げる精霊である春一番が存在する。

 春一番は突風を身に纏って女性のスカートをめくる以外は全く人に危害を加えない上にとても弱いという極めて人畜無害な精霊なのだが、その性質からか女性達に莫大な賞金をかけられて蛇蝎の如く嫌われている。

 にも拘わらず未だ討伐されていないのがとても不思議だが、女性冒険者が追い詰めても忽然と姿を消してしまうらしい。

 

 どうでもいい話だが春一番は男性からは絶大な支持を受け、一部からは神と崇められている。

 

 

 

 

 

 

 勝負の内容を決めたのはいいが依頼を受注せず、勝負の日時も場所も指定せずにどこかに行ってしまったゆんゆんが戻ってくるのを待つこと暫し。

 あなたが一人でノンアルコールのシャワシャワする飲み物を飲んでいるとギルドの扉が乱暴に開け放たれた。

 

「ああっ……それにしても金が欲しい……っ!!」

 

 ノースティリスでもそれなりに名の知れた顎の尖ったカジノに入り浸る某冒険者のような、血を吐くような切実な台詞とともに現れたのはカズマ少年だ。

 思えば某冒険者である彼はイカサマをしてガードに袋叩きにされる事も多々あったが、それでもいざという時の運と読みと駆け引きは他者の追随を許さない凄まじいものがあった。ただしギャンブル限定で。

 

「うげえっ……!?」

 

 あなたの姿を視認した瞬間、カエルが潰されたような声を出したカズマ少年は顔を引き攣らせた女神アクアを建物の隅に引っ張っていってしまった。

 

「ねえカズマ、あれってやっぱりあれよね。私達に本気で借金返済する意思があるか監視する為に待ってたのよね?」

「あの人の家には今ウィズがいるんだから、こんな朝っぱらから依頼も受けずに一人で飲む理由は他に無いだろ。いざとなったらマジでお前の羽衣を売るから覚悟しとけよ」

「そ、それだけは……どうかそれだけは許してください……!」

 

 こそこそと何かを話し合っている二人を放置してめぐみんとダクネスはあなたに近付いてきた。

 やけに機嫌がいいのが謎だ。

 

「アクアが作った多額の借金のお陰でカズマが冬でも意欲的に依頼を受けるようになりました。額が額なので複雑ですが一応礼を言っておきます」

 

 まさか借金をこしらえた事に対して礼を言われるとは思ってもみなかった。むしろ恨まれてもおかしくないと思っていただけにこれは驚きである。

 それにしてもこの世界の冒険者は冬は積極的に活動しない筈ではなかったのか。

 

「他所は他所、私は私です。屋敷を手に入れた事で最近のカズマは依頼を減らして出来るだけのんびり安全に暮らしたいとかフヌケた事言ってましたからね。レベルを上げて爆裂魔法の威力を上げたい私としては歯痒く思っていた所だったのですよ」

「冬のモンスターは強力なやつばかりだからな。……どんな目に遭わせてくれるのか今から楽しみだ!」

 

 どうやら二人がこの世界の冒険者の一般的な規格から若干はみ出ていただけのようだ。

 あなたも冬に活動する冒険者だが異世界人なのでノーカウントである。

 

「それで、あなたはこんな時間から何をやっていたんですか? まさか家に居辛くなって出てきたわけでもないでしょうに。借金漬けになった私達のパーティーの監視ですか?」

 

 皮肉げに笑うめぐみんの言葉にカズマ少年と女神アクアが遠巻きからあなたを緊張した面持ちで見つめている。

 生憎だがあなたは彼らの監視を行うほど暇を持て余してはいない。

 

 ウィズ本人が借金の返済はいつでもいいと言っているのだし、借金は彼らが死ぬまでに返す事が出来ればいいのではないだろうか。もしも彼らが全滅してしまった場合はあなたが立て替えるつもりである。

 幸いにしてウィズは不朽のアンデッドであるリッチーだ。寿命など存在しない以上は気長に借金の返済を待つだろう。

 そんな話を聞いたカズマ少年と女神アクアは安心したように額の汗を拭っていた。

 

「……じゃあ何をしているんですか?」

 

 他人ならともかくゆんゆんのライバルであるというめぐみんは当事者だ。むしろ教えておくべきだろう。

 あなたは先ほどまでギルドの中で起きていた一連の事件を話す事にした。

 

 

 

 

「な、何をやってるんですかあのおバカは! こんな頭のおかしいのに喧嘩売るとか信じられません! 死ぬ気ですか!?」

 

 事情を知っためぐみんは勘弁してくださいと頭を抱えてしまった。

 こんなの呼ばわりとは随分と御挨拶である。

 

「めぐみんのライバルか。どんな子なんだ?」

「……くっそチョロい女ですよ。チャラチャラした男にちょっとナンパされただけで舞い上がって路地裏に連れ込まれてもおかしくないほどにチョロいんです」

 

 ダクネスの質問に答えためぐみんのライバルへの印象はとても酷いものだった。

 めぐみんとの繋がりの為にあなたに勝負を挑んでくるような健気な少女だというのに。

 

「どうせ頭に血がのぼって何も考えずに勝負を挑んだに決まっています。ゆんゆんは人見知りする癖にそういうめんどくさいところがありますから。それにぼっちで構ってちゃんなゆんゆんは私のライバルという立ち位置に拘っていましたからね」

「なんでめぐみんはそこまでライバル視されていたんだ?」

「ゆんゆんとは紅魔族の魔法学校で同じクラスだったんですが、あの子はいっつも二番だったんですよ。ちなみに私が一番でした」

 

 やれやれ、と肩を竦めるめぐみんだがその物言いはどこかゆんゆんを思いやっているというか心配しているようにも見える。

 ダクネスも何か感じ入るものがあったのか、微笑ましいものを見る目でめぐみんを見つめていた。

 

「心配なんかしていません。でも貴方はあの子からの勝負はどんなものであっても絶対に受けないでください。ゆんゆんはぼっちでめんどくさくてチョロい女ですが、あの子のライバルは私なんです。……いいですね?」

 

 賭けの対象であるめぐみん本人がそう言うのであれば否やはない。

 あなたはゆんゆんが戻ってきた時の為にキープしておいた雪精の討伐依頼を戻す事にした。ほっと安堵の息を吐くめぐみんにあえて何も言わずに。

 

 

 

 

 

 

 めぐみん一行と別れて数時間後。

 あなたはアクセルから離れた場所にある山岳地帯にまで足を運んでいた。

 

 一面の雪景色で覆われたその場所には拳ほどの大きさの白くて丸い塊がそこかしこに浮いている。

 これこそが冬の風物詩である雪精である。雪精自体の危険度は皆無という話は本当なようでどれだけ近づいても攻撃的な意思は感じない。

 これを一匹倒すだけで十万エリスの報酬、更に春が半日早く訪れると言われているのだから世の中分からない。

 

「ず、随分と遅かったですね……。ずっと待っていたのに全然来ないからどうしようかと不安になっていたところですよ……ううっ、さ、寒いよぉ……」

 

 そしてそんな雪精の群れの中でゆんゆんは立っていた。

 寒風吹き荒ぶ中でゆんゆんは耳まで真っ赤にしてガチガチと身体を震わせ、唇は青くなっている。

 

 まさかとは思うが、ゆんゆんはギルドを飛び出してからずっとここにいたのだろうか。あれから数時間は経っているのだが。

 めぐみんはゆんゆんはそういう子だと断言していたが、まさか本当だったとは。

 雨の中デートをすっぽかされても、傘をささずにずっと相手を待ち続けていそうな子だ。考えてみるとかなり怖い。

 

「し、勝負ですから当たり前です!」

 

 しかし雪精を討伐すると捲し立て、肝心の勝負の時間も場所も決めずに飛び出してしまったのはゆんゆんだ。

 あなたはゆんゆんを探して色々な場所を捜索したし、こうして雪精の生息地域を見つけ出すのも中々に骨が折れた。

 もう少し近い場所にある平原にも雪精はいたがそこにゆんゆんはいなかったのだ。おかげでこんなに時間がかかってしまった。

 

「えっ? …………あっ」

 

 あなたの軽い愚痴にはっと我に返るゆんゆん。

 気付いてくれたようで何よりである。あまりにも見つからないので危うく捜索願いを出す所だった。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 あなたは白い溜息を吐きながら懐から一枚の紙を取り出し、申し訳無さそうに身体を縮めるゆんゆんに手渡した。

 これはゆんゆんを探すのなら持って行けと言われてめぐみんに渡された物である。

 

「めぐみんが、私に?」

 

 めぐみんがライバルに向けてしたためた一枚の手紙。

 あなたは中には何が書いてあるのかは勿論知らない。

 

「…………」

 

 手紙を読み進めていくにつれてゆんゆんの顔が真っ赤に、しかし最終的に真っ青になった。

 

「ご、ごめんなさいいっ!!」

 

 全て読み終わると同時に深く頭を下げるゆんゆん。

 随一のライバル騒ぎは終わったようだが、本当にめぐみんは何を書いてくれたのだろうか。

 

 頭を下げながらお願いします殺さないでくださいと言い出したゆんゆんにあなたは思わず遠い目をして――――

 

 

 

 そして、あなたとソレの目が合った。

 

 

 

「…………ひっ!?」

 

 突然黙ったあなたが気になったのか、あなたの視線の先を追ったゆんゆんが恐怖からか悲鳴をあげてあなたの背中に隠れた。

 

 いつからソレはそこにいたのだろう。

 あるいはずっと雪精の群れの中にいたゆんゆんを見張っていたのかもしれない。

 

 雪精の群れの更に奥深く。

 およそ数百メートル先に一人佇むのはあなたの見た事の無い意匠の白い鎧と兜を身に纏った何者か。

 まるで王族のローブのようなキメ細やかな白の着物を纏い、顔面全体を覆うこれまた白い面を着けておりその表情は読む事が出来ない。

 

 

 

 そう、これこそが冬季限定の高額賞金首……冬将軍である。

 

 

 

 殺気も放たず、何をするでもなくただじっとあなた達を見つめている冬将軍から感じられる力は玄武と同等のもの。

 なるほど、確かに超級のバケモノである。

 あなたには冬将軍と戦うつもりは無いが、打倒するとなれば本気を出す必要があるだろう。

 終末を越えてかなりの力を付けたベルディアでも荷が勝ちすぎる相手だ。

 

「に、逃げましょう! 今ならまだ間に合いますから!」

 

 冬将軍の威容に怯えたゆんゆんが提案してくるが冬将軍は今の所敵意を放っていない。

 敵ではないのだから逃げる必要は無いだろう。

 自分はもう少し近づいて冬将軍を観察したいので逃げたいのなら一人で逃げて欲しいとあなたは伝える。

 

「な……なんでそんな無茶するんですか!?」

 

 あなたは精霊というものに興味があった。ノースティリスに神はいるがあのような者は存在しない。

 向こうからこうして目の前に姿を現してくれたのだから、折角の機会を活かさねば損というものだ。

 

「わ、私は絶対に近づきませんからね!? うぅ……めぐみん、この人めぐみんの書いてた通りだったよ……」

 

 律儀にも逃げ出さずにその場であなたを待つと宣言したゆんゆんを放置してあなたは冬将軍に向かって前進する。

 あなたが敵意を抱いていないからだろうか、冬将軍はあなたが十メートルほどの距離まで近づいてもまるで反応を見せなかった。

 

 ただ静かにその場に佇むばかりである冬将軍は本当に生きているか不思議になってくるが、その白面の奥の瞳は確かにあなたを見つめている。

 

 それにしても独特の意匠の装備である。いや、装備と言うよりはむしろ芸術品に近いだろうか。

 この世界特有のものであろう冬将軍の武具を目の当たりにしたあなたはふと思った。

 

 あの武具にはアレが似合うのではないだろうか。

 この距離ならばゆんゆんにも見えないだろうとあなたは何も考えずに四次元ポケットから一本の白鞘の刀を取り出す。

 

「…………!」

 

 それを見た冬将軍が初めて明確な反応を示した。冬将軍は明らかにあなたの取り出した刀を凝視している。

 

 眩く煌く白刃に切れぬものなど無いと謳われる一振りの奇跡。

 ノースティリスにおいても名高きその刀の銘は斬鉄剣。

 あなたは食べた事が無いが、弾力性に富む灰色の食物以外はどんなものでも斬り貫くと言われる神器である。

 

 

 

「…………」

 

 物言わぬ冬将軍は斬鉄剣を凝視しながらもおもむろに二本の刀のうち、一本をあなたに差し出してきた。

 これはまさか斬鉄剣とこの刀を交換してほしい、そう言っているのだろうか。

 

「…………」

 

 あなたの問いかけに冬将軍は無言で頷いた。

 交換と言われても冬将軍の持つ武器は身体の一部という話だし、冬将軍が消えてしまえば武器も消えてしまう。

 この斬鉄剣はダブっているうちの一本なのでそこまで大事なわけではないが、ドブに捨てるような真似はしたくない。

 

 精霊の身体の一部なら希少価値も高いかもしれないが……そう思いながらもあなたは冬将軍の差し出した刀に向けて一応鑑定の魔法を使ってみる事にした。

 

――★《遥かな蒼空に浮かぶ雲》

 

 鑑定の結果はまさかの神器である。

 あなたは満面の笑みを浮かべて冬将軍に斬鉄剣を差し出した。

 

「…………」

 

 斬鉄剣を受け取った冬将軍は小さく礼をしたかと思うと全身から猛烈な吹雪を発生させ、あなたの視界を眩ませる。

 数秒後にあなたが目を開ければ冬将軍は忽然と姿を消しており、残されたのは雪の中に突き刺さった神器《遥かな蒼空に浮かぶ雲》だけ。

 

 ゆんゆんの無茶な行動のおかげで素晴らしい物を手に入れる事が出来た。これは是非ともお礼をせねばなるまい。

 あなたは冬将軍の贈り物を受け取り、意気揚々とゆんゆんの元へ戻るのだった。

 

 




★《遥かな蒼空に浮かぶ雲》
 天空から降ってきた宝箱に入っていたという逸話を持つ大太刀。
 担い手に先読み、つまり擬似的な未来予知を可能にさせるほどの能力を持つが先読みは発動が不安定。
 それでもなお上位の力を持つ神器である。
 刀の真名を開放すればまさに神の如き力を所有者に与えるのだが、その名を知る者は誰もいない。
 何故か草刈りに使うと大活躍する。

 出典:イストワール


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第24話 こんにゃく以外は何でも斬れるわけではない

「……い、生きてますか? 実は幽霊だったりしませんか?」

 

 冬将軍との対峙を終えてゆんゆんの元に戻ったあなただったが、何故かゆんゆんは怯えたように腰が引けていた。

 冬将軍のプレッシャーに当てられてしまったのだろうか。

 

「違いますよ、確かに冬将軍は怖かったですけどあなた達が何をしてたかなんて遠すぎて全然見えなかったし……でも、冬将軍と一対一になるなんてそんなの普通に考えたら殆ど自殺行為じゃないですか……」

 

 どうやらあなたが冬将軍と斬鉄剣と神器《遥かな蒼空に浮かぶ雲》の交換をした場面は見られていなかったようだ。

 何も考えずに交換に応じてしまったが冬将軍は本来高額の賞金首だ。ウィズならともかくゆんゆんに冬将軍の武器を手に入れたと教える必要はないだろう。

 

 そしてあなたと神器の交換をした冬将軍だが、確かに敵対イコール自殺と言われても仕方が無いほどにアレは強かった。

 あなたに捕獲される前、魔王軍幹部だった時のベルディアも歯牙にかけない極めて高い戦闘力はこの世界はおろかノースティリスにおいても人の形をした死に等しい。

 

 だがそんなに冬将軍が恐ろしいのならば何故ゆんゆんは雪精討伐を勝負に選んでしまったのか。雪精を討伐するという事は即ち冬将軍の怒りを買う事を意味するとこの世界の冒険者であるゆんゆんはよく知っていた筈なのに。

 

「そ、それはその……さっき冬将軍が出るまでその事が頭からすっぽり抜け落ちていたっていうか……頭が真っ白になっていたっていうか……あれ、なんか頭が冷たい……」

 

 あなたから目を背けたゆんゆんの頭の上には白くて丸い塊、つまり雪精が幾つも乗っている。

 なるほど、確かにゆんゆんの頭が真っ白だ。上手い事を言うものだとあなたは感心した。

 

「違いますよ!? なんで私がちょっと面白いことを言ったみたいになってるんですか…………くしゅんっ!」

 

 ばっさばっさと頭を振って雪精を振り落とすゆんゆんだが、ずっとこの寒空の下であなたを待ち続けていたからだろう。随分と身体を冷やしてしまっているようだ。

 雪精は討伐すれば一匹につき十万エリスと高額だがあなた達は現在雪精の討伐依頼を受けていないし斬鉄剣と神器を交換してくれた冬将軍に喧嘩を売る気は無い。

 あなたが風邪を引く前にさっさと帰ろうと告げるとゆんゆんは申し訳無さそうにその申し出を受け入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 雪精の群生地からの帰り道、あなたはゆんゆんにある提案をした。

 冬将軍に会わせてくれたお礼に可能な限りゆんゆんの頼みを聞くと。

 ゆんゆんはめぐみんの随一のライバル騒ぎでこうして山岳地帯まで足を運ばせてしまった事に引け目を感じていたようだが、あなたが引く気が無いと悟るとやがてこう言った。

 

「じゃ、じゃあお友達が欲しいです……あの、出来ればでいいです。本当に無理なら結構ですから……」

 

 ノースティリスとこの世界、二つの世界を合わせても両手の指に満たない数しか友人が存在しないあなたにこれはかなりの難題である。

 しかし決して不可能な依頼ではない。全力でゆんゆんの友達作りに協力しようではないか。

 最も手っ取り早い手段は四次元ポケットの中に存在するアレを使う事だが、さて。

 

 

 

 ――お兄ちゃん、今私の事を考えたよね? 考えたよね絶対考えたよね? 私の出番かな? 出番だよね? いいよいいよ、私はいつでもばっちこいだよお兄ちゃん! この前お兄ちゃんに抱きついてた黒い髪の女より私の方がずっと役に立つし可愛いって事を証明してみせるよお兄ちゃん! お兄ちゃんの為なら私いっぱい頑張るから早く私を読んで(呼んで)思う存分もふもふぎゅーってすればいいと思うよお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃーん! ヘイカモンマイスイートブラザーフォーエバー! ハリアップ!!

 

 

 

 うるさい黙れ。

 

 一瞬血迷ってしまったがやはりアレは駄目だ。アレは言葉こそ通じるが話が通じない。何よりゆんゆんのような少女を生贄に捧げてしまっては何の為に今も捨てる事無く自分が所持し続けているのか分かったものでは無い。

 とりあえず植物を用意するところから始めてみよう。サボテンとかどうだろうか。

 

「あ、それはもう持ってます」

 

 私の大切な話し相手なんですとどこか誇らしげに笑うゆんゆんにあなたは何も言えなかった。

 ちょっとした冗談で提案したつもりだったのだが、まさかゆんゆんが植物に話しかける程に寂しい少女だったとは。

 ここまでぼっちを拗らせているとは流石のあなたも予想外である。

 

 決して容易い依頼だとは思っていなかったがこれはあなたの想像以上の難物だ。ゆんゆんの引っ込み思案な性格も相まって気軽に手を出していい案件ではないだろう。冒険者のプライドに賭けて腰を据えてやらねばなるまい。

 

「な、なんでそんな本気と書いてマジと読む顔を……いいじゃないですか植物が話し相手だって……」

 

 誰も悪いとは言っていない。

 植物に話し相手になってもらうというのは最早空想の友人(イマジナリーフレンド)と大差ないのではないだろうかとは思うが。

 孤独を患いやすいティリスの冒険者は話し相手が欲しければ奴隷を買うか野生動物を支配するのでゆんゆんほど拗らせたりはしないのだ。

 

空想の友人(イマジナリーフレンド)って殆ど心の病気じゃないですか! 私はそこまで酷くないですよ!?」

 

 ゆんゆんがそう言うのならそうなのだろう。ゆんゆんの中では。

 あなたは壊れ物を扱うように優しくゆんゆんに笑いかけた。

 

「し、釈然としない……」

 

 それはさておき、ゆんゆんはどんな友達が欲しいのだろうか。

 あなたはゆんゆんが友人に求める性別や年齢、性格などを教えてもらう事にした。

 

「……あの募集用紙に書いてたのは駄目ですか?」

 

 勿論駄目である。駄目駄目である。

 あの募集では多くのものを求めすぎだ。条件をもう少し絞ってもらわなければ幾らあなたであってもどうしようもない。

 願いの女神であっても即座に匙を投げる事請け合いである。恐らくこれを使って何とかしろ馬鹿と言われて小さなメダル12枚と交換で手に入るアレが降ってくるだろう。

 

「なら……私と一緒にお喋りしたりお散歩したりしてくれる方がいいです。それさえ満たしてくれれば子供でもお爺ちゃんでもいいですから……あ、人外の方の場合は最低でも言葉が通じる方をお願いします」

 

 たったそれだけでいいのだろうか、とあなたは首を傾げた。

 確かにもっと条件を絞れと言ったのはこちらだがゆんゆんの言っているそれは要求するハードルがあまりにも低すぎるのではないだろうか。それくらいなら友人でなくても普通にやるだろう。

 

「それは嫌味ですか!? 友達が多いあなたには分からないかもしれませんが、私にとってはそれだけでもお友達なんです!」

 

 憤懣遣る方無いと言わんばかりのゆんゆんだが今のは嫌味ではなくただの疑問である。

 ところでゆんゆんの言っている友達が多い者とは誰の事なのだろう。あなたの友人はこの世界には現在たった一人しかいないわけだが。

 

「えっ? ……あ、そういえば前にアクセルのエースはアクセル一のぼっちだって聞いた事がある気が」

 

 ゆんゆんのあなたへ向ける視線が酷く同情的なものへと変わる。

 

 アクセル一のぼっち。あなたは久しぶりにその名を聞いた気がした。

 かつてあなたは「アクセル一のぼっち? ……なんだか聞き覚えがある」とアクセルの街の人間はおろか、王都の人間に言われるくらいにはその異名が浸透していた時期があったのだ。

 

 いつも一人で活動しているしこの世界にノースティリスの友人や仲間はいないのだからそう言われても仕方が無いとあなたは半ば開き直ってその称号を受け入れていたわけだが。

 

「つまりあなたもお友達がいないんですね!?」

 

 ゆんゆんは何故かとても嬉しそうに顔を綻ばせた。

 瞳が濁っているのはぼっち仲間が出来たと思われたのかもしれない。後ろ向き過ぎである。

 

 確かにあなたはアクセル一のぼっちの異名を得ていたが、いつからかその名では呼ばれなくなっているのだ。

 あなたがウィズと仲がいいというのはかなり街に知れ渡っているようなのでそれが原因だろうとあなたは睨んでいる。あるいはアクセル一のぼっちの名が街中に常識として浸透してしまったか。

 

 あなたにはウィズやノースティリスの友人がいるので少なくともゆんゆんのようなぼっちではないしめぐみんのようなウィズ以外の話し相手も普通にいる。現状で十分満足しているのでゆんゆんと傷を舐め合う相手にはなれないし植物に話しかけるほどぼっちを拗らせてもいない。

 残酷な現実をゆんゆんに突きつけようとしたあなただったが、ふと一つの疑問が思い浮かんだ。

 

 

 ゆんゆんは今の状況をどう思っているのだろうか。

 

 

「どう、とは?」

 

 あなたとゆんゆんは現在山岳地帯からアクセルに向かって歩きながら話している最中だ。

 これはゆんゆんの言っている友人の条件にぴったりと当て嵌まっているのではないのだろうか。

 

「…………!」

 

 あなたのこれ以上ないほどに的を射た指摘を受けて、ゆんゆんは目から鱗と言わんばかりにぽかんと口を開けた。自分から条件を指定しておきながら全く気づいていなかったようだ。どこか天然というか抜けているところがあるのはめぐみんに似ているとあなたは笑った。

 

「う、うーん…………でも、この人って凄く危ないみたいだし……興味本位で冬将軍に自分から近づくような命知らずな人だし……めぐみんの手紙にも死にたくなかったら絶対に一緒に依頼を受けたり喧嘩を売る真似をするなって……」

 

 ゆんゆんはとても難しい顔をしてあなたをちらちらと見ながら呟いている。

 危険度や冬将軍に関しては返す言葉も無いが、めぐみんに関してはとても失礼な少女だという事が改めて分かった。

 あの頭のおかしい爆裂娘は本当に自分の事を何だと思っているのか。初めて会った時に高難易度の依頼を受けようとしたのはめぐみん本人が爆裂魔法は全ての敵を撃ち滅ぼす究極魔法だと豪語したから選んだだけだというのに。

 

「でも……いっぱい迷惑をかけた私なんかを追いかけて探しに来てくれた親切な人だし……私の話もこうやってちゃんと聞いてくれてるし……そういえば私の名前を聞いても馬鹿にしたり笑わなかった優しい人だし……めぐみんの手紙には絶対に喧嘩を売るなとか一緒に依頼を受けるなみたいな事書かれてたけど友達になるなとは書かれてなかったし……」

 

 あなたが何かを言うまでもなくゆんゆんの心の天秤は自分で勝手に揺れているようだ。ゆんゆんは本気でチョロい少女だった。

 随一のライバルであるめぐみんをして路地裏に連れ込まれると豪語されてしまうそのチョロさは伊達ではない。あなたに将来を心配されてしまう程に。

 仮にゆんゆんのような純朴な少女が単身ノースティリスに赴こうものなら三日と経たずによくてペットか奴隷にされてしまうだろう。悪い場合は口に出すのも憚られる。

 

 大体、探しに来たから親切と言うが、殆ど一方的なものだったとはいえあなたは一度は勝負を受けたのだ。知らぬ存ぜぬを貫き通してゆんゆんをそのまま放置する事など出来はしない。

 それに別に嫌いな相手でもない以上人の話を聞くのは当たり前だし、名前を聞いて笑うなど有り得ない。

 確かに紅魔族の名前はこの世界においては多少変わっているのかもしれないが、あなたからすればたったそれだけで馬鹿にする方が余程馬鹿げていた。公共の場で呼べないような卑猥な名前でもあるまいに。

 

 あなたが内心で呆れているとゆんゆんは自分の中で答えを出したのか、突然あなたに向けて頭を下げた。

 

「お……お願いします! ……私とお友達になってください!!」

 

 ゆんゆんの痛切な懇願にあなたはバッサリと知り合いからでお願いしますと答え、ゆんゆんの目から光が消えた。

 無表情で絶望したようにガクリと膝から崩れ落ちたゆんゆんに言い方を間違えてしまったかとあなたは内心で焦る。信頼関係も無しにいきなり友人になりたいと言い出すのでつい反射的に返してしまったが、もう少しゆんゆんを気遣った言い方というものがあったかもしれない。

 

「や、やっぱり私なんかじゃ駄目、ですか……? そうだよね……私なんかじゃ迷惑だよね……」

 

 いわゆるレイプ目になって泣きそうな声で下を向いてしまったゆんゆんだが、あなたはゆんゆんの言うような付き合いをする分には一向に構わないと思っていた。それ故に知り合いからと言ったのだ。

 少なくともゆんゆんと一緒に話したり散歩をしたり遊ぶ分にはこちらが依頼を受けていない時であれば幾らでも誘ってくれて構わないし、ゆんゆんが許すのならばこちらから誘っても良い。好感度で言うのならば《好意的》といったところだろうか。

 あなたがそう伝えるとゆんゆんはまるで意味が分からないとばかりに首を傾げた。

 

「……えっと、それって友達ですよね? 私がおかしいんじゃなくて世間一般ではそれを友達って呼びますよね? この本にもそう書かれてますよ?」

 

 ゆんゆんが懐から取り出してあなたに渡したのは一冊の本。

 何度も何度も読み返したのか、ところどころがボロボロに擦り切れたその本の名前は《友達を作るための本》。

 分かりやすいといえば非常に分かりやすいが、あまりにも直接的な題名だ。あなたは若干のうさんくささを感じながらぱらぱらと読み進めていく。

 

「どうですか? 合ってるのは私…………どうして私をそんな泣きそうな目で見るんですか。今そういう流れじゃなかったと思うんですけど」

 

 重要と思わしき箇所にところどころ付箋やマークが付けられたその本からゆんゆんの強い想いと孤独を感じ取ったあなたは久しぶりにとても悲しい気持ちになった。植物が友達な件といい、かつての絶望的な極貧生活を送っていたウィズに匹敵するレベルで不憫な少女である。

 

 あなたはゆんゆんに今更言われたりこんな本を読むまでも無く、自身の友人の定義がこの世界における一般的なそれとは大きく異なっていると理解していた。

 だがノースティリスにおいてその強さから畏怖、あるいは忌避されやすい冒険者の一人であるあなたにとって友人とは他の何物にも替えられない大切な存在なのだ。友人の為ならば世界中を敵に回す事すら厭わない程にあなたの中で友人という言葉が持つ意味合いは重い。

 

 無論それを他者に押し付ける気は無いが、ゆんゆんとあなたが会話したのは今日が初めてだし、ウィズのような信頼関係も築いていない。

 あなた達は互いの事を知らなさすぎるし何よりもゆんゆんはあなたが異世界人だという事を知らないのだ。

 故にあなたはゆんゆんと世界全てのどちらかを選べと言われれば世界を選ぶだろう。

 

 そんなわけで、申し訳ないが今のゆんゆんではあなたの友人にする事は出来ない。あくまで今の、というだけなのでこの先どうなるかまでは分からないが。

 

「びっくりするくらい重すぎですよ! 友達っていうのはもっと気軽なものだってくらいは私でも分かりますよ!?」

 

 ゆんゆんが軽く引きながら叫ぶ。まさかあんなグラビティの魔法がかかったパーティーメンバー募集をするゆんゆんに重いと言われてしまうとは思わなかった。

 しかしあなたにとっての友人とはずっとそういうものだったのだ。ここが異世界だからといって今更友人の定義を変える事など出来はしないとあなたは肩を竦める。

 あなたの中で他者との関係とはおおまかに下から順に敵、他人、知り合い、神、仲間、友人、自身が信仰する女神で構成されている。こうして実際に挙げてみると知り合いが占める幅が広すぎる気がするが実際そうなのだから仕方が無い。

 

 ノースティリスの人間であるあなたが考えている友人とゆんゆん達の考えている友人の意味合いが違い、あなたの中の知り合いの定義の一部がゆんゆん達の考える友人に含まれる。ただそれだけの話である。

 

「う、うーん……確かにそうなんですけど、でも知り合いって言われちゃうのは他人扱いみたいでちょっと嫌かなって……」

 

 暫くの間難しい顔で悩んだ後、ゆんゆんはぽつりとこう言った。

 

「……あの、友達じゃなければいいんですよね? あなたにとって友人が特別なものだから今の私を友達と思えないだけで、私があなたを友達と思ったり呼んだり、私が友達とするような事を一緒にやるのは大丈夫なんですよね?」

 

 ゆんゆんの祈りにも似た問いかけにあなたは今度は頷いた。

 すると随一のライバルをしてくっそチョロいと言わしめる紅魔族の少女はぱあっと顔を輝かせ……

 

「じゃ、じゃあ! 私はあなたをお友達って呼びますから、あなたは私を――――」

 

 

 

 

 

 

 そろそろ日が沈もうかという夕暮れ時、アクセルの街に戻ったあなたはゆんゆんを伴ってギルドに戻り、ルナやウェイトレスにゆんゆんの無事を報告した。

 当然の如くあなた達はルナ達からちょっとしたお説教を食らってしまったわけだが、二人とも無事で良かったとルナとウェイトレス達は安心したようであった。

 

 ルナの反応に何かあったのかとあなたが訊ねてみれば、なんとあなたが放棄した雪精討伐の依頼を受けたカズマ少年達が冬将軍と遭遇したのだという。

 

 ダクネスの剣と鎧を一瞬でバラバラに破壊してみせた冬将軍はしかしそれ以上ダクネスを傷付ける事無く放置し、やけに青い顔で首を押さえていたというカズマ少年もちゃんと生きているようなので大事は無かったのだろう。やはり冬将軍は温厚かつ寛大だ。ちなみに話を聞いたゆんゆんは青い顔でガクガクと震えていた。

 

 そんな冬将軍に対してカズマ少年と女神アクアは“るぱんさんせい”や“いしかわごえもん”がどうのこうのとあなたとゆんゆん、ルナでさえもまるで理解出来ない言葉を喋っていたのだという。冬将軍はつまらない物を斬ったとも。カズマ少年と女神アクアはきっとどこからか電波でも受信していたのだろう。

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなを経て現在あなたは自宅の前に立っている。

 普段であれば真っ暗なままのあなたの家の窓には灯りが点っているが、現在あなたの家にはウィズが居候しているのだから明るいのは当然だ。

 家の中からとてもいい匂いが漂ってきているのはウィズが夕食の準備をしているのだろう。匂いからすると夕飯は恐らくビーフシチューか。

 

 あなたはふと自宅に思いを馳せた。アクセルの自宅ではなくノースティリスの方の自宅に。

 改築を繰り返した結果、あちらの自宅がちょっとした街の様相を呈して久しい。

 雇ったメイドやペット以外にもブラックマーケットと魔法店の店主や酒場のバーテンがあなたの家に住んでいるので帰宅しても誰もいない、という事は無かったし帰宅時に何かを思う事も無かった。

 

 だが今は違う。帰宅時に自宅に灯りが点っている、たったそれだけの事だというのに嬉しくなってしまうのは何故なのか。

 答えが分かりきっている愚にも付かない自らの問いに苦笑しながらあなたはドアを開ける。

 

 あなたのただいま、という言葉に反応してキッチンからぱたぱたとスリッパの足音を響かせながら玄関に駆けて来るのは当然居候であるウィズだ。朝と同じように猫柄のエプロンを着てポニーテールなのは料理中だったからだろう。

 

 

 

「……おかえりなさいっ!」

 

 

 

 ウィズはあなたに向かってとても、とても嬉しそうに笑った。

 ここまで狂喜するウィズをあなたは見た事が無い。あなたが大枚叩いて高額商品を買い漁った時だってウィズはここまで喜ぶ事は無かった。

 

 見ているだけでこちらが恥ずかしくなってきそうな、私は幸せですと言葉にせずとも表情や仕草全体で語っている百点満点の笑顔は見ただけでアンデッドが浄化されそうな程に眩く尊いものだ。ウィズ本人もアンデッドなリッチーだというのに。

 おまけに何故かウィズの頭頂部の髪の房、いわゆるアホ毛がぴこぴこと犬の尻尾のように揺れているようにも見える。

 

 しかしそんなウィズの笑顔と歓喜を一身に受けるあなただが、幾らなんでもこれは大袈裟すぎではないだろうかと逆に困惑する事になってしまった。

 ここはあなたの家だ。自分の家に帰ってくるのは当たり前だしあなたは今日の朝に家を出て夕暮れに帰ってきている。つまりウィズと別れてからまだ半日も経っていないのだ。

 自分が覚えていないだけでウィズと自分はそういう関係になっていたのだろうかとあなたはさりげなくウィズの首と左手の薬指を見つめる。当然ウィズは結婚指輪も結婚首輪も着けていなかった。着けていたらちょっとしたホラーだったので内心で安堵の息を吐く。

 

 ならばどうしてウィズはこんなに嬉しそうに自分を出迎えているのか。

 まさかたった数時間会えなかっただけで寂しくなったというわけではないだろう。確かにあなたは頻繁にウィズの店に足を運んでいたが、毎日彼女と顔を合わせていたわけではないし依頼で会わない日々が続く事だって普通にあったのだ。

 となるとあなたにはもうウィズが退屈を持て余していたとしか思えない。ベルディアと違って外に出るなとは一言も言っていないというのに。

 

「えっと、そうじゃなくて……あなたにおかえりなさいって言えるのがすっごく嬉しくって、つい……」

 

 えへへ、と少しだけ恥ずかしそうに照れながら、しかし幸せそうに笑うウィズの言葉にあなたはなるほどと納得した。

 

 ウィズにとっておかえりなさいという言葉は特別なものなのだろう。あなたにとっての友人と同じように。

 あるいはこれこそがウィズがこの街に拘る理由なのかもしれない。だが一度ウィズの方から話すのを待つと決めた以上こちらから追求するのは野暮の極みというものだろう。

 

 あなたからしても帰宅時に友人(ウィズ)が出迎えてくれるというのはとても新鮮だし嬉しいものだ。

 ウィズがあなたの家に同居している以上、これからは毎日というわけではないが幾らでも言う機会、聞く機会が訪れる事だろう。あなたも、そしてウィズも。

 

「……それで、今日はどんな事があって、あなたはどんな事をやってきたんですか?」

 

 居間のソファーに座ったあなたにウィズがお茶を淹れながらニコニコと問いかけてくる。

 

 まるで幽霊少女アンナのようなウィズの催促を受け、あなたは街の外で出会った精霊である冬将軍との対峙、神器の交換…………そして新たに“遊び相手”となった寂しがりやな紅魔族の少女についての話を始めるのだった。




《冬将軍》
 高額賞金首である冬の精霊。ある時から自身の身体の一部である冷気を纏った刀の他に白鞘の刀を使うようになる。
 駆け出し冒険者が斬鉄剣と名付けたそれを使う時は決して女性を殺さない。
 ただし武器と防具は一瞬でバラバラに切断されるし城のような刃渡りを無視した長さの物を斬る事も可能。
 いつからか白鞘を抜いた時の技の冴えは冷気の刀を使った時のそれを遥かに凌駕するようになった。

 これは日本人の転生者達と女神アクアの「斬鉄剣はこんにゃく以外何でも斬れる。ビルとかヘリとかも斬れる」「斬鉄剣は即死攻撃」という割と無茶なイメージが斬鉄剣の神秘に引っ張られた事が原因。
 実は斬鉄剣のイメージの元ネタはこんにゃく以外にも斬れない物があったし問答無用で即死でも無い。
 しかしイメージの結果、斬鉄剣を使う時の冬将軍は鉄は当然としてミスリルやアダマンタイト、果ては攻撃魔法や魔王城クラスの結界だろうが紙のようにぶった斬る事が可能な理不尽の権化と化した。
 神器、遥かな蒼空に浮かぶ雲を媒介にすれば更に無茶な強化も可能だったのだが……悲しいかな、武器の知名度が無さ過ぎた。

 なお、ある時何をトチ狂ったのかこんにゃくを全身に貼り付けた転生者がこれで勝てると冬将軍に戦いを挑んだが冷気の刀で秒殺された。当然の結末である。
 また、つまらぬ物を斬ってしまった……。


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第25話 動けない少女の服を脱がそうとする話

 ある日の夜、アクセルの街に雪が降った。

 

 こんこんと降り注ぐ白い雪はあなたも見慣れた、しかしこの世界で初めて見る光景だ。アクセルの街もいよいよ本格的な冬の象徴が到来である。

 

 この勢いでは明日の朝には積もっているかもしれないと話すあなただが、しかしウィズはどこか憂鬱そうに溜息を吐いた。その視線はパチパチと音を立てる暖炉に釘付けになっている。

 

「あなたにこうしてお世話になってなかったら、私きっと今日も馬小屋で寝泊りしてたんですよね……うわあ……考えたくないなあ……」

 

 この雪の夜の中、碌な暖も取れずにたった一人でガチガチと震えながら夜を過ごす。

 想像しただけでこちらまで凍えてきそうだ。ウィズもあなたと似たような事を考えていたのか、青白い顔を更に白くしてしまっている。

 本人が多額の借金を背負ってしまった手前強くは言わなかったが、ウィズは自宅を半壊させた女神アクアに何かしら思う所があるのかもしれない。

 

「いえ、アクア様への当て付けというわけではなくてですね……あなたがいてくれて本当によかったなあ、と。家事以外にも何か出来たらいいんですけどね……お店もああなっちゃいましたから呼んでくれればいつでもお仕事のお手伝いが出来ますよ?」

 

 申し訳無さそうに力なく笑い、それでも瞳に安堵の光を湛えてお茶を飲むウィズ。

 勿論助勢が必要になったら遠慮はしないが、今の所そのような相手には恵まれていない。冬将軍は格好の相手だったが敵対していない相手なので除外。

 玄武といい冬将軍といい、この世界における超級の存在はとても温厚だ。無論その中にはウィズも含まれるわけだが。

 

 ウィズは戦闘での助勢が無くとも毎日料理を作ったり掃除をしたりあなたを見送ってくれたり帰宅を出迎えてくれている。

 つまり十分すぎるほどあなたの助けになっているのだ。

 誰かが自分を出迎えてくれる、自分を待っていてくれる人がいるというのはただそれだけでモチベーションを上げ、生きる活力を与えてくれるものなのだ。

 

「お、大袈裟すぎですよ……」

 

 照れながら明後日の方角を向くウィズ。

 しかしあなたには大袈裟でも何でもなかったりする。実際あなたは何度と無く諦める(埋まる)寸前まで逝った事があるが自宅で自分を待つペットの事を思えば奮起出来たのだから。

 ペットでそうなのだから優先度が上である友人、それもウィズのような善良な女性であれば何をか言わんやである。

 

 そんなこんなで雪の降る冬の夜の中、あなたはウィズと世間話に花を咲かせるのだった。これだけでもウィズを家に招いて良かったと思える一幕である。

 

 ちなみにベルディアはこの瞬間も終末中である。

 ウィズの料理には狂気度を下げる効果でもあるのか、ストマフィリアで済ませる事が無くなって三食ちゃんと食べるようになった。

 キョウヤがベルディアに勝てる日は来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 さて、その翌日。

 時刻は早朝。普段であれば眠ったままである時間帯。

 物音一つしない暗く静かな家の中であなたは目を覚まし、自室で真っ白な息を吐いた。

 

 寒い。寒すぎである。

 この寒さは何事なのか。

 

 そういえば昨日の夜は雪が降っていたと寒さで鈍った頭が分かりやすい答えを出してくれた。

 それにしても寒すぎであると身体を震わせながらあなたが二階の窓から外を覗けば、なんとそこは一面の銀世界。

 

 雪は止んでいる様だが空はどこまでも続いていく分厚く重苦しい灰色の雲で覆われており、地は道も、家も、白の中にある。

 どこもかしこも雪、雪、雪。

 これはドカ雪とでも表現すればいいのだろうか。

 駆け出し冒険者の街は一夜にして雪に覆われてしまっていた。冬将軍は少し本気を出しすぎなのではないだろうか。

 

 あなたが二階から見た感じだと積雪量はおよそ一メートル弱。昨日の夕方までは寒くとも雪は降っていなかっただけにこれは軽く目を疑いたくなる光景だ。

 道理で水が凍りそうなまでに寒いはずである。このままではアクセルはとてもではないが街として機能しないだろう。

 今の所あなたの家は無事なようだが、この分だと雪の重みに耐えかねて家屋は幾つか倒壊していてもおかしくないだろうしギルドから除雪の緊急クエストが発令されるかもしれない。

 

 あなたに一瞬ノースティリスに帰ってきたのだろうかと錯覚させるほどのこの雪の積もりっぷりは北方の村、ノイエルを髣髴とさせてやまない。

 

 ノースティリス北東部にある常冬の村として知られるノイエルはそこへの護衛や配達依頼、またはノイエルからの護衛や配達依頼の難易度が高い事で有名だ。

 高額の報酬に目が眩んだ駆け出しが遭難や飢え死にするなどしょっちゅうだし、雪に足をとられて時間もかかる。

 

 そしてノイエルといえば十二月の間行われる聖夜祭を欠かす事は出来ない。

 ノイエルが最も活気付く月であり、あなたが信仰する癒しの女神を称えて年の終わりを一月間に渡って祝う宴でもある。

 観光客や癒しの女神の狂信者達がこぞって押し寄せてくる一大イベントだ。

 

 ちなみに観光客や狂信者だけでなく異教徒達も集まってくる。

 狂信者や異教徒同士の争いの中で発生するいざこざ、殺し合い、終末、核、そして炎の巨人《エボン》の解放で火の海に包まれるノイエル。

 祭は祭でも血祭である。

 ノイエルの住人からすれば堪ったものではないだろうが、まあそんなものだ。

 

 そして異教徒との争いが無くても特に理由も無く行われる殺し合い、終末、核、そしてエボンの解放で火の海に包まれるノイエル。大陸中から集まってくる狂信者達のオモチャと化したノイエルの凄惨な光景はちょっとした名物だ。

 

 そんな聖夜祭だが、無論あなた達冒険者にとっても決して他人事では無い。

 何故ならば日頃各地に散らばって独自に活動しているノースティリス中の冒険者達がここぞとばかりに集結する、いわば忘年会じみたイベントになっているからだ。

 どこかの冒険者がこんなキャッチコピーを考えたという。

 

 

 

 聖夜祭だよ、全員集合! 駆け出し(ゆりかご)から廃人(墓場)まで

 ~~お前が墓場に入るんだよ!!~~

 

 

 

 実に酷いキャッチコピーだ。考えた奴の顔を一度拝んで頭の中を切開して覗いてみたい。

 

 かくいうあなたや友人達は毎年のようにどこに戦争を仕掛けるつもりなのかという完全武装でペットまで連れてノイエルに足を運び、酒場で一年の総括を行ったり雪玉(グレネード入り)を投げあって遊んだり雪で原寸大の城やモンスター、各々が信仰する巨大な神像を作って遊んでいたりするわけだが、それにしたって墓場扱いはないだろうとあなたは常々思っている。もう少しマシな言い方は無かったのだろうか。

 

 さて、そんなあなた達が作るこの雪像は一年の終わりを迎える物としてちょっとした語り草、あるいは風物詩になっている。

 造形がまるで本物のように精巧なのもあるが、それだけではない。

 

 何故なら完成した所で友人同士で決闘を申し込む! と手袋を投げつけるように無惨に破壊されるからだ。

 毎年壊すなよ、絶対に壊すなよと互いに念を押しているにも関わらず誰かが必ずやらかす。最初に作った時は酔っ払ったどこぞの王侯貴族がやらかしたのだったか。

 当然あなたもやった事がある。特に理由は無い。

 

 そしてあなた達は全員が筋金入りの狂信者だ。丹精込めて作り上げた神像を破壊されればその後に当然待っているのは廃人怒りの大乱闘、つまり殺し合いである。例外は無いし慈悲も無い。

 

 他の狂信者達も巻き込んで突如勃発する宗教戦争。

 ここぞとばかりに徒党を組んで襲い掛かってくる挑戦者達を血祭りにあげながらペットと共に死闘を繰り広げるあなたと友人達。

 聖夜祭での神の降臨は神々の間でレギュレーション違反になっているらしく神の裁き(うみみゃあ)は無いが代わりに降り注ぐメテオの魔法。

 核はオモチャ、あるいは整地用アイテムと断言するレベルの冒険者の戦いに巻き込まれてミンチになる冒険者、罪の無い村人や観光客。

 戦闘の余波で更地になるノイエル。そんなこんなで終わる一年。

 

 いざノースティリスの冬を思い返してみると、この世界は本当に平和だとしみじみ感じる。

 折角の機会だし、雪かきのついでに後で庭に雪像を作ろうとあなたは人知れず決意した。ここならば誰にも壊される事は無いだろう。

 

 余談だが、十二月になると癒しの女神があなたの家に遊びに来て寝泊りする頻度が激増する。殆ど入り浸り状態といっても過言では無い勢いだ。他の狂信者に知られようものならばあなたの自宅の聖地化は避けられないだろう。

 

「…………」

 

 白銀の世界を眺めながら郷愁に浸っていたあなただったが、ふと背後から視線を感じた。視線には若干の棘が混じっているようにも思える。

 暫くの間視線を無視して雪景色を堪能していたあなただったが、ちくちくと刺さってくるそれに辟易して振り向けば部屋の隅で椅子に座ったルゥルゥの姿が。

 

 桃色の長い髪に花を模した髪飾りを着け、気だるげな空色の瞳、そして薄紫のドレスを着た身長120センチほどの人間の美少女にしか見えない人形……ルゥルゥはアンナの屋敷での一件以来、ずっとあなたの部屋の一角を占領し続けている。

 

 あなたは幽霊少女、アンナとルゥルゥを大切にするという約束をしたし箱に仕舞ったままではルゥルゥも居心地が悪かろうとあなたはルゥルゥを自室の日の当たらない場所に飾っているのだ。

 勿論こまめに埃は落としているし服を汚してもいない。

 だというのに今のルゥルゥはどこかジト目になっているように見える。

 

 ちなみにこのルゥルゥだが、なんと鑑定の魔法が効かなかったりする。

 物であれば石ころから神器にまで通用するあなたの鑑定の魔法が無効化されてしまうのだ。

 抵抗されたとか鑑定の魔法の威力が足りていないとかではなく、根本的に通じていないという清々しいまでの無効化っぷりはまるで生物に鑑定の魔法を使った時のような反応である。ついでに四次元ポケットの中に入れる事も出来ない。これも生物に四次元ポケットを使った時の反応である。

 

「…………」

 

 そんな色々と謎の多い人形であるルゥルゥだが、恨めしげにこちらを見つめている気がするのは水が凍りそうな寒さの部屋の中でも箱に仕舞わずに椅子に座らせていたからだろうか。

 物言わぬ人形である筈の身体から発している雰囲気もどこか剣呑だ。

 寒いなら寒いと直接口に出してほしいものだ、と冗談交じりに考えながらあなたはルゥルゥのいつもより青白く見える顔に手を伸ばす。

 

「…………!」

 

 あなたがルゥルゥの頬にそっと手を当てると、ルゥルゥがピクリと反応した気がした。

 まるで人間の少女のように精巧だがルゥルゥはあくまでも人形だ。瞬きもしていないしきっと気のせいだろう。

 

 そして手を当てたルゥルゥの頬はまるで人間の少女の物のようにぷにぷにもちもちと癖になりそうな柔らかさで、しかし長時間氷水にでも漬け込んだのかと思えるほどに冷たい。

 

 人形が寒さなど感じる筈も無いのだが、ここまで冷たくなっているとなまじルゥルゥが人間そっくりなだけにどうにも罪悪感を感じてしまう。

 しかしあなたの部屋にはルゥルゥを温められそうな暖炉など無い。かといってルゥルゥに自分の服を着せてもサイズが違いすぎて見苦しくなるだけだ。

 

 少しの間悩んだあなただが、冬の寒さのせいですっかり体中が冷たくなってしまっているルゥルゥを久しぶりにRuru The Dollという金字が刻印された黒い箱の中にそっと戻し、その箱を持って一階に降りる事にした。

 

 子供が入るサイズの箱とあってルゥルゥを抱えたまま一階に降りるのは些か以上に難儀した。せめて四次元ポケットに入れば話は変わってくるのだが。

 パペットという自分で動く人形のモンスターを知るあなたは思わずルゥルゥが自力で動ければ、と漏らすものの当然反応は無く、あなたはルゥルゥを落とさないように気を配って階下に下りるのだった。

 

 

 

 

 ルゥルゥと共に一階に下りたあなただったが誰もいない早朝の居間は薄暗く、凍えるように寒く、そしてシン、と静まり返っている。

 ウィズはまだ夢の中のようだが時間が時間なので仕方が無い。二度寝するのが当然の時間帯だ。

 

 それでも普段のこの時間であれば外から何かしらの声や物音が聞こえてくるのだが、今は街中が死んだように静寂に包まれている。

 

 あなたは箱の中のルゥルゥを床に置き、ティンダーの魔法を使って暖炉に火を入れた。

 中級魔法やノースティリスの火炎魔法では日常的に使うには威力を絞っても火力が高すぎるのでこういう時初級魔法はとても便利だ。クリエイトウォーターといいこの世界の魔法使いに不人気な理由がまるで分からない。

 

 パチパチと音を立てる暖炉に手をかざしながら、あなたは折角ウィズよりも先に起きたのだし今日は自分が朝食を作ろうかと考え始める……が、すぐに止めておこうと諦めた。

 家事はウィズの仕事だ。少なくともそういう建前で彼女はあなたの家に居候している。

 

 流石に一食作った程度で自分の仕事が無くなったと嘆いて彼女が出て行くとは思わないが、自分の仕事を奪ったあなたに対抗してこれから先の毎日、ウィズがずっと今より早い時間に起きるくらいは普通にしてきそうである。

 というか最悪自分はリッチーだから眠らなくても大丈夫とか無茶苦茶な事を言い出しかねない。あなたにはそんな光景がありありと思い浮かべる事が出来た。

 アンデッドでも心は擦り切れるものだ。眠らずに死に続けるベルディアが生き証人である。死に続ける生き証人とはこれいかに。

 

 

 

 暫くの後、それなりに家の中が温まってきた所でルゥルゥを箱の中から出して暖炉近くのソファーに座らせる。

 今まであなたは一度も気にした事が無かったがルゥルゥが現在着ているのは長袖だが薄手の服だ。セーターやマフラー、手袋でも着せた方がいいのだろうか。

 しかしあなたは女児用の服など持っていないし恐らくウィズも持っていないだろう。

 

 まるで年下の少女に服を買い与えるような心境だが、あなたはルゥルゥの身体のサイズなど知らない。

 いや、そもそもルゥルゥの服の下は一体どうなっているのだろう、とあなたはポツリと呟いた。

 やはり人間の少女をそのまま模しているのだろうか。

 

「!?」

 

 気になったら即確認。冒険者として当然である。

 勿論あなたはロリータコンプレックスやピグマリオンコンプレックスを患っているわけではないのでいやらしい目的があってこんな真似をしているわけではない。純粋に衣服の中に隠されたルゥルゥの肢体とサイズに興味があるだけだ。

 部屋もだいぶ暖まってきている。多少脱がしても大丈夫だとあなたはルゥルゥの服に手をかけた。

 

 

 

「――――何を、しているんですか」

 

 

 

 背後から一切の感情が抜け落ちた女性の声が聞こえた。

 わざわざ説明するまでも無いだろうが声の主はウィズである。驚くべき事になんとあなたは声をかけられるまで全く気配を感じなかった。気配断ちの魔法でも使っていたのだろうか。

 

 いつもは春の日溜りを思わせる柔らかく温かい表情は万年雪を思わせるほどに冷たく凍り付き、その眼差しはどこまでも鋭く、しかし底なし沼のような深い怒りと昏い失望でどこまでも濁り澱んでいる。

 

「何を、しているんですか。……そんな幼い女の子の服に手をかけて!」

 

 悲痛な叫びと共にウィズの全身から青色の魔力が迸り、温まってきた部屋の気温が一気に下がっていく。暖炉の火も消えてしまった。折角部屋を暖めたのにウィズのせいで台無しである。

 

 わなわなと震えながら拳を握るウィズは激しく勘違いしているようだ。

 しかし安心して欲しい、決して自分は変態などではないとあなたはウィズを説得する事にした。

 あなたはただ単にルゥルゥの服の下の身体がどうなっているのか興味があるからルゥルゥの服を脱がせようとしているだけである。それ以外に目的などないしやましい気持ちなど抱いていない。あなたはルゥルゥの身体のサイズが知りたいだけなのだ。

 

「立派な変態じゃないですか! なんで、こんな……! 私、私はあなたはこんな事をする人じゃないって信じてたのに……!!」

 

 駆け寄ってきたウィズはあなたを突き飛ばし、ルゥルゥの頭をぎゅっと胸に掻き抱く。ゆったりとした寝巻きに包まれた豊かな双丘がふにゅんとまるで別の生き物のように形を変えた。

 そんなウィズの母性の象徴に頭を挟まれたルゥルゥは表情こそ変えていないものの、頬を引くつかせているように見えなくも無い。ちなみにルゥルゥの身体を擬音で表現するとこうなる。

 

 ふにっ。

 きゅっ。

 ぽてん。

 

 端的に言うならばギリギリ*Bad*だろうか。めぐみんのような*Hopeless*ではない。

 しかしそれは当然といえば当然である。ルゥルゥは少女の姿をした人形なのだから。

 あの身長でウィズのように*Superb*だったらそれはそれで怖い。

 

「可哀想に、こんなに怯えてガチガチに身体を固めて……! 瞬き一つしてないじゃないですか……!」

 

 キッとあなたを睨みつけるウィズだが、ひょっとして彼女はギャグを言っているつもりなのだろうか。もしそうならかなり大爆笑である。

 どれだけ人間にそっくりでもルゥルゥは人形なのだから動かないのは当然で、瞬きなどする筈が無いではないか。

 しようものならとんだ怪奇現象である。

 

「……へ?」

 

 ポカン、と目を丸くして口を開けるウィズ。

 

「人形って、え? だってどこからどう見ても人間にしか見えないんですけど……」

 

 ウィズの目はガラス玉でも嵌っているのだろうかとあなたはいよいよ呆れて溜息を吐いた。

 ルゥルゥはずっとあなたの自室に飾っていたのだ。部屋の隅に安置されていたとはいえこんなに目立つ物が見えなかったとは言わせない。

 

「私、あなたの部屋に入った事無いんですけど……ただでさえお世話になってるのに勝手に部屋に入るなんて出来ませんよ……」

 

 ならば部屋の掃除は、と聞こうとして初日に自分の部屋は自分で掃除するとウィズに話していた事をあなたは思い出した。

 律儀にもウィズはあなたの言葉をしっかりと守ってくれていたようだ。自室に危ない物は置いていないし鍵もかけていないのだから、あなたがいない時に探検がてら勝手に入ってくれても良かったのだが。

 しかしウィズの言うとおりなら彼女はこれがルゥルゥとの初対面なのだろう。

 知らないのならばこの過剰な反応は無理も無いとあなたは苦笑して頭を掻いた。

 

 自分の言葉が嘘だと思うのならルゥルゥの口や身体に手を当ててみればいい。人形であるルゥルゥは呼吸をしていないし血も通っていないのだから。

 もしも人間の少女の死体ならばリッチーであるウィズならば一目で分かる筈だ。

 

 あなたの説得を受けて一分ほどルゥルゥを調べた後、自身の早とちりに気付いたウィズは耳まで真っ赤にしてルゥルゥの桃色の髪に顔を埋めてしまった。あなたの脳内メモリーにウィズの黒歴史がまた一つ増えた瞬間である。あうあうと言葉にならない声で悶えるウィズにルゥルゥの雰囲気もどこか呆れているようだった。

 

 あなたとウィズでルゥルゥを挟む形で暖炉前のソファーに座り、所在無さげにしているウィズにルゥルゥを譲り受けた経緯を説明する。

 女神アクアが墓地の浄化をさぼった事で発生した屋敷の悪霊騒ぎ、幽霊少女アンナとの出会い、そして屋根裏に安置されていたルゥルゥ。

 案の定女神アクアのくだりでは苦笑していたが。

 

「でも、ほんとに凄い……まるで本物の人間みたいですよね……」

 

 話を聞きながらも好奇心に瞳を輝かせて器用にルゥルゥの髪を梳かすウィズと無言のルゥルゥ。

 あなたはそんな二人をまるで親子のようだな、とは思ったが口には出さなかった。

 ウィズは二十歳らしいのでルゥルゥほどの子がいる年齢ではない。例え何年前に二十歳だったとしてもウィズは二十歳なのだ。

 

 

 

 

 

 

 ふと、ゴソゴソという音であなたは目を覚ました。

 眠いままで暖かい暖炉の前にいたからだろうか、あなたはウィズと話している間にいつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 

 時計を見れば記憶に残っている時間から三十分も経っていない。

 

 異音の原因を探ろうと隣に目を向ければ、そこに飛び込んできたのはルゥルゥの衣服に手をかけるウィズの姿があった。ルゥルゥの白い身体は肩まで顕になってしまっている。

 何をしているのか。いや、ウィズは本当に何をしているのだろう。

 あなたは思わずウィズを変態を見る目で見てしまったが、そんなあなたを誰も責める事は出来はしないだろう。

 

「…………はっ!?」

 

 あなたの凍えるようなジト目に気付いたウィズは慌てて弁解を始めたが今更何を言っても手遅れではないだろうか。

 しかしなるほど、先ほどの自分はウィズの目からこう見えていたのかと思うとあなたはウィズが怒った理由がとてもよく分かった。暗がりで少女にしか見えない人形に手をかける者など変態や変質者以外の何者でもない。なまじルゥルゥの出来が良すぎるせいでどう足掻いても憲兵召喚は不可避である。ガード! ガード!

 

「違います誤解です! 私はただ、こんなに可愛くて人間そっくりなルゥルゥちゃんの服の下の身体がどうなっているのか興味があるだけで……」

 

 ウィズはどこかで聞き覚えのある言い訳を始めた事であなたの目が更に濁っていく。

 自分で同じ言い訳をしておいてなんだがこれは駄目だ。もう完全に変態の自供にしか聞こえない。先ほどの自分はウィズの目からこう見えていたのかとあなたはとてもやるせない気分になった。完全に変態ではないか。ガード! ガード!

 

 あなたも全く同じ事をしようとしてウィズに怒られた手前、ウィズの行為がどれだけ怪しくとも強く咎めるつもりはなかった。

 しかし人に止めろと言っておきながら自分も全く同じ事をやるというのは如何なものか。あまり褒められたものではない。ウィズはそこの所をどう思っているのだろうか。

 

「……てへぺろっ」

 

 日頃見せない茶目っ気を出して可愛らしく舌を出すウィズにあなたはこやつめ、ハハハと笑う。

 こんなものを見せられては笑うしかないではないか。

 

「ハハハ……あ痛っだぁっ!?」

 

 あなたはウィズの一瞬の隙を突いて高速でデコピンを決めた。

 ベルディアならいざ知らず、あんなあざとさを全面に押し出した可愛い仕草でこちらを誤魔化せると思ったら大間違いである。

 頭蓋からバチィという音を響かせたウィズは額を押さえてソファーの上で悶絶する。

 

「ううっ、頭が割れたかと思いました……」

 

 涙目で何度も額に手を当てて血が出ていないか確認するウィズにあなたは大袈裟すぎだと肩を竦める。

 しかしそんなにルゥルゥに興味があるのなら、一人でこそこそやらずにあなたに言えばいいのだ。是非とも一緒にルゥルゥの身体を隅々まで調べようではないか。

 

「……あ、あなたは駄目です! ルゥルゥちゃんは私が責任を持って調べますから!!」

 

 そう言ってウィズはルゥルゥごと自分の部屋に引っ込んでしまった。

 若干理不尽な気がしないでもないが仕方が無い。あなたはウィズにルゥルゥの調査を任せる事にした。

 確かにウィズは変な物ばかりを率先して仕入れてくるような女性だがそれでも博識なアークウィザードで魔法道具屋の店主なのだ。あなたが自分で調べるよりは可能性はあるだろう。

 

 ルゥルゥを連れ去られて手持ち無沙汰になったあなたは自宅の屋根に積もっているであろう雪を下ろす為に外へ向かう事にした。

 

 

 

 

 

 

 ウィズの調査が終わったのはあなたが屋根に積もった雪を下ろし終わり、日がようやく昇り始めた頃だった。かなり早いのは流石と言ったところだろうか。

 

「……そういうわけで、ルゥルゥちゃんはただの人形ではありませんでした」

 

 結果から言えば、ルゥルゥはやはり“人間の少女を完璧に模した”もので、決して人間ではなかった。

 しかしウィズがルゥルゥの全身をくまなく調べた結果、ルゥルゥの身体は外見だけでなく中身までが人間と同等に動かす事が可能なように作られているという事が判明したのだ。

 

 更にルゥルゥの衣服のポケットの中には一つの金属製の指輪が入っていた。

 指輪にはかつて宝石が嵌っていたと思われる台座があったが今は欠けてしまっており、更に指輪の側面には傀儡子のルゥルゥ(Ruru The Puppet)という文字が刻印されている。

 

 傀儡ではなく傀儡子。

 操られる者ではなく操る者。

 しかし刻印された文字はPuppeteerではなくPuppet。実に意味深である。

 

 ウィズはただの人形ではないと言ったが、ここまで来るとルゥルゥが本当に人形なのかすら怪しくなってきた。

 元の所有者であったアンナはルゥルゥの事をどこまで知っているのかは分からないが、ただ一つだけ言える事がある。

 

「分かっていること、ですか?」

 

 ルゥルゥの製作者が間違いなく特殊性癖を拗らせたド変態だという事だ。こんな誰の目にも少女にしか見えない精巧な人形を作って何をするつもりだったのか。

 あなたの痛烈な正論にウィズは目を背けることで答えた。

 

 

 

「ルゥルゥちゃんですが、人形というよりもむしろ人造人間(ホムンクルス)に近いのかもしれません」

 

 ホムンクルス、あなたが初めて聞く単語である。

 あなたは説明の続きを促した。

 

「ホムンクルスとは錬金術で造られる人間……と伝えられています。生命の創造など神の御技に等しく殆ど伝説扱いですね。錬金術に関しては私も少し齧っているんですけど、かつてどこかの国で錬金術を使って生命を作る試みが行われていたそうです」

 

 錬金術ならあなたも修めている。

 無から有を生む事は出来ないが、石ころから金貨を生み出す程度ならば造作も無い。

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 驚きを顕にするウィズにあなたは実演してみせる事にした。

 まずあなたが取り出したのは何の変哲も無い一枚のコインである。ウィズに渡して確かめてもらう。

 

「普通のコインですね。特に魔力が篭っているという事も無いですし」

 

 これをノースティリス製の錬金用の鍋に入れて調合開始。

 十秒後、チーンという若干間抜けな音と共にふかふかのパンが出来上がった。

 

「えっ」

 

 己の目を疑っているかのようにウィズは目を擦り始めた。

 これは別に夢でも幻でもない。れっきとしたスキルの賜物であり、このパンはちゃんと食べる事が可能なのだ。

 

「え、えぇー……私が今まで見てきたあなたの行動の中でも一番無茶な光景ですよこれ」

 

 あなたがちぎったふかふかパンの欠片を恐る恐る口に運ぶウィズ。

 もぐもぐと咀嚼し、飲み込んで一言。

 

「……普通、ですね」

 

 おおむねあなたの予想通りの感想である。

 あなたも食感は素晴らしいが味は可も不可もなくと言ったところだと思っている。

 自分で食べる分には十分だが、店で買うとするならギリギリ及第点という程度の味だ。

 確かに腹は膨れるがそれだけだ。あなたやウィズが自分で作った方が確実に美味しい物を作れる。

 

「あの、ところで石ころから金貨を生むとは……?」

 

 石ころからふかふかパンを錬金してそれを売るのだ。

 元手ゼロの文字通り錬金術である。

 

「違、それ違う……間違ってはいないですけどなんか違いますよ……あなたの世界にはもっとちゃんとした錬金術は無いんですか?」

 

 勿論ある。あなたにとって錬金術とは主に治癒ポーションを作る為のスキルである。

 残念ながら治癒魔法が使えるあなたの役には立たないが。

 ……なのだがウィズは自作ポーションという単語に強く反応した。曰く

 

「ポーションが自作出来たらお店の仕入れが楽になりそうですよね!」

 

 との事である。ウィズはどこまでも商魂逞しい女性だった。

 これでもう少し仕入れる品がまともになれば、と思ったがそうなるとあなたが面白くないのでウィズは今のままでいてもらう方が都合が良いだろう。

 

 友人の店が繁盛しない事を願うあたり、やはりあなたも立派なノースティリスの冒険者だった。

 



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第26話 重力魔法の使い手

 後に冬将軍のご乱心と呼ばれる事になる記録的な豪雪から数日後。

 あなたは散歩がてらウィズの家の跡地に足を運んでいた。

 

 女神アクアの魔法により半壊したウィズの店と家はいっそ一から建て直してしまった方が早いという各々の判断によって完全に打ち壊された。

 そんなわけで現在ウィズの家は更地になっており、雪だけが地面に積もっている状態だ。

 

 すっかり寂しい事になっているウィズの家だが現在完成の目処は立っていない。

 あなたとしては全く構わないのだが、このままでは冬が終わってもウィズはあなたの家に居候しているかもしれないとあなたとウィズは睨んでいる。

 

 実はあなたも一枚噛んでいたりするウィズの家の建て直しだが、資材が揃って設計を終え、さあ工事開始だという段階でこの記録的な豪雪。

 やはりと言うべきか、アクセルの街の各地で屋根や家屋そのもの、宿が倒壊したりとかなりの影響が起きてしまっていた。

 とくれば大工達に修繕や建築の依頼が殺到するのは当然の流れだ。

 

 様々な理由で数え切れない回数壊滅し続けた結果、街の修繕の方法が確立されているノースティリスでは核が何十発起爆しようとあなた達冒険者が暴れ回って更地になっても三日もあれば元通りになるのだが、この世界ではそうもいかないらしい。

 

 あなたの家で菓子折りを持って土下座し、ウィズの家と店の完成が遅れる事を謝罪しにやって来た大工の親方達にウィズは何でもないかのように笑ってこう言った。

 

「この雪なら仕方が無いですよ。私にはこの人がいますし、全然気にしていませんから大丈夫です。親方さん達は家が壊れた他の人たちを優先してあげてください」

 

 大工達が去った後、少しだけ寂しそうに冬が終わっても家が完成しなかったら馬小屋に行きますので安心してくださいとウィズは告げたが、あなたは当然その提案を却下している。

 あなたはウィズには絶対に家と店が完成するまで居候して家事をやってもらうつもりだった。ベルディアもその方が喜ぶだろう。

 

 

 

 閑話休題。

 

 

 

 あなたがウィズの店跡地を去ってすぐ間も無く。

 あなたはあまり人通りの無い裏路地に見覚えのある姿を発見した。

 こんな場所で何をやっているのだろうといぶかしんでいると、向こうもあなたに気付いたようでパアっと表情を明るくさせてあなたの方に駆けてきた。

 

「こ、こんにちは! こんな場所で奇遇ですね!」

 

 元気いっぱいに挨拶してきたのはめぐみんの永遠のライバルことあなたの遊び相手である紅魔族のゆんゆんである。

 奇遇と言うが本当に奇遇である。

 ゆんゆんはこんな場所で一体何をしているのだろう。

 

「えっと……こういう普通じゃない場所ならあなたに会えるかなあって……」

 

 なるほど、ここはウィズの店のすぐ傍である。

 最近はご無沙汰だったがウィズの店が半壊する前は足繁く通っていたので確かにあなたに会える確率は他の場所よりは高いだろう。具体的にはギルドの次くらいか。

 

「やっぱり……! 私の思った通り……!」

 

 ぐっと小さくガッツポーズを決めるゆんゆん。

 しかしどうして彼女はわざわざこんな場所を散歩しているのだろう。

 あなたは自分に会いたいのならば直接訪ねてくれれば歓迎するつもりだった。

 

「そんなとんでもない! 約束も無しにいきなり訪ねたりして、あなたが忙しい時だったりしたら……それにいきなり行って、用が無いなら帰れって嫌われたらどうしようって……」

 

 ゆんゆんはあなたにとって知り合いの延長線上……ゆんゆん曰く遊び相手だが、あなたはゆんゆんにとって友達である。

 一々友達に会うだけでそんなに躊躇していたら一体いつ会えば良いのか。

 

「だ、だからこうやってあなたを待ったり探したりしてたんじゃないんですか」

 

 あなたはふと猛烈に嫌な予感がした。こういう時のあなたの勘はよく当たる。

 まさか冬将軍の件以降、ゆんゆんは毎日こうやって自分を探して散歩していたのだろうか。

 

「毎日じゃないですよ。二日に一度、五時間くらいです」

 

 なにそれ怖い。

 あなたは平然とのたまったゆんゆんの重さに戦慄した。

 

 はっきり言って忙しい時に遊びに来る方が千倍以上マシである。

 ゆんゆんが隔日で自分を探して五時間も彷徨っているかと思うと眠れなくなりそうだ。

 

 なので依頼で自宅にいない時はあるだろうが、それ以外ならいつでも遊びに来てくれていい。でも頼むからそれは本気で止めてくれとあなたはゆんゆんに懇願した。

 

「じゃ、じゃあ……今からあなたの家に遊びに行ってもいいんですか!?」

 

 断る理由の無いあなたは快諾した。

 あなたの家には現在ウィズが同居しているがゆんゆんは人外でも言葉が通じるなら友人になってほしいと言っていた。

 万が一ベルディアとエンカウントしたりウィズがリッチーとバレても大丈夫だろう。

 

 

 

 

 

 

「……友達の家、友達の家、友達の家……!」

 

 あなたの自宅前に近づくにつれそわそわとしだしたゆんゆん。

 どことなく嬉しそうで、しかし恥ずかしそうに俯く彼女を見ていると本当にぼっちを拗らせているのだと分かる。

 友人だからと変な場所に誘われてもホイホイ付いて行きそうだ。

 

 そんなゆんゆんだがあなたの家に辿り着くと庭に鎮座するある物のせいで目を丸くさせる事になった。

 

「何これ凄い……あなたが作ったんですか?」

 

 あなた達の目の前に一人の女性の雪像が立っている。

 ゆんゆんの目を釘付けにしているのは数日前にあなたが庭に作った、身長160センチメートルほどの女性の雪像だ。

 

 この雪像はあなたが信仰する女神を模したものである。

 

 ややふくよかで、少女的で小さな身を清楚な長い衣で包んだその女神の雪像はどことなく幼さを残した風貌で、他の女神達と比較して未発達な体を本人は地味に気にしていたりする。

 しかしその美しい瞳は誰よりも慈愛に溢れており、個性豊かな他の神々や狂信者達の中にあって気苦労も多いにも関わらず人々の心を安らかに導かんとするその姿こそ誰よりも女神に相応しい。

 

 雲のようにふわふわとした重量感のある大きな翼と、小さな翼のような耳は終わりの無い無限の空を想起させ、ウィズと似た波打つ長髪は母なる大海のよう。

 手には聖杯と癒しの杖を携え、雪像であるにも関わらず暖かく微笑む女神の雪像は会心の出来栄えである。

 

 呆然と雪像に手を伸ばすゆんゆんだが、直前でピタリと止まった。

 その視線の先には雪像の前に置かれた注意書きの看板が。

 

 

 

 ――壊さないでください。 by家主

 

 ――作るのに半日以上かかっていました。見た事が無いくらい真剣だったので壊さないでくださいお願いします。 by同居中の友人

 

 ――製作者はアクセルのエースとして有名なあの人です。壊した奴は草の根分けても絶対に見つけ出してOHANASHIだって笑ってました。 by修行中の魔剣使い(ソードマスター)

 

 ――目は笑ってなかったけどな。何でこんなものを作ったんだ。死にたくなかったら絶対に手を出すなよ。ごすはほんとうにあたまおかしいな! by匿名希望

 

 

 

 ゆんゆんはバッと勢いよく手を引っ込めた。

 

「さ、触ってません! 触ってませんよ!?」

 

 悪乗りしたベルディアが大袈裟に書いたせいでゆんゆんに誤解させてしまったようだ。

 ノースティリスの友人達のように故意でなければ壊しても気にしないので安心してほしい。

 あなたは狂信者だがそこまで狭量ではないのだ。

 

「な、なんだ……びっくりしたぁ……」

 

 しかし事故ならともかく悪意の下に故意に破壊された場合、あなたは最悪アクセルの街を更地にする事も視野に入れている。

 更地になるではなく更地にするというのがポイントである。

 勿論あなたは大真面目である。

 狂信者であるあなたは神像を破壊された場合に第二第三のノイエルを作り出すのに躊躇いは無い。

 

 そんな事はおくびにも表情に出さずにあなたは玄関のドアを開けた。

 

「お帰りなさい! ……あら?」

「……店主さん?」

 

 あなたを出迎えたウィズは不思議そうにゆんゆんを見つめ、ゆんゆんは呆然と呟いた。

 どうやら二人は知り合いだったようだ。

 あなたはゆんゆんがウィズの店に来ているのを見た事は無いのだが。

 

 ちなみに今日のウィズの服装は長袖の白のブラウスと黒のジャンパースカートである。

 ベルディアがウィズに聞こえないように小さく呟いた童貞を殺す服という言葉が妙に耳に残っている。だいぶ狂気度が高くなっているようだ。

 

 

 

 

 

 

「それでですね、こちらのゆんゆんさんがあの時私一押しのパラライズの魔法の威力を強化するポーションを買ってくださった方なんですよ」

 

 話を聞けば、やはりゆんゆんはウィズと顔見知りだった。

 といっても数ヶ月前に一度だけウィズの店のお世話になった事がある程度のものらしいが。

 

 アクセルの近くでとある悪魔との決戦を控えていたゆんゆんは強力な魔道具を求めてウィズ魔法店を訪れたのだという。

 

 アクセルに現れた悪魔の話はあなたも聞いた事があった。

 その時期は王都方面で依頼を受けていたので全く関わっていないのだが、ゆんゆんの話を聞くにめぐみんも関わっていたらしい。

 

「あ、あの時は助かりました……あのポーションのおかげで悪魔はちゃんと麻痺しましたっ」

 

 ぺこぺことウィズに頭を下げるゆんゆんにあなたは深く同情した。

 当時ウィズから話を聞かされた時、あなたは買った奴はどうせ碌な目には遭わなかったのだろうなと思っていたがまさかそれがゆんゆんだったとは。

 

 何といっても欠陥品を仕入れる事に定評のあるウィズの一押しの品を買っていったのだ。もう嫌な予感しかしない。

 どうせ相手と一緒に自分も麻痺するとかそういうネタ臭溢れるどうしようもないポーションだったのだろう。

 是非とも買いたかった。

 

 

 

 それはさておき、肝心のゆんゆんとウィズの相性なのだがこれが非常に良かった。

 不憫なアークウィザード同士で波長があっているのかウィズもゆんゆんもあっという間に仲良くなったのだ。

 

 ウィズは慣れているのかゆんゆんの紅魔族特有の名乗りも普通に受け入れたし、ゆんゆんが友達を欲しがっているとあなたに聞かされると一も二もなくゆんゆんの友達に名乗りを上げた。ウィズはあなたとは比較にならない程に善良な女性だし友人の定義もあなたと違って普通なので当然の帰結である。

 

 そしてウィズは聞き上手とでも言えばいいのか、話の続きを促すのがとても上手い。

 

 たどたどしく、それでいて一生懸命話すゆんゆんとそんな彼女の話を本当に楽しそうにニコニコと聞くウィズはまるで長年の友人のようであり、仲睦まじい姉妹のようでもある。

 

 あなたではこうはいかない。ゆんゆんを連れてきて良かったとあなたもついつい頬を綻ばせてしまう光景だ。

 

 街の住人からの人気はあるのに自身がリッチーであるという事を隠しているウィズは心のどこかで負い目を感じているのか、あなたと同じくあまり友人が多いほうではない。きっとこれは二人にとっていい出会いだったのだろう。

 

 

 

 いい出会いといえばキョウヤとベルディアもそうだろうか。

 ベルディアは時々休日に挑んでくるキョウヤを邪険に扱いつつも自分が目標にされているという事実に悪い気はしていないようで手合わせに付き合っている。

 今の所はベルディアの全勝だがベルディアは手合わせの後、キョウヤに長年の戦闘経験で培われた的確なアドバイスを分かりやすく、しかしぶっきらぼうに送っている。

 とんだツンデレデュラハンである。ベルディアの主人であるあなたとしては二人の間に薔薇の花が咲かない事を祈るばかりだ。キョウヤがベルディアに飲み込んで、僕のグラム……とか言い出したらキョウヤを慕う仲間の二人は泣くだろう。

 

 

 

 楽しく談笑を続けるあなた達だったが、ふとしたタイミングであなたについての話になった。

 正確にはあなたとウィズの話になった。

 

「お二人は、その……どういったご関係なんですか? やっぱり、一緒に住んでいるわけですから……」

 

 おずおずと、それでいて興味津々といった風なゆんゆんにあなたとウィズは顔を見合わせる。

 どういった関係と聞かれても答えは一つだ。

 

「私達ですか? 友達ですよ」

「……え、友達!? この人の!?」

 

 にっこりと笑って事実を話すウィズ。

 驚愕の目つきであなたに視線を飛ばすゆんゆんに、あなたは黙って頷いた。

 遊び相手のゆんゆんと違ってウィズはあなたにとって現在この世界における唯一無二の友人である。間違いはない。

 

 そしてあなたの友人であるという事はつまり他の何物にも替えられない大切な存在であり、ウィズの為ならばあなたは世界中を敵に回す事すら厭わないだろう。

 

「ゆんゆんさんも知ってるかもしれませんが、私のお店と家は……その、ちょっと不幸な事故で壊れちゃったんです。なので直るまではお友達のこの人の家にお世話になってるんですよ」

「あ、あのあのっ! ウィズさんはどうやってこの人とお友達になったんですか!?」

「どうって言われても困るんですけど……これといって特別な事は……」

 

 勿論あった。無いとは言わせない。

 だからこそウィズはあなたの友人であり、特別な存在なのだから。

 

「……確かにありましたね。言われてみれば確かにあれが私とあなたの関係の契機だったような気もします」

 

 玄武の採掘でウィズはあなたがノースティリスの人間、つまり異世界人であると知った。

 玄武の依頼を完遂させる為、リッチーというウィズの正体を知る故に口止めは可能だろうと打算込みで素性を明かしたのは今となってはいい思い出だ。

 

 確かに素性を明かした切っ掛けはとてもではないが褒められたものではないだろう。

 ウィズの弱みに付け込む形になったのだからそれは当然だ。

 しかしあの時から自身の正体を知る者を得たあなたは孤独ではなくなったのだ。

 

 無論それが全てでは無いが、あなたがウィズに拘るようになったのはこの件が大きな切っ掛けになっているだろう。

 あれが無ければ恐らく今程あなたとウィズが絆を深める事など無かっただろうし、あなたにとってウィズはただの贔屓の店の店主でしかなかっただろう。

 

 ……そして彼女は今日も砂糖水入りの綿を口に含んでいた筈だ。

 あの光景は今も尚若干のトラウマとしてあなたの心の底に根付いている。

 

「ウィズさん、あの人いきなり遠い目になっちゃいましたけど……」

「……もしかしたらあの時の事を思い出しているのかもしれませんね。詳しくは秘密ですけど、私達はちょっとした大冒険をして秘密を共有して仲が良くなったんですよ」

「わ、分かります! 確かにそれは凄くお友達っぽいですね!」

 

 お茶目にウインクするウィズに大興奮するゆんゆん。

 あなたはあえて彼女達の勘違いを訂正せずに黙っておく事にした。




ゆんゆん「友達が増えたよ!」
サボテン「やったねゆんゆん!」


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第27話 ウィズのお願い

 この世界の魔法使いはまず基本となるスキル……例えば中級魔法スキルや上級魔法スキルを取得する事で始まる。

 基本スキルは複数の魔法を一度に取得する事が出来て大変お得なのだが、その先の更に強力な魔法はツリー式に派生していくスキル群を取得しなければならない。ちなみにこれは魔法戦士の属性付与スキルも同様の仕様である。

 

 しかし例えば水が苦手な者は氷結や水属性のツリーの魔法を習得する際に常人よりも多くのポイントが必要だったり、最悪習得が不可能になったりしてしまう。逆に得意な属性は楽に習得する事が可能だ。

 ちなみにあなたには得意な属性も苦手な属性も無い。

 

 便利なのか不便なのか若干分かり難い仕様だが、最低でも基本スキルさえ習得していれば魔法使いとして戦えるのでとりあえず戦力外にはならない。

 

 基本スキルのツリーから派生していないスキルも存在する。

 あなたも習得しているテレポートだったりめぐみんが心血を注いでいる爆裂魔法といった高等魔法や純魔法属性……この世界では無属性魔法と呼ばれるそれがこれらに該当する。

 

 これらの他にも各種魔法の魔力消費軽減や威力上昇と言った常時発動(パッシブ)型のスキルも存在し、任意発動(アクティブ)型のスキルを補佐している。

 

 あなたとしては魔法関係の常時発動(パッシブ)スキルがノースティリスの魔法やスキルに乗れば心強かったのだが、残念な事にそれは叶わなかった。まあ愛剣があれば十分すぎるのだが。

 

 常時発動(パッシブ)スキルにはこれ以外にも身体能力上昇や状態異常抵抗を高めるといったものも存在しノースティリスにおける装備のエンチャントの代わりを担っている。

 ノースティリスでは毒や麻痺といった状態異常は装備で防ぐ必要があるので何も装備せずに耐性を獲得出来る常時発動(パッシブ)スキルは利便性でノースティリスを圧倒している。

 

 しかしノースティリスの耐性装備品は状態異常を問答無用で無効化するが常時発動(パッシブ)スキルでは無効化までは出来ないので痛し痒しといったところか。

 

 ここら辺の二つの世界における利便性と性能の違いはスキルの習得に通じるものがある。

 

 これまでの生活や収集した情報から鑑みて、あなたはこの世界のポイントと職業、そしてスキル習得の仕組みを一種の法則(ルール)のようなものだと思っている。

 リンゴが樹から地面に落ちるように、ポイントという目に見えない代価を支払えばスキルを習得出来る。そんなシンプルにして絶対の法則(ルール)

 

 女神アクアのような神々かそれ以外の何者かの干渉かは定かでは無いが、どこかの誰かがそう決めたからこの世界ではそう決まってるのだ。

 

 無論剣術のように努力すればポイント無しでポイントで得るのと同等の技術を得る事は可能だし、ポイントでスキルを取った後に努力すればそれはよりスキルを強力なものとする。

 

 しかし本来であれば弛まぬ努力と修練の果て、あるいは天賦の才のみが得られる技術や魔法をずぶの素人がポイントを支払えば簡単に手に入れる事が出来てしまうのだ。

 

 このように法則(ルール)であるが故にその強制力は理不尽なまでに強い。

 そう、あなたのような異世界の者にすら適用される程に。

 

 対してあなたの扱うノースティリスのスキル取得にそのような法則(ルール)や強制力は存在しない。

 これはノースティリスのスキル取得の際に必要となる物があくまでも本人の努力による技術である事が大きいと思われる。

 

 まあノースティリスでも願いの女神の力でスキルを取得、育成する事が可能だったり能力獲得の巻物というスキルを取得可能な魔法道具が存在するのだがこれは例外だ。基本は自力で何とかする必要がある。

 この世界における努力して技術を習得するのと同じように。

 

 しかしこの世界において二つの世界のスキルを習得しながらノースティリスの武具を装備するといういわば美味しいとこ取りが可能なのは現在この世界で三人だけ。

 

 あなた(廃人)と、ウィズ(リッチー)と、ベルディア(デュラハン)

 改めて考えなくても酷い面子である。

 

 

 

 

 

 

「今ちょっとよろしいですか?」

 

 あなたが自室で復習の為にスキルの教本を読んでいると、ウィズが突然訪ねてきた。

 昼食は先ほど食べたばかりである。何か用事だろうか。

 

「勉強中の所すみません。あなたの世界のスキルについてお話ししたいんですけど」

 

 ウィズはノースティリスのスキルに興味があるようだ。

 彼女の申し出にあなたは構わないと本を閉じる。

 

「ありがとうございます。……以前、宝島で私があなたの世界の魔法を習得出来たじゃないですか」

 

 確かにそんな事があった。

 あの時ウィズが習得したのは轟音の波動。

 使いやすい範囲魔法としてノースティリスでも重宝されている攻撃魔法の一つである。

 

「それで、この前にあなたから錬金術スキルの話を聞いてから思ってたんですけど……あなたの世界のスキルを私にも覚える事が出来たりしませんか?」

 

 それは店で売るポーションを調合する為だろうか。

 店が無いというのに商魂逞しいにも程があるとあなたは苦笑した。

 

「そ、それが無いと言ったら嘘になっちゃいますけど……それ以上に異世界のスキルに興味があるといいますか……勿論錬金術じゃなくてもいいですから」

 

 ウィズの願いにあなたは腕を組んで唸った。

 

 実際にウィズがノースティリスのスキルを習得出来るかどうかだが、これは恐らく可能だろう。

 あなたの考察している法則と技術の違い。そして魔法書の一件からもウィズがノースティリスのスキルを習得出来る可能性は極めて高い。

 

 しかしあなたはギルドトレイナーのようなやり方で他者にスキルを習得させた事が無い。

 あなたは各種スキルを取得しているし特に目的も無く鍛えてもいるが他者に教授するとなると話は別だ。

 

 最も確実で手っ取り早いのは終末で発生する巨人やドラゴンを支配の魔法でペットにしてウィズと遺伝子合成する事だろう。

 

 しかしウィズはペットではなく友人なので却下。

 そんな真似は出来ないしする気も無い。

 

 能力獲得の巻物は持ち歩いていない。

 つくづく願いの杖が産廃になったのが痛いとあなたは内心で臍を噛んだ。

 

 しかしウィズはアークウィザードだし聡明な女性だ。ベルディア曰くリッチーになる前から相当のやり手として勇名を馳せていたらしい。

 あなたのような凡人ではないので手取り足取り指導しなくても自力で何とかなる可能性はあるだろう。

 駄目で元々だとあなたは本棚から三冊の本を取り出しウィズに渡した。

 

「これは?」

 

 あなたがウィズに渡したのは三冊の同じ装丁の分厚い本。

 何度も何度も読み込んだ果てにボロボロになったそれは、あなたがノースティリスから持ち込んだスキルの学習書……いわば教科書だ。

 

 三冊の内訳は錬金術と宝石細工と魔道具。

 どれもこれも学習書無しやレベルアップのボーナス無しではちょっとやってられないレベルで育成が苦行だと冒険者の間で有名なラインナップである。

 

 まあノースティリスで育成が苦行でないスキルなど存在しないのだが。

 わくわくと学習書を開くウィズを尻目にあなたは今までの作業を思い返してつい溜息を吐きたくなった。

 

「…………」

 

 ウィズは暫くぱらぱらと学習書を流し読みしたが、すぐに閉じてしまった。

 その顔には落胆の表情がはっきりと浮かんでいる。

 何かまずい事でも書いてあったのだろうか。

 

「……書いてある文字が読めませんでした」

 

 ああ、そういえばそうだったとあなたは手を打った。

 魔法書と違って学習書はノースティリスの文字で書かれているのだからウィズが読めないのは当然だ。玄武の時はちゃんと考えていたがウィズに慣れすぎたせいか今はすっかり忘れていた。

 あなたは世界転移の際に翻訳の魔法をかけられているので文字も言葉も分かるがウィズはそうはいかないだろう。そしてこの世界に翻訳魔法スキルがあるという話をあなたは聞いた事が無い。

 

「えっと……やっぱり無理な感じですか?」

 

 読める自分が口頭で読み上げてウィズがそれを書き記せばいいだろうとあなたはウィズの諦めかけている言葉を一蹴した。

 もしくはあなたが自分で写本を作るか。

 

 

「ぜ、前者でお願いします。……でも本当にいいんですか?」

 

 どうせこちらは音読するだけなので構わない。

 この場合、むしろしんどいのは書き記すウィズの方だろう。大丈夫だろうか。

 

「私は勿論全然構わないんですけど……言い出したのは私のほうですし。でも、本当にいいんですか?」

 

 量が量なので多少時間を拘束されるだろうがウィズの為ならばこの程度はお安い御用である。

 

 それによくよく考えてみればこれはあなたにとっても損な話ではないのだ。

 もし魔道具の学習書の写本が完成すればそれはウィズだけでなく、あなたのペットであるベルディアの益になるかもしれないのだ。

 ウィズがノースティリスのスキルを会得出来た時、スキルでどんな品を作ってくれるのかも興味がある。

 

 そうと決まれば話は早い。早速始めようと思った所であなたは写本用の紙など持っていないと気付いた。

 聞けばウィズは持っていたが例の水害で全滅してしまったという。仕方が無い。文房具屋で買ってくるとしよう。

 

「あ、じゃあ私も一緒に行きます。私が言い出した事ですからせめて荷物持ちくらいはさせてください」

 

 あなたは外は寒いし別に気にしなくていいと言ったのだが、ウィズは頑として譲らなかった。

 

 そんなわけであなたとウィズは二人で雪のアクセルに繰り出す事になったのである。

 

 

 

 

 

 

「……あれっ、あそこにいるのってカズマさんじゃないですか?」

 

 ウィズと共に写本用の紙を買いに赴く道中、あなた達は偶然カズマ少年の姿を見つけた。

 いつものメンバーではなく、二人の男性とこそこそと路地裏の奥に目を向けているようだ。

 

 直接会話した事こそ無いものの、あなたは彼らの事を知っていた。

 確か彼らはキースとダストという名だったか。

 彼らは腕利き冒険者としてアクセルでもそれなりに名前が売れているパーティーだ。

 

 どうやら三人はあの路地裏の奥に用事があるらしい。

 

 彼らが興味津々なあの場所には何があるのだろうか。

 あなたはウィズに聞いてみる事にした。

 

「すみません、私もちょっと知らないです。というかあそこで誰かがお店をやっているという話は聞いた事が無いんですよね……」

 

 そんな話をしながらあなたとウィズが三人に声をかけることも無く見つめていると、最初にカズマ少年があなた達に気付いた。

 あなたが手を上げて声をかけるとカズマ少年は気まずそうに目を逸らした。

 

「カズマさん、こんにちは」

「よ、よう、二人とも……」

 

 カズマ少年の態度がぎこちないのは誰の目にも明らかだ。

 きっと借金の件で直接ウィズと顔を合わせるのが気まずいのだろう。

 

「あっ……す、すみませんカズマさん……私のお店のせいで大変な事になってしまって……やっぱり今からでも借金は帳消しに……」

「いやいやいやいや待て、お願いだから待ってくれウィズ! 借金はちゃんと払うからそんな水くさい事言うなって!」

 

 カズマ少年が異常なまでに必死である。

 借金を返済せねば自分は必ず死ぬと言わんばかりの必死さである。

 

「おいアクセルのエース。ちょっと顔貸せや」

 

 何者かがあなたに声をかけてきた。

 誰かと思えばキースとダストがあなたを手招きしている。

 

「ダスト、キース……お前ら、死ぬのか……?」

「し、死なねえよ!? 俺はこいつに話があるだけだから! いざとなったら靴を舐めても命乞いするっつうの! カズマはちょっと店主さんと世間話してろ!」

 

 という事らしい。

 少し心配そうなウィズに大丈夫だと手をひらひらと振って応える。

 

 あなたは二人に誘われるままに路地裏から離れる。

 そうしてウィズに声が届かないであろう距離まで離れると二人は深い溜息を吐いた。

 

「……ちっ、店主さんと一緒じゃなけりゃ適当に絡んで嫌がらせ出来るってのによぉ……お前ほんと止めろよこういうの。やりにくいったらありゃしねえ」

「ダストの言うとおりだ。よりにもよって店主さんと一緒に現れるとか何なんだアンタ。新手の嫌がらせか何かか? 俺達みたいなのにそれは効果抜群だからな?」

 

 あなたには二人が何を言っているのかまるで理解出来なかった。

 この路地裏の先にある場所に何か関係があるのだろうか。

 

 そんなあなたの問いにキースとダストはあなたを理解出来ない生き物を見る目で見た。

 

「…………お前それマジで言ってんのか? 今まであの店に一回も行った事無いのか? 本当に? ……お前大丈夫か? マジで頭おかしいんじゃないのか?」

 

 ダストがいよいよ可哀想な生き物を見る目になってきた。

 そういうのはゆんゆんにやってあげてほしい。

 

「あの店が目当てじゃないってんならなんでアンタは一年近くもアクセルを拠点にしてるんだよ。真面目な話、王都とかの方が稼げるだろ」

 

 何故と言われてもアクセルにはウィズの店があるから拠点にしているだけだ。

 どうせ王都にはテレポートを登録しているのでいつでも行ける。

 

「あーはいはい、そういう事ね……」

「見せ付けてくれやがって……」

 

 地面に唾を吐きかけるキースとダスト。

 自分達から聞いておきながら酷い対応だ。

 まるで場末の酒場に出没する安いチンピラのようである。

 

「……まあ、なんだ。アンタにゃ縁が無いだろうが、世の中には女が来ちゃいけない場所があるって事くらいはアンタにも分かるよな?」

「アクセルにもあるってだけの話だよ。……ちっ、いちいち言わせんな恥ずかしい」

 

 あなたはなるほどと頷く。

 あの先はつまり“そういう場所”らしい。

 確かにウィズには話せないしあなたには縁の無い場所だ。

 駆け出しの頃であれば通い詰めだったかもしれないが。

 

「今は店主さんがいるからこうして穏便に教えてやってんだ。ここの事は絶対に女に話すなよ。話した瞬間アクセル中の男冒険者がアンタの敵になると思え」

 

 あなたは何も言わずに頷いた。

 

「よし、さっさと店主さんを連れてどっかに行っちまえ。俺らは寂しく……」

「オイ待てキース。新手のリア充様のお出ましだ」

 

 ダストの目が途端に険しくなった。

 その鋭い視線はある方向を向いていた。

 あなたとキースが釣られてそちらを見れば、そこにいたのは和気あいあいとやってくるあなたもよく見知った三人組の男女の姿。

 

「こんな場所で奇遇ですね、こんにちはウィズさん……と、佐藤和真」

 

 グラムの所有者であるキョウヤと彼の仲間であるフィオとクレメアである。

 普通に挨拶してきたがキョウヤ達はウィズと顔見知りである。

 ベルディアと戦う際にあなたの家を訪ねてくるのだから同居しているウィズと顔を合わせるのは当然だ。

 

 ちなみにあなたはまだグラムを返却していない。

 神器を手に入れるのは難航しているようだ。

 

「こんにちは、ミツルギさん、クレメアさん、フィオさん。三人でお買い物ですか?」

「いえ、美味しい食事を出す店を見つけたので二人にご馳走しようと思って。ウィズさんと佐藤和真はここで何を?」

「オイ待て。俺だけ呼び捨てなのは百歩譲って受け入れるがお前は何でフルネームで俺の名前を呼ぶんだよ」

「いや、ついなんとなく。じゃあえっと……佐藤?」

「……やっぱ今のままでいいわ。なんか分からんけど違和感が酷い」

 

 女神から賜った神器であるグラムを窃盗した、された間柄であるにも関わらず意外にも互いに隔意は抱いていないようだ。

 キョウヤ曰く二人は同郷の出身らしいのでそれが関係しているのかもしれない。

 

「というかお前は何でアクセルにいるんだよ。折角のチート特典持ちのソードマスターなんだからもっと王都とかで好きなだけ俺TUEEEやってろよ」

「カズマさん、ミツルギさんは時々私の家……じゃなかった、私が今住んでる家……つまりあの人の家に来るんですよ」

「え、なんで?」

 

 ポカンと疑問符を浮かべるカズマ少年にキョウヤはやれやれと溜息を吐いた。

 

「……呆れたな。君は自分でやった事も忘れたのか?」

「忘れた。俺何やったんだっけ」

「き、君って奴は……! アクア様への態度といい本当に、もう……」

「魔剣はまだあそこにいるエースの人が持ってんのよ! アンタが盗んで武器屋に売っぱらっちゃったせいでね! おかげでキョウヤは今も滅茶苦茶苦労してるんだから!!」

 

 あなたを指さしてカズマ少年を糾弾するのは盗賊の少女、フィオだ。

 それを見てキースとダストがウィズに聞こえないようにざまぁと小さく嗤った。

 中々にイイ性格をしている。キョウヤに絡んでいかないのはウィズがストッパーになっているからだろうか。

 恐らくウィズが去った瞬間に二人はキョウヤに全力で絡んでいくだろう。

 二人ともいっそ清々しさを感じるくらいに小悪党だった。

 

 あなたは二人のような人間が嫌いではないというかむしろ大好きだった。

 ノースティリスの友人達は廃人達の最後の良心ことエヘカトルの狂信者以外、全員がぐうの音も出ない畜生なので仕方が無い。

 

 

 

「あ、あぁー……そういえばそんな事言ってたっけ。まあ、なんだ……ドンマイ。あれは勝負の結果ああなっただけだから俺は悪くないぞ?」

「分かってるし蒸し返す気も無いから養豚場の豚を見るような目で僕を見るのは止めてくれ。一応他の神器と交換してくれると話はついているんだ。僕がアクセルにいるのはグラム無しで冬に王都で活動するのは負担が大きいと思ったのと、あの人の仲間に鍛錬を付けてもらう為だ」

「ウィズの事か?」

「いや、ベアさんだ」

「熊!? あの人熊飼ってんのか!?」

 

 キョウヤの言にカズマ少年とキースとダストの視線があなたに集中した。

 

「熊って。熊ってお前。流石の俺もそれは引くわ」

「一撃熊でも調教してんのか……?」

 

 キースとダストはドン引きしている。

 話す気は無いがあなたのペットはただの元魔王軍幹部である。

 そして今のベルディアなら一撃熊くらいなら余裕だろう。

 

「違いますよカズマさん。ベアさんは、えっと……何て言えばいいのか……」

「熊みたいにでっかい頭のおかしい剣士よ」

「そうね、事あるごとにキョウヤに爆発しろって言ってる嫌な奴だわ」

「フィオ、クレメア。ベアさんは確かに僕に一体何の恨みがあるんだ畜生って言いたくなるくらいに厳しいけど悪い人じゃないし僕の剣の師匠でもあるんだからそんな言い方は……」

 

 キョウヤはともかく、仲間の二人のベルディアへの好感度は地の底だった。

 最近は毎週の如くキョウヤを叩きのめしているのだから無理も無い。

 ただ折角の休みを潰された挙句嫌われるベルディアが若干不憫ではあった。

 

 

 

 

 

 

 カズマ少年やキョウヤ達と別れた後、写本用の紙を購入したあなたとウィズはアクセルの街を散歩していた。

 ウィズの両手には買い込んだ筆記具や帰り道で買った食料の袋が。

 

「ここら辺はあんまり雪の被害が無かったみたいですね」

 

 道すがら、ウィズはほうっと白い息を吐きながらおもむろにそんな事を言った。

 

 冒険者を含む街中の住人が総出で雪かきを行った結果、アクセルの街は割とすぐに街としての機能を取り戻した。

 しかし豪雪は未だアクセルの街の多くの家屋に深い傷跡を残したままだし、更に寒さの為か人も殆ど出歩いていない。

 

 ウィズはいつもの黒いローブを着ている。

 今更だが寒くないのだろうか。

 

「ほんとに今更ですね……。でも私は大丈夫ですよ。中に着込んでますので」

 

 言われて見れば確かに今日のウィズはいつもよりふっくらしている気がした。

 

「ふ、太ってませんよ!? もし仮に体重が増えたとしてもそれは標準域に戻っただけですし……ご飯が美味しいのが悪いだけですし……」

 

 誰もそんな事は言っていない。

 というかノースティリスと同じくこの世界のアンデッドも痩せたり太ったりするのだろうか。

 もしそうならば極貧生活を送っていたウィズはガリガリになっていなければ辻褄が合わないにも関わらずそんな気配は無かった。これは一体どういう事なのか。

 

「…………あなたは時々平気でそういう事を言っちゃいますよね。確かに私はアンデッドですが、それ以前に二十歳の女なんですけど」

 

 あなたの指摘にウィズはジト目であなたを睨んだ。

 

 心なしか更に周囲の気温も下がってきている。

 この話題は止めておくのが賢明だろう。

 

「まあいいんですけどね。私も似たようなものですし。仲間によくウィズはデリカシーが足りないとか鈍感にも程があるって怒られたりしましたしね」

 

 苦笑しながら、しかし懐かしそうに目を細めるウィズ。

 その瞳はどこを見ているのか。今か、あるいは輝かしい過去か。

 

 あなたはそんなウィズを見てふと思った。

 自分がウィズの現役時代に知り合いだったらどうなっていたのだろうか、と。

 

 魔法道具店をやっていない以上、今のように友人になっていたとは思えない。

 しかし自分が今ほど逸脱してしまう前、例えばレシマスを制覇した時期に彼女と出会えばあるいは…………。

 

 

 

「どうしました?」

 

 

 

 突然立ち止まったあなたにウィズが振り返って首を傾げる。

 何でもないとあなたは誤魔化して再びウィズの隣に並ぶ。

 

 もしもの話は嫌いではない。

 しかし時は止まれども戻る事は無い以上詮無い話だとあなたはそれ以上この事を考えるのを止めた。



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第28話 廃人とリッチーの弟子

 あなたの遊び相手にしてウィズの新しい友人であるゆんゆんだが、彼女は同じ紅魔族のめぐみんのライバルである。

 紅魔族の族長の娘にして次期族長であるゆんゆんは族長に相応しい人間……つまり同世代のナンバーワンになるべく地道に努力を積み重ねてきた。いわば秀才だろうか。

 

 そんなゆんゆんの前に立ちはだかるのは頭のおかしい爆裂娘。

 ゆんゆんが秀才だとするのならばめぐみんは不世出の天才。

 

 ゆんゆんは同世代ナンバーワンであるめぐみんを相手に事あるごとに勝負を挑み、そして敗北を積み重ねてきた。

 あなたから見てゆんゆんとめぐみんが戦う場合、ゆんゆんはかなり分が悪い戦いを強いられる事になるだろう。

 直接的な戦闘力ではなく精神面と駆け引きの部分で。

 

 確かにめぐみんは強かな少女だがそれだけではない。

 あまりにもゆんゆんがチョロすぎるのだ。はっきり言ってチョロ甘である。

 あなたはゆんゆんと知り合って間もない間柄だがゆんゆんのチョロさは嫌というほど身に染みている。

 カードゲームをしようものなら顔に出るし、チョロっと友人を強調されると大抵の願いは聞き届けてしまう。

 きっとこうやって今までめぐみんにあしらわれてきたのだろう。悲しい性である。

 

 具体的にゆんゆんがどれくらいチョロいかというと、以前ゆんゆんがお友達になってくれたお礼に何かプレゼントを、とあなたとウィズに向けて言った事がある。

 勿論ウィズは友達とはそういうものではないとゆんゆんを優しく諭したがあなたは一度どれほどゆんゆんがチョロいのか確かめるべくゆんゆんのパンツが欲しいと真顔で強請ってみた。

 

 無論あなたは本気だった。冗談でこんな事は言わない。

 

 ゆんゆんは年若い少女だ。つまりギャルである。

 ノースティリスにおいてギャルのパンティーはとても優秀な投擲武器なのだ。

 適正距離、同素材で比較した場合は近接、遠隔といった殆どの武器を上回る攻撃力を叩き出すといえばどれほどパンツが強力な武器なのかは分かってもらえるだろう。

 おまけにパンツは敵に当たると幻惑属性の追加ダメージを発生させて敵を発狂死させる。

 強力なエンチャントが付与された生きたギャルのパンティーといえば投擲使い垂涎の品である。

 

 どうでもいい話だが男の下着は装備品にはならず、どこまで行ってもただの下着である。

 女尊男卑にも程があるのではないだろうか。

 

 そして見目麗しい女性のパンツが優秀な装備なのはノースティリスだけでなく、この素晴らしい異世界においても同様だ。

 これはエリス神のパンツが極めて優秀な頭防具な事からも容易に結びつける事が出来る。

 つまりゆんゆんの下着もきっと優秀な装備なのだ。非の打ち所の無い完璧な推論である。

 

 

 

 ……とはいってもやはり下着は下着である。

 どれほど強くても正面から欲しいと強請ればセクハラだと怒られない道理は無い。

 硝子製の透き通るギャルのパンティーを積極的に集めて自宅に飾るような輩は女性冒険者から白眼視されて当然である。

 

 勿論パンツを強請ったあなたもウィズに頭を叩かれて滅茶苦茶怒られてしまったわけだが、ゆんゆんは涙目で真っ赤な顔をしながらこう言った。言ってしまった。

 

「い、今穿いてるのは駄目です! でも私なんかのパンツで喜んでもらえるのなら後で持ってきますね!」

 

 きっとその場のノリとか勢いに任せてつい口から出てしまったのだろう。

 あえて言うまでも無いだろうがゆんゆんはウィズに友人だからって何でもハイハイと言う事を聞くのはよくないし何より自分をもっと大切にしてくださいと懇々と説教される事になる。

 

 そしてこの瞬間、あなたは本気でゆんゆんの将来が不安になった。

 絶対にこの純朴な少女を平気で食いものにするような冒険者が跳梁跋扈するノースティリスに連れて行ってはいけない。

 駆け出し冒険者が神器を背負ってやってくる、とばかりにあっという間に食いものにされてしまうだろう。二重の意味で。

 ゆんゆんちゃん美味しいです、なんて展開になった日にはウィズとめぐみんが曇る事請け合いである。

 あなたは慣れているので問題ない。人肉嗜好は無いのでゆんゆんを食べる気も無い。

 

 

 

 さて、そんなゲロ甘でチョロQなゆんゆんだが、彼女は上級魔法を使えるようになるまで修行し、そして上級魔法を覚えた暁にはめぐみんと長きに渡る因縁に決着を付けようという約束をしているのだという。

 

 現在ゆんゆんは中級魔法を使える将来有望なアークウィザードだがライバルのめぐみんが使うのはご存知爆裂魔法。

 

 今の自分ではめぐみんに挑むのは不足だと感じたゆんゆんは決着を先延ばしにしている状態だ。

 ちなみに負けても挑むらしい。決着を付けるとは何だったのか。

 まるであなたとノースティリスの友人達のように勝負そのものが一つのコミュニケーション手段と化している可能性がある。

 

 

 

 なのであなたの家に遊びに来たゆんゆんがある日突然こんな事を言い出しても、それはある意味で当たり前の事だった。

 

 

 

「あなたは、その……上級魔法を使う事が出来るんですよね?」

 

 ゆんゆんは何故かアークウィザードのウィズではなくあなたにそう言ったように思える。

 あなたが自分に言っているのかと問えば実際ゆんゆんは頷いた。

 

 上級魔法使い(アークウィザード)のウィズは勿論の事、上級魔法戦士(エレメンタルナイト)のあなたも上級魔法スキルは覚えている。

 といってもエレメンタルナイトであるあなたは基本スキルから途中までしかスキルツリーを進める事が出来ないのだが。

 しかしそれがどうしたのだろうか。

 

「いえ、もし宜しかったらその……私に修行を付けてほしいな、なんて……も、もし駄目なら結構ですから!」

 

 恐縮したように身体を小さくするゆんゆんはいつも通りだ。

 茶菓子を齧りながらあなたとウィズは顔を見合わせる。

 

「……あっ、勿論アクセルのエースであるあなたにタダ働きをしてほしいとは言いません! 修行を付けてもらう対価としてこれをお渡しします!」

 

 ゆんゆんが懐から取り出してあなたの前に置いたのは小さな宝石だった。

 ウィズの専門にしてある意味あなた達の関係の始まりとも言えるマナタイト鉱石によく似ている。

 

「マナタイト鉱石を精錬したマナタイト結晶ですね」

 

 ウィズの発言になるほど、とあなたは頷いた。

 品質は良いように思えるがどうなのだろう。

 

「私の見た限りではかなりの純度の一級品ですね。指輪やイヤリングに加工すれば優秀な装備になる、魔法使いなら喉から手が出るほどの品ですよ。この大きさでも末端価格で数百万エリスは行く筈です」

 

 そんな物をどこで手に入れたのかはともかく、どうやらこれはゆんゆんの依頼らしい。

 しかし同じアークウィザードのウィズはともかく、職業が違う自分に教える事などあるのだろうかとあなたは疑問に思った。

 あなたはノースティリスの魔法使いの定石と立ち回り方なら幾らでも教える事が出来るがこの世界の魔法使いの立ち回りなど分からない。何故ウィズを選ばないのか。

 

「私は確かにアークウィザードですけど、ナイフと体術も使って戦うんです。だから魔法戦士のあなたにって……」

 

 言われてみれば確かにゆんゆんは銀色の杖と短剣で武装している。

 あなたはウィズが武器を持っているのを見た事が無い。

 店主なのだから当然なのだが実際の所はどうなのだろう。

 

「杖術や接近戦の心得はあります。私もライト・オブ・セイバーとか使ってましたから。でも今同じ事をやれと言われるとちょっと……相当鈍ってる自信がありますし激しく動いたら多分翌日は筋肉痛が酷い事に……」

 

 伝説のリッチーはとても情けない事を言い出した。

 筋肉痛に苦しむアンデッドとは何なのか。想像しただけで悲しくなってくる。

 

「えっと、それで……どうでしょうか? 期間は長くても春までで結構ですから……」

 

 なるほど、これは依頼だ。

 実際にマナタイト結晶という形で報酬も提示されている。

 あなたはゆんゆんの依頼を受ける事にした。

 

「あ……ありがとうございます!!」

「待って下さい」

 

 早速詳細をゆんゆんと詰めようとした所でウィズからストップがかかった。

 どうしたのだろうか。

 

「ゆんゆんさん、水くさいじゃないですか。私も一緒にお手伝いしますよ。これでも私はアークウィザードなんですから、魔法の理論や運用に関してはこの人より上手く教える事が出来る自信がありますよ」

「えっ、でも私にはもう支払えるものが無くって……ごめんなさい……」

 

 ウィズは悲しそうに俯くゆんゆんの頭をぽん、と撫でた。

 

「もう、そんな悲しい事言わないでください。対価なんていりませんよ。私達はお友達なんですから、困った時に助け合うのは当たり前じゃないですか」

「…………っ!!」

 

 ウィズの透き通った綺麗な笑顔を受けてゆんゆんは感極まったように両手で口を押さえた。その目尻からは光る滴が浮かんでいる。

 

 あなたはそんな二人を尻目にマナタイト結晶を懐に収める。

 ウィズが無償でやるからといって自分まで無償でやる必要は無い。

 

 ゆんゆんがあなたに修行の依頼を申し出た以上は報酬が必要だからだ。

 無論依頼であるからには一介の冒険者として微力を尽くす所存である。

 

「あ、あの……お二人とも、本当にありがとうございます! こんなに私なんかに親切にしていただいて……私、別に可愛くもないし、一緒にいて面白くもないのに……」

「ゆんゆんさんはとっても可愛いですよ。私が保証します! ……といっても私なんかに保証されても嬉しくも何ともないでしょうけど」

 

 ウィズの自嘲にゆんゆんは勢い良く首を横に振った。

 

「そ、そんな事ありません! ……でも、本当ですか……?」

「本当です。あなたもそう思いますよね?」

 

 あなたは何も言わずに頷いた。

 一般的に見てもゆんゆんは十分美少女に分類されるだろう。

 あなたからしてみれば何故こんなにも自己評価が低いのか謎である。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 頭から湯気が出そうなほどに顔を真っ赤にするゆんゆん。

 それを見てニコニコと笑うウィズに、ゆんゆんは何を思ったのか爆弾発言を投下した。

 

「わ、私はウィズさんもすっごく美人だと思います!」

「へっ?」

「あなたもそう思いますよね!?」

 

 つい十秒前に似たような台詞を聞いた気がする。

 あなたは先ほどと同じように肯定した。

 

「え、えっと……その……ありがとうございます……私、お世辞でもとっても嬉しいです……!」

 

 えへへ、とはにかみながら髪の毛を左手の指先でくるくると弄るウィズ。

 更に右手でボスボスと照れ隠しにソファーの上のクッションを殴る様は美人というよりは可愛いと表現した方が良かったかもしれない。

 

「ウィズさんとあなたは友達同士なんですよね?」

 

 ほっこりしていると若干死んだ目をしたゆんゆんがあなたに耳打ちしてきた。

 勿論である。あなたとウィズは友人である。

 

「あ、駄目だ。そういえばこの人の友人判定って普通じゃなかった……!」

 

 今に始まった事ではないがゆんゆんは地味に失礼である。

 紅魔族とは皆こうなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 数分後、準備を整えたあなた達三人はシェルターの中にいた。

 ゆんゆんは初めて入る異空間に興味津々なようできょろきょろと周囲を見渡しており、ウィズは草原と化した地面にしゃがんでいる。

 

「うわ、凄い……こんなに広い空間を作る魔道具があるなんて……」

「いつ見ても不思議な道具ですよね、これ。シェルターとホームボードでしたっけ?」

 

 惜しい。ハウスボードだ。

 ゆんゆんはめぐみんをびっくりさせたいのでばれないように修行したいと言うので、今日の所はベルディアも休みなのでシェルターを開放したというわけである。

 どうせキョウヤパーティーにはシェルターの存在を知られているので今更だ。

 

「ゆんゆんさん、ここならどんなに凄い魔法を使っても大丈夫なんですよ」

「え、じゃあめぐみんの爆裂魔法も?」

 

 それどころかウィズが全力で爆裂魔法を撃っても大丈夫だろう。

 ここは外界から完璧に隔離された異空間なのだから。

 

 あなたの発言にゆんゆんはしかしそれ以外の事に食いついてきた。

 

「ウィズさん、爆裂魔法取っちゃってるんですか!?」

「え、ええ、まあ。上級魔法とかテレポートとか、必要なスキルを全部習得した後にですけど」

 

 マジかお前と言わんばかりにゆんゆんはウィズを凝視している。

 ゆんゆんの過剰な反応は近場にめぐみんという爆裂狂がいるのと同時に、この世界において爆裂魔法は殺傷力ばかり大きくて使い辛いネタ魔法扱いされているのが大きい。ノースティリスの住人であれば喉から手が飛び出るほど素晴らしい魔法なのだが。

 

 ちなみにウィズが爆裂魔法を習得したのは現役を引退した後、つまりリッチーになってからだという。

 勿論ゆんゆんはそんな事は知らない。

 

「めぐみんみたいに最初に覚えるならともかく爆裂魔法を最後に覚えるだなんて……ウィズさんって凄いんですね! 紅魔族にだってウィズさん程のアークウィザードはいませんよ! こんなにお若いのに、どんな修行を!?」

「う゛っ……」

 

 キラキラとウィズを尊敬の眼差しで見つめるゆんゆん。

 ウィズは何を思ったのかあなたにアイコンタクトを送ってきた。

 

(わ、私は二十歳ですけど何故かとっても心が痛くて辛くて苦しいです……)

 

 ウィズは少し二十歳を強調しすぎである。

 というかもう正直に自分はリッチーだとぶっちゃけてしまえばいいのではないだろうか。

 人外でも話が出来れば友達になってほしいと言うほどにゆんゆんは色々と拗らせているし、例えウィズが何者であってもゆんゆんはあまり気にしないと思うのだが。

 いい話だ。感動的だ。実に有意義だ。

 

(それが出来れば苦労はしませんよ……ううっ、助けてくださいエレえもん!)

 

 しょうがないなあウィズ太ちゃんは。

 あなたは苦笑して罪悪感から泣きが入ってきたこの可愛らしい友人の頼みを聞き入れた。

 

 幸いにしてこの世界は所々ノースティリスに近しい。

 誤魔化す方法など幾らでも思いつく事が出来る。

 

 そんなあなたはゆんゆんに言った。

 ウィズは常人には真似出来ないドーピングを行っているのだと。

 

「常人には真似出来ないドーピング、ですか?」

 

 

 

 

 スキルポイントはレベルが上がるたびに増える。

 そしてレベルは上になるにつれて上がりにくくなっていく。

 つまりポイントが入手し難くなっていくのだ。

 

 なので限界まで鍛えた後にあえてレベルを下げる。

 レベルを下げても覚えたスキルは忘れない。

 

 ノースティリスでは下落転生と呼ばれている、誰もが一度は考えるが殆どの者があまりの敷居の高さに膝を屈する事になる裏技である。

 

 しかしこの世界のそれは下落転生よりも危険度が高い。

 

 何故ならばノースティリスではレベルが上がっても生命力と魔力量が上昇するだけだがこの世界ではレベルと各能力が直結しているからだ。

 ここら辺もこの世界が特殊な法則の上に成り立っているとあなたに確信させている理由でもある。

 

 あなたは今の所一度もレベルの数値が動いていないので実感していないが、ウィズ達はレベルが上がるだけで強くなる。

 能力を上げるのにヒィヒィ言っているあなた達からしてみれば思わずふざけんな反則だろと一斉にブーイングを飛ばしたくなってくる、恐ろしくインチキ染みた仕様だ。

 

 しかし同時にウィズ達はレベルが下がると弱くなってしまう。

 今のウィズだろうとレベル1になれば駆け出し同然の能力になってしまうのだ。

 

 ノースティリスの冒険者のように何度でも死ねるのであればそれでもやる者はやるだろうが、この世界の冒険者には二度死ねば終わるという絶望的なまでの死のプレッシャーが立ちはだかる。

 駆け出しが死にやすいというのはノースティリスもこの世界も変わらない。

 

 プレッシャーを越えていざレベルを下げようと思ってもレベルドレインを使うモンスターは伝説と呼ばれるような極めて強力なモンスターばかりだ。

 つまり余程強力な冒険者でもない限り遭遇イコール死を意味する。

 

 遭遇しても死なない冒険者ならば金には困らない。

 つまりスキルアップポーションを買えば事足りる。

 

 そんなわけでレベル下げは思いついても普通はやらないしやれない。

 ウィズはそれをやったとあなたは告げようとした。

 勿論ゆんゆんを誤魔化す為の出鱈目である。しかし……

 

 

 

 

「分かりました! ドーピングってスキルアップポーションの事ですね?」

 

 ゆんゆんはあなたの説明の前にパン、と手を叩いて笑顔でそう言った。

 

「確かに紅魔族の里の外で出回ってるスキルアップポーションは高額ですが、ウィズさんみたいな高レベルの冒険者の方ならスキルアップポーションを買うのに苦労はしないですよね」

「え、ええそうです! 実は高額賞金首を討伐した時にたまたま見つけたスキルアップポーションを大人買いしちゃったんですよ!」

 

 ウィズは豊かな胸を張ってあなたに再びアイコンタクトを送ってきた。

 

(ありがとうございますエレえもん!)

 

 ゆんゆんとウィズ太ちゃんは何かを盛大に勘違いしているようだ。

 レベルドレインからの再育成など端から除外しているように見えるのは恐らくそれだけレベルドレイン育成が有り得ないものなのだろう。ノースティリスの冒険者と異世界人の意識の差を感じ取れなかったあなたの大誤算である。

 

 まあ自分の考えていた方法とは違ったが、結果的にゆんゆんを誤魔化す事には成功したしウィズも満足しているようだから別にいいかとあなたはなげやりに考え……ふと思った。

 

 レベルドレインが使えるのは伝説のモンスターだけ。

 つまり伝説のアンデッドなリッチーであるウィズも使えるのではないだろうか。

 もし使えるのならばベルディアの育成を手伝ってもらう事があるかもしれない。

 

 そんな事を考えたのがいけなかったのだろうか。

 シェルターに何者かが侵入してきた。

 

 

 

「ご主人、ウィズ、ここにいるのか? 起きたのに俺の飯が用意されてなくて俺はひもじいぞ……?」

 

 ぼやきながらシェルターに入ってきたのはベルディアだ。

 初対面のゆんゆんとばっちり目が合ってしまったがこれは大丈夫なのだろうか。

 

「……誰だ?」

「は、初めまして……ゆんゆんって言います」

「……ベアだ」

 

 何とも言えない独特の空気が二人の間に流れる。

 不憫枠の会合。あなたの脳裏にそんな怪電波が流れてきた。

 

「一応聞いておくが、その目と名前は紅魔族だよな?」

「は、はい……ごめんなさい……あなたの事はウィズさん達から聞いてますごめんなさい……」

「別に怒ってはいないんだが……そうか、紅魔族か……」

 

 ベルディアが小さく溜息を吐き、ゆんゆんがびくりと身体を震わせてウィズの背中に隠れた。

 何も装備していない私服姿のベルディアは色黒で身長二メートルほどの目つきの鋭い大柄の男だ。

 ゆんゆんのような気弱で人見知りのする少女には厳しいかもしれない。

 

「こ、紅魔族でごめんなさい……」

「いやすまん、お前が悪いわけではない。ただ紅魔族にはちょっといい思い出が無くてな……」

 

 ベルディアはうっへりとした顔を隠しもしない。

 どこかの頭のおかしい爆裂娘を思い返しているのだろうか。

 

「ベアさん、ゆんゆんさんを苛めないでくださいね? 私のお友達なんですから」

「……ウィズの友達だと?」

 

 ベルディアが露骨に嫌そうな顔をしてゆんゆんから一歩引いた。

 ゆんゆんとウィズがショックを受けたように驚きを顕にする。

 

「なんで私の友達ってだけで引くんですか!?」

「だってお前の友人って基本的にアレだろ。俺が知ってるだけでも某何でも見通すアイツとかご主人とかさあ……コイツも絶対まともじゃないだろ。紅魔族だし」

「普通です! ゆんゆんさんはまともで普通の女の子ですから!!」

 

 おおっと、ウィズにまともでも普通でもないと言われてしまった。

 全くもってその通りである。クリティカルすぎて返す言葉も無いとあなたは苦笑いを浮かべた。

 

「ウィズさん、その言い方だとあの人も……」

「……え? あ、ああっ!? 違うんです、今のは決してそういう意味じゃなくて!」

「いや、そういう意味だろ。実際ご主人は頭おかしいしまともじゃないから安心して良いぞ」

「ベアさんはちょっと静かにしててください! 違いますから、ほんとに違いますから!!」

 

 

 

 

 

 

 若干カオスになった状況から十数分後。

 現在あなたはキッチンでベルディアの食事を作っている最中である。

 ゆんゆんが最初はウィズがいいと言うので彼女がゆんゆんの魔法の指導を行っている。

 

「ミツルギに続いて今度は紅魔族の娘がご主人とウィズに指導されるのか。一方俺は一人寂しく終末で死に続けているわけだが」

 

 やさぐれるベルディアは平常運転である。

 キョウヤのように普通に努力するよりも圧倒的に早く強くなっているのだからいいではないか。

 

「……まあアイツが定期的に来るから相対的に自分の成長を実感出来るからいいんだけどな……たまには冬将軍みたいな賞金首と戦ったりしてみたいぞ。ほら、例えばご主人やウィズと協力したり合体技的な物を編み出したりしてだな……」

 

 合体技とはこれまた面白そうなテーマである。

 

「まあご主人にはあの頭のおかしい剣があるからな。剣自体の攻撃力もさることながら魔法強化の倍率が狂ってやがる。あんなの反則だろ反則」

 

 では愛剣は使わない条件で。

 しかし冬将軍では荷が勝ちすぎるので仮想敵は……今回は機動要塞デストロイヤーでいくとしよう。

 

 デストロイヤーとは城ほどの大きさを持った巨大な機械蜘蛛だ。

 

「デストロイヤーとはまた随分と大物を選んだな……」

 

 ベルディアが頬をひくつかせるがあなたは首を傾げた。

 三十億エリスという巨額の賞金首の割にかなり容易い相手だと思うのだが。

 

「無茶言うな! 三十億って俺の十倍だからな!?」

 

 所詮賞金額など“人類にとってどれほど脅威か”で決められているに過ぎない。

 戦闘力でベルディアを圧倒する冬将軍の賞金がベルディアに負けているのがいい例だ。

 懸賞金三億のベルディアが二億の冬将軍に勝てるかと聞かれると、まあ普通に無理だ。

 十人いても蹴散らされるだけだろう。

 

「うわあ、あってるけどおれはなきそうだぞごす」

 

 というわけで特に意味の無い頭の悪い思考実験である。

 まずデストロイヤーの強さとは何だろうか。

 

「簡単に言ってしまえばインチキじみた巨体と硬さ、そんな巨体に見合わない速さだな。……ああ、あと超強力な対魔法結界もあったか? ウィズのような魔法使いでは相性は最悪だろうな。まあ俺のような近接物理型は近づいただけで轢き潰されて荒挽き肉団子にされて死ぬだろうが。どうしろってんだこんなの」

 

 ではデストロイヤーの武器は。

 

「まずはその圧倒的な巨体と機動力。ただ移動するだけで国を滅ぼせるなんて真似は魔王様にも不可能だ。武装と言えるのは……少なくとも現在確認されている武装は自立型のゴーレムと飛来物を打ち落とすためのバリスタくらいか。……こうしていざ挙げてみると武装面は貧弱だな」

 

 そう、デストロイヤーはただ移動するだけで甚大な被害を発生させるものの、デストロイヤー本体の攻撃能力自体は体当たりを除けばそれは非常に低いものでしかないのだ。

 少なくとも玄武や冬将軍とは比較にならないだろう。

 

「比較対象がおかしい。というかその体当たりを食らったら俺達は即死だからな?」

 

 そんなわけでデストロイヤーを相手にする時のベルディアとの合体攻撃、およびあなたが決めた作戦はこうだ。

 まず最初にベルディアを見張り台などの高所に配置する。

 

「俺を?」

 

 配置したベルディアは高台にうつ伏せで寝そべってもらう。

 そしてあなたが横になったベルディアの後頭部に乗る。

 

「オイちょっと待て」

 

 待たない。説明を続ける。

 

「もう嫌な予感しかしない」

 

 そしてデストロイヤーが接近してきた所でベルディアとあなたが同時に気合いを入れて分離スキルを発動するのだ。GetRide!

 デストロイヤーの上空に向けて首だけ射出する事であなたとベルディアの生首が超高速でデストロイヤーに接近する。GetRide!

 

「ほら見ろやっぱりな! 絶対そう来ると思った!」

 

 ちょうどいい位置に着いたらあなたがベルディアから飛び降りる。ベルディアは余裕があったらモンスターボールに回収。

 あなたはゴーレムが放つバリスタを迎撃しながらデストロイヤーの胴体に着地。

 そのままデストロイヤー内部に侵入して破壊。勝ち確である。

 

 

 

 あなたはドヤ顔でベルディアに感想を求めた。

 

「ははーん、ご主人、さては貴様馬鹿だな?」

 

 よく言われる。言われるが随分と失礼な台詞である。

 折角ベルディアのリクエスト通りの合体攻撃を考えてあげたというのに。GetRide!

 

「こんなの合体攻撃じゃない、ご主人が特攻して廃スペックでゴリ押ししてるだけだ! 何がゲットライドだ喧嘩売ってんのか!?」

 

 ベルディアは合体攻撃がしたい。

 あなたはベルディアに乗って特攻する。

 そこに何の違いもありはしないではないか。

 

「違うのだ!」

 

 どんな手段を使おうが勝てばいいのだ勝てば。

 餅を喉に詰めようとも呪い酒でゲロ塗れにしようとも勝ちは勝ち。

 勝利に貴賎は無い。

 

「いやあるだろ……というか俺は頭に乗るならウィズに乗ってほしいぞ?」

 

 ウィズでは駄目だ。彼女は純魔法職なのでこの方法は使えない。

 よしんばバリスタを防いでデストロイヤーに降りたとしても、そこでゴーレムと戦う際に魔法結界に阻まれてしまうだろう。相性最悪と言ったのはベルディアではないか。

 

「くっそ、なんでふざけまくった戦法を提案してくる癖にそういう所だけ正論を突きつけてくるんだ……」

 

 ふざけてなどいない。

 自分は大真面目である。

 

「…………本気か?」

 

 勿論冗談だ。

 あなたは命知らずのノースティリスの冒険者だが、流石にこんなガバガバにも程がある作戦に己の命運を預けたくは無い。

 

「……やれやれ。そういう冗談は笑えんぞ?」

 

 すまなかったとあなたはベルディアに謝罪する。

 ベルディアの頭を何度も飛ばして飛距離と速度と積載限界を調べるのが先だ。

 射出してもデストロイヤーに届きませんでしたでは笑い話にもならない。

 

「やる気満々じゃねーか! 何が笑い話だふざけんなバーカ! 滅びろ人類!!」

 

 テーブルに突っ伏して泣き喚くベルディア。

 今日もベルディアの突っ込みは絶好調である。

 彼の昔の職場を思うと台詞は若干洒落になっていないが。

 

「……というかもう俺いらんだろ。ご主人なら自力で動くデストロイヤーに登れるんじゃないのか」

 

 あなたはデストロイヤーを目視した事が無いのでそれは何とも言えない所である。

 愛剣があれば幾らでも無茶が出来るがそこの条件は愛剣縛りだ。失敗イコール死の可能性がある以上無茶な真似はしたくない。ウィズが泣く。

 這い上がれる確証があれば幾らでもやるのだが。

 

「無茶したくないとかどの口が言ってるんだか」

 

 全くだとあなたは笑った。

 無茶をしないという言葉ほどノースティリスの冒険者に似合わない言葉はそうそう無い。

 まあデストロイヤーに安全に登るには時間でも停める必要があるだろう。

 

「時間を停める、か……確かにそれなら俺だって登れるだろうな。しかし流石にご主人も時間を停めるなんて無茶な真似は無理だろう?」

 

 無論あなたは時間停止が可能である。

 というよりも、ある程度強くなったノースティリスの冒険者で時間停止の発動装備を持っていない方が少ない。

 

「えっ」

 

 しかし普通の武器に付与された時間停止能力では発動が運に左右されるのであまりあてにならない。

 戦闘中に発動したら文字通りラッキーという程度だろう。

 

 故にあなた達は時間停止弾というものを使う。

 これは名前通り当たれば確実に自分以外の時間を停めることが可能な極めて強力な弾丸である。

 弓矢や銃といった射撃武器を扱うものならば時停弾は必携レベルだ。

 

 現在あなたが狙って時間を停める事が出来るのはわずか七回だけだ。

 そして一回につき五歩、つまり五回行動しただけで停止は終わる。

 

「そんなに」

 

 そう、ベルディアが驚くように五手分のアドバンテージが無条件で得られるというのはあまりにも大きいものだ。

 無論弾丸を回避されれば無意味だが、愛剣があなたのみに扱う事を許された反則(チート)だとすると、これは万人に許された鬼札(ジョーカー)だろう。

 当たりさえすれば不利な状況を一手で覆す事が可能なのであまり無駄遣いしたくないというのが正直な所である。ノースティリスに戻れれば幾らでも補充出来るのだが今はそうもいかない。

 

 故にベルディア射出で何とかなるならそれを推したいのだ。

 

「だからその本気の目を止めろ! ……まあでもデストロイヤーなんて大物賞金首がこんな街に来るなんてある筈が無いからその作戦は無しだな! あっはっはっは!!」

 

《――――デストロイヤー警報! デストロイヤー警報! 機動要塞デストロイヤーが現在この街へ接近中です! 冒険者の皆様は、装備を整えて冒険者ギルドへ! そして、街の住人の皆様は、直ちに避難してくださーいっ!!》

 

 ベルディアの笑いを掻き消すように、突如ルナの悲鳴にも似た大声が拡声器を通じて街中に響き渡った。

 

 数瞬の後、外からは住人のものであろう、悲鳴と怒号が聞こえてくる。

 無言で見つめ合うあなたとベルディア。

 

《再度繰り返します! デストロイヤー警報! 機動要塞デストロイヤーが現在この街へ接近中です! 冒険者の皆様は、装備を整えて冒険者ギルドへ! そして街の住人の皆様は直ちに街の外へ避難してくださいっ!!》

 

 どうやら悪戯やドッキリ、ギルド側の勘違いではないようだ。

 冒険者は来いとの事なのであなたは調理を途中で止める。

 ぽかんと間抜けに口を開けたまま固まったベルディアを放置して。

 

「…………うぇあ?」

 

 やれやれ、ベルディアが変なフラグを立てたせいで本当にデストロイヤーが来てしまったとあなたは笑った。きっとベルディアが滅びろとか言うからこんな事になってしまったのだろう。

 ベルディアはウィズを含めたアクセルの街の住人全員にごめんなさいした方がいいのではないか。

 

「俺のせい!? これ俺のせいなのか!? でもデストロイヤーの話題振ったのご主人だろ!? 俺は悪くないぞ!!」

 

 縋り付いてくるベルディアを無視してあなたは完全防音仕様故に警報も聞こえていないであろうウィズとゆんゆんに声をかけるべくシェルターに潜る。

 

 デストロイヤーは神器を持っているのだろうか、なんて事を呑気に考えながら。

 



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第29話 機動要塞デストロイヤー

 ――機動要塞デストロイヤー。

 

 元々は対魔王軍制圧兵器として、古の魔道技術大国ノイズで建造された巨大ゴーレムの事である。

 国家予算から巨額を投じて作られたこの巨大なゴーレムは蜘蛛の様な形状をしており、その大きさは小さな城ほど。

 装甲は軽量にして頑丈な魔法金属で覆われており外見に反して移動は機敏。八本の巨大な脚で馬以上の速度を出す事が出来る。

 踏まれればドラゴンのような大型のモンスターといえども挽肉にされ、ノイズ国の技術の粋により常時対魔法用結界が張られているため魔法攻撃はほぼ意味を成さない。

 

 あまりのサイズ差と速度で接近戦はほぼ不可能。

 上空からの攻撃は備え付けのバリスタで迎撃される。

 

 そんなデストロイヤーが暴れている理由だが、研究開発を担ったノイズ国の責任者が機動要塞を乗っ取り永い時を経た今も機動要塞の中枢部にてゴーレムに指示を出していると伝えられている。

 まず最初にノイズ国を滅ぼしたデストロイヤーによって荒らされた事の無い地はこの大陸には殆ど存在せず、その巨大な八本の脚でどのような悪路も走破し人間もモンスターも蹂躙していく。

 

 故にデストロイヤーが接近してきた場合はさっさと諦めて街を捨てて相手が過ぎ去るのを待ち、そして再び街を建て直すのが常識となっている。

 建造目的にして制圧対象の魔王軍だが、彼らは魔王城の結界に護られているのでデストロイヤーは完全に放置しているのだとか。結果、被害を被っているのは人類側だけ。酷い話もあったものである。

 

 ちなみに懸賞金は三十億エリス。

 

 

 

 

 これがあなたの知るこの異世界において天災とよばれるデストロイヤーの概要だ。

 

 ノースティリスにおけるエーテルの風のように、手の施しようが無い天災と諦められている点ではあなたや友人達と同じなのでデストロイヤーに若干の親近感が湧かなくもない。

 ただそんなものが自分達の住む街に接近してくるとなれば話は別である。

 

 警報では現在デストロイヤーは街の北西から一時間と少しの距離から接近中との事らしい。

 

 つまり時間には多少の余裕があるという事だ。

 シェルター内で作戦会議をする程度には。

 

 ちなみにゆんゆんは話を聞くやいなや挨拶もそこそこに飛んで帰ってしまった。

 逃げる事は無いだろう。そういう目はしていなかった。

 

「さて、そんなわけで機動要塞デストロイヤーがこの街に来てしまっているわけですが……どうします?」

 

 真剣な声色でウィズがあなたに問いかけてくる。

 それは決してデストロイヤーから逃げるか、それとも断固として戦うかという三人のこれからをあなたに委ねようとしている者の声ではなかった。

 ウィズは端からアクセルの街を護る為に戦おうとしている。どれだけ相性が悪い相手だろうと、勝算など知った事かとばかりに。

 彼女はあくまでもあなたがこれからどう行動するつもりなのか尋ねてきたのだ。

 

 無論あなたもデストロイヤーと戦うつもりである。

 ギルドが街中の冒険者は戦えと依頼してきているし、更に高額賞金首(殺してもいい相手)であるデストロイヤーの方から喧嘩を売ってきたのだ。戦わない理由は無い。

 

「……ありがとうございます」

 

 ウィズはそう言ってほっと安堵の息を吐いた。

 よもやここで臆病風に吹かれて逃げ出すような腰抜けだと思われてはいなかっただろうが、それでも不安だったのだろう。

 

「戦うのはいいのだが、ご主人はどうするつもりだ? 流石にさっきの話みたいに都合よくはいかんぞ」

 

 先ほどまであなたとデストロイヤーの話をしていたベルディアがそんな事を言った。

 

「……あの、それはどういう意味ですか?」

「アンデッドナイト召喚や死の宣告を使えば首が繋がっていようとも即人外バレする俺、リッチースキルを使った時のウィズと同じように、ご主人も不特定多数の目の前で全力を出したり異世界の道具や技術をひけらかすのは問題があるのではないのか、という話だ」

 

 確かにベルディアの言うとおりである。

 先ほどの思考実験と違いこれは他の冒険者やギルド職員の目がある戦いだ。

 そこの所も考慮していかなければならない。

 

「私はあなたが魔法を使うのは見ましたがまともに戦うのを見た事が無いですからね……ベルディアさん、実際の所はどうなんですか?」

「本気で戦えばデストロイヤーが相手だろうと九割九分ご主人が勝つ。ご主人がその気になれば何の心配もいらない戦いだなこれは」

 

 あっけらかんと言い放ったベルディアにウィズが目を丸くする。

 

「じょ、冗談ですよね?」

「本気も本気だ。ご主人の使う剣は魔王様の加護がかかった俺の鎧を一撃で文字通り粉々に粉砕する程の攻撃力に加え、魔法威力の強化の度合いがもう意味不明なレベルでぶっ壊れてる。頭おかしいんだよアレ……」

「ですがデストロイヤーは馬と同等の移動速度、何より対魔法結界がありますよ?」

「物理一本で押し通せるから攻撃魔法なんぞいらん。ご主人の使う異世界の魔法には速度上昇や攻撃力上昇、防御力上昇といった自己強化魔法が存在する。馬程度の速度じゃ話にならん。脚を一本ずつバラされて終わりだ。というか結界が無ければウィズでも単騎でやれるだろうに」

「……それは、まあ。デストロイヤーの脅威の大半は対魔法結界ですし」

 

 

 そう、デストロイヤーを倒すだけならば簡単なのだ。

 

 手っ取り早く、かつ確実に終わらせたいのならあなたが愛剣を抜いて各種魔法を使い一人でデストロイヤーに突っ込めばいい。たったそれだけで話は終わる。

 

 時停弾を使って中枢部に乗り込むもよし、圧倒的速度差にものを言わせて脚を一本ずつ切り落とし達磨にするもよし、正面からガチンコで戦うもよしだ。

 

 単騎でデストロイヤーを倒せるかと聞かれれば、ノースティリスの道具や魔法、技術を惜しみなく使用すれば余裕だろうとあなたは睨んでいる。愛剣を用いた全開状態ならば如何様にも料理出来るだろうとも。

 無論これは自分の知るデストロイヤーの情報が全てだとするならば、という前提条件の下での話であるのだが。

 

 あなたの思いつく限りの最適解としてはまず接敵前に愛剣を抜いて各種補助魔法を使用。同時に野生召喚などで適当な的を捕獲しておく。

 デストロイヤーが目前まで来たら捕まえた的に時停弾を撃ち込み時間停止発動。停止中に脚を伝ってデストロイヤーの上に乗る。

 乗ったらそのまま暴れ回り中枢部を一気に制圧。デストロイヤー内に全開状態のあなたが勝てない相手がいた場合を除けば勝利確定である。

 

 制圧してもデストロイヤーが止まらない場合は内部から破壊してしまえばいい。

 多分これが一番楽だと思います。

 

「でも、それをやってしまえばあなたは……」

「懸賞金三十億を独り占めでウッハウハ。更に最初のうちは英雄扱いされるだろうな、最初のうちは」

 

 そう言ってベルディアがけたけたと哂い、ウィズが沈痛な顔をした。

 ベルディアには謂れの無い罪を押し付けられて処刑された過去がある。

 彼が哂うのは過去の己か、あるいは己を謀った者か。

 

「過ぎた力は禍を呼ぶ。他の者と共に戦うならまだしも、デストロイヤーを単騎で討伐しようものならどう足掻いてもご主人に政治絡みの厄介ごとが降りかかってくるのは避けられんだろう。というか第二の魔王として国から指名手配される可能性すらあると俺は思っている。……まあご主人なら全部蹴散らせるだろうがこの街にはいられなくなるだろうよ」

「…………それは、それだけは絶対に駄目です」

「しかしデストロイヤーを単騎で、それも爆裂魔法のようなイカレた方法ならともかく物理で討伐可能な技術と戦闘力の持ち主など上に立つ者達が恐れない理由が無い。俺も程度は違えど似たような経験をしてデュラハンになったから良く分かる。あの清々しいまでの掌返しはいっそ笑えてくるぞ?」

「…………」

 

 この世界ではそういうものらしい。

 罪を犯さずとも指名手配されてしまうとは何ともはや。

 世界中に自分が異世界人と知られて目立つだけならいい。この世界にはニホンジンという異世界人もいるのだからそれにイルヴァの人間が増えるだけだ。

 しかし国際的に指名手配されるのは流石に勘弁してほしいというのがあなたの率直な感想である。

 

 あなたは現在異世界生活を満喫している最中なのだ。指名手配などされてしまっては全てが台無しだ。

 襲い来る敵対者や職務に忠実な衛兵を片っ端から八つ裂きにするような生活はノースティリスだけで十分間に合っている。特に衛兵はレベル上げと称して何度も殺しすぎたせいかたまには犯罪者落ちしろとあなたを煽ってくる始末である。

 

 ちなみに他者に存在を気取られないように戦うというのはあなたであっても不可能である。

 まず隠密スキルは戦闘行動を取った瞬間に解除される。

 そしてこの世界には遠くの物を見る魔法や映像および画像記録を残す魔道具が若干高価とはいえ民間に普及する程度には存在するし、何より現在進行形でアクセルに接近中のデストロイヤーがギルドに監視されていないわけがないのだから。

 あなたには最悪時間停止さえ出来れば勝つ自信がある。しかし停める事の出来る時間が本当に短い以上、どこまで監視の目が届いているか分からない状態で博打は打ちたくない。

 

「正体を隠して戦うっていうのはどうですか? 鉱石を売った時に使った魔法がありますよね?」

 

 確かにインコグニートの魔法を使えば直接的な身バレは防げるだろう。インコグニートのストックもまだ残っている。

 しかしそれはそれでアレは一体何者なのだという話になり、捜査なり指名手配は避けられない。

 

 更に懸念事項として、この街にはウィズを一目でリッチーと看破した女神アクアがいる事が挙げられる。

 どこまで誤魔化しきれるかは甚だ疑問だし、相手は神なので最悪インコグニートが何の効果も成さなくても不思議はない。実際にあなたの信仰する女神はあなたが変装しても普通に見破ってくる。

 

 映像や画像記録に残されるであろうあなたの姿を女神アクアが見た時どうなってしまう事か。

 

「これも駄目ですか……」

「まあ素性バレが致命的なのは俺らも同じなんだけどな。俺はアンデッドだとバレるだけならまだしも他人に懸賞金三億の元魔王軍幹部だと知られたら終わる。本当に終わる……」

「私もアクア様達以外にリッチーで現役魔王軍幹部って知られちゃったら絶対高額の賞金がかかりますからね……というかアクア様も私が魔王軍幹部だって事までは知らないですし……」

 

 ベルディアとウィズが一気にお通夜ムードになった。

 あなたの家には脛に傷を持つ者が集まりすぎである。

 

 実際問題、あなたが賞金首になってしまった日にはあなたと懇意にしているウィズにも多大な迷惑がかかるだろう。

 迷惑どころか普通にウィズが人外でリッチーだと知られてしまいかねない。

 あなたは自分だけに被害が来るのならまだしも、それだけは決して許容出来なかった。

 

 ウィズの身の安全とアクセルの街ならあなたは当然ウィズを選ぶ。

 住人の避難勧告は出ている。建物が全て破壊されて更地になっても建て直せばいいのだ。

 現在更地になっているウィズの家や店と同じように。

 

 

 

 そういうわけでこの戦いではノースティリスの技術と装備は使用出来ない。

 この世界の道具と技術だけでデストロイヤーに安全かつ確実に勝つ為には他の者と協力しつつ、かつベルディアの首を分離スキルで飛ばす必要があるだろう。

 

「あれ? 死に過ぎでいよいよ俺の耳がおかしくなったのか? 今分離スキルがこの世界のスキルって聞こえた気がするんだが?」

 

 ベルディアを適当に布で包むなりして姿を隠し、ダンジョンで手に入れた飛行する使い捨ての魔法道具だと誤魔化してしまえばいい。無論その場合はモンスターボールに回収はしないのでベルディアは死ぬ。どうせ復活するので問題ない。

 そうして一度デストロイヤーの上に乗ってしまえばあとはこちらのものだ。

 

「うぃずごすをとめろください」

「…………頑張ってください」

「オイオイオイ。死ぬわ俺」

 

 ベルディアの切実な懇願にウィズは沈痛な面持ちで目を逸らした。

 しかし先ほど話したように分離スキルの飛距離や積載限界の検証を全くやっていないしそんな時間的余裕も無い。

 ぶっつけ本番で試すにはあまりにもリスキーな行為だ。残念だが止めておこう。

 しかしあれも駄目、これも駄目と八方塞がりになってきた感がある。どうしたものか。いっそ音速剣(ソニックブレード)で遠距離から嫌がらせでもするべきだろうか。

 

「……あの、一度ギルドに行ってみませんか? 召集で人が集まっているでしょうし、何かいい案が出ているかもしれません」

 

 ウィズの提案にあなたは頷いた。

 どの道他の者と戦う以外の選択肢は無いのだ。

 

「ところで実に今更なんだが、俺はどうすればいい?」

 

 ベルディアの発言を受け、あなたは顎に手を当てて考え込む。

 置いていくという選択肢は無しだ。

 モンスターボールに入れて連れて行くのも出す時に悪目立ちするだけなので却下。

 

 キョウヤ達とゆんゆん、カズマ少年はベルディアの存在を知っている。ゆんゆんに至っては数分前に会っている。

 何故いないのか、どこに行ったのか、何故モンスターボールに入っていたのかという話になってしまうだろう。

 

「ベルディアさんはこのままここで待機。一度私達だけでアクア様に話を通しておき、後で合流するというのはどうでしょうか。一緒にギルドに行くというのは危険だと思います」

 

 一度でもアクア様に叫ばれたら終わりですし、と気まずそうに続けるウィズ。

 普通にベルディアをアンデッド呼ばわりしてターンアンデッド発動。場が阿鼻叫喚になりそうだ。

 キョウヤとゆんゆんには装備を整えているから遅れるとでも伝えれば良いだろう。

 

「この期に及んで一人で待っているというのも気が進まんし、俺はそれでいいぞ。……しかし大丈夫なのか? アクシズ教の女神なのだろう?」

「だ、大丈夫ですよ。アクア様は決して話が通じない方ではありませんから! 私だって見逃してもらえましたし!」

「不安だ……とても不安だ……」

 

 そういうわけでベルディアについてはウィズの案を採用する事になった。

 考え方によってはこれはいい機会でもある。

 首も繋がった事だし、女神アクアさえ乗り切ればベルディアもウィズと同じように外を出歩けるようになるだろう。ただし休みの日限定で。

 

 ちなみにあなたはベルディアが魔王軍幹部であるデュラハンだとバレるとは思っていなかった。

 合体スキルの恩恵で首が繋がっているし、今のベルディアは象徴である鎧もくろがねくだきも装備していない。

 元同僚であるウィズにすら知らない人扱いされたくらいなのでむしろ人類には鎧が本体と思われているかもしれないとすら考えている。

 

 

 

 

 

 

 ベルディアを自宅に残して数分後。

 

 ウィズと共にアクセルの街を駆け抜けたあなたはギルドの建物に到着した。

 数分全力疾走しただけで息を荒くするウィズに後衛職とはいえ運動不足が過ぎるのではないかと思いながらも中から無数の人の気配がするギルドの扉を勢い良く開け放つ。

 

 音に反応して振り返り、あなた達に集中する数多の冒険者達の視線。

 それに臆する事無くウィズが声高に名乗りを上げる。

 

「すみません遅くなりました! ウィズ魔道具店の店主です! 私も一応冒険者の資格を持ってますので、この人と一緒にお手伝いに……」

 

 しかしウィズの名乗り声を掻き消すように、ワッという大小様々の歓声が建物を支配した。

 

「店主さんだ!」

「貧乏店主さんが来た! 頭のおかしい奴と一緒に来た!」

「頭のおかしいエースと貧乏店主さんが来た! これで勝てる! それはそれとして爆発しろ!」

「二人して最高のタイミングで来てんじゃねえぞコラァ!!」

 

 男性冒険者からは特に熱烈な歓迎を受けている。

 まるでこれで勝利が確定したと言わんばかりの熱狂にあなたとウィズは顔を見合わせた。

 ウィズが高名なアークウィザードだというのは周知の事実だが、それを差し引いてもこれは少し異常だ。

 

「今の私って店主なんですかね……お店が物理的に無くなっちゃったんですけど……あ、でも貧乏はもう脱出しましたから! その、あなたのお陰で借金も完済出来ましたしご飯もちゃんと食べてますし!」

 

 違う、そうではない。

 何故今になってそんな話をするのか。それも同居している相手に。

 ウィズが借金生活を脱出したことも食生活が改善した事もあなたはよく知っている。

 もしかしたらウィズは軽く混乱しているのかもしれない。

 

「キテル……」

「エレウィズキテルネ……」

「キテル!」

 

 そして相変わらずあなたとウィズが一緒にいるのを見ると謎言語で話し始める女性陣は何事なのか。

 何も来ていないし頼むからそういうのはエヘカトルの狂信者だけで勘弁して欲しい。

 あのお喋りが大好きな癖に喋るだけで格下を発狂させる毒電波を放つ心優しい友人はアレとは反対に会話は可能だが言葉が通じないのだ。

 

「ウィズ魔道具店の店主さん、これはどうもお久しぶりです! ギルド職員一同、お二人の参戦を歓迎致します! さあ、こちらにどうぞ!!」

「あ、はい!」

 

 職員に促されるままあなた達は中央のテーブルの席に座らされる。

 あなた達が席に着くと、冒険者達は期待を込めた目で、進行役のルナを見る。

 

「では、お二人にお越し頂いた所で、改めて作戦を説明します!」

 

 ルナの視線を追えば、その先にはカズマ少年達一行の姿が。

 どうやら女神エリスも一緒なようだ。

 

「……まず、アークプリーストのアクアさんが、デストロイヤーの結界を解除。そしてめぐみんさんが結界の消えたデストロイヤーに爆裂魔法を撃ち込む、という話になっておりました」

 

 どうやら結界を破る手段があるらしい。

 結界が無くなれば魔法が通じる。ウィズがいる以上これなら勝ち確だろう。

 この分ではあなたの出る幕は無さそうだ。

 

 それにしても多少残念な所があるとはいえ流石は国教になっている女神の先輩である大物女神である。結界破りという己には決して出来ない技術を持つ女神アクアにあなたは尊敬の眼差しを送った。何とか自分にも習得出来ないだろうか。

 

「いいわよ、もっとこの美しい私を尊敬しなさい! いっぱいいっぱい甘やかして崇め奉りなさい! でも結界を破れるっていう確約は出来ないからもし失敗しても怒らないでください!!」

 

 女神アクアは尊大な態度とは裏腹に発言は微妙に謙虚だった。

 隣に立つ女神エリスも苦笑しっぱなしである。

 

「……結界を破れるのなら爆裂魔法で脚を破壊した方が良さそうですね」

 

 ルナの話を聞いてから口に手を当てて考え込んでいたウィズがおもむろにそう言った。

 

「デストロイヤーの脚は本体の左右に四本ずつ。これをめぐみんさんと私で左右に爆裂魔法を撃ち込むというのは如何でしょう。脚さえ破壊してしまえば後はどうとでもなると思いますが……」

 

 ウィズの提案に職員もコクコクと頷いた。

 脚さえ破壊してしまえばこちらのものである。本体に乗り込んで速攻で中枢を制圧してしまえばいい。

 

「なあ、わざわざゴーレムが配備されてるらしい危険な本体に乗り込まなくても良くないか? 外から監視してめぐみんの一日一爆裂の的にするなりして攻略すればいいと思うんだけど」

 

 あなたの言にカズマ少年が不思議そうに疑問を呈した。

 しかし中にはデストロイヤーを開発した研究者がいるという話である。

 これほどの頭がおかしい変態技術者であればデストロイヤーに自爆機能の一つや二つはつけていてもおかしくない。

 

「自爆……」

「自爆! 爆発は芸術ですよ!」

「分かる、分かるわ! 確かに自爆は巨大ロボのお約束よね!」

 

 顔を青くするカズマ少年と目を輝かせるめぐみんと謎のテンションを発揮しだした女神アクアだが、あなたとて何の根拠も無くこんな事を言っているわけではない。

 あなたのよく知るマニ信者の友人作の機械人形には漏れなく核が搭載されているのだ。それも攻撃ではなく自爆用に。曰く自爆はロマンらしい。

 人体に害を及ぼす青色のエーテル粒子を撒き散らしながら高速で動く機械人形達はあんなものを作って喜ぶか、変態が! とあなた達からは大好評の作品群である。

 

 

 

 その後、ウィズとあなたの提案を元に作戦が組まれた。

 

 冒険者達や職員から街の前に罠を張る、バリケードを造る等の様々な案が出され、あなたも爆裂魔法の射程に来る前に音速剣(ソニックブレード)で遠距離から脚を攻撃するという作戦を出したのだが残念な事に満場一致で却下されてしまった。

 無意味だからではなく、万が一有効だった場合のデストロイヤー内の研究者の反応が分からないかららしい。可能な限り反撃する間を与えず速攻で決めてしまいたいというのが現場の総意だった。

 

 ならば結界解除が失敗した時の事を考えて誰かにデストロイヤーの上空に飛ばしてもらいたいと言えば頼むからお前はウィズの隣で彼女を応援していてくれと懇願までされてしまった。

 まさかのお荷物宣言に遺憾の意を示したい所である。

 

 最終的に結界解除後に爆裂魔法で脚を攻撃。万が一残った場合は前衛職がハンマーなどで脚を破壊し尽くした後に全員で本体に突入、という事になった。無難といえば無難な作戦である。

 

 

 

 

 

 

「あの、少しよろしいですか?」

 

 会議を終えて皆がデストロイヤー迎撃の為に慌しく出て行く中、あなたとウィズが女神アクアに話しかけようとした所で真剣な面持ちのキョウヤと仲間達があなたに話しかけてきた。

 キョウヤの様子からしてどうやら重大な話があるようだ。

 あなたがアイコンタクトを送るとウィズは頷いて女神アクアに向かっていった。ベルディアの話はウィズに任せる事にしよう。

 

「忙しい中お時間を取らせてしまってすみません。単刀直入に言います。……この戦いの間だけで構いません、グラムを返して頂けませんか?」

 

 何を言い出すかと思えばそんな事かとあなたは肩透かしを食らった気分になった。

 デストロイヤー討伐の間、という条件ならば勿論構わない。

 キョウヤと真の力を発揮したグラムの力があれば制圧やゴーレムの駆逐が楽になるだろう。

 無論持ち逃げした場合は覚悟してもらうが。

 窃盗未遂をやらかしたフィオを見ながら笑顔で警告したあなたに何故かフィオが青い顔で怯えて一歩引き、キョウヤがフィオを護るようにあなたの視線を遮る。

 

「ええ、はい。それはもう……」

 

 分かっているのなら何も言う事は無い。

 しかし何故キョウヤは今になって話しかけてきたのだろう。

 あなた達は自宅にいたのだ。警報が鳴ってすぐに来た方が良かったのではないだろうか。

 

「いえ、僕もギルドに向かう前にお宅に伺ったんですが誰もいらっしゃらなかったみたいでしたので……」

 

 どうやらあなた達がシェルターで作戦会議をしていた時にキョウヤは来ていたらしい。

 なんというか、つくづく間が悪い青年である。そういう星の下に生まれているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 アクセルの街の正門前の平原。

 デストロイヤーを迎撃する予定の場所になったそこでは現在冒険者達だけではなく街の住人も集まって突貫作業で即席のバリケードが組み上げられている最中だ。

 

 バリケードの更に前にはダクネスが一人で佇んでおり、カズマ少年が離れるように説得を行っている。

 

 カズマ少年はこの作戦の指揮を任されている。

 作戦の要である結界破壊を担当する女神アクアと火力担当の片割れであるめぐみんを抱えているパーティーのリーダーなのが理由だ。

 

 

 他の知り合いは魔法使い達が集まっている場所で何をするでもなく一人でぽつんと寂しそうに佇むゆんゆん、突入組の一角に一時的に帰ってきたグラムを心底嬉しそうに磨くキョウヤとそんな彼を見つめるフィオとクレメアの姿。女神エリスの姿は今の所見つける事が出来ていない。

 バリケードを作っている人間にはあなたが外壁拡張の依頼で知り合った土木会社の人間の姿もちらほら見受けられ、その中には竜鱗武具一式を装備して働くベルディアの姿もある。

 

 こうして見渡して思うのだが、この場にはあなたの予想以上の数の冒険者や住人達が集まっている。

 警報では全員集合と言っていたがあなたは最悪アクセルの街に固執するウィズ以外の街の住人は冒険者達を含めて全員が街を捨てて逃げ出してもおかしくないと思っていた。

 

 相手は天災として名高いデストロイヤーである。

 貴重品などを保管する自宅を守る為に戦うというのならあなたも分かるのだが、まさか皆が皆そんな理由で集まっているわけではないだろう。駆け出し冒険者達は基本的に宿や馬小屋暮らしだ。

 ならばそれほどアクセルという街そのものに愛着があるというのか。

 

 自宅ではなく街そのものへの愛着。それは街が核や終末で瓦礫の山と化しても三日もあれば元通りに復興するノースティリスの住人であるあなたにはまるで理解出来ないものだった。

 

「ベルディアさん、良かったですよね」

 

 驚愕とも困惑ともいえない感情に支配されているあなたを知ってか知らずか、あなたのすぐ右隣、デストロイヤー迎撃地点の脇で待機しているウィズがぽつりとそう言った。

 その高い膂力を活かしてバリケード構築に八面六臂の大活躍を見せるベルディアが魔王軍の幹部のデュラハンだとバレている様子は無い。それどころかベルディアは大歓迎されている現状に戸惑っているようにも見える。

 

「なんだかんだでアクア様もベルディアさんを受け入れてくださいましたし、やっぱり話せば分かってくださる方なんですよ」

 

 やはりというべきか、女神アクアの説得はかなり難航したらしい。

 既にリッチーというアンデッドの頂点がいるのだからもう一人くらい増えても誤差の範囲だろうというわけにはいかなかったらしい。

 ベルディアが強力な戦士という事もあって、少しでも多くの戦力を欲しがったカズマ少年の口添えもあって辛うじて説得には成功したものの、ベルディアを見逃す見返りとしてあなた達は定期的に高級酒を奉納する事を要求されている。

 

 借金を帳消しにするか減らせと言われるかと思っていただけにこれは些か驚きである。

 無論あなたはペットの為に女神アクアに王都の酒をたんまりと奉納する所存である。

 

 そんな女神アクアは迎撃地点を挟んだ反対側に立っており、責任重大なポジションに多大なプレッシャーを感じているのかガチガチに緊張している様子のめぐみんを宴会芸で必死に励ましているようだ。

 それを見たあなたとウィズは顔を見合わせて笑い合う。

 

 めぐみんと違ってウィズは程よくリラックスしているように見受けられる。

 緊張していないようで何よりである。

 

「こうしてあなたがすぐ傍で見てくれていますからね。私だってたまにはいい所を見せたくなる時があるんですよ?」

 

 ウィズは微笑みながらそんな嬉しい事を言ってくれた。

 それはいいのだが、ウィズの頭は大丈夫なのだろうか。

 

「な、なんでそんな酷い事言っちゃうんですか! 私はそんなに頼りないですか!? 貧乏店主は大切な友人にいい所を見せちゃいけませんか!?」

 

 笑顔から一転して半泣きでぽかぽかと殴りかかってくるウィズだが、あなたは本気でウィズの頭を心配していた。

 貧乏とか頼りないとかそういうのは今はどうでもいい。

 何故なら先ほどからウィズの頭のてっぺんからぷすぷすと白い煙が上がっているのだ。心配しないわけが無い。ウィズの頭は本当に大丈夫なのだろうか。

 

「あ、ああ……頭が大丈夫ってそういう意味ですか……」

 

 いい所を見せると言うが実際にあなたが見せられているのは極めてシュールな光景だ。

 あなた達が立っている場所は他の冒険者から離れた大きな正門の上なので、他の者にはウィズの頭から煙が上がっているのは見えていないと思われるのは幸いである。

 

「これはその、良く晴れた天気の中、長時間直接お日様の下に晒されているのでどうしてもこうなっちゃうんですよ。ベルディアさんみたいに帽子や兜で頭を保護していないですしね……」

 

 ウィズは見慣れた紫色のローブを羽織っているが、今日のローブにはフードが付いていない。

 後でこっそりウィズの頭に回復魔法をかけておこう。

 ノースティリスの回復魔法はアンデッドだろうが機械だろうが問答無用で癒す。毎日瀕死のベルディアを癒しているのでこの世界のアンデッドにも通じるのは実証済みである。

 

「でも、あなたも大概余裕ですよね。いつも通りの自然体って感じです」

 

 無駄に気を張っても仕方が無いだろうとあなたは肩を竦めた。

 あなたは作戦の要の一人であるウィズの応援係に任命されてしまったので大詰めであるデストロイヤー突入までやる事が無いのだ。

 バリケードの構築を手伝いに行ったら突入に備えてコンディションを完璧にしておけと言われる始末。

 

 駆け出し冒険者の街なので仕方が無いがこの場に上級職のエレメンタルマスターが一人もいないのが実に悔やまれる。風の精霊に働きかける事で人一人くらいなら空に飛ばせるらしいのだが。

 

「その方法だと速度が出せなくてあなたがバリスタに狙い打ちにされますから止めてください。さっきだってあなたが一人で特攻するって言った時アクア様含めて皆さんドン引きしてたじゃないですか」

 

 エレメンタルマスターに飛ばしてもらう方法だと高度は出せても速度は出せないらしい。

 やはり速度と高度を兼ね備えたベルディア射出がベストという事だろう。

 

「異世界の人だからって、そういう無茶な事ばっかり言ってるから他の皆さんに頭がおかしいエレメンタルナイトって言われちゃうんですよ?」

 

 本当に仕方ないんですから、と苦笑するウィズはそろそろあなたの行動や発言に慣れてきた感がある。

 

 

 

 そんなこんなで暫しの間、嵐の前の静けさといった穏やかな時間を過ごした後。

 冒険者達が可能な限りの迎撃準備を終えたまさにそのタイミングで、あなたは足元から響くような、軽い震動を感じた。

 ほんの僅かな揺れだが、確かに足元が震えている。

 

「……来ました」

 

 右隣で佇むウィズが真剣な面持ちで集中状態に入り、チリチリとした殺気と魔力が溢れ出す。

 それから遅れる事数秒。魔法で拡大されたルナの声が広い平原に響き渡った。

 

『冒険者の皆さん、そろそろ機動要塞デストロイヤーが見えてきます! 街の住人の皆さんは、直ちに街の外に遠く離れていてください! それでは……冒険者の各員は戦闘準備をお願いします!!』

 

 まるでルナの声が聞こえていたかのようなタイミングで遠く離れた丘の向こうからそれは姿を現した。

 

 機動要塞デストロイヤー。

 馬ほどの速度で移動し、魔法を無効化する城ほどの大きさの機械仕掛けの蜘蛛。

 

 言ってしまえばそれだけだが、ニホンジンが名付けたというその姿はまさしく要塞の名に恥じぬ威容を誇っていた。現に迎撃する冒険者達は明らかに動揺している。

 

 そんな玄武に負けず劣らずの巨体を持ち、大地を揺るがしながら馬ほどの速度でこちらに近付いて来るデストロイヤーを見たあなたはウィズの手前努めて表情や声には出さなかったが、この世界に来て初めて、本当に、心の底から嘆き悲しんでいた。

 

 何故この世界では敵を殺しても剥製が手に入らないのか。

 欲しい。アレの剥製が欲しい。是非とも欲しい。この場で破壊するなんてもったいなさすぎる。

 嗚呼神よ、何故この世界では斯様な無法が罷り通ってしまっているというのか。

 おかしい、一介の剥製コレクターとしてこんな事は許されない。

 この世界にやってきて何度思ったか数えていないが、ノースティリスに帰った後願いでデストロイヤーの剥製が手に入る事を切実に祈るばかりだ。

 

 

 しかしそこまで考え、ふとあなたに稲光にも似た閃きが舞い降りた。

 もしかして自分は天才ではないだろうかと自惚れたくなるほどの大胆な閃きが。

 

 

 デストロイヤーの中にはデストロイヤーの製作者がいるではないか。

 そいつをサンドバッグに吊るして死ぬ痛みを与え続ければ設計図を描いてくれるかもしれない。

 むしろそうしよう。そうするべきだ。どうせ相手は悪名高い賞金首の製作者なのだ。拷問を手加減する必要は無い。

 そして設計図を手に入れた暁にはマニ信者の友人に今のデストロイヤーに足りていない火力と機動力を補ったデストロイヤーMK-2や量産型デストロイヤーを造ってもらえばいい。

 

 

 

 デストロイヤーの想像以上の巨体が齎す威圧感に冒険者達がパニックを起こしかけている中、あなたは一人ノースティリスの大地を駆ける無数のデストロイヤーを想像して愉悦の笑みを浮かべるのだった。



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第30話 二人は魔女キュア -Max Explosion-

 ずしん、ずしんと。

 大地を揺るがしながら城ほどの巨体でアクセルの街に迫り来る機動要塞デストロイヤー。

 

「…………」

 

 いよいよデストロイヤーが迫ってきているというのにダクネスは依然バリケードの前からぴくりとも動く様子を見せない。カズマ少年の説得は失敗していた。

 よもやこの期に及んで彼女が街の存続よりも己の被虐趣味を優先しているとは思えないが、さて。

 

「クリエイト・アースゴーレム!!」

 

 そんなダクネスから離れた場所で、クリエイターと呼ばれる職業に就いている者達が地面の土でゴーレムを作り出す。

 ノースティリスやこの世界で何度か戦ったゴーレムとは比べ物にならないほど小さい、十数体の人間大のゴーレム達は最前線で立ちはだかるダクネスの背後へと向かい、彼女に付き従う騎士であるかのように整列した。

 

 デストロイヤーの巨体を相手に土のゴーレムというのは些か頼り甲斐が無い。

 熟練者になればあなたにも馴染み深い巨大な鉄やミスリルのゴーレムを作れるらしいがアクセルの街は駆け出し冒険者の街だ。そんな人材が都合よくいるわけもない。

 ちらほらと高レベルの冒険者が散見されるだけ御の字といった感じだろう。

 

 しかしそれでも迎撃部隊の大多数はレベル二十にも満たない者ばかり。

 その影響は早くも出始めていた。

 

「でけえ! それに速え! 予想以上に怖え!!」

「全員頭を低くしろ! 潰されないように絶対にデストロイヤーの前には出るな!!」

 

 恐慌を起こしかけている前衛に場慣れしているベルディアを始めとする高レベルの冒険者達が叱咤激励するが、駆け出しにそれを聞いている余裕など無いようで早くも士気は崩壊しかけている。

 そしてそれは彼らと同じ駆け出しである火力担当も例外ではなかった。

 

「あっばっばばばばば……」

「おいめぐみん、少しはあっちの自然体な二人を見習って落ち着けって。ミスっても誰も責めないさ。もし失敗したら街を捨てて皆で逃げりゃいいだけだ。あんまり深刻に考えるな」

「だだだだ、だいじょぶ、だいじょびでしゅ! わぎゃばくれつまほうでけっけけけし、消し飛ばしちぇくれるわっ!」

「ちょ、ちょっとめぐみん……大丈夫? 大丈夫よね? 花鳥風月しましょうか?」

 

 騒ぎと距離のせいでここからではあちらの会話はよく聞こえないが、遠目にもめぐみんがいっぱいいっぱいになっているというのは分かる。

 尋常ではないプレッシャーに押し潰されかけているようだ。

 

「めぐみんさん、大丈夫でしょうか……?」

 

 対してこちらのウィズは集中すれどもそれ以外はいつも通りである。

 デストロイヤーを前に気負っている様子も無い。

 むしろガッチガチなめぐみんを心配する余裕すらあるようだ。

 

「ええまあ、これでもそれなり以上に場数を踏んでいますから。死線を潜ったのだって一度や二度じゃないですし……何より私はリッチー、最上位のモンスターの一人ですからね。アクア様が結界さえ打ち破ってくれれば後はお任せください」

 

 そこまで言ってウィズは若干不安そうに女神アクアに目を向けた。

 

「ですが、万が一にでもアクア様が失敗した時は……」

 

 仮に女神アクアが失敗した時も何とかなるだろうとあなたは気軽に言い放った。

 不幸中の幸いとして、現在のデストロイヤーの侵攻ルートはこの町一番の高所である正門を通過するものだ。そして正門にはあなた達が陣取っている。

 

 ここからならばノースティリスの道具と技術を使わずとも直接デストロイヤーに乗り込めるだろう。

 メンバーは現在門の上に立っているあなたとウィズと女神アクアとめぐみんとカズマ少年。

 たった五人だが、まあ速攻をかければ何とかなるだろう。むしろあなたとウィズと女神アクアだけでお釣りが来るレベルだ。

 

 門と街はある程度破壊されてしまうだろうが、街が更地になるよりはずっとマシではないだろうか。

 そんなあなたの発言にウィズはパン、と掌を合わせた。

 

「なるほど、その手がありましたか。とってもいいアイディアですね!」

 

 あはははは、うふふふふ。

 数秒ほど朗らかに笑い合った後、突然真顔に戻ったウィズは女神アクア達に向かって大声で叫んだ。

 

「アクア様、お願いですから結界を破ってください! この人アクア様が失敗したら門の上の私達で直接飛び移って乗り込もうって言ってるんです!」

「はぁ!? 私は絶対に逃げるから特攻ならアンタ達だけでやりなさいよね!」

「そんな酷い!? 皆で仲良く土に還りましょうよ!」

「冗談じゃないわよ! 本当に冗談じゃないわよ!!」

 

 ウィズはあなたの作戦がお気に召さなかったようだ。

 何がいけなかったのだろうか。かなり勝ちの目のある合理的な案だという自負があるのだが。

 

「あなたは行けるかもしれませんけど私達に動いてるデストロイヤーに飛び移るなんて無茶な真似は無理ですって! 一緒に走ったから分かってると思いますけど私はそこまで運動神経凄くないですからね!?」

 

 ならばウィズだけでも自分が抱えて飛べばいいのではないだろうか。その程度の身体能力はある。

 あなたのそんな至極尤もな意見にウィズは狐につままれたような顔をした。

 

「え、えぇ~……確かにそれなら行けるかもしれませんけど……と、とりあえずおんぶでお願いします」

 

 若干頬を朱に染めたウィズに了解したとあなたは頷いた。

 横抱き……いわゆるお姫様抱っこでは動きにくくなるので妥当な線だろう。

 つまりウィズがあなたに騎乗するのだ。

 

「……ところでここのメンバーだけで倒せたら報酬の分け前ってどうなるんだ?」

「カズマ!?」

「じょ、冗談だよ。あっちの二人に全部任せて分け前だけ貰おうだなんて思ってないって。最悪お前だけ送り込んで借金返済してもらおうだなんて俺は考えてないから。本当に考えてないぞ? ……でもやってみる価値はあると思う。頑張れアクア」

「仕舞いにゃマジでぶっ飛ばすわよこのクソニートぉ!! 絶対アンタも道連れにしてやるわ!! 私達、死ぬ時は一緒よカズマさん!!」

「俺がミンチより酷い事になっちゃうだろ!! っていうかお前が結界破壊に成功すりゃいいんだよ成功すれば!!」

「そ、それもそうよね! やってやるわよこちとらアクシズ教徒の御神体、女神アクア様なのよこんちくしょー!!」

 

 何があったかは知らないが一気に士気が高くなった女神アクア達。

 若干やけっぱちになったようにも見える。

 

「来るぞー! 各員戦闘準備ー!!」

 

 突然大声で叫んだのはあなたの知らない冒険者の男だ。

 いつの間にかデストロイヤーはかなり近くまで接近していた。

 

 胴体をまな板の様に平らにし、その上に砦の如き巨大な建造物を載せ、他にも所々にバリスタとゴーレムを搭載したデストロイヤー。

 それは事前に侵攻ルートに仕掛けられた数々の罠をあっさりと踏み潰しながら、アクセルの街を蹂躙すべく真っ直ぐと迎撃地点へと突っ込んできた。

 正念場である。

 

『アクア! 今だ、やれっ!!』

 

 現場に指示を出す為にギルドから預けられた拡声器で、カズマ少年が全体に聞こえるように合図を放つ。

 

「セイクリッド・スペルブレイクッ!!」

 

 一瞬、魔法を放った女神アクアの周囲に複雑な魔法陣が浮かび上がったかと思うと、その手にはとても強い魔力を放つ白い光の玉が浮かんでいた。

 女神アクアは両手を前にかざすと気合いと共に息を吐き出し、光の玉をデストロイヤーに向けて勢い良く撃ち出す。

 

「ハアッ!!」

 

 高速で撃ち出された光の玉がデストロイヤーに触れるかどうかというタイミングで、突如デストロイヤーが唸りを上げた。

 デストロイヤーの全身を覆う紋様の入った薄い膜、恐らくあれこそがデストロイヤーを難攻不落の賞金首たらしめていた対魔法結界なのだろう。

 

 しかし、そんな機動要塞デストロイヤーを今日まで守り続けて来た結界は数瞬の間だけ光の玉に抵抗したものの、呆気なく硝子が割れる様に粉々に砕け散った。

 この作戦における最も重要なポイントを無事に越えた事を瞬時に理解したウィズが安堵の息を吐く。

 しかしまだ終わってはいない。デストロイヤーは健在でアクセルに接近中である。

 結界を破られて尚搭乗員は引く気が無いようだし、再び結界が張られない保証も無い。

 

『よし! ウィズ頼む! そっちの脚を吹っ飛ばしてくれ!』

 

 指示を出し終えるとカズマ少年は緊張で震えて縮こまっているめぐみんの近くに歩み寄っていく。彼女に発破をかけるつもりなのだろう。

 こちらも何かウィズを応援した方がいいだろうか。

 そういう役割を担ってあなたはここにいるのだから。

 

「……いえ、結構です。私はあなたがここにいるだけで十分応援になってますから」

 

 ウィズは静かに笑って首を振った。

 あなたは鼓舞スキルでも使おうかと思っていたのだが、どうやら余計なお世話だったようだ。

 

「……では、行きます」

 

 ウィズが誰に言うでもなく呟くと共に、朗々と力強く爆裂魔法の詠唱を始める。

 計ったわけでもなく、めぐみんと完全に同じタイミングで。

 

「黒より黒く、闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆を望みたもう――」

 

 歴戦のアークウィザードにして小さな魔法道具店の店主、そして今は友人であるあなたの家の居候である伝説のアンデッドの王ことリッチーのウィズ。

 

「覚醒の時来たれり、無謬の境界に堕ちし理、無形の歪みと成りて現出せよ――」

 

 己の人生の全てを爆裂魔法に捧げた、すっかりあなたの流した頭のおかしいアークウィザードの異名が定着してしまった紅魔族随一の天才めぐみん。

 

「踊れ踊れ踊れ、我が力の奔流に望むは崩壊なり。並ぶ者なき崩壊なり。万象等しく灰塵に帰し、深淵より来たれ――」

 

 その二人の、この世界において最強最大の攻撃魔法がデストロイヤーに放たれる。

 この期に及んでようやく二人を脅威と認識したのか、デストロイヤーのバリスタが門の上の二人に照準を合わせるが、あまりにも遅い。

 

「――――エクスプロージョン!!」

 

 目も眩まんばかりの閃光、そして轟音。

 全く同時に放たれた二人の爆裂魔法は、長年に渡って人類に辛酸を嘗めさせてきたデストロイヤーの脚をいとも容易く粉砕した。

 

 

 

 

 

 

 一瞬にして脚部を失ったデストロイヤーは轟音をあげて平原のど真ん中に腹を叩き付けられ、そのまま慣性の法則に従ってこちらに突っ込んでくる。

 破壊してなお止まらないデストロイヤーに冒険者達が悲鳴を上げるものの、デストロイヤーはバリケードに届く前、最前線で一歩も引かずに立つダクネスの目と鼻の先で動きを止めた。

 あと一秒でも脚の破壊が遅ければダクネスは巨体の餌食になっていただろう。

 

「ふうっ……」

 

 ウィズが緊張から解放されたように小さく息を吐いた。

 その様子からはまだまだ余裕がある事が窺える。

 

 めぐみんの担当した脚は三本が粉砕。当たり所が良かったと思われる前足がギリギリ辛うじて脚としての機能を果たせそうな程度に大破。爆砕した巨大な脚の無数の破片が冒険者達の頭上に降り注いでいるようだ。

 一方ウィズの担当した脚は四本とも跡形もなく、綺麗さっぱり消し飛ばされていた。

 誰が見ても最早走行不可能だと理解出来る損傷である。

 

 めぐみんも然ることながら、ウィズ程のアークウィザードが爆裂魔法を放つとここまでの威力を叩き出すのかとあなたは静かに唸った。

 流石は威力ばかりが無駄に高いネタ魔法として周知されているだけの事はあり、伝説と謳われるリッチーの魔力であった。

 爆裂魔法を強化する自動発動(パッシブ)スキルは習得しているだろうが、自己強化魔法やめぐみんのような魔法威力を強化する装備無しにこれはいっそ法外なまでの火力である。

 

 いや、ここはむしろ人間のまま、発展途上の身でたかだか己の全てを捧げただけにも関わらずウィズに喰らい付かんとするめぐみんの類稀なる才覚に驚嘆すべきだろうか。

 ゆんゆんはこれに勝たなければならないのかと思うとあなたとて彼女の前途に幸あれと思わずにはいられない。とりあえず正面からの魔法の打ち合いで勝負するのだけは止めておくべきだろう。

 

 あなたが労いの言葉を送りながら水を渡すと、ウィズは小さく微笑んでそれを受け取った。

 

「ありがとうございます。……流石に魔力をかなり持っていかれちゃいましたね。まだまだあなたの突入に同行するくらいの余裕はありますが、今すぐテレポートを使ったりもう一発爆裂魔法を撃てと言われたらちょっと勘弁してほしい所です」

 

 自分の担当した部分を眺めながら水を呷るウィズ。

 前足を大破させたとはいえ残し、今もパラパラと大小様々な破片が周囲に降り注いでいるめぐみんの側と違い、欠片の一つもそこには残されていない。完全に消滅している。

 

「少し魔力を込めすぎましたかね……やっぱりブランクがあるとここら辺の見極めと調整が甘くなっちゃいますか……」

 

 確かに破片一つ残らないというのは若干オーバーキル気味だ。

 結界無しならデストロイヤーを単騎で破壊出来ると言っていたのは伊達ではない。

 この分ならば脚を破壊してデストロイヤーの機動力を奪うだけならもう少し威力を抑えても余裕だっただろう。むしろ本体ごと殺れている。

 

 だがこれに関しては仕方が無いだろう。何せ今回の作戦はリハーサル無しのぶっつけ本番で相手の耐久力がどれ程のものかなど分かっていないのだから。

 手加減して脚を破壊出来ませんでしたでは笑い話にもならない。

 

「それもそうですね。……とりあえず一度下に降りましょう」

 

 ウィズの言葉にようやく出番が来たかとあなたは大きく背伸びをした。

 何をするでもなくただ見て待っているというのはあなたの性に合っていなかったのだ。

 

 作戦通りにデストロイヤーの脚を破壊したからには次は楽しい楽しい突入、制圧、場合によっては拷問の時間である。

 

 製作者が自害していた場合は貴重な復活の魔法を使ってでもデストロイヤーの設計図を入手するのだと固く心に決めながらあなたに付いてくるウィズと共に門の下に降りると、あなた達は同じように階下に降りてきていたカズマ少年と女神アクアと門の前で出くわした。

 

「あれ? めぐみんさんは一緒じゃないんですか?」

「アイツはぶっ倒れたから上で休ませてるよ。爆裂魔法撃った後はいつも倒れてるから心配はいらない」

「いやまあ、確かに爆裂魔法は尋常じゃなく魔力を消費しますけど。それにしたって一発撃つだけで倒れるのは無茶しすぎですよ……」

「いつもの事だから俺は慣れたけどな。俺としてはむしろあれだけやったのにこうしてぴんぴんしてるウィズに軽くびびってる」

 

 降り注ぐ破片の雨も収まり、ようやく状況を把握し始めた冒険者達から感嘆の声が聞こえ始める。

 そんな中、デストロイヤーが完全に沈黙したと判断したのか女神アクアが大声をあげた。

 

「…………よし、やったわね!」

 

 ウィズと歓談していたカズマ少年、そしてあなたがビクリと身体を震わせた。

 

 やったか!? とはノースティリスの冒険者の間でも使ってはいけない台詞の一つにして、あなた達が友人とのじゃれ合いで特に理由も無く頻繁に放つ台詞だ。

 

 やったかの類義語には「これ程の攻撃を受けて無事でいられる訳が無い」や「フッ、いくら廃人と言えどこの至近距離からの魔力の嵐ではひとたまりも……なにっ! まさか!?」などがある。

 

 つまりやったか、と言った時は大抵やってないし相手のどんでん返しが待っているのだ。

 謎の力が突然覚醒したり仲間が駆けつけたり愛の力で蘇ったりこんな事もあろうかと用意していた秘密兵器が出てくる。

 そして発言した奴は死ぬ。

 

 ちなみに相手を完全に仕留めた後に何度も何度もやったか!? 帰ったらパーティーでもやろうぜ! などと死体の前で煽る様に連呼する輩もいる。

 いるというかあなたと友人達全員なのだが。

 

 

「何よ、機動要塞デストロイヤーなんて大層な名前しておきながら全然大した事無かったわね! この勢いでちゃっちゃと中も制圧してパーッと宴会しましょ宴会! 相手は一国を滅ぼした賞金首なんだから、報酬が今から楽しみよねカズマ!!」

「馬鹿ッ! ほんっと馬鹿だろお前!! もしかしてわざとやってんのか!?」

 

 

 あなたと同じくそれを知っていると思われるカズマ少年が必死に女神アクアの口を押さえようとしたが、既に遅かったようだ。

 

「……揺れてる?」

 

 あなたの傍に近寄ってきたウィズが不安そうに呟き、ずずず……という不穏な音と共に振動するデストロイヤーの巨体を見上げた。

 

 

――この機体は機動を停止致しました。この機体は機動を停止致しました。

 

――排熱、及び機動エネルギーの消費が出来なくなっています。

 

――搭乗員は速やかにこの機体から離れ、避難してください。

 

――繰り返します、この機体は機動を……

 

 

 突然デストロイヤーから流れ出した警告メッセージを聞いて、これは確実に爆発するだろうな、と長年核が日常的に飛び交う世界で生きてきたあなたは一瞬で直感した。

 中の製作者であれば動力を切る事が可能な筈だが、あるいは事故でも起きているのか。

 

「ほら見ろこの馬鹿! お前が変な事言うから大変な事になっただろこの馬鹿チャンプ!! どうすんだよこれ!?」

「待って待ってねえ待ってそんなに馬鹿馬鹿言わないでよカズマさん! 今回私まだ何も悪い事してないわよ!? とんだ濡れ衣だわ!!」

 

 少々状況は悪い方に傾いてしまったようだが、あなたがやる事は何も変わらない。

 相手はこんなものを作り出す面妖な変態技術者である。あなた達も最初からこうなる可能性があるというのは分かっていたのだから。

 

「……行くんですね?」

 

 無論である。このままデストロイヤーを放置しても状況は決して好転しないだろう。

 故に突入あるのみである。

 

 他の全員が逃げ出そうともあなたは一人でデストロイヤーに突入して制圧するつもりだった。

 機動力を失ったデストロイヤーが相手ならば単騎で制圧してもそこまで異端視はされないだろう。

 そして制圧して自爆を止めたら考え付くあらゆる手段を以って搭乗者に設計図を描かせるのだ。

 

 善は急げとばかりに、あなたは何度も何度も警告音を繰り返すデストロイヤーに向かって一切臆する事無く全速力で駆け出した。

 

「待っ……私も……!」

 

 背後から聞こえてきた、あなたを呼び止めんとするウィズの声を置き去りにして。

 

 止まらない警報にざわつく迎撃部隊を通り抜け、バリケードを飛び越え、デストロイヤーに肉薄するあなたの足音と気配に気付いたのか、おもむろにダクネスが振り返った。

 

「行くのか? ……いや、皆まで言わなくてもいい」

 

 擦れ違い様にそんなダクネスの声が聞こえた気がした。

 あなたはそのまま大破したデストロイヤーの前脚を伝って胴体に躍り出る。

 

 デストロイヤーの上に昇ったあなたはまず最初に玄武の採掘の時の事が思い浮かんだ。

 玄武の甲羅ほどの広さは無いが、しかしそれでも相当に広大な面積の胴体である。

 

 胴体にはあちらこちらにバリスタが設置され、最奥、蜘蛛が糸を吐く箇所に該当する位置には巨大な建造物と入り口と思わしき閉ざされた扉がある。

 

 デストロイヤーの胴体に装備されているバリスタの砲撃を警戒していたあなただったが、ウィズとめぐみんによる爆裂魔法の余波で損傷してしまっているのか、一機たりとも稼動している様子は無かった。

 しかしその代わりに、無数の小型ゴーレムや戦闘用のゴーレムが侵入者を撃退せんとすべくあなたの前に立ちはだかっている。

 

 思いの外ゴーレムの数が多いとあなたは舌打ちした。内部にゴーレムの製造ラインでもあるのかもしれない。一体一体破壊していく時間など無い。最短ルートで奥まで突っ切っていくべきだろう。

 

「デコイ!!」

 

 あなたが神器を抜くと同時に、あなたと同様に前足を伝ってきたのであろうダクネスが周囲の敵意を集めるスキルを発動させた。

 周囲のゴーレム達が一斉にあなたの背後のダクネスに狙いを定め始める。

 

「ここは私に任せて先に行け! 私の事は気にするな!!」

 

 あなたの道を切り開かんとするダクネスの台詞はまさに騎士の鑑と言えるとても立派なものだった。

 鼻息を荒くし、瞳を情欲に濡らしていなければ、の話だが。

 ぐへへへへとゴーレムを前に笑うダクネスはこんな時でもいっそ清々しいまでにいつも通りだった。

 

 だが囮になってくれるというのであればありがたい。

 本人が置いて行けと言うのであなたは遠慮なくダクネスを置いて行く事にした。

 あなたとダクネスに触発されたのか、他の冒険者達が雄叫びをあげてこちらに迫ってきているので大丈夫だろう。頭のおかしいのとダクネスさんに続け、という声がここまで聞こえてくる。

 

「くうっ……! いいぞいいぞ、己の目的の為ならば一片の躊躇も見せずに騎士とはいえ私のような婦女子すら見捨てる様! それでこそエースだ!!」

 

 ダクネスに狙いを定めたゴーレムを無視して先に進むあなたにダクネスがそんな事を言った。

 間違ってはいないが、見捨てるとは随分と酷い言い草である。

 

 

 

 雑魚に興味は無いと適当に蹴散らしながら一直線に進んだあなたはデストロイヤーを乗っ取った製作者が立て篭もっていると思われる建造物の下に辿り付く。

 他の冒険者達もデストロイヤーの胴体に乗り込んできたようで、あちらこちらから戦闘音や炸裂音が聞こえてくる。

 

 ふと後方を見渡せば最前線ではキョウヤとベルディアが次々と戦闘用のゴーレムを一刀の下に切り捨てており、そこから少し離れた場所ではゆんゆんが雷の魔法で小型のゴーレムを薙ぎ払っていた。

 

 この分ならばゴーレムの駆逐はあっという間だろうとあなたは硬く閉ざされた扉に意識を戻す。

 この扉に鍵は付いていないようなので鍵開けスキルでは解錠不可能だ。

 つまり強行突破あるのみである。開かない扉は壊すのが常道であるが故に。

 

 あなたは数度、扉に向けて無造作に神器、遥かな蒼空に浮かぶ雲を振るう。

 キキン、という甲高い金属音と共に扉はあっけなくバラバラになった。

 冬将軍の持っていた神器なだけあって流石の切れ味である。

 

 

 

 巨大な建物の中にはやはり無数のゴーレムが配備されていたが、やはり相手になる筈も無く作業のようにあなたに一刀で破壊されていく。

 

 デストロイヤーの建物の中は複数階構造となっており、あなたは研究者を探して内部を片っ端から探し回った。

 内部には食堂やトイレ、搭乗員の寝室に食料庫と思わしき部屋もあったがいずれも空振り。デストロイヤーの製作者はおろか人っ子一人見当たらない。

 

 そして探索を続けるあなたは徐々にこの場所に強い違和感を覚え始める。

 ここからはまるで打ち捨てられた廃墟のように生活臭、あるいはこの場所を人が使っていたという気配がしないのだ。話では乗っ取った技術者がここにいる筈なのだがいずれの部屋も新品同然で使われた痕跡が残っていない。

 

 建物に配備されていたゴーレムが掃除をしていたようで内部自体はとても綺麗なのだが、それが却って寒々しい印象を与えてしまっている。

 もしやこの建物はダミーで研究者は別の、例えば機体の内部に隠れているのだろうか。

 そんな事を考えながらもあなたは最奥に到達する。

 

 だが、あなたを待っていたのはあまりにも予想外のものだった。

 

 

 ……それは、白骨化した人の骨。

 

 あなたの使う復活の魔法はどれだけ死体が損壊……いっそ消滅していても蘇生可能だが、ここまで時間が経っている死体を蘇生するのは無理だろう。

 念の為に魔法を使ってみたが、やはり魔法は不発してしまった。

 

 

 猛烈に嫌な予感を感じ始めたあなたが部屋の中を見渡せば、大きめの机の上に乱雑に積み重なった無数の書類の山と、書類に埋もれた一冊の手記を見つけた。

 

 長い年月が経っているにも関わらず書類も手記も一切風化している様子を見せていないのはデストロイヤーを製造したノイズ国の高い技術力の賜物なのだろうか。

 書類を数枚流し読みし、手記を手に取った所で何者かの怒鳴り声と足音が聞こえてきた。どうやらアクセルの冒険者達がやって来たらしい。

 

 

 

 

 

 

「や、やっと追いつきました……」

 

 カズマ少年達が奥にやってきたのはそれから数分後。

 既に最奥の部屋にはかなりの冒険者達が集まっていた。

 あなた以外の彼らは皆一様に沈んだ表情を見せ、部屋に突入してきた時の暴徒のようなテンションは鎮火してしまっていた。燃え尽きたように壁にもたれかかって座ってしまっている者までいる始末だ。

 

「もう、どうして一人で行くなんて無茶を…………あの、何があったんですか? お通夜みたいな空気なんですけど」

 

 カズマ少年と共にやってきたウィズが若干引きながらあなたに尋ねてきたのであなたは白骨死体を指差した。

 あなたを含むこの場の冒険者達は誰一人として口を開く気力が湧かないくらいには酷い事実を知ってしまったのだ。

 

「あれは……もしかしてデストロイヤーを乗っ取ったという研究者ですか?」

「成仏してるわね。アンデッド化どころか、未練の欠片もないぐらいにそれはもうスッキリと」

「いや、未練くらいあるだろ。こんなとこで一人で死んでるんだから」

 

 あなたはカズマ少年の問いに手記を渡す事で答えた。

 女神アクアが首を傾げながらそれを受け取り、あなたが一度冒険者達の前で読み上げた内容を再度音読し始めた。

 

 

「○月×日。国のお偉いさんが無茶言い出した。こんな予算で機動兵器を作れという――――」

 

 

 諸悪の根源が書き記した機動要塞デストロイヤーの誕生秘話。

 それは聞いたあなた以外の冒険者達が舐めんなと怒鳴った後にあまりの馬鹿馬鹿しさとどうしようもなさに崩れ落ちたくなってしまうやるせなさの溢れるものだった。

 

 

 ――機動兵器を作れと命令されたが無理なのでヤケクソで蜘蛛を潰した紙を提出したら受理された。

 

 ――完成した機体で酒盛りをして酔った勢いで動力に煙草の火を押し付けた結果、機体は今日まで暴走。

 

 ――研究者は控えめに言って馬鹿だった。

 

 

 この後先考えていない頭の悪さは開発者はもしかしたらノースティリスの冒険者だったのかもしれないとあなたが思ってしまうほどには酷かった。

 ノイズ国を始めとする今までデストロイヤーに滅ぼされてきた街や国の犠牲者も浮かばれないだろう。

 とりあえずこの件は全員が墓の下まで秘密を持っていく事に合意した。笑い話にもなりはしない。

 無論手記を譲ってもらったあなたはノースティリスで友人達と笑い話にする予定である。

 

 

 

 

 

 

「これがコロナタイトか。ってか、これどうすりゃいいんだよ」

 

 機動要塞デストロイヤーの中枢。

 他の者を全員脱出させ、作戦メンバーから選ばれたあなたとウィズと女神アクアの三人、それに作戦指揮を任されたカズマの四人は動力炉に足を運んでいた。

 

 動力炉内には機体にエネルギーを送る為の無数の管が走っており、その中心にはまるであなたの持つ遺伝子複合機にそっくりな巨大な円筒がある。

 そして円筒の中には今も機動要塞デストロイヤーに動力を供給し続けているであろう、爛々と赤く燃える球体……永遠に燃え続けると言われている伝説の鉱石、コロナタイトが安置されている。

 ウィズに聞いた所売れば億は余裕で超えるらしい。鑑定のストックを使うまでも無く貴重品である。

 無論あなたはこの鉱石も持って帰るつもりだ。デストロイヤーの動力なのだから当然である。

 

 しかし持って帰るのはいいが一つだけ問題があった。

 こうして少し離れた場所からでもコロナタイトの熱が伝わってきそうなのだが、果たしてこの円筒は破壊してしまってもいいものなのだろうか。

 破壊してもいいのなら一瞬で取り出せるのだが。

 

「えっと、コロナタイトは暴走してますし、この筒の中にはエネルギーが充満しています。なので乱暴に取り出そうものなら恐らく……」

「シリンダーごとぼんってなるのか。取り出すような装置も無いし、どうしたもんかな……っとそうだ」

 

 カズマ少年が何かを閃いた様で、おもむろに右手を突き出す。

 

「スティール!」

「――今すぐ手を離してくださいカズマさん!!」

「へっ?」

 

 ウィズの叫びを聞いたあなたは反射的にカズマ少年を抱えて後方に跳躍する。

 ぐえっというカエルの潰されたような声が聞こえた瞬間、ゴトリという重い物が地面に落ちた音がした。

 

「ごほっごほっ……な、なんだ? 何があった!? 一瞬なんか滅茶苦茶熱い物を持った気がしたんだけど!?」

「あのままだとカズマの手にコロナタイトが焼き付いて、焚き火の中に手を突っ込んだ時よりも酷い事になってたから無理矢理引っ張ってスティールの発動場所から逃がしてくれたのよ。……カズマって普段は結構知恵が働くと思ってたんだけど、さっきのゴーレムの件といい、実は馬鹿なの?」

 

 反射的に動いたのでまるで意味が分からなかったが、どうやらウィズの発言はそういう意図の下に行われたものだったらしい。

 そんなウィズは足元に転がってきたコロナタイトに慌てて魔法をかけていた。

 

「フリーズ! フリーズ! ……すみません! コロナタイトに氷魔法をお願いします!!」

 

 ウィズが初級魔法を使っているのは爆裂魔法で減った魔力がまだ戻っていないのだろう。中級の氷魔法では範囲は広いが狭い範囲を凍結させるのには向いていない。

 あなたはコロナタイトに向かってアークウィザードが使えるカースド・クリスタルプリズンの下位魔法である上級魔法、氷棺(アイスコフィン)を発動させる。

 

 その名の通り氷で作られた棺が瞬時にコロナタイトを覆い、氷に封じられたコロナタイトはなんとか鎮火した。

 しかし数秒後には再び爛々と燃え始め、急速に氷の棺を溶かしていく。

 完全に溶け切る前にあなたは再び氷棺(アイスコフィン)を詠唱する。

 再び燃えるので溶け切る前に氷棺(アイスコフィン)

 それを繰り返すがコロナタイトの暴走が収まる気配は無い。

 

 さて、カズマ少年のおかげで無事にコロナタイトを取り出す事に成功し、何とかこうして小康状態を作り出すことには成功した。こうして魔法を使っている間は爆発の心配は無いだろう。

 

 氷棺(アイスコフィン)を使い続けながら気付いたのだが、いつの間にか先ほどまで鳴っていた不吉な警告音は止んでいる。やはりこのコロナタイトがデストロイヤーの全ての動力を担っていたらしい。

 直径十数センチほどの球体が長年デストロイヤーを動かしていたと思うとあまりの凄まじい出力と持続性に驚嘆を禁じえない。是が非でも手に入れなければ。

 

 あなたが欲望に目をギラつかせていると、ウィズが不安そうに声をかけてきた。

 

「……あの、あなたはどこにテレポートを登録してますか? 私はアクセルの街と王都とダンジョンなんですけど」

 

 どうやらウィズはテレポートの魔法でコロナタイトを捨てるという案で行きたいようだ。

 それは止めて頂きたい。かなり切実に。

 

「なあウィズ、そのダンジョンとやらにコロナタイトを送ればいいんじゃないのか?」

「それがその、私が転送先に登録しているダンジョンは、魔法の素材集めにちょくちょく利用していた世界最大のダンジョンでして……今では迷宮を名物にした一大観光街に……」

「迷惑すぎる!」

「一応ランダムテレポートという、転送先を指定しないで飛ばす物もあるのですが、これは本当にどこに飛ぶのか分からないので下手をすれば人が密集している場所に送られる事も……」

「最後の手段にしたいよな……。それで、そっちのテレポートはどうなんだ?」

 

 カズマ少年の問いかけに、あなたは魔法の練習用に人のいない、人の来ない場所に登録している所がある、と答えた。

 

「…………魔法の練習用?」

 

 あなたの言葉にカズマ少年と女神アクアは全身の力を抜き、ウィズだけが眉根を寄せながら何かを言いたそうにあなたを見つめてきた。

 

 そう、ウィズが察している通り今のはカズマ少年と女神アクアを誤魔化すための嘘八百である。

 魔法の練習用ならシェルターがある。普段はベルディアが使っているとはいえわざわざ貴重なテレポートの枠を使ってまで登録する必要は無い。

 あなたのテレポートはウィズと同様に王都や港町といった人のいる場所にしか登録していないのだ。

 

 なのであなたはウィズに口の動きだけで四次元ポケットの魔法を使う、と告げるとウィズは深い溜息を吐いた。どうやら伝わったらしい。

 

「……本当に、本当に危険は無いんですよね?」

 

 念を押すように問いかけてくるウィズにあなたは力強く頷いた。

 四次元ポケットの中では物体は完全に停止するのでコロナタイトが爆発する恐れは無い。

 愛剣やアレの意識は四次元の中で連続している以上中で時間は経過するが、物体としての性質は完全に停止しているのだ。

 故に何年入れっぱなしにしていても食料が腐る心配は無い。

 

 言うが早いか、あなたは氷漬けのコロナタイトにテレポートを使う……と見せかけて転送直前に魔法をキャンセル。四次元に送り込んだ。

 

「…………大丈夫、だよな?」

「……みたいね」

「終わったああああああぁ……」

 

 コロナタイトという目に見える脅威がようやく消えた事でカズマ少年がその場に座り込んだ。

 

 このまま持ち帰ってシェルター内で万全のウィズと共に暴走を止めるか、それでも駄目なら四次元ポケットに入れたまま放置してノースティリスに持ち帰ればいい。

 友人達やあなたの信仰する女神と知恵を出し合えば何とかなるだろう。丸投げとも言う。

 万が一四次元の中で爆発しても危険は無い。せいぜいコロナタイトを失ったあなたが嘆き悲しむだけで済む。とてもつらい。

 

「さぁカズマ、こんな辛気臭い場所からはさっさとおさらばして今度こそ帰って宴会よ! 二人は約束した高級なお酒を奉納する事を忘れない事!!」

 

 楽しそうに駆け出す女神アクアに三人で顔を見合わせて誰とも無く苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 ……もしかしたら女神アクアがあそこで新たにフラグを立ててしまったのかもしれない。

 

 あなたはあたふたと慌てるウィズ、言い争うカズマ少年達、そして装甲を赤熱化して振動するデストロイヤーを前に半ば現実逃避気味にそんな事を考えた。

 

「お前が! お前があの時あんな事言ったからまたこんな事に!!」

「ねえ待って! だから私今回はまだ何もやってないじゃないの!!」

 

 脚を失い、動力炉を失い、それでもデストロイヤーは終わっていなかった。

 なんとあなた達が全員デストロイヤーから脱出したのを見計らったかのようにデストロイヤーが再び振動音と共に震え出したのだ。

 ここまでしつこいといっそ感心してしまう。契約の魔法でもかかっているのだろうか。

 

 大物の討伐を終えて各々の武勇伝を語り合っていた周囲の冒険者達も異変に気付いたようで、慌ててデストロイヤーから距離を取り始めた。

 

「っていうか何が起きてんの!? さっきまでは確かに停止してたしコロナタイトもちゃんとぶっ飛ばしたじゃない!!」

「こ、これは恐らくこれまでデストロイヤーの内部に溜まっていた熱が外に漏れ出そうとしているんです。このままでは街が火の海に……!」

「あーあー聞きたくなーい聞きたくなーい!!」

 

 デストロイヤーからアクセルの町までの距離は相当に近い。

 仮にこの巨体が爆発してしまえば被害は甚大なものになってしまうだろう。

 

 あなたは自分が破壊すべきか、と考えて自分の攻撃手段では状況との相性が悪すぎるとすぐに悟った。

 愛剣などを使えば破壊自体は容易だがデストロイヤーの爆発は避けられないだろう。結局街に被害を与えてしまう。

 街に被害を出さない為には一撃でデストロイヤーを消し飛ばすほどの攻撃でなければならない。

 核を多重起爆すればいけるだろうが確実にアクセルは滅ぶ。本末転倒にも程がある行為だ。

 

「あ、あの……! あなたの魔力を分けてもらってもいいですか……?」

 

 ウィズが唐突にあなたにそんな事を言い出した。

 あなたには彼女が何をしようとしているのかはすぐに分かった。

 しかしウィズがドレインタッチを使うのだけは駄目だ。

 あえて口には出さなかったが、例えアクセルの街が火の海に包まれようともあなたはそれだけは断じて許容出来なかった。

 

「お、おいウィズ! 今お前がそれを使うのは駄目だろ!」

 

 カズマ少年の言うとおり、今この場には数多くの冒険者達の目があり、遠くからとはいえあなた達の一挙手一投足に注目しているのだ。

 何故アンデッド特有のスキルをアークウィザードであるウィズが使えるのか、という話になった時に誤魔化す事が出来ない。

 

「ですが、魔力を吸える私しかアレを止める事は……!」

「ドレインタッチなら俺も使える。俺が誰かから魔力を吸って、それをウィズに渡せばいい。それしか無いだろ」

 

 何故カズマ少年がドレインタッチを、と考えたところであなたは思い出した。

 ウィズがあなたの家の居候になった原因の発端はカズマ少年にドレインタッチを教えたからだったという事を。

 確かに全てのスキルを習得可能な冒険者であるカズマ少年ならば怪しまれても適当なアンデッドが使っているのを見て覚えたとでも言えば誤魔化す事が可能だ。

 

「肝心の魔力を吸う相手だけど……あっちでダクネスに逃げようとか言ってる自称何とかの方がいいよな。さっき上級魔法連発してたしテレポートも使ったし」

 

 カズマ少年があなたに確認してきたが、心配には及ばないと笑った。

 魔力はまだ底を見せていないし、女神アクアの魔力がリッチーであるウィズと相性がいいとは思えない。

 

「いや、確かにそうかもしれないけど……俺は嫌だぞ、また頭がぴゅーってなるのを見るのは」

「えっと……私もアクア様じゃなくてあなたの方がいいかなーって……」

「ちょおーっと待ったあああああ!!」

 

 突然の乱入者に場の全員の注目が集まる。

 果たして、あなたがこの世界にやってきた時、無一文だったあなたに千エリスを恵んでくれたモヒカンの男に背負われてやってきたのは……。

 

「真打ち登場っ!!」

 

 爆裂魔法に人生を捧げた、紅魔族のアークウィザードだった。

 

 

 

 

 

 

「……で、結局最後の美味しい所はあの頭のおかしい紅魔族の娘が持っていったと」

 

 数時間後の自宅にて。

 ワインをグラスに注ぐベルディアが忌々しそうにそう言った。

 

 土壇場で突然現れためぐみんはカズマ少年を通して女神アクアから大量の魔力を吸い取り、見事に爆裂魔法でデストロイヤーを粉砕してみせた。

 魔力を送るのはあなたでも良かったのだが、めぐみんの宿敵であるあなたの魔力だけは使いませんという謎の拘りにより女神アクアが魔力を供給する事になったのだ。

 

 しかしそのお陰とでも言えばいいのか、女神アクアの魔力でブーストされた爆裂魔法は先のウィズのものを凌駕する威力を叩き出してデストロイヤーを粉砕してみせた。

 かくして難攻不落の機動要塞は消滅し、駆け出し冒険者の街アクセルは崩壊の危機を乗り切る事に成功したというわけである。

 当然の如く街中は大騒ぎになり、ウィズは既に疲れて眠ってしまっている。明日は筋肉痛かもしれない。

 

「ふん、まあ構わんがな……紅魔族の娘に五日間便秘になる呪いはかけたし」

 

 ぼそり、とベルディアは最後に何か独り言を言ったようだが数時間前を回顧しながら書類を検分していたあなたの耳には届かなかった。

 

「ところでご主人。さっきから気になっていたんだが、何を読んでいるんだ?」

 

 あなたは紙束から無造作に一枚だけ抜いてベルディアに渡す。

 千金の価値がある紙なのでくれぐれも大切に扱うように、と教えて。

 

「千金とはこれまた大きく出たな……って何だこれ。棒の設計図か? いや、それにしては複雑すぎる。むしろ何かの脚のようにも見える気が……いや、待て。ちょっと待て待て待て待て!!」

 

 ベルディアは顔中から冷や汗を流してあなたが渡した紙を凝視している。

 一目で気付いたようだ。渡した紙が分かりやすいものだったとはいえ流石に勘がいい。

 

「えっ? ひょっとしてその紙の山全部!? 全部がそうなのか!? 嘘だろ!?」

 

 あなたはあえて肯定も否定もせずに静かに笑い、ベルディアはテーブルの上で頭を抱えた。

 

「ご主人、バッカお前、ほんと頭おかし……なんで誰も燃やさなかったんだ……つーか気付けよ……」

 

 無論誰かに燃やされる前にあなたが回収したからである。

 紙束の存在に気付かれなかったのは知られる前に四次元ポケットに入れたから。

 

「最悪だ……ご主人が世界の敵すぎてやばい……もう知らん知らん、俺は何も見てないからな」

 

 自棄酒を始めたベルディアだが、あなたはこれを使ってこの世界をどうこうする気など毛頭無かった。

 そもそもそんな技術も持っていない。

 

「じゃあなんでそんなもんを回収した!? デストロイヤーの設計図とかほんともう……俺はどうなっても知らんからな!」

 

 足音荒く自室に戻っていくベルディアにあなたは苦笑する。

 

 これはノースティリスに戻った時に使う玩具の設計図だから心配などいらないというのに。

 まあ、いつかあなたと共にノースティリスに赴くであろうベルディアがこの設計図を参考にして作られる事になる玩具の相手をする可能性は非常に高いわけだが。

 

 

 

 数時間前、あなたは機動要塞デストロイヤーの最奥、開発者が白骨化していた部屋で書類の山と手記を発見した。

 手記に関しては今更説明の必要は無いだろう。

 書類の方だが、あなたは数枚流し読みして具体的な内容の理解は出来ずともこの書類の山が自身の目的の物である事を悟った。

 手記と共に残された書類の数々はデストロイヤーの各部の設計図やスペックを記したものだったのだ。

 書類が自身にとって宝の山であると知ったあなたは後続の冒険者達に発見される前に全ての書類を四次元ポケット内に収納し、こうして自宅に持ち帰る事に成功した。

 

 こうして改めて検分してみると無数の図面からは装甲や動力、なんと結界の術式について記されていると思わしき部分も見受けられる。

 

 何故研究者が他者に利用されるであろうこの書類を廃棄していなかったかは謎だが、恐らくあなたの友人であればそれまでに培ってきたノウハウを生かして十分デストロイヤーを作れるだろう。

 装甲についてはめぐみんが破壊した脚の破片を幾つか回収しているのでそれを渡すつもりだ。

 暴走状態とはいえ動力炉であるコロナタイトも回収した。

 

 

 

 かくしてあなたはおよそ考え得る限り最高の形で機動要塞デストロイヤーの討伐を終えたのだった。



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第31話 幸運の女神の依頼

 機動要塞デストロイヤー討伐。

 長年人間達を苦しめてきた難攻不落の機械蜘蛛が遂に破壊されたのだ。

 この近年稀に見る吉報はギルドを通じて即日で国中に通達され、驚愕、あるいは喝采を以って受け入れられた。

 

 討伐の報酬である三十億エリスだが、支払いは情報のように即日、というわけにはいかなかった。

 額が額なのでいくら冒険者ギルドといえども一日二日で掻き集める事が出来るわけではない。

 あなた達冒険者達に報酬が渡るのは数日後の予定になっている。

 迎撃に参加していた冒険者の数はあなたの見立てではおよそ百数十人に及ぶ。

 報酬の分配方式がどうなるかはまだ分からないが、もし全員に平等に分配されるとなると数千万エリスに届く事になるだろう。税金が怖い。

 

 結界を破壊した女神アクア、あなたの囮となって時間を稼いだダクネス、コロナタイトを回収しドレインタッチで爆裂魔法のアシストを行ったカズマ少年、ウィズと共に脚を破壊し更には爆発寸前のデストロイヤーを見事に消滅させためぐみん。

 討伐作戦の中核を担ったカズマ少年達の借金もかなり減る事になるのではないだろうか。

 仮に分配方式が出来高制だった場合は相当な額に及ぶだろう。

 

 全員平等だった場合はウィズにしている借金は二億五千万エリスなので全額返済とはいかないだろうが、それでも返済はかなり進む事になる筈だ。

 

 そして、デストロイヤー攻略の中核を担った中の最後の一人であるウィズだが……なんと彼女は現在床に伏せてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 片手に二人分の軽食と果物と飲み物を乗せたトレイを持ち、反対側の手で二度ウィズの部屋のドアをノックする。

 

「どうぞ、開いてますよ」

 

 ドアを開ければそこには寝巻き着でベッドに横になっているウィズの姿があった。

 暇を持て余していたのか、枕元には数冊の本が。

 あなたが昼食を持ってきたと告げると、ウィズはゆっくりとベッドから身体を起こして申し訳無さそうに力なく笑った。

 

「もうそんな時間なんですね。すみません、こんなみっともない事になっちゃって……いたたたた、ビリって来ました……!」

 

 眉を顰めて足を擦るウィズはまるで重症患者の如き痛々しい有様である。

 だがこれは戦いの後遺症やアンデッド特有の問題といった深刻な話ではない。

 

「足が、足が……!」

 

 そう、ウィズは筋肉痛になってしまったのである。

 しかもデストロイヤー討伐の翌日ではなく、二日後に。

 

 翌日は何ともなく、私もまだまだ行けますねなんて事をウィズは言っていたのだが、あるいはそれがいけなかったのだろうか。

 アンデッドは肉体的に疲労しないというベルディアの発言は一体何だったのか。

 斬首されデュラハンになったというベルディアよりも人間に近い故の弊害なのかもしれない。

 

 どちらにせよ討伐の際に全力疾走を続けたウィズは現在まともに動けない状態だ。

 おかげで今日の家事はあなたが担当する事になった。

 幾らウィズが後衛職で見るからにインドアな女性だといっても流石にこれは運動不足にも程があるのではないだろうか。

 

 ベッドに座って涙目でひんひんと可愛らしく鳴きながらふとももとふくらはぎのマッサージを行うウィズの姿に、あなたは先日のウィズの勇姿を思い返してやるせない気持ちになった。

 これでは少なくとも今日一日は外に出るのは無理だろう。

 

 あの時のウィズはどこに行ってしまったのだろうとあなたは二日前を回顧せずにはいられない。

 とてもではないが彼女を凄腕のアークウィザードとして尊敬しているゆんゆんには見せられない光景だ。

 

「もしかしてこれは、私に脚を破壊されたデストロイヤーの怨念なのでは……だとすると全身を破壊しためぐみんさんが……!?」

 

 足の痛みが脳にまで回ってきたのか、ウィズはとても頭の悪い事を言い出した。

 ただの筋肉痛なので安心してマッサージしながら養生してほしい。

 リッチーに通用する呪いなど恐ろしすぎである。恐らくめぐみんなら死んでいる。

 

「ううっ……回復魔法をお願いします……」

 

 アンデッドが言ってはいけない台詞ランキングの中でも確実に上位に食い込むであろうウィズの切実な懇願をあなたは笑って受け流し、食事を開始する。

 

「無視しないでくださいよ!?」

 

 毎日死ぬベルディアのように治療しないとどうにもならない外傷ではないし命に別状も無い。

 更にデストロイヤーが接近している、などといった切羽詰った状況ではない今、あなたはたかだかちょっと酷い程度の筋肉痛を癒す為にストックに限りのある回復魔法を使う気は無かった。

 

 むしろウィズはこれを期に少し運動不足を解消した方がいいのではないだろうか。

 ノースティリスからトレーニングマシンを持ち込んでいれば使わせてあげたのだが、残念ながらノースティリスの自宅のインテリアとして埃を被っている。

 

 しかし幸いにして、春まではゆんゆんが修行の為にあなたの家に来る事になっている。

 ウィズも彼女と一緒にトレーニングすればいいのだ。ゆんゆんも喜ぶだろうし一石二鳥である。

 

「が、頑張ります……鈍ってる自覚はありましたがまさかここまで酷いとは思ってませんでした。このままだとあなたのお手伝いをする時にも差し障りそうですし、何よりベルディアさんに私の出番を取られる未来が来そうなんですよね……」

 

 しゅんと項垂れるウィズはそのまま自分の分の昼食を頬張り始めた。

 食べ終わったら筋肉痛に効く薬でも買ってくるとしよう。

 今日だけでなく、今後も入用になるだろうから。

 

 

 

 

 

 

 薬局で筋肉痛によく効くという塗り薬を購入したあなたはあてもなく街の中をぶらぶらと彷徨っていた。

 

 道行く人々の表情は明るく、どことなく街中には浮かれているような空気が流れている。

 それもその筈、機動要塞デストロイヤーに街を蹂躙され住居を失い、未だ雪が残る寒空の中凍える心配が無くなったのだから。

 

 耳聡い近隣の商人などは大金を手に入れるであろう冒険者達をターゲットにすべく既にアクセルに集まってきており、様々な商いを始めている。

 この分では報酬が支払われる頃にはちょっとした祭のような有様になるのではないだろうか。

 冬季の祭だがノイエルのようなジェノサイドでブラッディな祭ではなく、ちゃんとした騒がしくも平和な祭が。

 あれはあれで楽しいし見所も多いのだが、と心の中で誰に向けているのかも分からない言い訳をする。どちらにせよあなたもとても楽しみにしていたりする。面白い掘り出し物が見つかるかもしれない。

 

 それにしてもベルディアという魔王軍幹部、悪霊騒ぎ、豪雪で街全体のあちこちが倒壊し、トドメに今回のデストロイヤー。

 前二つは女神アクアが発端とはいえ、良くも悪くも最近のアクセルの街はまるでノースティリスのように騒ぎやイベントに事欠かない。

 女神アクアが降臨するまでは駆け出し冒険者の街の名に相応しく大したイベントも無く平和で、あなたも王都などで難易度の高い依頼を受ける事が多かったのだが。

 

 今後もこのような楽しいイベントが起き続けるのだろうか。

 やはりアクセルを拠点にして良かった。

 

「ちょっとそこ行くエースさん、あたしと一緒にお茶でもどう?」

 

 ふと、あなたは背中を叩かれながら声をかけられた。

 聞き覚えのある声にせめて名前で呼んで欲しいと思いながら振り返れば、やはりあなたの目の前に立っていたのはニコニコと笑う女神エリスだった。

 まるでナンパのようなお誘いであるが、女神エリスではなくクリスとしての活発な見た目からすればそこまで違和感は無い。

 

「お疲れ様、一昨日は大活躍だったんだって? あたしはキミが爆発しそうなデストロイヤーに乗り込んでいく所しか見てなかったんだけど話だけは聞いてるよ」

 

 ギルドで姿を確認した後は姿を見つける事が出来なかったが、やはりあなた達と同じように女神エリスもデストロイヤー攻略に参加していたらしい。

 しかし思えばデストロイヤー戦だけでなく最近ずっと姿を見かけなかった気がする。

 女神エリスはどこで何をしていたのだろうか。

 

「あたし? あたしは王都で活動したり昔お世話になった先輩に無理難題を押し付けられてその後始末みたいな事をやっててね、アクセルには本当につい最近戻ってきたんだ。そしたら今回のデストロイヤーでしょ? びっくりしちゃったよ」

 

 けらけらと笑う女神エリスは姿だけ見ればとても女神には見えないほどフランクだ。

 昔お世話になった先輩というのはやはり女神アクアの事なのだろうか。

 奔放な女神アクアに無理難題を押し付けられて苦労しているイメージが容易に湧くが。

 

「それで、どう? お茶してくれる?」

 

 特に断る理由もないしあなたが信仰する女神ではないとはいえ、相手はこの国で広く信仰されている特に有名な女神の一柱だ。

 あなたは喜んでお誘いを受ける事にした。

 

 

 

 あなたが女神エリスに連れられたのはアクセルの街の外れにある小さな喫茶店。昼時であるにも関わらずあなた達以外に客はいないが、別に閉店しているわけではないようだ。

 

「ここはいわゆる隠れ家的なお店でね。味はあたしが保証するよ」

 

 女神エリス直々のオススメである。変装しているとはいえ本当に女神エリスはフットワークが軽かった。

 あなたの信仰する癒しの女神はこうはいかないので彼女のような女神はかなり新鮮である。女神アクアはもうフットワークが軽いとかそういう次元ではないので除外。

 

 女神エリスはケーキと紅茶を注文し、あなたも同じものを注文する。

 昼食が軽かったので胃袋に余裕はある。

 ケーキは幾つか買ってウィズとベルディアのお土産にしてもいいかもしれない。

 

 しかし女神エリスは何故あなたにコンタクトを取ってきたのだろうか。

 まさか本当に一緒にお茶を飲みに来たわけではあるまいに。

 女神エリスの親友であるダクネスをパーティーに抱えているカズマ少年ならまだ分かるのだが。

 

「んー……まあ、確かにその通りなんだけどね。その話は止めにしない? キミに接触した理由じゃなくて、彼の話ね?」

 

 頬の傷跡を掻きながら苦笑する女神エリス。

 二人の間に何か因縁でもあっただろうかと考え、そういえば女神エリスはカズマ少年にパンツを窃盗された過去があった事を思い出した。

 しかもその挙句、ノーパンスパッツという極めて煽情的な格好のままキャベツ狩りを行い衆目の前で大立ち回りを演じたのだ。

 確かに本人からしてみればあまり良い思い出ではないだろう。

 

「だから止めてって言ったでしょ!? 分かっててなんで言っちゃうかな!!」

 

 女神エリスが大声をあげて席から立ち上がり、店主がじろりと睨みを利かせてきた。

 慌てて椅子に座る女神エリス。

 まさか目の前にいる相手が下着消失の真犯人だとは夢にも思っていないだろう。

 あの一件はかなりのトラウマになっているようだ。万が一下着の件について追求されたら全力ですっとぼけねばなるまいとあなたは改めて決意した。

 

「……こほん。……話っていうのは一昨日、デストロイヤー討伐の作戦会議が終わった後にキミが話してるのを聞いちゃったんだよね。あ、先に言っとくけど偶然耳に入ってきただけで盗み聞きしたわけじゃないからね?」

 

 終わった後というと、キョウヤに今だけでいいのでとグラムの返却を求められていた時の話だろうか。

 ちなみにキョウヤはデストロイヤーを討伐したその日にグラムを持ってきたので現在グラムはあなたの手元にある。

 とても名残惜しそうな様子だったが約束は約束だ。代替の神器を持ってこない限り交換に応じる気は無い。

 

「そう、それそれ。キミも知ってるかもしれないけど彼は魔剣の勇者として王都でも結構な有名人なんだよね。それで彼の代名詞とも言える魔剣をキミが持ってるっていうから気になってさ。戦いが終わった後、彼に話を聞いたらキミが神器を集めてるって知っちゃったんだよね」

 

 確かにあなたはキョウヤとそんな話をした覚えがあった。

 モンスターボールとグラムといった神器を所有するあなたは珍品や貴重品を蒐集するのが趣味なコレクターだとキョウヤは知っているのだ。

 実際にそういった品を求めてあなたはウィズの店に入り浸っていたし特に隠しているわけでもない。

 

「で、キミが集めている神器なんだけど……キミは神器についてどこまで知ってる?」

 

 別に神器だけを集めているわけではないが、今はそれはどうでもいいので置いておく事にする。

 

 あなたにとって神器とはラグナロクやくろがねくだき、女神エリスのパンツのような、鑑定の魔法で神器判定が出た品物を指す。

 ベルディアが神器だと認識している愛剣や本気の装備はそこら辺の神器よりも強力な神器品質の武器だがあくまでも神器品質であって神器そのものではない。

 だがこれはノースティリスの冒険者であるあなたやベルディアのような事情を知らない者にとっての話であって、女神エリス達の認識ではない。

 

 とりあえず今までのベルディアとキョウヤの言を総合するに、女神アクアがニホンジンなる者達に授けた極めて強い力を持った担い手を選ぶ希少な装備や魔道具は全て神器、という事でいいのだろうか。

 

 もしそうならニホンジンを狩れば神器が手に入るという事である。

 生きた貯金箱ならぬ生きた神器保管庫だ。

 キョウヤやカズマ少年のような者達はともかく、賞金首になったニホンジンは率先して割っても……もとい、狩ってもいいかもしれない。

 あなたは神器が手に入ってついでに賞金が手に入る。この国は犯罪者が減って平和になる。

 誰にとっても益しかない素晴らしい考えである。まさにwin-winではないだろうか。

 夢が広がってきたと内心でテンションを際限無く上げ続けるあなたが何を考えているのか知る由も無い女神エリスは感心したように頷いた。

 

「うん、大体合ってるよ。けど随分と詳しいんだね……魔剣の彼から聞いたの?」

 

 そんな所だとこれから狩っていいニホンジンを狩る気満々になってきたあなたは話の続きを促す。

 

「続きを話す前に確認しておきたいんだけど、キミは神器を集めてて、手に入れた神器は他の神器を差し出せば交換してくれる。そうだよね?」

 

 女神エリスの発言にあなたは同等、あるいはそれ以上の価値の物を積めば交換に応じると答えた。性能には拘らないとも。

 

「そっか……うん、なるほどね……」

 

 腕組みをして唸る女神エリス。

 無論これは相手が女神であるからであって、他の者が相手では時と場合による。というかあなたは基本的に友人と神以外の相手ではよほどの事が無い限り交換に応じる気は無かった。

 キョウヤの時は同じ信仰者として賜った神器を失うという境遇に同情していたという面が大きい。

 

「実はさ、あたしもキミと同じように神器を集めてるんだよね」

 

 暫く悩んだ後、女神エリスは唐突にぽつりと呟いた。

 普通の冒険者ならいざ知らず、彼女は女神という神器を与える側の存在だ。集める意味が分からない。

 

 これが愛剣やくろがねくだきのように常に十全の性能を発揮出来る品なら危険性を案じて回収するのは分かる。

 しかしグラムのような女神エリスの定義している神器は本来の所有者でなければ大幅に劣化してしまう。

 いわば持ってれば嬉しいただのコレクションでしかない。それを集める事に何の意味があるのだろうか。

 まさか女神エリスはあなたのような蒐集癖持ちなのだろうか。

 確かに盗賊をやっているだけあって多少の説得力はあるが、やはり腑に落ちない。

 

「あたしが神器を集めてる理由については……その、あたしが信仰してるエリス様から持ち主のいなくなった神器を回収しなさいって神託を受けたんだよね。神器は弱くなっても使い方によっては悪用出来るものがあって危ないからって。きっとあたしが盗賊だからだと思う」

 

 あなたの疑問に女神エリスは頬の傷を掻いた。

 神器回収の理由は分かったが事情を知っていると非常に反応に困る言い訳である。

 あなたは今の所空気を読んでクリスの正体に言及した事は無いが、もし自身の正体が知られているとバレたら女神エリスはどんな顔をするのだろうか。

 

「それで、依頼を選ばない事で有名なアクセルのエースさんに依頼があるんだけど。時々で良いからあたしの神器集めに協力してくれない? 時期はキミの家のポストに送っておくね。報酬は手に入れた神器。危険な物だった場合はあたしが今まで集めてきた安全な神器と交換で。……どう? 勿論エリス様の許可は貰ってるよ」

 

 正体を隠しているとはいえ女神直々の依頼だ。

 何よりこの話を受ければ神器を手に入れる機会が間違いなく増えるのだから受けない理由は無い。

 しかし何故自分が女神エリスに選ばれたのかだけは知っておきたい所だ。

 キョウヤのような他のニホンジンでは駄目だったのだろうか。

 

「ほんと!? いやあ、実はキャベツ狩りの時からキミに目を付けてたんだよねー。戦闘力だけなら他に幾らでも適任がいるんだろうけど、キミはまるで消えたかのような気配断ちといいスティール以外の窃盗スキルを使ってるとしか思えないキャベツを捕まえる腕といい、スキルも無しに本職の盗賊も真っ青な動きをしてたからこれはいい人材なんじゃないかってずっと思っててね。そこに神器を集めてるって聞いたらいてもたってもいられなくってさ。危険な神器じゃなければ一箇所に集まってても問題無いからこうしてお願いしに来たってわけ。…………勿論エリス様のそうしなさいっていう神託を受けてだけどね?」

 

 とても危ない発言だった。

 女神エリスはうっかり屋な所があるのか、色々な意味でギリギリである。

 

「じゃあそんなわけでよろしくね! ……えっと……共犯者君!」

 

 ニコニコと笑う女神エリスにあなたは思わずちょっと待てと問い詰めたくなった。

 幾らなんでもその呼び名は有り得ない。

 女神エリスは一体自分にどこで何をさせるつもりなのか。

 

「いや、あたしとキミは依頼人と仕事人の関係だし、下っ端君とか助手君って呼ぶのは何か違うと思うんだよね。だから共犯者君で」

 

 この名前の時点で既に軽く予想が付くのだがあなたはあえて何も言わなかった。

 もしかしたらこれはあなたが勘違いしているだけであって、普通にダンジョンに行く可能性もゼロではないからだ。

 

 無論あなたの予想通りだった場合も特に関係ない。

 あなたは泣く子も黙るどころか更に泣き喚くノースティリスの冒険者だ。

 大貴族の屋敷や王族の城に押込み強盗などお手の物であるし核や終末によるテロ行為も場合によっては辞さない。

 

 盗みは見つからなければいいのではない。

 仮に見つかって衛兵を呼ばれても衛兵ごと全てを蹴散らせばいいのだ。

 流石にこの世界では殺しは問題になるかもしれないが今のあなたにはみねうちという相手が絶対に死なない攻撃手段があるのでやりたい放題である。

 

 

 

 あなたはまだ見ぬ数多の神器との出会いに思いを馳せ、心の中でこの素晴らしい世界に祝福をと喝采を送るのだった。




《生きた貯金箱》
 種族は人間。
 通称は店主。
 殺すと所持金の25%を落とす事があるので時々小遣い稼ぎの為に割られる。
 仕様上高額を溜め込みやすいブラックマーケットと土産物屋の店主と魔法書作家がよく割られる。


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第32話 祭りだワッショイ

 己の耳がおかしくなってしまったのだろうか。

 そんな雰囲気が静寂と共に場を支配している、とあなたは感じた。

 

 ポカンと互いの顔を見合わせているあなた以外の冒険者達。

 困惑する冒険者達を見てニコニコと満面の笑みを浮かべているルナ達ギルド職員に嫌味や皮肉といった感情は無い。

 

「……すみません、もう一度お願いします」

 

 誰かが震える声でそんな問いかけを放った。

 そして、その問いかけにルナは嫌な顔一つする事なく、先の発言と全く同じそれを繰り返した。

 

「特別指定賞金首、機動要塞デストロイヤー。討伐賞金は三十億エリスです。今回は全冒険者が大なり小なり活躍しましたので、報酬は全員均等にさせて頂きます。クエスト参加者は百三十五名。ギルドからも報酬を少し足させて貰い、キリのいい所で、参加者全員にお一人二千三百万エリスの支給となります」

 

 ルナの発言に問いかけを行った者がゴクリ、と唾を飲み、そして……。

 

「「「おおおおおおおおおお!!!」」」

 

 ギルド内に歓声が爆発した。

 冒険者達が嬉々として受付の職員の元へと殺到し、多額の報酬を受け取る為に行列を作る。

 無論あなたも同様に。

 

「はい、二千三百万エリスになります。お望みならウィズ魔法店の店主さんの分の報酬も一緒にお渡ししますが、お受け取りになられますか?」

 

 わざわざ二度手間をかける事は無いので貰っておく事にした。

 しかし、参加したベルディアの分の報酬は無いのだろうか。

 今日が報酬の支払日という事で鍛錬を休みにしているのだが。

 

 あなたのそんな質問にルナは若干表情を曇らせてこう言った。

 

「デストロイヤー攻略に参加されていたベアさんの事なのですが、ウィズ魔法店の店主さんと違いベアさんは冒険者資格を所有されていませんでした。ですので大変申し訳ないのですが……ギルド側からは報酬の方が……」

 

 そういう事であれば仕方が無いだろう。

 確かにベルディアは冒険者ではないし、ギルドに登録などしていないし、あなたはこの先も登録させるつもりは無かった。

 

 何故ならベルディアはアンデッドで、更に元魔王軍幹部という人類の敵だ。

 それもアクセルの街で魔法道具店を開いていた人畜無害を絵に描いたようなウィズと違い前線でバリバリ活躍していた高額賞金首。

 冒険者に登録などしようものなら何が起きるか分からない。むしろ普通に素性がバレそうである。

 

 ノースティリスでも依頼を達成してもペットに報酬は無かったのでギルドの裁定に従うのに否は無い。

 だが、作戦に参加しておきながら一人だけ何も無しというのはかわいそうなので、あなたはベルディアの報酬は自腹を切る事にした。具体的には自分の報酬二千三百万エリスを丸々渡すつもりだ。

 ペットを育成する為にペットに資金を渡すのはよくやっていた事だし、依頼三昧の日々で膨れ上がった貯金は相当の額に上っている。

 ウィズの店で放出する事が無くなってしまったので、結果的にあなたの資産は膨らむばかりだったのだ。

 

 思えばベルディアに小遣いを渡した事は一度も無かった。育成中なので毎日が終末だし、ベルディアが何かを欲しがった時は適宜あなたが買っていたので当たり前なのだが。

 顔合わせを済ませた以上これからは外に出かける事も増えるだろう。現金は持たせておいた方がいい。

 

 早速自分の報酬の使い道を決めたあなたはウィズに大金を渡そうと帰宅を始めたのだが、出入り口近くのテーブルで大量のエリスを抱え満面の笑みを浮かべた女神アクアがはしゃいでいるのを見かけた。

 

「二千三百万! どうしよう二千三百万エリスよカズマ! 何を買おうかしらね! ……とかなんとか言いながら実は私はもうこのお金の使い道を考えているのでした!!」

 

 女神アクアは受け取った大金をテーブルに置き、併設された酒場のウェイトレスに飲み物を頼んでいた。流石にこんな時間から酒盛りを始めるつもりは無いようだ。

 

「なあ、アクア」

「どったの?」

 

 首を傾げながら飲み物のストローを口に咥える女神アクアにカズマ少年は片手を差し出す。

 

「お前の報酬を寄越せ。お前がぶっ壊したウィズの店の借金を少しでも返したいから」

「…………」

 

 一瞬で女神アクアから笑顔と目の光が消えた。見ているだけでこちらが悲しくなってくるテンションの下落っぷりである。

 数秒ほど固まった後、女神アクアはそっぽを向いてストローで飲み物を吸い始めた。

 

「あーあーきこえなーい。ワタシニホンゴワッカリマセーン」

「こんっのクソアマ!! めぐみんとダクネスは借金返済の足しにしてくれって報酬全額渡してくれたんだぞ!? つーかお前がぶっ壊したんだからお前が払うのが筋ってもんだろうが!!」

「い、嫌よっ! このお金はちゃんと使い道が決まってるの!! この街の冒険者達がデストロイヤーをやっつけた事は近隣に知れ渡ってるの! それでお金いっぱいの私達目当てに珍しい物を持った商人達がいっぱい来てるの! その中でも私凄いの見つけちゃったのよ! なんとドラゴンの卵を売ってる店があったのよ!!」

 

 カズマ少年に報酬を奪われまいとテーブルのエリスの上に覆いかぶさるようにして防御しながら女神アクアはドラゴンの説明を始めた。

 借金の返済についてはウィズが無利子無担保かつ無期限でいいと言っているが、額が額なので早めに減らしておいた方がいいと思うのだが。

 

「いい? きっと常識もろくすっぽ勉強してないだろうアンポンタンのカズマに私が教えてあげるわ。ドラゴンの卵っていうのはね、それはもう凄く高いの。普通なら億は下らない代物なの。それが売りに出されてるのよ? ドラゴンよドラゴン。ワクワクしない?」

 

 卵一個で億とはこれまた眩暈がしてきそうな話である。

 しかし、ドラゴンの卵とは女神がそこまでして欲しがるほどのものなのだろうか。

 ノースティリスではドラゴンの卵など媚薬をぶつければ幾らでも手に入るので、あなたにはそこら辺の感覚がイマイチ分からなかった。

 何よりドラゴンなど終末で呼べば一山幾らといった勢いで無尽蔵に湧くのでそこら辺の野良猫の方がまだ新鮮味がある。

 

「……その卵、幾らするんだ?」

「今回のクエストで冒険者達が受け取った報酬全額と引き換えでいいんですって! 何でそんな値段にするのかって聞いたら、前途ある冒険者達にドラゴンを育ててもらって、魔王との戦いに備えて欲しいからそんな破格で売ってるんですって! これはもう買うっきゃないと思わない!?」

 

 カズマ少年が女神アクアに掴みかかった。

 気持ちはとてもよく分かる。女神アクアは折角の大金をドブに捨てようとしていた。

 ウィズの友人であるあなたとしても、そんなものを買うくらいならばウィズの店の借金返済に充てて欲しいというのが正直なところである。

 

「あからさまに詐欺じゃねえかふざけんな!! いいから寄越せ!! あんまりワガママばっかり言うようならマジでお前のビラビラをかっぱらって売り払うからな!!」

「わあああああああああああああああああーっ!!」

 

 若干女神アクアが不憫になったが、これは彼らのパーティーの問題であり全く無関係ではないとはいえ、あなたが口を出すべき話ではないだろう。

 あなた個人としてもウィズの資産が増えるのは喜ばしい。

 なのでせめて奉納する酒だけは立派なものを選ぼうと、あなたは泣き喚く女神アクアにこっそりと誓った。

 

 

 

 

 

 

 報酬の二千三百万エリスを前にしたウィズは目をキラキラと輝かせて喜んだものの、流石にいつぞやのように卒倒はしなかった。

 

「これだけあれば結構な数の商品を仕入れる事が出来ます! こうしちゃいられません、早速このお金で珍しい物を仕入れに行かないと!」

 

 商魂逞しいウィズは祭の出店に多大な期待を寄せているようだ。

 あなたとしてもウィズの店が半壊して以来、久しぶりに珍品の数々を手に入れる機会に心を躍らせていたりする。

 偶然か、あるいは商人たちは冒険者達にクエスト報酬が振り込まれる日を知っていたのか、アクセルは今日からが本格的な盛り上がりを見せているようである。

 

 外の騒がしさにふと窓の外を見ると、子供達や近所の者が楽しげにどこかに駆けて行く姿が見えた。

 

「あの……あなたはこの後に何か予定が入ってたりしますか?」

 

 どこか緊張している様子のウィズにあなたは首を横に振った。

 誰とも会う約束はしていないし、ギルドで報酬を受け取ってそのまま帰ってきたので依頼も受けていないのだ。

 このまま街中に繰り出そうかと思っていたところである。

 

「じゃあ、えっと……もし良かったらですけど、私と一緒にお店を見て回りませんか?」

 

 自分でよければ喜んで付き合うとあなたは笑った。

 友人と祭を見て回るのはきっと楽しい筈だ。

 花開く、と形容出来そうなウィズの笑顔を見て、あなたは祭への期待に胸を膨らませるのだった。

 

 

 

 

 

 ちなみにベルディアは賞金を渡されると

 

「べ、別に嬉しくなんてないんだからなっ!!」

 

 と無言で腹部を殴打して臓物をぶちまけたくなる台詞を吐いて出て行ってしまった。

 台詞はともかく喜んでくれたようで主人としては何よりである。

 

 

 

 

 

 

「うわあ、本当に色んなお店がやってますね」

 

 あなた達が街で最も賑やかになっている区画に繰り出すと、そこはやはりお祭り騒ぎになっていた。

 見た事の無い食べ物を扱っている露天商やフードを被った怪しげな店主が魔道具を売っている店。

 パフォーマーが路上で芸をやっておひねりを貰っていたりもする。

 

 更にあちこちで冒険者と思わしき見覚えのある者達の姿もちらほらと見かけている。

 

 ノースティリスの冒険者と同じくこの世界の冒険者も刹那的に生きる傾向があり、金使いも荒い。

 しかし、この世界の冒険者は様々な街で活動する為に、基本的に自宅などの特定の拠点を持たず、日々を宿で過ごしている。

 

 あなたも重宝しているテレポートの魔法を使えれば一箇所に腰を据えるのも楽なのだが、テレポートを習得可能な職業は少なく、その高い利便性に比例した習得難易度から実際に習得している者は更に少なくなる。

 

 死ねば終わるのだから貯め込んでも無意味だとばかりに、彼らは依頼で稼いだ金を家ではなく酒や装備、魔道具の為に放出するのだ。

 家を買う冒険者などテレポート持ちやカズマ少年のようなごく一部の例外、あるいは様々な理由で冒険者を引退した者くらいである。

 こういう細かい所にも互いの世界の技術の違い、そして死ねば終わりという命の価値の重さが現れていると言えるだろう。

 

 それはデストロイヤー討伐の報酬を受け取ったアクセルの冒険者達も例外ではなく、彼らもまた今回の報酬を酒や装備に還元している。

 そんな冒険者達に期待して商売人たちが集まるのは当たり前といえば当たり前の話だった。

 

 そして、金使いが荒いといえばあなたの横にもう一人。

 

「あっ、ちょっとアレを見てください!」

 

 ウィズが指を指す方向に目を向ければ、露店の一角にぽつんと佇む一つの店が。

 店主と思わしき黒髪の無精髭を生やした壮年の男性はやる気無さげにキセルを吹かしており、とてもではないが商売人といった感じには見えない。

 並べている商品は拳大のマナタイト結晶が二個。

 ゆんゆんが持ってきたマナタイト結晶よりも更に強い魔力を感じる。

 

「最高純度のマナタイト結晶ですよ! まさかこんな所でお目にかかれるなんて……!」

 

 言うが早いか、ウィズは露天に駆けて行ってしまった。

 

「店主さん、これお幾らですか?」

「ん? ああ……買うなら一個一千万エリスだ。びた一文まからんぜ」

「びた一文?」

「簡単に言やあ、俺の国で一エリスも値下げしないって意味だ」

 

 一千万エリス。

 一個一千万エリスである。

 この二個買っただけで今回のクエストの報酬のおよそ九割が吹き飛ぶ額である。

 あなたには市場価格など分からないが、質次第で小さな石程度の大きさでも数百万エリスで売れるらしいので一応お買い得と言えるのだろうか。

 

「とんでもない! お買い得なんてものじゃありませんよ!?」

 

 店主は気まずそうに目を逸らしながらぼりぼりと頭を掻いた。

 

「ここだけの話、最低一千万で売れってカミさんに言われてるんだわ。さっさと売って家に帰りたいからこの値段で売ってるんだ。こんな時期に露店とか寒くてかなわん」

「二つとも買います!」

「あいよ、まいどあり!」

 

 両者とも嬉々として商談を終え、店主は本当に帰りたかったのか早速店じまいを始めてしまった。

 これでカミさんにどやされないで済むぜ、なんて笑いながら。

 商売人というよりは職人といった風貌の男性だった。

 

 掘り出し物を見つけてご機嫌なウィズと共に散策に戻る。

 珍しく鼻歌まで歌うくらいなので相当なのだろう。

 

「これ程のマナタイト結晶なら一つにつき千五百万エリス……いえ、もっと高い値段を付けてもボッタクリにはなりません。これならきっとあなたも喜んでくれますよね?」

 

 仕入れる品に難がありすぎるだけで、ウィズの目利き自体は確かである。

 きっとその額でも売れるといえば売れるのだろう。

 しかし、ニコニコと問いかけてくるウィズに少し落ち着いて欲しいとあなたは諌めた。

 自覚は無いようだが、ウィズは今とてもおかしな事を言っている。

 買うのはいいのだが、まさかそんな理由で買ったとは思わなかった。

 ウィズの商才の無さは本当に底知らずである。

 

「買ってくれないんですか……? 本当にいい品なんですよ?」

 

 しゅんとするウィズ。

 買いたくないわけではないが、それはそれ、これはこれだ。

 欲しいのならばこの場で自分で買えば良かったのである。

 同額ならまだしも、何故わざわざ同居中で更に現在行動を共にしているウィズから高値で買い直さなければならないのか、これが分からない。

 これではウィズに数百、あるいは数千万エリスの現金を直接渡すのと何も変わらない。

 

「え? あっ……確かにそうですね……折角掘り出し物を見つけたと思ったんですが……」

 

 言われて気付いたとばかりにウィズは苦笑してしまった。

 あなた以外の客に売るという選択肢は無いらしい。

 

「今はお店が無いですし……そもそもあなたもよく知っている通り、お店が無くなる前からお客さんはあなたしかいなかったですし……」

 

 同居している事といい、ウィズはいよいよ自分専属の魔法道具屋になってきたかもしれないとあなたは感じた。まるでノースティリスの自宅のようである。

 とはいってもこれはウィズの家と店が復旧するまでの話だろうが。

 ウィズの家が直るのは紛れもない吉事なのだが、あなたはどういうわけかそれが少しだけ残念に思えた。

 

「で、でもきっとお店が直ったら買ってくれるお客さんがいますよね! なんたって最高品質のマナタイト結晶なんですから!!」

 

 確かに売れるのだろう。

 アクセルが駆け出し冒険者の街でなければ。

 

 ところでそのマナタイト結晶を一個でいいので一千万エリスで売ってほしいと言ったらウィズはどうするのだろうか。

 

「え、あなたも買いたかったんですか? なら言ってくれれば良かったのに」

 

 言う前にウィズが一瞬で商談を終えてしまったのだ。

 ちなみに買うのはちゃんとした理由があり、報酬を一瞬で吹き飛ばしたウィズに同情したからではない。

 

「あの、何に使うのか聞いてもいいですか?」

 

 話すのはいいのだが、その前に確認しておきたい事があった。

 このマナタイト鉱石でアクセサリーなどの装備品を作ろうとした場合、それは今のウィズでも満足のいく品になるのだろうか。

 

「それは勿論ですよ。なんたって一個あれば家を建てられる最高品質のマナタイトですからね。これを使って作る装備品より上の物なんてそれこそ神器くらいなものですよ」

 

 十分使用に堪える代物らしい。あなたはマナタイト結晶を売ってもらう事にした。

 結晶の一つと千万エリスを交換しながらウィズに己の意図を話す。

 

 あなたはこのマナタイト結晶を竜鱗装備を作ってもらった工房に持ち込んで、ウィズの装備品を作ってもらうつもりだったのだ。

 

「わ、私のですか!?」

 

 デストロイヤー攻略の時に思ったのだが、ウィズは他の魔法使いのように杖や魔道具を装備していない。

 リッチーであるウィズは何も使わずとも十二分に強いだろうし実際に強かったのだが、それでもあなたは気になってしまったのだ。

 

「それは……私は現役を引退してるわけですから。当時使っていた装備は仲間にあげちゃいましたし」

 

 大方そんな所だろうとは思っていた。何しろ街の危機に何も使わないくらいなのだから。

 ノースティリスから強力な杖を持ち込んでいればウィズに渡していたのだが、刀剣類以外の武器は使うと愛剣がストを起こすので持ち込んでいない。

 この世界に来る前に探索していた場所で手に入る、狂気の杖と呼ばれる魔法の威力を強化する神器を拾っていればと思う事頻りである。アレは幾らでも手に入るし、ウィズはアンデッドなので相性も良かった筈だ。

 

 しかし、無いものは無いのでどうしようもない。

 故にあなたはウィズの装備を用意するつもりなのだ。

 

「……一応聞いておきますけど、もし無くても私は大丈夫ですって言ったら止めますか?」

 

 ウィズが自分で最上級の装備を調達出来ると言うのならば多少は考えるが、まあ無理だろう。

 どれだけの資金が必要になるのかという話である。

 であれば止めるわけが無い。食料を供給したのと同じように、これはウィズの為でもあると同時にあなたの為でもあるのだから。

 ウィズがこの先一度も戦線に立たないというのなら話は別だが、ウィズはあなたに力を貸してくれると言っている。つまり戦う可能性があるのだ。

 例えウィズがリッチーであったとしても、助力を要請する側として装備を用意しない理由は無い。

 大体にして。自身に助力してくれると言っている友人に、少しでも楽をしてもらう為にいい物を装備してもらいたいと思うのは間違っているのだろうか。異論があるのならば聞くが。

 

「……ありません。ええ、あるわけが無いじゃないですか……私がとってもとっても心苦しいという点に目を背ければの話ですけど」

 

 先にも言ったとおりこれはウィズの為であるのと同時にあなた自身の為でもある。

 どうしてもと言うのなら装備品は必要に応じて貸すだけに留めておくが。

 

「是非ともそっちでお願いします。もし私しか使わないのだとしても譲渡と貸与では相当の違いがありますから。主に私に与える心理的影響に大きな差が出ます」

 

 真顔での即答だった。

 本人も言っている通りどうせ使うのはウィズしかいないだろうし、そもそもウィズ以外に使わせる気も無いがまあいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 あなたとウィズはそれからも様々な露店を見て回って思い思いに買い物をしていたが、ふと一際目立つ人だかりを発見した。

 特筆すべき点としてギルドでよく見かける、つまり冒険者達が集まっている事が挙げられる。それも前衛の屈強な男ばかりが。

 

「やけに人が集まってますね。何をやってるんでしょうか」

 

 気になったあなた達が人だかりに近付くと、露天商と思わしき男が声を張り上げた。

 

「さあ、次の挑戦者はー! 次の挑戦者はいませんかー!?」

「おし、次は俺が行くぜ!!」

 

 威勢よく前に躍り出たのはガタイのいい大男。

 普段着とはいえ前衛職なのは素人の目にも明らかだ。

 

 そんな彼は、露天商が用意した大型のハンマーを持つと、地面に向けて勢いよく振り下ろす。

 

「だあああああああああああ!!!!」

 

 気合い十分な掛け声と共に振り下ろされたハンマーの先には何かの石があった。

 ハンマーが石に叩き付けられ、大きな音とともに小さな火花が飛び散るも、石は無傷のまま。

 

「くそっ、滅茶苦茶硬え……」

 

 男は悔しそうに引き下がり、露店商は再び大声で呼び込みを始めた。

 

「残念、今回のお兄さんも無理でした! さあ次の賞金は二十四万エリス! 参加費は一万エリスだよ! お客さん一人が失敗する毎に五千エリスが賞金に上乗せされます! 腕力自慢はいませんか!? 魔法を使っても結構です! これを破壊出来る人は一流冒険者を名乗っても良いくらいの硬度を持つ、あの有名なアダマンタイト! さあ、ご自分の腕を試してみたいと思いませんか!?」

 

 あなたもよく知る形の出し物を行っていたらしい。

 ノースティリスでもああいう腕試しはよく行われていた。

 ちなみにあなた達は出禁を食らっている。

 

「アダマンタイト鉱石ですか。小さいけどちょっと勿体無いですね」

 

 露店商曰く魔法なら使っていいらしいので、ウィズなら行けるのではないだろうか。

 爆裂魔法ならば余裕だろう。

 

 あなたの言葉にウィズは

 

「爆裂魔法はやりすぎですよ。爆発……いえ、炸裂魔法でも十分すぎます。でも私はほら、ちょっとワケ有り(リッチー)じゃないですか。だからこういう催し物に参加してお金を貰うのは何かちょっとズルい気がするんですよね……」

 

 そう言って苦笑する。

 

 いわゆるレギュレーション違反というやつだろうか。

 愛剣や神器を使ってアダマンタイト鉱石を破壊するようなものだ。

 しかし、露店商は魔法で破壊していいと言っているので、ウィズは気にしすぎだと思うのだが。

 

 あなた達がそんな事を話している間に、いつの間にか賞金は三十万エリスを超えていた。

 騒ぎを聞きつけた観衆もどんどん増えていき、露店商は更に場を盛り上げるべく声を張り上げる。

 

「この街の冒険者には、アダマンタイトは荷が重かったでしょうか! 機動要塞デストロイヤーをも倒したと聞き、わざわざこの街にやって来たのですが? さあ、このまま誰にも破壊出来ずに終わってしまうのでしょうか! さあ、さあ、さあっ……! 我こそはと名乗りを上げる挑戦者はいないのかっ!?」

 

 露店商の煽りじみた口上がいよいよ絶好調になる中、冒険者達は互いに突き合い押し合っている。

 

「お前が行けよ……」

「いやいや、お前が行けよ」

 

 どうやら誰も行かないようだ。

 折角なのであなたはアダマンタイト破壊に挑戦してみる事にした。

 愛剣や神器を使えば一撃で真っ二つだが、さてどうなる事か。

 

「行くんですか? 頑張ってくださいね」

 

 ひらひらと手を振って応援してくるウィズに応えて、あなたは人混みを掻き分けて前に出た。

 友人の期待には応えねばなるまいと気合いを入れる。

 

 そして、あなたが前に出た瞬間、周囲の冒険者達が一斉に真顔になったかと思うとすぐにニヤニヤと露店商を声もなく笑いだしたものの、露店商は口上に夢中で気付いていないようだ。

 

「おおっと、新たなチャレンジャー登場です! 今度こそ行けるのかー!?」

 

 あなたは露店商に一万エリスを渡し、ハンマーを受け取る。

 金属製の大きなハンマーを片手で軽々と持ち上げるあなたに周囲の見物人が一歩引いた。

 ところでこのハンマーを壊した場合は弁償しなければならないのだろうか。

 

「いえいえ、まさかそんな! もし万が一、億が一破損する事があっても御代は結構ですとも! ですがこのハンマーはとても頑丈なのでそのような心配はご無用です!!」

 

 なるほど、それなら安心である。

 あなたはニヤリと笑い、ブンブンとハンマーを勢いよく振り回す。

 ハンマーが巻き起こす風圧に何故か露店商の笑顔が引き攣り、周囲の冒険者達が一斉にあなたから更に離れ始めた。すっぽ抜けるようなヘマはしないので安心してほしい。

 

「誰もそんな心配はしてねえよ!?」

「ストッパーの店主さんはどこに行った!?」

「笑顔でハンマー振り回すお前が普通に怖いんだよ!!」

 

 誰かの叫びに全員が首を縦に振った。

 ちょっとしたパフォーマンスのつもりだったのだが、皆はお気に召さなかったようだ。

 

 あなたは気を取り直して息を大きく吸い、ハンマーを構え……呼気と共に振り下ろした。

 

 気合一閃。技巧の無いただひたすらに力任せの一撃は、長年の戦闘により培われてきた経験と直感により確かにアダマンタイトをハンマーの真芯で捉える事に成功した。

 

 凄まじい速度で振り下ろされたハンマーが地面に置かれた鉱石に叩きつけられた瞬間、爆裂魔法の如き耳をつんざく轟音が響き渡り、一瞬だけ大地がぐらりと揺れた錯覚をあなたは覚えた。

 あれだけ騒がしかった祭の喧騒はぴたりと静寂に包まれ、何事かと辺り一帯の全員の視線と意識が鉱石壊しの露店に集中する。

 

 あなたがハンマーを除けると鉱石は粉々に砕け散っていた。

 しかし、ハンマーを振り下ろした先の地面は見事に陥没し、露店商が用意したハンマーは衝撃に耐えきれなかったのか、最早使い物にならないレベルにまで破壊されてしまっている。

 地面とアダマンタイトはともかく用意した道具がこのザマというのは少し脆すぎではないだろうか。

 とりあえず露店商がいいと言っていたので、ハンマー代を弁償する気は無い。

 

 あなたが壊れたハンマーを地面に放り捨てると同時に冒険者達がワッと歓声を上げた。

 ウィズの方を見ればあなたの名前を呼んでパチパチと拍手を送ってくれている。

 ウィズを含む見物人にとっては中々面白い見世物になったようだ。

 

「ドンマイおっちゃん!!」

「ほんとにアイツは頭がおかしいな!」

「つーか店主さんも一緒じゃねえか爆発しろ!」

 

 ギャラリーの一人である屈強な冒険者――先ほど破壊にチャレンジして失敗していた――があんぐりと口を大きく開ける露店商の肩を叩き、げらげらと笑った。

 

「残念だったなおっちゃん。コイツは街で噂の頭がおかしいエレメンタルナイトだよ」

「頭がおかしい事で王都でも有名なあの!?」

「そう、あの頭のおかしい奴だ。運が悪かったな」

 

 どうでもいいがどいつもこいつも頭がおかしい頭がおかしいと連呼しすぎである。喧嘩を売っているのなら買うが。

 とりあえず鉱石は破壊したから賞金を寄越せとあなたが強請れば、露店商は肩をガックリと落としながら、あなたに数十万エリスを渡してきた。こうしたお遊びで泡銭を入手するのも祭の醍醐味である。

 

 興奮冷めやらぬといった中、人だかりが散っていき、あなたもウィズと共にその場を離れる。

 

「くっ……出遅れましたか……! カズマがノロノロしてるせいで頭のおかしいのに先を越されちゃったじゃないですか!」

「俺としては無駄な被害と借金が増えなくて良かったと思ってるんだけど。つーかお前一人で先に行けばよかっただろ」

「それじゃ楽しくないじゃないですか!!」

 

 視界の端でとても見覚えのある紅魔族の爆裂狂が地団駄を踏んでいたが、あなたは見なかった事にした。きっとこの露店を知った彼女は、爆裂魔法で鉱石を吹っ飛ばすつもりだったのだろう。

 

「お疲れ様です。店主さんにとってはちょっとした災難でしたね」

 

 たかだか自己強化魔法も使っていない全力の一撃で駄目になるような脆いハンマーを用意していた露店商側に問題があるのではないか。

 どうせ駆け出し冒険者に破壊される事などありはしないと、タカを括っていた様子でもあった。あんな商売をやっていたのだからこうなる可能性くらい思い当たっておくべきだろう。

 

 さて、それはさておき折角泡銭が手に入ったので、あなたは思う存分放蕩する事にした。

 祭で手に入れた金なのだし祭で使い切ってしまえとばかりに、あなたはウィズを食い倒れツアーに誘う。勿論あなたのおごりである。

 今しか飲み食い出来ない物も沢山あるだろう。あなた達はこの機会を存分に楽しむ事にした。

 

 

 

 

 リンゴ飴、たこ焼き、イカ焼き、お好み焼き、わた飴。

 あなた達は出店で気になった謎の料理を買い漁った。全部はウィズが食べきれないので二人で一つを分け合って。

 各店の店主曰くどれもこれもニホンジンがこの世界に伝えた祭用の料理や菓子らしい。

 

「凄く不思議な食べ物ですね、これ。ふわふわの雲みたいで。甘くて美味しいんですけど」

 

 ベンチに座り、二人でわた飴をもしゃもしゃと食みながら感想を言い合う。

 味から砂糖で作られた菓子というのは分かるのだが、ニホンジンは何を考えてこんな物を作り出したのか。皆目見当も付かない。

 あなたの買ったわた飴は二人の魔法使いが風の魔法と火の魔法を使って器用に作っていたのだが、本来は魔法無しで作るのだという。

 砂糖だけでこんな物を作り出すなどニホンジンはノースティリスの冒険者以上の変態の集まりに違いない。それでなくともこれは見て楽しい、食べて楽しい菓子だ。

 

「たこ焼きとイカ焼きの違いも変ですよね。イカ焼きはそのまんまイカの丸焼きなのに、どうしてタコ焼きはタコの足が入った丸い食べ物なんでしょうか? どっちも凄く美味しかったですけど。あとお好み焼きとたこ焼きの違いもよく分かりませんでした。これ形とキャベツがあるか無いかの違いしかないですよね」

 

 そこら辺は今度カズマ少年かキョウヤに聞いてみるとしよう。

 どちらもニホンジンなのだしきっと知っている筈だ。

 

 しかし、わた飴だけでなく、こんなものが食べられるとは思っても見なかった。

 街が破壊されてしまえばこうはいかなかっただろう。

 

「…………そうですね」

 

 あなたの言葉を受けたウィズは愛おしそうに町並みを眺めている。

 護りたかったものを護れたという感慨に浸っているのだろう。

 この穏やかなウィズの表情を見る事が出来ただけでも身体を張った甲斐があるというものだ。

 実際に身体を張った理由はデストロイヤーの設計図を入手するためなのだが、これは言わぬが花というものだろう。世の中には知らない方がいい事もある。

 

 暫し無言で人々を眺めていたあなた達だったが、ウィズが唐突に声を上げた。

 

「……あれ? もしかしてあそこにいるのってゆんゆんさんじゃないですか?」

 

 ウィズが指の先にある射的の露店の前でウロウロしている黒髪の少女は確かにゆんゆんだ。

 矢尻を丸くした本物の弓矢を使った射的を楽しんでいるのは若い男女が多く、男性が獲得した景品を女性に渡している。

 景品は女性用のアクセサリーやぬいぐるみといった女性用の物が大半なようだ。

 

「もしかしてゆんゆんさん、一人なんでしょうか?」

 

 その可能性は非常に高い。

 何しろ相手はあのゆんゆんだ。

 めぐみんはカズマ少年と共に行動していたし、あなた達の他に祭を回るような友人がいるという話は聞いていない。

 

 ゆんゆんは二人組ばかりの中、一人で射的をするのが恥ずかしいのか、他の客がいなくなるのをじっと待ち続け、客足が途絶えた瞬間を見計らい、ようやく射的に挑戦する。

 しかし、近接はともかく射撃の技術はお粗末なようで、何度やっても景品には当たっていない。

 何度も金を払い挑戦するものの、やがて他の客がやってきて射的を始めるとゆんゆんは店主に弓を返し、恥ずかしそうに立ち去ろうと……。

 

「……私、もう見てられません!!」

 

 妹分のあまりにも惨めな姿に耐え切れなくなったのか、涙ぐんだウィズは突然ベンチから立ち上がると射的の露店に向かっていった。

 とりあえずあなたはベンチから動かずに、どうなるか成り行きを見守る事にした。

 

「ゆんゆんさん!」

「あっ……!」

 

 ウィズを見た瞬間、ぱあっと表情を明るくさせるゆんゆん。

 同時にあなたにも気付いたようなので手を振っておく。

 

「ゆんゆんさん、ここは私に任せてください」

「……えっ、あの、本当にいいんですか?」

「勿論です。これでも元冒険者ですから」

 

 自信満々に店主に金を支払って弓矢を受け取るウィズ。

 彼女の堂に入った構えは元凄腕冒険者の名に恥じぬ立派なものだった。

 これは期待出来そうである。

 

「疾っ!」

 

 完璧な姿勢から放たれたアーチャー顔負けの見事な一矢。

 

 しかし、勢いよく飛んでいく矢は、標的に当たるどころか明後日の方向に飛んでいってしまった。

 あなたは射的の屋台の空気が死んだのを理解した。

 これは期待できそうである。さっきとは別の意味で。

 

「あれっ?」

「…………」

 

 予想外の結果に首を傾げるウィズを、何とも言えない表情で見つめるゆんゆん。

 店主もゆんゆんもどうするんだこれと言わんばかりの雰囲気である。

 ゆんゆんがちらりとあなたに視線を送ってきたがあえて無視する。

 

「こ、こんな筈では……もう一回、もう一回いきます!」

 

 外れ。

 

「もう一回!」

 

 はずれ。

 

「もう一回です!」

 

 ハズレ。

 

「次こそは!」

 

 HAZURE。

 

「くっ……中々手ごわいですね……! 引退前の最後の決戦を思い出します……!」

「あの、ウィズさん、私はもういいですから……」

「次です、次こそは絶対に取ってみせますから! やっとコツが分かってきたんです!」

 

 ムキになってしまったのか、ゆんゆんの制止を聞く事無く射的を続けるウィズ。コツが分かったと言い張りながらもやはり矢は景品に掠りもしない。

 凄腕アークウィザードの才媛は射撃が下手糞で、更に絶対にギャンブルをやってはいけない人種だった。

 

 あまりのカモっぷりに店主は苦笑。

 ゆんゆんはおろおろとウィズとあなたを交互に見る。

 そして、可愛らしい同居人の突然のぽんこつな所に、あなたの頬は緩みっぱなしである。

 

 このまま眺めているのもいいか、とあなたはベンチから動かないままウィズを見守り続けた。

 

 

 

 

「…………」

「……あ、あの、私はウィズさんの気持ちだけで十分嬉しかったですから……」

 

 十分後、かなりの回数チャレンジしたにも関わらず、一発も当てられずに心をバッキバキに折られて終わったウィズの姿がそこにあった。

 ここまで来ると逆に凄いと、あなたも店主も逆に感心してしまうレベルである。

 魔法関連に関しては凄まじい才能を見せ付けているのに、何故射撃になるとこうもぽんこつなのか。

 そんなウィズは救いを求めるようにベンチに座るあなたに熱い眼差しを送ってきた。

 派手に啖呵を切った手前助けてくださいとは言いにくいのだろう。

 あなたは何も言わず、ただ満面の笑顔でサムズアップを決めた。頑張れ。

 

「そんなっ!?」

 

 冗談である。

 ゆんゆんからもずっと何とかしてくださいという視線を送られ続けていた事だし、一頻り楽しんだあなたは重い腰を上げる事にした。

 

「ううっ……もっと早く来てくださいよエレえもん……」

 

 ウィズ太ちゃんが自分で頑張ると言ったので、あなたはあえて見守っていたのだ。少なくとも最初は。

 途中からは別の理由で見守っていたのは否定しない。

 

「看板にも書いてますが、アーチャーと狙撃スキル持ちはお断りですぜ……いやまあ、この二人の連れなら別にアーチャーだろうが狙撃スキル持ちだろうが構いやしませんがね。見てて不憫になってきた」

 

 料金を受け取った店主の忠告に問題ないとあなたは頷いた。

 あなたはアーチャーではないし、狙撃スキルも持っていないのだから。

 射撃スキルと弓スキルは鍛え上げているが言う必要は無い。

 

 それで、ゆんゆんが欲しいのはどの景品なのだろうか。

 

「えっと、あれ、なんですけど……大丈夫ですか?」

 

 ゆんゆんがおずおずと指差した先にあったのは冬将軍に酷似した真っ白なぬいぐるみ。

 というかこれは冬将軍そのものではないのだろうか。

 

「はい、冬将軍です」

 

 ……いや、ゆんゆんがいいと言うのならば別にいいのだが。

 ある意味あなたとゆんゆんの思い出の相手と言えなくもない。

 ウィズにおける玄武と同じように。

 

 そして、あなたが無造作に放った矢は一発で冬将軍のぬいぐるみを撃ち落とす事に成功した。

 弓はあなたの主な遠隔武装でないとはいえ、この程度ならば造作も無い。目を瞑ったままやっても一瞬で店じまいにする事すら余裕である。

 

 ウィズは彼我のあまりの射撃の腕の差にうちひしがれ、ゆんゆんに至っては狙っていたぬいぐるみを渡されて喜ぶどころか心底安堵の表情を浮かべていた。

 ついでなのであなたは残りの矢で玄武と思わしき巨大な亀のぬいぐるみや全身鎧の人形、エリス神の人形を撃ち落とす。

 ちなみに女神アクアを模した景品は無かった。アクシズ教徒に根こそぎ持っていかれたらしい。

 

 

 

 

 

 

 時刻は夜手前の夕暮れ。

 射的の後、ゆんゆんを加えて三人で祭を堪能したあなた達だったが時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。

 アクセルの祭はまだ暫くの間続くだろうが、今日の所はどこも店じまいを始めているだろう。

 

 ゆんゆんは既に宿に戻り、ベルディアは今もどこかに出かけたまま。

 自宅にはあなたとウィズの二人きりである。

 思えば今まではシェルター内とはいえ、毎日ベルディアが居たので、自宅に二人というのはこれが初めてであった。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 帰宅後暫くは談笑していたあなた達だったが、遊び疲れたのかウィズはいつの間にか隣に座るあなたの肩に寄りかかって眠ってしまっていた。

 気持ち良さそうに眠っている彼女を起こすのも気が引けるとあなたは自分の上着をかけ、そのままソファーでウィズが起きるのを待っている最中である。

 

「ん……」

 

 しかしウィズはまるで起きる気配を見せない。

 ベッドまで運ぼうにも寝ぼけたウィズが、あなたの腕に硬くしがみついているのでどうにもならない。

 

 動きも取れず本も読めない。このまま一人でベルディアの帰宅を待つのも退屈なので、あなたはウィズを見習って仮眠を取る事にした。

 

 そうして気を抜いた瞬間、あなたにも眠気が襲ってくる。

 どうやら気付かない内に疲労が溜まっていたらしい。

 心身共に安らいでいるのも大きな理由だろうが、珍しい事もあったものである。

 

 あなたは静かに目を瞑って心地よい睡魔に身を任せる事にした。

 

 

 

 

 

「……ずっと、一緒に……」

 

 

 

 

 

 あなたが眠りに落ちるその瞬間。

 隣からそんな声が聞こえた気がした。



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第33話 頭のおかしいエレメンタルナイト

『魔王軍襲撃警報、魔王軍襲撃警報!』

 

 ある日の朝、王都中に響く大音量のアナウンスを聞いてあなたは盛大に舌打ちした。

 何故よりにもよってこのタイミングで来るのか。

 最悪である。魔王軍にはもう少し空気を読んで頂きたい。

 

『騎士団は出撃準備! 今回の襲撃は規模が大きいため、王都内の冒険者各位にも参戦をお願い致します! 高レベルの冒険者の皆様は、至急王城前へ集まってください!』

 

 静かだった外は急に騒がしくなり、警報は未だ鳴り止まない。

 あなたはとある事情の為に数日ほど王都中を駆け回り、満足のいくクオリティの品を売っている店をようやく見つけ、今まさに商品を買おうとしていたのだ。

 そのタイミングでまさかのこれである。

 

 寡黙な店主はあなたに何かを言う事無くあなたが買おうとしていた商品を引っ込めてしまった。

 襲撃が終わってから改めて来い、という事らしい。

 あなたが商品の取り置きを頼むと店主は黙って頷いた。

 

 さっさと終わらせて買い物をしなければ。

 あなたは意を決して王城へと向かうのだった。

 

 

 

 あなたが王城前に辿り着くと、そこには重装備で身を固めた騎士団が整列しており、更に王都で活動している数多の冒険者で溢れていた。あなたも今までに何度か見た光景だ。

 カズマ少年のようなニホンジンと思わしき黒髪黒目の冒険者も数多く存在しており、かつてはキョウヤもこの中の一員だったのだろうが彼はアクセルの街で修練中、最近になってようやくアクセルの街を発ったらしい。

 久しぶりにグラムを手にした事により何かしら思うところがあったようだ。

 あなたとしては代替の神器が手に入れば後はどうでもいいのでキョウヤには是非とも頑張ってほしいところである。

 

 さて、魔王軍と人類が戦争をしているこの世界だが、人類側の戦況はあまり……非常に良くない。

 王族の住む国の中心が侵攻を受けている時点で終わりかけているのでは、と異世界人のあなたから見ても危険域である。

 今回のような王都への魔王軍襲撃は初めてではない。むしろ頻繁に行われているしあなたも何度か迎撃に参加している。

 

 まあノースティリスの王都パルミアは核や終末やその他諸々で頻繁に更地になっているのだが。

 王都のガードのレベルは相当に高いがそれでもなお更地にされる。

 

 こう考えてみるとパルミアは詰んでいるとかそういうレベルではない。

 狂気度が上がりそうだがそれでもパルミアは問題なく運営されている。

 この国の王侯貴族は少しノースティリスの貴族のバイタリティを見習ってみてはどうだろうか。

 

「…………」

「…………」

 

 そんな事を考えていると、いつからか周囲の冒険者の多くがあなたに注目していた。

 日頃アクセルの冒険者達から向けられている、呆れが多分に交じったものとは全く違う質の視線。

 あなたや友人達がノースティリスで散々味わってきた視線に込められた感情は警戒、あるいは畏怖。

 何故異世界くんだりまで来てこんな目で見られねばいけないのかと思わないでもないが一応理由は分かっている。

 

 王都で活動する際、最初の内はアクセルでそれなりに名の知れた冒険者という事で所詮は井の中の蛙、雑魚専と侮られたり煽られたりしていたあなただったが、上級職揃いのパーティーでも死闘になり、ソロでは確実に死ぬと言われている高難易度の討伐依頼ばかりをこなし続ける内にいつからかこのような事になってしまっていた。

 あなたのようにソロで活動している冒険者は決していないわけではない。

 だが依頼の難易度と依頼達成率100%という数字と受注頻度が問題視されているようだ。

 

 かといってあなたは自重する気は全く無かった。

 この国の中心である王都はヒトやモノの数に比例して様々な種類の依頼で溢れ返っており、わざわざ酒場のキッチンに立ったり外壁の拡張工事に行ったり迷子の子猫を探したり露店の売り子に立つ理由は無い。アクセルと違って制限も無いので討伐依頼は受け放題なのだ。

 

 そう考えると紛う事なき自業自得ではあるのだが、あなたは誰かと恒常的にパーティーを組む気は一切無かった。

 前衛要員が必要な時は終わらない終末を過ごし続けて大分仕上がってきているベルディアがいるし、後衛には言わずと知れたウィズがいる。

 贅沢を言えば後一人、回復役が欲しいのだがこのベルディアもウィズもアンデッドだ。

 この世界のプリーストでは二人を回復させる事が出来ない……が、助力を必要とする機会に恵まれていない今は考えても詮無い話だろう。

 

 それはさておき頭のおかしい奴扱いだけは何とかしたいものである。

 アクセルでもそうなので半ば諦めているが、考えるくらいならタダだ。

 

「頭のおかしいエレメンタルナイトだ……王都に来てたのか」

「相変わらずソロってやっぱり頭おかしいわね」

「おい新人、死にたくなかったら絶対目ぇ合わせるなよ。アイツに絡んだ奴は良くて再起不能、殆どは死ぬって有名なんだ」

 

 これはもしかしてイジメなのだろうか。

 どこに行っても付き纏う異名に軽く苛立ったあなたが周囲を軽く睨むと全員が露骨に目を逸らして口笛を吹き出した。芸人だろうか。

 頭のおかしさを存分に見せ付けるべくチンピラのように絡んでみようかと一歩足を前に踏み出すと進行方向の人間達が三歩退く。

 気付けばあなたを中心に場にドーナツ状の空洞が出来ている始末。

 王都における冒険者のあなたへの対応がよく分かる一幕である。

 ノースティリスのように目視した瞬間に脱兎の如く逃げられるよりはマシだが、そういう問題ではない。

 

 アクセルのように雑用依頼を受けていなかったり人となりを知られていないのが悪いのだろうかとあなたは内心で溜息を吐いた。

 あなたはどうにも高難易度の討伐依頼にしか興味の無い狂人だと思われている節がある。

 

 これはあなたからしてみれば酷い誤解だった。

 

 あなたは神器のような貴重な武器や道具、更にそれを持っているニホンジンにも興味があるのだ。

 一体何を持っているのだろうとあなたがニホンジンと思わしき気の弱そうな黒髪を三つ編みにした少女を興味深そうに見つめると、少女は膝をガクガクと震わせて半泣きになってしまった。

 パーティーメンバーなのであろうこれまた黒髪の年若い少年が少女を背に庇いあなたを睨みつけてくる。

 

 おかしい。すこぶるおかしい。

 あなたには別に少女を取って食うつもりは無かった。

 少女はそれなりにスタイルがよく食いでがありそうだがあなたに人肉を食す嗜好は無いのだ。

 

 王都のギルド職員が冒険者達に指示を出す中、あなたは晴れ渡った青空を眺めて現実逃避を始めるのだった。

 

 

 

 

 ちなみに襲撃は掃討戦も含めて一時間ほどで終わった。

 

 精鋭部隊と共に最前線に出張ってきた脳の沸いているとしか思えない豪奢な鎧を纏った魔王軍の指揮官を信頼と安心の単騎特攻であなたが秒殺して敵の士気はあっけなく崩壊。そのままなし崩し的に掃討戦に移行。

 指揮官と精鋭部隊を討伐したあなたには特別報酬が支払われた。

 

 時給に換算すると非常においしい仕事だったわけだが、あなたは数を頼みに押し寄せてくるだけしか能の無い有象無象未満のモンスターの群れを他の冒険者や騎士達と共に作業のように殺戮し続けていただけなので面白みのある仕事ではなかった。そういうのは分裂モンスター狩りでお腹いっぱいなのだ。

 何より敵の指揮官が神器持ちでなかったのが残念でならない。

 魔王軍には人類を裏切ったニホンジンもいるらしいのでどうにかして会いたいものである。

 そして八つ裂きにして神器を奪取するのだ。

 

 

 

 

 

 

 とまあ、そんなちょっとしたイベントがあった日の昼下がり。

 場所は王都から移って駆け出し冒険者の街、アクセルの郊外。

 その共同墓地から少し離れた場所に存在する一軒の大きな屋敷。

 かつて幽霊騒ぎがあり、現在はカズマ少年達が住む拠点となっているそこにあなたはある約束を果たす為に久しぶりに足を運んでいた。

 

 屋敷の敷地内の片隅にはとある貴族の少女の小さな墓があり、カズマ少年達が定期的に掃除しているのか墓石は綺麗に保たれている。

 あなたは墓にお供え物を捧げ、暫し黙祷した。まあ墓の主は今も健在――幽霊を健在と言っていいのかは若干疑問だが――なのだが。

 黙祷を終え、屋敷の方に歩を進めるとあなたはどこかから視線を感じた。

 屋敷の方、二階からだ。

 

《…………!!》

 

 見上げて目を凝らして見れば、墓の主にして幽霊少女のアンナがぶんぶんとあなたに手を振っているのを見つけた。

 幽霊でも元気いっぱい、未だ成仏とは無縁なアンナにあなたは手を振り返しながら敷地内を進み、屋敷のドアノッカーを叩く。

 

「はいはーい、どちらさまですかー?」

 

 返ってきたのは女神アクアの声だ。

 先日カズマ少年があなたの家に9000万エリスを持ってきたので恐らくドラゴンの卵(仮)は買っていないと思われる。

 残りの200万エリスは四人で分けたのだろう。

 

「宗教と新聞の勧誘はお断りしてますよっと……」

 

 とてもではないが現役の女神とは思えない発言をしながら扉を開ける女神アクア。

 宗教の勧誘といえば時々家のポストにアクシズ教徒の勧誘のチラシが入っていたりする。

 とんだ迷惑行為だ。ゴミを押し付けてくるのは止めてほしい。

 

「…………」

 

 目が合い、あなたが会釈すると女神アクアはバタンと扉を閉じてしまった。

 内側からガチャリと鍵を閉めた音が聞こえる。

 まさかの門前払いに流石のあなたも困惑を隠せない。

 

「お、お金なら無いわ! ちゃんとこないだ9000万エリス払ったでしょ!? 残りのお金はちゃんと払うからもう少し待っててください!! 誰が何と言おうと神具だけは絶対に売らないからね!!」

 

 どうやらあなたは借金返済の催促に来たと誤解されてしまっているようだ。

 別件だし今後も催促に来るつもりは無い。

 ウィズが借金取りをやって欲しいと言うのなら話は別だが、今日あなたはデストロイヤー戦でした約束を果たしに来たのだ。

 

「……約束? ……あっ、お酒! お酒ね!?」

 

 勢いよく玄関を開け放ち、満面の笑みの女神アクアが出てきた。

 

「中々来ないからすっかり忘れてたか借金を盾にすっぽかされたのかと思ってたわ!」

 

 あまりにも明け透けに物を言う女神アクアに遅くなった事を謝罪しながらあなたは酒瓶が幾つも収められた木箱を屋敷に運び込んだ。

 

「こんなにいっぱい!?」

 

 デストロイヤー戦で女神アクアはあなたのぺットにしてアンデッドであるベルディアの存在を見逃す代償として高級酒の奉納を要求してきた。

 今日はその分を支払いに来たのだ。

 

「分かる。水の女神である私には分かるわ……これは全部かなりのレベルのお酒ね! やっぱり王都のお酒ともなると一味違うみたいね」

 

 この酒の購入だが、実はかなり難儀していたりする。

 あなたは王都に存在する様々な酒屋を訪ねたのだがどうにもピンと来る酒……アクセルにはマイケルという男性が経営している酒屋があるのだが、中々そこで売っている酒に匹敵するものを売る店が見つからなかったのだ。ようやく見つけて朝早く買いに行ったら襲撃がある始末。

 故にこうして少し時間がかかってしまった。

 

「へぇ、そうなんだ。確かにマイケルさんとこのお酒美味しいもんね。私もよくお世話になってるわ」

 

 早速一本の酒瓶の封を開け、くんくんと鼻を近づけて香りを堪能する女神アクア。

 

「うーん、いい香り。こういう所をどっかのカズマさんにも見習ってほしいもんだわ。……今からでも遅くないからアクシズ教に入信しない? 今なら特別待遇で迎えてあげるけど」

 

 女神直々の勧誘を丁重にお断りする。

 前にも言ったかもしれないが、あなたは改宗する気は一切無かった。

 

「そう? もし入信したくなったらいつでも言ってね?」

 

 もしあなたが異教徒になったと知ってしまったら、あなたの信仰する女神はきっと泣いてしまうだろう。

 それはあなたの望む所ではない。

 

 実の所、あなたと癒しの女神の付き合いは最古参であるペットの少女の次に長かったりする。

 まだ駆け出しだった頃、戦いや冒険のノウハウも碌に知らず、魔法やポーションといった回復手段も碌に持ち合わせていなかったあなたは日常的に死んでいた。

 

 弱いからすぐ死ぬ。

 すぐ死ぬから金を稼げない。

 金を稼げないから装備や道具を調達出来ない。

 装備と道具を調達出来ないからいつまで経っても弱いまま。

 そして弱いからすぐ死ぬ。

 

 そんなどうにもならない負のスパイラルをどうにかしようと癒しの女神を信仰したのが始まりである。

 ちなみに信仰の際にこんな電波が飛んできた。

 

 ――べ、別にアンタの活躍なんて期待してないんだからねっ!

 

 当時まだノースティリスに染まりきっていなかったあなたは初めて女神の声を聞いた時になんだこのイロモノは、と己の選択を激しく後悔したものである。今でもよく覚えている。

 そんなあなたも今では立派な癒しの女神の狂信者だ。

 それどころか女神本人が定期的に自宅に文字通り羽を伸ばしに遊びに来る始末。

 目を離すとあなたの部屋のベッドでぐっすり眠ったりしているので中々どうして侮れない。

 

「~~♪」

 

 あなたが遠い過去を想起していると、ふと鼻歌を歌いながら酒瓶を回収する女神アクアの頭に小さい卵が乗っているのに気付いた。

 かなり驚きの光景である。思わず二度見してしまった。

 

「ああ、これ? ドラゴンの卵よ」

 

 あなたの視線に気付いた女神アクアはあっけらかんと言い放った。

 

「名前はキングスフォード・ゼルトマン。この子はいずれドラゴン達の帝王になる定めを持っているの。この子を呼ぶ時はゼル帝とでも呼んであげて」

 

 女神アクアはそう言いながら、頭上の小さな卵に手から柔らかい光を放っていた。

 その表情はまさに女神に相応しい母性に溢れたもので、その美貌も相まって誰もが振り返らずにはいられないだろう。

 

 しかしあなたの目には女神アクアが暖めているのは鶏の卵にしか見えなかった。

 というか女神アクアは例の店で買ってしまっていたようだ。

 値段はどうだったのだろう。

 

「商人の人が凄く親切でね? 私がお金が足りなくなったから買えないって言ったら、持ち金と交換で良いって言ってくれたの。50万エリスで買ったわ。お買い得でしょ?」

 

 へにゃりと笑う女神アクアの背後にアンナが立っている。

 アンナはあちゃーと言わんばかりに目を覆っている。卵の正体はお察しだ。

 

「あら、もう行くの? お酒ありがとうね」

 

 女神アクアにその商人の露店の場所を聞き、屋敷を後にする。

 ドラゴンの卵(仮)を買う気は少しも無いが少しだけ気になったのだ。

 

 そして帰り際、あなたは女神アクアに教えられた場所に行ってみたのだがなんとそこには鶏を焼いた串焼きの屋台があった。

 なんというか、悪い意味で意味深というか想像力を掻き立てられる店である。

 というかこれは本当に大丈夫なのだろうか。女神アクアの神罰が下りそうだ。

 

「前にこの場所でやってたドラゴンの卵の露店? ああ、あれならアクシズ教徒に滅茶苦茶にされちまったんだよ。そんでその騒ぎの際になんやかんやあって、店主が詐欺をやってた事がバレてとっ捕まっちまったんだとさ」

 

 屋台の店主に話を聞いた所このような答えが返ってきた。

 神罰は女神アクアの知らない所で下っていたようだ。

 自業自得だろう。仮にあなたの信仰する女神が同じ目に遭ったとしたらあなた達によってサンドバッグに吊るされて目を覆わんばかりの刑に処されるのは確実である。

 

 余談だが買った串焼きはとても美味しかった。

 ゼル帝もきっと美味しく育つ事だろう。

 

 

 

 

 

 

「うっ、ううっ……! めぐみんが、めぐみんがぁ……!」

「よしよし、大丈夫ですよゆんゆんさん。もう臭ってませんから。とっても綺麗ですしいい匂いです」

 

 鶏の串焼きに舌鼓を打ちながら帰宅したあなたを待っていたのはウィズに優しく慰められながらぐすぐすとべそをかくゆんゆんだった。

 ゆんゆんがウィズに会いにあなたの家に来るのは割と珍しくないので別にいい。

 しかしゆんゆんはいつもの紅魔族の黒いローブではなくウィズの服を着ている。

 背丈やスタイルの差から若干ぶかぶかだ。

 彼シャツならぬ彼女服、なんて意味不明な電波をあなたは唐突に受信した。

 

「お帰りなさい。すみません、今ちょっと手が離せなくて」

 

 見れば分かるので大丈夫である。

 ゆんゆんに何があったのだろう。

 めぐみんに酷い目に遭わされたというのは分かるのだがこうしてウィズに泣きつくほどとは。

 

 

 彼女はつい先日上級魔法を習得した。

 デストロイヤー戦でレベルが上がり、上級魔法の習得まで残り1ポイントとなったところで露天で売られていたスキルアップポーションを買っていたのだ。

 未鑑定でお値段は一千万エリス。

 デストロイヤーの報酬で懐が潤っていたとはいえかなり勇気が必要な行為である。

 偽物だった場合は一千万エリスを溝に捨てるわけなのだから相当である。

 

 ともあれ無事に上級魔法を習得したゆんゆんはかねてからの約束どおり、ライバルであるめぐみんと久しぶりに遊ぶ為に会いに……もとい勝負を挑みに行く事になっていた。

 

 不世出の天才であるめぐみんに勝利し、紅魔族随一の座を手に入れる為に。

 紅魔族の長となる際に誰にも文句を言わせない為に。

 家柄だけの子だと誰にも言わせない為に。

 

「ううっ……」

 

 その結果がこれである。

 余程手酷く負けたらしい。

 半べそをかきながらウィズによしよしと頭と背中を擦られる、まるで幼い子供のようなゆんゆんの姿がそこにあった。

 

 しかし実際ゆんゆんは十三歳なので子供と言ってもいい年齢だ。

 彼女はかなり発育が良く見た目は十代半ばから後半なのだが人は見た目によらないものである。

 

 一方ゆんゆんを慰めているウィズは二十歳。

 リッチーになってから何年経っているか不明だが少なくとも外見年齢は二十歳だ。

 年齢を気にしているらしいウィズ本人の手前決して言わないが、もしウィズがリッチーになっていなかったら今頃はゆんゆんほどの年の娘がいてもおかしくはなかったかもしれない。

 

 

 

 

 暫くの後、泣き止んだゆんゆんはぽつりぽつりとあなたに語り始めた。

 上級魔法を習得したゆんゆんはめぐみんに勝負を挑む為に今日の朝から屋敷の外でタイミングを見計らっていたらしい。

 めぐみんが一日一回街の外で爆裂魔法を撃つのは有名な話だが、早朝から一人でいつ出てくるかも分からない相手を待ち続けるのはどうなのだろう。冬将軍の時といい、ゆんゆんは少しおかしい。

 

 さておき、無事にカズマ少年と爆裂魔法を撃ちに外出しためぐみん。

 街の外まで出た所で宿命のライバルらしく颯爽と登場しようとしたゆんゆんだがここで誤算が発生した。

 

「カエルがいっぱいいたんです……」

 

 本来であれば冬眠中のジャイアントトードが連日の爆裂魔法で叩き起こされたのか、大量に地上に這い出てきていたのだ。

 爆裂魔法でまとめて駆除したものの、案の定ジャイアントトードの生き残りに丸呑みにされるめぐみん。

 

「そこを私がライト・オブ・セイバーで助けました。いえ、助けたわけじゃなくてライバルがカエルなんかにやられたりしたら、私の立場がないから仕留めただけで……」

 

 こうして無事に一番の親友、もといライバルとの再会を果たし知らない子扱いされたりといった一悶着の末にめぐみんに勝負を仕掛けたゆんゆん。

 

 勝負を受け入れ、ゆんゆんの得意な体術勝負を持ちかけためぐみんは例によって強かだった。

 めぐみんは寸前までジャイアントトードに丸呑みにされていたため粘液塗れだったのだ。

 

 臭くて生温かくてねばねばしているジャイアントトードの粘液に塗れためぐみんが腰の引けたゆんゆんに襲い掛かる。

 特殊な性癖の持ち主が喜びそうなシチュエーションだが生憎ゆんゆんはそのような嗜好を持ち合わせていなかったようだ。

 汚れるのを嫌い即降参したゆんゆんだがあえなく寝技に持ち込まれ粘液塗れに。

 あまりにも酷い負け方をしたのと粘液の生臭さと不快さに傷心中の所を偶然通りがかったウィズに拾われてあなたの家の風呂に入れられた、というのが事態の全容だ。

 あなたの家の浴室はハウスボードで改修しているのでそこら辺の宿や公衆浴場よりも立派なものになっている。

 実は風呂好きだったりするウィズもご満悦である。

 

 

 

 そしてあなたが帰った時の光景は風呂上りにウィズに温かいココアを飲まされて優しく慰められてしまったのでつい涙が出てきてしまったらしい。

 今も落ち込んでいるゆんゆんとそれを慰めるウィズはまるで本当に姉妹のようである。

 

 そんなあなたの感想に二人はきょとんと顔を見合わせた。

 

「姉妹ですか。私はそういうのに縁が無かったからなんか憧れちゃいますね」

「私も一人っ子なので、少しだけ……」

「ふふっ……。私の事をお姉ちゃんって呼んでくれてもいいんですよ?」

「そ、それはちょっと。その、恥ずかしいので……」

 

 美人アークウィザード姉妹。

 冒険者としてさぞかし有名になりそうなフレーズである。

 

「じゃあ私達が姉妹だとするとあなたはやっぱり……」

「……お義兄さん?」

「ゆんゆんさん、今イントネーションがおかしくなかったですか?」

「き、気のせいだと思いますよ?」

 

 不思議そうなウィズの視線から目を逸らすゆんゆん。

 そして……。

 

《お兄ちゃんお兄ちゃん、私紅魔族は悪い種族だと思う! 私が晴れて自由の身になった暁には絶対に紅魔族を……潰す!!》

 

 予想通りの毒電波が飛んできた。妹と聞くと電波を飛ばしてくるアレは勘弁してほしい。

 しかし今回はあなたがゆんゆんを妹だと認識していないのでゆんゆんに電波は漏れていないようだ。一安心である。

 

 

 

 

 

 

 数時間後。

 服が乾きメンタルを持ち直したゆんゆんをウィズと共に宿まで送り、夕飯の買出しを終えて帰宅したあなた達はポストに一枚の手紙が入っているのを発見した。

 

 女神エリスから神器収穫のお知らせだろうか、と期待しながら見てみれば宛先はウィズの店になっている。

 差出人は不明。マスク、あるいは仮面のような形の印が押されているだけだ。

 ウィズの店への配達物はあなたの家に届くようになっているのでおかしい話ではないが、誰が送ってきたのだろう。

 

「私のお店宛ですか? ……ああ、バニルさんからのお手紙ですね。この印はバニルさんのつけてる仮面を模してるんですよ」

 

 あなたが手紙を渡すとウィズは一目で手紙の差出人を看破した。

 その場で封を開けると内容を読み上げる。

 

「えーっと…………何も書かれてないですね。白紙の手紙です。バニルさんはこういう悪戯をよくする方ですから」

 

 突然真顔になったウィズは手紙を風魔法でビリビリに破いてしまった。

 一瞬行き遅れリッチーという文字が見えた気がしたがきっと気のせいだろう。

 

 

 

 今回手紙を出してきたイイ性格らしいウィズの友人は大抵の事を見通すという悪魔だという。

 果たしてノースティリスの存在、そしてノースティリスへの帰還の手段を見通す事は可能なのだろうか。

 

 若干頬を朱に染め、憤慨した様子で先に家に入って行くウィズを眺めながら、あなたはそんな事を考えるのだった。



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第34話 見通す悪魔、襲来

 ウィズの友人である魔王軍の幹部、バニルから手紙が届いて数日後。

 

 日雇いの土木工事の依頼を終えたあなたは見知らぬ何者かがウィズの店跡地で呆然と立ち尽くしているのを発見した。

 黒いタキシードに身を包んだ長い金髪の大柄の男性は何をするでもなく、ただ工事の予定日とウィズ魔法店及び店主に御用がある方はこちらへお願いします、というあなたの家の住所が書かれた看板を見つめ続けている。

 

「…………」

 

 店の前から動かないことといい、ウィズの知り合いだろうかとあなたが声をかけてみると、男性は幽鬼の如くゆらりと振り返った。

 紅魔族よりもずっと赤い瞳があなたを射抜き、不可視の重圧が全身に襲い掛かってくる。

 

 

 強い。あなたは素直にそう感じた。

 

 

 感じられる重圧から察するに、男性の戦闘力は恐らくウィズとほぼ互角。

 つまり目の前の彼は玄武や冬将軍のような超級の存在である。

 金髪の男性は何者なのだろうといぶかしむあなたの頭の天辺から足の先まで眺め、やがて興味深いと言わんばかりに目を丸くし、重圧を霧散させた。

 

「まるで見えんな。それどころか……ふむ、何故貴様のような者がこの始まりの街にいるのかは分からんが今はそんな事はどうでもいい」

 

 男性は看板を指差した。

 

「我輩はこの場所に店を構えていた古い友人に会いに来た者だ。この看板に書かれている場所に覚えは無いか?」

 

 やはり男性はウィズに用事があったようだ。

 あなたは数秒ほど思案し、正直に看板に記載されているのは自分の家の住所だと教える事にした。

 彼が何者でウィズに何の用があったとしても、どうせ住所が明記されている以上はこの場で誤魔化しても意味は無いと判断したのだ。

 万が一ウィズに害意を抱く者だったとしても、二人掛かりで仕留めてしまえばいいだろうと判断して。

 

「……つまりあれか、貴様は店主と同居している者だと?」

 

 男性はあなたの発言があまりにも予想外だったようで大きくその赤い瞳を見開き、あなたの家への案内を頼んできた。

 敵意や殺意は感じなかったものの男性はあなたが何を言っても黙して語らずあなたを観察し続け、微妙に気まずい帰宅となった。

 

「お帰りなさい、今日は早かったんですね」

 

 そんなあなた達を出迎えたのは長い髪を一つ結びにしてロングスカートにセーターという以前ゆんゆんに今日のウィズさんってお嫁さんみたいな格好ですね、と言われた姿のウィズだ。

 ちなみにお嫁さんと言われたウィズは照れ隠しにクッションをライト・オブ・セイバーで刹那の間に十七分割してゆんゆんを戦慄させたが今はどうでもいいだろう。

 

 しかしウィズはあなたの横に立つ男性を視認した瞬間、不思議そうに首を傾げた。

 

「えっと……そのタキシードはバニルさん、ですよね……? お久しぶりです。いつもの仮面はどうしたんですか?」

 

 ウィズの目が節穴でなければどうやら男性の正体はウィズの友人である魔王軍幹部、見通す悪魔バニルだったようだ。アクセルに着いていたらしい。

 

 魔王軍幹部、予知と予言という強力な力を持つ見通す悪魔バニル。

 ウィズと違い手配書にも示されている高額の賞金首である。

 

 悪魔は人間の悪感情を糧にしている生命体であり、例によって神々とは争いあい蛇蝎の如く互いを嫌い合っているという話だ。

 女神アクアのアンデッドへの対応を見るにそれは当たっているのだろう。

 更に女神エリスは特に悪魔に容赦が無いのだとか。

 

 幹部としてのバニルは特に人間を殺傷したという記録は残っていないが、あなたが調べた情報によると異常なまでにしぶとく、人間への嫌がらせに長けており厄介で鬱陶しいらしい。

 

 そんなベルディアが絶対に会いたくないと吐き捨てる程にイイ性格をしているという大悪魔はウィズが声をかけた瞬間、頭をグニャリと歪ませた。

 長い金髪のマスクを捨て去ったバニルは短い黒髪に変わり、更に先日あなたの家に送られてきた手紙の印に酷似した白黒の仮面を被っている。今までの姿は変装だったようだとあなたは一人納得した。

 

「…………」

「あの、黙ってないで何か言ってほしいんですけど……も、もしかしてお店の事で怒ってるんですか? えっと、あれは不幸な事故だったといいますか……」

 

 恐る恐るバニルの顔色を窺うウィズを無視して、バニルは一歩前に出ると懐から一枚の小さな紙を取り出した。ひらひらとウィズに注目させるように紙を揺らしながら。

 

「おおっと、何とこんな所に年増店主のイケイケ武闘派魔法狂だった現役時代の写真が残っていたとは! 読めなかった……魔王軍幹部にして、悪魔達を率いる地獄の公爵、この世の大抵の事を見通す大悪魔、バニルの目をもってしても!!」

 

 バニルは自己紹介と共にとてもとても興味深い話を始めた。

 ウィズが危険なら止めようかと思っていたがこれは止めるわけにはいかない。

 バニルの話を聞いたウィズの顔がいつも以上に真っ青になったがきっと気のせいだろう。気のせいに決まっている。

 

「え、現役時代って……ちょっ、待っ……なんでそんな写真が残ってるんですか!?」

「我輩が当時の貴様との戦闘中に撮ったに決まっておろう! 貴様と親しくなった相手に貴様の黒歴史をひけらかす為にな! 更に言うならばこれは店を潰した穀潰しリッチーへの我輩なりの仕置きであり嫌がらせである! 今の貴様には殺人光線よりこちらの方が効果がありそうなのでな!!」

「……なんとなくそんな気はしてましたけど! 実際に効果抜群ですけど!!」

 

 あなたとバニルの手の内の写真を見比べながら露骨にうろたえ始めるウィズ。

 バニルの後ろに立つあなたからは写真を見る事ができないが、ウィズには見えているようだ。

 よほど見られると拙いものが写っているのだろうか。

 見ては駄目だと言われれば見たくなるのが人の、そして冒険者の性というもの。

 

「はてさて、案内のお礼とお近づきの印に貴様にはこの写真を進呈しようではないか!」

「ライト・オブ・セイバーッ!!」

 

 しかしバニルの首があなたの方を向いた一瞬の隙を突いてバニルとの距離を詰めたウィズが光の剣で写真のみを器用に消し飛ばす。

 自身と同等の力量を持つ友人相手とはいえ躊躇無く攻撃魔法を行使するあたり余程の代物だったようだ。

 だが自宅の中でこの二人が戦闘を始めると軽く家が吹き飛ぶと思われるので止めてほしい。かなり切実に止めてほしい。

 

「ぬぐうっ!? 貴様わざわざこんな時の為だけに我輩が後生大事に持っていた珠玉の一枚を!!」

「ふっふっふ……やらせません、やらせはしませんよバニルさん。お店が壊れちゃったのはごめんなさいとしか言えませんがあんな恥ずかしい物を見せるわけにはいきません! この人にだけは絶対に!」

 

 普段の温厚な彼女はどこへやら。

 瞳をギラギラと輝かせながら不敵に笑うウィズに対してバニルはこれぞまさに悪魔といった邪悪な笑顔で彼女を嗤い、懐に手を伸ばす――――

 

「相変わらず詰めが甘いわ愚か者め! 我輩は見通す悪魔! こんな事もあろうかと二枚目くらい用意しているに決まっておろうが! 受けとれっ!!」

「きゃああああああああああああ!?」

 

 今度こそライト・オブ・セイバーを華麗に回避しながら勢いよく投げつけてきた写真を二人とも楽しそうだな、などと考えながら受け取る。

 魔法を解除したウィズが半泣きで写真を奪い取ろうとあなたに襲い掛かってくるが残念な事にウィズのその手は届かないし届かせない。

 

「駄目です! 駄目ですってばぁ!」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねながらあなたの背中に全身を押し付けるようにのしかかって写真を奪おうと試みるウィズに構わずあなたは手にした写真を見る。

 いい年こいてこれではまるでいじめっ子のようだと自嘲しつつもあなたはウィズに写真を渡す気は無かった。過去を掘り返されてうろたえる今のウィズはとても可愛い。

 

「あーっ! わぁあああーっ! お願いですから見ないで捨ててくださいぃ!」

「フハハハハハ! その懇願は全くもって逆効果と言う他無いな!」

 

 そう、ウィズは気付いていないようだがバニルの言うとおりである。

 再度繰り返すが見ては駄目だと言われれば見たくなるのが人の性というものなのだ。勿論あなたもその例に漏れる事は無い。

 

 魔導カメラで写されたのであろう写真に写されていた者はあなたもよく知る、しかし別人かと見紛う程に印象の違う友人の姿。

 写真の中のウィズは杖を構え、凛々しい顔つきで魔法を唱えているように見える。

 その美貌は今と変わらぬまま目つきだけが猛禽類のように鋭く、表情は冷たく張り詰めている。

 というかこれは本当に誰なのだろう。

 

「当時二十歳だった頃の店主である。氷の魔女とかいう我輩からしてみれば片腹大激痛な異名で呼ばれておったぞ」

 

 氷の魔女。言われてみれば写真の中のウィズにしっくり来るネーミングである。

 いかにも出来る女といった印象を抱かせる写真の中のウィズは誰もが注視し、自ずと従わずにはいられないようなカリスマに溢れていた。

 人に好かれそうな性質はそのままに、おっとりふんわりな今のウィズとは180度正反対だ。

 ちなみに今のウィズの異名はぽわぽわりっちぃとかそこら辺が似合いそうだとあなたは思っている。リッチーではなくりっちぃなのがポイントである。

 

「ちなみに当時の店主は生真面目な性格やその写真から見て分かる通りの張り詰めた表情から他の冒険者に怖がられ、老後は一人になるのではないかと焦っていたのだ!」

「あああああああああ!!!」

 

 ウィズの過去を晒し上げながら高らかに笑うバニル。

 

 確かにこれでは幾ら美人でも異性は近付きにくいだろう。

 むしろ逆に高嶺の花扱いされていそうだ。

 友人であるあなたをしてこれは双子の姉妹ではないのだろうかと疑う程に写真の中のウィズと現在あなたの背中に必死にのしかかって手を伸ばしているウィズは違う。

 

 写真のウィズの露出度がやけに高いのもその予想を加速させる一因だ。

 

 大きな胸を強調し、上下共に非常に丈の短い服を着ている当時のウィズは階段を上るだけでパンツが見えてしまうのではないかというほどに短いスカートを穿いており、臍や脇腹、太股といった部分が丸出しになっている。

 

 風の女神という最早露出度がどうこうでは済まされない格好の存在を知っているあなたからすれば特にからかう気は無いが薄着などという話では済まされない露出度にちょっとウィズを見る目が変わってしまいそうである。本当にイケイケだ。

 あなたが悪くはないと思うけど今の落ち着いたウィズの方が親しみがあっていいと思うし自分は好きだと正直な感想を話すとウィズはあなたの背中の上でいよいよ声にならない呻き声をあげながら両手で耳まで真っ赤になった顔を覆ってしまった。

 

「だから、だから見ないでって言ったのに……いっそ殺してください……」

「フハハハハハ! 極上の羞恥の感情、ご馳走様である!!」

 

 そんなウィズを見てバニルが呵呵と笑う。

 ベルディアが絶対に関わりたくないと言った理由がとてもよく分かった。バニルは本当にイイ性格をしているし、隙あらば全力で煽っていくスタイルはどこかノースティリスの友人達を髣髴とさせる。

 

 ねえどんな気持ち、ねえどんな気持ち、一緒に暮らしてる仲の良い異性の友人にイケイケで好戦的だった時の自分の格好を知られてねえどんな気持ちと軽快なステップを踏みながら友人を煽り続ける畜生(バニル)を見て彼とは仲良くやっていけそうだとあなたは穏やかに笑った。

 

 

 

 

 

 

「では改めましてこんにちは! 我輩こそがそこで恥ずかしい己の過去を暴露されて撃沈しているポンコツ店主の友人、魔王よりも強いかもしれないと評判の見通す悪魔、魔王軍幹部のバニルだ。趣味は人間にうわあと言わせる事。特技はバニル式殺人光線と目ビーム」

「…………昔の話はいいんですけど、あの格好を見せる事は無いじゃないですか……おなか丸出しとかあの頃の私は何を考えてたんでしょう……」

「おおっと、中々の悪感情ご馳走様である」

 

 恨みがましくバニルを睨みつけるウィズとそれを軽く受け流すバニルの関係を見るに、余程仲がいい事が分かる。あなたとノースティリスの友人の関係を鑑みるにこれだけは間違いないと考えながらあなたは簡単に自己紹介を行う。

 

 ところでこうしてアクセルの街にやってきたバニルだが、彼はウィズの手紙でどこまで話を知っているのだろうか。それによって話す内容がかなり変わってくるのだが。

 

「実の所、全くと言っていいほど把握しておらん。店主からの手紙には貴様の事など何一つ書かれていなかった故な」

「……手紙は検閲されるかもしれませんからね。私は遊びに来てください、みたいな事しか書いてなかった筈です。というか聞くより見た方が早いんじゃないんですか? バニルさんそういうの得意ですよね?」

 

 バニルの相手に慣れているのか早くも気を取り直し、しかしどこかやさぐれ気味なウィズの提案にバニルは首を横に振って否定した。

 

「ここに来る前にも試してみたがまるで見えん。確かに我輩は大抵の事を見通す悪魔だが、貴様のように()()()()と同等以上の強さの相手は見通せんのだ」

「ああ、そういえばそうでしたね……。とりあえずこの人は私がリッチーで魔王軍の幹部な事は知ってますよ。あとバニルさんが私のお友達な事も知ってます」

「それくらいは言われんでも分かる。流石に貴様も己の素性を隠したまま同居なんぞせんだろうし悪魔である我輩と同じ卓に着く事も無かろうよ。だがしかし……」

 

 バニルは人差し指でこつこつとテーブルを叩きながらあなたの瞳を覗き込む。

 名前の通り、あなたの何かを見通すように。

 

「こやつは本当に人間なのか? 見通せないだけならまだしも、()()()()()()のような相手を見たのは我輩も初めてだぞ」

「…………多分?」

 

 何故疑問系なのか。

 そこは人間だと断言してほしかったとあなたは苦笑した。

 あなたはイルヴァという異世界の人間である。

 更にバニルの言う底無しの迷宮とやらに覚えがないわけでもない……というかむしろ有りすぎて困るくらいである。

 あなたはこの世界に飛ばされる直前までまさにその終わりの無い迷宮にいたのだ。

 

 すくつ……無と呼ばれる事もある、時空から切り離されたある種の特異点。

 

 恐らくそれらの要素がバニルの能力に何らかの作用をしているのだろうとあなたは予想した。

 未だにレベルとステータスの表記がバグったままの冒険者カードのように。

 

「ふむ、我輩が呼ばれたのはその異世界の事を聞く為か」

 

 あなたは肯定してバニルに何でもいいのでイルヴァについて知っている事は無いかと尋ねた。

 ノースティリスを始めとするイルヴァの地名や国々、そしてあなたの住んでいた世界で信仰されている神々の名前と共に。幾つかのノースティリスの道具や装備を添えて。

 

 そして数分後、あなたのノースティリスの話を大方聞き終えたバニルは差し出された道具を弄り回すのを止め、静かにこう切り出した。

 

「本来であれば悪魔に願いを叶えてもらう際には対価が必要なのだが……」

 

 心地よい悪感情を食せたし、中々に面白い物を見せてもらった故これを対価としよう、とひとりごちる。

 

「さて、我輩は今でこそこうしてある目的の為に魔王軍の幹部なんぞやっておるが、本来であれば神々と世界の終末を賭けて争う地獄の公爵、七大悪魔の第一席でもある。……つまりそれなり以上に神々や世界の真実については知見を得ているわけだ」

 

 ああ、やはり明るい話題ではないのだろうな。

 バニルの話を聞きながらあなたは既にそんな事を考えていた。

 

「その上で、見通す悪魔の名に懸けて断言するが……貴様の言う世界や神は我等悪魔や神々の知覚している領域内や歴史の中には存在しない。恐らく貴様は神々の管理する世界群、その外側から来た存在なのであろう。そういう意味では永く生きた我輩をして非常に興味深い存在であるな」

 

 バニルの無情とも言える宣告だが、電波や願いが届かず、女神アクアや女神エリスに聞いても掠りもしなかった時点であなたはなんとなくそんな予感がしていた。故に落胆は無い。

 ただ自分は本当に、本当に遠い場所に来てしまったのだなという若干の感動が入り混じったある種の諦観があるだけだ。

 冒険者冥利に尽きるといえば聞こえはいいが、どうしたものか。

 帰還を諦める気は全く無いが、あるいは長期戦を覚悟する必要があるかもしれない。

 

「ところでバニルさん、バニルさんはこれからどうされるんですか?」

 

 話が終わったと判断したのか、お茶を淹れながらニコニコと笑うウィズがそんな事を尋ねた。

 彼女は久しぶりに古い友人に会えた事がよほど嬉しいようで相当にご機嫌な様子である。

 そんなウィズにあなたは若干の違和感を覚えたが、やはり友人の動向が気になるのだろうとそれ以上気にする事は無かった。

 

「…………」

「どうしました?」

 

 バニルは無言でウィズをじっと見つめ、やがて首を横に振って溜息を吐いた。

 呆れたように。頭痛を抑えるように。

 

「……いやなに。これからの予定だが実は我輩は汝の召喚に応じた以外にも用事があってな。この地に赴くのならついでに頼むと魔王に首無し中年を倒した人間の調査を命じられているのだ。我輩も占ってみたが、首無し中年を倒した者は真っ暗で何も見えなかったのでな」

 

 首無し中年。言うまでも無くベルディアの事だろう。

 今はブッピガンする首有り中年だが。

 そしてあなたを見るウィズに何かを察したのか調査は必要無いようだな、と一人ごちるバニル。

 

「えっと、バニルさん。この人の事を報告するのは、その……」

「言われずとも報告する気は無い。一応調査を請け負ってはいるものの、あくまでも我輩はこの地で店を経営しているどこぞのリッチーの下で働いて金を貯め、その資金を元に夢を叶えるつもりだったのだ。だったのだが……肝心の店が更地になっていてなあ。あれには驚いた。本当に驚いた。店の場所を間違えたのかと思ったぞ。むしろ間違っていてほしかったのだが」

「うぐっ……」

 

 痛いところを突かれたとでも言うように胸を押さえてよろめくウィズ。

 しかし大物悪魔がそこまでして求める夢というのは何なのだろうか。

 そんなあなたの疑問にバニルはうむと頷くと、朗々と語りだした。

 

「もう限りなく永く生きてきた我輩には、昔からとびきりの破滅願望があるのだ。それは、至高の悪感情を食した後、華々しく滅び去りたいというもの」

 

 友人が死にたいと言っているにも関わらずウィズは特に驚く事も無く苦笑してバニルの話を聞いている。周知の事実なようだ。

 

「我輩は考えた。一体いつからそんな事を考え出したのかも忘れてしまったくらい遠い昔から考え続け……そしてある時思いついたのだ。我輩好みの至高の悪感情を食する方法を」

 

 ニヤリと仮面の悪魔がふてぶてしく笑う。

 

「まず、ダンジョンを手に入れる。そしてダンジョンには我が部下である悪魔達を待機させ、苛烈な罠を仕掛けるのだ! そこに挑むは歴戦の凄腕冒険者達! 我がダンジョンに何度も挑戦し、やがていつかは最奥に辿りつく者が現れるだろう!」

 

 大きく手を振りテンションを上げて熱弁するバニルを他所に、あなたは何度も挑戦するくらいならいっその事核でボス部屋までを全部吹き飛ばすのは駄目だろうかと考えていた。

 製作者の思惑を完全に無視して壁を採掘してショートカットを作ったり、迷路や罠を核で吹き飛ばすのは台無し感が溢れていてとても愉しいし気持ちがいいのだが、流石に怒られそうだ。

 

「そしてダンジョンの奥で最後に待ち受けるのは勿論我輩! そこで言うのだ、『よくぞここまで来たな冒険者よ! さあ、我を倒し、莫大な富をその手にせよ……!』と。そして始まる最後の戦い! 我輩は冒険者との死闘の末、遂に打ち倒されてしまう。そんな我輩の背後には厳重に封印された宝箱が。意識が薄れていく我輩の目の前で、苦難を乗り越えた冒険者達はそれを開け……!」

 

 冒険者の英雄譚とはかくありき、というバニルの迫真の弁も相まって実に手に汗握る話である。

 話しているのが畜生(バニル)でなければあなたもさぞ興奮していただろうと思えるほどに。

 

「…………箱の中にはスカと書かれた紙切れが。それを見て呆然とする冒険者達を見ながら、我輩は滅びたい」

 

 名前に違わずバニルは本当に悪魔だった。

 軽く予想は付いていたとはいえあまりにも悪辣極まりない嫌がらせにあなたは顔を顰めた。

 もしそんな目にあった場合は絶対に滅んだバニルを復活の魔法で生き返らせねばなるまい。

 

「一人でダンジョンを作れれば話は早いのだが、生憎我輩にそんな能力は無い。故にこの魔法に関しては凄まじい才能を持つポンコツ店主にダンジョンを作ってもらう予定だったのだが……」

 

 バニルはウィズを一瞥したかと思うと深い溜息を吐く。

 金を稼ぐも何も肝心の店が無い現状に心を痛めているのだろう。

 

「さて、ポンコツ店主よ。店の借金は一体幾らにまで膨れ上がったのだ? 貴様の何かに呪われているとしか思えない商才の無さに家と店の再建代を合わせればそれはもう酷い事になっているのであろう? だが目を離していた我輩が愚かだったと特別に今回ばかりは目を瞑ってやろう」

「し、借金は無いです。1エリスも」

 

 ウィズのおずおずとした返事を受けてバニルは大笑した。

 まるでおかしくておかしくてたまらないといった風である。

 

「フハハハハハ! 使えない物を仕入れてくる事と赤字を生み出す事に関しては類稀なる才能を持つリッチーよ! 貴様中々笑える冗談を言うようになったではないか!! ……今はそういうのはいいからさっさと借用書と帳簿を持ってこい。我輩に怒られるのが嫌だからといって子供みたいに隠すと為にならんぞ。具体的には我輩のバニル式殺人光線が火を噴く事になる」

「本当に無いんですってば! この人のお蔭で! だからバニルさん、殺人光線を撃つ構えは止めてください!!」

 

 謎の構えを取るバニルに慌てたウィズは流れるような自然さであなたの背中に隠れた。

 殺人光線、そこはかとなく物騒なネーミングである。

 やはり当たったら即死するのだろうか。

 

「……と穀潰し店主は言っておるが、実際の所はどうなのだ? 貴様等は見通せない故、正直に言ってくれると我輩としては非常に助かるのだが」

 

 あなたは胡乱な視線を飛ばしてくるバニルに今までの経緯を話し始めた。

 

 宝島を二人で採掘して六億エリスを得た事。

 自分には蒐集癖があり、それを満たす為にウィズの店の品……バニルの言う使えない物ばかりを買い漁っていた事。

 ウィズが大金を得ても食生活が改善されないので介入した事。

 不幸な事故で店と家が半壊したのでこうして同居している事。

 店が半壊した時に駄目になった商品代と工事費で今までの黒字は全て吹き飛んだが、その代金は帰ってくる予定だし現在ウィズが保有している資金は一億エリス弱で借金は本当に無い事。

 残り一億六千万エリスほど手に入る当てがある事。

 

 そして数分後。

 幾つかの質問を挟みながらもあなたの話を聞き終えたバニルはすっと立ち上がった。

 ウィズが再びあなたの背中に隠れるが、バニルの表情は仮面に覆われており窺う事が出来ない。

 今度は何をしでかすのだろうといぶかしむあなたを相手にバニルは予想外の行動に出た。

 

「いつも格別の御愛顧を賜りまして厚く御礼申し上げますお得意様ぁ!!」

 

 お辞儀。まさかのお辞儀である。

 バニルはあなたに向けて腰を九十度曲げ、それはもう見事なお辞儀をしてみせたのだ。

 

「おいロクデナシ店主、何をやっている! さっさとお得意様にお茶を出さんか気の利かん奴め!!」

「…………」

 

 あまりの態度の変わりっぷりに白い目でバニルを見やるウィズ。

 カップが空になっていたのでおかわりを貰っておく。

 

「……ところで失礼ながらお得意様はハーブか何かやっておられる? もしくは金をドブに捨てる奇特な趣味でも持っているのか? あと店主の舵を取ってくれているお礼に我輩お手製のバニル君人形をやろう」

 

 仮面の悪魔はとても心配そうにあなたの顔を窺ってきた。本気で失礼だった。

 生憎だがそんな趣味は無い。

 ノースティリスの金であればドブに捨ててもいいと思っているが。

 

 あとバニル君人形はありがたく受け取っておく。

 玄武や女神エリスの人形と同じ所に置いておけばルゥルゥもきっと喜ぶだろう。

 

「受け取っちゃうんですね……」

「どこでこんな都合のいい優良物件を引っ掛けてきたのだ? 汝の店を黒字にするなど相当だぞ」

「そこまで言わなくてもいいじゃないですか!?」

「だが嘘偽りの無い事実だ。まさか貴様、あまりの赤貧に耐えかねて店の品を買わせるべく魅了(チャーム)でもかけたのか?」

「バニルさんは私を何だと思ってるんですか! この人は私と趣味が合うから私のオススメの品を買ってくれてるんです!」

「馬鹿な、貴様と趣味が合う者がいるだと!?」

 

 バニルは大袈裟なジェスチャーと共に仰け反り、ウィズの目がスっと据わった。

 パキン、という音と共にあなたのカップの中身が一瞬で液体から氷になる。流れ弾が当たってしまったようだ。

 

「何ですか、バニルさんは私と趣味が合う人がいるっていうのがそんなにおかしいんですか」

「おかしいに決まっておるだろう。お得意様の戦闘力的に駆け出し冒険者に見合わぬ高値とはいえまともな品を買うというのなら分かる。だが産廃ばかりを好んで買い漁る客だと? そんな事は忌々しい神々や我等悪魔であっても有り得ん話だ。よほど頭のネジと理性が飛んでいる輩でもない限りはな」

 

 断言されてしまった。ウィズがむくれ、拳がぷるぷると震えだす。

 神々や悪魔も見向きもしないとは随分と大きく出たが、当の大悪魔本人が言っているので説得力が凄まじい事になってしまっている。

 決して認めたくはないが理性はともかくこの世界の者から見て自分の頭のネジが飛んでいる可能性については否定出来ない。

 頭のおかしいエレメンタルナイトという異名がそれを証明している。

 

「いや、頭がおかしかろうがネジが飛んでいようがお得意様は我輩にとっては最高に都合の良い存在ではある。なるほど、割れ鍋に綴じ蓋というやつか。この広い世界、誰しも一人くらいは同好の士がいるもの……いや違うか、お得意様は別世界の人間だったな。つまりこの世界に貴様の同好の士はいないわけだ。ならば我輩も安心である」

「何が安心なんですかね……というか幾ら私でもそろそろ怒りますよ? バニルさんと戦うのは人間だった頃以来ですが、本気でやり合いますか?」

「もう怒っておるではないか。そら、悔しかったらお得意様以外の贔屓にしてくれている客の名前を挙げてみせるがいい」

「――――ッ!!」

 

 言いたい放題のバニルにいよいよ堪忍袋の緒が危険な事になってきたようで、ウィズは笑顔のまま目だけが笑っていない。あなたはまあまあと魔力で髪をうねらせるウィズをなだめて落ち着かせる。

 どれだけウィズの仕入れる品は不評なのだろうか。

 ある程度ノースティリスに浸かった者ならば色々な意味で大好評間違い無しなのだが。

 

 

 

 

 

 

 バニルが帰った後のあなたの家は台風一過とでも言うような有様であった。

 特に家の中は荒れたり散らかったりしたわけではないが、住人の疲労と心労的な意味で。

 

 あの後、同居している以上は会わせないわけにもいかないだろうとバニルはベルディアとの顔合わせを行ったのだが、それはもう筆舌に尽くし難い畜生っぷりを発揮してバニルはあなたの下僕となったベルディアを煽り続けたのだ。

 特に合体と分離スキルの存在を知った時の爆笑っぷりはそれはもう歴史に残りそうなほどの凄まじさであった。

 疲労とストレスで発狂してバニルに襲い掛かるも簡単にあしらわれるベルディアの姿はあなたも流石に悪い事をしてしまったと思わず反省したくらいである。

 

「つ、疲れました……」

「……ごすはなんで修行を中断させてまで俺を呼んだの? 馬鹿なの? 死ぬの? 俺の胃と心が死ぬわ馬鹿野郎。アイツとは会いたくないって言っただろ……終末の方がよっぽどマシだぞ……」

 

 そうしてその後も散々バニルにオモチャにされ、心労からテーブルに突っ伏す二人を尻目に、あなたは二人から少し離れた場所で別れ際にバニルに渡された手紙を読んでいた。絶対にウィズに見せないように、と念を押された手紙を。

 

 ――さて、金蔓……もといお得意様には是非とも我輩の為にこれからもあのポンコツリッチーの店に金をじゃぶじゃぶと注ぎ込んでいただきたい。これは我輩も伏して願う事である。

 

 店も更地になっていた事だしアクセルの街に来る途中に面白い物を見つけたので我輩はそこに行ってみよう、と言っていた見通す悪魔のしたためた手紙は、そんな身も蓋も無い内容で始まっていた。

 

 ――お得意様も知っておるだろうが、あの店主は放っておくと赤字を生み出しまくる、それはもう厄介な呪いを患っており我輩としても大層手を焼いておったのだ。我輩が必死に金を貯めても産廃を仕入れて赤字にしてしまう。善意でやっているからなお性質が悪い。故にお得意様が欠陥店主の手綱を取ってくれるのは非常に助かる話なのだが……。

 

 バニルは余程ウィズの商才の無さに苦労してきたのだろう。

 文章の所々から様々な感情が滲み出ている。

 

 ――今回お得意様が我輩を呼んだのは元の世界に戻る為の手段を知る為だと考えている。つまりお得意様はいずれ元の世界に帰るつもりなのであろう。

 

 合っているとあなたは内心で頷いた。

 あなたはノースティリスへの帰還の手段を探るべく異世界に詳しいというバニルを呼んでもらったのだ。

 今すぐに、というわけではないがやはり帰還の手段を知っているのといないのでは大分変わってくる。

 

 ――その仮定の上で忠告しておくが、我輩の見立てではこのままではいずれお得意様という友人にして理解者を得た今のウィズは()()()()()のには耐えられても()()()()()のは耐えられなくなるであろう。恐らく今ならばギリギリ間に合う。だがこれからもウィズとよろしくやっていくつもりならば、努々その事を忘れぬようにする事だ。アレは我輩の友人でもある故にな。なおこの文書は自動的に消滅する。 byバニル

 

 手紙を読み終えたあなたが宙に放った瞬間、手紙は音も無く一瞬で燃え尽きた。



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第35話 バニルは人形好き(ウィズ談)

 アクセルの街から山脈地帯の方角へと半日ほど歩き、山の麓の獣道を進んでいった先に、一軒の頑丈な作りのログハウスが建っている。

 このログハウスはすぐ近くの山の岩肌に存在するダンジョンの避難所として機能しており、駆け出し冒険者達の休憩場所となっているのだ。

 

 そのダンジョンの名はキールのダンジョン。

 とある魔法使いの名を冠した、ある意味とても分かりやすい名のダンジョンである。

 

 それは遠い遠い昔のお話。

 キールという名の天才アークウィザードが一人の貴族の令嬢に恋をした。

 街を散歩していた令嬢に、今まで人生の全てを魔法に捧げて色恋になど目も向けなかったキールは一目惚れをしてしまったのだ。

 だが、それは身分違いの決して許されぬ恋。

 それをよく分かっていたキールは恋心を忘れるかのようにひたすらに魔法の修行と研究に没頭し続け……やがてキールは国一番のアークウィザードと呼ばれるようになった。

 

 国の為に惜しみなく力を揮い、国を発展させ、多くの人々に称えられたキールに王はどんなものでも望みを一つ叶えようと言った。

 

 キールが何を望んだのかは知られていないが、今もなお人々に伝わっている話としては、キールは件の貴族の令嬢を誘拐してダンジョンを作り立て篭もったのだとか。

 その後キールと令嬢がどうなったかは彼の望みと同様に伝えられていない。

 今となってはそんなダンジョンが作られた経緯も殆ど忘れ去られ、駆け出し冒険者達の初めてのダンジョン探索の良い練習場所になっている。

 

 

 ……という話をあなたはアクセルの街の歴史が綴られた本で読んだ事がある。

 

 

 そしてここ最近、アクセルの街の冒険者の間ではそのキールのダンジョンに謎のモンスターが出現しているという噂がまことしやかに囁かれていた。

 

 あなたの調べでは第一発見者はダストのパーティー。

 どういうわけかデストロイヤー戦に参加していなかったダストは他の冒険者のように報奨金を貰っておらず、懐が寂しい事になっていたのだという。

 そして酒場で日々管を巻くダストを見かねた他のメンバーが小遣い稼ぎがてらキールのダンジョンに潜った所で件の謎のモンスターを発見したらしい。

 

 あなたはキールのダンジョンに潜った事が無い。

 今更駆け出し冒険者の潜るダンジョンに行く意義を見出せなかったのだ。

 しかし今回、謎のモンスターと聞いては黙ってはいられないと意気揚々とキールのダンジョンに向かう事にした。あわよくば貴重な品を手に入れる事が出来ないだろうか、などと考えながら。

 

 

 

 

 

 

 朝方にアクセルの街を出立してからおよそ数時間、丁度太陽が最も高く昇る時間帯。

 雪深い道を踏みしめながらあなたはこれといって何のイベントも無くキールのダンジョンに到着した。

 

 周囲を観察するがログハウスの中を含めて他の冒険者やギルド職員の姿は見えない。

 今は冒険者の休みの期間である冬なのだし当たり前だが、ギルドは案外腰が重いようだ。

 噂が流れ始めて間もない為今は調査の為の準備を行っているのかもしれない。

 

 いずれにせよ自分にとっては都合がいいと切り捨ててあなたはダンジョンの入り口である綺麗に整備された階段に足を踏み入れた。

 ダンジョンに潜る冒険者として常備していて然るべき、松明やランタンのような光源を手に持つ事無く。

 

 

 長い長い階段をひたすらに降り続けていく。

 入り口から既に十分以上は経過しているだろうか。

 地上からの光が届かなくなって大分経つにも関わらず、未だ階段は続いており通路や広間といった場所は見えないしモンスターにも遭遇しない。

 駆け出し冒険者向けのダンジョンというわりにはやけに階段が長いとあなたは感じた。

 製作者なりの嫌がらせだろうか。足を踏み外して転げ落ちればまず死ぬだろう。

 

 キールのダンジョンの階段に松明や蝋燭といった光源は設置されていない。

 この階段の長さやキールのダンジョンのアクセルからの距離を考えれば当然である。

 故に日の光が途絶えた今、あなたの身は無明の闇の中に在る。

 

 この世界のアーチャーのスキルに千里眼という暗視が可能なスキルがある。

 文字通り遠方の視認が可能になり光が無い真っ暗闇の中でも空間の把握が可能で置いてある物の形が分かる便利スキルである。

 勿論魔法戦士であるあなたは習得していない。

 

 だがあなた達イルヴァの冒険者は物理的、魔術的要因で視界を塞がれない限りデフォルトで暗視が可能なのだ。光源が無い程度で戦えなくなってしまってどうしてネフィアで戦えようか。

 

 無論盲者でないあなたは敵と戦う際に松明やランタンのような光源は無いよりもあった方がいいに決まっている。

 しかし流石に光の下と同じとはいかないまでも、数十メートル程度ならば視界を確保する事が可能だ。

 故にあなたの足取りに澱みは無い。

 まるで見えているかのごとく……否、あなたの目には暗闇の中であっても今もハッキリと地の奥に続いていく階段が見えているのだ。

 

 

 さて、そうこうしている間にあなたの視界に長い階段の終わりが見えた。

 ようやくか、と若干呆れつつも勇み足になる事は無く周囲を警戒しながら階段を下り終える。

 下り終えた階段の先には通路が左右に分かれており、階段を降りてすぐの場所に朽ち果てた冒険者の死体が放置されている。

 

 辛うじて人の形は保っているものの、やけにぐちゃぐちゃな死体だ。

 しかし魔物に死体を荒らされたようには見えない。

 まさかこの長い階段から足を踏み外して転げ落ちたのだろうか。

 あなたも疲労困憊の状態で階段から足を踏み外して死んだ経験があるのでこれは他人事では無い。

 それも一度とは言わず複数回死んだ事があるのだ。

 

 あれは今のあなたであっても普通に痛い。

 餓死や圧死、窒息死と同じくフル装備の廃人を殺し得る数少ない手段の内の一つである。

 今のあなたは死ぬとどうなるか分からない。

 精々これらの死因には気を配っておこうと考えて歩を進める。

 

 

 

 

 

 

 さて、暫くダンジョンを進むあなただったが中々それらしいモンスターに出くわさない。

 キールのダンジョンは階層自体は非常に広かったが今の所次の階層に続く階段を見ていない。一階だけのダンジョンなのだろうか。

 そしてエンカウントするのはグレムリンという下級の悪魔やウィズとは比較にならない程弱いアンデッド、野生動物に毛が生えた程度の駆け出し冒険者が戦うような雑魚ばかりである。

 

 謎のモンスターはどこにいるのだろう。

 噂では人型をしているらしいが。

 もしや既に狩られたか移動してしまったのだろうか。

 

 そんな事を考えながら隠密スキルを使い敵と戦う事無くダンジョンを進み続けるあなただったが、ある程度進んだ所でずん、という震動と音が聞こえてきた。

 この感じからして恐らくは爆発音だろうとあなたは当たりを付ける。

 

 断続的に発生する音と震動を頼りにあなたが辿り着いた場所は一際大きい広間だった。

 そこでは逃げ惑うグレムリン達を小型の何かが襲っているように見える。

 

 やや離れた場所からあなたがよく観察してみれば、それは人型をしているようだ。

 一言で表現すると仮面人形。

 白黒の仮面を被った大人の膝の高さほどのサイズの人形が二足歩行で悪魔を追い回している。

 

 逃げ惑うグレムリンが弱い魔法や石を当てると、たったそれだけで人形は派手に爆発四散してしまった。

 まさかグレムリンの攻撃ではないだろう。

 

 そして数分の観察の結果、人形は殴る蹴るといった攻撃はせずひたすら自爆しかしない事が判明した。

 

 攻撃が当たったら自爆。

 敵の隙を衝いて接近し自爆。

 とりあえず自爆。

 

 ノースティリスの爆弾岩やカミカゼイーク、ハードゲイのような敵である。

 無数の自爆モンスターによる連鎖爆発は歴戦の冒険者をして恐れる物なので侮れない。

 

 そんな厄介な攻撃方法を持つ図鑑に載っていない、あなたの知らないモンスター。

 どうやらあれが噂になっていた謎のモンスターなようだ。

 

 それはサイズこそ違えど、あなたが先日入手したバニル君人形にとてもよく似ていた。

 というかアレはもう言い訳しようが無いくらいに完璧にバニル君人形である。

 

 謎のモンスターを生み出しているのはバニルなのだろうか。

 怪しんだところであなたは先日会った時にバニルはこう言っていたのを思い出した。

 

 

 ――店も更地になっていた事だしアクセルの街に来る途中に面白い物を見つけたので我輩はそこに行ってみるとしよう。

 

 

 現状を鑑みるにあれはここの事を言っていたのだろうと思われる。

 悪辣極まりない破滅願望を持つウィズの友人はキールのダンジョンに目を付けたらしい。

 現在バニルは自爆するバニル君人形を使って本来キールのダンジョンに住み着いていたモンスターを駆逐してダンジョンの環境を整えている真っ最中という事か。

 

 あなたはこのままダンジョンを進むか引き返すか考え、万が一バニルでなかった場合の事を考えて先に進み始めた。

 どうかバニルではありませんように、と考えながら。

 

 果たして、ダンジョンの奥深くであなたが見つけたのは扉の前であぐらをかいて黙々と地面の土をこね回して人形を作る仮面を被った地獄の公爵の姿だった。

 

 分かっていた。分かっていたがあなたはそれでも一縷の望みを託していたのだ。

 バニル本人ではなく、バニルのファンなだけで無関係の何者かだったりしないだろうかと。

 だがいつだって期待は裏切られるものである。

 

 あなたはウィズの友人が建設中のダンジョンに足を踏み入れてしまったようだ。

 

 ノースティリスの友人があなた達他の友人に秘密で気合を入れて自宅を改装している最中に遊びに行ってしまった時のような、あなたの信仰する女神があなたの部屋のベッドであなたの使っている枕を抱きしめてごろごろ転がりながらおなかいっぱい甘い物が食べたいとか仕事辞めてずっとここに住んでたいとか他の女神のスタイルがよくて羨ましいとかあなたが死んだら(埋まったら)絶対天上に召し上げるとか言っているのをこっそり見てしまった時のような、何とも言えない気まずさである。

 

 最後のは信仰者として非常に光栄とはいえ、そのような光景を見て見ぬふりをする情けがあなたにも存在した。

 

 バニルは今も人形作りに夢中であなたに気付いている様子は無い。

 敵であれば気づかれていないのをこれ幸いと全力で殺しに行くのだが、そこまで空気を読めないあなたではないしバニルの夢を邪魔する気も無い。

 

 あなたはバニルに何も言わずにその場を後にする事にした。

 完全に無駄足を踏んだと内心で思いっきり愚痴を吐きながら。

 

 帰り際、何かの事故で冬眠から覚めたと思われる一撃熊を発見したので八つ当たり気味に狩ったあなたを誰も責められはしないだろう。

 

 

 

 

 

 

 それから暫くの後のある日。

 あなたの家を一人の女性が訪ねてきた。

 

 自身を王国検察官と名乗った彼女の名はセナ。

 やや小さめの眼鏡と長いストレートの黒髪が印象的な、目つきの鋭い女性だ。

 

 表情を動かさずに淡々と話を続けるセナは良く言えば生真面目で仕事が出来そうな、悪く言えば頭が硬くて融通の利かない感じの印象を抱かせる。

 

「というわけでして、我々は今回の件を非常に重く見ています。王都でも名を知られ、デストロイヤー討伐に多大な貢献をされた中の一人であるアクセル随一のエレメンタルナイトであるあなたにも是非ご協力をお願いしたいのですが……」

 

 さて、そんなセナの話ではキールのダンジョンから謎のモンスターが大量に湧き出しているのだという。

 動いている者に取り付き自爆するという性質から、冒険者ギルドとしても対処に困っている状態なのだとか。

 自爆系モンスターの厄介さはあなたも身に染みているのでよく理解出来る話である。

 

 そしてセナの話を聞くに、どうやらバニルはダンジョン内部のモンスターを駆逐し終えたらしい。

 バニルは配下の悪魔をダンジョンに配置すると言っていたし、人形が外に湧き出ているのはそれに気付かずバニル君人形をせっせと作り続けているからと思われる。

 流石に配下ごと冒険者を爆殺したいわけではないだろう。

 

「報酬は相応に支払われると思ってくださって構いません。アクセルはあなたを高く評価しています。無論私個人も。……如何でしょうか?」

 

 セナがあなたの顔色を窺うように問いかけてくるが、あなたは今回の件について一切手を出す気が無かった。

 相手の正体を知らなければ飛びついていただろうが相手はウィズの友人である。

 

 そしてバニルが現役の魔王軍幹部である手前決して口外は出来ないが、バニルの性質や目的を考えるとこの案件の危険度は極めて低い。

 なのであなたは現在他に用事を抱えており、そちらに集中したいので申し訳ないがダンジョンに同行する事は出来ないとセナの申し出をキッパリと断った。

 今回の話はデストロイヤー討伐のようなギルドから発注された緊急のクエストではなく、あくまでもセナの個人的な頼みなので拒否権はあなたにあるのだ。

 

「そう、ですか……残念です。ええ、本当に。ですが無理にお願いするわけにはいきませんね。もし気が変わりましたらご協力をお願い致します。私はこれから他の候補の方の所に向かった後、冒険者ギルドで人を雇いますので」

 

 セナはそう言うと、若干名残惜しそうにあなたの方をチラチラと見ながらもあなたの家から立ち去っていく。

 いかにも清廉潔白といった感じの、常識と良識に溢れた真面目そうな女性であった。

 ノースティリスに連れて行ったら何日心がもつだろうかと意味の無い事を考えてしまうほどに。

 

「…………」

 

 そんなセナをウィズは複雑な表情で見送っていた。

 中々見ない顔にどうしたのだろうかと不思議に思ったあなたは素直に訊ねてみた。

 

 ウィズを前にしてもセナはデストロイヤー戦の礼を言ったり社交辞令程度に挨拶をするだけで特別な反応をしなかった事からして、両者は普通に初対面であり知り合いだったり因縁を抱えていたりするというわけではないようだが。

 

「いえ、大した話ではないんですけど……なんだかセナさんって昔の私に似てる感じがするんですよね。こう、色々な意味で」

 

 遠い目でそんな事を言うウィズにあなたは成程と思った。

 両者共にクールで生真面目そうで融通が利かない……率直に言ってしまうとキツい感じである。

 しかし写真のウィズは眼鏡をしていなかったのでそこまで似ているだろうか。

 

「……誰も眼鏡がどうとかそんな事は言ってないんですけど」

 

 冗談である。

 

 ウィズの直感に従うのならば、セナもかつてのウィズと同様に異性からアプローチを受けていない女性だという事だ。

 つまりセナは他の異性に怖がられ、そんな自分を鑑みてこのままでは老後は一人になるのではないかと焦っていると……。

 

 流石に下衆の勘繰りが過ぎるだろうとあなたはそれ以上この件について考える事を止めた。

 写真のウィズ……カリスマ溢れる氷の魔女がどういう経緯を辿って今のようなぽわぽわりっちぃに変化したのかはあなたとしては非常に興味深いところではあるのだが。

 ちなみにバニルから渡された当時のウィズの写真は額に入れて飾っておきたかったのだが、ウィズが捨ててくれなかったら私は家出しますと宣言したので泣く泣く処分した。今のウィズの写真なら持っていてもいいらしいのだが。

 

 ちなみにウィズはセナが持ってきた今回の件がバニルの仕業だとあなたから知らされているので応援に行けとは言わない。

 友人が自分の手を借りずに勝手にダンジョンを作っている事については不満があるようだが、今は店が物理的に潰れてしまっているので文句は言えないとの事。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、続きを始めましょうか」

 

 ウィズがそう言い、あなたが頷く。

 彼女はニコニコと笑って全身から私期待してます、というオーラを発しているがこれは別にいやらしい話ではない。

 

 セナが自宅に訪問してくる前、あなたはウィズと共にノースティリスの学習書の書き写しを行っていた最中だったのだ。

 つまり用事があったというのは嘘ではない。

 

 あなたが学習書をゆっくりと音読し、どこからか持ち出してきた度が入っていない伊達眼鏡をかけたウィズがそれを書き記す。

 稀に書き間違いが発生したり言葉のニュアンスの確認、ノースティリス独自の言い回しや単語の為に止まる事があるものの、それ以外は特に問題は発生していない。

 

 いずれコピーし終えたウィズは学習書を読み込みノースティリスのスキルを習得するのだろう。

 今からその時がとても楽しみである。

 

 そんな、友人と自宅で過ごす静かで穏やかな時間。

 

 あなたは学習書を音読しながら、ふと自分の隣で楽しそうにノートに異界の知識を記し続ける友人の事を改めて考え始めた。

 

 ウィズは人間から人外であるリッチーになった女性であり、アンデッド故に寿命の無い彼女は永劫の時を存在し続ける事が可能な存在だ。

 

 そのせいだろうか、あなたから見てどうにもウィズは他人と一線を引いている感じがする。

 ウィズは決して人付き合いが嫌いだったり苦手というわけではない。

 むしろ新しい友人であるゆんゆんへの対応を見るに人付き合いは大好きな方だろう。

 

 しかし心は人間であると自負するウィズは自分の身がリッチーであるにも関わらずそれを隠して人間の中で暮らしているという事に心のどこかで負い目を感じているようなのだ。

 最近はそうでもないが以前のウィズはよく事あるごとにリッチーの私なんかに、と言っていたのであなたはこれに関してはほぼ確実だと思っている。

 

 バニルはそんなウィズがこのままではいずれ一人でいるのに耐えられても独りになるのは耐えられなくなると予想していた。

 

 ではどうするのか。

 今ならギリギリ大丈夫だからと、ウィズとの付き合いを辞めるなどというのは論外だ。全くもってお話にならない。

 友人の為を思って突き放すなどあなたにしてみれば正気の沙汰ではなかった。

 

 かといってノースティリスに帰還しないという選択肢も却下である。

 

 あなたはこの世界の事は嫌いではないし、平和で過ごしやすいとてもいい場所だと思っている。

 しかし骨を埋めるとなれば話は別だ。そんな覚悟はまるで出来ていないし必要ない。

 不慮の事故に近い形でこの世界に迷い込んだあなたは女神アクアに招かれたキョウヤ達ニホンジンと違いどこまでいっても所詮は異邦人に過ぎず、骨の髄までノースティリスの冒険者なのだから当然である。

 

 あなたが帰還する主な理由は信仰する女神、友人達、ペット、コレクションの数々があなたを待っているからだ。

 しかしあなたは仮にそれらが無くても帰らねばならないと考えている。

 バニルの手紙を読んで強くそう思わされた。

 

 人間であるあなたには永劫の時を生き続ける事が可能なウィズと違い寿命というものがある。

 ノースティリスであれば若返りのポーションを服用する事で半永久的に生き続ける事が可能なのだが、この世界ではそうもいかない。

 あなたは若返りのポーションをかなりの数持ち込んでいるが、今以上の数の入手の手段が無い以上は寿命に限りがあるに等しい。

 あなたに人間をやめる気が無い以上、ノースティリスに帰らなければいずれ老いて死ぬ未来が待っているのだ。

 

 つまりこの世界とノースティリスを行き来する方法を見つけ出す必要がある。

 実はこれはあなたも前々から考えていた事だったりする。

 長い付き合いであるノースティリスの友人達と新しい友人であるウィズの間に差は無いのだからどちらを優先する、などという事が無いのは当然の話だ。

 こうして一度目があったのだから二度、三度目があってもおかしくはないだろう。

 

 ただ、行き来するのは自分と自分のペット達、そして信仰する女神だけにしておいた方がいいだろう。

 他の友人は自分と違って色々と濃い部分があるからこの世界が危ない。あなたはそう考えている。

 エヘカトル信者は人格こそ随一の善良さを誇るが、声を聞かせただけで一般人を発狂死させるなどある意味危険度も随一なので駄目である。

 

 ちなみに、あなたの他の友人達も密かにあなたと同じ事を――自分は他の奴よりマトモな方だと――考えているがあなた達はそれを知らない。




《エヘカトルの狂信者》

 あなたの友人の一人。性別は女。
 外見は幸運の女神を髣髴とさせるスタイル抜群で金髪ロングな絶世の美女。
 本人の性質はノースティリスの冒険者とは思えないほどに極めて良識的で常識的。
 趣味はガーデニングと編み物と歌を歌う事。
 自分から積極的に喧嘩を売る事は無いが戦闘力はあなたや他の友人達と同等。
 穏やかだがいざ戦いとなったら躊躇しない芯の強い女性。
 極度に興奮すると影から極彩色で流動的に蠢く冒涜的なナニカが溢れ出てくる。

 一見すると非の打ち所が無い様に見えるが一度口を開けば出てくる毒電波に汚染された謎言語が全てを台無しにする。
 黙っていれば美人、程度で済めばよかったのだが同格以上の存在でなければ彼女の天上の調べの如き美声の前に等しくガリガリと正気を削られる事になる。そこに人も人外も機械も関係ない。
 街中やパーティー会場で歌おうものなら大惨事は不可避である。
 時々彼女をナンパしようと声をかける無知な駆け出しが現れるが、一言二言彼女と会話しただけであっけなく発狂、精神崩壊する。

 一応ボディランゲージや筆談で意思疎通は可能だが本人はお喋りが大好き。
 自身の信仰する女神やイス系のペットだけが話相手。
 同格にして癒しの女神の恩恵で電波(狂気)に耐性のあるあなたも彼女の謎言語に込められた感情と意味がなんとなく分かるので筆談無しで会話が成立する。
 二人の会話を傍から見ていると異星人とコミュニケーションをとっているようにしか見えないとは他の友人達の共通の認識。

 マニ信者とはとある理由により犬猿の仲。


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第36話 さらばバニル! 仮面の悪魔、暁に死す

 突然だがバニルが死んだ。

 

 ウィズの友人であるバニルが死んだ。

 冗談や勘違いではなく、本当に死んだ。

 

 キールのダンジョンの奥深くで己の夢を叶えるべく勤しんでいた仮面の悪魔は、謎のモンスターの調査隊の一員であるめぐみんの爆裂魔法の直撃を受けてチリ一つ残さず消滅してしまったのだ。

 

 その顛末を語ろう。

 

 ダンジョンの奥でせっせとバニル君人形を作っていたバニルだったが、そこにやってきたのはデストロイヤー討伐の際、主力を担った事で腕を見込んだセナの招集に応じたカズマ少年とダクネス。

 

 あなたは気付かなかったが、実はバニルが居座っていた場所の先には魔法陣が張ってあったらしい。

 そしてバニルはその先に進む事が出来ずに困っていたのだという。

 

 バニルをして難儀させる魔法陣を張ったのは女神アクアだった。

 自身が有名な女神であるというのにも関わらず、女神アクアはトラブルの女神に愛されているのではないだろうか。

 

 女神アクアは以前カズマ少年と共にキールのダンジョンに潜った事があるらしく、その際に魔法陣を張ったらしい。

 カズマ少年は謎の魔物と女神アクアが張った魔法陣の関連を探られるのを避けるべく魔法陣を消しに来たのだという。

 カズマ少年の過去や事情を見通したバニルは自身の夢の邪魔をしたのが宿敵である女神だと理解し激怒。女神アクアを含めたセナが集めた冒険者達と交戦した。

 

 ダクネスに仮面を被せる事で身体を乗っ取って冒険者達と戦ったり、女神アクアと舌戦を繰り広げたりと大悪魔にして魔王軍幹部の名に恥じない縦横無尽の暴れっぷりを繰り広げたバニルだったが、なんやかんやあって最終的にめぐみんが仮面を装着していたダクネスを巻き込んで爆裂魔法を放った事で本体である仮面を破壊されて死亡。

 現役時代のウィズでさえ成し得なかった偉業に爆裂魔法の理不尽っぷりがよく分かる。

 そして爆裂魔法を食らって辛うじて生き残ったダクネスの頑丈さも。

 

 爆裂魔法自体はダクネスがやれと言ったらしい。

 流石のめぐみんも仲間に積極的に爆裂魔法を撃ち込むほど頭がおかしいわけではなかったようだ。

 あなた達は魔力制御という仲間を攻撃魔法に巻き込むのを防ぐスキルがあるので普通に仲間を射程内に収めたまま広範囲攻撃魔法を放つが。

 ちなみに無くても放つ。

 

 

 

 ――――そして、一週間後。

 

 

 

 

 

 

「冒険者、サトウカズマ殿!」

 

 いつものように依頼を受けるべくギルドに赴いたあなただったが、ギルド内では受付の前で他の冒険者達の熱い視線を浴びながらセナが大声をあげていた。

 

「魔王軍幹部であるバニル討伐は貴殿のパーティーの活躍無くしては有り得ませんでした。よってここに、この街から感謝状を贈らせていただきます」

 

 タイミングが良かったのか悪かったのか。

 どうやらあなたは表彰式の最中に来てしまったようだ。

 一週間が経過した今になって表彰、というのは少し遅いような気もするが爆裂魔法で重傷を負ったダクネスの傷が癒えるのを待っていたのだろうか。

 

「そしてダスティネス・フォード・ララティーナ卿! 今回における貴公の献身素晴らしく、ダスティネス家の名に恥じぬ活躍に対し、王室から感謝状並びに、先の戦闘において失った鎧に代わり、第一級の技工士達による全身鎧を贈ります」

 

 セナの言葉と共に、脇に控えていた騎士と思わしき格好の者達が顔を真っ赤にして震えているダクネスに新品の鎧を運ぶ。

 ダクネスの本名はダスティネス・フォード・ララティーナ。

 バニル戦の後からとてもイイ笑顔をしたカズマ少年が冒険者各位に声高に触れ回っていたのであなたもよく知っている。

 

 そしてダスティネス家は王家の懐剣とも呼ばれる大貴族である。

 ダクネスは日頃から育ちの良さが随所から滲み出ていたのであなたに驚きは無い。

 

「おめでとう、ララティーナ!」

 

 誰かの呼びかけにダクネス……ララティーナがビクリと震えた。

 

「ヒューッ! ララティーナはすげえよ!」

「ララティーナちゃんぐうかわ!」

「流石はララティーナね!」

「ダスティネス・フォード・ララティーナ卿万歳!! ララティーナ様万歳!!」

 

 皆がララティーナを褒め称える中、何故かララティーナは耳まで真っ赤にしてテーブルに突っ伏してしまった。

 怪我の後遺症があったり体調が悪いというわけではなさそうだが、どうしたのだろうか。

 周囲の冒険者や騎士達はニヤニヤとララティーナを見つめている。

 

「ねえダクネス、私はララティーナって名前とっても可愛いと思うの! ララティーナって名前を面白半分に広めたカズマは私が後で叱っておいてあげるから! だから自分はララティーナって名前にもっと自信を持っていいと思うのララティーナ!」

「……ぷくくっ。い、いいじゃないですかララティーナ。私も可愛いと思いますよララティーナ」

 

 女神アクアとめぐみんが両脇からララティーナを慰めているが、彼女はイヤイヤと顔を突っ伏したまま首を横に振るばかりだ。

 どうやらダクネスはララティーナという名前を恥ずかしがっているようだ。

 あなたからしてみれば至って普通の名前なのだが、本人や周囲の人間はそう思っていないらしい。

 ついでだからとあなたもダクネスをララティーナと呼んで喝采してみた。

 あなたは空気が読める人間なのだ。

 

「ああああああああああああああ!!!!」

 

 聞こえない聞きたくないとばかりに何度も勢いよく頭をテーブルに打ちつけ始めたダクネス。

 周囲の人間は愉悦の笑みをただ浮かべるばかりである。

 

「――では続きまして、サトウ殿への賞金授与に移ります!」

 

 ダクネスへの冷やかしを掻き消すように再度大声をあげたセナに冒険者達がぴたりと騒ぐのを止め、ダクネスも激しいヘッドドラムでテーブルの耐久試験を行うのを止める。

 

「冒険者、サトウカズマ一行! 今回の討伐作戦はあなた達の活躍なくば成しえませんでした。……よってここに二億エリスを進呈し、その功績を称えます!」

 

 セナが小切手と思われる小さい紙をカズマ少年に渡し、ギルド内に喝采が巻き起こった。

 冒険者やギルド酒場のウェイトレスが奢れコールや祝いの声をカズマ少年達に送る。

 デストロイヤー戦で得た金はあるがそれはそれ、これはこれという事だろう。

 故あらば騒ぐ。一瞬を生き続ける冒険者とはそういうものだ。あなたも同様に。

 しかしバニルが二億エリスとは随分と安いな、というのがあなたの正直な感想だ。

 常に人類との争いの最前線に身を置いていたベルディアと違い人間に直接的な危害を加えた事が無い故の額だろうか。

 

 

 

 女神アクアが自慢の宴会芸を披露し、真昼間から飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎが行われる中、カズマ少年とダクネスがギルドから去ろうとしていた。

 二人はあなたに手招きをしている。付いて来いという事らしい。

 あなたは首を傾げながら二人と共に騒がしいギルドを後にした。

 

 二人に連れられて歩けば、すぐに二人はあなたの家に向かっていると気付いたが、どういうわけかカズマ少年とダクネスはうかない顔でずっと沈黙を保っている。

 

 彼等の用事がウィズへの借金返済だというのは予想が付く。

 しかしこのどことなく薄暗い二人の様相は一体どうしたというのだろうか。

 

 そんなあなたの疑問は自宅の前で解消される事になった。

 

「……俺達が退治したバニルの奴がさ、この街の友人に会いに来たって言ってたんだよ」

 

 ポツリとカズマ少年が呟く。

 

「その友人は働けば働くほど貧乏になる特技を持ってるポンコツ店主なんだとさ。だから、その、なんだ……俺達は……」

「カズマ、今回の事は私からウィズに報告しよう。ほんの一時だったが、身体を共有し暴れ回った仲だ。そして執拗に人をからかう所はかなり悪辣だったが、そこまで悪い奴でもなかったと思える。エリス様に仕えるクルセイダーがこんな事を言ってはいけないのだろうが……まあ、嫌いな奴ではなかったよ」

 

 ダクネスはそう言って儚く微笑んだ。

 どうやら二人はウィズの友人であるバニルを討伐した事を気に病んでいたようだ。

 さて、これは教えるべきか否か。

 

「気持ちは分からんでもないが、お前今共に暴れ回ったとか言ったな? やっぱノリノリだったんだろ。攻撃当たるのがそんなに嬉しかったのか」

「ち、違うぞ? というか今はそんな事はどうでもいいだろう!」

 

 二人は盛り上がっているようだから別にいいかとあなたは何も言わずに玄関のドアを開ける。

 

「……あれ? 忘れ物ですか?」

 

 あなたが帰宅の挨拶をするとウィズが不思議そうに玄関に顔を出した。

 そして、もう一人。

 ウィズの後ろから大柄でタキシードを着た仮面の男性が現れる。

 カズマ少年とダクネスの姿を見た瞬間、彼は口元を大きく歪めると愉悦に塗れた大声で笑った。

 

「フハハハハ! お得意様の家の前でなにやら恥ずかしい台詞を吐いて遠い目をしていた娘よ、汝に一つ言いたい事がある! ……まあ嫌いな奴ではなかったよとの事だが、我々悪魔には性別が無いのでそんな恥ずかしい告白を受けてもどうにも出来ず。おおっと、これは大変な羞恥の悪感情、美味である!」

 

 ウィズと共にあなた達を出迎えたのはバニルだった。

 どうやら遊びに来ていたらしい。

 彼のことだし見通す力でこのタイミングを計っていたのかもしれない。

 

 玄関で三角座りをしたダクネスが膝に顔を埋め、そんな彼女の肩をカズマ少年が優しく叩いて慰める。名前の件といいダクネスはドMの割に恥ずかしがり屋だ。

 爆裂魔法を食らっても重傷で済む頑丈さなのに精神攻撃に弱い、という事だろうか。

 

「どうした、膝を抱えてうずくまって? よもや我輩が滅んだとでも思っていたのか!? ところがどっこいこのように健在である! フハハハハハハ!!」

「わああああああああああああーーッ!!!」

「あっ、おいダクネス!!」

 

 ダクネスは羞恥に耐えかねたのか、カズマ少年の制止を振り切ってどこかに逃げ出してしまった。

 そんなダクネスを笑うバニルは今日も絶好調だ。

 ここぞとばかりに素晴らしい煽りっぷりを発揮する悪魔にあなたも感心せざるを得ない。

 ちなみに冒頭のバニル討伐の話は全てバニル本人があなたに教えてくれたものである。

 

「……色々聞きたい事はあるけど、とりあえずコイツは一体何なんだ? どうして爆裂魔法の直撃食らってもピンピンしてんの? 反則だろこんなもんふざけんなよマジで。無傷ってどういう事だ」

 

 カズマ少年が辟易としたかのように吐き捨てた。

 まるでベルディアのような反応にバニルはとんでもないと首を振る。

 

「何を言うか、あんな物をマトモに食らえば流石の我輩とて無傷でおられる筈がなかろう。……ほれ、この仮面に刻まれたⅡの文字をよく見るがよい。爆裂魔法で残機が一つ減った今の我輩は二代目バニルというわけだ」

「なめんな!!」

 

 即答して殴りかからんとするカズマ少年をウィズが宥める。

 一度死んだ今のバニルは魔王軍幹部ではない。

 結界の管理も行っていない無害な存在である。

 

「そういえばなんかコイツがそんな事言ってたな。ゲームとかによくある、幹部を全員倒したら魔王の城への道が開けるとかそんな感じなんだっけ。でも無害……無害? これが?」

 

 人間に直接危害を加えない以上は無害だろう。

 何もおかしい事は無い。

 

「お得意様の言うとおりである。我輩はただ悪感情を得ようとするだけだ」

「アクアを呼んだ方がいい気がしてきた……っていうか二人は知り合いだったのかよ。ウィズ経由なんだろうなっていうのはなんとなく分かるけど」

「この街にはダンジョンに住み着く前に一度足を運んでいたのでな。どこぞのチンピラ女神のせいで店が更地になったようだが」

「お、おう……というか一応聞いておきたいんだけど、アンタは魔王軍幹部じゃないよな? 人間だけど結界の維持を担当してるとかじゃないよな?」

 

 カズマ少年が恐る恐るあなたに問いかけてきた。

 勿論あなたは魔王軍の幹部ではない。しかしカズマ少年はどうしてそんな事を気にするのだろうか。

 そんなあなたの疑問に答えてくれたのは見通す悪魔のバニルだった。

 

「この何の取り柄も力も持たない男は魔王を倒そうとしているのだ。それ故普通に強くてチンピラ女神に相性が悪いといった事も無いお得意様を警戒しているわけだな」

「見通しすぎじゃね?」

「我輩は見通す悪魔。この程度は当然である……おいポンコツ店主、どこに隠れようとしている。一応客人の前だぞ」

 

 突然水を向けられたウィズがびくりと反応する。

 誰が見ても分かるくらい明らかに挙動不審だった。

 

「か、カズマさんにお茶を淹れようかと……」

「……何となく思ってたんだけどさ、魔王軍幹部なバニルと友人なウィズも“そう”なのか?」

 

 カズマ少年の追及を受けてウィズは視線を彷徨わせる。

 

「だから貴様はポンコツなのだ。その反応が既に全てを物語っていると何故分からん」

 

 呆れたようなバニルの正論に、やがて彼女は諦めたようにガックリと肩を落とした。

 

「って事はやっぱり?」

「はい……私は魔王さんに人里でお店を経営しながらのんびり暮らすのは止めないから、幹部として結界の維持だけでもって頼まれてるんです。幹部が人里でお店をやってるなんて誰も思わないだろうから、人間に倒されないだけでも十分助かるからと……」

「ちなみに、もし俺達……っていうかアクアが魔王城の結界を解除するためにウィズを退治するとか言ったら……」

 

 それはわざわざ言う必要があるのだろうかとあなたは静かに笑った。

 あなたはかつてウィズがアンデッドの王であるリッチーであると知っていてなお女神アクアに立ちふさがった。

 ウィズが魔王軍の幹部だからと襲ってくるのならばあなたもそれ相応の対処をするだけである。

 つまり共同墓地の時と何も変わらない。

 

「…………あれ? もしかしてこれって詰んでる?」

「えっと、デストロイヤーの結界を破ったアクア様の力なら幹部の二、三人くらいで維持する結界なら破れるはずです。ですので決して詰んでいるわけでは……」

 

 ウィズの説明にカズマ少年は盛大に安堵の息を吐いた。

 

「でもバニルはともかく、俺達が他の幹部を倒すのを推奨するような事言っていいのか? 一応ウィズの知り合いなんだろ?」

「他の方とは特に付き合いもありませんでしたし。というか幹部の中で私と仲の良かった方はバニルさんだけでしたからね」

 

 しれっと言い放ったウィズの発言の中にベルディアは含まれていなかった。

 特にウィズがベルディアに冷たいというわけではないし普通に振舞っているが、あくまでもウィズにとってベルディアは元同僚の知り合いであなたの下僕でしかないようだ。

 ウィズがリッチーになった原因なのはともかく、同僚になってから頭の悪いセクハラを繰り返していたベルディアの自業自得だろう。

 

 

 さて、その後カズマ少年に幾つか意味深な警告を発したり商売に協力するように持ちかけたバニルだったが、警告の一つについては翌日すぐに明らかになった。

 

 なんとダクネスを伴って雪山に爆裂魔法を撃ち込んだめぐみんが雪崩に巻き込まれて遭難したのだ。

 正気の沙汰とは思えない。

 

 かなりの人数による捜索隊が組まれ、友人の大ピンチに狂乱して泣きついてきたゆんゆんによってあなたとウィズも捜索に駆り出される事になった。

 結果、めぐみんとダクネスは凍死寸前の所を無事に保護されたわけだが雪山の捜索費用が五百万エリス。

 

 借金を返済してもカズマ少年の受難は続くようである。どうか強く生きてほしい。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでデストロイヤー戦以後はそれなりに平和な日々を送っていたあなただったが、ある日それは唐突に終わりを告げる事になる。

 

「あなた宛にお手紙が届いてますよ」

 

 ウィズに渡された手紙は差出人が書かれていないものだった。

 新たにアクセルに居着いたバニルからだろうかと思うも例の印は無い。

 

 

 ――○月×日。

 ――王都東地区の宿、○○の102号室。

 

 

 手紙にはそれだけが記されていた。

 女性と思わしき筆跡に差出人と内容を察したあなたはニヤリと笑う。

 

 神意の名の下に、女神の共犯者として仕事をする時がやってきたのだ。

 

 後に王都中の貴族を恐怖で震え上がらせる事になる銀髪強盗団。

 これがその活動の始まりの一幕である事を知る者はどこにもいない。



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第37話 女神エリスとの強盗稼業

 王都の東地区、幾度も攻めて来る魔族に対応する為の都市開発計画の煽りを受けて迷路のように入り組んだ場所の先、人通りの少ない……というか殆ど無い場所の一角でひっそりと営業している二階建ての宿屋の前にあなたはいた。

 女神エリスが泊まっていると思われる、今日ここに来いと指定された宿屋は名前が書かれた小さな看板が無ければ宿屋とは分からないような場所だった。

 

 王都の東地区と教えられてはいたものの、広い王都でたった一件の宿屋を探すのはそれなりに骨が折れたとあなたは溜息を吐く。

 アクセルはともかく、王都の地理にそこまで明るくないあなたは何度も王都に住む人間に道や目印を聞きながらこうしてようやく辿り着いたのだ。

 女神エリスが滞在しているのが有名な宿であればすぐに見つかったのだろうが、こうして見つかったのはよく言えば風情のある、悪く言えば古臭い宿屋。

 王都の住人にもあの宿屋ってまだやってたの? とっくに潰れたと思ってたなどと言われる始末。

 

 窃盗という後ろ暗い活動をする以上は目立たない場所を拠点にするというのは仕方の無い事なのだろうが、女神エリスには手紙にもう少し分かりやすく場所を書いて欲しかった所である。

 道案内を買って出てくれたレインと名乗っていた魔法使いの女性には深く感謝せねばなるまい。

 

 愚痴っていても仕方ないと宿の扉を開ける。立て付けは悪くないようでアッサリと開いた。

 

 宿の中は意外にもよく手入れや掃除が行き届いているようで、どこも綺麗に保たれている。

 少なくともあなたの目に入る範囲内に汚れや傷は無い。

 外観の古さとは似ても似つかない有様にあなたは思わず目を丸くした。

 

「いらっしゃい」

 

 恰幅のいい年配の女性が内部の様子に感心するあなたを出迎えた。

 エリス教徒の証である十字架を首からぶらさげている。

 

「泊まりかい? 食事つきなら一泊……」

 

 あなたが102号室に宿泊しているであろうクリスという名の銀髪の少女に呼ばれたと話せば女性はしばらくそこで待っているように言い、どこかへ行ってしまった。

 

 言いつけを守って待つ事暫し。

 戻ってきた女性はあなたに102号室に本人がいるから向かうように指示を出した。

 どうやらあなたが本当に女神エリスの知り合いなのかを本人に聞きに行っていたようだ。

 

「クリスちゃんのイイ人なのかねえ……」

 

 興味津々といった女性の下世話な呟きを無視してあなたは宿屋の内部に足を踏み入れる。

 廊下や壁も若干の補修の跡はあっても特に老朽化などはしていないようで、よく掃除されている事といい経営者のこの宿への深い思い入れが窺える。

 

 そんな事を考えながらあなたは102と書かれた扉の前に立つ。

 中からは人の気配がするので間違いないだろう。

 ここに国教にもなっている女神エリス、その化身が宿泊しているのだ。

 そう思うとどこか感慨深さを感じてしまうのは異邦人とはいえ神を深く信仰する者故だろうか。

 

「……合言葉を言え」

 

 あなたが扉を二回ノックすれば、中からそんな声が返ってきた。

 他の人間のものなら単に部屋を間違えてしまったと笑い話で済むのだが生憎聞こえてきたのはあなたをこの場に呼んだ女神エリスの声である。

 しかし合言葉。合言葉を言えときた。

 コレは一体どうしたものかとあなたは頭を悩ませる。

 あなたは女神エリスに合言葉など聞かされていないのだ。

 

 もしかして自分が気付いていなかっただけなのかもしれない。

 そう思ったあなたは懐から先日自宅に送られてきた手紙を取り出して再度読んでみるものの、やはりどこにもそれらしき記述はない。

 

「ふふっ……共犯者クン、合言葉は?」

 

 再度の問いかけ、しかしどことなく楽しそうな声だ。

 勿論あなたが合言葉を忘れているなどという事は無い。

 もしかしたら自分は女神エリスにからかわれているのかもしれない。

 畜生揃いの友人に比べればこの程度の悪戯は可愛いものである。

 

 まあ国教にもなっている女神としてはお茶目にも程があるが、そちらがそう来るのならばこちらにも考えがある。

 扉をぶち破るのも悪くはないがこの場はあえて女神エリスに付き合おう。

 そう思ったあなたは適当に合言葉をでっちあげてみる事にした。

 

 ――自分は貴女(クリス)の秘密を知っている。

 

「えっ」

 

 ――自分は貴女(クリス)の秘密を知っている。

 

「えっ……えっ!?」

 

 ――実は貴女(クリス)は……。

 

「あ、あたしは……?」

 

 いや、これ以上は止めておこうと発言を打ち切る。

 女神エリスはあなたの友人ではないのだ。

 お遊びとはいえども、女神の化身を相手にこれは不敬が過ぎるだろうとあなたは自分を戒めた。

 普通に怒られそうだし神罰が当たってしまうかもしれない。

 

 それはそれとしてもう扉を開けてもいいだろうか。

 あなたがドアノブに手をかければ鍵がかかっていた。開けてほしいのだが。

 

「ちょっと待って! ねえ、キミ今何を言おうとしたの!? そこで止められると凄く怖いし気になって仕方が無いんだけど!? このままじゃあたし夜も眠れなくなっちゃうよ!」

 

 何となくその場のノリで意味深な事を言ってみたかっただけなので気にしないでほしいとあなたはやけに切羽詰った様子の女神エリスに告げた。

 いきなり合言葉とか言い出した女神エリスと同じである。

 

「……ノリで合言葉とか言ったのは確かだよ。でも本当に?」

 

 やけに食いついてくるが、女神エリスは何をそんなに気にしているのだろう。

 知られて困る事など自身の正体くらいしか無いであろうに。

 しかし女神エリスは怖いと言った。正体を知られるのが怖いというのは少しおかしい気がする。

 

 そこであなたは閃いた。

 

 もしかしたら、女神エリスは今日もノーパンスパッツなのかもしれない、と。

 まさに悪魔的な閃きである。

 カズマ少年のせいで露出に目覚めてしまったとでもいうのだろうか。

 友人のダクネスが被虐趣味だからとそこまでしなくてもいいだろうに。

 

 ……などという知られれば神罰不可避の頭の悪すぎる冗談はさておき、先ほどの発言は本当にタダのノリであるとあなたが告げれば女神エリスは部屋の扉の鍵を開けた。

 

「いきなりあんな重苦しい声で自分の秘密を知っているとか言われて平静でいられる人の方が少ないと思うんだけど……っていうかあんなのは合言葉でも何でもないでしょ」

 

 影を背負った女神エリスにそこまで重苦しい声だっただろうかとあなたは苦笑する。

 確かに多少真面目ぶってみたりはしたが、言うほどではないと思うのだが。

 

「そう思ってるのはキミだけだよ。アレは誰だって驚く。現にやましい事が何も無いあたしだってあまりの意味深さに何かあったかもしれないって思っちゃったし」

 

 いけしゃあしゃあと女神エリスはそんな事を言った。

 

 あなたは自分が上等な部類の人間だとは欠片も思っていない。

 むしろ叩けば幾らでも埃が出てくる身と考えているし、実際に女神エリスのパンツを返却する事無く今もこの世界で手に入れたコレクションの一つとして後生大事に保管し続けている。

 

 では女神エリスはどうなのか。

 神器回収の際に一度も犯罪行為に手を染めたことが無いと言うのか。

 もしやったとしても、一応は世の為人の為という名目があるとはいえ本当に何一つとしてやましい所は無いのだろうか。

 あなたは曇りなき眼でじっと女神エリスの瞳を見つめる。

 

「無いよ?」

 

 クリス、うそをつけっ!

 きっぱりと即答したのは流石と言えるだろう。

 しかし若干瞳を泳がせる女神エリスに向かってあなたは無性に叫びたくなる衝動に駆られた。

 だが本人が無いと言っているので突っ込むのは止めておこう。あなたは空気を読める人間なのだ。

 

「……まあいつまでも立ち話もなんだから部屋に入ってよ」

 

 あなたを自分が泊まっている部屋に招く女神エリス。

 こう書くと絵面的に若干危ない気がするがあなたも女神エリスもそのような邪な考えは抱いていないのでノーカウントだろう。

 

 さて、招かれた部屋は掃除の行き届いた綺麗なものだったが、宿屋の一室にしてはやけに生活臭が漂っている気がする。

 女神エリスが持ち込んだ荷物の配置などもどこか慣れたものを感じさせる。

 宿屋というよりはまるで女神エリスの自室のようだ。女神の住まう部屋としては不足も甚だしいが。

 

「ん、まあそうだね。あたしは王都で活動する時はいつもこの宿のこの部屋に泊まってるから。この宿は結構居心地がいいんだ。おばちゃんともすっかり顔なじみだしね」

 

 女将が敬虔なエリス教徒なのだろうか。

 それなら居心地が良いというのは分かるが。

 

「ここは静かだし、結構オススメの宿屋だよ。良かったらキミもここを王都での拠点にしたら?」

 

 折角の申し出だがその必要は無いと断る。

 どうやら女神エリスはあなたがテレポートを使えるという事を知らなかったようだ。

 あなたは今日アクセルの自宅から王都に飛んできたのだ。距離があろうが一瞬である。

 アクセルには帰還の魔法で帰るのでわざわざ王都の宿屋で夜を明かす理由は無い。

 

「……テレポートが使えるって共犯者クン、それはちょっとずるっこくない? あたしはわざわざ乗合馬車とか使ってここまで来てるのにさあ」

 

 女神エリスはふてくされたようにそう言うがテレポートはエレメンタルナイトも使えるスキルなのだ。

 あなたは少なくともスキル習得に関してはインチキはしていないと断言出来る。

 

「でも共犯者クン、テレポートが使えるなら何で冒険者なんかやってるの?」

 

 何故と聞かれても冒険者だから冒険者をやっているのだとしか言えない。

 テレポートが使えるというのはそんなにもステータスになるのだろうか。

 確かに非常に重宝するスキルではあるし、様々な悪用方法が思い付くが。

 

「テレポートを使えるような優秀な魔法使いは普通は大抵貴族や大商人にスカウトされるんだよね。ごく一部の例外を除いて。ましてキミはやろうと思えば最前線にたった一人で身を置けるレベルの冒険者だ。そういうのは無かったの?」

 

 そういった要請が一度も無かったと言えば嘘になる。

 しかしあなたは宮仕えや栄達に一切興味は無かったのでそういった要請は全て蹴っている。

 ノースティリスにおいてもそうだったし、ましてや今のあなたは異邦人とくれば何をかいわんやである。

 

 冒険者としての生き方は既に骨身に染み付いている。

 あなたは今更冒険者以外の生き方など考えられなかった。

 副業として料理人や農家をやるのはいいが、女神エリスの言うような縛られるような事をしては神器などの貴重品を手に入れにくくなってしまう。

 

「……ふーん、共犯者クンは変わってるね。魔剣の人みたいな神器持ちや紅魔族、アクシズ教徒の人以外でそういうのはあんまり見ないからビックリだよ」

 

 まああたしは嫌いじゃないけどね、そういうの。

 そう言って女神エリスは楽しそうに、そして少しだけ羨望を滲ませてあなたに笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

「さて、そろそろ本題に入ろっか」

 

 部屋のベッドに腰掛けて女神エリスはおもむろに切り出した。

 

「キミもご存知の通り、こうしてここに呼んだのは持ち主がいなくなった神器を回収する為だよ。それで、その方法なんだけど……」

 

 もったいぶったように溜める女神エリスは、やがてニヤリと笑ってこう言った。

 

「共犯者クン。キミにはこれからあたしと一緒に王都の貴族の屋敷に潜入して、神器やお宝を手に入れてもらいます」

 

 無言で頷いて話の続きを促す。

 そんなあなたの反応に女神エリスはつまらなさそうに足をぷらぷらさせてぼやいた。

 

「ねえ、やけに反応が薄くない? あたし結構大それた事言ってる筈なんだけど」

 

 そうは言うが、あなたは共犯者クンという呼称からこの程度は予想していた。

 故に思わせぶりに打ち明けられても全く驚きようがないのだ。

 あなたを驚かすためにはもっと派手な事をやってもらわなければならない。

 具体的には人民から搾取する愚かな王侯貴族を廃して革命を起こすのだ。人々よ、自由と平等を己の手で掴み取れ! くらいはやってほしい。

 

「なーんだ、つまんないの。……あ、貴族って言ってもあたし達が相手をするのは不当な方法で財宝を蓄えてる悪い貴族だよ?」

 

 なるほど、脱税している貴族を襲うのかとあなたは納得した。

 

 それはいいのだが、どの貴族が神器やお宝を持っているかというのはどうやって調べるのだろう。

 下調べから始めるのは中々に時間がかかりそうなのだが。

 まさか手当たり次第に貴族の屋敷に乗り込むというノープランで行くとでも。

 

「そこは大丈夫。実はあたしの盗賊スキルの中にレアなお宝の在処が分かる『宝感知』ってスキルがあるんだよね。それを使って王都の家々を片っ端から調べてると引っかかるのがそういう悪徳貴族ばかりだから」

 

 宝感知スキル。

 何とも素晴らしいスキルであるとあなたは目を輝かせた。

 名前といい効果といい、まさに蒐集家であるあなたの為に存在するかのようなスキルである。

 女神エリスにはどうにかして自分と恒常的にパーティーを組んでいただきたい。是非とも。

 パーティーを組む事によるデメリットは当然あるだろうが、宝感知はそれを補って余りあるスキルだ。

 

 あなたの熱意溢れる説得に女神エリスは壁まで引いた。

 何故か若干顔が赤い。

 

「そ、そんな無駄に目をキラキラさせて真剣な顔で詰め寄られても困るよ! どうせ共犯者クンはあたしのスキルが目当てなんでしょ!?」

 

 まったくもってその通りである。

 あなたは女神エリスのスキルを、言ってしまえば宝感知スキルだけを求めている。

 だがスキル目当ての何が悪いというのだろうか。

 女神エリスとて自分の技術を目当てにしてスカウトを行ってきたのだからそれと同じだろうと正論を突きつける。

 

「そこまでハッキリ開き直られるとあたしとしては複雑なんだけど……こういうのって嘘でもいいからあたしに興味があるとか言う場面じゃない? 本に書いてあったよ」

 

 有り得ない、馬鹿馬鹿しい話だと女神エリスの物言いを一蹴する。

 そのような軟派な理由でパーティーメンバーを勧誘するなどお里が知れる行為だ。

 あなたは仲間には誠実であるべきだと考えている。

 

「むう……あんまりストイックすぎるのも考えものだと思うよ?」

 

 あまり前向きに検討してはもらえていないようだ。

 パーティーを組むのは女神エリスにも損は無い話だと思うのだが。

 

「具体的には?」

 

 戦闘力はもとよりテレポートが使い放題になるのでアクセルに拠点を置く事が可能で、いつでも友人であるダクネスに会えるようになる。

 

「惹かれるといえば惹かれるけど、それってあたしがキミに必要な時に転送を頼めばいいだけじゃない? もしかしてパーティーメンバー以外にはテレポートやってくれないとか?」

 

 そんな事は無い。

 女神が相手ならば頼まれればいつでも飛ばす所存である。

 

「じゃあそっちの方があたしは助かるかな。折角のお誘いだけどごめんね。でも暇な時に手伝うくらいなら全然いいよ? むしろ大歓迎」

 

 やはりそれくらいが妥当な所だろうか。

 若干残念だが仕方無いとあなたは女神エリスの妥協案を受け入れた。

 

「うん、じゃあそういう事で。ところで話を戻すけど、キミはこれからどうするつもり? あたしの活動の開始時間は夜なんだけど」

 

 あなたは今の所予定は入れていない。

 女神エリスの部屋に居座るというのも失礼だし、ここはもう一部屋借りるべきだと思うのだが。

 

「そう? あたしは全然気にしないからこのままここにいてくれてもいいんだけど。退屈してたしお喋りでもしようよ。これから仕事をするに当たって相互理解は大事だよ?」

 

 あなたとしてもその言に否やは無い。

 これからも二人で活動を続ける以上、互いの事を理解しあっておくのは大事だろう。

 しかし朗らかに笑う女神エリスは女神アクアと違った形で気安い女神だとあなたは感じた。寵愛している信徒が相手でもあるまいに。

 互いに正体を明かしていないという理由があるからかもしれないが、あなたと女神エリスの付き合いはかなり浅いのでここまでフレンドリーだと困惑してしまう。

 友人のダクネスは現在カズマ少年と行動を共にばかりしている。

 そんなにも共犯者……あるいは話し相手が欲しかったのだろうか。ゆんゆんのように。

 勧められるままに女神エリスと雑談を続けるあなたはそう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 そして草木も眠る丑三つ時。

 うっすらと月光に照らされた王都の家々の間を縫うように、二つの影が音も無く疾走していた。

 

 盗賊活動用の特別な服を着て口元を黒い布で覆った女神エリスと夜の闇に溶け込むような頭から足の先まで全身黒ずくめの服装に着替えたあなたは目的の貴族の屋敷に向けて誰にも気付かれる事無く静寂に包まれた王都を駆け抜ける。

 

「共犯者クン。ちゃんとあたしに付いて……きてるみたいだね」

 

 ふと、女神エリスは走りながら付かず離れずの距離を維持し続けながら背後にぴったりと張り付くあなたの方を振り向いて声をかけてきた。

 盗賊として腕を鳴らした女神エリスの闇を切り裂くが如き疾走は微かな月光を反射するその髪の色も相まって白銀の流星と呼ぶに相応しい速度とキレを存分に見せつけており、目の肥えたあなたが見ても今の彼女は目を奪われそうなほどに美しい。

 

 対して自分はどうだろうと考える。

 他者から今の自分はどう見えているのだろうか。

 だがそこまで考えたあなたは出発前、目立たないように黒一色の服装に着替えて頭部を目元以外を黒い布でぐるぐる巻きにしたあなたを見て女神エリスはあまりの本気さと異様な雰囲気に若干引いていたのを思い出した。

 盗賊に見栄えのよさが必要とは思わないが、客観的に見ても見栄えがいいとは言えないだろうと覆面の下で苦笑する。

 その証拠に女神エリスも得体の知れない物を見る目であなたを見ている。

 

「その格好で後ろにピッタリと付かれると凄く怖いっていうか、もう怪しさ満点……今のあたし達の姿を誰かに見られたら即通報モノだよ。黒ずくめの怪しい奴が女の子を追いかけてますってさ。共犯者クンが自分は怪しいものじゃありませんって言っても誰も信じてくれないだろうね」

 

 軽口を叩く女神エリスにまあそうだろうなと首肯するあなたをどう思ったのか、目の前の銀髪少女は更に足を速める。

 しかし加速の魔法を使うまでも無く追いすがってくるあなたにやがて諦めたのか、女神エリスは嘆息一つと共に速度を戻した。

 

「悔しいけど、ちょっと今のあたしじゃ共犯者クンを撒ける気がしないかな。もっとレベル上げなきゃ駄目みたい」

 

 中々に笑える冗談を言ってきた。

 仮にも協力者を相手に、撒いて置き去りにしてどうしようというのか。

 一人で勝手に行動していいというのならするが、その結果貴族の屋敷及び王都がどうなるかは保証出来ない。

 

「あはは、共犯者クンがあんまり余裕で付いてくるもんだからつい悔しくなって。ほら、盗賊の矜持の問題ってやつ?」

 

 女神の一柱ともあろうものが何を言っているのだろう。

 まあ彼女も女神アクアとは違う形で下界を満喫しているようで何よりである。

 

 

 

 

 

 

 そんな他愛の無いやり取りを続けていると、やがて女神エリスが足を止めた。

 あなた達が辿り着いた場所は塀に囲まれた一軒の屋敷。

 大きさはカズマ少年が所有しているものには及ばないが、十分貴族が住むに相応しい大きさだと言えるだろう。

 深夜でも門番は変わらず警備を行っているが緊張感は薄く欠伸をしているのが見える。

 

「さあ、ここが今日のターゲットだよ。共犯者クン、覚悟はいいかい?」

 

 女神エリスが不敵に笑う。

 覚悟はとっくに完了しているが侵入経路はどうするのだろうか。

 門番を殴り倒していいのなら遠慮はしないが。

 

「何正々堂々真正面から行こうとしてるの!? 普通に警備がいない所の塀を登って行くに決まってるでしょ!」

 

 小声で女神エリスがあなたを焦ったように諌めてくる。

 あなたは随分とまどろっこしい事だと肩を竦めた。

 警備兵を片っ端から全員昏倒させてしまえばそれで終わるというのに。

 

「全力で脳筋スタイルを推すのは止めようよ……あたし達は盗賊なんだから、もっとクールでクレバーじゃなくっちゃ。それに騒ぎを聞きつけて屋敷の外から他の人たちが来ちゃったらどうするの? 冒険者とか騎士とかいっぱい来るよ?」

 

 騎士だろうが神器持ちのニホンジンだろうが関係無い。

 あなたは己の神器回収を阻む障害は全て薙ぎ倒していくつもりである。

 どのような相手が立ちはだかろうとも躊躇はしない。ただしウィズを除く。

 

「いやいや、流石にエリス様もそこまでやれとは言ってないから。それにその心意気は買うけど幾ら共犯者クンが強くても無茶な事はあるでしょ、常識的に考えて」

 

 知らぬとはいえ、異邦人……それもよりにもよってノースティリスの冒険者に常識を説くのかとあなたは女神エリスに気付かれないように薄く笑った。

 まあ穏便に済むならそれに越した事は無いと門番がいる場所から離れた塀に回りこむ女神エリスの後を付いていく。

 

 周囲の塀は二階ほどの高さであり、厚さはそれなり。

 あなたであれば採掘するのは容易いだろう。

 

「これくらいならなんとか……よっと!」

 

 掛け声とともに女神エリスが跳躍して塀によじ登り、あなたもそれに続く。

 道具も使わずに塀を蹴って一足で塀を越えたあなたの身体能力に女神エリスが目を丸くする。

 

「……キミ、背中に羽でも生えてるの?」

 

 女神エリスの呆れを前面に押し出した指摘にあなたは内心で冷や汗を流しながら自分の背中を確認する。

 今はあなたの背中には何も生えていない。

 あわや致命傷かと思ったが一安心である。

 

「いや、知ってるけど。ただの冗談だよ」

 

 割と本気で冗談になっていないので止めてほしい。

 彼女は知らないだろうがあなたは背中から何度も羽を生やした過去があるのだ。

 目が四つに増えたり顔が爛れたり足が蹄に変化したり手から毒が滴ったりした事もある。

 お前は何を言っているのだと言われそうだが事実である。あなたは病に侵されているのだ。

 発症すれば上記のような異常が身体に発生し、あなた達イルヴァの者は皆この病に罹患している。この病をあなた達はエーテル病と呼んでいる。

 この世界では定期的にエーテル抗体という治療薬を飲んでいるので今の所一度も発症していない。

 

 そして、エーテル病が発症する原因だが――――。

 

「共犯者クン、どうしたの?」

 

 塀から館に向かう最中、突然立ち止まったあなたを怪訝に窺う女神エリスに何でもないと答え先を急ぐ事にする。

 そしてあなたはアクセルに帰ったらエーテル病について一度確かめてみる必要がある、と深く心に刻み込んだ。

 この世界に来てだいぶ時間が経っている。今更知ったところで自身にどうこう出来る問題とは到底思えないが、それでも他ならぬ己の身体の事なのだ。確認だけでもやっておく必要はあるだろう。

 それにしても気付くのが遅すぎるとあなたは自嘲した。発症させないように定期的にエーテル抗体は服用していたが、あるいはそれが仇になっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 気を取り直して中庭から屋敷の中に侵入する為の裏口を発見し、あなたと女神エリスは周囲を警戒しながら扉の前に立つ。

 あなたが扉に手をかければ案の定閉まっており、このままでは中に入れず立ち往生だ。

 扉に鍵穴のようなものは見えない。

 

「閂型かあ……解錠スキルで何とかなるかな……」

 

 それから一分ほど扉の前で何かをやっていた女神エリスだが、やがて万歳をするように両手を上げた。

 

「ごめんお手上げ。普通の鍵つき扉なら行けるんだけど……こういう物理的なのはちょっと」

 

 では自分が行こうと前に出る。

 無茶な真似をしないように、大きな音は絶対に立てないようにと念を押す女神エリスに頷き、扉の端に向けて腰に下げていた得物を一閃。

 

 小さい金属音と共に扉ごと閂は無事に破壊され、ギイ、と錆びた音を立てて扉が開く。

 殆ど手応えが無かったので鉄などの安い金属を使っていたと思われる。

 無用心な事だとあなたは笑った。最低でもミスリル製は用意しておくべきだろうに。

 まあアダマンタイト製の忍者刀が相手では分が悪いだろうが。

 

「や、やるじゃん。でも解錠(物理)とかされたら盗賊としてのあたしの立場が……」

 

 何故か黄昏れている女神エリスと共に屋敷の中に慎重に侵入する。

 屋敷の中の明かりは消え、住人は皆寝静まっている事が窺える。

 時間が時間なので誰も起きていないのは当然だが、油断は禁物だろう。

 

「よし、こっちだよ。敵感知スキルに反応は無いね」

 

 各種感知スキルを使いながらあなたを先導する女神エリス。

 暗闇の中を手探りで移動する彼女は暗視スキルを持っていないようだ。

 暗視が可能なあなたからしてみればあまりにも遅すぎるのだが、あなたは宝感知スキルを持っていないしこの屋敷の全体構造も把握していない。

 

 ふといい考えを思いついたあなたは女神エリスの肩をつつく。

 

「……?」

 

 どうしたの、と振り向く女神エリスにあなたはスキルに頼らない暗視が可能な自分の背中に乗って指示を出してはどうだろうかと提案した。これなら早く先に進む事が出来る。

 

「…………恥ずかしいからヤダ」

 

 そっぽを向いて先に進む女神エリスに仕方が無いと従者の如くあなたは付き従う。

 だがいざという時は問答無用で女神エリスを抱える所存である。

 

 そうして暗闇の中、微かな月明かりを頼りに見回りの兵士に見つからないようにゆっくりと廊下を進み、屋敷の奥、厳重に鍵のかかった扉を今度こそ女神エリスが開け、地下に続く階段を降り、そして…………。

 

「…………」

 

 果たして、宝物庫と思われる場所の扉の前には警備の兵が立っていた。

 身長はおよそ二メートル。

 扉の前に立つ者が身動き一つしないが職務に忠実なわけでも眠っているわけでもない。

 それもその筈、何故ならあれは……。

 

「あれは……人間の兵士に見えるけどゴーレムだね。それもデストロイヤーに配備されてたアレみたいなタイプ。どこで手に入れたかは分からないけどクリエイター要らずだから寝ずの番をするにはピッタリだ」

 

 厄介な相手だね、と女神エリスは眉を顰めた。

 再び出番だろうか。

 

「待って、ここはあたしがやるよ。流石に無音でアレを破壊は無理でしょ?」

 

 そう言うと女神エリスは膝を付いて手を低く下げながらもゴーレムに突き出した。

 確かに女神エリスの言うとおり、あなたではアレを破壊する際にそれなりに大きな物音が鳴ってしまう可能性がある。

 しかしこの行動には何の意味があるのだろうとあなたは首を傾げた。

 

「こうしないと大きな音が出ちゃうかもしれないからね。出来るだけ手を下げておいて……スティール!」

 

 女神エリスがスキルを発動させた瞬間、ゴトリ、という小さく重い音があなたの足元で響いた。

 音の鳴った方を見ればゴーレムの頭部が女神エリスのすぐそばに転がっている。

 スティールで頭を盗んだ、という事らしい。あなたの脳裏に自宅のデュラハンが過ぎった。

 ベルディアは合体スキルを習得する前は手合わせの際に毎回のようにあなたに頭部を盗まれてボコボコにされていたのだ。

 

 さて、頭を盗まれて機能停止したゴーレムだがその頭は石とも鉄とも違う金属で出来ているようだ。あなたの目にはミスリルに見える。

 

「ミスリルで合ってるよ。……全く、本当にどこでこんなものを手に入れたんだか。でもこんな大物を配備してるって事は今回のお宝は相当に期待出来そうだね。あたしのスキルもそう言ってる」

 

 重いゴーレムを扉の前から退かし、豪奢な鍵を女神エリスが解錠する。

 扉や周囲に罠は無く、あなた達は無事に宝物庫に侵入を果たした。

 あのゴーレムが最後の関門だったのだろうかと考えながらティンダーでランプに火を点ける。

 灯りに照らされたそこには金銀財宝の数々が。魔道具らしき物品も散見される。

 

「ふっふっふ。随分と貯め込んでたみたいだね……さあ、フィーバータイムだよ。あたしは神器を探すからキミはこの袋にかたっぱしからお金とか宝石を詰め込んじゃって」

 

 そう言って女神エリスがあなたに渡してきたのは一見するとごく普通の大きめの麻袋だ。

 実はこの袋には魔法がかかっており見た目以上に物が入るという四次元ポケットに似たとても便利な魔法道具である。

 ご機嫌な女神エリスを尻目にあなたは言われた通り目につく財宝を次々に袋の中に放り込んでいく。

 金貨や宝石、魔法の道具や武器などなど。

 

「あったあった。ちょっと難解な宝箱に入ってて手こずっちゃったけどあたしにかかればこんなもんだよ」

 

 女神エリスが持っていたのは先端に大きな青い宝石が付いた装飾の無い地味な杖。

 

「神器ブルークリスタルロッド。本来であれば持ち主に比類なき魔力を与える……んだけど、持ち主がいない今は魔法の威力をまあまあ上げるくらいの安全な神器だね」

 

 言いながら神器を差し出してくる女神エリス。

 危険ではない神器はこちらが持っていていいという契約なのでありがたく受け取っておく。

 新たにコレクションが増えてご満悦なあなただったが、ふと神器を袋に収める動きを止めた。

 

「どうしたの――――ッ!?」

 

 不思議そうに首を傾げる女神エリスだったが、すぐに彼女の敵感知にも引っかかったようだ。

 今現在、あなた達の元には大勢の気配が近付いてきている。

 人数は数十人規模。

 

「嘘っ、見つかった!? でも罠なんかどこにも……!!」

 

 突然の事態に狼狽する女神エリスは何かに気付いたようで扉を睨んで大きく舌打ちした。

 

「やられたっ、多分ゴーレムが発信したんだ……破壊された時に合図を送るようにって……! もしそうならどんだけレア物なのさ! ノイズ製みたいな遺失物レベルでしょこんなの!?」

 

 随分と面白い機能の付いたゴーレムであるとあなたは感心したが、修羅場の到来である。

 ここは地下深くの宝物庫。地上に戻るには唯一の階段を上っていくしか手段が無く、その階段には今衛兵達が殺到している。

 あなたは女神エリスの肩に手を置き、後からすぐに追いつくので少し待っていてほしいと告げるものの、彼女は激昂した。

 

「あたしに一人で逃げろって事!? 駄目だよそんなの! キミはあたしに協力してくれてるだけなんだから、肝心のあたしが一人で逃げるなんて出来るわけ無いでしょ!! ここは何とかして二人で力を合わせて――――」

 

 有無を言わせずあなたはテレポートで女神エリスを王都ではない遠方の街に送る。

 やけに盛り上がっていたがこの女神エリスは魔法の存在を忘れていたのだろうか。

 それにしても他者を一瞬で遠方に送れるとはつくづくテレポートは便利を通り越して反則じみた魔法であるとあなたは改めてこの魔法の使い勝手の良さに感心した。

 貴族が魔法封じの罠を仕掛けていなかったのが仇になった形だ。そんなものがあるかどうかは別として。

 

「――――!」

 

 急速に近付いてくる無数の足音と怒号。

 テレポートで逃げるのは容易いが、あなたはまだやり残した事があるのでここに残っていた。未だ多く残っている財宝の回収である。

 いそいそと袋に財宝を詰めていると勢い良く宝物庫の扉が開け放たれ、衛兵が持っていたランプが黒一色なあなたの姿を映し出す。

 

「見つけたぞこの薄汚い盗人め! ここが年貢の納め時だ! この屋敷から生きて帰れると思うなよ!!」

 

 威勢のいい口上と共に剣を抜き、あなたに襲いかかって来る衛兵達。

 ひっ捕らえて尋問などを行う気は無いのだろう。

 窃盗がバレれば殺されても文句は言えないのであなたとしてもこれは当然といった感じである。

 

 さて、あなたはこうして見つかってしまった。

 見つかってしまったのでは仕方が無い。

 仕方が無いので得物の忍者刀を抜く。

 思えば衛兵とやり合うのは久しぶりだ。

 ノースティリスで冒険者達に幾度となく殺され続けた末、レベルが数千に達した衛兵達との違いを見せてもらおう。

 

 

「――――え?」

 

 

 衛兵の一人が声を出した。

 あれだけ不届き者を成敗すべしと気炎を上げていた衛兵達が途端に動きを止める。

 何が起きたのか理解出来ないと言うかのように。

 

 そんな彼等とあなたの間には今まさにあなたに切りかかろうとしていた衛兵四人が地面に転がっていた。

 一瞬であなたに戦闘不能にされた彼等はいずれも武器と鎧、あるいは兜を無惨に破壊されており一目で重症だと分かる傷を負っている。

 だが彼等四人は誰一人として死んではいない。

 みねうちの効果で辛うじてだが生きているのだ。

 治療すれば再起可能な程度の瀕死状態で生きている。

 

 次の衛兵を相手にすべくあなたが衛兵達の方に一歩向かえば、彼等は一歩引く。

 何やら途端に腰が引けている様子の衛兵達だが、この場の誰一人として殺す気は無いので安心してほしいとあなたは覆面の下で彼等を安心させるかのように優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 ……その翌日、屋敷の主である貴族が眼にしたのは致命傷にしか見えない傷を負いながらも辛うじて生きている衛兵達と根こそぎ財宝を奪われた宝物庫。

 

 これを知った貴族達と彼等に雇われている衛兵は男女問わず生かさず殺さず痛めつけたまま放置するという犯人のあまりの残虐な手口に震撼した。

 

 巷を賑わす美形と評判の義賊に続いて現れた黒衣の強盗。

 

 前者ならばまだいい。だが自分の元に現れるのが後者だったら。

 襲われた屋敷の衛兵は貴族が有り余る金に物を言わせて集めた結果、30台と高レベルの手練もそれなりにいたのだ。にも関わらずこの有様。

 次に襲われるのは自分ではないのか。

 貴族達が眠れぬ夜を過ごす羽目に陥るのに時間はかからなかったという。

 

 そして……。

 

 

 

 

「やりたい放題やった噂の黒衣の強盗さん。何か言いたい事は?」

 

 数日後、突然呼び出されたあなたは何故か青筋を浮かべている女神エリスに正座させられていた。

 あなたの友人風に言うならば今の女神エリスはおこである。げきおこぷんぷん丸である。

 どうしてこんな事になってしまったのだろう。皆目見当もつかない。

 

「テレポートであたしを逃がしてくれたのはありがとう。本当に感謝してる。衛兵を一人も殺さなかったのも安心してる。でもあたしは脳筋スタイルは止めようって言ったよね? 盗賊なんだからもっとクールでクレバーに動こうって確かに言ったよね? っていうかキミは何で衛兵を蹴散らしたの? わざわざそんな事しなくてもあたしと一緒に逃げられたよね?」

 

 あなたはあの時欲しい物があり、それを手に入れるまでは脱出など考えられなかったと否定する。

 

「それがこれ?」

 

 頬をひくつかせながら女神エリスが小突くのは人型を模した金属製の頭。

 そう、あなたが欲しがった物とは女神エリスが機能停止させたミスリル製のゴーレムの残骸である。

 女神エリスが唸るほどのレア物らしいのであなたは衛兵を蹴散らした後に頭と胴体を四次元ポケットに収納して回収したのだ。

 ちなみに女神エリスはあなたが頭だけ袋に入れて回収したと思っており、胴体まで持ち帰っている事など知らない。

 

「欲望に忠実すぎるよ! っていうか人選ミスやらかした感じがひしひしとする……あたしは巷で言われてる頭がおかしいエレメンタルナイトっていうのは大袈裟な表現だとばっかり……!」

 

 あなたの告白に女神の化身は頭を抱えた。

 人選ミスとの事だが、今後の神器回収はどうするのだろうか。

 

「続けるよ! 続けてもらうともさ! テレポートや戦闘力を含めてキミのスキルが凄く優秀って分かったからね! でもこれ以後は絶対にあたしの指示に従ってもらうから! 今ここであたしがキミの手綱を離したら何しでかすか分かったもんじゃない……!」

 

 半泣きで訴える女神エリス。

 だがあなたは彼女が懸念しているような大それた真似をするつもりは無かった。

 独自に貴族の屋敷を荒らして神器を回収するだけである。

 全ては女神エリスの神意の元に。

 目の前の女神エリスがやっていいと言ったのでやるのだ。

 

「駄目だよ! 絶対に駄目だからね!? ほら、今神託でエリス様も駄目って言ったよ!? エリス様はキミのやりたい放題の凶行に滅茶苦茶怒ってるからね!? 本当に駄目ですからねって言ってるよ!?」

 

 どうやら駄目らしい。とても残念だと肩を落とす。

 まあ今回は無事に神器が手に入ったので良しとする。

 どうか今後もこうあってほしいものである。

 

「あたしは今もう一人メンバーが欲しいと切実に思ってるよ……! 戦闘力は低くてもいいから、せめてあたしが目を離した瞬間にデストロイヤーみたいに暴走を始めたりしない人が……!」




★《ブルークリスタルロッド》
異世界の黄金の騎士と白い巫女が八本腕の大悪魔を封印するのに使ったとされる大秘宝……のレプリカ。
レプリカとはいえその性能は女神が下賜するチート神器に相応しい。
平和の象徴であるが、人界の平和を維持する為なら伝説の剣に比肩する力を発揮する。今は本来の持ち主がいないので発揮しない。

出典:らんだむダンジョン(元ネタ:ドルアーガの塔シリーズ)


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第38話 エーテルとメシェーラとにゃあにゃありっちぃ

 先日、王都で軽い運動を行ったあなたは無事に神器とゴーレムを回収した。

 神器の力は王都の市販品に劣る程度にまで弱体化し、異世界の未知の技術で製作されたゴーレムは今の所全く再起動の目処が立っていないが、それでも思い出しただけでホクホク顔になってしまう大収穫である。

 女神エリスに付いていって本当に良かったとあなたも大満足だ。

 信徒になるつもりは無いが、これからも貴族狩りには期待出来そうである。

 

 貴族をどうこうするのに躊躇は無い。悪徳だろうが、そうでなかろうが。

 あなたはパーティー会場で貴族が持っていた、とある酒場の娘のパンツを手に入れた時のように必要とあらば貴族だろうが王族だろうが構わずミンチに出来る人間なのだ。慈悲は無い。

 

 こうして貴重品を入手したあなただが、実は金銭的には1エリスも稼いでいなかったりする。そしてこれからもあなたが女神エリスの依頼で金銭を入手する事は無いだろう。

 今回も宝物庫から回収し尽くしたゴーレムと神器以外の無数の金銀財宝は全て女神エリスに渡している。

 女神エリスとはそういう契約を結んでいるし、元より金銭に困っているわけでもない。

 

 盗んだ財宝の使い道だが、女神エリスは神器以外の窃盗品はエリス教団の経営する孤児院に寄付しているのだという。

 悪徳貴族が後ろ暗い方法で貯め込んだ資産を盗んで恵まれない者達に分け与える。

 王都で貴族をカモにする噂の盗賊が義賊と呼ばれている所以である。

 だが今回はあなたが暴れたので寄付はしないようだ。

 

 女神エリス曰く、少しでも義賊と強盗の繋がりを疑われる可能性を摘んでおきたいらしい。

 あなたからしてみればコンビを組んでいるのだからいずれ両者の関係が露見するのは避けられないと思うのだが。

 肝心の財宝についてだが、女神エリスは貴族のように私腹を肥やす気は無いだろうしきっと貯め込んで次回以降に放出していくのだろう。

 やっている事は犯罪だが、女神の名に相応しいと言えなくもない慈悲深い所業である。犯罪だが。

 ではエリス教と対を成すとも言えるアクシズ教団の御神体、女神エリスの先輩である女神アクアの場合はどうだろう。

 彼女ならば悪党の金だからと全力で私腹を肥やし、己の欲望のままに放蕩三昧の日々を送りそうだ。

 何故かそんな微笑ましい光景が容易に想像出来てしまう。それもまた女神アクアの魅力なのだろう。

 

 さて、女神エリスは次に狙う貴族を探すとの事であなたの盗賊稼業は再度呼び出しがあるまでしばらくお休みである。

 女神エリスは妙に疲れた様子だったので追加人員の選定も行うのかもしれない。

 あなたはあまり数が増えると目立ちすぎるので少数精鋭が望ましいと思っているのだが、エリス教徒も混じっていたのであろう屋敷の衛兵達を死なない程度に痛めつけて女神エリスを怒らせてしまった手前何も言えない。

 

 

 

 

 そんなこんなでアクセルに戻ってきたある日の朝。

 食事の後、いつものように鍛錬の為に終末狩りに励むべくシェルターに潜るベルディアと共にあなたもシェルターに向かった。

 最近のベルディアはバニルをぶっ飛ばすという目標を立てているので鍛錬に身が入っている。主人であるあなたからしてみれば非常に喜ばしい事である。

 まあ身が入っていないと死ぬのだが。

 

「ご主人は何をしに来たんだ?」

 

 外套以外は完全に本気の武装で身を固め、愛剣まで抜いているにも関わらず何をするでもなく階段に腰掛けたあなたを見て怪訝な顔をするベルディアにエーテルの風を浴びたいだけだから気にするなと告げる。

 これから自分の身に何かが起きるかもしれないが、ただちに問題があるわけではないとも。

 

「滅茶苦茶気になる。何かが起きるって何が起きるんだ……」

 

 うっへりとするベルディアだが何が起きるかは分からないので何とも言えない所である。

 分かりやすい変化としては目が増える、頭部が巨大になる、皮膚が甲殻に覆われる、足が蹄になる、背中に羽が生える、顔が爛れる、手から毒が滴る、くらいだろうか。

 

「バケモノか!? ……いやバケモノだったな。やっぱりな、俺は最初から知ってたぞ」

 

 愉快なスキルで首が射出可能、更に合体時に謎の効果音が鳴るベルディアにだけは言われたくはないとあなたは言い返すと一瞬でベルディアの瞳が濁った。

 

「バニルの奴にもネタにされまくるしもうほんとやだこのスキル。……なあご主人、何とかして分離スキルだけ消せないか?」

 

 それだけは出来ないとベルディアの懇願を切って捨てる。

 ノースティリスでは一度覚えたスキルを忘れる事など出来はしないのだ。

 仮に可能であってもベルディアのデュラハンとしてのアイデンティティが崩壊してしまうので主人としてそれだけは却下するつもりである。

 

「くっそ、よりにもよってあいつらが俺をギロチンなんかにかけるからこんな事に……普通に処刑されてアンデッド化していればこんな事には……」

 

 怨恨からドロドロとしたどす黒い瘴気を発するベルディアはまさに元魔王軍幹部に相応しい。

 ところでベルディアはエーテルの風を毎日毎日浴び続けているわけだが、体調がおかしくなったという事は無いのだろうか。

 

「身体の調子? 俺はあのドラゴンとか巨人と一緒に出てくる青い風の中で何かが悪くなったと感じた事は一度も無いな。むしろ普段より調子がいいくらいだ」

 

 さもあらんとあなたは納得した。

 影響があるのならばとっくの昔に出ていただろう。

 なんとなくベルディアの命綱であるモンスターボールを宙に放ってみると、ベルディアが遠い目になった。

 

「……ああ、そういえば今日はご主人がいるから死んだら二日後になってた、なんて事が無いのか」

 

 普段のベルディアは一度死んだらモンスターボールの中であなたが帰宅するまでそのまま瀕死状態のまま回復してもらうのを待つ事になる。

 日を跨ぐような依頼であなたが家にいない日や就寝中は当然意識の無いまま時間が経過していく。

 エーテルの風に固定されたまま天候の変化も時間の経過も分からないシェルター内で昼夜を通して行われる終末も相まって時間の感覚が狂いまくるとはベルディアの言である。

 だが今日は死んでも即蘇生して送り出すので時間のロスは無い。安心してほしい。

 

「わあい、すごくうれしい」

 

 濁った目でベルディアが虚ろに笑った。

 最近は大分長続きするようになったのでこれからも頑張ってほしいものである。

 頑張れ、頑張れと声をかけて応援する。

 何故かベルディアが崩れ落ちた。

 

「……なんて心に響かない薄っぺらい応援なんだ。美少女にやられればそれでも多少はやる気も出るがご主人じゃ駄目だこれ。ぺらっぺらすぎて萎える」

 

 ウィズに応援させてみようか、と思ったがベルディアが無駄にテンションを上げそうなので止めておく。

 

「ところで戦闘に手出しをする気は無いんだろうが、殲滅力はともかく防御力の方は大丈夫なのか? ……ご主人に限ってそれは無用な心配か?」

 

 この世界に来て強化された終末だが、その程度では座ったまま放置していてもそうそう死なないので気にしなくても大丈夫だと笑う。

 せめてすくつの深層で発生させた終末でなければ。

 終末はハウスボードを使って適当に逃げ回ればいいだろう。

 あまり邪魔になるようなら殺すが、そこはベルディアの頑張りに期待である。

 

「強くなればなるほど分かるご主人の異常性に膝が震えそう。どれだけレベルが上がっても速度差だけは埋められんのが辛い。魔法も道具も使わずに体感速度を任意で引き上げられるとか反則だろ。冒険者だろうがモンスターだろうがデフォルトでクロックアップが可能とかどうなってんだご主人の世界は……っていうかいずれ俺もその世界に行く事になるのか。ご主人と同等の奴が何人もいるらしいし、なんかもう早くも絶望しかないな」

 

 ぶつぶつと何かを言いながらラグナロクでアンデッドナイトを突くベルディアを眺めながら、あなたはふとこの世界における自分の唯一のペットについて考え始める。

 数多の死線と己の屍を越え、初めて会った時とは比較にならない程に強くなったベルディア。

 頭部が不安定というデュラハンとしての弱点も合体スキルで解消された今のベルディアに死角は無い。レベルを上げ続けるだけで彼は順当に強くなっていくだろう。

 

 もしかして今のベルディアが人類の敵になった場合、この世界の人間達にとってこの上なく厄介な存在と化してしまうのではないだろうか。

 主人であるあなたも人類に敵対した場合、という前提条件だが。

 

 強化された終末で狩りを行えるまでに引き上げられた地力。

 長時間の殺戮行為を作業と認識するほどに磨耗……もとい研磨された精神。

 何回死んでも同じ戦闘領域にあなたがいる限り即蘇生して戦闘を再開可能な不死性と死ぬ事を嫌悪しながらも決して恐怖はしない精神。もとい死に慣れ。

 

 ゾンビアタックとでも言えばいいのだろうか。

 相対する際は無視して放置が最善なのだろうが、今のベルディアは放置するには少し強くなりすぎた。

 放置してもベルディアが自殺すればすぐにモンスターボールに帰ってくるので即復帰可能。

 そんな面倒な相手をあなたは自分ならどう対処するか考え、サンドバッグに吊るして放置するという堅実な、悪く言えば面白くも見所も無い答えを出した。

 

「なんかご主人が物凄い不穏な事考えてる気がするぞ!」

 

 勘のいいベルディアが叫ぶが、モンスターボールを奪われた挙句ベルディアがあなたを裏切らない限りは起こり得ない仮定の話である。

 だがあなたの声はタイミングよく巻き起こった終末に掻き消されてベルディアの耳に届く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 こうして早朝から夕飯前まで。

 あなたはエーテル病の発症を早める愛剣を持ったまま過ごし、ヴィンデールクロークというエーテルの風の影響を弱める外套無しに終末による高濃度のエーテルを浴び続けた。

 もうそろそろいいだろうと血の海の上に立つベルディアに声をかけ、一旦切り上げる為にあなたも加わって掃討戦を開始する。

 ラグナロクではおかわりが発生してしまうので彼の嘗ての愛剣である神器くろがねくだきを渡すとベルディアはとても喜びながら戦場を駆けた。

 まるで雪の中を走り回る犬のような姿だったとはあなたの正直な感想である。

 

「……今日は湧いた敵がご主人の方にも行くからいつもより楽だったな」

 

 夕食をとるべくあなたと同時に上がるベルディアがそう言った。

 ちなみに今日のベルディアは普段よりも楽になったからと油断した所で発生した最高レベルの竜の群れに圧殺されていた。

 ベルディアのレベルは既に十二分な程に足りている。油断大敵であるとあなたが指摘するとベルディアは気まずそうに下手糞な口笛を吹きながら目を逸らす。

 

「緑、緑のドラゴンのせいだ。耐性とか知った事かと言わんばかりに軽減不可能な無属性のブレスをバンバン吐いてくるのが本当にきつい」

 

 ベルディアの言うとおり、終末で出現する竜種の中で最弱であるグリーンドラゴンは高レベルでは最も恐ろしい竜である。

 レベル四桁のグリーンドラゴンによる無属性のブレスは極めて痛烈なものになる。

 

「で、半日ほど終末を続けたわけだが……半日終末をするっていう表現がもうな。さておき、ご主人に特に言われてたような変化は無かったな。どこかで呪いでも食らったのか?」

 

 不思議そうなベルディアの言うとおり、あなたの身体は何の異常も発生していなかった。

 ここがノースティリスであれば確実に一つか二つはエーテル病が発症しているだろう。

 にも関わらずあなたには何も異常が発生しなかった。

 

 

 だからこそ、あなたは今の自分が異常だと理解した。

 

 

 あなた達イルヴァの民にとってエーテルはエーテル病を引き起こす有害な物質だが、本来エーテルそのものは決して毒ではない。

 ベルディアがエーテルの中では調子が良くなると言ったように、木々より抽出されるエーテルは毒どころか無害かつ非常に有益なエネルギーである。

 故に大昔のイルヴァでは大量に搾取されたという。

 

 だが、あなたが生まれるよりも遥か遠い昔。

 とある非常に優秀な生化学者が一つの細菌を作り出した。

 

 その名はメシェーラ。

 

 元々は人々の利益となるはずの物質だったこのメシェーラ菌は、どういったわけか制御不能となり有害なモノとなってイルヴァ中に繁茂してしまったのだ。

 

 太古に発生したこの生物災害を経て、現在のイルヴァにはこのメシェーラ菌が蔓延してしまっており、イルヴァの生物はメシェーラに侵されている。

 無論あなたや友人達も同様に。

 

 さて、ここでエーテルの話に戻ろう。

 再度繰り返すがエーテルとは木々より抽出される毒どころか無害かつ非常に有益なエネルギーである。

 更に世界を侵すメシェーラを抑制するという、まるで星の意思のような効果を持っている。

 

 だが人々がエーテルを大量に搾取して消費しすぎた結果、繁茂と抑制のバランスが崩れてしまった。

 人々がエーテルとメシェーラの関係を知ったのはメシェーラが猛威を奮い出した頃。

 完全に手遅れの段階になってからである。

 

 しかし生物とはいつだって環境に適応するものである。

 やがて時が過ぎ、メシェーラ菌に依存する種族が多数現れた。

 今のあなた達もその一つだ。

 

 だが生き物が変化してもメシェーラとエーテルの関係は変わらない。

 ここで毒と薬の関係が反転してしまったのだ。

 メシェーラ菌と共生関係にある種族にとってメシェーラを抑制するエーテルは極めて有害であり、死をもたらす毒素となってしまった。

 そしてエーテルの摂取によって病として表れる症状を、あなた達はエーテル病と称している。

 

 アクセルでおかしな病気が発生したという話は聞いた事が無い。

 保菌者であるあなたと同居しているウィズやベルディアにも異常は発生していない。

 

 つまりこの異世界にメシェーラやそれに類する物は存在しないのだろう。

 メシェーラは人工の細菌という話なのであった方が驚きだが。

 

 更にエーテルを浴び続けても身体に変化が無い事から、イルヴァの住人であるあなたも今はメシェーラの影響を受けていない事が判明した。

 

 身体からメシェーラが全て抜け落ちているのか、体内に潜伏しているが無害化しているだけなのかは分からない。

 こうなった原因も一切不明。

 考えられる原因としてはムーンゲートを潜った際に何かが起きたか。

 

 こうして異世界に飛ばされた事といい、自分の潜ったあれは本当にムーンゲートだったのかすら怪しくなってきたとあなたは溜息を吐いた。

 

 ともあれこの件についてはこれ以上考えても仕方が無いだろう。

 星を覆うメシェーラもエーテルも、どれだけ強大な力を有していても一介の冒険者でしかないあなたの手には余りすぎる案件である。

 今のあなたにはありのままを受け入れるくらいしか手が無いのだ。

 手の施しようが無いとも言える。

 

 しかしエーテル病の発症を早める愛剣を惜しみなく振るえる様になったのは喜ばしい。

 大量の抗体を抱えているので今までも殆ど気にしていなかったが、それでもだ。

 

《――――》

 

 あなたの意思を感じ取ったのか歓喜に震えた愛剣が刀身からエーテルの風もかくや、という勢いでエーテルを豪快に噴き出した。爆発的なエーテルの増加であなたの視界が青に染まり、愛剣の影響で全身を襲う嫌悪感と共に今度は赤に染まる。

 これは愛剣というベルディア曰く特級の呪物があなたの心身を蝕んでいるだけなのでエーテルは関係無い。

 

 一度咳き込むと口の中いっぱいに鉄の味が広がったので吐き出せばびちゃりと血塊が階段を汚した。

 突然興奮してエーテルとプレッシャーを撒き散らす愛剣とクリエイトウォーターで口を濯ぐだけで何も言わずにそのままシェルターから退出するあなた達にベルディアが密かにドン引きしていたが、あなたが気付く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 姉さん、突然ですが事件です。

 

 そんな電波が届く程度にはあなたは混乱した。

 あなたに姉はいないが、それくらいに驚いたのだ。

 シェルターから出たあなたの目には衝撃の光景が広がっていた故に。

 

 なんと、居間の暖炉前のカーペットの上でウィズが白い子猫と戯れているではないか。

 

 豪快に腹を出して寝そべっている子猫の全身をウィズは両手でわしゃわしゃと弄っている。子猫に夢中になっているようでウィズはあなたに気付いていない。

 そして猫はされるがままピクリとも動いていない。よほど人に慣れているのだろう。

 改めて説明するまでもないだろうが、あなたに飼い猫はいない。シェルターに篭っている間にウィズがどこからか拾ってきたのだろうと思われる。

 ちなみにベルディアは先に風呂に入っているので居間で何が起きているかなど知る筈も無い。血みどろで食事などさせられないからだ。

 

「……ふふっ。気持ちいいですかにゃあ」

 

 あなたの耳にそんな台詞が聞こえてきた瞬間、あなたは率直に言って自分の耳か頭がおかしくなったのかと思った。

 先の発言の主は勿論ウィズである。

 同居人の激しいキャラ崩壊に危うく噴き出しそうになったが辛うじて堪える。

 

 あなたに見られている事に気付かずにニコニコと笑いながら猫をその白い手でわしゃわしゃするウィズ。

 されるがままになって反応の無い猫ににゃあにゃあと言いながら話しかけているあたり、実は彼女は疲れていたりするのだろうか。どちらにせよかつて氷の魔女と謳われ、魔王軍も恐れたという才媛は現在あらゆる意味で隙だらけなぽわぽわでぽけぽけなりっちぃになっている事だけは確かだ。

 

「にゃあにゃあ、可愛いですにゃあ」

 

 お前の方がずっとずっと可愛いよ!

 そう全力で主張した方がいいのだろうかとあなたは本気で考えた。

 あなたの嘘偽りの無い本音である。

 

 もしかして今の自分は見てはいけないものを見てしまっているのではないだろうか。

 誰でも良いので教えてほしい。愛剣は何も答えてはくれない。

 だがこうして本当に幸せそうに猫と戯れているウィズを見ているとエーテルやメシェーラ、世界の平和の事などどうでもよくなってくるから不思議だ。

 きっと噂に聞く癒し系というやつだろう。ウィズはアンデッドだというのに。

 

 そうして暖かい気分と目でウィズを眺める事暫し。

 あなたの気配を感じ取ったのか猫が突然あなたの方を向き、そのままじっと見つめてきた。

 つられてウィズもあなたの方を向いたので手を上げて挨拶しておく。

 

「あっ、どうもお疲れ様ですにゃあ」

 

 ともすればすぐにでもにやけそうになる己の顔を全力で歯を食いしばって耐える。

 唇をひくつかせるあなたにウィズは目をぱちくりとしていたが、数秒して自分が何をしていたのか、そしてあなたがそれを見ていた事にようやく気付いたらしい。

 

「――――ッ!!」

 

 ウィズの首から頭のてっぺんまでが急速に赤くなっていったのが分かった。

 赤面と同時にかあっという幻聴も同時に聞こえてくる始末。

 まるでお手本のような見事な赤面である。

 子猫があなたに挨拶をするようににゃあ、と鳴いた。中々の美声だと感心する。

 

「まっ、ちが……」

 

 あなたは自分の事は気にしなくていいから存分に続けて構わないにゃあとウィズに促す。

 我ながら似合わなさ過ぎて吐きそうだとあまりの気持ち悪さに自己嫌悪しながら。

 

「止めてください違います誤解です! これは本当に違うんです!」

 

 何が誤解だというのか。何が違うというのか。

 楽しげに猫と戯れるウィズの姿はカメラに撮っておけば良かったと思うくらいに眩しく尊いものだったというのに。

 それはそれとして誰が悪いと聞かれればあなたは隙だらけで見られて恥ずかしがるような事をやるウィズが悪い、自分は悪くないと主張するつもりだった。

 

「いや待って下さい、だってあなたにだってありますよね!? つい気が抜けた時に変な独り言を口走っちゃう事だってありますよね!? お願いですからあるって言ってください!!」

 

 言われてみれば確かにあるかもしれない。

 あなたはしたり顔でウィズの懇願に頷く。

 

「ですよね? ですよね!?」

 

 割といっぱいいっぱいな様子である。

 あなたはギリギリウィズに聞こえるくらいの声量でそうだにゃあ、と呟いてみた。

 特に理由は無い。

 

「もうっ、もうっ! 私が悪かったですからいじわるしないでくださいよぉ!」

 

 あまりの羞恥心から目に涙を浮かべ、真っ赤な顔であなたの胸板をぽかぽかと叩いてくる可愛い可愛い同居人に謝りながら子供のようにあやす。

 そんなあなた達を白猫は大きく背伸びをしながら呆れたように空色の双眸で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 狂乱するウィズを落ち着かせてソファーに座らせたあなたは彼女の隣に座る。

 今のウィズは丸くなった白猫を膝に乗せている状態だ。

 あなたがすぐ傍に寄っても猫が逃げ出す気配は無い。

 

 やけに人に慣れている猫だが、まさかウィズが以前から仮にも家主である自分に隠れて飼っていたわけではないと思いたい。

 流石にずっと家の中にいたのなら抜け毛や匂い、気配で分かる筈だからだ。

 

「夕方にお夕飯のお買い物から帰ったら家の前にいたんです。とても寒そうだったのでつい……勝手に家にあげてしまって本当にごめんなさい……」

 

 しゅんとするウィズに別に構わないとあなたは笑いかけた。

 勝手に家にあげたとは言うがウィズには前もって危ないのでシェルターの中に入ってはいけないと言っていたのでそれについてとやかく言うつもりは無い。

 終末はウィズの力量ならば危険は無いだろうがそれはそれ、これはこれである。

 

 それはさておき猫である。

 あなたはおもむろにウィズの足を占拠する猫の喉に手を伸ばした。

 

「……っ」

 

 ウィズは自分の足にあなたの手が伸びてきたからか一瞬びくりと身体を硬くしたが、猫を撫でるためだと分かるとすぐに力を抜いた。

 だがここでおおっと手が滑った、と言いながらウィズの足に手を伸ばしたらどうなるのだろう。

 とても心が惹かれる案だが流石に泣かれるかもしれない。セクハラは止めておくべきだ。

 今も十分にセクハラかもしれないがウィズ本人は何も言ってこないので気にしない事にする。

 

 喉をくすぐられ、気持ち良さそうに目を細めてごろごろと喉を鳴らす子猫は見ていて微笑ましい。

 時折もふもふしながら無心で触り続ける。

 

「猫、お好きなんですか?」

 

 ウィズの質問に、あなたは好きだと簡潔に答えながらも猫を撫でる。

 

 好きといっても食料的な意味ではない。

 味はさておき猫は食べると犯罪になってしまう。

 幸運の女神を信仰する友人も女神から下賜された黒猫をペットとして飼っているのだが、アレは腹から蛆虫が湧いたりするので駄目だ。仕草や外見そのものが可愛くないとは言わないが膝の上に乗せたり撫でようものなら大惨事になる。

 

「…………好きです。私も」

 

 ややあって、ウィズはポツリとそう呟いた。

 

 あなたはそれを受け、背中の亀裂から無数の目と口が見えたり腹から蛆虫がうじゃうじゃ湧いてくるようなあの控えめに言ってイス系のゲテモノとしか表現出来ない黒猫が好きなのか、と言いそうになったが今自分達がしていたのは猫全体の話だったと思い直す。危なかった。

 内心で冷や汗をかいていると、猫は今度はあなたの膝の上に乗ってきた。

 

 ところでウィズはこの子猫をどうするつもりなのだろうか。

 

「……多分どこかの飼い猫だと思うので、ギルドを通して飼い主さんを探してみようと思ってます。飼い猫ならきっと探してるでしょうし」

 

 あなたの膝の上に乗った猫を撫でながらウィズはそう言った。

 てっきり飼うつもりだと言うと思っていたので若干拍子抜けである。

 

「いえ、飼うだなんてそんな。生き物を飼うっていうのはそんな簡単に決めていい事じゃないんですよ?」

 

 あなたもペットを自分の仲間にする際はちゃんと面倒を見るという決意を持って仲間にしているので、ウィズの言っている事はよく分かった。

 だが猫と一緒にいる事で寂しさを紛らわせる事は出来るだろう。

 店があった時は仕事に熱中する事で寂しさを紛らわせる事が出来たが、今は無い。

 あなたは依頼で家を空ける事が多い。ベルディアが家にいるのは食事時か八日に一度。

 故にあなたはウィズが一人で何もせずに家で待っているというのは寂しかったのではないかと思っていたのだ。

 

「寂しくはないですよ」

 

 あなたの考えを真っ二つに断ち切るように。

 ウィズは静かに、しかしきっぱりと言い切った。

 

「確かに一人でいた頃はふとした瞬間に寂しくなっちゃう事はありました。……でも、今はあなたがいますから」

 

 穏やかな光を目に灯し、しっかりとあなたの目を見つめながら。

 

「あなたはちゃんとここに帰ってきて、ただいまって言ってくれるから。おかえりなさいって言えるから。私は寂しくなんかないんです」

 

 それに、今はバニルさんも同じ街にいますしね。

 そう言ってウィズは独白を終えた。

 

「……少し話しすぎちゃいましたね。すみません、今お夕飯の支度しますね」

 

 おもむろにソファーから立ち上がり、ぱたぱたとスリッパの音を響かせながらキッチンへ向かうウィズ。

 あなた(異邦人)はそんな彼女に何も言えず、ただ白い子猫の頭を撫でる。

 

 人の気も知らない気楽な子猫はにゃあ、と満足そうに小さく鳴いた。



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第39話 いっしょにとれーにんぐ

 あなたの自宅の一角に設置された異空間、シェルターの中。

 本来であれば無機質な鈍色の床はハウスボードの効果で芝生に変換されており、まるで街の外の草原のような光景が広がっている。

 

 そんなこの世界の常識から外れた場所であなたと対峙しているのは紅魔族のゆんゆんだ。

 

 ゆんゆんはやけに緊迫した雰囲気を漂わせているが、ただの組み手の最中である。

 デストロイヤーが来襲した日に受けたゆんゆんに修行をつける依頼は今も尚続行中なのだ。

 ウィズも運動不足の解消の為にトレーニングに付き合っているが、まだ組み手までは行っていない。

 

「――ッ!」

 

 そしてあなたは今日も今日とて鋭い呼気と共に繰り出される拳と足、そして逆手に持った短剣を交えたゆんゆんの素早い連撃を時にひらりと回避し、時に打ち払いながら器用に捌いていく。

 

 互いに鍛錬用に刃を潰した短剣を使っての組み手。

 ベルディアのように直接的なレベルアップにはならないが、それでもあなたとウィズの教えによってゆんゆんの技術は確かに磨かれ続けている。

 

 アークウィザードという後衛職、そしてゆんゆんの体躯も相まって彼女の攻撃はソロ活動でそれなりにレベルが高くなっているにも関わらず軽めだ。同レベル帯の前衛職には及ばないだろう。

 そこを彼女は速度と手数、隙あらば積極的に急所を狙っていくスタイルで補っている。

 ちなみに急所狙いはあなたが徹底的に手ほどきした結果である。

 最大の急所である首を狩れば生き物は死ぬのだ。少なくともノースティリスでは。

 だが露骨に急所を狙い過ぎては相手としては逆に与しやすくなってしまうので注意が必要である。

 

 戦うスタイルは両者共に魔法戦士と呼べるあなたとゆんゆんだが、組み手の際は魔法の使用は厳禁になっている。

 頑丈なあなたはともかく後衛職のゆんゆんが攻撃魔法を食らうととても危険だからだ。

 そんなわけで魔法の運用を指導するのはゆんゆんと同じアークウィザードであるウィズの担当である。

 少なくともノースティリスの魔法戦士――職業の魔法戦士ではなく、魔法と武器を併用するという意味で――としては歴戦であるあなたも時折口を出す事があるが、それでもこの世界の魔法に関してはあなたよりも圧倒的に熟知しているウィズがメインで教えている。

 

 ゆんゆんとしても凄腕として名を馳せたウィズの指導を受けるのはいい刺激になるらしく、紅魔族の学校より、ずっと凄い! と目を輝かせていた。

 話を聞くに紅魔族の魔法学校は色々な意味で濃い場所だったらしく、常識的なゆんゆんは浮いていたのだとか。

 何故同じ里で育ってなぜゆんゆんだけがあのような性格になるのかは定かではないが、めぐみんのノリを見るにゆんゆんはさぞ生き辛かった事だろう。

 

 そんなゆんゆんにウィズはこのままならこの国の歴史に名を残すかもしれませんね、と太鼓判を押していた。

 バニルやベルディア曰く才覚や力量という点では現役時代のウィズは確実に人類史に残るレベルだったらしいのだが、そんな彼女に妹分が相手という贔屓目を差し引いてもそこまで言わせるとは驚きである。

 

 更にゆんゆんは勤勉で飲み込みが早いのでとても教えがいがある、というのがあなたとウィズの共通の認識だ。

 

 かといってゆんゆん本人もあなた達に教えられた技術や知識を鵜呑みにせず、自分なりに上手く噛み砕いて吸収している辺り彼女の優秀さとこれまでの努力の跡が窺える。

 長年に渡って地味で泥臭い努力だけを続けてきた、己の才覚はどこまでいっても凡人に過ぎないと認識しているあなたとしては舌を巻くばかりだ。

 

 全てはめぐみんに勝利し、胸を張って紅魔族の長となる為に。

 

 遠距離戦、足を止めて魔法をヨーイドンで打ち合うならば爆裂魔法を使うめぐみんが勝つだろう。

 しかしそれ以外の状況下で普通に一対一で戦うのならばゆんゆんが勝利すると思うのだが、いかんせん彼女は押しに弱くゲロ甘でチョロQだ。

 なんだかんだと強かで頭のおかしい爆裂娘に言いくるめられてガチンコ以外の方法での勝負になって負けてしまいそうである。

 

 あなたとしてはベルディアのようにギリギリの所で死ぬような戦いを十回ほどやればちょっとやそっとでは動じないメンタルが手に入ると思っているのだが、残念な事に蘇生に極めて厳しい制限がかかっているこの世界ではそうもいかない。

 ゆんゆんはベルディアと違ってあなたのペットではないしモンスターボールの在庫も無い。限りなくストックの少ない復活の魔法を乱発はしたくない。

 みねうちでゆんゆんを半殺しにした所で彼女のメンタルは強くならないだろう。

 それは折れるだけだ。

 

 真剣な表情で攻撃してくるゆんゆんをいなしながらゆんゆんのメンタルトレーニングを考えるが、別に必要は無いかもしれないと思い直す。

 時に攻撃を捌き、時にこちらから攻撃を仕掛けながらもあなたは先ほどからゆんゆんの下半身が目に入ってしまって仕方がなかった。

 今日のゆんゆんはフリフリのピンクのミニスカートを穿いている。

 ミニスカートを穿いたまま近接格闘を行っているのだ。

 いつもは鍛錬を行う日はホットパンツやスパッツ着用などの激しく動いても問題ない服装だったのだが、今日はミニスカだけである。

 

 ゆんゆんは同年代に比べて発育がいいが、まだまだ十三歳の少女だ。

 肌寒くとも生足を曝け出して戦うのは若さの証だろう。

 しかしミニスカートのまま激しく動き回っているので白い太ももが眩しいし、何よりスカートの奥から時折白い何かがチラリと見えてしまっているのであなたとしては気が気ではない。

 恥ずかしがっては戦いにならないのは確かなのだが、年頃の少女としてもう少しその格好はどうにかならなかったのだろうか。

 生死を賭けた戦闘中ならそんな事を言ったり考えている余裕などどこにも無いのだが、生憎と今は鍛錬中である。どうにも気になってしょうがない。

 

 下だけではなく上も胸の上の部分が見えてしまっている色気が高めな服を着ているあたり、ゆんゆんは普段は押しの弱い控えめな性格に反して服装自体はかなりイケイケである。まるで往年のウィズのように。

 彼女本人は性格や顔だけ見ればいかにも清純派、といった感じなのだが。

 似合っていないとは言わない。だが服装がゆんゆん本人の趣味だとしたらかなりアンバランスな少女である。常識的に見えても紅魔族の一員であるのは伊達ではないという事だろうか。

 

 そうこうしていると不意にゆんゆんが足を止めた。呼吸を整えながらあなたの出方を窺っている。

 現在の立ち位置としては中央のゆんゆんをあなたとウィズが挟んで一直線に並んだ形になる。

 あなたはふと気になって、先ほどから黙ったまま未だ飼い主が見つかっていない子猫の隣で横座りになっているウィズに意識を飛ばしてみた。

 

「…………」

 

 ウィズはあなたを見ていた。

 間にゆんゆんを挟んでいるにも関わらず、ウィズは確かにこちらだけを見ているとあなたは一目で理解してしまった。

 

 とはいってもこれは決して彼女があなたに見惚れているなどといった色気のある話ではない。

 

 ウィズは何か文句を言うでもなく、ただひたすらにゆんゆんの背後からジトっとした半目であなたを見つめていたのだ。恐らくはあなたが視線に気付く前からずっと。

 抗議するかのように静かに突き刺さるプレッシャーとジト目を受けて、あなたの背中に冷や汗が流れる。

 

(ゆんゆんさんのスカートの中身に興味がおありですかそうですか。そうですね、確かあなたは以前ゆんゆんさんにパンツが欲しいって言ってましたもんね。……私には言った事無いですけど)

 

 ウィズはそんな事を言っている気がした。

 これはどうやら鍛錬中にちょくちょくあなたの視線と意識がゆんゆんの太ももとスカートの中身に行っていた事がバレていたようだ。ゆんゆん本人は気付いていないというのに。

 しかしちょっと待ってほしい。これは不可抗力であるとあなたは声を大にして主張したかった。

 ゆんゆんは真剣にトレーニングを行っているのだろうが、あんな短いスカートでぴょんぴょん飛び跳ねたり、更にあろうことか大胆に回し蹴りを仕掛けてくるなど完全に逆セクハラである。

 あと自分はゆんゆんにやましい気持ちなど一切抱いていない。

 

 やましい気持ちは抱いていないが、ゆんゆんのスカートの中に鑑定の魔法は使った。

 結果は残念ながらハズレ、ごく普通のパンツだった。

 ゆんゆんが現在穿いているパンツは頭に被っても効果は無いし投擲武器にも適していない。実に残念である。

 

 あなたとしてはウィズの下着にもとても、それこそゆんゆんのパンツ以上に興味があった。

 だが窃盗してそれが発覚しようものなら恐ろしい事になりそうだし流石に同居人の友人の下着を無断で拝借するほどあなたは落ちぶれてはいない。

 交渉すれば手に入るのだろうか。

 

 それはそれとしてあなたは許しを得るべくゆんゆん越しにウィズに弁解という名のアイコンタクトを送る。男の前であんな格好で立ち回るゆんゆんに問題があるのだと。

 ウィズはややあってゆんゆんの短いスカートに目をやり、やがて仕方ないですね、とばかりに額を抑えて溜息を吐いた。ウィズとしてもゆんゆんの高い露出度からの大立ち回りには若干思うところがあったようだ。この後ゆんゆんにはウィズによるお説教タイムが待っているかもしれない。

 

 あなた達に挟まれたゆんゆんはそんなやり取りに気付く事無く、しかし集中を切らしてもいない。

 一瞬でも集中を切らせば容赦なくあなたから攻撃が飛んでくると知っているからだ。

 そしてあなたの隙を窺うべく目を光らせてチャンスを待っていた。

 

「――――しっ!!」

 

 完全にウィズに注意が向いたあなたの意識を刈り取るべくゆんゆんがこめかみを狙って鋭い爪先蹴りを放つ。思いっきり急所狙いである。

 腰の入ったいい蹴りであるとあなたの浮ついた意識が一瞬で切り替わる。

 後衛職とはいえゆんゆんのレベルや体術も相まって、蹴りが直撃すれば大の大人であっても昏倒は不可避だろう。直撃すれば。

 そんなゆんゆんの乾坤一擲の蹴撃に対し、あなたは流れるような動きで迎撃を行う。

 

「えっ、きゃあっ!?」

 

 蹴りを片手で受け流しながらゆんゆんのもう片方、軸足を払う。

 己の身体を支える物が無くなったゆんゆんは芝生に勢いよく尻餅を付いた。

 

「あいたたた……」

 

 転倒した拍子にゆんゆんのスカートが捲れて白が見えた。

 思わずやってしまったが、やはりこれはセクハラになってしまうのだろうか。

 あなたがウィズになんとかしてほしいと視線で懇願すると、ウィズは真剣な表情で頷いた。

 

「あの、ゆんゆんさん。こういう事もありますし、やっぱりそんな格好で近接格闘を行うというのは私はどうかと……」

 

 硬い声のウィズの言葉にゆんゆんは何を言われているのか分からなかったようだが、すぐに破顔してこう言った。

 

「大丈夫ですよウィズさん、いつもみたいに見られても大丈夫なようにホットパンツを穿いてきてますから。ほら、今日のはおニューの紺色なんですよ?」

「ちょっ!? あなたは見ちゃ駄目です!」

 

 立ち上がったゆんゆんはウィズの方を向いたかと思うと両手でスカートの裾を持ち上げた。

 いわゆるたくしあげである。

 あなたの方からその中身がどうなっているかは窺い知る事が出来ない。

 だが顔色を変えて叫んだウィズを鑑みるに、きっと見ない方がいいのだろう。

 ここで移動してゆんゆんの前に立ったり寝そべってみようものならば今度こそ友人兼同居人に物凄く怒られて夕飯を抜きにされてしまう。そんな気がする。

 

「何やってるんですかゆんゆんさん!? スカート下ろして早く隠してください! 見えちゃってます! 丸見えですから!!」

「えっ? 丸見え?」

 

 泡を食ったウィズにぽかんとした表情を浮かべるゆんゆんはスカートを下ろしてお尻に手を当てた。

 ちなみにあなたが垣間見たスカートの中身は紺色ではなく白である。

 

 もう一度言おう。

 ゆんゆんのスカートの中は紺色ではなく白である。

 

「あれっ?」

 

 数秒ほど動きを止めたゆんゆんはやがて何かに気付いたのか、バっと勢いよくスカートを押さえて地面に蹲ってしまった。

 

「――――きゃあああああああああああああああああああ!?!?」

 

 シェルター内にゆんゆんの甲高い悲鳴が響き渡り、ウィズの隣で気持ち良さそうに眠っていた子猫がすわ何事かと飛び起きた。

 

 

 

 

「……あのですね、確かにゆんゆんさんはまだ十三歳かもしれません。でももう十三歳なんです。ゆんゆんさんはもう一人の冒険者で可愛い女の子なんですから、もっとご両親に頂いた身体と自分を大事にしなきゃ駄目だと私は思うんです」

「はい……」

「別にロングスカートや長ズボンを穿けと言っているわけではありません。冒険者とはいえ女の子なんですから、オシャレに気を使うのはいいと思います。ただゆんゆんさんはもう少し自分が男性に見られているという自覚をですね……。ゆんゆんさんは自分なんかを見る人はいないと思っているのかもしれませんが、全くそんな事はないんですから……」

 

 ホットパンツを穿き忘れていたゆんゆんに待っていたのは悲しそうな顔をしたウィズお母さんによる本気のトーンのお説教だった。

 ゆんゆんは真っ赤な顔で粛々と説教を聞き入れている。

 時折助けを求めるかのようにあなたの方をチラチラと見てくるが今のウィズに何を言えというのか。

 そもそもあなたはゆんゆんのスカートの中を図らずとも何度か見てしまっているわけで、何かを言う資格があるのかという疑問もある。

 

 これがバニルなら現役時代にあんなイケイケな格好をしていたウィズが異性に見られているのを自覚しろなどと一体どの口が言い出すのか、くらいは言いそうだ。全力で煽りながら。

 あなたとしても今のウィズは激しくブーメランを投げていると思っている。

 だがそれを口に出した瞬間確実にこちらにも説教は飛び火してくるだろう。しないわけがない。

 

 触らぬ神ならぬ、触らぬリッチーに祟り無し。

 あなたはゆんゆんから目を逸らして無言を貫く事を決めた。

 見捨てられたとでも思ったのか、ショックを受けたように目を見開くゆんゆん。

 

 実際見捨てた形になるわけだが、ゆんゆんはソロで冒険者活動を行うあの年頃の少女にしてはあまりにも隙が多すぎである。わざとやっているわけではないのが性質が悪い。

 

 寄らば斬る、寄らなくても寄って斬ると言わんばかりの怜悧な美貌と雰囲気を纏っていた当時のウィズならともかく、気弱でゲロ甘でチョロQなゆんゆんは平和なアクセルでなければ性質の悪い冒険者にちょろっとナンパされて酔わされお持ち帰りされた挙句あれやこれやされていただろう。

 ウィズにお説教される事でゆんゆんのような少女がソロで冒険者活動を行うという事がどういう意味を持つのかを肝に銘じて警戒心というものを強く持って欲しい。あなたは切実にそう思った。

 

 

 

 

 

 

 お説教から解放されたゆんゆんがウィズに指導されているのをあなたは先ほどまでのウィズのように芝生に腰を下ろした状態で眺めている。

 元凄腕アークウィザードにしてリッチーであるウィズの講義や各種魔法の運用方法はあなたからしてみてもとても新鮮で刺激を受けるものだ。

 そしてそれは紅魔族であるゆんゆんも同様らしい。

 魔法に関しては真剣と書いてガチと読む、相手を仕留める気満々なウィズの魔法運用は時に悪辣さすら感じさせる。現役時代の氷の魔女の異名は伊達ではない。

 

 頭のおかしいご主人とあのウィズが直々に指導した優秀な紅魔族とかもう嫌な予感しかしないとはベルディアの感想だ。

 

 そんな彼は現在あなたがおやつに作ったカリカリモフモフのメロンパンを頬張りながらウィズとゆんゆんの鍛錬をあなたの横で観察している。

 

「しかしなんだな。こうして見ていると切実に思うのだが……ウィズはリッチーになってからは本当に腑抜けたというか牙が抜けたというか。魔族殺すべし慈悲は無いと凄腕アークウィザードとして俺達を狩っていたあの頃とは本当に別人だ」

 

 バニルも同じ事を言っていたし当時の写真を見たあなたとしてもそれには同意せざるを得ない。

 だが今はゆんゆんがいるのだからリッチーの件についてはあまり大声で言ってくれるなとあなたはベルディアを目で制する。

 あなたとしてはゆんゆんに教えてもいいのではないかと思っているのだが、ウィズはまだまだ踏ん切りが付いていないらしい。

 ウィズの己が人外であるというコンプレックスは根深い。

 だがそれも致し方ないだろう。

 女神アクアという大物の神が問答無用で敵視して浄化しようとする程度にはリッチー、ひいてはアンデッドは人類にとって厄ネタなのだから。

 

 そしてその元凶がこうして一つ屋根の下にいるというのはいかなる運命の皮肉だろうか。

 

「なんだ? メロンパンはやらんぞ」

 

 子猫にじゃれつかれるベルディアを見てあなたは強く思う。

 腑抜けたのはベルディアも一緒なのではないだろうか。

 

「というかご主人はあの紅魔族の娘をどれくらい強くしたいのだ?」

 

 それはゆんゆんの頑張り次第である。

 あなたとしては可能ならば第二のウィズになってほしいと思っているのだが、流石にそれは時間も経験も圧倒的に足りないだろう。

 それこそ四六時中あなたも付きっ切りで終末に放り込む必要が出てくる。

 更に人体改造もフルに行って三食おやつ全てをハーブ漬けにしなくてはならない。

 爆裂魔法も覚えてもらいたい。是非に。

 まあこれはゆんゆんの依頼で行っている事なのでやらないが。

 

「俺達、というかご主人の陣営でパーティー組んだら酷い事になりそうだな。全員上級職だし」

 

 ベルディアの生前の職業は上級騎士(アークナイト)である。

 キョウヤが就いているソードマスターを防御寄りに、あるいはダクネスが就いているクルセイダーを攻撃寄りにした上級職だ。

 それを鑑みても自分達でパーティーを組むと攻撃的すぎる編成になるのではないだろうか。

 

 エレメンタルナイトが一名。

 アークナイトが一名。

 アークウィザードが二名。

 地獄の公爵が一名。

 

 前衛後衛のバランスはいいがあなたからしてみれば回復役が欲しい所だ。

 しかしアンデッドに悪魔という回復魔法と相性が悪そうなのが三名もいるのでいかんともしがたい。

 

「入れちゃうか。あいつも入れちゃうのか。……いや、確かに強いけどな? というか本当になんだこの面子。紅魔族の娘を除外してもひっどいなコレ。国でも滅ぼすつもりか」

 

 この国を滅ぼすだけならウィズだけで十分お釣りが来るだろう。

 相性最悪な女神というとびきりのイレギュラーを考慮しなければの話だが。

 

 ……というかどこかに魔王の加護のような光や浄化の魔法を打ち消す、あるいは効果を弱める装備は無いのだろうか。

 積極的に女神アクアや女神エリスに敵対するわけではないが、この件については一度バニルに相談してみてもいいかもしれない。

 

 あなたが一人今後の予定を固めているとベルディアが遠い目でウィズを見ていた。

 

「ん? ……ああ、いや、なんだ。ああやって武器を持って魔法を使っているウィズを見ていると、俺としては色々と思うところがあってな……」

 

 二人が本当の姉妹のようで微笑ましくなるのだろうか。

 あなたの問いかけにウィズがリッチーになった原因である元魔王軍幹部は首を横に振った。

 

「そうではない。昔の事を思い出して胃が痛くなるのだ。今にも当時の恨みを晴らすとか言い出しはしないだろうかと」

 

 無用な心配にも程がある。

 万が一そんな事になった場合はあなたはウィズを説得するつもりだった。

 

「お、おう……。だがそんな事を言いつつ駄目だったら潔く諦めろとか言うんだろ? 俺は知ってるぞ」

 

 よく分かっている。

 どうせ死んでも生き返るのだから憂さ晴らしに付き合ってあげてもいいのではないだろうか。

 散々ウィズにセクハラを行ってきたのだから一回くらい命を差し出すくらいは安いものだろう。

 

 聞けばベルディアは女子トイレに生首を置き忘れた事もあるという話ではないか。

 バニルに聞かされた時はちょっと何を言っているか分からなかった。

 

「本気で死ねばいいのにって言ってるのに悪意が感じられなくてどうにかなりそうだ。でも実際命なんて安いもんだから困る。特に俺のはな……」

 

 背中を煤けさせるベルディアを無視してあなたは懐から一冊のノートを取り出す。

 思うが侭に記述を重ねているとベルディアが声をかけてきた。

 

「それは何だ?」

 

 その疑問に答える事無くあっという間に記載を終え、手帳を渡す。

 ベルディアはそれをいぶかしみながらも素直に中身を声に出して読み上げ始めた。

 

「冒険者のカズマ、水の女神のアクア、盗賊のクリス、紅魔族のめぐみん、クルセイダーのダクネス(ララティーナ)、ギルド受付嬢のルナ。……なんだこれ。人物の名前ばかりが書かれているようだが人物名鑑か何かか?」

 

 別に人間だけが書かれているわけではない。手帳の後ろ半分を見てみれば分かる。

 あなたがそう言うとベルディアは更に手帳を読み進めていく。

 

「む、確かに他のもあるな。スライム、ゴブリン、ゴーレム、初心者狩りに一撃熊。冬将軍。……目に付いたものを片っ端から書いてる感じがあるな。無節操にも程がある。というか悪魔を含めて存在が確認されている全てのモンスターが書かれてないか? デストロイヤーもあるし」

 

 流石に網羅はしていないだろうとベルディアの疑問を否定する。

 図鑑に書かれている種族や名前は大体記述している筈だが。

 

「しかしこれだけ色々書かれているというのに見たところウィズの名前が無いようだが、これは? あそこで修行中の紅魔族の娘の名前すらあるというのに」

 

 ウィズの名前は後で消したので書かれていない。

 最初のページに塗り潰された箇所があるが、それがウィズである。

 あなたがそう言うとベルディアは納得したように頷いた。

 

「成程、これがウィズだったのか。書き間違って塗り潰した部分かと思ったぞ。だがどうしてウィズだけ消してあるんだ?」

 

 ウィズは友人だからだとあなたは簡潔に答えた。

 今の所友人をその手帳に記述する予定は立てていないのだ。

 

「ふむ、友人だから書かれていない。という事は俺の名前は……やはりあるな。バニルの奴もあるのか。他の幹部は無しと」

 

 二人は友人ではないので勿論ある。

 この先バニルが友人になればウィズのように名前を抹消されるだろう。

 そろそろ手帳について説明が欲しいならするが。

 

「いや、もう少し自分で考えてみたい。下僕……もとい仲間の俺は記載しても友人だけを除外する理由……ほう、玄武の名前まであるのか」

 

 どうやらベルディアは玄武を知っていたようだ。

 魔王軍でも有名だったのだろうか。

 

「流石にな。宝島とも呼ばれる十年に一度地上に出てくる巨大な亀だろう? しかしこの玄武とデストロイヤーの名前の横に書かれてる大きすぎるので拡張工事必須っていうのが気になるぞ。……いや、説明しなくていいからな」

 

 ベルディアがそう言うので説明はしないが、書かれているのは文字通りの意味である。

 あの二体は大きすぎてそのままでは屋内に入りきらないだろうから。

 

「とりあえずこれから殺す予定の奴リストではないのは確かだな。デストロイヤーの名前があるし」

 

 幾ら頭がおかしい頭がおかしいって言っても、流石にそこまでご主人は狂ったサイコ野郎じゃないよなと冗談めかして笑いながら言うベルディアにあなたは何も言わずに笑い返し、内心で惜しいとベルディアの勘の良さに称賛を送る。

 

 この世界がノースティリスと同じ法則と同じ倫理観の元で運営されていたのならばそうなっていた可能性は十分にあったのだが、この世界はご存知の通り生死に関しては中々シビアな法則と倫理観、法律が敷かれているのでそうはならなかった。

 ノースティリスと同じように殺しても容易に生き返る世界で殺人が許され殺せば剥製とカードをドロップするのならばあなたに躊躇う理由はどこにも無い。その瞬間にこの素晴らしい世界における剥製回収の旅が始まっていただろう。

 

 そう、ベルディアが唸りながら見ている手帳に書かれているのはあなたがいずれノースティリスに帰った時に願いで入手し、博物館に飾る予定の剥製およびカードのリストである。

 人間については知り合いや有名人の名前を載せており、モンスターは図鑑や生で見た事があるものだけを記載している。

 

 ウィズはこの世界に来て最初の頃は書いていたのだが彼女が友人となった時に消した。

 神々の剥製は飾っているが、存命中の友人の剥製を博物館に飾る気は無い。

 飾るとしても自宅が精々だろう。



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第40話 演奏、即死、鉱山街にて

 アクセルを襲った大雪の影響が続いているのか、例年にも増して寒さが厳しい今年の冬にしては珍しく暖かかったある日の事。

 あなたが定例である女神アクアへ王都の酒の奉納を行う為にカズマ少年の屋敷を訪ねるとめぐみんがあなたを出迎えた。

 それ自体は珍しくもなんともないのだが、今日のめぐみんはいつもと違って紅魔族のローブに三角帽子と今にも外出でもしそうな格好をしている。

 

「またアクアへの貢物ですか? 今日は多目ですね」

 

 めぐみんの言うとおり、あなたは二つの木箱を持ち込んでいた。

 一つ目の木箱はいつも通り、女神アクアへ奉納する分の酒が入っている。

 もう一つの小さめの木箱は幽霊少女、アンナへのプレゼントだ。

 勿論子供でも飲みやすいような甘めで口当たりの良い物を選んでいる。

 

 そんなアンナはめぐみんの後ろ、あなたの視界の端で自分の姿が見えているあなたに見せ付けるように見事なムーンウォークを披露している。

 先日はドゥエドゥエドゥエという幻聴が聞こえてくる奇天烈な走法で屋敷を駆け抜けていたが、今日は大人しめである。

 彼女は芸人、もといエンターテイナーとして食っていけるのではないだろうか。

 相変わらずアンナは幽霊とは思えないほどに活動的だ。死後を謳歌しすぎである。

 

 めぐみんの挨拶もそこそこに木箱を屋敷に運び込むと、彼女は唐突にこう切り出した。

 

「最近、暇で暇で仕方ありません」

 

 杖をクルクルと弄びながらめぐみんは続ける。

 

「報奨金で借金がチャラになったどころか懐に余裕が出来たせいでアクアは日がな一日暖炉の前でゴロゴロしてばっかりですし、カズマはカズマで最近作ったこたつとかいう暖房器具に亀のように引き篭もってばっかりですし。まともなのは私とダクネスくらいですね」

 

 やれやれと溜息を吐くめぐみん。

 しかしカズマ少年と女神アクアこそが世界の冒険者のデフォルトなのではないだろうか。

 危険な冬の活動を避けてゆっくり過ごすというのが。

 

「一緒にしないでください。というかそっちだって違うじゃないですか。普通にバリバリ依頼を受けてるって聞いてますよ。別にあなたを見習うわけではないですが、目標にしている宿敵が活動しているのにどうして私だけ安穏としてられますか」

 

 言葉を返すようだが、この世界の冒険者と一緒にしないで欲しい。

 というか自分を見習うべきではないとあなたは考えている。

 この世界のスキル無しで戦えてしまうあなたはお世辞にもこの世界の冒険者のデフォルトとは言えないのだ。

 爆裂狂のめぐみんもこの世界基準では相当なキワモノなのでどっちもどっちかもしれないが。

 

「……とはいってもダクネスと私ではまともに討伐依頼も受けられませんからね。そんなわけで今日はこれからゆんゆんで遊んで暇でも潰そうかと思ってたんですよ。仕方なく」

 

 ゆんゆんと遊ぼうではなく、ゆんゆんで遊ぼうというのがミソである。

 それでもゆんゆんなら喜んでしまうのだろうが。

 だが今日はゆんゆんはあなたと用事があるので受けてくれるかは怪しいものである。

 あなたがそう言うとめぐみんはムっとした顔を作った。

 

「ゆんゆんからの勝負は受けないようにしてくださいと言った筈ですが?」

 

 勝負をするわけではない。

 あなたはこれからゆんゆんと遠出をする予定なのだ。

 というかめぐみんはあなたがゆんゆんの友人になったのを知らないのだろうか。

 

「知らなかったわけではありませんが……あのお馬鹿、友達にする相手はもう少し慎重に選びなさいとあれほど……」

 

 頭痛を堪えるように頭を押さえるめぐみん。

 友人判定が楽勝すぎるゆんゆんにそれを言ってもどうしようも無いとあなたは感じた。

 それにあくまでもあなたがゆんゆんの友人になっただけであって、ゆんゆんがあなたの友人になったわけではないのがミソである。この違いは小さいようでとても大きい。少なくともあなたにとっては。

 

「私も付いていきます。退屈なので暇潰しに。それに、二人っきりにさせていてはチョロ甘なゆんゆんが頭のおかしいエレメンタルナイトに何をされるのか分かったものではありませんからね。別にゆんゆんを心配しているわけではありませんが、一応あんなのでも私のライバルなので」

 

 別に構わないとあなたは頷いた。

 きっとゆんゆんも喜ぶだろう。

 それにしてもめぐみんは本当に心配性である。

 あまり無茶な事をさせるつもりはないというのに。

 

「なんだ、めぐみんも出かけるのか?」

 

 あなた達の声を聞きつけたのか、玄関にやってきたのはカズマ少年だ。

 めぐみんと同じように外行きの服装なように見える。

 

「ええ、ちょっとそこまで。というかカズマ、その格好はどういう風の吹き回しですか? 寒いしお金もあるから外に出ずにゴロゴロしてたいとか言ってたカズマが外に出るなんて」

「正直屋敷で缶詰になってネタ考えたりするのにちょっと飽きてきた。今日は結構暖かいし買出しのついでに鍛冶屋に行ってみようと思ってるんだけど」

 

 カズマ少年はバニルの誘いで異世界の商品を考え、試作しているのだという。

 彼が考えたり作った品を量産したり販売するのはバニルの役目だ。

 大悪魔だけあって伝手は相当のものなのだろう。

 

「KATANAでしたっけ? カズマの国の剣を作ってもらうように頼んでるんでしたか」

「まだ出来てないと思うけどな。教えた製作方法だってうろ覚えだったし」

 

 この世界に刀は広く知られていない。

 あなたが現在使っている大太刀の神器は冬将軍が持っていたものなので一本も存在しないわけではないのだろう。

 だがどうやらニホンには刀があるらしい。

 ノースティリスでも刀は異国の武器なので似た要素があるのかもしれない。

 

「で、めぐみんはどこ行くんだ?」

「知りません。どこに行くんですか?」

 

 あなたが行き先を告げるとめぐみんは驚きを顕にした。

 

「滅茶苦茶遠いじゃないですか!?」

「そんなに遠いのか?」

「私は行った事無いですけど、王都から馬車で三日はかかると言われています。鉱山の街として結構有名な場所ですよ。どうせテレポート使うんでしょうから一瞬ですけど」

「へえ。……俺も着いていっていいか? 商品開発のネタになるかもしれないし、鉱山の街ってのを見てみたいんだ」

 

 めぐみんの仲間であるカズマ少年とゆんゆんは顔見知りだそうだし、人見知りなゆんゆんでもあまり困る事は無いだろうとあなたはカズマ少年の同行を快く許可した。

 

「じゃあ早速行こうぜ」

「カズマ、一応遠出するのに装備は持たないんですか?」

「依頼じゃないんだから必要無い。っていうか万が一面倒事が起きても俺は絶対に戦わないからな」

「……そこの頭のおかしいのに丸投げする気満々ですか」

「当たり前だろ。小金持ちになった今、死ぬような思いをして働く理由なんかどこにも無いんだ。戦えとか言われたら俺は全力で逃げるぞ」

 

 いっそ清々しい宣言をしたカズマ少年にめぐみんは呆れたように溜息を吐いた。

 

「また借金でもこさえれば少しはこの態度も変わりますかね……いえ、冗談ですが」

「俺の目を見て言ってみろ」

 

 

 

 

 

 

「あれ、めぐみんじゃない。どうしたの?」

 

 待ち合わせ場所に先に来ていた完全武装のゆんゆんがあなたと一緒のめぐみんの姿を見て目を丸くする。

 これから出かける相手とライバル兼友人が一緒に来たのだから不思議に思うのは当たり前だろう。

 

「私達も一緒に行く事になりました。暇潰しにちょうどいい機会だったので」

「突然で悪いけどよろしくな」

「いえ、私は別に……」

 

 所在なさげなゆんゆんはしかしどこか嬉しそうでもある。

 めぐみんと一緒にどこかに出かけるのが楽しみなのだろう。

 当のめぐみんはゆんゆんで遊ぼうとしていたのだが。

 

「ニヤニヤしないでください、気持ち悪い」

「酷い! 気持ち悪いって何よ!?」

「言葉通りの意味ですが何か?」

 

 しれっと言い放つめぐみんだが、彼女が実はゆんゆんの事が心配で堪らないと知っているあなたからしてみればとても非常に微笑ましいものでしかない。

 

 そういえばこの二人はそれぞれあなた達の妹分だ。

 ゆんゆんはウィズの妹分。

 めぐみんについては勝手にあなたが妹のようなものだと思っているだけだが。

 

 

 ――お兄ちゃんの妹は私でしょ!?

 

 

 あなたは思考に割り込んできた毒電波を無視してテレポートを発動させた。

 

 

 

 

 

 

 王都から乗り合い馬車で約三日。

 幾つかの村や街を経由して辿り着く事になるこの国最大の山脈の麓にある鉱山街。

 

 質の良い宝石や鉱石が採掘され、それを加工する腕利きの鍛冶屋や魔道具屋が集まったこの街は装備品を求めて訪れる冒険者や商人達の存在もあって王都には及ばないにしろかなり賑わっている場所だ。

 

 そこにあなた達はテレポートで訪れていた。

 

 以前ベルディアの装備品を作成する際にウィズが紹介してくれた古馴染みのドワーフが経営する工房がこの街にあるのだ。その縁で来訪したついでに登録を行っている。

 ちなみに当時のあなたは馬車ではなく徒歩でこの街に辿り着いた。

 自分の足で走った方が馬よりも圧倒的に速いのだから当然だ。愛剣を抜いて速度強化の魔法を使えば更に速くなる。

 

「うお、マジで一瞬で着いた。テレポートって凄いんだな」

 

 驚愕して周囲を見渡すカズマ少年に二人の将来有望なアークウィザードの少女達が答えた。

 

「一流の魔法使い御用達の魔法ですからね。これが使えるだけで一生食っていける程の魔法ですよ。私は爆裂魔法があるので必要無いですが」

「私はいつか習得したいとは思ってるんですけど……上級魔法を習得したばかりなのでポイントが……」

「確かにこれさえあれば運送業とか一瞬で終わるもんな。覚えたら便利だし俺も……何だこのポイント!? 滅茶苦茶高いんだけど!?」

 

 冒険者カードに記載されたテレポートスキルを見てカズマ少年が目を剥いて大声をあげた。

 気持ちはよく分かる。

 最初にテレポートを覚えると決めて幾つかのスキルを取った後は他のスキルを一切習得せずに依頼漬けの日々を送ったあなたでも習得には二ヶ月を要したくらいだ。

 

「そんなに」

「爆裂魔法ほどではありませんが習得難度が高い魔法ですからね。有用なのは認めますが冒険者のカズマが覚えようと思ったらどれくらい時間がかかる事やら。魔力の消費も相当のものですし、実際に覚えてもまともに使えるかは怪しいものです」

「ゲームだとこういう移動の魔法や道具は低コストで使えるしレベルの低いうちに覚えられるんだけど、こういうとこは不便だよなあ。まあ低レベルでポンポンこんな魔法が使えたら物流とか滅茶苦茶になりそうだから仕方ないんだろうけど」

「カズマは時々変というか、意味の分からない事を言いますよね」

「俺の国の話だからあんまり気にしないでいいぞ」

 

 あなたとしてもノースティリスでもそれぞれの村や町に転移可能な手段が欲しいと思った事は一度や二度では無い。

 風の噂ではルーンという魔道具を活用した転移手段が研究中との事だが、はてさて。

 

「なあめぐみん」

「さっきも言いましたが絶対に嫌です」

「まだ何も言ってないだろ」

「言わなくても分かります。テレポートを覚えてくれとか言うつもりでしょう? そんなものにポイントを注ぎ込む位なら私は当然爆裂魔法を強化します」

 

 頑なに爆裂魔法を極め続けるめぐみん。

 カズマ少年はそんな彼女と普通に文武両道で優秀なゆんゆんを見比べ始めた。

 

「なあゆんゆん、なんでコイツはこんな事になっちゃったんだ?」

「……私も時々同じ事を思います」

「おいお前ら。言いたい事があるなら聞こうじゃないか」

 

 やいのやいのと楽しそうに騒ぐ三人の若者を連れてあなたは歩を進める。

 あなたからするとこの街は懐かしさに満ち溢れている。

 そう、街のあちこちから立ち上る煙や酒場に駆け込む炭鉱夫を見ていると、どうしてもノースティリスにある鉱山の街の事を思い出してしまうのだ。

 

 

 

 鉱山の街ヴェルニース。

 街はずれにある一軒の酒場。

 安置されているピアノ。

 演奏する冒険者。

 罵声と共にどこからか飛んでくる石。

 無様に弾ける演奏者の頭。

 

 

 

 連想に次ぐ連想の果てに、ズキリとあなたの頭が割れるように痛んだ。

 思わず頭に手を当ててみるものの、手の平にベットリと血液が付着しているなんて事は無かった。

 分かっていたが幻痛だろう。かなり久しぶりである。

 

 最初に気軽に演奏を行っただけで殺された時。あれは自身の何度目の死だったか。

 まだ死亡回数は一桁だったとは思うのだが、あまりよく覚えていない。初めてではない事だけは確かだ。

 

 年だろうか。あるいは短期間に何回も死に過ぎたせいで何番目か数える余裕が無かったか。

 確かに当時の自分は未来への希望と栄光に目を輝かせる程に若かったが外見年齢はさほど変わっていないというのに。

 大方後者だろうとあなたは苦笑しながら目的の場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 歩き続けること暫し。

 あなた達が訪れたのは街の中央から若干離れた場所に佇む一軒の鍛冶屋。

 ここはウィズが現役時代にお世話になったドワーフが経営している店であり、ウィズの紹介を経てあなたも何度かお世話になっている。

 

「イマイチぱっとしない店ですね。買い物ならもっと良さそうな所が幾らでもあったじゃないですか」

「いやいやめぐみん。意外とこういう場所にある店の方が掘り出し物があったりするんだぞ?」

「どうだか……というか今更ですが二人は何をしにここまで来たんですか?」

「えっと、私は装備品を新調したいって相談したらいい場所を知ってるって言うから連れてきてもらったんだけど」

「貢がせる気ですか? 色んな意味で相手が悪すぎると思いますが」

「自腹に決まってるでしょ。こめっこちゃんじゃあるまいし」

 

 ちなみにゆんゆんの手持ちの資金は一千万エリス。

 デストロイヤーの報酬の残りである。

 

 ゆんゆんにウィズのしたためた紹介状をちゃんと持っているか確認し、店の扉を開ける。

 

 来店したあなたを出迎えたのは老年の域に差し掛かったドワーフの男だ。

 白く立派な髭を蓄えてはいるものの、全身は筋骨隆々な体格を維持しており年齢を感じさせない。

 

「おうお前さんか。よく来たな、注文のブツなら仕上がってるぜ」

 

 あなたの来訪にニヤリと笑った彼はベルディアの装備を作る際にあなたが持ち込んだ竜の素材を一目でこの世界の竜の物ではないと見抜いた、この鉱山街有数の腕利き鍛冶師だ。

 ウィズが現役の頃は大通りで大々的に仕事をしていたらしいが、今は息子夫婦に店を譲りこうしてひっそりと小さな店を構えている殆ど隠居同然の身である。

 隠居同然とはいえ鍛冶の腕は錆び付いていない。あなた達の装備を作成した腕からもそれは窺える。

 

 今は商売や生活の為に鍛冶をやっていないので客を選びすぎるのがたまに瑕だが、あなたは古馴染みであるウィズの紹介、そして未知の竜の素材を持ち込んだという事もあって多少は目をかけてもらっている。オーダーメイドを受注してもらえる程度には。

 

 居候の条件とはいえ日頃家事をやってくれているお礼、そしてウィズ自身の強化の為にあなたは彼にウィズの装備品の作成を依頼していた。

 材料は先日露店で購入した最高純度のマナタイト結晶とノースティリスの竜の各種素材。

 今日はその受け取りにやってきたのだ。

 ゆんゆんを連れてきたのは言ってしまえばそのついでである。

 

「で、そっちのひよっこに毛が生えたガキ共は?」

 

 目つきを鋭くしてカズマ少年達三人を睨み付けるドワーフにゆんゆんがおっかなびっくりとウィズに渡された紹介状を差し出す。

 

「……ふん、ウィズ嬢ちゃんの紹介状持ちならウチに置いてる品を買う分には構わん。好きに見ていけ。だがオーダーメイドはレベルを上げてから出直してくるんだな。お前さんにゃまだ早い」

 

 悠々とキセルを吹かしながらドワーフはそう言った。

 とてもではないが客への態度ではない。

 だが楽隠居を決め込んだ彼は半ば道楽でこの店を経営しているのでさもあらんといった感じである。

 

「そうそう、異世界ファンタジーはこういうのでいいんだよこういうので。キャベツが飛んだりルパ○三世したりする頭のおかしくなりそうな意味不明なイロモノじゃなくて、俺はずっとこういう正統派が見たかったんだ。ついて来て本当に良かった……」

 

 カズマ少年はそんなドワーフを見て頻りに頷いている。

 けんもほろろな対応をされたというのに何故かとても嬉しそうだ。

 

「ねえ、めぐみんも一緒に見て回らない?」

「やれやれ、仕方ありませんね。折角なので付いていってあげます。なので私にも何か買ってください」

「昔ならいざ知らず、今のめぐみんはもうお金持ってるでしょ。自分で買いなさいよ」

 

 バニル討伐の賞金でウィズへの借金を完済して残りは四千万エリス。

 それをパーティーで分け合ったのでカズマ少年のメンバーは一人一千万エリスを手に入れた事になる。

 

「捜索費用と実家への仕送りで殆ど消えました」

「仕送りはともかく遭難したのは自業自得じゃないの……」

「それはそれとして奢ってください。私達は()()ですよね?」

「し、仕方ないわね! 親友のめぐみんのたっての頼みとあれば聞いてあげなくもないわ!」

 

 知っていたが、ゆんゆんは泣きたくなるほどにチョロかった。

 紹介状を持っていないめぐみんが商品を売ってもらえるかは怪しいものだが。

 

 楽しそうに店の奥に消えていく三人に何かを言う事もなく、ドワーフは残されたあなたに品物を渡すべく布に包まれた長めの棒と小箱をテーブルの上に置いた。

 

「頼まれてたブツだ。お前さんが持ち込んだマナタイト結晶と例の竜の素材で作った杖と指輪。久しぶりに楽しい仕事をさせてもらった。杖は核になる部分、先端にマナタイト結晶を埋め込んである。指輪も同様だな。同時に装備する事で魔法強化の効果が増幅されるようになってるから、可能な限り一緒に使わせろ。指輪は自動でサイズが合うように魔法がかかってる」

 

 杖はさておき、指輪は常に持たせておいてもいいかもしれない。

 あなたがそんな事を考えながら品物を受け取ると、老ドワーフはポツリと呟いた。

 

「……しかしまさか、ウィズの嬢ちゃんに指輪を渡すような相手が出来るとはな」

 

 彼はあなたを興味深そうに見つめている。

 ウィズとあなたの仲が良いのは否定する事ではないしする気も無い。

 だが指輪といってもあくまで装備品であって深い意味は無いのだが。

 

「それは勿論分かってる。それでも当時の嬢ちゃんを知ってる身からすると色々思う所もあるんだよ。元気でやってるなら何よりなんだけどな」

 

 元気といえば元気だろうか。リッチーだが。

 ウィズが望むのならば一度遊びに連れてきてもいいかもしれない。

 現役時代の彼女を知るドワーフが今のウィズを見ればさぞ驚く事だろう。

 

 

 

 

 その後暫くあなたとドワーフは雑談に興じていたのだが、彼は少し面白い話をしてくれた。

 

「鍛冶の世界も日進月歩。とはいえ近頃はこーんなちっこいちっこいナリした妖精が馬鹿みたいな大きさのカナヅチを振るって合成屋をやっててよ。俺みたいな古い世代からしてみれば隔世の感があるわな」

 

 鍛冶を行う妖精というのは中々に興味深い話である。

 ノースティリスでは屈強な妖精など珍しくないが、ここは異世界だ。

 あなたからしてみればこの世界の妖精というのは小さくひ弱なのが普通なのだが。

 

 この後店に行ってみようかと思ったのだが、件の妖精は性格も中々に個性的なようで客だろうと男であれば「男? 論外だろ」と辛辣に対応するのだという。

 逆に女性客には嬉々としてセクハラを繰り広げているという辺り、あるいは目の前のドワーフ以上に性格に難のある妖精なようだ。腕は確からしいのだが。

 

 

 

 

 

 

 店で買い物を終え、暫く鉱山街を観光したあなた達はテレポートでアクセルの街に戻ってきていた。

 帰還の魔法ではない。

 今回のような時の為に、あなたは常に一つだけテレポートに空き……自由枠を作っている。

 

 閑話休題。

 

 鉱山の街では特に魔物が襲撃してきたり、めぐみんが街中で爆裂魔法を撃つなどといったイベントが起きる事も無く。ただただ平和で穏やかな観光だった。

 事件が起きないって最高だな、と爽やかな笑顔を浮かべるカズマ少年と不服そうだっためぐみんの姿が対照的だった。

 めぐみんはあなたがいたので何かしら事件が起きる、あるいは起こすのだと思っていたらしい。

 とんだ言いがかりである。あなたは物欲か友人、あるいは信仰が絡まなければ率先して事件を起こすような人間ではないのだ。

 

「なんていうか、どの店もアクセルとは品揃えも質も全然違ったな。値段見た時は何コレって感じだったけど。時々桁間違えてるんじゃねえのって感じだったぞ」

「この頭のおかしいのみたいな上級冒険者御用達の店ならあんなものですよ。アクセルに置いても買う人なんて殆どいませんけどね。……それにしてもまさかゆんゆんがここまで甲斐性無しだったとは思ってもみませんでした。背中からバッサリ斬られたような、激しく裏切られた気分です」

「私!? 私が悪いの!?」

「当たり前じゃないですか」

 

 めぐみんが何を言っているのかというと、折角の機会にも関わらず何も買えなかった事を言っている。

 ドワーフの店でゆんゆんが大枚叩いて装備を購入した結果、めぐみんの装備を買う分のお金が底を突いてしまったのだ。

 

「……まあ冗談ですけどね。流石に数百万エリスもする装備を買ってくれなんて言いませんよ」

「め、めぐみん……」

「え? ここ感動する場面なのか?」

 

 シニカルに笑うめぐみんに感激したように涙を滲ませるゆんゆん。

 おかしい。すこぶるおかしい。

 カズマ少年の言うとおり、今の流れのどこに感動する所があったのだろうか。

 現在進行形でめぐみんへの好感度が上がっているらしいゆんゆんの思考回路が全くトレース出来ない。あなたは混乱した。

 

 

 

 

 それから暫く駄弁ったり街中を散歩した後、あなた達は解散する事になった。

 

「爆裂魔法を撃ちに行きます。今日の分がまだですから」

 

 そう言ってめぐみんがカズマ少年と共に去っていく中、ゆんゆんが恐縮そうにあなたに謝罪してきた。

 

「あの、本当にすみません。私がワガママを言ったばかりに……」

 

 ゆんゆんは何を言っているのかと思われるかもしれないが、実はあなたとゆんゆんの用事はまだ終わりではなかったりする。

 そもそも買い物をするだけならばゆんゆんが完全武装である必要などどこにも無い。

 あなた達は別の目的もあって鉱山街に行ったのだ。

 

 だが鉱山街の観光中、ゆんゆんがこっそりとあなたに一度アクセルに戻ってめぐみんとカズマ少年と別れたいと言ったのだ。

 自分があなたとウィズに修行を付けてもらっているというのは秘密にしておきたいらしい。

 

 確かにめぐみんとカズマ少年をアクセルに送り届けるのは二度手間だったが、さしたる問題ではない。

 一度や二度のテレポートで魔力が枯渇するような鍛え方はしていないし、何より強くなった自分を見せてめぐみんを驚かせたいという気持ちはあなたも共感出来たからだ。

 

 あなたは再度ゆんゆんを連れてテレポートで鉱山の街へ飛ぶ。

 辿り着いた二人が向かう先はこの街の冒険者ギルド。

 

「ううっ、緊張します……ここら辺の魔物は紅魔族の里の周辺ほどじゃないけど、それでもかなり強いって評判なんですよね……」

 

 ゆんゆんはあなたとウィズの扱きの結果、一流とまでは言わずとも既にかなりの技量を手に入れている。

 アクセル周辺であればソロ活動は余裕でこなせるだろう。

 

 だがレベルが足りていない。

 彼女のレベルはまだ20台だ。

 

 だがレベルが低いのならば上げてしまえばいい。

 子供にだって分かる簡単な理屈である。

 

 

 

 あなた達の目的とはそう、みねうちを使ったゆんゆんのパワーレベリングである。




《ルーン(魔道具)》
 改造版であるomake_mmaの要素。
 各街の魔法店にルーンが売られるようになる。
 身も蓋も無い事を言うと複数回使用可能なキメラの翼。
 ただし買った街にしか飛べない。
 このすばのテレポートのように好きな場所に登録可能なブランクルーンというアイテムも存在する。

《カナヅチ妖精》
 改造版であるomake_overhaulに登場するユニークNPC。
 モデルはらんだむダンジョンの登場人物。
 通称カナちゃん。


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第41話 ゆんゆんの初体験

「……あ、あのっ!」

 

 ゆんゆんが突然声を上げた。

 どうしたのだろう。

 

「わ、私、実は初めてなんですっ! ……なので、どうかお手柔らかにお願いします……」

 

 ゆんゆんは真っ赤な顔で服の裾を掴み、上目遣いでそう言った。

 健全な男であれば庇護欲を掻き立てられずにはいられない仕草だ。

 

 確かにゆんゆんであればこれが初めての経験であってもおかしくない。

 むしろ経験豊富と言われた方が驚く。

 しかしあなたは初体験のゆんゆんが相手だろうとガンガン激しくやっていく予定である。

 

「そんな酷いっ!? 私初めてなんですよ!? これが初めての体験なんですよ!?」

 

 ゆんゆんが悲痛な声をあげるが、あなたは初めてだからこそ思いっきりやるべきであると考えている。

 彼女が後でどんな目に合ってもアレに比べれば大した事は無いと思えるように、といういわばあなたなりの思いやりである。

 それに思いっきりやるとはいってもゆんゆんが壊れてしまうまでやる気は無い。

 

「ううっ、こんな事になるのならせめてウィズさんも一緒だったら良かったのに……」

 

 あなたの説得にすごすごと引き下がるゆんゆん。

 初めてで不安なのは分かるがノースティリスの冒険者であれば誰だってやっている事だし、一度やってみれば案外あっけないものである。

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんのレベルを上げるべくあなたが提示したパワーレベリング法を聞いたゆんゆんはこう言った。

 

「あの……実はあなたも紅魔族だったりします? それってどう考えても()()ですよね?」

 

 養殖とは紅魔族が行うパワーレベリングの名前である。

 仕組みは非常に単純で効果も絶大なのだがあなたはアクセルでこれが行われているという話を聞いた事が無いし見た事も無い。

 高レベル冒険者を対象に養殖の依頼があってもおかしくないと思うのだが、引率や稽古の依頼が精々だ。

 

 養殖の具体的なやり方を説明すると、紅魔族の大人がモンスターを死なない程度に痛めつけて弱らせたり麻痺や氷漬けなどの身動きが取れない状態にしてから子供などレベルを上げさせたい対象にトドメを刺させて経験値を与える。たったこれだけである。

 上げ膳据え膳でレベルだけ上昇させるという文字通りの養殖行為だ。

 

 紅魔族の里の周囲のモンスターは強力なものが多く、ゆんゆん曰く里の魔法学校では実習と称してこの養殖で生徒のレベルを上げて能力を伸ばしているのだとか。

 レベルが上がるだけで能力が上がりスキルも習得出来るというイルヴァと比較すると羨ましいを通り越してインチキとしか思えない法則の下に成り立っているこの世界ならではのレベリング手段だ。

 能力を上げてスキルを覚えるだけでは身につかない技量や経験についてはレベルを上げて死に難くなった後に伸ばせばいいという考え方なのだろう。

 命の価値が重い以上非常に理に適ったやり方である。

 

 にも関わらず駆け出し冒険者の街であるアクセルで養殖が採用されていないのはレベルだけ上がっても意味が無いとギルド側が判断しているからだと思われる。

 確かに経験を積まず技量(スキル)も鍛えずにレベル、ノースティリスであれば主能力だけが上がった状態の冒険者がどれくらい役に立つのかと聞かれればあなたとしても激しく疑問だ。レベルを上げた後にアクセルでじっくり経験を積むべきだろう。

 だがアクセルは実入りが悪いのでレベルが上がった冒険者は王都などもっと稼ぎのいい他の街に行ってしまう傾向がある。アクセルには男性限定で高レベルの冒険者がそこそこいるがそれはさておき。

 

 稼ぎが良いという事は比例して依頼の危険度も上昇するわけで、多少レベルが高くとも未熟な冒険者はあっという間に屍を晒す羽目になるだろう。

 そんな者とパーティーを組めば他の冒険者の足を引っ張るばかりで迷惑も甚だしい。

 故にギルドは引率はともかく養殖は推奨していない、というのがあなたの推測である。

 

 ゆんゆんは紅魔族以外で大っぴらに養殖が採用されていないのは非人道的すぎて良心が痛むからだと思いますと言っていたが、あなたはゆんゆんが何を言っているのか分からなかった。

 冒険者の殺しに人道的も非人道的も無いのではないだろうか、と。

 ましてや相手はモンスターだ。どうせ殺してしまうのだから同じと思うのだが。

 選んで殺すのは上等で無差別に殺すのは下等なのだろうか。あなたには分からない。

 

 趣味で人間相手に殺戮を行う者は狩られて当然だしサンドバッグにモンスター以外の者を吊るして死ねないまま放置するのはとても非人道的な行為だが。

 

 この断崖絶壁と思えるあなたとゆんゆんの意識の差は二つの世界の命の重さの違いから来る死生観の差を如実に表しているのだろう。

 やはり自分はどこまでいっても異邦人であり、骨の髄までノースティリスの冒険者なのだとあなたが強く実感させられた一幕である。

 

 そんなノースティリスでのパワーレベリング、あるいは手っ取り早く能力やスキルを鍛える手段として最も有名な方法は《バブル浴》と呼ばれる無限乱獲である。

 

 ノースティリスにはダメージを受けると分裂するモンスターがいるのだが、その特性を利用する。

 手順としては分裂するモンスターを痛めつけてサンドバッグに吊るす。

 サンドバッグに吊るされた分裂モンスターはサンドバッグから解放されない限り不死となるが、ダメージを受けると分裂するという特性までは消えない。

 そして分裂したモンスターはサンドバッグに吊るされていないし不死でもない。

 よってサンドバッグを殴るだけで無限にモンスターが湧くようになるのでこれを狩り続ける。

 

 バブル浴はわざわざモンスターを探す手間が省けるので非常にお手軽で効率もいいのだが街中でやると迷惑を通り越してテロ行為になるので注意が必要だ。

 ましてや高レベルの分裂モンスターでやろうものなら控えめに言って大惨事になる。

 街中にモンスターが溢れ返るのでぶち切れた他の冒険者や衛兵が犯人に襲い掛かってくる可能性も非常に高く、テロ目的でなければシェルターなどの限定空間でやるのが一般的である。

 

 かくいうあなたも育成用のバブルの他に超高レベルのキューブをテロ、もとい敵対者への嫌がらせ専用のペットとして確保している。

 

 キューブとは見た目はその名の通り巨大な立方体のモンスターである。

 分裂する癖に対処の難しい攻撃方法を持ち、更に純魔法属性以外の属性攻撃を無効化するというノースティリスでも指折りの害悪枠だ。

 冒険者達の間では立方体の中には美少女が入っているという噂がまことしやかに囁かれているが、少なくともあなたはそのようなものは確認した事が無い。

 そして増殖したキューブは強いとか弱いとかではなくただひたすらにめんどくさい。

 

 他のペットと同様にキューブもノースティリスに置いてきたままなのだが、仮にこの世界の王都でペットのキューブを放し飼いにしたらどうなるのだろう。どうなってしまうのだろう。

 

 可能になったとしても絶対にやるつもりは無いが興味は尽きない。あなたのキューブは強化終末が裸足で逃げ出すレベルなのでやらないが。

 だが久しぶりにキューブで溢れ返って阿鼻叫喚に陥る人里を見てみたくもある。絶対にやらないが。

 

 

 

 

 

 

 さて、カズマ少年達と別れた後めぐみんに内緒でゆんゆんのレベリングを行う為に再度鉱山街に舞い戻ったあなた達はその足で冒険者ギルドに訪れていた。

 

「ここ、ですか?」

 

 ゆんゆんが若干疑問系なのはアクセルのギルドと比較すると建物が小ぢんまりしているからだと思われる。

 アクセルが駆け出し冒険者の街と呼ばれているのと同じように、ここは鉱山の街だ。

 装備品を調達するならともかくここを拠点にしようという冒険者はそこまでいない。

 周辺のモンスターが強力な事もあってごく一部の物好きくらいだろう。

 

 アクセルのギルドと違い酒場が併設されていないのも建物が小さめな理由の一つだろう。

 といっても駆け出しとはいえ《冒険者の街》の冒険者ギルドと比較するのが間違っている気がしないでもない。その証拠に鍛冶ギルドなどはこことは比較にならない程に大きいし賑わっている。

 

 扉を開けて中に入ってみれば、やはり冒険者の姿は殆ど見えない。

 入り口からだと歳若い男女が三人ほどだ。

 ここが王都から遠く離れた辺境の地で、更に今が冬季というのも関係しているのだろう。

 

「あれ? あの人たちってもしかして……」

 

 だが奇遇な事にその三人はあなたとゆんゆんの見知った顔だ。

 相手もあなたに気付いたようでこちらに近付いてくる。

 

「どうも、ご無沙汰してます」

 

 青い鎧を纏った茶髪の青年、槍を持った戦士の少女、盗賊の少女の三人組。

 グラムを手に入れる為に神器を求めてアクセルを発ったキョウヤ一行である。この街に来ていたらしい。

 神器入手までの代替品を買いに来たのだろうか。

 

「隣のキミはデストロイヤー討伐の時にも見た顔だね。すまない、名前を教えてもらっても構わないかな」

 

 キョウヤの頼みを受けて、ゆんゆんは一歩前に出た。

 そしてコホンと小さく咳払いをすると――。

 

「我が名はゆんゆん! アークウィザードにして上級魔法を操る者! やがて一族の長になる者にしてアクセルのエースであるエレメンタルナイトとアクセルで魔法店を経営するアークウィザードの垂訓を受ける者!!」

 

 マントを派手に翻し、真面目な顔でワンドを構えて決めポーズを見せ付けながら紅魔族式の自己紹介を行うゆんゆん。

 狐につままれたような顔になるキョウヤ達。

 彼等は紅魔族の風習に詳しくなかったようだ。

 

 端的に言うとゆんゆんの渾身の自己紹介は盛大に事故ってしまっていた。

 

 流石は()()バニルにネタ種族と笑われている紅魔族。

 彼等特有の名乗りに常識人のキョウヤはどう反応していいのか分からないのだろう。

 フィオとクレメアは無言で互いの顔を見合わせ、キョウヤはこの空気から解放してほしいとばかりに助けを求めるようにあなたに視線を飛ばしてきた。

 

 ここでゆんゆんに頭のおかしいエレメンタルナイト呼ばわりされようものならフォローを拒否してだんまりを決め込むつもりだったのだが、特にそういう事は無かったので素直に助け舟を出す。

 ゆんゆんの名乗りはあくまでも彼等紅魔族独特の風習であってゆんゆんがキョウヤ達に喧嘩を売っているわけでも彼女の頭がおかしくなったわけでもないので何も言わずに流してあげてほしい。

 

 あなたのフォローにキョウヤは普通に頷いたがゆんゆんが紅魔族と知った瞬間にフィオとクレメアが半歩引いた。

 アクセルで悪名高い頭のおかしい爆裂娘を思い出したのかもしれない。

 

「えっと、じゃあそういうわけで改めて。初めましてではないんだろうけどよろしく。僕は御剣響夜。この人の仲間のベアさんに時々稽古をつけてもらってるから、そういう意味ではキミと似たもの同士なのかな」

 

 確かにそう言われてみればそうなのかもしれない。

 キョウヤはベルディアの弟子と言えなくもないのだ。

 肝心のベルディアは仲間の少女達に嫌われているが。

 

「そうだ。確かキミはソロで活動している冒険者だったね。今もパーティーが決まっていないというのなら、もしよかったら修行が終わった後にでも僕のパーティーにどうだい? 僕達にはキミのような魔法職がいなくてね。仲間になってくれるのなら大歓迎だよ」

「えっと、ありがとうございます。で、でも、それは結構です……」

 

 ゆんゆんは爽やかに笑いながら差し出してきたキョウヤの手をおっかなびっくりと掴んで軽く握手したものの、パーティーの誘いはキッパリと断った。

 

「だ、大丈夫よ! キョウヤには私達がいるじゃない!」

「そうそう! アークウィザードが入ってくれればバランスはいいけど仕方ないって!」

「いや、僕は別にそこまで傷ついてるわけじゃないんだけど……」

 

 苦笑するキョウヤを慰めるフィオとクレメア。

 彼等は本当に仲のいいパーティーだと感心する。

 しかし四人は年齢も近いし悪くない提案だと思うのだが、ゆんゆんはキョウヤのような男性が苦手なのだろうか。後で聞いてみよう。

 

「ところでお二人はこの街には何をしに?」

 

 あなたがこの街に訪れた目的を説明すると、キョウヤは頷いてこう言った。

 

「でしたらダンジョンに潜るのがいいと思います。ここら辺の討伐依頼は腕試しやフィオとクレメアのレベル上げを兼ねてもう僕達が粗方受けてしまったので」

 

 どうやらあなた達は一足遅かったようだ。

 あなたはキョウヤの勧めどおり素直にダンジョンに潜る事にした。

 

「もしよろしければ僕たちもお付き合いしますが」

 

 折角の申し出だがその必要は無い。

 あなたにとっては少数の方が動きやすいのだ。

 

「そうですか……。あなたに限ってあまり心配はしていませんが気を付けてくださいね。最近は王都から遠く離れたここら辺にも魔王軍の関係者が来ているという噂が流れていますので」

 

 

 

 

 

 

 キョウヤ達と別れたあなた達は街を出て山岳地帯へと足を踏み入れる。

 場所を教えてもらったダンジョンへの道すがら、キョウヤの誘いを断った理由を質問してみると彼女はやや逡巡した後にこう答えた。

 

「えっと、あの人達は仲が良さそうでしたので、私みたいなのがお邪魔したら悪いかなって。それに私なんかが入っても、迷惑を掛けてしまいそうなので……」

 

 気を使いすぎではないだろうかと思わないでもないが、ゆんゆんがそれでいいのなら言う事は無い。

 どうしても仲間が見つからなかった時はあなたとウィズでゆんゆんがソロでもやっていけるように鍛えればいいのだ。

 あなたは人知れず気合いを入れなおした。

 

「ところで今更なんですけど本当にダンジョンに潜るんですか? 盗賊の方がいないんですけど。いざとなれば私の魔法がありますけど……」

 

 死にたくなかったらダンジョンには最低一人は盗賊を連れて行け。

 この世界の常識である。

 だが罠に関してはあなたがどうにかするので問題無い。

 

 それにキョウヤが討伐依頼を片付けてしまっている以上、街の外でレベルを上げるのは効率が悪いだろう。

 危険度の低いモンスターを狩ろうとするならばあなたの予定しているやり方では一帯の生態系を破壊してしまう恐れもある。

 この街の住人の事を考えると止めておくのが賢明だろう。最悪指名手配されかねない。

 

「生態系って何をやるつもりなんですか!?」

 

 勿論モンスターをひたすらに狩るのだ。

 パワーレベリングとくればモンスターの乱獲と相場が決まっている。

 

 紅魔族の養殖は大人が魔法を使ってモンスターを動けなくし、トドメだけ刺させるもの。

 対してあなたの行う養殖はみねうち。みねうちあるのみである。

 瀕死のモンスターをゆんゆんが殺すのだ。

 

 

 

 

 

 

 さて、キョウヤに場所を聞いたダンジョンは街から小一時間ほど歩いた場所にあった。

 キールのダンジョンのように山肌に入り口こそあるものの奥に続く道は無く、その代わりに十メートルほど掘り抜かれた先に青く輝く魔法陣がぽつんとあるばかり。

 この魔法陣で転移するのだろう。珍しいタイプのダンジョンである。

 

 そしてあなたとゆんゆんが魔法陣に乗った瞬間、あなたの目に映る景色は全く別の物に変わっていた。

 ダンジョン内の一室だろうか。

 四方が五メートルほどの正方形の部屋だ。

 

 あなたから見て正面には、ダンジョンに続いているのであろう扉がぽつんとある。

 扉の両サイドには魔道具と思わしき光源が固定されている。

 

「……あ、あのっ!」

 

 あなたが扉を開けようとした瞬間、ゆんゆんが声をかけてきた。

 どうしたのだろう。

 

「わ、私、実は初めてなんですっ! ……なので、どうかお手柔らかにお願いします……」

 

 ゆんゆんは真っ赤な顔で服の裾を掴み、上目遣いで突然そう言った。

 健全な男であれば庇護欲を掻き立てられずにはいられない仕草だ。

 しかしあなたは初体験のゆんゆんが相手だろうとガンガン激しくやっていく予定である。

 

「そんな酷いっ!? 私初めてなんですよ!? これが初めての体験なんですよ!?」

 

 ゆんゆんが悲痛な声をあげるが、あなたは初めてだからこそ思いっきりやるべきであると考えている。

 彼女が後でどんな目に合ってもアレに比べれば大した事は無いと思えるように、といういわばあなたなりの思いやりである。

 それに思いっきりやるとはいってもゆんゆんが壊れてしまうまでやる気は無い。

 

「ううっ、こんな事になるのならせめてウィズさんも一緒だったら良かったのに……」

 

 あなたの説得にすごすごと引き下がるゆんゆん。

 初めてで不安なのは分かるが一度やってみれば案外あっけないものである。

 

 

 

 あえて言うまでも無いだろうが、これはダンジョンアタックの話だ。

 あなたとゆんゆんの会話に淫猥は一切無い。

 

 

 

「うわっ、真っ暗……!?」

 

 あなたが扉を開けてみれば、その向こう側は無明の世界が広がっていた。

 光源があるのはここだけという事だ。

 

 アークウィザードであるゆんゆんは暗視スキルを持っていない。

 あなたが肩を叩きながらゆんゆんの名前を呼ぶと彼女は可愛らしい悲鳴をあげて飛び上がった。

 やけに大袈裟なリアクションだが、どうやら驚かせてしまったらしい。

 

「お、驚かさないでください!」

 

 半泣きになったゆんゆんに謝罪しながらあなたは暗闇の中に身を躍らせる。

 

「ちょっと待ってください。今私が魔法で照らしますから」

 

 今日はゆんゆんのレベリングに来ているのだ。余計な魔力の消耗は抑えるべきだろう。

 故にあなたはダンジョンに持ち込んだスクロールを読み上げた。

 無事に周囲を照らす魔法が発動する。

 

「あ、ライティング魔法のスクロールを持ってたんですね」

 

 このスクロールはウィズの店で購入していた物だ。

 深夜になってもレベリングを続ける時の為に持ってきていたのだが、想定外とはいえ思わぬ形で日の目を見た形になる。

 一見すると役に立ちそうなアイテムなのだが、購入の際にウィズがこれは良い品ですよと太鼓判を押していた。つまりこの世界の人間にとっては紛う事無き産廃である。

 

 爆発魔法(自爆)の杖のような致命的なデメリットがあるわけではない。

 効果が切れても魔力を込めるだけで再利用が可能とむしろ非常に便利ですらある。

 ただ暗所ではそもそも巻物が読めず、僅かな灯りでもあると巻物の効果が無いだけだ。

 何の為に作ったのか分からない。

 ウィズは何を思って良品だと判断したのか。魔力を込めれば何度でも使えるからか。

 

 だがあなたはこのような暗所であっても問題無く巻物が読めるので、スクロールを存分に有効活用する事が可能である。

 ウィズにも使用感の報告を頼まれているので褒めちぎっておこう。

 

 そしてあなたは今回のゆんゆんのレベル上げに際してもう一品ほどウィズの店で購入していたアイテムを持ち込んでいる。

 その名はモンスター寄せのポーション。

 

 これは服用する事で効果を発揮し、モンスターはおろか街の人間や親や仲間でさえも皆が皆服用者を憎み襲い掛かってくるようになるというポーションだ。

 流石はウィズの店の品だけあって人間が服用するには些か以上に問題があるポーションである。

 とてもではないがまともな神経をした人間が使っていい代物とは思えない。

 こんなものを飲んで喜ぶのは被虐性癖持ちと虐殺者くらいだろう。

 

 勿論あなたはウィズが入荷した1ダース全てを購入している。

 

 確かにこれは使用に難のありすぎるポーションである。

 だが人間が服用するから問題なのであって、モンスターに服用させるとなると話は大きく変わってくる。

 もしやこれはフィールドやダンジョンでのモンスター狩り、あるいはレベリングにぴったりなのではないだろうかとあなたは考えたのだ。

 

 こちらにもポーションの効果が及んでしまう不具合については鎮静の効果を持った魔道具で対処する。

 

 モンスターが素直にポーションを飲んでくれるのかという問題についてだが、はいどうぞとポーションを渡して飲んでくれるわけが無い。当たり前だ。

 なので適当なモンスターをみねうちで半殺しにしてからポーションを無理矢理飲ませてしまえばいい。

 

 瀕死である以上飲ませたモンスターが逃げ出す事は無いだろう。

 だがポーションの効果でモンスターが大挙して押し寄せる事になった場合、乱戦中に瀕死のモンスターが他のモンスターに狙われて殺される可能性は非常に高い。

 そちらについては瀕死のモンスターをサンドバッグに吊るして不死化させる事で対応する。

 

 後は集まってくるモンスターをあなたがみねうちで淡々と処理していき、半死体のモンスターにゆんゆんがトドメを刺すだけの簡単なお仕事だ。

 

 サンドバッグに吊るされた者は自力での脱出が不可能になるので逃げる事も抵抗する事も出来ず、出来上がるのはポーションの効力が切れるまで敵を誘き寄せ続ける為のエサ。もとい経験値ホイホイ。

 

 一石二鳥とはこの事だろう。二鳥どころの騒ぎではないが。

 

 懸念があるとすれば魔道具を使っているにも関わらずあなたとゆんゆんがポーションの力に呑まれて敵をそっちのけでサンドバッグに集中してしまう事だがそればっかりは一度試してみなければ分からない。

 もし駄目だったら素直にサーチアンドみねうちしながら対処していく予定だ。

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

 青い顔のゆんゆんが血みどろで倒れ伏した身の丈三メートルほどの人型のモンスター、オーガの首筋に短剣を突き刺す。

 半死体のオーガは抵抗する事も悲鳴を上げる事も無く、ただ最期にビクリと一際大きく痙攣してあっけなく絶息した。

 

「……ふうっ」

 

 乱獲に良さそうな広い場所を探しながらモンスターを狩り続け、これで十五匹目を処理した。

 命を吸い続けたゆんゆんの銀色の短剣は赤黒い血に染まってしまっている。

 鍛冶屋で買った新品のミスリルの短剣は使わない事にしているようだ。

 

 それはいいのだが殺すたびに謝罪する必要はあるのだろうか。

 そのせいかまだ少数しか狩っていないというのに早くもゆんゆんの瞳は濁ってきている。

 紅魔族の里で慣れていると思っていたのだが。

 

「普通に戦ってやっつけるならまだしも、動けない死にかけのモンスターにトドメを刺すのって何か自分が凄く酷い事をしている気分になるんです……目が合わないだけ楽なんですけど」

 

 遠い昔の自分と照らし合わせてゆんゆんの言葉に理解を示す事は出来る。

 だが最早作業で殺戮を行えるようになった今のあなたでは全く共感出来ない話だった。

 

 動けなくなった瀕死のモンスターにトドメを刺すのと、正面から万全のモンスターを殺すのに何の違いがあるというのだろう。そう考えてしまう。

 ゆんゆんはむしろ苦しむ敵を楽にしてやるくらいの気概でやった方がいいと思うのだが。

 でなければこれから辛いだけだろう。どれだけの数の命を奪うか分からないのだから。

 

 

 

 

 

 

 ――ダンジョンの地下二階。

 

 

 

「あの、あそこに何かあります」

 

 階層が丸ごと迷路というノースティリスのピラミッドを思い出す階層の探索中、そろそろ壁を掘ってぶち抜きながら進もうかと思い始めた所でゆんゆんがそう言った。

 指さす方を見れば分かれ道の片方、袋小路になっている奥に何かがある。

 箱状の物体だ。

 

「宝箱ですよ!」

 

 無警戒に宝箱のある方に歩いていくゆんゆんを押し止める。

 お宝に目が眩んで何か忘れているのではないだろうか。

 

「……すみません、そうでした。えっと、トラップ・サーチ。エネミー・サーチ」

 

 ゆんゆんが少し離れた場所から魔法を発動させる。

 

「罠はありませんが敵判定、ダンジョンもどきです……」

 

 危うくゆんゆんが捕食されるところであった。

 

 ダンジョンもどきとは鉱石もどきの仲間で鉱石もどきのように移動は出来ないが身体の一部を宝箱や宝石、壁に擬態させ、その上に乗った生き物を捕食する立派なモンスターである。

 場合によっては身体の一部を人間に擬態させ、冒険者を襲うモンスターも捕食する。

 ノースティリスには存在しないタイプのモンスターである。

 

 それはさておきあなたはダンジョンもどきに近付いていく。

 

「えっ、敵ですよ!?」

 

 だからみねうちで痛めつけてゆんゆんが狩るのではないか。

 

「ああ、はい。そうですね……お気をつけて」

 

 若干諦め気味なゆんゆんを尻目にあなたが宝箱に近付くと周囲の壁と床が突如蠢いた。

 軟体の巨大な身体で宝箱ごとあなたを丸呑みにするように包み込む。

 

「――――!」

 

 ゆんゆんが息を呑んだ。

 まさかここまでの巨体とは思っていなかったのだろう。

 

 だがあなたの敵ではない。

 みねうちで正面の壁を切りつけるとダンジョンもどきはあっけなく前方に吹き飛んでいく。

 その先は降り階段が続いている。ダンジョンもどきが隠していたようだ。おかげで道が開けた。

 

 

 

 

 

 

 ――ダンジョンの地下三階。

 

 

 

 長い降り階段の先は上階の大迷路とうって変わって今度は階層がまるごと一つの部屋になっていた。

 あまりにも広く、登り階段の位置からは反対側の壁は見えない。

 

「こ、ここ……幾らなんでも危なくないですか……!?」

 

 そしてそんな大部屋のあちこちには多種多様なモンスターが闊歩している。

 超大型のモンスターハウスといったところだろうか。

 ゆんゆんが怯えたようにあなたの背中に隠れたがあなたはここを本格的な狩りの場所に定めた。

 まるでモンスターを乱獲する為に作られたような階層である。

 だがここではモンスター寄せのポーションは使えないだろう。

 押し寄せてくるモンスターの波にゆんゆんが飲まれてしまう可能性が非常に高い。

 それを差し引いても良い場所だ。

 

「……あの、何かおかしくないですか? 私にもよく分からないんですけど、何か違和感が……」

 

 ゆんゆんの言うとおり、モンスターの群れはあなた達に気付いているものの襲い掛かってくる様子はない。

 あなたが階段から広間に近付くとモンスターは一様に臨戦態勢に入るのだが、階段に戻ると警戒態勢に戻る。

 明らかに普通ではないが、ゆんゆんの疑問の答えはそこの者が教えてくれそうである。

 

「えっ?」

「……ほう、気付いたか」

 

 あなた達の背後。

 階段横の壁から現れたのは魔族と思わしき銀髪の男。

 

「たった二人でここまで来た事といい、少しは腕が立つようだ。しかし残念だがこの階層、そして俺の姿を見られたからには生かしてはおけん」

 

 男が酷薄にあなた達を嗤い、気圧されたゆんゆんが一歩後ずさりながらもワンドを構えた。

 

「魔法使いの人間よ、よりにもよってスライムメタルの俺に見つかった己が運命を呪うがいい!」

「スライムメタル!? あらゆる魔法や状態異常を無効化するっていうあの!?」

 

 スライムメタル。メタルスライムではなくスライムメタルだ。

 膨大な経験値を持つ流動する金属質のモンスターである。

 金属製のボディは魔法を跳ね返し、スライム特有の弾力で物理攻撃にも強い耐性を持っている。

 

「そして冥途の土産に知って死ね! 我が名は――――」

 

 それはさておき自分から経験値になりに来てくれたようなのでありがたく狩っておこう。

 美味しい敵を残していてはもったいないお化けが出てしまう。

 

 一足で距離を詰めたあなたが音も無く刀を抜きそのまま振り抜くと名乗りを終える前にぼとり、とスライムメタルの首が落ちた。会心の一撃である。

 そのまま液体金属の身体は人の形を保てずにバシャリと弾け、地面に光沢を放つコーティングと化した名も知れぬスライムメタル。

 

 大仰な名乗りの割に一撃であっけなく死んでしまった。

 口上の途中だったようだがどう考えても敵を前に隙を晒している方が悪い。

 そして生物は首を狩れば死ぬ。

 ノースティリスだろうが異世界だろうが、機械だろうがスライムだろうがかたつむりだろうが変わらない。

 

「…………」

 

 何故か杖を構えたまま不服そうにあなたを見つめるゆんゆん。

 もしかしたら経験値の為にみねうちでぶっ飛ばしてほしかったのかもしれない。

 しかしノースティリスのベル系のモンスターと同じようにスライムメタルは逃げ足が速いことで有名なのだ。

 瀕死でも逃げ出したという記録も残っている。

 経験値を逃したゆんゆんには申し訳ないが逃げられるくらいならこちらで狩った方が良いだろう。

 どうせこれから幾らでも経験値を稼ぐのだから。

 

「いえ、経験値が欲しかったわけじゃなくて」

 

 他に何かあっただろうか。

 幾らゆんゆんがゲロ甘でチョロQだといっても彼女は冒険者だ。

 まさか言語を解するモンスターだから殺すのを止めろと笑える事を言い出すとは思えない。

 というかそんな者は致命的に冒険者に向いていないので死ぬ前に廃業して別の道を探した方がいい。

 

「せめて殺す前に最後まで話を聞いてあげても良かったんじゃないかなって……」

 

 おかしな事を言うものだとあなたは薄く笑った。

 何故敵の話を聞く必要があるというのだろう。因縁を抱えている相手というのなら考えなくもないが。

 それに見られたからには生かしておけないと言い出す相手など即殺しない理由が無いし、今はゆんゆんの養殖中なのだ。安全の為に手早く終わらせるに越した事は無い。

 

「そ、そう……ですかね……? でもあまりにも空気が読めてないっていうか色々と台無しになっちゃった感じが……ごめんなさい、やっぱり何でもないです……」

 

 気を取り直してあなたは養殖を開始するべくモンスターハウスに侵入する。

 

 恐らくあのスライムメタルがこの階の魔物を統率していたのだろう。

 呑気に話しているにも関わらずあなた達に襲い掛かってくる様子を見せないし、それどころか魔物達の間には明らかに動揺が広がっている。

 あなたは階層中のモンスターを狩り尽くす為に一歩足を前に踏み出した。

 

 その後の話はあえて記すまでも無いだろう。

 繰り広げられたのはモンスターハウスを一掃するまで続いた作業と作業と作業。そして作業である。

 

 

 

 

 

 

 それからおよそ半日ほど養殖を続け、あなたとゆんゆんはアクセルに戻ってきた。

 時刻は早朝、そろそろ朝日が顔を出そうかという時間帯。

 まだまだ街全体は寝静まっており、ひんやりとした空気と誰もいない街中に自分達だけという独特の感慨深さがあなたを襲う。

 

「はい、私頑張ります。頑張ります。苦しむ可哀想なモンスターを殺して救います。頑張ります。頑張ります。ガンバリマス」

 

 アクセルに戻ったというのに完全に目の光が消えたままのゆんゆんがそう言った。

 血染めの短剣を手が真っ白を通り越して青くなるほどに硬く硬く握り締め、機械のようにガンバリマスと連呼するゆんゆんはかなり怖い。

 もう終わったとあなたが告げるとゆんゆんはガクガクと震え出した。

 

「ガンバリマス、頑張ります、ごめんなさ――――」

 

 見かねたあなたが首筋に手刀を当てるとゆんゆんはあっけなく意識を落とした。

 崩れ落ちたゆんゆんを背負い帰宅する。

 向かう先は彼女が泊まっている宿ではなくあなたの自宅。

 起きた時に錯乱したりガンバリマスロボのままだと面倒な事になりそうなので、メンタルケアを兼ねて自宅に連れて行くのだ。二、三日寝るか温泉にでも浸かれば治るだろう。

 

 瀕死のモンスターを介錯した数が100を超えたあたりでゆんゆんはこうなった。

 ゆんゆんがもう止めようと言わないので多少やりすぎてしまったかもしれないが、壊れてはいないので問題無い。そもそもガンガンやっていくと最初に宣言している。

 

 長時間の養殖の甲斐あってゆんゆんのレベルは大幅に上がった。

 具体的な数値を言うとなんと36。初めて会った時のキョウヤに届かんとする領域だ。

 今のゆんゆんはレベルだけなら立派な上級冒険者と言えるだろう。

 

 養殖の開始前がレベル20ちょっとだった事を考えるとあまり上がっていないように思えるが、生まれつき弱いものや才能の無い者ほどレベルが上がり易いというのがこの世界の常識だ。

 ゆんゆんが生まれつきアークウィザードの素養を持つという紅魔族に生まれ、その中でも上位に食い込む才能を持っている事を鑑みればたった一日でこれだけのレベルアップは破格ですらある。

 代償としてゆんゆんがガンバリマスロボと化してしまったが、これは高速レベルアップの為の致し方無い犠牲。いわゆるコラテラルダメージというものだ。そういう事にしておきたい。

 

 そんな軽度の精神汚染と引き換えに大幅なレベルアップを果たしたゆんゆんだが、なんとあなたのレベルも上がっていた。

 モンスターハウスは終始みねうちで押し通したのでスライムメタルを狩った事で条件を満たしたらしい。

 長らく戦っていたがこの世界でのレベルアップは初めてである。

 

 今まであなたの冒険者カードのレベルの部分には《eふeふzえろ》、ステータスは全ての項目に《nあnあでぃーzえろ》という文字が刻まれていた。

 だが現在あなたのレベルは《eふeふitい》に、ステータスは全項目が《nあnあでぃーitい》に変化している。

 あなたはレベルが上がったと思っているが確信があるわけではない。

 スキルポイントにも変動があったのだが、これで実はレベルが下がっていたなどという話だった場合はとんだお笑い種である。

 

 特に何かが変わったという自覚は無いが、それでも自分が成長するというのは嬉しいものだ。

 思えばノースティリスでレベルが上がって喜ばないようになったのはいつだっただろうか。

 まるで駆け出しの頃のような懐かしい気分であなたは白い息を吐きながら自宅に向かった。

 

 

 

 

 

 

 新鮮な気分で自宅の前まで戻ってきたあなただったが、なんと家の明かりが点いている。

 ベルディアは死んでいるので彼が起きているという事は無い。

 いつもであればまだ眠っている時間なのだが、ウィズはもう起きているのだろうか。

 あるいは明かりを点けたまま眠ってしまったか。

 

 考えても仕方ないとずり落ちてきたゆんゆんを背負い直してウィズを起こさないように気配を念入りに断って静かに扉を開ける。

 

 流石にウィズがずっと起きたままあなたの帰宅を待っていた、などという冷や汗モノの展開は待っていなかった。もしそうだった場合はウィズとの今後の付き合い方を真剣に考え直す必要に迫られる事になっていたので一安心である。

 

 だが起きてはいなかったものの、あなたの目に飛び込んできたのは居間のテーブルに突っ伏したまま眠ってしまっていたウィズの姿だった。

 テーブルの上には夕食だったのであろう、全く手が付けられていない食事の数々が並んでいる。

 あなたの分だけではなくウィズの分も減っていない。

 彼女はわざわざあなたの帰りを待ってくれていたようだ。

 ちゃんと日を跨ぐかもしれないとは言っていたのだが。

 

 あなたはうなされているゆんゆんをソファーに横たわらせて暖炉に火を入れる。

 そして毛布をかけたら今度はウィズをお姫様抱っこで彼女の部屋に運ぶ。

 

 抱きかかえたウィズの身体は柔らかく、しかしいつも以上に冷たいという印象をあなたに抱かせた。

 少しずつ春が近付いてきているとはいえこんな所で眠っていたら風邪を引いてしまうだろう。

 ウィズはアンデッドだが筋肉痛になるくらいなのでその可能性は高いと思っている。

 

「んっ……」

 

 一瞬起こしてしまっただろうかと焦ったがどうやら違っていたようだ。

 寝ぼけているのだろう。あるいはあなたの体温に惹かれたのか。

 ウィズはまるで猫が甘えてくるように自分の頭をぐりぐりとあなたに押し付けてくる。

 微笑ましい気分になりながらも彼女の髪の毛からはふんわりと甘い匂いがした。

 

 魅了の効果でも働いているのか、あなたは衝動的にウィズの髪に顔を埋めたい衝動に駆られた。

 だがやってしまえばそれは言い逃れの出来ないセクハラなのでノースティリスの生活で培った鋼の精神と自制心で自重する。

 

 あなたはウィズの部屋に彼女を連れて行き、ベッドに寝かせて布団を被せる。

 無断で入ってしまったが非常時だと思って勘弁してほしい。あなたの部屋に寝かせるよりはマシだろう。

 

 ウィズを寝かしつけたあなたは遅すぎる夕食、もとい早い朝食をとろうと居間に戻ろうとしたのだがいつの間にかウィズの手があなたの服の胸元を堅く掴んでいた事に気付いた。

 何時の間に捕まえていたのだろう。

 やんわりと手を解こうと試みるも眠っているウィズのどこからそんな力が出ているのかと思うほどしっかりと握っている。

 

 あなたは苦笑しながらもウィズの手を無理矢理解く事を諦め、子供をあやすようにウィズの長く柔らかい髪を撫で付ける。そっと壊れ物を扱うように繊細に。

 特に意図したわけではなかったが、撫で付ける度に少しずつ少しずつウィズの手が解けていく。

 

「…………ぅ?」

 

 もう少しで手が解けるだろうという所でウィズがうっすらと目を開ける。

 やりすぎて起こしてしまっただろうか、とあなたが後悔するももう遅い。ウィズと目が合った。

 

「…………ふふっ」

 

 しかしあなたの姿を確認したウィズはまっすぐとあなたの目を見つめてほにゃり、と心底から安心しきった蕩けた笑みを浮かべ、あっさりと服から手を放したかと思うと今度はそのままあなたの右手を強く掻き抱いて枕にして再び眠りについてしまった。

 あなたの手に伝わるウィズの手と頬はやはり冷たい。

 

 などと呑気な事を考えている場合ではない。

 流石にこれはあなたも焦る事頻りである。

 無理矢理引き剥がそうものなら今度こそウィズを起こしてしまうだろう。

 明らかに自業自得だった。

 

 考えてもどうにもならないのでいっそどうにでもなれとあなたは流れに身を任せる事にした。

 相手が眠っているからと迂闊な真似をしたあなたが悪いのだ。

 甘んじて起床したウィズに叱られる事にしよう。

 

 開き直ったあなたは暫しウィズの幸せそうな寝顔を堪能する事にした。



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第42話 穏やかな午睡

 あなたがウィズの部屋で過ごし、彼女の寝顔を愛で始めてから、どれほどの時間が経過しただろうか。

 窓の外は少しずつ明るくなり始めている。

 

 ウィズの部屋は女性が生活している場所特有の、甘い匂いに包まれていた。

 あなた自身や、同じ同居人であるベルディアの部屋はこうはいかない。

 ウィズが掃除しているので臭いとは言わないが、ウィズの部屋とは雲泥の差だ。

 むしろあなたは自室からこんないい匂いがした日には、全力で己の洗浄をせねばなるまいと思っている。

 

 カチコチ、と規則的な時計の針が進み続ける音を聞きながら、寝ぼけたウィズに腕を固く掴まれたあなたは何をするでもなく、ただベッドの傍に腰掛けてウィズの寝顔を眺め続ける。

 

 他人が見ればよくもまあ飽きないものだと呆れられそうだが、実際の所ウィズの顔は見ていて飽きない。

 飽きはしないが、客観的に見てこの光景はかなり怖いというか不審なのだろうな、とは思う。

 思うがあなたは気にせず、空いた左手で若干乱れた布団を肩まで深く被せてあげた。

 

「えへへ……」

 

 ふにゃふにゃの蕩けきった笑みを浮かべながら、穏やかなまどろみに浸るぽわぽわりっちぃを見ているだけで心が穏やかになっていくから不思議なものである。

 

 更にウィズは何がそんなにお気に召したのか、寝ぼけた状態にも関わらず頻りにあなたの手の平にすりすりと頬を擦り付けてきている。むしろ寝ぼけているからこその行動か。

 ウィズはあなたの手の平の感触を味わっているようにも見受けられる。

 人肌恋しい季節なのだろうか。

 自分程度の手がウィズの心の平穏の一助になれば幸いである。あなたは素直にそう思った。

 

 しかし忘れてはならない。ウィズがあなたの手の平の感触を味わっているという事は、ウィズと同じように、あなたもまたウィズの頬の感触を手の平で味わっているという事である。

 

 摩擦とあなたの体温で仄かに温まってきたウィズの頬は信じられないほどに柔らかく、そして極上の手触りをあなたの手の平に伝えてくる。

 そんなある意味兵器とも呼べる代物を前にしたあなたは、自身の手の平を動かしてウィズの頬を揉んだり掴まないように必死に耐えていた。

 

 本音を言えば今すぐ彼女の頬を存分に撫で回したり引っ張ったりしてみたいのだが、相手の意識が無いのをいい事にそんな真似をしようものならば最低のセクハラ野郎の謗りは免れないだろう。そして何よりウィズが起きる。確実に起きる。賭けてもいい。

 

 やるならばちゃんと本人に許可を取ってからでなければ。

 今からその時が楽しみである。

 

「ここは……たしが……」

 

 ふと、ウィズが寝言を言い始めた。

 どのような夢を見ているのだろうか。

 

「もーっとわたしに……たよって……」

 

 あなたの名前を呼びながらウィズはそう言った。

 もしかしたら、彼女は夢の中で何かと戦っているのかもしれない。

 

 どうかいい夢を見てほしいと思いながら左手で再度ウィズの髪を撫でようとした所、

 

「黒より黒く、闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆を望みたもう――」

 

 寝ぼけたウィズは突然爆裂魔法の詠唱を始めた。

 ウィズを中心に非常に覚えのある魔力が渦巻き、あまりにも想定外の事態にあなたの頬を盛大に冷や汗が流れる。

 ちょっと待ってほしい。何故よりにもよって爆裂魔法を選ぶのか。

 確かにウィズに助力を頼む場合は爆裂魔法を使ってもらう可能性が高いだろうが、どう間違ってもこんな屋内で使っていい魔法ではない。

 現在居間で寝ているゆんゆんを含め、果たして何人が死ぬか分かったものではない。

 あなたとしては割とご近所が灰燼と化しても仕方無いと流せるが、ウィズはそうもいかないだろう。

 

 大体にして、爆裂魔法は制御が非常に難しい魔法だという。

 ウィズの才覚に不安は無いが、寝ぼけた状態で使って暴発などしたらどうするのか。

 

 あなたは大惨事を引き起こさないように慌ててウィズの口を左手で押さえる。

 ウィズの口はマシュマロのように柔らかく、詠唱を物理的に封じられた彼女がもごもごと口ごもっているせいで少しくすぐったい。

 

「うぐ……ぅ……?」

 

 しかしその甲斐あってかアクセル崩壊の危機は何とか回避された。

 人知れず街を救ったあなたはウィズが詠唱を止めたのを確認し、口から手を放して汗を拭う。

 

 だがそれは新たな悲劇(喜劇)の幕開けでしかなかった。

 

「…………」

 

 爆裂魔法による事故を防ぐためとはいえ、やはり口を押さえたのはまずかったのだろう。

 気付けばあなたと目を開けたウィズの目が合っていた。

 もう、完璧に、これ以上無い程にバッチリと。

 

 とりあえずウィズが起きたようなので、爽やかな笑顔でおはようと挨拶しておく。

 

「あ、はい。おはようございます。……え? …………えっ?」

 

 挨拶は返ってきたが、ウィズは混乱しているようだ。さもあらん。

 何があったのか説明をしてもいいのだろうが、あなたは今の自分が何を言っても言い訳、あるいは逆効果にしかならない気がしている。

 ちなみにウィズは今もベッドに横になっていて、あなたの右手を頬と手で挟んだままである。

 

「……なんだ、夢ですか」

 

 ほっとしながらベタベタな事を言い出した。

 逃避したくなる気持ちは分かるがこれは夢ではない。

 まさか今自分達がこうしている事すら、どこかの誰かが見ている泡沫の夢に過ぎないという、考えただけで眩暈がしてくる哲学的な話でもないだろう。

 

「ふふ、でもこんな夢ならずっと見ていたい気もします。手の感触とか、まるで本物みたいですし……」

 

 至福の笑みを浮かべて頬ずりを再開するウィズは、あなたがくすぐったいので止めてほしいと口に出すと、ビキリと動きを止めた。

 

「…………夢、ですよね?」

 

 ウィズは何も言わずに、空いた手で自身の頬を思いっきり抓った。

 またもやベタベタである。

 

 勿論これは夢ではないので、抓った箇所が痛かったのだろう。

 ウィズは不思議そうな目をしながら頬を軽く擦っている。

 そして。

 

「――――ッ!?」

 

 数秒の後、ウィズの青白い顔が真っ赤に染まった。

 

 まあ、こうなるな。

 あなたは乾いた笑いを漏らしながら、同居人にして友人から性犯罪者呼ばわりされる覚悟を決めた。諦めならとうの昔に済ませている。

 手を放してもらったら土下座しよう。

 

 だがしかし、ウィズが取った行動はあまりにも予想外のものだった。

 

 ウィズが限界を超えて慌てると大抵碌な事にならない。

 何度か被害にあっているあなたならば、少し考えればすぐにその事を思い出せた筈だ。

 しかし今のあなたの頭には思い浮かばなかった。

 

「ふ、ふしおうのてえぇッ!!」

 

 ようやく脳が現状を理解したウィズの黄色い悲鳴にあなたの鼓膜が揺さぶられ、同時に急速に意識が遠のいていく。

 疑問を覚える余裕すらなく、抗えない衝動に身体が言う事を利かず、グラリと頭が揺れた。

 

「……あ、ああっ!? ご、ごめんなさ――――!」

 

 ウィズが慌てたように何かを言っているが、既に意識が彼岸に旅立とうとしているあなたの耳には届いていない。

 更にウィズにぐい、と強く腕を引っ張られてベッドに倒れこむが、起き上がるような力は既に無い。

 辛うじて自由に動く左腕が反射的に何かを強く掴む。

 

 意識が断絶する直前にあなたが感じたもの。

 それは頬に弱い衝撃、つい先ほどまで感じていた、しかしそれよりもずっと甘い匂い、そして暖かいウィズのものであろう吐息だった。

 普段であれば即座に謝罪して飛びのくところだが、既にあなたの意識は途絶えている。

 

「ぇうっ!!?」

 

 自身の眼前に倒れ掛かってきたあなたに思考をフリーズさせ、奇声と共に真っ赤な顔で餌を求める魚のように口をパクパクさせるウィズ。

 あなたが左手で掴んだのは彼女の肩である。

 結果、あなたは角度こそ90度傾いているものの、それ以外はまるで強引にウィズに詰め寄っているような形になってしまっていた。勿論自覚は無い。それどころか昏睡状態である。

 

「ちか、ちかいです! ちかいですから!! こんなのだめですよ! わたしりっちーなんですから! それにまだちゃんとおつきあいもしてないのに!! こういうのはもっとちゃんとしたてじゅんをふんでからやってくれないとわたしはいやですってわあああああああああ!!」

 

 目をグルグルと回しながらダメですと口走るウィズは、最早自分が何を言っているのかも分かっていないのだろう。己の手であなたを昏倒させた事にも気付いていない。

 無理矢理突き飛ばせばいいものの、今もあなたの右腕に固くしがみ付いている辺り、それすら思い浮かんでいないのか。

 

 そんなあなた達は傍から見れば添い寝、あるいは口付けまで秒読みとしか思えない光景だ。

 

 更にあなたは図らずともウィズの髪の毛に思いっきり横顔を埋める形になってしまったわけだが、これは運が良かったのか悪かったのか。既に意識を失ってしまったあなたには判断が付かない。

 ただこの現場を他人に見られようものならば即通報、裁判、私刑の確殺コンボが発生するレベルのセクハラな事だけは確かである。

 

 余談だが、ウィズが発動させたスキルとは《不死王の手》。

 触れた相手に各種状態異常を引き起こす凶悪無比のリッチースキルである。

 

 具体的な効果は毒、麻痺、昏睡。更に魔法封じとレベルドレインの中からランダムで選ばれる。

 不死王の名を冠するだけあって、生命力と魔力を吸収するドレインタッチ以上に凄まじい性能だ。

 

 そして、今回選ばれたのは昏睡の効果。

 あなたはこれを防ぐ手段を持っていない。

 

 毒と麻痺に関しては、常時身に付けている装備で無効化出来る。

 魔法封じは平時に食らった所でさしたる問題が起きるわけでもなく、あなたは一度レベルドレインを食らってみたいとも思っていた。

 

 そんなわけで、あなたはいわば大ハズレを引いた形になるわけだが、不死王の手で発生する状態異常のラインナップに即死が無いだけマシと言えばマシなのだろう。

 もっとも、そんなものは昏睡状態に陥った今のあなたには何の慰めにもなりはしないのだが。

 

 

 

 

 

 

 スキルの効果が解けてあなたが目を覚ましたのは、気絶からおよそ三十分後、一日が本格的に始まる時間帯の事だった。

 意識を取り戻したあなたは、今も顔を赤くしたままのウィズに正座させられていた。

 お待ちかねの説教タイムである。既にかれこれ十分ほど続いている。

 

 デリカシーが足りないだの、幾ら友人といっても限度があるだの、そういうのは恋人同士になってからやってくださいだの、極めて全う且つ粛々と受け入れざるを得ない話が続いていく。

 あなたとしても反論は無く、彼女の話に平身低頭するばかりである。

 

「……ですが、幾ら慌てていたからといっても、不死王の手のスキルを使ってあなたを気絶させたのは、これはもうごめんなさいとしか言えません。本当にごめんなさい」

 

 あなたが気絶している間に着替えたのか、彼女の服はパジャマではなくなっていた。

 ちなみに現在あなた達はウィズの部屋にいる。きっと別の場所で着替えたのだろう。

 

 あなたの目の前で同じく正座しているウィズは、一際赤くなった額を痛そうに擦っている。

 同様にあなたの額もズキズキと痛みを発している。鏡で自分の顔を見れば、きっと額が赤くなっている事だろう。コブも出来ているかもしれない。

 

 これは気絶から目覚めたあなたが妙なプレッシャーを感じて飛び起きた際、あなたの顔を覗きこんでいたウィズの額と勢いよく正面衝突してしまった結果である。

 リッチーは魔法の掛かった武器以外の攻撃を無効化するという話だが、今回の件を見るに完全に無効化してしまうというわけではないらしい。

 その証拠にあなたの一切の加減を排した高速頭突きにより、あなたとウィズは二人とも盛大に視界に星が見えるほどの衝撃を味わって悶絶した。互いの額が割れなかったのはひとえに運が良かったのだろう。

 

 そして思えば気絶から覚める直前、ウィズのひんやりとした両手で顔中を撫で回されていた気もするのだが、あれはウィズなりの意趣返しのつもりだったのだろうか。

 頬を擦りつけていたのはウィズの方なのだが。

 

「でもですね、そういう時は声をかけるなり身体を揺さぶるなりして、普通に起こしてください。寝ていても私は怒りませんから。むしろ今回みたいな事があると凄くびっくりしますから。っていうかしました。……いえ、決してあなたの事が嫌いとか不愉快だというわけではなくてですね、寝起きにあなたの顔があるというのは驚きますし、何より私が慣れていなくて恥ずかしいですから。この気持ち、分かってもらえますか? 幾らあなたが異世界の人っていってもこればっかりは分かってもらえますよね? お願いですから分かってください」

 

 あなたが眠るウィズの隣に恋人の如く寄り添うに至った顛末を聞かされて、ウィズは訥々と語った。

 ウィズ自身があなたの腕を固く掴んでいたので、割と簡単に信じてもらえたのは不幸中の幸いである。これもあなたの日頃の行いの成果に違いない。

 ともあれ、ウィズ本人がそう言うのであれば、あなたも否やは無い。次の機会があったら普通に起こすと約束しておく。

 

「はい、是非ともそうしてください。……じゃあこの話はこれでおしまいです。おあいこという事で」

 

 約束したとはいえ、ウィズは寝相が悪いようなのでどこまで効果があるかは分からないが。

 それに彼女には寝ている間は抱きつき癖というか、何かを掴む癖があるようだ。

 彼女はアンデッドだ。風呂好きな事といい、もしかしたら失った温もりを求めているのかもしれない。あなたは漠然とそう思った。

 

「…………ところで、私重くなかったですか?」

 

 一緒に部屋を出る寸前、ウィズがぽつりと口走った。

 あなたが彼女を抱えてベッドまで連れて行った件を気にしているようだ。

 羽のように、と言ってしまうと途端に嘘臭くなってしまうだろうか。

 だがウィズの身体はあなたからしてみれば、とても軽かった。

 

「そ、そうですか」

 

 安心した様子を見せるウィズだが、井戸だろうが祭壇だろうが平気で持ち上げられるあなたの発言なのであまり参考にはならないと思われる。言ってしまうと色々と台無しなので口には出さないが。

 それにウィズの外見はあなたは決して太っていないと思うのだが、やはり女性としてそこら辺は気になるのだろう。

 

 

 

 

 

 

「あの、どうしてゆんゆんさんがここにいるんですか?」

 

 早めの朝食をとるべく居間に向かったあなた達だったが、居間のソファーの上で眠っているゆんゆんを見て、目を丸くしたウィズがあなたに質問してきた。

 ゆんゆんはパワーレベリングの名の元に数多くのモンスターを手に掛けたせいで、無事にレベルは上がったものの精神が若干不安定になってガンバリマスロボと化してしまったのだ。

 なので、宿に直接放り込むよりはいいだろうと思ってこうして連れて来たのだが、ウィズにその事を言っていなかっただろうか。

 

「聞いてませんよ……というか知ってたらもっと早くここに来てました」

 

 道理である。

 不覚にも、あなたはゆんゆんに関しての説明を忘れていたようだ。

 だが彼女については先の説明の通りなので、ゆんゆんがここにいるのはやましい事情があったわけではない事だけは分かってもらいたい。

 

「いえ、そこは心配してませんけど……ゆんゆんさんはレベル20台の冒険者ですよね。今更モンスターを殺しただけで精神が不安定になるって、一体全体何をやったんですか。というか何をやらせたんですか」

 

 今更モンスターを殺しただけ、と言ってしまうあたりウィズも中々に大概だった。

 現役時代の活躍はさぞ過激だったのだろう。

 

 しかし何をやったと言われても、あなたはみねうちでモンスターを瀕死にしただけである。

 レベリングの方法に関しては、あなたはちゃんと事前にウィズにも説明していた。

 

 強いて問題点を挙げるならば、ゆんゆんはソロで活動している冒険者にも関わらず、みねうちで瀕死になったモンスターにトドメを刺すのを躊躇ってしまう人格の持ち主だった、くらいだろうか。

 彼女を甘いと取るか優しいと取るかは人それぞれだろう。

 あるいはダンジョンという閉鎖空間で養殖を行った結果、参ってしまったのかもしれない。

 

「それは……」

 

 あなたの話を聞いたウィズは、難しい顔であなたとゆんゆんを交互に見やっている。

 元凄腕アークウィザードとして、あなたの話に何かしら思うところがあったようだ。

 あなたは永きに渡る戦いの果て、最早呼吸と等しいほどに何も考えずに敵の命を断てる人間になってしまっているので、無抵抗の敵を殺す事で心に重荷を感じてしまうゆんゆんの心情が理解出来ない。

 

 だが続けていればそのうち慣れるだろう、とは思っている。

 人は環境に適応する生き物だ。

 なんだかんだ言ってベルディアも慣れたのだからゆんゆんが慣れない道理は無い。

 レベルの上がったゆんゆんが今後養殖をやる必要があるかは、また別の問題だろうが。

 

 そこまで考えた所であなたの腹の虫が鳴り、ウィズが微笑を浮かべた。

 これは恥ずかしい所を見せたとあなたは頭を掻いた。あなたは昨日昼食をとったきりなのだ。

 

「……ふふっ、ご飯にしますか? 今温め直しますから、少し待っててくださいね」

 

 そしてゆんゆんもあなたと同様にダンジョンに篭っていたので、半日以上食事をとっていない。

 起こして一緒に食事をとるべきだろうか。

 

「いえ、寝かせておいてあげましょう。ゆんゆんさん、ずっと戦って疲れてるでしょうし」

 

 ゆんゆんの頭を撫でながらウィズはそう言った。

 それもそうかと、あなたはベルディアを蘇生させるために彼の部屋に足を運ぼうとして、ピタリと立ち止まる。

 

「どうしました?」

 

 あなたはベルディアを復帰させる前に、忘れないうちにウィズに渡す物を渡しておく事にした。

 懐から小箱を取り出してウィズに差し出すと、彼女は首を傾げて頭の上に疑問符を浮かべた。

 

「私に、ですか? 開けてみても?」

 

 小箱を開ける。

 

「――――」

 

 中身を見た瞬間、ウィズの動きが停止した。

 

 箱に入っていたのは、あなたがウィズの為に製作を依頼した、最高級のマナタイト結晶が嵌った銀色の指輪である。指輪全体にやけに精巧な氷を髣髴とさせる装飾が施されているのは製作者の好みだろうか。

 マナタイト結晶の効果で魔法の威力が向上し、更にノースティリス産の素材をふんだんに使用した事で各種属性耐性が上昇、工匠のスキルの効果で全体的な能力も向上する逸品である。

 これ以上の装備を用意しようと思うのならば、神器クラス、それも上位のそれを持ち出す必要があるだろう。総合力ではノースティリスの廃人の使用に堪えうるどころか、十分満足させてくれるだろう。

 

「…………!?」

 

 ウィズはわなわなと震えながら、指輪とあなたを交互に見返している。

 

「こっ、こういうのは、その……困ります……嫌じゃなくて……」

 

 無理にでも受け取ってほしいとは言わない。

 ウィズ以外にこの指輪を渡す気は無いが。

 

「その、困ります。困りますよ……はうぅっ……」

 

 真っ赤な顔で俯くウィズの頭からは湯気すら幻視出来る。

 突き返される事は無かったが、彼女は何か盛大に勘違いしている気がしてならない。

 これは別に婚約指輪ではないので気軽に受け取ってもらいたいのだが。

 

「えっ?」

 

 ウィズに渡した指輪は婚約指輪ではない。

 職人がやけに気合いを入れて装飾を施しているようだが、違うのだ。

 

「だってこれ……どう見ても……」

 

 忘れているのだろうか。

 あなたは以前、祭でマナタイト結晶を買った時にウィズに装備品を作ると言った。

 これはその装備の片割れである。

 

「…………あ、ああっー!」

 

 目から鱗が落ちたとばかりに叫ぶウィズ。

 綺麗さっぱり忘れていたようだ。

 

「忘れてないですよ!? 知ってましたよ!? 全然勘違いなんてしてませんからね!?」

 

 少し声が大きすぎだとあなたは同居人のリッチーを諌めた。

 気持ちよく眠っているゆんゆんが起きてしまう。

 

「……け、けどそういえば、装備品は必要に応じて貸すって話じゃありませんでしたっけ?」

 

 マナタイト製の装備はもう一つ、メインとして杖を用意しているので貸与はそちらだけでいいだろう。

 指輪は小さすぎるのでウィズに持っていてもらった方がいいとあなたは判断したのだ。

 友人への品物を無くすとは思いたくないが、あなたは蒐集家だ。いざという時にどこに仕舞ったか忘れてしまう可能性は十分にある。

 

「そういう事でしたら受け取るのは吝かではないんですけど……他意は、無いんですよね?」

 

 何を恐れているのか、ビクビクと問いかけてくるウィズ。

 伝説のアンデッドがたかが指輪を恐れる理由が分からないが、あなたとしてはこの指輪には以前話した以上の意図は込めていない。

 日頃お世話になっている友人への、アクセサリーのプレゼントだとでも思ってほしい。

 あるいは出会って一周年記念のプレゼントでも一向に構わない。

 

「まだ私達が出会ってから、一年経ってないですよ……でも本当にビックリしました……私はてっきり、その、()()()()()()()で渡してきたのかと……」

 

 そういうのは、ちゃんと恋人を作ってから貰うべきだろうと苦笑する。

 何故かウィズの目が死んだ。

 

「相手がいればそうしたいんですけどね……相手がいれば。っていうかそもそも私はリッチーですし……まだ二十歳だから嫁き遅れとか無いですし……私は今のままがいいっていうか……変な事をして今の関係を壊したくないし……け、けど、もし万が一私が嫁き遅れたら、身近に誰か貰ってくれる人がいたり……しませんよね……」

 

 遠い目をしながら乾ききった笑いを漏らされても、あなたとしては困るばかりである。

 おまけに言動も若干支離滅裂になってきている。どうやら派手に地雷を踏んでしまったようだ。

 触らぬリッチーに祟り無しと、あなたは影を背負ってブツブツと呟きだした同居人を安静に放置してベルディアの部屋に向かう事にした。

 

 

 

「……でも、こんなに綺麗な指輪を贈ってくれるって事は、少しだけ……人間じゃない、アンデッドの私なんかでも、期待してもいいんですか……?」

 

 

 

 指輪を箱ごと胸に強く掻き抱いた、切なくも嬉しそうな顔をしたウィズの姿を見る事無く。

 

 

 

 

 

 

「……おいご主人、ウィズが滅茶苦茶ご機嫌なんだが」

 

 ウィズが昨日作った料理を温め直している中、あなたと共にテーブルについたベルディアがぼそぼそと耳打ちしてきた。

 確かにスープを火にかけているウィズはあなたの目から見てもいつになくご機嫌である。

 ニマニマしている辺り、明らかに嬉しさが隠しきれていない。

 

「やっぱあれか、昨日まで身に着けてなかったアレが原因なのか……当たり前だよな、他に無いもんな」

 

 ウィズは鼻歌を歌いながら何度も首にかけたチェーンに通した件の指輪を弄んでいる。

 渡した方としては、喜んでくれているようで何よりだ。

 

「俺はこの先もこんな空気の家の中で生きていかにゃあならんのか……生きるって厳しいなごす……」

 

 ギルドに依頼を出しているにも関わらず、いまだ飼い主の見つかっていない白猫と戯れながら一人ごちるベルディア。ゆんゆんも可愛がっている事だし、このままなし崩しにあなたの家の飼い猫になってしまいそうである。別に構わないが。

 

「……なあご主人、コイツ擬人化しないかな。なんかご都合主義的な魔法とか薬とかでさ。異世界にそういうのは無いのか?」

 

 あまりにも酷い発言に、あなたは危うく噴き出すところであった。

 ノースティリスには妹猫というものがいるといえばいるが。

 

「妹猫かあ……いいな……お兄ちゃんお疲れ様にゃあ、とかさ……いいよな……いい……俺も日々の苦労を労ってほしい……ご主人の薄っぺらい応援じゃなくて」

 

 武闘派の元魔王軍幹部は末期な事を言い出した。

 割と目が虚ろな辺りだいぶキている。

 頭をぐらぐらと揺らしているし、疲れているのだろうか。

 

「まあ、疲れてるといえば疲れてるがな。俺が地獄を見ている真っ最中に二人がイチャコラしてるとか考えると心が折れそうだ……。流石にウィズとどうこうなりたいとは言わん。脈が一切無い事くらい俺にも分かるからな。だが俺も生活に潤いが欲しい。切実に欲しい」

 

 誤解も甚だしい物言いである。

 断じて自分とウィズはイチャコラはしていないとあなたは主張した。

 恋人でもあるまいし。

 

「嘘だ、絶対嘘だ……俺は信じないからな……グギギ……」

 

 肉球をぷにぷにしながら赤い目を光らせ、地の底から響くような怨嗟の声をあげるベルディア。

 全く様になっていないのだが、肉球は気持ちいいのだろうか。

 

「すごくいい。ところでその妹猫とやらはどんな感じなのだ?」

 

 外見は猫耳が生えただけの少女である。

 別に毛深くも無いし猫の髭も生えていない。

 肉球も無い。

 

「違うよクソ!」

 

 突然興奮してテーブルを叩くベルディア。

 ウィズが何事かとこちらを見るが何でもないと手を振って応える。

 

「うっ……? ここは……?」

 

 そしてベルディアの怒声に反応したのか、ゆんゆんが目を覚ましてしまった。

 もうすぐ朝食なので丁度いいといえば丁度いいタイミングなのだろうが。

 あなたとウィズが目だけでベルディアを詰ると、彼は気まずそうに目を逸らした。相変わらず子猫をもふもふしながら。

 

「あ、おはようございます。えっと……私、どうしてここに?」

 

 ともあれ、連れ込んだ以上ちゃんと説明しなければなるまい。

 あなたはレベリングを終えた後に疲れた様子のゆんゆんをそのまま放置する事が出来ず、ここまで連れて来た事を告げた。

 

「す、すみません。レベリングだけじゃなくてとんだご迷惑を……」

 

 迷惑をかけてしまった、と表情を暗くするゆんゆんに気にしなくていいと笑いかける。

 一眠りしたからか、ガンバリマスロボだった状態からだいぶ持ち直しているようだ。

 この分ならば彼女は大丈夫だろう。

 

「えっと、確か私達はダンジョンで養殖をしてたんですよね。そして……うん、そうそう、確かダンジョンに潜ってたらスライムメタルの魔族が出てきて、それを一瞬でやっつけて……その後、何があったんでしたっけ?」

 

 どうやらそこでゆんゆんの記憶は途切れているようだ。

 都合がいいのだが、教えるべきか、黙っておくべきか。

 あなたが考えている間にゆんゆんは何かを閃いたようだ。

 

「あ、そうだ。冒険者カードを見れば何か思い出せるかも」

 

 ゴソゴソと懐から取り出したのは冒険者カード。

 討伐したモンスターが記載されていく便利な機能を持っている。

 レベルも相まって、どの道誤魔化しは利かない。

 

「ダンジョンの中では見なかったけど、養殖で少しはレベルが上がってる……はず?」

 

 ゆんゆんの冒険者カードに燦然と輝くのは、レベル36の文字。

 押しも押されもせぬ高レベル冒険者の仲間入りである。

 ダンジョンの中で見なかったと言うが、実は何度かあなたも確認している。

 でなければレベルなど分かりはしない。

 

「……これ、誰の冒険者カードですか?」

 

 ゆんゆんがソファーに近寄ってきたあなたに見せてきたのは、勿論ゆんゆんの冒険者カードである。

 あなたの見る限り、レベルだけではなくステータスもそれに応じた域に引き上げられており、スキルポイントもちゃんと増えている。

 知っていたがゆんゆんはレベル36のアークウィザードになっていた。

 それも、たったの一日で。

 

 促成栽培ここに極まれりといった急上昇っぷりはまさに養殖の名に相応しい。

 だが彼女はあなたとウィズの修練によって地道な努力を積み重ねている。

 よって技量に不足は無い。

 

「なーんだ、夢か」

 

 足りていないのはゆんゆん本人の自覚だけである。

 

「あはは、うん、そうよね。幾らなんでも私がレベル36は無いわよね。ビックリしちゃった」

「レベル36!? ゆんゆんさんが!?」

「加減しろ莫迦! 俺だって楽してレベリングしたかった!!」

 

 ゆんゆんのレベルを知ったウィズとベルディアが目を剥いて、何が起きているのかイマイチ理解出来ていないゆんゆんに駆け寄っていく。

 

「えっ、えっ?」

「ほ、ほんとに36になってますね……それもたった一日で……」

「俺にももっと優しくしろ!! 男女差別反対!!」

 

 とりあえず甘っちょろい事を言っているベルディアは無視でいいだろう。

 養殖よりも、技量とレベルが同時に上がる終末狩りの方が遥かに効率良く強くなれるのだから。

 むしろベルディアはゆんゆんよりずっと恵まれている。

 ゆんゆんは仲間ではないので、ベルディアのような無茶が出来ないのだ。

 

「なんだこの、なんだ。ご主人が遠い……マジで精神的に遠い……」

「ゆんゆんさん、大丈夫ですか? 眩暈とか動悸はしませんか?」

 

 真剣な表情のウィズに熱を計られたり様々な質問をされた後、呆けたままだったゆんゆんはようやく現実を理解したようだ。

 自分はレベル36になっている、と。

 

「ほええええええええええええええ!?」

 

 早朝のあなたの自宅にゆんゆんの悲鳴にも似た絶叫が響き渡った。

 理解はしたが、現実を受け入れる事が出来るかはまた別の話だったようである。

 

 

 

 

 

 

「えへへ、えへへへへ……! 36、私がレベル36……! 見てなさいめぐみん、最高に高めた私のフィールは最強の力を手に入れたわ! 今の私ならきっと貴女をけちょんけちょんにサティスファクションしちゃうんだから……!」

 

 冒険者カードを見つめてニヤニヤ笑うゆんゆん、そしてそんな彼女を見守るあなた達。

 しゅっしゅっと虚空に拳を突き出しながら電波まみれな独り言を呟く彼女は、軽くキャラが崩壊しかかっていた。

 疲れが脳に残っているのだろうか。

 

「幾らレベル上げといってもやりすぎです。っていうかどうするんですかこれ。良くない兆候ですよ」

「明らかに降って湧いた力に溺れてるな。自覚があれば少しは違ったのだろうが」

 

 ゆんゆんをも圧倒的に上回る歴戦の二人からしてみれば、今のゆんゆんは喜ばしい状態ではないようだ。

 確かにノースティリスであれば、二三回死んで身の程を知らされるフラグが立っているが。

 一度ベルディアとウィズと戦ってもらった方がいいだろうか。

 だがその前に、あなたはゆんゆんに一つ聞いておきたい事があった。

 

「はい、なんですか?」

 

 あなたは瀕死のモンスターを見つけた時、どうするか問いかけた。

 果たして、返って来た答えは。

 

「可哀想なので助けて(殺して)あげます。私頑張ります」

「サイコかお前は」

 

 ぐるぐると瞳を回したまま、平然とのたまったゆんゆんに思わずといった顔でベルディアが突っ込む。

 

「頑張ります、頑張ります、ガンバリ――――」

「スリープタッチ!」

 

 再度ガンバリマスロボに戻りかけた所で、背後に回ったウィズのスキルでガクリと項垂れるゆんゆん。

 そしてこの瞬間、あなたはゆんゆんの湯治を行う事を決心した。

 ベルディアもだいぶ壊れかけているようなので、ちょうどいい機会だろう。

 

「私もそれがいいと思います。……というか無茶させすぎですよ。ゆんゆんさんはまだ冒険者になって一年も経ってないんですよ?」

 

 渋い顔で説教をするウィズが、それでもあなたを頭ごなしに叱りつけてこないのは、歴戦の冒険者としての経験と記憶がそうさせるのか。

 

「……まあ、油断は禁物とはいえ、少なくともレベルが高ければそうそう死ぬ事はありませんからね。死の宣告のような、非常に特殊なスキルを食らわない限りは……あ、いえ、今のは別にベルディアさんへのあてつけというわけでは……」

「べべべべつに別に気にしてないし!?」

 

 この国に温泉街とよべる場所は二箇所ある。

 一つはアクシズ教の本拠地、水と温泉の都アルカンレティアだ。

 

「俺はアルカンレティアに行くのだけは絶対に拒否する。あそこは魔王軍も近付かん魔窟だぞ」

「ま、魔窟って……」

「嘘は言ってない。紅魔族の里と並んで俺みたいな常識人が行きたくない、行ってはいけない場所のツートップだ」

 

 あなたとしては非常に興味があったのだが、あなたもよく知る所であるアクシズ教徒の性質を考えれば、お世辞にも湯治に向いているとは言えないだろう。

 そういうわけで、あなた達は湯治と観光を兼ねて、この国もう一つの温泉街、ドリスに行く事になった。




《バグった冒険者カードについて》
 主人公の冒険者カードに記載されているバグったレベルとステータスには一定の法則があるが、これはあくまでもelona側の各種数値を無理矢理このすば世界の冒険者カードに押し込んだものである。
 数値が正常化してこのすば仕様に換算するとレベルもステータスも全く別の値になる。
 なので主人公のレベルやステータスが他の冒険者のn倍だからn倍強いとかそういう話ではない。

 参考資料
http://www.elonaup.x0.com/src/up15678.png


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第43話 それでもいつか必ず旅は終わる

「……というわけでゆんゆんさん、私達と一緒に温泉に行きましょう!」

「と、というわけで、っていきなり言われましても……どういう経緯でそうなったんですか?」

 

 スリープタッチから目覚めた途端、有無を言わせぬ勢いで両の肩を掴んできたウィズに困惑したのか、視線をあちこちに彷徨わせるゆんゆん。

 ゆんゆん本人は気付いていないようだが、今の彼女は非常に疲弊しているのだ。主に心が。

 具体的には養殖の記憶が飛ぶくらいには疲れていて、若干だが闇堕ちもしかかっている。心なしか狂気度も上がっているように見受けられる。

 これくらいなら全然大丈夫だろうと今の自分を基準にして、力量はともかくメンタルは駆け出しに毛が生えた程度のゆんゆんに課してしまった作業という名の殺戮行為の結果がこれだ。

 

 ほんの少しだけ反省したあなたはこの機会に休養を取らせる、という体での慰安旅行である。

 

 しかし下手に突っつくと簡単に闇堕ちルートに全力でダイブしそうなので、ゆんゆんの壊れかけたメンタル面については触れず、疑問に思う気持ちはもっともだが、ドリスに行くのは決定事項なのでドラゴンにでも噛まれたと思って諦めてほしいとあなたは気軽に告げた。

 

 何故かゆんゆんが頭を抱えた。

 

「ドラゴンに噛まれるのってどう考えても即死ですよね!?」

「いや、意外にそうでもないぞ」

「えっ」

「確かに死ぬほど痛いが、装備さえちゃんとしていれば頭を齧られても一口で即死するほどではなかったりする」

「えっ!?」

「まあゴリゴリとかバリバリとか聞こえてくるんだけどな。時々夢の中とか幻聴でも聞こえてくるから困る」

「聞きたくありません聞きたくありません聞きたくありません! 私温泉でどうなっちゃうの!?」

「ベル……ベアさん……」

「いや、つい。……正直すまんかった」

 

 あなたとしても身に覚えのありすぎる、ノースティリスではあるあると笑い話になる、しかしこの世界の人間に話せばドン引きされる事請け合いのベルディアのグロ話をあうあうあーと耳を塞いでシャットアウトするゆんゆんは早くも泣きが入っている。

 レベルが上がってもメンタルはそうそう強靭にはならないという事がよく分かる。やはり何度か死ぬほどの地獄に叩き込まなければ、精神面での劇的な成長は見込めない。

 

 一人納得したあなたはレベル36ならドラゴンとも普通に戦える事、そして休養も強くなるためには必要だとそれらしい事を言ってみた。

 

「そ、それはそうかもしれませんけど……」

「そうですよ、ゆんゆんさん。今回の件は今まで頑張ってきたゆんゆんさんに友達が温泉旅行を誘ってるんだと思ってくだされば……」

「お、()()()()()()()()()……!? 行きます! 私絶対行きます!!」

 

 ウィズの発した友達という対ゆんゆん専用の必殺ワード。案の定ぼっちを拗らせたゆんゆんはこれまでの話を全てぶっ飛ばす勢いで瞳を輝かせて食いついてきた。最初からこうしておけばよかった。

 しかしウィズに自覚は無いのだろうが、地味にえげつない。

 そして幾ら闇堕ちしかけても、ゆんゆんがチョロすぎるのは変わらないらしい。

 休養が大事だというのは嘘ではない。ベルディアも八日に一度は休養をとっているのだ。

 

「改めて考えると俺の休みって少なすぎだろ……もう慣れたが慣れたくなかったぞ。こんなの禿げるわ。主にストレスで」

 

 ゆんゆん以上の効率で強くなっているペットが小声で贅沢な文句を言っているようだが、慣れたのなら何も問題は無いので黙殺した。

 

 

 

 

 

 

 四人で旅行の日程を話し合う。

 といっても所詮は慰安旅行なので、あまり大袈裟な話にはならない。

 

「差し当たっては、ドリスに着いてからは三泊四日辺りでいいですかね? 行きはドリス行きの馬車、帰りはテレポートを使うとして……ゆんゆんさんは予定が入ってたりしますか?」

「何も入ってないので大丈夫です! 明日からでも行けますよ!」

 

 興奮冷めやらぬといった様子のゆんゆんだが、彼女からしてみれば今回のこれは友人と旅行に行く一大イベントである。

 このテンションの高さはさもあらんといった所だろうか。

 

 ライバル兼友人のめぐみんについてだが、一応修行の一環という事で呼ぶのは止めておく。

 めぐみんを呼ぶと女神アクア一行が同行する可能性もあり、ゆんゆんと一緒に湯治に行くベルディアの心労が増えてしまう。

 湯治中にゆんゆんがどんなタイミングで壊れるか分からないという理由もある。

 ガンバリマスと口走る機械と化したライバルを見せるのは、口では色々辛辣な事を言いながらも内心ではゆんゆんを大事に想っているめぐみんの精神衛生上、非常によろしくないだろう。

 

 

 

「実は私もドリスに行くのって初めてなんですよね。だからすっごく今回の機会が楽しみだったりするんです」

 

 話し合いの最中、ドリスに行くのは初めてだと楽しそうに言ったゆんゆんにウィズはこう返した。

 

「そうだったんですか?」

「はい、ドリスは魔王軍も手を出さない平和な地域にありますから。現役時代は……ちょっと行く機会が無かったんですよね……」

 

 意外な事実である。

 ソロでぼっちで駆け出しのゆんゆんはともかく、歴戦かつ大のお風呂好きであるウィズが温泉街として有名なドリスに赴いた事が無いとは。

 ウィズ曰く、現役時代は生き急ぐように魔王軍を求めて各地を転戦していたらしいのだが、何故引退後に行かなかったのだろうか。

 

「行きたいのは山々だったんですが、……その、お金がですね……」

 

 気まずそうに言葉を濁すウィズに、あなたは返す言葉を持っていない。

 あなたが介入するまでは、借金漬けで限界の生活を送っていたウィズに旅費を捻出出来る筈も無い。

 少し考えてみればすぐに分かる程度の話だった。

 

「で、でもこれからは違いますよ? 何たってお金がありますし、今回を機にテレポートの移動先にドリスを登録する予定ですからね! 好きな時にいつでも温泉に行けるんです!」

 

 ドヤ顔でえへん、と胸を張るウィズは非常に微笑ましいのだが、どこか登録先を潰す予定なのだろうか。

 

「いいえ、私、デストロイヤーの時からテレポートの熟練度を幾つか上げてますから」

 

 あなたの疑問にウィズはあっさりとそう答えた。

 そんな機会があっただろうか。

 

「毎日寝る前に使ってるんです。私の部屋に登録して、私の部屋に飛ぶっていう作業を繰り返してます」

 

 これでいつでもあなたのお役に立てますよ、いつでも足に使ってくださいね。

 そう言ってニコニコと無邪気に笑うウィズはあなたからしてみればとても眩しく、そして尊い。

 

「それに最近は私が独自に開発した魔法も増やしてるんですよ? 特にオススメなのが、炎と氷と雷の複合属性な攻撃魔法です。名前はオーバーキルっていうんですけど……」

 

 眩しすぎて思わず目を逸らしてしまうほどである。

 今の所そんな機会に恵まれていないだけに、あなたはウィズの甲斐甲斐しい献身が非常に心苦しかったのだ。

 あなたが一人でも達成可能である、適当な依頼に彼女を連れ出した場合はアッサリとウィズに勘付かれて逆に気まずい思いをさせてしまうだろう。

 玄武や冬将軍のような、ウィズに助力を頼むべきであるレベルの強敵を探した方がいいのだろうか。

 しかし、あれほどの大物がどれくらいこの世界に存在しているのかという疑問もある。

 だがウィズといいバニルといい、アクセルだけで複数いる辺り、意外といるのかもしれない。

 

 最も近場に住む冬将軍には神器の恩があるので、手を出すのは気が引ける。

 なので冬将軍以外の精霊狩りでも始めるべきだろうか。

 ウィズが精霊を信仰している者でなければいいのだが。

 

「……ベアさん、苦労されてるんですね」

「してる。滅茶苦茶してる。……やっぱり分かるか?」

「なんとなく。だってベアさん、()()()()と一緒に住んでるんですよね?」

「本当にな。友人って何だよって話だぞ。……だが、かくいうお前も()()()()()の中にあってマトモな感性を持ってしまったせいで紅魔族の中で浮いているらしいと話に聞いているが?」

「私は、その、もう慣れましたから」

「お前も大変なんだな……ウィズが焼いたクッキー食うか? 美味いぞ」

「いただきます……あ、本当に美味しい」

 

 ゆんゆんが話し合いに加わらず、一人で菓子を齧っていたベルディアに近づいてコソコソと何かを言い合っていたが、頭を悩ませる今のあなたにはどうでもいい事だった。

 

「私だけじゃなくて、彼と一緒に作ったクッキーですよ?」

「え、何だって? ちょっと何言ってるのか分からない。言葉が聞こえない」

「ベアさん……」

 

 ウィズの訂正に一瞬でどろりと濁らせた瞳のベルディアに同情しながらも、軽く引くゆんゆん。

 今日もあなたの家は呆れるくらいに平和だった。

 

 

 

 

 

 

 話し合いを終えたあなた達。

 ウィズはゆんゆんを連れて旅行の準備の為の買い物に出かけ、あなたはお隣さんの家に足を運んでいた。

 

「どうしたお得意様。お得意様が注文した、対神聖属性用の魔道具はまだ届いておらんぞ」

 

 扉を開けてあなたを出迎えたのは、ウィズの友人であるバニルだ。

 あなたの自宅の隣家には現在、見通す悪魔が誰憚る事無く、堂々と住み着いている。正体を隠しているわけでも無い。

 ベルディア、ウィズ、バニル。

 冬になってから自宅周辺の総戦力および魔窟度が急激に上昇している気がするが、恐らくあなたの気のせいだろう。

 

 既に魔王城の結界維持を担当していないとはいえ、元魔王軍幹部にして強大な力を持つ悪魔が堂々と人間の街に住み着いて問題無いのか、という当然の疑問についてだが。

 冒険者ギルドの上層部は要観察で、という事で彼の存在を警戒しつつも、放置するに留めているというのが現状だ。

 魔王軍幹部にこの極めて異例の措置は、バニルが極めて強大ながら人間を殺害しない、言ってしまえば危険度の低い悪魔故の対処である。

 相手をイラつかせる事にかけては右に出る者がいないと多くの者に認識されているバニルだが、それ以上の害は無い。その証拠に討伐の際にも冒険者に死者は出なかった。

 更に彼の住処の隣には頭のおかしいエレメンタルナイト……もとい、アクセルのエースと呼ばれるあなたと高名な冒険者だったウィズが住んでいるので、いざという時はなんとかしてくれるだろうという目論見だ。

 少なくともこの件でギルドの上層部に呼び出しを食らったあなたはそう聞いている。形式上では魔王軍幹部のバニルは討伐された事になっているとも。

 

 バニルほどの力を持たず、更に戦場で数多の人間を殺してきたベルディアではこうはいかないだろう。

 

 それにしても、実に丸投げされた気分である。

 あなたとバニルが本気で戦えば、決着がつく頃にはアクセルは余裕で更地になるだろうが、それはいいのだろうか。きっといいのだろう。そういう事にしておく。

 まあ、彼とあなたが戦う事は互いの利害の関係で無いだろうが。剥製も落とさないし。

 

 ベルディアが「ご主人がラグナロクを持って暴れるだけで国中が更地になりそう」とか言っていたが、それも気のせいだ。面倒なので広域を整地するなら核は使わせてほしい。

 

 ともあれ今日はウィズ用の装備の催促に来たわけでは無い。

 

「ほう、温泉旅行とな?」

 

 あなたの話を聞いて、バニルはニヤリ、と笑った。

 悪魔に相応しい、どこかの緑髪のエレアを髣髴とさせる不吉な笑い方だ。

 

「ポンコツリッチーにネタ種族に首無し中年。お得意様だけでなく、全員が中々見所のある面子であるな」

 

 愉悦的な意味で。

 バニルは言外にそんな意図を含ませたようにも思えた。

 

「……ふむ。我輩としても愉しむ為に同行しても良かったのだが、我輩は春先まで生憎とやる事が山積みなのでな。旅行はお得意様達だけで楽しんでくるがよい」

 

 あなたはウィズと共に暫く留守にするのでその報告に来ただけなのだが、予定がなければバニルは付いてくるつもりだったのだろうか。

 あなたとしては全く構わないのだが、愉快犯としか言いようが無いバニルの相手をするのはゆんゆんでは若干荷が重いだろう。振り回されて疲労困憊の内に終わるのが目に見えている。ベルディアもだ。

 

「折角なのでお得意様には一つ耳寄りな情報を教えてやろう。あの店主は無駄に着痩せするタイプでな……」

 

 ウィズが着痩せするのは知っている。伊達に数ヶ月同居しているわけではないのだ。

 しかしバニルはそんな話をしてウィズをどうしてほしいというのだろうか。ノースティリスの友人が相手であれば全力でセクハラするのだが。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなであっという間に翌日。

 アクセルを発つ日がやってきた。

 天気は快晴で幸先がいい。季節柄若干肌寒いのは避けられないが、それでも絶好の行楽日和である。

 

「おはようございます……」

 

 朝一番、ゆんゆんがやけに大量の荷物を持ってあなたの家を訪ねてきた。

 一体何日外泊するつもりなのか、と問いかけたくなる量の荷物だがそれについてはいい。

 旅行に行く女性の荷物が多いというのは古今東西、異世界でも変わりないのだから。

 

 しかしゆんゆんの目の下には隈が出来てしまっている。

 赤い瞳に覇気は無く、表情もどんよりと曇っていた。

 明らかに睡眠不足の症状である。

 

「おい、足元がふらついてるぞ」

「ゆんゆんさん、もしかして寝てないんですか?」

「な、なんかベッドで横になって目を瞑っても全然寝付けなくって……徹夜しちゃいました……旅行が楽しみすぎて……」

 

 えへへ、と頭を掻いて儚げに笑うゆんゆんだが、徹夜したとなると前日の気絶とスリープタッチを合わせても、二日で三時間も寝ていない事になる。

 旅行が楽しみで眠れないなどまるで子供のようだが、実際ゆんゆんは十三歳の子供だった。

 

「……少し休んでから行きますか?」

「いえ、お気遣いなく! 私は大丈夫ですから行きましょう!」

 

 心配そうなウィズに心配をかけまいと気張り、ふらつきながらも声を張り上げるゆんゆん。

 一目で空元気だと分かる有様だ。

 

「ご主人がやらかした、明らかに度の過ぎたパワーレベリングのせいじゃないのか?」

 

 こっそりとベルディアが耳打ちしてきた。

 確かに幾ら彼女がぼっちを拗らせているといっても、一睡も出来ないというのは少しおかしい。

 本人は気付いていないようだが、もしかしたら養殖での精神の許容限界を超えた殺戮行為が尾を引いているのかもしれない。もしそうなら自覚が無いだけにかなり厄介だが、さて。

 

「…………」

 

 ウィズがあなたに視線でどうするか問いかけてきた。

 本人もこう言っている事だし、馬車の中で寝かせておけば良いだろうと肩を竦める。

 どうせドリスはここからすぐに着く距離ではないのだ。

 いざとなったらまた気絶させるなりスキルで無理矢理眠らせるなりすればいい。

 

 

 

 

 

 

 ドリス行きの隊商の中の馬車の一つを貸し切り、馬車に揺られること数時間。

 既にアクセルは影も形も見えない。

 

 隊商には冬季ゆえ数が少ないとはいえあなた達以外の冒険者も雇われており、あなた達のように金を払うのではなく護衛の依頼を受けた者として付いてきている。

 しかしあなた達はあくまでも客として今回の旅に参加している。

 

 有事の際、本当にいよいよ死人が出るという場面では働くつもりだが、それ以外では他の冒険者達に護衛を任せてゆっくり骨休めする予定だ。

 あなた達は慰安で来ているのだ。わざわざ血生臭い行為に手を染める必要は無い。

 実際、あなたとしては護衛として雇われてもよかったのだが、ウィズが断固として主張するのでこうなった。恐らくはゆんゆんの為を思っての事だろう。

 

 そのゆんゆんは馬車に揺られると早々に眠りこけてしまった。今も馬車の壁に寄りかかって暖かい毛布に包まれながら静かな寝息を立てている。今の所は魘されるなどの不穏な兆候は見せていない。

 あなたの隣の席に座るベルディアも、暫くは窓の外を流れる景色を眺め続けていたのだが、やがてそれにも飽きてしまったのか今は腕を組んで瞳を閉じている。彼の膝の上には白猫が乗っており、毛玉のように丸まって眠っている。

 仲良く眠っている姿はどこか微笑ましい。

 

 そして、あなたの対面に座っているウィズは……

 

「…………」

 

 あなたと共同で作り上げた、ノースティリスのスキルの学習書の写しを黙々と読み耽っている。

 最近はポーション調合の為に錬金術の学習書を読んでいたのだが、今ウィズが読んでいるのはどうやら宝石細工の学習書なようだ。

 

 やけに集中しているウィズを見つめながらあなたは考える。

 思えばこうして友人と旅行に行くのは久しぶりだ、と。

 

 各々のペットを連れての大所帯での旅行はノースティリスでも時折やっていた。

 ノースティリスにはドリスのような温泉の街もあり、友人と訪れたのは一度や二度では無い。

 

 まあ、些細な切っ掛けであなたや友人が温泉街を更地にした回数も一度や二度では利かないのだが。

 理由については覗きのようなセクハラや、酔った勢い、普通に喧嘩と色々だ。実にいつもの事すぎて一々考えていられない。

 

 そう考えてみれば、あなたとウィズの間にはノースティリスの友人達との間には無い、一種の壁があると言えなくもない。遠慮があるとも言える。

 ウィズはあなたや彼等と違って特に理由も無く、強いて言えばただの暇潰しで本気の殺し合いを行うようなメンタリティを持っていないので、それも当然といえば当然なのだが。

 流石のあなたであっても、つい一分前まで談笑していたと思ったら「暇だし喧嘩しようぜ! 死んだら負けな!」みたいな紙のようにペラッペラな、極めて薄くて軽いノリで命のやり取りを始める相手に遠慮などするわけが無い。

 

 随一の良識派であるエヘカトルの信者も、マニ信者が相手になると途端に毒を吐きまくるし混沌も撒き散らす。マニ信者も罵倒とエーテルをぶちまけるのでおあいこだ。

 

 この世界は平和で大変素晴らしいのだが、あの殺伐としたノリが若干恋しいのも事実だ。

 だが不思議な事に、ウィズとそういう行為をしようとはあなたはどうしても思えなかった。

 無論、ウィズがそれ(殺し合い)を望むのならば、彼女の友人として喜んで受ける所存であるが。

 

 彼女とであれば、きっと勝っても負けても楽しく喧嘩(殺し合い)が出来るだろう。

 今の所死ぬ予定は立てていないが、自身が本当に終わる時があるとするのならば、それは友人か信仰する神の手であってほしいものだ。あなたはそう思っている。

 大切な者に看取られながら逝く。この上ない最期だろう。

 

「…………?」

 

 ふと、顔を上げたウィズと視線が交錯した。

 じっと彼女を見つめていたのを勘付かれてしまったようだ。

 あなたが誤魔化すように笑うと、彼女も釣られてふんわりと微笑んだ。

 

 ガタゴトと、時に大きく揺られながらも旅は続く。

 

 (人生)の終点はまだ、見えない。



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第44話 ぽわぽわでぽかぽかでぽよぽよでぷりてぃ

 あなた達がアクセルからドリスへ発ったのは、まだ日が昇って間もない朝方である。

 アクセルからドリスへの距離は、モンスターの襲撃のようなイベントが起きず、順調にいけば馬車でおよそ二日。

 

 あなたとしては旅の最中に他の冒険者や隊商の人間から何かしら接触があるかもしれないと思っていたのだが、今の所、あなた達に近付いてくる同行者はいない。

 あからさまに距離を取られてこそいないが、積極的に絡んでくる者達もいない。

 

 原因としては、誰かがあそこは頭のおかしい所とか最終兵器ご一行、のような事を言っているのを耳にしたので恐らくそれだろう。

 

 非常に不本意ながらも頭のおかしいエレメンタルナイトの呼称が根付いて久しいあなたは言うに及ばず、ウィズもアクセルでは高名なアークウィザードとしてかなりの有名人である。

 更にデストロイヤー戦で活躍したベルディアとゆんゆんも、アクセルの冒険者の間ではそれなりに名前が売れていたりする。

 トドメに全員が高レベルな上級職のパーティーと考えれば、最終兵器呼ばわりは納得いかないでもない。

 

 そんな穏やかで、しかし非常に退屈な馬車に揺られながらの旅のさなか、何を思ったのか、ゆんゆんが唐突に切り出した。

 

「その子、可愛いですよね。人懐っこいですし」

 

 しっかりと睡眠をとって元気になった彼女が指差した先にいるのは、ウィズの膝の上で大人しく丸まっている白猫である。

 確かにこの猫は非常に大人しく人懐っこい。

 友人のペットの黒猫のように、命を刈り取る形をした大鎌で惨殺した敵の装備品を舐めて強化したりはしない普通の猫だが。

 

「猫といえば、めぐみんも猫を飼ってるんですよ。ちょむすけっていう黒い猫なんですけど」

「ちょむすけ」

 

 ちょむすけ。

 

 ネタ種族こと紅魔族、彼等のネーミングセンスはこの世界の一般的なそれとは一線を画している。

 あなたの知る名前だけでもゆんゆん、めぐみん、ひょいざぶろー。

 しかしちょむすけもあなたからしてみれば、紅魔族らしい随分と個性的な名前だと思う程度だ。

 もょもと、みたいな発音不可能な名前だったりしないだけマシである。

 

 だが、なんとなく感想を言うタイミングを逃してしまった。ウィズもあなたと同様らしい。異邦人であるあなたや、天才特有の感性のズレを持つウィズと違い、この世界における極めて普遍的な感性を持つベルディアは普通に呆れていたが。

 結果として、えもいわれぬなんとも気まずい沈黙が周囲を支配する。

 やらかしたと自覚したゆんゆんが顔を赤くし、ややあってベルディアが口を開いた。

 

「その、なんだ。それはお前が名付けたのか?」

「な、名付け親はめぐみんですから! 私はクロちゃんって名前にしたかったんですよ!?」

「お、おう」

 

 こほん、と気まずさを誤魔化すように小さく咳払いしてゆんゆんは続ける。

 

「それでなんですけど、その子、名前を付けてあげないんですか? 皆さんの家で飼ってるんですよね?」

「この子は迷子だから保護してあげているだけで、飼っているわけじゃないんです。だから名前は付けてないですね」

 

 少なくとも今の所はそうなっている。

 あなたとしてはそのうちウィズが名付けるとばかり思っていたので名前の件については完全に放置していたのだが、そんなそぶりは見せていない。

 

「名前を付けて情が湧いちゃうと、お別れする時に辛いですからね……」

「とっくに手遅れな気がするのは俺だけか?」

「そ、そんな事は……無いと、思うんですけど」

 

 ベルディアの意見に、あなたとゆんゆんは賛同の意を示した。

 ウィズは情が深い女性だ。散々可愛がっている猫に対して今更お別れと言われてアッサリはいそうですか、ではさようなら。とはいかないだろう。

 更にあなたはウィズがこの猫用の家具や玩具をコッソリと買い揃えている事を熟知していた。

 といっても店の運営資金に手をつけているわけではなく、あなたが渡しているウィズが自由に使っていい生活費という名のお小遣いで買っているのである。

 小遣いについては勿論ベルディアにも渡している。ベルディアはあなたのペットなので当然だ。

 

「なんだかんだ言って、コイツが住み着いて暫く経つよな。飼い主も全然見つかっていないようだし、いい加減名前くらいは付けてやってもいいんじゃないのか?」

「……そう、ですかね……?」

 

 どこか期待するかのようなウィズの確認にあなたは頷く。

 ゆんゆんとベルディアの言うとおり、いい機会なので名前を付けてあげてもいいだろう。

 あなたとしても、仮にも一緒に住んでいる以上、いつまでも白猫だの迷子の子猫だのと名前とは呼べない名前で呼ぶのはどうかと思わないでもなかった。

 

 そしてあわよくば、このままペットとして飼ってもいいのではないだろうかとも思う。

 あなたはマニ信者のように猫が嫌いな人間ではないのだ。

 勿論このペットとは仲間ではなく、愛玩動物としてのペットだ。

 

 

 

 さて、そんなわけで白猫に名前を付ける事になったわけだが。

 中々いい名前が思い浮かばずに悩むあなた達を尻目に、ゆんゆんが勢い良く手を挙げた。

 

「シロちゃんっていうのはどうですか?」

「お前三毛猫だったらミケ、犬だったらポチとか名付けるタイプだろ」

 

 ベルディアが半目で即答し、ゆんゆんがビクリと表情を強張らせる。

 

「な、なんで分かるんですか!?」

「いや、なんでってお前……なあ?」

 

 恐らくゆんゆんのネーミングが安直だと言いたいのだろう。

 黒猫だからクロ。白猫だからシロ。非常に分かりやすくていいと思うのだが。

 

「そういえばご主人のネーミングセンスは安直を通り越して軽く終わってたな。同意を求める相手を間違えたか」

 

 ゆんゆんは知らないが、ベルディアはかつて対外的な呼称として、今のベアではなくあなたからポチと名付けられそうになった経緯を持っている。

 それを思い出したらしい。

 あなたは今も割と似合っていると思っているのだが。

 

「とりあえず俺としては、シロっていうのはちょっとな。呼びやすいのはいいんだが、流石にありふれすぎてるだろ。もう一捻り欲しいところだな」

「では、ゆんゆんさんの案に一文字だけ追加して、マシロっていうのはどうでしょうか?」

「あ、私は可愛いと思います!」

 

 雪のように全身真っ白な毛並みの猫だからマシロ。

 ウィズの言葉に反応したかのように、白猫がウィズの手に頬ずりしながらにゃあ、と鳴いた。どうやら名前を気に入ったようだ。

 

「ふふっ、じゃあ、これからもよろしくお願いしますね、マシロちゃん」

「……まあ、いいんじゃないか?」

 

 そんなわけで、白猫改めマシロがあなたの家のペットになる可能性が更に高くなったわけだが。

 純なゆんゆんとウィズはよく分かっていないようだが、あなたはベルディアが先ほどの発言において、言外にこう言っていると理解していた。

 

 ――シロだと擬人化した時になんか呼びにくいだろ、常識的に考えて。

 

 ベルディアがそこまで擬人化を求めていたとは思わなかった。

 よしんばマシロが何かの奇跡で擬人化したとしても、言語や習性の壁が立ちはだかると思うのだが。

 ノースティリスの妹猫は服を着るが、マシロがそのまま擬人化した場合は常に全裸の可能性が非常に高い。

 いや、まさかそれ(全裸)を狙っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなを経て、特にこれといって魔物の襲撃といったイベントも道中の事故も無く、早くもなく遅くもない、極めて適正な時間をかけてあなた達はドリスに到着した。

 強力なモンスターのいない地域、更に多数の人が群を為しての隊商である以上はこれが普通である。そうそうモンスターの襲撃などあろう筈が無いのだ。

 

「わぁ……!」

 

 まるで子供のように目を輝かせ、ウズウズと今にもどこかに飛び出していきそうなのは、ゆんゆんではなくお風呂が大好きなぽわぽわりっちぃだ。とても可愛い。

 ドリスの街のあちこちからは白い湯煙が立ち上っているのが見え、あなたもよく知るところである、温泉街特有の硫黄の匂いが鼻を突く。

 賑やかな街中では様々な種族の観光客がいろとりどりの浴衣を着用し、温泉の効能で肌をつやつやにさせて食べ歩きや温泉巡りを行っている。

 

 そんなドリスは各地から人々が集まる一大観光地だけあって、幾つもの温泉宿が軒を連ねている。更に各地へのテレポートサービスも充実していたりするらしい。

 そして観光地なのだから、ドリスには当然ノースティリスの温泉街であるラーナと同じように、土産物屋があるだろう。モンスターボールや宝の地図は売っているだろうか。今後の為に、狂気を癒すユニコーンの角も仕入れておきたいところだ。

 早速顔を出して品揃えを確認してみるかと考え、流石に来たばかりでそれは気が早すぎると自省し、ラーナではないこの地にそもそも自身が求める品々が売っているわけがない事に思い至る。

 苦笑するあなたに、それを温泉が楽しみで仕方ないと全身で表現している自身に向けられたものと勘違いしたのか、ウィズが若干恥ずかしそうに顔を赤くしていた。

 

 

 

 

 暫しドリスの街中を観光しながら宿泊するのによさげな宿の聞き込みを行ったあなた達一行だったが、やがて一軒の旅館に辿り着く。

 旅館は巨大な平屋の木造建築で、奥深さも相当のものだ。

 あなたはこの世界ではこの地で初めて見る、しかしラーナの建築様式に近い建物の一つなのでここを選んでいたりする。

 

 ベルディアがあなたの隣で感慨深そうに口を開いた。

 

「さっき聞いたんだが、こういうのをワフウ建物っていうらしいな。観光客が着ている服も独特だし、まるで別の世界に来たかのようだ」

 

 あなたからしてみればむしろ郷愁にかられるくらいなのだが、この世界の者にとっては新鮮なものらしい。

 さりとて、旅館自体は中々によさげな感じである。ベルディアも立ち上る高級旅館の気配にご満悦だ。ウィズは先ほどから街中で手に入れた温泉マップを穴が開かんばかりに読み込んでいる。ブツブツと温泉の場所と効能を小声で呟いており少し怖い。

 

「こ、ここってかなりお高いのでは……?」

 

 恐る恐る聞いてくるゆんゆんの言うとおり、あなた達が訪れたのはアクセルの駆け出し冒険者達がお世話になっている宿とは値段の桁が違う宿ではある。

 だがあなたは特に理由も無く、強いて言えばライフワークとして様々な依頼をこなす事で多くの収入を得ている高給取りである。

 高級宿に一ヶ月程度宿泊した所で懐は全く痛まない。

 それにあなたはここ最近ウィズの店で散財していないので、金ならあるのだ。

 

 何より今回は折角の慰安旅行である。

 ゆんゆんやベルディアを置いても、温泉を楽しみにしているウィズの為、そして異世界の温泉を地味に楽しみにしている自分の為。あなたは金に糸目をつける気など一切無かった。

 

「まあご主人の事だ。慰安の為とか言いながらも、その実どうせ自分がこの宿に泊まりたかったから選んだに決まっている。高レベル冒険者は基本的に金銭感覚が狂っているからあまり気にしない方がいいぞ」

 

 大体合っている。

 無論高いから良い、安いから悪いと断言する気は無いが、あなたは初めてドリスに来たのだから、穴場や秘湯など知っている筈も無い。故にこうしてある意味では無難に、宿泊費が高くとも評判の良い旅館を選んだわけだ。

 

 

 

 

 あなた達が旅館に足を踏み入れると、割烹着を着た金髪のエルフがあなた達を出迎えた。

 微妙に違和感が凄いが、事前に話し合っていた内容を告げる。

 

「四名様……三泊四日、朝食と夕食つきですね」

 

 今回の旅行にあたり、あなた達は部屋を二つとる事にしている。

 勿論男部屋と女部屋だ。

 ゆんゆんはお金が勿体無いので一部屋でいいと遠慮がちに主張したが、多数決で二部屋に決定した。当たり前である。

 

 これがあなたとウィズとベルディアの三人しかいないのであれば、一部屋だった可能性は無くはない。三人は元より一つ屋根の下で生活しているし、ウィズとしても折角の旅行で一人寂しく寝泊りするというのも退屈だろうから。

 

 しかしゆんゆんは冒険者とはいえ、まだ十三歳と年若く、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な少女である。

 無論あなたはゆんゆんを性的にどうこうするつもりなど一切無いが、そんなゆんゆんに大の大人の男であるあなたやベルディアと一緒の部屋で寝泊りさせるというのは、些か酷というものだろう。あなたにもそれくらいの思いやりは出来るのだ。

 日々を終末で過ごし、基本的に休日は寝て過ごすせいであまりゆんゆんとの絡みの無いベルディアはともかくとして、あなたはゆんゆんの友人だがそれはそれ、これはこれだとあなたは思っている。

 

「……あの、本当に私、お金を払わなくていいんですか?」

 

 カラフルな着物を着た女中達に荷物を預け、案内された部屋に向かう途中、おずおずとした声でゆんゆんがこう言った。

 宿泊の際、宿代を全額あなたが負担したのでその事を気にしているらしい。

 人数と宿泊日数を合わせてそれなりの額になったのは確かだ。

 しかし今回の湯治は一応だが彼女の修行の一環として来ているのだから、引率者としてあなたが金銭面で面倒を見るのは当たり前である。

 そして一連の報酬はマナタイト結晶という形で前払いされている。ゆんゆんに自腹を切らせる理由はどこにも無い。まあ土産物くらいは自分で買ってもらうつもりだが。

 

「あ、明らかに報酬額に見合ってないと思うんですけど……レベルも凄く上がっちゃってるし……」

「こういう時は素直に甘えておくものですよゆんゆんさん。お金は大事なんですから」

 

 恐らくはこの面子の中で圧倒的に金を溝に投げ捨てる技術に長じているであろう、かつて凄まじいまでの生活苦に襲われていた、アクセルでも評判の極貧リッチーがしたり顔で何かを言っていたが、あえてそれに言及しないだけの優しさがあなたやベルディア、そしてあなた達との世間話でそれを知っているゆんゆんにも存在した。

 

「あの、どうして皆さん揃って明後日の方角を見てるんですか?」

「気のせいだぞ」

「え、でも……」

「気のせいですよウィズさん」

 

 最後、あなたに視線を投げかけてきたウィズに向けて無言で頷く。

 ウィズの気のせいである。

 

「えぇー……」

 

 そういう事になった。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ早速だが、俺は温泉に入ってくるかな!」

 

 男部屋に案内され、適当に荷物を整理したところでいそいそと着替えを持って出かけたベルディアを見送る。

 全身から期待感を溢れさせていたようだが、彼は彼なりに温泉を楽しみにしていたのだろうか。

 あなたの家で過ごす限り、別段ウィズのように入浴が好きとは思えなかったのだが。

 

 ……だが、あなたはそこでふと聞き込みを行った時の事を思い出した。

 そう、混浴である。この旅館の温泉には混浴が存在するのだ。

 

 あなたはどうするかと考え、すぐに何もしなくていいかと結論付ける。

 混浴を期待して温泉に突貫したなど、流石に邪推が過ぎるというものだ。

 あなたはベルディアの主人だ。しかし仮にベルディアがスケベ心を出して混浴に入ったのだとしても、それを止める権利は無い。

 真正面から堂々と混浴に行っただけであって、覗きを働くわけではないのだ。少なくとも直接触らない限りは合法である。

 彼に裸を見られたくないのならば、普通に女湯に行けばいい。

 

 さておき、一通り荷物を整理したあなたはウィズ達が泊まっている部屋に向かう事にした。

 混浴に入るのであれば止める気は無いが、一応注意だけはしておくべきだろう。

 そう考えたあなたが部屋を出た所で、偶然にも同じタイミングで隣の客室から出てきたウィズ達と顔を鉢合わせる事になった。

 二人が持っている荷物と着替えを見るに、早速温泉に入りに行くのだろう。

 あなた達が泊まっている宿は街でも有数の温泉を引いていると聞いて、ウィズが目を輝かせていたのをあなたはよく知っていた。

 

「あれ? ベアさんは一緒じゃないんですか?」

 

 小首をかしげながらのウィズの問いかけに、ベルディアは一足先に温泉に行った旨を告げる。

 ところで二人は女湯と混浴のどちらに行くつもりなのだろうか。

 もし混浴に行くのであれば、ベルディアがいる可能性が非常に高いので気をつけてほしいのだが。

 

「こ、混浴!? ウィズさん!?」

 

 ゆんゆんが顔を朱に染めて一歩引き、ウィズが苦笑を浮かべた。

 

「勿論私達が行くのは女湯ですよ。ゆんゆんさんがいますし、何より混浴は、なんていうか、その……正直ブレイブが足りてないといいますか……他の男の方に見られるのは普通に嫌ですし……」

「……あれ? でもこの紙には、このお宿の混浴時間は深夜だけって書いてますよ?」

 

 ほっとした様子のゆんゆんに言われるまま、壁の張り紙を見る。

 確かにここの温泉は、あまり客が温泉に入らなくなる深夜帯になると、温泉の掃除の為に日替わりで混浴になる仕組みになっているようだ。

 張り紙には偶数日に女性、奇数日に男性風呂が混浴と書かれている。

 今日は奇数日なので男湯が混浴だ。

 

 ベルディアの真意はさておき、三人とも温泉に行くのであればあなたは暇になってしまう。

 かといって一人で観光するのも味気ない。昼過ぎと、入浴するには中途半端な時間だが、あなたも三人と同様に温泉に浸かる事にした。

 

 

 

 

 

 

 着替えを持ち、温泉の入り口でウィズ達と別れ、

 やはり時間が時間なのか、あなたとベルディア以外の入浴客はいない。

 広い温泉が貸切である。実に素晴らしい。

 

「……なんだ、ご主人も来たのか」

 

 なのだが、先に温泉に浸かっているベルディアのテンションが尋常ではなく低い。

 もうこの時点で何を期待していたのかは分かってしまうのだが、あえて何も言わないだけの情けがあなたにも存在した。

 ベルディアは自分の欲望に正直、あるいははっちゃけすぎだと思わないでもないが、幹部をやっていた時からセクハラ三昧していたそうなのでこれが彼のデフォルトなのだろう。

 彼は体格も良く、程よく野性味を感じさせるイイ男だ。性格もいいし、スケベ心を抑えて黙っていれば割と女性に人気が出ると思うのだが。

 

『凄いですね、ゆんゆんさん!』

 

 あなたが温泉を堪能しながらベルディアの考察を行っていると、エコーがかかったウィズの声が聞こえてきた。

 ベルディアと声が聞こえてきた方角に顔を向ける。

 どうやら仕切りの向こう側が女湯になっているようだ。

 やけに楽しそうな声色といい、男湯と同様に貸切状態なのかもしれない。

 

 ふと、あなたは愚にも付かないイタズラを思いついた。

 ここで女湯に向けてベルディアの頭を放り投げたらどうなるのだろうか、と。

 頭部が切り離せるデュラハンならではのアイディアである。

 

「――――殺気!?」

 

 熱い温泉に入っているにも関わらず、身体をブルリと震わせて周囲を警戒するベルディア。

 中々に勘が鋭い。

 勿論あなたはそんな真似をやるつもりは毛頭無かった。今はウィズが女湯に入っているのだから当然だ。

 

 ……まあ、ウィズがおらず、ここがノースティリスであればやっていた可能性はあるのだが。ベルディアは死ぬ。

 

 ちなみに男湯と女湯を隔てる仕切りには覗き防止の結界魔法が張られていた。

 ベルディアを投げ込もうものなら消し炭になっていただろう。

 

 

 

 

 

 

 一方そのころ、女湯では。

 

「凄いですね、ゆんゆんさん!」

「……そうですね」

 

 家の風呂やアクセルの公衆浴場とは比べ物にならない、広大な乳白色の温泉の感動に目を輝かせるウィズとは対照的に、ゆんゆんの瞳はまるで温泉の湯のように加速度的に濁っていっていた。

 その瞳の先に映るものは敬愛すべき己の友人にして、紅魔族すら上回る力量を持つ魔法の師匠。その一部分だ。

 

「そうだ、ここの温泉は飲んでも美味しいらしいんです!」

「そうですね……」

「温泉卵もとっても美味しいらしくて……」

 

 道中で仕入れた薀蓄をニコニコと笑顔で語るウィズ。

 友達が楽しそうにしているのは、ゆんゆんとしても自分の事のように喜ばしい。

 喜ばしいが、それとこれとは話が別だ。

 

(……大きい)

 

 そう、大きい。

 とても大きかった。

 何がとは言わないが、ウィズはとても大きかった。たゆんたゆんでバインバインである。

 にも関わらず本人の人柄もあって下品さは一切感じさせない。むしろ神聖さすら感じる。

 

 大きいのは最初から知っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。

 今はタオルを巻いているが、最初にソレを見た時、着痩せするにも程があるだろうとゆんゆんは世界の不平等を呪いたくなった。銀髪の神々しい少女が頻りに頷いている幻覚が見える。

 

(大きいだけじゃなくて、真っ白で、形も綺麗で……腰もすっごく細いし……)

 

 視線を下に向け、ウィズのソレと自分のソレを見比べる。

 

(か、勝てない……勝てるわけないでしょこんなの……!?)

 

 完敗だった。

 何がとは言わないが、ゆんゆんは絶望的なまでの戦力差に打ちひしがれ、泣きたくなった。

 

(何を食べたらああなるの? ウィズさんって最近まですっごく貧乏だった筈じゃ!?)

 

 ゆんゆんの名誉の為に記しておくと、ゆんゆんが持っているソレも十二分に女性の嫉妬を集めるに相応しいモノである。同じ紅魔族の友人であるめぐみんと比較した場合、確実にめぐみんが悲しみを背負う事になるくらいにはゆんゆんも立派なモノを持っている。更にゆんゆんの年齢による成長性を鑑みれば、決して悲観すべきではないだろう。

 

(分かってる、そんな事は私にも分かってるの……でも……でも……!)

 

 だが、そんなゆんゆんをしてウィズは圧倒的だった。

 まるで彼我の魔導の力量差の如きレベルの違いである。

 

 嵐の如く荒れ狂う内心を押し隠し、頭と身体を洗い、温泉に浸かる。

 至福の笑みを浮かべるウィズはゆんゆんの熱い視線に気付いていない。

 気付いていれば頬を赤くして苦笑しただろうが、そんな様もまた魅力的なのだろう。ゆんゆんは漠然とそう感じた。

 

(ぷかぷかって浮いてる……おっきくなるスキルとかあるのかなあ……もっとレベルを上げれば私もあんな風に……)

 

 心地よい温泉に浸かりながらも、軽く現実逃避を始めるゆんゆん。

 記憶には残っておらずとも、養殖の影響は確かに残っていたのだった。

 

 

 

 余談だが。

 これより数年後、大人となったゆんゆんは色々な意味でウィズの愛弟子に相応しいモノを身に付ける訳だが、紅魔族とはいえ未来を見通す術を持たない彼女にそれを知る由はない。

 

 

 

 

 

 

 一年以上ぶりとなる、久しぶりの温泉を堪能したあなたは女湯から出てきたゆんゆんと出くわした。

 ウィズの姿は無い。ベルディアと同様に先に部屋に戻ったのだろうか。

 

「ウィズさんはまだ中にいますよ。お風呂は一緒に出たんですけど、まだ髪を整えてます」

 

 ゆんゆんはウィズが出るのを待っているようだ。

 あなたも彼女を待つ事にした。

 

「……あの、私の頭に何か付いてますか?」

 

 あなたの視線を感じ取ったのか、ゆんゆんがそう言った。

 いつもは編み込みとリボンで綺麗に整えられたゆんゆんのヘアースタイルは、今は完全に下ろしきった自然形になっている。

 中に白い浴衣を着込み、その上から紺色の浴衣を羽織っている事もあってか、あなたはまるで別人のような印象を彼女に抱いた。きっと露出度が急激に下がったからだろう。

 にも関わらず、背中にまで届く緑の黒髪は湯上りという事もあってか、仄かに色気を感じさせる。

 彼女のいつもの髪型はどこか実年齢相応の幼さを感じさせていたのだが、今のゆんゆんはそんな事は全く無く、非常に大人びていた。

 いつもの髪形のウィズと並べば、それこそ本当に姉妹にしか見えないのではないだろうか。

 

 あなたは素直に大人っぽいし浴衣も似合っていると褒めた。

 サラサラの髪が綺麗だとも。

 

「そ、そうですか?」

 

 えへへ、と可愛らしくはにかむゆんゆんに温泉の感想を聞いてみる。

 今回の旅行はゆんゆんの慰安が発端になっている。気に入ってもらえているといいのだが。

 

「……凄かったです」

 

 ゆんゆんは突然真顔になってこう言った。

 心なしか影を背負っているような……むしろ絶望しているようにも見える。

 彼女にとって、そこまでのものだったのだろうか。

 

「はい。白くて、大きくて……信じられないくらい綺麗でした。……なんていうかもう、凄かったとしか私には言えません」

 

 なるほど、確かにこの温泉の湯は乳白色であった。

 露天風呂はとても大きくて綺麗に手入れされており、温泉を頻繁に更地にしていたあなたとしても感動したものだ。

 しかし温泉の話で何故そんなに負け犬がするような顔になってしまうのだろうか。

 これが分からない。

 

「…………まだまだこれからだよね、将来に期待だよね」

 

 あなたの疑問に答えず、何故か俯いて自分の胸に手を当てるゆんゆん。

 彼女なりの風呂上りの健康法だろうか。

 とてもではないが十三歳には見えない今のゆんゆんがそれをやると、そこはかとなく淫靡な雰囲気を醸し出してしまっているのだが。人気が無いのは不幸中の幸いである。

 

「…………」

 

 実際問題、外見はともかく内面は普通の子供であるゆんゆん本人にそのつもりは無いのだろうが、部位が部位なだけにまじまじと見つめ続けるというのもバツが悪いだろう。

 あなたが目の前にいるというのにも関わらず、大胆にも発育のいい胸を浴衣の上からふにふにと揉み始め、しかし何故かテンションを下げていくゆんゆんを放ってあなたは売店で買い物をする事にした。

 ラーナでも売られていた品を見つけたあなたは即決でそれを購入し、マッサージを続けながらぶつぶつと何かを呟き続けていたゆんゆんの頬にぴとりと当てる。

 

「ぴゃあああああ!?」

 

 突然の冷たさに飛び上がって可愛らしい奇声をあげるゆんゆんに思わず笑ってしまう。

 

「び、びっくりさせないでください!」

 

 あなたがゆんゆんに当てたのは、冷やした牛の乳に果汁を加えた飲み物、フルーツ牛乳である。

 コーヒー牛乳も売っていたので購入しておいた。

 ノースティリスでも温泉の後にはこれらを飲むのがお約束である。ちなみにどちらも瓶入りで一本100エリスだった。

 

「これを飲んで大きくなれと?」

 

 ゆんゆんはフルーツ牛乳を選び、どこか濁った瞳であなたを見つめてきた。

 何を言っているのかよく分からないが、自分のおごりなので遠慮なく飲んで欲しいと適当に流してあなたはコーヒー牛乳を一気飲みする。

 量は若干物足りないが、味はノースティリスで飲んだそれよりもずっと美味であった。

 やはりメシェーラに汚染された牛とはモノが違うという事だろう。まあ、ノースティリスではこういう飲み物に混じっている乳は牛の乳とは限らないわけだが。冷静に考えてみると恐ろしい話である。

 

「……えっと、じゃあありがたくいただきます」

 

 あなたの真似をするように、腰に手を当てて勢い良くフルーツ牛乳を一気飲みするゆんゆんに男らしいと感心していると、女湯の赤い暖簾を掻き分けてウィズが出てきた。

 

「お二人とも、お待たせしました。待っててくださってありがとうございます」

 

 体中からほこほこと湯気を立てている彼女はニコニコとご機嫌顔だ。その証拠に頭頂部のアホ毛もぴこぴこと左右に可愛らしく揺れている。

 風呂好きであるウィズは温泉が余程気に入ったのだろう。ドリス各地の温泉巡りをしたりするのかもしれない。

 そんなほかほかりっちぃは髪を下ろしたゆんゆんとは対照的に、彼女はその長くボリュームのある栗色の髪を真っ白いうなじの部分に緩く一まとめにしていた。

 

 同居しているという関係上、あなたが風呂上りのウィズの姿を見るのはこれが初めてではない。

 だというのに、今のウィズがやけに新鮮に思えるのはゆんゆんと同じく、浴衣とバスローブを足したような温泉地用の簡素な衣服を着ているからか。

 血色の良くなった肌は温泉の効能なのだろうが、やけに艶々しているようにも見受けられる。普段よりも魅力が五割増といったところだ。

 そしてゆったりとした長袖の浴衣ではウィズの豊かな胸の圧力と主張を止める事など到底不可能なようで、歩くたびにその双丘がぽよんぽよんと浴衣の下で小さく揺れていた。

 

 ぽよぽよりっちぃ。

 ぽよぽよりっちぃである。

 ぽわぽわでぽかぽかでぽよぽよでぷりてぃなりっちぃである。

 

 あなたの言語体系が激しく劣化してしまっていたがさもあらん。率直に言って、非常に眼福であった。

 思わず彼女を抱きしめたらどんな感触がするのだろうか、と考えてしまうほどに。

 日頃の不健康さが綺麗さっぱりどこかに行ってしまったウィズ。これはある意味反則ではないだろうか。

 

「…………凄いですよね、ほんとに」

 

 あなたの隣でゆんゆんがぽつりと呟いたが、幸いな事にあなたもウィズもその声を聞き取る事は無かった。

 

 ウィズが常識と良識をこれでもか、といわんばかりに兼ね備えた善人である事をあなたは今だけは悔やむ。ノースティリスの友人達のような、ぐうの音も出ない畜生であれば一切気兼ねせずに良かったのだがそうもいかない。

 あえてどこへ向かってとはここで明言しないが、信頼が厚いあなたが万歳突撃という蛮行に及べばウィズはきっと泣くだろう。それはもう盛大に泣くだろう。死にたくなる事請け合いである。むしろ死んで詫びなければなるまい。

 

 そんな欲望と理性の狭間で揺れ動く内心を完璧に押し隠し、あなたはウィズにコーヒー牛乳を手渡す。無邪気に喜ぶウィズの可憐な笑顔に、あなたの薄汚れた欲望が一瞬で浄化(―― KO ――)された。



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第45話 サキュバスネスト(推奨レベル35以上)

 カラコロ、カラコロと。

 

 独特の底の高さを持つ木製の履物……下駄の音を鳴らしながらあなたはドリスの街を散策する。

 冷たい空気が温泉で火照った肌を冷やして非常に心地いい。

 

 各地から人々が集まるドリスには当然様々な種類の店や屋台が軒を連ねており、平時にも関わらず祭さながらの様相を呈している。

 ふと騒がしい方角に視線を向ければ、大道芸人が通行人の目を楽しませたり、吟遊詩人が弾き語りを行っていた。勿論聴衆が投げた石が歌い手や芸人の頭蓋を粉砕し、赤い花が咲いたりはしない。この世界特有の、とても平和な光景がそこには広がっていた。

 

 あなたは芸人ではないが、パーティー会場で演奏を行う依頼を受けた回数は数え切れない。あなたの友人達も同様に。

 

 極まった演奏技術を持つ廃人であるあなたと友人達、そのペット達が全員揃って行うコンサートはまさに天国にも昇る心地だと、国外の人間の間では非常に評価が高かったりする。一方でノースティリスの冒険者の間ではジェノサイドパーティーと呼ばれているが。

 

 今はあなた一人しかいないが、ここのパフォーマーのシマを荒らすのも楽しそうだ。

 ノースティリスの冒険者特有の思考、もとい特に理由の無い嫌がらせが温泉で精神の箍が弛んだあなたを支配しかける。

 しかし残念ながら愛用の楽器であるストラディバリウスはアクセルの自宅に置いたままだ。あなたはパフォーマー達に乱入するのを断念した。

 

 それにしても、思えば長く演奏をやっていない、とあなたは吟遊詩人を見て思う。少なくともこの世界に来てからは一度も楽器を弾いていない。

 あなたの演奏の腕が錆び付く事など早々有り得る事ではないが、この旅行が終わったらアクセルの広場で軽く一曲弾いてみるのも悪くないかもしれない。

 

「何が楽しくて野郎二人で観光地を練り歩かねばならんのだ。一人で寂しくゴロゴロしてるよりは遥かにマシとはいえ……恐ろしく空しいぞ、これは」

 

 今後の予定を立てるあなたの隣でベルディアがぶつくさと文句を言っているが、温泉でテンションを上げたウィズが温泉巡りに行ってしまったので仕方がない。

 ゆんゆんはあなた達とウィズのどちらに同行するか迷った末にウィズの側に付いた。温泉を巡れば巡るだけ、その効能で狂気度が減少すると思われるので頑張って付き合ってあげてほしい。

 ウィズとしても一人よりは二人の方が楽しめるだろう。

 

 あなたもベルディアも温泉は嫌いではなかったが、一日に五回も六回も連続で温泉を堪能する趣味は持っていないのだ。何より性別が違う。

 結果として、今日の所は男女に分かれて普通に観光する事になったわけである。

 

「それになんだ……この履物、下駄だったか? 歩きにくくて仕方無いな。物珍しいから履いてみたものの、素直にサンダルにしておくべきだった」

 

 渋面を浮かべるベルディアに対し、ノースティリスにも下駄はあったあなたはある程度履き慣れている。確かに歩きにくいが、これはこれで風情があるものだ。戦闘にはまるで向いていないが。

 

「言いたい事は分からんでもないがな……。ええい、なんぞ美味い物でも食わんとやってられん」

 

 などと言いながらも先ほど買った温泉饅頭を頬張りながら付いてくる辺り、彼は立派なツンデレである。

 難儀なキャラをしているとは思う。

 男のツンデレとか誰得だよ、とは誰の言葉だったか。

 

 内心でどうでもいい事を考えていると、あなた達と同じように旅行で来ているのであろう、貴族の子弟と思わしき三人の金髪の少年たちと擦れ違った。

 

 

「さっきの二人、凄かったな。茶髪の人と黒髪の子」

「どっちも滅茶苦茶美人だったし、ほら、アレもおっきかったし……」

「ナンパしようとしたら茶髪の人にものっすごい綺麗な笑顔でお断りされたけどな。なんでか知らないけど背筋が寒くなった」

 

 

 少年たちはナンパに精を出していたようだ。

 三人揃って災難に出くわしそうな顔立ちをしていたが、今の所は三人とも楽しそうなのできっと気のせいだろう。

 

「ご主人はナンパとかやりそうにないな。真面目ってわけじゃないんだろうが、興味自体が無さそうだ。楽隠居した老人みたいだし」

 

 駆け出しの頃ならともかく、今のあなたに赤の他人にそういった目的で声をかける気はない。

 神器を持っていたら話は別だが。

 ベルディアはナンパをしたいのだろうか。

 

「ふむ。折角の旅行なのだから、俺も今だけのアバンチュールとか期待してみたい所ではある。人生に潤いは大事だと、今なら心底思うぞ……」

 

 ペットの欲望がだだ漏れすぎて困りものである。

 だが嫌いではない。

 そんなとても頭の悪い会話をしていると……

 

「ううっ、これ歩きにくいよぉ……普通に靴履いてくれば良かった……」

 

 まるで先ほどのベルディアと同じような事を言いながら、あなたの視界の端で長い耳をした長い金髪の少女が下駄に悪戦苦闘していた。

 年齢は十歳ほどだろうか。

 一見するとごく普通の色白のエルフの少女だが、ウィズやベルディア、バニルといった相手で慣れ親しんだ魔の気配が彼女がエルフとは全く別の生物だとあなたの知覚に訴えかけてくる。

 人外が堂々と観光地を闊歩しているのだが、これは大丈夫なのだろうか。

 それとなく周囲を観察するも、彼女を狙っているような者はあなたの知覚範囲内には見受けられない。

 

「エルフの娘か。見目が整っているのは認めるが、潤いと呼ぶには少し子供(ガキ)すぎるな。俺の好みではない」

 

 肩を竦めるベルディアに、そういえば自分のすぐ隣には元魔王軍幹部がいたのだった、とあなたは思い直す。

 少女も周囲に正体を気付かれていないようだし、ここは観光地だ。魔族が保養地に来てはいけないという法律は無い。今は野暮な事を言うのは止めておくとしよう。

 

 街中で本性を現して暴れだしたのなら、即刻縊り殺せばいい。たったそれだけの話だ。

 あなたは自分のあまりに完璧なプランニングに自画自賛したい気分になった。

 

「なんだなんだ、ご主人はああいうのもいける口か? この数寄者め」

 

 金髪少女に注視していたあなたに何を勘違いしたのか、ベルディアがニヤニヤして軽く肘打ちしながら問いかけてきた。

 あなたはあの少女に対して思う所は何も無い。

 一切感情を動かさないあなたの冷めた表情と声色から嘘では無いと察したのだろう。ベルディアはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「貧乳はご主人の好みではないか。折角の機会なのだから、ウィズにご主人が浮気していたと告げ口してやろうと思ったのだがな」

「……きゃっ!?」

 

 浮気の前提条件を満たしていないと主張しようとした所で、背後から小さな悲鳴が聞こえた。

 ベルディアと共に声の方に目を向ければ、先ほどの少女が転倒していた。

 

「いたた……」

 

 どうやら足を挫いてしまっているようだ。

 慣れない下駄のせいで足を踏み外してしまったのだろう。

 少女がいる場所は他の人間からは死角になっているようで、誰も彼女の元に行く気配は無い。

 

「やれやれ……」

 

 見かねたのか、ベルディアが嘆息して少女の方に足を運んでいく。

 どうやら彼女を助けてあげるつもりらしい。

 あなたは何を言うでもなく、ベルディアの後に続いた。

 

「おいお前、大丈夫か?」

「えっ……」

 

 顔を上げた少女の顔が小さく強張る。

 

「足を挫いているようだな。回復魔法を使える奴を呼んできてやろうか?」

「えっ!? あ、いえ、お構いなく! そこまで酷くはないので!」

 

 慌てて首を横に振る金髪少女。

 心なしか顔が青くなっている気がしないでもない。

 怪我をした幼い外見の少女の前に大の男が二名である。

 なるほど、怯えるには十分すぎる理由であった。衛兵を呼ばれてもおかしくはない。

 

「ほらこの通りってぁ痛った何これいったい!?」

 

 挫いた方の足で片足立ちして跳んだ挙句、盛大に悶え始めた。中々に愉快な少女である。

 

「挫いた方の足に体重をかければそりゃあ痛いだろ……」

「ううっ……」

 

 目に涙を浮かべて足を擦る少女の足は、無茶をしたせいで赤く腫れ上がってしまっていた。

 非常に痛々しい。

 

「なあ、やっぱり回復魔法をかけた方がいいんじゃないのか?」

「大丈夫です、大丈夫ですから!」

「やれやれ……」

 

 頑として魔法での治療を拒む少女に再度嘆息したベルディアは何を思ったのか、少女の傍に近寄ってしゃがんだかと思うと、少女をそのまま抱え上げた。

 

「きゃあっ!?」

 

 まさかのお姫様抱っこである。

 初対面の幼い少女を、厳つい大の男が抱えている。

 これは大丈夫なのだろうか。衛兵案件ではないのか。

 あなたはベルディアの主人として、この大胆極まりない行為にどう対処すべきか頭を捻り始めた。

 

「あ、あのっ!?」

「泊まっている宿はどこだ? 送っていってやる」

 

 羞恥からか、顔を真っ赤にした少女に対し、ベルディア本人はいたって真顔である。全くそんなつもりなど無いのだろう。むしろ女だと思っていない可能性が非常に高い。

 しかしどれだけ控えめに言っても、犯罪臭しかしない光景であった。

 他人のフリをした方がいい気がしないでもない。

 

「あ……ありがとうございます……」

 

 少女と戯れるベルディアを見て、あなたはふと、オパートスの狂信者の事を思い出した。

 

 彼――性別は無いが、便宜上ここでは彼と呼ぶ事にする――の種族は巨大なゴーレムで、友人内で随一の頑健さと怪力を誇る。あと口から物凄い威力のビームを発射する。雑魚散らしに非常に有用だ。

 

 そんな彼の正体はマニ信者曰く、かつて世界を焼き尽くしたモノの最後の生き残りだとか、圧倒的な武力を用いて争いに対し終止符を打つという目的で創造された人工の神だとかいう話だが、記憶を完全に失っている本人もあなた達も興味はなく割とどうでもいいと思っている。

 

 そして彼は何を隠そう、人間の子供が大好きで、大好きで、大好きなのだ。

 

 

 

 彼は本当に人間の子供が大好きだった。

 

 彼は人間の子供が庇護する対象として大好きだった。

 

 彼は人間の子供が性的な意味で大好きだった。

 

 彼は人間の子供が食料的な意味で大好きだった。

 

 

 

 彼はショタコンでロリコンで人肉愛好家である。

 外見年齢が二桁を超えたらジジイババアと公言して憚らない彼のペットは当然の如く全員が幼い子供である。

 信仰する神から直々に賜った下僕……黄金の騎士すらも若返りの薬で幼女化させている辺り筋金入りだ。

 

 十歳以上の人間の肉を食わせると、拒食症を発症する勢いで盛大に吐く。吐いた後よくもこんな汚物を食べさせてくれたな、と烈火の如く怒り狂って口から廃威力の光線を乱射して周囲を草木の一本も残らない更地にする。怒り狂った後三日間は高熱を出して寝込む。

 

 ベルディアが抱えている少女は、年齢的にはギリギリ射程圏内だろう。食料的な意味で。

 

 一般人からしてみれば度し難いとしか表現のしようが無いが、所詮廃人なんてあなたも含めて皆こんなものだ。彼も再起動して始めの頃はマトモだったらしいのだが今はご覧の有様である。

 ちなみに友人内で唯一のロリっ子であるマニ信者は特にそういう目で見られていない。

 本人曰く、合法ロリも合法ショタも大好物。でもTSはちょっと……との事である。彼に限った話ではないが、偏食が酷すぎて実にどうしようもない。

 

 

 

 

 

 

 さて、あなた達が少女に案内されたのは町外れに立つ一軒の大きな旅館、その最奥であった。

 あなたが宿泊している旅館に負けず劣らずの宿であるからして、彼女はもしかしていい所のお嬢様だったりするのだろうか。人外だが。

 

「随分といい所に泊まっているんだな」

「え、ええ、はい……友達と一緒に来てるんです」

 

 ここまで足を痛めた少女はずっとお姫様抱っこのままベルディアに担ぎ上げられ運ばれていたので、二人は非常に衆目を集めていた。

 ベルディア本人は全く気にしていなかったが、少女はそうもいかないようで顔をリンゴのように真っ赤に染めている。

 そして、案内されるままに辿り着いた大部屋の扉をノックする。

 部屋の鍵は閉まっていなかったようで、そのまま誰かが扉を開け放った。

 

「うおっ……」

 

 中を見て、ベルディアが思わず、といった感じで感嘆の声をあげた。

 

 女、女、女である。

 

 あなた達を出迎えたのは十数名にも及ぶ美女と美少女の集団。

 下は十代半ばから上は三十路前後だろうか。

 皆が皆一様にむせ返るような色香を放っており、どういうわけか部屋を訪れたあなたとベルディアに熱い視線を送ってきている。

 

 揃いも揃って浴衣を着崩している辺り、すわ娼館にでも迷い込んだのか、と疑いたくなる光景であるが、当然の如く彼女達全員が人間ではない。

 あなたは早くも嫌な予感しかしなかった。

 ゆんゆんがいなかったのは不幸中の幸いだろう。この環境は彼女の情操教育に最高によろしくない。

 

「すみません、わざわざありがとうございます」

 

 一行のリーダーであろう、スタイル抜群の長い青髪の美女がニッコリと妖艶に微笑んだ。

 殆ど半裸に近い状態まで肌蹴ている浴衣からは、男を誘うように胸の谷間と肉つきのいい太ももが顔を覗かせている。案の定視線を釘付けにされたベルディアが鼻の下を伸ばし、腕の中の金髪少女が何故か頬を膨らませていた。

 

 ふと、青髪の女性と彼女を注視していたあなたの目が合う。

 媚びる様な、色気を全面に押し出した蠱惑的な微笑はノースティリスの娼婦を連想させた。

 

 主に無法者が集まる街で活動する彼等彼女等は、人目を憚らずに街中で突然まぐわい始める程度には節操が無い。

 

 そして、部屋の中の女性達からは彼等と同レベルの匂いがする。

 

 つまりどういう事かというと、幾ら煽情的な流し目を送られようとも、商売女やそれに類する者が相手ではあなたは全く興奮しないのだ。これは最早習性に近い。

 無論職の貴賎を問うつもりはないし、冒険者という不安定な稼業に就いているあなたに彼女たちをどうこう言う資格も無い。ただ興奮しないだけだ。

 

 しかしあなたは興奮こそしないものの、その美貌やスタイルよりも彼女の持つ戦闘力に目を付けていた。

 ウィズやバニルはおろか、今のベルディアにも及ばないものの、この世界で今まで会ってきた者の中では指折りの強さだ。

 他の女性たちもリーダーに及ばないとはいえ、中々に出来る面子が揃っている。

 一体何の集まりなのか。というか彼女達は何者なのだろう。人間でない事だけは確かなのだが。

 

「ふふっ……申し訳ありません。よろしければその子を布団に寝かせていただけますか?」

「お、おう。了解した」

「そちらのあなたも。お礼にお茶とお菓子をお出ししますわ」

 

 控えめに言って遠慮しておきたかったが、ベルディアを一人にするのもよろしくない気がした。

 言われるままにあなた達が部屋に足を踏み入れると、部屋中に充満する、非常に強い雌の臭いがあなたの鼻を突く。

 

 食虫植物は餌である虫を誘う為、甘い香りを出すのだったか。

 あなたはふとそんな事を思い出した。

 

 緑色のアレに囲まれた状況を思い出して眉を顰めたくなった。おまけに微かに薬臭までしてくる始末。今の所体調に問題は発生していないが、あまり長居すべきではないだろう。ベルディアの、そして自身の為にも。

 

「ここでいいか?」

 

 ベルディアが足を怪我した少女を布団に下ろした所で、ガチャリと背後で扉の鍵を閉めたかのような音が鳴った。

 

 振り返ればあなた達を部屋に招きいれた女性が扉を守るように背にしている。まるでここからは逃がさないといわんばかりに。

 その表情はどこまでも艶然としており、更に彼女に気を取られた瞬間、気付けばあなたとベルディアは周囲を部屋中の女性達に包囲されていた。

 

「飛んで火に入るなんとやら……」

「男……強い男だわ……」

「ヤっちゃう?」

「ヤっちゃわない?」

「そうだね、ヤっちゃおうよ」

 

 誰も彼もが餓えた獣のように双眸をギラつかせ、あるいは艶やかな眼差しを送り、舌なめずりしながらあなた達にジリジリと近付いてきた。

 あなた達がこの部屋を訪れる原因となった金髪の少女を、遅まきながら何かを悟ったベルディアが怒鳴って睨み付ける。

 

「俺達を嵌めたな!?」

「違うんです誤解ですごめんなさいごめんなさい! じっとしてたらすぐ終わりますから!」

「嘘つけバーカ! どう考えてもすぐ終わるってレベルじゃないだろ!」

 

 まあ、こうなるだろうな。

 あなたはどこまでも冷めた頭で状況を俯瞰していた。

 

 状況は奇しくもベルディアが望んだものに近い。

 女体祭である。ハーレム展開に笑えよベルディアといった感じだろうか。

 

「ご主人、よく落ち着いて聞いてほしい。通常、世間一般では関わり合いになりたくない女に囲まれる事をハーレムとは言わないのだ」

「そんな酷いっ!?」

「どう考えても酷いのはお前等だからな?」

 

 なるほど、道理である。返す言葉も無い。

 仮に緑色のアレに囲まれたとしても、あなたは断じてそれをハーレムだとは認めないだろう。

 

 ベルディアの真顔から繰り出された、いっそ悲痛ですらある主張に納得していると、どこかでキィン、と小さい金属音が鳴った。

 嫌な予感がしたあなたが反射的にベルディアの腕を掴みテレポートによる離脱を試みるも、どういうわけか不発に終わる。

 

「男にだけ効果のある魔封じの結界を張らせてもらったわ! これでテレポートは使えないわよ!」

「グッジョブ! 最初に食う権利をやろう!」

「好き放題ヤっちゃっていいわよね?」

「折角の旅行なんだし、たまには少しくらいハメを外しちゃってもいいわよね? まあハメさせるんだけどね!」

「お前等がパパになるんだよ!!」

 

 残念な事に離脱は一足遅かったらしい。

 人外が結界とは随分と器用な事だと盛大に舌打ちする。

 

「ちょっと人助けしてみたらこれだ。世界が俺に優しくなさすぎて何かに呪われてるんじゃないかと」

「大丈夫大丈夫、優しくしてあげるから」

「頼むから少しはまともに会話する努力をしろ!」

 

 やる気満々な相手を前にしたあなたは説得を試みるか考え、一瞬でその脳内プランを破却した。

 とてもではないが話が通じる手合いだとは思えない。隙を見せた瞬間一気に性的に、あるいは物理的に捕食される未来が透けて見えている。

 

「ところでさっきから魅了(チャーム)使ってるんだけど、全然効果が無い件について」

「つまり極上の獲物って事ですよね?」

「さきっぽだけ、さきっぽだけだから!」

「そのすました顔を滅茶苦茶にしたい……性的な意味で……」

「駄目だこいつ等……早くなんとかしないと……」

 

 息を荒げて少しずつと包囲を狭めていく美女の姿をした肉食動物の群れ(ケダモノ達)に対し、現在あなた達が取れる選択肢は三つに一つだ。

 

 即ち、尻尾を巻いて逃げ出すか。

 情け無用の残虐ファイトを解禁するか。

 例によって死なない程度にぶっ飛ばすか。

 

 恐らくノースティリスのテレポートであれば逃げられる。壁をぶち抜いてもいいだろう。

 しかし逃げ出そうものならば野獣と化した彼女達は地の果てまでも追ってくる気がしてならない。

 では残虐ファイトか。相手は推定人外だし別に何をしても構わないだろう。あなたとしても全く躊躇いは無いのだが、日頃使っている神器は宿に置いたまま出てきてしまった。まさかこの平和な世界の、それも観光地のど真ん中でエンカウントが発生するとは思っていなかったのだ。己の見積もりの甘さとどれだけ平和ボケしていたかを痛感する。

 素手で縊り殺すか愛剣を抜くべきか逡巡するも、屍山血河を築き上げてしまえば宿の持ち主が激しく迷惑してしまう事に思い至る。

 それに一人や二人行方不明になるならばともかく、相手は数十人もの団体様だ。

 大量失踪や殺人事件など起きてしまっては騒ぎになるのは避けられないだろう。折角の慰安旅行がそれどころではなくなってしまう。残念だが彼女達を殺すのは止めておこうとあなたは己を戒める。

 

 しかし、殺してはいけないという事は、裏を返せば殺さなければ何をしてもいいという事である。少なくともあなたはそう思っている。

 いつだって力任せのゴリ押しは万能の解決手段なのだ。この手に限る。

 

「かかってこいやあああああああ!!」

「タマとったらああああああああ!!」

 

 覚悟を決めたベルディアがやけっぱちに雄叫びをあげ、血に餓えたケダモノ達が飛び掛ってくる。

 かくしてドリスの一角の一旅館で決して歴史に残る事の無い、むしろ絶対に残してはいけない、しかし当人達にとってはいたって真剣な大乱闘が幕を開けた。




《オパートスの狂信者》
 遠い昔、世界を七日で焼き尽くしたモノの最後の一体。
 見た目がゴーレムっぽいのでゴーレムという事になっている。
 浮いたり飛んだり出来るし、口からなんか凄いビームを吐く。
 ちゃんと時間をかけて再生したので腐ってない。

 牧場を多数経営している。
 縦一列に並んで螺旋状に回るダンスが持ちネタ。


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第46話 とりあえず暴力で解決だ

 これは、ウィズとゆんゆんが温泉巡りを行っていた時の一幕である。

 

「ウィズさん、恋バナとかしてみませんか?」

「鯉花? すみませんゆんゆんさん、それってどういう花なんでしょう? 寡聞にして知らないのですが」

 

 頬に人差し指を当て、不思議そうに首を傾げるウィズにゆんゆんは苦笑した。

 

「そうじゃなくて、その……女子トーク、的な感じで。お友達って恋バナをするものなんだそうです」

「あ、ああっ、なるほど、そういう意味でしたか。……恋バナ……」

「駄目、ですか?」

「勿論駄目なんかじゃありませんよ。ただ大変お恥ずかしい話なんですが、実は私、そういうのをあまり考えた事が無かったものなので」

「そうなんですか?」

 

 若干の驚きと共に聞き返す。

 

「はい、現役時代のパーティーメンバーは皆くっ付いたりいい雰囲気だったりしたんですが、どうにも私にはそういう浮いた話も縁も無くって……」

 

 力なく笑うウィズのそれは、非常に意外な発言であった。

 同性であるゆんゆんから見ても、ウィズは非常に魅力的な女性だからだ。

 異性が放っておかないだろうと思う程度には。

 

「でもそうですね、私にも好みというか、希望はありますよ」

「といいますと?」

「年齢や素性は気にしないですから、やっぱり一緒にいて落ち着く人がいいですね。こう……子供みたいに思いっきり甘えてみたくもありますし、私を護ってくれる人にもちょっと憧れたりします」

 

 現役の頃はそういうのは無かったですから、と苦笑しながらも、かつては氷の魔女と呼ばれ、天才アークウィザードの名を恣にし、今はしがない魔法道具屋の店主であるリッチー(世界最強の一角)は続ける。

 

「あとは……私におかえりなさいって言わせてくれる、()を受け入れてくれる人……ですかね」

 

 目を瞑って、噛み締めるように言の葉を紡ぐウィズは、まるでここにはいない()()を想っている様で。ゆんゆんは、それ以上何も言えなかった。

 

「ところで、ゆんゆんさんはどうなんですか?」

 

 興味深々といった風に問いかけてくるウィズ。

 いかに彼女が強い力を持った存在であろうとも、ここら辺は一人の女性に変わりないのであった。

 

「私は、その……物静かで大人しい感じで、私がその日にあった出来事を話すのを、隣で相槌を打ちながらちゃんと聞いてくれるような、優しい年上の人が……」

「あらあら、もしかして気になる方がいたりしちゃったりするんですか?」

「そ、そういうわけじゃないんですけど……」

 

 ここぞとばかりに女子トークに花を咲かせる両人は気付いていないが、奇しくもゆんゆんが要求する条件を完璧に満たす相手が彼女のごく身近にいたりする。

 物静かで大人しく、ニコニコと微笑んでゆんゆんの話を聞いてあげる優しい年上の人。

 言わずもがな、ウィズの事である。

 

 

 

「ずっと気になってたんですけど、お二人はどういう経緯でお知り合いになったんですか?」

 

 楽しげに女子トークを続ける中、何を思ったのか、ゆんゆんが突然そんな事を言い出した。

 キョトンと呆けた顔のウィズ。

 

「えっと……二人っていいますと、私と……」

 

 問いかけというよりは、むしろ確認に近いその言葉に首肯するゆんゆん。

 勿論ゆんゆんが言ったのは、ウィズとこの場にいない、ゆんゆんの師匠にしてウィズの友人であるあなたの事である。

 

「もし良かったら、お二人の馴れ初めとか聞いてみたいなあ、なんて……」

「なっ、馴れっ!? 違いますよゆんゆんさん! 馴れ初めって、私と彼は()()そういう関係じゃなくてですね……! 確かに彼には沢山お世話になってますし趣味も合いますし一緒に住んでますし素敵な指輪も貰っちゃいましたしいつも頼りにさせてもらっちゃってますし時々背中が大きいなあとか思っちゃいますが全く違くてですね……!?」

 

 語るに落ちるとはまさにこの事か。

 バシャバシャと湯船に手の平を打ちつけて暴れるウィズの顔が真っ赤になっているのは、決して温泉のせいだけではないだろう。

 そしてウィズが腕を振るたび、湯の中でぽよんぽよんたゆんたゆんと別の生き物のように元気よく揺れるそれが嫌でも眼に入る。彼我の女子力の違いをまざまざと見せ付けられた気分になった。

 無性に不貞寝したくなったが、温泉の中ではそれも叶わない。ジーザス。

 

 駄目だ。この思考は大変よろしくない。ゆんゆんは再度澱み始めた精神を漂白する為に湯船に沈む。

 

がぼぼ(ずるい)がぼッガぼばぼぼびぼ(ウィズさんはずるいです)

「ど、どうしたんですかゆんゆんさん!?」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

「ゆんゆんさん!? ゆんゆんさーん!!」

 

 ウィズが声をかけてくるが、水の中では何も聞こえはしない。

 興味本位から余計な事を口走った自分のせいとはいえ、とてもではないが本心を声に出さなければやってられない気分だった。

 

 

 

 

 

 

 ほぼ同時刻。

 奇遇にも、あなたは友人にして同居人であるウィズと初めて出会った時の事を思い返していた。

 

 あなたがこの世界に来て殆ど時間が経っていない時期の事。

 二度目の駆け出し冒険者として幾つかの依頼を終え、それなりにまとまった資金を手に入れたあなたはこの世界のアイテムを蒐集すべくアクセルの道具屋や武器屋を巡った。

 

 しかしアクセルは駆け出し冒険者の街である。

 

 どの店にもよく言えば無難で、悪く言えば面白みの無い物しか売っておらず、これならばノースティリスでも普通に手に入ると少なからず異世界特有の物品に期待していたあなたを大いに落胆させた。

 旅費は十分に稼いでいたので、テレポート習得前だったがさっさと別の街に拠点を移そうかと考えたあなただったが、そこで一つの魔法道具店の存在を知る事になる。

 

 アクセルの街の一角にぽつんと立っている、マジックアイテムを販売している小さな店。

 その名はウィズ魔法店。

 

 今こうして思い返しても、運命の出会いであったと断言出来る。

 

 

 

 ――いらっしゃいませ!

 

 ――そちらの棚は爆発ポーションの棚になってます。私のイチオシの品なんですよ。

 

 ――か、買っていただけるんですか!? ありがとうございます! ありがとうございます!

 

 ――お願いします、私がリッチーである事は街の皆さんにはどうか秘密に……。

 

 

 

 あの日からかなりの時間が経ち、ウィズは両手の指の数に足りない人数しかいない、あなたの掛け替えのない友人の一人となった。

 よもやこのような異邦の地で友人が増えるなど、更に当初は貧困に喘ぐ貧乏店主と客の一人でしかなかったあなた達の関係がこうも大きく変化するとは、当時のあなたは予想だにしなかった。

 

 ……そう、全く予想していなかった。

 

 

 

 

「何を梃子摺っているの! 相手はたったの二人なのよ!?」

「全く我等のボスは無茶をおっしゃる!」

「二人とも魅了が効かない、麻痺が効かない、睡眠が効かない。オマケに障壁魔法はワンパンで粉砕されるとか何これひっどい。とんだインチキだわインチキ」

 

 周囲で半裸の女達が何かを言っているが、それどころではない。

 慰安の為に訪れた観光地でこんな痴女の群れを相手にしなければならないなど、全くの予想外である。

 あなたは無性にウィズに会いたくなった。

 

「くそ、複数相手の対人戦が久しぶりすぎて勝手が分からん……というかやけに強くないかこいつら!?」

 

 日頃終末で竜種と巨人を相手にし続けているせいか、ベルディアの動きはどこか精彩を欠いている。本来であれば苦労しない相手の筈なのだが、近寄ってきた女を投げ飛ばしたりするくらいで全くノックアウト出来ていない。更に激しい動きで着ている浴衣はあなたと違い若干乱れてしまっており、それがまた女達の視線を釘付けにしていた。

 

「なんという熱視線。凄く嬉しくないぞ」

「あれ? もしかしてパンツ穿いてない?」

「穿いてるに決まってるだろ!!」

 

 彼の不調は相手が殺意も戦意も無い女達というのも関係しているだろう。魔王軍で幹部をやっていた時も、彼は非戦闘員には手を出さなかった事で有名だ。

 

「っていうかいい加減ご主人も真面目にやれ! このままだと俺が食われるだろ! 性的な意味で!」

 

 ベルディアから泣きが入った。手抜きしていたのがばれていたらしい。

 しかし素手ではみねうちが使えないため、手加減が難しいのだ。

 現実逃避を終え、ベルディアの言うとおりにそろそろ真面目にやるかと考え始めた所で、比較的幼い子が目に涙を滲ませ、前に出てきた。

 

 少女は祈るように手を合わせ、その場に跪く。

 

「お兄ちゃん……どうしてこんな酷い事するの? 私達はただ、お兄ちゃん達と仲良くしたいだけなのに……」

「うっ……」

 

 当然だが、彼女はあなたの妹ではない。

 弱々しく、男の庇護欲を掻きたてずにはいられないそのあざとさ全開の仕草は特殊性癖の男でなければ良心が痛む事請け合いである。

 現にベルディアが気まずそうに彼女から目を背けた。効果は抜群だ。

 

 しかしそれは、あなたにとっては悪手以外の何物でもない。

 むしろ全力で地雷である。核地雷である。

 彼女はそれを盛大に踏んでしまった。

 

《オマエをコロス! フシギなマホウでコロス!》

「ヒッ!?」

 

 案の定、自身の領域(アイデンティティ)を脅かしに来た不届き者を真紅の殺意が襲う。

 虚空から突然出現し、凄まじい勢いで飛来するルビナス製の包丁を間一髪の所で回避する少女。包丁はズドン、という明らかに危険な音と共に床に突き刺さった。弁償モノである。勿論あなたは払うつもりは無い。

 

 包丁は眉間を狙っていた。直撃していれば確実に頭蓋を弾けさせ、少女は無惨に即死していただろう。

 血を連想させる、紅の刃が完全に床に埋まったその包丁はそのまま音も無くどこかに消え去った。

 不思議な魔法と言っておきながらその実思いっきり物理攻撃である。

 

《これが私の愛の力だよお兄ちゃん! あんなガバガバでユルユルのクソビッチはお兄ちゃんの妹に相応しくないよ! お兄ちゃんが病気になっちゃったらどう責任取ってくれるの!? あんなのに絶対お兄ちゃんは渡さないんだから! 死ね!》

 

 酷い。もう酷いとしか言いようが無い。

 この世界に来る前の自分はどうして気まぐれにあんな物を拾ってしまったのだろう。

 いつものように捨てておけば良かった。

 一応は幼い少女のものである声から紡がれる下品極まりない物言いと、遂に四次元から現実世界に侵食してきた脅威にあなたは頭痛を覚える。

 一体全体どうしたものか。一度、エリス教の教会でお祓いしてもらった方がいいかもしれない。

 

《教会!? つまり私とお兄ちゃんの結婚式を挙げるんだねお兄ちゃん! いいよ、ばっちこいだよお兄ちゃん! エンダアアアアアアアアアアアアアアアイヤァアアアアアアアアア!!!》

 

 やはりアレは話が通じない。

 内心でげっそりとしながらも、悪意をこの世に解放するべきではないとあなたは決意を新たにした。

 

「隙ありぃ!!」

 

 そんなものは無い。

 背後から飛び掛ってきたまた別の少女の強襲を、あなたは裏拳で迎撃する。

 

「ぐえー!」

 

 飛び掛ってきた痴女の顔面に拳が突き刺さり、痴女は後方に派手に吹き飛ばされる。

 何故かベルディアがうわあ、と呟いた。

 

「だ、大丈夫か?」

「前が見えねェ」

 

 倒れ伏したまま答えた彼女は愉快な感じに顔面が陥没していた。

 どうやら大丈夫なようだ。

 

「躊躇なく女の命に手を出してくるスタイル……嫌いじゃないわ!」

「とでも言うと思ったかバーカバーカ! この鬼畜!」

「顔は止めなさいよ顔は! 商売道具なのに!!」

 

 怒号の如き、凄まじいブーイングの嵐である。

 何がいけなかったのだろうと、あなたは素で困惑した。

 

 彼女達は女である以前にこちらに襲い掛かってくる敵であり、敵に情けは無用と相場が決まっている。

 

 しかし、あなたは敵を相手にしているにも関わらず、これ以上無いくらいに手加減して戦っていた。

 問答無用で襲い掛かってきた手前、むしろ彼女達は殺されていない事に涙を流して感謝して然るべきなのではないだろうか。

 少なくともノースティリスの冒険者であれば五体倒地で神に感謝と貢物を捧げるだろう。賭けてもいい。

 

 故にあなたはいかに自分が優しく相手を思いやって加減しているのかを主張した。

 何故かブーイングが増した。

 

「どこらへんが手加減したのか言ってみなさいよコラー!」

 

 頭部が原型を留めているし、何より生きているではないか、とあなたは肩を竦めて答えた。

 床に倒れてピクピク痙攣しているが、あなたが撃退した敵手は今も尚、元気に生きている。

 生きていればどんな重症であろうとも治療出来るではないか、と。

 

 何故かブーイングが一斉に止んだ。

 

「げんき……元気?」

「前が見えねぇ」

「ご覧の有様だよ!」

 

 ああやって言葉が話せるくらいに元気だ。

 これは廃人(あなた)からしてみれば立派な手加減に他ならない。死ななければ安い。

 仮に本気だった場合、あなたの拳で頭蓋は爆発四散していただろう。

 もしくは球技しようぜ! お前ボールな! とばかりに顔面に蹴りをいれていた。満面の笑顔で。

 というか普通に愛剣を抜いてサックリ皆殺しにしている。

 

「やだ、この方マジだわ。マジモンのサイコの目だわ」

「ちょっと何を言ってるのか分からないですね」

「どうしてこんなになるまで放っておいたの?」

「俺に言われても困る。ご主人は最初に会った時からこんな感じだったし……生きてるなら何やってもいいだろって本気で思ってるっぽいし……」

「oh……」

 

 何故か痴女達からドン引きされてしまった。味方である筈のベルディアからも。

 だが相手は人外で敵対者なのだから遠慮はいらないだろう。

 むしろあなたは、この旅館の経営者や街に対して極限まで遠慮しているという自負すらある。

 その証拠にまだ核だって使っていない。己のあまりの慈悲深さに惚れ惚れする勢いである。

 

 温泉を堪能して心身ともにリラックスしたおかげで精神の箍が弛み、行動と考えの指針が慣れ親しんだノースティリスの側に激しく傾いているあなたであっても、この世界の温泉街を更地にしてはいけないと判断出来るくらいの分別は残っているのだ。

 

「え、何、エリス教徒?」

「もしかして私達身バレしてる?」

「……あっ」

「どしたの?」

「そういえばさっきご主人って……」

 

 周囲の視線がベルディアに集中する。

 それは、あなたの友人達がマニ信者(TSしたロリっ子)に向ける視線に酷似していた。

 

「そっかぁ……道理でね……」

「ホモだったかあ……」

「おい止めろ。……マジで止めろ! そんな目で俺を見るな! ちげーから! 俺もごすもノーマルだから!」

 

 ところで性転換した元男が男を好きになった場合、それは同性愛になるのだろうか。

 

「知るかバカ! なんで今俺にそんな事を聞いちゃうの!?」

「ホモ? やっぱりホモなの!?」

「同性愛は駄目よ! 非生産的な!」

 

 喧々囂々の大騒ぎを眺めながら、あなたは内心で一つの結論に至っていた。

 

 元男だろうが、今が女ならそれでいいのではないか、と。

 

 あと素手は手加減に向いていない。

 威力が弱すぎてはダメージが無いし、強すぎると即ミンチだ。

 当初は素手でもいけると踏んでいたが、相手がこちらの想定以上にタフなのが災いした。

 

 幸いにして今の所事故は起きていないが、いつ力加減を間違えて相手の頭蓋が綺麗な花を咲かせるか分かったものではない。

 やはり安全を考慮してみねうちを使うべきだろう。

 

《――――》

 

 だが、そこで唐突に物言いが入った。四次元ポケットに収納している愛剣である。

 

 愛剣はみねうち前提で振るわれるのはお気に召さないらしい。

 結果がどうあれ、自分を振るうなら相手を殺す気で使えと言ってきている。

 

 かつてあなたはベルディア相手に愛剣でみねうちを行ったが、あなたはノースティリスでは愛剣を殺す為だけに振るってきた。

 それもその筈、比類なき切れ味を誇る愛剣に手加減などという繊細な加減が要求される事は向いていないのだ。

 草むしりに核爆弾を使うようなものである。

 

 というわけで、もう片方を使う事にした。

 

 決意した瞬間、愛剣が盛大に舌打ちしたが黙殺する。

 あなたが異空間から取り出したのは、およそ2.5メートルほどの大きさの、円錐型の突撃槍だ。

 女神の加護も声も届かない、遥か遠き異邦の地においても、女神の祈りと祝福が込められたその純白の刀身には一点の曇りも無く、その威容を存分に示している。

 

 これこそがあなたがかつて癒しの女神から賜った神器、ホーリーランスである。

 実戦での使用は久方ぶりだが、手入れは当然欠かしていない。

 試しに一振りしてみれば、愛剣が放つ寒々しいエーテルの青い燐光とは違う、温かみのある光の粒子が舞った。

 

「うげえっ!?」

 

 四次元から取り寄せたホーリーランスを見たその場のあなた以外の全員が、奇声と共に大きく目を剥いて一歩あなたから距離を取った。全員という事はつまりベルディアもである。

 

「どういう……事だ……!?」

「アンデッドとか悪魔に滅茶苦茶効きそうな武器なんですけど、それは」

「やだ……あんなおっきいので突かれたら一発で昇天しちゃう……」

 

 あなたはこの神器を扱う権利を得る為だけに愛剣と大喧嘩をし、幾度と無くその大して重くも貴重でもない命を散らしてミンチになった。

 五体と臓腑を幾度と無く弾けさせながらも一歩も引かない様を見続けた女神は激しくうろたえ、別にそこまでして使わなくても私は別に気にしないし……、と遠まわしにあなたを諌めたが、当然その程度の説得であなたが諦める事は無かった。あなたは諦めの悪さならノースティリスでも有数の持ち主なのだ。

 そうやって遂には愛剣を根負けさせ、見事に使用する権利を勝ち取った後は愛剣からネチネチと文句を言われながらも一から槍の修練を始めた。

 

 そして久々に神器を開放したせいだろう。現在進行形で愛剣がいじけて弱めの呪詛をあなたと神器に向けて吐いてきている。弱めといっても駆け出しが食らえば口から血反吐をぶちまけて死ぬレベルだが。

 愛剣の呪いを言葉にするならばファックファックファック、あるいはあなたには私がいるじゃない……だろうか。

 嫉妬する愛剣も可愛いといえば可愛いのだが、後でご機嫌取りをしなくてはいけないだろう。

 

《――――》

 

 どうやら愛剣は温泉に入りたいらしい。

 宿に帰ったら浸けて磨く事を約束すると、ご機嫌な念を飛ばしてきた。

 相変わらずちょろい。といっても、扱い方を間違えると死ぬのだが。

 

「先にぶっ飛ばしてからヤっちゃう方向で」

「賛成」

「異議無し」

 

 神器を前にした痴女達が放つ雰囲気が変化した。

 今までのどこか浮ついたものとは違う、ひり付くような戦意があなたの肌を刺す。

 どうやら神器という脅威を前にした事で、彼女達を本気にさせてしまったらしい。

 

 だが、それはあなたからしてみれば願ってもない展開だった。

 所詮はあなたも切った張ったを繰り返す日常的に野蛮な冒険者に過ぎない。喧嘩は決して嫌いではないのだ。むしろ大好きである。

 

「アイツ、笑ってる……バカにしてっ!」

 

 気炎を上げる女達を無視して、あなたは部屋の円形のテーブルを盾代わりにする。

 初めて持ったにも関わらず、テーブルはやけに手に馴染んだ。高級旅館だけあって、備え付けの家具もいい物を使っているようだ。

 

 たかが家具と侮る事無かれ。

 頑丈なテーブルは伝説の盾を凌ぐ程の守りを発揮し得るし、刀剣縛りを強いられているあなたは使えないが、巨大なタンスは敵をひき潰す強力な武器として運用が可能なのだ。どちらも重過ぎるのが難点だが。

 

 槍と盾で武装し、油断無く構えた所であなたはふと思った。

 この槍を使い、みねうちで敵の心臓や頭を串刺しにするといった即死攻撃を放った場合、それでも敵は死なないのだろうか。

 ベルディアに聞いてみる事にした。

 

「マジか……マジでやっちゃうのかご主人は。いや、そういう人間だと知ってたけど」

 

 結果から言えば、みねうちで即死攻撃を放っても相手は死なないらしい。

 正確には致命傷にならない程度の所で止まってしまうのだとか。

 それなら安心だとあらためてみねうちの利便さに舌を巻くあなただったが、気付けば痴女達の溢れる戦意が揃って鎮火していた。

 

「アンタが最初に逝きなさいよ……」

「いやいや、そっちこそ」

 

 互いに目配せしあい、逃げ腰になっている。

 

 その中の一人がおずおずと手を挙げた。

 あなたとベルディアをここまで連れてきた少女だ。

 

「……あの、話し合いで解決しませんか?」

 

 お断りである。考慮にすら値しない。

 先に手を出してきたのがあちらである以上、彼女達には全員揃って聖槍の錆となってもらう。一人たりとて逃がしはしない。

 勿論これは言葉の綾であって、本当に聖槍に錆を浮かせるわけではない。

 なので安心して死なない程度にぶっ飛ばされて欲しいとあなたは少女に笑いかける。精々軽く血祭りにあげる程度だ。

 

 何故か泣かれた。

 

 

 

 

 

 

 それからどれほどの時間が経過しただろうか。

 時にベルディアを囮にして彼をマジギレさせ、時に凄まじい迫力で迫り来るケダモノの群れをみねうちとシールドバッシュで血祭りにあげ。時に泣いて逃げ出す少女を追い討ちで粉砕するなどして、一頻り大立ち回りを演じたあなたとベルディアは外のベンチに腰掛けていた。

 相手が張った結界には遮音の機能もあったようで、あれだけ大暴れしたにも関わらず旅館の経営者に憲兵を呼ばれるような事は無かった。相手が助けを求めなかったのはきっと彼女達が人外だったからだろう。

 

「うぐへぁ……酷い目にあった。本当に酷い目にあった……」

 

 げっそりと頬をやつれさせ、風呂から出てそこまで時間が経っていないにも関わらず汗だくになったベルディアがぽつりと呟く。

 あなた達の浴衣は激しい戦いの末、早くもボロボロになったり返り血を浴びたり妙な臭いが付いてしまったので今は別の物を着ている。

 

「他の部屋にも同じような奴らがいたとか聞いてないんだが……」

 

 ベルディアの言うとおり、餓えたケダモノが収容されていたのはあの部屋だけではなかった。

 数えてはいないが、あなた達が倒した最終的な数は全部でざっと百名ほどに上るだろうか。

 乱戦中に次々と目を血走らせた増援が湧いてくる様は中々におぞましいものがあった。例え相手が美女、美少女揃いであったとしてもだ。

 

 こうして無事に撃退出来たものの、やはり彼女達は手練揃いであった。

 圧倒的な数的不利に加え無手で不殺縛りとはいえ、今のベルディアを梃子摺らせていたのだから相当のものである。並の冒険者ではアッサリと食われて終わっていただろう。性的な意味で。

 

「なんだったのだアイツらは。耳が長かったし、エルフとオークの合の子か」

 

 どちらかというとアレは淫魔(サキュバス)辺りではないだろうか。

 ベルディアは気付かなかったようだが、あなたは乱闘の最中、彼女達に悪魔の尻尾、あるいは頭部に蝙蝠の羽根のようなものが見え隠れしていたのを確認していた。

 

「あー……サキュバス、サキュバスな……そうか、だから回復魔法を拒否したのか……しかしやけにレベル高かったから上位種のリリスとかだろうな……なんでこんな所にいたんだ、本来の生息地は魔界の筈だぞ……観光に来た筈なのにとんだサキュバスの巣(サキュバスネスト)に迷い込んだ気分だ。もしくは万魔殿(パンデモニウム)

 

 確かにいずれ劣らぬ美女、あるいは美少女揃いであった。サキュバスは人間の男を誘惑する魔族なので当たり前だが。

 それに幾ら美女の群れとはいえ、性的に捕食される(サキュバスクエスト)のは真っ平御免である。

 

「いや、そうじゃなくてだな。それも間違ってはいないんだが」

 

 まあいいか、と深い溜息を吐く元首無し騎士。

 溜息を吐くと幸せが逃げるというが、それならば既にベルディアの幸運値は底を突いていそうだ。

 

「ところでご主人が沈めたサキュバスなんだがな、何人か首とか手足が曲がってはいけない方に曲がってなかったか?」

 

 気のせいだろう。

 あなたは乱戦の中でも、相手をミンチにしないようにしっかりみねうちで手加減していたのだ。

 度重なる増援に嫌気が差し、若干本気で殴ったり突いた気もするが、みねうちなので問題は無い。

 最後の方は泣いて逃げ出すサキュバスを盾で叩き潰したりぶっ飛ばしていたが、みねうちなので問題は無い。何をやっても絶対に死なないみねうちは本当に素晴らしいスキルだ。

 

「そうか、そうだな。実際俺としては滅茶苦茶助かったからこれ以上この件について言及するのは止めておこう。みねうち万歳だなごす……。生きてる時に俺も取得しとけばよかった。俺も冒険者カードがあれば良かったんだけどな」

 

 ベルディアは既にデュラハンのスキルをコンプリートしているらしく、現在はスキルポイントが完全に死蔵されている状態だ。そしてデュラハンのスキルにみねうちは存在しない。

 人外には人間側の冒険者カードのような物が無いのだが、スキル取得の仕組みは殆ど同じである、とあなたはウィズから聞いている。

 すなわち、ポイントを貯めてスキルを覚える。

 勿論自力で開発した魔法やスキルについてはポイントが不要なので、ウィズの取得スキル総数は相当のものになっているらしい。流石の才覚だと感心する。

 彼女ならば、宝島採掘の際に覚えた轟音の波動もこの世界の魔法で再現出来てしまいそうですらある。

 

 などと考えていたら、まさにそのウィズがゆんゆんと共にこちらに向かって歩いてきているのが遠目に見えた。温泉饅頭が入った袋を抱えている。

 大乱闘を繰り広げてきたこちらと違って、二人はしっかりと温泉巡りを堪能してきたようだ。

 ニコニコと笑って手を振ってこちらに近付いてくるウィズに、あなたも手を振って応える。心持ちウィズが早足になった。サンダルなのでこける心配は無い。

 

「あんな連中を見た後だとあれだな。ウィズはとことん癒し系だな」

 

 何を今更、とあなたは笑った。

 ウィズが癒しなのは今に始まった事ではない。

 ホーリーランスを振るえば癒しの雨が降るが、ウィズは常時癒しの波動を放っている。間違いない。

 

「前にも言った気がするが、ウィズの事好き過ぎるだろ……」

 

 ウィズの事を好きではないと言ってしまえば、それは嘘になる。

 あなたはウィズの為ならば自身の命など惜しくはないし、世界を相手取る事すら厭わない。例えウィズ本人がそれを望まなかったとしても、あなたは他の何よりも彼女の生存を優先して動くし、それを邪魔する者を排除する事に一分の躊躇も起きないだろう。

 

 もっともこれはあなたの友人全員に共通する話であり、ウィズに限ったわけではないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが、あなたとベルディアは今回の件を機にサキュバス界で百八人切りの男達として伝説を残す事になる。

 

 どこぞの駆け出しの街で男性冒険者達に匿われながらひっそりと生きているサキュバスとはレベルが違う、百戦錬磨の高位サキュバス達を一人残らずノックアウトしてみせた名も知れぬ謎の二人組は、戦慄、あるいは畏怖をもって語られる事になるのだった。勿論性的な意味で。

 

 

 

 

 

 

 ……ふと、目が覚めた。

 

 周囲を見渡せば、湯煙に包まれた露天風呂が広がっている。

 やけにふらつく頭で記憶を探ってみれば、夕食の後、ベルディアと共に温泉に入り、約束通り愛剣の手入れをした所で記憶が途切れている。

 どうやらあなたは温泉の中で眠ってしまっていたようだ。

 頭がふらつくのは汗のかきすぎによる脱水症状だろう。

 

 他の入浴客はいない。

 入った時はそれなりに数がいたのだが、既に全員上がってしまった後のようだ。

 

 自分も上がろうと湯船を出た所で、ひたひたと足音を鳴らして誰かが浴場に入って来た。

 

「……どうも」

 

 果たして、浴場にやってきたのは赤毛のショートカットの女性であった。

 年齢は見た感じ二十歳前後。猫のような縦長の瞳孔をした、黄色い瞳が印象的なスタイル抜群の美女である。人外、それも恐らくは女神アクアや女神エリスと同じ神格持ちな事については最早何も言うまい。きっとこの世界は意外とそこら辺に神が降りてきているのだろう。

 

 そんな彼女が堂々と男湯に入ってきている事から、あなたは今が混浴の時間帯である深夜な事、そして自分が風呂場で寝すぎた事を理解する。意外に乱闘で疲労していたのかもしれない。

 

 

 

 

「あ、お帰りなさい」

 

 特に赤毛の女神と何かを話す事も無く温泉からあがり、火照った頭と身体を冷ます為に静かな旅館内を適当にぶらついていると、旅館の休憩所でソファーに座っているウィズと出会った。一人だったのか、周囲にゆんゆんとベルディアの姿は無い。

 

「ゆんゆんさんとベルディアさんは先に寝ちゃいましたよ」

 

 二人とも疲れが溜まっていたのだろう。

 今回の旅行は二人の為のものなので、ゆっくり疲れを癒して欲しい。

 

「ところであなたはどこに行っていたんですか?」

 

 行き先も告げずに行方を眩ましたあなたを咎めているのではなく、確認の体で問いかけてくるウィズに風呂で寝ていたと素直に白状する。

 

「もう、温泉が気持ちいいのはよく分かりますけど気を付けてくださいね?」

 

 苦笑しながら自身が座っているソファーの隣をぽんぽんと叩くウィズに促されるまま、あなたは彼女の隣に腰を下ろした。

 

「…………」

 

 肩が触れ合いそうな距離で、互いに何を言うでもなく沈黙を保つ。

 しかしそれは決して気まずいものではなく、ただひたすらに穏やかなもので。

 

 

「少し、昔話をしてもいいですか?」

 

 

 沈黙を破ったのは、ウィズのそんな一言だった。



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第47話 時には昔の話を

「少し、昔話をしてもいいですか?」

 

 昔話。

 ウィズの言う昔話とは、やはり彼女がリッチーになった経緯についてなのだろうか。

 

「はい、その通りです」

 

 ウィズが人間を止めた理由はベルディアにある。ウィズがそう言ったし、あなたも一度ベルディア本人に確認をとっている。

 

 だがあなたが知っているのはウィズがベルディアのせいでリッチーになったという結果だけであって、それに至るまでの経緯は知らない。

 あなたはこの件に関してはウィズが自分から話してくれるまで絶対に聞かないつもりだったし、ベルディアもわざわざ下手人である自分が話す事では無いと思っていたからだ。ウィズを大事に想っているあなたからの粛清を恐れてヘタレたとも言う。

 

「以前にもお話ししたとおり、隠していた訳ではないですし、もったいぶる程に壮大な話でもないんですが……それでも、あなたに知ってもらいたいんです」

 

 懐かしそうに目を細めるウィズの言葉に、あなたはただ沈黙を以ってその問いかけへの答えと為した。

 あなたの友人はそんなあなたの意を正しく汲んでくれたようで、安心したように小さい声でありがとうございます、と言った。

 

「ただ、ここまで来ておきながらなんですが、当時の私はとても未熟といいますか、周りがよく見えてなかったので、話すのは少しだけ恥ずかしかったりするんですが……どうか笑わないでくださいね?」

 

 未熟云々にどうこう言う気は無い。あなたにも駆け出しの時期はあったのだ。

 死体の山を築き上げた時期が。勿論死体とは自分の死体であり、今は他人の死体の山を築く事になっているが。

 

 そんな事よりも、あなたとしてはバニルが見せてくれた写真に写っていた、あの今のウィズとは顔が同じなだけの別人としか思えないイケイケの格好に至るまでの経緯や当時の心境を聞きたかった。盛大に臍や生足を曝け出していた当時のウィズは恥ずかしくなかったのだろうか。若さ故の特権というやつだろうか。

 

「止めてください、後生ですからその話だけは本当に止めてください。そして願わくば一日も早く忘れ去ってしまってください。あれでも一応様々な効果の魔法がかかった強力な防具だったんです。ですから決して、そう決して当時の私が痴女だったり露出狂の気があったわけではなくてですね……!」

 

 両手で真っ赤な顔を覆って首を横に振るウィズは、思わず抱きしめたくなるほどに可愛らしかった。

 

 

 

 

 

 

 これはウィズがまだ現役の冒険者だった、つまり人間だった頃の話。

 当時の彼女が氷の魔女の異名を持つ高名なアークウィザードであったのは今更説明の必要は無いだろう。

 

 王都の貴族にも顔が利き、力添えを得られる程に有名だったウィズ。そして彼女のパーティーメンバー達も同様に、皆が高レベルの上級職という優秀な冒険者達であった。

 

 それこそ魔王軍幹部の討伐依頼を受けるほどに。

 

 ある時、ウィズとその仲間達は魔王軍の幹部の一人が隠れ住んでいる、という情報を手に入れ、王都付近で新たに発生したダンジョンに赴く事になる。

 

 強力なモンスターが跋扈し、危険な罠の数々が襲い来るダンジョンの奥深くでウィズ達が出会ったのは魔王軍幹部であるバニル。

 そう、後のウィズの友人であるバニルだった。

 

 討伐を試みるウィズ達に対し、当時から人間の殺生を禁じていた彼は対話による平和的解決および説得を試みるも、彼は悪魔であり人類を苦しめる魔王軍幹部の一員である。

 問答無用とばかりにバニルを滅ぼさんと力を揮うウィズ達であったが、いかに日頃ふざけているといえどもバニルは地獄に君臨する最上位の大悪魔である。いくらウィズ達が才能に溢れる有望なパーティーといえども、そもそもの地力が違いすぎた。

 

 正攻法から会話中の不意打ち。悪魔に特効の対魔の魔法。

 

 何をやっても彼の残機の一つを減らす事も適わず、バニルにいいようにあしらわれるウィズと仲間達。

 特に生真面目で頑固で融通が利かなかった当時のウィズと人間の悪感情を食すバニルの相性は当然の如く最悪で、ウィズはバニルに幾度と無くからかわれ続け、彼への闘志を燃やす羽目になる。

 

 時に生物を強制的に牢獄に送る高価なテレポートの巻物を使うも、地獄から無機物の仮面を媒体にしてこの世界に顕現しているバニルには通用せず、自分だけ牢獄に飛ばされたり。

 時に紅魔族の里で大枚を叩いて仕入れた、一月もの間効果を発揮する、強力無比な結界を作る魔道具を使いバニルを閉じ込めるものの、結界の中のバニルには自分達の攻撃も通らないので結果的に彼を自分たちから護る事になってしまい、バニルに安全な結界の中から散々煽られて発狂したり。

 

 彼女は自分の財やコネを使って様々な方法でバニルに挑んだが、当時から既にウィズは役に立たないガラクタを仕入れてくる才能の片鱗と微妙なポンコツっぷりを見せていた。

 

 さて、そんなこんなでウィズ達は何度も何度も長いダンジョンに潜ってはバニルと死闘……もとい、バニルに遊ばれていたわけであるが、やがて彼女達はバニルが隠れ住むダンジョンとは別の場所で、バニルとは別に受けていた魔王軍幹部の討伐依頼に向かう事になる。

 

 

 その幹部の名とはデュラハンのベルディア。

 端から戦う気がゼロのバニルとは違い、常に人類との戦いの最前線に身を置く、歴戦にして武闘派のアンデッド。

 

 そんなベルディアとウィズ達の戦いは熾烈を極めた。

 六対一にも関わらずベルディアは武闘派幹部の名に恥じぬ力量を存分に見せつけるも、ウィズ達も決してベルディアには劣っていなかったのだ。

 

 一進一退の攻防を繰り広げる事一昼夜。

 

 長時間に及ぶ戦いの末、ウィズとその仲間たちは、辛くもベルディアを撃退する事に成功し、その報告を聞いた者達は一様に歓喜に沸いた。

 

 ベルディアには間一髪の所で逃げられてしまったので仕留める事こそ叶わなかったものの、一人の犠牲者も出す事無くベルディアに決して浅くない傷を負わせ勝利した彼等は、最早疑いようも無く人類有数のパーティーに相応しいと呼べただろう。

 彼等ならば次はきっとベルディアを滅ぼせる、誰もがそう確信していた。

 

 

 ……だが、終ぞウィズ達に次の機会は訪れる事はなかった。

 

 

 死の宣告。

 彼等は敗北し逃走したベルディアに、文字通りの死の呪いをかけられていたのだ。

 死の宣告を受けたのは全員。ウィズもまた、例外ではない。

 

 術者であるベルディアが呪いを解くか、ベルディアを消滅させれば呪いは解ける。

 しかしベルディアが逃げ込み、傷を癒す為に引き篭もったのは魔王軍の本拠地である魔王城。

 幹部はいまだ全員が健在。結界を力技で破る事が叶わないウィズ達にはどう足掻いても手の出しようが無い場所だった。

 

 ならばと彼等は魔法による呪いの解呪を試みるも、多数の高レベルアークプリーストを擁する王都であっても誰一人としてベルディアの呪いを解く事は叶わず、結果、勝利の末にウィズ達が得たものは残り一ヶ月というあまりにも短すぎる命だった。

 彼等は逃れられない死があるというのならば、せめて残された時間を悔いなく過ごせるように一日一日を大切に生きる事を決意する。

 

 ただ一人、ウィズを除いて。

 

 仲間に何も告げず、単身でバニルのいるダンジョンに潜ったウィズ。

 

 これまでの冒険で手に入れた全てを使い集めたありったけのマナタイトやスクロール。

 そして……使用者の命を燃やす事で一時的に膨大な魔力を得られる、禁断の魔道具を使って彼女はバニルに最後の戦いを挑む事になる。

 

 

 生涯最後の不退転の覚悟を決めて。

 

 死の宣告が解けても、残り数十年という己のありったけの寿命を捧げて。

 

 人間には力を振るわないバニルが、自分のポリシーを曲げて本気で抵抗する程の戦いを繰り広げ。

 

 

 しかしそれでも、そこまでやっても彼女の力はバニルの命には届かなかった。

 あと一息で残機を減らせる所まで彼を追い詰める事には成功したものの、そこで彼女の魔力……削り続けた命が限界に来てしまったのだ。

 

 余人が見れば運命を呪わずにはいられない無常な結末だったが、ウィズはそれでも良かった。

 彼女は決してバニルを討滅する為に戦いを挑んだわけでは無かったのだから。

 

 ウィズの望みはただ一つ。

 自身の力をバニルに認めさせ、バニルと一つの契約を結ぶ事。

 悪魔と契約を果たす為には相手に自身の力を認めさせ、その上で悪魔が望む対価を支払わなければならない。

 彼女はその為だけにバニルと死闘を演じたのだ。

 

 悪魔に魂を売ってでも、仲間達の命を救う為に。

 

 そんな彼女の切なる願いを、バニルは無情にも一蹴した。

 いくらウィズがバニルを追い詰めるほどの、それこそ人類史に名を残す才媛であったとしても、力を認めさせる為の戦いで既にボロボロとなってしまった彼女の魂などバニルは必要としなかったのだ。

 

 その答えを分かっていたのだろうウィズは燃え尽きる直前の命で儚く笑い、そんな彼女にバニルは対案を差し出した。

 

 彼女の魂を以って契約を結ぶ気が無くとも、それでもバニルは己をギリギリまで追い詰めた人間であるウィズを確かに認めていたのだ。

 仮面の悪魔は盛大に笑い、こう言った。

 

「我輩は仮にも悪魔。ゆえに、その手段は真っ当なものではないぞ。汝、それでも我輩に縋るのならば――――!」

 

 

 

 

 

 

「……こうして私はバニルさんに教えてもらった禁呪でリッチーとなり……まあこのリッチー化の禁呪も瀕死だった私には相当にギリギリだったというか本気で死ぬ一歩手前まで行ったんですが……その、リッチーとなった私は、ベルディアさんへのお礼参り、そして禁呪が成功した暁にはバニルさんの夢を叶えるお手伝いをするという約束を果たす為に、挨拶を兼ねて魔王城に単身で乗り込んで大暴れし、そのお詫びとして魔王城の結界維持を担当するなんちゃって幹部となったんです。ベルディアさんが仲間の皆にかけた死の宣告は無事に解呪出来ましたが、結果として人間を辞めてしまった私は冒険者を引退して、皆と初めて出会ったアクセルの街で魔法道具屋を経営する事にしました。バニルさんとの約束を果たす為に。……そして、皆が戦いに疲れた時、いつでも遊びに来てもらえるように」

 

 こうして、ウィズの長い、長い独白が終わった。

 長時間のご清聴ありがとうございました、という言葉と共に休憩室をシン、とした静寂が支配する。

 

 深夜ゆえか、あるいはウィズが何かの魔法を使ったのか。

 彼女の話の最中に休憩室に人の気配が発生する事は一度も無かった。

 そして自身の今に至るまでの過去を語り終えたウィズは、不思議とどこかすっきりしたように見える。

 

「とはいっても、仲間の皆とはもう長いこと会っていないんですけどね。風の噂では、大物賞金首との戦いで亡くなった人もいるそうですが……すみません、これはあなたに言ってもどうしようもないですよね」

 

 座りっぱなしで疲れたのか、大きく背伸びを行いながら苦笑する彼女にあなたはその件については何も言えなかったし、友人とはいえ、言ってしまえば外野に過ぎない自分が何かを言っていいとも思えなかった。

 

「……その、何か感想とか質問はありますか?」

 

 昔話を終え、改めて問いかけてきたウィズにあなたは暫し考え、やがてこう答えた。

 何故リッチーとなった後、一人で魔王軍幹部を討伐しなかったのか、と。

 全員までとはいかなくても、それでも当時のベルディアくらいならば余裕で滅ぼせた筈である。

 

「当時はまだバニルさんも幹部でしたからね。他の幹部の方とはあまり軋轢を生みたくなかったんです。それに、それ以上にリッチーになった時、今まで張り詰めていた物が途切れてしまったといいますか……」

 

 人外となって色々と思うところがあったのだろう。

 リッチーとなったウィズは氷の魔女としての生き方を廃業してしまったらしい。

 逆に今まで散々自分たちを狩ってきたウィズをベルディア含む魔王軍はよく受け入れたものである。

 

 ちなみにあなたとしてはウィズがリッチーとなった原因であるベルディアに対して思う所は何も無い。

 彼等は戦争をやっているのだし、ノースティリスではこの世界と違い、死は終わりを指すものではないからだ。

 この世界に当て嵌めて考えてみれば、どれだけ悪く見積もっても大怪我程度の認識だろう。何よりウィズはこうして今も生きている。

 

 しかし、己の命を賭して仲間を救おうとしたウィズには少なからず思う所があった。

 

 あるいは不死者以上に不死であるノースティリスの者達。

 しかし、それでも確かに終わりはあるのだ。

 

 そして友人達がどうにもならない、不本意な理由でウィズの仲間達と同じように終わるとなった時。

 あなたはかつてのウィズと同じように、自身を犠牲にしてでも友人達を助ける事になるだろう。

 友人達もまた、あなたと同様に。

 

 

 

「……すみません、少し長話をしすぎましたね。そろそろ戻りますか?」

 

 時計を見れば既に時刻は0時を過ぎていたが、風呂場で熟睡してしまったあなたに眠気は無い。

 故にもう少しウィズに聞いておきたい事があった。

 彼女は何故今日、このタイミングでこの話をしようと思ったのだろう。

 

「強いて言うならなんとなく……ですかね。旅行っていうのは一つのいい切っ掛けだと思ったので。私としてはいつになったら聞いてくれるのかなーって前々から思ってたんですけど、あなたは全然何も言ってこないですし」

 

 興味が無かったわけではない。

 ただあなたは、ウィズが話してくれる日が来るのを待っていただけなのだ。

 今日のような日が来るのを。

 

「あなたの事ですから、きっとそんな所だろうと思ってました。だからこうしてお話したんです。私がどうしてリッチーになったのか、そして、どうしてアクセルで魔法道具屋を経営し続けているのかを。あなたに知っておいてもらいたかったから」

 

 健気に微笑むウィズはこれからも待ち続けるのだろう。

 アクセルの魔法道具屋を経営しながら待ち続けるのだろう。

 かつての仲間達を。

 そしてあるいはあなたもその中の一人に入っているのかもしれない。

 

 だが、それはいつまで続くのだろうか。

 

 今いる人間の知人や友人達、人間以外のそれらは、やがてその尽くが老いて死ぬ。

 ウィズがリッチーとなってそう年月が経っていない今はいいだろう。少なくとも現役の頃の彼女を知る人間が多くいて、当時と何ら変化が無いであろう外見にすら違和感を抱かれていない今は。

 ウィズのかつての仲間達もまた同様に、不朽のアンデッドと化し、時の流れに置き去りにされたウィズだけを残したまま死ぬ。その時ウィズはどうなるのだろう。何年経とうとも、決して年をとらない彼女はどうなってしまうのだろうか。

 

 友人であるバニルもまた同じく、いずれウィズを置いて逝く。

 何十年後か、あるいは何百年後かは分からないが、いつか必ず彼が滅びる時が来る。

 これは決して避けられない事だ。

 

 ウィズと同じく悠久を生きる事が可能であり、現に生きている大悪魔は自身の望む死を迎える為だけに今を生きている。

 彼はノースティリスでいう所の「埋まる(終わる)」場所を既に見定めているのだ。

 あの手の者は誰が何を言っても意思を変える事は無いのだと、あなたはよく知っていた。

 

 あなたが廃人と呼ばれ畏怖されるようになる前には数多く存在した、しかし今はもう埋まって(終わって)しまった、あなたの友人達の一部がそうであった故に。

 

 

 魔王軍のような人外の群れに紛れ込もうにも、ウィズ本人は人間で在りたいと願っている。

 カズマ少年達に知られたように、街の住人達に彼女がリッチーだと知られ、それでもなお受け入れられるならば良し。アクセルの住人の気質は基本的に穏やかなので可能性は十分にある。

 しかし、もしそうでなかったとしたら。

 

 人間にも人外にも受け入れられず、強すぎる力を持ち、ただ孤独に生き続けるのだろうか。

 

 それはあなたからしても……いや、それなりに長い時間を生きたあなた(廃人)であるが故に、あまりにも怖気が走る想像であった。自身であれば決して耐えられないだろうと確信するほどに。

 ウィズが自分のような弱い人間だとは思わない。

 しかしそうだとしても、それはあまりにも悲しくて寂しい事なのではないだろうか。

 

 ならば、自分だけは何があっても最期まで彼女の味方でいよう。あなたはそう強く思った。

 あなたもまた寿命を持つ一人の人間だ。ポーションさえあれば半永久的に生き続ける事が可能とはいえ、ウィズを永遠に独りにしない、なんて約束は出来ない。

 

 

 それでもせめて、いつか自分に終わりが来る、その時までは。

 

 

 そんなあなたの内心の全てを見透かしたわけではないのだろう。

 しかし、天井を見つめたまま無言を貫くあなたに何かを感じ取ったのか、あなたの隣に座るウィズは何かを噛み締めるように目を硬く閉じ、ほんの少しだけあなたの傍に近寄った。

 先ほどまでの互いの肩が触れ合いそうな距離から、肩が触れ合う距離に。

 そしてやがて、彼女はあなたの肩に寄りかかるように、そっと頭を乗せた。

 

「……本当に、本当にありがとうございます。リッチーの私なんかを受け入れてくれて。私におかえりなさいって言わせてくれて」

 

 心の底からの感謝の意を示すウィズは、あなたにはどこまでも人間にしか見えない。

 ウィズをノースティリスに連れて行けば、彼女の自身に対するコンプレックスも少しは解消されるのだろうか。

 あなたは密かにそんな事を考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなを経て慰安旅行二日目。

 男女で別行動をとった昨日とは違い、現在あなた達は四人で温泉街を見て回っている最中である。

 

「ゆんゆんさん、この髪飾りとかどうです? きっとお似合いですよ」

「わ、私はこっちのがウィズさんに似合うって思うんですけど……」

 

 先日の若干の湿っぽさなど微塵も感じさせないウィズはあなた達と共に露店や土産物屋を巡り、見ているだけでこちらが嬉しくなる満面の笑顔で温泉街を満喫していた。

 そんなあなたからしてみればあまりにも尊い様のウィズを見て何を思ったのか、ベルディアがあなたに耳打ちしてくる。

 

「なあご主人、昨日なんかあったか? 風呂に入った後、俺が寝るまで部屋に戻ってこなかったし、ウィズはご覧の通りだし。何も無かったとは言わせんぞ」

 

 普段より三割増しで笑顔が眩しい今のウィズを見れば何かあったと思うのは自明の理だろう。

 実際に何かあったといえばあったのだが。

 

「やっぱりあれか、これか。ゆうべはお楽しみでしたねってか。観光地での開放感とサキュバスとの乱闘のせいで盛り上がっちゃったのか」

 

 ニヤニヤと笑いながら左手の親指と人差し指で輪を作り、その輪に右手の人差し指を出し入れするベルディアは割と普通に最低だった。この場で首を飛ばしてやろうかと真面目に検討する。勿論分離スキルで。

 まるでセクハラオヤジのような事を言い出したペットにあなたは溜息を吐き、そんな事実は一切無いので往来で下世話で下品なサインは止めろと彼の頭を軽く叩く。

 あなたは昨日ウィズに昔話をしてもらっただけである。それ以上の事は何も無かった。

 

「昔話?」

 

 ベルディアが人間だった頃のウィズ達に負けそうになったので死の宣告を放って逃走し、安全な魔王城に引き篭もったという昔話である。

 

「……オーケー分かった、話し合おうご主人。こんな往来で殺しは良くない」

 

 話し合うも何も、あなたは死の宣告の件について特にベルディアに何かを言う気は無かった。むしろ当時のウィズを含めた彼等に六対一で生き延びたその腕こそを称賛したい。

 

「そ、そうか?」

 

 だが、それはあなたが命が紙切れのように軽いノースティリスの冒険者だからだ。

 命が重過ぎるこの世界の人間がベルディアの極めて悪辣な戦法を聞けば、それこそふざけんな何が元騎士だ滅びろチキン野郎と罵声の一つも飛ばしたくなるだろう。

 

「…………うん、まあ、そうだな」

 

 あなたの説明に、ベルディアは盛大に冷や汗を流しながら明後日の方向を見た。心なしか半泣きである。

 昔があるから今があるわけで、今をそれなり以上に満喫しているあなたとしては別にベルディアを責める気は無かったのだが。

 

 責める気は無いが、それを鑑みれば今のウィズはよくもまあベルディアと一緒に、それも何の衝突も無く生活できているものだと感心する。二、三回殺しても誰にも文句は言われないと思うのだが。

 同僚になってからも生首をスカートの下に転がされたりと散々セクハラされていたようだし、もしや氷の魔女はアンデッドであると同時に聖人だったりするのだろうか。

 

「もう勘弁してくれ。とっくに俺の心のライフはゼロだぞ割とマジで」

 

 つーかもうセクハラはやってないし……と小声で呟くベルディア。

 勿論やっていたら即制裁である。サンドバッグに直行である。

 なあに、ちょっと死ぬダメージを延々と食らい続けるだけだ。耐久は上がる。

 

「これが脅しだったら良かったんだけどな……!」

 

 あなたがそんな人間ではないとよく分かっているだろうに、ベルディアはおかしな事を言った。

 

 

 

 さて、そんなこんなで楽しく観光を続けるあなた達だったが、それでも決して何事も起きなかったわけではない。

 それはウィズとゆんゆんが衣類を扱っている店で買い物をしている最中の事である。

 女性の買い物、それもオシャレに関するそれは長くなるといつだって相場が決まっており、ウィズとゆんゆんもその例外ではなかった。

 幾度も感想を求められたあなたとベルディアはやがて戦ってもいないのに精神的疲労を感じ、一足先に店の外で待機していたのだが、ふと、ベルディアが不思議な反応を見せた。

 

「……んあ?」

 

 眉根を顰め、鋭い眼光を更に鋭くさせる様はとてもではないが慰安旅行でやっていいものではない。

 昨日のサキュバスの少女が見たら軽く泣きそうである。

 

「ウォルバクだと? 何故こんな所にアイツが……」

 

 思わず漏れ出たといった感じのその声をあなたは聞き逃さなかった。

 ベルディアの見ている方向に目を向ければ、そこにはご機嫌な様子で往来を行く、先日混浴で遭遇した赤髪の女神の姿が。

 その美貌からそこはかとなく衆目を集めつつも本人は全く気にしていないようで、無人の野を行くが如き堂々とした歩みっぷりである。

 どうやら何かを探しているらしく、キョロキョロとあちこちに視線を飛ばしているが、ベルディアは彼女と知り合いだったのだろうか。

 

「知り合いというか、ウィズと同じく元同僚だな」

 

 あなたの質問にベルディアはこう答えた。

 元魔王軍幹部であるベルディアが言う元同僚とは、つまりそういう事だ。

 

「ああ。あの女、ウォルバクは魔王軍幹部で、ついでに邪神だぞ。本当になんでこんな所にいるんだ……っていうかアイツが着てる浴衣、俺達が泊まってる旅館のと同じじゃないか?」

 

 ベルディアのその発言と同時に、あなたとウォルバクの目が合う。

 彼女の目を見た瞬間、あなたはこれは例によって厄介ごとに巻き込まれるのだろうな、と冷静に悟った。

 昨日の一件といい、どうにも運勢が底辺に位置していそうなベルディアに巻き込まれている感がある。運勢を上げる為にベルディアはエリス教徒になった方がいいのではないだろうか。

 

 あなたは冒険者だ。厄介ごと自体はむしろドンと来いである。

 しかしドリスには慰安で来ている以上、今大事を持ち込まれるのは控えめに言って勘弁してもらいたいのだが、邪神だろうが魔王軍幹部だろうが、それでも彼女が神の一柱である事に変わりは無い。

 そして神とはちっぽけな定命の者を振り回してなんぼの存在である。ノースティリスがそうであるように、この世界でもきっと。

 

 

 

 ――――見つけた。

 

 

 

 元同僚のベルディアではなく、ハッキリとあなたを見つめ続ける邪神の唇は、小さく弧を描きつつも確かにそう動いていた。



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第48話 怠惰と暴虐の女神

「おいおいおい、ウォルバクの奴こっちに来るぞ。……明らかにご主人を見てないか?」

 

 燃えるような赤い髪の美女、女神ウォルバクの視界には完全にあなたしか入っていない。

 それはベルディアも気付いているようだ。

 

「あんだけご主人を慕ってくれているウィズというものがありながら……浮気とか人として最低だぞご主人。後でウィズにチクってやろう。多分泣きそうだが……待て、ちょっとしたお茶目なジョークだからそんなとりあえず殺して黙らせるか、みたいな目で俺を見るのは止めろ。本気でやるって言うなら俺は大声で衛兵に助けを呼ぶとかして全力で抵抗する所存だぞ。絶対に旅行どころじゃなくなるがそれでもいいのか?」

 

 ベルディアがあまりにも笑えない冗談を言い始めたので、あなたは彼を黙らせる為に軽く腹パンしておこうと思ったのだが、何故かベルディアが臨戦態勢に入ってしまった。

 腹パンはともかく、流石に言っていい冗談と悪い冗談があるだろう。女神ウォルバクがそのような目でこちらを見ていないのは誰の目にも明らかだ。

 そもそもあなた達は昨日ほんの数秒顔を合わせ、挨拶しただけの間柄である。あなたが一目惚れでもされていない限り、そのような事態は起こり得ない。

 大体にして、あなたとウィズは友人であって恋人や夫婦ではない。何度も言うが、浮気の前提条件すら満たしていないのだ。

 

「というか今更ながらに気付いたんだが、この状況ってどうなんだろうな。バニルの奴も言ってたが、俺って一応対外的には死んだ事になってるわけで……やばくないか?」

 

 確かに状況は悪いが、そればかりは相手に気付かれていない事を祈るしか無いだろう。

 今のベルディアはデュラハンにも関わらず首がしっかりと繋がっているし、幹部だった時も常時鎧姿だったという話なので気付かれない可能性は十分にある。顔合わせを行った際、同じ同僚であるウィズにも気付かれていなかったのがその証拠だ。

 

「逃げたり変な反応したら逆に怪しまれそうだし、出来るだけ黙っておく事にするか。声で気付かれるかも分からんし、あまり俺に話は振ってくれるなよ」

 

 そこまで言うと、ベルディアは表情をきりりと引き締めた。

 今の彼は浴衣を着ているという事を差し引いても、いかにも精悍で寡黙な古強者といった印象だ。ずっとこうしていれば世の女性達が放っておかないのではないだろうか。

 

「……ところで意味も無く真面目な顔を続けるのって地味に疲れるかもしれん。フルフェイスの兜があればよかったんだがな。どこに目を向けてもバレないし」

 

 隣から聞こえてきた、とても聞き覚えのある声による、小さな独り言は聞かなかった事にした。いかつい外見に言動が微妙に三枚目というのはある意味でギャップ萌えになるのだろうか。

 

 などといったくだらない寸劇を行っている間に、女神ウォルバクはあなた達の前に辿りついていた。

 

 幼い子供の肉が大好きな事で有名な某友人のような特殊性癖持ち以外はまず目を奪われる、ゆったりした浴衣の上からでも分かるウィズに負けず劣らずのメリハリのある豊満な肢体。そして猫科を髣髴とさせる鋭くも凛々しい美貌。

 異性の目を引き、同性が羨まずにはいられないだろう女神ウォルバクは、まさに女神の名に相応しい出で立ちであった。ノースティリスでいえば風の女神によく似ている気がする。

 

 とはいっても、あなたが真に尊敬し崇める女神はこの世界には存在しない一柱を除いて存在しない。

 

 あなたは神という存在自体を敬ってはいるものの、それは神と敵対しない理由にはならない。

 すくつには堕ちた神も多く存在し、あなたはその尽くを退けてきたのだ。

 願いに応じて召喚された神々に手合わせを願ったのは一度や二度ではないし、この異世界でもそれは変わらない。自分達のように特に理由も無く暴れる無法者ではないようだが、邪神で人類の敵であれば尚更だ。剥製とカードをドロップするのならばこの場で切りかかっていたのだが。

 

「どうも、一日ぶりね」

 

 そんなあなたの冷め切った内心を知る由も無い女神ウォルバクは気軽に挨拶をしてきた。

 魔王軍幹部の邪神とは思えないフレンドリーさである。

 とはいってもあなたの知る魔王軍の幹部達(ウィズとベルディアとバニル)は三人が三人とも非常にフレンドリーであったし、神々が個性的なのは今に始まった話でもない。あなたは礼を失しない程度に軽く会釈しておいた。

 

 そして女神ウォルバクはあなたの隣に立つベルディアにも軽く目礼するが、幸いな事に正体に気付いている様子は無い。あなたが見る限りでは完全に初対面の相手への反応だった。

 彼女が一枚上手という可能性も無いわけではないが、あなたは読心能力を持っていない以上、一々そこまで考えてはキリが無いだろう。そんな神器があれば切実に手に入れたいところだ。

 

「ちょっと聞きたい事があってあなたを探していたのだけど、少し時間を貰っても構わないかしら?」

 

 ベルディアがどういう事だと、訝しげにあなたを見つめてきた。

 しかしあなたには相手の目的がまるで見えてこなかった。あなたと彼女が昨日初めて出会ったというのは嘘でもなんでもないのだ。

 申し訳ないが連れもいる以上、ナンパはお断りさせてもらいたいのだが。

 

「な、ナンパ!? 違うわよ!? 全然違うからね!?」

 

 違うようだ。

 あなたの言葉に顔を赤くしてわたわたと慌てる女神ウォルバク。

 ナンパでないというのなら、彼女がどんな用件であなたにコンタクトを取ってきたかが本当に不明になってしまうのだが、現在このすぐ近くには魔王軍幹部であるウィズがいる。

 ここで立ち話をしていては顔を合わせてしまうだろう。

 

 話があるのならば後で……などと考えたのがいけなかったのだろうか。

 

「すみませんお二人とも、お待たせしました」

 

 両手に大きな袋を持ったウィズとゆんゆんが店から出てきてしまった。

 もう少し買い物をしていてほしかったというのがあなたの偽らざる本音である。

 

「……ウィズ?」

「えっ?」

 

 同僚の呼びかけにウィズは目を丸くし、ベルディアは口には出さずとも露骨にめんどくさそうに顔を歪めていた。ウィズがあまり下手な事を言わないといいのだが。

 

「お久しぶりです。奇遇ですね、こんな所で。けどどうして貴女がここに?」

「私はほら、ここ温泉街でしょ? だから趣味と実益を兼ねてここにいるわけだけど……そういうウィズはどうしたの? どこかの街で店でも出すとか言ってたじゃない。もしかしてここで開店してたとか?」

「お店はアクセルでやってるんですが、今はちょっと理由があって仕方なく、本っ当に仕方なくですが休業状態なんですよ……。今日はゆんゆんさんとそちらのベアさんの湯治を兼ねて遊びに来ているんです」

「……ゆんゆん?」

「はい、こちらの……ゆんゆんさん、どうされました?」

 

 あなたがゆんゆんに目を向ければ、彼女はやけに緊張していた。

 

「あの……私の事、覚えてますか……? 私、その……ゆんゆんっていうんですけど……」

 

 ゆんゆんはおっかなびっくり、そんな事を言う。

 あなたとウィズとベルディアは一様に「えっ」という表情になった。

 初耳である。

 ゆんゆんの事なので他人の空似か軽く挨拶をして擦れ違った程度の相手かと思ったが、女神ウォルバクはゆんゆんに優しく微笑んだ。

 

「……覚えているわ。だいぶ前に馬車の中で一緒に旅をしないかって誘った紅魔族の子よね? ……もしかして、ゆんゆんって本名なの?」

「本名です! あの時私を誘ってくださった事、ずっと忘れてません!」

「え、そうなの?」

「はい! 日記にちゃんと書いてたまに読み返したりもしてます!」

 

 知り合いだったのは確かだったようだが、相変わらずゆんゆんは重かった。激重だった。ウィズやあなたという友人が出来てもそれは変わらない。ムーンゲート(5000s)ほどではないが、どれだけ低く見積もっても祭壇(500s)くらいの重さはある。

 彼女と付き合っていく人間は重量挙げのスキルを習得して鍛えておくべきだろう。

 そしてゆんゆんの重さに慣れていない女神ウォルバクは若干引いていた。当然の結果である。

 

「そ、それはどうもありがとう……でいいのかしら、この場合。そこまで重く捉えなくても良かったんだけど、まあいいわ」

 

 コホンと誤魔化すように咳払いをし、女神ウォルバクはウィズに告げる。

 あなたを指差しながら。

 

「ウィズ、久しぶりに貴女と世間話も悪くないんだけど、私はそこの彼に用があるの。お互い同じ宿に宿泊してるみたいだし、そこの子と一緒にまた後で会いましょう?」

「……もしかしてナンパですか? すみません、彼は私の連れで今は皆で遊んでいる最中ですので、そういうのはちょっと止めてもらいたいんですが」

「だから違うわよ!? 何なのさっきから彼といい貴女といいナンパお断りナンパお断りって、彼はそんなにモテる男なの!? もしくは私がそんなに尻軽女に見えるわけ!?」

「そ、そういうわけでは……」

 

 ウィズが気まずそうに目を逸らし、女神ウォルバクが若干恨めしげにあなたを睨んできた。

 彼女はメンタルが弱いのか目に涙を浮かべている。邪神というわりにやけに常識的だった。

 

 はてさて、どうしたものか。

 相手が明確にこちらに興味を示しており、更に同僚であるウィズと出会ってしまった以上、この場ではいさようならとはいかないだろう。

 

「……えっと、どうしましょうか?」

 

 考え込むあなたにウィズがそう言った。

 ベルディアはあなたに任せるとばかりに腕を組んだまま沈黙を貫いている。

 

 ウィズはどうしましょうかといったが、これは勿論「めんどくさいし、ウォルバクさんをここで始末しちゃいますか? 私も手伝いますけど」という意味のどうしましょうかではない。

 

 ゆんゆんはウィズと友人で女神ウォルバクとも知り合いだが、彼女はウィズが、そして恐らく女神ウォルバクも魔王軍幹部である事を知らない。

 魔王軍幹部である女神ウォルバクとウィズは当然顔見知りだが、ここが街中で互いが自身の正体を隠して行動している以上、それを明かすわけにはいかないだろう。というかウィズが相手の正体をバラした瞬間に相手もウィズの正体をバラす可能性が非常に高い。

 

 そして元魔王軍幹部にして現在は存在しない事になっているベルディアの正体が女神ウォルバクにバレようものならば、魔族及び人間側にどう伝わるものか分かったものではない。

 

 そんなわけで、あなたとウィズとベルディアの間には緊張感が漂っていた。

 

 あなたの予想していた面倒ごととはかなり違ったが、この場で錯綜する人間関係は言葉に出来ない程度にはめんどくさい事になっている。

 ゆんゆん以外に宙ぶらりんで身バレに価値が無さそうなのは異邦人であるあなたくらいのものだろう。

 ウィズとゆんゆんを出会わせたりゆんゆんを慰安が必須なレベルにまで不安定にしたりベルディアを捕獲した後で間接的に殺害したりと、ある意味で諸悪の根源でもあるわけだが。

 

 あなたは魔王軍幹部が堂々と人里で観光などしてないで前線で暴れていてもらいたいと思ったが、すぐにそれはあまりにブーメランが過ぎるものだと気付く。ブーメランが刺さる先は言わずもがな、友人であるリッチーの事である。

 

 ともあれ、いつまでもこのまま黙って顔を突き合わせていても埒が明かないと気を引き締める。

 ゆんゆんに至っては自分が何か余計な事をしてしまったのかとおろおろしているし、それに何といってもこの世界でもそういないレベルの綺麗どころが三人も一堂に会してしまっている。周囲の注目を浴びるには十分すぎる理由となっていた。

 こんな状況では話せる話も話せなくなってしまう。

 

 つもる話もあるだろうが、とりあえずこんな場所で立ち話もなんだろう、折角全員が同じ宿に泊まっている事だし、荷物を片付けるという意味合いも込めて一度宿に戻るというのはどうだろうか、というあなたの提案に全員が賛同し、あなた達は一路旅館に戻る事になった。

 

 そして、その道中。

 

「あの、お姉さん。もしよかったらお名前を教えてもらってもよろしいでしょうか?」

「え? あ、あー……そういえば馬車でも名乗ってなかったわね」

 

 ゆんゆんに気付かれないようにウィズを見やる女神ウォルバク。

 ウィズはやや考えた後、若干寂しそうに笑って首を横に振った。

 

「私はスロウスよ。そっちの二人もよろしくね」

 

 ゆんゆん以外はそれが偽名であると知っていたが、幹部としては無名なウィズと違い、ベルディアと同じくこの場で正直に本名を名乗るのも悪手なので妥当な所だろう。

 あなたが後でこっそりウィズに聞いてみた所、二人のアイコンタクトはゆんゆんはウィズが魔王軍幹部だと知っているのか、という意味合いだったとの事である。

 女神ウォルバクとベルディアはともかく、ウィズはそろそろ打ち明けた方が気が楽になると思うのだが、どうにも踏ん切りが付かないようだ。

 

「やっぱポチは無いよな。普通に無いわ」

 

 最後尾でベルディアが何かをブツブツと呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 かつてあなたと出会う前。冒険者に成り立ての時期、ゆんゆんはめぐみんと共にアクセルに出没した悪魔を討伐した事がある。

 そして彼女はその後パーティーを組んでくれる仲間を探すため、一度アクセルを発った時期があったのだという。

 しかし結局どこに行っても仲間は見つからず、旅に出てから一月も経たずにめぐみんのいるアクセルに戻ってきてしまい、冬にあなたと出会うまでずっとソロで活動を続けていた。

 

「スロウスさんとはその時、他の街で仲間を探している最中の寄り合い馬車で出会ったんです」

 

 そんな説明を、あなたはウィズとゆんゆんが宿泊している部屋で聞かされていた。

 男一人に女三人と若干気まずいが、ベルディアは別室に退避している。疲れが取れてないから寝るというそれらしい方便で。

 

「スロウスさんは私にアルカンレティアに行くなら一緒にどうかって誘ってくださったんですが……私はその、アルカンレティアで魔王軍の関係者が起こした事件とか色々な事に巻き込まれて、あまりいい思い出が無かったので……スロウスさんは大丈夫でしたか?」

 

 今回の湯治にアルカンレティアを選ばなかったのはやはり正解だったようだ。

 

「……まあ、温泉は良かったわね。ここに負けず劣らず。そこは認めるわ」

 

 アルカンレティアで何も無かったとは言わなかった。そして今彼女はドリスにいる。

 ゆんゆんも何かを察したようで、あなた達に深く頭を下げた。

 

「あの……ドリスに連れてきてくれて、本当にありがとうございました。アルカンレティアも風景は綺麗ですし、決して嫌いじゃないんですけど、その、あそこは変わった人が多いので……」

 

 彼女の気持ちはよく分かる。

 アルカンレティアはアクシズ教団の都。つまりノースティリスの癒しの女神の狂信者に近い集団の都である。間違ってもゆんゆんのような人間が近付いていい場所ではない。

 

「うん、ちゃんとお友達は増えたみたいね。お姉さん安心したわ」

 

 ニコニコと微笑むウィズとアルカンレティア行きを考え始めたあなたに目を向けた後、ゆんゆんに優しい笑みを向ける女神ウォルバク。

 彼女はゆんゆんのぼっちっぷりをよく知っていたようだ。

 

 しかし友人が増えたといっても、友人の内訳は異世界人とリッチー。そして友人かどうかは不明だが最近は普通に会話をするようになったデュラハンだ。ゆんゆんがこれからもあなた達と付き合っていくのならば、更に悪魔のバニルが増える可能性すらある。

 世界広しといえども、ここまで濃く無駄に戦闘力が高い集団は中々無いのではないだろうか。ゆんゆんは次代の魔王になるかもしれない。もう少し普通の人間の友人を作った方がいいと思われる。可能かどうかは別として。

 

「それに魔力もだいぶ上がってるみたいだし……随分と鍛え込んでるのね。あれからまだ一年も経ってない筈なのに。凄いわね、どうやったの?」

「いえ、実はほんの数日前まではレベル20ちょっとだったんです」

「数日前? じゃあ今は?」

「レベル36です。一日で上がりました」

「一日で20から36って……え、貴女普通の人よりレベルが上がるのが遅い紅魔族よね? それ大丈夫なの? 性格の悪い悪魔に魂を売るみたいな無茶してない? 魂と身体は大切にしないと駄目よ?」

 

 昨日ウィズの過去を聞いたあなたとしては些かピンポイントすぎる発言である。

 現にウィズも苦笑していたが、それはそれとして女神ウォルバクがあなたに問いかけてきたようなので首肯する。

 少なくともゆんゆんの命に別状は無い。

 

「……命以外に別状はあるっていう意味に聞こえたんだけど、私の気のせいよね?」

 

 あなたは目を背けた。

 少なくともゆんゆんの命に別状は無い。

 

「ちょっと!?」

「実は私もその時の事は途中までしか覚えてなくって。気付いたらレベル36になっててビックリしました」

「明らかにマトモな手段じゃないわよね!? どういう事なの、何をやったの!?」

「だ、大丈夫ですよウォ……スロウスさん。彼が行ったのはただの養殖ですから。ただちょっと頑張りすぎたせいでゆんゆんさんが疲れちゃったようなので、こうして湯治に来たんです」

 

 そう、あなたが行ったのはただの養殖だ。みねうち万歳。

 具体的にはちょっと一つのダンジョンを根切りにする勢いでモンスターを乱獲しただけである。みねうちは最高のスキルだ。

 ゆんゆんの狂気度が再度上がりかねないので黙っておくが。みねうちとクリエイトウォーターがあれば生きていける。

 

「あまり無茶しないようにね……?」

「ところでスロウスさんはどうして温泉に?」

「貴女と同じで湯治に来てるの。私は以前、自分の半身と戦った時に力を完全に奪いきれなくてね。本来の力を取り戻すためにこうして湯治をしているわけ。片割れが見つかれば湯治なんかしなくて済むんだけど……どこかに転がってないかしら、私の半身」

 

 物憂げに溜息を吐く女神ウォルバクは一枚の絵画のように美しかった。

 ふと気付けばゆんゆんがうずうずしていた。

 今の話の何かが彼女の琴線に触れたのだろうか。

 

「……で、まあ昨日の深夜の事なんだけど、ここの混浴でそこの彼と出会ったの」

「混浴ですか」

「ええ、混浴よ」

 

 ゆんゆんとウィズがあなたをジトっとした目で見つめてきた。

 覗き行為に手を染めたわけではないし、何より先に温泉に入っていたのはあなたなので、二人に非難される謂れは全く無いだろう。

 なのであなたは意図的に二人を意識から除外して続きを促し、女神ウォルバクはクスクスと笑って話を続ける。

 

「混浴で会ったっていっても、彼は私と入れ替わりでお風呂から出ちゃったんだけどね……それで、あなたは昨日、あの温泉に何をしたの?」

「何か、と言いますと?」

「私はそこそこの期間、この宿の温泉に入ってるんだけど、昨日の夜の温泉だけ明らかに何かが違ったのよ。具体的に言うと凄く体の調子が良くなったわ。髪とか肌がもう艶々でね」

 

 ジッと見つめてみるも、あなたには先日との違いが分からなかった。

 ほぼ初対面の相手なので当然なのだが。

 

「…………」

 

 女神ウォルバクの言葉に触発されたのか、お風呂好きなウィズの熱視線が私も後でお願いしますとあなたを焼くが今は無視しておく。

 

「旅館のスタッフに話を聞いても分からないって言うし。今日だって朝起きて入ってみたんだけど……残念ながらいつも通りだったわね。だから私は昨日温泉で出会ったあなたが何かしらの手がかりを握ってるんじゃないかと踏んで探していたわけ。決してナンパじゃないの。分かった?」

 

 若干強引な考えな気がしないでもないが、あの時温泉にいたのはあなた一人だったので彼女の言っている事も分からなくもない。

 ナンパについては地味に気にしていたのだろうか。

 

「それじゃあ改めて聞くけど。あなたは昨日あの温泉で何があったのか知ってる?」

 

 全く身に覚えが無い。

 そう言うのは簡単だが、あなたとしても彼女の話に疑問を抱いていた。

 湯船で寝過ごしていたせいで気付かなかっただけで、自分が入浴していた間に何かが起きていたのだろうか。あなたは記憶の糸を手繰り寄せる事にした。

 

 サキュバスの群れを蹴散らし、豪華な夕食に舌鼓を打ち、ベルディアと共に温泉に入り、約束通り愛剣の手入れをして――――。

 

 そこまで思い出してあなたは頭を抱えたくなった。

 長風呂で茹った脳では中途半端にしか思い出せなかったが、今なら何があったのかを鮮明に思い出せる。

 

 まず、温泉を堪能していた所で愛剣が自分を出せと喚いたのだ。

 無論あなたも約束を忘れてはいなかったが、愛剣は刃物だ。それも大きな。

 ラーナの温泉ならともかく、平和なこの地で堂々とひけらかすのは問題があると思われた。

 なのでベルディアもあがり、人気が少なくなってきた所でコッソリと人目を忍ぶように愛剣を取り出し、桶で湯を掬って洗うのを繰り返していたが、やがて焦れた愛剣が自身を直接湯船に浸けろと要求してきたので温泉に浸けた。

 

 そう、あなたは高濃度のエーテルを凝縮した愛剣を温泉に入れたのだ。

 更に温泉に興奮した愛剣が湯船に盛大にエーテルをぶちまけていた。あなたは今の自分には害が無いので別にいいかと適当に放置していたが、それがいけなかったのだろう。

 

 イルヴァの住人にとってエーテルは忌まわしい猛毒だが、それ以外の存在にとっては無害かつ非常に有益なエネルギーだ。

 更にベルディア曰く、エーテルの風の中では普段よりも調子が良くなるらしい。

 先ほど女神ウォルバクも愛剣が盛大にエーテルをぶち撒けた温泉に入ったら調子が良くなったと言った。

 

 つまるところ、今回の件は完全にあなたの自業自得である可能性が極めて高かった。

 

「ふふっ、心当たりがあるみたいね?」

 

 あなたとしては殆ど表情を動かさなかったのだが、あなたの表情を目敏く読みきったのか、女神ウォルバクは満足そうに頷き、ウィズがあなたの服の裾を引っ張ってきた。

 

「あの、後で私もその入浴剤を使っていいですか?」

 

 ウィズは何かを盛大に勘違いしていた。

 

 気を取り直してあなたは女神ウォルバクに向き直り、告げる。

 確かに自分の持ち物が好調の原因の可能性は非常に高い。

 しかしこれだけは絶対に譲渡するわけにはいかないと相手の申し出を拒否した。

 

「どうして? お礼なら幾らでもするけど」

 

 スッと目を細めた女神ウォルバクに真実を突きつける。

 

 死ぬ。

 自分が死ぬ。

 確実に即死する。

 

「死ぬの!?」

「死ぬんですか!?」

「入浴剤なのにですか!?」

 

 三人の驚愕の叫びにあなたは神妙な顔で頷いた。だがウィズは入浴剤から少し離れてほしい。

 

 愛剣はあなたの命に等しい武器だ。手放す事などあらゆる意味で絶対に考えられない。

 心情を抜きにしても、NTRは絶対に許さない愛剣が他者の手に渡った瞬間あなたは比喩抜きで七孔噴血どころか全身が爆散して問答無用で即死する。ついでに愛剣を握った相手も死ぬ。一応他人が刀身に触るくらいは後でピカピカに磨く事を条件に許してくれるのだが、柄は完全にアウトである。これも友人達との検証で自身の屍を築き上げて判明した事だ。

 

 上級アンデッドであるベルディアが嫌悪するレベルで厄い呪物な愛剣の話は伏せ、あなたは己の命に関わる案件なので申し訳ないが貴女の力にはなれないとハッキリ断言した。

 

「そこまで言われると逆に何があったのか気になるのだけど」

「あ、あの。なんとかなりませんか?」

 

 ゆんゆんが懇願してきたが、無理なものは無理である。

 愛剣は担い手であるあなたにはびっくりするほどチョロいのだが、あなた以外の他者にはハリネズミもかくやという刺々しさを見せる。エーテル製なので輝くハリネズミだ。

 あなたも他者に触れられただけで発狂する愛剣の度の過ぎた潔癖さの修正を試みた事はあるのだが、その全てはやはりあなたがミンチになるという無常な結末で終わっている。アダマンタイト製のムーンゲート(18000s)級の愛の重さは伊達ではないのだ。

 どうしてこんな子に育ってしまったのだろうと軽く嘆くも、愛剣は初対面の頃からこんな感じであった事を思い出す。どうしようもなかった。

 

「せめて見せてもらうだけでも駄目なのかしら? 何かしらの参考にしたいのだけど。勿論お礼はするわ」

 

 女神ウォルバクがそう言った。

 愛剣はエーテル製の生きている武器という、イルヴァに存在する数多の武器の中でもかなり異質な存在である。

 だが別段存在を秘匿しているわけでは無い。危険だからあまり人前で使わないだけである。

 参考になるとは思えないがあなたはそれくらいなら、とその申し出を受け入れた。見せた後、何も聞かない事を条件に。

 

 愛剣は今も四次元ポケットに収納しているので出そうと思えばすぐに取り出せるのだが、異界の魔法である四次元ポケットの魔法を見られないようにする為、あなたは一度部屋に戻って持ってくると誤魔化して自分の部屋に戻った。

 

 

 

 

 

 

「お、戻ったかご主人。ウォルバクの奴はどうなった?」

 

 自室では浴衣を肌蹴させたベルディアがマシロと仲良く酒盛りをしていた。仲良くとはいってもマシロに酒は与えていないようだが。

 だらしない中年男性のような有様であるがあなたは気にせず、まだ話し合いの途中であると教え、虚空から現出した愛剣を抜く。

 昨日温泉に浸けて手入れをしたせいか、心なしかいつもより輝いている気がしないでもない。

 

「ぶふぉっ!」

 

 愛剣を抜いた瞬間、ベルディアが噴出した。

 霧と化した度の強いアルコールの匂いがあなたの鼻を突き、テーブルの上でどこで狩ってきたのか血の滴る美味しそうな何かの肉を貪っていたマシロが不愉快そうに鳴いた。

 

「……殺るのか。どうせ止めても無駄だろうから俺は止めんが、頼むから死体は見つからないように処分しておけよ。せっかくこうして自由に動けるようになったのに、またお尋ね者に逆戻りとか御免だぞ俺は」

 

 まるで人をシリアルキラーか何かのように言うのはやめてもらいたいものだ。

 この世界ではまだ人間は直接的には生死不問の賞金首以外は殺していないというのに。

 

「なんだその滅茶苦茶引っかかる言い方……」

 

 ベルディアの気のせいだろう。

 そういう事にしておく。

 

 それはさておき、あなたはこの間に女神ウォルバクの事について元同僚に意見を求める事にした。

 

「ウォルバクの事を教えろ? ……そうだな、アイツは怠惰と暴虐というあまり聞こえのよろしくない感情を司る女神なわけだが、今のウォルバクが半身を失って力を大きく落としているというのは聞いたか? それもあってウィズやバニルには遠く及ばんが、それでも神というだけあって高い魔力を持ち、様々な魔法を使いこなすぞ。爆裂魔法とかテレポートとかな」

 

 女神の防御無視攻撃とはまさにうみみゃあを髣髴とさせる。

 めぐみんと気が合いそうである。

 

「邪神なだけあって当然のように魔王軍の中にも信者がいるが、幹部としてのアイツのスタンスは消極的中立、といったところか。俺のように前線で積極的に戦うわけでは無いが、ウィズやバニルのように決して人間に手を出さないわけでもない。命令されれば幹部としての仕事はキッチリとこなすが、俺の知る限りそれ以上はやらないタイプだ。それ故か人間の間でもあまり有名ではないな。流石に名前くらいは知られているだろうが、こうして普通に人里に出没しても騒ぎにはならない程度にはマイナーな幹部だな」

 

 酒が入っているからか、今日のベルディアはいやに饒舌だ。

 

「あと過去に存在したニホンジンの勇者と何かしら関係があったとか聞いた事があるが、俺は詳しくは知らん。バニルあたりは知ってそうだけどな」

 

 酒の入ったグラスを呷って、これで終わりだとベルディアは話を締めた。

 

 

 

 

 

 

「何これ……ふざけてるの?」

「綺麗な剣だけど……凄く怖い感じがします」

「これ、本当に使って大丈夫なんですか? 封印するかお祓いしてもらった方がいいのでは……」

 

 以上があなたの愛剣を見た各々の感想だ。あまりにも散々な物言いだった。

 ちなみに上から順に真剣な表情をした女神ウォルバク、愛剣が滲ませるエーテルの燐光とプレッシャーに怯えるゆんゆん、心配そうにあなたを見つめるウィズのものである。ウィズの前で愛剣を抜いたのはこれが初めてだったりする。

 

《――――》

 

 無駄に女神ウォルバクを威圧する愛剣をあなたが叩いて諌めると同時に、愛剣は借りてきた猫のように静かになった。

 今の所彼女は敵ではないし、殺しても剥製をドロップしない。神殺しの必要は無いのだ。

 

「……それ、明らかに呪われてるわよね?」

 

 愛剣は別に呪われてなどいないとあなたは主張した。それどころか祝福されている。

 少なくとも、普通に運用する分には一切支障が無い事だけは確実である。愛剣のテンションが上がった際に眩暈がしたり派手に吐血する程度の可愛いものだ。命に別状は無い。

 

「魔剣よね? どう考えてもそれって担い手を選ぶタイプの魔剣よね? 道理で私に渡せない筈だわ。どこで手に入れたの?」

 

 自分で見て調べる分には構わない。しかし見せた後は何も聞かないという約束であると、あなたは女神ウォルバクの問いを一蹴した。

 

「むう……」

 

 くれぐれも柄には触らないようにと念を押し、あなたは愛剣をテーブルの上に置く。

 女三人寄れば姦しいというが、彼女達は初めて見るエーテル製の武器に興味津々であった。

 ゆんゆんは珍しい剣を見た、くらいの驚きだったが熟練の二人はそれはもう食い入るように探っている。

 

「不思議な刀身ですよね。明らかに金属ではないのに、触ってみれば信じられないほどに硬いです。どうやってこの形を維持しているんでしょうか?」

「原理としてはブレード・オブ・ウインドとかライト・オブ・セイバーに近いものだとは思うのだけど、ちゃんと質量も重量もあるのよね、これ」

「ちょっと考えられないくらいの量の気体を圧縮してるっぽいんですよね……大方剣から滲み出てるこの青い霧を固めてるんでしょうけど」

「とりあえずこの剣を作った奴の頭がおかしいっていう事だけは分かるわ」

 

 ウィズと女神ウォルバクは暫く愛剣を小突いたり撫でたりしていたのだが、やがて愛剣は溜息を吐くかのようにエーテルを噴出させた。

 

「そうそうこれこれ、この感覚だわ。やっぱりこの剣が原因だったのね」

「この粒子、吸うと体が軽くなって魔力が少し回復するんですよね……回復用の高級ポーションが気化したらこんな感じになるんでしょうか。でも人工物というよりは自然の力を感じるし……」

「早朝に森林浴をした時みたいな?」

「あ、凄く分かります」

 

 ゆんゆんとあなたを置いてけぼりで熱い議論を交わすリッチーと邪神。

 正直彼女達を放置してどこかに遊びに行きたいのだが、愛剣がそれを許す事は無いだろう。

 

「……あの、お暇でしたらよかったらカードゲームでもしませんか?」

 

 自身の大量の荷物の中からカードの束を取り出すゆんゆん。

 

「カード以外にも沢山遊び道具を持ってきてますので……」

 

 やけに荷物が多いと思ったら、彼女が持ってきたのは着替えや旅行用の道具ではなく多種多様のゲーム用の道具だった。

 

 わざわざ旅行にそんな大量の遊び道具を持ってこなくても、と少し呆れたものの、あなたは自身が旅行に遊び道具を沢山持っていく人間である事を思い出した。

 もちろんこの場合の遊び道具とは核やラグナロクやサンドバッグといったノースティリスの冒険者御用達の遊び道具であって、ゆんゆんが持ってきたカードゲームやボードゲームの類では無い。

 

 そしてゆんゆんはあなたの遊び相手ではある。

 やる事も無いので、あなたは全身から遊んでほしいですオーラを発しているゆんゆんに付き合う事にした。

 

 

 

 

 

 

 それから小一時間ほどが経っただろうか。

 あなたとゆんゆんは、ノースティリスに存在するチェスによく似たボードゲームで遊んでいた。

 しかしこの世界のチェスはノースティリスとはルールが異なっている。

 

「このマスにアーチャーをテレポートで」

 

 ゆんゆんのウィザードが飛ばした駒の配置はあなたのアークプリーストとキングのどちらかが取られる、非常に上手い所を突いていた。勿論キングを取られると負けなのでアークプリーストに犠牲になってもらう。

 

 そしてゆんゆんがアークプリーストを取った隙を突き、エレメンタルナイトのテレポートでソードマスターを突っ込ませる。が、あなたのその一手は完璧に読まれていた。

 

「ウィザードのボトムレス・スワンプでソードマスターを沼地に沈めます」

 

 とまあ、このようにこのボードゲームではスキルの使用が認められている。

 今ゆんゆんが使用した魔法の他にも属性付与(エンチャント)、蘇生、遠距離攻撃、二回行動、精神コマンドまであるとまさにやりたい放題である。

 案の定ルールブックは凄まじい厚さであった。何でもアリの公式大会ではリアルファイトが頻繁に発生するゲームらしい。さもあらん。

 何でもアリだと本当に酷い事になるので、あなた達はキングを盤外にテレポートさせる事で安全を確保するのとエクスプロージョン(盤をひっくり返して強制終了)は禁止のルールでやっている。ゆんゆん曰くどちらもめぐみんの得意技らしい。どちらも普通に悪辣だった。

 

 始めのうちはポーカーやブラックジャックなどで遊んでいたのだが、あなたとゆんゆんでは幸運のステータスに差がありすぎてイカサマ抜きでもまともに勝負にならなかったのだ。更にゆんゆんは考えている事が顔に出やすいので駆け引きにも弱すぎる。

 

 それでも友達と遊べてゆんゆんはとても楽しそうだったが、あなたはこのような運の介在する余地が無いゲームでゆんゆんと遊ぶ事にした。

 

 少しでも運が介在するゲームなら九割九分あなたが勝つのだが、逆にこのチェスのようなゲームになると形勢は一気にゆんゆんに傾く。

 

 頭の出来もそうだが、何よりもプレイヤーとしての経験値が段違いだった。

 

 沢山遊んでますから、とはゆんゆんの談だが、言うまでもなくぼっちの彼女は一人で遊んでいたのだろう。

 腕を磨くのが目的ならまだしも、一人でボードゲームで遊び続けるというのはあまりにも寂しすぎる話である。彼女の遊び相手として、今のように暇な時はいつでも付き合ってあげようとあなたはゆんゆんにボコボコに負けながらも心に決めた。リベンジを誓いながら。

 

「じゃあ次は……」

「お楽しみの所悪いけど、ちょっといいかしら?」

 

 あなたの惨敗という結果でボードゲームが終わり、まだ別のゲームを引っ張り出したところで女神ウォルバクが声をかけてきた。

 あなたはてっきり気が済んだか諦めたと思っていたのだが、告げられた言葉はあまりにも予想外のものであった。

 

 

 

「突然で悪いけど、あなた達が帰るのと同じタイミングで私もアクセルに行く事に決めたわ。よろしくね」




《s(単位)》
 elonaにおけるアイテムの重量を示す単位。
 elonaではアイテム毎に重量が設定されており、プレイヤーの能力とスキルに応じてアイテムを持てる限界重量が増える。
 参考までに、一般的には最も重い装備であるアダマンタイト製の重層鎧の重量が27s、主人公が冬将軍に渡した斬鉄剣は1.4s、ラグナロクは4.2s、主人公が使う愛剣は5.8s、核爆弾は120sである。

《輝くハリネズミ》
 近接攻撃を食らうとエーテル属性のカウンターをしてくる。
 数回殴っただけでプレイヤーはエーテル病を発症する。
 抗体が用意出来ない初心者には非常に厄介だが、サンドバッグに吊るして有用なエーテル病の厳選に使うプレイヤーも多い。


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第49話 廃人+女神*2+魔王軍幹部*4

「突然で悪いけど、あなた達が帰るのと同じタイミングで私もアクセルに行く事に決めたわ。よろしくね」

 

 何を考えているのか、本当に突然そう告げた女神ウォルバク。

 

 どういうつもりだとウィズに目を向ければ彼女は愛剣の刀身を撫でていた。

 ゆんゆんは数秒ほど目をぱちくりと瞬かせていたが、すぐに言葉の意味を理解したようで喜びを顕にしていた。

 現役魔王軍幹部がアクセルに来る件については今更なので割とどうでもいい。

 しかし愛剣を調べていただけにも関わらず、何がどうしてそうなったのか。ゆんゆんとゲームに興じていたあなたには女神ウォルバクとウィズの会話の流れがさっぱり分からない。

 彼女を止める理由も権利もあなたにはありはしないが、それでもアクセルに向かう理由くらいは聞いておく事にした。

 

「……ふふっ、それが知りたいのなら、私を倒してからにする事ね……なんて言ってみたり」

「だ、駄目ですよスロウスさん! そんな事言ったら!」

「そうですよ! 危ないですよ!」

「え?」

 

 悪戯っぽく妖艶に微笑む女神ウォルバクに何故かウィズとゆんゆんが顔色を変えた。

 そして立ち上がったあなたは了解した、とテーブルに転がったままの愛剣を掴む。

 あなたの戦意を受けて愛剣が神殺しの期待に震えたが、気が早すぎである。みねうちを使う余裕があるかはさておき、殺してしまっては話が聞けないではないか。こんな所で復活の魔法を使う気は無い。

 

「ちょっ、ちょっと待ちなさい! 何をするつもりなの!?」

 

 何をするかと問われれば、手合わせとしか答えられない。

 話が聞きたければ自分を倒せと言ったのは女神ウォルバクで、あなたは話を聞きたいので剣を取った。それだけの話である。

 神との手合わせはノースティリスの冒険者にとっては何ら珍しい話ではないので躊躇いは無い。

 

「……冗談よね?」

 

 本気も本気である。何故そのような冗談を言わねばならないのか。

 だが流石にサキュバスとは相手が違いすぎる。更に爆裂魔法を使うという話なので、街中で戦うのはウィズやゆんゆんを含む他の宿泊客の迷惑になる可能性が高い。戦闘は郊外でどうだろうかと提案した。

 

「タイム! 私はタイムを要求するわ!」

 

 女神ウォルバクはベルディアのような台詞を言いながら、逃げるようにあなたから距離を取る。

 何がいけなかったのだろうか。

 

「……ウィズ、もしかして彼ってアクシズ教徒?」

 

 ウィズは小さく嘆息して首を横に振った。

 

「違いますよ。ただちょっと、その、彼はそういう冗談が通じないといいますか……持っている常識とか死生観が私達と比べると若干ズレているといいますか……」

「アレを若干で済ませる貴女がどこか遠くに感じるわ。でも一緒に散歩にでも行こうか、みたいなノリで戦おうとか言われたんだけど? バトルジャンキーなの? 死狂いなの?」

「普段は……というか何も無ければ、どちらかというと静かで穏やかな方なんです。逆に理由があると躊躇無く滅茶苦茶な行動を取るので、さっきのはスロウスさんの提案にこれ幸いと乗っかっただけだと思うんですが……」

「暴走馬車すぎでしょ……やっぱりアクシズ教徒じゃないの?」

 

 意味も理由も無く、悪戯半分に核を起爆しそうなアクシズ教徒と一緒にしないでもらいたいものである。

 あなたはこの世界で理由も無く終末を起こしたり核を使うと大変な事になると理解しているので、ちゃんと精一杯自重しているのだ。勿論理由があれば遠慮せずに使うし、もう少し命が軽い世界であればあなたのフットワークはもっと軽くなっていたのだが。世の中儘ならないものである。

 

 あなたのとてもノースティリスの冒険者とは思えないと自画自賛したくなる、極めてまともで常識的で周囲に完璧に溶け込んでいる協調っぷりはさておき、逃げ腰というほどではないが、女神ウォルバクの戦意は今のところ著しく低い。

 あなたは自分自身を含め、戦意が無くとも戦える人間を何人も知っているが、彼女はどうなのだろうか。

 

「だから戦わないわよ!? ……ほら、あれよ、あれ。さっきのは私の決め台詞、みたいな? あなたにもそういうのあるでしょ? 紅魔族の挨拶みたいなものよ」

「あ、あれは私達の風習であって決め台詞というわけでは……」

 

 決め台詞など自分にあっただろうかとあなたは首を傾げる。

 生憎全く身に覚えが無い。個性豊かな友人達の決め台詞であれば諳んじる事が出来るのだが。

 唯一、ウィズの決め台詞だけは聞いた事が無いが、彼女に当て嵌まる台詞があるとするのならば「これは私のオススメの品なんですよ!」だ。異論は認めない。

 

 それはさておき、戦わないのならば普通にアクセルに赴く理由を聞かせてくれるのだろうか。

 あなたのそんな言葉に、女神ウォルバクはげっそりとしながらも愛剣を指差してこう言った。

 

「その魔剣の素材を再現したいのよ。その為には持ち主に近い方がいいでしょう?」

 

 エーテル製の装備を再現するという彼女の言葉にあなたは面食らった。

 果たしてそんな事が本当に可能なのだろうか。

 愛剣のようなエーテル製の武具の作成方法はイルヴァでは伝説にも等しい、遺失して久しい技術である。

 例外は悠久の時を生きる神々であるが、彼等はあなたのような筆頭信者にも秘匿を貫いているので実質知らないに等しい。

 ノースティリスで扱われているエーテル製の装備はその全てがネフィアからの採掘品、あるいは素材変化でエーテル製に変化した、いわば出来合いのものでしかないのだ。

 

「剣の作り方が知りたいんじゃなくて、私が知りたいのはあくまでも素材の作り方だからね?」

 

 驚きを顕にするあなたに女神ウォルバクがそう言い、なるほど、とあなたは納得した。

 それならば決して不可能ではないだろう。

 不可能ではないだろうといいつつ、あなたはエーテルの作り方などこれっぽっちも知らないわけだが。木々から採取出来るというのは知っているが、たったそれだけだ。

 

「ウィズと解析して少しだけ分かったのだけど。魔剣の刀身と、魔剣から出てる青い燐光……それは私が知っている精霊、あるいは星の力に近い性質を持っていたわ」

 

 メシェーラは星に害を為す細菌であり、エーテルはそれを抑制する。

 そう思えばエーテルはイルヴァという星の力、免疫機能と呼べなくもない。

 

「そしてその剣の近くにいただけで、温泉に浸かっているよりもずっと早く力が戻っていくのを実感出来たの。勿論昨日の温泉ほどではなかったけど」

 

 愛剣を使わせろという事だろうか。

 しかし先ほども言った通り、愛剣はあなた以外が持つと例外無く激怒して発狂するので、ウィズにも女神ウォルバクにも使わせるわけにはいかないのだが。

 

「まさか。その剣を使わせろとは言わないわ。危ないし。……ただ、時々でいいから燐光を浴びたり、魔剣を浸けたお風呂に入れてほしいのよ。勿論お礼はするわ」

「わ、私からもお願いしたいです。ほんと、もし良かったらで構いませんので」

 

 あなたの友人と怠惰と暴虐の女神はエーテル製の風呂をご所望だった。

 エーテル製の素材槌を持ち込んでいれば自宅の風呂に直接使えばいいだけなので話は早かったのだが、生憎ノースティリスに置いてきたままだ。非常に貴重なエーテル素材槌を実際に使うかどうかは別として。

 持ち込んでいるアイテムでは素材変化の巻物を使えば一応エーテル製に変化する可能性はあるが、あくまでも可能性に過ぎない。

 ノースティリスに帰らない限りアイテム補充の機会が無いので、いざという時の為に使い渋る程度には数も少ないし、何より生ものなどのハズレ素材に変化した場合は目も当てられない事になる。生もの素材は生肉と生麺を足して二で割ったような、なんとも言えない感触なのだ。

 あなたは断じてそんな風呂になど入りたくなかった。

 

 愛剣については女神ウォルバクはともかく、ウィズがそう言うのであれば考えなくもない。

 確かに見た目は幻想的な大剣とはいえ、人間を含む、数え切れないほど多くの生き物の血を吸ってきた愛剣を浸けたエーテル風呂に自分から入りたがる感性は、ノースティリスの冒険者であるあなたには狂気の沙汰とも言える、極めて理解し難いものだったが。

 

 だが何にしても、全ては入浴剤代わりに扱われる愛剣の意思次第である。

 いかにウィズの頼みであろうとも、流石にこんな事情で何十回もミンチになりながら喧嘩をする気は無い、と愛剣に目を向ける。

 十秒ほど待ったが、愛剣がプレッシャーを撒き散らしながらエーテルを噴き出す事も、あなたの視界が赤く染まる事も、吐血する事も無かった。

 あなた達の話は聞いていた筈なのだが、沈黙を保ったままの愛剣から拒絶の意思は感じられない。むしろどうでもいいとでも言いたげな雰囲気を感じるので、どうやら自分を他者に使わせないのであれば好きにしろ、という事らしい。

 

 かくしてあなたの日課に、新たに愛剣を風呂で洗う事が追加された。

 

 更に今後暫くはアクセルに滞在するという女神ウォルバクは、かつてゆんゆんと出会った時に話した通り、たまにでよければ、と彼女とパーティーを組んで冒険に付き合う事を改めて約束。

 多少なりとも友人は増えたものの、相変わらずパーティーを組む相手は一人もいなかったゆんゆんは涙を流して喜んでいた。

 

 

 

 

 

 

「うごごごご……ブレスが……体が燃える……死ぬ……また死んじゃう……」

 

 話を終え、あなたが部屋に戻るとベルディアはテーブルに突っ伏したまま空になった酒瓶を抱え、いびきをかいて眠っていた。

 彼の主人としては旅行を堪能しているようで何よりなのだが、今の彼を見て、ベルディアが魔王軍幹部として名を馳せたデュラハンだとは誰が思うだろうか。

 

 あなたは苦笑しつつもだらしない格好のベルディアを布団に寝かせる。

 そしてそこで初めて、先ほどはいたマシロがいなくなっている事に気が付いた。

 外に繋がっている窓は開いたままなので、またどこかに遊びに行ったのだろう。

 

 マシロが去った後のテーブルの上には血痕、そして鳥のものと思わしき茶色の羽が散らかっている。

 毎食のようにウィズがマシロ用に調理した終末産の竜の肉やあなたが釣った新鮮な魚を食べているマシロは、生のキャベツをとても悲しそうな表情で齧り、安物の肉と魚を拒絶する程度にはグルメだったりするのだが、マシロの舌を満足させる獲物がドリス周辺に生息しているようだ。

 

 マシロが狩ってきた肉に興味を抱いたあなたは、散歩がてら肉を捜しに行く事にした。

 流石にドリスの街中で見つかるとは思えないので、若干遠出をする必要はあるだろうが、それもまた醍醐味だろうと考えながら。

 

 

 何をするでもなく、一人でダラダラとドリスを散策するあなただったが、やがてある場所で足を止める事になる。

 その場所の名はテレポートセンター。

 料金が高いのでアクセルには無いが、王都などの大きな街には漏れなく存在する施設である。

 この地のテレポートセンターは、王都と違い建物があるわけではなく、街の広場に魔法陣を設置して他所の街へと送り届ける形となっていた。馬車に乗って直接向かうのとはかかる費用の桁が違うが、かかる手間や移動の時間を考えればこちらを選ぶ人間が多いのも当然だろう。

 

 ……とはいっても、今回の旅行であなた達がここのお世話になる事は無い。

 あなたもウィズもテレポートを習得しており、直接アクセルに飛べるからだ。

 

 ノースティリスでもテレポートサービスが実用化されれば各地へのアクセスが楽になるのだが、流石にそれは無いもの強請りだろう。帰還の魔法の改良も手間取っているし、悪意を以って運用されるとめんどくさいという問題もある。

 まあ核だの終末だのが日常茶飯事な、人の悪意が溢れるノースティリスで何を言っているのかという話ではあるのだが。

 身内で使う分には申し分ないので、クリエイトウォーターといいみねうちといい、この世界のスキルを習得したままノースティリスに帰りたいものである。才気溢れる友人達であれば、この世界のスキルを再現してくれるかもしれない。

 

「アルカンレティア行きー。こちらは、水の都アルカンレティア行きのテレポートサービスでーす」

「アクセル行きはこちらになりまーす!」

「王都行き、間も無く転送となります! 現在三名ですので後一名!」

 

 さて、そんなテレポートセンターは老若男女、人間からエルフ、ドワーフといった様々な種族の人々でごった返しており、異世界情緒に溢れていた。行き交いする人々を見ているだけで一日を過ごせそうである。

 逆にテレポートでドリスに飛んでくる者も多く、まさに今、家族連れと思われる獣人の四人組みが光り輝く魔法陣から出現した。

 

 飛ばすのにも出現するのにも使われている魔法陣であるが、あなたやウィズがテレポートを使う際にはああいったものは無い。

 あの魔法陣は一種のマジックアイテムであり、テレポートの魔法を補助すると同時に術者の魔力消費を抑える効果があったりする。

 テレポートは魔力消費が重いので、テレポートサービスは術者の魔力の上限により一日の転送回数が決まっている。魔法陣は少しでも転送回数を増やす為の設備なのだ。

 

 一度に飛べる人数が四人で飛べる回数も制限があるとはいえ、このようにテレポートサービスは非常に便利だ。

 更にテレポートを習得可能な高レベルの魔法使いは数が少ないらしいので、女神エリスが言っていたように、確かにテレポートを使えるだけで一生食っていけるというのも頷ける。

 ウィズに雇われ、アクセルで王都など各地へのテレポートサービス屋を開く自分の姿を想像し、たまにはそれも有りかもしれないとあなたは小さく笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 露店や屋台を冷やかしながらドリスの街を練り歩き、やがて浴衣着のまま街の外に繰り出す事およそ二時間半。

 森に向かって流れる川辺であなたはマシロが狩ってきたと思わしき生物を発見する事に成功した。

 

 全身が茶色の羽根で覆われた、長いネギを持った可愛らしい鴨のようなモンスター、ネギガモである。

 

 ネギガモは非常に美味で高い経験値を持っているにも関わらず、何故か他のモンスターに狙われない性質を持っているというレアモンスターだ。あくまでもモンスターであって鴨ではない。

 狙われない性質については、聞くところによると見た目の愛くるしさからモンスターといえども庇護欲が沸くのではないか、という話である。

 

 この世界のモンスターにはこの手のモンスターが地味に多い。

 ノースティリスとは別の進化の形という事なのだろう。

 そしてその可愛さは人間達にも好評で、ネギガモのぬいぐるみといえばそれなりの人気商品だったりする。勿論ウィズも持っている。

 なお、ネギガモとほぼ同じ見た目のカモネギというモンスターがおり、カモネギの方が後になって発見されたらしい。とてもややこしい。

 

 があがあと鳴きながら、あなたが近付いても逃げる事無く水浴びするネギガモの群れ。

 およそ野生や警戒心というものが感じられない。そして現在周囲に人の気配は無い。

 

 つまり狩り放題というわけである。

 

 あなたに意味も無く野生動物を虐待するような趣味は無い。

 普通の鴨であれば放置して愛でるに留めておくのだが、ネギガモはどれだけ愛らしい外見をしていてもモンスターだ。

 ノースティリスでは野うさぎや妖精、白衣のナース、キューピットなど可愛らしいモンスターを散々殺してきたあなたはどんな外見の相手を八つ裂きにしても心は痛まないし、何よりネギガモは高級食材なのだ。見逃す理由は無い。

 

 ここにゆんゆんがいればよかったのだが、とあなたは彼女を連れてこなかった事を悔やむ。高経験値を稼げるネギガモがこれだけいればレベルが上がっていた事だろう。その代償に絶対安静な彼女のメンタルは十中八九崩壊するだろうが。

 

 しかし狩る前にあなたはやっておきたい事があった。

 何故だろう、あなたは一目見た瞬間から、無性にネギガモに向けてモンスターボールを投げたくて堪らなかったのだ。

 赤と白のモンスターボールをネギガモに投げて捕まえたくなった。ゲットしたくなったのだ。

 支配の魔法を使えば仲間に出来るだろうが、そうではないのだ。あなたはあくまでもネギガモにモンスターボールを使う事に意味があると確信していた。

 

 ネギガモが弱いのは分かっている。ペットにする理由も無い。

 それでも投げたいのだ。これは最早魂の叫びと言ってもいい。

 そして今回の湯治旅行にあたり、いつベルディアが死んでもいいように、あなたは常にモンスターボールを携帯している。

 今は空だが、あなたはモンスターボールを投擲する事にした。全力で。ほんの少しだけ期待しながら。

 

「グエッ!?」

 

 スナップを効かせ、石で水を切るように水平に投擲された紅白の球体は空気と水面を切り裂きながらネギガモの胴体に命中、そのまま貫通した。もう一度言う。貫通した。

 食べると美味しいと評判のレアモンスターは、廃人の全力投球によって水の詰まった袋が破裂したかのような音と共に赤い霞と化す。

 赤霞はすぐに風に散らされ、ネギガモが持っていたネギがネギガモの存在の証明のように地面に突き刺さる。ボールがぶつかった衝撃で抜け落ちた茶色い羽根が舞う様は、どこか幻想的な光景であると同時に、世の無常さを感じさせた。

 

 無常さはともかく明らかに大失敗である。

 予想はしていたが、やはりベルディアが入っていなくてもこれはベルディアのボールと認識されているようで、捕獲は不可能だった。

 というか捕獲どころか食べるどころですらない。むしろ食べる所がネギしか無い。

 

 あなたは己の衝動的かつ短絡的な行動で一匹分の肉が無くなってしまった事を反省しつつも、脱兎の如く逃げ出したネギガモの群れを一匹残らず絞める為に追い回すのだった。

 

 なお、その日のあなた達の夕食は、あなたが旅館に提供した食材で作ってもらった鴨鍋だった事をここに追記しておく。

 特に新鮮な鴨肉とネギが非常に美味であり、三人も満足そうに舌鼓を打っていた。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで慰安旅行は終わった。

 女神ウォルバクとの会合の後はさしたるイベントも無く、ただひたすらに穏やかだが楽しい旅のまま幕を閉じた。

 各地の温泉を堪能し、郷土料理を味わい、土産物も大量に購入するといったように、誰もが思い描くようなごく普通の観光であったが、あなたにとっては逆にそれが新鮮ですらあった。

 友人と共に旅行に出かけ、己や同行者が誰一人として死ななかったり傷つかなかった旅行など初めてではなかろうか、といった有様である。

 

「……そんなわけで、とってもとっても楽しい旅行でした!」

 

 そして三泊四日に渡る温泉三昧で肌と髪を艶々とさせたウィズは旅行が終わり、日を改めても若干テンションが高い。

 何の用事があったのか、自宅にやってきたバニルにドリスがいかに素晴らしい温泉街だったかをニコニコ笑いながら、今も一生懸命語って聞かせている。

 

「ドリスは忘れずにテレポートの転送先に登録しておいたので、今度は是非ともバニルさんも一緒に行きましょうね!」

「……まあ、我輩は旅行に行くのは構わんが。貴様、旅行にかまけて己の本分を忘れてはおるまいな?」

「勿論ですよ。ドリスで面白いものも沢山仕入れてきましたし、一緒に頑張ってお店を盛り上げていきましょう! ……建て直った後に、ですけど」

「ならばよし。ところでドリスで会ったというグータラ女神はどうした?」

「ウォルバクさんですか? ウォルバクさんでしたら昨日お別れしたっきりですよ。アクセルのどこかで宿をとるって仰ってました」

「ふむ。後で久しぶりにからかいに行ってみるとするか」

 

 バニルは一応魔王軍でも死んでいるという扱いになっている筈なのだが、女神ウォルバクと顔合わせを行って大丈夫なのだろうか。

 

「その点については問題無い。どこぞの首無し中年やポンコツ店主と違って我輩ほどの悪魔が一回死んだくらいで滅びるとは誰も思っておらんし、そもそも我輩は残機が減ったら幹部を止めると、以前から魔王の奴に再三言っておったからな」

 

 つまり情報が渡るとしても、ウィズの元に滞在している、という事くらいだろうか。

 しかしベルディアに続いてバニルを打倒したアクセルの何者かが注目され、次の刺客に女神ウォルバクが選ばれる可能性はある。

 聞くところによると、女神ウォルバクは魔王軍に所属した後にアクシズ教徒に邪神認定を食らい、そのまま邪神と呼ばれるようになったとの事なので一応彼女の動向については注意を払っておいた方がいいかもしれない。

 

「ところでポンコツリッチーよ。話は変わるが、貴様引越しの準備はしているか? 我輩は今日はその件で赴いたわけだが」

「引越しですか? お店の品揃えの準備はちゃんとやってますけど、今の所どこかに引っ越す予定は立ててないですよ?」

 

 どこか違和感を覚えるウィズの発言を受けて、バニルはあなたを一瞥し、深い溜息を吐いた。

 

「よもや温泉で脳みそまでふやけたのではあるまいな?」

「な、なんでそんな酷い事言うんですか!?」

「なんでもなにも、貴様は現在お得意様の家に居候になっている身であろうが。先日ようやく貴様の店と家の工事が終わるとの知らせがあったのだ。一週間を目処に荷物を纏めておくがよい」

 

 あなたは数瞬、バニルが何を言っているのか分からなかった。

 何を隠そう、自分の家にウィズがいる事が当たり前になりすぎていて、若干彼女が居候の身だという事を忘れかけていたのだ。

 しかし店と家が再建するというのは、家無き子と化していたウィズからすれば紛れもなく吉報だろう。

 彼女はあくまでもウィズ魔法店の店主であって、あなたの家の住み込みメイドではないのだ。ウィズの手料理を楽しみに生きているベルディアは消沈するだろうが、あなたとしてはまた珍品が購入出来るのは非常に喜ばしい。

 ウィズがいなくなるのは寂しいが、ここは彼女の為にも笑って送り出すべきだろう。

 あなたはウィズの背中を叩きながらおめでとうと朗らかに笑いかけた。

 

「…………あ、はい。ありがとうございます」

「ほう、中々見事な死体蹴りであるなお得意様よ!」

 

 確かに死体蹴りはあなたの得意技の一つだが、今はそんな事はどうでもいい。

 

 何故かあれほどキラキラと輝いていた筈のウィズの目から光が消えていた。

 おまけに表情も今日のどんよりとした天気のように曇ってしまっている。

 ウィズも別れを惜しんでくれているというのはなんとなく分かるし嬉しくも思うのだが、今の彼女にはさしものあなたもかける言葉が見つからずに窓の外に目を向ける。

 

 どこか肌寒い理由が分かった。

 冬の終わり、雪精が最後の力を振り絞っているかのように、はらはらと雪が降っていた。




《素材槌》
《素材変化の巻物》
 アイテムの素材を変更するアイテム。一応温泉街の土産物屋で販売している。
 巻物はランダムに変化するが、素材槌は狙った素材になる。しかし非常に貴重。
 今日もプレイヤーは狙った素材槌を求めて土産屋の前で延々とリロードを繰り返す。

《ネギガモ》
 スピンオフに登場したカモネギのweb版での名前。何故か名前だけ変わった。
 名前といい挿絵での見た目といい、言い訳出来ない程度にポケットでモンスターのアレ。多分タイプはノーマル・ひこう。
 web版ではドリスの近郊で人知れず群れを作っていたのだが、経験値に目の眩んだめぐみんに爆裂魔法で消し飛ばされ、傍で見ていた人間にトラウマを刻み込んだ。


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第50話 究極にして至高のお宝

 慰安旅行を終え、春を目前に控えたある日。

 あなたの血で汚れた店を綺麗に掃除しようとした女神アクアの善意の水害によって半壊した店と自宅が再建するとの事で、バニルに引越しの準備をしておくように忠告されたウィズ。

 

 バニルの帰宅後、それまでの幸せいっぱい夢いっぱいなテンションから一転、見ていられないレベルで意気消沈していた彼女はしかしすぐに普段どおりに振舞ってみせた。

 

「……ご心配をかけてしまってすみませんでした。でももう大丈夫ですよ。別に二度と会えなくなるわけじゃないんですし、独りで暮らすのは慣れてますから」

 

 ウィズは、あなたにそう言って笑った。それが空元気である事はバニルのように万物を見通す目を持たないあなたにも明らかであったが、下手に突くのも薮蛇だろうとあえて触れずにおいた。

 仮にウィズが引っ越したくないと言うのならばそれでも良かったのだが、どうやら彼女にその意思は無いようで、早速引越しの為の荷造りを始める事になる。

 

 たった数ヶ月とはいえ、すっかり自宅にウィズがいる事に馴染んでしまったあなたとしては一週間後と言わずもう少し、と思わないでもなかったが、いずれ引っ越す事が決まっているのならば早い方がいいだろうと、互いの為を思って荷造りを手伝うに留まる事になる。

 引き伸ばしすぎてぐずぐずと仮の同居が長引くのも悪いだろうと判断したのだ。

 

 だがその日の夜、ウィズは荒れた。

 それはもう凄まじく荒れた。

 

 

 

 

 

 

「ほら、もっと飲んで飲んで! あははははは! あははははははははっ!」

 

 その日は今までお世話になったお礼との事で、いつもより少しだけ気合いの入った夕食だった。

 あなたも料理と酒を堪能し、後一週間でこんな生活ともお別れかと思うと残念な気持ちでいっぱいになっていたのだが、気付けばあなたの家はとてもではないが他人には見せられない悲惨な有様になっていた。

 

「ちょっといいとこ見てみたい! ほらイッキ、イッキ! あはっはははははは!」

 

 その主な原因は、ご覧の通り絵に描いたような酷い酔い方をしてしまったウィズである。

 あなたはここまで正体を無くしてしまったウィズを見るのは初めてだった。

 決して彼女が下戸というわけではない。普段のウィズはちゃんと自分の限界を見極めて、無理をしない程度にしか飲まないのだが、今日はご覧の有様だ。どうしてこんな事になってしまったのだろうか。

 一見するといつも通りのウィズにベルディアが戦々恐々としていた時点でかなり怪しいものがあったが、やはりウィズとしても引越しに何かしら思うところがあったらしい。空元気は所詮空元気に過ぎないという事だろう。意外とストレスを胸の奥に溜め込むタイプなのかもしれない。

 飲みすぎは良くないとあなたが止めても私はリッチーですから大丈夫ですと水を飲むようにがぶがぶと酒を煽り続けた結果がこれである。どこかやけっぱちな空気を纏っていた彼女を無理矢理にでも止めるか、めぐみんに倣って爆裂魔法を使わせてすっきりさせておけば良かったと後悔するも後の祭。

 ウィズが飲み干した酒瓶の数は既に二桁を超えている。彼女がリッチーとはいえ、いつ嘔吐してもおかしくはない。ノースティリスには女性のゲロゲロを回収して保管する事に人生を捧げている性癖持ちが存在するが、あなたは至ってノーマルなのでウィズが吐いたら掃除せねばなるまい。

 現在この場にバニルがいないのが不幸中の幸いである。あのイイ性格をした大悪魔が今のウィズを見てどんな反応を示すかは想像に難くない。

 ウィズと相性が悪い女神アクアは意外に面倒見が良く女神に相応しい慈愛を見せる時があるので、痛ましい姿となった今のウィズを見てもそっとしておいてくれるだろう。多分、きっと。

 

「ああそうらわらひいいこと思いつきました! ベッド! ベッドに行きまひょう!! ほらほらほらほら!!」

 

 べろんべろんでぐでんぐでんなりっちぃは何を思ったのか、突然そんな事を言い出した。

 どろりと濁った目を爛々と輝かせて力強くあなたを引っ張るウィズは、明らかに尋常の様子ではない。

 果たしてこれはどうしたものか。気絶させるのが手っ取り早いのだろうが、こんなアホな理由で彼女に暴力を振るうわけにもいかず、あなたはベルディアに声をかけて助けを求めた。

 

ベルディア()は激怒した。かの相思相愛のアベックどもを爆発させねばならぬと決意した。俺には政治がわからぬ。俺は、デュラハンの元騎士である。剣を取り、魔物や他国の人間と戦って暮して来た。けれども人目を憚らずにイチャコラするアベックに対しては、人一倍に敏感であった」

 

 駄目そうである。

 

「あーあーいいなーご主人はさーイチャコラしやがってよークソがっ! 俺ももっとさーモテたかったよなーマジでなーつれーわーマジでなー俺と代われーもしくは滅びろー今すぐ世界滅びろー! なー、マシロー! ……聞いてるのかよ……なぁ!」

 

 ダンッ、と強くテーブルを叩く、腐ったドブ川のような目のベルディアは、大きな酒瓶を片手でラッパ飲みしながらやさぐれていた。ちなみにマシロは酒の臭いを嫌って早々にどこかに行ってしまったのでこの場にはいない。

 ベルディアはウィズに負けず劣らず出来上がっており、こちらの話はまるで通っていない。まるで使えないペットだとあなたは舌打ちする。

 

 あなたもウィズに付き合わされる形で結構な量の酒を飲んでいるが、今の所は前後不覚になる量ではない。なのでいっそ自分も二人のように酔い潰れてしまいたい所だが、そうなってしまった場合、本当に何が起きるか分からなかった。酔っ払いが揃った時のストッパー不在の恐怖をあなたはよく知るが故に。

 ノースティリスではよくある事、の一言で終わる向こうならともかく、流石にこの世界では酔った勢いで喧嘩を始め、核とメテオと終末の乱れうちで周囲が更地になっていた、などというのは冗談や笑い話では済まないと思われる。

 平和なのは大変結構なのだが、こういう所は若干窮屈だとあなたは嘆息した。だからこそ気分転換の為、定期的にシェルター終末に潜っているわけだが。

 

「……むー!」

 

 おもむろに、ウィズは両手であなたの頬を押さえつけてきた。

 ひんやりとした手の平が酒で火照った肌に心地よい。

 

 目が据わっているのはさっきからだが、やけに機嫌が悪くなったように見える。

 酔っ払いのテンションと女心は秋の空のようにころころ変化するものだと理解はしているのだが。

 

「もう! 今はベルディアさんじゃなくてわーたーし! わたしだけを見ーてーくーだーさーいー!」

 

 あなたの頬をむにむにと弄びながら、小さな子供のように頬を膨らませて可愛らしい駄々をこねはじめたウィズを見てたまらなく微笑ましさを感じるのと同時に、これは本当に大丈夫なのだろうか、とあなたは戦慄した。

 アクセルの住人が見れば別人、あるいは悪い夢だと断じそうなほどに今のウィズはキャラ崩壊が甚だしいが、それだけではない。

 

 明日酔いが醒めて正気に戻っているであろう彼女と顔を合わせるのが怖すぎるのだ。

 仮に今日の記憶が残っていた場合、ウィズは世を儚んで引き篭もるか失踪しかねない。

 今はあなたでも何とか対処可能であるし、ちょっと悪酔いしただけの可愛いものである。しかしいざという時は、申し訳無いがウィズ本人の為にも本気で対処せねばなるまいとあなたは決心した。ぷりぷりと怒ったウィズに強引に引き摺られ、彼女の部屋に連れ込まれながら。

 

「夢の中で親父がよーしパパ爆発魔法の杖使っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない」

 

 もう見てらんないのはベルディアの醜態である。

 

 

 

 

 

 

「そこに座っててください。寝なくていいです」

 

 促されるまま、普段ウィズが寝起きしているベッドに腰掛ける。

 自分は一体何をされるのだろうかと、この世界に来て以来最大級の緊張感を感じながら。

 せめて不死王の手だけは食らわないようにしておかねばなるまいと、衣装箪笥を漁るウィズの後姿を見ながら警戒する。

 

「じゃーん!」

 

 あなたの警戒は刹那で木っ端微塵に砕け散る事になる。

 振り向いたウィズがその手に持っていた、黒い三角形の布によって。

 

「前にゆんゆんさんのパンツ欲しがってましたよね? だから私のパンツをあげます! どうぞ受け取ってください! 日頃お世話になってるお返しです!」

 

 パンツ。ウィズのパンツである。

 しかも窃盗や殺害で手に入れた物ではなく、本人が直接手渡してきたパンツである。

 自然にごくりと喉が鳴った。

 

 

 ――ブラボー!

 ――今夜は眠れないな!

 ――何なのだ、これは! どうすればいいのだ?!

 ――惑わされるな! ……惑わされるなと言っておるーっ!

 ――ウィズは胸も尻も最高でおじゃるな!

 ――好きですぅ! 付き合ってくだぁさい!

 

 

 夢にも思わぬプレゼントに、酔いも相まってあなたの脳内で支離滅裂かつ狂気的な毒電波が乱れ飛ぶ。

 軽く錯乱したまま、差し出されたパンツをあなたは反射的に受け取って懐に仕舞った。ウィズが酔った勢いで行動しているのは理解している。しかしウィズが泣かない限りは絶対に返すまいと誓いながら。

 

「いいですか? 絶対に避けないでくださいね? 絶対ですよ? 避けちゃ駄目ですからね?」

 

 ジリジリと腰を低くしてにじり寄ってくるウィズだが、彼女は何をするつもりなのだろうか。

 避けるなとしきりに言ってくるが、まさかそれは避けろというフリなのだろうか。

 そんなあなたの疑問は数秒後に解決した。

 他ならぬ、ウィズの行動によって。

 

「ドーン!」

 

 何を思ったのか、いや、酔った勢いで行動しているだけで何も考えていないのだろうが、ウィズは勢いよくのしかかってきた。何に? もちろんあなたにだ。

 後先考えずに突っ込んできたせいでウィズの頭部がみぞおちに直撃し、ぐふっと軽く咳き込む。

 一瞬恨みでも買っていたのだろうかと邪推するも、ベッドに転がり頭部をあなたの足の上に乗せるウィズを見てそうではないとすぐに悟る。

 

「んふふふふー」

 

 ウィズが言外にあなたに要求してきたのは、いわゆる膝枕であった。酔った勢いで加減が利かなかったようだ。

 しかし膝枕などウィズやゆんゆんがやるならともかく、男で、更に鍛えているあなたの足では枕と呼ぶには到底役者が不足しているだろう。

 硬くないのだろうか。

 

「すっごく硬いです。おっきくて太くてガチガチですね!」

 

 硬いと言いながらも離れるつもりは欠片も無いようで、ウィズは大胆にもあなたの足に手を当てて撫でたり揉んだりしてきた。少しくすぐったい。幸せそうな表情で太股に頬ずりしながら手を這わせるその姿はセクハラに相違なく、人によってはご褒美なのかもしれない。あなたとしては微妙な所である。

 だが少なくとも、あなたとウィズの立場が逆だったら完全にアウトな光景である事だけは確かだろう。

 そうやって一頻りあなたの足を堪能したウィズは赤ら顔のまま、おもむろにあなたの手を取って自身の頭に乗せて来た。

 

「頭、撫でてください」

 

 膝枕といい、お互い甘えたい盛りでもないだろうに、と苦笑しつつも言われるままに髪を撫で付ける。

 ウィズのふわふわでさらさらの長髪は、何度触っても驚くほどに手触りが良い。

 浴びるように飲んでいたせいで、吐息が酒臭いのが若干マイナスポイントだが、それはお互い様だろう。

 

「えへへ……えへへへへ……」

 

 手櫛が髪を梳く感覚に、心地良さそうにふにゃふにゃと表情を蕩けさせ、ベッドの上で足をじたばたと暴れさせるぽわぽわりっちぃ。

 特に止めろとも言われないので、そのまま撫で続ける。

 

「…………」

 

 そうしてかわいいいきものと化したウィズを膝の上に乗せたまま、十分が経過した。

 あなたの膝の上で一転して静かになってしまったウィズだが、眠ってしまったのだろうか。

 小さく声をかけると、ウィズはその場で体勢を変え、ごろんと転がってあなたを見上げる形になった。

 

「……あなたも」

 

 眦はとろんと下がってきているものの、まだ起きているようだ。

 といっても、この分では寝付くのは時間の問題だろうが。

 

「あなたも、私と一緒にお引越ししましょうよぅ……」

 

 半ば眠っている状態のまま、ウィズはそう呟いた。

 髪を撫でるあなたの手がピタリと止まる。

 

「一人は……寂しいから、嫌です。今のままでいいんです。今のままがいいんです……。だから、これからもずっと一緒の家に住みましょうよ……。私、お掃除もお洗濯もお料理もちゃんとやりますから……だから……だから……」

 

 酔いが回っているせいで呂律はあやふや、声も途切れ途切れだったが、それでもあなたにはウィズの声がハッキリと聞こえていた。

 だがあなたは黙して答えず、ただ寂しがりやの友人の頭を撫でるのを再開する。

 

「……しを……りに……しないで……」

 

 そして、そのままウィズは深い眠りに落ちてしまう。

 酔い潰れてしまったのかベルディアの声も聞こえない、静かな夜の中。

 マシロのにゃあ、という鳴き声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 それから数日が経過し……ウィズが引っ越す日がやってきた。

 

「ご飯沢山作っておきましたから、ベルディアさんと一緒に温めて食べてくださいね」

 

 荷物を全て運び終え、少しだけがらんとなった()の家の玄関。

 何も無くなった自分の部屋に入った時、ウィズはもう自分の居場所はこの家には無いのだと実感してしまった。

 徒歩で遊びに来れる距離にある場所とはいえ、まるで楽しい夢が覚めてしまったような寂寥感を覚える。

 

「お風呂にはちゃんと入って、しっかり身体を拭いてくださいね? もうすぐ春とはいってもまだ肌寒いんですから、寝る時はちゃんと毛布を被って風邪をひかないように……」

 

 まるで母親か祖母のような物言いですね、と内心で自嘲。

 見れば彼も苦笑しており、少しだけ顔が熱くなる。

 

「……今まで、本当にありがとうございました。たった数ヶ月でしたけど、私、あなた達と暮らした日々の事、一生忘れません」

 

 長々と玄関に居座るのも悪いだろうと、後ろ髪を引かれる思いを何とか断ち切って、今までお世話になった友人に向かって、深く頭を下げる。

 居候が終わっただけで、自分達の友人付き合いが終わったわけではない。

 そう必死に自分に言い聞かせながら。

 

 

 

 

「……帰ってきちゃいましたね」

 

 女神アクアによって半壊し、更地になっていたウィズの店は以前と同様……いや、それ以上に立派な建物となっていた。

 明らかに値段以上のお仕事である。

 再建についてはタイミング悪く発生した豪雪の影響で随分と延期してしまったので、その詫びを兼ねているのだろう。

 

「ただいま……っていっても、誰もいないんですけどね」

 

 新築の自宅の扉をあけて、誰に向けるでもなくただいまと挨拶をする。

 たったそれだけの事なのに、どうにも違和感を感じてしまっている自分に苦笑いを浮かべるウィズ。

 同時にもう自分がお帰りなさい、と言う事は無いのだろうな、と痛感した。

 

 ウィズはそのまま家の中に送られていた荷解きを始め、近所への挨拶回り、店のレイアウトや開店日を考えるなど、何かから目を背けるかのように作業に没頭する事になる。

 

 そして、いつもよりずっと遅めの夕飯時。

 ウィズは食卓の前で唐突に途方に暮れた。

 

 彼女が作った夕食は三人分。

 自分と、ベルディアと、彼の分である。

 ウィズは皿を並べ始めた段階でようやく気付いた。

 もう、食事は自分の分しか用意しなくていいのだと。

 

「作りすぎちゃいましたね……まあ明日以降のご飯にしましょうか」

 

 本当に度し難い、と思わず自嘲の笑みを浮かべる。

 完全に無意識で作っていたのだ。何もかも忘れ、作業に没頭していたせいだろう。

 

「いただきます」

 

 二人はいつも沢山食べてくれたから、作り甲斐があったな、などと思いながら食事を始める。

 カチャカチャと、ただ自分の食事の音だけが鳴る、静かで孤独な一時。

 

「やっぱり、一人で食べるご飯はいつもより美味しくないですね……」

 

 数ヶ月ぶりに一人で囲む食卓は、酷く冷たくて味気ないものだった。

 料理は失敗していないし、作り立てで冷めてもいない。

 だというのに、どうしても食が進まない。

 これから毎日こんな風だと考えただけで、どうしようもなく胃が重くなる。

 以前の自分に戻っただけだというのに。

 

「……ごちそうさまでした」

 

 結局、一人分を半分も食べずにウィズは夕食を終えた。

 

 片付けもそこそこに寝室に足を運ぶ。今の自分はさぞ酷い顔をしている事だろう。

 部屋の明かりをつける事無く、ぼふんとベッドに倒れこんだ。

 粗方荷物整理を終え、新しい自室は綺麗に片付いており、布団は温かいものの、気分はまるで真冬のように寒々しい。

 

 いつからだろう。

 あそこが自分の家だと、心の底から思うようになっていたのは。

 これからもこんな日々がずっと続くと、何の根拠も無くそう思ってしまっていたのは。

 

 その結果がこのザマである。

 バニルや彼が悪いわけではない。値段以上の仕事をしてくれた大工達には感謝の言葉も無い。

 強いて言えば居候の身である事を忘れ、能天気に日々を送っていた自分が悪い。

 理解はしていたが、今は何も考えたくない気分だった。

 

「…………」

 

 自身がどうしようもなく弱くなった事を実感する。かつての仲間達や昔の自分が今の自分を見たら何と言うだろう。

 仲間達はともかく、他人に厳しく、自分にはもっと厳しかった、自分がまだ人間だった頃。

 あれから自分でも別人かと思うほどに変わってしまっている以上、今の自分に中々に辛辣な言葉が飛んでくるであろう事は想像に難くない。

 現役時代は勿論の事、ちょうど去年の今頃の自分であれば、一人で暮らす事など普通に耐えられた。同時に借金漬けでひもじい思いもしていたわけだが。

 そして自分が借金に困らなくなったのは彼が宝島を見つけ、自分に助けを求めてくれたおかげなわけで。

 思えば彼はいつだって自分に手を差し伸べてくれていた。

 

「……はあ」

 

 考えれば考えるだけ、終わりの無い沼に嵌りこんでいる気がした。

 意識を切り替える為に臓腑に溜まった澱んだ空気を搾り出すように溜息を吐き、首にかかったままの指輪を指でなぞる。

 少しだけ気分が軽くなった。気休めとはいえ、今はそれで十分だった。

 

「……いつまでもくよくよしてちゃいけませんよね。同じ街に住んでるんですし、別に会えなくなっちゃったわけじゃないんですから。こんな事じゃバニルさんにも笑われちゃいます」

 

 今は胸にぽっかりと穴が開いたような気分になってしまっているけれど、それも直に慣れるだろう。

 

 

 

 ――――だって私は、今までだって、ずっとそうしてきたのだから。

 

 

 

 

 

 

 ……酷い悪夢を見た。

 

 あなたは忌々しいとばかりに表情を歪め、大きく溜息を吐く。

 

 寝起きはこれ以上ないほどに最悪だった。昨日の酒気は抜けているのに軽く吐き気すら催すほどに。

 水差しからコップに水を注ぎ、一気に呷る。

 ここまでの夢見の悪さは、地平と空を埋め尽くす無限の妹に囲まれた夢を見た時以来である。

 キンキンの冷水で流しても喉と胸の奥にしこりが残ったような感覚に、あなたは声無き声をあげた。

 

 まさかと思いながらも、一応念の為カレンダーを確認。

 日付はウィズが酔って暴れた翌日のものだった。

 

 件の夢が現実のものではなかった事にほっと人心地付いたものの、とびっきりの悪夢を見た気分だし、実際に悪夢であった。

 非常に確度の高い未来予想図、とでも言えばいいのだろうか。

 まるでこのままいけばまず間違いなくこうなるだろう、という一種の予知にも似た生々しさを感じた。

 

 それにしたってアレは無い。ウィズはあそこまで弱い女性ではないだろうし、幾らなんでも鬱々しいにも程があるとあなたはベッドから立ち上がりながら、鈍い重さを感じる頭を振って眠気を散らす。

 いつもであれば心地よい二度寝に洒落込む時間帯だが、先の夢の続きを見るかと思うと再度ベッドに潜る気など微塵も起きない。

 憂鬱な気分を洗い流す為、冷たい水で顔を洗ってくる事にした。

 

「あ、おはようございます」

 

 洗顔の為に自室を出たあなたを出迎えたのは、いつも通りのウィズだった。

 清潔感溢れる白の縦セーターの上にエプロンを付け、髪を一束に纏めた彼女の表情からは先日の大暴走の面影は見受けられず、本当にいつも通りだ。

 夢の中での非常に鬱々しかった様子はともかく、あれだけ泥酔していたのだ。昨日の事は何も覚えていないのかもしれない。むしろそうあってほしいと強く願う。

 

「あの……実は昨日の夕飯の後の記憶が無いんですけど、私、何も変な事しませんでしたか?」

 

 あなたの予測を裏付けるようにウィズはそう言った。

 あれだけ酒乱して大暴れしていたのだ。少しでも昨日の事を覚えていたならばもう少し違った反応になるだろうとあなたは安堵しながら、少し酔いが酷かったが、それでも変な事は何もしなかったと告げた。

 

「そ、そうですか? 良かった……酔った勢いで何かしでかしてしまったのではないかと……」

 

 えへへ、と笑うウィズからあなたは違和感を覚えられないようにこっそりと目を背けた。

 嘘はついていない。確かにウィズは昨日、何も変な事はしなかった。

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 ただ、この世界の住人であるウィズ本人や他の者からしてみればどうかは分からない。世の中には知らない方が幸せな事があるだけだ。

 答えは四次元ポケットの中の黒い布地だけが知っている。

 

 

 

 

 

 

「…………ど、どうでしょうか?」

 

 無表情で目の前に持っていった液体入りの瓶を揺らすあなたに、冷や汗を流しながら問いかけてくるウィズ。

 あなたがその手に持っているのは中身入りのポーションの瓶である。

 ポーションとはいってもこの世界で流通しているものではない。ましてやウィズが大量に仕入れ、あなたが全て購入し尽くした爆発ポーションでもない。仮にあれが全て爆発した場合、あなたの家一帯は確実に更地になるだろう。

 

 ウィズの商才はさておき、これは軽傷治癒のポーションだ。ちゃんと鑑定の魔法を使って確認もしているので間違いない。

 軽傷治癒のポーションとはその名が示すとおり、切り傷などの軽い怪我を癒せるノースティリスで扱われているポーションである。

 ゴブリンシャーマンの持つ杖から魔力を抽出して生成された水薬……を錬金術のスキルで再現したポーションで、最も作成が簡単なポーションでもある。

 効果については一般人ならともかく、冒険者にとっては殆ど気休めと言っていい。冒険者の中には渇きを凌ぐ為だけに携帯している者もいるので、まあそれくらいの性能だ。

 

 あえて説明するまでも無いだろうが、このポーションはあなたがノースティリスから持ち込んだものでも、あなたが自作したものでもない。

 ウィズがあなたから譲り受けた錬金術の道具を使い、一から作成したものである。

 卒業試験というわけではないが、引っ越しと店の新装開店の前に一度これまでの成果を見せる事になったのだ。

 

 鑑定で分かってはいるものの、一応念の為、効果を確かめる為に愛剣を取り出し、あなたは刃に軽く指を押し当てて小さな切り傷を付ける。

 そのままあなたがポーションを呷ると、指の傷はたちまち癒えてしまった。

 つまりこのポーションがちゃんと作られている証明であり、それを理解したウィズもほっと息を吐きながら血を舐めた指を拭く為の布巾を渡してきた。

 

「あの……あなたはこれ、売り物になると思いますか?」

 

 なるだろう。ならないわけがない。

 値段や同業者との兼ね合いもあるだろうが、それはあなたの関与すべき話ではない。

 だが使う分には軽傷治癒や重傷治癒のポーションであれば、駆け出し冒険者が携帯しておく常備薬として申し分ない。少なくともノースティリスではそうだった。真っ当な商品にさぞバニルも喜ぶ事だろう。

 

 ちなみにノースティリスの回復ポーションはこの世界のポーションと比較すると効力が弱い傾向にある。

 こちらでは精々数百万から数千万エリスで販売しているが、瀕死の廃人(あなた)を全快状態まで治療するポーションなどあなたはノースティリスでは一度もお目にかかった事が無い。

 

 だが、明確にノースティリスのポーションが優れている点が一つだけある。

 ノースティリスのポーションはどれだけ時間が経っても、どんな劣悪な環境下で放置していても決して劣化しないのだ。

 それ故にこの世界のポーションが食べ物のように時間経過で劣化すると知った時のあなたの驚きと衝撃は凄まじいものがあった。一日二日で駄目になるというわけではないが、劣化するポーションというのは酷くカルチャーショックを受けたものである。

 まあ四次元ポケットに突っ込むと腐った食物が元通りになるのと同じように、品質は復活したのだが。

 

 さて、そんなノースティリスのポーションを作ったウィズだが、彼女は日々自作の錬金術の学習書を読み込んでいたので、軽傷治癒のポーション作成自体は全く苦労しなかった。ノースティリスではスキルを覚え立ての駆け出しでも作成可能な程度には作るのが簡単なので、ウィズほどの魔法使いであれば当然だ。彼女は既に下から数えて五番目の効力を持つ、癒し手のポーションの作成まで成功している。

 

 しかし最も効き目の弱い軽傷治癒のポーションとはいえ、流石にウィズがこのポーションをあなたの持ち込んだノースティリスの素材(マテリアル)ではなく、()()()()()()()()()で再現する事に成功した件については驚きを隠せない。彼女がやけに緊張していたのもそれが原因だ。

 どこにでも売っている安価な薬草を磨り潰して抽出したものを、錬金術スキルと錬金術の道具を使いながら綺麗な水と混ぜるだけらしいのだが、これはあなたでは到底考え付かなかったし実際に教えられても今のあなたでは再現出来なかった。

 ウィズ曰くこの世界のポーション作成を学べばあなたでも再現が可能だとの事だが、それを差し引いても紛う事無き偉業である。

 

「残った問題は時間経過による品質劣化の調査なんですけど、こればっかりは今確かめるのは無理なんですよね……」

 

 作成と検証を終え、機材を片付けるウィズにあなたは声をかける。

 先日から考えていた事の答えを友人に告げる為に。

 

「はい? 私に話したい事、ですか?」

 

 曰く、ウィズと同じタイミングで自分もこの家を引き払って別の地に引っ越す事に決めた、と。

 

「えっ……えええええええええええええ!?」

 

 絶叫である。

 勢いよく詰め寄ってきたウィズはがっくんがっくんとあなたの肩を揺らす。

 

「な、なんでですか!? なんでこのタイミングでそんな大事な話を!? どこに引っ越すんですか!? アクセルには戻ってきてくれるんですか!?」

 

 どこも何も、ウィズの家の近くに引っ越すだけである。

 あなたの記憶が確かなら、ウィズ魔法店の隣の家は彼女があなたの家に居候している間に空き家になっており、まだ人が住んでいなかった筈だ。

 

「……へ? え、でも、それって何の意味が……」

 

 あなたの発言に目を白黒させるウィズ。

 あなたはここを所詮はこの世界における仮の住まいと定めているので、ウィズが出て行くこの家に愛着など湧いていないというのもあるが、一応意味が無いわけではない。

 マシロの世話や、女神ウォルバクの風呂やゆんゆんの鍛錬などの件を考えると、互いの家が近い方が良いのは自明の理である。

 バニルもウィズの家の近くに引っ越すようであるし、あなたが彼の抑止の一翼を担っているとギルドに思われている以上、あまり離れると何を言われるか分からない、というのもある。

 

「…………!!」

 

 ぱあっと顔を輝かせるウィズを見て、あなたは思う。

 色々言ったが、決してウィズがパンツを代価にあなたに引越しを依頼したと判断したのが直接の理由なわけではない。

 そう、幾ら欲して止まなかったとはいえ、決してパンツは原因ではないのだ。

 

 

 

 多分、きっと。




★《ウィズのパンティー》
 不確定名、ぽわぽわりっちぃのぱんつ。
 それはシルク製だ。
 それは普通の下着だ。
 それは使用する事が出来る。

 泥酔したウィズが手ずから渡してきた、黒の下着だ。
 普段は使わないとっておきの特注品で、不思議な魔法がかかっている。
 装備品として運用可能な強度は持っていない。
 ~このすばパンツ辞典~
 
「あれっ? 下着が一つ無くなっているような……」
 ~魔法道具店の店主『ウィズ』~


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第51話 アンデッドヒーロー

 ノースティリスでは幾度と無く行った、しかしこの世界では初めての引越しである。

 

 不動産屋で手続きを行い、今の家を手放すと同時にウィズの家の隣家を購入したあなたは現在進行形で荷造り及び自宅の大掃除を行っている。

 あなたがこの家に住むようになってそれなりに月日が経っており、ウィズの店の商品を筆頭に、蒐集家のあなたはこの世界の様々な品を集めているので中々に荷物が多い。

 

「なんでご主人はこんなわけのわからん物ばっかり集めてるんだ……」

 

 とはベルディアの言だ。

 勿論あなたの趣味である。それ以外の理由など無い。

 一方引越しを手伝うベルディアは終末篭りも相まってあまり私物を持っていない。

 しかしあなたはどこで買ったのかは知らないが、彼の荷物の中にエロ本が混じっているのを知っていた。

 

「~~♪」

 

 そしてウィズは一日でも早く新居に移りたいとばかりに意欲的に引越しの準備を進めていた。彼女の周囲に色鮮やかな花々が咲き乱れる幻すら見えるご機嫌っぷりだ。

 ここまで彼女が喜んでくれるのならば、あなたも引越しを決断した甲斐があったというものである。

 温かい気持ちになりながら日頃出しっぱなしになっているルゥルゥを最初に入っていた大きな箱に詰める。生暖かい視線で見られている気がした。

 

 さて、引越しの準備というのは中々の重労働だ。荷物運びなら楽でいいのだが、荷造りはそうもいかない。荷物を箱や袋に梱包する作業は中々に億劫だ。

 梱包して四次元ポケットに突っ込むだけの簡単なお仕事なので荷物の持ち運び自体は楽なのが救いといえば救いだろうか。本来四次元ポケットは出し入れすると疲労が溜まる魔法なので適度に休息する必要があるわけだが。

 ノースティリスであれば土地の権利書があれば荷物を纏めたりする必要が無いのだが、今はそうもいかないので仕方が無い。

 

 

 

 

「ご主人、このポーション棚は何だ?」

 

 荷造りの最中、ベルディアがそう言った。

 ベルディアが小突いているのは、ウィズの店で購入した爆発ポーションの棚だ。

 封を開けたら爆発する、水を入れたら爆発する、瓶を強く振ったら爆発する、魔力をこめたら爆発する、などなど、様々な爆発ポーションが全て揃っている。

 ウィズは何を思ってこれらの商品を仕入れたのか、実に興味深い。

 

「爆っ……」

 

 ベルディアが棚から一歩下がった。

 今のベルディアであれば巻き込まれても死にはしないだろう。

 

「死ななきゃいいって問題でもないだろ、常識的に考えて」

 

 死んでも問題は無い、の間違いではないだろうか。

 爆発魔法の杖を使ったベルディアであればどうという事は無い。

 

「……アレに関してはマジで許さんからな俺は」

 

 あなたの言葉を受け、ベルディアの瞳が一気に濁った。

 

「ピンチになったら使えって言われたから使ったら自分中心に発動して自爆するとか、あれだぞ、俺はウン年ぶりに背中から刺された気分になったぞ」

 

 彼が味方から裏切られて処刑され、デュラハンになったのは周知の事実だが、非常に強い騎士であったベルディアは捕らえられる際に仲間に背中から切りつけられたのだという。

 そして仲間に攻撃する事を嫌ったベルディアはそのまま縛に就き、仲間や上司がきっと自分を助けてくれると信じていたものの、結局はあれやこれやの謂れの無い罪を着せられ処刑。恨みでデュラハン化。

 こうして列挙してみると中々に悲惨な人生である。主に仲間に裏切られたという点が。処刑についてはドンマイドンマイといった感じである。ギロチンを遊び半分で使って自分が首ちょんぱとか良くあるよね、という笑い話だ。

 

「びっくりするほど笑えない。というかドンマイって。ドンマイってお前……。あと無惨に死にまくってる今の方が絶対悲惨だと思うんだが、ご主人はどう思う?」

 

 あなたからしてみれば死ぬのはよくある事なので、そこら辺は特に何も思わなかった。

 今のベルディアは残機が実質無限である以上、死は終わりではないのだから、力を求めるのであればもっと終末をやって死ぬべきだ。

 大丈夫、ノースティリスの関係者であれば余程の事が無い限り、皆最低二桁は死んでいる。

 ちなみに余程の事とは死亡回数が二桁に届く前に埋まる事だ。

 

「今更だが命の価値がペラッペラすぎて手が震えてきた。酒はどこだ」

 

 本当に今更である。

 あとベルディアの言う手の震えはアルコール中毒の症状なのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで楽しく荷造りを行っていたあなただったが、ふと引越しの前に一つ用事を片付けておかないといけなかった事を思い出した。

 少し出かけてくると作業中のウィズに声をかけておく。

 

「はい、お出かけですか? 最近はだいぶ暖かくなってきましたが、気を付けてくださいね。お昼ごはんはどうされますか?」

 

 そこまで時間はかからないので用意してもらうように告げ、足早に出立。

 あなたが向かった先はアクセルの街の一角に建っている、エリス教の教会である。

 

 

 

「おや、これはこれは。本日はどうされました?」

 

 あなたを出迎えたのはエリス教徒の老神父だった。

 彼は時折ギルドの酒場で食事を取っており、あなたとも顔見知りの間柄だ。

 そしてあなたがこの世界の教会に自分の意思で足を踏み入れたのは、今日が初めてだったりする。

 

 あなたが神父に祭壇の前で女神エリスに祈らせてほしいと頼むと、神父は朗らかに笑ってそれを受け入れた。

 

「何かよい事がありましたかな? エリス様のご加護があらん事を」

 

 勿論あなたに信仰を変えるつもりは無いのだが、それは彼も分かっているだろう。

 さておきあなたは女神エリスの祭壇の前で跪き、目を閉じる。

 自身の祈りが女神エリスに届くように祈りながら。

 

 

 

『――――はいもしもし、エリスです。どちら様ですか?』

 

 

 

 そんな電波が聞こえてきた。

 あなたが思っていたのとは随分と毛色が違ったが、一応祈りは届いたようである。

 まるで本人がすぐ傍にいるかのようによく声が聞こえる。

 姿こそ見えないが、やはり教会で祭壇の前ともなると電波の通りが非常に良好だ。マニ信者の友人に習うならばアンテナ三本。バリ3といったところだろうか。

 

『聞こえてないのかな……もしもし、もしもーし。こちらエリスです。聞こえてますかー?』

 

 女神エリスが壊れかけの機械を叩きながら話している光景を想像してしまい、あなたは思わずくすりとしてしまう。

 そしてあなたはクリスを介してではなく、女神エリスと直接会話するのはこれが初めてなのでしっかりと自己紹介と挨拶、アポイントメント無しでの突然の祈りについての謝罪をしておく。

 

『あ、はい。これはご丁寧に……ってえぇっ!?』

 

 女神エリスの突然の大声に、あなたの体がビクリと反応する。

 神父が何事かと首を傾げるも、目を閉じているあなたにそれは分からなかった。

 

『ちょ、ちょちょちょっとそのままで待っててください!!』

 

 慌てた声の女神エリスがそう言うのと同時に、聞きなれない謎の音声が聞こえてきた。

 いや、音声というか音楽と呼ぶべきだろう。

 CDを使った時とはまた別の、機械的な人工の音楽だ。

 

 尚あなたは知る由も無いが、この時流れていたのはエリーゼの為に、という地球の曲だったりする。

 

『し、失礼しました』

 

 およそ三分後、ようやく曲が終わり女神エリスは戻ってきた。

 ちなみにそのままで待っていろと言われたあなたは、三分間ずっと祈りを捧げる体勢のままだったので、そろそろ遠巻きにあなたを見守っている神父の視線が心配そうなものに変わってきている。

 

『改めまして……私の名はエリス。死者に新たな道を案内する女神です。あなたは私の信者と共に神器回収を行ってくださっている方ですね?』

 

 あなたは女神エリスがそのような仕事をしているのを初めて知った。

 異邦人であるあなたも、この世界で死ねば女神エリスの御許に(いざな)われるのだろうか。試してみる気はこれっぽっちも無いが。

 

『どうやらアクセルの教会からお祈りしているとの事ですが……なんで信者じゃないのに祈りが届いてるんでしょう……いえ、そういうのが一度も無かったわけではないのでいいんですが、どうしてあなたは私の声が聞こえているのですか?』

 

 前者はさておき、後者についてはあなたが常時装備しているアイテムのエンチャントの効果である。

 神が発する電波をキャッチする、ただそれだけのエンチャントであり、戦いの役に立ったりはしない。

 しかしあなたはこれを常用している。信仰者として当然の話だ。装備しないなど考えられない。

 

『なるほど、神器ですか。それでしたら私にも心当たりがあります』

 

 全く違うのだが、あえて訂正するまでもないだろうとあなたは口を噤んだ。

 女神エリスはあなたが異世界の人間であるという事を知らないのだから。

 

『それで、本日はどのようなご用件でしょうか? 私の信徒でないあなたがこうして祈りを捧げている今、余程の事が起きたと思うのですが。神器回収の件についてのお話ですか?』

 

 それほど重大な事件が起きたわけでは無いが、全く的外れでもない。

 あなたは用件を告げた。

 

『……え? 引越し、ですか?』

 

 どこか困惑した風である女神エリス。

 

 そう、あなたは女神エリスに引越しの挨拶をする為、そして引越し先を話す為に教会に足を運んでいた。

 理由は簡単。あなたは盗賊のクリスが普段どこに住んでいるか知らないからだ。

 女神エリスはあなたに神器回収の手伝いを依頼する際に手紙を送ってくるが、今のままでは今のあなたの家に手紙を送ってきてしまう。それは困る。

 王都の例の宿屋というのも考えなくはなかったが、いっそ本人に直接告げた方が手っ取り早いだろうと踏んだわけである。

 

『ああ、はい。そういう事でしたか。分かりました。では今度からはそちらの方にお手紙を送りますね』

 

 腑に落ちたとばかりの女神エリス。

 しかし大丈夫だろうか。

 クリスに伝えてもらわなければ意味が無い、と突っ込むのは非常に野暮な話ではあるのだが。

 

『……ふふっ』

 

 女神エリスの含み笑いが聞こえてきた。

 彼女の琴線に触れるような面白い話だったのだろうか。

 

『あ、すみません。実は私、お引越しの挨拶とかされたのは初めてだったので、ついおかしくなってしまって』

 

 それはまあ、自身の信仰する神にわざわざ引越しの報告するような信徒はいないだろう。女神エリスとしても、そんなものを聞かされてどうしろという話である。

 あなた達の信仰する神々は常時というほどではないものの、イルヴァにおける筆頭信徒であるあなた達の動向に注目しているので、わざわざ引越し先を話すまでもないわけだが。

 

 あなたはこの世界における()()()()……つまり、特別に寵愛を得ている信者の存在を知らない。

 

 女神エリスには最も信を置く信者はいないのだろうか。

 アクシズ教徒にはゼスタという名前の最高責任者がいるというのは知っているが、彼もあなた達ほど特別に女神アクアの寵愛を得ているわけではない。

 あえて挙げるのであればカズマ少年があなた達に近しいのだろうが、彼からはどうにも信仰心というものが感じられない。

 

『特別な信者、ですか? 私にそういう方はいないですね。でも皆大切な信者の方々ですよ』

 

 ノースティリスの住人にとって神々は姿を現さずとも、非常に身近な存在だ。

 どこか嬉しそうにあなたに話しかけてくる女神エリスの様子を受け、意外にこの世界の人間と神々の間には距離があるのかもしれないとあなたは思った。

 

 話し始めて数分は経過しているのに、今もあなたにかかりっきりであるのがいい証拠だ。

 と思っていたのだが、女神エリスが暇な理由は本人が説明してくれた。

 

『ああ、それはですね。先ほども言いましたが、私は死んだ方を来世に導く担当の女神なわけですが……私が担当しているのは、その中でもモンスターによって命を落としてしまった人達の案内のみだからです』

 

 なるほど、とあなたは納得した。

 女神エリスが暇なのは今の季節が関係しているのだろう。

 

『はい、普段はそこそこ忙しいのですが、今のような冬の間は冒険者の皆さんは殆ど外を出歩かないので、喜ばしい事に退屈出来ているんですよ。私が暇だという事は、それだけ皆さんが元気で暮らしているというわけですからね』

 

 それはとても女神らしい台詞であった。

 女神エリスは幸運を司る女神だが、その物言いはむしろ癒しの女神のようである。

 うみみゃあとか絶対に言いそうにないな、とあなたは思った。

 

『それに私もずっとここにいるわけではないんです。時には他の者に代わってもらって、コッソリ……いえ、この話は止めておきましょう』

 

 非常に気になる所で止められてしまったが、大方こっそり地上に降りていると言いたかったのだろう。クリスと行動を共にする事のあるあなたに勘繰られるのは不味いと思ったのかもしれない。

 生憎あなたはクリスの正体を知っているし、女神エリスが地上に降りてやっている事が神器回収という名の盗賊稼業だという事も熟知しているわけだが。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなで時間は飛んで数日後。

 あなた達は無事に引越しを終え、新居に足を運んでいた。

 

 新築となったウィズの家と店はいい。

 あなたも中に入って見せてもらったが、ピカピカの壁や屋根といい、綺麗で広くて本当に住み心地が良さそうであった。

 職人達の仕事が随所に光っているのが一目で分かる。

 

 問題はあなたの引越し先である。

 

「なんというか……今度の俺達の家は随分とボロっちいなぁ、オイ」

 

 溜息を吐きながら言ったベルディアの言うとおり、あなたの新居は今まで住んでいた家と比較すると建ってから年数が経っており広さもかなり劣っていた。

 具体的には一階建てで、敷地もウィズの家の七割程の広さしかない。

 以前の住人は男一人暮らしだったので不足は無かったのだろうが、あなたとベルディアが住むと考えるとどうにも物足りないレベルだ。

 それでもあなたはこの家をこの世界における終の住み処と定めていた。

 ウィズが引っ越さない限りは、であるが。

 

「あの、本当に引っ越して良かったんですか?」

「言っちゃうのか。お前は荷物も運び終えた今になってそんな事を言っちゃうのか」

「だ、だってベルディアさん……」

「まあ、この家を見た後だとその気持ちは分からんでもないがな……」

 

 前の住人の手前直接口には出さないが、ウィズは明らかにグレードが落ちてしまったあなたの家について気まずい思いをしているようだ。

 確かにボロ家一歩手前の家とはいえ、あなたには秘策があった。

 一見するとごく普通の看板にしか見えないそれを取り出す。

 

「それは……」

「ハウスボードだな」

 

 そう、ハウスボードである。

 あなたはこれを使って思う存分家の床や壁といった内装を弄るつもりだった。これは以前の家でもやっていた事だ。

 アクセル全域がハウスボードの効果範囲内なので、当然引越し先でも使う事が可能である。

 いっそバレない程度に敷地を弄ってもいいかもしれない。バレなければ犯罪ではないのだ。

 

「えっと、じゃあ、もしよろしかったらですけど……こういうのはどうですか?」

 

 ハウスボードを使うのなら、とウィズが図を描きながら始めた提案に、あなたとベルディアは顔を見合わせる。

 あなたとしてはこれからは自分でしなければならない面倒な家事の事を考えると拒否する理由がこれっぽっちも無いが、しかしそれは。

 

「なあウィズ、それは今までと何が違うのだ? ……いや、確かに完全に同居だったのが半同居になるくらいの違いは俺もあると思うが、実質同居も同然だろ」

「……まあ、確かにあまり違いは無いですけど。今までお世話になったお礼とか全然出来てないですし……新しい家、私が一人で住むには少し広すぎますし」

 

 ウィズの行った提案とは、ハウスボードを使ってあなたの家とウィズの家の一部を繋げてウィズの家をあなた達も使う、というものであった。

 その代わりにあなた達の家をウィズも使うと言っているので、本当に何も変わらない。強いて今までと変化があるとすれば、居候が本格的な同居になり、多少あなた達とウィズの部屋が離れるくらいだろうか。

 そして実際に可能か不可能かで言えば、ハウスボードを使えば余裕で可能である。

 

「でもこれならそちらの家も広く使えますし、色々と便利になると思うんです。そちらの家のキッチンやお風呂を無くして、私の家の方で食べるとか入るとかすればいいわけですし」

「飯までか」

「どうせ一人分作るのも三人分作るのも同じですから。それで、どう……でしょうか?」

 

 マシロを抱きながら、瞳を不安げに揺らしウィズは問う。

 ベルディアは決定に関しては我関せずとあなたに丸投げする方針のようだ。しかしどこか期待している風でもある。

 

 どうするかと考え、ふとあなたの脳裏に過ぎったのは酔ったウィズの懇願と例の悪夢。

 きっと大事なのはどうするか、何が正しいのかではなく、己がどうしたいか、なのだろう。

 

 考えるまでも無い。答えは一瞬で出た。

 あなたは周囲に人の気配が無い事を確認し、ハウスボードを操作する。

 

 ハウスボードの効果によって音も無くあなたとウィズの家の壁の一部が崩れ、まるでずっとそうであったかのように互いの家を繋ぐ廊下が一瞬で出来上がった。

 

「こんなもんが巷に溢れたら大工はどいつもこいつも廃業だろうな……」

 

 感心したようにベルディアが呟く。

 日常的に街が更地になるノースティリスで大工などやってられないだろう。

 何しろ核や終末で作っては壊され、作っては壊されるのだから。

 

「えっと……これはつまり……?」

「これからもよろしくお願いしますって事だろ。なあご主人?」

 

 ベルディアの言葉にあなたは首肯しウィズに右手を差し出すと、右手ではなく両手で掴まれた。そのままブンブンと上下に動かされる。

 

「あっ……こ、こちらこそ、よろしくお願いしますね!」

「俺としてもまあ、毎食ウィズの飯が食えるのは喜ばしいといえば喜ばしいんだが……しかしこれからも()()が続くのか……さっさと行くところまで行っちゃえよもう……十代前半みたいな見てるこっちが恥ずかしくなるやり取りしやがってからに……いい加減お前等二人ともいい年だろ……やけに枯れてるご主人はともかくウィズは年齢考えろよ年齢……お前あれだぞ、直接的な原因の俺が言うのもなんだが、お前がリッチー化した時の年齢考えたら相当アレだからな? バニルが色々言いたくなる気持ちがよく分かるわ」

 

 ウィズの眩しい笑顔を見てあなたも表情を綻ばせると同時に、何故かベルディアが肩を落として背中を煤けさせ、ブツブツと何か言っていた。

 ウィズの笑顔に浄化されているのかもしれない。リッチーとは何だったのか。

 

 

 

 

 

 

 その後、あなたとウィズが家具の配置や部屋割りの分担、ハウスボードを使った家の改装案について話し合っている最中に来客があった。

 

「ふむ、やはりこうなったか」

 

 あなたとウィズの家を繋ぐ廊下を見て意味深な発言をしたのは、ウィズの友人にしてスポンサーであるバニルである。

 引越しの準備を行っている際、ウィズのいない所で彼にちゃんと最期まで責任をもってポンコツ店主の面倒を見るのだぞ、と言われたのは記憶に新しい。

 

「こんにちはバニルさん。そちらのお引越しはもう終わったんですか?」

「うむ。近隣住民との触れ合いを大事にする我輩は既にご近所様への挨拶回りも終えておる。今日は一応の耐久試験の結果を持ってきたのだ」

 

 バニルが懐から取り出したのはウィズが作った軽傷治癒のポーション、そしてポーションを様々な環境で放置した際の経過を記したレポートだ。バニルはウィズが作成したノースティリスのポーションに品質劣化が起きるかを調査していたのだ。

 あなたがウィズと二人でレポートを読み込むと、驚きの事実が記されていた。なんとバニルは魔界にもポーションを持ち込んでいたらしい。

 

「結果から言えば、どこに置いても品質の劣化はおろか変質すら確認出来ず仕舞いであった。お得意様の持ち込んだ器具のみに生産法が限定されておらねばポーション界に革命が起きたやもしれんな」

「道具の再現は出来なかったんですか?」

「お得意様が知っていれば可能であったのだろうがな。数が少ないならば少ないなりに売りようもある」

 

 勿論あなたは機材の作り方など知らない。

 ポーションは作れても、ポーションを作るための道具の作り方を知っている人間などそうはいないだろう。

 

「そうですか……ところで、私が作ったポーションを溶岩の中や魔界の瘴気溢れる沼地に沈めたって書かれてるんですけど」

「それくらいは当然であろう。だが流石に溶岩の中は無理があったな。瓶が一瞬で燃え尽きたわ」

 

 見通す力で分からなかったのか、という疑問が出てくるかもしれないが、バニルはあまりこの力を商売に使いたがらない。

 なんでも力で安易に金を稼ぐと必ず手痛いしっぺ返し……相応の代償を支払う必要が出るのだとか。何事も堅実が一番だと大悪魔らしからぬ発言をしていた。

 そしてバニルは堅実に稼いだ金を役に立たないガラクタを仕入れる事で吹き飛ばすウィズに頭を悩ませ、ガラクタを率先して買い漁るあなたを理解出来ずとも、お得意様と呼んでありがたがっている。

 

「溶岩はともかく、これなら売れそうですね」

「うむ。お得意様さまさまと言うべきか。チンピラ女神の所の小僧の商品はともかく、貴様が売りに出す中では初めてのマトモな商品であるな。……まさか我輩の目が黒い内にこのような日が来るとは夢にも思っておらなんだ。もしや我輩は覚めない悪夢でも見ているのでは……おい! 笑いながら我輩の仮面を剥がそうとするのを止めんかロクデナシ店主! おのれ、金づる……もといお得意様がやたらめったら甘やかすせいで店主の沸点が下がり若干イケイケだった頃に戻ってきておるではないか、どうしてくれるのだ!!」

「ば、バニルさん、昔の話は止めてください! あと全然戻ってませんから!!」

「ええい放さんか鬱陶しい!」

 

 突然仲良く取っ組み合いの喧嘩を始めたウィズとバニルを尻目に、あなたはレポートを読み進める。

 一通り目を通した感想としては、時間が停まっておらず、魔術的処置すら行っていないにもかかわらず一切劣化、変質しないポーションというものはあなたの想像以上に衝撃的なものだったようだ。

 

 欄外にはバニルや彼の配下である魔族と思わしき誰かが書いた、ポーションについての注釈や考察が書きこまれており、これまた非常に興味深い。

 バニルに無理矢理ポーションを飲まされた部下の愚痴まで書かれている。

 

 ウィズとバニルの話し合いの結果、軽傷治癒のポーションは一本三万エリスでこれを売る事になっている。

 この世界における効力が近しい、下級回復ポーションの相場よりは若干高い値段だが、こちらは使用期限が無い点が強みだ。

 それを思えば妥当な価格設定ではあるのだろう。他所のポーション店を潰すのはウィズの本意ではない。

 しかし使用期限が無いのと現状ポーションを作成可能な者がウィズのみという希少価値を鑑みても、たかだか軽傷治癒のポーション一つで安いパンが三百個買えるというのはあなたからすればちょっとありえないというか、完全にぼったくりである。

 何せノースティリスでは、軽傷治癒のポーションはそれこそ子供の駄賃で買えてしまう程度のはした金で売っているのだ。あなたの驚きは当然だった。

 命が軽く回復魔法を誰でも習得可能なノースティリスでは比例して傷を癒すポーションの価値も低く、命が重くプリーストが少ないこの世界はその逆という事なのだろう。ポーションの値段が命の値段だと思えばよく分かる。あなたは改めて彼我の世界観の差異に驚かされるのだった。

 

「バニル式殺人光線――!」

「ライト・オブ・セイバー!!」

 

 気付けば止める者のいない二人の喧嘩は激しくエスカレートしていた。

 名前からして非常に物騒な技をバニルが放ち、ウィズは眩い光の剣でそれを切り払う。

 あなたが贈ったマナタイトの指輪はちゃんと機能しているようで、以前見た時よりも明らかに魔法の威力が上がっていた。

 そして切り払った殺人光線の余波があなたの方に飛んできたので首を曲げて回避する。流れ弾はそのまま後ろの壁に直撃したが、壁には傷一つ無く穴も開いていなかった。殺人光線なだけあって人間にしか効果が無いのかもしれない。

 

「当たらなければどうという事はありません!」

「ちぃっ、無駄に動けるようになりおってからに!」

 

 それにしても、二人は実に楽しそうだ。

 室内で暴れるのは止めろと言いたいが、そろそろあなたの手が疼きだした。

 ウィズと積極的に喧嘩をする気は無かったが、自身と同等の力量の持ち主達が目の前で楽しく暴れているのを黙って見過ごすほどあなたは大人ではないし、このままではとても満足出来そうに無い。

 混ざっても良いだろうか。むしろ混ぜてもらいたい。是が非でも混ざるべきだ。そろそろまぜろよ。

 ウィズにつくのはアンフェアなので三竦みで行こう。三人で仲良く喧嘩(殺し合い)をしようではないか。バニルは残機多数の大悪魔であるしウィズもアンデッドの王のリッチーだ。相手にとって不足は無いどころかとびっきりの上物である。派手に楽しくドンパチする為、今までは控えていた核も終末も大盤振る舞いで解放する所存である。周囲の事など知った事では無い。

 あなた達にとって友人との喧嘩(殺し合い)はコミュニケーションツールの一種であり、娯楽である。そんな喧嘩(殺し合い)をするのは実に久しぶりだった。この世界では初めてだ。ブラボー。

 あなたは箍の外れかけた、餓えた野獣の表情で愛剣を呼び出した。笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点であるとは誰が言った言葉だったか。つまりそんな表情をしていた。

 

「おい馬鹿止めろ……止めろ。麻呂はもう我慢出来ないでおじゃる! とかヒャア! がまんできねぇ! 0だ! みたいな頭に虫が沸いてるとしか思えないヤバい顔した今のご主人が混ざったら本気で収拾が付かなくなるから絶対に止めろ。引越し早々家無き子とか笑い話にもならんから」

 

 騒ぎを聞きつけて現れたベルディアが愛剣を鞘から解放しようとするあなたの腕を掴んで首を横に振る。肩の上にマシロを乗せる彼はいつに無く真剣な顔つきであった。

 テンションを鎮火させ、ベルディアの言う事にも一理あるとあなたは渋々ながら剣を収める。そして混ざれないなら止めさせるとパンパンと手を叩いて二人の喧嘩を仲裁する事にした。

 

「す、すみません……つい……」

 

 止めても二人が喧嘩を続行するのであれば今度こそ混ざるつもりだったのだが、二人はあっという間に矛を収めてしまった。あなたからしてみれば実に不満足な結果である。

 

 

 

 ――――かくしてアクセルが人っ子一人いなくなって更地になる悲劇(喜劇)は、その一歩手前で一人のデュラハンの手によって食い止められたのであった。

 

 

 

「なんだろう、俺今世界を救った気がするぞ。元魔王軍幹部なのにな。とりあえずご主人は二人の喧嘩に混ざれなかったからって露骨に不満そうに俺を見ながら舌打ちするのを止めろこのイカレポンチ」

 

 

 

 

 

 

 そして、長かった冬が終わり春がやってくる。

 雪は解け、冬将軍はどこかに引っ込み、ジャイアントトードや一撃熊が元気に冬眠から覚めてモンスターに殺される人間を担当する女神エリスは大忙し、草木も青々と茂る出会いと別れの季節。

 

 そんな、退屈で燻っていた各地の冒険者が一斉に活動を再開し始めたある日の事。

 

 無給はウィズの気が咎めるとの事で、時給100エリスのバイトで新装開店間近なウィズの店の呼び込みチラシを黙々と作成していたあなたの新居に珍しい来客があった。

 

「反則! こんなのは反則でとんだ裏切り行為ですよこのぐうの音も出ない畜生め! なんですかレベル37って、レギュレーション違反という言葉があなたの辞書には無いんですか! 私みたいな14歳になったばっかりの子供にマジになっちゃって大人気ないとは思わないんですか!? 聞いてるんですか仕舞いにゃ爆裂魔法でぶっ飛ばしますよ!!」

 

 あなたには全く身に覚えの無い不穏な発言と共にあなたの家に押しかけてきたのは半泣きのめぐみん、そして彼女の後ろでおどおどしながらも私頑張りました、とばかりにこっそりあなたにダブルピースを決める、最近レベルが37に上がってテレポートを習得したゆんゆんであった。



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第52話 頭がおかしくない廃人などいない

 それは、二人があなたの家を訪れるほんの少し前の話。

 

「勝負よめぐみん! 今日こそあなたに勝ってみせるわ!」

「おや、久しぶりですね。確か前回はジャイアントトードの粘液でネトネトになって半べそかいて逃げたんでしたっけか」

「ネトネトになったのはお互い様でしょ!? というか粘液塗れで寝技しかけてきためぐみんのせいじゃない!」

 

 軽く会話のジャブを放ちつつ、いつも通りに強かなめぐみんは自分が勝つ自信のある勝負を持ちかけた。

 

「ふむ……じゃあ今日はレベルで勝負です」

「レベル?」

「そうです。ちなみにデストロイヤーに続いて魔王の幹部であるバニルを退治し、更に大幅にレベルアップした私のレベルは……」

「い、幾つになったの……?」

「見たいですか? ふふん、いいですよ?」

 

 渾身のドヤ顔で自身の冒険者カードを見せびらかすめぐみん。

 現在のめぐみんは駆け出しではなく最早中堅冒険者のレベルであり、中堅とはいえここまでレベルを上げるには一般的な冒険者であれば軽く数年は必要になる。

 めぐみんが冒険者になって一年も経っていない事を考えれば、女神アクアに派遣された転生者のように強力な能力や装備無しの冒険者としては異例のスピードである。

 そんなめぐみんを前に、ゆんゆんは俯いて肩を震わせ始めた。

 

「ふ、ふふふっ! うふふふふふ!」

「な、なんですかいきなり。気持ち悪い笑い方をして」

「めぐみん、今回は私の勝ちみたいね! これを見てみなさい!」

「……んなあっ!?」

 

 目を剥き驚きの声をあげためぐみん。

 どこからともなくゆんゆんが取り出したのは、自身の冒険者カード。

 そのレベルの部分に刻まれているのは燦然と輝く、37という数値。

 レベル37。レベル37である。言うまでもないがめぐみんは負けていた。それも大差をつけられて。

 

「あの魔剣使いの……なんでしたっけ。まあ名前はともかく、低レベル冒険者のカズマにワンパンで負けた魔剣使いのナントカさんと同じレベル……だと……!?」

「誰の事言ってるの?」

 

 王都でも有名な魔剣の勇者ミツルギは出会いと印象が最悪だったせいもあってめぐみんに名前を完全に忘れられていたが、それでもその高いレベルだけは覚えられていた。

 さておき、めぐみんが中堅ならゆんゆんは王都で活躍するような、押しも押されぬ上級冒険者だ。めぐみんのレベルアップ速度が異例なら、ゆんゆんのそれは異常。女神の力添えがあってもまともではないと断言出来るスピードである。

 更に紅魔族という生まれつき優秀な種族の中でも指折りに優秀なゆんゆんであれば、平均的なレベル40台後半の冒険者と比較しても何ら遜色無い能力値ですらあった。

 

「私の記憶が確かなら、貴女はデストロイヤー戦の後に上級魔法を覚えたばかりでレベルも20くらいだった筈。それがテレポートまで習得しているとはどんなインチキを!?」

「い、インチキなんかじゃないわ! 修行……修行かな? うん、これが修行の成果よ!」

「修行? ボッチのゆんゆんが危険な冬にどこで修行したと――――!!」

 

 その瞬間、めぐみんの脳裏に電流が走る。

 

(そういえばこの前、カズマや頭のおかしいのと一緒に鉱山街に行った時、ゆんゆんは買出しに行くだけの筈だったのに完全武装でした。まるで依頼やダンジョンに行くかのように……!)

 

 震える声を必死に抑え、確認の為に問いかけた。

 

「ゆんゆん、貴女まさか、あの頭のおかしいのに……!」

「ふっふっふ、バレちゃ仕方ないわ。そう、実は私は冬の間、ずっとあの人とウィズさんに修行をつけてもらっていたの! めぐみんに勝つ為にね!」

「なん……だと……!?」

 

 アクセルのエースこと頭のおかしいエレメンタルナイトと、現段階では自分以上の爆裂魔法を使う凄腕アークウィザードにしてアンデッドの王、リッチー。

 誰もが認めるこの街のツートップにあろう事か自身のライバルが師事していたと聞き、めぐみんは視界がぐらついた。なんたる暴挙。斯様な狼藉は許しておけぬとめぐみんの魂が義憤で吼えた。

 

「レベルに関してはあの日、めぐみんと別れた後にダンジョンで養殖で上げてもらったわ! 実は養殖やってた時の事は途中から全く覚えてないんだけど!」

「い……インチキ! こんなのインチキですよ! 訴えてやる!」

「ちょっ、どこ行くのめぐみん!?」

「憎い憎いアンチクショウにクレーム入れてやるに決まってるじゃないですか!」

 

 言葉に出来ない原因不明の謎の憤りに身を任せ、勢いよく駆け出すめぐみん。

 勿論向かう先は最近魔法道具店の隣に引っ越したとかいう、頭のおかしいエレメンタルナイトの住処だ。

 

 

 

 

 

 

 ギャンギャンとインチキだの訴えてやるだのと意味不明な事を喚くめぐみんを落ち着かせてゆんゆんに事情を聞いた所、以上のような答えが返ってきた。

 

「というわけで保護者にクレームに来たわけです」

「すみません、めぐみんがご迷惑を……」

「しれっと私を悪者にするのはやめてもらおうか」

「いや、人の家に怒鳴り込むのは普通に悪者だと思うんだけど」

 

 なるほど、話はよく分かったとあなたは頷く。

 だが見て分かるように、今のあなたはチラシ作りに忙しいのだ。

 暫く二人で遊んでいてもらいたいとそっけなく作業に戻る。

 

「い、今忙しいから後で!? あなたは私と作業のどっちが大事なんですか!?」

 

 力強くテーブルを叩いて吼えるめぐみん。

 本人にその気は無いのだろうが、彼女のその発言は大抵の男がげんなりするであろうめんどくさい女丸出しであった。

 そしてめぐみんの話とウィズの店の手伝いのどちらが大事と聞かれれば、勿論ウィズの店の手伝いだ。

 これがウィズと作業の比較だったならば即答でウィズが大事だと答える所なのだが。

 

「溜息!? よりにもよって溜息をつきやがりましたねこの野郎! しかもそんなめんどくさそうに!! しっしっ……じゃないんですよせめてこっちを見なさいよオイこらぁ!!」

 

 マナタイト製の杖で殴りかかってきたので窃盗で奪い取る。

 勿論めぐみんを視界から外したまま。

 しかしめんどくさそうにと言うが、実際めんどくさいので仕方無い。

 

「す、スティール無しにスリとか無駄に器用な真似をしますね……しかも私の方を見ないままでとか手癖の悪い。後私の杖を返してください」

 

 屋内で長物を持って暴れられると家具が壊れて迷惑なので後で返すと拒否する。

 暴れるくらい元気かつ暇なら作業を手伝ってくれてもいいのだが。

 

「あの、私の気のせいかもしれないですけど。めぐみんへの対応が普通より雑じゃないですか? いい意味でというか、気楽というか」

 

 大体合っているとあなたはゆんゆんの疑問を肯定した。

 打てば響く元気のよさも相まって、めぐみんは友人でもましてや遊び相手でもないが、あなたは自身を宿敵と定め、遠慮なく突っかかってくる彼女の事を多少雑に扱ってもいい相手だと勝手に決めているのだ。

 実際あなたは彼女の相手をするのは嫌いではないし、気が楽だったりする。それはそれとして今忙しいのも本当なのでめんどくさいのに変わりは無いのだが。

 

「ぶっころ」

「めぐみん!?」

 

 何故か突然興奮して今度はグーで殴りかかってきた素直になれない可愛い妹的存在、もとい暴力アークウィザードの頭をトレードマークの帽子の上から片手で押さえつける事でその場に縫い付ける。

 必死にあなたの拘束を解こうと試みるめぐみんだが、圧倒的体格差とステータス差でそれは叶わない。

 相手が幾ら不世出の天才魔法使いといえど、純後衛の子供に腕力で負けるほどあなたは弱くないのだ。

 

「ちょっ、頭押さえないでください! 殴れないじゃないですか!」

 

 はいはい可愛い可愛い、と笑いながらそのまま小さな頭を前後左右に揺らす。

 めぐみんの細く白い首を痛めないようにするあなたの絶妙な力加減が光って唸る。

 

「ちょ、め、目が回……やめ……やめろぉー! 髪がぐしゃぐしゃになります! セクハラで出る所に出てもいいんですよ!? そして勝ちますよ私は!! 後で吠え面かいても知りませんよ!?」

「……めぐみん、なんか構ってもらえて嬉しそうね」

「節穴ですかこのアンポンタン! これのどこが嬉しそうに見えると!? 私をぼっちで構ってちゃんのゆんゆんと一緒にしないでもらいあああああああだから揺するのを止めろと何度言えば!?」

 

 

 

 

 

 

 何度あしらっても全く引かないめぐみんがうるさいのであなたは仕方なく一時作業を中断する事にした。

 別室でポーションを作っていたウィズが騒ぎを聞きつけ、私はいいのでめぐみんさんを優先してあげてくださいと言ったのも大いに関係している。

 

 まあ、あなたにも同じような経験があるので友人にしてライバルであるゆんゆんにレベルで大きく水をあけられためぐみんの気持ちと悔しさは理解出来る。

 悔しさをバネに努力を積むのも強くなる為には大事だ。今まさにゆんゆんがやっているように。

 

 しかしゆんゆんはあなたに鍛えてほしいという依頼を出し、あなたはそれを受けただけに過ぎない。

 あなたが彼女を鍛えたのはあくまでも冒険者としての活動の一環であり、めぐみんに対する当てつけのつもりはこれっぽっちもなく、報酬も先払いでちゃんと受け取っている。

 

 そういうわけなのだが、めぐみんは一体あなたにどうしてほしいのだろうか。

 めぐみんとは顔見知り程度でしかないウィズがどうするかは知らないが、あなたはゆんゆんと同様に修行をつけてほしいのならば応えるつもりだった。

 その場合はゆんゆんと同じく、最低でも数百万エリスの現金か値段相当の品を用意してもらうが。

 

「見損なわないでください。宿敵に鍛えてもらうほど私は落ちぶれていません」

 

 ではまさか精神的苦痛を味わったので慰謝料でも寄越せと言うのか。

 もしそうなら笑いながらおとといきやがれとしか言えない。

 

「金、金、金! アクセルのエースとして恥ずかしくないんですか!」

 

 冒険者以外の発言は認めない。

 

「おのれ……いや、ちょっと待ってください。私も冒険者なんですけど」

 

 だからめぐみんの発言を認めると言っているではないか、とあなたは不思議そうな顔をした。

 

「ええい紛らわしい。って私が言いたいのはそういうのではなく……なんていうか……そう! ズルいじゃないですか! 強いモンスターしかいない冬だろうが普通に討伐依頼を片っ端からこなしていくような頭のおかしいのと養殖とか!」

 

 ズルいと言われてもゆんゆんはめぐみんに勝ちたいから鍛えてほしいという依頼を出し、自分はそれを受け入れ、ゆんゆんがめぐみんに勝てるように修行をつけただけであるとあなたは先ほどの主張を再度繰り返した。

 ゆんゆんはゆんゆんで相応の対価を支払い、養殖という促成栽培のパワーレベリングだけでなくしっかり努力して技術も磨いている。

 

「しかしずっと私に秘密にしていたというのが気に入りません。アンフェアです。ゆんゆんがあなたの家に入り浸ってると知っていたら私だってもっとカズマの尻を蹴っ飛ばして修行してました。あなたは私達の関係を知っているのですから、普通は一言くらいあってもいいのでは?」

「えっとね、めぐみん。それは……」

 

 今日まで彼女に修行の件を伏せていたのは、ゆんゆんがそれを望んだからだ。

 曰く、強くなった自分を見せてめぐみんを驚かせたいと。

 

「驚きましたよ。ええ、そりゃあもう驚きましたとも。ゆんゆんの裏切り者め……貴女はそんな卑劣な人間ではないと信じていたんですがね……」

「ええっ!? 私そこまで酷い事言われるような事した!?」

「しました」

 

 ぎろりとゆんゆんを睨みつけながら怨嗟の声をあげるめぐみんは地味に大人気ない。

 あなたがそれを言いますか、というめぐみんの声が聞こえた気がしたが無視する。

 まあめぐみんはゆんゆんのようにソロの冒険者ではない。ようやく春になったのだし、カズマ少年達と楽しくレベリングに勤しめばいい。

 

「ぐぬぬ……バニル討伐の賞金で借金が無くなったせいで、カズマもアクアも相変わらずグータラしたままなのですが。確かにそろそろケツを引っ叩いてもいい頃合いですか」

 

 自身が理不尽な事を言っていると理解しているのだろう。

 やがて諦めたようにめぐみんは溜息を吐き、ゆんゆんに向き直った。

 

「ゆんゆん、これで勝ったと思わない事ですね! 我が爆裂魔法は世界一! ちょっとレベルが上になったからっていい気になってもらっては困りますよ! 私はすぐに追いついてみせます!」

「勿論よめぐみん! レベルで上回ったからって本当の意味で貴女に勝ったとは思っていないわ! これからも私は貴女に挑み続ける!」

 

 新たに決意表明するめぐみんと、嬉々としてそれを受け入れるゆんゆん。

 やはり二人にとって勝負は大事なコミュニケーションなのだろう。遊びで命を奪い合いこそしないが、あなた達と同じように。

 少女達のやりとりを眺めて微笑ましい気分になりながらも、あなたは今は会う術の無いノースティリスの畜生揃いの友人達に想いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 作業を再開しながら仲良く雑談を交わすあなた達だったが、ふとレベルの話になった。

 現在ゆんゆんのレベルは37なわけだが、それに負けためぐみんは今どれくらいのレベルなのだろうか。

 

「……24です」

 

 自分の冒険者カードを見せながら、若干悔しそうに言っためぐみんのレベルは確かに24だった。

 ステータスに関しては筋力や生命力は低空飛行だったが、それ以外の数値についてはそこそこバランスが良い。流石紅魔族といった所だ。

 中でも特筆すべきは魔力だろう。紅魔族随一の天才アークウィザードの名に相応しく文字通り桁が違う凄まじい数値を叩き出していた。

 次いで知力もかなりの高さである。

 

 総じて、めぐみんの能力はおよそ考え得る限りこの世界における理想的な後衛と呼べるだろう。

 ゆんゆんやウィズのように自身が前に立って戦う事は叶わずとも、今のレベルでも彼女に比肩する魔法使いはそういないのではないだろうか。

 対してライバルのゆんゆんのステータスバランスはめぐみんの突出した魔力を削って筋力と生命力、敏捷にバランスよく割り振った形になっている。

 二人とも同年代では確実に頭一つ以上抜けている。共に将来が実に楽しみな少女達だった。

 

 あなたは素直に称賛を送った。

 

「そ、そうですか? まあ私は紅魔族随一のアークウィザードなので当然ですが、そこまで言われて悪い気はしませんね」

「めぐみん、顔がにやけてるよ? 褒めてもらえてそんなに嬉しかったの?」

「目と脳の錯覚では?」

 

 だからこそ、彼女が爆裂魔法しか習得していないのが悔やまれる。

 爆裂魔法が素晴らしい魔法である事に疑いは無い。

 そしてその才覚と努力の全てを爆裂魔法の一撃に捧げるめぐみんの壮絶な覚悟には敬意を表するが、やはり一撃でダウンして小回りが利かない彼女は残念としか言えない。

 核にも似た彼女の運用方法自体は幾つも思い浮かぶが、それなら爆裂魔法以外のスキルを多数習得していてステータスも廃人級、爆裂魔法の威力もめぐみんより高いウィズに助力を頼みたいというのがあなたの偽らざる本音である。

 

「おい、まだレベル24の私とウィズを比較するのは止めてもらおうか」

 

 あなたが笑顔でそう締め括ると、めぐみんは頬をひくつかせあなたの脛を蹴ってきた。地味に痛い。

 だが確かにめぐみんの言うとおりだ。中堅レベルと廃人級、比較対象が間違っていたかもしれない。

 

「そもそもこういう場合、私と比較すべきはゆんゆんだと思いませんか?」

 

 唐突に水を向けられ、ゆんゆんは自身を指差した。

 

「え、私?」

「当たり前じゃないですか。……それで、あなたはゆんゆんと私、どっちを選ぶんですか?」

「ねえめぐみん大丈夫!? 今のって物凄く意味深な発言な気がするんだけど本当に大丈夫!?」

「……はあ? 何ですか藪から棒に。私はただパーティーを組むならどっちがいいか聞いてるだけじゃないですか」

 

 めぐみんとゆんゆん、どちらを選ぶのかと聞かれても困りものだ。

 どちらにせよレベルそのものが足りていないので、二人ともあなたがパーティーを組む主な理由である玄武や冬将軍のような超級の相手とは戦わせられない。

 

「そんな事は分かっています。それでも選ぶとしたらどっちかと私は聞いているんですよ」

 

 二人のどちらを選ぶかと聞かれれば、時と場合による、としかあなたには答えられなかった。

 大軍や単体の強敵を相手にするならめぐみん、ダンジョンに潜る時のように継続的に戦闘を行うならゆんゆんといったように。

 ウィズのようなごく一部の例外を除き、他の追随を許さない圧倒的な火力を誇るがワンパンで戦闘続行不可能を通り越して身動き一つ取れなくなるめぐみん。

 体術も一通り修め、全体的に優秀な能力を持ち汎用性も高いものの、あなたもウィズも持っている、己が信を置く高火力の攻撃を持たないゆんゆん。

 どちらもあなたから見れば一長一短である。

 

「やれやれ、面白みの無い玉虫色の回答ですね」

「め、めぐみん……そこまで言わなくても……」

 

 まあゆんゆんが爆裂魔法に忌避感を抱いていない以上、レベルドレインと養殖を繰り返して爆裂魔法を取得すればそこは解決するわけだが。

 ところで話は変わるが、ここにレベルが下がるポーションがあるのだがどちらか飲まないだろうか。希少な代物だが数はそこそこ揃えているので飲みたかったら三本くらいなら飲んでいいとあなたは言った。

 

「レベルダウンのポーション!? 絶対嫌ですよそんなの!!」

「他人にレベルを下げろとか言う人間を私は初めて見ました」

 

 ゆんゆんは強い拒絶を示し、めぐみんはあなたにドン引きしている。

 味は美味しいとは言えないが、悪いとも言えないので普通に幾らでも飲めるのだが。

 

「いえ、味を気にしているわけではなくて……それはともかく絶対に飲みませんからね?」

「飲むわけないでしょう、常識的に考えて」

 

 あなたがどこからともなく取り出した下落のポーションをすげなく拒否する二人。

 やれやれ、まったく紅魔族はワガママだとあなたは肩を竦めた。

 この世界の人間はレベルが下がる事に生理的に忌避感を抱くのは知っているが、願いの杖が使えないこの世界のスキル育成の効率においてレベルドレインと下落転生の右に並ぶものは無いというのに。

 強くなるためならば多少の忌避感など飲み込んで然るべきではないだろうか。レベルが下がったからといっても、別に死ぬわけでも精神が崩壊するわけでもないのだから。

 

「ええ……ねえめぐみん、これって私達が悪いの……?」

「そんなわけないでしょう。百人中九十九人、それこそこの頭のおかしいの以外は皆私達が正しいと断言しますよ。レベルダウンのポーションは自分で飲んでください」

 

 白い目であなたにそういっためぐみんに、自分はもう何度も嘔吐しながら飲んだ後だとあなたは答えた。

 といってもあなたが下落のポーションをガブ飲みしてレベルを下げたのは二人の知らない異世界、ノースティリスでの話なのだが。そして今のあなたが再びレベルを1に戻して下落転生を行うには数千本の下落のポーションが必要になってしまう。調達自体は時間をかければ可能なのだが、それは効率的ではない。

 そんなわけで調査を兼ねて誰か適当な人物に下落のポーションを飲ませようと思っていたのだが、気付けば二人の紅魔族の少女達があなたを見る目が、何故か駆け出し冒険者が初めて廃人同士の戦闘を見た時特有の理解出来ないモノを見るそれになっていた。

 

 特に理由は無い。理由は無いがあなたは無表情でマレイロンを取り出して二人に差し出した。

 

「なんですか、これ」

 

 マレイロンとは食べると魔力と意志が上がる食用のハーブである。

 レベルや他の能力が下がったりはしないしその他の副作用も無いのは保障するとあなたが告げると、二人はおっかなびっくりハーブを受け取った。

 

「食べるだけで魔力が上がるって、また胡散臭いものを出してきやがりましたね。レベルダウンのポーションといい、どこで見つけてくるんですかそういうの」

「あ、でも凄くいい匂いがする」

 

 ハーブなので香りがいいのは当然だ。

 一見すると普通の草にしか見えないが、生で丸齧りする為のものなので騙されたと思って食べてみてほしい。

 

「……まあ、魔力が上がるというのであれば」

「私もいただきます」

 

 もしゃもしゃとマレイロンを食むめぐみんとゆんゆん。

 あなたはぽつりと呟いた。

 

 

 

 ……本当に食べてしまったのか?

 

 

 

「? ――――んぐっ!?」

「ゴホッ! た、謀りましたねこの下郎……! ……み、水……!」

 

 刹那、二人の顔色が青に変わり苦虫を噛み潰したような表情になった。

 あなたがニヤリと邪悪な笑顔でクリエイトウォーターでコップに水を注ぐと、二人はそのままひったくって勢いよく一気飲みした。ハーブを吐き出さなかったのは幸いである。

 なんて物を食べさせたのか、と言われるかもしれないが、本当にハーブは生食でないと効果が無いのだ。

 ちなみにこのマレイロンは生のまま齧ると酸味に近い苦味がする。

 率直に言ってゲロマズである。あなたは食べ慣れているが。

 

「何しれっとゲロマズとか言ってるんですか!」

「こ、これ……胡椒や唐辛子みたいな、香辛料とかそういうものなのでは……?」

 

 涙目のゆんゆんの言うとおり、生食に向いていない味なのは確かだった。

 して、ノースティリスの冒険者達を悪い意味で唸らせるハーブの味の感想は。

 

「味? 辛くて苦しいです。……分かりますか? つらくて、くるしいんですよ!」

「二度と食べたくないです……」

「これでステータス上がってなかったら本気で爆裂魔法ぶち込みますから覚悟してください」

 

 さもあらん。ハーブ類が健康にいいのは確かなのだが味はお察しである。

 だが能力が上がるのは嘘ではないのだ。嘘だと思うのならステータスカードを見てみればいいとあなたは促した。

 

「あ、ちょっとだけど本当に魔力が上がってる……えぇー……」

「私もですが、激しく納得いきません。そりゃあ確かにあれを食べたら意志が上がるのも当たり前っていう味でしたが、どうしてあなたはこんなものを私達に食べさせたんですか」

 

 なんとなくである。

 特に理由は無い。

 

「絶対嘘ですよね!?」

 

 まあ嘘なのだが。

 ついカっとなってやった。後悔も反省もしていないし満足している。

 

 ハーブの味に関しては舌直しに他の料理と一緒に食べるのが正解なのだろうが、ストマフィリア以外のハーブ類はドカ食いしてなんぼの食料なので結果的にノースティリスの冒険者達は自然と味覚への拷問耐性を習得する事になる。

 かくいうあなたも適当なネフィアに潜り、体力と生命力が回復する武器を使って分裂モンスターを吊るしたサンドバッグを数ヶ月ぶっ続けで飲まず食わず眠らず休まずで餓死と擬似的な不眠状態になりながら殴って過ごし、その後ハーブをしこたま腹に詰め込んだ経験や、やはり数ヶ月に渡り不眠不休で終末狩りをし続けた経験がある。それも何度も。

 あれらはいっそ恐ろしいまでの成長効率を叩き出すのだが、慣れていないと精神が死ぬので注意が必要だ。あなたも最初にやった時は一ヶ月ほどエーテル病の殺戮への餓えも相まって、動くもの全てに襲い掛かるなど精神汚染が酷い事になった。何回死んでも止まらないあなたに業を煮やした友人達に、よってたかって半殺しにされ、サンドバッグに吊るされたのはあの時が初めてだ。

 健全な精神と肉体が資本の冒険者は適度な食事と睡眠を疎かにしてはいけない。

 

 まあ、己の身命の全てを終わりの無い闘争に捧げ、心を砕く事で見えてくる境地と得る力があるというのも事実なわけだが。更に死に慣れたノースティリスの冒険者はどんな無茶だろうとやってしまえる。

 そんなものが健全かはさておき、少なくともあなたは今の自分に対して後悔だけはしていなかった。

 

 

 

 ちなみにあなたはこの後、言葉巧みに嫌がらせ目的でゲロマズのハーブを二人に食べさせた事をウィズにバラされてお説教を食らうわけだが、そちらの件についてもあなたは後悔だけはしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなでチラシ作りの作業を終えたあなたは街に繰り出す事にした。

 目的は勿論ウィズの店のビラ配りだ。

 

 最初はウィズもチラシを作っていたのだが、バニルに頼むからチラシ作りはお得意様と我輩に任せ、汝は売り物のポーションを作っているがよいと懇願されていた。

 ちなみにウィズが最初に作成したチラシはこんな感じであった。

 

 ――激安激ヤバ即ゲット!

 ――新装開店、嵐の1week!

 ――by『ウィズ魔法店』

 

 言葉選びのセンスもさることながら、これが血文字としか思えない赤黒い文字かつ恐ろしい書体で書かれていたのだから堪らない。あなたにはリッチーの凶悪な呪いが篭められた怪文書としか思えなかった。

 

 本人曰く渾身の出来だったらしいが、確かに激ヤバである。これで本当に満員御礼になると思っているウィズの頭とセンスが激ヤバだ。どう見ても自身の店へのネガティブキャンペーンである。

 怖いもの見たさで客は集まるかもしれないが、ウィズはなんというかもう本当に駄目駄目である。わざとやっているのだろうかと邪推したくなるくらい商売に関しては駄目駄目だった。

 ドヤ顔のウィズはとても可愛かったが、差し出したチラシを見た瞬間、バニルは即座にチラシを奪い取って燃え盛る暖炉に放り込んだ。ウィズはショックを受けていたが当たり前だ。誰だってそうする。あなただってそうする。

 

「それで、どこでチラシを配るんですか?」

 

 興味があったのか、あなたに付いてきたゆんゆんがそう言った。

 ちなみにめぐみんもゆんゆんに同行する形で付いてきている。

 

 そしてゆんゆんの問いへの答えだが、あなたは人通りの最も多い中央広場で行動するつもりだった。

 多数の露店が軒を連ね、パフォーマーが人目を集めるあそこであればうってつけだろう。

 

「何をするかは分かりませんが、あなたが持ってるそのケースの中の物を使うんですか? というか何が入ってるんです?」

 

 あなたが持ち出したのは愛器である一挺のヴァイオリンである。

 これを使って人を集め、チラシを配る予定なのだ。

 

「楽器まで弾けるんですかあなたは」

「いいですよね、音楽って。私はそういった芸術的な趣味を持ってないのでちょっと羨ましいです」

 

 羨望の目であなたを見つめるゆんゆんだが、彼女は若いのだし今からでも練習しても遅くはないのではないだろうか。

 あとノースティリスの冒険者にとって演奏は断じて趣味ではない。

 己の安い命を賭けた立派な戦いである。

 

 

 

 

 

 

 ――頭のおかしいエレメンタルナイトと頭のおかしい爆裂娘が来たぞ……。

 ――やべえな、頭のおかしいエレメンタルナイトと頭のおかしい爆裂娘が揃い踏みとか何が起きるんだ。

 ――おい、今すぐここから離れようぜ。いきなり爆発するかもしれん。

 ――頭のおかしい二人の隣にいる女の子、可哀想にな。これからどんな目に遭わされるんだろう。

 ――ストッパーは? 店主さんはいないのか?

 ――エレウィズキテナイ……。

 

 

 広場にやってきたあなた達だったが、なにやら様子がおかしい。

 

「おかしいですね。一気に人気が無くなりました」

 

 めぐみんの言うとおり、あなた達が広場に足を踏み入れると、蜘蛛の子を散らすように人がいなくなり、広場はあっという間に閑散としてしまった。

 パフォーマーもどこかに散っていってしまい、露店もそんな時間でないのに一気に店じまいを始めている。もしかしたらこの場でノースティリスのようにジェノサイドパーティーを開いたらどうなるのだろう、と考えたのがいけなかったのかもしれない。

 

「むう、確かにこんな景色のいい広い場所で爆裂魔法を使ったらどうなるかと思わないでもないですが……ゆんゆん、どうしました?」

「多分皆は二人が一緒だから……ううん、なんでもない」

「おかしなゆんゆんですね、まあいつもの事ですが」

 

 何故かゆんゆんは微妙な顔であなたとめぐみんを見つめていた。

 若干予定は狂ってしまったが、あなたがやる事は何も変わらない。なあに、静かになったと思えばかえって都合がいい。

 人がいなくなったのなら集めればいいのだ。演奏で人を集めるのは演奏家の得意とする所である。あなたは楽器ケースに手をかけ、愛器を取り出す。

 

「なんというかこう、世界最高のヴァイオリンって感じですね」

「うん、世界最高のヴァイオリンって感じです」

 

 旅の吟遊詩人から巻き上げたあなたの愛器、ストラディバリウスを見て二人はそう評した。

 一応今日の為にシェルターの中で腕が錆び付いていないか確認する為に演奏したが、それでもこの世界の人前で演奏するのはこれが初めてだ。

 だが歴戦の冒険者であると同時に演奏家でもあるあなたの心に不安は無く、どんな場所であろうとも演奏に手を抜くつもりは無い。友人も仲間もいないたった一人の演奏会だが、不足は無い。

 

 慣れた手つきで弓を持ち、本体を構える。

 あなたの纏う雰囲気が本気の時のそれに変化した事を理解し、傍で見ている二人が息を呑んだ。

 

 

 かくして廃人の、廃人による、ウィズの為の演奏が始まった。

 

 

 

 

 

 

 その日、女神アクアは暖かくなってきたアクセルの街をぶらぶらと散策している最中であった。

 借金がチャラになり、纏まったお金も手に入り、誰に気兼ねするでもなくダラダラする毎日は最高だったが、それでも時々退屈になるのも確かだった。

 

「そーいえば、そろそろウィズの店がオープンするんだっけ。ちょっと暇潰しに冷やかしに行ってみてもいいかもね」

 

 ついでにあの忌々しい悪魔を滅殺するのも悪くない。

 などと不穏極まりない事を考えていると、どこからか何かが聞こえてきた。足を止めて耳を澄ませる。

 

「うん……? 何かしらこれ。演奏……? 広場の方から聞こえてくるみたい」

 

 ふと気になった女神アクアは暇潰しを兼ねて、音楽が聞こえてくる方に足を向ける事にした。

 やはり広場で演奏しているようで、音は少しずつ大きくなってくる。

 

「しかしこいつ、やけに上手いわね。この私に感心させるなんて何者なのかしら」

 

 

 

 

 果たして、謎の演奏の会場は広場であった。

 

「ええ……何なのこれ」

 

 思わずといった風に呟く女神アクア。

 

 広場の中央、演奏を聴きつけて集まってきた数多の聴衆は皆一様に一言も発さずに感動の涙を流し聞き入っており、彼らの中央では飛んできた様々なおひねりで埋もれかけながらも演奏を止めない、美味しいお酒を贈ってくれる知り合いの姿が。

 

「新手の邪神召喚の儀式? あ、めぐみんもいる」

 

 凄まじく異様な光景であった。

 弦と弓が奏でる天上の調べは女神アクアをして諸手で喝采したくなるほどの至極の魔技であったが、目の前の光景が異様すぎて全く音楽にのめり込めない。

 

「…………」

 

 のめりこめないが、それでも演奏を聴いていると自然と女神アクアの体が疼きだした。

 確かに素晴らしい演奏だ。天界であってもあれほどの奏者はそういないだろう。演奏の神が知れば即スカウトに動く事請け合いだ。それは認める。

 

 だが、しかし。

 

「足りない……そう、あの演奏には足りないものがあるわ……! 美しい私がいればもっと完璧になるのに……!」

 

 自然と足が速くなる。

 向かうは広場の中央、頭のおかしい演奏者。

 気配を感じ取ったのか、奏者と女神の視線が交錯した。

 

「ちょっとちょっと、随分と楽しそうな事やってるじゃない! 私も混ぜなさいよ!!」

 

 数多の宴会芸を引っさげ、水の女神は満面の笑みを浮かべて演奏会に乱入した。

 

 

 

 

 

 

「あ、お帰りなさい……あなたはどこで何をやってきたんですか!?」

 

 女神アクアの乱入というちょっとしたハプニングこそあったものの、無事に演奏とチラシ配りを終えて帰宅したあなたを出迎えたウィズだったが、あなたが荷台を引いて持って帰った大量のおひねりを見て悲鳴にも似た大声をあげた。

 演奏中に飛んできたおひねりは野菜や果物といった食べ物から高価な宝石、各種装備品、現金と多岐に渡り、全てを換金すればかなりの額に及ぶ事は想像に難くない。

 あなたの横であなたの演奏に負けず劣らずの素晴らしい芸の数々を披露し、場を更に盛り上げた女神アクアはあなたと違っておひねりを一切受け取らなかったのであなたが全部おひねりを回収した結果、このような事になってしまったのだ。

 

「もう演奏家として食べていけるのでは?」

 

 事の顛末を聞かされ、ウィズは呆れたようにそう言った。

 彼女の言うとおり、あなたは演奏家として食べていけるだろう。

 久しぶりだったが、実際に人前で演奏をするのはやはり楽しいとも思う。

 しかしあなたは食っていく為に冒険者をやっているわけではないのでその案は却下である。あなたは生涯冒険者でやっていくと決めているのだ。

 

「……ふふっ、あなたならなんとなくそう言うと思ってました。もしよろしければ、私にもあなたの演奏を聞かせてもらえますか?」

 

 ウィズのささやかな願いにあなたは快諾し、今度は二人だけの演奏会が幕を開ける。

 

 演奏を行いながら、自身の予想外に聴衆が集まったのは驚いたものだとあなたは先ほどまでの演奏を思い出していた。

 終わった後は盛大に爆発オチ……もとい、核を使ってジェノサイドパーティーを開きたかったのだが、それはノースティリスに帰還するまでお預けだろう。

 演奏が芸術なのと同時に爆発も芸術だというのに。実に残念だ。

 

 

 

 

 余談だが、この後ウィズからもおひねりが飛んできた。しかも爆発ポーションが文字通り()()()()()

 幸いにして起爆こそしなかったものの、折角の新築の家を吹き飛ばしそうなおひねりにあなたは盛大に胆を冷やすのだった。




★『ストラディバリウス』
 おひねりの質が上がる楽器。演奏家必携にして垂涎の品。
 ゲーム内での主な入手手段は吟遊詩人の楽器を盗み、ストラディバリウスが再生成されるのを待って殺して強奪。

《ジェノサイドパーティー》
 演奏依頼のパーティー会場で聴衆を殺してドロップ品を漁る行為。
 貴族の子供や観光客、大富豪を殺してドロップ品の財布をガードに渡すと罪が軽くなるので犯罪者は率先してやっていたのだが、後に財布を渡しすぎると怪しまれて逆に罪が重くなるという修正を食らった。


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第53話 Heroic&Lunatic&Fanatic

 あなたとしては待ちに待った、ウィズ魔法店の新装開店日。

 その実にめでたい一日の朝はいつも通りに始まった。

 いつも通りに起床し、いつも通りに終末明けで瀕死になっているベルディアをモンスターボールから出して回復し、いつも通りに三人と一匹で食卓を囲む。

 三人というのは引越しを行って以降、ウィズの提案どおりあなた達は揃って食事をウィズの家のダイニングルームで取る事になっているからだ。

 

 そんないつも通りの朝だったのだが、その日は少しだけいつもとは違う所があった。

 

「何か表が騒がしいですね」

 

 ウィズの言うように、まだ朝も早いというのに確かに家の外からかなりの人数の声が聞こえてきている。更に声の発生源はあなた達の家から近いように思えた。何かあったのだろうか。

 あなたが思いつくイベントとしてはウィズの店の新装開店だが、開店時間は数時間後だ。チラシにもちゃんと書いておいたし、人気の店ならともかく()()ウィズの店だ。失礼ながら朝食の時間帯から並ぶ物好きがそんなにいるとは思えない。

 

「私、ちょっと見てきますね」

 

 あなたのとても失礼な内心を知る事無くそう言って席を立ったウィズだったが、一分ほど経った後、彼女は目を白黒させて大慌てで戻ってきた。

 

「大変! 大変です!! どうしましょう、お客さんが沢山います! お店の前に列がこーんなに!」

 

 両手を大きく広げて可愛らしくアピールを行うウィズの発言に、バターを塗った焼き立てでカリカリのトーストを齧りながらあなたはベルディアと顔を見合わせた。

 異常といえば異常な光景なのだろうが、それの何が大変なのだろうか。通常開店前から客の列が出来ているのは喜ばしい筈なのだが。

 

「なんだなんだ、借金取りとか冒険者崩れのチンピラとかそんなのばっかりだったのか? ご主人、ちょっと蹴散らしてきた方がいいぞ」

 

 流石に借金取りの可能性は無いだろう。あなたにそんなものをこさえた記憶は無いし、仮にウィズの側にあったら間違いなくバニルが怒鳴り込んできている。

 

「成程、確かにそうだな。じゃあチンピラか」

 

 全くやれやれである。どこで彼女が恨みを買ったのかは知らないが、よりにもよってウィズの店に営業妨害とはいい度胸だとあなたは目を細めた。それも今日は記念すべき新装開店日だというのに。

 ちょっと店前で屯しているという連中と路地裏で仲良くお話をしてくるとしよう、主にみねうちという名の肉体言語で。営業妨害の首謀者についてはサンドバッグの刑に処す所存である。

 あなたが神器を片手に腰を上げると、ウィズは必死にあなたの肩を押さえつけてそれを止めた。

 

「違います違いますから止めてください! 普通のお客さんしかいませんでしたから!」

「あ? じゃあそれの何が大変なのだ」

 

 営業妨害の類ではなかったようだ。しかし大変という話ではなかったのか。

 全くの正論を吐くベルディアにあなたも内心で同意したのだが、何故かそれがいけなかったようで激しく興奮してバンバンとテーブルを叩くウィズ。あまりに激しいので料理とコーヒーが零れそうになった。

 

「ベルディアさんは何も分かってません!」

「ええ……俺はウィズの言ってる事がまるで分からんぞ」

「開店前からお客さんが並んでいる事なんて、私がお店を始めて今まで一度も無かったんです! これはウィズ魔法店の歴史に残るビックリドッキリの大事件ですよ!」

「俺としてはお前のその発言の方がよっぽどビックリドッキリの大事件すぎる。どんだけ人気無かったんだ……。けどまあ……その、なんだ。良かったな……?」

「はい!」

 

 引き攣った表情のベルディアを全く気にせずにとても眩しい笑顔を浮かべたウィズを見て、あなたは無性に懐かしく、しかしやるせない気持ちになった。

 実の所あなたもノースティリスでは自分の店を持っており、ネフィアなどで入手した不要な装備品や道具を売り払っていたりする。金に困っているわけではないが、これも依頼と同様ライフワークに近い。いらないからとそこら辺に捨ててしまうのが勿体無いというのもある。

 あなたが最初に店を始めたのはまだ駆け出しの頃だ。駆け出し特有の資金難に喘いでいたあなたはペットに店番を任せ、これで大金持ちになる心積もりだった。

 

 無論ノースティリスはそんなに甘くない。むしろ辛辣ですらある。

 無名の駆け出し冒険者が始めた碌な品物が売っていない店に客など来る筈も無く、閑古鳥は鳴きまくりでいたずらに店の維持費ばかりが膨れ上がっていったのだ。

 

 かつてのウィズのように、その日の食事すら満足に取れない日々。

 減っていく資金。溜まっていく税金の請求書。下がるカルマ。税金滞納で犯罪者落ちして各地のガードに追われ、どこに行っても買い物すらさせてもらえずに自身のような者達が集うならず者の街(ダルフィ)以外に自分の居場所が無くなったあの頃。

 何度埋まろうと思った事か覚えていないが、どれもこれも今となってはいい思い出である。

 

 そんなこんなを経た現在のあなたの店はティリス有数の大規模店舗にまで至ったわけだが、ウィズの店もいつかは同じようになるのだろうか。

 アクセル一、いや、この国一番の名店と呼ばれるようになるウィズ魔法店。

 もしそんな事になったらバニルはきっと喜ぶだろうしウィズも本懐だろう。しかしあなたは不思議とそうなる光景が全く想像出来なかった。

 ウィズの商才の無さが筋金入りであると知っているが故に。

 

「あんなに沢山お客さんが待ってるなら、お店は早めに開けた方がいいですよね! あ、バニルさんにもお話ししておかないと!」

 

 蒐集家のあなたとしては非常に喜ばしいが、バニルすら匙を投げるガラクタを好んで売ろうとする彼女の交渉スキルはどうなっているのだろう。

 興奮冷めやらぬといった面持ちで朝食を再開するウィズを見て、あなたはなんとも言えない思いを抱かざるを得ないのであった。

 

 

 

 

 

「なあご主人、何か手助けしてやったらどうだ? 何も案が無いわけでもないんだろう?」

 

 それから数分後、ウィズが足早にご近所さんであるバニルの家に向かったのを見計らって、ベルディアが口を開いた。

 ウィズの現状を鑑みれば実にもっともな意見だが、あなたは基本的にウィズの店の運営に関して口や手を出すつもりが無いのでその提案は却下である。

 

 先日のようにチラシを配ったり暇な時に店員としてバイトをするくらいなら構わない。

 更に店の規模を拡大する為に投資を行っていいのなら億単位の資金を惜しみなく投入するしポーション作成のようにウィズがやりたい事に手を貸すのも吝かではないが、こと運営の方針や商品の仕入れに関しては積極的に何かをするつもりはこれっぽっちも無かった。

 現役冒険者のあなたであればアクセルの冒険者の需要を調査してウィズに教えるのは容易いだろう。

 しかし入荷待ちのまま音沙汰が無い爆裂魔法の杖のように、時折仕入れてほしい品の要望を出す事はあるが、それ以外は完全にウィズのセンスに任せっきりにしているし、今後もそうする予定だ。

 

 何故ならウィズ魔法店はどこまでいってもウィズの店であって、あなた個人の店でも、ましてやあなたが雇って自宅に招いているような店でもないからだ。

 幾ら友人同士とはいえ、あなたはあくまでも一人の客としてウィズ魔法店と付き合っていきたいと思っていた。

 ウィズから一千万エリスのマナタイト鉱石を購入した時のやり取りは例外中の例外もいいところである。自分で買える物をわざわざウィズに買ってもらってそこから更に高値で転売させる、というのはもう意味が分からない。

 あなたでは生涯をかけても到底追いつけないであろう次元の商売人としてのセンスを持つ彼女がどんな珍品や危険物を仕入れてくれるのかを個人的に楽しみにしているというのもある。

 なのでウィズと同居していようとも、あなたは他の客と同じように来店して、他の客と同じように定価で商品を購入するつもりだった。

 どこかおかしな話かもしれないが、あなたにとってはこれが最も望ましい形なのだ。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなで半壊や豪雪による延期を経て数ヶ月ぶりにアクセルでは色々な意味で有名なウィズ魔法店が再開する事となった。

 ウィズが店を開けたタイミングであなたとベルディアも関係者としてではなく客として来店してみたのだが、確かにウィズ魔法店の前には凄まじい人だかりが出来ている。

 

「流石に店の前に十人くらいしか並んでいないとかいう寂しすぎるオチじゃなかったか」

 

 ベルディアの言葉に相槌を打つ。

 先日チラシを配ったのが功を奏したのかもしれない。今も店の中は満員御礼状態である。ウィズもバニルも客を捌くのにとても忙しそうで何よりだ。

 実際、人だかりの中にはあなたが配ったチラシを持っている者も数多くいた。

 しかし多少便利とはいえ、保存が利くポーションというだけでここまで人が集まるものなのだろうか。バニルがスポンサーになっている、カズマ少年が考案して製作しているという商品はまだ量産されていないようで一つも並んでいないのだが。

 

 黙々とポーションを作り続けて錬金術スキルが成長したからか、ウィズは軽傷治癒の他に重傷治癒のポーションもこの世界の素材で作成可能になっていた。このままいけば最後まで到達するのも遠くないのかもしれないとあなたは踏んでいる。

 だが新装開店にあたってウィズが用意したのは自作ポーションだけではない。

 真新しい商品棚には彼女が新しくドリスなどで仕入れてきた、例によってあなた以外の誰をターゲットにしているのかサッパリ分からない珍品や取り扱い注意の危険物も満載だ。

 誰も手を付けようとしない、あるいはちょっと興味を持って手に取ってみるものの、ウィズに商品の説明を聞いて笑顔で棚に戻される品の数々。

 あなたはその中の一つを手に取ってウィズに持っていく。

 

「あなたもお買い上げですか? ……あ、それは爆発ポーションの新作ですよ!」

 

 ウィズの説明を耳にした店内の客とベルディアがざわめきと共に一歩後ろに下がった。

 ノースティリスには火炎瓶という名前通りのアイテムが存在するが、それとはまた別。使い捨てのグレネードとも呼べる爆発ポーションはあなたのお気に入りのジャンルの一つだ。お前は爆発が好きなだけだろと言われたら否定は出来ない。

 

「これは瓶の蓋に魔法がかかっていて、その蓋にポーションが付着するとポーションと一緒に爆発します。お値段は五万エリス。従来の爆発ポーションの五割増しの威力がある私のイチオシの品なんですよ!」

「なんでお前はそういうのを仕入れちゃうかな……」

 

 従来の爆発ポーションはアクセルの外壁程度の強度なら楽勝で大穴を開けられる威力を持っているが、今はそんな事はどうでもいい。誰かに買われる前に財布から五万エリスを取り出して購入しておく。これはとてもいいものだ。

 

「いつもご愛顧ありがとうございます!」

「まあ知ってたけどな。……いや、飲むわけないだろそんなもん。ごすはバカなの? 死ぬの? オープンゲットじゃないから。俺のモツがオープンしちゃうから」

 

 

 

 ――買った。アイツ買いやがった。信じられん。

 ――事故る予感満載の危険物なのに欠片も躊躇が無くてまるで意味が分からない。

 ――いつもご愛顧……やっぱりエレウィズキテル……。

 ――でも今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。

 ――前々から思ってたけど頭のおかしい人は店主さんの貢ぐ君とかそういう?

 ――いや、あれはマジね。頭のおかしい人は物欲に駆られた人間の目をしているわ。

 ――何それ怖い。……店ん中で爆発ポーションをちゃぷちゃぷ揺するの止めろや!!

 ――頭のおかしい人は本当に頭がおかしいな!

 

 

 

 

 

 

 ベルディアをシェルターに送り、同居人として開店日くらいは、と特に何をするでもなく営業妨害にならないように店から少し離れた場所で売れ行きを見守るあなただったが、中々客の数が減らない事に疑問を覚えた。

 客足が途絶えないわけではなく、買い物を終えた客が何故か店の周囲から離れようとしないのだ。

 あなたの目には彼らはこの場で何かを待ち望んでいるようにも見える。

 特に聞いていないのだが、この近所でこの後何かイベントがあるのだろうか。

 

「……あっ」

 

 不思議に思うあなただったが、店から出てきたゆんゆんの姿を見つけた事で思索を中断させる。向こうもあなたに気付いたようで駆け足で近寄ってくる。明らかにホッとした表情をしている辺り、人見知りな彼女にあの混雑は少し辛かったのかもしれない。

 

「おはようございます。凄いお客さんの数ですね」

 

 閑古鳥が鳴きまくりだったウィズの店のかつての惨状を知っていたのだろう。あなたの隣に立って客を見つめるゆんゆんの目はまるで別世界に来た異邦人のそれであった。

 そんなゆんゆんはウィズの店でポーションを買っていたようで、可愛らしい手さげ袋に幾つかのポーション瓶が入っている。時々女神ウォルバクとパーティーを組むようになったとはいえ、ゆんゆんのメインはソロ活動だ。防御力の低いアークウィザードという事もあっていつ不慮の事故に遭うか分からないので備えは不可欠である。

 

「わ、私も別に好きで一人で活動してるわけでは……レベルも37になっていよいよ普通に活動出来ちゃってますけど……最近はどういうわけかアクセルの他の冒険者の方に敬遠されてる気もしますし……」

 

 ゆんゆんは俯いてぼそぼそと呟いているが、肝心の内容は周囲の喧騒に掻き消されて聞こえなかった。

 

「いえ、なんでもないです……」

 

 手さげ袋で顔を隠すゆんゆん。

 掲げられた手さげ袋にはめぐみんやウィズ、あなたやベルディアの特徴が伺える可愛くデフォルメされたキャラクターや黒猫と白猫のアップリケが刺繍されていた。自作だろうか。

 

「あ、はい。この袋ですか? 買い物する時にあったら便利かなって思って、自分で作りました。スロウスさんのアップリケも今作ってるんですよ」

 

 引っ越す前は時折あなたの家でウィズと楽しそうにお菓子や料理作りもしていたゆんゆんは地味に女子力が高い。ウィズはあなたに花嫁修業と言っていたが、流石に気が早すぎるのではないだろうか。ゆんゆんはまだ十三歳で相手もいないというのに。

 

 

 

 

 

 

 店前のベンチに座ってゆんゆんと翌日の鍛錬について話し合うあなただったが、ふと自分たちに近付いてくる一団の気配を感じ取った。

 顔を向ければ、そこにいたのは苦労人のカズマ少年だ。

 

「よう二人とも。久しぶり」

「カズマさん、お久しぶりです」

 

 勿論彼だけではなく女神アクアやめぐみんもダクネスも揃い踏みで、更に全員が完全武装だった。

 まるでこれから討伐依頼にでも向かうかのような装いである。

 女神を相手にとても無礼だとは思うが、確実に碌な事にはならないと確信出来てしまうのは何故なのか。

 

「新装開店っていうから来てみたけど、なーんかやけに繁盛してるわね。ウィズはともかくあの薄汚いのが喜んでるかと思うと無性にムカつくわ。ちょっと荒らしに行ってみようかしら」

「やめてやれよ……ウィズが普通に可愛そうだから止めてやれよ。っていうかお前今度店ぶっ壊したら俺はマジでお前のビラビラを売るからな」

「じょ、冗談よねカズマさん?」

「圧倒的にマジだよ」

 

 そんな四人だが、あなたはカズマ少年が珍しい武器を持っているのが気になった。

 現在自分が使っている神器と同じ刀剣類、つまり刀に見える。思えば彼は鍛冶屋に故郷の武器を作ってもらっていたのだったか。完成していたようだ。品質はノースティリスでいう《良質》と言った所だろう。つまりエンチャントのかかっていない普通の刀だ。

 

 あなたの視線に気付いたのか、カズマ少年は刀をあなたの目の前に掲げた。

 

「今日鍛冶屋で貰ってきたんだ。でもめぐみんがな……」

「その剣の名前はちゅんちゅん丸です。私が銘を刻みました」

 

 むふーと満足そうに鼻を鳴らすめぐみん。

 ちゅんちゅん丸。紅魔族の素敵なネーミングセンスが全開の銘である。

 異邦人であるあなたにはそれがいいのか悪いのかは分からないが、少なくとも溜息を吐くカズマ少年にとっては非常に不服な名前なようだ。

 あなたも愛剣がその名前と考えるとちょっと勘弁してもらいたかった。

 愛剣も声無き声でそれは嫌だと怨嗟の声をあげている。

 

「この刀作るのにも結構金掛かってんだけどな……もし俺がこの刀で魔王を倒したら、伝説の勇者の聖剣ちゅんちゅん丸とかレプリカが作られて有名になるんだぞ。考えただけでげっそりしそうだ」

「かっこいいじゃないですかちゅんちゅん丸」

「そんな事言うのはお前みたいな紅魔族だけだ。どうせなら俺は村正とか正宗とか塵地螺鈿飾剣(ちりじらでんかざりつるぎ)とかが良かったよ。チート持ちの連中が使ってそうだけどさ」

 

 カズマ少年はちゅんちゅん丸を弄びつつ、あなたが背負っている刀に目を向けてきた。

 

「そういやそっちも刀使ってるんだよな。なんて名前なんだ? 虎鉄? 菊一文字?」

「カズマさんカズマさん。そのどっかで聞いた事がある刀の名前のネタの出所はやっぱりいつまで経っても最終が来ない最終幻想なの? 日本の若者特有のゲーム脳なの? 人生にリセットボタンは付いてないんだけど本当に分かってる? まあ人生にリセットボタンは無いけど電源ボタンは付いてるんだけどね。一回切ったらセーブデータが消えるのが」

「ち、ちげーし。もしそうだったとしても知ってる刀の名前が最終幻想とたまたま被っただけだから……っていうか人生云々はお前だけは絶対に言っちゃ駄目な台詞だろ」

 

 あなた達には理解不能な謎の会話を繰り広げるカズマ少年と女神アクアだが、それはさておきあなたが普段使っている冬将軍から斬鉄剣と引き換えに譲り受けた大太刀の神器の銘は《遥かな蒼空に浮かぶ雲》である。

 出所を隠してあなたが刀の銘を告げるとめぐみんは怪訝な顔をし、カズマ少年はどこか羨ましそうに神器を見つめた。

 

「遥かな蒼空に浮かぶ雲? なんか変な名前ですね」

「俺もそういうのが欲しかった……」

 

 

 

 

 

 

「そういえばカズマさん達はこれから依頼ですか?」

「ああ。なんかセナ……知り合いにリザードランナーが大量発生してるって聞いたからさ。ほら、モンスターに怯える街の人を守るのは冒険者の義務だろ?」

「か、カズマさん……そうですね! 私もそう思います!」

 

 カズマ少年のまるでキョウヤのような正義感に溢れた発言に興奮して首を縦に振るゆんゆん。

 高レベル冒険者とはいえ年頃の少女な彼女はヒロイックな物語やフレーズに弱い傾向にある。

 

 英雄的(ヒロイック)。それはウィズにこれ以上ない程に当て嵌まり、あなたから最も遠い言葉の一つだ。

 

 悪い意味で有名なノースティリスの冒険者達の中でも更に極北に立つ廃人達に当て嵌まる言葉は確実に狂気的(ルナティック)、あるいは狂信的(ファナティック)だろう。自分の事ながらいっそ笑えるほどにドンピシャである。

 そんなルナティックでファナティックな廃人は街の人間から最早見慣れたモンスター以上に怯えられているわけだが、まあそれは今更なのでどうでもいい。

 

「おいめぐみん、カズマの奴がまるで自分から積極的に討伐依頼に行く気だったみたいな事を言っている気がするのだが……いよいよわたしの耳がおかしくなったのか?」

「相変わらずどうしようもないですねこのチョロいのは……。いいですかゆんゆん、勘違いしてはいけませんよ。小金持ちになったカズマは何回私が尻を蹴っ飛ばしてもめんどくさがって依頼の為に外に出ようとしませんでした。今回の討伐だって最初どうせ誰かがやってくれるからってこたつっていう暖房器具に引きこもってましたからね。こうして討伐依頼を受ける気になったのも自分のレベルが私達の中で一番低い事を知って危機感を覚えて仕方なく腰を上げただけですし」

「か、カズマさん……」

 

 ゆんゆんが若干の失望を目に浮かべ、そんな彼女からカズマ少年は気まずそうに目を逸らした。女神アクアのプークスクス、というカズマ少年を煽る声がどこかから聞こえてくる。

 

「そういえば、あなたはリザードランナーの討伐には行かないのか? セナがアクセルの冒険者達は討伐に向かっていると言っていたが」

 

 カズマ少年の話を聞いてもまるで動こうとしないあなたが気になったのか、ダクネスが不思議そうに問いかけてきた。

 

 リザードランナーとは草食性の二足歩行の爬虫類だ。

 普段は温厚で危険性の低い生物なのだが、繁殖期に入り、群れを統率する姫様ランナーという名の女王の個体が発生すると途端に厄介な生物に変化してしまう。

 女王なのになぜ姫様? などと無粋な事を聞いてはいけない。そういう名前の生き物なのだ。

 

 そんな姫様ランナーに率いられたリザードランナーはやがて大規模の群れを成し、姫様ランナーと番になるべく群れの中で熾烈な勝負を繰り広げる事になる。具体的にはそこらじゅうを駆け巡って速度勝負を繰り広げる。同種族ではなく、他種族の足の速い生物を見つけて速度勝負を挑むのだ。

 そうして最も多くの敵を抜き去った者が群れの王として君臨する事を許される。

 

 この習性が誰にとって厄介かといえば、馬や騎竜に乗っている人間にとって厄介なのだ。

 リザードランナーは速度勝負に勝つ為なら馬だろうが竜だろうが容赦なく蹴り飛ばしてくる。

 純粋に速度を競っているのではないのか、とか駆けっこでダイレクトアタックは普通に反則なのでは、という意見もあるだろうが、そういう生物なのだ。野生の掟は厳しい。

 

 そんなわけで無論あなたもリザードランナーの大量発生については知っていたが、あなたは現在リザードランナーの群れの討伐についてはギルドからの要請で様子見の状態である。

 

 お前は冬の間中ずっと働いていたのだから、長かった冬が終わり活動を再開した駆け出し冒険者達の仕事をあまり奪ってくれるな、という事らしい。

 なのであなたがこの件で駆り出されるのはいよいよという場面になった時だろう。

 それにあなたは今の所ウィズの店から離れるつもりも無いので、今日の所は存分に楽しんできてほしいとダクネスに告げた。

 

「ふむ……それなら仕方ないな。この街を護る義務のある貴族としての私としては大事になる前に終わらせてほしいが、同時にギルド側の物言いもとてもよく分かる」

 

 あなたはたった一人でデストロイヤーに突っ込むくらい強いからな、とダクネスは苦笑した。

 ゆんゆんを連れて行くというのであればそれは止めない、と言おうとして彼女のライバルであるめぐみんがそれを許可しないであろうと思い至る。

 レベルも相まって連れて行けば確実に役に立つのだが。

 

「そういえばゆんゆんのレベルは幾つなんだ? めぐみんは今24らしいんだけど」

「えっと……37です……」

 

 カズマ少年とダクネスの目が点になった。

 

「…………は!? 37って嘘だろ!? ゆんゆん、あの魔剣の何とかさんと同レベルなのか!?」

「バカねカズマ。人の名前くらいちゃんと覚えときなさいよ。マツルギさんでしょ」

 

 あなたはいよいよキョウヤが本気で不憫になってきた。

 同郷の人間に名前を忘れられているだけでなく、彼が信仰している筈の女神アクアにまで普通に名前を間違えられているなどどうなっているのか。神器を直接女神アクアから賜ったという話なのだが。

 

「そ、その年齢でレベル37とは凄まじいな。確かめぐみんと同期の冒険者なのだろう?」

「そうね。チート持ちでもないのにその年齢でレベル37なんて。おまけに紅魔族で上級職なんだから、チート持ちの転生者でも相当頑張らないと無理な筈よ。どうやったの?」

「えっと、それは、その……」

 

 感心したダクネスと女神アクアに詰め寄られ、人見知りのゆんゆんはちらちらとあなたを窺っている。助け舟を出してもらいたがっているようだ。

 だが実際に助け舟を出したのはあなたではなく、ゆんゆんのライバルにして親友だった。

 

「ゆんゆんはそこの頭のおかしいのとウィズに師事してるんですよ。レベルは紅魔族特有の養殖というレベリングで廃上げしたそうです。姑息な手を……」

「だからレベルについては気付いたら上がってたって言ったじゃない! 私だってたった一日で10以上もレベルアップするとか思ってなかったもの!」

 

 ゆんゆんの叫びを聞いたカズマ少年が欲望で瞳を輝かせてあなたに近付いて耳打ちしてくる。

 

「……なあなあ、俺もゆんゆんと同じようにその養殖ってのでレベリングしてくれないか? とりあえずレベル30……いや、40……50くらいまででいいからさ」

「カズマぁ!」

 

 気付いためぐみんが咆哮をあげてカズマ少年に掴みかかった。

 鬼気迫るものを感じさせる表情である。

 

「なんだよ離せよめぐみん! 俺最弱職の冒険者なんだから魔王倒す為にちょっと裏技っぽいパワーレベリングやっても許されるだろ!」

「駄目ですよ許しませんよそんなの! 魔王っていうのは仲間と一緒にレベルを上げて鍛え抜いて、やがて秘められた力とかに目覚めたりなんかして、それで激しい死闘の末に倒すべきものなのです! カズマまで悪魔に魂を売るなんて真似、私はそんなの絶対に許しませんからね!」

「ねえ待ってめぐみん! それだと私が悪魔に魂を売ったみたいになってる!」

 

 流石はゆんゆんの友人と言うべきか、めぐみんの魔王討伐はこれでもか、とばかりに王道だった。爆裂魔法に一身を捧げるめぐみんだが、彼女は彼女なりに勇者と魔王には拘りがあるのかもしれない。

 そしてそのめぐみんの放った最後の言葉に中々に言いえて妙であるとあなたは感心する。

 あなたがノースティリスで悪魔と呼ばれた回数は数え切れないし、この世界でも化物だの悪魔だの言われた回数はゼロではない。

 

「でもめぐみんの言う事もあながち間違ってないんじゃない? この人はともかくウィズってほら、アレだし」

「……まあ、そうだな。正直私もアクアの言うとおりだと思う。こんな人前では口には出せないが、アレだしな」

「え、アレって何ですか!?」

「ああ、貴女は知らなかったんですね。けどゆんゆん、世の中には知らない方がいい事もあるんですよ」

「意味深すぎてすっごく気になるんだけど!? ウィズさんにどんな秘密が!?」

 

 やいのやいのと騒ぐ少年少女達。

 知らない仲でもないし、依頼という形であればあなたはカズマ少年の養殖を拒むつもりは無い。

 拒むつもりは無いのだが、大丈夫なのだろうか。脅しているわけではないが不安は残る。

 

「大丈夫って、何がだ? 金ならもうすぐバニルの奴から大量に入ってくるからそれで……」

 

 金の問題ではないとあなたは首を横に振り、第一犠牲者ことゆんゆんに視線を向けた。

 身体の傷は魔法で癒せるが、心の傷はそうもいかない。

 

「……あの、どうしました?」

 

 温泉にぶち込んで癒したとはいえ詳細を話せば彼女の心の傷が開きかねない。具体的にはガンバリマスとしか言えなくなる形で。

 もしそうなればウィズのお説教は不可避である。親友を襲ったメンタル案件を知っためぐみんもブチギレ金剛と化すだろう。

 なのであなたはこの場は曖昧にぼかしておく事にした。

 

 曰く、養殖の詳細を聞いてからでも遅くはないと。

 

 あなたの言葉にポカンとした表情を浮かべるカズマ少年とダクネスと女神アクア。

 その一方で養殖経験者である紅魔族二名にあー……という空気が蔓延した。

 

「養殖っていうくらいだから簡単でお手軽なレベリングじゃないのか?」

「カズマは知らないでしょうが、養殖というのは簡単に言えば半殺しにしたモンスターにトドメを刺す行為なんですよ。モンスターにトドメを刺した者のレベルが上がりますから、それを利用しているわけですね。ちなみに紅魔族の里以外では行われていないそうです」

「普通に戦うならまだしも、抵抗出来ないモンスターを殺すのって凄く良心が痛むんですよね……特に人型とか可愛いモンスターはきついです。命乞いとかされますし、瀕死でも普通に意識はあるから目とか合っちゃいますし……」

 

 二人の言うとおり、養殖とは半殺しや状態異常で行動不能にしたモンスターに止めを刺す行為だ。あなたはみねうちを使うので必然的に死体半歩手前のモンスターを量産する事になり、カズマ少年はそれの命を機械的に流れ作業で断ち続ける事になる。

 カズマ少年の現在のレベルが幾つかは知らないが、パーティーで最低という事は高くても十台だろう。レベル50となれば幾ら彼がレベルアップの早い冒険者とはいえ殺す必要があるモンスターの数は百や二百では到底足りない筈だ。そして殺し合いと一方的な殺戮は似ているようで全く違う。

 カズマ少年は平和な場所で暮らしていたという話であるし、かつてちょっとした出血を見ただけで顔を青くしていた彼があなたの築き上げる屍山血河、および長時間の殺戮行為に耐えられるかについては若干疑問が残る。

 まあどうしてもやりたいというのであれば止めはしないが、再起不能になっても責任は取れない。

 

「なんか怖い感じがするからやっぱり今回はパスで」

 

 めぐみんとゆんゆんから養殖の話を聞かされたカズマ少年はそのように即答した。

 

「それがいいと思いますよ。どうしても取りたいスキルがあるならともかく、技術や立ち回りを磨かないままに無駄にレベルだけ上げて促成栽培してもカズマの為にはならないですからね。やっぱり反則なんかしないのが一番です」

「ねえめぐみん、なんで私の方を見てそんな事言うの? 私もちゃんと努力してるんだけど?」

「別に誰とは言ってませんが? ……それに養殖を担当する相手が相手ですからね。絶対碌な事になりませんよ」

「そ、そんな事は無いと思うんだけど……」

 

 めぐみんの率直な物言いにあなたは苦笑する。

 なまじゆんゆん相手に盛大にやらかしているので文句も言えないと内心で当時の事を反省していると、ダクネスがあなたの服の裾を引っ張ってきた。彼女の表情はどこか期待しているようにも見える。

 

「あなたに師事しているという事はやはり、その、めぐみんの友達の彼女は……」

 

 彼女は以前あなたにペット契約を求めていた。それ故にあなたの育成法を知識として知っているのだ。

 それはさておき、あなたはあの時ダクネスに話したようなノースティリス式のトレーニングは課していないと告げる。ウィズも監督しているしこの世界における常識的な鍛錬の範疇だろう。

 まあ最近嫌がらせ目的でめぐみんと一緒にハーブは食べさせたわけだが。

 

「ハーブ? そういえばめぐみんが愚痴っていたな。どんな味なのだ?」

「あ、私もちょっと気になるかも」

 

 ダクネスと女神アクアはハーブの味に興味があるようだ。

 あなたは非常食として常時携帯している祝福されたストマフィリアを一つずつ渡す事にした。

 

 ストマフィリアは独特の青臭さがあるものの、ハーブの中では相対的にマシな方の味である。

 それでも尚、日常的に食したい味ではないわけだが。

 貴重な物をホイホイ渡して大丈夫なのか、という疑問もあるかもしれないが、あなたは最近はカブなる大根に酷似した作物を育てている、ノースティリス最大の農園を経営しているクミロミ信者から大量に購入しているので数に不足は無い。というかストマフィリアに関しては年単位で使える量がある。

 

「ふむ、これがハーブ。見た目はごく普通の薬草にしか見えないが……え? 食べたら丸一日は腹が減らなくなるから気を付けろ? こんなに小さい葉っぱなのにか……」

「今食べたらこの後のご馳走が台無しになっちゃうわね。そのうち食べましょ」

 

 二人はポケットにハーブを仕舞った。

 祝福したストマフィリアは普通のものより更に腹に溜まるので食べすぎで嘔吐しないか不安だが、まあ大丈夫だろう。多分。

 

 

 

「完売です! 新作ポーション完売しましたー!」

 

 

 

 ウィズの声にあなた達は一斉に店の方に目を向ける。

 彼女は店の外に姿を現しており、そしてそのまま集まった者達に向けて何度も頭を下げていた。

 

「皆さんありがとうございます! お買い上げありがとうございます! 今後ともウィズ魔法店をよろしくお願いします!!」

 

 ウィズのとても嬉しそうな大声が周囲に響き渡る。

 そこら中から拍手が巻き起こるも、しかし暫く経ってもやはり誰も帰る様子を見せず、雑談に興じたり買い食いを行ったりだ。見れば少し離れた場所に屋台や出店まで出来ているではないか。

 

「あの、もしかしたら私の気のせいかもしれないですけど……なにか様子がおかしくないですか?」

 

 あなたと同じくゆんゆんも違和感を覚えたようだ。

 流石にこれはおかしい。ウィズの人柄に惹かれて、というのにも限度がある。

 完売に感動しているウィズは全く気にも留めていないようだが、何故彼らは帰宅しないで店の周囲に屯しているのだろうか。適当に捕まえて聞いてみてもいいかもしれない。

 

「ねえねえ、ちょっと気になったんだけど今日は演奏はしないの? お客さんいっぱいいるわよ」

「……あっ」

 

 女神アクアがあなたに向けてそう言い、その言葉に反応したかのように周囲の喧騒がピタリと止んだ。

 聞き逃したウィズ以外の客の意識があなたと女神アクアの一挙手一投足に集中しているのを感じる。

 かなり異様な状況だが女神アクアは気に留めていないのか、あるいは気付いていないのか。まったく表情を変えていない。

 

 自分達が注目されている理由はさておき、あなたは今日は演奏の予定は無い事を告げる。というか演奏を行う理由が無い。

 先日の演奏はあくまでも人を集めてビラを配る手段として行っただけであり、副産物として大量のおひねりを手に入れはしたものの、それ以上の意図は無かったのだ。

 女神アクアは冒険者を辞めておひねりだけで食っていけるレベルの宴会芸スキルを持っているにも関わらず、自身は芸人ではないからと宴会芸スキルを場を盛り上げる為だけに使いおひねりを受け取るのを硬く拒むのと同じような理由である。

 対してあなたは貰える物は貰っておくタイプであり、演奏家として聴衆から投石、あるいはおひねりを貰うのは常識ともいえる話なので女神アクアのようにおひねりを拒みはしないわけだが。

 

「ふーん。まあこれだけ人がいれば今更客引きはいらないわよね」

 

 そういう女神アクアは今日は宴会芸をしないのだろうか。

 あなたの問いかけに妙にざわつき始めた周囲が再び静寂に包まれたが、考えても仕方ないとあなたは無視するに留まった。

 

「宴会芸? 私はこれから討伐依頼に行かなきゃいけないから今日はしないわ。本当は嫌な予感がするから依頼には行きたくないんだけど、ほら、私ってパーティーの要なアークプリーストなわけだし、やっぱり私がいないとパーティーが締まらない、みたいな? それに終わったら貴族御用達のいいお店で美味しいご飯を食べに行くの!」

 

 満面の笑顔で期待に胸を膨らませている先日の競演の際の女神アクアの芸は凄まじいものであった。

 中でも一枚のハンカチの中から数百を越える鳩の群れを羽ばたかせるという奇跡のような荒業は傍で見ていたあなたも危うく演奏の手を止めそうになる光景だった。

 女神アクア曰くあれは召喚魔法は使っていない、ただの宴会芸だったらしいのだがまるで原理が分からない。物理法則に唾を吐きながら中指を突き立て喧嘩を売っているとしか思えないスキルである。

 

「まあこんな事言ってるけど、コイツも俺と同じで寒いから外に出たくないって散々駄々こねてたんだけどな。俺達が帰りに美味いもん食いに行くっていったら泣いて付いてきて……暴力はやめろぉ! 俺はこう見えて相手が女でも全力でやり返す男女平等主義者だぞ!!」

 

 ゴッドブロー。女神アクアの文字通り光って唸る渾身の右ストレートがカズマ少年に襲い掛かった。

 きっと照れ隠しだろう。女神アクアもカズマ少年も実に楽しそうで何よりである。

 

「喧嘩してないでそろそろ討伐に行きますよ二人とも。立ち話もいいですがいい加減私の爆裂魔法が血と経験値を求めています」

「うむ。どんな目に合わせてくれるのか実に今から楽しみだな!」

「えっと……頑張ってね、めぐみん」

「言われるまでもありません」

 

 仲良く喧嘩をする二人を引っ張っていくめぐみんとダクネスをゆんゆんと共に手を振って見送る。

 

 

 

 ――なんだ、演奏も芸も無いのか。

 ――あんだけ派手にビラ配ってたから、今日もやるもんだとばっかり。

 ――帰りましょうか。残ってても仕方ないし。

 ――いや、まあいいんだけどさ。所詮は俺等が勝手に期待してただけから。

 ――店主さんの喜ぶ顔を見れた。それでいいじゃないか。

 ――私は久々にエレウィズがキテルのが見れたので満足です。

 

 

 

 そして去っていくカズマ少年と同じタイミングで、なぜか肩を落としてそれまでが嘘のように次々と去って行くアクセルの人々にようやくあなたが抱いていた疑問が氷解する。

 どうやらこの場に残っていた者達はあなたの演奏、あるいは女神アクアの宴会芸を楽しみにしていたようだ。あなたは演奏会を開くとは一言も言っていないのに物好きな事だ。

 ウィズにはこの事は言わぬが花だろう。やたら多くの人間が集まった理由はどうあれ、実際にポーションは完売しているのだから。

 この先リピーターが付くかはウィズの頑張り次第である。

 

 

 

 

 

 

 残念な事にポーションが完売した後は客足も疎らになったが、それでも今までと比べれば客の数と売り上げは雲泥の差だったウィズ魔法店の新装開店日、その夕方。

 ウィズの店で買い漁ったアレな品々を眺めて悦に浸るあなたの元に来客があった。

 夕日を反射する赤毛が眩しい長身の美女の名はスロウス。あるいは魔王軍幹部である女神ウォルバクという。

 

「久しぶり、でもないわね。来て早々で悪いんだけど、バニルの奴はいる?」

 

 周囲を頻りに気にしているが、バニルに会いに来たのだろうか。

 申し訳ないがここは彼の家ではないし、そろそろ閉店の時間だがまだウィズの店は開いているので店員のバニルに会いたいのならばそちらに行くべきである。

 

「別に会いに来たわけじゃないわ。いないならそれでいいの。……正直、あいつめんどくさいから苦手なのよね。普通に私より強いし」

 

 どこかやさぐれた女神ウォルバクにあなたは深く納得する。

 以前バニルは彼女に会いに行くと言っていたし、恐らく悪感情を得る為に散々彼女を煽ってからかったのだろう。

 少し早いがエーテル風呂の出番だろうか。頑張って鍛えたクリエイトウォーターと適当な火炎魔法ですぐに準備は終わる。

 しかしやはりエーテルで元気になるというのは狂気度が上がりそうな話だ。

 

「ああ、うん。お風呂もあるけど、今日は貴方に会いに来たの。ウィズと同居しているだけならともかく、この街にバニルまでいるとなったら流石に気になっちゃってね」

 

 そう言って、女神ウォルバクは猫科を思わせる細く黄色い瞳であなたを見つめてきた。

 

「人間の貴方がとてもウィズと親しそうにしていたものだから、多分彼女の事を知らないんだろうなって思ってドリスでは放置してたけど……一応聞いておくわ。私の自己紹介は必要かしら?」

 

 それは核心を突かない、受け取り方次第でどうとでもとれる言葉だった。

 しかしまあ、女神ウォルバクが言っているのは会話の流れ的に()()()()()なのだろう。流石にそれくらいはあなたであっても察する事が出来る。

 

 なので自己紹介は不要であるとあなたが首を横に振ると、怠惰と暴虐を司る女神である魔王軍幹部はそんなあなたの意を正確に読み取って溜息を吐いた。

 

「……そう、やっぱり貴方は私の素性を知っているのね。ウィズに聞いたの?」

 

 聞いたのは現在進行形で絶賛終末中な、つい先ほど体力が残り半分を切ったと聴診器の効果が教えてくれたベルディアからだが、現役幹部の彼女にそれを言う必要は無いだろう。

 あなたは曖昧に頷き、女神に振舞うべくお茶の準備を始めた。

 女神の口に合うかは分からないが、少なくともあなたの信仰する女神は喜んで飲んでくれている。

 

「あら、悪いわね」

 

 あなたが淹れた紅茶を口にした女神ウォルバクは押し黙ってしまった。

 口に合わなかったのだろうか。

 

「いえ、お茶は凄く美味しいわ、ありがとう。ただこうやって私の正体を知っている人間に礼を尽くされたのは凄く久しぶりだから、どんな事を言えばいいのか分からなくって。魔王軍に所属してからこっち、アクシズ教団に邪神認定くらっちゃったせいで私の信者はもう魔王軍くらいにしかいないし。……もしよかったら私の加護とかあげましょうか? 相手のやる気を無くす能力とか、相手が怒りっぽくなる能力が使えるようになるわよ」

 

 折角の直々の申し出であるが、あなたは信心深い他宗教の人間なので謹んで遠慮しておいた。

 それにあなたは既に癒しの女神の加護を得ている。これ以上は必要無い。

 

 あなたにやんわりと断られて若干残念そうにする女神ウォルバクだが、彼女はあなたの事を知らないのだろうか。

 アクセルに拠点を構えるあなたは王都の冒険者のように魔王軍との戦いは積極的に行ってこそいないが、それでも王都での防衛戦に一度も参戦していないわけではない。敵の指揮官の首級を挙げるなどそこそこ功績もあるし、幹部の彼女には名前くらいは知られていると思っていたのだが。

 

「あー……そういえばそうだったわね。普段はアクセルにいるせいかあんまり有名じゃないみたいだけど、頭のおかしいエレメンタルナイトといえば魔王軍では知る人ぞ知るって感じの冒険者よ。本当に時々、それも王都防衛戦にしか姿を現さないけど、運悪く戦場で姿を見たら絶対に死ぬっていう怪談とか都市伝説みたいな扱いだったんだけど……実物は随分とイメージと違ったわね。私はもっとアクシズ教徒みたいなサイコでアナーキーで問答無用な感じのモンスタースレイヤーみたいな冒険者を想像してたわ。まあ幹部のウィズと仲良くやってるみたいだし、私達と積極的に敵対しようとしないのは当たり前なのかしら」

 

 ガン、とあなたはテーブルに頭を打ち付けた。

 魔王軍に自身の存在を知られているのはいい。相手が人間だろうが魔族だろうが、どうせ襲ってくる敵は殺すだけなのだから。 

 しかし頭のおかしいエレメンタルナイトについては物申したい気分でいっぱいだった。

 何故その呼称が人類だけではなく魔王軍にまで浸透しているのか分からない。本当に分からない。嫌がらせという名の精神攻撃だろうか。効果は抜群である。あなたは無性に魔王城と王都を核で消し飛ばしたくなった。

 

 軽く精神汚染が始まるあなただったが、物騒な思考は玄関の扉を激しくノックする音で中断された。

 今日は珍しく来客が多い日である。

 

「お客様かしら。まさかウィズじゃないわよね」

 

 ウィズならノックはしないだろうし、彼女の店とこの家は直接繋がっている。

 それはさておき、女神ウォルバクには申し訳ないが風呂の準備は少し待ってもらう事になりそうだ。

 

「お構いなく。まだお風呂の時間には少し早いと思ってたし」

 

 女神ウォルバクは小さく笑って手記とペンを取り出した。

 手記にはエーテルについての考察や、彼女なりにエーテルを再現しようとした様々な実験の結果などが書き込まれているようだ。

 個人的にも非常に興味深いが今は来客を優先する事にする。

 

 

 

 

「こ、こんばんは……すみません、こんな時間にお邪魔してしまって……」

「ちょっと突然ですが一日でいいので匿ってください」

 

 果たして、玄関に立っていたのは申し訳なさそうに体を小さくするゆんゆん、そしてカズマ少年達とリザードランナーの討伐に向かった筈のめぐみんであった。

 そこはかとなくデジャブを感じながらあなたは二人を家に上げる事にした。

 季節は初春とはいえまだ街の外には雪が残っているし、夕方という事もあって薄着では震える程度には肌寒い。匿ってほしいとは穏やかではないが、先日とは違って何やら込み入った用事のようだし玄関で立ち話も体に悪いだろう。

 

 

 

「――――えっ?」

 

 リビングに入った瞬間、背後から小さな驚愕の声が聞こえた気がした。

 

「あ、スロウスさんもいらしてたんですね。こんばんは」

 

 だがあなたが声の方向に振り返るよりも早く、リビングにやってきたゆんゆんの声を受けて執筆を止め、顔を上げた女神ウォルバクはゆんゆんに柔らかく微笑む。

 

「あら、こんばんはゆんゆん。こんな時間にどうしたのかしら、って…………えっ?」

 

 言葉を途中で止め、目を大きく見開く女神ウォルバク。

 その視線の先にあるのは自身の友人であるゆんゆんでも、ましてやあなたでもなく。

 

「…………」

 

 あなたが振り向けば、やはりと言うべきか、そこには呆然と立ち尽くすめぐみんの姿があった。

 赤い双眸は大きく見開かれ、女神ウォルバクに釘付けになっている。ゆんゆんは何を言っていいか分からないようで、視線が女神ウォルバクとめぐみんの間を行ったり来たりしている。

 そんなまるで声を出してはいけないような雰囲気の中、やがてめぐみんがぽつりと小さく呟いた。

 

「……あの、魔法使いのお姉さん。私の事、覚えてますか? 私は、めぐみんという、名前なのですが……」

 

 トレードマークの三角帽子と魔法の杖を床に落とし、めぐみんはそう言った。

 他でもない、怠惰と暴虐を司る女神、魔王軍幹部ウォルバクに向かって、上擦った声で。

 そして女神ウォルバクは困ったように微笑を浮かべ――。

 

 

 

「……ええ、よく覚えているわ。八年……いえ、九年ぶりになるのかしら。久しぶりね、紅魔族のお嬢ちゃん。魔王になるっていう夢はまだ諦めてなかったりする?」

 

 

 

 めぐみんに向かって、そう答えたのだった。



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番外編 カボチャはゲロゲロの香り

※本編とは一切関係の無い小ネタです。


「ああ、今日はハロウィンの日なのか」

 

 カレンダーを見ていたベルディアが、ぽつりと独り言を言う。

 そしてその言葉を聞いた瞬間、あなたは半ば反射的に臨戦態勢に入った。

 

 ソファーの横に立てかけてあった神器を抜いてソファーの陰に隠れ、いつでも攻撃が可能なように眼光鋭く周囲を警戒するあなただったが、しばらく周囲の気配を探ってもそれらしいものは無く、ただ突然このような行動を始めたあなたを驚きの目で見つめるベルディアの姿があるばかりだった。

 

「ど、どうしたご主人。殺気まで出すから滅茶苦茶びっくりしたぞ。特に理由の無い暴力が飛んでくるのかと思った」

 

 ベルディアの言葉に、あなたは自身が盛大に勘違いしていた事に思い至る。

 この世界にあなたが警戒したモノは存在しない、筈だ。多分。

 あなたは恥ずかしそうに頭を掻いてベルディアに謝罪した。

 

「よく分からんが……まあハロウィンだ。シェルター籠りだとどうにも時間があっという間に過ぎていくから困るな。最近まで夏だった気がするんだが」

 

 あなたはベルディアが言っている事が気になったので、素直にハロウィンとは何なのかと尋ねてみた。

 

「ん? ご主人はハロウィンを知らんのか?」

 

 知らないわけではない。

 しかし確実にあなたの思っているハロウィンとベルディアの言っているハロウィンは別物だろう。

 そして昨年の今頃は依頼で一週間ほど山に籠っていたので、あなたはこの世界のハロウィンがどういうものか知らないのだ。

 しかし仮にベルディアの言う『ハロウィンの日』があなたの想像通りだった場合、あなたは本気装備を解放して核をぶっぱなす事も辞さない構えだ。それくらいには不吉な響きであった。まさに悪夢である。終末の比ではない。

 

「ふむん。そうだな、なんというか、ハロウィンというのは……」

「トリック・オア・トリート!」

 

 ベルディアの発言を遮り、その日は朝から自室でゴソゴソと何かをやっていたウィズが突然大声と共に飛び出してきた。

 彼女はめぐみんが愛用しているような漆黒の魔女帽を被り、髪はゆるふわな三つ編みにし、真っ黒でシックな雰囲気のローブとロングスカートを着ていた。靴下も黒でまっくろくろすけの出で立ちだ。

 右手には箒、そして左手にはあなたのとてもとても見覚えのある、人の顔のような形にくり貫いたカボチャのランプを持っており、カボチャの中で蝋燭が人魂のように揺らめいていた。

 あなたはそれを見た瞬間、ウィズの手にあるカボチャを渾身の力で粉砕しかけたがかろうじて自制する事に成功。神の加護に内心で盛大な感謝と祈りを捧げる。

 

「トリック・オア・トリート!!」

 

 カボチャはともかくとして、ぺかーと輝く笑顔のウィズは控えめに言ってとても愛らしかった。今日もぽわぽわりっちぃは絶好調である。

 しかしとりっくおあとりーととは何かの呪文だろうか。体に異変は無いので呪いなどではないようだが。もしここでウィズにポーションや酒を投げつけられていた日には、巷で温厚誠実親切で通っているあなたであっても抜刀は不可避だっただろう。

 幾らウィズでも世の中にはやっていい事と悪い事があるのだ。

 

「ハロウィンというのは、こういうものだ」

 

 ベルディアはそう言うがなるほど、まったく分からない。

 カボチャが関連しているようだというのは辛うじて分かったが。

 あなたの困惑を他所に、ベルディアは仮装したウィズを見てさも不愉快だと言わんばかりに眉を顰めた。

 

「しかし……ウィズはなんだってそんな格好をしてるんだみっともない。ハロウィンだ。ハロウィンなんだぞ? そこんとこ分かっているのか? お前は仮にも定職持ちのいい年した大人の癖して恥ずかしくないのか?」

「うぐぅっ!?」

 

 そのあまりにもきっつい揶揄を受け、ウィズは胸を押さえ、体は横合いから殴りつけられたようにぐらつき床に膝をついた。

 まさか斯様な凄まじい罵倒を受けるとは夢にも思っていなかった表情である。

 しかしそこは歴戦の冒険者。ウィズはすぐに体勢を立て直すとベルディアに吼えた。その目尻に大きな雫を溜めながら。

 

「……い、言いましたね! 言うてはならん事を言いましたねベルディアさん! 人には触れちゃいけない痛みってものがあるんです! そこに触れたらあとはもう命のやり取りしか残っちゃいないんです!! 表に出てください! いいじゃないですか私がハロウィンを楽しんだって!」

「えぇ……お前は何をそんなに怒ってるんだ」

「今のどこに怒らない理由があるとでも!?」

 

 喧嘩するのはいいのだが、ベルディアは確実に死ぬだろう。

 ミンチか、消し炭か、氷漬けか、塵一つ残さず消滅させられるのか。

 まあベルディアがどんな最期を遂げようとも、それはいつもの事なのであなたにとっては別にどうでもいい。そろそろハロウィンの詳細について教えてほしい。

 辛辣なベルディアを見るに、ウィズはハロウィンをやってはいけないのだろうか。

 

「ハロウィンっていうのは腹を空かせた乞食や孤児のガキが魔族とかモンスターの仮装をして、騎士や警備の兵にトリックオアトリートって言いながら菓子を集ってくる配給日の事だ。俺も故郷の騎士団にいた頃に毎年参加したもんだ……貰った菓子をスラムに持って帰ると大人に袋叩きにされて奪われるもんだから、ガキ共は皆その場で食うんだ。足が駄目になって動けない奴や家族の為に頑張って隠して持って帰る奴もいたっけな」

 

 遠い目をして己の過去を語るベルディア。

 その一端は中々に世知辛いものであった。

 

「……まあ、そんな日なんだから、日ごろいい物食ってるいい年した大人がガキと同じ事をやってくれるな、普通にみっともないから。ご近所でウィズ魔法店の店主が物乞いやってたって噂されても俺は知らんぞ」

「なんでベルディアさんはそんな微妙に悪意と偏見に塗れた言い方をするんですか!? っていうか後半のくだりとかちょっと泣きそうになったじゃないですか!!」

「ん? なんだ、もしかしてこの国では違うのか?」

「全然違いますよ! 仮装してトリックオアトリートって言うのは合ってますけど!!」

 

 憤懣やるせないとばかりに頬を膨らませるウィズが説明を始める。

 

「かつてこの国が成立するよりも昔、今日のこの日、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていた時代がありました。ですが同じ時期に有害な精霊や妖精、死霊も活発になるので、それらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた……というのがハロウィンの発祥と言われています」

「そもそも俺達自体がその死霊というかアンデッドなわけだが」

 

 余計な茶々を入れるベルディアを目で制してウィズは続ける。

 

「その後、時代が移り行く過程で様々な伝統や文化、価値観と交じり合っていくようになり、今日では先ほどの説明のような呪術的な意味合いの風習も薄れて、極めてポピュラーで大衆的なイベントとして親しまれるようになりました。それがハロウィンです。……というわけで、凄く簡単に説明しちゃうと、今日は皆で仮装してお菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞーっていうちょっとしたパーティーの日なんです。分かりましたか? 特にベルディアさん」

「仮装して菓子を強請るイベントなら俺ので大体合っているではないか」

「ベルディアさんの言ったハロウィンはあまりにも世知辛すぎます!」

 

 スラムだの袋叩きだのといったのはむしろノースティリスでありそうな話だ。そしてノースティリスでは物々交換や金銭でのやり取りが不可能な場合、盗むか殺して奪うのが基本なのでそういう意味では国中がスラムと言える。長年かの地で活動しているあなたでも間違っていないどころか大体合っていると思えてしまう。ノースティリスとはそういう場所だった。

 

「まあ、ウィズの話は分かった。俺の国とこの国のどっちがおかしいのかは分からんが、とりあえずこの国ではそうなのだな。だがわざわざそんな仮装なんぞしなくても、お前はアークウィザード、つまり魔女でおまけにリッチーなんだから素の格好のままでいいだろうに」

「私の素の格好が仮装みたいだって言いましたか?」

「誰もそんな事は言ってない」

 

 なるほど、今日はそのような祭りだったらしい。

 少なくとも自分の知るハロウィンとは大違いだとほっと一安心する。

 

「……あの、ところでどうですか? 私の仮装。おかしくないといいんですけど」

 

 あなたに向き直ってウィズがそう聞いてきたので、似合っていてとても可愛いとあなたはウィズの格好を絶賛した。

 本当にとても可愛い。特に仮装パーティーを心の底から楽しんでいるウィズがとても可愛い。

 

「そ、そうですか? ありがとうございます。えへへ……」

 

 しかし今日がそんなイベントの日だとは全く知らなかったあなたはウィズに渡すお菓子の用意をしていない。

 今から作って彼女に渡すのも若干片手落ちな感じがする。

 なのでイタズラしてもらう方向でお願いする事にした。

 

「え? い、イタズラですか?」

 

 果たしてウィズはどんなイタズラをしてくれる、もといしてくるのだろうか。とても楽しみだ。

 先に言っておくがこれは断じてセクハラではない。仮装したウィズがとても可愛かったのでからかっているわけではない。

 そういうイベントなのでこれは仕方がない事なのだ。安心して存分にイタズラしてほしい。

 繰り返す。これはセクハラではない。

 

「うわあ……ご主人がめっちゃイイ笑顔してウィズに詰め寄っててこれは……人間の屑……。まあそれはそれとして、俺もお菓子を持ってないからイタズラの方で。勿論セクハラじゃないから勘違いするなよ」

「う、ううっ……」

 

 少しずつ後退するウィズはやがて壁に追い詰められた。

 そして仮装した彼女にイタズラしてもらうべくジリジリと詰め寄っていく、実にイイ笑顔をした大の男二人。実に犯罪的だ。

 これではどちらがイタズラをする側なのか分かったものではない。

 他人が見れば確実に衛兵への通報は免れないだろう。

 仮にここが街中であれば正義感の強い青年が「今すぐその人から離れろ!」などとタイミング良く現れる事請け合いである。

 しかしここはあなた達の家なのでそんな者の介入はありえない。不法侵入で逆に通報案件だ。

 

「へっへっへ……さあウィズ、観念して早く俺達にイタズラをしろ!」

「く……クリエイトウォーターッ!!」

「!? ちょ待っ、俺は流水に弱……ぬわーっ!?」

 

 進退窮まったウィズが放った起死回生の鉄砲水は女神アクアのように家全てを洗い流しはしなかったが、あなたは着の身着のままで風呂にぶち込まれたような濡れ鼠になり、リビングは見るも無惨な水浸しになる事となる。

 ついでに水流に巻き込まれたベルディアは水浸しになった部屋の片隅で無様に倒れ伏し、びくんびくんと痙攣するという瀕死の大ダメージを受けていた。終末始める前だったら多分死んでいたとは本人の弁である。

 

「もうハロウィンはこりごりだよーってか。悪ノリしてすみませんでした!」

 

 ハロウィンはこりごりだという意見には盛大に賛同するが、来年は前もってお菓子を用意しておくとしよう。

 ずぶ濡れになったリビングをハウスボードを使って掃除しながら、あなたはウィズを追い詰めてしまった事を深く反省するのだった。

 

 

 

 

 

 

 その後、あなたはこの後折角のハロウィンが台無しになって滅茶苦茶落ち込んだウィズを慰める為に三人でパンプキンパイやクッキーなどのお菓子を作って配る事になった。

 アクセルの街は老若男女が獣人や妖精、魔女やサキュバスといった様々な仮装をしてハロウィンを楽しんでいたわけだが、その途中で現れたゆんゆんの仮装は一際印象的であった。悪い意味で。

 

「と、トリックオアトリート……お菓子をくれなきゃイタズラ……イタズラします……」

「ブフォッ!?」

「ゆ、ゆんゆんさん!?」

 

 ウィズの店の前でお菓子を配っていたあなた達だったが、ベルディアはそのあまりの格好に噴出し、ウィズが愛弟子のあまりの格好に目を剥く。

 かくいうあなたも三秒ほど思考がフリーズした。

 

「トリックオア……や、やっぱり見ないでくださいぃ……」

「あーダメダメエッチすぎます。……いや、冗談抜きでな?」

 

 言葉とは裏腹に、ゆんゆんの仮装にベルディアはドン引きしていた。

 彼にとっては紅魔族の子供でしかないゆんゆんは性的な目で見る対象ではないからだろう。

 あなたも同様だ。しかしウィズがこんな格好をしていた日には即座に自宅に叩き込んで強制的に他の仮装に着替えさせる所である。彼女がこんな破廉恥な格好をするとは思えないが。

 

「お前さあ、超振動戦乙女の仮装でイタズラしちゃうぞーとかさ……駄目だろ、もう露骨に犯罪っていうか路地裏に連れ込まれてアレコレされても文句言えないレベルだろこれは。そういう趣味だったのか? なんだかんだ言ってもやっぱりお前も紅魔族だったんだな。すまんがそのセンスは俺みたいなのには付いていけないようだ。正直やり過ぎでドン引きだぞ」

「ち、違うんです! これはめぐみんが仮装で勝負って言うから! 私は別に痴女というわけでは!」

「頼むから俺の半径2メートル以内に近寄ってくれるなよ。露出癖が感染する」

「そんな酷いっ!? っていうか感染なんかしませんし露出狂の変態でもありませんから!」

「鏡で自分の姿を見た後にもっかい同じ台詞を言えたら1メートル95センチまで許可してやらんでもない」

「たった5センチだけ!?」

 

 今日のベルディアは実にキレッキレである。

 しかし超振動戦乙女という、尋常ではなく露出度の高い、ほとんど下着か水着だろうというビキニアーマーの仮装をしたゆんゆんは実際に凄まじく衆目を集めてしまっており、耳まで真っ赤になっていた。恥ずかしがりながら手で胸や股間を隠されると最早エロ本の表紙であり犯罪臭が天元突破である。

 もしかしてゆんゆんはお色気担当だったのだろうかとあなたは首を傾げる。

 普段の服装も地味に露出度が高めだが、しかしここまでいくとお色気を通り越してエロとかヨゴレ担当ではないのか。

 衣装についてはどうやら勝負の名目でめぐみんに上手く乗せられて着てしまったようだ。流石のぐうの音も出ないチョロQっぷりである。

 

「あの、ゆんゆんさん。家に私のお古のローブがありますからそれを着ませんか?」

「それだとめぐみんとの勝負が……」

「勝負の前にこのままだと貞操の危機ですよ……」

 

 ごもっともである。

 幾らアクセルの治安が良いといっても限度というものがあるだろう。

 

「なあご主人。ローブの中であんな格好をしてると思うと逆に卑猥になると思わんか?」

 

 ベルディアの言は些かどうかと思うが、同意せざるを得ない。

 超振動戦乙女は遥か昔、魔道大国ノイズでデストロイヤーが製造される少し前に実在した、ノイズ産の装備を身に纏った勇者らしいが、確かに勇者である。

 ゆんゆんもそうだが、人前であんな格好をする勇気そのものが勇者の名に相応しいと言えるだろう。

 あなたが感動とも呆れともつかない感情でゆんゆんを見つめていると、視界の端で下手人がこそこそと隠れているのを発見した。

 

「うわあ……凄い格好してるわね、めぐみんの友達の子。超振動戦乙女のコスプレとか私初めて見たんですけど」

「あんな痴女の知り合いだと思われたくないので他人のフリしときましょう」

「友達にあんな格好させといてお前は悪魔か。……それはそれとしてもうちょっと近づこうぜ。いや、別に深い理由があるわけじゃないけど」

「勘違いしているようなので言っておきますが、確かに私は仮装で勝負とは言いました。ですがあんな無駄に卑猥な格好をしろとは一言も言ってません。あの格好を選んだのはゆんゆん本人です。何考えてるんですかあのアホは。それとカズマ、視姦するならゆんゆんじゃなくてダクネスにしてください」

「いい……アレは凄くいいな……私もあんな格好をしてくるべきだったか……!」

 

 女神アクアはカボチャの意匠のスカートと上着、カズマ少年は狼男、ダクネスはゆんゆんほどではないが臍出しの露出度が高めの鎧で仮装していた。

 そして親友を辱める一方、当のめぐみん本人はいたって健全な、水色と白を基調としたお嬢様のような仮装をしている。確か不思議の国のアリス、だっただろうか。その童話の主人公であるアリスがしている格好によく似ている。小さな背丈も相まってまるで人形のように可愛らしく、とてもよく似合っていた。

 

 女神アクア達と共にお菓子を強請りに来たようだが、まるでノースティリスの友人達を彷彿とさせる梯子の外しっぷりに思わず笑みが零れた。

 流石のぐうの音も出ない畜生っぷりである。だがそれがいい。

 

「うわ……ご主人が痴女を見てほっこりしてやがる」

「ゆんゆんさん、早く私の部屋に行って着替えましょう! あの人にこんな格好を見せちゃ駄目です!」

「あの人、ねえ。嫉妬か? 年下の弟子に嫉妬とか卑しいなあオイ。この卑し系店主め」

「ちちち違いますよ!? 私はあくまでもゆんゆんさんの、友達の為を思ってですね!?」

「はいはい友の為友の為」

 

 などと賑やかなやり取りをしている最中に、それは起こった。

 

 

 

《――――緊急クエスト! 緊急クエスト!》

 

 

 

 街中にルナの声が響き渡る。

 広域放送まで使うとは、冒険者ギルドが催すイベントの一環、あるいはイタズラだろうか。

 あなた達のそんな暢気な考えを、ルナは無常にも一閃で切り捨てた。

 

《特別指定モンスター、ジャック・ザ・リッパーが出現しました! 街の中の冒険者の皆さんは至急お菓子を持って正門前に集まってください! 繰り返します。特別指定モンスター、ジャック・ザ・リッパーが――――》

 

 祭の日の突然のモンスターの襲撃に街中でざわめきが巻き起こった。

 特にウィズを含む女性陣の顔の強張りようは尋常ではない。

 ジャックの習性を知っていればそれも当然だろうとあなたは一人納得する。

 

「……あの、どうか気を付けてくださいね。ジャックはその……アレですから……」

 

 そして何かに怯えるかのような瞳を浮かべながらあなたを見送るウィズに、あなたは絶対に大丈夫なので心配しないで待っていてほしいと笑いかけて告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 特別指定モンスター、ジャック・ザ・リッパー。

 冒険者の間では切り裂きジャックとも呼ばれるそれは、全長二メートルほどの巨大カボチャの頭部にドクロをあしらった大きな海賊帽を乗せ、見る者全てに死の恐怖を植えつける全長六メートル、刃渡り五メートルの巨大な大鎌で武装した大型のモンスターである。

 

「YO-HO-!」

 

 アクセルの街の正門の前で奇声を発し、ゴーストのように宙に浮いているジャックのカボチャ頭の下は足の先まで全身がスッポリとボロボロの黒の外套で覆われていた。

 外套の腰の箇所には蒼く揺らめくランタンが吊り下げられており、ランタンの中にはまるで人魂が中に入っているかのようだ。

 大鎌を持つ手は人間の骨に酷似している。

 足は見えないのだが、外套の中身はどうなっているのだろう。

 

 そんなジャックに相対するのは駆け出し冒険者の街、アクセルの冒険者達。

 全身から緊張感を漂わせる彼らは皆一様に完全武装……しているわけではなく、先ほどまでと同様に様々な仮装のまま、しかし武器や防具ではなく両手一杯に菓子を抱えていた。

 更に冒険者の後方にはギルド職員が引いてきた台車がいくつも並んでおり、これまた多種多様の菓子が山積みになっている。まるで街中のお菓子をかき集めてきたかのような有様だ。

 例外は神器で武装したあなただけである。

 

「YO-HO-! YO-HO-!!」

 

 そして冒険者達が掻き集めてきた菓子を嬉しそうに次々と平らげていくジャック・ザ・リッパー。

 あなたとしてはさっさと襲い掛かりたいのだが、そうするにはアクセルの冒険者達が勢揃いしているこの場は狭くて仕方ない。

 

「……なんだこれ。お菓子パーティー?」

 

 カズマ少年がそのあまりの異様な光景にそう言った。

 どうやらカズマ少年はジャック・ザ・リッパーの事を知らなかったようだ。

 

「ジャック・ザ・リッパーの正しい対処法よ。ジャックはとても強欲で強いモンスターだけど、お菓子を満足するまで食べさせれば何もせずに帰ってくれるわ」

「ああ、だからお菓子持って来いってアナウンスがあったんだな。そういう所はちゃんとハロウィンなのか。でも菓子を渡さなかったり、渡しても満足しなかったらどうなるんだ?」

「そりゃハロウィンなんだからイタズラするに決まってるでしょ。ちなみに切り裂きジャックは、イタズラとしてあの大きな鎌で敵対者、あるいは満足する量の菓子を渡せなかった街の人間の服や鎧を斬るわ。体に傷一つ付けずにズタズタに切り裂くの。それも老若男女見境無しに」

「…………な、なんつう恐ろしいモンスターだ」

「カズマの言うとおりだ! なんという素晴らしい……恐ろしいモンスターなのだ!」

「おいバカ止めろ! 絶対ジャックに攻撃するなよ!」

 

 その光景を想像してしまったのだろう。

 女神アクアのあまりにもおぞましい説明に、カズマ少年だけでなく女神アクアとあなた以外の冒険者と職員全員が一歩ジャックから引き、ダクネスだけが一歩前に出た。露出の高い仮装をした冒険者の女性や、着替える暇も無く駆けつけたせいで超振動戦乙女の仮装の上にローブを一枚羽織っただけのゆんゆんに至っては早くも泣きが入っている状態だ。

 なお追記事項として、どういうわけかジャックは女性の靴下を切り裂かない事で有名である。

 全裸同然に衣服を切り裂いても靴下だけは絶対に手を出さないのだ。ごく一部の界隈でジャックが紳士の中の紳士と謳われる所以である。

 

 そんなジャックはその悪辣さで各所……主に女性達から恨みを買っており、その懸賞金は四億エリスにまで及ぶ。

 直接的な危険は無いにも関わらずかつての冬将軍の二倍だが、これは今を遡る事数代前、この国の王都で切り裂き案件をやらかした事が原因である。

 ジャックは身分の高い人間の衣服を派手に切り刻む習性を持っている。

 なので当時の国王も王妃も年若い王女も、貴族は皆丸裸にされた。女性の靴下だけを残して。

 なお、魔法も結界も一刀で切り伏せる神器、斬鉄剣を手に入れた事でいよいよどうしようもなくなった現在の冬将軍の賞金は六億エリスである。ベルディア二人分だ。最早冬将軍はデストロイヤーが相手であっても余裕で破壊するだろう。また、つまらぬモノを斬ってしまった……と背中で語りながら。

 

「と、とりあえず骨って事はアンデッド系モンスターだよな。よし行けアクア。お前の出番だぞ」

「違うわカズマ。あれは冬将軍と同じ精霊よ。冬将軍が冬の精霊ならジャックは秋の精霊ね。残念だけどターンアンデッドは効かないわ」

「なら爆裂魔法はどうだ?」

「本気になったジャックは目にも留まらぬ速さで動くと言われています。幾ら私の爆裂魔法が最強でも、せめて誰かが足止めしてくれないと当てるのは厳しいと思います。というか下手に攻撃して裸に剥かれたくないので最終手段にしてください」

「マジか……。って精霊って事はまた日本人のイメージに引っ張られたタイプなのか?」

「途中からね。最初はごく普通のカボチャ頭の浮遊霊のような外見だったの。秋といえばハロウィン。ハロウィンといえばカボチャ。カボチャといえばジャック・オー・ランタンでしょ?」

 

 あなたとしてはその説明だけで十分事足りていたのだが、カズマ少年は女神アクアの説明に腑に落ちないことがあったのか、彼女に疑問を投げかけた。

 

「そこまでは俺にも分かる。でもさあアクア。切り裂きジャックって確かイギリスで起きた連続殺人事件の犯人の事じゃなかったか? なんでカボチャなんだよ。俺もあんまり詳しく知ってるわけじゃないけど、それでも切り裂きジャックはハロウィンとは何の関係も無いだろ?」

「そこはほら、()()()()・オー・ランタンと混ざっちゃったのよ。ジャックなだけに」

「どんだけ適当なんだよ! 冬将軍の時といい、もっとちゃんとしろよ転生者! 確かにハロウィンはクリスマスとか正月と比べるとあんまり有名じゃないけど! っていうか今気付いたけど海賊帽とヨーホーって鳴き声、絶対千葉にある某東京なんとかランドのアトラクションにもなってる海賊の映画が元ネタだろ! あの映画の主人公の名前ジャックだし!」

「それ以上は止めなさいカズマ! アンタ消されたいの!?」

 

 カズマ少年を諌めながら女神アクアの解説は更にヒートアップしていく。

 周囲の冒険者は神託ともいえるそれに聞き入るばかりだ。

 

「ジャックと戦いたいのならあの大鎌に気をつけなさい。ジャックの得意技は大鎌から放たれる必殺の同時二回攻撃、その名も雀返し(すずめがえし)よ。そして最終奥義、同時五回攻撃の五輪雀(ごりんすずめ)!」

「五輪雀はともかく雀返しってなんだよ雀返しって。そこは普通燕返しだろ?」

「無学ってやーねカズマ。アンタ雀が英語で何ていうか知らないの?」

「あー、なんだっけ。確か……スパロー?」

 

 何かを察したカズマ少年の目から光が消え、乾ききった笑いをあげ始めた。

 

「ああはいはい、そういう事ね……ジャック、切り裂き、そんでスパローね。……バーッカじゃねえの!? 連想ゲームやってんじゃねえんだぞ!! やっぱりこの世界はどいつもこいつもバカばっかだ!」

海賊(バッカニア)だけに? ……ねえねえカズマさん、もしかして私今ちょっと上手い事言っちゃったんじゃない?」

「何ドヤ顔してんだよ!? 全然上手くねーから!」

 

 周囲の人間には何一つ理解出来ない会話を繰り広げる二人だったが、いい加減あなたも我慢の限界が近付いてきた。カボチャのモンスターを相手にして手を出さないなど、あなたの常識では考えられない。

 

「YO-HO-!!」

 

 勢いよく菓子を頬張りながら鎌を器用にクルクルと回して弄ぶジャックをあなたは強く睨み付け、内心の盛大な苛立ちを紛らわすかのように爪先で地面を掘りながら神器の鍔を何度も親指で持ち上げてチン、チン、と刃を鳴らす。

 明らかに平時の様子ではないあなたに気圧されたのか、気付けばあなたの周囲からはベルディア以外の冒険者が離れてしまっていた。しかし今はそんな事はどうでもいいとあなたは切り捨てる。

 

「……なあ、ご主人、何か過去最大にイラついてるみたいだけど大丈夫か? 実はジャックに恨みでもあったりするのか? 全裸に剥かれた事があるとか?」

 

 あなたとジャックは初対面だ。ジャックそのものに恨みなど無い。

 ただジャックはカボチャのモンスターだ。それだけであなたにとってジャックは抹殺に値する相手なのである。それ以上の理由など必要無い。

 

 ……そう、ノースティリスにもカボチャのモンスター群は存在する。その最上位種の名前がハロウィンナイトメアであり、これがあなたがベルディアの言ったハロウィンという言葉に強く反応した原因だ。

 そしてこのカボチャはノースティリスの冒険者に嫌いなモンスターのアンケートを取った場合確実に五指、下手をすれば三指の内に入りかねないほどの害悪枠なのだ。強いとか弱いとかではなく、ただひたすらにうざい。

 勿論あなたも例に漏れずこのモンスターを蛇蝎の如く嫌っており見つけ次第問答無用で駆除している。

 

 カボチャ達は直接的な戦闘力は低いのだが、ポーションを投擲してこちらに無理矢理飲ませてくる。このポーション投擲が非常に鬱陶しいのだ。

 呪われた酒を投げて無理矢理嘔吐させる、野外で火炎瓶を投げて山火事を起こす、変異治療のポーションを投げて多大なる苦労の果てに取得した良性の変異効果を消す、呪われた変異のポーションでこちらの体を滅茶苦茶にしてくるなど、その悪行は最早枚挙に暇が無い。

 更に一種を除いて皆不可視の能力を持っているので、透明な存在が見えるようになるエンチャントの装備をしていないとこれまた駆除に苦労する破目になってしまう。ノースティリスにおいて透明視のエンチャントが必須と言われる理由の大半はカボチャ駆除の為だ。

 実際あなたも何度嘔吐して餓死したり拒食症になったり体を変異させられたか覚えていないほどにこのカボチャにはお世話になっている。それはこうして廃人となってからも同様である。

 

 つまるところ、あなたのジャックへの苛立ちは私怨、あるいは八つ当たり以外の何ものでもなかった。

 

 

 

「あ、あの……ギルド側としましては、あまり事を荒立てないでいただけると助かるのですが……幸い、お菓子は沢山用意出来ていますし、このままジャック・ザ・リッパーには帰ってもらえれば、と……」

 

 殺気立つあなたに近付いてきたルナが恐る恐るそう言った。

 見ればベルディアや周囲の冒険者達も頻りに頷いている。

 

 しかしそんな要求は断じてお断りである。相手は賞金首だ。つまり殺していい相手なのだ。

 オマケにカボチャのモンスターとくれば殺さない理由がどこにも無い。

 

「あっ、ちょっと!」

 

 他の冒険者達の存在が足枷になるのならば自分と目標が消えていなくなればいい。デストロイヤー戦であなたが学んだことだ。

 ルナの制止を振り切ってあなたは菓子を食べ続けるジャックに近付き、そして。

 

 テレポート、と小さく呟いた。

 

「――――HO!?」

 

 菓子の山が消え、一瞬で自身を取り巻く景色が切り替わった事でジャックが狼狽を示す。

 テレポート先はこういう時の為にあなたが選んだ、アクセルから遠く離れた異国に存在する、終わりの大地と呼ばれる無尽の荒野。

 数百キロ圏内に人里は無く、ここならば何をやっても誰にも迷惑はかからないし誰にもバレはしない。

 

「YO-HO-!!!」

 

 お楽しみの時間を邪魔された事であなたに向けて目を吊り上げて怒りを顕にするジャックに向かってあなたが酷薄に嗤いながら愛剣を抜き、同時にノースティリスで愛用していた全ての装備を解禁。あなたの本気を感じ取った愛剣が歓喜の雄たけびを上げてエーテルを放出する。

 夕闇に煌くエーテルの大剣はまるであなたが今まで切り捨ててきた無数の命が一つに集まって形成された巨大な人魂のようだった。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜の食事はとても豪勢なものになった。

 テーブルがオレンジ一色に染まっているが、その事を気にする者など誰もいない。

 

「うーん、すっごくおいひいれすー!」

 

 食卓に並んだカボチャのパイ、カボチャのシチュー、カボチャのグラタン、カボチャのプリン、その他様々なカボチャの料理にウィズは目尻をとろんとろんに下げて堪能している。

 

 呆れかえるほどにカボチャ尽くしな夕食だが、衣服を数箇所切り裂かれた以外は無傷だったあなたが家に持ち帰った全長二メートルほどの巨大カボチャは非常に大きく経験値を大量に含んでおり、ネットリとした甘みの強い極上の逸品で食道楽のあなたとウィズの舌を大いに満足させていた。いつぞやのキャベツも美味しかったが、これはそれ以上だ。

 またまだカボチャは残っているので近隣の住民に配っても暫くはカボチャ料理が続くだろうが、幾ら食べてもまったく飽きる気がしない。流石は極上の獲物なだけはあった。

 

「それにしてもベルディアさんはどうしたんでしょうか? こんなに美味しいカボチャなのに絶対食べたくないだなんて。折角あなたがこんなに美味しいカボチャを採ってきてくれたのに勿体無いですよね」

 

 あなたが激戦の末に()()()()()カボチャに満面の笑みで舌鼓を打つウィズを見ながらあなたはとてもスッキリした晴れやかな心地で微笑み、ウィズの作ってくれた絶品のカボチャのパイを口に放り込む。

 

 

 

 

『……YO-HO-』

 

 パイを口に入れると同時に、どこからか何者かの恨めしげな声が聞こえてきた気がした。




《ジャック・ザ・リッパー》
 この世界の人間と日本人のイメージが混ざって出来た秋の精霊にしてカボチャ頭の高額賞金首。
 性格は冬将軍と違って子供っぽくてお菓子とイタズラが大好き。
 頭部のカボチャは栄養満点で経験値も豊富で、カボチャ嫌いの子供がおかわりを止められない程に美味しいらしい。
 冬将軍もだが、討伐しても季節を司る精霊なので形を変えてそのうち復活する。
 恐らく来世は芋とか栗の姿になると思われる。

★《パンプキン・ヘッド》
 それは巨大なカボチャだ。
 それは生もので出来ている。
 それは食べる事が出来る。
 それはとても美味しい。


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第54話 かくして彼女の夢は成就する

 自宅に押しかけてきた紅魔族二名を含めた四人でリビングのテーブルを囲む。

 めぐみんは女神ウォルバクに何を言っていいか分からないようで、普段の威勢の良さはすっかり鳴りを潜めてしまっている。まるで借りてきた猫のようだ。

 寸前の会話からしてめぐみんと女神ウォルバクの間に浅からぬ縁があるというのは分かるが、あなたは彼女達の事情を何一つ知らないので全く口出し出来ない。なのでとりあえず二人の関係について説明を求めてみる事にした。

 

「そうですね。えっと……スロウスさん、スロウスさんはめぐみんとお知り合いだったんですか?」

「ええ。といっても、さっき言ったようにその子がまだほんの小さい子供だった頃に一回会ったっきりなのだけど」

 

 子供の頃に一度会っただけというには、女神ウォルバクを見ためぐみんの反応はまるで生き別れになってしまった家族と再会したかのように劇的であった。きっと余程の事があったのだろう。

 同じ爆裂魔法使いとしてめぐみんと気が合いそうだとは思っていたが、まさか本当に関係を持っていたとは。

 一人驚きながらも納得するあなたであったが、そんなめぐみんはちらりとあなたに視線を向けた後、十秒ほど間を置いて口を開いた。

 

「ゆんゆん、私が爆裂魔法の虜になった原因の話はまだ覚えていますか?」

「勿論忘れてなんかいないわ。その直後にめぐみんがやった事を含めてね……」

「大げさな。ちょっと見つけたカモネギを晩御飯のおかずにする為に絞めただけじゃないですか」

「ええ……」

 

 ゆんゆんと女神ウォルバクが同時にめぐみんのあまりにも無慈悲な発言に引く。

 あなたがドリスで軽くネギガモの群れを虐殺したと知られたら二人はどんな反応を示すのだろうか。ネギガモは葱も肉もとても美味しかったのであなたは全く後悔も反省もしていないのだが。

 それはさておき、めぐみんはあなたに向けて、自身が爆裂魔法使いになった経緯について話し始めた。

 

「私がまだ小さい子供の頃、魔獣に襲われた事があったのです。邪神の封印を担うパズルをおもちゃとして遊んでいた時にいきなり現れましてね」

「……何やってんのめぐみん!? 私邪神の封印で遊んでた件については初耳なんだけど!?」

「あれ、そうでしたっけ? まあ昔の話ですし、どうでもいいじゃないですかそんな事は。……そんなこんなで大ピンチになった私でしたが、そこにたまたま通り掛かった魔法使いのお姉さん……いえ、スロウスさんでしたか。スロウスさんが爆裂魔法でその魔獣を撃退したのですよ。その時の爆裂魔法の威力はそれはもう凄まじく、紅魔族の里の大人であっても誰一人叩き出せない最強魔法の名に相応しい威力でした。その閃光、爆発、全てを灰塵に帰す絶対的な力に当時の私は一瞬で魅せられ、スロウスさんに爆裂魔法の習得方法を教えてもらったのです」

「そうだったんだ……スロウスさんが……」

 

 つまり身も蓋も無い事を言ってしまうと、めぐみんの現状は大体女神ウォルバクのせいだった。

 

 そして紅魔族の里に封印されていたという邪神。邪神認定を食らっており、現在は半身と分かたれて弱体化しているという女神ウォルバク。

 女神ウォルバクは封印されて長く幹部の席を空けていたが、およそ十年ほど前に幹部として復帰したという話をあなたはベルディアから聞いている。めぐみんもゆんゆんも気付いていないようだが、とても関連がありそうな話題である。

 あなたが何かに勘付いたという事を察したと思われる女神ウォルバクがあなたを横目で見やったが、それ以上の事は何も言ってこなかった。

 

「……まあそういうわけね。まさかこうして会う日が来るとは思わなかったわ。……でも爆裂魔法は習得に必要なポイントも膨大だし、まだ流石に使えるようにはなっていないでしょ?」

「使えますよ」

「えっ」

「ですから、私はもう爆裂魔法を使えます。というか毎日使ってます」

 

 渾身のドヤ顔で自身の冒険者カードを女神ウォルバクに見せ付けるめぐみん。

 あなたはギルドカードを見つめる女神ウォルバクが冷や汗を流している事に気付いた。めぐみんとゆんゆんは気付いていないようだが、心なしか頬が引き攣っているようにも見える。

 

「ほ、本当に覚えちゃってるわね。確かに私は爆裂魔法を教えたけど、私、あまりオススメしないって言った筈なんだけど……というかあなたの年齢で既に爆裂魔法を覚えてるってどういう事なの……」

「スロウスさん、めぐみんは紅魔族随一の天才なんですよ!」

「なんでゆんゆんが嬉しそうなんですか」

「え? そ、それはほら、めぐみんは私の、ほら……」

「え? 聞こえませんよ。めぐみんは私の、ほら、なんなんですか?」

 

 少しずつエンジンがかかってきたのか、笑顔でゆんゆんをいびり始めためぐみんがいつもの調子に戻ってきたのとは対照的に、女神ウォルバクはめぐみんの冒険者カードを見て困惑を深めていった。

 

「……あら、でもちょっと待って? このカード、爆裂魔法とそれを補助する為のスキルしか書かれてないように見えるんだけど私の気のせいかしら。初級魔法すら無いんだけど」

「あってますよ。私は爆裂魔法と爆裂魔法を強化するスキル以外のスキルを習得していませんし、習得するつもりもありませんので」

「テレポートとか、上級魔法とかは……」

「この先も覚える予定はありません。私は爆裂魔法以外一切興味が無いので。私は貴女に教えてもらった爆裂魔法を以って私こそが最強だと証明してみせます!」

「そ、そう……えっと、その……頑張って、ね?」

「はい!」

 

 キッパリとそう言い切った、頭のおかしい爆裂娘の意思が固いと理解したのだろう。女神ウォルバクは悪い事は言わないから他のスキルを習得しろと告げる事無く冒険者カードをめぐみんに返しながら、あなたにアイコンタクトを送ってきた。

 

(ね、ねえ。これってどうすればいいのかしら。私のせいで前途有望な才能溢れる紅魔族の女の子が道を踏み外しちゃった感じなんだけど……魔王軍に頭がおかしいって言われるエレメンタルナイトの力で何とかならない?)

 

 彼女は喧嘩を売っているのだろうか。あなたは相手が神であろうとも全力で買う人間なのだが。切実にここが剥製とカードをドロップしない世界なのが悔やまれる。

 ともあれめぐみんについてはどうもこうもないし、今更あなたが何かを言った所で何ともならないだろう。彼女の爆裂魔法にかける情熱が本物である事はあなたもよく知るところである。

 当の本人が現状に満足しているのだから、それでいいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

「それで、どうして私の人生を決定付けてくれた大恩人のスロウスさんがあなたの家にいるんですか? 話を聞くに、どうやらゆんゆんとも知り合いみたいですし」

 

 あなたが淹れた茶を飲みながら、めぐみんが問いかけてきた。

 ゆんゆんは女神ウォルバクとウィズの正体を知らない。

 しかしめぐみんはウィズがリッチーである事を知っている。更に確証は無いが、恐らくはウィズが魔王軍の幹部だという事もカズマ少年から聞かされていると思われる。バニルの件もあるのでその可能性は非常に高いといえるだろう。

 相変わらず女神ウォルバクとウィズを取り巻く人間関係が錯綜しすぎである。とてもめんどくさい。

 

「彼とは最近ドリスで知り合ったのよ。ゆんゆんとは結構前にアルカンレティア行きの馬車の中でね。その時はちょっと話をしてすぐに別れちゃったんだけど、彼と一緒にドリスに来てた所をばったり再会したの」

「アルカンレティアはともかく、ドリスというとあの温泉街で有名な観光地ですか」

 

 私そんなの一言も聞いてないんですけど、とめぐみんはあなたとゆんゆんをジロリと睨み付けてきた。

 ゆんゆんが慌てて秘密にしてた修行の一環だったから、とめぐみんに言い訳するも、実際はドリスには養殖でメンタルがいっぱいいっぱいになったゆんゆんの慰安の為に赴いたので、彼女のライバルであるめぐみんに話していないのは当然である。色々な意味で。

 

「それで私がドリスにいた理由なんだけど。私は温泉めぐりが趣味っていうのと、本来の力を取り戻すために湯治をしていたわけ。実は今の私は半身を失っていて、本来の力を出せない状態でね……それでまあ、そこそこ長い話だから詳細は省かせてもらうけど、簡単に言うとそこの彼の持ち物に失われた私の力を大きく回復させるものがあると分かったから、その力を貸してもらう為にこうしてアクセルに滞在しているの」

「ほ、ほう……」

 

 女神ウォルバクの話を聞く紅魔族二名は目を赤く光らせてうずうずしていた。

 紅魔族は興奮すると目が光るというよく分からない生態を持っている。以前もそうだったが、彼女の話の何が紅魔族の琴線に触れているのであろうか。

 

 

 

 

 

 

「まさかずっと探し続けていた魔法使いのお姉さんとこんなドラマもクソもあったもんじゃない流れで再会する事になるとは……いえ、こうして会えた事に関しては全く構わないというか、凄く嬉しいんですけどね。そこんとこだけはちょっとだけあの頭のおかしいのに感謝してやらなくもありません。ええ、ちょっとだけ。でももう少し雰囲気というか盛り上がりとかあるじゃないですか。そう、例えばスロウスさんが大ピンチの所に私が颯爽と駆けつけて爆裂魔法でピンチを解決するとか」

「ねえめぐみん。その後めぐみん魔力切れで倒れちゃうんだけど、それって本当に盛り上がるの?」

「うるさいですよ裏切り者。まさか私より先に私の恩人に会っていたとは……しかもそれを私に黙ったままでいるなんて信じられません。私が爆裂魔法使いを目指した理由、そして私の夢をゆんゆんだけは知っていたというのに。今回は事情を説明する為に仕方なく頭のおかしいのに話しましたが、この件はまだ家族やカズマ達にだって話してないんですよ?」

「わ、私だけ、私がめぐみんの特別……って何よ裏切り者って!? スロウスさんとめぐみんが知り合いだなんてちっとも知らなかったんだから仕方ないでしょ!?」

「世の中って広いようで意外と狭いですよね」

 

 時刻は夕日が殆ど沈み、少しずつ星が輝き始めた頃。

 あなた達はぶつくさと呟きながら先頭を行くめぐみんに連れられてアクセルの外に出ていた。

 なんでも彼女は街の外で女神ウォルバクに見せたいものがあるのだという。事情通のゆんゆんはともかくあなたは呼ばれていないのだが、特にやる事も無いので何となく同行している。

 

 同行する傍ら、紅魔族二人の後方でこそこそと内緒の話をするあなたとウォルバク。勿論話題は女神ウォルバクとめぐみんの関係についてだ。

 

「……そう、あのお嬢ちゃんはウィズがリッチーだと知っているのね。バニルあたりから私の正体がバレたりしないかしら。いつか知られるにしても今はちょっと勘弁してもらいたいのだけど」

 

 今の所ベルディアの正体が他者に……それこそ元同僚の女神ウォルバクにもバレている様子は無いのであなたはそこの所は心配していない。バニルはとてもイイ性格をしているが、わざわざウィズの店に不利になるような事はしないと思われる。

 しかしこれはベルディアが金蔓と見られているあなたのペットだからの可能性も捨てきれないわけだが。

 女神ウォルバクがあなたのペットになれば大方の問題は解決しそうなのだが、モンスターボールの在庫が無い。キョウヤ曰く以前この世界に来たニホンジンが持ち込んでいるとの事なので一度探してみるべきだろうか。女神エリスとの神器回収で手に入れられればいいのだが。

 

 ところでやはり女神ウォルバクの封印を解いたのは幼い頃のめぐみんなのだろうか。あなたは本人に問いかけてみる事にした。

 

「私も直接見たわけじゃないけど、状況証拠的にはそうなるのかしらね。賢者級の冒険者でも中々解けない代物だったんだけど……まさかあんな小さいお嬢ちゃんがね……」

 

 紅魔族随一の天才は幼少の頃よりその片鱗を見せていたようだ。

 女神ウォルバクの影響で爆裂狂になっていなければ間違いなく歴史に名を残した事だろう。今のままでも残しそうだが。

 

「その話題は私の気が罪悪感で重くなるから止めましょう。はい止め止め」

 

 あーあー聞こえない聞こえないとばかりに指で耳に栓をする女神ウォルバク。

 そこまで気にするのであれば、何故めぐみんに爆裂魔法を教えてしまったのか。

 

「いやほら、封印を解いてくれたお礼に願い事を叶えてあげるって言ったんだけどね? あの子世界征服とか巨乳になりたいとか魔王になりたいとか言ったのよ。封印云々は覚えてないみたいだけど」

 

 先ほどめぐみんに魔王を目指しているのかと聞いたのはそれが理由だったようだ。

 しかし他二つはともかく女神ともあろうものが一人の少女を巨乳に出来なかったのだろうか。

 あなたの知る願いの女神は性転換だろうが若さだろうが叶えてくれるのだが。やはり半身を封じられているが故に全力を出せないのが原因と思われる。

 

「幾ら女神でも無理なものは無理だから! ……それでまあ、あの子が最後に願ったのが爆裂魔法を教えてほしいって事だったの。けどまさかあの時の子供がこんな事になってるなんて夢にも思わないわよ。爆裂魔法一本で食っていくなんて魔族でもやらないわよそんなの……」

 

 どこか遠い目をして呟く女神ウォルバクにあなたは言葉を返そうとし、ぴたりと足を止めた。

 

「……どうしたの?」

 

 突然足を止め、アクセルの方角に目を向けたあなたに女神ウォルバクが不思議そうに振り向くも、何でもないとあなたは首を振って歩くのを再開する。

 

 本当に大した事ではない。ちょっと()()()()()()()()()()()だ。

 壁端に追い詰められたのかは分からないが、死ぬ直前の体力の急激な減り方から見てどうやら事故ってしまったらしい。

 大幅なレベルアップの甲斐あって、ベルディアの終末狩りは最初の頃のように即死する事もなくかなり長続きするようになったのだが、それでも時々こういう事がある。とりあえず帰ったら蘇生せねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

「さて、ここら辺でいいですか」

 

 やがて、めぐみんはアクセルから離れた草原まで来ると後方のあなた達に向き直った。

 広々としたこの場所は爆裂魔法を使うにはもってこいといえるだろう。

 

「魔法使いのお姉さん……いえ、スロウスさん」

 

 女神ウォルバクをジッと見つめ、めぐみんは言葉を続ける。

 

「私はずっと、貴女にお礼を言いたかったんです。私はその為にこうして冒険者になり、紅魔族の里を旅立ちました。あの日貴女と出会い、爆裂魔法を教わっていなければ、私はごく普通の天才魔法使いとして一生を終えていたでしょう。本当にありがとうございました」

「…………」

 

 深く頭を下げるめぐみんは気付いていないが、女神ウォルバクの目から光が消えかけている。

 彼女は自身の封印を解いてくれた恩人にして未来ある若者を頭のおかしい爆裂狂にしてしまった事をかなり気にしているようなので、自覚なしとはいえ過度な死体蹴りは止めてあげてほしい。そのうち本当に泣きかねない。

 

「そしてもう一つ。私はずっとずっと、貴女に教わった爆裂魔法を見せたかった。それが私の夢でした。……だから、見ていてください。私の爆裂魔法を……!」

 

 強い決意を湛えた声を発し、めぐみんが爆裂魔法の詠唱を開始した。

 彼女が構えた杖の先には紅魔族随一の天才の膨大な魔力の全てが圧縮された、燃えるような白い光が輝いている。

 

 爆裂魔法はあらゆるスキルの中で最も習得、制御、発動が難しい魔法である。

 それ故にまともに食らわせられれば、ドラゴンや悪魔はおろか、神や魔王ですらも滅ぼし得る、人類の持てる最強にして必殺の攻撃魔法。

 それを年若くして完全に制御してみせるめぐみんの桁外れの才能に、あなたの隣に立つ女神ウォルバクが息を呑む。

 

 

「エクスプロージョン――――ッ!!!」

 

 

 やがて詠唱が終わり、杖から放たれたのは夕闇を切り裂く白い閃光。そして数瞬をおいて、天地を揺るがす壮絶な大爆発が巻き起こった。

 他の追随を許さない絶対的な破壊力は大地に深い傷跡を刻み込み、遠くの森からは一斉に鳥達が羽ばたいていくのが見える。

 そして吹き荒れる爆風と轟音はデストロイヤー戦で女神アクアの魔力のブーストを受けて放った、最後にデストロイヤーを消滅させた時の規格外のものにこそ及ばないものの、しかしウィズと同時に放った時より確かに威力が上がっているようだ。

 

「これが、私の爆裂魔法です。あなたが私に教えてくれた爆裂魔法です」

 

 誰もが威力ばかりが無駄に高いネタ魔法だと、実戦では役に立たないと口を揃えて笑うそれを放ち、草原に巨大なクレーターを作っためぐみんは振り返ってそう言った。膨大な魔力を伴った突風の中、それでも吹き飛ばされる事無く。

 いつもであれば爆裂魔法を使った後のめぐみんはその場に倒れ伏してしまうにも拘わらず、今日の彼女は今も両足で立って女神ウォルバクを見つめている。

 

「……スロウスさん。あなたに教えてもらった、私の爆裂魔法はどうでしたか?」

 

 紅魔族随一の天才アークウィザードは。アクセルでも評判の頭のおかしい爆裂娘は。

 輝くような笑顔で恩人に問いかけたのだった。

 

 

 

 

 

 

「あー……発動ギリギリの魔力で頑張った分いつもより反動がきっついです。これ、明日爆裂魔法使えますかね……」

 

 あなたの背中におぶわれためぐみんが疲労困憊といった風の声色で呟いた。

 

 結局、めぐみんは女神ウォルバクの返答を聞いた瞬間にいつも通り魔力切れでぶっ倒れていつも通り行動不能になってしまった。

 暗かったのであなたはよく見えなかったのだが、それまでは気合と根性で踏ん張って立っていたらしい。本人曰く膝をガクガク震わせていたとの事で、なんかもう色々と台無しである。

 

 ――ふふ、恩人に私の爆裂魔法を見せる事が出来ました。……これで長年の夢が叶い、私にもう、思い残す事なんか何一つ……いやめっちゃありますけど。私はこの爆裂魔法で世界最強目指しますし。アクセルのエースとか私の爆裂魔法で鎧袖一触ですし。あーそれはそれとして駄目ですなんていうかもう無理です限界ですいっぱいいっぱいですすみません私凄く頑張りましたどっちでもいいので後の事はお願いしますぐえー!

 

 そんな言葉を一息で吐き出し、ビターンという擬音が聞こえてきそうなほどに豪快に前のめりに地面に倒れためぐみん。

 

 ――気を確かに、死んじゃ駄目よ! ああああああ、わ、私が爆裂魔法を教えたせいでこんな事に!

 ――だ、大丈夫ですよスロウスさん。めぐみんのこれはいつもの事ですから。

 ――だってびたーんって! びたーんって! ぐえーって!!

 

 そして驚き慌てふためいて、必死にめぐみんに涙声で呼びかける女神ウォルバクと彼女を大丈夫ですからと落ち着かせようとするゆんゆんのコントっぷりは傍から見ていて抱腹絶倒……もとい感涙物であった。むしろあまりの人の良さに邪神の名が泣いているのではないだろうか。

 

 そんなわけで現在は魔力切れでぶっ倒れためぐみんをあなたが背負い、あなた達四人は帰路についている最中である。

 盛大に取り乱したのが恥ずかしいのか、両手で耳まで真っ赤に染まった顔を覆ったままの女神ウォルバクが大変微笑ま……可愛ら……痛々しい。ゆんゆんとめぐみんもそれについてはそっと触れないであげている辺り、なんだかんだいっても二人は善良である。あなたや友人のように全力で煽らないのだから。

 

 まあそれはともかく、めぐみんの爆裂魔法は基本的に一日一発。

 あなたとしてはてっきりリザードランナーの群れにぶっ放したと思っていたのだが、今日は爆裂魔法を使わなかったようだ。

 

「ちょっとカズマのせいで爆裂魔法を使うだけの魔力が足りなかったんですよ。結局カズマが姫様ランナーを弓で仕留めてリザードランナーの群れは解散しました。おかげでレベルアップの機会を逃しましたが……そのおかげで今こうして爆裂魔法が使えたわけですから、これが災い転じて福となすってやつですか」

 

 そういえば今の今まで聞きそびれていたが、めぐみんはあなたの家に一日でいいので匿ってほしいと訪ねてきたのだ。リザードランナー討伐の際に何かあったのだろうか。

 

「あー……そのですね。ちょっとリザードランナー討伐の後にカズマと喧嘩をしたといいますか……いえ、実際はまだ喧嘩をしたわけではないんですが、私が今家に戻ったら絶対に喧嘩になる事が確定しているといいますか……カズマの事ですからスティールを連発してきて私を全裸にしかねません。なのでほとぼりが冷めるまで数日は帰らない予定です。最初はゆんゆんの泊まってる宿に泊まろうと思っていたんですが、宿泊客でいっぱいだったので。ゆんゆんの部屋は荷物でいっぱいでしたし」

 

 本当にめぐみんはカズマ少年に何をしてしまったのだろう。なんだかんだでカズマ少年は面倒見のいい、仲間思いの所のある少年な筈なのだが。

 事と場合によっては仲直りを取り持ってもいいとあなたが言うと、めぐみんは後ろを歩くゆんゆんとウォルバクを一瞥した後、二人に聞こえないように小さな声で耳打ちしてきた。

 

「私達はリザードランナー討伐の際に木の上に登っていたんですが、カズマがドジして落っこちて首の骨が凄い事になったんです。こう、ぐるんっと。まあそこはアクアのお陰でなんとかなったんですが、アクア曰くあのバカは何を思ったのか来世で幸せに生きるとか言い出しましてね。なので私は気絶したままのカズマの下腹部に『包○野郎、ここに眠る↓』というラクガキを……」

 

 驚愕の事実にあなたは噴出した。

 酷い。イジメだろうか。どうしてそんな事するの……? とどこぞの銀髪幼女に言われる事請け合いの蛮行である。

 というか年頃の少年にその行為は普通に可哀想というか残酷すぎるので止めてあげてほしい。

 風呂場でラクガキに気付いたカズマ少年の困惑と怒りは想像して余りある。それはめぐみんが帰ったら喧嘩になるだろう。ならないわけがない。

 あなたが何があったかは知らないがその年齢であまり下品なのはどうかと思うと素直な感想を送ると、めぐみんは恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

「ほ、本当は『聖剣エクスカリバーⅡ↓』にしようとしていたんです。ですが気付けば何故かあんな文字をですね。アレはきっと別世界の私、具体的には十七歳か十八歳くらいの私です。その私がそうしろという一種の天啓にも似た情報を送って……いえ、誤解です。私はカズマのソレを見た事があるわけじゃないですよ? 今回だって下着までは脱がしてないです」

 

 どちらにせよ、ラクガキの内容はどっちもどっちである。

 形勢が悪すぎるとめぐみんは悟ったのか、こほんと咳払いをして無理矢理話題を変えた。

 

「ところでスロウスさん」

「な、なに?」

 

 羞恥を引き摺っているのか、顔を上げた女神ウォルバクの声は上擦っている。

 

「私は今はまだ爆裂魔法に詠唱が必要な未熟な身ですが、いずれは詠唱すら不要になるほどに極めた私の爆裂魔法で邪神だろうが魔王だろうが打ち倒してみせます。貴女が教えてくれたこの爆裂魔法で! どうかその時を楽しみにしていてください!」

「そ、そう。お姉さん、その時を楽しみにしてるわね」

 

 魔王軍幹部兼怠惰と暴虐を司る邪神は頬に一筋の冷や汗を流してそう答えた。めぐみんが半泣きの恩人を吹き飛ばさない事を祈るばかりである。

 そんなめぐみんを止めるようにと、縋るような目で見られてもあなたにはどうしようもないが、もしそうなったら可愛い妹分の為に復活の魔法を使ってもいいかもしれない。復活の魔法のストックはあまり無いが、女神ウォルバクの為にせめて一回分は残しておこう。

 

《――お兄ちゃんはさぁ……紅魔族の人?》

 

 突然の電波介入にそういえばアレは紅魔族を嫌っていた事をあなたは思い出した。

 とりあえずあなたはノースティリスの人である。

 

《だったらさあ。むやみに私以外の女の子の事を妹とか思わない方がいいよ。その子勘違いするかもしれないし》

 

 あなたはめぐみんを妹分と思っただけで妹そのものとは思っていない。

 なのでノーカウントである。口に出す気も無い。

 

《……はぁー》

 

 長時間コースになりそうなので電波を強制的に打ち切る。

 

「……あ、あの」

 

 あなたに背負われているめぐみんが先ほどまでのハイテンションから一転、怯えきった震え声で話しかけてきた。

 

「……もしかしてですけど、あなたは何かに呪われてたりしますか? 今一瞬、赤い包丁を持った緑色の髪をした小さな女の子が椅子に座る幻影が見えたんですが」

「え? 私には見えなかったけど? スロウスさんは見えましたか?」

「私にも見えなかったわ」

 

 どうやらめぐみんはアレの姿を見てしまったようだ。

 あなたは彼女の問いかけに気のせいだろうと答えて歩を進める。

 

《紅魔族を、潰す……!》

 

「ほら、今紅魔族を潰すって! ……待ってください、違いますよ二人とも、私がおかしいわけじゃないですから! うんうん分かってるじゃないですって、その目は絶対分かってないでしょう!?」

 

 空を見上げれば煌く星々が夜空に瞬いていた。

 無限に広がる宇宙に思いを馳せれば、自分の事などどこまでもちっぽけな存在でしかない。

 

 神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。

 そういう事である。

 

 

 

 

 

 

 どっぷりと日が暮れた頃にアクセルの自宅に戻ってきたあなた達。

 ウィズの店も既に閉店しており、そろそろ夕飯の時間である。

 

「……あ、お帰りなさいっ! 今日は本当にありがとうございました! あなたのお蔭でお店がすっごく盛り上がって私凄く嬉しかったです! バニルさんも高笑いしてとても喜んでましたよ!」

 

 店を閉めてすぐに夕飯の支度を始めていたのか、ポニーテールにエプロンという相変わらずの若奥様感丸出しの格好でウィズが帰宅したあなた達を出迎えた。

 こちらまで笑顔になりそうなぽわぽわりっちぃの素敵な笑顔を受け、やはり演奏の件は自身の心の内に仕舞っておこうと決意を新たにする。

 

「めぐみんさん、ゆんゆんさん、スロウスさん、こんばんは。……えっと、どうされたんですか?」

「いえ……」

「その……」

「ねえウィズ、私達お邪魔虫だったりしない? このままだと馬に蹴られて地獄に落ちそうなんだけど」

 

 言葉の意味が理解出来ないのか、ウィズは目を点にした。

 かくいうあなたも分からない。

 

「え? えっ? お邪魔だなんて、そんな事は無いですよ。どうぞあがっていってください。スロウスさんはお風呂ですよね。ゆんゆんさんとめぐみんさんもお夕飯食べていかれますか?」

 

 何故か気落ちした様子の三人にウィズとあなたは首を傾げる。

 

「ねえめぐみん。これが圧倒的勝ち組ってやつなのね……」

「冒険者を辞めた後の理想的な余生の一つである事は認めます。個人的には相手がコレなのはちょっとどうかと思いますがね……」

「私だって向こうに帰れば可愛い信者達がいるもの……いるもの……」

 

 

 

 

 

 

 その後、ウィズにめぐみんの事情を簡単に説明してめぐみん、そしてそれに付いて来る形でゆんゆんがあなたの家に一泊する事になった。ゆんゆんは申し訳なさそうにしていたが、むしろめぐみん一人な方が問題が起きそうなのであなたとしてはとても助かっている。

 そしてあなたが死んだベルディアを回復させてリビングに戻ると、そこは別世界だった。

 

「ウィズは流石というかなんというか。適性値180って中々いないわよ」

「いえ、私はそんな……ほら、幾ら高くても私はアレですし」

「ふふん、今回も私の勝利みたいねめぐみん。これで二連勝よ二連勝。というかめぐみん、8ってどんだけ勇者に向いてないのよ」

「はあ? 何言ってるんですかゆんゆんは。生憎ですが私は勇者なんか目指してませんからこれは負けじゃないですよ。むしろ低いほうがありがたいくらいです」

 

 何をやっているのか、和気藹々と過ごす四人のアークウィザード達。

 あまりの華やかさにあなたはたじろいだ。ここは自宅だというのに、自分達があの場に混じっていいものかと若干戸惑う程に。

 

「これは……爆裂魔法の使い手が三人……来るぞご主人!」

 

 突如ベルディアが迫真の表情で電波の発信を開始する。あるいは受信したのかもしれない。

 しかし一体何が来るというのか。

 

「何ってそりゃあ……エレウィズとか?」

 

 強化しすぎたか。これはもう駄目かも分からんね。次のベルディアはきっと上手くやってくれる事でしょう。

 あなたは内心で支離滅裂な言動のベルディアに冷徹な感情を抱く。

 つい最近ドリスで散々温泉に入って心と体を癒したばかりだというのにこのザマである。

 温泉が駄目となると、以前その存在を知ったアクセルの路地裏に存在するという冒険者御用達の娼館に一度ベルディアをぶち込んでみてもいいかもしれない。

 病気を貰ってくるかもしれないが、どうせ死ねば治るので問題無い。

 

 真剣にベルディアを引きずって自室に戻る事を検討し始めたあなただったが、その前にメガネをかけたウィズがあなたに振り向いてきた。

 

「あ、今ですね。スロウスさんが持って来たこのメガネで私達の勇者適性値を……ええええええっ!?」

 

 突然の絶叫に全員の視線がウィズに集中する。

 

「ど、どうしたの? いきなり大声上げたりして」

「ま、マイナス200です。勇者適性値、マイナス200……」

 

 ウィズの言葉を受け、今度はあなたに視線が集中した。

 

「流石の私もそれは引きます。人でなしですかあなたは」

 

 呆れ顔のめぐみん曰く、ウィズがかけていた眼鏡は女神ウォルバクがエーテル風呂の代価としてあなたに渡すために持ってきた神器なのだという。

 何でも他人の勇者適性値、つまりその人物がどれだけ勇者に向いているかが分かる代物らしい。女神ウォルバク曰く、100あればその人物は勇者と呼ばれるに相応しいのだとか。

 

 なお、各々の勇者適性値はウィズが180。ゆんゆんが94。めぐみんが8。ベルディアが133。そしてあなたがマイナス200。

 ある意味でぶっちぎっているがなるほど、あなたとしても自身の数値に異論は無い。マジックアイテムは正常に機能していると言えるだろう。

 ノースティリスの冒険者、それも廃人がこの世界の勇者に相応しいわけがないのだから。

 

 

 

 

 

 

 ウィズが夕食の準備を行っている間、思い思いにくつろぐあなた達だったが、難しい顔で自身の冒険者カードを見つめるめぐみんにエーテル風呂からあがったばかりの女神ウォルバクが近付いていった。

 

「どうしたの? そんなに冒険者カードを見つめて」

「いえ、もっと爆裂魔法を強化する為にはどういったスキル構成にしたものかと悩んでいたのです。今の私ではレベル不足もあってまだまだウィズやスロウスさんの爆裂魔法には届きませんから」

「そ、そう……」

「先達として、何かアドバイスとかあったらお願いしたいのですが」

 

 女神ウォルバクは地雷を踏むのが趣味なのだろうか。

 迂闊な行動にあなたが苦笑すると、くい、くい、とゆんゆんがあなたの服の腕の裾を引っ張ってきた。

 

「……わ、私も必殺技が欲しいです」

 

 何を思ったのか、ゆんゆんは上目遣いであなたにそう言ってきた。

 あなたが先日、爆裂魔法のような高火力の攻撃を持っていないと指摘した事を気にしているのだろうか。

 

「えっと……その……はい……」

 

 ちらちらとめぐみんと女神ウォルバク、そしてキッチンで料理中のウィズを窺うゆんゆん。

 なるほど、先ほどベルディアが言ったように彼女達は三人が三人とも超火力の爆裂魔法使いだ。

 他者と比較すれば上級魔法だけで十分ではあるのだが、やはり爆裂魔法と比べると火力面ではどうしても見劣りしてしまうだろう。

 

 しかし今更ゆんゆんが爆裂魔法を習得するにしても、多大なるスキルポイント、そしてめぐみんというあまりにも高い壁が立ちはだかる。

 どう足掻いても頭のおかしい爆裂娘の二番煎じは避けられず……いや、二番煎じは全く構わないのだが、全うな手段ではゆんゆんの爆裂魔法はめぐみんのそれに到底届かないだろう。何せ紅魔族随一の天才が手に入れた全てのスキルポイントを爆裂魔法関係に注ぎ込んでいるのだからそれも当然の話だ。

 爆裂魔法に人生を懸けているのはまさしく伊達で酔狂で狂気の沙汰だが、それでも彼女は本気である。

 めぐみんを超えるためにはレベル下げを行う必要があるだろう。ゆんゆんが鍛錬を申し出た期間は春までだが、最早知らない仲でもない。もしレベル下げをやりたいというのなら暇な時に手伝うが。

 

「わ、分かってます。流石に爆裂魔法が欲しいとまでは言いません。レベル下げもやりません。だからその、紅魔族の族長だけに伝えられている禁呪みたいなのじゃない、もう少し使いやすそうな別の必殺技を知っていたら教えてもらえたら嬉しいかな、なんて……」

「これは善意の忠告だがな、お前の考えるような都合のいい必殺技なんてものはまず存在しないと思ったほうがいいぞ」

 

 そんなゆんゆんの子供らしい、しかし切実な懇願を、蘇生明けでテーブルに突っ伏したままのベルディアが無慈悲に切って捨てた。

 うぼあーと声にならない声を出しながらだったが、一応は発言がマトモなあたり、電波と黄泉の国から帰ってきたようだ。

 

「というかあったら誰も苦労しない。簡単に覚えられて使いやすい超火力のスキルとか誰だって欲しいわそんなもん。俺だって欲しい。そして習得したら全力でぶん回す。くっそニホンジン共め、あいつ等マジでどこからともなくぽこぽこ湧いてきやがる……インチキ能力もインチキ装備も大概にしろ……」

 

 誰に向けるでもなく怨嗟の声をあげるベルディアに、ゆんゆんは心配そうにあなたを見つめてきた。しかしこれに関しては割といつもの事なので特に問題はない。先ほどは盛大にぶっ壊れていたが、いつも蘇生直後はメンタルが不安定なのだ。時間をおくか食事すれば治る。

 

「そんなわけだから、強いスキルが欲しかったらひたすらに努力しろ努力。具体的にはモンスターを狩ってレベルを上げ、スキルを使い続けて研磨しろ。お前は普通の奴より能力的に恵まれてる紅魔族なんだから、そこら辺は楽だろ……っていうかここまで散々説教っぽい事を言っといてなんだが、お前は普通に沢山努力してたな、すまん俺が無神経だった。……けどまあ、なんだ。ご主人に頼るのだけは止めておけマジで。俺みたいになりたくなかったらな……ウィズならそういう必殺技とか普通に知ってるだろうからそっちを頼れ……」

 

 長々と正論を言い終えたベルディアはいびきをかきはじめた。疲労で眠ってしまったようだ。

 半ば前後不覚の状態で喋っていたと思われるが、それでも毎日終末狩りでモンスターを狩り、死にながらスキルを使い続けているベルディアが言うと非常に説得力があった。

 

「えっと……つまり、どういう事なんでしょうか?」

 

 レベルを上げ、スキルを磨き、同じアークウィザードであるウィズの教授を受ける。

 そう、ゆんゆんが今までやってきた事を続けろというだけの話である。

 大技についてはエレメンタルナイトのあなたではなく、やはり同じアークウィザードのウィズに頼むべきだろう。

 魔法を扱う才だけではなく、新たに魔法を開発する才にも長けているウィズは独自に様々な魔法を開発している。それも誰に使うのか分からない高火力なものばかりを。

 愛弟子であるゆんゆんの頼みであれば喜んで聞いてくれるはずだ。

 

 

 

「必殺技……つまり爆裂魔法のような切り札の事ですよね? ゆんゆんさんのレベルはもう一人前の冒険者のそれですし、私が開発したスキルでよろしければ教えるのは構いませんよ。ゆんゆんさん、どの属性の魔法がいいとかご希望はありますか?」

「じゃ、じゃあ雷でお願いします……」

「分かりました。ゆんゆんさんにぴったりの魔法を探しておきますね」

 

 結果、ゆんゆんの師匠は愛弟子の懇願を快く受け入れてあげる事になった。

 お玉で鍋をかき回しながら優しく笑うぽわぽわりっちぃはとてもそうは見えないが、それでも彼女は誰もが認める凄腕のアークウィザードだ。きっとゆんゆんが満足する大魔法を伝授してくれる事だろう。

 

 

「……こうして見ると、やっぱりあの仮説は間違っていないようですね。つまり私もいつかは……」

 

 

 その微笑ましい光景を見つめていためぐみんは何を思ったのかウィズ、女神ウォルバク、ゆんゆんを見つめ、やがて最後に自分の胸を見下ろしてぐっとガッツポーズを決めた。

 

 先ほどあなたも思ったように、奇しくもこの場に集った四人は四人とも腕利きのアークウィザードだ。リッチー、女神、紅魔族二名という面子であるが。

 四人の魔女。ウィッチーズ。あなたの脳裏にSGGHウィッチーズという言葉が過ぎる。

 

 

 

 Superbなウィズ。

 Greatなウォルバク。

 Goodなゆんゆん。

 Hopelessなめぐみん。

 

 四人揃ってSGGHウィッチーズ。

 

 

 

 別にウィズの何がSuperbでめぐみんの何がHopelessと具体的に言及するつもりは無いが、あなたから見てその程度には差があった。

 

 ちなみにどうでもいい話だが、この世界には大魔法使いになれば巨乳になるという説が存在する。

 魔力の循環が活発な事が血行を良くして発育を促進させるのだとか。なので紅魔族の大人の女性には巨乳が多い。

 確かにウィズも女神ウォルバクもゆんゆんもその力量に相応のスタイルの持ち主であるし、以前あなたが王都で知り合った、アークウィザードのレインも中々のスタイルの持ち主であった。

 

 ここに約一名その例に当て嵌らない存在がいるわけだが、実際にどうあれ希望を持つ事は素晴らしい事である。例えその先に絶望の未来が待っているとしても。

 あなたは慈愛と温かさに満ちたどこまでも優しい瞳で、爆裂魔法を操る紅魔族随一の天才アークウィザードの平らと呼んで差し支えない、とても慎ましやかな胸部を見つめた。

 

「――――そういう目をしましたっ!!」

 

 何故か突然激昂しためぐみんが襲い掛かってきて、あなたの鳩尾をグーでぶん殴った。

 彼女の細腕も相まってダメージは皆無だが、頭のおかしい爆裂娘は理不尽すぎて困りものである。暴れ牛か何かだろうか。



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第55話 祈りは届き、されど叶う事無く

「ぐえー!」

 

 ある日の森の散策中、あなたのペットであるベルディアが足を滑らせて湖に落ちてしまった。

 ベルディアは泳げるし、万が一溺死してもモンスターボールに帰ってくるのでそのまま待っていたあなただったが、湖の中から女神エリスによく似た女性が現れた。

 

「私は湖の女神。あなたが落としたのは金のベルディアですか? それとも銀のベルディアですか?」

 

 自分で足を滑らせて湖に落ちたのは普通のベルディアだとあなたが正直に答えると、湖の女神は満足そうに頷いた。

 

「あなたは正直な人ですね。では、褒美としてこちらの二人のベルディアも差し上げましょう」

 

 女神が去った後、あなたの傍らには金のベルディアと銀のベルディアと普通のベルディアが。

 三人のベルディアを前にしてあなたは途方に暮れた。これをどうしろというのか。ベルディアは三体も必要ない。というか金銀のベルディアは無駄にピカピカ光って鬱陶しい事この上ない。

 あまりに鬱陶しいので、あなたは大声で分離スキルを発動させてみた。特に理由は無い。

 スキルの発動と共に頭上に生い茂る木々を、そして雲を突き破って天高く舞い上がるベルディアの三連生首。

 

 そして三人のベルディアは空に浮かぶ星になり、あなたが普通のベルディアの胴体をモンスターボールに戻すと普通のベルディアの生首だけが帰ってきたのだった。

 なお金と銀のベルディアの胴体は暴れて邪魔だったのでそのまま湖に沈めた。

 

 

 

 

「きゃー!」

 

 金と銀のベルディアが夜空を彩る二連星になった次の日の森の散策中、今度はあなたの友人であるウィズが足を滑らせて湖に落ちてしまった。

 ウィズは泳げるがあなたのペットではない。溺れていては大変だとあなたが飛び込もうとした所、またも湖の中から女神エリスによく似た女性が現れた。

 

「私は湖の女神。あなたが落としたのは神童と呼ばれていた八歳の時のおしゃまさんなウィズですか? それとも氷の魔女と呼ばれていた、二十歳の時のイケイケで婚期を気にしていたウィズですか?」

 

 自分で足を滑らせて湖に落ちたのは年齢不詳のぽわぽわりっちぃなウィズだとあなたが正直に答えると、湖の女神は満足そうに頷いた。

 

「あなたは正直な人ですね。では、褒美としてこちらの二人のウィズを差し上げましょう」

 

 女神が去った後、あなたの傍らには利発そうな子供のウィズ(可愛い猫耳着用)と、とても気の強そうな二十歳のウィズ(クラシカルなメイド服着用)が。

 しかしそこにあなたのよく知るウィズはいない。

 三秒待ったがウィズが帰ってこないので、あなたは友人を取り返すべく偶然持っていた耐水仕様チェーンソーと共に湖に飛び込んだ。ウィズを攫った誘拐犯である邪神をこの手で打ち滅ぼさねばなるまいと激怒しながら。

 そう、あなたの友人は年齢不詳のウィズであるが故に。

 

 そしてなんやかんやであなたにバラバラにされた邪悪な湖の女神は星になり、なんやかんやでウィズ(八歳、猫耳)とウィズ(二十歳、メイド服)はウィズ(年齢不詳)に統合されて究極完全体グレートウィズ(年齢不詳、猫耳メイド)になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 お前は不思議で素敵なお薬でもやっているのかと聞かれたらかなり本気で否定出来そうにない、軽く己の正気を疑いたくなる支離滅裂で意味不明な夢を見た日の早朝。

 冷え切った清清しい空気の中、芝の生い茂った庭先に立つあなたの姿があった。

 

 寝起きのあなたの傍らにはアクセルで購入した500リットルほどの容量がある大樽と一本の小さなポーション瓶。

 そして空っぽの樽に手をかざしたあなたがクリエイトウォーターと呟くと同時に、ウィズや女神アクアのそれには及ばずとも中々の勢いで樽に綺麗な水が溜まっていく。

 ノースティリスの冒険者であるあなたからしてみれば、これは何度見てもにやけてしまう光景だ。女神アクアに感謝を捧げる。

 

「おはようございます。朝っぱらから何をやってるんですか?」

 

 庭先で巨大な樽にクリエイトウォーターで水を注ぎ続けるあなただったが、水音を聞いてやってきたのか先日よりあなたの家にゆんゆんと共に宿泊しているめぐみんが声をかけてきた。

 ピンク色のパジャマの上に水色のガウンを羽織っている彼女は桶とタオルを持っており、今から風呂にでも入るのだろうかという格好だ。三角帽子も黒のローブも身に纏っていないめぐみんは中々に新鮮である。

 見た感じだが衣服のサイズはウィズのそれではないので、恐らくパジャマもガウンもゆんゆんの物を借りて宿から持ってきていたのだろう。実際若干だが丈が合っていない。

 

「私はさっき起きたところです。洗顔に行こうとしたらあなたが何かやっているようでしたので様子を見に来ました」

 

 同行していないという事は、昨日はめぐみんと同室で寝ていたゆんゆんはまだ寝ているようだ。あなたが目線と手だけで寝癖を指摘するとめぐみんは慌てて手櫛で髪を整え始めた。

 それはさておき、あなたが現在行っているのはクリエイトウォーターの熟練度上げと水の補充を兼ねた行為である。最近は川に水を垂れ流すのを止めてもっぱらこうしている。おかげさまで樽を販売している店とはすっかり顔なじみになってしまった。

 

「クリエイトウォーターがあればわざわざ溜めなくてもいいと思うんですけどね。まあ折角ですのでちょっとこの桶にも水を入れてください」

 

 言われるままに差し出された桶に水を注ぐと、めぐみんはその場でばしゃばしゃと顔を洗い出した。

 綺麗な水が溢れている世界で生きてきた彼女には理解出来ないだろうが、こうして日ごろから水を四次元ポケットにスタックして溜め込んでおけば、仮にノースティリスに帰った時にクリエイトウォーターが使えなくなったとしても困らないだろうという目論見だ。四次元ポケットの中には既に数十トン以上の水の在庫が存在していたりするが、あなたはこの行為を止める気はさらさら無かった。

 

 そしてやがて樽の中身が水でパンパンに詰まった所で、最後にポーションの中身を樽に混ぜる。

 なお、このポーション瓶の中身は()()()()()()である。

 

「その瓶の中身ってもしかしなくても水ですよね。なんだってそんな事を?」

 

 めぐみんはあなたの一見意味の無い行動に首を捻っているが、ちょっとしたお呪いであるとあなたはお茶を濁した。

 お呪いというが実際効果は抜群であり、たったこれだけで500リットルの祝福された水、つまりこの世界で言う聖水が完成するのだ。

 この世界の水とノースティリスの水は何かが違うのか、樽に祝福水を混ぜると樽の中身まで祝福されるのだ。恐らく水の女神である女神アクアの力が関係していると思われる。

 原理は不明だが汚染されていない綺麗な水が好き勝手に使い放題というのは本当に素晴らしい。クリエイトウォーター万歳とあなたは内心で幾度行ったか覚えていない喝采を挙げる。

 

「……まあ今更あなたの奇怪な行動に一々突っ込みを入れるのもどうかと思うのでそれはいいんですけど、その樽は実際に持てるんですか? 見た所荷車を用意していないようですが」

 

 この程度は楽勝であるとあなたは水が詰まった大樽を担ぎ上げた。

 あまりに軽々と持ち上がった事にめぐみんが目を丸くする。

 

「なるほど、重さが無くなる魔法の樽でしたか……え、違う?」

 

 残念ながらごく普通の木樽である。

 故に重量は500リットルの中身相応なのだが、持ってみるかと問いかけるとめぐみんは勢いよく首を横に振り、あなたが手渡そうと笑顔で近付くと勢いよく後ずさった。

 

「こ、殺す気ですか!」

 

 冗談であると笑いながら水樽を地面に下ろすと地面からズン、という重い響きが鳴った。

 背骨にまで響くその音に、あなたはふとノースティリスに漂着した所を助けてもらい、まあ色々な意味で冒険者としての洗礼を浴びせてくれた皮肉屋な緑髪のエレアから宝箱を渡された時の事を思い出した。

 具体的に言うと彼がどこからともなく取り出した超重量の宝箱……具体的には300sのそれにあなたは押し潰され、危うく死にかけたのだ。見かねた相方である青髪のエレアが助けてくれなければあなたはノースティリスに辿り着いて早々に屍を晒していただろう。

 結局彼らと別れた直後より、あなたは数え切れないほどの回数屍を晒し続ける事になるわけだが。

 

 彼らとの出会いは今となっては300sなどどうという事は無いが、駆け出しの頃の懐かしい、しかし今もなお色褪せる事の無い記憶の一つだ。というか彼は本当にどこにあんな重量の宝箱を隠し持っていたのだろうと今でも疑問に思う事がある。

 まあ緑髪のエレアに関しては人肉を食わされたりモンスターをけしかけられたりと散々な目に合い、純粋で善良だった冒険者未満の一般市民であった当時のあなたは絶対に許さない、顔も見たくないと憤慨したり復讐を誓ったものだったが、終末が横行するノースティリスの現実や今の自分の事を考えれば全くもって彼は親切極まりない人間だったと言う外無い。

 

 そんなこんなでしみじみとした追憶を一瞬で終えて意識を過去から今に戻せば、めぐみんがやれやれとため息を吐いていた。

 

「全く、頭脳明晰羞月閉花の私をあなたみたいな脳筋と一緒にしないでほしいのですが」

 

 可愛らしい憎まれ口を叩くめぐみんだが、その表現に当て嵌まるのはむしろウィズではないだろうか。頭脳明晰羞月閉花。まさしくウィズの為に存在するかのような言葉である。

 そしてめぐみんは頭脳明晰はともかく、あなたは羞月閉花に関しては最低でも五年経ってから出直して来いと言ってさしあげたい気分だった。彼女が器量良しなのは認めるが、ノースティリスで様々な美男美女を見てきたあなたからしてみれば色気が足りない。

 なので実際に口に出してみたのだが何故か渋い顔をしためぐみんに脇腹を小突かれた。はははこやつめと笑いながらめぐみんの頭をぐりぐりと強めに撫で付ける。

 

「あばばっばばばば……止め、止めろー!! 何しやがりますかっていうか折角整えた髪がまたぐしゃぐしゃになったじゃないですかもう!!」

 

 きゃんきゃんと子犬のように吼える紅魔族の少女と共に家に入る。

 今日も今日とてアクセルにその名を轟かせる爆裂娘は元気いっぱいだとあなたは微笑ましい気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

「お二人ともおはようございます。今朝ごはん作ってる所ですから、テーブルで待っていてくださいね」

 

 ふんふんと耳に心地良い鼻歌を歌いながら料理を作るぽわぽわりっちぃを見て、あなたの隣の席に座り、どこか悟った目をしためぐみんがウィズに聞こえない程度の小声で呟いた。

 

「……知っていますか? リッチーというのは御伽噺や古代の記録にも出てくる伝説級のアンデッドモンスター。強大な魔力と豊富な特殊能力を併せ持ち、単騎で国すら滅ぼす事が出来ると言われている、数多の不死者を統べる王なんですよ」

 

 よく知っているとあなたは頷いた。あなたは実際にリッチーによって滅んだ国もあるという事を文献で見ているのだ。

 そしてウィズがバニルとガチンコで喧嘩出来るほどの戦闘力を持っているというのも知っている。

 知っているがウィズはリッチーであると同時にぽわぽわりっちぃでもあるのでノーカウントである。

 

「何がノーカンなのかちょっと分からないですね。まあアレを見て誰が彼女を国すら滅ぼし得るリッチーだと思うんだって話ですが」

 

 それについては異論は無い。

 今のウィズはどこに出しても恥ずかしくない、どこにでもいる若奥様である。

 

「いますか? 私はいないと思いますがね……。まあそれはさておき、いつか私も一人で国を落とせるような爆裂魔法使いになりたいものです。……いえ、目標にしているだけであって、実行に移す予定はありませんよ?」

 

 グっとガッツポーズをしながら不穏極まりない野望を口にする頭のおかしいテロリスト予備軍は、あなたの呆れたような視線を感じたのか慌てて取り繕った。

 だが国の一つや二つなら余裕で陥落させる事が出来るあなたはめぐみんに何も言えない。

 というか命の重いこの世界では、各地にテレポートで飛びながらお手軽かつ簡単に超広域に破壊と混乱を巻き起こせる玩具の数々を使えば国家滅亡までに数時間もかからないと思われる。

 流石に自身と同格の戦力が複数いればその限りではないだろうが、あなたはそのような()()をこの世界では見た事が無い。

 とはいっても神器持ちや特殊能力持ちのニホンジンは数多く存在し、女神エリスといった神々の介入も考えられるので決して油断は出来ない。

 

 油断は出来ないが、仮にアンデッドであるウィズが人々に迫害されるような事態になった暁にはあなたは魔王軍や悪魔と手を組み、それはもう大々的にノースティリス式の祭を開催する所存である。各地で同時多発的に発生する巨大なキノコ雲、そして竜と巨人の軍勢はさぞ見応えがある事だろう。

 敵を尽く皆殺しにすれば世界は平和になるのだ。完璧な論理である。

 

「……なんか物凄く物騒な事考えてませんか?」

 

 勘の鋭いめぐみんの疑念に、あなたは内心で舌を巻きながらも何の事やらと全力ですっとぼけた。

 

 なおどうでもいい話だが、あなたの知る限りイルヴァにおける同格……つまり廃人クラスの者達は誰も彼もが無頼漢一歩手前なフリーの冒険者であり、各国に所属していなかったりする。

 あるいはどこかの国が密かに抱え込んでるのかもしれないが、あなたは知らないし聞いた事も無い。

 

 彼らが持つ戦力を鑑みれば待遇は期待出来るだろうが、廃人は自分勝手で人間性が終わっていると相場が決まっている。廃人の中では比較的マシな人間性を保っているという自負のあるあなたもやはり例外ではない。

 むしろ富、名声(悪名)、力を手に入れた彼らは皆が独特の価値観を持っており、あなたを含めて国や人の命などどうでもいいと思っているような連中ばかりだ。

 故に依頼でもないかぎり面倒な国家間のイザコザには首を突っ込もうとはしないし、国の側もそのような依頼は出さない。あなたも戦場で雑兵相手に庭の草を刈るように作業的に無双するくらいなら顔見知りの衛兵達と仲良く遊ぶ方を選ぶ。

 

 特に国際条約で禁止されているわけでもないにもかかわらず、戦力としては最上の部類であるあなた達を国家間の戦争に駆り出さない理由はただ一つ。

 各々の悪い意味で尖りきった人間性もさる事ながら、廃人を戦場に投入した瞬間どう足掻いても大惨事が確定すると誰もが理解しているからだ。

 大惨事ではない戦争などこの世には存在しないと世間様からお叱りを受けそうだが、実際に大変な事になる。なった。

 

 基本的にバケモノはバケモノ同士で遊んでいてくださいお願いしますというのが世間の風潮であり、仮に片方が廃人を戦力として使えば敵国も同等の者、つまり廃人を戦線に投入してくるのは火を見るよりも明らかだ。

 そしてその先に待っているのは勝っても負けても共倒れという最悪の結末。

 とりあえず核と終末で場を温めて、その後は流れで片っ端から適当にサーチアンドデストロイ……のようなルール無用の残虐ファイトしか出来ないような無軌道な連中はお呼びではないのだ。

 

 それらを思えば例えウィズが異世界の人間だとはいえ、彼女の普遍的な善良さとマトモさ、持っている戦闘力からは考えられないほどに非好戦的な性質はあなたをして驚愕を通り越して己の目を疑わずにはいられない。ついでに彼女の異次元レベルの商才の無さについても。

 

 

 

 

 

 

 暫くめぐみんと雑談を交わすあなただったが、キッチンの方からバターの焦げるいい匂いが漂ってきたところでめぐみんがおもむろに腰を上げた。

 

「そろそろ出来上がりそうなのでゆんゆんを起こしに行ってきます。あなたもベアさんを呼んできては?」

 

 今日はベルディアは休みの日なのでまだ起こさない方がいいだろう。休みの日の彼は死ぬほど疲れており、大抵昼過ぎに起きてくるのだ。

 

「昼過ぎってまるでカズマとアクアみたいですね。冬の二人は当たり前のように昼夜が逆転した生活を送っていましたが」

 

 それは作業をしていてなのだろうか。

 カズマ少年は冬の間は新商品開発に精を出していたという話だが。

 

「いえ、食っちゃ寝や酒盛りをしてひたすらグータラし続けた結果です」

 

 ここで改めて説明しておくが、女神アクアはアクシズ教団の御神体であり、高名な女神である。

 下界で羽を伸ばしているといえば聞こえはいいが、キョウヤが聞いたら崩れ落ちそうな話だ。

 

「今思い出したのですが、そういえばベアさんもアンデッドでしたっけ。やはり夜行性なのですか?」

 

 恐らくそのような事実は無い筈だ。

 修練が無かった時期は朝起きて夜寝る生活を送っていたのだから。

 

「ふむ……冒険者でもないというのに日頃何をやっているのだか……おや?」

 

 めぐみんの視線を追えば、長い黒髪の少女がふらふらの足取りでダイニングにやってきていた。

 

「ふわぁ……おかーさーん、きょーの朝ごはんなにー?」

「……っ!?」

 

 小さく欠伸し、眠そうに眼を擦りながら現れたのはゆんゆんである。

 まだ寝惚けているのか何かとても可愛い事を言っている。

 そしてゆんゆんにお母さん呼ばわりされたウィズだったが、彼女はくすりと母性溢れる暖かい笑みを浮かべ、可愛い生き物と化したゆんゆんの頭を優しく撫でた。

 

「えへへ……」

 

 慈しむように丁寧に髪を撫でられ、ウィズの笑顔に釣られるようにゆんゆんが幸せそうにほにゃりと笑う。まるで本当の親子のような光景だ。

 

 

 

 いつも微笑みを絶やさない優しい母親(ウィズ)

 元気一杯で生意気盛りな長女(めぐみん)

 しっかりしているが実は甘えん坊な次女(ゆんゆん)

 可愛いペットの白猫(マシロ)

 長女の憧れである妖艶な近所のお姉さん(女神ウォルバク)

 賑やかしのモブA(あなた)モブB(ベルディア)モブC(バニル)

 

 完璧である。何が完璧かはあなたにも分からないがとりあえず完璧な布陣である。

 

 ――男? 論外だろ。

 

 鉱山街で巨大ハンマーを片手に合成屋を営むガチレズ妖精の言葉が脳裏に木霊する。

 あなたの頭も完璧に手遅れだった。

 

 

 

 

「今日の朝ごはんは焼き立てのパンと新鮮な春野菜のサラダ、ベーコンチーズオムレツにトマトとタマネギのスープですよ。目が覚めますから顔を洗ってきてくださいね」

「ふぁーい……わーい、おむれつー……」

 

 精神年齢が著しく下がったゆんゆんはぽてぽてと危なっかしい足取りで洗面所に向かい、そんな彼女をあなた達は何も言わずに見つめ続ける。

 彼女は大丈夫だろうか。色々な意味で大丈夫だろうか。

 バニルほどの目を持っていないあなたでも、最早ゆんゆんに関しては恐ろしい未来しか見えていない。

 

「っ……っ……!」

 

 めぐみんがバシバシと肩を叩いてくるので何かと思えば、彼女は真っ赤な顔で必死に笑いを噛み殺していた。顔はニヤニヤを隠しきれておらず、目には涙すら浮かんでいる。

 あなたは九割九分確定したといってもいい、ゆんゆんの暗黒の未来に黙祷を捧げる事にした。

 

 おお、いと高き所に御座(おわ)します女神エリスよ。寝惚けて盛大に自爆した哀れな紅魔族の少女をどうかその幸運を司るという御力で救いたもう。

 

 ――ええっ!? な、なんですかいきなり!? 私にそんな事祈られても困るんですけど!?

 

 祈りは届いたようだが駄目なようだ。救いは無いらしい。

 もしかして春になったので仕事で忙しいのだろうか。

 

 ――いえ、冬とか春とか関係無くてですね……というかあなたはどこから祈r

 

 そこまで言って女神エリスの声はブツリと途切れた。

 知りません、そんな事は私の管轄外ですと言わんばかりの塩対応にあなたはなんとも世知辛い気分になったものの、あなたはエリス教徒ではないのでこればっかりは仕方が無い。自身の信仰する女神に電波が届かない事を若干悔やむ。

 そうしてゆんゆんが姿を消して数十秒後。

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」

 

 

 

 家中に響くゆんゆんの臓腑を抉られたかの如き悲痛な絶叫と共に、洗面所の方からどったんばったんと騒がしい物音が聞こえてきた。正気に戻ったと思われる。時間としては割と早いが、それはあまりにも遅い目覚めであった。

 

「ぶふっ!」

 

 ゆんゆんの悲鳴で遂に耐え切れなくなったのか、めぐみんが盛大に噴出する。

 ヒーヒーと声にならない笑いをあげながらバンバンとテーブルを叩きながら顔を突っ伏した彼女は実に楽しそうだ。

 やめたげてよぉ! と言われそうだがあなたはめぐみんの気持ちがとてもよく分かった。あなたもウィズ以外の友人が同じような事をやっていたら全力で煽りに行くだろう。煽らない理由が無い。

 

「ちがっ! 違うんですごめんなさいウィズさんさっきのは本当に違うんです忘れてくださいお願いします違うんです夢なんです悪い夢よねこれそうに決まってるわなんで覚めないのこんなの絶対におかしいですよウィズさん!!」

 

 凄まじい勢いでダイニングに駆け込んできたゆんゆんは、そのままウィズの腰に縋り付いた。狂乱しすぎではないだろうか。

 そしてどうやらゆんゆんはテーブルに座るあなたとめぐみんの存在にはまだ気付いていないようだ。どうかこのまま気付かずにいてほしい。まあ無理だろうと分かっているが。

 

「だ、大丈夫ですよゆんゆんさん。私はちゃんと分かってますから落ち着いてください。さっきのはあれですよね? ほら、ついつい学校の先生をお父さんお母さんって言ってしまうアレですよね?」

「うぁうっ……あうあうあう……」

 

 錯乱するゆんゆんを安心させるように優しく微笑むウィズに再度よしよしと頭を撫でられ、ゆんゆんは耳まで真っ赤にして縮こまってしまった。

 これだけなら騒がしくも微笑ましい朝の一幕だったのだが、この場にはウィズ以外にも人間が存在している。してしまっている。

 

「ゆ、ゆんゆん、おはようございますっ……」

 

 その声を聞いて、ゆんゆんがビキリと固まった。まるで時間停止弾を食らったかのように。

 ギギギと錆付いたように首を動かせば、そこには唇を思い切り笑みの形に歪めたライバル兼友人の姿が。

 

「ええ、ええ。私も、くくっ……分かっていますよ、ええ……っ……!」

 

 めぐみんの発した台詞自体はウィズのものと大差ないというのに、あなたをはじめとした聞き手側が抱く印象は反転してしまっている。

 そして彼女はつい先日、女神ウォルバクに爆裂魔法を披露した時のようなとても素敵な笑顔を披露してみせた。

 

「ま、まあ私はカズマとかそこの頭のおかしいのと違って優しいですからね。さっきのは見なかった事にしてあげます……おむれつー……ぶふっ!」

「ああああああああああああ!!!!」

「ちょっ、なんですか! 八つ当たりは止めてくださいよ!」

「わああああああ! わああああああああ!!!」

 

 死体蹴りが大好きな紅魔族随一の畜生に向かって雄叫びをあげて半泣きで襲い掛かるゆんゆん。

 めぐみんは羞恥が限界突破したせいで理性を失いアグレッシブ・ビーストモードと化した親友に対抗すべく素早くあなたを盾にし、ウィズは仲がいいですねと、姉妹喧嘩にしか見えない二人のやりとりに苦笑しっぱなしだ。

 

 

 

 

「うう、いっそ殺して……」

 

 やがて正気に戻ったゆんゆんは頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまった。まるで先日のベルディアのような有様である。

 頭の一つでも撫でて慰めればいいのだろうか。しかしそれは既にウィズがやった後なので二番煎じだ。

 なのであなたは、ちょっと自分をお父さんと呼んでみてはどうだろうかとイイ笑顔で言ってみた。

 ゆんゆん(不憫な妹)ではなく、めぐみん(意地悪な姉)に。

 悪ノリ全開のイイ表情で。

 

「呼びませんよ。バカですか貴方は」

 

 即答かつ一刀両断されてしまった。反抗期だろうか。

 極寒の眼差しであなたを射抜くめぐみんだが、諦めの悪いあなたは一歩も引かない。

 やはり兄でなくてはいけないのだろうか。

 呼ぶのは構わないがお兄ちゃん呼びだけは個人的に止めてほしい。兄さんとかそこら辺でお願いしたい所であるとあなたは言った。

 ゆんゆんではなく、めぐみんに。

 

「呼びませんよ。バカですか貴方は」

 

 再び即答かつ一刀両断されてしまった。やはり反抗期だろう。

 永久凍土の眼差しであなたを射抜くめぐみんだが、とても諦めの悪いあなたはやはり一歩も引かない。

 父でも兄でもないとなると弟だろうか。

 あなたとしては彼我の年齢的にかなりありえない関係なのだが、めぐみんがそれがいいというのならば多少は目を瞑ろう。

 

「呼びませんよ。バカですか貴方は」

 

 三度(みたび)即答かつ一刀両断されてしまった。最早めぐみんが反抗期なのは疑いようも無い。

 絶対零度の眼差しであなたを射抜くめぐみんだが、どこまでも諦めの悪いあなたは当然一歩も引かない。

 さしあたってはおじさんと呼ぶのはどうだろうか。最も適切な呼称と思われる。

 

「呼びませんよ。バカですか貴方は」

「二人ともいつまで続けるの!?」

()()()()、ご飯出来ましたよー」

 

 一進一退の攻防に遂にゆんゆんのツッコミが入ったと思えば、何故かめぐみんではなくウィズが乗ってきた。しかもやけにお父さんという部分を強調して。

 ウィズがこの手の悪ノリに乗ってくるなど珍しい事もあるものだと思ったが、それ以上にあなたはウィズが自分の娘というのは流石に無いだろうと果てしなく微妙な気持ちになった。友人にお父さんと呼ばれたのはこれが二回目だ。全く嬉しくない。

 

 ちなみに一回目は酒の席で起こった。

 普段は普通に男言葉を使うマニ信者(TS義体化ロリ)の友人が酔った勢いで「ねえパパー私パパにいっぱいチキチキしてほしいのー」とだるんだるんに媚びた声色であなたにしな垂れかかってきたのだ。

 それを受けて友人達は腹を抱えて爆笑、あるいはドン引きし、精神攻撃の直撃を食らったあなたは混乱とショックのあまりガクガクと震えながら焦点の合っていないレイプ目になり三回連続で嘔吐した。

 明らかに狂気の状態異常にかかっていたがさもあらん。脳と精神が目の前の現実を受け入れる事を拒んだのだ。狂気攻撃はエヘカトル信者の十八番だというのに。

 なおマニ信者である彼、あるいは彼女はその後一瞬で素面に戻って正直すまんかったと真摯に謝罪してきた。とんだ黒歴史である。

 

 そんなわけで、ウィズの実年齢は不明だが……少なくとも互いの外見年齢的に、そしてあなたの心情的にもお父さんというのは普通に勘弁していただきたい呼称である。例えあなたの実年齢が人間換算で祖父や曽祖父と呼ばれる域だったとしてもそれはそれ、これはこれだ。

 

「お父さんって、流石にそれはちょっと合っていないのでは? 見た感じですけど、お二人は殆ど年齢離れてませんよね?」

「違いますよゆんゆん。その呼び方には別の意味もあります」

「別の呼び方? ……ああ、お父さんってそういう……ウィズさん……」

「な、なんですか? めぐみんさんとゆんゆんさんが何を考えているかはさっぱり分かりませんが、きっとそれはお二人の気のせいだと思いますよ? ええ、気のせいですよ?」

 

 忌々しい記憶を振り切ったあなただったが、気付けば二人の半笑いをした紅魔族が生暖かい目でウィズを見つめており、ウィズはそしらぬ顔で明後日の方角を向いていた。

 

 

 

 

 

 

「爆裂魔法が撃ちたい……」

「どんな発作よそれ」

 

 朝食後、謎の発作を発症しためぐみんはゆんゆんを伴ってアクセルの外に爆裂魔法を撃ちに行ってしまった。魔力は先日のエーテル風呂で回復したらしい。

 ウィズも魔法店の準備で忙しそうだったので、あなたは一人アクセルの街に繰り出す事にした。

 依頼を受けるのも悪くなかったが、一度行ってみたい所があったのだ。依頼はその後である。

 

 そんなわけで家を出たあなただったが、同じタイミングで家を出てきたと思わしきご近所さんとばったり顔を合わせる事になる。

 

「フハハハハ! 奇遇であるなお得意様! 先日はお得意様発案のポーションが売れに売れて我輩大満足! お得意様につきましては今後ともご愛顧とポンコツ店主の舵取りの程よろしくお願いする次第!」

 

 ご近所さん、もといバニルは朝からやけにテンションが高かった。

 しかし家から一歩出た所で神々に比肩する力を持った大悪魔な元魔王軍幹部と遭遇(エンカウント)するというのは冷静に考えたらあまりにも酷すぎる話なのではと思わずにはいられない。

 

 女神ウォルバクがエーテル風呂の為に近くの宿に泊まっているので魔王軍幹部が元を合わせて四人も揃っているこの一帯の戦闘力については最早今更なのでどうでもいいが、バニルは何をやっているのだろう。彼が向かおうとしていたのは明らかにウィズの店とは逆方向だった。店は放っておいていいのだろうか。

 

「無論良くはないが、我輩はこれからあの頭のおかしいチンピラ女神の所の小僧が開発した商品を見るために商談に行くのでな」

 

 その割には店主のウィズの姿がどこにも見えないのが不思議である。

 

「ガラクタを掴まされる事に関しては天才的な才能を発揮する上にロクな目利きも出来んポンコツ店主は置いていく。どこぞのチンピラ女神に変な物を掴まされて先日の稼ぎを溝に捨てられては堪らん」

 

 なるほど、道理であるとあなたはバニルの言葉に深く納得した。

 カズマ少年が考案した道具の数々はあなたとしても大変興味深いが、あなたはウィズの店の店員ではない。店で売り出される時まで我慢しておくとしよう。

 そんなわけであなたは自分の用事を優先する事にした。

 

「ところで話は変わるが、お得意様はどこかで演奏会を開く予定はおありで? あるのであれば我輩が会場の準備やその他諸々を完璧に取り仕切って大々的に広告を打ち出しプロデュースさせてもらうが。さぞ大きな金が動くであろう。ちなみにお得意様の取り分であるが……」

 

 別れ際、バニルはそんな事をあなたに言った。

 やはり彼は先日の大繁盛の原因があなたと女神アクアの演奏会によるものだと分かっていたようだ。

 だがあなたは今の所自発的に演奏会を開く予定は無い。大金に興味も無いのでやんわりと断っておいた。

 

 

 

 

 

 

 バニルと別れたあなたが訪れたのは、かつてウィズと共に散歩をしていた時に通った路地裏の奥に佇む一軒の店だ。

 カズマ少年とキースとダストが興味津々だったこの場所はハッキリ言ってしまうとアクセルの男性冒険者がお世話になっているという風俗店らしい。

 

 そんな場所に足を運んだ理由だが、あなたは最近やけに消耗が激しいベルディアをこの店に通わせて見ようと思ったのだ。

 消耗についてはモチベーションの低下が考えられる。

 ノースティリスやこの世界の冒険者であれば自身の力量が数値という形で分かるので、レベルやスキルの数字を上げていく事をモチベーションに出来る。

 しかし冒険者カードを持っていないベルディアは自身がどれくらい強くなったか確認出来ないし、最近はキョウヤとの模擬戦もやっていない。

 彼は女好きなので嫌がりはしないだろう。これを機に少しはリフレッシュ出来るといいのだが。

 

 ペットの事を考えるあなたは朝から風俗店に足を運ぶという駄目な大人のお手本のような姿だったが、実際に行為に及ぶつもりは毛頭無いし、こんな時間から風俗店に足を運ぶ事への嫌悪感や羞恥心はノースティリスの冒険者であるあなたには無い。

 

 いざ店の扉を開けようとしたあなただったが、誰かが店から出てきたので出端を挫かれてしまった。

 

「あ、おはようございます」

 

 出てきたのはピンクのワンピースを着た、短い銀髪の少女だった。

 まさか客ではないだろう。という事は風俗店の店員なのだろうか。

 オパートス信者がギリギリ食べられるくらいの年齢にしか見えないのだが。

 

「えっと……お客様ですか? すみません、今は営業時間外なんです」

 

 そう言って少女はぺこりと頭を下げた。

 どうやらあなたは無駄足を踏んでしまったようだが、少女はやはり店員だったようだ。こんな幼い少女を買う冒険者がいるのだとしたら、地味にアクセルの闇は深いのかもしれない。

 それはさておき少女からは魔の気配がする。ドリスで蹴散らしてきたアレ等と比較すると非常に弱々しいが、それでも人間ではないようだ。

 だがあなたの関心は他にあった。

 

「あ、あの、私の顔に何か付いてますか?」

 

 ジロジロと熱心に自身の顔を観察するあなたに、少女は居心地が悪そうにしている。

 あなたは少女の顔をどこかで見た事があったのだ。

 しかしアクセルで彼女の顔を見た覚えは無い。

 はて、どこで見たのだったか。

 

 

 

 そうして少女の顔を観察する事一分。少女の事を思い出したあなたはポンと手を打った。

 彼女は《サキュバスの『新人ちゃん』のエロ本》に描かれていた、サキュバスの『新人ちゃん』だ。

 以前ウィズが釣って直後に焼き払った、《サキュバスの『新人ちゃん』のエロ本》に描かれていた、サキュバスの『新人ちゃん』である。

 

「え、エロ本!? 私エロ本になってるんですか!?」

 

 あなたの突然の大胆告白に、サキュバスの『新人ちゃん』の絶叫が路地裏に響き渡った。



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第56話 サキュバスネスト(推奨レベル1以上)

 草木が芽吹き、暖かい風と共に春の路地裏にその少女は立っていた。

 

 少女の年の頃は十歳前後。

 銀髪のボブカットは幼げな印象が際立っており、起伏の少ない未熟な身体と男受けのする可愛らしい仕草は世の男性の庇護欲を掻き立てる事請け合いだろう。

 

 そんなアクセルの冒険者の間では新人ちゃんと呼ばれている一人のサキュバスの少女が店の前でその男と遭遇したのは、率直に言ってしまえば全くの偶然である。

 

 少女にとってその男は初めて見る顔だった。

 年齢は二十代。全体的に軽装とはいえ帯剣している所からして恐らくこの街の冒険者だろう。

 冒険者ギルドに行く途中に寄ってくれたのかな、少女はそう思った。

 

「えっと……お客様ですか? すみません、今は営業時間外なんです」

 

 足を運んでもらった所申し訳ないが、規則は規則である。

 可愛らしくぺこりと頭を下げて一度お引取り願うも、男はそこから一歩も動かない。

 それどころか無言で少女の顔をじっと見つめてくる始末。不審者レベルは中々のものである。

 

「……あ、あの、私の顔に何か付いてますか?」

 

 やがて沈黙に耐え切れなくなり少女の方から声をかけてみたものの、やはり男からの返答は無い。

 問いかけに肯定の意思も否定の意思も示さず、ただ白髪の子供を観察する視線だけがあった。

 

 未熟者の新人とはいえ仕事柄、そして美女美少女揃いのサキュバスという種族柄、少女は自身を観察される事には慣れている。

 今は普通の人間が着るような服装だが、そうでない時は若輩ながらもサキュバスらしい極めて露出度の高い格好をしているのだ。

 少女趣味の冒険者の男が脂ぎった獣欲と共に、凹凸の極めて少ない未熟な肢体を舐め回すような視線で凝視してくるのだってそれなりに慣れてきたつもりだった。

 

 だが目の前の男の視線は、少女が知る他の男達が少女に向けるそれとはあまりに一線を画していた。

 

 情欲も、好奇も、意思すらも感じられない、どこまでも無機質で冷たく自分を見透かそうとしてくる瞳は地獄の奥深くにあるという氷結地獄(コキュートス)を想起させる。

 

 そんな目で見つめられているサキュバスの少女は、まるで自身が路傍の石、あるいは虫ケラになったかのような錯覚に陥っていた。

 

 きっとこの男は自分の事を本当に何とも思っていない。

 サキュバスとか魔族とかそれ以前に、人の形をした生き物だとすら思っていないのではないか。

 今この瞬間にでも自分に暴力を……いや、この男に殺されてしまうのではないか。

 目の前の虫ケラを潰すように、気まぐれに、無慈悲に、無感情に。

 

 ……そう思ってしまえるほどに男は冷徹な目をしている。

 

 以前少女はこの街の屋敷で仕事をした時にヘマをしてしまい、危うく屋敷に住む女性達に退治されかけた事があった。

 その時は客である少年が身を挺して彼女を助けたのだが、少女にとって目の前の男はあの時の敵意を剥き出しにした凶暴極まりない女達よりもずっと恐ろしいもののように見えた。

 

 人間は自分が理解出来ないモノを恐れるという。

 魔族であるサキュバスもまた、この何一つ理解出来ないモノを恐れていた。

 

 そう、怖いのだ。

 虫を見るような目で見られる事が怖い。

 そして何よりも、目の前の存在が何を考えているのか分からない事がこんなにも怖い。

 

 だがここは街中で、相手は男で、自分はアクセルの男達に受け入れられているサキュバスの一体だ。

 だから自分が恐れている事は起きない。起きない筈だ。そう、思いたい。

 

 希望的観測に縋りつつも、どうしても男が腰に下げている大振りの剣に意識がいってしまう。

 目の前の男は服の上からでも鍛え上げられていると分かる身体つきをしている。まさか見掛け倒しの鈍らではないだろう。仮に鈍らであっても、あんな大きな武器で斬られれば、下級悪魔であるサキュバスの中でも一等貧弱な自分は確実に死ぬ。

 

「…………」

 

 必死に怯えを表情に出さないように振舞ってはいるものの、少女には果たして本当にそれが出来ていたかどうかの自信はまるで無かった。

 永遠にも感じられる一分が過ぎ、やがて目の前の男の瞳に温度が戻り、ポンと手を打った。少女はビクリと肩を震わせる。

 

 何をされるのか。あるいは何を言われるのか。

 未熟な淫魔は冷や汗を流しながらゴクリと喉を鳴らし、審判が下されるのを待つ。

 だが、しかし。

 

 

 

「え、エロ本!? 私エロ本になってるんですか!?」

 

 

 

 男が発した予想だにしない言葉に、幼いサキュバスの新人はそれまで男に抱いていた恐怖を忘れ、路地裏中に響く大声をあげた。

 男は彼女をエロ本に描かれていた子と、そう呼んだのだ。

 エロ本。言うに事欠いてまさかのエロ本である。

 確かに自分は新人とはいえサキュバスで、そういう店の店員である。自分の知らない所でそんな本を描かれていてもおかしくはない。

 だが、だがしかし。まさかこの男はあんな煮え滾る熱湯すら一瞬で凍りつく目で自分を観察しながらずっとエロ本の事を考えていたというのか。どっかおかしいんじゃないんだろうかこの人。具体的には頭とか、頭とか、頭とかが。

 

 普段の控えめなキャラをかなぐり捨てて、そう思わずにはいられなかった。

 

 なおその日から暫くの間、それまで男達から《新人ちゃん》と呼ばれていたサキュバスの少女は新たに《エロ本ちゃん》と呼ばれるようになるわけだが、この件との関連性は定かではない。

 

 

 

 

 

 

 無事に少女の正体を思い出してスッキリしたあなただったが、店が開くのは昼過ぎからだと聞かされては仕方ない。店には後ほど起床したベルディアと共に赴く事にした。

 

 サキュバスの少女は風俗店の店員だったようだが、店員の中であの少女だけがサキュバスなのか、あるいはアクセルにサキュバス達が住み着いているのか。

 

 実の所、魔族の例に違わずサキュバスもまた同様に人類の敵だ。

 彼女達は皆が皆整った容姿をしており、更に男の欲望、つまり人間の男の精気を吸って生きている悪魔である。戦闘力は下の下の最下級悪魔。

 エロくて美人で危険度が低い悪魔であるが故に男性冒険者達は彼女達を溺愛し、サキュバスが住み着いた街では極端に結婚率と出生率が落ち込むのだ。

 当然世の女性達はサキュバスを蛇蝎の如く嫌っており、積極的に退治している。ただし特殊な性癖の持ち主は除く。

 

 そんなわけでアクセルにサキュバス達が住み着いていた場合は非常に由々しき事態なのだろうが、あなたとしてはベルディアを元気にしてくれればどちらでも構わないと思っている。あなたは商売女の世話になるつもりなど毛頭無く、アクセルに居着く人外についてはウィズやベルディアやバニルの時点で何を今更といった感しか無いからだ。

 

 ただまあ、サキュバスという事でどうしても先日ドリスで遭遇し蹴散らしてきた痴女の群れを思い出してしまい、それに関しては若干思う所が無いわけでもない。

 

 しかし先ほどの少女からエロ本を見せてほしいと言われた時は流石に苦笑を禁じえなかった。

 あの少女は自身のエロ本を見てどうするつもりだったのだろう。まさか使うつもりだったのだろうか。自分のエロ本を使うというのは些か理解しがたい性癖だ。新人ちゃんならぬエロ本ちゃんといえるだろう。

 どちらにせよ、彼女のエロ本は釣ったその場でウィズが焼却してしまったので無理なわけだが。見せられないよ! というやつだ。物理的に。

 アクセルの本屋を覘けば売っているかもしれないが、特にエロ本を集めていないあなたは買うつもりは無かった。自分で買って楽しんでもらいたいものである。

 

「お帰りなさい。お邪魔してます」

 

 風俗店の下見を終え、ギルドで適当に仕事を見繕ってから帰宅したあなたを出迎えたのは、既に店を開けているウィズではなく爆裂魔法を撃ちに出かけためぐみんに付いていったゆんゆんだった。

 めぐみんはどうしたのだろうかと思えば、魔力切れのせいでリビングのソファーでグロッキーになっている。実にいつも通りの光景だ。

 一人で歩けないめぐみんがどうやって帰ってきたのかについては、やはりゆんゆんが背負ったのだろう。彼女はアークウィザードとはいえ日頃から鍛えているし、何よりレベル37だ。筋力や耐久力も相応に上がっている。おまけにめぐみんは軽い。とても軽い。

 

「あの、ベアさんもまだ眠っているみたいなのに私達だけでお家にお邪魔してしまってすみませんでした。……あ、でもちゃんと帰りがけにお店の方に顔を出して、ウィズさんに許可は貰いましたから!」

「というか私が動けるようになるまで家で休んでろって言われたんですがね……」

 

 頭を下げるゆんゆんに、あなたは別に構わないから気にするなと手を振った。ここはあなたの家であると同時にウィズの家なのだから。

 流石に自室や倉庫を荒らされていた場合はちょっと本気で対応と今後の付き合い方を考えるだろうが、そうでないのならばこの二人に関しては何も言う気は無い。

 

 しかしやはりと言うべきか、二人は今日にでも宿に戻るようだ。

 家が普段よりも賑やかになってウィズも嬉しそうだったし、あなたとしてももう少し泊まっていってもいいくらいなのだが。

 

「いえ、流石にそれは……居心地が良すぎて、そのままズルズルといつまでもお世話になっちゃう予感しかしないので……」

「一理ありますね。ゆんゆんは押しに弱すぎる上にチョロいですから」

「そ、そんな事無いわよ!?」

 

 ゆんゆんが居心地の良さのあまり、自宅に帰ってきたかのようにリラックスしていたのは今朝の事件を見ても明らかである。

 あるいはそれも尾を引いているのかもしれない。

 

「関係ないです! 朝の事は本当に関係ないですから!」

 

 ……そんなこんなで二人の紅魔族は昼前に宿に帰っていった。

 昼食後のデザートとしてバーベキューセットで作ったアイスクリームを振舞おうと思っていたあなたは少しだけ残念に思ったが、まあこの先幾らでもその機会はあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 昼過ぎに起床したベルディアを風呂に叩き込んだ後、あなた達は先ほどの大通りに戻ってきていた。

 大通りから少々外れた路地裏に入った場所には朝訪れた時とは違い店の前には看板が立っており、小さいながらも何の変哲も無い飲食店のようにも見える。

 

「ここがその娼館か。とてもそうは見えんが……というかいきなり娼館に行くとか言い出すから何事かと思ったぞマジで」

 

 今更だがベルディア的に娼館はどうなのだろうか。

 気負ってはいないようだが。

 

「ん? 童貞じゃあるまいし、娼婦程度何も思わんな」

 

 そう言ったベルディアは強がっているようには見えない。

 経験アリという事らしい。

 

「俺の国の騎士団に所属してた奴は初陣の前日に娼館に行くのが通例でな……俺も散々新人を連れて行ったもんだ……当たりを引いた奴は生き残って次も来ようと頑張るし、外れを引いた奴も生き残って次こそ当たりを引いてイイ目を見ようとしてな……ちなみに俺が新人の頃は後者だった。ガチムチのオークみたいなのが出てきてな。思わずチェンジって言ったら顔面ボコボコにされた」

 

 遠い目をして語るベルディア。

 どうやら彼が所属していた騎士団は傭兵団のような有様だったらしい。

 

「騎士団つっても主に平民で構成された団だけどな。流石に新人とはいえ貴族だのお偉いさんだのの子弟を無理矢理ぶち込むような事は……結構あった気もするが。まあそんな俺の昔の話はいいから入らないか? 風俗店の前で男二人で立ち話とか空しすぎるだろ、常識的に考えて」

 

 異論は無いと頷き扉を開ける。

 果たして、扉の先はまさしく別世界であった。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 扉を開けると同時、複数の女性達の声があなたとベルディアを出迎える。

 

「おお……!」

 

 店内にはドリスで遭遇したような、極めて露出度の高い全裸一歩手前の美女や美少女の集団が当たり前のようにウロウロしていた。

 

「あの時の連中と違って餓えた獣の目をしていない所がいいないいな、凄くいいな! クソ、もっと早く来ておけば良かった……!」

 

 美女の群れに元魔王軍幹部のデュラハンは興奮である。

 対してあなたの反応は酷く冷めたものだ。

 

「なあオイ、ご主人の好みのタイプとかいたか?」

 

 肘であなたを突きながらとても下世話な話題を振ってきたとても楽しそうなペットを適当にあしらう。

 硬派を気取っているわけではなく、どうしても商売女だけは駄目なのだ。

 

 あなたが商売女に抱いている忌避感はさておき、彼女達は全員が皆、あなたが今朝遭遇したサキュバスの新人ちゃんと同じ魔の感覚を発しており、それはつまり彼女達がサキュバスという事を意味していた。

 あなたがその事を小声で教えると、ベルディアは得心したと頷く。

 

「サキュバスがこんなとこで店開いてたのか……どうりでこの街の治安がいいと思った」

 

 ベルディアが感心する横で、あなたはふとおかしな事に気付いた。

 半裸の女性についてはそういう店なのだからおかしくはない。

 サキュバスしかいないのも予想の範囲内だ。

 

 だが、客なのであろう男性達がテーブルに座って一心不乱に紙に何かを記入しているのは何故なのだろうか。

 誰も個室に向かおうとしない。ここは風俗店ではなかったのだろうか。

 

「お客様は、こちらのお店は初めてですか?」

 

 あなた達をテーブル席まで案内した桃色の長髪をしたスタイル抜群の女性がメニューを手に蠱惑的な微笑を湛え、そう言った。

 

「ああ。なんか様子がおかしいように見えるんだが、ここは娼館ではないのか?」

「ふふ……当たらずとも遠からず、といった所でしょうか。一応飲食店をやってもおりますよ」

「その割には誰も飲み食いしてないな」

「……お客様は私達が何者かはご存知ですか?」

 

 無言で首肯する。

 ちなみにベルディアの視線はサキュバスの胸部に集中していた。

 サキュバスは当然気付いているだろうが、ただ艶然と微笑むばかりである。

 

「然様ですか。それではこの店についてお話させていただきますね」

 

 今更改めて説明するまでもないだろうが、アクセルは駆け出し冒険者の街だ。

 そして駆け出し冒険者というのは基本的に馬小屋暮らし。

 周囲には他の冒険者達も泊まっているので性欲を解消するのも一苦労。パーティーメンバーの女性を襲おうものならば、逆に筆舌に尽くしがたい目に合う。

 そんな彼らに淫夢を見せ、精気を吸って溜まった性欲を解消するのが彼女達サキュバス。

 彼女達は男達が干からびて冒険に支障が出ない程度に精気を吸うので冒険者達は安全かつ確実にスッキリ出来る。

 悪魔の中でも極めて弱い部類であるサキュバス達はむやみに人間を襲う理由が無くなり、更に男性冒険者達の庇護を得て安全に生きていく事が出来る。

 

 そんなわけで、アクセルに住み着いた彼女達はこの街の男性冒険者達と共存共栄の関係を築いているのだという。サキュバスを問答無用で狩りに来る女性冒険者達には秘密で。

 

 

 

 

「ご注文はお好きにどうぞ。勿論何も注文されなくても結構です。そして、こちらのアンケート用紙に必要事項を記入して、会計の際にお渡しください」

 

 そう言ってサキュバスはメニュー、そして他の客が熱心に書き込んでいるものと同じ用紙を渡してきた。

 アンケート用紙には夢の中での自分の状態、性別と外見、相手の設定など様々な項目が記されている。

 

「ご質問はありますか?」

「……これらの項目なんだが、自由度はどれくらいなんだ? これは出来ない、みたいなのはあるのか?」

「お好きにどうぞ。誰でも、どんな事でも、お客様の思いのままです。夢ですので」

「種族とかもか? 例えばなんだが、飼ってるペットを擬人化するとかそういうのも……」

「夢ですので」

 

 ベルディアが幾つか質問を行う横でメニューを流し読みする。

 サキュバスが経営している店にもかかわらず、一応は普通の飲食店のようだ。

 あなたが適当に幾つか食べ物と酒を頼むと、サキュバスは意外そうな顔をした。

 

「かしこまりました……ではごゆるりとお寛ぎください」

 

 優雅な足取りで去っていくサキュバス。

 隣を見れば、ベルディアは早くも項目を埋め始めていた。この店がお気に召したらしい。

 

 至れり尽くせりなサキュバスの淫夢サービス。

 きっとそれは素晴らしい事なのだろう。駆け出し冒険者の街にレベル40近くの冒険者が居座っている程度には素晴らしいのだろう。

 

 だがあなたはどうしても食指が動かなかった。

 あまりにも様々な経験をしてきたせいで性欲が枯れている自覚はあるが、完全に枯れきっているわけではない。サキュバスを敵視しているわけでもない。

 だが淫夢だろうが自由だろうが、結局その夢を見せてくる相手は商売女だ。

 ノースティリスで娼婦に何をやってもいい風俗店と大して変わりはしないと思ってしまう。

 ならば淫夢以外を見ればいいではないか、と言われそうだがその場合、あなたが見る夢はウィズとの手加減抜きでの本気の喧嘩になるだろう。しかしこればかりは現実でやりたい。サキュバスにどこまでウィズを再現出来るかという懸念もある。

 そんなわけであなたがこの店の世話になる事は無いだろう。駆け出しの頃なら毎日通っていただろうが。

 やはりドンパチは現実でやるのが一番だ。

 

「おいご主人。見るなよ、絶対に見るなよ」

 

 用紙を隠しながら言われても、あなたはベルディアの見たがっている淫夢に興味など欠片も無い。

 ただあなたが冗談交じりにウィズの夢を見ないのかと言ってみると、ベルディアの瞳が一瞬で濁りきった。図星を突かれてうろたえると思っていただけに、これは予想外の反応である。

 

「絶対にそれだけはやらん……正直前の俺ならやってただろうが今は死んでもやらん。理由? 察しろ」

 

 同居人の淫夢を見るのは翌日顔を合わせた時に気まずいのかもしれない。あなたはベルディアの意外な一面を見た気分になった。

 小さく笑いながら、料理と酒が来るまでの時間潰しにテーブルに備え付けられていた小冊子を読む。

 冊子はさきほど説明のあった淫夢サービスについて書かれており、その中の一文に夢を見る日は飲酒を控えめにするようにと記載されていた。

 

 横目で他の客と同じようにテーブルに齧りついて、ガリガリとアンケート用紙に何かを記入しているペットを見やる。

 今まで聞いた事が無かったが、ベルディアは瀕死状態でモンスターボールの中にいる時に夢を見るのだろうか。

 

「見るわけないだろそんなもん。もしかしたら肉体的には寝てるのかもしれんが、精神的というか俺の主観では不眠不休だ」

 

 つーか寝てる自覚があったら大助かりだったわと愚痴るベルディアに、まあそうだろうと頷く。

 

 だがこれは困った事になった。

 休みの日のベルディアは一週間で溜まったストレスを発散すべく、それはもうしこたま酒を飲むのだ。

 泥酔して完全に熟睡していると、流石にサキュバスであっても夢を見せる事が出来ないらしい。

 禁酒だろうか。

 

「何故そこで俺の休みを二日に増やすという考えが出てこないのか、これが分からない」

 

 ベルディアを終末に叩き込んでから早くも数ヶ月が経過している。

 レベルや技術がどれくらい円熟しているかは詳細不明だが、相当に強くなっている事だけは確かだ。

 しかし相応に精神を消耗している以上、ベルディアの言うとおり一度八日に一日から七日に二日に増やす方向で考えてみてもいいかもしれない。

 

「えっ」

 

 休みのスパンについてはやはり連休がいいだろうか。

 希望があるなら聞くが。

 

「……さ、さては貴様偽者だな!? 他の奴の目は誤魔化せても俺はそうはいかんぞ! 何者だ正体を現して名を名乗れ!」

 

 あなたの提案を受けたベルディアは限界まで赤い目を見開き、わなわなと震えながらとても失礼な事を言った。誰が誰の偽者だというのか。

 

「おれのしってるごすはそんなこといわない」

 

 彼を毎日終末に叩き込んで死なせている身としては言いたい事は分からないでもないが、あなたは今までのスケジュールではギリギリ大丈夫だったベルディアがもたなくなってきているようなので変えようとしているだけだ、

 というのに、何故ここまで言われねばならないのか。あなたは憤慨した。

 ベルディアはあなたのペットであり、ペットを強くするのはあなたの趣味の一つだ。そしてベルディアは強くなりたいといったので手っ取り早く強くなれる終末狩りに叩き込んでいる。それだけだ。

 あなたは別にペットを壊したいわけではないのだから、休みを増やす事で育成の効率が上がるのであればそうするのは至極当然の話だというのに。

 

 三食おやつにハーブを解禁してほしいのならそう言ってほしい。

 

「もしそんな事になったら俺は泣くぞ、すぐ泣くぞ、絶対泣くぞ、ほら泣くぞ」

 

 魔王軍幹部。

 改めて言うがデュラハンのベルディアは元魔王軍幹部である。

 

「俺は魔王軍幹部じゃないぞ。どこにでもいるただの頭が繋がったデュラハンのベアさんだぞ」

 

 しれっと自身のアイデンティティを投げ捨てたような発言をぶっ放したベルディアの面の皮の厚さは、だいぶノースティリスの冒険者達のそれに近付いているように思える。何回も何回も死んだせいだろう。強かなのはいい事だ。いずれノースティリスに行くのであれば尚更。

 

 なおどうでもいい話だが、今日ベルディアはあなたの家ではなく、近くの安宿で一泊する事になっている。

 バニルと同じ悪魔とはいえサキュバスが女性であるウィズに発見された場合、サキュバスがどうなるか分かったものではないので妥当な判断だろう。

 

「ご主人の家にサキュバスが来たとかウィズが気付いたら、そのサキュバスはよくて消し炭だろうな……流石にだいぶレベルの上がった今の俺でもガチで殺す気になったウィズはまだ無理だ。愛馬(コクオー)がいれば時間稼ぎくらいは出来るか……?」

 

 とはベルディアの談である。

 ベルディアの愛馬は気性が荒い上に生物の魂を食う高位魔獣であり、弱いモンスターや動物は生命の危険を本能的に察知して逃げ出してしまい、それが原因で以前のアクセルは騒ぎになった。

 そこまでは本人から聞いているが、あなたはベルディアが契約している魔獣についてそれ以上の事を知らない。特に聞く機会や理由が無かったからなのだが、別段彼も隠しているわけではないだろう。いずれノースティリスに同行する可能性がある相手だ。いい機会なのであなたは聞いてみる事にした。

 

「ん、俺の馬の事が聞きたいのか? あまり長い話にはならんが、それでいいなら別に構わんぞ」

 

 ベルディアはやけに早く配膳された酒と料理を堪能しながらつらつらと語り始める。

 

「俺が契約しているのはコシュタ・バワーという首無し馬でな。レベル20くらいの冒険者なら一撃で倒せるくらいにはデカくて強いぞ。漆黒の毛並みのアイツを俺はコクオーと呼んでいる。弱点らしい弱点といえば、水の上を渡れない事か……そういえばだいぶ、というかご主人と最初に会った時以来一回も呼んでないな。久しぶりに会いたいし、今度呼んでみてもいいか?」

 

 

 ……そんなこんなでそこそこ楽しく過ごす二人を、物陰から熱心に見つめる一体のサキュバスがいた。

 

 

 

 

 

 

 今日初めて来店したと思われる二人の男性客。

 彼らをこっそりと陰から見つめるサキュバスを不思議に思った同僚が近付いていく。

 

「どうしたの? さっきからあそこの席のお客さんじっと見てるみたいだけど」

「…………」

 

 声をかけられたサキュバスは無言で一冊の雑誌を手渡した。

 サキュバスの、サキュバスによる、サキュバスの為の月刊誌であるそれは、各地のサキュバスの間で人気の読み物である。ちなみに今年で創刊765周年。

 

「今月号のサキュバス月報じゃないの。そういえば今日発売だっけ」

 

 雑誌の表題にはデカデカと“本誌独占インタビュー! 噂の108人斬りの男達!”の文字が踊っていた。あまりにも酷いそれに彼女は溜息を吐く。

 

「何これ。いつから由緒正しいサキュバス月報はゴシップ誌に成り下がっちゃったの?」

「まあまあいいから、読んでみてよ」

 

 言われるまま渋々と巻頭の特集ページを読み進めていく。

 肝心の特集の内容についてだが、簡単に言えば高位サキュバスで形成された一団、通称SCB108がたった二人の人間に完敗したというのだった。普通に考えれば臍で茶を沸かすような提灯記事だ。

 SCB108は高レベルの上級冒険者のパーティーすら手玉に取る、百戦錬磨の上位サキュバス達。アクセルで細々と生きている自分達とはわけが違う、いわばサキュバス界におけるエリート中のエリート達。

 それがたった二人の、それも人間に完敗するというのはちょっと考えられなかった。

 

 

 

 ――皆さんは件の二人とはドリスの旅館で遭遇したという話ですが。

 

「ええ、ドリスの高級旅館に泊まって、温泉でリフレッシュしながら性欲を持て余していた私達なんだけど、私達が泊まってた部屋に男二人が訪ねてきたわけ」

「まあ襲うわよね、サキュバス的に考えて。どう見てもカモネギだったし。インタビュアーさんも襲うでしょ? サキュバス的に考えて」

 

 ――襲いますね。サキュバス的に考えて。

 

「それでそのまま性欲の赴くままに襲ったんだけど……黒い方は凄いテクニシャンであしらわれて手も足も出なかったわ」

「でも黒い方はまだ優しかったわね。私達への思いやりを感じたし。ワイルド系のイケメンだったしプライベートでもまた会いたいかな」

 

 ――それはまた随分と評価の高い。

 

「黒い方はともかく、もう一人はなんていうか……凄かったとしか」

「凄かった。私は太くて長い立派な槍で串刺しにされました。滅茶苦茶痛かったです」

「私も。力とか強すぎて本当に死ぬかと思った。チャームとか効かなくってガンガン攻めてくるし。全然抵抗とか出来なくって」

「お前ら全員滅茶苦茶にしてやんよ、みたいな意思をビンビンに感じたわ」

 

 ――治療院送りになった方もいらっしゃるとか?

 

「そうそう、ボスとか腰を盛大に痛めちゃったみたいでねー」

「バックから行こうとした子とか一瞬でグチャグチャにしてて、もうね」

「黒い方に目とか脳を串刺しにしたらどうなるのか聞いてたのは特にドン引きだったわ。マジかよお前どんな性癖してるんだよそれ、みたいな」

「話し合いで解決しようって誰かが提案したらとりあえず全員串刺しにするって即答したからね」

 

 ――問答無用ですね。

 

「十人で一斉に襲い掛かれば流石に何とかなるだろうと思ってました。思ってました……」

「あんな大きいの絶対耐えられないって土下座して謝ったのに、どうせナニをやっても死にはしないから大丈夫だって笑って無理矢理……幾ら残機があるといってもね……」

「あいつ絶対人間じゃないわ。きっと聖人とか神の子よ神の子」

「二人を連れてきた……私達の中で一番幼い子が耐えられずに泣いて逃げたんだけど、それを笑って追い掛け回した挙句、その子が泣き叫ぶ様を見て今までで一番イイ笑顔をして無理矢理ヤっちゃうのを見た時は正直ちょっと濡れました」

 

 

 

 インタビューにはこのようなSCB108達の証言が延々と書かれており、そして最後に(この話はノンフィクションです)の文字が。

 

「なにこれ凄い。バケモノじゃないの。性的な意味で」

「でしょ? それでほら、最後のページに書かれてる似顔絵なんだけど、これってあそこの二人に似てない?」

「どれどれ……」

 

 店で一番高い酒を飲む、やけに場慣れしていそうな二名と雑誌に描かれた似顔絵を見比べる。

 

「……似てる」

「でしょ? ちなみにだけど、あの人はあの有名な頭のおかしいエレメンタルナイトよ」

「やだ、私達壊されちゃう……性的な意味で」

「とか言いつつ興味がありそうですな?」

「じ、実はちょっとだけ……」

 

 そうして、108人斬りと思わしき男達を観察する人員が二人に増えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 散々飲み食いした後のサキュバスの店からの帰り道、ベルディアがポツリとつぶやいた。

 

「まさか風俗店で、それもサキュバスからサインを要求される日が来るとは思わなかった」

 

 全くであるとあなたは無言で頷く。

 何が起きたのかというと、あなた達が駄弁っている所にいきなり二人のサキュバスが近付いてきたかと思ったら、真っ赤な顔であなた達にサインを強請ってきたのだ。

 いつぞやのように襲ってくるのなら遠慮なくぶっ飛ばしていたが、サインは予想外である。

 

「とか言ってるわりにはやたらサイン書き慣れてたな。だがご主人はまあ色んな所で活躍してる冒険者らしいからサキュバスでもサインを貰いたがるってのは分からんでもないが。でも俺までサインを求められたのはなんでだ?」

 

 もしかしたら、彼女はベルディアのようなタイプが好みだったのではないだろうか。

 

「マジか。ちょっと今日何時に仕事あがるのか聞いてこよう」

 

 落ち着け。

 あなたは踵を返して店に戻ろうとするベルディアを押し留めた。

 どの道彼女達の本格的な仕事の時間は、客の男達が寝静まった深夜である。

 

「それもそうか……というかその考えだとご主人も粉かけられてる事になるわけだが」

 

 確かにそうなのかもしれない。

 しかし生憎だが、あなたは商売女が相手では全く興味が湧かなかった。

 彼女達が人外だという事については全く気にならないが、やはり商売女は駄目だ。ドリスで遭遇した連中よりはだいぶマシだったとはいえ、どうしてもノースティリスの道端で人目を憚らずに交合を始める娼婦連中を思い出してしまう。

 この世界のサキュバスくらい見た目が整っているのならまだいいのだろうが、老婆やむくつけき()()()が普通に全裸でまぐわっている光景はいつ見ても目が腐りそうになるものだ。あなたは廃人だがそういう趣味は無かった。むしろ思い出すだけで憂鬱になる。

 

「ご主人が人生に疲れきった老人のような目をしている……商売女に一体どんなトラウマが……」

 

 聞きたいのなら微に入り細を穿つレベルで当時の詳細を夢に出そうなほど克明に説明する用意があるとあなたは答えた。

 

「止めろ聞きたくない」

 

 嫌な予感がしたのか、即答してきたベルディアにあなたは肩を竦める。

 それは遠い昔の話。

 暗い嵐の夜だった。突然の大雨に濡れ鼠になりながらも、ほうほうの体で街に辿り着いたあなたの前にヒゲ面で毛むくじゃらで全裸の大男が突然飛び出してきたのだ。

 男は腰を抜かしたあなたに少しずつにじり寄りながら、野太い声でこう言った。

 

 ――あ~ら、あなたいい男ね。一晩の夢を見させてあげてもいいのよ。

 

「俺聞きたくないって言ったよな!?」

 

 更にある時はエイリアンを孕んだ皺だらけの老婆達があなたに近寄ってきたかと思うと、あなたの目の前で一斉に……。

 

「だから止めろっつってんだろ!!」




サキュバスA「そういえばだいぶ前からウィズ魔法店の店主さんって人の夢を見るお客さんが一人もいなくなったね。あんなに人気だったのに」
サキュバスB「なんか店主さんに彼氏が出来たみたいで、夢から覚めた後に現実では店主さんは彼氏とよろしくやってるんだろうなって考えたら滅茶苦茶死にたくなるんですって。私達の見せる夢は現実味がありすぎるからかえって精神的なダメージが酷すぎるみたい」
サキュバスA「いいなー、私も強くて優しくて料理上手で精力絶倫で高収入でカッコいい彼氏が欲しいなー。どっかにいないかしら」
サキュバスB「そんなもん私だって欲しいわ。俺十発はヤっちゃうよ? みたいなのが欲しい」

サキュバスC「エレウィズキテル……」
サキュバスD「キテルネ……」


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第57話 トイレの水をがぶ飲みして願いを叶える

 あなたの朝は自室から繋がっている隠し部屋に訪れる所から始まる。

 今の家に引越す前から同じような隠し部屋を作っていたあなただが、具体的には自宅の一部をハウスボードで物理的に隔離したものだ。

 空気の出入り口程度は作っているが、それでも隠し部屋は壁を崩すか短距離テレポートの魔法道具を介してしか入る事が出来ず、魔道具の起動方法はあなたしか知らない。

 ちなみにこの魔道具はウィズの店で購入したものだ。

 魔法陣の形をした二つセットの道具であり、魔法陣の上に乗って登録した起動キーを唱えればもう片方の魔方陣に飛び、相互に行き来する事が出来るという一見すると非常に便利な品なのだが、テレポートの有効な距離が3メートルほどしか無いという致命的な欠陥を抱えている。

 だがあなたが用いているように、隔離された隠し部屋に飛ぶ分には非常に有用だ。

 

 そんな魔道具で飛んだ先である隠し部屋には愛剣や装備の数々と並んであなたにとって最も大事な物の数々が並んでいる。

 

 癒しの女神の祭壇。

 癒しの女神の肖像画。

 癒しの女神の自撮り写真。

 癒しの女神の等身大抱き枕。

 癒しの女神のカード。

 癒しの女神の剥製。

 

 そこはまさに聖域としか例えようのない、神聖不可侵の場所であった。

 実物には及ばずとも、この場にいるだけであなたはこの世界には存在しない癒しの女神に包まれているかのような安らかな心地になるのだ。心なしか空気も清浄になっている気がする。

 勿論抱き枕はリバーシブル仕様のオーダーメイドで品質は世界最高である。

 これらの品だけではなく、あなたの自作の品である癒しの女神の人形も自室に飾られている。可愛らしくデフォルメされたそれはウィズにも大変好評だ。

 

 祭壇で三分祈りを捧げて清清しい気分になったあなたの一日が始まる。

 なお、ウィズやベルディアはこの部屋の存在を知らない。秘密の隠し部屋なのだから当たり前だ。

 

 

 

 

 

 

 日課である朝の祈りを終えたあなたは朝食の前にベルディアを伴ってシェルターに潜った。

 

 目的は終末狩りではなく、ベルディアの愛馬であるコクオーの召喚である。

 野外なら確実だが、その前に一度シェルターの中で試してみようという事になったのだ。

 終末が起こせるくらいなので可能とは思うのだが、失敗した場合は素直に街から離れた場所で呼ぶべきだろう。

 あなたはそう考えていたのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 

「お、いけそうだ。このまま呼んでいいか?」

 

 呼ぶのは構わないのだが、詠唱は必要ないのだろうか。

 

「いらんいらん。紅魔族じゃあるまいし……来い、コクオー!」

 

 彼の言葉通り、特にこれといったアクションも無くベルディアの目の前の地面に大きな漆黒の魔法陣が発生する。

 魔法陣はおどろおどろしい魔力と気配を放っており、やはり両者が魔に属する者であるという事をまざまざとあなたに見せ付けている。

 

「…………なんか魔法陣がでかい気が」

 

 そんなベルディアの小さな呟きは魔法陣の中から聞こえてきた蹄の音に掻き消され、あなたに届く事は無かった。

 

 果たしてそのすぐ後に魔法陣から出現した馬は、コクオーの名の通り、確かに黒一色の毛並みが美しい巨躯の馬であった。

 首こそ存在しないものの、体長三メートルほどの漆黒の全身から放たれる威圧感は終末産の竜を容易く凌駕している。

 しかしベルディアが言っていたような凶暴さは見ている限りでは発揮していない。

 穏やかとも言い難いが、コクオーというその名が示すような王の風格が感じられる。

 

 更にあなたが見た所、コクオーが持っている力……つまりレベルは()()()()()()()()とほぼ互角。コクオーが駆けるだけで人間の軍隊など容易く蹴散らしてしまえるだろう。正真正銘のバケモノである。今ならともかく、以前は馬の方が本体だったのだろうか。

 よくもまあこんなものを手懐けたものだと感心しながらあなたがベルディアを見やると、彼はぽかんとした表情でコクオーを眺めていた。

 

「……なんか、俺が知ってるコクオーと違う」

 

 別の馬を呼んでしまったという事だろうか。

 それならば納得がいくのだが。

 

「いや、なんというか……多分こいつはコクオーなんだろう。呼んで出てきたし、面影も残ってる。それでも俺の知ってるコクオーと違いすぎる。具体的にはサイズが違いすぎだ。俺が知ってるコクオーは確かにでかかったが、それでも普通の大きめの馬くらいのサイズで、こんなどっかの世紀末覇王が駆るバケモンみたいな大きさじゃなかったぞ。前より1.5倍くらい成長してないか? つーかやけに強くなってるっぽいし、レベル30どころか40の冒険者でも楽勝だろこんなの。何がどうしてこうなった」

 

 ベルディアがブツブツといいながら近付いていく。

 コクオーに頭は無いが、その視線はベルディアに向けられているように感じた。

 だがどういうわけかベルディアが体を撫でようとするとコクオーは露骨に距離を取った。明らかにベルディアを警戒している。

 

「ちょっ、なんで逃げ……は? 偽者? 待て待て、正式な契約の元に呼び出したんだしどう見ても本物だろうが。……首が繋がってる? 自分の知ってる契約者じゃない? ……ああ、うん。お前の言いたい事はよく分かる。俺にもこの数ヶ月色々な事があったのだ」

 

 色々の内訳は死んだり、死んだり、死んだりだ。

 ベルディアが深い溜息を吐きながら分離スキルを発動させて久しぶりに首無し騎士に戻ると、コクオーはすぐに警戒を解いた。

 コクオーとベルディアの間には契約者として繋がりがあるようで、コクオーが言葉を発さずとも会話が成立している様はまるであなたと愛剣のようである。

 しかし馬に向かって独り言を続ける彼は普通にお近づきになりたくない怪しい人だ。

 

「ところで、お前なんでこんなにでっかくなってんだ、まさか今になって成長期が来たとかそういう……え? 数ヶ月前から少しずつ大きくなって、気付いたらこんな大きさに? まぁじでぇ……ああ、そういえば俺が取得した経験値、お前にも入る契約だったっけな……それってなんかずるくね?」

 

 愛馬と久しぶりに触れ合うベルディアはとても楽しそうで、いつになく自然に笑っている。

 アニマルセラピーというやつだろうか。もしかしたらサキュバスの店に連れて行く必要はなかったのかもしれない。

 

「いや、それは凄く必要だぞ! 凄く凄く必要だぞ!!」

 

 とても強く主張する主を背に乗せながら、コクオーは呆れたように小さく嘶いた。頭部は無いというのに実に器用な馬である。

 

 

 

 

 

 

 そんな新しい出会いがあった日の数日後。

 あなたは同居人に新しくとってもいい物を仕入れたので是非見に来てくださいね、と来店のお誘いを受けていた。

 そんな期待を煽るような事を言われてしまえばウィズ魔法店随一の常連にして収集癖持ちのあなたとしては朝一で買い物に行かないわけにはいかない。

 今日はどんな手の施しようの無い産廃……もとい素晴らしい商品を見せてくれるのだろうと楽しみにしながらウィズ魔法店の扉に手をかける。

 

 

「これはとても素晴らしいものですよ! 売れます! 絶対に売れるんです! だからバニルさん、殺人光線を撃つ構えでジリジリとにじり寄って来ないで下さい!」

 

 

 あなたがウィズ魔法店の前に立つと同時、扉の中からウィズの悲鳴にも似た懇願が聞こえてきた。

 修羅場中だろうか。喧嘩なら是非とも混ぜてほしいとあなたは勢いよく扉を開け放つ。

 

「――――あっ! い、いらっしゃいませっ! ほらバニルさん、お客さんですよお客さん! そんな危ない攻撃は引っ込めて早く接客しないと!!」

 

 友人との生死を懸けた喧嘩が三度の飯よりも大好きなあなたが満面の笑顔で店内に押し入ると、九死に一生を得たとばかりに半泣きだったウィズの表情が安堵と歓喜に染まり、帰宅した主にじゃれつく子犬のようにあなたに駆け寄ってきた。ぶんぶんと激しく尻尾を振る幻覚が見える一方でアホ毛は実際に揺れている。

 

「ようこそいらっしゃいませ、まるで計ったようなタイミングで現れおったなお得意様。叶うならば我輩の殺人光線がろくでなし店主を焦がすまであと十秒ほど遅く来てほしかったのだが」

 

 仮面の大悪魔は忌々しそうにそう言った。

 喧嘩なら一向に続けてもらって構わない。むしろ混ざりたいので続けてほしいとあなたが言うと、ウィズは友人を殺人光線を防ぐ盾にすべくサッとあなたの背中に隠れ、バニルは鼻を鳴らした。

 

「喧嘩? 否、これは例によってガラクタを仕入れて店の稼ぎを消し飛ばしたポンコツリッチーへの正当な仕置きであり制裁である」

 

 バニルがその手に持っている、直径十センチほどの小さな立方体がそのガラクタにして彼女の言っていた新商品なのだろうか。

 あなたがウィズに視線を投げかけると、商才絶無のぽんこつりっちぃは頷いて商品の説明を始めた。

 

「長時間野外で活動する冒険者にとって食事と並んで頭を悩ませる事と言えば? そう、トイレですね」

 

 異論は無いとあなたは頷く。

 野外で寝泊りする冒険者にとってトイレの問題はどこまでいってもついて回る。

 男性は勿論、女性にとっては更に悩ましい問題だろう。

 

「こちらの魔道具はそんな旅先での野外におけるトイレ事情が解決できる画期的な魔道具なんですよ!」

 

 ウィズが箱の一つを開封すると、小さな立方体は大きく膨らんだかと思うと一瞬で大人が腰掛けられるサイズのトイレに変形した。

 どういう仕組みになっているのだろう。

 

「このように箱を開けただけで即座に完成する、魔法で圧縮された簡易トイレです。音が出るから用を足す際にプライバシーを守ってくれる上に、なんとなんと水洗仕様なんです!」

 

 水洗仕様という事は、このトイレもまたノースティリスのトイレと同じように中の水を飲めるという事だろうかとあなたはこの世界の非常に優れた圧縮技術に感心した。

 ノースティリスにおけるトイレとは用を足すものであると同時に、井戸や噴水と同じく飲み水を確保する為のものだ。

 トイレは井戸、あるいは噴水と違ってとても軽いので携帯して常飲している冒険者もいるほどである。あなたもかつては行っていたが、流石に井戸や噴水を持ち歩ける筋力になり、異世界で飲み水に困ってもいない今となっては飲むのは未使用のトイレの水だけにしておきたい。

 なのであなたは放出される水はどれくらい綺麗なのかを聞いてみた。

 

「水の綺麗さ、ですか? 出るのはクリエイトウォーターで作られた普通の綺麗な水ですよ。放水の機構にクリエイトウォーターの魔法が込められているんです。簡単に言えばスクロールみたいなものですね」

 

 クリエイトウォーターで作られた水という事は、それはつまり飲料に適しているという事だ。

 次いで、水の放出量を確認してみる。

 

「ドバーってすっごく勢いよくいっぱい出ます! 具体的には私達の家の大きなお風呂が溢れちゃうくらいです、こんなに小さいのに凄いですよね!」

「産廃ではないか! 貴様は加減というものを知らんのか!!」

「あいたーっ!?」

 

 堪忍袋の緒が切れたバニルが投擲した立方体がウィズの頭にクリーンヒットした。

 かなり強めに当たったが立方体は無事。かなり頑丈な作りなようだ。

 

「ついでに言っておくと消音用の音があまりにも大きすぎる。使えば漏れなく大量のモンスターを呼び寄せる事になるぞ」

 

 なるほど、バニルが怒り狂った理由がよく分かった。

 ウィズの言うとおり確かに凄い。この道具は10センチほどの大きさの立方体に数百リットルほどの水が詰まっている事になる。オマケにモンスター寄せのアイテムとしても有用だ。

 

 だがバニルの言うとおり凄く産廃なトイレだった。

 こんな物を仕入れてきたウィズへのバニルの怒りもむべなるかな。

 それはそれとして、あなたはこの簡易トイレ……もとい水瓶を全部買う事にした。

 ウィズの仕入れたトイレは悪戯用のアイテムとして友人に使ってもいいし、公衆トイレやダンジョン、他人の家にトラップとして配置してもいいし、大量の綺麗な飲み水が詰まった小箱としても有効活用可能という非常に素晴らしい品だ。しかもこれ二つは500リットルサイズの大樽を一つ買うより安いときている。

 勿論あなたは本来の用途である野外用の簡易トイレとして使うつもりは微塵も無かった。それはあまりにも勿体無さ過ぎるというものである。

 

「全部ですか!? 毎度ありがとうございます! ほらほら見てくださいバニルさん! 私の言った通りちゃんと売れたじゃないですか!」

「金蔓様、我輩としては非常に助かるがあまりポンコツ店主を甘やかしてくれるな。調子に乗ってこれからも何を仕入れてくれるか分かったものではない」

 

 もはや金蔓扱いを隠そうともしないバニルに苦笑する。

 それはそれとしてウィズは甘やかすなとは言うが、あなたは普通に欲しいから買っているだけだ。

 他所で手に入らない、見かけない代物が手に入るのは本当に素晴らしい。

 そんなあなたの言葉を受け、ウィズはバニルに見事なドヤ顔を決めた。

 

「ふっふーん、どうですか見てくださいバニルさん。バニルさんはいつもいつも私の事をポンコツだの穀潰しだの自動赤字製造機だの嫁き遅れリッチーだのと散々好き放題言ってくれますが、こうして良い物の良さを分かってくれる人はちゃーんといるんですよ? あと次に嫁き遅れって言ったら私は怒りますからね」

「最後のは全く商売に関係ないであろう。……まあポンコツ店主については最早諦めておるが、お得意様は割と本気で一度頭の医者にかかった方がいいのではないのか? 貴様が望むのであれば我輩の伝手でウデのいい者を紹介してやらんでもないぞ。医者は悪魔だが何、心配はいらん。心の病というものは時間をかけて癒す必要があるだろうが、それでも決して不治の病ではないのだ」

「バニルさん、なんて事を言うんですか!?」

 

 ぷりぷりと怒るウィズはとても可愛かったが、バニルの言い分もそれなりに分かるあなたはどうどうと彼女を諌めるに留まった。

 

 

 

 

 

 

 大量の簡易トイレを箱詰めしているウィズに、あなたは店内の魔法の杖の一本を弄びながら爆裂魔法の杖の入荷時期について尋ねてみた。

 この件について話をしたのは最早一度目や二度目ではない。ある意味テンプレートだ。

 

「爆裂魔法の杖は見てないですねー。見つけたら仕入れておきますねー」

 

 そしてこれもテンプレートと化した台詞である。

 爆裂魔法の杖の話題になると何故かウィズが純度100%、真心0%の営業スマイルになるのもいつも通りだ。いつもの笑顔と見た目は一緒なのだが、あなたにはよく分かる。

 

 そんな少しだけ現役時代の氷の魔女という異名の由来を発揮したウィズと雑談を交わしながら店内を物色していると、来客があった。

 

「店の中の総合戦闘力が無意味に高すぎだろ……」

 

 先日バニルとの商談で三億エリス、あるいは月々百万エリスを手に入れる事が決まったカズマ少年だ。外行き用の服装をしている。

 めぐみんの話では数日前に酷い怪我を負ったとの事だが完治したのだろうか。

 

「へいらっしゃい! どこぞのポンコツリッチーのようなアンデッド族よろしく昼夜逆転した生活が当たり前になっている小僧よ。こんな朝早くからどうした?」

 

 バニルはアンデッドを昼夜逆転と言うが、あなたの家のアンデッドであるウィズとベルディアは普通に夜寝て朝起きる。もしかしたら二人はアンデッドではないのかもしれない。

 

「このままだと永遠に独り身で終わりそうな嫁き遅れ店主が夜なべしてこしらえた回復ポーションを買いに来たのであれば在庫はあるぞ。一本三万エリスである」

「バニルさん、私、次に嫁き遅れって言ったら怒りますって言いましたよね?」

 

 冷え冷えとした声で、地雷を踏み抜かれたウィズがそう言った。

 そして梱包を続けながらバニルを一瞥する事無く、しかし流麗な動きでウィズが投擲した万年筆はバニルの後頭部に見事に突き刺さった。盛大にぶっすりといってしまっているが、この程度は可愛いじゃれ合いのようなものだ。だからもっと本気で争ってほしい。その時はあなたは喜び勇んで二人の争いに混ざるつもりだ。

 しかし友人に躊躇無く攻撃するウィズとノーダメージで万年筆を引き抜くバニルとそれを平然と笑って見過ごすあなたにカズマ少年は盛大にドン引きしていた。

 

「なんだこの店……それより今日はお前に用があって来たんだよ。あとポーションは買っとく。五個くれ」

「十五万エリスである。まいどあり。……それで我輩に用事とは?」

「ちょっと温泉旅行に行く事になってな。それで例の商売の話なんだけど、俺が帰ってくるまで待っててもらってもいいか?」

 

 温泉旅行という言葉にウィズが小さく反応した。

 最近ドリスに行ったばかりだというのにうずうずを隠しきれていないあたり、本当にお風呂が大好きな女性である。

 

「何だ、そんな事か。まだ商品の生産ラインは調っておらぬので、せいぜいゆっくりと羽を伸ばすなり混浴に期待するなりしてくるが良い」

「べっべべべべつに俺は混浴なんて期待してねーし!? 首の古傷が痛むからアルカンレティアに湯治に行くだけだし!?」

 

 目を全力で泳がせながら高速で首筋を撫でるカズマ少年はベルディア並にとても分かりやすかった。実に健全な青少年である。あなたからしてみれば、その若さが若干羨ましくすらある。

 

「まあそんなわけでアルカンレティアに行くんだけどさ。なんかオススメの魔道具とかあったら護身用に買いたいんだけど」

「護身用であれば、ちょうどお得意様が持っている魔法の杖などどうだ? 冒険者の貴様も使用可能な、上級火炎魔法が発動する杖だぞ。高レベルのネタ種族が魔法を込めているので威力は保証しよう」

 

 あなたは自身が持っていた、先端に火炎魔法を増幅する赤い魔石が嵌った杖をカズマ少年に手渡す。

 例によって産廃性能だが、これはあなたが購入しようと思わない品の一つだ。火炎魔法は大いに間に合っている。

 

「へえ、紅魔族の上級魔法か。俺のパーティーは攻撃魔法がめぐみんの爆裂魔法しかないから持ってたら役に立つかもな」

「問題点としては魔法の威力と範囲が強力すぎて自分も巻き込まれる事くらいか。低レベルの貴様では耐火装備で全身を固めねば一瞬で消し炭になるであろう。買うか?」

「……いらない。他になんか無いのか?」

 

 ウィズは今度は青い魔石が嵌った杖を持ち出してきた。

 

「ではこちらの上級氷魔法の杖はどうですか? 先ほどの物と同じ製作者の方が作った品なんですよ」

「威力及び問題点も先ほどの物と同レベルである。買うか?」

「いらない」

「では上級雷魔法の杖を……」

「絶対いらない」

 

 小金持ちになったカズマ少年にあなたが買わない産廃を押し付けたいのか、ガサゴソと在庫を漁るバニルだったが、やがてピタリと動きを止めた。

 

「そういえば小僧、貴様先ほど温泉旅行に行くと言ったな。アルカンレティアに行くと言ったな?」

「言ったけど。それがどうしたんだ?」

 

 仮面の悪魔は我が意を得たりとばかりに頷き、ウィズに向き直った。

 

「おいポンコツ店主。いい機会であるし、貴様も小僧達と共にアルカンレティアに行ってみてはどうだ? ほれ、貴様は大の風呂好きであろう。アルカンレティアといえばドリスと並ぶ温泉地だぞ」

「た、確かに温泉は好きですが、旅行にはつい最近行ったばかりですし。それにお店を空けたままにしておくのは……」

「そこは我輩が切り盛りするので心配するな。それにこれは遊びでは無く業務の一環である。アルカンレティアはアークプリーストが跋扈する水の都。自然と綺麗な水を必要とするポーション製作の技術も磨かれておる。新作ポーションの助けとなる手がかりや技術を学べるやもしれんぞ」

「……な、なるほど。流石はお金を稼ぐ事に関しては凄いバニルさんですね! お仕事の一環なら仕方ありません、早速旅の準備をしてきます!」

 

 なんだかんだでアルカンレティアの温泉に興味があったのか、顔を輝かせ、ぱたぱたと自宅に戻っていくウィズは弟子のゆんゆんに負けず劣らずちょろかったが、あなたはバニルにどういうつもりなのかと真意を尋ねてみる事にした。

 

「我輩は嘘は言っておらんぞ。アルカンレティアはこの世界有数のポーションの産地である。今でこそ薄利多売の自作ポーションだが、これを期に製作技術を大幅レベルアップしてほしいと思っているのは嘘ではない。……それと同時に、そこの小僧の商品を量産する為に、近々まとまった金が必要なのだ。だというのにアレが店にいると今回のようにまたおかしな物を勝手に仕入れて散財してしまう。幸いにも今回は仕入れた産廃がお得意様の眼鏡に適ったようだが次もそうである保証は無いであろう? アレの未来はサッパリ見えんしな」

 

 一見万能なバニルの見通す力は、彼と力量が拮抗する相手の未来は見る事が出来ない。

 しかしウィズがアルカンレティアでまた妙な物、というか誰も見向きしないような産廃を仕入れてくる可能性はほぼ100%なようにも思えるのだが、それについてはどう思っているのだろう。

 

「……そこに関しては必要経費と割り切る他ないであろうな。商品の量産に差し支えない程度の金を渡しておけばいいだろう。金蔓様が駄目でも何、後で幾らでも取り戻せる金額である」

「いや、仮にも客に向かって金蔓様ってお前」

「たわけ。貴様はお得意様のすさまじい金蔓っぷりを知らんからそう言えるのだ。嘘だと思うのであれば、先ほどお得意様が嬉々として大人買いした商品の説明をしてやろうではないか」

 

 小さく嘆息する見通す悪魔はとても不憫であると同時に強かだった。

 まあ強かでなければウィズと共に店の経営など、とてもではないがやってられないだろう。

 

 なお簡易トイレの説明を聞いたカズマ少年は本当に金蔓すぎる……とあなたに呆れていた。金を溝に捨てる趣味を持っていると思われたらしい。あなたはただ素敵な面白商品を買い漁っているだけなのだが。

 

 

 

 

 

 

 さて、水と温泉の都アルカンレティアといえば、観光地であると同時にアクシズ教の本拠地でもある。

 そう、()()アクシズ教の本拠地なのだ。

 あなたは前々からデストロイヤーが走り去った後にはアクシズ教徒しか残らないと言われる程であるアクシズ教の本拠地に非常に興味があった。彼らの今が楽しければそれでいい、後は野となれ山となれという刹那的快楽主義者にも似たメンタリティと愉快犯っぷりはノースティリスの過激派狂信者のそれに非常に近いものであるが故に。

 

 これは絶好の機会であると、あなたはウィズやカズマ少年のアルカンレティア行きに同行する事にした。

 カズマ少年達は馬車でアルカンレティアまで向かう予定だったようだが、ウィズはドリスをテレポート先に登録しており、更にドリスからテレポートサービスでアルカンレティアに飛ぶつもりらしい。

 アルカンレティアはアクセルから馬車でおよそ一日半。一方テレポートであればテレポートサービスの待ち時間を考慮しても数時間もかからないだろう。

 

 そんなわけで、あなたはカズマ少年と共にアクセルの馬車の待合所に足を運んでいた。

 ウィズは現在荷作りの真っ最中だ。

 

 カズマ少年曰く彼が家を発った時はめぐみんとダクネスはまだ寝ており、二人を起こすのは女神アクアに任せていたらしいのだが、既に三人とも待合所で彼を待っていた。

 どういうわけか、露骨にめぐみんが渋面を浮かべている。

 

「ちょっとカズマー遅いわよー。先に行って席取っておいてって頼んだのに……ところでなんでその人がいるの? もしかして今度はカズマがウィズに借金作っちゃったの? お勤め頑張ってね。何があっても蘇生だけはやってあげるから死ぬなら出来るだけ綺麗に死になさいよね」

「ちげえよ笑えないからそういう冗談は止めろよマジで止めろ。成り行きでウィズとこの人もアルカンレティアに行く事になってさ。俺達さえよければドリスまで一緒にテレポートで飛ばしてくれるんだってよ」

「て、テレポートか……」

「テレポートですか……」

 

 カズマ少年の言葉を受けたダクネスはどこか残念そうに表情を陰らせ、めぐみんは余計な事をしやがって、とアイコンタクトを送ってきた。嫌がらせですかこの野郎、とも。

 はて、テレポートの何がいけなかったのだろうとあなたは疑問に思う。

 勿論あなたもウィズもめぐみんが考えているような事は一切考えていない。善意からの提案だ。

 

「はあ? ドリスですって? ちょっとカズマ、私の心と体はとっくの昔に絶対アルカンレティアに行くモードに入っちゃってるんですけど。今更ドリスに行くとか言われても困るっていうか絶対嫌なんですけど」

「分かってるよ。でもドリスからアルカンレティアにテレポートサービスとかいうので飛べるって話だし、金は馬車を使うよりずっとかかるけど、そっちのが早いしよくないか?」

 

 一見すると妥当なカズマ少年のその提案に、めぐみんはやれやれと頭を押さえて首を振った。

 

「カズマ、よく考えてください。テレポートが早くて便利なのは否定しませんが、これは私達の初めての遠征なんですよ? テレポートでびゅーんと一瞬でひとっとびなんて、そんなの味気ないじゃないですか。やっぱり折角の慰安旅行なんですから、目的地に到着するまでの過程も大事だと思うんです」

「良い事言った! 今めぐみんが凄くいい事言ったわ! 旅行は過程も大事! 楽する事ばっかりを考えるヒキニートはこれだから駄目なのよ!」

「私としても二人の意見に賛成したい所だな。私は街の外への旅行など、子供の頃にこの国の姫様の誕生祭でお父様に王都へと連れられて以来でな……アルカンレティアまでのアクセルの外の風景を見てみたいのだが……」

 

 凄まじいまでのブーイングの嵐である。

 

「そういえば俺、折角の異世界なのにまともに旅するのとか今回が初めてなんだよな……まあ最初くらいは普通の旅を味わうのもいいかもな。ゆっくり景色を眺めてみたいし」

 

 カズマ少年も三人の言葉に思うところがあったようだ。

 

「お客さん方ー! そろそろ出発しますよー!」

 

 彼らが乗る馬車の御者が大声で呼びかけ、女性陣が馬車に乗り込んでいく。

 私いっちばーん! と元気に駆けていく女神アクアにカズマ少年が苦笑した。

 

「じゃあまあ、そういうわけだから。折角の所申し訳ないんだけど俺達は馬車で行く事にするよ。ウィズによろしく言っといてくれ。あともし向こうで会う事があったらその時はよろしくな」

 

 目ざといあなたは視界の端でめぐみんが小さくニヤリと悪い笑みを浮かべながらガッツポーズを決めたのを見逃さなかったが、あえて何も言わずにおいた。

 今回の旅に際して彼女が碌な事を考えていないのはあなたにも分かる。旅の道中で何が起きるかは分からないが、どうかカズマ少年には頑張ってほしいものである。

 

 

 

 

 

 

「バカ! よりにもよってアルカンレティアなんかに俺が行くわけないだろ、いい加減にしろ! 俺はマシロと戯れながら家で大人しく留守番しておくから好きなだけ楽しんでくればいいと思うぞ!」

 

 あなたとウィズがアルカンレティアに行くと聞き、更に自分達と一緒に行くかと聞かれたベルディアはあなたの予想通りの反応を返してきた。

 あまり長く滞在する予定は無いが、自宅警備員であるペットが困らないように、あなたは一月ほど暮らしていけるだけの金を置いておく。

 無駄遣いしないこと、お菓子の食べすぎは控える事、入浴と歯磨きはちゃんと欠かさずやる事、サキュバスを呼ぶ場合はちゃんと家ではなく宿に泊まる事をキチンと言い含めておく。

 

「子供扱いか! いや、最後のはちょっと違う気もするけど!」

 

 

 

 次にあなたとウィズはゆんゆんの元を訪ねた。

 彼女がアルカンレティアに若干の苦手意識を持っている事は承知の上だが、数少ない友人であるめぐみんも旅行に行ってしまったし、女神ウォルバクはアクセルにいない事も多い。一人だけ除け者では可哀想だろうという理由である。

 

「そんなわけで私達はこれからアルカンレティアに行くのですが、もし良かったらゆんゆんさんも一緒にどうですか?」

「わ、私もですか? 凄く嬉しいですけど、お二人の旅行のお邪魔なのでは……」

「お邪魔だなんて、そんな事無いですよ!」

 

 渋るゆんゆんに、あなたは既にめぐみんも馬車でアルカンレティアに向かった後であると教えた。もしかしたらめぐみんと一緒にアルカンレティアを観光出来るかもしれないとも。

 

「行きます! 絶対行きます!」

 

 即答である。アルカンレティアに苦手意識を持っていたゆんゆんにも効果は抜群だ。

 

「……あれ? でも私、めぐみんが旅行に行くとか一言も聞いてない……昨日まで一緒にここで寝泊りしてたのに全然聞いてない……」

 

 涙目で気落ちするゆんゆんをウィズがまあまあ、昨日急に決まった事みたいですからと慰め始めた。

 いっそこうなったらついでに女神ウォルバクにも声をかけておこうかと考えたものの、それは止めておいた方が賢明だろうとあなたは一瞬でその案を破却する。

 現役魔王幹部であるあの女神はアクシズ教に邪神認定を食らっている。ドリスに行く前はアルカンレティアで湯治していたらしいが、その事を話す彼女は若干背中が煤けていた事をあなたはよく覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 旅の仲間にゆんゆんを加え、ウィズのテレポートであっという間にドリスに辿り着いたあなた達だったが、そのままテレポートサービスでアルカンレティアに直行……とはいかなかった。

 

「三時間待ちですか……」

 

 アルカンレティア行きのテレポートサービスはつい先ほど発ったばかりであり、次の便は約三時間後になるとの事。若干タイミングが悪かったようだ。

 今は昼食には少し早い時間である。わざわざアクセルに戻るのもどうかと思うとの事で、あなた達は転送の予約だけ行い、昼食まで暫くの間待合所で時間を潰す事にした。

 

 昼前という事もあってか待合所には他の客はいなかった。あなた達の貸切である。

 

「そうだ、実は私、ちょっと面白いものを持ってきているんですよ」

 

 思い思いにくつろぐあなた達だったが、何を思ったのか、じゃーん、と口走りながらウィズがおもむろに取り出したのは小さい筒状の包みだ。

 

「カズマさんが作った、風船っていうオモチャだそうです。何でも空気を入れて膨らませて遊ぶ物なんだとか。量産に必要な分以外は好きに使っても良いとの事でして」

 

 ウィズはそう言っているが、これは本当に風船なのだろうか。

 ノースティリスにも風船はあるし、あなたもよく知っている。

 しかしウィズが持っているそれはあなたの知る風船とは若干違うようにも思えた。

 彼女が持っているそれはやけに細長く、挿入口が大きい。

 ゆんゆんが両手で伸ばすそれは風船というよりは、もっと別の物のように思える。

 

「わぁ、すっごく伸びますね!」

「凄いですよね」

 

 あなたは二人が持っている物の形状と名前と用途に思い当たりがあったが、教えた方がいいのだろうか。

 むしろアレをやってもらうチャンスなのではないだろうか。

 しかしそれはセクハラではないのか。

 かといってこの機会を見過ごす方が人として不出来なのではとも思える。

 

 あなたの中で悪魔と天使が戦いを繰り広げる。

 内心で葛藤するあなたを尻目に、二名のアークウィザードは風船のようなものに口を付けて遊び始めた。

 

「ふーっ、ふーっ……ほら、こうやって息を吹き込んで膨らませて遊ぶものみたいですよ。どうですか?」

「すごく……おっきいです……」

 

 ゆんゆんは何故かウィズの胸を見ながらそう言った。

 ちなみに現在の風船のようなものの大きさはウィズの胸とほぼ同じサイズである。

 

「……おっきいですけど、でもなんか水を入れるのに良さそうですよね。いっぱい入りそうです」

「うーん、私としては水を入れるには強度が心配な気もしますね。野外で皮袋の代わりに使えるのはいいんですが……実際どれくらいまで膨らむんでしょう。ちょっと壊れない程度に試してみましょうか」

 

 推定風船を楽しそうに膨らませるウィズを見て悪魔は言った。何を迷う事があるやってしまえ、今は悪魔が微笑む時代なんだ、と。

 師匠と同じように、一生懸命息を吹き込むゆんゆんを見て天使は言った。バレなきゃ犯罪じゃないんですよ、と。

 

 終末戦争を終えた天使と悪魔が長年の軋轢を乗り越えて遂に互いの手を取り合ったのだ。

 平和万歳。長寿と繁栄を。ノースティリスニ栄光アレ、イルヴァニ慈悲アレ。世に平穏のあらん事を。

 

 答えを得たあなたは膨らませる前のそれを手に取り、ちょっとこれを口に咥えてみてほしいと気軽な声色で二人に呼びかける。

 ゴムを丸ごと食べるのではなく、端っこを引っ掛けるように咥えてほしいと。

 

「よく分からないですけど、えっと……ふぉれれひいれふか?」

 

 不思議そうにしながらも、何の疑いも持たずにあなたの言葉に従うウィズとゆんゆん。

 これも日頃の行いがいいからだろうと、あなたは更にそこでダブルピースを要求。

 

「……? ふぁい」

 

 二人は素直に両手でピースサインを作ってくれた。感無量である。

 こうしてあなたの極めて下衆い思惑になど微塵も気付いていない、小さいゴムを口に咥えてダブルピースするウィズとゆんゆんが完成した。

 そう、小さいゴムを口に咥えてダブルピースするウィズとゆんゆんが完成したのだ。

 

 自身の成した史上類を見ない偉業に、あなたはごく自然に二人に感謝の意を告げながらも内心で今夜は眠れないな! と盛大に歓呼の声を上げる。

 いいぞ! ブラボー! 天にましますいと尊き神々よ御照覧あれ! この素晴らしい世界に祝福を! 相手の無知に付け込んで合法的にセクハラするというシチュエーション、通称無知シチュは本当に最高でおじゃるな!

 

 あなたは冷静さを取り戻した。

 あなたの思考は冴え渡った。

 あなたは爽快な気分になった。

 あなたは満足した。

 

 あなたは最低だ。

 

 

 

 

 

 

 それから三十分後、ドリスの留置所にぶち込まれるあなたの姿があった。

 罪状は咥えゴムダブルピースの強要ではなく全く別の理由なのだが、これはウィズとゆんゆんを辱めた罰が当たったのだろうとあなたは少しだけ己のセクハラ行為を反省し、留置所の壁を素手でぶち抜いて脱獄するのは止めておく事にした。



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第58話 いや~ん、エッチな風さんですぅ

 拘留より時を遡る事三十分前。

 ぽわぽわりっちぃとゲロ甘チョロQ紅魔族に無知シチュからの咥えゴムダブルピースをさせるというこの世界の歴史に残る偉業を成し遂げたあなただったが、自分がカメラを持ってきていない事に気付いた。

 

 自身がもういいと言ってしまったのでウィズとゆんゆんは風船のようなものを再度膨らませ始めたし、ダブルピースも店仕舞い。これではとんだ片手落ちであるとあなたは臍を噛む。しかし流石に撮影までやってしまっては幾らウィズが人の良い女性といえども疑われるだろうし、あなたも自身の交渉スキルで言い訳出来る気がしなかったのでこれで良かったのかもしれない。

 先ほどの光景は自身の心のアルバムの中にだけ仕舞っておく、それでいいではないか。絵画に残しておくかは後で考えるとしよう。

 

 

 ――キャアアアアアア!?

 ――うおおおおおおお!!

 

 

 あなたが普通に最低な事を考えていると、外から女性のものと思われる、黄色い悲鳴が聞こえてきた。それも複数。

 男性達の歓喜に満ちた叫び声も聞こえる。

 

「な、何が起きてるんでしょうか?」

 

 事件の香りを嗅ぎ取ったのか、気弱なゆんゆんがウィズの傍に寄り添った。

 聞く限り、女性の悲鳴と男性の歓声は一向に鳴り止む気配が無く、そして一箇所ではなくあちこちからあがっているように思える。

 

 何が起きているかは不明だが、悲鳴を鑑みるに女性だけが狙われている事だけは確かだ。あなたはウィズとゆんゆんに待合所の中で待っているように言い含め、一人で外に出る事にした。

 

「……どうか気を付けてくださいね」

 

 不安げに瞳を揺らすウィズにしっかりと頷き、あなたは待合所の扉を開け放つ。

 果たして、様々な人々が溢れかえるドリスのテレポートサービスの広場であなたが目撃したのは、あまりにも想像を絶する光景であった。

 

 

「きゃああああああ!?」

「いやああああああ!!」

「見ないでええええ!!」

 

 

 とても強い突風と共に緑色の光が女性達のスカートを捲り上げていた。

 とても強い突風と共に緑色の光が女性達のスカートを捲り上げていたのだ。

 

 あなたは自身の目を疑った。

 

 女性達は必死にスカートの裾を押さえて下半身を守るもあまりの強風に太もも、あるいはスカートの中身がしっかりと見えてしまっている。如何にも清楚然とした金髪エルフの僧侶は黒のガーターを付けていた。むっつりなのかもしれない。

 それはそれとして、男性の中には女性を拝んでいる者までいる始末だ。彼らは騒ぎが収まった後で酷い目に遭わされるのではないだろうか。

 

 彼女達は浴衣を着ていればもう少し何とかなったのであろうが、不幸な事にここは人々が各地に飛ぶ、各地から飛んでくるテレポートサービスの広場だ。浴衣姿の人間など殆ど存在せず、結果としてこの惨状である。あるいはそれすら犯人の思惑の内なのか。

 

 しかしこれはどうすべきなのだろうかと、眼前で繰り広げられる乱痴気騒ぎにあなたは困り果てた。

 誰も怪我をしていない所から犯人に害意は無いようだが、風を纏って高速で人々の足の間を駆け回る緑色の光は恐らく女性のスカートをめくる春の精霊、春一番である。

 高速とはいえあなたからしてみれば春一番の捕捉自体はそう難しくないのだが、この雑多な人ごみの中では話が変わってくる。

 放っておけばそのうち満足してどこかに行くだろう。あなたはそう結論付けた。相手をする事すらめんどくさかったとも言う。

 

「……あの、すみません。やっぱり私も何かお手伝いを……」

 

 待合所に戻ろうとした所でウィズが扉を開けて出てきた。

 彼女のその気持ちはとても嬉しいのだが、今だけは待合所の中で大人しく待っていてほしかったというのがあなたの偽らざる本音だ。

 そして不運な事に、ウィズを新たな獲物と認識したのか、突如人ごみを抜けた春一番が一直線にあなたの……そしてあなたの背後のウィズに向かって突っ込んできた。

 

「えっ?」

 

 あなたに意識を取られていたのか、ウィズの反応が遅れた。

 今から彼女を待合所に押し込んで扉を閉めるには遅すぎるだろう。

 

 理解すると同時、あなたの脳髄が反射的に凍り付いた。

 障害は須らく排除すべし。悉く、速やかに。

 ノースティリスに浸かりきった冒険者特有の冷めた思考があなたを支配し、ゴミを見るような視線が春一番を射抜く。

 

 

 春一番は、あなたの後ろに立つ女性を狙っている。

 友人を狙っている。

 ウィズを狙っている。

 つまりあなたの敵だ。不倶戴天の敵である。

 

 

 敵という事は、アレは殺してしまってもいい……否、殺すべき相手である。ウィズを狙っているというのであれば是が非でも殺さねばならない。ウィズを狙っているから殺す。それでいい。

 

 愉悦に興じるつもりなど微塵も無い。この場で仕留める。

 刹那の内に決断を終え、あなたは腰に下げていた神器を抜き、春一番に襲い掛かった。周囲の人間達が顔色を変える。

 ドリスはこの世界でも一際平和な観光地である。故に街中で武器を抜いてはならないという法があった気もするが、そんな事は今のあなたの知った事ではない。

 

 あなたの冷徹な殺意に呼応するかの如く、神器の固有能力である《先読み》が発動。

 擬似的な未来予知という神器の支援を受け、最後の砦であるあなたを抜き去らんと高速で動き回る春一番の複雑怪奇な機動を完全に読みきったあなたは全力で刃を振り下ろす。

 

 

《――――!?》

 

 

 緑色の光が女性の声に似た悲鳴を発した気がしたが、関係ないとあなたは握り締めた柄を回して捻り込む。

 

 神器は地を這う春一番をたったの一撃で貫通した。

 その勢いのまま、ザン、ともズン、とも聞こえる斬撃音と共に神器は大地に突き刺さり、まるで蜘蛛の巣のように広範囲に罅割れが地面に刻み込まれる。

 そして地面からビキリというとても嫌な音が鳴り響き、数瞬の後、あなたの周囲、半径十数メートルの石畳が一斉に粉々に砕け散った。

 更に衝撃の余波で待合所の外壁にも罅が入り、建物の中からゆんゆんの悲鳴が聞こえてきた。

 

 気付けばあれだけ騒がしかったテレポートサービスの一帯は、どういうわけかシンと静まり返っている。

 

 耳が痛くなるような静寂の中、生物を斬ったという手応えこそ無かったが、今までに数え切れない程多くの敵手をその手で葬ってきたあなたの感覚が戦いの終わりを告げていた。

 その証拠にあれほど突風と共に暴れまわっていた春一番は霧散し、その残滓である、春一番という名の通りの温かく、柔らかな花の匂いのする風があなたの頬を撫でている。

 

 自身の感覚に身を任せ、あなたの思考が平時のそれに戻る。

 悪は去った。この世に存在するいかなる金銀財宝よりも尊いウィズの生足とスカートの中はあなたの手によって護られたのだ。

 

 つい先ほどその友人であるウィズ、あとついでにゆんゆんにもスカートめくりなどとは比較にならないレベルで犯罪臭しかしないセクハラをかましているあなただったが、心の棚上げはノースティリスの冒険者の基本スキルだ。それにバレなければ犯罪ではないと脳内の天使も言っていた。何も問題は無い。

 

 惚れ惚れするほどに完璧すぎる自己弁護を終えたあなたは地面に突き刺さった神器を抜いて鞘に収め、懐から冒険者カードを取り出す。

 冒険者カードに自身が殺害してきた相手のログが表示される便利機能が備わっているのは周知の事実だが、その殺害相手の一番上、つまり最新の箇所に春一番の名が記載されていた。確かに殺害したようだとあなたは満足げに頷く。

 

 春一番は高額の賞金首である。その額はおよそ一億六千万エリス。

 極めて弱小ながら長年に及ぶスカートめくりで数多の女性達の恨みを買いまくり、しかし何故か討伐されていなかったが故に賞金が膨れ上がっていた精霊である。

 

「……もう終わっちゃった感じですか?」

 

 遅まきながら少しずつ事態を飲み込めてきたのか、どこか残念そうにあなたに問いかけてきたウィズに首肯する。

 そして折角なので春一番の賞金でどこかで豪勢な昼食でも、と言おうとしたところで……。

 

「スタアアアアアアアップ!」

 

 あなたは衛兵達に囲まれた。

 数は十人。彼らはアクセルでも買える、安物の鉄製武具で身を包んでいる。

 最前線の王都は言うに及ばず、駆け出し冒険者の街であるアクセルの衛兵より装備と兵士のレベルが低い。これで街の平和を守れるのだろうかとあなたは少し不安になった。

 

「え? えっ?」

 

 何事かと目を白黒させるウィズ。

 衛兵達は控えめに言って友好的な雰囲気ではない。春一番を討伐したあなたを表彰しようという面持ちでもない。むしろ彼らは皆が皆一様に青ざめており、全身から悲壮感を漂わせている。

 

「貴様、そこを動くな……いや、動かないでください!!」

「そして今すぐ武装を解除して神妙に縛についてくださいお願いします! 今日は娘の五歳の誕生日なんです!!」

「この後年下の彼氏と初デートなんです! どうか、どうか命だけは勘弁してください!!」

 

 まるでノースティリスの新人の衛兵のような台詞に、少しだけ懐かしくなった。

 長きに渡って活動を続け、およそ考えられる全ての衛兵案件をやらかしてきたあなた達廃人は良くも悪くもとびきりの有名人である。

 新人とはいえノースティリスの衛兵で廃人の顔を知らない者は余程物を知らぬか、あるいは余所者だ。あなた達の顔写真や特徴は当然のように各地に出回っているので普通は知っていて当然なのだ。

 

 勿論あなたは上記のような世迷言は聞く耳持たぬと何度も何度も衛兵を老若男女問わずぶち殺してきたわけだが、命が重過ぎるこの世界ではまだやっていない。

 それどころかこのような目に遭う理由に心当たりが全く無かった。

 今の所ノースティリスの冒険者としては驚愕に値するレベルで大人しくしているという自覚があるあなたは実際に指名手配すら食らっていない。

 故に人違いではないのかと言おうとしたのだが、ふと一つの可能性に思い当たる。

 

 ……待合所に監視カメラが仕掛けられていたのかもしれない。

 あなたの口の中がからからに乾ききり、ぶわっと背中に冷や汗が流れ始めた。

 

 若い婦女子二名に咥えゴムダブルピースを強要した自身のセクハラが彼らに知られているとなると、これは非常にまずい事態である。主にウィズに自身の所業が気付かれる的な意味で。

 騒ぎが気になったのか、少しだけ開いた扉の隙間からチラチラとこちらを窺っているゆんゆんは遊び相手であって友人ではないし、何より彼女はくっそチョロいのでどうにでもなりそうだが、ウィズはそうはいかないだろう。

 

 この世界に来て以来最大級のピンチがあなたを襲う。

 ウィズに懇々と説教されるのはあなたであっても非常に心が痛むのだ。彼女があなたの事を本気で思いやって説教をしてくるだけに、尚更ダメージは大きい。

 

 いっその事これは冤罪だ! 不当逮捕だ! 自分は絶対国家権力なんかに屈したりしない! と錯乱したように叫びながら余計な事を言われる前に衛兵を全員ぶっ飛ばすべきだろうか。いや、是非ともそうすべきだろう。みねうちを使えば口が利けなくなる程度に他者を痛めつけるのはあまりにも容易い。

 かなり真剣にそんな事を考え始めたあなたの瞳に剣呑な光が宿り始め、神器の柄を握る手に力が篭る。

 

「死ぬぅ! 殺されぅ!」

「おうちかえぅ! おうちどっち!?」

「許しなさい! 許しなさい!!」

 

 何故か衛兵が錯乱し始めた。絶好のチャンスである。

 このまま全員意識ごと星の向こうにぶっ飛ばそうと、半分ほど刀身を顕にした神器が眩く煌いた所で、ウィズがあなたの前に出た。

 

「……あ、貴女は?」

「私は彼の友人で同行者です。失礼ですが、私達はつい数分前にアクセルからドリスにやってきたばかりなので、何かしらの誤解が起きているのではないかと思うのですが……」

 

 非常にまずい流れであるとあなたは内心で頭を抱えた。

 あなたの予想が当たっていた場合、ハッキリ言って誤解もクソもあったものではない。完全にアウトである。国家権力には勝ててもぽわぽわりっちぃには勝てなかったよ……。

 

「こ、こんだけ派手に広場の地面をぶっ壊しといて誤解も何もあるか! 待合所の壁にもあんなにでっかく罅入ってるだろうが!!」

「……あっ」

 

 隊長と思わしき壮年の衛兵があなたの足元と待合所の外壁を指差し、ウィズがあちゃーと言いたそうに瓦礫の上に立つあなたを見つめてきた。

 広場の地面を砕いた事の何がいけないのだろうかとあなたは首を傾げる。

 あなたは精々半径十数メートルの石畳を神器で粉々に粉砕しただけである。外壁に至っては罅しか入っていないではないか。それの何がいけないというのか。

 

「馬鹿ッ! いけないに決まってんだろ! これは立派な器物損壊罪だぞ!」

 

 衛兵の叫びにあなたは驚愕した。

 幾らドリスが平和な街とはいえ、たったそれだけで衛兵案件になるものなのかと。

 

「マジかよ聞いてないんだけど、みたいな顔をするな! ドリスが平和な街なのは否定しないが他所でもこれくらいは普通に常識だろ!?」

 

 ウィズに目を向ける。頷かれたのでどうやらそういうものらしい。

 ノースティリスではそんな事で衛兵を呼ぶなと逆に怒られる案件なのだが。あなたが異世界に転移して早一年。二つの世界の様々な差異に異邦人であるあなたは日々戸惑うばかりである。

 

 それはそれとして、待合所に監視カメラが仕掛けられていたという事ではなさそうである。あなたは大乱闘の開幕は控える事にした。

 

「えっと、その……ふぁ、ファイト、です!」

 

 苦笑いを浮かべながらもぽわぽわりっちぃはぎゅっと両手を握り締め、可愛らしくガッツポーズを決めてあなたを励ましてきた。

 あまりの尊さに様々なものが浄化されそうになるので、そのようなアクションは正直慎んでもらいたい。

 

 恐らくは彼女もこのまま何かしら取調べを受けるのだろうが、あなたは彼女に迷惑をかけてしまった事を謝罪し、先に解放されたらアルカンレティアに向かっていてほしいと告げる。

 あなたがどの程度の罪を犯したのかは不明だが、流石にこの世界における殺人行為以上という事は無いだろう。

 

「いえ、私はゆんゆんさんと一緒に待ってます。この程度の器物損壊なら罰金刑で済むでしょうし、拘束期間もあまり長くならないでしょう。カズマさん達もあちらに着くのは明日の夕方以降ですしね。……それにほら、あなたもご存知の通り、私は待つのには慣れてますから」

 

 そう言ってウィズは笑ったが、ジョークと呼ぶにはそれはあまりにもブラックすぎるのではないだろうかとあなたは頬を引き攣らせた。

 少なくとも彼女がアクセルで仲間達をずっと待ち続けていると知るあなたに、彼女の健気な発言を笑う事は出来ない。

 

 

 

 

 

 

 さて、あなたの留置所生活はこのような経緯の元に幕を開けたわけである。

 器物損壊の罪であなたがぶち込まれたのは、衛兵の詰め所に備え付けられた小さな牢屋だった。

 詰め所は建物自体は石造りなのだが、春の暖気も相まって、牢の中は意外なほどに暖かい。

 

 鉄格子が嵌められた牢の中は、囚人を抑えておく為の鎖、そして粗末なトイレがあるだけだ。

 全体的に造りが極めて脆く、脱獄があまりにも容易であるという事を除けば、牢の構造自体はノースティリスの収容所にそっくりである。

 それにしてもこのように拘留されたのは何年ぶりだろうか。大人しく牢の中で過ごすなど何十年ぶりだろうか。あなたは思わず遠い目をして過去に思いを馳せる。

 

 ノースティリスの収容所とは言うまでもなく犯罪者を閉じ込めておく為の施設である。

 主にガードにしょっぴかれた者や事故で直接転移した者が収容されるのだが、どういうわけか犯罪者が自分の足でノコノコやってきても何故か捕まらずに追い返される、などといった怪現象など起きる筈が無い。普通に捕まる。

 

 収容所に勤務している衛兵はノースティリスでも指折りの猛者達である。ノースティリスの冒険者は基本的に無法者であるし、投獄されようとも当然の権利のように脱獄を図るので当然の処置だ。

 収容所には罰を与える意味で犯罪者にのみ効果のある弱体化の魔法がかかっており、収容された者は時間経過と共に能力……この世界で言えばレベルが低下する。脱獄を図るのもまた当然だった。

 

「…………」

 

 さて、そんなあなたの前方、牢の前で書類を書いている看守はどういうわけかガタガタと体を震わせており今にも倒れそうなのだが、もしかして彼は風邪でもひいているのだろうか。

 

「……ヒッ!?」

 

 ついあなたが大丈夫かと声をかけると、看守は小さく悲鳴を上げた。

 風邪ではなかったようだが、この世界でもこんな扱いかと、懐かしくも非常にやるせない気分に陥る。

 これではどちらが罪人か分かったものではない。あなたはまだ街中で核すら使っていないというのに。

 

 天気がいいので核を使う。

 拾い食いしたパンが呪われていたので核を使う。

 依頼に失敗したので核を使う。

 酔っ払いに絡まれたので核を使う。

 むしゃくしゃするので核を使う。

 特に理由はないが核を使う。

 

 まさしく核のバーゲンセールに相応しい日々の中で生きてきた自分が未だ核を封印したままというのは喝采されて然るべきなのではないだろうかと、あなたは誰にでもなく考える。

 

「も、もう少し時間が経ったら検察の方が来ま……来る。傷害事件を起こしたわけではないのだから、そこまで酷い罪状にはならないだろう。だからそれまで騒がずに大人しくしていろ」

 

 震え声ではまるで様になっていないが、あなたはそれ以上何も言わずに大人しく牢の中で過ごすのだった。

 

 

 

 

 

 

 牢にぶち込まれて三十分も経たずにあなたが退屈になってきた所で、看守の言っていた検察官と思わしき女性が現れた。

 セナを髣髴とさせるキッチリとした身なりの、いかにも真面目で賢そうな顔つきをした、赤毛でポニーテールの目つきの鋭い女性だ。

 

「他の方から簡単にですが話は聞いています。また凄いのを捕まえてきましたね……というかウチの連中でよく捕まえられましたね……話を聞いた時は心臓が止まるかと思いましたよ。話は変わりますが私は急にお腹と頭と目が痛くなってきたので帰って寝ていいですか?」

「幸いにも同行者の方を含め、とても協力的でしたので……詳細は報告書に。あと帰らないで下さい。貴女そういうキャラじゃないでしょう」

 

 看守が書類の置かれたテーブルを指差す。

 あなたがぶち込まれている石牢の外は絨毯が敷かれ、テーブルと共に椅子やソファー、本棚まで完備されている。牢の中はともかく、外はノースティリスのそれとは大違いだ。

 

「ドリスは観光地として有名な街です。凶悪な犯罪者が来るような場所ではありません。ですから衛兵や装備の質も相応ですし、この場所だってどちらかと言うと酔った観光客が外で寝てしまい、凍死するのを避ける保護施設みたいなものなのです」

 

 あなたの探るような視線に気付いたのか、報告書に目を通しながら検察官が説明してくれた。

 凶悪かどうかはともかく、つい最近、ドリスには魔王軍の幹部が三人ほど集まったり百匹以上の高レベルサキュバスが存在していたわけなのだが、彼女達がそれを知る由は無い。

 

 さて、検察官が来た事で取調べが始まったわけだが、あなたの取調べは牢の目の前で普通に行われた。

 あるかどうか分からない別室ではなく、絨毯の上のテーブル席に座らせられる。この場で聴取を行うらしい。

 そして聴取される人間……つまりあなたの後ろに看守が立っている。

 

「彼が妙な動きをした際はすぐにあなたが取り押さえるように」

「やめてくださいしんでしまいます」

 

 看守がみっともない泣き言を吐き、検察官が分かっています、今のは言っただけですと目を逸らした。

 暴れるつもりならとっくの昔に詰め所を更地にしているあなたとしては非常に不服だが、今は黙っておく。

 そして今更だが、彼らはあなたの事を知っているようだ。

 

「……ええ、初対面ではありますが、あなたの事はよく存じていますよ。まあ簡単に説明すると、あなたの勇名は王都から遠く離れたドリスにまで届いているという事です。……その、色々な意味で」

 

 頭のおかしいエレメンタルナイト扱いは今更だが、あなたの顔写真、あるいは似顔絵が出回っているという事だろうか。

 しかし街の住人はおかしな反応を見せなかったので、恐らくは特定の人間の間だけで。

 

 それにしたって彼らは少し大袈裟すぎではないだろうか。

 アクセルの住人や衛兵達は彼らのように爆発物に触れるようにあなたに接してこないのだが。

 

「それはアクセルの街の人たちの頭がおかしげふんげふん、これ以上は止めておきましょう」

 

 検察官は言葉を濁した。更に背後では看守が頷いている気配がする。

 

「……コホン、では色々とお聞きしましょうか。もしかしたら知っているかもしれませんが、この建物内では誰かが嘘をつくと、コレが鳴り教えてくれます」

 

 検察官はそう言いながらテーブルの上に小さいベルに似た物を置いた。

 

「高名なプリーストがかけてくれた魔法で、嘘をつく際の邪な気を感知するものです」

 

 面白い魔道具もあったものである。

 あなたは試しに簡単な嘘をついていいか聞いた。

 

「……一度だけですよ」

 

 渋々ながら許可が下りたので、あなたはとびきりの笑顔でこう言った。

 

 

 口封じの為に今からこの建物にいる衛兵及び関係者達を一人残らず八つ裂きにして皆殺しにする。

 絶対に一人たりとて生かして逃がすつもりは無い。

 そして殺した後にその死体をステーキにして美味しく食べる。

 これは断じて嘘ではない。今夜は人肉でステーキパーティーだ。

 

 

 ――チリーン。

 

 

 あなたの放った非常にお茶目で可愛らしい嘘に反応してベルが鳴った。

 

 なるほど、確かに嘘を感知する道具のようだ。実に面白い。余っていたら一つ貰えないだろうか。

 興味深そうにベルを見つめるあなただったが、あなたを見る検察官の顔が真っ青になっていた。冷や汗もダラダラと流しており、今にも失神してしまいそうである。

 

「今のは聞かなかった事にしておきます…………嘘ですよね?」

 

 最初に嘘と言ったしベルも鳴ったのだが、何故か念を押されてしまった。

 ちなみに後ろの看守は立ったまま失神していた。

 

 

 

 あなたは気を取り直して嘘偽り無く、先ほど起きた事を話し始める。

 友人達と共にアクセルからアルカンレティアに行く予定だった事。

 テレポートサービスの待合所で待っていたら、現れた春一番がその場の女性達のスカートを捲り始めて騒ぎになった事。

 最初は放置しておく予定だったのだが、ウィズ……同行者の友人が春一番にスカートをめくられそうだったので春一番を八つ裂きにするべく得物を抜いただけであり、ドリスでテロ行為を行ったつもりは微塵も無い事。

 

 そう、石畳の崩壊はただの不幸な事故なのだ。全てはウィズに手を出そうとした春一番が悪い。

 検察官が魔道具をチラリと見やるも、あなたの証言中に鈴は一度も鳴らなかった。

 

「嘘は、言っていないようですね」

 

 全て本当の事なので当たり前である。

 

「……実は、今回の春一番の被害者の女性達からあなたの減刑の嘆願が大量に届いていましてね。まああなたがやったのは道路と建物の壁の一部を破壊したくらいですので、精々が罰金くらいなのですが。……私個人としましても、今回の件については非常にお礼を言いたいところです」

 

 ベルは鳴らなかった。

 彼女もまた春一番の被害者の一人だったのかもしれない。

 

「勿論事が事なので不問とするわけにはいきませんが、支払うものさえ支払ってくださればそれ以上のお咎めはありません。被害額の見積もりはまだですが、春一番の報奨金で十分に賄える範囲でしょう」

 

 すぐ解放されるのは非常に助かるのだが、本当にいいのだろうか。

 

「その、あなた達はテレポートサービスでアルカンレティアに行くようですし。……正直に申し上げて、ここであなたを拘留するよりも、その……」

 

 検察官が言葉を濁す。

 これ以上面倒ごとが起きる前にさっさと出て行ってほしいと言っているのはあなたの目にも明らかだ。

 あなたがここから解放されたらすぐにアルカンレティアに飛ぶと告げると、検察官は初めて笑顔を見せた。

 セクハラ以外の犯罪行為に手を染めていないというのに、本当に自分の評判はどうなっているのだろうかとあなたは呪詛を吐きたくなった。

 強盗家業は女神エリスの神意の元に行われているので誰が何と言おうとセーフだ。

 

 

 

 

 

 

 その後被害額の請求は後日ギルドを通してアクセルの自宅に改めて届ける運びとなり、あなたは無事に解放される事となったわけだが、検察官は詰め所の入り口まであなたを見送ってくれた。

 あるいは余計な事をしでかさないように、目を離さないようにしているのかもしれない。

 

 建物の外には先に解放されていたウィズとゆんゆんの姿が。あなたの姿を確認して安心したように手を振ってくれている。

 無事なようで何よりであるとあなたは安堵の息を吐く。

 ここでウィズに何かあった日には先ほどの嘘の大部分が現実になる所であったとあなたは笑う。

 

「…………」

 

 検察官が露骨にあなたから距離を取り始めた。

 実はあなたが立っている場所はまだ魔道具の範囲内らしいのだが、ベルは鳴らなかった。

 嘘ではないが、所詮今のは仮定の話である。何も起きていないのだから安心してほしいのだが。

 

「……ちなみに大部分とは?」

 

 おっかなびっくりの検察官に、あなたは死体を食う所以外であると返す。

 再三繰り返すようだが、あなたに食人嗜好は無いのだ。

 

 検察官が祈るような面持ちで詰め所に目を向けるも、やはりベルは鳴らなかった。勿論あなたは本気だ。

 

 半泣きの検察官に送り出されながらあなたはウィズ達と合流する。

 

「お勤めご苦労様です、でいいんですかね?」

「待合所にいた時、私のすぐ後ろの壁が割れて凄くびっくりしました……」

 

 喜びとも呆れとも言えない微妙な表情であなたを出迎えたウィズとゆんゆんの足元には持ちきれないほど大量の荷物が。

 あなたが豚箱入りしている間に買い物をしてきたのだろうか。しかしこれは買いすぎである。

 

「……これですか? これは春一番の被害者の女の人達にいただきました。どうかあなたに渡してください、と言伝も預かっています」

「貴族っぽいぴかぴかした身なりの方もいましたよ。金髪で縦ロールでした」

 

 中身は温泉饅頭などのドリスの土産物が多いが、ゆんゆんの言うように被害者の中に貴族でも混じっていたのか、幾つか貴金属などの高級な品も贈られているように見える。

 

 贈答品の中には悶絶チュパカブラなる酒も混じっていた。

 どうやらチュパカブラなる小型の人型モンスターを漬けた秘蔵の地酒のようだ。ウィズ曰くチュパカブラは非常にレアなモンスターらしいのだが、贈ってきた人物は一体何者なのか。

 怪しすぎて全く飲む気はしないあなたは、悶絶チュパカブラを酒好きであるベルディアのお土産にする事にした。きっと喜んでくれる事だろう。

 

 しかしそれにしてもこの大量の贈り物、あなたとしては精霊一匹を退治しただけなのだが、随分と大袈裟な話である。春一番はあまりにも憎まれすぎではないだろうか。

 

「春一番は長年この季節に出現しては女性達のスカートを捲り続けてきましたからね。そういえば現役時代、私の仲間だったアークプリーストの子も運悪く……いえ、この話は止めておきましょう」

 

 ウィズが話す春一番の悪行の数々を聞きながらテレポートサービスセンターに向かう。

 

 騒ぎの前と変わらず凄まじい人だかりが出来ているが、サービスセンターはただでさえ人の入れ替わりの激しい場所である。更に時間が経って人がごっそり入れ替わったのか、あなた達に注目している人間はいない。騒ぎにならなくて幸いであるとあなたは心の中で胸を撫で下ろす。

 

 ただあなたの視界の端っこでは、あなたが粉砕した石畳一帯と心なしか壁の崩落が大きくなっている待合所は立ち入り禁止を示す紐が張られていた。ウィズとゆんゆんの視線がちくちくとあなたに刺さる。

 ハウスボードが使えるアクセルであればあの程度は一瞬で直せるのだが、ドリスではそうもいかない。

 この世界では補修工事も一苦労なのだろうと思うと、二人の視線も相まってあなたは少しだけ悪い事をした気分になった。

 同時に次に同じような事があっても、自分は全く同じ行動をするという確信もまたあったわけだが。

 

「アルカンレティア行きー。こちらは水と温泉の都、アルカンレティア行きのテレポートサービスでーす。予約の方がいらっしゃいましたらこちらにどうぞー」

 

 尽きる事のない人ごみの中、アルカンレティア行きのテレポートサービスに向かったあなた達は受付の女性に一つの封筒を手渡す。出所の際、検察官に持たされたものだ。

 

「はい、話は聞いています。三名様でよろしいですか?」

 

 三人分のテレポート料金を支払い、魔法陣の上に乗る。

 あなたがテレポートサービスを活用するのはこれが初めてだ。

 

 術者が魔法の詠唱をする中、転移に慣れているが故に落ち着き払ったウィズと若干の緊張を示すゆんゆん。

 一方であなたの興味はテレポートの魔法陣に注がれていた。

 

 テレポートの転送には極稀に事故が起きるといわれている。

 実に眉唾物の話だが、テレポート魔法陣に飛び込んだ他の動物と混ざったりしてしまう事もあるのだとか。人狼(ワーウルフ)蛇女(ラミア)はそうやって発生したモンスターだという。言ってしまえば酒の席で語られるような、都市伝説の類だ。

 テレポートの事故に興味はあるが、遺伝子合成機という道具を持っているあなたにとっては事故じみた生物同士の合体など日常茶飯事である。

 

 そんな事を考えている間に、準備が終わったようだ。

 

「では、魔法が完成しましたので転送させていただきます。転送先はアルカンレティア。お気を付けて行ってらっしゃいませ! 次に会う事があったら悶絶チュパカブラの感想を聞かせてくださいね!」

 

 おいちょっと待て、まさかアレはお前が贈ってきたのかと言いたくなる女性の言葉と同時、あなた達は魔法陣の光に飲まれ、テレポート特有の浮遊感に包まれ目を閉じた。

 そして数秒後、閉じていた目を開けると……。

 

「ようこそ旅の方! ここはアクシズ教の総本山、水と温泉の都アルカンレティアです!!」

 

 どこかで聞いたような台詞と共に、アクシズ教徒と思わしき青い衣を身に纏った者達が、満面の笑顔で立っていた。

 初見では非常にフレンドリーな所といい、無駄に外面だけはいい所といい、やはり彼らは同胞である癒しの女神の狂信者にそっくりであるとあなたはアルカンレティアへの期待に胸を膨らませるのだった。

 

「ど、どうか今回は何も起きませんように……」

 

 あなたの隣でゆんゆんが誰に向けるでもなく小さく呟いていたが、相手は魔王軍すら避けて進軍するアクシズ教徒の本拠地。その願いが叶う筈が無い事はゆんゆん本人が誰よりも理解していた。




オマケ:自宅のイメージ画像
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第59話 アクシズきょうとが あらわれた! コマンド?

「ようこそいらっしゃいましたアルカンレティアへ! 入信ですか? 観光ですか? 入信ですか? 冒険ですか? 入信ですか? 洗礼ですか? お仕事探しでしたら是非アクシズ教団へ! 今でしたら他の街でアクシズ教の素晴らしさを説くだけでお金が貰える仕事にありつけますよ! しかもなんと、その仕事に就くだけでアクシズ教徒を名乗れる権利が得られるんです! さあ遠慮せずに張り切ってどうぞ!」

 

 テレポートで転送された途端、あなた達はアクシズ教徒の集団に声をかけられていた。

 入信書を取り出しつつ一気に捲くし立ててきたアクシズ教徒の女性に、覚悟が完了していなかったウィズとゆんゆんの動きが固まっている。

 集団は女性しかいないにも関わらず聞きしに勝るアグレシッブさだが、彼女らはテレポートセンターで出待ちする仕事をしているのだろうかとあなたは懐かしさすら感じていた。

 郷愁を覚える理由は簡単。ノースティリスではノイエルでよく同胞達、つまり癒しの女神の狂信者が彼らと全く同じ行動を観光客相手にやっているのだ。

 更に聖夜祭の季節ともなれば勧誘の攻勢はさらに強くなる。あなたもクマの着ぐるみの中に入って勧誘を行う仕事をしたものだ。ちなみに時給は癒しの女神の抱き枕だった。

 

「え、えっと……」

「あの……」

 

 反応に窮しているアークウィザード姉妹を尻目に、あなたは郷愁も相まってとても穏やかな笑顔を浮かべ、最も豪奢な法衣を着た美人の女性に礼を言った。

 次いで荷物でふさがっている両手を掲げ、この通り荷物を大量に持っているので何をするにもまずは身軽になりたい。高くても構わないのでどこかオススメの宿が無いだろうかと尋ねてみる。現地の人間ならば良い宿を知っている事だろう。

 

「ふ、ふふふ……。初対面でアクシズ教徒のアークプリーストである私を口説いてきた人間はあなたが初めてです。いいでしょう、どうやら引越し先をお探しの事ですが、それなら私の家とかどうですか!? 自分で言うのもなんですが結構大きいですよ? ええっ!? 結婚を前提にお付き合いまでですか!? そんな……私達今日会ったばかりなんですよ!? でも私、あなたなら……」

「――――」

 

 ズン、と。あなたは凄まじく重い物が圧し掛かってきた錯覚を覚えた。気を抜けばすぐにでも潰されそうなほどの強烈な圧迫感。

 

 何が起きているかは言うまでも無い。あなたの目の前、つまりアークプリーストの女性……ではなく、背後から何者かが重く、深く、暗く、冷たい無言のプレッシャーを発しているのだ。指向性の極めて強い重圧はあなた以外に一切向いていないようで、雷雨の如く荒れ狂う重圧の中でも他の者は顔色一つ変えていない。

 というか誰も引越し先を探すとは言っていないので後ろの重圧の発信者共々おかしな勘違いをしないでほしい。大体にして、このような重圧を放っておいてあなたが我慢出来なくなったらそれこそ一大事である。その際に発生するであろう被害は確実にドリスの比ではないのだが、彼女はどう責任をとるつもりなのか。

 興奮のあまり艶然と笑うあなたに何を勘違いしたのか女性達は色めきたち、更に重圧が強くなった。

 

「ウソ、ほんと!? やった、勝った! 遂に独身アークプリーストなんて呼ばれる日々が終わるのね! ああ、ありがとうございますアクア様! この出会いに感謝を!」

「ああっ! ずるいですよ地区長!」

「ハッハー! 早い者勝ちよヴァーカ! アンタ達は指を咥えて私の狂い咲きヴァージンロードを見てなさい!! お父さんお母さん、私幸せになります!!」

 

 あなたとしては秒毎に際限なく増していくプレッシャーがどこまで強くなるのか試したい気分だったが、このままでは重圧とは別の意味で大変な事になるだろう。現になりかけている。あなたは同行者がいるのだが、同僚に勝ち誇るアークプリーストの女性は後ろのウィズとゆんゆんが見えていないのだろうか。もしくは重婚推奨なのか。

 確かにアクシズ教徒は同胞に似ていると感じたが、幾らなんでもこんな超特急な所まで似なくてもいいのでは、と思わずにはいられない。

 あなたは呆れつつもいつも通りに自分は異教徒であり、今の所引越しの予定も改宗の予定も無く、更に宗教上の理由で異教徒とは結婚出来ないとキッパリお断りしておく。

 ちなみにこれに関しては嘘ではない。正真正銘の本音である。ドリスで使った嘘発見器の魔道具を持ち出してもベルが鳴る事は無いだろう。まあ異教徒といってもノースティリスの異教徒の話なのだが。

 

「畜生! 苦節二十数年、やっと私にも春が来たと思ったのに!!」

「盛大に勘違いして告白した挙句一瞬でフラレてやんのざまぁ!!」

「やーい貧乳!! つーか後ろの二人とも美人でおっぱいもおっきいな妬ましい!」

「ぷーくすくす! とっくに両手に花状態だから年増の貧乳はいらないってさ!」

 

 女神アクアの笑い方を再現した容赦の無い煽りで堪忍袋の尾が切れたのか、やろうぶっ殺してやるとアークプリーストの女性がぶち切れ、彼女をあざ笑う他の信者達との鬼ごっこが幕を開けた。

 結局宿の話は聞けなかったが仕方ないと、あなたはその場を後にする。

 気付けば圧し掛かる重圧は嘘のように消え去っていた。少しだけ残念に思うと同時、いずれ来るであろう()()()が今から楽しみでならない。

 

 

 

 

 

 

 水と温泉の都アルカンレティア。

 澄んだ巨大湖と温泉が湧き出る山に隣接するこの街は、街の到る所に水路が張り巡らされている。

 青を基調とした色で統一された建物が立ち並ぶ街並みは美しく、街に住む人々は誰もが活気と希望に満ち溢れている。

 数多くの高レベルプリーストを擁し、水の女神アクアの加護に守られたアルカンレティアは魔王軍すら手を出してこない、この世界で最も幸せで恵まれた女神アクアのお膝元。

 

 

 ――――さあ、皆もアクシズ教に入信しよう! 今ならアクア様人形が付いてくる!

 

 

 ……とまあ、現在あなたが読んでいる観光パンフレットにはそのような事が書かれていた。パンフレットには当然の如く入信書が挟み込まれている。いっそ清清しいまでに信者の勧誘に余念が無い。

 

 魔王軍に関しては、きっと彼らもこの街に近寄りたくなかったのだろう。

 道行く女性にセクハラをしかけようとして逆に水路に突き落とされている、恐らくは相当に高位の聖職者であるアクシズ教徒の男性を遠目に見ながらあなたはそう思った。

 

 しかし水の名を冠するだけあって、街路に目を向ければ確かに水、水、水。清潔な街並みはどこを見渡しても水路が走っており、中には澄んだ水が流れている。それも一切汚染されていない綺麗な水が。

 更に聖域でもないというのに、ただ深呼吸をするだけで清涼な空気があなたの肺を潤す。ここは天国なのだろうか。

 

 カルチャーギャップと呼ぶにはあまりにも大きすぎる衝撃にあなたは感激を通り越して眩暈すら覚える。流石は水の女神の信者達の本拠地だ。

 アルカンレティアは余りにも綺麗な水に溢れすぎており、この街に住んでいると価値観が狂ってしまいそうだとあなたは若干の危機感すら覚えた。

 クリエイトウォーターなどで慣れてきたあなたであってもこの驚き。この世界に最初に降り立った地がアクセルではなくアルカンレティアだった場合、あなたは感激のあまり発狂し、全裸で水路にダイブしていたかもしれない。むしろ今すぐダイブしてみたい。

 

 街のあちこちで熱心に勧誘を行っている信者達を遠巻きに眺めながら感慨に耽る。ノースティリスの住人であれば、きっと誰もがあなたに同意してくれる筈だ。

 

「…………」

「…………」

 

 そうして綺麗な街並みを堪能しつつ、良さげな宿を探してアルカンレティアを彷徨うあなた達だったが、何故か先ほどからずっと黙ったままあなたに付いてくるゆんゆんとウィズのじっとりとした視線が背中に突き刺さってとても痛い。

 いい加減気になってきたあなたが一体どうしたのかと問いかけてみた所、二人は顔を見合わせ、やがてこう言った。

 

「その、随分と女性をあしらうのに手慣れていたな、と……」

 

 二人が言っているのは先ほどのテレポートセンターでの事だろうか。

 慣れているといえば慣れているだろう。あなたは酸いも甘いも経験してきた熟練の冒険者だ。

 というか慣れなければノースティリスではまともにやっていけないのだ。主に娼婦や妹、あるいはハニートラップ的な意味で。

 あなたは疲労を全面に押し出した、深く重たい溜息を吐き出した。

 

「す、すみません。折角楽しんでらしたのに、なんか凄く嫌な事を思い出させちゃったみたいで……大丈夫ですか?」

 

 光を反射する水路のように輝いていた目が一瞬で腐ったドブ川になったあなたに居た堪れなくなったのか、ウィズが頭を下げて謝ってきたものの、二人は何も悪くないとあなたは笑って応対する。

 普段の面影が微塵も無い、枯れ木のような笑みだった。

 

「本当に大丈夫ですか!? 大事にしてる杖を孫に壊されたお爺ちゃんみたいな笑い方してますよ!?」

 

 ゆんゆんのそれは非常に言いえて妙な発言である。互いの実年齢を比較すれば確実にあなたが祖父でゆんゆんは孫になるだろう。

 

 

 

 

 

 

「そういえば、ゆんゆんさんは一度アルカンレティアに来た事があるんですよね」

 

 宿を探して街中を探索している最中、ウィズがそう言った。

 

「はい、この街は紅魔族の里から一番近い街ですから」

「もしよろしければその時のお話を聞かせてもらっても構いませんか?」

 

 若干口篭っていたゆんゆんだったが、師匠にして姉貴分のウィズの願いを断るなど出来ないようで、やがて重い口を開いて思い出話を始める。

 

「えっと、そうですね……お二人もご存知の通り、私は修行の為に紅魔族の里を出たんですが、最初に来たのがこのアルカンレティアなんです。めぐみんも来てましたし……いえ、先にアルカンレティアに来ていためぐみんが心配で付いてきたとかではなくてですね?」

 

 あなたとウィズの暖かい目に必死に弁解を図るも、それは完全に逆効果であり、どこまでいっても友達が大好きで心配性な微笑ましいものでしかない。

 

「私にはそけっとさん……紅魔族の占い師の人のお手紙を配達するというちゃんとした目的があったんですよ? アルカンレティアに寄るなら、予言を書いた手紙を届けてくれって言われまして。そけっとさんはほぼ必中の凄腕占い師さんとして、紅魔族の里の外でも有名な方なんです。アクシズ教徒の方達が占いの結果を疑わない程度には実績があって、色んな人から信頼されているんです」

 

 そけっと。初めて聞く名である。

 あなたはもう少し突っ込んで話を聞いてみる事にした。

 それほどの占い師であれば、あるいは何かしら帰還の手立てが得られるかもしれないと期待しつつ。

 

「私が聞いた話ですが、そけっとさんは何でも未来を見通すとまで言われている大悪魔の力を一時的に借りてるんだとか。凄いですよね! 大悪魔の力を借りるなんて尊敬しちゃいます!」

「そ、そうですね……未来を見通す悪魔ですか……」

 

 ウィズは曖昧に答えつつ、目をキラキラと輝かせる妹分から眩しそうに目を背けた。

 恐らくだが、その紅魔族の占い師に力を貸している大悪魔とはかつて現役時代のウィズと死闘を繰り広げた元魔王軍幹部にしてあなた達の家のご近所で最近評判になっているカラススレイヤーの事なのだろう。世界は広いが世間は狭い。

 しかしバニルの力を借りるという事は、噂の凄腕占い師であってもノースティリスに帰還する手段を探る手立てとしては使えないかもしれないとあなたは若干期待外れな気分になった。

 

「そんなわけでアルカンレティアに来た私ですが、そう、ちょうどあそこの曲がり角でめぐみんと会ったんです」

 

 ゆんゆんが立ち止まって指を差した先は何の変哲も無い普通の路地裏。

 

「あの時のめぐみんは路地裏からいきなり飛び出してきたかと思ったら、こう、ずさーって私の目の前でこけたんです。そして……ああっ! ぐうううう……、こんな何もない所で転ぶとは、私とした事が……! 膝をすりむいてしまいました。痛くて動けません……っておかしな寸劇を始めて……」

 

 苦しそうな声真似までして親友の黒歴史を容赦なく暴露するゆんゆんに、あなたはめぐみんをからかうネタが一つ増えたとニヤリと笑う。

 

「そ、それは本当に転んでしまったのでは?」

「いえ、めぐみんはそういう時はもっとおかしな事を言い出す子なんです。眼帯が濡れて力が出ないとか、右膝に封印した邪神が暴れているとか。なのであれはただの勧誘行為でした」

 

 きっぱりと断言するゆんゆんは非常に親友への理解が深かった。

 遠い目をした紅魔族の少女は湖のように澄んだ青空を見上げる。

 

「それに、別の場所でめぐみんと全く同じ事をアクシズ教徒の小さな女の子がやってました。助けてくれた親切な人に名前を聞いて、入信書に名前を書かせようと……しかもその時めぐみんと一緒にいたのがゼスタさんっていうアクシズ教団で一番偉い人で、こう、アクシズ教徒の人達は噂通りというか、むしろ噂以上に凄いんだなって……」

「…………」

 

 アルカンレティアでの思い出を語りつつ、しかしどんどん声が小さくなっていくゆんゆんを見て、盛大に地雷を踏んだと理解したウィズが冷や汗を流しながらあなたにアイコンタクトを送ってきた。

 気持ちは分かるが今更ゆんゆんは連れて来ない方が良かったのでは、みたいな顔をするのは止めてあげてほしい。小さな口からフリーダムなアクシズ教徒への愚痴が漏れ出ているゆんゆんが気付いたら最悪泣き出しかねない。

 

「紅魔族の里で一人だけ浮いてた私は、外の世界なら少しは馴染めるかな、お友達が作れたらいいなって思ってたんですけど……結局お二人に会うまで知り合い止まりばっかりでしたし……」

(何とかしてあげてくださいよエレえもん!)

 

 何か悪いスイッチが入ってしまったようだ。

 しかし優しくゆんゆんの頭を撫でるウィズ太ちゃんは心に傷を負ったゆんゆんの何をどうしろというのか。ノースティリスの廃人にメンタルケアなど畑違いも甚だしい。むしろそういうのはウィズの担当だと思われる。

 確かにあなたは大抵の事をこなせるが、幾ら経験を積んだ廃人でも無理なものは無理だ。崖から突き落とす結果しか生まないだろう。

 かといって今更一人で帰れというのはあまりにも酷な話だ。あなたにはさっさと温泉にぶち込むべきだとしか言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで暫し街を彷徨った後、最終的にあなた達が選んだのはアルカンレティアで最も大きいと評判の宿だった。

 以前ドリスで宿泊した、ラーナの建築様式とそっくりの宿とはうってかわって、まるで王都の高級ホテルのような見慣れた建物だ。

 更に建物が大きいだけでなく、この宿はアルカンレティアでも有数の温泉を引いているのだという。なお高い宿代に若干渋っていたウィズはこの話を聞いて一瞬で陥落した。宿泊費を節約したいのであればいっそ別々の宿でも良かったのだが、それは駄目らしい。

 

 なお、今回の宿泊費は三人とも自腹である。あなたで一部屋、ウィズとゆんゆんで一部屋だが自腹だ。

 突然連れてきた手前あなたもウィズも別にゆんゆんの宿代くらいなら支払っても良かったのだが、本人が頑として譲らなかった。

 

「こ、今度はちゃんと自分で支払いますから! 私だって冒険者、いつまでもお二人に金銭面でおんぶに抱っこじゃいけないと思うんです! それに今回は慰安旅行じゃなくて遊びで来てるわけですし!」

 

 との事である。

 まあレベル37といっぱしの上級冒険者になったゆんゆんは時折女神ウォルバクと組んでいるが基本的にはソロで活動を続けており、それなりの難度の討伐依頼も十分にこなせている。幾ら宿が貴族御用達とはいえ、宿泊費を捻出するくらいは余裕になっていた。

 養殖が尾を引いているのかメンタルが若干不安定でチョロいのも相変わらずとはいえ、若者が育つのはあっという間だ。

 あなた(廃人)ウィズ(超ベテラン)はゆんゆんの心身の成長に、老夫婦のようにしみじみと感じ入るのだった。

 

 

 

 

 

 

 あなた達が選んだ宿は小高い丘の上に立っており、部屋のベランダに出てみれば街全体が一望出来た。

 綿密に都市開発が行われているのか、統一感のある建物の数々と張り巡らされた水路は見事なまでに調和しきっており、あなた達の目を楽しませる。

 

「うわぁ……」

「綺麗ですね……」

 

 ここがアクシズ教徒の本拠地である事すら忘れさせる絶景に目を輝かせる女性陣だったが、あなたは意識の隅で別の事を考えていた。

 ここはアルカンレティアでも評判の高級旅館であるにも関わらず、どういうわけかあまり宿泊客がいなかったのだ。お蔭でいい部屋が空いていたので助かるといえば助かるのだが、妙に気にかかる。気にしすぎなのだろうか。

 

 疑問を抱きつつもひとしきり景色を楽しんだ後、宿に荷物を預けて身軽になったあなた達は各自自由行動と相成った。

 あなたとゆんゆんはアルカンレティアに遊びに来ているわけだが、ウィズは一応仕事の名目の元に来訪している。仕事は早めに終わらせて残りの期間で思う存分遊ぶべく、今日の所は図書館に文献を漁りに行った彼女に知り合いのアクシズ教徒に会いたくなさそうだったゆんゆんが付いていったので、現在あなたは単独行動中だ。

 

 異世界人である事を除けばごくごく普通のどこにでもいる平凡な人間であるあなたはともかくとして、自身の天敵である女神アクアのお膝元にしてプリーストをどこよりも多く擁しているこの街はリッチーであるウィズにとって単独行動するには非常に危険な場所と言えるのだろうが、あなたは今回の旅にあたり、以前バニルに調達を依頼し、旅行の少し前になってようやく完成した、ターンアンデッドなどの浄化や神聖属性の攻撃に耐性のつくタリスマンを彼女に渡していた。

 決して浄化に無敵になるわけではないが、それでもバニルからは女神アクアの本気の浄化にもある程度は対抗出来るとのお墨付きを貰っている逸品だ。いざという時……言ってしまえば女神アクアと対立する場合もこれである程度は安心である。

 初対面では危うく世界大戦の引き金を引きかけた二人だったが、あなたの見る限り今の二人はそれなりに打ち解けているようだ。

 本気で殺し合いに発展するような機会はないと思いたいが、浄化や神聖属性はこの世界のアンデッドの弱点。タリスマンを持っていて決して損は無いだろう。

 

 あなたはそもそも浄化や神聖属性の攻撃を使わないので喧嘩をする時は不利にはならない。ただどうやらホーリーランスが神聖属性らしいのだが、あなたのガチンコは愛剣一択である。

 

 気になるタリスマンのお値段についてだが、材料費や技術料云々込みでなんと一億エリス。あなたがこの世界に来て以来最も高い買い物であった。

 良品が高価なのは当然なのであなたは後悔こそしていないが、貧乏性のウィズに教えると泡を吹いて卒倒しそうなので値段については伏せておくつもりである。

 

 

 

 

 

 

 何度かアクシズ教徒の愉快な勧誘をあしらいながらも、観光がてらアルカンレティアの美しい街並みを堪能しつつ目的も無くぶらついていたあなただったが、やがて人通りの少ない道に入ってしまった。

 どうやら道に迷ってしまったようだ。だが道に迷うのも旅の醍醐味というものだろう。

 あなたがそのままあてもなく道なりに歩き続けていると、物陰からいかにもチンピラといった風体の髭面の男と十台半ばの少女が飛び出してきた。

 

「きゃあああああっ! 助けて、助けてくださいそこの強そうなお兄さん! そこの不潔でスケベで貧乏で凶悪そうな髭面の彼女いない暦イコール年齢でオマケに童貞のエリス教徒の男が嫌がる私を無理矢理暗がりへ引きずり込もうとするんです!」

「お前幾らなんでも言いすぎじゃね!? ちょっと可愛いからっていい気になってんじゃねえぞ!!」

 

 少女のあまりに容赦の無い口撃に髭面の男は一瞬で崩れ落ちそうになったが、歯を食いしばってなんとか踏みとどまっていた。中々のナイスガッツである。

 

「……へ、へっへ、まあいい。おいそこの兄ちゃん! お前はアクシズ教徒じゃねえな? 強くて格好良いアクシズ教徒だったなら尻尾を巻いて逃げ出したとこだが、そうじゃないなら遠慮はいらねえ!」

 

 あなたは髭面の男の根性に尊いものを見た気分になり、拍手を送りたくなった。

 例え彼が口撃のダメージで声と肩と膝を震わせているとしてもだ。

 

「俺様は暗黒神エリスの加護を受けてるんだ! お楽しみのジャマをするってのなら容赦はしないぜ! まあアクシズ教に入信されたら流石の俺様も腰を抜かして逃げちまうだろうけどな!」

 

 そう言って、エリス教徒を名乗る男は懐からナイフを取り出した。

 あなたの見る限り刃は潰しているようだ。危険は無いだろう。

 

「ああっ、なんて事! 今私の手元にあるのはアクシズ教団への入信書だけ! けれど、これに誰かが名前を書いてくれれば、あなたはアクア様から授けられるアレでコレな超パワーで強く賢く美しくなれます! そしてその力に恐れをなしてこの邪悪なエリス教徒は逃げていくでしょう! しかも入信したら芸達者になったりアンデッドモンスターに好かれやすくなったりと、様々な不思議でお得な特典が盛り沢山!」

「畜生、恐怖のあまり体がブルってきやがったぜ! だが俺様は暗黒神エリスの信者! うおおおおおお! 暗黒神エリスよ、俺に暗黒の力を与えたまえ!」

「ああっ、暗黒神エリスの暗黒パワーがみなぎっています! お兄さん、今すぐこの入信書にサインを!」

 

 少女は上目遣いであなたを見ながら一枚の紙を差し出してきた。アクセルで時折あなたの自宅のポストにも突っ込まれている燃えるゴミである。たまに嫌がらせで耐火と耐水のコーティングが施されている事もあってとても鬱陶しい。

 そんな入信書を前にしたあなたはチラシを受け取る事無く、しかしその場から立ち去る事もしない。

 ただ黙して二人の寸劇を眺め続けるあなただったが、この後放置していたら二人はどうするのかとても興味があったのだ。

 

「ああっ、見捨てないでいかにもお金を持ってそうなお兄さん! このままでは私は暗黒パワーが溢れたこの男に身包み剥がされて手篭めにされてしまいます!」

「ひゅーっ! よく見れば中々良い体してるじゃねえか姉ちゃん! こいつは楽しめそうだ! 覚悟ー!」

「きゃあああああああああ!」

 

 男が少女の服に乱暴に手をかけて若干胸元を開いた所でピタリと止まり、二人があなたの方をチラ見してきた。

 あなたはどうぞ自分にはお構いなくと続きを促す。

 

「えっ」

「えっ」

 

 二人はとても気まずそうだが、あなたは一切気にせずに近場にあった木箱の山に腰掛けて続きを見守る。

 完全に路上パフォーマンスを見物している観光客の気分だったが、そのせいもあってか、まるでこのまま寸劇を続けないといけないような空気が出来上がっていた。

 

「え、えーと……き、きゃー……たすけてー……」

「……お、おんなだー……」

 

 他人のいたたまれない姿を見るのは楽しい。とても愉しい……もとい楽しい。

 さて、流れ的に考えれば少女が危ないと思うのだがこの後はどうなるのだろう。

 ノースティリスの娼婦のようにこのまま人前でおっぱじめるのだろうか。それともすごすごと引き上げるのか、何で止めないんだと逆ギレするのか。はたまた新手が登場するのか。

 期待に胸を膨らませるあなたは露店で購入したドリンクに口を付け、美味いと一息つく。やはり水が綺麗な場所なだけあって飲み物の質も良い。後でウィズとゆんゆんの分も買っておくとしよう。

 

「…………」

「…………」

 

 のん気に見守るあなたが狼藉を止めるつもりも去るつもりも無いと二人も理解してきたのか、二人のアクシズ教徒は顔を見合わせて押し黙ってしまった。

 かといって寸劇を止める事もこの場から去る事も無くそのまま十数秒が経過し、男がおもむろに視線を下げる。

 

「…………ゴクリ」

「!?」

 

 少女の開けた胸元、その谷間を凝視しつつ、男が喉を鳴らした。

 なるほど、どうやら()()()()()()になるようだ。実に王道、オーソドックスだが悪くはない。王道は王道であるがゆえに王道なのだ。

 

「はっ……ハッ……」

「え、ちょ、待ちなさいって。そういう打ち合わせに無い事されると私凄く困るんですけど。いやほら、流石にちょっと冗談がきついんじゃ……」

 

 息を荒くして少女に迫る男は若干目が血走ってきている。

 そんな彼を見て身の危険が迫ってきたと本能で理解したのか、少女の目の色が変わった。

 

「助けてください! 助けてくださいお願いします!!」

 

 あなたに助けを求めつつ、必死に服を押さえて抵抗を始めるアクシズ教徒の少女。これまでの棒読みとはうってかわって迫真の演技だ。

 いいぞ、ブラボー。あなたは二人にパチパチと拍手を送る。少女が激怒した。

 

「これのどこが演技に見えんのよアンタ頭おかしいんじゃないの助けなさいよマジでお願いだから!!」

「そうだぞ演技だから! これは演技で暗黒パワーのせいだから! つーか黙って聞いてれば言いたい放題言いやがって! 悪いかよ童貞で! いいぜやってやんよ! その乳揉んだらー!」

 

 アクシズ教の戒律には我慢はしない、犯罪ではない限りは己の望むままに行動すればいい、というものがある。きっとアクシズ教団的には胸を揉むくらいはセーフなのだろう。

 

「そうだぞセーフだぞ! 何たってゼスタ様もやってるくらいだしな!」

「アレは邪悪なエリス教徒が相手だから許される行為でしょ!?」

「うるせえペロペロさせろ!」

「ひいキモい! 具体的には顔がキモい!!」

 

 さて、あなたが周囲を見渡しつつ気配を探るも、この一帯にあなた達以外の者はいない。

 どうやらこの場に配置されたアクシズ教徒は二人だけのようだ。あなたとしてはこういう時の為に少女を助ける三人目のアクシズ教徒がいると思っていたのだが。

 更に衛兵のような第三者の介入も無く、人通りの無い道を選んで布教を行ったのが完全に仇になっている。

 

「何冷静に観察してんのよこのキチガイ! 変態! サイコパス! ちょっ……本当に助け、誰か助けて!! 犯されるー!!」

「うるせえいいだろ乳くらい減るもんじゃあるまいし!」

「減るわよ! 色んなものが!」

 

 このまま放置して去っても良かったのだが、このままだとセクハラだけでは済みそうにない気配がしてきたあなたは仕方なく少女を救出すべく男に木箱を投擲した。

 殺さないように手加減して投げた木箱は男の頭部に直撃し粉々に砕け、危うく性犯罪者になる所だったアクシズ教徒の男はそのまま昏倒する。

 

「……助けてくれてありがとう遅いのよバーカ死ね! 汝らにアクア様の神罰があらん事を!!」

 

 少女は服の乱れを整えるとあなたを罵倒しながら倒れ伏した男に唾を吐きかけつつ、半泣きで逃げ出していった。

 残されたのはあなたと頭に大きなたんこぶを作り、気絶しながらも顔面に美少女の唾を垂らしてぐへへとだらしなく笑う髭面の男。

 

 幸せな夢を見ているようだ。起こさずにおいておこう。

 だがこのまま路上で寝ていては風邪を引いてしまうだろう。都合よく藁が大量に詰まって暖かそうな大きめの木箱があったので、その中に男を詰めておく。

 良い事をした後は気分がいい。あなたは満足げに頷き、再び散策に戻る事にした。




アクシズきょうとが エリスきょうと(?)に おそわれている! コマンド?

  [a\ みねうち
  [b\ むしする
  [c\ あやまる
  [d\ たすける
ニア[e\ このままながめてるのもいいか
  [f\ 気持ち良い事しない?


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第60話 暴力を振るって良い相手は化け物と異教徒だけ

 エリス教徒にセクハラを敢行して衛兵にしょっぴかれるアクシズ教徒の自由っぷりなどを傍目に楽しみつつ散歩を終え、夕刻前に宿に戻ったあなただったが、前回と違って一人部屋というのはどうにも退屈でいけない。やはりベルディアも連れてくるべきだっただろうか。

 

 ――話し相手なら私がいるよお兄ちゃん!

 

 毒電波が何かを言っているようだが、会話にならない相手は却下である。

 ならばとウィズが泊まっている隣の部屋を訪ねてみると、一足先に部屋に帰ってきていた彼女はあなたを快く迎え入れてくれた。

 

「適当に座ってください。今お茶淹れますから」

 

 お構いなく、と返しつつあなたは部屋を見渡す。

 姿の見えないゆんゆんは旅館内の散策に出ているらしい。

 一方のウィズは作業中だったようだ。邪魔をしてしまったかもしれない。

 

「いえ、ちょうど休憩しようと思っていた所ですから」

 

 ご機嫌に鼻歌を歌いながら湯を沸かすウィズはそう言ってくれたが、実際の所は定かではない。しかし今更出て行くと逆に気を使わせてしまいそうなのでそういう事にしておく。

 

 今の今まで作業中だったと思わしき部屋中央の大きな円形テーブルには魔法関連の様々な資料や文献、写し書きが山のように積まれている。

 彼女がどんなものを読んでいるのだろうかと興味を抱いたあなたは、その中の本の一冊を手にとってぱらぱらと捲ってみた。

 

 

 ……難解だ!

 

 

 高い読書スキルもあって決して読めないわけではない。しかしこの世界独自の理論と専門用語が乱れ飛ぶ高度な内容に頭痛を覚えたあなたは十秒で匙を投げる。

 呻き声をあげながら眉間を揉み解していると、ウィズにくすくすと笑われてしまった。

 

「もしよろしければ私がお教えしますよ?」

 

 ぽわぽわりっちぃウィズ先生のはちみつ授業。

 あまりにも甘く蕩けそうな、非常に魅力的な響きの言葉があなたの極彩色の脳細胞を刺激するも、そこまで本気で興味があったわけではないあなたは謹んで遠慮しておいた。あなたがこの世界の薬学などを学ぶ場合、殆ど一から始める必要があるだろう。とてもではないが食指は動かない。それなら神器狩りに精を出す方を選ぶ。あなたはそういう人間である。

 

 ただ眼鏡をかけたウィズはとても見たいと思う。伊達とはいえ、あれはいい物だった。

 

 あなたがそんなかなり頭の悪い事を考えていると、ふと部屋の隅、彼女達の荷物に混じって安置されている物に目が留まった。

 大きさ二十センチほどの、とても見覚えのある女性の人形だ。

 

「あれですか? あれはバニルさんへのお土産のエリス様人形ですよ」

 

 バニルは神々と敵対する悪魔である。そんな彼に女神エリスを模した人形を渡すなどウィズなりの彼への抗議と嫌がらせだろうか。

 

「バニルさんはお人形趣味があるのでお土産にと思ったんです。店主さんに買ったらきっと幸運になれるって言われましたし」

 

 きっと店主はウィズが幸薄そうな顔をしていると思ったのだろう。否定は出来ない。

 ただ、あなたが見たバニルは迷宮内で人形作りに精を出していたが、あれは駆逐の為に爆弾を作っていただけであり人形が趣味かどうかは若干怪しいものがある。エリス人形を爆弾に変えて自爆させようものならば神罰がくだりそうだ。

 

 なんて事を考えながらあなたはエリス人形を手に取った。

 

 以前祭で手に入れたエリス人形はぬいぐるみだったが、今回の物はフィギュアだ。

 女神エリスの像を模しているのか、人形の造形自体は本物によく似ている。

 似ているのだが、あなたはどうにも人形に違和感を感じていた。

 

 そして考えること暫し。あなたは違和感の原因に思い至る。

 この人形は胸がおかしい。

 女神エリスの化身であるクリスは美少年と言われればそうかもしれないと思ってしまう程度には胸が無いのに、人形には一目でそれと分かる程度には膨らみがあるのだ。

 

 思い起こせば女神エリスの像や肖像画、そして女神エリスの幻影にも胸はそれなりにあった。しかしクリスには無い。全く無い。本当に無い。

 これは一体どういう事なのか。本人に確認するのは容易いが、とても怒られそうな予感しかしない。女神アクアに次に会った時にでも聞いてみる事にしよう。

 

 固く決意をしつつ、あなたはなんとなく女神エリスの人形のスカートを捲ってみた。ウィズに見つかるとまた怒られそうなので隙を突いてこっそりと。

 意外と言っては失礼なのだろうが、人形はちゃんと作りこまれているようで、スカートを捲ると白いパンツを履いている。

 しかしあなたの持っている女神エリスのパンツではない。細部のディティールが甘いとあなたはスカートの中身を見ながら小さく笑う。傍から見る限りでは完全に変態だった。変態ロリコンストーカーフィギュアフェチと友人の間で評判の元素の神の信者な友人と同程度には変態だった。

 友人内にロリコンが二名とか正直ちょっと勘弁してほしいというのがロリコンとロリ以外の総意である。まあ変態以下略の方はロリを愛でるだけで食べたりはしないのだが。性的な意味でも食べない。

 

 そして女神エリスの人形のパンツを眺めながら、あなたはふと思う。

 

 ウィズはどの神を信仰しているのだろうか。アクシズ教徒ではないのでやはりエリス教徒だろうか。あるいは同僚である女神ウォルバクか。

 しかし数ヶ月ほど同居している間柄であるにも関わらず、あなたは彼女が神に祈りや供物を捧げるといった、信仰者らしい事をしている場面を一度も見た事が無い。

 若干気になったあなたは本人に直接聞いてみる事にした。

 

「……今は特別、これといった特定の神様は信仰していませんね。現役の頃はエリス教徒だったのですが」

 

 ウィズのその返答はあなたに小さくない衝撃を与えた。

 信じられないとばかりに目を見開くあなたにウィズは苦笑を浮かべる。

 

「ほら、私ってリッチーじゃないですか。だから悪魔は見つけ次第滅ぼすべし、みたいなエリス教徒としては相応しくないんです。アンデッドと悪魔は違いますが討伐対象である事に違いは無いですし。かといって魔族の方が信仰するような邪神を信仰する気にはなれないですし……なので今は無宗教、とでも言えばいいんですかね?」

 

 少しだけ寂しそうに微笑むウィズに、あなたは彼女に異世界の神を信仰するつもりはあるだろうかと思った。勿論この異世界とはイルヴァだ。

 人種どころか種族の坩堝であるイルヴァの神々は彼女のようなアンデッドだろうがゴブリンだろうがかたつむりだろうがカブだろうがモトラド(注:二輪車。空を飛ばないものだけを指す)だろうが頭と腰と首が複数生えた異形だろうが、来る者は拒まずのスタンスだ。去る者は割と許されないが。

 

 ちなみにあなた個人としては、ウィズには自身と同じく癒しの女神を信仰してもらいたいと思っている。当然の話だ。

 あなたは女神の寵愛を賜っている自覚があるし、そんなあなたと懇意にしているウィズもそれなり以上に目をかけてもらえるだろう。二人とも苦労人気質なので、意外と気が合ったりするかもしれない。

 

 しかしあなたは祭壇こそ持ち込んでいるし筆頭信徒としての習いで洗礼も行えるが、女神の声が聞こえないこの世界においてはウィズは本当の意味で癒しの女神の信徒になる事は出来ない。通信手段を確立するか、ウィズがイルヴァに赴く、あるいは女神に直接この世界に出向いてもらう必要があるだろう。

 ウィズが差し出してきた茶を口に含みながらあなたは帰還の決意を新たにするのだった。

 

「そういえば聞きましたか? 店員さんが言っていたんですが、ここの温泉、特に混浴はとっても広いらしいですよ」

 

 あなたの決意をいざ知らず、茶を飲みながら、さも世間話を振るかのような気軽さでウィズがそう言った。

 彼女の方から混浴の話題を振ってくるなど、これはまさか友人同士の裸の付き合いに誘われているのだろうかと思わないでもないが、天然気味のウィズの事なのできっと深い意味は無いのだろう。

 とりあえず後で一緒に入る事を約束しておく。

 

「…………うぇっ、一緒に!? あ、ちがっ、すみません、今のは決してそういう意味で言ったわけではなくてですね!?」

 

 真っ赤な顔でわたわたと慌て、頭から盛大に湯気を放出しているぽわぽわりっちぃにあなたは表面上は笑いながら分かっていると返しつつも、内心ではなんだ違うのかと盛大に溜息を吐いた。

 

 ウィズが高い善性と常識、良識を兼ね備えた女性である事は最早誰にも否定しようの無い事実であるし、それ自体はきっと尊く素晴らしい事なのだろう。あなたとて否定するつもりなど毛頭無い。

 ただ、時々。本当に時々だが、ウィズはもう少しでいいので畜生になってくれないだろうかとあなたは考える事がある。具体的にはめぐみんと同じ程度にはっちゃけてくれれば、あなたも相応にウィズに対して雑に対応出来るのだ。

 贅沢極まりない話だが、彼女以外のあなたの友人は基本的に畜生揃いで互いに遠慮など一切無用の間柄である以上、そう思ってしまうのも無理は無い事であった。

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 その日はアクシズ教徒の様子がおかしかった。

 彼らは朝から全体的にテンションが高く、衛兵に追いまわされたり入信書をばらまいたり通行人に無理矢理押し付けていたのだ。

 

「あの、アクシズ教徒の人の様子がおかしいのっていつもの事なのでは?」

 

 朝食の席であなたが散歩中に見たアクシズ教徒の奇行の話を聞き、ゆんゆんが地味に辛辣な毒を吐いた。

 彼女の言っている事はあなたとしても同意したい所なのだが、この場合は少し違う。

 あなたの目には彼らがどうにも浮き足立っているように見えたのだ。それとなく話を聞いてみても祭の前日のようにワクワクしっぱなしでどうにも要領を得ず、更に本人達にも原因が分かっていなかった。

 

 中々の異常事態である。

 

「……ですから、それもいつもの事ですよね?」

 

 本当に不思議そうにゆんゆんは首を傾げた。あなたが何を言っているのか、心の底から理解出来ないといった表情である。

 彼女はアクシズ教徒に恨みでもあるのだろうか。以前の来訪で余程散々な目にあったと見える。

 しかしそれを差し引いてもこのナチュラルな毒の吐きっぷり。ウィズの溺愛気味な教育方針が間違っていたのではないだろうか。

 

「それを言ったら私としましても、あなたの痛くなければ覚えませぬ、死ななきゃ安い、みたいな教育方針にちょっとだけ物申したい所があるんですが。以前にも同じ事を言った気がしますが、ゆんゆんさんは幾ら紅魔族といってもまだ十三歳の子供なんですよ?」

 

 見解の相違というやつだろう。あなたとしては砂糖をふんだんに使い、蜂蜜と練乳をたっぷり染み込ませたワッフル、通称バスターワッフル程度にゲロ甘でやっているつもりなのだが。その証拠にゆんゆんはまだ一回も死んでいない。

 お母さんがああ言えばお父さんがこう言うとばかりに、ああでもないこうでもないとゆんゆんについて語り合うあなた達。普段より遠慮の無いやりとりにウィズはそこはかとなく楽しそうなのだが、何故か加速度的にゆんゆんから表情が消えていく。

 そしてやがて影を背負ったゆんゆんが右手を上げてこう言った。

 

「す、すみません、出来たら私をダシにいちゃいちゃしないでもらえると私は嬉しいといいますか……その、凄くこの場に居辛いといいますか……普通にお邪魔虫ですよね私。ごめんなさい……」

「誤解ですよゆんゆんさん、イチャイチャだなんてそんな! それにお邪魔虫とか全然そんな事無いですから!」

 

 ……とまあそんな事があったわけだが、アクシズ教徒の謎の異常の原因は怪しい事件が原因ではなく、知ってしまえば成る程、確かにそうなるなと頷かざるを得ないものであった。

 

 

 

 

 

 

「……あれ? そっちもこの宿に泊まってたのか」

 

 あなたが作業を一区切りさせたウィズとアクシズ教徒を警戒するゆんゆんを連れて街に繰り出そうとした所、宿のロビーで荷物を預けている最中のカズマ少年達と遭遇した。先日アクセルを発った彼らは予定通りアルカンレティアに到着していたようだ。

 

「こんにちはカズマさん。同じ宿を選ぶなんて奇遇ですね。……何やらお疲れみたいですが大丈夫ですか?」

「ああ、ちょっと道中で色々あってな……ウィズは元気そうだな。いつもより顔色もいいし、やけにツヤツヤしてるし」

「温泉のお蔭ですよ。ドリスに負けず劣らずの素晴らしい温泉でした!」

 

 ぺかーと顔を輝かせるぽわぽわりっちぃの尊い笑顔を見て、カズマ少年は溜息を吐いた。

 

「温泉か……結構疲れてるし、俺もこのまま入っちまおうかな……ダクネスはどうする?」

「ふむ、私としては風呂の前に少し観光したい所だな」

 

 馬車に揺られていたせいか、カズマ少年の表情には気疲れが見えるものの、タフなダクネスは平気そうな顔をしている。

 しかしこの場にいるのはカズマ少年とダクネスの二人だけ。女神アクアとめぐみんの姿はどこにも見えない。気になったのかゆんゆんが直接問いかけた。

 

「あの、すみません。めぐみんはどちらに? 一緒に来てるんですよね?」

「めぐみんならアクシズ教団の本部に遊びに行ったアクアが心配だからって一緒に付いていったぞ」

「めぐみん……迷惑かけてないといいんだけど……」

「むしろ俺としてはあの二人が迷惑をかけてないか不安で仕方ないんだが。アクアとか滅茶苦茶テンションが高かったし」

 

 アルカンレティアは自身の信者の総本山であるからして、女神アクアのはしゃぎっぷりは当然といったところだろう。

 そこまで考えて、あなたは朝からアクシズ教徒の様子がおかしかったのは女神アクアがアルカンレティアに来訪するのを勘で察知していたのではないかと思い至った。

 同じ信仰者、いや狂信者としてあなたは彼らの気持ちがよく分かった。もしかしたら女神アクアがアルカンレティアに降臨した今日はアクシズ教の記念日になるかもしれない。

 

「折角の慰安旅行だってのに商隊の人達に散々迷惑かけちまったし、正直俺はウィズ達と一緒にテレポートで飛べば良かったと思ってるくらいだ」

「私はバインドで縛られた状態でカズマに馬車で引き摺られて大満足だったが」

「俺が発案したみたいに言うな! お前がやれって言ったんだろ! ……いやちょっと待て、ウィズもゆんゆんも誤解だから!」

「カズマさん……」

「ひ、酷い……」

 

 非難の視線を向ける二人に必死に弁解するカズマ少年曰く、彼らは何度かモンスターの襲撃にあったようだ。

 激突すると大惨事になりそうな硬いもの目掛けて突っ込んでくる走り鷹鳶、そしてアンデッドの夜襲。

 前者は各種防御スキルのせいで凄まじい硬さを誇るダクネス、後者は女神アクアに惹かれてやってきたのだという。

 

「ほんとダクネスのガチムチの筋肉とアンデッドを引き寄せる体質なアクアのせいで散々な目にあった……実の所、この宿も商隊の人にモンスターを退けてくれたお礼にってチケットを貰ったんだけど……」

「だ、だから走り鷹鳶が襲ってきたのは私の鎧や防御スキルに惹きつけられただけであって、決して腹筋のせいでは……二の腕だってちゃんとぷにぷにだから……っ!」

「どっちにしてもお前らに惹きつけられたのを俺達が退治したんだから完全にマッチポンプじゃねえか! しかもお前鷹鳶退治する時散々愉しんでただろ! 盗賊の人が使ったバインドにわざと突っ込んだり!」

 

 涙目でぷるぷると震えながらのダクネスの抗議をカズマ少年は一喝した。

 ダクネスは性癖を除けば常識人であるとはいえ、彼の苦労が偲ばれる一幕である。

 

「はぁ……まあこっちはこんな感じだったんだけど、そっちはどうだったんだ?」

「どう、と言われましても……」

 

 あなたはカズマ少年達と別れた後の事を思い返し、これといって特に何も起きない極めて平和な旅路であったと返答した。

 

「!?」

 

 何故かウィズとゆんゆんが驚愕の表情を浮かべ、凄い勢いであなたの方を振り向いてきた。理由が不明なので無視しておく。

 一方であなたの言葉を受け、カズマ少年はだよなあ……テレポートで一瞬だもんな……と羨ましそうに呟く。

 そして健康そうなウィズとゆんゆん、そして若干鎧に傷が残ったままのダクネス他二名の自身の仲間の荷物を見比べたかと思うと、笑顔でこう言った。

 

「なあダクネス、突然だけど俺こっちの家の子になるわ」

「……はぁ!?」

「アクアとめぐみんにはよろしく言っておいてくれ」

「お、おいカズマ、冗談だよな!? ダストの時みたいに一日だけお試しとかそういうアレだろう!?」

「圧倒的にマジだよ。というわけだからゆんゆん、俺の事はこれからはお兄ちゃんって呼んでもいいんだ……う゛っ?」

 

 ダクネスの有無を言わさぬ無言の鉄拳が隙だらけのカズマ少年の顎を打ち抜いた。ガクリと崩れ落ちるカズマ少年。

 武器スキルを取得していないダクネスだが、決して攻撃が当てられないわけではないらしい。

 

「すまない。カズマは慣れない馬車の旅で心と体が疲れているようだ。早く休ませてあげなければ」

「そ、そうみたいですね。ゆっくり休ませてあげてください」

 

 カズマ少年を傷つける事無く脳を揺らすという器用な真似で沈めたダクネスに、ウィズとゆんゆんが引き攣った笑みを返す。端的に言ってドン引きしていた。どっちにドン引きしていたのかは不明だが。

 

「では私達はこれで失礼する。ほら行くぞカズマ」

「…………」

 

 返事が無い。ただの屍のようだ。

 そしてやってきた宿の人間に部屋まで案内されるダクネスと、彼女に軽々と引き摺られるカズマ少年を見送るあなた達。

 

「……大変そうですね」

「……そうですね」

 

 彼らを見つめながらゆんゆんがぽつりと呟き、ウィズが苦笑しながらも同意を示す。

 しかしそれは濃いパーティーメンバーに囲まれて苦労の絶えない日々を送っているカズマ少年の事を言っているのか、それともなんだかんだいって彼女達に相応しいと言える程度にははっちゃけているカズマ少年と行動を共にするダクネス達の事を言っているのか。あなたでは判断が付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 女神アクアがいるせいか昨日よりも激しくなった宗教勧誘の攻勢を時に物理で退けながらも楽しく三人で観光を行い、ベルディアやノースティリスの友人達、癒しの女神に配る土産物を買い漁るあなた達だったが、ある一軒の温泉宿の前に人だかりが出来ていた。

 ひそひそと語り合う彼らは妙に顔色が暗い。

 

「何かあったんでしょうか?」

 

 事件でも起きたのかもしれない。

 女神アクアがいるというのに縁起が悪いと思いつつもあなたは集団に近付き、見物人の一人に話を聞いてみた。

 

「……ん? ああ、また例のアレだよ。ついさっき家族連れが運ばれていったけど、幸いにも命に別状は無いそうだ。これで何件目だっけなあ」

 

 返ってきたのはどうにも要領を得ないものだった。

 あなたは自分がこの街に来たばかりの観光客である事をアピールし、もう少し具体的に頼むと言ってみると、男性は納得したとばかりに頷いて詳細を説明してくれた。

 

「なんだ、アンタ観光客だったのかい。随分と馴染んでるから俺はてっきり街に住んでる奴かと……いやな、実はここ最近、街のあちこちで温泉の質が悪くなるっていう事件が起きてるんだよ。その被害者がまた出ちまったんだ」

 

 男性の話では、最近になって一部の温泉に入った客の肌がかぶれたり、体調が悪くなったり、酷い時には意識を失う事件が起きているのだという。

 仮にも水と温泉の名を冠する都で水質騒ぎとは穏やかな話ではない。

 意識を失うなど、まるで温泉に毒でも流されているかのようだ。

 

「アルカンレティアといえば温泉だろ? それがこのザマじゃ商売あがったりだってんで、王都やドリスから温泉の質を調査する専門家まで呼んでるんだが、ご覧のとおり今も原因不明みたいでな……兄ちゃんみたいな観光客にオススメな、若い女の子に大人気の混浴もあったんだが……この騒ぎが原因で休業しちまってるしなあ。温泉目当ての観光客もだいぶドリスに流れちまってるんだよ」

 

 

 という、あなたが聞いた話を二人にも教えるとウィズは不安げな表情になり、ゆんゆんも同じだったが、ややあって何かを思い悩むような表情に変わった。

 

「……あの、それはところてんスライムじゃなくてですか?」

「ところてんスライム? もしかしてそれは冷やすと固まる、喉越しの良さから子供やお年寄りに人気の、あのところてんスライムの事ですか?」

「はい。以前私が来た時に魔王軍によるところてんスライムを使った無差別テロ……テロ? が発生したんです」

 

 あなたは思わずウィズを白い目で見つめた。

 彼女がこの件と無関係だと分かってはいるが、魔王軍は何をやっているのだろう。本当に何をやっているのだろう。

 

「ゆ、ゆんゆんさん、それって本当に魔王軍の関係者の仕業だったんですか? 私の知っている魔王軍の破壊工作と随分と毛色が違うといいますか、失礼ながらそういうのはアクシズ教徒の方の十八番な気が……」

「事件と前後して女悪魔が街中で目撃されてるんです。なのでアクシズ教団の人達がこれは間違いなく魔王軍の仕業だ、むしろこの街で起こった悪い事は全部魔王軍の仕業って事にしておこうって事になったみたいでして……」

「ええー……」

 

 さて、魔王軍とアクシズ教団、本当に悪いのはどちらなのか。

 

 過ぎた事を言っても仕方ないが、問題は現在アルカンレティアを悩ませている毒らしきものだ。

 流石のアクシズ教団であっても信仰する女神が司る水に毒を流すような真似はしないだろう。そしてこんな水の綺麗な街の温泉を汚す者はあなたにとって許されざる怨敵である。

 何が目的かは知らないが呆れた輩だ、生かしておけぬ。

 慢性的な水不足に喘ぐノースティリスの冒険者を代表して、是が非でも下手人は見つけ出してぶち殺さねばなるまい。とりあえず殺害方法は水の大切さを知ってもらうために溺死がいいだろうか。

 殺意という名の暗い炎を人知れず瞳に灯し、あなたはそんな決意を固めた。

 

「あの……すみません、私、話を聞くために一回アクシズ教団の本部の方に行ってみます。あそこの人達とは一応顔見知りですし、何かお手伝いが出来るかもしれないので」

 

 一方、正義感の強いゆんゆんはどうやら放っておけない案件だと判断したようだ。

 依頼以外では基本的に私利私欲か私怨か独善でしか動かない自分とは正反対であるとあなたは若干彼女が眩しく見える。まああなたにはそんな自分を直すつもりもさらさら無いのだが。

 

「水臭い事言わないでくださいよゆんゆんさん。私も御一緒します。生憎プリーストではないので温泉の浄化は出来ませんが……あなたはどうしますか?」

 

 若干考えた後、あなたは二人についていく事にした。

 二人に比べるとこの世界に非常に疎いあなたが出来るのは主に敵を殺す事くらいだが、アクシズ教団の本部というものにも若干興味があったのだ。リッチーであるウィズが心配だったというのもあるが。

 

 万が一ウィズとアクシズ教団が敵対する事になっても、何も問題は無い。

 終末の炎で全てを焼き尽くし、立ちはだかる者が一人もいなくなれば……敵を皆殺しにすれば世界は平和になる。子供でも分かる簡単な理屈だ。

 そしてあなたは()()()()()()にあらゆる手段を躊躇うつもりは無い。そう、かつて墓地で女神アクア達と相対した時と同じように。例えウィズ本人がそれを望まなかったとしても。

 

 

 

 

 

 

「あー……掃除とか普通にめんどくさいわ……ゼスタ様に押し付ければよかった……いやでもこれは真面目にやっている私を見てもらうチャンス……」

 

 アルカンレティアを代表する美麗かつ巨大な湖。

 その畔に立っているアクシズ教団の本部である教会の扉を開けると、一人の女性信者がブツブツとぼやきながら床を磨いている最中だった。

 本部であるにも関わらず他の信者の姿は見えない。

 あなたが女性に声をかけると女性は立ち上がり、ニコリと愛想よく微笑んだ。

 

「ようこそ、アクシズ教団本部へ。入信ですか? 洗礼ですか? それともた、わ、し?」

 

 中々パンチの効いた挨拶である。特にたわしが。

 格好からして高位の信徒と思わしき女性は右手に持ったたわしをやけに強調している。

 ここで好奇心に負けてたわしを選んだらどうなるのだろう。やはり掃除を手伝わされるのだろうか。

 思わずたわしを選びそうになったあなただったが、その前にゆんゆんが一歩前に出た。

 

「えっと、どうも、お久しぶりです……トリスタンさん、でしたよね」

「貴女は……確かユン・ゲラーさんでしたっけ。それともユンカー・ユニコーンさん? どうでもいいですが魔力と素早さが高そうだったり見た目だけ派手でその実クソほども役に立たない産廃っぽい名前ですよね。いえ、他意は無いですが」

「ゆんゆんです! 紅魔族のゆんゆん!」

「ええ、勿論覚えていますよ。今のはちょっとした挨拶じゃないですか。お久しぶりです、その節はどうも。今日はどうされました?」

 

 のっけからアクセル全開のアクシズ教徒にゆんゆんは溜息を吐く。

 ウィズは早くも諦観状態である。

 一方であなたは楽しくなってきていた。やはりアクシズ教徒は高位であればあるほどキレが増す。勿論悪い意味で。

 

「私はこのお二人と観光に来てるんですが、また温泉に異常が発生してるっていうのでこちらで話を聞こうと……ところでゼスタさんはいないんですか?」

「最高司祭のゼスタ様は他の信者の方達と一緒に布教活動という名のお遊び……ではなくエリス教徒の女神官にセクハラ……でもなくアクア様の名を広めるために活動に出掛けて留守にしてますよ。私はこの通り教会の掃除中なので話が聞きたいのなら誰かが帰ってくるのを待つか掃除を手伝ってください。真面目にやらないと給料減るんですよ」

「…………」

 

 ゆんゆんにそんな助けてください、みたいな目で見ないでほしいとあなたは無言で肩を竦めた。実際どうしろというのか。

 

「じゃ、じゃあめぐみんは来てませんか?」

「来ていますよ。お連れの方とは別ですが、あちらの教会の奥にいます。会いに行くのでしたら御自由にどうぞ。どうせ掃除中の私以外信者はいませんから」

「自由すぎますよ……」

 

 めぐみんの連れというと間違いなく女神アクアだ。教会の奥で何をやっているのだろう。

 あなたの内心の疑問に答えるかのように、トリスタンとゆんゆんが呼んだ女性信者は教会の中にある小部屋に目をやった。

 部屋の入り口には懺悔室と書かれているプレートが。

 

「お連れ様の一人はあそこにおられます。現在当教会のプリーストは一人残らず出払っておりますので、あのアークプリースト様に懺悔室の方をお任せしているのです」

「そ、それって大丈夫なんですか?」

「大丈夫じゃない理由がこれっぽちもありませんね」

 

 ゆんゆんの疑問を一刀両断するトリスタンだが、まあそうだろうなとあなたとウィズは得心したように顔を見合わせた。

 自分達はアクア様を一目見れば本物かどうか分かると断言したアクセルのアクシズ教徒達と同じように、彼女もまた女神アクアの正体に気付いているだろう。

 本物の女神が懺悔を聞いてくれるというのも中々に得難い体験である。あなたはよく信仰する女神にちょっとした世間話を聞いてもらったり愚痴を聞かされたりしているが。

 

 

 

 

 

 

 めぐみんや温泉の毒の詳細についてはゆんゆんとウィズに任せ、あなたは懺悔室に入った。

 

「ようこそ迷える子羊よ。さあ、あなたの罪を打ち明けなさい。あるいはあなたの罪を数えなさい。神はそれを聞き、きっと赦しを与えてくれるでしょう」

 

 仕切りの向こうから女神アクアがそう言った。

 あなたから高級酒を贈られては目を輝かせている女神と同一人物とは思えない、とても厳かな声だ。

 教会の、それも懺悔室という空間がそうさせているのか。

 しかし罪を数えろと言われても今更数え切れないのが困りものである。四桁程度では到底足りない事だけは確かなのだが、こんな所で正直に口走るのも憚られる。

 しばし考えた後、あなたは先日抱いた疑問をぶつける事にした。これもまた罪の一つだろう。

 

「……なるほど、エリスの像や肖像画の胸が気になる、と」

 

 微妙にニュアンスが違っている気がしないでもないが、そういう事だ。

 

「迷える子羊よ、汝は素晴らしい慧眼を持っていますね。どこぞのクソニートと違って美しい水の女神、アクアを敬う姿勢といい、異教徒にしておくには実に惜しい人材です。リッチーや悪魔と仲良くやっているのが玉に瑕ですが……まあ汝がアンデッドや悪魔にならない限りは大目に見ましょう」

 

 仕切りの向こうで女神アクアが頷いている気配がした。

 今の所人間を止める予定は無い。

 

「汝、信徒でないにも関わらずいつも美味しいお酒を奉納してくれる親切な人よ。今日はこの聖なる呪文を胸に刻み込んで帰りなさい――エリスの胸はパッド入り」

 

 エリスの胸はパッド入り。

 エリスの胸はパッド入り……。

 エリスの胸はパッド入り…………。

 

 ああ、なるほど。

 山彦のように懺悔室にエコーするその言葉に、あなたは目の前の深い霧が一瞬で晴れた気分になった。

 相手は名高い女神という事もあり、あなたの頭の中にその発想は全く無かったのだ。流石は女神エリスの先輩である。

 健やかな気分で礼を言う。

 

「迷いは晴れましたか? ではお行きなさい。私はここで次の迷える子羊を待ちましょう」

 

 思わず腰を上げて部屋を出て行きそうになったあなただったが、ドアノブに手をかけた所で違う、そうじゃないと思いとどまった。

 つい神聖かつ荘厳な雰囲気に引き摺られてしまったが、元々あなたは女神アクアに用事があったわけであり、女神エリスの胸について聞きに来たわけではないのだ。

 

「え? 懺悔じゃなくて私に用事? どしたの?」

 

 一瞬で素に戻った女神アクアにあなたは本来の用事を告げる。

 つまり、アルカンレティア各地の温泉に異常が発生している案件の事だ。

 アクシズ教徒に信仰されている女神として見過ごす事は出来ないだろう。

 

「…………ハァ!? ここの温泉に毒が流されてる可能性があるですってぇ!?」

 

 やはりというべきか、女神アクアは聞き捨てならぬとばかりに懺悔室の仕切りを開け放ち、怒りに満ちた大声で懺悔室をびりびりと揺るがせた。

 

「ちょっと何それ私聞いてないんですけど! よりにもよってアルカンレティアに毒を流すとかどこの不信心者の仕業なの!? 早く犯人を教えなさいよこうなったら聖戦だわ聖戦、ジハードよ! 私の信者を悲しませるような奴はゴッドブローで消し飛ばしてやるんだから!!」

 

 あなたの肩を揺らしながら血走った目で拳を眩く輝かせる女神アクアを何とか落ち着かせる。

 確かに非常に怪しいし毒の可能性も高いのだが、まだ実際に毒と決まったわけではないのだ。あと今の所アクシズ教徒はこの件で悲しんではいない。

 

「むう……けど、そうとなったらいつまでも懺悔室に篭っちゃいられないわ。可愛い信者達の為にも、私が一刻も早く事件を解決してあげないと」

 

 女神アクアはやる気満々である。

 自身の信者の為なので当たり前といえば当たり前だが。

 

 懺悔室から出て行く直前、女神アクアがあなたの方を向いてこう言った。

 

「ねえねえ、そういえばアルカンレティアはどうだった? そっちは昨日から来てるんでしょ?」

 

 あなたがこの街の感想を嘘偽り無く告げると、女神アクアは満足そうに笑った。

 

「ふふん、まあ当然よね。なんたってここにはこの私の信者達が――――」

「オイこら責任者出てこいっ! 説教してやるクソッタレが!!」

 

 女神アクアの言葉を遮って、乱暴に教会の入り口の扉を開け放つ音と、凄まじい憤怒に満ちた怒鳴り声が懺悔室の中にまで聞こえてきた。

 声の主はカズマ少年だ。宿で寝ていると思ったのだが、起きていたらしい。

 怒りの原因については大体想像が付く。ここはそういう場所であるが故に。

 

「全く、私の教会にカチコミとか日本でどんな教育受けてたのかしらあのクソニート」

 

 憮然とした面持ちで女神アクアは懺悔室の扉を開け放つ。

 

「ちょっとー、うっさいわよカズマー! アンタここどこだか分かってんのー? 名高いアクシズ教の神聖な教会なんですけどー? アンタみたいな無学なクソニートが土足で上がりこんでいい場所じゃないんですけどー!!」

「うるせえぞこの邪神が! お前のとこの邪教徒のせいで俺とダクネスは散々な目にあったんだ!」

「誰が邪神で邪教徒よ! 調子ぶっこいてると仕舞いにゃマジで天罰食らわすわよ!! 具体的にはアンタがトイレにいった時水漏れが起きるんだから!」

「そうなったら掃除するのはトイレ掃除担当のお前だけどな!!」

 

 怒り心頭に発するとばかりに勢いよくカズマ少年に掴みかかる女神アクアだが、あなたの目にはどこか彼女が楽しそうに見えた。

 微笑ましい気分で二人の喧嘩を眺めるあなただったが、教会の玄関先でダクネスが子供達に囲まれ石を投げられ、頭を抱えてしゃがみ込んでいる光景を見て真顔に戻った。

 

「や、止めろぉ! 私はエリス教徒のクルセイダーだぞ! エリス教徒は決してこのような不当な暴力に屈したりはしない!!」

 

 エリス教徒をアピールするたびに心なしか勢いを増していく石をぶつけられながら悦びの声をあげるダクネスはともかく、容赦なくリンチを行うその様は同門が異教徒をサンドバッグに吊るす光景を髣髴とさせる。

 本当にアクシズ教徒は癒しの女神の狂信者にそっくりである。

 

 

 ――――私はこの仕事に向いているのかなあ。

 

 

 懐古に浸ると同時、久しぶりに自身の敬愛する癒しの女神の電波が聞こえた気がした。



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第61話 なあに、かえって免疫力がつく

「ふ、二人とも……この街は色々とレベルが高いな……ふふっ、女子供に到るまで、皆が皆私に牙を剥いてくる。これではとても体がもちそうにない……っ!」

 

 軽く子供達にリンチにされていた所をカズマ少年に助けてもらったダクネスが、息を荒くしながらそう言った。

 エリス教徒であるダクネスが街中でどのような扱いを受けてきたのかは定かではないが、散々な目にあったというカズマ少年の証言といい先の投石といい、おおよそ碌な目にはあっていないのだろう。

 しかしその声色は喜色に満ちており、実際にマゾヒストである本人は満足しているようなので問題は無いと思われる。

 

「おい、どうすんだよこれ」

「私に言わないでよ。ここはアクシズ教徒の本拠地なのよ? 問題があるとするならそれはエリス教徒のシンボルを見せびらかして歩いてるダクネスの方だと思うの」

「実に素晴らしい街だな!」

「……もうめんどくさいからダクネスは宿に帰って引き篭もってろよ。あとそのエリス教のお守りもちゃんと隠しておけ」

「絶対に断る……ああっ、待て! 取ろうとするな!」

 

 カズマ少年が無言でダクネスの身につけたアクセサリーを奪おうとした所、疲れた表情でグッタリとしためぐみんに肩を貸したゆんゆん、そしてウィズが教会の奥から現れた。

 めぐみんのトレードマークの三角帽子の中で何かが不気味に蠢いているが、今はそれどころではない。

 

「……何やってるんですか。というかカズマ達も来てたんですね」

「おい、どうしためぐみん。お前滅茶苦茶顔色悪いぞ。何があった?」

「何ってカズマ、私のこの格好を見れば何があったかは想像出来るでしょう」

 

 それはめぐみんのポケットというポケットにねじ込まれた大量の入信書の事を言っているのだろうか。

 実に重そうだが、彼女はこっそりゆんゆんのポケットに入信書という名の燃えるゴミを詰め込んでいる。当然ゆんゆんはすぐに気付いて押し返したが。

 

「あっ、ちょっ、何するのよめぐみん! めぐみんが貰ったものなんだからめぐみんが自分で処分しなさいよ!」

「私じゃありません。アクシズ教徒がやりました。知りません。済んだ事です」

「それってどう考えても私のポケットに押し込みながら言っていい台詞じゃないからね!?」

 

 奇しくもアクセルからやってきた全員がアクシズ教徒の教会に揃ってしまった。

 いい機会だと判断したのか、女神アクアが声を張り上げる。

 

「ねえねえ、皆聞いて! 突然だけどこの街の危険が危ないみたいなの!」

「危険が危ないって何だよ。言葉は正しく使え」

 

 唐突にあなたは子供がバイクに似た乗り物の前輪で人の頭を潰す光景を幻視した。実に危ない。

 鮮血の結末に小さく身を震わせるあなただったが、女神アクアがあなたに水を向けた。

 

「話の腰を折らないでちゃんと聞きなさい! さっきこの人から聞いたんだけど、どうもこの街で突然あちこちの温泉の質が悪くなってる事件が起きてるんですって」

「……まあ、俺もそれっぽい話はここに来るまでの道中で聞いたけど」

「私もゆんゆんとウィズに聞きました。ですが、それがどうしたんですか? まさか三人のようにこの件に首を突っ込むつもりだとか言い出しませんよね」

「そのまさかよめぐみん。毒の可能性があるなんて話、断じて放っておけないわ! これはもしかしたら我がアクシズ教団と真っ向勝負では勝ち目が無いと踏んだ貧弱で腰抜け揃いの魔王軍が、温泉っていうアクシズ教団の大事な大事な財源を潰そうと遠回りな破壊工作を仕掛けてきたのかもしれないし!」

 

 女神アクアの言葉に、カズマ少年達が一気に微妙な表情になった。

 

「温泉の質が悪くなる程度ならともかく、毒と聞いては私も捨て置ける話ではないが……そんな事があり得るのか? ここは魔王軍も手を出さない事で有名なアルカンレティアだぞ?」

「そうですね、アクシズ教団がアクセルを始め、色んな所でドン引きされて疎まれているのは確かですが、魔王軍がそこまで回りくどい事をしますかね?」

 

 頭ごなしに女神アクアの発言を否定こそしないものの、二人はあまり気乗りしていないようだ。

 一人口出ししないカズマ少年だが、彼は露骨に厄介事に巻き込まれるのは勘弁してほしいと言いたそうな顔をしている。

 むしろあの冷めた感じだとついでにこの際アクシズ教団なんて滅んじゃってもいいんじゃないかな、くらいには思っていそうだ。

 とてもではないが女神アクアと行動を共にする人間の思考ではない。あなたと別れてからの短い時間でどんな目に合ってきたのだろう。

 

「ちょっと待ってめぐみん、私達が前にここに来た時、ところてんスライムのせいで街中が大変な事になったじゃない。覚えてないの?」

「……ああ、そういえばそんな事もありましたっけ。去年の話ですし、間抜けすぎる話なんですっかり忘れてました。アレって結局魔王軍の仕業だったんですか?」

「一応そういう事になってるみたい。ほら、ちょむすけを追ってきた悪魔のお姉さんが……」

「ほら、ほらね!? きっとこれは二回目の破壊工作なのよ! 何よりあんなに美味しいところてんスライムを無駄に使うなんて許せないわ!!」

 

 若干話を脱線させながらも、女神アクアは勢いよく拳を突き上げた。

 

「というわけで、私も三人のようにこの街を守るために立ち上がるわ! カズマ、めぐみん、ダクネス! 三人も私に協力してくれるわよね!?」

 

 目に炎すら浮かんだ女神アクアの強い熱意を受け、カズマ少年達は顔を見合わせた。

 

「俺は街の散歩だとか色々忙しいから無理だな」

「カズマさん……」

 

 キッパリと薄情極まりない発言をしたカズマ少年だが、この場における常識人枠なウィズとゆんゆんの何か言いたげな視線に気圧されたのか、すぐにこほんと誤魔化すように咳払いをした。

 

「……いや、だからまあ、あれだ、ほら。馬車の旅で疲れてるからそういうめんどくさいのは明日からの方向で!」

「私も色々あって死ぬほど疲れているので、今日は遠慮しておきます。もうすぐ夕方ですし明日からにしてください。明日から頑張ります」

「私は今日はもう満足しておなかいっぱいだ。明日から頑張ろう」

 

 ダクネスだけおかしな事を言っている気がしないでもないが、それでもパーティーメンバーの全体的なやる気の無さに、ウィズとゆんゆんが女神アクアに同情的な視線を送る。

 女神アクアも三人がやらないとまでは言っていない以上、それ以上強くは言えないようで、露骨に不満げな顔をしながらも渋々それを受け入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 さて、あなた達三人がこの教会を訪れたのは温泉騒ぎの件について話を聞くためである。

 しかしながら空が夕暮れに染まり始めても、他のアクシズ教徒が一向に戻ってこない。今も熱心に活動を続けているのだろうか。

 仕方が無いのであなた達も宿に戻ろうとしたのだが、掃除を終えたトリスタンが声をかけてきた。

 

「アークプリースト様、お帰りですか? でしたら、当教会自慢の温泉に入って行きませんか? アクシズ教団の財源の元になっている、この街一番の温泉です。山から源泉を引いており、効能も素晴らしいですよ?」

「温泉? ここの近くにあるの?」

「はい。教会の裏手からすぐの場所に。アクシズ教徒の秘湯ですよ」

「ああ、アレですか。以前はもっと小さい温泉だったのですが、私が爆裂魔法で拡張したんですよ」

「お前何やってんの?」

「感謝されたんだからいいじゃないですか」

 

 温泉の誘いに、女神アクアはニッコリと笑う。

 

「へえ、悪くないわね。折角だしお世話になろうかしら。皆はどうする? 一緒に入っていく?」

「アクシズ教の秘湯か……他のアクシズ教徒が戻ってこないのであれば悪くないかもしれないな」

「はぁ? どうしてエリス教徒がアクシズ教の秘湯に入浴出来ると思ってるんですか? 温泉に入りたいならウチじゃなくてそこら辺のに入っといてくださいよ」

「…………」

 

 罵倒するでもなく、本当に心の底から何を言っているのか理解出来ない、と言いたげな表情と声色のトリスタンにダクネスが若干傷ついた顔をした。

 

「まあまあ、確かにダクネスはエリス教徒だけど私の仲間だから。ここは私の顔に免じてあげて、ね?」

「ようこそエリス教徒の旅の方! 当温泉は誰でもウェルカムですよ!!」

「……いっそ清清しいほどに手の平くるっくるだな、おい。本当にそれでいいのか」

 

 カズマ少年の呟きに女神アクア以外の全員が頷いた。

 かくいうあなたも、自身が信仰する女神に同じ事を言われたら即手の平を返す自信があったわけだが。

 

「私は一刻も早く宿に帰りたいです。お願いですから今日は帰ってゆっくりさせてください。……それに、この教会にいると、何故かちょむすけが怖がるのですよ。オマケに先ほどから帽子の中に引き篭もって出てこないですし。帽子を脱ごうとしても必死に抵抗してくるから引き剥がせなくて頭も重いですし。この子は教会が嫌いなのでしょうか?」

 

 時折ぐらついていためぐみんの頭の上には猫が乗っていたようだ。

 帽子の中で蠢いていたのはそれだろう。

 

 そして見た所、ウィズとゆんゆんも宿に戻るつもりのようだ。

 人見知りの気のあるゆんゆんが一人で女神アクア達と温泉に入るのは難しそうだが、ウィズがいればいけそうなものだが。

 そんな事を思ったあなたにウィズはこっそりと耳打ちしてきた。

 

「個人的にアクシズ教の秘湯にはとても興味はあるのですが……その、アクア様と一緒に温泉に入るというのは、激しく命の危機が迫ってきそうな予感がするんですよね……」

 

 温泉の中ではあなたがくれたお守りも外さないといけないですし、と続けるウィズにさもあらんとあなたは頷いた。勢い余ってウィズが浄化に巻き込まれようものなら大惨事は不可避だろう。

 

「それに、アクシズ教団の温泉という事で正直覗きが怖いです」

 

 もしそうなったら不埒者をみねうちで悉く血祭りにあげるので安心してほしいとあなたは快活に笑う。

 暴力沙汰はあなた、というかノースティリスの冒険者の得意中の得意分野なのだ。

 

「止めてください。お願いですから本当に止めてください。いえ、私の事を心配して思ってくれるのはとても嬉しいんですが、それとこれとは話が別といいますか……」

 

 ウィズはお気に召さなかったようだ。

 まあ分かっていたが。ちょっとしたお茶目な冗談である。

 

「もう……それで、あなたはどうするんですか?」

 

 ウィズと同じくアクシズ教の秘湯に興味はあるが、さてどうしたものか。

 あなたが悩んでいると、カズマ少年がトリスタンに声をかけていた。

 

「ところでお姉さん、そこって混浴なんですか?」

「温泉は大きいのが一つしかありませんので今日は男性の方は御遠慮ください。というか神聖な教会で不埒な事を言っていると罰が当たりますよ」

 

 との事である。

 トリスタンが誘っているのが女神アクアである以上、今日の所は素直に引き上げるしかないだろう。

 

 しかしながらあなたには気になる点が一つだけあった。

 あえて言うまでも無いだろうが、汚染の件である。

 騒ぎの犯人の目的がアクシズ教団だと仮定すると、アクシズ教の秘湯という極上の獲物を狙わない理由がどこにも無いのだ。

 

「む……それもそうね。入る前に先に確認しておきましょうか」

「確認ってお前、もし汚染されてたらどうするつもりだよ」

「浄化するに決まってんでしょ。アンタ私の能力すら忘れちゃったの?」

 

 女神アクアは水の女神。

 彼女が液体に触れるだけでそれは綺麗な真水に変化してしまうのだ。

 便利な能力であると共に、あなたとしては酒を飲んでも口の中で真水に変わってしまうのではないか、と思うのだがそういうわけではないらしい。

 ノースティリスの普通の井戸、あるいは噴水やトイレに女神アクアをぶち込んだ場合、井戸はノースティリスで数少ない綺麗な水を出す場所である聖なる井戸、あるいは聖なる噴水や聖なるトイレに変化するのだろうか。

 神を相手に非常に不敬な話ではあるが、試してみる価値はありそうだ。

 

 

 

 

 結局その後、あなた達は女神アクアが温泉に入る前に一応、という体でアクシズ教の秘湯の調査に赴く事になった。

 さっさと帰りたがっていためぐみんが若干ぶーたれていたものの、なら一人で宿に帰っていいぞ、というカズマ少年の一言で完全に沈黙。

 一人で宿に戻る際、再びアクシズ教徒の攻勢に晒されるのを嫌がったのだろう。こういう時の頼みの綱のゆんゆんも調査に乗り気だったので一緒に帰れないのが哀愁を誘った。

 

 

 

 

 

 

「ここがアクシズ教の温泉ですか……」

 

 眼前に広がる景色に、声に感動と喜色を滲ませたウィズが呟く。

 そして彼女以外の面々も大なり小なりその温泉の規模に驚きを顕にしていた。

 

 平らな岩肌に魔法を食らわせて作ったというその温泉は、地面を巨大なスプーンでくり貫いたかのように、綺麗なクレーター状の形をしていた。

 アクシズ教団の秘湯というだけあって、かつてめぐみんが爆裂魔法を打ち込んだというその露天風呂の大きさは直径数十メートルにも及ぶ、大人が数人ほど泳げそうなほどのもの。

 

 そしてドヤ顔で説明しためぐみん曰く、

 

「あの時は素手で爆裂魔法を使ったんです。素手だと魔法の威力が半減しますし収束も甘くなってしまいますが、そうでもしないと私の爆裂魔法では岩肌自体を消し飛ばしてしまいますので」

 

 との事である。

 

「ところでカズマはなんで付いてきたんですか?」

「……ん? まあちょっとな。気になる事があったんだよ」

 

 そっけなくそう言ったカズマ少年の視線は温泉ではなく、その周囲に頻りに向けられている。

 あなたの目には専ら温泉から死角になっている物陰、あるいは茂みや木陰に興味を示しているようにも思えた。

 

「覗きスポットをお探しでしたら、あそこの岩陰がゼスタ様の一押しですよ」

「へえ、そうなんだ。じゃあちょっと後で確かめに…………ハッ!?」

 

 迸るパトスと若さを隠しきれていないカズマ少年を見る女性陣の目の温度が三度ほど低下したのをあなたは敏感に感じ取った。

 わざわざ覗きなど行わなくとも、女体が拝みたいのであれば普通に混浴か、あるいは風俗に通えばいいのではないだろうか。

 しかしこんな事を年頃の少女達の前で口に出そうものならば確実に薮蛇だろう。あなたは今は黙っておく事にした。あなたは覗きなんかやりませんよね? と頬を赤くしたウィズの切実な視線をあえて無視しつつ。

 

 

 

「んじゃあ、ちょっと私は行ってくるから。皆はここでちゃんと待っててね? 私だけ置いて黙って帰ったりしないでね?」

 

 そう言い残した女神アクアは服を着たまま温泉に入り、ざぶざぶと湯を掻き分けながら最も深い場所まで進んだかと思うとおもむろに頭の先まで沈み込んだ。

 

 そして三分が経過した。

 

「……浮いてきませんね。そろそろきつい時間だと思うのですが」

「か、カズマ。もしかして溺れてるんじゃないか?」

「アクシズ教のアークプリーストでしたら、水の中で呼吸出来る支援魔法が使えますよ?」

 

 女神アクアを引き上げるべく、自身も温泉に入ろうとしたダクネスに向かって、トリスタンが事もなげに言い放った。

 

「そ、そうなのか……すまない、魔法を使っていたとは気付かなかった」

 

 あなたも全く気付かなかったが、随分と便利な魔法があるものである。それを使えば海中でも活動出来るのだろうか。

 見ればめぐみんとゆんゆんも知らなかったようで、ホッとしていた。

 何故か魔道に熟達している筈のウィズも初耳だとばかりに目を瞬かせているが、もしかしたらアクシズ教徒秘伝の大魔法だったりするのかもしれない。

 

 しかしそのような魔法があるのであれば、いつ女神アクアが温泉から出てくるのか分かったものではない。

 これだけの規模の温泉となると、汚染を浄化するのもかなりの時間を必要とするだろう。終わる頃には夜になっていそうだ。

 

「どうする? やる事も無いみたいだし先に帰っちまうか?」

 

 その前に試したい事があるとあなたは言い、教会から借りてきていた大口のジョッキいっぱいに温泉の湯を掬い、匂いを嗅いでみた。

 何故こんな大酒飲みが使うようなサイズのジョッキが教会にあるのかはともかく、温泉特有の強い硫黄の匂いがあなたの鼻を突く。しかし特に何かがおかしいようには思えない。

 異物の匂いが紛れてしまっているのだろうか。

 仕方が無い。そういう事であれば次は味を確かめてみよう。

 

「あの、あなたは一体何を……え!? 飲むんですか!? 汚染されてるかもしれないお湯を!?」

「ちょっ、何をやってるんですか! 異教徒の分際で一人こんな素晴らしいものを堪能するなんて生意気ですよあなた! 確かにここの温泉は美味しいと評判ですが、そういうのはアクシズ教徒の私がやるべき事だと思います! なのでちょっと私もジョッキとバケツ取ってきますね!」

 

 トリスタンはわけの分からない事を口走りつつ教会に走っていってしまった。忙しない事である。

 一方で本気、というか正気ですか、みたいな目でこちらを見てくる残された者達に、あなたはどれくらいかかるか分からない女神アクアの浄化を待つよりもこちらの方が手っ取り早いと理路整然とした反論を展開した。一分の隙も存在しない、あまりにも完璧すぎる理論武装にウィズすらぐうの音も出ないと口を噤む。

 仮に湯が毒だった場合でも、今の所特にこの温泉が閉鎖されるような騒ぎが起きていない以上、多少飲んだ程度で死にはしない筈だ。

 万が一の場合でも女神アクアがいるので問題ない。

 なあに、かえって免疫力がつく。

 

「いえ、確かにここにはアクア様もいますけど……ですが、そんな早まった真似をする必要は無いと思うのですが……」

 

 ウィズは何か言いたそうにしているが、あなたは気にも留めない。ノースティリスの冒険者はいつだって百聞は一見にしかず、万歳アタックで当たって砕けろ、後は野となれ山となれの精神で生きているのだから。

 そんなわけであなたは念の為、常時装備している指輪――エンチャントの一つに毒無効がある物――の一つを外し、温泉の湯が入ったジョッキを勢いよく呷った。

 

 

 ――うまい! これはお兄ちゃんの大好きな人肉味の温泉だ!

 

 

 いや、違うが。

 あなたは内心で突っ込みを入れる。

 何を思ったのか、突然四次元ポケットの中の某日記の某緑色の中身が喚き始めたのだ。

 あなたは現在人肉嗜好を持っていないので、人聞きの悪い物言いは止めてもらいたいものである。

 

 毒電波はともかくとして、温泉の湯はトリスタンが飲めると豪語しただけあって中々の味だった。

 だが断じて人肉の味ではない。

 

「えっと、ウィズさん、本当に飲んじゃいましたけど……しかもあんなに沢山……」

「そうですね……どうしましょうか……すみませんカズマさん、そちらで毒消しのポーションとかは……持ってきてない? ですよね……」

 

 ざわつく周囲を尻目に温泉の湯の味を堪能するあなただったが、異変はすぐに起きた。

 温泉が気管に入ったわけでもないのに軽く咳き込んだり、胸焼けが発生したのだ。

 とはいっても所詮はあなたからしてみれば一般人が血反吐を吐いてもがき苦しみぬいた末に世界を呪いながら死ぬかもしれない程度の硫酸、あるいは毒薬を飲んだ時と同様の誤差程度のものでしかなく、その影響もすぐに体内で治癒されて消え去った。ノースティリスの冒険者は毒にめっぽう強いのだ。あなたはメシェーラとエーテルが人体にどうのこうのといういかにもな話を聞いた事があるが、正直言って眉唾物である。

 

 そんなわけで殆ど無害だったとはいえなるほど、確かにこの温泉にはほぼ間違いなく毒物が混入されているようだ。

 殆ど影響が無かったとはいえ、逆に言えばこれは多少の毒なら即座に無効化してしまうあなたに微少の影響を与える程度の毒だったという事でもある。少なくともノースティリスの井戸水よりは汚染されているだろう。そう思うと中々に深刻な事態のようにも思えてくるから不思議なものだ。

 

 ついでに現在毒薬の手持ちが無かった事を思い出したあなたは、後で空き瓶を持ってきて温泉の毒湯を汲む事を決めた。

 あなたは現在健康体なので体内に何も飼っていないのだが、仮にエイリアンが寄生した者がこれを飲めばエイリアンを殺せる筈だ。

 

「馬鹿ですか。毒の可能性が高いものを躊躇なく一気飲みするとかどれだけ馬鹿なのですかあなたは。というか笑顔で毒認定するとか毒が即効で頭にまで回ったんですか? 麦茶だこれ、みたいなノリで毒だこれって言い出すとかあなたは本当に頭おかしいですよね」

 

 結果に満足して頷くあなたに白い目をしためぐみんが毒を吐いたが、それを咎める者は誰もいなかった。

 あなたは電波ならば常日頃から脳に届いているのだが、毒までは回っていないので安心である。しかしながら、毒電波が脳に回っている可能性は否定できない。

 

「あの……大丈夫ですか? アクア様を呼んだほうが良いのでは……というか今からでも吐いた方が……」

 

 不安げに聞いてきたウィズにもう治った、毒や硫酸、火炎瓶は飲み慣れているとあなたは笑う。

 

「えぇー……」

 

 何故か引かれた。

 あなたが新種のモンスターを見る目で見るのは止めてほしいと抗議するも、自業自得だとめぐみんに一刀両断されてしまった。

 とりあえず温泉は美味しかったので二杯目を飲むとしよう。なあに、かえって免疫力がつく。

 

「止めてください! いや、死にはしないってそういう問題じゃないですから! 毒なんですよね!?」

 

 毒温泉を飲もうとする友人を必死に止めようとするウィズと楽しく一進一退の攻防を繰り広げるあなただったが、そんなこんなをしている内に、女神アクアが温泉からあがってきた。

 水も滴るいい女神の降臨である。

 

「あれ? トリスタンって人は? この温泉には入っちゃ駄目って伝えておこうと思ったんだけど」

「あの人ならなんかいきなり意味不明な事言い出して教会に戻ったよ。つーかお前の入ってた温泉、毒が混じってたらしいぞ」

「なんだ、そっちでも気付いてたの? まあ私は全然大丈夫だけど、アレに誰か入ってたら病気になってたでしょうね。どんな毒を使ってるかは分からないけど目にお湯が入ったら最悪失明とかしちゃうかも。ダクネスでも危ないかもしれないから入っちゃ駄目よ? 飲むなんてもっての他だからね?」

 

 全身から水を滴らせながらの女神アクアの宣言を受け、周囲の視線があなたに集中する。

 突然の空気の変化に何事かと首を傾げる女神アクアを尻目に、集合した彼らはあなたを遠巻きにちらちら見ながら小声で話し合いを始めた。

 

「高レベル冒険者って凄いんだな。ちょっとした万国ビックリ人間ショーを見た気分だ。やっぱりゆんゆんとウィズが毒飲んでもあんな風にケロっとするのか? というか硫酸ってあの硫酸?」

「すみませんカズマさん、私は確かに結構レベルが高いですし紅魔族ですが、あの人と一緒にしないでください。紅魔族もちょっと変わっていますが普通の人間ですから……」

「私も体内で毒物を即座に浄化するくらい健康……健康? な冒険者の話は聞いた事が無いですね……勿論私も出来ませんよ?」

「クルセイダーとして見習いたいところではあるな。私も毒耐性のスキルは持っているが、完全に無効化するわけではない。というか体内に侵入した毒を即座に除去するスキルなんてあったか?」

「きっと変態なんですよ。私には分かります」

 

 

 

 

 

 

 その後、自身の可愛い信者達の温泉を毒で汚された事に怒りながらも徹底的に浄化すると息巻いた女神アクアだったが、秘湯の汚染はあなたが思う以上に深刻だったようで、温泉の大きさも相まって女神の力をもってしてもかなりの時間を必要とするようであった。

 なので結局女神アクアを残してあなた達は宿に戻る事にした。

 温泉の湯は回収しておいたので毒物の調査に関しては宿でも出来るだろう。

 

「……そういえばさ。温泉を全部浄化したら毒が消えてもお湯になっちまうんじゃないのか?」

 

 今まさに教会の敷地から出ようとした瞬間、あなたと共に最後尾を歩くカズマ少年が、あなたにだけ聞こえる声量でポツリとそう言った。

 

「前にアイツが紅茶を淹れてる時に液体に触っただけでお湯に変えた事があってさ。水以外ならなんでも浄化して水に変化させるみたいなんだよ。だから温泉を駄目にしちまって、ウィズの店の時みたいにまた弁償しろとか勘弁だぞ俺は。折角金持ちになってウッハウハライフが送れそうなのに」

 

 温泉、それもあれだけ大きな物を駄目にしたとなれば弁償金は石畳や建物の壁の比ではないだろう。

 顔を青くして女神アクアを止めようと温泉に踵を返したカズマ少年だったが、そんな彼の懸念を断ち切ったのは穏やかに微笑むトリスタンだった。

 

「それでしたら大丈夫ですよ。その時は温泉ではなく、アクア様の残り湯として私達が大切に扱いますのでご安心ください」

「残り湯って…………ん? あいつ、お姉さんに名前名乗ったんですか? アクアって」

 

 身バレの危険に眉を顰めたカズマ少年にトリスタンは首を横に振って答える。

 

「いえいえ、まずですね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それに、水に入っただけで浄化出来るなんて、アクシズ教のアークプリーストだろうが無理ですよそんな事」

「あー……それはつまり……」

 

 やはりというべきか、トリスタンは女神アクアの正体に気付いていたようだ。

 言葉の節々からそうではないかとは思っていたが。

 

「それに、アクシズ教徒である私達がアクア様を見て分からない筈がないじゃないですか! お美しい青髪、類稀なる美貌、何にでも好奇心旺盛で、やる事なす事空回りしそうなあのフワフワ感! あの一人では放っておけないダメな感じ!」

 

 興奮して捲くし立てるトリスタンにカズマ少年は気圧されている。あるいは閉口しているのか。

 狂信者ならこれくらいは普通、むしろ狂気的でないだけ大人しいくらいだとあなたは思っているのだが。

 

「最初に馬車から降りてきた時にアクア様を見た女性信者が、あれは間違いない、女神様がアルカンレティアに遊びに来られたと触れ回りまして。この街の信者達は皆慈しむ目でアクア様を見守っておりますよ」

 

 女神アクアが今も浄化を行っている温泉を三人で見やる。

 

「どうか、あなた方にアクア様の加護があらん事を。このような事が起きた以上、私達としても今までのように大人しくしているわけにはいきません。温泉に毒を盛った存在する価値の無いゲロカス……失礼、下手人に生まれた事を後悔させるべく、アクア様にアクシズ教団の力と結束を存分にお見せしますから期待していてくださいね」

 

 ニッコリと笑うトリスタンだが、発言が剣呑すぎる上に目が全く笑っていない。

 ノースティリスで慣れ親しんだ、狂信者が放つ特有のひりついた空気に懐かしさと頼もしさを覚え、釣られて笑うあなただったが、高位アクシズ教徒の眼光に威圧されたカズマ少年が怯えたようにブルリと震えていた。

 

 

 

 

 

 

 そうしてカズマ少年達と宿に戻り、解散した後の夜。

 あなたは温泉宿の中、三つの入り口が並ぶ温泉の入り口に立っていた。

 

 右から男湯、混浴、女湯と書かれているが、あなたは躊躇い無く真ん中、つまり混浴に足を踏み入れる。

 昨日あなたは男湯に入ったので、今日は混浴に入ってみる事にしたのだ。

 これはウィズ曰く従業員が太鼓判を押す風呂だからであって、決して何かを期待しているわけではない。そもそもこれは合法であって覗きのような犯罪行為ではないのだ。他人にとやかく言われる筋合いなどどこにもないだろう。

 

 そもそもここに来る前にウィズの部屋に顔を出したあなただったが、彼女は持ち帰った毒の解析作業を行っていた。ゆんゆんは作業の邪魔にならないようにめぐみんの部屋に行っている。ゆんゆんはともかくウィズが温泉にいる筈がない。

 

 そんな事を考えながら脱衣所に入ったあなただったが、衣服が入った籠は一つも無い。

 どうやらあなたの貸切り状態のようだ。

 

 若干残念に思いながらも服を脱ぎ、温泉に続く引き戸を開ける。

 もうもうと湯気を立てる綺麗で大きな温泉に、アクシズ教団の秘湯程ではないにせよ、それでも言うだけの事はあるとあなたは感心した。

 混浴はおろか、仕切りを隔てた両側の温泉からも人の気配も声もしない。カズマ少年達を除外しても客はゼロではないだろうが、運がいいとあなたは笑う。貸し切りの温泉はさぞ気持ちよく入浴出来る事だろう。愛剣も自分を出して洗うようにと声なき声をあげている。

 しかし件の騒ぎでアルカンレティア全体から客足が遠のいている状況とはいえ、これだけの温泉を遊ばせているというのは実に勿体無いものである。

 

 さっさと騒ぎを片付けてゆっくりアルカンレティアを楽しみたいものだと考えながら体と愛剣を洗うあなただったが、ふと混浴の脱衣所から人の気配がした。

 慌てて愛剣を洗い流し四次元に収納する。愛剣が抗議の意思を発しているようだが、温泉に武器を持ち込んではいけないと温泉の注意書きに書かれていたので仕方ない。

 

 何食わぬ顔であなたが体を洗い終え、湯船に浸かった所で入り口の引き戸がスパン、という音と共に勢い良く開かれた。

 

「…………」

 

 そしらぬ風に、しかし期待を隠しきれていない顔で周囲をつぶさに観察しているのはカズマ少年だ。

 期待に沿えずに申し訳ないが、現在混浴にはあなたしかいない。願いの杖が使えれば悪戯で性転換をやってみせてもよかったのだが。

 女となった自身を見た時のウィズやゆんゆんの反応も気にならないと言えば嘘になるだろう。

 

「…………はぁ」

 

 混浴風呂にあなたしかいないと理解したのか、溜息を吐かれてしまった。さしものあなたも思わず苦笑いを浮かべる。

 洗い場に向かう途中、あなたと軽く挨拶を交わしながらも落胆を隠そうともしないカズマ少年。健全な青少年で大変結構だと思うも、彼はどこかベルディアと気が合いそうである。

 

 体を洗うカズマ少年の特に鍛えられているという事も無い背中を見ながら、あなたはふと思った。

 カズマ少年とこうして二人きり、というのは初めてではないだろうか。

 記憶を漁ってみれば、あなたと会った時のカズマ少年は基本的にパーティーの誰かしらを伴っていたように思えるし、カズマ少年が一人の時はあなたの傍に誰かがいた。

 だからどうした、というわけではないが、きっとたまたまそうだったのだろう。

 

「あー……その、なんだ。毒は本当に大丈夫だったのか? 宿に帰るまでもウィズとか滅茶苦茶心配してたみたいだけど」

 

 やがて湯船に入ってきたカズマ少年だが、沈黙に耐えかねたのか、若干気まずそうに口を開き始めた。

 先も言ったように自分は毒は飲みなれているし、実際に体調は万全である旨をあなたは説明する。あの苦味も慣れれば悪くないものだ。

 

「お、おう……いや、なんで笑顔で毒を飲み慣れてるとか言えちゃうのかは全く分からないけど」

 

 やはり死んで覚える、当たって砕けろの精神は異世界の人間には理解されがたいのか引かれてしまったが、それでも彼の緊張を解す程度の効果はあったようだ。

 

「なんていうか、やっぱ凄い鍛えてるんだな。毒の件といい、そういうちょっとやそっとじゃ動じないくらいの心身の強さがリッチーなウィズと付き合っていくのに大事なのか? ……え? 最初に仲良くなった切っ掛けは金? そんな身も蓋も無い話は俺は聞きたくなかった……」

 

 あなたとカズマ少年は男同士で温泉の中で裸の付き合いをしながら少しずつ会話の花を咲かせていく。

 

「さっきはウィズとゆんゆんの手前ああ言ったけど、正直この中で一番レベルが低い上に職業が冒険者の俺がいてもこの件で何かの役に立つとは思えないんだけど。むしろ俺としてはそっちとアクシズ教徒の連中に全面的に丸投げする方向で行きたいというか」

 

 相変わらず全力でやる気の無いカズマ少年の話を聞いたり。

 

「へ? 日本人について聞きたい? ……ああ、そういやそっちも魔剣のマツルギさんと交流があったんだっけか。そうだなー、ラノベでよくあるチート転生者……って言ってもわかんないか。日本人ってのはあれだ、魔王を倒してこの世界を救う為にアクアに選ばれたとかそんな感じの人間だよ。相当の数が送られてるらしいけど魔王はピンピンしてるし、何やってるんだかな」

 

 異世界人であるニホンジンについての話を簡単に教えてもらったり。

 

「そりゃ俺もさ、突然凄まじい潜在能力を開花させたり、他の転生者さん達みたいにチート能力とか武器を手に入れてイージーモードな異世界で楽しくよろしくやりたかったさ。なんだかんだで今はそこそこ金も手に入ったし安定した生活を送れてるけど、あの時に戻れたら絶対にそれを選ぶのだけは止めろって当時の俺に言ってやりたい」

 

 彼が普段仲間に言わない、言っても理解出来ないような愚痴を聞いたり。

 

 そんなこんなで、華は無くとも中々に充実した時間を過ごすあなた達だったが……

 

「ほう! 私が爆裂魔法で作った温泉ほどではないですが、流石は高級宿の温泉! 泳げる広さではないですか!」

 

 壁を挟んだ女湯から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「おいめぐみん、温泉で泳ぐのはマナー違反だぞ」

「そ、そうよめぐみん。というか何でタオル巻いてないの? いくら女湯っていっても恥ずかしくないの?」

 

 声でもかけておこうかと思ったあなただったが、それまでの饒舌さからは一転し黙りこくったカズマ少年が、あなたに黙っているようにジェスチャーをしながら、見た事の無い真剣な表情で静かに女湯の方に泳いでいく。

 声を聞くに、どうやら女湯のメンバーにウィズはいないようだ。あなたは言われたとおり黙ってカズマ少年を見送る事にした。

 

「え、ちょ、何を……きゃああああああ!?」

「こらっ、止めろめぐみん! タオルを剥ごうとするな……わああっ!?」

「全く、ダクネスもゆんゆんも混浴でもないのに何を恥ずかしがっているのですか。荒くれ稼業の冒険者である私達がそんな女々しい様でどうするのです! さっさと全裸になりなさい!」

「それとこれとは話が別でしょ!?」

「そうだ、その理屈はおかしい! というか、めぐみんは妙なところで男らしすぎる! だ、だからタオルを返してほしいのだが……!」

 

 女三人寄れば姦しいというが、まさにその通りの有様である。

 混浴はおろか男湯にまで響き渡りそうな黄色い声にあなたは苦笑した。

 

 女湯と混浴を隔てるのは天井部分が開いたあまり高くない壁だ。ある程度洗面器を重ねれば十分に覗けるだろう。しかしカズマ少年は壁に耳を当ててこそいるものの、それ以上はする気は無いようで、さも当然とばかりに何食わぬ顔で湯船に浸かっている。

 若かりし日々の自分を見ているようでくつくつと声を殺して笑うあなただったが、やがて女湯から体を洗う音、そしてザブザブとお湯に入る音が聞こえてきた。

 

「ふう……たまにはこうして温泉というのも悪くないですね。ゆんゆん、私に感謝してもいいんですよ?」

「確かに温泉は凄く気持ちいいけど。ここで私が感謝する相手って旅行に誘ってくれたウィズさん達じゃない? というかめぐみん私に何も言ってくれなかったし……」

「旅行に行くのを決めたのは急でしたからね。物臭なカズマとアクアを外に連れ出し、アクアに引き寄せられたアンデッドでも狩ろうと思っていたのですが。走り鷹鳶でレベルもちょっと上がりましたし旅先をここに選んだのは正解でした。ここら辺のモンスターはレベルも高いですし、ウィズのテレポートで一瞬なドリスではこうはいかなかったでしょう」

「ええっ!? そんな理由でアルカンレティアを選んだの!?」

「……まあ、あのまま街にいても、あの二人では当分討伐に行こうとは言わなかっただろうからな」

 

 ダクネスがどこか色気のある、深い溜息を吐く音が混浴まで聞こえてきた。

 カズマ少年が小さく喉を鳴らす。

 

「まったく、カズマは本当にどういう男なのだ。保守的で臆病かと思えば、大胆なセクハラをしてくるし、カエル相手に逃げ回ったかと思えば、魔王軍の幹部相手に渡り合ったりデストロイヤー戦の指揮を執ったり。本当に変わった奴というか、不思議な奴というか」

「シッ! ダクネス、それ以上言うのは待ってください。この隣は混浴になっています。目の前に混浴と男湯があるとすれば、カズマが選ぶのはどちらだと思いますか?」

「言うまでも無く混浴だな。小心者で肝心な場面でヘタレるカズマだが、こういった大義名分がある場合は堂々と混浴に入ってくるだろう」

 

 カズマ少年の行動は完全に仲間達に把握されていた。

 本人は何か言いたそうにしているが、実際こうして混浴に入っているので何も言い返せないようだ。

 

「ね、ねえめぐみん、本当に隣にカズマさんいるの? 私なんか恥ずかしくなってきたんだけど……」

「馬鹿ですね、恥ずかしがってはむしろカズマを喜ばせるだけですよ。私みたいに堂々としていなさい」

「めぐみんは堂々としすぎだと思うの!」

「やれやれ……カズマー! そこにいるのでしょう!? どうせカズマの事ですから壁に耳をくっつけて、ダクネスがどこから体を洗うのか想像したり湯船に浸かったゆんゆんの肢体を妄想してハァハァ言っているのでしょう!!」

「ちょっ、めぐみん!?」

 

 めぐみんの発言は大体合っていた。

 ハァハァと息を荒くしてはいないが、実際に壁に耳を当ててはいる。

 

「め、めぐみん、お前、何故自分ではなく私達を引き合いに……! おいカズマ、いるんだろう? そこにいるのは分かっているぞ!」

「いるんですか!? カズマさん、壁に耳を当ててるんですか!? 私でハァハァしてるんですか!?」

 

 散々な言われようだが、カズマ少年は沈黙を保っている。

 若干悔しそうな顔をしている気がするが、きっとあなたの気のせいだろう。

 

 あなた達が無言を貫いていると、やがて小さな声が聞こえてきた。

 

「……ね、ねえめぐみん、カズマさんいないみたいだけど。というかこれを他の人が聞いてたら私達凄く恥ずかしい事やってると思うんだけどどう思う……?」

「おかしいですね。いないのでしょうか? あの何を考えているのかまるで分からない頭のおかしいのならまだしも、分かりやすいカズマに限ってそんな筈は……」

「だが一向に返事が無いのだが……」

 

 そして一分ほどが経過し……

 

「ふむ、どうやら本当にいないみたいですね。私とした事がカズマを疑ってしまいました。後でさり気なくジュースでも奢ってあげましょう」

「確かに、少し失礼だったな。一方的に決め付けてしまった」

「わ、私も……カズマさん、ごめんなさい……後でコーヒー牛乳をプレゼントしますから許してください……」

 

 気まずそうに彼女達はそう言った。

 

「ゆんゆんは知らないでしょうが、なんだかんだいってもカズマはアレで結構頼りになる人間ですからね。疑った事は反省しなくてはいけません」

「うむ、アイツは普段はやる気がなさそうに見えても、本当に仲間が困っている時は必ず助けてくれる男だ。素直じゃないだけで、根は良い奴なのは間違いない。反省せねばな……」

 

 あなたはカズマ少年の仲間ではない。

 これ以上彼女達の話を盗み聞きするというのも些か野暮というものだろう。

 あなたは気まずそうにしているカズマ少年に手を振り、音を立てずに温泉から出る事にした。

 

 それに気付いたカズマ少年もあなたに続いて温泉から出ようとしたのだが……

 

「ところで二人とも、先ほどから気になっていたのだが、その、下半身の……」

 

 ダクネスの意味深な言葉が聞こえた瞬間に、カズマ少年は再び壁に張り付いていた。

 

「おおっと、それ以上は幾らダクネスでもタダでは済みませんよ! まったく、ゆんゆんといいダクネスといい、このけしからん物は何なのですか! 私への当て付けのつもりですか!」

「ちょっ、めぐみん! そこは駄目だってば! お願いだからやめてえええええ!」

 

 壁の向こう側から聞こえてきたダクネスとゆんゆんの悲鳴を無視し、引き際が肝心だとばかりにあなたは気配を断って風呂から姿を消すのだった。

 脱衣所から去る際、カズマ少年とめぐみんの怒声が聞こえてきたがきっと気のせいだろう。そういう事にしておく。

 

 

 

 

 

 

「ねえねえウィズー、まだ終わらないのー? アンタあのリッチーなんでしょー?」

「す、すみませんアクア様、幾つもの種類が混じったタイプの複雑な毒みたいでして……モンスターから抽出されたものだという事は分かっていますので、今しばらく時間をいただければ……」

 

 風呂からあがったあなたがウィズの部屋を訪ねてみると、錬金術の器具に似た道具で毒の解析を行っているウィズをいびりながら、女神アクアが煎餅を齧り全力で寛いでいた。

 自分の部屋に戻ったら誰もいなかったので、唯一部屋にいたウィズの所に遊びに来たらしい。

 秘湯の浄化は終わったのだろうか。

 

「晩ご飯に間に合うようにちゃんと終わらせてきたわよ。でも毒と一緒に温泉までお湯に変わっちゃったの。仕方が無かった事とはいえ、流石にやりすぎた気がしてごめんなさいって謝ったんだけど、トリスタンさんは笑って許してくれたわ。流石は私の信者だけあって心が広いわよね!」

 

 人懐っこい犬のような笑顔を見せる女神アクア。

 トリスタンが言っていたように、女神アクアが去った後の浄化された温泉は女神の残り湯としてアクシズ教徒に扱われるのだろう。

 初めて癒しの女神があなたの家の風呂に入った際、その残り湯をこっそりと大事に保管し、その後本人に露見し凄まじく怒られ三日ほど口を利いてもらえなくなった経験を持っているあなたは、アクシズ教徒達の名誉を守る為、この件について黙秘を貫く事を決意した。



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第62話 デッドリーポイズンスライム

 草木も眠る丑三つ時。

 アルカンレティア中が死んだように静まり返っている中、ある一軒の高級宿の一室だけが夜を忘れたかのように眩しく明かりを放っていた。

 その一室の中からはパラパラという紙をめくる音、そしてカリカリという執筆の音だけが聞こえてくる。

 そして紙をめくる音はベッドの上で寝そべったまま本を読み耽っている男……あなたが。執筆の音は今もなお毒の解析を行っている女……ウィズが発していた。

 

 男女が旅行中の深夜に二人っきりだというのに、あまりにも色気の無い光景である。

 汚染騒ぎでそれどころではないとはいえ、ウィズの作業の邪魔をしたくないからと、現在はめぐみんが泊まっている部屋でめぐみんと一緒のベッドで眠っているゆんゆんが今のあなた達を見れば嘆息する事間違いなしだろう。

 とはいってもあなたとウィズはそういう関係ではないので、ベッドの中で甘い睦言を交わすのを期待されても困るだけなのだが。

 

 ちなみにあなたが現在横になっているベッドは昨日ウィズが寝るのに使ったものなのだが、ちゃんと従業員がベッドメイキングをした後なので、残念ながら枕やベッドに顔を埋めても彼女の匂いが残っていたりはしない。

 

 

「……あのう」

 

 

 ゆんゆんから借りた、最早何冊目だったか忘れた小説を読み終えて次の物に手を出そうとしたあなただったが、ウィズに声をかけられてベッドから体を起こす。

 純白のバスローブに身を包んだ彼女は夕食、そして風呂の後からずっと作業を続けていたのだが、ようやく終わったのだろうか。

 

「いえ、まだです。……ですけど、もうこんな時間ですし、あなただけでも今から寝ませんか? なんでしたらそのまま私のベッドを使ってくださっていても構いませんから」

 

 毒の解析を続けるウィズがおずおずと提案してきたが、あなたはウィズが寝たら自分も部屋に戻って床に就くとだけ返して再度横になった。

 気が散って作業の邪魔だと言うのならばさっさと出て行くつもりだが。

 

「深夜に一人で作業というのは凄く寂しいので、個人的にはこうしてあなたがいてくれて凄く嬉しいくらいなんですが……それでもその、こうして私なんかに付き合わせてしまって申し訳ないといいますか……。あなたは人間なんですから、ちゃんと寝ないと明日に響きますよ? 私はリッチーなので二三日寝なくても大丈夫ですから。いつもは生活リズムの関係で夜に寝てますが、本来アンデッドは夜の方が調子がいいくらいですし」

 

 邪魔でないのなら何も問題は無く、そもそもこれは自分が好きでやっている事なので気にしないで欲しいとあなたは簡潔に告げる。

 実際問題、一日や二日寝ない程度であなたのポテンシャルは全く下がらない。リッチーであるウィズと同様、一般人とは体の作りが根本的に違うのだ。

 そして先日はちゃんと睡眠を取っているので、現在のあなたのコンディションは睡眠可能といったところだろうか。要睡眠ではない。

 

「もう、仕方ない人なんですから」

 

 友人が絡んだ場合のあなたの尋常でない頑固さはウィズもよく知る所である。故に彼女は苦笑しながらもそれ以上説得を続ける事無く、再び作業に戻った。

 

 

 

 

 そして、それからどれだけの時間が経っただろうか。

 ふと、ウィズがぽつりと小声で呟いた。

 

「……月が綺麗ですね、とか言えたら良かったんですけどね。言ってくれる方でもいいんですけど」

 

 何事かとあなたが視線を向ければ、彼女は作業に没頭していた。今のはあなたに向けられたものではなく、自然に口から漏れ出ただけの独り言だったようだ。

 言葉の意味は分からなかったが、独り言とは得てしてそういうものだ。釣られるようにあなたは窓の外を見やる。

 しかしながら今日は新月。残念ながら月は見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 

 あなたやカズマ少年一行が宿泊している宿の一階には大きな食堂が設置されており、宿泊客は皆そこで食事がとれるようになっている。

 そして互いが宿泊している部屋は別だが、半ば成り行きであなた達とカズマ少年達は食事を一緒に食べるようになっていた。一人より二人、三人より七人の方が楽しく食事が出来るのであなたもウィズも不満は無い。ゆんゆんもめぐみんと一緒で嬉しそうだ。

 

「えー……先日の温泉の件ですが、調査の結果、毒の出所が分かりました」

 

 そんな朝食の席で、あなたとゆんゆんから若干遅れて朝食の席に現れたウィズがそう言った。

 

「もう分かったのか?」

「はい。時間も機材も足りなかったので百パーセントと断言こそ出来ませんが。……結論から言ってしまうと、温泉に混ぜられた毒はデッドリーポイズンスライムの毒である可能性が非常に高いです」

 

 ウィズはそのままあなたの隣の席に座った。

 

「……すまんウィズ、今なんて言った?」

「デッドリーポイズンスライムです。それもかなり高レベルのものですね」

 

 豪華な食事に顔を綻ばせるウィズとは対照的に、清々しい朝食の席は一転して重苦しい沈黙に包まれている。

 折角の食事が不味くなるので、食後に言ってほしかったとあなたはやんわりと抗議すると、ウィズは頭を下げて謝罪した。

 

「す、すみません。もしかして私、空気読めてなかった感じですか?」

「いや、俺そのなんちゃらスライムってのがどんなのか知らないんだけど、スライムっていうくらいなんだから雑魚だろ? 何でこんな微妙にお通夜みたいな雰囲気なんだ? ……一人だけいつも通りだけど」

 

 ジャムを塗ったパンを食むあなたの方を見ながらカズマ少年がそんな事を言った。新鮮なベリーで作られたジャムと焼きたてのパンはとても美味しい。バターもあるが、ウィズはどちらがいいだろうか。

 

「私もジャムで……」

「スライムが雑魚だと? おいカズマ、お前は誰からそんな与太話を聞いたのだ?」

「カズマは本当におかしな所で常識が無いですよね」

「確かに小さいスライムは弱いですが、ある程度の大きさになったスライムは強敵ですよ? 物理攻撃が殆ど効きませんし、魔法にも強く、悪食で何でも食べます。一度でも体に張り付かれたら消化液で溶かされるか、口を塞がれて窒息させられちゃいますから気を付けてくださいね?」

 

 ダクネスと紅魔族二名の指摘でカズマ少年の顔が青くなった。

 ノースティリスでもスライムは初心者殺しとして有名だ。以前も言ったがあなたもしっかり惨殺された。

 酸の体は武器防具を劣化させ、ダメージを受けると酸を撒き散らすので遠隔で封殺するというのが装備の整っていない初心者のセオリーである。ところでコーヒーに入れる砂糖は。

 

「二つでお願いします……ところで皆さんの話に加わった方がいいのでは……」

 

 別に無視はしていないしちゃんと聞いている。

 あなたはただ食事を優先しているだけだ。毒の正体については先にウィズから聞いていたので今更という面もある。

 

「このようにスライムは強力なモンスターだが、中でもデッドリーポイズンスライムはその名の通り、極めて致死性の高い毒を持っている事で有名だ」

「仮にアルカンレティアの各地の汚染が全てこいつのせいだとしたら、直接触れたら即死すると思ってください。私の爆裂魔法なら消し飛ばせるでしょうが」

「そ、即死ってマジか……触っただけで?」

 

 重苦しい空気に包まれたテーブルで一人食事を進めるあなただったが、あっという間にパンが無くなってしまった。ウェイターに声をかけてお代わりを要求する。

 突然興奮し始めためぐみんが激しくテーブルを叩いて立ち上がった。

 

「そこの頭のおかしいの! いい加減に少しは空気ってものを読みなさい! 一人で能天気に朝ごはん食べてる横で真面目な話してる私達が馬鹿みたいじゃないですか!!」

 

 そうは言うが、折角の美味しい食事なのだから、温かいうちに食べるのが筋というものだろう。腹が減っては何とやらというし、話し合いなど食べ終わってから好きなだけすればいいのだ。

 そんなあなたの反論に、めぐみんは舌打ちしてスープを啜り始めた。

 

「おのれ、いつもはやりたい放題やっている癖にこんな時ばかり正論を……」

「え? ねえめぐみん、今のって本当に正論だったの?」

「否定は出来ません。……む、高級宿の料理なだけあって中々イケますね」

 

 あなたに続いてめぐみんが食事を始めた事により、張り詰めた空気が弛緩し、他のメンバーも思い思いに食事を始めた。

 

「確かにマジで美味いな。流石高級宿」

「まあ大丈夫よカズマ。死んでも私がついているわ。でも捕食だけは食らっちゃ駄目よ? 捕まって体を溶かされちゃったら、幾ら私でも蘇生出来ないから」

「捕食……いやちょっと待て、おかしくないか? なんで俺がそのスライムと戦う事前提になってんの? 折角滅茶苦茶強いのが三人もいるんだから、戦闘はあっちに全部任せようぜ」

「ええっ!? なんでウィズさん達だけじゃなくて私も頭数に入ってるんですか!?」

 

 突然の無茶振りにゆんゆんが半泣きになった。

 

「なんでって、ゆんゆんはレベル37なんだろ? ぶっちゃけ俺達四人の誰よりも高いぞ。それにどっかのなんちゃって魔法使いとは違って色んな事が出来る本物の魔法使いだし」

「おい、そのどっかのなんちゃって魔法使いが誰の事を指しているのか詳しく教えてもらおうじゃないか」

 

 

 

 

 

 

「おはようございます。先日はそちらのアークプリースト様に大変お世話になり、我らアクシズ教徒一同、感謝の言葉もありません。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 

 昨日も会ったトリスタンが、食事を終えたタイミングであなた達に声をかけてきた。

 傍らに護衛の信者と思わしきバケツヘルムの僧兵を引き連れている。

 言うまでも無く彼らは女神アクアに会いに来たのだろう。カズマ少年も察しているようで、女神アクアを彼らの前に突き出した。

 

「私はいいわよ、それでどうしたの?」

「アクシズ教徒総出で各地の宿に聞き込み調査を行った結果が出ましたので、その御報告に参りました」

「早いわね! 早いのは良い事よ! 一刻も早くこんな迷惑な事件は解決しないとね!」

 

 嬉しそうに頷く女神アクアに護衛の僧兵が最敬礼を行い、トリスタンはとても嬉しそうにニッコリと笑った。

 

「ありがとうございます。そう言っていただけると皆で各地の温泉に押しかけ、アクシズ教の名の下にこの宿とアクシズ教の秘湯以外の全ての温泉を強制的に封鎖させた甲斐があるというものです」

「ちょっと待てお前ら何やってんの!? というかあの後そんな事やってたのか!?」

「中には観光資源である温泉を禁止されたら街が干上がってしまうだの、ウチの温泉は安全だから、などと文句を言ってくるエリス教徒や私達の聖戦を迷惑行為と断言して捕まえようとする邪悪な騎士や衛兵がいたのですが、飲んだら死ぬかもしれないレベルの毒に汚染されているかもしれない温泉を無理矢理飲ませようと……もとい、飲んでみろと根気良く説得したら皆涙を流して喜んで閉める事に賛同してくれましたよ」

「それは一般的に説得じゃなくて脅迫って呼ばれてる行為だからな!?」

 

 朝からキレッキレのカズマ少年はさておき、昨日別れ際にトリスタンが言っていたアクシズ教徒の結束の力は凄まじい物だった。しかしアクシズ教徒が信仰する女神アクアがこの街に降臨している以上、狂信者である彼らならばそれくらいはやってのけるだろう。

 それに死人が出てからでは遅いのだから、事件の解決までの少しくらいの間の不便はぐっと飲み込むべきである。

 

「一応聞いておくけど、まさか本当に温泉を飲ませたりはしてないよな?」

「勿論ですよ。アクシズ教の教義のひとつに、我慢はしない。それが犯罪でない限り、望むままに自分のやりたいようにやればいいというものがありますから。せいぜいがアクシズ教の最高責任者のアークプリースト、ゼスタ様が泣いて嫌がるエリス教徒の女騎士に口移しで綺麗な水を毒温泉と偽って飲ませようとしたくらいの可愛いものです。その後ゼスタ様はわいせつ罪でしょっぴかれましたが」

「普通に犯罪やってんじゃねえか!」

「エリス教徒への嫌がらせと軽犯罪は合法! エリス教徒への嫌がらせと軽犯罪は合法です!」

「そうよそうよ! 今トリスタンさんが凄く良い事言った!」

 

 アクシズ教徒の最高責任者によるセクハラ行為、そしてダブルスタンダードとしか言いようのない価値観に、女神アクアとあなた以外の全員から全く同じタイミングで「うわぁ……」という言葉が漏れ出た。一目見てドン引きしていると分かる。

 

「すまない、私もエリス教徒なのだが……」

「でもダクネスはそういうのが好きなんでしょ?」

「…………」

 

 ダクネスは何も言わずに女神アクアから目を逸らした。

 アクシズ教の闇を垣間見た気分だ。世間一般で言われている、近寄りたくない、関わり合いになりたくないというアクシズ教団の評価もむべなるかなといったところだろう。

 ウィズがエリス教徒でなくて本当に良かった。

 

「エリス教徒がセクハラされて泣いたのは別にどうでもいいわ。むしろもっとやりなさい。私が許すから。……それで、聞き込み調査で何が分かったの?」

「はい、事件の前後から、各地の温泉で浅黒い肌の、短髪で茶色い髪の男が目撃されているようです。現在我々はその人物を重要参考人として捜索中です」

「ちょっと早計すぎるんじゃないのか? まだ犯人と決まったわけじゃないんだろ?」

 

 カズマ少年が至極最もな疑問を投げかけたが、トリスタンは眼鏡をクイ、と上げた。

 

「我々も別に端からその男が犯人と決め付けているわけではありません。ただ、その人物が目撃された温泉が軒並み汚染されているようですので、ちょっと話を聞かせてもらおうとしているだけですよ。この街にも嘘を見抜くベルの魔道具はありますからね」

 

 トリスタンはああ言っているが、言葉通りに受け取るべきではないのだろう。

 実際怪しいのだから当然だが、最悪話を聞く前にアクシズ教団にボコボコにされかねない。

 

 さて、そんなアクシズ教団に親近感を覚えているあなただが、あなたはノースティリスでは癒しの女神の信徒の中で最も寵愛を受けている、つまりゼスタと同じく最高責任者ともいえる立場だ。

 しかしノースティリスでのあなたはセクハラ行為ではなく邪魔者を皆殺しにするという実力行使に訴えるタイプだったので、ゼスタとは違う。仮にあなたがゼスタの立場だった場合、神意に背く愚か者達にみねうちが猛威を振るっていた事だろう。死人や泣く者が一人も出ない、誰の良心も痛める事の無い極めて平和的な手段である。

 

 

 

 

 

 

「なあ、これからどうするんだ? 毒の正体もアクシズ教団に教えて、しかも犯人っぽい怪しい奴も分かっちまって、とっても喜ばしい事に本格的に俺達がやる事無くなった感じなんだけど」

 

 ウィズが突き止めた毒のサンプルと資料を何かの参考に、と渡されたトリスタンは足早に去って行き、女神アクアは封鎖された温泉を浄化しに出かけてしまった。

 宿に残されたのは浄化に縁の無い荒事担当が六人。

 

「だからさ、当たり前のように低レベル冒険者の俺まで頭数に入れるのは止めろって。そっちと違って普通に死ぬから。自慢じゃないけど俺は本当にアッサリ死ぬから」

「本当に自慢になってないぞ。まあ低レベルの割に狡すっからい悪知恵と強運でピンチを切り抜けるのがカズマなのだがな」

「……ふう、やれやれ。そんなに往来でスティールを食らいたかったのかよララティーナちゃん。そこまで全裸になりたいって頼まれたんじゃ流石の俺も断れないわ」

「じょ、冗談だよな? いつもの性質の悪い冗談だろう!? あとララティーナって言うな!」

 

 全裸に剥かれる危機に本気でうろたえ始めたダクネスの言うとおり、カズマ少年からはなんだかんだでピンチを切り抜けて上手くやれそうな雰囲気が漂っている。ただの勘だが。

 しかしながらやる事が無いのも事実である。

 手持ち無沙汰とはいえ、のんびり過ごしているというのもバツが悪い。ここはやはり、アクシズ教団と同じくその怪しい男を捜すのがいいのではないか。

 

「そうですね、六人でぞろぞろ動くのも効率が悪いですし、適当に分散して動きましょうか」

「やっぱそうなるのか……いや、いいけどさ。ソイツを見つけたらアクシズ教徒に通報すればいいんだろ? 言っとくけど俺は絶対に戦わないからな?」

 

 カズマ少年の、何が何でも荒事から遠ざかろうとする姿勢はいっそ清々しくすらある。

 先日温泉で彼に聞いた話では、ニホンはこの世界と比較しても圧倒的に平和で豊かな国なのだそうだ。ノースティリスに連れて行ったらどうなってしまうのだろうか。

 

 

 

 それから暫く話し合いを行った結果、まず徹夜の調査で多少なりとも疲労しているであろうウィズには新たに何か分かった時に情報を持ってくるであろうアクシズ教の為、そして保険と休養の意味合いを兼ねて宿に連絡係として残ってもらい、いざという時の為のテレポート持ちであるあなたとゆんゆんを分けてメンバーを組んだわけだが……。

 

「どうにも街全体がピリピリしてますね。まだ例の男も見つかってないみたいですし」

 

 あなたが組む事になったのは頭のおかしい爆裂娘、めぐみんだった。今日は頭が軽そうで何よりである。

 

「ちょむすけは出る前にウィズに預けてきましたからね。やけに懐いていたようでしたので心配はいらないと思います」

 

 そうして小一時間ほど犯人探しを行っていたあなた達だったが、箸にも棒にもかからない。

 手配されたのを察して隠れてしまったのか、例の男は温泉にも顔を出していないようだ。

 いっそ適当に占い師でも捕まえて占ってもらうというのはどうだろうか。

 

「…………占い師?」

 

 半ばやけっぱちにそんな事を言い放ったあなただったが、唐突にめぐみんが足を止めてしまった。

 どうしたのかと振り返れば難しい顔をしためぐみんは顎に手を当てて考え事をしていた。

 

「いえ、ちょっと以前ここに来た時の事を思い出していました。ゆんゆんが持ってきた予言のせいでアルカンレティアが大騒ぎになった時の事ですね」

 

 ちょっと待ってアレは私のせいじゃないから! というゆんゆんの切実な叫びが聞こえてきたような気がしたが、生憎この場に彼女はいない。気のせいだろうと無視して話の続きを促す。

 

「あなたは紅魔族の凄腕占い師の話は知っていますか? そけっと、という名前なのですが」

 

 ゆんゆんから聞いているとあなたは頷く。

 しかし肝心の予言の内容までは聞いていない。

 

「私もちょっと記憶が曖昧なのですが、予言は確かこんな内容だった筈です」

 

 ――アルカンレティアの街に、やがて危機が訪れる。温泉に異変が見られた時は、湯の管理者に注意を払え。その者こそは、魔王の手の者。

 

「こんな内容だったおかげで、アルカンレティアの各地で昨日も言ったところてんスライムによるテロが発生した際は温泉の管理者であるアクシズ教徒が魔族と繋がり、アルカンレティアを貶めようとしているのではないか? と疑われていました」

 

 しかし実際は違ったのだという。

 あなたとしても女神アクアを信仰するアクシズ教徒、それも温泉を管理するほどの敬虔な信者が魔王軍と結託するというのは想像し難い話だ。自身の目で彼らの在り様を見てしまっているから、尚更その話には違和感がある。

 それならばいっその事、魔王軍がアクシズ教徒に成り済まして騒ぎを起こすという方が余程現実感が湧くというものだろう。

 

「そけっとの占いの腕は私もお世話になったので、どれ程のものかというのはよく知っています。ですが今にして思い返してみれば、当時の事件は所々そけっとの予言とは合致していない気がするんですよね」

 

 推理するように杖をくるくると弄びながら、高い知力を持っている紅魔族随一の天才アークウィザードは言葉を続ける。

 

「ところてんスライムは街の人間にとって甚だしく迷惑だったと思いますが、じゃあ街の危機と言えるほどのものだったのかと聞かれれば正直首を傾げる程度のものでしたし。何より温泉の管理者……つまりアクシズ教団の人間に魔王の手の者がいたというわけでもなく。……なのでもしかしたら、ですけど。あの時のそけっとの予言は、今アルカンレティアに起きている事件の事を指し示していたのかもしれません」

 

 なるほど、確かにめぐみんの言うとおりなのかもしれない。

 街の資源である温泉に毒物、それも飲んだら人死にが出かねないほどのものが混入されているというのは十二分に街の危機と言えるだろう。

 

「どっかの誰かさんは昨日平気な顔して平らげた挙句、二杯目お代わりしようとしてましたがね。魔王軍もさぞかしびっくりするでしょうよ」

 

 実はあなたは昨夜、抽出されたデッドリーポイズンスライム(仮)の毒のサンプルを舐めようとしてウィズにこっぴどく怒られていたりするのだが、それを言う必要は無いだろう。自殺志願ではなく、ちょっと味が知りたかっただけなのだが。

 ……ところで話は変わるが、真面目なめぐみんというのは何故か違和感が酷い。どうすればいいのだろう。

 

「ぶっころ」

 

 めぐみんは迂闊な事を口走ったあなたの鳩尾をグーでぶん殴ってきた。

 ノースティリスの冒険者に近いめぐみんが相手だと、どうにもシリアスが長続きしないあなたであった。

 

 シリアスはさておき、半ば予想出来ていたとはいえ、この件が魔王軍による工作の可能性が更に高くなった事は困り者である。主にウィズのせいで。

 

「確かにウィズを今回の件で戦力にするのは難しいかもしれませんね」

 

 そう、ウィズは現役の魔王軍幹部だ。

 下手な事をすればそれは魔王軍への裏切りと判断され、人前で彼女の正体が暴露されかねない。

 ウィズの正体が晒された場合、あなたは非常に高い確率で世界中に核と終末と血の嵐が吹くと予想している。勿論犯人はあなただ。

 地味にあなたに頼られるのを待っているらしいウィズには大変申し訳ないのだが、今回も彼女の出番は無さそうだ。他ならぬウィズの身の安全の為にも。

 

 

 

 

 

 

 アクシズ教団の本部である教会の裏には、源泉の湧き出す山が存在している。

 そして軽く調べた結果判明したのだが、その源泉の管理をしているのはアクシズ教徒ではあるものの、しかしアクシズ教団ではなかった。

 

「……というわけで、私達は源泉の管理人という人に会いに来た冒険者です。冒険者カードもこの通り。分かったら道を開けてください。今ここにいる事は分かっているんです」

 

 教会から源泉へと続く道は初心者狩りなどの危険なモンスターが生息しているという事もあり、アルカンレティアに駐屯している国の騎士団により厳重に警備されている。

 そして警備の騎士にめぐみんが自身の冒険者カードを押し付けて通行の許可を得ようとするも、彼らはまともに取り合おうとはしなかった。

 

「すまないがお嬢ちゃん、ここから先は冒険者でも通行禁止なんだよ」

「そうそう、この先には温泉の管理を行っている人しか入れないんだ。アクシズ教団からネズミ一匹通すなって言われてるし、小遣いやるからそっちの保護者のお兄ちゃんと一緒に帰りな」

 

 明らかに子供扱いされている事を理解し、額に青筋を浮かべるめぐみん。

 デストロイヤーを消し飛ばし、魔王軍幹部のバニルすら爆裂魔法で仕留めた彼女にこのような物言いをする人間はアクセルにはいない。

 理由は単純。勇名以上に喧嘩っぱやい事で有名なめぐみんをガキンチョと馬鹿にしようものなら、得意の爆裂魔法が火を噴くとよく分かっているからだ。

 

「私は子供ではありません。爆裂魔法が使えます」

「……は?」

 

 頭のおかしい爆裂娘の宣言に顔を見合わせて苦笑する騎士達だが、めぐみんは本気だ。

 しかし一日一発しか使えない極大魔法をこんなアホなやり取りで使うべきではない。

 

 あなたはマジで魔法を使う五秒前なめぐみんに代わって名乗りを上げ、冒険者カードを見せた。

 あなたの名前はアルカンレティアの騎士にも知られていたようで、効果は抜群だった。勿論悪い意味で。

 

「こ、この冒険者カードは……頭のおかしいエレメンタルナイト!?」

「あの頭のおかしいエレメンタルナイト!?」

 

 お前らそろそろ大概にせーよ。

 そんな言葉を既の所であなたは飲み込む。

 

「アクセルのエースはアルカンレティアでも有名人みたいですね。他所で何やってるんですか」

 

 案の定めぐみんが食いついてきたが、あなたは何もやっていない。

 あなたに手を出したものが勝手に自爆し続けた結果、悪名が背びれ尾ひれを付けて勝手に膨れ上がっていった末がこの扱いである。

 

 

 

 

 常日頃からフレンドリーで親しみやすい雰囲気を周囲に撒き散らしているあなただが、どういうわけか拠点であるアクセル以外の冒険者達には敬遠されがちである。

 あなた自身も最近になって知ったのだが、腫れ物扱いされる理由は何もソロで高難度の討伐依頼をこなし続けているからだけではなかった。

 

 このような予想外の扱いの主要因は、あなたがこれまでに数十人もの盗賊の冒険者達を再起不能にしてきたから……という事らしい。

 らしいというのはあくまでも他者からの伝聞であり、あなたが直接冒険者ギルドに所属する盗賊達に手を下した事は一度も無いからだ。依頼で狩ってきた賊の数は百やそこらではきかないのだが。

 しかし再起不能にしたという言い方では、まるであなたが五十人以上の盗賊達を潰してきたかのような受け取り方をされてもおかしくないだろう。現にあなたはそんな目で見られている。善良な冒険者代表として、謂れの無い誹謗中傷には全力で遺憾の意を表明したいところだ。

 

 幸いにも、とでも言うべきか、今の所アクセルの街でそのような事件が起きた事は無いが、あなたにスティールを試みようとした盗賊の冒険者達がいたというのは以前にも記した通りだ。

 

 やけに数が多いのは、何度か集団でスティールを試みられた事があるからである。

 

 繰り返すがあなたは彼らに何もしていない。

 本当に何もしていない。

 頭のおかしいエレメンタルナイトの他、いつの間にか盗賊殺し(シーフキラー)とかいう異名を付けられていたとしても本当に何もしていないのだ。

 余りの被害者の多さにギルドは頭を抱えているが、まさかの犯罪者一歩手前の扱いに頭を抱えたいのはあなたの方である。確かに犯罪者扱いはノースティリスで慣れているがそういう問題ではない。

 

 スティールを仕掛けた理由については嫉妬や悪戯心、あるいは度胸試しなど色々あったのだろうが、それはあなたの知る所ではないしどうでもいい。

 いずれにせよ、上記のようにあなたにスティールを仕掛けようとした者達は揃いも揃ってスキルが発動する直前にあなたから逃げ出し、挙句の果てに再起不能になってしまうのだ。

 

 彼らが逃走する理由については前々から予想がついていたものの、あなたが王都で買い物をしていた際、ビキニアーマー一歩手前という痴女かと見紛う露出度の盗賊の少女に人気の無い裏路地まで誘われ、そこでおもむろにスティールを仕掛けられた時に確信に変わった。

 例によって少女はスティールの発動直前に逃げ出したわけだが、あなたはいい機会だと下手人の少女をその場で捕縛する事になる。

 

 結果、あなたはそのレベル30ちょっとの盗賊の少女から、まるでレベル1の駆け出し冒険者が終末に叩き込まれたような劇的なレスポンスをもらった。

 

 少女は赤ん坊のようにみっともなく泣き喚いて命乞いをするばかりで辟易とさせられたものの、軽く尋問し、更に無理矢理スティールを使わせて検証してもらった結果、彼らの反応はあなたが前々から予想していた、盗賊の持っている敵感知スキルが窃盗を見咎められるような間抜けはその場でぶち殺されても文句は言えないと本気で考えている自分に反応しているのだろうという推測を裏付けるものだったという事が判明した。全く嬉しくない。

 具体的には名状しがたい恐ろしいモノが自分を殺しに来る幻覚が見えたらしい。未来予知だろうか。

 実際盗賊がスティールを発動させて失敗した場合、あなたは反射的に犯人を殺すだろう。

 

 なおあなたから解放された時には茶色い髪が全部真っ白になる程度に憔悴していた――まるで数ヶ月単位でサンドバッグに吊るされ続けた冒険者のようであった――盗賊の少女だが、あなたの前に同じような事を繰り返していたらしく、膨れ上がった余罪により現在はどこぞの監獄にぶち込まれている。

 あなたとしては再起不能になった少女の仲間に絡まれたら面倒だと思っていたのだが、彼女の仲間はどこぞの討伐依頼の際に少女一人を残して全滅していた。

 その結果、以前は太陽のように明るく元気だったという少女はあなたのような善良な冒険者を騙して窃盗行為を行うようなロクデナシになってしまったわけだが、冒険者としては別段珍しい話でもない。きっと彼らは運が悪かったのだろう。

 

 

 

 

 ……とまあ、あなたがアクセル以外で敬遠されているのはこういう理由があるわけだが、流石にめぐみんに馬鹿正直に話すのは躊躇われる。

 

「全く、どうせあなたの事ですから昨日みたいな馬鹿な真似を他所でもやっているんでしょう? そんなだからこんな反応が返ってくるんですよ。自業自得です」

 

 めぐみんはそのようなつもりで言っているのではないのだろうが、元はといえば散々ソロ活動で暴れて目立ちに目立ったお前が悪いのではないのかと言われてしまえば、あなたにはそうですねとしか返す言葉が無い。

 

「……一応聞いておくが、本物なのか?」

「本物ですよ。だから頭のおかしいエレメンタルナイトの異名の所以を知りたくなければ今すぐ道を開けなさい。この男は人間が相手だろうと本気でやりますよ。何たって力尽きて身動き一つ取れない私がジャイアントトードに捕食される寸前まで放置して見守っていたり、毒入りの温泉を飲んで美味いと笑うくらい頭がおかしいですからね」

 

 あなたの威を借るめぐみんのゲスい笑みに騎士達は震え上がった。

 強行突破は決して嫌いではないが、誠意を持って話し合えば人は分かり合える筈だ。話し合っても無理だった時は仕方ないので諦めてもらう他無いが。

 

「死ぬぅ!」

「殺されぅ!」

 

 話し合いの大切さを三人に訴えるあなただったが、何故か騎士の震えが増した。今にも泣き出しそうだ。

 

「おやおや、何の騒ぎですかな」

 

 何が悪かったのだろうと首を傾げるあなただったが、山の方からやってきた人物の声に意識を戻す。

 現れたのは金髪の老人だ。彼が源泉の管理人だろうか。

 

 

 

 

 

 

 あなた達が源泉の管理人を探していたと話すと、老人は話を聞くべくあなた達を自宅に案内してくれた。

 アルカンレティアの中心から離れた静かな場所に建っているその家は中々に広かったものの、今は老人が一人で住んでいるようで、ガランとした印象をあなたに抱かせる。

 

 特に魔王軍との関わりを示唆するような怪しいものがあったりはしなかったが、部屋の中に写真が立て掛けてあるのを目ざとく発見しためぐみんが口を開く。

 

「お子さんですか?」

「息子と息子の嫁と孫だよ。何年か前にアクセルに引越してしまったがね」

 

 写真の中には老人と同じ金髪の男性と茶髪の女性、金髪の少年が写っていた。

 写真を見つめる老人は寂しそうに、しかし愛しそうに家族が写る写真を撫でる。

 

「気持ちはとてもよく分かります。お爺さんもこんな街からは引っ越した方がいいと思いますよ」

 

 この子はなんて失礼な事を言うのだろう。

 あなたがめぐみんの頭にげんこつを落とすと、中々に良い音が響いた。

 

「おごごごご……い、いきなり何をするんですかこの鬼畜男。私はお爺さんの為を思ってですね……」

 

 頭を押さえて悶えながら涙目で睨んできたが無視する。

 アルカンレティアはこんなにも素晴らしい街だというのに、悪口を言っためぐみんが悪い。

 

「分からない、文化が違う……!」

「ふふふ。何、確かにここは騒がしい街だが、住めば都というだろ? 慣れれば楽しいもんさね。まあ息子達はエリス教徒だったのだが」

「どう考えても引っ越した原因ってそれですよね」

「息子には幼馴染の女の子がいたんだが、その子はアクシズ教徒でね。息子がストレスで円形脱毛症になる程度には色々なちょっかいを出してたもんだよ。女の子は今も独身だという話だし、きっと素直になれなかったんだろうな」

「どう考えても引っ越した原因ってそれですよね!?」

 

 その後、数十分ほど老人と会話を重ねたあなた達だったが、あなたの見る限りでは老人に不審な点は一つも無かった。

 彼の所作の一つ一つから冒険者、それもかなり熟練のものと思わしき気配が染み付いている事からおよそ一般人とは言いがたいが、それでも老人はごく普通の人間だ。

 

(どうやらこのお爺さんはシロっぽいですね。となると一体誰が……)

 

 ヒソヒソと囁きあうあなたとめぐみん。

 そろそろお暇しようと考え始めた所で、玄関のドアをノックする音が聞こえた。

 

「おや珍しい、またお客さんのようだ。すまんがちょっと待っていておくれ」

「いえいえ、お構いなく」

 

 老人が扉を開ける。

 何となしにあなたが玄関に目を向ければ、果たして老人を訪ねてきたのは()()()()()()()()()()()だった。

 

「すみません、こちらに源泉の管理人の方がいると聞いて伺ったのですが。貴方で合っていますでしょうか?」

「ええ、はい。そうですよ」

「そうですか、それは良かった」

 

 はてさて、これは運が良いのか悪いのか。思いも寄らぬまさかの賓客である。

 あなたが横の相方を見れば、緊張からだろうか、顔を強張らせためぐみんが冷や汗を流していた。

 心配無用とあなたが手の平でめぐみんの頭を優しく叩くと、彼女は手を振り払いながらムッとした表情で睨んできた。

 

「……別に怯えてなんかいません。子供扱いしないでください」

 

 ならばよしとあなたは笑い、おもむろに席を立つ。

 そのまま玄関に近付くと、男はあなたに愛想よく笑いかけてきた。

 

「おや、ご家族の方でしょうか? 申し訳ありませんが、私はこちらのご老人に用事がっ――――!?」

 

 はて、いきなり男の笑顔が罅割れた挙句言葉が途切れてしまったがどうしたのだろう。

 あなたはただ懐から聖水を取り出しただけである。

 それも只の聖水ではない。昨夜暇を持て余していた女神アクアに宿で一番高い酒と引き換えに全力を出して作ってもらった、到底値段の付けられない逸品だ。

 

 男の目がこれでもかと見開かれ、聖水に釘付けになっているが、これならば疲労も病気も呪いも慢性的な腰痛も肩こりも一発で吹き飛ぶだろうとあなたはニヤニヤと嫌らしく笑う。

 一方で人外、それも魔に属するものであればとっておきの猛毒になるだろうが。

 何せリッチーにも効果は抜群だとお墨付きを頂いているくらいだ。ウィズには絶対に使えない。

 

「…………」

 

 横からやってきためぐみんが老人の手を引いて後方に下がる。ただ事ではないと察したのか、老人は何も言わずにめぐみんに従った。

 それを気にも留めず聖水に集中したままジリジリと後退を始める男だが、そんな彼に向かってあなたはひたすらに笑みを深める。

 

「……なんだ、それは」

 

 言葉遣いが荒くなった。こちらが素なのだろうか。

 どちらにせよ、ヒトの皮を被った人外(バケモノ)に答える義務は無い。

 しかしまだ彼が温泉に毒を流すという許されざる蛮行の犯人と決まったわけではない。

 話はアクシズ教団の者達と聞こうではないか。無数のアクシズ教徒と嘘発見器が手ぐすね引いて彼を待っている。

 

「……見た所冒険者のようだが、俺が用があるのはそこの老いぼれだけだ。俺の事を黙っているというのなら、小娘共々この場は見逃してやらんでもないぞ?」

 

 おっと手が滑った。

 苦しんで死ね。

 

「問答無用か、このイカレ野郎!!」

 

 あなたが男の顔面目掛けて投擲した……もというっかり手から零れて男の方に飛んでいったポーション瓶だが、避ける事は不可能だと判断した男は右腕を犠牲にする事でそれを防御。

 

「――――ぐうっ!?」

 

 ポーション瓶が割れ、中身の聖水がぶちまけられると同時に男の手からボジュウ、という何かが溶けるような音と凄まじい刺激臭が発生した。

 

「ガアアアアアアアアア!!! 貴、様ァ! 何を使いやがった!?」

 

 血を吐くような叫びを発しながら、男は異音と異臭を発する右腕を自ら叩き切る。

 心地よい悲鳴だと酷薄に嗤いながらも男の潔さに心の中で賞賛を送るあなただったが、次の瞬間、眉を顰める事になる。

 そのまま重力に従って地面に落ちた腕は粘着質な液体に変化すると同時に飛び散り、玄関を一瞬でドロドロに溶かし始めたのだ。

 

「ぐ、糞っ、形が保てんだと……! この痛みと屈辱、決して忘れんぞ!!」

 

 盛大に毒づきながら男は脱兎の如く逃走を開始する。切断した腕の先から盛大に液体を振りまきながら。

 男が振りまいている液体はやはり異臭と共に周囲を溶かし、更によく見れば右腕の先からは、早くも半透明の、スライムのような質感の新しい腕が生えてきていた。

 デッドリーポイズンスライム。

 ウィズが教えてくれた毒の持ち主が脳裏に過ぎる。

 

「ごふっ……」

「ごほっ……ちょっ、これヤバ……」

 

 逃走する男を追って毒と異臭の中を突っ切るあなただったが、家の中から苦しそうな咳が聞こえてきた。振り返れば玄関から異臭の元と思わしき紫色の気体が家の中に広がり始めている。

 あなたは毒は無効化する装備を身に着けているが、めぐみんと老人はそうもいかない。

 選択肢を誤ったかと悔やみつつあなたは家に駆け戻り、少しでも毒からめぐみんと老人を引き離すべく、二人を抱えて一目散に家から脱出した。

 

 そうして二人を無事に家の外に逃がした後で周囲を探るも、既に男の姿はどこにも無かった。

 スライムメタルでもない癖に随分と逃げ足が速いとあなたは舌打ちする。

 

「すみません、私が足を引っ張ったせいで犯人を逃がしてしまいました……」

 

 めぐみんと老人に、念の為にと各人に渡されていた毒消しのポーションを飲ませ、これはどう考えても自分の失態であるとあなたは深く謝罪した。

 めぐみんは自分が足を引っ張ったと言うが、どの道毒で老人が危なかった事には変わりないし、何よりあなたには水を毒で汚された怒りと恨みで目が眩んでいたという自覚があった。色気を出して聖水など使わず、いつものようにさっくり殺しておけばすぐに終わった可能性が高い。それを思えばどれだけ反省してもし足りない。

 

「ですが……」

「お二人とも、本当にありがとうございます。おかげで危ういところを助かりました」

 

 なおも食い下がろうとするめぐみんの言葉を遮り、老人が恭しくあなた達に頭を下げてきた。

 確かにあなた達が彼の命を助けた事になるのだろうが、あなたとしては正直気まずくて仕方なかった。

 

「アレは私を狙っていたそうですし、あの場にあなた達がいなければどうなっていた事か……いやはや、年は取りたくないものだ」

「……私は何もしてませんよ」

 

 あの男が源泉ではなく源泉の管理人である老人を狙った理由は不明だが、元を辿ればあなた達がここにいるのはめぐみんのお蔭である。礼なら彼女に言ってあげてほしい。

 

「そうだったのかい。本当にありがとうな、お嬢ちゃん」

「……家が毒と酸で滅茶苦茶になってしまいましたよ」

「なあに、命あってのものだねと言うだろう? 家はまた建て直せばいいさね。死んでしまっては息子にも孫にも会えなくなるしな」

 

 朗らかに笑う老人のとてもアクシズ教徒とは思えない、他意の無い心の底からの感謝の言葉に、めぐみんは深く帽子を被って赤い顔を隠した。

 

 

 

 その後毒消しのポーションで二人が大事無い事を確認し、逃がした責任を取るべく魔族を追おうとするあなただったが、老人はそんなあなたを引きとめてきた。

 

「ああ、それでしたら御心配なく。あの魔族の行方でしたら今も私が捕捉しております。今は東の方に人通りの無い道を通って逃走しているようですな」

 

 はて、どういう事だろう。

 そのような暇は無かった筈だが。あの短い時間の中で老人が何かをやっていたようには思えない。

 

「敵感知スキルですよ。お恥ずかしい話ですが、こうして源泉の管理者になる前はそこそこ名の売れた盗賊をやっていましてね。スキルを鍛え続けた結果、今ではアルカンレティア一帯なら私の庭みたいなものなのですよ」

 

 奇襲を食らってしまえばひとたまりもありませんが、と先ほどの事を思い出しながら苦笑いを浮かべる老人だったがなるほど、危険なモンスターの徘徊する源泉の山を長年一人で管理し続ける事が出来た理由にはこのような背景があったようだ。

 

 

 

 

 ――その数時間後、犯人の隠れ家はアルカンレティア中から集まった無数のアクシズ教徒達に完全に包囲される事になる。




Q:主人公にスティールが成功した場合ってどうなるの?
A:暴力を振るってはこないものの、非常に高い確率でその場で身包みを剥がされる事になります。ただし盗んだのがホーリーランスだった場合はネズミを前にした某猫型ロボットの如き勢いで興奮して殺しに来ます。ウィズさん縁の品だと犯人をサンドバッグに吊るしてこの先二度と泣いたり笑ったり出来なくします。愛剣ちゃんを盗むと主人公も盗人も死にます。

Q:窃盗スキルに失敗したら具体的にどうなるの?
A:作中でも説明しましたが、窃盗の失敗判定の際、敵感知スキルを持っていればスキルの発動直前に本気になった主人公が自分を殺しに襲ってくるという素敵で愉快な幻覚を見せて止めてくれます。敵感知スキルを持たずにスティール、あるいは幻覚を我慢してスティールしてミスると人間が相手だろうと普通に殺しに来るので気をつけてください。

Q:でも一回街の外に出るとかしてマップ切り替えしたら敵対状態は解除されるんでしょ?
A:ゲームじゃないのでセーブもロードもマップ切り替えもありません。街の外まで逃げても当然の権利のように追ってくるので安心してください。

Q:親父殿、この主人公はサイコパスにござるか。
A:左様。ノースティリスの冒険者です。


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第63話 素晴らしく運が無いな、君は

 アルカンレティアの外れにある倉庫街。

 

 水の女神アクアのお膝元であるアルカンレティアの水は他の追随を許さないほどに綺麗な事で有名だ。

 その質の高さから貴族用の飲料水を始めとしてポーション作成など様々な用途に用いられ、各地に輸出されているアルカンレティアの水。

 いわばアルカンレティアの特産品であるこれは温泉ほどではないとはいえアルカンレティアの財源を担っており、その輸出される水がこの倉庫街には大量に保管されている。

 

 そしてこれといって見るべきものや温泉も無く、普段であれば殆ど住民や観光客が寄り付かないそんな場所に、最早数える事すら億劫になるほどの数の人間達が集っていた。

 

 男に女に子供に老人。

 更に人間だけではなくエルフやドワーフ、獣人といった者達の姿も散見される。

 

「うーん、壮観ねー! 不信心者への怒りで私への信仰がビンビンに高まってるのを感じるわ!」

「え? 信仰ってそういうもんなの?」

「今時のダメな若者らしく無宗教のカズマさんには分からないかしら。ほら、信仰パワーがここに溜まってきてるでしょ?」

「二の腕を晒されてもぜんっぜん分からん」

 

 満足そうな女神アクアと同じく、四方のどこを見渡しても途切れが見えない人の群れに、よくもまあここまでの数を揃えたものだとあなたは感心する。

 

 危うく命を落としかけた源泉の管理人である老人をアクシズ教徒の本拠地に送ったあなたとめぐみん。

 老人が件の犯人と思わしき男に襲われた事、そして男が極めて強い毒性と酸性を持ったスライム系の魔族である事を伝えたらいつの間にかこんな事になっていた。

 

 この場に集った彼らは服装も装備もてんでバラバラ。

 一見すると何の集団なのかすら分からない。

 しかしこの人の群れは何を隠そう、その誰しもが悪名高いアクシズ教徒なのだ。しかもアルカンレティアに住まう筋金入りのアクシズ教徒である。

 

 人類を脅かす軍団の首魁が住まう魔王城からそれなりに近い場所にあるにも関わらず、まるで手を出されていなかったアクシズ教徒の本拠地。

 そんな場所に住まう者達に隠れ家を暴かれて囲まれている犯人の現在の心境や如何に。

 

「おいアクア、一応言っておくが、余計な事は言うなよ。何が起きるか分かったもんじゃない」

「だーいじょうぶよカズマ。私はアルカンレティアの危機に颯爽と登場したアクシズ教徒の超絶美人アークプリーストとして振舞うから安心しなさい」

 

 あるいは彼らは街の危機に駆けつけたのと同時に、女神アクアを拝みに来たのかもしれない。

 今の所は空気を読んで誰も彼もが遠めに女神アクアを見守る程度で何も言わないが、下手に女神だと名乗ればカズマ少年が危惧している通り、感激で発狂した狂信者達によって上を下への大騒ぎになる可能性が非常に高い。

 

「これが全部アクシズ教徒……。なんですかこの世界の終わりとしか言えない恐ろしい光景は。眩暈がしてきました」

「っと……大丈夫か?」

 

 青い顔でふらつくめぐみんをダクネスとゆんゆんが支えた。

 念には念を入れて女神アクアに浄化を頼んでいたのだが、まだ毒が残っているのかもしれない。

 

「めぐみん大丈夫? もっかい回復する?」

「いえ、大丈夫です。ちょっとこの人の群れに爆裂魔法を撃ちたくなっただけですので。私、一回でいいので見ろ、人がゴミのようだって言ってみたかったんですよね」

「止めて! なんでそんな酷い事言うの!? 神罰の光で目が見えなくなっても知らないんだからね!?」

 

 めぐみんの気持ちはとてもよく分かる。

 デストロイヤーが去った後に残っていると言われているアクシズ教徒が相手では核では到底不足だろう。愛剣を抜いてメテオ(広域破壊魔法)で一掃したい。

 

「…………あれ?」

 

 わいわいと騒がしい中、ゆんゆんが周囲を見渡している。

 誰を探しているのだろうか。

 

「あの、ウィズさんの姿が見えないんですけど」

「ゆんゆん、ウィズなら宿ですよ」

「えっ!? ウィズさん待機なの!?」

 

 まあ、ゆんゆんとしてはそういう反応になるだろうなとあなたは心の中で納得した。

 戦力の逐次投入が愚策というのは子供でも理解できる基本中の基本であり、何より相手は魔王軍だ。

 常識的に考えれば、この一大事にウィズほどの極上の戦力を遊ばせておく余裕などどこにも無い。常識的に考えれば。

 

「まあほら、あれですよ。ウィズは控えとか後詰めとかそんな感じで。それに戦力ならここに頭のおかしいのと最強の爆裂魔法使いの私がいるじゃないですか」

「で、でもでも……今はアルカンレティアの一大事なのよ!? 確かにアクシズ教徒の人達はその、色々とアレだけど……相手は魔王軍の幹部、デッドリーポイズンスライムなんでしょ!?」

 

 ゆんゆんの言葉通り、一連の犯行に及んだのはやはり魔王軍、それも幹部であった。

 正体が分かった理由は簡単。アクシズ教徒から渡された、本人そっくりの男の似顔絵を見たウィズがアッサリと言い当ててしまったのだ。

 

 そして犯人の正体が確定した瞬間、この戦いでウィズの出番が来る事は絶対に無くなった。

 

 準備のために一度宿に戻ったあなたから話を聞いた際、不安を滲ませながら、本当に自分は行かなくていいのかと問いかけてきたウィズだが、行かなくていいというか、絶対に行ってはいけない。同僚であるウィズがハンスを知っているという事は、ハンスもまたウィズを知っているという事だ。

 彼女の正体が衆目に晒される事を考えれば絶対に戦闘には出せない。

 

 ウィズがこの場所に来た場合、あなたは問答無用でウィズと共にテレポートで離脱すると彼女に予め宣言している。軽挙は控えてくれると思いたい。

 

 確かにアルカンレティアは素晴らしい場所だが、それでもあなたからしてみれば友人(ウィズ)には遠く及ばない程度のものでしかない。

 出し惜しみした結果アルカンレティアが滅ぶ事になったとしても、あなたは決して悔やまないだろう。

 ウィズの身の平穏の為、魔王軍幹部である彼女には是が非でも宿で待機していてもらう。

 あとオマケで世界の平和の為にも。

 

「……毒? めぐみん、もしかしてウィズさんは昨日一日中毒を調べてたから調子が悪くなったの? そういう事なのね!?」

「なんでそうなるんですか。もしそうだったらとっくにアクアが治してますよ。というか私に任せてないでそっちで何とかしてください。ウィズの担当はあなたでしょうに」

 

 めぐみんは心底めんどくさそうにゆんゆんを押し付けてきた。

 この面々の中、ゆんゆんだけがウィズの正体が魔王軍の幹部にして最強のアンデッド、リッチーであるという事を知らない。故に彼女は困惑している。

 

 このままでは最悪ウィズがアクシズ教徒に隔意を抱いている人間だと思われかねない。

 女神アクアの件もあるので、もしかしたらほんの少しくらいはあるかもしれないが、それでもアクシズ教徒など滅んでしまっても全く構わないと薄情な事を考えているわけではないだろう。

 

 今のゆんゆん一人でウィズの元にやるのは躊躇われる。

 かといってあなたが付き添ってウィズの所に連れて行くというのも、無数のアクシズ教徒が周囲を囲んでいる現状ではいつ戦闘が始まってもおかしくないので選びにくい。

 

 なのであなたは彼女を説得する事にした。

 

 この場には本人がいないので詳しくは話せないが、ウィズにはこの場では戦ってはいけない理由があり、それがウィズの命に関わる可能性が非常に高い事。

 ウィズはアルカンレティアの危機に一人蚊帳の外になる事を本当に心苦しく思っていたものの、彼女の身を案じるあなたが戦場に立つ事を許容しなかった事などを正直に話す。

 

「…………分かりました」

 

 説得の甲斐あってゆんゆんは渋々と引き下がってくれたが、納得はしていないだろう。

 しかしそれはウィズの仕事であってあなたの仕事ではない。

 そろそろウィズはゆんゆんに自身の正体を明かす時が来ているのかもしれない。

 

「俺もう帰っていいか? こんだけいるんだし、ウィズみたいに待機でもいいだろ?」

「この男はこの期に及んでまたこんな事を。いい加減腹を括ったらどうですか? 何のために弓まで持って完全武装でここまで来たと思ってるんですか」

「そうだぞカズマ。クルセイダーというパーティーの盾としてお前の事は私が絶対に守ってみせよう。だからお前は何も心配せずにいつも通りに堂々としていろ。お前は私達のリーダーなのだからな」

「お、おう……」

 

 ドンと鎧を拳で叩き、快活とした笑顔で宣言するダクネス。

 その美貌も相まって今の彼女はまさに戦乙女と呼ばれるに相応しい頼もしさであった。

 あまりの頼もしさにカズマ少年は言葉に詰まってしまったのか、赤面してダクネスから顔を逸らす。

 

「カズマって日ごろあれだけ好き放題やってる癖に変な所でヘタレというか純情ですよね。というかダクネス、もしかして今のはアレですか、いわゆる告白ってやつですか? 俺がお前を護る、的な。男女が逆な気がしないでもないですが、まあカズマですしね」

「……えっ!? い、いや、違うぞ!? 確かにカズマには色々とお世話になっているが、私は断じてそんなつもりで言ったわけではなくてだな!? そう仲間! 私はカズマの仲間だろう!? だから今のは仲間として言ったつもりであってだな!」

「仲間仲間連呼すんな! 一瞬遂に俺にもモテ期が来たかと思って滅茶苦茶期待したじゃねえか!」

 

 戦乙女は一瞬でどこかに行ってしまった。

 ここで堂々と肯定していればダクネスは戦乙女を通り越して漢女(おとめ)になっていたのだが。

 

「そ、そうだスライム! スライムだ! これだけプリーストが揃っているのだから私も少しくらいスライムに塗れても大丈夫だとは思わないか!?」

「止めろ馬鹿! ちょっとでも期待した俺が馬鹿だったよ!!」

 

 照れ隠しなのか、いつも以上にリアクションが大きいカズマ少年の元に、親子連れが近付いてきた。

 

「ねえねえ、お兄さんっていけめんだよね! お兄ちゃんって呼んでもいい?」

 

 少女の声を受け、ビクンと体を震わせるカズマ少年。

 

「ごめん、なんだって? もう一回言ってくれるかな?」

「お兄ちゃんって呼んでもいい?」

「いいよ」

 

 食いついた。カズマ少年は盛大に食いついた。

 最悪の呼称にあなたであれば即座に拒否していただろう。

 

「こら、駄目よ! 確かにイケメンで素敵な男の子だけど、アクシズ教徒でもない人をお兄ちゃんだなんて……。甘えたいお兄ちゃんが欲しいのは分かるけれど、アクシズ教徒にしておきなさい。本当にイケメンだけど残念よねえ……」

「うん、分かった……」

「ふっ……」

 

 キメ顔になったカズマ少年はニヒルに笑いながら髪を掻き揚げた。

 あまりの気障な振る舞いに三人娘はおろか、心なしかゆんゆんまで彼を冷たい目で見ているが彼は全く気にしていない。

 

「ねえいけめんのかっこいいお兄ちゃん、お兄ちゃんは、アクシズ教徒は嫌いですか?」

「嫌いじゃないよ」

「ほんと!? じゃあこれあげるね!」

「そ、それはいらないかな……」

 

 差し出された入信書を引き攣った笑みで拒否するカズマ少年。

 

「ちぇー……でも頑張ってねお兄ちゃん! ばいばーい!」

 

 手を振って母親と共に去っていく少女。

 そして。

 

「っしゃああああ行くぞお前らぁ!! 気合入れろぉ!!」

「おおおおおおおおお!!!」

 

 カズマ少年が突然檄を飛ばし始め、周囲のアクシズ教徒に熱と興奮が伝播していく。

 彼らは今にでも突貫を始めそうな勢いだ。

 

「カズマって小さい女の子の事になると急にテンション上がるの気持ち悪いですよね」

「や、やめなよめぐみん……」

 

 冷めきった瞳の少女達はさておき、周囲のアクシズ教徒達の熱気は冷める事無く、彼らは次々にハンスを呼び始めた。

 

「隠れてないで出て来いハンスー!」

「ハンスの腰抜けー!!」

「ハンスの童貞ー!」

「ハンスの非モテー!!」

 

「やかましいぞっ!!」

 

 アクシズ教徒の煽りの大合唱に負けず劣らずの怒声と共に、倉庫街の一角が吹き飛んだ。

 憤怒を撒き散らしながら現れたのは先ほどあなたに聖水を食らった浅黒の男、魔王軍の幹部であるデッドリーポイズンスライムのハンス。

 切断した腕は今は元通りになっているようだ。

 

「ようハンス!」

「デッドリーポイズンスライムのハンス!」

「遅かったわねハンス!」

「温泉の恨みを晴らすぞハンス!」

「お色直しは終わったのかハンス!」

「ハンスハンスと、俺の名を気安く呼ぶなクソ共が!! クソッ、完全に俺の正体がバレているだと……一体……どうなって……」

 

 忌々しげだったハンスの声は、段々と尻すぼみになっていった。

 やがて完全に沈黙し、あんぐりと大口を開けて周囲を見渡し始めたハンスに、この場に集まった全ての者を代表して女神アクアが彼に相対する。

 一見すると無謀な行為だが、彼女はあなたと同じく状態異常を完全に無効化する羽衣を装備しているので、取り込まれて捕食されない限りは相性は悪くない筈だ。

 

「ようやく顔を出したわねハンスとかいうの!」

「おいちょっと待て! なんだこの数は! どんだけいるんだ!?」

「見て分からないの? アルカンレティア中のアクシズ教徒がアンタをぶっ飛ばすために集まったのよ! 正々堂々、数の暴力でフルボッコにしてあげるから覚悟しなさい!」

「ふざけろ! これのどこをどう見たら正々堂々なんて言葉が出てくる!! 今時魔王軍でもたった一人を相手にここまでやらんぞ!!」

「ここはアクシズ教団の総本山、アルカンレティア! つまり私達がルールで絶対正義! 私達が白と言えばアルカンレティアでは黒も白になるのよ! それが犯罪じゃない限りね!」

「どんな超理論だ!!」

 

 場所が場所だからなのか、女神アクアがいつになくノリノリである。

 

 先ほどの件もあってハンスに警戒されているであろうあなたとしては、彼の意識が女神アクアに集中している今この瞬間に斬りかかりたいと思っているのだが、それは女神アクアに禁じられている。

 なんでもこの戦いはアクシズ教団と魔王軍の聖戦であり、女神アクアは大勢のアクシズ教徒が見守る中、可能な限り自分とアクシズ教徒の手でハンスを討伐したいのだという。

 

 これだけの信者が集まっている中、異教徒一人を戦わせてハイ終わり、では仮に勝利してもアクシズ教団の名が廃ってしまうとも。

 相手が魔王軍幹部とはいえアルカンレティアというホーム、そして完全に味方で取り囲むというあまりに圧倒的有利な状況に欲が出てしまっているようだが、あなたは先ほど盛大に無様を晒してしまっているので何も言えない。

 精々ハンスの攻撃で死人が出ないように立ち回るつもりである。後で話を聞いたウィズを悲しませない為に。

 

「ノコノコ集まってきたアクシズ教徒の者達よ、貴様らは死ぬのが怖くないのか?」

 

 口論に疲れたのかハンスは周囲に向けて問いかける。

 

「ぷーくすくす、なあに、魔王軍の幹部ともあろうものがこの数に怖気づいたの?」

「……貴様は自分達が死地に飛び込んだ事すら理解出来ないほど頭が悪いのか?」

「なんですってぇ!?」

 

 怒気を顕にする女神アクアに、ハンスは溜息を吐いた。

 

「今更名乗るのは自分でもどうかと思うが、俺は魔王軍幹部、デッドリーポイズンスライムのハンス! 貴様ら如き雑魚がどれだけ群れようとも相手にはならん! 幾らプリーストを揃えようが、俺に触れればどの道即死だ!」

 

 殺意と威圧感を撒き散らしながら周囲に向けて声高に吼えるハンスに対し、彼を取り囲んだアクシズ教徒達は誰一人として眉一つ動かす事無く、首を傾げながら一斉にこう言ってのけた。

 

 

 

 ――それが何か?

 

 

 

 老若男女、戦えるものはおろか物心ついて間も無い程度の幼い子供達までもが口を揃えるという異様な光景に、ハンスはおろか、カズマ少年達も絶句している。ただ一人、女神アクアは鼻息荒くそんな事はさせないと息巻いていたが。

 何を言われたのか分からないといった表情のハンスに、何人かの信者が口々に語りだす。

 

「何か、勘違いをなさっていますね。私達はアクシズ教徒。そう、アクシズ教徒なんです」

「俺達アクシズ教徒は、死んだ暁にはアクア様の元へと送られる。そう、俺達の敬愛するアクア様の元に送られるんだ!」

「そして、そして……僕達は死後、アクア様の管理している世界に転生する事になるのです!」

「そう、ニホンという名の楽園に!!」

 

「えっ、今日本っつった? 何でこの流れで日本が出て来るんだ」

 

 突如出てきた故郷の名に、カズマ少年が困惑している。

 そして呆然としているハンスに、他の信者を代表するかのように一人の壮年の男性が前に出た。

 彼は他の信者と比較しても一際豪奢な法衣を纏っており、格が違う信者であると一目で分かる。

 

「めぐみん、ゼスタさんが出てきたわよ。何する気なのかしら」

「皆、よく見ておきなさい。あれが悪名高いアクシズ教団の最高責任者のアークプリーストですよ」

 

 彼の顔を知る二人の紅魔族が男の正体を教えてくれた。

 先日は会えなかったが、彼がそうなのかと、あなたはこの世界で自身に最も近い存在を感慨深い気持ちで注視する。

 言われてみればなるほど、確かにゼスタからはあなた自身やウィズ以外の友人達と同等の、筋金入りの狂信者の臭いがした。

 

「魔王軍の貴方は知らないでしょう。ニホン。そこは、アクア様曰く楽園のような世界。そこでは、私の様な両刀も恥じることなく生きていく事が出来……それどころか! 私の様な趣味の者に合わせた、特殊な本が溢れていると聞きます! そう、異端や変態扱いされる我々が、堂々と生きていける場所なのです!」

 

 あなたとカズマ少年は顔を見合わせ真顔で頷き、アクシズ教徒の話が聞こえないようにする為、めぐみんとゆんゆんの耳を押さえた。

 

「わっ!? カズマ、いきなり何するんですか!」

「あ、あのあの……こういうのはウィズさんに悪いと思うんですけど……!」

 

 ゆんゆんの耳がやけに熱くなっているのが気になったが、彼らの話は冒険者とはいえまだ子供な彼女らの教育上よろしくないだろう。

 

「あーあーあー!」

 

 見れば、ダクネスも自分の耳と目を閉ざして声を上げていた。

 被虐性癖を持っているというのに、妙なところで純な少女である。

 

 ……しかしなるほど、つまりニホンはノースティリスのような場所なのだろう。

 

 ノースティリスでも特殊な嗜好のエロ本は溢れているので間違いない。

 カズマ少年やキョウヤの話では、ニホンの治安はこの平和な世界すら比較にならないほど良い場所だったらしいが、それ以外はきっとノースティリスなのだ。

 

「ぼ、僕みたいな……僕みたいな、心は女の子で、体は男の子な人でも、そこに行けば需要があるっていうんです! なんでも、男の娘って言うんだそうで……!」

 

 やはりノースティリスだ。

 あなたには願いで性転換した友人もいるし、幼い少女にしか見えない少年をペットにして性的な意味で可愛がっている友人もいる。

 ニホンは路上でドラゴンがバイクに盛っていても誰も気にも留めない世界なのだ。

 

「ダンディーなおじ様が組んずほぐれつする様な描写がなされた本が、一つのジャンルを確立しているそうで……! しかも、しかも! しょ、しょた、とかいう、小さな男の子を扱ったいけない系統の本なんかも堂々と売られているんだとか! 私、わたし、アクシズ教徒で良かった! 生きてて本当に良かった!!」

 

 最早疑う余地は無い。ニホンはノースティリスのような世界だったのだ。

 ニホンはこれは物理的に無理があるだろ、というレベルで体を六面体に変化させる事で性的興奮を得たり、あるいは六面体になった者に性的に興奮する者がいる世界なのだ。

 アレは傍から見ているとギャグにしか見えないのだが、彼らはキューブにでも憧れているのだろうか。

 

「……俺、この邪教は真剣に滅びた方がいいと思う」

 

 まだ年若いカズマ少年は己の性癖を暴露するアクシズ教徒達にドン引きしているが、むしろアクシズ教徒の語った性癖はノースティリスでは極めてノーマルな部類に入る。恐らくニホンでも同様に。

 

 何せ上記の友人の前者は趣味が人格破壊及び洗脳(チキチキ)だし、後者は食欲と性欲を同時に満たす為に幼い少年少女を文字通り食べるくらいである。カマキリの交尾のように。

 そんな彼らの性癖ですらあなたの知る中で最も理解出来なかったソレには程遠い。

 アブノーマルな性癖の最果てはすくつのように暗くて深いものなのだ。

 世の中には知ってはいけない、知らない方がいい世界がある。

 

「これだから俺はお前らが嫌いなんだ! このキチガイ狂信者どもめっ!!」

「ありがとう! 最高の褒め言葉です!」

 

 声を揃えての大合唱に、いよいよ話が通じないと悟ったのか、ハンスは両手で顔を覆って天を仰ぎ、深い溜息を吐いた。

 

「はぁ……もういい」

「ん? 今なんか言った?」

「もういいと言ったんだ。それなりの年月を掛けてこの街を調査し、下準備を終えてようやく決行した計画だったんだがな……」

 

 この時期に重傷を負ったカズマ少年がアルカンレティアに湯治に来なければ。

 カズマ少年の仲間に女神アクアがいなければ。

 あなたとめぐみんがあのタイミングで老人の家にいなければ。

 彼は現在こうはなっていなかった筈だ。

 

 ハンスはひとえに運が悪かったのだろう。こればっかりはどうしようもない話である。

 

「なるほど、つまり諦めて潔く私達にフルボッコにされるって事ね?」

「馬鹿かお前は! こんな事になった以上、まどろっこしい真似は止めにするって事だ! こんなイカレた宗教は俺が直接この手で終わらせてやる! もう後悔しても遅いぞ!!」

 

 あなたとしては見慣れた、しかしこの世界においては尋常ではないアクシズ教徒達の熱気と信仰心に気圧され、苦し紛れの悪態を吐きながらハンスは後退し始める。

 

「何のために俺がこんな場所を隠れ家にしたと思っている! 俺はスライム! あれを全て取り込んで巨大化してしまえば貴様らはもう終わり――」

「カズマ、今です!」

「狙撃!!」

 

 カズマ少年の狙撃がハンスの両足の踵を射抜く。完璧にクリティカルしているあたり凄まじい精度だ。

 見たところダメージは皆無なようだが、それでも両足を射抜かれたハンスはバランスを失って盛大にずっこけた。

 というかわざわざ御丁寧に敵に自分の作戦をバラしていくなど、もしかしてハンスは馬鹿なのだろうか。

 

「くっ、良い腕だが、スライムの俺にこの程度で……」

「ソニックブレード!」

「サニー・サイド・アップ!」

「ターンアンデッド!」

「ライトニング!」

「花鳥風月!」

「狙撃狙撃狙撃!!」

「ザムデイン!!」

「ティンダー!!!」

「う、おおおおおおお!?」

 

 そして、アクシズ教徒としてはその一瞬で十分だったのだろう。

 カズマ少年の狙撃を皮切りに、宣言通りのアクシズ教徒達による数の暴力がハンスを襲った。幾つか宴会芸スキルのようなものが混じっていた気もするが。

 

 そして最初に足を集中攻撃された結果、避ける事は叶わず、数多の攻撃スキルがハンスに直撃していく。

 幾らハンスが魔法や物理に強いといっても多勢に無勢。雨霰と降り注ぐ攻撃の嵐が相手では如何ともしがたいようだ。流石に相手が悪いと言わざるを得ない。

 

 攻撃の余波で倉庫街にも被害が及んでいるが、誰も気にしていない。

 

「アハハハハ! いいわよやりなさいやりなさい、むしろハンスが余計な真似を出来ないように盛大にやりなさい!」

 

 むしろ女神アクアが率先して煽っているので更に攻撃の勢いが増している。

 

「神罰を食らえっ!」

「デートで温泉行ったら彼氏がぶっ倒れたんだけど!!」

「てめえのせいで商売あがったりだクソめ!!」

「しゃぶれよオラァ!!」

「コラテラルダメージ! これはコラテラルダメージだから!!」

 

 アクシズ教徒の怒号からは凄まじいまでの私怨が迸っていた。

 あれほど綺麗な水を毒で汚されたので彼らの怒りは当然だろう。

 

「これがアクシズ教徒か……普通に魔王軍よりタチ悪いんじゃね?」

「魔王軍すら近寄らないっていう理由がよく分かりました」

「めぐみん、宗教って怖いのね……」

「え、エリス教徒は違うからな? 頼むからそこだけは勘違いしないでほしい……」

 

 完全に暴徒と化し、目の色を変えて魔王軍の幹部を遠距離から袋叩きにするアクシズ教団に、カズマ少年達が戦慄いている。

 

「……帰るか? 俺が奢るから皆でどっかでパーっと美味いもんでも食って飲んで、その後温泉にゆっくり浸かって今日の事は全部忘れようぜ」

 

 カズマ少年の問いかけに、あなた達は無言で頷いた。

 この分ではあなたの出番は無さそうである。残念だがアクシズ教徒と女神アクアだけで終わりそうだ。

 

 踵を返して立ち去るあなた達だったが、永遠に続くかと思われた攻撃が唐突に止んだ。

 

「うわあ……なんか俺、ハンスが可哀想になってきたわ」

 

 振り返ってみれば完全に更地となった倉庫街の中心、最も攻撃が激しく行われていたその場所には、物言わぬぼろ雑巾と化しながらも辛うじて人型を保っているハンスと思わしき者の姿が。

 ぴくぴくと痙攣しているのでまだ息があるのだろう。驚きの生命力である。

 

「ぷーくすくす! いいザマねハンス! まだ息がある事は褒めてあげてもいいけど、これがアルカンレティアとアクシズ教団に手を出した報いよ!」

 

 女神アクアはノリノリである。

 どこからともなく杖を取り出し、自身の手で半死半生のハンスにトドメを刺すべく詠唱を始めた。

 やんややんやと周りで盛り上がるアクシズ教団に気を良くしたのか、女神アクアの調子は最早雲を突き抜けて天元突破だ。

 

「ここまで頑張ったアンタに免じて冥途の土産にいいものを見せてあげるわ! 地獄でお仲間に自慢するのね!!」

 

 

 

 

 嫌な予感がする。とても嫌な予感がする。

 先ほどまでのお気楽ムードから一転。顔を青くしたカズマ少年が呟いた。

 

「これでトドメよ! セイクリッド・クリエイトウォーター!!」

 

 天から降り注ぐ水の女神の大奇跡が、デッドリーポイズンスライムのハンスを押し潰した。

 

 

 

 

 

 

 水の女神の大魔法は本来であればあなた達を洗い流して余りある、凄まじい規模のものであった。

 にも関わらずあなたもアクシズ教徒も一切水に濡れてなどいない。

 

 洪水とも呼べる女神アクアの魔法は、その全てがハンスに直撃したのだ。

 そう、デッドリーポイズンスライムのハンスに。

 その後に待っていたのは、まさに奇跡のような光景であった。魔王軍幹部が女神の力を受けて再誕したとあなたが錯覚するほどに。

 

 

 

「こ、これは……なんと見事な! こんな立派なものは私も初めて見るぞ!」

 

 それを見てダクネスは歓喜に声を震わせ。

 

「でけえよおおおお!!」

 

 カズマ少年は悲鳴をあげ。

 

「おおおおおちおちおちおちちちち」

「あっばばっばばばばばばばばばば」

 

 紅魔族二名は盛大に錯乱し。

 

「総員退避ぃー!!!」

 

 脱兎の如くあなた達の方に駆け、泣き顔を晒しながら女神アクアが自身の信者達に向かって叫んだ。

 九割九分勝利が確定していたところで調子に乗ったせいで大惨事を引き起こしたにも関わらず、アクシズ教徒達は女神アクアに向かって満面の笑顔を向けてサムズアップを決めていた。

 誰一人として女神アクアに怒ってなどいない。それどころか拍手を贈っている者すらいる。

 

「やったぜ母ちゃん、今夜はステーキだ!」

「いいぞいいぞ、俺はこういう無茶が大好きだ!」

「こんな時でもお約束を忘れないだなんて、私一生ついていきます!!」

「いやあ、本当にいいもの見れたな。俺感激しちゃったよ」

「僕、今日の事は一生忘れません!」

 

 ハンスから逃げながらも笑いあう彼らは本当にその場のノリだけで生きている。

 実にイイ空気を吸っていると言わざるを得ないと、あなたも釣られて笑顔になった。

 

 一方で当の女神アクアはカズマ少年に盛大に叱られて泣き喚いていたわけだが。

 

「馬鹿! ほんっと馬鹿だろお前!! どうすんだよこれ!?」

「だって、だって皆に私のかっこいいとこ見せたかったのよおおおおおお!!!」

 

 目的自体は完璧に達成できているのではないだろうか。

 少なくともアクシズ教徒達は女神アクアの奇跡に等しい御業に感激して満足している。

 ただその結果として半死半生だったハンスが息を吹き返し、当初の作戦通り、あるいはそれ以上に巨大化したというだけの話だ。

 

「なんでよりにもよってスライムに水の魔法なんか使ったんだこの馬鹿! お前は脳みその代わりに水が詰まってんじゃねえのかこの馬鹿! アクシズ教徒といいお前といいほんと馬鹿ばっかだ!」

「馬鹿馬鹿言わないでよお! そりゃ私の魔法のせいでこんな事になっちゃったのは謝るけど、でも私だって良かれと思ってやったんだから! こんな事になるなんてこれっぽっちも思ってなかったんだからぁ!」

 

 ……そう、ハンスは女神アクアの水の魔法を吸収したのだ。

 聖水ならトドメになったのだろうが、女神アクアが使ったのはクリエイトウォーターの超強化版、つまりハンスに降り注いだのは何の力も篭っていない、ただの大量の綺麗な水だった。

 アンデッドが相手ならそれでも効果は抜群だったのだろうが、結果として、それを吸収したハンスはデストロイヤー並の身長の巨大スライムになった。

 

 これほどのサイズのスライムはノースティリスでもお目にかかったことが無い。ハンスが吸収した水量を思うとあなたですら背筋が凍る思いである。流石は水を司る女神がトドメに使うつもりだった固有魔法だと言わざるを得ない。

 あと以前カズマ少年が言っていた通り、女神アクアが調子に乗ってやる気になった時は確かにロクな事が起きない。女神エリスという幸運の女神を後輩に持っていて尚絶望的に低い幸運のステータスのせいだろうか。

 

「ど、どうしよう……ねえめぐみん、どうする? これって私の攻撃魔法効くのかな……ライトオブセイバーで少しずつ切っていけば……」

「私に聞かないでくださいよ。というかこれ、ハンスが水を吸収しなかったらそれはそれで大惨事になってたんじゃないんですかね」

 

 水のように透明な体をプルプルと震わせる、見た目だけなら綺麗で可愛らしいハンスをあなたと共に見上げながらめぐみんがそう口走った。

 

「ありえるな。幸いここら一帯はアクシズ教徒の攻撃で更地になっているが、普通に街の方にまで被害が行ってたんじゃないか? 少なくとも私達は水に押し流されていただろうな」

「とんだ破壊工作だなオイ。うんとかわあとか言ってみろよ戦犯」

「わあああああああああーっ!!」

 

 女神アクアの泣き声が雲一つ無い青空に響き渡った。



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第64話 とても大きくて柔らかいモノ

 アルカンレティア中から集まったアクシズ教徒の恨みやらその場のノリやらで集中砲火を浴び、数の暴力というベルディアが常日ごろ味わっている理不尽さ、そしてアクシズ教徒の恐ろしさを心身で存分に堪能したハンス。

 あっけなく瀕死に陥った彼だったが、肝心な場面で盛大にやらかした女神アクアの水の魔法を吸収して復活した。

 しかし透明な巨大スライムと化したハンスは今の所何かしらの行動を起こす様子は無く、凪いだ湖面のように静かに佇んでいる。

 

 この場に残ったあなた達に襲い掛かってくる事も無く、アルカンレティアに侵攻する様子も見せないので一時は恐慌に陥ったカズマ少年達も今はだいぶ落ち着きを取り戻し、巨大な置物といえるハンスを見上げていた。

 

「でけえ……確認のために一応聞いておくけど、あれってハンスだよな? 幾らなんでもでかすぎだろ」

「敵ながらなんと見事なスライムだ! 本当に惜しい! 毒さえ持っていなければ持って帰り、我が家のペットにしていたというのに!!」

「止めてやれよ。あんなもん実家に連れて帰ったら超迷惑だろうが」

「何を言ってるんだカズマ。持って帰るのは私達の屋敷に決まっているだろう?」

「お前はハンスに脳を溶かされたの?」

 

 あなたとしては目を輝かせてハンスを見上げるダクネスに全面的に同意したい。

 ベルディアにモンスターボールを使っていなかったらあなたは間違いなくハンスに使っていただろう。ただ彼はベルディアと違って明確に人類を敵視している様子だったので、神器のモンスターボールでは捕獲してもペットにし続けるのは難しいかもしれない。

 あとハンスの剥製を願ったら人間体と巨大スライムのどちらの剥製が手に入るのだろうか。無論両方とも欲しい所ではあるのだが。

 

「でも実際どうするんですかこれ。どういうわけか今は沈黙していますが、こんな大きなスライムが動き出したらアルカンレティアはあっという間に大変な事になりますよ」

「どうしよう!? カズマさんこれどうしよう!? 私こんな事になるとか予想してなかったんだけど!」

「俺が聞きてえよこんなもんの対処方法。今からでもウィズ呼んだ方がいいんじゃねえの?」

 

 ちらりと視線を投げかけてきたカズマ少年にあなたは首を横に振る。

 

 女神アクアの号令でアクシズ教徒が退避した結果、現在この場に残っているのはあなた達だけだ。

 しかし相手が同僚である魔王軍幹部である以上、身バレの可能性がゼロになったわけではないのだ。やはり許容出来ない。

 宿に行って話を聞くくらいならともかく、どうしても直接ウィズの助力を請いたいというのであれば自分を倒してからにしてもらおう。

 

「相変わらずウィズの事になると目が尋常じゃなくマジになるっつーか、それはハンスが超イージーモードなレベルで無理ゲーな気がする……じゃあめぐみんの爆裂魔法とかどうだ? デストロイヤーをぶっ飛ばした時みたいに、アレはこういうデカブツ相手にこそ輝くもんだろ」

「仮に仕留めても、衝撃で散り散りになったデッドリーポイズンスライムがアルカンレティアの広域に降り注ぐ事になりますよ。しかも野外ならともかく街中に。更に言うなら爆裂魔法以外の手段で普通に倒した場合でも形を失ったハンスが洪水みたいにアルカンレティアに押し寄せるでしょうね。アルカンレティアは街中に水路が張り巡らされているので、それを伝って……」

「止めてえ! 温泉どころかこの街自体が汚染されちゃうから! 温泉ならぬ汚染の都アルカンレティアとか呼ばれるようになっちゃうから!」

「アクシズ教徒はとっくに手遅れなレベルで汚染されまくってるけどな」

 

 カズマ少年の吐き捨てた言葉に無言を貫くあなたと抗議の声をあげる女神アクア以外が頷いた。

 この世界でも少数派(マイノリティ)は弾圧される運命にあるようだ。

 

「スライムは魔法に強いという特性があるので、幾らめぐみんの爆裂魔法でもアレだけのサイズを一発で完全に焼き尽くして消滅させるというのは……」

「物理無効、魔法も効果薄、触ったら即死、一回でも捕まったら溶かされて蘇生は不可能。挙句の果てに巨大化で倒せば辺りを汚染とかお前、完全に詰みじゃねーか。ハンスが動き出す前にアルカンレティアを捨てて逃げたほうがいいんじゃね?」

「わああああああーっ!! なんでそんな事言うの!? そこを小狡(こずる)い事考えて何とかするのがカズマさんの仕事でしょー!!」

「お、お前、小狡(こずる)いとか言うなよな! ……クッソ、分かったよ畜生、考えればいいんだろ考えれば。……つーかなんで俺はこんな厄介な大物を相手にしてんの? 楽しい温泉旅行はどこ行った。俺の運が良いって話は絶対何かの間違いだろ、常識的に考えて……」

 

 頭をガシガシと掻き、悪態をつきながらも逃げようとはしないカズマ少年。

 なんだかんだ言いつつも付き合いがいいと内心で笑いながらあなたは神器を抜いた。女神アクアは手を出すなと言っていたが、いい加減頃合だろう。

 気軽な足取りでハンスに向かって歩を進めるあなただったが、すぐに気付いたゆんゆんがあなたの腕を掴んだ。

 

「ど、どうするつもりですか?」

 

 どうもこうもない。ちょっとハンスを突っつきにいくだけである。別に殺しはしない。

 アクシズ教徒もいなくなってしまったし、あなたはそろそろ自分の出番が来てもいいのではないだろうかと思ったのだ。

 デストロイヤーといいハンスといい、殺し方を考えなければいけない相手、殺した後に処理が必要になる相手というのはどうにも厄介だ。

 だがそんな相手でもやりようはあるとあなたは思っている。

 

「幾らなんでも一人は無茶ですよ!? めぐみんも止めてー!!」

「好きにさせといたらどうです? どーせ何言っても聞きゃしないでしょうし。ウィズが説得すれば話は変わってくるんでしょうが……まあ何が起きても死にはしないでしょう。ゆんゆんは離れた方がいいですよ」

「諦めないでよ!?」

 

 確かにハンスは強敵である。

 いや、酸と毒は全く怖くないのだが、捕食からの窒息は極めて危険だ。

 餅による窒息死は餓死と並ぶ廃人を手軽に殺し得る手段の一つであり、今のハンスは見るからにぷるぷるもちもちしていて喉に詰まりそうだ。

 

「あなたに何かあったらウィズさんも私も悲しみます! それに仮に倒せたとしてもさっきめぐみんが言ったとおり、スライムで街が汚染されちゃいますから!」

 

 ゆんゆんは心配性すぎる。あなたはそこまで貧弱ではない。

 あなたはただ一口だけでいいのでハンスを味見したいと思っているだけだ。

 

「味見!? もしかして今味見って言いました!?」

 

 あなたはハンスの味が気になるのだ。

 ゼリーのようで美味しそうではないか。食べたらどんな味がするのだろう。どんな喉越しなのだろう。

 先っちょだけ、先っちょを切って齧るだけなので許してほしい。

 

「止めてください! 危ないですから本当に止めてください! 確かに綺麗ですけど相手はデッドリーポイズンスライムですからね!? あなたが飲んだ温泉で希釈された毒とはワケが違いますからね!?」

 

 必死で縋りつくゆんゆんを引き摺りながら、沢山の水で希釈されているのは今も同じではないかとあなたは反論する。

 先ほどまでのハンスは身長180センチメートルの成人男性ほどの体積しかなかったが、多量の水を吸った現在の体積は縦横数十メートルにも及ぶ。

 となれば、毒もそれ相応に薄まっている筈だ。

 

「そ……そうかもしれませんけど! 確かにそうかもしれませんけど! ……もしそうならほとんど水の味しかしませんよ!?」

 

 ゆんゆんの叫びにあなたははたと立ち止まった。

 確かに彼女の言うとおり、水にところてんスライムと毒を混ぜればハンスを再現出来そうだ。

 

「私そんな事一言も言ってないんですけど!?」

 

 あなたの背中をぽかぽか叩きながら元気に抗議の声をあげるゆんゆんを引き摺りながらあなたは話し合いを続けるカズマ少年達の元に戻る。

 

「毒が薄まってるなら普通に倒して街に流しちゃっていいんじゃね? 倒すだけならどうにでもなりそうだし。爆裂魔法でぶちまけても雨みたいなもんだろ」

「どこぞの頭のおかしいのは普通に飲んでましたし食べようとしてましたが、温泉で薄まったハンスの体の一部でも一般人が死ぬレベルだったんですよ? 私は止めた方がいいと思いますけどね」

「ならばもう一度アクアにさっきの魔法を使ってもらい、形を保っていられなくなるまで、あるいは安全な濃度になるまでハンスと毒を希釈するというのは……いや、駄目か。どちらにせよスライムという器を失った結果、大量の水で街は洪水になるな」

「やっとこさウィズの店の借金を返済し終えて左団扇だってのに、また借金まみれとか死んでも嫌だぞ俺は……そっちもなんか無いのか? なんかこう、爆裂魔法みたいな凄い攻撃は」

 

 あなたはあったらデストロイヤー戦で使っていると答えた。

 

「だよなあ……」

 

 カズマ少年にはこう答えたが、実の所、あなたはハンスを有無を言わさず焼き尽くして消し飛ばす広範囲の攻撃方法を持っている。

 ハンスの耐久力次第だが、メテオと四次元ポケットに眠っている核爆弾を数百発ほどぶち込めば蒸発する筈だ。

 しかしあれらは爆裂魔法以上に無差別かつ広範囲の攻撃なので、アルカンレティアは確実に灰塵に帰す事になるだろう。

 人間は避難すれば助かるが、賠償金や討伐後の復興の事を考えるとあまりオススメは出来ない。

 あるいはテレポートでハンスをどこか……例えば海や火口、あるいは汚染しても大丈夫な場所に飛ばせば話は早いのだが、この世界のテレポートには人数および重量制限が存在する。都合よく何でもかんでもぶっ飛ばす事は出来ない。

 

 

 

「何にせよ死ぬと崩れるってのが一番の問題だよな。何とかして小さく出来ないのか? 例えばこう……氷魔法で端っこから少しずつ凍らせて削るとかしてさ」

「わ、私の魔力だととてもアレを全部凍らせるには足りないかと……」

 

 あなたの上級魔法でもハンスを体の芯まで凍らせるにはどれだけの時間がかかるか分かったものではない。クリエイトウォーターやテレポートと違い、あなたは攻撃魔法はそこまで熱心に育てていないのだ。

 

 ハンスが魔法を無効化しない以上、愛剣を抜いてノースティリスの魔法を使えば凍らせるのは余裕だろうが、それでもハンスの巨体全てを凍らせるには効果範囲が足りない。そして恐らくそのままハンスは死ぬ。

 あなたとしては身バレは構わないのだが、結局全体が凍る前に洪水が発生すると思われる。

 

「氷ですか……一応相手は液体ですしいいかもしれませんね。私と組んでカエル斬った時に使ってたあれはどうですか?」

 

 めぐみんが言っているのは氷属性付与(エンチャント・アイス)の事だろう。

 斬った相手を凍らせる魔法剣だ。

 

「魔法剣か……試してみる価値はあるかもな」

「だがバラしたハンスの欠片はどうする? 毒耐性スキルを持っている私であれば、恐らく持っても平気だろうが……流石に私達だけで処理するには量が多すぎるぞ」

「アクアとかダクネスとかの毒が大丈夫そうなの、あとアクシズ教徒の連中に安全な場所まで運ばせる方向で行こう。毒があってもあいつらなら大丈夫だろ?」

「カズマはアクシズ教徒を何だと思ってるの!? あんなにいい子達なのに!!」

 

 この後作戦を煮詰めた結果、あなたが魔法剣とみねうちでハンスを死なない程度に削っていき、ゆんゆんが氷結を維持し、アルカンレティアから離れた場所に移動させたハンスの欠片をめぐみんが爆裂魔法で消し飛ばし、残った欠片を女神アクアが浄化する。そういう作戦になった。

 趣味で習得していただけのスキルが輝く日が来るとは全くの予想外である。

 

 

 

 

 

 

「いやはや、遠目でも目立っていましたが、こうして近くで見ると実に壮観ですなあ」

 

 風を浴びてぷるぷると震えるハンスを見上げ、どこまでものん気な声を放ったのは、アクシズ教団の最高責任者であるゼスタだ。

 解体したハンスを運ぶ人手が必要という事で女神アクアとめぐみんが渡りをつけた結果、現在では三桁を優に超える数のアクシズ教徒達が倉庫街に戻ってきている。

 

「呼んだのは私ですが、また随分と戻ってきましたね」

「お美しい青髪を持ったアクシズ教徒のアークプリーストの方、そして名誉アクシズ教徒候補筆頭のめぐみんさんの頼みとあれば、どこからでも我々は駆けつけますとも」

「止めてください。人にそんな称号をつけるのは本当に止めてください」

 

 本気で嫌そうなめぐみんにニコニコと笑うゼスタはまったく堪えた様子が無い。

 

「本当であれば全員が来たがっていたのですが、それではかえって邪魔になってしまいますからな。この場には厳選に厳選を重ねたアクシズ教徒だけが集っています」

「つまりここにはあなたを筆頭に特別アレな連中が揃っていると」

「はっはっは。敬虔な信徒と言ってもらいたいものですな」

 

 毒を吐くめぐみんにも狂信者は鷹揚に笑う。

 信奉する女神がすぐそばにいるのだから今の彼は無敵状態なのだろう。

 

「ところであのスライムを見てくれ。あいつをどう思う?」

「すごく……大きいです……」

 

 ふと、あなたの鋭い聴覚が若干離れた場所でアクシズ教徒の男達が何かを囁きあっているのを聞き取った。

 声の方向に目を向けてみれば、そこには青い作業服を着た体格のいい野生的な男と、男とピッタリと肩を寄せ合う華奢な青年の姿が。

 幸いな事にあなた以外は誰も気付いていないようだ。男娼という名の古傷を刺激されたあなたは頭痛を覚えながらも睦まじく体をまさぐりあう二人を見なかった事にした。

 

 

 

 さて、アルカンレティア存続の危機という非常事態になっても落ち着き払っているどころか実にいつも通りなアクシズ教徒達だが、やはり中でもゼスタは別格だ。

 あなたが感じ取れる彼我の戦闘力の差は歴然。戦えば確実にあなたが勝つだろう。しかしこれはそういう話ではないのだ。

 ノースティリスの友人を髣髴とさせる、彼の身に秘められた信仰の深さに、いっそ郷愁すら覚えたあなたの口元が弧を描く。

 

「…………ほう」

 

 時におぞましいとすら形容されるその笑みを向けられたゼスタもまた瞬時にあなたという同類(狂信者)の存在の本質を理解したのか、興味深そうに目を細めた。

 

「どうやら我々とは抱く信仰を異にしている方のようですが、中々どうして。あなたのような人間もいる所にはいるものですな」

 

 それはお互い様である。あなたはこの平和な異世界で彼のような者に会えるとは思わなかった。

 あなたはゼスタが感慨深げに差し出してきた右手を掴み、握手を交わす。

 片や癒しの女神の筆頭信徒。片やアクシズ教団の最高責任者。

 立場や信仰を抱く神は違えども、あなた達の間に言葉はいらなかった。

 

「うわ……何分かり合ってるんですか、いい年こいた男同士が気持ち悪い」

「なんですかめぐみんさん、気持ち悪いとは失礼な。私はこれから彼とプラトニックでセクシャルでアダルティな関係を築く予定なのですが」

 

 あなたはじんわりと嫌な熱を帯び始めたゼスタの手を無理矢理振りほどいた。

 性癖の坩堝であるノースティリスの冒険者であるあなたは友人の存在もあって同性愛にはそれなりに寛容だし理解もあるつもりだが、最低でも性転換してから出直してきてほしい。

 

「改めて思うけどさ。アクシズ教徒ってなんかもう……上から下までどうしようもないくらいにアレだよな」

「何よ。日本ではよくある事でしょ?」

「ねーよ。あってたまるか。法治国家舐めんな」

「このクソニート、アンタまさかアクシズ教徒が無法者だっての!?」

 

 アクシズ教徒はノースティリスの冒険者に近い。

 ノースティリスの冒険者と近いのであれば自然と無法者という事になるのだが、彼らを愛している女神アクアの手前あなたは黙っておいた。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなでハンスの解体作業に入る事になったわけだが。

 アクシズ教徒の増援にはあなたと同じく氷属性付与(エンチャント・アイス)が使える魔法戦士やエレメンタルナイトもいたが、安全確認を兼ねてまずはあなたが最初にハンスに近付いていく。

 

「き、気をつけてくださいねー!」

 

 あなたがゆんゆんの声援に手を振って応答すると、彼女は周囲のアクシズ教徒からニヤニヤとした視線を浴びた挙句ヒューヒューと冷やかされ、真っ赤な顔を両手で覆って蹲ってしまった。思春期丸出しで実に微笑ましい。

 自分にもあんな時期があっただろうかと遠い過去に思いを馳せるも、どれだけ記憶を辿っても碌な思い出が無かったのであなたは誰に向けるものでもない呪詛を吐く前にそれ以上考えるのを止めた。

 

 

 

 しかし半ば予想出来ていた事だが、今この瞬間もハンスは鎮座したままぴくりとも動こうともしない。神器を抜いたあなたが目の前に立っているにも関わらずだ。

 

 想像を絶する巨体ゆえあなたが眼中に入っていない可能性も捨てきれないが、人間の姿を捨てたハンスは、最早自我や知能どころか本能すら殆ど残っていないのではないだろうか。

 言葉も発せないくらいに弱っていた所にあれだけの魔法をぶち込まれて存在を希釈されてしまったのだから、その可能性は高そうである。

 せめて本能だけでも残っていれば、食欲のままに周囲の物を食らい尽くすべくアルカンレティアに侵攻してかなりの脅威になったのだろうが。

 

 そんな事を考えながらあなたは神器に氷の魔力を纏わせ、ハンスの透明な巨体に刃を滑らせる。

 一切の抵抗無く刃を受け入れたスライムの体はさながら水の如く。

 

 あまりの手ごたえの無さにこれは切れていないのではないかと考えるあなただったが、あなたが刀を振り抜いた直後、ずるり、とずれ始めたハンスの一部を見てすぐに考えを改める。

 神器によるあなたの攻撃により、物理攻撃が効かない筈のその体は音も無く綺麗に切断され、30センチほどのハンスの体の切れ端がゴトリと鈍い音を立てて地面に落ちた。

 あまり大きく切ると運ぶのが大変そうなのでかなり小さめに切ったし、断面はまるで何事も無かったかのように元通りになっているが、こうして分割している以上ほんの少しとはいえスライムの体積を削れた筈だ。

 

 そしてダメージを与えてもハンスの反応は無い。

 完全に置物かと思いつつ落ちたそれをなんとなく拾いあげてみると、ハンスの欠片は冷たく、そして硬く凍り付いていた。

 これならば暫く溶ける事は無いだろう。

 安心しながら欠片を後方に投げ捨てれば即座にアクシズ教徒が回収していった。

 

「スライムには物理攻撃効かないとかいう話なのに滅茶苦茶アッサリ斬ったな。魔法剣だからか?」

「仮にもこの私を差し置いてアクセルのエースと呼ばれてるくらいなんですから、あれくらいはやってもらわないと困りますがね」

「カズマも何か手伝ったら? アンタ折角日本刀もどき持ってるんだし、ポイント余ってるなら属性付与(エンチャント)スキル覚えれば溶けかけたスライム凍らせられるでしょ?」

「前にも言った気がするけどエンチャントはダクネスがなあ……まあいいか。魔法剣ってあると便利そうだし。何より日本刀に魔法剣って和洋折衷でかっこいいし」

「か、カズマ……ついに雷属性付与(エンチャント・サンダー)を取ってくれるのか? 私のために?」

「お前にだけは絶対に使わないから安心しろ」

 

 

 

 こうして解体作業が始まったわけだが、相手は名高き魔王軍幹部、デッドリーポイズンスライムのハンス。

 袋叩きにあった末に自我や本能を失ってもそう簡単に終わるわけにはいかないと相手が思っているかは定かではないが、解体を始めて早々に厄介な問題が浮かび上がった。

 

「なんだこの軟らかくて硬いの。剣は簡単に刺さるけど斬れないって何事だよ」

「しかも刺すだけじゃすぐ傷口が再生しちゃって全然凍らないのよね……」

「あの人どうやってこれ斬ってんの? めっちゃスパスパ斬ってるんだけど。俺らの場所が悪いとか?」

「ぎゃああああ! 斬るには斬れたけど俺の剣が腐食してる!? これ聖銀製でくっそ高かったのに!!」

「くっ、ガッツが足りない! もしくは俺に信仰心が足りてないのか!? まさかエリス像と肖像画の胸に邪な思いを抱いたせいか!?」

有罪(ギルティ)

有罪(ギルティ)

 

 とまあこのように、あなた以外どの魔法戦士も誰一人としてハンスの体に有効打を与える事が出来なかったのだ。

 正確に言えばあなたの持つ武器以外、誰の武器もハンスをまともに傷つける事が出来なかった。

 

 あなたの使う武器は斬鉄剣と引き換えに冬将軍から譲り受けた強力な神器だ。

 切れ味は言うに及ばず、耐酸性も完備している。

 あなたにはもう一本、愛剣という確実にハンスに通じる武器があるが、神器を含め他の者に使わせる気が無い以上、結局解体作業はあなた一人で行う事になった。

 

 

 

「少しずつだけど小さくなってる気がするな。でもなんか目が死んでね? さっきから何も言わないし、完全に作業でやってる感じだぞ」

「無理も無い。たった一人であれだけの巨体を削るという終わりが見えない作業に従事しているのだからな。代われるものならば私が代わりたいが」

「アルカンレティアの為に頑張ってくれてるんだし、せめて応援くらいしましょうか。……ブレッシング!」

「幸運強化してどうするんですか。私にはむしろイキイキしてるように見えますけどね。少しずつ削るスピードも上がってますし」

 

 切って、切って、切り続け、あなたは無心でハンスを削る。

 サイズ差を鑑みれば玄武を採掘した時のような光景だが、それ以上に終わりの見えないスライムの山は分裂モンスターをサンドバッグに吊るして無限に狩り続ける狩りを嫌でも思い出さずにはいられない。

 あなたとしては実に慣れ親しんだ行為であるしこれはこれで楽しいのだが、必然的にあなたの心は空っぽになる。空っぽにしないと数ヶ月ぶっ続けで飲まず食わず休まずの単純作業などやっていられない。

 まあハンスには明確な終わりは存在するのだが。それも遠くないうちに。

 

 

 

 

 

 

 ……そして、ハンスに剣を振るい続けてどれほどの時間が経過しただろうか。

 

 ふと空っぽだったあなたの心が色を取り戻した。

 あれほど大きかったスライムが縦横三メートル程度の大きさになった頃、突然ハンスがそれ以上斬れなくなったのだ。どれだけ切り付けても剣は軟体に弾かれてしまう。

 初めての感触にあなたは眉を顰める。あなたはまだまだ元気だし、神器に異常が発生したわけでもない。これはどういう事なのだろう。防御行動だろうか。

 

「いやはや、お疲れ様です。あのハンスをたった一人で解体してしまうとは、流石は頭のおかしいエレメンタルナイトといったところでしょうか」

 

 サンドバッグのようにハンスを殴り続けるあなたの元に、ゼスタが胡散臭い笑顔を浮かべて近付いてきた。

 最早異名については何も言うまい。

 何の前触れも無く破壊不可能になったハンスに何が起きているのか、現状を理解しているのであれば説明が欲しいのだが。

 

「何、簡単な話です。薄められた彼にとってはこれ以上削られてしまえばスライムとしての形すら保てないのでしょう。つまり今のハンスは死ぬ一歩手前という事ですな」

 

 なるほど、とあなたは納得する。

 あなたはずっとみねうちと魔法剣を使ってハンスを削ってきた。

 巨大スライムが相手だったのでザクザク斬っていたが、これが人間が相手だった場合は肉を足先からヤスリで少しずつ削っていく拷問に等しい行為だっただろう。しかしそれもここが限界という事だ。

 

 試しにあなたがみねうちを使わずにハンスを十文字に切ってみると、氷像と化した魔王軍幹部であるデッドリーポイズンスライムはその身を綺麗に四分割させて凍りついた。そこそこ大きいが、それでも運べないサイズではないだろう。

 

「お見事。後は吹っ飛ばして浄化するだけですな」

 

 浄化は女神アクアが単独で行う事になっている。

 ゼスタは女神アクアと同じくアークプリーストであり、アクシズ教徒は多数のプリーストを抱えている。ハンスの欠片を浄化出来ないのだろうか。

 

「……ここだけの話、魔王軍幹部ハンスの破片の浄化となれば、腕の良いアークプリーストが大勢集まり、数ヶ月かければなんとかなるかどうか、といったところでしょう。今のハンスはアクア様のお力でだいぶ希釈されていますので、我々でも数週間あれば何とかなるでしょうが」

 

 その言葉にあなたは離れた場所にいる女神アクアに目を向ける。

 アクシズ教団の最高責任者すら遠く及ばない、リッチーや大悪魔にすら通じる規格外の浄化の力を持つ水の女神はうららかな春の日差しを浴びて鼻提灯を浮かべながら幸せそうに昼寝していた。

 どうにも締まらない。

 

「おお、なんと神々しい御姿……いと尊き寝顔に後光が射しておられますアクア様……! ありがたやありがたや……」

 

 まるで空き巣に襲い掛かるのではなくじゃれつく番犬、もとい駄犬の如き緩みに緩みきった顔だが、ゼスタを始め遠巻きにアクシズ教徒が拝んでいた。異様な光景である。

 嬉々として女神アクアを絵画に残している者までいるが、信者としてこれは当然の行為だろう。

 かくいうあなたも願いで降臨した癒しの女神の寝顔を跪いて拝んだ事がある。その際発していたむにゃむにゃ、おなかいっぱい……という女神のベタベタな寝言を聞いて信仰が凄まじく深まった事と寝顔を絵画に残した件については墓まで持って行くつもりだ。互いの為に。

 

 

 

 思う存分剣を振るって満足したあなたはゼスタと別れ女神アクア達が陣取っている一角に足を運ぶ。

 この場に残っているのはカズマ少年と女神アクアとめぐみんだけで、回収作業に勤しんでいるダクネスと他の魔法使いと共にハンスが解凍しないように頑張っているゆんゆんの姿は無い。

 ゆんゆんと共にアルカンレティアから離れた平原で冷凍作業をする筈だったカズマ少年が残っている理由はハンスが刀を腐食させると知るや即座に待機を選んだからだ。待機というか女神アクアの隣で横になって眠っているが。

 折角慰安旅行にやってきたというのにこのような騒ぎに巻き込まれて疲れているのだろう。

 

「お疲れ様です。結局一秒も休まずにやってましたね。そんなにハンスの解体が楽しかったんですか?」

 

 めぐみんの労いの言葉はずっとあなたの解体作業を見ていたような口ぶりだった。

 あまり長く見ていて楽しいものではなかったと思うのだが。

 

「私は最後までやる事も無くて退屈でしたし、カズマやアクアみたいに寝る気にもなれませんでしたし。でもあんなに大きな物が少しずつ小さくなっていくのを見るのは結構楽しかったですよ? 勿論私の爆裂魔法ならもっと早く壊せますがね」

 

 ドヤ顔を浮かべるめぐみんをはいはい可愛い可愛いと適当にあしらう。

 増援が機能しないという予想外のアクシデントで若干時間はかかったが、あなたの役割は無事に終わり、後はめぐみんと女神アクアの仕事だ。

 

「カズマ、アクア、起きてください。解体が終わりましたよ。移動しましょう」

 

 仲良く熟睡する二人の頭を杖で小突くめぐみん。

 コンコン、がゴッ、とかガッ、という鈍い音になりそうな段階になって二人はようやく起床した。

 痛くないのだろうか。

 

「……んあ?」

「ふあぁ……何、やっと私の出番?」

 

 女神アクアが思いっきり伸びをすると同時に、ダクネスやウィズほどではないが、それでも確かに膨らみを主張する双丘がハッキリと揺れる。

 

「くっ、やはり膨大な魔力の循環が身体に影響を……この分では健康状態も関係していそうですね。ゆんゆんと違って私の家は貧乏でしたし……母は遺伝だから諦めろとか言ってましたが私は信じませんよ、ええ、決して信じませんとも……!」

「うん、なんか調子もいいし、ちゃちゃっと浄化しちゃいましょうか!」

 

 暗い顔でブツブツと呪詛を吐き始めた発育の悪い少女はともかく、女神アクアは寝顔と今の胸部装甲の運動エネルギーで信仰パワーが溜まったらしい。

 女神という超越存在なだけあって、その生態は定命の者には到底及びも付かない謎と神秘に満ちている。

 

 

 ……そしてこの後、バラバラになったハンスはその体の大半をめぐみんに爆裂魔法で消し飛ばされ、残った残骸も信仰パワーの高まった女神アクアの本気の浄化により高純度の聖水、つまり綺麗なハンスに生まれ変わった。

 魔王軍幹部として恐れられたデッドリーポイズンスライムの、あまりにも呆気ない幕切れである。

 

 

 

 

 

 

 かくしてアクシズ教徒とカズマ少年達の活躍により魔王軍幹部は見事に退治されたわけだが、まだ終わりではない。

 あなたとしてはむしろここからが本番である。

 

 魔王軍の暗躍を防ぎ、アルカンレティアの危機を救った英雄という事でカズマ少年達は現在アクシズ教徒達と共に飲めや歌えの大騒ぎに精を出している。

 そんな中あなたとゆんゆんは彼らと別れ、宿で待機していたウィズと再会していた。

 

 最初はあなた達が無事に帰ってきた事に喜んだウィズだが、すぐにゆんゆんが自分を見る様子がおかしい事に気付く。

 

「えっと……どうしたんです?」

「…………」

 

 硬い表情のゆんゆんに間が持たないのかウィズがおろおろと縋るようにあなたを見てきたので、あなたはウィズを引っ張ってひそひそ話を開始した。

 

 ウィズは強大な力を持っているにも関わらず、アルカンレティアの危機に手を出さなかった理由をゆんゆんは知りたがっている。

 あるいはアルカンレティアに隔意を抱いているのではないか、と。

 

「う、やっぱりそうなっちゃいますよね……」

 

 ウィズの正体がハンスを通じて不特定多数の人間に露見する事を恐れ、彼女を宿に押し留めたのはあなたの判断だが、ゆんゆんは他にも女神ウォルバクという魔王軍幹部と通じている。

 この先も同じような事が無いとは言い切れない以上、これはいい機会なのではないだろうか。

 ゆんゆんはウィズの愛弟子であり、ゆんゆんもまたウィズを深く慕っている。

 彼女やあなたが恐れている最悪の事態にはならない筈だ。

 

「ううっ……」

 

 ウィズは今まで引っ張りすぎた結果、逆に話せなくなってしまっていると思われる。

 どうしてもというなら自分が話すが、というあなたの提案をウィズはやんわりと拒否した。

 

「……いえ、それには及びません」

 

 暫し黙ったまま俯いていたウィズだが、いよいよ年貢の納め時だと思ったのだろう。

 やがて決心したように顔を上げてゆんゆんに向き直った。

 

「ゆんゆんさん」

「は、はい!」

「いきなりこんな事を言われて困ると思うのですが……」

 

 魔王軍の幹部にしてリッチーである彼女は、重々しく口を開く。

 

「……私は、人間ではありません」

 

 

 

 

 

 

「……以上です。ゆんゆんさん、ずっと黙っていて、本当に申し訳ありませんでした」

 

 あなたを被験者に幾つかのリッチースキルの実演と共に自身の正体を説明し終え、ゆんゆんに深く頭を下げるウィズ。

 あなたの目にはまるで彼女がギロチンに首を差し出す罪人のように見える。

 真実を知ったゆんゆんがウィズを拒絶した時は仕方ない。

 非常に残念だがその時はその時だ。

 

「…………ウィズさん、頭を上げてください」

 

 顔を上げたウィズは今にも泣き出しそうだった。

 重苦しい雰囲気が部屋中に満ちる中、やがて、ゆんゆんは訥々と語り始める。

 

「……皆、何も言わなかったけど。実は私、なんとなく、そうなんじゃないかなってずっと思ってたんです」

 

 静かに、諦観すら含んだ笑みを浮かべながら。

 

「だって、紅魔族の私でも信じられないくらい強いし、私の名前を聞いても笑わなかったし、ちょっと私達とはズレてる所があるし、時々凄い無茶な事を言ったりしたりするし」

 

 確かにウィズは天然な部分がある。

 だがそれを差し引いても十分上手くやっていたと思っていたのだが、ご近所付き合い程度ならともかく、深く付き合えばやはり違和感を抱いてしまうものだったのだろうか。あるいはあなたが異邦人故に気付かなかっただけなのか。 

 

「……やっぱり、あなた()人間じゃなかったんですね?」

 

 ゆんゆんは、胸のつかえが取れた表情でそう言った。

 確認の形を取っているが、それは自身の言葉を確信していると誰もが理解出来る声色でハッキリと。

 

「…………はい?」

 

 ウィズが不思議そうな声色で相槌を打つ。かくいうあなたも全く同じ気分だ。

 今、ゆんゆんは確かにあなたも、と言った。あなたは、でなくあなたも、と。

 そして気のせいでなければ、ゆんゆんはウィズではなくあなたに言ったように思えた。というか現在進行形であなたと完全に目が合っている。

 繰り返すが、ゆんゆんはウィズではなく、あなたと目が合っている。

 

 あなた達が自分を見る目と雰囲気がおかしくなった事を悟ったのか、ゆんゆんは再度問いかけてきた。

 

「え? だってウィズさんはリッチーなんですよね? 魔王軍幹部なんですよね?」

「は、はい……そうです」

「ならこの人だって人間じゃないって事ですよね? ウィズさんと同じ魔王軍の幹部、むしろ魔王本人とか邪神とかだったりしないとおかしい筈ですよね?」

「はい……はい? えっ?」

 

 いや、その理屈はおかしい。すこぶるおかしい。どう考えてもおかしい。

 どんな異次元の論理展開を行ったらそのようなぶっ飛んだ結論に到達するのだろう。邪神はゆんゆんやめぐみんと懇意にしている女神ウォルバクの方だ。

 

「え? えっ?」

 

 まさか、え、でもそういえば……そうかも……みたいな目であなたを見てきたウィズに首を横に振って答える。そんなわけがない。

 拳を握って小さくガッツポーズされてもあなたは反応に困るだけだ。

 しかも本人にガッツポーズをしている自覚が無さそうなのがなんともはや。

 

「あれっ?」

 

 愛弟子の答えに困惑しているウィズとお前は何を言ってるんだと呆れるあなたに、頭上に疑問符を浮かべるゆんゆん。

 とりあえずあなたは間違いなく人間だ。後で嘘発見器にかけてもらっても構わないと主張しておく。

 ついでに言っておくと、ウィズのように魔王軍幹部でもない。勿論魔王本人でも邪神でもない。

 幹部と親交があるだけの普通の人間の冒険者だ。

 

 この世界とは別の世界からやってきた、という枕言葉はつくのだが、それでもあなたは普通の人間だ。

 

「…………えええええええええっ!? 異世界!? そ、そうだったんですか!?」

 

 あなたの言葉にゆんゆんは目を見開き、猫が飛び上がらんばかりの絶叫を発した。

 彼女の驚愕は一分の隙も無い程に正しいものなのだが、肝心の驚愕のタイミングがどう考えても間違っているように思えるのはあなたの気のせいではないだろう。

 何故に自分が人間である事が判明した時にこのような反応が返ってくるのか。これはウィズが人間でない事を告白した時に返ってきて然るべき反応ではないのか。そこまで異世界人の存在は彼女を驚愕させるに足る要素だったのだろうか。

 

「ほ、本当ですか!? 異世界云々はともかく、本当に普通の人間だったんですか!?」

 

 大胆にもあなたの体をペタペタと触り始めたゆんゆんに、彼女は触診で他者の正体が分かるのだろうかとあなたは現実逃避気味に考える。

 大体にして、ゆんゆんは()()()()と言っていた。

 それはつまり、彼女は以前からあなたが人間ではないのではないかと疑っていたという事だ。

 

 どんな経緯の果てにゆんゆんがこのような認識を持つに至ったのかが分からない。ノースティリスで数多の冒険の果てに世界の謎を解き明かしてきたあなたであっても全く分からない。

 あなたは弛まぬ修練の果てに手に入れた、無駄に高い戦闘力からバケモノ扱いされた事は一度や二度では無いが、非人間扱いされるというのはあまり無い経験だ。

 それはノースティリスでも変わらない。むしろノースティリスでは人間か非人間かなど誰も気にしていない。ただしかたつむりは清掃員に塩を投げられる。

 

「うええぇええええ……えええええ……? え、人間? ニンゲン? にんげんって何ですか? あなたの心と体は何で出来てるんですか!? あ、分かりました! 異世界の人っていう事はやっぱりあなたは私の知ってる人間とは違う人間って事ですよね!?」

 

 こやつめ、ハハハ。

 海より深い慈悲の心を持っていると評判のあなたであっても最早我慢の限界である。謂れの無い誹謗中傷に手を出さざるを得ない。

 現実を受け止めきれずに錯乱しているのか、壊れた蓄音機のようにニンゲンを連呼するゆんゆんの脳天にあなたは明るく笑いながらチョップを決める。

 しかし本気でやるとゆんゆんの頭が赤とピンク色の花を咲かせてしまうので十分に手加減して、右斜め45度から。壊れたものを直す時はこうするといつだって相場が決まっているのだ。

 

「……ハッ、殺気!?」

 

 回避などさせるものか。

 鍛錬であなたと幾度も近接格闘戦を行ってきた故か、あなたの不穏な気配を鋭く察知してきたゆんゆん。

 だがあなたとて歴戦の冒険者だ。心眼を使うまでもなく脳天に直撃である。

 賢い紅魔族だけあって脳が詰まっているのか、ゆんゆんの頭からは鈍い音がした。

 

「あうあうあううううう!? ごめんなさいごめんなさい!! 違うんです、つい前から思っていた事が口からぽろっと! だって仕方ないじゃないですか!? 誰だってそう思いますよ!? 今日だってデッドリーポイズンスライムを食べてみたいとか言い出すし! 紅魔族だってそんな無茶な事言いませんよ!?」

 

 あれだけ本音を炸裂させておいて違うもついも無いだろうと思うも、頭を押さえて涙目で悶絶するゆんゆんを見ていると若干だが溜飲が下がった。

 子供の、しかも女の子相手に大人気ないと呆れられそうな光景だが、ひとでなし扱いされたのだからこれくらいはやっても許される筈だとあなたは一瞬で自己弁護を終える。

 

「私の正体を知った時の百倍は驚いていた気がするのは私の気のせいでしょうか……? それにあなたは何をやってるんですか。ゆんゆんさんが言っていたのってハンスさんの事ですよね?」

 

 呆れとも安堵ともつかない微妙な表情であなたとゆんゆんを見やるウィズ。

 

「……すみません。私、こんな時どんな顔をすればいいのか分からないんです」

 

 笑えばいいのではないだろうか。

 

「乾いた笑いしか出ないんですけど。というかあなたはアッサリ自分が異世界人だって打ち明けちゃいましたね。本当に良かったんですか?」

 

 ウィズにだけ正体を明かさせておいて自分はだんまりを決め込むというのは筋が通らないだろう。

 それにあなたは自身の正体について話す理由が無いから話していなかっただけで隠していたわけではないし、今の所人類に敵対しているわけでもないので知られても困らない。

 

 あなたと軽いやり取りをして少しだけ気が軽くなったのか、ゆんゆんはウィズに声をかけた。

 

「あの、ウィズさん」

「は、はい!! なんでしょう!?」

「話してくれてありがとうございました」

「……そ、それだけですか? もっとこう、思った事を言ってくださってもいいんですよ?」

 

 やけにネガティブになっているウィズを安心させるように、リッチーの弟子は優しく笑う。

 それはとても目の前の師匠によく似た笑い方だった。

 

「えっと……私はこんなだから難しい事は言えないですけど……ウィズさんはリッチーでもいい人で、優しくて素敵な人だって私は知ってます。だから例えウィズさんが魔王軍幹部でもリッチーでも、ウィズさんはウィズさんで、私の大切なお友達だという事に変わりは無いと思うんです」

「ゆ、ゆんゆんさん……!」

「わぷっ……」

 

 優しい、そして温かい宣言に感極まってゆんゆんの頭を胸に掻き抱くウィズ。

 やはり身近な人間に自身の正体を話すというのは相当な緊張を強いるものだったのか、彼女の目尻には透明の雫が浮かんでいる。

 

 ウィズの告白は収まるところに収まったというか、結果だけ言えば大方あなたの予想通りの流れで終わったわけだが、ともあれ、ウィズの心の安寧が守られたのであればあなたとしては万々歳だ。

 ゆんゆんのぼっちっぷりとめぐみん曰く紅魔族の中で浮いていたという気質(マトモさ)からまずそんな事は無いだろうと思っていたが、ウィズを拒絶してバケモノ、あるいは人類の敵呼ばわりしたゆんゆんが()()()()()()()()()()()()()という痛ましい事件が起きなくて本当に良かった。

 友人にして愛弟子に不幸があればきっとウィズは悲しむだろう。

 

 

 ただその代償として、実はゆんゆんに人外ではないのだろうかと疑われていた事が発覚したあなたの心に若干腑に落ちないものが残ったわけだが。

 とんだ流れ弾を食らった気分である。

 

 

 強く抱きしめられ続けている結果、ウィズのぷるぷるでもちもちなモノで窒息という極めて幸福な最期を遂げようとしているゆんゆんを肴にあなたはどこかやさぐれながらこっそり一つだけ回収していた小さなハンスの欠片をゴリゴリと齧る。

 美味い不味い以前に、ゆんゆんの言ったように水の味、あるいは氷の味しかしなかった。

 喉越しも氷だしやはり踊り食いでなければいけなかったのだろう。



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第65話 正義も大義も仁義も無く

 魔王軍幹部の一角、デッドリーポイズンスライムのハンスを討伐した数日後。

 短くも濃密だったアルカンレティアでの滞在を終え、あなた達はアクセルに戻ってきていた。

 勿論カズマ少年の行きの道程のように馬車を使って時間をかけるのではなく、テレポートを使って一瞬で。

 

「いやー、すっごく楽しかったわね! お土産もいっぱい貰っちゃったし、また行きましょうね!」

「そうだな。私としても機会があれば是非ともまた足を運びたいものだ」

「私は二度と行きたくありません」

「右に同じく。慰安に行った筈なのに逆に疲労が溜まっただけってお前……。結局混浴にも入れなかったし」

 

 最後の最後まで女神としてではなく、あくまでも街の危機を救った英雄としてアクシズ教徒に扱ってもらえた挙句両手いっぱいの土産を貰って大満足の女神アクア。そして最後の最後まで街の危機を救った英雄としてではなく、あくまでもエリス教徒として雑を通り越して野犬か浮浪者のような扱いを受け続けたダクネスは頬をツヤツヤさせている。

 一方でアクシズ教徒に絡まれまくって疲労困憊のカズマ少年とめぐみん。

 

 後者の二人はハンスを討伐した翌日までは宴会やらなんやらで楽しそうに騒いでいたのだが、連日の大騒ぎで流石に疲れ果ててしまったようだ。テンションが最大にまで上がった女神アクアに引き摺られた結果、彼らはあなた達と違って宿でゆっくりする事も出来ずに今日までの日々を過ごしていた。

 特にめぐみんにいたっては頭を重そうにふらつかせている。

 

「いえ、これはちょむすけのせいです。アクシズ教徒に悪戯でもされたのか、遂にちょむすけが帽子の中から出てこなくなったんですよ。もうアクセルに帰ってきたというのに必死にしがみ付いて……いい加減首が痛くなりそうなので出てきてほしいのですが」

 

 帽子をかぶり直しながら溜息を吐くめぐみん。

 あなたはこの旅行中も姿を見た事が無いが、ゆんゆんやウィズ曰くとても可愛い黒猫だというちょむすけ共々ゆっくり休んでもらいたいものであるとめぐみんの大きな三角帽を注視する。

 

「うわっ、ちょ、暴れないでくださいちょむすけ! 危ないですよ!!」

 

 帽子の中で突然暴れ始めたちょむすけを必死に押さえつけるめぐみんを微笑ましく見ている最中、あなたはふと女神アクアが購入した卵の事を思い出した。

 デストロイヤー討伐の際のお祭で詐欺の被害に合った彼女は、今のめぐみんと同じように何かの卵を頭に乗せ可愛がっていたのだ。

 キングスフォード・ゼルトマンというご大層な名前まで付けて生まれる前から溺愛していた女神アクアだが、卵を購入しておよそ一月後に実は無精卵だったという衝撃の事実が発覚した。

 

 せめて有精卵であれば鶏に見えるドラゴンと言い訳も出来たのだが、無精卵ではどうしようもない。

 哀れゼル帝。ドラゴンどころか鶏として生まれる事も出来なかった悲劇の王者は今はアンナの墓の横、女神アクアのお手製のお墓の下で静かに眠っている。

 なお女神アクアは次はゼル帝二世と名付けるつもりらしい。全く懲りていなかった。

 

 

 

 

 

 

「あの、本当に私もお金を受け取っちゃっていいんですか?」

 

 カズマ少年達と別れ帰路につく道すがら、ゆんゆんが唐突に聞いてきた。

 振り返ればウィズもゆんゆんの言葉に頻りに頷いている。

 

 何の話かと聞かれれば、彼女達が言っているのはハンスの賞金の話である。

 ウィズとゆんゆんはアルカンレティアに滞在していた時から同じような台詞を何度も言ってくるのであなたもいい加減辟易していた。

 その話はとっくに終わった筈なのだが。

 

「だって私、討伐で殆ど何もやってないんですし……」

「ゆんゆんさん、それを言ったら私なんか討伐に参加すらしてないですよ」

「ウィズさんは犯人を突き止めたじゃないですか」

「それはほら、私は顔見知りだったわけですし……」

 

 ハンスは魔王軍幹部の例に違わず億超えの高額賞金首だ。

 額が額なので賞金が届くのは暫く経ってから、という事になっているが、ハンス討伐の報奨金はカズマ少年のパーティーとあなたのパーティーで折半という形になった。

 

 討伐に参加したのはアクシズ教徒達も同様なのだが、彼らは一様に報奨金を受け取る事を辞退したのだ。

 あなたとしても自分が彼らの立場だった場合は受け取れないだろうな、と思っている。

 信仰する女神と轡を並べたという事実と思い出だけあればそれでいい。むしろ自分達の分の報酬を女神に受け取って使ってほしい。そうでなくてはいけない。

 

 そんな女神アクアは自身の信者達の為に報奨金で更地になった倉庫街を建て直す算段をつけていたようだったが、彼らは倉庫街だった場所を新たな観光地にするとの事で彼女の思惑はご破算になった。

 転んでもただでは起きない辺りは流石だと言わざるを得ない。

 

 アクシズ教徒にとって、倉庫街と女神アクアが浄化を行った場所は今や彼らの信仰する女神と共にアルカンレティアに魔手を伸ばした魔王軍幹部と華々しい戦いを繰り広げた聖域だ。

 あなたは最初にそれを聞いた時、嘘は言っていないとはいえあまりにも美化が酷いという感想を抱いた。

 現実はハンスを盛大にドン引きさせた挙句に人的被害を出す事無く圧倒的な数の差に物を言わせて袋叩きにしただけなのだが。

 結局正体を知れば誰もが恐れ戦慄くという(紅魔族とアクシズ教団は除く)デッドリーポイズンスライムはその真価を一切発揮する事無く散っていったと思えばいっそ哀れですらある。

 

 

 

 とまあそういうわけなのだが、肝心のあなたの側の賞金の配分の内訳はあなたが九割。そしてゆんゆんとウィズで五分ずつだ。

 このあまりにも不平等で理不尽な配分は先の発言のように自分達は何もしていないから、と二人が受け取りを固辞してしまった結果である。ハンスに止めを刺してレベルが変動したあなたは最初きっかり報酬を三等分するつもりだった。

 

 二人は自分が何もしていないと言うが、ウィズは毒の解析を行って犯人の正体を暴いたし、ゆんゆんはゆんゆんでハンスの冷凍に参加している。

 なので二人とも仕事をしてくれたとあなたが頑張って説得する事で辛うじて無報酬だけは避けられたのだが、五分すら多すぎるくらいだと二人に渋い顔をされ、上記のように本当に受け取っていいのかと何度も問いかけられる始末。師弟揃ってどれだけ無欲なのだろう。素直に三等分して受け取っておけば大金が得られるというのに。

 

「無欲とかじゃなくてですね。私は宿で待機していただけなので、はいどうぞと数千万エリスをポンと渡されてもいつぞや(宝島)の時みたいに受け取れませんし受け取る気になれないだけですから……」

「私も魔法は二回くらいしか使ってないですし……」

 

 あなたも現在の額は妥協に妥協を重ねて割り振っている以上、これ以上二人の配分を減らすつもりは全く無い。潔く諦めてほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで帰宅したあなただったが、暫くベルディアが一人で住んでいたというのに意外と家の中は荒れていなかった。

 それどころか洗濯物も食器もゴミも溜まっておらず、あなたとウィズは少なからず驚かされる事になる。

 

「二人はどんだけ俺の事を生活不能者(駄目人間)だと思ってたんだ。騎士団で共同生活やってたんだからこれくらい出来て当たり前だろうが。ウィズやご主人ほどじゃないにせよ、簡単な料理だって出来るぞ。というかここはウィズの家でもあるからあんまり散らかしとくと帰ってきたご主人にぶち殺されそうだし」

 

 とはベルディアの談である。

 ペットの意外な一面を見た気分だ。

 

「あなたもあなたであんまり家を汚さないから、私としてはあんまりお掃除のやりがいが無いんですよね……たまにはもっと滅茶苦茶に汚してくれてもいいんですよ?」

 

 えへへ、と笑うぽわぽわりっちぃはもしかして駄目人間製造機なのではないだろうか。

 素養自体は十二分にあると思われるが、高レベル冒険者だったウィズは金銭感覚が狂っている上に商才が絶無で放っておいたら借金をこさえまくるので同時に駄目人間更生機でもありそうだ。

 そして本人にそんなつもりは全くないのだろうが、先ほどの台詞は色々と意味深すぎて危険が危ない。

 

 

 

 

 彼にとっても他人事ではないので、あなたとウィズは帰って早々ベルディアにもアルカンレティアでの顛末を話す事になった。

 

「……そうか、ハンスが逝ったか。作戦行動中にご主人にかち合うとはアレも運が無かったな」

 

 元同僚が死んだ話を聞かされたというのに、ベルディアはあっけらかんとそう言った。

 ソファーでだらけながらクッキーを齧る様はまるで興味というものが感じられない。

 明日の天気を聞かされたかのような適当さだ。

 

「ベルディアさん、もしかしてハンスさんと仲悪かったんですか?」

「いいや、別に? 同じ幹部でもハンスとは交流が殆ど無かったからな。仲が良いとか悪いとか以前の問題だ。というか俺は長年幹部やってて一番会話した記憶があるのがあのバニルだぞ。あのバニルだぞ? 我ながらどんだけ同僚と付き合い無かったんだよって感じだ」

「なんで二回言うんですか」

 

 ずずず、とウィズが淹れた茶を飲みながらぼっち疑惑が強まった元魔王軍幹部は話を続ける。

 

「現役時代のお前とやり合った時みたいに俺は大体最前線で戦っていたわけだが、ハンスは主に後方や裏方で破壊工作する側だったしな。それに死んでるというなら俺なんかご主人にとっ捕まってからそれこそ数え切れないくらい死んでるわけで。ウィズみたいに今も交流があるならまだしも、今更昔の同僚が死んだと聞かされても、ああ、そう。ご不幸をお悔やみ申し上げます、みたいな?」

「ええ……」

 

 終末狩りの成果でベルディアの死生観は順調にノースティリス(こちら)側に偏っているようだ。

 人によっては冷たかったり情が薄いと受け取られるだろうが、あなたとしては実に喜ばしい。

 現役幹部のウィズとしては複雑な心境のようだが。

 

「結界維持してるだけのなんちゃって幹部の私が言えた話じゃないですけど、魔王軍の幹部の人達って横の連携全然取れてませんよね……」

「近くに寄れば連絡を取り合うくらいはしてたぞ? ただ俺達は基本スペックで人間を圧倒してるから単独の方が動きやすいし、連携なんかしなくてもどうにでもなってきたからな。人間側で脅威と呼べる勢力も紅魔族とアクシズ教徒くらいだ。……まあ前者は里から出てこないし後者は関わり合いになりたくないから放置が安定だったんだが」

 

 詳細を語ろうとはしないものの、きっとベルディアも彼らには幹部時代に酷い目に遭わされてきたのだろう。

 アルカンレティアにはテレポートを登録しているし、少し落ち着いたら紅魔族の里に足を運ぶのもいいかもしれない。

 

「……で、そのアルカンレティアはどうだった? 動きひしめくアクシズ教徒はともかく、観光地としては名の知れた場所だ。やっぱり旅先で解放的な気分になった二人は混浴に入ったりしちゃったのか?」

「やっぱりって何ですか。確かに泊まった宿に混浴はありましたけど私はずっと女湯でしたよ」

 

 まああなたはウィズに混浴を勧められたわけだが。

 あなたとしては折角の機会なので友人同士で一緒に温泉に入りたかったのだが、結局そのような機会は一度も訪れなかった。極めて無念である。

 

「……マジか。お前から誘ったのか。さっきのは冗談で言ったつもりだったんだが」

「違います誤解です誘ってません確かに混浴は広いみたいですよっていう話はしましたけどあとちょっと二人一緒の部屋で朝まで起きてたりしましたけど本当に何も無かったですからね分かりましたか?」

 

 一息で捲くし立てるウィズの剣幕に少しだけベルディアが引いた。

 

「な、成る程、いつもより二人の距離が心なしか近いわけだ」

 

 言われてみれば、確かに旅行前より少しだけウィズの距離が近い気がしなくもない。

 具体的には十センチほど近い。いわゆるパーソナルスペースにギリギリで触れている。

 

「…………気のせいです」

 

 ウィズはぷい、とあなたから顔を背けた。

 

「二人は今日から一緒の寝床になるとかそういう。わぁいおつらぁい……」

「だから違いますってば! ああもう! あなたが変な事言うからベルディアさんに誤解されちゃったじゃないですか、もう!!」

 

 八つ当たりのつもりなのか、ウィズが赤い顔でぽかぽかと叩いてきたがあなたはそれを甘んじて受ける。一定のリズムで催される微弱な振動がくすぐったくも心地よい。

 その白い左手の中指にはあなたが贈ったマナタイトの指輪が。

 あなたが新しくタリスマンを贈ったのでそれを首にかけ、それまでネックレス代わりにしていた指輪は指に嵌める事にしたようだ。

 

「ひさしぶりにしにたくなってきたぞごす」

 

 

 

 

 

 

 からかいすぎたせいで臍を曲げたウィズがバニルに土産を渡すついでに買い出しに行ってしまったので、男二名で荷解きを行う事になった。

 

「なんで俺が……」

 

 めぐみんのようにマシロを頭に乗せ、ぶつくさと文句を言いながらも真面目に手伝ってくれるツンデレデュラハンだったが、ふと彼の動きが止まる。

 その手には春一番を抹殺した際にドリスで貰った贈答品が。

 

「も、悶絶チュパカブラ……だと……!?」

 

 あなたが持ち帰った土産物にワナワナと震えるベルディア。

 チュパカブラを見たマシロが頭の上から逃げ出したが気付いていない。

 それはベルディアの分のお土産だと教えると彼は目を見開いた。

 

「……だ、大丈夫だ、分かってる。だいぶ付き合いも長くなってきたからな。俺はご主人の考えと行動パターンが分かってきたぞ。これは三人で飲む分だよな? 俺一人で飲む分じゃないよな?」

 

 勿論一人分である。

 ベルディアの為に用意した酒なので存分に一人で堪能してほしいとあなたは綺麗な笑顔で告げた。

 日ごろの疲れを癒すために遠慮せずに堪能して欲しい。

 

「ほ、本当に俺が一人で飲んでいいのか!? 後で返せとか言っても絶対返品しないからな!?」

 

 叫びながらもベルディアは珍生物が入った酒瓶を離そうとしない。

 予想外の反応に様子がおかしいとあなたは笑顔を引っ込める。

 これはあなたが期待していたレスポンスではないからだ。

 

「マジかあ……まさかこんな物が貰えるとは思ってなかった。やばい、ちょっと真剣に嬉しいぞ。ご主人どんだけいい事があったんだよ……高かっただろ?」

 

 明らかにネタで用意した品だと分かるプレゼントで場を温めた後に改めて本命を渡そうと思っていたのだが、ネタの方を本気で喜ばれてしまった。

 主人としてペットがお土産を喜んでくれたのは非常に喜ばしい話なのだが、満面に喜色を湛えながら悶絶チュパカブラに頬ずりするペットに、あなたはちょっと記憶に無いくらいにベルディアを遠くに感じた。

 ウィズは気持ち悪いので絶対に飲みませんと拒否していたので異世界のカルチャーギャップというわけではないだろう。目の前のデュラハンがちょっとおかしいだけだ。

 

「……ふむ、どうやら異世界人のご主人はこれの価値を知らないっぽいから説明しておくが、悶絶チュパカブラは幻の銘酒と言われている酒だ。その歴史は古く、今を遡る事二千年前、チュパカブラの世界的な大量発生の始末に困った当時のエルフとドワーフが……」

 

 何を勘違いしたのかベルディアが突然薀蓄を語り始めた。

 酒飲みには素晴らしい品だったようだ。女神アクアも喜ぶのだろうか。

 

「更にチュパカブラは全身に毒を持っており、これを抜くのがまた尋常ではなく大変で……」

 

 大変だ。びっくりするほど興味が湧かない。

 適当に相槌を打って右から左に聞き流すあなただったが、やがて語り終えて満足げなベルディアに自分達が不在だった期間のアクセルの話を聞いてみた。

 

「生憎こっちは何も無かったな。アルカンレティアのように魔王軍の者が何か仕掛けてくるという事も無く、相変わらず平和そのものだ。俺とかここぞとばかりにずっとマシロと寝てたぞ」

 

 寝ていた。

 ベルディアが、マシロと寝ていた。

 

「……おいご主人。一応、一応言っておくが。マシロと寝るっていうのは睡眠という意味だからな? おかしな勘違いをするなよ?」

 

 勿論分かっているが。

 

「そうか……ならいい。いや、ちょっと嫌な予感がしただけだ。……っと、そういえば手紙が来てたんだったか」

 

 そう言ってベルディアは暖炉の上に置いてあった薄い封筒を渡してきた。

 二通あり、どちらもあなた宛てになっている。

 

「別に周囲に隠していたわけでもないんだろうが、ご主人宛ての手紙がウィズの家の方のポストに入ってた辺りもう完全に同棲が周知の事実だよな」

 

 あなたとウィズは同棲しているのではなく、あくまでも同居の間柄である。

 この違いは小さいようでとても大きい。

 

 それはさておき、一通目の差出人はアレクセイ・バーネス・アルダープとなっていた。

 アルダープとはアクセルに居を構えている、アクセルを含むこの地域一帯の領主の名前である。つまり貴族のお偉いさんだ。

 手紙には来月頭に領主邸に顔を出すように書かれている。

 

 アクセルの領主といえば王都でも有名な人間だ。それも悪い意味で。

 この世界に来て間もない頃、平和なアクセルを見たあなたは領主が善政を敷いているのだろうと思っていたのだが、色々な人間から話を聞いて判断するに、彼の評判はどうにもよろしくない。

 

 外見は大柄で太った、いかにも好色そうな中年男。通称豚領主。

 頭は切れるが性格は傲慢かつ陰湿で私腹を肥やす事に余念が無く、彼に泣かされた人間は数知れず。

 アルダープはそんな絵に描いたような悪徳貴族だと言われている。

 

 どこまでが事実なのかは分からないが、まるっきり全てが嘘というわけでもないのだろう。

 よく領主を続けられているものだといっそ感心するが、彼は街で噂程度にはなっていても致命的なミスを犯すことは無く、幾度にも及ぶ調査を全て潜り抜けているらしい。

 そんなアクセルの領主が一介の冒険者に何の用だろうか。

 どれだけ読み返しても呼び出しの理由については何も書かれていなかった。

 

「領主からの召喚状だと? 今度は一体何をやらかしたんだ」

 

 あなたが真っ先に思い浮かんだのは春一番の件だ。

 ドリスから抗議でもあったのだろうかと疑うも、たかが石畳や建物の壁を軽く破壊した程度で領主が首を突っ込んでくるとは考えにくい。弁償も春一番の報奨金で支払う事になっている。

 実際に足を運ばないと分からないだろう。

 

「まさかご主人に限って大丈夫だとは思うが、気を付けろよ。アクセルのアルダープといえば魔王軍時代の俺でも噂話を聞いた事がある程度には黒い噂が絶えん人間だ」

 

 ベルディアは首筋を撫でながらそう言った。

 瞳の赤さからは想像も出来ない冷ややかな目でアルダープの手紙を見つめている。

 

「生憎悪徳貴族という生き物にいい思い出が無くてな。……まあコレ関係だ」

 

 詳しくは語らなかったが、手で首を落とす仕草をしたのを見るにベルディアがデュラハン化した理由と密接に関わりがあるのだろう。

 

 

 

 さて、気を取り直して二通目である。

 

 あなたはてっきり女神エリスから神器回収のお誘いがあったのだと思っていたのだが、差出人は冒険者ギルドになっていた。

 冒険者ギルドが手紙を送ってきたのは初めてだ。今度は何の用事だろうと思いつつ封を開ける。

 

 ――こちらは前年度の収入が五億エリスを超えている冒険者の方へお送りしている督促状です。

 ――税金のお振込みがまだ確認出来ておりません。つきましては、大変お手数ですが最寄の冒険者ギルドで手続き及びお支払いを……

 

 ガッデム。地獄に落ちろ金の亡者め。

 一瞬で表情を消したあなたはギルド側の書類を最後まで読む事無くグシャグシャに握り潰して暖炉に放り込んでティンダーを放った。もっと燃えるがいいや。

 

「何が書いてあったんだ!?」

 

 一瞬で燃え尽きた書類を先ほどの自分とは比較にならないほど冷徹な眼差しで見つめ続けるあなたに戦慄くベルディア。

 大きく舌打ちしたあなたは性質の悪い子供のイタズラだったと返した。

 

「子供のイタズラって、今燃やしたのは冒険者ギルドからの書類だぞ!?」

 

 知った事ではないと吐き捨てる。

 忌々しい。折角旅行でいい気分になっていたというのに台無しである。

 

 

 あなたとてノースティリスでは毎月税金を納めていた。今更納税の義務についてどうこう語る気は無い。

 あなたは異邦人だが、国家の運営は国民の税金によって成り立っているという事も理解している。

 他の人間が払っているのだからお前も払え、という理屈も当然だ。

 

 だが分かるわけにはいかない。

 年収一千万以上の者はその年の収入の半分を納めろなどというどこまでも他人の足元を見たクソッタレな悪法に従う気は無い。馬鹿じゃないだろうか。

 ノースティリスのように滞納者は問答無用で生死不問の重罪人になるというのであれば多少は考えてやらないでもないが、その後は王都で悪徳貴族の屋敷が襲撃される事件が相次ぐことだろう。

 

 なおノースティリスの納税額は収入ではなく現在の所持金やレベル、名声といった数値から算出され、あなたは現在年間でおよそ四千万から五千万を国に収めている計算になる。

 額だけ見ればこれまた法外なようにも思えるが、収入と金銭感覚がぶっ壊れたあなた達(廃人)にとっては痛くも痒くもない。

 毎月納税を行う必要があるのは面倒だが、収入の半分がもっていかれるこの国の税金よりマシだ。ずっとずっとマシだ。やはりこの国の法律は間違っている。

 

 

 

 

 

 

 ……あなたがアクセルに帰還して暫く経過した、四月の最終日。

 その日は空一面を覆った暗い灰色の空が今にも大雨を降らせそうで、朝から見ているだけで気が滅入りそうになる天気だった。

 雲の向こう側からは小さく、しかし確かに雷の音が聞こえてくる。

 

 今日は久々に荒れそうだ、などと考えながらアクセル近隣に襲来したワイバーンの緊急討伐依頼を片付けたあなたはさっさとギルドで報告を終えて自宅に戻ろうとしていた。

 こんな天気だからか道を行き交う人は少なく、普段であれば賑わっている露店も閑散としている。

 自作ポーション限定とはいえ、そこそこリピーターが付き始めたウィズの店も今日はあまり売れ行きが良くないだろう。

 

 何か土産でも買って帰ろうか。

 タイミングよく果物屋が開いているのを見つけたので旬の果実でも、と思ったあなただったが、突然アクセルの街中に冒険者ギルドからの緊急事態のアナウンスが鳴り響いた事でその足を止める。

 

 ――緊急クエスト! 緊急クエスト! 街の中にいる冒険者の各員は、大至急冒険者ギルドに集まってください! 繰り返します、街の中にいる冒険者の各員は、大至急冒険者ギルドに集まってください!

 

 久しぶりの緊急クエストである。かれこれデストロイヤー以来ではないだろうか。

 ハンスといい、女神アクアが降臨してから本当に退屈に縁が無い。あなたは笑いながら駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 アクセルの街は()()()()()()()()()と呼ばれるほどに冒険者が多い街だ。

 現役時代のウィズやその仲間達のように、過去様々な英雄達がここから巣立っていった。

 この国の中でも重要で、とても歴史のある場所である。

 更に現在も擁している人員は駆け出し冒険者に留まらず中級、更に上級の男性冒険者にまで及ぶ。

 

 必然、アクセルの冒険者ギルドとは街にとってなくてはならない場所であり、デストロイヤー討伐時のように緊急時における管制塔、あるいは個性様々な冒険者を纏める頭脳としての役割も担っている。

 冒険者達の砦にして、彼らが最も信頼を寄せるべき所。

 

 

 そんな冒険者ギルドの建物の前では、現在とても異様な光景が広がっていた。

 

 

「冒険者の皆さん、こちらに並んでくださいねー。はい、緊急です、緊急のお呼び出しです。お忙しい所大変申し訳ありません冒険者の皆様方ー」

 

 アナウンスであなた達を招集したルナがニコニコと営業スマイルを振りまきながら、集まった冒険者達を並ばせている。彼女以外のギルド職員も同じように列を作らせていた。

 あなたを含め集まった百名以上の冒険者達は何事か理解出来ていないようで、皆が皆互いに顔を見渡している。

 

 緊急で呼び出しをしておきながら並ばせる意味が分からない。

 ともあれ、どうやらデストロイヤーの時のような切羽詰った状況ではないようだ。

 身体測定でも始めるのだろうかといぶかしみつつもあなたは集団に近付いていく。

 

「…………!」

 

 そしてその瞬間、あなたに気付いたギルドの職員、更に周囲で待機していた職員以外の街の公務員と思わしきスーツ姿の人間達、更には数多くの衛兵に一斉に緊張が走った事をあなたは敏感に察知した。

 どこから集めてきたのか、冒険者以外の人員がやけに多い。検察官であるセナの姿もある。

 自身の一挙手一投足を注視される事に居心地の悪さを覚えるあなただったが、ふと左右同時に見知った顔がやってきた。

 

「お、おはようございますっ!」

 

 右からやってきたのはゆんゆん。

 高レベルにも拘らず場の雰囲気に呑まれているのかガチガチである。

 

「やあやあおひさしー。元気してた?」

 

 ゆんゆんの逆方向、周囲の人間達の緊張を知ってか知らずか、片手を上げてとてもフランクに挨拶してきたのは女神エリスだ。

 あなたは教会に行ったし何度か電波を通して声も聞いたので、あまり久しぶりではないという感じなのだが、クリスとして会うのは久しぶりである。

 

「そっちの子は知り合い? 初めまして。あたしはクリスっていうんだ。よろしくね」

「は、初めまして! 紅魔族のゆんゆんっていいます! 最近十四歳になりました!」

「へ、へえ……そうなんだ……十四歳……十四歳!?」

 

 ゆんゆんが勢い良く頭を下げ、女神エリスは凄まじいパンチを食らったかのようにたたらを踏む。

 その視線はゆんゆんの年齢不相応のたゆんたゆんに釘付けだ。

 

 

 

 ――エリスの胸はパッド入り。

 

 

 

 先日聞かされた女神アクアの神託があなたの脳裏に木霊する。

 

「す、凄いね。その年でなんて。本当に凄いね……」

「そ、そんな、私なんてまだ全然で……もっともっと頑張らないとって……」

「これ以上凄くなりたいの!?」

 

 女神エリスは大丈夫だろうか。

 ゆんゆんが言っているのは明らかにレベルや冒険者としての話なのだが。

 激しく勘違いしているように思えてならない。

 

「…………勿論分かってるよ?」

 

 国教にもなっている高名な女神の化身は全力でゆんゆんのたゆんたゆんからギギギと錆付いた扉のような動きで目を背けた。

 女神エリスがどうなのかは不明だが、少なくともクリスの胸は無い。本当に無い。下手をすれば少年と疑われる程度に無い。

 きっと盗賊として動きを鈍らせるパッドは入れてないのだろう。

 

 

 

 

「あ、あの、お二人はどういうご関係なんですか?」

 

 他の冒険者達と同じく三人で列に並んでいる最中、ゆんゆんが女神エリスにこんな事を聞いてきた。

 馬鹿正直に話そうものなら即お縄を頂戴する関係である事は確かだ。

 

「んー。なんて言ったらいいのかな。彼に個人的な仕事の依頼を斡旋するくらいの関係? でもパーティーとかではないよ」

 

 嘘は言っていない。

 やっている事は貴族の邸宅への不法侵入及び窃盗行為だが。

 こうして接触してきたのは依頼の件だろうかと詳細に触れずに聞いてみた。

 

「今日は違うよ。ダクネスの顔を見にたまたまアクセルに寄っただけだから」

「クリスさんはダクネスさんのお知り合いだったんですか?」

「そそ、ダクネスはあたしの友達」

 

 ニッコリと笑う女神エリス。

 ちなみにゆんゆんとダクネスはつい最近一緒にお風呂に入った間柄である。

 

「うええっ!? お風呂!?」

「ち、違います! ご縁があって皆で一緒に旅行に行って温泉に入っただけですから……!」

「あ、ああ。そういう事……びっくりしたぁ……ダクネスに変な趣味が増えたのかと思ったよ……あ、噂をすればダクネス達だ」

 

 女神エリスの声に目を向ければ、確かにカズマ少年一行がギルド前にやってきていた。

 彼らは他の冒険者と同じく不可思議な光景に目を白黒させていると思いきや、ダクネスに限ってはそうではないようだ。平然としている。

 それどころか他の冒険者が重装備で身を固めている中、一人だけ普段着、黒のシャツにタイトスカートという格好だった。

 

「ところでこれって何の集まりなんでしょう? ルナさんは緊急クエストって言ってましたけど」

「んー……あたしは知らないわけじゃないけど、今は秘密って事で」

 

 自分の口に人差し指を当ててイタズラっぽく笑う女神エリスの反応を見るに、やはり緊急性は低い案件なのだろう。

 討伐依頼からの帰りだったので今は完全武装のあなただが、これなら一度自宅に戻って軽装になってからでもよかったかもしれない。

 

 カズマ少年が到着したと同時にセナが衛兵に耳打ちし、冒険者達の周囲に構えていた人員が動き出した。

 行儀よく並ぶあなた達冒険者の外側に、まるで壁を作るかのように展開したのだ。

 

「ど、どうしたんでしょうか……」

 

 キナ臭い雰囲気にゆんゆんを始め居並ぶ冒険者達がざわめく。

 対して包囲している側は顔面から冷や汗を流しており顔色が良くない。今日の天気が悪く薄暗い事が原因というわけではないだろう。

 

 そこかしこで交わされる不安げな囁き。

 周囲に伝播していく、今日の天気のような不穏な空気と緊迫感。

 あなたがどこか覚えのある感覚に身を浸していると、ゆんゆんがあなたの服の裾を掴んだ事に気付いた。

 

「大丈夫だよ」

「え?」

「心配しなくても大丈夫」

 

 女神エリスは未だ心が未成熟な少女を安心させるように笑う。

 女神の名に恥じぬ深い慈愛の心で。

 

「冒険者ギルドはあたし達冒険者の為に作られた国の機関っていうのは知ってるよね? 冒険者を支援する為に存在する組織だ。冒険者は彼らから貰う仕事を誠実にこなしてきたし、冒険者もまたあたし達が困った時は助けてくれる、いわば持ちつ持たれつの関係。敵対する理由も嫌う理由もどこにも無いんだ」

「そ、そうですよね!」

 

 女神エリスの言葉と同様の囁きがそこかしこで交わされており、冒険者達の間の緊張した空気が若干和らいだ、ちょうどその時。

 ギルド前に並ぶ冒険者達の正面に立っていたルナが拡声器を手に取った。

 

「おはようございます、冒険者の皆様方。突然の召集にも拘らず集まっていただき本当に嬉しく思います。さて、本日は皆さんに、緊急のお願いがございます。そう、緊急のクエストです」

 

 幾人もの冒険者がゴクリと喉を鳴らし、ルナはニッコリと笑った。

 

「といいますのも、本日で年度末から丁度一ヶ月となりました。……そう、今日が納税の最終日です」

 

 ああ、そういう事か。

 あなたは冷え切った気持ちでこの場に集められた理由を察した。

 

「……この冒険者の中に、まだ税金を納めていない人がいます」

 

 げぇっ、という声があちらこちらから聞こえてきた。

 見ればゆんゆんの顔も引き攣っている。

 一方で女神エリスは何食わぬ顔で青い球体を弄んでいた。さて、何を考えているのやら。

 

「ちょっと待ってください、こんなの私聞いてないですよ!?」

「どどどどどどういうこった!? どういう事だ!? おいアクア、これってどういう事!?」

「おおおおお、おちっつきなさい二人とも、落ち着いて! 落ち着くの! ほら、職員が何か言うわよ!」

 

 あなたの周囲では逃げようとする冒険者達を、壁の様に周囲を取り囲んでいた者達が押し留めていた。

 逃げようとする者、悲鳴を上げる者、怒鳴り声を上げる者。

 笑顔の者など一人もいない。

 

「ええ、はい。皆様の困惑やお怒りはごもっともです。分かります。私達は今までこのような事はお願いしてきていませんでしたからね。当然です」

 

 おや、とあなたは耳を疑った。

 あなたはてっきり毎年恒例と思っていたのだが、そういうわけではないようだ。

 

「冒険者の皆様……それも駆け出しとなれば、基本的に貧乏なのが当たり前です。ですので、今までは冒険者ギルド側も免除ではなく温情という形で見逃してきました」

 

 ルナは淡々と言葉を続ける。

 聞き分けの悪い子供によく言い聞かせるように。

 

「ですが、この冒険者ギルドは勿論この国の皆様の血税で賄われております。そして、そのギルドから出ている報酬も同様に。モンスターを退治しているからといって、本来は特別扱いはされません。それでも温情として見逃されていたのです」

 

 初めて知る真実に、半ば恐慌に陥っていた冒険者達が少しずつ静まり返っていく。

 誰も彼もが拡声器を通したルナの声に気まずそうにしている。

 

 あなたと女神エリスを除いて、だが。

 

「そんな中、今年度は皆様にも大きな収入があった筈です。……そう、大物賞金首、機動要塞デストロイヤーの賞金です。今までは温情で税金を見逃してきてもらったのですから、こうして大金が転がり込んできた時くらいはキチンと義務を果たしませんか?」

 

 最早逃走を計るものや抵抗する者は一人もいない。

 アクセルのギルドの名物美人受付嬢もこう言っている事だし、今まで特別扱いをしてもらっていた分、金が入った今年くらいは支払ってもいいだろう。

 自分達だってこの街で暮らしている人間なのだから、義務くらいは果たさなくては。

 

 苦笑いを浮かべる冒険者達の間には、そんな唾棄すべき甘っちょろい雰囲気が蔓延している。

 とんだ茶番だ。冗談ではない。

 隣のゆんゆんを始め、彼らはこの先に待っている過酷な現実を知らないからあんな顔が出来るのだ。

 

 あなたは彼らに冷や水を浴びせるべく手を上げて大声でルナに問いかけた。

 税金は幾ら持っていかれるのか、と。

 

 ――よりにもよって、あなたがそれを聞くんですか。書類だって届いてますよね? 知らないとは言わせませんよ?

 

 あなたを見るルナの目はそう言っていたが、いいからさっさと言えというあなたのアイコンタクトに彼女は深い溜息を吐いた。

 

「…………お答えします。収入が一千万以上の方は、昨年得た収入の半額を税金として納めてもらう必要があります」

 

 あなたと女神エリスとゆんゆんを除く、その場の全ての冒険者達が、全力で逃走を開始した。

 

「わ、私五割なんて払えません……! アルカンレティアとかでお金いっぱい使っちゃって……!」

 

 さて、逃げよう。

 あなたは半泣きで小さく震えるゆんゆんの手を取った。

 

「ズルしちゃダメだよ?」

「えっ?」

 

 声と共に背中を硬い物で叩かれた瞬間、テレポートが不発した。

 下手人を見れば、銀髪の悪魔が青い球体を持って邪悪に笑っている。

 

「騙して悪いけどこれも仕事なんだよね。実はダクネスにサポートを頼まれててさ」

「な、何を……?」

「テレポート封じの魔道具を使わせてもらったよ。二人とも今日の日没まで転移は出来ないからね? 勿論他の人のテレポートも効かない」

「どこでそんなの手に入れたんですか!?」

「ふふふ、出所は秘密で。女は秘密がある方が美しいって言うでしょ?」

 

 してやったりと笑みを浮かべるギルドの犬にあなたはクツクツと笑う。

 

 そうか、そうか。

 つまりきみはそんなやつなんだな。

 

 であればこちらも遠慮は無用だろう。

 あなたは大太刀の神器を抜いた。

 

「…………!」

 

 ざわり、と。

 深い曇天において尚一切の輝きを失わぬ冷たくも美しい白刃の煌きに、衛兵や職員はおろか、逃げ惑う冒険者達の間にも驚愕と戦慄がさざなみのように広がっていく。

 

 正義も大義も仁義も無く。

 ただ単に、幾億にも及ぶ多額の税金を支払いたくないから。

 

 たったそれだけ。

 たったそれだけの理由であなたは顔見知りに、世話になっているギルドに、今自分が住んでいる国に。

 そして世界の平和を案じる心優しい女神に欠片の躊躇も無く、牙を剥く事が出来る人間だった。

 

 流石にノースティリスの衛兵達のように殺しはしないが、しかしどんな悪辣な手段を使われようとも、この場の誰がどんな言葉を用いようともあなたは税金を支払う気は無い。

 金を支払って欲しければ自分を倒してからにしてもらおうとあなたは静かに告げる。

 

「本気? そんな理屈が通るとでも?」

 

 通る。あなたは通す。

 あなたはいつだってそうやって生きてきた。

 

「……まあ、そうだろうね。平気な顔して滅茶苦茶やらかすキミの事だからそう言うだろうとは思ってたよ」

 

 苦笑を浮かべながら女神エリスは腰のダガーを抜く。

 

「騙し討ちしたお詫びってわけじゃないけど、一つだけいい事を教えてあげるね。今日を過ぎた来月……五月一日になったらこの国では税金は免除されるんだ」

「え、それって……」

「そう、今年支払わなかったからといって来年に持越しにはならない。それも役所の営業時間を過ぎたら税金は免除される。法律を作るのは貴族だからこんな豪快っていうか阿漕な仕組みになったんだろうけど、凄いよね」

 

 しかしどうせ貴族連中は最初から税金を支払う気は無いのだろう。

 その年の収入の五割とはそういう額だ。

 次から女神エリスと仕事をする時は財宝を根こそぎ荒らしておくとしよう。

 

「ふふっ。さあ、それでは税金納入クエスト――――いってみよう!」

 

 隣のゆんゆんが青い顔で震えるほどの剣呑な気配を発しながら佇むあなたに冷や汗を流しながら、しかし酷く楽しげな様子の女神エリスが口上を述べる。

 

 

 

 アクセルの一番長い日が始まった。



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第66話 緊急クエスト【エレメンタルナイトの捕縛】

勝利条件:役所の営業時間中にアクセルのエースに税金を支払わせる
敗北条件:1.部隊の全滅 2.一定時間の経過 3.アクセルの崩壊


 アクセルで活動する冒険者であれば誰もがその名を知っている、ひたすらにソロで活動を続けている一人のエレメンタルナイトがいる。

 

 デストロイヤー戦で全体の指揮を執り、最近は共に二人目の魔王軍幹部を撃破した、最弱職の冒険者をリーダーに据えたアクセル随一の()物パーティー。

 アクセルでは彼らに比肩する知名度を誇る彼は活動を始めておよそ一年しか経過していないにも関わらず、アクセルのエース、あるいは頭のおかしいエレメンタルナイトと呼ばれている。

 

 王都の防衛戦でも散々活躍し、王都をはじめとする各地にその名を響かせる彼は紛う事無き最新の英雄と呼べるだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()、単騎で最強の冒険者を選ぶなら誰か、という話になった際に大体はまず彼の名が挙がる事から彼の実力は誰も疑っていない。

 

 にも拘らず彼は他の英雄……例えば魔剣の勇者と呼ばれるミツルギキョウヤのように声高に持て囃される事なく、むしろアクセル以外の地ではその顔と名を知る者達に敬遠されてすらいるわけだが、これは決して彼が非社交的だからというわけではない。本人の気質はどちらかというとむしろ社交的ですらある。

 この世界にはぼっちを拗らせてついには魔王になったソロ冒険者のおとぎ話が残っているが、それが原因というわけでもない。

 

 この世界の命の価値は重い。

 蘇生魔法があるとはいえ使い手は非常に限られる上に蘇生の機会は一度だけ。

 故に冒険者達はパーティーを組んで保険をかける。仲間と連携して一の力を十にも二十にも高める。それがこの世界の常識なのだ。

 

 しかし誰ともパーティーを組む事無くたった一人で活動を続ける彼は、熟練の冒険者パーティーが万全の状態でも命懸けになるような過酷な討伐依頼でさえまるでゴブリン討伐のように気軽に受注し、当然のように対象を討伐して生還している。さしたる傷も負う事無く。

 

 彼が狂っている、あるいは人として外れてはいけない箍が外れていると他人に思われるのも道理というものだろう。

 

 本人が下手に社交的なのも災いした。

 彼にスティールを仕掛けた盗賊が悉く再起不能になっている事といい、どうしようもなく不気味なのだ。

 底が知れないと言い換えてもいい。

 現にとある英雄級の冒険者は、彼の目を見て終わりの無い真っ暗な穴を覗き込んでいる気分になったという。

 

 

 そんな彼だが、一方で拠点としているアクセルの街では受ける依頼を本当に選んでいない事やウィズ魔法店のお得意様である事も相まって、ああ、アイツは滅茶苦茶強いけど頭のネジが抜けてる変人なんだな、と思われている。

 

 ウィズ魔法店の常連である事はともかく、誰もが認める高レベルの冒険者が外壁工事の土方に混じっていたり屋台で肉を焼いていたりドブを浚っていたり犬の散歩をしているのだから、このような微妙な評価もむべなるかなといった所である。

 基本的に高レベルの冒険者、それも危険極まりない単独活動をしている者となれば相応にプライドが高くなる傾向にあり、受ける依頼も自然と高レベルに見合った報酬、難度になっていく。それがこのような雑用に精を出しているのだから警戒しろという方が難しい。

 まあ、誰もが認める善人であるウィズ魔法店の店主と懇意にしており、彼と共にいる時の店主が実に幸せそうにしているというのも決して無関係ではないだろうが。

 

 そんなこんなで変人と思われつつも同じ街に住む隣人の一人として受け入れられている彼は、現在アクセルの冒険者ギルドに対して牙を剥いていた。

 

 

 

 

 

 

 曇天が黒ずみはじめ、ごろごろと雷鳴が大きくなり始める最中、あなたは女神エリスと相対していた。

 相手が国教になっている女神の化身だろうと、脱税阻む奴は絶対にぶっ飛ばすマンと化した今のあなたには関係ないのだ。

 

「ダクネエエエス! ばっかお前、何やってんの!? 本当に何をやってんの!? 馬鹿なの? 死ぬの? なんでよりにもよって今このタイミングでこんな事するんだよ! あっちでいきなり刀抜いてるし明らかにヤバい雰囲気だろうが! そういうのは帰ってからやれよ!」

 

 突如カズマ少年が発した叫び声にすわ何事かと思えば、ダクネスの右手とカズマ少年の左手が鎖付きの枷で繋がっていた。彼女は本当に何をやっているのだろう。

 あまりの愉快な光景にあなたも少しだけ毒気を抜かれた。

 

「覚悟は出来ている。そして納税は市民の義務だ。さあ行こうか、この街で二番目の高額所得冒険者……あと帰ってからという所をもう少し詳しく……」

 

 そういえば彼女はこの国でも有名な貴族の娘だ。

 クリスに声をかけていた事といい、一人だけラフな格好だった事といい、国営の組織であるギルドとグルだったのだろう。

 

「はっ、離せ畜生! 馬鹿! ほんとお前って奴は、お前って奴は! こんな時ばっか貴族らしい事しやがって! どうせお前んとこも脱税してる癖に!!」

「そんなに邪険にするなカズマ! さあ、アクアもめぐみんも一緒に行こうではないか! クリス! そっちは任せたぞ!! あと中には真面目に税金を支払っている善良な貴族もいるからな!? 少なくとも私の実家はそうだし、皆一緒にするのは止めてもらおうか!」

 

 先ほどまでの静寂から一転、再度阿鼻叫喚が始まったギルド前。

 必死の形相と化した職員や衛兵達によって、あちこちで冒険者が捕まって連行されていく中、ダクネスは女神アクアの腕を捕まえていた。

 

「いやあああああああー!! ダクネスお願い、見逃して! カズマさーん! 何とかしてー、後生だから何とかしてー! お金無いの! 私本当に税金払えないの! こないだアルカンレティアで豪遊しちゃったから!」

「はっはっは、アクアも知っているだろう? 納税の手続きをしても税金を払えなかった場合は以後の依頼報酬からその分さっぴかれる事になっている」

「ふざけんな! そんなもん実質借金と同じじゃねえか!」

「借金はもういやああああああああああああああ!!」

 

 女神アクアとカズマ少年の悲鳴が木霊する中、ダクネスから離れていたおかげで一人逃れる事に成功しためぐみんがあなたの方に駆けてきていた。ゆんゆんと背中合わせの位置に立った彼女はじりじりと近付いてくる職員達に向かって杖を構え豪快に笑う。

 

「おおっと、命が惜しければそれ以上私に近寄らない事です! それ以上私に近付いたら爆裂魔法が火を吹きますよ!」

 

 職員の足が止まった。

 頭のおかしいコンビか……という職員の苦々しい呟きが聞こえる。

 その表情からは悲壮なまでの覚悟が垣間見えた。

 

「一応言っておきますがこっちの頭のおかしいのは本気ですよ! そしてまさか私がやらないとでも!? やりますか、試しますか!? デストロイヤー、バニル、ハンスという高額賞金首を消し飛ばしてきた私の爆裂魔法の威力をその身で味わってみますか!?」

「めぐみん……もしかしてめぐみんもお金無いの?」

「ハンスの分を考えれば無いわけではないですが、それにしたって収入の五割ですよ!? 無一文確定とか払うわけないじゃないですか!!」

 

 めぐみんはめぐみんで必死である。ゆんゆんがドン引きするくらい必死である。

 まあ爆裂魔法は一発撃ったら撃ったで昏倒するのでその後普通に捕まるわけで、故にめぐみんはこちらに来たのだろう。

 

 あなたはめぐみんの相手をゆんゆんに任せておく事にした。

 流石に友人にしてライバルを裏切りはしまい。

 

 

「……高額所得者のサトウカズマさんですね? どうぞこちらに……ああっ!? 逃げた! 引き止める役のはずのダスティネス卿までっ!?」

「オラッ、走れダクネス! チンタラやってるとマジでスティールで剥くからな!!」

「ううっ……すまん! 我が身可愛さに逃げる私をどうか許して欲しい……!」

 

 どういう経緯でそうなったのか、手錠で繋がったダクネスと共にこの場から走り去っていくカズマ少年を見送りながらもあなたは気を入れ直す。

 同様に女神アクアもこの場から姿を消しているが、現在のあなたの相手は女神エリスだ。

 顔見知りとはいえ彼らの事まで気にする余裕はない。

 

「ダクネスは行っちゃったか……まあ仕方ないかな」

 

 しかし何故彼女は自分と敵対しているのか。

 ダクネスに頼まれたから、というにはやる気満々すぎではないだろうか。

 

「ふっふっふ……そりゃやる気満々だよ。まさか身に覚えが無いとは言わせないよ?」

 

 女神エリスは不敵に笑いながらそう言った。

 しかし全く身に覚えが無い、と言おうとしたあなただったが、むしろ普通に心当たりがありすぎる事を思い出す。

 

 パンツか。まさか遂にパンツの件がバレたのか。

 彼女の言っている恨みとは四次元ポケットに入っている女神エリスのお気に入りのパンツの恨みなのか。宝探しスキルでパンツの所在が露見したのか。

 税金を払うかはまた別の問題だが、もしそうならあなたには素直に謝罪する他無い。

 

 しかし返品しろと言われた場合は断固拒否、あなたはやはり徹底抗戦の構えを見せるだろう。

 女神エリスのパンツはあなたがこの世界で入手した物品の中でも二番目の希少価値を誇る超レア物。

 これを超える物など現段階ではウィズが手ずから渡してきたパンツだけである。コレクターとして例え本人が相手だろうと渡すつもりは無い。

 

「や、やっぱりクリスさんにも無茶な事を……?」

「そうだよ! 一緒に仕事した時にそれはもう滅茶苦茶やったんだから! 仮にも雇用主としてちょっとこの機会にどっちの立場が上かってのを教えてあげなきゃあたしの気がすまないってもんだよ! 目に物見せてあげるから覚悟してよね!!」

 

 どうやら違ったようだ。一安心である。

 

 まあ女神エリスがあなたと敵対している以上、どの道あなたには彼女をぶっ飛ばす以外の選択肢など存在しないわけだが。

 

 あなたは曇天に神器を掲げた。その姿はまさに威風堂々。誰を慮る事無く己の意思を貫いていく。

 神器の刃のように決して折れず、欠けず、曲がらない不撓不屈にして不退転の覚悟を世界に示すのだ。

 己が力と知恵と勇気を以って未来を切り開く冒険者は絶対に不当な権力になど屈したりしない。

 

 衆目の視線を一身に浴びながらも、声高々にあなたは謳う。

 

 納税したくないでござる。

 絶対に納税したくないでござる。

 

「…………」

 

 ギルド前に気まずい沈黙が満ち、生ぬるい風が吹いた。

 

「……ダサッ! なんかもう、ほんとにダサいとしか言えないよ! なにキメ顔で脱税宣言してるの!? 流石のあたしもここまで最高にカッコ悪い決意表明は初めて見たよ!!」

 

 クリスが吼えた。周囲の人間も勢いよく首を縦に振っている。ゆんゆんも同様に。

 

 しかしそれくらいあなたは本気で納税したくないのだ。

 権力に尻尾を振るギルドの犬に納得しろとは言わないが理解くらいはしてほしい。

 何が義賊だ嗤わせる。

 

「し、辛辣すぎる!! キミって奴はどうして笑顔でそんな酷い事言えちゃうの!? 気持ちは分かるけど! 凄く分かるけどね!? 正直あたしとしてもこの税法と税率はどうにかした方がいいんじゃないかとは思ってるけどね!?」

 

 ……いや、実際のところ理解する必要すらない。どうせ相手が誰だろうとあなたはぶっ飛ばして罷り通るだけなのだから。

 しかし周囲は職員を始め、明らかに非戦闘員と分かる者までが集まって取り囲んだ冒険者達と押し合っている。下手に全開状態で機動戦を行おうものならば余波だけで死人が出るだろう。

 

 あなたはふとモンスターボールで爆散したネギガモの無残な姿を思い出した。

 アレが人体で再現される事は想像に難くない。

 

 つまり彼らはあなたからしてみれば体のいい人質というわけだ。

 ギルドがそれを看過して配置しているかは不明だが、剥製もドロップしない上に命が重いこの世界では理由も無く人間を殺さないと決めているあなたは舌打ちしたくなった。

 これがノースティリスであれば何も気にせずに皆殺しタイムの開始なのだが。ついでにドロップ品も漁ってジェノサイドパーティーは最高でおじゃるな!

 

 テレポートこそ封じられたものの、身体能力を封じられたわけではない。ゆんゆんとめぐみんを抱えて跳んで逃げればいいのでは、という意見も出るかもしれない。

 

 問題外である。

 

 適当に家屋の屋根を伝って逃げるだけならば容易いのだが、女神が敵に回っているという現在の状況があなたにそれを許さない。

 逃げた先でどのような不確定要素が発生してもおかしくない以上、彼女が目の前に立っている今ここで確実に始末しなければ。

 

「……やる気だね。君の腕についてはよく知ってるよ。悔しいけど今のアタシのレベルじゃ逆立ちしても勝てないって事も分かってる。……だからアタシも少し本気を出させてもらう。悪く思わないでね!」

 

 あなたの敵意を感じ取ったクリスが笛を鳴らすと、ギルドの中から十六人の冒険者達が出現した。

 彼らはクリスを中心に展開しあなたの前に立ちはだかる。

 

 十六人の内訳は四人のパーティーが四つ。

 装備の質や感じられる圧からして、彼らのレベルは40台といったところだろうか。もしかしたら50台も混じっているかもしれない。

 そして彼らのいずれもアクセルでは初めて見る顔ぶれだった。

 

「今日の為にギルドが王都から呼び寄せたとっておきのメンバーだよ。キミが来なかったら他の人たちを捕まえてたんじゃないかな」

 

 どういうつもりだと鋭い視線を飛ばす。

 彼らには冒険者としてこの税法に思う所は無いのか。

 

「ギルドっつーか国からの依頼でな。俺らは脱税する貴族とか冒険者をとっ捕まえる代わりに税金免除してもらってんだよ」

 

 なんだ、冒険者ではなくギルドの犬だったのか。

 あなたの言葉に十六人の眉がピクリと動いた。

 鋭くあなたを睨む視線からは殺意すら滲んでいるわけだが、この程度の軽い挑発に反応しすぎではないだろうか。

 

「…………」

 

 ああは言ったものの、率直に言って、あなたはこの世界の高レベル冒険者達が馬鹿正直に税金を払っているとは思っていなかったし、合法的に脱税出来るのであればこういう事もありえるだろうなと思っていた。

 多少なりとも強かな冒険者であれば、この税法下で脱税しないわけがないのだ。

 脱税しても罪にならないのであれば誰だってそうする。薄汚い貴族達と同じように。真面目に支払うのはよっぽどの馬鹿か律義者か善人だけだ。

 

 いざとなったら愛用の武具を使えばいいあなたはウィズの店以外で装備品や魔道具に殆ど金をかけていないが、他の冒険者はそうもいかない。

 冒険者にとって装備品やマジックアイテムの質は、レベルと同じくらい己の生死に直結する要素である事は最早論ずるまでも無い常識中の常識だ。

 必然、高レベルの冒険者の装備や道具は比例して高価になる。パーティーになれば人数分用意する必要があるので更に出費は増す。

 それ以上に収入は大きくなるとはいえ、ソロ活動はこういう時実に気楽である。

 

「……」

 

 あなたの安い挑発に冒険者達の殺気が増していく中、女神エリスが最初に動く。

 

「同調率、上昇……!」

 

 声に出さずとも、クリスの口はそう動いていた。

 あなたが言葉の意味を考える前に、クリスの背後に、クリスによく似た顔をした、長い銀髪の少女……女神エリスが出現する。

 半透明の女神エリスとクリスは少しずつ重なって行き、やがて一つになった。

 

 

幸運強化(ブレッシング)!』

 

 

 女神エリスが魔力を放った瞬間、あなたは久方ぶりに背筋に氷柱を突っ込まれたような悪寒を覚えた。

 クリスに重なって見える女神エリスの幻影に、あなたの直感と神器の未来予知が数秒先の未来に対して強い警告を発しているのだ。

 

 盗まれる。このままでは確実に何かを盗まれる。

 

 しかし今の装備で盗まれて困る物など殆ど無い。

 となれば十中八九女神エリスの狙いは大太刀の神器だろう。

 

 確かに武器が無ければみねうちは使えない。

 あなたがこの場における他者の殺傷を禁じている以上、得物を失えば手加減に窮するのは明白であり、彼らはその隙を突こうとしているのだと予測する。

 

 スティールは本来ランダムに相手の持ち物を盗むスキルだが、女神エリスは周囲に影響を与えないギリギリまで本体を降ろして化身の性能を上げ、更に運勢を強化する魔法で蓋然性を高める事によって、偶然ではなく必然レベルで狙った獲物を盗もうとしている。

 あなたもそれなりに幸運には自信があるが、女神エリスは幸運を司る女神だ。

 流石に相手の土俵(幸運勝負)で勝てるなどと思い上がってはいない。スティールが発動すれば確実に神器を持っていかれる確信があった。

 

 しかし対処法が無いわけではない。

 

 スティールは直射型のスキルだ。

 イメージとしては見えない魔法の手が本体から伸びていると思っていい。

 彼我の力量と運勢によって成功判定が行われるが、最も重要な事として、スティールは相手を視認した状態でなければ成功しない。

 つまり()()()()()()()()()スキルなのだ。

 

 付け加えておくと、この場合の盾とは決して防具の盾の事ではない。

 囮、あるいは肉壁の事だ。

 

 そういうわけなので後方でおたついているゆんゆんと職員を脅しているめぐみんを盾にしても良いのだが、流石に小さすぎて盾にはならない。壁生成の魔法もノースティリスの魔法を使う気は無いので却下。

 

「一発で決めるよ! その後は事前の手筈通りに!」

「おう! 調子ぶっこいてる頭のおかしいのに目に物見せてやんよ!」

「アイツ前から気に入らなかったのよね!」

 

 まあ仮に神器を失ってもあなたには愛剣や聖槍、予備の短刀が四次元ポケットの中にあるのだが。

 神器はいわば見せ札だ。贅沢な話だが決して本命ではない。

 

 それにしても女神エリスは人間相手に大人気ないというか、ここまでやるのかとあなたは呆れた。

 実際の所はどうあれ、少なくとも女神エリスから見たあなたはあくまでもこの世界の人間の冒険者に過ぎない。

 ニホンジンのような特別な能力も出自も持っていない相手だというのに本体を降ろし、こっそり女神謹製の強化魔法まで使い、挙句の果てに準英雄級の冒険者を十六人も揃えて袋叩きにしようとしている。

 女神エリスがやる気満々すぎて困る。テンションが上がっているのか、女神アクアと同様にお祭好きなのか。

 

 まあどちらでも構わないとあなたは気炎を吐く十七人を冷めた目で見やった。

 相手が何者であろうと、あなたのやる事は何も変わらない。

 全ては理想の為、脱税の為。

 立ちはだかる障害は悉く叩き潰すだけである。

 

 

 

 ……さて、ここで再度繰り返すが、女神エリスから見たあなたは高い戦闘力を持ち、多少破天荒な部分があったとしても、あくまでもこの世界の人間の冒険者だ。

 あなたも可能な限りそう思われるような振る舞いを心がけてきた。

 

 故にこうも()()()()()()のだろう。

 

 武器を盗むのはいい手だし、彼我の力量差を覆して余りあるほどの、まさに幸運の女神の名に違わぬ規格外の運勢には感服する他無い。

 しかしながら精々準英雄級(レベル40台)の冒険者を十数人揃えた程度で無手の廃人に納税させる事が出来ると考えているなど、頭に盛大にお花畑が咲いているとしか思えない。

 日々廃人達に蹴散らされているノースティリスの衛兵達も爆笑する事必至である。

 

 暗い炎を瞳に灯したあなたは地面に向けて数回神器を振った後、石畳を爪先で引っ掛けた。

 自信はあるが、失敗した時は失敗した時だ。存分に女神エリスの腕前を賞賛してからぶっ飛ばそう。

 なに、どうせ他にも武器はある。

 

「さあ行くよ! スティー――」

 

 スティールが発動しようとしたその瞬間、あなたは女神エリス達に向けて石畳を蹴り上げた。

 四辺およそ五メートル。

 正方形に捲れあがった地面という名の大盾があなたの姿を覆い隠す。

 

 必殺、石畳返し。

 

 

「――ルうえええええええ!?」

 

 

 果たして、石畳はあなたの目論見通りスティールで盗まれ、一瞬で女神エリスの眼前に転移した。

 ギルドの犬達の眼前に立ちはだかる四方五メートルの石畳、もとい壁。

 転移しても蹴り上げた際の勢いは殺されておらず、結果、壁は女神エリス達を押し潰さんと傾いていく。

 しかしスティールを見るたびにいつも思うのだが、盗賊が今から自分は道具を盗みますよ、と声高に宣言するのは正直どうなのだろう。そういう世界なのだと分かっていても違和感がありすぎる。

 

「ちょ、待っ……」

 

 突如視界を完全に塞がれ、地面が正面から迫り来るという異常事態に反応が遅れる女神エリス達。

 この場全ての者の意識がそびえ立つ石畳に向き、誰一人としてあなたを見ている者などいない。

 

 今まさにピンチに陥っている女神エリス達だが、歴戦である彼らは次の瞬間にでも立ち直って石畳を粉砕するだろう。

 

 だがそれよりもあなたが接敵するほうが遥かに早い。

 そう、石畳が盗まれた瞬間、自身の()()を全開にしたあなたの方が遥かに早く、速い。

 

 

 

 

 

 

 ……さて、ここで少しだけノースティリス、ひいてはイルヴァで最重要とされるステータス、速度について記述する。

 ここでいう速度とは体感速度や行動速度を指し、イルヴァの者にとって自身の速度とは自在に変化出来て当然のものである。故に最も重要視される能力だ。

 

 異世界に来てあなたが最も驚いた事の一つに、この世界の住人が自身の速度をそれほど自在に変えられない事が挙げられるが、それはさておき。

 かつてあなたのペットであるベルディアはあなたにこう言った。

 

 

 ――――強くなればなるほど分かるご主人の異常性に膝が震えそう。どれだけレベルが上がっても速度差だけは埋められんのが辛い。魔法も道具も使わずに体感速度を任意で引き上げられるとか反則だろ。冒険者だろうがモンスターだろうがデフォルトでクロックアップが可能とかどうなってんだご主人の世界は……っていうかいずれ俺もその世界に行く事になるのか。ご主人と同等の奴が何人もいるらしいし、なんかもう早くも絶望しかないな。

 

 

 このように、最早この世界でも有数の実力者になったベルディアが愚痴る程度にはこの世界における速度強化には極めて強い制約が存在している。

 勿論加速の魔法が無いわけではないし、ベルディアをはじめ高レベルの冒険者ともなれば一般人の目にも留まらぬ速度で動く事など容易だ。

 しかしイルヴァの速度と比較すればあまりにも敷居が高いし、常時最高速で動ける筈も無い。

 

 とはいえ速度を自在に変えられるイルヴァの住人達も常時己の最高速で生きているわけではない。

 理由は単純にして明快。一人一人の体感速度が違っていてはあまりにも生き辛いからだ。

 

 故にイルヴァにおける基準の速度とは数字に表すと70となっている。あなたの平時の速度もそれに習って70だ。

 この速度70とはイルヴァにおける人類の補正無しの最低速度であり、速度70における体感時間の一秒、一分、一日、一年がイルヴァの基準というわけだ。

 

 なお鈍足種族として有名なかたつむりの基準速度は25。最速の種族であるクイックリングが750である。

 これはかたつむりが一歩動く間にクイックリングは三十歩動く事を意味する。

 まともな戦いにならない事は誰の目にも明らかだろう。速度の重要性も分かろうというものだ。

 

 そして実に奇遇な事に、この世界の基準の速度も70だったりする。

 これに関してはあなたが持ってきたイルヴァの時計とこの世界の時計が完全に同期していたので間違いない。

 同速であるが故に異世界人であるあなたとこの世界の住人の歯車にズレは生じない。

 今回のようにあなたが自身の速度を上げない限りは、だが。

 

 

 なお、イルヴァにおける魔法や道具を使わない時の素の限界速度は2000である。

 更にノースティリスにおいて素の速度が2000に達していない廃人は存在せず、あなたもまた例外ではない。

 

 

 

 

 

 

 自身の速度を限界まで引き上げ、そのまま接敵。

 灰色の塊を勢いのままに断裁すれば、今まさに女神エリス達を圧殺せんとする石畳は不快な音と共に一瞬でバラバラになった。

 最早修復不可能になった瓦礫の山をあなたは体一つで突き破る。

 

 雨霰にも似た瓦礫で姿を晦ましながら、あなたがまず最大目標である女神エリスの姿を確認したところ、彼女は壁と瓦礫から身を守るためか、今まさに目を瞑り、両腕で頭を庇いながら後方に跳躍している最中だった。

 他の者と比べて逃げを打つのがやけに早いが、これは明らかに修羅場慣れしていない者の反応だ。破壊を選ぶ前に壁から反射的に逃げたのだと思われる。

 女神エリスはクリスとして冒険者をやっているが、その本分はあくまでも女神であって常日頃から血生臭い切った張ったを生業とする者ではない。その冒険者稼業も神器回収が主である以上、この反応もある意味では当然だろう。

 

「…………!」

 

 ふと、リーダーの一人と思われる黒髪黒目の少女剣士とあなたの目が合った。

 

 少女の年齢は十代後半。黒目という事は紅魔族ではない。ニホンジンだろうか。

 驚愕に目を見開く彼女はやけに反応がいい。流石の高レベルといったところだろう。

 あるいは特殊な能力や装備でも持っているのか。

 

「――――」

 

 少女が仲間に注意を促すべく口を開く。

 まあ反応しても最早手遅れなのだが、とあなたは冷めた感情のままに神器を振るった。

 加減抜きの神器の一刀は少女が構えた細剣をあっけなく断ち切り、少女の意識を遠い彼方に突き落とす。

 あなたは女相手だからと手加減するような人間ではない。

 むしろ痛みを感じさせずに意識ごとぶっ飛ばすので慈悲深くすらあるのではないだろうかと思っている。

 

「ぁ――――」

 

 仲間達に声をかける間も無く一刀で切り捨てられた哀れな少女剣士を皮切りに、冒険者達は瓦礫が飛び散る中無常にもぶっ飛ばされていく。

 アクセルでは到底手に入らない装備の性能、そして幾多の戦いの果てに磨き上げてきたステータスと連携を活かす事無く散っていく様は命の儚さをありありと感じさせた。

 冒険者とはどこまでも因果な商売だ、などと今までに何十回、何百回考えたか覚えていない事を現実逃避気味に考えつつ十六人目を切り捨て終えると同時、全ての砕かれた瓦礫がバラバラと地面に落ち、周囲が土煙で覆われた。

 

「ごほっ、ごほっ……ごめん皆、ありがと、う……?」

 

 降り注ぐ瓦礫から頭を庇い終え、もうもうと立ち昇る土煙にむせながらも目を開く女神エリスの首筋にあなたは神器を突きつける。

 最早スティールを使える間合いではない。いわゆる詰みである。

 

「え、ちょ、他の人は……ってえぇぇぇぇ!?」

 

 周囲には女神エリスを残して一人残らずぶっ飛ばされ、見事に戦闘不能になった冒険者達。

 まさしく死屍累々という言葉が当てはまる、凄惨な、しかしあなたにとっては珍しくもなんともないノースティリスの日常風景である。

 

 脱税の邪魔をする方が悪いのだ。

 邪魔者達が瓦礫と土煙に塗れて痙攣する様は見ていて実に清々しい。

 手足や体が曲がってはいけない方向に曲がっている者ばかりだが、どうせポーションか魔法で治る。あなたを知る友人達がこの光景を見れば、あまりの有情さに何か悪いものでも食ったのではないかと心配されてしまうのではないだろうか。

 

「何この……え、何? あたし寝てた? どうして倒れてるの? 睡眠の魔法?」

 

 ダラダラと冷や汗を流す女神エリスにあなたは答える。

 一瞬で全員ぶっ飛ばしただけですが、それが何か。

 ちゃんとみねうちは使ったので安心してほしい。

 

「…………」

 

 あなたの至極丁寧な返答に場に沈黙が降りた。

 そして怒号。

 

「い、インチキー! あたし聞いてない! こんなのってないよ、あんまりだよ! チートだチート! チーターだよ!!」

「いやあああああ! 消える! 私のボーナスが消えていく!?」

「勘弁してください! 勘弁してください!!」

「だから俺は嫌だって言ったのに!」

「らめえええええ!! わらひのおうひのローンしゅごいのほおおおおおおお!!」

 

 遅まきながら事態を理解したのか、事の成り行きを固唾を呑んで見守っていた職員達が驚愕の声と絶望の悲鳴をあげる。ざまあ見ろとしか言えない。

 しかし女神エリスのチート(インチキ)呼ばわりはいただけないとあなたは不愉快げに鼻を鳴らした。

 物理はインチキでもなんでもない。あなたが用いたのはただの暴力だ。

 

「ぐ、ぐぬぅ……!」

 

 あまりの正論にぐうの音しか出ないようだ。

 そもそもチート呼ばわりしたければノースティリスの魔法や装備の一つでも使わせてみせろという話である。

 一時的に本気を出したとはいえ、これは不断の努力の末に手に入れたあなたの素の能力だ。断じてチートなどではない。

 こちらの能力も知らずにこの程度の戦力で敵対した女神エリスが浅慮だったと言わざるを得ない。

 ウィズは勿論、ベルディアもこれくらいの相手は容易く蹂躙出来るというのに。

 

 

「っていうか公共物使って何滅茶苦茶な事やってるんですかぁ! 後で絶対に弁償してもらいますからね!?」

 

 ギルド前の地面が盛大に捲れ上がった挙句バラバラに解体された事で外野のルナが悲鳴をあげているが、言われるまでも無くあなたは弁償するつもりである。

 数億という税金に比べればあまりにも安い出費だ。なんならそこで転がっている連中の治療費を払ってやってもいい。

 

「お金払ったら何やってもいいとか思ってませんか!?」

 

 何か問題でも。

 冒険者達をぶっ飛ばしても人殺しはしていないわけだが。

 

「ありますよ! ありまくりですよ!?」

 

 以後気を付けるとあなたは気の無い返事をした。

 二度とやらないとは言っていない。

 

 

 さて、本題である。

 これからギルドの犬としてあなたを裏切った女神エリスをみねうちでぶっ飛ばすわけだが。

 知らない仲でもないし、冥土への土産に何か言い残す事があれば聞こうとあなたは酷薄に笑った。

 故にこうして一人だけ残しているのだ。

 

「……け、敬虔なエリス教徒のあたしに手を出したらエリス様が黙ってないよ? 知らないよ? 神罰だよ?」

 

 女神エリスともあろうものがなんと往生際の悪い。

 生憎とあなたはエリス教徒ではないので神罰など恐れはしないのだ。

 あえて口にはしないが、神罰を防ぐ手段も持っている。

 あなたを神罰で脅したくば、それこそあなたが信仰している癒しの女神本人に頼めという話である。

 

「こ……この罰当たりー! 鬼畜ー! 外道ー! 高額税金未納者ー!! 脱税ダメ絶対! 国民の義務を果たせー!!」

 

 残念、あなたは異邦人だ。この街に住んでいてもこの国の民ではない。

 それにしても負け犬の遠吠えはいつ聞いても心地良い。

 まして相手が裏切り者とくれば、それはもうこの場で呵呵大笑したくなるほどに。

 

 喜悦の笑い声をあげながら、あなたは喚き散らす女神エリスに剣を振り下ろす。

 

 灰色の空に、鈍い音が響き渡った。

 

 

 

 ――――盗賊クリス(女神エリス)および王都特選徴税部隊(準英雄級十六人)戦線離脱(リタイア)



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第67話 街の中で隠しボスと遭遇する不具合

 女神エリスと徴税部隊にみねうちをお見舞いして安全にご退場願ったあなたは、現在二人の紅魔族の少女達と共にアクセルの街の中を逃走している。

 ギルド前に展開していた職員や衛兵達はギルドの虎の子である徴税部隊を一蹴した挙句、相手が知り合いだろうが躊躇無く沈めていくあなたに皆揃って恐れ戦いており、接近するだけで腰が引けるようなザル包囲網を突破するのはあまりにも容易かった。

 具体的には包囲が薄い一角を軽くぶっ飛ばしただけで簡単に抜けられたくらいだ。

 死兵としか言いようの無い不退転にして決死の覚悟で職務に励むノースティリスの衛兵を少しは見習ってほしい。唯一セナだけが必死に他の冒険者を押し留めながらあなたを捕縛するように叫んでいたのだが……

 

 

 ――許可します、用意した魔道具をありったけ彼に使いなさい!

 ――ダメです、片っ端からレジストされて歯が立ちません!!

 ――インチキスペックもいい加減にしろ!

 

 

 このザマである。

 

 さて、そんなこんなで窮地を脱したあなただったが、隠密スキルを持っていない二人の為に大通りを避けて路地裏を進んでいるのが功を奏しているのか、追手の気配は今の所無い。

 徴税官やギルド職員をサーチアンドデストロイするのはとても簡単だし魅力的なのだが、今の所行動に移そうとは思っていない。徴税官は街中に散開しているのでいちいちぶっ飛ばしていくと治療などの事後処理が非常に面倒なのだ。

 みねうちで殴っても死なないが、瀕死の状態で長時間放置しておくと出血や体力の低下で流石に死ぬ。

 近場にポーション屋などの回復手段があったり女神エリスのようにあちらから襲ってきてくれれば正当防衛として遠慮なくぶっ飛ばせるのだが。

 

 やはりこういう鉄火場においてはとりあえず片っ端から殺しておけば大体なんとかなるノースティリスが楽だとあなたは思った。平和すぎるのも良し悪しという事だろう。

 

 

 ――うぐぐ、おごごごご。

 

 

 ふと、人気の無い薄暗い道を駆けるあなたの脳裏に簀巻きにされた女神エリスの姿が過ぎった。

 悪い夢でも見ていたのか、意識を失いながらも苦しそうな表情をしてた彼女だったが、実の所あなたは女神エリスに対しては他の冒険者のように全力で急所を袈裟切りにして瀕死にするほどのダメージは負わせていない。

 みねうちこそ使ったものの、意識をぶっ飛ばす為に神器で頭を殴打しただけである。加減はしていないが攻撃する場所は選んだ。みねうちの致死ダメージを強制的に抑えるという特性上、頭蓋骨粉砕で脳髄破裂、といった大惨事は発生しないので安心だ。

 それでも今日一日起きない程度のダメージは与えたし、大きなタンコブが出来ているので起きた時かなりの頭痛に襲われるだろう。だが血は出ていないし命に別状も無い。

 

 強いて言うなら殴った際にちょっと首から変な音がしたし、明らかにまずい方向に曲がった気がしないでもないが、命に別状は無い。重度のむちうちくらいにはなっているかもしれないが、どの道ポーションか魔法で治る。

 

 それはそれとして女神エリスの剥製が欲しい。ここがイルヴァだったら殺して剥製とカード入手の大チャンスだったのだが。

 

 どこかに世界法則をイルヴァのものに書き換える神器が落ちていないだろうか。

 命の価値がペラ紙になった瞬間からあなたは嬉々として愛剣を振るうだろう。一回ならば死んでもそれはただの事故だとあなたは声を大にして主張する所存である。剥製とカードが欲しい。

 

 

 ――しんばつぅ……てんばつてきめん……ふぐぅ……。

 

 

 どうせすぐに職員によって解かれるだろうが、意趣返しを兼ねて女神エリス達は追加で目隠しして猿轡も噛ませておいた。

 誰かが止める間も無い早業によって、見た目だけなら完全に拉致被害者と化した女神エリス達。

 いっその事本当に拉致しておけば良かっただろうか、などと女神に対して不敬な事を考えていると、背後のめぐみんが白い目であなたを見つめていた。

 

「一瞬で高レベル冒険者パーティーを蹴散らす程度の戦闘力については今更ですので何も言いません。アルカンレティアでハンスを解体する様を見てましたし、それくらいは出来ると思ってましたから。ですがバインドのスキル無しに相手を拘束する技術といい猿轡といい……」

 

 ギルドには討伐依頼の帰りに直接赴いている。

 野外での活動だったので縄などの各種ツールが揃っているのが幸いした。

 

「拘束する手際が良すぎるって言ってるんですよ。盗賊でもないのにどれだけ手馴れてるんですか。というか装備品も漁ってましたよね」

 

 確かにぶっ飛ばした十六人の装備や道具も漁ったのだが、誰もあなたの眼鏡に適う道具は持っていなかったので手はつけていない。ニホンジンらしき少女は装備ではなく能力を与えられていたのだろう。一応テレポート封じの魔道具は回収しておいたが、残念な事に使い捨てだった。ウィズに仕入れてもらう事は可能だろうか。

 

「……まさかウィズを相手にやってませんよね? 窃盗とか、その他諸々」

 

 やるわけがないだろうとあなたは人聞きの悪い事を言うめぐみんに眉を顰めた。

 荷造りの技術と手癖の悪さは冒険者としての嗜みに過ぎない。

 この程度の技術で良ければいつでも教えるが。

 

「……考えておきます。ですが、あなたはカズマとはまた別のタイプの鬼畜ですよね。似ているようで本質は真逆というか」

 

 本人のいない所で仲間を鬼畜呼ばわりするめぐみんも大概イイ性格をしている。

 

「知っての通り、カズマは()()()()()()()()セクハラや鬼畜行為に及ぶわけですが、あなたはなんて言えばいいんですかね、こう……()()()()()()()()()ので行為に及んでいない、みたいに思います。さっきは理由があったのであの有様ですが」

 

 めぐみんは少し難しく考えすぎだとあなたは笑った。

 立ちはだかる邪魔者は倒す。たったそれだけの話である。

 

「むう……」

「でも、本当に良かったんですか? クリスさんとはお知り合いなんですよね? それに今更ですがその、ギルドに喧嘩を売るっていうのは……」

 

 難しい顔をするめぐみんに何か言っておくべきかと考えたが、その前にゆんゆんが周囲を警戒しながらも小声で問いかけてきた。

 気弱なゆんゆんにとっては公然とギルドに歯向かうというのは一大事なのだろう。

 しかし今更すぎる話だ。

 大体にして、当初あなたはゆんゆんと共にテレポートで逃げて穏便に済ませるつもりだったという事を忘れてはいけない。

 それを魔道具まで使って引き留め、更には喧嘩を売ってきたのは女神エリス、そしてギルドの方だ。あなたは喧嘩を買ったに過ぎない。

 例え知り合いだろうが友人だろうが、相手がやる気というのであればこちらもそれに応じるだけである。

 

 再度繰り返すがあなたは税金を払いたくないのだ。

 誰が何と言おうと絶対に脱税させてもらう。

 抜け道があるのなら通って何が悪いというのか。

 

「売られた喧嘩は絶対に買うのが紅魔族の掟なのでそれについてはよく分かります。まああなたは紅魔族ではないんですが」

「ま、まあ税金に五割は凄いですし私も払えないんですけど……でもあなたはお金持ちなんですよね? 少しくらいならいいのでは……」

 

 少しではないから問題なのだ。

 先日自宅に年収五億エリス以上の冒険者に郵送される督促状が届いた以上、あなたの支払う税金は最低でも二億五千万エリスに及ぶ事になる。

 

「におっ……!?」

 

 しかもこの額はあくまでも最低であって詳細な金額は家計簿など付けていないので不明。

 それでも尚ゆんゆんは税金を払えと言うのか。

 あなたの追及に表情を引き攣らせるゆんゆんは言葉を濁らせている。流石に億超えをポンと支払えとは言えないようだ。ここで気軽に払えとか言い出したら逆に感心していたのだが。

 

「いい子ちゃんのゆんゆんの税金って幾らになるんですか?」

「……えっと……多分二千万エリスはいかないと思う、って何よいい子ちゃんって!?」

 

 先ほどダクネスが言っていた通り、徴税官に捕まって納税の手続きを終えたにも関わらず金が足りなかった場合は納税額に到達するまで依頼報酬から一定の割合が差し引かれていく。

 ノースティリスとは違って滞納者が問答無用で犯罪者に落とされる事が無い以上、妥当といえば妥当な措置なのだろうのだが、翌年の収入が一千万を超えた場合はやはり半額持って行かれる。

 理不尽すぎて最早溜息も出ない。この国が王都にまで頻繁に攻め込まれているという、普通に考えて詰んでいるとしか思えないレベルにまで魔王軍に押されているのはここら辺の事情も相まっているのではないだろうか。

 

 あなたがこの国の現状について軽く考察していると、気配探知に自分達以外の者の気配が引っかかった。

 追走する二人に無言で合図を送り、物陰に身を隠す。

 気配は一直線にこちらに向かってきているようだが、肝心の姿は見えないので徴税官か冒険者か無関係の人間かまでは分からない。しかしやけに多い。十数人はいると思われる。

 そして隠れる物陰こそあれ、現在あなた達がいる路地は一本道となっており、わき道から逃げる事は出来ない。進むか引くかの二択である。

 

「めぐみん、どうしよう……どうすればいいと思う?」

「そんな心配しなくても、どうせこの頭のおかしいのがさっきみたいにぶっ飛ばしますよ」

 

 あなたを杖の先で突きながらしれっと言い放った頭のおかしい爆裂娘に、ゆんゆんはあなたをチラ見しながら溜息を吐いた。

 

「捕まる心配をしてるんじゃなくて、私はこれ以上被害者が増えるのを気にしてるんだけど……」

「ならゆんゆんのパラライズで麻痺にでもしたらどうです?」

 

 それでも別に構わないとあなたは頷いた。

 あなたはパラライズの魔法を使えないが、暴力(みねうち)で倒すのもパラライズで行動不能にするのも結果的には同じだろう。

 

「ぜ、全然違うと思いますけど……分かりました。次は私がやります。これ以上の犠牲者を出さないためにも……!」

 

 杖を握り締めて気合を入れるゆんゆん。

 その瞬間、遠方で大声があがった。

 

「いたぞ、こっちだ!」

「この先は一本道になってる! お前らは先回りして囲め!!」

「諦めて夏のボーナスになるんだよ!!」

 

 徴税官の怒鳴り声にゆんゆんがビクリと体を震わせる。

 高レベルになってもメンタル面に不安を抱えている所は変わっていない。

 

「ゆんゆんも本当にいよいよとなった時の行動力は凄いんですけどね。良くも悪くもですが」

「これは助けるため、助けるための行為だから……犠牲者を増やさない為に私が頑張らないと……」

 

 そして待つ事暫し。いよいよ足音が至近に迫ってきた瞬間、ゆんゆんは勢い良く物陰から飛び出し、魔法を発動させた。

 

「行きます……パラライズッ!!」

「へへっ、今日を無事に終えられたら俺、お前に言いたい事が…………うぐぁっ!?」

 

 果たして、死角から飛び出してきたゆんゆんの不意打ちの魔法は見事に集団の先頭を走っていた男を麻痺させる事に成功した。

 レベル40近い、それも魔法のエキスパートである紅魔族の麻痺魔法である。その効果は推して知るべし。

 

「トーマス!? どうしたの!?」

「か、体がしびれて、ピクリとも動かねえ……!」

「そんな、マジかよ!」

「このままだと追いつかれちゃう!」

 

 少し様子がおかしい。

 焦っている声の正体が気になったあなたはこっそり覗き見してみる事にした。

 

「あ、あれ? もしかしてこの人達って……」

 

 なんと、だらだらと冷や汗を流すゆんゆんが麻痺させたのは徴税官でも一般人でもなく、普通にアクセルで活動している冒険者パーティーの一人だったのだ。

 パーティーの内訳は男の戦士が二人、女の魔法使いと弓使いが一人ずつ。

 アクセルの店で手に入る装備で身を固めている彼らは、あなたも見覚えのある顔ぶれである。

 

 そんな彼らはトーマスと呼ばれていた戦士を麻痺させた犯人であるゆんゆんに敵意をむき出しにしていた。恐らく女神エリスをぶっ飛ばす前に離脱していたグループだろう。

 

「よくもトーマスをやってくれたわね!!」

「アンタ同じ冒険者じゃなかったのかよ!!」

「え、あ、ち、違……私、そんなつもりじゃ……」

 

 どうやら不運な事故が起きてしまったようだ。少し注意が足りなかった。

 縋るようにこちらをチラチラ見てくるゆんゆんの視線にめぐみんが力強く頷き、大ピンチに陥った冒険者達の前に姿を現す。頭のおかしい爆裂娘の登場に、冒険者達が真っ青な顔で震え上がった。

 なおあなたは今も物陰で彼らのやり取りを傍観中である。冒険者達に気付かれてはいない。

 

「あ、あわわわ……お仕舞いだわ……私達ここで終わるのね……さようなら余裕のある生活。こんにちは借金漬けライフ……」

「勘違いしないでください。()()はギルド側ではありません。私達も脱税の為に徴税官から逃げている最中です。あなた達の仲間ですよ」

 

 ぼっちの紅魔族と冒険者達はほっと安堵の息を吐くも、頭のおかしい爆裂娘は苦々しく吐き捨てた。

 

「それにしてもゆんゆん、まさか私達と一緒に逃げていた筈の貴女がギルドの犬だったなんてこれっぽっちも思いませんでしたよ。ゆんゆんにしては中々やるではないですか、この裏切り者め……!」

「めめめめめぐみん!? ねぇめぐみん!? 嘘でしょ!?」

 

 めぐみんの言う私達とは自分とあなたの事であり、ゆんゆんは数に入っていなかったようだ。

 清々しいまでにあっさりと自分を崖から突き落とした無情な友人に、ゆんゆんは半泣きになった。

 そんなめぐみんは本気でゆんゆんがギルドの回し者だと思っているわけではない事はあなたにも分かる。空気を読んでここぞとばかりに弄って遊んでいるだけだ。友人のまさかの裏切りにショックを受けるゆんゆんは気付いていないが、めぐみんの口元は笑いを我慢している。

 相も変わらずめぐみんはゆんゆんが相手だと畜生である。彼女なりに友人であるゆんゆんに甘えていると言い換えてもいい。若干甘え方はひねくれているが。

 

「畜生、やっぱりそういう事なのか!」

「大方税金の免除を条件にギルドに付いたのでしょう。同じ紅魔族のアークウィザードとして同胞の不始末に深くお詫び申し上げます」

「気にしないで、貴女が悪いわけじゃないわ! ここは四人で協力して突破しましょう!」

「いいですとも!」

 

 ゆんゆんを囲むように陣形を組む四人。

 そしてタイミングを計ったかのように徴税官達が追いついてきた。数は五人。

 

「さあ観念しろ! そして俺達の夏のボーナスになれ!!」

「畜生、挟み撃ちかよ……!」

「お、お前ら……俺の事はいいから逃げ……」

「バカッ! アンタ一人置いて逃げられるわけないでしょ!」

 

 だいぶ盛り上がってきたな、とあなたは劇を見学するような気楽な気分で推移を見守る。

 徴税官と冒険者達の間でジリジリと緊迫感が高まっていく中、後方から回り込んできたと思われる徴税官達がやってきた。

 

「クソっ、爆裂魔法使いもいやがる……!」

「でも挟撃した状態ならどっちかは生き残れるわ!」

「覚悟しろ! 最早貴様らは袋のネズミだ!」

「ふはははははは! さてゆんゆん、いい機会です。ここいらで長きに渡る私達の因縁に決着を付けるとしましょうか! 貴女の望み通りに!」

 

 周囲は本気でやっているというのに、約一名だけはノリノリだった。めぐみんは演技の道でも食っていけるのではないのだろうか。

 

「……た、助けてください! お願いします、後で何でもしますから助けてください!」

 

 そしてそれが引き金になったのだろう。事ここに至り、遂にいっぱいいっぱいだったゆんゆんに泣きが入った。

 ここであなたが彼女の懇願を無視するか、あるいはめぐみんに同調しようものならば今度こそゆんゆんはメンタルの限界を超えてマジ泣きすると思われる。

 

 レベルはともかくゆんゆんのメンタル面に関してはまだまだ不安が残っている事を後でウィズに話しておこうと考えつつ、物陰に隠れていたあなたは姿を現す事にした。

 ゆらり、と音も無く暗がりから現れるあなたの姿に冒険者と徴税官が目を剥き、冒険者パーティーの魔法使いの少女が小さな悲鳴を上げた。

 

「あ、これ終わったわ。俺達終了のお知らせだわ」

「エリス様、貴女は今も寝ているのですか!」

 

 冒険者達は武器を落として膝を突き、一方で徴税官達が膝をガクガクと震わせながら虚ろに笑い始めた。

 

「死ぬぜぇ……アイツを見た奴は皆死んじまうぜぇ……」

「何故……ああ、そんな……これはどういう事なの……?」

 

 一言で言って状況はカオスである。

 別に攻撃魔法である混沌の渦を発動させた覚えは無いのだが。

 

「これは夢、だったのか……悪い夢、いや……良い……いや、悪い……いや良い夢……いや、良い夢……だった……いや、悪い……」

 

 冒険者と徴税官があなたを見る表情は絶望と諦観と悲哀で満ちていた。

 目視しただけでこの反応である。まるでノースティリスの冒険者や新米衛兵のようだ。あなたは溜息を吐きたくなった。この世界ではまだそこまで暴れたつもりは無い。それどころか思いきり自重している。

 殺してきた者も魔物と悪党と魔王軍だけだし街中で友人と突発的に遊び始めて被害を拡大させてもいないというのにこの反応。解せぬ。

 

「い、今なら……! ごめんなさい! ……パララーイズッ!!」

 

 徴税官が忘我となった隙を突き、目をギラリと光らせたゆんゆんが決死の覚悟で麻痺魔法を連射した。

 

 結果、十人の徴税官はあっという間に全員行動不能に陥った。良い手際である。隙あらば速攻で仕留めるべしというウィズの指導はしっかりとゆんゆんの中で息づいているようだ。

 

「ほら、ほらね!? めぐみん、私は裏切ってなんかないでしょ!?」

「なんですか、そんなに必死にならなくても分かってますよ。さっきのはちょっとした冗談です」

「……へ? じょ、冗談?」

「当たり前じゃないですか。私としてはマジに受け取っていたゆんゆんにビックリですよ」

 

 あまりゆんゆんを苛めてやるなと苦笑しながらあなたはめぐみんの頭を軽く小突く。

 あなたも友人同士の可愛いじゃれ合いと分かってはいたが、後でウィズに泣き付かれた時が面倒だ。

 

「うろたえるゆんゆんを見ていると楽しくなってきたので、ついその場のノリに身を任せてしまいました。中々笑えましたよ……ぷぷっ」

「ついじゃないから! 全然笑えないから!!」

 

 仲良く喧嘩を始めた少女達を放置し、あなたは地面にへたり込んだ冒険者達に声をかけた。

 

 彼らはあなた達の進行方向からやってきた。という事はこの先は徴税官に封鎖されているのだろうか。

 

「え、えっと……私達は追い詰められてこの路地に逃げ込んだだけなの。だからこの先がどうなってるかは……」

 

 ハッキリしない答えが返ってきた。まあ先に進めば分かるだろう。

 どうせ引き返すつもりも無い。封鎖されていた時は封鎖されていた時だ。

 

「あー、その、なんだ。お蔭で助かっ……ちょ、おま……ええええ……」

「ごめんなさい……無力な私達を許して……」

 

 気を取り直してあなたは地面に転がった徴税官達全員に猿轡を噛ませ目隠しをし、更に一人を残して全員を縛り上げていく。

 ここは人通りの無い路地なので全員を縛るとパラライズが解けた後の処理が大変だろう、というあなたの心温まる気遣いである。あまりの優しさに世界中が総立ちするのではないだろうか。

 

 そうして徴税官を行動不能にしたあなたから冒険者達は目を背けていた。

 疑問を覚えつつ、しかし気にしても仕方ないとあなたはゆんゆんとめぐみんと共に先を急ぐ事にした。

 

 

 

 なおパラライズを食らった戦士についてだが、彼はゆんゆんが持っていた麻痺治しの道具ですぐに元気になった。

 随分と用意が良いが、彼女は以前ウィズの店で買った魔法効果と範囲を強化するマジックポーションで自爆した時の事がトラウマになっており、依頼に赴く際は麻痺治しを常に携帯しているのだという。

 

 

 

 ――――徴税官十名、ゆんゆんの麻痺魔法によって一時的に行動不能(リタイア)

 

 

 

 

 

 

 さて、路地を抜けた先に徴税官は配置されていなかった。

 それは良かったのだが、あなた達が抜けた先は表通りに面していた。

 道が広いので見通しがいい上に死角が少なく、こそこそと動くにはあまりにも向いていない。おまけにあちらこちらで私服の徴税官と思わしき者達が目を鋭く光らせて周囲を警戒している。先ほどのようにパラライズを使ってもすぐに他の徴税官に露見するだろう。

 かといってここで待っていても麻痺の解けた徴税官達が後方からやってくるだけだ。

 あなた一人であれば気配断ちでどうとでもなるが、今は二人の同行人がいる。そうもいかない。

 

「私達の格好だとどうにも目立ちますね。天気が悪いせいか人通りも殆ど無いので人気に紛れる事も出来ませんし」

「めぐみんも私も真っ黒で目立つしね……」

 

 確かに紅魔族特有の真っ黒な服装が二名。

 しかも緊急クエストという名目で呼び出されたせいで、あなたや他の冒険者達と同じく二人もまた完全武装の状態で来てしまっている。この格好では誰がどう見ても冒険者である。

 

 面倒なので強行突破に切り替えるべきか。なあに、ここなら適当にぶっ飛ばしてもすぐに救援が来るだろう。

 あなたの自重など所詮はこの程度である。

 

 物騒な方向に心の天秤が傾きかけた所で顔に何かが当たった。

 指先で拭ってみるとぬるりとした冷たい雫だった。

 

「……はぁ。雨まで降ってきましたか」

 

 嘆息しながら空を見上げるめぐみんにあなたも釣られれば、いつの間にか灰色を通り越して黒に近くなった雷雲が空一面を埋め尽くしていた。

 あるいは空の向こう、この世界中に広がっているのではないか。

 そんな錯覚すら覚えるほどに雲は分厚く、どこまでも果てが見えない。

 

 船旅の途中で嵐に巻き込まれ、ノースティリスに漂着した日もこんな天気だった事をあなたは思い出した。当時の自分はよくもまああの嵐の中で溺死しなかったものだと自分の悪運の良さに思わず感じ入る。

 とはいってもあの日は雷雨ではなく、エーテルの風が吹いていたのだが。

 

「うわぁ、ゴロゴロ鳴ってる……あ、今遠くでピカって光った」

「これはちょっと激しいのが来そうですね。逃げる分には都合がいいのかもしれませんが」

 

 今は街の中だからいいが、野外における雷雨の中の行軍はあまりやりたいものではない。

 視界は塞がるし体は冷えるしで碌な事が無いのだ。モンスターの襲撃も活発になって面倒なので可能であれば雨があがるまでシェルターに潜るべきである。依頼中であればそうもいかないのが困りものだが。

 

 ノースティリスでの雷雨事情はさておき、雨が降り始めた以上対策はしておくべきだろう。

 そう決めたあなたが荷物から雨具を取り出して着込む様をめぐみんとゆんゆんは黙って見つめていた。

 はて、どうしたのだろう。彼女らも本降りになる前に雨具を着た方がいいと思うのだが。

 

「いえ、その、実は……」

「雨具は持ってきてません。天気が悪いのは分かっていましたが、緊急クエストという事で急いでいましたので」

 

 そういう事であれば仕方ない。あなたは荷物袋から更に雨具を取り出して二人に渡した。

 依頼の帰りでなければ三人揃ってずぶ濡れになっていた。そういう意味では運が良かったのかもしれない。

 

「いいんですか? すみません、ありがとうございます」

 

 あなたが渡した雨具はあなたやペット達がノースティリスで使っていた物なので頑丈さと防水性、通気性に関しては折り紙つきだ。下手な防具よりよほど役に立つ。

 小柄な二人ではサイズが合っていないが、そこの所は我慢してほしい。

 

「ふむ、確かに凄く快適ですね。ぶかぶかですが結構動きやすいです。ゆんゆんのはどうですか?」

「…………」

「ゆんゆん?」

 

 紺色の雨具を着込んだゆんゆんは雨具の襟を引っ張って鼻に近づけ、すんすんと匂いを嗅いでいた。

 日頃から手入れは欠かしていないのでカビは生えていないと思うのだが。

 

「あ、いえ……その、なんでもないです、はい……」

「今のゆんゆん、ハッキリ言って凄く変態みたいでしたよ。あと人前でそういう事をするのはどうかと思います」

「へ、変態ッ!? 私が!? 違っ、私はただ――――」

 

 そこまで言った途端、ゆんゆんの抗議の言葉は雨音に掻き消された。いよいよ本降りが始まったのだ。

 降り注ぐ大量にして大粒の水滴は恵みの雨と呼ぶにはあまりにも荒々しい。

 バケツをひっくり返したような、という慣用表現があるが、ここまで来ると最早雨ではなく嵐や台風といった方が表現としては近い。

 

「――――!」

 

 それにしても予想はしていたが酷い豪雨だ。

 一寸先は闇とまでは言わずとも、最早数メートル先の視界すら満足に確保出来ない状態である。

 地面と雨具のフードに激しく叩きつけられる雨音のせいで、すぐ隣にいる二人の声も殆ど聞こえない。

 

「――――!!」

 

 先ほどからめぐみんが何かを言っている。

 あなたが口に指を当てて手を横に振り声が聞こえないと表現すると、彼女はあなたに屈むようにジェスチャーをしてきた。耳の近くで話すという事だろう。

 

「こん――」

 

 めぐみんが口を開くと同時、空が一瞬だけ明るくなり、大気を切り裂き大地を揺るがす凄まじい雷鳴が轟いた。

 

「きゃああああああっ!?」

 

 ぼすっと背中に軽い衝撃。悲鳴をあげたゆんゆんがあなたに抱きついてきたのだ。

 空が光ってから音が鳴るまでに殆ど間が無かった事から、雷はアクセルの近くに落ちたのだろう。

 

「す、すみませんすみません!」

 

 何度も頭を下げるゆんゆんに気にしなくていいと声に出さず手を振る。

 その一方で日頃爆裂魔法をぶっ放して轟音に慣れているめぐみんはケロっとしていた。

 とりあえず話の続きを促す。

 

「こんな雨の中で立ち往生なんてやってられませんし、今のうちに動きませんか!? この視界なら打って出てもあっちは私達を見つけられません! 適当な場所で雨宿りするなり夕方まで隠れるなりしましょう!」

 

 異論は無い。

 ゆんゆんに視線を向けると先に話を終えていたのか、こくりと頷いた。

 

 

 そうして度々二人がはぐれていないか注意しつつ豪雨の中を進むあなただったが、ふとゆんゆんに背中を引っ張られた。

 振り返ってみれば彼女はある方向を指差している。何かが見えたらしい。

 その先に注意を向けてみれば確かに暗がりの中を幾つもの光球……いや、火球が飛んでいた。

 

 

「ファイアーボール! ファイアーボール!!」

「ぬあああああああもおおおおおお! なんでこのタイミングで雨降るのよ! ファイアーボール!!」

「クソァ! さっさと出てこいよちくしょおおおおおおお! ファイアーボールファイアーボール!!」

 

 

 揺らめく炎は亡霊だろうか、とあなたが目を凝らして見てみれば、雨具も着ていない徴税官やギルド職員達が雨に打たれながらも一心不乱に農業用水の貯水池にファイアーボールを打ち込んでいた。

 ストレスと疲労で脳が参ってしまっているのかもしれない。そっとしておこう。

 

 現代社会の深い闇を垣間見たあなたは半狂乱になって魔法を打ち込み続ける一団を無視して先を急ぐ事にした。

 

 

 

 ……これは後日めぐみんに聞かされた話だが、この時農業用水の中には水の中で呼吸出来る女神アクアが逃げ込んでおり、徴税官達は貯水池を魔法で茹でて彼女を捕獲しようとしていたらしい。正体を知らないとはいえ女神を茹でようとは恐ろしい事をするものである。

 

 

 

 

 

 

 さて、豪雨の中を濡れながら駆け抜けたあなた達が最終的に辿り着いたのはあなたの自宅だった。

 この悪天候の中でゆんゆんとめぐみんを連れて野外活動は行いたくないし、篭城を決め込むのであればいっそ様々な道具が揃ったホームの方が心強いと思ったのだ。

 しかし当然というべきか、そんな事は相手も全てお見通しのようだ。

 

「雨で視界が殆ど死んでいるのでよく見えませんが、どうやら職員が張っているみたいですね。恐らく私の屋敷の方も同じような事になっているでしょう」

 

 めぐみんの言うとおり、雨具を着込んだ徴税官や衛兵が自宅と店の前に展開している。

 仕事熱心で大変結構な事だ。全く忌々しい。

 

「高額納税者は辛いですね。まあ私じゃなくてカズマ狙いだと思うのですが」

「ところで店の前に誰か立ってませんか? 徴税官の人達じゃない誰かが」

 

「フハハハハ! さあどうした国家の犬共よ! 見事この嵐の中我輩を退けてポンコツ店主から税金をせしめてみせるがよい!!」

 

 この豪雨の中、雨具も纏わずに店の扉の前で仁王立ちしている者がいた。バニルである。

 彼は雨に打たれながらも不当な権力とキチガイじみた税率という名の嵐から店とウィズを守っているのだ。

 何と頼もしい姿なのか。稲光に照らされる堂々とした立ち振る舞いは禍々しさと神々しさが同居している。流石の大悪魔だ。

 

「傘も差さないで何やってるんですかね、あの元魔王軍幹部は」

「あれがウィズさんのお友達の……ただの仮面を着けた店員さんじゃなかったのね……」

 

 アルカンレティアでウィズの正体を知った際、ゆんゆんはバニルの事も聞かされている。

 

「隊長、もういっそ店主さんは諦めて頭のおかしい方の家に乗り込み、直接私財を毟るというのは……」

「バカッ、そんなの出来るわけないだろ! 強制徴税に来た奴に危ない魔道具触らせて被害出させた挙句、高額な訴訟起こされる事件が高レベルの冒険者の間で多発してるんだぞ!? しかもここはあの頭のおかしいエレメンタルナイトの自宅! 家だけならまだしも、アクセルが木っ端微塵に吹き飛んだらお前責任取れるのかよ!! 俺ぁまだ死にたくないんだよ!」

「すみません軽率でした! 俺も死にたくありません!」

 

 生憎と自宅に核は保管していないが、家に戻ってきたのは正解だったようだ。

 自宅に踏み込んで強制徴税などノースティリスですらやっていない。

 この国の住人達は王侯貴族に対してクーデターや血の粛清を行っても許される。

 

「はてさて、ここで取り出しましたるはポンコツ店主がお得意様のために仕入れた新作ポーション! なんと水に反応して連鎖爆発を起こすという狂気の一品である! 池に投げ込もうものならば池全体が爆発して大惨事! 仮にもポーションを扱っている癖に何を考えてこんな物を仕入れてきたのか我輩も理解出来ん!! ちなみにお値段は一本50万エリス! さあ買った買った!」

「おい馬鹿止めろ! ほんとに止めろ!! こんな雨の中で使ったら滅茶苦茶な事になるだろうが! この悪魔!!」

「うむ、確かに我輩は悪魔だが」

 

 なんと勿体無い。バニルに新作爆発ポーションを使わせるわけにはいかない。

 あなたは今すぐにでも行動を開始しなければならないと決心した。

 

「じゃあパラライズを……え、店の前だから必要ない? それってどういう……」

 

 二人にその場で待っているように指示し、あなたは雨の中に紛れる。

 家々の隙間を潜り抜け、店の前に展開している衛兵達の背後に迫る。

 

「おおっと、突然だが貴様らに死相が浮かんでおるぞ! 痛い目に遭いたくなければ尻尾を巻いてこの場から逃げ出すが吉!」

「……くそっ、おい、全員で行くぞ!」

「そうかそうか。では後ろを見てみるがよい」

「誰がそんな古典的な手に引っかかるか! 一人でも店の中に入ればこっちの勝ちだっガッ!?」

 

 許容も無く、慈悲も無く。

 ただひたすらに納税したくない、脱税したいという確固たる意志の元に雨と闇に紛れて忍び寄ったあなたが背後から襲い掛かった結果、出来上がったのは例によって半死体の山。

 奇襲闇討ちはお手の物。この天候の中で十数人を処理するなどあなたにとっては赤子の首を捻るようなものである。あまりにも容易い作業であった。

 

「あああああ……また犠牲者が何人も……」

「ウィズの店を襲ってるんだからアレはこれくらいやるでしょう。……まあ大丈夫ですよ。すぐそこのウィズの店で回復ポーション売ってますから」

「ただのマッチポンプじゃない!」

 

 

 

 ――――徴税官および衛兵十八名、戦線離脱(リタイア)

 

 

 

 

 

 

 ウィズの店のスペースの一角に備え付けられた窓際のテーブルからぼんやりと外を眺める。

 激しい雷雨は一向に止む気配が無い。河川の氾濫が起きなければいいのだが。

 

 追っ手を蹴散らしたり振り切ったりして無事に帰宅したあなただが、今の所増援の気配は無い。そして現在家の風呂は先に体を温めるべくめぐみんとゆんゆんが使っている。

 あなたは濡れた体をしっかり拭いて着替えも終えたが、やはりまだびしょ濡れだった下半身には肌寒さが残っていた。

 とはいえあなたの体は頑丈なのでこれくらいで体調を崩したりはしない。

 

 運が良いのか悪いのか。少なくともこの天気では徴税官達は行動し辛いだろう。冒険者はどれくらい逃げ切っただろうか、などと思いを馳せていると店の奥の扉が音を立てて開いた。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 扉を開けて現れた店主のウィズは、その手に小鍋と大きめのバスケットを持っていた。体の冷えたあなた達に食事を用意してくれたのだ。

 あなたが自分で作っても良かったのだが、ウィズは雨に打たれて体が冷えているだろうからとわざわざ作ってくれたのだ。この天気ではもうお客さんも来ないでしょうし、と笑って。

 

「作り立てで熱いので火傷しないように気をつけてくださいね」

 

 

 カップに注がれたスープをゆっくりと嚥下し、ほっと白い息を吐く。

 

 ウィズが用意してくれた玉葱と生姜のスープは冷えた体に染み入るようだった。

 しかし冷え切った胃に暖が入ると、今度は固形物が欲しくなる。

 昼は帰宅してから食べる予定だったので、朝から何も食べていないのだ。

 

 適当にハーブでも摘まもうかと思ったあなたに、ウィズは今度はバスケットを差し出してきた。

 

「軽いものですけど食事も用意してますよ。スープを作りながらでしたので、本当に簡単なもので申し訳ないのですけど」

 

 そう言って開いた大きめのバスケットの中には、三人分のものであろう野菜とハムとチーズを挟んだパン、そしてリンゴが入っていた。ありがたく頂くとする。

 至れり尽くせりの用意に感謝の言葉も無い。ウィズはきっといいお嫁さんになれるだろう。

 

「い、いいお嫁さんって……その、私は自分とかお店の事で手一杯ですし、まだそういうのは考えられないといいますか……今はこのままがいいかなって……」

 

 あなたには真っ赤な顔で狼狽するウィズの気持ちがとてもよく分かった。

 何故ならあなたもまた長生きしているが未婚だからだ。

 ちなみにこの場合の結婚とはペットとの便宜上の関係の事ではなく、本当の意味、つまり人生のパートナーを得る事を指す。あなたには友人以外を選ぶつもりが無いので未婚なのは当然なのだが。

 

 

 

 

 

 

 食後の世間話の内容は、当然のように納税についてだった。

 

「お昼の緊急クエストは私も何だろうって思ってたんですが、納税の召集だったんですね……あなたは払いましたか?」

 

 あんなもの払うわけがないだろうと苦笑する。

 収入の五割など馬鹿げている。法に穴があるとなれば尚更だ。

 あなたがギルド前で起きたクリスとのいざこざを話すと、ウィズは何とも言えない微妙な表情になった。

 

「王都からの集金パーティーですか……納税の件といい、アクセルの歴史に残るかもしれませんね」

 

 納税の件はルナもそのような事を言っていた。

 デストロイヤーという多額の報酬が無ければ今日という日は平穏無事に終わったと思われる。

 その場合もあなたとカズマ少年は徴税官に追われていただろうが。

 

「しかし話を聞く限り、随分とあなたも暴れたみたいですね。お店の前でもやっちゃったみたいですし。帰ってくるなり回復ポーションを売ってほしいとか言うから何事かと思いましたよ」

 

 ちなみにあなたが店先でぶっ飛ばした徴税官達はポーションで治療された後にバニルがどこかに連れて行ってしまった。

 ウィズとしては彼らに、そしてあなたに思う所は無いのだろうか。

 

「これに関しては思う所が無いというより、もうそういうものだと思っていますから。慣れているって言えばいいんですかね? 駆け出し冒険者の方が大半なアクセルはともかく、私が現役だった頃も王都で活動する冒険者と徴税官の方々はこの時期毎年戦争もかくや、という骨肉の争いを繰り広げてましたよ。酷いときは国税庁に冒険者が押し入って暴れたり……そういえば仲間と鎮圧に駆り出されたりもしましたっけ……」

 

 遠い目をして語るウィズだが、かくいう本人は現役時代に税金を払っていたのだろうか。

 言わずもがな当時の彼女は高レベルであり、年収は余裕で一千万を超えていたと思われるが。

 

「え、ええ、まあ。私個人としましては払った方がいいのでは、と思っていたのですが、パーティーの多数決で決まった方針でして。この時期は長期の遠征をして、五月まで人里に寄るのは最小限にしたりしてですね……」

 

 つまり氷の魔女時代から脱税の常習犯だったと。

 今日も脱税する気満々だと。

 

「…………沢山稼いでいた当時はあまり深く考えていませんでしたが、収入から五割って実際どうかと思うんですよ」

 

 ぽわぽわりっちぃは雨音が響く窓の外を見つめながらぽつりと呟いた。

 こう言っては悪いのだろうが、あなたからしてみると少し意外な答えである。

 

「いえ、勿論最初は払うつもりだったんですよ? バニルさんには色々と文句も言われましたが、今はあなたのお蔭でこうして生活も安定していますし、去年まで払っていなかった分市民の義務を果たさなきゃって思ってました」

 

 いつもウィズ魔法店をご愛顧してくださってありがとうございます、とあなたに向かって柔らかく微笑むウィズ。

 そしてコホンと小さく咳払い。

 

「あなたもご存知の通り冒険者の納税額は最大で収入の五割ですが、商店を経営しているような人にはまた別の税率が適用されるんです。というかそうじゃないととても生きていけません。仕入れとかありますからね。冒険者と同じ税率で儲けを出そうと思ったら物価が大変な事になっちゃいます」

 

 それはそうだろうな、とあなたは頷いた。

 しかし冒険者も装備や道具などで大概入用なのだが、大方物流を支配するような大商人に配慮した結果だろう。

 おのれブルジョワジー。あなたは枚数が余裕で億を超える手持ちのノースティリスの金貨をばら撒いて市場相場を徹底的に破壊してみたくなった。

 

「ですが……その、私は冒険者を引退しましたし活動こそしていませんが、一応冒険者ギルドに籍を置いているじゃないですか。だからでしょうか? 税金の取り方も冒険者のものが適用されているみたいで……」

 

 つまりウィズの店は売上高(収入)から五割持っていかれるという事だ。

 眩暈がする話である。同じ五割払うにしても素直に冒険者を続けた方がよっぽど儲かるだろう。

 むしろ売れば売るほど赤字が膨れ上がるのではないか。

 

「実は私がアクセルでお店を始めてから年収が一千万エリスを超えたのって今年が初めてなんですよね。ですのでこんな事になっているだなんて初めて知りましたよ……」

 

 へぅ……とか弱く鳴きながら肩を落とす貧乏店主。

 昔の仲間達の為とはいえ、ウィズであれば片手間にでも討伐依頼を受けていれば年収一千万は余裕だったろうに。

 

「ですので今も冒険者扱いされているのであれば、いっそ私も冒険者のように納税を拒否しようかな、と。……本当はよくない事だとは思うのですが、バニルさんとの約束もありますし……売れば売るほど赤字になるなんてそんなの……折角あなたや皆さんのお蔭でお店が軌道に乗ってきたのに……うぅ……」

 

 いよいよテーブルに突っ伏してしまったウィズの背中をあなたはよしよしと慰めながら摩る。

 脱税による良心の呵責に苛まれているのだろう。

 

 不憫だとは思うが、しかし彼女に関してはあまり同情出来ないのは何故なのか。

 あなたからしてみれば彼岸の住人としか思えないほどに彼女の人が良すぎるというのもあるが、それだけではない。

 

 真面目に働けば働くほど赤字を作り出すという異次元の商才を持っているウィズ。

 そんな彼女が売れば売るほど赤字になる事を嫌がるというのは、あなたをして凄まじく微妙な気分にさせられたのだ。

 ウィズ本人は仕入れている品をこの世界基準で本気で素晴らしいものだと認識しているからだと分かってはいるのだが。

 

 彼女がノースティリスで店を開いていれば、それこそ満員御礼でバニルも笑いが止まらなかった筈だ。

 世の中はいつだって儘ならない事ばかりである。

 

「売ったら赤字になるなんて酷い話ですよね……。今日だって新商品を仕入れたんですよ? 良い商品だったんですよ? ……これなんですけど」

 

 突っ伏しながらもウィズが取り出したのは一辺二センチほどの真っ黒な四角い固形物だった。

 どんな品物なのだろう。

 

「モンスターとかに食べさせると、そのモンスターの魔法の抵抗力を暫くの間劇的に下げてくれる罠餌でして。本来パラライズなどの状態異常が効かないモンスターにも通じるようになるんです。副作用として防御力が上昇してしまうのですが……あなたや私みたいな魔法使い職にとっては素晴らしいものだと思いませんか?」

 

 落ち込んだ顔から一転、何かを期待するようにチラチラ顔を上げて顔色を窺ってくる商才絶無のポンコツリッチーはとても可愛い。

 しかしあなたは読んでいた。これは十中八九副作用として上昇する防御力が圧倒的すぎて殆どの攻撃魔法が意味を為さなくなるパターンだ。

 確かにウィズの言うとおり素晴らしい。あなたの予想が当たっているとするならば、これは実に素晴らしい防御用アイテムである。

 終末狩りが捗りそうなので防御魔法を使えないベルディアに食べさせるとしよう。

 

 箱買いして満足するあなた達だったが、店のドアが激しく叩かれた。

 こんな天気の中誰だろうとあなたとウィズは顔を見合わせる。

 

「すみませーん! ウィズさん、私役所の者ですけど、納税の件についてお話が――――」

 

 あなたは無言で立ち上がって神器を抜いた。

 

 

 

 

 ……この後、ウィズの人の良さと収入に付け込んで納税を迫るべく、雨にも負けず風にも負けず自宅と店に襲来するギルド職員と徴税官達にみねうちをお見舞いする作業が始まるわけだが、実にどうでもいい話なので割愛する。

 嵐の中わざわざ死にに来る職員は馬鹿なのではないだろうか。

 

 呆れたあなたはポーション代は彼らの財布を漁って……もとい自腹を切ってもらう事にしたわけだが、それもまたどうでもいい話である。

 来店してはあなたにぶっ飛ばされていく職員を見るウィズの目が若干死んでいた気がするが、きっと目の錯覚だろう。




【主人公による被害者達】
職員や徴税官など:53
準英雄:16
女神:1
最終撃墜スコア:70


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第68話 二人の依頼者

 雷雨の中、見事に脱税(物理)を完遂した翌日。

 あなたは予てより呼び出しを食らっていたアクセルの領主、アルダープの屋敷に足を運んでいた。

 

 空を見上げれば太陽が燦々と輝いており、昨日の雷雨が嘘のよう。

 まさに台風一過という言葉がピッタリ当てはまる天気だ。

 

 洗濯物が干せると店が休みのウィズもご機嫌だった。

 

 晴れを喜ぶなんちゃってアンデッドな同居人の話はさておき、アクセルを含むこの地方を治める領主の館は街の中央に建っている。

 館は王都でも見ないような贅の限りを尽くした豪奢な造りになっており、門の前には金色の鎧を着た門番達が立っていた。

 兜も金色。鎧も金色。槍も盾も金色。篭手も脚甲も金色とゴールデン尽くし。

 日光を反射する彼らは屋敷より目立っている。

 

 

「お前の装備が日光反射してめっちゃ眩しいんだけど。目がチカチカするんだけど」

「……言うなよ。俺だってお前の鎧が眩しいの我慢してるんだから」

「つーか全身金色って色々とどうなの? メッキにしても趣味悪すぎだろあの豚」

「通りすがりの子供にも笑われるとかこの仕事辞めたいわ。給料も安いし」

 

 

 目を焼かれそうなほどに眩しい門番の方に近付いていくと、すぐに気付かれ誰何の声をかけられた。

 

「ここはこの地の領主、アルダープ様の屋敷だ。名前と用件を」

 

 あなたは名乗って家に届いた招待状を渡す。

 名前を確認した門番の表情がビキリと引き攣った。

 

「頭のおかし…………し、暫しお待ちを!!」

 

 青い顔で屋敷に向かって駆けていく門番を見ながらあなたは空を見上げる。

 いい天気だ。こんなにもいい天気なのだから皆死ねばいいのに。

 

 

 

 

 

 

 武器を預け屋敷の中を進む。

 

 領主のアルダープの屋敷は外観だけではなくその中も随所に贅沢という贅沢が尽くされていた。

 執事の老人に案内される道すがら度々目に付く絵画や壷、裸婦像、装飾品といった調度品。

 それらはどれも見るからに高級品と分かるものであり、領主は余程羽振りがいいと見える。

 

 しかし一介の領主風情がこれだけの物を揃える辺り、脱税だけではこうはいくまい。どれだけ後ろ暗い事に手を染めているのやら。

 ちなみにあなたはこういった持ち主が権勢をひけらかしている屋敷を核で綺麗サッパリ掃除するのが大好きだ。見栄と権威が貴族にとって大事な事と知ってはいるが、所詮あなたは腕っ節が全てのノースティリスの冒険者であるが故に。

 そういうわけで焼き尽くすのも悪くないが、この屋敷の調度品を全て売り払えばどれほどの値が付くのだろう。女神エリスはここに忍び込めば良いのではないだろうか。

 

「こちらです、領主様がお待ちです。……どうか、くれぐれも、くれぐれもご無礼の無い様にお願いいたします」

 

 冷や汗をかきながら恭しく頭を下げる執事にどれだけ自分は信用されていないのだろうと思いつつあなたは部屋に入る。どうなるかは相手次第だというのに。

 

「……ふむ、よく来たな」

 

 両隣にスーツ姿の護衛の男を連れ、あなたを出迎えてきたのは豚領主呼ばわりも致し方ない、でっぷりと太った腹の出た、腕や顔といった服から露出している部分全てが濃い体毛で覆われた大柄の男だった。熊と豚を足したらこういう生き物になるのかもしれない。

 

「おい、言っていた例の物を持って来い」

「かしこまりました」

 

 領主はあなたの姿を認めると挨拶もそこそこに執事に合図を送った。

 背後で扉が閉まり、あなたと領主達が残される。

 

「ふむ……」

 

 アルダープはジッと冷たい目であなたを見ているが、一方であなたは一目見て彼を理解した。

 人間性が根本的に腐っている。

 

 他者の痛みなど知った事かと弱者に対して横暴に振舞う。人の命を虫ケラのように踏み潰す。

 何故ならそれがその者にとっての当たり前で、力を持っている自分はそれが許される存在だと思っているから。

 そういう者が持つ特有の雰囲気を全身から発している。

 

 彼が人間であるにも関わらず一目で看破出来たのは、あなたが彼のような者をノースティリスで散々見てきたからに他ならない。

 

 他者を慮らない人間性や傲慢さ、ギラギラと手段を選ばずに何かを欲する野心はあなたや友人達もアルダープとどっこいどっこいだが、彼からはあなたや友人の持つ暴力の気配がしない。

 それこそがあなた達とアルダープの決定的な違いである。

 

 領主が持っている力は権力か、財力か、組織力か……それ以外の何かか。

 いずれにせよ、ノースティリスではアルダープのような者は皆調子に乗ってやりたい放題やった挙句、恨みを買って最終的に埋まっていくのだ。

 ノースティリスで最後に全てを決するのはいつだって本人の戦闘力、つまり暴力である。

 暴力で全てを退ければ大体何とかなる。暴力万歳。

 

 ……とまあこういうのは割と珍しくないタイプなので、あなたとしてはアルダープに対してこれといって悪感情は抱かなかった。

 この平和な世界にもこういう悪い意味で自分達に近い人間がいるのか、程度の軽い驚きはあったが。

 命の価値が重いこの世界でよくやるものだといっそ感心すらしてしまう。彼は余程上手くやっているのだろう。生粋のノースティリスの冒険者であるあなたでさえ面倒を避けてこんなにも自重しているというのに。

 まあ自重しているのはこの世界にはウィズがいるから、という理由が大半を占めているのだが。

 

「アクセル随一の冒険者と言われている貴様の噂はワシの耳にも届いておる。貴様が凶悪なモンスターを率先して退治している故、街を護る義務があるワシとしても王都から騎士やら高レベル冒険者やらを呼び寄せて無駄な出費をせずに済んでいる事に関しては多少は感謝してやらんでもない。当家は節制を心がけておるもので、あまり余裕が無くてな?」

 

 きっと煌びやかな衣装と装飾品に身を包む彼とあなたでは節制という言葉の持つ意味が違うのだろう。

 なおデストロイヤーが迫ってきた際、彼は真っ先に私財を抱えてアクセルから逃げ出したらしい。

 

「早速だが本題に入ろう。ワシは今度王都へ赴く用事があってな。その際に貴様を同行させたいと思っておる。無論護衛としてではないぞ? 何やら聞けば貴様は野蛮な冒険者であるにもかかわらず、類稀なる演奏の腕を持っているというではないか」

 

 アルダープはウィズの店のオープン記念にビラ配りで演奏した時の事を言っているようだ。

 

「そう、そこでこのワシが貴様の腕を買ってやろうというのだ。覚えが良ければ他の貴族どもに取り入る事が出来るやもしれんな。結果次第ではワシが直々に取り計らってやらんでもない」

 

 それはどうでもいいのだが、これはつまり演奏の依頼、という事だろうか。

 冒険者の自分に王都の貴族が集まるパーティー会場で演奏をしろと。

 

「ふむ、そうだな。そういう事になる。これはワシから貴様への依頼だ。貴族直々の依頼をまさか嫌とは言うまいな?」

 

 アルダープの嘲るような声と瞳はあなたに言外に見世物になれ、と言っていた。

 野蛮で血気盛んな冒険者が貴族の前で演奏を披露するというのは確かにいい見世物になるだろう。

 そんなものを連れてきたアルダープも鼻高々というわけだ。

 

 見世物云々についてはどうでもいい。

 故にあなたにとってこれは拒否感を抱くような依頼ではなく、適切な報酬が支払われるのであれば否は無い。

 あなたが依頼を受ける意思を示すとアルダープは当然だな、と満足そうに笑った。

 

「……とはいってもワシは直接貴様の演奏を聞いたわけではないからな。一度この場でその腕が本物かどうか試させてもらおう」

 

 アルダープが言葉を区切ったタイミングを見計らっていたのか、扉を叩く音がした。

 

「入れ」

「失礼いたします」

 

 入ってきたのは執事以外にも数人のメイド達。メイドは皆見目が整っている辺り、領主の好みで雇われているのだろう。皆ダクネスのような長い金髪だ。

 そんな彼らは皆ハープやヴァイオリン、フルートといったお馴染みの各種楽器を持っているが、流石にハーモニカは無いようだ。

 

「貴様は当時ヴァイオリンを使っていたそうだな。しかし使えるのであれば好きな物を使っていい。貴様に使わせる為に用意させた安物故、多少雑に扱っても構わん。無論壊した場合は弁償してもらうがな」

 

 領主お抱えの演奏団がいるかは不明だが、壊されると困る高級品を自分に使わせる道理も無いだろう。

 しかしそれならば愛器であるストラディバリウスを持ってくるように書いておけば良かったものを。わざわざご苦労な事である。

 

 アルダープは純粋なあなたの演奏の腕前を確認したかったのかもしれないが、あなたの極まった演奏スキルは最早使う楽器を選ばない。

 ピアノだろうとフルートだろうと同程度の熟練度で演奏する事が出来る。

 故に幾つかの楽器の中からあなたはハープを選んだ。特に理由は無い。

 

 試しに軽くかき鳴らす。領主曰く安物らしいがちゃんと手入れはされているのか中々悪くない。

 あなたは冒険者とはいえ一応は招かれた客人であり、アルダープは貴族だ。

 依頼を受けさせるために呼び寄せた以上、あまり酷いものを使わせようものならば貴族の沽券に関わるだろうから当たり前か、と勝手に納得し、演奏を始める事にした。

 

 

 

 

 

 

「……ハッ!?」

 

 あなたが短い時間だったとはいえ演奏を終え、ぽかんと口を開いてフリーズする領主と護衛を完璧に無視しておひねりを回収していると、三人は唐突に意識を取り戻した。

 アルダープがあなたに慌てて詰め寄ってくる。どうしたのだろう。

 

「おいちょっと待て! 待て待て待て待て! 何しれっと床に落ちている物をポケットに突っ込んでいる!? それはワシの物だろうが!」

 

 今回のおひねりは領主が身に着けていた指輪やネックレス、護衛の財布と私物だ。

 護衛も財布を失っている事に気付いたのか、とても困った顔であなたを見ている。

 

 しかしおひねりを自分から投げてきたのは彼らである。

 あなたは何も強要していない。演奏しただけだ。くれた物を受け取って何が悪いのだろう。

 そんな当然の疑問にアルダープはばつが悪そうな顔をした。

 

「……き、貴様の演奏を聞いていたら、何故かこうしなければならん気がしたのだ……だから回収するのを止めろと言っておるだろうが!」

 

 誤魔化すようにこほんと咳払いして仕切り直すケチ領主。

 

「あい分かった。なるほど、貴様の演奏の腕は確かなようだ。耳の肥えたワシをして驚嘆に値する事は素直に認めよう。後日ギルドを通して正式に指名で依頼を行っておくから王都に赴く用意だけはしておけ」

 

 どうやらあなたの演奏の腕前は領主の眼鏡に適ったようだ。

 彼は机に置かれたままの、報酬額の書かれた書類を差し出してきた。額に不満は無い。

 

「……よし、旅行先で買ってきた土産をやるし報酬にも多少色を付けてやるからとりあえずワシの物だけ返せ。それは高かったのだ。ワシの私物以外の財布とかは持っていっていいから」

 

 えっ、という表情で両サイドで佇む護衛がアルダープに顔を向ける。無論アルダープは知らん顔だ。

 陰湿で性格が悪い事で有名な依頼主の機嫌を損ねるのもよろしくないだろう、とあなたは素直にアルダープの装飾品を返却する事にした。正直脂ぎっていてあまり触りたくなかったのだ。

 

 勿論言われた通りアルダープのおひねり以外はそのまま回収しておく。素寒貧になった護衛が泣きそうな顔になった。

 

 

 

 

 

 

 お土産を片手に領主の館から帰る道すがら、ふとあなたは背中に突き刺さるじっとりとした視線を感じた。

 ノースティリスや王都では割と良くある視線だ。

 しかしアクセルでは珍しい。

 

「…………」

 

 誰だろうと目を向けてみれば、先日みねうちでぶっ飛ばした女神エリスが暗い路地裏の中からあなたを半目で見つめていた。

 こんなに天気がいいというのに何をしているのか。

 わざわざあんな暗い所にいる必要もないだろうに。

 

 暫くそのまま見詰め合っていると、やがて女神エリスは深い溜息を吐いてあなたに近寄ってきた。

 

「はいはい昨日はどうも大変、たいっへんお世話になりましたー! ……エリス様に呪われればいいと思うよ実際」

 

 開口一番呪われてしまった。凄まじいやさぐれっぷりである。

 女神エリスのキャラ崩壊が甚だしい。とても信者には見せられない姿だ。

 

 もしかして回復が十分ではなかったのだろうか。

 それはいけないとあなたはウィズの自作ポーションを取り出した。彼女の店で売っている中では最高級品である。

 何故自前の回復魔法を持つあなたがポーションを所持しているのか、という理由についてだが、先日みねうちでぶっ飛ばしながらあなたは悟ったのだ。

 そう、回復手段を常備しておけば好きな時に好きな相手にみねうちが使えるではないかと。

 気付いた時、あなたは目から鱗が落ちた気分だった。自分は天才ではなかろうかと自画自賛したくらいである。

 

「…………ポーション? あたしに?」

 

 警戒しながらもしっかりポーションは受け取る女神エリス。

 しかしそのままポーチに仕舞ってしまった。

 

「見た感じ結構いいポーションみたいだね、ありがとう。……いやまあプリーストの人がしっかり治療してくれたお陰で起きた時に痛みは殆ど無かったんだけどさ。っていうかあたしを痛めつけたのも君だよね? これどう見てもマッチポンプだよね?」

 

 話を聞いたベルディアも全く同じ事を言っていた。

 

 

 

 ――ご主人が半殺しにした後にウィズが金と引き換えに癒す。俺も魔王軍幹部として長く活動してきたが、こんな悪辣なマッチポンプは初めて見た。お前ら最低かよ……最低だわ……。

 ――どう考えても私は悪くないですよね!?

 ――ご主人を止めてやれよ! お前が言えばご主人も止まったかもしれんだろ!?

 ――だ、だって! 収入から五割なんですよ!? 利益なんて全部吹き飛んじゃって借金なんですよ!?

 ――……うん、まあそれについては同情する。どう考えてもこの国おかしいだろ。

 

 

 

 こんな具合である。

 しかし数を揃えてよってたかってこちらを袋叩きにしようとしていた女神エリスにだけはとやかく言われる筋合いは無いというのがあなたの持論であり感想である。

 

「ぐっ……エリス様の神罰が怖くないの?」

 

 ならば言わせてもらうが、何故自分が神罰を食らわないといけないのかとあなたは問いかけた。

 

「えっ」

 

 お前は何を言ってるんだ、とばかりにあなたを見つめる女神エリス。

 

 しかし聞くところによると慈悲深い女神エリスは()()()()()()()()()()()()()()()()という。

 女神エリスは自分の気に入った者だけを特別に可愛がったり、肩を持つ事をしない。

 合っているだろうか。

 

「……そうだね、合ってるよ。君の言うとおり、エリス様は依怙贔屓なんかしない」

 

 まあダクネスという存在がいる以上、本音を言えばそこら辺については疑わしいものがあるわけだが。

 しかしあなたも癒しの女神から殊更に贔屓されているという自覚があるのでそれについてとやかく言う気は無いし言う権利も無い。

 

 ここで大事なのは正体を偽っているとはいえ再び女神エリス本人から言質を取った事だ。

 故にあなたはニヤリと笑いながら言葉を紡ぐ。

 

 女神エリスは贔屓をしない。

 では何故クリスを軽くぶっ飛ばした程度で自分が神罰を受けなくてはいけないのか。おかしい。これはどう考えてもおかしい。

 クリスと同等、あるいはそれ以上に敬虔なエリス教徒もアクシズ教徒に日々酷い目に合わされているではないか。あなたはアクセルやアルカンレティアで散々な目に合うエリス教徒を見てきた。

 しかしアクシズ教徒は女神エリスから神罰を食らっていない。

 クリスが酷い目にあった時だけ神罰が当たるというのであれば、それはクリスが贔屓されている何よりの証拠ではないのか。

 

「…………!!」

 

 ぐうの音も出ない圧倒的な正論に女神エリスは口を噤んだ。

 反論があるのであれば聞くが。

 

「ぐっ……そ、それはほら……あたしはエリス様から神器の回収っていう世界の平和の為の大事な使命を与えられているワケで……それにアクシズ教徒の人達はエリス様の先輩のアクア様の信者だから、なんじゃないかな……?」

 

 なるほど、なるほど。前者に関しては一理ある。

 しかし後者はつまりアクシズ教徒以外の異教徒が相手であれば神罰を与えてもいいと女神エリスは判断しているわけだ。これはいい事を聞いた。

 

「あ、あたしを脅す気……?」

 

 ジリジリと腰を落として後退する女神エリスに、さて、どうだろうとあなたは笑う。

 もとより先に手を出してきて返り討ちにあった上脅してきたのは女神エリスのほうだ。

 この上更に女神エリスがあなたに神罰を下すというのであれば、あなたも相応の対応をするつもりだった。

 

 ちなみにあなたはアルカンレティアに旅行に行った際にアクシズ教団の最高責任者であるゼスタと仲良くなっている。個人的な手紙のやり取りも行う予定だ。

 彼を通じてアクシズ教徒に触れ回ってみるのも悪くない。

 

 ……そう、アクシズ教徒は女神エリスに護られている、と。

 

 女神エリスの神意で護られた彼らの攻勢という名の嫌がらせは更に熾烈を極める事になるだろう。

 何故なら女神エリスがアクシズ教徒を許しているからだ。

 これこそまさに無敵の免罪符。

 

 汝ら罪無し(YE NOT GUILTY)

 

「え、ちょっ、止めて!? それだけは本当に洒落になってないから止めてくれませんか!?」

 

 慌てるあまり素が出ている。流石にアクシズ教徒の本気はきついらしい。

 とはいえあなたもこの世界で宗教戦争を起こす気は無い。今のはちょっとしたジョークである。

 あなたは頭を下げて謝罪した。

 

「全然笑えないよ……はぁ……なんであたしは君を選んじゃったかなぁ……」

 

 共犯者となった以上、女神エリスにあなたを切り捨てるという選択肢は無い。

 王都で散々活動している己の正体を露見されるのはまずいのだろう。

 あなたもまた同様に女神エリスを切り捨てる気は無い。昨日ぶっ飛ばしたのは軽いじゃれあい程度のものだ。割とよくある。

 

「このズレた倫理感がなあ……でも腕はいいんだよね、腕は……むしろ最高のカードだと思うよ、うん。というか今更だけどレベル四十以上の十六人を秒殺とかどうなってんの? インチキしてないっていうならちょっと冒険者カード見せてよ」

 

 言われるままにカードを見せる。

 相変わらずあなたの目には数値が盛大にバグったままだが、女神エリスを含むこの世界の者達には全く違う数値が見えているらしく、それに違和感を抱いていない。

 この世界に飛ばされた理由、そしてメシェーラ関連と並ぶ怪現象である。

 

「レベルもスキルもあたしがギルドで聞いた情報と一緒だね。だからギルドは絶対君に勝てるようにって彼らを揃えたんだけど……」

 

 この世界はおおむね目に見える数字で回っているが、それでも世の中にはカードに載っている数字(ステータス)だけでは測れないものがあるのだろうとあなたは全力ですっとぼける。嘘は言っていない。

 

「うーん、やっぱりそういう事なのかなあ……でも確かに窃盗とか気配断ちとか凄く上手いもんね。カードに載ってないのに」

 

 いいえ、それは異世界のスキルです、自分のノースティリスの冒険者シートには普通に載っています、とは流石に言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 だまし討ちしたあたしも悪いし、喫茶店で奢ってくれたら昨日のはチャラにしてあげる。

 女神エリスがそう言ってきたのであなたは昼食だかおやつだかを女神エリスに奢る事にした。なお支払いはアルダープの護衛の財布から出ているのであなたの懐は全く痛まない。

 

「そういえば今日はどこ行ってたの? 買い物?」

 

 あなたはケーキを食べながら領主に呼び出しを食らっていた事、彼から演奏の依頼を受けた事を話す。

 やましい事があるわけでもなし、別に隠す事でもないと思ったのだ。

 

「ふーん。領主の館に行ってたんだ」

 

 何故か女神エリスの目つきが鋭くなった。

 嫌いなのだろうか。まあお世辞にも女神エリスに好かれるような人間ではなかったが。

 

「君は知らないだろうけど、この街の領主はダクネスにそれはもうご執心でね。嘗め回すような凄くいやらしい目つきでダクネスを見るんだよ。……うわっ、思い出すだけで気持ち悪くなってきた」

 

 よく知っているな、とあなたは思った。

 ダクネスを通じてどこかで会っていたのだろう。

 

「それにダクネスが言ってたんだけど、あの人彼女が子供の頃からダクネスを狙ってたんだってさ。あたしほんっとあの人嫌い」

 

 女神エリスは友人を狙っている性欲旺盛な豚領主にお冠である。

 ダクネスと組んでいてセクハラ三昧のカズマ少年はいいのだろうか、と思ったが彼とアルダープでは流石に比較対象が悪すぎる。心の中でそっとカズマ少年に謝罪しておいた。

 

「だからダクネスが初めて会ったキミの奴隷(ペット)になりたいとか言い出した時はどうしたものかと……ダクネスもあれさえ無ければ本当にいい子なんだけどね……」

 

 友人としてちょっと変わっているくらいの性癖は笑って受け止めるのが度量というものだろう。

 具体的にはチキチキとかロリショタをもぐもぐとか。しかし箱化は今のあなたには理解出来ない。頭の中をアンインストールした方がいい。

 

「あたしもちょっと程度なら何も言わないよ。でもダクネスのあれはちょっと変わってるってレベルじゃないでしょ。だって武器スキル取ってないんだよ? 命懸けで活動する冒険者なのに攻撃が全然当たらないんだよ? 一生懸命戦ってモンスターとか盗賊に……その……色々されたいって……あたしダクネスのお父さんに会った時凄く困ったんだから。思わずどういう教育してきたんですかって聞きそうになったよ」

 

 確かにそこについては狂気の沙汰だとあなたも思っている。

 勿論陵辱云々ではなく、攻撃が当たらないという点だ。

 

 ダクネスの特殊性癖はさておき、そんなにアルダープが嫌いなのであれば義賊として彼の私財を盗めばいいのではないだろうか。

 見た所彼は相当に貯め込んでいるようだった。あるいは神器すら置いているかもしれない。

 

「んー……そうしたいのは山々なんだけど……なんかあそこは嫌な予感がするんだよね。出来るだけ近付きたくないっていうか」

 

 その言葉にほう、とあなたは目を細めた。

 実に興味深い話だ。

 これが凡百の徒であれば笑って流すところだが、クリスはそうではない。

 女神をして感じる何かがあの屋敷にはあるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 その後も暫く女神エリスと歓談したあなたは彼女と別れ帰宅するも、ウィズの出迎えは無かった。

 ベルディアと同じく今日は店の定休日なのだが店の方にいるのか、あるいは出かけているのか。

 

 そう思っていたあなただったが、リビングの奥、ベランダのすぐ傍の窓際に彼女の姿はあった。

 

「……すぅ……すぅ」

 

 うららかな春の陽気に誘われたのか、ぽわぽわりっちぃがすやすやりっちぃになっている。

 ウィズはあなたの布団の上で眠っているようだ。色で分かる。

 

 恐らくは干した布団を仕舞いこんだ後、そのまま眠ってしまったのだろう。

 

 今の彼女を絵にするならば、題名はさしずめ眠れる不死の美女といった所だろうか。

 それほどまでに静かに眠るウィズはまるで今にもどこかに消え去ってしまいそうなほどに儚く、そして美しい。

 

「すぅ……」

 

 ……というか、比喩ではなく本当に消え去ってしまいそうになっていた。

 

 アンデッドであるにも関わらず日光を直接浴び続けたウィズの身体からは、ぷすぷすと白い煙が立ち昇っている。更にウィズを通して布団の生地がうっすら見える程度には身体が透けている始末。

 

 何でもない筈の日常の一コマに突然訪れた友人の命の危機にあなたは思考が停止する程仰天した。

 慌ててカーテンを閉めて遮光し、日光で浄化しかかっているアンデッドの王にノースティリスの回復魔法をかける。

 機械だろうがアンデッドだろうが問答無用で癒す魔法の力で気持ち良さそうに眠るウィズの濃度はすぐに元通りになり、煙も止まった。

 

 セーフ。

 これで一安心だとあなたは額の汗を拭う。

 

 この柔らかくも暖かい春の日差しに昼寝したくなる気持ちは分かるのだが、あまりびっくりさせないでほしい。

 こんな事で友人を失おうものならば、あなたは悲しみのあまりこの世界全ての存在を彼女の墓標として捧げて喪に服す事になるだろう。

 危うく大惨事を引き起こしかけたうっかりりっちぃの頬を苦笑しながら突けば、指先にぷにぷにですべすべでもちもちの感触が返ってきた。

 

 ぷにぷに。

 すべすべ。

 もちもち。

 

「ぇへへ……」

 

 にへら、とウィズがふやけた笑みを浮かべた。

 そしてまずい、と気付くとほぼ同じタイミングであなたの直感が全力で警鐘を鳴らす。

 

 ついつい気が緩んで突いてしまったが、これは万人を狂わせる魔性の頬だ。

 以前寝惚けたウィズに腕を取られ、頬ずりされた時とはワケが違う。

 このままでは自分は永久にウィズの頬を突き続けるという予知にも似た戦慄があなたの身体を震わせた。

 

 なんとも度し難い。本当のうっかり者はどちらなのか。

 

 あなたは手遅れになる前に廃人の意思の力を全開にして頬を突く指の骨をバキバキに折りつつ、躊躇無く唇を噛み切った。

 痛みと共に口の中いっぱいに鉄の味が広がる。

 

 しかしその甲斐あって、あなたは辛うじてウィズの頬から手を遠ざける事に成功した。

 短時間とはいえ極めて過酷で困難な戦いであったが、あなたは見事にやり遂げたのだ。

 かつてない死闘を制したあなたの全身を達成感が満たす。

 

 荒い息を吐きつつウィズの寝姿を満足げに見つめるあなたの姿は誰がどう見ても寝込みを襲う不審者そのものだったが、今のあなたにそんな事を考えている余裕などどこにも無い。

 

 頭の中で己の勝利に浮かれ万歳三唱と拍手喝采を繰り返すあなただったが、安堵すると同時にどっと疲労が押し寄せてきた。

 疲れた。ちょうど布団が敷かれていることだし、ウィズに倣って少し自分も昼寝させてもらおう。

 

 魔法で自身の治療を終え、布団の上、ウィズの右肩付近に位置する場所に頭だけ乗せて横になる。

 つまり布団を枕代わりにしたのだ。

 干したての布団からはお日様の匂いに混じってウィズの甘い香りがした。疲労もあってこれならばすぐにでも寝付けるだろう。あなたは微笑を浮かべながら静かに瞼を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

「どなたかいますか! すみません! 誰でもいいのでいらっしゃいませんか!?」

 

 玄関を叩く激しいノックの音と切羽詰った大声であなたは叩き起こされた。

 とても優しくて幸せな夢を見ていた気がするのだが、もう覚えていない。

 

「すみません、すみません! どなたかいらっしゃいませんか!?」

 

 声の主はゆんゆんだ。

 この慌てようは余程の事があったと思われる。もしやめぐみんに大事でもあったのだろうか。

 

「ふぁあああ……あ、おはようございます……すみません、ちょっと寝ちゃってました……うわ、もうこんな時間なんですね……」

 

 あなたが起き上がって玄関に向かおうとすると、ウィズも起床した。

 彼女はたった今あなたがリビングに来たと思っているようだ。頬を突いた事は気付かれていないようで安心である。

 

「なんだなんだやかましい……ったく、少しは近所迷惑ってものを考えろよ……」

 

 部屋からベルディアも出てきた。

 ぶつくさと文句を言いながらも居留守を使う気は無いらしい。

 

 扉を叩く音も大声も止まないので三人で玄関に向かう。

 

「よ、良かった……本当に良かった……! いてくれたんですね……!」

 

 扉を開けてみれば、涙目で顔を真っ赤にしたゆんゆんが立っていた。

 彼女は荒い息ではぁはぁと肩と上下させており、よほど急いでここまで来たのだろうとあなた達は一瞬で察する事が出来た。

 

「ゆんゆんさん、どうされたんですか?」

「なんだそんなに慌てて。デストロイヤーみたいなやばいモンスターでも出たのか? まあご主人とウィズがいれば大抵のモンスターは……」

「あの、あのあの……っ、突然こんな事言うのは大変申し訳ないんですけど……」

 

 二人の言葉に答える余裕が無いのか、ゆんゆんはぎゅっと目と瞑って唇を引き結び、その小さな両手であなたの手を握る。

 そして数秒の溜めの後、彼女は意を決したようにまっすぐとあなたを見つめるとこう言った。

 

 

 

「私……! 私……!! あなたの子供が欲しいんですっ!!」

 

 

 

 ウィズから一切の表情が抜け落ち、ベルディアが扉をぶち破って家から逃げ出した。



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第69話 波乱を呼ぶ一報

 あなたの子供が欲しい。

 

 息を切らせながら自宅に押しかけてきたゆんゆんが突然言い放った衝撃の告白。

 あまりにも情熱的なそれを受けて反射的に扉をぶち破り、一目散に外に逃げ出したベルディアをあなたは追おうとはしなかった。追えなかったとも言う。

 日々の終末で鍛え上げられた彼の逃げ足の速さと即断即決っぷりは本来であれば主人として賞賛と拍手を送るべきなのだろうが、如何せん逃げたタイミングがあなたにとって最悪である。

 しかしあなたは知っている。好感度が低いペットは肝心な場面では頼りにならないという事を。

 故に驚きは無いが、今日のベルディアの夕飯は祝福されたストマフィリアでいいだろう。遠くに逃げられないように彼を紐で縛っておけばよかった。

 

「あなたの子供が欲しいんです!」

 

 沈黙を保ったままのあなたが話を聞いていなかったと思ったのか、ゆんゆんは再度同じ台詞を繰り返した。

 表情を消したまま俯いてしまったウィズの内心を窺う事は出来ない。

 

 しかし子供が欲しいと言うが、自分は未婚だ。

 生憎子供もいないのでゆんゆんに婿にやる事は出来ないとあなたは苦笑しながら答えた。

 ゆんゆんは結婚適齢期にはまだ早いし、そこまで焦る事は無いだろう。

 まあ年頃の彼女が彼氏の一人でも欲しいというのであれば探すのを手伝う事は吝かではない。

 

「違います! 私はあなたの子供を産ませてほしいんです! 他の誰でもない、あなたじゃなきゃ駄目なんです!!」

 

 万が一、億が一の可能性に賭けて誤魔化してみたあなただったが、呆れるほどに直球ど真ん中の答えが返ってきて思わず瞑目する。ウィズがいつぞやのように、ぎゅっとあなたの服の裾を掴んできた。

 

「お願いします、元気な男の子を産ませてください!! 私は十四歳だからもう結婚出来ますから!!」

 

 性別まで指定してきた。ゆんゆんの目と台詞が本気すぎてどうしようもない。

 こういった経験に疎いあなたは癒しの女神に救いと助言を求めたくなったが残念な事にこの世界は電波の圏外だ。ガッデム。おのれ異世界と心中で怨嗟の声を上げる。

 

 現状はいわゆるピンチである。

 アポ無しであなたの自宅に忍び込んできたエヘカトル信者とマニ信者がばったり鉢合わせになった時くらいのピンチだ。その後あなたの家は当たり前のように更地になった。凄まじいリフォーム(改築)っぷりである。まさに悲劇的ビフォーアフター。なんという事をしてくれたのでしょう。

 

 

 さて、完全に逃げ場を封じられた気分だがあなたからしてみればゆんゆんはまだまだ幼すぎる。

 十年とは言わないが、せめて結婚適齢期である十六歳になるまで待ってから出直してきて欲しいところだ。なおこの世界の結婚適齢期は十六歳から二十歳までである。

 つまり二十歳のウィズはギリギリというわけだ。なるほど、現役時代の彼女が焦るわけである。

 

「…………」

 

 そんな同居人にして友人のウィズは現在重圧も冷気も発していない。

 彼女は空気に徹するが如くただひたすらにあなたの隣で沈黙を貫いており、かえってそれが不気味だったのだが……。

 

 ……ピキリ、という小さな音が鳴った。

 

 異音の方向に目を向けてみれば、この草木が芽生え誰もが思い思いに生を謳歌する暖気の中、玄関に飾っている花だけが一瞬で凍り付いているではないか。

 そのまま音も無く粉々に砕け散った氷の花は十秒後のゆんゆんの暗喩のようにも思えた。

 

 軽く現実逃避を行いつつ、あなたはゆんゆんの懇願に率直に答えを返す。

 ゆんゆんの事は嫌いではない。しかし申し訳ないが自分はゆんゆんの気持ちに応える事は出来ない、と。

 

 拒否されたゆんゆんは泣きそうな顔になってあなたの腰にすがり付いてきた。あなたの服の裾を強く握り締めるウィズは何かを堪えるようにぎゅっと唇を結んでいる。

 表情や言葉には出さずとも、あなたは端的に言ってとても困っていた。

 あなたの友人は誰も彼もが極めて我の強い連中だったので対応方法が思い浮かばないのだ。

 

「お、お願いします! なんでもしますから! 私はウィズさんみたいにスタイルよくないですし美人でもないですけど一生懸命頑張りますから! ちゃんと勉強したので分かってます!」

 

 ゆんゆんは一体何が分かっていると言うのか。

 あなたには何も分からないが、とりあえず重婚をする気は無かった。そんな器用な生き方は出来ない。元よりゆんゆんは友人ですらないというのに。

 

 無論あなたはベルディア以外のペットとは男女人外含む全てと結婚しているわけだが、それはあくまでも便宜上の関係に過ぎない。

 決してペット達を愛していないとは言わないが、それはあくまでも仲間(ペット)としてであって、そこに生涯を共にする伴侶(パートナー)に向けるべき愛は一欠片も無いのだ。ペットはどこまでいってもペットでしかない。

 

「大丈夫です! 私は二号さんでいいですから!」

 

 滅茶苦茶な事を言い出した。熱でもあるのか完全に錯乱している。

 

 若干めんどくささを感じてきたあなたは溜息を吐きつつ、それにしても何故ゆんゆんは突然こんな事を言い出したのだろう、と今更ながらに思った。

 そう、あなたの記憶が確かならば、彼女は昨日までそんなそぶりは一切見せていなかった筈だ。

 

「だ、だってだって! 私とあなたが子供を作らないと世界が平和にならないんです! そうしないと魔王を倒せないんです!!」

 

 あなたの疑問に、ゆんゆんは目に涙を浮かべて大声で叫んだ。

 世界とはまた随分と話のスケールが大きい。

 どこで誰に何を吹き込まれてきたのかは知らないが、予想外の内容である。

 

「手紙が、紅魔族の里が無くなっちゃうって……だから……皆死んじゃうから……わた、さいご……ウィズさんが……ぐすっ……わああああああああっ!!」

 

 縋り付いて泣き始めたゆんゆんにいよいよ困り果てたあなたは思わずウィズに目を向ける。

 

「…………」

 

 黙っているのは相変わらずだが、先ほどまでと雰囲気が違うと感じたあなたはウィズを軽く突いてみた。

 

「…………」

 

 グラリ、と揺れて倒れそうになるウィズの身体を慌てて押さえる。

 凄腕アークウィザードにしてアンデッドの王は立ったまま気絶していた。

 

 

 

 

 

 

 ……ゆんゆんさんのその告白を聞いて、私は頭が真っ白になった。

 

 私は今も心だけは人間だと思っているけど。

 それでも私はリッチーだから。アンデッドだから。

 

 自分よりもゆんゆんさんの方が彼を幸せに出来るのではないか、と。

 反射的にそんな事を思ってしまった。

 彼女は紅魔族で、彼と同じ人間だから。

 

 けれど同時にそれを嫌だと思ってしまう自分がいた事は否定出来ない事実で。

 口を開けばどんな心無い言葉が出てくるか分からず、ひたすら口を閉じる事しか出来なかった。

 自分にこんな黒くてドロドロした感情がある事を私は初めて知った。

 

 ゆんゆんさんを傷つけようとは思わなかったけど、それでもこの場所は、彼の隣は他の誰にも絶対に渡したくなかった。可愛らしい友人にして今も様々な事を教えているゆんゆんさんにも。

 そしてゆんゆんさんの必死の申し出をあっさりと拒絶する彼に嬉しく思ってしまって、そこでまたどうしようもなく自己嫌悪。

 

 色々な事を知っていて、しかし周囲の事が見えていなかった昔の私であればもっと率直に、堂々と物を言えたのだろうか。この心の内を吐き出す事が出来たのだろうか。

 そんな益の無い事を考えた。

 

 

 

 ……え、世界? 紅魔族の里が無くなる?

 

 詳しい話を聞いてみれば、ゆんゆんさんが持ってきた話は予想よりもずっと大事だった。

 流石に世界の平和の為なら私が何かを言う権利は……いや、同居こそすれ最初から私にそんなものがあるわけもなく……でも……。

 

 嫉妬、優越感、自己嫌悪、同情、そしてゆんゆんさんへの()()()()

 様々な感情の荒波に飲まれて許容量を超えた私の心は、煩悶の末にあっけなく停止した。

 

 

 

 

 

 

 なんとかゆんゆんを泣き止ませた後、リビングで詳しい話を聞く。

 あなたの作ったミルクたっぷりの温かいココアを飲んで、ゆんゆんはようやく落ち着きを取り戻していた。

 

「……ありがとうございます」

 

 ほうっと息を吐くゆんゆんにやっと話が聞けそうだとあなたは人心地ついた気分になった。

 あのまま彼女が泣き喚くようならその内何もかもがめんどくさくなったあなたの手によって物理的に静かにさせられていた事は想像に難くない。

 

 ちなみに気絶したウィズはまだ復帰しておらず、リビングのソファーで横になっている。

 

「うーん……うーん……もう、こうなったら……いっその事私が()るしか……バニルさんとベル……さんを呼んで……結界の中から全力の爆裂魔法を叩き込んで……もしくはライト・オブ・セイバーで直接首を……」

 

 どんな夢を見ているのか、ウィズは時折魘されている。

 あなたは彼女の友人として何とかしてあげたかったが、今はゆんゆんの話を聞かなければならない。

 

 

 

「……今日、手紙が届いたんです」

 

 三杯目のココアを飲み干した後、沈痛な面持ちのゆんゆんが封筒を手渡してきた。

 中には二枚の手紙が入っている。

 

「……紅魔族の族長、つまり私のお父さんが私に宛てた手紙です」

 

 読んでも構わないらしい。

 あなたが手紙に目を通してみると、なるほど、そこには確かにゆんゆんが取り乱すのに十分な事が書かれていた。

 

 

 ――この手紙が届く頃には、きっと私はこの世にいないだろう。

 

 

 ゆんゆんの父親である紅魔族の族長の手紙は、こんな書き出しで始まっていた。

 手紙の内容についてだが、紅魔族の力を恐れた魔王軍がとうとう本格的な侵攻に乗り出したらしく、紅魔族の里近隣に魔王軍の幹部が出現。多数の配下と共に軍事基地を建設したのだという。

 しかも派遣されてきたのは魔法に強い幹部だそうで、軍事基地も破壊出来ていないとの事。

 手紙の最後はせめて紅魔族の誇りにかけて魔王軍の幹部と刺し違えてみせるという紅魔族族長の覚悟、そしてゆんゆんに族長の座を任せる事、この世で最後の紅魔族として決してその血を絶やさぬ様に、という記述で締めくくられていた。

 

 手紙を読み終えたあなたはふと違和感を覚える。

 

 何回読み返してもゆんゆんがこの世で最後の紅魔族と書かれている。もう一人の紅魔族のめぐみんの事が書かれていない。

 これは一体どういう事なのか。

 

 実はめぐみんは紅魔族ではなく、外見が似ているだけの別の種族だったりするのだろうかと考えるも、めぐみんの冒険者カードには種族欄にしっかり紅魔族と書かれていた事を思い出す。

 めぐみんは族長に紅魔族扱いされていなかったようだ。あなたは悲しい気持ちになった。今度からめぐみんに少しだけ優しくしてあげよう。

 

 

「……二枚目もどうぞ」

 

 

 言われるままに二枚目を読み上げる。

 黙々と文章に目を通すあなたをじっと見つめるゆんゆんは、その特徴的な瞳だけではなく顔まで赤くなっていた。

 

 

 ――里の占い師が魔王軍の襲撃による里の壊滅という絶望の未来を視た日。その占い師は同時に希望の光も視る事になる。

 

 ――紅魔族唯一の生き残りであるゆんゆんは同胞の無念を一身に背負い、いつの日か憎き魔王を討つ事を胸に秘め、駆け出し冒険者の街アクセルで修行に明け暮れた。

 

 ――そんな中、故郷と仲間達を一人残らず失ったゆんゆんが出会ったのは、とある一組の夫婦だった。

 

 ――仲間の敵を討つために凄腕の冒険者として有名な二人に師事するゆんゆんだったが、彼女は厳しくも頼りがいのある年上の異性である師に次第に惹かれるようになっていく。

 

 ――だが穏やかな時間は決して長くは続かなかった。師の妻、魔法使いとして当代随一と名高い彼女が戦いの中で斃れてしまったのだ。

 

 ――愛する人を失って悲しみに暮れる師の心をかつて自分がやってもらったように癒すゆんゆん。心の空白を埋めるように二人が想いを通わせるようになるまで、そう長い時間はかからなかった。

 

 ――……やがて月日は流れ。ゆんゆんとその男の間に生まれた子供はいつしか少年と呼べる年齢になっていた。少年は冒険者だった両親の跡を継ぎ、旅に出る事になる。

 

 ――だが少年は知らない。彼こそが、一族の敵である魔王を倒す者である事を……。

 

 

 

 さて、手紙の二枚目はこのような内容になっていた。色々な意味で衝撃的な内容である。

 

 相変わらずめぐみんの存在が忘れ去られていたりあなたとウィズが結婚していたりウィズが死んでいるのに何故かあなたの手によって世界が滅ぼされていない事など突っ込み所は多いが、まあそこら辺は別にいいだろう。

 しかし何を思ってゆんゆんはこれを渡してきたのか、あなたには皆目見当が付かなかった。

 

「こ、これに書かれてるのってどう考えてもあなたの事ですよね!?」

 

 ゆんゆんがアクセルで師事している男性などあなたには他に心当たりが無い。

 あなたも大概だが、彼女の交友関係は極めて狭いのだ。

 

「ふ、不束者ですがどうかよろしくお願いします! まだまだ至らない所ばかりですけど、私、あなたに満足してもらえるように頑張って立派なお嫁さんになりますから!」

 

 耳まで真っ赤にしてゆんゆんは頭を下げた。

 ゆんゆん流のネタか冗談のつもりだろうか。

 一枚目が割と真面目な内容だっただけにこれはとても反応に困る。

 

「ネタ!? どうしてそんな事言うんですか!! 確かに紅魔族の人たちは皆変わってますけど、そこまで言わなくてもいいじゃないですか!! この手紙によるとウィズさんだって大変な事に……!」

 

 つい苦笑いを浮かべたあなたを睨みつけてバン、とテーブルを叩いて激昂するゆんゆんだったが、どうしても何も、二通目の手紙には紅魔族英雄伝 第一章と書かれているからだ、とあなたは答えて手紙の最後を見せた。

 

「…………へっ?」

 

 手紙の著者はあるえ。名前の響きからして紅魔族だ。族長のものと比較して丸っこく可愛い文字なので恐らくは女の子だろう。

 二枚目の手紙の裏側に目を通せば、追伸として郵便代が高かったので族長の手紙に同封してもらった旨が記されていた。二章が出来たらまた送ってくるとの事。

 ゆんゆんは何度か紅魔族の里に手紙を送っており、その手紙の中にはあなたやウィズの事も書かれている。あるえはそれを見た事があるのか、もしよかったら登場人物のモデルとなったあなたとウィズにも感想を聞いてもらえないだろうか、と書かれていた。

 

 つまるところ、これは誰がどう見ても自作小説の構想だった。

 まさかとは思いたいが、彼女はこの小説を見てあんな爆弾発言をぶち込んできたというのだろうか。

 以前めぐみんがゆんゆんをたまに突っ走って目の前が見えなくなる時があると評していたが、確かに何とも人騒がせな子である。おかげでウィズもあの様だ。

 思い起こせば数ヶ月前、初めて会った時も彼女は早とちりと誤解から一人で先走って大暴走を決めてくれた。

 

「ああああああああああああああああああーっ!!!」

「…………はぅっ!?」

 

 突然発狂したゆんゆんは二枚目の手紙を奪い取るとビリビリに破り捨て、その大声で気絶していたウィズが勢い良く飛び起きる。

 

「わああああああああっ!! 酷い、こんなのって無いわ! いくらなんでもあんまりよ!! わ、私が一体どんな悪い事をしたっていうの!? 私いっぱいいっぱい勇気出してあんな恥ずかしい事言ったのに!! バカッ! あるえのバカッ! アホッ! オタンコナス! 紅魔族!! あるえが書いてる小説なんて全部燃えちゃえばいいのよっ!!」

 

 ショックのあまりテーブルに突っ伏してわんわんと泣き出したゆんゆんだが、あなたは彼女の発言のせいで玄関をぶち壊された手前全く慰める気にはならなかった。あと紅魔族は悪口ではない。

 

 

 

 

 

 

 ウィズを昏倒させてゆんゆんを発狂させた二通目の死海文書はともかく、少なくともゆんゆんの父親が送ってきた手紙は本物のようだったので同じ紅魔族であるめぐみんにも知らせておく事にした。

 

「ふむ……紅魔族は昔から魔王軍の目の敵にされていましたからね。私もいつかは本腰を入れて里の攻略に来る日が来るだろうとは思っていました……というかどうしてゆんゆんが最後の紅魔族という事になってるんですか。ここにもう一人紅魔族が生き残ってるんですけど」

「めぐみんは何故そんなに落ち着いているんだ? 魔王軍が故郷に攻め入ってきているというのに、家族や同級生が心配ではないのか?」

 

 族長の手紙を読んでも平然としているめぐみんにダクネスが不思議そうにしている。

 

「我々は魔王も恐れる紅魔族ですよ? ハンスを寄ってたかって袋叩きにした頭のおかしいアクシズ教徒達ほどではないにしろ、里の皆がそう易々とやられるとは思えません」

「ねえめぐみん、優しくて誠実なアクシズ教徒の皆を引き合いに出すの止めてくれない? あんなに楽しく盛り上がって大活躍したじゃないの」

 

 めぐみんは女神アクアの抗議の声を黙殺した。

 

「それにここに私と族長の娘であるゆんゆんがいる以上、紅魔の里に何かあっても血が途絶えることだけはありません。なのでこう考えましょう。里の皆はいつまでも私達の心の中にいるのだ、と」

 

 キメ顔で堂々と故郷を見捨てる宣言をしためぐみんに仲間が白い目を送る。

 あなたもちょっと今のはどうかと思ったくらいだ。めぐみんには両親だけではなく幼い妹だっているだろうに。

 

 

 ――今私の事考えた? 考えたよね? やっぱり私がナンバーワンでオンリーワンだよね!

 

 うるさい黙れ。

 日記を読んだ者に観測される事で存在確率が固定されるような共同幻想に用は無い。

 ある意味でオンリーワンなのは認めるが。

 

 

「めぐみん、お前どんだけドライなんだよ。もしかして地元で嫌われてたとか?」

「失礼な事言わないでください。紅魔族随一の天才と呼ばれていた私が嫌われ者だったなんてあるわけないじゃないですか」

 

 その割には族長の手紙にはめぐみんの事が書かれていなかったわけだが。

 

「どうせノリで書き忘れてたとかそんなんですよ。同じ紅魔族の私には分かります。……ところで一つ質問していいですか? さっきからずっと気になっていたんですが」

「実は俺も気になってた」

「私も。誰も何も言わないから突っ込み待ちなのかと思ってたわ」

「私もだ」

 

 構わないとあなたが頷くと、四人は一斉にあなたを指差した。

 正確にはあなたの背後の存在達に向けて、だが。

 

「そっちの二人は」

「何が」

「どうして」

「そうなっているのだ?」

 

 果たしてそこには、話の最中もずっとあなたの背中に抱きついて顔を埋めたままだったウィズと、その後ろで耳まで真っ赤にして両手で顔を覆っているゆんゆんがいた。

 

「う゛ー……」

「ごめんなさい、ウィズさんごめんなさい……!」

 

 ウィズは気絶から復帰した後凄まじく本気の目で自室から数多の魔法道具と装備一式を持ち出してちょっと出かけてきます、みたいな事を言っていたのだが、あなたから全てはゆんゆんの早とちりだったと説明を受けたらこうなってしまった。

 そろそろ離してくれないだろうか。

 

「う゛ぅー……!」

 

 嫌らしい。更に強く抱きしめてきた。

 まるで子供に戻ってしまったかのようなウィズの反応と行動だが、抱きつかれているせいで今も背中に押し付けられている柔らかい感触はとても子供のものではない。

 

 後で後悔するのは確実にウィズなのであなたは何度も止めるように言ったのだが、彼女は背中越しにイヤイヤと首を横に振って声にならない呻き声をあげるばかりで全く離れようとしないし、盛大にやらかしたゆんゆんは羞恥で死にそうになっていたのでどうにもならない。

 結果、あなたは今もウィズの好きなようにさせている。

 

「ゆんゆん、貴女は今度は一体何をやらかしたんですか。ウィズが凄い事になってるんですが。チャキチャキゲロりなさい」

「い、言えない……。これだけはめぐみんが相手でも絶対言えない……」

 

 ゆんゆんは答えられないようなので、あなたは代わりに答えてあげる事にした。

 彼女は同封されていたあるえという名前の紅魔族の自作小説を真に受け、世界を救うためにあなたの子供を産ませてくださいと言っただけである。

 

「…………」

 

 マジかよ。

 そんな声が聞こえてきそうなカズマ少年達の無言の視線がゆんゆんを貫いた。

 

「ゆんゆん……子供って貴女……しかもあるえの自作小説を真に受けてってどんだけおばかなんですか……というか幾らなんでも相手が悪いですよ相手が。ウィズとコレですよ? 普通に考えてそんなの無理だって分かるでしょうに」

「違、違うの! 止めてめぐみん、そんな目で私を見ないで!! っていうかなんで言っちゃうんですかあああああああああああ!? ああああああああああああああああああごめんなさいいいいいいい!!!」

 

 奇声をあげて絨毯の上をゴロゴロと転がり始めるゆんゆん。

 やがて絨毯に包まって簀巻きのような形になった彼女はあー、とかうー、とか呻きつつ、最後に小さく来世では貝になりたいと呟いて沈黙した。

 大人しいゆんゆんの奇行にめぐみん達はドン引きである。

 

「私としては躊躇無く暴露していくあなたにもドン引きですよ。ほんとイイ性格してますよね」

「なあめぐみん、あるえって誰だ?」

「里の学校で同級生だった子です。作家を目指しているちょっと変わった子でして」

「いやしかし本当にあっさり暴露したな……だが私はそういう鬼畜なのも割と嫌いじゃないぞ! むしろ大好きだ! カズマ、私達も負けていられないな!」

「お前は誰と戦ってんの? つーかお前羞恥プレイ苦手だろララティーナ」

 

 大人気ないと言われそうだが、ゆんゆんの早とちりのおかげでウィズがこうなったのだから、少しくらい彼女に意趣返ししても罰は当たらないだろう。

 

「やれやれ……それで、ゆんゆんはこの後どうするつもりですか?」

 

 先日の女神エリスと同じく簀巻きとなったゆんゆんは芋虫のようにもぞもぞと不気味に蠢きながら小声で答えた。

 

「こ、紅魔の里に行くに決まってるでしょ……里にはとも……だ、ち? とかいるし……」

「ゆんゆんの友達なウィズは貴女のせいで盛大にぶっ壊れてるわけですが、そこんとこどう思います?」

「止めて、本当にお願いだから止めて……!」

 

 

 

 

 

 

 めぐみん達と別れ、背中に抱きついたままのウィズを連れてゆんゆんと共に自宅に帰るあなただったが、あなたを出迎えたのは内側から破壊された玄関の扉だった。

 

 出かける時もベルディアが壊したまま放置していたそれをあなたはドア生成の魔法で修理する。

 まさかこの魔法が活躍する日が来るとは夢にも思っていなかったが、それはそれとして明日のベルディアは三食ハーブ漬けにしよう。

 

 ゆんゆんの前でノースティリスの魔法を見せるのは初めてだったのだが、初めて見る異世界の魔法にあれこれ言う事なく、彼女は頭を下げてきた。

 

「あの……本当に申し訳ありませんでした……色々と変な事を言ってしまって……」

 

 これで何度目だろうか。

 最早覚えていない程度には今日だけでゆんゆんはあなたとウィズに頭を下げている。

 ウィズは家に帰ってきても相変わらずなのでそろそろあなたも慣れてきた。背中に伝わってくる柔らかい感触には慣れないが。

 

 ただ、自身の早とちりのせいで友人にして師匠がこの有様になっているせいだろう。

 ゆんゆんは先ほどとは別の意味で死にそうな顔になっている。

 しかしウィズがこうなったのはゆんゆんの言葉が発端とはいえ、あなたには決してそれだけが原因ではないように思えた。それに流石にこんな事で愛弟子にして友人を嫌いになったりはしないだろう。

 

「…………」

 

 あなたの言葉に無言で、しかしあなたの背中でしっかりと首を縦に振るウィズ。

 ご覧の通りゆんゆんが嫌われたわけではないので安心していいとあなたが翻訳すると、ゆんゆんは少しだけ安心したようだった。

 

 しかしこのまま放置しておくとまたゆんゆんの意識がネガティブ方向にアクセル全開になりそうなので話を変える。

 これからのゆんゆんの事についてだ。

 彼女は紅魔族の里に救援に向かうという話だったが。

 

「あ、はい。これからアルカンレティア行きの馬車に乗ろうかと思ってます……」

 

 それならば自分も同行したいので一日だけ出発を遅らせてもらっても構わないだろうかとあなたは提案した。

 アルカンレティアから紅魔族の里にかけてはおよそ徒歩で二日の距離が必要だ。

 更にあの地域には強力なモンスターが多数生息しており、現在は魔王軍も攻めてきている。

 レベルの上がった今のゆんゆんであっても一人では危険なのは間違いない。

 あなた自身も前々から一度紅魔族の里に行ってみたいと思っていたので、これは彼女に道中の道案内を頼む意味合いも兼ねている。

 

「え、で、でも……」

 

 あなたはアルカンレティアにテレポートを登録している。

 朝一で飛べば今から馬車で向かうよりも早く到着出来るだろう。

 本当であれば今すぐ向かうべきなのだろうが、今のウィズを放置しておくわけにはいかない。

 めぐみんは紅魔族は強いので心配いらないと言っていたが、実際には何が起きるか分からないので一日かけて準備を完璧にしておいてほしいのだ。ウィズはこちらで何とかしておく。

 

「わ、分かりました……よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんが帰った後、ウィズを彼女の部屋のベッドまで運ぶとウィズはようやくあなたから離れてくれた。

 背中から離れていく感触に名残惜しさを感じなかったわけではないが、これでひとまずは安心である。

 ちなみに逃げたベルディアはまだ帰ってきていない。ハーブ漬けの期間を三日に延長しよう。

 

「…………」

 

 放任しすぎたペットの教育方針を少しだけ変える事を決めつつ、あなたはベッドに腰掛けたウィズの隣に座り、彼女が何かを言ってくれるのを待ち続ける。

 そうしてたっぷり三分ほどかけた後、ウィズは言葉を搾り出すようにこう言った。

 

「ごめんなさい、言いたくありません。今はまだ……」

 

 はて、一体ウィズは何の話をしているのだろう。

 脈絡の無いその言葉にあなたは少しだけ考え、恐らく彼女は自分の背中に抱きついてきた理由について言及しているのだろうと思い至った。

 

「……迷惑をかけてしまった上に勝手な事ばかり言って本当にごめんなさい。でもいつか……言う勇気が出たらちゃんと言いますから。約束します」

 

 あなたはあれに関して別に何かを聞き出そうとは思っていないし、あの程度の可愛いワガママが迷惑だとは微塵も思っていない。

 あなたにとって迷惑というのは長い時間と手間隙をかけて自宅の改装を終わらせた瞬間に核とか終末とかメテオとか分裂モンスターで家を滅茶苦茶に荒らすレベルの事を指す。

 下手人は絶対に許さない。絶対にだ。三日後百倍である。

 

 そういうわけなので、ウィズが自分から話してくれるというのであれば聞くが、そうでないなら別に構わないとあなたは本気で思っていた。

 あなたはただ、ウィズが自発的に何かを言ってくれる程度まで気を持ち直すのを待っていただけである。

 

 だが不安もある。

 ウィズは大丈夫だろうか。

 

「えっと……大丈夫って、何がですか?」

 

 忘れているのか、気付かないフリをしているだけなのか。

 ウィズはあなたに抱きついている姿を思いっきりアクセルの住人達に見られてしまったわけだが。

 

「えっ……あっ……」

 

 なおカズマ少年の屋敷へ行く時も帰る時もあなたはずっとウィズを引き摺っていた。

 彼女にひしと抱き付かれ、引き摺りながら街の中を歩くあなたは目立った。それはもう凄まじく目立っていた。当たり前である。あんなものが目立たない筈が無い。

 奇異の視線で見られる事には慣れているあなただったが、ウィズはそうもいかないだろう。本当に大丈夫だろうか。恐らくバニルの耳にも入ると思うのだが。

 

「…………あ゛ー!!!」

 

 駄目だったようだ。

 ぼふん、という音と共に赤面したウィズは布団を深く被って引き篭もってしまった。

 ゴロゴロと転がりながら獣の如き奇声を発する様は先ほどのゆんゆんにそっくりで、まさしく師弟だと言わざるを得ない。

 

 生暖かい気持ちでベッドの中でジタバタと暴れるうっかりりっちぃを見つめるあなただったが、玄関から乱暴に扉が開く音と怒鳴り声が聞こえてきた。

 

「おいご主人! ご主人とウィズが街中で頭がフットーしそうだよおっっ……みたいな事してたって街中の噂になってるんだが世界の終末不可避なあの状態から何がどうなってそうなったのか俺に詳しく説明しろぉ!! やっぱり愛か!? 愛の力が世界を救ったのか!?」

「…………っ! ……っ!」

 

 同居人の熱い死体蹴りに正気に戻ったウィズは遂に沈黙。

 羞恥に悶えているのか、布団の中でびくんびくんと痙攣する様はとても可愛いとあなたは笑うのだった。



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第70話 ウマい! これはあなたの好きな……

 一昨日とは別の意味で台風が吹き荒れた次の日の朝。

 早朝特有のひんやりとした空気の中、あなたとウィズがゆんゆんの宿泊している宿の前に赴くと、既に彼女はそこで待っていた。

 そわそわと髪の毛を弄ったり服装を気にしたりと、ゆんゆんはまるで落ち着きが無い。

 先日の大暴走もあって非常に緊張しているようだ。

 

 可愛らしい年頃の姿にウィズがくすりと微笑み、待ち人であるあなたがゆんゆんの名前を呼ぶと、彼女はビクリと身体を震わせ、あなた達の方に向き直ったかと思うと、そのまま深く頭を下げて謝罪してきた。

 

「お、おはようございます! 昨日は本当にお二人にとんだご迷惑を……!」

「だ、大丈夫です、ゆんゆんさん、私はもう大丈夫ですから……! 私も色々とすみません……!」

 

 顔を赤くして涙目なウィズが早くもいっぱいいっぱいになりかけているので、あまり昨日の事には触れないであげてほしい。

 自業自得ではあるのだが、ウィズはベルディアと話を聞きつけてきたバニルから死体蹴りをさんざん食らった後、丸一日かけてようやく精神をリカバリーさせる事に成功したのだ。

 布団に引き篭もった彼女はキッチンにも立てない可愛い有様で昨日は久しぶりにあなたが腕を振るったくらいである。

 自分も普通の食事がいいと嫌がるベルディアには祝福されたストマフィリアを無理矢理口に詰め込んでおいた。彼は口の中を満たす濃い草の味とパンパンになった胃袋に泣いて喜んでくれたが、残りは帰ってからだ。

 

「そんな、私のせいで……!」

「いやいや、私が……!」

「私が……」

「私……」

 

 一歩も引かずにぺこぺこと頭を下げ続ける二人のアークウィザードは本当に似たもの師弟である。

 仲がよくて大変結構な事だが、このままだと出発できないので適当な所で切り上げておく。

 

 足元に転がっている荷物の数々を見るに、ゆんゆんの準備は万端のようだ。

 待ち合わせの時間には遅れていないが、来た時の落ち着かない様子といい、もしかしたらかなりの時間待たせてしまったかもしれない。

 彼女の事なのでかなり待っていそうだ。

 

「だ、大丈夫です、私も今起きたところですので!」

 

 それを言うのなら今来た所ではないのか。

 突拍子の無い事を言うゆんゆんに軽く笑いつつ、見送りに来てくれたウィズに別れの挨拶をする。

 

 そう、今回ウィズは留守番である。

 ポーション作成が板についてきた彼女はそう何度も本業の魔法店を留守に出来ないし、何より今回の相手もハンスと同じ魔王軍だ。

 幹部も投入してきているという話なのでウィズを連れて行く事は出来ない。

 

「行ってらっしゃい。どうかお二人とも身体に気をつけて無事に帰ってきてくださいね?」

 

 少しだけ寂しそうに微笑みながらひらひらと手を振るウィズに見送られ、あなたとゆんゆんはテレポートの光に包まれる。

 

 ――お願いですから、私を独りにしないでくださいね。

 

 別れ際、じっとあなたを見つめるウィズがそんな事を言った気がした。

 

 

 

 

 

 

 テレポートで転移したあなたの先に待っていたものは青を基調とした美しい街並み。

 あなたとゆんゆんは再びアクシズ教徒の総本山であるアルカンレティアへやってきたのだ。

 あなたがテレポートを登録したのは街の外れなので外はすぐそこである。

 

「えと……それじゃあ行きましょうか」

 

 まだ少しだけ気まずそうなゆんゆんに頷き、あなたは一歩を踏み出した。

 外ではなく水と温泉の都、アルカンレティアの方に。

 

「え、あの、どうしたんですか? 紅魔の里はそっちじゃありませんよ?」

 

 里ではなく街の方に進んでいくあなたにゆんゆんがおずおずと問いかけてきた。

 

「あ、もしかして何か入用だったんですか? アルカンレティアでしか買えないものが必要だったり……」

 

 似たようなものである。

 しかし準備不足というわけではなく、あなたはここで馬車を借りる予定なのだ。

 ゆんゆんは徒歩で行くつもりだったようだが、わざわざそうする理由も無いだろう。

 

「馬車ですか? 紅魔の里には乗合馬車は出てませんよ? 商隊で行けないくらい危ない場所ですし、紅魔族の皆はテレポートで自由に移動出来ますから」

 

 知っているとあなたは頷いた。なので馬と馬車だけを借りる。

 あなたはノースティリスで馬の扱いは慣れているし、ハンスと春一番の賞金も入ってきた。

 脱税したので金もある。危険なモンスターはあなたが蹴散らしていく。

 

「脱税したので金はあるって眩暈がしそうな台詞ですよね……」

 

 目的地までの距離は徒歩で二日。

 馬より速く走れるあなたであればそう時間はかからない距離だが、高レベルとはいえ速度が人並みなゆんゆんでは一苦労だ。

 道先案内人のゆんゆんがおんぶで移動したいというのであればそれでもいいのだが。

 

「それは恥ずかしいので勘弁してください……」

 

 先日の爆弾発言の方が数百倍恥ずかしいのでは、と思ったが、内気で恥ずかしがりやの少女に過度な死体蹴りを行わない(なさけ)があなたにも存在した。

 

 そんなわけで紅魔族の里まで馬車を借りる為、あなたはゆんゆんと共にアルカンレティアの中を進む。

 前回来た時からそう時間が経っていないので当然だが、アルカンレティアは相変わらず人気の多いにぎやかな街だ。

 ハンスを退治した事で街を悩ませていた毒物騒ぎも終わり、水と温泉の都は本来の活気を取り戻している。朝風呂を堪能していたと思わしき観光客の姿もちらほらと見受けられる。

 

「おお、アルカンレティアを汚さんとする卑劣にして邪悪なデッドリーポイズンスライムに相対するのはアクア様の加護の元、死をも恐れぬアクシズ教徒と頭のおかしい狂気のエレメンタルナイト、そして……」

 

 路上で詩人が詠っていたのであなたは小銭を投擲した。

 中々いい歌声だ。おひねりをくらえ。

 

「ドゥブッハァ!!」

 

 あなたがこっそりと、しかし高速で放ったおひねりは見事に額と腹部に直撃。なお詩人は怪我一つ負っていない。

 みねうちを使わずとも人体を爆散させないあなたの手加減は最早匠の域だ。

 

「あれ? あそこの詩人さんどうしたんでしょうか。頭とお腹押さえてますけど」

 

 長時間の発声で頭痛がしているのだろう。軟弱な。

 腹痛は朝食の食べ過ぎに決まっている。そういう事にしておく。

 

 詩人を意識から消し去って街中を流れる水路に目を向けてみれば、透き通った綺麗な水が朝日を反射しており、あなたの目と心を楽しませる。

 なんと両手両足に手錠をかけられてどんぶらこと流されていくゼスタのオマケつきだ。

 

「えっ……えっ!?」

 

 朝っぱらから衝撃的な物を見たゆんゆんは目を白黒させて混乱している。さもあらん。

 こちらに気付いたゼスタと目が合ったので手を挙げて挨拶しておく。

 

「おはようございます。ようこそアルカンレティアへ」

 

 拘束された両手を挙げたゼスタはそのままあなたの隣に目をやると、くわっと目を見開いた。

 その視線の先にはゆんゆんのピンクのミニスカートが。

 

「ぬっ、ぬぬぬぅ……! 逆光でよく見えないっ……! いやしかしこのギリギリ感も焦らされているようでまた……あ、あともう少し……!」

「……きゃあっ!?」

 

 ゼスタはゆんゆんのスカートの中を覗こうと彼女の下半身を必死の形相で凝視している。

 あまりに堂々としたセクハラに感心しつつあなたはゆんゆんを後ろに下げた。

 今日のゆんゆんはスパッツを着用しているので覗いてもパンツは見えないが、それとこれとは話が別だ。多感な年頃のゆんゆんはいい気はしないだろう。

 なおこれがウィズだった場合はあなたは躊躇無くゼスタに石を抱かせて水底に沈めた後に水路に最大出力の電撃魔法を流していた。当然である。

 

「ちっ……なんだ、スパッツでしたか……私はまたてっきりニーハイで肌色天国(絶対領域)が隠れているものかと……こほん。あっ、こらっ、石をぶつけるのは止めなさい! いいんですか、そんな事をしようものなら私は断然悦ぶのですが!! いいぞもっとやれ!!」

「変態っ! 変態っ!!」

「御褒美です! 御褒美です!!」

 

 真っ赤な顔で涙目のゆんゆんから石をぶつけられつつ高らかに笑うゼスタは朝っぱらからとても元気だ。

 女神アクアを信仰する彼の事なので水の中にいるとテンションが上がるのかもしれない。

 いつもの事だった。

 

「ところで話は変わりますが、お手すきでしたら私を引き上げていただけませんかな? この陽気の中赤子のようにアクア様の素晴らしさが感じられる水の中をたゆたうのも決して悪くないのですが、このままですと仕事もままなりませんので」

「…………」

 

 言葉には出さずとも凄まじく嫌そうな顔をするゆんゆんと共に水路からゼスタを引き上げ、ついでにロックピックで手錠を外しておく。

 若干複雑な構造だったが、鍛え上げたあなたの鍵開けスキルの敵ではない。

 

「ふう、ありがとうございます。ところで邪悪なエリス教徒達が大金を隠している金庫を開けてアクシズ教徒に寄進する慈善事業に興味はありませんかな? ……無い? それは残念」

 

 呼吸するように強盗を勧めてくる宗教団体の最高責任者。

 彼らはエリス教徒に何をやっても女神エリスに許されると知ったらどうなってしまうのだろう。

 言わないが。言わないがやってみたくはある。

 

「……ところでどうしてあんな事に?」

「いえ、私は先日女性信者のパンツを頭に被って寝ていたのですが、起床の際にパンツを被っていた事をさっぱり忘れていたせいでそのまま仕事に出てしまい、パンツを盗んだ本人にバレてしまいまして。いやはや全くお恥ずかしい」

「もう一回縛って水路に落としませんか? 私も手伝います」

「はっはっは、冗談を言う元気があって何よりですな」

「本気ですけど」

 

 あなたの袖を引っ張るゆんゆんの目は据わっていた。

 実に遠慮が無い。

 

「さて、お二人は本日は何の用事でアルカンレティアに? 入信ですかな?」

 

 あなたが紅魔族の里に向かう途中で寄った旨を告げると、ゼスタはふむ、と顎に手を当てた。

 

「現在紅魔族の里は魔王軍の幹部が襲撃しているという話です。それにここから紅魔族の里は徒歩で行くには少し距離がありますぞ?」

 

 勿論知っている。

 故に馬車を借りようと思っているのだ。

 金ならあるので足が速い馬を借りられる店があれば教えて欲しいとあなたが頼むと、ゼスタは笑って頷いた。

 

「左様でしたか。それでしたら当教会が保有している馬がこの街においては最も健脚を誇っているでしょうな。あなた方はアクシズ教徒ではないので流石に無料とはいきませんが、現在使う用事はありません。必要であれば相場の代金でお貸ししますよ」

 

 予想外の申し出にあなたは少し驚いた。

 非常に助かる話だが本当にいいのだろうか。

 

「いえいえ、この程度ならお安い御用ですとも。あなたは異教徒ですがエリス教徒ではありませんし、先のハンスの件や()()()もあって大変お世話になっていますからな。お二人の旅路にアクア様の御加護があらん事を」

 

 アクシズ教団の最高責任者はそう言って、聖職者の名に相応しい笑顔であなた達に笑いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ゼスタが手配してくれた馬車に乗ってアルカンレティアを出たあなた達は、一路紅魔族の里に向けて馬車を走らせていた。

 まだ人里に近く、街道もキチンと整備されている地域だからか、モンスターは一匹も見かけていない。

 

 さて、あなたがアクシズ教団に借りた馬車は二頭仕立ての二人乗りという小ぢんまりしたものだった。

 御者席にあなたが座り、ゆんゆんはその後ろにちょこんと行儀よく座っている。

 

「あの、あなたは彼らとどんな裏取引を? 本当に大丈夫なんですか? 紅魔族も避けて通る事で有名なアクシズ教徒ですよ?」

 

 裏取引とは随分とご挨拶な物言いだ。

 アクシズ教徒ではないゆんゆんには詳細は話せないが、これはそこまで大それた話ではない。少なくともあなたにとってはちょっとしたお使いを頼まれているだけである。

 一方のアクシズ教団にとっては非常に重要な事だが。

 なので聞きたかったらアクシズ教徒になってからにしてもらおう。

 

「止めておきます」

 

 ゆんゆんはきっぱりと言い切った。

 

 

 

 ちなみにお使いの具体的な内容だが、あなたが行っているのはアクシズ教団の作った秘蔵の御神酒(おみき)の代理奉納だ。

 前々からあなたはアンデッドであるベルディアを見逃してもらう代わりに定期的に女神アクアに酒を奉納しているわけだが、その酒の中に最近になってアクシズ教徒がこの街で作っている最高級品が紛れ込むようになった。

 

 勿論アンデッド云々についてはあなたは話していない。

 自分が恩返しの為に女神アクアに定期的に酒を贈っているという事を同じ狂信者であるゼスタに教えただけだ。当然彼は目を光らせて激しく食いついてきた。

 

 アルカンレティアは水の都。当然酒造も盛んに行われている。綺麗な水で作る酒はあなたも堪能させてもらった。

 そしてお酒が大好きな女神アクアを信仰するアクシズ教徒の酒造所としては彼女に自分達が作った御神酒(おみき)を奉納して美味しく飲んでもらう事は大いに名誉な事であり、彼らの長年の悲願でもあった。

 しかし彼らは下界に遊びに来た女神アクアをこっそりと見守っているので、街を救ってくれた恩人として扱っても女神扱いは出来ない。大っぴらな御神酒の奉納などもっての他だ。

 

 そこであなたの出番である。

 

 日頃から女神アクアに酒を贈っているあなたが彼らの代理人になれば、アクシズ教徒の健気な思惑を知られずに御神酒を飲んでもらえるという寸法である。

 あなたは異教徒なので女神アクアからこれはアクシズ教徒からのお酒ではないか、と疑われる事も無い。

 この場合()()()()()()かは全く重要ではない。()()()()()()かが重要なのだ。

 

 女神アクアは自分の信者が作った美味しい酒が飲める。

 アクシズ教団は女神アクアに御神酒を奉納出来る。

 あなたは若干とはいえ出費が減る上に彼らに喜んでもらえる。

 

 誰も損をしない素晴らしい善行だと言わざるを得ない。あなたのあまりの善人っぷりに観客も総立ちだ。

 

 良い事をすると気分がいい。風を感じながらあなたは満足げに頷く。

 自分で走る時ほど速度は出ずとも、馬車に揺られて風を切るのはこれはこれで悪くないものなのだ。

 

「あ、あの、ところで少し速すぎる気が……そこまで急いでもらわなくても、というか危ないですし、馬も潰れちゃいますよ?」

 

 はて、馬とはこんなものではないだろうか。

 むしろ若干速度が物足りないくらいだ。

 しかし借り物の馬が潰れるというのはよろしくないので、あなたは馬を落ち着かせるべく手綱を操る。

 何故か加速した。

 

「ちょ、速い! 速いですから! もう少しゆっくりお願いします!」

 

 揺れが激しくなり、馬車にしがみ付いて涙声のゆんゆんにあなたは振り向いてこう言った。

 馬が言う事を聞かない。

 

「……え、ちょ……ええええええええええええ!?」

 

 あなたは馬車と同時に餞別として、アルカンレティア一帯の地図など幾つかの荷物を渡されている。

 その中の一つに、馬の好物が入っているのでいざという時はこれを使ってみてくださいとゼスタが渡してきた小袋がある。

 あなたはそれを出してもらうように頼んでみた。

 

「わ、分かりました! ……えっと、これかな」

 

 背後でがさがさと紙を開く音がした。

 好物と言っていたのであなたは馬の好きな餌かと思っていたのだが。

 

「アクシズ教への入信書!? え、これだけ!? 嘘でしょ!?」

 

 それで馬をどうしろと。

 

「そ、そういえばアルカンレティアでは馬ですらも洗脳されていて、アクシズ教徒の言う事しか聞かないって聞いた事が……!」

 

 ゆんゆんの悲鳴を聞いてあなたは苦笑した。

 つまり馬に言う事を聞かせたければサインして入信しろという事だ。

 手段を選ばないゼスタのイタズラ心には参ったものである。

 

 幸い馬は息も切れていないし、まだまだ元気いっぱいのようだ。

 あなたが止まる気がないなら気合を入れろと数度鞭を入れると、二頭の馬は更にグンと速度を上げた。加速する分には言う事を聞くらしい。

 

「なんで!? なんで鞭入れちゃったんですか!?」

 

 アクシズ教徒に育てられてきただけあって根性のあるいい馬だ。

 ノースティリスで育てられている馬の品種であるサラブレッドよりも足が速い。

 ティラノサウルスとほぼ同速といったところか。

 

 大地を駆け抜ける二頭の駿馬を見ながら思う。

 捌けばさぞ美味い肉になる事だろう。

 

 それにそろそろ朝食の時間だ。

 馬肉には癖があるので苦手とする者もいるが、ゆんゆんはどうだろうか。

 馬肉はとても美味しい上に精が付くと、冒険者にとって良い事尽くめである。

 馬としての品質を考慮しなければ繁殖力も高く、駄馬をノースティリスでも牧場で育てている者は多い。

 

「このタイミングでそんな話するんですか!? というか馬肉!? この子を食べるんですか!? この子達は食べちゃ駄目ですよ!?」

 

 ゆんゆんの叫びに馬がビクリと震えて足並みが乱れた結果、爆走していた馬車は減速を開始する。

 言われなくても借り物を食べたりはしないとあなたは笑った。

 この活きのいい馬を見ていたら馬肉が食べたくなっただけである。

 

 焼く、蒸す、茹でる、揚げる、生け作り。

 ゆんゆんに好みの料理法があれば注文に応えるが。

 

「駄目ですよ!? 絶対に駄目ですからね!?」

 

 理由は不明だが、その後の馬はだいぶ大人しくなって普通にあなたの言う事を聞くようになった。

 暴走をやめてしまったのであなたとしては甚だ物足りなかったのだが、ゆんゆんはこれくらいが丁度いいと安心していたのでよしとする。

 

 

 

 

 

 

 すっかり聞き分けがよくなってしまった馬を操りながら、ウィズが作ってくれた弁当を堪能する。

 昨日は夕飯を作れなかったので朝食と昼食の二食分を用意してくれたのだ。勿論ゆんゆんの分も用意してある。ウィズの良妻っぷりが凄まじい。

 

 モンスターにも遭遇しない退屈な道中を紛らわせる為、食事をとりながらゆんゆんと世間話を行う。

 実はこれまでウィズを介さずに二人きりというのは意外に少なかったあなた達だが、これまでの積み重ねもあってか会話はそこそこに弾んだ。

 

 とはいっても語り手はもっぱらゆんゆんで、あなたは聞き手に回ることが殆どだったのだが。

 話の内容はこれから向かう紅魔族の里の事や昔の思い出話などなど。

 彼女は紅魔族の変わった人たちや風習、見所を一生懸命教えてくれた。

 

 そんな中、あなたが操る馬を見ながらゆんゆんはこんな事を言った。

 

「この前スロウスさんに言われたんですけど、やっぱり一人前の冒険者なら騎獣を持ってた方がいいんですか? あなたはどう思いますか?」

 

 持っていた方が移動や冒険者活動に有利になるのは確かだろう。

 ゆんゆんのようにソロで活動している冒険者にとって、彼らは心強い味方になってくれる筈だ。

 

「わ、私は好きでソロ活動をしているわけでは……それに私は宿暮らしですし、お世話も出来る気がしないんです」

 

 ならば契約して必要に応じて呼び出せばいいとあなたは提案した。

 現にあなたの仲間は高位魔獣と契約している。

 

「ベアさんがですか? しかも高位魔獣と契約だなんて……」

 

 興味津々のゆんゆんだが、ベルディアが地獄の首無し馬であるコクオーと契約しているように、この世界にもモンスターや動物を従える職業は存在する。

 流石にノースティリスと違って人間を支配(テイム)するスキルは無いようだが。

 

 ゆんゆんの言っている騎乗用の魔物としての有名どころはグリフォンやユニコーンか。

 そんな彼らの中でも最も有名な存在といえばドラゴン使いだろう。

 

 ノースティリスと同じく、この異世界においてもドラゴンは最も有名な魔物だ。

 冒険者は勿論の事、一般人の子供だって知っている。

 その力はワイバーンのような亜竜とは比べ物にならず、ドラゴンを倒した冒険者にはドラゴンキラーの称号が与えられるほどに強い。

 長い年月を生きたドラゴンともなれば城ほどの巨躯を誇るものすら存在し、個体によって様々な種類のブレスを吐き、生半可な武器や魔法を弾く頑強な鱗、鋼鉄を紙のように引き裂く爪と牙を持つ。

 

 ……つまるところ、ドラゴンを毎日毎日終末狩りで乱獲しているベルディアは本当に強いのだ。毎日毎日終わる事の無い地獄のレベリングを続けてきた彼を一対一で止められるのは最早玄武や冬将軍のような超級の存在だけだろう。

 ちょっと近隣に存在する比較対象が廃人級の力を持つリッチーだったり神々と敵対する大悪魔しかいないのが悪いだけだ。

 

 あとドラゴンは肉がとても美味しい。

 終末産の竜の肉はあなたもウィズもベルディアも大好物である。

 高レベルになればなるほど味が良くなるのであなた達は最高レベルの竜ばかりを食べている。

 骨も血も内臓も皮も鱗も良質の素材になるので無駄な部分が無い。

 実に素晴らしい生き物だ。

 

 そんな圧倒的知名度を誇る最強の生物であるドラゴンを己の意のままに使役し従える者。それがドラゴン使いである。

 数々の物語にも登場する彼らは人と竜という本来相容れない関係であるにも関わらず、硬い絆で結ばれており、いざ戦いとなれば相棒であるドラゴンの背に乗って大空を駆ける戦場の支配者となる。

 

 各種スキルで竜の力を最大限以上に引き出し、熟練のドラゴン使いともなれば竜と深く結びつく事によりその身に竜の力を宿す事もできる。

 誰もがなれるわけではない、選ばれた職業。それがドラゴン使いだ。

 

「いいですよねドラゴン使い。私も里にいた頃に沢山のドラゴン使いのお話を読みました。ドラゴンの背中に乗るのって凄く憧れちゃいます。お話の中の人みたいに鳥みたいに大空を飛べたらなあって」

 

 青空を見上げつつ、目をキラキラと輝かせて夢を語る紅魔族の少女に大変微笑ましい気持ちになったあなたは竜の背に乗って大空を飛ぶドラゴンライダーゆんゆんの姿を夢想する。

 

 ――我が名はゆんゆん! やがて紅魔族の長となるアークウィザードにして竜と心を通わせるもの!

 

 中々いいのではないだろうか。

 機動力のある魔法使いの有用性など一々語るまでも無い。

 あなたは好みの属性の竜はいるのか尋ねてみた。

 

「好みの属性の竜ですか? えっと、そうですね。私は雷の魔法が得意なので、やっぱり自分と同じ雷を操るドラゴンがいいかなって……」

 

 なるほど、確かに相性は良さそうだ。

 今度雷竜の生息地を調べておこう。博識なウィズに聞くのもありだろうか。

 ゆんゆんの話を聞きながら、あなたはこっそりそんな事を思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 日が高く上り、行程も半ばほどを過ぎた頃、林を抜けて岩場に差し掛かった所であなたの気配感知に何かが引っかかった。

 モンスターの襲撃だろうか。ゆんゆんにも周囲を警戒するように指示しておく。

 馬車から降りて警戒しながら進むあなた達だったが、気配の主を見つけたのはゆんゆんだった。

 

「……あの、あそこに誰かいます」

 

 彼女は何か、ではなく誰かと言った。

 アルカンレティアからも紅魔族の里からも離れているこんなところに誰がいるというのか。

 

 疑問を覚えつつあなたが指の先に目を向けてみれば、数多の転がっている岩石の一つ、その上に緑髪の少女が腰掛けていた。

 花の髪飾りを付けた華奢で可憐なその少女はあなた達に気付いているようで手を振っている。

 

「こんな所にどうして女の子が……あっ、怪我してますよ!?」

 

 少女はこの岩場の中裸足で左の足首と両腕に血が滲んだ包帯を巻き、それをチラチラと見て痛そうに顔を顰めている。

 そして上目遣いであなた達を見つめてきた。

 

「なんて酷い怪我……! 早く治療してあげないと!」

 

 馬車に駆け込んで荷物からポーションを取り出したゆんゆんを止めると、案の定彼女は食って掛かってきた。

 

「ど、どうして止めるんですか!? 一刻を争うかもしれないんですよ!? ポーションなら沢山持ってきてますから!!」

 

 各地の図書館でモンスター図鑑を見て学んできたあなたは知っている。

 人の姿をしたあれがれっきとしたモンスターだという事を。

 着ている緑色のワンピースも、血が滲んだ包帯も全ては擬態でしかない。

 

「も、モンスター? え、だってどう見ても……」

 

 確かゼスタから渡された地図に、近隣のモンスター情報が載っていた筈だ。

 あなたはそれを取り出し該当する項目をゆんゆんに読ませた。

 

「あ、安楽少女……あれが……?」

 

 地元の者なだけあって、名前を聞いた事はあるようだ。

 悲しそうな顔であなた達を見てくる少女型モンスターの視線に痛ましい顔をしつつ、ゆんゆんはその内容を読み上げる。

 

「えーと……安楽少女とは人の形をした植物型モンスターである。物理的な危害を加えてくる事はないが、通り掛かった旅人に対して強烈な庇護欲を抱かせる行動を取り、その身の近くへ旅人を誘う。その誘いは抗い難く、一度情が移ってしまうとそのまま死ぬまで囚われる……」

 

 そこまで読んでゆんゆんが泣きそうな顔になった。

 安楽少女は高い知能を持っているのではないか、と識者の間では考えられているが実際は定かではない。

 ただその危険性から発見次第駆除する事を推奨されているモンスターだ。

 

「旅人がこのモンスターの傍にいる間は、酷く安心した笑みを浮かべるため、とにかく離れる事が難しい」

 

 説明に習ってあなたが安楽少女に近寄ると、その緑髪のクリーチャーはあなたに向かって安堵の笑みを浮かべる。

 まるで大好きな主人が帰宅した時の子犬のような笑みだった。

 

「一方で離れようとすれば泣き顔を見せる」

 

 あなたが一歩後退するとしゅん、と瞳を潤ませ始めた。

 飼い主に捨てられた子犬のような目だ。

 

「善良な旅人ほどこのモンスターに囚われるので注意していただきたい……」

 

 善良な冒険者であるあなたは安楽少女に上目遣いで見つめられながら前進と後退を繰り返す。

 笑顔に泣き顔にと表情がコロコロ変わって見ていて面白い。

 

「た、退治……? あの子を……? だって、あんなに可愛いのに……?」

 

 そうこうしているとやがて安楽少女が泣き出しそうになるのを必死に堪える笑顔で、ゆんゆんにバイバイと手を振った。

 

「む、無理っ!! そんなの出来るわけないっ!!」

 

 ゆんゆんは地図を放り投げて安楽少女に駆けて行ってしまった。

 あなたは地図を拾って続きに目を通す。

 

 そこには、安楽少女に一度でも囚われるとそのままそっと寄り添ってくるため、跳ね除けるのは極めて困難であると書かれていた。

 

 

「はわわわわ……!」

 

 安楽少女は傍に近寄ったゆんゆんを淡い期待を込めた目でじっと見つめている。

 

 ――ひょっとして、傍にいてくれるの?

 

 そう言いたげな、うるうるとした瞳で。

 激しい葛藤に苛まれているゆんゆんが震えながら手を伸ばすと、安楽少女は差し出された手をおずおずと握った。

 

「オネエチャン……アリガト……」

「…………しゃ、しゃべっ!?」

 

 安楽少女が口を開き、ゆんゆんの頭が衝撃にぐらりと揺れた。

 

「オネエチャン……アッタカイ……」

「う、うわあああああっ!!」

 

 叫びながら安楽少女をギュウっと抱きしめる善良な紅魔族の少女。

 教育の一環で即殺とみねうちを控えていたあなただったが、やはりゆんゆんには荷が重い相手だったようだ。

 現役時代のウィズは良心を痛めながらも普通に殺していたらしいのだが。

 

「アハハ……オネエチャン、クスグッタイヨ……デモ……ウレシイナ……ワタシハモンスターダカラ……イキテイルト、ミンナノメイワクダカラ……」

「ま……守るから! 私は世界中の誰からもどんな出来事からも、あなたを守るから!! 絶対に、絶対に私が守ってみせるからそんな迷惑だなんて、悲しい事言わないで!!」

 

 ガクガクと震えながらゆんゆんはとても感動的な台詞を言い始めた。

 そういうのは愛する家族や紅魔族の同胞に言ってあげてはどうだろうか。

 

 わざわざ初対面のモンスター相手に言わなくてもいいだろうに。

 近年稀に見る即落ちっぷりだ。

 本当にチョロすぎてこの先のゆんゆんの人生が心配になってくる。

 

 

 呆れながらあなたは再び詳細に目を通す。

 内容はおおむねあなたが知るものと同一だった。

 

 

 一見すると危険の無い安楽少女だが、彼女達に寄り添い続けて腹を空かせた旅人に自らに生えている実をもぎ取って分け与える習性を持っており、これが非常に危険なのだ。

 実は非常に美味で腹も膨れるらしいのだが、栄養素はほぼゼロなのでどれだけ食べても痩せ細っていく。更に旅人は自らの実をちぎって差し出すといういじらしくも健気で愛らしい少女の姿に、良心の呵責からやがて食事すらとらなくなり、栄養不足で死に至る。

 仮に良心の呵責に打ち勝って安楽少女の実を食べ続けたとしても、その者は実に含まれている成分で神経に異常をきたし、空腹や眠気、痛み等身体への危険信号が遮断される。そうしてやがて寄り添う少女と共に夢見心地で衰弱して死んでいくのだ。

 その習性が広く知られるようになった今でも年老いた冒険者や重病人が安らかな死を求め、このモンスターの生息地へ向かう例も多数見られる事などが、彼女達が安楽少女と呼ばれる所以である。

 

 

 とまあ、安楽少女とはこういう存在なので、このまま放置しておけば十中八九ゆんゆんは死ぬだろう。

 見捨てるつもりは無いが、どうしたものやら。

 

 高レベルモンスターが生息する地域のモンスターである安楽少女が持っている経験値は多いだろう。

 最近レベルが上がったばかりのあなたはともかく、ゆんゆんが仕留めればレベルアップするかもしれない。

 

 最も手っ取り早いのはみねうちだ。

 あなたが安楽少女を半殺しにすればゆんゆんは反射的に安楽少女を殺すだろう。

 半殺しにされて苦しんでいるモンスターを救ってあげるために。

 しかし紅魔族の里ではこれから戦闘が待っているかもしれないというのに、彼女を再びガンバリマスロボにするというのはよろしくない。

 

「大丈夫、お姉ちゃんがずっと傍にいるから……! 大丈夫だから……!」

 

 あなたが処分方法に頭を悩ませているというのに無駄にゆんゆんの母性が全開である。

 人の形をしていても所詮は植物型のモンスターだというのに。

 

 ……そこでふと、あなたは閃いた。

 

 安楽少女は植物型モンスターだ。

 植物型モンスター。

 植物型。

 植物。

 

 あなたは試しに連れている二頭の馬に目配せした。

 馬は軽く嘶くと、あなたの指示に従って安楽少女に歩み寄って行く。

 

「オウマサン……? ウフフ、クスグッタイヨ……」

 

 フンフンと安楽少女の緑髪の匂いを嗅ぎ始める二頭の馬。

 して、感想は。

 

 ――うーん、まあまあかな。干草よりはマシと思う。七十点。実はいらない。

 

 馬はそんな目であなたを見ている。

 七十点。安楽少女はそれなりの味のようだ。

 

 

 

 食ってよし。

 

 

 

「オウマサン? ドウシタノ……ッ!?」

 

 あなたが無言で合図を送ると、馬は勢い良く安楽少女の髪の毛に食いついた。

 ゆんゆんが悲鳴をあげる。

 

「ちょ、ちょっと待って! そんな事しちゃ駄目ぇっ!」

「オウマサ……ちょっ、いってえっ!? おい馬鹿止めろ! 食うな! 止めろ!!」

「えっ」

 

 突如、安楽少女が声色を変え、そのドスの入った低い声にゆんゆんが硬直した。

 一方で馬はその声を無視してもしゃもしゃと髪の毛を食み続けている。馬の耳になんとやら。

 必死に抵抗するが非力な安楽少女では鍛えられた馬をどうにかする事はできない。

 

「クソが! 止めろっつってんだろ! 調子ぶっこいてんじゃねえぞゴミが! アタシは確かに植物だけどお前らみてーな家畜の餌じゃねえっつーの!! そこら辺で雑草でも食ってろよこの下等な草食動物!! つーかおいさっさとアタシを守れよてめえクソジャリぶっ殺すぞマジで!!」

 

 緑髪のクリーチャーの本性など所詮はこんなものだ。

 馬に口汚い罵声を飛ばし続ける安楽少女を尻目に、あなたは途方に暮れているゆんゆんの頭をぽんぽんと優しく叩いて慰める。

 少女は世間の厳しさを知ってまた一つ大人になったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 十秒後、ゆんゆんのレベルが38になった。



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第71話 上から来るぞ、気をつけろ!

1話に注意書きを追加しておきました。
70話の前書きを読んでいない人は読んどいてください。


 見晴らしと足場の悪い岩場地帯を足早に抜けると、今度の地形は平原だった。

 木や岩といった遮蔽物が何も無い、見渡す限りの広大な緑色の絨毯が広がる中に、石造りの街道が灰色という名の彩りを添えている。

 

 馬を止めて地図を広げてみれば、この平原の先に森があり、更に森を抜けた先、平原の入り口からでもうっすらとだが見えている高い山の麓が紅魔族の里となっているようだ。

 空を見上げれば太陽は傾き始めたとはいえまだまだ高い場所にあり、序盤の爆走もあってこのペースならば今日中に目的地に到着できるだろう。

 

 しかし万が一という事もあるし予想外の事態など旅には付き物だ。

 ゆんゆんを引率しているあなたに夜襲し放題のこの場で野宿する気は無い。

 あなたは少しだけペースを上げると後部座席のゆんゆんに声をかけた。

 

「…………はーい」

 

 気の無い返事が聞こえたので振り返ってみれば、ゆんゆんは魂が抜けた表情で呆然と青い空を見上げていた。

 本性を顕にした安楽少女とは名ばかりの邪悪なモンスターをその手で始末してからというもの、彼女はずっとこの調子だ。

 ガンバリマスロボにはならなかったようだが、初めてペットの少女が井戸に落ちて死んだ時の自身のような姿にあなたも懐古の念を禁じえない。

 

 あなたが冒険者になる前から共に在り続けた以外に特筆すべき事は何も無い、探せばどこにでもいるような平凡な少女。

 ゆんゆんのような特別な生まれでもなく、ウィズのような眩い素質も持たず、たまたまノースティリスに渡る前にあなたのペットになり、その後もあなたと苦楽を共にし続けただけの、今はあなたのペット達のリーダーである普通の少女。

 

 この世界に迷い込み、彼女達と会わなくなって一年以上が経った。

 ペット達は今頃どうしているだろうか。

 ふと、そんな事を思った。

 

 郷愁に駆られる事こそ無かったが、それでもあなたは馬車に揺られながら目を瞑り、暫しの間仲間達に思いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 さて、アルカンレティアからここまでモンスターらしきモンスターとは遭遇しなかったあなたはこのまま最後まで平穏に過ごせると思っていたのだが、やはり世の中はそうそう甘くないようだ。

 

 場所は平原を四分の一過ぎた辺り。

 生い茂った草が穏やかな風に靡く中、引き返しても進んでも隠れる場所など存在しない所でそれは来た。

 

 気配感知の範囲内に引っかかる前にあなたが感じ取った微かな視線、そして鋭い敵意の主が指し示す場所は遥か上空。

 数は一。彼方から明確にこちらを狙っている何者かは確実に鳥ではない。

 

「…………!」

 

 敵襲を告げるあなたの声に顔色を変えたゆんゆんが反射的に空を見上げ、自身に向けられた敵意を敏感に感じ取った馬がピクリと反応した。

 地図に記されたモンスターの情報を全面的に信じるならば、この地域一帯で飛行可能なモンスターはただ一種のみである。

 

 自身が気付かれた事を感じ取ったのか、最初は空に浮かぶごくごく小さな黒点に過ぎなかったそれは少しずつその姿を顕にしていく。

 ドラゴンほどではないにしろ、上級モンスターとしてかなりの有名どころであるそのモンスターの名は……。

 

「グリフォン……!」

 

 数々の強力なモンスターが揃うこの地域における絶対王者の登場に、ゆんゆんがごくりと喉を鳴らした。

 巨大な鷲の上半身と獅子の下半身を持つグリフォンは、時にドラゴンですら退けるという極めて獰猛かつ強力なモンスターである。

 しかし本来であれば紅魔族の里の先にあるような山岳部が生息域である為、アルカンレティアから紅魔族の里にかけての発見例は非常に少なく、遭遇する事は滅多に無いレアモンスターと書かれていた。

 

 そんな物に狙われるとは運が良いのか悪いのかは不明だが、ゆんゆんもあなたも相手の狙いはとっくに分かっていた。

 何故ならグリフォンは馬の肉を特に好んで食すモンスターであり、現在あなた達はその馬に引かれて移動している真っ最中だからだ。大きく活きの良い二頭の馬はグリフォンにとって格好の獲物だろう。

 

 馬とあなた達にプレッシャーを与えているつもりなのか、あるいは他のモンスターに自身の邪魔をするなと警告を放っているのか。

 時折猛禽類特有の甲高い鳴き声をあげながら悠々と馬車を追ってくるグリフォンは、今の所あなた達に襲い掛かってくる気配を見せない。しかしまさかトチ狂ってお友達になりに来たわけではないだろう。

 プレッシャーに耐えかねた馬が暴れ始めた途端、グリフォンは一気に急降下してくると思われる。

 

 しかし流石はアルカンレティアでアクシズ教団に育てられた馬だけあって、自身がグリフォンに狙われていると理解しても馬車を引く力強さと足並みに乱れは無い。

 これが凡百の駄馬であれば恐怖からとっくに泡を吹いて潰れていた事だろう。

 実に頼もしい。肉にしたらどれだけ美味しくなるのか。

 

 あなたが感心しながら二頭の馬の背中に熱い視線を送ると、車輪が石を踏んだわけでもないのに馬車が大きく揺れた。

 何故か一瞬だけ馬の足並みが乱れたのだ。

 グリフォンなど気にも留めていないと思っていたあなただが、それでも馬は繊細な生き物だ。実はあまり時間は残されていないのかもしれない。

 

「私が魔法で撃ち落とします! あなたはダニーとグレッグを!」

 

 あなたが必死に馬を落ち着かせていると、ゆんゆんはそう言って馬車の後方から身を乗り出した。

 なおダニーとグレッグとは馬車を引いている馬達の名前である。

 

「この距離なら……ライトニング!!」

 

 ライト・オブ・セイバーと並んでゆんゆんが好んで使用する中級魔法の雷が真昼の空を迸るも、時に空の王者とすら呼ばれるそれはゆんゆんを嘲笑うかのように一鳴きしてそれを華麗に回避した。

 まさかこうもあっさり避けられるとは思っていなかったのか、ゆんゆんの表情が驚愕に染まる。

 

「外れた……ううん、違う、避けられた……!?」

 

 様々な要因で落ちる場所が変化する自然現象の雷と違い、魔法の雷であるライトニングは直線攻撃で術者が狙った場所に当たるため、その圧倒的な速度と中級魔法の中では高めの威力もあって数ある魔法の中で最も使いやすいものの一つに数えられている。

 しかし狙った場所に当たるという事は、同時に魔法が放たれる直前に射線から動くだけであっさりと回避が可能という事を意味する。

 グリフォンは獰猛だが賢く勘のいいモンスターだ。文字通りの雷速とはいえ、攻撃の瞬間の敵意を感じ取って回避するなど造作も無い。

 

「もう一回……ライトニング!」

 

 彼女が放った二発目の雷は先と同様にするりと避けられ……その先で三発目に貫かれた。

 ゆんゆんに一拍遅れてあなたが放ったライトニングボルト(ノースティリスの雷魔法)に撃たれたグリフォンはビクリと大きく痙攣し、ゆっくりと大地に吸い込まれるように頭から落ちていく。

 

 愛剣による威力強化も魔力の強化も行わなかったので念の為に落下中に何度かライトニングで追撃してみたが、結果として数秒の後、馬車の後方からぐしゃりともぼきりともとれる耳障りな音が鳴った。

 あなたが馬を止めて降りて近付いてみれば、全身から黒い煙を発している全長十メートルほどの黒こげの巨体が緑色のキャンバスに赤の絵の具を撒き散らしていた。

 更に余程落ち方が悪かったのか、鷲の部分に当たる上半身は見るも無惨な姿になっている。冒険者カードを見てみれば、最新の討伐項目にはしっかりとグリフォンの文字が。

 

 急ぎの旅なのでこの場で解体まで行っている暇は無い。

 周囲には肉の焼けるいい匂いが漂っているので直に他のモンスターも寄ってくるだろう。

 この有様ではどれだけ再利用が可能かは不明だが、あなたは後で解体すべくぐしゃぐしゃになったグリフォンの死体を丸ごと荷物袋に回収して馬車に戻った。

 

「す、すみません、お手数おかけしました……」

 

 身体を小さくして申し訳なさそうに謝ってくるゆんゆん。

 しかし元より里までの道中の露払いはゆんゆんではなくあなたの仕事だ。ちょっと魔法を外した程度でガタガタ文句を言う筈がない。

 なので自分は気にしていないので次頑張ればいいとあなたは彼女を慰めた。

 

 確かにグリフォンは強力なモンスターだが、雷属性の攻撃を弱点としている。

 故に高レベルとなった今のゆんゆんであれば落ち着いて普段どおりの力を発揮すれば十分無傷で勝利する事が可能な相手だ。

 それについてはウィズも保証しているので間違いないし、彼女はそういう教育をゆんゆんに施してきた。

 

 恐らくゆんゆんは急ぎの用事の最中で高レベルの飛行モンスターに狙われるという状況から焦燥感に駆られ、その結果狙いが散漫になってしまったのだろう。

 グリフォンクラスのモンスターは彼女が活動しているアクセルではまずお目にかかれないのだから無理も無い。

 正確には今あなたが殺害したものよりも若く小さいグリフォンの個体が同じ高位モンスターであるマンティコアと縄張り争いをしていた時期があったのだが、事態を重く見たギルド側から依頼を受けたあなたに討伐されている。まだゆんゆんと出会う前の話だ。

 

 

 

 

 

 

 それからも襲ってきたモンスターを時に蹴散らし、時に逃げながら進み、空が赤みがかってきた頃、ようやくあなた達は紅魔族の里が存在する森の入り口に到着した。

 ここから先は視界も悪く、いつ魔王軍と戦闘になってもおかしくない。

 奇襲を警戒して馬車を降りるあなたとゆんゆんだったが、ゆんゆんは森ではなく平原側を頻りに気にしている。

 

「良かった、もうオークは追ってきてないみたいですね……」

 

 つい先ほどまであなたを追っていた魔物の名を呼び、ほっと安堵の息を吐くゆんゆん。

 彼女は迫り来るオーク達をパラライズなどで一人で行動不能にしてきたのだ。

 魔力もかなり消耗しているだろう。

 あなたはゆんゆんが絶対にオークには手を出すな、紅魔族の未来の為にもここは自分に任せてほしいと何度も何度も釘を刺して懇願してきたのでオークの対処は彼女に任せていた。

 

 ……さて、この世界とイルヴァの生態系はある程度似通っているのだが、オークに関しては全くその限りではない。

 まずイルヴァのオークは普通に雄と雌が存在するが、この世界の雄オークは絶滅してしまっており、現在は雌しかいない。

 性欲絶倫な所は同じなのだが、この世界では先に雄オークが絶滅した結果、雌オーク達は他の種族の男達を性的な意味で襲って世代を重ね、優秀な遺伝子を取り込み続けた事で最早オークという名のよく分からない強力なモンスターと化している。

 縄張りに入り込んだオスを問答無用で襲うため、魔王軍すらオークに関わらないと書けばどれほどのものかは伝わるだろう。紅魔族やアクシズ教団並の脅威度という事だ。

 

 実際あなたが先ほど見たオーク達も猫の耳や犬の耳、背中に羽を生やしたり足に蹄があったり四本足だったり全身から鱗が生えていたり目が十あったりと多種多様な姿をしており、同じような容姿のオークは一匹たりとて存在しなかった。

 まるでエーテル病の患者か、ノースティリスで遺伝子合成でもやってきたとしか思えない有様によくもまあここまで混ざったものだとあなたも感心させられたくらいである。

 

 そんなオークは強いオスを本能的に察知する術に長けており、廃人であるあなたもまた餓えたオークのメス達に大変気に入られてしまった。性的な意味で。

 あなたとしてはオークを皆殺しする事に躊躇は無かったのだが、ゆんゆんに強さを示せば示すほど際限なく興味を引くだけで、最悪魔王軍とオークの軍勢に紅魔の里が攻め込まれると言われたので彼女に対処を任せて手を出さなかった。

 おかげでオークの縄張りである平原を抜けるまでにだいぶ時間を食ってしまったわけだが……。

 

「ですがここまで来れば紅魔の里はもう目と鼻の先です。森は自警団のような事をやっている人達が日頃から見回ってる場所ですから、本来であればあまり強いモンスターはいない筈ですが……今は魔王軍が攻めてきているという話ですので……」

「……おーい!」

 

 声と共に森の中からあなた達の方に駆けてくるのは、黒いローブを纏った、めぐみんやゆんゆんと同じ黒髪赤目の青年だった。

 青年はローブの下に黒色の全身服を着ており、両手には指先の無い手袋をはめている。

 

「靴屋の息子さんのぶっころりーさんですね」

 

 ゆんゆんが小声で青年の事を教えてくれた。

 やはり彼は紅魔族だったようだ。斥候だろうか。

 

「いえ、ぶっころりーさんは斥候とかそういうのではありません。魔王軍に対抗する遊撃部隊みたいな集団に所属している人で……」

 

 駆けてくるぶっころりーに頭を下げながらゆんゆんは言葉を続ける。

 

「これはまだ私が旅に出る前の話なんですけど、その遊撃部隊っていうのは仕事にあぶれた職の無い暇を持て余した人達が勝手に名乗っていたものなんです。その辺の人達に何もやってないって見られないように、今日みたいに自警と称して里の周りをウロウロと……」

 

 仕事が無いのであれば、ゆんゆんやめぐみんのように冒険者にでもなればいいのではないだろうか、とあなたは思った。

 

「私もそう思うんですけど……どういうわけか里を出たがらず、親元も離れないみたいで……」

 

 郷土愛、というやつだろうか。

 デストロイヤーを相手に逃げなかった冒険者達のような。

 

「う、うーん……もしかしたらそう……なのかも……?」

 

 感心するあなたに向かって、ゆんゆんは曖昧に笑った。

 そんな話をしていたとはいざしらず、ぶっころりーはあなた達の所にやってきた。

 

「こんな所に馬で来るなんて誰かと思ったらゆんゆんじゃないか。里帰りかい?」

「お、お久しぶりですぶっころりーさん。お父さんから紅魔族のピンチだと聞いて帰ってきました」

「……ピンチ? 族長が?」

 

 不思議そうに首を傾げるぶっころりー。

 

「んー……まあそこら辺はゆんゆんが族長本人から直接聞いてみてくれ。ところでゆんゆん、そっちの人は? 君の冒険仲間かい?」

「い、いえ……その、この人は私がアクセルでお世話になってる人で……ちょっと変わってますけど、その……色々と親切にしてもらったり、本当にお世話になったり……」

 

 彼女の話を聞いたぶっころりーはとても真剣な表情になり、いつぞやのめぐみんとゆんゆんの焼き増しのように、勢いよくローブを翻した。

 

「我が名はぶっころりー! 紅魔族随一の靴屋のせがれ! アークウィザードにして、上級魔法を操るもの!!」

 

 例の紅魔族特有の自己紹介だ。

 あなたもポーズこそ決めないが、彼らに習って似たような挨拶を返す。

 

「あ、やっぱり普通に返すんですね……知ってましたけど」

「おおおおおおおーっ!!」

 

 あなたの挨拶を受けたぶっころりーは歓呼の声をあげた。

 めぐみんとゆんゆんに同じ事をした時は割と普通の反応が返ってきたのだが。

 何かおかしかったのだろうか。

 

「おかしいだなんてとんでもない! 素晴らしい、実に素晴らしいよ!」

 

 ぶっころりーは興奮してあなたの手をぶんぶんと上下に揺さぶった。

 

「里の外の人は俺達紅魔族の名乗りを受けると微妙な反応をするんだけど、まさか君みたいな普通の人が俺達の風習に合わせた返しをしてくれるだなんて!!」

「普通の人……え、普通の人……?」

 

 ゆんゆんはとても何かを言いたそうにあなたを見つめている。

 何か言いたい事があるのであれば聞くが。

 

「いえ、なんでもないです……」

 

 俯いてあなたから目を逸らしたゆんゆんをニコニコと笑ってみていたぶっころりーだったが、彼はふと何かに気付いたかのように一瞬だけハッとした真顔になり、すぐさまテレポートの詠唱を開始した。

 

「ゆんゆん、里の中では変わり者で浮いてた君も()()()を見つけたみたいだね」

「いい人……うん、そうですね。いい人です。ちょっと変わってる所もあるけど、彼はいい人ですよ」

 

 恥ずかしそうに笑うゆんゆんにやっぱりそうだったか、と満足げに頷くぶっころりー。

 紅魔族とノースティリスの冒険者は波長が合うという事だろう。

 

「さて、ここからだと里まではまだ少し距離があるからね。馬車と一緒に送ってあげるよ」

 

 フレンドリーな紅魔族の青年は、そう言うと同時にテレポートの魔法を発動させた。

 視界が不規則に歪むと共に慣れ親しんだ光に包まれ、木々しか無かった周囲の景色が一変する。

 

 そうしてあなたがゆんゆんと馬と共に送られた先は、王都やアクセルのような賑わっている場所とは違う、森の中に作られた小さな農村といった雰囲気の集落だった。

 魔王軍に攻め入られているという話にも関わらず、里の紅魔族の表情は穏やかなもので、のん気に欠伸をしたり談笑している者もいる。

 里の入り口から見渡す限りでは里のどこかが壊れたり焼け落ちているという事は無く、とても戦争中だとは思えないのどかな光景が広がっている。

 

「…………私、帰ってきたんだ」

 

 ぽつり、と。あなたの隣でゆんゆんが感慨深げに呟きを零した。

 彼女が里を出てからまだ一年は経っていないという話だが、十四歳の少女が親元を離れて一人で生きていくには長い時間だっただろう。

 

「あの、一度私の家に行ってもいいですか? お父さんから話を聞いておきたいんです。ウチは大きいからこの子達も預けておけますし」

 

 潤んだ瞳を腕で擦りながらそう言ったゆんゆんにあなたは頷いた。

 ここで何をするにしてもまずは手紙の主である彼女の父親に詳しい話を聞いておくべきだろう。

 

 ゆんゆんの実家である紅魔族の族長の家に向かおうとしたあなた達だったが、そのタイミングで背後にぶっころりーが転移してきた。

 

「紅魔の里へようこそ、外の人。ゆんゆんもよく帰ってきたね……ってこうしちゃいられない。二人ともゆっくりしていってくれよな! 俺はちょっとやる事があるから!!」

 

 言うが早いが、ぶっころりーはどこかに走り去ってしまった。

 急ぎの用事でもあったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 ――皆大変だ!! 族長のとこのゆんゆんが男連れで帰ってきた!! しかも同年代じゃなくて明らかに年上の大人って感じの!! ゆんゆん本人もイイ人って認めてた!!

 

 ――里一番の変人のゆんゆんに男ができた!?

 

 ――ええっ!? ゆんゆんがイケメンで大人の彼氏を作って帰ってきたですって!?

 

 ――イケメンで大人で大金持ちの彼氏だと!?

 

 

 里のあちこちでこのような会話が交わされていた事をあなたとゆんゆんは知らない。

 

 

 

 

 

 

「なんでしょう……私達、凄く見られてますよね……」

 

 ゆんゆんの言うとおり、先ほどから道行く紅魔族という紅魔族達が馬を引きながら族長の家に向かうあなたとゆんゆんを特徴的な赤い双眸で見つめている。

 夕焼けの中でもハッキリと分かるほどにその瞳が爛々と光っている辺り、彼らは皆興奮しているようだが、魔王軍との戦いで昂ぶっていたり怒り狂っているといった様子ではない。

 

 あなたは紅魔族が排他的な種族という話は聞いていない。

 これはどういう事なのだろう。理由が分からないのでどうにも居心地が悪い。

 

「わ、私にも理由はさっぱり……というか私だって里の皆からこんなに注目を浴びるのも初めてですし……」

 

 微妙に寂しい事を口走りつつ、無数の赤い視線から逃れるようにあなたの背中に隠れて実家への道案内を行うゆんゆん。

 傍から見ていると族長の娘として客人を案内する筈のゆんゆんをあなたが案内する形になっていてなんとも締まらない。ゆんゆんらしいといえばらしいのだが。

 

 

 

 不躾な視線の雨の中を辟易としながら進み続け、ようやくゆんゆんの実家に辿り着いたあなただったが、どうにも様子がおかしい。

 

「あの、どうして入っちゃダメなんですか? ここ、私の家なんですけど」

 

 紅魔族の族長の家は、里の中央に存在する一際大きな建物だった。

 しかしあなたは玄関を開けようとしたゆんゆんを止めた方がいいと引き止める。

 嫌な予感がするとかではなく、玄関のすぐ向こうから強い圧力を感じるのだ。

 

「あ、圧力って……まさか魔王軍が!?」

 

 青い顔をするゆんゆんにあなたは無言で頷いた。他に理由が思いつかない。

 これは魔王の手の者が族長の家に入り込んでいる可能性が非常に高い。

 

「そんな……お父さんっ!!」

 

 あなたが止める間も無く玄関を開け放つゆんゆんだったが、あなた達の予想に反して玄関先で出迎えてきたのは魔族ではなく、中年の紅魔族の男だった。

 

「お、お父さん……?」

「……ゆんゆんか、よく帰ってきたな」

 

 男性はゆんゆんの父親だったようだ。

 色々と騒ぎを引き起こしてくれた手紙の主である紅魔族の族長は、こうして無事に娘が帰ってきたにも関わらず、その眉間に深い皺を寄せて目を瞑っている。

 

「えっと、お母さんは?」

「お母さんはお前が帰ってきたと聞いて買い物に行った。今夜はご馳走だそうだ」

「あ、うん、そうなんだ……ところでお父さんどうしたの? 私、そんな真面目な顔のお父さん初めて見るんだけど……」

 

 娘の質問に答える事無く、族長は深い溜息を吐いて目を見開いた。

 族長はその赤い瞳であなたを正面から見据えている。

 

「君に一つだけ正直に答えてほしいのだが」

 

 有無を言わさぬその雰囲気にあなたは頷いた。

 

「その……なんだ。君は一体全体、ウチの娘の何なのかな?」

 

 そう言って族長は頬を引き攣らせながら、懐からとても見覚えのある道具を取り出した。

 あなたがドリスでお世話になった、嘘をついたら鳴るベルの魔道具だ。

 

 何故わざわざこんなものを持ち出したのかは読めないが、正直に答えろという話なのであなたは嘘偽り無く質問に答えた。

 自分はゆんゆんの友人である、と。

 

 

 ベルは鳴らなかった。

 

 

「……!? あ、あぁー……そういう……」

「ふむ……なるほど。……ああいやすみません、どうやら私らの勘違いだったようですな。ともあれようこそ紅魔族の里へ。娘がいつもお世話になっております」

 

 一瞬だけ凄まじい勢いであなたに振り返ったゆんゆんはすぐに言葉の意味を理解したようで苦笑いを浮かべ、一方で族長は剣呑な雰囲気を引っ込め、朗らかにあなたに笑いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 なお補足しておくが、もし族長の問いが()()()()()()()()()()()()だった場合、この回答ではベルは鳴っていた可能性があった。確率にして半々。

 あなたはゆんゆんを友人だと思っているが、それはあくまでもこの世界の定義における友人だからだ。

 彼女はノースティリスの友人やウィズのような友人(特別)ではない。少なくとも今はまだ。

 

 しかし族長の問いは()()()()()()()()()()()()だった。

 あなたはゆんゆんの友人である。

 故にベルは鳴らなかったのだ。




《少女》
 主人公がノースティリスに来る前から所持していたペット。
 いわゆる初期少女。

 犬、猫、熊、少女の中から一つ選ぶ初期ペットの選択肢はelonaの象徴の一つ。
 ちなみにこの四択では少女が最強だったりする。


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第72話 封印されし勝利の剣

 あなたはこの国の冒険者として魔王軍に敵対している。

 

 しかしあなたの対魔王軍のモチベーションは高くない。

 ウィズが現役の幹部として魔王軍に所属しているという事を差し引いても、あなたはこの国を脅かしている魔王軍の事を本当にどうでもいいと思っている。

 王都にいる際に魔王軍が攻め込んできた場合は仕事なので真面目に迎撃するし、アクセルに攻め込んでくるのであれば問答無用で皆殺しにするつもりだが、少なくとも魔王城の結界の維持を担当している幹部を率先して探して狩ったりベルディアから情報を聞いて人類に流す気は今の所無かった。

 

 異邦人な上に国家権力がなんぼのもんじゃい、文句があるなら四の五の言う前にかかってこいやという色々な意味で終わっているノースティリスの冒険者であるあなたは国への帰属意識というものが極めて薄い。

 切羽詰まっているこの国の人間からしてみればふざけんな何とか出来る力があるなら真面目にやれと言われそうだが知った事ではない。

 魔王軍を積極的に狩ってほしければ剥製とカードをドロップする世界にしてみせろという話である。魔王軍も人類も等しくあなたの手によって屍山血河を築き上げる事になるが、それでも世界は平和になるだろう。

 

 幾らめぐみんの大恩人にしてゆんゆんの知人だとはいえ、今もアクセルに居座っている幹部の邪神、もとい女神ウォルバクを放置している辺り、あなたのやる気の無さは筋金入りだ。やる気だったらさっさと彼女を襲うなり正体をバラすなりして人類に貢献している。

 

 そんなあなたが交戦した幹部の内、ベルディアの時は魔王軍の幹部に興味があったといういわば物見遊山と神器探しを兼ねていた。

 そしてハンスは水を毒で汚染するというあなたにとって許されざる外道行為に手を染めていたので殺さない理由が無い。

 

 幹部にして人類と魔王軍の板挟みになっているウィズもこの件に関してあなたに何かを言った事は無い。彼女は率先して戦えとも手を出すなとも言わない。

 名目上は一応中立を保っているという彼女はハンスの似顔絵を見て正体をバラしていたが、あの時は状況が完全に煮詰まっていたのであなたの中ではノーカウントである。相手が何者だろうと、どうせあなたは下手人を八つ裂きにしていたのだから。

 

 今回あなたがこうしてゆんゆんと共に紅魔族の里に赴いたのは、一人では心配な彼女の護衛と観光の為だ。決して紅魔族の里を脅かす魔王軍を撃退する為ではない。

 とはいえ紅魔族であるめぐみんとゆんゆんの手前、撃退を手伝ってくれと頼まれれば引き受けるつもりだったのだが……。

 

 

 

 

 

 

「……ごめんお父さん、私の耳がおかしくなっちゃったみたい。もう一回言ってもらっていい?」

 

 ソファーであなたの隣に座ったゆんゆんが声を震わせてそう言った。たった今明らかになった現実を受け入れたくないのだろう。

 テーブルの上には、反対側のソファーに座る族長が送ってきた意味深な内容の手紙が置かれている。

 

「だから、これはお前にあてた近況報告の手紙だよ。手紙を書いてる間に紅魔族の血と私の闇の力が封じられた右手が疼いてしまってな。いやあまいったまいった」

 

 はっはっはと豪快に笑う父親に頭を抱えるゆんゆん。

 

「き、聞き間違いであってほしかった……確かにこうして無事だったのは安心したんだけど、お父さんはなんでこんな遺書みたいな手紙を送ってきたの? この手紙が届く頃はきっと私はこの世にいないだろうって何? 私すっごく心配したんだよ?」

「紅魔族の時候の挨拶に決まってるだろ?」

「初耳なんだけど」

 

 この手紙のせいでウィズとあなたの前で盛大に醜態を晒した事を思い出しているのだろう。

 父親が言葉を発していくたびに頬を引き攣らせ、目から光が消えていくゆんゆんに気付いていない様子の族長は首を傾げた。

 

「学校で習わなかったのか? 確かにお前とめぐみんは成績優秀で卒業がとても早かったが、それでも一人くらいは手紙を送ってくる友達が……あっ」

「…………」

 

 気まずそうに目を逸らした族長は数ヶ月ぶりに再会した自分の娘が紅魔族随一のぼっちだった事を思い出したらしい。

 具体的にはめぐみんがいないとサボテンを話し相手に選ぶくらいのぼっちだ。

 そしてこの反応的にめぐみんがゆんゆんに手紙を送った事は無いようだ。同じ里に住んでいるのでわざわざ送る理由も無かったのだろう。話があるなら直接会いに行けばいいのだから。

 

「…………魔王軍の軍事基地を破壊できない状況っていうのは?」

「あ、ああ、あれか。実は連中は随分と立派な基地を作っていてな。壊すか新しい観光名所に残すかどうかで皆の意見が割れてるんだよ」

 

 族長が言うには幹部が来ているのは確かだが、既に何度か撃退しているとの事。

 蓋を開けてみれば、めぐみんが言っていたとおり紅魔族の里は魔王軍が相手でもどうしようもなく楽勝ムードが漂っていた。種族全員が生まれつきアークウィザードとしての適性を持ち、アルカンレティアと同じく魔王軍が手出しを避けていたのは伊達ではない。

 

 それにしても本当に人騒がせな手紙だった。

 手紙のおかげで子供のように駄々をこねて甘えてくる可愛いウィズが見れたのは役得だったので感謝と礼金の一つや二つくらい贈ってもいいのだが、それはそれとして彼らの方針が観光名所にする方に決まったら自分が基地をぶっ壊そう。

 あなたがこっそり紅魔族に嫌がらせする意思を固めていると、レイプ目のゆんゆんがあなたの服の裾を引っ張ってきた。

 

「すみません。私は構わないのでお父さんに思いっきりみねうちしてくれませんか?」

「ゆんゆん!?」

 

 あなたはゆんゆんの情け無用の申し出をやんわりと断った。

 今の彼女では瀕死になった父親の介錯を始めかねない。

 

 

 

 

 

 

 繰り返すようだが、あなたはゆんゆんの友人である。

 紅魔族族長の娘にして紅魔族随一の重力魔法を操るぼっちの友人である。

 ゆんゆんは家族への連絡を怠ってはおらず、あなたやウィズという娘の友人の事を知っていた。

 知っていたのだが、買い物から帰ってきたゆんゆんの母親はあなたの自己紹介を受けた際にこう言った。

 

「ええっ!? お手紙に書かれてた新しいお友達って、部屋に置いてあるサボテンみたいな娘が作り上げた脳内友人(イマジナリーフレンド)じゃなくて実在する人物だったんですか!?」

 

 あまりにも容赦の無い母親の認識にゆんゆんは膝をついた。

 

 さて、そんな親からすら友達が作れないと思われていた娘が連れてきた実在する友人という事で、あなたはゆんゆんの両親からそれはもう盛大に歓待を受ける事になる。

 具体的には夕飯をご馳走になるだけではなく、なんと里に滞在している間は商業区の宿ではなく族長の家の客室に宿泊する事を是非にと勧められたくらいだ。

 年上で異性の相手とはいえ、ゆんゆんの方も自宅に友人を泊めるという行為にまんざらでもないどころか期待するかのようにあなたをチラチラ見ていたのであなたはお言葉に甘える事にした。

 

 あなたと族長夫妻は今日が初対面である。

 互いのパーソナリティもよく知らない以上、必然的にあなた達の会話の内容は夫妻の娘にしてあなたの友人であるゆんゆんについてが主になる。

 あなたが二人の知らないアクセルでのゆんゆんを語るのと同じように、族長夫妻はあなたの知らない紅魔族の里でのゆんゆんの話をしてくれた。

 

「な、なんで三人とも私の話ばっかりするの……?」

 

 あなたと両親に挟まれているゆんゆんはとても居心地が悪そうだったが、まあ四者面談と思えばいいのではないだろうか。

 

「お友達と両親が自分の事で盛り上がるのって凄く恥ずかしいんですけど!?」

 

 久々に実家に帰ってきて気が緩んでいるのだろう。

 自分の部屋に逃げる事もできず、そう言ってクッションに顔を埋めてばたばたと足を動かす年相応の微笑ましい姿のゆんゆんに夫妻は苦笑いを浮かべた。

 

「騒がしくてすみません。この子は努力家で学校の成績も良かったのですが、この通り、独特の変わった感性を持っていまして……」

「私達も詳しくは知らないのですが、なんでも世の中には思春期になると変わった者に憧れるようになる、中二病とかいう病があるらしく、もしかしたら娘はそれに罹患しているのではないかと……突拍子の無いおかしな事を言ってご迷惑をおかけしていませんか?」

 

 無いとは言わないが、流石に子作り云々は彼女の名誉の為に黙っておく事にした。

 さて、中二病なる病かはともかく、確かにゆんゆんは紅魔族としては変わっていると言えるだろう。

 しかしそれでもゆんゆんは紅魔族の一員である事をあなたは知っている。

 

「と、言いますと?」

 

 あなたは族長夫妻にゆんゆんと知り合った時の事を話した。

 そう、あなたがめぐみんの知り合いで、彼女に目標にして宿敵だと認識されている者だと知った瞬間、親の敵を見るが如くあなたを睨みつけ、ゆんゆんが紅魔族独特の名乗りをあげて勝負を挑んできた時の事を。

 

 

 ――わ……我が名はゆんゆん! アークウィザードにして上級魔法を習得せんとする者! やがて紅魔族の長になる者にして…………紅魔族随一の魔法の使い手であるめぐみんの生涯のライバル!!

 ――アクセルのエースにしてめぐみんが宿敵と見なす者よ!! 我が宿敵、めぐみんの随一のライバルの座を賭けて……私はあなたに勝負を申し込みます!!

 

 

 羞恥など一切感じていない、マントを翻しつつ大声で派手にポーズを決めるゆんゆんの堂々とした勇姿はそれはもう立派な紅魔族にしか見えなかった。

 ゆんゆんは恥ずかしがりやで紅魔族としては少し変わった感性を持っているかもしれないが、それでもやる時はやる子なのだ。

 

「わー! わああああああーっ!! 駄目です、あの時の事は言わないでください!! なんでよりにもよってお父さんとお母さんの前であの時の事言っちゃうんですか!? しかもポーズまで決めて! 恥ずかしすぎるんですけど!?」

 

 あなたが当時のゆんゆんのポーズと名乗りを両親の目の前で完璧に再現すると、顔を真っ赤にしたゆんゆんが掴みかかってきた。

 しかしあなたは当時のゆんゆんを再現しただけなので全く恥ずかしくない。

 

「あなたがよくても私は恥ずかしいんです! っていうか前から思ってましたけどあなたは紅魔族でもないのにそういうめぐみんみたいなとこありますよね!!」

 

 羞恥心から目に涙を浮かべるゆんゆんを、族長と母親がほっこり顔で見つめていた。

 二人とも娘を心から思いやっていると分かる、優しく暖かい目だ。

 

「学校の先生から、体育の授業で名乗りを恥ずかしがってロクに決めポーズが出来ていないと聞かされた時は次期族長として不安を覚えたりもしたが……。そうか……少し見ない間にお前も一人前の立派な紅魔族になっていたんだな。子供の成長っていうのは早いもんだなあ」

「本当ですねあなた。冒険者になるって言って旅に出た時はどうなる事かと思ってたけど……ふふふ、ゆんゆん、お母さん安心したわ。これならいつでも族長になれるわね」

「止めて! これは違うの! 本当に違うの! 確かにあの時は頭がカーっとなって勢いで名乗っちゃったしポーズを決めた気もするけど違うから!!」

 

 真っ赤な顔で慌てる娘を尻目に、彼女の両親はあなたに深く頭を下げてきた。

 

「本当にありがとうございます。もしよろしければこれからも娘と仲良くしてあげてください。ご覧の通りちょっと変わっていますが」

「センスも好みもちょっと変わっている娘ですが、悪い子ではありませんから」

「また変わってるって言ったあ! 私実の両親に自分の目の前で変わってるって言われた! え? これって私が悪いの!? 私ってそんなにおかしいの!?」

 

 

 

 

 

 

 時刻は夜の九時半を回った頃。

 あなたが森から聞こえてくる虫の声を聞きながら自身に宛がわれた部屋でくつろいでいると、扉をノックする音が聞こえてきた。

 

「えっと……こんばんは……」

 

 訪ねてきたのはゆんゆんだった。

 いつもの紅魔族のローブ姿ではなく上下水色の寝巻きを着た彼女は風呂上りだったようだ。長く艶やかな黒髪と白い湯気のコントラストがやけに目を引く。

 ドリスでも思ったが、背中にまで届く髪を下ろして印象がガラリと変わった彼女はまるで別人のようだ。あなたは髪型一つで女性が変身するとよく知っているが、何度見ても慣れるものではない。

 

「……すみません、こんな時間に」

 

 例のチェスのようなボードゲームを持っている事から、あなたはてっきり彼女が自宅にお泊りしている友人の部屋に遊びに来たと思っていたのだが、少し様子が違うようだ。

 本来であればウキウキと期待を隠しきれていないであろうゆんゆんの表情には若干の影が見える。

 

 あなたがゆんゆんを部屋に入れると、元気の無い彼女は何も言わずにテーブルの上にボードを広げて駒を並べ始めた。一局付き合えという事だろうか。

 暗い顔で駒を並べ終わり、ゲームを始めたゆんゆんに付きあう事暫し。

 

 あなたもウィズやベルディアと対局を重ねて少しは腕前が上がったとはいえ、明らかに精彩を欠いていて常の力を出し切れていないと分かるゆんゆんがぽつりと呟いた。

 

「……やっぱり私って変ですか? 変な紅魔族なんですか?」

 

 何を言い出すかと思えば、そんな事を気にしていたのか、とあなたは拍子抜けした気分になった。

 きっと久々に会った両親におかしいと言われて色々と考えてしまったのだろう。

 

 この場で彼女が求めているであろう言葉を贈るのは容易い。

 しかしゆんゆんが真剣な空気を発しているので、少しだけ考えた結果、あなたも真面目に答える事にした。

 

 確かに紅魔族として見た場合、おかしいのは確実にゆんゆんの方である。どう考えてもおかしい。

 凄まじく極端な例だが、今のゆんゆんは人殺しが当たり前の国で生まれ育ったにもかかわらず殺人を忌避する人間のようなものだ。

 

「…………」

 

 キッパリと断言するあなたに泣きそうな顔で俯く紅魔族族長の一人娘。

 だがそれはあくまでもゆんゆんが紅魔族としておかしいというだけであって、ゆんゆん本人がおかしいというわけではない。

 

「……え?」

 

 異世界(ノースティリス)とこの世界のように、常識というものがその場所その場所によって変化する以上、紅魔族の風習に関して是非を問う気は無い。

 問う気は無いが、この世界における一般的、ないし普遍的な感性を持っているのはゆんゆんの方だろう。あなたもそれに関しては間違いないと認識している。

 あなたは異邦人であるがゆえにそういうものだと彼らの風習を当たり前のように受け入れているが、里の外で紅魔族の名乗りをした場合の他者の反応から見てもこれは明らかだ。

 

「…………で、ですよね! やっぱりそうですよね!?」

 

 あなたの意見にやっぱり私はおかしくなかったんだ、と砂漠でオアシスを見つけたような表情になるゆんゆんは嬉々としてあなたに語り始めた。

 どれだけ自身と紅魔族の考え方や感性に差があるのかを。

 

「前にそけっとさんの好みが知りたいっていう頼まれごとを受けた時、めぐみんと一緒に雑貨屋で可愛い小物を選んだんです。でもめぐみんったら指輪とかネックレスじゃなくてドラゴンが彫られた木刀を可愛いって選んだんですよ? 女の子が木刀ですよ? おかしいと思いませんか? そけっとさんもちょっと出かける時に腰に下げとくといい感じってまるでアクセサリーみたいな事言ってたし……」

 

 確かに木刀と可愛いは結びつかない。

 ウィズが可愛い小物を買ってきましたとか言って竜が彫られた木刀を取り出した日には、あなたは彼女の頭か心の病気を真剣に疑う事になるだろう。

 しかしめぐみんなら普通にそういう事を言いそうだと思えるから不思議だ。

 

 

 

 それからもゆんゆんによる懇切丁寧な“ここが変だよ紅魔族”をガイドの説明を受ける観光客気分で楽しく、しかし彼女の話の腰を折る事無く静かに聞いていたあなただったが、小一時間ほど語り続けて気が済んだのだろう。部屋に来た時の欝々しい表情とは正反対の顔でゆんゆんは床に大の字に転がった。床に広がる長く綺麗な黒髪はどこか年齢不相応の艶かしさを感じさせる。

 

「はぁ、すっきりしたあ……こんな気分になったのって生まれて初めてかも……」

 

 友人であるウィズに悩みを打ち明けた事は無かったのだろうか。

 疑問に思ったあなただったが、思い返してみれば、あなたはゆんゆんがウィズに自身の価値観や感性についておかしくないかと問いかけている場面を一度も見た覚えが無い。

 初対面のゆんゆんから紅魔族特有の名乗りを受けた際も普通に受け入れてそのまま友人になったのがかえって仇になったのかもしれない。

 もしそうであれば、一人里で浮いていたというゆんゆんは、恐らくずっと長い間ストレスや葛藤を溜め込んでいたのだろう。

 

 そんなあなたの予想を裏付けるように、清々しい笑みを浮かべながらゆんゆんが両目を閉じると、そこから透明な雫が零れてきた。

 なんだろうと起き上がった彼女が目を拭うも、ぽろぽろと零れる涙は一向に止まる気配を見せない。

 

「あ、あれ? 全然止まらない……なんでだろ……」

 

 悲しいわけでもないのに涙を流し続けるゆんゆんにあなたはタオルを渡した。

 

「す、すみません、みっともない所をお見せしてしまって。なんかちょっと久しぶりに家に帰ってきて気が抜けちゃったみたいで……」

 

 気にしていないと不憫な少女を安心させるようにあなたは笑ったが、ただ一つだけゆんゆんに関して気になっている事があった。

 紅魔族、それも族長の娘という血統として生まれ育ってきたゆんゆんが今のように里の外の者達のような普通の感性の人間に育った理由が全く分からなかったのだ。

 

「なんでって聞かれても……その、私は物心ついた時からなんとなく皆の口上とか考え方とかポーズを見ていて、おかしいな、ああいうのって恥ずかしくないのかなーって思っていただけなので、特に何か理由があるわけでは……参考にならなくてすみません……」

 

 申し訳なさそうな彼女のその言葉を受け、あなたは形容しがたい驚愕と凄まじい衝撃を受けた。

 この一見すると気弱で大人しく人見知りの激しい少女が、その実自分では到底及びも付かない凄まじいまでの自我の強さを持っていると理解してしまったのだ。

 

 誰かの影響を受けたわけでもなく、今の自身を築き上げたゆんゆん。

 それはつまり、彼女が十数年間もの間、たった一人、両親や友人を含めても自身と感性や価値観を共有する者を持たず、孤独の中で生きてきたという事を意味する。

 その上で特にひねくれる事も無くあなたから見た善の人間性を保っている。

 

 出会いの口上などを見るにゆんゆんとて全く紅魔族の影響を受けていないわけではなく、若干の侵食を受けているようだし長い孤独のせいで見ていてこの先が心配になるほどチョロQな少女だが、むしろその程度で済んでいる事にこそ驚きを感じるべきだ。

 

 強い少女だ。あなたは心の底からそう思った。

 それは悲しく、しかしあなたからしてみればどうしようもなく眩しく尊い強さである。畏敬すら抱かせるほどに。

 

「ど、どうしてそんな目で私を見るんですか? 私、生まれてこの方一度もそんな目で見られたことないからどうすればいいのか分からなくて凄く困るんですけど……ちょ、あの、お願いですから止めてください! 私はそんな目で見られてもいいような立派な人間じゃないですから……!」

 

 部屋の隅で小動物のように震える少女を無言で見つめ続けるあなたの姿は激しく事案だったが、幸いにも騒ぎになる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなであなたのゆんゆんを見る目が大きく変わった翌日。

 朝から魔王軍が大挙して攻めてくるという事も無く、相も変わらず平和な紅魔族の里をあなたは観光する事にした。

 

 族長から受け取った、“紅魔の里不滅目録(エターナルガイド)”なる大層な名前のただの観光パンフレットをゆんゆんと共に読んで話し合う。

 パンフレットにはアークウィザードの英才教育機関である学校の紹介と共に、紅魔族随一の天才にして卒業生であるめぐみんのインタビューも載っていた。

 

 ――そうです。私が紅魔族随一の天才です。私が目指すのはひたすらに“最強”の二文字のみ。ちっぽけな上級魔法には興味がありません。

 

 とまあこんな感じの非常に彼女らしいコメントが書かれている。

 爆裂魔法の名人めぐみん。ただしその爆裂魔法の威力はアクセルでは二番目だ。

 

「どこか行きたい場所とか見たい場所はありますか? 学校は今は授業中なのでダメだと思いますけど、それ以外なら案内しますよ……ええ、はい。お父さんに聞いたんですが学校はお休みじゃありません。魔王軍来てるんですけどね……」

 

 乾いた笑いをあげるゆんゆんだが、魔王軍が攻めてきていても観光する気満々のあなたは何も言えなかった。

 さて、不滅目録によるとモンスター博物館や猫耳神社など目を引く場所に事欠かない紅魔族の里だが、あなたは真っ先に族長宅から近い商業区にある鍛冶屋、もとい武器防具店に目を引かれた。

 

「分かりました、鍛冶屋さんですね……え、鍛冶屋?」

 

 高位魔法使いの里である紅魔族の武器防具屋。一体どんな物が売っているのだろう。冒険者にして蒐集家であるあなたとしては非常に興味深い。ウィズやベルディアのお土産が買えそうだ。

 

「まさか観光って言っておいて真っ先に鍛冶屋を選ぶなんて……いえ、別にいいんですけどね……」

 

 何故かガックリと肩を落とすゆんゆんと共に商業区に向かうあなただったが、どういうわけか二人は昨日と同じく道行く紅魔族達の視線を集めていた。

 

 

 ――ゆんゆんが都会で男を……

 

 ――昨日も族長の家に……

 

 ――族長公認……

 

 

 あまり広くない里なのだから既にゆんゆんがあなたを伴って里帰りした事は里中に伝わっているだろうにこの注目っぷりである。

 ぼっちかつ紅魔族としては変わった感性を持つゆんゆんと里の外の者が一緒にいるのが珍しいのだろうと足早にあなたの手を引くゆんゆんに連れられるあなたは若干諦め気味である。

 

 

 ――紅魔族(雑草)がうようよとざわめいてるね! これ以上おぞましい光景はないよお兄ちゃん! おぞましきを一掃することが私の夢!!

 

 

 お前が言うな。突然の毒電波にあなたはかなり本気でそう思った。

 あるいは雑草などという草は無いとでも返せば良いのだろうか。

 

 そういえばアレは紅魔族を敵視していたのだったか。

 色やどこからともなく増え続けるという性質を鑑みれば、雑草という呼称が当て嵌まるおぞましいものが果たしてどちらの方なのかは自明の理である。

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃ…………我が名はるぴょろ! アークウィザードにして上級魔法を操り武具を作る、紅魔族随一の鍛冶屋の店主!!」

 

 鍛冶屋の扉を開けると鍛冶屋の店主は最早お馴染みとなった挨拶であなたを出迎えてくれた。

 失礼にならないようにあなたが名乗り返せば、店主は満足そうに笑った。

 

「昨日来たっていう外の人だね? いらっしゃい! 武器や防具は持っているだけじゃ意味がないぞ! ちゃんと装備しないとな!」

 

 どこかで聞いた事がありそうだが実際は聞く機会の無い台詞だった。

 しかしとても懐かしさを覚えるのは何故なのか。

 

「一度言ってみたかったんだ」

「装備と持ってるだけってどう違うんでしょうね……」

 

 頷くあなたに鍛冶屋も御満悦だが、ゆんゆんは溜息を吐きつつ陳列されている武器の一つを手に取った。小さめの金属製の棍棒だ。杖ではない。

 

「ゆんゆんはそれを買うのか? だがゆんゆんじゃそいつを装備できないぞ?」

「……はい?」

 

 鍛冶屋が突然おかしな事を言い始めた。

 

「すみません、おっしゃってる言葉の意味がよく分からないんですけど……ああ、武器スキルを持ってないっていう意味ですか?」

「いや、だから言葉どおりだよ。例え武器スキルを持っていてもゆんゆんじゃそれは装備出来ないんだ。根本的に扱えないんだ」

 

 彼は毒電波に汚染されているのだろうか。

 ゆんゆんも理解不能なようで、困惑を顕にしている。

 

「鍛冶屋で武器防具屋の俺には誰がどんな物を装備可能か分かるんだよ。んで、ゆんゆんじゃそいつは装備出来ないってわけだ」

「ええ……? 私こうして持ってますけど」

「嘘だと思うならその場で軽く振ってみ? 店を壊さないようにな」

「えっと、じゃあ…………あいたっ?!」

 

 ガン、と。

 ゆんゆんが軽く棍棒を振り下ろすと、彼女の頭に金属製のタライが降ってきた。

 もう一度言う。

 ゆんゆんの頭にタライが降ってきた。タライが降ってきた。

 

 笑劇的な光景である。

 必死に笑いを噛み殺しつつどこから降ってきたのかと天井を見上げるも、それらしき仕組みは無い。

 

「えっ……えぇっ!? 今のどこから降ってきたの!? っていつの間にかタライも消えてる!?」

「今のは装備品を司る神様が降らせてるんだ。外で冒険者やってるのにそんな事も知らなかったのか?」

「神様が!? どれだけ暇なの!?」

 

 新たに明らかになった世界の理不尽さに抗おうとしたのか、ゆんゆんは今度は外に出て棍棒を振った。

 

「……ひでぶっ!?」

 

 鍛冶屋の発言は嘘や妄想ではなかったようだ。

 無常にも空から降ってきた金色のタライがゆんゆんに直撃した。

 

 

 

 

 

 

 新たに明らかになった異世界法則に感動を覚えながら、数はともかく王都以上の質の武具が揃っている店内を物色していると、あなたは壁に一枚のポスターが貼られているのを発見した。

 ポスターには岩に突き刺さった剣の絵、そして選ばれし者よ、来たれ! というでかでかとした文字が描かれている。

 

「おっとお客さん、そいつに興味があるのかい?」

 

 不滅目録にも似たような絵が描かれていたな、とあなたがポスターを見ていると、店主が声をかけてきた。

 詳しい話を聞いてみれば、紅魔族の里には抜いた者に強大な力が備わると言われている聖剣が封印されているらしい。

 

「もしお客さんが抜けたら聖剣は持っていっていいぜ」

 

 神器と愛剣を持つあなたが聖剣を使うかどうかは別として、蒐集癖のあるあなたにとっては非常に興味を抱かせる話だった。

 なお聖剣を抜く挑戦料として一回三万エリスを聖剣の管理人である鍛冶屋に支払う必要があるとの事。

 

「え、あの、その剣は……」

「おおっとゆんゆん! 商売の邪魔はしちゃいけないぜ!!」

 

 ゆんゆんの言葉を遮った鍛冶屋に若干の胡散臭さを感じたものの、三万エリスであればそう高い金額ではない。あなたは金を支払ってチャレンジしてみる事にした。

 

「へへっ、まいどありー!」

「いいのかなあ……」

 

 その後、ほくほく顔の鍛冶屋に連れられて商業区から離れた場所に案内されたあなたは、やがて一振りの剣が大岩に突き刺さっている場所に辿り着いた。

 岩の前には小さな看板が立っており、いかにもといった誇大広告じみた剣についての説明やチャレンジする際は鍛冶屋に申し出るようにとの旨が記載されている。

 

 突き刺さった剣は非常に真新しく胡散臭さばかりが高まっていくが、それでも聖剣の名は伊達ではないようだ。

 その証拠にあなたから見ても確かに強い力を感じる。

 岩にしっかりと突き刺さっている剣の柄を握ったあなたは鍛冶屋に確認をした。

 

 この剣を地面から引き抜けばいいのか、と。

 

「ああ。見事剣を引き抜く事ができたら晴れてそいつはお客さんのもんだ。……しかし今までに幾人もの勇者や猛者たちが挑戦しては散っていった、この紅魔族随一の難易度を誇る試練を超える事が出来るかな?」

「えっと……頑張ってくださいね……」

 

 ニヤリと笑う鍛冶屋と諦観全開のゆんゆんに見守られながら、あなたは全力を込めて思いっきり聖剣を引っぱった。

 ……果たして、その結果は。

 

 

「…………」

 

 

 まあこんなものだろう。あなたは思わず苦笑いを浮かべた。

 残念ながらあなたは選ばれし者ではなかったようだ。

 あなたはどう見ても勇者という柄ではないので妥当といえば妥当なところだろう。

 その証拠に岩から聖剣を引き抜く事は出来なかったし封印が解けている感じもしない。

 

 

 だがその代わり、あなたは地面に突き刺さった大岩ごと聖剣を引き抜いていた。

 

 

 それは剣というにはあまりにも大きすぎた。

 先端が大きく、重く、そして大雑把すぎた。

 それはまさに剣という名の鈍器(仕込みハンマー)だった。

 

 現状では岩で敵を叩き潰すくらいしかできない聖剣だが、愛剣的には刀剣カテゴリーのようで文句は言ってこない。

 試しに聖剣(数メートルの岩付き)を振ってみれば、呆然と聖剣(岩)を見上げるゆんゆんと鍛冶屋の足元に土が飛び散った。

 常識的に考えれば刀身がポッキリ折れる事請け合いの重量かつ光景なのだが、聖剣はびくともしない。聖剣というだけあって愛剣や神器のように凄まじく頑丈な作りになっているようだ。

 

 ともあれ聖剣自体は無事に引き抜けたのでありがたく頂戴していこう。

 いい物が手に入った。これだけでも紅魔族の里に遊びに来た甲斐があったというものだ。

 

 あなたが聖剣という名の岩石を地面に下ろすと周囲に軽く地響きが鳴り、それに反応して鍛冶屋とゆんゆんが意識を取り戻した。

 

「え、るぴょろさん、これってアリなんですか?」

「……ダメだろ! 普通に考えてこれはダメだろ!? ノーカン! ノーカウント!!」

 

 目の色を変えた鍛冶屋が聖剣を指差して文句を言ってきたが、何が問題なのだろうとあなたは眉を顰める。

 ちゃんと地面から引き抜いたというのに。

 鍛冶屋は剣の封印を解けとも岩から抜けとも言わなかった。

 ルールとレギュレーションは間違いなく遵守している。その上でケチを付けるというのであれば、これはとんだ言いがかりだと言わざるを得ない。出るところに出て訴えればあなたの勝利は確実だ。

 

「いや、確かに岩から抜けとは言ってないが……けど岩を抜いたら持っていっていいとも言ってないし、何よりそんなもん武器として使えないだろ!?」

 

 確かに並の重さではないし両手持ちで扱うにも些か以上に重過ぎるが、刀剣カテゴリー、しかもムーンゲートには程遠い程度の重量の武器を扱えないわけがないとあなたは再度聖剣を振り回す。タライは落ちてこない。

 ぶおんぶおんと物言わぬ巨大な岩の塊が威圧的な唸りをあげて勢いよく風圧を撒き散らし、顔を青くした鍛冶屋とゆんゆんが走ってあなたから距離をとった。

 

「ちょっ、待ってください! なんでこっちに来るんですか!? 怖い! 凄く怖いんですけど!!」

 

 テンションの上がったノースティリスの冒険者が逃げた者を追いかける習性を持っている事は最早周知の事実だろう。満面の笑みで聖剣を振り回しながら追ってくるあなたに二人の紅魔族は魔法を唱えた。

 

「ライト・オブ・リフレクション!!」

 

 彼らが使ったのは光を屈折させて自身の姿を消す上級魔法である。

 具体的には術者の指定した人物や物の数メートル内に結界を張り、その結界内を周囲から見えなくする魔法だ。

 なので結界の中に入れば姿が見えるし、気配も息遣いも途絶えていない。

 それどころか透明視のエンチャントがかかった指輪を装備しているあなたには今も二人の姿が丸見えだった。透明視は透明になるという概念を問答無用で無効化するエンチャントなので結界も貫通するらしい。

 あなたは物音を立てずに自身からジリジリと距離をとる二人を視界に収めたまま岩を振り回す。とても楽しい。

 

「止めてください止めてください!! っていうか完全に目が合ってるんですけどなんで私の姿が見えてるんですか!?」

「おい馬鹿イイ笑顔でこっちくんな! 分かった! 分かったよ俺が悪かった! チクショーもってけドロボー!!」

 

 鍛冶屋のヤケクソな悲鳴が青空に響き渡った。




★《聖剣(岩付き)》
 不確定名、封印されし聖剣。
 それはオリハルコン製だ。
 それは名も無き聖剣だ。
 それは岩がくっ付いている。
 それはとても重い。
 それはるぴょろによって作られた。

 刀身に岩が突き刺さった聖剣。決して鈍器ではない。
 いわゆる特別(ユニーク)な装備。神器ではないが世界に二つとない一品物。
 とても大きくて重くて強い。
 剣としての銘はちゃんと存在するのだが、封印されたままなので今は無銘の聖剣。
 岩の部分も抜ける前に壊されないようにと強固な封印がかかっており、並の術者の爆発魔法程度ではビクともしない程度には頑丈。盾や鎧としても使える。
 紅魔族随一の鍛冶屋が高価な材料を使って全力を込めて作っただけあって聖剣としての機能は本物。様々な付与効果がかかっており神器に勝るとも劣らぬ性能を持っているのだが、今は封印されているので何の能力も使えない。
 10000人が剣に触れれば封印が解けて岩から剣が抜ける仕組みになっているのだが、記念すべき100人目の手によって封印されたまま物理的に持ち去られる事になった。
 ~このすば幻想辞典~
 
「流石にこれを剣と言い張るのは激しく無理があると思います」
 ~紅魔族の少女『ゆんゆん』~

「封印された聖剣をあえて封印されたまま使うのって中々かっこいいな。岩が付いてなければの話だが……」
 ~紅魔族の鍛冶屋『るぴょろ』~


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第73話 えっちなのはいけないと思います!

 あなたは光と岩が両方備わり最強に見える伝説の聖剣を手に入れた。三万エリスで。

 岩を引き摺ると移動の際に地面に跡が残ってしまうので剣の腹を肩に乗せて担ぎ上げているのだが、これがまた凄まじく目立つ。負荷がかかってぽっきり逝きそうな荒い持ち方だが、頑丈な聖剣はびくともしない。

 

 なお伝説と謳っておきながら、実際は鍛冶屋のるぴょろが作ったものである事をゆんゆんに教えてもらった。お値段は三万エリスだし性能は確かなので文句は無い。

 ゆんゆんの話では聖剣は里の観光資源の一つだったようだが、あなたが回収してしまった以上また新しい物を作るのだろう。

 本来であれば一万人が剣に触る事で封印が解ける予定なのだが、その前に封印ごと回収されてしまい、制作費を鑑みると大赤字に陥った鍛冶屋は今度は物理的に回収されない物にすると泣きながら言っていたのでどんなものを作ってきてくれるのか実に楽しみである。勿論あなたはあらゆる手段をもって合法的に新作の回収を試みる所存だ。

 

「よく持てますよねそんなおっきいの……」

 

 そんな聖剣カッコイワを見上げながら、あなたの隣に立つゆんゆんが恐る恐るそう言った。

 なお隣に立つと言っても彼女は現在あなたから十五メートルほど離れたままである。これ以上近付くと走って逃げ出してしまうのだ。失礼な話である。

 

「だって潰されそうで怖すぎますし……というかそれ、どう処理するんですか? 岩を壊すならお手伝いしますけど」

 

 これを壊すだなんてとんでもない。

 この岩聖剣は岩聖剣だからいいのだ。岩を無くした岩聖剣など、最早ただのありふれた強力なだけの聖剣でしかない。

 あなたはこの岩聖剣から迸っているマジかよお前……みたいなどうしようもなさと投げっぱなしジャーマンを決め込んだ独特の雰囲気に惹かれたのだ。

 

「え、あ、はい……分かりました……」

 

 いかにこの聖剣がネタ的においしい代物なのか熱弁するあなただったが、釈然としない面持ちのゆんゆんは残念ながらあまり理解を示してくれなかった。

 この世界における一般的な感性を持つゆんゆんがこの反応という事は、他の者もそれに準じるのだろう。

 こういう時はノースティリスが恋しくなる。あなたは自身と他の者の間に隔たっている異世界という名のカルチャーギャップの壁が高く険しい事を改めて実感するのだった。

 

 

 

 

 

 

 ダニーとグレッグを預けている馬小屋に聖剣を置き、とても迷惑そうな顔の二頭に見つめられながらあなたは観光に戻った。

 聖剣についてはこの後アルカンレティアに飛んで二頭を返却する際、一緒に四次元ポケットに突っ込んでおくつもりだった。流石にここであんな巨大な物を堂々と収納するのは目立ちすぎるからだ。

 

 そうしてあなたが次にやってきたのは、里の入り口付近に建っているモンスター博物館。

 実際に住んでいる者はアークウィザードばかりだが、見た目だけならのどかな農村らしい紅魔族の里は木造建築が主体である。

 だがこの博物館だけは例外だ。

 

 自然に囲まれた風景の中、壁から柱まで全てが白の大理石で構成されているその建造物は一際目立っており、さながら白亜の神殿を思わせる。

 別の場所、例えば王都からテレポートで建物だけ持ってきたのではないかと疑いたくなる程にここだけ周囲の風景に溶け込んでおらず、見ていて違和感しか覚えない。

 

「やっぱり博物館だから見た目も立派にしようって事で、皆が張り切って作ったらこうなっちゃったんですよね」

 

 入館料は百エリス。

 王都にも存在する博物館と比較すれば破格と呼べる値段だが、入り口に立っている料金箱には蜘蛛の巣が張っていた。

 どれだけ客が来ていないのだろう。採算は取れているのだろうかと心配になってくる。

 

「建物自体は魔法で建てたのでタダですし、中のモンスターも皆が狩ったものを飾っているので実質無料ですよ。まあ里の皆はわざわざ里の周辺に生息しているモンスターを見に来たりしないので、こういう時でもないとお客さんが来ないんですが……あんまりお客さんが来ないので館主さんもいないですし」

 

 確かに僻地な上に周囲に強力なモンスターが跋扈する紅魔族の里はアクセスが最悪だ。

 そんな場所に博物館が目的で足を運ぶような酔狂な者が何人もいる筈がなく、更に紅魔族は独特の感性を持っていて敬遠されがちときている。

 何のために建てたのだろうと思わざるを得ない。

 

「……ほんとなんで建てちゃったんでしょうね」

 

 遠い目でゆんゆんが呟いたが、多分深い理由は無いのだろう。

 観光客であるあなたは思う存分楽しませてもらうつもりだったが。

 

「ですが中に剥製は沢山ありますから。里やアルカンレティアで活動している冒険者の方でもないかぎりは楽しんでもらえると思いますよ?」

 

 ゆんゆんの言ったとおり、この世界にも剥製は存在する。

 存在するのだが、残念な事にそれはあなたの知っている剥製ではない。

 しかし紅魔族であればあるいは、と一縷の望みを託しつつあなたはどうやって剥製を用意しているのか聞いてみる事にした。

 

「え、どうやってって聞かれても困るんですけど……えっと、まずは傷をつけずに仕留めたモンスターの皮を剥がして腐らないように処理をするんです。そしてその後にモンスターを象って作った木像や石膏の像に上から皮を被せたり、他には色んな物を詰め込んで本物そっくりに整形する……んだったかな? 詳しくは覚えてないですけど、大体そんな感じだったと思います。あ、でも剥製は本物そっくりで凄いんですよ? 里の職人さん達が腕を振るいましたから」

 

 どうやらこの博物館に陳列されている剥製の数々もドロップ品ではないようだ。あなたはゆんゆんに礼を言いつつ内心で溜息を吐いた。

 熊程度なら彼女が説明してくれたように手作業で剥製を作ってみてもいいのだが、人体のように毛皮が無く誤魔化しが利かないものやドラゴンのように巨大な剥製を作るのは大変だ。

 製作を委託してもいいのだが、流石に人間の剥製は作ってくれる気がしない。

 人間だけは自作するべきだろうか。しかしそんな技術を持っていないあなたはどうしても二の足を踏んでしまう。

 なまじイルヴァで入手出来る剥製が気味が悪くなるほどに本体と鏡写しな出来なだけに、あなた達の目は非常に肥えている。あなたとしても半端な出来の剥製は用意したくない。

 よってやはり願いで手に入れるか世界法則を書き換える選択肢を選びたいところである。

 

 それにしても異世界だから仕方ないとはいえ、死体から剥製がドロップしないなどやはりこの世界はどこかおかしい。

 

 

 

 さて、肝心の紅魔族の博物館だが、扉を開けて最初にあなたを出迎えたのは躍動感に溢れ今にも動き出しそうなグリフォンの剥製だった。

 先日あなたが撃墜したグリフォンに勝るとも劣らぬ体躯を誇るそれが大きく翼を広げて飛び立とうとする様はインパクト抜群で、入り口で客の期待を煽るのに十分すぎる効果を出している。

 

「ふふ、凄いでしょう? グリフォン像よりおっきいグリフォンなんですよ」

 

 よくぞここまで綺麗に殺したものだと瞠目するあなたにゆんゆんが自慢げに笑った。

 ゆんゆんの言っているグリフォン像だが、これは紅魔族の里の入り口付近に立っている、この博物館と同じように立派なグリフォンの石像の事だ。

 ちなみに里に迷い込んだグリフォンをそのまま石化したものだったりする。

 何かの弾みで石化が解けたら少し騒ぎになりそうな観光名所の事を思いつつ、あなたは剥製の横に置いてある説明書きに目を通した。

 

 ――強敵(とも)よ。黄昏に染まりし我が(かいな)の中で永久(とこしえ)に眠るがいい。そして来世で再び相見えん。……ここに強敵(とも)を屠りし罪過と共に我が名を記す。我が名はるぴょろ。紅魔族随一の鍛冶屋なり。

 

 その内容にあなたは軽い眩暈を覚えた。

 グリフォンの生態やサイズに関しての説明が記されているのは普通なのだが、そこは流石の紅魔族。

 彼ら特有の言い回しと共に仕留めた紅魔族の名前がグリフォンの説明に混じって記されている。

 

 ――私がこいつを仕留めました。by紅魔族随一の鍛冶屋のるぴょろ。

 

 彼ら独特のユニークな言い回しを簡潔に翻訳するとこのようになる。

 最近のノースティリスでは野菜を作った農家の顔と名前が分かるブランド野菜なるものが市場に出回っているが、これもその類だろうか。

 それにしたって自己主張が強すぎである。これはグリフォンの説明文ではなかったのか。というかまさかこの先全ての剥製の説明文にこれが出てくるのではないかとあなたは早くも辟易した。

 

 確かにここは異世界で、その中でも一際特異な風習を持つ紅魔族の里だ。

 異邦人である自分が文句を言うのはお門違いも甚だしいという事はあなたもよく分かっていたが、あなたとてノースティリスでは最大級の博物館を経営している冒険者であり、一家言ある身だ。

 博物館のレイアウトや運営に関してはともかく、あなたからしてみればこれはちょっと眉を顰めざるを得ない。

 武器や宝具の博物館であれば製作者の情報やその由来は記載されていて然るべきだが、ここはモンスター博物館だ。

 客はモンスターを見に来ている以上、それを仕留めた者の情報など不要である。少なくともあなたはそう思っている。

 

 まあこれに関してはあなたの博物館に飾られているものはモンスターも人間も神も全てあなたが自力で殺害しているのでわざわざ書く必要が無い、という血生臭い事情もあるのだが。

 

 腹パンものの説明文はさておき、剥製自体はゆんゆんの言っていたとおりイルヴァのそれと遜色の無い、非常に精巧な出来栄えだった。

 ただイルヴァのものと違ってこの剥製には目に光が灯っておらず、あなたはそれが実に惜しいと思った。あそこさえ何とかなれば完璧だったのだが。

 

「目が作り物っぽい……? 確かに目はそれっぽく彩色したガラス玉ですからね。……あ、先に言っておきますけど、本物のグリフォンの目を抉って交換すればいいのでは、とか言い出したりしないでくださいね? 普通に腐りますから」

 

 言おうと思っていた事を先に封じられてしまった。

 自身の事を理解してきているゆんゆんの成長を喜びつつ、実に無念だとあなたは肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

 その後もゆんゆんに説明を受けながら楽しくモンスター博物館を見物したあなただったが、博物館から出た所でゆんゆんが頭を下げてきた。

 

「ありがとうございました。私、こうして誰かと一緒に博物館を見たり勉強した事を誰かに説明する機会って今まで一度も無かったのですっごく楽しかったです!」

 

 そう言ってニコニコと本当に嬉しそうに笑うゆんゆんだが、これではどちらが案内されていたのか分かったものではない。

 だが喜んでもらえたのならば何よりだ。

 

「次はどこに行きますか? えーっと、ここからだと一番近いのは……」

 

 あなたの持っている観光ガイドを横から覗き込むゆんゆん。

 肩が触れ合うほどの距離に無造作に近づいてきたゲロ甘でチョロQな紅魔族の少女を見ながら、あなたは自分にとって彼女がどういう存在なのか思考を巡らせる。

 最初に会った時から比べるとだいぶあなたに慣れた彼女はあなたのペットではなく、ウィズやノースティリスの友人達のように己の安い命を賭けるに値する特別な存在でもない。

 しかし彼ら彼女らに準じる位置に立っている者、いわゆる()()()()()というものを、あなたはゆんゆんしか知らない。

 

 あるいはゆんゆんもウィズのような、あなたにとって特別な存在になるのかもしれない。

 だがそれは決して今ではない。

 今の彼女では年齢や力量といった観点で、どうしても保護者的な目線になってしまう。

 ゆんゆんとあなたではその隔絶した地力により戦いが成立しない。彼女ではあなたの命に届かない。()()()()()()()()()

 

 にもかかわらずこうしてあなたと関係を持っている彼女は、そういった意味では非常に稀有な存在と言えるのだろう。

 ノースティリスではあまりにも名が売れすぎたあなた達に近付いてくる者などどこにもいない。あなたがゆんゆんやめぐみんになんだかんだいって甘いのはこういった理由があるのかもしれない。

 

「…………」

 

 ゆんゆんの事を笑えない程度には自身も大概孤独を拗らせている事を改めて自覚したあなたが自嘲していると、近くの木陰から何者かの視線を感じた。

 

「……っ!」

 

 足を止めて振り返ってみると、気配は木陰に隠れてしまった。

 しかし黒髪までは隠しきれておらず、木の幹からはみ出た髪が見えてしまっている。

 体隠して髪隠さず。髪の生え際を見るに、恐らくだが隠れている者の身長はかなり低めだ。ゆんゆんはおろかめぐみんすら下回るだろう。

 

「え?」

 

 あなたがゆんゆんに小声でそれとなく伝えると、彼女は観察者の方に視線を向けた。

 

「あの髪型はもしかして……えっと……ふにふらさん? ふにふらさんですよね?」

 

 ゆんゆんの声に髪の毛がびくりと震え、数秒の後、観念するように木陰から姿を現したのは二人の紅魔族の少女達だった。

 ふにふらと呼ばれた勝気な印象を受ける長めのツインテールの小柄な少女とショートポニーテールのどこかヘタレ臭が漂う少女だ。後者の身長はゆんゆんと大差ない。

 発育は圧倒的にゆんゆんが勝っているが、二人ともゆんゆんやめぐみんと同年代だろう。

 

「あ、どどんこさんも!」

「や、やっほー……久しぶり……」

「学校は終わったの?」

「今日はお昼までだったから、ね」

 

 ふにふらはツインテールの付け根に白いヘアピンを付けており、対照的にどどんこと呼ばれたショートポニーの少女は赤いリボンで髪を纏めている。

 

「そうなんだ、でも二人ともあんな所に隠れてどうしたの? もしかしてかくれんぼの途中だったとか? だったら私がオススメの場所を二十箇所ほど教えるけど」

「いや違うから! っていうかなんでそんな場所知ってるのよ!?」

「え? だってほら、誰かとかくれんぼする時の為に先にいい隠れ場所を知っておこうって思って。でもまだ私は誰ともかくれんぼをやった事がないからいっつも日が暮れるまで一人で隠れてたんだけど……でも今まで誰にも見つかった事がないから、ふにふらさんとどどんこさんもそこは安心して!」

「アンタの今の話には安心できる要素が何一つとして存在しないからね!?」

「日が暮れるまで一人かくれんぼって想像したら滅茶苦茶怖いよ!」

 

 突如として暴かれたゆんゆんの闇の一端はあまりにも深く暗いものだった。あまりにもぼっちを拗らせた少女にあなたの目頭が熱を帯び始める。

 このままだとよくない方向に話が進みそうなので、軌道修正がてらあなたは二人の少女の紹介をしてもらう事にした。

 

「あ、すみません。ご紹介しますね。ふにふらさんとどどんこさんです。私の学生時代の……と、友達です!」

 

 嬉しそうに、そして自慢げに二人を紹介するゆんゆん。

 あなたは彼女から里にもめぐみん以外の友達がいるという話を聞いた事があったが、まさか実在する人物だとは思っていなかった。彼女には申し訳ないが、実家のサボテンの事かと思っていたくらいだ。

 

 そんなゆんゆんの紹介を受け、紅魔族特有の例の名乗りをポーズと共に決める二人の少女。

 

「我が名はふにふら! 紅魔族随一の弟想いにして、ブラコンと呼ばれし者!!」

「我が名はどどんこ! 紅魔族随一の宿屋の娘にして看板娘と呼ばれし者!」

 

 ――お兄ちゃん! このふにふらとかいう奴、私とキャラが被ってる!! 許せない、許せない許せない許セナイ!! オ前ハ私達ノ敵ダッ!!!

 

 突然四次元ポケットの中の毒電波がおこがましい台詞を吐いて発狂した。

 頭痛がしてきたので勘弁してほしい。

 

 しかし言われてみれば確かにふにふらは緑色のクリーチャーこと妹に似ている。

 ツインテールでブラコン、外見年齢もほぼ同じで活発そうな外見。

 紅魔族は皆見目が整っているし、妹も見た目だけは悪くない。

 ふにふらの髪の色を緑色に変えたら、最早言い訳などできないくらい妹にそっくりである。

 

 あなたとしてはふにふらが自分の事をお兄ちゃんと呼び始めないか非常に不安だった。

 今は辛うじて抑えている様だが、あなたを兄と呼ぼうものならばその瞬間、ふにふらに向かって包丁が音を置き去りにしてかっ飛んでいく事だろう。

 

「ね、ねえゆんゆん。さっきからそっちの人があたしの事を凄い微妙な目で見てきてるんだけど……っていうかなんか凄く寒気がする……」

「アンタが弟の薬買う為にゆんゆんから小遣い巻き上げてた事を聞いたんじゃない?」

「カンパの事カツアゲみたいに言うの止めなさいよ!?」

 

 とはいえふにふらは弟が大好きなようなのでその心配は無さそうだ。

 四次元ポケットの中の毒電波にも手出しを禁止させておく。

 

 ――チィッ、これだから紅魔族ってやつは! 月夜の晩ばかりじゃないんだからね!!

 

 紅魔族の里に来てから妹のテンションが高すぎて困る。

 自宅に置いてくるべきだっただろうか。しかし誰かが不用意に触って何が起きるか分からない以上、愛剣や聖槍や核と同じくこれだけは手元から離したくなかった。

 

 あなたの予想が正しければ、この妹はノースティリスで妹の日記というアイテムを読んだ際に召喚されるような()()()()ではない。

 本来召喚されるレベル1の妹とは明らかに戦闘力が違うし、日記を読んでいないのに個性を獲得してしまっている。というかこの妹にあなたは覚えがありすぎた。

 

 あちらが名乗らない以上、日記の中身が誰とはあえて問うまい。

 しかし何故すくつで拾っただけの妹の日記に憑いて来ているのか。

 あなたの記憶が間違っていなければ、最初は確かに普通の妹の日記だった筈だ。

 

 ――お兄ちゃんに付いてきた私が時間をかけて私を上書きして私になったのは去年の冬の初めくらいかな! 例え私が相手でも私はお兄ちゃんを渡さないよ! お兄ちゃんと私はいつだって一心同体だからね! 私はお兄ちゃんがどこに行っても一緒なんだから!!

 

 会話にならない。本当に会話にならない。

 

 本気で疎ましいと思っているわけではないし、現状においてこの妹はこの世界において唯一あなたとノースティリスの価値観を共有する相手ではあるのだが、解呪不可能の呪いのアイテムを手に入れた気分だ。

 核やラグナロクのようなオモチャとは比較にならない危険物を世に放つわけにはいかない。

 それにあなたは妹と一心同体など死んでも御免である。拾わなければ良かった。真剣にそう思ったあなたは深い溜息を吐いた。

 

「ところでふにふらさん、どどんこさん。かくれんぼじゃないなら何をしていたの?」

「え、いや、ほら。私達はアンタ達を見張ってたのよ」

「私達を?」

「そうそう。里の皆がゆんゆんがイイ人を連れて帰ってきたって噂話してるみたいだから? まさかそんな事はないよねーって、ほら、ね?」

「うんうん、きっと皆が勘違いしちゃってるんでしょ、みたいな? 正直あたしら、ゆんゆんは悪い男に引っかかりそうだって思ってたし?」

 

 視線をあちこちに彷徨わせるふにふらとどどんこに、ゆんゆんはくすりと笑う。

 それは師匠であるウィズを彷彿とさせる、慈愛に溢れた、陽だまりの様な暖かい微笑みだった。

 

「ふにふらさん、どどんこさん。彼は良い人よ。本当に良い人なの」

「そ、そう……へえ……」

「そうなんだ……」

 

 いつの間にかゆんゆんの中であなたという人間が“変わっているけど良い人”から“本当に良い人”にランクアップしていた。昨日の夜遅くまで語り合ったせいだろうか。

 何故か膝をがくがくと震わせるふにふらとどどんこは今にも崩れ落ちそうだが、必死に笑顔を作っている。

 きっと二人はゆんゆんが里の外で友人を作ってきた事に驚いているのだろう。気持ちはよく分かる。

 思わず笑いながら、あなたはゆんゆんの友人として、ゆんゆんが恥ずかしい思いをしないように努めて朗らかに挨拶を交わした。

 

「こ、こちらこそ初めまして!」

「よろしくお願いします!!」

 

 いかにも好青年といった印象を抱かせる、謎のプロデューサーが太鼓判を押すあなたの良い笑顔を受けて、ふにふらとどどんこの動きが目に見えて硬くなった。

 あなたは里の外の人間な上に、ゆんゆんと同年代である二人から見れば大人の異性だ。緊張してしまうのも無理は無いだろう。

 

「ね、ねえゆんゆん。この人ってどんな人なの?」

「どんな人? うーん……えっと、物静かで(何もなければ)大人しい感じで(平気で無茶な事をするけど)、私の話をちゃんと聞いてくれる(これは本当)優しい(私なんかの友達になってくれるくらい)大人の人(見たまんま)かな」

 

 副音声というやつだろうか。

 あなたはゆんゆんの言葉の裏で語られていない何かを聞き取った気がした。

 

「なんか地味ねえ……いや、なんとなくそんな人っぽい気はしてたけど」

「えっ」

「確かに地味だわね。ゆんゆんの事だからそんな感じなんだろうとは思ってたわよ」

 

 二人の反応を受けて真顔になったゆんゆんがあなたを見つめてきた。

 ふにふらとどどんこが何を言っているのか分からないと言いたげな目だ。

 

「じみ……地味……? 聖剣……地味……? 私が知ってる地味と違う……」

 

 やっていいのなら派手に終末(パーティー)を開催してもいいのだが。

 紅魔族であればドラゴンの駆逐も容易だろうと考えていると、どどんこがあなたに声をかけてきた。

 

「あの、年収はどれくらいですか?」

 

 ふにふらとゆんゆんが噴出した。

 

「年収!? どどんこ、あんた何言ってんの!?」

「いや、だってほら、ゆんゆんの友人としてはそこらへん気になるじゃん!? いい年してぶっころりーさん達みたいに親の脛齧ってたりゆんゆんのヒモとかやってたら色々問題でしょ!?」

「そ、それはまあ、うん、あたしも心配してるけど……だからって普通いきなり年収聞く?」

 

 ゲロ甘でチョロQの友人が見知らぬ男に金を集られていないか心配しているのだろう。

 ゆんゆんは友達思いのいい友人を持っているようだ。

 

 だが心配は無用である。

 肝心の収入の件だが、あなたは先日の税金納入騒動の後も収入の詳細までは調べていない。

 だが督促状の文面を思い出すに、あなたの年収が五億エリス以上に及んでいる事だけは確かだ。あなたはアクセル随一の高額所得者なのだ。

 

「五億!?」

「年収五億以上の大人の男……え、貴族!?」

 

 とんでもないとあなたは否定した。

 あなたはただの冒険者である。貴族など頼まれてもお断りだ。

 

「ま、まあゆんゆんにしては中々イイ人を見つけたみたいだけど? あたしにだって前世で生まれ変わったら次も一緒になろうって誓い合った相手がいるから? だから全然羨ましくなんてないっていうか……羨ましくなんてないし……」

「……? あ、そういえばどどんこさんも、私の運命の相手は世界で最も深いダンジョンの底に封印されてるって言ってたよね!」

「そ、そうね。そんな人がいたらいいなあ……いや、いるんだけどね!?」

 

 二人の紅魔族の少女は引き攣った笑みを浮かべながらゆんゆんから目を逸らした。よく見れば涙目だし冷や汗をだらだらと流している。

 

「もしよかったらダンジョンに潜る時や前世の恋人を探す時には私にも声をかけてね? まだまだ未熟な私だけど、レベルももうすぐ40だし、少しは二人の役に立てると思うの!」

「れべるよんじゅう……」

「よんじゅうでりあじゅう……」

 

 あなたは友人の役に立てる事を心の底から嬉しく思っている様子のゆんゆんの肩に手を置き、無言で首を横に振った。

 聞いているこっちが悲しい気分になってきたのでそれ以上は止めてあげてほしい。ゆんゆんの善意という名の暴力で、最早ふにふらとどどんこの精神耐久値はほぼゼロだ。

 ウィズもそうだが、人が良すぎるというのも困りものである。

 

 

 

 

 

 

 宿題があるからと死にそうな顔で帰っていったふにふらとどどんこと別れ、再度観光に戻るあなたとゆんゆん。

 次にあなたが案内されたのは、聖剣を手に入れた場所からさほど離れていない所に建っている、神社という名の極東の神殿に酷似した建物だった。

 斜めに反った独特の形状の屋根には、三角形の獣耳と思われる飾りが二つ付いている。

 

「猫耳神社です」

 

 神社はともかく、何故猫耳なのだろう。

 紅魔族に猫耳が生えているという話は聞いた事が無い。

 実は猫耳が生えているのだろうかとあなたはゆんゆんの黒髪を凝視した。割と似合いそうだ。

 

「あ、あの……そんなジッと見つめられると恥ずかしいですから……それに私に猫耳は生えてないです」

 

 もじもじと俯いてしまったゆんゆんに不躾だったかと謝罪しつつ建物の中に入る。

 

「これがこの里のご神体です。い、言っておきますけど、私が決めたわけじゃないですからね!?」

 

 建物の中で見つけたそれを視界に収めた瞬間、あなたは電撃を食らったような衝撃を受けた。

 信じられない。何故こんなものがここにあるのか。

 愕然と立ち尽くすあなたはその名を呟く。

 

「いもうとねこ? もしかしてこれが何なのかご存知なんですか?」

 

 お触り禁止の看板と共に仰々しく祭られていたのは水色の髪で猫の耳が生えた少女のフィギュアだった。

 

 妹猫だ。誰がどう見ても妹猫のフィギュアだ。

 妹猫とは妹の日記を読んだら召喚される妹と同様に、妹の秘密の日記を読んだら召喚される幻想存在である。

 速度及び戦闘力は高いのだが、とても生命力が弱く死にやすい。妹と違って狂気的な存在ではないが、速度と戦闘力が極まったペットが普通な廃人にとっては残念ながら弱小の部類に入る種族である。

 

 それにしても、このフィギュアは見れば見るほど妹猫にそっくりだ。

 細部にまで拘った造型に製作者の熱意と腕の良さが窺える。

 

「…………こういうの、お好きなんですか?」

 

 じろじろと様々な角度からフィギュアの全身を舐めるように見つめるあなたをゆんゆんが温度の下がった目で見ていた。

 彼女がご神体と呼んだ推定妹猫のフィギュアは紺色のワンピースと下着が一つになったような、やけに扇情的な衣服だけを着て、招き猫にも似た、人間がやるとコケティッシュなポーズを決めていた。というよりこれは衣服なのだろうか。水着のようにも見える。

 なるほど、こんなものを熱心に見つめる大人の男は控えめに言って変態である。

 しかしどこぞの下賎な者を見ると笑いが止まらなくなる、ストーカーでロリコンでフィギュアフェチの友人と同類扱いされてはあなたとしてはたまったものではない。

 

「え? 異世界には()()()()とよく似た種族がいるんですか!?」

 

 あなたの説明にゆんゆんが大袈裟に驚いた。

 こんなのとは随分な物言いだが、気持ちはよく分かる。

 誤解させておくのも妹猫に悪いので説明だけはしておく。

 幸いにもこの世界にも獣耳が生えている人間は存在するので説得自体は容易だった。

 

「あ、猫耳が生えただけの女の子で格好はちゃんとした普通の服なんですね……すみません、早とちりしてしまって……」

 

 服はともかく、造型自体は本当に妹猫に酷似している。

 この世界に自分以外のイルヴァの冒険者が来ていたのだろうか。

 あなたはゆんゆんにこのフィギュアの由来を聞いてみる事にした。

 

「遠い昔、モンスターに襲われていた旅人を紅魔族の御先祖様が助けた際に旅人がくれたものだそうです。その人いわく、これは俺にとって命よりも大切なご神体なんだ、との事で。残念な事に王都などで調べても何の神様かは分からなかったのですが、何かのご利益があるかもしれないのでこうして大切に祀られてるんです。この神社っていう建物も、その旅人さんが教えてくれたものらしいですよ」

 

 ノースティリスではなく遥か極東の者だろうか。

 しかしイルヴァに妹猫の神がいたという話をあなたは寡聞にして知らない。猫で神とくればおのずと幸運の女神が連想されるが、これはどう見ても違う。

 

 いや、そもそもイルヴァの民であれば、()()()()()()()()()()()()で命よりも大事な物を渡すなどありえない。

 あなたも癒しの女神の剥製やフィギュアや抱き枕をご神体として持っているが、何が起きても他人に渡すなど考えられない。例え相手がウィズであってもだ。

 

 という事はこれは妹猫ではなく他人の空似だろう。最終的にあなたはそう結論付けた。

 あるいはノースティリスに似た国であるニホンから来たニホンジンが齎した物なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 折角の紅魔族の里を一日で全部見て回るのも勿体無いので、あなたは今日の所はこの辺りで観光を終える事にした。

 ちょうど時刻は昼過ぎで小腹も空いてきた頃だ。

 

「お昼は定食屋さんに行きませんか? 里でも人気のお店なんです」

 

 調理器具は持参しているが、観光に来てわざわざ自炊というのも味気ないのであなたはその提案を受け入れた。勿論ハーブもあるが論外である。

 

「店主のお爺さんも凄く優しいんですよ。私は学校が休みの日で両親が忙しい時、一人でお昼ご飯を食べるのも寂しいので、よくお店の前のベンチで人だかりを眺めてお弁当を食べてたんですが、そしたら外は寒いし店のテーブルで食べたらどうだいって誘ってくれたんです」

 

 ゆんゆんの紅魔族の里での思い出話は地雷案件しかないのだろうか。

 あなたとウィズに師事している今はゆんゆんがあなたの家で食卓を囲む機会も少なくなく、ぼっち飯自体は卒業しているのだが、相変わらずあなたとウィズ以外の友人が増えたという話は聞かない。

 しかしこればかりはあなたやウィズが無理に言ってどうこうなる問題でもないだろう。それに今のところゆんゆん本人は満足しているようなのでとやかく言う気も無い。そもそもあなたはコミュ力はともかくとしてゆんゆん以上に友達がいない。

 

「お友達と一緒にご飯って楽しいですよね! 私、ずっとあのお店で誰かと――」

「おーい、ゆんゆーん!!」

「――――!!」

 

 遠方から大声で名前を呼ばれ、満面の笑顔だったゆんゆんの顔色が一瞬で変わった。

 あなた達の方に駆けてきているのは、ゆんゆん以上に発育の良い眼帯を付けた少女だ。

 片目には隈が出来ており、ところどころ髪もぼさぼさになっている。徹夜明けの症状だ。

 

「久しぶりだね! 早速なんだけど紅魔族英雄伝の外伝が書きあがったから見てくれないか!!」

「あるえ……」

 

 地の底から響いてくるゆんゆんの呟きにあなたは彼女の正体を知った。

 彼女こそが族長の手紙と共に傍迷惑な小説を送ってきた作家志望の紅魔族なようだ。

 

「まさか私の小説みたいな事が起きるだなんて思わなかったよ! ゆんゆん、事実は小説よりも奇なりとはまさにこの事だね!」

「…………」

 

 理由はさっぱり分からないが興奮している様子のあるえの瞳は真っ赤に輝いている。

 しかし無表情で原稿を受け取って黙々と読み進めるゆんゆんの目と顔はそれよりもずっとずっと深く、そして鮮烈な紅に染まっていた。

 それはさながらインセクトキングと呼ばれている、伝説の巨大な虫のモンスターが攻撃的になった時の瞳の色のように。あるいは噴火寸前の火山か。

 

 そんな彼女に気付く事無く、あるえはあなたに向き直ってポーズを決めた。

 

「おっと挨拶が遅れてすまない。我が名はあるえ! 紅魔族随一の発育にして作家の卵! 世界一の作家を目指す者! ところで早速だけど二人の子供はいつ頃――――」

「あああああああるううううううううええええええええええええ!!」

「え? ……わあああーっ!?」

 

 怒りと興奮で目を血走らせ、紅の修羅と化したゆんゆんは紙束をそのまま宙にばら撒いてしまった。

 

「ちょっ、ゆん、止めっ!」

「ツイン、ライトッ、オブ、セイバああああああああああーッ!!!」

「きゃあああああああああああ!?」

 

 叫ぶと同時にゆんゆんの激情に呼応した彼女の両手が太陽もかくや、という強い光を放ち、振るった手刀が凄まじい速度で虚空を幾度も奔った。

 そして手刀に遅れる事一瞬。複雑な軌跡を描いた無数の光の筋が空を舞う紙束の中を走り抜けていき、紙束が軌跡に沿って綺麗に断裁されていく。

 

 ライト・オブ・セイバー二刀流による流れるような連続攻撃。

 怒れるゆんゆんの放った必殺技があるえの綴った物語を断裁したのだ。

 風に吹かれて空に散っていく白い原稿。

 結局あるえが書いたものはどういう内容だったのだろう。今となっては永遠に失われてしまった物語をあなたは少しだけ惜しく思った。

 

「あ、ああああああ……わ、私の傑作が……恥ずかしいのを我慢して頑張って告白とキスシーンまで書いたのに……」

「あるえが! あるえがあんな物を書いて送ってくるから私はっ、私はぁっ!!」

 

 崩れ落ちたあるえを見下ろしながら拳を硬く握り締め、怒りと羞恥で顔を真っ赤に染め、わなわなと声と身体を震わせるゆんゆん。

 あなたはそれを見て酷い八つ当たりだと思った。

 

 確かにあるえが同封してきた小説の内容は空気を読みすぎていたせいで紅魔族以外の者に驚愕と混迷をもたらす甚だ迷惑なものだった。

 そのせいで友人であるウィズがぶっ壊れた手前あなたとしても彼女に何も思わないわけでもなかったが、それでも彼女はちゃんと小説だと銘打って送ってきたし、最後まで手紙を読まずに一人で勝手に勘違いして突っ走った挙句盛大に爆死したのはゆんゆんだ。

 にも関わらずゆんゆんは問答無用であるえに襲い掛かっている。これが八つ当たり以外の何なのか。あるえは大いに同情されて然るべきだろう。

 だがそれはそれとしてあるえが紛らわしい手紙を送ってきたのも事実なので、あなたはゆんゆんを止める気は無かった。むしろいいぞもっとやれと心の中で応援したくらいである。

 

「しかもさっきあるえが読ませてきた小説もなにあれ!? よりにもよって私にこの人とあんなえ、え、えっちなキスをさせる話を書くなんて……!! 本当はあるえがあんな事してほしいんじゃないの!? 大人の男の人とえっちなキスがしたいんじゃないの!?」

「ひ、人聞きの悪い事を言うのはやめてくれないか! あれは筆が乗ったから、つい書いてしまっただけであって……そう、深夜テンション! 深夜テンションのせいだよ!!」

「私、キスしながらおっぱいまで触られてた!! びくんびくんってなってた! 何が英雄伝よ! えっち! あるえのえっち!! むっつりスケベ! 紅魔族随一のえっち作家!!」

「えっち……おっぱい……私がえっち……!? ……わあああああああーっ! あー!!!」

 

 気まずい。

 とても気まずい。

 あなたは今すぐこの場から消え去りたい気分でいっぱいだった。

 ゆんゆんとあるえの会話があまりにも思春期の少女丸出しすぎて、ただひたすらに居心地が悪い。

 

 ノースティリスの冒険者であるあなたは面白半分で他人に媚薬を投擲できる人間だし、今更猥談程度では何も思わない。

 街中でドラゴンがバイクと交合してる様を見ても景観を損ねると軽く舌打ちして銃を抜く程度だ。

 

 だが彼女達のように少々過激なキスシーン程度でえっちだえっちだと本気で恥ずかしがって騒いでいるのを見ると、初々しすぎて微笑ましくも逆に気恥ずかしくなるのだ。自分がどうしようもなく汚れた人間に思えてくる。

 性的な事に興味がある年頃というのはあなたも分かるのだが、えっちえっちと連呼する二人の少女はこの場にあなたがいる事を忘れている可能性が非常に高い。

 

 幸いにも今のところ周囲に人はいないが、いつ誰か聞きつけて里中に知れ渡るか分かったものではない。

 なのであなたは自己主張すべく何度か咳払いを行った。

 

「!!」

「!!」

 

 あなたの咳払いにびくりと反応し、えっちの連呼を止めるゆんゆんとあるえ。

 二人はやっとあなたの存在を思い出したようだ。

 更に自分達が今の今までどんなやり取りをしていたのか思い出し、あうあうと声にならない声を発して耳まで真っ赤に染まっていく紅魔族の少女達。

 

 あなたはそんな二人の頭を手の平でぽんぽんと優しく叩き、とある有名なメイドの決め台詞をお見舞いする。

 

 

 

 ――えっちなのはいけないと思います。

 

 

 

「ぴゃあああああああああああああああああああああ!!」

「ひゃわああああああああああああああああああああ!!」

 

 気まずさを全面に押し出して苦笑いする大人の異性(あなた)の発言を受け、二人のえっちな紅魔族の少女達は両手で顔を覆ってその場に蹲るのだった。



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第74話 撲殺剣士エレナイさん

「どうか、どうかこの事は内密に……紅魔族随一のえっち作家などという不名誉な異名が付いた日には私はもう里にいられなくなってしまう……」

「お願いします、お願いですから皆には黙っていてください……!」

 

 耳まで真っ赤にしつつ涙目でぷるぷる震える、とても発育のよろしいえっちな紅魔族の少女達が必死にあなたに向かって先ほどのやりとりや小説の内容を黙っていてもらうように懇願している。

 ちょっとエロい話をしていた所を見られただけで盛大に恥ずかしがる二人の初心な少女達。健全に思春期をやっているようで何よりである。

 誰とは言わないが、こちらの隙あらば嬉々として襲ってくるようなケダモノとは大違いだ。誰とは言わないが。

 

「ああああああ……今になって死ぬほど恥ずかしくなってきた……わ、私はどうしてあんな話を……私が書きたかったのは誰かを喜ばせる話であって決してえっちな小説では……!」

 

 実際にはあなたはあるえの書いた小説を読んでいないのだが、ゆんゆんの語っていた断片的な内容からおおよその予想くらいはつく。

 

 しかしやはりと言うべきか、あるいはあなたの人となりを知らないあるえでは当然と言うべきか。

 あるえの小説の中のあなたと現実のあなたは著しく乖離しているようだ。その証拠に恐らく作中でウィズが死んでいるというのにあなたは世界を滅ぼす為に動く事無くゆんゆんに手を出している。

 あなたからしてみればとても信じられない行動だった。洗脳でもされているのかと疑いたくなるレベルで完全に別人だと断言できる。

 

「お兄さんをモデルに過激な小説を書いた事は謝るのでどうか、どうか……!」

 

 上記の理由によりあなたは自身がモデルになっている小説を書かれた所で同じ名前の他人としか思えないのだが、そんなあなたの内心を知る事無く、必死に食らい付いてくるあるえ。

 

 そんな事より空腹になってきたので昼食でもどうだろうか。あなたはそう提案した。

 ごくり、とあるえが喉を鳴らす。

 

「……つ、つまり、口止め料として私に昼食の代金を肩代わりしろと、お兄さんはそう言ってるんだね? 分かった、この里にいる間は私があなたの財布になるよ。そうしたら今回の件は黙っていてくれるんだよね!?」

 

 興味なさげに昼食の提案をしたあなたに何を勘違いしたのか、悲壮な覚悟を胸に秘めた表情をしつつ、財布を出したあるえがそう言った。

 財布の中を見つつお小遣い足りるかな……バイトしておけばよかった……と呟くあるえのか細い声はとても弱々しく、聞いていて切なくなってくるほどだ。

 

「しっかりしてあるえ、誰もそんな事言ってないから! 確かに言いそうっていうか私も思わずお財布差し出したくなる雰囲気だったけど! 誠意は言葉ではなく金額って感じだったけど!」

 

 自分とあなたのキスシーンを赤裸々に語るえっちなゆんゆんは恥ずかしそうで、しかしどこかまんざらでもなさそうな様子だったしその表情には確かな艶と期待があった。

 そんな具合に盛大に話に盛った挙句尾ひれ背びれまで付けて最早原型を止めていない状態まで持っていった後にめぐみんやゆんゆんの両親、そしてふにふらとどどんこにどれだけゆんゆんがえっちな少女だったのかを徹底的に暴露してやろうか。

 必死にあるえを押し止めるゆんゆんの発言を受けて、あなたはかなり真剣にそう思った。

 

 幾ら相手が敬遠されがちな紅魔族とはいえ、初対面の、それもいたいけな年下の美少女(紅魔族は例外なく見目が整っている)を相手に言外に財布になれと要求する男はどれだけ控えめに言っても人間の屑である。どうあっても最低の人間の謗りは免れないだろう。

 直球で金を要求するのも大概だが、相手に自分から金を支払わせるように仕向けるあたり、最早あなたをして呆れの言葉すら出てこない。

 

 勿論あなたはそんな人間の屑ではないので、斯様な人を人と思わぬ最低で阿漕な真似をするわけがない。やるなら財布なり金目の物なりを盗むか殺して奪う。

 

 他には身バレしないように変装したあなたにギャンブルでボコボコに負けてもう払えませんと泣き喚く、ちょうどゆんゆんやあるえと同年代の冒険者の少女を相手にちょっとその場でジャンプしてみろと脅し、金の音が鳴ったらニッコリ笑ってそのまま全裸になるまで身包みを剥いで寒空の下に放り出した事なら何度もあるが、その程度はハッキリ言って可愛いものだ。

 金の音が鳴らなくても身包みを剥ぐが、足りない金額は身体で支払ってもらおうと奴隷商人に売り払わず人体実験の被験者にもせずサンドバッグに吊るして犯罪者の街に放置もしないあなたの慈悲深さは最早留まるところを知らない。

 言うまでもないだろうが、これはイルヴァでの話である。

 まだこの世界ではそのような機会に恵まれていないのでやっていない。

 

 そして一見すると先ほどあるえの口からNGワード()が飛び出したように思えるが、これはまだセーフな呼び方だ。あるえの頭か心臓を狙って包丁が飛んでいかないのが何よりの証拠である。

 同じ兄という呼び方にセーフもアウトもあるのか、という話だが、こと妹に限っては確かに存在する。あなたは長きに渡るペットの妹との付き合いによってそれを熟知していた。

 

 例えばドリスで遭遇したサキュバスがあなたの事をお兄ちゃんと呼んで危うくその儚くもない命を無惨に散らしそうになったが、あれはあなたを兄と呼ぶ事で自身を妹的な存在として見てもらおうという魂胆が透けて見えていたのでアウト。

 対してあるえは年上の異性であるあなたの事を名前の代わりにお兄さんと言っただけであって、あるえがあなたの事を兄だと思っているわけではないのでセーフ。血縁でもない赤の他人の老人をお爺さん、中年をおじさんと呼ぶのとなんら変わらない。

 

 

 

 

 

 

 折角だからという事であるえも交えて昼食をとる事になった。

 

 彼女は小説の執筆にかまけていたせいで昨日の昼から何も食べていないらしい。

 学校はいいのかという話だが、聞けばめぐみん、ゆんゆんに次ぐ同期のナンバー3であるあるえはゆんゆんやめぐみんと同時期に上級魔法を習得して学校を卒業しているとの事。紅魔族の学校は魔法を習得したら卒業するものなのだ。

 そんなあるえはゆんゆんの元クラスメイトだが、彼女はめぐみんの友人だったのでふにふらやどどんこと比較すると交流が少なかった相手である。

 友人の友人と一緒に食事という事でゆんゆんは若干そわそわしていたものの、あるえは特に気にしていなかったどころか道すがらゆんゆんやあなたの冒険話を聞きたがってすらいた。マイペースな少女である。

 

「あれ、前よりお店が綺麗になってる」

「冬にお店を建て直したんだよ」

 

 商業区に存在する、ゆんゆんおすすめの定食屋。

 ゆんゆんの話では老人が一人で切り盛りしているという事だったが、ゆんゆんがいない間に新しく店員を雇っていたようで、店内のテーブルを若い紅魔族の男が拭いていた。

 昼を過ぎ、最も忙しい時間帯を越えたという事もあって店にあまり客はいないようだ。

 

 席に案内されたあなた達はピッチャーにオレンジやレモンの皮を入れているのであろうと思われる、仄かに柑橘系の匂いと風味がする氷水で喉を潤す。

 

 ……そしてメニューを開いた瞬間、ゆんゆんが絶句した。

 

「えっ、何、この……」

「私は何にしようかな。最近は執筆で家に篭りっぱなしだったからここに来るのは久しぶりだよ」

 

 ゆんゆんは目を白黒させて狼狽しているが、あるえは涼しい顔をしている。

 そうこうしていると店主であろう老人が注文を取りに来た。

 

「おや、ぱむっささんとこのあるえと族長の所のゆんゆんじゃないか。久しぶりだね」

「ど、どうも。お久しぶりです……」

「……って事はそっちの人が噂の彼かい。我が名は――」

 

 老人ですら堂々と派手なポーズを決めて名乗りを上げる紅魔族は廃人に負けず劣らず人生をエンジョイしている。

 身内の恥だとばかりに赤い顔で恐縮するゆんゆんを尻目に最早動じる事すら無く挨拶を返したあなたはこれで、とメニュー表の一つを指差した。

 

「三大巨頭の断末魔だね。あるえとゆんゆんは何にするんだい?」

「うーん、じゃあ私は天頂に魅入られし七曜で」

「わ、私はこの……これってクリームシチューですよね? クリームシチューでお願いします」

「白に染まりし混沌だな?」

「クリームシチューで!!」

 

 店主は恥ずかしそうに大声をあげたゆんゆんの言葉を否定しなかったので実際クリームシチューで合ってはいるのだろう。

 ちなみにあなたが注文した料理はごく普通のミックスグリル(大盛り)、あるえが注文したのは日替わりランチである。

 こんな所でも紅魔族の素敵センスが全開だ。まったく油断も隙も無い。

 

「私が里にいた頃よりメニュー表が難解になってる! それどころか難解を通り越してメニューに絵が描かれてなかったらもう何の料理かすら分からなくなってる!」

 

 老人が調理場に消えたところでテーブルにさめざめと嘆き始めたゆんゆんだが、メニューの絵自体はとても上手いものだった。

 抽象的すぎて翻訳必須な名前に目を瞑れば子供でもどんな料理か一目で分かるだろう。

 

「ねえあるえ、このお店って前は普通のメニューじゃなかった? 溶岩竜のカラシパスタとか暗黒神のシチューみたいに、名前はともかく一応どんな料理かは分かる喫茶店以上に酷い事になってるんだけど」

「リニューアルした時にメニューも一新したんだ。絵は絵描きのれぞんでさんに手伝ってもらったらしいよ」

「わ、私の数少ない憩いの場が……」

「でも今のメニューに変えてからお客さんが増えたっていう話だよ。見ての通りカッコイイ名前だし分かりやすいからね」

「カッコイイ……? 分かりやすい……? 分からない、文化が違う……!」

 

 同族であるにも拘らず遂に文化が違うとまで言い出し始めたゆんゆん。

 果たして彼女は本当に立派な紅魔族の族長になれるのだろうか。

 余計なお世話だろうが、紅魔族に染まる気が無いのであれば、ウィズの店で店員として働く方が彼女にとって幸せな気がしないでもない。それはそれで多大な苦労をしそうだが。主にウィズのぶっ飛んだ商才のせいで。

 

 

 

 独特のセンスを持つ紅魔族といえど味覚まで常人から逸脱しているわけではないようで、仰々しい名前の割に料理は普通に美味しかった。味の割に値段もまあまあ安めと常連が出来るのも納得の店である。

 そうして食後のデザートが来るのを待っていると、あるえがウキウキと手帳と筆記具を取り出した。

 

「さて、そろそろ話を聞かせてもらおうかな」

 

 ゆんゆんがびくりと身体を震わせ、もじもじと上目遣いであなたを見つめてきた。

 

「あるえ、また私達をネタにしてえっちな話を書くつもりなの? 本当に恥ずかしいから止めてほしいんだけど……さっきの小説だって夢に見そうだし……私はあるえの趣味にケチをつける気は無いよ? でもえっちな話を書くならせめて私達じゃなくてあるえの考えたオリジナルのキャラクターでやってほしいな……」

「ゆ、ゆんゆんの中で完全に私がえっちな小説を書く作家になってる……!? さっきも言ったけど、私は普通に冒険の話が聞きたいし書きたいだけだからね!?」

 

 非常に発育が良く物腰も雰囲気も大人びているあるえだが、ゆんゆんの問いかけにはい止め止め、この話は終わり、と大袈裟に反応するあたり、こういう所はまだまだ年頃の子供なのだろう。

 こほんと誤魔化すように小さく咳払いし、表情こそクールを気取っているものの、羞恥に頬を赤く染め、短めの縦ロールを指でくるくると弄ぶあるえには可愛らしさしか感じない。

 

 まあ十四歳かそこらの少女に、元クラスメイトやその友人をネタにしたエロ小説を書きます、じゃんじゃんバリバリねちっこくぐっちょんぐっちょんの濡れ場を書きます。サキュバスとか触手とかスライムとかカエルをいっぱい出してゆんゆんやめぐみんを性的な意味で滅茶苦茶にしますと断言されてもそれはそれで反応に困るわけだが。少なくともあなたにはそうですか、別に応援はしませんが頑張ってくださいと応える事しかできない。えっちなのはいけないと思います。

 

「ま、まあそういうわけだから。もちろんゆんゆんでもお兄さんでもどちらでもいいよ?」

 

 しかし冒険の話と言われても困りものだとあなたは内心で唸った。

 あなたは自分があるえの望むような話を出来そうにない事を理解しているのだ。

 

 決して話すネタが無いわけではない。むしろありすぎて困る程度にはある。

 だが実際話すとなると色々と問題が出てくる。

 

 かつてあなたは幽霊少女のアンナにノースティリスでの冒険話をした事があるが、あれは人気の無い屋根裏部屋だったし何より相手が幽霊だったからできた事だ。

 流石に小説のネタにすると断言している相手に異世界の事を話す気にはならない。

 

 この世界の冒険の話も手に汗握るような展開にはならない。

 紅魔族英雄伝という名から察するに、あるえが書きたがっているのは恐らく王道、正道の物語だろう。

 

 努力、友情、勝利。

 まさしく王道だが、あなたが努力してきたのはイルヴァでの事だ。

 今の力を手に入れるまでに、数え切れない回数の死と狂気を乗り越えて努力してきたがそれはこの世界ではない。

 

 そしてあなたがこの世界で友情と呼べるものを築いた相手は今のところウィズとゆんゆんだけで、ウィズはリッチーだ。話せるわけが無い。

 かといって残ったゆんゆんとの話も心躍る冒険譚になるかと聞かれるとかなり微妙なところである。一応笑い話にはなるだろう。

 

 唯一話せそうな勝利もいざ話にすると勝つべくして勝ったという、作業じみた極めて味気ないものになってしまう。来た、見た、勝った。こんな具合である。

 玄武や冬将軍など、超級の相手と戦っていれば話は別だったのだろうが。

 いっその事、経歴やら戦績まで適当に話をでっちあげるべきだろうか。

 

「いや、別にそこまで真剣に悩んでもらわなくてもいいんだよ。一から十までそっくりそのまま小説にするわけじゃないし、どんな事があったのかだけ教えてくれれば細部は適当にこっちで話を作るから」

 

 二人仲良く腕を組んで難しい顔で唸るあなたとゆんゆんにあるえはそう言った。

 

「私としては是非ともゆんゆんが去年里を出た後の話が聞きたいかな。アクセルでこの人たちに師事して元気にやってるっていうのは知ってたけど、具体的にはどんな経験をしてきたんだい?」

 

 あなたはこの場はゆんゆんに丸投げする事にした。

 友人として、あるいは弟子として師匠を助けると思って頑張ってほしい。

 

「と、友達として……わ、私、頑張りますっ! あるえ、何でも聞いて!」

「ゆんゆん……」

 

 久しぶりに会っても相変わらずチョロすぎるゆんゆんに哀れみの視線を送るあるえ。

 あなたにも孤独を拗らせた少女を自身のいいように動かした事を申し訳なく思う程度の良心は残っている。即座に今のは冗談だと言って自分も協力する事にした。

 

「じょ、冗談っていうのは私とあなたが友達っていうのが冗談っていう意味ですか!?」

 

 ゆんゆんが本気で泣きそうな顔になった。

 そっちではないと彼女を宥めつつ、友人という地雷ワードを使ってゆんゆんに頼み事をする事は二度とするまいとあなたは強く反省し、自戒する。

 

 友達として。

 友達だから。

 友達の為に。

 

 上記のような甘言を用いれば、ゲロ甘でチョロQなゆんゆんは本当に、本当に自分の意のままにできてしまいそうな予感がしたのだ。

 ゆんゆんの未来が自分の良心と自制心次第だと理解したあなたはちょっとそれは勘弁してほしいと思った。

 ノースティリスの冒険者に良心と自制心などお世辞にも期待していいものではないのだから。

 

 

 

 

 

 

 昼食を終えて暫くデザートを食しながら冒険話に花を咲かせた後、あなたとゆんゆんからネタを集めたあるえは早速小説の執筆に勤しむべく意気揚々と自宅に帰っていった。

 数ある冒険話の中でも特にあるえの琴線を刺激したのはデストロイヤー戦だ。

 確かにあれは最初から最後まで文句なしに盛り上がった戦いだったのであなたにも彼女の気持ちはよく分かった。後は剥製さえ手に入れば言う事無しだったのだが。量産が今から待ち遠しい。

 

 そうして今日のところは特にやる事が無くなったあなたも借り受けていたダニーとグレッグを返却して岩聖剣を四次元ポケットに隠すべく、一度ゆんゆんと別れてアルカンレティアに飛ぶ事になる。

 特に問題も無く馬と共にアルカンレティアに飛び、聖剣を収納する事に成功したあなただったが、どうにもアルカンレティアの様子がおかしい。

 

「ありがたやありがたや……」

 

 二頭を返却すべく教会近くの馬小屋に向かっていると、街のあちこちで祈りを捧げているアクシズ教徒の姿が目に入る。

 祈る彼らは皆同じ方角を向いており、更にその方角は教会やアクセルではなくあなたがやってきた方、つまり彼らは紅魔族の里に向かって祈っていた。

 

 何事だろうと不思議に思いつつも歩を進めるあなたはやがて道の曲がり角に差し掛かった所でふと足を止める。

 数瞬後、幾人もの子供達が角の向こうから勢い良く飛び出してきた。あなたが足を止めていなければ衝突していた事だろう。

 

「わっ、ごめんなさーい!」

 

 謝りつつも元気良く駆けて行く子供達に気を付けるように軽く注意しつつ何気無しに見送っていると、子供達はとある人物の元に駆け寄っていった。

 青の法衣を纏い僧侶帽を被ったその男性はあなたも良く知る人物だ。

 

「ゼスタさま、こんにちはー!」

「こんにちは。今日も元気そうで何よりですな」

 

 子供達の頭を撫でて朗らかに笑う彼は見た目だけならまるで敬虔な聖職者のようだ。いや、実際彼は敬虔で聖職者なのだが。

 そんなゼスタは懐から袋を取り出し、中に入っていた小さな丸い玉を子供達に配り始めた。

 

「元気なのは良い事です。ご褒美に飴をあげましょう」

「わーい!」

 

 ニコニコと飴玉を口の中で転がす子供達に向かってアクシズ教の最高責任者は一軒の家を指差した。

 

「ところで飴をあげる代わりにあそこのエリス教徒の女騎士が住んでいる家から下着を失敬してもらえませんかな? 子供のあなた達であればバレても可愛い悪戯で済ませられますので」

 

 子供を使って下着泥棒を行う時点でかなり悪質である。

 下着が欲しいのなら正々堂々と盗むか本人に交渉を行うべきだろう。

 

「あははははー! ゼスタさまきもーい! マジきもーい! いまなんさいだっけー?」

「そんなだからいつまでたってもけっこんできないんだよー!」

「なんですと!?」

 

 無垢な笑顔できっつい揶揄を浴びせかけた子供達はゼスタが持っていた袋ごと飴を全てかっさらって散り散りに駆け出した。彼らは小さな子供でも立派なアクシズ教徒だった。

 

「……はぁ、やれやれ。仕方ありません、こうなったら自分で盗りに行きますかな」

 

 流石はゼスタだ。全く懲りない、悪びれない。

 

 あなたは気配を断ってエリス教徒の家屋に不法侵入しようとするゼスタに近づき、彼の脇腹を指で強めに突いた。

 結果的に言う事を聞くようになったし健脚っぷりにはお世話になったとはいえ、故意に暴れ馬を寄越してきたのだからこれくらいの意趣返しは許されるだろう。

 

「あひぃ! んほぉっ!?」

 

 両の脇腹を突き刺されたゼスタが奇声をあげて痙攣しながら盛大に悶える。

 まるで尻の穴に大根を突き刺された男娼のような鳴き声だった。

 

 酷い。酷すぎる。

 あなたはウィズの声が聞きたくなった。

 彼女の綺麗で心安らぐ声を聞いて口直しならぬ耳直しをしたい。

 

 ゼスタは犯罪者の街に住まう男娼のように小汚い格好はしていない。むしろ清潔ですらある。

 しかしいい年をした中年男性(おっさん)の吐き気を催す汚い喘ぎ声など一体誰が得をするのだろう。

 あなたは自分のあまりにも軽率な愚行に後悔しながら天を仰いだ。今日もいい天気だ。

 

「……これはもしや、私は誘われているのですかな? もちろんバッチコイですが」

 

 三秒前の自分を殺してやりたい。

 はぁはぁと息を荒くし、熱っぽい視線であなたを見つめてくるゼスタにあなたは心の底からそう思った。

 

 

 

 

 

 

 危うく大惨事になる所だったが、あなたは無事にアルカンレティアから帰ってくる事ができた。

 直接的な暴力こそ介さなかったものの、ゼスタとあなたの時間にして非常に短かった戦いとその駆け引きは文字にして十万ほどの壮絶なものだった。自身の身を守る事が出来たのは日頃の行いと信仰の賜物だろう。癒しの女神に感謝と祈りを捧げる。

 

「おかえりなさい!」

 

 さて、族長の家に帰宅したあなたを玄関で出迎えたのはゆんゆんだったが、笑顔と共にかけられたその言葉にあなたは一瞬だけ足を止めた。

 

 あなたは現在ゆんゆんの実家に滞在している身なので、おかえりなさいと声をかけられるのは決して間違ってはいない。

 帰ってきた宿泊中の客人にいらっしゃいと言うのも何かおかしい気がする。

 しかしここはあなたの家でも宿屋でもないので、おかえりなさいと言われる事にどうにも違和感を感じてしまったのだ。

 例えゆんゆん本人に自分の家だと思ってくつろいでくださいね、と言われていたとしてもそれは変わらない。

 

「お茶飲みますか? お菓子もありますよ?」

 

 あなたが戻ってくるまでリビングで荷物の整理をしていた様子のゆんゆんはそんなあなたの微妙な心境に気付いていないようで、甲斐甲斐しくあなたの世話を焼こうとしてくる。

 よほど友達が自宅に泊まっているというシチュエーションに胸を弾ませているのだろうと察し、あなたは複雑な感情を抱いた。

 族長夫妻もあの子がお泊りするような友達を連れてくるなんて……と感涙していたくらいだ。なおめぐみんもお泊りはした事が無かったらしい。自宅がすぐ近くにあるので当たり前だろうが。

 

 さておき、あなたはくつろぐ前にゆんゆんに話しておくべき事があった。

 

「はい、なんですか?」

 

 きょとんとした表情を浮かべる彼女に自身がつい先ほど入手した情報を告げると、ゆんゆんは案の定目を見開いて驚きの声を上げた。

 

「え、めぐみん達がこっちに来てるんですか!?」

 

 軽はずみな悪戯のせいで尋常ではなく熱っぽい視線を送ってくるようになった破戒僧ゼスタを何とかあしらいつつ街の様子がおかしい理由を聞いてみると、あなたは女神アクアとその一行がアルカンレティアに再びやってきた事を知らされた。

 恐らくウィズに飛ばしてもらったのだろう。ドリスからのテレポートセンターから現れた彼らは長居する事無く紅魔族の里に向かって行ってしまったらしいが、その姿はしっかりとアクシズ教徒に確認されている。伝え聞く女神アクア以外のメンバーの風貌からウィズは付いてきていないようだ。

 そして女神アクア達がアルカンレティアにやってきたのは昨日の昼過ぎ。あなた達が馬車で出立して数時間後だ。

 

 にも拘らず未だ紅魔の里に辿り着いていない事を鑑みるに、どうやら彼らは徒歩でアルカンレティアを発ったらしい。アクセル周囲と紅魔の里のモンスターレベルには大きな開きがある。他の冒険者も同行せずに徒歩での行軍というのはかなり危険な行為と言えるだろう。

 

「めぐみんってば、私は行きませんみたいな事言ってたのに……それに幾らカズマさん達と一緒でも爆裂魔法しか使えないんじゃ道中のモンスターの相手とか大変だろうし……怪我とかしてないといいけど……」

 

 ぶつぶつと呟くゆんゆんは居ても立ってもいられないといった様子だ。

 

「わ、私、めぐみんを迎えに行ってきます!」

 

 友達思いの紅魔族の少女はあなたの予想を裏切らない結論を出した。

 言うが早いが自分の部屋に装備を取りに走っていくゆんゆんを見送りながら、あなたもまた自らに宛てがわれた部屋に戻っていく。

 カズマ少年達の行軍速度やアクシデントの発生具合次第だが、アルカンレティアから紅魔の里までは徒歩で二日。テレポートを使えば復路の心配は無く、遅くとも今日の夜には戻ってこられる筈だ。あまり多くの荷物を持っていく必要は無いだろう。

 

「すみません、お父さんとお母さんにはあなたの方から説明をお願いします!」

 

 まさか大人しく一人で行かせると思っていたのだろうか。

 ただでさえ今は魔王軍が攻めてきている状況だ。ゆんゆん一人での単独行動は危険すぎるだろう。

 玄関から聞こえてきたゆんゆんの声にあなたは自分も付いていくと返し、族長夫妻宛に書置きを残しておいてもらうよう頼むのだった。

 

 

 

 

 

 

 里の入り口にテレポートを登録したゆんゆんと共に、あなたは街道沿いの森の中を足早に進んでいく。

 往路は森の入り口で会ったぶっころりーのテレポートで送ってもらったのでこうして森を通るのは初めてで新鮮だ。見た事のない植物があちこちに生えている。

 魔王軍の砦は街道から離れた森の中に建っているという話なので大部隊に遭遇する可能性は低そうだが、それでも油断は禁物である。

 

「もう、めぐみんったら。来るなら私達と一緒に来ればよかったのに……」

 

 ぶつぶつと呟きながら、しかしどこか嬉しそうなゆんゆん。

 友人が同族の危機を放っておかなかった事が喜ばしいのだろう。実際の紅魔族はめぐみんの言っていた通り、楽勝ムード全開だったわけだが。

 

「……私、めぐみんは爆裂魔法使いになったから里帰りしたくないんじゃないかなってちょっとだけ思ってたんです」

 

 苦笑いしながらゆんゆんはそう言った。

 爆裂魔法と里帰りに何の関連性があるのだろう。

 

「爆裂魔法は紅魔族でもネタ扱いするような魔法なんです。確かに威力こそ凄まじいですが、紅魔族随一の天才って呼ばれてためぐみんがそれしか使えない魔法使いになっただなんて皆に知られたらと思うと……」

 

 つまり友人が馬鹿にされる、あるいは失望される様を見たくない、という事だろうか。

 からかい混じりのあなたの言葉にゆんゆんは慌てて首を横に振った。

 

「そ、そんなんじゃなくてですね! 私はただ、めぐみんのライバルとして――――」

 

 

 ――爆音。

 

 突如、本当に何の前触れも無く。

 ゆんゆんの言葉を掻き消すように街道から離れた森の上空で爆発という名の大輪の花が咲いた。

 

 

「……なっ、ええっ!?」

 

 爆発が起きた場所からあなた達がいる場所までかなりの距離があるにもかかわらず、空気を切り裂く轟音と共に空気がビリビリと震え、木々という木々から鳥が飛び立っていく。

 明らかに尋常ではないが、駆け出し冒険者の街に住まう者にとっては最早日常茶飯事と化したその光景。

 何が起きたのかは考えるまでも無い。アクセルが誇る頭のおかしい爆裂娘がこの世界における最大最強の魔法を行使したのだ。

 

「めぐみん!?」

 

 友人の危機にゆんゆんが顔を青くして全速力で走り出し、あなたも彼女の後を追う。

 一日一発の爆裂魔法を使ったという事は、爆裂魔法を使う必要のある相手に遭遇したという事だ。

 しかもあれだけ目立つ魔法を行使した以上、新手のモンスターを引き寄せるのは必然。

 ネタ魔法の名に偽り無しと言わざるを得ない。

 

「いやああああああああああああああああ!!」

「……!?」

 

 爆発が起きた方角から微かに聞こえてきた絹を裂くような悲鳴に、あなたは嫌な予感がした。

 そう、とても嫌な予感が。

 

 

 

 

 

 

「アクアー! アクアー! めぐみん、ダクネース! 助けて! 助けてえええええええええっ!!」

 

 あなた達が悲鳴の方に駆けつける最中、直線距離にして二百メートルほど先、平原と里の中間ほどの地点に存在する森の開けた場所で、今まさに目を覆わんばかりの惨劇が始まろうとしているのが見えた。

 

「止めろー! 止めろおおおおおお!!!」

 

 広場の中央ではカズマ少年が襲われそうになっている。もちろん性的な意味で。

 慣れ親しんだ死線から遠ざかってもうすぐ一年が経つが、あなたの勘は鈍っていなかったようだ。全く嬉しくない。

 それにしてもあるえといいゼスタといい、今日は()()()()()()()()()()()()に縁のある日なのだろうか。

 

「くっ……カズマ、大丈夫か!?」

「お前の目にはこれのどこが大丈夫に見えるの!?」

 

 駆けながら周囲を確認してみれば、カズマ少年の仲間である女神アクア達はあなたから見て左前方にいる事が確認できた。

 先ほど爆裂魔法を撃っためぐみんは杖を支えに辛うじて立っているだけのグロッキー状態。

 彼女を守るように背中合わせに立つダクネスと女神アクアもオーク達に完全に包囲されている。

 端的に言って彼らは大ピンチに陥っていた。

 

「か、カズマさーん! こっちもやばいから何とかそっちはそっちで頑張ってー!」

「無茶言うなよちくしょおおおおおおぉ!!」

 

 必死の形相で泣き喚くカズマ少年を組み敷いているのは、鮮やかな明るい緑色の長髪を生やし、髪から小指ほどの小さな二つの角を生やしたオークだ。

 何の遺伝子を取り込んだのか角からは電気が迸っており、明らかに雷属性を持ったオークだと分かる。

 身に着けているのは虎柄のビキニ、と言っていいのだろうか。水着にも下着にも見えるそれは上下とも無駄に露出度が高い。

 

「なんでこんな所にオークが!? それもあんなに沢山!?」

 

 草原を縄張りにしているオークが里の近くの森にまで出没している事実に驚愕を隠せない様子のゆんゆんだが、あなたにはその理由に心当たりがありすぎた。

 

「魔王軍の策……だったら真っ先に魔王軍が襲われて壊滅するわよね。それに昨日はこんな事無かったのに、どうして今日になって突然……昨日?」

 

 ゆんゆんもまたあなたと同じ回答に至ったようで、ハッとあなたに振り返る。

 

「も、もしかして……」

 

 そう、オーク達は昨日遭遇したあなたを追ってきた可能性が非常に高い。

 そしてカズマ少年達は運悪くあなたを探すオーク達と遭遇してしまったのだろう。

 

「でも、昨日は一匹も殺してない筈ですよ? ……こっそり殺してないですよね?」

 

 言われたとおりあなたはオークを殺していないし手出しもしていない。

 しかしそれだけあなたの強さがオークの琴線に触れたのだとしたら。

 

「あー……」

 

 あなたは多くのノースティリスの冒険者達の中でも一際名を知られている、廃人と呼ばれる者達の一角だ。

 その安いプライド、そして友人達の存在や女神の信頼にかけて自分が弱いとは口が裂けても言えない。

 特別な生まれも育ちもしていないあなたの遺伝子が優秀かどうかはさておき、無数の死体と共に積み上げてきた廃人としての強さに関してはそれなり以上の自負がある。

 しかし餓えたケダモノに性的な意味で好かれても全く嬉しくない。

 やはり素直に殺処分しておくべきだった。

 

 そうこうしている内に現場まであと少しになった。

 カズマ少年は相変わらず必死に暴れて抵抗しているが、どうにもならないようだ。

 

「こういうのはもっとお互いの事をよく知ってからやるべきだろ! 俺アンタの名前も知らないし!」

「ウチの名前はラムゥ! さあダーリン! ウチと結婚して子作りするっちゃ!!」

「謝れ! 色んな人に謝れよお前! 今すぐ謝ってくださいお願いします!!」

「お父さんお母さん、こんなふしだらな娘でごめんなさい! でもウチは真実の愛に生きるっちゃ!!」

「違うそうじゃないっていやあああああああああ!! 初めてがこんな鬼娘はいやだあああああああ!! いっそ殺せ! 今すぐ誰か俺を殺してくれええええええ!!」

 

 全身に獣欲を漲らせ、ラムゥと名乗ったオークが暴れるカズマ少年のズボンに手をかけた。

 カズマ少年を組み敷いているアレはオークである。断じて鬼娘ではない。

 繰り返す、アレは鬼娘ではない。オークで、豚だ。

 

「あああ、カズマさんが、カズマさんが大変な事に! こ、ここからだと攻撃魔法は巻き込んじゃう。なら……パラライズッ!」

 

 このままでは救助が間に合わないと悟ったゆんゆんの杖から魔法が迸るが、オークがその手を止める事は無い。

 魔法は確かにオークに当たった筈だが、無効化されている。

 

「嘘っ、効いてない!?」

 

 雷属性のオークなので麻痺は効かないとかきっとそんな感じなのだろう。

 四次元ポケットから岩聖剣を取り出したあなたは真っ青な顔をしたゆんゆんを置き去りに、一足で射程圏内、今まさにおぞましき狂宴が始まろうとしている現場に飛び込んだ。

 

「もう! 暴れるダーリンにはおしおきだっちゃ! 電撃ビリビリ――――」

 

 そしてこれ以上豚が余計な事を喚き散らさないよう、一撃必殺フルスイング。

 大岩は服を半ばまで破かれ半裸と化したカズマ少年の鼻先を通過しながらカズマ少年に跨っているオークに直撃し、グシャリともパァンとも聞こえる、しいて言うなら水が詰まった皮袋が地面に叩きつけられて破裂した時のそれに酷似した快音を鳴らしてオークの上半身を消し飛ばした。

 みねうちなど必要ない。豚は死ね。

 

「…………」

 

 大騒ぎから一転、突然の乱入者の凶行に静寂に包まれる森の広場だったが、あなたは聖剣の使い心地という全く別の事に気を取られていた。

 

 昇る血煙。

 飛び散るハラワタ。

 弾ける脳漿。

 

 これこそまさに暴力。実にあなた好みで大変よろしい武器だ。

 風の女神のアハハ! ミンチミンチィ!! という狂喜の声すら聞こえてきそうである。あなたは風の女神の信者ではないが。

 

 この聖剣はれっきとした刀剣類であり決して鈍器ではないが、鈍器使いは日頃こういう感触を味わっているのだろうか。病み付きになりそうだ。

 あなたは岩聖剣の圧倒的質量と重量がもたらす破滅的な暴力で肉をひき潰す手ごたえに堪らぬ快感を覚えつつ笑みを深め、臓物やら何やらがまろび出ているオークの下半身を蹴倒し、貞操の危機に陥っていたカズマ少年に手を差し出した。

 

「…………」

 

 どうしたのだろう。あなたが声をかけてもカズマ少年はピクリとも反応しない。

 ひらひらと目の前で手を振ってみると、全身を生暖かい返り血と内臓で汚したカズマ少年は白目を剥いて気絶していた。

 きっとオークに襲われてよほどの恐怖を味わっていたのだろう。可哀想に。男娼やエイリアンを孕んだ老婆に襲われるという忌まわしい経験を持つあなたは彼の気持ちがとてもよく分かった。

 

「ブッ、ぶ、ブヒヒー!!」

「来た! オトコ! ちゅよいオトコ!!」

「濡れるッ!!!」

 

 ダクネス達を囲んで牽制していた、あるいは静寂を保っていた豚の仲間達が興奮して喚き始めた。ぷぎーぷぎーと大きく響き渡る豚の大合唱に森がざわめく。

 どいつもこいつもなんと醜い鳴き声なのだろう。耳が腐りそうだ。

 

 盛大に気を滅入らせながらもオーク達の意識が自身に集中している事を悟ったあなたは、気を失ったままのカズマ少年を離脱させるべくゆんゆんに視線とジェスチャーを送った。

 

「は、はいっ!」

 

 里とは逆方向、殺到するオークの集団に正面から一人で突っ込んでいくあなたの意図を正しく理解してくれた彼女は自身の手や体が汚れる事を厭わずカズマ少年を抱え、オークの包囲が解けためぐみん達と合流する。

 

 

 

「無事で良かったなカズマ。あれがオスのオークだったら是非とも私が代わりたいくらいの見事なシチュエーションだったが……おいカズマどうした、大丈夫か? ……カズマ?」

「……し、死んでる……カズマがまた死んでる! まさかこれが噂に聞く腹上死ってやつ!?」

「腹っ!? い、いや待てアクア! 一応息はしている! 気を失ってるだけだ!」

「なーんだ……でもこのままだといつぞやみたいにまたショック死しそうだし、一応ヒールだけかけてっと……あととりあえずクリエイトウォーターで血を落としてあげましょ。血塗れで臭くて汚いし。あーばっちぃばっちぃ」

 

「めぐみん大丈夫!? 怪我は……無いみたいね」

「ゆんゆん、どうしてここに? というか頭のおかしいのが持ってる岩に私は凄く見覚えがあるんですが、あれってもしかしなくても里の鍛冶屋が作った聖剣ですよね? なんで岩ごと使ってるんですかあの頭のおかしいのは」

「詳しい話は後! とりあえずあの人が時間を稼いでくれてる間にテレポートでめぐみん達だけ里に飛ばすわね! ……大丈夫、安心して。私もすぐ後を追うわ」

「ちょっ、待ちなさいゆんゆん! その台詞は何か激しくやばい感じがします! 確か学校で習った“戦闘中に言いたくなるけど絶対に言ってはいけない台詞集”の中にそんな感じのが……!」

 

 

 

 モンスターというものは基本的に同族であれば大なり小なり似通った容姿を持っている。

 しかしあなたの眼前に立ちはだかるオーク達は一匹足りとて同じ容姿をしていない。

 馬の足やら鱗の生えた腕、羊の角など相変わらずオークは一つの種族としては雑多に過ぎる。

 まるで遺伝子のゴミ箱のようなモンスターだ。今までどれだけの種族を襲ってきたというのか。

 

「抱いてっ!」

 

 抱いてほしければ岩でも抱いていろと、行く手を阻むオーク達を次々とミンチに変え、木々を薙ぎ倒し、あなたは文字通りの血路を開いていく。

 

 何匹殺してもあなたを追ってくるオークの勢いは一向に止む気配を見せない。

 あなたはたった一人の為にご苦労な事だと呆れながらも相手を撒かない程度の速度で森を抜け、平原に辿り着いた。

 

 鳴き声に釣られて集結してきたオークの数は最早百を優に超え、千に届きかねない。

 平原を縄張りにする全てのオークが集まっているのではないかと疑いたくなる数だ。

 

 平原に辿り着いても尚逃走を続けながらも新しく手に入れたオモチャを振るい、突出したオークを狩り続けるあなただったが、やがてオーク達の攻勢が止んだ。

 

 足を止めて周囲を見渡してみれば、あなたは無数のオークに完全に包囲されていた。

 三百六十度、どこを見ても性欲に目を血走らせたオーク、オーク、オーク。

 仮に捕まればどんな目にあわされるかなど考えるまでも無い。

 

 ゆんゆんは無事に逃げ切れただろうか。

 そんな事を思いながらあなたは聖剣を地面に下ろした。

 

 振るい続けていた聖剣はいつの間にかベットリと赤黒い血で染まっており、聖剣というよりは血塗られた魔剣の様相を呈している。

 更に巨大な岩のところどころにオークの臓物と思わしき何かや肉片が張り付いており、無骨な血みどろの岩の塊に彩を添えていた。

 

 見ているだけでモツ鍋やソーセージ、ミートボールが食べたくなってくる。この際ハンバーグでもいい。

 なんとかこのオークの肉で作れないだろうか。

 しかしこのオーク達は見るからに豚ではなく異形なので駄目だとあなたはすぐに思いとどまった。何かメシェーラ以上によくないものに汚染されそうだ。豚料理は家に帰ったらウィズに作ってもらおう。

 

 剣を下ろしたあなたを遂に観念したと勘違いしたのか、全方位から一斉に襲い掛かってくる豚の群れ。

 それを冷めた目で見つめながら、あなたは愛剣を取り出した。

 

 森を抜けてだいぶ距離を稼いだ。周囲に人里は無い。

 物理だけでオークを皆殺しにするのも悪くないが、あなたは今のような状況におあつらえ向きの魔法を持っている。この世界では危険すぎるので普段は使っていないが、ここならば使っても構わないだろう。

 口元を笑みの形に歪めながら、あなたは一つの魔法を行使する。

 

 

 

 ――――星を落とす魔法(メテオ)

 

 

 

 殺到する豚の群れに、数多の星が降り注いだ。




《メテオ》
 星を落とす火炎属性の魔法。
 効果範囲はマップ全域。
 いわゆるロマン枠。
 レベル上げが死ぬほど辛い。


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第75話 今計算してみたが、アク○ズはお前に落ちる!

 紅魔の里の近隣に広がる緑の平原はあなたの手によってメテオの炎に包まれた。

 虚空より現出した無数の星々によってオーク達は残らず駆逐され、一面に草花が生い茂っていたそこは一瞬で灼熱が支配する地獄と化した。破壊し尽された環境は最早数十秒前の面影すら残っていない。

 

 まあ、それ自体は別にいい。

 あなたとてそれくらいは分かって星落としの魔法を使ったのだから。

 

 だが大変な事になった。

 自分でやっておいてなんだが、本当に大変な事になった。

 これはちょっとめぐみんとゆんゆんに滅茶苦茶怒られるのではないだろうか。何とか許してもらえないだろうか。無理な予感しかしない。

 

 どこからともなく漂ってくる豚肉が焼けるいい匂いを嗅ぎながら、あなたはさっきより少しだけ()()()()()青空を見上げた。

 

 紅魔の里や森から離れた巻き添えが出ないであろう場所で使うなど、あなたとしても多少は周囲の環境や流れ弾に気を配ったが、それでもノースティリスにいた時と同じく極めて軽い気持ちとノリでメテオを使ったのは否定できない事実だ。

 メテオが自身の持つ攻撃手段の中で最も広域に破壊をもたらす魔法という事も熟知している。

 炎に耐性を持っているオークも葬れるように、魔法の威力を引き上げる愛剣を使った。

 

 だからといって、流石にこれは予想外である。

 盛大にやらかした感が否めない。

 

 メテオによって作られた、アクセル全域すら優に飲み込む巨大なクレーターの中心であなたは途方に暮れる。

 先ほどまでは確かに見えていたはずの緑色の地平線も、クレーターという名の広く深い穴の底にいる今のあなたの目には届かない。煙をあげる焼け焦げた土の向こう側には青空だけが広がっている。

 

 ノースティリスでメテオを使った際、ここまで地面を抉った事は一度も無かった。

 あなたはどれだけ威力を上げても効果範囲がちょっと草木が焼き尽くされて地面が平らになる程度の荒野になるくらいで済むと思っていたし、実際にあなたの知っているメテオはそういうものだった。

 だというのに、今はこの有様。

 

 決してメテオの威力そのものが上がったわけではない。

 メテオはあなたの想定通りの威力で想定通りの範囲に降り注いだ。

 唯一の誤算は地上に与えたこの尋常ではないダメージである。

 

 あなたの考え得る限り、メテオが大地にこれほどの傷跡を残してしまった理由はただ一つ。

 メテオを受けるこの世界の大地があなたの想像以上に脆かったのだ。

 

 メテオでこれなら核もまた地面を盛大に吹き飛ばすだろう。

 いざという時に世界を滅ぼすのが楽になったのは非常に喜ばしい。

 インコグニートの魔法で変装し、街中や食料を生産する地帯でメテオと核と終末をぶっ放すだけの簡単なお仕事だ。

 

 しかしこれでは使いにくい魔法が更に使いにくくなったと言わざるを得ない。ダンジョンの中で使おうものならば崩落は必至である。

 検証を兼ねて砂漠か海のど真ん中で適当に試し撃ちをしておくべきだったと考えるも後の祭。

 

 あなたはやっべーマジやっべー。無かった事にならんかな、夢なら覚めろー今すぐ覚めろーとベルディアのように。あるいはちょっとこんな事になるなんて聞いてないんですけど! やり直しを要求したいんですけど! と女神アクアのように抗議を送りたい気分になった。

 さしあたっての抗議先は電波が繋がっている女神エリスが適任だろうか。この星を傷つけた事を滅茶苦茶怒られそうなのでやらないが。

 

 半ば現実逃避しながらあなたが取り出したのは自身の冒険者カード。

 偽造が不可だったりカードを通してスキルが習得可能など間違いなく神々が関わっている冒険者カードには過去に討伐した相手の種族と数が自動で記載される仕組みとなっている。

 

 メテオに巻き込まれた者がいないか念の為に人間の項目を見てみたが、殺害数は増えていなかった。

 あるいは紅魔族は人間とは別の種族扱いになっているのではと思い、悪魔や魔獣といった全てのカテゴリまでくまなく探してみたのだが、そういうわけでもないらしい。

 紅魔族がどの種族扱いになっているかは実際に殺した時に明らかになるだろう。

 

 一方であなたがこの世界に来て初めて殺害したオークの名はしっかり載っている。

 具体的には大本であるオークからツリー式に表示されており、思春期オーク、オーク小姑、オーク未亡人、大奥オークと多種多様なオークの派生種をあなたは殺したようだ。

 それらを合計すると、あなたが今日殺害したオークの数はなんと998。

 

 惜しい。実に惜しい。

 後二匹で大台突入だったのだが。

 

 二匹くらいメテオに耐えて生き残っているオークはいないだろうかと、暫くクレーターの中を散策したあなただったが、生き残りは見つからなかった。実に残念である。

 

 

 

 環境破壊を怒られる事を予想して気まずい思いをしながらテレポートで紅魔族の里の入り口に立っているグリフォン像の前に戻ったあなただったが、すぐに里の様子がおかしくなっている事に気が付いた。

 

 人の気配が無い。

 紅魔族の里はシンと静まり返っている。

 

 ゆんゆんと里を出た時は農作業に従事している者がいたのだが、今は姿を確認できない。よほど慌てていたのか、農具だけが乱雑に地面に散らばっている。

 確かに紅魔の里はのどかな場所だったが、それにしたってこんなに静かではなかった。

 

 耳をすませても戦闘の音が聞こえてこない事から、魔王軍が攻めてきて紅魔族総出で迎撃に向かったというわけでもなさそうだ。

 

 となれば、この異変の原因はやはりメテオだろう。というか他に理由が思い浮かばない。

 こちらから向かうのもありだが、その内きっと誰かが戻ってくるだろうと考えたあなたは近くのベンチに腰掛けて彼らが戻ってくるのを待つ事にした。紅魔族がいないこの状況下で魔王軍が攻めてきた場合は自分が迎撃すればいいだろうと考えて。

 

 

 

 

 

 

 世界の終焉と見紛う光景は平原から離れた紅魔の里でも観測され、平原に降り注ぐ無数の星々によって、当然のように紅魔の里は興奮の坩堝と化した。

 一様に瞳を紅に輝かせる彼らは少し前に森の上空に発生した謎の大爆発と関連付け、天変地異だの、自分達も知らなかった禁断の魔法書が解かれただの、どこぞの邪神が降臨しただの、魔王軍が新兵器を試し撃ちしただのと思い思いに楽しく妄想を繰り広げていた。

 

 ……ただひとり、狂乱したゆんゆんを除いて。

 

 人目を憚らずに大声で泣き喚きながら星降る平原に単身で向かおうとするゆんゆんを取り押さえるには大人の紅魔族十数人が必要になった。

 やっとの事でゆんゆんを止めても彼女はまともに会話ができる状態ではなく、星が降る少し前にゆんゆんと共にテレポートで出現した真っ青な顔をしためぐみん、そして二人が転移する少し前に現れためぐみんの仲間達に話を聞いてみれば、なんと先日より族長の家に滞在している客人が星が降り注ぐあの場にいる可能性が非常に高いというではないか。

 

 独特の風習や価値観を持っているが基本的に善良で人懐っこい性質を持っている紅魔族の面々にとって久方ぶりの客人を見捨てる選択肢など無かったし、何より彼は紅魔族でないにも関わらず自分達の風習に理解を示してくれた極めて稀な人物である。

 

 彼は里に来て間もないが、彼がゆんゆんの恋人であるという事は既に紅魔の里の者達にとっては周知の事実となっていた。

 具体的には族長一家を除いて誰もが知っているくらいには。

 

 そしてゆんゆんの恋人という事は、つまり族長の一人娘の恋人という事である。

 紅魔族の族長が代々世襲制である以上、ゆんゆんは次の族長となる事がほぼ確定しており、客人はそんな彼女の良人となる可能性が非常に高い男性だ。

 戦えない者や魔王軍の襲来に備えて最低限の人員だけを里に残し、危険を承知で紅魔族総出で現地に向かって彼の救助に向かう理由としては十分に過ぎた。

 

 成体のドラゴンすら為す術も無く死に絶えるであろう、無数の星が降り注ぐ絶望の中でただの人間が生きていけるわけがないと、分かっていたとしても。

 

 

 

 ……そして、やはりと言うべきか。

 日暮れまで数百人がかりで探しても彼の死体はおろか、ヒトの形を残したモノすら現場には残っていなかった。めぐみんの仲間であるアークプリーストの女性も彼らに同行していたが、死体が残っていないのでは蘇生魔法どころの話ではない。

 

 残されていたのは平原に刻まれた深い爪痕と、辛うじて消滅を免れていたオークの破片が数個、そして最早原型すら止めていない無数の炭化した何か。

 

 想像を絶する破壊の痕跡に常の紅魔族であれば大興奮だっただろうが、今はそんな空気ではなかった。

 沈痛な雰囲気を撒き散らすゆんゆんを前にして子供のようにはしゃぐ事は出来なかったのだ。

 

「その、ゆんゆん……何て言っていいか……」

「私の……私のせいだ……私があの時一緒にあの人といれば……私が弱かったから……ウィズさんみたいな力があれば……っ!」

 

 一人ごちるゆんゆんはあまりにも痛ましい。

 家族や友人であるめぐみんの声すら届いておらず、赤い瞳に暗い炎を灯し、強く握り締めた拳からは血が滴っている。

 

 今の彼女はあまりにも危うい。ともすればほんの些細な要因で激発してしまうだろうが、このまま放置していては確実に碌な結末には至らないだろう。

 本来であれば慰めの言葉や叱咤の一つでも送って無理矢理にでもゆんゆんを立ち直させるべきなのだと、めぐみんも頭では理解していた。

 彼はテレポート持ちだ。間一髪で逃げ延びて生きている可能性だって無いわけではない。

 言葉にするのは簡単だ。そう分かっていても言えなかった。

 

(元を辿れば、こんな事になったのは窮地に陥った私達を助けたから……爆裂魔法でゆんゆんを呼び寄せた私がどの面下げてゆんゆんを慰めろっていうんですか……)

 

 

 

 お通夜のような空気の中、その長い歴史の中でも類を見ないほどに重苦しい雰囲気と足取りで里に帰ってきた紅魔族達。

 彼らを待っていたのは、ベンチに座る、夕暮れのオレンジに染まった人影。

 

「…………え?」

 

 何よりも爆裂魔法を愛する紅魔族の少女は誰よりも早くそれを見つけ、次いで自身の目を疑った。

 

 それがあまりにも見覚えのある体格だったから。

 見覚えのある背格好だったから。

 自分の想像を超えた光景だったから。

 

 分かっていた筈だった。

 自分達は冒険者だと。自身の安い命をチップに切った張ったを繰り返す明日も知れぬ身だと。

 運よく自分は今まで一度も経験してこなかったが、冒険者というのは昨日まで笑い合っていた相手が今日はいなくなっている事なんて日常茶飯事な職業だと、彼女も知識では理解していた。

 

 それでもめぐみんは、彼に限ってそんな事は起きないと高を括っていた。

 こんな事になった今でも、アクセルのエース、そう呼ばれる人間は、自分がいつか超えるべきだと目標にしていた人間は、たった一人で死地に向かっても平然とした顔で帰ってくる人間だと、心のどこかで信じていたのだ。

 

 そんな保証など無かったというのに。そんな人間がいるわけがないのに。

 まるで親を信じる無邪気な子供のように信じてしまっていた。

 

 顔を見られないように帽子を深く被ってめぐみんが奥歯を強く噛み締めると同時、ゆんゆんが人影に向かって一目散に駆け出していく。

 

「良かった! 無事だったんですね!?」

「ゆんゆん!? ……ゆんゆん、待ちなさい! 見てはいけません!」

「私、わた……し……」

 

 めぐみんの制止も空しく、ゆんゆんは最後まで言葉を紡ぐ事が出来なかった。

 ベンチに座る彼がどんな姿をしているか理解した瞬間、膝から崩れ落ちたからだ。

 

 絶望の闇の中に差し込む一筋の希望。

 しかしその希望が潰えた瞬間、絶望は更に深くなる。

 

「あ、あ……?」

 

 現実を拒絶するように全身と声を震わせる哀れな少女の瞳の先にあるもの。

 それは頭のてっぺんから足の先までを血の池に漬け込んだかのような、全身をおびただしい量のドス黒い血に染め、ピクリとも動かない男の姿だった。

 

「うそ、嘘……いやっ……やだ……」

 

「そ、そうです! アクア! 早く回復……いや、リザレクションを! 今ならまだ間に合うかもしれません!!」

「めぐみん、あの人にヒールは必要ないわ。リザレクションもね」

「やってみないと分からないだろう!?」

「私には分かるわ。あの人はちょっと休んでるだけなの。……だから、ね、ダクネス。少しだけゆっくりさせてあげましょう?」

「…………っ!」

 

 友人とその仲間の声も今は耳に遠い。

 辛うじて戻った光すら完全に失ったゆんゆんの瞳はただひたすらに目の前の現実だけを直視する。

 

 人とはこれほどの血を流す事ができる生き物なのか。

 誰もがそう思わずにはいられない凄惨な有様。

 

 ただ、戦いを終えて血に塗れた男の表情だけは、幸せな夢を見ているかのようにどこまでも穏やかで、安らかなもので――。

 

 

 

「いやあああああああああああああああああああ!!」

 

 

 

 ゆんゆんの慟哭が、夕焼けに染まった紅魔の里に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

「いやあああああああああああああああああああ!!」

 

 日頃の疲れを癒すためにあなたに願いの杖を使わせて合法的にあなたの自宅に遊びに来た……もとい敬虔な筆頭信徒の切なる祈りと願いに応えて降臨した慈悲深き癒しの女神の世話をするという大変幸福で光栄な夢を見ていたあなただったが、突如どこからともなく聞こえてきた悲鳴に叩き起こされた。

 

 折角のいい夢が台無しだと小さく舌打ちして寝起き特有の胡乱げな瞳で周囲を見渡せば、いつの間にか青かった空はオレンジ色になっている。

 

 どれだけ待っても紅魔族はおろか魔王軍すら来ないのでいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 麗らかな春の日差しによる睡魔の誘惑は廃人であるあなたをして抗いがたい甘美なものだ。

 なるほど、ぽわぽわりっちぃがすやすやりっちぃになるのも納得出来ようというものである。直射日光を浴びたまま眠るのだけは切実に止めてほしいところだが。世界の為に。そして自分の為に。

 

 あなたが欠伸をしながらベンチから腰を上げて思いっきり伸びをすると、あなたの身体がバキバキと音を立てた。

 全身から聞こえてくるその音がまるで運動不足の老人が関節を鳴らす様に思え、自分の身体年齢は若い筈だと自嘲する。

 少なくともあなたは数ヶ月前のウィズのようにちょっと戦っただけで筋肉痛になるような身体ではない。そもそもこれはただの乾いた返り血である。

 

 着替えはゆんゆんの家にしか置いていなかったし、彼女の家を血で汚すのも悪いと思った結果、あなたの全身はオークの返り血で汚れたままになっていたのだ。

 鈍器は爽快だが血や肉が無駄に飛び散って身体が汚れやすいのが困り物である。ミンチを量産するのは楽しいのでこれからも隙あらば容赦なく使っていくが。

 

 そんなわけで多少ベンチは汚してしまったがこれくらいは目溢ししてもらいたい。

 平原に穴を開けた件は流石に申し開きできないだろうが、998匹のオークを駆逐した事で少しくらいは相殺できないだろうか。

 

「…………へ?」

 

 立ち上がったあなたを地面にへたりこんで呆然と見上げるゆんゆんの後方には数百人の紅魔族が。

 見れば紅魔族に混じってめぐみん達の姿もある。彼女達は無事にオークから逃げ切れたようだ。

 しかしカズマ少年は今も意識が無いようで、ダクネスに背負われたままになっている。悪い夢を見ているらしく顔色が悪いし魘されているが大丈夫だろうか。

 

 あなたは手を上げて彼らに声をかけてみたが、反応が無い。

 まだアンデッドが発生する時間でもないというのに死人が突然動き出したのを見たかのように固まってしまっている。

 

 ただ一人、あなたに近づいてきた女神アクアを除いて。

 

「おはよ。カズマが色んな意味で過去最大級に危なかったところを助けてもらった事にはお礼を言うし、無事だったのもいいんだけど、何がどうなったらそうなるの? 浄化を司る美の女神な私としてはその汚さはちょっと許容しがたいっていうかドン引きなんですけど。とりあえずピュア・クリエイトウォーターでも使っとく? ずぶ濡れになるけど服と身体は綺麗になるわよ」

 

 女神アクアが口にしたのはウィズの店を洗い流した、あなたにとってある意味では非常に思い出深い魔法だ。

 彼女の提案自体は非常にありがたいものだったが、手加減だけはお願いしたいところである。ここは野外とはいえ鉄砲水に押し流されたくはない。

 

 念を押した甲斐あってか、あなたは頭上から風呂釜をひっくり返した程度の量の水を数秒被り続ける程度の被害で済んだ。

 

 代償として靴の中まで水浸しになってしまったが、返り血で染まったあなたの服はすっかり綺麗になった。流石は水の女神の魔法である。

 都合よく血だけ落ちて服は漂白されないあたり、これさえあれば洗濯も楽になる事請け合いだ。

 

「あ、アクア。回復は必要ないってさっき言わなかったか?」

 

 髪と顔を伝う鬱陶しい水滴を払いつつ服の裾を絞るあなたを見て、ダクネスが困惑している。

 

「言ったわよ? だって無傷でピンピンしてる人にヒールやリザレクションなんて必要ないでしょ?」

「……疲れてるから休ませてあげましょうっていうのは?」

「そのままの意味だけど。気持ちよく寝てるみたいだから起こすのも悪いかなーって思って」

 

 本当に不思議そうに首を傾げる女神アクアの言葉を受け数秒ほど固まっていためぐみんだが、トレードマークの帽子を地面に叩きつけて吼えた。

 

「ま、紛らわしすぎなんですよっ!! アクアのあの言い方だと回復が間に合わないくらい完全に手遅れだって意味にしか聞こえませんでしたからね!?」

 

 あなたに指を突きつけるめぐみんは心なしか涙声である。

 

「わ゛あ゛あ゛! あああああああああああああっ!!」

 

 あなたの胸板に軽い衝撃が走った。

 涙で可愛い顔をぐしゃぐしゃにしたゆんゆんがあなたに抱きついてきたのだ。

 避けてもよかったのだが彼女の表情がやけに真に迫っていたし、あなたが避けた場合ゆんゆんはベンチに激突する事になる。その様を想像すると流石に不憫すぎて避けられなかった。

 おかげで折角女神アクアに綺麗にしてもらった服が早くも汚れてしまったが、それでも血染めよりはマシだろう。

 

「わた、わたし、あなたがわたしのせいで死んじゃったって! よがっだ! よがっだよおおおおおお!! うわあああああああああああん!!」

 

 今の今までベンチでのんきに眠りこけていたあなたは現在の状況がさっぱり分からなかったが、とりあえず自身が死んだと思われていた事だけは理解できた。

 その証拠に紅魔族の間にも安堵と弛緩した空気が漂っている。

 

 事情は分からないが、どうやら随分と心配と迷惑をかけてしまったようだ。

 あなたは自分達を温かい目で見守る紅魔族達に謝罪しつつ、わんわんと泣きじゃくるゆんゆんの頭を優しく撫でた。

 

 仮にあなたがノースティリスの友人達の前で血塗れで眠っていた場合、あなたはイタズラ心を全開にした彼らに花をいっぱいに詰め込んだ棺桶に叩き込まれて安らかに眠れとばかりに棺桶ごと燃やされるだろう。

 勿論あなたも同じ事をする。棺桶に詰められて燃やされた程度では自分達は死なないし、万が一そのまま火葬されてもどうせ復活するからだ。

 

 あなたはそんな世界でずっと生きてきた。

 それを思えばゆんゆんや紅魔族の反応は大袈裟すぎて逆に困惑してしまうほどだ。

 この世界の住人にとって命は重いものだと分かってはいるが、あなた自身の事になると話は別である。

 あなたは既に数え切れない数の死を重ねて己の屍を積み上げている。それ故にたかが一回死んだかもしれない程度でそんなに大騒ぎしなくても、という感情がどうしても先に来てしまうのだ。恐らくベルディアも同じ事を言うだろう。

 

「しかしよく生きてましたね。幾らなんでも今回は流石に駄目かと思いましたよ……生きてますよね?」

「そうだな、あの天変地異の中をよくぞ生き延びる事ができたものだ。あなたはあの時現地にいたのだろう? あそこで何が起きたんだ?」

 

 ダクネスの至極尤もな問いかけに、自身の胸の中で泣き続けるゆんゆんをあやしながらあなたはあの星落としは自分が引き起こしたものだと答えた。馬鹿正直に答えてしまった。

 ついうっかり、めぐみんや数百人もの紅魔族達の前で口を滑らせてしまったのだ。

 あなたはてっきり状況証拠で自分が星落としの犯人だとバレていると思っていた。

 天変地異扱いになっているのであれば知らぬ存ぜぬを貫いておくべきだっただろうかと考えるも後の祭。

 

「…………は?」

「うわ怖っ。なんかめっちゃめぐみん達の目が光ってるんですけど」

「う、うむ。正直私も少し腰が引けている」

 

 どこか暖かみを帯びていためぐみんの声が凍て付き、紅魔族達の間に急速にざわめきが広がっていく。

 夕闇のせいだろうか。あなたの目には彼らの瞳が爛々と燃えているように見える。

 

「ちょっと謝って! ほら、オークをやっつける為に自然破壊した事を早く皆に謝って!!」

「そ、そうだな! 助けられた身でこんな事を言うのは申し訳ないが私も謝罪すべきだと思う!」

「んあ……? ……うわっ! え、なんだこの目ぇ赤っ、怖っ!」

 

 あなたを包囲し、目を輝かせて鼻息荒くジリジリと近づいてくる紅魔族達の姿に怯えたのか、女神アクアとダクネスがあなたの背中を押してその場から離れていく。同時にカズマ少年が無事に目を覚ましたようで何よりだが、今は声をかけている余裕は無い。

 

「私達も知らない魔法を使う……!」

「星を落とす魔法……星落とし……!」

「星落とし! なんて素敵な響き!」

 

 何故か星を落とすという言葉が彼らの琴線に触れたようだ。

 あなたは先ほど駆逐してきたオークの姿を幻視する。

 見た目こそ雲泥の差だが、その熱意と興奮の度合いは同等のように思えた。

 

「平原ぶっ壊した事とウチの娘を泣かせた事は許すからちょっとだけ、ちょっとだけあの魔法を教えてくれないか?」

「使わないから、絶対使わないから!」

「先っぽだけでいいから!」

 

 あれは選ばれた者(イルヴァの冒険者)にしか使えない上、あまりに強い力のせいで味方はおろか自分すら傷つけてしまう大魔法なので他者に教えることはできない。

 

 あなたは迫り来る紅魔族達にキッパリと否を突きつけた。

 困惑から若干大袈裟な物言いになってしまった気もするが、とりあえず嘘は言っていない。

 

「…………」

 

 様子がおかしい。

 更に目をキラキラと輝かせてあなたを見つめてくる紅魔族の面々にあなたはたじろいだ。

 

「選ばれし者にしか使えない……!」

「星を落とす禁断の大魔法使い……!」

「か、カッコイイ! 自分を囮にして仲間の窮地を救う所もカッコイイ!」

「ファンになりました! サインください!」

 

 炎に冷や水を浴びせかけたつもりが、ぶちまけたのは熱した油だった。ちょうどそんな気分である。

 こんなに大勢の人間に裏の無い瞳で見つめられてチヤホヤされた経験など長い冒険者生活の中で一度も無いあなたはひたすらに困惑した。

 何とかゆんゆんが止めてくれないだろうかと見下ろすも、彼女は今も泣きじゃくってあなたにしがみ付いている。とてもではないが話ができる状態ではない。

 

「し、心配して損しました! というかなんですか! あなたがあんなもん使えるとか聞いてないんですけど!!」

 

 紅の包囲の向こう側で沈黙を保っていためぐみんが地団太を踏んでぶち切れた。

 星を落とした事や平原を盛大に荒らした事ではなく、あなたがメテオの魔法を使える事にぶち切れた。そんな事を言われても困る、というのが正直なところである。

 

「大体なんですか皆してあんな大道芸に興奮して! 爆裂魔法を使いにくいからってネタ魔法扱いしてる癖に! あんなの無駄に広範囲をぶっ壊すだけで爆裂魔法以上に使えないじゃないですか!」

 

 めぐみんの発言に異論は無い。むしろ全面的に同意せざるを得ないとあなたは大きく頷く。

 実際に爆裂魔法とメテオを比較した場合、彼女の言うように爆裂魔法に軍配が上がるだろう。

 

 爆裂魔法は無属性の超火力攻撃であり、それはノースティリスの冒険者であれば誰もが欲して止まない素晴らしいものでもある。

 一方でメテオは効果範囲こそ爆裂魔法を圧倒しているのだが、火炎属性である以上どう足掻いてもネタの域を出ない。

 これが火炎以外の属性だった場合は凄まじい猛威を振るっていただろう。それくらいノースティリスにおいて火炎属性は産廃なのだ。そう、この世界の者に爆裂魔法がネタ扱いされているのと同じように。

 

 決して属性として不遇だとか弱いというわけではない。属性攻撃といえば真っ先に炎が思い浮かぶ程度にはメジャーなものだし、耐性を持っていない相手の物資や装備を燃やしてしまうのでむしろ厄介なくらいなのだが、メジャーかつ厄介であるがゆえに真っ先に装備品で対策を取られてしまう。

 炎を扱うモンスターも多く、ノースティリスにおいて炎に耐性をつけていない冒険者などそれこそ駆け出しかモグリか変態くらいである。

 

「神だろうが魔王だろうがぶっ飛ばせる爆裂魔法の方が圧倒的に上なんですけど!!」

「お、おいめぐみん。何があったかは知らないけどちょっと落ち着けって」

「ちょっとカズマは静かにしていてください! これは私のアイデンティティーの問題なんです! 絶対に引けない戦いなんです!!」

 

 顔を真っ赤にして喚き続けるめぐみんに辟易したのか、一人の中年の紅魔族が溜息を吐いた。

 

「めぐみん、いいか? 落ち着いてよく聞け」

「……なんですか」

「それはそれ、これはこれ!」

「…………はぁあああああああああああ!?」

 

 ぶちっ、という音が聞こえた気がした。

 キレた。事ここに至って、めぐみんが本当の意味でキレたのだ。

 魔力が残っていたらこの場で爆裂魔法をぶっ放していた事は想像に難くないレベルのマジギレである。

 

「なんですかなんですかそんなに星落としがいいっていうんですか!!」

「ああ! だってカッコイイじゃないか!」

 

 全ての紅魔族が一斉に頷いて唱和する。

 めぐみんを煽っているのかと疑いたくなる光景だ。

 

「こんっ、の……! 爆裂魔法は落ちてきた星すら一撃で砕いてみせます!! あれが星落としなら爆裂魔法は星砕き!! ええそうです! あんなのに爆裂魔法が負ける筈がありません!!」

 

 諸悪の根源にして星落としの使い手であるあなたが何を言っても無駄だろう。さっきの今で申し訳ないが何とか説得してもらえないかとあなたは静かになったゆんゆんに声をかけた。

 

「…………」

 

 反応が無い。

 今度は身体をゆすってみる。

 

「んぅ……すぅ」

 

 先ほどからやけに静かだと思っていたら、ゆんゆんは泣き疲れて眠っていた。

 やはり紅魔族という事だろう。自由すぎて乾いた笑いしか出ない。

 

「爆裂魔法なら負けないっていってもなあ。口で言うだけなら簡単だろ」

「……なら、見せればいいんですね? 私が星を砕く様を見せればいいわけですね?」

「いや、幾らめぐみんが紅魔族随一の天才でもあれは無茶だろ。それこそ爆発魔法でも厳しい……」

 

 ぶっころりーの言葉を遮るようにめぐみんはマントを翻し、大声で名乗りをあげた。

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の天才と呼ばれ、アークウィザードを生業とし、最強の攻撃魔法、爆裂魔法を操る者!!」

 

 里中に響き渡った衝撃の告白に虚を突かれた紅魔族の隙を突き、爆裂魔法を極めんとする頭のおかしい爆裂娘はあなたに……頭のおかしいエレメンタルナイトに挑戦状を叩きつける。

 

「アクセルのエース! 私と勝負しなさい!! あなたの星落としと私の星砕き、どちらが上か雌雄を決しようではありませんか!!」

「えっ」

「ちょっ」

「待っ」

 

 かつてあなたに勝負を挑んだゆんゆんを彷彿とさせる、いっそやけっぱちですらあるめぐみんの啖呵に慄然するカズマ少年達の顔はオークに囲まれていた時と同等、あるいはそれ以上に青い。

 

「私はやりますよ! ええ、ええ! やってやりますよコンチクショー!! 爆裂魔法を誰よりも愛する私が吠え面かかせてやりますからどいつもこいつも精々その無駄に赤いめんたまかっぽじってよーく見ておくがいい!!」



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第76話 特別ではない、たった一人の友人

 めぐみんの名乗りと宣戦布告に数百人の紅魔族は一同揃って沈黙に包まれた。

 あなたが星落としの犯人だと自白した時とは違い、互いの顔を見合わせる彼らの顔に浮かぶものは興奮よりもむしろ困惑の色が濃い。

 

「……爆裂魔法? あの威力だけが無駄に高いネタ魔法?」

「ひょいざぶろーのところの娘さんが?」

「紅魔族随一の天才が、爆裂魔法使い?」

 

 再度繰り返すが、朝を告げる鶏の鳴き声の代わりに星は降らず、昼食後の運動の為の終末は起きず、核の炎が夜の闇をほうらあかるくなったろうと焼き尽くしたりしない。そんな平和で、しかし命が重いこの世界において無駄に強力すぎる爆裂魔法はネタ扱いされている。

 なのでゆんゆん曰くめぐみんは里の者達に自分が爆裂魔法使いである事を内緒にしていたそうだが、自分から盛大に暴露してしまった。喧嘩っぱやくて沸点の低い彼女はきっと何も考えず、その場のノリと勢いに任せてヤケクソになったに違いない。

 全てはあなたが放ったメテオの威力にめぐみんが対抗意識を燃やしてしまった結果である。

 めぐみんは知力が高いにもかかわらず割と頻繁にそういう後先考えない行動をとる少女だとあなたも知っている。幼少期にめぐみんが見て憧れた爆裂魔法が彼女の人格形成に多大な影響を及ぼしている事は誰の目にも明らかだ。女神ウォルバクにあなたの知る限りのめぐみんの素行の悪さを教えようものなら、今度こそ本当に泣いてしまうかもしれない。

 

「めぐみん、スキルポイントはどうした? 上級魔法と言わず、卒業してから中級魔法を覚えるくらいのスキルポイントは貯まってただろ?」

「……先生ですか。生憎爆裂魔法以外何も覚えていません。私のスキルポイントはその全てを爆裂魔法を強化するものに振っていますから」

 

 そう言ってめぐみんは聴衆に自身の冒険者カードを見せつけた。

 そしてその言葉に違わず、確かにめぐみんはポイントの全てを爆裂魔法の強化に注ぎ込んでいた。ポイントの残高はゼロ。

 つい最近再会する事ができた、幼い頃のめぐみんに道を指し示した恩人にして全ての元凶である怠惰と暴虐の女神にして魔王軍幹部が与えた悪魔の囁きともいえるアドバイスはめぐみんの中で確かに息づいている。

 

 

 ――止めて! お願いだから止めて! 仕方ないじゃない! だって仕方ないじゃない!! あんなキラキラした目で見られた挙句子供の頃からずっと貴女の爆裂魔法に憧れてました、人生の殆どを捧げていますなんて言われたらそれは凄く使いにくい魔法だから今からでも他の魔法覚えたら? なんて血も涙も無い事言えるわけないでしょ!? それともあなたは私にあの子のあの瞳と笑顔を曇らせろって言うの!? そんなの悪魔の所業以外の何物でもないわ!! このバニル!!

 

 

 どこからか誰かの泣き言が聞こえた気がした。あとバニルは悪口ではない。

 

 だが隠し事が無くなっためぐみんの顔はどこかスッキリしているように見える。

 例え同族から微妙な目を向けられていたとしてもそれは変わらない。

 

 あなたもウィズに異邦人である自身の素性を明かした時はスッキリした気分になったので、めぐみんの心情を全く理解できないわけではない。

 できないわけでないが。

 

「うわぁ……」

「なんですかその可哀想な人を見る目は! 里の中でぶっ飛ばしてほしいんですか!? 紅魔族は同族が相手だろうと売られた喧嘩は全力で買いますよ!!」

 

 げきおこぷんぷん丸と化しためぐみんをカズマ少年達が必死に取り押さえる。

 

「めぐみん! 今からでも遅くないわ! 素直にごめんなさいした方がいいと思うの! 幾ら私の蘇生魔法でも星落としでプチってなったりミンチになったり消し炭になったり塵一つ残さず消滅しためぐみんを蘇生はできないんだからね!?」

「俺は見てないけど星落としって名前の響きからしてもう百パーセントヤバイ魔法なのが確定してるじゃねーか! 大体喧嘩売る相手は選べっていっつも言ってるだろこの馬鹿! ほら、俺も一緒に謝ってやるから!」

「なんで私が負ける事前提で話を進めるんですか!? そんなに私の爆裂魔法が信用できませんか!? デストロイヤーに続いて魔王軍幹部を消し飛ばしてきたパーティーのメイン火力をもっと信じてくれてもいいじゃないですか!!」

「勿論私は信じているぞ! だからこそこういう生きるか死ぬかの耐久実験みたいなのは私がやるべきだと思う!! 以前爆裂魔法を食らったから星落としとどっちが気持ちい……痛かったか私が食らって判断するというのはどうだろうか!?」

 

 精力旺盛なオーク達を駆逐するのに核爆弾では威力に不安があったので手っ取り早く、かつ試験的にメテオを使ったが、まさかこんな事になってしまうとは。

 魔道具扱いになりそうな核を使うべきだっただろうか。しかし核は核で凄まじい爆発を引き起こすので、爆裂狂なめぐみんの琴線、あるいは逆鱗に触れそうである。

 どちらにせよ既に賽は投げられた。そして人生にやり直し(セーブ&ロード)など存在しない。

 

 あなたとしては賽ではなく匙を投げたかったが、少なくともめぐみんは本気だ。本気であなたに魔法勝負を挑んでいる。

 伊達だろうが酔狂だろうが、本気でやるというのであればあなたは彼女を迎え撃つだけだ。

 例え今更引っ込みが付かなくなってしまっているのだとしても、妹分が構ってほしがっていると思えば可愛いものである。全力で構い倒さねばなるまい。

 

「ふん、どうやらそちらもやる気満々みたいですね。まあ当然ですが」

「いいなあ……いいなあめぐみん……」

 

 正々堂々と勝負を受けるというあなたの意を受けカズマ少年と女神アクアは絶望したように頭を抱え、めぐみんは満足げに頷いた。指を咥えて物欲しげにこちらを見つめてくるダクネスは無視しておく。

 

「私が皆に内緒にしていた秘密を暴露させておいて自分だけとんずら決めるなんて許しませんよ?」

 

 一人で勝手にヒートアップして一人で勝手に暴露しておいてそれを理由に逃げ道を塞いでくるめぐみんにはお前は何を言ってるんだと言わざるを得ない。流石は頭のおかしい爆裂娘だ。あなたとしては彼女のそういう所も嫌いではないが。

 

「本音を言えば今すぐこの場で決着をつけたいところですが、生憎私は今日の分の爆裂魔法は使ってしまったので魔力が足りません。そちらもオークと戦い、更にあんな魔法を使った後で消耗しているでしょう。勝負は明日以降に預けておきます」

 

 めぐみんはあなたが魔力を回復させて疲労を癒す為に眠っていたと思っている。

 しかしあなたが寝ていたのはあまりにも暇を持て余していたからであって、全く疲労していない。

 そもそもメテオ程度の魔法なら百発連続で撃った所であなたの魔力は枯渇しなかったりする。

 

 便利すぎるこの世界の魔法のように回数を気にせず使えるわけではないが、あまり使わない上に無駄に溜め込んでいるメテオのストックは核と合わせて使いどころさえ見極めればこの国は勿論、あるいは星の文明を石器時代以前に戻す事すら可能かもしれない程度には残っている。

 そんなわけで枯渇しないどころか実際は大盤振る舞いが可能なのだが、これ以上の迂闊で残念な発言は火に油どころではなくなりそうだと悟ったあなたは彼女の提案を受け入れるに留まった。

 

「……ん? いや、ちょっと待って」

 

 そのままなし崩しで解散しそうな空気になりかけた瞬間、紅魔族の中の一人が呟いた。

 

「もしかして、これってもう一回星落としの魔法が見れるって事?」

 

 一斉にハッとした表情になった紅魔族の空気が変わった。

 困惑と呆れの代わりに、紅魔族の間に期待と興奮が広まっていく。

 

「うわっ、また目が光った」

「信号機みたいにピカピカ光ってて……なんかもう、アレだな。アクシズ教徒といい、どいつもこいつも変態ばっかりかよ……」

「か、カズマ? どうして私を見るんだ?」

「ってちょっと待って、アクシズ教徒はロボットみたいに目が光ったりしないんですけど!?」

「そうだな、アクシズ教徒は目が光るくらい可愛いレベルで変態だったな」

 

 必死に自身の信徒がいかにマトモなのかを訴える女神アクアを笑って流すカズマ少年。

 一方で再度あなたのメテオが見れると理解した紅魔族は先ほどから一転してやんややんやとめぐみんを持て囃し始めた。

 

「頑張れ! めぐみん頑張れ!」

「星落としに負けるなー!!」

「汝星砕きを目指さんとする者! 紅魔族の底力を存分に見せ付けるべし!!」

 

 子供騙しですらないあまりにも露骨すぎる手の平返しだが、それでもめぐみんは満更でもなさそうだ。

 

「ま、まあ見ていてください。この紅魔族随一の天才が爆裂魔法で皆の想像以上の物をお見せする事をお約束しましょう! この紅魔族随一の天才が! 爆裂魔法で!!」

 

 応援と喝采を浴びながら薄い胸を張ってドヤ顔で宣言するめぐみんはニヤケ顔を隠せていない。

 紅魔族の反応を見る限り、彼らにとってはあくまでもメテオが見たいだけであって爆裂魔法はオマケのように思えるのだが、あえて言うまい。

 とりあえずめぐみんはベンチに横になって眠るゆんゆんを笑えないくらいにちょろかった。

 それともちょろいのは紅魔族のデフォルトなのだろうか。

 

 

 

「ああもう……俺はどうなっても知らないからな……あれ? そういえばめぐみんの奴いつ爆裂魔法使ったんだ?」

「え、何言ってんのカズマ。逃げる途中で使ってたじゃない」

「逃げるって何からだよ。魔王軍か? そもそも何で俺ダクネスに背負われてたんだ? 森に入った所までは覚えてるんだけど、気付いたら紅魔族の村に着いてるみたいだし、挙句の果てにこんな事になってるし」

「か、カズマ。お前まさか……」

「シッ、ダクネス。それ以上は駄目よ」

「そうだな……世の中には覚えていない方が幸せに生きていける事があるからな。私が男だったらカズマと代わりたいくらいだったが」

「……俺と代わりたい? ……えっ?」

「大丈夫。大丈夫よカズマ。アンタは木の根っこに躓いて頭を強く打っちゃっただけだから」

「ああ、それ以上の事は何も無かった。何も無かったんだ。それでいいな?」

「これっぽっちもよくねーよ! なんでお前らそんな見た事ないくらい優しい目で俺を見るの!? 逆に滅茶苦茶こえーよ! つーかよく見たら服まで変わってるし! 森で俺に何があったの!?」

 

 

 

 

 

 

 肉体的にはともかく、精神的に若干の疲労をあなたに与えたメテオ騒ぎからようやく解放されたあなたはゆんゆんと共に族長の家に戻ってきた。

 カズマ少年達はめぐみんの実家に行き、族長達は緊急で話し合いを行うそうで、現在族長の家の中にはあなたとゆんゆんの二人きりだ。

 

 意識のない年頃の娘と男の客人が一つ屋根の下で二人きりなのだが、ゆんゆんの両親は特に何かを言ってきたりはしなかった。むしろめぐみんがゆんゆんに何かしたらウィズにチクりますよ、と釘を刺してきたくらいだ。

 勿論あなたがあるえの書いた小説のように弟子に手を出す事など世界が滅んでもあり得ないので、彼女の懸念は杞憂以外の何物でも無い。

 

 さておき、ゆんゆんを自室のベッドに寝かせ、女神アクアの洗濯でびしょ濡れになった服を着替えた後は久々に抜いた愛剣を始めとする装備品の手入れを行っていたあなただったが、やがて日が完全に沈み夜になった頃、ドタバタと慌しい物音が聞こえてきた。

 

「お父さんお母さん! あの人は!? あの人はどこ!?」

 

 ゆんゆんが目を覚ましたらしい。

 今にも泣き出しそうな切羽詰った少女の大声が明かりの消えた家の中に空しく響く。族長夫妻はまだ帰宅していないのだ。

 あなたが腰を上げて居間に向かおうとした瞬間、客室の扉を乱暴に開け放ち、真っ青な顔のゆんゆんが飛び込んできた。

 

「…………っ!!」

 

 怪我一つ無いあなたの姿を視認した瞬間、心配性の紅魔族の少女は大きく目を見開いて息を飲む。

 そして苦笑いと共に何の気なしに発したおはようという極めて時間がズレている挨拶を受け、へなへなと腰を抜かしてしまった。

 

「い、生きてる……良かった……本当に良かった……よかったよぉ……!」

 

 あなたに心底からの安堵の笑みを浮かべる彼女の目尻には大粒の涙が。

 可愛いといえば可愛いのだが、ゆんゆんは昨日から少し泣きすぎではないだろうか。

 

 無論彼女があなたを心配してくれているというのはあなたにも分かっているが、生きているという事をこんなにも喜ばれた経験の無いあなたは気まずさで反応に困るばかりだ。あなた以外のノースティリスの冒険者や死亡回数が早くも三桁に届いたベルディアも同意してくれるだろう。

 決して不愉快というわけではないのだが、やはり互いを高く遠く隔てる死生観のギャップを埋める事は難しい。

 

「ひぐっ、ぐすっ、ふぐぅっ……」

 

 涙を拭うゆんゆんの背中を摩って慰めながら、あなたはふと愛剣の力を借りてみようかと思い至った。

 この世界で死んだ場合どうなるか不明なので死ぬ事はできないが、愛剣に頼んで百回ほどギリギリ死なない程度に血の海に沈む自分の姿を見れば、心配性で友人思いのゆんゆんといえど流石に少しは慣れてくれるのではないだろうかと考えたのだ。実に名案な気がする。

 

 朝の挨拶をしたら全身から流血。

 食事中に腕が爆散。

 運動中に足がもげる。

 散歩中に内臓が内側から破裂。

 遊んでいる最中にミンチ一歩手前。

 

 その他各種行動中に何の前触れも無く唐突に瀕死の重傷を負う自分。

 

 本人(あなた)からしてみれば想像しただけで笑えてくるシュールな光景だが、友人が瀕死になるというシチュエーションに慣れる前にゆんゆんの精神がガンバリマスロボを通り越して完全に崩壊しそうな予感しかしないので止めておく事にした。

 無駄に怪我をするとウィズに心配をかけてしまいそうだし、中々に難しいものだ。

 ゆんゆんといいウィズといい、ノースティリスに連れて行くことができれば一発で全ての問題は解決するだろう。それはそれで新たな問題を生み出しそうだが。

 

 

 

 

 

 

 虫と微かな獣の声だけが聞こえてくる、まるで魔王軍が近くに来ているとは思えないほどに静かで穏やかな夜の中、あなたは里の入り口に配置されている、数時間前に自身が眠りこけていたベンチの前に立っている。

 それなりに長い時間をかけて落ち着きを取り戻したゆんゆんは、何を思ったのかあなたを外に連れ出したのだ。

 

「…………」

 

 月の光に照らされるベンチに残った赤黒い血痕を撫でるゆんゆんの表情と内心は彼女の背後に立つあなたには窺い知る事はできない。

 

「私の夢は、お父さんの跡を継いで、皆に認めてもらえる立派な紅魔族の族長になる事でした……いえ、これは今も変わっていません」

 

 おもむろにゆんゆんは口を開く。

 

「でも今日、私にもう一つやりたい事ができました」

 

 それは彼女が彼女自身に向けた宣誓であり、同時にあなたに向けた懇願でもあった。

 

「……私、強くなります。どれくらい時間がかかるか分からないけど、いつかきっと、あなたやウィズさんの隣に立てるくらい強くなります。背中を守れるくらいに強くなってみせます」

 

 あなたに向けていた背を翻し、当代随一のアークウィザードの愛弟子にして紅魔族族長の一人娘の強い意志を秘めたルビナスにも似た鮮やかな赤い瞳があなたを射抜く。

 

「だから。だから、その時は……私を、ウィズさんみたいな……あなたの『友達(特別)』にしてくれますか?」

 

 

 

 さて、ゆんゆんはあなたにとって何者なのか。

 

 今更言うまでも無く、彼女はあなたの友人である。

 『友人(特別)』ではない、しかし唯一無二の友人だ。

 友人であると同時に師弟であり、保護者のようなものでもある。

 

 なので、硬く両手を握り締め、真っ直ぐと真摯な瞳で見つめてくる彼女にあなたは天を仰ぎ、率直に答えた。

 今この瞬間だけはノースティリスの冒険者としての自分の一切を排し、彼女の友人、師、保護者として。

 

 悪い事は言わないから止めておいた方がいい、と。

 

 

 

 ゆんゆんには才能がある。

 紅魔族随一の天才と謳われるめぐみん(ライバル)にこそ届かずとも、それでも努力を続ければあるいはあなた達にすら届きかねないほどの天稟の才だ。

 

 ……いや、実のところ、強くなる為に才能など必要ない。

 かつてのあなたと同じように、どんな事があってもただひたすらに努力するだけでいいのだから。

 必要な物は強くなりたいという意思だけだ。あるいはそれすらも必要ないかもしれない。例え惰性でも、努力を続ける事ができればいつかは至るだろう。

 

 ベルディアのように力を求めてあなたの仲間になりたいというのであれば、あなたは特別ではない、しかし唯一の友人を失う事を寂しく思いつつもそれを受け入れていただろう。

 しかし彼女はウィズのような、あなたにとっての『友人(特別)』になりたいが為に強くなりたいと言う。

 

 優秀な種族である紅魔族とはいえ、定命のままそれを望むというのであれば、それは極めて長く険しい道のりになるだろう。

 ゆんゆんは今日のような、あるいはそれ以上に辛い思いを何度もする事になるだろう。

 今この瞬間は絶対だった筈の決意が磨耗し、折れて朽ち果てるほどの艱難辛苦に襲われるだろう。

 

 命が軽いイルヴァの民、その中でも一等命に価値が無いと称されるノースティリスの冒険者達が廃人(壊れている)と呼ぶほどにその名が持つ意味は重い。

 

 決して後悔はしていない。

 

 だが至り、成り果てて久しいあなたもまたあまりにも多くのものを失ってきた。

 力を得る代償として()()()()()()を失った。

 手の平から零れ落ちたそれはきっと失くしてはいけなかったもので。

 

 幾ら師弟とはいえ、ゆんゆんまで自分のように逸脱してしまう必要などどこにも無いのだ。

 きっとウィズもあなたと同じ事を言うだろう。

 

 そしてあなたはノースティリスの冒険者だ。今更それ以外の何かになろうとは思わないし思えない。

 故に、この先二度とあなたがこんな事を言う機会は訪れないだろう。

 そんな確信を抱きながら話を終え、異邦人と紅魔族の師弟(あなたとゆんゆん)の視線が交錯する。

 

「…………」

 

 果たして、あなたはゆんゆんの瞳を見て一瞬で匙を投げた。

 今の彼女に口で何を言っても無駄だ。そういう目をしている。

 

 そう、あなたは忘れてしまっていたが、ゆんゆんは紅魔族の里でたった一人、誰かの影響を受けたわけでもなく今の自身を築き上げてきた想像を絶する精神力を持つ少女だ。

 この程度の制止の言葉でどうにかなるなら、彼女はとっくの昔に普通の紅魔族になっていただろう。

 

 できる限りの忠告はした。

 それでも尚、力を求めるというのであれば。自分達に並びたいというのであれば。

 あなたに彼女を止める権利などありはしない。

 

 若さ、あるいは無謀とも言えるゆんゆんの熱意もまたかつてのあなたが持っていたものだ。

 自覚すると共に苦笑いを浮かべ、あなたは溜息交じりに言葉短く返した。

 その時を楽しみに待っている、と。

 

 

「……はいっ!!」

 

 

 ゆんゆんがウィズのような『友人(特別)』になった時はなった時だ。

 彼女の事を思って止めこそしたが、命のやり取りができる相手、自分を終わらせる(埋める)事ができる相手が増えるのはノースティリスの冒険者としてのあなたとしては非常に喜ばしい事である。

 

 なので、ゆんゆんにはどうか最期まで諦めずに研鑽を積んでほしい。

 是非とも鍛錬の果てに高みに至った力で自分達と存分に遊んで(殺し合って)ほしいものだ。

 あなたは心の底からそう思った。

 

 

 

 

 

 

「……おかえりなさい」

 

 あるえ辺りが知れば大興奮しそうな会話を終えて族長の家に戻ってきたあなたとゆんゆんだが、なんとつい数時間前に啖呵を切ってあなたに勝負を申し込んできためぐみんが家の前で待ち構えていた。しかもパジャマ姿である。

 あなたを見て会いたくない人間に会ったとばかりに忌々しげに表情を歪めるめぐみんだが、あなたはゆんゆんの実家に宿泊している身なのでここに来れば会うのは当たり前だ。

 

「しゅ、宿泊!? 私はてっきり普通に宿屋に泊まっているものだとばかり……」

 

 ゆんゆんを送る際に言わなかっただろうか。

 

「聞いてません。送るだけだと思ってました。というかこんな時間まで二人きりにさせるとか族長といいおばさんといい正気ですか。いやまあ、確かにカズマと二人きりにするよりは百倍は安全でしょうけど……」

「そ、そこまで言わなくても……。それにこんな時間に出かけてたのだって私が誘ったからだし……」

 

 ちなみに現在時刻は深夜に差し掛かろうかという頃合だ。族長達はまだ帰ってきていないようで、家の中は今も暗い。玄関には鍵をかけて出てきたので勝手に中に入る事もできなかったのだろう。

 常であれば友人の来訪に喜んでいたであろうゆんゆんも、この時間に一人で訪ねてきためぐみんに困惑の色を隠せていない。

 

「……こんな夜更けにどんな話をしていたかは知りませんが、調子は戻ったみたいですね。一時はどうなる事かと思っていましたが」

「え、あ、うん。……もしかして、私のこと心配してくれたの?」

「別にそういうわけではありません。ライバルにみっともない姿を晒されていると私まで調子が出ないだけです。勘違いしないでください」

 

 めぐみんはぷい、と顔を背けながらツンデレのテンプレのような台詞を吐いた。

 まるでキョウヤに対するベルディアのようだ。最近は会っていないが、あれはキョウヤをボコボコにしつつ口は悪くとも真面目に彼を鍛えていた。

 キョウヤの仲間の少女達からゲイのサディストではないかと疑惑を抱かれている可哀想な元魔王軍幹部のデュラハンの事はさておき、めぐみんはこんな夜更けにどうしたのだろう。

 他所ならいざ知らず、ここは彼女の地元だ。自分の実家があるというのにわざわざこうしてゆんゆんの家に来た理由が分からない。しかも仲間も連れず、たった一人で。

 

「カスマ、もといカズマに寝込みを襲われかけたので逃げ出してきました。恥を忍んで頼みますが、朝になったら帰るのでちょっと泊めてください」

「襲われっ……うぇえええええっ!?」

 

 何事かと思えば、仰天の理由だった。とてつもなく仰天の理由だった。

 確かにカズマ少年は自身の欲望に忠実な健全な青少年だが、まさか仲間の寝込みを襲うような人間だったとは。

 オークに襲われた事で何かが吹っ切れてしまったのだろうか。

 サキュバスの風俗店にお世話になろうともそれは所詮夢だ。せめて童貞くらいは可愛い相手で失いたいと。なるほど、そういう事であれば気持ちは分かる。とてもとても良く分かる。

 過去を想起して一人納得するあなただったが、めぐみんの友人にして多感な年頃の少女であるゆんゆんは当然激怒した。

 

「さ、最低っ! 信じられない! カズマさん、あなためぐみんに何をやってるんですか!? ……ってちょっと待って、襲われかけたって、もしかしなくてもめぐみんの実家での話だよね!?」

「いえ、その、私の母がカズマをけしかけたらしく……」

「家族公認!?」

 

 ゆいゆいさん……恐ろしい人! と白目を剥いてショックを受けるゆんゆんの一方、赤い顔でそっぽを向くめぐみんはとても気まずそうだ。

 あれだけの事を言っておきながら、仲間に性的に襲われかけてライバルの実家にして決闘相手が宿泊している家に逃げ込み、その玄関の前で膝を抱える頭のおかしい爆裂娘の何とも言えない哀れな姿に流石のあなたもかける言葉が見つからない。

 思わず半笑いで生暖かい眼差しをプレゼントしてしまったくらいである。

 

「く、屈辱です……! この屈辱は後日の決闘で必ずや……くしゅん!」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょ! ああもう、まだ肌寒いのに薄着で玄関の前で座るからこんなに身体冷やして! このままだと風邪引くわよ、早く中に入って入って!」

 

 口ではあれこれ言いつつ、めぐみんの世話を焼くゆんゆんはとても生き生きとしている。

 分かってはいたが、ゆんゆんは本当にめぐみんが大好きなのだ。

 

「ちょっ、腕を引っ張らないでください! 頭のおかしいのが滅茶苦茶微笑ましいものを見る目で私達の事見てますから! お願いですから誤解しないでくださいよ? 私がここに来たのはあくまでも一番家が近かったからであって、決してゆんゆんの他に頼れる相手がいなかったとか、闇堕ちしかけてたゆんゆんが心配だったとかではなくてですね……!」

 

 レベル差で抵抗する事も叶わず、無理矢理引き摺られながらも必死に弁解するめぐみんの後を追うあなたはふと思った。

 この先ゆんゆんがどんな道を選ぶにせよ、めぐみんという竹馬の友がいる限り、ゆんゆんが道を踏み外すことは無いだろう。

 

 ……あとついでに、自分は何かとても大切な事を忘れていないだろうか、とも。

 

 

 

 その三分後、あなたの懸念はいともあっさりと解消した。

 他ならぬ、めぐみんから自分の友人達(あなたとめぐみん)によるメテオ(星落とし)爆裂魔法(星砕き)の勝負の件を聞かされたゆんゆんの怒号によって。

 

「馬鹿っ! 前から思ってたけどやっぱりめぐみんって馬鹿と天才は紙一重の馬鹿の方でしょ! なんでアレを見て喧嘩を売ろうなんて思えるの!? 紅魔族随一の火力馬鹿! めぐみんの爆裂馬鹿!!」

「馬鹿馬鹿言わないでくださいこの馬鹿! ゲロ甘チョロQの豆腐メンタル! なんですか久々にやりますか!? いいですよ、星砕きの前哨戦といこうじゃないですか!!」

 

 この先ゆんゆんがどんな道を選ぶにせよ、めぐみんという竹馬の友がいる限り、ゆんゆんが道を踏み外すことは無いだろう。

 

 踏み外さないはずだ。

 多分、きっと。

 踏み外しませんように。

 

 あなたは割となげやりな気分で自身が信仰する女神に祈りを捧げるのだった。

 

 

 

 ちなみに二人の本日の勝負はトランプタワー作成。

 高いステータスにものを言わせて先行し、後一歩のところまでいったゆんゆんだが、完成するタイミングでめぐみんがこっそり息を吹きかけるという神をも恐れぬ外道行為に手を染めた為にゆんゆんは今回も敗北した。

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝。

 朝食前に帰宅しためぐみんを見送った後、深夜三時に帰ってきた族長夫妻が一枚の紙を差し出してきた。

 

「あの後里の皆で話し合ってみたんだけど、最終的に君の通り名はこの三つに決まったよ」

 

 

 ――墜星(ついせい)の魔導剣士。

 

 ――血塗られし禁呪の伝承者。

 

 ――星天を操りし者。

 

 

 以上が紅魔族がノリノリで命名してきたあなたの通り名だ。

 日付が変わっても帰ってこないから何を真剣に話し合っていたのかと思えばまさかのこれである。

 こんなものを見せてきて自分にどうしろというのか。まさか自称しろとでも。通り名が決まったと言われても困るし名乗る気も無い。

 彼らのセンスや価値観を否定はしないが肯定もしないあなたにゆんゆんの両親は大仕事を終えたとばかりに清清しい笑みを向ける。

 

「私のオススメは墜星の魔導剣士かな。いや、実はこれは私が考えたものなんだがね? 我ながら中々のものだと自負しているよ。星落としや落星じゃなくて墜星というのがポイントで……」

「あ、それとこんなチラシも作ったの。もう里中に張られてると思うから」

 

 

 ――紅魔族随一の天才vs墜星の魔導剣士!

 

 ――○月×日、二十の刻より両雄相対す!

 

 

 ゴン、ゴン、と。鈍い音が隣から断続的に聞こえてきた。

 大体何が起きているかは察していたが、一応見てみれば、やはりゆんゆんがテーブルに頭を打ちつけている。

 

「は、恥ずかしい……! 私、自分が紅魔族である事が恥ずかしくなってきた……!」

 

 チラシには無駄に上手いあなたとめぐみんの肖像画が描かれていた。

 絵の中のあなたは鍛冶屋から手に入れた聖剣、ただし岩が付いていないそれを両手で天高く掲げながら巨大な灼熱の星を落とし、それをめぐみんが迎え撃っている。

 さながら壁画に描かれた神話の再現の如き神々しさだ。この出来ならば普通に売れるのではないだろうか。才能の無駄遣い過ぎる。

 

 そしてなるほど、どうやら勝負は三日後の夜に決まったらしい。

 勿論あなたは対戦日も対戦時刻も初耳である。めぐみんも昨日何も言ってなかったので知らない筈だ。当事者が完全に置いてけぼりの状態で話が進みすぎていて困る。

 ニコニコと笑う族長夫妻から悪意は感じられないので、彼らは純粋に善意でやっているのだろう。魔王軍は放っておいていいのだろうか。きっといいのだろう。

 

「いやあ、実に楽しみだなあ。星落とし対星砕き。あ、対戦会場はどこにします? ここはドーンと派手に魔王城前とかどうです?」

「最近はイベントも無くて皆退屈してましたからね。折角攻めてきた魔王軍も張り合いがなくて暇な人くらいしか参戦しないくらいですし」

「止めて、お願いだから止めて……! ごめんなさい、なんかもう私の両親が本当にごめんなさい……あああああ、恥ずかしいよぉ……大体何、墜星の魔導剣士って……!?」

 

 嬉々として語る族長夫妻に対し、真っ赤な顔で羞恥にぷるぷる震えるゆんゆん。

 確かに通り名は紅魔族のセンスが随所に光っているものの、それでも頭のおかしいエレメンタルナイトよりは遥かにマシなので文句を言う気は無い。名乗る気も無いが。

 

 とりあえず対戦会場はメテオのせいで吹き飛んだ、昨日までは平原だった場所を推薦しておいた。

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんの母親が言っていたとおり、昨日の今日で早くも里の各所にあなたとめぐみんの対決を喧伝するチラシが張られていた。

 更に里のあちこちで楽しそうに煌びやかな飾り付けを行う紅魔族の姿が。

 彼らは魔王軍が攻めてきているこの状況下で祭でも開くつもりなのだろうか。むしろ里中が浮かれて隙だらけの今こそ攻め込む絶好のチャンスだと思うのだが、魔王軍が攻めてくる気配は無い。もっと真面目に仕事をすべきだ。

 

「なんか……えらい事になっちゃってますね」

 

 呆然と里を眺めるゆんゆんのその言葉に両手いっぱいにサイン色紙や野菜、貴重な鉱物、魔道具が入った袋をぶら下げながらあなたは無言で頷いた。

 先日に続いてゆんゆんと共に里の観光に赴く前にめぐみんの家に足を運ぼうとしていたあなただったが、道中ですれ違う紅魔族の誰も彼もがあなたの事を名前ではなく彼らが考案した通り名で呼んで声援と共に色々な物を押し付けてきたのだ。ついさっきも星落とし饅頭なるものを貰ったが、とても美味しかった。

 

 どうやら先日の件のせいであなたは紅魔族のカリスマ的存在となってしまったらしい。まるで世界を救った英雄やアイドルのような扱いだ。

 人目のあるところで安易にメテオをぶっぱなしたあなたの自業自得ではあるのだが、ここは無邪気に喜ぶべきか、あるいはゆんゆんのように両手で顔を覆って恥ずかしがるべきなのか。あなたとしては判断がつきかねた。

 

 しかし死んだ目をしたふにふらとどどんこにいきなりハーレムってどう思います? と聞かれた時は流石に彼女達の正気を疑わざるを得なかった。

 ちなみにそれを聞いたゆんゆんはやんわりと二人を諌め、あなたが自分にそんな甲斐性は無いと返し、二人はちくしょうリア充爆裂しろと泣いて逃げ出した。まるで意味が分からない。新手の死の宣告だろうか。

 

 

 

「えっと、ここがめぐみんの家の筈、なんですけど……」

 

 さて、そんなこんなであなたがゆんゆんに案内されて辿り着いたのは里の隅、他住宅から少し離れた場所に建っている、綺麗だがごく普通の一軒家だった。

 表札にはひょいざぶろー、ゆいゆい、めぐみん、こめっこと書かれている。

 

「その……私が知ってるめぐみんの家とちょっと……いえ、かなり違うな、と……すみません、これ以上はちょっと……」

 

 曖昧に言葉を濁すゆんゆんだが、ここがめぐみんの実家なのは疑いようも無い。

 首を傾げるゆんゆんを放置してあなたが玄関のドアをノックすると、中から元気な女の子の声が聞こえてきた。

 

「はーい! いまでまーす!」

 

 玄関を開けて出てきたのはめぐみんに良く似た愛らしい少女だった。

 年齢は七歳か八歳ほどだろうか。どこぞのロリコンでショタコンで子供の肉が大好きな友人が見れば大興奮間違いなしだ。

 

「こめっこちゃん、久しぶり。めぐみんはいる?」

「…………」

「えっと、こめっこちゃん……? 私ゆんゆんだけど、覚えてる? もしかして一年近く会ってなかったから忘れられてるとか? ほら、めぐみんのライバルで族長の一人娘の……」

 

 長年付き合ってきた友人の妹へと向ける言葉としてそれはあまりにも悲しすぎるのではないだろうか。

 そんなゆんゆんとあなたを交互に見比べ、こめっこは家の中に顔を向けて大声で叫んだ。

 

「ねーちゃーん! ゆんゆんがいかにもお金持ってそうな男の人連れて遊びに来たよー! 姉ちゃんはまだ彼氏作んないのー!?」

「ちょっ、こめっこちゃん!?」

 

 

 

 

 

 

 妹に呼ばれて渋々玄関に出てきたはいいものの、あなたがお土産として購入した星砕き饅頭を受け取って苦虫を噛み潰した顔のめぐみん。

 ゆんゆんは耳まで真っ赤にしてこめっこに必死に彼氏云々が誤解である事をアピールし、カズマ少年達はハラハラと物陰からあなたとめぐみんの会話を見守っている。

 

「ちっ……何しに来たんですか。敵情視察のつもりですか? どこぞの頭のおかしい金蔓がウィズの店にじゃぶじゃぶ金を落としてくれるおかげで紅魔族随一のボロ家だった我が家はご覧の通りまともな一軒家になりましたが」

 

 ジロリと睨み付けながら舌打ちを隠そうともしない辺り実に刺々しい。

 何をしに来たと言うが、あなたは昨日大事な事を言い忘れていたのだ。

 

「……大事な事?」

 

 そう、めぐみんはちゃんとメテオを防ぐ手段を用意しておくべきである。

 具体的には火炎属性を無効化する装備や魔道具を。

 後衛職である彼女の耐久では生半可な耐性を付ける程度では恐らく耐えきれないので炎を無効化するのが望ましい。

 

 あなたとしては果敢に自身に挑んでくる妹分の無事を願っての百パーセント善意からの警告だったのだが、めぐみんは犬歯をむき出しにして吼えた。子犬のようでとても可愛い。

 

「も、もう勝ったつもりですか!? 舐められたものですね!!」

 

 そうではないとあなたは苦笑して首を横に振る。

 爆裂魔法と違い、メテオは狙った場所に一つだけ落とすなどという器用な真似はできないのだ。

 射程圏内の全てがターゲットになるが、巨大なクレーターと化した平原を見れば分かるようにターゲット以外にも無差別かつ全域にメテオは降り注ぐ。

 よってめぐみんが自分目掛けて降ってくるメテオを砕いたとしても、その他の無数の流れ弾に巻き込まれる可能性が非常に高い。

 勝負の日まであまり時間は残されていないが、そこのところをしっかり考えて準備しておいてほしいのだ。

 

「……え゛!?」

「だから止めとけって言ったのに」

「悪くないわよね? 今回という今回は私何も悪くないわよね?」

「ふ、ふふふふ……来た、来たぞカズマ! 私の時代が来た! つまり私が星落としと爆裂魔法を交互に食らって威力を測定すればいいんだな!? 生きてて良かった……!!」

 

 めぐみんが裏声を発して固まり、カズマ少年と女神アクアが悟りを開いたように真顔になり、ダクネスがガッツポーズを決めた。

 

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 同時刻、紅魔の里から離れた森の中に建設された巨大な砦の最奥で物憂げに溜息を吐いている者がいた。

 

「昨日の天変地異のせいでただでさえ低かった士気は遂にどん底。紅魔族が開発した最終兵器が私達を殲滅する前にオークに向けて試し撃ちした、なんて噂も流れてるし、いつ脱走者が出てもおかしくないこの状況。アルカンレティアで破壊工作してたハンスもどこぞの勇者に討伐されたっていう話だし……あーもう……仕事とはいえあいつらの相手とかやってらんないわよ実際……」

 

 誰に向けるでもなく愚痴を吐きながらガシガシと茶色くくすんだ長髪を掻き毟る何者かの頭には左右に二本の角が生えており、明らかに人間ではない事が窺える。

 

「てか何なのあの流星雨は。仮にあれをぶっ放したのが紅魔族だとしたらあいつらは馬鹿なの? 死ぬの? あんなもん使おうもんなら私達を殲滅したとしても森ごと大惨事でしょうが……分かっててもやりかねないのが怖いのよね……あいつら揃いも揃ってキチガイだし……」

 

 遂にテーブルに突っ伏して怨嗟の声をあげ始めた者の名はシルビア。

 魔王軍に仇なす紅魔族を撃滅すべく派遣された数千にも及ぶ軍勢の司令官にして、元を含めれば駆け出し冒険者の街にその半数が集中している魔王軍幹部の一人である。

 

 シルビアには目的があった。

 紅魔族の撃滅は勿論、それ以上に優先すべき目的が。

 そして今のところ紅魔族にそれを悟られてはいない。ひたすらに力押しで攻め入っては無様に撃退されている。そう思うように仕向けていたから。

 

「収穫があったといえばあったのは幸いだけど、流石にこれっぽっちじゃね……このままじゃ犠牲になった私の部下達が報われない……」

 

 目的を達成した暁には忌々しい紅魔族共に地獄を見せ付けてくれる。

 心の中ではそう思いながらも、その実、シルビアはこの地に留まる事に強い忌避感を抱いていた。

 

 昨日の星が降ってくる直前に一度。

 数時間後にもう一度。

 

 紅魔族と相対した時とは違う、明確にして濃厚な死の気配が二度、シルビアを襲ったのだ。

 かつて自身が弱者だった頃に散々世話になり、魔王軍幹部という強者となってからはすっかり錆付いてしまった生存本能がさっさと逃げろと大音量で警鐘を鳴らす程にその気配は不吉を孕んでいた。

 幾度と無く自身の命を救ってきたそれに従うべきか、あるいは。

 

「…………」

 

 誰もが認める人類の大敵は、自身の感情と思考を整理するように先日作られた巨大なクレーターの調査中に偶然発掘された品を宙に放って弄ぶ。

 それは所々が無惨に焼け焦げた……しかしその機能を保持したままの手の平ほどの大きさの紅白の球体だった。



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第77話 星を落とす者/星を砕く者

 めぐみんの実家はこの世界の標準的な建築技術で建てられた族長の家とは違い、襖や畳といった一風変わった、しかしあなたとしてはラーナで馴染み深い極東の……この世界の呼称に倣うならワフウの建築物である。

 ワフウとはカズマ少年の故郷の文化らしく、彼はめぐみんの家にいるととても落ち着くと言っていた。

 

 さて、そんな畳のいい匂いがする居間の中央でカズマ少年が座布団に座ったパーティーメンバーに向けて口を開いた。

 

「あー……それじゃあ嫌だけど、本当に嫌だけど、仕方が無いので第一回星落とし対策会議を始める」

 

 ちなみにダクネス発案である、彼女に魔法をぶつけてダメージを競うというのは即却下された。

 めぐみん曰くバニル討伐時よりも威力が上がった爆裂魔法をダクネスにぶつけるのは危険すぎるし、何よりメテオを爆裂魔法で粉砕しなければ意味が無いらしい。まあ紅魔族もそれを望んでいるわけだが。

 

「カズマ、会議を始める前にちょっといいですか?」

「なんだめぐみん。意固地になってないで謝るなら早い方がいいぞ」

「違います」

 

 めぐみんがジロリとあなたを睨み付けてきたので自分の事はお構いなく、と返しておく。なおゆんゆんは居心地が悪そうにしながらもこめっこの相手をしている。

 

「お構いなく、じゃないんですよこのあんぽんたん。頭だけじゃなくて耳までおかしくなったんですか? なんで肝心の星落としを使う人間が対策会議に出てるんですか。部外者はさっさと出て行ってください」

 

 しっしっと虫を追い払うように手の平を振るめぐみんだが、あなたは思い切り関係者で当事者である。

 断じて部外者などではない。

 それに彼らがどんな対策を行ってもあなたがやる事は何も変わらないのだから、聞いても聞かなくても一緒なのだ。

 

「姉ちゃん、この男の人って誰なの? 姉ちゃんのお友達?」

「違います、全然違います。むしろ敵ですね」

 

 真顔で即答し、数秒ほど考えた後、めぐみんはニヤリと笑った。

 

「こめっこ、この()()()()()は私の敵ではありますが、父が作った(産廃)を買う事で我が家に沢山お金を貢いでくれている魔法使いです。この()()()()()のおかげで家は新しくなりましたし、一日三食食べられるようになりました。なのでしっかりと()()()()()にお礼を言っておきなさい」

「そうだったの!? おじちゃん、いっつもありがとう! おじちゃんのおかげで私の家も毎日固い食べ物が食べられるようになったんだよ!!」

 

 ぺかーと笑って頭を下げるこめっこの後ろでめぐみんが嫌らしく笑っている。耳をすませば、げっげっげ……という悪魔でもしないような下衆い笑い声さえ聞こえてきそうだ。

 

「め、めぐみん、こめっこちゃん。幾らなんでもおじちゃん呼ばわりはどうかと思うんだけど……ほら、まだまだ若い人だし……その、私としてはお兄さん、くらいじゃないかなって……」

「なんで? おじちゃんはおじちゃんでしょ?」

 

 小首を傾げて疑問符を浮かべるこめっこに怒る事もできず、かといって何と言っていいのか分からないのか、あなたの顔色を窺うゆんゆんとくつくつと肩を震わせて小さく笑うめぐみん。

 きっとめぐみんは意趣返しとして妹におじちゃんと呼ばせ、それを嫌がるあなたの姿が見たかったのだろう。二十歳過ぎの男女は自身の年齢や呼称に関して敏感になりやすいというのはあなたも良く知っている。

 これがベルディアであれば否定せずとも微妙な表情を浮かべていたところだろうが、あなたの実年齢はおじちゃんを通り越してお爺ちゃんの域であり、その自覚もある。

 そういうわけで、小さな子供におじちゃん呼ばわりされても残念ながらあなたは何ら痛痒を感じない。それどころか自分は若く見られているのだな、と思ってしまうくらいだ。一身上の都合によりお兄ちゃんと呼ばれたら全力で阻止、否定していた所だが。

 そういう意味ではさっきのゆんゆんの発言はかなり危なかった。今のところ妹が反応していないのでセーフだったのだろう。ゆんゆんは近所のお兄さん的な意味合いでお兄さんと言ったのだと思われる。

 

 礼儀正しくお礼を言ってくるこめっこに目線を合わせてどういたしましてと笑うあなたがおじちゃん呼ばわりを全く気にしていない事を察したのか、自身の目論見があっけなく潰えためぐみんが面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 だがその直後、幼い妹が発した言葉に彼女は凍りつく事となる。

 

「おじちゃんがいい人そうでよかったねゆんゆん! タマノコシだね! 全世界のニートの夢、ヒモ生活ネコまっしぐら? だね!」

「こめっこ!?」

「こめっこちゃん!?」

 

 いやに現実的というか、世間擦れしまくった身も蓋も無い台詞はあまりこめっこのような幼い少女から聞きたいものではない。

 見ればカズマ少年も頬を引き攣らせている。

 

「だ、誰!? こめっこちゃん、誰からそんな悪い言葉を教わったの!?」

「ぶっころりー」

「あの腐れニートは性懲りも無く人の妹に変な知識を! 今度という今度は許しませんよ!!」

 

 激昂しためぐみんと、それに釣られてゆんゆんまでが家を飛び出していった。

 残されたのはこめっことあなたとカズマ少年達だけである。

 めぐみんが出て行ってしまい、どうしたものかと顔を見合わせるあなた達。めぐみんの両親は仕事に行っているという。こめっこだけを残して出て行くのも悪いだろう。

 

「……とりあえず超優良物件なのは確かだと思う」

「カズマ!?」

 

 ぽつり、と。カズマ少年があなたを見ながらとても怖い事を呟いた。

 あなたの背筋に寒気が走り、顔色を変えたダクネスと女神アクアがカズマ少年の肩を必死に揺さぶる。

 

「大丈夫、大丈夫だカズマ! 女は怖くない。女は決して怖い生き物なんかじゃないんだ! だから安易に男に走ろうとするのは止せ!!」

「しっかりしてカズマ! アンタがいま感じている感情は精神的疾患の一種よ! 静める方法は私が知っているわ! 私に任せて!」

「お、俺はただ高レベルで高給取りでウィズを心の底から大切にしてるっていう極めて客観的な事実を口にしただけだ! いや、そりゃ俺とあっちのどっちかが性別逆だったらなあって多少は思わないでもないけど……それにしたってお前ら大袈裟すぎるだろ! 何、そんなに俺の事が好きなの!?」

「か、勘違いするな! 私はただ金持ちの男相手に嫉妬しないクズマなんてクズマじゃないと思っているだけであってだな……!」

「そうよ返して! 私達が知ってるヒキニートでロリコンでリア充の男が相手なら問答無用で敵視しちゃうような根性がひん曲がったカスマを返しなさい!」

「よーし、お前らの言いたい事はよく分かった。とりあえず表に出ろ。ここだとこめっこちゃんに迷惑がかかるからな」

 

 やいのやいのと大騒ぎするカズマ少年達に微笑ましい気分になりながら、あなたはこめっこに饅頭を与え、自分はゆんゆんと恋人関係ではない事を改めて主張しておいた。

 あなたとゆんゆんは普通の友達であって、それ以外の何でもないのだ。

 

「でもゆんゆん、まんざらでもなさそうな感じだったよ?」

 

 めぐみんの妹は本当にマセている。この子はどこでそんな言葉を覚えてきたのだろう。

 あなたは饅頭を頬張るこめっこの言葉に苦笑いを浮かべた。

 

 ちなみに犯人の一人であるぶっころりーはめぐみんとゆんゆんに色々と吹き込まれた自分の父親にボコボコにされたらしい。

 

 

 

 

 

 

 のっけから盛大に脱線したメテオ対策会議だったが、その後は真面目にやる事になった。めぐみんも一向にあなたが出て行かないので諦めたようだ。

 といってもあなたも嫌がらせでこの場に同席しているわけではなく、むしろめぐみんを思いやっての事である。今回の勝負にあたってあなたは愛剣を抜く気は無かったが、それでも彼女にメテオが直撃すれば大惨事は免れないだろう。それはあなたの望むところではない。

 

「相手側の申告では“作ってみたはいいけどロマンにすらなれなかったネタ魔法”こと星落とし(メテオ)は無数の巨大なファイアーボールみたいなものが落ちてくる魔法で、効果範囲は使用者を中心にアクセル全域をすっぽり覆ってお釣りが来るくらい。威力はアクセル全域が綺麗サッパリ更地になるくらい。でも炎に無敵になればノーダメージ、らしいんだけど……マジで爆裂魔法以上に使い道が無いなこれ。使った瞬間敵も味方も皆死ぬとか、なんかもう色んな意味で駄目だろ。つーかよく作れたなこんなもん。ウィズ(リッチー)と仲良くやってるだけはあるって事か……」

「あ、あなたはアクセルに何の恨みがあるというのだ……?」

「使わないわよね? アクセルで使わないわよね?」

 

 あなたが書いた若干の虚偽が混じったメモ帳を読み上げるカズマ少年が呆れる中、ダクネスと女神アクアが戦々恐々として問いかけてきた。

 別に他意があるというわけではなく、アクセルの外壁は円を描くように作られているので、同じく綺麗な円形のクレーターを作り出すメテオの比較対象として分かりやすいというだけだ。あなたは人のいる場所でメテオを使う気は無い。ウィズが害されない限りは。

 

「なあめぐみん、お前これマジでやんの? モンスターや魔王軍が相手じゃないんだし、土下座した方が早くないか? あっちもめぐみんが引くって言うならやらないって言ってるしさ。そりゃあんだけの数の紅魔族の前で大見得切った手前やっぱやりませんって言いにくいのは分かるけど」

「わ、私が炎に無敵になれば何も問題はありません!」

「その無敵になる方法が無いのが問題だと思うんだけど……」

「心頭滅却すれば!」

「心頭の前にめぐみん本人が滅却されちゃうでしょ!」

 

 あなたはゆんゆんのその言葉に内心で驚愕した。

 まさかこの世界では耐性装備を重ねても無敵になれないのだろうか。ノースティリスでは一つや二つの属性に無敵になる事は非常に簡単なのだが、もしそうならあなたの大誤算である。

 

「そうだカズマ、いい事を考えた! メテオの射程圏内に私を置き、めぐみんが射程圏外から私に落ちてくるメテオに爆裂魔法を撃つ、というのはどうだ!?」

「どうだ? じゃねーよ。お前メテオ食らいたいだけだろ。そもそもダクネスがメテオに耐えられても射程の目測ミスってめぐみんに当たったら一巻の終わりだし」

「ぐっ……」

 

 ぐうの音も出ない正論で論破されたダクネスはすごすごと引き下がった。

 

「めぐみんのお父さんって魔道具職人なのよね? 何か役に立ちそうな道具とか無いの?」

「……まあ、家の裏の倉庫に行けば色々置いているとは思います。ですがあまり期待しない方がいいと思いますよ」

 

 めぐみんの父、ひょいざぶろーはウィズの店に品物を卸している職人だ。

 彼女が気に入るような珍品や危険物を日々作り出している彼の倉庫はあなたにとっては宝の山に等しい。

 

 

 

 そして数十分後。

 めぐみんの家の倉庫を物色してきたあなた達だったが、その顔色はあなたとめぐみんを除いて皆暗いものだった。

 

「めぐみんには悪いけど、控えめに言ってゴミの山だったな」

「だから期待しない方がいいって言ったじゃないですか」

 

 倉庫の中には火炎に耐性のつくアイテムは幾つかあった。

 あったのだが、装着すると本人が燃えるマントや飲んだら全身が石化して動けなくなる耐火ポーションなど、めぐみんが使うには難のありすぎる品ばかりだった。

 総じてあなたとしては期待通りの宝の山だったと言えるだろう。

 

「なんでこの頭のおかしいのはいい物見たって顔してるんですかね……」

「しかしなんだ、あんな変わった品ばかり作っていて、客はいるのか?」

「何言ってるんですかダクネス。紅魔族に父の魔道具を欲しがる物好きなんていませんよ」

「えぇ……」

「自慢じゃないですが、そこの頭のおかしいのがウィズの店で商品を買い漁るまでウチは紅魔族随一の貧乏一家と評判だったくらい生活に困窮してたんですから。あれですよ、私もこめっこも毎食薄めたシャバシャバのおかゆとか当たり前でしたからね」

 

 貧乏自慢を始めためぐみんだが、ウィズほどではないな、とあなたは思った。

 最低でも一週間を砂糖水を含ませた綿だけで過ごしてから出直してきてほしい。

 

「ああ、だからめぐみんはゆんゆんと同い年なのにロリっ子なのか。見るからに栄養状態悪いもんな」

「おい、私とゆんゆんを比較した挙句私を可哀想なものを見る目で見るのは止めてもらおうか。これからバインバインになってみせますよ私は。三年後を見ているがいい」

「というかめぐみんの事ロリっ子とか言っときながら夜這いかけたんだし、カズマってやっぱりロリコンなんでしょ?」

「……お、俺はロリコンじゃないし、そもそも昨日のあれは未遂……おっと、皆さんゴミを見る目ですね」

 

 女神アクアの発言に気まずい沈黙と冷たい視線がカズマ少年に突き刺さる。

 ゆんゆんに至ってはこめっこを背中に隠している。

 

 自業自得とはいえカズマ少年が若干不憫になってきたあなたは話題を逸らしてみる事にした。

 彼はめぐみんの母親に夜這いをけしかけられたという話だったが。

 

「あ、ああ、それな……ほら、俺って屋敷持ちでもうすぐ三億手に入るだろ? その事をぽろっと口走ったらめぐみんの親御さんが滅茶苦茶反応してさ……」

 

 おまけにカズマ少年達はバニルやハンスといった大物賞金首の討伐に一役買っているパーティーだ。

 よって年収一千万エリスは当然のように超えているわけだが、税金は大丈夫だったのだろうか。

 あなたが見たカズマ少年は手錠で繋がっていたダクネスと一緒に逃げ出していたが。

 

「おかげさまでってわけじゃないけど何とかなったよ。来年の納税の時期は絶対旅行に行くけど」

「この男はよりにもよって徴税官に追われる中で警察署に押し入り、婦人警官にスティールを行使してな……税務署が閉まるまでずっと留置所の中でやり過ごしたのだ……罪状は窃盗と淫猥行為だ」

 

 ダクネスが補足説明と共に深い溜め息を吐いた。

 大体予想はついているが、彼が何を盗ったのかは聞かないでおこう。

 

「あなたもあなたでクリスやギルドが雇った冒険者はおろか数十人の徴税官を蹴散らして重傷者を多数出したと聞いているが」

「なあ、それって普通に俺より酷くね?」

「だがカズマと違ってズルい真似をしたわけではないからな……重傷を負った徴税官もウィズの店のポーションで治療したらしい。クリスは正面から堂々と暴力で叩き潰されたそうだ。満面の笑みで思いっきりぶん殴られたと聞いている」

「俺も女相手だろうが遠慮しないでやるタイプだけど、ここまで容赦が無いといっそ清々しいな……」

「ああ、私もクリスが実に羨ましいと思った。……今からでも遅くないな。クリスと同じように私も殴ってみてくれないか?」

 

 あなたにはダクネスを殴る理由が無い。

 彼女の申し出はやんわりとお断りしておいた。

 

 

 

 

 

 

 その後も色々と話し合いを行ったり再び倉庫に足を運んだりしたあなた達だが、どうにもこれだという妙案は出ず、人間が火炎に無敵になるという事のハードルの高さを感じる破目になった。

 

「私の水の魔法である程度の熱なら耐えられるようになるけど、アレを無効化はちょっと無理だからね?」

「悔しいですが、炎は私の弱点ですからね……」

「火が弱点じゃない人間なんかいねーよ」

 

 めぐみんもめぐみんでゆんゆんや仲間が説得しても全く引く気が無さそうだし、無理矢理にでも自分の装備品を貸した方がいいかもしれない。

 いよいよあなたがそう思い始めたところで、退屈になってきたのかこめっこが近づいてきた。

 

「ねえねえ、おじちゃんは姉ちゃんやゆんゆんみたいに杖を使わないの? 魔法使いなんでしょ?」

「……あれ? そういえば私、あなたが杖を使っている所を見た事が無い気がします」

 

 大太刀を床に置いたあなたにこめっこが首を傾げて問いかけ、ゆんゆんが乗っかってきた。

 しかしあなたは杖を持っていないしこの先使う予定も無い。

 

「え……それだと魔法の威力が……」

 

 ゆんゆんの言うとおり、この世界の魔法はまともに運用しようとすると杖が必要不可欠である。めぐみんもゆんゆんも女神アクアも自分用の杖を持っている。

 何故かというと杖は魔法の威力を増幅させる媒体としての役割を担っており、それが無いと威力が著しく減衰してしまうのだ。

 あなたがウィズに贈った指輪のように杖の代替になる物もあるが、あれもまたメインである杖の増幅器として運用するように設計されている。

 

 イメージとしては弓矢が近いだろうか。

 杖が弓、魔法が矢だ。

 矢弾(魔法)だけでも投擲武器として使えなくはないが、弓矢(杖装備時)には遠く及ばない。

 アクセルで売っているような安物の杖でも、あるとないのでは威力に倍以上の差が出るといえば魔法使いの杖の重要さも分かろうというものだ。

 

 一聞すると非常に不便な話だが、ノースティリスで魔法使いとして活動するなら必須である魔法の威力を強化するエンチャントを杖自体が担っていると考えればこれは何もおかしい話ではない。

 

 

 ……そう、魔法使いに杖は必須である。

 リッチーにしてアークウィザードであるウィズもまた例外ではない。

 

 これはつまり、当時のめぐみん以上の爆裂魔法でデストロイヤーの足を消し飛ばした際に無手だったウィズの爆裂魔法は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事を意味している。

 勿論彼女がデストロイヤーを舐めていたとか真面目に街を守る気が無かったとかいうわけではない。

 彼女ほどのレベルになると下手な物を使ってもあってもなくても一緒になってしまうのだ。あなたやベルディアが店売りの鉄の剣を使っても木の剣を使っても等しく役に立たないのと一緒である。むしろ素手でいい。

 高レベルの者には高レベルの装備品が求められるのは当然の話であり、だからこそあなたは彼女に最高級品の杖と増幅装置の指輪を贈った。

 

 未だ真の力を発揮していないぽわぽわりっちぃはさておき、杖を使わないあなたが行使するこの世界の魔法も枷が嵌められたに等しい状態なのだが、こればかりはどうしようもない事だ。

 何故ならあなたは決して杖を使わない。というか使えない。

 持つだけならまだしも、武器として運用しようものならば確実に嫉妬に狂った可愛い可愛い愛剣が血の涙を流して発狂してあなたが大変な事になる。

 聖剣カッコイワのような刀剣型の杖でもあれば別だろうが、それも相応の質のものでないかぎり使う気にはならなかった。

 

 まあデストロイヤーのような魔法を無効化する相手でもない限りはどうにでもなるだろう。

 

 

 

「……そういえばデストロイヤーは結界で魔法を無効化してたよな」

 

 まるであなたの考えを読んでいたかのように、ひょいざぶろーの文献を読み漁っていたカズマ少年が突然そんな事を言った。

 

「紅魔族っていったら魔法のエキスパート集団なわけだし、アレの再現とかできないのか?」

「無茶言わないでくださいよ。幾ら私達でも散逸した技術をゼロから再現しろなんて言われてハイできました、とはいきません」

「それもそうだな……設計図でも残ってりゃ良かったんだろうけど」

「あるわけないじゃないですかそんなもん。持ってたら即世界中に指名手配ですよ」

 

 めぐみんとカズマ少年の会話にあなたは人知れず冷や汗を流した。

 ある。実は残っている。

 あなたはデストロイヤーの設計図をコッソリ回収している。

 本体のみならず、動力や結界の術式を記したと思わしき書類もバッチリと。

 

 気は進まないが妹分の安全には代えられない。結界の設計図だけだが持っていると教えるべきだろうか。

 装備品の貸与とどちらにすべきか真剣に検討するあなただったが、カズマ少年の次の言葉によってそれはお流れとなった。

 

「なあめぐみん、魔術師殺しって何だ?」

「……魔術師殺し? カズマ、どこでそれを?」

 

 めぐみんとゆんゆんがぴくり、と反応を示す。

 

「いや、この本にめぐみんの親父さんが耐性装備を作るのにデストロイヤーの結界みたいに参考にしたけど伝承の通りに再現できなかったってメモが書かれてるんだけど」

「……なるほど。完璧に選択肢から除外していましたが、確かにアレを使えば何とかなるかもしれません。カズマ、お手柄ですよ!」

 

 めぐみんがここまで言う魔術師殺しとは何なのだろう。あなたはゆんゆんに聞いてみる事にした。

 

「えっと、魔術師殺しっていうのはデストロイヤーのように上級魔法だろうが無効化してしまう、私達紅魔族の天敵、対魔法使い用の兵器の事なんですけど……でも世界を滅ぼしかねない兵器と一緒に地下施設に封印されてるんです」

 

 非常に興味深い話である。

 魔術師殺しも、世界を滅ぼしかねない兵器とやらも。

 欲しい。とても欲しい。

 

 欲望に目をギラつかせるあなたに気付かず、めぐみんがゆんゆんの説明を引き継いだ。

 

「世界を滅ぼしかねない兵器と同じくらい危険な物と言われている魔術師殺しはその昔、いきなり暴走して封印を破り、それはもう凄まじい猛威を振るったそうです。ですが私達の御先祖様が同じく地下に封印されていた兵器を使い、辛うじて破壊したと伝えられています」

「暴走ってマジでデストロイヤーみたいだな……そもそも破壊されてんのかよ。駄目じゃねえか」

「いえ、折角なので記念に残しておこうと魔術師殺しは修理を施して再び封印されたそうです」

「なんでそんな物騒なモンを折角だから、みたいなしょーもない理由で修理するんだよ!」

「いいじゃないですか。おかげで何とかなりそうですし。修理してからは一度も暴走していないのできっと大丈夫ですよ」

 

 めぐみんは魔術師殺しを使う気満々だった。

 破棄しないでくれたのは非常に嬉しいが、本当に大丈夫なのだろうか。

 まあ上級魔法が効かないとはいえ、流石に爆裂魔法は通じるだろうが。

 

「で、でもめぐみん。幾らなんでも危険すぎない? 昔みたいにまた暴走したら……そもそも地下施設の封印を解く手段が無いんじゃ……」

「確かに族長に了承をとってから行くくらいはした方がいいでしょうね。二つ返事で了承してくれると思いますけど。それに封印ならここに破れる人材がいるじゃないですか。デストロイヤーの結界を破れるようなのが」

 

 あなた達の視線が女神アクアに集中する。

 

「……すぴー……くかー……」

 

 デストロイヤーの対魔法結界を破壊した世界に名高き水の女神は、現在鼻提灯を浮かべてお昼寝の最中だった。

 

 

 

 

 

 

「何!? 魔術師殺しを持ち出したいだって!?」

「そ、そうだよねお父さん。やっぱりあんな危ない物を世の中に解き放っちゃ駄目だよね!」

「まさかとんでもない! どうぞどうぞ!! 封印を解けるのでしたら、魔術師殺しと言わず格納庫の中の物は思う存分好きなだけ使っちゃってください!! 仮に世界を破壊するかもしれない兵器に何かあった時は責任は私が取ります! いやあ、星落としと星砕きに加えて里に秘匿された古代の超兵器まで出てくるとなると実に楽しみですなあ!!」

 

 あなた達の申し出を族長は目を輝かせて快諾し、ゆんゆんが両手と両膝を付いた。

 本当にノリがいい一族だ。こういう深く物事を考えない刹那的快楽主義な所はノースティリスの冒険者達によく似ている。

 

「ふ、ふふふ……私、薄々気付いてたんです。きっとお父さんの事だからこんな事になるって……」

 

 あなたがいざとなったら自分が死ぬ気で破壊するので安心してほしいと傷心中のゆんゆんを慰めると、ゆんゆんは潤んだ瞳であなたを見上げ、族長とめぐみんが電撃を食らったように大きく目を見開いて盛大に食いついてきた。

 

「世界を破壊する兵器を破壊する者……!? サインください!!」

「ず、ずるいですよ! そういう紅魔族に超似合うカッコイイ称号はデストロイヤーを破壊した私にこそ相応しいはずです!!」

 

 分からない。

 メテオといい今といい、自分の発言の何が紅魔族の琴線が触れているのかあなたにはまるで分からなかった。

 

「あの人、やけに紅魔族に大人気だよな。ゆんゆんの親父さんに会う前もサイン強請られてたし」

「波長が合うんじゃないかしら」

 

 

 

 あっさりと族長の了承を得られたあなた達がめぐみんの案内のもとに辿り着いたのは、一見すると何の変哲も無さそうな小さな木造の家屋だった。ちなみに危ないかもしれないのでこめっこは留守番である。

 表札には地下格納庫、と看板がかかっている。

 

「ここが地下施設の入り口です。地下施設がいつからあるかは紅魔族の歴史を紐解いても分かっていないのですが、あそこにある謎施設と共に建造されたとだけ言われています」

 

 そう言ってめぐみんはやけに目を引く灰色の巨大建築物を指差した。

 各所にはめ込まれたガラス窓を見るに、建物は五階建て。

 木ではなく、石でもない。不思議な質感の直方体で構成されたその建物の横幅は目測で百メートル以上。奥行きと高さはおよそ二十メートル。

 

 入り口の博物館とは別のベクトルで洗練された建物だ。

 機械の神の信者ではないあなたにも分かる程度にはここだけ文明レベルが違っている。

 

「私もあのような建物は初めて見るな。王都にも無いんじゃないか?」

「なーんか見た事ある気がするわ……コンクリ……?」

 

 ダクネスは感心し、女神アクアは不思議そうに首を傾げている。

 

「俺も見覚えがあるような気がするけど、謎施設って何だ?」

「謎施設は謎施設です。用途も謎、誰が作ったのかも謎、いつから存在するのかも謎で、何度中を探索しても何も分からないので観光施設として残しています」

 

 小屋の扉を開けてみれば、薄暗い中には地下に続く階段だけが存在していた。

 木造の小屋から一転して階段はその全てが金属で作られており、洞窟と呼ぶには人工物の気配がしすぎるそれはあなたの持っているシェルターの入り口によく似ているように思える。

 

「なんかこう、いかにもって感じだな」

「うむ……」

 

 真っ暗な階段を灯りで照らしながら降りていく事暫し。

 階段を降りきったあなた達の前に巨大な金属製の扉が立ちはだかった。

 あなたはふと、機械の神の信者である友人(TS義体化ロリ)の作った機械人形の格納庫の入り口がこんな感じだった事を思い出した。

 

 エーテルを動力源として音速を超えて飛び回る三十一機の機械人形。

 あなたはその一機、九番目に製作された白い機体を彼女からペットとして譲り受けている。

 

 まさかとは思うが、世界を滅ぼす兵器とはあの機械人形たちの事ではないだろうか。

 あなたがこの世界に迷い込んでいる以上、百パーセント無いとは言い切れない。

 

 そしてアレが相手となった場合、流石に手は抜けない。

 機械人形はその全てがあなたと同格の廃人のペット(仲間)だ。友人が運用しない限り本領は発揮しないが、それでも素の能力だけならあなたと五分である。

 というか自爆装置として自作のアホみたいな威力の核爆弾を搭載しているので、こんな所で自爆されようものならメテオ以上に大変な事になる。

 

「本来であればこの施設の封印はこの誰にも読めない古代文字で書かれた謎かけを解読して、その答えを入力する必要があるわけですが……」

「私の出番ってわけね! 任せなさい! どんな物が出てくるか楽しみでしょうがないわ!!」

 

 あなたが思索に耽る中でも話は進んでいたようで、女神アクアが意気揚々と封印の前に立って杖を取り出していた。

 

「…………?」

 

 最大限注意を払うようにと一言声をかけておこうと思ったあなただったが、杖を取り出した女神アクアの様子がおかしい。

 扉のすぐ横に設置された封印の前で固まっている。

 

「ど、どうしたんでしょうか……」

 

 場の雰囲気に飲まれて怯えているゆんゆんだが、あなたにもさっぱりである。

 

「あ、アクア? どうしたんですか? 封印は解けそうですか?」

「QAWSEDRFTGYHUJIKOLP……違う……XY下上……これも……上X下BLYRA……んーと、じゃあABBAAB右右左で……あっれー……おっかしいわね……」

 

 大変だ。女神アクアが盛大にバグってしまわれた。

 暗がりの中、意味の分からない言葉をブツブツと呟きながら封印を触りまくる女神アクアは異様な雰囲気を醸し出している。

 呪われたとでも思ったのか、ダクネスとめぐみんが女神アクアから距離を取り、ゆんゆんが半泣きであなたの背中にしがみ付いた。

 

「ねーカズマー。アンタ小並コマンドって覚えてる?」

「……いきなり何言ってんのお前。いや、マジで何言ってんの?」

「だってここにそう書いてるんだもの。見てみなさいよ」

 

 手招きする女神アクアに誘われてカズマ少年が封印を見て呆然と呟いた。

 

「マジだ……え、まさか小並コマンド入れろって事か? あの小並コマンド?」

「か、カズマ、アクア。二人はこの古代文字が読めるんですか!?」

「読めるっていうか……俺のいた国の文字だよ、これ。なんで古代文字って事になってるかは知らないけど。多分この封印は小並コマンドっていう有名な裏技コマンドをパスワードとして入力しろって事だと思うんだけど……上上下下左右左右BAだったっけ?」

「ああ、それだわそれ」

 

 あえて言葉にするならばティロリロリン、だろうか。

 女神アクアが封印に触った途端、軽快な電子音がどこからともなく聞こえてきた。

 そして長きに渡って封印され続けてきた地下格納庫の扉が開いていく。

 あまりにも簡単に。あまりにも呆気なく。

 

 ちなみに女神アクアが失敗した場合、あなたは普通に物理で扉をぶち破るつもりだった。

 中に友人の機械人形があった場合、是が非でも回収して彼女の元に送り返す必要があるからだ。

 

 

 

 

 

 

「間違いありません。魔術師殺しです」

 

 格納庫の中に足を踏み入れたあなた達を待っていたのは巨大な鋼色の蛇だった。

 部屋の中央の山を囲むようにとぐろを巻いているが、その全長は二十メートルにも及ぶだろう。

 

「これはまた見事な蛇だな……私くらいなら一息で丸呑みにできるな。丸呑みか……」

「試すなよ? あとこれってどうやって上まで運べばいいんだ?」

「暇を持て余してるニートのぶっころりー達にでも運ばせましょう」

 

 その時は自分も手伝おう、と考えつつあなたは格納庫の中を見渡した。

 しかしお目当ての物は見つからない。

 

「あの、どうしたんですか? 何かを探しているみたいですけど」

 

 あなたはゆんゆんに世界を滅ぼしかねない兵器を探している、と答えた。

 友人の機械人形は無いようだが、それ以外の兵器と思わしき物も見受けられない。

 魔術師殺しが守っているようにも見える格納庫の中央には大量の道具が山のように積まれているが、あの中にその兵器があるのだろうか。もしそうなら雑に扱いすぎである。

 

「魔術師殺し以外にも色んな魔道具があるっぽいな」

「私には分かります。いつか自身と同郷の者が封印を解き、世界の危機を救うのに役立ててもらう為にこの魔道具の数々を残したに違いありません――――」

 

 ピコーン、と。

 どこからともなく音が鳴った。

 全員に緊張が走り、武器を構え、微かな異常も見逃すまいと周囲を見渡す。

 

「な、なんだどうした何があった!? 今の何の音だ!?」

 

 一人で少し離れた部屋の隅に立っていたダクネスがバツの悪そうな顔をして右手を上げた。

 左手には四角い小さな箱を持っており、ぴかぴかと光っている。

 

「す、すまない。私だ。落ちていた物を拾ったら勝手に音が……」

「わあっ、もしかしてそれってゲームガール!? ダクネス、貸して貸して!」

「げ、げえむがある?」

 

 いきなり興奮しだした女神アクアが嬉々としてダクネスが持っていた箱をふんだくった。

 

「あれ、本体だけでソフトが入ってないわ。……でもゲーム機があるならソフトもここにある筈よね。カズマ、もしそれっぽいのを見つけたら私に頂戴? カズマにも貸してあげるから。ポケットなモンスターとか置いてないかしら」

「お前が持ってるそれって初代ゲームガールだろ。俺が生まれる前に流行ったやつ。プレイできても赤とか緑とか……待て待て待て、そもそもなんでこんなとこにゲームガールが置いてあるんだよ。しかも初代って」

 

 どうやらカズマ少年だけは彼女が何を言っているか理解できているようだ。

 女神アクアと共に魔道具の山を物色し始めた。

 

「やだ何ここ、よく見たらゲーム機ばっかり置いてるじゃない。宝なの? 宝の山なの?」

「なんで地球の物がこんな所に……つーか妙に歪んでるな。壊れてんのか?」

「ちゃんと動くわよ? 電池の代わりに魔力を使うみたいね。ソフトは何本あるのかしら」

「あ、あの、お二人とも。そんなに手当たり次第に触ると危ないと思うんですけど……」

「ああ、大丈夫大丈夫。俺もアクアもこれの使い方知ってるし、知らない物には触らないから……お、超森夫世界のソフトみっけ」

 

 夢中になって魔道具を漁る二人に全くついていけないあなた達は顔を見合わせた。

 交わされている会話が本気で異次元すぎて困る。

 

「……とりあえずカズマが逃げ出さないという事は危険は無いようですね」

「ねえめぐみん。二人はここに置いてある物はゲームだって言ってるんだけど、さっきめぐみんここの魔道具で世界の危機を救うとかなんとか……」

「え? なんですか? すみません聞こえませんでした」

「だからゲーム……」

「え? なんですか?」

 

 カズマ少年達と同じように思い思いに格納庫の探索を開始するあなた達だったが、あなたは部屋の隅に一冊の手記が転がっているのを発見した。

 この格納庫を作った者が記したものだろうか。あなたは手記を開いてみた。

 

 

 ――○月×日。ヤバい。この施設の事がバレた。でも幸いな事に、俺が作った物が何なのかまでは分からなかったらしい。国の研究資金でゲームやらオモチャ作ってた事が知られたら、どんな目に遭わされるやら……。

 

 

 こんな書き出しで始まった手記を一通り流し読みした後、あなたはこっそりと手記を元あった場所に戻しておいた。

 

 デストロイヤーを作った研究者がデストロイヤーを作成する前に残したこの手記には、デストロイヤーの製作者は現在カズマ少年達が夢中になって漁っているオモチャを世界を滅ぼしかねない兵器だと上司にでっちあげて資金の私的流用をごまかした事、魔王軍に対抗する兵器として犬型の魔術師殺しの設計図を描いたら絵が下手糞すぎて蛇として受理された事、魔術師殺しが動力の問題ですぐに動かなくなった事などが記されていた。

 

「カズマカズマ、これじゃないですか? いかにも世界を破壊しかねない兵器って感じです」

「バズーカ!? いや、まさかその形は……スウパアスコープ……!? マジかよ初めて見たぞ俺……」

「見て見てカズマ! バーチャルガールにゲームガールアドバンスもあったわ!」

 

 紅魔族の誕生の秘密やその名の由来も書かれていたのだが、紅魔族とは魔王軍へ対抗するための兵器として生み出された、魔法使いの適性を最大に上げた改造人間なのだそうだ。

 改造の代償として記憶を失った彼らはここだけ聞くと中々に悲劇的な種族なのだが、彼らは改造前から今の紅魔族と同じ感性を持っていたらしい。

 具体的には喜び勇んで改造手術に立候補し、目を赤くしてほしいと頼んだり、個体ごとに機体番号をつけてもらっていた。

 

 自身が掘り起こしてしまった歴史の闇を再度闇に葬りつつ、あなたは格納庫の探索に戻る。

 目的は執筆者が紅魔族に乞われて製作したレールガン(仮名)なるものだ。

 

 あなたもレールガンは持っている。

 とある古代の破壊兵器を破壊した際に入手したのだが、友人に請われて見せたのはいいが見事に分解された挙句機構まで再現してみせてペットの機械人形に配備されてしまったという悲劇の銃である。遺失技術で作られたらしいのだが。

 

 こちらのレールガン(仮名)は動かなくなって無用の長物と化した魔術師殺しに対抗する為に意味も無く作られた。

 あなたの知るレールガンとは違って魔法を圧縮して発射するそうだが、本当に世界を滅ぼしかねない威力を持っているという。

 威力と耐久力の問題で数発撃ったら自壊してしまうのは難点だが、回収して是非とも友人に改良、および量産化してもらいたい。

 そして火力に乏しいデストロイヤーに搭載するのだ。

 量産型レールガンでハリネズミの如く武装した無数の量産型デストロイヤー。テンションの上がる話である。

 

 ……しかし肝心のレールガン(仮名)はどこにあるのだろう。

 物干し竿にできるくらい大きな物らしいのだが、あなたがどれだけ格納庫の中を探しても、それらしき物体は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 格納庫から持ち出された魔術師殺しはそのままでは使えないという事で、里の鍛冶屋や魔道具屋の手によって分解され、めぐみんの防具と彼女をメテオから守る防壁になる事が決定した。

 非常に勿体無い話だが、ここ数日女神アクアとともにピコピコに夢中だったカズマ少年にこっそりと保険も渡しておいたし、魔術師殺しも相まってメテオが直撃してもめぐみんが死ぬ事だけは避けられるだろう。

 

 

 

 ……そして時間はあっという間に過ぎていき、勝負の当日がやってきた。

 日が傾き始めた頃合を見計らい、あなたは勝負の会場であるメテオ跡地のクレーターに向かうべく、ゆんゆんの部屋のドアをノックする。

 

「ああああああああああ……あるえぇ……よくも、よくもこんなものを……二度までならず三度まで……絶対に許さないわよあるええええええええ……!!」

 

 ゆんゆんの部屋の中からは返事の代わりに羞恥と怨嗟に塗れたゆんゆんの涙声、そして枕を殴り続ける音が聞こえてきた。

 彼女は今日の朝、里中に配布された小冊子のせいで盛大にぶっ壊れてしまったのだ。

 冊子のタイトルはこうだ。

 

 ――紅魔族英雄伝外伝『真紅の流星』

 

 そう、メテオ騒ぎを見てあるえが書き上げた小説である。

 小説の内容を簡単に説明すると、身重で戦えないゆんゆん、そしてゆんゆんのお腹の中にいる自分の子供を守る為にあなたがたった一人で街に攻めてきた魔王軍と戦うというものだ。

 死闘の末、辛くも魔王軍を撃退する事に成功するあなただったが、激しい戦いで負った傷と星を落とす禁呪のせいでゆんゆんの元に帰りつく前に力尽きてしまう。

 あなたの死体に縋り付いて悲しみの涙を流すゆんゆん。

 だがその瞬間、ゆんゆんの涙が奇跡を起こしてあなたは復活する。

 あなたとゆんゆんが情熱的な抱擁とキスを交わして話はおしまい。めでたしめでたし。

 

「なんで自分をヒロインにしないで私に色々させるのよぉ……!」

 

 あなたの読んだ限り、今回の小説には特に過激なシーンがあったわけではない。

 ラストもやや筆者の情感が篭りすぎている感じがしないでもないが、ごく普通のキスシーンだ。

 

 だがこの小説が里中に流行した結果、ゆんゆんはあなたやめぐみんと同じく時の人となり、壊れた。

 直接のトドメとなったのは朝食の席で族長が放った「孫の顔はいつごろ見られますかな?」という台詞だろう。直後族長はゆんゆんにぶっ飛ばされたが。

 

 

 

 

 

 

 このまま一人で放っておいたら自宅で首を吊りかねないゆんゆんを何とか言いくるめて外に連れ出し、あなたは森を抜けた先にある会場にやってきた。

 街道沿いの森の入り口にして平原の出口には既に里中の紅魔族が集まっており、屋台や出店が軒を連ねている。

 どこからどう見てもお祭気分だ。

 魔王軍が撤退したという話は聞いていないが、彼らは里が破壊されても三日もあれば元通りに直せるから里が壊されても構わないし、むしろそんな事より今日のイベントの方がずっと大事なのだという。

 

 そんなノースティリスの住人のようなバイタリティを持った紅魔族達から、今日の主役の一人であるあなたは黄色い声援を浴びていた。

 

 

 ――あっ! 墜星の魔導剣士さん!

 

 ――星天を操りし者とゆんゆんが来たぞ!!

 

 ――ゆんゆんが覚醒する日を皆で楽しみにしてるからなー!!

 

 

「わたし、明日になったらアクセルに帰ります……絶対帰ります……あるえをぶちのめしてから帰ります……」

 

 彼らは別に表情が死んだゆんゆんを苛めて楽しんでいるわけではない。

 心の底から彼女が小説の中のゆんゆんのようになる事を願っているのだ。

 

「なりません……絶対なりません……」

 

 そんなこんなで紅魔族に冷やかされたりどどんことふにふらに死んだ目で挨拶をされたり、女神アクアの宴会芸オンステージを見物しながら屋台巡りで時間を潰していたあなたとゆんゆんだったが、同じくお祭を楽しんでいるカズマ少年と遭遇した。

 あちらも気付いたようで肉の串焼きを片手に挨拶してきた。

 

「……その、なんだ。ゆんゆんは大丈夫なのか? 親の仇を殺した後に自分も死にそうな顔してるぞ」

「言わないでください、お願いですから今は何も言わないでください」

「お、おう……」

 

「たかが小説の事でめそめそしないでくださいよ、みっともない」

「たかが!? 自分をモデルにあんなしょう、せつを……」

 

 激昂したゆんゆんだが、振り向くと共に呆気に取られたような表情で言葉を止めた。

 ガチャリガチャリという金属音に目を向ければ、そこには魔術師殺しで作られた華美な騎士甲冑を身に纏っためぐみんとダクネスの姿が。

 

「めぐみん……凄いかっこしてるわね。兜被ったら誰か分からないわよ、それ」

「今日が最初で最後です。何が楽しくてアークウィザードの私が全身鎧を装備しなきゃいけないんですか。カッコイイですけど。凄くカッコイイですけど」

 

 この装備を見るにダクネスも参加するのだろうか。

 

「私は別にいいって言ったんですけどね」

「私も星落としをその身で味わうべく……パーティーの盾としてめぐみんを守ろうと思ってな。めぐみんは私が命に代えても守ってみせるから存分に星を落としてほしい! 私に!!」

 

 めぐみんの鎧は漆黒の、ダクネスの鎧には白と金を基調とした塗装が施されている。

 三角座りになっためぐみんが押し車に乗せられてダクネスに押されていなければ非常に見栄えが良かったのだが。

 

「これめっちゃ重いんですよ。ぶっちゃけ立つのが精一杯で一歩も歩けません。着るのに時間がかかるので脱ぐわけにもいきませんし」

 

 溜息を吐く親友の姿を見てゆんゆんがぽつりと呟いた。

 

「何か今の今まで実感が湧かなかったけど……めぐみん、本当にやるの?」

「何を今更な事言ってるんですか。まさかこの期に及んで止めろとか言い出しませんよね」

「言わないけど……くれぐれも気をつけてね? 私、まだめぐみんに勝ってないんだから」

「……ふん。余計なお世話です。心配なんてしてないで私の活躍をよーく見ておきなさい」

 

 赤い顔でそっぽを向くめぐみん。

 あなたとカズマ少年とダクネスは顔を見合わせて小さく笑った。

 

 

 

 

 

 

 日が沈み、空に月が昇った頃。

 あなたは無人の荒野に立っていた。

 その傍らにはイベント運営の紅魔族の青年。

 彼はテレポートで先日自身がメテオを使ったという場所に送ってくれたのだ。

 このまま時間になったらあなたがメテオを撃ち、射程圏内であるクレーターの中に足を踏み入れためぐみんがダクネスに守られながらメテオを迎撃する、というのがおおまかな星落とし対星砕きの流れである。

 

「ここがクレーターの中心になります。頑張ってください!」

 

 そう言って再度のテレポートで戻っていく彼を見送り、あなたは感嘆の息を吐く。

 なんと紅魔族はその頭脳と技量をもって、あなたが作ったクレーターの中心地点を算出してみせたのだ。確かにあなたは自分が立っている風景に見覚えがあった。

 

 だがオークを狩った時のように愛剣を抜く気は無い。

 威力こそ大幅に下がるものの、降り注ぐメテオの規模自体は愛剣があっても無くても同じなのだ。

 

 

 

 寒空の中、たった一人で待つ事数分。会場の方角から合図の狼煙である上級火炎魔法が立ち昇った。

 めぐみんの方は準備ができたらしい。

 

 めぐみんと違ってあなたに特別な事は必要ない。

 ノースティリスで幾度と無くやってきたように、メテオを使うだけ。

 いつも通りに詠唱し、当たり前のように星落としの大魔法は発動した。

 

 だが一つや二つの小粒なメテオを砕いてもきっとめぐみんは満足しないだろう。

 故にあなたは魔法を発動させながら、可能な限り多くの、そして大きなメテオがめぐみんに降り注ぐように願いを込める。魔法の制御はできずとも、これくらいなら少しは効果があるかもしれないと考えて。

 

 祈ろうにもあなたの願いを、そして祈りを聞き届けて叶えてくれる女神はこの世界には存在しない。

 文字通り天に任せるだけだ。

 

 遠く離れたアクセルのウィズにもこの光景が見えているだろうか。

 見えていたら彼女はどんな事を思うのだろう。

 

 この世界における唯一の『友人』(特別)の事を想いつつ、メテオから逃げるでもなく、粛々と審判の時を待つ罪人のように静かにその場に佇んで夜空を眺めるあなたの視界を無数の燃え盛る星々が覆い尽くし、そして……。

 

 

 

 ――――エクスプロージョン!!!

 

 

 

 自身に、そして大地に星が落ちようとしたまさにその瞬間。

 遠く離れた場所に立つあなたにも聞こえる轟音と共に、一際メテオが集中していたように思える、赤く灼けた夜空の一角を特大の閃光が塗り潰したのだった。



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第78話 光り輝く銀の銃

 平原が文字通りの熱い死体蹴りを食らう少し前、人っ子一人いなくなった静かな紅魔の里の中をこそこそと移動する一団があった。

 

「本当に誰もいない……あいつら何を考えてるのかしら」

「何も考えてないと思いますよ」

「油断は禁物よ。私達が攻めてきていると知って里中をもぬけの殻にするなんて普通じゃないわ」

 

 敵を侮っているとしか思えない部下を窘めこそしたものの、シルビアはなんとなく自分もそんな気がしていた。

 紅魔族の頭がおかしいというのは魔王軍のみならず人間達の間でも知れ渡っている常識である。

 ()()アクシズ教徒と並ぶ変人扱いなのだから相当なものだ。

 

「それにしてもこの静けさ。不気味すぎるわね」

 

 小声で話していないと、不安でどうにかなってしまいそうなほどの静寂。

 本当に気付いていないのか、あえて泳がされているのか。

 

 あれから死の気配は一度も感じていない。

 更にここ数日間、ずっと紅魔族が浮き足立っているという報告はシルビアにも届いていた。

 だからこそ撤退と潜入を秤にかけ、最終的に潜入を選んだわけだが、シルビアは早くも自身の選択を後悔し始めていた。

 

(神器を回収できただけで満足しておくべきだったかしら……いいえ、今更だわ)

 

 神器……星落としの跡地から回収された紅白の球の逸話はシルビアも知っている。

 それを使っていたのは人間の女だった。

 かの魔道大国ノイズが存在した頃に紅白の球を使って魔王軍に立ちはだかった彼女は、複数体のドラゴンやグリフォンを使役していたという。

 彼女の使役獣はいずれも強力で、更に何度倒してもアンデッドのように復活するという極めて厄介な性質を持っていた為、最後は持ち主を闇討ちして仕留めたらしい。

 

 そんなわけでシルビアは回収した球の中にドラゴンが入っていることを期待していたのだが、球体の中身はオークだった。

 それもただのオークではない。非常に珍しいオスのオークである。

 三毛猫のオスと同じくらい珍しいといえばどれほど珍しいかは伝わるだろう。

 

 しかし極めて希少なオスオークは、戦力としては全く使い物にはならなかった。

 何せ生き物とはこんな状態でも生きていられるのかというほどに精も根も尽き果て、全身は骨と皮だけで構成され目は虚ろ。言葉どころか意思の疎通すら不可能な有様だったのだから。

 生ける屍。神器の力で無理矢理生かされ続けた哀れな犠牲者の姿がそこにあった。

 

 そのあまりに無惨な姿に魔王軍は誰もが目を背けずにはいられなかった。ゾンビやスケルトンの方がよほど生気に満ちている。

 終わりの無い地獄と紅白の牢獄から解放されたオークは慈悲の元に命を絶たれて荼毘に付されたが、彼が今までどんな目に遭ってきたのかなど考えたくもない。

 今際の際に掠れた声で呟かれた「アリ、ガト……」というオスオークの感謝の言葉は今もシルビアの耳にこびりついている。

 

(アタシも魔王軍幹部として死ぬ覚悟くらいはできてるつもりだけど、オークの群れに放り込まれるだなんて最期だけは勘弁願いたいものね……)

 

 人魔問わず全ての男が全力で同意するであろうことを考えながらシルビアは紅魔の里を進む。

 

 部下の報告では現在紅魔族達は平原に集結しているという。

 平原に集った紅魔族が何を始めるのかまるで想像できない。

 奴らは里や森ごと自分達を丸ごと吹き飛ばすつもりなのではないか。そんな悪いイメージばかりが脳裏に過ぎる。あまりに荒唐無稽で突拍子も無い考えだが、アクシズ教徒と紅魔族は本気でそれをやりかねない相手だとシルビアは知っていた。

 先日の天変地異もあってあまり長居はしたくない。

 シルビア達が自然と足を早めて先を進む中、体は強いが頭が少し足りていない鬼族の部下が口を開く。

 

「シルビア様、折角ですし里を焼いていきませんか?」

「ダメよ。時間を無駄にする余裕なんてどこにも無いんだから」

 

 誰もいないのに火の手が上がるなど、自分達がここにいると声高に喧伝しているようなものだ。

 自分達の潜入が相手にバレていない可能性があり、目的が紅魔の里の破壊ではない以上、可能な限り騒ぎを起こすべきではない。シルビアはそう考えていた。

 

「では、あの物干し竿を持っていくっていうのは?」

 

 部下が指差したのは一軒の家の庭先に吊るされている物干し竿。

 月の光を反射するそれは暗がりの中妙に目立っている。

 

「随分と変わった形の物干し竿ね……」

「なんかピカピカしててカッコイイし、きっと高値で売れますよ」

「……どうしてかしら、何かあれからはとてつもなく嫌な予感がするわ。奴らの罠かもしれないし下手に触るのは止めておきなさい」

 

 部下の可愛いオイタを諌めながらシルビアは人気の無い里の中を進んでいく。

 

 そうしてやってきたのは地下格納庫。

 見張りとして部下を数人入り口に残し、シルビアは地下に潜っていく。

 魔王軍の目的はこの格納庫に眠ると伝わっている、世界を滅ぼしかねないという強力な魔道兵器の回収。そして魔法防御に極めて優れたそれを使っての紅魔族の撃滅。

 

「よし、ここにも紅魔族はいないみたいね」

 

 周囲を見渡しながらホッと息を吐き、シルビアは腰にぶら下げた袋の中から赤い宝玉を取り出した。

 この時の為に用意した、結界殺しと呼ばれる魔道具である。

 それも神々の施した封印でさえ解除してしまうという魔族のとっておきだ。

 

「…………ここにかざせばいいのかしら」

 

 多数の古代文字が書かれたそこに結界殺しを当てるも、反応は無い。

 封印も格納庫の扉も沈黙を貫いている。

 

「……何も起きませんね」

「おかしいわね……」

 

 結界殺しを壁や扉に当てたりと暫く試してみたものの、結果は芳しいものではなかった。

 

「魔道具が反応を見せないって事は、まさか魔法的な封印じゃないの!?」

「いっその事ぶっ壊しますか?」

 

 幾ばくかの逡巡の後、シルビアは脳筋全開の提案を受け入れた。

 目的の物は目の前にある。古代兵器を手に入れれば紅魔族であっても容易く蹂躙できる筈だ。最早躊躇する理由は無い。

 

「では私が……」

 

 名乗りを上げたのはシルビアの右腕だ。

 紅魔族ほどではないにせよ上級魔法を操る優秀な魔法使いである。

 

「ライト・オブ・セイバー!!」

 

 しかし、紅魔族の得意技でもある魔法が扉を襲うも、頑健極まりない鋼色の扉は傷一つ付かなかった。

 聞けば件の古代兵器と同じく魔法が無効化されているらしく、ならばと自身も混じって総出で物理で破壊を試みるものの、結果は失敗。無駄に手足を痛めるだけで終わってしまった。

 

「り、理不尽すぎる。何よここ、壁といい扉といい何でできてんの!?」

「紅魔族みたいな場所ですね……」

 

 大型のモンスターを連れてきていれば少しは変わったのかもしれないが、結局手持ちの駒ではどうしようもなく、別の入り口を探す事になった。

 そして一団が地上に出たのと、それが起きたのは全く同じタイミングだった。

 

「……綺麗」

 

 星が降っている。

 森の向こうで星が降っている。

 

 言葉にすればたったそれだけ。

 無数の流星が夜空を彩る様はどうしようもなく美しく、同時に怖気が走るほどに恐ろしい。

 

 先日と同じ場所に星が落ちている以上、最早アレが人為的に引き起こされていることは明らかだ。

 更に流星を撃ち落とすかのように特大の閃光が煌く始末。

 そもそもあれは爆裂魔法ではないのか。まさかあんな物を使うキチガイが永い時を生きる魔族以外に存在したとは。

 持ち前の魔法防御で紅魔族の上級魔法の直撃であっても耐えられるシルビアだが、爆裂魔法、それもあれほどのものを食らって無事でいられるとは思っていなかった。

 

 遠く離れた自分達の場所にまで届く地響きと轟音に、シルビアはこの地域からの撤退を決意する。

 非常に遺憾だが、肝心の結界殺しが機能せず扉も破れなかった以上、作戦は失敗した。

 何よりあれは自分達だけではあまりにも手に余ると判断したのだ。

 あんな超広域への攻撃はどれだけ数を集めても同じだろう。生半可な兵では死ぬだけだ。

 最低でも幹部が複数。更に精鋭を集めて当たる必要がある。その上で、可能であれば魔王の血族だけが持つスキルの恩恵が欲しい。シルビアがそう思うほどの手合いだった。

 

「帰りましょう。帰れば、また来られるから」

 

 反対意見は出なかった。

 

 

 

 

 

 

 また一段階遠くなった夜空の下で、あなたは冒険者カードを取り出した。

 何匹かクレーターの中に侵入していたモンスターがいたようだが、人間の殺害数は増えていない。とりあえずダクネスは生きているようだ。恐らくはめぐみんも。

 

 最悪の場合は復活の魔法を使えばいいだけだが、カズマ少年に渡した保険(魔道具)は役に立っただろうか。

 あなたがカズマ少年に渡した保険とはウィズの店で購入した、食べると魔法抵抗力が下がる代償として魔法が効かなくなるくらい物理防御が上昇する罠餌こと防御用アイテムである。

 一度食べさせたベルディアによると、イチゴ味で意外と美味しいらしい。

 

 めぐみんとダクネスの無事を思っていると、遥か遠く、仄かに明るい祭の会場の方角から歓声が聞こえてきた。

 数キロ先にいるあなたの元に歓声が聞こえてくる辺り、紅魔族達は相当に盛り上がっているようだ。

 

 会場にテレポートは登録していなかったので駆け足で明かりの方に向かっている途中、あなたはめぐみんとダクネスに追いついた。

 めぐみんは黒の鎧を着込んだままダクネスに背負われているが、これといって大きな怪我をしているようには見えない。意識もハッキリしている様子だし、いつものように魔力不足でぶっ倒れたのだろう。

 

「おっきいのがいっぱいでしゅごいの! しゅごくしゅごかった!!」

 

 あなたが二人の状態をつぶさに観察していると、赤ら顔のダクネスが子供のようにキラキラとした目をあなたに向けてきた。

 鎧が盛大に煤けているがこちらも怪我はしていないので彼女の欲望は満たせなかったと思われる。

 

「ああ、残念ながらめぐみんが上手い具合に迎撃してくれたおかげで直撃は無かった。……だが無数の流星が私に目掛けて押し寄せてくる絶望感と高揚感は今まで生きてきた中で経験したことが無いものだったな! 次は鎧やアイテムの守り無しで直接食らってみたいのだが、どうだろう……もがっ!?」

 

 ダクネスが自分のペット(仲間)になれば彼女はさぞ強くなれただろうに。実に残念だ。あなたはそう思った。

 それはそれとして、趣味に生きるのは大変結構なのだが、こういう時は非常に反応に困る。

 自身の被虐性癖をあなたで満たそうとせんと欲すお嬢様(火炎瓶は投げない)を兜を押さえつける事で黙らせたのはめぐみんだ。

 

「ふ、ふふふふふ……ふははははははは!! どうです見ましたか!? 私の爆裂魔法があなたの星落としを見事に砕きましたよ! この! 紅魔族随一の天才である私の! 爆裂魔法が!! これで爆裂魔法の方が上だと理解できましたか!? これでもうネタ魔法だなんて呼ばせませんよ!!」

 

 背負われながらも大声で笑いながらダクネスの兜をべしべしと叩き、渾身のドヤ顔を見せ付けてくるめぐみんは目が興奮で真っ赤になっている。

 最強魔法の名と紅魔族随一の天才の称号に違わぬ見事な爆裂魔法にあなたは素直に賞賛を送ったのだが、何故かめぐみんはそんなあなたが気に入らなかったようだ。

 

「…………っ」

 

 彼女は少しだけ傷ついた顔をしたかと思うとそっぽを向いて臍を曲げてしまった。

 凄まじいまでのテンションの下がりっぷりだ。一体どうしたのだろう。

 あなたが目線でダクネスに助けを求めると、少し考えた後、彼女はこれは私の勝手な予想なのだがと前置きしてこう言った。

 

「めぐみんは勝負に負けたあなたに悔しがってほしかったのではないのか? めぐみんにとってあなたは目標なのだろう? あなたがあまりにもいつも通りだからめぐみんは自分や爆裂魔法の事などどうでもいいと思われている、眼中にすら無いと感じたのでは?」

「別に、そういうわけでは……」

 

 ダクネスの言葉をきっぱりと否定せず拗ね続ける可愛い妹分に向けてあなたは告げる。

 悔しがるも眼中も何も、自分は最初からめぐみんの爆裂魔法がメテオを砕けないわけがないと思っていたのだから、悔しがる理由がどこにも無い、と。

 

「……へ?」

 

 あなたの言葉が誤魔化しではないと理解したのだろう。めぐみんはぱちくりと目を瞬かせた。

 彼女は何か勘違いしているようだが、そもそもあなたは一度たりともメテオが爆裂魔法を上回っているとか爆裂魔法はネタ魔法だのといった旨の貶める発言をしていない。

 勝負の発端もあなたのメテオが紅魔族の琴線に触れたのをめぐみんが気に入らなかったのが始まりであって、あなたは終始一貫してめぐみんに付き合うというスタンスを崩していない。

 

「そ、そうでしたっけ?」

「確かに言われてみればそうだな」

 

 メテオは効果範囲と燃費だけは爆裂魔法を上回っている。だが、それがどうしたというのか。

 この世界では火炎魔法が強力という事情を差し引いても、範囲内の敵味方全てに降り注ぐ超広域無差別攻撃魔法など使える場面があまりにも限られすぎている。

 それどころか火炎に無敵になるのが難しい以上、気軽に味方を巻き込めないのでノースティリス以上に産廃魔法と化している。

 

 あなたはあらゆる耐性を貫通してダメージを与える爆裂魔法を極めて高く評価しているし、実際に自分で覚えたいと考えている。そうでなければ初対面の際に駆け出しだっためぐみんとパーティーを組んでみてもいいと思わなかった。

 アークウィザードの適性が無い故に爆裂魔法の習得は叶っていないが、この世界でめぐみんを擁するパーティーの次くらいには爆裂魔法の有用性を認めているという自負すらあった。

 爆裂魔法を習得するためだけに冒険者への転職すら考える事もある。

 

「わ、分かりました。もういいです」

 

 一方でメテオが輝くのはあなたがオークを駆逐したように圧倒的多数の敵を相手に単騎で特攻する時や国や世界に喧嘩を売る時くらいであり、効果範囲と燃費以外のあらゆる点において爆裂魔法が圧倒的に上回っているのは自明の理だ。

 そんな魔法を不世出の天才魔法使いが使っているのだから、メテオを砕くのは当たり前ではないか。

 

「もういいです! もういいですって! 私が悪かったですから! すみませんでした!!」

「褒め殺しは私もちょっと苦手だな……あれは恥ずかしいだけで気持ちよくない」

 

 わあわあぎゃあぎゃあ言いながら、めぐみんは耳まで赤くしてダクネスの背中に顔を埋めてしまった。

 

 

 

 微笑ましい気分になりながら熱気漂う焦げ臭いクレーターの中を歩いていると、ダクネスがあなたの背中をじっと見つめてきた。

 いや、彼女は背中というよりあなたの服を観察している。

 

「……ああ、不躾ですまない。私達がこうして魔法を防ぐ鎧を纏っているというのに、あなたは普段着なのだな、と思っていた。見たところ服は土砂で汚れているようだが全く焼けていないからどういう仕組みなのだろうかと。自分すら巻き込んでしまう魔法という話だったのでは?」

 

 勿論嘘ではない。

 あなたは思いっきりメテオの直撃を食らっている。

 服すら燃えていないのはあなたが常時着用している装飾品の力で炎に無敵になっているからだ。

 愛剣で強化していない以上、無効化しなくても実際のダメージは微々たるものなのだが、それについては伏せておいた。

 

「ならばわざわざ炎に強くなるアイテムや魔術師殺しを探したりせず、最初からそれをめぐみんに渡せばよかったのではないのか? ……いや、そうするとあなたの身の守りが危うくなるか」

 

 無論渡すという選択肢も考えていたが、それは最終手段にするつもりだった。

 めぐみんはあなたが装備を渡したとして素直に受け取っただろうか。

 勝負の相手からの施しは受けませんと言って頑なに拒む未来しか見えない。

 

「確かに一理あるな」

「うぐっ……」

 

 あなたの意見にしたり顔で同意するダクネスの頭を抗議するように杖で軽く小突くめぐみんだが、後衛の、それも精根尽き果てた今の彼女では可愛い抵抗でしかない。

 

「しかしあれだな、改めて思うが、あなたは随分とめぐみんに甘いというか、優しいのだな」

「えー……どこがですか?」

 

 ダクネスはめぐみんがメテオに耐えられるようにとあれこれと手助けした事を言っているのだろうか。

 あなたとしてもその自覚はある。

 敵意を抱かれるのとはまた違う、自身を目標にして突っかかってくる者など長らく存在しなかったあなたにとってめぐみんは友人にして弟子であるゆんゆんと同程度に稀有な少女なのだ。ついつい可愛がってしまうのも無理はないといえるだろう。

 

「……兄のようなものか。よかったなめぐみん」

「はぁ!? ダクネス、あなた何を言ってるんですか!? 百歩譲って兄のようなものだと思うのはダクネスの勝手ですが、言うに事欠いてよかったなめぐみんって! どういう意味ですか!?」

「めぐみんの母が言っていたが、子供の頃のめぐみんは両親に兄が欲しいとせがんでいたそうではないか」

「た、確かにそんな事を言っていた覚えがないわけではないですが、どうしてよりにもよってこんな頭のおかしいのが兄になるんですか! 悪い冗談は止め…………」

 

 言葉を途中で止めためぐみんがニヤリと笑い、あなたを見やる。

 あなたはとても嫌な予感がした。

 

 

()()()()()! 今日は私のワガママに付き合ってくれてありがとうございました!」

 

 

 突然の兄呼ばわりにあなたは噴出した。

 苦虫を噛み潰した表情を作るあなたを見てようやく一泡吹かせてやりましたと満足げに鼻を鳴らすめぐみんだったが、それどころではない。

 それはいわゆる核地雷ワードである。

 

 ただの呼称として兄を用いたあるえや年齢的な意味合いで兄と呼んだゆんゆんと違い、これ以上ないくらい完璧な流れとやりとりでめぐみんはあなたをお兄ちゃんと呼んだ。

 おまけに地雷を踏んだのがあなたが妹分だと認識しているめぐみんだというのが尚悪い。

 

 

 

《……すぞ》

 

 

 

 嗚呼、そして、やはりというべきか。

 あるいは遂にというべきか。

 

 ゆらり、と。

 あなた達の背後に蜃気楼のように空間を揺らめかせながら気配が現れた。

 本当に突然、何の前触れもなくそれはこの世界に現出した。

 

 突然足を止めたあなたと、後ろから聞こえてきた足音にダクネスが振り返る。

 

「今の私が外に出ていられるのはたったの三十秒。手早く終わらせるねお兄ちゃん」

 

 それはおもむろに二刀の紅刃を逆手に構え、右手に持った刃をめぐみんに向けた。

 あなたでもダクネスでもなく、めぐみんに。

 

「……女の子? こんな所に?」

「……!?」

 

 訝しげに眉を顰めるダクネスと顔を青くするめぐみん。

 めぐみんはあれの幻影を見た事があるらしいので目の前の存在の正体と目的を察しているのだろう。

 

「まず、まずいですよダクネス! 悪霊です! 悪霊が出ました!!」

 

 そう、悪霊()が自分を殺しに来たのだと。

 

「悪霊? いや待て、確かに怪しいが、どう見てもただの女の子ではないか」

「安楽少女を忘れたんですか!?」

「むっ……確かにあの子も緑髪だ」

 

 妹は安楽少女のように優しい相手ではない。安楽ならぬ残虐少女だ。

 神器を抜いたあなたはダクネスとめぐみんを庇うように前に立ち、遂に外に出てきたか、と憂鬱な気分になった。

 あなたはいつかこんな日が来ると思っていた。

 今までだって四次元の中から包丁を射出していたくらいだ。勝手に出てこられない道理は無い。

 

 だがよく見れば全身にノイズが走っている。やはり実際に本を読まなければ本当の意味で世界に出てくることはできないのだろう。

 あの忌もうと、もとい妹は限りなく実体に近い幻影といったところだろうか。

 

「ところでさあ。ヤっちゃう前に言っておきたいんだけど。ねえ、呼んだよね? 今確かに呼んだよね?」

「な、何をですか? 私は別に何も……」

「…………お前は私のお兄ちゃんを本当のお兄ちゃんっていう意味でお兄ちゃんって呼んだって言ってるの!」

「い、いえ、決して本気で呼んだわけでは……」

「そんなの関係ない! お前は私のお兄ちゃんをお兄ちゃんって呼んだ! だから私はお前を殺す! この場で八つ裂きにしてやるッ!! 他の誰にも渡さない!! そこは私の場所でここがお前の墓場だ!!」

 

 突然興奮したかと思うと殺意に満ち溢れた咆哮と共に速度を全開にして突っ込んでくる新緑の狂気にめぐみんが怯む。

 ダクネスは警戒を最大レベルに引き上げているが、理解が追いついていないのかその瞳には困惑の色が浮かんでいる。

 確かに初見でアレの言動を理解しろというのはあまりにも酷だろう。

 妹も昔はもっとマトモだったと思うのだがいつからこうなったのか。何しろ数十年以上前の話なのでよく覚えていない。

 

「朽ちて滅びろ紅魔族(クソビッチ)ッ!!」

 

 誰もが説得はおろか会話すら不可能だと一瞬で悟る相手をあなたは事も無げに迎撃。

 大太刀と二本の赤い包丁がぶつかり火花が散る。

 

 刃を受け止めながら、弱いな、とあなたは感じた。

 見てから余裕で反応が可能な鈍足っぷりもさることながら、それ以上に振るわれた刃は軽い。

 

 彼女とあなたの実力は本来完全に互角。

 少なくとも魔法や装備を使わない素のスペックは同等だ。

 

 必勝を期すのであれば愛剣を抜く必要がある相手だが、今の彼女は本体から分かたれた欠片の幻影。全開速度も能力もよくて本来の五分の一。数値にして四百もあればいいところだろう。

 得物も自前のものではなく、せいぜい良質止まりのルビナス製の包丁。神器持ちでフルスペックのあなたに勝てる道理は無い。

 

 相手も現状ではあなたを正面から突破できないと悟ったのか、ならばと左腕が投擲の体勢に入った。

 めぐみんを狙っているようなので溜息混じりに斬り飛ばす。細い腕が包丁と共に空を舞うが血は出ない。

 

「どいてお兄ちゃん! お兄ちゃんの妹は私でしょ!?」

 

 今一度四次元の淵に帰れ、招かれざるものよ。

 いい加減面倒になってきたあなたがげっそりしながら再度神器を振るうと、ごとりと妹の首は地面に落ち、あっけなく幻影は霧散した。

 

《……ちぇっ。やっぱり今の私じゃ無理かあ。お兄ちゃんのダメな所は時々優しすぎるところだよね》

 

 やれやれである。ここはノースティリスではないのだから、三時(惨事)のオヤツ感覚で気軽に死体を作るのは止めてもらいたいものだ。復活の魔法だってストックがそうあるわけでもないというのに。

 ぶーたれる毒電波のあまり可愛くないヤンチャを諌めていると、忌もうとに襲われかけためぐみんとダクネスが戦々恐々とあなたを見つめていた。

 襲い掛かってきたとはいえ、少女が問答無用で殺害されるというのは二人にとって中々にショッキングな光景だったらしい。

 

 説明するのは難しいが、先ほどの少女は呪いのようなものと思っておけばいいだろう。腕と首を落としたくらいで滅びたりはしないし今も元気にしている。

 あなたの言葉を証明するようにあなたの肩越しに飛んできた赤い包丁が二本、ダクネスの足元に突き刺さり、消えた。

 

「の、呪いならアークプリーストのアクアに頼んで浄化してもらえばいいのでは?」

 

 便宜上呪いと定義しているだけであって、本当に呪われているわけではないのでどんな強力な魔法でも解呪できない。実体を持った概念や共同幻想という名の呪いだ。

 口にしていなかった自分に非があるのは明白だが、とりあえずこういう事が起きるので、冗談でも自分をお兄ちゃんと呼ばないほうがいい。特に外見年齢が同程度のめぐみんは相当に呪い()からヘイトを稼いでいる。

 あなたの真摯な忠告はちゃんと通じたようで、二人は勢いよく何度も首を縦に振った。

 実際はあなたがめぐみんの事を勝手に妹分だと思っているのがヘイトを稼いでいる原因なのだが、それについてはあなたは口外しなかった。

 

 

 

 

 

 

 祭の会場に戻ったあなた達は案の定無数の紅魔族達に囲まれた。

 闇の中で爛々と輝く無数の赤い瞳は控えめに言ってホラーである。

 心の底から自分を慕ってくれていると分かるので暴力を振るうわけにもいかず、あなたはほとぼりを冷ますためにテレポートで会場から逃げ出した。めぐみんとダクネスに全てを押し付けたとも言う。

 

 テレポートで一足先に里に帰ってきたあなただが、すぐに里の様子がおかしいことに気が付いた。

 里の住人は全員が会場にいる筈なのに、複数の気配と慌しい物音を感じるのだ。

 

 自分を追ってテレポートで転移してきたのだろうかと考えていると、あなたは里の中を警戒しながら駆け足で進む魔王軍と思わしき魔族の一団を発見した。

 里の中に誰もいない以上、魔王軍が大チャンスとばかりに襲ってくるのは当然だろうなと考えるも、里の中から火の手は上がっていない。

 それどころか妙に慌てふためいている彼らは今のところ闇夜に紛れたあなたに気付いていないようだ。

 

「もうやだアタイおうちかえる!」

「シルビア様、お急ぎください!」

「言われなくても分かってるわ、撤退よ撤退! 作戦は失敗! 砦は破棄! ああもう魔法的な封印じゃないだなんて聞いてねーぞクソが! 占い師の奴つっかえねーなマジで!」

「落ち着いてくださいシルビア様、出てます、めっちゃ地が出てます!!」

 

 どうやら逃げる途中だったようだ。あなたは彼らを放置しておく事にした。

 破壊行為の最中だったのであれば襲っていたが、引くというのであれば追う理由は無い。

 

「ちょっとアンタ、結局それ盗んできたの!? そんな危ないもの抱えてないで捨てなさいな! ポイしなさい! 逃げるのに邪魔だし、いきなりボンってなったらどうすんのよ!!」

「ああ、俺の物干し竿が……」

 

 シルビアと呼ばれた褐色肌の魔族が一人遅れて走る鬼族が持っていた細長い何かを無理矢理手放させた。ガシャリ、と音を立てて地面に落ちるそれを名残惜しそうに見つめながら去っていく鬼族。

 

 あなたは魔王軍が去った後、彼らが戻ってこないことを確認し、その場に残された物を拾い上げた。

 鬼族が物干し竿と呼んだそれの長さは三メートル強。なるほど、物干し竿として使おうと思えば使うことができるだろう。

 全身は銀色で塗装されており、後部のトリガーの周辺は未知の機構で作られている。

 

 引き金(トリガー)

 そう、これは銃だ。

 それも回転式拳銃(リボルバー)のような、あなたでも仕組みが理解ができる簡単なものではなく、複雑な機械の塊の銃。

 細部こそ違えど、友人が作った凶悪極まりない光子銃(レーザーライフル)を彷彿とさせるそれはあなたが見てきたこの世界の技術で作られたものとは思えない。魔術師殺しやデストロイヤー、カズマ少年と女神アクアがご執心のピコピコと同じように。

 

 ノースティリスの恐怖の代名詞の一つである独特の銃声に思いを馳せながら、あなたは月光を反射して光り輝く銀の銃に鑑定の魔法を使う。

 結果、これこそがあなたの捜し求めていた魔法を圧縮して撃ち出す武器だということが判明した。

 名前はレールガン(仮名)。(仮名)までが名前である。

 手記に書かれていた通り、魔法を吸い込んで銃弾にするそうだが、鑑定の魔法の効果があるのは攻撃魔法ではないからか、あるいは異世界の魔法だからか。

 

 

 ――シルビアだ! シルビアがいるぞー!!

 

 ――今日こそ捕まえて魔法の実験台だああああああ!!

 

 ――まさか墜星の魔導剣士さんはシルビアに気付いてたった一人で戻ったのでは!?

 

 ――おのれ卑劣な魔王軍どもめ! 俺達の留守を狙うだなんて許しちゃおけねえ!!

 

 

 紅魔族が逃げたあなたを追って転移してきたらしい。

 遠くから聞こえてくる複数の紅魔族の声を耳にしながら、あなたは四次元ポケットの魔法を詠唱した。

 

 

 

 その日、魔王軍幹部シルビア率いる魔王軍は紅魔の里の制圧を諦めて一帯から撤退していった。

 服屋に代々伝わる由緒正しい物干し竿を盗んで。

 

 おのれ魔王軍め、正面からでは紅魔族に敵わないからと夜襲を選び、更に夜襲に失敗した腹いせに罪無き服屋の物干し竿を盗んでいくとはなんと卑劣な連中なのか。恥を知るがいい。

 

 あなたは窓から夜空を見上げながらまだ見ぬ強敵に義憤を募らせるのだった。

 それはそれとしてレールガン(仮名)はあと一回使ったら壊れるようなので使わずに大事に保管して友人に改良してもらおう。

 

 

 

 

 

 

「がああああ!!」

 

 後に星の夢と歴史書に刻まれる事になる夜から一日経った朝。

 濁った悲鳴であなたは目が覚めた。

 すわ何事かとリビングに向かってみると、なんとパジャマ姿のゆんゆんがあるえにアームロックを仕掛けていた。

 もう一度言う。パジャマ姿のゆんゆんがあるえにアームロックを仕掛けている。

 ゆんゆんは穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって新たな力に目覚めた状態から更に強い怒りで覚醒したかのように無表情だった。だが目は真紅に光っているので滅茶苦茶怒っている事は分かる。

 

「ノー! ユーダメ! コウマパワーキンジラレタチカラ!」

 

 必死に叫ぶあるえは涙目で錯乱している。レベル差もあって抜け出せないようだ。

 とりあえずそれ以上いけないとやんわりとあなたはゆんゆんを止めた。

 

「あ、ありがとうお兄さん。酷い目にあったよ……私は徹夜で書き上げた新作を持ってきただけなのに……」

 

 底冷えするゆんゆんの凍て付いた瞳を受けても全く懲りない、悪びれないあるえには感服の意を示したい。

 

「今回の外伝はお兄さんと紅魔族の裏切り者であるめぐみんが対決する話だよ! めぐみんはゆんゆんのライバルにして力を求めて魔王軍に寝返った悪の魔法使いで……」

 

 あるえは自殺志願者なのだろうか。

 そろそろゆんゆんが師であるウィズの氷の魔女という異名を襲名しそうになっているのだが。

 

「外伝ばっかり書いてないで本編の続きを書いたら?」

「ぐっ……! こ、これは過去編だから。前世代の話は本編に欠かせない話だから……!」

 

 痛いところを突かれた、とでも言うようにあるえはふらつき、震え声で釈明を始める。あなたは何故かとても辛い気持ちになった。

 

「……まあいいけど。あと前から聞きたかったんだけど、あるえの書いてる小説の中であるえはどうなってるの?」

「ふむ、私かい? 私は永き時を孤独に生き続け、世俗に飽いて隠遁した賢者として主人公たちに助言を与えるお助けキャラとして登場する予定だね」

 

 作者特権というやつだろうか。

 あるえが語る自身のキャラはやけに美味しいポジションな気がした。

 ゆんゆんも同意見のようで、じっとりとした目を向けてぽつりと呟いた。

 

「……あるえの紅魔族随一のえっち作家。いやらしさん」

「酷すぎないかい!?」

 

 

 

 

 

 

 あなたはゆんゆんと共にテレポートでアクセルに帰ってきた。

 カズマ少年達はもう少しピコピコで遊んだり観光してから紅魔族の里発アクセル着のテレポートサービスで帰るそうだ。

 

「あの……私の地元は、紅魔の里はどうでしたか?」

 

 あなたが引いている、土産物が満載された引き車を見ながらのゆんゆんの問いかけにあなたは一瞬だけ答えに窮した。

 

 紅魔の里は悪いところではなかったが、そこに住まう紅魔族は誰も彼もがあまりにも好意的すぎた。こうして里中の人間が嬉々として抱えきれないくらいの量の土産物を持たせてくれるくらいに。

 あなたは邪険にされたり敬遠されるのに慣れていても、アイドルの如き扱いには慣れていないのだ。

 彼らのあなたへの下にも置かない歓待っぷりは他に類を見ないほどで、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。

 紅魔の里で暮らすくらいならあなたはアルカンレティアを選ぶだろう。

 

 だがいい所である事は確かなので、ほとぼりが冷めた頃にでもまた遊びに行きたいとあなたが正直に答えるとゆんゆんはとても喜んでいた。

 友人が自分の故郷を好きになってくれて嬉しかったのだろう。例え自分の感性からは離れすぎた場所だったとしても、あそこは彼女が生まれ育った場所なのだから。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなを経てあなたは無事に自宅に戻ってきた。

 色々な事があった旅だったが、おおむね楽しかったと言える。

 時間にしてみれば一週間も経っていないのだが、濃いイベントの数々にあなたはまるで数ヶ月ぶりに帰ってきたかのような錯覚を覚えていた。

 

「ふんふんふーん」

 

 自宅の横のウィズ魔法店の前では箒を持ち、耳に心地よい鼻歌を歌いながら地面を掃いているウィズの姿が。

 看板猫のマシロは丸くなって日向ぼっこをしている。

 あなたが近づきながら声をかけると、魔法店の店主にしてあなたの同居人はパッと勢いよく振り返り、柔和な美貌を綻ばせた。

 

「……おかえりなさいっ!」

 

 ウィズはいつも通りの、誰もが見惚れる素敵な笑顔であなたを出迎える。

 春の陽だまりのようなぽわぽわりっちぃの笑顔に、あなたも自然と笑みを零した。

 同居を始めて早数ヶ月が経過したが、彼女はいつだって心の底から嬉しそうにあなたにおかえりなさいと言ってくれる。

 

 おかえりなさい。

 

 たった七文字の言葉だが、ウィズにとってそれがどれほど重い意味を持つものであるか、今のあなたは熟知していた。

 だからこそ、いつだってあなたは帰宅した際、彼女に最初にこう言うと決めている。

 大切な『友人(特別な人)』に、たった四文字の簡単な言葉にありったけの心を込めて。

 

 

 

 ただいま、と。



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第79話 超合金アーマードベルディアDX

 あなたの自宅のリビングにはテーブルを挟む形でソファーが並んでおり、その内の一つはあなたの専用の座席になっていたりする。

 ウィズがあなたにどうぞ使ってくださいと買ってきたふかふかのクッションが置いてある事もあって、なんとなくいつも同じ場所に座ってしまうのだ。

 一つのソファーは二人用であり、あなたの席の右隣にはもう一つ、あなたのものと色違いのクッションが置かれているわけだが、これはウィズのクッションであり、あなたの隣は半ば彼女の指定席となっている。少なくともあなたはベルディアがあなたやウィズの指定席に座っているのを見たことが無い。あなたの隣に座ったバニルが無言でウィズに背中を押されているのを見たことはあるが。

 

 勿論今日はバニルがいないのであなたの隣にはいつも通り、にこにこと微笑むウィズが座っている。

 彼女が隣にいるだけで不思議と温泉に浸かった時やユニコーンの角を使った時以上の心の安らぎを得られている辺り、凄まじいまでのぽわぽわっぷりだ。温泉好きが高じて全身から癒しの波動でも出しているのかもしれない。

 

「昨日の流星群、凄かったですよね」

 

 そんなウィズはお店を開ける時間まで少しあるのでせめてこれだけでも、と帰宅してくつろぐあなたに甲斐甲斐しく紅茶を淹れてくれたわけだが、お茶受けとしてお土産の饅頭を開封したあなたにそう言った。

 

「アルカンレティアの方角で大規模な流星群が観測されてここでも結構な騒ぎになったんですが、そちらではどうでしたか?」

 

 彼女はメテオのことを言っているのだろう。

 アクセルから紅魔の里は結構な距離があるので具体的に何が起きたかまでは伝わっていないようだが、メテオを使ったのが夜間ということもあってかなり目立っていたらしい。

 

「へ、へえ。そうなんですか」

 

 あなたとめぐみんによる一連の事件について語って聞かせると、紅魔族のように劇的な反応ではなかったが、ウィズはそわそわとあなたを横目で覗き見し始めた。

 あなたを心配していないわけではないようだが、こうして怪我一つなく無事に帰ってきてくれたんだから私が何かを言うのもおかしいですよね、という雰囲気だ。むしろそれ以上に凄腕アークウィザードとして星落としの魔法に興味津々な様子にあなたは微笑ましい気分になる。

 しかし残念ながらメテオは轟音の波動と同じく異世界の魔法であり、魔法書が存在しない以上取得手段が極めて限られている魔法なので教えることはできないわけだが。

 

「いえ、その……もしよろしければ後学のために一度見せてもらえないかなあ、なんて……」

 

 使うのは構わないが、紅魔の里近郊の平原で再びメテオを使う気は無い。

 他にそういった滅茶苦茶にしていい場所に心当たりが無い以上、あなたはメテオが使える場所がシェルターくらいしか思い浮かばなかった。

 

「あ、そういう魔法なんですね」

 

 あなたから諸々の説明を受けたウィズは苦笑いしてメテオが見てみたいという前言を撤回した。

 それならそれで構わないが、とお茶を飲みながらゆんゆんとの道中や紅魔の里で体験してきた、騒がしくも楽しかったあれこれに関する土産話をする。

 ここ数日間、あなたは殆どゆんゆんと行動を共にしていた以上、必然的に彼女の話もすることになった。

 

「…………」

 

 そうして族長に婿入りがどうのこうのという笑えない冗談を言われたことなどを面白おかしく話していると、こつんという感触と共に肩に重みが加わった。どうしたのだろうと横目で見やったあなたの視界には、肩に頭を乗せてきたウィズの栗色の毛が。

 

「……あなたは、これからもここに帰ってきてくれますよね?」

 

 ウィズは突然何を言い出すのだろう。

 彼女の発言におかしくなったあなたは思わず小さく笑った。

 

「わ、私、何かおかしな事を言いましたか?」

 

 これがどうして笑わずにいられるだろうか。

 ここはウィズの自宅であると同時にあなたの自宅だ。同居人であるウィズに出て行けと言われない限りはどこかに居を移す気は一切無く、そして自分の家に帰るのは当たり前のことだ。

 もう一度言う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……そう、ですね。そうでしたね」

 

 表情こそ見えなかったが。

 あなたは自身の隣に座るウィズが微笑んでいる気がした。

 

 

 

 

 

 

 暫くの間二人きりで会話の無い静かな、しかし決して苦痛ではない時間を楽しんだ後、仕事に行ったウィズを見送り、残されたマシロと戯れているとベルディアが起床してきた。

 

「もう帰ってきたのか……もっと長居してきても良かったんだぞ?」

 

 開口一番、帰宅したあなたをうっへりとした顔を隠そうともせずに出迎えたベルディアの発言がこれである。ウィズとは大違いだ。

 ペットの大変心の篭った歓迎の挨拶を受けながらあなたがハーブ漬けの期間は残り二日である事を告げると、ベルディアはほら来た! と嘆きの声をあげた。

 

「で、今度は誰が犠牲になった? もう誰が死んでも俺は驚かんぞ」

 

 死人が出ること前提で話を進めるのは止めてもらいたいものだ。

 今回の旅行にあたり、あなたは幹部を含め、魔王軍を誰一人として殺していない。群がってきた性欲旺盛なオークを998匹ほど屠殺しただけである。

 

「ご、ご主人が珍しく世の中の為になることをやっているだと……明日は槍でも降ってくるのか?」

 

 常日頃から世のため人のために冒険者として働いている者に対して随分と酷い言い草をする元魔王軍幹部だが、心優しいあなたはそんな彼にも土産を用意している。少しは喜んでくれると良いのだが。

 

「土産物? ウィズじゃなくて、俺に?」

 

 もちろんウィズにも土産は大量に持って帰っている。用意しないわけがない。

 それはそれとして、あなたがベルディアに用意した土産は非常に大きいものであり、家の中では出せないし庭で出すというのも目立ちすぎるだろう。

 よってあなたはベルディアと共にシェルターに降りることにした。

 

「なんだなんだ……何が出てくるんだ……」

 

 戦々恐々としていたベルディアだったが、あなたが取り出したそれを見て彼は目を丸くしていた。

 

「…………でかっ」

 

 さて、あなたがベルディアへの土産と称して四次元ポケットの中から取り出したのは、かつて紅魔族に魔術師殺しと呼ばれていた鋼の大蛇だ。

 めぐみんとダクネスの鎧を作製する為に解体された結果、頭部から胴体にかけて三割ほどが消失しているものの、依然として魔術師殺しは十メートル以上の巨体を誇っている。デストロイヤーのように対魔法防御を結界に依存していたわけでもないので魔法防御も据え置き。

 ただし機体の中枢ともいえる箇所が頭部に集中していた為、燃料を確保したとしても魔術師殺しが稼動することは二度と無い。

 

 そんな魔術師殺しがあなたの手元にある理由だが、これは決して盗んだわけでも落ちていたものを拾ったわけでもない。

 

 ゆんゆんの父親である紅魔族の族長が先日の祭でとてもいい物を見せてもらったうえに、新たに観光地を作ってくれたお礼に欲しい物はないかとあなたに聞いてきたのだ。彼らはあなたの作ったメテオの跡地を観光施設にするのだという。

 ウチの娘とかオススメですよ、ピチピチの十四歳ですよ、今なら次期紅魔族族長の夫という地位も付いてきますよ、という笑えない冗談には流石のあなたも閉口させられたものの、折角だからと駄目元で魔術師殺しを要求してみたところ、なんと快く譲ってくれたのだ。

 まさか本当に貰えるとは思っていなかったので若干面食らったあなただったが、くれるというのでありがたく受け取った次第である。

 なお娘をノースティリスの冒険者に売りに出そうとしていた薄情極まりない父親は顔を真っ赤にした娘にグーでぶっ飛ばされていた。多感な年頃の少女にあんな事を言えば殴られるのは当然だろう。

 

「元置いてあった場所に返してこい!」

 

 あなたが取得の経緯について説明すると、ベルディアは捨て猫、あるいはペット(仲間)を連れてきた子供を叱る母親のような口調であなたを怒鳴りつけた。

 猫はウィズの店の看板猫であるマシロがいるし、ペットもモンスターボールの在庫が無い以上、ベルディアだけで十分間に合っているのだが。

 

 ちなみに元々普通の子猫だったマシロは、ウィズとベルディアに溺愛され、毎日ドラゴンの肉などの良質の食事を与えられた結果、普通の猫とは比較にならないほどに強くなった。

 具体的には中堅の冒険者と一対一でいい勝負ができる程度には強い。ギルドに連れて行ったら冒険者登録すらできるのではないだろうか。

 

「デストロイヤーといいこれといい、なんでご主人はそういうのばっかり集めてくるかな……」

 

 ただの趣味であると答えたあなたを白い目で見やるベルディア。

 

「この物好きめ。世界征服の為の方がよっぽど可愛げがあるぞ」

 

 何故そこで世界征服が出てくるのかは分からないが、あなたは世界征服になど興味は無い。

 ベルディア曰く性欲も名誉欲も薄いというあなたにあるのは物欲とそれに付随する金銭欲である。物欲を合法的に満たすためには決まって多額の金が必要になるのだ。

 

 世界征服という言葉そのものと世界を手中に収めるというスケールの大きさには若干憧れなくもないが、悲しいかな、あなたに政治的な能力および権力欲は絶無である。

 能力はともかく、権力欲に関してはあなたが理由があれば王侯貴族だろうが容赦なくぶち殺される世界出身の人間であることと決して無関係ではない。

 街の一つや二つなら経営してみるのも面白いかもしれないと思っているが、流石に国家運営となると荷が重過ぎる。

 

 世界滅亡なら時と場合によってはやるつもりだが。

 

「一般的に殺すより生かす方が難しいとは言うがな……参考までにご主人が世界に喧嘩を売るようになる原因を聞いておいてもいいか? まあ大体予想はついてるんだが」

 

 それは勿論ウィズの死、あるいはウィズの迫害だ。

 あなたは自身が迫害された場合はほとぼりが冷めるまで適当に姿を晦ませればいいと思っているが、ウィズがそうなった場合はジェノサイドパーティーである。

 流石にウィズが存命の状態で世界を滅ぼすと心優しいウィズは悲しむだろう。よってこの国を含む大国を二つか三つほど滅ぼして二度と彼女に手出しする気が起きなくなる程度で済ませるつもりだ。

 

「わぁいごすずんすごくやさしい……ってこえーよ馬鹿! そんな今日の夕飯のメニューを決めるみたいな気軽なノリで国を滅ぼすとか言うな! ごすはどんだけウィズの事が好きなの!?」

 

 あなたは『友人』(特別な存在)の為ならば命を懸けるし世界を滅ぼす事すら厭わない人間だ。

 ウィズを守るためならばどれだけの人間を手にかけようと知ったことではない。

 

「邪悪の化身か! 魔王軍の幹部をやってた俺でも普通に引くわ!」

 

 ベルディアは何を言っているのだろう。あなたは不思議な気持ちになった。

 あなたにとって彼女は『友人』(特別)なのだからこれくらいは当たり前なのだ。

 

「予想以上のご主人のアレっぷりに興味本位で聞くんじゃなかったと思わずにはいられない……ウィズが終末のラッパ吹き(トランペッター)すぎる……。何、ご主人の生きてた世界ってこんなのばっかなのか?」

 

 自分のような連中しかいないのか、と聞かれると難しいところである。

 あなたは人を人と思わないのがデフォルトな廃人連中の中では()()()善良かつ自制心が強く癖も無い、身も蓋も無い言い方をするとマトモな人間性を持っている方であると世間一般では認識されているからだ。

 あなたとしては特に理由も益も無いから他者を害していないだけなので、自身が善良であるかについては大いに疑問が残るわけだが。

 

「はい止め止め、この話止め! 聞いてるだけで気が滅入ってきた!」

 

 俺は何も聞かなかった。頭がおかしい。知りたくない。凄くサイコパス。

 そう主張するベルディアはガックリと肩を落とすのだった。

 

 

 

 

 

 

「で、実際問題こんなデカブツを土産にして俺にどうしろと。旅行の土産物なんぞご主人にしか貰ったことが無い俺としては気持ちは嬉しいが部屋には置けんぞ」

 

 勿論《合体》である。

 あなたは魔術師殺しがベルディアの強化パーツになりそうだと思ったのだ。

 持ち運びに関しては紅魔族の里で売っていた収納用のマジックアイテムを買ってきたのでこれを使ってもらうつもりだ。お値段は二千五百万エリス。

 

「が、合体!? つーか今強化パーツっつったか!?」

 

 何か問題でもあっただろうか。

 

「狂ってんのか馬鹿! サイコ! どう考えても問題しかないだろ! そもそも合体って言われても、こんなわけの分からん鉄のガラクタとどうやって……いや待て。まさかあの俺の首をくっつけたり飛ばしたり変な音が鳴る正体不明のトンデモスキルでやれと!? 俺が、これと!?」

 

 あなたが無言で頷くと、ベルディアはあなたと魔術師殺しから背を向けた。

 

「実家に帰らせてもらう」

 

 引き止める前にあなたは疑問を抱いた。

 帰るといってもベルディアはどこに帰るというのだろう。ベターな選択肢としては魔王軍だが、元々ベルディアは人間だ。魔王軍は実家ではないだろうし今更あなたを裏切るとは思っていない。その程度にはあなたは彼を信頼も信用もしている。

 そもそもベルディアの実家および生まれ育った故郷はモンスターの群れに襲われて跡形も無く壊滅したと以前ベルディア本人が言っていたわけだが。

 

「畜生、そういえばそうだった!」

 

 ぶつくさ言いながらも魔術師殺しに触れるツンデレデュラハン。

 無実の罪で処刑されたことといい、生前の話がゆんゆんとは別の意味で地雷原なベルディアは素直に合体する気になったらしい。

 

「本当は死ぬほど嫌なんだが、合体と分離の権利はご主人にもあるからな……。ご主人の事だから俺を半殺しにして意識が無くなったところを無理矢理合体させる、みたいな畜生行為を平気でやりそうで怖い」

 

 笑いながら否定しつつ、ペットの勘の良さにあなたは内心で舌を巻いた。

 そして久方ぶりにベルディアは合体スキルを発動させ、そして光に包まれ……。

 

「……なるほど、なるほどな。そう来たか」

 

 頭上から聞こえてきた声にあなたは満足げに頷く。

 実験、もといあなたの目論見は見事に成功したようだ。

 合体スキルを使用した結果何が起きたかというと、ベルディアの腰から下が魔術師殺しと一体化したのである。

 足の代わりに長大な鋼色の蛇の胴体が生えた結果、ベルディアの身長は十メートルを超えた。

 

「うん、まあ、俺が想定していた最悪の状況よりずっとマシではある」

 

 苛立たしげに尾の先を地面に叩きつけながら溜息を吐くベルディアだが、声色からして彼が嘘を言っているようには思えない。

 自分がどんな姿になると予想していたのか知りたいところである。ちなみにあなたは蛇の胴体からベルディアの手足が生えてトカゲのキグルミのようになると思っていた。

 

「だがすまんご主人。正直これはちょっと微妙だと言わざるをえない。確かに強いといえば強いと思うのだが、この図体だと武器が使い辛すぎるぞ。普段使ってる剣が小枝くらいにしかならん」

 

 レベルアップで凶悪になった死の宣告(お前一時間後に死ぬかんなー!)を適当にぶっぱするなら有りだと思うが、と続けるベルディアだが、なるほど、とても納得のいく言葉である。これでは戦士としてのベルディアの強みを全く活かせない。

 ベルディアは身の丈ほどの大剣を使うことを好むが、今の彼は全長十メートル以上の巨大なラミアのような姿をしている。

 体当たりなどの巨体を活かした攻撃はできるだろうが、そんなものはベルディアでなくてもできる。

 

 少し残念に思いながらもあなたが分離を指示するとズシンと魔術師殺しが音を立てて崩れ落ち、ベルディアは事も無げに地面に着地した。

 

「よし、ある。俺の足は両方とも付いてる。ビジュアル的に完全に丸呑み寸前だったからな……折角首がくっついたのに今度は足が無いとか笑い話にもならん。つーか俺はキメラかよ……そういえば昔の同僚に他者を飲み込む奴がいたな……」

 

 ほっと息を吐きながらぺたぺたと自分の腰や足を触り始めるも、やがて顎に手を当てて思案を始めたベルディアにどうしたのかとあなたが問いかけてみると、彼はやがてこう答えた。

 

「いや、今まで考えた事が無かったが、コクオーと俺がスキルで合体したらどうなるんだろうな、と」

 

 首を繋げただけでベルディアが満足してしまったから、という理由もあるが、確かにあなたもベルディアも今まで合体スキルについて真剣に考えたことは無かった。

 魔術師殺しのような機械はともかく、生物に合体スキルを使った場合はどうなってしまうのだろう。

 興味深くはあるが、普通に騎乗スタイルになるのではないだろうかとあなたは考えていた。

 あるいは遺伝子合成にぶち込んだ時のように異形と化す結果に終わることも十二分に考えられるが、彼には合体スキルと対を成す分離スキルがある。取り返しがつかないことにはならないだろう。

 

「物は試しということでやってみるか。魔術師殺しと合体してもあんな感じだったし、あんまり妙なことにはならんだろ……多分」

 

 ベルディアの上半身と下半身が分離して下半身だけが地面に捨て置かれることになるかもしれないが、その時はその時だ。

 

「ぼそっと恐ろしい事を言うな!!」

 

 さて、召喚に応じたコクオーは自身が謎スキルの実験台になることに対して非常に難色を示したが、契約者であるベルディアの説得で何とか合体することに応じてくれた。

 果たしてその結果は。

 

「……ふむ、意外に悪くないな。足が四本あるというのには違和感があるが、これくらいならすぐに慣れそうだ」

 

 蹄の音を鳴らしながら地面を駆ける四本足のベルディア。

 魔術師殺しとの合体では丸呑みにされたように見えていたが、コクオーと合体したベルディアの上半身は現在コクオーの首があった場所に生えている。

 やけに違和感がないというかしっくりくる姿だが、コクオーの首とベルディアの下半身はどこに消えたのだろう。

 というかコクオーの意識はどうなっているのか。

 

「下半身は分からんが、コクオーの意識は俺と共にある」

 

 愛馬の魂は自分と共に在る。

 とてつもなく紅魔族が喜びそうな雰囲気の台詞だ。

 

「なんだろうなこれは。言葉にするのが難しいが、文字通りの一心同体というか、自分の中に自分以外の意識があるが、それが不快なわけでもなく。それと、こんな感じのモンスターをどっかで見た覚えがあるんだが」

 

 興味深そうに自身の姿を見下ろすベルディアは人馬の魔族、ケンタウロスにそっくりだ。

 

「ああ、確かに言われてみればケンタウロスか」

 

 ところでこの状態で更に魔術師殺しと合体したらどうなるのだろうか。

 好奇心を前面に押し出したあなたの提案を受け、ベルディアはじっとりとした目を向けてきた。

 

「前々から薄々感じていたんだが、もしかして、いや、もしかしなくてもご主人は俺の事を遊んで楽しいオモチャか何かと認識してらっしゃる?」

 

 とんでもない、とあなたは首を横に振った。

 ベルディアはあなたにとって大事なペット(仲間)である。

 あなたは純粋にベルディアの願いに応えるべく彼を強くしたいと思っているのだ。

 

「お、おう。そうか……」

 

 だからもう一度魔術師殺しと合体してほしい。

 あなたの真摯な瞳にベルディアは渋々といった感じで要望を受け入れてくれた。

 

「……今回だけだぞ。変な事になったら二度とやらんからな」

 

 自分の契約者がチョロすぎて泣けてくる。

 あなたはコクオーがそんな溜息にも似た嘶きを発した気がした。

 

「合体!」

 

 おお、とあなたは思わずその光景を見て感嘆の声を上げた。

 まるで鎧のように、コクオーとベルディアをバラバラになった魔術師殺しが覆ったのだ。全身を鋼色で染上げたその姿はさながら甲冑騎士か。

 あなたから見ても素直にカッコイイと感じられるその姿は紅魔族が見れば大興奮間違い無しだ。

 

 あなたからしてみればこれは予想外の事態であり、同時に非常に喜ばしいことでもあった。

 めぐみんとダクネスが纏っていたように、魔術師殺しの鎧は魔法に極めて高い耐性を持っている上に生半可な金属よりも硬い。

 回復魔法も阻害してしまうのが欠点だが、もとよりベルディアはアンデッドだ。この世界の回復魔法は害にしかならない。

 コクオーの防具という観点でも非常に優秀なのではないだろうか。

 

 そうして魔術師殺しが完全に鎧と化して合体が終わり、最後にベルディアの目に赤い光が灯った。

 まるで紅魔族のように赤く紅い光が。

 

 

 ――ぐぽーん。

 

 

「…………はぁ」

 

 光と共に音が鳴り、あなたはベルディアから目を背けた。ぐぽーん。

 首の時のブッピガンに続いて二つ目の怪音である。ぐぽーん。

 折角いい感じだったのに、あまりにも酷いオチがついてしまった。彼はどこまで遠くに行ってしまうのだろう。ぐぽーん。

 

「……ほんと、本当にさあ! なぁ!!」

 

 怒声を発しながら兜を勢い良く地面に叩きつけたベルディアは半泣きだった。

 わなわなと肩を震わせ、拳を硬く握り締める彼の姿は哀愁すら感じさせる。

 

「なんなんだこのスキルは!! 何故こんな不条理なスキルの存在が罷り通っている!? 答えてみろ、天地を開闢せし神々よ!! こんなもんを俺に与えてどうしろと!?」

 

 ベルディアの乾いた叫びがシェルターの中に木霊し、興奮した彼に反応したかのように再び目が光って音が鳴った。ぐぽーん。

 

「クソが!!」

 

 口汚く神々を罵り始めるベルディア。

 だがこの時の彼は知らなかった。

 忌み嫌うこの力をもって、自身がアクセルの人々を、ひいては世界を救う事態になるということを……。

 

「シリアス顔で妙に意味深なモノローグっぽい台詞を呟くのは止めろ!!」

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜。

 ぎしり、という廊下の床を軋ませる静かな足音にあなたは目を覚ました。

 

「…………」

 

 泥棒でも入ってきたのかと思ったが、窓の外に映っていたのはベルディアだった。

 どこで買ってきたのか、とても大きくて立派な鏡を抱えてこそこそと足音を殺しながらどこかに向かっている。

 抱えている鏡は背の高いベルディアどころか、巨躯を誇るコクオーの全身すら映せそうなほどの大きさだ。

 鏡はともかく、彼はこんな深夜にあんなものを抱えて何をしようというのだろう。

 まさかウィズの部屋に行くとは思えないが、ベルディアの自室はあなた側の家の玄関から最も近い位置にあり、彼はそれとは逆方向に進んでいる。

 気になったあなたは気配を殺してこっそり後をつけてみる事にした。

 

「…………」

 

 万が一にでもベルディアがウィズの部屋のドアノブに手をかけた場合、その瞬間ベルディアは生まれた事を後悔してもらうつもりだったあなただが、幸いにも彼はウィズの部屋ではなくシェルターの中に入っていった。

 

 明日も合体したベルディアの耐久実験などをしようと思っていたため、現在シェルターの中央には魔術師殺しが鎮座したままになっている。

 なお、ベルディアが合体を解くと鎧と化した魔術師殺しは元通りの蛇型に戻った。実に摩訶不思議なスキルである。

 

 それにしてもここに足を運んだという事は彼の目的は深夜の自己鍛錬だろうか。それにしては鏡を用意した理由が分からないが。

 魔術師殺しの隣に鏡を置いたところで声をかけようと思ったあなただったが、その前に彼はコクオーを召喚した。

 

「よしよし、俺の言いたい事は分かるな?」

 

 やる気の無さそうなコクオーに右手で触れ、そして左手で魔術師殺しに触れながらベルディアは叫んだ。

 

「合体!」

 

 数時間前と同じようにベルディアとコクオーが一体化し、バラバラになった魔術師殺しが彼らを覆う。スキルが無事に発動しベルディアとコクオーと魔術師殺しが合体したのだ。

 謎の効果音も据え置きだったが彼は気にする素振りを見せず、そのまま大きな鏡の前に立ったかと思うと、おもむろに大剣と馬上槍を構えてポーズを決めた。

 

「…………我が名はベルディア。不死の騎士也。選ばれし勇者よ。いと強き者よ。己が信念と刃を以って我と死合うべし!」

 

 鏡に映った己、あるいは目に見えない誰かに向けて、兜の下から重低音の厳かな美声(イケメンボイス)で口上を述べるベルディアにあなたは困惑した。

 似合わないとは言わないが、敵もおらず鏡の前でやられても、と思わずにはいられない。

 酒か自分に酔っているのだろうか。

 現に今日のベルディアはハーブをつまみにヤケクソのように深酒をしてウィズに心配されていたが。

 

「……うーむ、やばいな。ぐぽーんを気にしなければこれはマジでやばい。何がやばいってもう全部やばい。今の俺って超カッコよくないか!? デュラハンの最終進化形態になっちゃった感があるな!!」

 

 二枚目の騎士は三秒で二枚目半に戻ってしまった。

 思い返してみれば彼は合体スキルの理不尽さに嘆いていたが、魔術師殺しとコクオーと三身合体した己の姿に関しては何も言及していなかった気がする。

 しかしあれは本当にデュラハンなのだろうか。

 あなたからしてみれば、あれはアーマードベルディアと言われた方がしっくりくる姿だ。

 金属製のフィギュアにしたら売れそうである。お値段は29800エリス。

 

「うっひょー!! 駆けろコクオー、疾風(はやて)の如く!」

 

 暫くポージングを楽しんだ後、凄まじく高いテンションで叫びながらシェルターの中を走り回るベルディアとコクオー。

 兜で隠れて表情こそ見えないが、喜色に満ちた声からして十中八九笑っているだろう。

 素顔を見れば少年のように眩しい笑顔を見せてくれる筈だ。

 

 オッサンと言われても否定できない外見年齢の、実年齢不詳のいい年したガタイのいい大人の男が。

 元魔王軍幹部にして歴戦のデュラハンが。

 

 この深夜三時という誰もが寝静まった夜、シェルターの中を走り回っている。

 欲しくてたまらなかったオモチャを手に入れた子供のように大はしゃぎして自身と一体化した愛馬と共に草原を走り回っている。

 

「ははははは! あはははははははっ!」

 

 お土産を喜んでくれているようで何よりだ。

 童心に帰って楽しく遊んでいるペットに声をかけて水を差すのは無粋の極みというものだろう。

 あなたは気配を断ったままシェルターから退出し、そのまま自分の部屋に戻っていった。

 

 ……そしてその日以降もベルディアは時折思い出したようにシェルターに潜るようになったが、彼が何をしているのかとあなたが詮索することは無かった。

 

 

 

 

 

 

「なあウィズ。ここ最近になってご主人が気持ち悪いくらい優しい目で俺の事を見るようになった気がするんだが、何か心当たりはないか?」

「気持ち悪いくらい優しい目、ですか? 心当たりも何も、私はいつも通りだと思いますけど」

「いつも通りってお前は何を言って……いやすまん、お前に聞いた俺が馬鹿だったな」

「酷くないですか?」

「ウィズと一緒にいる時限定だが、ご主人はかなりの頻度でああいった静かで穏やかな目をしているからな……。俺からしてみれば控えめに言って誰だ貴様は俺の知ってる頭のおかしいご主人はどこに行ったって感じだがお前は見慣れてるわけだ。特に何に使えばいいのか分からない産廃を仕入れてドヤ顔で説明しているお前を見る目は常時あんな感じだったな」

「酷くないですか!?」

「酷いって産廃を仕入れるお前の審美眼が? それとも産廃を買い漁るご主人の趣味が? そうだな、どっちも酷すぎるよな、常識的に考えて」

「……意地悪なことばっかり言うベルディアさんの今日のお夕飯はお庭の木の樹液です」

「まさか舐めろと!? 俺はカブトムシか! そこまでやるなら普通に飯抜きを選ぶぞ俺は!!」



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第80話 ぬっこぬっこにしてやんよ

「あの、すみません、よく聞こえませんでした。耳が遠くなってしまったようです。申し訳ありませんがもう一度言っていただけますか?」

 

 頭痛を耐えるように頭を抑えるルナにあなたは頷き、数秒前に放った言葉を繰り返した。

 マシロの冒険者登録に来た、と。

 

「ええと、それは魔獣使いの方が契約(テイミング)したモンスターを申請するようなものではなく?」

 

 冒険者登録である。

 ちゃんとウィズの了承も得ている。盛大に呆れられてしまったが。

 

「マシロというのは、やはりその、そちらの……」

 

 頬をひくつかせたルナの目線があなたの右肩でピタリと止まる。

 視線を受け、あなたが作ったマグロ肉のジャーキーを齧っていたウィズ魔法店の看板猫であるマシロが尻尾を振った。

 

「何故猫に冒険者登録を、と伺っても?」

 

 それは勿論、冒険者登録を行って何かしらの職業につくと強くなるからだ。

 今のマシロはただの猫なので無職である。当然ながら補正は無い。

 ネギガモをはじめ、様々な生き物を狩ってレベルアップもしているであろうマシロだが、無職のままではスキルポイントを腐らせたままになってしまう。

 なのでマシロの冒険者登録をしてほしい。

 

「三十五番の番号札をお持ちの方、三番窓口までおこしくださーい」

 

 私の聞き間違いじゃなかったのね。

 そう呟いて数秒ほど瞑目したかと思うと、ルナはニッコリと営業スマイルを浮かべてそう言った。

 しかしちょっと待ってほしいとあなたは窓口の向こう側にいるルナに詰め寄る。まだあなたの話は終わっていない。

 

「漬け物になっている依頼や面倒ごとを率先して片付けてくれるあなたにはお世話になっていますし感謝もしています。よってこういった冷やかしも多少は大目に見ますが、最近は駆け出し冒険者の方の登録が多くてアクセルの冒険者ギルドは忙しいんですよ。そんなにお暇なのでしたらまた酒場のキッチンに立ってもらえますか? もしくは駆け出しの方に……」

 

 ルナのとんでもない言いがかりにあなたは抗議と遺憾の意を示した。

 あなたは本気だった。断じて冷やかしなどではない。本気でマシロを冒険者登録したいと思っている。

 マシロを冒険者登録することの何が問題だというのか。

 

「逆に聞きたいんですけど、どうして問題じゃないと思うんですか」

 

 確かにマシロは猫だ。少しヤンチャなところはあるものの、伝説の魔獣が封印された姿だったり神の化身だったり元人間の転生者だったりとかいう特別な出自を持たない、いたって普通の白猫だ。

 だがどこかに遊びに行っても食事の時間になったらちゃんと帰ってくるし、躾の甲斐あってトイレも床ではなく決められた場所でするようになったし、諸々の影響で無職の子猫にもかかわらずそこらの駆け出し冒険者を一蹴できるくらい強くなった。

 ルナはそんなマシロの何が不満だというのか。

 

「いえ、賢さや強さが問題なのではなく。……その子、猫ですよね? 猫なんですよね? 分かってます? 大丈夫ですか?」

 

 主に頭とか頭とか頭とか。

 幻聴が聞こえてきたがよくあることなのでいつもの気のせいだろうと切り捨てる。

 

 心の底から不安げに問いかけてきたルナに勿論だと頷くあなただが、あなたは遥か彼方より来訪せし異邦人であるが故に、人前で法に触れる真似をして犯罪者落ちしないよう、しっかりと冒険者ギルドの規則を読み込んでいるのだ。

 そしてノースティリスと同じく、この世界にも自分が飼っている猫や犬を冒険者にしてはいけないという規則は無い。

 

「そりゃあありませんよ! 普通に考えてあるわけないでしょうそんなの! 普通の人は自分が飼ってるペットを冒険者にしようとか思いませんからね! 普通の人は!」

 

 バンバンと両手で受付台を叩くルナにやけに普通の人というのを強調してくるな、とあなたは感じた。異邦人云々を捨て置いても高レベル冒険者が普通の人なわけがないというのに。

 しかしルナの意思は固いようで、問答をしていても埒があかない。あなたはマシロがどれくらい戦えるのかをマシロ本人、もとい本猫に実演してもらうことにした。

 ちょうど酔っ払ってウェイトレスの尻を触ろうとしてぶん殴られた中年の冒険者がいる。彼に我が家のお猫様をけしかけて半殺しにすればルナはきっと満足してくれるだろう。

 

 あなたがマシロの頭を撫でて声をかけると、ウィズ魔法店の看板猫はジャーキーを齧りながらあなたの肩の上で大きく伸びをした。

 マシロの調子は良好。人間狩り(マンハント)のお時間である。残虐行為手当は増し増しで。

 

「やめてください。何をしようとしているかは分かりませんがやめてください。ペナルティー、あるいは出禁にしますよ」

 

 マシロをけしかけようとした瞬間、ルナが硬質な声と冷たい目であなたを諌めた。出禁は困るので人間狩りはまた別の機会にとっておこう。

 役所というものはいつだって融通が利かないと相場が決まっているが、一体全体どうしたものか。

 てっとり早いのは金、つまり賄賂を贈ることだが、生真面目なルナが受け取ってくれるとは到底思えない。であればお見合いのセッティングするというのはどうだろう。

 酒場のアルバイトをしている時にウェイトレスから聞かされたのだが、アクセルのギルドの美人受付嬢として有名なルナはしかし浮いた話が一切無く、同期や同僚が次々と寿退職していく中自身が独り身でいることを不思議に思いつつも大変気にしているのだという。

 そう、あれだけ露出度の高い衣服を身に纏っているにも関わらずルナには彼氏がいないのだ。

 屋台で飲んだくれて愚痴を吐いている様をあなたも見た事がある。真面目にルナの婚活に手を貸す意思を示せば喜んでマシロを登録してくれるかもしれない。

 

「ねえ、いつまでも窓口の前に立たれてると邪魔なんだけど。どいてくれない?」

 

 あなたが真剣にルナの婚活について考えていると、後ろから若干棘のある声が飛んできた。

 振り返ってみれば、頑固なルナと押し問答を繰り広げるあなたに声をかけてきたのはいかにも勝気そうな金髪でツインテールの少女だ。

 やけにピリピリした雰囲気を発している。鋭い目つきと硬質な声色からはまるで余裕というものが感じられない。

 どこかでぶっ飛ばしたことのある人間だろうかと記憶を探るも、あなたは彼女を知らない。

 

 金髪の少女を含め、やってきたのは十代半ばの少年と少女が二人ずつ。

 安物だが新品の装備で身を包んだ四人は、その誰もがあなたが初めて見る顔ぶれだった。

 数多の同業者を見てきたあなたの勘が彼らは駆け出し冒険者未満だと告げてきている。

 良くも悪くもアクセルでは指折りの有名人であるあなたの事を知らない様子といい、きっと彼らは他所の街や村から冒険者登録を行う為にやってきたのだろう。

 

 まだこちらの話は終わっていないのだが、ルナが呼んでしまったのであれば仕方がない。

 先に別の職員に相談し、それでダメなら最後の手段として婚活の手伝いを提案しよう。

 そう考えたあなたは四人に謝罪しつつその場を後にした。

 

 意気込むあなたはふと冒険者登録を行う四人の少年少女を見る周囲の冒険者やルナを含むギルド職員、ウェイトレスの目が明日にでも死んでしまう者を見るような痛ましいものになっていることに気付く。当の本人達は気付いていないようだが。

 自分が知らないだけで彼らは有名人だったりするのだろうか。あなたは疑問に思いながら再び手続きを済ませて呼び出しを待ち、今度は年配の男性の職員の窓口に呼ばれたのだが、職員は恐る恐る口を開いてこう言った。

 

「その、なんだ。相手は物知らずの駆け出しなんだから、ちょっと舐めた口利かれたからってあんまり目くじら立てるんじゃねえぞ?」

 

 あなたは職員の言葉の意味を理解するまでに数秒を必要とし、理解すると同時に愕然とした。

 なんとあなたはあの冒険者を志望している若い四人、あるいは金髪の少女をボコボコにすると思われていたのだ。

 少し揉めたからと新人に喧嘩をふっかけて八つ裂きにするなどまるで性質の悪いチンピラではないか。悪質な誤解も甚だしい。あなたからしてみればこれは名誉毀損スレスレどころか若干アウト気味ですらある。

 あなたはノースティリスの冒険者だが、そこまで狭量な(大人気ない)人間ではない。

 そもそもあの程度で機嫌を損ねるようならば、アクセルは異世界転移から一週間も経たないうちに灰塵に帰しているだろう。

 あなたの切実な抗議の言葉にしかし職員は半目で答えた。

 

「お前さん、つい最近盛大に暴れたばっかりだろ。それこそ大立ち回りしたじゃねえか。冒険者はともかく若い女の職員まで半殺しにするとかドン引きだぞ」

 

 納税の日、冒険者と職員数十人をみねうちで叩き潰した件が尾を引いているようだ。

 あなたはチンピラではないが、収入の半分を納税しろと言われてはい分かりましたと数億エリスを差し出すほど金を余らせているわけでも心が広いわけでもない。徴税官が女だからと手心を加える理由も無い。それどころかみねうちを使っている時点でこれ以上無いくらいに手加減している。

 

 あなたの主張に職員はそうか、そうだな……と諦め混じりに小さく独りごちた。

 それはさておき、冒険者登録の件はどうなのだろう。

 

「登録、登録なあ。確かに猫の登録を禁止する決まりは無いが、かといって冒険者として活動できるかって言ったらまあ無理だろ。猫だし」

 

 それを言われると辛いところである。

 しかしギルドに籍を置いているだけで冒険者として活動自体はしていない者もいるわけだが。

 何もマシロを人間扱いしろと言っているわけではない。ただ登録してほしいだけだ。

 

 あなたが粘り強く交渉を続けた結果、やがて職員は渋々だがドラゴン使いや魔獣使いにおけるパートナーと冒険者を足して割った感じのものとして登録することであれば認めてくれた。

 

「ドラゴン使いや魔獣使いがギルドに申請する際に書かせてる契約書だ。ちゃんと読んでおけよ」

 

 書類の内容を簡単に要約すると、冒険者、もとい冒険猫マシロが犯罪を起こしたり他人に迷惑をかけた時は飼い主であるあなたが責任を取らなければならない、というものだった。

 まあこれくらいは当然だろう。猫であるマシロに責任能力は無いのだから。それにペットの不始末は飼い主の責任である。

 

「一応忠告しておくが、自分の飼い猫を冒険者に登録しようなんて酔狂な奴は俺は初めて見たし、前例を聞いた事も無い。頼むからカードを作れなくても文句を言ってくれるなよ?」

 

 登録用の器具を持ち出し、神妙な顔つきで念押ししてきた職員にあなたは頷いた。

 ダメで元々。その時は潔く引こう。

 天球儀によく似た登録器具に相変わらずジャーキーに夢中なマシロの肉球を乗せる。

 果たして、その結果は。

 

「出来たな、出来ちまったな……ええ……マジか……」

 

 呆気に取られる職員からできあがったカードを受け取る。

 あなたのように数値がバグっていない、正真正銘普通の冒険者カードだ。

 マシロのレベルは17。ステータスは生命力、器用度、知力、敏捷性が高く、筋力と幸運は普通。魔力は低い。魔法関係の職業以外であれば何でもやれるバランスのいい能力と言えるだろう。

 食事の効果はしっかりと発揮されているようだ。

 

「能力もだが、レベル17って、そいつ本当に猫なのか? 子供の初心者殺しとかじゃなくて?」

 

 おかしなことを言うものである。

 初心者殺しは全身が黒で覆われているモンスターで、対してマシロはその名の通り雪のような真っ白な毛皮をしているというのに。

 冒険者カードにもしっかりと【種族:猫】と記載されている。

 

「なんだなんだ、いつからアクセルの冒険者ギルドはガキ共のデートスポットになっちまったんだ? ここはそんな生っちょろい場所じゃねえぞ?」

「おいおいダスト、そんな失礼なこと言うなよな。ああ、ウェイトレスさん? あの四人にミルクをお願いします」

 

 騒がしさに何事かと目を向けてみれば、アクセルのギルドが誇る二大チンピラ冒険者、ダストとキースがギルドにやってきて早々先ほどの駆け出し四人に絡んでいた。

 普段は二人を諌める他のパーティーメンバーはどこかに行っている。

 うひゃひゃひゃゲラゲラゲラと笑い合う悪い大人のお手本としか言いようの無いチンピラ達に、金髪少女と茶髪の少年が食って掛かっていた。

 

「あれな、ダストとキースの奴は実はギルドの仕事でやってるんだ」

 

 いわゆる冒険者の洗礼、というやつだろうか。

 あの程度で萎縮してしまうようでは危険な冒険者などやっていけないというのであれば分からないでもない。

 それにしても迫真の演技だ。あなたには二人が素でやっているようにしか見えない。

 

「俺もそう思う。つーか完全に素だろ。今時あんな分かりやすいチンピラ冒険者も珍しいぞ」

 

 呆れ顔の職員にあなたは頷き、ダスト達が騒いでいる現場に足を向ける。

 やってくるあなたの姿を確認した真面目に職務に励むチンピラーズはうげっ、と露骨にめんどくさそうに顔を歪め、不穏な気配を感じ取ったのか駆け出し達が一歩下がった。

 

「な、なんだよ。何か言いたいことでもあんのか?」

「言っとくけど俺達はだな……」

 

 事情は理解しているので皆まで言わなくてもいいと言葉を遮り、あなたはダストとキースの前でマシロを抱えた。

 駆け出し冒険者に洗礼を浴びせるというのであればここにもう一匹いるのでお願いしてもらおう。

 マシロはか弱い子猫だが駆け出し冒険者だ。

 

「……は?」

 

 マシロとあなたの顔を交互に見やる二人にマシロの冒険者カードを見せつける。

 数秒の後、事情を理解した彼らはあなたを指差してゲラゲラと笑い出した。

 

「すげえ! すげえ馬鹿だ! 底抜けの馬鹿がいるぞ!!」

「冒険者て! 猫を冒険者って! バーカ! バーカ!!」

 

 違う、そっちではない。

 

 だが喧嘩を売るというのであれば吝かではない。あなたはチンピラではないが、所詮はあなたも彼らと同じ野蛮な冒険者なのだから。

 あなたはにこり、と笑って職務に熱心なチンピラにマシロを可愛がってもらうべく解き放つ。くれぐれも怪我をさせないように言い含めて。

 

 

 

 ギルドに二人の悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 ……とまあ、このようないきさつを経て、マシロは冒険者ならぬ冒険猫になった。

 無論依頼に同行させることなどしないし、ベルディアのように死線に放り込んだりもしない。マシロはこれからもウィズ魔法店の看板猫のままだ。

 ちなみにマシロをけしかけたあなたは軽い罰金のペナルティと説教を食らってしまった。誰にも怪我は負わせていないし肉球でぬっこぬっこにしただけだというのに。誠に遺憾である。

 

 夕飯前、あなたが内心の不満をぶつけるようにリビングでペンを走らせていると、蘇生明けのベルディアが風呂から上がってきた。

 

「今日も今日とて正気を疑う真似をしてきたらしい頭のおかしいご主人は何を書いているんだ」

 

 失礼極まりないペットを一瞥すると、あなたは無言で封筒と大きめの郵便物が置かれたテーブルを指差した。

 両方ともつい先ほど届いたものだ。

 

「手紙? 文通でも始めたのか?」

 

 そう、あなたは文通相手に手紙を書いているのだ。

 先日の旅行を通してあなたと文通を始めたのは紅魔族の作家あるえ、そしてアクシズ教徒の破戒僧ゼスタ。

 ちなみに大きめの郵便物の送り主はあるえで、手紙はゼスタである。

 ゼスタとは異教徒とはいえ狂信者同士というシンパシーから、あるえは小説の感想を書いたりネタ出しのために手紙をやり取りするようになっている。冒険者のあなたであればネタには困らない。今日のマシロのことも書くつもりだ。

 

 ゼスタの手紙の内容自体は割と普通の狂信者的なものだったが、例によってアクシズ教の入信書が大量に同封されていたので真っ先にゴミ箱に突っ込んでおいた。スパムメールの処分にも慣れたものだ。

 

「ご主人はもう少しゴミ箱に優しくしてあげた方がいいと思う」

 

 確かに、そのうちゴミ箱がアクシズ教徒になるかもしれない。

 ゴミ箱が讃美歌を歌い始めた時はゴミ箱をアルカンレティアに送り付けよう。

 

 次いであるえの郵便物だが、こちらは多数の原稿用紙と数枚のあなた宛ての私信が入っている。

 

「ほう、生原稿ってやつか」

 

 紅魔族随一の(えっち)作家にして自称未来の文豪の生原稿は中々のレア物と言えるだろう。

 大物作家になる予定は未定だが。

 

「つまり今はアマチュアということか」

 

 身も蓋も無い言い方をするとそうなる。

 素人に毛が生えた程度、と言ってしまってはあるえに失礼だが、若い彼女が書いたものは流石に世に名を残す文豪の執筆したものと比較すると拙い部分が多々あるのは事実だ。

 紅魔族特有の難解で仰々しい言い回しも多く、読んでいると翻訳のための辞典が欲しくなる。

 

 だがあるえの綴った文章からは若さ溢れる熱意が迸っているし、読んだら発狂しそうになる狂気溢れる名状しがたい絵描きやポエム書きはいたものの、あなたの友人内にこの手の物書きはいなかったので新鮮だった。

 何より見知った顔や自分が登場人物になっている、いわゆるナマモノ小説というのはあなたからしてみれば非常に興味深く、読んでいて面白く感じるのだ。

 同じ紅魔族であるめぐみんやゆんゆんはともかく、肝心のあなたの人間性や価値観は同じ名前の別人なのだが。

 

 苦笑いしながらあなたは封筒に紅魔の里からアクセルまでの郵送代金を封入した。

 実質無職でバイトもしていないあるえはやけに恐縮していたが、面白い小説を真っ先に読む代金と思えば安いものだし、高給取りのあなたからしてみればはした金もいいところである。

 

「パトロンでもやるのか? だがご主人はテレポートが使えるのだから、(ふみ)など用いずとも直接会いに行けばいいだろうに。無駄に金を使うこともあるまい」

 

 ごもっともな意見だが、あなたはほとぼりが冷めるまで暫く紅魔族の里に行くつもりがなかった。

 サイン会など開かれてはたまったものではない。

 それに直接顔を合わせないからこそ書けるようになる感想もある。小説の内容が内容なだけに。

 

 紅魔族英雄伝の題名が指し示すように、あるえは基本的には勧善懲悪の王道物語を執筆している。

 それ故か、あるいは作者の趣味か。

 作中で勇者の父親となっているあなたは色々な意味で妙にヨイショされていたりする。それどころか色眼鏡抜きで読んでも明らかに書き始めの頃よりあなたの設定や描写が盛られている。

 最初は普通の凄腕冒険者だったのだが、今では亡国の王子だったり精霊に愛されていたり魔王本人と浅からぬ因縁があったり神と魔の血が混ざっていたりとなんだかよく分からないことになってきている。ちなみにめぐみんとの戦いでは相反する力を制御できずに暴走し、ゆんゆんの献身と愛情が引き起こした奇跡で正気に戻っていた。

 具体的に作中のゆんゆんが何をしたかについてだが、これはあるえがアームロックを食らったことから推して知るべし。

 白馬の王子さまを彷彿とさせる謎の美形描写も多く、過去編とはいえ肝心の勇者を差し置いて見事なまでの勇者っぷり(イケメンムーブ)を披露する様にはウィズの件を抜きにしても誰てめえと言わざるを得ないし、盛り過ぎたせいで逆にギャグキャラのようになりつつある。

 戦闘中にいきなり邪神を封じた右腕が暴れ出して必死に静めるシーンなどその最たるものだ。

 邪神がエーテル病で戦闘中に発症したと思えば現実でも似たようなことが起こり得るのが困りものだが。

 

 

 

 

 

 

「あの……もし良かったら私も文通をしてみたいんですけど」

 

 夕食後、あなたとベルディアがそんなやり取りをしていたと聞かされたウィズは、あなたが書き終えた二通の手紙を見ながら言った。

 あるえとならいいのではないだろうか。経験豊富なウィズであればあちらもいい刺激になりそうだ。

 ゼスタは色々な意味でオススメしないが。

 

「いえ、そうではなくて、その……私達で……」

 

 もじもじと気恥ずかしげに両手の人差し指を合わせるウィズにあなたは首を傾げた。

 彼女の言葉の意味がよく分からなかったのだ。

 

「ほら、私達って文通とかやったことないじゃないですか。なのでこの機会にどうかな、と……」

 

 確かにウィズの言う通り、あなたは彼女と(ふみ)のやりとりをしたことがない。

 こうして同居する前もあなたは足繁くウィズ魔法店に通って店主と一緒にお茶を飲んで歓談していたのだから当たり前だが。

 

「だ、だって文通とかいかにも友達っぽいじゃないですか! お手紙なら普段話さないようなこととか話せるかもですし!」

「寝惚けてるのか? 目を覚ませウィズ! 頼むからしっかりしろ! お前今自分の弟子みたいなこと言ってるからな!? それにもう一度言うが、同じ屋根の下で生活してて毎日顔を合わせて話す間柄の相手と文通とか誰がどう考えてもおかしいって分かるだろ!?」

 

 自分でもベルディアの主張が正論だと認めてしまったのか、ウィズはむすっと口をへの字に曲げてしまった。文字通りぐうの音も出ないようだ。

 友人にして同居人の大変可愛らしい姿に苦笑しつつ、あなたは代案を提示してみた。

 曰く、交換日記をつけるのはどうだろうかと。タイミング良くうってつけの物も仕入れている。

 

「いいと思います! 凄く素敵だと思います!」

 

 あなたの提案にぺかーと眩しい笑顔を浮かべるウィズ。

 ウキウキ気分のぽわぽわりっちぃを微笑ましい気分で見つめながら、あなたは懐かしさを感じていた。

 

 およそ十数年ほど前、あなたは友人達と交換日記をやったことがある。

 

 暇潰しがてら、あなた以外とは筆談やボディランゲージでしかコミュニケーションがとれないエヘカトル信者の友人の為にやってみようというのが事の起こりだったのだが、これがまた大惨事を引き起こした。

 あなたの記憶が確かであれば、最初の一周は穏便に進んでいた筈だ。

 しかし二周目から早くも不穏な空気が漂い、三周目で煽り合いが発生。

 四周目になると当たり前のように文章中に罵詈雑言と流言飛語が飛び交い、そして五周目が終わる頃に神同士で戦わないという休戦協定を結んでいる神々を差し置いて聖戦(ジハード)が勃発。

 XXX年、ノースティリスは核と終末とメテオとその他諸々の炎に包まれた。

 海は枯れ、地は裂け、あらゆる生命体は絶滅したかに見えたが、そんなことは日常茶飯事だった。

 しかし最終的に勝者の出なかった無益な戦いは自分達以外の信徒も巻き込んでおよそ一年間続き、以後あなた達の間で交換日記は一種の禁句(タブー)となっている。

 

 それを思えば些か不安はあるが、ウィズなら大丈夫だろう。

 

「交換日記ってお前ら、ちょっと自分が何歳か言ってみろ」

「もう、なんですかベルディアさん! さっきから文句ばっかり言って! そんなにやりたくないんですか、交換日記!」

「やりたくないっていうか……え、俺も混ぜるつもりだったのか。てっきりご主人とウィズが二人でやるもんだと思っていたんだが」

「当たり前じゃないですか。ベルディアさんだって一緒に住んでるお友達なんですから。仲間外れになんかしませんよ」

「…………」

 

 ベルディアは意外な言葉を聞いたとばかりに目を丸くした。

 ウィズは不思議そうに首を傾げているが、あなたには彼の気持ちが理解できた。

 

 意識的か、無意識的か。

 いつの間にかウィズの中でベルディアがただの知り合いから友人判定になっている。

 元魔王軍幹部であるベルディアはかつてウィズや彼女の仲間と死闘を演じ、更に彼女がリッチーになった原因でもあるわけだが、流石に数ヶ月もの間同居したり一緒に旅行に行った相手を知り合い扱いにはできないらしい。きっとスカートの中を覗くなどのセクハラをしなくなったのが良かったのだろう。ウィズへのセクハラは即サンドバッグ行きだと宣告していたのが功を奏したのかもしれない。

 

「……そうか……友達な」

「ええと、どうしました?」

「い、いや、なんでもない。だが正直なところを言わせてもらうと、普通に面倒というかだな……いや、別にやらないとは言ってないからな!?」

 

 他意の無いウィズの真っ直ぐな瞳と言葉を受け、頬をかきながら目を逸らして気の無い返事をするベルディア。

 しかしどことなく嬉しそうな気配を漂わせているあたり、根っからのツンデレデュラハンだ。

 もしかしたら魔王軍の幹部をやっていた時も俺はこの仕事に向いてるのかなあ、みたいなことを言っていたのかもしれない。

 先日の魔術師殺しの件といい実にあざとい男だ。勘弁してほしいとあなたは真剣に思った。誰が得をするのだろう。

 

 あなたは内心で軽く辟易しながら四冊の赤い装丁の本を持ち出した。

 装丁は無地、本の中身は数百ページ全てが白紙になっている。

 これは紅魔族の里で購入した魔道具だが、ひょいざぶろーの作品ではない。

 繰り返す。ひょいざぶろーの作品ではない。

 普通のノートを用いても良かったのだが、この本は四冊で一冊の書物になっており、どれか一冊に書き込まれた内容が残りの三冊にも書き込まれる仕組みになっている。

 あまり日記同士が離れすぎると同期されないらしいが、交換日記にはうってつけの代物と言えるだろう。

 

「俺達だけで消費すると一冊余るな」

「ちょっと勿体無いですよね。もしよかったら他に誰か誘いますか?」

 

 あなた達三人に混ぜるとなると、互いの交友関係の都合上、あまり選択肢は多くない。

 プライベートを書くのだから尚更だ。

 

「普通にお前らの弟子でいいだろ。俺だって知らない仲じゃないし」

「ゆんゆんさんですか。私はバニルさんでもいいかな、と思っていたんですが」

「却下で」

 

 俺は別に知らない奴を混ぜてもいいけど、頼むからバニルだけは勘弁してくれ、とは苦々しさを隠そうともしなかったベルディアの言である。

 ベルディアとバニルは相変わらずあまり仲が良くないというか、相性が非常に悪いのだ。ベルディアがバニルに一方的に弄られている的な意味で。

 そんなわけで結局四人目の共同執筆者はゆんゆんに頼むことになった。

 

 

 

 翌日、あなたは自分たちの交換日記に誘うべく冒険者ギルドで一人寂しくトランプタワーを作って遊ぶゆんゆんに声をかけた。

 彼女の親友にしてライバルであるめぐみんが称して曰く、ぼっちで構ってちゃんでゲロ甘でチョロQなゆんゆんのことなので断られる確率は低いと踏んでいたが、彼女は案の定食いついた。それはもう盛大に食いついてきた。

 

「み、みんなで交換日記!? やります、絶対やります! 是非ともやらせてください!」

 

 目をキラキラと輝かせて詰め寄ってきたぼっちの少女に最後の一冊を渡して使い方を説明する。

 

「えへへ、交換日記、交換日記……!」

 

 日記を受け取ったゆんゆんはそれとは別の手帳を取り出し、何かを記述し始めた。

 

「これですか? やりたいことノートです。私がお友達とやりたいことが沢山書いてあるんです!」

 

 旅行とか紅魔の里の案内とか、あなたと出会ったおかげで沢山埋まったんです、とノートと交換日記を胸に掻き抱いてはにかむゆんゆん。

 今は友達百人が目標なんです、と告げる幸せそうな少女にあなたはかける言葉を持ち合わせていなかった。知り合いならまだしも友達百人はハードルが高い。

 

 

 

 

 

 

 5月○日:ベア

 タイトル:記念すべきでもない一日目

『ご主人が運用テストだとかで俺達の似顔絵を描いた1ページ目は無かった事にしようそうしよう。絵じゃなくて日記書けよ。というわけで実質的には俺が一番手。キョウヤから便りが届いた。近日中にこっちに来るそうだ。やっと魔剣と交換するための神器が手に入ったらしくご主人が滅茶苦茶ご機嫌で見てて怖かった。俺は今日も今日とて一日中修行漬け。日記書いた後も修行修行修行。死ぬぅ! 死んだ。ハイハイ終末終末。そんな俺を差し置いてご主人とウィズはリビングで一緒にマシロのぬいぐるみなんか作っちゃっててイチャイチャっぷりが目に余る。もう慣れたが他人の幸せって砂利の味がする。俺の見てないところでやってほしい』

 

『ウィズ:止めてください違います誤解です! 確かにぬいぐるみは作りましたけどイチャイチャなんかしてません!!』

『ゆんゆん:よろしくお願いしますゆんゆんです。今回はこんな素敵な催し物に私なんかを誘ってくださって本当にありがとうございます。凄く嬉しいです。本当です。嘘じゃありません。不束者ですがよろしくお願いします。一生の思い出と宝物にします』

 

 

 5月×日:ウィズ

 タイトル:駆け出し冒険者の人達

『よく春は出会いと別れの季節と言いますが、今春のアクセルでは例年以上に駆け出し冒険者の方が多くデビューしているそうです。確かに私の作った回復ポーションを買っていく人は若い人が多いですし、今日も買出し中に若い冒険者のパーティーを何度か見かけました。思えば私が冒険者になったのもちょうどこの時期で、喧嘩したり買い物に苦労している姿を見ていると昔の自分のことを思い出してちょっとだけ感傷的になっちゃったり。冒険者は危険と隣り合わせの過酷な職業ですが、頑張って強くなってほしいですよね。そして回復ポーションだけじゃなくて私が仕入れたオススメの商品も買ってくださいお願いします……あんなにいい品物なのに、どうして彼以外に売れないんでしょうか……?』

 

『ゆんゆん:ウィズさんはまだまだ全然若いと思います!』

『ベア:そうだなウィズはわかいよなおれもそうおもう』

 

 

 5月■日:ゆんゆん

 タイトル:ごめんなさい

『ごめんなさい何もしていませんごめんなさい。書くことが無くてごめんなさい。昨日の夜から一日中日記に何を書こうかと悩んでいたらいつの間にか夜になってました本当にごめんなさい。次に私が書く日はもっと色んなことを書いて皆さんに楽しんでもらえるように頑張ります』

 

『ベア:ドンマイ。俺達を楽しませようとか気にしないでいいからさっさと寝ろ。つーかこのノートって涙(?)で濡れて滲んだ文字まで再現されるのな』

『ウィズ:ゆんゆんさん、もう少し肩の力を抜いてもいいと思いますよ?』

 

 

 

 ……とまあ、このような感じであなた達が交換日記を始めて早くも三日が経過した。

 使っている道具が道具なのでおよそ普通の交換日記にはならないと踏んでいたが、蓋を開けてみれば案の定である。これは本当に交換日記と言えるのかあなたには判別がつかない。

 キレッキレなベルディアはともかくとして、ウィズとゆんゆんは手探りでやっている感じがするのでこれから時間をかければもっと交換日記っぽくなっていくだろう。

 

 そして今日はあなたが日記を書く日だ。

 言いだしっぺにも関わらずゆんゆんに続いて今日は何もありませんでした、では格好がつかないが、幸いにして書くネタは決まっている。

 あなたは鼻歌交じりにさらさらとペンを躍らせてタイトルを書き込んだ。

 

 

 

 ――ギルドからの依頼で駆け出し冒険者に指導を行うことになった、と。



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第81話 クエスト【駆け出し冒険者への指導】

 駆け出し冒険者の指導を行うことになったあなただが、一連の始まりはオウ・ウーというアクセル北方の山脈の麓で起きた。

 約500kmにわたって連なり、標高2000m近い山々が連なった山脈の名はオウ・ウー。

 ここはかつて“紅兜”と名付けられた、小型のドラゴンならその豪腕で一撃で肉塊にする極めて巨大かつ凶悪な一撃熊の個体が率いる一撃熊の群れによって支配されていたのだが、昨年の冬、紅兜はあなたが動く直前に“銀星”と呼ばれる若い白狼と彼が率いる数千匹にも届く狼系のモンスター達によって討伐され、今は彼らによって統治されている。

 一撃熊の残党と戦いつつも、嘘か真か、人間に育てられたという銀星に率いられた仲間達はモンスターであるにも拘わらず人間を自分達の方から襲うことは無い。

 現在は冒険者ギルドも彼らを警戒しつつ、しかし刺激しないように監視するに留まっている状況だ。

 

 そんな駆け出し冒険者は立ち入り禁止となっているオウ・ウー山脈で、あなたは最近アクセルで品薄になっている各種ポーションに使う材料の採集を行っていた。

 

 樹木が鬱蒼と生い茂る深い森の中を、鍬を肩に担いでどれほど歩き続けただろうか。

 やがてあなたは木ではなく無数の竹が群生している地帯に辿り着いた。

 

 狼も近づかないここは推奨レベルが30以上なオウ・ウーの中でも一際危険な場所だと言われている。

 ふと何かを蹴飛ばしたあなたが目を下に向けてみれば、人の頭蓋骨が足に当たったようだ。

 

 

 ――瞬間、あなたはその場から飛びのいた。

 

 

 ほぼ同じタイミングであなたが直前まで立っていた場所が大爆発を起こす。

 地面を突き破り、弾丸もかくやという速度で飛び出してきたのは、全長60cmほどの円錐状の焦げ茶色の物体だ。

 

 地中から何が現れたかなど最早語るまでも無いだろう。

 そう、タケノコである。

 似たような姿と習性を持つ魔物のタケノッコーンではない。

 正真正銘、タケノコがあなたに襲い掛かってきたのだ。

 

 生命力に溢れすぎたこの世界の野菜は自身が食われまいと必死になって人間に抗い、時に襲ってくることすらあるのは周知の事実だが、タケノコもまた例外ではない。

 

 春の味覚こと食べると美味しい新鮮なタケノコはしかし音も無く地中から飛び出して人体を容易く貫く攻撃力と凶暴性を兼ね備えており、タケノコによる死者は毎年発生している。

 春季のタケノコ狩り、そして秋季のキノコ狩りといえば季節の風物詩として有名だ。

 地中から飛び出してくるタケノコや毒を発するキノコとの戦いはキャベツ狩り以上に困難を極めるが、これを疎かにしていると大惨事を引き起こすので人間も魔王軍も毎年必死に収穫に精を出している。

 キノコとタケノコは人類と魔王軍以上に互いを不倶戴天の敵と認めており、各地のキノコとタケノコの数が増えすぎるとキノコとタケノコ間で戦争が勃発してしまうのである。

 

 その名もズバリきのこたけのこ戦争。

 

 遠い昔、強大な軍事力を背景に世界の覇権を握りかけたという大国もきのこたけのこ戦争が原因で滅んだとこの国の歴史書に残っている。

 それほどの脅威であるにもかかわらず、毎年のように世界のどこかできのこたけのこ戦争は起きている。

 キノコもタケノコも繁殖力が強すぎて少し狩った程度では大差無いのだ。

 偉大な自然の猛威に矮小な者達はただ震えて嵐が過ぎ去るのを待つしかない。そう、まるでエーテルの風のように。

 

 そして今回あなたを襲ったのはただのタケノコではない。

 タケノコをデフォルメして二足歩行させた、とでもいえばいいのだろうか。

 ジャガイモの実によく似た形の丸い根を持つこれはタケノコの最上位(最高級)種、カブトタケノコだ。

 

 竜の鱗すら容易く貫くと言われているカブトタケノコは秋に採れるキノコの最上位種である冥王マツタケと並び称される超高級品だが、あなたは実物を見るのは初めてだった。

 

 伝説のタケノコにまさかこんなところでお目にかかれるとは。

 あなたは目を輝かせながら空気の壁を切り裂きながら飛来するカブトタケノコを鍬で迎撃する。

 並のタケノコやキャベツが相手であればこれで十分だっただろう。

 しかし相手はカブトタケノコ。あなたの行動は大失敗だった。

 

 ドゴン、と。

 

 まるで大砲を発射したような、およそタケノコが発してはいけない轟音が山を震わせ、あなたは竹を突き破りながら数十メートルほど後方に弾き飛ばされる。

 

 腕に伝わるビリビリとした衝撃。

 見れば鋼鉄製の鍬は一撃で粉々になっているではないか。

 

 借り物を駄目にしてしまったとあなたは小さく舌打ちした。

 知識として知ってはいたが、まさかカブトタケノコがここまで重く強いとは。

 直径60cmほどの大きさにも拘わらず、このカブトタケノコは間違いなく(マンモス)より重かった。物体の重量を加算する呪われた羽の巻物でも使ったとしか思えない重量だ。

 

 所詮は野菜が相手だと高を括っていた自身の失態に不甲斐なさを感じながら空を見上げれば、ブラックダイヤと呼称されることもあるタケノコは天高く舞い上がり、その鋭い先端から細長い雲のような白い尾を生み出しながら遥か上空を旋回している。

 相手もあなたを見逃す気はさらさら無いらしく、旋回を続けていたカブトタケノコはやがてあなたに矛先を向け、そのまま一直線に急降下してきた。

 

 その速度と重さは直撃すれば下手をすればあなたであってもタダでは済まない。

 油断と慢心を捨てたあなたは今度こそこの極上の春の珍味を収穫するべく、神器を抜いてカブトタケノコと相対するのだった……。

 

 

 

 

 

 

「なるほど、カブトタケノコが……」

 

 アクセルの冒険者ギルドの一室。

 ここまでのあなたの話を聞きながら調書をとっていたルナが神妙な顔つきで頷いた。

 

「つまり()はタケノコ狩りに失敗してああなったと。そういうわけですね?」

 

 普通に違うが。

 バッサリと切り捨てたあなたの否定の言葉に目に見えて狼狽するルナ。

 

「じゃ、じゃあ今までのあなたの話って何だったんですか?」

 

 タダの前フリである。

 それ以外の何でもない。

 

「……続きをどうぞ」

 

 美人受付嬢の視線の温度が三度ほど下がった。

 ここからが話の本番だったというのに気が早すぎである。

 なおテーブルの上には以前お世話になった嘘を見抜く魔道具が置かれているが、これはあなたが犯罪人扱いされているというわけではなく、そういう決まりなのだそうだ。

 

 便利魔道具はさておき、その後見事にカブトタケノコとの激闘を制したあなたは収穫したカブトタケノコをウィズに調理してもらおうとホクホク顔で帰ろうとしたところでオウ・ウーを治める狼系のモンスターの群れに遭遇することになる。

 人語を解さぬ彼らはあなたを襲う事無く、むしろどこかに連れて行きたい様子であった。

 

 自分のような人間に何の用だろうかと興味を抱いて彼らについていったあなただが、そうして狼達に導かれた先で全身から血を流す駆け出し冒険者の少年、そして首の無い一撃熊の死体と遭遇したのである。

 

 冒険者の年のほどは十代半ばから後半。

 傍に転がっていた革の上から薄めの鉄板を貼り付けた防具は巨大な爪で引き裂かれたようにズタズタになっており、彼が一撃熊に襲われたであろうことは容易に想像できた。

 そうして殺されかけたところで間一髪狼達に助けられたのだろうとその時のあなたは予想していたし、実際冒険者カードの討伐欄に一撃熊は記載されていなかった。

 ベルディアであれば一撃でミンチにできる程度のモンスターであっても低レベルの駆け出しにとっては死神に等しい強敵なのだ。

 

 その後あなたは後一分発見が遅れていれば女神エリスの御許に運ばれていた九割九分死体と化した少年に回復ポーションをぶっかけて応急処置だけ行い、そのままギルドに連れて帰ってきた次第である。

 

 オウ・ウー山脈が駆け出し冒険者の立ち入りを禁じているのは先の説明の通り。

 にも拘わらず山入りして無様に半死体となった彼をあなたは特に助ける理由も義理も持っていなかったが、逆に見捨てる理由も持っていなかったのであなたは善意という名の気まぐれで彼を治療し、善意でアクセルに連れて帰った。

 その結果が半死半生の冒険者を引き摺ってギルドに入った瞬間の「ああ、遂に殺りやがった……」という視線なわけで、あなたはあのまま見なかった事にするか山中に埋めておけばよかったとかなり本気で後悔したものの、結果的に彼は一命をとりとめた。

 ルナから聞いた話では彼には三人の仲間がおり、昨日から採集依頼に同行していたらしいが、あなたは彼以外の人間を見ていない。

 魔法を使ったせいで先に帰ってきてしまったのだろう。彼が囮になって仲間を逃がしたのか、仲間から見捨てられたのかは定かでは無いが、そこは他のメンバーが生きて帰ってくれば判明するだろう。

 

「……はぁ。また、ですか」

 

 あなたから事情を聞き終え、ペンを置くと同時に物憂げに溜息を吐いたルナの表情は暗い。

 価値観と文化の違いで知らないうちに迷惑をかけるか不愉快な思いをさせてしまっていたのかもしれない。ルナには申し訳ないが諦めてもらおう。

 

「ああ、いえ、すみません。あなたの事を言っているわけではないんです。今回は駆け出しの方を救助していただき本当にありがとうございました」

 

「先日もお話しましたが、今春の冒険者の登録数は例年と比較しておよそ二倍以上に膨れ上がっています。それだけならまだ良かったのですが……命を落とす駆け出しの方がそれ以上に増えているんですよ」

 

 二倍以上と言われても去年この世界に来訪したあなたにはピンとこない数値だ。

 しかし確かに最近のアクセルは若い冒険者が多く見受けられるようになった。

 ギルド側はその理由くらいは掴んでいるのだろうか。

 

「はい。ここだけの話……我々はサトウカズマさんが駆け出し冒険者達に与えている影響を非常に重く見ています」

 

 聞いてみれば、なんとも予想外の人間の名前が出てきた。

 そしてルナはカズマ少年のパーティーではなく、カズマ少年が駆け出し達に影響を与えたという。

 彼を名指しで挙げたその理由とは。

 

「御存知の通り、サトウカズマさんは冒険者になってまだ一年も経っていない新人です。ですがデストロイヤー討伐の際に指揮を執り、魔王軍の幹部を複数討伐、撃退に成功。あまりレベルが高くなく、職業が冒険者であるにもかかわらず多大な金銭、そして名誉を手に入れるという大成功を収めました。あなたやミツルギさんのように短期間で名を上げた冒険者は数多くいますが、カズマさんはその中でも極めて異例と言っていいでしょう」

 

 難しい顔で語るルナに何となく事情を察したあなただったが、黙って話の続きを促す。

 

「だからでしょうか。英雄ではない、レベルもそう高くない最弱職の冒険者に可能であれば自分でも同じように、あるいはもっと上手く一山当てられるのではないか? そう考えている人間が後を絶たないんです。特にアクセルの外からやってきた駆け出しの方はその傾向が顕著でして……」

 

 なるほど、確かにカズマ少年本人の肉体は脆弱だ。

 最近は少し逞しくなっているようだが、それでも最近まで平和な世界で生きていたという彼の身体能力はこの世界における同年代の少年少女と比較してもかなり下位に位置するだろう。ましてや彼は最弱として有名な職業、冒険者に就いている。

 そんな彼のサクセスストーリーを聞けば自分ならもっと上手くやれる、という根拠の無い自信を抱くのもおかしい話ではない。

 

 しかし彼には女神エリスからパンツを盗むほどの幸運と豊富な異界の知識を持っているし、パーティーメンバーも下界に降臨した水の女神、世界有数の火力を持った紅魔族随一の天才、爆裂魔法を食らって生還する鉄壁の騎士と各々の得意な面にだけ目を向ければ凄まじい面子が揃っている。

 幸運もさることながら、アクの強いメンバーを見事に纏め上げるリーダーシップと機転こそがカズマ少年の何よりの武器だとあなたは考えている。

 以前ダストとカズマ少年がパーティーを入れ替えたことがあったのだが、三人娘を率いたダストはたった一日で泣いて元のパーティーに戻してくれるように懇願する破目になった。カズマ少年の真似を他人ができるとは到底思えない。

 アクセルの人間であればカズマ少年を“頭のおかしい爆裂娘のパーティーのリーダー”と教えれば漏れなくああ、あの……という生暖かい反応が返ってくる。これだけで彼がいかに苦労しているか分かろうというものだが、外部からやってきた人間がそんな事情を知る筈がない。

 

 各地でパーティーのリーダーである彼の名声だけが一人歩きした結果が疲れを色濃く残したルナの溜息なのだろう。

 アクセルに籍を置く冒険者ではあるものの、言ってしまえば部外者でしかないあなたに愚痴を吐いてしまう程度には参っているようだ。

 

「オマケにそういった上昇志向が強い方達は大抵地道な下積みを嫌うといいますか……包み隠さず言ってしまうと、マナーがですね、あまり良くないんですよ。この時期が駆け出しの方への対応に追われるのは毎年のことなのですが、今年は特に忙しいんですよね……最近では納税の件もありますし。無茶をして落命する人も多いです。ギルドとしましては人が増えること自体は喜ばしいのですが……」

 

 早くレベルを上げて強くなって金や栄誉を手に入れたい、ということだろうか。

 無茶、無理、無謀は若さの特権だ。

 あなたも肉体年齢は若い部類に入るので税金の話のところでルナがじっとりとした目を向けてきたとしても、溢れる若さに任せて知らぬ存ぜぬを押し通す。

 

 なお、この世界における冒険者の死亡率が最も高くなるのはノースティリスと同じように冒険者として活動を始めた直後……ではなく、登録しておおよそ二週間から一月の間である。

 これはルーキーが冒険者活動に慣れ始めるのがだいたいこのくらいの時期と言われており、慣れの結果、敵を甘く見たり自身の力量を過信して命を落とすのだ。

 

 最近のギルドでは駆け出し関係の苦情や陳情が頻繁に届いたり揉め事が起きているらしく、職員や春以前から活動を続けている冒険者達はどうにもぴりぴりした雰囲気を発している。

 このような状況をなんとかしようとギルドも動いているようで、あなたは近日中に今年の四月以降に冒険者になった全ての人間に向けて講習会という名の指導を開くという話を聞いていたしクエスト掲示板にも案内が張られていた。

 この講習会はギルド側から駆け出しへの緊急クエスト扱いとなっており、新人の参加は義務付けられているものの、なんと参加するだけで報酬が手に入る。

 多少とはいえ金を貰いつつ経験を積めるなど贅沢にもほどがある。

 あまりの至れり尽くせりっぷりはギルドがどれほど駆け出しへの対応に手を焼いているかの裏返しか。

 

 あなたに新参のマナーや生死についての是非を問う気は無い。

 いざとなればどこまでも自身のエゴを押し通す自分にそんな資格が無い事はあなたが一番理解している。

 あなたが職員や他の冒険者に迷惑をかけるな、という旨の発言をしても笑い話にすらならない。

 

 かといって自分が拠点にしている街を荒らされるのを座して見過ごすつもりもない。主にアクセルに深い想いを抱いているウィズのために。

 駆け出しがウィズに迷惑をかけたり彼女を悲しませる前にどうにかすべきだろうと考えたあなたはルナにアクセルで活動する冒険者の一員として自分も何か手伝わせてほしいとお願いをしてみた。

 

「…………むう」

 

 腕を組み、難しい顔で瞑目するルナは何かしらの葛藤と戦っているようだった。

 

「強さ、あるいは冒険者としての腕自体は確かなのよね……誰もが認めるくらいには。一度受けた依頼はどんなものでも絶対に完遂してくれるし、最近だとゆんゆんさんの異常とも言えるレベルアップにも関わっているって話だし育成の手腕もあるみたい……人間性も基本的には温厚で善良だと思う……でも良識はあってもそれに従うかは別の話っていうのは納税の時の大暴れを見れば分かるし、肝心の常識がちょっと……いえ、かなり怪しいというか……なまじ強い分暴れ始めたら止まらない、止められないというか……」

 

 ぶつぶつとあなたに聞こえない声量で何かを呟き続けるルナだったが、彼女はやがてこう言った。

 

「私の一存では決めかねますので、少し上にかけあってみます」

 

 ……とまあ、このような経緯であなたは駆け出しへの指導員の一人として駆り出される事に相成ったわけである。

 ルナから話を持ちかけられたアクセルのギルド上層部は殆ど二つ返事であなたを指導員に任命した。

 

 だがギルドから、そして日記でこの件を知ったベルディア、ウィズ、ゆんゆんからくれぐれも駆け出し冒険者達を殺したり壊したりしないようにと厳命されてしまった。

 彼らは自分のことを何だと思っているのだろうかとあなたは思わざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 我輩はデュラハンである。名前はベルディア。

 一人称が我輩ってバニルと被るな。なんか腹が立つので止めよう。

 

「それじゃあベルディアさん、お願いしますね」

「おう、任された」

 

 ウィズに見送られながら箱詰めされたポーションを荷車で輸送する。

 アクセル各地でポーションを売っている店に注文が届いており、今日はその納品日。

 指定された納品先は冒険者ギルド。

 何に使うのかは聞かされていないが、俺には大体予想がついている。何故なら今日はご主人が駆け出し冒険者の指導と教育を行う日だからだ。

 数日前に話を聞かされた……もといご主人の書いた日記で知った瞬間、俺は飲んでいたコーヒーを盛大に噴出した。日記が汚れなかったのは運が良かったと言えるだろう。

 

 それにしても冒険者ギルドは何を考えているのやら。

 新人指導や新人教育に絶対に使ってはいけない人間をピンポイントに選び取るその嗅覚にはいっそ感動すら覚える。

 新人死導や新人脅威苦になる未来しか見えない。

 

 粛清目的か、あるいはギルドの上層部は既に魔王軍に乗っ取られているのか。

 財政難に喘ぐとある国に姿を自在に変えられる諜報部隊長のドッペルゲンガーを内政官として潜入させ、内部から更にボロボロにするという作戦は最前線で剣を振るってばかりだった俺の耳にも届いている。

 ただ肝心の人選をミスったらしく、作戦開始から三十年以上経過した今、ドッペルゲンガーが送られた国はすっかり立ち直ってしまっている。真面目に働くだけで赤字を作ることに定評のあるウィズ並にこの仕事に向いていない。馬鹿じゃなかろうか。

 

 

 

 さて、無事にギルドにポーションを納品した後、家にいてもやることが無い俺は時間を潰す目的もあって酒場で一杯やっていた。

 まだ午前中だが、俺と同じように酒をかっくらっている冒険者の姿もあちこちにあって気まずさは感じない。この店に来るのは初めてだが贔屓にしてもいいかもな。

 だが俺は別の要因で気まずさを感じていた。

 

「…………」

 

 ウィズとご主人が直々に手ほどきを行っている紅魔族の娘、ゆんゆんが柱の影から俺を覗き見しているのだ。

 ご主人やウィズほどではないにしろ知らない間柄でもあるまいし、普通に声をかけてくればいいものを。

 

(ベアさん? ベアさんだよね……挨拶した方がいいのかな……でもお酒飲んでるみたいだし私が声をかけたら迷惑かも……嫌われたらどうしよう……思えば私ベアさんと二人きりで話したことって一回も無いし……でもこのまま何も言わずに見ないフリをするのもよくないよね……でも何を話していいのか分からない……ベアさんってどんな人だったっけ……いい人だとは思うんだけどちょっと怖い雰囲気もある人だし……どうしよう、だんだん声をかけにくくなってきた……うん決めた、ベアさんが次の一杯を飲み終わったタイミングで声をかけよう……でもやっぱり……)

 

 なんだろう。凄まじい熱視線とプレッシャーを感じる。気になって酒の味が分からなくなってきた。

 仕方ないので俺の方からそれとなく手をあげて声をかけてやると、ゆんゆんは待ってましたとばかりに俺の方に近づいてきた。やけに大きな黒塗りの鞄を持っているが、何が入ってるんだ。

 

「ベアさん、おはようございます……」

「お、おう……どうした?」

「この前はつまらない日記を書いてしまって本当にごめんなさい……」

「まだ引き摺ってたのか。言っとくけどあんなの誰も気にしてないぞマジで」

 

 実際本当に気にしてないから困る。

 ご主人が書いた日記の内容とかその日の支出と収入と備考とウィズに宛てた私信だったからな。

 家計簿かよって話だ。

 

「そ、それは私の日常なんか誰も気にしていないっていう意味ですか……?」

「誰もそんなことは言ってない。……なんというかお前は辛気臭い上にめんどくさいな。そういうところは早めに直した方がいいと俺は思う」

「辛気臭い上にめんどくさい!?」

 

 大抵の奴は俺の意見に同意してくれる筈だ。

 ウィズ辺りは苦笑して言葉を濁すだろうが。

 

「……ところでベアさんはどうしてギルドにいるんですか?」

「露骨に話を変えてきたな。まあいいが。俺はちょっとウィズに頼まれた仕事をな」

 

 俺の答えにゆんゆんは目をぱちくりと瞬かせた。

 

「私てっきりベアさんってぶっころりーさんみたいな人なのかと思ってました」

「俺はそのぶっころりーとやらが何者か知らんのだが。名前からして紅魔族なのは分かるが」

「ええと……ぶっころりーさんは自主的に紅魔の里を警備するお仕事に就いている人です」

「なるほど、衛兵のようなものか」

「ニートです。無収入なので」

「…………」

 

 そんな奴と一緒にするな、とは口が裂けても言えなかった。

 客観的に見て、今の俺はご主人に養ってもらっている無収入の無職(プータロー)だからだ。

 こうして酒を飲む金も、サキュバスの店に通う金も全部ご主人に出してもらっている。

 

 やばい、死にたくなってきた。もう死んでるけど。

 

 毎日毎日毎日毎日俺がシェルターの中で倒している終末産の竜の素材を売り払えば一財産を稼ぐのは容易いが、モノがモノなだけにそうもいかない。

 何と言ってもドラゴンだ。たった終末一日分でもその素材全てが市場に流れようものならこの国どころか世界は大混乱に陥るだろう。

 改めて冷静に考えてみると、異次元から竜と巨人が無限に出現するって字面が狂ってるな。

 超笑える。

 

「笑えるかバーカ! 被害にあうのはいっつも俺だ!!」

「ど、どうしたんですか!?」

「……すまん、ついご主人のイカレっぷりについ」

「えええええ……」

 

 いやまあ、別にご主人やウィズが俺に働けって言ったことは一度も無いんだが。

 むしろご主人に到っては自分が俺の全ての面倒を見るのは当然だと考えてる節がある。問題があるとすれば俺の自尊心くらいか。……大問題だ。

 ご主人曰く仲間と書いてペットと読むらしいが、マジでペット扱いで泣ける。

 一応俺だって毎日ゴロゴロしてるわけじゃない。むしろ毎日死んでるし超頑張ってる。俺より頑張ってる奴とかどれくらいいるんだってくらい頑張ってる。

 

 だが無収入の無職であることは否定できない。

 デュラハンの俺では登録の際に本名と種族がモロバレするので冒険者にはなれないが、せめてウィズの店でバイトでもするべきだろうか。

 

「そういえば、ベアさんは冒険者登録ってしてないんですか? 私、殆ど毎日ギルドに来てるんですけどベアさんが冒険者として活動してるのを見たことが無いんですけど」

「馬鹿かお前、冒険者登録とかできるわけないだろ、常識的に考えて。確実に大騒ぎになるぞ」

 

 アンデッド云々を抜きにしても俺がどれだけの数の人間を殺してきたと思ってるんだ。

 人類と魔王軍の大規模な会戦に出た経験もあるし、千や二千じゃすまんぞ。

 

 だが不思議そうに首を傾げるゆんゆんは俺の言葉の意味が飲み込めていないようだった。

 ああ、こいつは俺の正体と本名を知らない、俺のことを普通の人間だと思ってるんだったか。

 

「詳細を話す気は無いが、俺は種族的な意味で問題があるからな」

「種族的な問題?」

「お前もウィズの事情は知ってるんだろう? アレと似たようなもんだ。これ以上は察しろ」

「そ、そうだったんですか……」

 

 この話は終わりだと酒を呷る。

 生憎俺はウィズやご主人と違って自身の素性を全て明かすほどコイツを信頼していない。

 自慢じゃないが魔王軍幹部、デュラハンのベルディアの名前が持つ意味は重い。

 それを分かっててこうして俺を懐に抱え込むご主人は器が大きいとかじゃなくて普通に頭がおかしい。

 

「…………」

 

 少し気まずい雰囲気になってしまった。

 俺はいつの間にか対面の席に座っていたゆんゆんが持っていた鞄を指差した。

 鞄の中からはジャラジャラという硬い何かがぶつかり合う音が聞こえる。

 

「なあ、さっきから気になってたんだが、お前が持ってるそのデカい鞄って何が入ってるんだ?」

「これですか? ドミノです」

「……なんで?」

「ここでやろうと思って」

「ここで!?」

 

 鞄の中身を見てみれば、確かにドミノが所狭しと入っていた。

 酒場のテーブルに座って一人黙々とドミノで遊ぶ紅魔族。

 控えめに言ってお近づきになりたくない。というか知り合いと思われたくない。

 自分の部屋でやれ。

 

「そうだ。もしよろしければベアさんもどうですか?」

「ここで!?」

 

 その後、暇を持て余していた俺は何故かゆんゆんと二人でドミノをする破目になった。

 最初は適当に付き合って終わらせようと思っていたのだが、気付けばドミノにドハマリして冒険者ギルドの端っこでテーブルを複数くっつけてドミノを並べる俺達の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

「……ベアさん、ベアさん」

「なんだ、今大事なところだから少し待て」

 

 うるさい、気が散る。一瞬の油断が命取り。

 もうちょっとでコクオーと俺が合体した禍々しくも神々しい超カッコイイ姿を再現したドミノが……。

 

「よしできた。で、何だって?」

「もうすぐ時間なんですけど……」

「時間?」

「だからベアさんが言っていたお昼ご飯の時間が……」

「……ああ、もうそんな時間か」

 

 現在時刻は昼前。

 周囲を見渡してみれば、確かにギルドのあちこちを沢山の冒険者達が占領していた。

 俺達のテーブルの近くだけ人気が無いのはドミノをやっていたせいだろう。

 

 冒険者の九割以上は駆け出しのヒヨッコばかり。

 装備は使い古しと新しい物の違いはあれ、どれも格安の量産品。

 連中が徒党を組んでも俺はおろかゆんゆんにすら手も足も出ないと思われる。

 だがどいつもこいつも未来への希望や野望に満ち溢れたいい目をしている。

 

 ああいうのを見ると若さへの羨ましさ以上に微笑ましさを感じる辺り、俺ももう年なんだろうか。

 処刑されてからの年月を考えればジジイってレベルじゃないんだが、外見年齢だけなら……とか思ってたんだがこの前おじちゃんとか言われたからな。辛い。何が辛いっておじちゃん呼ばわりが全く気にならなかったことが辛い。

 

「そういえば今日が駆け出しの人の講習会なんでしたっけ」

「ご主人が初心者の指導とか血の惨劇の予感しかしないよな」

「わ、私の時はそんなことはなかったので大丈夫だと思いますよ?」

「お前の時はウィズ(外付けセーフティ)がいただろうが。今回は枷が無いんだぞ。賭けてもいいがあの駆け出し連中は地獄を見る事になる」

 

 ゆんゆんは俺から逃げるように目を背けた。

 

「で、そのご主人はどこ行った?」

「えっと……まだ来てないみたいですね」

 

 ご主人の姿はどこにも無いが、ギルドの職員が集まった駆け出し連中に声をかけている。どうやらギルドの外に連れて行くつもりのようだ。

 

「…………」

 

 職員に案内されるヒヨッコ共を見ていると、ふと、遠い昔、まだ俺が人間の騎士だった頃の自分の最期を幻視した。

 無実の罪を着せられ、今まで護ってきた無辜の民から、仲間だと思っていた騎士達から罵倒と共に石をぶつけられながら処刑台への階段を登る俺。

 忌まわしい記憶ではあるが、あれから長い時間が経った。

 今更そんな自分の姿を見て取り乱す事は無いが、どういうわけかあの冒険者達があの時の自分とどうしても重なってしまう。

 

 ……オイオイオイ、死ぬわアイツら。

 

「本当ならこのまま帰る予定だったんだが、俺は用事ができた。飯を作って待ってるウィズにはお前から言っておいてくれ」

「そうなんですか? 分かりました。お気を付けて」

「すまんな。ドミノ、結構楽しかったぞ」

「……あ、はい! 今度はトランプタワーを持ってきますね!」

「それは普通に断る」

「ええっ!?」

 

 嫌な予感がした俺はご主人を監視することにした。

 まさか駆け出し達を殺しはしないと思うが、いざという時はウィズを呼べば何とかなるだろうと考えて。

 

 

 

 

 

 

 気配を断ってこっそりと職員と冒険者達の後ろをついていくこと暫し。

 俺達が辿り着いたのはアクセルの西門から少し離れた場所にある草原だった。

 

「申請者五十八人、全員揃っています。よろしくお願いしますね」

 

 職員から名簿を受け取ったのは、静かに佇んでいた、バケツで頭部をすっぽり覆って隠した私服姿の不審者だ。

 指導員のカードを首からぶら下げている。

 

 服装と背格好で普通に分かる。あれはご主人だ。

 駆け出しの指導を行うというのは聞いていたが、それにしたって何故バケツを被ってるんだ。しかも目に痛いショッキングピンクで塗装されたラメ入りのバケツ。

 黒のペンキでラクガキのような目と口が描かれたそれは軽くホラーで、仮装パーティーでウケ狙いに使っても滑ると断言できる代物だ。

 

「…………」

 

 異様な出で立ちの不審者に駆け出し達は一瞬で静まり返った。

 マジかよ。そんな声なき声が聞こえてくる。俺もちょうどそんな気分。

 バケツの中から聞こえてくるコーホーという謎の呼吸音を聞いていると頭がおかしくなりそうだ。

 

 怪しすぎる身内の姿に俺は全力で他人のフリをすることにした。

 アレは俺の知らない人だ。俺の同居人にあんな変態はいない。俺は何も見なかった。

 

 ……そういうことにしておきたいんだから止めてくれご主人、後生だから。わざわざ気配断ってるんだから俺の方を見るんじゃない。おい、楽しそうに手を振るな。

 気が向いたらご主人を冷やかしに行くと言っていたし、存在に気付かれること自体は想定の範囲内なんだが、普通にショッキングピンクなラメ入りバケツの変態と知り合いだと思われたくないんだよ。頼むから分かってくれ。

 幸いにして今のところ駆け出し連中は俺の存在に気付いていないが、名前を呼ばれたり声をかけられようものなら一発アウトだ。来るんじゃなかった。

 

 俺の必死の祈りが通じたのか、ご主人は俺の方に近づいてはこなかった。

 気配を断っていた俺の意図を察してくれたようだ。ほっと安堵の息を吐く。

 

「……きもっ」

「やだ、何この人怖い」

「冒険者なのか?」

「新手の魔族じゃなくて?」

 

 しかしバケツヘルムの変態にドン引きしながらも注視せざるを得ない駆け出し冒険者。

 睥睨するようにご主人が見返すと、誰も彼もが一斉に視線を逸らした。

 根性無しと言うこと無かれ。あいつらの気持ちはとてもよく分かる。かくいう俺もドン引きだ。

 

 改めて思うが、駆け出し冒険者の指導にご主人を選んだアンポンタンはどこのどいつだ。

 

 確かにご主人は強い。べらぼうに強い。

 もうご主人だけでいいんじゃないかなっていう強さであることは俺も認めよう。

 だが同時に人として捨ててはいけない大事な何かを明後日の方向に全力で投げ捨てていることも確かなのだ。ご主人に面倒見てもらってる俺が言うんだから間違いない。

 

 そんなご主人が駆け出し冒険者の指導を行う。

 駄目だろこれ。何が駄目ってもう全部駄目。ダメダメ。およそ考え得る限り最悪の人選だ。故意に駆け出しを潰そうというのでなければギルドの正気を疑う。

 世の中には超えてはいけないラインというものがあり、ご主人の外付け良心担当であるウィズ無しにご主人に駆け出し冒険者の指導を任せるというのは、その超えてはいけないラインを軽くぶっちぎっていることはご主人の人となりを知っている奴であれば誰にだって理解できる筈なのだが。

 

 とはいえ、俺としてもご主人が殻も取れていないヒヨッコ共にどのような教育を施すか少しだけ興味はあった。

 ご主人はイカレポンチだが、一目で地雷案件だと分かるバケツの変態に率先して絡んでいく奴はいないだろう。

 

 ……そう思っていたのだが、甘かった。

 

「ちょっと、ねえあなた。そのふざけた格好は何のつもりなの?」

 

 金髪でツインテールの小娘がご主人に噛み付き始めたのだ。

 年齢は十代半ば。小生意気そうな顔をしたそいつは指導員として来たのならそのふざけた兜を脱ぎなさいだの、自分達を馬鹿にしているつもりなのかだのと、きゃんきゃんとやかましく喚いている。

 

 文句を言いたくなる気持ちは俺も分かるし拍手を送ってやってもいい気分なのだが、仮にも指導員を相手に口の利き方がなっていないのはマイナスポイントだ。

 あとどう考えても喧嘩を売る相手が悪い。

 

 小娘の仲間達と思わしき連中がまた始まったと苦笑しつつご主人に謝罪をし、やんわりと小娘を諌めようとする。

 小娘は勿論だが、仲間も仲間だな。

 これは一度痛い目を見ないと分からないタイプだ。

 

「……やれやれ、私も話には聞いていたが、これは早くも先が思いやられるな」

 

 圧倒的な存在感を放つバケツ男(ご主人)に気を取られていて気付かなかったが、もう一人、緑色の髪のエルフの男がご主人の隣に立っている。

 知った顔、そしてあまりにも予想外の人物の登場に俺は些か以上に驚いた。

 

「この場には将来有望な人間しか集まっていないのか? 賃上げ要求はどこに訴えれば受理してもらえるのやら」

 

 ミスリル製の長弓を背負って世界中を旅する緑髪の放浪エルフといえば、魔王軍でもそれなりに名の知られていた存在だ。

 ここ数十年は表舞台に立っていなかった筈だが。

 

「……誰? あなたも指導員なの?」

「そう思うのなら君は少し口の利き方に気を付けた方がいいな。私が見るに君は女だてらに舐められまいと躍起になっているようだが、そういう態度は時に致命的な事態を……ああ、残念ながら少し遅かったようだ。歯を食いしばっておくといい」

「は? それってどういう――――」

 

 酷く耳障りな音が空間に木霊し、緑髪のエルフが言わんこっちゃないと肩を竦めた。

 

 

 肉を打つ音。

 骨を砕く音。

 人体を破壊する音。

 俺が聞きなれた音。

 

 

 一瞬で小娘の姿は消え、微かな血煙と血痕だけがその場に残る。

 

「…………え?」

 

 小娘の仲間達を始め、ヒヨッコ共は何が起きたのか理解できていない様子だが、俺にはご主人が何をやったのかハッキリと見えていた。

 腰に下げた模擬剣を抜いて小娘をぶちのめしたのだ。

 その証拠にご主人が振るった模擬剣は根元からポッキリ折れている。最早二度と使い物になるまい。

 

 あえて言おう。加減しろ莫迦。

 俺も一度痛い目を見た方がいいとは思ったが、低レベルの駆け出し相手にどれだけ力を込めてぶん殴ったのかと。

 

 だがご主人は十分加減したと主張するだろう。

 何故なら小娘は生きているからだ。殺してないから手加減している。

 ご主人はそういうどうしようもない価値観の持ち主だと俺はよく知っている。

 

 生贄の子羊こと高速でふっ飛んでいった小娘は俺達の百メートルほど後方にボロ雑巾のようになって転がっていた。

 四肢は曲がってはいけない方向に折れ曲がり、よく手入れされていた金髪は鮮血で染まり、全身は激しく痙攣している。

 いっそのこと止めを刺して楽にしてやれと言いたくなる惨状だ。ミンチになっていないのが不思議でしょうがない。

 

 どれだけ本気で攻撃しても絶対に死なない、死ねないみねうちは手加減する為の素晴らしいスキル。

 サキュバスの群れだろうが問答無用でぶちのめすご主人は本気でそう思っているし公言して憚らない。

 女子供だろうと区別しないご主人には呆れを通り越していっそ感動すら覚える。

 

「…………」

 

 突然の惨劇にさっきとは別の意味で水を打ったように静まり返るヒヨッコ達。

 九割九分九厘死体になった小娘にポーション瓶を投擲するご主人(これまた見事な腕前と速度で小娘に直撃した)を尻目に、エルフが話を始めた。

 

「このように、冒険者はいつどんな理由で命を落とすか分からない過酷な職業だ。彼女も今日のところは運良く命が助かったが、いつもこうだとは限らない事を頭に叩き込んでおくといい」

 

 コイツも大概イイ性格をしている。

 地べたに突っ伏して痙攣する小娘の無惨な姿のどこをどう見たら運が良いなどと言えるのか。

 俺としても言いたい事は分からないでもない。

 分からないわけではないが、少なくともあの小娘の運がいいっていうのは絶対に嘘だろ。

 むしろこの場に集まった連中は全員今日の運勢最悪だろ。

 

「世の中には死力を尽くしてもどうしようもない相手というものが存在する。臆病になれと言っているわけではない。だが決して勇気と無謀を履き違えるな。それは時として己だけではなく仲間の命をも危険に晒す可能性がある。彼はそれを教える為にこんな滑稽な格好をしているわけだが……私と違って彼は有名人なのだから、端から素性を明かしていれば彼女もあんな目には遭わなかったとは思うがね。しかしそれでは意味が無いと考えているようだ。何せ彼は……」

 

 ご主人がコーホーとエルフを肘で小突く。

 喋りすぎだと言いたいらしい。

 

「……そうだな。私の悪い癖だ、わかってはいる」

 

 頭のおかしいエレメンタルナイトを相手に喧嘩を売る奴はそういないだろう。

 ご主人の顔と名前はさておき、その異名はあまりにも有名だからだ。

 

「さて、始める前に自己紹介をしておこう。まず彼は……」

 

 ご主人はどこからともなくフリップを取り出した。

 フリップにはでかでかと「バケツマン」の文字が。

 

「バケツマンだそうだ。そして私は……」

 

 ご主人。……おいご主人!

 脳は御無事かご主人!

 ウィズ分の摂取のしすぎじゃないのかご主人!

 どうしてこんなになるまで放っておいたんだご主人!

 

 声を大にして滅茶苦茶突っ込みたいが、今の俺は空気に徹しているので口出しはできない。

 あとバケツマンの知り合いだと思われたくない。

 

「私達に与えられた仕事は今日一日をかけて君達を一人前とは言わずとも、駆け出し冒険者と呼んでも恥ずかしくない程度にまで仕上げる事だ」

 

 今のお前達は駆け出し冒険者ですらない。

 言外に告げる緑髪のエルフに駆け出し達の雰囲気が一気に剣呑なものに変化する。

 

「ちなみに私は彼のように苛烈でも容赦が無いわけでもないから安心してくれていい。私の指導は親切丁寧だと故郷でも有名だったくらいだからな」

 

 性悪として魔王軍で有名だった緑髪のエルフはポーションを宙に放りながら駆け出し達にニヤリ、と笑い……。

 

「では、まず手始めにこの場の全員でバケツマンと戦ってもらおうか。何、死にはしないさ。この通りポーションも大量に用意しているからな」

 

 端的に、死刑を宣告した。

 

 

 

 

 

 

 その後、呼吸をするように駆け出しを全員みねうちで半殺しにして治療したご主人とエルフの新人指導が始まったわけだが、講習会から逃げようとする者は誰一人としていなかった。

 最初の犠牲者の小娘も含め、全員が自分達とご主人の間の隔たる圧倒的な力の差に心がバッキバキに折られていたからだ。イジメか。

 

 最初に身の程を分からせていくやり方は冒険者ではなくむしろ兵士を育てるカリキュラムに近い。

 俺が身を置いている環境(終末)と比べるとぬるま湯もいいところだと思うが。

 

 さて、不穏というか血生臭い開幕の講習会だったが……大多数の予想に反して、意外にもその内容はマトモすぎるものだった。

 

 例えば採掘を学ばせる為につるはしを持たせ、巨大な岩を砕かせたり。

 岩から金塊が出土して駆け出しが大喜びしたが二人が埋めた偽物だったと知って崩れ落ちたり。

 

 各々に装備品を貸与したと思ったら全部呪われていて外せなくなったり。

 一度閉めたら絶対に開けられない宝箱(ウィズの店の品だ)を開けさせようと試みたり。

 休憩に焼肉を振舞ったはいいがムシャムシャと肉を頬張る駆け出しに「……本当に食べてしまったのか?」とドン引きして自分達は何を食わされたんだと駆け出しを発狂させたり。

 肉の匂いに釣られたのか、ご主人が連れてきたわけでも無いのにマシロが遊びに来て可愛がる駆け出し達を逆に可愛がる(物理的な意味で)サプライズが発生したり。

 頭のおかしい爆裂娘が演習場の近くで日課の爆裂魔法をぶっぱなして運の悪い奴が巻き添えを食らいかけたり。

 

 ……うん、結局誰も一回も死んでないし、今日のご主人はいつもの百倍は優しかったな。

 駆け出しは全員が一人最低三回は死の境を彷徨っていたが誰も死んでない。

 ご主人め、ウィズに知られたら怒られるからって自重したな?

 

 

 あまりにも恵まれている駆け出しにちょっとした嫉妬を感じながら俺は日記を開いた。

 

 

 

 5月★日:ベア

 タイトル:無題

『しかしなんだ、今日は滅茶苦茶驚いたな。色んな意味で。

 荷物運びをさせられたらあんな光景を目の当たりにすることになるとは。

 ただ只管にご主人の頭がおかしいというのは改めてよく分かった(笑)

 苦労に勝る宝は無いというのは俺も同意するが、限度というものがある。

 なのでご主人はもう少し他人に優しくしてやった方がいいのでは?

 いい加減ウィズに愛想を尽かされても俺は知らんぞ(笑)』

 

『ゆんゆん:ベアさん、今日はありがとうございました。とても楽しかったです。よろしければまた今度お願いします』

『ウィズ:ベアさん……大丈夫ですか……? 本当に大丈夫ですか?』

『ゆんゆん:ウィズさん、ベアさんがどうしたんですか?』

『ウィズ:私が聞きたいです……』




《緑髪のエルフ》
 世界中を放浪するエルフの青年。
 弓の達人。口が達者でサバイバルを始め、豊富な知識を持っている。
 世間一般で知られるエルフとは一線を画すアクの強い性格をしているが、なんだかんだで嘘は言わない。

 性格といい容姿といい、主人公の命の恩人とも呼べる人物に酷似しており、彼と顔合わせをした際に主人公は大層驚いたとかなんとか。
 好きなものは特に無いが、乞食と爆裂魔法が嫌い。


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第82話 HAMMER×HAMMER

 駆け出しへの指導依頼は無事に終わった。

 かつて駆け出しだったあなたにノースティリスの冒険者としての在り方を教授した緑髪のエレア。その彼に酷似した緑髪のエルフと駆け出し冒険者へのレクチャーという極めて限定的なシチュエーションで巡り合うとは思わなかったが。

 運命を通り越していっそ作為的なものすら感じるほどに出来過ぎた遭遇だった。

 

 そんな彼とあなたの講習(チュートリアル)の結果、自身の限界を悟ったり現実を知った駆け出しのおよそ半数が冒険者カードをゴミ箱にぶち込んで故郷に帰っていったが、残りの半数は今もアクセルで活動を続けており、その中にはあなたが最初に半殺しにした金髪の少女の姿もある。

 半数の駆け出しを脱落させたことであなたは軽くお小言を貰ってしまったが、残った半数に関しては損耗率が著しく低下したし駆け出し特有の浮ついた雰囲気が無くなったと評判は上々だ。

 

 ちなみに今のところバケツマンの正体は駆け出しにはバレていない。

 ギルド側は守秘義務がどうのこうので明かそうとしなかったが、あなたとしてはあんな変装とすら呼べない仮装は速攻で露見すると予想していたし、実際彼らは他の冒険者達にバケツマンの正体を聞いて回っていたのだが、どういうわけか話を聞いた冒険者は揃って口を噤んだのだ。

 

 

 

 ――正体は簡単に予想がつく。滅茶苦茶強くてバケツ被って教導する男とかアイツくらいだろ。

 

 ――でも言いたくないわ。冒険者は好きに生きて理不尽に死ぬ生き物だけど、私はまだ死にたくないもの。

 

 ――いいかお前ら。これ以上バケツマンに深入りするのは止めておけ。世の中には知らない方がいい事が沢山あるんだ。

 

 ――バケツマンは正体不明。それでいいじゃないか。

 

 ――ああ、それは多分私のライバルですね。バケツで変装などお粗末にも程がありますが、アレは天然というかそういう変な所がありますから。……おい、今お前が言うなって言ったのはどこのどいつだ。最近故郷で星砕きの称号を手に入れてきた私に喧嘩を売るっていうなら全力で買いますが。屋内でやれるもんならやってみろ? ……あれあれ? 怒らせていいんですか? 使いますよ。爆裂魔法。……運が悪かったですね。今日は魔力が足りているみたいです。

 

 

 

 最近、一人の紅魔族の少女がギルドから一週間の出入り禁止の処分を食らったそうだが、この件との関連は定かではない。

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ、いつもご愛顧ありがとうございます! 今日もとってもいいものを仕入れてますよ! それも二つも!」

 

 あなたがウィズ魔法店の扉を開けると、決して営業スマイルではない、心からの感謝と歓迎の笑顔でウィズが出迎えてきた。

 ぽわぽわりっちぃの百万エリスを支払っても惜しくない笑顔と新たな掘り出し物への期待と溢れる産廃(ネタアイテム)の予感にあなたの表情が綻び、胸は早くも高鳴りっぱなしだ。

 

「というわけで早速商品の紹介に入りましょう! 本日の一品目はこちら。お掃除ゴーレム、ルーンバーです!」

 

 テンション高めのウィズはそう言って直径30cm、高さ10cmほどの円形の物体を取り出した。

 中央には動力源と思わしきマナタイト鉱石が嵌っている。

 

「これはなんと、床に置いておくと自動でゴミや汚れを感知してお掃除してくれる魔道具なんです。しかもすごく静かに動くのでお昼寝の邪魔にもなりません」

 

 イルヴァにおける自動掃除機(ダンジョンクリーナー)のようなものだろうか。

 暇を持て余したマニ信者の友人が手慰みでこれと似たようなものを作ってフリスビー代わりに遠投していた。このルーンバーはそれによく似ているが、こちらには光子銃もブースターも自爆装置も搭載されていないようだ。あったらあったで困るだけなのでいいのだが。

 

「そいつは魔力で動くのだが、魔力を馬鹿食いする上に燃費がすこぶる悪い。高レベル冒険者が多く存在する王都ならともかく、駆け出しの街では持て余すだけだ。……まあお得意様やそこのぽんこつ店主の魔力であれば問題なかろう」

 

 バニルが補足説明を行ってくれた。

 ウィズが仕入れる品は主にあなた以外誰も買おうとしない産廃と駆け出し冒険者の街では売れない品の二種類に大別される。これは後者のようだ。

 

 しかし自動で掃除をするようなゴーレムを買ってしまうと、ただでさえ家の掃除をする機会が少なくて残念に思っているウィズの仕事が更に減ってしまうわけだが、それはいいのだろうか。

 あなたの問いかけに彼女は慄然とした表情になった。

 自分で売り込んでおきながら気付いていなかったらしい。

 

「全然よくないです、それは凄くよくないですよ! お家の掃除は私の仕事なんですから!」

 

 ゴーレムが私の大事な大事なお仕事を奪います、と嘆きながらぽわぽわりっちぃはルーンバーを涙目で睨みつける。機械の大量生産に駆逐される職人のような台詞だ。

 ただ、自動で掃除をするというのであれば季節の変わり目に家のあちこちに散らばるマシロの抜け毛を掃除するのに役立ちそうではある。あれにはウィズもてこずっていた。

 

「むう……あなたがそう言うのでしたら……」

 

 これではどちらが商売人か分かったものではない。

 実際どのように動くのか見てもらう為にウィズが渋々ルーンバーを床に置いてスイッチを入れると、静かに動くという掃除ゴーレムはズゴゴゴゴ、という凄まじい異音を立ててウィズの足に何度も体当たりを始めた。

 

『警告! 特大のゴミを見つけました! 特大のゴミを見つけました! ただちに除去してください!!』

 

 失礼極まりない音声である。

 誰がゴミだというのか。

 ぶっ壊してやろうかと思ったが売り物なので止めておく。

 

「え、えっと……あれ? どういうことなんでしょうか?」

「フハハハハ! どうやら店主はゴーレムにゴミ扱いされているようであるな!! この店で誰が一番の産廃なのかを判別していると見える! さすがは産廃店主! ゴーレムの分際で中々どうしてよく分かっているではないか!」

「…………」

 

 目の据わったウィズがまるであてつけのように高笑いするバニルの足元にルーンバーを置くと、仮面の悪魔は彼女を鼻で笑った。

 

「ふむ、残念ながら我輩はご近所でも綺麗好きのバニルさんで通っている悪魔であるからして、浅はかな貴様の目論見が外れることはわざわざ見通す力を使うまでも無く分かって――」

『警告! 特大のゴミを見つけました! 特大のゴミを見つけました! ただちに除去してください!!』

 

 今度はバニルに激しく体当たりを始めた。彼もゴミ判定らしい。

 店内の気温が下がっていく。

 

「すみませんバニルさん、ちょっとよく聞こえなかったのでもう一度言ってもらえますか? 誰が産廃で、浅はかな私の目論見が、何でしたっけ?」

「…………」

 

 ガンを飛ばしあうアンデッドの王と大悪魔。世界の終わりはすぐそこまで迫ってきている。

 ウィズと遠慮が無い間柄であるバニルを少し羨ましく思いつつもウィズが楽しそうで何よりだとあなたは笑い、仲良く険悪なムードを漂わせる両者を尻目に諸悪の根源を手にとってみる。ウィズやバニルの時のような失礼な音声は流れなかった。

 裏返してみればアルカンレティアにある魔道具工房の名前が書かれていた。どのような伝手で仕入れてきたかは知らないが、なるほど、ウィズ(アンデッド)バニル(悪魔)に反応するわけである。人間には反応しない仕様なのだろう。デュラハンのベルディアならば反応するだろうか。

 

「…………」

「…………」

 

 さて、そろそろ二人が喧嘩を始めそうなので混ぜてもらおうと意気込むあなただったが、にゃあ、という小さな鳴き声に機先を制された。

 声の方に目を向けてみれば、先ほどまで土鍋の中で丸くなっていたマシロがあなたの足元に近寄ってきていた。ルーンバーに興味があるのか、その青い瞳でじっと円盤を見つめている。

 オモチャと思ったのかもしれない。あなたが大型ゴミの判定を食らった二人に反応しないように少し離れた場所に置いてみると、魔法店の可愛い看板猫は何度か前足で突いた後に害が無いと分かったのかひらりとルーンバーの上に飛び乗った。

 

 なんとなくせっつかれている気がしたのでスイッチを入れてみる。

 

 突如動き出した円盤からマシロは慌てて飛びのいたが、観察している内に好奇心が勝ったようで動き回るルーンバーに再び飛び乗り、そのまま伏せてしまった。気に入ったらしい。

 こうして掃除ゴーレムはマシロのおもちゃになった。

 

 

 

 

 

 

 ルーンバーに乗って遊ぶマシロに毒気を抜かれたのか、矛を収めてしまったウィズが取り出したのは古びたボロボロの金槌だ。

 女性の細腕でも片手で振るえる程度のサイズである。

 

「銘は鍛冶屋潰しです。鍛冶屋さんの間ではドワーフ殺しという異名で呼ばれている金槌ですね」

 

 全国各地の鍛冶屋から凄まじい抗議と金床と溶鉱炉が飛んできそうな名前だとあなたは感じた。特にドワーフなど怒りのあまり額の血管を破裂させて発狂するのではないだろうか。

 彼女自身知り合いにドワーフの鍛冶師がいるというのにそんなものを平然と売ろうとするあたり、中々いい根性をしている。

 

「鍛冶屋潰しは見ての通りのハンマーですが、しかし武器ではありません。あくまでも鍛冶の為の道具なんです」

 

 彼女はそう言っているが、金属の塊で殴れば一般人の頭をカチ割る程度は造作も無いだろう。

 しかし鍛冶屋潰しという異名でありながら鍛冶の為に使うとはこれいかに。

 

「それはですね、なんと鍛冶屋潰しが鍛冶スキルを持っていない人でも鍛冶ができるようになるという非常に画期的なアイテムだからなんです。ハンマーを通じて擬似的に使用者に鍛冶スキルを習得させているわけですね」

 

 そう言ってウィズは金槌の頭の部分を見せてくれた。

 Lv:1 Exp:0.0000%という文字が刻まれている。

 

 この世界には料理や演奏、宴会芸スキルと同様に鍛冶スキルが存在しており、世の中の店を経営している鍛冶屋は当然これを習得している。

 あなたは習得していないが、カズマ少年も装備品の修繕やアイテム作成の為に鍛冶スキルを習得していたはずだ。

 しかしスキルの代替品とは中々に興味深い。

 やけにボロボロなのは気にかかるが、それだけ古い時代のアイテムなのだろうか。

 

「古い時代のアイテムであることは確かですが、これは元からそうなんです。鍛冶屋潰しは持ち主と共に成長する金槌ですから。今はご覧の通りボロボロのハンマーで、傷んだ装備品の修繕や質の低い装備の作成くらいしかできませんが、成長した暁にはそれはもうドワーフの名工の方が使うような立派なハンマーになり、想像を絶する装備品の強化ができたり、神器にも届く装備品が作れるようになる……といわれています」

 

 成長する道具とはまるで生きている武器のようだ。

 愛剣のように自我を持っているわけではないのだろうが、それでも若干の親近感は覚える。

 

「遠い昔、魔道大国ノイズが健在だった時代。鍛冶屋潰しは鍛冶が非常に盛んな鉄と炎の国で、ある一人の魔道士によって生み出されました。その魔道士は冒険者の装備品の修繕の為に鍛冶屋に行くのがめんどくさい、という声にピンと来てこれを生み出したそうです」

 

 製作者は才能に溢れた魔道士ではあったのだろう。

 よりにもよって鍛冶が盛んな国でこれを作ったかと思うと最悪もいいところだが。

 

「紆余曲折を経て販売された鍛冶屋殺しは冒険者の方にそこそこ売れたそうですが、鍛冶ギルドの凄まじい反発と抵抗にあった挙句、魔道士が暗殺されて国中の鍛冶屋がストライキを起こし、最終的には国のお触れでその殆どが回収、廃棄処分になってしまったんだとか」

 

 さもあらん、当然の結末だとあなたはウィズの話に眉間を押さえた。

 革新的と言えば聞こえはいいが、実際は体制と既得権益に中指を突き立てて助走をつけてぶん殴り唾を吐きかけるが如き所業のアイテムである。

 完全に戦争をふっかけていると言わざるを得ない。

 

「そして今ここにある物は廃棄処分を免れた内の一つ。そんな歴史的にも貴重な品が“おうちで鍛冶屋セット”もおまけしてお値段、ななな、なんと二千万エリスでの御提供! これはもう買うしかありませんよね! ありませんよねっ!?」

 

 説明を終え、両手でハンマーを握り締めて詰め寄ってくるウィズはまるで押し売りのようで興奮も相まってとても可愛いが、買うかどうかはもう少し詳しい商品の話を聞いてからだ。

 本人の手前あえて口には出さないが、ウィズが仕入れた以上、このアイテムも何かしらの致命的な欠陥を抱えていることは確かなのだから。そう、今まであなたが買い漁ってきたものと同様に。

 二千万エリスというのは彼女の店の品でも中々の額と言える。ポンと払う気にはなれない。

 

「……まあ、決して使い道が無いわけではない。傷んだ装備品を修繕する程度であれば十分に使用に堪えるであろう。二千万エリスを払う価値があるかはともかくとしてな」

 

 あなたの視線を受け、棚を掃除していたバニルが再び補足説明を行う。

 

「鍛冶屋潰しの欠点は修繕にしろ製作にしろ、槌を振るうだけで凄まじく疲労することだ。無機物にスキルを付与、再現したせいか無理が生じてるらしく、本来であれば肉体的疲労を感じぬ筈のアンデッドやゴーレムでさえ使っていれば過労で昏倒するほどに消耗する」

 

 ハンマーのレベル上げの為にベルディアにアンデッドナイトを召喚してもらって不眠不休で働かせるのは無理ということだ。

 それどころか持ち主と共に成長するアイテムなので、他人に使わせるとレベルがリセットされる。

 

 更に真っ二つに折れた剣など、完全に破損した装備品を元通りにするのも不可能だという。

 しかし武具の作成には鉱石の他に破損した武具が必要なのだそうだ。これは鉱石を使って壊れた武具を新生させているかららしい。

 

「店主の説明通り、使い続けてハンマーのレベルを上げればいずれは強力な装備品の作成に手が届くであろう。ただしその道のりは果てしなく遠く、高く、険しいものになる。金蔓様の力量であれば必然的に要求される武具の性能も相応になる故、更に時間がかかることになるな」

「これは初期ロットなので傷んだ装備品をカーンカーンって叩くだけで経験値が入りますよ!」

「だがスタミナの消耗という壁が立ちはだかる。我輩も試してみたが、どういうわけか百回ほどでまともに体が動かなくなった。この我輩が、だ。そういう意味では凄まじい品ではある。そこのインドア派リッチーに到っては一桁で音を上げるだろう」

「流石に一桁でバテるってことはないですよ!? 最近は彼やゆんゆんさんと運動して体力を付けてるんですから!」

 

 以前はちょっと全力疾走した程度で筋肉痛になっていたひきこもりっちぃの意見を華麗に黙殺し、バニルは説明を続行する。

 

「ハンマーを高レベルにする為には鉱石を使って装備品を作成するのが手っ取り早いのだが、これがまた本末転倒極まりない仕様でな。低レベルの時であれば鉄鉱石程度でも経験値は入るが、高レベルとなればアダマンタイトやオリハルコンなどの希少鉱石……それも品質の高いものを湯水の如く浪費せねばならず、そんな高価な素材が潤沢に手に入る冒険者であればその材料で本職の鍛冶師に装備品を作ってもらった方がはるかに安上がりかつ上質の装備が手に入る」

 

 彼はこのアイテムを売る気が無いのだろうかと思わずにはいられない説明だが、こんなことは日常茶飯事だ。

 聞こえのいいでまかせを言って産廃を売りつけようとはしないあたり、大悪魔といってもバニルはアクシズ教徒よりよほど誠実といえるだろう。

 実際に言葉にするとあのような連中と一緒にするなと激怒しそうだが。

 ウィズはそもそも本当にいい品物だと思って売りに出しているので、誠実とか悪辣とかそういう話にはならない。抱きしめたくなるほどに商才が無いだけだ。

 

 

 

 

 

 

 結局その後、あなたは鍛冶屋潰しを購入した。

 バニルはあなたの根っからの金蔓っぷりに呆れながらも鉱石の採掘場所を教えてくれたが、あなたには今のところ必要ないものだった。

 異邦人であるあなたにはノースティリスで溜め込んだ鉱石類がある。

 この世界では使い道が無い上にその性質上大量放出できない道具の使い道がやってきたのだ。

 

 女神アクアが酒の奉納を喜ぶのと同じように、あなたの信仰する癒しの女神は鉱石を捧げ物として受け取っており、彼女の信者であるあなたもかつては恒常的に数多の鉱石を奉納していた。

 

 だがある日、あなたの信仰が限界まで深まった際に「こ、これからの供物は鉱石じゃなくて手作りお菓子でもいいんだからねっ! でも変な勘違いはしないでよね、私はただ鉱石はもう沢山持ってるから他の物が欲しくなっただけであって、別にアンタが作ったお菓子が食べたいからこんなことを言ってるわけじゃないんだからっ……バカバカバカッ!!」という神託があなたに下った。わざわざあなたにはしなくなって久しいツンデレ口調まで持ち出して。

 かの女神は甘いお菓子が大好きでこっそりと服の中に沢山のお菓子を隠し持っているというのはあなたも熟知している。激しく動くと服の中からぽろぽろ零れるくらいには隠し持っているのだ。

 女神たっての願いを受け、その日からあなたが祭壇に捧げる供物はクッキー、パフェ、ケーキといった自作のお菓子になり、それからもなんとなく習慣として集めては溜め込み続けていた計十万個以上の鉱石類が今も四次元ポケットの中に眠ったままになっている。

 

 そんなあなたが抱えている鉱石は大地の結晶、魔力の結晶、太陽の結晶、金塊、ミカ(雲母)ルビナス(ルビー)の原石、エメラルドの原石、ダイヤモンドの原石の八種類。

 イルヴァでは大地の神が定期的に地殻変動を起こして大地に力を馴染ませているが故か、これらの鉱石がそれはもうわんさかと出土する。

 軽く家の壁を掘っただけで発掘できるくらいなので必然的に安価かつ多量に鉱物が手に入るのだが、地殻変動が発生しないこの世界ではそうもいかない。

 

 あなたは以前ウィズに金や宝石の相場を教えてもらった際に自身の持つ鉱物について査定してもらったのだが、各種原石に関しては不純物が多く混じっているということで驚きに値する値段は付かなかった。

 しかしその他の結晶と金塊に関しては驚きの結果が待っていた。

 魔力の結晶はマナタイト、太陽の結晶はフレアタイトに似た性質を持っているらしく、それ一つで数十万エリス、そして金塊に至っては数百万エリスはくだらないとのこと。

 金はイルヴァでも古来から富と力の象徴として権力者に好まれているが、それでも金塊一つにここまでの高値は付かない。世界の違いと理解はしていてもぼったくりとしか思えなかった。

 

 上記の物以外にもあなたはミスリルの欠片やエーテルの欠片、鉄の欠片といった一見すると鍛冶に使えそうな(マテリアル)を持っているが、こちらは本当に小石程度のサイズなので工房などで精錬しない限り役には立たないだろう。

 

 とまあ、このような理由により装備はダイヤ製だろうが好きなだけ作り放題、とはいかなかった。

 バニルも言っていたが、武具の作成には鉱石以外にも壊れた武具が材料として必要になる。

 普通であれば大量の壊れた武具など戦場でもなければそうそう手に入るものではない。

 

 ……そう、普通であれば。

 

 

 

 

 

 

「……で、武器屋とか戦場を巡って装備を漁るのが面倒だから俺がアンデッドナイトを召喚して壊れた武具を量産しろと」

 

 理解が早くて助かるとあなたが頷くと、あなたの目論見を聞かされたベルディアは心底めんどくさそうに重い息を吐いた。

 

「ご主人もシェルターに潜るとか言うから何かと思えば、まさか鍛冶屋潰しのレベル上げを手伝えとは。というかまだ現物が残っていたのか……」

 

 ベルディアがスキルで呼び出すことのできるアンデッドナイトは朽ちてボロボロになった金属製の武具を身に纏ったモンスターだ。

 まさしく質より量を体現するモンスターであり、質も量も圧倒的に強化された終末においては壁にもならない。

 意思を持たず、劣悪な装備品で武装したアンデッドナイトに手こずるのは駆け出し冒険者くらいなものだが、今はその劣悪の極みとも呼べる武具こそがあなたの必要とするものだった。

 

「あらかじめ言っておくが、アンデッドナイトの武具はアンデッドナイトが消えたら一緒に消滅するからな?」

 

 それでも構わないとあなたは頷く。

 あなたはレベル上げに装備品を使いたいだけであって、今のところ完成品に用は無い。むしろ処分の手間が省けると思えば願ったり叶ったりといえるだろう。

 

「ご主人がそれでいいならいいけどな。だが素材に使う鉱石が勿体無い気が……え? 素材の鉱石は十万個以上在庫がある? ダイヤモンド製の武具? 終末といい、ごすは市場の破壊者にでもなる気なの? あとダイヤは常識的に考えて武具の素材にはならないから。硬くても衝撃に弱いダイヤは普通に砕けるから」

 

 遠い目をしたベルディアが呼び出したアンデッドナイトから槍を受け取る。

 アンデッドナイトの防具は頑張れば辛うじて防具として使える程度の痛み方をしているが、槍は穂先が中ほどで折れてしまっており、槍というよりは棒といった有様だ。

 

 あなたは想定通りの武器の劣悪さに満足しつつ“おうちで鍛冶屋セット”についていた小型溶鉱炉に穂先を突っ込み、熱した槍を金床に載せ、更にその上に淡い光を放つ白く小さな鉱物、ミカを重ねる。

 あとはミカの上からハンマーを叩き付けるだけでミカ製の槍ができあがる、らしい。

 

「相変わらず世の中の鍛冶屋に喧嘩売りまくってる道具だな。作った奴が暗殺されるわけだ」

 

 ベルディアのぼやきを聞きながら金槌を振るい、カーン、カーンという金属音をシェルター内に響き渡らせること数分。

 驚くほどあっけなくミカ製の長槍が完成した。

 品質は粗悪かつ素材の関係で実用性も絶無だが、鍛冶の技術などこれっぽっちも持っていないあなたの手によって折れた槍は立派な武器の姿を取り戻したのだ。

 アンデッドナイトに白亜の槍を返却すると、彼、あるいは彼女はどこか嬉しそうな顔になった気がした。

 

「見た目はいい感じだな。しかし雲母製の武器って実際どうなんだ?」

 

 ノースティリスでのミカの扱いは辛うじて生もの製よりはマシ、といったところだろうか。

 非常に軽いので扱いやすいが、実用的ではないことだけは確かだ。

 

「だろうな。……というか生ものの武器って聞いててもう意味が分からん」

 

 鍛冶は苦行という話だったが、武器が完成した際、あなたは仄かに鍛冶の技術の向上を感じた。

 果たしてどれくらい経験値を稼げたのだろうかとハンマーを見てみれば、Lv:1、Exp:0.0000%と刻まれていた箇所はLv:2、Exp:0.0000%に変化していた。まさかの一発レベルアップである。

 

「まあ最初はこんなもんだろう。心配しなくてもどうせそのうち地獄を見る破目になる」

 

 まるで実際に体験してきたかのような台詞だ。もしかしたらベルディアも自作装備目当てに鍛冶に挑戦したことがあるのかもしれない。

 ペットの過去に思いを馳せつつ、あなたは装備の修繕を試すことにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「な? だからしんどいって言っただろ?」

 

 傷んだ防具にハンマーを振るい続けて疲労困憊となったあなたにベルディアが飲み物を手渡しつつ声をかけてきた。

 バニルとベルディアが言っていたことが嘘ではないと己の身を持って証明したあなたは汗を拭いつつ苦笑いを返す。

 

「しかし休憩無しで100回近く連続で鍛冶屋潰しを振るえるとかご主人はスタミナお化けか」

 

 97回。

 一切疲労していない、並大抵の運動や戦闘では息一つ切らさない廃人(あなた)の息があがり、額に玉のような大粒の汗が浮かぶまでに金槌を振るえた回数だ。

 あれだけボロボロだったアンデッドナイトの兜も鎧も籠手も具足も新品同然になったが、あと十回も振るえばあなたは過労で倒れかねない。

 それほどの疲労度であり、体力が完全に戻るまでには最低でも六時間は休む必要があるだろう。

 

 普通のハンマーを振るうだけでこうはならない。

 一回一回精魂込めて振るわねばならないからか、あるいはこの道具の効果なのか。

 十中八九後者だろうが、スキルを使う時のような、魔力や普通の体力とはまた別の概念的な()()を持っていかれているような感覚があった。

 更に槌を振るっていると空腹になるのも異常なまでに早い。作業中に一度ストマフィリアを頬張ったくらいだ。

 あれだけボロボロだった装備がハンマーで叩いていくだけでピカピカになっていく様は目を見張る物があったが、なるほど、確かに二人の言うとおりこれは中々にしんどい作業である。

 苦労の甲斐あってハンマーのレベルは5になったが、これからもっとレベルは上がりにくくなるのだろう。

 

 しかしその辛さと疲労感はあなた(廃人)にとって実に慣れ親しんだ懐かしいものであり、ノースティリスに戻ってきたかのような心地よさにあなたは汗を拭いながら爽やかに笑う。

 他人にとってどうかはともかく、()()()()()の道具と言える。

 ウィズは本当に素晴らしいものを仕入れてくれたものだ。

 

「うわあ、ご主人がヘトヘトになってるのにめっちゃニコニコしてる」

 

 しかしこのまま鍛冶を続けるのは効率が悪すぎるし体力がもたない。

 日々鍛錬に励んでいるベルディアをアンデッドナイトを呼ぶためだけに働かせるというのも気が引ける。武具を叩くだけで経験値が入るのは確かだが、痛んでいない武具を叩いても経験値は入らなかった。

 課題は幾つかあったが、あなたはその全てを一気に解決できるかもしれないアイテムを所持しており、これを全面的に活用するつもりだった。

 

 そのアイテムとは吊るした相手を完全に無力化し不死にする狂気の拷問器具ことサンドバッグである。

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 かつてゆんゆんのレベル上げの為に赴いた、鉱山の麓に存在するダンジョン。

 その深層に、一心不乱にハンマーを振るい続けるあなたの姿があった。

 

 ダンジョンの一角を掘りぬいて作った一室にはあなたが持ち込んだ家具や時計が置かれており、鍛冶を行うあなたの傍らにはサンドバッグに吊るされ身動き一つしなくなった一匹のスライムが。

 

 あなたが目をつけたのはブラッディスライムという、その名の通り血の色をした毒々しいスライムだ。

 鉱物を好んで食し、スライム系の中でも強い酸性を持つというこのモンスターに物理攻撃を仕掛けようものならば、鉄製の武器などあっという間にボロボロになってしまうだろう。

 

 しかしその装備品を傷める厄介な性質は鍛冶スキルのレベル上げにおいては非常に役に立つ。

 

 スライムをサンドバッグに吊るし、この世界で購入した耐酸性ではない武器とノースティリスから持ち込んだスタミナ吸収(体力回復)のエンチャントが付いた武器の二刀流で攻撃し続ける。

 スライムはサンドバッグの効果で絶対に死なず、酸で劣化させすぎて武器が壊れない限りは永遠に武器を劣化させつつスタミナを回復させることができるのだ。

 

 そうして劣化した装備を修繕するためにハンマーを振るい続けて経験値を稼ぐ。

 体力が無くなったらサンドバッグを叩いて回復する。

 

 ハンマーを振るう。

 サンドバッグを叩く。

 

 振るう。

 叩く。

 

 振るう。振るう。振るう。振るう。振るう。

 叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。

 

 速度を最大まで引き上げた状態での鍛冶はもはや常人の耳には「カーンカーンカーン」という金槌の音ではなく「ガガガガガ」という異常な騒音にしか聞こえないだろう。

 だからこそあなたはこうして人気の無いダンジョンの奥深くで鍛冶に勤しんでいる。ここならば誰にも迷惑をかけることはなく、思うが侭にスキルのレベル上げに没頭することができる。

 鍛冶のレベル上げにド嵌りしたあなたはこの数日間寝食と風呂の時以外はずっとハンマーを振るい続けており、その甲斐あってかいつの間にかボロボロだったハンマーはウィズの言っていた通り名工の使うような立派な外見に変化していた。

 

 ベルディアとウィズは何の目的があってこんなに頑張っているのだろうと不思議そうにしていたが、あなたは目的があって鍛冶のレベルを上げているわけではない。

 装備は自前の物で十分に満足している。今更更新しようとは思わない。

 ハンマーを育成し続ければ、イルヴァにおける装備の強化限界を大幅に更新することができるだろう。しかしそれは他の鍛冶屋でもできる。

 

 なので強いて言うならスキルレベルを上げること自体が目的だ。

 少しずつハンマーの経験値が溜まり、レベルが上がっていくのを見るのはとても楽しい。

 完全に手段が目的と化しているが、あなたにとってはいつものことである。

 

《お兄ちゃん、そろそろ時間だよー》

 

 作業に没頭するあなただったが、ふと妹がまるで妹のような台詞を発した。

 手を止めて時計を見てみれば、いつの間にか時刻は昼過ぎになっている。そろそろ作業を切り上げて帰らなければならない。

 

 今日はグラムを交換する為、キョウヤが神器を持ってあなたの家に遊びに来る日なのだ。

 

 

 

 

 

 

 キョウヤは予定の時間よりも少し早くやってきていたらしく、あなたが帰宅した時にはシェルターの中でベルディアと戦っていた。

 彼一人でやってきたのか、仲間であるフィオとクレメアの姿は無い。

 

「ほらどうしたどうした、もう終わりか? やっぱり貴様は神器が無いと満足に戦えない温室育ちのお坊ちゃんだったのか? さっさと立ち上がってかかってこい根性なし! まあ女と仲良しこよしで生ぬるく生きてる軟弱者のお坊ちゃまには土台無理な話だろうけどなぁ!!」

「ぐっ……まだ、まだだぁ!!」

 

 相変わらず罵声を飛ばしながらキョウヤに剣を振るうベルディアだが、その根底にあるのはキョウヤにもっと強くなってほしいという一種の思いやりだ。

 度重なる相対でキョウヤもそれを理解しているのか叱咤に挫ける事無く発奮している。

 そして何かのスキルが発動したのか、シェルターを突風が駆け抜け、キョウヤの全身から金色の力強いオーラが立ち昇った。

 

「おおおおおおおおおおおっ!!!」

「いいぞ、もっと、もっとだ! お前の命を燃やせ! ここが死地だと覚悟を決めろ!」

 

 女好きで若干スケベだが元騎士らしく根は真面目なベルディアは好青年であるキョウヤと波長が合うのか、彼が相手だと非常にノリノリかつ熱血キャラになる。

 騎士だった頃を思い出しているらしく、キョウヤと共に修練に励むベルディアはあなたの目から見ても非常にイキイキとしている。

 

 それだけに、ベルディアがフィオとクレメアにゲイのサディストではないのかと疑われている件に関してはあなたをして同情を禁じえない。

 

 キョウヤもなんだかんだで楽しそうにベルディアと付き合っているが、これもキョウヤがゲイのマゾヒストだからではない。

 性格がいい上に美形の青年でもある彼はどういうわけかベルディア以外に同性の友人が一人もいないらしく、口は悪くとも真剣に自分に向き合ってくれるベルディアに大変よく懐いているのだ。

 

 

 

 修練を終えた二人にリビングで茶を振舞う。

 ウィズは仕事中なのであなたが淹れたものだが、評判は悪くなかった。

 

「ふう……やっぱりベアさんは強いですね。僕もあれから相当に実戦を重ねて修行してきたつもりだったんですが」

「確かに以前よりは成長しているようだが、お前が努力してるのと同じように俺も努力してるからな。簡単に追いつかれたら立つ瀬がない」

 

 ニヒルに笑うベルディアは、今日のような休みの日以外は毎日毎日無限のドラゴンと巨人の軍勢を相手に終わりの無い戦いを続けている。その甲斐あってあとは速度さえ足りていれば強化された終末でも数日は死ななくなるであろう程度には強くなった。死ぬ前に精神的な限界が来るかもしれないが。

 そんな男の発言には凄みと重み、そして「もう慣れたけどやっぱり死にたくねーなーマジでなー死ぬのって超痛いしなー、一週間でいいから俺とちょっと代われよチクショウ」、みたいなキョウヤへの羨望が混じっていた。勿論あなたはベルディアとキョウヤの立場を入れ替える気は無い。

 

「ところで肝心の神器はどうした? ご主人がまだかまだかと期待してる感じなんだが」

「勿論持ってきてますよ。あなたの眼鏡に適うといいのですが……」

 

 緊張を顕にしたキョウヤが荷物袋から取り出したのは、白銀の見事な大盾だった。間髪を容れず鑑定の魔法を使う。

 

「聖盾イージス、という名の神器だそうです」

「ほう……」

 

 奇しくもあなたが使うノースティリスの魔法(聖なる盾)の名を冠するその盾は、鏡のように滑らかな表面をしており、光を反射して眩く輝いている。

 まさしく聖盾の名に相応しい華美な盾だが、よく見ればそこかしこに細かな傷が刻まれており、この盾が多くの戦いを乗り越えてきたことを感じさせた。

 

「何を持ってくるかと思えば、まさかイージスとは……どこで手に入れた? 俺の記憶が確かなら所在が掴めなくなって久しかった筈だが」

「他国のダンジョンの最深部で見つけました。ベアさん、ご存知なんですか?」

「まあな。調べれば分かるが、この世で最も頑強で身に着ける者に勝利と栄光を約束する神器と謳われる聖鎧アイギスと聖盾イージスは魔王軍との戦いで活躍したことで結構有名な代物だぞ。当時の幹部を一人討伐したしな。確か仕留めたのは石化の邪眼を持つメデューサだったか」

 

 テーブルに頬杖を突いてイージスを眺めるベルディアの目はどこか懐かしそうだ。

 幹部だった時に持ち主と相対したことがあるのかもしれない。

 

「……まあ幾ら防具の性能がよくても単騎故の限界もあり、詩人が詠う様に常勝無敗というわけにはいかなかったみたいだけどな。それでもこいつの持ち主が病気で死ぬまで、アイギスとイージスは主人に降りかかるありとあらゆる攻撃を防いだそうだ」

「そうだったんですか……」

 

 言葉では伝聞系だが、間違いなく彼はかつてイージスの持ち主と相対している。

 死の宣告も弾いたくらいだからな、あんなのインチキだろ……という小さな呟きをあなたは聞き逃さなかった。

 

「それで、鎧の方、アイギスはどうした?」

「すみません。僕が見つけたのはイージスの方だけなんです」

「そうか……ところでご主人って基本的に盾は使わないよな」

「ぅえっ!?」

 

 ベルディアの呟きにキョウヤが裏声と共に体を硬直させ、冷や汗を流し始めた。あなたが交換に応じないのではないかと考えてしまったのだろう。

 確かにあなたは滅多に盾を使わないが、交換する神器に関しては自分が使える物に限定したつもりは無い。

 あなたがキョウヤに求めたのはあなたにとってグラムに匹敵、あるいはグラムよりも価値のある神器であり、彼が手に入れた聖盾イージスはその要求を十二分に満たしている。

 交換条件については以前ベルディアにも話していた筈だが忘れてしまったのだろうか。

 

「よ、良かった……ベアさん、脅かさないでくださいよ」

「ははは、すまんすまん。つい、な」

 

 剣を通じて友誼を深めた二人は傍から見ていると兄弟のようでもある。

 ベルディアの主人であるあなたとしてはペットが楽しそうで何より、といったところだろうか。

 

 ともあれ、キョウヤはこうして神器を持ってきてくれた。

 今度はあなたが約束を守る番だ。

 

「…………」

 

 用意していたグラムをテーブルの上に置くと、キョウヤは恭しくグラムに手を伸ばした。

 

「……グラム、久しぶり」

 

 彼が自身の愛剣と顔を合わせるのはデストロイヤー戦以来だろうか。

 あの時は一時的な返還だったが、あなたがイージスを受け取った以上、今この時よりグラムは再びキョウヤの物だ。

 

「まあ、なんだ。今度は盗まれないように気をつけておけ。今回はたまたまご主人が回収してたから良かったものの、一度自分の手から離れた神器が帰ってくることはかなり稀なんだぞ?」

「……はいっ」

 

 久しぶりに再会した相棒(グラム)を片手で撫でながら、目頭を押さえて肩を震わせ始めるキョウヤ。

 あなたはベルディアを半目で見つめた。他に理由が思い浮かばない。

 

「おいご主人、なんだその目は。……まさか俺のせいだって言いたいのか!?」

「す、すみません、違うんです。帰ってきたグラムを前にしたら今までの事を思い出して、つい感慨深くなってしまって……ちょっとこの場でグラムを抜いてみてもいいですか?」

 

 断りを入れ、魔剣グラムを鞘から引き抜く魔剣の勇者。

 数ヶ月ぶりに本来の持ち主の手元に帰ってきた魔剣はあなたが持っていた時とは別次元の力強さと輝きを放っているが、キョウヤはそんなグラムを握って少し不思議そうな顔をしていた。

 

「なんだろう、久しぶりとはいえ、なんだか前よりもグラムが手に吸い付くというか、僕の手によく馴染むような……」

「ご主人がコレクションとしてちゃんと手入れしてたからだろうな。後はまあ……お前の成長も多少はあるんじゃないか?」

「ベアさん……」

「な、なんだ? 今のはただの率直な感想であって別にお前を褒めたわけじゃないから勘違いするんじゃないぞ?」

 

 実はあなたはサービスとして成長したハンマーでこっそりグラムを強化していたのだが、本来の持ち主であるキョウヤには分かってしまうものらしい。

 グラムは女神アクアが下賜した神器なだけあって非常に強力な剣なので、多少強化したとしても誤差の範囲内だろうが。

 

 

 

 

 

 

「なあご主人、あの道具を貸してくれないか? ほら、勇者適性値? とかいうのが分かる道具」

 

 あなたが新しく手に入れたイージスを磨いていると、キョウヤと雑談していたベルディアが声をかけてきた。

 彼が言っているのは女神ウォルバクから入手した眼鏡の魔道具の事だろう。

 思えば最近女神ウォルバクの姿を見ていないが、彼女は今もエーテルの研究を行っているのだろうか。

 

「……ほう、やるな。勇者適性値111か」

 

 あなたが魔道具をくれた邪神の事を思い出していると、眼鏡姿のベルディアがキョウヤを見て感心した風な声をあげた。ウィズやベルディアほどではないにしろ、中々の数値である。

 ベルディアから眼鏡を受け取って見てみれば、確かにキョウヤの数値は111と、そしてベルディアは143と表示されている。

 勇者適性値が100を超えているキョウヤは確かに勇者に相応しい人間だとあなたは思っているし、地味にベルディアの数値も以前より上昇している。修行の成果が発揮されているのかもしれない。

 

「高いといいことがあるんですか?」

「なんでも100を超えると勇者に相応しいらしい。ちなみにご主人はマイナス200だった。マイナス200だぞ? どんだけ勇者に向いてないんだって話だ。しかし納得できすぎて困る」

「あはは……」

 

 遠まわしに師に自分が勇者に相応しいと言われて喜ばしそうにしながらも苦笑いを浮かべるキョウヤ。

 あなたはベルディアほどキョウヤと接点が無いので、あちらも軽口を叩きにくいのだろう。

 

「あ、でもつい最近アルカンレティアで魔王軍の幹部を討伐したんですよね? 王都でも話題になってましたよ」

「人間性と実力は必ずしも比例しないと分かってるだろ。お前は知らんだろうが、実は最近ご主人は駆け出し冒険者に指導を行っててな……」

「……え、講習を受けた半数が引退……!?」

「まあ命懸けの冒険者稼業を舐めてたり軽いノリでなった連中だったんだろうが……」

 

 こそこそと雑談を交わす二人に仲間はずれにされたあなたは手持ち無沙汰になってしまった。

 ウィズの顔を見に行こうかと眼鏡を弄っていると、何かが指に引っかかった。

 今の今まで気付かなかったが、眼鏡の右側面にツマミが付いている。

 

 ツマミを回してみると、レンズの向こう側に映っているベルディアとキョウヤに表示されている文字が変化した。人物特性モード、と表示されている。

 女神ウォルバクは教えてくれなかったが、どうやら勇者適性値の詳細が表示される仕組みになっていたようだ。

 

 

 

 正【勇敢】【命知らず】【力自慢】【ド根性】【自己犠牲】

 負【感情的】【女好き】【不運】

 

 ――ベルディアの勇者適性値は143です。

 

 

 正【真面目】【勇敢】【美形】【モラリスト】【情け深い】

 負【鈍感】【ナルシスト】【不運】

 

 ――キョウヤの勇者適性値は111です。

 

 

 

 二人の勇者適性値の内訳はこのようになっていた。

 両者共に勇敢かつ不運だと判定されている。

 

 これは面白い。

 面白い道具なのだが、勇者適性値を見るならともかく、この人物特性モードはあまり使わない方がいいだろう。

 恐らくはこの眼鏡が鑑定スキルか何かで判別して製作者の価値観を規準に評価しているのだろうが、それでも他人の内面など好き勝手に見るべきものではない。こんな物を使っていては相手と接する時に妙なバイアスがかかりかねない。

 

 ただ他人ではなく自身に使う分には何の問題も無い。そしてあなたはこのアイテムに自分がどう判断されているのか興味があった。

 鏡のようなイージスを使って自分の姿を映してみれば、かつて-200とウィズ達にドン引きされたあなたの人物特性が表示される。

 

 

 

 正【命知らず】【敏捷】【楽観的】

 負【冷徹】【残虐】【自分勝手】【エゴイスト】【無法者】

 

 ――あなたの勇者適性値は-200です。

 

 

 

 あなたはそっと眼鏡を外した。




★《イージス》
 転生者が特典として選んだ中でも最上級に位置する神器。その片割れ。
 この世で最も頑強な物質で作られた鏡のような大盾。
 物理的防御力は勿論のこと、本来の所有者が装備していた時は魔法・スキルを反射するというチート装備に相応しい能力を持っていた。

《ハンマー》
 omake_overhaul系列に登場するアイテム。同ヴァリアントの目玉の一つ。
 これを使うことで装備品強化や装備品作成、アーティファクト合成ができるようになる。
 一見するとバランスブレイカーの極みだが、生産スキルの例に漏れずレベリングが死ぬほどマゾい。
 しかも他の生産スキルと違って願いでレベルを上げられないという心折設計。
 今回の話に登場したハンマーのように装備品を修理、強化するだけでレベルを上げられるバージョンもあった(それでも鍛冶レベルを4桁に届かせるにはゲロを吐くしんどさだったが)のだが、後に大幅な下方修正を食らった。


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第83話 破壊するもの(市場を)

 

 あなたが冒険者からハンマーのレベルを上げる機械に転職したある日の事、ダクネスが一通の手紙を携えてあなたの家にやってきた。

 普段は凛々しく輝いているか情欲に塗れているダクネスの美貌はどういうわけか梅雨の空の如く曇りきっており、心なしかその特徴的な長い金髪と純白の鎧もくすんでしまっている。

 

「……つい先日、私の実家であるダスティネス家に届いた手紙だ。あなたに渡すように、と」

 

 品の良さと格式の高さが滲み出ている煌びやかな手紙には封蝋が為されていた。

 あなたの家に直接手紙を送るのではなく由緒正しい貴族であるダクネスの実家を介してきた事といい彼女の憔悴っぷりといい、送り主は相当の相手なのだろう。

 

「あなたは知らないと思うが、この封蝋の印はこの国の王家の人間だけが使う事を許されている特別な指輪なのだ。つまりこの手紙の送り主は……まあ、うん。そういうわけだ」

 

 送り主は王族だったようだ。

 始まりは偶然と成り行きだったとはいえ、ノースティリスにおいて王家からの依頼でレシマスという迷宮を踏破し、迷宮に眠る秘宝を持ち帰ったあなたは今も王家との太いパイプを持っている。

 故に王族からの便りが初めてというわけではないのだが、当然この国の王族とそのような繋がりは無い。

 アルダープならまだしも、王族が自分に何の用事だろうと特に気負う事も無く手紙の封を開けて読んでみれば、中には丁寧な文字で長々とした文章が。

 世界は違えどもこういう所は変わらないようだ。王侯貴族らしい回りくどい時候の挨拶などは読み飛ばしていくと、手紙の終盤になってようやく本題が書かれていた。

 

 王都の防衛戦を始め、春一番や機動要塞デストロイヤー、魔王軍幹部のハンスの討伐等、あなたはこの国の平和にそれなりに貢献している。

 それらの功績を称えて王家からの使者を送って表彰と会食を行うつもりらしい。

 場所は王国貴族であるダスティネス家の屋敷で、共にハンスやデストロイヤーと戦ったカズマ少年達と共に来るように、とのこと。

 日程は領主アルダープからの依頼で王都に向かう日の前日。流石に王家が相手では自分を優先しろとは言わないだろうが、実にギリギリのタイミングだ。

 

「すまない、どんな内容だったか聞いても構わないか?」

 

 差出人が王族とはいえ手紙自体はごく普通の表彰と会食の通知である。ダクネスも無関係ではないし、秘密にする必要があるとも思えない。

 あなたが手紙の内容を教えると、ダクネスはガクリと項垂れ、諦めともとれる乾いた笑みを浮かべた。

 

「や、やはりか。まあそうだろうな……手紙に書かれていたことからも分かると思うが、実は私達のパーティーにも同じような手紙が届いているんだ」

 

 あなたには何故ダクネスがここまで憔悴しているのか理解できなかった。

 王都に呼び出して大々的に表彰式を行うならまだしも、遠く離れたアクセルに王家の懐刀とまで呼ばれるダスティネス家の令嬢が焦る程の重要人物が出向いてくるとは思えない。

 

「そうなら良かったんだが、……やってくる使者はまず間違いなくこの国の第一王女、アイリス様だ。このような催しにアイリス様が来ない筈が無い。あなたもアイリス様の事は知っているだろう?」

 

 アイリス。

 あなたは会った事が無いが、普段は王都で活躍しているキョウヤから何度か聞かされた名前である。

 

 

 

 ――アイリス様は十二歳だったかな? 背丈の小さい女の子でして、僕が頭を撫でると顔を赤くして柔らかく微笑んでくださるんです。王女っていうと堅苦しそうに思えますが、実際はとっても気さくで可愛らしい方ですよ。

 

 ――シェルターに行くぞキョウヤ……久しぶりに……キレちまったよ……。

 

 ――ええっ!? い、いきなりどうしたんですかベアさん!?

 

 

 

 王女のついでにどうでもいい事まで思い出してしまった。

 あなたは天然ジゴロと大人気ないデュラハンの記憶を頭から追い出してダクネスに話の続きを促した。

 

「私がアイリス様の話をしたところ、激しく食いついたカズマ達はそれはもうアイリス様に会う気満々になってしまってな……カズマ達は貴族の私にも物怖じしない気の良い連中だが、その、物怖じしなさすぎるのが玉に瑕というか、はっきり言ってしまうとちょっとアレ(バカ)だろう? 日頃私にやるようなノリでアイリス様に無礼を働いただけで大問題になるというのに、当家が貴族の資格を剥奪されるだけならまだしも、ダスティネス家の関係者全員の首が物理的に飛ぶような事をしでかしたらと思うと……」

 

 泣きそうな顔で呻くダクネスはあなたを上目遣いで見つめてきた。

 その瞳はいつになく弱々しい。

 あなたはいざとなったらクーデターでも起こせばいいのでは無いだろうか、と思ったが流石に無理だろうか。そもそも魔王軍という脅威が迫っている現状、この国にクーデターで遊んでいる余裕は無い。

 

「あ、あなたはどうするつもりなのだ? 栄達などに興味は無いのだろう? もし面倒だというのであれば私の方から丁重に断りを入れさせてもらうが……」

 

 使者が何者であれ、あなたはこの申し出を受けるつもりだった。

 キョウヤに聞いた話だが、箱入り娘である王女アイリスは冒険者に冒険譚を聞くのが大好きで、腕の立つ冒険者を城に呼び出して冒険譚を語らせる程に冒険者が大好きなのだという。ダクネスの言うとおりであれば、王女はデストロイヤーやハンス戦の話を聞きに来るのだと思われる。

 あなたはアクセルならず王都でも活動しており、敬遠されこそすれ、数々の高難易度依頼を達成し、王都防衛戦でも活躍するなどして良くも悪くも非常に名の売れている冒険者だ。

 にも関わらず冒険者が大好きだと言う王女から今の今まで声がかからなかった事は若干気にかかったが、わざわざ断って相手の心象を悪くする理由は無い。

 

「そ、そうか……そうだな……」

 

 あなたはふと思う。

 箱入り娘といい冒険譚といい、王女アイリスはあなたのよく知る人物にどこか似ている、と。

 

 ……そう、先日会った際は“両手両足を前に突き出して階段に全身を震わせながら尻を擦り付けたかと思えば、その姿勢のまま超高速で階段を滑るように登ってそのままどこかにかっ飛んでいった”としか形容できない変態的な挙動を見せ付けてくれた幽霊少女のアンナにそっくりなのだ。

 ノースティリスでも見ない変態機動で縦横無尽に屋敷内を飛び回る幽霊少女の話を彼女から譲り受けたルゥルゥに語って聞かせた際には物言わぬ人形であるルゥルゥの頬が引き攣っていたように見えたが、きっと大事な友達の壮健っぷりに喜んでいたのだろう。

 あるいはヤバいキノコでもキメているのかもしれないが、アンナは幽霊なので何も問題は無い。

 

「どういうわけかあなたからはやけに貴族慣れしている雰囲気を感じるし、アイリス様の話を聞いた今も浮き足立っていない。そういった意味ではカズマ達ほど心配はしていないのだが、その……あなたの異名の事もある。だからこの通りだ! どうか、どうか当家の顔に泥を塗るような真似だけは!」

 

 この地を治める貴族の娘であるダクネスはそう言ってあなたに深く頭を下げた。

 人目が無いとはいえ、仮にも貴族が軽々しく平民に、それも冒険者に頭など下げるべきではないし、あなた達は互いに知らない仲でも無い。

 あなたはとても気まずいので止めてほしいと訴えた。

 

 若干性癖に難があるとはいえ、ダクネスはカズマ少年のパーティーでも随一の常識人かつ良識派であり、対してあなたは世間では頭のおかしいエレメンタルナイトというあなたからしてみれば大変不本意な通り名を持つ冒険者だ。

 王女アイリスに不敬、狼藉を働くのではないか、というダクネスの懸念は理解できないでもなかったが、少なくとも自分に関しては心配はいらないと彼女を安心させるように声をかける。

 所持している神器や滞納した税金を王家に納めて人類に貢献しろ、さもなくばウィズの店を潰す、あるいはウィズを殺すなどといった喧嘩を売っているとしか思えないトチ狂った事を言い出さない限りはただ会って表彰を受け、食事をしながら軽く社交辞令的に話をするだけで終わる筈だ。

 

「そ、そうか。そう言ってくれるのであれば私も安心でき……いや待て、それは本当に安心していいのか!? 私の耳には理由があれば王家に反旗を翻すと言っている様に聞こえたのだが!?」

 

 錯覚だろう。

 あなたは心配性なダクネスの追求をそしらぬ風を装って笑い飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 さて、思いもよらぬ一報が届いた日から若干経ち。

 ウィズ魔法店において前々から告知されていた新商品の販売が始まった。

 

 異次元の商才を持つ店主が経営するウィズ魔法店がアクセル随一の客入りの無さと赤字っぷりから悪い意味で名物店だったのも今は昔。

 ウィズが良品として推薦する危険物や産廃(ネタアイテム)を嬉々として買い漁っていくお得意様(金蔓)の存在を抜きにしても、他店のポーションより若干値は張れども極めて保存性能に優れることから常備薬として有用な回復ポーションを売りに出していることで、現在のウィズ魔法店はそれなりの数のリピーターを確保する事に成功していた。

 相変わらずあなた関係と回復ポーション以外の売り上げは帳簿を見たバニルが両手で仮面を覆って嘆きの声をあげるほどにサッパリだが、それでもあなた以外のお客さんも買い物をしてくれる立派なお店になりましたと笑う彼女はとても幸せそうに毎日を過ごしている。あなたが買っていく品やポーションと同じように、いつか他の商品の価値も分かってもらえる日が来る、といういじらしくも悲しい幻想を胸に秘めて。

 

 そんなウィズ魔法店で新たにカズマ少年が考案と作成を担当しバニルが量産化した、カズマ少年の国で使われている道具を再現した便利グッズの販売が始まったのだ。

 カズマ少年はあまり客がいないようなら女神アクアに客引きをさせようと考えていたようだが、あなたや女神アクアが客引きをするまでもなく開店前から客は店の前に並んでいたし、今もバニルが街中を走り回って配っているチラシで十二分に客は集まっている。

 元よりあなたは演奏による客引きは深刻な営業妨害になるから絶対に止めるようにと今日という日に全力を注いでいるバニルから釘を刺されているわけだが。

 

 

 

「……しかし、凄い人の数だな」

「そうだな、まるで新装開店日の時の再現のようだ」

 

 開店直後から真新しい店の前に押し寄せる凄まじい人だかりに圧倒されたのか、カズマ少年がぽつりと呟き、ダクネスが相槌を打った。

 確かにいつもは人気の少ないこの通りにこれほどの人間が集まるのは久しぶりだ。

 

 新装開店にしてウィズお手製の回復ポーションを売り始めた日ほどの盛況っぷりではないが、あれはあなたの演奏と女神アクアの宴会芸を目的にしていた客が多かった。純粋に商品目当てで訪れた客の数は同等か、あるいは今日の方が上回っているかもしれない。

 

「ありがとうございます、お買い上げありがとうございます!」

 

 店の中からは客のざわめきに混じってウィズの声が聞こえてくる。

 忙しくも嬉しそうで何よりだ。

 

「ねえねえ、ちょっとお願いがあるんだけど」

 

 ほっこりした気分で友人の経営する店を眺めていると、女神アクアがひそひそと声をかけてきた。

 

「もうすぐこの国のお姫様がアクセルに来るっていうのは知ってるでしょ? お姫様に会う機会なんて滅多に無いし、ダクネスが恥をかかない様に、私も気合を入れてとっておきの宴会芸で場を盛り上げようと思ってるの」

 

 意気込む女神アクアだが、あなたはとてもおかしな話を聞いている気分になった。

 あなたと女神アクアはこうして気軽に顔を合わせる間柄だが、冷静に考えるまでも無く、王女に会うより女神に会う機会の方が稀である。

 ましてや彼女はアクシズ教が崇める高名な水の女神だ。その権威や希少価値は比較にならない。

 女神アクア以外にもあなたは彼女の後輩にして国教になっている女神エリスと何度か会ったり電波を送受信しているし、二柱以外にもあなたにはリッチーの『友人』(大切な人)、デュラハンの仲間(ペット)、地獄の公爵と邪神の知り合いがいる。

 

 改めて考えてみると人間関係のインフレが酷い。オマケに後ろの四人が全員元含め魔王軍幹部だった。

 いつからアクセルは最終戦争が始まりそうな人外魔境になってしまったのか。

 紅魔族とはいえ普通の人間の友人なゆんゆんは数少ない癒しだと言えるだろう。

 あなたが遠い目になったとしても、それを誰も責める事は出来はしない。

 

「どうしたの? 頭がおかしいの? ヒールしてあげましょうか?」

 

 心配そうな女神アクアに大丈夫なのでお構いなくと返す。

 それにしても宴会芸とは、女神アクアは会食ではなくパーティーにでも出るつもりなのだろうか。確かに以前間近で見た女神アクアの芸は素晴らしいものだったが。

 

「宴会芸って言っても派手に騒ぐだけが全てじゃないの。芸の道はもっと奥深いものなのよ? あなたもあんな演奏ができるんだから芸能活動の奥深さはわかるでしょう?」

 

 いかに芸が奥深いものであるかを訥々と語って聞かせてくる水の女神に首を傾げるが、ここは異世界だ。

 あなたは自身の常識が通じない事が何度もあったと身に染みているし、この世界ではそういうものなのだろうと深く納得した。

 世の中には水芸というものもあるし、水と芸は切っては切れない関係なのかもしれない。

 

「話を戻すわね。で、私はお姫様の前で帽子から虎が出る芸をしようと思ってるんだけど、そもそも虎がいないのよ。探してる時間も無いしこの際虎っぽい初心者殺しで我慢するから、ちょっと捕まえるのを手伝ってくれない? 魔王軍の幹部を倒した私達なら初心者殺しに勝つのは簡単だけど捕まえられるかっていったらちょっと難しそうだし。あとついでに当日私のバックで演奏して場を盛り上げてほしいんだけど」

 

 この世界の宴会とは一体。

 軽く戦慄しつつもどうしたものかと頭を悩ませる。

 あなたはダクネスからくれぐれも大事を起こしてくれるなと釘を刺されているのだ。

 演奏や多少の芸を披露するくらいならまだしも、流石にモンスター、それも初心者殺しほどの大きさのそれを使うのは明確に一線を越えていると思われる。

 

「演奏はいいけど初心者殺しは駄目? むぅ……これが私の依頼って言っても?」

 

 あなたは一度受けた依頼は絶対に完遂すると決めているし大抵の依頼は受けるが、全ての依頼を機械的に無条件で引き受けているわけではない。

 せめてダクネスの許可を得る事ができたら考えなくも無いのだが。

 

「アクア、何の話をしているんだ?」

「あ、丁度いいところに。ねえダクネス、ちょっとお姫様の前で初心者殺しを出す芸をしたいんだけど、やっていい?」

「いいわけないだろう!? 頼むから過度な芸は止めてくれ! 特に危険が及ぶようなものは絶対に禁止だ!! めぐみんもだ、いいな!?」

「なんですかダクネス、まさかダクネスは仲間の私が信頼できないとでも?」

「しているとも。短期間とはいえギルドを出禁になっためぐみんなら本気でやりかねないと信頼しているからこうして不安になっているのだ……!」

 

 さもあらん。

 あなたは再び店に目を向ける。

 

 新商品目当ての客足は一向に落ち着く気配が見えない。それどころか今も尚増え続けている。

 バニルがビラ配りを頑張りすぎているのか、今日までの積み重ねがあっての事なのか。

 あなたとしては是非とも後者であってほしいが、流石にこの人数の客をウィズ一人で捌くのは無理なのではないだろうか。

 せめてバニルが帰ってきていれば何とかなったのだろうが、明らかにキャパシティをオーバーしている気がする。ベルディアは今日も元気に終末だ。

 

 この後はダンジョンに潜って夜までハンマーのレベル上げに励もうと思っていたあなただったが、現状を見かねて少しばかりウィズを手伝う事にした。

 店の中は客でごった返している。こっちの方が楽だろうとカズマ少年達に別れを告げて自宅に戻り、ウィズの部屋を通って彼女の作業場兼バックヤードに足を運ぶ。

 

「い、忙しい……お客さんが沢山で嬉しいけどすっごく忙しいです……!」

 

 丁度バックヤードでウィズが嬉しい悲鳴をあげながら泡を食ったように在庫を開封している最中だった。

 つまり客を待たせっぱなしである。大変よろしくない。

 あなたが声をかけるとウィズはハッと顔を上げた。

 

「あっ、す、すみません。もう晩ごはんの時間でしたっけ? 大変申し訳ないのですがちょっと今お店で手が離せないので……」

 

 昼もまだだというのに、ウィズは忙しさのあまり時間の感覚も曖昧になっているようだ。

 それにしてもよもや彼女の口から()()()()()()()()()()()()、などという言葉が聞ける日が来るとは思わなかった。

 得も言われぬ感情に胸中を支配されつつ、あなたは自身がここに来た理由を告げる。

 

「へ? 自分も手伝うって……いえいえ大丈夫です! お店の人でもないのに、あなたにそこまでしてもらうわけには!」

 

 マシロの手も借りたい状況だろうに、ウィズはこの期に及んで何を遠慮しているのか。

 大丈夫に見えなかったからあなたは今ここにいる。それに客を待たせ続ける方が余程問題である。

 

「…………」

 

 あなたの説得にウィズは一瞬だけ逡巡するかのように扉の向こう、無数の人の気配がする店内に目を向けた後、ガックリと肩を落として息を吐いた。表情と吐息に確かな安堵の色を滲ませながら。

 あなたはもう少し粘られると思っていたのだが、やはりウィズも限界を感じていたのだろう。

 

「ううっ……すみません、お手伝いをお願いします。正直とっても助かります……」

 

 大船ならぬドラゴンに乗った気分でいてほしいとあなたは笑った。

 歴戦の冒険者であるあなたの手にかかれば客引きから接客、在庫補充にレジ打ち、悪質な客(クレーマー)万引き犯(ゴミクズ)の公開処刑まで何でもござれである。

 

 ――お兄ちゃん、こういう時こそ交渉スキル持ちでよくお兄ちゃんのお店で店番をやってる私の出番じゃないかな!? ウェイクアッ! ヘイマイブラザーハリアッ!

 

 なるほど、一理ある。

 妹はまさにうってつけの人材といえるだろう。

 だがあなたは自分一人で十分だと聞かなかった事にした。質量を持った幻影も必要ない。

 

 ――お兄ちゃんのいけず! 秘密兵器は秘密のままだと秘密兵器にならないんだからね! でもそんなところもやっぱりお兄ちゃんだって私は分かってるよ! だってお兄ちゃんはいつでもこうやって私とおしゃべりができる方を選んだって事だもんね!

 

 あなたの中でこの妹の本は秘密兵器どころか最後の手段、後は野となれ山となれと後先考えずに玉砕覚悟で使う特攻兵器という位置付けになっている。

 そもそもこの程度で妹を呼び出すのであれば、あなたはもっと早くに呼び出していた。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでヘルプに入ったあなただったが、新商品の数々はひっきりなしに売れていくし絶え間ない客入りはアクセル外からも客が来ているのではないかと錯覚してしまうほど。

 だが一人が二人になった影響は大きく、二人三脚で頑張れば何とか店を切り盛りできる程度の忙しさにはなった。応援を名乗り出たあなたの判断は間違っていなかったようだ。

 

「はいっ、ポーション二つにバニル仮面ですね! ありがとうございます!」

 

 あなたという金蔓がいても、やはり店が繁盛するというのは店主冥利に尽きるものなのだろう。先ほどまでは店の外なので彼女の顔が見えていなかったが、店員である事を示すお揃いのエプロンを身に着けたあなたの真横で働くぽわぽわりっちぃの笑顔は普段の五割増しで輝いている。

 

「ふふっ……忙しいのは相変わらずですけど、なんか、こういうのってすっごくいいですよね」

 

 幸せいっぱい夢いっぱい。

 そんな言葉が自然と浮かんでくる溢れんばかりの尊い笑顔があなたに向けられた。アンデッドも一撃で浄化(――KO――)される事請け合いだ。

 現に今も客の多くがウィズに優しい目を向けている。

 閑古鳥が鳴いていた毎日から脱した彼女を労っているのだろう。

 

 慌しく、騒がしく、しかし楽しく客をさばくあなた達だったが、やがてバニルがチラシ配りから戻ってきた。

 ようやく落ち着けるかと思ったあなただったが、バニルは店内の様子を見るやいなやあなたとウィズだけで十分なんとかなると判断したのか、あなた達にニヤリとした笑みを向け、そのまま店の外で客引きを始めてしまった。

 

「フハハハハハ! さあよってらっしゃい見てらっしゃい! ウィズ魔法店で新商品大売出しの開催中である! 今なら一万エリス以上お買い上げのお客様には特別に夜中に笑うバニル人形をプレゼント中! 五万エリス以上をお買い上げの方には、なんと! 我輩とお揃いのバニル仮面をプレゼント! 是非ともこの機会をお見逃しにならぬよう……!」

 

 笑い声も高らかに、威勢のいい呼び込みを行う地獄の公爵。

 特に子供と中年女性からの人気を集める彼のアクセルへの馴染みっぷりは目を見張るものがある。

 あなたはウィズと顔を見合わせて笑い合うのだった。

 

 

 

 こうして大盛況を見せたウィズ魔法店だが、最終的に閉店までかなりの時間を残して新商品はおろか、あなたが手を出さない普通に役立つ超高額商品を除いて在庫が底を突く事になる。

 予想以上の結果に終わってウィズは勿論バニルも大満足な様子だった。

 

 カズマ少年が作った品々の中でも特に高い人気を誇り、真っ先に売り切れたのは、火付け道具であるオイルライターだ。

 日常的に核が飛び交いバイクだの自走砲だのエーテルを撒き散らして飛び回る機械人形だのといった存在が跋扈するノースティリスの冒険者であるあなたもよく知るこれは、ノースティリスでは日常的な着火道具として用いられる以外にもあなたのペットのお嬢様が火炎瓶に着火する際に使っている。

 彼女はいわゆるノーコンのドジっ子で、よく手元が狂って自分を燃やしているのだが、たまに照れ隠しで「これで私はファイアーお嬢!」と奇々怪々な口上を飛ばすのは勘弁してほしいとあなたは思っている。どうせ火炎耐性は完璧なのでダメージは無いが、あれはただの火達磨だ。

 

 ドジっ子のお嬢様はさておき、この世界において初めて販売されたライターは野外でキャンプする事が多い冒険者のみならず、一般家庭にも飛ぶように売れた。

 

 この世界の一般家庭では火付け道具に火打石が用いられており、このような手軽に火をおこす道具が存在しない。

 似たような火付けの魔道具自体は存在するのだが、非常に高価な代物で貴族のような一部の上流階級の人間しか所持していないのだという。

 

 ティンダーという着火魔法があるから誰も似たようなものを発明しなかったのかもしれない、とはカズマ少年の考察である。

 あなたやウィズも日常的に世話になっているティンダーは初級といえど魔法であるが故に誰でも使えるわけではなく、初級魔法は着火以外にも超低コストで綺麗な飲み水がいつでもどこでも飲めるようになる素晴らしい魔法だというのに何故か習得する人間が非常に少ない。

 しかし先日あなたが請け負った講習では如何に初級魔法、というか主にクリエイトウォーターが素晴らしいスキルであるかを説いて軽く啓発したので初級魔法を習得する駆け出しは増えるだろう。

 緑髪のエルフには「まるで洗脳だな。しかも手口が非常に手馴れている人間のそれだ」と皮肉げに言われてしまったが、実際ダンジョンや砂漠だろうと綺麗な水が手軽に確保できるクリエイトウォーターはイルヴァ云々を差し引いても非常に有用だ。冒険者であればパーティーに最低一人はクリエイトウォーターが使える人間を入れておくべきだろう。

 

 

 

 

 

 

「これがそのライターとかいう着火道具か」

 

 その日の夜、ベルディアはサンプルとして残っていたライターの蓋を開け閉めしたり火を点けたりと異国の道具に興味津々になっていた。

 こんなのがあれば騎士時代の行軍の火起こしも楽だっただろうな……という呟きが切実である。

 

「しかし便利は便利だが、ちょっと危ないかもしれんな。中身がオイルだし、何よりコイツは火打石と違って子供でも簡単に火を点けられすぎる。使い方を誤ったらあっという間に火事になりかねん」

 

 ベルディアの懸念はカズマ少年も気にしていた事だ。なのでライターは子供には売っていない。

 更に子供の手の届かないような所に保管しておくように、というような説明書きも同封している。

 完璧な対策とは言えないが、火炎魔法が存在するような世界で子供が簡単に火を起こせるから危ないと言われても困りものだ。刃物のようなものだろう。

 あなたがそのように語ると、ベルディアはそれもそうかと納得を示した。

 

「しかし道具作成か。人間だった頃から武術に一辺倒だった俺には縁が無かったが、ご主人はこういう道具を作る技能は持っていないのか? 鍛冶以外で」

 

 あなたはカズマ少年のように多岐に渡るアイテムを作成できるわけではないが、ウィズにプレゼントした道具でのポーション作成は勿論、他にも手持ちの道具で巻物(スクロール)くらいなら作る事が出来る。

 材料の大半はノースティリスでしか手に入らないので、無限に作れるというわけではないが。

 

「ほう。具体的にはどんなものが?」

 

 ベルディアは異世界の巻物に興味があるようだ。

 あなたは夕飯ができるまでの時間つぶしを兼ねて軽く実演してみせる事にした。

 とはいっても作成可能な巻物の大半はあなたが使う魔法と被っているので面白みが無い。

 

 今必要とされているのは材料の無駄遣いにならない、つまり魔法で代替できず、なおかつネタになりそうな巻物。

 とくればこれしかないだろうと、あなたは作業を開始して数分も経たずに素材変化の巻物を完成させた。

 効果については説明するより実際に見せた方が分かりやすいだろうと、あなたはベルディアが持っていたライターを借りて素材変化の巻物を使う。

 

 鉄製のオイルライターは生もののオイルライターに変化した。

 ハズレを引いてしまったが珍しい話ではない。

 

「ライターが生ぬるくてぐにぐにした気色悪い物体に……は? 生もの? 腐らないからいざという時には非常食にもなる素材? いや、味とか聞いてないし興味も無い。小麦粉を水で練っただけの味とか言われても腐らない生ものとか怖すぎて絶対に食べたくないから」

 

 流石に生ものはお気に召さなかったらしい。

 もう一度巻物を作って使うと、今度はミスリル製のオイルライターになった。

 他にも金銀ダイヤ、時にはアダマンタイトにも変化するのだが今はこれでいいだろう。

 

「ああ、うん。素材変化、素材変化な……。大体分かった。またご主人が市場を壊そうとしてるって事が分かった。これ岩とかに使ったら大変な事になるからあんまり使うなよ。あとこのライター貰ってもいいか?」

 

 ベルディアはミスリル製のオイルライターが気に入ったのか離そうとしない。

 ウィズに断りを入れておけば別にいいのではないだろうか。

 

「ふっふっふ……ティンダー!」

 

 魔法使いでもないくせにいきなり何を言い出すのかとあなたが顔を上げると、そこにはライターを手で覆い隠し、人差し指の先から火が灯っているかのように見せかけるベルディアの姿が。

 これで俺も魔法使いの仲間入りだな、と渾身のドヤ顔を決めるペットにあなたは無言かつ無表情で軽く拍手を送って再び読書に戻った。

 

「この辛辣っぷり! そこは何か一言突っ込むとか呆れるとかしろよ! はいはい凄い凄いお疲れさま、みたいな雑な扱いされるのって地味に無視されるのと同じくらい傷つくんだからな!? というかご主人はウィズに向ける優しさの一割でも俺にも向けるべきだと思う!」

 

 他のペットと同程度には優しくしているつもりだし、これはどう考えても自業自得である。

 一発芸のつもりだったのかもしれないが、彼には合体と分離スキルがある。

 子供だましにもならない小手先の一発芸よりもそちらを磨くべきだ。

 

「あれは芸とかそういうスキルじゃねーから! もっと得体の知れないおぞましい……うおおおっ!?」

 

 あなたが分離スキルを念じて発動させた事によってベルディアの頭部が床に転げ落ちた。

 今やったように会話の最中に首がポロリする一発芸は絶対にウケる。あなたはそう信じている。

 

「幾ら家の中だからって前振りもなく俺の首をもぐのは止めろ。いや、宣言すれば首をもいでいいとかそういう話じゃなくてな?」

「ご飯できましたよー」

 

 首を拾ったタイミングでウィズがやってきた。

 今日は店の商品の殆どが売り切れためでたい日なのだから、お祝いとしてどこかいい店でご馳走でも、とあなたは思っていたのだが、ウィズはこんな特別でおめでたい日だからこそ、家でご飯を食べたいと主張してきた。

 

「今日はあなたにも凄くお世話になっちゃいましたから、腕によりをかけてあなたの好きなものを沢山用意……ベルディアさん、どうしちゃったんですか!? 首が取れちゃってますよ!?」

「ホラ見ろ。やっぱりドン引きされっておいウィズ! ご主人分を摂取しすぎだこの天然リッチー! ちょっと大声で俺の種族を言ってみろ!」

「……? ……!! 今のはちょっとしたお茶目な冗談です」

「キリっとした顔で明後日の方向いてないで俺の目を見ろ。……そっちじゃねえよバカ! お前はちょんぎれてる俺の首の上に何が見えてんの!?」

 

 コントのようなやり取りを繰り広げる同居人達と共にダイニングに向かうあなただったが、今まで読んでいた本……例の交換日記に現在進行形で書き込みが増えている事に気付いていなかった。

 

 

 

『ゆんゆん:こんばんは、ゆんゆんです』

『ゆんゆん:自分の番でもないのにいきなりお邪魔してしまってすみません。今誰か日記を見てらっしゃいますか?』

『ゆんゆん:もしよろしかったら助けてほしいんですけど……いえ、本当に余裕があったらで構いませんので』

『ゆんゆん:あ、何があったか書いてませんでした。実は私の泊まってる部屋の隣で火事が起きちゃったんです。原因は酔った冒険者の方が何かの道具でお酒に火を点けて「これで俺も魔法使いだな!」と遊んでいたら手元が狂ってしまったんだとか。その人は衛兵さんや女将さんにボコボコにされてました』

『ゆんゆん:幸い火事といっても小火程度のもので、火そのものもすぐ鎮火したんですが、私が泊まってる部屋も結構水浸しになっちゃったんです』

『ゆんゆん:なのでもしご迷惑でなければ、今日だけでもそちらのお家にお世話になりたくって……めぐみんの家にも行ってみたんですけど誰もいなかったし……』

『ゆんゆん:あの、ひょっとして今誰も見てない感じですか? そうですよね、ごめんなさい。この文章は見なかった事にしてください……』



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第84話 つまりは自業自得

 虫の鳴き声も聞こえてこない静かな夜、あなたは時計を見やった。

 そろそろ日記が更新される頃合だろうか。

 今日の当番はウィズなので間違いなく店や新商品の話になるだろう。

 

 自身も店の手伝いに励んだ数時間前の慌しさを思い返しつつ、あなたはどんな返信をしようかと手に取ったペンを回しながら思索に耽る。

 誰かが明確に「そうしよう」と言い始めたわけではないが、書かれた日記に全員が何かしらの感想や反応を返すのはいつの間にかこの交換日記の決まり事となっていた。

 これは他者の書き込みが即時に自身の日記にも反映されるこの魔道具ならではの醍醐味だ。

 

 思いの丈(主に罵詈雑言)を翌日以降に引き摺らずその場で直接やりとり出来る以上、かつて友人達と行った交換日記にも同様の機能があれば、あのような大惨事対戦は起きなかったのではないだろうか。

 そんな事を考えていると、あなたの部屋のドアが乱暴に叩かれた。

 

「た、大変です! ゆんゆんさんが! きっとライターの同情するならお金が欲しいゆんゆんさんが宿無き子で小火騒ぎに野宿の下のせいで大変な事に!」

 

 大慌てで駆け込んできたウィズが支離滅裂な言動と共に交換日記を広げ、とあるページを見せ付ける。

 どうしてこんな事になってしまったのか、とゆんゆんの悲劇(喜劇)的な境遇が綴られた文章にあなたは呆れとやるせなさを覚えた。

 自作火炎瓶とでも言おうか。アルコールに火炎属性付与(エンチャント・ファイア)のような真似をして遊んだ冒険者もそうだが、それ以上に自身が目を離した後にこんな事を書き込むゆんゆんの絶妙な間の悪さと相変わらずの引っ込みじあんっぷりに上手く言葉が出てこない。

 大体にして、わざわざ日記を使って返信待ちするような回りくどい真似をせずとも、実家から手紙が届いた時のように直接こちらの家に来て助けを求めてくればいいものを。

 あなたやウィズは勿論の事、ベルディアも彼女を無碍にはしないだろう。彼は終末中だが。

 

「私が日記に返信しても反応が無いんです。きっと困っているでしょうし早く見つけてあげないと……」

 

 少し落ち着いて欲しいとあなたは娘のピンチに今にも飛び出して行きそうな過保護なウィズお母さんを諌めた。

 ゆんゆんはああ見えて一人前の冒険者で高レベルのアークウィザードだ。まさか無一文で宿を出たわけではないだろうし、焼け出された後はどこか別の宿に泊まっていると考える方が自然だ。あなたは自分であればそうすると思っている。

 

「確かにそうかもしれません。でもそれなら私の書き込みに反応が無いっていうのはおかしいと思いませんか? 読む前に宿に泊まって眠ってしまったのだとしても、ゆんゆんさんは日記を持ち歩いているみたいですし、宿に泊まったのならその事をちゃんと書いて私達に知らせると思うんです。私の考えすぎであればいいのですが……」

 

 なるほど、悪い事は重なるものだといつだって相場が決まっているし、万が一もある。

 少し気になったあなたは、夜の散歩がてら軽く外を見回ってみようと壁にかけてあった上着を羽織った。

 

 当然ウィズはあなたに同行を申し出たが、もしかしたら探しに出かけている間にゆんゆんが自宅に来て入れ違いになってしまうかもしれない。

 ゆんゆんはどうにも運というか間が悪い子なので普通にありえそうなのが困る。

 そういうわけなので、ウィズには自宅で待機していてもらう事になった。

 何か分かったり状況に動きがあった場合は適宜日記を通じて情報を交換すればいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 市街地から離れたアクセル外縁部、北門のすぐ傍にそれはある。

 恐らくはアクセルの冒険者がギルドの次にお世話になっている、貴族などの裕福層以外は冒険者であれば誰もが一度はお世話になった経験を持つ宿泊施設の名は馬小屋。

 そういう名前の宿ではなく、文字通りの馬小屋である。

 

 主に宿に泊まるような金が無かったり節約中の冒険者に大人気の馬小屋は臭い、寒い、狭いと三拍子揃ったダルフィ(犯罪者の街)の宿屋のような素敵な宿泊施設だ。治安のいいアクセルと犯罪者の街では安全度には天と地の差があるわけだが。

 この施設の利点らしい利点は屋根の下で眠れる事と宿賃が非常に安い事。屋根は無いが金はかからない野宿とどちらがマシかは人それぞれだろう。

 

 アクセル全域を覆うように造られている外壁の内側にこそあれ、殆ど野原と呼んで差し支えない程度には周囲に建物が無く道も整備されていない場所に建っている馬小屋にあなたが足を運んでみると、建物のすぐ傍で誰かが焚き火をしているのを発見した。

 パチパチと乾いた音を立てる焚き火に当たっている人物は夜風と朝露を凌ぐ為か厚手のローブを羽織っており、深くフードを被って俯いている事もあって顔が分からない。火の周囲に肉や魚が刺さっていない事から食事をとっているわけではないようだ。こんな時間に一人で馬小屋の外に出て何をやっているのだろう。

 

 あなたが近づいていくと足音に気付いたのか、フードの人物が顔を上げてあなたに視線を飛ばす。

 フードの奥から微かに覗く双眸は、揺らめく炎の反射を差し引いてもなお赤かった。

 

「……えっ?」

 

 果たして、顔を上げたのはあなたの友人の少女だった。

 あなたとしては一応念の為という事で足を運んでみただけだったのだが、まさか本当にいるとは思わなかった。

 しかもよく見てみれば荷袋が彼女の傍らに転がっている始末。完全に野宿スタイルだ。

 ウィズの愛弟子にしてレベル40に届こうかという、間違いなくアクセルでトップクラスの実力を持つ冒険者、そして次期紅魔族族長のアークウィザードが街の中でまさかの野宿である。

 

「こ、こんばんは。奇遇、ですね……? えっ、どうしてここに?」

 

 まさかの人間の来訪に困惑を隠せていない様子のゆんゆんだが、それはあなたの台詞だった。焼け出された後、他の宿に泊まれなかったのだろうか。

 呆れ半分のあなたの言葉に、自身の日記の書き込みを読んだ友人が心配して探しに来たと察したゆんゆんは決まりが悪そうに謝罪の言葉を口にした。

 

「宿屋はあちこち探してみたんですけど、私が今日まで泊まっていた所を含めてどこもいっぱいだったり時間が遅くて閉まってたりで……馬小屋には空きがあったので泊まったんですが、その……」

 

 満室となった後に駆け出しパーティーがやってきてしまい、彼女は野宿をするにしても一日だけだからと自分の部屋を譲ってしまったのだという。貧乏くじを引きがちな上にお人よしのゆんゆんらしい顛末だ。

 無事にゆんゆんを発見したあなたは日記を通じてウィズに通知する。すぐに文字の向こう側からウィズの安堵の表情が透けて見える書き込みが返ってきた。

 

 しかし何故ゆんゆんはわざわざ日記に書いたのか。

 父親から手紙が届いた時のように、普通に家に来て助けを求めればいいものを。

 

「だ、だって、あの時は私のせいでお二人に大変なご迷惑をかけてしまいましたし……。それに私、見なかった事にしてくださいってちゃんと日記に書いたと思うんですけど……きゃあっ!?」

 

 馬鹿な事を言っているめんどくさいゆんゆんの頭をあなたはフードの上から掴み、そのままめぐみん(妹分)にやるように若干強めに円を描くような軌道で揺らし始める。

 目を白黒させてなすがままにされるゆんゆんはウィズへの認識が甘いのか、あるいは自己評価が低すぎるのか。どちらにせよあんな内容の書き込みを見て友人のピンチを知ったウィズが放っておくわけがない。

 ましてや火災の原因となった道具は恐らくウィズの店の商品で、トドメに書き込み以降は無反応を貫いたのだから、幾らアクセルの治安がいいといっても心配するなと言う方が無理というものだ。せめてウィズの書き込みに何かしらの反応を示して今日は野宿するので大丈夫です、とでも言ってくれれば、十四歳の子供とはいえ一端の冒険者であるゆんゆん(友人)に対してあまり過保護なのもいかがなものかと考えているあなたはわざわざこうして探しには来なかっただろうが。

 

 あうあうあうと鳴き声をあげるゆんゆんを無視してあなたは焚き火を壊し、砂と土をかけて鎮火を行う。

 

「わわわっ! どうして消しちゃうんですか!?」

 

 これからゆんゆんを自宅に連れて行くというのに、このまま焚き火を点けっぱなしにしておくのは火事の原因になるに決まっている。

 あなたがそう言うと、ゆんゆんは言葉を咀嚼するかのように何度か目を瞬かせた後、上目遣いであなたを見やった。

 

「い、いいんですか……? 本当に? お邪魔になりませんか?」

 

 最初に助けを求めてきたのはゆんゆんだ。

 あなたは自身に助けを求める友人を袖にするほど狭量でもない。仮に彼女が自宅に来ていた場合は普通に泊めていただろう。

 一方でゆんゆんが野宿をしていようが馬小屋に泊まっていようが、安否と所在が確認できていれば所詮は一日の辛抱だろうと放置していた自信があるが、わざわざ探しに来ておいて見つけたのではいさようなら野宿頑張って、と別れを告げる気は無い。

 

 あなたのスタンスを聞いたゆんゆんは困惑しながらも素直に立ち上がり、荷物を持った。

 

「えっと、ありがとうございます……じゃあ、お世話になります」

 

 恭しく頭を下げ、フードを脱いだゆんゆんがぽつりと呟く。

 

「ところで、ややこしいとかめんどくさいって言われた事ありませんか?」

 

 それは誰もがお前が言うなと口を揃えるであろう、ゆんゆんだけには言われたくない台詞だった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでゆんゆんがあなた達の家に泊まって一夜明けた日の朝。

 ゆんゆんは蘇生明けで風呂上りのベルディアに自分がここにいる説明を行っていた。

 

「……というわけで、昨日の夜からお世話になってました」

「なるほどな、理解した。火の不始末、それも予想されていた子供じゃなくて頭の足りてない冒険者のせいで焼け出されるとかとんだ災難だったな」

 

 ドンマイドンマイとベルディアがゆんゆんを慰める。

 失火こそしなかったが、似たような真似(ティンダーごっこ)をして遊んでいたデュラハンがゆんゆんを慰めている。

 大丈夫だとは思うのだが、同じ酒好きである彼が冒険者と同じ真似をやりかねないと不安になるのは何故なのか。

 

「…………」

 

 ゆんゆんの話を聞きながら林檎の皮を剥いていたウィズが口を開いた。

 

「ゆんゆんさん、家を買いませんか?」

「……い、家ですか?」

「はい、家です」

 

 真面目な口調からして思いつきを適当に口にしたようには見えない。

 昨日、あるいはもっと前から考えていたのかもしれない。

 

「ゆんゆんさんが他の街に行く事を考えればアクセルの家を買おうとは言えませんが、いつまでも宿住まいっていうのは気楽ですが同時に不便でもあると思うんですよね」

「そりゃまあな。安い買い物じゃないが、自由にできる拠点は無いよりあった方がいいだろう」

「それはそうですけど……でも、自分の家だなんて一度も考えた事無かったです。私はいつか紅魔の里に帰って族長を継ぐつもりですし。何より私まだ十四歳なんですけど……」

「私もまだ二十歳ですけど家を持ってますよ?」

「ウィズ、今そういうのいいから。いらないから」

 

 突然の提案という事もあってゆんゆんはイマイチ気乗りしないようだ。子供の彼女には自分の家を持つという実感が抱けないのかもしれない。

 だが冒険者登録をして身元が明らかになっていれば家を持つのに年齢は関係ないし、家は里に帰る時に引き払ってしまえばいい。

 家があれば置いておける荷物が格段に増えるし、何よりゆんゆんのライバルにして親友のめぐみんは自分の家を持っている。

 

「……あっ!!」

 

 カズマ少年達との同居とはいえ、めぐみんはゆんゆんのように宿暮らしではなく、立派な屋敷に住んでいるのだ。

 以前めぐみんがカズマ少年と喧嘩……というか彼にテロ行為(下腹部に落書き)を働いて屋敷を飛び出した際に最初はゆんゆんを頼って彼女が泊まる宿に行ったが、手狭だったという理由であなたの家に泊まる破目になった。

 ゆんゆんが家を持っていればそうはなっていなかっただろう。

 

「い、言われてみれば確かに……! 自分の家も持たずにめぐみんのライバルを名乗ろうだなんて、私自分で自分が恥ずかしい! それに自分の家があれば暇を持て余しためぐみんがもっと頻繁に遊びに来てくれ……じゃなくって、勝負が出来るかもしれませんよね!」

 

 変なスイッチが入ってしまった。

 めぐみんを引き合いに出すのはまずかっただろうか。

 

 そして分かってはいたが、ゆんゆんはめぐみんが住んでいるアクセル以外に居を構える気は無いようだ。あなたもウィズが住んでいるアクセル以外に居を構える気は無いのでおあいこだが。

 不便といえば不便だがゆんゆんはあなたやウィズと同じくテレポートが使える。あなたのようにアクセルを拠点にして王都など他の街で活動するスタイルは十分に可能だ。

 

「分かりました皆さん、私家を買います! めぐみんに負けないくらいの立派なお屋敷を買ってめぐみんをギャフンと言わせてみせます!」

「流石にあれくらいの屋敷はゆんゆんさん一人で住むには広すぎるかと……お金もかかるでしょうし、私は一軒家くらいが丁度いいと思いますよ?」

「おいご主人、幾らなんでもこいつちょろすぎだろ。一人暮らしなんかさせたら変な勧誘や押し売りにホイホイ引っかかるんじゃないのか」

 

 あなたもちょっとだけ早まった気がしないでもなかったが、本人が乗り気であればいいのではないだろうか。

 

「放任主義すぎる。親ならもう少し……別に親じゃなかった」

 

 叔父さんとお母さんが過保護すぎるだけではないのだろうか。

 

「オジサン言うなや」

「あっ、そういえばアクセルの近くには古いお城が建ってましたよね! あれって長い間誰も住んでないみたいですけど、どれくらいのお金を払えば買えますか!?」

「……ベアさん、そこら辺どうなんですか?」

「あそこってベアさんの持ち物だったんですか?」

「おいおいおい違うぞ全然違うぞ普通に考えてそんなもん俺が知ってるわけないだろつーかウィズはなんで俺に聞くんですかねおかしいだろ常識的に考えてお前ちょっと天然ボケも大概にしろっていやマジで」

 

 昨年古城に住み着いてアクセルの冒険者に多大な迷惑をかけた魔王軍幹部。

 人類側ではあなただけが知るその者の名はベルディアという。奇しくも冷や汗を流す目の前の壮年の男の本名と同じである。全くとんだ偶然もあったものだ。

 

 

 

 

 

 

「ゆんゆんさん、こことかどうですか? ギルドからも結構近いですし、市場がすぐそこですよ」

「うーん、でも予算がちょっと……」

 

 ウィズ魔法店が開くまでの時間を使ってテーブルの上に積もった不動産屋のパンフレットを眺め、ああでもないこうでもないと話し合うアークウィザードの師弟。

 買う物が家という大物にせよショッピングには違いなく、二人は実に楽しそうだ。

 

 時間が経って熱が冷めたのか屋敷を買う! と豪語していたゆんゆんは正気に戻ったが、家を買う事には非常に前向きだった。

 そして当然というべきか、ゆんゆんの第一希望はめぐみんの住む屋敷の近くだった。

 しかしあそこはかつて貴族の別荘だった経歴からも分かるように市街地から離れた郊外に建っており、その広い敷地も相まって近隣に家屋が殆ど建っていない。近くに共同墓地がある事も相まって静かなのはいいのだが、ギルドや市場からも離れており冒険者が住むには割と不便だったりする。そもそも近隣の家自体が売りに出ていない。

 

「あなたはどういう家がいいと思いますか?」

 

 突然ウィズが水を向けてきた。

 少し考え、あなたはゆんゆんが住むのであれば広い庭があるといいのではないのだろうか、と答えた。

 庭が無理ならばせめて家の前の道にゆんゆんが騎乗可能なサイズのドラゴンが離着陸できる程度の広さが欲しいところだ。

 

「ドラゴン? 飼う予定でもあるんですか?」

 

 ドラゴンは終末で間に合っている。

 あなたは騎乗や運搬用の大型ペットは一匹欲しいと思っているが、ドラゴンを従える予定になっているのはゆんゆんだ。

 

「私が!?」

「ゆんゆんさんが!?」

 

 いつからドラゴン使いに、と驚きを顕にするウィズに私知りません初耳ですと首がもげんばかりの勢いで首を横に振って否定の意を示すゆんゆんだが、騎獣を求めていたりドラゴン使いに憧れていると言っていたのはゆんゆん本人だ。雷竜が好みだとも言っていた。

 

「た、確かにそんな話はしましたけど! あれは夢というかできたらいいなあ、という子供じみた願望であってですね!? 大体私がドラゴン使いなんて無茶ですよ! 異世界から来たっていうあなたは知らないのかもしれませんけど、ドラゴン使いっていったら殆ど伝説とか幻の職業なんですからね!? ウィズさんも無茶だと思いますよね!?」

 

 顎に手を当てて真面目な顔をするウィズはゆんゆんの目を見てこう言った。

 

「……考えた事もありませんでしたが、私はアリだと思います。無論、ゆんゆんさんにドラゴン使いとしての素質が備わっていれば、の話ですが」

「ウィズさんまで!?」

 

 やれやれだとあなたは聞き分けの悪い弟子に肩を竦めた。

 紅魔の里でメテオを使ったあの夜、廃人(あなた)リッチー(ウィズ)に並び立つ力が欲しいと願ったのはゆんゆんだ。

 あの日の誓いをまさか忘れたとは言わせない。

 

「え、えぇええええ……いや、確かにそうなんですけど、それとこれとは話が別というか……というか今その話するんですか? この空気の中で? こういうのってもっと真面目な雰囲気や流れでやるべきなのでは……」

 

 少なくともあなたは至極真面目だった。何も問題は無い。

 流石にゆんゆん一人でドラゴンを捕まえてこいとは言わない。あなたは十全にサポートするつもりだったし、珍しくウィズも乗り気なようなので助力が期待できるだろう。

 あなたがアイコンタクトを飛ばすとウィズは一緒に頑張りましょうね、と笑顔で頷いた。ご覧の通り師匠は二人ともノリノリである。

 

「ど、どうかお手柔らかにお願いします……私頑張ります……ガンバリマス……」

「ところでゆんゆんさん、ドラゴン使いはともかく、私達みたいな力が欲しいっていうのは、その……当事者としてはオススメしかねると言いますか、はっきり言って止めておいた方が……」

「大丈夫ですウィズさん、ワタシガンバリマス!」

 

 いつの間にかゆんゆんの目から意思の光が消えている。

 ウィズは気付いていないようだ。

 

「私も強くなる為に頑張るのはいいと思います。でも限度ってありますよね? ほら、御存知の通り私って禁呪でリッチーになったわけじゃないですか。自慢じゃないですけどあの時は本気で死にかけましたよ。それに彼も異世界出身っていう特異な出自なわけで……」

「ガンバリマス!」

「……ゆんゆんさん?」

「ガンバリマス! ガンバリマス!!」

「スリープタッチ!!」

 

 再起動したガンバリマスロボは即座に師の手によって眠りについた。

 いつぞやのようにソファーに寝かせた後、あなたとウィズは言葉も無く顔を見合わせて嘆息した。

 

「やりすぎちゃいましたかね。私はそんなつもりは無かったんですけど……」

 

 レベル一桁の駆け出し冒険者でもあるまいに、ちょっとドラゴンに喧嘩を売りに行くと決まった程度でここまで精神的に疲弊するゆんゆんがおかしいのではないだろうか。

 レベル40(準英雄級)の冒険者ともなればドラゴンを従えるのに不足は無い。

 だからこそウィズもこうして乗り気になっていた。

 

「多分ですけど、この反応を見るにゆんゆんさんはまだ自分の力を正しく把握できていないんだと思います。一気にレベルが上がってしまった事もそうですが、聞けば今も冒険者としての活動はアクセルでしかやっていないみたいですし」

 

 養殖を行う前からソロで活動できてしまっていたのが問題になっているようだ。

 紅魔族の里で魔王軍相手に戦わせていれば多少はマシになっていたのかもしれないが、終ぞそのような機会は訪れなかった。里への道中もモンスターはあなたが倒してしまっている。

 ちょうど領主の依頼も抱えている事だし、今の自分がどれだけ強くなったのかを実感させる為、修行、あるいは社会見学の一環として一度彼女を王都に連れて行くべきかもしれない。

 

「そうですね、悪くないと思いますよ。なんたってこの国の中心ですから、テレポートに登録しておくと何かと便利ですし」

 

 ですが、とウィズは表情を少しだけ引き締めた。

 

「ゆんゆんさんが仲間を見つけるまではできるだけ一緒にいてあげてくださいね。王都はアクセルと比べると安全な場所とは言えないので……この街の治安がずば抜けて良いだけではあるのですが」

 

 言われるまでも無いとあなたは頷いた。

 高レベルになってもゆんゆんは相変わらずゲロ甘でチョロQだ。

 一人で王都の冒険者ギルドに行こうものならば、性質の悪い冒険者に絡まれる事請け合いである。

 とんだ偏見だと言われるかもしれないが、スティールを仕掛けては再起不能に陥った盗賊達(アンポンタン)のせいで盗賊殺しの汚名を着せられ敬遠されまくっているあなたは王都の冒険者にあまり良い印象を抱いていなかった。

 

 

 

 

 

 

「う、うぅーん……めぐみん、私早まったかも……」

 

 悪夢でも見ているのか、微妙に顔色が悪いゆんゆんの呻き声と時計の音をBGMにあなたは日記を読み返す。

 ゆんゆんのプロファイリングというわけではないが、書き込みから何か新しい事が分かるかもしれないと考えたのだ。

 

 ゆんゆんを眠らせた責任を取って開店を遅らせようとしたウィズだったが、それには及ばないと仕事を優先させ、ゆんゆんの看病はあなたが行う事になった。

 一応何かあった時はすぐに駆けつけると約束してくれたが、まあ大丈夫だろう。

 

 自宅の外からは今日もざわめきとバニルの客寄せの声が聞こえてくる。

 

 ライターを筆頭に異国の便利アイテムの評判は上々のようで、昨日ほどではないにせよ今日も多くの客がウィズ魔法店に足を運んできているようだ。この調子であれば暫くは繁盛の日々が続くのではないだろうか。バニルも呵呵大笑している事であろう。

 

 

 

 そうして一通り日記を読み終えた所で、あなたはおかしな物を発見した。

 

『:□□□□□□□□』

 

 何の前触れも無く最新のページにおかしなものが浮き上がってきたのだ。

 

『⌒:■□□□□□□□』

 

 文字、あるいは記号だろうか。

 しかしあなた達の日記の裏表紙には名前を記載する欄があり、例えば『ウィズ:』といったように各々の書き込みの頭の部分にはその名前が反映される仕組みとなっている。

 ウィズ達は勿論あなたも自身の名前を書いているのでこんな書き込みは本来有り得ない。日記の故障だろうか。

 あなたが日記を叩いてもそれらしい反応は返ってこなかった。

 

『⌒8:■■□□□□□□』

 

 まるで意味が分からない。

 あなたの疑問と困惑を置き去りに、書き込みは止まる事無く続いていく。

 

 

 

『⌒8(:■■■□□□□□』

 

『⌒8( ゚:■■■■□□□□』

 

『⌒8( ゚ヮ:■■■■■□□□』

 

『⌒8( ゚ヮ゚:■■■■■■□□』

 

『⌒8( ゚ヮ゚):■■■■■■■□』

 

『⌒8( ゚ヮ゚)⌒:■■■■■■■■』

 

 

 

 そこまで見て、あなたは勢いよく日記を閉じた。

 

 努めて冷静であろうとしたものの、その内心は地殻変動が連続で発生し、エーテルの風が吹き荒れている。

 名状しがたい恐ろしいものを見てしまった気分だ。全力で無かった事にしたい。

 遅まきながらもようやく状況を理解したあなたは思わず声にならない呻き声をあげる。なんという事をしてくれたのでしょう。

 

『⌒8( ゚ヮ゚)⌒:--- -. .. .. -.-. .... .- -. -.』

『⌒8( ゚ヮ゚)⌒:w4745h1 g4nnb4774y0 0n11ch4nn』

 

 恐る恐る日記を開いてみれば、おぞましさすら感じる書き込みは終わっていなかった。

 止めてほしい。質量のある幻影といいこれといい、手を変え品を変え、世界がバグった錯覚に陥るような怪奇現象を発生させるのは本当に止めてほしい。

 日記という目に見える形で毒電波が侵食してきている様をまざまざと見せつけられたあなたは心の底からそう思った。同じ日記だから何らかの互換性があるとでもいうのか。ユニコーンの角(狂気度を下げるアイテム)はどこだったか。

 

 あなたが日の光が届かぬ海の底の如き深くて暗くて重いため息を吐きながら背後を振り返ると、愛らしい女の子の形をした半透明の共同幻想はイタズラっぽく笑った。

 壁際に立っているソレはまるで絵の中から飛び出てきた、とでも言えばいいのだろうか。

 “可愛い妹とはこうあるべきだ”という無数の人間達の妄念によって形作られ、実際本の中から飛び出してくるその存在は、少なくとも見た目だけは魅力的と言っていい。中身はご覧の有様だが。

 

 ――ふふっ、どう、お兄ちゃん。ビックリした?

 

 眠っているゆんゆんの手前肉声で喋る気は無いらしい。

 その心遣いはありがたいが、こういう事後処理や説明や反応に困る悪戯は止めてもらいたいものだ。

 そもそもどこからこんな摩訶不思議な力を手に入れたというのか。

 妹とは長い付き合いのあなただが、少なくともノースティリスではこのような力は発揮していなかった。

 あなたは妹の全てを理解しているとは口が裂けても言えないし言いたくなかったが、このような能力を持っているのであればもっと早くから片鱗を発揮してもおかしくはなかった筈だ。

 

 ――お兄ちゃんが私にくれた()()()()()()()()()のおかげだよ!

 

 会話にならない。

 いつもの戯言だろうと失笑を漏らすあなただったが、はた、と気付いた。気付いてしまった。

 

 ()()()()()()()()と言われている、直径十数センチの鉱石。

 たったそれだけで機動要塞デストロイヤーの動力を賄っていたコロナタイト。

 そういえば、どさくさに紛れて回収しておいたアレは……後日ウィズとあなたがシェルター内で鎮火を試した結果、鎮火自体は可能だがそれは破壊と同義であると分かったのであなたが勿体無いと言って止めさせ、今も暴走状態のまま四次元ポケットの中に突っ込んだままではなかっただろうか……?

 

「み、緑……緑色がいっぱい……」

 

 ゆんゆんの寝言など耳に入らない。

 恐ろしい事実に辿り着いてしまったあなたの頬を一筋の汗が流れる。

 気付けば妹の幻影は微かな笑い声を残して掻き消え、日記の該当箇所は白紙に戻っていた。



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第85話 Sister Princess

 先日()の一件で盛大に肝を冷やしたあなただったが、不幸中の幸いとでも言うべきか、コロナタイトが取り込まれて紛失する、という最悪の事態には陥っていなかった。

 楽しみにしているデストロイヤーの改良型や量産型に必要不可欠であろうアイテムの紛失となると、流石のあなたも黙っていないので妹が珍しく空気を読んだのだろう。溢れた余剰エネルギーだけで十分すぎるほどコロナタイトの出力が凄まじかったとも言える。

 

 妹の日記を読んでいないので本格的に顕現したわけではないにせよ、時間限定でそれなりの自由を手に入れた妹だが、主であるあなたの意向もあって、今の所は何をするでもなく四次元ポケットの中でおとなしくしていた。日記への侵食もあなたが知る限りはあれ以来一度も行っていない。

 妹はお兄ちゃん至上主義の生き物な上に兄を信仰しているので、多少問題行動を起こしたとしても基本的にあなたの意思を尊重する。

 尊重はするのだが、是が非でも遵守するわけではない。

 あなたが他者に侮られたり罵倒された程度では早々行動には移さずとも、他ならぬ兄妹という要素が絡んだ時、彼女達の堪忍袋の尾はいとも容易く千切れ去り、殺意と共に牙を剥く。

 めぐみんのように、あなたが妹的存在だと認識している自分以外の者、あなたを兄と呼ぶ者、そしてブラコンのツインテール(キャラ被り)を彼女は決して許しはしない。

 

 盲目的にして狂気的な兄への愛情。

 それこそがそうあれかしという幻想で紡がれた彼女達の存在意義であるが故に。

 

 

 

 

 

 

 この国の第一王女、アイリスとの面会を翌日に控えた日の午後。

 最近の日課と化したハンマーのレベル上げを昼過ぎで切り上げた後、あなたはあてもなく街の中をぶらついていた。

 

 初日に火事というちょっとした事件は起きたものの、購入者の口コミが広まったおかげで安価で珍しい便利道具を取り扱うウィズ魔法店は繁盛が続いている。

 完売御礼が続く毎日にバニルのテンションも天井知らずだが、きっとウィズはこの黒字で素晴らしい産廃を仕入れてくれるのだろう。

 彼女の商才の無さを誰よりも信じているあなたはその時が今から楽しみでしょうがなかった。

 

「あの、すみません。少しお時間よろしいですか?」

 

 暇つぶしにギルドに寄って依頼でも受けて帰ろうかと考えていると、誰かが声をかけてきた。

 黒を基調とした服装の上から黒いローブを身に纏い、更には大きな杖を背負った、一目で魔法使いだと分かる格好のフードを被った女性だ。

 文字に起こしてみれば紅魔族と似たような風体をしているものの、彼らと違ってどうにも全体的に地味めな印象を抱かせるのはよく言えば落ち着いた感じの、悪く言えば幸が薄そうな雰囲気を纏っているせいか。

 地味な外見に反して両手の指には幾つもの色とりどりの指輪を嵌めており、そこだけがやけに異彩を放っていた。

 

 指輪もそうだが、彼女の装備品はどれも王都で販売しているような一級品だ。レベルも恐らくは40を超えている。

 王都ならともかく、この駆け出し冒険者の街にレベルが20を超えている女性冒険者は非常に少ない。

 30以上などあなたはゆんゆん、そして現役を引退したウィズしか知らない。

 サキュバスの店のお世話になっている高レベル男性冒険者はそれなりに在籍しているものの、平和なアクセルは依頼の質や稼ぎも相応なので、ある程度成長したらもっと稼ぐことのできる他の街に行くのが定例である。

 

 そんなわけでアクセルでは非常に希少な高レベルの女性だが、あなたはこの女性をどこかで見た覚えがあった。

 はて、どこだったか。

 

「実は道に迷ってしまって。……という場所に行きたいのですが」

 

 彼女が口にしたのはあなたも知っている場所だった。

 あなた達が今いる場所からは少し距離があるので折角だからと道案内を申し出たあなただったが、女性はそれには及ばない、と首を横に振った。

 

「口頭で大丈夫です。お手数かけてしまってすみません」

 

 あなたの説明を聞いてしっかりとメモ帳に書き込み、礼を言って去っていく女性の後ろ姿を見送りながら、やはり自分は彼女とどこかで会った事があるとあなたは確信した。

 しかしどこで会ったかは思い出せない。

 まさに今の状況と似たようなシチュエーションがあった筈なのだが。

 

「……? ……あっ」

 

 振り返った女性とあなたの目が合った。

 じろじろと自身を観察するあなたの視線に気付いた女性は、あなたがまずいと思う間も無く赤くなった顔をフードを深く被って隠してそそくさとその場から立ち去ってしまった。

 流石に不躾すぎたかと考えるも後の祭である。

 反省しつつも踵を返して帰路に付くあなただったが、暫くすると後方から駆け足の音が聞こえてきた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 振り返ってみれば、あなたを追ってきたのは先ほどの魔法使いの女性だ。

 あなたの前で立ち止まった彼女は軽く息を切らせながらフードを脱いで顔を顕にする。

 

「すみません、いきなり逃げた上に大声で呼び止めてしまって……どうもお久しぶりです。私の事覚えてますか?」

 

 まるでナンパのような物言いだが、素顔を完全に晒した女性を見て、あなたはようやく謎の魔法使いの正体に思い至った。

 彼女は以前あなたが王都で女神エリスが宿泊している宿を探す際に世話になった魔法使いの女性だ。

 確か、名はレインといったか。

 

 話を聞いてみれば、普段は王都に住んでいるレインは仕事でアクセルに来ているらしい。

 無事に仕事を終わらせた後、観光ついでにアクセルを見て回っていたのだが、気が付いたら道に迷っていたとの事。アクセルに来たのは今回が初めてだそうだ。

 

 いつぞやのお返しという事で改めて道案内を買って出たあなたにレインは少しだけ困ったような顔をしたものの、結果的にそれを受け入れてくれた。

 

 

 

「アクセルは本当に平和ですね。王都の住民にありがちなどこか切羽詰った空気のようなものが感じられません。この国で一番治安がいいと言われているのも頷けます」

 

 道案内の道中、おのぼりさんのように街中を見渡していたレインは突然こんな事を言い始めた。

 王都は魔王軍の襲撃が発生する事からあまり平和とは言えないのだろうが、この世界の住人からしてもアクセルの治安の良さは目を引くものらしい。

 王都を含む冒険者が多い街は決まって治安がよくないものなのだが、アクセルは駆け出し冒険者の街であるにも関わらず治安がいい。

 だが治安維持の一翼をサキュバスが淫夢を見せてくれる風俗店が担っていると知ったら彼女はどんな顔をするのだろうか。

 

「あなたもご存知だとは思いますが、アクセルは昔から数多くの英雄を輩出してきた街として有名でして。その中でも私、氷の魔女さんの大ファンなんです。……あ、ご存知なんですか? 私が子供の頃に大活躍していた凄腕アークウィザードの女性なので、今の王都では知る人ぞ知るっていう方なんですけど」

 

 そう言ってレインは財布から一枚のブロマイドを取り出した。

 目つきは鋭く露出度も臍や肩が出ていたりと非常に高いが、やはりレインの言う氷の魔女とはウィズの事だったようだ。

 今となってはすっかり落ち着いてしまった新感覚癒し系ぽわぽわりっちぃが魔王軍絶対ぶち殺すウーマンだった時期の姿を久しぶりに見たあなたは激しく居た堪れない気持ちになった。帰ったらこのネタでウィズをからかう事にしよう。

 

「あと最近の有名人だとそうですね……魔剣の勇者のミツルギさん、そして頭のおかしいエレメンタルナイトさんが有名ですね。後者の方はたまに王都に来るらしいんですが、普段はアクセルで活動しているって聞いています」

 

 会話に軽く相槌を打ちながらあなたは一瞬だけ眉根を顰めた。

 まさにここにその頭のおかしいエレメンタルナイトがいるわけだが、レインはわざと言っているのだろうか。あるいは何かの当て付けのつもりなのか。

 勘ぐるあなただったが、目の前の女性はそのような素振りは全く見せようとしない。

 どうやらレインは本当にあなたの正体を知らないようだ。

 王都で活動する冒険者であれば誰もが一度は防衛戦で暴れ回るあなたの姿を見ている。

 あなたはてっきりレインを冒険者だと思っていたのだが、たまたまその時王都にいなかったのでなければ、もしかしたら彼女は冒険者ではないのかもしれない。

 

 レインが語る頭のおかしいエレメンタルナイトの、微妙に設定が盛られている、しかしまるっきり嘘というほどではない逸話を聞きながら、あなたはそう思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 そうして王都からの来訪者と出会った翌日。

 あなたは王女と面会すべくダスティネス邸に訪れていた。

 ウィズとゆんゆんは連れてきていない。デストロイヤー戦やハンス戦で何もしていないわけではないのだが彼女達はあなたのパーティーメンバーではないし、呼ばれたのはあなただけなのだ。

 

 さて、ダスティネス邸はアクセルのメインストリートに建っているダクネスの実家であり、大貴族の名に恥じない規模の立派な邸宅だ。

 領主であるアルダープの屋敷と比較すると豪奢さでは劣っているものの、大きさでは勝っているその邸宅は威風堂々、質実剛健といった言葉が当て嵌まるだろう。実に解体の遣り甲斐がある場所である。

 

 そんなダクネスの実家には現在王女が宿泊しており、屋敷はネズミ一匹通さないとばかりに厳戒態勢が敷かれている。

 邸宅の門の前には幾人もの兵士が立っており、見るからに物々しい雰囲気だ。

 

 念入りに身体検査を行った後、玄関であなたを出迎えたのは純白のドレスを着たダクネスだった。

 普段は後ろで一まとめにしている長い金髪は今日は三つ編みになっており、右肩から前に垂らしている。

 活動的な格好をしているダクネスしか見た事がないあなたにとってはまるで別人かと見紛う劇的な変貌だ。こうしていれば立派な貴族の少女なのだが。内面はともかくとして。

 

「当家にご足労いただき感謝いたします。本日はわたくし、ダスティネス・フォード・ララティーナが接待役(ホステス)を務めさせていただきます。どうかご自分の家だと思い、ごゆるりとおくつろぎくださいませ」

 

 背後に使用人を引き連れて深々と頭を下げて挨拶してきたダクネスにあなたは返礼を行う。

 長年冒険者活動を行っているあなたにとっては丁重なもてなしなど慣れたものであり、肝心の異世界間のマナーのギャップ埋めに関しては事前にウィズやベルディアに手伝ってもらった事もあって完璧な応対ができた筈なのだが、何故か背後の使用人が表情には出さずとも驚きの感情を抱いているように思えた。あるいは困惑か。

 その一方で柔らかい微笑を湛えていた、見た目だけならまさに深窓の令嬢といったダクネスはほっと安堵の表情を浮かべている。とりあえずあなたがおかしい事をしてしまったわけではないようだ。

 

「サトウカズマ様達がお越しになられるまでの間、少々こちらでお待ちください。それとこちらで預からせて頂いていた荷物をお返ししておきます」

 

 屋敷に招き入れられたあなたが通されたのは応接間。

 安全確認を終えたのか、演奏に使う予定の楽器を手渡されたものの、流石にここで演奏の練習を行うわけにもいかずやる事が無い。

 あなたは暫くの間ソファーでおとなしく寛ぐ事にした。

 

 

 ――ねえねえお兄ちゃん。今日会うお姫様ってこの国の王子様の妹なんでしょ? シスターでプリンセスなんでしょ? やっぱり強いのかな? まあ私ほどの妹力(いもうとパワー)は持ってないと思うけどね! ところでお兄ちゃんの呼び方はお兄ちゃんが一番だよね!

 

 

 仮にも一国の王女ともあろうものが忌もうとパワーを持っていたら世も末だが、その戦闘力とパンツに関してはあなたとしても興味が無いわけではなかった。

 これはイルヴァにおいても頻繁に行われている事なのだが、王族や有力な貴族が強い力を持った勇者や英雄を自身の家に取り込み、その血によって潜在能力を高めるというのはさほど珍しい話ではない。

 ここで忘れてはいけないのは彼らが欲しているのはあくまでも英雄や勇者であって、断じて独自の価値観と倫理感で動く制御不能の廃人などではないということだ。普通に家が潰れかねないので妥当だろう。あなたもイルヴァではめっきりその手の勧誘を受けなくなって久しい。

 

 そして魔王軍に脅かされているこの国の王や第一王子が神器を手に最前線で戦っているというのはあなたも知る所である。

 彼らと同じように高級食材で能力を上げているであろう王女が弱いというのは考えにくい。

 例え弱くても王族だ。つまりレア物、剥製にした時に価値のある存在である。

 どうしてこの世界は命の価値が重い上に人間も魔物も死んだ時に剥製をドロップしないのだろう。この世界にあなたが抱く数少ない不満点だった。

 

 茶菓子を齧りながらそんな事を考えていると、やがて使用人に案内されてカズマ少年達がやってきた。

 

「よっす、どうも。今日はよろしくな」

 

 気軽に片手を上げて挨拶してきたカズマ少年はあなたと同じく礼服を着用しているが、女神アクアとめぐみんはいつも通りの格好だ。

 女神アクアはともかくとして、めぐみんの普段の服装は紅魔族らしく奇抜さに溢れているのだが、それは大丈夫なのだろうか。

 

「私とアクアはドレスの仕立てが間に合わなかったんですよ。ダクネスのドレスを借りる予定です」

 

 女神アクアはともかく、ウィズと女神ウォルバクとゆんゆんとめぐみんによる四人組、SGGHウィッチーズにおけるHopeless担当にGreat相当のダクネスの服が着れるとは到底思えない。

 早くも先行き不安になったあなただが、内心をおくびにも出さずに適当に頷いておいた。

 

 

 

「……なんかこうして何もせずにじっとしてるのって落ち着かないな」

 

 やってきて少しの間はあなたと同じように大人しくソファーに座っていたカズマ少年達だが、数分も経つと暇を持て余したのか席を立って応接間の中をうろつき始めた。

 

「ふぅむ……これは中々……」

 

 調度品の一つである壁にかけられた絵画を見ながらカズマ少年が顎を撫で、感心した風な声を発した。

 ヒトの絵、だろうか。肌色で頭部と胴体と四肢と思わしき物が描かれているように見えるので多分ヒトだろう。

 あなたの目には子供の落書きにしか見えないのだが、カズマ少年はそうは思っていないようだ。

 

「カズマ、そんな落書きが気に入ったのですか? こんなの私の実家に行けばこめっこが描いた絵で幾らでも見れますよ」

「こめっこちゃんの絵は見せてもらうが、それはさておき、これだから無教養の人間は困る。めぐみんは知らないだろうけどこれは前衛芸術っていう立派なアートなんだよ。落書きにしか見えなくても見る人が見れば素晴らしい芸術品なんだ。キュビズム? とかシュールレアリズム? とか超有名だし」

 

 あなたの知らない知識を披露するカズマ少年にめぐみんがそうなんですか、と目を丸くして感心を顕にする。

 

「……む、言われてみれば確かに趣があるような無いような」

「だろ? こういうものなんだよ。こんなに立派な額縁に入れて飾ってるんだからさ。これはきっと名のある画家が描いたものだな」

 

「絵心のある私からすると、それってただの落書きだと思うの。二人とも、あんまり知った風な口を利くと後で恥かくわよ。あなたもそう思うでしょ?」

 

 お茶を啜りながらあなたと最後の打ち合わせをしていた女神アクアが、推定名画に見入ってこの曲線がいいだの色使いが素晴らしいだのとそれっぽい事を言い合う二人を可哀想な物を見る目で見た。

 どれだけ頑張っても件の絵が子供の落書きにしか見えないあなたとしては断然女神アクア側なのだが、あそこまで堂々と言い切るカズマ少年を見ていると異世界なのでそういうものなのかもしれない、と思えてしまう。

 あなたは自分が演奏以外の芸術活動に疎い事をアピールし、それとなく女神アクア寄りの中立を貫くことにした。

 

「アクアまでそんな事言うのか。絵が上手いのと鑑定眼がある事は別なんだな」

「カズマがそう思うのならそうなんでしょう。カズマの中ではね」

 

 やれやれ、とニヒルに笑って肩を竦めるカズマ少年。

 女神アクアは鶏の卵をドラゴンの卵だと言い張っていた前歴があるので何とも言いがたい。

 そんな中、ダクネスが使用人を伴って何着ものドレスを持って部屋に入ってきた。

 

「すまない、待たせたな。幾つかドレスを見繕ってきたから隣の部屋で……」

 

 途中で言葉を止めたダクネスは少しだけ顔を赤くして口を開く。

 

「カズマ、めぐみん。その絵は私が子供の頃に父を描いたものだ。やけに気に入った父が客に自慢する為にわざわざこうして立派な額縁に飾っていてな……その、恥ずかしいからあまりジロジロと見るのは止めてほしいのだが……おい止めろ! いたた、三つ編みを引っ張るんじゃない!」

 

 あなたの半笑いと女神アクアのニヤニヤ笑いを受け、大恥をかいたカズマ少年とめぐみんが真っ赤な顔でダクネスに八つ当たりを始めた。

 

「じ、実は知ってました! ええ、カズマと違ってちゃんとした審美眼を持ってる私はこれがアートじゃないなんて事は始めから全部全てまるっとどこまでもお見通しでしたよ!? さっきまでのはちょっとカズマに付き合っただけですし!?」

「あっ! めぐみんてめえ!」

 

 この後女神アクアとめぐみんは隣の部屋でドレスに着替えたのだが、案の定とでも言うべきか、めぐみんはダクネスの子供の頃のドレスすら胸も腰も大きすぎて手直しをしないとまともに着れなかった。

 ウィズの服など着せようものなら誰にとっても悲しい結末にしかならないだろう。

 

 余談だが、紅魔族の里であなたが会っためぐみんの母親はとても二児の母とは思えない若々しくたおやかな女性だったが、めぐみんそっくりの非常にスレンダーな体型をしていた。

 遺伝的な視点ではめぐみんの将来はかなり絶望的である。

 

 

 

 

 

 

「ダクネス、アクア、めぐみん。さっきからずっと考えてたんだが、もしお姫様が俺を親衛隊か何かに引き入れたいという話になったら、俺はもしかしたら引越しとか考えてしまうかもしれない。折角の屋敷から去るのは心苦しいが、そこだけは覚悟しておいてくれ」

「いきなり何を言い出すかと思えば……ただの表彰と会食だと言っているだろうが。何をどう間違ってもカズマが考えているような事にはならないから安心しろ」

 

 ホステスであるダクネスに連れられ、あなた達はパーティー会場である晩餐会用の大きな部屋の扉の前に辿り着く。

 既に王女アイリスは部屋の中で待っているとの事で、あなた達に振り返ったダスティネス家の令嬢はかつてない緊張感と共にあなた達の顔を見回した。

 

「……よし、改めて言っておくが、相手はこの国の姫君だ。カズマ、お前に関してはなんだかんだいって一線は越えないと思っている。だがこの私がメイド服姿で奉仕までしたのだ。これで何かやらかした日には本気で覚悟しておけ。アクアは彼の演奏をバックに芸を披露するという話だが、あまり無茶な芸は止めろ。あと演奏に関しては私の方から事前にアイリス様に許可を得ているからそれについては安心してほしい。最後にめぐみんは今から身体検査をさせてもらう」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよダクネス! なんで私だけ身体検査なんですか!? 調べるならまずそこの頭のおかしいのでしょう!? 平然とした顔で突っ立ってますけど私には分かります。アレは絶対武器とか危険物とか隠し持ってる顔ですよ! それもダクネスの屋敷が吹っ飛ぶようなヤバいのを! ああいう顔の人間はこういう大きくて立派な屋敷は吹き飛ばしたらさぞかし気持ちがいいだろうなって思ってるに決まってるんです!」

 

 めぐみんはたまにとても鋭い事を言う。

 一見すると寸鉄も帯びずにこの場に立っているあなただが、四次元ポケットの魔法を使えば一瞬で完全武装状態になれるし、屋敷どころかアクセル全域が吹き飛ぶ核爆弾を筆頭に玩具も多数取り揃えている。

 まあそんな物を使うまでも無くメテオを使うだけでお釣りが来るのだが。

 そういう意味ではあなたやめぐみんのような魔法使いに身体検査というのはあまり意味が無い行為と言えるだろう。

 

「大体私達はさっき同じ部屋で着替えたばっかりじゃないですか! 甚だ遺憾ですよこれは! いいんですか、出るところに出ても……ひゃあ!?」

 

 最早問答無用とばかりにダクネスがめぐみんに身体検査を行うべく襲い掛かった。カズマ少年は突然始まった綺麗どころによるキャットファイトに目が釘付けになっている。

 あなたはてっきり詰め物でもしていると思っていたのだが、肩が完全に露出した黒のドレスを着ているめぐみんの不自然に膨らんでいた胸元からは、煙玉、そしてどこで仕入れたのか爆発ポーションといったダクネス的にNGなアイテムがどんどん出てくる。

 危険物を持ち込むならちゃんと身体検査を行っても分からないように持ち込むべきだ。頭のおかしい爆裂娘は微妙に常識が足りていない。

 

 あなたがめぐみんの浅慮に呆れていると、カズマ少年が声をかけてきた。

 

「なあ、ダクネスが言ってたけど本当にお姫様の前で演奏するのか?」

 

 メインはあくまでも女神アクアの芸でありあなたは彼女の引き立て役に過ぎないが、そういう事になっている。

 アルダープのようにケチな事を言わず、王族なのだからせいぜいおひねりを弾んでほしいところだ。

 

「アクアの芸は俺も何度も見てるけど、演奏、演奏なあ……。相手はお姫様だろ? 絶対耳は肥えてるだろうし、そこんとこ大丈夫なのか? 不敬になったりしないか?」

「カズマはあの時聴いてなかったんだっけ? まあこの私の宴会芸に負けず劣らずで、こうしてバックミュージックを担当させてもいいと思ってる程度のレベルだと言っておきましょうか。私と違って代価としておひねりを回収していくスタイルだから、どっかそこら辺の人通りの多い場所で弾き語りやるだけでスカウトが舞い込んで一生食っていけるんじゃないかしら」

「なんで冒険者みたいな危険で不安定な職に就いてんの?」

 

 以前ウィズにも答えたが、ライフワークだからとしか答えられない。

 そういう生き方が根付いてしまった以上、あなたは今更冒険者を止める気にはなれなかった。

 演奏家では前人未到の秘境に足を踏み入れるなど夢のまた夢だし、神器のような金で買えない貴重な物品も早々手に入らない。

 自分が知らない場所に行ってみたい、見てみたい、手に入れたい。

 ありきたりと言ってしまえばそれまでだが、そんなありきたりな欲望があなたの行動原理の一つである事は確かな事実だった。今この瞬間ですらあなた(異邦人)にとっては奇貨に他ならない。

 

「……すげえ。なんかいかにも正統派冒険者って感じの答えだ。ここまでそれっぽい台詞を聞いたのはこの世界で初めてな気がする」

「カズマも少しは見習ったら?」

「お前は最弱職の俺に何を期待してんの? こうしてお姫様が会いに来るようなパーティーになっただけで十分すぎるだろ。むしろもっと調子に乗っても許されると思うんだけど」

「そっちじゃなくて、この人の敬虔さとか、異教徒であるにも関わらず麗しき女神である私に敬意を払う立派で殊勝な態度を見習いなさいって言ってんのよ。分かったらカズマは水を被って心を入れ替えて私を崇め奉って優しくしなさい」

「悪いけど正直そっちに関しては理解できない。アクシズ教徒でもなけりゃウィズっていう弱みを握られてるからこその態度じゃないみたいだしマジで理解できない」

 

 あなたからしてみれば相手が女神だと知って尚ここまで粗雑に対応できるカズマ少年こそ理解に苦しむ。それどころか彼は信仰そのものに胡散臭さを感じている節すらある。

 女神アクアへの態度はさておき、信心深さについてはニホンジンは大体こんな感じで魔剣の人みたいなのがむしろおかしいとの事だが、どのような環境で育ったらそうなるのだろう。恐ろしい。神無き世界などまるで末世ではないか。

 

 

 

 

 

 

 あらかためぐみんが持ち込んだ危険物を回収し終え、激しい抵抗にあって息を若干荒くしたダクネスが扉に手をかけた。

 

「……そろそろ行くぞ。いいか、何度も言うようだが、アイリス様の相手は私がするから、皆は適当に頷いてくれればいい。私がその都度フォローを入れるか説明をする」

 

 扉を開け、晩餐会用の広間に足を踏み入れる。

 広い部屋の壁際には何人もの使用人達が微動だにせず佇んでいた。

 

 一面に赤い絨毯が敷かれた部屋の中央には様々な料理が乗ったテーブルが設置されており、テーブルの奥にはダクネスや女神アクアと同じく白のドレスを着た金髪碧眼の少女が座っている。

 両隣に護衛と思わしき女性を立たせている彼女こそがこの国の王女、アイリスなのだろう。

 

 なるほど、確かに王女というだけあって剥製のし甲斐がある綺麗な少女だ。

 博物館に飾れば人目を集めるのは間違いない。

 

 だがそれだけだ。

 

 強い事は強いのだろうが、ベルディアほどではない。あなたの遊び相手にはならない。

 自身を傀儡にしようとする者を一人残らず処刑するような苛烈さも、自身を含んだ世界全てを盤上遊戯に見立てるような傲慢さもカリスマも感じない。

 

 今までに幾度と無く見てきた、良くも悪くもごく普通の王侯貴族の少女。

 実際に人となりを知れば変化するのかもしれないが、少なくともこれがあなたが王女アイリスに抱いた第一印象である。

 

 早々に王女への興味を失ったあなただったが、王女の付き人に関してはその限りではない。

 あなたから見て王女の左。この場において唯一帯剣を許されている白スーツの麗人の反対側に立つ女性。実に奇遇な事に、あなたの知る人物がそこにいた。

 

「…………!?」

 

 あなたが部屋に入ってきた瞬間から驚愕に目を見開いていたのは、魔法具の指輪を幾つも身に付けた黒いドレスの女性、アークウィザードのレインだ。どうしてあなたがここに、そう言いたげな目をしているが、それはあなたも同じだ。

 王都から仕事で来ていたという話だったが、まさか彼女が王女の付き人だとは思わなかった。

 しかしなるほど、そのような境遇であれば今の今まで王女とは縁の無かったあなたの事を知らないわけである。王宮勤め、それも王女の護衛ともなれば市井で活動する冒険者と顔を合わせる機会などそう無いだろう。

 あなたがレインに名乗っていれば話は別だったのだろうが、生憎あなたは王都でもアクセルでも彼女に名乗っていない。

 それとなく目礼すると、レインは引き攣った笑みを浮かべた。

 あなたが頭のおかしいエレメンタルナイトではありませんように、そんな事を考えているように見える。現実はいつだって残酷だ。

 

「お待たせいたしましたアイリス様。こちらが我が友人であり冒険仲間でもあります、サトウカズマとその一行、そして……」

 

 ダクネスが王女にあなた達の紹介を行い、次いであなた達に挨拶を促した。

 真っ先に一礼したのは女神アクアだ。

 完璧な作法だというのに、カズマ少年やめぐみんはおろかダクネスまで驚いている。

 

「アークプリーストを務めております、アクアと申します。どうかお見知りおきを。……では、挨拶代わりに早速一芸と演奏を披露させていただきます」

 

 女神アクアがあなたに視線を投げかけてきた。

 早くも出番のようだ。

 楽器ケースに手をかけたあなただったが、ダクネスが女神アクアの腕を引っつかんだ。

 

「も、申し訳ありませんアイリス様。ちょっと仲間に話が……」

 

 女神アクアに何か問題でもあったのだろうか。傍目にも完璧な一礼だったのだが。

 不思議に思うあなただったが、ダクネスの一瞬の隙をついてめぐみんが自身のスカートの中に手を突っ込み、中から黒マントを取り出した。

 

「問われて名乗るもおこがましいが、産まれは彼方、紅魔の里! 十三の年から親に放れた我が名は……もがっ」

「あ、アイリス様、しばしお待ちを!」

 

 マントを派手に翻し、堂々と名乗り口上を始めためぐみんの口を押さえたダクネスは必死に笑顔を作っているものの、早くも泣きそうな顔になっている。

 カズマ少年は王女アイリスに夢中になっているようだし、ここは自分がダクネスの心労を和らげるためにもしっかりと挨拶を決めるべきだろう。

 

 あなたが一念発起していると、感動の目で自身を見つめるカズマ少年を冷めた目で一瞥した王女アイリスが白いスーツの女性に耳打ちを行った。

 王女の代わりに護衛が口を開く。

 

「その風体、あなたがサトウカズマ殿ですね? しかし王族をあまりそのような目で不躾に見るものではありません。あなた達は冒険者であるが故に多少の無礼は許容しますが、本来であればこうして直接姿を見る事すら叶わぬと知りなさい。理解したのであれば身分の差を弁え、頭を低く下げ、目線を合わせずに。そして早く挨拶と冒険譚を。芸と演奏をするのであれば早くしなさい。……アイリス様はこう仰せだ」

「おいダクネス、チェンジだ」

 

 あなたは既の所で笑うのを堪えた。

 本人を前に堂々とチェンジとは。剛毅にも程がある。

 折角の異邦の地における王女との会見だ。キョウヤから聞いていた話とは随分毛色が違うにせよ、もう少し面白いものが見れると思っていたあなたとしては彼の気持ちは分からないでもなかったが、ダクネスの面子もある。チェンジなどとは中々言える事ではない。

 

「アイリス様、少々お待ちくださいませ! 仲間達が緊張のあまり興奮しております。ちょっと部屋の隅で話をしてまいりますので……!」

 

 あれだけ念を押していたにも関わらずやりたい放題の仲間達に涙声のダクネスがカズマ少年の頭を引っぱたき、そのまま女神アクアとめぐみんを連れていってしまった。

 結果、あなただけが一人取り残される。

 

「…………」

 

 あなたを観察する視線が二つ。神に祈るような切実な視線が一つ。後者はレインのものだ。

 サンドバッグの刑を宣告される三秒前の罪人が丁度あんな顔をしていた。

 とりあえず名乗れとの事なので名乗っておくべきだろう。ごく普通に、王族に向けるように。

 

「あなたが巷で噂の頭のおかしいエレメンタルナイトね? と仰せだ」

 

 あなたの名乗りを受けた王女はそう問いかけた。

 王女にまで広まっている異名に色々と思うところはあるものの、確かにそう呼ばれている者であると肯定しておく。サンドバッグの刑を宣告されたわけでもないのに、棒立ちのレインが膝をガクガクと震わせ白目を剥いた。

 

「私がお願いしても危ないからと皆が会わせようとしなかったのでどんな人なのかと思っていたけど、頭のおかしいエレメンタルナイトと呼ばれている割には随分と普通な感じなのね、と仰せだ」

 

 退屈そうに自分を見つめる王女に、あなたは自分はどれだけ無礼な人間だと思われているのだろうと軽く辟易する。

 接待役のダクネスの顔を潰さないように振舞ってるとはいえ、王女にはどんな社会不適合者が出てくるのを期待していたのか問いただしてみたいところだ。

 護衛であるレインと麗人を血祭りにあげて頭のおかしさを存分に見せつければ王女は満足してくれるのだろうか。お咎め無しを確約してくれるのであれば全力で血塗れの聖剣(岩付き)を振るう所存だが。あなたはそんな事を思った。

 

「――――ぅぐへぇっ!?」

 

 凄まじく酷い声をあげたのはレインだ。

 今まで沈黙を保っていた護衛の突然の奇声に、王女だけではなく、使用人やカズマ少年達も驚いている。勿論あなたも驚いた。

 

「……おいレイン、どうした? 死にそうな顔色だぞ」

「す、すみません。大丈夫です」

「そうは見えんが……というか、ぅぐへぇってお前」

 

 目を泳がせ、冷や汗をだらだらと流すレインを王女アイリスがとても心配そうに見つめている。

 レインは緊張が限界を超えたのかもしれない。

 王女もまさかレインが王都でも有名な頭のおかしいエレメンタルナイト本人を相手に散々「私も話に聞いただけですけど、正直ドン引きですよね」みたいな事を言っていたとは夢にも思うまい。

 それにしたって彼女のリアクションは大袈裟すぎる気がするが。

 

「私はアークプリーストです。もしお加減がよろしくないのであれば、回復魔法を使いますが」

「いえっ、それには及びません。お気遣いいただきありがとうございます」

「そうですか、気分が悪くなったらいつでも仰ってください」

 

 レインに柔らかく微笑む女神アクアを、カズマ少年達は得体の知れない者を見る目で凝視している。女神アクアへの評価が窺える一幕だ。

 

「護衛の方の気分が優れないようですね。ちょうど私達の自己紹介も終わったところですし、僭越ですが、私どもの音楽と芸で気分転換などいかがでしょうか」

「よしなに、と仰せだ」

 

 王女の許可が出たからか、ダクネスも止めようとはしない。

 立ったまま演奏を聴くわけにもいかないとダクネスが王女の右隣の席に座り、めぐみんが更に続く。

 一方でカズマ少年は王女の左隣に座るように指示を受けていた。

 

 どうやら今度こそ本当に出番が来たようだ。

 手招きする女神アクアの斜め後ろに立ったあなたは愛器であるストラディバリウスをケースから取り出す。

 

「ほう……」

 

 帯剣した護衛の女性が目を細めて感嘆の声を漏らし、王女に耳打ちを始める。

 

「私が見たところあれは相当の……はい……この分であれば多少は……しかしあんなものをどこで……」

 

「めぐみん、私は聴いていないんだが、実際のところ彼の演奏の腕前はどうなんだ? アクア曰く凄まじいものらしいが」

「ぶっちゃけ上手いを通り越してドン引きするレベルですね。私もゆんゆんも気付いたらおひねりを投げてました。ですが安心してください。星砕きの名にかけて今度こそ私は負けません」

「めぐみんは何と戦っているのだ?」

 

 

 

 

 

 

「以上です。ありがとうございました」

 

 数分という短い間だったが、芸と演奏の披露を終え、女神アクアとあなたが深く一礼すると同時、ワっという歓声と万雷の拍手が鳴り響いた。

 今回の演奏は前回と違って短時間であり、更に様々な芸を披露する女神アクアの引き立て役に徹したせいもあってか、聴衆が滂沱の涙を流して聞き入る、といった異様な事態には陥っていない。

 王女も興奮してあなた達に拍手を送っている。

 

「素晴らしい、芸も演奏も本当に素晴らしかったわ! 褒美を取らせます! クレア、早く二人に褒美を! と仰せだ。……いや、確かに素晴らしい。まさかこれほどのものとは……」

 

 麗人はクレアという名前らしい。

 言われるままにクレアはポケットに手を突っ込んだが、すぐに首を傾げた。

 

「……ん? 確かにここに入れておいた筈だが」

「……?」

「アイリス様、大変申し訳ありません。どうやら褒美の宝石をどこかに置き忘れてしまったようで……かくなる上はこの腹をかっさばき……ところでアイリス様、先ほどまで身に付けていた髪飾りはどちらに? え? 私もイヤリングが無くなってる?」

 

 仲間や使用人達からも掛け値なしの拍手喝采を浴びて満更でもなさそうな女神アクアを尻目に、あなたは地面に落ちたおひねりを回収する。

 今回のおひねりはめぐみんの黒マントに始まり小銭や財布、宝石や指輪に髪飾り。数こそ少ないものの、流石に王族のパーティーだけあっておひねりも貴金属ばかりだ。実に素晴らしい。

 

「……あれぇっ!? なんで私の指輪(装備品)があそこに!?」

「ちょっと待て、俺の財布どこいった!?」

「カズマの財布はおひねりになりましたよ……おのれ、一度までならず二度までも私の私物を巻き上げるとは……」

 

 若干あなたの予期せぬ騒ぎが発生したものの、演奏会自体はおおむね成功したと言えるだろう。

 

 ……そう、演奏会自体は。

 

 

 

 

 

 

 ……パァン、と。

 乾いた音が鳴り、痛いほどの静寂が場を包んだ。

 

 自身が何をされたのか理解していないのか、呆然と立ち尽くす王女アイリス。

 思いも寄らぬ人物の、これまた思いも寄らぬ行動に誰も彼もが反応に窮する中、最も早く行動したのは王女の護衛であるクレアだ。

 

「――――何をするかダスティネス卿っ!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()激昂した彼女は、勢いのままダクネスに斬りかかった。

 切羽詰った王女の制止などまるで気に留める事無く。

 

 

 

 

 

 さて、唐突かつまさかの刀傷沙汰だが、事は表彰の後の会食の最中、王女アイリスに乞われてカズマ少年が自身の冒険譚を語って聞かせた所から始まる。

 キョウヤからあなたとカズマ少年の話を聞いていたという王女だが、彼女は王都でも有名な頭のおかしいエレメンタルナイトではなく、無名であるにも関わらず魔剣の勇者が一目置くカズマ少年に興味を抱いていた。

 年若く見目麗しい王女から興味を持たれてカズマ少年も満更ではなさそうだったし、何よりあなたは自身が話せる範囲内で王女の気に入るような面白い冒険譚ができるとは思っていなかった。そういう意味では渡りに船ではあったのだが。

 

 さておき、カズマ少年が語った、何度も機転を活かして迫り来る危機を乗り切るという手に汗握る冒険譚を王女は大変気に入る事になる。

 今まで王女に謁見してきた冒険者達は等しく来た、見た、勝ったとばかりに一方的にモンスターを退治する話ばかりを王女に聞かせていたらしく、王女にとってカズマ少年の話は非常に新鮮だったのだ。ノースティリスの話ができないあなたではこうはいかない。

 

 弁舌に長けたカズマ少年の語る冒険譚は語り部として食っていけるのではないだろうか、と思わずにはいられないほどのものだったが、常に格上の敵と戦い続ける向上心溢れる冒険者であり、昼間はあえて休み英気を養い、空が暗くなってから街の中を巡回して治安維持に貢献している……といったように、まるっきり全てが嘘というわけではないが、あなたの知る、ひたすらに安定と平穏を求める夜遊びが好きなカズマ少年と本人が語る人物像は些かばかりのズレがあった。

 

 とはいえ自分をよく見せようとするのは人として何もおかしい話ではない。

 王女も喜んでいるし、口を挟むのも無粋だろうと豪華な料理に舌鼓を打って空気に徹していたあなただったが、やがて皆が食事を終え、カズマ少年のトークが一区切りついたタイミングを見計らって、クレアがカズマ少年に冒険者カードを見せてほしいと言い出した。

 

 この段階でのクレアはカズマ少年の冒険譚や力量を一切疑っていなかった。

 故に魔剣の勇者であるキョウヤを始め、数々の強敵を降してきた有力な冒険者であるカズマ少年のスキル振りを学ぶ事で日夜魔王軍と戦う国の兵士達の戦力強化の為、ひいては人類全体の悲願である魔王打倒の為に協力してほしいと本心から頼み込んだのだ。

 

 

 ちなみにあなたのスキル構成や能力は王都の防衛戦に初参加した際に開示要請を受けており、当然のようにあなたはこれを許可した。それどころか知ろうと思えば相応の代金を支払えば同業者である冒険者すら知る事ができるようにしている。

 自身の情報の開示はあまり一般的な行為ではないらしいが、諦めなければ残機が無限なノースティリスでは「このスキルや武器を見て生きて帰った者はいない」という事が起こり得ず、自分の情報が同業者や情報屋に丸裸にされるなど当たり前の話であり、互いの装備や手札が完全に割れてからが本当の勝負の始まりだった。

 そして何よりも、あなたはバグッた冒険者カードについて何か判明したり、あわよくば同じイルヴァの民、あなたを知るノースティリスの冒険者がこれを見て接触を図ってくるかもしれないと期待していた。残念ながら今の所はどちらも掠りもしていないが。

 

 

 話を戻すが、クレアからの冒険者カードの開示要求に困ったのはカズマ少年である。

 スキルに関しては問題ない。

 カズマ少年はドレインタッチというアンデッドしか使えないスキルを習得しているが、元より彼は全てのスキルを習得可能な冒険者だ。どこでドレインタッチを習得したのかを突っ込まれた時もあなたが食らう事で習得を手伝ったと嘘にならない範囲内で口裏を合わせる手筈となっている。

 

 だが彼は器用貧乏の最弱職として有名な冒険者。

 嘘こそ言っていないものの、散々王女達に格好いい事を言っていた手前、今更自分は最弱職ですと明かすのは恥ずかしかったのだろう。

 

 結局は彼のハッキリしない態度に疑惑を深めていくクレアにダクネスがネタばらしをしてしまったわけだが、当然のようにクレア、そして王女からも物言いが入る。

 

 曰く、イケメンのミツルギ殿が最弱職の者に負けるなんて信じられない。自分達に嘘を吐いているのではないか。修行の旅から帰ってきて一段と強さとイケメンっぷりに磨きがかかったソードマスターのミツルギ殿の名を知らぬ者は最早王都にはいない。そんなイケメンの彼が駆け出しの街の最弱職に負けるとは信じられない、と。

 

 王女だけならずクレアもイケメンを連呼していた辺り、さぞかしキョウヤは二人と懇意にしていたのだろう。

 大人気なさに定評のあるベルディアが嫉妬でマジギレしてキョウヤをシェルターに連れ込みそうな物言いだった。

 

 そして度重なるイケメンの連呼に、思わずといった感じでカズマ少年がそんな突っ込みを入れる。

 おいお前ら、流石の俺でも引っぱたくぞ、と。

 

 瞬間、王女に無礼な口を利いたとクレアが激昂して抜刀。その沸点の低さはさながら瞬間湯沸かし器の如く。

 とはいえ、ここまでなら見栄を張ったりダクネスというある種特異なタイプの貴族に対するノリで王族に接してしまったカズマ少年が迂闊だった、くらいで済んだ話だったのだが、ここで盛大に王女がポカをやらかした。

 

 必死に許しを請おうとするダクネスに向けて、カズマ少年を口だけが達者な最弱職の嘘吐き男と口汚く侮蔑したのだ。

 ステータスこそ低くとも、戦果を挙げているのは確かなカズマ少年を、である。

 

 常であればこのような物言いをされては絶対に黙ってはいないめぐみんですら、主催のダクネスに迷惑をかけまいと持ち前の短気さを投げ捨てて怒りと屈辱を耐え忍ぶ中、ダクネスは王女に嘘吐き男という言葉の撤回、そして彼への謝罪を求めた。

 

 あなたも軽く口添えしたのだが、王女は頑なに自身の非を認めず、悪し様にカズマ少年を罵倒。

 そんな少女を見かねたのか、彼の仲間であり活躍を知るダクネスがついに平手を打ち……かくして状況は現在に至る。

 

 

 

 

 

 激昂したクレアがダクネスに斬りかかる中、一人冷めた目をしたあなたは二度、指でテーブルを叩いた。

 

 ――私にお任せだよお兄ちゃん! やっぱりお兄ちゃんには私がついてないと駄目だよね! 分かってるよお兄ちゃん! なんたって私はお兄ちゃんの妹だからね!! 私が、私だけがお兄ちゃんの全てを分かってあげられるの!!!

 

 この世界においては初めてとなる主人()からのまともな指示に、下僕()が喜びの感情を爆発させた。

 狂喜する妹が全力で射出したルビナス製の包丁は赤い弾丸と化し、今まさにダクネスの腕を切り落とさんとするクレアを認識の外側から強襲する。そして……。

 

「……!?」

 

 鋭い金属音の一瞬後に鈍い音が鳴り響き、数拍遅れて()()()()()()()()()()長剣の刀身が床に転がった。

 完全に剣を振り抜いていたあたり、渾身の一撃だったのだろう。

 だが血は流れていない。

 ダクネスのドレスの腕の部分は切り裂かれ、切りつけられた部分は仄かに赤くなっているものの、切り落とすどころか、切り傷一つ付ける事すら叶わなかったのだ。

 

 あなたが妹に狙うように指示したのはクレア本人……ではなく、クレアの長剣、その根元だ。流石に本人を狙ったら死んでいたが、互いに長い付き合いだ。腕については他の誰よりも信頼している。狙った場所にピンポイントで包丁を投擲する程度の大道芸は造作も無い。

 

 さて、反射的に手を出してしまったが、ダクネスの防御力を見るに余計なおせっかいだったかもしれない。あれならばあなたが何もせずとも掠り傷程度で終わっていそうだ。

 

 大切な仲間を攻撃された事で覚悟を決めたカズマ少年が、柄だけの剣を捨てて懐剣を抜いたクレアにキョウヤを打倒したスキル、スティールを発動するのを見ながらグラスに酒を注いでいると、あなたはレインから目を向けられている事に気付いた。

 

「…………」

 

 彼女は心底からの安堵の表情であなたに頭を下げた。

 レインだけはあの状況下であなたに注目していたらしい。

 やはり迂闊な行動だったかと臍を噛むも、レインはこれ以上の面倒事を起こす気が無いのか、それ以上の行動を起こさなかった。

 

「いや、なんか、ほんとごめん。これ……返します……」

「え? ……あれっ、それ、私の……えっ? ……きゃああああああああああ!?」

 

 カズマ少年から純白のブラジャーとパンツを盗まれ、半泣きで胸と股間を押さえて蹲るクレアの悲鳴を聞きながら、あなたはレインにヒラヒラと手を振って応える。

 言い値で買い取るので、どうせ盗むのであれば極上のレア物(王女のパンツ)を盗んでほしかった。そんな事を考えながら。

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい。王女様との会見、お疲れ様でした。ご飯にしますか? それともお風呂にしますか?」

 

 王女との面会を終えて帰宅したあなたを、緩い三つ編みにエプロン姿なウィズがどこかで聞いた事のありそうな台詞で出迎えた。

 時刻は夕方。夕飯にも風呂にも早い時間であり、聞けばウィズも店を閉めたばかりでこれから夕飯の支度を始めるところだという。

 ちょっと言ってみたかっただけらしい。

 

「えへへ……」

 

 てへぺろ、と可愛らしく笑う新感覚癒し系ぽわぽわりっちぃ。

 しかしそのお決まりの台詞には少し足りないものがあるのではないだろうか。

 

「足りないものですか? えっと、ご飯とお風呂、あとは……。…………!!」

 

 気付いたようだ。

 ご飯、お風呂、それとも……。

 

「……わ、わた、わた…………タワシにしますか!?」

 

 タワシ。言わずと知れた掃除用具。そして長方形の大型盾(タワーシールド)の略称である。

 ウィズは風呂掃除をしろと、あるいはセクハラへの罰として帰宅早々盾殴り(シールドバッシュ)を食らえと言いたいらしい。素直に謝罪するので後者は勘弁してもらえないだろうか。

 

 

 

 風呂掃除を終えた後、あなたはダイニングで料理を作るウィズと共に世間話に興じる。

 話題は勿論今日の会見についてだ。

 

「私、陛下や殿下とは会った事があるんですが、アイリス様はどんな方か知らないんですよね。今年で十二歳なんでしたっけ。キョウヤさんから少し話は聞いていますが、実際に会ってみてどうでした?」

 

 あなたから見た王女アイリスは率直に言って良くも悪くも大事に育てられた箱入り娘であった。

 一騒動の後、自分の発言が大騒ぎに発展してしまった事を受けて大いに反省した様子の王女アイリスはしっかりカズマ少年に嘘吐き呼ばわりした事を謝っていたが、めぐみんやゆんゆんとたったの二歳差とは到底思えない。

 

「めぐみんさんとゆんゆんさんは冒険者ですからね。それに王族の方と私達平民を一緒にしちゃいけませんよ」

 

 苦微笑を漏らすウィズにさもあらん、とあなたは頷いた。

 異邦人であるあなたと同じく、一般人にとって王侯貴族は遠い世界の人間という事だ。

 王女に拉致されたカズマ少年はともかく、あなたはこの先自身が王女アイリスと何らかの関わりを持つ事になるとは思えなかった。

 

「カズマさん捕まっちゃったんですか!?」

 

 別れ際、レインがテレポートを使う直前に王女アイリスはカズマ少年の手を取って彼と一緒に王都に帰ってしまったのだ。止める間もない完璧なタイミングでの拉致だった。

 王女は随分とカズマ少年を気に入っていた様子だったので改めて王城にて無礼打ちで処刑、とはならないだろう。今頃冒険話の続きでも聞いているのではないだろうか。

 それにカズマ少年は冒険者であり、さらに仲間がいるとあちら側も分かっている。長くても一日か二日も経てばすぐに送り返してくる筈だ。

 

「流石に王女様だけあってやる事が豪快ですね……私も話に聞いただけですが、陛下もそういう面があったそうですので、これも血でしょうか……」

 

 

 

 その後も暫く談笑に興じていたあなた達だったが、ふと、ウィズがニコニコと嬉しそうに言った。

 

「あ、そうだ。大切な事を言い忘れていました。ゆんゆんさんの家が決まったんですよ!」

 

 ここ数日ゆんゆんとウィズは幾度もゆんゆんの新居について話し合っていたのだが、ようやく決まったようだ。

 あなたやベルディアも幾つか候補地を聞かされてアドバイスを送ったりしていたのだが、彼女はどこに住む事になったのだろう。

 

「私達の家の真ん前です。これからはお向かいさんですね!」

 

 ニコニコと笑うぽわぽわりっちぃに、やはりそうなったかと、ある種の予定調和的なものを感じたあなたは深く納得した。

 バニルという大物悪魔が住んでいる上、夜に時折バニル君人形の不気味な笑い声が響くようになったあなた達の自宅周辺は空き家が目立つようになっていた。

 ゆんゆんとウィズが選んだ家は庭付きでこそないものの、ウィズ魔法店の前、つまり通りに面して建っている。ドラゴンの離着陸に不足は無い。

 

 あなた達の家はめぐみんが住んでいる屋敷からは少し距離があるものの、屋敷の近くに住めない以上はどこを選んでも誤差の範囲内でしかない。

 それならば友人であるウィズやあなたが住んでいる家のすぐ傍が良い。そういう理由なのだろう。

 現段階で既にオーバーパワー極まりない自宅周辺の総戦力がまた上がったわけだが、あなたとしても友人が近くに越してくるというのは喜ばしい話だ。ゆんゆんを殊更に可愛がっているウィズに関しては言うまでもない。このぽかぽかでぽわぽわな笑顔を見れば誰でも彼女が喜んでいると分かる。

 

「あなたは明日から王都でお仕事で、ゆんゆんさんも連れて行くんでしたよね。なら帰ってきたらすぐに引越しですね」

 

 確かに明日からは王都で仕事が待っている。

 アルダープからの依頼である演奏の仕事と、更にもう一つ。

 

 あなたはテーブルを見やった。

 テーブルの上には今日貰ってきた書状の他にもう一つ、郵便受けに投函されていた、日時と宿の名だけが書かれた差出人不明の手紙が置かれている。

 そう、久々の女神エリスによる強盗……もとい盗賊(慈善)活動のお誘いである。

 

「お仕事頑張ってくださいね」

 

 あなたは期待に胸を膨らませながら朗らかに笑い、ウィズの激励に頷くのだった。

 

 

 

 ……銀髪強盗団結成の日は近い。



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第86話 愛弟子と大ファンの会遇

「わぁっ……!」

 

 あなたの隣で、ゆんゆんが感嘆の声をあげた。

 アクセルからテレポートで飛んだあなた達。その目の前に広がっているのは、この国の王都の街並み。

 中央通りは溢れんばかりの人ごみでごった返しており、軒を連ねる店舗もアクセルでは見ないものばかりだ。王都の名は伊達ではない。

 

「凄いです! お祭でもないのにこんなに人がいっぱいいる所、私初めて見ました!」

 

 確かに人は多いが、アクセルほど治安がいい場所ではない。

 くれぐれもナンパに引っかかってホイホイ知らない相手に付いていかないように言い含めておく。

 

 あなたとしては自分が彼女の傍にいない時の為に、ベルディアをお目付け役として連れてきたかったのだが、王都侵攻の指揮を執ったこともあるという彼を連れてくるのは身バレが怖い。

 魔王軍が攻めてきた時にベルディアを戦わせるか否か、という問題もある。

 

「私、そこまで子供じゃないんですけど……それに大丈夫ですよ。私なんかをナンパする人がいるわけないじゃないですか」

 

 あっけらかんと言い放ったゆんゆんは、心の底から自分をナンパする人間がありえないと思っている。

 根深いぼっち気質からこのようなことになってしまったのだろう。親子、もとい師弟揃って自己評価が低すぎだった。やれやれである。

 現役時代のウィズは、才気煥発な様と氷の魔女という異名通りのクールな美貌に気後れして男が寄り付かなかった、いわゆる高嶺の花だったが、バニル曰く肝心の本人にその自覚がまったく無かったそうだ。

 そして可愛い可愛いぽわぽわりっちぃと化して親しみやすくなった今も、自分がリッチーだというコンプレックスからか、異性からのアプローチに対して極めて鈍感かつ本人も消極的である。酔った勢いで下着をプレゼントしたりしてくれたが。

 

 

 

 この場にいないぽんこつりっちぃの話はさておき、ここは対魔王軍の急先鋒である国の中心地。

 日夜魔王軍と戦うこの国を支援すべく、他国からは高レベルの精鋭や潤沢な物資が送り込まれており、その人的、物的資源の量と質は、辺境の街であるアクセルとは比較にすらならない。

 ただし、総合戦力値が他の追随を許さないレベルでぶっちぎってしまっている、ウィズ魔法店のご近所一角を除けば、の話だが。

 

 その気になれば鼻歌交じりに国を落とせるようなキワモノが揃っている、あらゆる意味で例外中の例外はさておき、戦力的な意味合いにおいても、魔王軍との戦いを一手に担うこの国の立ち位置は非常に重要だ。

 各国の精鋭が送り込まれている上、この国自体が抱えている騎士達や冒険者の全体的なレベルが他国を圧倒している以上、この国が陥落するか抜かれるような事態になったが最後、魔王軍は無人の野を進むが如き破竹の勢いで他国を蹂躙していくだろう。

 

 そんな国の王都で、自慢の玩具の数々を解禁したらどうなるのだろうか。

 過程がどうあれ、最終的に取り返しのつかない結果に落ち着く事だけは間違いない。

 わざわざ誰かに教えてもらうまでもなく、あなたはそれを熟知している。

 

 だからこそやってみたい。

 

 あなたはこの国の誰かや何かに恨みがあるわけではない。ただちょっと、この広大で美しい都を綺麗サッパリ更地にしてみたいだけだ。

 特に、遠目に見える王城に核を仕掛けてぶっ飛ばしたり、もしくは採掘で根こそぎ解体(バラ)したりメテオの的にした日には、それはもう爽快な気分になれるだろう。

 再度繰り返すが、あなたは決してこの国に隔意は抱いていない。

 これはもはや人間性云々の問題ではなく、ノースティリスの冒険者としての習性といえるだろう。

 

 ウィズに迷惑がかかるし悲しむので絶対にやらないが、それでもやってみたい。

 絶対にやらないが。絶対に。

 

 絶対にやらないが、それはさておき、この世界のどこかに時間を巻き戻せる神器や魔道具は存在しないのだろうか。戻す時間は最長三分程度で構わないのだが。

 一発だけなら誤射かもしれないとカズマ少年も言っていた。

 それに何より、時間を戻せるということは、戻せる時間分だけ()()()()()()()()()ということだ。実に心が躍る。

 

「どうしたんですか?」

 

 王城をじっと見つめたまま動かないあなたに、数メートル先を歩いていたゆんゆんが振り返る。

 彼女は魔法のエキスパートである紅魔族だ。何か知っているかもしれない。

 

「時間を巻き戻す魔道具? そんなのあるんですか? 私は聞いた事ありませんけど、でも、そんなものがあったらとっても便利ですよね。お菓子とか美味しいものが何回も食べられますし……え、どうして笑うんですか?」

 

 ゆんゆんの語るそれは、年頃の少女らしい、非常に純粋で微笑ましい運用方法だった。これがめぐみんなら城に爆裂魔法をぶちかまします、くらいは言いそうなのだが。

 

 そこまで考えてあなたは気付いた。

 想像の中のめぐみんの行動パターンと自分のそれがほぼ同一である、と。

 勿論これはあなたの考えるめぐみんなので実際にそうするかは不明だが、彼女の気質を鑑みるに現実と想像の間にそこまで大きな差は無いだろう。

 やはり頭のおかしい爆裂娘はノースティリスに向いているのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

「ところで、こうして王都に来たのはいいんですけど、私は王都で何をすればいいんでしょうか」

 

 ゆんゆんは今回、社会見学と修行の一環として王都にやってきている。

 つまり彼女がアクセルでやっているように、普通に冒険者活動をさせるつもりだった。

 勿論彼女を一人で王都に放り出すような真似はしない。

 それは食人嗜好の小児性愛者の前に、手足を縛った子供を放置する行為に等しい結果を引き起こすだけだという確信があなたにはあった。

 

 あなたは今日はこれからアルダープの別荘に行き、夕方から夜にかけて貴族のパーティーで演奏を行うという仕事が入っている。

 よってゆんゆんと一緒に仕事をすることはできないが、助手として連れて行くくらいは許されるだろう。

 拒否された場合は宿屋で待機していてもらうか、一度アクセルに送り返せばいい。

 流石に自分と一緒に演奏をしたり、パーティーに出ろ、などという無茶なことは言えないし、言うつもりもなかった。

 

 そして演奏を終える翌日以降は、ゆんゆんとパーティーを組んで普通に冒険者活動を行う予定である。

 

「わ、私なんかとパーティーを組んでくださるんですか!?」

 

 信じられない、とばかりに大声をあげる、ゲロ甘でチョロQな紅魔族の少女。

 あなたはゆんゆんとの初対面の際、パーティーを申し込まれそうになったのを思い出した。あの時も彼女は同じような台詞を口にしていた。

 あれからまだ一年も経っていないわけだが、今となっては懐かしい記憶である。

 当時と違い、あなた達の関係は友人である。友人であればパーティーを組む程度は普通だろう。

 

「……そうですよね! お友達ならパーティーくらい普通ですよね!!」

 

 歓喜の表情を浮かべ、目を輝かせるゆんゆん。

 めぐみん、ふにふら、どどんこ、あるえ、ウィズ、ベルディア、女神ウォルバク、そしてあなた。

 あなたの知る限り、ゆんゆんにはこれだけの友人がいる。

 紅魔族随一のえっち作家は友人と呼ぶには微妙かもしれないが、それでも七人だ。

 にも拘らず、全く改善される傾向の無い、筋金入りのぼっち気質にはさしもの廃人もお手上げである。

 

 ただ、あなたとゆんゆんは二人でレベリングの為にダンジョンに潜ったし、つい先日も二人で紅魔族の里に行っている。

 これらは彼女の中ではパーティーを組んだことになっていないのだろうか。

 

「あれはパーティーというか、ただの付き添いでしたし……」

 

 よく分からないが、ゆんゆんの中ではそういうものらしい。

 まあ今回はゆんゆんに自身の実力を把握してもらう目的があるので、これまでのようにあなたにおんぶにだっこ、とはいかない。

 ハッキリ言ってしまうとあなたは手を抜く気満々だった。めぐみんと組んでジャイアントトードを討伐した時のように。

 無論ゆんゆんのサポートを疎かにする気は無かったが、それでも活動の主体になるのはゆんゆんである。

 必然、受ける依頼もゆんゆんのレベルが基準になるわけで、彼女には精一杯頑張ってもらうことになるだろう。

 

「そんな、恐れ戦きます!」

 

 それを言うなら恐れ多いだ。

 確かに今のゆんゆんは恐れ戦いているようにも見えるが、まだ何も始まっていないのに何を恐れるというのか。

 

「モンスターハウスに放り込まれて限界までひたすら戦い続けろとか……言いませんよね?」

 

 あなたは閉口した。人の事をなんだと思っているのだろう。

 生憎と、今のところ残機1の友人を死なせる予定は立てていない。

 

 そしてゆんゆんの言うそれは、あなたのペット達の日常である。例えばベルディアのような。

 

 

 

 

 

 

「貴様に仲間がいるという話や、同行者を連れてくるという話は聞いていなかったな」

 

 あなたとゆんゆんはアクセルの領主であるアルダープの別荘にやってきていた。

 アルダープの別荘は王都の一等地とも呼べる区画に建っている。

 この区画にはアルダープのみならず有力な貴族の屋敷が集中しており、あなたからしてみれば色々な意味で襲撃し甲斐のある、非常に美味しい場所だ。

 

「まさかとは思うが、その小娘も今日の夜会に出すつもりなのか? 黒い髪に赤い瞳。あの悪名高い紅魔族のように見えるのだが?」

「あ、悪名高い……」

 

 両隣に護衛を立たせたアルダープは、不信感を前面に押し出しながらあなたに尋ねた。

 改めて言うまでもないが、紅魔族はアクシズ教徒と並ぶ変人集団として有名である。

 確かにゆんゆんは紅魔族だが、あなたの助手である。そういう名目で同行させており、演奏させる気も貴族の集会に出す気もない。

 本音を言ってしまうと、スケジュールの都合上ゆんゆんの王都入りは明日からでも良かったのだが、これもまた社会見学の一環だ。

 

 そんなゆんゆんは、貴族を前にガチガチに緊張していた。

 友人であるめぐみんは貴族や王族が相手だろうと全く臆していなかったどころか、危うく喧嘩を売りそうになっていたのだが。

 

「…………ふむ」

 

 気弱な小娘にしか見えないこいつも頭がおかしいのか、と勘ぐるアルダープの鋭い視線を受け、ビクリと震えるゆんゆん。

 同時に、幼げな雰囲気と年齢に見合わぬ豊満さを持つバストがたゆんと揺れた。

 

「……ほう、ほうほう!」

「アルダープ様、お気をつけください。彼女はアクセルで噂の……彼より頭がおかしいと評判……」

「……!? 毎日毎日……爆裂……危険な……関係者……」

 

 護衛に何かを囁かれ、好色に染まりかけた領主の顔色が変わる。

 

「…………?」

「ウォッホン! あい分かった! そういう事情であれば、会場の空き室で待つくらいは許してやろう!」

 

 ゆんゆんから目を逸らしながら、やけに焦った様子のアルダープは口早にまくしたてるのだった。

 

 

 

 

 

 

 今日のあなたの仕事現場(演奏会場)は、アルダープの別荘ではなく、彼とはまた別の貴族の屋敷である。

 礼服に袖を通すのは昨日に続いて二日連続だ。

 

 控え室で待機しておくことになったゆんゆんに見送られ、あなたが使いの者に呼ばれてパーティー会場に通されたのは、まさに宴もたけなわといった頃。

 豪華絢爛な装飾が施された大広間で開かれているパーティーの会場には、少数の給仕の者を除けば着飾った貴族しかいない。

 演奏会が大衆の娯楽の一つとして非常に盛んであるがゆえか、セレブパーティーでも貴族以外の有力者が集まるノースティリスでは中々見られない光景だ。

 

 この異世界における貴族の地位は、ノースティリスのそれと比較すると非常に高い。

 戦時の、それも何度も敵に攻め込まれている王都でこうしてのんきにパーティーを開ける程度には高い。

 

 命の価値がペラッペラなあちらは、この世界ほど権力そのものが持っている力が強くない、という理由もあるのだろうが、それにしたって結構な余裕っぷりである。

 そういう意味では、乞食も平民も貴族も関係ねえとばかりに平等にミンチにされるあちらの貴族の地位が低すぎるとも言える。

 

 

 ――ねえ、知ってる? 貴族ってブルーブラッドっていって、青い血の持ち主らしいわよ。

 

 ――マジか。ちょうどあそこにいるから確認してみよう。……こんにちは、死ね!

 

 ――あれ? 普通に赤いわね。

 

 ――こいつは本物の貴族じゃなかったのかもな。次の貴族を探そう。

 

 

 ノースティリスではこんな具合である。

 貴くもなんともない扱いだ。

 

 しかし悲しいかな、いくら王族や貴族が権力や財力を振りかざそうとも、それだけでは嵐の如き圧倒的な暴力には抵抗できないのである。

 権力や財力が暴力に抗うには、自分も権力、財力を使って暴力を用意する必要がある。

 

 

 ――ほう、あれが噂の頭のおかしいエレメンタルナイトですか。

 

 ――なんだ、どんなバケモノが出てくるかと思えば存外普通の男ではないか。

 

 ――やれやれ、成り上がりのアルダープらしい無粋な手駒ですこと。

 

 ――演奏? 冒険者風情が? 少しは無聊を慰めてもらえるのかしら。

 

 ――あわわわわ……まさか本当に彼だなんて……昨日の今日なのに……というか三日連続で会うとかどうなってるんですか……!?

 

 

 アルダープが既に紹介と仕込みを終えていたのか、会場中の貴族達から表面上はにこやかに、しかし仄かに値踏み、嘲りといった感情が込められた視線があなたに集中する。

 冒険者は身の程を弁えて楽器ではなく剣でも握っていればいいものを。そんな声無き声まで聞こえてきそうだ。

 久しく味わっていなかったそれは決して気分がいいものではなかったが、同時に駆け出し時代を思い出して懐かしさを覚えることも事実だ。

 

 雇用主に視線を送れば、腕組みをしたままのアルダープがあなたを見つめている。

 失敗は許さない。鋭い目つきの彼は声に出さずとも、表情でそう語っていた。

 仮にこれが大貴族にして王族の信頼も厚いダクネスの肝入りであれば、いくら貴方が冒険者とはいえ、この悪い意味で貴族的な周囲の視線の質も幾らか好意的なものになっていただろう。

 それを思えば、関係者というだけでここまで露骨に侮られるアルダープは、あまり貴族連中に好かれていないのかもしれない。それは自身と同じ悪徳貴族にさえ。

 あなたはなんとなくそう感じた。だからこその野心なのだろうか。

 

 針のむしろにも似た、雇用主の周囲の環境と本人への考察はさておき、

 

 廃人(あなた)の姿を認めても貴族達は誰一人として足早にパーティー会場を立ち去ろうとしないし、有り金を巻き上げられた後に気まぐれでジェノサイドパーティーが起きるかもしれないと震えたりもしない。

 一方で酒を飲んだ聴衆がゲロを吐いて餓死したり、そこら中で喧嘩が起きていない辺り、実に穏やかなパーティーである。

 

 アルダープの話では、このパーティーには地位の低い貴族はあまり出席していないらしい。

 それでなくとも会場にいるのは貴族ばかり、つまり高給取りに定評のある職業だ。

 あなたからしてみれば絶好の狩場である。おひねりを巻き上げる的な意味で。

 

 

 

 さて、演奏について語るべきものは特に無い。

 先日は女神アクアの芸の引き立て役に徹するべく、影のように出張らず控えめに振舞った。

 しかし本来の廃人(あなた)達や廃人が鍛え上げたペットの演奏は神々でさえも満足しておひねりを投げるだろうと、女神アクアだけではなく、他ならぬあなたが信仰する癒しの女神からも太鼓判を押されている。

 見る者が見れば病的とも評する、弛まぬ鍛錬の果てに至った技術は決してあなたを裏切ることはない。

 あなたはいつも通りに演奏を行い、貴族の集会といえどあなたに野次を飛ばしつつ投石するような耳の肥えた聴衆は一人もいなかった。それだけの話だ。

 

 結果、いつも通りにあなたの演奏は大成功を収めた。おひねりも例によってがっぽがっぽである。

 冒険者の演奏に何を思ったのか、呆然とした表情で演奏の余韻に浸る貴族達の意思無き眼差しを感じながらも、あなたは特に優越感に浸ることもなく、流れ作業のように鼻歌交じりにおひねりを回収していく。

 

「――なっ!? あ、アルダープ殿! これはどういうことだ!?」

 

 あらかた金品を拾い終わったタイミングで、いち早く何が起きたのか気付いたのか、泡を食った様子の貴族の男がアルダープに詰め寄った。

 おひねりに関しては本人も依頼を発注する際に同じ目に遭っていたし、あなたと事前に話し合いをしていたということもあってか、こうなることは予想できていたのだろう。その証拠にアルダープはニヤニヤと嫌らしく笑っている。

 なお、彼も周囲の貴族と同様にあなたにおひねりを投げているが、彼が身につけていた装飾品は後ほど返却する旨が契約として記されている。おひねりに関しても全額とは言わずとも持っていこうとする辺り、がめついケチ領主の面目躍如といったところか。

 

「いやはや、どういうことと申されましても。卿が何を仰りたいのか、私には何が何やら。傍目から見ても実に見事な演奏でしたが、何か御不満でも?」

「演奏ではない! 私達の金品……いや、装飾品すら手元から消えていることだ!」

「これは異な事を。演奏を始める前に本人が言っていたではないですか。演奏がお気に召しましたらどうかおひねりを、と。私も彼も誓って何一つとして強要はしておりませんぞ」

「だが、気が付いたら身に着けていたものが軒並み無くなっていたんだぞ! 明らかにおかしいだろうが!」

 

 話にならない、とアルダープは大仰に肩を大きく竦めた。

 的確に相手を苛立たせる仕草がやけに堂に入っている。

 

「あまりの演奏に感激してつい投げてしまったのでは? それともなんですか、卿は彼の見事な演奏がお気に召さなかったと? まるで子供のように興奮しながら拍手を送り、あまつさえ自分からおひねりを投げておきながら? ……まあ、精神誘導系のスキルを受けたのではないかとお疑いであれば、演奏に使われていた楽器や彼を存分にお調べになってはどうですかな? 私は止めませんので。どうぞ御随意に」

 

 自信満々のアルダープの様子に若干面食らった様子の貴族だったが、その後、やはり怪しいとのことで楽器とあなたの検査が行われた。

 しかし結果はどちらも完全にシロ。嘘発見器の魔道具まで使っておきながら、である。

 あなたの使った楽器はアルダープが用意したごく普通のヴァイオリンであり、あなたの演奏は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()でしかないのだから、どれだけ調べても何も出てこないのは当たり前である。

 

 無事に解放されたあなただが、今度は何人かの貴族からおひねりの返却を遠まわしに要求されることとなる。

 しかしここであなたの雇用主であるアルダープが待ったをかけた。

 

 

 ――ええええええええええ!!!? もしかしておひねりを返してもらいたいの!? 自分で渡したおひねりを!? 誇り高く歴史ある貴族ともあろうものが、平民の冒険者にみっともなく頭を下げて!? やだっ、恥ずかしい! 人の事を散々成り上がりだの貴族の恥晒しだのと言っておきながら、その上ただの上手な演奏を洗脳系スキルと勘違いしておきながら、おひねりを返せ? それでも本当に貴族なの? 高貴な青い血の持ち主が冒険者相手に物乞いみたいな真似して、生きてて恥ずかしくない? プライドってものは無いの? 自分なら舌を噛み切って死んじゃうレベルのみっともなさなんだけど。あんな素晴らしい演奏を聴けたんだから、むしろおひねりくらい喜んで支払うのが人としての常識というものでは? ……まあでも、そこまで言うなら仕方ないかな。おい、可哀想だから彼らのおひねりを返してあげなさい。必死すぎて見てて可哀想になってきた。おいちゃん涙が出てきたよ。アースッゴイカワイソ。ぷーくすくす。

 

 

 自分が連れてきた冒険者が見事に仕事を完遂し、周囲の貴族の度肝を抜いたことで気を良くしたのか、ご機嫌な様子でニヤケ面を浮かべたアルダープの極めて婉曲的で陰湿でネチネチとした嫌味を分かりやすく翻訳するとこうなる。

 全力で喧嘩を売りに行っているとしか思えないし、どう考えても以前あなたからおひねりを取り返した男が言っていい言葉ではない。

 当然のように貴族のヘイトはアルダープに集中したが、彼からしてみれば決してあなたを庇ったわけではなく、むしろ嫌いな相手を扱き下ろすチャンスを得たので嬉々として煽りに行ったのだ。

 実にイイ性格をしている。実はノースティリスかニホン出身だったりするのだろうか。

 

 しかしこのような彼の援護もあってそれ以上面倒な事態にはならなかったし、おひねりを手放すような事態にはならなかった。

 貴族とはとかくプライドが高いもの。あそこまで言われてしまっては、一度手放した金品を受け取ろうにも受け取れなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 一仕事終えて控え室に戻ったあなたは、共に夕食を堪能しながらゆんゆんに先ほどまでの話を語って聞かせていた。

 流石に王都の貴族が集うパーティーで出た食事だけあって、料理も酒も一級品だ。

 とはいっても先日の会食で食べた料理やウィズがあなたの為に丹精込めて作った手料理と比べるとどうしても劣ってしまうわけだが、それは言っても詮無い話だろう。

 

「私も一度聞いただけですけど、本当に凄い演奏でしたもんね。私も凄く聞いてて感動しましたし……けど、どうやったらそんなに多彩なスキルを修得できるんですか? 習得もそうですけど、ポイントとか大変だと思うんですけど」

 

 冒険者カードに記載されていないだけで、あなたが各種スキルを習得しているとゆんゆんは勘違いしていた。

 あなたは料理スキルや演奏スキルを習得しているので全くの勘違いというわけではないのだが、同じスキルという言葉で一纏めにしても、イルヴァとこの世界のそれは微妙に違う。

 

 レベルを上げてスキルポイントを貯めて各種スキルを覚える。

 彼女はそういう法則の下で生まれ育った人間なので、他の世界でも同様だと思っているのだろう。かくいうあなたも度々世界間の差異に驚かされている身なので彼女の勘違いを笑ったりはしない。

 

 スキルに関してだが、これは料理を例に挙げれば分かりやすいだろうか。

 例えばゆんゆんやウィズは料理上手だが、この世界の料理スキルを持っているわけではない。

 しかし仮に二人がノースティリスに行った場合、二人は料理スキルを習得していると見なされるだろう。

 この世界におけるスキルとは神々の定めた法則(ルール)の下に習得するものであるとは以前にも挙げた話だが、あなたの習得しているスキルとは、この世界ではスキルすらと呼ばれない、ただの知識と技術の集大成なのだ。少なくともあなたはそう認識している。

 

 ただの技術であるがゆえに、ウィズが錬金術スキルを習得して回復ポーションを作成しているように、ゆんゆんも努力すればあれくらいの演奏はできるようになる。

 この世界での演奏スキル習得に必要な、職業適性やスキルポイントといった特別なものは一切必要ない。

 

「本当ですか!?」

 

 私にもあんな素敵な演奏が、と目を輝かせるゆんゆん。

 

 まあ廃人の演奏に追いつくためには、日頃から自身の努力を怠らないのは勿論、更にその上からスキルポイントを使って演奏の技術をブーストしている、この世界の演奏家の比ではない努力量が必要になるわけだが。

 努力である。ただひたすらに努力あるのみである。

 雨の日も風の日も雪の日も、朝から晩まで一日中己の技術を年単位で磨き続けるだけの簡単なお仕事だ。

 

「今でさえ結構いっぱいいっぱいなのに、今の私にそんな余裕ありません……」

 

 あなたが語ったのはあくまでも神々がおひねりを投げる程度の腕前になりたいなら、の話である。

 本人の飲み込みの早さ次第だが、人並みの演奏技術を手に入れるだけならそこまで苦労はしない筈だ。

 学習書無しでも、演奏のような知識よりも経験と感覚がモノをいう実技系のスキルであれば、剣技や体術、冒険者としてのノウハウを伝えられるのと同じように、他者に覚えさせることができるのではないかとあなたは考えていた。

 冒険者活動や修行の気分転換になるだろうし、新たに家を買うのだから宿と違って迷惑にはなりにくい。考えてみてもいいのではないだろうか。

 

「うーん……ちょっと考えておきます」

 

 恐らく()()()()()()を強調すればよかったのだろうが、あなたはあえて口にしなかった。

 友人との合奏など、ゆんゆんが即堕ちエヘ顔ダブルピース不可避だからである。

 ちなみにエヘ顔ダブルピースとはいっても、女神随一のプロポーションを誇る(癒しの女神がコンプレックスを抱いている)、幸運の女神エヘカトルのダブルピースではない。うみみゃあ!!

 

 

 

 

 

 

 あなたとゆんゆんが翌日以降の予定を話し合っていると、予想外の人物が控え室にやってきた。

 

「こんばんは。少しお時間をよろしいでしょうか」

 

 氷の魔女ことあなたの同居人の大ファンにして王女の護衛であるレインである。

 

 先日は地味な黒のローブを着ていたレインだが、今の彼女が身に纏っているのは赤を基調としたドレス。

 給仕の格好をするでもなくこの場にいるということは、王女の護衛である彼女もやはり貴族であり、パーティーに出席していたのだろうか。会場にいた時は気付かなかったが。

 

「はい。お恥ずかしながら、この国の貴族の末席を汚させてもらっています。シンフォニア家……クレアの実家と比べると本当に小さな家なんですけど」

 

 あなたはこの国の貴族について非常に疎いが、レインは第一王女のお付きをやっているくらいだ。アークウィザードでありテレポートを使える彼女は、才能に胡坐をかくことなく努力を積み重ねてきたのだろう。

 しかし王女の護衛は大丈夫なのだろうか。カズマ少年を拉致した王女は、あなたが存在に気付かなかっただけのレインと違い、いた場合は確実にアルダープがあなたに何か言っていただろうと思われる。

 つまり王女はパーティーに出席していない。

 

「あまりよくはないのですが、今日は実家の都合でどうしても夜会に出る必要がありまして……」

 

 本人としては非常に不本意なのか、物憂げに溜息を吐くレイン。

 ウチって貧乏で弱小なんですよ……という呟きはアクセルであなたの帰りを待つ誰かを彷彿とさせる。

 異世界といえども、貴族という生き物は様々なしがらみに囚われているというのは変わらないようだ。

 

 さておき、どうやら彼女はあなたに用事があるらしい。心当たりは幾つかある。

 あなたが問いかけると、レインは佇まいを正して頭を下げた。

 謝罪の内容は、やはりというべきか、理由として最も考えられるものだった。

 

「昨日はあのような場だったので最後まで言えずじまいでしたが、一昨日は大変なご無礼を……」

 

 恐縮するレインに、あなたは異名を含めて色々言われるのは慣れているし別に気にしていない、そもそもの原因は自分にあると意図的に軽く応えた。

 実際問題、あなたがレインに名乗っていればこうはならなかっただろうし、彼女の口から出てきたあなたの噂話は謂れの無い誹謗中傷ではなかった。

 ただ、日頃から大人しく過ごしているという自負のあるあなたからしてみれば、その程度で頭がおかしい呼ばわりされるのはおかしいと言いたくなる内容ではあったが。

 

「ありがとうございます。……ところでそちらの方は? 夜会では見かけませんでしたが」

 

 水を向けられたゆんゆんは、やや逡巡した後、こほんと小さく咳払いしつつ立ち上がり、自己紹介を始めた。

 

「我が名はゆんゆん! アークウィザードにして上級魔法を操る者! アクセル随一のアークウィザードとエレメンタルナイトから手ほどきを受けし者! やがては師の特別な存在となる者!」

「…………」

 

 ゆんゆんは恥ずかしそうな顔のまま決めポーズで硬直し、レインは目を丸くして口を閉ざした。

 沈黙。圧倒的沈黙である。

 とても気まずくて空気が重い。

 とんだ大事故だ。時間を巻き戻す魔道具が欲しいと、あなたは数時間前に考えた事を切実に思った。

 

「……あの?」

 

 レインがその整った眉をハの字に曲げてあなたを見やった。

 キョウヤの時といい、これが紅魔族の自己紹介への通常の反応なのだろう。

 めぐみんといいゆんゆん以外の紅魔族といい、この世界の常識に疎い部分のあるあなたが同じような口上で返答した際に彼らが喜ぶわけである。

 

「すみませんすみません、お願いですから引かないでください! この名乗りは私達紅魔族の掟というかお約束なんです……!」

「あ、ああ、紅魔族の方でしたか。すみません、からかわれているのかと思ってしまいました」

 

 納得したとばかりに苦笑するレインは、ゆんゆんを割とマトモな紅魔族と見なしたようだ。

 確かに紅魔族の中でも比較的とっつきやすい部類に入るゆんゆんであれば、苦労人な雰囲気を纏っているレインも接しやすいだろうと考えたところで、あなたは考えを改めた。

 善人なのはともかく、筋金入りのぼっち気質でゲロ甘でチョロQで妙な部分で押しが強く、激発すると後先考えずに行動するゆんゆんは本当にとっつきやすいのだろうか。

 身内贔屓抜きで考えてみると、かなり微妙なところだ。

 めんどくさいという意味では、爆裂狂で喧嘩っぱやいめぐみんとそれほど差は無い気もする。

 

「まさかとは思いますが、仲間の方ですか? あなたに仲間がいるという話は初めて聞きましたが」

 

 ゆんゆんはあなたの弟子である以前に友人なわけだが、アルダープといいレインといい、傍らに人を連れているだけでこの反応である。

 どうにも、あなたは一人でいることが当然だと思われている節がある。どれだけ寂しい人間だと思われているのだろう。

 ゆんゆんはゆんゆんで、私達って友達っていうだけじゃなくてぼっち仲間なんですね! お揃いですね! とばかりに嬉しそうにあなたを見やってくる始末。

 互いが日頃ソロで活動している冒険者だとはいえ、共通点を見出して喜ぶのならせめてもう少し別のものにしてくれないだろうか。

 

「アクセル随一のエレメンタルナイトとアークウィザードから手ほどきを……ああ、なるほど。アークウィザードの方はこの場には来ていないのですか?」

「あ、はい。冒険者を引退していて、日頃はお店をやっている方なので。ウィズさんっていうんですけど」

「…………ウィズ、さん?」

 

 レインがピクリ、と反応した。

 あなたとしては、ああ、言っちゃったか、という気分である。

 ウィズと同居しているとレインに知られると家に押しかけてきそうだったので、一昨日はあえて黙っていたのだが。

 

 しかしぽわぽわりっちぃが元冒険者で凄腕の魔法使いだというのは、アクセルでは有名な話だ。

 少し調べればすぐにウィズ魔法店に行き当たるだろう。

 なのであなたもそこまで必死に隠していたわけではない。

 

 そんなわけで、あなたは苦笑しつつも補足説明を行う。

 お察しの通り、ゆんゆんは氷の魔女の愛弟子である、と。

 

「本当なんですか!? 氷の魔女さんの!?」

 

 案の定、盛大に食いつくレイン。

 大ファンと公言する英雄の愛弟子である。反応しないわけがない。

 

「すみません、氷の魔女って誰のことですか? ……え? ウィズさんの現役時代の異名?」

 

 なんか紅魔族みたい……という小さな呟きは大興奮するレインの大声に掻き消された。

 

「ゆんゆんさん、初対面にも関わらず不躾なお願いで大変恐縮なのですが、どうかサインをいただけないでしょうか!!」

「さ、サイン!? 私の!?」

「氷の魔女さんのです!」

「ですよね!!」

 

 

 

 

 

 

「……ウィズさんって有名人だったんですね。私も話には聞いていたんですけど、まさかあんなに大ファンの人がいるほどの人だなんて思ってませんでした」

 

 夜の王都の街並みを眺めながら散歩していると、あなたの隣でゆんゆんが感慨深そうに呟いた。

 強さだけなら嫌というほど知っているものの、身近すぎてかえって凄さが分かりにくかったのだろう。

 

 ウィズはあまり自分から現役時代の話をしないので、嬉々として氷の魔女の話をするレインにゆんゆんは驚かされっぱなしだった。

 結局サイン色紙は本人の意思を確認してから、となったわけだが、ウィズを説得するのは愛弟子であるゆんゆんのお仕事だ。どうか頑張ってほしい。

 ちなみにあなたはウィズのパンツを持っているのでサインは必要ない。

 

「…………」

 

 そうしてしばらくウィズの話をしていると、ふと、ゆんゆんが難しい顔で黙り込んだ。

 

「……いえ、その。ちょっと、考えてはいけない事を考えてしまって」

 

 真面目な話だろうか。自分はウィズの弟子に相応しくない、といったような。

 少し心配したあなただったが、ゆんゆんは首を横に振った。

 

「その、ですね。……レインさん、小さな子供の頃からウィズさんの大ファンだったって言ってましたけど、レインさんの外見年齢って、ちょうどウィズさんと同じくらいだったじゃないですか。しかもウィズさんはレインさんが子供だった頃に冒険者を引退したって……逆算すると、ウィズさんの実年齢って最低でも……」

 

 それ以上いけない。

 一瞬で真顔になったあなたは、愛弟子の色々な意味で危険な考察にストップをかけた。



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第87話 101匹姫騎士大行進

 瑞々しい空気が肺を潤す王都の朝。

 あなたとゆんゆんは朝一で王都の冒険者ギルドにやってきていた。

 

「ここが王都のギルド……ウィズさんにちょっとだけ聞いてましたけど、アクセルとは全然違うんですね」

 

 眼前の白い石造りの建物を見上げ、感慨深げな声を出すゆんゆん。

 周囲の建築物と比較しても一際大きく、王城ほどではないにしろ、遠くからでも一目で分かる程度には目立っている王都のギルドは、地下一階、地上三階の建築物だ。ちなみにアクセルのギルドは一階建て。

 

 地下一階は習得したスキルの確認や練習の為に使われている、トレーニング用の階層。

 そして一階はギルドの受付、二階は資料室、三階はギルド職員の仕事場となっている。アクセルのように酒場は併設されていない。

 特筆すべき点としては、建物全体に防御魔法がかけられており、特に地下に関しては高レベルの冒険者がドンパチやっても大丈夫な程度には頑丈だったりすることだろうか。あるいは核の直撃にも耐えられるのかもしれない。流石に建物の中で玩具を開放したり爆裂魔法を使った場合は倒壊するだろうが。

 

 さて、これから国中の腕自慢が集う王都の冒険者ギルドに足を踏み入れるわけだが、その前にあなたはゆんゆんに聞いておくべき事があった。

 ずばり、パーティーメンバーを王都で募集する気はあるのかを。

 あなたの問いかけに、ゆんゆんはとんでもないと首を横に振った。

 

「王都でお仕事をすることはあるかもしれませんけど、私はこれからもアクセルを拠点にして活動する予定ですし、何より王都の冒険者の人って高レベルの人ばっかりなんですよ? そんな中に私なんかが混じったら迷惑になっちゃうじゃないですか」

 

 ここまで自分に自信が無いというのも困りものだ。ともすれば嫌味と受け取られてもおかしくない。

 ゆんゆんは十四歳と非常に若く、更に養殖で廃上げしたせいで同レベル帯の冒険者と比較して実戦経験が浅い。

 だが実力は確かだ。廃人とリッチーの教えを現在進行形で受けており、レベルも40に届こうかというこの紅魔族のアークウィザードは人類の最前線でも埋もれない強さを持っている。

 気弱なのはマイナスだが、こればかりは時間をかけてなんとかしていくしかないだろう。あなたは人格破壊と人格改造は得意中の得意だが、人格改善は不得手なのだ。

 

「でも、どうしてそんな事を聞くんですか? 王都でパーティー募集だなんて」

 

 ある意味では当然なゆんゆんの疑問に、ゆんゆんの為だとあなたは答える。

 再三語ってきたが、あなたは王都ではあまりいい目で見られていない。控えめに言って犯罪者一歩手前、率直に言ってキチガイか化け物扱いだ。

 非常に遺憾ながら、それは地元(ノースティリス)で散々味わってきた非常に慣れたものではあるのだが、もしゆんゆんが自分の関係者だと知られれば、彼女が王都でパーティーメンバーを見つけるのに重大な支障を来たすのではないかと先日の件からあなたは予想していた。

 

「ああ……だからこんなにいいお天気なのにフードを被って覆面までしてたんですね」

 

 なんだかそうしていると盗賊とか暗殺者みたいですよ、という言葉は聞かなかったことにする。

 アルダープやレインですらゆんゆんの存在に……というか、あなたに同行者がいるという事に驚いていた。同業者たちがどう思うかなど推して知るべし。

 王都に変な正義感を持っためんどくさい冒険者が一人もいないとは断言できない。ノースティリスにもその手の輩はいた。

 最悪、頭のおかしいエレメンタルナイトがいたいけな紅魔族の少女を奴隷にしている、などといった頭痛がしそうな風評被害が発生しかねない。非常にめんどくさいことになる。あなたにとっても、ゆんゆんにとっても。

 

「そんなに!?」

 

 冒険者はまだ一人も殺していないあなたからしてみれば、このような不当な扱いには言いたい事も出てくるというものである。

 ノースティリスでは貧を超越して無乳で有名な爆弾魔のテロリストにヒトゴロシくんと呼ばれているあなただが、それはそれ、これはこれだ。

 

「えっと……私は何を言われても気にしませんから大丈夫ですよ。その、あなたはちょっと変わってても、本当は良い人だっていうのはちゃんと知ってますから」

 

 どこまでもあなたを信頼しきった、白百合を髣髴とさせる無垢な微笑みを受け、あなたはほんの少しだけなけなしの良心が痛んだ。

 まさかゆんゆんは廃人を聖人君子かなにかだと思っているのだろうか。流石にそれはかなり勘弁してもらいたいというのがあなたの本音である。変に勘違いされたままだと後が怖い。

 

「すみません。流石に聖人君子とまでは思ってないです」

 

 真顔でキッパリと言い切ったゆんゆんにあなたはほっと息をついた。

 しかし、このままアクセルでもパーティーメンバーが見つからなかったときはどうするのだろう。

 ゆんゆんのレベルはアクセル内で突出している。一人でもやっていけるように育てているつもりではあるのだが、ドラゴンを仲間にした後もソロでやっていく未来しか見えない。

 いっそのこと、開き直ってパーティーメンバーを見つけるのは諦め、ソロ専門で活動するというのはどうだろうか。どうせ今と大差は無い。

 

「絶対嫌ですよ!? 確かにそんな感じになっちゃってますけど!」

 

 冒険者デビューから一貫してソロで活動しているゆんゆんは、まだ仲間を見つけることを諦めていないようだ。

 将来に希望を持ったり夢を見るのは間違っていない。

 実際に叶えられるかは別として。

 

「あ、でも、あなたも一人で活動してるんですよね。ここは一人者同士、友達パーティーを組んでみるというのは……今だけじゃなくて、めぐみんとカズマさん達みたいに、本物のパーティーとして……これからはお向かいさんになることですし、引越しお祝いを兼ねて、とかそんな感じで」

 

 ちらちらと横目であなたを窺うゆんゆん。

 友人とパーティーを組むのは普通だと言ったが、カズマ少年達のように恒常的に組むとなると話は別である。

 一応とはいえあなたとゆんゆんは師弟関係であり、何よりあなたはアシストが必要な時はウィズに頼むと約束している。彼女との約束を違える気は無い。

 無論ゆんゆんと固定パーティーを組むのは吝かではないが、それはゆんゆんがウィズに準ずる(準廃人級)程度に強くなってからになるだろう。

 ベルディアのように、諸々の権利を放棄してまで廃人の仲間(ペット)になって死線を越えたいというのであればともかく、あなたと対等ではない今のゆんゆんがあなたの仲間(パーティー)になっても彼女の為にならない。本人もよく分かっている筈だ。

 こうしてパーティーを組んでいるのも、あくまでも修行の一環であり、社会見学の為だということを忘れてはいけない。

 エーテルの研究に行き詰った時に気分転換でゆんゆんを手伝っている女神ウォルバクのように、一時的にパーティーを組むのはむしろ望むところだが、めぐみんとカズマ少年達のような、互いが互いを支えあう、本当の意味での仲間は他の者を探すべきだ。

 

「そ、そんなに長々と私と組まない理由を解説してくれなくてもいいじゃないですか! しかも出来の悪い子を諭すような優しい口調で! せめてもっと簡潔に言ってくださいよ!?」

 

 (レベル)が足りない。

 

「力……力が欲しい……っ!」

 

 いっそ清清しいまでのあなたの塩対応に、ゆんゆんは血を吐くような重苦しい口調で台詞を発した。

 力が欲しければくれてやろう。

 三食おやつをハーブ漬けにするという味覚の退路を断った状態で下落転生(レベル下げ)を行い、爆裂魔法を含む全てのスキルを習得させ、そこから養殖でパワーレベリングをすれば子供でも強くなれる。

 いかんせん、闇落ちする未来しか見えないわけだが。

 

 

 

 

 

 

「たのもー……」

 

 掠れる様な小声と共に、おっかなびっくりギルドの扉を潜るゆんゆん。

 しかしすぐ後ろに立つあなたが辛うじて聞き取れる程度の声量では、朝一で静かだとはいえ、広いギルド内に響くはずも無い。

 既にやってきていた冒険者や職員の内、目ざとい何人かが扉を開けた少女と覆面の男になんとなしに目を向け、一風変わった組み合わせだといった表情を浮かべるも、すぐに興味を無くしたように視線を散らした。

 

 ゆんゆんもそうだが、それ以上に誰一人として自分に注目していない事に、あなたは自身の思惑が上手くいった事を悟る。

 頭のおかしいエレメンタルナイトがやってきてもギルド全体が水を打ったように静まり返ったりしないし、あなたを見てヒソヒソと囁きあったりしない。覆面作戦は大成功のようだ。

 

 ……そこまで考え、一転してあなたの気分は沈んだ。

 何が楽しくて自分はこの程度の事で喜ばねばならないのか。

 つくづく王都という地はあなたにとってアウェイなようだ。

 

「お仕事頑張りましょうね!」

 

 あなたの気落ちを察したのか、ゆんゆんが両手を握ってぐっとガッツポーズを決め、あなたを激励した。

 

 

 

 名誉と栄光、激しい戦い、そして一攫千金を求め、各地から海千山千の腕利き冒険者達が集う王都のギルド。

 魔王軍との戦いの最前線に位置するこの街に張り出されている討伐依頼は、難易度、報酬ともにアクセルのそれとは一線を画す。

 ジャイアントトードのような、狩ろうと思えばそれこそ一般人でも狩れるようなモンスターの討伐依頼など発注されるわけがない。

 

「これとかどうですか?」

 

 さて、そんな王都での初めての依頼。

 ゆんゆんが依頼は自分で選びたいと言ってきたので任せてみたのだが、彼女が持ってきたのは王都から隣国へ向かう隊商の護衛依頼だった。

 

「だ、駄目な感じですか?」

 

 あなたは覆面の下で軽く渋面を作る。

 魔王領と国境が接しているのが当国だけである以上、魔王領と国を一つしか挟んでいないといえ、そこは比較的安全な、いわゆる後方国家だ。

 最前線から離れた安全な後方国家への移動。

 国と国を繋ぐこの街道は、アルカンレティアから紅魔族の里までの道程と違って街道はしっかりと整備されており、騎士団も一際力を入れて仕事をしているので凶悪なモンスターや盗賊団など出る筈も無い。

 つまり却下である。

 彼女は何の為に自分と一緒に王都くんだりにまでやってきたと思っているのか。ゆんゆんには是が非でもこの人類の最前線で戦ってもらう。

 

 しかしその後もゆんゆんはレベル20程度の冒険者が対象の、かなりヌルい仕事しか持ってこなかったため、結局はあなたが自分で依頼を見繕う破目になった。

 精神面に不安を抱える今の彼女に初手からドラゴン退治に行けとは言わない。

 しかし仮にも師匠の真似事のような役割を担っている以上、多少は弟子の尻を蹴り上げるようなこともやらなければならないのだ。

 

 

 ――マンティコアの番いの討伐。推奨レベル:30以上。

 

 

 さて、掲示板に張り出された多種多様な依頼の中からあなたが選んだのがこれである。

 王都近郊に広がる大平原にある小さな洞窟。

 冒険者の緊急避難所として使われることもあるそこに、マンティコアが住み着いてしまったのだという。

 難易度、報酬。共に中々悪くない。

 

「うぇえええええ……マンティコアの討伐依頼ですか……それも番いの」

 

 あなたが受注した依頼の詳細を聞き、ゆんゆんは案の定怖気づいた様子を見せた。

 マンティコアとは合成魔獣(キメラ)の一種であり、蠍の尻尾と蝙蝠の羽を持った獅子のモンスターなのだが、肝心の頭部が人間のものという、生き物を適当に遺伝子複合機にぶち込んで合体事故を起こしたとしか思えない姿をしている。

 ベルディアの頭だけコクオーに乗せたらきっとこんな感じになるのかもしれない。

 

 同じように複数の生物をかけあわせたモンスターの代表格である上に、獅子の体という点まで一致しているグリフォンとはえらい違いだが、それでもマンティコアは獅子の強靭な体躯、蠍の毒、人の知能を併せ持ち、更には魔法まで使う強力なモンスターだ。

 一応蝙蝠の羽根を使って飛ぶこともできるのだが、非常にしんどいらしい。なので基本的に飛行は魔法で行う。

 総じて、グリフォンに比肩するレベルの強力なモンスターと言えるだろう。

 どうにもゆんゆんが気乗りしていないのは、以前グリフォンにいいようにあしらわれそうになった経験からきているのかもしれない。

 確かにこれはアクセルでは滅多に見ない高難易度の討伐依頼であり、本来であれば二人で受けるような依頼でもないが、初心者殺し程度なら状況次第で秒殺可能な今の彼女であれば不足は無い。

 推奨レベルも上回っている。

 

「そうでしょうか……でも、この推奨レベルってパーティーであることを前提に……最低でも四人である事を前提にしてるというか、暗黙の了解、みたいなところあるじゃないですか」

 

 もっと言うなら、同レベル帯の平均的な能力を持った前衛二名に後衛二名という、オーソドックスかつバランスのいいパーティー構成が前提になっている。

 これだけあれば余程の事が無い限りはおおむね問題なく(死人を出す事無く)依頼を達成できるだろうと、ギルド側が過去の事例から判断した数値が推奨レベルの正体だ。

 とはいえ、同じレベルでもパーティーの総戦力は各々の職業やスキル構成、装備によって大きく左右されることなど論ずるまでもない。

 よってこの数値をあまり鵜呑みにしすぎると痛い目を見るが、それでもある程度の参考にはなる。

 

 この討伐依頼については、少なくとも廃人(あなた)魔王軍幹部(ウィズ)を同時に一人で相手にするよりは簡単なお仕事だ。

 

「なるほど、そう言われてみれば確かに、ってどう考えても比較する対象がおかしいですよね!? そんなのと比べちゃったら、他のどんな討伐依頼だって簡単になるじゃないですかぁ! それこそ魔王軍と戦う方を選びますよ私は!」

 

 仮にも師匠を相手にそんなの呼ばわりとは随分と御挨拶だが、彼女の言いたい事も分からないではない。

 本来であればゆんゆんの言うように、このような討伐依頼ではなく、他の冒険者と自身の力量をダイレクトに比較できる上に有無を言わさずに戦わせることができる、という意味で王都防衛戦に参加できればそれがベストだったのだが、いつ魔王軍が攻めてくるか分からないのが困りものだ。

 来るなら今この瞬間にでも来てほしい。

 半泣きで切実な訴えをしてくるゆんゆんをあやしながら、あなたはそんな益体も無い事を考えた。

 

 

 

 

 

 

 依頼に行く前に王都の商店を少し見て回りたいとゆんゆんに乞われたので、適当に店を案内しながら物資を買い込んでいた途中、あなたは一つの店を発見した。

 依頼ともゆんゆんの買出しとも全く関係ないが、ちょっと覗いてみてもいいだろうか。

 

「私は大丈夫ですけど、何のお店ですか? ……え? ブロマイド屋さん?」

 

 そんな場所に何の用が、と不思議そうな表情を浮かべるゆんゆんを伴って店の扉を開ける。

 店内のあちこちにはあなたの知らない人物のブロマイドばかりが並んでいたが、少し目立つ場所に王女アイリスのものが張られていた。

 そこはかとなく無数の剥製が飾られた博物館を思い起こさせる場所である。

 売れ筋のブロマイドなどはあるのだろうか。

 壮年の店主に聞いてみると、彼は一枚のブロマイドを指差した。そこにはあなたもよく知る人物が。

 

「そうだな。売れ筋っつったら、アイリス様もそうだが、やっぱここ最近大活躍してる魔剣の勇者かね。若くてイケメンってこともあって、特にそっちの嬢ちゃんみたいな若い娘さんによく売れてるよ」

 

 写真の中のキョウヤはキリリとした精悍な顔つきをしており、店主の言うとおり、確かに非常に写真映えがいい。

 

「イケメン様様ってな。俺の見立てじゃ、隣の嬢ちゃんも中々人気出そうだぞ」

「そ、そうでしょうか? そんな事ないと思うんですけど……」

 

 赤い顔でそっぽを向いて髪を弄るゆんゆんにあなたは微笑ましい気持ちになった。

 

 それはそれとして、あなたはお目当ての品について聞いてみることにした。

 軽く見た感じでは見つからなかったが、この店では取り扱っていないのだろうか。

 

「氷の魔女のブロマイドを探してる? あの人をチョイスするとは、中々通なお客さんだな」

 

 ゆんゆんがああ、やっぱりウィズさんなんですね……とでも言いたげな瞳であなたを見つめた。

 

「でも悪いな。氷の魔女さんのブロマイドは何年も前に絶版になってて、こういう店じゃどこも取り扱ってないんだよ。権利者の申し立て、とかいうので販売停止になってな。当時ならともかく、今じゃ間違いなく結構なプレミアもんだぞ」

 

 店主からはこんな答えが返ってきた。まさかのプレミア扱いである。権利者とはやはりウィズのことなのだろうか。

 ウィズ本人から後生ですからと懇願されたからとはいえ、つくづくあの時バニルから貰ったブロマイドを処分してしまったのが悔やまれる。

 

「欲しいならウィズさんに直接頼めばいいのでは?」

 

 あなたと店主の話を聞いていたゆんゆんがひそひそと耳打ちしてきた。

 しかしあなたが欲しいのはあくまでも氷の魔女時代のウィズのブロマイドであって、ぽわぽわりっちぃのブロマイドではない。

 そもそもあなたは本人と同居していて毎日顔を合わせているのだから、わざわざ後者のブロマイドを入手する必要性は薄いのだ。

 今のウィズが当時の服を着てそれを写真に収める、というのも同じである。

 そもそも恥ずかしがりやの今のウィズがあんな露出度の高い衣服を着てくれる気がしない。どんなプレイだとベルディアに突っ込みをくらいそうだが。

 

 

 

 その後、ブロマイド屋から出てすぐ、ゆんゆんが意を決したようにこう言った。

 

「すみません。ちょっとここで待っててもらっていいですか?」

 

 彼女は再び店内に入っていった。欲しいブロマイドがあったようだ。

 すぐにガックリと肩を落として戻ってきたことから、残念ながら結果は芳しくなかったようだが、彼女は誰のブロマイドが欲しかったのだろうか。

 それとなく聞いてみたものの、ゆんゆんがそれを明らかにする事は終ぞ無かった。

 

 

 

 

 

 

 買い物を一通り終え、そろそろ王都を出ようかという所で、ふとゆんゆんが足を止めた。

 どうしたのだろうと声をかけてみると、怪しい人物を見つけたのだという。

 指示された方を見てみれば、確かに不審な人物がそこにいた。

 

「…………」

 

 フードと覆面で頭部を完全に覆い隠した男である。

 この天気のいい中で素顔を隠した人間というのはとても目立つ。

 私は怪しい者ですよ、と周囲に宣伝しているようなものだ。

 

「言葉が全部自分に返ってきちゃってませんか?」

 

 まったくもってごもっともだが、あなたの隣にはゆんゆんがいる。

 同行者がいれば多少は怪しさも薄れるだろう。

 

「あ、はい。私なんかがお役に立てて何よりです」

 

 言葉とは裏腹に、ゆんゆんは若干目が死んでいる。先ほどは何を言われても気にしないと言ったものの、ああして怪しさ満点の人物を見てしまい、同じような格好の覆面男(あなた)と行動を共にする自分が周囲からどんな目で見られているか考えてしまったようだ。

 しかしこれでもあなたが素顔を晒して行動するよりは目立っていない。

 

 覆面男が少女と二人行動。

 頭のおかしいエレメンタルナイトが少女と二人行動。

 これらを比較した際、圧倒的に後者の方が怪しまれるという確信があなたにはあった。悲しい話だ。世界は優しくなんてない。ガッデム。皆死ねばいいのに。呪われてあれ。

 

「……ん?」

 

 あなたが何食わぬ顔をしながら内心で世界に悪態を吐いていると、あなた達の話し声が聞こえたのか、話題になっていた覆面男はあなた達の方に目を向け、おや、と軽く目を見張った。

 どういうつもりなのか、そのままあなた達の方に近づいてくる。

 

「やあ、久しぶりだね。ゆんゆん、だったっけ。君も王都に? 隣の人は仲間かい?」

「えっ」

 

 見知らぬ男が突然親しげに話しかけてきた事で、露骨にうろたえるゆんゆん。

 聞き覚えのある声をしている気もするが、少し声がくぐもっていてよく分からない。

 さておき、彼の目的はナンパだろうか。顔を隠してナンパとは随分と素敵な感性を持っている。

 これで僕と一緒に星空の下で王城を爆破解体して燃える王都をバックに王侯貴族達の剥製でも集めませんか、といった具合の誘い文句が飛び出てくれば最早言う事は何も無い。一分の隙も無い完璧な不審人物だ。

 

「どちら様でしょうか……どこかで会った事ありますか?」

「へ? ……ああ、すまない。そういえば僕も顔を隠してたんだった」

 

 そう言って男は軽く素顔を晒す。

 不審者の正体は甘いマスクの魔剣の勇者だった。

 フィオとクレメアを連れていない辺り、二人はまだ隣国でレベルアップに勤しんでいるようだ。

 ついでなのであなたも素顔を晒して自身の正体と王都入りした理由を明かしておく。

 

「なるほど、そうでしたか。彼女の修行と社会見学に」

 

 キョウヤは王都で活動する冒険者だ。

 あなたの噂話や評判の悪さについては当然耳にしているものの、ベルディアやグラムのあれこれを通じて知らない間柄でもない。あなたが正体を隠していることについては理解があるようで、苦笑いを浮かべるだけで特に何も言わなかった。

 

「ところでどうしてミツルギさんは覆面を?」

「ああ、実はなんていうか……彼と一緒で、僕もちょっと今はあんまり目立ちたくないんだ」

 

 あなたとゆんゆんは何とも言えない表情で顔を見合わせた。

 散々っぱら活躍して目立ちまくっている彼が今更目立ちたくないとはこれいかに。

 魔剣使いのソードマスターといえば王都の人間にも大人気だというのに。彼は何が不満なのか。

 何より顔を隠していないと無駄に警戒される、いわば腫れ物扱いの頭のおかしいエレメンタルナイトと違って大人気だというのに。

 先ほど依頼を申し込んだときも、提示した冒険者カードで正体に気付いた職員の顔を盛大に青ざめさせた頭のおかしいエレメンタルナイトと違ってファンも大勢いるというのに。

 あなたは少しだけキョウヤに嫉妬するベルディアの気持ちが理解できた気がした。

 

「実は最近になって、街を出歩いているとアクシズ教徒の方が僕にやけに親しげに絡んでくるようになりまして……いえ、僕はアクア様に大変感謝していますしアクア様に見定められた使徒の一人として相応しい振る舞いを心がけていますが、アクシズ教に入信しているわけではないです」

 

 信仰する対象は同じだが、宗派が違う、ということだろうか。

 微妙にややこしいが、ノースティリスでは収穫の神(クミロミ神)の信者も日夜「女の子に決まってるよ」派と「こんな可愛い子が女の子のはずがない」派と「両性具有なクミロミきゅんprpr」派が骨肉の争いを繰り広げているのでそれと似たようなものだろう。

 宗教的派閥にも理解の深いあなたは、どこか疲れた笑みを浮かべるキョウヤがどんな目に遭ってきたのかは聞かないであげることにした。

 しかしエリス教徒でないにも関わらず、彼がアクシズ教徒に絡まれる理由とはいったい。本人に心当たりは無いのだろうか。

 

「そうですね……最近の王都防衛がグラムの復帰戦だったんですが、そこでのインタビューでアクア様を讃えた辺りから爆発的に増えたような気がします」

 

 何の事は無い。普通にキョウヤの自業自得だった。

 

 余談だが、キョウヤには女性の知り合いは多くいるのだが、同性の知り合いや話し相手はあなたとベルディアしかいない。

 そのせいか、彼はベルディアが同行していないと知ってやけに残念そうだった。

 キョウヤの名誉の為に記述しておくと、彼は普通に可愛い女の子が好きである。

 

 ただ少しだけ、そう、少しだけ。

 彼は、同性との事務的ではない普通の会話に餓えているだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 やけに名残惜しそうだったキョウヤと別れたあなた達は、王都の南東に広がる平原にやってきた。

 

「うう、緊張してきました……ところで、あなたはさっきから何を探してるんですか? 空に何か飛んでるんですか?」

 

 あなたはドラゴンを探していた。

 見かけたら撃ち落としてゆんゆんの経験値にしたかったのだが、残念ながらどこにもいない。

 

「……いたとしても勘付かれてるんじゃないんですかね。そういう考えを」

 

 一理あるとあなたは頷きながら無造作に空にライトニングボルトを放つ。

 ボトリと落ちてきたのは無惨な黒焦げ死体になったネギガモ。

 折角の経験値を台無しにしてしまった事をあなたが謝罪すると、ゆんゆんの目が死んだ。

 

 

 

 若干げっそりした様子のゆんゆんと共に草原を行くあなたは、やがてパーティーと思わしき六人の冒険者達と遭遇した。

 

「んあ……?」

「あらあら」

「懐かしい顔だな」

 

 大柄で、鼻に大きな傷を持つ、大剣を背負った男。

 目つきの鋭い、気が強そうな槍使いの女性。

 特徴が無いのが特徴といった感じの斧使いの男性。

 

 その他の弓使い、僧侶、魔法使いはともかく、上記の三人はあなたも見覚えのある顔ぶれだ。

 流石に名前までは覚えていないが、アクセルで活動していた名うての冒険者パーティーである。王都の防衛戦でも何度か顔を見た気がする。

 

「レックスさん、ソフィさん、テリーさん!」

「よう。久しぶりだな、お嬢ちゃん」

 

 顔色を取り戻したゆんゆんが前述の三人に駆ける。

 レックス。ソフィ。テリー。

 ゆんゆんがアクセルに襲来した悪魔と戦った時に知り合ったという冒険者達がそんな名前だった筈だ。

 こんな場所で再会を果たすとは、奇遇というほか無い。

 

「三人の知り合いか? 子供にしか見えんが」

「前に話したでしょ? 私達が王都に来る前に出会った紅魔族の女の子よ」

「ああ……例の爆裂魔法使いか」

「いや、そっちじゃない方」

 

 ほんの数秒だけ、レックス達以外の冒険者がゆんゆんを度し難い馬鹿か自殺志願者を見る目になった。

 この世界における爆裂魔法の普遍的な認識が窺える一幕である。

 頭のおかしい紅魔族のせいですっかり爆裂魔法が浸透してしまったアクセルではこうはいかない。

 最近では一日一回爆裂魔法の響きを聞かないと調子が出ない、などと中毒者のような事を言う人間すら出始めているくらいだ。

 

「上級魔法は覚えたの?」

「はい、お陰さまで」

「あっちの嬢ちゃんも一緒に王都に来てんのか? 俺らの勧誘を蹴った後アクセルに残ったから、今は何やってるか知らんけど」

「めぐみんはまだアクセルにいますよ。私はあの人と組んでて、これからマンティコアの討伐に行くところなんです」

「へえ、王都に来れるだけじゃなくて、もうマンティコアを討伐に行けるようなレベルになったのか。流石は紅魔族」

 

 ゆんゆんは一回りほど年齢差のあるレックス達と普通に会話できていた。

 こういってはいけないのだろうが、あなたにしてみればこれは驚嘆にすら値する。

 他の人間にも同じように応対できていれば、もっと知り合いが増えているだろうに。

 

「皆さんは依頼を終えた帰りですか?」

「ああ。俺らは亜竜(ワイバーン)を狩ってきたところだ。まあ楽勝だったけどな!」

「よく言うわよ。出会い頭のブレスで危うく焦げかけたくせに」

 

 

 

 予期せぬ再会に暫し楽しげに会話に興じていたゆんゆん達。

 そんな中、最初に()()に気付いたのはあなたと同じく空気と化していたレックスのパーティーの弓使いだった。

 

「…………ん?」

「どうした?」

「いや、あっちで土煙があがってる気が……」

 

 釣られて指差す方向を見てみれば、確かに地平線の向こうに小さな影が見える。

 それも一つや二つではない。十や二十でもきかないだろう。

 

「多いな」

「ああ……なんだあれ?」

 

 弓使いはハンディサイズの望遠鏡を覗いたかと思うと、一瞬で顔色を変えた。

 

「やべーぞ! 姫騎士だ!!!」

「姫騎士だと!?」

 

 突如齎された凶報。

 レックスのパーティーとゆんゆんに緊張感が高まっていく。

 

 ……少しして、目をこらすあなたにもソレの姿がはっきりと確認できた。

 

 

 ――ふっ、ふぐぐっー! フゴー!

 

 ――ハイヨー! ハイヨー!!

 

 

 四つんばいの状態であなた達に突っ込んでくるもの。それは轡を噛まされたドレス姿の少女達。

 馬を凌駕する速度で大地を駆ける少女には甲冑を着込んだ騎士が跨っており、少女の尻や脇腹に頻りに鞭を入れている。

 

 一見すると、というかどこからどう見ても赤ん坊のようにハイハイをしたいたいけな貴族の少女達に、重装備の騎士が跨ってダクネス垂涎のプレイに興じているようにしか見えないわけだが、姫騎士は上も下も正真正銘本物のモンスターである。決して人間ではない。

 衣服や甲冑に見える部位は普通に着脱可能かつその下は人間に酷似しているのだが、これは他の生物で言う皮膚や毛皮、甲殻に相当する。

 

 姫騎士という呼称から連想されがちな姫で騎士(プリンセスナイト)なのではなく、姫を駆る騎士(プリンセスライダー)

 

 姫騎士がモンスターであるのは、ノースティリスの関係者でないにも関わらず、四つん這いという無茶な体勢で高速移動している事からも明らかだ。

 冒険者カードにもしっかりと姫騎士枠が存在するし、殺すと衣服や肉体を残さずに消える。冬将軍や春一番のような精霊種なのだろう。

 

 姫と騎士は互いに独立して存在しているが、その在り方は人馬一体のケンタウロスに近い。

 しかも性質の悪いことに普通に強い。

 姫は四つんばいの状態でそこらの馬よりもずっと速く走るし、様々な魔法を使って騎士のサポートを行う。騎士も物理と魔法の両方に耐性を持ち、姫の支援魔法を受けて武器を豪快に振り回す。

 

 まさしく人騎一体を体現する姫騎士だが、彼ら、あるいは彼女らが戦場の花形である竜騎士の祖であるというのは一般常識レベルの知識だ。

 

 この世界で最初に竜と心を交わし、自身の職業に竜騎士という名を付け、今にまで続く竜騎士としての体系を作り上げた偉大な騎士、パンナ・コッタ。

 落ち零れだった新米騎士が怪我をしたドラゴン、プリン・ア・ラ・モードと出会い、絆を紡いでいく人と竜のサクセスストーリーは童話にもなっており、劇でも大人気だ。

 そうして友であるドラゴンと共に数々の偉業を成し遂げた彼だが、晩年に書き上げた自身の回顧録でこう綴っている。

 

 

 ――我が友、プリン・ア・ラ・モード(オス)が終ぞ姫騎士の下の部分みたいな可愛い女の子になって私の事をご主人様って呼んでくれなかった件については悔恨の極みである。嗚呼、願わくば、姫騎士みたいに可愛い女の子に跨って戦場を駆けてみたかった。

 

 

 騎士パンナ・コッタが敬虔なアクシズ教徒であり、姫騎士の愛好家(マニア)だったことはその筋では非常に有名な話である。

 そう、彼は姫に騎乗した騎士のモンスターである姫騎士にあやかって竜に騎乗した騎士を竜騎士と名付けたのだ。

 なるほど、非の打ち所の無い完璧な理論であり完璧な呼称である。強種族と強職業でお似合いだろう。

 風評被害も甚だしいと、竜騎士パンナ・コッタの没後に各国の竜騎士達が竜騎士の改名を求める署名を送りつけるという事件が起きたわけだが、イヤナコッタと却下された。

 

 まあ姫騎士の正体が()()()()()()()()のモンスターではなく、()()()()()()()()()のモンスターである可能性も多分にあるわけだが。

 人間の常識に当てはめれば言うまでもなく姫が主だが、馬車馬のようにこき使われている以上本当にそうだと言い切れるのか。しかし騎士が姫のプレイに付き合わされている可能性はなきにしもあらず。

 

 識者達が日夜研究を重ねているが、このモンスターは姫と騎士のどちらが主で従なのかは未だに明らかになっていない。

 どの道姫騎士が強力なモンスターである事には変わりない。

 

「速度もさることながら数が多い……逃げきれるか?」

「私達がテレポートを使えます。レックスさん達を入れてちょうど八人なのでそれで……」

「ちょっと待て、先頭に一騎、ヤバイのがいる!」

 

 遥か彼方から土煙をあげてこちらに突貫してくる見た目少女と騎士の集団、その先頭の、異様に目立つ煌びやかな一騎。

 外見年齢十台の少女達の中に、一人だけ三十台前半の女性が混じっていた。

 一際豪奢な鎧を身に纏った騎士に騎乗され、金色の王冠を被り純白のドレスを纏ったその女性は浮いていた。年齢や外見的な意味ではなく、物理的に1メートルほど地面から浮いている。轡は身に付けていないが、その代わりに全身を荒縄で縛られている。

 

「女王騎士……!!」

 

 弓使いが驚愕に彩られた声を発し、戦慄にも似た緊張が広がっていく。

 

 女王騎士。その名の通り、人間の女王のような外見をした何かに騎乗する騎士のモンスターであり、ゴブリンキングや大奥オークのような姫騎士の上位種だ。

 集団の先頭を飛んでいる事といい、群れを率いているのが女王騎士であることは疑いようもない。

 

 姫騎士は魔法しか使えないが、女王騎士は魔法を使うだけではなく、羽も生えていないのに竜のように空を舞うし、口から溶解液やブレスだって吐くし、目からビームだって出す。

 ブレスの種類は火炎、氷、毒、麻痺、石化と多岐に渡り、全てを完璧に防ぐのは難しい。

 ちなみにわざわざ言うまでも無いだろうが、ブレスを吐くのは下の女王だ。騎士ではない。

 

 繰り返すが、女王の外見は人間の女性である。

 溶解液やブレスを吐いて目からビームを出す様は立派なモンスターだが人間の姿をしている。

 

 騎士は騎士で身の丈の二倍ほどのバカでかい魔剣を振り回し、こちらも非常に厄介だ。ここにベルディアがいればコクオーと共に戦わせていたのだが。さぞ絵になったことだろう。

 

 そんなことを考えていると、騎士、あるいは女王とあなたの目が合った。

 瞬間、敵騎の敵意と戦意が膨れ上がり、騎士がその長大な魔剣を天に掲げる。

 それを皮切りに、先頭の女王騎士を中心として、一糸乱れぬ動きで鋒矢の陣形を作り上げていく無数の姫騎士達。

 どうやら相手はやる気らしい。そうでなくては。

 

「は、早く逃げましょう! あの時と違って今ならまだ皆で逃げられますから!」

 

 青い顔で切羽詰った表情を浮かべたゆんゆんは、神器を抜いて一歩前に出たあなたの手を取った。

 あの時、とはオークの時の事だろう。

 

 確かにあなたとゆんゆんがテレポートを使えばレックス達も逃げる事ができるが、それでもあなたはこの場に残るつもりだった。

 姫騎士達の進路の先には王都がある上に、そう距離も無い。相手の進軍速度を考慮すると、断じてここで引くわけにはいかない。

 他の有象無象はともかく、少なくとも女王騎士だけは確実にこの場で仕留める必要がある。

 

「っ……! どうしてあなたはそんなに無茶な事ばっかり……もっと自分を大切にしてくださいよ……!」

 

 問答をする気は無いとあなたはそっけなく答えた。そんな時間的余裕も無い。

 だが、あの数の騎兵を相手にゆんゆんにこの場に残れというのは些か酷だろう。

 レックス達と一緒に引くというのであれば、あなたはそれを止めるつもりは無かった。幸いレックス達は彼女と仲が良いようだし、少しの間であればゆんゆんを任せても大丈夫だろう。

 

「………………嫌です」

 

 俯いたままのゆんゆんは、喉の奥から搾り出すような声を発した。

 

「あ、あなたがどうしても引かないって言うなら、私もあなたと一緒に戦います!」

 

 赤い瞳を煌かせ、腰に下げたワンドとダガーを抜く紅魔族のアークウィザード。

 

「レックスさん! ここは私達が引き受けます! 時間を稼ぎますから、皆さんは一刻も早く王都に戻って皆にこの事を知らせてください!」

「死ぬ気か!? キャベツの収穫とはワケが違うんだぞ!」

「分かってます! 言われなくても私だってそんなの分かってます! でも私は、自分だけ逃げて()()()()()をするのは、もう……!」

 

 レックス達一行は神妙な面持ちで互いの顔を見やり、苦笑いを浮かべた。

 そして誰に言われるでもなく、各々の武器を構え始める。

 

「近頃は魔剣の勇者ばっかり目立たせすぎたからな。ここらで魔剣使いのレックスの名前を王都の連中に刻んでやる」

「最近はヌルい仕事ばっかりやってたもんね」

「俺、ちょっとこういうシチュエーションに憧れてたんだ」

「奇遇だな。実は俺も」

「ぱっと見だけど、数の差は10:1だろ? いけるいける」

「男ってほんと馬鹿よね。まあ私も嫌いじゃないけど」

 

 良いパーティーだと、あなたは素直にそう思った。

 引く事無く軽口を叩き合う彼らにどうして、と困惑するゆんゆんだが、ある程度経験を積んで強くなった冒険者など大抵こんなものである。

 大なり小なり酔狂な者でないとこんなヤクザな稼業はやっていけない。

 

「なあ、ところで話は変わるんだけどさ」

 

 魔法使いの男があなたを見ながら口を開いた。

 

「あいつ、もしかして頭のおかしいエレメンタルナイトじゃね? あの変わった形の大剣に滅茶苦茶見覚えがあるんだけど」

「えっ」

 

 あなたは小さく舌打ちした。勘のいい奴は嫌いである。

 だがバレたのであれば仕方ないとあなたはフードと覆面を脱いだ。

 

「げえっ!?」

 

 六人の驚愕の声が青空に響いた。

 

「やべーぞ! 頭のおかしいエレメンタルナイトだ!!!」

 

 似たような台詞をつい先ほど聞いた気がする。

 しかしその時より遥かに切羽詰っているのは何故なのか。

 

「道理で! 姫騎士から逃げないわけよね!」

「畜生! 選択肢を激しくミスったと言わざるを得ない!!」

「つーか馬鹿だろお前! パーティーメンバーはもう少し選べよ!!」

「だ、大丈夫ですよ。噂で言われてるような人じゃないですから」

「最近金銭トラブルで高レベル冒険者のパーティーを四つ再起不能一歩手前にしたって噂になってるキチガイだぞ!?」

「いえ、金銭トラブルというか、アレは税金を滞納するために……」

「普通に最低だなオイ!?」

 

 加速し続ける終わりの無い風評被害に辟易したあなたが一人姫騎士達に向かって歩を進めると、心持ち女王騎士が放つ圧が強くなった。

 

 いや、これは魔剣の圧、だろうか。

 四メートル近い刀身に魔力が収束し、夜の闇を束ねて作り上げたが如き漆黒の刀身が暗い輝きを放つ。

 光と闇の違いこそあれど、あなたから見た限りではアークウィザードが使うライト・オブ・セイバーに酷似している。あるいは属性付与(エンチャント)

 

 強く、深く、暗い力を発する魔剣にあなたは笑う。

 素晴らしいと内心で拍手を送りながら浮かべるその笑顔は、魔王軍幹部だった頃のベルディアと相対した時と全く同じもの。

 彼がおぞましいとすら表現した()()に塗れたもの。

 

 実の所、あなたはあらかじめ女王騎士の魔剣に鑑定の魔法を使っていた。

 騎士の持つ大剣の銘は、母なる夜の剣という。

 

 そう、神器である。

 どこで手に入れたのか、女王騎士は神器持ちだった。

 

 相手は神器を持っていて、なおかつこちらに襲い掛かってきている。見逃す理由がこれっぽっちもない。

 貴重な品を蒐集する。それこそがあなたの冒険者としてのモチベーションの一つであるが故に。

 

 神器持ちというだけあって、女王騎士から感じる圧は冬将軍ほどではないにしろ、中々に強いものだ。

 多数の姫騎士の存在もある。このまま王都まで攻め込まれた場合、王都の外で迎撃するにしても決して少なくない死人が出るのは想像に難くない。

 

 とはいえ、王都にはキョウヤを始め、高レベルの冒険者や騎士が数多く在籍している。

 あなたがここで引いても王都が陥落するような事にはならないだろう。

 しかしその場合、神器を回収できる保証は無い。

 だからこそ、今ここで絶対に女王騎士だけでも仕留める必要があった。

 

「来るぞ!」

 

 際限なく高まり続ける敵意と魔力の果てに、魔剣の刀身からどろりと溢れたのは、まるで泥のように粘性のある闇。

 今も彼方を走る騎士は、大剣を振り下ろし――。

 

 女王騎士は、あなた達に黒い津波を放った。

 少なくともあなたにはそうとしか形容できない現象が起きた。

 

「馬鹿馬鹿しすぎていっそ笑えてくるな、オイ」

 

 聞こえてきた呟き声は、果たして誰が発したものだったのか。

 黒色の波濤があなた達を飲み込まんと押し寄せてくる圧倒的な様は、まるで世界に夜の帳が下りてきているかのようで。

 ふと、あなたは隣に立つ少女は大丈夫だろうかと目を向ける。

 

「大丈夫です。いけます。ウィズさんに教わったあの魔法なら、きっと……」

 

 迫り来る脅威に表情をガチガチに強張らせながらも、取り乱す事だけはしない次期紅魔族族長。

 覚悟を決めたのか、あるいはやけっぱちになったのか。

 どちらにせよ、ゆんゆんは本当に追い込まれたと感じた時に恐慌に陥るのではなく、逆に肝が据わるタイプだったようだ。

 

 中途半端に追い詰めるとガンバリマスロボになってしまうが、次からは率先して死ぬかもしれない程度の窮地に叩き込んでもいいかもしれない。

 そんな事を思いながら、あなたはゆんゆんに少し下がっているように指示を出す。

 

 ゆんゆんにウィズから教わった大魔法を使わせるのもアリだが、ちょうどよく、あなたはおあつらえむきの品を持っている。

 相手からの挨拶代わりの一撃にはしっかりと返事を行うのが礼儀というものだろう。

 

 ずしん、と地面を揺らしたのは、先端に岩が突き刺さった名も無き聖剣。

 オークの血と臓物に染まった巨岩はドス黒く染まっていて中々に趣のある見栄えだ。

 血塗られた聖剣というのはいかにもそれっぽくて紅魔族が喜びそうである。岩付きだが。

 

 大岩が突き刺さった聖剣を構えたあなたを、ゆんゆんとレックス達がぎょっとした表情で見つめてくる。

 レックス達はどこからそんなものを、ゆんゆんはどうしてそんなものを、と言いたげだ。

 

「え、それ、どうするんですか?」

 

 勿論こうするのだとばかりに、あなたは聖剣を大きく振りかぶり……全力で投げた。

 

「!?」

 

 唸りをあげながら冗談のような速度で水平にかっとんでいく聖剣は、数秒の飛翔の後、吸い込まれるように黒い津波に直撃する。

 

 闇には光を。

 魔剣には聖剣を。

 

 そして、あなたが投擲した聖剣は。

 聖者が海を割るように。

 闇を真っ二つに切り裂いた。



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第88話 あなたって、本当に最低の屑だわ!

 見事に光の力で押し寄せる闇を切り開いた聖剣だが、都合よく敵を全滅させるまでには至らなかった。

 とはいえ鋒矢の陣形、その右翼に位置する箇所を聖剣が掠めた事により、巻き込む形でおよそ十数匹の姫騎士をその質量で押し潰す事に成功。

 あなたとしては今の一投で群れの要である女王騎士に痛打を与えておきたかったのだが、それでも戦果ゼロよりは遥かにマシだろうと一瞬で割り切った。

 

 ――メーザーアイ!!

 

 遠方で女王の目が輝いたかと思う間も無く、お返しとばかりに一直線にあなたに飛んできたのは二条の光。噂に名高い怪光線、通称“目からビーム”である。

 美女の目からビームが飛んでくるというのはノースティリスでも経験した事の無い異常事態であり、シュール極まりないと言わざるを得ない。

 異世界は未知と驚きと神秘に満ちている。

 

「!? 避けっ」

 

 軽く感動しながらあなたは光を切り払った。

 レーザーやレールガンと違って避けるのは容易いが、背後のゆんゆんに流れ弾が当たるかもしれないので念のためである。

 噂では鋼鉄をも容易く貫くとの話だったが、接敵まで数十秒という遠距離から適当にぶっぱなした低速の攻撃が当たる筈も無く。

 どうしようもなく速さが足りない。ついでに踏み込みも足りない。

 

「…………」

「大丈夫。貴女は何も悪くないし間違ってなんかいないわ」

「ソフィさん……」

 

 レックスのパーティーから物言いたげな視線が背中に突き刺さるが、口に出してくれなければ分からないのであなたは無視した。

 さておき、ビームを切り払う直前にゆんゆんが何かを言った気がする。どうしたのだろう。

 

「いえ、何でもありません。何もありませんでした」

 

 平坦な声を返してきたゆんゆんは無表情とは少し違う、凪いだ表情をしていた。

 悟りを開いて賢者にでもなったのだろうか。

 ちなみに賢者という職業は無い。勇者と同じく、あくまでも個人に付けられる称号だ。

 

 さておき、ここはゆんゆんの出番だろう。

 騎馬の対処はウィズが教えている。

 

「分かりました。……ボトムレス・スワンプ!」

 

 ゆんゆんの放った泥沼生成の魔法により、姫騎士達の進行方向に巨大な沼地が出現した。

 気をつけよう。(ドM)は急に止まれない。

 そんな具合に馬鹿正直に直進していた姫騎士は次々と泥沼に嵌っていく。騎兵の弱点が悪路なのは人も馬も変わらない。

 並の魔法使いの数倍の射程と規模の泥沼に、流石紅魔族のアークウィザード、と感嘆するレックス達。

 一方、泥に落ちた姫達は緊縛プレイに泥プレイが追加された事によって興奮の坩堝に陥っていた。

 羨ましそうにしながらも跳んだり仲間を踏みつけたりして沼地を越えた姫騎士は十匹。

 物理的に浮いている女王騎士は沼地の上で静止しており、集団から抜けた十匹の姫騎士はそのまま三つに散開して突っ込んでくる。

 

 片っ端からみねうちでぶちのめしてゆんゆんのレベルアップの糧にするだけなら何百匹いようと容易いことだが、馬以上の速度で迫り来る敵の全てを同時に相手取りながらゆんゆんに実戦経験を積ませるのは厳しいと考えていたあなただったが、女王騎士もいないし、十匹程度なら大丈夫だろうと判断を下した。

 友人に経験を積ませる為。後続の憂いを断つ為。そして何よりも神器を持っている女王騎士を逃がさない為。

 一時的にゆんゆんをレックス達に預け、あなたは一人、沼地を切り裂いて魔法を解除した女王騎士と残りの姫騎士達に向かって駆け出すのだった。

 

 

 

 

 

 

「……今だ、やれ!!」

「はいっ!!」

 

 上級魔法、カースド・ライトニング。

 ゆんゆんが放った黒い雷撃が、レックスに体勢を崩された姫騎士を打ち据えた。

 ウィズ直伝の破壊魔法を除けばゆんゆんが持つ攻撃手段の中で最も高い攻撃力を持つそれは、姫騎士の魔法耐性を突破してあまりある威力を持っている。

 断末魔の悲鳴を上げる事も無く、光の粒子となって消えていく姫と騎士。

 

「……ふうっ」

 

 敵騎の消滅を確認したゆんゆんは軽く息を吐いた。

 これで彼ら七人が討伐した姫騎士の数は十六。

 最初の十を倒した後に追加でやってきた六騎の相手をしていた彼らは、戦いの中で前衛が怪我を負ったが、治療は既に終えている。

 

「……ちっ。やりにくくてしょうがねえ」

「同感だわ。モンスターって分かってても、これはちょっとね」

 

 ヒトの姿をした、それも年端もいかない少女のモンスター。

 安楽少女のような良心をナイフで滅多刺しにしてくる相手よりマシとはいえ、悪魔やアンデッドとは勝手が違いすぎる。

 腕自慢とはいえ、いつもモンスターを相手にしてきたレックス達は対人戦に慣れていない。幼い少女に剣を向けた経験などあるわけがない。討伐帰り故の疲労も相まって自然と剣が鈍り、彼らは予想以上の苦戦を強いられた。

 

 そんな中、一人だけ万全の状態かつ安楽少女を抹殺した経験を持つゆんゆんはかなりの活躍をした。

 じっと自分の手の平を見つめるゆんゆん。

 レックス達と轡を並べた結果、彼女はようやくながら本当の意味で実感に至る。

 

 二人の師の言うように、確かに自分は強くなっている、と。

 

 誰もが認めるアクセルのツートップの教えは実を結んでいたのだ。

 レックス達の不調もあるだろうが、それでも彼女が足を引っ張る事は無かったのだから。

 

「どうした、ぼーっとして。大丈夫か?」

「あ、はい。大丈夫です」

 

 ……それは分かった。分かったのだが。

 強いて言えば焦燥に近い、得体の知れぬ感情に突き動かされながら、ゆんゆんは未だ激しい剣戟が鳴り止まぬ方角へ視線を向けた。

 彼は現在、聖剣という名の大岩ではなく、白銀の太刀を振るい、自分達が請け負ったそれとは比較にならない数の姫騎士と女王騎士を相手にたった一人で戦っている。

 

(……強い)

 

 一人、離れた場所で戦う()の姿を見ていると、ゆんゆんは自然とそんな言葉が浮かんできた。

 簡潔極まりない感想だが、他に言いようが無かった。

 その胸の内に灯った感情は、憧憬か、あるいは畏怖か。

 

 圧倒的数的不利を物ともせず、体はおろか服にすら掠り傷一つ付いていない。

 

 ゆんゆんとて何度も手合わせを行っている。彼が強いなんて事は重々承知していた。

 理解して尚、ああして実際に戦っている様を見ていると、

 

「……遠いなぁ」

 

 そう思わずにはいられないのだ。

 

「あれは比べちゃ駄目なやつだろ」

「現役最強の一角って言われるのも分かるわね」

 

 彼と、もう一人。

 異界の冒険者(頭のおかしいエレメンタルナイト)アンデッドの王(外付け良心兼破滅の引き金)

 ゆんゆんの知る中で最も強い二人の元で学び、経験を積んだ。レベルも上がった。

 しかし、もう一人の師もそうだが、レベルが40に届こうかという今も尚、どれだけ必死に手を伸ばそうとも影にすら届かないその壁は、優秀な紅魔族である彼女をしてあまりにも高く険しい。

 

 レックス達は気付いていないが、彼が本気を出せばとっくに戦闘は終わっているとゆんゆんは察していた。

 その証拠に、長年の付き合いであり、自身の相棒だと言っていた青い魔剣。

 常日頃から異空間に収納していて、岩聖剣と同じく、出そうと思えばいつでも取り出せるのだというそれを彼は使っていない。

 

 手を抜いているのはレックス達がいるからか、あるいは自分に経験を積ませるためか。

 ゆんゆんは後者だろうと踏んでいた。その為にこうして王都に来たのだから。

 自分達が倒した姫騎士も彼はあえて自分達に処理させた可能性が高い。

 その程度には余裕があるということだ。

 

 姫騎士を前に当初抱いていた、自分の心配など杞憂でしかなかった。

 一体どれほどの研鑽を積めばそこまで強くなる事ができるのか。

 

 ゆんゆんの一番の友人にしてライバルであるめぐみんは、アクセルのエースと呼ばれる彼を超えると公言して憚らない。

 ゆんゆんが彼らに並び立ちたいと思ったのは、己の無力さを歯痒く思ったのも勿論だが、そんなめぐみんの影響も全く無いわけではない。

 彼女は大切な親友(めぐみん)に置いていかれたくなかったのだ。

 

 そして、優しい友人達(二人の師)に追いつきたいと思った。

 彼らが立つ、天蓋の向こう側。

 今は遠いそこに辿り着いた時に見える光景とは、どんなものなのか。

 

 ただ、それが知りたかった。

 

 

 

 

 

 

「……しかしあれだな」

 

 戦いを終え、周囲を警戒しながら一息ついたレックスが声を発した。

 

「こうしてあいつが戦ってるのを見てると思うんだが」

「凄いわよね」

「悪い意味でな」

 

 ――くっ、殺しなさい!

 

 騎士を失い、轡が外れた姫が四つん這いの状態で大声で叫ぶ。

 

 ――(わたくし)は虜囚の辱めなど受けません! さあ、殺しなs

 

 言葉の途中で姫は頭蓋を踏み砕かれ、大きくビクンと痙攣し、そのまま消失した。

 下手人は言うまでもなく某エレメンタルナイト。

 お望みとあらば。そんな彼の声が聞こえてくるような、全く躊躇の無い致命的な一撃(クリティカルヒット)

 脳髄ぐじゃあ。

 そんな言葉がゆんゆんの脳裏に過ぎる。

 

「うわあ」

 

 師のあまりといえばあんまりな殺し方に思わずドン引きの声を漏らす友人兼弟子。

 彼の事は尊敬しているし、慕ってもいるが、それとこれとは話が別だ。

 自分と違って戦い方を選べる程度には力の差があるのだから、もう少しやりようというものがあるのではないだろうか。

 そう思っていると、別の騎士の心臓に相当する部分を、今度は貫手でぶち抜いた。鎧ごと。そのまま騎士はバラバラに引き裂かれた。

 

 ――さ、最低! あなたって本当に最低の屑だわ!

 

 レックスパーティーの六人がそうだな、そう思う、といった表情で頷いた。

 青い顔で怯えながら叫ぶ姫は、剣を突き刺されたかと思うと、あろうことか全身を膨張させて()()()()()()弾け飛ぶ。なんともおぞましい光景である。食事から時間が経っていて本当によかったとゆんゆんは思った。

 その後も様々な攻撃で蹂躙されていく姫騎士達。

 姫騎士蹂躙と書くと()()()()印象を受けるが、現実に起きているのは色気も何もあったものではない、ただの虐殺劇である。

 血の通わぬ体を持つ姫騎士は(ハラワタ)をぶちまけたりはしないが、それでも衝撃的極まりない凄惨な殺害方法は良い子も悪い子も決して真似をしてはいけない。

 

 凄まじいまでのやりたい放題っぷりは、オークを聖剣という名の大岩でミンチにしていた時と全くと言っていいほど変わりない。いや、弄んでいるという意味ではもっと酷い。

 きっと彼にとっては姫騎士もオークも同じなのだ。

 それが異邦人であるが故なのか、彼個人の気質なのかまでは分からないが、これまでの付き合いで、ゆんゆんは彼がそういう人間だとなんとなく察していた。

 というか、少女を惨殺する事に愉悦を覚える類の人間だとは思いたくなかった。

 

 相手を区別をしないと言えば聞こえがいいが、幾ら相手が分類上モンスターでも、少なくとも姫騎士の姫の部分は人の姿をした、それも外見年齢十代の少女である。

 それに対しての容赦の無い暴行、というか殺戮。

 血が出ないし倒せば消失する姫騎士だから良かったものの……いや、激しく手遅れ感が漂っていて全く良くはないのだが、それでもあれが人間だった場合はちょっと人様にお見せできない有様になっていたのは疑いようも無い。

 相手の外見に一切惑わされないその姿勢は、モンスター退治を生業とする冒険者の姿としては正しいのかもしれないが、人としては致命的に間違っている。

 王都で同業者達に敬遠されるのもむべなるかな。勇者適性値、圧巻のマイナス200は伊達ではなかった。

 

「強いといえばアホみたいに強いんだが、そういうの以前に、なんていうかこう……普通に絵面が最悪だよな。殺したと言えば俺達も殺したし、相手は人間じゃなくてモンスターではあるんだが」

「見た感じだと、どこまで痛めつけたら消える(死ぬ)のか確認しながら戦ってる感じが」

「完璧に遊んでるよね」

「四肢切断して放置したり、全体的にえげつない感じだわ」

「おい、今騎士の方じゃなくて姫を盾にしたぞ。悪魔かアイツは」

 

 なんであんなのと組んでるのかは聞かない(聞きたくない)けど、仲間は別の奴を探した方がいいのでは?

 一応は彼とパーティーを組んでいるゆんゆんに気遣って、直接言葉にはせずとも、親身になって離脱を促すレックス達。

 

(どうしよう。ちょっとフォローできない……)

 

 日頃の付き合いもあって、ゆんゆんは彼の事をいい人だと認識している。

 更に少なくとも犯罪者でないというのはレックス達も分かっているのだが、冷徹、無慈悲、残酷の三拍子が揃った戦いっぷりを見せ付ける彼を悪い人ではないと言っても、説得力が欠片も無い。

 少なくともゆんゆんは自分がレックス達の立場だったら到底信じられない自覚があった。

 めぐみんが今の自分の立場にいた場合、命に換えてでも彼とめぐみんを遠ざけようと試みていただろう。みねうちを食らう未来しか見えない。

 

(めぐみんお願い、私に道を示して……!)

 

 ――ゆんゆん、聞こえていますかゆんゆん。

 

 祈りが届いたのか、どこからともなくめぐみんの声が聞こえてきた。

 

 ――何事も暴力(爆裂魔法)で解決するのが一番ですよ。

 

 駄目だ。都合のいい幻聴の分際でまるで役に立たない。

 

 ――ゆんゆん!?

 

 やはり最後の最後に頼れるのは自分だけなのだ。

 一人ぼっちの少女はちょっぴり大人になった。

 

「大丈夫です。凄腕アークウィザードとして有名な魔法店の店主さんなウィズさんもいますから!」

「貧乏店主さん? あの人現役復帰したのか?」

「いえ、パーティーというわけではなくて、お店の片手間に魔法の先生という形でお世話になっているだけなんですけど、あの人はウィズさんととても仲が良いので」

 

 アクセルを発って久しいレックス達は、仲睦まじい二人の関係を知らない。

 ウィズと仲のいい自分にあまり無茶な真似をしたりさせたりする事は(多分)無いと、思いつく中で精一杯のフォローをするゆんゆん。彼女は自身の心の傷(ガンバリマスロボ化)に気付いていなかった。

 

「……本当に? アレを見ても大丈夫って言えるの?」

 

 顔を引き攣らせながらソフィが指差す先には、最後に残った女王騎士と数合打ち合った末にあっけなく首を刈り取り、魔剣の神器ゲットだぜ! と言わんばかりに少年のような笑みを浮かべ、女王の首級と長大な黒い魔剣を掲げるエレメンタルナイトの姿が。

 可愛い弟子のいじらしいフォローを全力でぶち壊しに行く師匠がそこにいた。

 なんという事をしてくれたのでしょう。消え行く女王の生首と目が合ったゆんゆんは泣きたくなった。

 

「…………」

 

 気まずい沈黙に誰もがどうしようと悩んでいると、話題の中心となっていた本人が戻ってきた。

 右手には先ほどぶん投げた大岩(聖剣付き)、左手には女王騎士の魔剣を持っている。

 今の今まで大暴れしてきたとは思えない、なんとも清清しい表情だ。

 

「よくあそこまで簡単に姫騎士(ヒトの形をしたモノ)をぶっ殺せるもんだな」

 

 負けん気が強く、自身の力にプライドを持っているレックスが、今まさに無双と呼ぶに相応しい戦いっぷりを繰り広げた男に皮肉を飛ばすと、新しく神器を手に入れて御満悦のエレメンタルナイトはこう言った。

 姫騎士の体の構造は人間と同じ。

 つまり急所も人間と同じだから、殺すのはとても簡単だった、と。

 

「お、おう……」

 

 あまりといえばあまりの返答に、その場の全員が彼の間合いから逃げるように後ずさった。

 無論、ゆんゆんも含めて。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで女王騎士と姫騎士の群れを狩り尽した結果、久しぶりにあなたのバグった冒険者カードに書かれたレベルとステータスの欄が変動した。

 少し前にオークを千匹近く駆逐していたので経験値が貯まっていたのだろう。

 これで蓋を開けたらレベルもステータスも下がっていたらお笑い種だが。

 

 相も変わらず読めない自身の冒険者カードを見つめながら、あなたは実に数ヶ月ぶりとなる、王都の場所へと向かう。

 現在あなたの隣にゆんゆんはいない。

 姫騎士との戦闘でだいぶ魔力を使い、精神的にも消耗した様子だったので、特に緊急を要する依頼でもないマンティコアの討伐は後日に持ち越しにし、既にアクセルに戻っている。

 

 

 

「あれ?」

 

 あなたが目的地に辿り着くのと殆ど同じタイミングでばったりと出くわしたのは、お菓子が入った紙袋を抱えた女神エリスだ。

 どうやら買い物に行っていたらしい。

 

「久しぶり、ってわけでもないかな。少し前に会ったもんね。でもどうしたの? お仕事の日は今日じゃなかった筈だけど」

 

 そう、あなたが訪れたのは女神エリスが宿泊している王都の宿屋である。

 

「もしかしてあたしに会いに来てくれたとか? まあ別に仕事の話をしに来ただけでもいいけどね。あ、お饅頭食べる? 美味しいよ?」

 

 どこか嬉しそうな顔で饅頭を差し出してくる女神エリス。

 みねうちとはいえ盛大にぶちのめされた挙句、信徒を盾にとって脅しをかけてきた人間に対するリアクションではない。

 そんなに暇を持て余していたのだろうか。

 あなたの問いかけに女神エリスは物憂げに笑う。

 

「暇っていうか……まあ、うん。ちょっと気分転換したいかなって思ってたんだよね。ほら、今春だし。ダクネスともあれ以来会ってないし」

 

 エリス教徒の盗賊であるクリスの正体が女神エリス本人だという事は全く気付いていない……という事になっているあなたは何故春になったら憂鬱になるのか、普通逆ではないのか、とは追求しなかった。

 きっとモンスターに殺される人間が増えて仕事が忙しいのだろう。

 そして下界における女神エリスはゆんゆん以上に友達がいないようだ。

 

「ぼ、ぼっちじゃないし……地元(天界)に帰ったら友達くらい沢山いるし……」

 

 目を逸らす女神エリスは若干声が震えていた。

 

 

 

 女神エリスが寝泊りしている部屋で彼女と話している最中、数時間前に遭遇した姫騎士達やそこで手に入れた神器の話題になった。

 

「へえ、神器を手に入れたんだ。今も持ってるの? 見せてもらっていい?」

 

 神器回収に精を出している彼女としては気になるのだろう。

 四メートルほどの刀身は鞘に収まっていない状態だが、部屋の大きさ的に壁を傷つける事は無いだろうと判断したあなたは神器、母なる夜の剣を取り出した。

 

「…………」

 

 ギリギリで部屋を傷つけない程度に占有する魔剣を前にした女神エリスの目がスッと細まる。

 まさかこれは女神アクアによって齎された神器なのだろうか。

 

「いや、違うけど……もしかしてそれ呪われてない?」

 

 硬質な声で問いかけてきた女神エリスにあなたは頷いた。

 母なる夜の剣は呪われている。

 

「やっぱりね! ほら、特別にあたしがお祓いしてあげるから貸して! そんなの持ってたらばっちいでしょ!!」

 

 懐から聖水を取り出す女神エリスの物言いが酷すぎる。

 女神として見過ごせないのだろう、と考えながらあなたは女神エリスの手に渡る前に魔剣を回収した。

 

「もー! 折角人が親切で言ってあげてるのにー!」

 

 ぷりぷりと怒る女神エリスにあなたは苦笑した。

 確かにこの剣は呪われている。

 神器の名に相応しい絶大な攻撃力を持ち、魔力も杖の神器級に上昇するが、防御力と敏捷性の著しい低下を招く呪いだ。

 後はグラムのように剣自体が意思を持っているようで持っていると「血を吸わせろ」と精神汚染をしてくるが、あなたにとっては愛剣で慣れ親しんだものなので問題ない。むしろ心地よいくらいである。

 刀剣類以外を使っただけで突然ヒステリーを起こして持ち主をミンチにしないなど、どこからどう見ても性根の優しいいい子だと言わざるを得ない。

 

「いや、その理屈はおかしい」

 

 あなたは吐血した。

 

「なんで!? いや、ほんとになんで!? 呪い!?」

 

 やけに視界が赤いと目を拭うと、目からも血が流れていた。

 新入りと比較したせいで愛剣が臍を曲げてしまったようだ。

 やれやれとあなたは嘆息する。

 愛剣が独占欲の強い構ってちゃんなのは今に始まった話ではないが、四次元ポケットの中から干渉するのは誤魔化すのが大変なので止めてほしい。

 血涙を拭いながらあなたは再び魔剣を取り出した。

 

「えぇ……何やってんのキミ……え? 血で汚れた床の掃除?」

 

 血に餓えた魔剣に床の血を吸わせるあなたを、光の消えた瞳で見つめる女神エリス。

 王都は今日も平和だった。




★《母なる夜の剣》
 自我を持つ長大な漆黒の魔剣。
 人々が廃都と呼ぶ古代迷宮からやってきたのだという。
 だがこの世界のどこにも廃都なる場所の記録は存在しない。

 出典:Ruina 廃都の物語


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第89話 幻の三人目

 ふと、あなたは空を見上げた。

 特に理由は無い。何となくそんな気分だったのだ。

 

 空の彼方を行く黒点は鳥か、あるいはグリフォンのような飛行型の魔物か。

 黒点を目で追っていると、やがてそれは雲の中に消えていった。

 

 そのまま、抜けるような綺麗な青空を流れる雲を目で追っていると、段々と雲が別の何かに見えてきた。

 楕円形の雲にあなたが幻視したのはカレーパン。

 仕事が終わったらギルドの後にパン屋にでも寄るとしよう。

 あなたは最近食べ歩きが趣味と化しているという女神エリスに王都各地の美味い食い物屋を教えてもらっているのだ。女神アクアほどでないにしろ、彼女は彼女なりに下界を満喫している。

 

 揚げたてのカレーパンに思いを馳せるあなただったが、ふと、ここで一つの重大な事実を思い出した。

 美味な上に栄養満点なカレーはノースティリスで大人気の料理なのだが、この世界にはカレーやそれに類する料理が存在しなかったりする。名前が違うだけのカレーに似た料理も無い。料理上手なウィズであっても流石に未知の料理は作れない。食べたければ自分で作る必要がある。

 カレーが無いので当然ながらパン屋に行ってもカレーパンは売っていない。

 あなたはがーんだな……出鼻をくじかれた、という気分になり、溜息を吐いた。カレーもカレーパンも作ろうと思えば簡単に作ることができるのだが、今日は買い食いの気分だったのだ。

 

「グァアアアアアアッ!!」

 

 気落ちしていたあなたの意識を引き戻す咆哮、もとい悲鳴。

 終わったのだろうかと目線を空から戻せば、未だ戦いは続いていたものの、ほぼ終わりに差し掛かっていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 額に玉のような汗を浮かべて()()と対峙するのは、右手に短剣を、左手に短杖を装備したゆんゆんだ。

 極度の緊張からくる疲労で息を荒くしているものの、今の今に至るまで敵の猛攻の全てを回避し続けたその体には傷一つ付いていない。

 

 仲間の状態を確認したあなたは、ゆんゆんの右手、正確には右手で握っている物を見やる。

 

 本来であれば20cmにも満たない筈の短剣は、今は倍ほどの長さの眩い光を放つ剣と化しているが、これは決してゆんゆんが持つ短剣の特殊能力ではない。

 あなたが属性付与(エンチャント)を使うのと同じように、ゆんゆんは短剣にライト・オブ・セイバーを纏わせているのだ。

 

 手刀に光を纏わせて敵を切り裂く上級魔法、ライト・オブ・セイバー。

 紅魔族が好んで使うこの魔法は絶大な攻撃力を持ち、光の斬撃を飛ばす事も可能なのだが、素手で使わないといけない関係上、近接戦闘の打ち合いにはどうあっても向いていないという欠点を持っている。

 そもそも後衛職であるアークウィザードが近接戦闘を行う事自体が間違っていると言ってしまえばそれまでなのだが、そんなライト・オブ・セイバーを得物に付与するという形に魔改造したのがウィズである。

 

 ぼっちのゆんゆんが一人でも活動できるように、そして少しでも友人の力になるようにと、ウィズは自身が研究したり実戦の中で経験してきた魔法に関する知識や運用法を惜しげもなく教授し、あなたは痛くなければ覚えないという実体験を元に、実戦形式に近いやり方で近接技能を叩き込んでいる。

 その甲斐あってか、後衛職であるアークウィザードであるにもかかわらず、あなたから見て今のゆんゆんは自分以上に立派な魔法剣士をやっているように思えた。

 それにしたって付与魔法と化したライト・オブ・セイバーというのは些か凶悪な気がしないでもないが。

 

「グ、ギ……」

 

 さて、乱れた息を整えながらも油断無く武器を構える彼女が見据えるのは、ゆんゆんの五倍にも届こうかという巨体を持つ、ヒトの形をしたモンスター。

 左腕を肩から失い、全身という全身から血を垂れ流すソレは、これまた巨大な金棒を支えに片膝を付いている。

 漆黒の肌を持つソレはオーガロードと名付けられた高位モンスターであり、人を好んで食らう悪鬼である。

 周囲に転がり、現在あなたが腰掛けにも利用させてもらってもいる、()()()()()()()()()()()()を率いていたボスであり、討伐依頼を受けたあなた達の標的だった。

 

「ガアアアアアア!!」

 

 再度の咆哮。

 そして苦し紛れに金棒がゆんゆんに振り下ろされ、轟音と共に大地が抉られ、土煙が舞い上がる。

 冗談のようなタフネスを持つダクネスならいざ知らず、ゆんゆんのような軽装の後衛職では掠っただけで重傷は免れず、直撃すれば即死確定の一撃。

 いたいけな少女を襲う純然たる暴力は何も知らぬ者が見れば誰もが目を背けたくなる光景だろう。

 

 だが、あなたはゆんゆんを助けに行く事無く、オーガの死体に腰掛けたまま欠伸を漏らした。

 遅い遅い、あまりにも遅すぎる。欠伸が出るどころか蝿が止まる遅さだ。

 重傷と焦りによって精彩を欠いた鈍間な攻撃など今のゆんゆんが食らうはずも無いと理解していたからであり、実際に金棒の軌道を見切って回避する様を見ていたが故の余裕である。

 

「でやああああああっ!!」

 

 魔法で身体能力を強化したゆんゆんは地を這うように駆け、すれ違いざまに光の剣を逆袈裟に振るう。

 裂帛の気合と共に振るわれた光剣は瞬間的に数倍の長さに伸び、オーガロードの巨体に一筋の、細く、しかし深く決定的な傷を刻みつける。

 

「――――」

 

 果たして、それがトドメとなった。

 目から光が消え、糸が切れた人形のようにゆっくりと崩れ落ち、周囲に転がっている同胞達と同じく大地に沈む黒の大鬼。

 こうして王都近隣の村々を脅かしていた邪悪な人食い鬼は、断末魔の声をあげる事すら許されず、一人の少女の手によって討ち取られたのだった。

 

 

 

 

 

 

 王都のギルドで討伐の報酬を受け取った後、あなたはアクセルに帰る前に行きたい場所があるというゆんゆんの頼みで王都の喫茶店に立ち寄っていた。

 恐らくは老舗なのだろう。落ち着いた雰囲気の趣味のいい店である。

 ちなみに店名は通天閣粉砕撃。ツウテンカクの由来は不明だがとりあえず改名すべきなのは確かだとあなたの勘が囁いている。

 

「ウィズさんに聞いたんですけど、ここのケーキがとっても美味しいんだそうです!」

 

 時刻はちょうど昼過ぎとはいえ、非常に客入りがいい。

 美味しいのは確かなのだろうな、とあなたは思った。

 客、店員含めて女性しかいない店の中で一人だけ男というのは場違いも甚だしいが。

 

「わあっ、ケーキっていってもこんなに沢山の種類があるんだ。どれにしようかな……あ、はい。全部持ち帰りでお願いします」

 

 ガラスケースに陳列された甘味の数々に目を輝かせるゆんゆんは、誰がどこからどう見ても年頃の普通の女の子だ。

 しかし侮る事なかれ。

 ゆんゆんがあなたと共に王都で活動を始めて早くも一週間。

 精力的に仕事に励んだ甲斐あって、今日のオーガロードとの戦いによって、遂に彼女のレベルは大台である40に到達していた。ゆんゆんの修行は順調に進んでいる。

 恐らくは明日か明後日にでも、あなたとウィズの家でお祝いのパーティーを開く事になるだろう。

 

「あれと、これと……あ、そうだ。折角だしめぐみんにも買っていってあげようかな」

 

 今のところ本人は気付いていないが、その若さと庇護欲を誘う可憐な見た目から、王都で活動を始めてさほど経っていないにもかかわらず、ゆんゆんは早くも同業者達から新進気鋭のアークウィザードとして注目を集め始めている。

 彼女が悪名高い紅魔族と周知されていなければ、とっくに引く手数多だったことだろう。

 そんな彼女とパーティーを組んでいる謎の覆面男もそこそこ注目されているわけだが、現状、ゆんゆんとパーティーを組んでいるのが巷で大人気の頭のおかしいエレメンタルナイトだと知っているのは、キョウヤ、レックスパーティー、そしてギルド職員だけだ。

 一応全員に口止めしているので、ゆんゆんが王都の冒険者達から敬遠される事態には陥っていない。だがギルド職員が邪神の生贄に捧げられた哀れな子羊を見る目でゆんゆんを見る件に関しては心の底から止めてほしいと思っている。

 

 まあどうせ無理なのだろうな、と己に染み付いた謂れ無き風評被害に九割がた投げやりな気分に陥りながら、あなたは店内備え付けの雑誌を手に取った。

 

 ――王都で暗躍する正体不明の義賊、その秘密に迫る!

 

 表紙にはこのような見出しがデカデカと踊っている。

 肝心の内容に関してだが、言ってしまうと非常にありがちなゴシップ誌だった。

 暇を潰すにはちょうどいいが、それ以上のものではない。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 つい最近他国で発生して甚大な被害を引き起こしたという、きのこたけのこ戦争の顛末を読み終えたタイミングで、やや大きめの箱を抱えたゆんゆんが戻ってきた。

 随分と買い込んだらしい。

 

「どれもこれも美味しそうで、つい……」

 

 えへへ、と可愛らしくはにかむゆんゆんだったが、あなたが持っている冊子に目をやると不思議そうな顔で疑問を口にする。

 

「あの、この義賊って何のお話なんですか?」

 

 王都に詳しくないゆんゆんにとって、この件は初耳だったらしい。

 つい先日も発起人である女神と共に悪徳貴族の屋敷から後ろ暗い金をたんまりと巻き上げてきたあなたは、噂の義賊の話をしてあげることにした。

 勿論義賊達の本命である神器云々は伏せて、だが。

 

「悪い貴族からお金を盗んで、そのお金を恵まれない孤児の子供達に寄付する……。まさかそんな人がいるなんて思ってもみませんでした。勿論盗みはいけない事ですけど、まるでお話の中の人みたいですね」

 

 王都の騎士団や憲兵たちが捜査に当たっているにもかかわらず、未だに何一つとして手がかりを掴めていない謎の義賊の話を聞かされ、感心した風に頷くゆんゆん。

 そしていつからそこにいたのか、非常に見覚えのある銀髪の少女がケーキを頬張りながらあなた達の話に聞き耳を立てており、しかも心なしかニヤケ顔になっている。

 あなたはゆんゆんにばれないよう、しかし相手には伝わるように、こっそりとハンドサインを送った。

 

 

 ――ん、ハンドサイン? なになに……警備厳重につきこれ以上の隠密行動は不可能と判断(非常にめんどくさい)強行突破(みねうち)の許可を求む……ちょおっ!?

 

 

 あえて説明するまでもないだろうが、フードを被って覆面を付けたあなたの正体に気付いてむせているのは女神エリスだ。

 ハンドサインについてはお茶目な冗談である。大らかな心で笑って流してもらいたい。

 

「びっくりするほど無茶な注文するよね!」

 

 あなたのジェスチャーに大声でツッコミを入れる女神エリスに、なんだなんだと店中の視線が集中した。

 女神エリスのノリがベルディア並に良すぎて困る。

 

「申し訳ありませんお客様、他のお客様のご迷惑となりますので、店内ではお騒ぎになりませんよう……追加のご注文でしょうか?」

「あ、あはは……なんでもないです、ごめんなさい……」

 

 案の定店員から注意を受けてしまう、この国で最も広く信仰されている幸運の女神。

 女神を相手に不敬な話ではあるのだが、面白そうなのでこのまま他人のフリでもしていよう。

 そのまま踵を返して店から出ようとしたあなただったが、見覚えのある人物にゆんゆんが反応した。

 

「あれ、クリスさん?」

「あ、ああ、うん。久しぶり。二人とも元気だった?」

 

 ゆんゆんと挨拶を交わしながら、女神エリスはあなた(薄情者)にじっとりとした目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜。

 上から下まで黒一色の不審者ルックに着替えたあなたは、女神エリスと共に世界平和の為、悪徳貴族の屋敷に侵入し、盗賊活動を行っていた。

 屋敷の持ち主である貴族は自分が義賊に狙われる人間だと自覚していたのか、深夜であるにもかかわらず多くの警備兵が屋敷内を巡回していた。

 とはいえあなた達からしてみればこの程度の警備などザルもいいところであり、先日と同じくみねうちの出番は無かったわけだが。

 むしろ以前のように警備兵に囲まれるなどのささやかなハプニングが欲しいと思ってしまったくらいだ。

 

「共犯者クン、今日もお仕事お疲れ様」

 

 そんなこんなであっけなく金銀財宝を奪取したあなた達は、それらを幾つかの孤児院に放り込んだ後、女神エリスの泊まっている部屋に戻ってきていた。

 時刻はそろそろ朝日が昇ろうかという頃。徹夜である。

 

「うんうん、初仕事の時はこれからどうなる事かと冷や冷やしたもんだけど、やっぱりキミを選んだあたしの目に狂いは無かったよ。これからもこの調子でよろしくね?」

 

 前回に続いて誰一人として無辜の民からみねうちの犠牲者が出なかった事に、女神エリスは上機嫌だ。

 高レベル冒険者十数人を秒殺可能という戦闘力を誇る上に極めて高い汎用性を誇る魔法であるテレポート持ちのエレメンタルナイトであり、スキルと職業の補助無しに本職顔負けの盗賊技能を有するあなたは、この世界の人間として見た場合は有り得ないと言っていいほどに稀有かつ破格の冒険者である。

 突発的なアクシデントが発生しない限りは極めて使い勝手がいい駒だと女神エリスが判断するのもむべなるかな。

 ずば抜けた豪運を持つ女神エリスも盗賊としては大概凄腕なのだが、キミが宝感知のスキルを持ってなくて良かったよ、折角の義賊活動なのにあたしの仕事が無くなっちゃいそうだもんね、とは彼女の言である。

 

 この言葉から分かるように、決して遊びでやっているわけではないのだろうが、女神エリスは義賊活動をノリノリで楽しんでいた。

 狙う対象が私腹を肥やす悪徳貴族であるがゆえに市民の間では持て囃されている謎の義賊だが、客観的な視点から物を言ってしまうと普通に犯罪者である。

 本人も理解して楽しんでいるあたり、女神としての仕事のストレスが溜まっているのかもしれない。色々と苦労人な気質も垣間見える事だしありえそうだ。

 悪徳貴族からの盗賊行為はさておき、施しに関してはあまりやりすぎると働かずに多額の金が手に入る事に慣れすぎた孤児院が堕落したり、あるいは孤児院を経営しているエリス教団の腐敗の温床になるのではないかとあなたは考えていたりするのだが、金をバラ撒いているのが女神エリス本人、つまり神意なのであえて口出しはしていない。いざとなったら神託や神罰でどうにでもなるだろう。

 

 余談だが、ノースティリスでも乞食に金銭を施すのは善行と見なされている。

 だが乞食を殺しても罪にはならない。乞食を殺して金を巻き上げても罪にはならない。

 ベルディアはこの話を聞いて「悪魔よりよっぽど悪魔だな!」と叫んだ。

 

 

 閑話休題。

 

 

「今回もハズレなのは残念だったね。何事も無く終わって良かったといえば良かったんだけど」

 

 神器が手に入らなかったのもそうだが、女神エリスが今日の仕事をハズレと評したのには理由がある。

 

「何か起きる前に、一日でも早く見つけないとね」

 

 現在、女神エリスはとある二つの神器の行方を追っている。

 女神アクアが授けたそれらはグラムのように担い手を選び、本来の所有者でなければ真の力を発揮する事は叶わない。

 しかし、いかなる経緯を辿ったのか、流れ流れてこの国の貴族に買われたという二つの神器は、本来の力を発揮せずとも余りある危険度を持つのだという。

 

 一つ目は、モンスターをランダムに召喚して使役する神器。

 本来は無条件で呼び出した者を使役するというモンスターボールや支配の魔法も真っ青な恐ろしい神器だったのだが、今は対価か代償が必要になる程度になっているそうだ。

 

 そして二つ目の神器。一つ目も大概に危険だが、女神エリスとしてはこちらが本命。

 詳細を聞いた時、あなたも思い切り顔を顰めたくらいだ。

 

 二つ目の神器が持つ力。

 それは他者と体を入れ替えるという単純にして明快なもの。

 

 ちょっとしたイタズラ道具のようにも思えるが、しかしあなたからしてみれば、これは最低最悪の神器だと言わざるを得ない。

 何が最悪かというと、体を入れ替えている最中に片方が死ぬと二度と元に戻らなくなるところが最悪だ。

 

 これらの神器は女神エリスとの契約内容である『危険な神器を入手した場合は他の安全な神器と交換する』に抵触する為、決してあなたの手に渡ることは無い。

 一つ目は若干惹かれるものがあるが、二つ目の神器に関してはあなたとしても全く異論は無い。さっさと見つけて処分してもらいたいとすら思っている。

 

 件の神器は入れ替わってもどちらかが死ななければすぐに元の体に戻るそうだが、あなたに関してはそうはいかない。

 一度入れ替わったが最後、二度とあなたは自身の体に戻れなくなるだろう。

 

 何故ならば、間違いなく入れ替わったその瞬間に()()()()()()()()()()()()()からだ。

 具体的には発狂した愛剣によってあなたの体が問答無用でミンチになる。

 あなたは友人の実験で他人と体を入れ替えた事があるのだが、あなたの体は当然の権利のようにぶち切れた愛剣によって爆散した。

 

 たとえ体があなたであっても、中身が別人だった場合、愛剣は絶対にそれを許容しない。

 ただひたすらにあなただけを愛し、あなたの敵を殺す事を至上の喜びとし、あなたにだけ使われる事を受け入れる。

 数多の戦場を共に駆け抜けたあなたの無二の相棒はそういう代物だった。

 

 やはり私の予想通りの結果に終わりましたね、と肩を竦めておもしろおかしく笑う稀代の天才魔術師にして変態ロリコンストーカーフィギュアフェチな友人の表情を今もよく覚えている。

 元の体に戻った後、怒り狂った愛剣を携え、実験のお礼参りにペット達と一緒に彼の住む塔に滅茶苦茶殴り込みをかけた事もまた同様に。

 

 

 

「うーん……」

 

 懐かしさに目を細めていたあなたは、女神エリスの唸り声に回想を打ち切られた。

 腕を組んで難しい顔をする彼女は何か悩み事があるようだ。

 

「ああ、うん。大した事じゃないんだけど」

 

 あなたの問いかけにそう前置きし、こう言った。

 

「今はあたしと共犯者クンの二人で上手くやってるわけだけど、やっぱりあたしとしてはあと一人か二人ほど追加の人員が欲しいと思うわけで」

 

 相手は女神だ。矮小な人としての視点しか持たない自分が何故とはあえて問うまい。

 五人以上になるとテレポートから漏れる者が出るので、最大でも四人メンバーが好ましいというのは分かる。

 しかし仕事の内容が内容だ。

 ギルドで募集してよろしく、とはいかない。

 女神エリスが敬虔で腕利きな盗賊職の信者に神器回収の任務を神託として授ければ話は早そうなのだが。

 

「それってつまりあたしの事じゃん」

 

 女神エリスがそういう設定で活動しているのはあなたも知っている。

 あなたが言っている対象はそれ以外のエリス教徒だ。

 クリス(本人)の他に女神エリスの眼鏡に適う人材はいなかったのだろうかと、あなたは女神エリスに問いを投げかけた。

 

 女神本人が動くのは全く構わない。むしろ世の為人の為に率先して動く彼女には好感を抱く。

 しかし、決して暇ではない女神エリスがわざわざ単独で神器の回収作業に励まねばならないほど、エリス教徒の層は薄いものなのだろうか。

 こうしてあなたと行動を共にしている以上、一人で動くのが好きというわけでもないようだし、色々と腑に落ちなかった。

 

「…………はあ」

 

 あなたの問いかけを受け、ややあって、女神エリスは嘆息した。

 

「いや、まあね、あたしもこの仕事を引き受けた時、キミが言ったような事をエリス様に聞いたんだよ? 一人っていうのはちょっときつくないですか、みたいな事を」

 

 でもね、と言葉を区切る。

 物憂げに微笑みながら。

 

「生きたままエリス様の声が聞こえるほどに敬虔で、善良で、腕のいいエリス教徒の人たちほど、率先して最前線で魔王軍と戦って、傷ついて、倒れて(死んで)いくんだってさ」

 

 なるほど、納得の理由である。

 女神の言葉を通し、あなたはこの世界の命の重さ、そして互いの存続を懸けた戦争中だという事を改めて実感させられた。

 

 人手がどうしようもなく不足しているという事も。

 

 

 

 ――つまり私の出番って事だよねお兄ちゃん私なら鍵開けから殲滅から夜のお世話まで何でもござれだもんねお兄ちゃん私お兄ちゃんの為なら何だって()っちゃうしお兄ちゃんの言う事なら何だって喜んで聞くんだから私を選ばない理由なんてどこにもないよね変な名前の紅魔族の連中より私の方がずっとお兄ちゃんの事を分かってあげられるし役に立つっていう事を教えてあげるよううんそうじゃなかったごめんねそんなの私なんかが教えるまでもなくお兄ちゃんは最初から分かってるよねだってお兄ちゃんは私のお兄ちゃんで私はお兄ちゃんの妹なんだから本当に私ってばお馬鹿な妹でごめんねお兄ちゃんてへぺろでもこれだけは信じてほしいな私はお兄ちゃんを愛してるよ本当だよでもまあ今更こんな事言うまでも無いよねお兄ちゃんああそうだところで私を外に出すなら新しい武器が欲しいよっていうか外に出さなくても欲しいよお兄ちゃんこんなしょっぱいオモチャじゃお兄ちゃんの役には立てないもんね私お兄ちゃんがあのハンマーで作った包丁がいいなもう奇跡品質の武器くらいちょちょいっと作れるようになったもんね流石お兄ちゃん略してさすおにまあ私がいっつも使ってた包丁があればそれで良かったんだけど流石に持ってこれなかったから仕方ないよねでもお兄ちゃんが私の為に作ってくれた包丁を使えるっていうだけで私の心は天に昇らんばかりだよお兄ちゃんふふふ嬉しいなあ私がお兄ちゃんの初めてを貰うんだよねやったぜお兄ちゃん明日はホームランださて突然ですがここでクイズだよお兄ちゃん私はここまでに何回お兄ちゃんって言ったでしょうか正解したお兄ちゃんにはお兄ちゃん専用の私をプレゼントだよお兄ちゃんこれはもう答えるっきゃナイトだよお兄ちゃんさあそんなわけで私のハートに今すぐアクセス!

 

 

 

 うるさい黙れ。

 何が「そんなわけで」なのか。

 しんみりしたシリアスな空気が一瞬で毒電波に汚染されてしまった。なんという事をしてくれたのでしょう。

 

「…………」

 

 それ見たことか。

 突然かつ過去最大級の毒電波に女神エリスもドン引きだ。

 

 嘆息するあなただったが、とてつもなく嫌な事に気付いてしまい、背中に冷たい汗が流れた。

 

 まさか、彼女には先ほどのアレが聞こえていたりするのだろうか。

 恐る恐る聞いてみれば、女神エリスは震えながら頷いた。

 

「何、今の……え、本当に何?」

 

 混線したのか、元より素養があったのか。

 濃厚な毒電波を受信してしまった女神は困惑、というか慄いていた。

 さもあらん。同じく言葉の洪水をワっと浴びせられた者として、その気持ちはとても理解できる。

 

 ――そっかー、私の声が聞こえちゃってたかー。ごめんねお兄ちゃん。

 

「こ、こないだの魔剣の呪い? それとも性質の悪い悪霊?」

 

 一緒にしないであげてほしい。

 それはあまりにも(魔剣に)失礼だし(悪霊が)可哀想だ。

 

「そうだよ、私をそんなのと一緒にしないでほしいな」

「!?」

 

 バレたのなら隠しておく必要は無いだろうと、あなたが半ば投げやりに許可を出すと同時、あなたの隣に血を連想させる真っ赤な服を着た緑髪の少女が立つ。

 日記を読むという正式な手順を踏んで呼び出したわけではないので、相変わらずその体にはノイズが走っている。

 しかし以前よりもノイズが減っているように思えた。

 

「女の、子……?」

 

 妹は普通にぺこりと頭を下げて挨拶をした。

 

「今の時間だとこんばんは? それともおはようございますかな? どっちでもいいけど初めまして」

 

 めぐみんへの憎悪と殺意に満ち溢れた応対とは雲泥の差である。

 今の今まで毒電波を撒き散らしていた張本人だとは思えない振る舞いに女神エリスが目を白黒させているが、妹とて常時リミッターを解除しているわけではない。

 

「えっと……共犯者クンの事をお兄ちゃんって言ってたよね。キミは何なのかな?」

「私? 私はお兄ちゃんの生き別れた血の繋がっていない本物にして唯一の妹だよ。お兄ちゃんの言葉を借りるなら妹っていう概念が実体を持った共同幻想なのかな。でも私はそんなのどうでもいいって思ってるし、実際どうでもいいよね。だってかつては他の私達と同じように私達()だった私はお兄ちゃんのおかげで()になったんだから。だから私はお兄ちゃんさえいてくれれば他に何もいらないの。お兄ちゃんと一緒にいる事が私の幸せ。ちなみに好きなものはお兄ちゃん。愛しているのはお兄ちゃん。趣味はお兄ちゃん。信仰しているのはお兄ちゃん。嫌いなものはお兄ちゃんに擦り寄ってくる意地汚い偽者の妹。よろしくね、クリスお姉ちゃん」

「よ、よろしく……」

 

 泣きそうな顔でこっちを見ないでほしい、とあなたは思った。

 

「強くて逞しくて優しくてカッコイイお兄ちゃんだけど、ああ見えてとっても寂しがりやさんなところもあって、まだ私と一緒にいたいんだって。勿論私はばっちこいなんだけど、そういうわけでお兄ちゃんみたいにクリスお姉ちゃんのお手伝いはできないんだ。ごめんなさい」

「そっか、うん、そっかあ……」

 

 良かった。本当に良かった。心の底から安心した。

 そんな声なき声が聞こえてくるかのようだ。

 

「でもこうして一日に一分くらいなら実体化できるから、私の力が必要になった時は気軽に呼んでね。勿論お兄ちゃんがいいよって言ったらだけど。こう見えても私、今のままでもお兄ちゃんの本気の四分の一くらいは強いんだから」

「そっか、うん、そっかあ……」

 

 良くない。本当に良くない。絶対に呼ばない。

 そんな声なき声が聞こえてくるかのようだ。

 

 そして地味に妹の現界可能時間が三十秒も伸びている。

 おのれコロナタイト。

 

「あと何故かよく勘違いされちゃうんだけど、別に私はお化けとか呪いとかそういう悪いものじゃないから、お祓いしたり聖水を使ってもこれっぽっちも意味は無いからね? むしろ元気になるよ。……あ、もう時間だ。それじゃあねクリスお姉ちゃん、って言っても私の姿が消えても私はいつだってお兄ちゃんと一緒にいるんだから、さよならって言うのも変だよね。じゃあ――――」

 

 

 ――コンゴトモヨロシク。

 

 

 そう言い残して妹の幻影は掻き消えた。

 

「…………」

 

 妹が去った後、何を言うでもなく、じっとあなたを見つめる女神エリス。

 その澄んだ空色の瞳には、ただひたすらにあなたへの深い同情と哀れみの感情が湛えられている。

 

「共犯者クン。その、あたしにはなんて言っていいのか分からないけど……この御時勢、辛かったり悲しかったり理不尽な出来事が沢山あるかもしれない。でも……なんていうか……頑張って強く生きてね?」

 

 今も話を聞いている妹の手前、必死に言葉を選ぶ女神エリスのまさに女神の名に相応しい慈悲深さには感服する他無いが、あなたはそこまで言われるほど妹の扱いに困ってはいるわけではなかった。

 余程の事が無い限り、妹はあなたの意思を尊重する。

 今日のようにあまりはしゃがれると多少は辟易させられる時があるものの、そんなものはあなたにとって日常茶飯事だ。どうという事は無い。

 それどころか、あなたからしてみれば女神エリスと会話していた時の妹は非常に大人しくて空気を読んでいたし礼儀正しかったくらいだ。いつもあれくらいだったら助かるのだが。

 

「と、とても見てられないっ……! どうしてこんなになるまで放っておいたの……!?」

 

 けらけらと女神エリスの懸念を笑い飛ばすあなただったが、慈悲深き幸運の女神は何故かさめざめと両手で顔を覆ってしまった。

 

 

 

 かくして若干の誤解や行き違いはあったような気がするものの、女神エリスの盗賊団に、秘密兵器、あるいはオブザーバーとして、幻の三人目(妹の幻影)が加入したのだった。



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第90話 帰りたくない男と帰ることができない男

 ゆんゆんがあなた達の家の前の通りを挟んだ向かい側に引っ越してきた。

 引越しといっても、ずっと宿暮らしだったゆんゆんの荷物は装備や着替えといった私物や話し相手のサボテンくらいしかなく、家具も先に買い揃えて家の中に運び込んでいるので、ウィズの店が水害で半壊したり今の家に引越したときのように大掛かりな引越し作業にはならなかった。

 それはそれとして、家持ちという一人前の冒険者としてのステータスを手に入れたゆんゆん。

 可愛がっている愛弟子にして同性の友人が自宅のすぐ傍に引っ越してきて、ぽわぽわりっちぃも大喜びである。

 

 そしてゆんゆんが引っ越してきた影響か、女神ウォルバクもまた近場の宿屋に移ってきた。

 

 現在はエーテルの研究に専念している女神ウォルバクだが、彼女は同僚であるハンスが討伐された事、そしてあなたがハンスの討伐に関わっている事を知っている。

 当時あなたがハンスと敵対したのは彼が水に毒を流すという許されざる蛮行に手を染めたからであり、ハンスが魔王軍の幹部だったからというわけではない。

 あなたは彼が魔王軍と敵対する人間でも普通に殺していた。

 しかし、そんな事情を知らない彼女はハンスを討伐して間も無い頃、鋭い目付きであなたにこう言った。

 

 ――あなたはどっちの味方なの?

 

 無論あなたは即答した。自分はウィズの味方である、と。

 

 ――ああ、うん。そうだったわね。

 

 今にも砂を吐き出しそうな女神ウォルバクの表情が何とも印象的だったが、紛う事無き事実である。

 人類がリッチーであるウィズを滅ぼすというのであればあなたは迷わず人類に剣を向けるし、その原因が魔王軍だった場合はありとあらゆる手段を以って本気で魔王軍を滅ぼしにかかるだろう。

 あなたの答えに満足したかは定かではないが、それ以来彼女はこの件に関してあなたに何も言ってきていない。ただちょっと得体の知れない者を見る目で見られるようになった気はするが。

 

 今は沈黙を保ったままの魔王軍幹部の話はさておき、王都で何度か実戦経験を積んだゆんゆんだが、持ち前の素質と努力に自覚が噛み合ってかなりいい感じに仕上がってきた。メンタル面に不安がなければこんなものである。

 あとはドラゴンさえ捕まえれば一息つけるといったところだろうか。

 無論、ゆんゆんが目指している場所、つまり廃人の領域はそこからも果てしなく遠く険しいところにあるし、ドラゴンを仲間にしたからといって彼女の修行が終わるわけでもないのだが、それでも一つの節目にはなる筈だ。

 

 

 

「ぶっちゃけご主人はこの戦火と縁の無いド田舎にある平和な辺境の街をどうしたいんだ」

 

 ゆんゆんの歓迎パーティーの飾り付けをやっている最中、ベルディアがあなたにこう言った。

 どうしたいと聞かれてもまるで意味が分からない。

 

「意味も何も、現状で魔王軍幹部が元含め半分も揃っちゃってるわけなんだが。アクセルを新しい魔王領にしたいとかそういう野望でもお持ちで? ご主人は魔王になる気は無さそうだから、この場合、ご主人達に鍛えられてるゆんゆんが魔王になるのか」

 

 何故かベルディアの中ではあなたが諸悪の根源になっていた。酷い誤解だと言わざるを得ない。

 

「酷いのはどう考えてもこの家の近辺なんだが。何が酷いってオーバーパワーっぷりが酷い。潜在的な危険度が俺達魔王軍幹部と比較しても桁違いなご主人もそうだが、ゆんゆんが越してくるっていうからウォルバクの奴もこの店の最寄の宿屋に泊まるようになったし。もうここら辺がご主人自慢の爆発ポーションが所狭しと詰めあわされてる棚みたいな事になってる。どんだけ危険度をインフレさせれば気が済むの? ご主人一人でお腹いっぱいなんだが。あれだぞ、幹部として様々な戦場を渡り歩いてきた俺から言わせてもらえば、この地帯の危険度は“この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ”とかそういうレベルだからな?」

 

 ここぞとばかりに言いたい放題のペットだが、あなたが直接捕獲したのはベルディアだけである。

 ウィズは最初からアクセルにいたし、バニルはウィズの店で働く為にやってきた。

 そして女神ウォルバクはエーテルの研究をする為にドリスからついてきた。

 更にあなたにしても、駆け出しの街であるアクセルに居座る原因となったのはウィズ魔法店の素晴らしい品揃えに感銘を受けたからであり、元をただせばウィズが全ての始まりなのだ。

 始点のウィズに他意が無い以上、全ては成り行きでこうなったに過ぎず、あなたにあーだこーだ言うのはお門違いというものである。

 

「えー……」

 

 あなたの主張に不満げに目を細めるベルディアだが、彼自身の危険度も大概だという事を忘れてはいけない。

 

 頭部が不安定というデュラハンの弱点を克服した(アイデンティティーを放棄した)体。

 終末狩りで磨かれた(死に慣れた)本人の戦闘力と精神力。

 本体に劣らぬ力を持つ愛馬と合体した時の機動力。

 魔術師殺しを纏った時(超合金アーマードベルディアDX)の防御力。

 一時間で対象を死に至らしめる上に、ごく一部の例外以外には防御も解呪も不可能な死の宣告。

 トドメに神器と化したモンスターボールによる無限の残機。

 

 この世界の人間からしてみれば悪夢(クソゲー)もいいところである。

 ウィズが渋い顔で「理不尽すぎてちょっとやってられないですね。神器をどうにかして不死性を取り除かないのであれば、私には精神を破壊するか四肢を断って死なない程度に痛めつけて戦闘力を奪うか氷漬けにするなりして封印するくらいしか対処法が思いつきません」と匙を投げるのも分かろうというものだ。即座にお前が理不尽とか言うなとツッコミを入れられていたが。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなでかねてより計画していたゆんゆんのレベル40到達、そして引越し祝いのパーティーを引越しの当日に開催したわけだが、身内だけで開かれたささやかなパーティーは、しかしゆんゆんの胸を打つほどに暖かく……というわけにはいかなかった。

 

 ぼっち気質とめんどくささに定評のあるゆんゆんだが、しかし今の彼女には普通に紅魔族やサボテン以外の友達がいる。

 それはあなただったり、ウィズだったり、ベルディアだったり。

 思い返すと同年代の友人が紅魔族しかいない辺りに今も一抹の不安を抱えているのだが、それでもゆんゆんは友達を作ることができたのだ。

 

 しかし、最近ゆんゆんの友達になったあなた達は、ゆんゆんの十余年にも渡るぼっち生活の重みを、本当の意味では知らない。

 

 ……つまり、どういう事かというと。

 あなたも、ウィズも、ベルディアも。

 誰も彼もが、紅魔族の里にいた時のゆんゆんがどれだけ筋金入りのぼっちだったかを甘く見ていたのだ。

 

「うぅ……ぐすっ……」

 

 その結果がこれである。

 実はゆんゆんをびっくりさせようと、パーティーをするという話は本人に伏せていたのだが、いざ彼女を自宅に招いて歓迎の言葉を贈ったところ、ゆんゆんはあなた達とテーブルに並べられたご馳走の数々を前に暫く呆然とした後、何を思ったのかいきなり涙を流し始めたのだ。

 一見するとマトモなゆんゆんは蓋を開けてみれば色々とアレな面を抱えているが、流石にサプライズパーティーを開いただけで泣かれるとは思わなかった。

 

「ゆ、ゆんゆんさん!? どうしたんですか!?」

「なんでお前はそこで泣いちゃうの!?」

 

 ぽろぽろと落涙する紅魔族の少女は、嗚咽交じりにこう言った。

 

「ち、ちが……ごめんなさい……わた、こうして皆さんにお祝いしてもらったのが、わたし、凄く嬉しくって……胸がいっぱいになっちゃって……誕生日だって、生まれてから今まで一回もお友達に祝ってもらった事が無かったのに……」

「…………」

 

 衝撃の告白に、重苦しい沈黙に包まれるあなた達。

 やるせない気分でいっぱいになってしまった。まるで重度の重力異常が発生したかのようだ。

 突如語られたゆんゆんの壮絶な暗黒神話にちょっとかける言葉が見当たらない。

 

 たった一人でご馳走が並べられたテーブルに座り、空想上の友人達(イマジナリーフレンズ)と共に自分の誕生日を祝い、バースデーケーキに刺さった蝋燭を吹き消すゆんゆん。

 

 そんな光景がありありと思い浮かぶ。

 ゆんゆんの精神攻撃に最早苦笑いすら浮かばない。

 あなたは久しぶりに膝から崩れ落ちそうになった。ウィズに至ってはゆんゆんに釣られて泣きそうになっている。

 

「あ、でも、学校を卒業する時は皆でパーティーを開いたんです。めぐみんと一緒だったんですけど……あれは嬉しかったなあ……そういえばあれが初めてお友達を家に呼んだ日だったっけ……」

 

 とてもつらい。こころがおれそうだ。

 先日の女神エリスに倣い、あなたは心の中でゆんゆんに言葉を送る。

 どうしてこんなになるまで放っておいたのか。

 

 一番の友達である筈のめぐみんは何をやっているのか、と考えるも、そういえば自分達も誕生日を聞かされていなかったとはいえ、ゆんゆんの十四歳の誕生日を祝っていなかった、と影を背負うあなたとウィズ。

 軽く負のスパイラルに陥りかけるあなた達だったが、それを断ち切ったのはベルディアだった。

 

「なんだってそんな無駄に重い話をぽんとお出ししてくるかな!? 百歩譲って前半は相変わらずだなって笑って済ませられるとしても、誕生日云々は洒落にならんレベルで重すぎるわ! 見ろ、一瞬でお通夜みたいな空気になったじゃねーか! ほんとお前どうしてくれるんだよこれ、なんかもう台無しだぞ! ウィズとか前々からニコニコ顔でお前に喜んでもらえるかなーってご主人と一緒に料理作ったり準備してプレゼントまで用意してたってのにお前の話聞いて涙目になってるんだぞ可哀想に!」

「前々から、私なんかの為に……? しかもプレゼントまで……。皆さん、本当にありがとうございます……。私、今日の思い出は一生の宝物にします。死んでも絶対に忘れません……!」

「だから発言が一々重いと言っている! だいたい誕生日を祝ってもらった事が無いって、頭のおかしい爆裂娘はどうした!? お前の友達なんだろ!?」

「そ、それはその……私もめぐみんを呼ぼうとしたり、招待状を書いたりもしたんですけど、断られたり、送っても誰も来なかったらどうしようって思ったら怖くなっちゃって……」

「バーカ! ほんっとバカ! 世界って奴は勇気を出して自分から行動しないと何も進展しないように作られてるんだ! それを分かるんだよ、ゆんゆん!」

 

 ベルディアの言葉にはまったくもって頷くしかないのだが、大なり小なり保護者的な視点が混じってしまうあなたとウィズでは彼のようにはいかない。

 誰が相手でもずけずけと思った事を言ってくれるベルディアがいてくれてよかった。

 無理矢理ゆんゆんを着席させるベルディアを見ながら、あなたはかなり本気でそう思った。

 

 

 

 

 

 

 笑いあり涙ありの一幕こそあったものの、パーティー自体は無事に終えてゆんゆんがお向かいさんになった翌日。

 あなたは王城の正門前にやってきていた。

 その傍らには女神アクア、ダクネス、めぐみんの姿が。

 あなたはちょっとした用事があって彼女達に同行しているのだが、ダクネスというこの国有数の大貴族のおかげで簡単に登城できるとはいえ、流石に覆面姿で登城するわけにはいかない。

 

 そして素顔を晒す以上、頭のおかしいエレメンタルナイトと行動を共にする姿を王都の冒険者に見られると非常にまずいので、今日のゆんゆんはアクセルでお留守番である。

 現に、いずれ劣らぬ綺麗どころであるにも関わらず、あなたと行動を共にする三人は王都の入り口から王城前まで一度も声をかけられなかった。

 結構な数の視線を感じたので実際噂にもなっているのだろうが、ゆんゆんと違って三人はアクセルから出る機会が少ないし、何より既にパーティーを組んでいるのだからそこまで問題は無いだろう。あなたはそう考えていた。

 

 

 

 そんなあなたの内心を知る由も無い三人の内の一人、頭のおかしい爆裂娘が感慨深げに王城を見上げる。

 

「ふむ。流石にこの国の王城だけあって由緒正しい感じのする立派なお城ですね。これだけ大きな物に全力全開の爆裂魔法をぶち込んだら、さぞかし清清しい気分になる事でしょう」

 

 開口一番でこの有様。親の顔が見てみたくなるとはこの事か。

 巨大建造物の爆破解体に無上の喜びを感じる国際的テロリスト予備軍、めぐみん。

 しかし、長きに渡る魔王軍との戦いを経て、幾度も改修工事が行われてきたという王城は非常に巨大かつ堅牢だ。

 当然魔術防御もふんだんに施されているだろうし、流石のめぐみんの爆裂魔法といえど、一発で城を木っ端微塵、というわけにはいかないだろう。

 

「一発の爆裂魔法で崩せないのであれば、十発、百発の爆裂魔法を撃ち続けるまでです。……は? 自分も常々王城に猫のゆりかごを使いたいと思ってるから気持ちはよく分かるって、何素っ頓狂なこと言ってるんですか」

 

 ただの戯言なので気にしないように、とあなたは薄く笑った。

 

「というかそこで猫が出てくる意味が分かりませんよ。最近冒険者に仕立て上げたとかいうあなたの飼い猫の話ですか? どうでもいいですけど猫を冒険者にするとか本当に頭おかしいですよね。ウチにもちょむすけがいますが、使い魔ならまだしも冒険者にしようとか考えた事もありませんよ」

「……な、なあめぐみん。爆裂魔法はたとえ話だよな? な? やるなよ? 絶対にやるなよ? 王城に爆裂魔法だなんて、本当に洒落になってないからな? ここはアクセルとは違うんだからな?」

「一発だけなら誤射かもしれないって前にカズマが言ってました。いい言葉ですよね」

 

 すまし顔でのたまうめぐみんにダクネスが泣きそうになった。

 被虐性癖を抜きにすれば常識的で貴族であるがゆえに背負うものも多い彼女は三人の中では苦労人ポジションなのだ。

 とはいえ流石にめぐみんが実際に行動に移すことは無いだろう。幾らなんでもそれくらいの分別はあるはずだ。あると思いたい。多分。きっと。恐らくはあるはずだ。無いかもしれない。

 

 実際に王城に爆撃するかはさておき、以前あなたが考えていた、王城を前にしためぐみんの思考パターンの予想は完璧に当たっていた。

 あなたはこの世界において、めぐみん以上にノースティリスの冒険者の適性を持っていそうな者を知らない。

 メシェーラという非常に厄介な問題が残っているものの、イルヴァとこの世界を自由に行き来できるようになった暁には、なんとかしてめぐみんをノースティリスに連れて行きたいものである。

 きっと彼女は嬉々として王都パルミアに爆裂魔法をぶちかましてくれる事だろう。

 

「ねえねえ、いつまでもこんな所でくっちゃべってないで、ちゃっちゃとお城に入りましょうよ。ここにカズマがいるんでしょう? カズマ一人だけいつまでもお城で贅沢三昧なんて、お天道様とエリスが許しても清く正しく美しい私は許さないわ。パーティーを組んでいる以上、私達にだってお城に住む権利はあるんだから」

 

 女神アクアの発言から分かる通り、普段はアクセルで活動する三人は今日、あなたのテレポートを使い、王城にいるであろうカズマ少年を迎えに王都に来ていた。

 彼が王女に誘拐された後の顛末については、あなたは演奏依頼で会ったレインから簡単に教えてもらっており、三人にもそれを伝えている。

 レインの知る限り、王女の初めてのワガママとして連れ去られたという彼は、幼い王女に何か感じ入るものがあったのか、王女の遊び相手を務めているらしい。

 とはいえ、レインから上記の話を聞いてから既に一週間以上が経った。

 その間、カズマ少年から一度も音沙汰が無かった以上、仲間である三人がいい加減痺れを切らしたり、あるいは何か厄介事に巻き込まれたのでは、と彼の身を案じるのは当然だろう。

 

 

 

 

 

 

 王城には事前にダクネスが向かう旨を通達していたらしく、ちょっとした手続きを踏むだけであっさりと入ることができた。

 あなた達も軽い所持品検査と武器の回収だけで登城の許可が下りるあたり、王国の懐刀とまで呼ばれるダスティネス家の権力と信頼が窺える。かくいうあなたもノースティリスでは顔パス(物理)なのだが。

 

「助かります。本当に来てくださって助かります、ダスティネス卿。あの男が来てからというもの、アイリス様はすっかりおかしな影響を受けてしまい、我々もほとほと困り果てていたのです……アイリス様の大変愛らしいお顔に笑顔が浮かぶようになったのは大変喜ばしいのですが……」

「クレア殿、心中お察しします……あの男は責任を持って私達が連れて帰りますので……」

 

 一行の先頭に立ち、カズマ少年が寝泊りしている部屋へ案内しているのは王女の護衛であるクレア。

 きょろきょろと興味深そうに王城を見回す女神アクアは全く気にしていないようだが、王女との会食でカズマ少年を散々に言い、挙句激昂してダクネスに斬りかかったクレアの背にめぐみんが向ける目は、どことなく剣呑なものが混じっている。

 仲間思いなのはいいが、あまりダクネスに心労をかけてやるな、と苦笑しながらあなたは軽くめぐみんの背を叩く。

 

「なんですか、変な勘違いはしないでください。別に私は暴れたりしませんよ、どっかの頭のおかしい誰かさんじゃあるまいし」

 

 暗にお前と一緒にするなとめぐみんは言うが、彼女にノースティリスの冒険者としての素養が備わっているのはあなたも認めるところである。

 しかし彼女は魔法使いだ。無手で暴れるのはあまりオススメできない。

 

「なんで私が暴れる事前提で話が進んでるんですかね。大体私は無手じゃありません。予備の杖をマントの中に隠し持ってます」

 

 ならばよし、とあなたは頷く。

 

 そうして城内を進んでいると、やがてあなた達はカズマ少年が寝泊りしているという部屋に辿り着いた。

 王女アイリスの肝いりという事もあってか、非常にいい部屋を宛がわれているようだ。女神アクアは一人だけこんな所に泊まってずるい、とおかしな方向に憤慨している。

 

「……しかしカズマは本当に大丈夫なんですかね。話を聞く限り、お城の中で相当やらかしてるみたいですが」

 

 めぐみんが不安げに問いかけてくるが、それは扉の向こう側のカズマ少年が教えてくれるだろう。

 果たして、その結果は。

 

「おはようメアリー。だがそう簡単に俺からシーツを奪えると思ったら大間違いだ。とはいえ、俺だって鬼や悪魔じゃない。メアリーがどうしてもって言うなら、こう言うんだ。『ご主人様、どうか卑しいわたくしめにご主人様の香りが付いたシーツを……』」

 

 クレアが扉をノックすると、部屋の中からこんな言葉が返ってきた。

 今日に至るまで、カズマ少年が王城生活をどれだけエンジョイしてきたかが一瞬で察せられる。

 

「とまあ、このような具合でして」

「……ああ、忘れていました。平時のカズマは甘やかすととことん付け上がるタイプの人間でしたね」

「違うわめぐみん。あれはカズマじゃないわ。クズマよ」

「おっと失礼。そうですね、カスマでした」

 

 ちょっと見た事が無いレベルの真顔で部屋に突入するダクネスを見やりながら、女神アクアとめぐみんが呆れ顔で溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 王女のお気に入りというVIP待遇となったのをいいことに、贅沢が骨まで染み付いたカズマ少年。

 彼は迎えに来たダクネス達を相手に、アクセルに帰りたくない、自分はこれからも安全な王城で何不自由なく面白おかしく生きていく、とどこまで本気なのか分からないダダを捏ねたが、最終的にダクネスが腕力を用いた後に王女アイリスを説得、具体的にはカズマ少年には帰るべき場所があり、アクセルにも友人や自分達といった、彼を待っている者がいる事をアピールし、自身の突発的な行動でダクネス達のような心配した者が出た事を反省した王女アイリスによって決着がついた。

 

 そういうわけでアクセルに帰還する事になったカズマ少年だが、せめて今晩だけでも、という王女たっての願いで急遽お別れの晩餐会を開く事が決定。王女のカズマ少年への入れ込み具合が凄まじい。

 出席する理由は無かったのだが、わざわざ登城した目的の人物が多忙で捕まらず、何よりここでカズマ少年達を置いて一人で帰るというのもどうかと思ったあなたも晩餐会に出席している。

 

 流石に王族が主催しただけあって、突発であるにもかかわらず晩餐会はアルダープに連れられて行った夜会よりも華やかかつ豪勢なものだった。

 晩餐会にはアルダープも呼ばれていたようで、カズマ少年とダクネスの周囲に集まっていた若い貴族の男達を相手に脂っこい笑みで弁舌を振るっている。

 

 カズマ少年とダクネス以外の二人はどうしているかといえば、女神アクアは酒を浴びるように飲み、めぐみんはここぞとばかりに空の容器に料理を詰め込んでいる。

 あなたは二人のように酒と料理を堪能した後、バルコニーに出た。

 

 パーティーの喧騒から離れ、一人空に浮かんだ満月を見上げる。

 カズマ少年とダクネスのやりとりを見てから、あなたは色々と考えていた。

 

 五体が無事だったのは何よりだが、折角パーティーメンバーが心配になって迎えに来たというのにアレな言動を散々披露してくれたカズマ少年。

 

 しかし、あなたはカズマ少年を責める気はこれっぽっちも無かった。

 それどころか、現在進行形で異世界生活をエンジョイしている身としては、彼の身を案じるダクネスの言葉はむしろ身につまされる思いですらあった。

 

 とはいえ、ノースティリスの友人やペット達は自分の事をそれほど心配していないだろうとあなたは確信している。

 何故なら逆の立場になった時、例え自分のように失踪したとしても、彼らであればどこであっても元気でよろしくやっているだろうし、そのうちひょっこり帰ってくると信じているからだ。

 あなたが信仰している癒しの女神に関しても、電波が届かない現状ではあるものの、その加護は確かに今もあなたに息づいている。あちらもあなたの生存を感じ取っているだろう。

 見通す悪魔が見通せないほどの、どれだけ果てしなく遠い場所にいようとも、あなたは今も敬愛する女神の力と温もりを感じていた。

 だが手紙の一つでも送って無事を知らせておきたいというのもあなたの偽らざる本音である。

 

 ――お兄ちゃんは()()()に帰りたいの?

 

 妹の声に、イルヴァに帰りたいか帰りたくないかで言えば、それは当然帰りたいとあなたは答える。

 ここが素晴らしい世界である事は否定しないが、それは帰りたいと思わない理由にはならない。

 あなたはノースティリスの冒険者だ。この世界の冒険者ではない。

 あなたはいずれノースティリスに戻る事になるだろう。しかしそれは今ではない。

 

 ――ふーん、私はどっちでもいいけどね。お兄ちゃんがここにいる限り、私はお兄ちゃんを独り占めできてるわけだし。勿論お兄ちゃんが帰りたいっていうなら私もできる限り手伝うけど。

 

 相変わらずの妹に苦笑しながら、あなたはなんとなく、今まで一度も聞いてこなかった事を問いかけた。

 今も突っ込んだままになっているコロナタイトの影響により、四次元ポケットの中から外界に干渉可能になった妹の日記。数値に直すと+3。

 その妹の日記+3の中にいる妹は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのかと。

 

 ――うん? そうだよー。お兄ちゃんだってずっと前から私が私だって分かってたでしょ?

 

 返答はあまりにもあっさりとしたものだった。

 しかし妹の言葉の通り、あえて明確にしてこなかっただけで、これまでの言動や常軌を逸した戦闘力から、日記の中身などとっくに分かりきっていた。確認の意味を込めて言質を取っておきたかっただけである。

 

 ――ちなみに私もあっちに帰る方法は知らないよ? 私だってお兄ちゃんがどっかに行っちゃいそうな気配を感じたから急いで私を分割して付いてきただけだし。

 

 憑いてきたの間違いなのではないだろうか。その二つに違いがあるとは思えないが。

 それはそれとして、いつもこれくらい大人しかったら妹も安心して外に出しておけるのだが。

 

 ――……? お兄ちゃんは時々すっごく難しい事を言うよね。私バカだから、お兄ちゃんが何を言ってるのか全然分からないや。

 

 この瞬間、今後も妹が四次元ポケットの中で過ごす事が確定した。

 

 ――つまりこれからも一心同体だねお兄ちゃん! 私は今もお兄ちゃんの温もりを感じるよ!

 

 言動が怪しくなってきたので、あなたは妹との会話を切り上げる。

 気分転換にはなったのでよしとしよう。

 

「こんばんは」

 

 あまり離席しているのも興が冷める。そろそろ晩餐会に戻ろうとしていたあなたに声をかけてきたのは、王女の教育係ことレインだ。

 顔見知りとはいえ、何故王女ではなく自分の近くに、と考え、一人で放置していると何をするのか分かったものではない頭のおかしいエレメンタルナイトを監視しに来たのでは、と思い至った。ガッデム。

 王女は放っておいていいのだろうかと会場に目を向けると、王女はカズマ少年と何かを話していた。まあ、パーティー会場で後先考えずにジェノサイド案件をやらかすのはノースティリスの冒険者だけだろう。

 ついでに会場の隅っこのテーブルではめぐみんがアスパラガスのサラダに襲われている。

 十本ほどのアスパラガスがキャベツやタケノコのように空を飛び、ナイフとフォークで武装しためぐみんと戦闘を開始した。

 

「今季のアスパラガスは活きがいいですからね」

 

 当たり前のようにレインが言う。

 この世界の野菜はモンスターと大差無い。

 見事なフォーク捌きでアスパラガスを仕留めて拍手を浴びるめぐみん(大道芸人)はともかく、レインが声をかけてくれて助かったとあなたが言うと、レインは苦笑した。

 

「ミツルギ殿もそうでしたが、やはり冒険者の方にはこういった場は慣れないものですか? アイリス様のお付きとはいえ、他の方と比べると家の格が著しく低い私もあまり居心地がいいとは言えないのですが」

 

 そうではない。

 あなたはレインに用事があって登城していたのだが、晩餐会の準備に追われる彼女には会えず仕舞い。

 晩餐会でも見当たらなかったのでどうしようかと思っていたのだ。

 

「私に? ……というか、えっ、私はずっとアイリス様の隣にいたのですが。気付きませんでしたか?」

 

 あなたが首肯すると、王女のお付きの敏腕アークウィザードはガクリと肩を落とした。

 

「私ってやっぱり地味で影が薄いんですかね。学生時代からそんな感じではあったんですが、アイリス様やクレアと並ぶともう全く目立たなくなりますし」

 

 思い返してみれば、あなたは先日の演奏会でも顔見知りである筈の彼女を見つけられなかった。

 アークウィザードであるにもかかわらず、レインの隠密性能は非常に高い。驚嘆に値する。

 

「影の薄さを褒められても全然嬉しくないですからね!? ……うぅっ、やっぱり私も氷の魔女さんみたいな目立つ格好をしたほうが……いや、学生時代ならまだしも、流石にこの年にもなってあの格好は恥ずかしすぎる……」

 

 それ以上はすっかり落ち着いてしまったウィズが泣くので止めてあげてほしい。

 スラリとした太ももを惜しげもなく晒し、豊かな胸をベルトで強調する服を着用し、臍出しルックで戦っていたイケイケアークウィザード時代の事をぽわぽわりっちぃは忘れたがっているので、本当に止めてあげてほしい。

 

 話題を切り替える意味合いもあり、あなたはとある物を取り出した。

 

「!?」

 

 あなたが差し出したお宝に、目を見開いてわなわなと震えるレイン。

 

「こ、これはまさか、氷の魔女さんのサイン色紙……しかもレインさんへって書かれてる……!?」

 

 そう、あなたが用意したのは、以前ゆんゆんがレインからねだられていた、ウィズのサイン色紙である。

 なお、ゆんゆんがサインを入手する際にも聞くも涙、語るも涙のやり取りがあった。

 

 

『ウィズさん、もしよろしかったらウィズさんのサインをいただけませんか?』

『私のサインですか? 別に構いませんよ。……ふふっ、色紙にサインを書くだなんて現役を引退して以来です。なんだかちょっと恥ずかしいですね』

『ウィズの現役時代か。もう何年前になるんだ?』

知りません忘れました(私は二十歳です)

『こいつ、直接脳内に……!』

『あ、あはは……。あ、サインは私じゃなくて、レインさんっていう王都で知り合った魔法使いの人が欲しがってたんです。ちょっとした切っ掛けでウィズさんの話になったんですけど、レインさんがウィズさんの事を尊敬している氷の魔女なんじゃないかって。王都で活躍していたアークウィザードの冒険者って言ってましたし、この氷の魔女ってウィズさんの事ですよね?』

『え、ええ、まあ。確かにそういう異名で呼ばれていた時期があったりも、まあ、しましたが。ですが、私は自分から名乗った事は一度も無いんですよ?』

『そうなんですか? でも確かに氷の魔女だなんて、()()()()()()()ウィズさんには似合わないですよね。それにまるで()()()()()()()()()()()()()()()()()ですし』

『うぐぅ!?』

『ウィズさん、どうしたんですか? ……ウィズさん? ウィズさーん!?』

 

 

 優しさは、時として人を傷つける刃となる。

 氷の魔女の異名に恥じぬ、魔王軍絶対ぶち殺すウーマンだったウィズに、ゆんゆんの子供らしい無垢な信頼と言葉は致命的すぎたのだ。

 

 ゆんゆんがある意味で師匠超えを成し遂げたともいえる瞬間はさておき、あなたは今日、この色紙をレインに渡す為だけに登城していた。

 本当であればゆんゆんが手渡すのが筋なのだろうが、ほぼ無名の彼女には王城務めのレインに渉りをつける伝手がなく、彼女の実家も知らない。

 本人曰くダクネスやクレアの実家とは比べ物にならない、吹けば飛ぶような弱小貴族だそうだが、それでもレインは立派な貴族の令嬢で、しかも王女の付き人として王城で働く身の上。つまりエリートである。

 同じ貴族令嬢のダクネスのように気軽に会いに行けるような人間でもないので、今日の登城の機会はあなたにとって渡りに船だったのだ。

 王城から出禁を食らっていた場合はダクネスに渡してもらうよう頼む予定だったのだが、特にそういう事はなかったので一安心である。

 

「まさか本当に貰えるなんて……あ、ありがとうございます! しかも現在の住所まで!? ど、どうすればいいんですかね。やっぱり菓子折りとか持っていった方がいいんですか?」

 

 憧れの英雄からのサイン色紙を手に軽くキャラが崩壊しかかっているレインだが、彼女の言っている住所とは色紙の裏に書かれたウィズ魔法店の住所である。

 レインはテレポートを使える腕利きのアークウィザードだと聞いたウィズが新規顧客の獲得を目論んで記載したのだが、レインは貧乏貴族だそうなので高価な商品を買ってくれるかは疑問である。

 ついでに言うとレインに過去の武勇伝を突かれて真っ赤な顔でぷるぷるする未来しか見えない。

 今からその時がとても楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 そしてそれから一週間後。

 いつものように自信に満ち溢れた快活な笑みを浮かべ、女神エリスはこう言った。

 

「共犯者クン。これで五回目になる神器回収のお仕事だけど、そろそろ王都での盗賊稼業には慣れてきたかな? 今日は大物。あのアルダープっておじさんの屋敷に行くよ!」

 

 日夜神器回収に励む女神エリスをして物凄いという宝の気配、そして同時に嫌な予感がするというアルダープの別荘。

 そこで待ち受ける運命を女神エリスは知らない。



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第91話 潜入! アレクセイ屋敷

 アクセルの領主であるアルダープ、フルネームをアレクセイ・バーネス・アルダープ。

 かつて、女神エリスは、あなたとの話の中で彼の屋敷をこう評した。

 

 ――なんかあそこは嫌な予感がするんだよね。できるだけ近付きたくないっていうか。

 

 女神エリスの友人であるダクネスを狙っていることもあって、アルダープは彼女から快く思われていないわけだが、それを差し引いても彼には何か秘密があるようだ。

 今回あなた達が侵入するのはアクセルにある本宅ではなく別荘。しかし女神エリスは本宅と同様に嫌なモノを感じているのだという。いやがうえにもあなたの期待は高まろうというものである。

 

 

 

 

 

 

「……誰もいないね」

 

 現在時刻は午前二時を回ろうかというところ。

 一階にあるキッチンのがたついた窓を外し、あっけなく侵入を果たしたあなた達だったが、女神エリスの声が示すとおり、アルダープの別荘は、申し訳程度に立っている夜警の門番以外には屋敷内の巡回をしている見張りすらいなかった。

 王都の貴族の間では悪徳貴族を狙う義賊が結構な噂になっているというのに、である。

 あなた達は今まで何度か貴族の宅邸に侵入してきたが、ここまで隙だらけな家は初めてだった。

 最初から盗まれてもいい物しか置いていないからこその無防備っぷりなのか、あるいは侵入されても問題無いと高を括っているのか。

 

「警備もそうだけど、罠発見スキルも何回使っても何も引っかからないんだよね。あたしの考えすぎだったのかなあ……」

 

 いくらアルダープとて、まさか自分が義賊に狙われないような善良な貴族だと考えているわけではないだろう。

 市井で噂になる程度には悪徳領主だと認識されている彼は、実際何度も王都の査察を受けている。

 しかしどれだけ査察団がアルダープやその周囲を調べても、不正や悪事の証拠は一切出てこず、限りなく黒に近い灰色として今もアクセルの領主の椅子に座っている。

 王家の信頼の厚いダスティネス家がアルダープを見張る為にアクセルに居を構えていると説明すれば、彼の黒さがどれほどのものかはおのずと分かるというものだ。腐ったドブ川級だね、とは女神エリスの言葉である。

 

 そんな彼の屋敷を宝感知スキルとあなたの暗視能力を頼りに探索するあなた達は、やがて一つの部屋の前に辿り着いた。

 

「スキルの反応はこの中だね。うん、罠は無し。しかしひっどい扉だね。持ち主の人間性が透けて見えるみたい。……え、辛辣すぎないかって? むしろ人として当然の感想じゃないかな」

 

 部屋の扉にはダクネスによく似た女性の絵が彫られており、更に金銀宝石でゴテゴテとした飾り付けがされている。

 彼のダクネスへの妄執が感じられる上に非常に悪趣味だが、扉を外して持って帰るだけでちょっとした財産にはなりそうだ。

 しかし三階建てである屋敷の二階、その中央に位置するここは宝物庫と呼ぶにはあまりにもおおっぴらな場所にある。ここは何の部屋なのだろう。

 

「入ってからのお楽しみってね。鍵は……オッケー、開いたよ。共犯者クン。準備と覚悟はいい?」

 

 女神エリスが扉に手をかける。その瞬間――

 

 

 

 ――ヒューヒュー! ヒュー、ヒュヒュー!

 

 

 

 どこからか、風の音のような何かが聞こえた。

 窓でも開いているのだろうかと近くの窓ガラスに目を向けるも、近くの窓は全てしっかりと締め切られている。隙間風にカーテンが揺れたりもしていない。

 

「……うーん、()()()()()()()()かあ。ごめんね共犯者クン。あたしの勘違いだったみたい」

 

 扉から手を放し、小さな声で謝罪してくる女神エリス。

 あなたは眉根を顰めて盗賊少女を叱咤した。

 

「だ、だからごめんってば。もう、そんなに怒らないでよ。凄腕盗賊のクリスさんだってたまには調子が悪い日くらいあるってなもんさ」

 

 気まずそうに口を尖らせる女神エリスだが、あなたの言っているのはそういう事ではなかった。

 彼女は寝ぼけているのだろうか。あるいはからかわれているのか。

 女神エリスの意図がさっぱり読めないが、今は口論をしている場面ではない。

 あなたはさっさと部屋の中に入ろうと少女を急かす。

 

「うん? やだなあ、共犯者クン。何を言ってるの? あれだけ念入りに調べてもこの部屋には()()()()()()()()()()()()()でしょ?」

 

 あっけらかんと言い放ったその言葉に、今度こそあなたは目を見開き凍りついた。

 

 背筋に虫が這うような怖気が走り、急速に違和感が膨れ上がっていく。

 あなたにからかわれたと思っているのだろう。目の前で苦笑いする女神エリスは冗談で言っているようには見えず、だからこそ気持ち悪いとあなたは感じた。

 

 おかしいのは自分なのか、女神エリスなのか。

 

 宝感知スキルに反応があったのはこの部屋の中だ。他ならぬ彼女本人がそう言った。何も無いわけがない。

 そしてあなた達はまだこの部屋に入っていない。少なくとも、あなたの認識ではそうなっている。

 入っていないのに、女神エリスの中ではいつの間にか入って、探索し終えた事になってしまっている。

 互いの認識と会話が噛み合っていない。

 

 事ここに至り、あなたは自身が何かしらの影響下にある事すら念頭に置き始めていた。

 片や廃人とはいえ定命の只人。片や人並に弱体化しているとはいえ女神の化身。

 自身の正気を疑う理由としては十分に過ぎる。

 

 あなたは右手を女神エリスに見えないように背中に回し、妹に合図を送った。

 もし妹もこの部屋の中に入ったと認識しているのであれば包丁を一本。

 そうでなければ二本、自分の右手に握らせろと。

 

 直接口頭で言わせなかったのは、女神エリスが妹の声を聞けてしまうからだ。

 

 あなたの意図を正しく読み取った妹は、黙したままあなたの指示通りに行動する。

 ……果たして、あなたの手の中に包丁は二本あった。

 妹はあなたと同様に、この部屋には入っていないと自覚しているようだ。あなたはほんの少しだけ、覆面の下で表情を和らげた。

 完全に確定したわけではないが、多少なりとも天秤は女神エリスが何かしらの影響を受けた方に傾いた。

 

 先ほどの女神エリスが言っていたとおり、ここには確かに何かがあるのだろう。

 足早に立ち去ろうとする女神エリスの肩を掴み、あなたはでまかせの提案をした。

 部屋の中から違和感を感じた。部屋を出る寸前におかしなものを見た気がする。もう一度入ってみよう、と。

 

「えー……何も無かったんだし別にいいでしょ?」

 

 硬質な声で不機嫌さを顕にする女神エリス。常の彼女であれば考えられない反応だ。

 それでも、とあなたが頼み込むと、女神エリスは渋々ながらもそれを受け入れた。

 

「仕方ないなあ……」

 

 先ほどと同じように扉に手をかける。

 

 ――ヒューヒュー! ヒュー、ヒュヒュー!

 

 異音、再び。

 やはりというべきか、これは偶然や幻聴ではないのだろう。

 

「ほら、だから言ったでしょ? ここには何も無いんだって」

 

 そして相変わらず、扉を開けることなく立ち去ろうとする女神エリス。

 言うまでもないが、あなたに部屋に入ったという記憶は無い。

 

「さ、次の部屋に行こう」

 

 まるで少しでも早くここから離れようとするかのようにあなたを急かす相方を追いながら、この場は一旦引いて彼女に付いていくか、踵を返して扉の向こうに戻るか思案する。

 後者を選んだ場合、女神エリスは今度こそ極めて強い反発を示すと推測される。

 彼女をみねうちでぶっとばして意識を奪い、無理矢理連れて行くのは簡単だ。

 しかし今の彼女を連れて行った場合、何が起きるのか予想がつかない。

 

 魔道具か、神器か、はたまたスキルなのか。

 いずれにせよ、あなたの見立てでは今の彼女は何かに記憶を改竄されている。

 直接的な原因は扉に触れると聞こえてくる謎の音が有力であるが、肝心の攻撃の正体が掴めない。

 女神エリスが本来の姿と力のままであれば術中に嵌ることもなく、話は簡単に終わったのだろうが、今の彼女はあくまでも盗賊のクリスだ。

 正体を隠して人間の冒険者として振舞う為に力を削ぎ落としているのが完璧にあだになってしまっている。

 かといって、あなたがここで女神エリスの正体を知っていると明かして記憶の改竄を防ぐ為に本気を出してくれ、と頼んではい分かりました、などと簡単にいくはずも無い。

 クリスとしての活動が女神エリスとして人間側にできる最大限の譲歩であり助けだというのは何となくわかる。

 神が人界に関わる場合、多大な制約をかけられるというのは魔王軍との戦いだけを見ても明らかだ。

 何をやってもいいのであれば、それこそ化身ではなく女神エリス本体が降臨して本気を出し、さっさと魔王軍を消し飛ばせばいいだけなのだから。

 

 根本的に、命の危機に陥ったならまだしも、名高い女神を相手に、たかが記憶の捏造を食らった程度で正体を現して本気を出してくれと頼むのもどうなのか、という考えもある。

 

 結局、あなたは扉の前から立ち去り、女神エリスについていくことにした。

 

 

 

 

 

 

 宝感知スキルを使いながら屋敷の中を探索する女神エリスだったが、彼女はやがて一階、キッチンの近くにまで戻ってきていた。

 

「ふむふむ、こっちの方だね。近い、近いよ……」

 

 暗視スキルを持っていないが故に手探りで闇の中を進む女神エリスだが、この先にあるキッチンは一階の隅に配置されており、いわゆる袋小路となっている。

 いくらキャベツが空を飛び、サンマが畑で収穫できる異世界とはいえ、そもそも人が多く集まるキッチンやその周辺にお宝を置く貴族は存在するのだろうか。

 そしてこの道は行きに一度通り過ぎている事に違和感を覚えていないあたり、やはり宝感知スキル以外の何かに誘導されているとしか思えない。

 あなたはこのままだとキッチンに辿り着くと説明したのだが、女神エリスはこんな事を言った。

 

「キッチン? なら食べ物が沢山あるし、お宝がありそうだね……あたしの先輩がお菓子の箱の中にすっごく大事な宝物を入れた後にどこに仕舞ったか忘れちゃったことがあって、あたしも先輩に泣き付かれて捜索に駆り出されたもんだよ。懐かしいなあ」

 

 この国の一部で崇められている高名な女神と推測されるその先輩の例は全く参考にならないと思われる。

 やはり人間とは違う世界に生きる女神なだけあって人間とは常識のズレがあるのか、微妙に天然の気がある女神エリスを生暖かい目で見ていたあなた(異世界人)だったが、廊下の半ばまで差し掛かったところで、何者かがこちらに接近してきていることに気が付いた。

 記憶を改竄された女神エリスに接触しようとする術者かもしれないと判断したあなたは、隠密スキルで気配を断つ。

 

「…………」

 

 そうして忍び足でやってきた人物に、あなたは軽く目を見開くことになる。

 なんとパジャマ姿で現れたのはあなたもよく知る人物、カズマ少年だったのだ。

 

 彼は先週の王城での晩餐会であなたがレインと話し込んでいる最中、いきなり噂の義賊を捕まえてみせると名乗りをあげた。無論正義感に駆られてではなく、王城に居座る口実として。

 平和な街に大きな屋敷を持ち、三人の美少女達と共に住み、ハンスの討伐と商品開発で莫大な富を得た。

 あなたのように蒐集癖のある人間でもなさそうだし、ウィズのように貯蓄を一瞬で溶かしつくす特殊技能を有しているわけでもない。

 普通に生きていく分には十分だろう。むしろ若い身空で既に人生がボーナスステージに突入しかけている状況なのだが、まだ足りないらしい。

 

 まあ結局はクレアによって彼は王城を追い出され、義賊を捕まえた暁には王城の滞在を検討してやらんでもない……という事になったわけだが。

 その後、めぐみん達と共にあなたと別れ、王都の貴族の屋敷のどこかに泊り込むというのは知っていたが、まさかアルダープの屋敷に滞在していたとは。他の三人もここにいるのだろう。

 悪い噂が絶えないアルダープは客観的に見れば悪徳貴族を狙う義賊の恰好の獲物だ。

 しかしアルダープがダクネスに執着しているという話は彼女とパーティーを組んでいるカズマ少年も聞いている筈だ。故にここだけは選ばないと思っていたのだが。

 

「……?」

 

 カズマ少年が近づいてきた際に何かが引っかかったのか、少しだけ周囲を警戒するも、あなたが反応しない事もあってすぐに気のせいだったと判断し、そのまま探索に戻る女神エリス。

 壁に張り付いてやりすごし、後方から近づいてくるカズマ少年は何かのスキルでも使っているのか、いつもより存在感が薄い。そんな彼に女神エリスは気付いていないようだ。

 隠密スキルはあなたの存在を既に意識している女神エリスには効果が無いが、スキルの効果が発揮される時にあなたを認識していなかったカズマ少年は、彼に気付いていない女神エリスと同様に、女神エリスの傍にいるあなたに気付いていない。

 傍から見るとシュールな光景なのだろうな、とあなたは思った。

 

 しかし、この場に来たということはカズマ少年が件の術者なのだろうか。

 考えにくい話ではあるが、彼は全てのスキルを習得可能な冒険者だ。ありえないとは言い切れない。

 あなたにとって非常に思い出深いスキルであるドレインタッチのように、あなたの知らないところで意識誘導や洗脳系のスキルを覚えている可能性は十分にある。

 

 ……と、そこまで考えた所でありえないとあなたは自身の懸念を一笑に伏した。

 仮に精神操作系のスキルなどという便利なものを所持しているのなら、カズマ少年は今頃アルダープの別荘にいないと気付いてしまったのだ。わざわざスキルを駆使して義賊を捕まえるなどというまどろっこしい真似をせずとも、直接クレアあたりの認識を操作して王城に戻ればいい。自分であればそうする。

 

 カズマ少年は謎の声とは無関係だと判断したあなたは、女神エリスに後方の壁際に追跡者がいると声に出さずに合図を送った。

 ビクリと反応しながらも、女神エリスは声を発することも後ろを振り返ることもしない。

 

『……言われてみれば、確かに誰かいるね。でも集中しないと分からないくらい気配が薄い。あたしみたいな盗賊職かな。ここまで共犯者クンとあたしに気付かれないなんて、相当の腕利きと見たよ』

 

 ノリノリなところ申し訳ないが、盗賊ではない。

 それどころか相手は女神エリスも知っている人間で……というかカズマ少年である。

 

「え? カズマ君? あの冒険者の?」

「っ!?」

 

 思わず、といった表情で声を出してしまった女神エリスに、あなたはじっとりとした視線を送った。

 土壇場で大ポカをやらかす様は彼女の先輩(女神アクア)を髣髴とさせる。あるいはこれも認識操作のせいなのか。うっかりをやらかす呪いだった場合は一刻も早く解呪すべきだ。うっかりやの盗賊の相棒など断じてごめんである。

 

「あ、あはは……ごめんなさい……」

「んん? その声、もしかして……」

 

 あちらも声の主にピンと来たのだろう。

 いぶかしみながらライターを取り出し、火をつけるカズマ少年。バレたのであれば最早隠れても仕方ないという一種の開き直りすら感じられる。

 そうして彼の姿が闇の中から浮かび上がり、女神エリスの姿と共に、艶のある銀色の髪が微かな明かりに照らされ煌いた。

 

「誰かと思えば、やっぱりクリスだったか」

「あー……うん。久しぶり」

 

 かつてパンツを盗んだ者と盗まれた者は、こうして闇の中、非常に気まずい雰囲気の中で運命的な再会を果たしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 廊下で立ち話というのもなんだということで、あなた達はキッチンにやってきた。

 

「一応聞いておくけど、クリスが噂の義賊なんだよな? 悪徳貴族の屋敷に盗みに入って、孤児院に金をばらまいてるっていう」

「まあ、そうなんだけど……そういうキミはどうしてこんなところに?」

「俺は最近までちょっとした事情で王城にいたんだが、そこで義賊の話を聞いたんだ。幾ら弱者の味方の義賊といっても盗みは盗み。犯罪者が見逃されていいわけがない。義憤に駆られた俺は義賊の捕縛に名乗りをあげたってわけだ。先に言っとくけどダクネスもこの屋敷にいるぞ」

「ダクネスがいるの!? やっばいなあ……。アイアンクローが、アイアンクローが迫ってくる……! 駄目だよダクネス、流石にそれは割れちゃうって……!」

 

 技術はからっきしだが腕力と握力には定評のある友人の折檻が恐ろしいのか、青い顔でガクブルと震える幸運の女神の化身。

 そういえばダクネスとの初対面の際、彼女は容易く女神エリスを沈めていたな、とあなたは懐かしい気分になった。

 

「罪はちゃんと償わないとな。クリスはダクネスの友人だし、素直にごめんなさいってすれば処刑まではされないだろ。それに盗んだ金も、表沙汰になったらむしろ貴族側が困るようなものばっかりなんだろ? そこんとこを上手く突けば示談くらいで済むんじゃないのか」

「ちょ、ちょっと待って。違うから。誤解だから。これには深い訳があるんだよ」

 

 なお、この深い訳の内訳は使命と趣味になっている。

 比率としてはだいたい9:1、あるいは8:2といったところ。この数値をどう受け取るかは人それぞれだ。

 そしてあなたは圧巻の使命0、趣味10。ベルディアあたりは「知ってた」と即答するだろう。物欲に支配された廃人に正義感や使命感なんぞ絶無である。当然の帰結であった。

 

「そうは言うけどな。俺にだってそっちを見逃せない理由があるんだよ」

「ぐぬぅ……ちょっと共犯者クン。いつまでも黙ってないで説得に協力してよ。あたしとキミは一蓮托生なんだから、丸投げはよくないと思うな」

「共犯者? クリスの他に誰かいるのか?」

「えっ」

 

 空気が凍った。あなたはそんな錯覚を覚えた。

 カズマ少年は隠密スキルの効果が生きたままのあなたの存在に気付いていない。なんとなく解除するタイミングを見失ってしまったのだ。

 ギギギ、と引き攣った笑みであなたを見やる女神エリスだが、ちょうど十何分か前、認識を操作された彼女に対してあなたは似たような心境に陥っていたのでおあいこである。アルダープの屋敷は女神エリスの鬼門なのかもしれない。

 

「や、やだなあもう。冗談は止めてよカズマ君。幾ら共犯者クンが全身黒ずくめだからって、そういう冗談はよくないよ。ほら、よく見て。いるでしょ、ここに。あたしの隣に」

「いや、誰も見えないけど……ん? ……うおっ!?」

 

 女神エリスがあなたを認識させたせいで、隠密スキルの効果が解けてしまったようだ。

 あなたの気配を感じ取り、姿が見えた瞬間、カズマ少年は慌ててその場から後ずさった。

 

「マジか。全然気付かなかった。アサシンのジョブとかそっち系の人? 幽霊的な何か?」

「いや、違うんだけど……キミ、どういう隠密能力してんのさ。魔法を使ってないのに目の前にいる相手に気付かれないって凄いを通り越して普通に怖いんだけど」

 

 ドン引きされてしまった。

 あなたの隠密スキルはノースティリスのスキル。つまりれっきとした技術の賜物なので、やろうと思えば誰にでもできる。

 

「……いや、ちょっと待て」

「どうしたの?」

「どうしたもなにも……」

 

 ライターの火に照らされたあなたを上から下まで眺めること、きっかり十秒。

 イルヴァの極東に存在する諜報組織。闇に蠢く彼らの装束(ユニフォーム)を模したあなたを指して、カズマ少年は断言した。

 

「忍者だこれ!?」

「ニンジャ?」

「物凄い隠密能力! 目元以外をすっぽり覆う黒頭巾! 黒い手甲! 袴までバッチリ着こなした上下の黒装束! これが忍者じゃなかったら何なんだよ!」

 

 いきり立つカズマ少年にあなたは大袈裟に肩を竦め、首を横に振って答えた。

 気のせいでござる。拙者は忍者なんてこれっぽっちも知らないでござる……おっと失礼、手裏剣が落ちてしまったでござる。

 

「今ござるって言った! 3回もござるって言ったぞ!! わざとらしく落とした手裏剣といい誤魔化す気が欠片も感じられないんだけど!? お前の中身絶対日本人だろ!!」

「ねえ、いきなりどうしたの!? ほんとどうしたの共犯者クン!? キミそんな愉快なキャラじゃなかったよね!?」

 

 覆面によるくぐもった声のおかげで、カズマ少年はあなたの正体に気付いていない。

 しかしまさか彼が忍者を知っているとは思わなかった。ネタを拾ってもらえた嬉しさに、ついノリノリでふざけてしまったあなたを誰も責めることはできない。

 

 ひとしきり遊んで満足したあなたは嘘八百の自己紹介を始めた。顔見知りが相手だが、正体はバレるまで明かさない方向でいくべきだろう。

 自身の格好や言動について、旅の途中で知り合った人物に教えてもらったと説明する。

 こちらは嘘は言っていない。あなたの説明を聞いた彼らが思い描く世界と、実際にあなたが旅をしてきた世界が違うというだけだ。

 

「猫耳神社作った奴といい、どいつもこいつも何考えてるんだ。まともな日本人が俺だけとかモラルハザードが深刻すぎるだろ、常識的に考えて」

「…………」

 

 お気に入りのパンツを剥かれ、家宝にされかけた挙句紛失した経験を持つ女神エリスが、自称まともなニホンジンをなじるように見つめている。

 神器級のパンツを失っただけあって、これは相当に根に持っていると判断した下着紛失の下手人(あなた)は、黙したまま目を伏せた。

 

「でも義賊に協力者がいたとか聞いてないぞ。クソッ、クリスを豚箱にぶち込みにくくなったな……」

「酷くない? ねえカズマ君、ちょっと酷くない? あとあたし達がこうしてるのには理由があるんだからね?」

 

 渋面を作るカズマ少年にとって、あなたの存在はイレギュラー以外のなにものでもないだろう。何せ世間を騒がす噂のイケメン義賊は単独犯と言われているのだから。

 状況は二対一。アルカンレティアで一緒に温泉に入った際、何よりも平穏と安定を求めていたカズマ少年は、使えねーな白スーツの奴、と舌打ちし、尊大な口調で脅しをかけてきた。

 

「おいエセ忍者。自慢じゃないが俺はあのデストロイヤーや魔王軍幹部といったバケモノ達と戦い勝ってきた冒険者だ。王都でも超有名な魔剣の勇者のナントカさんを一撃でノックアウトしたって言えばどれくらいの強さかは分かるな? 俺の仲間には最強魔法を操る紅魔族、あらゆる攻撃に耐える鉄壁のクルセイダー、宴会芸を操るアークプリーストがいる。当然王族との太いパイプだって持ってる。さっきも言ったが、義賊だろうが何だろうが、お前達のやってる事はれっきとした犯罪行為だ。悪いようにはしないと約束するからこの場でお縄に付け」

「カズマ君。これはダクネスの仲間であるキミへの100パーセント善意からの忠告なんだけど、この人隠密能力だけじゃなくてすっごく強い上に容赦が無いからそのつもりでよろしく。王都の冒険者が相手でも普通に蹴散らせるから」

「おいエセ忍者。自慢じゃないが俺の職業はあの器用貧乏の最弱職で有名な冒険者だ。普段は王都じゃなくて駆け出しの街で活動してるって言えばどれくらいの強さかは分かるな? 俺の仲間には魔法一発で行動不能になる紅魔族、攻撃が当たらないドMクルセイダー、宴会芸を操るアークプリーストがいる。当然まともに戦えるわけがないし毎度トラブルを引き起こすから後始末が大変なんだ。そんな不幸な人間をボコボコにしようなんて、お前は人としてあまりにみっともないと思わないのか? 義賊としてのプライドってもんは無いのか?」

 

 大言壮語から一転して、あまりにも堂々とした手の平返しと全力で保身に走る潔さは、いっそ清々しさすら感じられる。

 しかしあなたは自身を義賊だとはこれっぽっちも思っていないので、いざカズマ少年をみねうちでぶちのめす段階になったとしても、何ら痛痒を感じない。

 剥製とカードの為、種族、性別、年齢、身分を問わずにミンチにしてきた実績は伊達ではないのだ。

 

「エセ忍者はともかく、実際クリスは何やってんだよ。さっきも言ったけど窃盗は普通に犯罪だぞ。友達がこんな事やってるって知ったらダクネスだって困るだろうし。分かったらクリスは猛省してエセ忍者を自分と一緒に自首するように説得しろ」

「…………はぁ。しょうがない、か」

 

 このままでは埒が明かないと判断したのか、溜息を吐いた女神エリスは覚悟を決めた顔と声をしている。

 しかしそれは断じて縛に付く事を受け入れたわけではない。カズマ少年もそれを察したようだ。

 

「分かったクリス、落ち着いて話し合おう。そっちがどうしてもっていうなら俺も今夜の事は見なかった事にするのも吝かじゃない」

「何か勘違いしてない? 口封じとかそういうのじゃないから。……君には本当の事を話すよ。ダクネスだって聞けばきっと理解してくれる筈」

 

 カズマ少年を巻き込む方針でいくようだ。彼女は冒険者のパーティーよろしく四人メンバーで活動したいと言っていたので、あなたもカズマ少年とダクネスの加入に異存は無い。

 ダクネスの権力はバックアップ要員として非常に得難いものだし、カズマ少年も女神エリスに気取られずに接近するだけの気配遮断スキルを有している。この分だとアーチャーの暗視スキルも覚えている筈だ。決して悪い選択肢ではない。

 本人にやる気さえあれば、の話だが。

 

 ちなみに盗賊が本来非常に相性がいい筈の暗視系のスキルを習得不可能な件については、あなたはスキル関係の法則を定めた神々によるバランス調整の結果だと考えている。

 開錠、隠密、窃盗スキルを持つ盗賊が暗視まで持っていたら、それこそノースティリスのように夜間の不法侵入だの強盗だのがやりたい放題になってしまう。妥当な落とし所だろう。

 

「実は、あたし達がこんな事をやってるのは、世界の平和――」

「待て止めろ聞きたくない。深い理由があるのはよく分かった。ダクネスにも絶対に言うな。俺も黙っとくから」

 

 厄介事の気配を敏感に察知したのか、無理矢理言葉を打ち切ったカズマ少年の声は非常に硬かった。

 

「えっ、いや、その。もしかして言い方が悪かったのかな。あたしに協力してほしいんだけど。実は二人だけだと大変なんだよね、こう、色々と」

「絶対にノゥ!」

 

 二人が一進一退の攻防を繰り広げていると、遠くから、大勢の人間が走ってくる音が聞こえてきた。

 深夜とはいえ、カズマ少年と女神エリスが騒ぎすぎたせいで勘付かれてしまったようだ。ほどなくここに辿り着くだろう。

 チャンスだ、とばかりにカズマ少年が目を光らせる。

 

「クリスを連れてさっさと逃げろエセ忍者! このままだと捕まるぞ! 好色で有名なアルダープにクリスが捕まったらもう、あれだぞ、薄い本展開待ったなしだぞ! なんたってうちの連中に色目を使うレベルなんだからな!」

「ああもうっ、しょうがないなあ! また明日にでも事情を話しに来るからね!」

「お願いだから来ないでくれ! ついでにエセ忍者、俺を行動不能にしてくれないか! そしたら賊と戦ったけど逃げられたって言い訳できる! エセでも忍者ならなんか適当な忍術を使えるんだろ? パパっと頼む!」

 

 保身に余念が無いカズマ少年を相手に、あなたは忍刀を抜いた。

 本人もこう言っていることだし、可及的速やかにぶっ飛ばすとしよう。

 

 

 この秘伝忍法、半殺しの術(みねうち)で。

 

 

「滅茶苦茶嫌な予感がする。なんで敵感知スキルに全く反応が無いんですかね。っていうか武器じゃなくて忍術を使えって俺言ったよな? ……そっかぁ、忍術が使えないから物理かぁ。……それ以上俺の傍に近寄るなエセ忍者! 何が忍法半殺しの術だ! 良識というものはねぇのかよ!!」

「ここはあたしに任せて! バインドッ!!」

 

 女神エリスが素早くロープを取り出しスキルを発動すると、ロープで全身をグルグル巻きにされたカズマ少年は芋虫のように地面に転がった。

 

「これでオッケー! さ、急いで逃げるよ!」

「サンキュークリス!」

「いいってことよ! 共犯者クンは屋敷の外に出たら例のアレ(テレポート)をよろしく!」

 

 戦って相手を退けたが引き換えに重傷を負った事にすればカズマ少年も面目を保てるだろうし、仲間やクレアから同情が得られる。それに女神アクアが屋敷に詰めているのであればこの後の治療の心配も無用でベストな作戦だと思ったのだが。

 安堵の表情を浮かべるカズマ少年にサムズアップを返す女神エリスを追いながら、あなたは腑に落ちないものを感じざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 コメディ時空に巻き込まれ、うやむやのままに終わったとしか言えないアルダープの屋敷への潜入だが、あなたは女神エリスが記憶の改竄を食らい、おまけにトラブルを引き寄せる体質のカズマ少年と遭遇した時点で早々に見切りを付けて半分ほど遊んでいた。今日はもう事態の究明を探るのは無理だろう、と。

 

 そんなわけで翌日の深夜。

 あなたは再びアルダープの別荘に侵入していた。

 用事があるという女神エリスを伴わず、単身で。

 

 失敗に終わったとはいえ、盗賊が入ったばかりという事もあって屋敷には多少の警備が敷かれていたが、一人になって身軽になったあなたにとってはザルを通り越して枠警備と言わざるを得ない。

 そうして辿り着いたのは問題の部屋の前。先日、女神エリスが記憶を改竄された場所である。

 

 今日の昼に会った彼女の話では別荘から宝の気配は消えてしまったらしい。

 義賊が入ったので奪われる前にどこか別の場所に隠してしまったのだろう。しかしあなたは宝以上にこの中にあるモノが気になっていた。

 

 あなたが懐から妹の日記を取り出し、床に置くのとほぼ同時に妹の幻影が出現。

 昨日の女神エリスのポジションをあなたが担当し、妹が昨日のあなたを担当するという流れだ。

 屋敷に侵入する前に呪いや状態異常、弱体化系統の魔法を弾くホーリーヴェールの魔法を愛剣による強化込みで使っているものの、この世界の呪いや術にどこまで通用するのかは若干疑問である。行きがけに試してもらったベルディアの死の宣告は余裕で防げたが。

 不安を抱きながらあなたは鍵を開け、ドアノブに手をかける。女神エリスのように()()()()()()()()()()()()という記憶を植えつけられるのか、それとも。

 

 

 ……音は、聞こえてこなかった。

 

 

 細心の注意を払い、何が起きるかと身構えたものの、あっけなく扉は開いた。

 念のために自身にかけられた呪いを解く魔法も使用。特に何かが変わったようには思わない。妹もあなたの様子を見て異常が無い事を察したのか、二言ほど軽く確認をとって幻影を消した。

 

「ララティーナ……ワシの可愛いララティーナ……グフ、グフフ……」

 

 日記を回収して侵入した問題の部屋の中央。豪奢なベッドに眠っているのはアクセルの嫌われ領主ことアルダープ。

 どうやらここは彼の寝室だったようだ。

 

 欲望に塗れたアルダープの寝言を聞き流しながら、何か手がかりは無いだろうかと壁や床をしらみつぶしに調べること数分。

 あなたは美化されすぎなアルダープの肖像画の裏側の壁に、怪しげな隠し扉があるのを発見した。

 

 扉の向こう、狭い隠し部屋の中には、テレポート用の魔法陣と制御用の宝玉がぽつんと置かれている。

 軽く調べたところ、どうやら魔力が込められた宝玉に触るだけで起動するタイプのようだ。あなたの家に置いてあるのとはわけが違う、超の付く高級品といえるだろう。しかし神器ではない。

 どこに繋がっているかはさておき、隠し方がお粗末極まりない隠し部屋といい、誰でも簡単に起動してしまえる魔法陣といい、あまりにも露骨すぎて自分は誘導されているのだろうかと思わずにはいられない。

 

 だがあなたは罠があったら踏み潰して進んでいくタイプの冒険者だ。

 同格を相手にしない限り危機に陥る場面すら稀なのでその手の感知能力が麻痺しているともいう。

 いざとなったらいつも通り皆殺しにすればいい、と判断して宝玉に触れようとして……

 

 

 ――その瞬間、タイミングを見計らったかのように深夜の王都全域に大音量の警報が鳴り響いた。

 

 

『魔王軍襲撃警報! 魔王軍襲撃警報!』

「何事だっ!?」

 

 案の定、警報に飛び起きるアルダープ。

 できるだけ穏便に済ませておきたかったのだが、姿を見られて騒がれると後で女神エリスがうるさそうだ。あなたはアルダープを背後から強襲した。

 

「ぐべっ!?」

 

 忍刀によるみねうちを食らって呆気なく昏倒するアルダープ。

 

 ……の筈だったのだが、あなたは妙な手ごたえを感じていた。

 高レベルの聖なる盾(防御魔法)で攻撃を軽減された時のような、見えない何かに阻まれる感覚。

 違和感の元を探る間も無く、アルダープは頭を押さえながらむくりと頭を上げた。

 

「ぐっ、な、なんだ……くそっ、頭が痛い……何が、起きた……マクス、マクスッ……!」

 

 十分に手加減はしたが、それでもレベル20程度の冒険者なら余裕で昏倒するあなたのみねうちを彼は耐えてみせた。

 女神エリスがおかしくなった件といい、彼の本性は優れた術者だったりするのだろうか。

 あなたの見立てでは、アルダープは装備無しのあなたが目隠しして手足を雁字搦めに拘束し、魔法やスキルが封じられた状態だろうと余裕で勝利可能な相手である。身も蓋も無い言い方をするとただの一般人だ。

 致し方ないと、今度は確実に意識を飛ばせるように本気でみねうちを放つ。

 

「おのれ、何をやっておる、あの役立たずめガ――!?」

 

 暗い部屋に鈍い音が大きく響き、アルダープはおとなしくなった。

 文字で表現すると*SMAAAASH!!*になる会心の一撃。多彩な異能を使いこなし、棍棒を振り回して敵をぶっ飛ばす赤帽子の少年もニッコリ微笑んでオーケー、と頷いてくれるだろう。

 勢い余ってアルダープの首が「えぇ……人間の首ってこんな風になるんだ……怖っ」みたいな状態になってしまっているが、みねうちなのでただちに命に別状は無い。

 あなたは白目を剥いて痙攣するアルダープの首を耳を塞ぎたくなるような音を鳴らしながら元通りの位置に修正し、ポーションを飲ませてベッドに寝かしつけ、風邪をひかないように毛布をかけた。

 彼個人に恨みはないし嫌いでもないのだが、ひとえに運とタイミングが悪かった。

 今更許してほしいなどと言うつもりは無いしそんな権利も無いが、突然のキューブテロに巻き込まれた挙句エイリアンを孕まされたとでも思って受け入れてほしい。

 

『魔王軍襲撃警報! 魔王軍襲撃警報!』

 

 繰り返されているアナウンスは今も大音量で王都を騒がせている。

 あなたにとっては非常に久しぶりとなる魔王軍の襲撃。

 今回のそれは非常に大規模なようで、騎士団は勿論、王都内の冒険者達にも参戦するように通達がなされている。女神エリスの仕事が増えそうだな、とあなたは思った。

 

 本来であれば冒険者であるあなたも参戦すべきなのだろう。

 しかしあなたはここまで来てノコノコ引き下がる気は毛頭無かった。

 大至急王城前に集合するように、というアナウンスを無視して宝玉に触れる。

 用事が済んだ後も戦闘が終わっていなかったら参戦しよう、と気軽に考えながら。

 

 かくしてあなたは、今まさに騒乱が始まらんとする王都から忽然と姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

 テレポートで飛び、あなたが辿り着いた先は、殆ど同じ作りの小部屋だった。

 違いとしては、こちら側は普通に木製の扉で出入りするようになっている、といったところだろうか。

 そして、あれだけうるさかった警報がどれだけ耳を澄ませても聞こえないことから、少なくともここが王都ではないということが分かる。あるいは警報すら届かない王都の地下深く。

 どちらにせよ、この小部屋にも魔法陣と宝玉が置かれているので、屋敷とこの場所を行き来できる仕組みになっているのだろう。あなたは帰りはテレポートを使って王都に戻る予定なので必要ないが。

 

 小部屋の扉を開けると、覆面越しに届くかびの匂いがあなたの鼻を突いた。

 周囲を見渡せば、周囲は無機質な灰色で覆われており、更にあちらこちらに魔道具が配置されている。

 あなたがやってきたのとは別の、正規の出入り口と思わしき扉はあるが、窓は一つも無い。息が詰まりそうな閉塞感は牢屋を思い起こさせる。

 

 ろくに掃除もされていないのであろう、かび臭いそこは、しかし異様な気配で満ちていた。

 床や壁のあちこちにこびりついているどす黒い何かは、あなたも非常に見覚えのあるものであり、アルダープがこの部屋で何をしてきたのかを雄弁に物語っている。

 

「ヒュー、ヒュー」

 

 とはいえ、この程度の惨劇の跡は見飽きたものだし、あなた自身、これ以上の地獄を何度も作り上げてきた。命が重い世界でよくやるものだと少しばかりアルダープには呆れたが、所詮はその程度だ。

 よってこれといって義憤を抱く事も無く、あなたは部屋の最奥に目をやった。

 そこは異様な気配が最も濃い場所であり、さきほどから聞こえていた音の発生源でもある。

 

「ヒュー、ヒュー、ヒュー」

 

 昨日、女神エリスがアルダープの寝室に入ろうとした瞬間に聞こえてきたものと全く同じそれは、音ではなく、何者かの声だった。

 ソレは部屋の奥でヒューヒューと掠れた声をあげ、いわゆる三角座りでユラユラと揺れている、ヒトの形をしたモノ。

 

 あなたに気付いていないかのように揺れるソレは、見た目だけなら金髪で色白の貴族の青年といえなくもない。

 バニルが普段着ているものと全く同じ黒いタキシードを着こなし、しかし彼のように仮面をつけていないソレの顔は寒気がするほどに整っている。

 

 これはまたとんでもないのが出てきたな、というのがソレを見たあなたの素直な感想である。

 失ったのか、あるいは最初から無かったのか。ソレは後頭部を綺麗さっぱり無くしているのだが、そんなものはチャームポイントの一つでしかない。

 問題は目の前の青年から感じられる力がバニルと同等だという事。つまり廃人級。正真正銘のバケモノである。

 屋敷の警備が手薄なわけである。確かに彼がいれば他の警備など足手纏いにしかならない。

 

 女神エリスの言っていた嫌な予感、そして声の謎は大体分かったが、アルダープはとんだバケモノを飼っていた。

 とはいえ、本当に飼われているのは果たしてどちらなのか。

 あなたはアルダープが彼を御しきれているとは思えなかった。

 見たところ彼は数多の魔道具でコレを封じているつもりのようだが、こんなオモチャで彼を留めておく事などできる筈もない。

 

 正しい意味での廃人のような青年に、どうしたものかとあなたは考える。

 彼が相手なら勝つにせよ負けるにせよ、きっと楽しく戦える(遊べる)だろう。

 しかし強さといい服装といい、彼はバニルの関係者である可能性が非常に高い。バニルはウィズ(大切な人)の友人だ。手を出すのは一度バニルに話を聞いてからでも遅くはない。

 

 間違いなく自身と伍するモノ、自身を殺し得るモノとの戦いの予感に、あなたは楽しみだと笑う。

 この世界に来て以降、長らく命のやり取りを行っていない。今まで出会ってきた超級の相手はいずれも不戦のままやりすごしてしまった。

 本当に、本当に楽しみだった。

 

 願わくば彼がバニルと無関係の者でありますように。

 そんな事を考えながらあなたがこの場所にテレポートを登録した刹那、それまでずっと何も無い虚空を見つめ続けてブツブツと何かを呟いていたソレは、ぐりん、という音が鳴りそうな勢いであなたの方に振り向いた。

 

 

「ヒューヒュー! ヒューヒュヒューッ! はじめまして眩しいダレカ! だけどそれ以上に暗くて遠いナニカ! 何も覚えていられない僕が今まで見てきた誰よりも暗く遠くてきみはダレ!? きみはナニ!? ああ、きみはまるでどこまでも果ての無い穴のよう!!」

 

 

 青と白のオッドアイを持つ青年が拍手を鳴らす。

 その整った顔を、幼い子供のように無邪気に輝かせながら。

 

 

 

 

 

 

 あなたが王都から消えた数秒後、一つのアナウンスが王都の夜を駆け抜けた。

 

『たった今、情報が入りました! 軍勢の中に魔王軍幹部、シルビアの姿を確認! 繰り返します! 軍勢の中に魔王軍幹部、シルビアの姿を確認! シルビアは極めて強力な魔法防御を誇るといわれています! 魔法使いの皆さんは十分な警戒を――――』

 

 そして、このアナウンスに呼応するかの如く、王都のあちこちで爆発が巻き起こった。



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第92話 真実を捻じ曲げる者

 あなたがこの世界で最初に出会ったのは、ウィズ魔法店の店主ことウィズ。

 この期に及んで、彼女についての詳細な説明は不要だろう。

 信仰する女神がいないこの異邦の地において、あなたが他の何よりも優先する女性であり、かけがえのない存在である。

 

 二番目に出会ったのは宝島こと玄武。

 あなたが見てきた中で最も巨大な生物であるこの大亀は、あなたに甲羅の掃除を依頼し、その報酬としてあなたは三億エリスという大金を手に入れた。

 

 三番目は冬将軍。

 あなたの持つ斬鉄剣に目をつけた冬将軍は、手持ちの神器、遥かな蒼空に浮かぶ雲と斬鉄剣を物々交換した。

 そうして手に入れた神器は愛剣ほど異常でも目立つものでもなく、しかし性能は店売り品とは比較にならない逸品なので日常的に活用させてもらっている。

 

 四番目は見通す悪魔、バニル。

 ウィズの友人にしてウィズ魔法店の店員である彼は、ウィズの店に現金を落としまくる金蔓のあなたに対して非常に協力的な存在と言える。

 カズマ少年の考案した新商品の数々と比べれば貢献度は微々たるものだが、ウィズ魔法店の売れ筋商品である回復ポーションの製作に携わっているのも無関係ではないだろう。そしてあなたがウィズと非常に懇意にしている事もまた。

 

 以上が今までにこの世界で出会ってきた、あなたと戦い、あなたを殺傷する事ができる者達である。

 ウィズやバニルにすら通じる浄化の力を持つ一方で、アクセル近隣のモンスターを相手に四苦八苦する時もある女神アクアは保留。能力は間違いなく高いのだが、ジャイアントトードに捕食された話を聞いた時はダクネスのような特殊な性癖の発露、もとい女神の戯れだろうかと本気で悩んだくらいだ。

 

 およそ矮小なる人の身では測る事など叶わない水の女神(規格外)はさておき、それ以外の四名はそのいずれもがあなたに対して友好的、あるいは非交戦的で、非常に残念な事に、今日まで終ぞあなたが望むような機会には恵まれていない。

 ノースティリスでも稀に勘違いされる事があるが、あなたは別に殺しがやりたいわけではない。あなたは敵意も殺意も必要とせず、呼吸するように他人を殺すことができる人間だが、誰でもいいからバラバラにしたいぞ、などといったシリアルキラーじみた思想や嗜好はもう持っていないのだ。

 あなたはただ殺し合いがしたいだけである。

 

「ヒッ、ヒュー。ヒュー、ヒュー」

 

 そして今、ここに五番目が現れた。名を聞いてみたところ、彼はマクスというらしい。

 無邪気に笑いながら振り子のように揺れ、黒ずくめの不法侵入者であるあなたに拍手を送ってくる様は頭のネジが二、三本ほど抜けているとしか思えない。だからこそあなたは彼に期待していた。

 実際マクスには頭のネジどころか後頭部が物理的に存在しないわけだが、遺伝子合成で作られた異形の姿の者、そして成長と共に体の部位がランダムに増える種族(カオスシェイプ)を見続けてきたあなたにとって後頭部の有無など異常のうちにも入らない。謎スキルで首を射出し、ブッピガンやぐぽーんといった素敵な効果音を鳴らしながら愛馬や金属製の蛇と合体するペットの方が余程目と興味を引く。

 

 

 マクスはあなたを眩しい者、しかしそれ以上に暗くて遠い、果ての無い穴のような者だと評した。

 前者の眩しいというのは分からない。

 しかし後者に関してはバニルが初対面の際に似たような事を言っていた。底無しの迷宮のようだと。

 とはいえ彼は見ての通り若干気が触れていそうなので、あまり間に受けすぎるのも考え物である。黒一色の忍者ルックを見て暗いと言った可能性も無いわけではない。

 

「ヒュー、ヒュー。暗いヒト。遠いモノ。きみは変わっているね」

 

 あなたがマクスを観察していると、不意に、彼はそんな事を言った。

 

「きみはぼくを見て少しも悪感情を抱いていない。そんな誰かに会うのは久しぶりな気がするよ。ヒュ、ヒュー。それにこれは、とても懐かしい感情。……喜び? きみは悪魔なのかい? 僕はきみとどこかで会った事がある、かも?」

 

 あなたは首を振った。

 この世界で賞金首や盗賊に悪魔と呼ばれたのは一度や二度ではないが、少なくともマクスと初対面である事だけは確かだ。

 

「そうか、そうだね。ぼくもそう思う。ヒュー、ヒュー」

 

 ニコニコと笑う魔性の美青年に、あなたは一つ気になった事を聞いてみた。

 彼はどうしてここにいるのだろう。

 マクスがアルダープの手に余る存在なのは誰の目にも明らかであり、好き好んでいるのでなければ、わざわざこんな場所に住み着く理由が思いつかない。

 

「ぼくがここにいる理由? ぼくはアルダープの願いを叶える為にここにいるんだ。ここではない、どこかから。ぼくはアルダープが大好きだから。残虐で、冷酷で、無慈悲なアルダープが大好きなんだ」

 

 恋に浮かされた少女のように顔を赤らめるマクスは、ほうっ、と熱い吐息を漏らした。

 その整った顔も相まって、ここにはいないアルダープに語りかけるマクスは妖しく退廃的な魅力に満ち溢れている。

 マクスの答えは、ある意味では至極当然の、あなたもなるほど、と頷かずにはいられないものだった。

 

「ああ、アルダープ。アルダープ。どれだけの言葉を重ねても僕が君を好きかなんて、きっと伝わらないだろう。それでも僕は君が大好きだよアルダープ……」

 

 マクスは随分とアルダープにお熱のようだが、マクスが住んでいる殺風景な部屋を見るに、アルダープはそうでもないのだろうな、とあなたは思った。

 

 美青年と野獣の恋路の行方はさておき、このままマクスと会話を行うのも悪くないが、今この場ではマクスと事を構えないと決めてしまった以上、これ以上この場に留まる理由は無い。アルダープが隠したと思わしきお宝もここには置いていなかった。

 

 そういうわけなので、早速バニルにマクスと知り合いなのかを確かめに行こうと思ったあなただったが、流石に今は時間が悪すぎる事に気付いた。あなたとてそれくらいの常識はあるのだ。

 バニルは悪魔なので人間の生活リズムがそのまま適用されるとは思わないが、それでもこの時間の来訪は非常識すぎる。かくいうあなたもこんな時間に叩き起こされたら、友人相手でなければ眉を顰めるくらいはする自信があった。それどころか内容次第ではミンチにしてお引取り願う事すら普通にあり得る。

 今の時間もそうだが、マクスと戦う場所の選定もしておかなくてはいけない。こんな狭い場所ではお互いに思い切り戦うことができないだろう。折角の機会だというのに、これでは片手落ちが過ぎるというものだ。ここら辺もバニルやウィズ、ベルディアに聞いてみるとしよう。

 

 マクスはどこかに行ったりはしない。楽しみは後にとっておくとして、今はこのまま探索を続けようと切り替えたあなたは、自分が開けた扉とは別の扉から外に出て行く事にした。

 

 扉を開けると、そこにあったのは登り階段。

 階段は二十段にも満たない非常に小さいもので、その先は天井で塞がれている。

 しかしよく見ると天井には取っ手が付けられており、ここが隠し部屋である事が窺えた。

 ともあれ、ここが袋小路になっているというわけではないようだ。この先には何が待っているのだろう。

 

「ヒュー、ヒュー。もう行ってしまうのかい? もし今度会う事があったら、その扉の外には何があるのか教えてほしいな」

 

 若干の名残惜しさを感じながらも期待に胸を膨らませ、マクスに別れを告げて階段に一歩踏み出すと、相も変わらず三角座りのマクスが声をかけてきた。

 

「僕はアルダープに呼ばれてからずっとここにいるんだ。アルダープが外に出るなって言ったからね。……暗いヒト。遠いモノ。僕はここにいるよ。いつからここにいていつまでここにいるかは覚えていないし分からないけど、僕は僕がずっと待ち続けているその日が来るまではここにいるよ。よかったらまた来てくれるかい?」

 

 勿論だ、とあなたは簡潔に答えた。

 早ければ今日の昼にでも、あなたは再びマクスの元に訪れる事になるだろう。

 特に理由も無く、しいていうなら私利私欲の為、彼と命のやり取りを行う為に。

 

 そんなあなたの返答を受け、マクスは楽しみに待っているよ、とにこりと微笑む。

 血生臭い闘争の宣言を受けて浮かべたそれは、狂気の欠片も感じられない、穏やかなものだった。

 

「暗いヒト。遠いモノ。僕は初めて見たきみの絶望の感情が食べてみたいよ。きみの絶望はどんな味がするんだろうな」

 

 絶望。それは久しく味わっていない、あなたには縁が遠い感情……というわけでは決してない。

 ちなみにあなたが最寄で絶望した瞬間は、この世界ではどれだけ殺しても絶対に剥製もカードも手に入らないと理解してしまった時だ。あれはとても辛かった。思い返すだけで膝をついて項垂れたくなる。

 

「ヒューヒュー……ごめん、それは僕の好みの感情じゃない。そういう感情が好きなのは…………うん? 誰だっけ? 思い出せない。やっぱり思い出せないな。まあいいか」

 

 どこか残念そうに首を傾げながら揺れるマクス。

 

「……だけど、やっぱり、ああ。ヒュー、ヒュー。ああ、アルダープ。僕はそれ以上にきみの願いを叶えたいよアルダープ。きみから早く代価が欲しいよアルダープ。ヒューヒュー……」

 

 楽しげに手を振ってくるマクスに見送られながらあなたは扉を閉めた。

 後頭部が消失した不思議な青年との会遇は、あなたにとって非常に得難く、かつ有意義なものだった。バニルとの答え合わせが実に楽しみである。

 

 

 

 

 

 

 階段を登りきり、天井部分を開けた先は、大きなベッドが安置された、何者かの寝室と思わしき場所だった。アルダープの別荘の寝室と繋がっているのだから、十中八九彼の寝室なのだろう。

 

 部屋の中を見渡してみれば、別荘の寝室と同じく煌びやかな調度品があちこちに飾られている。

 壷、絵画、裸婦像、装飾品、その他諸々。

 鑑定の魔法を使いながら寝室を漁ったあなただったが、女神エリスが言っていたお宝らしき物、あなたの目を引くような物品は一つも無かった。

 大きな宝石が付いた剣はあったものの、これはあくまでも高価なだけの観賞用であり希少性は乏しい。あなたの蒐集欲は疼かない。

 しかし王城で貴賓扱いだったカズマ少年が過ごしていた寝室以上に豪奢な部屋は、むしろ宝物庫と呼んだ方がしっくりくる。強欲領主の面目躍如といったところか。

 

 調度品の数々以上にあなたの目を引いたのは、閉塞感で息が詰まりそうだったマクスの部屋と違い、この部屋にはカーテンがかかった窓があるという事だ。

 窓がついている以上、ここが王都の地下深くという線は消えた。しかし相変わらず魔王軍襲撃の警報や、それによる人々のざわめきは聞こえてこない。微かに虫のさざめきが耳に届く程度で、いたって静かなものである。

 

 ここは自分の知っている場所なのだろうかと、締め切られたカーテンを開けて窓の外を覗いてみると、なにやら非常に見覚えのある街並みがあなたの目に飛び込んできた。

 真夜中という事もあって視認性が悪いので断言こそできないが、恐らくここはアクセルの街だ。

 ならばここは彼の屋敷なのだろう。アルダープはアクセルの領主なので何も不自然な点は無い。

 

 アッサリと現在場所が特定できてしまったので、この際だからと宝探しを行う事にする。

 寝室にこれだけ金品が置いているのだから、宝物庫はさぞ期待できる筈だ。

 

 とはいえ、今日のあなたは普段の活動のように宝物庫を空っぽにする気は無い。

 悪徳貴族から金品を巻き上げて恵まれない者に分け与えるという義賊的行為は、あくまでも女神エリスの個人的趣味であり、あなたは神器以外に興味が無いからだ。

 

 狙った物品しか持って行かない以上、宝感知スキルを使う女神エリスがいないのが悔やまれる。

 彼女を連れてきてもマクスの能力で再び記憶を改竄されるのが関の山なのだが、あのスキル自体は非常に有用だ。特にあなたのような蒐集癖持ちにとっては。

 

 一応あなたも神託の魔法という、建物でも階層でも街の中でもいいが、とにかく自身と同じ場所に神器があった場合、それを知る事ができる魔法を有しているが、非常に残念なことに、願いの魔法と同じくこの世界では効果を発揮していない。

 

 

 

 そうして、完全にマクスの能力に頼りきっているのであろう、警備のけの字も無い、幾ら平和なアクセルとはいえ平和ボケにも程があると言わざるを得ない屋敷の中を探索する事十数分。

 何一つとして先日のようなイベントやドラマを発生させることなく、無事にあなたが辿り着いたのは屋敷の地下にある宝物庫。

 

 罠の仕掛けられていない大きな扉の鍵を開けてみれば、四方20メートルほどの部屋一面に積まれた、無数の金銀財宝があなたを待ち構えていた。

 

 あまりの眩しさに目が潰れそうだ。あなたはげっそりとした面持ちで溜息を吐く。

 荒らそうにも無駄に財宝の量が多すぎる。アルダープの宝物庫を見たあなたが抱いた感情はひとえにそれに集約される。

 まさか魔術師の収穫の魔法でも使ったのだろうか、と有り得ないことを考えてしまうほどの量は、玄武の採掘依頼を受けた時の衝撃に匹敵する。

 これまであなたと女神エリスが盗みに入った王都の悪徳貴族とは、桁が違うと言わざるを得ない。

 幾らアルダープが強欲で有名な貴族とはいえ、どれだけ溜め込んでいるというのか。

 

 女神エリスの話では、本命である体を入れ替える神器はネックレス、モンスターを召喚する神器は手に納まる程度の小さな球体をしているらしい。

 

 アルダープが何らかの神器を持っているにせよ、部屋中に溢れかえった金銀財宝の中から神器を見つけるというのはあまりにも手間がかかりすぎる。鑑定の魔法のストックも無限ではない。

 財宝を根こそぎ頂いていくならともかく、そうでないのなら盗賊職か鑑定能力持ちは必要だったのだ。

 あなたは単独の方が神器を回収しやすいのではないだろうか、とほんの少しだけ考えていた自身の不明と傲慢さに恥じ入る思いだった。

 思えば玄武の依頼も、ウィズの助力あってこそ完遂できたのだ。あなたは力はあってもこの世界の知識が足りていない。そんな事も忘れてしまっていたと自嘲する。

 

 単独での神器回収が難しい事は分かったが、女神エリスではマクスの能力に引っかかってしまう。

 こうなっては致し方ないと、あなたはバニルに手伝ってもらう事にした。彼の見通す力があれば宝の在処も分かるだろう。マクスの能力も通じないと推測される。

 悪魔であるバニルは契約を何よりも重んじる。幾つかバニルの興味を引きそうなネタはあるので、それを交渉のカードとして使う事にしよう。

 

 

 こうしてアルダープの別荘と屋敷の探索を終えたあなたは、魔王軍が攻めてきているという王都に飛ぶべくテレポートの魔法を使用する。

 小競り合いであればすぐに終わってしまうだろうが、アナウンスでは今回は大規模な侵攻と言っていた。流石に数十分かそこらで戦闘が終わるとは考えられない。

 

 しかし今の王都には女神アクア(対魔特攻持ち)めぐみん(爆裂魔法使い)がいるので、自分の出番は無いかもしれない。

 そんな事を考えながら、あなたは宝物庫から姿を消し――

 

 

「インフェルノーッ!!」

 

 

 王都に着いた瞬間、紅蓮の炎に包まれた。

 流石にこれにはあなたも驚きの声をあげてしまうが、それもその筈。現在あなたが王都のテレポート先に登録しているのは、なんと冒険者ギルドの前なのである。

 間違っても上級魔法をぶっぱなす場所ではない。めぐみんでもあるまいし。

 

 ダメージは皆無だが、ミノタウロスの王に辻斬りされた気分である。焼かれたのが炎を無効化する自分だからよかったものの、他の人間だったら間違いなく大惨事に陥っているところだ。

 特に、深夜だから寝かせておいてあげようとゆんゆんを連れてこなかったのは本当に良かった。

 

 しかし街中、しかも王都のギルドの前で上級魔法をぶっぱなすとは、犯人は控えめに言って頭がおかしいのではないだろうか。めぐみんだって未遂で終わったというのに。というか普通に衛兵案件である。

 とりあえずノーダメージとはいえ焼かれたのは確かなのだから、反撃としてボコボコ(半殺し)にするくらいは許される筈だ。犯人には大いに軽挙妄動を反省していただきたい。

 

 忍刀を抜いて鼻歌混じりに燃え盛る炎の中から脱出したあなただったが、しかしそこで待ち受けていたのは思いも寄らぬ光景だった。

 

「…………」

 

 最初にあなたの目についたのは、グラムを抜いたまま呆然とあなたを見つめるキョウヤだ。

 頬に掠り傷を負っている事から、どうやら戦闘中だったらしい。

 魔王軍は平原に展開中という話だった。何があったかは知らないが、一時間も経たない内に平原から王都の大通りに位置する冒険者ギルドまで戦線が押されているとなると、これは非常に危うい状況なのではないだろうか。普通に陥落一歩手前である。

 

 これはもう駄目かも分からんね。

 そんな事を考えながら、あなたはキョウヤが対峙している者に視線を向ける。

 キョウヤに武器を構えて布陣しているのは、四人の男女。

 

 内訳は男女二名ずつで剣士と魔法使いが男、弓使いと僧侶が女。

 いずれも二十歳前後の人間の姿をしている。格好を見るに、彼らは冒険者なのではないだろうか。

 

「忍者? どっからどう見ても忍者だよなアレ」

「忍者がなんでこんな所に……もしかして、僕達と同じ?」

「皆、気をつけて。見た感じ魔法が全然効いてないみたい」

「服も燃えてないしね。大方そういうチート持ちなんでしょ」

 

 ソードマスターのキョウヤは魔法を使えない。

 となるとあちらの四人が非常に怪しいわけだが、確認しておくのは大事だ。

 あなたは警戒を顕にする四人組に声をかけた。

 

「なんだよコスプレ野郎。邪魔するってんなら容赦しねえぞ」

 

 鋭い目つきをした剣使いが吐き捨てるが、王都に来たばかりのあなたにはどうにも要領を得ない。

 それはさておき、今上級魔法を使ったのはお前達なのか、と聞いておく。

 

 問いかけに答えたのは魔法使い。

 線の細い、どこか気弱そうな彼は、覚悟の決まった表情を浮かべている。

 

「……そうだ。僕がやった」

 

 言質が取れた。ぶっ飛ばそう。

 

 必死の形相で逃げろと叫ぶキョウヤを見るに、どうやら彼らはお取り込み中だったようだ。

 となると、これは仲間割れか裏切りか。いずれにせよ、部外者のあなたにとって相手の事情など考慮にすら値しない。

 百歩譲って事故に巻き込んでしまった、というのであれば見逃さないでもなかったが、敵というのであればその必要も無い。

 

 それに女神アクアの敬虔な信者で正義感の強いキョウヤが人類の敵に回るはずがないので、どうせあちらが敵なのだろう。

 今は人間同士で争っている場合ではないとかそんな感じの雑な理由で半殺しにしておこう。手足の三、四本は構うまい。

 

 異常なまでに好戦的でノリノリのあなただが、これには深い事情と理由があった。

 四人が持っている武器がやけに煌びやかでグラムやイージスを髣髴とさせ、おまけに強い力を発していたので鑑定の魔法を使った所、なんとどれもがグラムやイージスと同じく所有者を選ぶ、ニホンジン用の神器だったのだ。

 これはニホンジンが敵になった事を意味する。それも一気に四人も。ブラボー。実に素晴らしい。この世界は最高だ。スタンディングオベーションを送らざるを得ない。

 

 敵に回ったのであれば仕方ない。

 有力な冒険者が減るというのはまったくもって嘆かわしく、悲しい話である。

 とても悲しいのでこの場で神器を回収してしまおう。命はいらないからお前達の神器を置いていけ。

 

 あなたは現状を招き寄せたのは自身の日頃の行いと深い信仰の賜物だと確信した。いと尊き癒しの女神の恩寵に今一度感謝と忠誠を。

 

 

 

 物欲に塗れきった満面の笑みを覆面で覆い隠し、ノースティリス有数の蒐集家(コレクター)は四人のニホンジン(神器の宝箱)に襲いかかった。




・魔術師の収穫の魔法
 空から金貨、プラチナ硬貨、小さなメダル、そしてごく稀に願いの杖が降ってくる夢のような魔法。
 チャリチャリとお金が降ってくる音は小気味良いが、通常版ではちょっと使いにくい。

・プラチナ硬貨
 スキルの習得や育成に必要。
 プレイヤーが育ってくると影が薄くなる。

・小さなメダル
 ドラクエで有名なアレ。
 ノースティリスにもメダルを集めている人物がいて、集めたメダルとアイテムを交換してくれる。


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第93話 ベルゼルグ初夏の神器祭

 水の女神に導かれし者。転生者。グラムの担い手。魔剣の勇者。

 御剣 響夜(ミツルギ キョウヤ)と呼ばれる日本人の青年は、ギリ、と強く奥歯を噛み締めた。

 

 魔王軍侵攻のタイミングと同じくして、王都の各地で発生した爆発。

 これを偶発的な事故と考えるほど響夜の頭はお花畑ではない。

 王城に向かおうとしていた彼の行き先は冒険者ギルド。

 響夜から最も近い場所で爆発が発生した場所である。

 

 そして今、響夜は激しく炎上する冒険者ギルドの前でグラムを抜き放ち、敵手に相対している。

 赤い炎に照らされながら、魔剣の勇者と対峙するのは四人の男女。

 

 彼らは四人が四人とも響夜ほどではないにせよ王都で名の知られた冒険者であり、響夜と同じ故郷を持つ者達、つまり日本人である。

 日本にいた時から仲が良かった彼らは、中学の卒業旅行中に事故に遭い、四人一緒に死んでしまったのだという。

 日本人だけでパーティーを組むというのは非常に珍しいので、上記の話を含めて響夜はよく覚えていた。

 

「一応言っておくけど、僕は魔王軍じゃないよ? ギルドを燃やしたのは僕じゃない」

「んなこたぁ言われなくても分かってるから安心しろ。ギルドを燃やしたのは俺らだ。お前も分かってんだろ?」

「……何故だ? どうして日本人である君たちがこんな事を?」

 

 響夜が静かに問いかける。

 信じられない。信じたくない。ふざけるな。

 渦巻く激情の数々を必死に押し殺し、表面上は冷静さを取り繕っている彼の頬には一筋の傷が刻まれていた。

 燃え盛るギルドに辿り着いた響夜が出会ったのは、四人の日本人。響夜は共に魔王軍と戦う日本人が敵である筈がないという先入観から話を聞こうと近づいたところを四人に同時に襲い掛かられたのだ。周囲に敵が潜んでいるかもしれないと気を張っていなければ間違いなく深手を負っていた。

 

「説明しないと分からないか?」

「生憎、僕はエスパーじゃないからね」

 

 数瞬ほどこれは日本人の同士討ちを狙う魔王軍の策略なのでは、と考える響夜だったが、すぐにその考えを破却する。

 彼らの技の冴えは他者の姿を模す能力を持つ魔物、ドッペルゲンガーには引き出す事ができない、正真正銘高レベル冒険者のもの。

 それ以前にドッペルゲンガーでは神器は使えない。四人が持つ神器が放つ力は、四人が神器本来の所有者である事をグラムを通じて響夜に知らせてくる。

 ならば何故。疑惑を深める響夜に、アークナイトの後藤が口を開いた。

 

「なあ御剣。お前、この世界に来て何年目になる?」

「先に僕の質問に答えてくれないか」

「いいから答えろよ。俺の話はそれからだ」

「……今年で二年目だよ」

「二年、か。たったそれだけでそこまで強くなるってのは素直に凄いと思うぜ」

 

 これが才能って奴なのかねえ、と自嘲気味に笑う後藤。

 与えられた力の上に胡坐をかかず、グラムを失っても人並み以上に努力を重ねてきたという自負のある響夜としては、その発言はあまり面白いものではなかった。

 

「個人的には努力の賜物と言って欲しいところだけど」

「気に障ったか? なら悪かったな。ちなみに言っとくと俺らは全員十五で死んで、今年で七年目だ。……こないだ死んだ佐々木のオッサンは二十五年目とか言ってたっけか。それに比べれば二年とか七年とかぺーぺーもいいとこだわな」

「佐々木さんは高位サキュバスを襲って腹上死したんだっけ? 最初に聞いた時冗談かと思ったよ」

「それな。俺も聞いた時ここ最近で一番笑ったわ。確かにサキュバスは美人揃いだけどマジかよお前、みたいな。死ぬまでヤるとか人生楽しみすぎだろ、常識的に考えて。まあ同じ男として多少は憧れなくも……いてっ」

 

 後藤の恋人であるアークプリーストの小林が、ブリザードめいた瞳で後藤に石を投げた。

 悪い悪いと笑う彼らの姿は、日本で他愛ない馬鹿話をするクラスメートのようで、響夜には彼らが敵に回ったのは何かの悪い夢なのではないかと思わずにはいられなかった。

 しかし、一転してガラリと雰囲気を変えた後藤にそんな儚い願望も一瞬で潰えてしまう。

 

「……かくいう俺達だって最初の二年目くらいまでは結構楽しんでた。野菜が飛んだり襲ってきたりと理不尽な所もあるけど、それでもこの世界で生きていくのは楽しいって心の底から思ってたんだ」

 

 だけどな、と言葉を区切る後藤。

 疲労を隠そうともしない声色は、溢れんばかりの諦観に満ちていた。

 

()()だ。なあおい、分かるか御剣。もう七年経っちまったんだ」

「…………」

「俺達は七年間、ずっと魔王軍やモンスターと戦い続けてきた。それだけ戦ってんのに、戦況は七年前から良くも悪くもなってない。最近になってどっかで幹部が二、三人減ったとかいう話も聞いたが、相変わらず魔王軍は元気に王都に攻めてきてる。どうせそのうち幹部も補充されるんだろうさ。……なあ御剣。俺達はいつまで戦わなきゃいけないんだ? いつになったらこの戦いは終わるんだ?」

「……僕がこの戦いを終わらせる。そう言ったら笑うかい?」

「いいや? 俺達だって昔はお前と同じことを考えてたからな。でも知ってるか? この世界、少なくとも数百年以上前には俺達みたいなのがいたらしいぜ。つまりその時からずっとチート持ちの日本人は魔王軍と戦い続けてるのに、今も勝ててないわけだ。たまんねえよな。どんだけだよって話だ」

 

 代替わりでも発生しているのか、過去に何度か魔王軍の侵攻は年単位で止む事はあった。

 しかし魔王軍と人類の戦いは今も続いている。

 神器や特殊能力を持った日本人を送り続けていなければ、とっくにこの国は滅んでいるだろう。

 

「あの時天国に行くか、新しい人間に生まれ変わるかっていう選択肢を蹴って今を選んだのは確かに俺さ。だからって死ぬまで終わりの見えない殺し合いに参加しろってか? 冗談じゃない、俺は嫌だね」

 

 神々が日本人に神器や特殊な能力を与えるのは、わざわざ送った彼らが異世界であっさり命を落とさないようにするためだ。

 響夜が転生時に見たカタログに載っていた神器や能力は戦闘系に偏重していたが、これも危険な異世界で自衛できるように、という配慮の結果であり、魔王軍と戦う神の尖兵に仕立て上げるためではない。

 自分達が魔王を討伐することを望んでいるのは確かだろうが、それでも自分達は戦いを強制されているわけではない。

 

 そんな御剣の説得を、しかし後藤は鼻で笑った。

 

「何が違うんだよ。戦闘系のチートを手に入れた日本人は大抵強くなる。その為のチートだからな。で、強くなったらなったで人類の為にってお題目で最前線(この国)に送られる。それとも何か、お前まで戦場を知らないあいつらみたいに力持つ者の責任とか言い出すのか? そんなもんくそっくらえだ」

「だから魔王軍に寝返ると?」

「ああ。なんだかんだいって向こうさんも俺達みたいなチート持ちには難儀してるみたいで、敵対さえしないなら身の安全は保障してくれるって話だからな。意外と話が分かる連中だったよ」

「魔王軍の話を信じるっていうのか? それは今までの付き合いを全て捨てるほどのものなのか?」

「少なくとも俺達にとってはな。そりゃお前から見りゃ短絡的なんだろうが、こっちはこっちで散々考えたり話し合った末の結論なんだよ」

「……それが君の、いや、君たちの総意なのか」

 

 それまで傍観に徹していた三人を含め、四人の日本人は一斉に頷いた。

 その瞳には一片の迷いも見られない。

 

 終わりの見えない戦いに疲れ果て、しかし高レベルの冒険者が戦わないのは許されない。

 そう思った後藤達は、戦う事も、針の筵に座り続ける事も、人間のいない辺境に逃げる事も選ばず、第四の選択肢を選んだ。

 

 魔王軍と戦う力を持ちながら戦いから引いた者を、悪し様に言う者は確かにいるだろう。この分では後藤達は実際にそういう目にあってきたのかもしれない。

 

(だからって、よりにもよって魔王軍に寝返るなんて……)

 

 響夜達は日本という、この世界とは比べ物にならないほど平和な国で生まれ育ってきた。

 厭戦感情に支配され、敗色濃厚な戦況に悲観するのは響夜としても理解できなくはなかったが、それにしたってもう少しマシな選択肢は無かったのか、というのが響夜の率直な感想である。

 後進の育成など、有力な冒険者が引退後に銃後でやれる事は幾らでもある筈なのだ。

 

 響夜の知り合いにも、かつて凄腕アークウィザードとして名声を欲しいままにし、近年編纂されたこの国の歴史書にも名を残している女性がいる。

 王都の魔法学院に年齢一桁で入学してから学院の最速卒業記録を大幅に塗り替えて卒業するまで、一貫して圧倒的な実力で主席をキープし続けた、氷の魔女の異名を持つこの国きっての天才魔法使い。

 在学中に若くして画期的な独自の魔道理論を幾つも発表した彼女だが、しかし本人の気質は卒業後に冒険者として魔王軍相手に盛大に暴れ回った事から分かるとおり、それはもうバリバリの武闘派である。

 同期の次席に決して癒えないトラウマを刻み込んだ校舎裏の決闘の話は学院ではあまりにも有名だ。ちなみにこの次席は現在、宮廷魔道師(既婚、四児の母)として絶賛活躍中である。

 

 そんな彼女はどういうわけか、今は現役を引退してアクセルでこじんまりとした魔法店を経営しているわけだが、響夜には幸せそうに笑うあの女性が、後藤達の言うような針の筵にいるとは到底思えなかった。

 あるいは彼女も過去にそういう境遇にあったのかもしれないが、それならば後藤達の言う力持つ者の責任云々は、時間が解決してくれるという事だ。

 

「さて、俺達の話はこんなもんでいいだろ?」

「……ああ。十分だ」

「そっちが見逃してくれるっていうなら俺達も引くけど、どうするよ」

「中々笑える冗談だね」

「だろうな。どうして俺がこんなにベラベラ余計な事を喋って、後ろの三人が止めなかったと思う?」

 

 響夜は深々と溜息を吐いた。

 

「大方僕の足止めとかそんなところだろう?」

「なんだ、バレてたのか」

「魔剣の勇者の名前は魔王軍にも轟いてるみたいだしね。まだまだ未熟者な僕に勇者の名は荷が勝ちすぎてる気がするけど」

「なんつーか、ちょっとは謙虚になったみたいだが、相変わらず嫌味な奴だよな、お前はさ」

 

 響夜は首を横に振った。

 彼が思い浮かべるのは駆け出しの街に住む、三人の男女。

 正確には響夜はその内の一人としか戦った事が無いのだが、当の本人が残りの二人は自分より強いと言っているのでそうなのだろうと思っている。

 

「本音だよ。世界には君達が想像もできないような強い人達がいるんだ」

「そりゃ凄い。是非とも俺達の代わりに戦って、さっさと世界を平和にしてもらいたいもんだ」

 

 軽口を叩き合いながら、異世界において日本人同士の戦いが始まる。

 しかしこの戦いは()()()()()により後藤達にとっては殆ど勝ちが決まったも同然の、響夜にとっては今まで経験してきた中で最も絶望的な戦いだった。

 

 ()()()()()を無視しても厳しい戦いである事は変わりない。

 相手は七年に渡って異世界で生き抜いてきたベテラン冒険者であり、剣士、弓使い、魔法使い、僧侶というバランスのいいパーティー構成だ。しかも全員が神器持ち。

 

 自然と戦いは響夜が防戦一方になった。

 前衛である後藤と切り結んでいると、要所要所で矢の牽制と攻撃魔法が飛んでくる。

 相手は数の差に驕っていない。冷静に響夜を打倒しようとしている。

 

 対する響夜の動きは硬く、王女アイリスが見惚れたほどの剣の冴えは見る影も無い。

 辛うじて戦えているだけの有様は、魔剣の勇者と謳われた剣士とは思えない体たらく。

 しかし響夜を情けないと言う事なかれ。

 むしろ、アークプリーストによる各種強化魔法がかかった神器持ちのベテラン冒険者を四人同時に相手にして、絶不調状態にもかかわらずたった一人で持ちこたえる事ができている響夜は大いに讃えられるべきだろう。並み居る日本人の中で彼がトップクラスのポテンシャルを持っている事は最早疑いようも無い。

 

 もっとも、そんなことは孤軍奮闘する響夜には何の慰めにもならないだろうが。

 

 

 

 

 そうして、どれだけの時間が経過しただろうか。

 十分か、一時間か。響夜にとっては永遠にも思える時間を経て尚、絶望的な戦いは続いていた。

 

「インフェルノーッ!!」

「くっ……!」

 

 紙一重で飛び退いた瞬間、上級魔法による業火が冒険者ギルドの玄関を飲み込んだ。

 

「……ちっ、分かっちゃいたがやっぱクソつええな。フルバフのチート持ち四人と普通に戦えるって何事だよ。タイマンだと負ける光景しか見えなくてマジで凹むわ」

「勇者の異名は伊達じゃないわね。でも勝てない相手じゃないわ。四対一だし当然だけど」

「四対一ってシチュエーションは王道だよね。RPGにおけるボス戦的な意味で」

「ところがどっこい、相手が勇者で私達は魔王側」

 

 余裕の表れとばかりに軽口を叩き合う四人を睨みながら、響夜は声に出さずに盛大に毒づいた。

 

(人間、それも日本人を相手に本気を出せるわけがないだろ!)

 

 四人の個々の力量は響夜に明確に劣る。響夜も一対一であれば負ける気はしない。

 慢心を捨て去り、口は悪くも優しい柔剛併せ持つ稀代の剣士に師事し、仲間に被虐性癖と同性愛を疑われるほどに師にボコボコにされながらも地道に努力を続けてきた日々の経験は確実に響夜を強くしている。

 しかし相手は四人で一つのパーティーであり、強化魔法と数の差を覆すほどの差は無い。今はまだ。

 

 響夜に救いがあるとすれば、上述の響夜の勝ち目を無くしている()()()()()が相手にも同じように適用されている事だろうか。

 響夜の勝ち目が無い理由。それは彼が()()()()()()()()()から。

 

 響夜は人型のモンスターや魔族を斬った経験は数多くあるが、人間を殺した事は一度も無い。

 

 これは響夜だけではなく大多数の日本人の冒険者に共通するのだが、彼らが今まで戦ってきた敵は魔王軍やモンスターが大半であり、盗賊や賞金首といった人間を相手にする機会も、全て生け捕りで済ませてきた。

 元より人間を相手にする機会が少ないから、というのもあるが、彼らは生け捕りにできてしまうだけの力を持っているが故に、殺人に手を染める必要が無かったのだ。

 

 初めての同胞との本気の戦いに精彩を欠く響夜と同じく、後藤達もまた神器の力を解放していない。

 彼らは響夜を殺す気は更々無かった。たった今上級魔法を使われこそしたものの、響夜の装備している鎧は魔法防御が高い。一発で死にはしないと相手も理解しているからこその攻撃である。

 

 殺意の無さを突けば響夜にも勝機はあるだろう。

 しかし、それは相手側に死者が出る事を意味する。対人戦で使うには力を解放した神器は強すぎるのだ。

 そして手加減して勝てる相手ではない。

 

(こんな事になるなら、あの人の言うとおり、みねうちスキルを覚えておくべきだったな……いや、今更か。本当に今更だ)

 

 響夜は自嘲した。

 師が主人と仰ぐ、頭のおかしいエレメンタルナイト。

 彼が対人用にみねうちスキルを持っていると非常に便利だと太鼓判を押していたが、基本的に対人戦に縁が無い響夜は無くても困りはしなかったし、他の有用なスキルを覚えて自身を強化する方を優先していたのだ。

 師がみねうちは便利は便利だが、加減抜きで攻撃できるようになったら最終的に死なないならどれだけ痛めつけてもいいだろう、という考えになるかもしれない、と警告してきたのも多少はあるが。

 

 先ほどの上級魔法のせいで、ギルドの炎上は更に激しくなった。

 退却は許容できない。人類に弓引いた彼らを放置しておくわけにはいかない。

 ここで持ちこたえていれば、いずれ増援が来る筈。

 

 そう考えてグラムを強く握りなおす響夜の心の声に応えたかのようなタイミングで、燃え盛る炎の中からソレは現れた。

 

 上から下まで闇を溶かし込んだような漆黒の装束に身を包んだ、ある程度の年齢になった日本人であれば誰もが知っているであろう、かつて権力者達の命により歴史の裏側で暗闘を繰り広げては消えていった、現代の日本ではアトラクションや観光地、映像でしか見る事のできなくなった存在。

 奇しくも、五人の日本人達は全く同じ事を考える。

 

 

(忍者だこれ!?)

 

 

 そう、炎の中から悠然と現れたのは忍者。どこからどう見ても圧倒的に忍者だった。

 それも忍べよと突っ込みを入れたくなるような派手派手しいNINJAではなく、由緒正しい正統派(ストロングスタイル)の格好をした忍者である。

 

 剣と魔法のファンタジー世界に、戦国時代から忍者がカチコミをかけてきた。何故? どこから?

 何も知らない者であれば黒ずくめの怪しい格好の奴、くらいで済むのだろうが、見る者が見れば浮きまくっているとか空気が読めてないとかそういう次元ではない。

 上級魔法を食らって無傷な件も相まって、中身が自分達と同じ日本人(チート持ち)、あるいは忍者マニアの外国人なのだろうと五人が瞬時に判断したのは当然といえる。

 

 若干の問答の後、事故とはいえ自身を炎で焼いた後藤達を敵と認識した正体不明の忍者は、有無を言わさずに四人に襲い掛かった。

 敵に自身と同じ日本人(チート持ち)が増えたと判断した事で、お気楽ムードが漂っていた後藤達の意識と表情が自然と引き締まる。

 

 何の気負いも無く四人の神器持ちと戦おうとする忍者は、彼らの正体を知らないのかもしれない。

 そう判断した響夜は逃げろと警告を飛ばしつつ、自身も後藤と交戦を開始。

 

 しかし、一見するとシュール極まりないコスプレ男にしか見えない乱入者は、およそ尋常の者ではなかった。色々な意味で。

 

 

 

 

 

 

 真っ先に忍者の標的になったのはアークウィザードの氷川。

 テレポートによる逃走を嫌った忍者に一瞬で距離を詰められた彼は、全ての攻撃魔法を使いこなす神器の能力を活かす間も無く全身から見事な血の花を咲かせた。

 

 氷川を秒殺し、響夜を含む残りの四人が呆然とする中、忍者は地面に転がった血に塗れた杖を回収する。

 そして嬉々として言い放った台詞がこちら。

 

 

 しんぱいごむよう! みねうちでござる!

 

 

 一応は味方である筈の響夜をして正気を疑わずにはいられない発言に、当然の如く氷川の仲間達は激昂。

 特に氷川の恋人であるスナイパーの早瀬の怒り狂いっぷりは尋常ではなく、同郷の誼として響夜には控えていた、標的に命中するまで永遠に追い続けるという特性を持つ神器による連射を敢行する事になる。

 

 二番目の犠牲者はアークプリーストの小林。

 どれだけ避けても切り払っても追い縋ってくる矢の雨の相手をする忍者は、氷川を治療しようとする小林に向けて怪鳥音じみたシャウトを発して手裏剣を投擲。癒しの神器を持つ少女の右腕が肘の先から吹き飛んで血のアーチを描いた。

 惨劇に眉を顰めながら響夜は現実逃避気味に思う。手裏剣ってそういう武器じゃないから、と。

 

 三番目は後藤。

 腕を断たれた小林の、魂を抉られたかのような絶叫に精彩を欠いたところを響夜が撃破。

 そのおかげか、結果的に四人の中で最も軽傷だったのは彼である。響夜はみねうちを使えないので、最も命の危険に晒されていたのも事実だったわけだが。

 

 仲間がいなくなったところで響夜が早瀬に戦いを止めるように警告を発するも、この期に及んで聞く耳など持つはずが無い。

 狂乱のままに矢を放ち続ける早瀬相手に矢を撃ち落とす事を諦めた忍者は、迫り来る全ての矢を自身の左手に集中。

 流石に本来の力を発揮した神器の直撃は無傷では済まないらしく、これによって忍者の左手首から先が針鼠もかくや、という有様になる。

 ……なったのだが、忍者は痛みなど感じていないかのようにそのまま戦闘を続行。早瀬は逃げる間も無くミンチ一歩手前になった。

 

 

 (つわもの)どもが夢の跡。

 

 死して屍拾うものなし。

 

 

 仲良く半死体と化した四人を見た響夜の素直な心境である。

 終わりの無い戦いに疲れ果てて人類を裏切った日本人パーティーをあっという間に壊滅させたのは、突如として炎の中から現れた、冗談みたいな戦闘力を持つ正体不明の忍者。なんたる理不尽の権化か。

 フェミニストの気がある響夜としては、女性まで半殺しにするのはやりすぎなのでは、と思わないでもなかったが、魔王軍に与して冒険者ギルドを爆破した彼女達は今や立派なテロリストである事も十分に理解していた。

 

「彼らの自業自得、ではあるんだろうけど。流石にこの理不尽っぷりはあの忍者ロボットを思い出すな。忍者っていうかもうNINJAだ。一体何者なんだ……?」

 

 左手に突き刺さった無数の矢を気にも留めずに四人の神器を回収する忍者を見ながらひとりごちる。

 仲間であるフィオとクレメアが他国で修行を始めてから独り言が増えている響夜だったが、本人にその自覚は無い。

 

「彼からしてみれば敵の武器を奪う以上の目的は無いんだろうけど、実際効果的なんだよなあ」

 

 神器持ちの日本人を敵に回した場合、神器を奪うのが最も戦力ダウンに繋がるという事は、響夜自身、その身をもって嫌というほど思い知っていた。

 グラムをスティールで盗まれて怯んだ所をワンパンで負けるという、彼にとってはあまりにも苦い経験。しかも相手は最弱職の冒険者。

 油断していた、打ち所が悪かった、などというのは敗北の言い訳にはならないと彼の剣の師であるベアは言っていたし、響夜自身もそう思っている。悔しくないかはまた別の話だが。

 つい最近王都で再会した、敬愛する女神と行動を共にする日本人の冒険者。響夜は彼に再戦を申し込んだのだが、すげなく断られてしまったのだ。堂々とした勝ち逃げ宣言にはいっそ感心させられた。

 

(今度はスティール対策もバッチリしたし、万が一武器を使えなくなっても大丈夫なように鍛え直したんだけどな)

 

「ヒー、ル……ッ」

 

 響夜が声の方に向き直ると、全身から脂汗を流し、土気色の顔をした小林が、手裏剣に切断された腕を拾って繋げていた。

 当然、左手の矢を抜いていた忍者もその声に反応する。

 

「ひぃっ!? すけ、助けっ……」

 

 辛うじて繋がった腕を使って這い蹲って逃げる小林に、血が滴る短刀を握った忍者が足を向ける。

 反射的に響夜の体が動き、忍者と小林の間に滑り込んだ。

 

「待ってくれ! 彼女は戦意を喪失してる! これ以上痛めつける必要は無い筈だ!」

 

 小林を背にして庇う響夜に、忍者は怪訝な様子を見せた。

 例え戦意を喪失していようと、その女は敵である。それに回復魔法を使える以上、他の連中を回復する前に速やかに叩き潰すべきだと。

 

 忍者が響夜に向ける目は若干剣呑だが、あくまでも人間を見る目だ。

 一方で、小林に向けるソレは蜘蛛や蟷螂といった感情の無い虫が、被捕食者に向けるものに酷似した、どこまでも無機質で冷たいもの。

 

(まさか本当にロボだったり……いやいや、今時のロボの方がまだ人間味があるだろ。敵だった時のターミネーターとかそういうタイプだこれ)

 

 つまり血も涙も無い殺人マシーン。

 忍者は戦闘不能になった四人を順番に見据え、冷や汗を流す響夜に同じ問いを投げかける。

 何ゆえ敵を庇うのかと。この四人は人類を裏切り、魔王軍に寝返ったのではないのかと。

 

「そうだけど……そうだとしても、黙って見過ごすわけにはいかない。僕にはあなたのやろうとした事、戦う意思の無い者にまで暴力を振るう事が正しいとは思えない」

 

 だから止める。正義なんて大層な理由ではなく、ただ単に目の前の光景が間違っていると感じて、それを見過ごせないから止める。

 そう言って立ちはだかる響夜に忍者は戸惑っていたが、一応の理解と納得を示したのか、やがて短刀の血を掃い鞘に収め、代わりに見るからに頑丈なロープを取り出した。そして後藤達を拘束していく。

 

 どうやら矛を収めてくれたようだと響夜が安堵の息を吐いたと同時、背後で小林が崩れ落ちた。

 意識を失った小林の首筋と後頭部は()()()()()()()()()()()()()()で強く殴られたかのように赤く腫れ上がっていたが、髪に隠れていたせいで響夜がそれに気付く事は無く、張り詰めた緊張の糸が切れたのだろうと受け取るに留まった。

 

 

 ――お前は本当に甘ちゃんだな。せいぜい痛い目を見ないように気をつけておけ。特に信じていた仲間に背中を切られるような事だけは無いように気を付けろ。あれは死ぬほど痛いぞ。体以上に心が痛むんだ。……まあ、なんだ。体の傷は魔法やポーションで簡単に治るが、心の傷を癒せるのは時間だけだ。努々忘れるな。

 

 

 自前のポーションで四人の応急処置をする響夜の脳裏に過ぎるのは、彼が剣の師と仰ぐ、厳しくも優しい男の呆れ混じりの言葉。

 

 

 ――いや、よく考えたら時間だけじゃなくて巨乳も心の傷を癒してくれるな。

 

 ――すみませんベアさん、僕どっちかというと小さい方が好きなんです。

 

 ――マジか。……ああ、そういえばお前の仲間の小娘達の胸の大きさ、中の下と下の中だったな。

 

 ――いえ、決して胸の大きさで仲間を選んだわけでは……。

 

 

 何か付随してどうでもいい事を思い出してしまったが、まあそれはいい。

 彼は事あるごとに響夜に甘い甘いと言いつつ、しかしそれを矯正しようとはしなかったわけだが、響夜自身、自分は甘いと言われるくらいでちょうどいいと思っている。

 誰に何と言われようと、彼は無抵抗の者を必要以上に痛めつけるような非情な人間には絶対になりたくなかった。

 

「手を貸してくれてありがとう。僕は御剣響夜。失礼だが、君は何者なんだ?」

 

 四人の拘束を終えた忍者に問いかけると、若干の逡巡の後にこんな言葉が返ってきた。

 自分は人界の安寧を祈り続ける女神エリスの意を酌む者である、と。

 

「エリス様の?」

 

 この国の多くの者が信仰している幸運の女神。

 予想外のビッグネームの登場に、響夜は目を丸くする。

 

 キョウヤのグラムと同じく、戦う力を持たない日本人に女神アクアが齎した神器の数々。

 持ち主がいなくなったそれが何者かに悪用されるのを防ぐ為、忍者は女神エリスの指令で回収しているのだという。

 今回は偶然この場に鉢合わせただけだが、この四人はあろう事か神意に反目して人類に敵対した。

 そのような者に神器など不要であり、むしろ害悪にしかならないと忍者は冷たく言い放った。

 

 ありえない話ではない。それどころかキョウヤにとっては大いに頷ける話である。

 彼が学んだこの世界の神話でも、面倒見が良く苦労性で貧乏くじを引きやすい女神エリスは、奔放で快活な先輩こと女神アクアが引き起こした数々の騒動の後始末に奔走していた。

 

 敵に容赦しない過激な面こそあるようだが、響夜は忍者が魔王軍の手の者だとは疑っていない。

 王都をかく乱する戦力として非常に有用な日本人を半殺しにしておきながら、魔剣の勇者として名の売れている自分をわざわざ見逃す理由が無いからだ。

 

 実際忍者が女神側だとして、理由はどうあれ、四人が人類を、そして神々を裏切ったのは純然たる事実であり、キョウヤも認めるところである。

 

 キョウヤ自身、グラムという神器を使っているから理解しているが、転生者の持つ特典はチートの名に恥じぬ反則的な力を持ち主に与えてくれる。

 殺し合いはおろか喧嘩すら未経験の日本人(もやし)が、神器を持つだけでそこら辺の騎士や冒険者を圧倒するほどの即戦力になるのだから相当のものだ。

 そんな物を持って魔王軍に寝返るというのであれば、それは神器が没収される理由としては十分すぎるだろう。普通に考えて許されるはずが無い。

 

 例え四人が改心したとして、一度でも魔王軍に与した者達に再び神器という強力無比な武器を与えるのを皆が良しとするのか、という尤もな疑問もある。四人はそれだけの事をしてしまったのだ。

 

 忍者が言っている事が事実であれば邪魔をする権利などないし、例え嘘でも日本人に与えられた神器が持ち主以外に渡っても本来の力を発揮しない以上、王都の冒険者にとっては観賞用の置物にしかならない。

 

(……神器を、観賞用の置物にする?)

 

 ふと、引っかかった。

 実際に使う気がなく、置物でもいいのだとしたら。

 響夜は自身にそんなニュアンスの言葉を放った人間を知っている。

 

「すまない、ちょっといいかな」

 

 ごくり、と唾を飲んだ響夜は、振り向いた忍者に要求を突きつけた。

 

「……もし良かったらだけど、頭巾を取って、顔を見せてくれないか? 君は……いや、あなたは、僕の知っている人じゃないんですか?」

 

 響夜は、この忍者が自身の知っている者ではないかと疑っている。

 

 神器への執着と神への強い敬意。

 高レベルの神器持ち四人を一蹴する、人間とは思えない戦闘力。

 敵とはいえ、戦意を喪失した少女に躊躇無く刃を振り下ろす精神性。

 

 いずれにおいても、自身の苦い経験と師から聞かされたとある人物(頭のおかしいエレメンタルナイト)の特徴が、目の前の忍者に当て嵌まりすぎていたのだ。

 

 忍者にするようなものではない要求にやや目つきが鋭くなった忍者だが、これっきりだと言うと、頭巾に手をかけて素顔を晒した。

 

 

(……違う。あの人じゃない)

 

 

 果たして、頭巾の下から出てきたのは、個人的な趣味で貴重なアイテムを集めていると言っていた彼ではなく、響夜の全く知らない顔だった。それどころか日本人ですらなかった。

 安心している自分がいるのを自覚しながら、四人の凶行を止め、自分のピンチを助けてくれた事に改めて頭を下げて礼を言う。

 そして顔を上げると、忍者は忽然と姿を消していた。

 

 現れるのが唐突なら消えるのも唐突。

 一体彼は何者だったのだろう。あんな男は冒険者の中にいただろうか。

 そんな事を考える響夜だったが、炎上するギルドのどこかが崩れた音に我に返る。

 

「っと、こうしちゃいられない。僕も行かないと」

 

 魔王軍との戦闘は終わっていない。忍者について考えるのは後からでも遅くない。

 響夜は四人の日本人達を抱えて走り出す。高レベルの筋力の恩恵で重さは殆ど感じなかった。

 

 

 

 

 

 

 ~~ベルゼルグ★初夏の神器祭 ポロリもあるよ!~~

 

 先ほどまでの神器回収タイムをあなたなりにオブラートに包んで訳すとこうなる。

 ちなみにポロリするのは悪いニホンジンの腕であり、ベルゼルグというのはこの国の名前である。ベルセルクではない。

 

 四つの中で特にあなたの興味を引いたのは、自身の左手を貫いた弓矢の神器。

 黒に染めたルビナス製の細工篭手の守りを紙切れのように突破するなど攻撃力も非常に高く、相当に高位の神器なのだろうと察せられる。

 武器に選ばれていないあなたではあの威力と誘導性を再現できないが、それはそれ、これはこれだ。

 

 そんな感じで悪いニホンジン達の神器を回収してウハウハ気分なあなたは、一度自宅に帰って忍者ルックから普段の格好に戻っていた。

 今のあなたはゆんゆんと組む時と違って覆面もフードもつけていない、ソロ活動時の格好だ。

 義賊活動をやる時の格好で大勢の前に現れるべきではないし、大立ち回りなどもっての他である事に、遅まきながら気が付いてしまったが故に。

 先ほどは変装(インコグニート)の魔法を使って難を逃れたが、何かに勘付いた様子のキョウヤに素顔を晒してほしいと言われた時、あなたはかなり本気で肝を冷やしていたりする。危うく身バレして女神エリスに怒られるところであった。

 

 あの四人以外にも敵に回ったニホンジンはいるのだろうか。いたらぶっ飛ばそう。

 そんな事を考えながらあなたはテレポートを発動させた。

 

「ピュア・クリエイト・ウォーター!!」

 

 あなたは濡れた。

 

 王都に戻った直後、突如として大量の水があなたに降り注ぐ。

 火炎魔法の次は水魔法。今日は厄日だろうか。

 あるいはマクスとの遭遇と神器の回収という幸運のぶり返しが起きているのかもしれない。とりあえずテレポートの転移先は王都の別の場所に変えておこう。

 一瞬で濡れ鼠になったあなたはそんな事を考えながら、水をぶっかけてきた知人、もとい知神に目を向けた。

 

「…………ごめーんね!」

 

 気まずさを誤魔化すように、てへぺろ、と可愛らしく笑う女神アクア。

 カズマ少年達とは別行動中のようで、この場には女神アクアしかいない。

 キョウヤが連れて行ったのか、四人のニホンジンもどこかに消えてしまっている。

 

「いやちょっと待って。つい謝っちゃったけど、清く正しく美しい水の女神に誓って、今回は本当に私は何も悪くないと思うの」

 

 異論は無いとあなたは頷いた。

 先ほどと違い、女神アクアは街中で攻撃魔法をぶっぱなしたわけではない。それどころか、炎上する冒険者ギルドを鎮火してくれていたようだ。そんな中にノコノコと転移したあなたのタイミングの悪さにこそ問題があると見るべきだろう。

 

「そうよね、やっぱりそうよね。ほら謝って! 無実の私に謝らせた事を早く謝って! そして私を手伝って!」

 

 テンションを急上昇させて杖をギルドに向け放水する女神アクア。

 あなたは軽く謝意を示しつつ、王都で何が起きているのかを訊ねた。

 

「何がって……ああ、そっちは今来たばっかりなんだっけ。こんな時間に攻めてきて超迷惑な魔王軍の卑劣な作戦のせいで、王都の色んな場所が燃えてる真っ最中なのよ」

 

 あなたは魔王軍が平原に展開中という所で王都を発ったので後の事を知らない。

 そして先ほどは神器狩りに夢中で気付かなかったが、王都の街並みに目を向けてみれば、なるほど確かに王都のあちこちが炎上しているかのように明るくなっている。

 

「カズマはめぐみんとダクネスと一緒に平原の方に行ってるわ。最初はそう何度も幹部なんかと戦ってられるかクソボケ、俺は世の為人の為に消火活動に励みながらここで陣頭指揮を執るぞ、みたいな事言ってたんだけど、お姫様が激励に来たら滅茶苦茶やる気になったの」

 

 ロリコンってちょろいわよねー、と呆れながら女神アクアは放水を続ける。

 女神アクアは戦場に行かないのだろうか。

 

「……いや、ほら。私が駆けずり回ってあっちこっちの火事を消すでしょ? そしたら王都に住んでる人たちが水の魔法を操るアクシズ教の美しいアークプリーストに感謝するでしょ? 私に感謝したエリスの信者が改宗するでしょ? 最終的にエリスの信者が私の信者になるっていう深謀遠慮の真っ最中なのよ。だから、ほら、ね? あなたも私を手伝うべきだと思わない?」

 

 何故か目を逸らしながら説明する女神アクアに、行為自体は大変健全でよろしいのではないだろうか、とあなたは思った。

 入信書を郵便ポストから溢れるほど詰め込んでいくという迷惑行為よりはずっといい。

 

 しかし王都は広い。火の手があがっている箇所も同様に幅広い箇所に及ぶ。

 無論消火活動を行うのは女神アクアだけではないだろうが、走り回って一つ一つの火を消していくのは大変だろう。

 彼女は水の女神だ。メテオよろしく広域に雨を降らせるような大魔法は使えないのだろうか。

 

 あなたの質問に女神アクアは難しい顔をした。

 

「さっき似たような事聞いてきたカズマにも言ったんだけど、一応無いわけじゃないの。でも高い所で使わないと目測でやる効果範囲の指定がどうしてもおおざっぱになっちゃうから、失敗した時に大変な事になっちゃうわ」

 

 ウィズの店を半壊させたアレがさらに大規模になるのだろう。

 具体的にはどれくらいになってしまうのか。

 

「……よくて王都の半分が水に沈むくらい? あ、この半分っていうのは王都をぐるっと囲んでる壁の高さの半分っていう意味ね」

 

 失敗すると、王都全域が外壁の高さの半分まで水没するらしい。水の女神の齎す水害だけあって魔王軍よりよっぽど甚大被害になっている。女神って凄い。あなたは改めてそう思った。

 しかし高い所で使う必要があるといわれてもピンとこない。

 

「そーねー。ここら辺だと……お城のてっぺんくらいならちょうどいいんじゃない?」

 

 女神アクアが指差した先は王城。

 その最上部は四角錐の形状になっており、四角錐の先端に突き刺さった細長いポールには旗がかかっている。

 確かに王都で一番高い場所はあそこだ。

 善は急げ。早速向かうとしよう。

 

「えっ」

 

 女神アクアがニホンジンを送り込んできたおかげであなたは神器を回収できた。

 そのお礼というわけではないが、あなたは消火活動を手伝う事にした。

 

 そして女神アクアは間違いなく王都で最高位のアークプリーストである。

 戦場にいるのといないのでは安心感が大違いだろう。消火活動も大事だが、その癒しの力を使わないのはあまりにもったいなさすぎる。

 

 

 

 

 

 

 今なら空も飛べそうな気がする。

 手を伸ばせば星に手が届きそうな空の下、あなたは唐突にそんな事を思った。

 

 実際はそんな事は全く無く、飛行能力を持たないあなたはアイキャンフライした瞬間に重力に従ってまっさかさまに落ちる運命なのだが。

 

 あなたが立つ場所からは、点々と火事で明るくなっている箇所とは別に、星々のように明かりが灯った王都全域、そしてその向こう側まで見渡すことができる。

 遠方の平原からは絶え間なく閃光が煌いており、無数の篝火もあって真昼のような明るさになっている。

 あそこが戦場なのだろう。ギルドが燃えていたのは戦線を押し込まれたからではなく、あのニホンジン達がやっただけだったようだ。

 

 魔王軍との戦いはさておき、王城から見える夜景は文句の付けようの無い素晴らしいものである。

 王都で最も空に近い場所に立つあなたは、気持ちのいい初夏の夜風を浴びながら朗らかに笑った。

 あなたは高い場所が好きだった。エーテル粒子をぶちまけながら空をかっとぶペットの機械人形で久しぶりに空の散歩と洒落込みたいものだ。オプションパーツの超大型ブースター付きで。

 

「たっか! 高いんですけど! 風が強いんですけど! 滅茶苦茶怖いんですけど! 落ちる! 落ちちゃう!」

 

 さて、現在あなたは女神アクアを背負って王城で最も高所に位置する場所に立っている。

 王城内部からではなく、塀と外壁を直接駆け上がって最短ルートでここまでやってきた。

 あなたの足元では大きな旗がばさばさとはためいており、それもあって非常に不安定な足場となっているが特に問題は無い。

 

 ……そう、あなたは城のてっぺんの四角錘ではなく、更にその上、四角錘に突き刺さったポールの上に爪先立ちしていた。

 此処こそが正真正銘、女神アクアが所望した王都で最も空に近い場所である。

 

「誰もここまでしろとは言ってないんですけど! なんでわざわざ旗の上に立つの!? 早く降りなさいよ! 落ちたらどうしてくれんの!? 神罰食らわすわよ!?」

 

 騒ぎながらあなたに抱きつく、もとい神罰(チョークスリーパー)を決めてくる水の女神。高いステータスから繰り出される神罰(物理)はあなたにも十分通用するほどだ。というか普通に神器の攻撃を食らった時より効いている。

 あなたが女神アクアを背負って王都を駆け抜け、王城を駆け上がった時、彼女は凄い凄いとはしゃいでいた。しかし今は泣き叫んでいる。女神アクアは高い場所が嫌いなのだろうか。

 

「高いところは大好きだけどそれとこれとは話が別でしょ!? 馬鹿なの死ぬの!? わああああああああああーっ! 揺れた! 今すっごく揺れた! ここは危険が危ないわ! カズマさーん! 助けてカズマさーん! この際ウィズでもいいからなんとかしてえええええええ!!」

 

 よかれと思って連れてきたのだが、まさかのギャン泣きである。

 申し訳なくなったあなたはポールから飛び降りた。

 飛ぶ前に先に一言告げておくべきだったかもしれない。自由落下の最中にそう考えるも時既に遅し。

 

「ほぎゃあああああああああああああああ!!」

 

 王都に轟く女神アクアの絶叫(ゴッドボイス)

 少し下で窓ガラスが割れる音がした。

 

 10メートルほど垂直落下した後、足の踏み場がある場所で女神アクアを降ろすと、わんわんと泣き喚く女神アクアはポールにひしとしがみ付いた。

 

「じ、じぬがどおぼっだあ……」

 

 水に濡れて冷たかった筈の背中が仄かに温かい気がするが、きっと錯覚だろう。

 そこはちょうど女神アクアのスカートがあった場所だった気がするが、気のせいなのだ。

 

「ぢょっどでだ……わだじめがみなのに、めがみなのにでぢゃった……ぎれいなみずだげど」

 

 ちょっと出てしまったらしい。いや、何が出たのかはまったく分からないが。

 そういう事になった。

 

 あなたが謝罪しながらハンカチを渡すと、美味しいお酒くれるし私を敬ってくれるから許す、と寛大な慈悲を見せた女神アクアは涙を拭うついでにごしごしと顔を拭いて思いっきり鼻を噛んだ。

 水の女神の聖痕(スティグマ)がこれでもかとばかりに刻まれた、べちょべちょででろんでろんのハンカチはちょっと使う気にならない。女神アクアは浄化を司る女神でもあるので、汚くないというのは分かっているのだが、気分の問題だ。これは後日ゼスタに売りつけるとしよう。きっと泣いて喜んでくれるはずだ。

 

「ギャラリーが一人っていうのはちょっと不満だけど……まあいいわ。あとさっきのはあのクソ悪魔には絶対に秘密にしておきなさいよ」

 

 数分ほど経って泣き止んだ女神アクアは、どこからともなく愛用の杖を取り出した。

 ギルドの消火中にも使っていたが、気付けば消えていた杖だ。彼女は四次元ポケット的なスキルを持っているのかもしれない。

 

「めんたまかっぽじって、よーく見ておきなさい!」

 

 詠唱が始まると同時に、女神アクアを中心に巨大な魔法陣が展開。

 あなたでは何一つとして理解できない、複雑で美しい魔法の構築式はめぐみんの爆裂魔法に匹敵するもの。

 かくしてここに、水の女神の奇跡が顕現する。

 

「セイクリッド・ハイネス・クリエイトウォーター!!」

 

 朗々と唱えた呪文と共に、水色の眩い光が天を貫く。

 

 ポツリ、と。

 光が消えて数秒の後に一滴の雫があなたに当たり、それが引き金になった。

 

 水滴に釣られるように空を見上げれば、圧倒的な光景が広がっている。

 雲一つ無い夜空は、今となっては月も星も見えない。

 今、あなたの目に映っているものはまさに()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そして、ドヤ顔を浮かべる女神アクアと、初めて見る光景に感動するあなたを置き去りに、王都全域を優に超え、今まさに戦場となっている平原すら丸ごと飲み込むほどの広範囲に、女神アクアの極大魔法による豪雨が降り注いだ。




★《ヤキニクソード》
 後藤(坊主刈りのゴリラ)が持っていた大剣の神器。
 炎を操る力を持つ剣。剣というか肉切り包丁。神獣フェンリルを解体した。
 転生の際、多すぎる特典に迷った後藤は運試しでランダムに任せてこれを引いた。
 出典:らんだむダンジョン

★《スペルコンプリート》
 氷川(長髪のショタ顔)が持っていた杖の神器。
 持っているだけで無条件でアークウィザード用の攻撃魔法が全部使えるようになる。
 当然爆裂魔法も使えるようになるが、MPまでは肩代わりしてくれないので氷川は使わなかった。
 出典:ざくざくアクターズ

★《母なる海の杖》
 小林(姫カットのナイチチ)が持っていた杖の神器。
 大魔法だろうが集中いらずで発動させる。
 杖自体が結界を貫通する能力を持っており、鈍器として使っても魔王を撲殺可能な程度には強い。
 出典:シルフェイド幻想譚、片道勇者

★《聖天弓リゲル》
 早瀬(ポニテのボイン)が持っていた弓の神器。
 放った矢が絶対に命中する能力を持っている。
 弓自体の攻撃力も高く、モンスター相手に使っても強力だが、その能力は対人戦でこそ真価を発揮する。
 出典:イストワール


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第94話 王都防衛戦

 魔王軍と人類の間で幾度と無く繰り返されてきた、ベルゼルグ王国の王都を巡る攻防。

 王都を防衛するのは世界最強と名高いベルゼルグ王国の騎士団と、高レベル冒険者達。

 女神アクアに力を与えられた異邦人達も相当の数が詰めており、人類にとっては最終防衛ライン、魔王軍にとっては目の上のたんこぶである。

 最前線への戦力供給場所にして最前線以上に戦力が揃っている王都が落ちるような事があれば、それは人類が一気に劣勢に立たされる事を意味する。

 

 そんな人類の砦とも言える地を攻める魔王軍の指揮を担当しているのは、幹部にして強化モンスター開発局の局長という肩書きを持つシルビア。

 本人の戦闘力自体は幹部の名に恥じぬ絶大なものだが、その役職が示すように、どちらかというとデスクワークを得意としている文官肌の魔族である。

 とはいえシルビアが様々な新種のモンスターを作り出して人類を苦しめてきた、人類の大敵の一角である事には変わりはない。その首にかかった賞金も億を優に超える莫大なもの。

 

 

 

「あーだる。さっさと城に帰って研究の続きがしたい」

 

 そんなシルビアは現在、本陣に設営された簡易指揮所の中で凄まじくやさぐれていた。

 テーブルに突っ伏して呻く様は、これが悪名高い魔王軍の幹部と言っても誰も信じはしないだろう。

 

「まだ言ってるんですかシルビア様。全体の士気に係わるんですからもっとシャキッとしてくださいよ」

 

 シルビアの副官が上司のあまりのやる気のなさを見かねて諌めるも、シルビアはまるで意に介さない。

 

「いやだってほら、考えてもみなさいよ。こっちは最近まで頭のおかしい紅魔族の連中とドンパチやってたわけじゃない?」

「ドンパチっつーか一方的にボコボコにされただけですけどね。任務も失敗しましたし」

「お黙り。アレに関してはほんと預言者がクソだったわ。何がこの結界殺しさえあればどんな守りも容易く突破できるだろう、よ。物理的に破壊する手段寄越せっての」

 

 シルビア達が千の兵で攻め込もうとも、たった五十人程度の紅魔族に一矢報いる事すら叶わずに成すすべなく上級魔法の嵐に蹂躙されるという悪夢。

 アクシズ教と並ぶ危険集団の名に偽りは無い。

 だからこそシルビア率いる魔王軍は、里の地下に眠るという古代兵器を用いて紅魔族を叩き潰す予定だったのだ。

 しかし文字通りの分厚い壁に阻まれてしまい作戦は失敗。すごすごと里から撤退する破目になった。部下や強化モンスターの犠牲が少ない段階で撤退できたのはシルビアとしては助かる話だったが、それとこれとは話が別だ。

 預言者をして何も見えないという、星を落とすスキルを使うバケモノの存在も気にかかる。爆裂魔法を使ったのは紅魔族らしいので尚更だ。

 最近になって一気に幹部の数が減っていることといい、シルビアにはどうにも魔王軍に逆風が吹いている気がしてならなかった。

 

「それでまあ、例の拾った神器の研究と本業の強化モンスター開発に専念できると思ったら、幾らも経たないうちに今度は王都攻めでしょ? 魔王軍はいつからこんなにブラックな職場になっちゃったのかしら。みんなニコニコ、アットホームが魔王軍の売りだった筈なのに」

「少なくともウチの部署(強化モンスター開発局)がアットホームだってのはびっくりするほど初耳ですよ。普通にドがつくレベルでブラックじゃないっすか。ニコニコってあれでしょ、三徹でハイになってゲラゲラ笑ってる状態でしょ?」

「そんな細かい事ばっかり言ってるからアンタはいつまで経っても嫁の貰い手が無いのよ」

「ゥオアァァン!? 畜生俄然聞き捨てならねえ! なんか知らんけどシルビア様とデキてるとか噂になってんですよ! クソックソッ、ひでえ風評被害だ! 俺にだって相手を選ぶ権利くらいあるってのに! 俺はホモじゃねえ! ファァァァァック!!」

 

 地雷を踏んでしまったのか、いきなりぶち切れて上司に全力で中指を突き立ててくる愉快な副官に、無言で腹パンを決めるシルビア。

 頭脳労働が本領とはいえ、幹部の名は伊達ではない。爆発魔法を得意とするアークウィザードの魔族は一撃でノックアウトされた。

 足元で痙攣する部下の無様な姿に若干溜飲を下げながらも、シルビアは憂鬱だとばかりに溜息を吐く。

 

「ベルディアのやつが生きてればアタシにお鉢が回ってくる事も無かったってのに……」

 

 今はもういない、一人であちこちに戦いに行く程度にはフットワークが軽かった同僚のデュラハンを思い浮かべる。

 幹部随一の武闘派だったベルディアはかつて騎士団に所属していた経歴を持つ事もあり、軍の指揮官としても非常に優秀な人材だったのだ。

 シルビアにも不可能ではないが、ベルディアと比べると二枚も三枚も劣る。

 とはいえ、高レベルを誇る幹部達は基礎スペック自体がずば抜けている。

 後方で指揮を執るよりも、単騎の戦力として前線で運用した方がよほど活躍できるのだ。

 

「ベルディアに続いてハンスが逝ってバニルは魔王軍から離脱。まあバニルは元から結界担当してるだけの外様って感じだったけど、やっばいわこれ。何がやばいってアタシにかかる負担がやばい。ウォルバクの奴はどこほっつき歩いてんのよ」

「でもシルビア様、ぶつくさ言いながら結局真面目に仕事やってるじゃないですか。今回だって調略とか、破壊工作とか」

 

 地面が冷たくて気持ちいい、と口走りながら合いの手を入れてくる副官に、仕事なんだから真面目にやるのは当たり前、だがそれとこれとは話が別だと返答する。

 シルビア、ベルディア、ハンスの三名は個性豊かな幹部の中にあって、比較的常識的かつ真面目に幹部としての仕事をこなす面子だった。

 だからこそ魔王や魔王の娘の信頼も厚く、彼らを重用しており、結果的に仕事が多い。使い勝手がいいと思われているともいう。あくまで比較的に、だが。

 

『し、シルビア様!』

 

 そんなやりとりをしていると、テーブルの上に置かれていた通信用の魔道具が光り、部下の焦燥感に溢れた声が聞こえてきた。

 この声は中央を担当している奴だったか、と思い返しながらシルビアは応答した。嫌な予感しかしない。

 

「はいはい、こちらシルビア。どーしたの」

『発光する変な奴が一人で突っ込んできます! どれだけ魔法を打ち込んでもダメージを食らってる様子が無く、我々では止められません!』

 

 案の定とでもいうべきか。届いたのは喜ばしい報告ではなかった。

 二、三ほど指示を出して通信を終えたシルビアは席を立つ。

 

「……はぁ。ちょっと行ってくるわ。アンタも付き合いなさい」

「御意。しかし御大将自ら動きますか」

「動かないわけにもいかないでしょ。単騎に中央ぶち抜かれるとか大混乱待ったなしよ。どの道このままだとここに辿り着くわけだし」

「例のちいと持ち、とやらでしょうか?」

「多分ね。王都には勇者候補がゴロゴロ詰めてるし。一人で突っ込んでくる防御力っていうと、聖鎧アイギスと聖盾イージスが思い浮かぶけど。アレは強くはなかったけど本気でウザかったから勘弁してほしいところだわ」

 

 そんな事を話し合いながら最前線に急行したシルビアと副官だが、彼らがそこで目にしたのは……。

 

 

「ハハハッハハハ! 温い! 温すぎる! どうした魔王軍! まさかこの程度ではないだろう!? さあもっと本気を出せ! 私はまだ全然満足していないぞ!!」

 

 報告にあったとおり、仄かに発光しながら集中砲火を浴び、悠然と進んでくる一人の女騎士の姿だった。

 炎、氷、風、雷。ありとあらゆる属性の魔法が親の仇と言わんばかりの量で女騎士に打ち込まれているものの、その長い金色の髪を傷つける事すら叶わない。

 多少は煤に塗れているようだが、限りなくノーダメージに近い事が一目で分かる。

 

「うっわ、ちょっと見ないレベルでふざけた硬さですね」

「全身が無駄にピカピカ光ってるのはデコイスキルの効果かしらね。スキルの熟練度を上げまくると光るようになるし」

「背格好からして、職業は十中八九クルセイダーですね。しかしよりにもよって単騎で突っ込んでくるって報告を聞いた時は、正直噂の頭のおかしいエレメンタルナイトが出たのかと冷や冷やしましたよ」

「やめなさいよ縁起でもない。……本当に縁起でもない」

 

 頭のおかしいエレメンタルナイト。

 それは魔王軍の一部でまことしやかに囁かれている、運悪く戦場で姿を見かけた場合、その者は確実に死を迎えるとまで言われている都市伝説のような冒険者である。

 そしてここ一年、魔王軍は王都侵攻戦において何度も幹部候補の指揮官や精兵が戦死するという悲劇に見舞われているわけだが、これらの戦死のほぼ全てに頭のおかしいエレメンタルナイトがかかわっているというのがもっぱらの噂だ。

 

 最初に死んだのは、長きに渡って王都攻めの司令官を務めていた、不利になったらすぐ捨て台詞を吐いて逃げる事に定評のある魔族。

 やや性格に難を抱えていたものの、これはこれで幹部に準ずるほどの高い戦闘力を持ち、人類の厭戦感情を煽るのが上手い魔族だったのだが、それはもうあっけなく死んだ。ちなみに彼が部下に残した最期の通信記録は「なんか一人だけ違う世界観で生きてる感じのマジでやばいのが単騎でこっちに突っ込んでくる」である。まるで意味不明だった。

 言うまでもないだろうが、本来であれば指揮官というのはそう易々と死ぬ役職ではない。

 強い力を持つ指揮官、あるいは王族が危険を承知で先陣を切って味方の士気を上げ、不利な戦況を覆す必要に駆られているのは人類だけだ。余裕のある魔王軍の指揮官は魔王の加護という強い力を持っていても大抵後方で軍の指揮を執っている。

 にもかかわらず、ここ一年の指揮官の死亡率はそれ以前と比べると跳ね上がっている。後方に陣取っていようと雑兵と同じように散っていく。

 おかげで最近の魔王軍では王都侵攻戦の指揮官に志願する者が激減しており、紅魔の里の攻略に失敗したシルビアにこうしてお鉢が回ってきたわけである。

 

 

 

「どうやらアイギスもイージスも持ってないみたいだけど、アレを思い出すふざけた硬さだわ……」

「敵ながら天晴れというかなんというか。ところで本当に人間なんですかねアレ。きっと腹筋とか女を捨ててるレベルでバッキバキですよ。ガチムチのバキバキ」

 

 目を爛々と輝かせて高らかに笑う女騎士の腹筋はともかく、ざわめく部下達にこれはよくない兆候だとシルビアと副官は感じ始めていた。

 

「この程度ならウチのカズマの方がよっぽど鬼畜だぞ! 魔王軍ならもっとやる気を出せ! 全力で来い! 我がダスティネス家は王国の盾! 王国の鎧! その誇りにかけて、私は逃げも隠れもしない!!」

「皆の者、ダスティネス卿が魔王軍の注意を引き付けてくれている間に一気に攻勢をかけるぞ!」

「おおおおおおお!!!」

 

 敵の注目を集めて囮になるデコイスキルを連発する、ダスティネスと呼ばれた女騎士によって、魔王軍中央の攻撃が彼女一人に集中してしまっており、後続の騎士団が戦線を押し上げてきている。

 英雄さながらの力を見せ付ける騎士に後続は士気を上げ、反対に魔王軍は早くも腰を引き始めている。

 魔王軍幹部として長く戦ってきたシルビアにとって、これはさほど珍しい光景ではない。

 理不尽な力を持つ個人によって戦局を覆されるというのは、魔王軍にとって日常茶飯事である。

 

「純粋に硬いのか、ダメージを負っても一瞬で回復しているのか。どちらにせよ、まともな攻撃は通じないと見るべきね。……攻撃中止! 無駄に魔力を使う必要は無いわ! 中止! 中止だってば! 止めろっつってんだろゴラァ!!」

 

 デコイスキルに引っかかっているのか、まるで指示を聞かない部下を鞭でしばき倒す魔王軍幹部。

 そうして一時的に魔法が止み、人垣を割って現れたシルビアに女騎士が怪訝な表情を浮かべた。

 多種多様なモンスターを従えるシルビアの姿は、一見すると人間にしか見えない、真紅のドレスを身に纏った褐色肌な長身の美女である。

 

「むっ……?」

「ダ、ダスティネス様、お気をつけください! 奴は魔王軍幹部、グロウキメラのシルビアです!」

 

 今まで数多の英雄を退け、勇者候補達を殺してきた超大物。

 歴戦の幹部の登場にざわり、と人類側に緊張が走る。

 たった一人、女騎士を除いて。

 

「ほう……貴様がシルビアか。女なのは残念だが……まあいい。その鞭が飾りでないと言うのなら、私を満足……じゃなくて打ち倒してみせろ! いざ、尋常に勝負!!」

「鞭も嫌いじゃないけど、アンタには物理も効きが薄そうなのよねえ……っ!?」

 

 声高に告げ、目を爛々と輝かせて大剣を振りかぶって切りかかってくる女騎士。

 彼女が攻撃に転じた瞬間、シルビアは驚愕に目を見開いた。

 

(す、凄い……なんてやつなの……こんな人間が存在するなんて!)

 

 勇ましく駆けて来る美麗の騎士に戦慄したシルビアはゴクリと喉を鳴らした。

 有り得ない。悪い夢でも見ているかのようだ。冗談ではないのか。

 

(何これざっこ! 信じられないくらい構えがお粗末! 超へっぽこ! え、待って、もしかして一発ギャグとかそういう!?)

 

 シルビアとて歴戦の猛者である。その経験と自身の勘が告げていた。

 どんな奇跡が起きても絶対にあちらの攻撃は当たらない、と。

 

(隙だらけだわ! この子の攻撃、どこからどう見ても隙しか無い! アタシがどこに打ち込んでも絶対に攻撃が命中する未来しか見えない!)

 

 防御はあんなに凄かったのに攻撃は駆け出し未満のゴミクズ同然。シルビアは内心で盛大に困惑した。

 これなら剣を初めて握った子供の方が幾らかマシである。このまま何もせずに突っ立っていても全く当たる気がしない。むしろ下手に避けた方が攻撃を食らう予感すらする。

 シルビアから見た女騎士の剣術は、それほどまでにへっぽこだった。

 酷い。あまりにも酷い。なんたる異様か。剣を捨てて素手で戦った方がいいのではないのか。眩暈がしそうだ。

 

「くっ、何なのよこいつ……バインド!」

「……ぐべっ!?」

 

 余りにも露骨に隙だらけすぎて逆に警戒するシルビアが飛ばした、アラクネの糸で編んだ特別製のロープで全身を拘束され、顔面から勢いよく地面に突っ込む女騎士。

 煤だらけだった顔と髪が土に塗れた。

 

「ダスティネス様、御無事ですか!?」

「わ、私は大丈夫だ! なんのこれしき……ぐぬ、か、硬いっ!? 普通のロープではないのか……!?」

 

 縛られたまま地面をびちびちと跳ねる様は、活きのいい魚を見ているかのようだ。

 魔王軍の猛攻をものともせず、威風堂々と突き進む女騎士に士気が上がっていた騎士団、そしてどれだけ攻撃をぶつけてもまるで効いていない様子の女騎士に怯み始めていた魔王軍の双方に、なんともいえない沈黙が舞い降りる。

 

「効いちゃいましたね」

「駄目元でやったんだけど効いちゃったわね……直接攻撃は効果が薄そうだったから搦め手に走ってみたんだけど……」

バインド(絡めた)だけに?」

「全然上手くないわよ。何ちょっとドヤ顔してんの」

「く、ぐふふっ……ははははははは! デコイッ!!」

「えぇ……今度は何よ……」

 

 蓑虫と化した女騎士はどういうわけか突然大笑し、一際強い輝きを放った。

 身動きできない状態で囮になるスキルを発動するなど、魔王軍からしても気が触れているとしか思えない所業である。

 

「そうだ、私はこれを待っていた! 私を拘束して頑張って抵抗しても動けなくなったのをいい事に、口では言えないようなあれやこれやちょめちょめきゃっきゃうふふうふんあはんいんぐりもんぐりするつもりなのだな! 触手か!? 媚薬か!? 服だけ溶かすスライムか!? いいぞいいぞ! 私はそういう無茶が大好きだ!! 存分に来い! だが覚悟しておけ! 私は魔王軍の卑劣でいやらしい責めになど決して屈したりはしない! さあいつでもどこからでも全力でかかってくるがいい! 聖騎士の末席を汚す者として、そして王国の盾であるダスティネス家の誇りにかけて、私はありとあらゆる責めに耐え切ってみせる! 絶対魔王軍なんかに負けたりしない!!」

ピットフォール(落とし穴)

「え、ちょ、待っ、やだやだやだぁ! ここまでやって(期待させて)おきながら放置プレイだなんてそんな無体なあああああぁぁぁぁぁぁ…………」

 

 この分では状態異常系のスキルは効果が薄そうだと判断したシルビアは、即興で落とし穴を作るスキルを使って頭のおかしい女騎士をボッシュート、もとい強制的に戦場から退場させた。女騎士の脳みそが沸いているとしか思えない話を聞いているだけで頭が痛くなってきたのだ。

 穴の大きさは直径2メートルで深さはおよそ10メートル。硬い地面には穴が作れない上に、スキルの発動自体が遅いので素早い敵には動きを先読みしないと命中しないのだが、あくまでも地形を対象にしたスキルであるため敵に無効化されず、上手く使えばご覧の通り厄介な敵を排除できる非常に強力なスキルである。

 上位スキルとして穴が大きく、そして深くなるスーパーピットフォールが存在するのだが、発動に時間がかかりすぎるのでネタの域を出ない。それ以前に味方が巻き込まれる。

 バインドで固く縛っているのでそこまでする必要は無いと判断したシルビアは、他の者がウッカリ穴に落ちないように岩で穴を塞いでおくように指示を出し、副官に声をかける。

 

「長く苦しい戦いだった……」

「近年稀に見る酷い敵でしたね。ある意味紅魔族級ですよ」

「ねえ、アタシ強いわよね? 厄介な敵をあっという間にやっつける、強くて美しい魔王軍幹部よね?」

「美しさはさておき、そりゃ普通に強いですけど。なんだっていきなりそんな事を……ああ、もしかして紅魔族相手に負け癖付いてたの気にしてたんですか」

「敵が全員高レベルのアークウィザードでバンバン上級魔法を使ってくる戦場って、どれだけ控えめに言ってもクソだと思うの」

「紅魔族がキ印揃いの頭エクスプロージョンしてるクソ種族っていうのに異論はありませんけど」

 

 屈強なモンスター達が鎧袖一触とばかりに蹴散らされる光景を思い返してやるせない気分を覚えるシルビアに、騎士団が気炎を上げた。

 

「くっ、ダスティネス様を縛った挙句、落とし穴に嵌めるとはなんと卑劣な!」

「しかもあんな事やこんな事をするつもりだとは言語道断!」

「皆の者、一刻も早く魔王軍のいやらしい魔の手からダスティネス卿をお救いするのだ!」

「おおおおおおっ!!」

 

 女騎士は人気者だったらしく、騎士団の士気は下がるどころか上がる一方。

 しかしエロい事をすると決め付けられている件についてはシルビアも物申したい気分でいっぱいだった。むしろ普通に勘弁してほしいとすら思っている。

 シルビアは美男子が大好きなのだ。

 

「何かしらこれ。近年稀に見る深刻な風評被害を食らってる気がするわ」

「ざまあ。シルビア様とカップリング扱いされてる俺の気分を一割でも味わえばいいと思いますよ。シルビア様の心労で飯が美味い」

(どうしてこんなに口が悪くなっちゃったのかしら。昔はアタシを見て顔を真っ赤にするような、可愛くて初々しいショタっ子だったのに)

 

 ちょっと真剣に副官変更の手続きをとるべきか考えながら口さがない副官に蹴りを入れ、シルビアは竜皮の鞭を振るって騎士団を迎撃する。

 やる気なさげに溜息をつきながら自身の手足のように振るわれる鞭が、世界最強の騎士団を雑兵のように蹴散らしていく。

 苦し紛れに放たれた矢と魔法も殆どが鞭に阻まれ、辛うじて届いた極少数もドレスに傷一つ付ける事すら叶わない。

 

 シルビアにとって脅威足り得る特殊能力や神器持ちの勇者候補(日本人)達の戦場は主に両翼であり、騎士団が担当する中央ではない。彼らが駆けつけるまでには猶予がある。

 故に今この瞬間、戦場はシルビアの独壇場となっていた。

 

 圧倒的な単体によって戦局を覆すのは人類だけに許された特権ではない。

 むしろ今のように、有利になった人類が幹部という規格外による投入でひっくり返される方が多い。

 

 シルビアにはベルディアのような武技は無い。

 しかしこれといった明確な弱点が存在せず、各種攻撃に高い耐性を持つ。

 

 シルビアにはハンスのような殺傷能力は無い。

 しかし鈍足なスライムであるハンスには持ち得ない身体能力がある。

 

 様々な種族をその身に取り込み、徹底的に自己を改造する事によって手に入れた、高い能力と魔王軍随一の耐性。

 多少の搦め手も使えなくはないが、シルビアの本領はこの二つを用いた純粋で圧倒的な暴力。

 身も蓋も無い言い方をすると、高いレベルと耐性にあかせた脳筋戦法(ゴリ押し)。レベルを上げて物理で殴ればいいとは誰が言った言葉だったか。

 副官も言ったように、シルビアは普通(シンプル)に強い。

 強化モンスター開発局の局長という肩書きの持ち主とは思えないそれは呆れるほどに単純で、だからこそ対処が難しいものだった。

 

 

 

 

 

 

 暫く作業的に騎士達を蹴散らしていたシルビアは、副官の叫びで我に返った。

 

「シルビア様!!」

「ッ!!」

 

 恐ろしい速度でシルビア目掛けて突っ込んできたのは、青い鎧を纏った一人の剣士。

 副官の声に反射的に飛び退いたものの、その右腕からは微かに血が流れている。

 

「浅かったか……」

 

 眉を顰めて呟く剣士を尻目に、浅く切り裂かれた腕の血を拭って舐め取るシルビア。

 

「やるじゃない。血を流したのは久しぶりだわ」

「師匠が良かったからね」

「ふふっ、謙遜も上手いのね。良かったら名前を教えてくれないかしら」

「御剣響夜だ。覚えなくて構わないよ」

 

 シルビアは笑った。

 頬が裂けそうな、凄惨な笑みだった。

 

「へえ、ミツルギ! アンタがあの魔剣使いのミツルギ! いいわあ、噂通りの男らしいアタシ好みのイケメンじゃないの!」

 

 猛る闘争心に応えるように、速度が上がった鞭が唸りをあげる。

 

「折角の機会だし、ちょっとばかし遊んでもらおうかしら!」

「悪いけど、貴女は僕の好みのタイプじゃないな!」

 

 魔王軍幹部と転生者。

 防衛戦以上に繰り返されてきた戦いが再び幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 魔王軍の破壊工作にて始まった王都防衛戦。

 普段であれば多数の高レベル騎士や冒険者によってあっという間に鎮圧されるのが常だったこの戦いだが、今回は様々な要因によって人類は予想外の接戦を強いられていた。

 

 一つ目は爆発による混乱が冷めやらぬ内に魔王軍が攻勢をかけてきた事。

 破壊工作を仕掛けておきながら、わざわざ相手が立ち直るのを待つ馬鹿はいない。何の為の破壊工作なのかという話である。

 

 二つ目は時間の問題。

 改めて記すが、魔王軍が攻め込んできたのは人々が深く寝静まった深夜である。

 多少の寝不足などは戦闘の高揚が洗い流してくれるが、夜の暗闇は暗視能力を持たない大多数の人間の視界を閉ざす。

 精強な騎士団は夜間における戦闘の訓練も十分に積んでいるとはいえ、集団戦闘の軍事訓練すら受けていない冒険者達はそうもいかない。

 例え明かりの魔法を使ったり篝火を無数に焚いていても、近接戦闘となれば同士討ちの危険性は格段に増す。なまじ高レベルで火力も高いのが枷になる。

 一方で魔王軍の兵は魔というだけあって夜に強い種族が多く、暗視能力も人間とは比べ物にならない。

 

 とはいえ、これくらいのハンデは人類側にとって然程珍しい話ではない。むしろ日が出ている内に魔王軍が仕掛けてくる方が稀なくらいだ。

 多少の悪条件は跳ね返してあまりあるほどにベルゼルグ王国の騎士団、他国から派遣されてきた精鋭、そして王都に詰めている冒険者達は強い。

 上級職でないレベル30以下の冒険者は魔王軍との戦いに出る事を許可されず、王都の警備に回される程度には層が厚いのだ。魔王軍との最前線から徒歩数日という場所にあるにもかかわらず、これまで陥落しなかったのも大いに頷ける。

 

 問題は三つ目。

 戦場ではなく王都側に、決して少なくない戦力を割く必要があったからだ。

 

 当初、消火には王都の警備兵や警邏に回された冒険者が向かったのだが、いつまで経っても火が消えない。

 それどころか場所によっては新たに火の手が上がる始末。

 魔王軍の妨害を受けていると本部が判断するのは当然であり、実際にそうだった。

 

 今まで何度も魔王軍に攻め込まれ、しかし高い防衛力でその全てを跳ね除けてきた王都側。

 世界の危機、崖っぷち、最後の砦。

 何十年、何百年もの間そう言われ続けながらも、なんだかんだで拮抗していた彼我の戦力バランス。そして最近になって立て続けに撃破されている魔王軍幹部。

 最前線に近くとも、最前線そのものではない王都側にある種の楽観、あるいは驕りがこれっぽっちも無かったと言えば嘘になる。王都に住む貴族が政治ゲームに興じる程度には余裕があるのだからさもあらん。

 

 奇しくも今回はその弛みを突かれた形になる。

 ギルドを筆頭に各所の破壊を担当した者はいずれも腕利き。戦場に出る事を許されない程度の強さでどうにかなる相手ではなかった、

 それもその筈。半数以上は王都に潜伏していた魔族の仕業だが、中にはこの世界の高レベル冒険者や、勇者候補と呼ばれる、強力な力を持つ者達も混じっていたのだ。

 冒険者ギルドを爆破した四人の勇者候補は、勇者候補筆頭である魔剣の勇者の足止め中、突如として乱入して来た謎の忍者にボロ雑巾にされたわけだが、魔王軍側に寝返っていたのは彼らだけではない。

 

 後藤達と同じように、血で血を洗うような終わりの無い戦いに疲れた者。

 人類に失望した者。

 華々しい活躍をあげる同胞への嫉妬で歪んでしまった者。

 童貞を拗らせすぎて魔の誘惑(おっぱい)に屈した者。

 イケメン魔族に性的に食べられてしまい情が移った者。

 他の人達も魔王軍に寝返ってますよ、という右に倣えの国民性を巧みに突いた勧誘に応じた者。

 

 女神エリスが知れば嘆き悲しむか、あるいは助走をつけて閃光魔術(シャイニングウィザード)を顔面にぶち込んでくるレベルの理由で彼らは以前より人類に見切りをつけており、今回の侵攻で表立って行動を開始していた。

 実際に彼らがやっていたのは己が人間である事を利用し、消火活動にきた者に協力するフリをして襲い掛かり気絶させるという単純なものだったが、彼我の戦力差や先入観によって、消火活動がことごとく阻まれていたのだ。

 

 上述の四人を退けた魔剣の勇者によって下手人は紛れも無く手練であり、生半可な者を送るのは下策でしかないと通知される事となり、これをなんとかする為にまだ余裕がある前線から有力な冒険者が駆り出される事となる。

 紅魔族との戦いを生き抜いてきたシルビアの部下や強化モンスター達も猛者揃い。

 一大事といえば一大事だが、冒険者や勇者候補が魔王軍に寝返るのも、王都が危機に陥るのも、今日が初めてというわけではない。

 これもまた、人類と魔王軍による長い戦いの歴史のほんの一ページに過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 一進一退の攻防を繰り広げていた両陣営だが、事態が大きく動いたのは、戦闘開始から小一時間が経過した頃だった。

 

「アイリス様。キョウヤ殿が平原に到着したようです。成長著しい彼なら、あるいはシルビアも……」

「…………」

「アイリス様?」

「クレア、レイン。私は決めました。お父様達がいない今、ベルゼルグの名を継ぐ者として、民が苦しみ傷ついているのをこれ以上黙ってみているわけにはいきません。私も出ます! 親衛隊、伴をしなさい!」

「えええええええ!?」

 

 若干12歳にして王都最大戦力の一角と目される王女アイリス、親馬鹿な国王にねだって貰った神器にしてベルゼルグの国宝、エクスカリバーを携えてまさかの出陣。

 無茶だと諌める家臣にここで戦わずに何がベルゼルグ王家か、と一喝する王女に最近まであった儚さはどこにも無い。王女に気高く美しい姫騎士の話をしたどこかの日本人の影響は絶大だった。

 

 姫騎士かくあるべし、という王女アイリスの登場に落ちかけていた士気は一気に回復。

 そしてキョウヤと互角の戦いを繰り広げていたシルビアは王女の参戦に敏感に死の気配を感じ取り、即座に撤退を開始。王都防衛戦における魔剣の勇者と魔王軍幹部の戦いは決着が付かずに終わる。

 

 

 そして、シルビアが撤退を始めた所で()()は起きた。

 

 

 王城から天に向かって伸びる、青く清浄なる光の柱が夜を照らす。

 誰も彼もがその神聖な光に目を奪われた。

 

 光が収まり、次いでやってきたのは信じられないほどの豪雨。

 雲一つ無い夜空から降り注いだそれは、光が天の井戸を突き破った結果のもの。そうとしか思えない光景だった。

 

 嵐もかくや、という雨量によって、あっという間に王都中の火の手は掻き消される事となる。

 そして前線で戦う者にとっては視界を殺すだけで迷惑にしかならなかった筈の豪雨はしかし、魔王軍と戦う人々の傷を癒し、悪魔と不死者に弱くとも確かなダメージを与えてみせた。まるで雨粒の一つ一つに癒しと浄化の力が込められているかのように。

 

 人を癒し魔を焼く浄化の雨。最早誰一人としてこれが自然現象だとは思わなかった。

 人類側に傾いていた天秤は、この一手で完全に趨勢を決定付ける事になる。

 

 ざわめく人々に、敬虔なエリス教徒であるクレアが叫ぶ。

 アイリス様の勇気に、エリス様が奇跡を起こしてくださったのだ、と。

 

 

 

 ……そして、異邦人と水の女神。

 人類側における最大戦力にしてジョーカーである二名が、遅れに遅れて戦場に辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 女神アクアが大魔術によって降らせた大雨によって火が消し止められたのを確認したあなたは戦場である平原にやってきたのだが、戦場は人類が一気呵成に猛攻をかけているところだった。

 既に雨は止んでしまっているが、武器を手に取って戦う誰もが口々に叫んでいる。

 

 

 ――エリス様万歳!

 

 ――アイリス様万歳!

 

 ――ベルゼルグ万歳!

 

 

 狂奔、というやつだろうか。

 誰も彼もが熱狂に駆り立てられている。

 ニホンジンと思わしき冒険者達はついていけないとばかりに戸惑っているようだが。

 

「ねえ待って! これってどう考えてもおかしくない!? 雨を降らせたのは王女様でもエリスでもなくて私なんですけど! っていうか上げ底エリスは何もやってないのに崇められるなんて、こんなの絶対に許されないわ! 癒しと浄化の力が篭った雨なんだから普通に考えたら真っ先に私が出てくる筈でしょ!? なんでよりにもよってエリス(幸運の女神)の手柄になってるの!? あの子はその手の権能なんか持ってないのに!!」

 

 あなたの隣で女神アクアがむっきゃああああと叫びながら猛抗議しているが、悲しい事に誰の耳にも届いていない。

 周囲のエリス様万歳、という喝采に掻き消されてしまっている。

 アルカンレティアならまだしも、王都は女神エリスのお膝元である。この分では最早彼女が何を言っても女神エリスが手を尽くした為だと受け取られてしまうだろう。

 よしんば女神アクアが雨を降らせたとしても、それは女神エリスが先輩である女神アクアに頼み込んで雨を降らせたからだ、といったように。

 そういう空気になってしまっている。

 

「……せ、戦争よ! こうなったら戦争だわ! 不敬な連中に神罰食らわせてやるんだから! 私の可愛い教徒に神託してエリスんとこの教会を全部打ち壊させた後にここの城ごと全部水に沈めてやるわ!」

 

 涙目で可愛らしく地団太を踏んで恐ろしい事を言う女神アクア。実際に可能なのが困る。

 あなたは自分ならどうするだろうか、と考えた。

 自身の信仰する女神が起こした奇跡が、事もあろうに他の神の手柄になっていたとしたら。

 

 なるほど、不敬極まりない連中を皆殺しにすべく同胞達と共に全面的な宗教戦争はどう足掻いても不可避である。

 

 女神アクアが可哀想になったあなたは、常備している自作の飴玉をプレゼントする事にした。

 優しいイチゴミルク味のそれは癒しの女神のお気に入りであり、ウィズ、ベルディアも喜ぶ一品だ。

 いかつい色黒の大男のベルディアにイチゴミルクキャンディ。似合わないと言ってはいけない。

 

「はあ!? なによ、子供じゃあるまいし! 飴ちゃんなんかでスーパー女神3になったしばらくおさまるところを知らない私の怒りが鎮まると思ったら大間違いなんだから! ……あ、おいひい」

 

 女神アクアの怒りは一瞬で鎮火した。

 エリス教とアクシズ教による全面戦争、そして神の怒りによって王都が水の底に沈むという未来は辛うじて避けられた。

 とりあえずキョウヤに女神アクアが雨を降らせた事は教えておくべきだろう。敬虔な女神アクアの信徒である彼はアクシズ教徒と違って人気者な上に国の上層部に顔が通っているので、女神アクアの名誉の為に動いてくれるはずだ。

 人知れず世界を救うという偉業を成し遂げた英雄(あなた)は、コロコロと口の中で飴玉を転がす女神アクアを伴って戦場を進んでいく。

 そこら辺に神器でも転がっていないだろうか、と周囲を見渡すも、それらしいものは落ちていない。

 

「ねえねえ、まだ終わってないみたいだけど。戦わないの?」

 

 怪我人を見つけては適当に回復魔法を飛ばし、地面に転がっている人間の死体に蘇生魔法(リザレクション)を使っていく女神アクア(辻プリースト)の問いかけ。

 感謝されこそすれ、女神アクアの周囲に誰も集まってこないのはあなたが同行しているからだろう。むしろ戦々恐々としているあたり、完璧に頭のおかしいエレメンタルナイトの関係者だと認識されていた。

 気付いていないのか気にしていないのか、特に表情を変化させない女神アクアに若干申し訳なく思いながらも、自分の出番はもう無いだろうと答えた。

 既に戦いは追撃戦に移っている。この期に及んで出張る理由があるとは思えなかった。

 

「ふーん。まあいいけど。私のおかげで勝ってるみたいだし。この! 私の! お、か、げ、で!! ……飴もーいっこちょうだい」

 

 気に入ってくれたようで何よりだと、あなたは袋ごと渡す事にした。

 どうせ家に帰れば幾らでも作れるのだ。しかし餌付けをしている気分になる。

 

「見た感じだと相当激しい戦いだったみたいだけど、カズマはどーしてんのかしらね。めぐみんとダクネスはなんだかんだいって大丈夫だろうけど、雑魚っぱちな上にすぐ調子に乗るカズマはアッサリ死んでそうなのよね。やっぱりあのクソニートには保護者として私がついてあげていなくちゃ駄目なんだわ」

 

 うんうん、と頷く女神アクアにあなたは曖昧に笑ってお茶を濁す。

 カズマ少年も女神アクアに対して全く同じ事を思っているのは想像に難くない。お似合いの二人という事なのだろう。

 

 

 ――エクステリオン!!

 

 

 そうしてカズマ少年達を探していると、少し離れた場所から放たれた光り輝く斬撃が夜空を奔った。

 

 斬撃はグリフォンと思わしきモンスターを真っ二つに切り裂いており、その足に掴んだ何かと共に地面に一直線に落下してきている。

 

「あ、カズマだ」

 

 モンスターに連れ去られかけていた何かを指して女神アクアがそう言った。



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第95話 いのちだいじに

 あなたは王都の冒険者の人気者だ。

 その人気っぷりときたらアイドルが裸足で逃げ出すほどであり、その証拠にこうして戦場を歩いているだけで誰もがあなたに視線を向け、その一挙一動に注目している。

 

 

 ――うわ、頭のおかしいエレメンタルナイトだ……アクシズ教徒っぽいの連れてやがる。リザレクション使ってるって事はアークプリーストか。

 

 ――頭のおかしいエレメンタルナイトにアクシズ教徒のアークプリーストってお前。縁起が悪いっつーか悪夢の組み合わせにも限度ってもんがあるだろ、常識的に考えて。

 

 ――彼、戦いに参加してたの? 王城では見なかったし、戦場にいたって話も聞かなかったんだけど。

 

 ――私も気になったんだが誰もアレが戦う姿を見ていないらしい。戦いが終わった後に来たんだと思う。

 

 ――アイツがいると最前線で暴れまくる上に積極的に指揮官の首を獲りに行くもんだから、戦闘が速攻で終わるんだよなあ。お陰でこっちの取り分が露骨に減るっていう。

 

 ――盗賊が仲間にいる奴は早く隠せ! 再起不能にされるぞ!

 

 ――ぷるぷる、ぼくわるいとうぞくじゃないよ!

 

 

 ご覧の有様である。

 ゆんゆんと行動を共にするに当たって素顔を隠していたのは大正解だったと言わざるを得ない。

 遠巻きから感じる、警戒の感情が多分に含まれた冒険者達の視線に辟易としながら、あなたは女神アクアを伴ってカズマ少年の落下地点に向かう。敬遠されている事に女神アクアが気付いていないのが不幸中の幸いか。

 怪我人と死人を無造作に癒していく辻プリーストこと女神アクアだが、彼女はモンスターに誘拐されかけたカズマ少年を煽れるチャンスだとここぞとばかりにイキイキとしたゲスい笑顔を浮かべている。

 アクシズ教の関係者だと一目で分かる青を基調とした服装、そしてあなたの存在も相まって人を寄せ付けない要因になっていた。

 

「アクシズ教! 私の功績を掠め取る卑しいエリス教なんかよりも清く正しいアクシズ教をよろしく!」

 

 とまあこのように、回復した相手に向かってネガティブキャンペーンを兼ねた布教活動をしているのも決して無関係ではないのだろうが、それはさておき。

 最初からあなたと行動を共にせず、戦場に立って回復魔法や浄化魔法を使っていれば救世主じみた扱いをされていたのかもしれないが、所詮はもしもの話である。

 

 

 

 

 

 

「お兄様! しっかりしてくださいお兄様!」

「アイリス様、残念ですが、その男はもう……」

 

 あなたと女神アクアがカズマ少年の落下地点に辿り着いた時、オークの時よろしく真っ二つになったグリフォンの血に塗れたカズマ少年は既に手遅れの状態になっていた。

 具体的には首がポッキリと折れてしまっている。

 テンションを上げた状態のまま逝ったのか、笑顔を浮かべたカズマ少年の物言わぬ骸に縋りつく青い軽鎧を身に纏った王女アイリスの姿は何とも痛々しく、彼に好意を抱いていないクレアもどこか悲しそうだ。

 

「あー……その、多分ですけど、そこまで心配しなくても大丈夫ですよ。とりあえずここにウチのアクアを連れてきてもらえますか?」

「めぐみん、呼んだー?」

「ああ、ちょうどいいところに……うげっ」

 

 安堵から一転、あなたの姿を認めた瞬間、苦虫を噛み潰したような顔になるめぐみん。

 しかしエーテルとメシェーラで冒されたあなたの脳味噌は、めぐみんの応対が辛辣なのは素直になれないだけだと認識しているので何も問題は無い。可愛いものである。

 

「ちょっとアクア、なんでコレを連れてきたんですか。というかなんでこんな時間に王都にいるんですか」

「なんかこう……成り行きで? 私もたまたま会っただけだからなんでいるのかは知らないわ。ところでカズマはなんで死んじゃったの? 空から落っこちてくるなんてまるでどっかのヒロインみたいよね。ほら、天空の城のバルスの。落ちてくるシーンでヒロインがそのまま死ぬとかギャグにしかなってない気がするけど」

「すみませんアクア。ちょっと何を言ってるのか分からないです。とりあえずカズマを蘇生してあげてください。流石に今回は駄々をこねたりしないでしょう」

 

 まるでいつもの事だと言わんばかりに平然とカズマ少年の死を語る女神アクアとめぐみんに戦慄を顕にする王女アイリス達だがさもあらん。

 あなたは少し気になる事があったので、蘇生前に死体に水をぶっかけて洗浄を始めた女神アクアや王女アイリス達から少し離れた場所にめぐみんを引っ張って話を聞く事にした。

 

「カズマの詳しい死因、ですか?」

 

 暗視、敵感知、潜伏、狙撃。

 アルダープの別荘でもあったように、カズマ少年は夜に真価を発揮するスキルを数多く習得している。

 めぐみん曰く、こっちが魔王軍を圧倒していれば勢いと調子に乗って一人で弱いモンスターを深追いした挙句逆撃を食らっていたんじゃないですかね、との事だが、今回の戦いは戦力がほぼ拮抗していた為に特にそういう事も無く。

 後方からチマチマと嫌がらせしたり矢を放って堅実に戦果を稼いでいたのだが、戦闘の終盤、王女アイリスが来ていると聞いた事により王女の目の前でいい所を見せようと追撃戦に参加。そこを見事にグリフォンに捕まり、その際に首の骨が折れてしまった、というのが事の次第らしい。

 

 一方のめぐみんは爆裂魔法を使っていなかったせいか普通にピンピンしている。

 正しくは使いたかったが使えなかったらしいのだが。

 序盤は乱戦だったので下手にぶっぱなしたら味方を巻き込みかねず、ならば撤退する魔王軍にぶち込もうと意気込んでいたものの、浄化の雨のせいで追撃戦が発生したためにそれも叶う事無く。

 非常に大規模な会戦だったにもかかわらず、終始おあずけを食らってしまった爆裂魔法使いは大層不満そうな顔を浮かべていた。

 

 そんないつもと変わらない彼女の姿に確信を抱いたあなたは小さく耳打ちする。

 カズマ少年が死んだのはこれで何度目なのか、と。

 

「…………なんのことですか?」

 

 言葉ではそう言いながら、疑問ではなく確認の体をとったあなたの問いかけに最早ごまかしようが無いと悟っているのか、そっと目を逸らすめぐみん。

 やはりというべきか、少なくともこれが初めてというわけではないようだ。

 

 女神アクアは神という超越者である。超越者の死生観や倫理感に常人とかけ離れている部分があろうとも、そこに不思議は無いし違和感も無い、むしろ当然だとあなたは思っている。

 しかしめぐみんに関しては見過ごすわけにはいかない。彼女はこの世界の人間なのだから。当然命の重さも、蘇生のルールも熟知している。

 故に、一度はアークプリーストである女神アクアの手によって蘇生できると分かっているとはいえ、これが初めての死であれば、めぐみんも王女アイリスのように取り乱していなければおかしい筈なのだ。紅魔族の里であなたが死んでいたと誤解された時の彼女の反応からもそれは分かる。

 何よりカズマ少年はめぐみんの仲間だ。命がペラ紙なノースティリスの冒険者でも仲間(ペット)の最初の死には狼狽するし、嘆き悲しむものである。

 すぐにどうせ生き返るから大丈夫、と適応してしまうのだが。

 

「……はぁ。カズマが死んだのはこれで三度目です。私が知る限りは、ですけど」

 

 やがて観念したのか、小さく溜息を吐き、蘇生魔法の青い輝きを見つめながらめぐみんは告白した。

 なるほど、三回も死んでいれば多少は慣れるだろう。

 ちなみにめぐみん達の中で死んだ経験を持っているのはカズマ少年だけだそうだ。

 

 聞けば一度目は雪精の討伐依頼中に遭遇した冬将軍への対処を誤って首を狩られたとのこと。

 二度目はリザードランナーの群れの討伐中に木から落ちて首の骨を折った。

 三度目はグリフォンの強襲による首の骨折。あなたは高所からの落下の衝撃で首を折ったと思っていたのだが、彼がグリフォンに捕まった時には首がぷらんぷらんしていたらしい。

 

 二度目の件は首が大変な事になったと話には聞いていたものの、まさか死んでいたとは思わなかったので少し驚きである。

 そして今のところ死因が全部首絡みなのは笑い所なのか。

 

「あなたは言ってもなんか大丈夫な感じがするので教えましたけど、他の人に言い触らしたりしないでくださいよ? 絶対大事になりますから」

 

 女神アクアとカズマ少年のどちらが特別であるが故に複数回の蘇生を許されているのだとしても、それが可能だという事が知られれば確かに大騒ぎになるだろう。

 蘇生は一人につき一回まで、というルールを二人はひっくり返しているのだから。

 

 カズマ少年の三死はいずれもモンスター絡み、つまり彼はモンスターに殺された人間を担当する女神エリスの御許に送られている事になる。

 冬将軍に殺された初回はともかく、二度目は女神アクアが後輩である女神エリスに散々無茶を言ったのだろうな、とあなたは思った。無茶な注文に頭を抱える女神エリスの姿が目に浮かぶようだ。

 

 女神エリスの苦労話はさておき、実際のところめぐみんは女神アクアの事をどう思っているのだろうか。

 女神アクアはどれだけ自分が女神だと言ってもめぐみんやダクネスが信じてくれない、ハイハイ凄い凄い、みたいにまた変な事言ってる扱いされる、と嘆いていた。

 幾ら頭がおかしい事に定評のある紅魔族のめぐみんといえど、世界のルールを無視している女神アクアをまさか本気で狂言者だと思っているわけではあるまい。

 

「アクアはアクアです。ちょっと変な所がある、私達の大切な仲間です。それでいいじゃないですか」

 

 アクシズ教徒と同じように、女神アクアの正体についてはあえて見てみぬフリをする。

 幼げな容姿に見合わぬ母性的な笑みを浮かべるめぐみんは端的にそう言っていた。

 

「…………おい。おいちょっと待て。私をよりにもよってあのキチガイ連中(アクシズ教徒)と同列に語るのは止めてもらおうか。流石にそれは非常に不本意かつ不愉快な認識だと言わざるを得ない」

 

 あなたは笑った。

 はいはい紅魔族紅魔族。

 

「今日はまだ爆裂魔法を使ってないんですよ? あなたはこの意味が分かってるんですか? 鍛えに鍛えた星砕きの爆裂魔法を以って長きに渡る因縁に終止符を打ってもいいんですよ? あぁん?」

 

 目を赤く輝かせ、チンピラじみたメンチを切ってくる年中反抗期の妹分をはいはい可愛い可愛いと構い倒していると、カズマ少年の蘇生が終わったらしく、彼は首を押さえながらムクリと起き上がった。

 

「寒っ、というか冷たっ。なんでこんなに体がびちょびちょになってんの?」

「王女様に続いてグリフォンにまで誘拐されかけたカズマさん、お帰りなさい! とどまるところを知らないカズマのヒロインムーブはどこまで行っちゃうのかしら! お婿さんによろしくね!」

「お、お前なあ! よりにもよって最初に言う台詞がそれか! 生き返った人間にはもうちょっと優しくしろよ! エリス様の女神っぷりを見習ったらどうなんだ!」

 

 生き返って早々仲良く喧嘩を始める二人の息はピッタリだ。

 そんな中、やいのやいのと騒ぐカズマ少年の胸に王女アイリスが頭から突っ込んだ。

 

「お兄様ぁあああああ!!」

「うおおっ、アイリス!? なんだどうした!? その格好もカッコイイ中に可愛さが光ってて凄く似合ってるな!」

「良かった、良かったです! このまま二度とお兄様に会えなくなってしまうかと思うと、私……!」

「あ、ああ……うん。なんか心配かけたみたいでごめん。でもこの通り、もう大丈夫だからさ」

 

 いずれ決着を付けます、と捨て台詞を吐いてカズマ少年の元に向かうめぐみんを見送り、あなたは静かにその場を後にした。

 女神アクアと女神エリスに頼めばゆんゆんの無限蘇生も可能になるのだろうか、もしそうなら自分達やベルディアと同様の、己の骸を積み上げる事によって成り立つ死の行軍(デスマーチ)が可能になるのだが、といったように友人にして廃人級の強さを目指している愛弟子の育成プランを考えながら。

 

 

 

 

 

 

 神器を求めて一人戦場を彷徨う。

 王女アイリスが聖剣エクスカリバーなる神器を持っていたのだが、鑑定の魔法を使ったところエクスカリバーはベルゼルグの国宝である上に、勇者直系の子孫である王女アイリスを今代の担い手と認めていた。

 女神アクアの神器は本来の所有者でなくとも選ばれれば使えるというのは耳よりな情報だが、国宝を交換に応じる道理は無く、担い手がいる以上、先の四人のニホンジンのように合法的に回収するわけにもいかない。とても残念だ。鞘も強力な守護の力を秘めていたのだが。

 

 失意のままに散策している最中、あなたは妙に騎士達が集まっているのを見つけた。

 彼らは穴に向かってランタンを掲げている。

 

「ダスティネス卿! 御無事ですかー!」

「くそっ、縄梯子はまだか!」

 

 一人姿が見えないと思ったら、ダクネスは穴に落ちていたらしい。

 あなたが近づくと、騎士の一人がそれに気付いた。

 

「なんだ、冒険者か? これは見世物ではないぞ。魔王軍の攻撃を一身に浴び、幹部に勇敢に立ち向かった高潔な聖騎士がバインドで縛られた挙句卑劣な策によって穴に落とされてしまってな。現在救助活動中なのだ」

 

 ――私の事はいい! このまま手も足も出ない状態で放置プレげふんげふん、私よりも他の者の救助を優先してくれ!

 

 説明を受けていると、穴の中からダクネスの声が聞こえてきた。

 バインドを食らっているそうなので、お楽しみタイムだったのかもしれない。

 

「御心配めされるな! エリス様の浄化の雨によって皆、傷を癒されました!」

 

 ――あ、雨!? 私の元には一滴も届いていないぞ!?

 

「大岩で穴が塞がれていたせいでしょう! しかし雨の量は凄まじく、卿が落ちた穴に降り注いでいればあるいは溺れてしまいかねず、そうでなくとも御身が泥に塗れるところでした!」

 

 ――…………。

 

「ダスティネス卿!? まるで子供が不貞腐れたかのように地面に突っ伏していかがなされたのですかダスティネス卿!?」

「いかん、まさかシルビアにあのタイミングで毒を盛られていたのでは!?」

 

 にわかに慌しくなりはじめた騎士達だが、怪我も無いようだし、そっとしておこう。

 拘束状態からの水攻めという、彼女からしてみれば絶好のシチュエーションを逃してしまった事によるダクネスの失意を理解してしまったあなたはその場を離れる。

 

 その後、どれだけ探してもニホンジンの死体や神器が転がっていないのであなたは家に帰る事にした。

 女神アクアは既に送り届けたし、魔王軍と戦ってもいないのにこの後の戦勝パレードに参加するのもどうなのかと思ったのだ。

 それ以上に入手した四つの神器を早速手入れしておきたかった。

 

 

 だが、意気揚々と引き上げたあなたは知らない。

 この戦いにおいて、魔王軍に寝返ったニホンジンが四人だけではないという事を。

 後日、あなたはふとしたことからそれを知ってしまい、さっさと帰ったせいで神器回収のチャンスを逃してしまった事を心の底から後悔する事になるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 様々なイベントを経た日の朝。

 あなたはご近所さんであるカラススレイヤーバニルの家を訪ねた。

 

「ふむ、お得意様が我輩に用事とは珍しいではないか。それもこんな朝早くから。ポンコツリッチーがイケイケアークウィザードだった頃の話でも聞きに来たのか? お得意様の耳に入ればアレが転げ回って我輩を愉しませる事請け合いのネタには事欠かんが、我輩は悪魔である。相応の代価を貰い受けるぞ」

 

 とても興味深い話だが、そうではない。

 現在あなたが最も興味を抱いているのは、アルダープの屋敷の地下で遭遇した不思議な青年である。

 

「……ほう?」

 

 一段階バニルの声のトーンが落ちたが、仮面に隠されたその表情を窺う事はできない。

 回りくどい真似は好みではないので、あなたは単刀直入に切り出した。

 マクスと名乗っている、後頭部が存在しないオッドアイの青年に心当たりはないか、と。

 

 どうか無関係、あるいは敵対している相手でありますように。

 そんなあなたの切なる願いも空しく、やがてバニルはこう言った。

 

「お得意様の事は見通せんので、どういう経緯(いきさつ)で出会ったかは分からんが……お得意様が領主の屋敷で遭遇したという相手は辻褄合わせのマクスウェル。真理を捻じ曲げる悪魔、マクスウェル。地獄の公爵にして七大悪魔の一角。我輩の友である」

 

 あなたは呻き声をあげてテーブルに突っ伏した。

 知人程度かと思いきや、まさかの友人だった。説得のネタは一応考えてきたが、これではとても望みは叶えられそうにない。

 頭のネジが飛んでいるマクスであれば喧嘩を買ってくれる可能性は非常に高かった。今回はかなり期待していただけに落胆もひとしおである。

 おお、いと尊き女神よ。その恩寵を以って異邦の地にある我が身の無聊を慰めたまえ。

 

「ふむ、大変に美味な悪感情、ご馳走様である。思えばお得意様から悪感情を食すのはこれが初めてか。しかし分からんな。お得意様はマクスウェルをどうするつもりだったのだ。この悪感情の味からしてとてつもなくガッカリしているようだが」

 

 自身を殺し得るほどの力を持つ相手だったので、バニルと無関係の相手だった場合はちょっと殺し合いを挑もうかと思っていた。

 テーブルに突っ伏したままのあなたの返答を受け、仮面の下でバニルの眉が顰められた気配がした。

 

「……お得意様は自身の世界の神を厚く信仰していると我輩は記憶しているのだが。まさかとは思うが、悪魔は須らく塵一つ残さず滅すべしなどという碌でもない教えを掲げているエリス教に改宗したのか?」

 

 とんでもない、改宗など世界が滅んでも有り得ない話だ。

 マクスウェルの種族は関係していないし、言ってしまうとそんな事はどうでもいい。

 これ(命のやり取り)はノースティリスにいた時からのあなたの極めて個人的な趣味である。

 

「だろうな。その趣味嗜好に関しては口出しするつもりはない。かくいう我輩も終わる場所を求めて生きているゆえな。その上であえて言わせて貰うが、お得意様が死ねば店主は間違いなく嘆き悲しむぞ。……いや、嘆き悲しむだけで済めば御の字といったところか」

 

 あなたにとって、バニルの話は非常に耳が痛くなるものであり、同時にハッとさせられる話だった。

 あなたとてバニルの話を理解していなかったわけではない。それを指針に行動していた事もある。

 しかし最近は深く考えないようになっていたのも事実だ。

 

「ウィズは既に分水嶺を越えて久しい。以前も手紙で似たような話をしたな。よもや読み忘れたというわけではあるまい。我輩がこの街に初めて来たあの時が本当にギリギリのタイミングだったのだ」

 

 かつてバニルがあなたに送った手紙を思い出す。

 そこには今のウィズは一人でいる事には耐えられても、独りになる事には耐えられないと書かれていた。

 

「お得意様は冒険者だ。不慮の事故や戦いの中で力及ばずに命を落とす事はあるだろう。それに関しては我輩も仕方ないと考えている。無茶をするなとも命を懸けるなとも言わん。最悪の結果に終わったらその時はその時だ。しかし何の理由も無く、強いて言えば遊びで命を懸ける真似を見過ごすわけにはいかん」

 

 声色こそ普段どおりの、しかし明らかにこちらの短慮を咎めてきているバニルの言葉を受け、あなたは深い、深い息と共に瞑目し、頭を下げて謝罪した。

 

 流石に今回ばかりはあまりにも軽挙妄動が過ぎた。

 問題は命を落とす事そのものではない。この期に及んで命を惜しむような殊勝さをあなたは持ち合わせていない。問題は死んだ後だ。

 ここはイルヴァではない。あなたがこの世界で命を落とした場合、どうなるかは依然として不明のまま。

 蘇生魔法が効果を為さずにそのまま埋まってしまうのは最悪といえる。ウィズも、ノースティリスであなたを待つ者も全て置いて逝く事になる。

 ならば、このままイルヴァに帰還してしまった場合は? 二つの世界を行き来する手段が確立できていない現状でイルヴァに帰還した場合、ほぼ間違いなくここに戻ってくる事はできないと踏んでいる。あなたは自分がここにいる理由すら知らないのだから当然だ。

 十分に理解していた。そしてウィズを、大切な人を独りにしないと決めていた。そしてこのままこの世界に骨を埋める気も無い。だからこそマクスウェルのような、自身を殺し得る存在の相手をする際はウィズに手助けをしてもらおうと考えていた筈。

 だというのにこの体たらく。あなたは自身の楽しみを優先するあまり目が眩んでいた事を強く自覚した。辛うじて均衡を保っていた心の天秤がノースティリスの側に大きく傾いていたのはいつからか。どれだけ反省してもし足りない。汗顔の至りである。

 

「マクスウェルは悪魔だ。残機持ちである以上、一度死んでも地獄に帰るだけだ。しかし趣味で命のやり取りをしたいというのであれば、せめてお得意様がいた世界、あるいは元首無し中年のように、死んでも大丈夫だと断言できるようになってから出直すがよい。忠告はあの日とうにした。その上でウィズと共に在ると決めたのは他ならぬお得意様自身だ。……あまり気軽にアレを独りにしてくれるな。二度は言わんぞ」

 

 

 

 

 

 

 自分が楽しむためだけに一対一で命のやり取りをするのは、一度ノースティリスに戻るか、あるいは死んでもこの世界で這い上がる事ができると確約されるまで無期限休止となった。

 自身を殺し得る相手と戦う時は可能な限りウィズに頼る事を改めて心に刻む。作戦名はいのちだいじに。

 あのままではいずれ取り返しの付かない事態に陥るところであった。そうなる前に止めてくれたバニルには感謝の念しか浮かばない。

 

「お帰りなさい。バニルさんとの話し合いはもう終わったんですか?」

 

 あなたが帰宅すると、ウィズが朝食を並べてくれていた。

 今日は休みである筈のベルディアの姿は見えない。機械音がしたので目を向けると、ダイニングの奥からルーンバーに乗ったマシロがやってきている。いつの間にかマシロはルーンバーを自在に操縦する方法を身につけていた。

 

「ベルディアさんでしたら昼まで寝かせろって言ってました。疲れているみたいでしたし、ご飯は二人で先に食べちゃいましょうか」

 

 そう言ってニコニコと笑いながらあなたの椅子を引くウィズに、あなたは改めて彼女が自身にとって何なのかを問う。彼女について考えるのはこれが初めてというわけではない。答えはすぐに返ってきた。

 

 ウィズはあなたにとってかけがえのない特別な女性だ。

 寄る辺無き遠い異邦の地におけるあなたの行動指針でもある。

 ベルディアなどに至ってはこの愛すべき『友人』にして同居人を指してあなたの外付け良心、外付け安全装置(セーフティー)と呼んで憚らない。実際言いえて妙だとあなたは感じている。それくらいにあなたの心の引金は羽根のように軽い。

 極めて聞こえが悪い表現になってしまうが、ウィズという存在は、成り果てて久しいあなたが己が心と欲望のままに暴走する事を抑制する為の『枷』であり『檻』だ。

 しかしこの枷と檻は、あなたがこの世界で生きていくのであれば絶対に無くしてはいけないものでもある。少なくともこの世界法則がイルヴァのそれと同一にならない限りは。

 

 だからだろうか。

 あるいは、あなたもかつて持っていた筈の、手から零れ落ちた物をウィズが補ってくれているからかもしれない。

 穏やかで静かな空気が流れる中、二人と一匹で朝食をとっている最中、あなたは自分でも気付かない内にウィズに礼を言っていた。

 案の定ウィズはきょとんとしてしまったが、呆けた顔のあなたに小さく微笑んだ。

 

「ふふっ、もう、いきなりどうしたんですか?」

 

 特に深い理由は無いとあなたはごまかすように苦笑いする。

 本当に無意識で口に出していたのだ。

 

「よく分からないですけど……でも、どういたしまして。それと、私の方こそ本当にありがとうございます。どうかこれからもよろしくお願いしますね」



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第96話 あなたがここにいる理由

 あなたはバニルに諭される事で己の心理的ブレーキが壊れ気味だった事を自覚した。

 自身とウィズの関係を改めて振り返る事で心機一転、あるいは初心に戻る事ができたわけだが、そんな日の昼過ぎの事である。

 

 ――聞こえますか? 私の声が聞こえますか?

 

 あなたがいつものようにハンマーのレベル上げをして遊んでいると、女神エリスから電波が飛んできた。

 あなたの名前を呼ぶその声は非常に小さく弱々しい。とはいえそれは彼女が弱っているというわけではなく、単に遠くから声が聞こえているというだけだ。電波の通りが悪いのだろう。

 あなたが今いる場所はダンジョンの深い場所なので、あるいはそれが原因になっているのかもしれない。

 

 ――私はエリス。突然ですが、神器回収の協力者であるあなたに危急の報告があります。信徒(クリス)を介して手紙を送る間を惜しむほどに緊急を要する事態です。もし私の声が聞こえたのであれば、今すぐに最寄のエリス教の教会に来てください。そして以前のように祭壇の前で私に交信をお願いします。

 

 言いたいだけ言って声は途切れてしまった。試しにあなたからも祈りを送ってみたが反応が無い。あなたはエリス教徒ではないので接続が極めて不安定なのだ。むしろ信者でもないのに女神と交信可能なのが驚きである。

 ともあれ、急ぎの用事とはどうしたのだろう。直接女神エリスが電波という名の神託を飛ばしてくるのだから、それはもう余程のことが起きたに違いない。

 善は急げと、作業を中断したあなたはすぐさまアクセルにあるエリス教の教会に向かった。

 

 

 

 ――良かった、私の声はちゃんと届いていたんですね。

 

 あなたが教会の祭壇の前で跪いて祈りを捧げると、すぐに女神エリスの声が聞こえてきた。

 姿は見えずとも、ほっと安心していると分かる声色だ。

 

 ――神器で補助しているとはいえ、私の信者ではないにもかかわらず、こうして私の声を聞き届けるほどのあなたの信仰の深さに感謝します。

 

 あなたは癒しの女神の狂信者だ。信心深さは当然である。

 して、わざわざ信者でもない人間に直接神託を送ってきた理由とは一体。

 

 ――最優先確保対象である、他者と入れ替わる神器。その所在が掴めました。

 

 他者と入れ替わる神器。

 それは現状においてあなたがこの世界で最も警戒している存在である。あなたに効力を発揮した瞬間、愛剣に自分の体が問答無用でミンチにされる的な意味で。

 自分の為に、そしてそれ以上にウィズ(大切な人)の為にいのちだいじにを旨とすると決めた以上、一刻も早く処分すべきものが見つかったという情報は朗報以外の何物でもない。

 

 ――現在神器がある場所は王城。正確には、王城に住むこの国の第一王女、ベルゼルグ・スタイリッシュ・ソード・アイリスの手に渡りました。あなた達には王城に潜入し、王女が身に着けている神器を回収してもらう事になります。

 

 件の神器はランダム召喚のものと合わせてどこかの貴族が買ったとあなたは聞いている。

 それが王族の手にあるとなると、もう薄汚い陰謀の臭いしかしない。下手人は欲の皮の突っ張った貴族か、あるいは魔王の手の者か。なるほど、女神エリスがさっさと回収しろと直接神託を飛ばしてくるわけだ。

 だがどこに神器があろうと関係ない。あなたは一度受けた依頼は絶対に完遂すると決めているし、実際にそうしてきた。そこに一つたりとも例外は無い。今回もまた同様に。

 

 ――王城への潜入は今夜。戦勝パーティーが終わり、人々が寝静まった時間帯を狙います。

 

 浄化の雨という奇跡、そして幹部であるシルビアが率いる軍勢を撃退したとあって、王城で大々的に開催される戦勝パーティーが飲めや歌えの大騒ぎになるのは疑いようも無い。

 しかし冒険者ギルドを筆頭に王都各所を爆破された影響は大きい。今後の王都は再発防止の為にまず間違いなく厳戒態勢が敷かれるだろうとの事。

 王都が元の平穏を取り戻すには幾ばくかの時間を必要とし、神器の危険性の高さ、そして国に伸びんとしている陰謀の魔の手を考えればそんなものを待ってはいられない。

 つまるところ、今日という絶好の機会を逃した場合、それは今後の神器奪取を非常に困難にするだけでなく、この国の危機すら招きかねないという。

 

 ――非常に困難な任務ですが、私が見定めたあなた達であれば決して不可能ではないと、成し遂げてくれると信じています。

 

 あなたにとっては潜入する場所が王城だろうが魔王城だろうが何も変わりはしない。

 どうか大船に乗ったつもりでいてほしいという意味合いを込めたあなたの了承を受け、幸運の女神はそう言うと思いました、と、小さく笑い声を漏らした。

 

 ――異教の徒であるあなたには、残念ですが私の恩恵を授ける事はできません。私があなたに授けられるのは感謝と激励の言葉だけ。大変申し訳なく思います。ですがこの国の、ひいてはこの世界の未来と平和の為に、私はあなた達の健闘を心から祈っています。どうかあなたにあなたの信ずる神のご加護と祝福がありますように……。

 

 あなたは教会のステンドグラスから差し込む日差しに、ほんの少しだけ女神エリスの神気を感じ取った気がした。

 

 ――…………。

 

 どうやらこれで話は終わりのようだ。

 夜までだいぶ時間がある。それまで仮眠をとるなどして英気を養っておこうとあなたは立ち上がった。

 

 ――あっ、すみません。ちょっと待ってください。神器の件については以上ですが、まだ話す事が残っていますので。

 

 雰囲気が変わった。再び跪きながらあなたはそう感じた。

 姿は見えずとも神意を感じるほどに厳かだったそれからがらりと一転、女神エリスが急に気まずそうな声色になったのだからそれも当たり前だろう。これはむしろ素に戻ったというべきか。

 

 ――ええと、ですね? その……なんといいますか……極めて私的な話で大変申し訳ないんですが……。今朝? 深夜? まあどっちでもいいんですけど……アクア先輩を止めてくださって本当にありがとうございました。あなたのおかげでとても助かりました。

 

 今度は何を言われるかと思いきや、どこまでもプライベートな内容だった。

 ありがとうございますと言いたくなる気持ちは非常に理解できるが、あなたとしては反応に困るばかりである。

 

 ――いやほら、魔王軍の戦いで先輩があなたと協力して浄化の雨を降らせて火事を鎮火したり魔王軍を撤退させた件なんですけど、何故か私が雨を降らせた事になってたじゃないですか。あそこまでの大規模な介入は天界規定で許されていない私としてはもう本当に気まずくって気まずくって。案の定先輩滅茶苦茶怒ってましたし。先輩はああいう時にやるといったら後先考えずに本当にやっちゃうタイプなので、胃がキリキリしましたよ。あのままだと王都は水に沈んでいたでしょうし、アクシズ教と私のところの全面的な抗争待ったなしでした。

 

 そんな大袈裟な、と笑うつもりはない。

 あの時の女神アクアには本気でやりかねない凄みがあったのはあなたもよく知るところである。

 

 ――あ、それとなんですけど、あの怒り狂った先輩が一瞬で落ち着くほどの飴ってどんな味なんですか? いえ、誤解しないでほしいんですが、これは決して食べてみたいとかそういうのではなくてですね。もしよかったら後学の為に是非とも参考にさせてもらえればなあ、と。味が知りたいわけではないですからね? 本当ですよ?

 

 強調すればするだけ説得力がなくなっていく。

 癒しの女神と同じく、女神エリスが甘い物好きというのはあなたも知っている。クリスとして食べ歩きしている時も大抵スイーツ店に足を運んでいた。

 綺麗サッパリ消えうせた緊張感に、あなたは若干投げやりな気分で今度作ってクリスに渡しておくので、もし食べたかったら彼女から受け取ってほしいと告げる。

 

 ――本当ですか? ありがとうございます。すみません、なんか催促しちゃったみたいで。

 

 てへぺろ、とイタズラっぽく舌を出す女神エリスの姿を幻視する。

 思いきり催促しちゃっていたわけだが、それは言わぬが花というやつだろう。

 女神エリスの微笑ましいおねだりはさておき、直接祭壇に飴を捧げずわざわざクリスを介する理由だが、これはイルヴァでは他宗教の祭壇に捧げ物をした場合、その祭壇を乗っ取ることができてしまうからである。

 あなたが作ったものしか受け取ってくれないが、菓子やデザート類はあなたが信仰する癒しの女神の供物でもある。

 よって、もしあなたがこの祭壇に捧げ物をした場合、女神エリスの祭壇は癒しの女神の祭壇に乗っ取られてしまう確率が非常に高いとあなたは睨んでいた。

 それはそれで全く構わないと思っているが、あなた達イルヴァの民にとって、祭壇の乗っ取りは聖戦開幕のゴングに等しい。わざわざこんなところで聖戦を引き起こす意味も理由も無い。

 

 折角の交信の機会なので、あなたは一つ聞き忘れていたことを聞いてみる事にした。

 女神アクアがカズマ少年を複数回蘇生させている件についてだ。

 まさか女神エリスが関係していないとは言わないだろう。カズマ少年は蘇生直後に女神アクアに向かってエリス様を見習えと言っていたのだから。

 

 

 ――わ、私としましては、その件については他の人に口外しないでいただけると非常に助かるのですが。

 

 ――ここだけの話、先輩による複数回の蘇生はサトウカズマさんの転生特典(チート)という扱いにして無理矢理上の方を納得させています。これはカズマさんが転生の際に先輩を特典として選んだからこそできる裏技、詭弁の類なのですが……って言ってもあなたには伝わらないですよね、すみません。

 

 ――魔剣の勇者、ミツルギキョウヤさんにとってのグラムのように、複数回の蘇生はサトウカズマさんだけに与えられた恩恵であり特権です。不公平と思われるでしょうが、そういうわけですので、先輩が他の方を二度以上蘇生する事はできないと思ってください。

 

 

 女神エリスはあなたが口を挟む間も無く一気に捲くし立てた。

 あなたがゆんゆんの為に練っていた、デスマーチという名の強化プランが泡と消えた瞬間である。世界はどこまでも次期紅魔族族長の一人娘に優しくない。

 

 あなたは自身の命を大事にすると決めたが、無限に蘇生が可能な他者に関してはその限りではない。 

 少女を無間地獄に叩き込む悪鬼外道と言うなかれ。廃人に届く力を手に入れたいと願ったのは他ならぬゆんゆんだ。実際あなたも一度は止めた。

 そしてデスマーチ以外となると、時間をかけてコツコツ努力するか人間をやめるくらいしかあなたには思いつかなかった。博識なウィズであれば裏技じみた育成法を知っているかもしれない。今度相談してみるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで王都の夜が更けた頃。

 あなたはいつも通りに忍者ルックに着替えて女神エリスと合流していた。

 王城に忍び込むといってもやることは今までと変わらない。

 闇夜に紛れて潜入し、見つからないようにお目当ての物を回収するだけだ。

 

「見つかった場合のリスクは今までの比じゃないけどね。なんたって国の中枢に盗みに入るわけだし」

 

 いざとなったら強行突破(みねうち)の許可を出すかもしれない、とは女神エリスの言である。それほどまでに状況は切羽詰っていた。そしてそうなった場合にあなた達にかけられる懸賞金の額は推して知るべし。

 王女の部屋は城の最上階にある。女神アクアを背負って城のてっぺんに駆け上がった時のようにすれば手っ取り早いのだが、女神エリスは王女が持つ神器以外にも城に目的があるらしく、それでは駄目だという。

 

「まあ大丈夫だよ。今回は王城の内部構造に詳しい人もいるしね」

「ああ。俺だって伊達に城の中でグータラしてたわけじゃない。自慢じゃないが、アイリスが勉強してる暇な時間はよく城の中をうろついてた。おかげで城の作りは大体頭の中に入ってる」

「本当に自慢にならない……」

 

 今回王城に挑むに当たって、女神エリスとあなた、幻の三人目こと妹に続いて四人目の仲間が加わった。

 まさかのカズマ少年である。あなたと同じく真っ黒な服を着た彼はバニル仮面で顔を隠していて、割と怪しさ満点だ。あなたがそれを口に出すとエセ忍者なお前が言うな、と言われてしまったが。

 彼がここにいる理由だが、女神エリスは王城に行く前にちょっと寄る所があると言ってどこかに行ってしまい、暫くの後に彼を連れてきたのだ。

 女神エリスから神器の危険性を聞いた彼は、親しくなった王女アイリスを助ける為にあなた達を手伝うのだという。あなたはてっきり王城に泊まっていると思っていたので軽く驚かされた。

 

「っと、そうだ。お城に行く前に大事な事を忘れてたよ」

「大事な事?」

 

 キリリとしたシリアスな表情で頷く女神エリス。

 

「こうして三人揃ったんだし、互いのコードネームを決めておかなきゃいけないよね。あと呼び方と役割も」

 

 女神エリスはナチュラルに妹を仲間はずれにしていた。

 全くもって構わないが。

 

「呼び方と役割はともかくコードネームって遊び半分かよ!」

「し、失礼な! あたしはいたって大真面目だよ!?」

「なお悪いわ!」

 

 女神エリスは義賊活動を楽しんでいる身なので多少は茶目っ気も混じっているのだろうが、確かに名前で呼び合うのはまずい。

 そういうわけでさっくり決める事になった。

 

「とりあえず俺がリーダーって事で問題無いよな? 二人は俺の事をリーダーって呼ぶように」

「何言ってんのさ。冒険者でしょキミ。盗賊のあたしがトップに決まってるでしょ」

 

 あなたとしては誰がリーダーでもよかったのだが、以前から王都で義賊活動をしていた女神エリスとしては譲れないものがあるらしい。

 口論の末、カズマ少年はジャンケンで決着を付けようと提案。女神エリスはそれを受け入れた。

 

「なん……だと……!?」

「ま、ざっとこんなもんだね」

 

 結果、カズマ少年は敗北した。

 よほどジャンケンに自信があったのだろう。愕然とした表情を浮かべている。

 彼の運のステータスの高さはあなたも知るところだが、流石に幸運の女神を相手に運否天賦の勝負をしかけるのは無謀だと言わざるを得ない。

 

「じゃあ次は共犯者クンね。ちょっとここいらでビシっとあたしの凄さってもんを見せてあげるよ」

 

 何故か傍で見ていただけだったあなたにも飛び火した。

 今更見るまでも無く、人界の平和と安寧の為に行動する女神エリスは尊敬しているのだが、と苦笑いしたあなたは、しかし次の瞬間真顔になった。

 黒いスカーフで顔を隠した女神エリスがぼそっとブレッシング(幸運強化)、同調率上昇、と呟いたのを聞き取ってしまったのだ。

 魔法だけならまだしも、たかがジャンケンで化身に本体の一部を降ろすなど、定命を相手に本気を出しすぎだ。大人気ないにも程がある。

 しかしなるほど、そちらが本気というのであればこちらも相応の対処をするとしようと、あなたは真剣にジャンケンを挑む事にした。無論あなたなりのやり方で。運勝負という相手の土俵で戦う気は無い。

 

「じゃーんけーん……」

 

 あなたは自身の速度を全開にした。

 速度70の世界に身を置いたままの女神エリスと速度2000超えであるあなたの体感速度の差はおよそ28.5倍。

 緩慢になった世界の中で、女神エリスとほぼ同じタイミングになるように努めてゆっくりと手を繰り出しながら、あなたは彼女の右手を凝視する。

 

 その末に判明した女神エリスの手はパー。

 あとは後出しにならないように、フェイントを警戒しながら手を出すだけの簡単なお仕事である。ジャンケン十三奥義を使うまでもない。

 鍛え上げられた動体視力と圧倒的速度差により、後出しが露見する恐れも皆無だ。

 

「ぽん! ……んなぁっ!?」

 

 かくしてあなたは当然のように勝利した。

 たとえ幸運の女神が相手だろうと、あらかじめ手が分かっているのであれば負ける道理は無い。

 

「あ、あたしが……運試しで負けた……?」

「マジか」

 

 先のカズマ少年と同じように、あるいはそれ以上に慄然とあなたの手を見つめる幸運の女神の化身。

 しかし彼女は決してあなたの運勢という目に見えないものに負けたわけではない。速度差という純然たる身体能力に敗北したのだ。

 

「じゃあクリスに勝ったエセ忍者が俺達のボスって事で。よろしくボス」

「ええっ!?」

「んで俺が副官ね。おいクリス、ちょっとダッシュでパンとコーヒー牛乳買ってこいよ。30秒な」

「ちょっと待ってよ。この時間だとお店は全部閉まって……何しれっとあたしを下っ端にしようとしてんのさ!?」

 

 共犯者の名が示すように、あなたの立ち位置はあくまでも協力者という一歩引いたものだ。それ以前にあなたは女神エリスから依頼を受けて活動している被雇用者なので、リーダーになって雇用主を率いる理由が見当たらない。

 そう言ってあなたは辞退したのだが、勝ちを譲られたと誤解した女神エリスはごね始めた。

 

「もっかい! 三回勝負! 今のはちょっと油断してただけだから!! 次から本気出すから!」

「アクアみたいな事言ってやがる。素直に負けを認めろ下っ端」

「だから下っ端って言わないでよ!? それにこれはあたしのアイデンティティの問題なの! 他のことならいざ知らず、こと運勝負に限っては絶対に負けられない……負けるわけにはいかない……!」

「俺もジャンケンで負けたのはこれが生まれて初めてだし、クリスの気持ちも分からんでもないけどさあ。じゃあ俺とも三回勝負しろよな」

「共犯者クンをぶちのめした後でね!」

 

 負けフラグとしか思えない台詞だが、この後あなたはあっさりと二連敗した。

 普通にジャンケンをすればこんなものだ。最初から分かりきった結末に欠伸も出ない。

 

「っしゃあ勝ったあ!!」

「クリスが必死すぎる……」

 

 そしてカズマ少年にも勝利した結果、女神エリスが一行のリーダーになった。彼女が心底安堵する様子を見せていたのはご愛嬌か。

 

 余談だが、この世界であなたを最も多く負かしているのは盤上遊戯のような運も身体能力も必要ないゲームであなたを完膚なきまでにボコボコにしているゆんゆんだったりする。

 あなたも経験を積んで多少は上手くなったが、それ以上にゆんゆんの成長が著しい。初めの頃以上に差が開いているといえばどれほどのものかは分かるだろう。

 一度上達のコツを聞いてみたところ、ゆんゆんは回数こそこなしているものの、それは何年もの間、一人で二人分の駒を動かしていたからであり、他者との経験は非常に少なかったのだという。

 極々稀にめぐみんと勝負する程度だったゆんゆんがあなたという対戦相手を得た結果、それまで積み重ねてきた経験が実を結んだのでは、というのが本人とウィズの考察だった。

 呼吸するように一人二役ができてしまう一人遊びの達人、その名はゆんゆん。

 彼女の境遇を思えば十分に理解も納得もできたが、実にどうしようもない話だった。色々な意味で。

 

 

 

 

 

 

 難攻不落のベルゼルグ城への潜入は、門番がいる正門ではなく城壁から行う事になった。

 城壁はおよそ三階ほどの高さを持っており、王城を駆け上るだけのスペックを持つあなたはともかく女神エリスとカズマ少年が登れる高さではなかったが、カズマ少年が持ち込んでいたフック付きロープを引っ掛けて登る事で二人は対処し、中庭を通って城内に潜入を果たす。

 

 暗視スキル持ちで城の内部構造に詳しいカズマ少年が先頭を歩き、彼の後を追う女神エリスは開錠などの各種盗賊スキルを使って彼をサポート。

 そしてカズマ少年と同じく暗視スキル持ちであり、一行で最も戦闘力に優れるあなたが殿に立って後方の警戒を担当するという形だ。

 

「あたしとしては共犯者クンが武器を抜かない事を祈るよ」

「……そんなにやばいのか?」

「滅茶苦茶やばい。彼なら王女様が相手だろうと容赦なく襲い掛かるね」

「おいエセ忍者。他はともかく俺の可愛い妹に手を出すのはマジで止めろよ」

「俺の妹、ねえ……?」

 

 若く綺麗な王女に執心な健全な少年に女神の視線の温度が若干下がる一幕もあったものの、これといったハプニングもなく、順調に二階に辿り着くあなた達。

 二階には宝物庫があり、女神エリスはここに用事があるのだという。彼女は入れ替わりの神器が王女の元に届いたのであれば、同じくモンスターを操る神器も城にあるのではないか、と考えていた。

 

「で、宝物庫に来たのはいいけどどうすんだよ」

 

 宝物庫には兵士は待機していなかったものの、その入り口である巨大な扉は、目視可能なほどに強力な結界をもって侵入者を拒絶している。

 

「共犯者クン、例の物は持ってきてるよね?」

 

 言われるままにあなたは道具袋(インベントリ)から一本の長杖を取り出した。

 先日ニホンジンから回収した、結界を通り抜ける効果を持つ杖の神器だ。

 しかし結界を無効化できるのはあくまで杖だけであり、杖を装備した人間ではない。つまりこの杖だけでは宝物庫の中、そして魔王城には突入できないのだ。

 

「強力な魔法や結界っていうのはそれだけ繊細で、少しでも間違えたら機能しなくなるものなんだよね。そしてこの結界を維持してるのは結界の中にある床に描かれている魔法陣。だからこうして結界を無視する杖を使って魔法陣が描かれてる床をちょっと削れば……」

 

 ゴリゴリと女神エリスが杖で床を削ると、結界はあっけなく消え去った。

 

「ざっとこんなもんだよ」

「すげえな。こんなアッサリ行くもんなのか」

「本当なら結界殺しとかでもっとスマートにいきたかったんだけどね。あれは本来魔族だけが扱ってる道具だから」

 

 罠に注意しながら宝物庫の扉を開ける女神エリスの姿に、あなたはつい先日手に入れたばかりのこの神器がなかったらどうするつもりだったのだろう、と疑問に思った。もしかしたら似たような神器を持っているのかもしれない。

 まあ、いざとなれば力技で結界を破るなり宝物庫の壁をぶち抜いて結界の外から侵入するなど、やりようは幾らでもある。何も問題は無い。

 そんな事を考えながら、あなたは二人に続いて宝物庫に入った。

 

 

 そして、宝物庫に足を踏み入れた瞬間、あなたの思考が停止した。

 

 

 宝物庫の中は仄かな青色の光で満たされていた。

 寒々しさは感じさせず、どこまでも柔らかく、懐かしさを感じさせる光だ。

 それは色こそ違えど、どことなく()()()を想起させるものだった。

 

「なんか明るいな。照明がついてるわけでもないのに」

「トラップや何かの警報装置ってわけじゃないみたい。奥の方にある何かが光ってるだけだね」

「魔道具か?」

「多分ね」

 

 二人は何かを話しているが、見覚えのありすぎる光を前に忘我したあなたの耳には届かない。

 あなたは光に吸い寄せられていくように宝物庫の奥に足を踏み入れていく。

 

「あ、ちょっと待って。見たところお宝を持ち去ろうとしたら警報が鳴るみたいだけど、他にどんな罠があるか分からないんだから」

 

 声を聞き届ける事無く、しかし無意識のうちにあちこちに仕掛けられている罠を解除しながら光の方に進むあなたの異常を感じ取ったのか、女神エリスの表情が険しいものになった。

 

「なあ、エセ忍者のやつどうしたんだ? 明らかにヤバそうなんだけど」

「分からない。とりあえず今の彼を放っておくわけにはいかないし、付いていこう」

 

 そして、あなたは宝物庫の最奥に安置されたそれの前に辿り着いた。

 

 光の柱。

 陳腐な表現だが、それを形容するのにこれ以上に適切な言葉は無いだろう。

 大理石の台座からは青い光の柱が立ち昇っており、淡い光は水面(みなも)のように静かに揺らめいている。

 

 何処とも知れぬ遥けき彼方へと繋がる扉、月の門(ムーンゲート)

 あなたがこの世界に迷い込んだ元凶と思われるものにしか見えない物がそこにあった。

 

「…………」

 

 これの中に入れば、ノースティリスに戻れるのだろうか。

 忘我から復帰したあなたがそんな事を考えていると、いつの間にか女神エリスがあなたの隣で呆然と立ち尽くしていた。

 

「これは……いや、そんなまさか……」

「お頭?」

「まさか現存している物があったなんて……」

 

 水瓶座の門(アクエリアスゲート)

 あなたが月の門(ムーンゲート)と認識したそれを指して、女神エリスはそう呟いた。



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第97話 ★《水瓶座の門》

 これは遠い遠い昔の話。

 幸運を司る女神、エリスに降りかかった受難の記録である。

 

 

 

 

 

 

「冬は私の仕事が少なくていいですね。久しぶりに下界に遊びに行こうかな……」

 

 部下の天使に仕事を任せて美味しい物を食べ歩きたい。

 そんな事を考えていると、エリスの部屋に置いてある天界フォン、地球でスマートフォンと呼ばれている物によく似たそれがけたたましく鳴り響いた。

 暇とはいえ、今は仕事の時間中。あまり鳴る事の無いそれにエリスはどうしたのだろうと思いながら手に取る。

 

「はいもしもし、エリスです」

『あーエリス? 私だけど』

「アクア先輩?」

 

 連絡を寄越してきたのは水の女神、アクア。

 アクアはエリスがまだ見習い女神だった頃に教育係を務めていた先輩で、色々と目をかけてもらっていた。

 上手にサボる方法、上司へのゴマの摺り方、旨い汁の吸い方、狂信者の作り方、他にも様々な事を教わったものだ。

 何度もパシリに使われたりアクアが引き起こした厄介事の後始末に奔走したりと、傍から見ている限りでは困ったちゃんの子守をしていた感が強かったのだが、それでもエリスにとっては今も頭が上がらない存在である。

 アクアのおかげでクレームの処理能力に関しては神々の中でもトップクラスになったと創造神に太鼓判を押されるくらいには成長したのだから、実際のエリスの気苦労は推して知るべし。

 

「お久しぶりです先輩。今日はどうされたんですか?」

『ちょっとエリスに頼みたい事があるの。今度の休みにこっちに来てくれない? どうせアンタ男もいなくて暇なんでしょ?』

 

 何気なく放たれた悪意無き言葉の刃がエリスの無防備な心に突き刺さった。

 彼氏いない暦イコール年齢。仕事一筋で生きてきた幸運の女神にとって、それはあまりにも無慈悲な一撃である。

 

(せ、先輩だって彼氏いない癖に……!)

 

 いない筈だ。彼氏ができたら絶対に自分に自慢してくるとエリスは確信していた。アクアはそういう女神だった。

 これで実は彼氏持ちでしたーぷーくすくす、ねえどんな気持ち? 独り身ってどんな気持ち? スッゴイカワイソなどという事になったら、幾ら温厚な自分でもちょっと平静ではいられないかもしれない。

 

 嵐の如く荒れ狂う心を必死に押し殺し、健気な後輩はぷるぷる震えながら申し出を受け入れた。神の社会は縦社会。先輩の命令は絶対なのだ。

 そしておつむが弱く不運であるがゆえの詰めの甘さに定評のあるアクアだが、その力に関しては並み居る神々の中でも最上位に位置しており、悪名高き地獄の公爵に負けず劣らずの実力を有している。

 仮にエリスが下克上を起こそうとしてアクアとガチンコで戦った場合、エリスは手も足も出ずにボコボコにされるだろう。

 

 

 

 

 

 

「それで先輩、私を呼び出すなんてどうしたんですか?」

 

 天界にあるアクアの自室にやってきたエリスがお茶を淹れながら問いかける。

 これもアクアの世話をする中で身に付けたスキルの一つだ。

 アクアは不味い茶を出すと、自身の浄化の力で茶を水にして「ちょっとーこれお湯なんですけどー!」と嫌がらせしてくるので否が応でも上達してしまった。

 

「一応聞いておくけど、エリスは私の仕事は知ってるわよね?」

「そりゃ勿論知ってますけど。先輩の仕事って私にも思いっきり関係してますし」

 

 エリスが担当している世界――ここでは世界Aとしておく――では魔王軍が日夜人々を脅かしており、問題になっている。

 そしてアクアの仕事はそんな世界Aに日本人を送る事だ。

 これは移民政策と魔王の討伐を兼ねている。魔王の討伐は未だ果たされていないが。

 

「私は思ったの」

「と、いいますと?」

「仕事がめんどい。っていうか何回も何回も同じ説明するのに飽きた」

「えぇ……」

 

 エリスとしても言わんとする所は理解できなくもなかったが、あまりに身も蓋も無い話だった。

 

「もっとパーっと百人くらいいっぺんに転生させてくれれば楽なのに。こっちは一人一人に説明して送ってんのよ? 実際やってらんないわ」

「百人同時に死ぬ事件なんかそうそう起きませんよ。戦争でもあれば別ですが、日本は地球の中でもかなり平和な国っていう話ですし」

 

 更に言うなら転生させる人間は若くして死んだ者に限られている。

 あまり成長した者は基本的に未練が薄いし、未練タラタラな者を送っても、平穏と安定を望むばかりで魔王軍と戦おうとしない。

 若者らしく、適度に向こう見ずなくらいが神々にとっては都合がいいのだ。

 

「まあそうね。そういうわけで私は考えたわ。日本人が駄目なら別の世界から呼べばいいじゃないって。やっぱりね、ちょっとチート付けたからって元々がモヤシだった貧弱一般人を何人送り込んだところで駄目なもんは駄目なのよ。んで、私の仕事が楽になるように勝手にあっちに送ってくれるような物を作ろうと思うの。アンタはそれを手伝いなさい」

「……でも先輩、地球人であの世界へ送るのは日本人、それも十代から二十代の人たちが一番適しているっていう統計が出ちゃってるんですけど」

 

 転生、チート、異世界。

 多少なりともサブカルを齧った日本人であれば何かしら反応を示すであろうこれらの語句。しかし日本以外においては食いつく者は神々が驚くほどに少なかった。

 

 それでも転生を望む人間はそこそこいたため、計画の初期においては世界中から転生者が送られていたのだが、あまりにも効率が悪いとの事で今は日本人だけに絞られている。

 政治、民族、宗教の問題は地球において根深い問題であり、非常に多くの者が頭を悩ませている。

 つまるところ、魔王軍そっちのけで転生者同士の争いが勃発したのだ。

 それ以外にも、選民思想にかぶれた者や特典を振りかざして現地人に暴威を振り撒いた者、アクシズ教やエリス教を邪教と断定して弾圧しようとした者といったように、転生者が引き起こした問題は枚挙に暇が無い。

 そんなこんなを経て、比較的他者に寛容、悪く言えば平和ボケした者が多い日本人の若者が最終的に選ばれたのはある意味当然だったのかもしれない。

 

「エリスは私の話を聞いてなかったの? 日本人が期待できないから()()()()から勇者を呼ぶのよ」

「地球とはまた別の世界から、ですか。本末転倒というかなんというか……あの、創造神様はなんとおっしゃってましたか?」

「別にいいけど世界を壊さないように召喚の条件付けには十分気を付けてねって」

「びっくりするほど軽い!」

 

 そんなこんなで二柱の異世界転移用のゲート作りはスタートした。

 

「まず条件付けだけど、なんかある? 善人であるのは当然として」

「そうですね。私としてはやっぱりアクシズ教やエリス教といった他宗教に寛容で、他種族を排斥しないような人が望ましいですね。あ、異世界に転移してもいいと思ってるっていうのも追加で」

「政治はいいの?」

「そこまで手を付けちゃうと一気に厳しくなると思いますよ。この条件でも相当ギリギリな感じですし」

「それもそうね。でも平和ボケした日本人以外にそんな奴いるのかしら?」

「……まあ、世界は沢山ありますし」

 

 

 

 

 

 

 そうして試作一号が完成したのだが、召喚された者は転移直後に体の内側から弾けて即死した。

 

「ちょ、なんであんなグロい死に方するの!?」

「……気圧差で死んじゃったみたいです」

「気圧差ぁ!?」

 

 世界Aの重力、気圧、空気成分は地球のそれとほぼ同一である。

 太陽や月も存在する世界Aは、地球がある世界をベースにして作られた世界なのだから当たり前だ。

 そして試作一号が辿り着いたのは極端に気圧が高い惑星だった。

 結果はご覧の有様である。

 今回は試作ということで被害者はアクアが責任を持って蘇生して送り返しておいた。

 

 

 

 

 

 

 気圧の問題を解決した試作二号。

 これで召喚された者は転移の数分後に体をぐずぐずに溶かして苦悶の内に死亡した。

 

「ちょっとエリスどうなってんの!? 前回よりグロい死に方なんですけど!?」

「……転移前の世界には存在しなかった細菌による未知の感染症に罹患したそうです」

「細菌!? 感染症!?」

 

 今回も被害者は蘇生して記憶を飛ばして送り返しておいた。

 再発防止の為、そして異世界から持ち込まれるであろう未知のウイルスによるパンデミックを防ぐ為、転移時に危険な物は全て浄化して世界Aに適応する体に作り変える方向になった。

 

 

 

 

 

 

 細菌問題を解決した試作三号。

 これなら大丈夫だろうと二柱は考えていたのだが、今度の者もあっさり死んだ。

 

「なんでよ! なんで失敗すんのよ! おかしくない!?」

「今回は浄化が余分だったみたいですね……。その細菌と共生関係になっていて、無いと生きていけない体になっていたようです」

「知らないわよそんなもん!」

 

 結局、体を作り変えるのは止めて適応だけに済ませ、危険な細菌は本人の体内から出てこないように工夫する事でなんとかした。

 

 

 

 

 

 

 それからも改善しては異界の者を呼び出して死なせて蘇生して送り返す作業をこなしたエリスとアクアだったが、試作のゲートが二十を数えるほどになって、ようやく二柱は完璧なゲートを作り上げる事に成功した。

 

「よーやく完成したわね……」

「大変でしたね……」

 

 なんで楽しようとしてこんなに苦労してんのかしら、という先輩の呟きをシャットアウトしながら大理石の台座から立ち昇る青い光を前に感慨深い気持ちになるエリス。

 確かになんで自分がこんなに苦労してるんだろう、とは思わないでもなかったが、このゲート計画が成功すれば世界の平和がまた一歩近づくのだ。

 そしてこれ以上呼び出されては死んでいく不幸な被害者が増えないと思うと目頭が熱くなりそうだった。ちゃんと蘇生して送り返しているが、それはそれ、これはこれである。

 

「そうだ先輩、このゲートの名前とか考えてるんですか?」

「勿論考えてるわ。水の門(アクアゲート)よ」

 

 渾身のドヤ顔を決めるアクアに、後輩は待ったをかけた。

 その名前が似合わないとは思わない。確かにゲートは水面っぽいし、水色だ。むしろ似合っているといえるだろう。

 だが、しかし。

 

「あの、先輩? 私も凄く手伝いましたよね?」

 

 自分一人で作りました! みたいになっているその名前には物申したい気分でいっぱいだった。

 渋面を浮かべるアクアをなんとか宥めすかし、最終的に二柱が作り上げたそれは互いの名をもじって水瓶座の門(アクエリアスゲート)と名付けられた。

 

「いっぱい作ってバラまいたし、これで私の仕事も楽になるわね! ついでにアンタの仕事も!」

 

 なんだかんだでこのガキ大将みたいな先輩は面倒見がいい所がある。魔王軍によって命を落とす人々に心を痛めていた自分の事を思ってゲート作りに誘ってくれたのだろうか。

 

「さあ、いずこからか呼び出されるであろう勇者よ! 願わくば、あなたが魔王を打ち倒す事を祈っています! そしてさっさと私に楽をさせなさい!」

 

 エリスがそんなのん気な事を考えていられたのは、完成したゲートで召喚された存在を目の当たりにするまでだった。

 

 

 

 

 

 

「……え、何これ。私こんなの呼んでないんですけど」

 

 呼び出されたモノを見たアクアの率直な感想である。

 そしてエリスも全く同じ事を思っていた。

 

 簡潔に言ってしまうと、ソレは異形だった。

 全長およそ百メートルの極彩色の肉の塊。

 絶え間なく流動する全身は粘性の液体を垂れ流し、地面をジュウジュウと溶かしている。

 手も足も持たないソレは全身から幾千幾万の触手を生やし、生命を冒涜する不快な叫び声をあげていた。

 爛れた地面を這いずる肉塊は秒毎に腐り落ち、腐り落ちた肉は植物の種子が芽吹くようにミニチュアサイズの異形に生まれ変わっている。

 

「せ、先輩。ばら撒いたゲートって、どこに送っちゃったんですか?」

「……今までと同じように()()()()()()だけど」

 

 冷や汗を流すアクアの返答に、女神エリスの背筋が凍った。

 そう、今まではたまたま運よく人の形をした者が呼び出されていただけだと気付いてしまったが故に。

 

 度重なる改修により、二柱が作ったこの門に呼び出された者は健康体になり、力を一切制限される事無く、元いた世界の力をそのまま振るう事ができる。そんな代物と化している。

 例え世界Aに破滅を齎すような者が呼ばれたとしても、だ。

 その結果が地上で暴れているコレである。

 

「どうするんですか!? 勇者を呼び出すはずが邪神みたいなのが出てきたんですけど!? ゲートの転移条件のプログラミングしたのは先輩ですよね!?」

「で、でもほら、悪い奴は通れないように設定してるんだからきっと大丈夫よ! あれだって実は草木や動物を愛でるような心穏やかな奴かもしれないじゃない? 人を見た目で判断するのって私よくないと思うの!」

「現実から目を背けてないで素直にミスしたって認めてください! っていうか何が草木を愛でるですか! 滅茶苦茶動植物を貪ってるじゃないですか!!」

 

 嬉々として周囲の環境を破壊しつくし、眷属を生み出しながら歓喜の咆哮をあげる異形にして異邦の神。人里離れた場所に召喚されたのは不幸中の幸いだと言わざるを得ない。

 元々いた世界において善良だからといって、それが世界Aで善良扱いになるとは限らない。

 倫理感、善悪の基準など国はおろか地域によって容易く変わるものだ。世界が違えばそれはもう何をか言わんやである。

 

 詰めの甘い二柱が仲良く頭を抱えている間に異常に気付いた他の神々によって、このバケモノは死闘の末に元いた世界に送り返される事となる。

 そして激しい戦いの余波で、緑と生命が溢れていたそこは後に人々に終わりの大地と呼ばれる広大な荒野と化した。たった半日で。

 

 後に発覚するのだが、バケモノは別世界における善神だった。放置していれば間違いなく世界Aは滅んでいたのだが、善神だった。

 世界Aに半径数百キロという荒野を作り出したこの一件は創造神の耳にも届き、諸悪の根源である二柱は滅茶苦茶怒られた挙句減給処分となった。当たり前である。

 すぐさま数万にも及ぶ天使達によるゲート捜索チームが組まれ、ゲート計画は全面的に凍結。二柱はそれはもう肩身の狭い思いをする破目になるのだが、それはさておき。

 

 創造神の命を受けた天使達の必死の捜索によりゲートの殆どは無事に回収、破棄されたものの、無差別にバラ撒かれた内の三つが回収の手を逃れることとなる。

 

 一つは石の中に転移してしまい、人知れずその役目を終えた。

 一つはゲートが転移させる先の世界に辿り着き、紆余曲折を経てとある国の王城、その宝物庫の中に置かれる事になる。

 そして最後の一つは――。

 

 

 

 

 

 

 そこは、時空から切り離された場所。

 現地の者達にはすくつ、あるいは無と呼ばれる果ての無い迷宮、その■■層。

 二柱によって異世界に送られてからどれほどの年月が経っただろう。

 アクアやエリスはおろか、創造神すらも知らないどこかに辿り着いた最後のゲートは、永い間、ひっそりと自身を潜る事ができる者を待ち続けていた。

 

 永劫とすら思える、神ですら擦り切れるほどの時間を、ただひたすらに待って、待って、待ち続けて。

 

 そしてある時、ゲートがある階層がにわかに騒がしくなった。

 剣戟、轟音、断末魔。

 

 やがてその階層から一つを除いて全ての生命が駆逐され、静寂に包まれた後、ゲートの前に一人の人間がやってきた。

 青く発光する大剣を持った男だ。

 

 終わりが無いと言われているすくつの果てを目指して日夜すくつに潜り続けるその男は、今回の探索はこの層で切り上げ、自身の家に帰ろうとしていたところでゲートの存在に気付いた。

 

 それは偶然か、あるいは必然か。

 苦心と試行錯誤の末に二柱が完成させたゲートは、男の知る月の門に酷似していた。

 外観だけでなく、潜った者を異世界に送るというその機能までもが。

 

 ゲートを作り上げた神々の思惑など何も知らない男は、何気なくゲートに足を踏み入れた。

 このゲートはどんな世界に繋がっているのだろうという、ただの興味本位で。

 

 男は善人だった。世界Aにおいて善人と判断されるかどうかはさておき、少なくともゲートが落ちた世界、イルヴァにおいては間違いなく善人と呼ばれる側の人種だった。

 そして他宗教や他種族を無闇に排斥しないだけの寛容さを持ち合わせてもいた。

 更に月の門を通して幾度と無く別世界に渡るという経験も持っていた。異世界転移に抵抗などある筈もない。

 

 

 

 

 

 

 かくして難なくゲートの通過条件を満たした(あなた)は、仄暗いすくつの底から異邦の地に辿り着いた。



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第98話 銀髪強盗団

 あなたはこの世界に転移した当初、その原因をムーンゲートによるものだと考えて疑わなかった。

 しかし異世界に来てからというもの、イルヴァの民に巣食っているエーテル病、ひいてはエーテル病を引き起こす原因である細菌、メシェーラが完全に沈黙していると気付いた後は、あの時自分が潜った物は、ムーンゲートではない別の何かだったのではないだろうかと思うようになっていた。

 そしてたった今、ムーンゲートに酷似したそれを指して女神エリスの口から発せられた水瓶座の門(アクエリアスゲート)という名。

 あなたにはこれが自身と無関係だとは到底思えなかった。

 こっそりと鑑定の魔法を使ってみれば、なるほど、確かに水瓶座の門という名前をしていた。

 

「お頭、これが何か知ってるのか?」

「知ってるよ。物凄く知ってる」

 

 淡く光るゲートの向こう側を見透かすように、しみじみと呟いて遠い目をする女神エリス。

 

「これは……水瓶座の門は神器ではないけど、もしかしたら、王女様が持っている神器や、それこそ魔王軍よりもずっと危ないかもしれない物なんだよ」

 

 あるいは世界を滅ぼしかねないほどに。

 淡々とした女神エリスに薄ら寒いものを感じたのか、カズマ少年はゴクリと喉を鳴らす。

 

「……どんなアイテムなんだ?」

「簡単に言っちゃうと、別の世界からこの世界に()()を送る為に作られた道具、かな。殆どが廃棄されたって聞いてたんだけど、まさかこんなところに現物があるとは思ってもみなかったよ」

「何かって何なんだよ」

「分からない。本来であれば魔王を倒して世界を救う勇者を呼び出すつもりだったらしいんだけど、実際に送られてくるまでは何が呼ばれるかは本当に分からないんだ。ゲートを潜るのはただの動物かもしれないし、普通の人間かもしれない。勇者だったり誰も見た事が無い未知のモンスターだったり邪神だったりするかもしれない」

「召喚ガチャかよ。リアルでランダム召喚とか大惨事の臭いしかしないんだけど」

 

 ゲートから身を引くカズマ少年に、女神エリスはそうだね、あたしも心の底からそう思うよと笑いながら補足説明を始める。

 

「脅かしちゃったかな。でもそんなおっかなびっくりしなくても大丈夫だよ? ゲートはこの世界に送るための道具でしかないからね。あくまでもこの世界への入り口であって、出口にはなり得ないんだ」

「つまりここにあるゲートから何かが出てくるってわけじゃないのか」

「そういう事。少なくとも、この世界にある限りはただの光る綺麗な置物(オブジェ)に過ぎない。ここでゲートを潜ってもどこにも行けないよ。ゲートに設定されてる転移先がこの世界なんだから」

 

 光の中に手を伸ばす女神エリスの説明のとおり、確かに彼女がゲートに触れても何も起きない。ランダムでこの世界のどこかにテレポートさせるような仕組みではないようだ。

 そして女神エリスの語った事は鑑定の魔法によってあなたが知り得た情報とほぼ一致している。

 

「しかし誰がこんな傍迷惑なもん作ったんだよ。転生じゃなく異世界からランダム召喚って実質拉致もいいとこだろ。こんな怪しいブツを潜る奴も潜る奴だけどさ」

「あ、あはは。製作者に関しては、遠い昔の人ってことくらいしか分かってないんだ。作ったはいいけど危険性が発覚したとかですぐに廃棄されちゃったそうだから」

「当たり前すぎる。作った奴は間違いなくアクアと同レベルのバカだな。アクエリアスっていう名前からしてエリス様も関係者なんじゃないかって思ったけど、まさかあのエリス様がこんな頭の悪い物を作るわけないから違うに決まってるな」

「…………そ、そうでしゅね」

 

 肩を震わせ全力で目を泳がせている女神エリスだが、彼女は嘘をついている。

 あなたが鑑定の魔法を使ったところ、カズマ少年の言うとおり、ゲートの製作者は水の女神と幸運の女神となっていたのだ。彼女は頑張って自身のイメージ保持に走っているようなので、そっとしておいてあげよう。

 

 そんな健気な努力の甲斐あってか、カズマ少年の女神エリスへの好感度、もといハードルはかなり高いものになっている。

 かくいうあなたも化身であるクリスとしての活動や人となりを知らなければ女神エリスに対して彼と似たような感情を抱いていた事は想像に難くない。

 実際女神エリスは人界の危機に心を痛める高潔で慈悲深い女神なのだが、やはり女神アクアの後輩というべきか、はっちゃけた面も持ち合わせている。ゲートに関してもそういったお茶目な一面の表れなのかもしれない。

 

「ま、まあ、そういうわけだから、ここのゲート自体は危ない物ではないから不要なリスクを避ける為にとりあえず放置の方向で。袋に入れるには大きすぎるし、持ち運ぶにも重過ぎるしね」

 

 げふんげふんと必死に咳払いする女神エリスあらため推定異世界転移の原因。あるいは諸悪の根源の片割れ。

 流石にゲートが片道切符で復路を用意していない件については物申したいものの、こうして異世界にやってきた件についてはあなたはむしろ感謝していたので、転移そのものに関しては二柱に対して抗議するつもりは一切無い。

 だいたいにして、現在進行形で全力で異世界をエンジョイしている身でありながら、どの口が謝罪や賠償を請求するというのか。

 

 ただゲートを放置しておくのはあなたとしては好ましくない話だった。

 帰還の手段が無い現状では何の役にも立たないが、これはイルヴァに帰還した後の再訪の手段になり得る道具である。

 今度一人で回収しに来るべきだろうか、そんな皮算用をしていたあなただったが、次の女神エリスの言葉で意識を引き戻された。

 

「さておき、あたしとしては共犯者クンに一つ聞いておかなきゃいけない事があるんだけど……」

「聞いておかなきゃいけない事? ……ああ、なんだってエセ忍者がゲートに反応したのか、か」

 

 二人から探るような視線を受け、まあ当然そうなるだろうな、とあなたは思った。

 異世界から何かを送るというゲートの光に強い反応を示し、ふらふらと引き寄せられたあなたを全くの無関係だと思う者はいないだろう。

 二人は鈍感な性質ではない。わざわざ口に出さずとも、限りなく正解に近い確信を抱いていると思われる。あなたとしてもこの期に及んでどんな嘘をつけば二人を上手にごまかせるのかが全く思い浮かばない。

 

 しかし再三繰り返すが、あなたにとって自身の出自、つまり異邦人であるというのはそこまで必死になって隠すような話ではない。

 今のあなたをエセ忍者と呼ぶカズマ少年は覆面の下の正体を知らないし、ゲートの製作者である女神エリスに至っては知っておいてくれれば罪悪感を感じて帰還の手段を探してくれるのではないだろうか、とすら思っている。

 よって、あなたは二人に白状した。

 自分がいた世界にはムーンゲートと呼ばれる水瓶座の門に酷似した世界を渡るアイテムが存在しており、てっきりそれがここにあると勘違いしてしまった事を。

 

「自分のいた世界、か。エセ忍者って異世界人だったんだな。ここまでの話でそんな気はしてたけどさ」

 

 あなたと同じく異世界人であるカズマ少年はあまり驚いていないようだ。

 自分がここにいるんだし、まあ似たような奴もいるよな、くらいに思っているらしい。

 この世界では見ない忍者装束をあなたが纏っている事も多分に関係していそうである。

 

「でも日本人ってわけじゃないんだよな。やっぱり水瓶座の門を通ってきたのか?」

 

 水瓶座の門は製作されてすぐに処分されたという話だ。あなたがすくつで見つけて潜ったゲートの正体については実際に現物を調べてみない事には断定できない。

 だが鑑定の魔法でゲートの効能を大まかに把握したあなたは自身が潜ったのは九割九分水瓶座の門だと確信している。なのでカズマ少年の問いかけには多分そうだと思うと頷いておいた。

 たまたま処分を免れたゲートがすくつに流れ着いたのだろうとあなたは予想していた。

 入る者によって千差万別に姿を変える無形にして底の知れないすくつの性質を鑑みれば、あの日あの時あの階層でゲートを見つけ、更にゲートを潜ってこの世界にやってきた事は天文学的な確率の奇跡を引き当てた気分だ。そんな世界でウィズというかけがえの無い女性に出会った事もまた同様に。

 

「あ、あたし、共犯者クンが異世界の人だったとか、そんなのひとっことも聞いてないんだけど……!?」

 

 平然としているカズマ少年とは正反対に、女神エリスは冷や汗をだらだらと流して狼狽していた。

 あなたは彼女に自分の素性を明かした覚えは無い。女神エリスが知らないのは当然だ。何を当たり前の事を言っているのだろう。

 

「先輩が設定したゲートの通過条件は異種族や他宗教に寛容で、転移に抵抗が無いその世界における善人……そりゃ似たような物があるなら抵抗なんて無いですよね……善人……善、人……? いえ、設定的に矛盾は無いんですし、流石に悪人とまでは言いませんけど、私にイイ笑顔でギリギリ死なない程度の攻撃を放ったり言質を盾にアクシズ教徒の人たちをけしかけようとするあたり善人と呼ぶのは少し、いえ激しく抵抗があるというか……薄汚い悪魔や最初に出てきたアレよりずっとマシとはいえ……」

 

 異様な雰囲気を醸し出しながら、あなた達に聞き取れない声量でぶつぶつと何かを呟く女神エリスに、あなたとカズマ少年は距離を取った。

 今の彼女にはちょっとお近づきになりたくない。

 

「……共犯者クンのいた世界って、具体的にどんな場所なの? だいぶ前に聞いた話だけど、確かキミ、自分がいた場所では仲間の事をペットって呼ぶって言ったよね。あれってキミのいた世界の話なんだよね?」

「ペットって。言うに事欠いて仲間を愛玩動物(ペット)呼ばわりってお前。さすがの俺もそれは引くわ。ド変態な俺の仲間(ダクネス)が知ったら滅茶苦茶喜びそうだけど」

「ねえ、あたしの大切な友達にそういう事言うの止めてもらえる?」

 

 実際ダクネスは初対面のあなたにペット(奴隷)にしてくださいと頼んできた剛の者なので、女神エリスもあまり強く言えないようだ。

 

「で、実際どんな世界なのさ」

 

 イルヴァがどんな世界なのかと聞かれても答えを返すのは難しい。あなたからしてみれば普通の世界としか言いようがないのだ。

 とりあえず文化レベルについてはこの世界と大差無いが、ここと違って蘇生に制限が無いせいで命の価値が極めて軽い世界だったとあなたは答えておいた。

 他所はまだ平和なのだが、あなたのいた地域では人殺しは無罪、あるいは軽犯罪に該当する。窃盗は現行犯ならその場でミンチにしても許される。脱税者は問答無用で指名手配。金は命より重い。

 

「修羅の国かよ。絶対行きたくねえわ」

「右に同じく」

 

 現地人であるあなたとしては、あれはあれで慣れれば楽しいし住めば都だと思っている。

 それはそれとしてノースティリスが危険な場所であると理解もしているので、二人の感想に口を挟む事はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 やはりゲートの製作者としては被害者が気にかかるのか、初めのうちは女神エリスがあなたにちらちらと視線を送ってきていたのだが、やがて気を取り直したように自身の仕事に専念し始めた。この分だとそのうちあちらからコンタクトがあるかもしれない。

 

 そうしてあなた達はモンスター召喚の神器を見つけるべく、宝物庫の探索を行う事になった。

 といっても実際に働くのは宝感知スキルを持っている女神エリスだけであり、あなたとカズマ少年の仕事といえば、周囲を警戒しつつそれらしい物を探すことくらいだ。

 しかし積まれているのは金銀財宝や強力な、しかしありきたりなマジックアイテムといったものばかりであなたの興味を引く物は見つからない。仮にも王城の宝物庫であれば爆発物や呪いのアイテムの十や二十は置いていて然るべきだというのに、この城はどうなっているのだろう。ウィズの店を見習ってほしい。

 

「おいエセ忍者、ちょっと来てくれ」

 

 しばらく宝物庫の探索をしていると、カズマ少年が近寄ってきた。

 女神エリスに気付かれないようにこそこそと耳打ちしてきたカズマ少年に連れられて辿り着いたのは、本が無造作に詰まれた区画。

 雑に保管されているそれらには保護の魔法がかけられている。あまり価値は高くないようだが、それでも宝物庫に置かれるだけの事はあるようだ。

 

「お宝を持っていこうとすると警報が鳴るっていう話だったよな。これに仕掛けられてるトラップの解除を頼みたいんだけど、できるか?」

 

 あなたの目の前には難解な書物に混じってエロ本の漫画が安置されている。神器ではなくエロ本。しかもつるぺたなロリっ子のエロ本。略してエロリ本。

 エロ本の表紙には金髪碧眼の貴族と思わしき華やかな格好をした少女が触手に襲われている絵が描かれており、十八歳未満の方は御購入できません、という文字が書かれていた。カズマ少年はまだ十八歳になっていなかった筈だ。

 王城に盗みに入っている時点で十八歳未満云々については今更なのだが、アクセルにはサキュバスの店がある。あなたはまだお世話になった事が無いが、彼は淫夢だけでは満足できないのだろうか。

 

「おい待て、誤解だ。誤解だからそのロリに触手とかマジ引くわぁ……みたいなゴミを見る目は止めろ。これはこんな卑猥でいかがわしい物が俺の大事なアイリスの目に触れないようにしようという俺の心遣い、純粋な兄心であってだな。俺は悪くない。宝物庫にエロ本なんか置いてるこの国と国の政治家と貴族が悪い。それ以上そんな目で俺を見るっていうのならこっちにも考えがある。俺の国の伝家の宝刀である遺憾の意を表明せざるを得ない。それにもしかしたらこれは魔王軍の卑劣な策略の一環なのかもしれない。常識的に考えて一国の王城の宝物庫にエロ本が置いてるなんておかしいよな? 俺はおかしいと思う。だからこれは絶対魔王軍の罠に決まってる。はい決定。完全論破。畜生魔王軍め、こんな悪辣な罠を仕掛けてくるなんて全くもって許せないな。許せないからこれはこの場で回収してしかるべき手段で処分しなきゃいけない。つまりそう、これは正義。世界平和の為の正しい行為なんだ。分かるな?」

 

 同意を求められても、どう答えろというのか。

 まだ何も言っていないしそんな目で見た覚えもないというのに、捲くし立てるように弁解と責任転嫁を始めるカズマ少年。世界平和の為とはまた大きく出たものだ。魔王軍が若干不憫ですらある。

 エロ本を後生大事に保管しているというのはいかがなものかとあなたも多少は思ったが、横目でエロ本を見やるカズマ少年に説得力があるかと聞かれると、まあ普通に無い。どれだけこのエロ本が琴線に触れたというのか。純粋な兄心どころか不純塗れである。

 

 ――お兄ちゃんの兄心は何よりも純粋で綺麗な私の尊い宝物だよ! ビューティフォー……。

 

 妹の電波を受信できる女神エリスにも声が届いたらしく、どうしたのかと視線を向けてくる。

 ちょっと妹が突然興奮しただけでいつもの事だとあなたがハンドサインを送ると、痛ましそうに目を背けられてしまった。変な勘違いをされている気がしてならない。

 

 さて、神器や強力な魔道具と違って重要性が低いからか、エロ本がある区画に仕掛けられた警報の罠はあなたであっても簡単に解除できるものだった。

 そしてカズマ少年がエロ本に向ける目は本気と書いてマジだ。今にも手がエロ本に伸びそうになっている。ここで断ろうものならば、警報を承知で回収しかねない。

 警報を鳴らされるくらいならばいっそ、とあなたは罠を解除し、オカシラニハナイショダヨ、と手に入れたエロ本を手渡した。

 

「エセ忍者……お前、実はいい奴だったんだな。俺、お前の事を頭のおかしいコスプレ野郎だと誤解してたよ」

 

 そう言ってカズマ少年はにこやかな表情でお宝(エロ本)を懐に仕舞い込み、隣のまた別のエロ本に目を向けた。

 

「ついでにもう一冊……」

 

 あなたは仕事でここに来ている。

 一冊だけならまだしも、際限なくエロ本を求めるのであれば、彼を大人しくさせるために忍法半殺しの術を使う必要が出てくるかもしれない。

 

「こえーよ! ぼそっとマジトーンで半殺しとか言うな! 俺が悪かったですごめんなさい!」

 

 

 

 

 

 

 結局、モンスター召喚の神器は見つからなかった。

 強力な魔道具は多数置いてあったが、神器と呼べるレベルの物は一つも無いらしい。王女アイリスのエクスカリバーのような神器や国宝級の品は、結界があるとはいえこんな誰の目にもつく分かりやすい場所ではなく、もっと別の場所に保管されているのかもしれない。

 

「でも俺が知ってる城内の宝物庫ってここだけだぞ。偉い人だけが知ってる秘密の宝物庫っていうのはあっても不思議じゃないけど」

「お城の中をくまなく探してる時間も無いし、優先すべきは王女様が持ってる神器だからね。ここは本命に集中しよう」

 

 改めて目標を明確にしたところで宝物庫を出ようとしたあなた達だったが、カズマ少年が扉に手をかけた瞬間、宝物庫が明るくなった。

 水瓶座の門の水色の光ではない。宝物庫に設置された明かりが一斉に点灯したのだ。

 

「なんだ!? なんで明るくなった!? 罠か!?」

「落ち着いて! ……これは罠じゃない。外部から誰かが明かりを付けただけだよ」

 

 急速にこちらに近づいてくる複数の気配。

 遠くからは鎧を着込んだ兵士のものであろう、ガチャガチャと金属を鳴らす音が聞こえてくるものの、警報は聞こえない。

 

「敵感知にめっちゃ反応してるあたりこりゃ完全にばれてるぞ。なんでだ?」

「多分だけど、宝物庫の結界が機能してない事に見回りの兵士が気付いたんだと思う。目視できる結界が消えてるんだから何かあったんじゃないかって。もしかしたら魔王軍の仕業だと思われてるかも」

「昨日の今日だからな……」

 

 考察は結構だが、状況は最早一刻を争う。

 撤退か、続行か。

 撤退自体は容易い。ここは城の二階なので適当に窓や壁をぶち破れば簡単に外に出られるし、確実性を求めるのであればあなたが今ここでテレポートを使えばいい。後者の場合はカズマ少年に謎の忍者の正体が露見する可能性はあるが、まあ大した問題ではない。

 

「おいちょっと待て。俺は明日には王都を出禁になる。ぶっちゃけ今日中に何とかしないとやばい」

「……うん。撤退は許可できない」

 

 拳を硬く握り締め、苦虫を数十匹噛み潰した顔で女神エリスがそう言った。

 

「今日は本当に絶好の機会なんだ。今日を逃したら暫くは夜だろうと城に入る事すら困難になると思う」

 

 今回の魔王軍の襲撃が王都に残した傷跡は深い。物理的にも、心理的にも。

 

「二人とも、ごめん。あたしが宝物庫を調べたいとか言ったから……」

 

 俯く女神エリスの頭を、力強い笑みを浮かべたカズマ少年が軽く小突いた。

 

「バッカだな。水臭い事言うなよお頭。そんなもん結果論だ結果論」

「でも……」

「一人は皆の為に、皆は一人の為に。俺はお頭がミスをしたとは思ってないけど、こういう時に助け合うのが仲間ってもんさ。それに俺はデストロイヤーだの魔王軍幹部だのを倒してきた冒険者だぞ? 今までだってなんとかなってきた。いつものメンバーじゃないけど、今回もなんとかしてみせるさ。なあ、エセ忍者も引く気は無いんだろ?」

 

 いつになく凛々しい表情のカズマ少年にあなたは同意した。

 この程度はピンチの内にも入らないし、女神エリスが頭を下げる相手はあなたでも、ましてやカズマ少年でもない。

 

「二人とも……その、ありがとう……」

 

 感極まったのか、目を拭う女神エリスだが、女神エリスの導きのおかげでエロ本を入手できたからカズマ少年はテンションが高いのだと知ったら彼女はどんな顔をするのだろう。

 

「ところで何でさっきから助手君はしきりに自分の懐を撫でてるの?」

「これか? ここには俺の大事なお守りが入ってるんだ。作戦が上手くいきますようにっていう願掛けってところかな」

 

 本当にどんな顔をするのだろう。

 

「実際は作戦っていうほどのものでもないんだけどね……共犯者クン。お仕事の時間だよ」

 

 そんな事を考えていると、不意に女神エリスがあなたに目を向け、覚悟を決めた真剣な表情で頷いた。

 神意の元に、邪魔者絶対みねうちするマンという名の暴力装置が起動した瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 すぐそこまで迫っている兵士を迎え撃つべく、あなたは宝物庫の扉の前に立つ。

 残りの二人はあなたを援護すべく扉の両サイドに。

 

「ぶっちゃけエセ忍者の戦闘力ってどんなもんなんだよ。俺もお頭も王都の連中を相手に正面きって戦える職業やレベルじゃないし、こいつがあっさり捕まるようだと作戦が完全に瓦解するんだけど」

「……強いよ。滅茶苦茶強い。今までにどんな経験を積んできたのか分からないけど、ちょっと底が見えないくらい。冒険者カードを見せてもらった事があるけど、転移の影響なのかな、明らかにカードに書かれてた数字と実際の戦闘力が合ってないんだよね。とりあえず戦闘力に関しては信頼してくれていいから安心して」

「エセ忍者、あんなかっこしといて普段は冒険者やってんのな。職業と本名は? ……秘密ね、知ってた」

「流石に普段は普通の格好してるけどね……共犯者クン、準備と覚悟はいい?」

 

 手をひらひらと振って問題無いと返す。

 本当に何も問題は無い。そんじょそこらの冒険者とあなたでは踏んできた場数が圧倒的に違うのだ。王城でジェノサイドパーティーを開催したり物理的に吹き飛ばした回数の差的な意味で。なんなら城の壁を堀りつくして更地にしてもいい。

 

「まったくキミってやつは、こんな時でもいつも通りで頼もしいやら不安になるやら…………3、2、1……今っ!」

 

 女神エリスの合図に合わせ、あなたは宝物庫の扉を蹴破った。

 内側から盛大に吹き飛ばされた分厚い扉は、何人もの兵士を巻き込んで轟音を響かせる。

 

「んなあっ!?」

 

 今まさに宝物庫を開かんとするタイミングで食らった奇襲に、兵士達の思考と動きが数瞬停止。

 木偶の坊と化した兵士達の間をあなたが得物を振るいながら駆け抜け、あなたが足を止めると同時、みねうちを食らった兵士達は時が動き出したかのように声も無く崩れ落ちる。

 

 そして、それが引金となったかのように、明るくなった城内に警報が鳴り響いた。

 いつまでもここにいるわけにはいかない。あなた達は宝物庫から駆け出した。

 お待ちかねの強行突破のお時間である。

 目的地は最上階、王女アイリスの部屋。立ちはだかる邪魔者には忍法半殺しの術が火を吹く事になる。

 

「ああ、遂に始まっちゃった……自分で決めた事だし、この国の平和の為だとはいえ、もう後戻りできない……ごめんなさい……」

 

 広い城内を駆けながらも両手で顔を覆った女神エリスがあなたの刃に倒れた兵士達に謝罪している。

 そう、女神エリスが頭を下げるべきはあなたでもカズマ少年でもない。

 これからあなたに忍法半殺しの術を食らうであろう、己の職務に忠実な愛国精神に溢れた兵士達にこそ謝らなければいけないだろう。

 

「え、何こいつ。冗談抜きで強いんだけど。俺らの援護いらないじゃん。さっき結構カッコイイ事言ったつもりだったんだけどこれじゃ台無しじゃね?」

「滅茶苦茶強いって言ったでしょ。黒衣の強盗って聞いた事あるかな。貴族の屋敷に押し入って数十人の武装した衛兵を一人残さず半殺しにしたっていう指名手配犯。あれ彼の事だよ。神器の回収中にちょっと事故っちゃってね……」

「数十人を全員半殺し……アルダープの屋敷で戦わなくてマジで良かった。いや、今は頼もしいけどさ。ゲートにはチートを付与する機能でもあるのか?」

「無いよ。だからこれは彼が元々持っていたか、この世界でレベルを上げて手に入れた力。共犯者クンにはあたしも色々と聞きたい事はあるけど、今はそれどころじゃないからね」

 

 けたたましく警報が鳴り響く城内を三つの影が駆け抜けていく。

 三人が通った後に残るのは横たわる兵士だけ。

 

「侵入者をはっけ……ぐえっ!?」

「これ以上先にはぎゃああああ!!」

「く、黒ずくめの奴、バカみたいに強いぞ! まさかこいつ、噂の黒衣のぐえー!!」

 

 遭遇した兵士達を片っ端からぶっ飛ばしながら、あなた達は上に向かって最短ルートで進んでいく。

 カズマ少年と女神エリスは移動速度上昇の効果を持つ逃走スキルを使用しながらあなたについてきているので、重装備の兵士では追えない速度で移動できている。

 

「クリエイトウォーター! フリーズ! 小細工抜きの正面突破とか、俺、この世界に来て初めての経験だわ。滅茶苦茶気持ちいいなこれ。チート持ちの連中はいっつもこんな気分を味わってんのか妬ましい。エセ忍者が出てくる兵士を片っ端から皆殺しにするから楽すぎるし。あ、次の十字路を左な」

「ワイヤートラップ! 殺してないから! みねうちだから! ……殺してないよね!?」

 

 あなたの後ろをついてくるカズマ少年は足場を凍らせ、女神エリスは一瞬で鉄条網を作るスキルで後続の足止めを行っている。時たま後方から悲鳴や罵声が聞こえてくる事から、足止めはしっかり効果を発揮しているようだ。

 

「いやでも、この分ならあっさり最上階まで――」

「狙撃いッ!!」

 

 水を撒く為にカズマ少年が鼻歌交じりに後ろを振り向いた瞬間、遠く離れた廊下の向こうから放たれた矢が、彼の胸の中心を穿った。

 勢いよく倒れるカズマ少年の姿に、あなた達の足が止まる。

 

「助手君!?」

 

 舌打ちしたあなたはカズマ少年にポーションを投擲し、廊下の奥にいる矢を放った犯人に襲い掛かった。

 

「なっ、速――」

 

 自身に向けて放たれた矢を切り払い、弓使いの冒険者と兵士達を一瞬で半殺しにして二人の元に戻ると、女神エリスがカズマ少年の肩を揺さぶっていた。

 

「しっかりして助手君! 助手君!!」

 

 女神エリスの悲鳴に答えるように、カズマ少年はむくりと起き上がった。

 王都の高レベル冒険者の狙撃スキルが直撃したというのに、彼は生きていた。

 ポーションを投げたはいいが、彼の生命力では間違いなく蘇生魔法が必要になると思っていたのだが。

 

「いってー……ああびっくりした。またエリス様のお世話になるかと思った」

「だ、大丈夫なの?」

「よく分からんけど、なんとか無事みたいだ。こけて思いっきり頭打ったし胸もぶん殴られたみたいに痛いけど。エセ忍者、ポーションサンキューな」

 

 直撃を食らっておきながら何事も無かったかのように起き上がったカズマ少年が突き刺さった矢を無造作に引き抜くと、バサリと懐から何かが零れ落ちた。

 微かにポーションで濡れた足元のそれを見て、カズマ少年の目が驚愕に見開かれ、女神エリスの顔が朱に染まった。

 

「え、あ――――」

「エロ本!? ここでエロ本!? なんでエロ本!? 懐から出てきたって事は、まさかさっき言ってたお守りってそれ!? 信じられない! キミってやつはなんてものを持ちこんでんのさ!?」

「俺のお宝があああああああああああああああああああああ!!!」

 

 城内に響く悲痛な慟哭。

 運よくエロ本が矢を防いでくれたようだが、本の厚さは到底矢を防げるようなものではない。

 本を保護する魔法が仕事をしたのだろう。しかし狙撃スキルからカズマ少年の命を救った代償として、新品同然だったエロ本はボロボロになってしまっていた。

 

「あああああ……こんな、酷い、どうして……畜生、ちくしょう! こんな事は許されない……! なんで、なんでこんな事にっ! クソックソッ! まだ1ページも読んでなかったのに! うあああああああああああああ!!! ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 涙を流しながら拳を床に打ちつける様は、愛する人を失った者を彷彿とさせる。

 あなたは彼がここまで取り乱す姿を初めて見た。よほど大切に思っていたのだろう。

 大切なものを失う悲しみ、それ自体はあなたも痛いほど理解できるのだが、肝心の失った物が事もあろうにエロ本で、しかも盗品だ。反応に困る。本当に困る。こんな時、あなたはどんな顔をすればいいのか分からなかった。女神エリスもドン引きだ。

 

 

 

 

 

 

 エロ本を失った後、カズマ少年の目と闘争心に火が付いた。アクセル随一の鬼畜男と呼ばれる彼が本気になったのだ。

 しかし女神エリスの目は濁りきっているのでパーティー内の士気は差し引きゼロである。

 

 広い城内を上へ上へと駆け上りながら散々暴れまわった後、あなた達は長い廊下に辿り着いた。

 ここを抜ければ王女アイリスの部屋までもう少し。廊下の奥には最上階に続く階段が見える。

 階段の前には多数の兵士が待ち構えているが、彼らはこの先にいる王女アイリスを護衛しているだけであって、こちらの動きを読まれていたわけではないだろう。兵士達の顔色は悪く腰が引けている。

 

「散れオラァ! 道を開けろ! 邪魔する奴は一人残さずぶっ飛ばすぞ! 邪魔しない奴だろうと前に出てくるならぶっ飛ばす! ぶっ飛ばすのは俺じゃなくてエセ忍者だけどなぁ!!」

「なんかもう……なんていうか……あたし、明らかに人選を失敗したよね……幸運のステータスって一体なんなんだろう……」

 

 怒りのあまり蛮族と化したカズマ少年はバインドで捕縛した兵士にドレインタッチを使って戦闘不能にしたり、振り撒いたクリエイトウォーターで濡らした兵士を雷属性付与(エンチャント・サンダー)で感電させたりといった最弱職とは思えない八面六臂の活躍を見せ、女神エリスは死んだ魚の目で被害者にポーションを飲ませたり魔法使いの攻撃を次々にスキルバインドで封じていた。

 そうして兵士を一人残らず蹴散らしたあなた達は最上階に足を踏み入れる。

 最上階はT字のように左右に繋がる通路が開けており、どちらの道にも大勢の兵士達が待ち構えていた。

 流石にゴールである王女の部屋が近いだけあって抵抗(おかわり)が激しい。

 

「これ以上奴らを先に行かせるな! 賊の目的は分からんが、アイリス様の部屋だけは何としても死守しろ!」

「で、ですが隊長! 仮面も銀髪もとんでもない凄腕で、特に先頭の奴にいたっては迎撃に出た腕利きの冒険者が何人もやられています!」

「黒衣の強盗め……眉唾だと思っていたが、噂以上のバケモノだったか……!」

 

 今日一日で自分もすっかり名前が売れたものだとあなたは覆面の下で苦笑いを浮かべた。

 名前は名前でも完全に悪名だが。報奨金はどうなる事やら。

 折角なのでカズマ少年(仮面)女神エリス(銀髪)も名乗りの一つでもあげて有名人になってくれないだろうか。パーティーなのだから、三人一緒に幸せ(賞金首)になるべきだ。

 強い意志を込めたあなたの視線を受けた二人は真剣な顔で頷いた。

 

「共犯者クン。まずは王女様の部屋に続く突破口を開いて。そしたらあたし達は先に行くから、申し訳ないけど君はここで足止めを……」

「エセ忍者、ここはお前に任せた! 俺達はお前の邪魔をしないように後ろで援護してるからさっさと片付けて先を急ぐぞ!」

「ちょ、ちょっと助手君? おかしくない? あたし達の消耗もだいぶ激しいし、王女様の部屋はもうすぐそこなんだよ? 普通に考えてここは彼に任せてあたし達だけ先に行くとかそういう場面じゃない?」

「ざっけんなし! お頭はバカなの!? 捕まりたいの!? 俺達の中で唯一小細工抜きで正面きって戦えるエセ忍者を使い捨てる理由がないだろ、いい加減にしろ! 今そういう場面じゃねーから! こちとらマジなんだ! 遊びでやってんじゃないんだよ!」

「ご、ごめんなさい……」

 

 あなたのアイコンタクトは失敗した。女神エリスにこっそり祈っていたのだが、やはり信仰していない神はダメだ。肝心な場面でアテにならない。

 

 しかしこの世界には捨てる神あれば拾う神ありという言葉がある。イルヴァには何度も改宗するような浮気者に手を差し伸べる神はいないが。

 そして今回の場合、あなたにとっての拾う神は何の変哲もない一兵卒だった。

 

「お頭? ……隊長! どうやら銀髪が強盗団の主犯格でリーダーのようです!」

「強盗!? 盗賊じゃなくて強盗!? え、ちょ、待っ」

 

 女神エリスが聞き捨てならないと訂正を図るも、もう遅い。

 

「よし、たった今より奴らを銀髪強盗団と呼称する! 各員、ベルゼルグ王国の誇りにかけて、なんとしても銀髪強盗団を捕殺せよ!!」

「いやあああああああああ!?」

 

 まさかの強盗団認定に頭を抱える女神エリス。流石のあなたも不憫枠で苦労人で可哀想な女神様には同情を禁じえない。彼女は癒しの女神を信仰して心身を癒した方がいいのではないだろうか。

 あなたの異名は黒衣の強盗だし、実際にこうして宝物庫に入り、手当たり次第に兵士や冒険者をぶっ飛ばして瀕死の重傷者を量産している現状を見れば確かに強盗扱いも致し方なしなのだが、女神エリスが求める義賊感は絶無だ。幸運のステータスが高い者だけでパーティーを組んだせいで幸運が一周してマイナスになっているのかもしれない。

 唯一の救いは銀髪強盗団と義賊の繋がりについては疑われていないところだろうか。義賊が単独行動だと思われているのが幸いした。染料の手持ちが幾つかあるので飴と一緒にプレゼントするべきだろうか。しかし女神エリスは銀髪だからこそ、という気もする。

 

「よし行けエセ忍者! 背中は俺達に任せろ! お頭の頭痛の種を一人残らず叩き潰すんだ!」

「元はといえば君があたしをお頭って呼んだからこんな事になった気がするんだけど!?」

「今はそんな事を言ってる場合じゃないですよお頭! この場を切り抜ける事が肝心ですよお頭! 三人で協力しましょうお頭!」

「正論なんだけど、お頭って連呼するなよお! ほら、兵士の人達があたしを見て完璧に怯んじゃってるじゃん! 共犯者クン(黒衣の強盗)より強くてヤバい奴なんじゃないかって勘違いしてる目だよあれは! あたしはあそこまで頭のネジ飛んでないしぶっ壊れた強さも持ってないからね!?」

 

 背後で繰り広げられる愉快な漫才を聞きながらあなたが兵士達に一歩踏み出すと、鋼色の人垣は一歩後退した。忍刀から血を滴らせ、これだけ大立ち回りを演じたにも係わらず黒装束に傷一つついていないあなたの圧力に完全に呑まれているようだ。

 

 

「兵士の皆さん、彼から離れてください!!」

 

 

 どれだけ士気が下がっていようと、邪魔立てするのであれば見逃す理由は無い。先ほどは運よく助かったが、頑丈なあなたと違ってカズマ少年と女神エリスは被弾が死に繋がりかねないのだ。

 女神エリスには悪いが、強盗団らしくせいぜい派手に暴れようとあなたが考えていると、あなたから見て右側の通路、兵士達の奥で誰かが叫んだ。

 

「おおっ、ミツルギ殿か!」

「魔剣の勇者殿が来てくださった!」

 

 人垣を割って現れたのはキョウヤだった。

 冒険者にして有名人であるキョウヤも城にいるだろうとは思っていたが、まさかこの最終局面で遭遇するとは思っていなかったあなたは小さく苦笑いした。

 

「…………」

 

 兵士から喝采をもって迎えられたベルディアの直弟子は、純白に輝く鎧を着たクレアと数多の魔道具で武装したレイン、そして多数の騎士を従え、困惑と焦燥が混ざった顔であなたを見据えている。

 彼はあなたが女神エリスから人界を脅かす神器を回収する命を受けて動いている者だと知っている。自身と同じ神器持ちのニホンジンのパーティーを秒殺可能な戦闘力を持ち、神器回収という目的のためならば邪魔する相手は死なない程度に痛めつけてもいいと考えている事も。

 こうして王城に押し入って散々暴れた以上、黙って見逃すわけにもいかないが、今回もまた女神エリスの意の元に危険な神器を回収しに来たのではないか、そう考えるキョウヤは立場と心情の間で板挟みになっているのだ。

 

「うわ、厄介なのが出てきたな。白スーツまでいやがる。スーツじゃなくて鎧着てるけど」

「魔剣グラムの担い手か……。つい先日、幹部のシルビアと互角の戦いを演じた本物の勇者だよ。彼の隣の二人も強い。共犯者クン、行ける?」

 

 集団の先頭に立つ三人はそれぞれがレベル40超えにして異名持ち(ネームド)の凄腕である。

 クレアとレインの異名については王都で購入した各人のブロマイドで勉強した。

 

 神聖剣のクレア。

 火雨のレイン。

 魔剣の勇者、ミツルギ。

 

 対してあなたに付けられた異名は頭のおかしいエレメンタルナイト、盗賊殺し、墜星の魔導剣士、黒衣の強盗。

 どうしてこんな事になってしまったのだろう。

 

 自身につけられた素敵な異名の数々はさておき、キョウヤ達に率いられた騎士達も、あなたが今まで倒してきた兵士達とは錬度が違うと一目で分かる。装備の質もいい。間違いなく精鋭だ。ここで出てくるという事は王女アイリスの直属である可能性が高い。

 

「流石に数が多いね。しかも後ろ以外は完全に囲まれてる。共犯者クンでも一人だと荷が重いかも……」

 

 あなた一人で、かつ何をやってもいいのであれば全員ぶっ飛ばしてもおつりが来るのだが、あなた達の目的は防衛戦力の全滅ではないし、騎士以外にも多数存在している兵士を考慮すると二人の事故が怖い。

 しかしそれ以上に、あなたはキョウヤとレインとは戦いたくなかった。

 素顔を晒した状態であれば全くもって構わないのだが、正体を隠したまま知り合い、それも善人と戦うというのはどうにも気が引けるのだ。

 あなたは王女アイリスの部屋は絶対にキョウヤたちがいる道を抜かないと辿り着けないのかを小声で尋ねる。無理なら素直にみねうちしよう。所詮はあなたの良心が痛む程度の話でしかないのだから。

 

「だいぶ遠回りになるし複雑だけど、反対側からも行けなくはない。ルートは頭の中に入ってる」

「でもどうするの? グラムを使われたら、あたしのワイヤートラップ程度は一瞬で切り払われちゃうよ」

 

 どうするかと聞かれればこうするのだと、グラムを抜いてジリジリ近づいてきていたキョウヤ達と自分達の間に向かって壁生成の魔法を詠唱。

 その名の通り、硬く分厚い土壁を生み出す魔法によって、通路の片側は一瞬で埋め立てられた。

 ここが王城という場所、更に王女がいる階層という事もあって、防衛側も上級魔法のような大火力の攻撃は制限されている。女神エリスのワイヤートラップと違って一度に広い範囲を塞ぐことはできないが、閉所であればこちらの方が幾らか時間を稼げるだろう。

 

土壁の魔法(アースウォール)だと!? まさか奴はエレメンタルマスターだとでもいうのか!?」

 

 主力から切り離された兵士達をみねうちとバインドで戦闘不能にし、あなた達は先を急ぐ。

 

「ねえ、もしかして今のって共犯者クンの世界のスキル? キミの職業だと土壁の魔法(アースウォール)は使えない筈だよね」

「何言ってるんですかお頭! 今のは土遁の術ですよ土遁の術!」

「どとんのじゅつ?」

「つーかエセ忍者、お前まともな忍術も使えるのな! てっきり半殺しの術しか使えない脳筋勢だと思ってたぞ! 今からお前の事エセ忍者じゃなくて普通に忍者って呼ぶわ!」

「助手君。キミ、テンションおかしくない?」

「日本人の男の子は皆忍者とか忍術が大好きなんだよ!」

「知らなかったそんなの……」

 

 

 

 

 

 

 王女の部屋を目指して兵士や騎士を半殺しにしたり簀巻きにし続けた銀髪強盗団は、遂に目的地まで辿り着いた。死人こそ一人も出していないが、被害者の数は最早数え切れない。明日の王都の騒ぎを思うと今からわくわくが止まらない。

 

「よし、この先がアイリスの部屋だ」

 

 王女の部屋があるのは、無駄に長い直線となっている廊下の奥。

 あなたはその場に残り、部屋に進む二人を見送る。

 

「うし、後は頼むぞ忍者」

「お願いだから無茶だけはしないでね」

「犠牲者を無駄に増やすな、的な意味で?」

「うん」

 

 これは王女の部屋に到着する前に話し合って決めていた事である。

 この先が袋小路となっている関係上、誰かが後続の足止めをする必要があるのだ。

 

 ……あなたからしてみればこれらの理由は建前であり、本命は別にあるのだが。万が一にでも神器の効果を食らわないように離れておきたかったというのも無くはない。

 

 

 

「くっ、遅かったか!」

 

 さて、真っ先にあなたの元に辿り着いたのは王女の護衛であるクレアとレインだ。

 あなたを目視した瞬間、レインが魔法の詠唱を始めた。

 

「レイン、殺しても構わん! 本気でやれっ! 賊はアイリス様を狙っている!」

 

 レインの持つ杖の先端から放たれる黒い光を見据えながら、その詠唱から発動する魔法を見切ったあなたは無言で指示を飛ばす。

 

「カースド・ライトニングッ!!」

 

 必殺の意が注ぎ込まれた黒雷は、しかしあなたに当たる直前で弾けて消える。

 威力、速度、射程に優れた使いやすさに定評のある魔法を防いだのはどこからともなく現れた三本の赤い刃。

 地面に落ちて微かに煙をあげるそれは音もなく消え去った。

 

 ――忍法、身代わりの術だよ!

 

 言うまでもなくやったのは妹である。

 あなたが妹に作ったルビナス製の包丁は悪くない耐久力を持っているようだ。

 

「……っ!? クレア、気をつけてください! 信じられません、雷魔法の射線を見切られました!」

「バケモノか! なんでこんなのが賊なんかやっている!」

 

 この世界の雷魔法はイルヴァにおける「矢」系統の魔法と「ボルト」系統の魔法を足して二で割ったような性能を持っている。

 ボルト魔法と同じく速度に極めて優れるが、矢の魔法と同じく貫通能力は無い。

 貫通能力の無い直線攻撃であれば、打ち落とすのはそこまで難しくない。来るとわかっている上に魔法が正面からしか飛んでこないのであれば尚更だ。

 カズマ少年達が神器を回収するまで適当に二人をあしらって時間を稼ごうと思っていたあなただったが、次いでやってきた人間がそれを止めた。

 

「クレアさん、レインさん、待ってください!」

「ミツルギ殿! よくぞ来てくれた!」

 

 本命の登場である。

 先ほどの会遇において、彼は何かを言いたそうにしていた。

 あなたとしても事情を説明しておく必要があると感じ、一人ここに残ったのだ。

 

「……お二人とも、本当にすみません。少し、彼と話をさせてもらえませんか」

「な、何を言っているのです!? 相手は賊ですよ! それにこのままではアイリス様が!」

「大丈夫です。僕の予想が正しければ、彼らはアイリス様に危害を加える事はしない筈ですから」

「兵士や冒険者が何人も重傷を負っているのですよ! 今の所は死人は出ていないが、奴らがアイリス様を手にかけないとは思えない!」

「クレア、落ち着いてください」

 

 戦意の無いキョウヤにクレアが食ってかかり、それをレインが諌める。しかしあなたを油断無く険しい瞳で見つめたまま。

 

「ミツルギ殿にはなにやら考えがある様子。……それに相手は雷速を容易く見切る相手です。業腹ですが、三人がかりでも無策では勝てるかは分かりません。ここはミツルギ殿を信じてみましょう」

「……ぐっ、くそっ! だがアイリス様に何かあったと分かったらすぐに私は出るぞ!」

「勿論です。その時は私もお供しますよ」

 

 剣を納めた三人が近づいてきた。

 戦意が無いのであればレインやキョウヤと戦う理由は無い。あなたが手を上げてキョウヤに挨拶すると、クレアとレインは呆気に取られ、キョウヤは苦笑いを浮かべた。

 

「久しぶり、というわけでもないか。つい昨日会ったばかりだからね」

「ミツルギ殿は黒衣の強盗と知り合いだったのですか?」

「危ない所を助けてもらいました。先ほどは言えなかったのですが、彼はエリス様の意を受けて動いている使徒です」

「エリス様の?」

「僕のグラムのような、しかし持ち主がいなくなった危険な神器を回収していると聞きました。目的の為には手段を選ばない、少し……いえ、相当に過激な面こそあれ、巷で言われているような賊の類でない事は彼に助けてもらった僕が保証します」

 

 キョウヤの説明にいぶかしむ目つきであなたを睨む両名。

 間違ってはいないが、神器回収活動の根底にあるものが純然たる物欲であるあなたとしては、キョウヤの物言いは若干居心地が悪くなるものだった。

 

 

 

 ――お、お頭! ビビってないで早く目的を果たさないと!

 

 ――びびびびビビってませんけど!? この私がどうやって怖気づいたって証拠ですよ!! でもこれはこの国の為にやってる事ですからね! 人には言えないけど正しい行為ですよね!! 話せば分かってもらえるかもしれません! 人には言えないですけど!

 

 ――そうですねお頭! 俺達は王女様がとんでもなく危険なアイテムを身に着けているから回収しに来ただけですもんね! ちょっと兵士をぶっ飛ばしたり昏倒させたりしたけどこれは世界平和の為だから! 目的達成の為の致し方ない犠牲、コラテラルダメージだから! 死人は出てないからギリギリセーフ!

 

 ――本当はこの国の人たちが気付いて封印してくれるのが最善だったけどダメだったから仕方なかったんですよ! それに最初は穏便に行くつもりだったんです、本当です、嘘じゃありません! でも私達が今日ここに来なかったらこの国や王女様が絶対大変な事になってましたよ! お頭嘘つかない!

 

 ――大丈夫ですかお頭! さっきから言葉遣いがバグりまくってますよ!

 

 

 

 廊下の奥から、カズマ少年と女神エリスの大声が聞こえてきた。

 若干シリアスに偏っていた空気をぶち壊す、凄まじい説明口調だ。二人は何をやっているのだろう。

 

「…………えっと、つまりはそういう事でいいのかな」

 

 二人の声を聞いたキョウヤは大体の事情を察してくれたようだ。理解が早くて助かる。

 

「おい貴様! アイリス様が危険というのはどういう事だ! 説明しろ!!」

 

 今にも剣を抜いて襲ってきそうなクレアに、あなたは今回自分達が王城に殴りこみをかけるに至った経緯と、どこかの貴族に買われ、王女の手に渡った神器の効果を簡単に説明する。

 

「レインさん、神器の効果については?」

「……事実です。今日の昼、アイリス様がサトウカズマ殿と入れ替わったと聞きました」

「その時に万が一が起きてたらと思うと、ぞっとしないな……」

「か、仮に貴様の説明が全て事実だとして! 何故報告の一つも寄越さなかった! 我々とて聞く耳を持たないわけではない! ここまで騒ぎを大きくする理由は無いだろう!」

 

 王城を騒がせ重傷者を多数出した件については謝罪する他無い。

 事情はどうあれ、間違いなく銀髪強盗団には多額の懸賞金がかけられるだろうが、それを止めろと言う気も無い。

 

 だが、あなたが腰を上げれば重傷者が多数出ると理解してなお、女神エリスはこの国の貴族に神器の情報を渡すのを良しとしなかった。いっそ頑ななまでに。

 彼女は国中の貴族が神器を狙うと断言していた。権力者であればあるほど永遠の命を欲するものであり、例えそれが勇者の血を引く王族であろうとも例外ではないとも。

 女神エリスはこの世界の人間を愛しているが、この国の貴族は信用していない。だからこそ信頼のおける者だけを使って事を起こした。

 あなたからしてみればそれが答えであり、全てだ。

 

「…………っ」

 

 クレアはこの国の貴族だ。あなたも多くを見てきたわけではないが、この国にいるのが清廉潔白な貴族ばかりだとは口が裂けても言えない。彼女も心当たりが無いわけではないのだろう。なんなら例の嘘に反応する魔道具を用意してもらっても構わないとあなたが告げると、あなたの話がどこまでも真実だと理解してしまったのか、クレアとレインは押し黙ってしまった。魔道具の信頼度の高さが窺える。

 自身が信仰している女神から貴女達は信用できないと言われたのに等しいのだから、落ち込む気持ちは分からなくない。

 

 あなたが彼女達の立場だった場合、無念のあまり己の心臓を捧げてお詫びするだろう。

 というか実際に一回やった。

 

 別に役立たずと言われたわけではないのだが、捧げ物である甘味の量が物足りないと言われた事があったのだ。

 生贄を要求する邪神じゃあるまいし、大事な可愛い信者に自殺とかされても私は喜ばないからそういうのは止めなさいと、這い上がった後で滅茶苦茶怒られてしまったわけだが。あなたの信仰が更に深まった瞬間である。

 

 

 ――回収したよ共犯者クン! あたし達は一足先に脱出するからキミも早く!

 

 

 重苦しい沈黙の中、女神エリスの大声が届き、数秒後、派手な水音が二つ聞こえた。

 次いで、王女アイリスの部屋から女神アクアが飛び出てきた。

 赤い顔で呆けているめぐみんと頭を抱えているダクネスを引っ張っている。

 

「あ、ここにも曲者がいるじゃない! アンタ達は王女様が持ってた首飾りのマジックアイテムを狙っていたみたいだけど、残念だったわね! 悪用できないように私がちゃんと封印しておいたわ! 分かったら潔くお縄につきなさい!!」

 

 女神アクアはあなたの話に更なる説得力を持たせてくれた。

 今度奉納するお酒には色を付けておこう。

 

「エリス様、不甲斐ない私をお許しください……」

「お許しください……」

 

 クレアとレインが更に沈んでしまった。

 今にも座り込んで指で床に字を書きかねない勢いだ。

 完全に戦闘不能である。

 

「魔剣の人、何ぼけっと突っ立ってんの!? 早く捕まえて! そいつ曲者よ!」

「え、えーっと……ごめん、じゃあ、そういうわけだから……」

 

 キョウヤがグラムを構えた。

 横目で兵士がいない方をチラ見して、あなたに襲い掛かってきた。

 

「覚悟しろ曲者め! 僕の渾身の縦切りを受けてみろ!!」

 

 危うく噴出しかけたあなたを誰も責めることはできない。

 誠実なキョウヤはどこまでも腹芸に向いていなかった。

 常の彼であれば考えられないへっぽこな縦切りを回避して軽く足払いをかける。わざとらしい悲鳴をあげて転倒するキョウヤに今度こそ笑い声を漏らし、あなたはそのまま逃走を開始した。

 

「ちょっ、何やってんの!? もしかしてダクネスのアンポンタンが移っちゃったの!?」

「す、すみませんアクア様。ですがこれには深いワケが……」

 

 女神アクアに説教されるキョウヤに心の中で謝罪しながら、あなたは王城の外壁をぶち破って夜空に躍り出た。

 叱責という形とはいえ、自身が信仰する女神に構ってもらえたキョウヤが嬉しそうだったのは多分気のせいだろう。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、王国とあなたの命を脅かしていた危険な神器は女神エリス率いる銀髪強盗団の手によって回収された。

 ただ、王城から合流した後で聞いたのだが、女神エリスとカズマ少年は王女アイリスの部屋で遭遇したダクネスに正体を見破られてしまったらしい。

 芋蔓式に自分もダクネスに身バレするのだろうかと思っていたあなただったが、依頼の報酬代わりとしてあなたの正体に関しては絶対に口を割らない事を女神エリスは約束してくれた。ダクネスの折檻を想像して半泣きだったがありがたい話である。

 

 

 

「ご主人、飯ができたそうだぞ」

 

 あなたが自室で作業を終えて一息ついていると、ベルディアがやってきた。

 椅子から立ち上がると、彼は机の上の封筒を目ざとく見つけた。

 

「何が入ってるんだ? サイズからして本っぽいが」

 

 ベルディアの予想通り、封筒の中身は本である。

 あなたは数日ほどかけてボロボロだった一冊の本の修繕作業に励んでおり、先ほどやっとそれが終わったのだ。

 後はこれを届けるだけである。

 

「差出人は……誰だこれ。いや、本当に誰だ」

 

 あなたのように報酬も無いままに行動を共にし、一時は生死の境を彷徨った少年を思う。

 彼はあなたとパーティーを組み、同じ仕事をした仲だ。多少の報酬はあって然るべきだろう。

 まだところどころ痛みは残っているが、可能な限りの修繕は施したし、しっかり読めるようになった。少しでも喜んでくれるといいのだが。

 差出人の欄に『エセ忍者あらため忍者(本物)』と書かれた封筒を見返し、あなたは笑った。



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第99話 平穏な日常

 後にベルゼルグ国の歴史書に残る事になる、銀髪強盗団による王城での大立ち回りおよび神器奪取の一件から暫く経ったある日の事。

 アクシズ教の聖地であるアルカンレティア、その中でも一際目立つアクシズ教の本部の教会にあなたはやってきていた。

 

「お久しぶりです。その節はどうも」

 

 あなたを出迎えたのは、顔見知りでもある高位信徒のシスター、トリスタンだ。

 挨拶もそこそこに、ゼスタへの取次ぎを申し込む。

 

「失礼ですがアポイントメントはお取りになられていますか?」

 

 予想外の返答にあなたは言葉を詰まらせた。面会の予約などしているわけがない。

 しかし言われてみればなるほど、人柄が人柄なのであなたはこれっぽっちも意識していなかったが、あれでもゼスタはアクシズ教の最高責任者。例え大衆や魔王軍からの認識がカルト宗教にドハマリしたはた迷惑なマジキチ集団のトップに位置するイカレポンチなのだとしても、彼はあなたと違って大変立場のある人間なのだ。

 幸いにしてあなたの用事は急を要するものではない。手紙で前もって伝えておくべきだったと若干反省しつつゼスタの都合のいい日を聞いてみたあなただったが、トリスタンは事もなげにこう言った。

 

「いえ、アクシズ教はそういうめんどくさいのは嫌いなので基本的に誰でもウェルカムですしゼスタ様は基本的にいつも暇を持て余して遊びふけってますのでいつでも会えますよ。まあウェルカムと言っても狡猾、淫乱、卑劣、残忍の代名詞ことエリス教徒は別ですがね。ちなみに今のはちょっとアポイントメントって言ってみたかっただけです。そこはかとなくイケてる響きですよね、アポイントメントって」

 

 どうやらあなたはからかわれていたらしい。しかし今すぐゼスタに会えるというわけではないようだ。

 

「ゼスタ様はエリス教徒の衛兵の女性にセクハラをして留置所に入れられています。そろそろ帰ってくる頃合だと思いますので御用があるのでしたら適当に応接室でお待ちください。お茶は自分で淹れてくださいね」

 

 仮にも最高責任者が不祥事を起こしているというのに、彼女のそれは日常茶飯事だと言わんばかりの対応である。実際日常茶飯事なのだろう。

 

「それではこちらの名簿に本日の日付とあなたのお名前を記載してください。あとこちらにも……ああっ、なんて事をするんですかこの不信心者! アクア様の罰が当たりますよ!!」

 

 右手で名簿に記載しながら左手で入信書を丸めてゴミ箱に放り投げたあなたに、トリスタンが非難の声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 女神アクアの肖像画や石膏像、サイン入り色紙、格言集がところせましと飾られた、なんともアクシズ教らしさに溢れた応接室。

 自宅の隠し部屋にも似た雰囲気に若干の居心地の良さを感じながら、あなたはここに来る途中で購入した新聞をテーブルの上に広げる。

 紙面をデカデカと飾っているのはここ最近国内で話題沸騰中の銀髪強盗団についてであり、ご丁寧に似顔絵まで描かれている。あなた達は三人とも素顔を隠していたので似顔絵が出回ってもどうという事は無いのだが、もう少し腕のいい絵師を捕まえられなかったのかと苦言を呈したくなってくる程度には肝心の似顔絵があまり似ていない。

 

 その銀髪強盗団だが、王城を襲撃したカズマ少年と女神エリスはあなたと同じく異名持ち(ネームド)の賞金首になった。仲間が増えてあなたもホクホク顔である。

 なお、各人に付けられた異名および賞金は以下のとおり。

 

 仮面の道化(カズマ少年)、7000万エリス。

 黒衣の強盗(あなた)、1億5000万エリス。

 銀髪の首領(女神エリス)、2億エリス。

 

 強固な結界で護られた王城の宝物庫を荒らし、高レベル冒険者が幾人も詰めていた厳重な警備を正面から蹴散らして重軽傷者を量産しながらも死人は一人も出す事無く、更には王女アイリスの喉元にまで迫って王女が身に着けた物品を強奪。ついには見事に逃げおおせるという、前代未聞の狼藉と常軌を逸した戦闘力とその危険度から、女神エリス率いる銀髪強盗団にかけられた賞金は三人合わせて4億2000万エリス。

 特に目立っていなかった女神エリスが最も高額な理由についてだが、これは悪名高い黒衣の強盗を擁する強盗団の首領である以上、黒衣の強盗以上の危険度を持っている筈だと予測されての事である。大体あなたのせいだった。ちなみにあなたの賞金額は事件の前後で三倍近くに膨れ上がっている。

 覚悟していたとはいえ、現実は自身の予想を遥かに上回っていたのか、世界の平和の代償として自身の首にかけられた懸賞金の額を知った女神エリスのうめき声と泣き言が電波で飛んできたのはあなたの記憶にも新しい。貧乏くじを引きがちな幸運の女神に幸あれ。どうか強く生きてほしい。

 

 だがこの件に関して起きたのは、女神エリスにとって決して悪いことばかりではない。

 王家の名の下に王都の貴族に大規模なガサ入れが行われたのだ。

 名目は銀髪強盗団捜索の為だそうだが、あなたがクレア達に話した、王女に神器を贈ったという貴族を見つけ出すのが目的なのは明らかである。特に敬虔なエリス教徒の聖騎士にして王女アイリスを崇拝するクレアが振るう辣腕は鬼気迫るものがあるようで、王都から遠く離れたアクセルにまで彼女の噂が聞こえてくるほど。

 

 それでなくとも今の王都は魔王軍のせいで厳戒態勢が敷かれている以上、ほとぼりが冷めるまで王都での神器回収は暫くできそうにない。

 あなたが残念に思っていると、応接室の扉が勢いよく開け放たれた。

 

「お待たせしました! ついに私の想いを受け入れてくださると聞いて駆けつけましたぞ!」

 

 満面の笑みで開口一番世迷言を吐く破戒僧。何度熱烈なアプローチを受けようとも、ゼスタが男で異教徒である限りあなたは彼を受け入れる気は無い。恐らくトリスタンが嫌がらせで適当な事を吹き込んだのだろう。いい迷惑である。

 挨拶もそこそこに本題に入るべく、あなたはポーションを取り出した。

 

 これはウィズの店のポーションに女神アクアが指を突っ込んで浄化してしまったものだ。はっきり言ってしまうとただの水なのだが、それはそれとして女神アクアの祝福を受けている。

 あなたの説明を受けてゼスタは苦笑いを浮かべた。

 

「全く……幾ら我らがアクア様を信仰しているとはいえ、アクア様縁の品であれば何でもかんでも喜んで飛びついてくると思っていませんかな? こちらに好きな金額を書いてください」

 

 小切手とペンを差し出すゼスタは朗らかに笑いながらも目だけが本気だった。

 言い値で買おうとする彼の気持ちは痛いほどに理解できたが、あなたとしてはこれは本命の前の前座に過ぎない。いわば好感度を上げるための心づけである。

 

「私のあなたへの好感度は既に上限を突破していますが」

 

 両性愛者のおぞましい妄言を無表情で聞き流し、次にあなたは小さな宝石箱を取り出して開封する。

 中から出てきたそれは一見すると何の変哲も無い、どこにでも売っているようにしか見えないごく普通のハンカチだ。実際に市販の安物であるし、断じて小奇麗な宝石箱に入れるようなものではない。

 何より透明な粘性の液体でべちょべちょになっていて普通なら触ることすら遠慮するであろう代物だ。さっさと洗えと怒られても文句は言えないだろう。

 

「こ……これはまさか……!?」

 

 しかしそんな洗濯物を前に、ゼスタの反応は劇的だった。流石に敬虔な信徒だけあってこれが何かを一瞬で看破したようだ。

 王都防衛戦であなたが手に入れた、彼の信仰対象である女神アクアの涙と鼻水と涎がこれでもかといわんばかりに染み込んだ安物のハンカチを前に、キレッキレの三回転半ひねりを加えたジャンピング五体投地をかまし、ありがたやありがたやと拝み始めるアクシズ教徒筆頭。無論彼が拝んでいるのはあなたではなくてハンカチである。

 ハンカチは入手してから今日まで四次元ポケットに突っ込んだままだったので一度も洗っておらず、聖痕もびちょびちょ具合も当時のまま。あなたにはこれっぽっちも感じられなかったが、案外女神アクアの神性の名残が残っていたりするのかもしれない。

 

「まさか、まさか私の代にしてアクア様のご尊顔を拝謁する栄誉を得るだけでなく、このような物を目にする日が来るとは……」

 

 若干大げさすぎる気がしないでもないが、これはあなたとゼスタの信仰対象への距離が原因だ。

 ゼスタはあなたやあなたの友人達と同等の狂信者だが、しかし信仰する神との距離については雲泥と呼ぶことすらおこがましいほどの差がある。

 

 女神エリスと同じく、女神アクアは自身の信者を等しく愛している。そこに疑いを挟む余地などあろう筈もない。

 しかし、全ての信者を等しく愛しているが故に、あなたと同等の狂信者であるゼスタもまた、彼女にとって特別な信者ではない。自分の信者の中で一番偉い人、くらいの認識だ。

 

 一方、あなた達にとって信仰する神はこの世の何よりも尊く特別な存在であるが、筆頭信徒であるあなた達は神と日常的に電波でやり取りを行っているし、定期的に自宅に降臨してもらっている。

 神が家族などとは畏れ多すぎて口が裂けても言えないが、それでもノースティリスの廃人達にとって神という存在が非常に身近なものである事は事実だ。はっきりと言ってしまうと、あなた達は神に贔屓されている。あなたも癒しの女神の寵愛を受け、死後を確約されている身として、それくらいは強く自覚している。

 

 ゼスタが女神アクアと顔を合わせたのは先日の旅行が生まれて初めてになるのだという。手紙の中でそう言っていた。女神アクアが殆ど事故のような形で人界に落ちてこなければ、彼が女神アクアにまみえる事は終生叶わなかった筈だ。

 そんな彼が女神アクアの体液がこれでもかとばかりに染み込んだ物品を目の当たりにしたのだから、この反応はさもあらんといったところか。

 本人に会った時にリアクションが大人しかった理由だが、当時の女神アクアが女神ではなく一介のアークプリーストとして振舞っていたからであり、実際は今のように這い蹲って聖句を唱えるのを鋼の精神力で我慢していたらしい。

 

「その布に染み込んだ聖痕(スティグマ)を見ているだけで、アクア様が数多の逸話に残されているようにぎゃあぎゃあと泣き喚き、顔中から尊い体液を垂れ流すお姿が目に浮かぶようですぞ」

 

 拝むのを止めたゼスタがハンカチに向けた感想は核心を突いたものだった。流石の慧眼だと言わざるを得ない。

 

「あなたがこれをどのような経緯で手に入れたのかは問いますまい。しかしこれほどの秘宝となると、我々も対価として何を差し出せばいいのやら……具体的な条件は他の信徒と話し合う必要がありますな。それまではさしあたって、私の体を好きにしてもらうという形で我慢していただきたいのですが」

 

 冗談だと理解はしているものの、その必要はないときっぱり断っておく。最早罰ゲームを通り越してただの罰である。

 まあ分かっていましたが、と真剣な表情で悩むゼスタ。

 あなたとしては別に現金でよかったのだが、どれだけの大金を積んでも女神アクアの体液が染み込んだハンカチには換えられないと考えているようだ。

 これが癒しの女神のものだった場合、自宅に宿泊した女神の上着や下着を洗濯した経験を持つあなたは信仰を深め、ゼスタのように拝んだ後で普通に洗濯する。

 なお筆頭信徒に下着を洗濯されたと知った女神は「バカ! バカバカバカ! バカじゃなかったら変態よ!」とあなたに不可視の腹パンを決めた。その時の女神の表情を見れたこと、そして直々に罵倒していただいた挙句どてっぱらに綺麗な風穴を開けてもらえたのは、あなたの長いようで短い人生の中で指折りの自慢話である。

 女神のパンツは回収しなかったのか、という疑問は当然出てくるだろう。しかしあなたがどれだけ頼みこんでも所持は許可されなかった。信仰する女神に窃盗などもっての外。世の中にはやっていい事と悪い事がある。そもそも電波で繋がっている以上普通に露見する。そうなれば少なくとも一週間、女神はあなたに口を利いてくれなくなってしまうだろう。

 

 その後、感極まったゼスタがハンカチを口に含もうとした所をトリスタンが抜け駆けは許さないと渾身のドロップキックで阻止。すったもんだの末にハンカチの扱いを巡ってアクシズ教の幹部による緊急会議を行うとのことで会談はお開きになった。

 ハンカチは先払いで渡しておいた。アクシズ教徒には至宝だとしても異教徒のあなたには洗濯物でしかないし、このまま持ち帰ると告げた場合襲い掛かってきそうな熱意を感じたのだ。

 アクシズ教は受けた恩は必ず返すし受けた仇は百倍返しする集団なので、何が貰えるのかあなたは今からとても楽しみだった。

 

 

 

 

 

 

 ちょっとした交易を終えた気分に浸りながら、アルカンレティアから帰ってきたあなたはアクセルのはずれを流れる川のほとりで釣り糸を垂らす。なんとなく海の幸が食べたい気分だったのだ。

 内陸部に存在するアクセルにおいて、海産物とは早々お目にかかれるものではない。サンマは畑で収穫できるが、以前のように町のど真ん中でマグロを釣り上げようものなら祭は不可避であり、だからこそ町外れで細々と釣りに興じていた。

 

「なんで俺はご主人と普通に川釣りなんぞやってるんだ」

 

 あなたの隣で木箱に腰掛けている、仲間になって8ヶ月目の新参ペットが唐突に口走る。

 休日であるにも関わらず、昼過ぎになっても酒場にもサキュバスの店にも行かず、自宅のリビングで暇そうにマシロを撫でていたところを誘ったのだが、釣りは嫌いだったのだろうか。

 

「いや、嫌いではない。だがご主人の事だからてっきりわけの分からんものを釣りにでも行くのかと。あと俺を誘うくらいならウィズを誘えウィズを。何ならゆんゆんでもいい。絶対食いついてくるぞ。むしろ入れ食い状態。釣りなだけに」

 

 ウィズは現在ゆんゆんと勉強中なので邪魔をするわけにはいかない。

 今日の勉強内容はドラゴンの生態や飼育、竜騎士の逸話など。

 当初は私がドラゴン使いになるなんてムリッスムリッスデキッコナイスと逃げ腰になっていたゆんゆんだが、今ではドラゴンを従えるべく意欲的に修行に取り組んでいる。師匠二人があまりにもノリノリなので諦めたともいう。退路を絶たれたゆんゆんは強いのだ。下手人が友人にして師というのは救えない話だが、廃人を目指すのであれば退路が無いなど日常茶飯事である。

 

「もうすぐ遠征に出るんだったか? わざわざ竜を捕まえるために別の大陸まで足を伸ばすとかご苦労なことだ」

 

 ダンジョンを徘徊しているような一山幾らの低級ドラゴンではなく、知恵と強い力を持つ竜たちが住む巣は海を渡った先の大陸にあるのだという。年若いゆんゆんは勿論、あなたもまた今回が異世界における初めての渡航になる。

 ゆんゆんの冒険者としての経験を積むいい機会なので、今回ばかりはテレポートサービスで行程の大半を短縮するつもりは無かった。可愛い子には旅をさせろとはよくいったものだ。

 

「ドラゴンズビークに巣が残ってりゃ楽だったんだがな。なにせ紅魔族の里のすぐそばにあるし」

 

 紅魔族の里は霊峰ドラゴンズビークと呼ばれる山の麓にある。

 その名が示すとおり、かつては紅魔族の里の近くにも竜の巣があったのだという。正確には竜の巣が近い場所に里を作った。ドラゴンキラーってなんかカッコよくね? という、ただそれだけの理由で。

 しかし頻繁に襲撃してくる紅魔族の集団に辟易した竜達は夜逃げしてしまい、今はドラゴンズビークという名前だけがかつてそこに竜が存在したことを示している。

 

「ドラゴンが夜逃げとかどうなってるんだか。やっぱ紅魔族って頭おかしいわ」

 

 この世界の歴史上、最も多くのドラゴンの骸を積み上げているドラゴンスレイヤーが他人事のように言う。

 赤い瞳は流れる水面をじっと見つめているものの、その実何も映してはいない。

 休日の習慣と化していたサキュバスの店や酒場に足を運んでいない事もそうだが、今日のベルディアはどこか覇気が無い。発言にもいつものキレが無いあたり悩み事でもあるのだろうか。

 

「まあ……悩みと言えば悩みになるのか」

 

 いい機会だから、と前置きして、ベルディアはあなたに相談事を持ちかけてきた。

 

「仕事がしたいんだがいいか? 金を稼ぎたいんだ」

 

 予想だにしない発言に目を丸くする。

 あなたはアンデッド、そして元魔王軍幹部だと露見しない範囲内であればベルディアの行動を阻害するつもりはないし、休みの日は彼の好きにすればいいと思っている。

 しかし金が欲しいと言うが、あなたは仲間(ペット)の面倒を見るのは主人として当然だと考えており、ベルディアにも酒場やサキュバスの店で多少散財しても困らない程度の小遣いを毎月渡していた。まだ極貧時の感覚を引きずっていた頃のウィズが「それって何年間分のお小遣いなんですか?」と素で聞いてくる程度の額だ。

 それでも足りないというのであれば理由次第で都合しなくもないし、その旨も本人に伝えている。だというのに、どうしてわざわざアルバイトで小銭稼ぎをしようというのか。

 

「小遣いといっても結局はご主人の金だろうに」

 

 嘆息交じりの返答は、まったくもって言葉が足りていなかった。

 他のペットと違い、付き合いが一年にも満たないあなたとベルディアでは以心伝心とはいかない。

 しかしあなたには長年の冒険者生活で培ってきた経験則がある。それによると、ベルディアはサキュバスの店に入り浸って豪遊したせいで借金をこさえてしまったのだ。

 美人の娼婦に入れあげて素寒貧になるというのは大して珍しくもないが、女遊びで身を持ち崩すのは褒められた話ではないとあなたは軽く忠告しておいた。酒も女もほどほどにしておくべきだ。主人としてのせめてもの慈悲として、ウィズとゆんゆんには内緒にしておこう。

 

「そういうところだぞご主人。分かるかーそういうところだぞー」

 

 肩を竦めてやれやれ、といった風に説教を始めた。

 ご主人に常識を教えるウィズの気苦労が垣間見えるだの、人の心が分からないから面倒ごとを引き起こすんだだのと、ここぞとばかりに言いたい放題である。

 このまま放っておくといつまでも説教を続けそうなので適当に切り上げさせ、理由を話すように促す。

 

「俺は別に借金をこさえたわけでもサキュバスに貢いでいるわけでもない。ただどこからどう見ても今の俺は無収入の脛齧りとしか言いようがないだろう? 狩った竜の素材を換金できればいいんだがそうもいかんし。飯、酒、女、宿。これら全部の金を工面してもらってる今の俺はどれだけ言い繕っても人間の屑で細長いアレだぞ、細長いアレ」

 

 今のままだとヒモだから何の気兼ねもなく自分で好きに使える金が欲しかったらしい。

 金銭ではなく、自尊心から来る問題。こればかりはあなたがどれだけ小遣いを渡して手助けしようとどうにもならず、むしろ逆効果でしかない。

 

「犬や猫じゃないんだから、遊ぶための金くらい自分で汗水垂らして稼ぎたいわけだ。自慢じゃないが前の職場(魔王軍)での俺は普通に高給取りだっただけに尚更。ここまで話せばいくらご主人が共感性に乏しくて人の心を理解できない人間の形をした何かでも分かるよな? これで分からんとか言われたら俺はいい加減匙を投げるからなマジで」

 

 ペットの新しい一面を垣間見たあなたは、そういう事ならばと頷く。

 仮にウィズに「今日からは私があなたの面倒を見ますから、お小遣いが欲しかったらいつでも言ってくださいね」などと言われた日には、あなたはナイスジョークと笑い飛ばすだろう。最悪精神操作を受けている事すら考慮しなければならない。

 それはさておき、ベルディアは高位アンデッドであるデュラハンにして元魔王軍幹部だ。冒険者カードは当然作成できないし、終末狩りもあるのでできるのは日雇いの仕事がせいぜいだろう。元騎士を自称する本人のプライド的に大丈夫なのだろうか。

 

「このままヒモとして生きていくよりマシだ。ずっとずっとマシだ……っと、引いてるな」

 

 竿を引くベルディア。

 あなたのようにノースティリス産の釣竿を使っているわけでもないのに、すごいものが釣れた。

 

「なんだこれ……本当になんだこれ!?」

 

 ベルディアが釣りあげたのは鯉だった。

 マシロのように真っ白な、二メートルほどの立派な体躯を持つ雄大な鯉だ。

 この世界には鯉が滝を登ると竜になるという逸話が存在する。常識で考えれば不可能だが、この鯉なら滝登りすら容易く成し遂げることができるのではないだろうか。

 

「マシロをこんなゲテモノと一緒にしてやるな! あと首から下を見て物を言えよ!!」

 

 地面の上でビダンビダンと大きな音を立てながら跳ねているのは魚人、もとい鯉人とでも形容すべきナマモノだ。

 首から下は筋骨隆々のマッチョマンで、首から上は普通の鯉。全身真っ白なので白い鯉人。

 合体事故である。

 

「ぎょ、ギョ魚ぎょ」

「やかましい! しれっと目線とポーズ決めやがって! 動きが気持ち悪いんだよ!」

 

 地面を跳ねながら逆三角形の肉体美をアピールする様がよほど正視に堪えかねたのか、ベルディアが鍛え抜かれた腹筋に蹴りをお見舞いして白い鯉人を川に送り返すも、今度は水面から美脚が顔を覗かせる。まるで水中で踊っているかのように優雅な足捌きだ。

 

「アン・ドゥ・トロワ!」

「失せろ!!」

 

 怒声と共に思い切り木箱をぶつけると、今度こそ鯉人は忽然と姿を消した。

 この川の水深は三十センチにも満たないものであり、水が澄んでいることもあって目を凝らすまでもなく川の中が覗けるのだが、鯉人は文字通り綺麗さっぱり消失してしまった。

 そもそもどこにあれほどの大物が潜んでいたのか。どうやって足だけを出していたのか。異世界は今日も謎と理不尽に満ちている。

 

「なんだったんだ今のは……俺も大概長生きしてるが、あんな怪生物(ゲテモノ)は初めて見たぞ」

 

 現地人のベルディアですら知らないとなると、あるいは最近になって魔王軍の実験で生み出された悲劇の実験生物だったのかもしれない。

 

「困った時の魔王軍みたいなノリでなんでもかんでも押し付けるのはやめろ。マジでやめろ」

 

 少なくとも希少な生物ではあったようだ。

 モンスターボールの在庫が無いことが悔やまれる。

 

「仲間にしたかったのか!? あれを、本気で!?」

 

 ショックを受けている様子だが、何か問題でもあったのだろうか。

 

「問題っていうか、俺としてはあんなのと一緒にしてほしくないというか。あんな変態と肩を並べてやっていける自信がこれっぽっちもないというか」

 

 筋肉は中々のものだったが。ベルディアの蹴りを食らって生きていたのでタフネスも高そうだ。

 

「誰も筋肉の話はしていない。……そういえば今まで気にしたことがなかったんだが、ご主人の仲間って俺以外にどんなのがいるんだ?」

 

 自身の自慢のペット達の説明をしようとした折、あなたはベルディアが異世界まで憑いてきたペットと一度も顔を合わせていない事に気がついた。

 周囲に人気も無いしちょうどいい機会だと、あなたは四次元の中の日記の中身に声をかける。ただし本格的な顕現はさせない。

 

「仲間は一人だけ自分と一緒にこっちに来てる? 俺は今まで一度も見たことが無いんだが」

「うん、だって私はいつもお兄ちゃんと一緒にいるからね」

「!?」

 

 突如として背後に出現した気配と声にばっと振り向くベルディア。

 血を連想させる真っ赤なワンピースを着た緑色のツインテールのクリーチャーがそこにいた。

 ニコニコと佇む妹の幻影にノイズは走っておらず、もはや実体と区別がつかない。コロナタイトのエネルギーが馴染みきった証拠だ。

 幻影を現出させられる時間は一日に三分にまで伸びた。これ以上は今のところ伸ばせそうにないらしい。

 

「私はお兄ちゃんの妹だよ! 同じお兄ちゃんのペット同士、仲良くしようねおじちゃん!」

「お、おう……よろしく」

 

 差し出された白く小さな手を握り返すベルディアは妹に戸惑っている。知らないというのは幸せだとあなたは思った。

 正気が狂気な妹が大人しく愛想がいい理由だが、これは新入りであるベルディアがあなたの仲間であると同時に大人の男であり、自身の妹ポジションを脅かさない者だと理解しているからだ。めぐみんやゆんゆんがペット入りした場合はこうはいかない。ベルディアがトチ狂って自身を妹と言い始めた場合も同様に。

 他にはあなたの最初の仲間である少女を目の上のたんこぶとして激しくライバル視しているのだが、肝心の少女がこの世界にいない以上あまり関係のない話だろう。ちなみに妹が仲間になったのは二番目である。

 

 軽く顔合わせを終えた後、ベルディアがあなたを見る目には少しだけ軽蔑の色が混じっていた。

 

「あまり深く突っ込んでこなかったが、実際にペットとか自称されると最高に犯罪臭がやばいぞ。こんな小さいのをペットって駄目だろ、色んな意味で……一応聞いておきたいんだが、性的な意味でのペットじゃないよな?」

「私はそれでもいいよお兄ちゃん!」

「オイオイオイ泣くわウィズ」

 

 仲間の呼称についてはとうの昔にウィズに散々説教されて聞き飽きていると強制的に打ち切った。

 妹は愛玩動物ではない。立派な戦闘要員であり、あなたのパーティーの切り込み隊長だ。

 

「すまん、今まで散々サイコだのキチガイだの言ってきたが、今回ばかりはちょっと冗談抜きでご主人との付き合い方を変えたほうがいい気がしてる。お前()はそれでいいのか?」

「いいよ、ばっちこいだよ! お兄ちゃんの溢れんばかりの愛をヒシヒシと感じるよ! 本当に使えない奴はお兄ちゃんは捨て駒にすらしないからね!」

「ああ、確かにそんな感じがするわ……」

 

 ベルディアはあなたに猜疑の視線を送ってくる。魔王軍幹部だった頃の彼は弱者や非戦闘員に手を出さないという人道的な面を持っていた。

 そんな彼からすると、見た目だけはか弱い女の子な妹を平然と戦わせようとするあなたに思うところがあるのかもしれない。

 ベルディアが勘違いするのも無理はないが、忘れてはいけない。あなたをして持て余す本性を別にしても妹もまた廃人(あなた)が信を置く仲間の一人であり、魔法や装備の補助抜きのあなたと同等の戦闘力を持つ者であるという事を。

 速度も当然2000に至っているが、今は半身をノースティリスに置いてきているので1000が限界だそうだ。幻影状態では更に半分になる。装備も全てあちらに置いてきているので直接的な戦闘力にはあまり期待できないが、奇襲要員としては十分だろう。

 

「嘘くせえ……」

 

 これ以上は実践したほうが早いだろうと、あなたは妹に向けて足元の拳大の石を何個か放る。

 妹の右手がぶれたかと思うと、パパパパン、という軽い音とともに石は粉々に砕け散った。

 

「うーん、やっぱりこの姿(幻影)だと調子が出ないや」

「あ、うん、もういいわかった。間違いなくごすの同類だわ。俺が悪かった」

 

 一緒にしないでほしい。

 あなたは切実にそう思った。

 

「やだもー! 兄妹が似てるのは当たり前でしょ! そんなに褒めても私に出せるのは包丁くらいしかないんだからねっ!!」

「うおおおおおおおおあぶねええええええええ!!」

 

 眉間に目掛けて放たれた赤い弾丸(包丁)をベルディアは気合で避ける。

 殺意も無く冗談のようなノリで自身を殺しにきた妹を呆然と見つめるベルディアは死んでも大丈夫とはいえノースティリスの者ではない。他のペットや自分の友人達に向けるノリで相手をするのはよくないと軽く小突く。てへぺろ、と舌を出す妹は軽く透けていた。

 

「あ、もう時間になっちゃった。おじちゃん、またお話しようね! 日記を使えばお兄ちゃんの話を一日中してあげるからね!!」

 

 やりたい放題やって消えていく妹は相変わらずフリーダムだった。

 背中が煤けているベルディアの肩を叩いて慰める。

 アレは自分が匙を投げる程度にはキレているので安心してほしいと。他のはもう少しまともだからと。

 

「……他にはどんなのがいるんだ。いや、泣いてねーし!」

 

 ショックだったのか、声は少しだけ震えていた。

 あなたのペットには妹の他に、敵を血祭りにあげて微笑む姿が印象的なごく普通の金髪少女。火炎瓶で火の海を作るのが得意な清楚系お嬢様。風よりも早く財布を抜き取っていく盗賊。ダメージを受けると分裂する害悪立方体。癒しの女神の護衛。友人お手製の、稼動するだけで(エーテル)を撒き散らす白い機械人形。冒涜的な触手の塊。その他諸々がいる。

 

「どう考えても魔軍とか百鬼夜行とかだろそれ!」

 

 あなたの友人達はそれぞれが機械系、イスと猫系、ゴーレム系といったように、ある程度自身に縁のある者でペットを統一しているのだが、あなたのペットはてんでバラバラである。

 そしてあなたのペットである以上、いつかはベルディアも百鬼夜行と自身が評する集団に加わることになる。

 

「うわああああああそうだったあばばっばばばばば」

 

 絶望の未来を幻視してガクガク震える新参ペットをあなたは励ました。

 他のペット達もベルディアと同じく数え切れない回数這い上がり、努力と鍛錬と三食ハーブと薬漬けの果てに能力の限界に達しているので大丈夫だと。

 

「いつもどおり大丈夫な要素が欠片もなくて逆にほっとする」

 

 何故か顰め面で吐き捨てられた。

 

 

 

 

 

 

 正午を回り、二人でウィズが持たせてくれた弁当を突いていると、河川敷に賓客がやってきた。

 

「あら? こんなところで奇遇ね」

 

 身バレすると問題があるベルディアは露骨に邪険にこそせずとも、めんどくさいのが来たとばかりに元同僚を一瞥するにとどめた。

 あなた達がいる河川敷は人気はおろか建物すらないアクセルのはずれであり、それこそ静かに釣りがしたい者でなければ訪れる場所ではない。釣り竿すら持っていない彼女は何をしに来たのだろう。

 

「私は人……人? 探し? うん、とりあえずこの辺で変な生き物を見なかった? って言っても分からないわよね。アレを口で説明するのはちょっと難しいから絵で描くわ」

 

 メモ帳にさらさらとペンを走らせること数十秒。

 女神ウォルバクは、頭部が丸ごと魚に入れ替わった大男を描いた。ご丁寧にムキムキで全身真っ白と注釈まで書かれている。

 

「ぶふぉっ!」

 

 絵を見たベルディアがパンを喉に詰まらせる。窒息は廃人すら殺す恐ろしいものだ。すぐさま茶を渡すとひったくって流し込んだ。

 さて、絵に関してだが見覚えがあるなどというレベルではない。変な生き物と言った時点で嫌な予感はしていたが、やはり彼女こそが先ほど遭遇したクリーチャーの生みの親だったようだ。なんという事をしてくれたのでしょう。めぐみんに爆裂魔法を授けて道を誤らせた人生の師なだけはある。

 

「こんな感じなんだけど、どう? 見覚えは……ねえ待って、お願いだからそんなこいつマジかよみたいな目で私を見ないで! 冗談で言ってるわけじゃないし頭がおかしくなったわけでも紅魔族のセンスにあやかったわけでもないから!」

 

 あなた達の圧倒的沈黙と目は口ほどに物を言うを体現する視線に耐えかねたのか、半泣きで弁明を始めた弱メンタルの邪神。しかしこれまでの付き合いや言動から鑑みるに、紅魔族のセンスは鯉人とは相容れないと思われる。少なくともめぐみんは鯉人を見て目を輝かせたりはしない。むしろドン引きする側だ。

 

「これはその、実験に失敗しちゃって……普通の鯉だったのに、何故か人間の胴体と手足が生えて逃げ出しちゃったの」

 

 白い鯉人は女神ウォルバク、つまり魔王軍幹部の実験で生み出された生物だった。実験に失敗したとはいうが、エーテルの影響でああなったとは思いたくない。メシェーラが関与しなければエーテルは無害なエネルギーなのだから。

 

「…………」

 

 なんでもかんでも魔王軍のせいにするなと言ったばかりのベルディアが、頭痛を堪えるかのように目頭を押さえている。お前は幹部の中でもまともな側だったと思ってたのにと言いたげだ。

 

「もし見かけるような事があったら捕まえて、いっその事その場で殺処分してくれても構わないわ。むしろそうして。キモいし。お礼はするから。じゃあね」

 

 男二人の冷え切った視線に耐えかねたのか、女神ウォルバクは鯉人の捜索に戻るべく、そそくさと立ち去っていった。

 ……さて、ベルディアは何か弁明があるのだろうか。

 

「あくまでもウォルバクの私的な実験だから魔王軍とは無関係。ノーカウントだ。いいな?」

 

 ベルディアがそう思うのならそうなのだろう。ベルディアの中では。

 

 

 ――ギョギョッギョー!

 

 ――なんじゃあこりゃあ!

 

 ――白っ! デカッ! キモッ!

 

 ――meと鯉しろオラァン!!

 

 ――ひいいいいキモい! なんかもう全部キモい!

 

 ――怖いよママー!!

 

 

 どこかから人々の喧騒と悲鳴が聞こえてくる。果たしてアクセルでは何が起きているのか。全く想像ができない。想像ができないので放っておこう。

 

「さて、釣りを続けるか。大物が釣れるといいな」

 

 そしてこの瞬間、あなたとベルディアは完璧な以心伝心を成功させる。

 自分達は何も見なかった。何も聞かなかった。だって今日はオフだし。のんびりさせてほしい。

 どこまでもわざとらしい爽やかな笑みを浮かべ、弁当を食べ終わったあなた達は再び竿を手に取った。

 

 

 

 ……そしてそれからおよそ十分後、町のすぐ外で爆音が鳴り響き、非常に強い揺れがあなたの元まで届いた。

 言うまでもなくめぐみんの爆裂魔法だ。振動から判断するに、地面か地面に近い場所に向けて魔法を撃ったようだ。

 めぐみんは普段はもっと町から離れた場所で爆裂魔法を使っている。町のすぐ傍で魔法を使うような理由があったのだろう。

 

 たとえば、町から逃げ出した頭が鯉の変態モンスターにばったり出くわすような理由が。

 

 振動に驚いて一斉に飛び立っていく鳥達を眺めながら、あなたはふと思った。

 恐らく消し飛ばされてしまった白い鯉人はどんな味がしたのだろうか、と。



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第100話 決別との再会

 異世界にやってきて二度目の夏、そしてゆんゆんとの旅が近づいてきたある日、あなたはまたしても女神エリスに呼び出しを食らった。

 呼び出しの理由だが、今回の仕事の総括や次の仕事の話がしたかったわけではなく、あなたに渡したい物があったのだという。クリスを介してではなく、女神エリスから直々に。

 エリス教徒であれば喜びのあまり発狂しかねない話だったが、異教徒であるあなたとしてはあまり大事にしてほしくないというのが正直なところだった。何より何度もエリス教の教会に足を運んでいるとエリス教徒だと非常に不本意な勘違いをされかねない。

 女神エリスとしてもそこは理解しているようで、よほど緊急の時以外は手紙を送るとあらためて言ってきた。

 さらにアイテムもこっそりと渡してくれるとのことだが、天界にいる彼女がどうやって下界にアイテムを送ってくるのか。

 

 ――届くといいんですが……えいっ!!

 

 掛け声とともに、跪いて祈りを捧げるあなたの目の前の、女神エリスを祀っている祭壇に小さな穴が開き、そこから何かが飛んできた。

 額目掛けて一直線に迫り来る気配を感じ取ったあなたは、目を瞑ったまま高速で飛来するそれを掴み取る。

 

 ――よかった、無事に届いたみたいですね。

 

 何が起きたのかと目を開ければ、あなたは直径5cmほどの白い石を掴んでいた。仄かに発光しているそれからは女神エリスの気配を感じる。

 この石が女神エリスが天界から投擲した物体のようだ。かなりの勢いで飛んできたので、当たっていたら少し痛かったかもしれない。

 それにしてもこれは何のための道具なのか、何の為に渡してきたのかという疑問が浮かぶ前に、女神エリスが石の説明を始める。

 

 ――それを今晩、寝る時に枕元に置いてください。そうする事であなたの魂が私の元に飛ぶようになっています。こうして交信するのではなく、直接会ってお話ししたい事があります。神器回収の協力者としてのあなた(冒険者)ではなく、水瓶座の門によって、遥か遠き世界より招かれたあなた(異邦人)に。

 

 クリスからあなたの話は聞いています、という続きの言葉はあなたの耳に入らなかった。

 死者を転生させる仕事をしている女神の元に魂を飛ばす。つまり死んでくれと言われているとあなたは解釈した。あまりにも性質の悪い冗談である。

 今のあなたはいのちだいじを旨にしている以上、万が一本気であれば女神エリスに反旗を翻す事すら吝かではない。何より、どれほど安くとも、信仰していない女神に捧げるような命はこれっぽっちも持ちあわせていないのだ。

 

 ――えっ、死!? ちちち違いますよ全然違いますよ!?

 

 不快の念と共にあなたが盛大に難色を示すと、電波を通じて剣呑な気配を感じ取ったのか、女神エリスは慌てて誤解ですと弁解を始めた。

 

 ――すみません、私の伝え方が悪かったみたいです。あなたの意識だけを一時的にこちらに招くだけで、誓って命に危険はありませんので安心してください。夢を見るようなものだと思ってくだされば。あ、ちなみにその石は使い捨てです。

 

 念の為に石に鑑定の魔法を使ってみると、確かに女神エリスの言うとおりの効力を発揮するアイテムだった。深読みしすぎていたらしい。

 自身の早とちりだった事を自覚したあなたは素直に謝罪した。

 そしてこれを使えば何度も女神エリスに会いに行けるというわけではないらしい。

 しかし、あなたにはわざわざ電波を飛ばしてアイテムを手渡してくる理由が分からなかった。

 仕事の手紙のようにクリスを介して物品を送ってくれば事足りるのではないだろうか。

 

 ――今回はあまりにも事が大きくなりすぎましたので、ある程度ほとぼりが冷めるまでは人目につかないように姿をくらませておくつもりです……と彼女(クリス)は言っていました。

 

 最後に取ってつけたように補足する女神エリス。神器集めだけでなく、クリスとしての冒険者活動もしばらくはお休みするようだ。

 例えアクセルに戻ったとしても、今は銀髪の盗賊職というだけで嫌でも他人の目を引き付けてしまうだろうから、それも致し方ない事なのかもしれない。

 なんといっても銀髪の首領にかけられた賞金額は2億エリスだ。生半可な数字ではない。

 魔王軍幹部の中で最も名の売れているベルディアが1.5クリス。斬鉄剣を手に入れた冬将軍が3クリス。天災と言われていたデストロイヤーが15クリスといえば、銀髪の首領および銀髪強盗団が想定されている脅威度がどれほど高いものなのかは容易に察することができる。

 

 ――あまりの誤解に私はほんともうどうすればいいんでしょうね! それにあなたがたったの0.75クリスなところに私は関係各所に猛抗議をしたいんですが! あなたやサトウカズマさんが高額賞金首になってしまった件については大変申し訳ないと思っていますが、それはそれとして!!

 

 反応に困ったあなたが沈黙をもって答えとすると、ほどなくしてはっと息を呑む気配がした。自分が何を言っているのか理解したようだ。

 

 ――……か、彼女は敬虔なエリス教徒にして神器回収という重大な使命を帯びている者ですし? 女神として多少は便宜を図らないといけませんし? 決して贔屓とかじゃなくてですね? 勘違いしないでくださいね?

 

 幻視するのは、両目をマグロの如き速度で泳がせながら頬をかく銀髪の女神の姿。

 女神アクアの後輩だけあって、女神エリスは意外と隙が多く、突っ込み待ちなのかと疑いたくなるほどに頻繁にボロを出す。この分ではカズマ少年にもそのうちあっさりと身バレしてしまいそうだとあなたは思いながら、適当に気の無い返事をした。

 

 ――よし、セーフ……危なかった。何とか上手くごまかせましたね……。

 

 ガッツポーズを決めていそうな小声が聞こえてしまった。

 それはひょっとしてギャグで言っているのだろうか。

 

 ――こほん。クリスの身の安全を抜きにしても、それは天界にて神との面会を可能にするアイテム。万が一にでも紛失して他の人の手に渡った場合、世界に混乱を引き起こしてしまいかねません。だからこうして直接贈らせてもらいました。その点異邦人であるあなたであれば私への信仰心はこれっぽっちも無いみたいですから悪用の心配などありませんし。

 

 なるほどとあなたは納得した。

 お忍びならまだしも、天界にて水の女神として振舞う女神アクアに会いに行けるアイテムをアクシズ教徒が手に入れた場合を考えると、それはもう目を覆わんばかりの血で血を洗う奪い合いになることは火を見るよりも明らかだ。

 そしてアクシズ教徒の被害者としての印象が強すぎるのであまり目立たないが、エリス教徒も悪魔は問答無用で滅ぼすという教義を持つなど、過激な面を持っている。女神エリスに謁見できる魔道具を前に、彼らがどんな反応を示すのかは予想できない。

 

 ――過激? ふふふ。まさか、とんでもない。私の信者はみな良い子たちですよ。なにより悪魔はことごとく、そしてすべからく滅殺すべき存在です。私の信者のみならず、世界中の人間達が一丸となって一匹残らず根絶やしにしなければなりません。異邦人にして異教徒であるあなたには理解しがたい話なのかもしれませんが、あいつらは邪悪で、暴力的で、対話の余地すらない、人の悪感情を啜って生きる薄汚い寄生虫なんですよ? ああ、寄生虫呼ばわりは寄生虫にあまりにも失礼でしたね。

 

 ナチュラルに毒を吐き始めた女神エリスにあなたは困惑する。

 女神エリスが悪魔に厳しいというのは文献や女神アクアの話で知っていたが、これは予想以上だ。厳しいなどという生易しい言葉ではまるで足りない。この豹変っぷりはマニ信者の友人(チキチキ大好きTS義体化ロリ)と相対したエヘカトル信者の友人(毒電波発信源系聖人)を彷彿とさせる。

 

 あなたの知り合いに悪魔はバニルしかいない。

 彼はガッカリや苛立ちの感情を好む、人間にとってうざいだけで無害な悪魔だが、絶望や憎悪、死の恐怖といった感情を好む危険な悪魔も当然存在する。だが悪魔全てが危険ではない事もまた事実。

 とはいえ、女神エリスに話が分かる悪魔がいると訴えたところで聞いてもらえそうにない。当の女神がカタツムリを前にした清掃員のような有様なのだから、信者が悪魔に容赦が無いのは当然といえた。

 彼女の過去に悪魔と何があったのか気になったあなただったが、火中の爆弾岩に触れるのは止めておくべきだと、信者であれば歓喜の涙を流して聞き入るであろう女神エリスの洗脳じみた悪魔批判を聞き流しながら、そっと疑問を胸に仕舞い込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 教会からの帰り道、あなたは町の清掃ボランティアに参加しているバニルと遭遇した。

 いつものタキシードではなく、ラフな作業服を着込んでゴミ拾いに精を出す彼を不審の目で見る者はどこにもいない。主婦とお喋りをしながらゴミを拾う姿はあまりにも人間社会に溶け込みすぎである。

 あるいは人間である自分以上に周囲に馴染んでいる大悪魔の姿にあなたが感嘆していると、あなたの姿を認めたバニルは、作業の手を止めてあなたに近づいてきた。

 

「……お得意様よ。貴様、どこで何を仕入れてきた? お得意様からおぞましい気配と反吐が出そうな臭いがぷんぷんするぞ。自分で気付かんのか」

 

 渋面を浮かべ、辟易しているのを隠そうともしない物言いに面食らったあなただが、風呂には毎日入っているし服もウィズがしっかり洗濯してくれている。自身で匂いを嗅いでも、バニルが言うような異臭がするはずもない。

 気のせいではないのかというあなたに、とんでもないと仮面の悪魔は吐き捨てた。

 

「気配と臭いの元は懐だな。雑巾で牛乳を拭いて日干しした後、生ゴミを抽出した原液に漬け込んだような臭いが遠くの我輩にまで届いてきたぞ。おえっぷ」

 

 想像するだけでえづきそうになる臭いだ。全身から嫌悪感を溢れさせるバニルは嘘を言っているようには見えない。

 心当たりの無いあなたが何かあっただろうかと自身の懐を探ると、先ほど教会で女神エリスから渡された通信道具が手に当たった。

 

「バニル式分解光線!」

 

 懐から白い石を取り出した瞬間、膨れ上がる殺気。バニルのどどめ色に光った手を反射的に叩き落とす。

 自分で命を粗末にするな、ウィズを泣かせるなと言っておきながら何をしてくれるのか。技の名前からして当たったらとんでもない事になる予感しかしない。

 喧嘩がしたいのであればウィズとベルディアを呼んで三対一で正々堂々と残機を減らしてさしあげるので少し待ってほしい。

 

「案ずるなお得意様。バニル式分解光線は殺人光線や破壊光線と違い、人に優しい非殺傷設定。直撃してもお得意様には傷一つ付かん」

 

 あなたが強く抗議すると、こんな返事が返ってきた。

 しかしこれは女神エリス関係のアイテムなので、破壊されると非常に困った事になってしまう。

 

「ほう、やけにおぞましい光を放っているかと思えば、やはりそのアイテムはチンピラ女神の後輩の縁の品だったか。だが悪い事は言わん、エリス教の連中に関わるのはやめておけ。異邦人にして異教徒であるお得意様には理解しがたい話かもしれんが、奴らは胡散臭く、暴力的で、我輩の話をろくすっぽ聞こうとしない、悪魔とあれば見境なく滅ぼしに来るような、それこそ未開の地に住まう蛮族やゴブリン同然の……いや、蛮族やゴブリンの方がよほど話も通じるし慎み深く、知的で冷静であるな。我輩としたことが少し熱くなってしまったようだ。しかし神などというのはまったくもって度し難く……」

 

 女神が女神なら悪魔も悪魔だった。

 女神アクアはバニルと店の中で顔を合わせるたびに丁々発止の会話のドッジボールをしているものの、なんだかんだで店の中で聖戦を始めたりはしなかっただけに、悪魔と神々が互いが互いを不倶戴天の敵と認めているという実態を初めて目の当たりにしたあなたは、若干の驚きと同時に案外両者は似たもの同士なのではないだろうかという感想を抱いた。

 口に出すと冗談は止めろと憤慨するのだろうが、実際バニルがエリス教徒、ひいては女神エリスを延々と貶し続ける姿は女神エリスが悪魔を貶していた姿と酷似している。

 要約すると「神はクソ」になるバニルの発言は誰かに聞かれていればぶん殴られる上に好感度が急下落する事請け合いなのだが、現在彼の声が届く範囲に人はいない。

 

「分かったな? 分かったらその手に持っている汚物を速やかに破壊させるがよい。粉々に砕いた後はエリスの教会に撒いておこう」

 

 隙あらば石を奪い砕こうとしてくる大悪魔への返事の代わりにあなたが石を四次元ポケットの中に突っ込むと、バニルは忌々しげに舌打ちした。

 あなたが石を壊す気が無い事、そして臭いと気配が消えたと言っているところから見るに、自身の手の届かない場所に隠されたと理解したのだろう。

 とりあえずこの件に関してはウィズの危険や不利益になるような事はしないので安心してほしいと約束しておく。いざとなったら自分は神に剣を向けるとも。

 

「いや、これは我輩は店主の事は全くもって心底どうでもいいのだが……」

「バニルさーん、そろそろ次の場所に行きますよー!」

 

 作業服の老人に名を呼ばれ、渋々清掃作業に戻っていくお隣さんを見送る。日頃は一線を越えない愉快犯な彼だが、やはりその本質は神々に敵対する存在なのだという事を実感した。

 狂信者であるあなたが神をメタクソに言われても怒らなかった理由だが、これはあなたの信奉する女神とバニルが敵対する神々が無関係である事に起因する。

 ただ、イルヴァの他の神々ならまだしも、癒しの女神を直接貶された日には問答無用で愛剣を抜く。聖戦である。たった一人の最終決戦である。神敵を討ち滅ぼすまで断じて退くわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

「師匠、やっぱり帰りませんか?」

「ここまで来て何を怖気づいてますの情けない」

 

 自宅に戻ってきたあなたは、玄関の前で屯する二人組を遠目に発見した。

 どちらとも駆け出し冒険者の街に似つかわしくない、とても目立つ風貌をしているものの、夜な夜な店の黒字を数えては高笑いするバニルのせいでここら一帯はかなり空き家が目立ってきている。幸か不幸かご近所の噂になることはないだろう。空き家が目立っているのは断じて頭がおかしいエレメンタルナイトに恐れをなしたからではない。

 

「あちらは私一人で来ると思っているはずですし、何より絶対迷惑になる予感しかしないのですが……」

 

 玄関にいる片割れはあなたの知り合い、王女アイリスの教育係にして氷の魔女の大ファンである地味系アークウィザードのレイン。異名持ちであり腕前は確かなのだが、びっくりするほど影が薄いとブロマイドのプロフィールに書かれていた筋金入りの地味系である。

 ウィズ魔法店が休みである今日、彼女はウィズに会いにやってきたのだ。事前にレインとの手紙のやりとりを通じてあなたもウィズもそれを知っていたし、レインが遊びに来るのをあなた達は非常に楽しみにしていた。

 

「当日に土壇場でキャンセルを入れる方がよほど迷惑でしょうに」

「それはそうかもしれませんけど。久しぶりに会いに来たと思ったら私に同行するとか言い出してびっくりしましたよ」

「大体にして、私達は互いに暇な身でもないですし、この機会を逃すと次はいつになるか分かりませんわよ? 今日だって仕事の合間を縫って無理矢理休みを作ったのですし。まあどうしてもと言うのなら私は引き止めませんから、貴女一人でお帰りなさい。菓子折りは私が渡しておきますわ」

「師匠を一人で残しておくと何をするか分からなくて怖すぎるのでやめておきます」

「その台詞、完全武装の貴女にだけは言われたくないのだけど」

「だって超武闘派アークウィザードの氷の魔女さんに会うんですよ? 下手な格好なんてできるわけないじゃないですか」

 

 レインの格好は王女との会食や強盗騒ぎで会った時のような、アークウィザードとしてのレインの正装だった。

 憧れの英雄に会えるとあって気合を入れてきたのだろうが、物々しい雰囲気も相まってカチコミに来たと思われてもおかしくない。盛大に空回っている。

 

 そんなレインはともかくとして、彼女と共にいる、鮮やかな赤毛の婦人は何者なのか。

 年の頃は初老、あるいは初老をやや過ぎたあたり。

 婦人の格好もまた平民からはかけ離れている。冒険者といえば通じなくもないレインと違って、その服装はあなたの記憶が確かならこの国の宮廷魔道士のそれだ。

 宮廷魔道士。平民にして冒険者であるあなたには縁のない存在だが、婦人と同じ服を着たアークウィザードの集団が王都防衛戦で派手な攻撃魔法を撃っていたのをよく覚えていた。残念ながら爆裂魔法使いは一人もいなかったが。

 

「師匠、氷の魔女さんにいきなり喧嘩を売るとか止めてくださいね。後生ですから」

「まったく、貴女は私を何だと思ってますの。学生時代ならいざ知らず、そんなみっともない真似をするわけがないでしょうに」

「学生時代だったら喧嘩売ってたんですか……いや、師匠の因縁は私も聞いていますが。学院の語り草ですよ」

「それ以上は止めなさい。私の心の古傷が開きます」

 

 レインの手紙には他の人物が同行するとは書かれていなかった。ウィズの知り合いだろうかと思いながらあなたは二人に近づいて声をかける。

 

「あ、こんにちは。奇遇ですね」

「知り合いかしら? 貴女に職場の外に異性の知り合いがいたなんて初耳なのですけど。紹介してくださる?」

「師匠、彼はですね……かなり有名なので師匠もご存知だとは思いますが……」

「……え……彼があの?」

「はい。あの……です」

 

 あなたを横目で窺いながらひそひそと話し合うレイン達。

 何を言われているかは大体察しがつく。

 

「まさかこんなところであの頭のおかしい……」

「しーっ! 聞こえますよ! 噂よりはずっとまともな人みたいですから!」

 

 何を言われているかは大体察しがつく。

 

「こほん、失礼しました。あなたの家もこの近くなんですか?」

 

 露骨に話題を変えてきたレインに、ここが自宅だとあなたは答える。

 彼女はあなたがウィズと同居していると知らないのだ。

 

「知らなかったそんなの……」

 

 案の定驚愕をあらわにするレイン。

 そして。

 

「…………」

 

 婦人はあなたを観察する視線を隠そうともしない。

 レインほどではないにせよ戸惑っているが、これはあなた(頭のおかしいエレメンタルナイト)の評判を知っているからではないようだ。

 そうなるとやはりウィズ関係になるのだろう。婦人の素性とウィズとの関係が気になったあなただったが、いつまでも玄関で立ち話というのも収まりが悪い。レインが連れてきたという事は少なくとも敵ではないだろうと、二人を招き入れてからじっくり話を聞くべく疑問を棚上げすることにした。

 

「おかえりなさい!」

 

 帰宅したあなたをいつものように同居人が出迎える。

 そしてその瞬間、まるで実家のような安心感に、あなたの心身から無意識のうちに力が抜け、スイッチが切れたようにリラックス状態に入る。新感覚癒し系ぽわぽわりっちぃにド嵌りした廃人の姿がそこにはあった。

 

「そちらの方がレインさん、ですよね。お待ちしてました。そして貴女は……ええと?」

「これは……驚きましたわね」

 

 婦人の呟きが耳に届く。そして。

 

「ええええええええええええっ!?」

 

 レインの大声があなたの鼓膜を震わせた。

 やかましいと眉を顰め、婦人がレインの頭を叩いて諌める。

 

「お馬鹿、落ち着きなさい。確かに眩暈がするほど本人と瓜二つですが、本人なわけがないでしょうに」

「あっ、な、なるほど。言われてみれば確かに。……すみません、いきなり大声をあげてしまって」

「は、はあ……」

 

 恭しく頭を下げるレインにウィズは困惑しており、傍観者に徹するあなたもレイン達が何を考えているのか図りかねていた。

 

「不肖の弟子が無礼を働き申し訳ありません。わたくし、リーゼロッテと申します」

「リーゼロッテ? どこかで聞いた覚えが……」

「……そこそこ有名な貴族ですから、名前くらいは聞いた事があるのかもしれませんわね。突然ですが、私たちはあなたのお母様に用事があって参りましたの。お母様はご在宅ですか?」

「私の母、ですか? すみません。どなたかと勘違いされていると思うのですが」

 

 困ったように笑うウィズ。

 あなた達の自宅にウィズの母親は住んでいない。

 

「勘違い? ありえませんわ。私達はここにウィズという女性が住んでいると聞いてやってきましたし、貴女を見れば彼女の縁者であるというのは一目で分かります」

「ウィズは私ですけど」

「……? ああ、なるほど。お母様と同じ名前なのですね」

「いえ、たぶん違うと思います」

 

 驚くほど会話が噛み合っていない。ここに至りあなたは二人の困惑の理由を察した。

 埒が明かないとばかりに、婦人は若干刺のある声でレインに問い詰め始める。

 

「ちょっとレイン。どういう事ですの。説明しなさい」

「私に聞かれても……あの、どういう事なんですか?」

 

 だんまりを決め込んでいたあなたにバトンが回ってきた。

 どういう事も何も、二人の目の前に立っている女性こそがかつて氷の魔女として名を馳せた元凄腕冒険者にしてアークウィザードのウィズである。

 

「ちょっ、それは恥ずかしいから止めてくださいってあれほど言ったじゃないですかあ! 今日のおゆはんはあなたのおかずだけ一品減らしちゃいますよ!」

 

 あなたの言葉を受け、二人は目を白黒させて顔を赤くしたウィズに見入っている。傍から見ても完全に思考が停止していると分かる。

 ほどなくして再起動したレインが氷の魔女のブロマイドを取り出し、あなたに猛抗議するウィズと交互に見比べ始めた。

 

「えっ……えっ? 本当に? 本当に貴女があの氷の魔女さんなんですか?」

「た、確かにそんな異名で呼ばれていた時期もありましたが……でも、あれはあくまで呼ばれていただけであって、自称した事は一度もありませんよ?」

 

 ごにょごにょと口ごもる元氷の魔女に対し、子供のように目を輝かせて頭を下げるレイン。

 

「初めまして! レインといいます! 子供の頃から氷の魔女さんの大ファンです! サイン本当にありがとうございました! 家宝にします! 実家は貧乏貴族ですけど!」

「あ、はい。初めまして、ウィズです。ご存知とは思いますが、魔法店の店主をやっていますのでそちらの方もどうぞご贔屓に……今日はお休みですけど。あと、レインさん。申し訳ないのですが、その異名はちょっと……私は現役を引退して久しい身ですので……」

「えっ、ではなんとお呼びすれば……真理に最も近づいたアークウィザードは呼び名としてはあまりにも不適切ですし、ベルゼルグの氷雪女王は冒険者の間で一時的に流行った異名ですし……」

「勘弁してください、お願いします、本当に勘弁してください……普通に名前で呼んでください……!」

 

 邪気の無い敬意から繰り出される羞恥プレイに、ウィズは早くもいっぱいいっぱいだ。紅魔族が大興奮間違いなしの異名の数々は、初対面の相手でなければ恥も外聞も無く泣きついていたであろう事は想像に容易い。

 努めて傍観者に徹して無表情を作るあなただが、その実内心ではいいぞ! ブラボー! とレインに拍手喝采を贈っていたりする。

 あなたはこれが見たかったのだ。レインはあなたの予想と期待にこれ以上ないくらいに完璧に応えきってみせた。

 愛らしく尊いウィズを見ているだけで、柔らかな春の日差しを思い起こさせる、どこまでも暖かく優しい感情があなたの心に満ちていく。

 

 自分の過去を突かれて涙目でぷるぷるするウィズは最高でおじゃるな!!

 つまりはそういう事である。

 

「い、幾らなんでも若すぎでしょう!? 冒険者だった頃のまま、外見年齢が今のレインと同じか下手したらそれ以下じゃありませんの! どうなってますの!?」

 

 遅れて再起動した婦人が吼える。

 せっかくのいい雰囲気だったのだが、横槍が入ってしまった。当時のウィズを知る人間であれば不思議に思うのも当たり前なのだろうが、あなたからしてみればもう少し空気を読んでほしかった。

 

「えっと……すみません、どちら様でしょうか。私のお知り合いの方ですか?」

「自己紹介したばっかりでしょう!? クラスメイトで貴女のライバルのリーゼロッテですわ! 試験でいつも一位二位を争っていた!」

「あれ? 師匠は万年二位だったって聞いてるんですけど」

「お黙り! 今のは言葉の綾ですわ!!」

「リーゼロッテ……クラスメイト……?」

 

 小首を傾げて思い返すこと数秒。ウィズはパンと手の平を合わせて笑った。

 

「もしかして学園で一緒にお勉強してたリーゼさんですか!? うわあ、お会いするのは卒業以来ですよね。本当にお久しぶりです、お元気でしたか?」

 

 旧知との思いも寄らぬ再会にニコニコと微笑むウィズに、リーゼロッテと名乗った婦人は足をふらつかせ、まるで悪い夢を見たとばかりに声を震わせる。

 

「違、私が知ってるウィズと全然違う……実際マジでありえませんわ……あの頃の、愛想が悪いとか生意気なクソガキを通り越した、孤高で、冷徹で、全てをゴミを見るような冷え切った目で見ていた貴女はどこに行ってしまいましたの……?」

「幾ら子供の頃の私でもそこまで感じが悪くはなかったですよ!? 確かに愛想は悪かったと自分でも思いますけど!」

「それがこんな、こんな……ゆるふわで、ぽわぽわで……お肌もぴちぴちで、挙句の果てには若い男とのんびり隠居生活だなんて……う、羨ましすぎるっ……!」

「本音がダダ漏れですよ師匠……」

 

 血を吐くような叫びだった。傍で聞いているレインもドン引きである。

 あなたから見た婦人はおよそ理想的な淑女ともいえる美しい老い方をしているのだが、それはそれとしていつの世も女性が若さを求めるのは必然なのだろう。かくいうあなたも身体能力、つまり若さの為に肉体年齢を二十代で固定している。

 

「大丈夫ですよリーゼさん! リーゼさんはまだまだお若いですから!」

「……馬鹿にしてますの? こちとら四児の母にして二人の孫を持つ身。おばあちゃんですのよ。若さなんて言葉は何年も前に失ってしまったのは自分が一番分かっていますわ」

「ま、孫……!?」

 

 この世界の結婚適齢期をぶっちぎって久しいぽわぽわりっちぃは、同期の孫報告に大ダメージを受けていた。

 

「そりゃいますわよ。貴女だって孫とは言わずとも、子供の一人や二人はいるでしょうに。レインもいい年なんですから、いい加減相手を見つけなさいな。行き遅れになりますわよ。……いや、あーあーきこえなーいじゃなくて、本当に」

「…………」

「ウィズ? どうしましたの?」

「……いましぇん、子供」

 

 蚊の鳴くような告白に、リーゼだけではなくレインまでもが体を小さくするウィズに目を丸くする。

 二人に悪意はない。貴族だろうが平民だろうが、ウィズくらいの年齢の女性であれば、ちょうどゆんゆんくらいの子供がいるのがこの世界における普通であり、社会常識だからだ。

 あまりこの件を突っつかれるとウィズが涙目を通り越してガン曇りしそうだと感じたあなたは助け舟を出すことにした。ウィズが現役を退いた理由である、魔王軍幹部ベルディアとの戦い。ウィズは死の宣告を受けた仲間達を救った結果、子供を産めない体になってしまったのだと。

 

「そうでしたの……あなたのパーティーが解呪不可能な死の宣告を食らったというのは知っていたけど、それで……」

 

 失敗したかもしれない。気まずい空気とウィズに向けられた深い同情を感じ取ったあなたはそう思った。

 あなたの思っていた以上にこの世界において子を産んで血を次代に繋げるという事は重大な意味を持っていたのだ。ここら辺は残機が基本的に無限な上、ポーションで寿命もあってないような世界の住人であるあなたには理解できない感覚である。

 やらかしたあなたのフォローをすべく、ウィズは二人が何かを言う前に口を開く。

 

「リーゼさん、お気になさらないでください。私は何も後悔していませんし、もう終わった事ですから。それに……子供がいなくても、私は一人ぼっちじゃないですから」

 

 あなたの隣に寄り添って幸せそうに微笑むウィズに、あなたは大変申し訳ない気分になった。

 趣味に命を賭けるつもり満々だった、最悪埋まる(死ぬ)一歩手前だった、などと口に出してしまえばこの掛け替えのない笑顔がどうなる事か。釘を刺してくれたバニルに改めて感謝しておく。

 

「……少し話を変えましょうか。そっちの彼とはどこまで行きましたの?」

「どこまで? この前一緒にドリスに温泉旅行に行きましたよ。アルカンレティアにも」

「カマトトぶってんじゃありませんわよ。ぶっちゃけヤる事はヤってるんでしょう? いいご身分ですわね、若い男を捕まえて淫蕩三昧」

 

 話と場の空気を変えるにしても初っ端からエンジン全開すぎである。

 ニヤニヤしながら指を抜き差しするジェスチャーが何を示しているかはあえていうまでもないだろう。本当に貴族なのだろうかと疑いたくなる程度には学生ノリ全開だった。

 男女が一つ屋根の下とくれば、そういう風に勘繰る人間も出てくるのだろうな、と突然の飛び火にあなたは半ば諦めの境地に至る。レインの顔を見てみれば、師匠と憧れの人物と頭のおかしいエレメンタルナイトに板ばさみにされているのと申し訳なさで死にそうになっている。

 

「誤解です! 私達はそういうえっちでいかがわしい関係じゃありません! 確かに彼は大切なお友達で同居してる間柄ですが、断じてリーゼさんが考えてるようなのじゃないですから! 温泉旅行だって二人きりで行ったわけじゃないですし!」

 

 顔を真っ赤にしてぶんぶんと手を振るウィズの姿に何か勘付いたのか、リーゼはスッと目を細めた。

 

「ウィズ、ちょっと。貴女……冗談でしょう?」

「な、何がですか? 私達がなんでもないっていうのは本当ですよ?」

「子供がいないのはまだしも、まさか、その年になってまだ生むすm」

「ほあああああああ!!!」

「ぐふっ!?」

 

 リッチーチョップはパンチ力。

 前衛顔負けの惚れ惚れする動きで延髄に手刀を決めてリーゼを沈めたウィズは、もはやちょっと全力疾走しただけで筋肉痛に苛まれていたぽんこつりっちぃと同一人物とは思えない。一瞬だけ目つきも鋭くなっていた気がする。

 

「あ、ああっ! すみませんリーゼさん! つい手が……!」

「すみません、ウチのアホ師匠がなんかもう本当にすみません……!」

 

 レインに至ってはそろそろ焼けた鉄板の上で土下座を始めそうだ。

 胃薬でも渡しておくべきだろうか。

 

 

 

 

 

 

 女三人寄れば姦しい。

 その中に男一人という、あなたからしてみれば微妙に居心地の悪い中でのお喋りは、あなたの知らないウィズを知れたという意味では、非常に実りのあるものだった。

 

 

「リーゼさんは周囲から孤立しがちだった私をよく気にかけてくださっていた、とても優しい方なんですよ。高価なマジックアイテムの買いすぎで無一文だった私に、貧乏人にはこの程度がお似合いですわ! って言いながら何度も購買のレインボーパンを恵んでくださったり」

「購買のレインボーパンって、あの罰ゲーム用として有名なレインボーパンですか?」

「ば、罰ゲーム……いつのまにか私の主食が罰ゲームになってる……確かに視界が七色に染まる味でしたけど……」

「渡しておいてなんですけど、よく食べられましたわねそんなもの」

 

 

「レインさんはアークウィザードでしたよね。でしたら私のお店で取り扱ってる魔力増強ポーションなんかがお勧めですよ。副作用で一ヶ月ほど全身の色が日替わりで変化してしまうのですが、その分効果は抜群です!」

「す、すみません。ありがたいお話なのですけど、仕事の都合上外見に影響が出るような品はちょっと」

「産廃を集めるその悪癖、まだ治ってませんでしたのね……」

 

 

「アイリス様ってどういうお方なんですか?」

「お若くして聡明かつ勇敢であらせられる方ですわ。先日の魔王軍の大規模な襲撃の際にも御自ら国宝を手に取って味方の救援に向かわれるなど、ジャティス様とアイリス様がいればこの国の未来は安泰ですわね」

「いきなり前線に行くと言い出して私は胃が痛くなりましたよ。お怪我でもされたらどうしようかと」

 

 

「貴女も弟子を取ったという話だけど、師匠と同じく弟子もやっぱりアレなのかしら」

「アレってなんですかアレって! ゆんゆんさんはとっても優しくて可愛らしい子ですよ。まだ十四歳なのに、親元から離れて一生懸命頑張ってるんです」

「でも紅魔族なんでしょう?」

「いやまあ、そうなんですけど。ゆんゆんさんは紅魔族の中でも私達に近い、普通の感性の持ち主で……」

 

 

 

 そうして二人が帰る時間が近づいてきた頃。リーゼが思い出したようにこう言った。

 

「ねえウィズ。元クラスメイトの誼で、一つ頼まれごとを聞いてくださる?」

「えっと……あまり無茶なものでなければ。私はお店がありますので」

「手間はかけさせませんわ。もし今も貴女が戦えるのでしたら、少し私の弟子の相手をしてあげてほしいというだけですから。……あの時の私のように」

「レインさんと? もちろん戦えますし、研鑽も怠っていませんが。でも、あの時のリーゼさんみたいにっていうと……」

 

 ウィズはあまり気乗りしていないようだ。

 

「本当に別人ですわね。あれから何年も経ったとはいえ」

「私も社会に出て色々と学びましたし……当時のパーティーメンバーに話したらドン引きされましたよ」

「いい気味ですわ。でもレインなら大丈夫ですわよ。こう見えて割と打たれ強いですから。装備も魔法防御の強いもので固めてますしね」

「うーん……ですがやっぱり……」

「なんなら先手は全てレインに譲っても構いませんわ」

「その条件ならまあ……レインさん、いかがされます?」

 

 レインは勢いよく頭を下げた。

 

「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

「あはは……分かりました。ちょっと準備してきますね」

 

 苦笑して部屋に戻っていくウィズを見送る。

 

「レイン、骨は拾ってあげるから気を確かにもって死ぬ気で挑みなさい。君ならできるよってやつですわ」

「それ超絶難易度の無理難題を押し付ける森神の有名な台詞じゃないですか」

 

 類義語に「ほら、しっかり」があったりする。

 森神は純粋に応援しているのだが、難易度が高すぎてどちらも煽りにしか聞こえないと評判だ。

 

「……まあ怪我をする事はないでしょう。あちらからは攻撃しないっていうハンデ付きですし」

「そういえば、当時の師匠みたいにっていうのは何なんですか?」

「校舎裏の決闘といえば通じるかしら」

 

 英雄との手合わせに興奮で赤らんでいたレインの顔色が一瞬で蒼白になった。

 あなたには何のことやらさっぱりだったが、ガクブルと震える彼女は言葉の意味を正しく理解しているようだ。

 

「それってもしかしなくてもアレですよね!? 師匠が心をバッキバキに折られたっていう例の公開処刑ですよね!?」

 

 公開処刑。凄まじく不穏で不吉な字面である。

 学生時代のウィズは何をやらかしたというのか。彼女の黒歴史は氷の魔女(冒険者)時代だけかと思いきや、そうでもないのかもしれない。

 

「正確にはそれが直接の原因ではないのだけど……まあそうですわね」

 

 ですが、と続ける。

 過去に想いを馳せるように目を細めて。

 

「一度くらい、貴女に十代という圧倒的な若さで時代を取ったウィズの力を見ておいてほしい。そう思いましたの。この経験はきっと貴女の掛け替えのない宝になるでしょう」

「師匠……」

「ま、アレが目も当てられないほどに錆び付いていなければ、貴女がフルボッコにされた挙句無様に玉砕するのは目に見えていますけどね。万が一、億が一。一撃でも当てられたら貴女の実家の負債を私が肩代わりしてさしあげますわ。確か五千万エリスかそこらでしたわよね? 安いもんですわ」

「本当にまったく、これっぽっちも期待されていない!」

 

 

 

 

 

 

 アクセル南東の平原で対峙する二人のアークウィザード。

 片や王女の護衛にして教育係。片や隠遁した元英雄。

 肩書きとしてはどちらも大層なものを持っている二人はこれから魔法を撃ち合うのだという。極めてシンプルな魔法使いの決闘の方式だ。

 子供でも危険な行為と分かるが、あなたはウィズに関しては心配していない。心配しているのはレインの方だ。

 廃人級の力を持つウィズの魔法を食らったら普通に死にそうなのだが、幸いにして蘇生経験は無いという話なので、レインが死んだら女神アクアのところに連れて行くとしよう。

 

「レインさん、いつでもどうぞ」

 

 緊張でガチガチのレインは完全武装だが、悠然と佇むウィズはあなたが贈った杖を持っている。

 素手というのも決まりが悪いので持ってきたのだろうが、ただでさえ限りなくゼロに近いレインの勝ちの目を完全に潰している。

 50メートルの距離を置き、レインはプレッシャーにごくりと喉を鳴らした。

 

「いきます……ファイアーボール!」

 

 先手を譲られたレインの持つ杖から中級魔法の火球が飛ぶ。

 挨拶代わりとはいえ、直撃すればアクセル近隣の魔物などひとたまりもない威力を持つそれは、ウィズに届く事無く、レインから25メートルの距離……つまり、ぴったり二人の中間地点で掻き消えた。

 

「…………っ!?」

 

 レインが大きく目を見開き、表情を強張らせる。

 

「ふぁ、ファイアーボール!!」

 

 今度は三連。

 しかし魔法は再びあっけなく霧散した。ウィズとレインの中間地点で。

 

「ライトニングっ! フリーズガスト! ブレード・オブ・ウインド!!」

 

 中級魔法とはいえ、様々な属性の攻撃魔法を矢継ぎ早に繰り出すレインは、伊達に高レベルのアークウィザード、そして王女の教育係をやっていない。

 詠唱に遅延をかけて待機状態にし、複数の魔法をほぼ同時に発動させるなど、純粋な後衛として見た場合、レインの技量はゆんゆんを上回るだろう。

 

 だが届かない。

 フェイントをかけても、物量で攻めても、わざと魔法の威力と速度を落としても、レインの放つ全ての魔法は25メートルで阻まれる。それより手前でも奥でもなく、ぴったり25メートルで。

 

 ウィズが特別なスキルを使っているわけではない。25メートル地点に魔法をかき消す結界を張っているわけでもない。

 ただ相手と同じ魔法を、同じ威力で、同じ速度で、同じタイミングで発動させ、完全に相殺しているだけだ。

 しかし、だからこそそれは、魔法を使う者であれば等しく怖気を覚えずにはいられない、悪夢のような光景だった。

 あなたは速度差とステータスに物を言わせ、格下の相手の魔法を後出しで上から押しつぶす事はできる。だがあのような緻密で繊細な魔法のコントロールは逆立ちしても不可能だ。

 それを同速で、しかも涼しい顔でこなし続けるウィズの姿は異様と言うほかない。

 

 

 ――ところで今のは炸裂まほ…………いや…………空気、あるいは音の爆発、ですよね? でも、アークウィザードどころかリッチーのスキルにすらそんなもの……複数の魔法とスキルを組み合わせればあるいは……。

 

 ――異世界の人、だったんですか……? 確かに、あの爆発も袋がどこかに消えていく魔法も、私ですら初めて見る魔法の反応ではありましたけど。

 

 

 ふと、宝島を採掘する際にウィズに異世界の魔法を見せた時の事を思い出す。

 彼女は未知の魔法を一目で看破し、魔法の発動とその内容を感じ取るだけの目を持っていた。

 そこに類稀なる魔法のセンスを加えるとどうなるのか。結果はご覧のとおりである。

 

「学生時代のくっそ生意気な小娘だったウィズ曰く、こんなものは無駄に魔力を消耗するだけで実戦では何の役にも立たない、ただの大道芸に過ぎない、だそうですわ」

 

 あなたの隣で二人を見守るリーゼがそう言った。魔法ガチ勢のウィズが言いそうな台詞だった。

 実際その言葉自体は間違っていないのだろう。所詮はジャンケンで延々とあいこを出し続けるようなものなのだから。

 時間稼ぎならまだしも、殺し合いの場で相殺合戦が役に立つ時が来るとは思えない。こんな事ができるのなら、普通に相手を上回って打倒した方がよっぽど楽だし確実である。

 

 だが、ステータスという数字やスキルだけでは決して知る事ができず、それでも確かに存在する何か。

 才能、異能、この際呼び方はなんでもいい。この相殺は、ウィズの持つそれを嫌というほど見せ付けるものだった。

 学生の時分にこんな物を見れば心が折れるには十分すぎるだろう。なるほど、まさしく公開処刑だ。

 

「本当……嫌になるくらい、可愛げの無い小娘でしたわ」

 

 公開処刑を食らって心を折られたという元クラスメイトのナンバー2。その言葉こそ辛辣なものだったが、一方で表情は呆れと懐古を多分に含んだ苦笑いを作っていた。

 

「少し年寄りの昔話と自分語りに付き合ってくださる? あなたのような若人には退屈なものでしょうけど」

 

 喜んで、とあなたは頷くと、リーゼはありがとう、と上品に微笑んだ。

 

「ウィズは自分に構ってくれていたと勘違いしているみたいですが、あの頃の私は単純に自分より何歳も年下の癖に優秀な彼女が気に入らなくて喧嘩を売りまくっていましたの」

 

 告白を聞いても驚きは無い。

 彼女の気質を見るにそんな予感はしていた。

 

「放っておけばよかったものを、あのスカした鉄面皮を何とかして崩してやろうと意地になって突っかかって。実技に、座学に、何かにつけて馬鹿正直に正面から勝負を挑んで、どれだけ努力を重ねても手が届かなくて。周囲のあいつは特別なんだから諦めろ、勝てるわけがない、なんてありきたりでつまらない言葉を無視し続けて」

 

 訥々と自身の敗北の軌跡を語る婦人に険は無く、ただ在りし青春の日々を懐かしんでいる。

 

「……自覚はなくとも、きっと私は友達になりたかったのでしょうね。いつも独りだった、あの子と」

 

 独白は続く。

 噛み締めるように紡がれるそれは、果たして本当にあなただけに向けられたものだったのか。

 

「そうして卒業を間近に控えたある日。念願だった上級魔法を習得した私はあの子に決闘を申し込みましたわ。今にして思えばお遊びのような、けれど、子供だった私からしてみれば本気の決闘」

 

 現在あなた達の目の前で繰り広げられているものと違い、その決闘はウィズも当たり前のように本気で攻撃を仕掛けてきたのだという。

 ウィズの攻撃を必死に捌いたという彼女も大概に優秀だった。そうでもなければ宮廷魔道士などやっていないだろうが。

 

「当時、私とウィズの間にレベルとステータス、スキルの差は殆どなかった。一手分だけ、私の魔力が尽きる方が早かった。本当に、たったそれだけ。その程度にしか額面上の差は無かった。ですが私は全身に傷を負い、あの子は無傷」

 

 ステータス以外の部分で埋め難い差があったと言外に告げる。

 だが敗北が直接彼女の心を折ったわけではないようだ。

 

「とはいえこちらも長い間あの子に挑み続けた身。才能の差なんてものは誰かに言われるまでもなく理解していましたし、当時の私はむしろあと一歩まで追い詰めた事に手ごたえすら感じていましたわ。負けたのは死ぬほど悔しかったですけど」

 

 我ながら脳筋全開ですわね、とリーゼは笑った。

 

「ですが、戦いが終わった後、次こそは、とリベンジを誓う私にウィズは頭を下げてこう言いました。汗だくになって、あれだけ崩してやろうと躍起になっていた鉄面皮を、ほんの少しだけ崩して微笑んで」

 

 ――リーゼ、遊んでくれてありがとう。すごく楽しかった。

 

 あなた達が遊びで命のやり取りを行うのと同じように、子供の頃のウィズは魔法の撃ち合いを、一歩間違えれば命を落としかねない決闘を遊びだと認識していた。

 げに恐ろしきかな魔法ガチ勢。頭のネジが何本か抜けていると言わざるをえない。

 恐らくは冒険者になってから矯正されたのだろうが、そのまま成長していたら今頃どうなっていたのか。

 あなたは今のウィズだからこそ大切に思っており、何より今のウィズ以外にあなたの心理的な(ストッパー)になり得る人材はいないわけだが、それでも興味は尽きない。

 

「いやー……心が圧し折れる音が聞こえましたわね。もう根元から、バッキバキに」

 

 ついでに友人フラグも折れてしまったのだろう。

 具体的に何年前の話か定かではないが、二人が卒業から今日まで一度も顔を合わせていなかったという事実がそれを如実に表している。

 今こうして冷静に語っていられるのは、数十年という時間を経て精神的に余裕ができたからか。

 

「それで結局、ウィズとは逃げるようにそれっきりだったのですけど、冒険者になった彼女の活躍自体は耳にしていましたわ。風の噂でベルディアとの戦いの後に冒険者を引退したと聞いた後は表舞台に出てくる事も無く、最近になってようやく不肖の弟子の一人がコンタクトを取ったと知って、いてもたってもいられず、恥ずかしながらこうして付いて来たのですが……どんな経験をしたらアレがああなるのかしら……」

 

 氷の魔女を想定していたら、出てきたのはまさかのぽわぽわりっちぃ。

 物憂げにため息を吐いた彼女の驚きは想像するに余りあると言わざるを得ない。

 

「まあ、腑抜けた今も腕は全く鈍っていないみたいですけど……むしろキレッキレじゃありませんの」

 

 あなた達は涼しげに魔法を連発するアークウィザードを見やる。

 ゆんゆんの修行で魔法を使う姿を見ていたが、あれは指導の範疇であって、決して戦いではなかった。

 近しいところではバニルとのじゃれあいやあなたとの鍛錬になるのだろうが、これはそれらとは全く質が異なる。

 杖の一振りで複数の魔法を次々に行使する彼女はまるで巫女が舞を踊っているようで。あなたをして経験が無いほどに、今のウィズはどうしようもなく美しかった。

 

 

 

 

 

 

 やがて、魔力が尽きたレインがギブアップし、二人の戦いとも呼べないなにかは予定調和の終わりを告げる。

 

「せっかくですし手元が狂ってレインをボロ雑巾にしてくれたら私は面白かったのですけど」

「リーゼさん、お弟子さんにそんな事言っちゃダメですよ」

「本当にこの変化には慣れそうにありませんわね……ぶっちゃけ気色悪いですわ」

「そんな酷い!?」

 

 楽しそうに言い合う二人を尻目に、あなたはレインに労いの言葉をかけて水を渡した。

 

「ありがとうございます……お恥ずかしいところをお見せしました。私もまだまだですね」

 

 レインは何も悪くないし、よくやっていた。相手が悪かっただけの話である。

 あなたからしてもあれはおかしい。個性豊かなノースティリスの友人達に負けず劣らずだ。

 

「なんていうかもう……凄かったとしか言えません。人はここまで強くなれるんだなって思いましたよ。単純なレベルや魔力の差じゃなく、もっと違う何かを感じました」

 

 互いに傷一つ負う事無く、しかし圧倒的な力の差をこれでもかとばかりに見せつけられ、それでもレインの表情には晴れやかなものがあった。

 思った以上にレインがダメージを受けていないのは彼女が大人で、王女アイリスのお付きとして様々な勇者候補達を見てきたからなのだろう。

 

 レインの感想はあなたが抱いたものでもある。

 だが『友人』(大切な人)の勇姿を見て感動や羨望を覚える以上に、一度でいいから氷の魔女と、全力のウィズと、共闘ではなく相対を、ウィズの心を守ると誓ってもなお、『友人』との命のやり取りを渇望してしまう程度には、あなたはどうしようもなく根っからのノースティリスの冒険者(ひとでなし)で、廃人であった(壊れていた)




《清掃員》
 町に配置されているNPC。
 かたつむりに塩を投げつける。かたつむりは死ぬ。

《リーゼロッテ》
 ウィズの元クラスメイト。現役の宮廷魔道士。四児の母で最近二人目の孫が生まれた。
 負けず嫌いで陰湿な事が大嫌い。いつだって正面から正々堂々を旨とする熱血、努力、根性の人。
 趣味は猥談と大人の男に女装させること。

 学生時代は高飛車で高慢で高笑いが似合いすぎるお嬢様だった。髪型は当然のように大型ツインドリル。
 炎の魔法を得意とし、その実力は後の氷の魔女に後一歩のところまで肉薄するほどのものだったが、温室育ちのお嬢様が相対するにはあまりにも異質すぎる精神性の前についに心が折れた。

 本当はずっと、孤高を貫く年下の少女と友達になりたかった。
 何かにつけて突っかかっていたのは自分を見てほしかったから。
 本人がその事に気づくのは、学院を卒業してからずっと後の話。


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第101話 おうちかえう! おうちしってう? おうちどっち?

 6月?日:ゆんゆん

 タイトル:自意識過剰?

 

『今日、知らない人に声をかけられたんです。とても親しげな様子だったので私も頑張って誰だったか思い出そうとしたんですが全然思い出せなくて。人違いだと思ったんですけど、でもどなたですか? って聞くのも凄く悪い気がして手を振り返したら「えっ」って顔をされてしまって。向こうの愛想笑いを見ておかしいな、私、何かしちゃったのかなって思ってたら、その人は私の後ろにいた人に声をかけてただけだったんです。あまりの恥ずかしさに逃げ出しちゃいました。もしかして私って自意識過剰なんでしょうか』

 

 夜半。自室でランプの明かりに照らされながら、風呂からあがったあなたは微笑ましさに溢れた日記の内容にフォローという名の返信を書き込む。

 彼女が経験したのはそこまで珍しい話ではない。かくいうあなたも何度か経験済みである。廃人として名が売れてからはご無沙汰だが。

 

 ウィズ:そうですよゆんゆんさん。そういう話ってよくありますから。

 ゆんゆん:そうなんですか? 私だけかと思ってました。

 ウィズ:私もやっちゃった事ありますけど、すっごく恥ずかしいですよね。知らない人に親しげに名前を呼ばれて自分の行動や泊まってる宿の部屋番号を把握されてる場合はかなり怖いですけど。

 

 ゆんゆんを慰めているかと思えば、ウィズがいきなり背筋が寒くなる話を始めた。納涼シーズンにはまだ早すぎる。

 しかしあなたの知る限り、今のウィズにそういった怪しい者の影は無い。そもそもアクセルに居を構えている彼女は宿に泊まる理由も機会も無いわけだが。

 

 ウィズ:私が冒険者だった頃の話ですからね。

 ベア:やけに具体的と思ったら実話かよ! 余計に怖いわ!

 ゆんゆん:その人って結局どうなったんですか?

 ウィズ:悪質なストーカーとして捕まったそうです。

 ベア:何故に伝聞系。お前の話じゃなかったのか。

 ウィズ:私の仲間だった男性の話ですよ。ちなみに捕まった方も男性でした。アクシズ教徒の。

 ベア:一気に別の意味で怖い話になったなオイ。

 

 

 つい半日ほど前に会っていたアクシズ教徒の両性愛者にロックオンされているあなたにとって、ウィズの昔話は他人事だと笑い飛ばせるような内容ではなかった。

 ゼスタ自身は今のところあなたとのそういったやりとりそのものを楽しんでいる節があるので、まだマシな方なのだろう。彼が本気になって強硬手段に出るような日が来ないことを祈るばかりである。

 

 日記を閉じたあなたは、お手製である癒しの女神の人形に今日も一日大過無く過ごせたことへの感謝と祈りを捧げ、そのまま床に就く。

 もちろん枕元には忘れずに白い石を置いてある。

 

 女神エリスはあなたが異邦人であるがゆえに天界に招くのだという。

 果たして彼の地で自身を待っているのは何なのか。

 期待と不安を抱きながら、あなたは瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 ……三分後、あなたは舌打ちして起き上がった。

 

 苛立ち混じりの視線を向けられているのは、女神エリスから手渡された件のマジックアイテムだ。

 夜になってから明らかに光が強くなっているそれのおかげで、明かりを消したにもかかわらずあなたの部屋の中は明るさを保っている。

 おかげさまで枕元に置いておくと目を瞑って背を向けても目に光が入ってくる始末。それだけならまだしも、規則的に明滅するというのが最悪だ。安眠を妨害する要素にしかなっていない。何故こんな余計な機能を付けてしまったのか甚だ理解に苦しむ。勘弁していただきたい。

 分厚いタオルと毛布で石を何重にも包んで大きな布団子にしたところで、ようやくあなたの部屋に夜の闇が帰ってきた。

 嘆息しながらあなたは再度床に就く。神聖さは認めるが利用者への配慮に関しては著しく欠けていると言わざるを得ない。クレームはどこに届ければ受理してもらえるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 黒と紺と白。

 目が覚めた――厳密には今も眠ったままだが――あなたが最初に抱いた感想は、このようなひどく単純なものだった。

 

 木製の簡素な椅子に座っているあなたの眼前には、ただひたすらに闇が広がっている。

 闇に適応した瞳を持つあなたであっても見通せない深い闇は、どこか慣れ親しんだすくつを思い起こさせ、あなたに若干の懐古と寂寥感を抱かせた。

 次いで足元に目を向けてみれば、規則正しく敷き詰められたモノトーンカラーのタイルがやはり視界範囲内全てに敷き詰められている。

 闇の中に気配は無く、どれだけ耳をすませてみても物音一つ聞こえてこない。あなたの耳に届くのは自身の呼吸音と布擦れの音、たったそれだけ。

 一言で言ってしまうと、そこは非常に辛気臭い場所だった。それこそここが死後の世界と言われれば即座に納得してしまうであろう程度には。

 

「ようこそ天界へ。あなたの来訪を待っていました」

 

 あなたが状況を把握するのを待っていてくれたのだろう。あなたと同じく白い椅子に腰掛けている、ゆったりとした紺を基調とする羽衣を身に纏った銀髪の少女が口を開いた。

 一際あなたの目を引いたのは、自身の足元にまで届こうかという長い銀髪だ。

 光源の無いこの空間の中で不思議と淡く煌いて存在を主張するそれは、本人もさぞかし手入れに気を使っていると思われる。ここまで長いと洗うだけで苦労しそうだが。

 

「……まさかいの一番にそういう感想が出てくるとは思いませんでしたよ。私自身、自慢の髪ではありますが。とりあえずお手入れはそれなり以上に大変とだけ言っておきます」

 

 女神パワーでなんとかならないのだろうか。

 

「無茶言わないでください。女神パワーで髪が綺麗になったら誰も苦労しません。まあアクア先輩は浄化の力を使って髪質を保っているみたいですが。ずるすぎる……なんてインチキ……いえ、失礼しました」

 

 このままではアホな雰囲気のまま話が続きかねないところだったが、女神エリスは弛緩しきった空気を入れ替えるべく、コホンと咳払いした。

 引き締められた表情から相手が真面目になったことを理解し、あなたもまた姿勢を正して真顔を作る。

 

「こうして直接顔を合わせるのは初めてになりますね。私はエリス。幸運を司る女神であり、この世界での人生を終えた人達に、新たな道を案内する仕事をしています」

 

 あなたもまた礼を失さない程度に自己紹介を行う。

 クリスとはそれなりに長い付き合いであるという前提が存在する以上、それは若干滑稽な光景だった。

 

「それでですね。今回あなたをお呼びした理由はいくつかあるのですが。まずは謝罪をしなくてはいけないことがあります。……いえ、違います。謝るのはあなたではなく、私です」

 

 まさかの言葉にあなたは意表を突かれた。

 あなたは自身が女神エリスに謝罪しなければならない理由であれば容易く思い浮かぶのだが、逆に女神エリスに謝罪されるとなるとそうもいかない。

 

「ええとですね、その……あなたがこの世界にやってきた原因である水瓶座の門。あれは、ですね。実は私とアクア先輩が共同で作った道具でして……そういうわけですので……」

 

 もごもごと口篭ったあと、女神エリスはおもむろに椅子から立ち上がる。

 そして……。

 

「この度は、私とアクア先輩が作ったゲートのせいであなたに大変なご迷惑をおかけしてしまい、まことに申し訳ありませんでしたっ!!」

 

 定命の者に向かって、深々と頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 円形のテーブルを挟んで女神エリスと相対するあなたは、水瓶座の門の製作に至った経緯、そしてそれを使った計画が永遠に凍結された理由をクッキーを齧りながら静聴する。

 このテーブルとクッキー、ついでに紅茶は女神エリスがどこからともなく取り出したものである。あなたは利き紅茶などできないが、クッキーに関しては王都の高級菓子店で売られているものに味と見た目が酷似していた。

 

 さて、あなたに頭を下げた女神エリスの言い分では、自分達が作成した道具であなたが転移してしまった以上、説明と謝罪の義務があるとの事。

 あなたとしては言い分そのものは理解できるものだった。

 経験上、こういうケースの場合は「よくぞ参った異界の勇者! 魔王を倒せ! 世界を救え! 手段は任せる!」とよく言えば内容については完全委任、悪く言えば雑に投げっぱなしジャーマンを決め込んでくるのがあなたのよく知る神の依頼なので、そういう意味では彼女の腰の低さには戸惑ってしまうわけだが。

 しかし水瓶座の門の異世界転移を許容するという条件付けを鑑みれば、わざわざ呼び寄せた存在に謝罪をするまでもないのでは、とも考えてしまう。

 そんなあなたの疑問に、銀髪の少女はこう答えた。

 

「繰り返しになりますが、ゲート計画は既に凍結しています。こう言ってはなんですが、あなたは勇者候補であると同時にイレギュラー。同じような異世界の存在でありながらしっかりとした説明を受け、今も動いているプロジェクトによってあの世界にいる日本人の方々と違い、本来あの世界にいるべき存在ではないのです」

 

 まあそうだろうな、とあなたは内心で頷いた。

 彼女は知らないが、あなたはバニルですら見通せないほどに遠い場所からやってきた冒険者だ。まさしくイレギュラーというほかない。

 

「計画が凍結となった直接の原因、かつてゲートが呼び出した存在が世界に深い傷跡を残してしまった事を思えば、あなたがやってきたのは不幸中の幸いなのでしょうが……」

 

 誰を選ぼうが大凶と言わざるを得ない廃人を呼び出した部分(不幸)が女神アクアの担当で、廃人の中では比較的良心や良識が残っている方という自負のある自分を呼び出した部分(幸運)が女神エリスの担当だとあなたは直感した。不運の力が強すぎる気もするが。

 

「そういうわけですので。もしあなたが帰還を望むのであれば、元いた世界に送り返すように上の方から命じられています。もちろん今すぐに決めろとは言いません。知り合いやお友達にお別れを言う時間は欲しいと思いますし」

 

 あなたは眉根を顰めた。

 気軽に元いた世界に送り返すというが、果たしてそれは本当に可能なのだろうか。まずはそこを聞いておかなくてはならない。

 

「可能ですよ。ここだけの話になりますが、ゲートの試作品で呼び出した方々は全員元の世界に帰っていますので」

 

 そういう意味ではないと首を横に振る。

 次いで、元いた世界の名前(イルヴァ)自身が活動していた大陸の名前(ノースティリス)、そこを統治する神々の名前など、様々なものを挙げていき、これらの名前に聞き覚えがあるか否かを問いかけた。

 

「……? 確かに私には聞き覚えの無い名前ばかりですが、私達が統治している世界はあまりにも多いですから。でも調べてみればすぐに見つかりますよ。これは決して私が不勉強というわけではありません」

 

 ちょっと天界ーグルと天界ぺディアで調べてみましょうか、と懐から取り出したのは、薄い金属性の板だ。

 

「天界フォンです。多機能で結構便利なんですよ。こうして手軽に調べものができるだけじゃなく、他の神々との通話に使ったり、天地創造アプリで雨を降らせたり、大地を作ったり、神罰アプリを使ったり。見た目は日本で売られているスマートフォン、という道具を模したものなんだとか。異世界転移に特典とは別に自身のスマートフォンを持って行きたがる日本人の方は多いですね。まああの世界では充電できないんですぐ使い物にならなくなっちゃうんですけど。ネットにも繋げられませんし」

 

 女神エリスの話の内容がところどころ異次元すぎてあなたは混乱した。

 とりあえず天界フォンとやらはとても便利な道具らしい。

 

「あれ? おかしいですね、どの語句もそれっぽいのが引っかからない……」

 

 天界フォンを見つめながら、女神エリスは首を傾げている。

 

「新人類計画という過去に凍結されたプランで生み出される予定だった生体兵器が、イルヴァというコードネームを与えられていたみたいですが、これはあなたの話とは無関係ですね。うーん……その世界でしか通じない、ローカル的な呼称なのかな……たまにあるんですよね、そういうの」

 

 天界フォンを片付け、次に出したのは金色の天球儀。

 あなたが冒険者ギルドに登録をした際に用いた、冒険者カードを作るための魔道具に酷似している。

 

「お察しのとおり、こちらは冒険者ギルドで使われている道具の原型になります。アレと同じように手を翳していただければ、あなたの魂の情報を読み取ってあなたの個人番号と出身世界番号を出力してくれますよ。人を番号化するのって無機質だから私は好きじゃないんですけど」

 

 苦笑いする女神エリスを前にあなたは逡巡する。

 恐らくこの道具を使えば、女神エリスは本当の意味であなたの正体を理解することになるだろう。

 異界の神々に自身の管理外の世界の存在、そして出自を全く異にする神の存在が露見する。

 かつて、海の向こうには他の国や人間など存在しないと考えられていた時代がある。異国人と異世界人。規模こそ違えども、現在あなたを取り巻く状況はまさしくそれだ。二つの世界の接触によって何が起きるのか、まったく予測がつかない。

 

「どうしました? 別に魂を吸い取るとかそういう危険なものじゃないので大丈夫ですよ。丸いところに手を乗せるだけの簡単なお仕事です」

 

 だが、あなたがこうしてこの世界に来てしまった以上、帰還した際に癒しの女神を通じてイルヴァの神々にこの世界のことが知れ渡るのは半ば確定した未来だ。よって、所詮は時間の問題でしかない。

 内心で結論を出し、およそ覚悟とすら呼べないものを決めたあなたは、女神エリスに言われるまま天球に手を翳す。

 

 そして、やはりというべきか。

 あなたが手を翳した瞬間、天球はピーという甲高い異音を発した。

 

 ――エラー。対象を定義することができません。対象は既存の管理世界群に属する存在ではありません。つきましては至急システムアップデートを……。

 

 バグったまま冒険者カードを作った時より酷い結果に終わったのは、こちらがより精密なものだからか。

 天球が発したメッセージを聞いたあなたに驚きは無い。

 バニルと初めて会った際に彼が口にしていたように、悪魔や神々が知覚、管理している世界群。あなたがその外側の者だという事がこれ以上ないほどに明確な形で証明されただけの話である。

 

「これ……今日アップデートされたばかりの最新版なんですけど……」

 

 一方で女神エリスは信じられないものを見たとばかりにあなたを凝視している。

 彼女からしてみれば、自身が属するものとは全く別の、完全なる未知の神話体系、未知の世界の来訪者との遭遇だ。その驚きは察するに余りある。

 

「本当の本当にイレギュラーじゃないですか……あなたは……一体何者なんですか……?」

 

 心なしか声を震わせている幸運の女神を相手に、あなたは再度、名乗りを返す。

 自分は慈悲深き癒しの女神を信仰する、ノースティリスの冒険者である、と。

 

 

 

 

 

 

「……あなたの素性は理解しました。神の一柱として、我々の関知していない世界が存在するなどありえないと言いたいのが本音ですが」

 

 驚愕に支配された心を落ち着けるために紅茶を幾度もおかわりし、たっぷりと五分という時間をかけた後、女神エリスはそう切り出した。

 

「申し訳ありませんが、あなたをそのイルヴァという世界に送り返すのは、現状において不可能です」

 

 前言を撤回されたあなただが、しかし不服は無いと頷く。存在しない筈の世界にどうやって送り返すのだという話なのだから当たり前だ。ここでおうちかえう! おうちしってう? おうちどっち? とクレームを入れるほどあなたは狭量ではない。

 

 これっぽっちも心を乱す事無くクッキーを頬張るあなたの姿に安心したのか、女神は息を吐いて肩の力を抜いた。

 

「もしかしてこれって私とアクア先輩の責任問題に発展したりするんですかね。あなたが信仰しているという女神様がウチの信徒を拉致しやがって殺すぞ、みたいな。……今のは例え話であって決してあなたの信仰対象を貶めているわけではありませんので、無表情で私を見るのは止めてください。とても怖いですから」

 

 つい先ほど癒しの女神は慈悲深いと言ったばかりなのだが、という若干の抗議の意思をあなたは視線に込めていた。それが伝わってしまったようだ。

 

「抗議を通り越して殺意が漏れてましたよ。ウチの女神様を蛮族扱いしやがって殺すぞ、みたいな」

 

 女神エリスの発想の殺伐っぷりにあなたは思わず閉口する。

 死者の転生を担う仕事を続けているとこうなってしまうのだろうか。

 わざわざ殺意を察知されるまでの時間をかけるほど、あなたは不信心者ではない。神敵はいつだってノータイムで殺しに行くのがあなたたちの流儀だ。

 

「そういう0か1かみたいな生き方ってよくないと思います。ええ、すごく」

 

 直々にありがたいお説教を受けたあなたは、悪魔は問答無用で滅殺すべしという過激なスタンスの持ち主にだけは言われたくないと反論する。

 

「いえ、ですから悪魔は……っと、失礼します。創造神様からの返信がきました」

 

 テーブルの上に置いてあった天界フォンが振動した。

 女神エリスは既に創造神というこの世界の最上位の神に管理外世界について報告しており、事前にあなたも許可を出している。

 

「あなたの世界の神々がこちら側に明確に何か仕掛けてくるまでは放置……との事です。おおむね予想通りといったところでしょうか。あなたは世界間の衝突を懸念していたようですが、私達が知らない世界がありますって言われても行き方すら分かっていない現状では手の施しようがありませんからね。証拠もあなたの発言と機材のエラーのみ。失礼ながら、あなたの魂に不具合があると考えた方がよほど説得力があります」

 

 納得のいく理由ではある。

 完全放置というのは若干お役所仕事な感じがしないでもないが。

 

「実際お役所仕事ですよ、私達の仕事って。規則で雁字搦めですし。アクア先輩は気に入らないことがあったら権力と腕力にモノを言わせて割と無茶を通しますし、それがかえって益となることも多いんですが、その皺寄せはいつも私に……最近もサトウカズマさんの複数回蘇生を無理矢理押し通したり……」

 

 濃い影を背負った女神エリスに、あなたは地雷を踏んだ事を理解する。

 話題を切り替えるべく、あなたはこの空間について聞いてみた。

 ここは真っ暗で寒々しく、あなたのイメージする天界とはかけ離れている。

 

「それは雰囲気作りの為にこうしてあるんです。こういった何も無い落ち着いた空間の方が、皆さんも自身の死を受け入れやすい傾向にあるようなので。例えば白亜の神殿といったような、いかにも天界らしさを感じられる場所もあるにはあるのですが、そのような場所で信仰対象である私に会うと、皆さん感激して拝み倒すばかりで……」

 

 仕事がはかどらない、ということなのだろう。なんとも世知辛い転生事情を明かされてしまった。

 国教になっている高名な女神も、天界という場においては社会の歯車の一つでしかないようだ。

 

「ぶっちゃけ私達って中間管理職……いえ、この話は止めておきましょう。あなたもここで見聞きしたことはなるべく口外しないでくださいね」

 

 本当に世知辛かった。彼女がクリスとして人間界を満喫しようとするのもむべなるかな。

 

「……ふふっ」

 

 何を思ったのか、今度はいきなり含み笑いをし始めた。

 いよいよストレスが限界に達してしまったのかもしれない。さながら張り詰めた糸が切れたように。

 

「違いますよ。生きた状態でここで私と話をしたのはあなたが初めてだったことに気が付いただけです」

 

 まるで魔王(ラスボス)のような台詞だった。

 ここまで生きて辿り着いたのは貴様が初めてだ、といった具合に。

 

「ああ、言われてみれば確かに今のはちょっと魔王っぽかった気が……魔王って私が!? 女神相手になんてこと言うんですか! しまいにゃ本気で神罰食らわせますよ!? 具体的にはじゃんけんで勝てなくなったり自分の目の前でお目当ての商品が売り切れたり犬のフンを頻繁に踏んだりするようにします! ……うっわエリス様の神罰超しょぼい、みたいな目で見ないでもらえます!? あなたはどういうわけか罪悪(カルマ)値が異常なまでに低いから私が与えられる神罰も相応のレベルになっちゃうんです! ほんとどういうわけなんでしょうね黒衣の強盗さん!!」

 

 あなたとしては感じたことをそのまま口にしただけなのだが、女神として魔王扱いはよほど腹に据えかねたらしい。散々あなたに不満と抗議をぶちまけた後、女神エリスは深々と溜息を吐く。

 

「私をエリスと知ってここまで雑に応対してくるのはあなたくらいなものですよ。あのサトウカズマさんでさえ()()()()()()()には礼儀正しいというのに……」

 

 また微妙に危ない発言をしているが、女神エリスに対しては女神アクアより気安く接している自覚はあなたにもあった。これは言うまでもなく、クリスとしての彼女と活動を共にしていることが原因である。

 そもそも気安くなかったら脱税の際にみねうちでぶっとばしたりしていない。

 無論、彼女の慈愛や仕事っぷりに関しては多大な敬意を払っているし好感を抱いているわけだが、それはそれ、これはこれだ。

 

 

 

 

 

 

 それからも女神エリスの仕事の愚痴を聞いてそのブラックすぎる内容にドン引きしたり、悪魔殺すべしと啓蒙されて苛烈すぎる女神エリスにドン引きしたり、ノースティリスの話を聞かせるも世紀末すぎてドン引きされたりといったように有意義な時間を過ごしたあなた達だったが、やがてそれも終わりの時がやってきた。

 

「そろそろ夜明けみたいですね。ここらでお開きにしましょうか」

 

 女神エリスに釣られて振り向いてみれば、後方20メートルほどの地点に白い扉が出現していた。

 扉を潜れば意識が覚醒するらしい。

 非常に稀有かつ有意義な時間を過ごしたあなたは女神エリスに礼を述べる。

 

「いえいえ、私もとても楽しかったです。こういう機会は初めてでしたので。カズマさんとも何度か顔を合わせていますが、すぐに蘇生して戻ってしまいますから」

 

 カズマ少年が相手であればベルディアよろしく無限蘇生を使ったパワーレベリングができるのだろうが、彼はあなたのペットではないのでやる理由が無い。何より本人のモチベーションも無い。ピストン輸送されてくるカズマ少年に女神エリスの胃に穴が開きそうだ。

 

 女神エリスに別れを告げ、扉に向かって足を進める。

 あなたはこの世界で死ぬ予定を立てていない。

 彼女とここで会うのはこれが最初で最後になるだろう。

 

 

 

「最後に二つ、お聞きしておきたいのですが」

 

 背後からの問いかけの声に、あなたはピタリと足を止めた。

 

「まず一つ目。魔王を討伐する気はありますか? ……無理にとは言いませんが、あなたが凍結した計画によって招かれた勇者候補の一人である以上、日本人の方と同じように、魔王討伐の暁には神々からの報酬が与えられます。そして魔王を討伐した勇者には、どんな願いでも、たった一つだけ叶えることが許されています。あなたが蒐集する神器。お望みでしたら、完全な性能を保ったままのそれも……」

 

 女神に向き直ったあなたは言葉を打ち切るように返答する。

 この件に関して自身が神々に求める報酬はただ一つ。イルヴァへの帰還手段の確保。

 それ以外の報酬で魔王討伐の依頼を請け負う気は一切無いと。

 

「なるほど、そうきましたか……いや、考えてみれば当たり前の要求でしたね……」

 

 神器で釣れるかもしれないと少しだけ期待していたのか、彼女は落胆の様子を見せた。

 あなたはこの世界における人魔の戦いに極めて興味が薄く、キョウヤのような正義感も無いが、別に魔王軍と戦わないとは言っていないし、実際に王都の防衛戦に参加したり幹部であるハンスを討伐したりしている。積極的に戦う気が無いだけだ。

 この消極的な姿勢の理由の根底にあるものが同居人である幹部のリッチーなのは語るまでもない。

 あるいはハンスの時と同じく、成り行きで魔王と刃を交える日が来るかもしれないが、あなたがウィズを最優先に動いている以上、降って湧いたイレギュラーにあまり期待するものではない。そういうことである。

 

 それにあなたは、女神アクアやカズマ少年あたりが魔王討伐を果たすのではないだろうかと思っていたりする。

 最弱職の少年が女神や癖の強すぎる仲間と共に艱難辛苦と抱腹絶倒の末に最強の魔王を打倒する。なんとも痛快な話である。

 

「……ふふっ。そうですね。あなたの言うように、案外、世界に平和をもたらす勇者様なんていうのは、カズマさんのような破天荒で愉快な人達なのかもしれません」

 

 若干和らいだ空気の中、二つ目の質問をあなたは視線で促す。

 

「二つ目は簡単です。あなたにとって、あの世界で過ごす日々は楽しいものですか? あなたは日本人の方と違ってあまり平和ではない世界からやってきたようですが、文化の違い、常識の違いに辛くなることはありませんか? 愚痴を聞いてもらうだけでも案外すっきりするものですよ、私のように」

 

 何の因果か、二柱の女神に招かれる形であなたが偶然迷い込んだこの世界は、それまでの常識が通じないことばかりで不自由することも多い。

 だが、今のあなたはその不自由すらも楽しんでいた。

 見るもの全てが新鮮であり、冒険者としての冥利に尽きる経験をしている。

 故に、女神エリスが気にすることなど何一つとしてありはしないのだ。

 

 そんなあなたの答えに、銀髪の少女はふっと微笑み、また会いましょうと告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

「行っちゃいましたか……」

 

 あなたが去った後、闇の中でひとりごちる女神の姿があった。

 

「そろそろ、私も打ち明けてもいい頃合なのかもしれませんね。いつまでも仕事仲間に秘密にしたままっていうのも気分が悪いですし。ちょっとは彼の驚いた顔を見てみたくもありますし」

 

 くすくすと悪戯っぽく笑いながら、今後の予定を立てる。

 ほとぼりを冷ますために暫くはクリスとしての活動を控えるつもりだが、その後は。

 

「うん、決めた。次に会った時、彼に私の正体を教えてあげましょう。衝撃の真実! なんと今まで一緒に仕事をしていた盗賊の正体は幸運の女神様だったのです! なーんちゃって。……ふっふっふ、共犯者クン、きっと滅茶苦茶驚くだろうなあ。楽しみだなあ」



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第102話 首無し騎士(無収入)と聖騎士(変態)

「ギンギーの香草焼きあがりました! 三番テーブルにお願いしまーす!」

 

 威勢のいい掛け声と共に、大皿に乗ったギンギーの丸焼きが厨房からあがってきた。

 丸々と太ったギンギーは、油と様々なハーブの焼ける実に食欲をそそる香ばしい匂いを放っている。付け合わせのフライドポテトとにんじんのソテーも程よく仕上がっており、コックの腕のよさが窺えた。

 三番テーブルの客は中堅冒険者の青年だ。装備も体も汚れていないので、食事を終えてから仕事に行くのだろう。

 真剣な表情の彼は、現在一人のウェイトレスの尻に視線が釘付けになっている。

 長い金髪を後ろで一纏めにしている彼女は客どころか他のウェイトレスの視線と羨望をも一身に集める美貌の持ち主であり、羞恥で真っ赤に染まった表情と成熟したメリハリのある体は男性の劣情を煽ってやまない。

 今日飛び入りでやってきた期待の新人である彼女は当初皿洗いを希望していたのだが、一分で五枚の皿を割った後にウェイトレスに転向になったという輝かしい経歴を持っていたりする。

 力仕事に関しては全く不安の無い彼女だが、地味な割烹着姿からミニスカウェイトレスへのクラスチェンジは本人としても甚だ不本意なものだったのか、そわそわとしていて落ち着きが無い。必死にスカートを手で押さえる姿は周囲の視線を隠すどころか集めるばかりであり、全くの逆効果である。

 そんな知り合いの冒険者達に冷やかされながらもなんとかウェイトレスをやっている少女を横目に、あなたは青年に声をかけ、料理をテーブルの上に乗せた。

 

「ああ、やっときたか……はぁっ!?」

 

 ウェイターの執事服を着たあなたの姿に大声をあげる冒険者は、困惑とも畏れともつかぬ表情であなたの頭から足の先までじろじろと見つめてきた。

 

「え、えぇ……? こんなとこでそんな服着て何やってんだ。あっちのといい、素でびびったわ。前から思ってたんだが、もうちょっと仕事選べよ。王都でもブイブイ言わせてる超高レベル冒険者だろアンタ」

 

 その言葉には何を今更と答えるしかない。そして職に貴賎は無く、ギルド側も討伐依頼以外の仕事を受注拒否したことはない。

 何より大衆向けの酒場のウェイトレスやウェイターはこれといって専門的な知識や技能が必要ない、心身が健常であれば誰にでもできる仕事だ。

 よって、ちょっと人手が足りないからと顔見知りのウェイトレスに頼まれ、他に依頼を請けていなかったあなたがウェイターをやっていても何もおかしくはない。

 

「いや、そりゃそうだが……。アンタ他にもドブ浚いとか外壁工事とか犬の散歩とかやってるだろ? もうちょっと人目を気にするとか、高レベル冒険者としてのプライドを大事に……滅茶苦茶めんどくさそうに溜息吐きやがった! 俺か!? 俺が間違ってるのか!?」

「安心しろ、お前は何も間違っちゃいない! 大体みんなお前と同じこと思ってる! 怖くて普段は口は出さないけど!」

「そうよそうよ! あなたはよく言ったわ!」

「負けないでー!」

「み、皆……ありがとう……!」

 

 フリーランスの冒険者が自分の好きなように依頼を受けて何が悪いのかと閉口するあなたは、やけに盛り上がっている一団を無視して仕事に戻る。

 

「高レベルなら高レベルらしく、もっと派手に活動しろー!」

「冒険者の夢を壊すなー!」

「お金貸してー!」

 

 酒を入れて気が大きくなっているのか、あちこちから飛んでくるブーイング。触るなキケン扱いされている王都やノースティリスではこうはいかない。なんだかんだで町の住人として受け入れられているアクセルならではといえるだろう。

 気安い対応はあなたとしても悪い気はしなかったが、それはそれとして、最後の舐め腐った要求には客が飲み終わったグラスから取り出した氷を指で弾くことで答えておく。乞食に恵んでやる金は1エリスたりとも持ち合わせていない。

 額に直撃した氷にもんどりうって悶絶するプリーストの少年へ周囲が向ける視線は冷ややかだった。

 

「痛ったあ! 何これすっごく痛い! ヒール! ヒール!」

「今のは自業自得だわ」

「そうね」

「お前調子ぶっこきすぎた結果だよ?」

 

 さて、討伐や高難度の依頼がない限り、あなたがアクセルで消化している依頼はドブ浚いのような殆どボランティアじみた雑用など、誰も受けたがらずに塩漬けになっているものが多くなる。

 当然ながら報酬は少ないが、金が目的なら王都などの別の街のギルドを頼りにするだけの話だ。

 誰もやらないから仕事を選ばないあなたが消化しているのであって、ブーイングを飛ばしてくる彼らが率先してこれらの依頼を片付ければ、町のあちこちで雑用に励むあなたを見る機会は一気に減るだろう。

 町のあちこちから持ち込まれては塩漬けになる雑用仕事の多さに頭を悩ませているルナも、それらの仕事をホイホイ請け負ってしまうからとあなたに押し付けているのではないかと若干気にしているので、あなたの手が空けばそれはそれで喜ぶこと請け合いだ。

 

「冒険者のみなさーん、ギルドはいいお仕事いっぱい用意してますよー! 未経験者でも大歓迎! 楽しくてアットホームな職場です!」

 

 あなたの理路整然とした反論に追随するかの如く、窓口に座っているルナが百点満点の営業スマイルで口上を述べる。

 

「そういうのってきついわりに報酬が安すぎるし……」

「ドブ浚いとか女の子がやる仕事じゃないし……」

「スキル持ってないし……」

 

 威勢よく野次を飛ばしていた冒険者達は一斉に沈黙してしまった。

 あなたが雑用に励む日々はまだまだ続きそうである。

 

 

 

 

 

 

 時刻が二時を回ろうかというところでようやく客足が疎らになり、あなたは遅めの昼休憩に入った。

 どこで昼食をとろうかと空いた店内を見渡して発見したのは、テーブルに突っ伏した期待の新人ウェイトレス。度の過ぎたセクハラ発言をしたフルアーマーの冒険者をアイアンクローで宙に浮かせたのは午前中のハイライトだろう。当然のように場は大変盛り上がった。

 そんな腕力系ウェイトレスの名はダクネス。本名ダスティネス・フォード・ララティーナ。この国有数の大貴族の令嬢であり、あなたが知る限りこの国最硬のクルセイダーである。被虐性癖持ちなのに羞恥への耐久力が非常に低いのが玉に瑕。

 

「はぁ……」

 

 大衆酒場のウェイトレスという、貴族であれば死ぬまで一度も経験しないであろう仕事に励んでいたダクネスは、かなり精神的に疲弊していた。

 聞きたい事もあったあなたは、突っ伏しているダクネスの対面に座り、労いの声をかける。

 

「ああ、あなたか。……これは、私に? すまない、ありがとう」

 

 奢りと称してあなたから渡された冷たいオレンジジュースを豪快に一気飲みして喉を潤したダクネスは、人心地ついたといった様子で息を吐いた。

 

「体力的には問題ないんだが、慣れない仕事と格好による精神的な疲労はどうしてもな……。あとあいつらの顔は忘れんぞ……」

 

 暗い顔で笑うダクネスは散々からかわれたのを根に持っているようだ。

 

「分かってはいたが、やはり私にこういった仕事は向いていないな。私自身、鎧を身に纏って戦うほうが性に合っている」

 

 自嘲して自身のウェイトレス服姿を見下ろすダクネスだが、衣服自体は非常に似合っていた。ダクネスの器量のよさはあなたやカズマ少年のみならず、彼女を冷やかしていた冒険者たちもよく知るところである。

 ちなみにだが、冒険者ギルドに併設されている酒場のウェイトレスの制服は色鮮やかかつ非常に可愛らしい事で有名だ。カズマ少年とキョウヤ曰くアンミラという喫茶店の制服に酷似しているとのこと。この制服を決めたのは絶対に日本人だとも言っていた。

 時給も悪くないし、ウェイトレス服を着たいがためにバイトに応募する年頃の少女は少なくない。

 そして貴族にして聖騎士であるダクネスもまた年頃の少女であることに変わりは無い。

 

「べ、別に衣装目当てで応募したわけじゃないから……っ! 仕事で合法的にフリフリの可愛い服が着れて嬉しいとか本当にこれっぽっちも思ってないし……!」

 

 あなたの視線に晒された少女は俯いて震えてしまった。

 そんなダクネスがいきなり酒場で働き始めた理由だが、尋ねてみればあっさりと教えてくれた。別に実家が莫大な借金を背負ったなどの金銭目的の行動ではないらしい。

 

「この際だからハッキリ言ってしまうが、その、私は少し……いや、かなり世間知らずなところがあるだろう?」

 

 彼女は貴族だ。それもそんじょそこらの貴族ではない。この国有数の大貴族である。

 傅かれる身分の者として、世間に疎い部分があるのはむしろ当然であり、レインのように市井に完璧に馴染んでいる貴族の方がおかしいのだ。

 

「うむ、確かに私はダスティネス家の者で、私自身その事に誇りを持っている。そこに偽りは無いし、代々の先祖や父の名を汚さぬように常日頃から心がけている」

 

 残念ながらそちらに関しては手遅れなのではないだろうか。口にこそ出さなかったが、あなたはそう思った。

 重度の被虐性癖持ちな末裔に、彼女の先祖も草葉の陰でどうしてこうなるまで放っておいたんだと泣いているに違いない。

 

「だが同時に私は冒険者でもあるわけだ。……だというのに、私が仲間のためにできることといえば、この身を盾にすること以外には実家の権力を持ち出すことくらいしか思い浮かばない。前者はクルセイダーとしての本懐ともいえるわけだからむしろドンと来いなのだが、私としてはあまり実家の権力をアテにしたくはない。無論、貴族としての私も私だと分かってはいるのだが……不当な権力の行使はダスティネス家として、その……」

 

 痛めつけられたり卑猥な目に遭いたいから武器スキルを習得しないという、親の顔が見てみたくなる性癖を除けば、ダクネスは良識と常識を持った性根のまっすぐな少女である。極力実家の権力を使いたくないという、ある意味貴族らしからぬ青臭い気持ちも分からないでもない。

 しかしカズマ少年達であれば、権力は使ってなんぼとばかりに困った時にダクネスの家の名前を持ち出し、その威光を以って状況解決を図る事くらいは平然とやりそうである。

 

「あなたもそう思うか。私もだ。だからこそ、できるだけそうならないようにと思っての今回だったのだが……世の中そんな簡単にいくものではないな……」

 

 物憂げに嘆息するダクネスは、仲間の為に自分ができることを増やしたいのだという。大貴族であるララティーナではなく、冒険者のダクネスができることを。

 だが最初からあまり難しいことにチャレンジしても失敗するのが目に見えているので、まずは簡単な仕事から始めようと、仲間に秘密で酒場の皿洗いに日雇いで応募。日頃から洗い物や掃除といった簡単な家事くらいはやっているので大丈夫だろうと思いきや、家事と書き入れ時の酒場はまるで勝手が違う。次から次に舞い込んでくる皿の山に翻弄され、緊張と不器用さが祟ってウェイトレス行き。

 この事は確実にカズマ少年達にも知られるだろう。女神エリスに負けず劣らずの不憫さと言わざるを得ない。

 だが仲間や友のために自分を高めようとする、ダクネスの志は立派なものだ。

 それは当たり前のことなのかもしれない。今回は上手くいかなかったかもしれない。

 それでもあなたは彼女の想いと自発的な行動を笑うことだけはしたくなかった。

 

「あ、ありがとう……そうやって真正面から褒められてしまうとなんだか照れくさいな……」

 

 あなたの真摯な賞賛を受け、ダクネスはコップを手で弄びながら小さくはにかんだ。

 だが彼女が手っ取り早く、かつ最も仲間の役に立てるのは武器スキルを取得してまともに近接戦闘を行えるようになることだ。

 現状のカズマ少年達のパーティーに最も不足しているのは前衛のアタッカーであり、ダクネスの腕力は並ではないのだから。

 

「それだけはできない」

 

 真顔で拒否されてしまった。

 そういうとこだぞダクネス、というカズマ少年の呆れ声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 さて、ダクネスが急にスキルアップに励み始めた理由についてだが、彼女が明かした事情はあなたを大いに驚かせることになる。

 

「これといった事件が起きていないからというのもあるが、ここ最近、カズマが妙に張り切っているというか、修行に励んでいるんだ。それも自発的に。あそこまで一生懸命なあいつの姿を見ていると、私も何かしなくてはいけないという気分になってな」

 

 自他共に認める安全第一、人生イージーモードを座右の銘とするような、楽ができるなら極限まで楽をしたいという性格の持ち主。それがあなたの知るカズマ少年だ。三人のアクの強い仲間たちに囲まれた彼が実際に楽ができているかは別として。

 しかしいつぞやのように借金漬けになっていたり切羽詰っている状況に追い込まれているならまだしも、今の彼はバニルとの取引やハンス討伐の賞金で暫く遊んで暮らせるほどの資金を得ており、さしたる脅威にも晒されていない。

 そんな彼が率先して修行に励むなど、いったい何が起きてしまったのか。明日は空からキノコとタケノコが降ってくるのかもしれない。場合によってはデストロイヤーや魔王軍を遥かに超える脅威になる。最悪、水の女神とウィズ魔法店一派が全力を出さなければアクセルは一夜を待たずして地図から消え去るだろう。

 

「あなたが驚く気持ちはとてもよく分かる。何せ()()カズマだからな。かくいう私も驚いた。とてもとても驚いた。あれでやる時はやる男なのは私もよく分かっているのだが……本当に追い込まれないと本気を出そうとせず、むしろダラダラ怠ける為に全力を発揮するくらいだからな、あの男は」

 

 やれやれと呆れるダクネスの表情に険は無い。

 

「だが、そんなカズマが誰にせっつかれるでもなく、自発的に修行をする。これはおかしい。明らかにおかしい。誰がどう見てもおかしい。何か変な物を食べたか病気にでもなったのかと私達は疑っていたんだが、カズマは季節外れのサンタクロースが傷心の俺に掛け替えのないプレゼントを届けてくれた。この恩に報いるためにちょっと本気を出さざるを得ない、あとお前らはもっと俺に優しくしろ、などと言ってな。わけの分からない修行を始めたんだ」

 

 仲間の奇行を赤裸々に暴露するダクネス。

 具体的な修行内容は鉤爪を使って壁をよじ登る訓練をしたり、弓だけではなく投擲技術も磨き始めたり、竹筒を使って水中に潜ったりと様々だ。

 

「他にもスリケンなる十字型の投擲武器や、マキビシなる鉄製の礫を鍛冶屋に作ってもらっていたな。アクア曰くニンジャ? という、カズマの国で諜報活動をしていた者の真似事らしい。ニンジャに憧れるのはカズマの国ではよくあることで、三日も経てば飽きてやめるだろうと言っていたがどうなることやら」

 

 女神アクアの言葉どおり、それはぐうの音も出ないほどに忍者だった。

 彼女は王城であなたの姿を見ている。ゆえにカズマ少年と黒衣の強盗との関連性を疑えなくもないのだが、黒衣の強盗が忍者を模したものであることに女神アクアは気づいていなかったようだ。カズマ少年には一目でバレたのだが。

 

 そんな一億五千万エリスの高額賞金首であるあなたは、何日か前に寝ているカズマ少年の枕元に修繕したエロ本(金髪ロリっ子触手モノ)が入った紙袋を届けた。恩というのはそれを指しているのだろう。

 直接彼の部屋まで赴いた理由だが、これは郵便受けに入れたのでは彼の同居人である少女達に見つかってしまうと気を利かせたからだ。ただのエロ本ならまだしも、王女アイリスを連想させる表紙のエロ本を見られるのは非常によろしくない。

 肝心のエロ本の内容だが、箱入りで若干おてんばな所もあるが、本当は心の優しい健気な王女が触手やスライムやゴブリンに性的にぐっちょんぐっちょんにされるというものだった。完全にアウトである。ダクネスに見つかろうものならば焚書は不可避だ。そんなことをされてしまっては、何のために夜なべしてエロ本を修繕したのか分かったものではない。

 サンタクロースなる者が何なのかは分からないが、カズマ少年の発言は十中八九エロ本を届けた事を指しているのだと思われる。ならばきっとサンタクロースはエロ本を枕元に届ける者なのだろうとあなたは解釈した。

 

 納得のいったあなたはダクネスに断りを入れ、テーブルの上にウィズが真心を込めて作った弁当を広げる。

 しかしながら、包みから出てきたのは二人ぶんの弁当箱。開けてみれば中身も両方同じだった。

 いつもより重いと思っていたが、ウィズはベルディアのぶんまで間違えて包んでしまったようだ。最近は夜遅くまで作業している日が続いているようなので、ついやってしまったのだろう。

 

「ベアさんか。思えば私は彼の事を全くと言っていいほど知らないな。あなたの仲間であり、ウィズと同じようにワケあり(アンデッド)だというのは知っているが、アルカンレティアにはついてきていなかったようだし」

 

 ベルディアは七日のうち五日を蘇生(起床)、風呂、食事、終末、死亡(睡眠)or朝まで生存(徹夜)というローテーションで過ごしているので家から出てこない。

 残りの二日も家で寝るか酒場で飲み明かすかサキュバス風俗に通うのが常なので、ダクネスが彼を知る機会はなかっただろう。

 本名をはじめとする魔王軍関係者であることと終末とサキュバス風俗を伏せ、あなたはダクネスにベルディアについて説明を行った。元騎士であること、普段は自宅の地下で鍛錬に励んでいること、以前は傭兵紛いの仕事をしていたが、あなたに敗れて助命の代価に降ったこと、ずっとあなたに養われていたがいい加減自分で金を稼ぎたいと泣きついてきたことなどなど。

 

「ふむ……」

 

 説明の後、ダクネスはこう言った。

 

「これは決してあなたを悪く言うわけではないので誤解しないでほしいのだが。あなたが私達のパーティーメンバーでなくて良かったと心から思う。あなたに事あるごとに突っかかっていくめぐみんを見るのは楽しそうだが、カズマとアクアが輪をかけて怠惰になりそうだ」

 

 まさかのダメ人間製造機扱いだが、呼び方としては同じ()()とはいえ、ダクネスの考える仲間(パーティー)ベルディア(ペット)は似て非なるものである。どこまでいってもペットは主人と対等には成り得ない。あなたはそう思っている。

 そういうわけなので、いくら臨時パーティーを組んでいるとはいえ、あなたは衣食住をはじめとする何から何までゆんゆんの世話をする気は無いし、彼女を遺伝子合成機にぶち込んで強化する気も今のところ無い。無限残機を前提としたデスマーチはさせたいと常々思っているが。

 

「しかしなるほど、デストロイヤー討伐の際に感じていたが、やはり彼は騎士だったのだな」

 

 したり顔で頷くダクネス。

 彼女はあなたを先に進ませるためにゴーレム達をひきつけた後、真っ先に切り込んで獅子奮迅の活躍をするベルディアの姿を見たのだという。

 御伽噺に出てくるような、邪悪な竜を討伐する勇敢な騎士さながらの暴れっぷりだったそうだ。

 

「私とて伊達にクルセイダーをやっているわけではない。太刀筋を見ればその者が騎士かどうかくらいは分かる。……どうしたんだ? 何かおかしなことを言っただろうか」

 

 被虐性癖を満たすために各種武器スキルの取得を頑なに拒む、素手で殴りかかった方が圧倒的に強い聖騎士(グラップラー)に騎士の剣を語られてしまったのだから、微妙な気分にもなろうというものである。

 弱きを助け、いざという時は民草の為に真っ先に剣を取る彼女の気高さは間違いなく聖騎士に相応しいものなのだが。

 

「ゴーレムを一太刀で粉砕していく彼の豪剣は凄まじいものがあったぞ。私にはとても真似できそうにない」

 

 剣スキルを取ればいいのではないだろうかとあなたは再度提案した。

 ダクネスも腕力に関してはかなりのものだ。

 

「繰り返すが決してそれだけはできない」

 

 強い決意を感じさせる口調だった。相変わらずの性騎士っぷりで何よりである。

 

「ところで、あなたの奴隷ということは、ベアさんはあなたが私に説明してくれたような扱いを?」

 

 奴隷ではなく仲間だとあなたはダクネスの認識を修正しておく。

 とはいえ、ダクネスが想像しているようにベルディアが毎日死ぬような目にあっているのは確かだ。

 それこそ心身共に鍛え上げられた元騎士の精神が擦り切れるような日々を送っている。最近はだいぶ慣れて余裕ができたようだが。

 

「やはりそうか……。いいなあ、羨ましいなあ……一日でいいから私と代わってくれないだろうか……」

 

 強い情欲を感じさせる口調だった。相変わらずの性騎士っぷりで何よりである。

 

「元騎士のアンデッドが精神的に参ってしまうような修練、拷問……いったいどんな責め苦を……ぐふ、ぐへへへ……」

 

 カズマ少年に贈ったエロ本も顔負けの、知性と品性を著しく欠いた堕落しきった表情。

 折角の美人が台無しだ。

 人目を憚らずに妄想に耽るクルセイダーの姿はあまりにも痛々しい。

 

「……ん?」

 

 そんなダクネスだったが、ふとしたタイミングで顔色を変える。

 

「高い戦闘力を持つ元騎士のアンデッド……どこかで聞いた覚えが……そしてベアという名前……え、いやいやいや、そんなまさか。幾らなんでも流石に安直すぎるだろう……しかしこの町には既にウィズやバニルという前例が……」

 

 難しい顔でブツブツと何かを呟くダクネスにあなたが声をかけてみるも、彼女はなんでもないと答えるにとどまるのだった。

 

 

 

 

 

 

 あちらは既に昼食を終えているかもしれないが、あなたはベルディアに弁当を持っていってあげることにした。休憩の時間はだいぶ残っているし、何よりウィズの折角の手作り弁当を食べないなどあまりにももったいなさすぎる。

 

「ふう。やはりいつもの格好だと落ち着くな」

 

 同じ騎士としてベルディアがどんな仕事をしているのか興味があるとあなたについてきたダクネスは、現在ウェイトレス服から黒の半そでシャツと紺の長ズボンというラフな普段着に着替えている。流石にウェイトレス服で町に繰り出したくはないらしい。あなたはウェイター服のままである。

 

「それで、彼はどんな仕事に就いているんだ?」

 

 あなたが答えると、ダクネスは目を丸くした。

 

「そんな仕事をさせて本当に大丈夫なのか?」

 

 騎士としてのプライドを傷つけないか気にしているようだ。

 ベルディアのアルバイトは彼が見つけてきたものであり、あなたが斡旋したわけではない。そしてこの際働けて給料が貰えるなら何でもいいとは本人の弁である。

 終末狩りで鍛えた腕っ節を活かせる職場ではないが、少なくともベルディアに不服は無さそうだった。

 

「ふむ……」

 

 そうしてあなた達がやってきたのは、大通りで営業している一軒のパン屋。その名をベアーズベーカリー。直訳するとクマのパン屋。

 店主はアクセルの住人から熊先生と親しまれている、まさしく熊のようにずんぐりむっくりとした大柄の男性。

 パン屋の前は牧師として活動していた異色の経歴を持つ彼のパン作りの腕は確かであり、小麦とバターの焼けるいい匂いがあなた達の元まで届いてくる。

 

「がおがおがお、がおーん」

 

 そんな店の前では現在、一撃熊をデフォルメした茶色いクマのきぐるみがプラカードを持って客の呼び込みをやっていた。

 一撃熊といえば獰猛なモンスターだが、このクマはゆるさを前面に押し出した、とぼけた表情にはどことなく愛嬌が漂っている。

 

「わんぱんくま、もふもふー」

「キック! パンチパンチ! キック!」

「ちょっと男子ー、止めなよー」

 

 きぐるみの周りには何人もの子供達が群がっており、抱きつかれたり頭に乗られたり叩かれたり蹴りを入れられたりと様々である。

 ちょっかいを出してくる子供達に嫌な顔一つせず応対する姿はプロ根性を感じさせた。本人の面倒見がよく子供の相手をするのも嫌いではないというのも理由だろうが。

 

「きぐるみなのだから表情が分からないのは当たり前なのでは?」

 

 経験が浅いせいか、ダクネスはまだまだ見が甘いようだ。きぐるみを着て宗教勧誘のバイトをこなした経験を持つあなたにとって、きぐるみの中の人の表情を読むなど余裕である。

 試しにとあなたはわんぱんくまに声をかけた。

 

「…………がお」

「本当だ。物凄い嫌そうな顔をした気がする。うわぁ……って」

 

 直接声に出してはいないものの、確かに中の人は言っている。

 冷やかしに来たのか。さっさと帰れ。失せろ、と。

 

「しっしって手を振っているな、あなたに。凄まじく邪険だが、確かにベアさんが中に入っているようだ。私もウェイトレス姿を仲間に見られるのは勘弁してほしいからな……」

 

 ダクネスの言ったように、わんぱんくまの中の人はベルディアである。

 主従揃ってきぐるみのバイトをやり、しかもクマのきぐるみを着るとは運命じみたものを感じさせた。片やパン屋の呼び込み、片や宗教勧誘と仕事の内容には凄まじい差があるわけだが。

 宗教勧誘ときてあなたはピンときた。アクシズ教も入信者に女神アクアの抱き枕をプレゼントすればいいのではないだろうか。

 中々の案だと自画自賛するあなただったが、やはりダメだとすぐに考え直した。出回る前に信者達が抱き枕を独占する未来しか見えなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 少し時間を貰って人気の無い店の裏で話をする。

 

がおんがおがおーん(何しに来た)がおんがおんがおん(見て分かるだろうが仕事中だぞ)

 

 辟易とした様を隠そうともしないベルディアに、あなたはウィズの弁当を持ってきたと答える。

 しかしながら、既にベルディアは店のパンを食べた後だったようで、そちらで食べていいと言われてしまった。ちなみにベルディアの弁当はフルーツが二人ぶんだったらしい。

 

がおがおがおんがががおん(他に用事が無いならパンを買っていけ)

 

 きぐるみは強制的に言語が変換される仕組みになっていた。

 わんぱんくまの鳴き声は明らかに熊のそれではないのだが、細かいことは気にしないほうがいいのだろう。

 ただ意思疎通がめんどくさいので、普通に話せるのならそうしてほしいところである。

 

がお(了解)

 

 一鳴きして背中に丸太のような腕を回した。変換機のスイッチが付いているようだ。

 

「やっといてなんだけど、傍から見るとがおがお言ってるだけの俺とナチュラルに会話するご主人は紛うことなき危ない人だな。実際危ない人だが」

 

 致死性の毒電波入りの天上の美声で格下を発狂死させる、お喋り好きな聖人系女子を友人に持つあなたにとって、謎言語と意思疎通するなど朝飯前だ。

 

「むむむ……」

「さっきからこいつは何なんだ。どっかで見た覚えのある顔な気もするが」

 

 辟易した様子のベルディアを気にも留めず、ダクネスは真面目な顔でわんぱんくまの頭を押したり引いたりしている。頑丈にできているのかきぐるみの首はびくともしていないが。

 

「固定されていて簡単には脱がせそうにないな……仕方ない。こうなったら……」

「お、おいやめ……やめろ馬鹿!!」

 

 突如として野生を剥き出しにした一撃熊が、力ずくできぐるみの首を引っこ抜こうとしたダクネスの頭を引っぱたいた。

 爪の無い分厚いきぐるみの腕では全く威力が出ておらず、名前負けも甚だしいものだったが、それはそれとして、あなたはすぐさまダクネスの手を止めて暴挙を諌める。

 

「……何故止める? 脱がされると困るのか?」

 

 剣呑さを漂わせるダクネスの青い瞳があなたを射抜く。

 止めるのも困るのも当たり前だ。幾らダクネスがわんぱんくまのきぐるみが欲しいからといっても、他人の仕事の邪魔をしてはいけないし、追い剥ぎなどもってのほかである。

 

「えっ!? ち、違う! 私は決して追い剥ぎを目論んでいたわけではない!」

「じゃあ問答無用で首をもごうとした理由を言ってみろ」

「……中身がどうなっているのか知りたかったんだ」

「そこらのヤンチャなガキみたいな発想だなオイ。そこまで気になるなら構わんが、ガキには中の人はいないって事になってるからバラすなよ」

「私は真面目な話をしているんだが!?」

「はいはい分かった分かった真面目真面目」

 

 投げやりに答え、ベルディアは背中からきぐるみを脱いだ。

 

「ほれ脱いだぞ。これで満足か?」

「…………」

「おい、なんとか言ったらどうだ」

「……首」

「あん?」

()()()()()()()()()()()

 

 ぴくり、とあなたとベルディアが反応する。

 空気が鉛のように重くなった。

 

「……何を言い出すかと思えば。そんなもん見りゃ分かるだろ」

 

 なんでもないことのように、ぐるんぐるんと繋ぎ目の無い首を前後左右に回すあなたのペット。

 その姿はこの国の者なら誰もが知っている、卓越した剣技と死の宣告で相対する者に不可避の死を約束する魔王軍幹部の首無し騎士(デュラハン)には見えない。

 ベルディアの首は遺伝子合成で会得した合体スキルで繋がっており、だからこそあなたもこうしてベルディアを自由にさせていた。

 

 どれだけ限りなく正解に近づいたとしても、最後の最後、デュラハンの首は繋がっていない、繋がらないというこの世界における常識が立ちはだかる。

 ベルディアの首を触ったりして本当に繋がっているのか確かめた後、ダクネスはあなたたちに頭を下げた。

 

「すまない、もしかしたらベアさんは魔王軍幹部のベルディアなのではないかと疑っていた。私の勘違いだったようだ」

「お、おう、そうか。疑いが晴れたなら良かった」

 

 流れる冷や汗を隠すようにベルディアはきぐるみを着直した。

 これは自身の身バレによって芋づる式にウィズにも危険が迫り、なんやかんやで最終的に世界が滅ぶことを懸念する冷や汗だ。

 

 

 

 

 

 

 硬くなった雰囲気を解すためにというわけではないが、ベルディアとダクネスが軽く互いの自己紹介をすることになった。

 ベルディアがアンデッドだったりウィズが魔王軍幹部のリッチーだとダクネスが知っていることなどを、通りすがりに聞かれても問題ない程度にぼかしながら。

 

「なるほどな、事情は大体理解した。俺はまたてっきり、お前はご主人の三号さんあたりかと」

「三号さん?」

 

 ほぼ初対面の相手に失礼なことを言うものではないと、ペットの軽口を諌める。ダクネスが言葉の意味を理解していないのは幸いだった。

 彼女は貴族なので側室に理解はあると推測されるが、それとこれとは話が別だ。特に仲がいいというわけでもないあなたの妾扱いはいい気はしないだろう。

 

「私が三号なら一号と二号は誰なんだ?」

「一号さんに当てはまる奴はいない。こういうのは二号、三号、四号と続いていくものだからな」

「そうなのか。ならば二号さんとは?」

「そりゃもちろんゆ……ごふっ!!」

 

 このままでは余計な誤解を招きかねないと、あなたはベルディアの腹をぶん殴った。抉り込むように拳が突き刺さったわんぱんくまの巨体が1メートルほど垂直に浮き上がる。

 しかしきぐるみを一切傷付けることなく、衝撃だけを中身に叩き込むあなたの業は匠の域にある。ちなみにウィズを一号さん呼ばわりしなかった賢明さに免じて痛みは与えていない。

 

「む、無駄に器用な真似しやがってからに……」

 

 彼がゆんゆんを二号さん呼ばわりしようとしたのは火を見るよりも明らかだ。

 あの時ベルディアは即座に逃げたので知らないが、あるえの小説を読んで錯乱したゆんゆんは実際にあなたの二号さんになろうとしたので洒落になっていない。

 

「彼の反応を窺うに、よほど人として不名誉な意味合いなのか? 性欲処理担当とか苗床とか」

「まあ人によっては不名誉といえなくも……なんだって?」

「人として、女としての尊厳を奪われ、名前ではなく番号で管理され、物のように扱われる……もしくは助けの見込めない地の底で母体として永遠に生かさず殺さず……三号さんとは実に素晴らしい、じゃなくてまったくもって度し難い、同じ女として興ふ、義憤を抱かずにはいられないな!!」

「今素晴らしいって言った? 興奮するって言った?」

「い、イってない……んくっ」

 

 自身が嬲り者にされる様を幻視したダクネスが恍惚にぶるりと震えた。

 一歩距離をとったベルディアも、彼女がどういう人間か理解し始めたようだ。彼は女好きだが、ドリスで会ったようなオープンすぎる相手は好みではないのだ。

 

「おおっと、これは俺の手に余るド変態だぞ」

「そ、そんなに褒めないでくれ。照れる……」

「言葉が通じても会話にならない。俺の周囲がコミュニケーション能力に難を抱えた奴だらけすぎて困る」

 

 さておき、このままでは世の中の二号さんや三号さんが多大な風評被害を受けてしまうと気づいたあなたは二号さんが何を指すのか教えてあげた。

 

「なんだ、二号さんとは側室のことだったのか……」

 

 ダクネスはがっくりと肩を落として言う。

 

「生憎私と彼はそういう関係ではない。顔見知り、という関係が適切なのだろうな。彼の仲間にしてもらおうと家に押しかけたことはあるが」

「……悪いことは言わんから止めておけ。経験者として言わせてもらうが、比喩抜きで死ぬほど痛くて辛い目にあわされるぞ」

「望むところだ! 最高の環境じゃないか! 頼む! 一日でいいから私と代わってくれ!」

「なんなのこいつ。苗床志望のドMとか悪い意味でキャラ濃すぎだろ。……は? クルセイダー? 性に狂った駄目女、狂性駄ーとかの間違いじゃなくて? 謝れ! 世界中のクルセイダーに謝れ!!」

 

 その瞬間、騎士としての矜持までは捨てていないベルディアの叫びをかき消すように、大音量の警報が一帯に鳴り響いた。

 デストロイヤー接近の際にも聞いた、最大級のエマージェンシーを知らせる警報だ。

 

 

 

 ――緊急警報! 緊急警報! ドラゴンです! 中型のドラゴンが五匹と大型が一匹、正門方面から一直線に接近中です! 冒険者の方々は至急、装備を整えて正門に! 街の住人の皆様は直ちに避難してください!!

 

 

 

 悲鳴にも似たルナの声の内容に、あなたとベルディアは一気に警報への興味を失った。

 

「なんだ、ドラゴンか」

 

 まったくだとあなたは同意する。またぞろデストロイヤーのような超高額賞金首と思いきや、とんだ肩透かしだと言わざるを得ない。

 

「さて、俺はそろそろ戻るぞ。初日でクビにされるとか笑い話にもならん」

 

 あなたは時計を見やった。

 だいぶ時間を潰してしまったが、まだウィズの弁当を食べる時間くらいは残っている。

 

「いやいやいやいや待て待て待て待て! 何二人してしれっと日常に戻ろうとしてるんだ!」

 

 ベルディアと別れ、手頃な場所で昼食にしようとしたのだが、ダクネスがあなたとわんぱんくまの腕を掴んだことでそれは止められた。

 

「なんだよもう。俺は仕事があるっつってんだろ。構ってほしいならご主人に頼め」

「今の警報を聞いていなかったのか!? ドラゴンだ、アクセルにドラゴンが迫っているんだぞ!」

「聞いてたが、それがどうした。たかだかドラゴン程度でぴーぴー喚くなみっともない。デストロイヤーよりマシだろ。それにどこからともなく湧いたドラゴンの群れに襲われるなんぞ日常茶飯事だろうが」

「錯乱しているのか!? しっかりしろベアさん! 確かにデストロイヤーよりマシかもしれないが、ドラゴンの群れに襲われるなんて狂った日常は魔王軍に脅かされる王都でもありえない! ありえてたまるものか!」

「…………!?」

 

 ダクネスがやけに真剣なのは街の危機だからか。

 そんな肩を揺さぶるダクネスの叱咤を受け、ベルディアは雷に打たれたように硬直した。

 

「そう、だ、な……そうだったな……そうだよな……」

 

 そのまま震え声で膝から崩れ落ちた。

 自身がいつの間にか脳みそまで終末狩りに浸りきっていたことを、自覚の無いままに彼岸に足を踏み入れていたことを自覚してしまったのだ。

 

 あなたには今のベルディアの心境が手に取るように理解できた。

 何故なら、彼が立っている場所は遠い昔にあなたが通り過ぎた場所でもあるからだ。

 廃人の仲間として順調に染まっていく頼もしいペットの姿に、ダクネスの叱咤をそういえばそうだった、程度にしか思っていなかった彼岸の住人(あなた)は感慨深げに頷くのだった。



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第103話 竜退治はもう飽きた

 ――(ドラゴン)退治はもう飽きた。

 

 イルヴァのその筋においておよそ知らぬ者はいないとまで称される、偉大なハンターの言葉だ。

 遥か遠い昔、まだすくつが発見されておらず、廃人という概念も存在していなかった時代。

 真紅の戦車を駆った彼は、仲間と共に世界中を冒険し、幾つもの古代遺跡を発掘し、数多の賞金首を仕留めたのだという。

 なお、これとよく似た「世界を救うのはもうやめた」という言葉をとある錬金術師が残しているのだが、こちらについては割愛する。

 

 モンスター界における大御所中の大御所にして、上記のハンターならずともノースティリスで終末狩りに勤しむ者にとっては誇張抜きで親の顔より見るハメになるのがドラゴンという生物であり、あなたもまた例に漏れずドラゴン退治は九割がたルーチンワークと化していたりする。

 ドラゴンの名誉の為に記述しておくが、それなりのレベルの迷宮にしか出没しない以上、終末以外でドラゴンの姿を見かけるのはかなり稀だし、能力自体もトップクラスである。

 しかしノースティリスは終末が日常である以上、必然的にドラゴンもまた日常になってしまうのだ。終末狩りを続けた結果、野生のドラゴンが野良犬か野良猫未満の扱いになり始めたベルディアのように。

 

 終末が発生しないという点から、出現頻度にこそ雲泥の差があるものの、この世界のドラゴンの知名度はイルヴァのそれになんら劣るところはない。それどころか一般人や王都以外で活動する冒険者にとっては限りなく災害に近い存在といえる。

 竜騎士の祖であるパンナ・コッタの友であるプリン・ア・ラ・モードのように、人と共に生きたり伝説で謡われるような知恵を持つ強大な力を持ったドラゴンは、基本的に俗世の煩わしさを憂うかのように人里離れた僻地に生息しており、ダンジョンやフィールドであなた達が見かけるのはもっぱら野生動物に近いドラゴンなのだが、その程度ですら生態系の頂点に近い位置に君臨しているあたりからドラゴンという生物が持つポテンシャルが窺える。ドラゴンを好き好んで襲う輩などオークと紅魔族くらいと言われるほどだ。

 紅魔族の里のすぐ近くにオークが生息しているあたり、案外両者は似たもの同士なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんな駆け出し冒険者が集う街ではまずお目にかかれないようなモンスターの襲来を前に、正門前に集まった冒険者たちの反応はおおよそ二種類に大別できた。

 緊張と恐怖で顔色を無くしている者と、余裕をもって待機している者。

 前者はこの春から冒険者を始めた新人が殆どだが、後者の中には前者とレベルが同程度の者も見受けられる。仲間と談笑したり、のん気にあくびをしている者すらいる始末。とてもではないがドラゴンの襲来を前にした者たちの反応ではない。

 彼らの違いはたった一つ。デストロイヤー戦を経験しているか否か。

 ドラゴンは言うまでもなく危険かつ強力なモンスターだが、やはりデストロイヤーとは比べ物にならないのだから、彼らの緊張感の欠如もある意味では理解できる。

 

 ……と、あなたは思っていたのだが、どうやらそれは間違っていたようだ。

 

「よーしよし、こっちも来たか」

「ほんと一時はどうなることかと思ったけど、頭がおかしいコンビが揃ってるならなんとかなりそうね」

「二人ともこういう時には頼りになるよな。こういう時には」

「言ってもただのドラゴンだろ? 億越えの賞金首ならまだしも」

「しかしなんだって隣のベアさんは背中が煤けてるのかしら。私の記憶が確かなら、あの人も相当の凄腕の筈なんだけど」

 

 終末狩りが自身の価値観に齎した多大なる悪影響を自覚してしまった衝撃から立ち直っていないベルディアを引き連れたあなたに集まる、やけに好意的な視線。期待しているぞ、などと肩を叩いて気軽に声をかけてくる者もいるあたり、今日に限っては歓迎ムードさえ漂っていた。

 

「恐慌に陥っているよりずっといいのだろうが、それでもこの若干浮ついた雰囲気……本当に大丈夫だろうか……」

 

 職員があなたを呼んでいるとのことで、主だったパーティーが向かったというギルドの指揮所に向かう途中、あなたに同行していたダクネスが誰に向けるでもなく苦言を放った。

 

「手の施しようがないという意味では国すら容易く滅ぼすデストロイヤーのほうが圧倒的に上なのは私も分かっている。だが街の中に攻め入ったドラゴンがもたらす人的被害は、確実にデストロイヤーの比ではなくなってしまう。歴史上、ドラゴンに滅ぼされた街や村など枚挙に暇が無い」

 

 デストロイヤーは超巨大な暴走馬車のようなものであり、その進行ルートから離れてしまえば身の危険は無い。少なくともデストロイヤーは逃げ惑う一般人を率先して襲ったりはしない。廃人が特に理由もなく町中の建物という建物を解体し始めるのと一般冒険者がメテオ、核、終末、その他諸々を発動するのでは、一帯が更地になるという結果こそ同じだが、一般人にとって危険度が段違いなのと一緒である。

 そういった意味では確かにダクネスの言葉のとおり、今回の方がアクセルの住人にとっては危険なのだろう。ましてや彼女は王国の盾と呼ばれるダスティネス家の人間だ。ドMだが。誇り高いダクネスが無辜の民を守ろうとする気持ちと使命感は人一倍強い。ドMだが。

 とはいえ、あなたの目には、今のダクネスはいささか肩に力が入りすぎているように見えるのも事実だ。彼女はドラゴンと対峙するのが初めてらしいのでそのせいだろう。

 

 しかし民衆に被害が出るかはさておき、少なくとも今回の襲撃でアクセルが滅びること、自身の命が危険に晒されることだけはないとあなたは確信していた。

 何故ならあなたは装備を取りに一度自宅に戻った際、ウィズの店にも顔を出してみたのだが、普通にウィズもバニルもあなたを見送ってきたからだ。

 これが仮にアクセルに壊滅的なダメージを与えたりあなたを殺し得るモンスターが相手だった場合、店と客、そしてウィズの心を守る為に見通す悪魔がウィズを無理矢理にでも参戦させるだろう。あるいは彼自身も出張ってくるかもしれない。

 

「お前の気持ちは分からんでもないが、ぶっちゃけ伝説や御伽噺に出てくるようなやばいレベルのドラゴンが攻めてきたとかじゃない限り、撃退自体は余裕だと思うぞ」

 

 あなたの心を読んだわけではないのだろうが、ベルディアが口を挟んできた。

 今の彼はきぐるみではなく竜鱗製の全身鎧を装備し、鞘に収まった巨大な剣を肩に担いでいる。

 ベルディアの身の丈の二倍にも届こうかという刀身を持つ特大剣は、生半可な力量の持ち主では満足に振るうどころか持ち上げることすら困難を極める代物だ。

 

「余裕、か。それは自分達がいるからと言いたいのか?」

「身も蓋も無い言い方をするとそうなる。自分で言うのもなんだが俺は結構強いからな」

「それは知っているが……」

「ま、今回は俺の出番があるかすら怪しいわけだが。俺やご主人を抜きにしても、デストロイヤーを吹っ飛ばした頭のおかしい爆裂魔法使いがいるんだ。アレに関しては仲間のお前の方が詳しいだろ。それに本当にやばいのが出てもどっかの誰かがここぞとばかりに大ハッスルしてオッケーベイベーレッツパーリィーってなるだけだから大丈夫だ」

 

 ベルディアの視線を追うように、ダクネスがあなたを見やった。

 

「……ベアさん。それは本当に大丈夫なのか?」

「全然全くこれっぽっちも大丈夫じゃない。巻き添えを食らわないうちに逃げた方がいいぞ。危ないものには近寄らない。常識だろう?」

 

 ダクネスの肩を軽く叩き、そのままあなた達から離れていくベルディア。酒飲み仲間の顔を見つけたらしい。

 

「あなたも私が気負いすぎだと思うか?」

 

 空気が読めるあなたは、多少は肩の力を抜いてもいいかもしれないが、楽観が過ぎて後で後悔するよりはずっといいのではないだろうか、と当たり障りの無い答えを返しておいた。

 ドラゴンが来る前に弁当を食べる時間はあるだろうか、などと考えながら。

 

「ベアさんもそうだが、まるで明日の天気の話をするようにドラゴンを語るのだな、あなた達は」

 

 あなたの言葉に何を思ったのか、この場の誰よりもアクセルを愛している聖騎士が何かを諦めたように小さく笑う。

 アクセルには超優良風俗店ことサキュバスの店に通うためだけにレベル30台のベテラン冒険者もちらほら在籍しているのだが、そんな彼らであっても計6体のドラゴンというのは容易い相手ではない。レベル40を超えたゆんゆんもまた同様に。そういう意味ではダクネスの懸念は決して間違っていない。

 あなたが見る限り、この場において野良ドラゴン相手に悠長に構えていられるだけのスペックを有しているのは、あなたとベルディア、そして女神アクアの三人だ。オマケで四次元ポケットの中の妹も。

 女神アクアに関してはなんやかんやでポカをやらかしそうだが、最悪でも頭から齧られたりブレスで丸焼きにされたり丸呑みにされて軽く泣きが入る程度で済むとあなたは思っている。丸呑みにされた場合は体内で多量の水を発生させ、内側から溺死させたり破裂させたりとえげつない攻撃方法が解禁されるのでその時点で勝ちだ。

 他にはダクネスも問題なくドラゴンの攻撃に耐えられるだろうが、攻め手に欠ける彼女では単独でドラゴンを倒しきれない。逆にドラゴンを殺しきれるめぐみんは被弾が死に直結する。

 カズマ少年は考えるまでもないだろう。口が回りいざという時の機転に優れ、搦め手や嫌がらせで真価を発揮する彼はいわばパーティーの交渉窓兼便利屋であり、非常に得難い人材といえるのだが、こういったガチンコの正面戦闘に関しては能力も性格もトコトン向いていない。本人も馬鹿野郎俺は逃げるぞ最弱職のペーペーにドラゴンとタイマンで戦えとか笑える冗談も大概にしろ、と激怒すること請け合いだ。

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、お待ちしていました」

 

 野外に設営された簡易指揮所に辿り着くと、ルナが声をかけてきた。声色と小さく破顔しているところから安堵していることが窺える。

 他のパーティーも呼ばれたと聞いていたのだが、既に場を離れているようだ。残っているのは職員を除けばカズマ少年と女神アクアだけ。めぐみんの姿はない。

 

「カズマ、めぐみんはどうした?」

「ゆんゆんと一緒に一番前の方にいるよ。魔法使いの癖に一番槍は貰いました、とか何考えてるんだかな」

 

 肩を竦めたカズマ少年がニヤリと邪悪に笑う。

 

「ところで聞いたぞララティーナ。仲間の俺達に黙ってウェイトレスのバイトをやるなんて水臭いじゃないかララティーナ。言ってくれれば三人で冷やかしに……もとい応援に駆けつけてやったってのになあララティーナ?」

「だ、誰だっ……その話を誰から聞いた……っ!?」

「キースとダスト。げらげら笑いながら教えてくれたよ」

「あいつらあとでぶっころしてやる!」

「落ち着いてダクネス! 私はいいと思うわ! ダクネスだって女の子なんだから、可愛い服を着てもいいのよ! それに私知ってるの、ダクネスが自分の部屋でフリフリの可愛い服を着て鏡の前でニッコリ笑う練習をしてること!」

 

 女神アクアの悪意無き死体蹴りを受け、両手で顔を覆って蹲ってしまうダクネス。

 三人が繰り広げる愉快な漫才を尻目に、あなたは呼び出された理由について話を聞いてみた。

 

「今回の襲撃に関してなのですが、ただの野生のドラゴンとするには不審な点がいくつかあると私達は見ています。皆さんには既にお伝えしたのですが……」

 

 警報でもあったように、ドラゴンはアクセル目掛けて一直線に飛んできている。

 飛んできてはいるが、進行ルート上にアクセルがあるだけであって、ドラゴンはアクセルを襲撃に来ているわけではない可能性があるのだという。

 かつてデストロイヤー迎撃の地にもなったアクセルの正門の先には広大な田園地帯と牧草地帯が広がっており、更に幾つもの農村や開拓村が点在している。

 アクセルの食料供給の大半を担っている田畑と牧場はしかし、不幸にもデストロイヤーの襲撃によって散々に荒らされてしまっていた。

 領主であるアルダープに助けを求めるも、大雪で少なくない被害が出た今のアクセルにそんな金銭的余裕は無い。春までに自分達で何とかしろとすげなく突っぱねられ、危うく幾人もの農夫や開拓者が路頭に迷い、付随してアクセルも危機に陥るところだったのだが、見かねたダクネスの実家が私財を放出したことで今はすっかり元の姿を取り戻している。

 

 さて、これら全てがアクセルの直線上に存在するわけではないが、それでもドラゴンは農村や牧場を認識している筈。そして無力な人間や家畜はドラゴンにとって格好のエサなのだが、なんともおかしなことにドラゴンは全てを完全に無視しているのだという。

 

「あと、こちらを見てもらえますか? 今回、最初にドラゴンが確認された地点がここになります」

 

 ルナが持参した地図の一点を指差す。

 そこはアクセルと、アクセルほどではないがそれなりに大きな隣町を直線で結んだ際のほぼ中間地点であり、ギルドの支部が置いてある小さな宿場だった。

 

「報告を受けた私達はすぐさま隣町のギルドに確認を取ったのですが、彼らは寝耳に水の事態だったそうです」

 

 一直線に飛ぶドラゴンの姿を、進行ルート上に存在する街が確認していない。

 ちょうどその時は人の目が届かない超高所を飛んでいたり突然方向転換したという線も当然考えられるが、そうでないのであれば、まるで隣街と宿場の間のどこかの地点に突然ドラゴンが湧いて出たかのようだ。

 しかしこの世界では終末よろしく野生のドラゴンが突発的に発生したりはしない以上、今回のこれは単に野生のドラゴンが出現した、という話では終わらないのかもしれない。

 

 まあ、相手が何だろうとあなたにとってはあまり関係がない。

 基本的に厄介ごとを暴力で解決することに長けているあなたは小難しい話が苦手なのだ。

 ドラゴンが敵でないのなら捨て置く。敵ならぶちのめす。それだけの話である。

 

 

 

 

 

 

 防衛線の切っ先。

 アクセルで最も有力なパーティーが配置された一角で、黒いマントをはためかせ、ニヒルに笑う一人の少女の瞳が輝いた。物理的に。

 

「敵なら問答無用でぶっ飛ばします。敵じゃないなら人様に迷惑をかけるなとぶっ飛ばします。爆裂魔法でぶっ飛ばします。先手を取って爆裂魔法を撃つ。これだけでいい……」

 

 カズマ少年から話を聞いためぐみんの感想がこれである。人生を全力でエンジョイする頭のおかしい爆裂魔法使いは今日も絶好調だ。

 遮蔽物の無いフィールドで少数かつ大きな敵を迎撃するという状況下において、超射程かつ超火力の攻撃を持つめぐみんはその力を最大限に発揮することができる。

 ただし屋内では使えない上に致命的に小回りが利かない。彼女には冒険者よりも戦術兵器の呼称こそが相応しい。

 

「これっぽっちもよくないわよ! あと人様に迷惑をかけるなとか毎日街の外で爆裂魔法ぶっぱなしてるめぐみんが言っちゃいけない台詞だと思う!」

 

 ゆんゆんのツッコミに周囲の冒険者が一様に頷いた。

 

「だいたいなんでめぐみんはそんなにやる気満々なの? 相手はドラゴンなのよ? 怖くないの?」

「はぁ!? 頭大丈夫ですかゆんゆん! ドラゴンですよ! ドラゴンなんですよ!? ドラゴン退治は冒険者の華にして王道! そして紅魔族としてドラゴンキラーの称号を手に入れる機会を逃すなど言語道断! そりゃあやる気にもなるってもんですよ、やったりますよ私は! どれほど冒険者カードの討伐欄にドラゴンの文字が増える日を待ち望んでいたことか! この機会をどこぞの頭のおかしいのに譲ってたまりますかって話です! 聞いてんですかそこで座って暢気に弁当を突いてる頭のおかしいの! ゆんゆんもゆんゆんです! むしろどうして貴女はこの一大チャンスにびびってるんですか、貴女だってまだドラゴン討伐してないでしょうに! そんなんだから里で浮くんですよそこんとこ分かってるんですか!? かーっ! 全くそんな心意気で紅魔族随一の天才である私のライバルを自称するなど全くもって嘆かわしい! かーっ!!」

「頭の心配された! よりにもよってめぐみんに頭の心配された! 何これ物凄いショック! っていうかここぞとばかりに早口で人のことメタメタに言わないでくれる!?」

 

 駆け出しのようにガチガチになるでもなく、他の冒険者のように気楽に構えるでもなく、めぐみんはひたすらに興奮していた。

 冒険者であれば誰もが一度は夢見るであろう、ドラゴンキラーという称号。

 ドラゴン討伐のチャンスに目を輝かせるめぐみんは、伊達にドラゴンの巣の近場に里を作り、最終的にドラゴンの方を夜逃げさせた種族の血を引いていない。このテンションが紅魔族のデフォルトと考えると、度重なる紅魔族の襲撃に辟易したドラゴンが夜逃げしたのもむべなるかな。

 実に頼もしいが、それはそれとして、仮にも年頃の少女としてそれはどうなのだろう、という気持ちをあなたはほんの少しだけ抱いた。

 

「ドラゴン退治が冒険者の王道だっていうのは分かる。男なら誰だって憧れる。もちろん俺だって憧れる。けどさあ。お前デストロイヤーを消し飛ばしたじゃねえか。称号でいったら()()()()()()()()()とかそんなんだぞ」

「破壊者を破壊した女……!?」

 

 カズマ少年の言葉が紅魔族特有の謎の琴線に触れたのか、めぐみんはわなわなと震え始めた。戦慄や怯えではなく、高揚感から全身を震わせている。

 

「ま、まあ、カズマがそこまで言うのであれば? 仕方なく、ええ本当に仕方なくですが、その称号を受け取ってあげなくもありません。でもそれはそれとしてドラゴンは倒します。絶対に倒します。ドラゴンの名前が書かれた冒険者カードを見てニヤニヤしたいので」

「トロフィー気分かよ」

 

 そんなめぐみんに対し、冒険者の誰かがこう言った。

 

「頭のおかしい爆裂娘ならぬ、頭のおかしいデストロイヤーか……」

 

 それはとても小さな声だったが、不思議なほどに周囲に浸透した。

 聞き捨てならぬと頭のおかしいデストロイヤーが暴れ始めたのは言うまでもないだろう。

 

「もぐもぐ……このお肉、中まで味がよく染み込んでるわね。冷えても美味しく食べられるように工夫されてるし。でもウィズって最近までチャレンジ生活一歩手前の赤貧やってたんでしょ? お茶も美味しかったし、なんで料理が上手いのかしら」

 

 お弁当余ってるの? 小腹が空いたから食べないなら私に頂戴、とベルディアの分の弁当を要求し、あなたと仲良く弁当を突いていた女神アクアが空気を読んでいない、しかし尤もな疑問を口にした。

 ウィズはあなたと同居を始めた時から普通に料理が上手だったので、あなたも少しだけ不思議に思っていたりする。お菓子作りに関しては素人レベルなので尚更だ。

 

 

 

 

 

 

『冒険者の皆さん! 間もなくドラゴンが来ます! 各自最大級の警戒を! 住民の皆さんの避難は終わりましたのでご安心ください!』

 

 拡声器から伝わってくるルナの言葉に無言をもって答える冒険者達の背後にあるのは、限りなく無人に近づいたアクセル。昼過ぎであるにも関わらず街を包む壁の向こうは死んだように静まり返っている。

 約二名の存在によって楽勝ムードが漂っていたアクセルの冒険者達だったが、カズマ少年がとある疑問を口にしたことで冷や水を浴びせかけられ、結果としてこうして緊張感を保ったままドラゴンを待ち構えることになった。

 

 ――そういえばさ。ドラゴンって飛んでるんだよな。もしドラゴンが敵で、しかもめぐみんの爆裂魔法の射程外から攻めてきた場合、どうやって迎撃すればいいんだ? 具体的には散開されて空の上からブレスを吐いてチマチマ街を焼く、みたいなチキン戦法を使ってきた場合。

 

 その言葉を聞いた全員が「あっ」という表情を浮かべたのはあなたの記憶にも新しい。

 

 王都には竜騎士を筆頭に、空戦可能な上級職が数多く詰めている。

 だがここは駆け出し冒険者の街だ。飛行可能という圧倒的アドバンテージの前では、地を這う人間は抗う手段が極めて限定される。

 

 そしてそれはあなたも例外ではない。

 

 あなたが抱える致命的な弱点の一つに単独での飛行が不可能、というものがある。ノースティリスで空戦を強いられた場合は機械人形のような飛行可能なペットに騎乗して対処していた。

 割れている手持ちの札の中ではメテオの魔法を使えば超高度の迎撃が可能だが、当然アクセルは更地になる。

 そしてクリエイトウォーターとテレポートは別として、あなたがこの世界で習得した遠距離攻撃はノースティリスで鍛え上げたスキル群と比較すると手慰み程度にしか鍛えていない。当てるだけならまだしも、アクセルに被害が出る前に全てのドラゴンを確殺できる自信は無かった。

 

「頼むぞダクネス! お前の鍛え上げた囮スキルは空を飛ぶドラゴンにだって通じると俺は信じてるからな!」

「ほんとお願いねダクネス! 私屋敷を焼かれて家なき子に戻るとか絶対に嫌なんだから!」

 

 もしかして割と真剣にやばい状況なのでは、と遅まきながら気づいた冒険者達のてんやわんやの作戦会議の末、万が一敵感知スキルに引っかかるようであればダクネス達が全力で囮スキルを使ってドラゴンを引き寄せることになったわけだが……。

 

「見えたぞカズマ! どうだ!?」

 

 空の彼方より来たる六つの影。

 敵意に満ちた咆哮が遠く離れたあなた達の元にまで微かに聞こえた。

 

「アウトだアウト! 全部敵だよ畜生め! 作戦通りいくぞ!」

 

 カズマ少年の合図と同時にダクネスを筆頭に複数人が囮スキルを発動させ、魔法使い達が少しでもドラゴンの注意を引くべく空に向かって攻撃を放つ。

 

「ドラゴンの敵意をひしひしと感じる! 悪くない戦意だ! いいぞ、来い! 私は逃げも隠れもしない!!」

 

 流石というべきか、遠く離れたドラゴンの敵意すら一身に集めるダクネスの囮スキルの錬度は他者のそれとは一線を画していた。現時点ではめぐみんの爆裂魔法の有効射程を上回っているというのだからちょっとどころではなくおかしい。

 一方で、魔法攻撃の方は距離に阻まれ、辛うじて当たっても堅牢な鱗に弾かれて効果はゼロ。ゆんゆんですらも痛打を与えるには至っていない。それほどの距離だ。

 あなたも斬撃を飛ばすスキル、音速剣(ソニックブレード)を使ってみたものの、やはり錬度が低いスキルでは威力が不足しており、距離による減衰も相まって集中して斬撃を浴びせた一匹を仕留めるのが精一杯だった。

 武器は神器。不足は無い。音速剣は強力なスキルではないが、そんなものは言い訳にもならない。この結果はひとえに自身の努力不足だと自身を戒めていると、わき腹を強めに小突かれた。めぐみんがジト目であなたを睨んでいる。

 

「何しれっと一匹殺してるんですか。ちょっとやめてくださいよ、そういう私の獲物を横取りするような真似は」

「めぐみん、安心する気持ちは分かるけどもっと緊張感持って! 怒ったドラゴンが降りてきてるから!」

「非常に不愉快なんで私がコレを信頼してるみたいなこと言うの止めてもらえませんか!?」

 

 ゆんゆんの警告のとおり、囮スキルに引っかかり、仲間を落とされいきり立った中型――グリーンドラゴンが四匹、まっすぐこちらに突っ込んでくる。

 最もポピュラーといえるドラゴンだが、その能力はドラゴンの名を汚すものではない。

 

「めぐみん、やれっ!!」

「私としてはできれば後ろの大物をやりたかったんですが、そうも言ってられませんか……」

 

 カズマ少年を含めた冒険者達が最も危惧したのは、分散したドラゴンに個別に攻撃されることだ。数を一気に減らせる機会を逃す理由などどこにもなく、めぐみんもそれをよく理解していた。

 

「――エクスプロージョン!!」

 

 先手を取って爆裂魔法を使うという言葉を違えること無く、四匹のドラゴンが射程圏内に収まった瞬間にめぐみんは爆裂魔法を行使。相手の攻撃を許すことなく三匹を跡形もなく消し飛ばした。残る一匹も不快な音と共に墜落死した。

 

 ドラゴンの項目が刻まれた自身の冒険者カードを見て高笑いをあげるめぐみんが限界を迎えて昏倒したが、ここまではおおむね予定通り。

 

「終わってみればあっけなかったな」

「後はあいつに任せときゃいいでしょ」

「いや、ちょっと待て。あのドラゴンってもしかして……」

 

 問題は残った大型だ。

 手下か仲間かは分からないが、グリーンドラゴンが全滅しようとも全く意に介さず、何もしてこなかった最後の一匹。

 アクセルの冒険者達は、かなり離れた場所に悠々と降り立った最後の一匹に目が釘付けになっていた。

 鋼色の鱗に紅玉の瞳を持つ、体長10メートルほどのドラゴン。その名は……。

 

「ルビードラゴン……」

「オイオイオイ、マジか。マジでルビードラゴンなのかよ」

 

 その名と共に、冒険者達の間にざわめきが広がっていく。

 彼らの目に宿る感情は若干の恐れと警戒、そしてそれらを遥かに上回る圧倒的な欲望。

 

「おいダクネス。なんか周りの様子がおかしいんだが」

「お前は相変わらず変なところで物を知らないな。いいかカズマよく聞け、あれはルビードラゴンだ。全身の鱗は極めて強い耐魔力を持ち、生半可な魔法は弾き返してしまう。防具としての需要も極めて高い。さらにその瞳は最高級の魔道具の核となり、傷が無い状態であれば一つでも億は下らないと言われているほどだ」

「億!?」

 

 ただしルビードラゴンの生息域はアクセルから遠く離れた()()()、その奥深くであり、まずお目にかかれるような存在ではない。

 そして魔王領はアクセルから見て正門とは真逆の方角に存在している。

 露骨なまでに不審な襲撃者に、あなたは自身の真横に立つペットに目を向けた。

 

「止めろ、こっち見んな。俺はこの件とは無関係だ。今の魔王軍の動向とか何も知らんぞ。いや本当に。古巣とこっそり接触とかしてないから」

 

 まだ何も言っていないというのに、仲間に裏切られて処刑された過去を持つ元魔王軍幹部のペットが小声で抗議してきた。

 だがあなたはベルディアを疑っているわけではなかった。仮に今回の件に魔王軍が関与しているとすると、ベルディアが原因の一端を担っているのかもしれない、とは感じているが。

 

「あー……そうだな。正直それについては俺も否定できない」

 

 ベルディアは魔王軍の中では任務でアクセルに向かった後に消息を絶ち、死んだ扱いになっている。

 そしてバニルとハンスがアクセルの冒険者に討ち取られたというのは少し調べれば分かる程度に有名な話だ。ニホンジンをはじめとした王都の冒険者が魔王軍に寝返った事件もあり、ある程度の情報は流出していると見るべきだろう。

 バニルに関しては残機を減らされたからこれ幸いと魔王軍を辞めただけであり、今も存命なのはあちらも把握していると思われるが、それでも魔王軍がアクセルを警戒し、何かしらのアクションを起こしてくるのはごく自然な成り行きだった。

 

「だからってドラゴンをけしかけてくるのは悪手もいいとこだ。万が一にでも非戦闘員に被害が出たら確実にウィズがぶちぎれるぞ」

 

 女神ウォルバクがいる以上、あちらもまさかアクセルがウィズとバニルの縄張りだと知らないとは思えない。あるいは多少犠牲が出たところでウィズが強く出ることはないだろうとたかをくくっているのか。

 

「ところでご主人、ゆんゆんをドラゴン使いにするちょうどいい機会だが、しばき倒して言う事聞くまで痛めつけたりはしないのか」

 

 その気は無いとあなたは首を横に振った。ゆんゆんが希望したのは雷属性のドラゴンであってあれは違う。何より相手は魔王軍の首輪つきである可能性が非常に高い。

 大体にして、ドラゴン使いになる為にはドラゴンと心を通わせる必要がある。決して暴力で押さえつけて無理矢理言う事を聞かせることではない。

 

「なんていい言葉だ。感動的だな。俺を半殺しにした挙句完全に生殺与奪を握った状態で絶望的な四択を突きつけてきた誰かさんに聞かせてやりたい。選んだ答えに後悔はそれほど無いが、それはそれとして。いや、ここは笑うところじゃないから。分かってんのか。分かれ、分かってくれ」

 

 ぶつくさと愚痴るベルディアを引き連れ、一歩前に出る。

 低く唸り声をあげるルビードラゴンの意識はダクネスに向けられている。

 相手はそれなりに高位のドラゴンだが、ドラゴンを飽きるほど狩り続けたあなた達の敵ではない。その気になれば瞬きする間で血祭りにあげられる相手だ。

 

「ちょっと待て」

 

 さて行こう、というタイミングで後ろから肩を掴まれた。

 何事かと思えばあなたを引き止めたのはアクセルが誇るチンピラ冒険者の片割れ、ダストだ。

 

「おいお前ら、本当にこれでいいと思ってんのか?」

「どうしたダスト。これでいいのかって何だよ」

「このままだとこの頭のおかしいのがルビードラゴンを自分達で片付けるぞ。最初から最後まで頭のおかしい連中の独擅場でお前らは満足なのかって言ってんだよ」

「おい待て。私も活躍したぞ」

「俺をご主人と一緒にしないでもらえる?」

 

 ダクネスとベルディアの抗議の声を無視してダストは続ける。

 

「こいつらに任せとけば楽だっていうのは分かる。でもよ、こいつらがいない時に今回と同じようなことが起きたらどうするつもりなんだ?」

「いや、アクセルみたいなド田舎にドラゴンが来るとかそうそうないだろ」

「ドラゴンに限った話じゃねえよ。それにドラゴンだって次が絶対に無いって言い切れるのか? こうして一回目があったのに? それとも部屋の隅っこでガタガタ震えて嵐が過ぎるのを待つってか? 俺はそんなダサイ真似は死んでもごめんだね。お前らキンタマ付いてんのか?」

 

 あざ笑うダスト。

 冒険者達は苛立ちを露にしながらも、ダストのある種の正論に返す言葉を見つけられないでいた。

 

「ちっ……言いたい放題言いやがって」

「そりゃ私だってこれでもいいとは思ってないわよ……」

「だろ? っつーわけでルビードラゴンの瞳は討伐した奴が独り占めするってことで! 後は俺に任せろ! おいララティーナぁ! 囮スキルは絶対に切らすんじゃねえぞ!!」

 

 冒険者達の目の色が変わった。

 

「あーっ!!」

「畜生てめえそういう魂胆かよ!!」

「うるせえ! こちとらクソみたいな税金で今も借金背負ってんだよ! ここらで一発ドカンと当ててこそ冒険者ってもんだろーが! バーカ、滅びろ貴族!!」

「おいダスト! 私もダスティネス家という貴族なんだがそれについて何か思うところは無いのか! 今すぐ囮スキルを解除してやってもいいんだぞ!!」

 

 ヒャッハー数億エリスは俺のもんだ、誰にも分け前をくれてやんねーとチンピラ全開かつ死亡フラグに満ちた台詞と共にダストは突撃した。

 

「こんなことだろうと思ったよ! 行くぞお前ら! ダストに任せとくとマジで独り占めされるぞ!!」

「この際だから言っちゃうけど収入の五割ってマジでクソよねこの国! エリス様、国税局の連中に神罰を当ててください!」

「呪われてあれ! 呪われてあれ!!」

 

 テンションに任せるがまま次々に怨嗟の声をあげてルビードラゴンに殺到する冒険者達。デストロイヤー戦を経験した彼らはその殆どがいずれも法外な税金の被害者だった。あの日、職員の魔の手を逃げ切った者はあまりにも少ない。

 冒険者にとって死よりも恐ろしいものはいくつかあり、借金はその一つだ。死は一瞬で終わるが一度背負った借金は返済するか夜逃げするまで終わらない。

 平和ということもあってか、アクセルの冒険者ギルドで得られる収入ははっきり言って少ない。同等の規模のギルドと比較すると平均して三割ほど。レベルを上げたらさっさと次の街へ行け、と暗に促されているのかと勘繰る額だ。

 そんな街で冒険者達がデストロイヤーの報酬で一様に税金という名の借金を背負ってしまったのだから、返済に困窮するのは当然といえるだろう。

 

 あなたは彼らの気持ちが手に取るように理解できた。理解できるが故に数億エリスの税金を躊躇なく踏み倒したのだ。

 駆け出しの頃の税金の滞納で犯罪者落ちした際の記憶を噛み締めてみれば、泥と血と絶望の味がした。滞納者に人権は無い。

 

「もしかしてあのダストっていう人、皆に覚悟を決めさせるためにあんな事を……?」

「落ち着けゆんゆん。絶対違う。ほらあそこを見ろ」

 

 ベルディアが指差す先にはドラゴンに対峙しながらも他の冒険者を牽制するダストの姿が。その瞳はルビードラゴンのように血走っていた。

 

「何だよお前ら、俺が億万長者になるチャンスの邪魔をするなっつーの! どんだけ金が欲しいんだよみっともねーな! 人として恥ずかしくないわけ!?」

「アンタだけには言われたくないんだけど!?」

 

 そうだそうだお前が言うなの大合唱に、チンピラ冒険者は忌々しげに舌打ちした。

 

「で、ゆんゆん。覚悟が、なんだっけ」

「今日はいい天気ですよね」

「ごまかすにしてももっと上手くやれ、な?」

 

 かくして借金と生活苦に喘ぐ冒険者達による、血で血を洗う極めて見苦しい闘争が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 戦いが始まってどれくらいの時間が経過しただろうか。

 戦場から少し離れた場所に設営された指揮所で、受付嬢のルナは爆裂魔法の行使とドラゴン討伐に上がりすぎたテンションのせいでぶっ倒れためぐみんを介抱していた。

 彼女は冒険者ではないが、それでも理解できることはある。

 

「地獄ってこういうものなんですね……」

 

 響く怒号、悲鳴、剣戟。

 華々しい英雄譚とは程遠い、この世界のどこにでも転がっている、どこまでも過酷で泥臭い現実がそこにあった。

 

「ぐうっ……! 流石はドラゴン! ここまで私を気持ちよくさせたのはお前で四体目くらいだ!」

「や、止めろ……こっちに来るな、来ないでくれ……俺はまだ戦える。だから、だから……!」

「私が、私が助けてあげないと……頑張り、ガンバリ……うっ、頭が……」

「いやあああああああああ!!」

「ヒール! ヒール! 私悪くないわよね! 今回は私悪くないわよね!?」

 

 ドラゴンの猛攻を一身に浴びて嬌声をあげる女騎士。

 ドラゴンキラーの名誉と一攫千金を狙ってドラゴンに襲い掛かる冒険者達。

 咆哮をあげて女騎士に攻撃を集中させながらも、ついでとばかりに冒険者を蹴散らすドラゴン。

 ブレスや尾撃を必死に掻い潜って攻撃を当てる、目から光が消えかけている紅魔族の少女。

 即死一歩手前の致命傷を負った、あと数秒で命を落とすであろう冒険者をみねうちでぶちのめす頭のおかしいエレメンタルナイト。

 みねうちで半死半生になった冒険者を治療する青髪のアークプリースト。

 

 誰も彼もがドラゴンという名の暴威に必死に抗う中、明らかに一人だけおかしいことをやっている。

 ルナと同じく遠巻きで眺めていたベルディアが堪らずといった風で呟いた。

 

「いや、狂ってんのか。あえて誰とは言わんが」

 

 異論は無かった。ルナも全く同じ事を考えていたからだ。

 

「あれって延命行為……なんですよね?」

「俺の目には介錯してるようにしか見えないわけだが」

 

 呆れを多分に交えた言葉が示すように、戦場を徘徊して淡々とみねうちをお見舞いするあなたの姿は、犠牲者を求めて彷徨う死神を彷彿とさせた。勇者適性値マイナス200は伊達ではない。

 

「どうして自分でドラゴンを倒さないんでしょうか」

「なんとしてでも自分達だけでドラゴンを倒すぞっていう空気だったから、気を利かせてるつもりなんだろう。つーかそれ言ったら俺も手を出してないし。ダストの台詞も一理あるとは思ってるしな」

 

 なるほど、とルナは思った。

 確かにあの流れでドラゴンを倒してしまうのは空気が読めていないにも程がある。水差し野郎と罵倒されても文句は言えない。

 無論死人が出てしまっては何の意味も無いので、無事に終わるのが最上ではあるのだが。

 

「ではみねうちする理由は?」

「俺の推測に過ぎないが、一人でも死人を出すまいとするご主人なりの善意だと思う」

「善意……え、善意?」

「俺も自分で言っててわけわからんから安心しろ。みねうちによる延命行為の事例は戦場でもあるっちゃあるんだが、普通はあそこまで躊躇なくやらないしやれない。文字通り死体に鞭打つ行為の一歩手前だしな。マトモな神経をしてるやつは楽にしてやるほうを選ぶ」

「ですよね。よかった、私の感覚がおかしいのかと」

「まあそれを差し引いても酷いけどな、色々と。みねうち食らって沈んだ奴が回復した途端に戦線復帰するとか普通じゃないぞ」

 

 二人は知る由もないが、この惨状にはとある水の女神が密接に関わっていた。

 女神が使った支援魔法の中には戦いの恐怖を和らげ、混乱を防ぐものがあったのだが、それが少しばかり強く作用しすぎてしまったのだ。

 魔法と欲望の相乗効果の結果、狂戦士じみた冒険者の集団が生まれてしまった、というのが事の顛末である。

 ただし周囲の熱狂にドン引きしつつも、仲間の女騎士を見捨てることもできずにちまちま狙撃で援護する最弱職の少年一行、眼前で繰り広げられるみねうちの悪夢に苛まれる紅魔族の少女、そして戦場を徘徊するみねうちする機械は素である。

 

 

 

 

 

 

 そして、その時はやってきた。

 長きに渡る戦いの末、不死を思わせる耐久を誇ったドラゴンが静かに崩れ落ちる。

 無数に刻まれた傷だらけの体が地響きを鳴らし、砂埃を巻き上げる。

 

「…………」

 

 戦場はそれまでの喧騒がウソのように静寂に包まれた。

 そして。

 

「っしゃあああああああ見たかオラあああああああああ!!!」

「何がドラゴンよ! アクセル舐めんじゃないわよ!!」

「頭のおかしいコンビなんか必要ねえんだよ!!」

 

 誰も彼もが一様に感情を爆発させた。

 金と名誉という、当初の戦う理由を覚えている者など一人もいないほどの激戦だった。

 喝采をあげ、精も根も尽き果て大地に寝そべる彼らを突き動かしたのは冒険者としての意地と矜持に他ならない。

 ドラゴンにトドメを刺したのはゆんゆん……ではなく、三角帽に赤いウェーブ髪が印象的な魔法使いの少女だ。上級魔法もまだ使えない彼女は、テンションが振り切れた仲間達から帽子が潰れるほどに頭をばしばしと叩かれて涙目になっている。

 

 なんとか犠牲者を出さずに戦いを終えることができて一安心だとあなたが周囲を見渡すと、ゆんゆんがぽつんと立ち尽くしていた。一回もみねうちを食らわなかった数少ない一人だ。

 ドラゴンを仕留めることこそ叶わなかったものの、恐らく最もダメージを稼いだ紅魔族の少女の奮戦を労うべく近づいてみると、なにやらブツブツと呟いていた。

 

「……ドウ……オブ・セイバー」

 

 ガンバリマスロボから一段階進化しかけているゆんゆんが何かをしでかす前に頭を強めに引っ叩いて正気に戻す。

 瞳の赤い部分はそのままに、白目が黒に染まっていく様がかなり真剣に怖かったのだ。

 

「……はっ、私は何を!?」

 

 ゆんゆんの闇堕ちは紙一重で回避された。危なかったと内心で胸を撫で下ろす。

 短剣から闇色の光が漏れていたあたり、ご近所の魔王軍幹部達の影響を勘繰らざるを得ない。本気で魔王になるつもりだろうか。

 

 

 

「お疲れイカレポンチ。随分とお楽しみだったなイカレポンチ」

 

 あなたの気付けが最後の一押しになったのか、魔力と体力を使い果たしてへたりこんだゆんゆんを背負って指揮所に戻ると、頼りになるペットが労いの言葉をかけてきた。

 しかしあなたは全く楽しんでなどいなかった。むしろ戦場全体を把握して重傷者を見分けて延命行為を施すのはあなたをして多大な精神的疲労を伴う繊細な作業だったのだ。そもそもあなたは救命行為に慣れていない。

 

「賭けてもいいが、ご主人に感謝してる奴はいないぞ」

 

 あなたもいい加減それくらいは分かっているし、別に感謝されたくてやったわけではない。所詮はあなたの自己満足に過ぎないのだから。

 それでも結果的に犠牲者をゼロに抑えることができたのだから、あなたとしても体を張った甲斐があったというものである。いのちだいじに。

 

「普通にポーション使えよ」

 

 ポーションは在庫が足りないし次々と増えていく重傷者にまるで追いつけない。

 それほどの戦いだったのは見ていたベルディアも分かっているはずなのだが。

 

「私も言いたい事は山ほどありますが……それはひとまず置いておいて、お疲れ様でした。グリーンドラゴンの死体はこちらで回収しますので、一度出してもらえますか?」

 

 あなたは目を瞬かせた。

 はて、ルナは何の話をしているのだろう。

 

「頭のおかしい爆裂魔法使いが撃墜したドラゴンが一匹いただろ。ご主人が仕留めたのも。あれの死体はご主人が回収しておいたんじゃないのか?」

 

 言われるままに目を向けてみれば、グリーンドラゴンの死体があった場所にはおびただしい血痕だけが残されていた。

 だがあなたはドラゴンを回収してはいない。そのような余裕も無かった。

 

 

 

 ……それからも軽く聞き込みを行うなど調査が入ったが、得られた証言は気づいたらいつの間にか消えていた、というものだけであり、グリーンドラゴンの死体は見つからなかった。あなたが撃墜したドラゴンの死体も同様に。

 

 忽然と消えたドラゴンの死体にあなたは思う。

 

 死んだらミンチになるでもなく、忽然と消える。

 それはまるでモンスターボールに縛られたベルディアのようではないか、と。



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第104話 『約束』

 駆け出し冒険者の街を襲ったおよそ半年ぶり二回目となる未曾有の危機は、そこに住まう冒険者達の粉骨砕身の活躍によって辛くも回避された。

 あなたがモンスターボールのようだと感じた件についてだが、現役幹部の女神ウォルバクを問い詰めたところで仮に知っていてもはぐらかされるだけで終わるだろうとベルディアやバニルに聞いてみたものの、少なくとも彼らが幹部だった半年前は魔王軍はモンスターボールを一つも所持していなかったらしい。

 

 これが魔王軍関係であれば近いうちに二度目の襲撃があるとあなたは思っていたし、今度はグリーンドラゴンを生け捕りにしてみようと目論んでいたのだが、暫く経っても再びアクセルで事件が起きるということはなかった。

 

 かくして消えたグリーンドラゴンの死骸については全てが謎のまま終わってしまったわけだが、残ったものもある。どういうわけかルビードラゴンの方は死体が普通に残ったままだったのだ。

 アクセルの冒険者達は骨折り損とはならずに万々歳。あなたとしても心を砕いて骨を折った甲斐があるというものである。

 ルビードラゴンの各種素材は冒険者ギルドを通じて王都のオークションにかけられる予定であり、その売却額は膨大なものになることが予想されるが、トドメをさした魔法使いの少女の意向により、その金は防衛戦に参加した冒険者たちに公平に分配されることとなった。

 なお綺麗な笑顔でやっぱり独り占めなんてよくないよな、みんなで仲良くやろーぜ、とのたまったダストは諸々の理由で袋叩きの刑に処された。彼らも彼らでドラゴン退治という冒険者の本懐を成し遂げて満更ではなさそうだったのでご愛嬌だろう。

 

 

 

 

 

 

 そうして、ワクワクドキドキドラゴン捕獲ツアーに旅立つ日がやってきた。

 蒸し暑さでいつもより早く目が覚めたあなたは軽く朝風呂を済ませ、現在はリビングで広げた数々の荷物の最終点検を行っているところである。

 

 ドラゴンの捕獲という目標以外にも、ゆんゆんの冒険者としての経験を積むためという意味合いが大きい今回の旅は、反則じみた利便さを誇るテレポートの使用によるショートカットを緊急時を除いて原則禁じていることもあり、食料や着替え、野営用の設備など、持っていく荷物が比較的多い。

 とはいえ、水を用意する必要が無いのであなたとしては少なめに感じてしまう程度である。

 調理用、飲料用、洗浄用など、旅における水の重要性など今更語るまでもないだろう。河川などで水を補給するにしても、汚染された水を消毒するのはそれなり以上に手間がかかる。

 このような諸々の煩わしい問題の全てがクリエイトウォーター一つで解決してしまうのだからたまらない。やはりクリエイトウォーターは素晴らしいと改めて異世界魔法とそれを司る水の女神に感謝の念を捧げる。

 

 他にも妹と電波のやり取りをするなどして持て余した時間を潰していると、人の気配と共にリビングの扉が音を立てて開いた。ウィズが起きてきたらしい。

 挨拶をしようと目を向けると同時、しかしあなたは喉まで出かかった言葉を詰まらせてしまう。

 

「ほぁよーごじゃいましゅ……」

 

 ぺたぺたとスリッパを鳴らしながらリビングにやってきたウィズの姿は、寝起きであることを差し引いてもちょっと人様にはお見せできそうにないものだった。彼女を姉のように慕うゆんゆんと氷の魔女の大ファンであるレインには特に。

 涼しげな薄手の水色のパジャマを着たままのウィズは半分どころか殆ど眠ったままであり、だらしなく半開きになった口からはうーだのあーだの、声とも呼吸とも取れない音が聞こえてくる。

 足取りは酔っ払いの如く定まっておらず、床に転がっている荷物を踏んだり蹴ったりしないかと見ていて危なっかしい。

 手入れを欠かしておらず、本人の密かな自慢であるという長く綺麗な栗色の髪は何をどうしたらそんな寝癖になるのか、という有様で目も当てられない。

 

 同居人の非常に愛らしくも隙だらけなその姿は、あなたとしても見ていて微笑ましい気分になるのと同時に苦笑いを禁じ得ないものだった。

 同居を始めたばかりの頃はもっとしゃっきりしていただけに、慣れ故の甘えが出ているのか信頼されているのか、あなたとしては非常に判断に困るところである。

 ちなみにウィズがこの姿であなたの前に出ても大丈夫だと考えているとあなたは微塵も思っていない。彼女はぽわぽわりっちぃだが、そこまで全力で女を投げ捨ててはいない。

 そういう意味では今の姿はウィズとしても非常に不本意かつ恥ずかしいものになってしまうのだろうが、寝ぼけているのでどうしようもないし、今更見なかったことにできるはずもないと、足をふらつかせるぽけぽけりっちぃをソファーに誘導する。

 

 そして目を覚まさせる為にタオルと洗面器でも持ってこようと席を立つと、弱弱しく服の裾を掴まれた。

 

「どぞ……」

 

 殆ど眠っているウィズに手渡されたのは、直径5cmほどの小さな箱。

 

「つくってて……おかえし……まにあっ……」

 

 途切れ途切れの言葉は若干把握しづらかったが、どうやら最近ウィズが夜更かしを続けていたのは箱の中身を作っていたかららしい。

 出立に間に合わせるように頑張っていたとすると、ここ数日は徹夜続きだったのかもしれない。

 友人からの突然のプレゼントにあなたが戸惑いながらもなんとか礼を言うと、ウィズはへらっと緩んだ笑みを浮かべた。

 

「んー……」

 

 そして片手を隣に置いてあったあなた用のクッションに伸ばし、自身に引き寄せたかと思うと、そのまま胸に掻き抱いて顔を埋めてしまった。

 そのまま寝入ってしまったのか、クッションの中から微かな呼吸音が聞こえてくる。

 洗顔は不可能になってしまったが、起きた際にウィズができるだけ恥ずかしい思いをしないようにと、せめて髪だけは整えてあげることにした。

 整えるといっても、実際にウィズの髪を梳かすのはあなたではない。本人から頼まれたり恋人が相手ならまだしも、眠っている異性の友人の髪を勝手に手入れするのが非常にアレな行為だと理解する程度のデリカシーはあなたも持ち合わせている。

 

 ――三分しかできないから、ぱぱっと終わらせちゃうねー。

 

 そんなわけで、ウィズを起こさないように丁寧に、しかし起きる前に迅速に髪を整えていくのは同性の妹に頼むことにした。

 

 ――髪は女の命だよお兄ちゃん! それはそれとしてお仕事のご褒美に後で私の髪を梳いてほしいなお兄ちゃん! いつもみたいに優しく、それでいて情熱的に、官能的に、愛情を込めて! でも今日はもう時間が残ってないからまた今度ね!

 

 ベルディアあたりはペットを使えば勝手に髪を整えていいのか、という至極もっともな問いを投げかけてくるだろうが、それくらい今のウィズの髪は酷いことになっている。

 仮にゆんゆんがこの髪で人前に出ていたと気付いたら軽く3日は家の中に引きこもってしまうと確信できるくらいには酷い。

 

 ――なんかこう……*チョドーン!*って感じだねお兄ちゃん!

 

 妹の表現は一見すると抽象的だが、その実非常に的確だった。

 ペットの少女が渾身のドヤ顔で見せつけてきた昇天ペガサスMIX盛りなる異次元の髪形ほどではないにしろ、酷いという点に変わりはない。

 

 さっさと忘れてあげるのがウィズの為だろうと努めて意識から追いやり、すぐそばから聞こえてくる穏やかな寝息と髪を梳く音を環境音に、あなたは手渡された小箱を開けてみた。

 

 ――綺麗な指輪だね。お姉ちゃんは本職じゃないのに。

 

 箱から取り出してみると、銀色の指輪は朝日を反射して微かに煌いた。

 マナタイトこそ嵌っていないものの、全体的な意匠はあなたが以前ウィズに贈った指輪を彷彿とさせた。

 恐らくはあなたが贈った指輪と杖のお返し、ということなのだろう。彼女には錬金術の学習書と一緒に宝石細工と魔道具の学習書を渡していたので、それを活用したのだと思われる。

 更に指輪を観察してみると、内側に文字のようなものが刻まれているのを発見した。

 

 ――Uo yots gno……かな? うーん、これ以上はちょっと読めないや。お兄ちゃんは分かる?

 

 文字が模様と一体化しているため極めて読みにくく、辛うじて読める部分も、意味まで読み取ることは叶わなかった。

 ウィズが起きたら改めて礼を言うついでに聞いてみるとしよう。

 

 

 

 

 

 

「指輪の内側はなんて書いてあるのか、ですか? ……恥ずかしいので秘密です。いえ、恥ずかしいことを書いたわけじゃないです。本当です。少なくとも寝惚けたままあなたの前に顔を出すよりは恥ずかしくないはずです」

 

 目が覚めたウィズはあなたに指輪を渡したことこそ覚えていたものの、肝心の文字に込められた意味については拒否の一点張りを通してきた。

 そこまで頑なになられると是が非でも知りたくなるのが人情というものだが、今回ばかりは鑑定の魔法を使ったりバニルに聞いてみるつもりはなかった。幾らなんでもそれは無粋が過ぎると感じたのだ。

 

 

 

 朝食と弁当を作るウィズを眺めながら雑談に興じる。

 話の内容は今回の冒険について。

 

 あなたとゆんゆんが目指すのは、海を隔てた先の大陸にある、竜の谷(ドラゴンズバレー)と呼ばれる世界で最も竜が多く生息しているとされる未踏の地だ。

 竜騎士を志すものであれば誰もが一度は訪れる地なのだが、その奥深くには無数の宝物と黄金で輝く楽園が存在し、そこには竜の神が住む……という伝承がまことしやかに囁かれている。

 数々の冒険者や国家が楽園を目指して谷に足を踏み入れるも、過酷な環境と強力なドラゴン達に阻まれ、今日に至るまで誰一人として到達者は現れていない。

 

 ちなみにウィズはあなた達が竜の谷に到着したらテレポートでアクセルに戻って回収、三人で攻略する手はずとなっている。

 あなたがしばらくアクセルに戻ってこないので必然的に終末狩りも休みになるベルディアはプライベートでまでドラゴンの相手をさせるとか頼むから勘弁しろ、と猛烈に拒否権を行使した。

 

「頼ってもらえるのは凄く嬉しいですし、竜の谷に行くのは初めてなので楽しみなのも確かなんですけど、正直、私だけ最後に合流っていうのもバツが悪いんですけどね」

 

 ウィズのその言葉に、あなたは意外な気分になった。

 凄腕アークウィザードとして名を馳せていた彼女とその仲間達は竜の谷に行かなかったらしい。

 別大陸とはいえ、腕試しには格好の場所のように思えるのだが。

 

「竜の谷のドラゴンが人間に危害を加えるのなら、あるいはそうなってもおかしくはないと思います」

 

 彼の地に住まう野生のドラゴンは、侵入者には一切の容赦をしないが、決して外に出て人を襲わない。

 まるで楽園の門を守護する番兵のように。

 

「というかですね、仮にも冒険者を名乗っていながらお恥ずかしい話なんですが、私の現役時代の活動はその殆どが魔王軍との戦いに費やされていたので、別の大陸に足を踏み入れた経験は片手で数えるほどしかないんですよ。その時だってテレポートであっという間に目的地に到着するというもので、お世辞にも冒険や旅と呼べるようなものではありませんでした。時間がかかる船での旅なんてとてもとても」

 

 余裕が無かったかつての自分を思い返し、苦笑いを浮かべるウィズ。

 

「今回だってあなた達が竜の谷に着くまでお留守番ですし……船旅ができて色んな場所を見て回れるゆんゆんさんがちょっと羨ましいかもです」

 

 あなた達は冒険者で、ウィズは冒険者の資格を所持しているとはいえ魔法店の店主。

 懐古に浸る声からは隠し切れない羨望、あなた達に同行できない寂しさが滲み出ていた。

 

 彼女が活動していた時期は魔王本人が前線で指揮を執る事も少なくなかったせいで魔王軍の攻勢が激しく、さらに有力な冒険者の数も少なかったのだという。

 そんな中、今のあなたからしてみれば若輩としか呼べない年齢で英雄としての期待とプレッシャーを背負って戦い続けた彼女の負担はいかほどのものだったのか。

 

 当時を知らない自分が何を考えても所詮は下種の勘繰りにしかならないとそれ以上の思索を無理矢理打ち切ったあなたは、マシロをあやしながらウィズに一つの提案をした。

 ウィズさえよければいつか自分と一緒に冒険の旅に出る気はないだろうか、と。

 

「あなたと、冒険の旅に?」

 

 特に目的や理由も無く、気の向くまま風の吹くまま、世界中の様々なもの、様々な場所を見て回るのはきっと楽しいものになるだろう。

 

「……ふふっ、そうですね。私も凄く楽しそうだと思います。あなたと一緒なら尚更。でも、ごめんなさい。やっぱり私にはお店がありますから」

 

 アクセルで店をやっている理由、そしてどれだけ店を大事に思っているか知っているにも関わらず、あまりにも気軽に店を放棄するかのような提案をするあなたに無神経さを感じたのか、若干声のトーンを落とすウィズ。

 勿論、あなたも今すぐにとは言っていない。

 あなたの言う“いつか”とは、世界が平和になり、ウィズの仲間達が天寿を全うし、バニルが自身の棺となるダンジョンに移って本懐を遂げた後のことである。

 

「皆が、いなくなった後……?」

 

 具体的に何年後になるかは分からないが、ウィズの仲間達は全員人間らしいので、早くて五十年。遅くとも百年もあれば十分だろう。あなたはそれくらいの期間を待つなどなんともない。

 流石に百年経ってもバニルが汗水垂らして赤字に頭を抱えているとは思いたくないが、ウィズの商才を鑑みるとありえないと言いきれないのが恐ろしいところだ。

 ちなみにあなたは百年後も人類が魔王軍と楽しくドンパチやっているとは考えていない。

 

「…………」

 

 百年後の自分は果たしてどうしているだろうか、あまり今と変わっていない気がしてならない、などとあなたが未来に思いを馳せていると、手を止めたウィズがじっと見つめてきているのに気がついた。

 

「あなたは、私を待って(私と生きて)くれるんですか?」

 

 不死の女王の揺らぐ瞳に宿る感情は困惑、不安、そして期待。

 

「私は、ずっと待ち続けていました。これから先もずっと、ずっと待ち(生き)続けるんだと思います。だから、私を待ってくれると言ってくれたのはあなたが初めてなんです。……皆やバニルさんがいなくなるまで、あなたは、本当に待っていてくれますか? ……その後も、ずっと、ずっと、生きていてくれますか? 私と一緒にいてくれますか?」

 

 震える声に頷くと、ウィズは弾かれたような勢いであなたに詰め寄った。

 両手であなたの肩を掴んでガクガクと揺らす彼女は興奮から全身から青色の魔力を立ち昇らせている。生存本能が警鐘を鳴らしたのか、マシロも脱兎の如く逃げ出した。

 魔力は氷の属性を持っているのかひんやりと冷たくて心地いいのだが、それはそれとしてドアップのウィズも相まって異様な迫力である。

 

「や……約束です! 約束ですよ!? 言質取りましたからね!? 後でウソでしたーとか言っても聞きませんからね!? 私を独りにしないでくださいね! 私、これからずっとその時が来るのを楽しみに待ってますからね!? 絶対ですよ! もしあなたが私を置いて逝ったりしたら私はきっといっぱいいっぱい泣いちゃいますし、もしかしたらあなたを呪ってみたり、アクセルが滅んだ後もここでたった一人あなたを待ち続けちゃったりしちゃうかもしれませんからね!? あれですよ、あなたのせいで遠い未来、アクセルがリッチーが支配する死の都って呼ばれるかもしれないんですからね!! 大変なことですよこれは!」

 

 廃人級の力を持つアンデッドの王が呪ってくるのは笑えないを通り越して真面目に洒落になっていない。あと大変なのはゆんゆんが裸足で逃げ出す重力を発しているウィズのほうだ。

 しかしあなたは自身がこの件で彼女に呪われたりアクセルが悲惨な未来を辿ることなど万が一にも有り得ないと確信していた。

 何故ならあなたはこれまでに『友人』との約束を一度たりとも破ったことがないし、これからも破るつもりがないのだから。




《*チョドーン!*》
 elonaにおける地雷の爆発音。
 後にチュドーンに修正された。


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挿話 亡骸(なきがら)(ともがら)

 リビングで向かい合って座る一組の男女。

 こう書くとなんとも色気がありそうだが、ことこの二人に限ってはそのようなものが介在する余地は無い。絶無である。

 

「…………」

 

 物理的な圧すら発していそうな(ウィズ)の視線を受け、(ベルディア)は軽く嘆息した。

 

「そんなに見つめられると食べにくいんだが」

「おかまいなく」

 

 まさか毒が盛られているわけではないだろうと、ベルディアは皿に盛られたクッキーに手を伸ばす。

 そのまま口に放り込んでぼりぼりと咀嚼。

 たっぷり三十秒かけて味わって飲み込んだところで、ウィズがおずおずと声をかけた。

 

「どうですか?」

「40点。100点満点で」

「ダメでしたか……」

 

 がっくりと肩を落とす製作者を見やりながら、クッキーの後味を紅茶で洗い流す。

 彼女が作ったそれは食べられないほど酷い出来ではないが、どうにも粉っぽい上に甘さが雑で香ばしさを通り越して若干焦げ臭く、総じて悪い意味で素人が作った普通のクッキーというのがベルディアの感想だ。

 

「とはいえ味が俺の好みに合ってなかっただけという可能性もある。ちょっと実験がてらアンデッドナイトに食わせてみるか。スケルトンじゃないからもしかしたら食えるかもわからん」

「残飯処理とか思ってません?」

「流石にそこまでは思ってない」

 

 そうして気まぐれにベルディアがアンデッドナイト召喚のスキルを使ってみると、彼やウィズが知っているそれとは少し違うものが呼び出された。

 

「……目立つな」

「……目立ちますね」

 

 そのアンデッドナイトは、決して質がいいとはいえない、しかしぴかぴかの新品な白い長槍を携えていた。他の装備はぼろぼろなだけに槍の異質さが際立っている。

 二人の知る限り、アンデッドナイト召喚のスキルにこのような現象は確認されていない。

 召喚兵に自前で装備を用意して強化するというのは誰しもが思いつく手軽な強化手段だが、一山幾らの弱兵を強化したところでたかが知れているし、何より装備品を新調しても一度召喚兵が消えた後に再度呼び出したら元の状態に戻ってしまうので、まったくもって労力や手間に見合わないのだ。

 

「そのはずなんですけどね……」

「槍自体には見覚えがある。恐らくだが、こいつが持ってるのはご主人がだいぶ前にお前の店で買ったハンマーで作った槍だと思う」

「鍛冶屋潰しですか」

「あの時ご主人は槍以外の鎧や兜も修繕してたんだが、そっちは元通りになってるな。なんで槍だけ変わってるんだ?」

 

 その後、何度か検証を兼ねて召喚と送還を繰り返したところ、白い槍を持つ個体だけがおかしいことになっていると判明した。

 

「とりあえず俺は何もやってないから、槍を作ったご主人が原因なのは間違いない」

「他の個体にも強力な武具を持たせたら凄い事になりそうですね」

「とはいえ本体性能は据え置きだからな。多少は底上げになるだろうが」

 

 この場にあなたがいない以上、これ以上の考察は無意味だと判断した二人は気を取り直して当初の目的、つまりアンデッドナイトにクッキーを試食させることにした。

 無理矢理クッキーを食べさせられた彼、あるいは彼女はベルディアの命令を待たずに勝手にゴミ箱に歩いていき、そのまま吐き出した。

 無言の、しかしこれ以上ないストレートな評価だった。とてもアンデッドの王に対する下級アンデッドの反応ではない。

 

「ひ、酷い!? 食べ物を粗末にすると罰が当たりますよ!!」

「まあ、食えなくはないが美味いか不味いかで言ったら不味かったし。こないだ食ったのは美味かったんだが」

「でもあれは私が一人で作ったわけじゃありませんから……」

「ご主人は菓子作りまで無駄に上手いから困る。冒険者やる上で調理技能は必須とか言われてもな」

 

 今は本人たっての願いもあってウィズに三食の用意を任せっきりにしているが、女神に菓子を奉納すべく鍛え上げられたあなたの料理スキルは目を瞑ったまま熱く燃え盛るバーベキューセットを使ってアイスクリームやパフェの製作を可能にするほどのものである。

 

「前から聞きたかったんだが、ウィズは料理は普通にできるよな。茶を淹れるのも上手いし。なんで菓子作りは不得手、というか素人なんだ?」

「いいですかベルディアさん。お菓子の材料は料理の食材やお茶の葉っぱとかと比べて高いんです。凄く高いんです」

「そうだな、それが?」

「お菓子の! 材料は! 高いんです!」

「……ああ、貧乏だったから作れなかったのか」

 

 納得いったと頷く。

 そしてバターや砂糖といった安くない材料をこれでもかとばかりに使うのが菓子作りだ。

 興味が無かったベルディアは最近まで知らなかったが、ウィズと同居を始める前にあなたがパフェとケーキを自作している時に惜しげもなくバターと砂糖、その他各種材料を使う様を見ている。一目見てこれは絶対体に悪いと理解できる量だった。同時に食べたそれらはとてもとても美味しかったわけだが。

 

「しかしそれだと料理が上手い理由にはならない気がするんだが」

「冒険者時代は自炊ばかりしていたのもありますが、引退後は主にエア料理で腕を磨いてましたから」

「エア……? すまん、なんだって?」

「エア料理です。ちなみに私の一番得意な料理はエアパスタです」

 

 ベルディアは困惑した。

 目の前の同居人が何を言っているか理解できない。何かの隠語なのだろうか。それとも自分が知らないだけでそういう名前の料理があるのか。

 

「エアパスタの作り方ですが、まず、お皿とフォークを用意します」

「おう」

「窓を開けてご近所のご飯の匂いを嗅ぎます」

「匂い」

「次に厨房でお鍋の前に立ってパスタを茹でる気分になります」

「気分」

 

 ベルディアはひどい無力感に襲われた。

 両手で顔を覆う嘆きは声も無く。

 

「そしたらパスタをお皿に盛った気分になって、美味しく食べる気分になるんです」

「ウィズ。おい、ウィズ……ウィズ!!」

「なんですか?」

「いいかよく聞け。それを料理とは言わない。誰も、それを、料理とは、言わない」

「…………そんな事わざわざベルディアさんに言われなくたって分かってます! でも仕方ないじゃないですか! お金が無かったんですから!!」

「逆ギレは止めろ。というかそれで料理が上手くなるお前は一体何なの?」

「自慢じゃありませんが、料理のレシピだけならこの街の誰よりも読み込んでますよ私は」

「本当に自慢にならない。というかエア料理という名のイメージで上達するなら菓子作りだって上達しないとおかしいだろ」

「何言ってるんですか、イメージでお菓子作りが上達するわけないじゃないですか」

 

 首を傾げ、心底から不思議そうな顔をするリッチーに常識を説く己の愚を悟った苦労人のデュラハンは匙を明後日の方向に投げ捨て、彼女の料理技能についてそれ以上考えるのを止めた。

 

 

 

 

 

 

「むぅ、自分で言うのもなんですが、そこまで悪くないと思うんですが。そりゃあの人が作ったのよりは美味しくないですけど」

「アンデッドナイトの反応を見ただろ?」

「アンデッドだから味覚がおかしくなってただけかもしれませんし……」

「全力でブーメランだな。お前が貧乏舌なだけだから諦めろ」

 

 美味しくないウィズの手作りクッキーを齧りながら、緩衝材となるあなたがおらずとも不穏な雰囲気を出すことなく会話を交わすかつての宿敵同士。

 二人を人外、それも現役魔王軍幹部のリッチーと元幹部のデュラハンだと思う者はいないだろう。

 

「そろそろご主人達は港町(シーサイド)に着く頃合か?」

「そうですね。道中で足止めを食らっていなければ、今頃は海に出ていてもおかしくはないんじゃないでしょうか」

 

 テレポートを用いない竜の谷までの旅は、一朝一夕で終わるような簡単なものではない。

 あなたのペットになって初の長期休暇を手に入れたベルディアは、この機会に終末狩りを頑張っている自分へのご褒美とばかりに存分に羽を伸ばすつもりでいたりする。

 

 だからだろうか。

 常の彼であればまず口にしないであろう、こんな言葉が飛び出たのは。

 

「そうだ。いい機会だからウィズに聞いておきたいことがあるんだが」

「構いませんよ。なんですか?」

「どういう切っ掛けがあってウィズはご主人を好きになったんだ」

 

 ぱちくりと目を瞬かせるウィズは何を言われたのか理解できていなかった。

 それでもなんとかかんとか言葉を咀嚼し、理解するまでに短くない時間をかけ……勢いよく立ち上がった。

 

「なんで!? どうしてベルディアさんがそのことを!?」

「えっ」

「ば、バニルさんですか! バニルさんから聞いたんですか!?」

「なんでそこでバニルの名前が出るんだ。っていうかそのことって何だよ」

「だ、だからその、私が、彼を……」

 

 もごもごとはっきりしない態度を見て察せない者はおらず、当然のようにベルディアもまた察した。

 

「おまっ、まさか気付かれてないと思ってたのか!?」

「だって、だってあんなに上手く隠してきたのに!」

「えぇええ……嘘だろ……あれで隠してたつもりだったのか……嘘だろ……」

 

 二人は仲良く頭を抱えて呻き声をあげるが、それほどまでに驚愕の事実だった。お互いに。

 ウィズは自身の好意を完璧に隠しきれていると本気で思っていたし、ベルディアから見て、ウィズはあなたへの好意を隠しているどころかフルオープンですらあった。

 

「で、でも、言われてみれば確かに、一緒に住んでるベルディアさんなら気付くのはおかしくなかったかもしれません。けどベルディアさんだけですよね? 他の人には気付かれてませんよね?」

「ああ、うん。だいじょうぶなんじゃないか。きっとだいじょうぶだろ」

 

 いっそわざとらしいほどに投げやりで棒読みだったが、いっぱいいっぱいなウィズはほっと安心してソファーに座りなおした。

 

「よかった、これからどんな顔をして彼に会えばいいのか分からなくなるところでした……お願いですから誰にも言わないでくださいね? 絶対にですよ?」

「さっきのおれのしつもんにこたえてくれたらかんがえなくもない」

「うぅ……」

 

 仮にこの場にバニルがいれば周知の事実であることを本人にぶちまけてウィズの精神に致命的なダメージを与え、極上の羞恥の感情を思うがままに貪っていただろう。

 しかしバニルは不在なので所詮は仮定の話に過ぎない。

 

 そうして暫く黙考した後、多少落ち着きを取り戻して覚悟を決めたウィズは口を開いた。

 

「……切っ掛けは、ありません。一緒に宝島を採掘したっていう仲良くなる切っ掛けこそありましたけど、その時の私達は普通のお友達でしたし」

「何も無いってことはないだろ。あのご主人が相手だぞ」

「だって考えてみても本当に思い浮かばないんです。少なくとも、ベルディアさんが期待しているような、物語のようにロマンチックで劇的な何かはありませんでした。……ただ、知り合って、私のお店を気に入ってくれて、何度も買い物に来てくれて、他愛の無い話をして、色々と助けてもらって……そうしてるうちに一緒に住むようになって、長い時間を過ごすようになって、そうなる前よりももっと多くの彼の面を知って、私が思っている以上に私は大切に思われているって理解して、彼が自分の隣にいるのが当たり前になって……そうやって、他の人が見たらなんでもないような日常を積み重ねて、気が付いたらいつの間にか……だからきっと、特別なきっかけなんて何も無かったし、それでいいんだと思います」

 

 訥々と、あなたとの大切な思い出の数々を噛み締めるように、幸せそうに語るウィズに、ベルディアは下手に藪を突いたことを猛烈に後悔し、こういう性質のウィズだからこそ色々とズレているあなたの外付け良心となりうるのであり、あなたも彼女の前では普遍的な人間味を見せるのだろうと強く実感した。

 実感はしたが、何が楽しくて同居人の純も純な甘酸っぱい惚れた腫れたの話を聞かなければならないのかとげんなりした表情も作る。お隣さんの大悪魔やご近所さんの邪神も苦虫を百匹ほど丸ごと噛み潰した表情で雑に聞き流すこと請け合いだ。

 

「もうさ、そんなにご主人のことが好きならもっとアプローチかけろよ。たまに見てて反応に困るんだが」

「あ、アプローチって言われても……私、そういう経験が無かったのでやりかたとか全然分からないですし……そもそも誰かを、その……そういう意味で好きになったのすらこれが初めてで……それに私は別に今のままでも十分すぎるくらい幸せですし……この先もずっと私と生きてくれるって約束してくれましたし……」

「ああ、そう……」

 

 茹蛸のように真っ赤になって指先で髪を弄る同居人に対し、ベルディアは思いの丈を思う存分に叫びながら舌を噛み切りたくなる衝動に襲われたものの、終末狩りで培った鋼の精神力で辛うじて堪えることに成功。同時にツッコミを入れる気力すら尽きた。具体的にはウィズの年齢面に対して。

 氷の魔女時代と現状の別人っぷりから分かるように、人外(リッチー)化とそれに伴う不老化はウィズの人格形成に多大な影響を及ぼしている。

 リッチーである自分が他人に受け入れられるのか、受け入れられていいのか、というある種の恐れや引け目を全く持っていないわけではない。

 そしてウィズがリッチーになる原因を作ったのは彼女とその仲間たちに死の宣告をぶっぱなしたベルディアであり、そんな自分がこの件に関して口を出すのは気まずくなるだけだと思ったのだ。例えウィズ本人が気にしていないとしても。

 

 それはそれとして、彼はウィズが人間のままだった場合も結局独身のまま人生を終えていたのではないだろうかと強く疑っていたりする。

 

 本人の手前口には出さないが、ベルディアはウィズを掛け値なしに美人だと認めている。

 冒険者時代の彼女は戦場では勿論のこと、魔王軍において手配書の代わりとして使われていたブロマイドすら異名に違わぬ近寄りがたい雰囲気を纏っていたが、それでも同業者や貴族、パーティーメンバーからアプローチをかけられていなかったとは思えない。

 にもかかわらず男性経験一切無し。純粋培養などというレベルではない。

 

 遠い昔、まだベルディアが人間だった頃、彼が所属する騎士団とは別の団に鋼鉄の処女(アイアンメイデン)の異名を持つ女騎士がいた。

 剣の腕前は男の騎士顔負け。仕事は文句無しにできて人格面でもどこかの狂性駄ーと違って素直に尊敬できる高潔な女性であり、若い頃は当然のように男にモテていた。

 だがその女騎士は鈍感だった。同僚からのアプローチは完全にスルー。男に興味が無かったわけではなく、職務一筋に生きてきた彼女は、自分が異性に人気があるなど想像だにしていなかったのだ。

 そうしてただいたずらに年齢を重ね、残ったのはプライドの高さと腕っ節しか取柄が無い、行かず後家の烙印を押されたベテラン騎士という名の女子力ゼロの喪女。

 剣と魔法、騎士と冒険者の違いこそあれ、当時のウィズは件の女騎士と同じように鈍感だったのだろうとベルディアは予想していたし、実際にそれは核心を突いていた。

 

「話は変わるが、初恋は実らないってジンクスがあってだな」

「…………」

「分かった。俺が悪かったからそんな目で見るのは止めろ。俺が世話になってる知り合いに男女関係に一家言持ってるのがいるから、何かいいアプローチの仕方がないかとか聞いておいてやる」

「魔王軍関係者の方ですか?」

「いや違う。詳細は明かせないが、以前からアクセルに住んでいる者だ」

 

 このベルディアのよかれと思った行動が例によってあなたを巻き込んでちょっとした騒動を巻き起こすのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで不死者達がほのぼのとやっている、ちょうどその頃。

 

「もうやだぁ……がえりだいよぉ……しぬ……私しんじゃう……助けてめぐみん、ウィズさぁん……」

 

 あなたと行動を共にするゆんゆんは、現在進行形で生涯最大の苦痛と危機に瀕していた。




次回の更新は来週中を予定しています


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第105話 ゆんゆん@がんばれない

「じゃんっ、できました! ウィズさんです!」

 

 楽しげに両手を広げるゆんゆん。

 赤い紐で形作られたそれは、デフォルメされた、しかし確かにウィズだと分かる造形をしていた。

 あなたはすぐ傍でゆんゆんが紐を手繰る様を見ていたのだが、何をどうしたらこうなるのかまるで理解できなかった。教わってもできる気がしない。

 彼女は女神アクアのように大道芸スキルを持っておらず、上達した理由は例によって遊び相手がいなくてもできる遊びだからという、本人からしてみれば文字通りの手慰みだったりするのだが、だからこそ驚嘆に値する。

 

 ……さて、突然だが、廃人への道とは自分との戦いだとあなたは考えている。

 どんな天才でも鍛え続ければやがて限界が、能力が伸び悩む時がくる。

 その後、多大なる労力の対価としては限りなく無為に等しい努力をいつまでも続けることができるかが廃人に至るか否かを分ける。

 至った時には漏れなく大なり小なり人間性や価値観が廃人ではない者とはズレているのだが。

 それこそ壊れていると畏怖され敬遠される程度には。

 単純に強いだけなら廃人などと呼ばれはしないのだ。

 

 そして、そういった意味ではゆんゆんは案外廃人向き精神構造をしているのではないだろうか、と最近になってあなたは考え始めている。

 ぼっちを拗らせて様々な一人遊びの達人になった彼女は、レベルが上がるのを見るのが楽しいからとハンマーのレベルを上げ続けているあなたに近しいものがあるといえるだろう。

 

「お客さん、見えてきましたぜ」

 

 あやとりを教わりながら自身と目の前の少女の意外な共通点について考えていると、御者が声をかけてきた。

 街を一望できる丘で一度止まると言うので、ゆんゆんに景色を見せるために馬車から降りる。

 深呼吸してみれば、普段は嗅ぐ機会の無い、水分を含んだ潮風の匂いが鼻を突いた。

 

「凄い……」

 

 王都に初めて連れて行ったときのそれを遥かに超える感動に体を震わせるゆんゆんが、思わずといった風で呟く。

 

「本で読んだり絵で見たことはあるけど……これ、全部水なんですよね? アルカンレティアの湖よりずっとおっきい……風の匂いも全然違うし……これが、海……わぁ……」

 

 生まれて初めて海を目にした彼女は、まるで子供のように――実際ゆんゆんはまだ子供なのだが――目を輝かせて眼下に広がっている整然とした街並み、そして街の向こうに広がっている青い海を見つめている。

 

「どうです、ちょっとしたもんでしょう? ようこそシーサイドへ」

 

 アクセルから旅立って三日目。

 高速馬車を何度か乗り継いであなた達は当座の目的地である港町、シーサイドに辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

「やっぱり王都とは全然違うんですね。王都はまだアクセルやアルカンレティアに近かったけど、ここは紅魔族の里でも見たことないものばっかり」

 

 街の中に入っても落ち着き無くきょろきょろと周囲を見回すゆんゆんが迷子にならないように注意を払いながら、活気に溢れた街並みを堪能する。

 貿易港であるシーサイドは、海の向こうの国からやってきた多種多様な人種と物品や文化が入り混じっており、王都とは別種の賑わいを見せている。

 水夫が多いこともあり、ベルゼルグではあまり見ない、日に焼けた肌の色の人間もよく目に付いた。

 

 ノースティリスにもポート・カプールという港町があるものの、流石に人類の最前線国家にヒトやモノを輸送する流通の要所なだけはあり、シーサイドの規模はポート・カプールとは比較にならない。

 海のすぐ傍にあるからシーサイドという非常に分かりやすい由来の名を持つこの貿易港は、元々は普通の漁村だったのだという。

 外洋国家に近い位置に面した天然の良港という好条件に目をつけた王家が土地を買い上げ、上級精霊魔法使い(エレメンタルマスター)勇者(ニホンジン)が土地を開発して貿易港に発展したという歴史を持っており、今では外洋の国家からしてみればベルゼルグ唯一の玄関口にして勝手口だ。テレポートを使わない限りは、という但書はつくが。

 この世界にはテレポートという反則的魔法が存在するが、テレポートは習得できる者が限られている上に消費魔力が非常に重く、一度に飛ばせる人数と重量に厳しい制約が課せられている。

 海の向こうに大量のヒトとモノを運ぼうとするのであればやはり船を使うしかなく、ベルゼルグと地続きになっている国にとっても陸路より効率的に物資を運搬できる海運は重宝されている。

 

「そうですよね、紅魔族の皆やウィズさんやあなたが日常的にぽんぽん使ってるから忘れそうになりますけど、本来テレポートって習得してるだけで将来が約束されるレベルの上級魔法ですもんね……」

 

 内地育ちかつ偏った環境で育ったせいか、意外と物を知らなかったりするゆんゆんにあなたが自分が学んだシーサイドについて講釈していると、ゆんゆんが腕を引っぱってきた。

 

「すみません。ちょっとあのお店を見てもいいですか?」

 

 並んでいる露店の一つに興味を引かれたようだ。

 臆することなくこうした自己主張ができるようになったのはゆんゆんの確かな成長の証だろう。出会って間もない頃の彼女であればこうはいかない。

 

「いらっしゃいませ! ゆっくり見ていってくださいね!」

 

 溌剌とした元気な声であなた達を迎えた店主は、オレンジ色の髪を浅葱色のリボンでツインテールにした、10歳ほどの少女だ。清潔感のある白い服の上からエプロンを着用しており、店主よりは小間使いが似合いそうな風貌をしている。

 ぱっと見た感じではアクセサリーと日用品を売っている店で、看板には女の子らしい丸っこい可愛らしい文字でりりあのおみせと書かれている。

 

 ゆんゆんが物色する中、あなたは店主の後ろに立てかけてある二本の槍が気になっていた。

 明らかに業物であると分かるにも関わらず妙に存在感が薄いのは封印でも施されているのか。貼り付けられた無数の呪符がなんともいえない雰囲気を醸し出している。ちなみに呪符には血のように真っ赤な何かで牛の絵が描かれていた。

 

「おや、お兄さん。お目が高いですね」

 

 背後の槍が注目されていると気付いた少女がふふん、と得意げに鼻を鳴らす。

 

「でもごめんなさい。これどっちも私の私物なんです。幾らお金や物を積まれても売るつもりはありませんので。危ないのでお触りもやめてくださいね」

 

 あなたはがっくりと肩を落とし、槍に鑑定の魔法を使うのを止めた。

 詳細を知ってしまえばもっと欲しくなる未来しか見えなかったのだ。

 

「これとこれください」

「はい、まいどありがとうございます!」

 

 ゆんゆんは貝殻でできたアクセサリーや星の砂なる瓶詰めの小物を何個か購入した。自分と同じく海を知らないであろう、めぐみんや里の友達へのお土産にするのだという。

 

 

 

 

 

 

 あなたたちが乗り込む船は全長60メートルほどの大型帆船で、商人や観光客と思わしき者が何人も乗船していた。

 

「ふう。ちょっと食べ過ぎちゃったかも」

 

 軽くお腹をさするゆんゆん。港町ならではの新鮮な海の幸が随分と気に入ったようだ。

 乗船する前に寄った食堂であなたが食べたのはエビやアジといった魚介類のフライの盛り合わせ定食を、ゆんゆんはオリーブとにんにくが利いたトマトソースのイカとあさりのパスタ。

 時折あなたが釣果をお裾分けしていることもあって、ゆんゆんは海水魚に関しては食べ慣れているが、貝類や軟体動物はそうもいかない。

 初めて見る食材に最初はおっかなびっくりだったが、なんだかんだでお気に召したらしい。

 

「そういえば、今日は王都でやってるみたいに顔を隠していないんですね」

 

 他の客に交じって乗船している途中、思い出したようにゆんゆんが小さく耳打ちしてきた。

 あなたはシーサイドでは殆ど活動していないので王都ほど顔と名前が知られていないというのもあるが、アクセルから王都入りした冒険者が、最近頭角を現し始めている紅魔族のアークウィザードが頭のおかしいエレメンタルナイトと懇意にしてるということを広めてしまったので、顔を隠す必要がなくなってしまったのだ。

 レックス達のようにアクセル全ての冒険者に口止めをするなど現実的ではない以上、露見するのは時間の問題だったと思われる。

 自身に落ち度が無いにもかかわらずパーティーメンバーを見つけることが難しくなったゆんゆんだが、どうか一人でも強く生きてほしいものである。

 

 

 

 

 

 

 乗船後、しばらくは何をするでもなく客室で小休止していたあなただったが、やがて船が動き出したのを見計らって隣の部屋のゆんゆんに声をかけ、甲板に出た。

 

「わわっ、もうあんなに遠くなってる……!?」

 

 だんだんと遠ざかっていく陸地に気付き、ちっぽけな自分と広大な海のスケールの違いに呆然とするゆんゆん。

 あなたとしても船の旅は数年ぶりになる。イルヴァの海とこの世界の海は違うが、それでも船が波を掻き分けて進む音、風を切る音は何度聞いても心地よいものだ。

 

 感慨深い思いに浸っていると、ゆんゆんが深く頭を下げてきた。

 

「あの、ありがとうございます! 私、あなたと友達になれて、あなたと旅ができて本当によかった!」

 

 顔を上げたゆんゆんは、あなたに信じられないほどに眩しい笑顔を向けてきた。

 あまりにも無垢で純粋な少女の感情に照らされて答えに窮したあなたは、旅は始まったばかりでこの先ももっと色々な物が見れるのだと、ぶっきらぼうにゆんゆんの頭を撫でた。

 

「えへへ……私、頑張りますね!」

 

 髪をくしゃくしゃにされても嫌な顔をせずにはにかむゆんゆんはまるで子犬のよう。

 かくしてあなた達は今、新大陸への第一歩を踏み出したのだった。

 

 

 

 

 

 

「うぼあ゛ぁぁぁあ……」

 

 陸地が視界から消え去ってそれなりの時間が経過し、船の外はどこまでも続く大海原だけが広がっている。時折水平線の向こうで大きな何かが見えることもあり、見ていて飽きることはない。

 

「むり、これほんとむり……」

 

 波風はいたって平穏そのもので、航海自体は今のところ極めて順調。幸先のいいスタートといえるだろう。他の乗客も船室や甲板で思い思いに寛いでいる。

 

「ぎもち、わるい……旅なんか、するんじゃなかった……」

 

 そんな中、船酔いに目を濁らせたゆんゆんの顔色は船酔いで蒼白になっており、まるで病人かアンデッドのようだった。

 泥沼の如く濁りきった瞳は、絶望に塗れた未来と無残に砕かれた希望を彷彿とさせる。

 

「もうやだぁ……がえりだいよぉ……しぬ……私しんじゃう……助けてめぐみん、ウィズさぁん……」

 

 この程度でここまで酷い酔い方をするなど、どこか体の調子が悪いんじゃないか、と船乗りや乗客に心配されるほどに呆気なく船酔いになった上に死にかけているゆんゆん。

 昼食を食べ過ぎたというのもあるだろうが、彼女は船揺れという初めて味わう未知の感覚に体がついていけていないだけなのだ。馬車の揺れでは酔ったりしていなかったので、こちらもそのうち慣れるだろう。

 それに何よりこれはゆんゆんにとって初めての大冒険の第一歩となる船の旅。今こうして辛い思いをしていることも、いつかきっと旅の思い出として笑って話せるようになる日が来るとあなたは考えている。

 そう、冒険者になろうとノースティリスに向かっていた船旅で嵐に巻き込まれた挙句、荒れ狂う夜の海に投げ出されて危うく溺死しかけた自分と同じように。

 あなたが一人納得していると、半べそをかいた愛弟子はあなたの服の裾を引っ張って哀願してきた。

 

「おねがいします、てれぽーと使わせて……おうちにかえしてください……」

 

 あなたは首を横に振った。

 確かにテレポートの利便性は他の追随を許さないが、そうであるがゆえに何かあった時にテレポートがあれば大丈夫、と考えるようになるのは好ましくない。あなたはそう思っている。逃げ癖が付きかねない。

 

「そんな、酷い……おねがいします、てれぽーと使わせて……おうちにかえしてください……」

 

 あなたは首を横に振った。

 

「そんな、酷い……おねがいします、てれぽーと使わせて……おうちにかえしてください……」

 

 あなたは首を横に振った。

 

「そんな、酷い……おねがいします、てれぽーと使わせて……おうちにかえしてください……」

 

 あなたは首を横に振った。

 

「そんな、酷い……おねがいします、てれぽーと使わせて……おうちにかえしてください……」

 

 無限ループに飽きたあなたは、よしよしと慰めながら壊れかけのゆんゆんの背中を優しくさすってあげた。

 どれだけきつくても強くなりたいと言ったのはゆんゆんだ。

 この機会に我慢することの快感を知ってほしいと励ましの言葉を送る。

 

「かんけいない、これぜったいつよくなるのとかんけいないよぉ……うぅうううう……う゛っ……!?」

 

 あるいはそれが最後の一押しになってしまったのか。

 船から落ちないように縁に手をかけて大きく体を乗り出したゆんゆんは、粘性の高いモザイク状の虹色の酸っぱい乙女力の結晶を口から放出して全ての命の母である大海に還元した。

 

 

 

 

 

 

「……はぁ……ふぅ」

 

 船室のベッドで寝込むゆんゆんの看病を続けること数時間。

 月が空高く上って他の客が寝静まった頃、船酔いは落ち着きを見せ始めていた。渡された酔い止めの薬が効いているようで、顔色もだいぶよくなってきている。

 

「すみません、迷惑かけちゃって……」

 

 消沈するゆんゆんに細かいことは言いっこなしだと濡れタオルで額の汗を拭いていると、扉が小さくノックされた。

 

「こんばんは。連れの子は大丈夫?」

 

 扉の前に立っていたのは、凄惨な姿のゆんゆんを見かねて酔い止めの薬を渡してくれた女性の冒険者だ。

 ハルカと名乗った彼女は腰に厚手のダガーを下げているのと戦士にしてはあまりにも軽装なところから、盗賊職に就いているとあなたは予想している。

 

「あの、お薬ありがとうございました、おかげで凄く楽になりました」

「あはは。流石にあれを見過ごすっていうのは胸が痛むから」

 

 苦しむ友人兼弟子に助け舟を出してくれた親切な相手を邪険にする理由も無く、あなたはハルカを部屋に招きいれ、菓子で持て成した。

 寝込み続けるよりも会話する方が少しはゆんゆんも気分が紛れるだろう。

 

「へえ、二人は竜の谷へ行くんだ」

 

 軽い身の上話とあなた達の旅の目的を聞かされたハルカは目を丸くして驚いていた。

 彼女はあなたがこれから向かう大陸で活動している冒険者であり、当然竜の谷の危険度については熟知している。

 過去何人たりとも踏破に成功していない秘境に挑もうとする傍から見れば無謀な冒険者を、しかしハルカは笑うことはしなかった。

 

「噂には聞いてたけど、やっぱりベルゼルグの冒険者は違うのね」

 

 感心した風に頷くハルカにどういうことか尋ねてみれば、こんな言葉が返ってきた。

 

「魔王領と面しているからかな。ベルゼルグの冒険者の質は特に高いって有名なの。私達の大陸だとレベルが15もあればいっぱしの冒険者扱いになるのよ」

 

 それはあなたが初めて知る情報だった。

 レベル15となると、普通の冒険者はまだアクセルで活動している頃合だ。つまり駆け出しの範疇に入る。

 レベル20半ばになってようやく中堅、いっぱし扱い。一概に断言はできないだろうが、ベルゼルグと他国には数値にしておおむね10ほどレベルの差があるとあなたは判断した。

 

「ちなみに私は今レベル21。これでも地元じゃ結構名前が売れてる方よ」

 

 ベルゼルグじゃその他大勢扱いになっちゃうけどね、と笑う彼女が見せてくれた冒険者カードには確かにレベル21と書かれていた。

 ベルゼルグ換算だと31。王都で活動できるレベルなので実際に言うだけのことはあるのだろう。

 

「あの……」

 

 おずおずとゆんゆんが手を上げた。

 

「他国だと紅魔族ってどういう扱いになってるんですか?」

「紅魔族? ああ、魔王軍すら関わり合いになりたくないって敬遠してる、あのアクシズ教徒と並ぶ災厄の種族ね。私は会った事がないんだけど、常時狂気に犯されているせいでろくすっぽ会話が成り立たないし、仮に会話ができても言葉の意味が分からないって聞くわ」

「ちが……あれ、もしかしたらあんまり違わないのかも……」

 

 紅魔族は狂っているわけではないが、傍から見ればそう思われてもおかしくはない。

 大体合っているせいで下手に擁護もできず、同族に蔓延している風評被害に未来の族長は頭を抱えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ハルカが部屋から去り、ゆんゆんの体調も落ち着きを見せ、あなたがそろそろ自分も部屋に戻って寝ようかというタイミングでそれは起きた。

 何の前触れもなく、ズン、という腹に響く強い揺れが船を襲ったのだ。

 

「……っ、何でしょう、今の」

 

 明らかに風や波によるものではない揺れ方に、部屋の外からは他の客のざわめきと動揺が伝わってくる。

 嫌な予感がしたあなたが息を潜めて耳を済ませていると、二度、三度と強い揺れが連続して発生し、水夫や乗客の悲鳴と怒鳴り声があなた達の部屋まで届いてきた。

 

 

 ――モンスターだ、モンスターが出たぞ! 大物だ!!

 

 ――今の触手は……間違いなくイカだ。

 

 

「私も行きます! 戦えます!」

 

 神器を携え立ち上がったあなたを見て慌ててベッドから跳ね起きるゆんゆんは、一体何を言っているのだろうと思わず不審げに眉を顰めるあなたに怯えるように、びくりと体を震わせた。

 

「あなたの足手まといにはなりません! だから!」

 

 震える声でいつにも増して真剣かつ必死なゆんゆんは船酔いであなたに看病させたことを気に病んでいるようだ。あるいは醜態を見せてあなたを失望させたと勘違いしているのか。

 だがあなたは元よりパーティーメンバーである彼女を一人ここに置いていくつもりなどなかった。

 むしろここで戦えないとか行かないでなどと後ろ向きなことを言い出したらそれこそ失望していたところである。まあ彼女に限ってそれは有り得ないだろうが。

 

 説明を受けて目に見えて安堵するゆんゆんに、あなたはそこまで厳しく接した覚えは無いし、むしろゲロ甘と呼べるくらいなのでは、と首を傾げるのだった。

 

 

 

 甲板に出ると同時、ゆんゆんは激しく切り込んだ。

 

「ライト・オブ・セイバー!」

 

 そのまま水夫の背中を襲おうとしていた魚人のモンスター、マーマンを一刀の元に切り捨てる。

 はっきり言って雑魚モンスターだ。ゆんゆんの敵ではない。

 

「大丈夫ですか!?」

「すまねえ、助かった!」

 

 状況を把握する為に周囲を見渡してみれば、甲板のあちこちに水棲モンスターが乗り込んできており、冒険者や水夫と戦いを繰り広げていた。

 ハルカの姿も見える。ナイフ一本で立ち回る彼女はかなりの見切りの技量を持っているようで、複数のモンスター相手に一歩も引いていないどころか圧倒している。

 あなたが見たところ、それほど危険なモンスターはいない。大物と思われるイカの存在が気がかりだが、海に潜っているのか姿が見えない。

 

 魔物や野生生物の襲撃に耐えられるように、この世界の船は特殊な魔法や水夫のスキルで保護されており、見た目以上に強靭な作りになっている。

 この程度の襲撃であれば船底から攻撃されてもちょっとやそっとで穴が開くことはないだろうが、注意といざという時の準備だけはしておくべきだろう。

 

「あぶねえ魔法使いの嬢ちゃん! 上だ!」

 

 ノースティリスに最初に向かった時といい、自分が新大陸に行く船に乗ると事件に巻き込まれる呪いでもかかっているのだろうか、と思考を飛ばしながら矢のような勢いで飛び掛ってくるトビウオを三枚おろしにしていると、水夫の叫び声が聞こえた。

 まさかと思いきや、狙われたのは八面六臂の活躍を見せていたゆんゆんだった。

 

「っ!?」

 

 一際目立つ戦果をあげていた少女は、水夫の声に反応するも足をもつれさせ、真っ青な顔で口を押さえる。

 

「う゛っ……」

 

 何が起きたかなど考えるまでもない。激しい動きと揺れで治まりかけていた船酔いがぶり返したのだ。

 そんな状態で奇襲を避けられるわけもなく、上から降ってきたクラゲがゆんゆんの頭部をすっぽりと覆い尽くした。

 

「ンンンーーーッ!!!」

 

 瞬間、クラゲがモザイク状の虹色に染まった。なんかもう色々と酷い。あの中身がどうなっているかはちょっと想像したくない。

 驚きで限界を超えてしまい、クラゲの中でリバースしたゆんゆんの痛ましい姿を見てあなたは熱くなった目頭を押さえずにはいられないのだった。



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第106話 汚れっちまった悲しみに

 重度の船酔いという状態異常で動けなくなったゆんゆんの隙を突き、奇襲を成功させたクラゲ型モンスター。その名をシースナッチャー。

 分かりやすさ重視の名前を裏切ること無く、このモンスターは誘拐を得意としている。

 普段は海中や海上をふらふらと漂い、緩慢な動きに騙された迂闊な獲物が近づいてきたら高速で取り付いて触手から麻痺毒を打ち込み気絶させ、体内に捕らえて巣に持ち帰る。

 幸いにしてシースナッチャーにとっての食料は魔力だ。まかり間違ってもこの場でゆんゆんが「爆ぜろ頭蓋! 弾けろ脳漿!」みたいな目を背けたくなるスプラッターな事態に陥ることはない。

 現状も十分すぎるほどに目を背けたくなるが、命あっての物種ともいうし、脳髄グシャーよりはマシだろう。あなたはいっそ楽にしてやれと少しだけ思っているが。

 

「なんて毒々しいおばけクラゲ……!」

 

 雑魚をしばき終えたハルカが目の前の光景に慄然と呟く。

 ゆんゆんの溢れんばかりの、もとい溢れた乙女力で虹色に染まったシースナッチャーは一瞬で縦横3メートルほどに膨張し、ゆんゆんを取り込んでいる。

 このモンスターは弾力性と伸縮性に富んだジェル状の体を持っている。普段は人間の首から上をすっぽり覆い隠せる程度のサイズだが、いざ広がってしまえば現在のように人間を複数人丸呑みできてしまうほどの大きさになるのだ。

 こうして魔法使いのように魔力の高い女性を好んで捕食して体内に捕らえ、生かさず殺さず魔力を吸い上げた挙句幼体を育てるための母体、つまりは苗床にする。

 

 触手。

 丸呑み。

 エナジードレイン。

 苗床。

 

 なんとも一部の特殊性癖持ちが大興奮しそうなラインナップだ。

 このままではゆんゆんが若くして望まぬ魔物の子を孕まされて未婚の母になってしまうので、是が非でも救出する必要がある。

 だがそれには一つだけ問題があった。

 

「これは……面倒なことになった……」

「最悪かよぉ!」

「もう少しこう何というか、手心というか……」

 

 膨張したシースナッチャーを前に尻込みする水夫と冒険者達。

 それもそのはず。なんとこのシースナッチャー、今のように膨らんだ状態で絶命すると爆弾のように盛大に破裂するという極めて傍迷惑な性質を持っている。

 ゆんゆんを救助するためには相手が戦域を離脱する前に仕留めないといけない。シースナッチャー自体はさほど強いモンスターではないので、やろうと思えば救出は容易だ。

 しかしその場合、今もなおシースナッチャーの体内で希釈、攪拌され流動し続けているゆんゆんの虹色の乙女力がぶちまけられる羽目になる。さながら水がパンパンに詰まった風船のように。大惨事と形容せざるを得ない。爆発の威力も低くないので、後衛職とはいえ高レベルで耐久力が高いゆんゆんはともかく、船の一部くらいは破損してしまうかもしれない。

 そして幾らゆんゆんが美少女とはいえ、乙女力を全身に浴びて我々の業界ではご褒美です、と喜ぶ変態はこの場にはいなかった。いたらしばかれて海に捨てられてもおかしくないが。

 ならば魔法や弓矢で仕留めればいいのでは? そんな意見が出るかもしれないが無駄だ。シースナッチャーの爆発半径はこの船くらいは余裕で飲み込んでしまう。乙女力からは逃げられない。

 

「…………」

 

 意図せず味方を困惑と緊張の渦に叩き込んだゆんゆんだが、麻痺毒を打ち込まれた彼女は虹色の体内に囚われたまま白目を剥いて失神、ビクンビクンと痙攣している。

 これだけでも十分に痛ましい姿だが、どうにかして彼女が意識を取り戻す前に救出する必要がある。

 希釈されているとはいえ、自身の乙女力……ハッキリ言ってしまうとゲロゲロの中に囚われ続けるというのは彼女のような年頃の少女にとっては軽く発狂モノだろう。

 

 ゆんゆんの精神衛生上の問題もあるが、何よりも、これ以上ゆんゆんをヨゴレキャラにするわけにはいかないとあなたは考えていた。割と切実に。

 ただでさえ彼女はぼっちを拗らせたゲロ甘でチョロQな不憫な子だったというのに、今ではガンバリマスロボ化とダークサイド化まで追加されてしまった。この期に及んでヨゴレ属性など断じてお呼びではない。

 レベルアップと充実していく私生活に比例してゆんゆんに災厄が降り注いでいる感覚がある。きっと彼女はそういう星の下に生まれてしまったのだろう。他の能力と比較して明らかに伸びが悪い幸運値もそれを物語っている。

 やはりゆんゆんのメンタル強化は急務だ。あなたは改めて自身の果たすべき役割を認識した。

 ついでにゆんゆんは幸運の女神を信仰するべきだ。彼女は女神エリスと知り合いだし、なんならイルヴァの幸運の女神、エヘカトルを紹介してもいい。

 前者は本人との直通回線、後者は信者の友人と、あなたはどちらにも伝手を持っている。

 

 ちなみにあなたは強くなりたいなら断然女神エヘカトルを信仰すべきだと考えている。

 これはあなたがエリス教に隔意を抱いているわけではなく、単純に両者を信仰した時のメリットの差を考えてのことだ。

 

 女神エリスを信仰すると、心持ち運が良くなると言われている。

 敬虔な信徒であれば体感できる程度には差が出るらしいが、知名度や神の格や信者の数を鑑みると、やはりささやかな恩恵だと言わざるをえない。彼女の平等主義と神による人間への干渉は最小限にすべきという主張の一端がこんなところにも表れている。

 当の女神エリス曰く、信仰とはあくまでも信者の心の拠り所となるべきもの、信者が心を救われる為のものでなければならず、決してメリットやデメリットを考えてするようなものではないとのこと。

 なるほど、彼女は圧倒的に正しい。ぐうの音も出ない正論だ。

 

 だが女神エリスの言はこの世界の他の神と比べてもいささか潔癖なきらいがあるし、何より心の拠り所云々は神を信仰する上での前提条件に過ぎない。

 癒しの女神を信仰する前の不信心者だった頃ならともかく、今のあなたはそう思っている。

 

 この意識の差はエリス教が国教として扱われるレベルの一強状態であり、競争相手や自身の地位を明確に脅かす対象が存在しないからだろう。

 エリス教に敵対的な宗教としてはアクシズ教が挙げられるが、こちらは世間一般では殆どカルト扱いなのでエリス教の地盤を揺るがすほどではない。

 

 そこに来ると、日々鎬を削りあうイルヴァの神々が信者に授ける恩恵は、いっそ清々しいまでに即物的だ。

 まず、信者は等しく信仰の深さに応じて信仰する神々に対応した能力や技能が上昇する。

 あなたの信仰する癒しの女神であれば意思が固くなり、料理上手になったり怪我の治りが早くなったり生き物の解体が上手くなったり、といった具合に。

 さらに神々の力の一端をこの世界のスキルに似た形で与えられ、神に気に入られた敬虔な信徒は神器や神の下僕を賜ることもある。

 上記以外にもイルヴァの神々は装備品を通じて交信が可能なので、寂しがりやのゆんゆんにはぴったりといえるだろう。

 肝心の女神エヘカトルは意思の疎通が困難で、下僕の黒猫にいたっては背中から触手が生えていたり腹から蛆虫が湧き出てきたりするのだが、ゆんゆんは自分と仲良くしてくれる相手なら悪魔でもいいと言っていたので何も問題は無いはずだ。

 

 これはあなたが知る女神エリスが貧乏くじを引きがちな苦労人で、その幸運の力に対して懐疑的だからでは決してない。

 お気に入りのパンツを盗まれたり強盗団の首領として高額賞金首になったとしても、女神エリスの幸運の力は本物なのだ。

 

 

 

 

 

 

 今後の予定を立てるのはいいが、さしあたっては本人を救助しないことには何も始まらない。

 ゆんゆんを捕食したシースナッチャー以外の掃討が終わり、どうしたものかと頭を捻っていると、重く響く大きな音と共に船が大きく横に揺れた。

 騒ぎの初動と同じ質の揺れだが、それよりも更に強い。

 バランスを崩して甲板を転がる人間達を見ていると、人間にとっては海上で戦うということ自体が重大なハンデだと実感させられる。

 

「きゃああああああああ!?」

「どこでもいいから掴まれ! 海に落ちたら一巻の終わりだぞ!」

「また来たぁ!」

 

 水しぶきをあげて姿を現したのは、巨大なイカのモンスター、クラーケン。

 陸で最も有名なモンスターがドラゴンなら、こちらは海で最も有名なモンスターだ。

 クラーケンはドラゴンほどの戦闘力は持ち合わせていないが、クジラ程度なら片手間に縊り殺すし、何より海というフィールドは人間にとって絶望的なまでにアウェーだ。

 この大型帆船も所詮は洋上に漂う木の葉に等しく、海に落ちた人間に為す術はない。救出されなければ溺れ死ぬのを待つばかり。

 

 クラーケンは巨大な触腕を何度も海面に打ち付けたり、思い出したように船を叩いて激しく揺らしてくる。船上は嵐に巻き込まれたかのような阿鼻叫喚に陥っている。

 今のところは船も無事だが、そう長くはもたないだろう。

 遊んでいる。あなたはクラーケンの行為を見てそう感じた。

 

 ふと、あなたはクラーケンの右の目が潰れていることに気付く。

 傷はつい先ほど付けられたかのような真新しさで、小さな刃物で切り裂かれたように見える。さらには触手の一本には無数の切り傷が刻まれていた。

 

「ああもう、しつこい……!」

「おい、もうクラーケンに飛び移るなんて無茶な真似はするなよ!」

「今は無茶しないといけない時でしょ! しかもあっちは私を狙ってる!」

 

 クラーケンは船を嬲りながらも、ハルカに刺すような敵意と殺意を向けている。痛打を与えたのは彼女だったようだ。あなたが甲板に出る前、最初の強い揺れがあった際にやりあったのだろう。

 よくやるものだとあなたは感心した。

 ハルカのレベルは21。何の魔法も加護もかかっていない、厚手で丈夫なだけのナイフ一本でクラーケンに白兵戦を挑むなど、乱心しているとしか思えない。

 

 

 同業者の胆の据わりっぷりとそのレベルに見合わない卓越した戦闘技術に感嘆していると、ぺしんと後頭部に何かが当たった。

 そのまま、足元に転がったのは何の変哲も無い皮袋。

 中身は空っぽだが、口径を見るに本来は水を入れておくためのものだろう。この揺れで飛んできたらしい。

 あなたは特に気にも止めずに皮袋を視界から外し……すぐに再び向き直った。

 

 唐突に閃きが舞い降りたのだ。なるほど、悪くない。この案で行こう。

 そうと決まれば話は早いと皮袋を拾い上げて軽く膨らませ、ゆんゆんの魔力を吸収し始めたシースナッチャーに向かって走り出す。無駄に虹色に輝いて自己主張しており非常に毒々しい。紅魔族のゲロゲロは魔力が豊富だったりするのかもしれない。

 

「おい待て馬鹿止めろ!」

 

 仲間であるあなたが痺れを切らして救出を始めたと思ったのか、何人が必死に止めようと声を張り上げる。早々に甲板から船内に退避する者もいる始末。

 気持ちは分からないでもないが、不調を押して戦った勇敢な少女の為に多少は目を瞑ってあげてもいいのでは、という感情をあなたは微かに抱いた。

 とはいえあなたは敵を始末するつもりで近づいたわけではない。少なくとも今はまだ。

 まず、ふよふよと浮かんでいるシースナッチャーの触手を数本鷲掴みにする。

 突然の蛮行にシースナッチャーの驚愕が伝わってくる。当然触手が何本も突き刺さるが、装備品の恩恵により麻痺も毒もあなたには通じない。

 次いで、シースナッチャーを持ったままクラーケン側の船の縁に向かって疾走。

 船上で自爆されるのが問題なら、船上で自爆させなければいい。子供でも分かるシンプルな理屈だ。

 

「アンタ、何をする気だ! ……よせ!」

 

 船長と思わしき格好の髭面の壮年の男の声を背に、クラーケンに向けて跳躍。シースナッチャーとゆんゆんを引き連れたまま。

 束の間の浮遊感を味わいながら、まさか二度も夜の海に飛び込む日が来るとは思っていなかったと自嘲する。

 このまま遭難すれば、あの時のように青髪と緑髪のエルフに救助され、洞窟の中で目が覚めるのだろうか、などと愚にもつかない思考が頭の隅で過ぎった。

 違いがあるとすれば、前回のあなたは嵐で海に投げ出されたが、今回は自分の意思で飛び込んだところだろうか。

 どちらにせよ、前回に比べれば今は天国のような状況だ。

 海の荒れ模様も自身の能力も、比較にすらならない。

 

 自身に突っ込んでくるあなた目掛け、哀れな生贄が自分から飛び込んできたとばかりにクラーケンが触手を振るう。

 イカに表情筋と声帯は無いが、あなたの目には目の前の大イカがゲラゲラと嗤っているように見えた。

 宙を舞うあなたに攻撃を避ける術は無く、クラーケンの膂力と速度も相まって並の冒険者であれば命は風前の灯といったところだろう。

 

 並の冒険者であれば、の話だが。

 

 火炎属性付与(エンチャント・ファイア)を発動。

 神器に付与された紅蓮の炎が夜の海とクラーケンを明るく照らし出す。

 

 そのまま迫り来る触手、もといゲソを迎撃。

 黒の空間を無数の赤い線が塗り潰し、それをなぞるように火の粉が舞った。

 炎剣にバラされた瞬間にゲソは激しく燃え上がり、醤油が欲しくなるいい匂いを放つ。

 一瞬で失われた触手に驚く間もなく、行きがけの駄賃とばかりにクラーケンを上下真っ二つに解体。哀れな生贄は果たしてどちらなのか、一瞬で姿焼きと化したクラーケンは身を以って知る事になった。

 

 衝撃と共に着水。クラーケンが倒れたのと相まって、盛大な水柱があがる。

 落下の勢いのままに水底に沈んでいくあなただが、恐怖すら覚える夜の海の中でその姿を照らすのは、やはり右手に携えた神器だ。

 例え水や真空の中だろうと、魔力を垂れ流して無理矢理スキルを発動させ続ける限りエンチャントされた炎は消えない。

 初めて属性付与スキルを有効活用しているかもしれない、と考えながらここでようやくシースナッチャーを斬殺。爆発する前に中身のゆんゆんを離さないように左腕で強く胸に掻き抱き、素早く口に空の皮袋を突っ込む。

 

 想定していたよりも遥かに強い衝撃があなたを襲い、ゆんゆんの全身を覆っていた虹色が一瞬で海に融けて消えた。

 激しく揺さぶられ、上下の感覚が喪失するも、暫く大人しくしているとやがてそれも収まった。

 あまり船から離されていないといいが、と他人事のように考えながらゆんゆんを抱えて海面に向かう。

 一分もかからずに海面に到達。幸いにして船からはそこまで離されておらず、あなたが声をかけるまでもなく船は向こうから近づいてきた。彼らはエンチャントの炎を目印にしたのだ。あなたの目論見通りでもある。

 

「無茶苦茶な真似しやがって。クラーケンを倒してくれた件については礼を言うが、夜の海に飛び込んで海中でシースナッチャーを仕留めるとか思いついてもやらんだろ、普通」

 

 垂らされたロープを伝って船上に戻ると、船長に理解できない者を見る目で苦言を飛ばされた。自殺行為にしか見えなかったのだろう。

 できると思ったからやった。あなたからしてみればそれだけの話だ。

 それにこれはゆんゆんの為でもある。

 航海は一日や二日では終わらない。あのまま船上でシースナッチャーを爆破させていれば多かれ少なかれ彼女に悪感情を抱く人間が出ていただろうし、何より船や他人を汚したり破損させたとあっては、ゆんゆん本人が肩身の狭い思いをしてしまう。

 ゆんゆんを無用な危険に晒したのは事実だが、海水で洗い流されたおかげでゆんゆんを含めて誰一人としてゲロゲロに塗れなかったのだから結果オーライと言えるだろう。

 ダイビングの代償として師弟揃って海水でずぶ濡れになったので、髪や服が痛まないように洗わなければいけないが、全身のゲロゲロを洗い流すよりは心情的に遥かにマシだ。

 

「体を洗いたい? 魔法使いなら男女両方揃えてるぜ。女の方は婆さんだけど腕は確かだ」

 

 船員にモンスターの死体の処理とクラーケンの回収を命じ始めた船長に聞いてみれば、こんな答えが返ってきた。

 この言葉からも分かるように、この船に限らず、漁船や海賊船など、ある程度の規模の船になると、最低一人は初級魔法が使える魔法使いを抱えている。

 内陸でしか活動しない冒険者が聞けば目を丸くするだろうが、この世界の船乗りは初級魔法を非常に重要視していた。緊急時の海上における飲料水と火種の確保の困難さは陸上の比ではないのだから当然といえば当然だろう。筋肉モリモリマッチョマンな船乗りの職業が魔法使いだったりすることもざらだ。

 極少数だがクリエイトウォーター特化型のスキル構成の魔法使いも存在し、彼らは船乗りや乗客に大変重宝されている。ノースティリスに行っても間違いなく引く手数多だろう。

 

 ともあれ、クリエイトウォーターを使える上に日常的に鍛えているあなたにはあまり関係のない話だ。体を洗えるスペースを用意してもらうよう頼むだけで終わった。

 

 

 

 

 

 

 救出から数時間も経たずに意識を取り戻したゆんゆん。

 しかし案の定と言うべきか、その乙女心はぼろぼろになっていた。

 

「うぅ……ぐすっ……」

 

 意識を取り戻した直後からずっと、ゆんゆんはベッドに潜り込んでめそめそと泣き続けている。

 シースナッチャーの中で嘔吐した記憶を失っていてくれればあなたとしては好都合だったのだが、流石に世の中そこまで甘くなかった。

 彼女は以前ジャイアントトードの粘液塗れになったことがあるが、今回はそれよりダメージが大きいようだ。こともあろうに自分のゲロ塗れになったのだ、さもあらん。

 不幸中の幸いは、失神していたゆえに丸呑みされた後の状況までは知らないところか。

 

「私、汚れちゃった……汚されちゃったよぅ……」

 

 四次元ポケットの中から妹からこの程度で汚されたとか何言ってんだこいつは、とでも言いたげな冷めた感情が飛んでくる。

 

 ――この程度で汚されたとか、こいつは何言ってるんだろうねお兄ちゃん。別にエイリアンに孕まされたわけでもないのに。

 

 普通に口に出すことにしたようだ。

 相変わらず妹は紅魔族に風当たりが強いが、あなたは妹の言い分も多少は分からないでもなかった。

 ゲロゲロに塗れるのは勘弁してほしいが、流石に大袈裟すぎるのではないか、と考える心も確かにある。

 身も心も汚れきって久しいあなた達では、ゆんゆんの感情を慮ることはできても共感まではできない。

 だが自分達と彼女が別の世界の生き物であり、積んできた経験も段違いな以上、それを口に出すのはお門違いも甚だしいと理解している。

 いくら才能があってレベルも高くなったとはいえ、ゆんゆんはまだ十四歳になったばかりの、海を見て目を輝かせるような子供の女の子なのだから。

 よってあなたは、今の自分がやるべきことは叱咤ではなく慰めだと考えた。

 

「…………っ」

 

 ゆんゆんは汚れていないと、布団の上からゆんゆんの頭を手の平でぽんぽんと優しく叩くと、布団の中身がびくりと震えた。

 微かな抵抗の意思とともに拒絶の言葉が聞こえてくるが、構わずあやし続ける。

 

 ――そのうち勝手に立ち直るだろうし、この先こんなこと幾らでもあるんだから放っておけばいいのに。やっぱりお兄ちゃんは優し過ぎるね。ウィズお姉ちゃん(大切に想ってる人)が相手でもないのに、あんまり過保護すぎるのもよくないんじゃない?

 

 やれやれといった口調の妹がここまでやっても発狂しないのは、あなたにとってのゆんゆんがめぐみんのような妹的存在ではないと理解しているからだ。

 それはそれとして紅魔族は気に入らないのでこうしてぶーぶー言ってくるものの、これくらいなら可愛いものだ。

 

 そして妹の言うとおり、あなたとしても若干過保護になっている自覚はある。

 この旅の間は普段ゆんゆんのメンタルケアを担当しているウィズを頼れない。あなたが何とかしなくてはいけない。

 

 慣れない仕事だが、こうしていると少しだけまるで自分が父親にでもなったかのようで、悪い気はしなかった。

 思わずあなたの顔に笑みが零れる。いつか自分のような人間が本当に父親になる日は来るのだろうか、と。

 

 ――いつかどころか今すぐ父親になれるから私と子作りなうだよお兄ちゃん! レッツ背徳!

 

 エンジンがかかってきたのか、テンションを上げて毒電波を飛ばし始める妹。あなたは聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんを慰め続け、あなたの瞼が重くなってきた頃。

 くい、くい、と弱々しく袖が引っ張られる感触にあなたは下がり始めていた顔を上げた。

 

「…………あの」

 

 いつの間にか泣き止んでいたゆんゆんがベッドから顔を出し、あなたを見上げている。

 あなたに渡されたハンカチで泣き腫らした目を拭った後、彼女はおずおずとこう言った。

 

「ちょっとだけ、変なことを言ってもいいですか?」

 

 首肯する。

 

「その、笑わないでくださいね? なんだか、こうしてると、あなたのことを、ちょっとだけ、お兄」

「死ねオラァ!!」

 

 最後まで言い終わる前に妹が発狂した。

 完全に慣性を無視した鋭角な軌道を描き、別々の方向から同じタイミングで飛来する三本の包丁を打ち落とし、返す刀で顕現した妹をしばき倒す。

 妹は投擲スキルを習得しているが、それにしたってこれはない。どこでこんな魔法のような常識外れな投げ方を手に入れたのか。叶うなら教授してほしいくらいだ。

 呪詛を吐いて消滅する妹の野放図さに頭痛を覚えながらも今の怪現象についてゆんゆんに説明しようと顔を向ける。するとそこには……。

 

「――――」

 

 毒電波の篭った殺気に当てられたのか、白目を剥き口から泡を吹いて気絶するゆんゆんの姿が。

 狂気に耐性をつけるために、彼女には自分と同じように癒しの女神を信仰させるのも悪くないかもしれない。

 

 風邪をひかないようにそっと布団を被せてあげたあと、あなたは部屋のランプを消して部屋を退出した。



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第107話 アイツ、ジュア様の話になると早口になるの気持ち悪いよな

「ゆんゆん、アレと二人で旅に出るというのなら、くれぐれもあの亡霊には気をつけなさい」

「亡霊? なんのこと?」

 

 ゆんゆんがあなたと共に旅に出る少し前。紅魔族の宿願の一つである竜殺しを成し遂げためぐみんが上機嫌でゆんゆんの家に遊びに来た日のこと。

 ボードゲームに興じている最中、駒を動かしながらめぐみんがそう忠告した。

 自身を襲った狂気と殺意の奔流を思い返して小さく背筋を震わせる友人に、思い当たる節が全く無いゆんゆんは当然ながら首を傾げる。

 

「どうやらゆんゆんは遭遇していないようですが、貴女がパーティーを組んでいるあの男は、女の子の姿をした亡霊のようなモノを飼っています。見た目は私と同じくらいの背丈の、赤い服を着た緑色の髪の女の子でした。私も詳細を聞かされたわけではないのですが、解呪できない呪いのようなものって言ってましたかね」

 

 こんな髪型をしていました、と両手で小さなツインテールを作る。

 

「それって飼っているじゃなくて憑かれてるの間違いじゃないの? 亡霊なんでしょ?」

「飼っているで合っていると思いますよ。本人が積極的に引き剥がそうとしていないので。アンデッドに縁がある人間なんだと私は勘繰っていますが」

「まあ、ウィズさんもそうだしね。全然そうは見えないから忘れがちだけど」

 

 リッチーであるウィズは言うに及ばず、もう一人の同居人であるベアからもゆんゆんは自身が何かしらのアンデッドだと暗に申告されているし、めぐみんもデストロイヤー戦の折にあなたがアンデッドを仲間にしていると知らされている。

 生憎と後者の種族までは知らされていないが、二人ともまさかベアの正体が音に聞こえたデュラハンのベルディアだとは露程も思っていなかった。

 

「まあ亡霊に関しては特定の単語を言わなければ大丈夫らしいので。でも気をつけるだけ気をつけておいたほうがいいですよ」

「ねえめぐみん。もしかして私のこと心配してくれてる?」

「いえ別に。ただ私の知らない場所で惨殺とかされると寝覚めが悪いじゃないですか」

「命に関わる問題なの!?」

 

 けんもほろろな対応をしつつ、また一つゆんゆんの駒を奪う。

 盤上の形勢はほぼ五分。

 王のテレポートや精神コマンド、エクスプロージョン(ちゃぶ台返し)など荒唐無稽なルールがまかり通ってはいるものの、基本的には地球やイルヴァに存在するチェスに酷似したこのゲームを、ゆんゆんは何年もの間、一人二役で遊び続けていた。

 そしてつい最近になってようやくあなたという恒常的な、めぐみんと違って勝ち負けを全く気にしないでいい遊び相手を得た結果、純粋な対人戦の楽しみに目覚め、紅魔族の中でも優秀な才能を持つという素質と一人対局という名の空しい努力が奇跡的に実を結び、一度はめぐみんをぐうの音も出ないほどにけちょんけちょんに完封してみせるほどの腕前になった。エクスプロージョン以外はなんでもアリのルールで。

 当然、負けず嫌いのめぐみんは今日は調子が悪かったみたいです、などと嘯き(うそぶき)ながらも内心では盛大に歯軋りしてリベンジを誓い、それまでは暇潰しに嗜む程度にしか遊んでいなかったゲームを本気で研究、攻略し、あっという間にライバルに追いついてみせた。紅魔族随一の天才は伊達ではない。

 

 暫く一進一退の攻防を続け、盤面が完全に膠着したところでゆんゆんが思い出したように口を開いた。

 

「そういえばさっき特定の単語を言わなければ大丈夫って言ったけど、具体的にはなんて言ったらダメなの? 肝心の単語を知らないとどうにもならないんだけど」

 

 当然の質問にめぐみんは眉間に皺を寄せる。

 幾らあなたをからかうためだったとはいえ、日頃から悪態をついたり突っかかっているあなたを、よりにもよってお兄ちゃん呼ばわりした事を目の前のライバルに話したくなかったのだ。

 

(どういうわけか、ゆんゆんは私があのイカレポンチに懐いてるだとか甘えてるだとか構ってもらいたがってるだとか、考えるだけで頭が痛くなりそうな勘違いをしてますからね。絶対ここぞとばかりにからかってくるに決まっています。私にとってアレは打倒すべき宿敵、超えるべき壁でしかないというのに。困ったものです。……まあ爆裂魔法を評価している点は見る目があると言えますし、本人も別に嫌いとまでは言いませんけど。ウィズの店を通して実家にお金を落としてくれていますし、私がスロウスさんと再会できたのも一応はあの男が原因みたいですしね)

 

 やれやれ、と。誰に向けたものでもない心中の独白を終える。

 

「鬼です。くれぐれもあの男を鬼と呼んではいけませんよ。例え実際には鬼が裸足で逃げ出すような外道の輩だとしても」

 

 めぐみんは笑顔で毒と嘘を吐いた。

 

「鬼、ね。たぶん呼ばないと思うけど、絶対に呼ばないとは言い切れない言葉よね……あの人だと」

「まあ万が一呼んでしまっても大丈夫でしょう、多分。私が襲われた時は飼い主が実体化した悪霊を一方的に蹴散らしましたから」

「僧侶でもないのに浄化の魔法を?」

「物理です。危険な相手とはいえ、見た目だけなら普通の女の子にしか見えない相手の腕と首を躊躇なく斬り飛ばす様はドン引きしましたね実際」

「ああ、うん。そういうことするよね。というか姫騎士にしてたわ」

 

 魔物とはいえ、見た目だけなら可憐な少女である姫騎士を殺戮するあなたの勇姿は、今もゆんゆんの記憶に強く焼き付いている。

 

「姫騎士ですか。私もあまり詳しくはないですが、確か竜騎士の祖でしたね。あまり紅魔族の琴線に触れる種族ではないはずですが、まさか捕まえようと?」

「それこそまさかよ。たまたま遭遇して戦っただけ。でもすごくやりにくかったわ」

「この際ですし捕まえるのは姫騎士の下の部分でも良かったんじゃないですか? 私は死んでもごめんですがね」

「全然良くないからね!? あんなのに乗ってたら誰がどう見ても変態の仲間じゃない! それに縛られてる女の子を庭先で飼って街中で乗りこなすとかご近所の評判が大変なことになるわよ!」

 

 ヒトの形をしたものを相手にナチュラルに野外で飼うという発想が平然と飛び出てくる友人を、めぐみんはちょっとだけ遠くに感じた。

 

「……まあ姫騎士は論外として、ドラゴンはドラゴンでどうしようかって感じだけどね。私を乗せて飛ぶサイズだと絶対家の中で世話できないし、庭も狭すぎるだろうし」

「私の屋敷の庭なら幾らでも放し飼いできますよ? そして有耶無耶のうちにドラゴンを手懐けて私の物にします」

「少しは本音を隠しなさい。紅魔族としてドラゴンに拘る気持ちは分かるけど、めぐみんにはちょむすけがいるじゃない。ある意味竜よりずっと凄いと思うんだけど。ちょむすけってほら、アレだし」

「ちょむすけはちょっと信じられないくらい臆病でへちょいじゃないですか。はっきり言って私はあの子が本当に邪神なのか疑ってますよ」

 

 めぐみんが飼っている黒猫であるちょむすけ、その正体はなんと、幼き日のめぐみんが封印から解き放った邪神、ウォルバクである。

 これはあなたやウィズは勿論、めぐみんのパーティーメンバーですら知らされていない、二人だけが知るとっておきの秘密だ。

 

 だが二人は知らない。

 

 めぐみんには爆裂魔法としての先達、さらに人生の恩師として。ゆんゆんには友達として。

 二人の紅魔族に深く慕われているスロウスという名の女性の正体が、魔王軍幹部にして怠惰と暴虐を司る女神ウォルバクであるということを。

 そして女神ウォルバクが、今はちょむすけと呼ばれている自身の半身を捜し求めているということを。

 

 二人は知らない。

 

 今は、まだ。

 

 

 

 

 

 

 この後、まるで予定調和のような流れでゆんゆんは禁句である「兄」を口にしてしまい、あなたの妹の怒りを買った。

 仮にめぐみんが嘘をつかなければ、あなたの目の前で白目を剥いて泡を吹くという醜態を晒す事態には陥っていなかっただろう。

 あなたの謝罪と妹の説明を受けたゆんゆんは、呼吸するようにデマを吐いためぐみんに軽く呪詛を吐きながらも、少しだけ友人が真実を隠した理由を察することになる。

 ただこの件でめぐみんをからかった場合、自分もあなたを駄目な意味でお兄ちゃん呼ばわりしたことがバレて盛大に自爆する破目に陥るので、こっそり温かい目で見るだけで勘弁してあげることにした。

 

 そんなこんなで色々な意味で生涯忘れ得ない激動の一日を終えた数日後の朝。

 船旅もおよそ半分を過ぎ、船の揺れにもすっかり慣れたゆんゆんはあなたの部屋を訪れていた。

 一緒に食堂に行こうと誘ったところ、もう少し時間がかかるので部屋の中で待っていてほしいと招かれたのだ。

 めぐみんあたりなら友人とはいえ、大人の男の部屋でほいほい二人きりになるなど危機感が足りなさすぎると説教を始めるだろう。

 

(それにしても……)

 

 あなたが使用している船室の寝台に腰掛けたまま、ゆんゆんは祭壇に目を向ける。

 祭壇。そう、祭壇だ。

 それほど広くもない船室のスペースの大半を潰してしまっているこの祭壇は言うまでもなく生活の邪魔であり、こんな場所に置いておくような代物ではない。実際に船に置いてあった物ではない。この部屋を現在使っているあなたが持ち込んだ私物だ。

 木材でも石材でも金属でもないそれが何でできているのかは少しだけ気になったものの、今はそんなことはどうでもよかった。

 目下彼女の関心を強く惹いているのは、あなただ。

 祭壇の前に跪き、厳かに、そして真摯に祈りを捧げるあなたの姿は声をかけることすら憚られるほどに、まさしく絵に描いたような敬虔で模範的な信徒の姿そのもの。

 だがあなたを見るゆんゆんの胸中は、たった一つの思いで占められていた。

 

(今私の目の前にいるこの人は誰なの……いや、本当にどうなってるの……)

 

 文字にして書き起こしてみれば一大事だが、これは彼女が先日の乙女力放出事件や幻影少女解体ショーのショックであなたの記憶を失ったわけではなく、ゆんゆんの中のあなたと、今こうして静謐の中で身じろぎせずに祈っているあなたのイメージが致命的に噛み合わないのが原因である。

 

 殆ど言いがかりとしか言いようがない理由で決闘を挑むという、今となっては赤面モノでしかない形の出会いを経て、なんやかんやで私生活を充実させてくれた原因であること、何かにつけ気にかけてくれて便宜を図ってくれていること、あなたを通して友達が増えたこと、故郷を気に入ってくれたこと、パーティーを組んでくれていること、常識や認識のズレで悪気無しに度々振り回してくれること、普段はどちらかというと落ち着いているのにふとした切っ掛けで子供っぽい一面を見せることなどから総合して、ゆんゆんはあなたのことを友人であると同時に優しくて面倒見のいい、だけど放っておけない兄のような存在だと思っている。実際に口に出したらあなたの血の繋がっていない生き別れの妹という、それはもう他人なのでは? と感じた相手に殺されかけたが。

 そんなあなたがここにきて予想外の一面を見せ付けてくるものだから、ゆんゆんはここにいることすら激しく場違いな気がして、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。

 

 封印された邪神などは紅魔族的にカッコいいので大好物だが、彼らはあまり宗教関連に強い興味を示そうとしない。

 敬遠しているわけでもないが、彼らにとってはそんなものより紅魔族的カッコよさを探求する事の方が遥かに重要なのだ。近場にアクシズ教の本拠地であるアルカンレティアが存在するのも無関係ではないだろう。

 紅魔族としては異端の感性を持つゆんゆんもまた、上記の性質を引き継いでいる。

 かつての彼女であれば入信したら友達ができるかも、という邪な思いで信仰の門を叩いていたかもしれないが、人間関係が充実している今となっては到底有り得ない話だろう。だからこそこうして強い居心地の悪さを感じてしまっているわけだが。

 

 ゼスタと懇意にしているというのは知っていたが、ゆんゆんがあなたの信仰者としての姿を見るのはこれが初めてであり、つまるところ、ゆんゆんはあなたがここまで敬虔な人間だとは思っていなかった。

 あなたをどこかで紅魔族に近い人間だと感じていたし、地元の同族達に大人気のアイドル扱いだったので尚更だ。

 それが聞いてみればなんと、一日一回は必ず神に祈りを捧げているし、こういった旅や長期の依頼に赴く際は必ず祭壇を持ち歩くようにしているという予想外の答えが返ってきて、ゆんゆんは耳を疑った。

 携帯用というには大きすぎるそれは今この瞬間にも床が抜けるんじゃないかと心配してしまうほどに重そうだったが、羽の生えた巻物という、物体の重量を軽減させる巻物を使っているので実際に床が悲鳴をあげることは無い。

 

 祭壇には、見るからに清楚で包容力のありそうな美しい緑髪の女性の肖像画が飾られている。

 神の肖像画というイメージから連想されるような、象徴的でメッセージ性を持った堅苦しいものではなく、プライベートの一場面を切り取ったかのような印象を受ける絵だ。

 極めて親しい者にのみ向けられる温かく柔らかな微笑に、ゆんゆんはこの場にいないもう一人の師の姿を幻視する。

 

 緑髪という点からゆんゆんはほんの一瞬、先日襲ってきた悪霊を連想したものの、髪型はツインテールではなくウェーブがかかったロングヘアーで、着ている服は赤ではなくクリーム色。何より悪霊という言葉がこれっぽっちも似合いそうにないのですぐに別人だと分かった。

 そして初めて見た筈なのに、ゆんゆんはその女神をどこかで見た覚えがあった。

 記憶を探ること十数秒。遺伝子操作によって齎された紅魔族の優秀な頭脳と記憶力によって、かつてあなたの自宅前に置いてあった雪像と肖像画の完全なる一致を認めると同時に覚えたのは、恐ろしいほどに精巧な雪像を作り上げた目の前の人間の情熱への若干の畏怖。

 

(でも、本当に綺麗で優しそうな女神様……癒しを司ってるって聞いたけど、どんな神様なんだろう)

 

 祈祷を終えたあなたに向け、友人の新しい一面をもっと知りたい、理解したいと考えている健気な少女は言葉を投げかける。

 どこの世界であろうと、筋金入りの狂信者がどういうものかを知る者であれば絶対にしないであろう、その質問を、迂闊にも。

 

「この女神様……ジュア様って、どんなお方なんですか? あんまり宗教に興味が無い私なんかでも信仰できる神様なんですか?」

 

 果たして、文字通りの愚問への反応は恐ろしいほどに劇的であった。

 敬愛してやまぬ、いと尊き癒しの女神に友人が興味を抱いていると知ったあなたがどこからともなく取り出したのは、公私の区別無く女神が発したありがたい言葉や教えをあなた自身の手で書き残した、唯一無二の聖典。そしてノースティリスにある常雪の街、ノイエルで年末に配布されている入信者用のパンフレット。

 祈祷中とはうってかわって饒舌さを発揮し、いつになく本気の様子で自身が信仰する女神がいかに素晴らしく掛け替えのない存在であるか、そしてオマケのように信仰した場合のメリットを早口でまくしたてるように啓蒙してくる師匠を前に、ゆんゆんは凄まじいまでのデジャブを感じた。

 それは爆裂魔法を語るめぐみんの姿であり、仕入れた商品の説明をするウィズの姿であり、女神アクアの伝説を語るゼスタの姿。

 

(そうだよね、ゼスタさんと仲がいい上にアルカンレティアを気に入ってたんだもんね! そりゃ信仰してる神様の話になったらこうなるに決まってるよね! というか入信特典の抱き枕って何!? もしかしなくても女神様の抱き枕を配ってるの!?)

 

 互いの息が届きそうなほどの距離でありながら、色気も照れも介在する余地が欠片も無い。精神的な距離はどこまでも離れていくばかり。

 心の中で頭を抱える迷える子羊はしかし、神に気に入られれば、下賜されるという形で仲間(友達)が増えると聞かされた時にはちょっとだけ心が動いてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 やりすぎた。ゆんゆんがドン引きしていたのは火を見るよりも明らかだ。よかれと思って熱心に布教したつもりが逆効果にしかなっていない。

 時間が経って頭が冷えたあなたは、船尾にて釣竿を手に空を見上げ、先ほどまでの自身の行いを反省していた。

 

 あなたがこの世界で布教を行ったのはこれが初めてだ。ウィズもベルディアも積極的にこの件には触れてこなかったので、あなたも率先して語る事はしなかった。肝心の女神と交信できないので、どれだけ布教して興味を持ってもらったところで信仰自体ができないというのも関係している。

 あなたは狂信者であり癒しの女神こそが至高の存在だと確信しており、女神を侮辱するものを決して許しはしない。神敵には等しく慈悲無き断罪の刃を。呪われてあれ。

 だが宗教的価値観は人それぞれであることは重々承知しているし、信仰の押し付けはよくないとも思っている。なのでアクシズ教徒や同門の過激派のように、興味を抱いていない相手に手練手管を弄して信仰を強要することはない。

 それでもゼスタに比肩する狂信者であることは覆せない事実であり、そんなあなたが友人に説明を求められたものだから、つい熱が入りすぎてしまったのだ。

 

 この世界に女神がいない以上、どれだけ興味を持ってくれても実際に信仰する事は叶わないのだが。

 

 実際に女神に謁見してその威光に触れれば少し考えも変わるだろうと、自身を取り巻く懸念と問題の全てが解消された後にゆんゆんをノースティリスに連れて行くプランを練りながら、最早何度目か分からなくなった竿を振る作業を繰り返す。

 陸上と比較すると船上でできること、やっていいことというのはあまりにも少ない。

 あなたが現在使っている釣竿もイルヴァから持ち込んだ物ではなく、船に置いてあったのを使わせてもらっている。下手に船上でクジラを一本釣りなどしようものなら転覆の恐れがあるのだから当たり前だ。

 使い慣れていない竿のせいか釣果は芳しくないが、時間を潰すためにやっているだけなのであなたは特に気にしていなかった。

 

 ここで、仮にあなたが船員や乗客と何かしらコミュニケーションが取れれば、時間など瞬く間に過ぎ去っていくのだろう。

 他の者がやっているように、各地の情報や情勢を交換しあったり飲み比べや賭けポーカーに興じたりなど、あなたとしては大いに望むところだったのだが、生憎とそうもいかない事情があった。

 

 初日の魔物の襲撃の折、あなたの機転と勇気に溢れた行動により、飛散したゲロゲロを浴びた乗客や船員にゆんゆんが冷たい目を向けられたり露骨に避けられるという悲劇は無事に回避された。

 難敵であるクラーケンもあなたが処理したので死者も重傷者も出なかった。万々歳である。

 だがその代償とでもいうべきか、クラーケンを秒殺してゲロゲロを処理するためだけに夜の海にダイブするという、並の冒険者からすれば狂気の沙汰を通り越して自殺行為を躊躇無く断行したあなたの正体が露見した。同乗者の中にあなたを知っている冒険者がいたのだ。

 噂は燎原の火の如き勢いで船中に広まり、襲撃の翌日にはあなたは例によって殆どの同乗者や船員から腫れ物扱いされるようになっていた。パーティーを組んでいるとはいえ、シースナッチャーに酷い目に合わされたゆんゆんは同情的な目で見られてこそいるものの、特に敬遠されていないのは不幸中の幸いか。

 

 噂が広まるまでは応対も普通だったことから分かるように、魔剣使いのソードマスターとして国内外問わず名前と顔が広く知られているキョウヤを筆頭とする有名冒険者達と違い、あなた自身の知名度はお世辞にも高いとは言えない。

 あなたの名前と顔が大々的に知られているのは拠点であるアクセルと王都くらいのものであり、それ以外では頭のおかしいエレメンタルナイトという異名と、異名に付き纏う犯罪者一歩手前のイメージだけが大きく一人歩きしている状態だ。

 ただし衛兵や検察官といった民や国の安全に携わる人間、そして冒険者ギルドの職員に関してはその限りではない。

 ドリスで拘留された時にもあったように、多少の規模の街であれば、門番があなたを二度見して顔を青くするなど日常茶飯事。冒険者ギルドに至ってはブラックリストに載っているのではないかと疑ってしまうほどのもの。

 

 一般人への知名度の低さだが、これはあなたがこの世界で活動を始めてさほど時間が経っていないというのもあるが、新聞や雑誌といった、いわゆるマスメディアでの露出が殆ど無いのが最たる原因だ。欲しがる者がいるとも思えないが、ブロマイドも売っていない。

 ベルゼルグには候補を含めて英雄が綺羅星の如く集っている。他に幾らでも記事になる者がいるのだから、積極的に自分を売り込むような真似をしていないあなたの知名度が低いのは当たり前だった。

 そこにくると、キョウヤは非常に精力的に活動している。彼は精悍かつ実直な美形の青年であり、勇者と呼ばれるほどの腕利きで愛想もいい。女性や男色家を中心に人気が出るのも頷ける。

 

 とはいえ、一度、たった一度だけ。

 あなたはこの世界で取材の申し込みを受けたことがある。

 

 それはもう一年以上も前。カズマ少年一行と知り合うよりも前であり、ウィズが掛け替えのない存在でなく、お気に入りの店の店主でしかなかった頃。

 つまりあなたの常識や良識、価値観や死生観、ひいては遵法精神が今よりもノースティリス側に大きく傾いており、もしかしたら今までは自分の運が悪かっただけであって、ちゃんと彼らも剥製をドロップするのでは? というだけの理由で目に付いた人間を片っ端から虐殺してもおかしくなかった時期のことだ。

 幸いにしてそんな悲劇は起きなかったし今となっては基本的に起こす気は無いが、冗談抜きで紙一重だったと今のあなたは認識している。

 

 そういうわけなので、仮に記者がこそこそとあなたを嗅ぎ回っていた場合、彼らは前触れも無く失踪したり路地裏でチンピラの喧嘩に巻き込まれて刺し殺されたり酔っ払って足を滑らせて水死体として発見されるなどの不幸に見舞われていた可能性が非常に高い。

 だがそこは相手もプロ。腕っ節が物を言う弱肉強食の世界で名を馳せている者、その気になれば一般人など瞬きする間に壁の染みにできてしまう者の気分を害する危険性、それを記者達は長年に渡って蓄積され続けてきた経験で熟知しており、初手からプライベートに土足で踏み込んでくるような不躾な真似はしなかった。

 それどころかギルドを通じてアポイントを取り、依頼という形で正式な取材の申し込みをしてくるなど非常に礼儀正しく、あなたも快く取材を受けることになる。

 

 当初は悪評が広がり始めている相手ということで当たり障りの無い話ばかりしていたのだが、やがてあなたが噂に言われているような人間ではなく、むしろ普通に話の通じる相手と理解したのか、記者はあなたの冒険者としての活動を密着で取材したいと申し出てきた。

 特に問題は無いと判断したあなたはこれを了承し、記者や護衛の一団をちょうど受注していた盗賊団の討伐依頼に随伴させた。

 

 人間、エルフ、獣人など雑多な種族で構成された盗賊団はどこから集めてきたのか、高レベルの者を多数擁しており、領地を任されている貴族ですらおいそれと手出しできない、独立勢力と呼べるほどの規模のもの。

 特に団長の男はカズマ少年のような職業冒険者でないにも関わらず、多種多様の職業のスキルを操る事で有名だった。

 

 構成員の中には女子供も混じっていたものの、それすら男達に混じって暴力を以って己が欲望のままに奪い、殺し、犯し尽くす。

 女神エリスが望んだ義賊じみた盗賊団とは程遠い、まさしく絵に描いたような悪漢である。

 幾つもの村を焼き滅ぼし、魔王軍もかくやという悪事を働く彼らには高額の賞金がかかっていた。

 大抵の賞金首は生かして捕らえた方が高額なのだが、生死不問だったあたりに盗賊達の凶悪さが窺い知れる。

 

 あなたにとって盗賊団という集団は、遭遇したが最後、理由や恨みが無くともとりあえず皆殺しにしておく対象である。少なくともノースティリスではいつもそうしており、その時もあなたは盗賊団を綺麗さっぱり根切りにした。

 例え相手が人間であろうと、あなたにとってはそれが依頼である以上、街のゴミ掃除やウェイター業務となんら変わりはしない。

 

 団長は黒髪黒目、年齢は二十台半ばの若い男。

 その力は魔王軍幹部にも匹敵すると評判だったのだが、後に出会うことになるベルディアよりは確実に弱かった。

 男の首が誰よりも早く胴体と泣き別れした際、団員は恐慌するのではなく激昂して襲ってきたのでさぞかし慕われていたのだろう。

 だが部外者であるあなたには関係の無い話である。敵の出自や経歴に興味など無い。激昂が恐慌になるまでにさほど時間はかからず、一刻もせずに命乞いの悲鳴すら聞こえなくなった。

 団員の中には女子供も含まれていたものの、それも等しく刃の露と消えた。

 相手が有力な盗賊団ということでレアなアイテム、更に言うと神器回収の期待に胸を膨らませていたあなただったが、残念ながら戦利品の中から神器は発見できなかった。

 あなたの知る由の無い話だが、実は団長はニホンジン(生きた神器入り宝箱)だった。にもかかわらず神器を所持していなかったのは彼が異能型の転生者だったからだ。

 異能の名前は強奪。カズマ少年のような特定の分野に詳しい日本人であれば名前を聞いただけでその厄介さを想像して眉を顰めるであろうこれは、殺傷した相手のスキルを奪取するという、数多の転生特典の中でも有数の危険度を持つ異能である。

 

 さて、そんな人の世にあだなす害虫駆除の一部始終を遠くから見ていた記者の一団は、ハンティングトロフィーの如く死体の血に塗れた生首を袋に詰め続けるあなたにこう言った。

 何もそこまでする必要は無いのではないか、女子供まで無慈悲に殺す必要はあったのか、あなたの実力であれば生け捕りにするのも容易かっただろうに、と。

 

 顔を顰める彼らにあなたは心底理解できない、といった表情で答える。

 盗賊団の一員である以上、年齢、性別、戦闘員、非戦闘員で区別を付けるなどナンセンスであり、依頼内容に生死不問の旨が記されていた以上、自分にはわざわざ彼らを生かしておく意味や理由が無い、と。

 

 あまりといえばあまりのあなたの言葉に、同行者達は押し黙ることになる。

 道中で賊の所業に憤っていた彼らは、ただ単に必死に仲間の命乞いをする少年少女を極めて作業的に切り捨てるあなたの姿が絵面的に最悪だったからつい口出しせずにはいられなかったのだ。人型とはいえ、魔物である姫騎士を駆逐した時、レックスがあなたを皮肉ったのと同じように。

 あなたは笑いながら女子供を殺すことはなかったが、悲痛に表情を歪めることも無かった。

 

 そんなこんなで無事に密着取材は終わったのだが、結局それ以降、今日に至るまであなたの元にこの手の取材が来たことはない。

 

 再度繰り返すが、当時のあなたはノースティリスの側に大きく傾いていた上に異世界の死生観の理解も浅かった。

 今のあなたは例え盗賊団が相手であっても、皆殺しにする前に一度だけ投降を促す程度の情けはかけている。ノースティリスに戻った後に今までのようにやっていけるか不安になるほどの慈悲深さだと誰もが口を揃えて皮肉るだろう。

 

 

 

 随分と丸くなったものだとウィズの影響にしみじみと感じ入るあなただったが、竿が強い引きを示したことで意識をそちらに集中する。

 十数秒の後、あなたが釣り上げたのはまん丸と育った大玉のスイカ。それも二つ。いわゆる夫婦(めおと)スイカだ。夫婦を結ぶ蔓に釣り針が引っかかったようだ。程よく深い場所を泳いでいたのか、この夏空の下でもいい具合に冷えている。軽く叩いてみれば弾むような音が返ってきた。

 キャベツが空を飛ぶように、この世界のスイカは避暑の為に海に潜る、というのは誰もが知っている常識であり、この期に及んで賢しらに語る必要は無いだろう。

 海の中に網で囲いを作ってその中にスイカを入れただけの養殖物でなく、あなたが釣ったような天然物の新鮮なスイカは果肉が引き締まっている上にほんのりと染み込んだ海水が甘味を一層引き立て、通常のスイカとは一線を画す味と値段になる。

 特に、天然スイカをじっくりと熟練の職人が煮詰めて作るスイカ塩と言えば、内地の人間にとっては幻の珍味と呼ばれるほどのものであり、王侯貴族であってもそうそう口にできるものではない。

 

 望外の釣果を手にしたあなたは釣り道具を片付け始める。

 折角二つあるので一つはそのまま切って食べ、もう一つはシャーベットなどのデザートに使うことにした。

 

 

 

 

 

 

 また別の日の事。

 

 あなたが釣りをしていた場所のほぼ反対側。

 艦首に近い場所で二人の少女がカン、コン、というよく響く、軽快な打撃音を木製の短剣で鳴らしていた。

 今まさに立会いを演じているのはゆんゆんとハルカ。

 この船では非常に数少ない、あなたと普通に接してくれる人間であるハルカはゆんゆんと同じく短剣を扱う上に非常に高い技量を持っている。手合わせの一つでもしてみればゆんゆんに何かしら得られるものもあるだろうとあなたがハルカに打診したところ、運動不足を感じていた彼女は快く応じてくれた。

 襲撃で活躍した二人は誰の記憶にも新しく、年若く見目麗しい少女達の演舞を水夫は勿論、甲板に出てきた乗客も足を止めて見守っている。

 

(当てられる気がしないし避けられない……。完全に見切られてるし、私が避けられないタイミングで攻撃してくる……ハルカさん、私が思ってたよりもずっと巧くて強い……!)

(うわぁ、幾らレベルに差があるっていっても魔法封じた魔法使い相手に普通に近接で凌がれるってどうなってるのこれ。アークウィザードがこのレベルの動きするってちょっとずるくない?)

 

 攻めているのはゆんゆんだが、冷や汗を流してあなたに挑む時のような表情を作っているから分かるように、実際はハルカに完全に手玉に取られている。

 

 肝心のハルカの強さだが、これは極めて不可解さを感じさせるものだった。

 ステータスはレベル21の盗賊相応。ゆんゆんの敵ではない。

 体術や得物であるナイフの扱いに関しては何かしら正規の訓練を受けていることが窺えたが、それとて目を見張るほどのものではない。

 

 ただ、彼女の持っている相手の動きを見切る技術、攻撃を紙一重で回避する技術、そして()()()()()技術に関しては、驚嘆、瞠目せざるを得ないほどのものだった。

 器用さ特化とでも言おうか。

 薄皮一枚の距離で相手の攻撃をかわし、今まで自分がいた場所に攻撃を置くように放つ。

 倍近いレベル、それに伴うステータスの差で辛うじて防いでいるものの、傍からはハルカの攻撃にゆんゆんが自分から当たりに行っているようにしか見えない。ゆんゆんは自分の思考が読まれている錯覚を感じているだろう。

 

 ハルカはどこであれほどの見切りを身に着けたのか、あなた達が尋ねてもはぐらかされるばかり。

 だが分かっている事が一つだけある。

 それは、ハルカの持つ見切りは、生まれ持った才能によるものでも、レベルを上げてスキルポイントを使って習得したものでも、ましてやニホンジン達が持つような異能でもない、ということだ。

 では何なのかと聞かれると、自身が磨き上げた数々の技能と同じ、純然たる努力の結晶。あなたはそう確信している。

 あなたから見たハルカには、ゆんゆんのような煌くような才は無い。若い頃のあなたと同じように、ヘマをすればあっけなく死んでしまうだろう。

 年齢は二十代前半というハルカの自己申告をそのまま信じるのであれば、血の滲むような、と形容することすら憚られる、狂気的な修練を己に課したのだろう。

 

 だからこそあなたは心底不思議に思う。

 どうして彼女はあんなにレベルが低いのだろうか、と。

 あれほどの技量を努力のみで身に着けるのであれば、相応にレベルが上がっていないとおかしいはずなのだ。ハルカはダクネスのように攻撃を当てられないわけではないのだから。

 にも関わらず、彼女のレベルはたったの21。

 低レベルを維持したまま技量だけを磨き続ける意味は無い。およそまともな成長ではない。ダクネスのようなドMでもあるまいし。レベルドレインでも食らったのだろうか。

 

「すげえよな、二人とも」

「どっちも可愛いしな」

「でもなんかハルカちゃんは時々凄く気持ち悪い動きになるわよ」

「ゆんゆんちゃんもその……アレだしな」

「シースナッチャーの話は止めてやれよ! 可哀想だろ!」

 

 歪な成長と比較すると極めてどうでもいい話だが、ハルカは時々挙動不審な動きをする。

 具体的には正面を向いた状態で前後左右に同じ体勢、同じ速度で動き始める。

 女神アクアの宴会芸の一つにムーンウォークという前に歩いているように見せながら後ろに進む珍妙な歩法があるのだが、ハルカはこれを左右でもやる。しかも走ったりもできる。

 本人の言では集中しているとたまにこうなってしまうとのことだが、何がどうなったらあんな動きになるのか今のあなたでは理解できない。本人には申し訳ないのだが、気味が悪いとしか言いようのない、なんとも見ていて不安定になる動きだった。

 

 

 

 

 

 

 また別の日の事。

 

 水平線の向こうに見える何かについてあなたとゆんゆんが語り合っていると、突如として目の前で大きな水柱があがった。

 

「きゃああああ!?」

 

 ゆんゆんは勿論、気を抜いていたあなたも盛大に海水を浴びてずぶ濡れになってしまった。

 すわ魔物の襲撃かと思いきや、ビダァン! という痛々しい音と共に降ってきたのは予想外の生き物。

 

「わわわっ! アザラシ! これってアザラシですよ! 私家の図鑑で見たことあります!」

 

 びしょ濡れになったことなどすっかり忘れ、初めて見る動物に大興奮するゆんゆん。

 アザラシとは主に流氷が漂うような寒冷な海を生息地とする生き物だが、中には温暖な海に生きる種もいるという。これもその一つだろう。

 やけに疲労しているように見える、艶のある黒い毛皮を持つ2メートル半の哺乳類を観察していると、船員が近づいてきた。

 

「アザラシじゃねーか、珍しいな。食うなら捌くの手伝ってやろうか?」

「食べませんよ!?」

「え?」

「いや、えっ? じゃなくて。食べませんから……」

「脂が乗っててめっちゃ美味いんだが……皮を剥いで捨てちまうなんてもったいねえなあ……」

 

 がっかりしながら去っていく船員に心労から肩を落とすゆんゆん。

 

「び、びっくりしたあ。っていうか皮剥ぐって。そっちもしないわよ……あああああああああ!! ちょっとぉ! あなたは何やってるんですかぁ!!」

 

 弱弱しく鳴くアザラシを押さえつけ、ナイフを片手に早速解体を始めようとしていたあなたをゆんゆんが怒鳴りつけた。

 ハッとしたあなたはすぐさまナイフを仕舞って謝罪した。確かに甲板で解体作業など始めようものなら血と臓物で汚れて迷惑をかけてしまう。場所を移すべきだ。

 

「違います! 殺しちゃいけません! 可哀想だと思わないんですか!? ほら、きゅーんきゅーんって鳴いてますよ!」

 

 あなたにはむしろでっぷり太っていて美味しそうだとしか思えなかった。毛皮も良質で使い出がありそうだ。

 なお、あなたが狩る気満々なのはノースティリスに大食いトドと名付けられた、言うなれば巨大なアザラシのモンスターが存在するからであり、別にアザラシが嫌いなわけではない。

 

「し、信じられない……こんなに可愛い生き物なのに……安楽少女みたいなモンスターじゃないんですよ……?」

 

 妙な愛護精神を発揮し始めたゆんゆんはアザラシを海に帰すつもりのようだ。

 あなたとしてもゆんゆんを悲しませてまでアザラシ肉と毛皮に固執する気は無い。素直に放してあげることにした。

 

「ほら、海にお帰り。もう人間の船に迷い込んじゃ駄目よ?」

 

 必死に暴れるアザラシを紐と袋を使って二人で海に降ろす。

 

「いい事をしたあとは気分がいいですよね!」

 

 一仕事終え、眩しい笑顔で汗を拭う真似をするゆんゆん。

 その瞬間、凄まじい速度で上昇してきた白黒の生物がアザラシを咥え、そのまま海中に引きずり込んだ。

 

「えっ」

 

 シャチだ。

 クラーケンすら餌にするという、海の生態系の最上位に位置する動物のお出ましである。遊びで獲物を嬲り殺しにするほどの高い知性を持ち、一部では冥界からの魔物とすら呼ばれているものの、魔物ではない。犬や猫のような立派な動物だ。いささか立派すぎるが。

 仰々しい呼び名に反して見た目は可愛らしく、愛嬌があり、人懐っこい。

 船はいつの間にか数十匹にも及ぶシャチの群れに包囲されていた。どうやらアザラシはシャチから逃げるために船に飛び込んだようだ。

 これが魔物だったら一大事だが、シャチは人間を襲わない動物だ。何も恐れることはない。

 

 あなたはゆんゆんの言うようにアザラシの可愛さは理解できない。だがシャチの可愛さは理解できる。

 捨て置くのは勿体無いからと死骸を回収したはいいが、あまりにも量が多すぎて処分に困っていたクラーケンの切り身を持ち出して数十ほど海に放つと、白黒の波が群がるようにご馳走に殺到した。

 

「…………ふ、ふふっ。ふふふっ」

 

 今まさに厳しい自然の掟を目の当たりにしたばかりのゆんゆんの肩をぽん、と叩いてお手製のクラーケンのスルメを渡す。シャチにアザラシをプレゼントした少女はヤケクソじみた勢いでスルメを海に投擲し、膝から崩れ落ちた。

 

「わたしうみきらい」

 

 それはあまりにも弱弱しく、しかし万感の思いが篭った声だった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで時に窮屈な思いをしながらも船旅を満喫していたあなた達だったが、やがてそれも終わりが来た。

 ベルゼルグを発ったあなた達が辿り着いたのはリカシィ帝国の港町、キビア。

 リカシィは大陸のほぼ全域を版図に治めている巨大な帝国である。

 日夜魔王軍と戦っているベルゼルグと比較すると武力こそ見劣りするものの確実に上位に位置し、その上教育や文化にも力を入れている文武両道の国。統治が行き届いていないのは言わずと知れた未踏破領域、魔王領を遥かに超える危険度とすら称される竜の谷だけだ。竜の谷に住まうモノ達が率先して外を襲撃していた場合、リカシィの今の繁栄は決して有り得なかっただろう。

 

「ご乗船ありがとうございました。よい旅を」

 

 船をぶっ壊されることを危惧していたのか、明らかにあなたを見て安堵している船長に見送られながらタラップを渡り、久方ぶりの地面の感触を味わう。

 ベルゼルグから真っ直ぐ西に位置するだけあって気候はあまり変わりが無いが、やはりあちらでは見たことがない物があちこちに散見された。

 

「あ、あれっ? どうしたんだろう?」

 

 困惑した声に後ろを振り返ってみれば、ゆんゆんが足元をふらつかせ、何度もその場で足踏みしていた。

 典型的な陸酔いの症状だ。かくいうあなたもまだ平衡感覚が戻っておらず、微かに足先が浮いているような感覚を味わっている。

 

「なんなのこれ、船から降りたのにすっごく揺れてる……はっ、もしかして地震……!?」

 

 バランスを取りづらいのか、へっぴり腰になって長い揺れを警戒し、周囲を見回し始めた。

 どこかで事故や災害が起きたら駆けつけなければ、と考えている素朴で善良な少女は、周囲の「オレ達にもあったな、あんな頃が……」という微笑ましげな視線には気付けていない。

 長時間船に乗っていると体が船の揺れに適応してしまい、陸に上がった後も暫くは体が揺れているように感じるものなのだが、乗船すら生まれて初めてだったゆんゆんが知っているわけがない。

 これもいい経験だと、あなたは暫く見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

 冒険者ギルドで入国の手続きを行い、適当に足を運んだ喫茶店で小休止を取る。

 ゆんゆんがテーブルに突っ伏して頭を抱えた。

 

「ああいうのは早く教えてくださいよ……私赤っ恥だったじゃないですかあ……!」

 

 どこまでも居心地悪そうに抗議してくるゆんゆんを、まあまあと宥めすかす。

 

 ――よかった、地震は止んだみたい。

 ――ゆんゆんちゃん、あのね。言いにくいんだけど、それは地震じゃなくて陸酔いだよ。

 ――陸酔い?

 

 別れ際、ハルカから陸酔いについて教えてもらい、自分が勘違いした挙句盛大に空回っていたと気付いたゆんゆんの反応は、バニルがいれば確実に大喜びするであろうものだった。

 

 一頻りゆんゆんをからかって楽しんだ後、今後の道程の確認をするため、テーブルの上にこの大陸の地図を広げる。

 復習も兼ねて案内の説明を頼むと、頑張りますと頷いたゆんゆんは最初にある一点を指し示した。

 

「私達が今いるキビアはここ……大陸の東南東に位置しています。そして目的地である竜の谷(ドラゴンズバレー)、その唯一の出入り口である竜のアギトがあるのはここ。北の端っこの方になりますね」

 

 ゆんゆんが唯一の出入り口、と称したのは彼の地の形状が大いに関係している。

 竜の谷とは、断崖絶壁と険しい山脈で隔離された極めて広大な未踏領域だ。凸の字のように海に面しているのだが、周辺海域は一年を通して嵐のように荒れ狂っている上に上陸に適した地が無いので海路は使用不可能。空路も当然のようにドラゴンの群れに阻まれる。

 力なき者の立ち入りを拒む姿はまさに天然の要塞。しかしその中、誰が作ったのか、たった一つだけ、まるでダンジョンの入り口のように竜の谷の中に続く長い細道が存在する。

 自ら竜の餌になりに行くかのように財宝、力、栄光、名誉を求めて竜の谷に挑む数多の自殺志願者を皮肉って、その入り口はいつからか竜のアギトと呼ばれるようになった。

 

 なんとも冒険者冥利に尽きる地だ。そうでなくとも待ちに待ったウィズとの冒険である。果たして未踏の地の先には何が待ち受けているのか。こうして説明を聞いているだけであなたは気分を高揚させていた。

 

「…………」

 

 上記のような説明をあなたに終えた後、ゆんゆんは俯いて黙り込んでしまった。これから自分が挑もうとしている壁の高さに緊張しているのだろう。

 ルビードラゴン討伐戦に参加できたのは運が良かったが、終末も一度くらいは見せておけばよかったかもしれない。

 ただ意気込んでいる彼女には大変申し訳ないのだが、ドラゴンの捕獲はともかくとして、竜の谷攻略に関してはあなたとウィズが主戦力であり、ゆんゆんは殆ど引率されるだけのオマケである。彼の地の脅威度次第だが、出番があるかはかなり怪しい。

 若干気まずい気分になりながら続きを促した。

 

「あ、はい! ええっと……ルートとしては、キビアから西にずーっと行く形になります。この地図だとここ、大陸のほぼ中央に帝都トリフがあるので、道中で依頼を受けたり観光をしながらまずはここを目指す予定です。もうすぐ三年に一度の闘技大会が始まるはずなので、順調に進めば開催に間に合うかもしれません」

 

 トリフに寄るのはほぼ寄り道と言っていいのだが、別段急ぐ旅でもないのだし、国で最も栄えている場所に立ち寄らない理由は無い。

 闘技大会だが、こちらに関しては仮に間に合ったとしても、ベルゼルグの冒険者であるあなた達が出場する事は叶わない。

 日夜魔王軍や強力な魔物と戦って強くなった歴代の勇者候補や冒険者、騎士、宮廷魔道士、紅魔族、果てはお忍びで参加した王族が世界各地で大会を荒らした結果、ベルゼルグの人間は出禁を食らっているのだ。

 これはイルヴァにおいてノースティリスの高位冒険者が爪弾きにされているのと同じだが、抜け穴が存在しないわけではない。

 ベルゼルグの人間が出場できないのであれば、所属している冒険者ギルドをベルゼルグから他国に移せばいいのだ。騎士や王族のような立場のある人間と違って根無し草の冒険者だからこそできる荒業である。

 だが一度所属ギルドを他国に移すと、再び移籍するには一年という時間が必要になる。それだけならまだしも、所属国以外の冒険者ギルドで受けた依頼の報酬などは税金として報酬からちょっと無視できない割合の額を差っ引かれてしまうのだ。高レベルになるほど税金が跳ね上がる。

 冒険者ギルドとはそれぞれの国が運営している機関であり、各国の利権やらパワーバランスなどが複雑に絡み合った結果こうなったらしい。

 国を跨いで活動する冒険者にとっては百害あって一利なしなので、民営化するか国際連盟的な組織にするかして一元化しろや舐めてんのかふざけんなクソボケ、という大変心温まるお便りが幾度となく送られているものの、今日に至るまで改善には至っていない。

 

「闘技大会は個人戦と団体戦があって、団体戦は一組につき四人まで出られるみたいですけど、大会に出られない私達には関係ないですね」

 

 自分達は大会に出られないし、出る気もない。精々が観戦して楽しむくらいだろう。

 

 

 

 ……この時のあなた達は、そう考えていた。



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第108話 お酒は二十歳になってから

・ここ最近のあらすじ
ゆんゆんが可哀想な目にあった


 朝を過ぎ、強くなり始めた日差しの下、しっかりと整備された街道を馬車が進む。

 呆れるほどにのどかで、静かで、ゆっくりとした時間が流れている。

 健気な紅魔族の少女が精神的外傷を負った以外は万事無事に大陸を跨いだあなたとゆんゆんの旅は、今この瞬間にも続いていた。

 

 あなた達が乗っている馬車の主は村で作っているワインを卸して村に帰る途中、街道を徒歩で進んでいたあなた達を見つけてその目的地が自分の村である事を知り、折角だからと荷台に乗せてくれた、親切で恰幅のいい男性。

 ワインを積んでいただけあって、荷台からは強いぶどうと酒精の芳香が漂っている。

 

「平和だなあ……」

 

 あなたの対面に座っているゆんゆんは、ぼへーっとした、どこまでも気の緩みきった表情で外を眺めていた。

 冒険者にあるまじき、常在戦場とは程遠い有様をしかしあなたは口うるさく咎めようとは思わない。

 別に馬車の護衛依頼中ではないというのもあるが、それほどの平和、圧倒的平和なのだから無理も無い。

 リカシィに着いて早いものでもう一週間。あなた達は既に幾つかの街や村を経由しており、その中で依頼を受けながら先に進んできたのだが、その結果知ったベルゼルグとのあまりにも大きな差異はいっそ戸惑いすら覚えるもの。

 

 率直に言ってしまうと、生息しているモンスターが弱い。

 つい先日も人々を襲う凶悪な魔獣の討伐依頼をこなした。

 一般人にとっては脅威だが、あなたは勿論のこと、あなたとウィズに指導を受けながらベルゼルグの王都で精力的に活動しているゆんゆん(レベル40台の冒険者)にとってもあまりにも容易い相手だったと言わざるを得ない。

 

 職員の話ではもっと先に進めば多少は変わってくるらしいが、ごく一部を除いて国の全域が常に一定の危険に晒されているベルゼルグではありえない話だ。

 ゆんゆんも驚愕していたあたり、いつものようにあなたの認識がおかしいわけではない。

 ベルゼルグにおいてすら魔境と呼ばれる地域で生まれ育ったゆんゆんがおかしいわけでもない。

 

 ──発展している街の周辺に強いモンスターがいないのは当たり前じゃないですか。

 

 そんなリカシィの冒険者ギルド職員の言葉を受けたゆんゆんはかなり本気のトーンで「えっ」と言った。さもあらん。

 王都を筆頭に、ベルゼルグにおいては栄えている街ほど推奨レベルが高くなる傾向がある。強いモンスターがいるから強い冒険者が集まり、強い冒険者が集まるから商人などが集まってくるという理屈で。ダンジョンの周りに集落が作られ迷宮都市となる例が分かりやすいだろうか。

 そして駆け出し冒険者の街の名に違わず、アクセルは国内でも有数の平和な街だ。

 しかしそんな平和なアクセルですら、最低でも月に一度は高レベルモンスターの調査や討伐の依頼が張り出されるし、冒険者もそれを当然のように受け入れている。ベルゼルグはそういう場所なのだ。

 

 各国から要人が集う闘技大会が近いということで、つい最近まで街道を中心に念入りな掃討作戦が行われていたという話だが、それを差し引いてもこの大陸のモンスターはベルゼルグと比較すると圧倒的に弱小揃いだった。

 魔王軍に脅かされていないとはいえ、海を挟んだだけでこの有様。

 ハルカから聞かされた冒険者の平均レベルが10も低いという話は、あなたもゆんゆんも頭では理解していたが、ここに来て初めて強く実感することができた。

 

 この世界で過ごすようになってそれなりの時間が経過し、異世界への理解を深め、価値観や倫理観、死生観のすり合わせが進んだ結果、現在のあなたは日常的に核の炎も終末の嵐もエイリアンテロも起きないこの世界の事を、そこまで平和だとは思わないようになっている。魔王軍も捨て置くような辺境にあるアクセルはともかくとして、ベルゼルグ全体を見るとやはり平和とは呼べない。

 確かにあなたにとっては例え王都や最前線であってもそう易々と命の危険に晒されるような場所ではないが、それはあなたが極めて高い戦闘力を有しているからに過ぎず、廃人にとって安全である事と世界が平和である事はイコールではない。

 イルヴァにおいてなお冥府に最も近い場所と称されるノースティリスは、死を強く忌避するこの世界の者からしてみれば覚めない悪夢や無限地獄と称されてもおかしくない。

 だが同様にノースティリスの住人がこの世界の話を聞けば、眉を顰めてそれはちょっとしんどいな、くらいの反応は示すはずだとあなたは考えている。

 何せこの世界の住人達は、死ねば終わりという極めて厳しい状況の中、種の存亡をかけた戦争を何百年もの間続けているのだから。

 

 ……とまあこのような理由であなたは自然と自身の考えを改めるようになっていたのだが、その考えもこの旅の中で間違っていることを知った。

 この世界で目に見えて危険なのは魔王軍の矢面に立っているベルゼルグだけだったのだ。ギルドで尋ねてみたところ、多少の差はあれどもどこの国も似たようなものらしい。

 今明かされる衝撃の真実。ベルゼルグはノースティリスと同じく人魔問わず世界中から修羅が集う国だった。

 

 ──魔王城とかいうラスダンがある大陸に最初の街があるとかありえないだろ、常識的に考えて。今じゃこういうのは空を飛ぶ乗り物とか色んなアイテムを手に入れてようやく行けるようになるって相場が決まってんのに。そりゃフリーシナリオなら初っ端からラスダンに特攻できる場合もあるけど、そういうのは周回ややり込み前提の仕様であってだな……何が言いたいかというとこの世界は俺達日本人の転生者に優しくない。

 

 アルカンレティアの温泉で雑談を交わした際、カズマ少年がこのような愚痴を吐いていた。

 相変わらず彼の話にはあなたの理解が及ばない部分が多々含まれていたが、異能や神器を与えられたニホンジンが直接ベルゼルグに送られるのはそれだけ戦況が切羽詰っていることの何よりの証拠なのだろう。

 だがあなたがアクセルでニホンジンと思わしき新人冒険者を見かけなくなって久しい。ニホンジンを送り込んでいた女神アクアがこちらに来てしまったせいで何かしら不具合が生じているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 馬車に揺られ、どれほどの時間が経っただろうか。

 特にやることもなかったので、これまでにかかった時間、これからかかるであろう時間を見越した旅程を話し合っていると、御者が声をかけてきた。

 

「二人はうちの村に寄った後、帝都に行くのかい?」

「そう、ですね。とりあえずの目的地は帝都になってます。その前にも幾つか寄り道するつもりですし、その先にも用事はあるんですけど」

「冒険者だもんなあ。冒険者がこの時期に帝都に行くってことは、闘技大会に出場するんだろ? そっちの兄さんはともかく、お嬢ちゃんはそんなに若いのに凄いじゃないか」

「いえ、大会には出ない、というか出られないんです。私たち、ベルゼルグの冒険者なので」

 

 ゆんゆんの答えに何かしら思うところがあったらしく、おや、と声を出した御者が初めて振り返った。

 トマスと名乗った彼は本人曰くビール腹ならぬワイン腹だというでっぷりがっしりとした体格の持ち主であり、髭の生えた丸顔や穏和な笑顔も相まって全体的に警戒心を抱かせない、人の良さそうな風貌をしている。

 

「奇遇だね。実はウチの娘もベルゼルグで冒険者やってるんだよ」

 

 その言葉はあなた達を少しばかり驚かせた。

 

「そうなんですか?」

「ああ。こういう事言うと親馬鹿みたいで少し恥ずかしいが、あっちでは結構有名な冒険者なんだそうだ。俺としては家業のワイン蔵を継いでほしかったんだけどなあ」

 

 苦笑いを浮かべるトマスの表情は娘を心配する父親以外の何者でもなく、そして彼の言葉は手に職を持つ堅気の人間としてまったくもって正しいものだった。

 

「時折手紙を送ってくるんだがね。娘ときたらやれ今日はドラゴンを退治しただの、今日は王宮に招かれて王女様に会っただの、普通に考えたら大法螺吹いてるだろって事ばかり書いてくるのさ」

「へ、へえ……凄いんですね」

 

 気まずそうにあなたをちらちらと見るゆんゆん。

 いきなり挙動不審になった少女の姿にどうしたのだろう、ドラゴン関係だろうか、と考え、すぐにその理由に思い至った。

 実はゆんゆんはあなたに出会うまでは実家や里の友人に手紙を送る際、仲間ができた、パーティーのリーダーとして頼りにされている、とても強いモンスターをやっつけた、今では街中の男の子たちに大人気……などなど、どう考えても後で後悔する嘘を書き込んでいたのだ。

 流石に血の繋がった親だけあって族長夫妻は手紙の内容を嘘八百と看破し、それでも元気でやっているなら良しと微笑ましく話に付き合ってあげていたのだが、あなたと出会ってからは送られてくる手紙の内容がやけに具体的かつリアリティに溢れるようになっていったので、紅魔族としては異端の感性をもつ娘がぼっちを拗らせた挙句悪い意味で壁を越えてしまったのではないだろうか、と心配していたのだという。

 

 なお、上記の話は族長夫妻があなたと世間話をしている最中に教えてくれたものであり、ゆんゆんは自分が書いた手紙の内容をあなたが知っていることを知らない。

 それでも家族や友人に心配をかけまいと見栄を張って手紙で大口を叩きまくった経験を持つ彼女は、御者の話を聞いて自身を省み、いたたまれなくなってしまったのだ。

 

「最近になって久々にこっちに帰ってきたんだが、なんつったかな……ああそう、魔眼の勇者の仲間をやっているんだそうだ。知ってるかい?」

 

 魔眼の勇者。

 自称他称問わずベルゼルグはそれなりに勇者の異名を持つ冒険者がいるが、あなたの知る冒険者にそのような異名の持ち主は存在しない。

 ゆんゆんに目配せしてみても当然のように反応は芳しくなかった。

 

「意外と有名じゃなかったりするのかな。娘の話じゃベルゼルグで知らない人はいないくらいの有名人らしいが……まああの子の事だ。大方見栄を張ったんだろう」

「あはは……」

 

 苦笑いするトマスにまるで自分の事のように居心地が悪そうにするゆんゆん。

 他人ならいざ知らず、やはり人は可能な限り身近な人間に対しては誠実であるべきだ。でないとこのようにふとした瞬間に流れ弾が飛んできて致命傷を食らってしまう。

 同時にそういった相手に嘘をつくなら絶対にばれないようにすべきである。

 

 

 

 

 

 

 湖畔の村レーヌ。

 港町キビアから帝都トリフに向かって西に伸びる大街道を中ほどまで進み、そこから少し北に外れた場所にあるそこは、レーヌ湖と名づけられた国内最大の湖の辺にある村だ。

 対岸が見えない広大な湖に沿うように家々が立ち並び、湖を覆うなだらかな丘陵には一面のぶどう畑が広がっている。

 温暖な気候、綺麗な水、肥沃な土壌に育まれたレーヌのワインといえば世界的に名の知られた銘柄であり、特に品質の良いものとなるとその価格はベルゼルグで数百万エリスを超え、毎年のようにリカシィの皇帝に献上されているという。

 あなたの知るこの世界の酒所といえばアルカンレティアだが、あちらは麦酒(エール)や清酒という名の水のような透明な酒がメインとなっている。

 酒飲みのベルディアは勿論のこと、ウィズや女神アクアからもレーヌのワインはお土産として頼まれていたし、あなた自身も大変興味があった。無論ノースティリスの友人達やペット、女神へのお土産にも持って帰る予定だ。

 イルヴァでは到底用意できない量の綺麗な水で作られるこの世界の酒の質は、あちらとは比べ物にならないほどに高い。

 すっかり舌が肥えたあなたはイルヴァに帰った後にあちらの酒で満足できるか疑問に思っていたりするが、己の目的の為、そして何よりもウィズとの約束を果たす為に両世界の行き来する手段の確立は必須である。イルヴァの酒が飲めなくなっても問題は無いだろう。

 

 

 

 

 

 

 村に到着し宿で荷物を降ろしたあなたが真っ先に向かったのは、村で最大規模を誇る醸造所だ。

 朱色のレンガで造られたしっかりとした建物は小さな屋敷ほどの大きさであり、数多くの酒樽酒瓶が地下で保存されている。

 ワインを試飲できるコーナーや直売所が併設されていたり、資料館があったり、果てはジュース作りを体験できたりと、ここまで来ると一種の観光スポットとも言えるだろう。観光に来たあなた達にうってつけの場所だ。

 だが昼間から試飲と称してワインの飲み比べをしては舌鼓を打ち、気に入った銘柄をダース単位で、果ては樽ごと金に飽かせて買い漁るあなたの姿はまるで駄目な大人としか言いようの無いものだった。

 

「お酒、美味しいですか?」

 

 対してあなたに着いてきたゆんゆんは新鮮なぶどうジュースを飲んでいる。

 だがその興味津々な様子を隠しきれていない視線はあなたの持つワイングラス、その中身である赤紫色の液体に注がれていた。

 あなたはゆんゆんが飲酒している姿を見たことがない。飲んでみたいのだろうか。

 

「えっ? いえ、別に飲んでみたいわけではないんですけど、ただどんな味なのかなあ……って」

 

 酒の味。

 抱く感想は人によって苦い甘い渋い美味いまずいと様々だが、こればかりは千の言葉を用いても説明しきれるものではなく、結局は自分で経験するしかない。

 この村のワインに関しては間違いなく美味しいと言い切れる。折角の機会だし何事も経験だと、あなたはゆんゆんにお酒を飲ませてみることにした。

 

 それはそれとして飲めなくても失礼には当たらないので、口に合わなかったり気持ち悪いと感じたらすぐに飲むのを止めるように言い含めておく。船酔いに続いて酒酔いで嘔吐するゆんゆんの姿は見たくない。

 打てば響き、弄られて輝く性質を持つゆんゆんといえども流石に可哀想だ。折角の旅なのだから、少しでも多く楽しい思い出を作ってほしい。

 たった一口ぶんの酒量で泥酔するとは思えないが、相手はゆんゆん。何が起きてもおかしくないと、念には念を入れたあなたはゆんゆんのような女の子でも飲みやすい、そこまでアルコールが強くなく、フルーティーであっさりとしたワインはあるか販売員に尋ねた。

 流石に赤ん坊に飲ませてはいけない、という暗黙の了解はあるものの、この世界の飲酒に年齢制限は無い。実際に飲めるかどうか、飲んで美味しいと感じるかは別として、イルヴァと同じく子供でも飲み放題だ。それゆえに販売員は少女に飲酒を勧めるあなたを咎めることもなく一本のワイン瓶を取り出した。

 

「それでしたらこちらはいかがでしょう。毎年小量作られている、その年のぶどうの出来を知るための試飲用新酒でございます」

 

 主に商人などが本命をどれくらい仕入れるか目安にするためのものだという。

 ぶどうの収穫期はちょうど今ごろから始まることを思えば、凄まじい速さで作られていることになる。

 

「詳しくは企業秘密ですが、魔法などを用いて急速発酵させております」

 

 試しに口にしてみればなるほど、新酒というだけあって非常にぶどうの風味と香りが強い。長期間寝かせたワインの味の深みは無いが、口当たりがよくまるでジュースのように飲みやすい。

 これならゆんゆんも味わうことができるのではないだろうか。

 

「えっと、じゃあ、折角なので……変な匂い……味は……ん……」

 

 おっかなびっくりと一口サイズのグラスを受け取り鼻を近づけ、ぺろぺろと飲むというよりは舌で舐めてワインの味を確かめるゆんゆんの姿は微笑ましくも可愛らしい。

 

 ──ちゅっ、れろ、ちゅ、ちゅぱ……。

 

 なので片手で髪をかきあげてワインを舐めるゆんゆんから妙な色気が出ているのは当然あなたの気のせいだし、舐め方がそこはかとなくいやらしいのも間違いなくあなたの気のせいだ。ゆんゆんは普通にワインを舐めているだけなのだから。

 だというのにいかにもロマンスグレーといった体の、壮年の男性である販売員がとても何かを言いたそうにあなたを見やってくる。あなたはなんとなく、彼が年若い男でなくて本当に良かったと思った。

 

「ふう……ごちそうさまでした。初めてだからなんかちょっと苦くて慣れない味がしたけど、美味しかったです」

 

 あなたは試飲コーナーの隅に置いてあった冷凍庫からぶどう果汁を固めたアイスキャンディーを二本購入する。子供用なのか非常に安価であり、口直しだと勧めればゆんゆんもさほど遠慮することなく受け取ってくれた。

 

「わっ、冷たい。いただきます」

 

 口に入れたアイスキャンディーに歯を立て、そのまま噛み切るゆんゆん。

 どうやら舐める派ではなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 資料館や地下の倉庫の見学ツアーと観光を堪能した後、最後にあなた達はぶどう踏みの体験コーナーに足を運んだ。

 風呂として十分使用に耐えうる大きな桶に敷き詰められたぶどうを素足で踏んで潰すという、子供でもできそうなもの。

 今でこそぶどうの圧搾は専用の機材を用いて行っているが、昔は素足で踏んで潰しており、今も収穫祭などではぶどう踏みをやっているそうだ。

 さらに希望するのであれば、潰したぶどうを使ったジュースやワインをプレゼントしてくれるらしい。流石にワインは引き取りにこないといけないらしいが。

 

「んっ、しょ……」

 

 綺麗な水で足を洗い、プリーストの浄化魔法で清めてもらったゆんゆんがぶどうを踏み続ける。

 高レベルの恩恵で高い体力を持つ彼女だが、額に小さな汗が浮いている。

 

「たのしいけど、これっ、けっこう、たいへん、ですね……!」

「そうですね、やはり体力仕事ですので。ですがお客様ほどのお年でここまで体力のある方は冒険者でも中々いませんよ」

「ありがとう、ございますっ……でも、これっ、ふつう、やるひとが、ぎゃく、ですよね!?」

「伝統ですので」

 

 さて、このぶどう踏み、結構な肉体労働であるにもかかわらず女性限定である。

 繰り返す。女性限定である。

 理由を尋ねても「古くから伝わる伝統ですので」の一点張りだったが、男が踏んだぶどうでジュースだのワインだの作りたくないとか切実な理由があるのだろう。

 できることなら性転換してゆんゆんを手伝いたいところだが、生憎とそれを可能とする願いの杖は音が出るゴミに成り果てている。

 あなたは応援の声をかけた。

 

「なっとく、いかない……きゃあ!?」

 

 桶の中から小さな爆発音が鳴り、ぶどうが弾け飛んだ。

 顕になったゆんゆんの白くすべすべとした健康的なふとももを潰れたぶどうの果汁が汚す。弾ける美味しさだと聞かされたが、物理的に弾けるあたりは流石の異世界作物といったところか。

 地面に落ちる前にあなたはぶどう粒を掴むも、手で触れたものを桶に戻すのも衛生上よろしくないだろうと職員に確認を取ってあなたはそのまま頬張った。芳醇な甘みとほどよい酸味が口の中に広がる。

 

 新鮮なぶどうの味を堪能していると、足を止めたゆんゆんが真っ赤な顔であなたを見つめていることに気付く。

 

「……あの、それ、私が踏んでたやつなんですけど」

 

 足は綺麗に洗っているのだから汚くないだろうと首を傾げるあなたに頭を抱える多感な少女。

 

「汚いとか綺麗とかじゃなくてですね。あなたが良くても、私が恥ずかしいんです」

 

 いつか似たような台詞を聞いた気がするが、どの道ゆんゆんが踏んだぶどうで作られたジュースやワインが誰かの口に入るのだから、今あなたが口にするのと何も変わりはしない。

 

「そうかもしれないですけど! 足を舐められてるみたいで恥ずかしいんです! 私が!」

 

 なるほど、感情論で殴られるとあなたとしては返す言葉が無い。

 素直に自分のデリカシーの無さを認めて謝罪しておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 醸造所を後にし、色々な意味で疲労困憊になったゆんゆんの休憩がてら気分転換にレーヌ湖の周りを散策することにしたあなた達。

 

「ここも綺麗な場所ですよね……」

 

 海と見紛う雄大な湖は、その全てが消毒せずとも飲むことができる綺麗な水である。クリエイトウォーターに慣れたあなたであっても海とはまた別の奇跡のような光景には圧倒されるしかない。

 

 願わくばこの美しい自然が永遠に保たれんことを。

 

 例えるなら黄昏時のような、夜が訪れる前。

 終わりかけの世界で生きてきたあなたはどうしてもそう思ってしまうのだった。

 

 そうして暫く歩き続け、何の変哲も無い一軒の民家が近づいてきたところで事件が起きた。

 突如として民家の中から怒鳴り声が聞こえてくる。

 

「──!」

「────!!」

「──!?」

「────!!」

 

 ヒステリーじみた甲高い声は女性、いや、少女のものだろうか。

 詳しくは分からないが、少なくとも二人の人間が言い争いをしているようだ。

 民家の中からは皿が割れるような音も聞こえてくる。

 

「もしかして、強盗……?」

 

 あなたは別にどうでもよかったが、この場を見過ごして万が一にでも人死にが出ていたらきっとゆんゆんは強く気に病むだろう。

 ただの喧嘩だった時はそのまま立ち去ればいい。

 

 中に聞こえるように強めに玄関扉を叩くと、喧騒はぴたりと止んだ。

 鬼が出るか、蛇が出るか。

 緊張からごくりと喉を鳴らすゆんゆんを背に庇い、扉が開くのを待つこと十秒。

 ギイ、と錆びた蝶番の音を鳴らして扉が開く。

 

「……はい、どちらさまですか」

 

 果たして、現れた人物の顔を見てあなたとゆんゆんは盛大に面食らうことになる。

 だがそれは相手も同じだったようだ。

 驚愕に目を大きく見開き、肩を小さく震わせているのは簡素な衣服に身を包んだ赤毛の少女。

 

「フィオさん……?」

「なっ、あんた達、どうしてここに……!?」

 

 扉の中から見える部屋の中にもう一人、こちらを窺うように覗いている人物もまた、あなたの知った顔だった。

 魔剣の勇者、ミツルギキョウヤのパーティーメンバーである盗賊と戦士の少女達、フィオとクレメア。

 隣国でレベルアップに励んでいる筈の知り合いがそこにいた。



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第109話 星に手を伸ばす者

 これは魔剣の勇者が単独行動を取るようになってまだ間もない時期の話だ。

 

「なあキョウヤ。お前は本気で魔王を倒すつもりなのか?」

 

 何度目になるか分からない手合わせを終え、リビングに戻ってきたところでベルディアがそう言った。

 

「勿論そのつもりです」

「そうか、まあそうだろうな」

「ベアさん達からしてみれば大言壮語も甚だしいでしょうが……」

「謙遜するな。お前は強い。確かに今は無理だろうが、このまま研鑽を重ねれば、いずれその剣は魔王にすら届くだろう」

 

 手放しの賞賛に面映そうにするキョウヤとは対照的に、ベルディアの声色は優れない。

 

「ところで、だ。これはお前の気分を著しく害すると分かっていてあえて言うんだが」

 

 がりがりと自身の頭を手で掻く面倒見のいい元魔王軍幹部のデュラハンは、心底気が進まなさそうにこう言った。

 

「可能な限り早急にフィオとクレメアをパーティーから外せ」

「お断りします」

 

 言い終える前に食い気味に答えるキョウヤの声は、鋼を思わせる冷たく硬質なものだった。

 気分を害するというベルディアの前置きそのままの結果に終わってしまったようだ。

 

 今はこの場にいないフィオとクレメア。

 何度もキョウヤをボコボコにしているベルディアはキョウヤの事が大好きな彼女達から蛇蝎の如く嫌われてこそいるものの、幾らなんでもそんな理由で解散を勧めるほどベルディアは狭量ではない。

 では何故無粋を承知でこんなことを言い始めたのか。

 

「まあ待て、少し俺の話をだな……」

「ベアさんも、二人が僕の仲間として相応しくないと、そう言いたいんですよね?」

「いや別に。相応しいとか相応しくないとかは知らん。……ああ、もしかして他の奴からそういうこと言われてるのか?」

「…………」

 

 時に沈黙は何よりの答えとなる。

 同時に言われるだろうな、とあなたは自身が知る二人の情報を振り返って納得した。

 

「そいつらの気持ちも分からんではないがな。俺が言ってるのはもっと切実な話だ。断言してやってもいいが、今のままではお前は確実に志半ばで斃れることになるぞ」

 

 まさか命に関わると言われるとは思っていなかったのか、キョウヤが目を丸くする。

 

「二人と組んでるだけで死ぬって、そんな大げさですよ」

「いいや、死ぬ。絶対にお前は死ぬ。断言してやってもいい。なあ、おい。ご主人はその理由が分かるか?」

 

 唐突にあなたに水を向けてくるベルディア。

 普段使いの武器として愛用している大太刀の神器、遥かな蒼空に浮かぶ雲を分解して手入れ中だったあなたは、少しの間黙考した後、二人に目を向けることもなく自身の予想を述べた。

 キョウヤは才能豊かで努力を欠かさない、非常に優秀な人間だ。そんじょそこらの相手に遅れを取るとは思えない。油断も慢心も捨てた今の彼が力及ばず敗死するというのであれば、それはきっと最終決戦、魔王との戦いの中、魔剣の勇者に帯同するフィオとクレメアを庇ってのものになるだろう、と。

 

 キョウヤを殺し得る者として真っ先に思い浮かぶのは冬将軍や玄武のような超級の存在だ。

 彼らと戦えば今のキョウヤであっても不可避の死が訪れる。

 しかしあなたからしてみれば非常に残念なことに、この世界の超級存在はどうにも非好戦的な傾向がある上、キョウヤがあなたのように自らを殺し得る強い相手を捜し求めるような人間でない以上、彼らと戦う理由が無いので除外。いのちだいじに。

 

 それでもなおベルディアは絶対の死を宣告した。

 あなたはこれを、キョウヤが冒険者として生きていくのであればいつか必ず立ちはだかる敵が存在するということを意味すると受け取った。

 

 そうなるとあなたの手持ちの情報の中では、必然と魔王軍に所属する何者かに絞られてくる。

 正直な話、フィオとクレメアを連れていた場合は幹部との戦闘すら危ういと思われるが、こちらも必ず戦わないといけないという相手ではない。状況によっては戦闘を回避することもできるだろう。絶死と呼ぶには首を傾げる。

 となると、残るのは魔王だ。キョウヤの目的上、首魁である魔王との戦いだけは決して避けられない。

 そしてフィオとクレメアを置いていくことも見捨てることもできない彼は二人を庇って死ぬ。

 

「…………」

 

 説明を終えて作業に戻るも、水を打ったような静けさが部屋を支配する。

 どうしたのだろうと、ここで初めて目を向けたあなたと二人の呆けた瞳が交錯した。

 

「話しかけといてなんだが、まさか本当に俺が考えることを完璧に当ててくるとは思わなかった。気持ち悪い」

 

 余計な一言を付け加えてくるペットに閉口する。

 共に過ごす者達の視点や価値観が似通っていくのは別段珍しい話ではない、むしろ自然ななりゆきとすら言える。

 まだベルディアは墜ちきっていないが、時間の問題だろう。

 全ては坂を転げ落ちる石のように。

 

「ちょっと本気で絶望したくなる話は止めろ! 俺は絶対にご主人みたいにはならんからな!!」

 

 自分はお前みたいなノースティリスの冒険者(ヒトデナシ)にはならない。

 遥か遠い昔、未熟の極みだったあなた自身が同じようなことを口にし、そして何度と無く言われてきた言葉に口角を吊り上げる。

 あなたの経験上、最初から強かったり何らかの要因で一足飛びに頂点に到達するならまだしも、一歩ずつ地道に強くなっていくのであれば、人は大なり小なり壊れていく。

 掛け替えの無い何かを削ぎ落としていきながら頂きを目指していく。そこに例外は無く、あなたはそんなやり方しか知らない。

 壊れなかった者は至らなかった者、もしくは妹のように最初から壊れている者だけだ。

 果たしていつまでベルディアが己を保っていられるのか、それはそれであなたは楽しみに思うのだった。

 

 

 

 ──結果から言うとベルディアの価値観は終末狩りでとっくに壊れていたのだが、あなたとベルディアがそれを知るのはアクセルにドラゴンが襲来するまで待つことになる。

 

 

 

 くつくつと笑うあなたに寒気を覚えたのか体を震わせ、努めてあなたを視界から外したベルディアはキョウヤに向き直った。

 

「さて、ご主人のせいで脱線したが話を戻すぞ」

「あ、戻すんですね」

「これ以上続けると汚染されそうだからな……魔王の系譜だけが持つ特殊能力は知っているな?」

「仲間を強化するスキル、ですよね」

「そうだ。魔王と対峙し、奇跡的に生還したパーティーの生き残りはこう言い遺している。魔王に率いられた近衛兵の強さはその一体一体が幹部に匹敵する、と」

 

 この世界の人間であれば誰もが知っている、勇者から魔王に墜ちた人間の話。

 あなたも書物で読んだ事があるのだが、多少なりとも事情に明るい者であれば、すぐにこの勇者が転生者だと気付くだろう。

 仲間など不要だと孤独を愛し、他人の何倍もの速度でレベルが上がる異能を持ち、一人で生きていけるだけの強さを手に入れ、しかし独りでいることに最後まで耐えられなかったその勇者の在り方はあなたとしてもどこか身につまされるものだった。

 単身で魔王城まで攻め込み、魔王を打倒できるだけの強さを持った身でありながら、最後には魔王になった彼の心情を理解できる者はいない。書物にはそこまで記されていなかった。

 ただ、魔王となった勇者は自身の子に一つの能力を与えた。それこそがキョウヤの言った仲間を強化するスキル。自身にスキルの効果が及ばないのは、自分のように孤独に生きるのではなく、仲間と共に戦えという魔王からのメッセージ。

 

 色々と暴露しすぎにも程がある昔話の出所は不明。何せ数百年の時を生きるベルディアが生まれるよりも前から語り継がれている話なのだ。あなたは最古参だという女神ウォルバクが怪しいと睨んでいるが真実は深い闇の中。

 あるいは転生者を味方に引き込む魔王側の策略で流布されたプロパガンダなのかもしれないが、実際に魔王の系譜は代々味方を強化するスキルを保有していることが確認されている。

 老いた今代の魔王が前線を退き魔王城に引き篭もるようになって久しく、現在は魔王の娘が軍団の総指揮を引き継いで采配を揮っているのだが、やはり件のスキルを所持している。

 

 指揮権と共にスキルは魔王の娘に引き継がれた。故に今の魔王はスキルを持たない強力な魔族に過ぎない……などと考えるのはあまりにも楽観が過ぎるというものだろう。

 いかにこのスキルが強力であり、キョウヤにとって脅威であるかを説明する元魔王軍幹部は間違いなく魔王のスキルの有無、果ては強化率までを熟知しているのだが、古巣への義理立てか、基本的に彼は魔王軍の内部事情について語ろうとしない。

 それでも年若い友人の身を案じ、正体が露見しないギリギリを見極めて情報を与えるという形で必死に説得を続ける姿は本当に目の前のデュラハンが人類の敵だったのか疑わしく思えてくる。

 言葉にするならそう、彼は根っからの「いいやつ」なのだ。人類に裏切られ、アンデッドに墜ちてなお失われないそれは本人の生まれ持った気質なのだろう。

 人間の騎士だった頃はさぞかし仲間に慕われていたに違いない。

 

 嗚呼、だが、しかし。

 あるいはやはりと言うべきか。

 仲間思いのキョウヤにとって、ベルディアの提案は決して受け入れられるものではなかった。

 

「何も縁を切れとまで言ってるわけじゃあない。お前はご主人みたいな家持ちじゃないんだろう? なら王都に家なり屋敷なりでも買って、そこの管理を任せるとかだな……」

「──っ! フィオと、クレメアは!!」

 

 ここで初めてキョウヤが声を荒らげた。

 ベルディアの発言を遮るように。

 瞑目し、深呼吸を一つ。

 

「僕の、初めての仲間なんです。いや、初めてかどうかなんて関係ない。本当はこんな事言いたくないけど、今の彼女達が力及ばないのは分かっています。けれど、だからといってそれを理由に僕は二人を外すなんてしたくない。それはあまりにも薄情で、不誠実だ」

「それが原因で命を落とすと分かっていてもか?」

「僕は死にません。二人も死なせない」

「……そうか」

 

 嘆息しつつもそれ以上の説得を止めたベルディアは、心のどこかでキョウヤがこう答えると思っていたのだろう。

 つい先ほどベルディア自身が言及していたように、フィオとクレメアと組むのを止めるように言ったのがベルディアが初めてなわけがないのだから。

 

「分かった。これ以上は言わん。端から無粋ではあったわけだしな……だがそのつもりなら早急に二人の意識改革を行え。俺としてもあいつ等にも同情できる部分が無いわけではない。いっそ哀れですらある。だがそれとこれとは話が別だ」

「肝に銘じておきます……」

 

 思うところがあったのか、一転して身を小さくするキョウヤ。

 

 魔剣の勇者として名望を集めるキョウヤは、若く、強く、才能に溢れ、見た目も優れている冒険者だ。

 ベルゼルグ王家からの覚えもいい彼は当然ながら同業者から嫉妬を集める立場であり、本人もそれを自覚しつつ驕る事無く研鑽に励み続けている。

 かつては女神に選ばれた勇者としての強い自負から若干の傲慢さ、無神経さを持っていたものの、カズマ少年に搦め手で、ベルディアに正々堂々の真っ向勝負で言い訳のできない敗北を喫するという挫折を期に、今ではそれらは完全に払拭されている。

 今も一部からはやっかみを受け続けているが、そんなものは有名冒険者であれば誰でも同じ。

 日本人の転生者特有の浮ついた雰囲気と甘さが抜け、謙虚さを身につけ、ストイックに修練を重ねるキョウヤの人気は最早留まる所を知らない。

 最近では王都に攻め込んできた魔王軍幹部シルビアと一騎打ちで互角の戦いを繰り広げたこともあり、その名はもはや国内はおろか、遠い海の向こうにまで届くようになっていた。

 

 今となっては魔剣の勇者の実力を疑う者などどこにもいない。

 では、彼のパーティーメンバーであるフィオとクレメアはどうだろうか。

 キョウヤに負けず劣らずの知名度を有しているのだろうか。

 

 結論から言うと、今をときめく魔剣の勇者という超有名人の仲間でありながら、二人の知名度は無い。

 低いではなく、無い。悲しいくらいに無い。絶無だ。

 

 ──魔剣の勇者ってソロ活動してる冒険者じゃなかったの?

 

 一般人の間でキョウヤの仲間の話になった場合、王都の外ではほぼ確実にこんな言葉が返ってくる。王都の中でも結構な確率で驚かれるだろう。

 その一方、二人は冒険者の中ではそれなりに名前を知られている。悪い意味で。

 

 魔剣の勇者の取り巻きコンビ。腰巾着。金魚のフン。

 これはフィオとクレメアに向けられる陰口の中では最も優しい部類に入る。

 聞くに堪えない陰湿で心無い罵詈雑言も多く、中には二人とパーティーを組んでいるキョウヤの名誉を著しく貶める意味合いのものすら含まれている。

 お荷物扱いしているという点では終始一貫しており、同業者の中に彼女達をキョウヤの仲間として認めている者はいない。

 

「一応聞いておくが、あいつらの評判が悪い理由は分かるよな?」

「えぇ……僕が言うんですか……分かりました。えっと、その、ですね。それはフィオとクレメアが……」

「そう、弱くて性格が悪いからだ」

「そ、そこまでのものとは僕は思わないんですけど……」

 

 ギリギリのところで魔王軍と拮抗し、国に所属する冒険者も用いれば一国で世界中を敵に回しても勝てると称されるほどの軍事力を持つベルゼルグは、当然のように国中から尚武の気風が漂っている。

 脆弱な国家など瞬く間に魔王軍に飲み込まれて終わりなので、戦いに次ぐ戦いの歴史の中で自然とそういう思想が形成されていったのだろう。

 

 そして何かにつけて荒事に関わりがちな冒険者達にとって、強さとは何よりも尊ばれるもの。これに関してはどこの世界だろうが変わらないとあなたは確信している。

 強ければ無条件で認められるわけではないのはあなたが腫れ物扱いを受けているのを見れば一目瞭然だが、やはり強い奴が偉いという風潮は確実に存在する。脳筋万歳。

 

 廃人として知られているイルヴァにおいては言うに及ばず、この世界においてもアクセルとアルカンレティア、紅魔族の里以外の各地であなたは敬遠こそされているものの、決して軽んじられてはいない。

 たとえ歴戦の猛者が集う王都であってもあなたを侮る者はいない。

 それはあなたが極めて高い戦闘力を有している個人だからであり、日々の活動や気まぐれに参加する王都防衛戦で結果を出し続けているからであり、何よりも得体が知れない、危険な相手だと認識されているからだ。

 スティールを仕掛けようとした盗賊をダース単位で再起不能にしたり納税の日に王都の腕利きパーティーを四つほど瞬殺したせいで、キョウヤのように嫉妬されているというよりはちょっかいをかける相手としてはあまりにも危険すぎるので単純に関わり合いになりたくないと思われているのだが、とりあえず舐められてはいない。

 

 一方でフィオとクレメアだが、これがまあ弱い。すこぶる弱い。

 三人の仲のよさやキョウヤの人の良さを知っているベルディアが野暮や無粋を承知でパーティーの解散を奨める弱さだ。

 ここで述べる弱さとは単純な戦闘力だけではなく、精神面などを総合した弱さを指す。

 キョウヤが養殖じみたレベル上げを施した甲斐あってレベルと装備だけはそれなりだが、それ以外の全てが水準を大きく下回っており、特に精神面に至っては下手をすれば駆け出しにすら劣るかもしれない。

 

 以前、ベルディアとキョウヤの手合わせにフィオとクレメアが交じった事があり、手持ち無沙汰だったあなたもそれを観戦していたのだが、一から十までキョウヤ任せ。キョウヤの指示が無ければまともに動くこともできない二人の様は見ていて呆れよりも先に心配が来るほどのものだった。

 それどころかキョウヤが二人を気にかけるので負担にしかなっておらず、三対一より一対一の方がよほど戦えているというベルディアの感想はあなたとしても大きく頷くところである。

 

 単に弱いだけならそこまで悪し様に言われることもなかったのだろうが、ベルディアが性格が悪いと称したように、肝心の本人達の他者を舐め腐った態度の悪さが悪評に拍車をかけた。

 何かにつけてキョウヤを笠に着る、キョウヤの自慢をする、キョウヤ以外の冒険者を見下した物言いをする、困ったことがあるとすぐキョウヤに泣き付く、などなど素行もお世辞にもいいとは言えない。絵に描いたような小物のチンピラな困ったちゃんである。

 キョウヤという才能に溢れた神器持ちな超優良物件と駆け出しの頃からパーティーを組み続け、これといった挫折も知らずに苦労知らずでレベルだけが上がり、フェミニストのキョウヤが甘やかし続けた結果こうなってしまったのだろう。

 

 あなたから見たフィオとクレメアとは、キョウヤが好きでちょっと性格が悪いだけの、どこにでもいる普通の少女である。

 二人がただの一般人なら、無数にいる埋もれた冒険者の一人ならそれでもよかった。

 だが噂に名高い魔剣の勇者の仲間としてやっていくというのであれば、否応なしに相応の評価を下されることは避けられない。

 別れる気が無いなら手遅れになる前にさっさと二人の尻を蹴っ飛ばしてなんとかしろというベルディアの警告はまったくもって正論と言う他なく、聞けば誰もが頷くだろう。

 

 

 

 

 

 

 キョウヤが去った後、あなたは話の中で少しだけ気になった点を尋ねてみた。

 ベルディアが言うフィオとクレメアの同情に値する点とはどこなのか、と。

 

「……キョウヤとパーティーを組んでいるところだ」

 

 ベルディアは酒を呷りながらこう答えた。

 あなたが予想だにしなかったそれは、聞いてみれば頷かずにはいられないものだった。

 

「キョウヤはグラム抜きでも心技体、全てにおいて優れた正真正銘英雄の器だ。長じれば魔王に届くという評価は世辞ではない。俺は幹部として今までに数多の勇者候補や英雄と相対して打ち破ってきたが、ヤツに勝る者はそういなかった」

 

 だが、と続ける。

 

「フィオとクレメアは悲しいくらいに凡人だ。そんな三人が駆け出しの頃から一緒にパーティーを組んでるんだぞ? これはもう悲劇でしかない。努力する機会を奪われ、常に他者から比較され続け、自分の存在意義すら確立できず、どれだけ必死に追い縋っても影すら踏めず、星に手が届く事は無く、決して並び立つことは叶わない」

 

 淡々と、まるで目の前で見てきたかのように語る。

 深い憂いの中に僅かな懐古を含んだ赤い瞳があなたに向けられた。

 

「かつて人間だった頃、平民上がりにして己の腕一つで上り詰め、果ては国一番の騎士と謳われた俺は間違いなくキョウヤの側だった。共に戦う仲間や友はいたが、同時に率いる部下でもあった。あの時、俺の周りに俺に並び立つ者はいなかった。……一人も、いなかったんだ」

 

 元魔王軍幹部のデュラハンではなく、仲間に裏切られ、名誉を、尊厳を徹底的に貶められ、失意と絶望と悲憤を抱えたまま断頭台の露と消えた孤独な英雄がそこにいた。

 

「なあご主人。自身を凡人と定義しながらも英雄すら超越し、遂には廃人と呼ばれる世界最強の一角に至りし絶対強者よ。どうか教えてくれ。一体どうすれば凡人は英雄と並び立つことが叶う? ……俺はあの時、あいつらにどうしてやればよかったんだ?」

 

 切実な、身を切るような問いかけ。

 あなたは答えをたった一つしか持ち合わせていない。

 そしてわざわざあなたなどに問うまでもなく、終末狩りに身を浸しているベルディアはとっくに理解しているはずだ。

 あなたが金科玉条、錦の御旗の如く振りかざす、たった一つの頭が悪いやり方というものを。

 

 才に劣る者が生まれ持った差をリッチー化のような禁呪を用いずに埋めようとするならば、血反吐を吐きながらただひたすらに泥臭い努力を続けるしかない。少なくともあなたはそう認識している。

 世界はいつだって無慈悲で不条理で理不尽だ。努力ではどうにもならない事柄はあまりにも多い。

 それでも、十の努力で足りなければ百の努力を。百の努力で足りなければ千、万の努力を。

 追いつけなくても、引き離されても、影を踏む事すら許されなくても。

 諦めなければいつか必ず空に浮かぶ星に手が届く時が来る。そう信じて長い時間をかけてひたすら歩み続けるしかない。

 

 狂気的でひたむきな練武の果て、あなたは星を掴むに至った。

 この世界には寿命と蘇生という重大な問題が横たわっているが、やることは何も変わらない。

 

 デスマーチ。

 デスマーチあるのみである。

 

 ぐっと両手で握りこぶしを作って力説するあなたの姿にベルディアは深々とため息を吐き、馬鹿には勝てんと小さく笑った。

 

「デスマーチって言葉がもうね、台無し。前から思ってたけど、ご主人ってすました顔してバリバリの根性論者だよな。あと努力すると気軽に言うがそのストイックさが誰にでも出来る真似だと思ったら大間違いだからな」

 

 別に気軽に言っているつもりはないし、あなたとてその程度は言われるまでもなく理解している。

 本当に誰にでも出来るのであれば、あなたはもっと数多くの友人を作れていただろうから。

 

 ただ、フィオとクレメアが目指す先は英雄(キョウヤ)であって廃人(あなた)ではない。

 ベルディアやゆんゆんと違って致命的に壊れることはないだろう。多分。きっと。

 

「俺は壊れてないし壊れないから。つかゆんゆんも俺みたいな地獄に叩き込むつもりなのか!? 幾ら紅魔族とはいえアレは結婚適齢期すら来てない子供の女の子だぞ!?」

 

 何も問題は無い。

 あなたは自分とペットの経験によって壊れた心身を取り繕うのは慣れているのだ。大事なのは壊れちゃっても直せばいいやというスクラップアンドリペアの精神である。

 それにベルディアも身をもって知っているように、あなたの育成法における主軸とは死力を尽くしてようやくギリギリで負けて死ぬ戦いを幾度と無く繰り返すというもの。

 必然的に、本腰を入れるのであれば残機は無限である必要がある。現状ではどう足掻いても不可能なのだ。非常に残念な事に。

 

「わぁいよかった……って安心すると思ったか馬鹿め! ゆんゆんをぶっ殺すこと前提で話を進めるのを止めろ! 可哀想すぎるだろ! あんだけご主人に懐いてんのに!」

 

 無論、あなたも心の底から止めた方がいいと、絶対に碌な事にならないから廃人なんて目指すものではないと一度は止めている。

 それでも本人に止まる意思が無いのだからどうしようもなく、あなたは他のやりかたを知らない。たった一つの冴えたやり方なんてものは存在しない。

 壊れたら、あるいは壊れかけたらその時はウィズが適宜フォローを入れてくれるだろう。

 禁呪によって一足飛びに至ってしまったウィズはそこら辺の機微が分からず生易しいきらいがある。全く自覚は無いが、友人曰くある程度の成果が出るまでは被験者の精神がぶっ壊れても狂っても一切省みない超スパルタの効率厨であるあなたと足して二で割ればちょうどいい塩梅になる筈だ。

 

「最低かよぉ!!」

 

 あるいはリッチー化こそがたった一つの冴えたやり方なのかもしれない。確かに手っ取り早くはある。

 だが変化が不可逆である上、回復魔法や浄化といった神聖属性が弱点になる、日光を浴び続けると消える、そもそも禁呪なので使用が認められた瞬間に国際的指名手配を食らうことになる……などなど、リッチー化によって背負うデメリットは計り知れない。

 ウィズとてこんな辺境で長い時間大ファンや同級生にすら居場所を捕捉されない、半ば世捨て人じみたひっそりとした生活を送っている。

 やはり地道にコツコツやるのが一番だ。

 

「……まあ、うん。アンデッドになんぞなるもんじゃないってのは激しく同意する。でも後先考えない自暴自棄じみた全力疾走を地道にコツコツとか表現するの止めてくれない? 主に俺の心の健康の為に」

 

 しかし現にベルディアは出来ている。

 最初の頃は終わりの無い戦い、そして迫り来る死の苦痛と恐怖に精神を著しく磨耗させていた彼も、今ではすっかり死に慣れている。

 

「確かに出来てるけども! 慣れたけども! 慣れたくなかったなあ、あんなおぞましい感覚は!!」

 

 呪われてあれ! 呪われてあれ! 我が主の昼に呪われてあれ、夜に呪われてあれ、我が主の臥すに呪われてあれ、起くるに呪われてあれ、我が主の外出するに呪われてあれ、帰り来たるに呪われてあれ!

 

 三回くらい殺されても構わないとヤケクソになったデュラハンの渾身の呪詛があなたにふりかかる。

 当然あなたには効果が無く、ベルディアは自室に閉じこもって不貞寝した。

 

 

 

 

 

 

 時間を過去から今に戻そう。

 

 海を渡った先の村であなた達はフィオとクレメアと偶然にも再会した。

 クレメアを民家に置いたまま少し離れた場所に移動する。

 苦虫を噛み潰したようなフィオの顔はお世辞にも知り合いに会えて嬉しい、といったものではない。

 むしろ見られたくないものを見られてしまった。纏う空気からはそんな印象を受ける。

 

「なんでベルゼルグの冒険者であるあんた達がリカシィにいるわけ?」

 

 妙に刺々しいフィオの台詞はあなたの台詞でもある。

 とはいえ民家から普通に出てきた挙句、二人が普段着であったことからも予想はつく。

 

「はぁ……地元よ。別に帰省なんておかしい話じゃないでしょ」

 

 フィオとクレメアはここで生まれ育った幼馴染らしい。

 田舎で一生を送ることを嫌い、夢を見て海を渡り冒険者になったのだという。

 

「もしかして、トマスさんが言ってたベルゼルグの冒険者ってフィオさんかクレメアさんのことですか?」

「何、お父さんに会ったの?」

「はい。ここに来る時に馬車に乗せてもらいました。でもトマスさん、フィオさんのことを魔眼の勇者の仲間って言ってたような」

「お父さんがうろ覚えなだけよ」

「えぇ……」

「私のことはもういいでしょ。今度はそっちが答えなさいよ」

 

 といっても複雑な話ではない。

 あなたはゆんゆんをドラゴン使いにする為、竜の谷に挑むのだ。

 

「はぁ!? 竜の谷って正気!? ばっかじゃないの!?」

 

 流石に地元民だけあって、今に至るまで人魔問わずありとあらゆる存在を阻んできた竜の谷についてはよく知っているらしい。信じられないモノを見る目で凝視されてしまった。

 しかしそれも一瞬のこと。感情を鎮火させた少女は気だるげな様子で鼻を鳴らした。

 

「……まあ、アンタ達がどこで何をしようと私にはどうでもいいか。さっさと好きな所に行っちゃいなさいよ。せいぜい私の故郷に迷惑をかけないようにしなさいよね」

 

 一方的に話は終わりと踵を返すも、ああ、そういえばと振り返る。

 ゆんゆんを見つめるその瞳には暗い光が灯っていた。

 

「ゆんゆん、だったっけ。知ってるわよ。王都でも活躍してるんでしょ、アンタ。紅魔族で、高レベルのアークウィザードで、今度はドラゴン使いを目指す? ハッ、いいわよね、恵まれた天才様は……私達凡人なんかと違って人生が簡単で」

 

 嗜虐的な眼光と悪意の篭った嘲笑に体を竦めるゆんゆん。

 あまり苛めないであげてほしい。ゆんゆんは薄汚れた人の悪意というものにあまり晒された経験が無いのだ。

 それが例え八つ当たりとしか言いようがない、嫉妬に塗れた不安定な子供の癇癪だとしても。

 

「……ふん、何? 天才に天才って言って何が悪いっての?」

 

 無益な問答に付き合う気は無い。

 意趣返しというわけではないが、あなたは一つの問いを投げかける。

 もうベルゼルグに、キョウヤの元に戻るつもりは無いのか、と。

 

「っ、何、をいきなり……」

 

 流れも何もあったものではない、あまりにも脈絡の無い唐突なそれに狼狽するフィオ。

 

 あなたは彼女達に興味が無い。

 あなたにとってのフィオとクレメアとは、キョウヤのパーティーメンバーでしかない。

 死のうが生きようが、それこそ冒険者を辞めようが気にも留めない相手だ。

 

 だがベルディアはそんな二人にかつての仲間の面影を重ねた。

 キョウヤはベルディアの友人でもある。ペットの友人の仲間というのであれば、少しくらいはお節介を焼いてみてもいいだろう。

 

 そういうわけなのだが、実のところ、先の言葉は断じてかまをかけたわけではない。確信をもって放たれたものだ。

 今の彼女は、諦めてしまった者の目をしている。決定的な挫折を受け入れて腐った負け犬の目をしている。

 あまりにも見覚えがありすぎる、あなたが数え切れないくらいに見てきた目だ。

 ある者はノースティリスから去る事を選び、またある者は埋まる(終わる)事を選んだ。

 ここにいないクレメアは危ういものがあれどもまだマシな目つきだった。大方今後の身の振り方で意見が対立した結果が先の騒ぎなのだろう。

 

「…………」

 

 図星を突かれたのか、あなたを睨みつけ、黙して語らぬ盗賊の少女に淡々と告げる。

 本気で諦めるのであれば、キョウヤはきっとそれを受け入れるだろう。

 だが周囲の二人への評価は永遠に覆らないし、仲間を失ったキョウヤもまた深く悲しむことになるだろうと。

 

「……ってる」

 

 しばらくの後、フィオが口を開いた。

 ぽろぽろと涙を流しながら。

 

「今更アンタなんかに安っぽい説教されなくても最初から分かってんのよ! そんなことは!!」

 

 激発と共に二枚の薄い金属製の板が勢いよく投げつけられる。

 

「これは……えっ!?」

 

 足元に落ちたそれはフィオとクレメアの冒険者カード。

 あなたのように不具合を起こしていないそれに書かれている内容はしかし驚くべきものだった。

 曲がりなりにもキョウヤの仲間としてやってきたとは思えない、驚きの超低空飛行なステータス。冗談抜きで駆け出し同然である。

 あまりにも凄惨な内容にゆんゆんが思わず口に手を当てる。

 しかしそれもそのはず。何故ならば。

 

「でもどうしようもないの! もう終わりなのよ、私達は! キョウヤの後ろを付いていくこともできない! 今更レベル1に逆戻りなんて、こんなんじゃ足手纏いにすらなれない!!」

 

 血を吐くような慟哭が示すように、キョウヤのおかげでそれなりに高かったはずのフィオとクレメアのレベルは、最低値であるレベル1になってしまっていた。

 当然各種ステータスもレベル1相応にまで落ち込んでいる。

 習得済みのスキルこそそのままだが、今のままではゴブリンの討伐すら満足にこなせるか怪しい。

 

「わかんないでしょうよ! アンタ達なんかに私の気持ちは! どれだけ惨めな気持ちなのかも!」

「フィオさん……」

 

 この世界の者はレベルが下がる事に対して本能的、生理的に極めて強い忌避感と嫌悪感を抱く。

 崩れ落ちてさめざめと泣く哀れな少女に、ゆんゆんは心の底から同情し、かける言葉も無いといった様子だ。

 

 ところがどっこいノースティリスの冒険者であるあなたはレベルダウンなんてこれっぽっちも気にしない。むしろ口笛を吹きたい気分ですらある。

 二人の身に何が起きたのかは言われなくても分かる。レベルドレインを行使する高位の魔物か悪魔に遭遇して敗北したのだろう。

 だが、レベルだけ下げてそのまま生かして帰してくれるなど、なんと親切で人類に友好的な存在なのだろうか。いっそ慈愛に溢れているといっても過言ではない。下落転生(スキルポイント稼ぎ)がやりたい放題ではないか。素晴らしい。

 あなたはフィオにいつ、どこで、どんな相手にレベルを下げられたのか詳細を尋ねようと試みる。あわよくばそいつにゆんゆんをぶつけて合法的にレベルを下げてもらおう、などと考えながら。

 だが一歩目を踏み出した瞬間、ゆんゆんがあなたの腕を強く掴んだ。

 

「ダメですダメですやめてください本当にお願いですから! 何をする気なのかは分からないけどきっとそれは世間一般で死体蹴りって呼ばれる極めて悪辣で非道で最低な行為ですよ! あなたに自覚は無いのかもしれないですけど!!」

 

 必死な顔で諌められてしまった。

 嬉々とした様子のあなたにとてつもなく嫌な予感がしたらしい。




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第110話 少女達の小さな一歩

 ベルゼルグから海を隔てた大陸にある長閑な湖畔の村、レーヌにて期せずして再会した、魔剣の勇者の仲間である盗賊フィオと戦士クレメア。

 後学のために二人がレベル1になった理由を知ろうとしたあなただったが、ゆんゆんがあなたを引き止めている間に騒ぎを聞きつけてやってきたクレメアがフィオを連れて帰ってしまい、その場はお流れになってしまった。

 

「フィオさん、これからどうするんでしょうね。クレメアさんもですけど」

 

 夢破れて故郷に逃げ帰ってきた少女に同情し、こうして戻ってきた宿で日記を書いている今も心配し続けている様子のゆんゆん。

 あなたの知る限り、ゆんゆんがフィオとまともに顔を合わせたのはデストロイヤー戦を除外すれば鉱山の町で偶然出会った時だけ。その時だって軽い自己紹介しかしていなかった。会話らしい会話をしたのは今日が初めてだろう。

 この紅魔族の少女が善性に偏っているのは論ずるまでもない事実だが、それにしたってほぼ初対面の相手に対して、そこまで気を揉めるものなのだろうか。

 

「そりゃあ心配しますよ。確かに私はフィオさんと親しくないですけど、それでも知っている人がレベルが1になっちゃったんですよ? レベル1ですよ? そんなの心配するに決まってるじゃないですか。それにもし私がそんなことになったらって思うと……」

 

 顔を青くして体を震わせるゆんゆんだが、そんな事を言われても困るというのがあなたの偽らざる本音だった。

 レベルダウンをスキルポイント稼ぎによる強化手段と認識しているあなたでは、ゆんゆんをはじめとしたこの世界の住人達が持っている、レベルダウンに対する本能レベルでの忌避感や嫌悪感を頭で理解こそすれども、共有することができない。

 

 あなたがゆんゆんに出来ることといえば、冒険者の引退など珍しいことでもないし、むしろ命があるだけ儲けものだろうと、肩を竦めて答えることくらい。

 

 争いの中に身を置く冒険者が挫折を経験してそのまま引退するなど、この業界では日常茶飯事だ。

 イルヴァでも、この世界でも。

 今回はそれが偶然フィオというあなた達の見知った相手だっただけに過ぎない。

 イルヴァで一際過酷なノースティリスの冒険者であるあなたもまた今までに数え切れない冒険者達を見送ってきており、その中には当然あなたが懇意にしていた人物も存在する。

 

 自身の経験から、薄っぺらい同情の言葉を口にするよりかは遥かにマシだと考えてのことだったが、そんな年上の友人の冷めた反応をゆんゆんはお気に召さなかったようだ。

 

「それは、そうかもしれないですけど……。でも、あなただってレベル1になったら駆け出し冒険者のステータスになっちゃうんですよ? 本当に気をつけてくださいね? あなたは凄く強いから仕方ないのかもしれないですけど、たまに……たまに? 危機感に欠けてる時がある気がしますし」

 

 興味本位でレベルドレインを食らってみたいと考えているあなたは、確かにゆんゆんからしてみれば危機感が足りていないのだろう。

 だが危機感云々に関してゲロ甘でチョロQのゆんゆんにだけは言われたくないとあなたは思った。

 

 盛大なブーメランはさておき、やけに心が揺れ動いているゆんゆんの姿は、あなたに違和を感じさせるに十分すぎるものだった。

 今回と似たようなケースとしては、あなたがアクセルの駆け出し冒険者の半数を引退させたというのがあるが、その時はこのような反応ではなかった。

 それどころか、あなたの目から見て、今のゆんゆんは焦燥感が顔から滲み出ているようにも感じられる。

 レベルダウンの忌避感や嫌悪感から来る同情なら、若干大げさなきらいはあれども納得はできる。だが焦燥を抱く理由となると皆目見当も付かない。

 ベルディアと同じく、ゆんゆんもまた何かしらフィオに感情移入するところがあったということなのだろうか。

 

 あるいは先ほどの嬉々としたあなたの様子を見て、友人兼冒険者としての師が自分のレベルダウンを目論んでいると本能的に察して警戒しているのかもしれない。

 もしそうなら冒険者として一皮剥けた少女に対して、あなたは惜しみない賞賛を送るだろう。

 だがそれはそれとして、レベル下げを諦めるつもりはないが。

 

 

 

 

 

 

 交換日記ではなく、何の機能もついていない普通の日記を書き終えたゆんゆん。

 あなたはこれからは自由行動なので、一人で村の外に出ないのであればゆんゆんの好きにしていいと告げた。自分と一緒にいるというのであればそれでも構わない、と。

 

「うーん、どうしようかな……あなたはどうするんですか?」

 

 先ほどはゆんゆんの制止もあってうやむやのうちに失敗してしまったが、ほとぼりが冷めたらあなたはクレメアに接触してレベルダウンの詳細を尋ねる予定を立てていた。

 冒険者を辞めるつもりのフィオと意見が対立していたようなので、こちらは冒険者を続けるのだろうと踏んだのである。

 

「ああ、まだ諦めてなかったんですね……じゃあ私もご一緒します。あなたがさっきみたいにならないように」

 

 レベルが下がる前、あなたはフィオとクレメアという少女達に対して一切の興味を抱いていなかった。

 魔剣の勇者の取り巻き、オマケ。

 二人を知る多くの人間と同様に、あなたの認識もこんなものでしかない。

 この認識自体は現在も一切変化していないのだが、二人のレベルが下がった今はそれだけではなくなっている。

 

 あなたはレベル1になった冒険者が生還した例を他に知らない。ゆんゆんも初めて聞いたそうだ。

 レベルを下げてくる敵はその全てがリッチーのような伝説や御伽噺に出てくるような強大で危険な存在であり、まず遭遇する機会が無い。

 よしんば遭遇したとしても、マイナス1や2程度ならともかく、下限である1まで下げられるというのは、必然レベルでその者に死が訪れることを意味する……筈だった。

 実際はフィオのように生還するも人知れず引退していたのかもしれないが、それくらい今回の一件は希少なのだ。

 

 どんな相手と遭遇し、いかなる理由で生還を果たしたのか。あなたには是が非でも知る必要がある。

 恐らくそこにキョウヤの姿は無かった筈だ。

 あなたはゆんゆんと旅に出るまで彼らがパーティーを再結成したという話は聞いていない。

 そもそもの話として、弱くなったフィオが自棄を起こして故郷であるレーヌに逃げたというのなら、二人と別れるつもりがないキョウヤが追ってこないわけがないのだから。

 

「それで、いつごろ行くんですか?」

 

 わざわざ会いに行く必要があるかは疑問だ。

 あなたの予想ではそのうち誰かがここに訪れる手筈になっている。

 

「それってどういう……いや、そもそもどうしてあなたはレベルドレインなんかに興味が……」

 

 ゆんゆんが言い終わる前に、誰かがあなたが泊まっている部屋の扉を叩いた。

 あなたがゆんゆんに無言で目線を送ると、彼女は小さく頷いて扉の向こうの人物に誰何する。

 果たして、その結果は。

 

「どーもー……」

 

 あなた達を訪ねてきたのは若葉色のポニーテールが特徴的な十台後半(ハイティーン)の少女、クレメアだった。

 表情に色濃い疲労が滲んでいるのは仲間であるフィオと口論をしていたせいだろうか。だがフィオのような張り詰めた雰囲気は感じられない。

 

「クレメアさん、お久しぶりです」

「久しぶり。まあさっきも私の顔見えてただろうけどね。えーっと……」

 

 若干目を泳がせるクレメア。

 あなたにアイコンタクトを送ってきたものの、さっぱりである。

 やがて諦めた彼女は素直に白状した。

 

「ごめん。顔は覚えてるんだけど名前が出てこない」

 

 名前を忘れられて少しだけショックを受けたゆんゆんが改めて自己紹介をする。

 クレメアはフィオからゆんゆんの名前までは聞いていなかったらしい。

 彼女達が鉱山で会ったのはだいぶ前。この場合はクレメアのもの覚えが悪いというより、ゆんゆんの名前を覚えていたフィオの記憶力が優れていたというだけだ。

 

「早速で悪いんだけど、フィオが貴方達に投げたっていう冒険者カード、拾ってたりしない? 三人がいたところを探したけど見当たらなかったのよね」

「あっ」

 

 先ほどの話もあってゆんゆんは気づいたようだ。

 そう、フィオが激昂と共に投げつけてきた、フィオとクレメアの冒険者カード。

 フィオは捨てたつもりだったのか、あるいは頭に血が上って忘れていたのか。

 どちらにせよ、放り投げられたままだったそれを、話の取っ掛かりに使うべく、あなたはこっそり回収していたのだ。

 あなたが二枚の金属板を放り投げると、放物線を描いたそれは綺麗にクレメアの手の中に収まった。

 

「ありがと。さっきはフィオが迷惑かけちゃったみたいでごめんね。あの子、レベル1になってから相当精神的に参っちゃってるのよ」

「しょうがないですよ……誰だってそうなると思います。クレメアさんは平気なんですか?」

 

 瞬間、クレメアの目が死んだ。

 

「ぶっちゃけ私も全然平気じゃなかったけど。故郷で色々と考えた末に諦めたっていうか、どん底もいいとこだけど生きてるだけでラッキーだって開き直らざるを得なかったっていうか。開き直るまでに三回ぐらいゲロ吐いたけど」

 

 あっけらかんと笑うクレメアの姿は誰が見ても空元気と分かる痛々しいものだった。

 失言したゆんゆんはいたたまれないといった面持ちになっている。

 それでも空元気が出せるだけマシと言えなくもない。

 

 これからの活動方針を聞けば、彼女はキョウヤが許してくれる限り手伝ってもらうと答えた。

 悪いことではない。むしろ再起を図る上で最も安全かつ確実な選択肢といえる。

 周囲の評価についてはとっくにドン底なので問題無い。

 

「そういやフィオから聞いたんだけど、竜の谷に行くんだって? レベルとか大丈夫なの? 地元民の私としてはおっ、次の自殺志願者かな? って気分なんだけど」

 

 目配せしてくるゆんゆんにあなたは首肯する。

 フィオならブチギレ案件だったかもしれないが、教えてしまっても大丈夫だろう。多分。

 

「えっと……最近レベル41になりました」

「41!?」

「具体的に何があったのかは自分でもよく覚えてないんですけど、前に鉱山の町でクレメアさん達と会った日に20くらいから一気に37までレベルアップしたんです」

「一気に17アップ……え、どうやって?」

「養殖っていう紅魔族式育成方法、の筈です。なんか途中から記憶が飛んでて、気付いたらレベル37になってて……」

「何それ怖い。大丈夫? 悪魔に魂とか売ってない?」

「たまに同じことを聞かれますけど、今のところ特にそういう予兆は……」

 

 幾ら魔族やモンスターが相手とはいえ、作業的に無抵抗の命を潰していく感触に耐えられなくなったゆんゆんは生の苦痛を死という救済で終わらせるガンバリマスロボと化した。

 その後も度々闇落ちしかかっているあたり割と本気で紙一重なのだが、本人にその自覚は無い。

 

 まあゆんゆんは廃人を目指しているので、多少壊れたところで誤差の範囲内だろう。むしろ廃人への道を順調に歩んでいると言える。

 あなたが内心で現実逃避という名の自己弁護を終えると、ゆんゆんとの会話を一区切りさせたクレメアが気味の悪い愛想笑いをあなたに向けていることに気付いた。

 

「ねえねえ、ものは相談なんだけど、その子みたいに、良かったら私達も強くしてくれないかなー、なんて……いやほら、幾らキョウヤが優しくてかっこいいって言ってもキョウヤにばっかり面倒を見てもらうのも気が重いし……」

 

 気まずい空気と乾いた沈黙が部屋中に広がっていく。

 ベルディアがここにいれば甘ったれんのもいい加減にしろクソボケ、と叱咤と共に拳骨の一つでも落としていたことだろう。

 あなたはベルディアほど優しくないのでそんなことはしない。

 

「勿論お金は払うわよ。殆どキョウヤが稼いだようなものだけど、二人で仕事した分もあるし……」

 

 ちらちらと媚びるような視線を送ってくるクレメアにあなたは考える。

 強くするだけなら簡単だが、クレメアとついでにフィオを強くするというのであれば、ゆんゆんのように養殖でパワーレベリングを施すのは論外だ。

 

 今の二人に必要なものとは断じて単純なレベルとステータスの高さなどではない。

 冒険者と名乗って恥ずかしくないだけの必要最低限の技能と知識、そして心の強さ。

 これらはこの世界に来るまでは一般人でしかなく、神器持ちのエリートであるがゆえに冒険者としての階位を一足飛びで駆け上がり、ベルディアに甘いとまで称されるキョウヤでは与えられないものだ。

 死力を尽くせば辛うじて生き残れる難易度の討伐依頼に突っ込ませ、軽く二桁くらい死に掛ければ少しは使い物になるだろう。

 キョウヤに付いていこうというのであれば、血反吐を吐きながら進むくらいでちょうどいい。

 

 たっぷり十秒経った後、今回の冒険が終わった後、短期間であれば構わないとあなたは答えた。

 

 事が上手く運べば、今回の冒険でゆんゆんは晴れてドラゴン使いになる。

 今まであなたとウィズはゆんゆんに冒険者や魔法使いとしての知識やら技能やらを詰め込んできたわけだが、流石にドラゴン使いとなると門外漢も甚だしい。

 それに仲間になったドラゴンと絆を紡ぐのは、絶対にゆんゆん本人がやらなければいけない事である。あなた達が口出しする余地は無い。

 ただでさえ竜とは強く気高い生き物なのだ。保護者のお守り付きでおっかなびっくり自分に接する主人を誰が認めるというのか。

 

 そういうわけなので、今回の冒険の後、暫くゆんゆんは仲間になったドラゴンとの相互理解に努める予定になっている。

 必然、彼女と頻繁に行動を共にしていたあなたも手隙になる。

 本来であれば依頼や次の冒険、鍛冶のレベル上げに消えていたであろうその時間を使い、便宜を図ってやってもよい。あなたはそう考えていた。

 

「まあ、そうよね。幾らなんでも虫が良すぎる……?」

 

 諦め交じりの苦笑を漏らすも、少ししてあなたの言葉を咀嚼し、大きく目を見開くクレメア。

 

「いいの!?」

「いいんですか!?」

 

 ゆんゆんまで驚愕を露にしていた。

 先ほどまでのあなたが冷めていたので提案を受け入れるとは思っていなかったのだろう。

 相手は別に親しくもなんともない赤の他人。常のあなたにとっては論外の提案であったのは否定しない。

 幾ら手隙になったからといっても、それはどうでもいい人間の為に時間を割いてやる理由にはならない。あなたはそこまでお人よしではない。

 だが二人のレベルが1になった今なら話は別。空いた時間に面倒を見てやってもいいと考える程度には、今のあなたは二人に関心を寄せている。

 

 そんなあなたが期待に目を輝かせるクレメアに突きつけたのは、金銭とは別にある三つの要求。

 一つ目は当然、レベルダウンに至った経緯の説明。

 

「…………まあ、いいけど」

 

 驚くべきことに、意外にもあっさりと了承の答えが返ってきた。

 ただやはり口にするどころか思い出すのも嫌なのか、クレメアの表情と声色は酷く硬質なものだったが。

 ともあれこれが受け入れられたなら残り二つも大丈夫だろう。軽く安堵したあなたは続きを口にした。

 

「……えっ、たったそれだけ?」

 

 拍子抜け、むしろ最初のが最初だっただけに、これは何か裏があるのではとクレメアが勘繰る様子を見せた残りのあなたの要求。

 それはレベルダウンする前の各レベル時のステータスの可能な限りの開示。そしてレベルアップごとに冒険者カードをあなたに見せること。

 

「でも私、今までの自分のステータスとか全然覚えてないんだけど。っていうか今までのステータスを覚えてる人とかいないでしょ」

「ギルドに頼めば教えてくれますよ。ちょっとだけお金がかかりますけど、私も何回か利用しました」

「あ、そうなんだ。……ところで自分の昔のステータス見るって何の意味があるの?」

「成長の記録みたいでなんだか楽しくないですか?」

「……そういうもんなの?」

 

 ゆんゆんの言う通り、前者については冒険者ギルドに申請するだけでいい。

 ギルドを通した依頼を受注する時と達成した時、あなた達冒険者はギルドに身分証である冒険者カードを提出する。

 提出した冒険者カードのデータはギルドに逐一保存される。

 そうやって積み重なっていく、己が人生の足跡とも言える各種データは個人ごとに纏められており、当人が申請すれば若干の手数料で開示してくれるのだ。

 これはギルド側にステータスやスキル取得状況が丸裸な事を意味し、ギルドに首輪をかけられているも同然の状態なのだが、この程度は組織としてやっておくべき当然の保険だとあなたは考えている。

 

 実際あなたは冒険者カードに記載された情報と照らし合わせて絶対に勝てると判断されたメンバーで構成された税金徴収部隊を差し向けられたわけで、効果的ではあるのだろう。

 残念ながら色々と規格外であるあなたには哀れな犠牲者を量産するという結果しか生まなかったわけだが。

 

「それにしたって、ちょっとステータスを見せるだけでいいなんて。もしかしてアンタ、なんか企んでるんじゃないでしょうね。言っとくけど私はキョウヤ一筋なんだからね! 殆ど無償みたいな善意なんて怪しいことこの上ないけどぶっちゃけ選り好みしてる余裕なんてこれっぽっちもないからありがたく受け取っておくわ!」

 

 無償の善意ではないとしっかり否定しておく。

 あなたが無償の好意と善意を向ける相手は、『友人』と仲間(ペット)、そして畏れ多くも癒しの女神だけだ。

 

 ──私のお兄ちゃんへの愛も無償で無敵で無限大だよ!!!

 

 そんなあなたがクレメアの提案を受け入れた理由だが、いつものように私利私欲、もっと言うとゆんゆんの為である。

 レベルアップによる各種ステータスの上昇値が職業と個人の素質によって大きく左右されるのは言うまでも無い。

 ではレベルドレインでレベル1になってしまった者が再度レベルを上げた時、その上昇値は果たしてどうなるのだろう。

 レベルが下がる前から変化があるのか、変化がある場合はどれほどのものなのか。あるいは何も変わらずステータスの伸びは同じなのか。あなたはそれが知りたかった。

 

 スキルポイントも忘れてはならない。

 レベルが1になっても取得したスキルは覚えたままとして、レベルアップで再度獲得するスキルポイントに何か変化は起こりうるものなのか。

 

 あなたはそれらについて何も知らない。どれだけ調べても引っかからなかった。

 そしてゆんゆんのレベルを下げたいと思っているあなたにとって、これらは値千金の情報である。

 叶うのならばフィオとクレメアという被験者を使って何度かレベルの上げ下げを行い情報の精度を高め、ゆんゆんの叩き台になってもらおうと考えたのだ。

 

 あなたはゆんゆんのレベル下げを目論んでいることだけ隠し、レベルドレインを食らう前と食らった後のステータスの差異に興味があると正直に答えた。

 

「え、ちょ、うえぇえ……何言ってんのアンタ……頭のおかしいエレメンタルナイトって呼ばれてるのは知ってるけど、ほんと何言ってんの……」

「ごめんなさい、流石に私もそれはちょっと……」

 

 目の前の二人の少女は得体の知れないモノを見る目であなたから波が引くような勢いで距離を取った。

 おかしい。ゆんゆんのレベル下げは秘密にしたというのに、どうしてこのような反応をされなければならないのか。

 

 目は口ほどにものを言うその姿に、あなたの古い記憶が刺激される。

 あなたがまだ廃人に至る前、タガが外れていない冒険者の一人だった頃。

 酒の席でとある女性冒険者が「私は男性冒険者の吐瀉物(ゲロゲロ)を集めているわ。性的な意味で。味とか臭いとかマジ最高」とカミングアウトした時、あなたを含めた冒険者達はちょうどこんな目を向けていた。

 

 まさか自分はあれと同じレベルだと思われているのか。

 あまりのショックにあなたの思考が停止する。

 

「ま、まあ、趣味や性癖は人それぞれよね。うん、私ごときがとやかく言うようなことじゃないっていうか」

「そ、そうですよね。趣味や性癖は人それぞれですもんね!」

「……」

「……」

「今のは聞かなかったことにしましょ!」

「賛成です!」

 

 二人はあなたのことをおぞましい異常性癖の持ち主だと勘違いしていた。

 いや、非常に残念なことに勘違いではない。この世界の倫理に照らし合わせると、事実そういうことになってしまう。

 二つの世界が生み出す価値観の違いはいつだってあなたを戸惑わせてばかりだ。

 

 だが絶対に二人の誤解だけは解いておかなくてはならない。

 あのような者と同一視されるなど耐えられないし、何より万が一二人の口からウィズの耳に入り、よりにもよって彼女からあんな目で見られた日にはあなたの心は再起不能のダメージを受けるだろう。

 誤解が解けなかった場合、最悪二人の記憶を物理的にぶっ飛ばすことすらあなたは視野に入れている。

 穏やかな表情で、しかし瞳の奥底に剣呑な光を湛えたあなたは、右手の握りこぶしを隠しつつ、誠心誠意二人の説得を試みた。

 自分の出身地ではレベルダウンは忌避されるものではなく、むしろ強くなるチャンスとして歓迎する者すらいた、と。

 

「あ、ああ。そういうことでしたか……そういえばあなたは遠い国の人でしたね」

 

 幸いにして、ゆんゆんはなんとか納得してくれたようだ。

 あなたが異邦人だと知っているからこその物分りのよさだろう。

 不穏な空気を感じ取っただけかもしれないが。

 

「えー? ほんとぉー? そんなの聞いたことないんだけどー?」

 

 しかしやはりと言うべきか、クレメアの説得は難航しそうだった。

 仕方ないとあなたは壁に立てかけておいた神器を抜いた。

 

「!?」

 

 突然解き放たれた暴の気配にびくりと体を震わせる若き冒険者達。

 紙切れのように儚く脆い頭蓋に護られた脳という器官。そこに刻まれたヒトの記憶とは、どれほど頑丈なのか。

 試してみるとしよう。今、ここで。

 

「落ち着いてくださいっていうかいきなり何やってるんですかびっくりしたあ! ここ宿の中ですからね!?」

「ちょっ、何よ、脅す気? 口封じ? 私にはキョウヤがついてるんだからね! いくらアンタが強いっていってもキョウヤに敵う筈が……忘れてたけどそういえばアンタっていつもキョウヤをボコしてるあのクソホモ暴力男ことベアの主人だったわね!!」

「クソホモ!? ベアさんが!?」

「そうよ! あいつはそういう奴よ!」

 

 凄まじい勢いでこの場にいないベルディアが誤解と風評被害を受けている。いじめだろうか。

 あとでベルディアとキョウヤ達の関係について少しゆんゆんに説明しておこうと考えながら、あなたは丁寧に太刀を振るう。

 加減してなお残像すら残さない素振りによって発生した強い風が埃を巻き上げ、縮みあがる二人の髪を大きく揺らした。

 

 ……かくして数分にも及ぶ心を込めた説得(言い訳と脅迫)の結果、二人があなたを見る目はゲロゲロ収集家から幼児の生肉愛好家にランクアップすることになる。

 だいぶマシになったとあなたは胸を撫で下ろし、本題に入ることにした。

 

 そう、二人がレベルダウンに至った経緯である。

 

 

 

 

 

 

 修行のためにキョウヤの元を離れた二人が向かったのは、ベルゼルグ王都から馬車で十日ほどの距離にある地続きの隣国、エルロード国。

 魔王領とはベルゼルグを挟んで対面に存在するこの国は、魔王領およびベルゼルグとさほど距離が無いにも関わらず商業主義の国家であり、金食い虫の騎士団は国家として最低限の体裁を保てる程度にしか組織されていない。

 すぐ隣に魔王軍と日夜争いを繰り広げているベルゼルグがあるにも拘わらず冗談のような話だが、エルロードはそれほどに魔王軍の影響が薄く、モンスターの平均レベルも他国と同様に低い国なのだ。

 エルロードのカジノには世界各国から貴人が訪れるといえば、どれほどのものかは伝わるだろう。

 この緊張感のなさは人類と魔王軍の戦いが数百年以上も続いていることも決して無関係ではない。緊張感を保っているのはベルゼルグだけという悲しい現実がそこにはある。

 試されすぎな大地、ベルゼルグ。

 まったくもってここだけが神がバランス調整を放棄したとしか思えない、突出した危険度を誇っていた。

 

 さて、そんな国でキョウヤ抜きで修行を始めたフィオとクレメア。

 大方の予想に反し、彼女達の冒険者活動は終始順調だった。順調すぎるほどに順調だった。

 キョウヤのおかげでレベルはエルロードの一級冒険者と比較しても遜色ないほどに高いし、装備もベルゼルグ製の高級品。

 それでも同レベル帯の依頼に挑むのであれば苦戦は免れなかっただろう。

 

 だが二人が主に受けたのは色々と至らない部分があると自覚している自分達でも確実に勝てる自信がある、低レベルモンスターの討伐依頼。

 圧倒的なレベルと装備の差で苦戦など一度もしなかった。

 

 そうしてしばらくが経ち、キョウヤ無しでも立派にやっていけるじゃないかと冒険者としての自信をつけ、寂しくなってきたのでそろそろ胸を張ってベルゼルグ、ひいてはキョウヤの元に戻ろうかと勘案し始めた二人の少女は、しかしここで盛大に冷や水を浴びせられることになる。

 

 

 ──魔剣の勇者、王都に攻め入った魔王軍幹部シルビアを一対一の戦いの末に撃退!

 

 

 ベルゼルグから流れてきた速報に載っていたのは、いつもの二人であれば自分のことのように誇り、他者に自慢してしかるべき、想い人の大活躍。

 だがここに至り、二人は愕然とした心地で悟る。

 自分達はキョウヤにこれっぽっちも追いつけていない。それどころか離される一方だ、と。

 

 立ちはだかる無常な現実。

 フィオとクレメアがどれだけエルロードで討伐依頼をこなしたところで、ベルゼルグという過酷な環境で誰よりも努力しているキョウヤに追いつけるはずがなかったのだ。

 

 結局自分達は他の冒険者が嘲るように、キョウヤのお荷物にしかなれないのか。

 途方に暮れ、焦燥感に駆られ、何かから逃げるようにエルロードの奥地に進んでいき、やがて何の変哲も無い開拓村に辿り着いた。

 そこで二人は、今までであれば意気揚々とこなしていたであろう、近場の洞窟に住みついたというゴブリンの群れの討伐依頼を受け、そして──。

 

 

 

 

 

 

「赤い髪飾りをつけた銀髪の女がいたわ。悪魔……うん。悪魔だと思う。明確に名乗りはしなかったけど。人間のレベルを下げることで生まれる絶望の悪感情を味わうのが大好きって言ってたクソみたいな女だからほぼ間違いなく悪魔」

 

 クレメアは感情的になることなく、ひたすらに淡々と自身の挫折の経験を語り続けている。

 直接の原因だけでなく、そこに至るまでを話すことはあなたも要求しなかったのだが、そうでもしないと耐えられなかったのかもしれない。

 

「何も出来なかった。あっという間に動けなくされて、目の前に冒険者カードが浮かんでて、嬲るようにじわじわとレベルが下がっていくのを見ることしか出来なくて……」

 

 肺に溜まった重苦しい何かを吐き出すように、大きく息を吐いた。

 

「それでおしまい。レベルが下がっていくことに心が耐えられなくなった私達は無様に失神して、開拓村のすぐそばで倒れているのを見つかり、レベルが1になった事で心がばっきばきに折れて地元に逃げ帰りましたとさ。めでたしめでたし」

 

 つまるところ、二人はキャッチアンドリリースの精神を持った大悪魔に遭遇してしまったのだ。

 それもバニルのような愉快で無害な悪魔ではなく、女神エリスが蛇蝎の如く憎んでいる、対話の余地すら無さそうな邪悪な悪魔に。

 

 惜しむらくは、その素晴らしい女悪魔が今も同じ場所にいるとは微塵も思えないことか。

 あなたは帰ったらバニルに相談してみることにした。同じ悪魔である彼ならきっといい知恵を与えてくれるだろう。

 万が一マクスウェル級だった場合はウィズとベルディアも参戦してもらって囲んで叩く。つまりあなたはすこぶる本気だった。

 

「教えろっていうから言えることは全部言ったわよ。もういいでしょ。なんか感想とかある?」

「…………」

 

 自分の身に起きた話でもないのに、ゆんゆんは死にそうな顔で項垂れていた。

 あなたの感想は運が悪かった、その一言に集約される。

 実際簡単な討伐依頼で高レベル悪魔にエンカウントするなど不運な事故と言う他無い。あるいは同業者から呪いでもかけられていたのか。

 

「それだけで片付けられるのも釈然としないんだけど……呪いとかちょっと冗談になってないし」

 

 どこか意外そうな彼女は、あなたから説教の一つや二つは頂戴するだろうと考えていたようだ。

 

 結果だけを見て二人はキョウヤと離れるべきではなかったと、したり顔でそんな誰にも分かりきった事実を口にするのは簡単だ。

 だが失敗と無縁でいられる者など存在しない。

 優秀な紅魔族であるゆんゆんも、英雄と持て囃されるキョウヤも、リッチーであるウィズも、廃人であるあなたも、見通す悪魔と呼ばれるバニルですらも時にミスをする。

 

 結果としてレベルが1になるという、彼女達からしてみれば致命的な結果に終わってしまったわけだが、それとて五体満足で生きて帰してくれたのだから最悪の結末を迎えたわけではない。

 立ち止まってもいい。倒れてもいい。

 それでも諦めなければ、再起の可能性はいつだって自分の手の中にあるのだから。

 

「……なんか私、ちょっとアンタのこと誤解してたかも」

 

 近い将来、幼馴染と共にあなたに呪詛を吐きまくる運命にある少女が、照れくさそうに笑った。

 

「クレメアさん!!」

 

 ガタン、という木椅子が激しく倒れる音。

 音の方を向けば、意を決した表情のゆんゆんが椅子から立ち上がっており、爛々と真紅に煌く瞳でクレメアを見つめていた。

 

「はい?!」

「もしよかったら、私とパーティーを組みませんか!?」

 

 何の脈絡も無い突然すぎるその言葉に、あなたは果てしなく強い衝撃を受けた。

 大きく目を見開き、あんぐりと口を開ける。

 

 なんということだろう。

 ゆんゆんが、なんとあのゆんゆんが自分からパーティーを組んでほしいと言ったのだ。

 それもあなたやウィズのような慣れ親しんだ相手にではなく、殆ど初対面といっていいクレメアに。

 価値観の違いから、今回の一件では全くといっていいほど意思疎通が図れない今のゆんゆんが、どういう思考の果てにその答えに辿り着いたのかをあなたは読むことができない。

 明らかに勢い任せの発言だったとしても、これは間違いなく一人の少女が成長した証左であり、この上なく喜ばしいことだった。

 どうしてめぐみんとウィズがこの場にいないのだろう。この喜びを分かち合う相手がいないのが心底惜しまれる。

 心から感じ入ったあなたは熱くなった目頭を強く押さえた。

 

「ごめん、それ無理」

 

 ゆんゆん、撃沈。

 がっくりと床に崩れ落ちる少女の姿に、あなたはさっきとは別の意味で目頭が熱くなった。

 あまりの哀れさに見ていられないとあなたはゆんゆんの頭を撫でて慰め始める。

 

「ダメですか……私、嫌われちゃってますか……」

「別に嫌いとかじゃなくてさ、私達じゃレベル差がありすぎるわよ。パーティー組んでも意味無いでしょ。流石に年下の女の子に面倒見てもらうってのはね。それくらいのチンケなプライドはあるの。そっちの人みたいに鍛えてくれるとかでもないみたいだし」

「はい……そうですね……軽率でした……」

「いやまあ、うん。気持ちは嬉しかったから、ほんとほんと。そういう親切な言葉って冒険者の人だとキョウヤからしかかけられたことないし」

 

 それは自業自得なのではないだろうか。

 キョウヤ絡みの二人の評判の悪さを知るあなただったが、空気を読んであえて口にはしなかった。

 

 

 

 

 

 

「というわけでフィオ! いつまでも腐ってないで修行するわよ!!」

「…………もう冒険者はやらないって何回言えば分かるのよ。向いてなかったのよ、そもそも。運良くキョウヤが誘ってくれたから今までやってこれただけで」

 

 突撃! 腐ったドブ川のような目をした幼馴染の家!

 現状をかいつまんで説明すると大体こんな感じになる。

 ゆんゆんはいない。宿に置いてきた。

 八つ当たりした、されたばかりの相手と顔を合わせるのも気まずいだろうし、どうにも神経質で刺々しい所のあるフィオと気弱で控えめなゆんゆんは相性が悪そうだと感じたのだ。

 かくいうあなたも最初は親の仇の如き目で見られていたのだが、クレメアの説明を受けて少しずつ和らぐ……というよりは信じがたいものに変化していく。

 まるで警戒心の強い野生の猫のようだ。マシロと違って可愛げは無いが。

 

「もしかしてなんか企んでるんじゃないの」

「それもう私がやった」

「じゃあ体が目当てだったり……」

「……すると思う? 私達のを? 本当に? 同居してる人とパーティー組んでる子がどっちも()()()()()()のに?」

「…………」

 

 ひそひそと話し合う二人の目線がおもむろに下に降りた。

 

 フィオ、中の下。

 クレメア、下の上。

 

 将来性は、無い。

 

 

 

 およそ一時間弱にもおよぶ話し合いの結果、フィオは渋々クレメアの提案を受け入れることとなる。

 口ではなんやかんや言いつつこれからもキョウヤと一緒にいたいのはフィオも同じであり、藁にも縋りたいといった気分なのだろう。

 たとえそれが頭のおかしいエレメンタルナイトと評判の男であったとしても。

 

 開き直って端からキョウヤに任せるつもりだったクレメアと、これ以上キョウヤの足を引っ張りたくなかったフィオ。

 こればかりはどちらが正しいという問題ではない。

 強いて言うなら潔いのは後者だが、どうせキョウヤは二人を諦めないのでフィオは無駄に説得の手間をかけるだけだ。

 

「まあ、よろしく」

「フィオ共々よろしく。あとさっきからずっと聞きたかったんだけど、なんでメガネかけてるの?」

 

 至極もっともな問いを投げかけてきたクレメアに、あなたはお構いなくと返す。

 その視界には二人のとある数値が映し出されていた。

 

 

 

 正【気丈】【現実的】【方向感覚】【一途】

 負【臆病】【華奢】【悲観的】【感情的】

 ――フィオの勇者適性値は-48です。

 

 正【楽観的】【元気印】【健康的】【泳ぎ得意】

 負【不真面目】【浅はか】【世間知らず】【無鉄砲】

 ――クレメアの勇者適性値は-15です。

 

 

 

 ふと気になったので四次元ポケットに入れておいた勇者適性値を計る魔道具を使ってみたのだが、人物特性モードのまま放置していたせいで、余計な情報まで見えてしまっていた。

 こんなものが見えてしまっては当人と接する時に妙なバイアスがかかりかねないので自重すべきだとあなたは考えていたのだが、やってしまったのでは仕方ない。

 

 ──ゴミクズレベルだね!

 

 妹に上記の情報を話せば、こんな答えが返ってきた。

 

 あなたはこの数値がどうやって算出されているか理解していない。

 だが勇者適性値というからには、同じ正の特性でも勇敢や自己犠牲といった勇者に相応しいものが大きく数値を伸ばし、負はその逆だと考えた。

 そうするとあなたから見て恐らく足を大きく引っ張っている項目はフィオは臆病と悲観的、クレメアは不真面目だ。ここら辺を矯正すればだいぶ冒険者としてマシになるはずだ。

 

 ──でもまあ普通かな。びっくりするほど普通。まあこんなもんだよねって感じ。

 

 まったくだと妹の感想にあなたは心中で同意する。

 悪い意味で、という枕詞は付いてしまうものの、二人はいたって普通だ。普通のダメ人間だ。

 

 平々凡々な生まれであり、煌く才能を持たないのに怠け者と呼ばれない程度に不真面目で、悪人ではないが程々に性格が悪く、平民の常として満足な学を修める機会すら得られず、人生一発逆転の玉の輿を夢見て家業を投げ出し冒険者になり、冒険者になってからも楽をすることばかり覚えてきた。

 

 とまあ確かにダメ人間ではあるものの、どうしようもないクズではない。

 多少性格が悪くとも犯罪者ではない程度に善良だし、必要とあらば言われた事はちゃんとやるし、好きな男の仲間を続けたいが為に頑張れる気概、これ以上好きな男の子に迷惑をかけたくないと思えるだけの気概は持ち合わせている。

 総じてあなたが下す冒険者としての評価は下の上から中の下。奇しくも二人のバストサイズと同様である。

 

 

 

 

 

 

 翌日、二人はレーヌを発った。

 行き先は駆け出し冒険者の街、アクセル。

 紆余曲折や厳しい挫折を経て、今度こそ取り巻きやお荷物ではなく、立派な冒険者として、胸を張ってキョウヤの隣に立つために。家族や故郷の人間についた嘘を本当にするために。

 

「フィオさんとクレメアさん、上手くいくといいですよね」

 

 場所はレーヌ湖の辺にある、雄大な湖を一望できるベンチ。

 あなたの隣に座るゆんゆんが、美しい自然の風景を眺めながらぽつりと呟いた。

 

 どこまでもお人よしな少女に、大丈夫だろうとあなたは笑う。

 二人がレーヌを発つ直前、あなたは一つの手紙を二人に渡していた。

 

 あて先はベルディア。

 手紙の中には、ゆんゆんの次に短期間だが二人の面倒を見ることになったこと、二人は養殖を使わず死なない程度に促成栽培(デスマーチ)を行う予定なので、もし暇で暇で仕方がなかったら、自分が戻るまで軽く体力作りでもさせておいてほしいと記されていた。

 

 

 

 

 

 なお、この手紙を受け取ったベルディアは、かつて半数の脱落者を出したあなたの駆け出し冒険者への指導、そして日々自分を襲う人間性ガン無視のデスマーチを思い出して顔を真っ青にし、キョウヤの為、そしてベルディアの過去の仲間を思い出させた出来の悪い少女達の為、彼なりに精一杯二人の面倒を見てあげることになる。

 その甲斐あってかベルディアがゲイのサディスト扱いされることはなくなり、さらにその後、鬼畜サイコ野郎と二人が呼ぶことになるあなたの被害者の会を結成してそれなりに意気投合することになるのだが……。

 

 夢と希望に溢れた小さな一歩を踏み出した二人の冒険者。

 彼女達は自らの身に待ち受けている、あなたによってもたらされる過酷な運命を知らない。

 

 今は、まだ。




 オマケとして作者が独断と偏見で設定したこのSS内における人物特性および勇者適正値を置いときます。
 82話で主人公とベルディアとキョウヤがやったアレです。82話時点で他キャラのも作ったはいいけど放出するタイミングが無かったのでお蔵入りしたままでした。
 人物特性と勇者適正値の元ネタであるヴァルキリープロファイルに忠実に即するなら神族=アクア様とエリス様に人物特性はありませんが、このSSでは見えるとかそんな感じです。じゃないとウォルバク様一発で身バレなんで。


 あなた:勇者適正値-200
 正【命知らず】【敏捷】【楽観的】
 負【冷徹】【残虐】【自分勝手】【エゴイスト】【無法者】

 ベルディア:勇者適正値143
 正【勇敢】【命知らず】【力自慢】【ド根性】【自己犠牲】
 負【感情的】【女好き】【不運】

 キョウヤ:勇者適正値111
 正【真面目】【勇敢】【美形】【モラリスト】【情け深い】
 負【鈍感】【ナルシスト】【不運】

 ウィズ(リッチー):勇者適正値180
 正【美人】【自己犠牲】【真面目】【献身的】【協調的】【一途】
 負【ロマンチスト】【渇望】

 ウィズ(現役時代):勇者適正値172
 正【美人】【自己犠牲】【真面目】【理知的】【勇敢】
 負【冷徹】【鈍感】【頑固】

 ゆんゆん:勇者適正値94
 正【真面目】【献身的】【モラリスト】【敏捷】【勇敢】
 負【心配性】【ひかえめ】【不運】

 カズマ:勇者適正値35
 正【慎重派】【敏捷】【饒舌】【注意深い】【現実的】
 負【不真面目】【根性なし】【気が多い】

 めぐみん:勇者適正値8
 正【気丈】【かわいげ】【家族想い】
 負【無鉄砲】【プライド高い】【華奢】【頑固】【感情的】

 ダクネス:勇者適正値118
 正【勇敢】【自己犠牲】【父想い】【健康的】【ド根性】【命知らず】
 負【世間知らず】【渇望】

 アクア:勇者適正値40
 正【美人】【楽観的】【元気印】【母性】
 負【不運】【感情的】【浅はか】【無鉄砲】

 エリス(クリス):勇者適正値125
 正【美人】【真面目】【敏捷】【情け深い】【博愛】【気品】
 負【華奢】【冷徹】


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第111話 巡り廻る

 旅は続く。

 

 ある時は小さな村を脅かすモンスターを退治して感謝されたり。

 ある時は近場の小規模ダンジョンの中で見つかる鉱石と薬草の採掘を依頼されたり。

 またある時は森に迷い込んだ子供の捜索を手伝ったりもした。

 

 大きな成功も大きな失敗もなければ、船旅やレーヌの時のような出会いや事件も起きない、観光旅行と言っても誰も否定しないであろう、とても穏やかで平和な旅路。

 人によっては少しばかり退屈を感じさせなくもないそれは、しかしゆんゆんにとっては全く違う意味合いを持っていた。

 

 小さな村落で生まれ育った少女が初めて経験する、海の向こうの知らない世界。

 見聞きするもの、体験するもの全てが彼女にとっては新鮮で、得難くて、どうしようもなく尊いものだった。

 何よりも、今の彼女にはどれだけ願っても得られなかったものがある。

 あなたという、いつも自分の隣にいて、感動や喜びを共にしてくれる友達のことだ。

 

 次の場所ではどんなものが自分を待っているのか。何が起きるのか。友達と一緒に、どんなものを見ることができるのか。どんな経験ができるのか。

 期待と興奮に目を輝かせて全身で旅を楽しむ少女の姿は、ここにいないウィズが見れば羨望を抱かせ、あなたに若干の懐古を抱かせるものだった。

 

 これは、そんなあなた達の旅路の中、いよいよ帝都トリフに辿り着く時が迫ってきた日の話である。

 

 

 

 ■

 

 

 

 抜けるような青空の下、光を纏った短剣と大太刀がぶつかり合う。

 瞬きの間に三度の激突を経て、小さな火花を散らす二つの武器は、甲高い金属音を奏でた。

 

「知ってました、けど……ほんと……強い、ですよね……っ!!」

 

 強い力が篭められたゆんゆんの両腕と短剣の切っ先が小さく震えているのに対し、あなたが無造作に盾にした大太刀は微動だにしない。

 あなたは片手しか使っていない上に手加減しているが、それでもなお大きな膂力の開きがあることの証左だ。

 返答代わりに力を篭めれば、最初から負けが決まっている力比べを嫌ったアークウィザードの少女は、弾けるような勢いで真後ろに大きく飛び退いた。

 

「ライトニング!!」

 

 着地の隙を狩ろうと一歩踏み出したあなたの頭に向けて放たれる、一条の雷光。

 たとえ無視して突破してもあなたに痛打を与えるには至らないが、それでは今回の訓練の趣旨に沿わない。

 ゆえにあなたは無視ではなく迎撃を選択する。

 雷属性付与(エンチャント・サンダー)を発動。

 牽制目的で放たれた、しかしゆんゆんと同格の相手には間違いなく通用するであろう魔法を、雷を纏わせた刃の切っ先に当てれば、二つの雷撃は音も無く霧散した。力量が拮抗した魔法使いの戦いでごくごく稀に発生することが知られている、同一威力の魔法がかちあった時に起きる相殺現象である。

 あなたにウィズのような目を疑いたくなる相殺合戦は逆立ちしたって不可能だ。幾ら廃人でも出来ることと出来ないことがある。今のも魔法を逸らそうとして発生した、偶然の産物に過ぎない。

 しかしゆんゆんはそうは思わなかったようだ。

 

「あの! ちょっと本気で聞きたいんですけど! 今のそれって本当にレベル40の人がやれるんですか!? とりあえず私には絶対に不可能ですよ!!」

 

 抗議の声を無視するように無言で平原を縦横無尽に疾駆する黒い影、もといゆんゆんに追いすがる。

 当然本気は出していない。今のあなたは手加減をしている。具体的にはゆんゆんが言ったように、レベル40くらいまで。

 能力を低下、あるいは固定する呪いの装備でもあればよかったのだが、生憎とそんな都合のいい品は持ち合わせていないため、この世界のレベル40ならこれくらいやれるだろうと、あなたが今までの経験から判断した手加減具合になっている。

 禁止事項は攻撃魔法。頭部はいつぞやお世話になったショッキングピンクのラメ入りバケツで覆われており、視界は完全に閉ざされていた。先ほどのゆんゆんの抗議の原因の一つでもある。

 

 剣を振るいながらあなたは言う。

 勝ち目があることはゆんゆんにも理解できているはずだと。

 たとえ蜘蛛の糸のようにか細い可能性でも、ゆんゆんには勝ち目があるのだ。

 彼女もまた戦うにあたって縛りを設けているが、その条件でも死力を尽くせばギリギリで勝てるかもしれない。そういう難易度設定にしている。

 

「確かに言ってることは分かりますけど! どうしようもないとか手も足も出ないって手ごたえじゃないですけど! でも限りなくそれに近いものは感じてますからね!?」

 

 確かに今のゆんゆんを圧倒するレベル40など、尋常の手合いではない。

 それでもあなたは確かにこの世界のレベル40の戦闘力で戦っていた。

 

 自己強化魔法を使ったレベル40台のアークウィザードを圧倒できる白兵戦能力を持ち、紅魔族の中級魔法を容易く相殺する魔力と見切りを持ち、目隠しでも普通に戦えるほど気配探知と技量に長けたレベル40である。

 列挙してみればわかるだろうが、それぞれをこなせる人物はベルゼルグの王都に存在する。確かにゆんゆんは非常に優秀だが、それでも彼女はまだまだレベル40ちょっとのアークウィザードでしかないのだから。

 あなたが立ち、ゆんゆんが目指す場所は未だ遥か遠く険しい道の果てにある。

 ただこれら全てを兼ね備えた個人がベルゼルグにいるのかと問われれば、あなたはそっと目を逸らすしかない。まさしく今この瞬間、そうしているように。

 

 レベル詐欺と言ってしまえばそれまでだが、今のあなたはステータスだけならレベル40の頂点、人類の到達点、ハイエンドバケツマンなのだ。

 

 

 

 

 

 

 あなたからしてみれば当然の、しかしゆんゆんからしてみれば非常に性質の悪い話だが、どれだけ頭の悪い事を考えながら戦っていたとしても、あなたの実力が陰る事は一切ない。

 そしてただでさえ耐久力に乏しい魔法使いの少女にとって、その一挙手一投足は等しく致命に足るものであり、一瞬でも気を抜けば、即死級の攻撃が飛んでくる。

 

(確かに希望したのは私だけど! 旅の途中だけど修行をつけてください厳しくお願いしますビシビシやってくださいって頼んだのは私の方だけど! それはそれとしてきつい! ほんとに死にそう!!)

 

 今までどれほどあなたが優しかったのか、ゆんゆんは今になってようやく理解した。

 それにしたってどうして自分は魔法使いなのに白兵戦なんかに手を染めているのだろうと、本当に今更な弱音を心中で吐きながら、それでもアークウィザードの少女はバケツマン(あなた)に絶望的な戦いを挑む。

 

 先ほど自分で口にしたように、限りなくゼロに近い、しかし確かに存在する勝機を感じながら。

 

 

 

 ■

 

 

 

「…………まあ勝ち目があるからって実際に勝てるかどうかは別の話なんですけどね!!」

 

 草花のベッドに仰向けになり、あなたに組み伏せられ、のしかかられたゆんゆんがやけっぱちに叫んだ。

 いわゆるマウントポジションである。

 年若い少女を組み伏せるバケツマンの姿は完全に変質者で犯罪者のそれだが、こんなこともあろうかと街道から離れた場所を選んでいる。あなたを止める者はいない。

 ゆんゆんの頬がほんのりと朱に染まっているのは激しい運動をしたせいか、あるいは羞恥からか。

 

「……参考までに聞きたいんですけど、あなたから見て私の勝率ってどれくらいありました?」

 

 あなたは1%だと即答した。

 普通にやれば百回やって一回勝てるかどうかだと。

 本人が上級魔法のような殺傷力の高い魔法をあなたに向けることを嫌っているので、それがなければもう少し勝率は上がるだろう。

 

「ですよねー……私もそれくらいだって思いました」

 

 でも結構いい感じだったのになあ、と嘆息するゆんゆんの今日の敗因は集中力の欠如。

 彼女の名誉のために記述しておくが、ゆんゆんは即落ち2コマのような勢いであっさりと負けたわけではない。むしろ相当に善戦したと言える。

 ただなまじ善戦していたせいで勝利を意識してしまったのか、集中力が切れて動きがワンパターンになったところを一気に押し込まれて崩れた形になる。ちなみに一度もみねうちは食らわなかった。

 これが場数を踏んだベテランであれば、多少気を散らしていても十分なパフォーマンスを発揮できるのだが、ゆんゆんはそこまでの経験を積んでいない。

 彼女は本当に追い詰められた時、後が無い時は逆に覚悟が決まって真価を発揮するタイプだ。しかし精神的に余裕がある状況でプレッシャーを感じると、目に見えてパフォーマンスが落ちる。

 これはチョロいとか甘いといった人間性とは別の、彼女の明確な弱点と言えるだろう。解決方法は場数を踏んでいくしかない。

 一朝一夕でいくようなものではないのだから、勝てなかったことも含め、気に病まないようにと言い含めておく。

 

「はぁーい……」

 

 解放され立ち上がったゆんゆんに、よく頑張ったと褒め、ぽんぽんと頭を軽く撫でて髪についた草を払ってやる。

 おとなしく頭を撫でられるゆんゆんは、褒められて嬉しそうな、しかし相手がバケツマンなので何と言えばいいのか分からないような、なんとも微妙な表情を浮かべていた。

 

「ってうわあ、草まみれになってる……」

 

 全身についた雑草を落とすゆんゆんの手が、みるみるうちに緑色に染まっていく。

 それに気付いた彼女は自分の匂いを嗅ぎ、あまりの青臭さにがっくりと肩を落として嘆息した。

 

 彼女の直接の敗因、それはあなたが刈った雑草で足が滑って倒れこんだことである。

 そのせいで背中といわず、全身に草の汁がついてしまったようだ。

 

 バケツを脱いで鼻で息をしてみれば、あたり一帯に散りばめられた、刈られた草が放ち、夏の熱気と交じり合って生まれる特有の強い草の匂いがあなたの鼻を突いた。

 夏の風物詩ともいえるそれに感じ入ったあなたは、無造作に神器を横に振るう。

 

 瞬間、あなたを中心として、扇状に10メートルほどの距離にある雑草が音も無く断ち切られる。

 釣られるように吹いた強い風が、ざあっという音と共に空の青に緑色のアクセントを添えた。

 

 廃人の技量が生み出した光景ではなく、神器の力だ。

 斬鉄剣と交換という形で冬将軍から譲り受け、普段使っているこの神器は、どういうわけか()()()()という行為に非常に高い適性を持っていた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ひとしきり体を動かしたあなた達は、ゆんゆんの希望で川にやってきていた。汚れて臭くなった服を洗濯したいらしい。

 今日はこの近辺で野宿すると決めていたこともあり、ゆんゆんはテントの中で着替えを終えている。

 

 川といってもアクセルの街中に流れているような、小さなものではない。

 あなたの目測では対岸までおよそ100メートル。

 今日のように流れが穏やかでなければ、橋無しで対岸まで渡るのは困難だろう。

 

 竜の河(ドラゴンズ・リバー)と名付けられているそれは、ともすれば安直と取られかねない名が示すように大陸北端の竜の谷のどこかを水源とした世界最大級の河川であり、本流は大陸を縦断するような形で大陸南端、つまり海まで続いている。

 本流だけではなく数多くの大きな支流を持っており、あなた達が今いる場所もそのうちの一つだ。

 

 トリフの歴史は竜の河の治水の歴史。

 時にそう称されるほど、この大河と国の関係は深い。

 

「ふんふんふーん」

 

 ご機嫌な様子で鼻歌を歌って洗濯に勤しむ少女を労う目的もあり、あなたは料理を行っていた。

 青空の下、綺麗な風景を眺めながら食べる料理は格別の味わいがあることだろう。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 やがて洗濯を終えて戻ってくるゆんゆん。

 ちょうどこちらも終わったところだと、あなたは出来上がったそれを披露した。

 

「……はい?」

 

 ぱちくりと目を瞬かせるゆんゆん。

 あなたが作ったのは夏みかん、ぶどう、さくらんぼ、桃などの新鮮な季節の果物をふんだんに使用した特製パフェだ。夏の暑さを考慮して、グラスの下部にはシャーベットも入っている。

 特にワインの名産地であるレーヌで仕入れたぶどうは、まさしく珠玉と呼ぶに相応しい出来栄えだった。

 

「ありがとう、ございます」

 

 促されるままに容器とスプーンを受け取ったかと思うと、ゆんゆんの視線がパフェと調理器具を交互に行き来する。

 今はもう火を落としているが、先ほどまで夏の暑さに負けない熱気を放っていたバーベキューセット。

 これはあなたがイルヴァから持ち込んだ品の一つだが、この世界でも見かける普通の調理器具だ。何か気になるところがあるのだろうか。

 

「いや、気になるというか……私のいたところまで熱とか何かが焼ける音とかが届いてたので……ちょっと早い晩御飯の準備をしてるのかなって……」

 

 時刻は三時といったところだ。

 ゆんゆんの希望で今日はここをキャンプ地として修行する予定になっているが、それでも夕飯には早すぎる。

 

「あっ、私わかりました! 氷魔法を使ったんですよね? そうですよね? もー、びっくりしたじゃないですか」

 

 いきなり何を言い出すのかとあなたは笑った。当然そんなものを使っているわけがない。

 中にはそういう者がいるということは知っているが、あなたは料理に魔法を用いたりしない。

 このパフェもバーベキューセットを使って普通に作っただけだ。

 

「……も、もう一回! もう一回作ってください! 今度はずっと横で見てますから!」

 

 必死である。まるで信じたくない現実に直面したかのように必死である。

 激しい運動をしておなかが空いたせいで、頭が回っていないのかもしれない。

 おかわりが欲しかったら後で幾らでも作るので、シャーベットが溶ける前に食べてしまおうと、あなたは川辺に腰を下ろした。

 

「納得いかない……色々と凄いのは見てきたし知ってるけど、それはそれとして激しく納得いかない……どういう仕組みなんだろう……っていうか本当に食べても平気なのかな……」

 

 隣に座ったゆんゆんがぶつぶつと何かを呟いていたが、あまりにも小さなそれはあなたの耳には届かなかった。

 

 まあいいかとスプーンを口に運び、あなたはその味に満足感を抱く。

 良質の素材と廃人の技量で作られたパフェ。その出来栄えは言うまでも無く最高だ。

 具体的には癒しの女神から掛け値なしのお褒めの言葉、そしておかわりの要求が三回ほど頂けるだろう。

 

「うっわっ、何これうまっ、甘っ、すご、すっぱ、おいひっ……!!」

 

 恐る恐るパフェを口にした後、目の色を変えて黙々とスプーンを口に運び続ける紅魔族の少女。物の見事に語彙が死んでいる。ついでに女子力も。

 気に入ってくれたようなので、また作ってあげるとしよう。

 

 微笑ましい心地に浸りながら、あなたは空を見上げた。

 季節は既に真夏に差し掛かっている。肌を焼く強い日差しが目にまぶしい。

 

 ばしゃりという音に釣られるように、今度は川の流れに目を向ける。

 この流れをずっと遡った先は、あなた達の目的地である竜の谷に続いている。

 とはいえ、流石にここからではどれだけ目を凝らしたとしても、竜の谷の影すら見えない。

 旅の道のりはまだ半分以上残っている。楽しみはきっと、それ以上に。

 

 きらきらと光る水面を眺めていれば、跳ねる魚が自己主張し、あなたの目を楽しませた。

 どんぶらこ、どんぶらこ、と遠くから流れてくるそれもまた同様に。

 

「何を見てるんですか?」

 

 ゆんゆんの問いかけに、あなたは指を差すことで答えた。

 

 川幅の中ほどを流れているのは、流木に掴まっている人間だ。

 いや、空色の髪をしているそれは恐らくエルフだろう。

 よくよく観察してみれば、髪から覗かせる耳がかなり長い。

 

「…………!?」

 

 流れてくるエルフをそのまま見送るという選択肢はゆんゆんには無いだろう。

 あなたは見知らぬエルフを助ける理由を持たないが、同時に見捨てる理由も持たない。

 

 それはいいのだが、あなたはあのエルフから生気を感じ取ることができなかった。

 あなたの見立てでは恐らくエルフの命は既に尽きている。それでもゆんゆんは引き上げるつもりなのだろうか。あまり愉快ではないものを見る可能性が高いが。

 

「当たり前です!」

 

 ならばよしと、川に飛び込もうとするゆんゆんの腕を掴んで引き止め、靴と財布など、幾つかの重石になるものを脱ぎ捨てたあなたは川の流れに飛び込んだ。

 最初は釣竿を使って引き寄せようかと思ったのだが、流石にゆんゆんの前でそれはちょっと駄目だろうと、この世界で培ってきた良識がブレーキをかけたのだ。あなたに根気良く付き合ってきたウィズの垂訓の賜物である。

 

 あなたが近づいてもエルフは反応を示さなかった。

 その顔は長い髪で覆い隠されており、少しも窺うことができない。やはり死んでいるのではないだろうか。

 

 もっと近づいたところで、あなたはエルフの背中が血で染まっていることに気が付いた。

 返り血ならよかったのだが、切り刻まれた服の下には、胴体を横切るような軌跡を描いた三本の傷が刻まれている。

 下半身がくっ付いているのか疑うほどに傷は大きく、そして深い。

 

 これは駄目だ。

 今まで無数の死体を見てきた経験が、瞬時に冷徹な判断を下す。

 

 冷めた気持ちでエルフを腕に抱えれば、氷のような冷たさ、そして脱力した人体特有の重さが腕に嫌な感触を返してきた。

 流れる血液を失ってもなお重さを失っていないように感じるそれは、あなたを水底に沈めようとしているかのようだ。もしかしたら実際にアンデッドになりかけているのかもしれない。

 泳ぎが特別達者というわけでもないゆんゆんでは、川の底に引きずり込まれていた可能性が高い。

 

 なんとも厄介なことだと呆れながらも、体を放してしまわないように強くエルフを抱いて岸に向かうあなたは、ここでようやくエルフの性別を知ることになる。

 

 エルフは、女性だった。

 

 

 

 岸辺にエルフを引き上げると、背中の傷を見て絶句するゆんゆんの姿があった。

 廃人を目指すのであれば、この先死体など腐るほど見るであろう少女に、しかしあなたは何も言わず、エルフの脈を取って呼吸を確かめる。

 

「どう、ですか……?」

 

 青い顔の少女に向け、あなたは首を横に振った。

 

「っ、そう、ですか……」

 

 なんとなく分かってはいたのだろう。それでもゆんゆんは俯いてしまった。

 可愛がっている少女を目に見えて消沈させたエルフに、あなたは不愉快な感情を抱く。

 冒険者を続けていくなら人の死との遭遇は避けられることではないし、ゆんゆんがいつか人の死に慣れるのは確定事項だが、それにしたって折角の楽しい旅が台無しである。

 

 死体を辱める趣味は無いが、せめて顔の一つでも拝んでやらないと気がすまない。

 こうして死体を引き上げられた運のいい女は、いったいどこの何者だったのか。

 

 あなたはうつ伏せだったエルフを仰向けにし、顔を覆い隠す空色の髪をかき上げ、そして────

 

 

 

 ■

 

 

 

 ぴくり、と。

 エルフの指が、動いた。

 

「ぅ……」

「……え?」

「う、ぅ……」

「!?!?」

 

 驚愕に目を見開くゆんゆん。

 それもそのはず。

 重傷を負い、誰がどこからどう見ても死んでいたはずのエルフが、息を吹き返し、声を発したのだ。

 

 まさかアンデッドと化したのか。それとも最初からアンデッドだったのか。

 恐る恐るゆんゆんが心臓に手を当ててみれば、微かに、本当に微かにだが、エルフは鼓動を発していた。

 

 彼女は、生きている。

 

「い……生きてます! この人まだ生きてますよ!!」

 

 目尻に喜びの涙を浮かべ、背中の傷にポーションを使い、蘇生処置を行いながら必死に声をかけ続ける心優しい紅魔族の少女。

 

 そんなゆんゆんは、あなたの心境に全く気付いていなかった。

 共に蘇生処置を行うあなたが今、内心で頭を抱えていることにこれっぽちも気が付いていなかった。

 

 そして、ポーションを使う前から綺麗さっぱり消えていた、背中の致命傷のことにも。

 

 

 

 ■

 

 

 

 やばい。やらかした。

 現在のあなたの心境を簡潔に言葉にするとこうなる。

 

 ──仮にも冒険者やってるくせに死体の判別もできないとか、ちょっとどうなのって私は思うよ。

 

 呆れが多分に含まれた妹の言葉が聞こえる。

 しかし彼女が言葉を向けた相手はあなたではなく、ゆんゆんだ。

 

 ──まあ私はいいんだけどね。お兄ちゃんが決めたことだし。でもお兄ちゃんは本当にそれで良かったの? 癒しの手(回復魔法)はともかくとして、そっちは()()()()()()()()()()()でしょ? 

 

 あなたは苦笑いをもって答えた。

 良いか悪いかで言えば、あまり良くない。

 だがあなたの行動は反射だった。

 彼女の顔を見た瞬間、あなたは()()()()()と回復魔法を使っていたのだ。

 死んでからそれほど長い時間が経っていなかったのだろう。蘇生できたのは僥倖と言う他無い。というか魔法の効果があったことにあなたは少なからず驚きを覚えていた。

 

 ──でもなんだね、あっちもそうだったけど、こっちもほんとに似てるんだね。

 

 同意するように大きく息を吐き、あなたは遠い過去を想起する。

 

 かつて嵐の海に投げ出されて遭難したあなたを救助したのは、エレアという、こちらでいうエルフに酷似した特徴を持つ二人の男女だった。

 

 そのうちの一人、緑髪のエレアと酷似したエルフの青年と、あなたはこの世界で会ったことがある。彼もまた一癖も二癖もある性格をしていた。

 青年には尋ねなかったが、もう一人。青髪のエレアの少女と似た人物もまた同じように、この世界のどこかにいるのではないだろうか、あなたはそう思っていた。

 思ってはいたが、まさかこんなところで、それも死体となった状態で出会うとは全くの予想外である。驚きすぎてつい蘇生してしまったほどだ。

 

 このエルフが彼女本人であるはずがないのに。

 

 ──まあ、あの二人組がすくつに潜ってるなんて聞いたことないしね。潜っててもお兄ちゃん達に追いつけるわけないし。私達がこっちに来るちょっと前はエウダーナの方で色々やってたって新聞で読んだけど、今はどうしてるんだろ。

 

 あなたが最後に二人と顔を合わせたのは、今からおよそ十年ほど前のことだ。

 誰よりも優しく、美しく、気高い少女だった。

 きっと彼女は、今日もイルヴァのどこかで、誰かのために戦っているのだろう。緑色の髪を持つ、皮肉屋のエレアと共に。

 

 

 

 

「しっかりしてください! 大丈夫ですか!? 今助けますからね!!」

 

 ゆんゆんの呼び声があなたの逃避を強制的に打ち切った。

 分かっている。あなたはちょっと真面目なことを考えて現実から目を逸らしたかっただけなのだ。

 自分の早まった行いと、あとついでに先ほどから視界の端にちらちらと映っている、恐らくは天界からクリスを介さずに降りてきているのであろう、半透明な女神エリスの、非常に何かを言いたそうな視線から。




 夕闇が足元に迫った黄昏時。
 ふと、懐かしい声が聞こえた気がした。

「──?」

 空色の髪が印象的な少女が足を止めて後ろを振り返ってみても、そこには誰もいない。
 自分達が歩んできた道だけが、どこまでも続いている。

「ラーネイレ、どうかしたのか?」

 唐突に立ち止まった少女に、大きな弓を背負った緑髪の青年が声をかけた。

「ごめんなさい、なんでもないわ。誰かに名前を呼ばれた気がしたのだけど……私の気のせいだったみたい」

 何を思ったのか、青年がニヤリ、と笑う。

「ふむ、確かに君の名を呼ぶ者は世界中に幾らでもいるだろう。風を聴く者の異名を持つ、世界的に有名な冒険者。何よりそれは、ヴィンデールの森を焼いた不届き者を自身の命を捨てて救った、偉大で、勇敢で、どうしようもなく悲劇的な結末を迎えたエレアの少女の名前だ」
「もうロミアス、そういう言い方は止めて。それに貴方の言う悲劇的な結末なんて起きなかったわ」
「正しくは悲劇は起きたがそれは本当の終わりではなかった、だな」
「同じようなものよ。あれは私達を元に書かれた物語の中だけの結末なのだから」

 肩をすくめる青年は一冊の古ぼけた本を取り出した。
 表紙には『Eternal League of Nefia』という題名が書かれている。

「分かっているさ。悲劇を何よりも愛する物語と違い、この世界は君のように諦めの悪い者を決して見捨てはしない。なんともありがたいことだ。そのおかげで私達はあれから長い時間が経った今も、こうして忙しい日々を送る羽目になっているわけだが」

 皮肉げに笑って本を納め、再び歩き始めた青年を少女は追う。
 世界の行く末を示すような黄昏に照らされながら、それでもなお力強い足取りで。


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第112話 re:birth

 リザレクション。

 死者を蘇らせるという、万人が望んでやまない願いを叶える、奇跡のような魔法だ。

 だが夢のような効果とは裏腹に、これは決して万能の救済となるようなものではない。

 

 リザレクションには限界が存在する。

 死者が血液を失いすぎていたり、頭部を失っていたり、頭部が無事でも他の部位の損傷が激しすぎたり、そもそも跡形も無く消滅していた場合、死者の蘇生は叶わない。

 さらに蘇生の機会も一度だけ、習得者も高位のアークプリーストのみと、命の重さを知らしめるかのごとき敷居の高さを誇る。

 そんな魔法を宴会芸の片手間に使う女神アクアは、正真正銘、世界最高のアークプリーストなのだ。

 

 対して、あなたが行使する復活の魔法にリザレクションが持つ制約は殆ど存在しない。

 干からびていようと、ミンチになっていようと、果ては塵一つ残さず消滅していようとも。

 対象が生き返る意思さえ持っていれば、即座に死ぬ前の状態に復元し、現世に呼び戻すことが可能。

 蘇生できないのは時間が経ちすぎている場合だけ。

 

 これだけならイルヴァでも有数の強力な魔法と言えるのだが、かつて願いの女神が業務過多を理由に、関係者各所にクレームをぶちこんだせいで魔法書が発禁を食らった願いの魔法と同じように、復活の魔法には安定供給の手段が存在しない。条件を満たせば習得可能なリザレクションに明確に劣る点だ。

 まあイルヴァの住人はそんなものが無くても好きなだけ這い上がれる。何も問題は無い。

 

 今回の問題は、分水嶺を越えた死体を、あなたが勝手に蘇生してしまったことにある。

 少なくとも、エルフを生き返らせた時のあなたはそう認識していた。

 

 

 

 

 

 

 エルフを保護したあなた達は、意識を取り戻さない彼女を連れて一つ前の町に戻ってきていた。

 緊急事態ということで、それまでは使用を禁じていたテレポートを使わざるを得なかった。新しい街や村に着いた時、順繰りに上書きしていくという形で登録だけしていたのが功を奏した形になる。

 

 そんな宿屋の一室。清潔なベッドの上で静かな寝息を発する青髪のエルフ。

 誰もが見惚れずにはいられないであろう、美しい少女だった。同時にそれは、あなたがよく知っている顔でもある。

 

 たとえ彼女が青髪のエレア──ラーネイレとは別人だとしても、あの時とは互いの境遇が逆になっていることがどこかおかしく、あなたは困ったように小さく笑った。

 

 窓の外から夕日が差し込む今現在、この場にゆんゆんの姿はない。ずたぼろになった衣服の代わりなど、エルフの看病に必要なものを買出しに出かけたばかりだ。

 

 ゆんゆんは最初、どうせならと拠点であるアクセルへの帰還を提案した。当然だろう。誰だって普通はそうする。

 しかしあなたはそれを却下した。自分達がエルフの正体を知らない以上、エルフの目が覚めた時に何が起きるか分からない、と主張して。

 真剣な表情でエルフの潜在的な危険性を訴えるあなたにゆんゆんはしぶしぶながら了承したが、あなたも嘘は言っていない。エルフが魔王軍の関係者でなくとも、危険な人物である可能性もゼロではないのだから。

 

『…………そろそろ、よろしいですか?』

 

 ただ、正直な話をさせてもらうのなら。

 あなたは半透明の姿のまま、何を言うでもなくあなた達についてきて(テレポートにまで同行してきた)、今もじっとあなたを見つめている女神エリスをウィズやベルディア、バニルに会わせることを嫌ったのだ。

 今の彼女はクリスという地上で活動するための体ではない。あなたは彼女が天界から直接意識を送ってきていると予想していた。身バレの危険性は可能な限り摘んでおきたい。

 

 ともあれ、こうして事態がひと段落ついた以上、いつまでもだんまりというわけにはいかない。お互いに。

 覚悟を決めたあなたは、丸椅子に座った体をそのまま女神エリスに向けることで問いかけの答えとした。

 

 

 

 

 

 

 女神エリス直々の神託ともいえるそれは、非常に短い言葉から始まった。

 

『困ります』

 

 ため息交じりの、端的かつ率直に過ぎる一言。

 それだけあなたの突発的な行動が女神エリスを困らせてしまったのだろう。怒らせるよりずっとマシだと思うしかない。

 

『あなたは天界規定……には抵触していませんが、ある意味それ以上のことをやりました。罪ではないのですが、こういうことをされるのは非常に困ります』

 

 わざわざ精神体を降ろして、しかもあなたにだけ見えるようにしてまで抗議を送ってくる理由を、あなたはなんとなくだが予想していた。

 それが当たっていた場合、なるほど、自身の領分を土足で侵された女神エリスからしてみれば文句の一つも言いたくなるというものだろう。

 だがそれはそれとして、具体的な説明が欲しいとあなたは答えた。

 

『今回のあなたの行動に対して、あなたにとってあまり都合がよくない話と、あなたにとって多分都合が悪い話と、あなたにとって確実に都合が悪い話を持ってきました。どれから聞きたいですか? ちなみに聞きたくないという意見は女神権限で却下しますのであしからず』

 

 あまりよくない。多分悪い。確実に悪い。絶望的な三択である。

 こういう場合、普通はいい話、悪い話、凄く悪い話となるものだ。

 そこを女神エリスはわざわざあなたにとって、と三度も連呼してきた。早くも嫌な予感しかしない。

 頬を引きつらせるあなたは、あまり都合がよくない話から聞くことにした。

 

『これは本題、つまりあなたが行使した蘇生魔法についての警告ですね。とはいえ今回の件に関して私達、つまり神々からのお咎め、罰則、監視といったものは一切ありませんので、そこは安心してくださって結構です。警告というよりは厳重注意が近いかもしれません』

 

 あなたにはリザレクションでは決して救えなかった命を救ったという自覚があった。それはこの世界にとってよくないことだろうとも。

 人助けだから神様も見逃してくれた。そんなことを考えるほど頭にお花畑はできていない。

 警告で済んだ理由を尋ねてみることにした。

 

『彼女にとって、これが初めての死だからです。先ほども言いましたが、今回の件、蘇生行為そのものは天界規定に抵触していないんですよ。あなたはリザレクションを超越した蘇生魔法を使いましたが、リザレクションはあくまでも人が生み出した魔法であり、その効力までは私達の関与するところではありませんから。リッチー化の禁呪みたいにアンデッドにもしてないですし』

 

 今の今まで生き返らせたことが問題だと認識していたあなたは、女神エリスのこの言葉に目を丸くすることになる。

 前提条件が完全に崩れた形になるのだが、それでは復活の魔法の何が問題だったのだろうか。

 

『人に限らず、生きとし生ける者が命を終えた時、もしくは生き返る時。その魂は天界に存在する、創造神様がお作りになられた生死の境を分かつ門を通る必要があります。これは私達神々であっても例外ではありません。……にも拘わらず、あなたの魔法はこの門を通すことなく、強制的に彼女の魂を現世に呼び戻しました』

 

 一度言葉を切り、大きくため息を吐く女神エリス。

 ため息を吐くと幸せが逃げるというが、果たして今の彼女に幸せは残っているのだろうか。

 

『あなたに悪気はなかったのでしょう。人助けは素晴らしいことです。ですが、こういうアクア先輩みたいな堂々とした横紙破りをされてしまうと、私達としてはそれはもう、凄く、すっっっっっっごく、困っちゃうわけですね』

 

 自分は人助けをやったのだ。たとえ相手が女神であろうと文句を言われる筋合いは無い。

 そんな風に開き直ることができればさぞ楽だったことだろう。だが生憎と、あなたは女神エリスに対してそこまで傲慢にはなれなかった。

 脱税の際に敵対してぶっ飛ばしこそしたが、これでもあなたは彼女のことを敬愛しているのだ。

 

『創造神様が定めた絶対の理を覆す、異界の法則を起源とする蘇生魔法。それは全ての世界に大きな混乱を引き起こしうると判断されました。あまりにも目に余る行動を繰り返した場合、最悪粛清部隊が投入される可能性があります。……ですが、疑わしきは罰せず(ただし悪魔とアンデッドは除く)が私達の基本方針なので。別に使うなとまでは言いません。混乱というなら地球人の方に与えられる転生特典(チート)が引き起こしたものも大概ですしね。ただ今後の使用については十二分に注意を払ってください。使った際も可能な限り事後報告でいいのでしてくれると助かります……とまあ、長かったですけど、そういう話を私はしに来たわけです』

 

 あなたは頷くことで了承の意を示した。

 大仰に過ぎる、とは思わない。

 むしろ彼女達はあなたの潜在的脅威度をある程度正しく認識していると言える。

 

 ただまあ、イルヴァに帰還しない限り、あなたが復活の魔法を使える回数は片手の指で足りるほどだ。余程のことが起きない限り、この魔法の出番は無い。

 

『そうであることを願います。自身の死を知り、時間をかけて嘆き、悲しみを受け入れた上で選択を終え、さあ天国に行きましょうってタイミングで、今まさに救済を受け入れようとしていた気高く美しい輝きを放つ魂が、本当に何の前触れも無く、自分の目の前で綺麗さっぱり消失した私の気持ち、分かってもらえます?』

 

 人差し指を伸ばし、あなたの頬を突く女神エリス。

 幻影なので当然互いに感触は無くすり抜けるだけなのだが、あなたは申し訳ないと苦笑いで返すしかない。

 

『お説教はここらへんで終わりにして、じゃあ次いきましょうか。多分都合が悪い話です』

 

 本題が終わり、残りはオマケになる。

 誰にとってオマケなのかといえば、やはり神々にとって、なのだろう。

 だが女神エリスにとってのオマケであるわけではないので、そこを一緒にしてはいけない。

 

『今言ったことの繰り返しになりますが、深い傷を負い、血液という血液を川に流しつくした彼女は、自身が既にリザレクションで生き返れない身であることを理解し、悲しみながらも自身の死を納得し、受け入れていました。誤魔化すにしても正直に話すにしても、そのことを留意しておいてください』

 

 まあそうだろうな、とあなたは思った。

 色々と参考にするためにリザレクションの許容範囲を学んだあなたが、これは手の施しようが無いと一目で判断したほどである。

 そして死を受け入れこそしたものの、復活の魔法が効いた以上、やはりラーネイレによく似た彼女は生き返りたかったのだろう。

 

『そして最後になる、あなたにとって確実に都合が悪い話ですが……えー、これはですね……』

 

 ここで初めて女神エリスが言いよどんだ。

 今までの話を上回る何かがあるのか。

 嫌でも身構えざるを得ない。果たしてどんな告白が飛んでくるのだろうか。

 

『あなたが蘇らせた相手の素性になります。名前はカルラ。彼女はリカシィから西方の大陸にあるエルフの国……カイラムの第一王女です』

 

 あなたは小さく呻き、目頭を押さえて天を仰いだ。

 勘弁してほしい。他国の王女がなんだって死体となって川を流れているのか。

 女神エリスの担当ということは、モンスターか悪魔に殺されたということだ。

 そして背中の傷の付き方から見て、犯人はほぼ確実に竜になる。

 

『彼女がどういう経緯で亡くなったのか、私はあえてそれを語りません。ただ彼女が致命傷を負った瞬間を目撃した者は数多く存在し、ある程度の時間が経過した今、既に関係者の間で王女の生存は絶望視されています。あなたが雲隠れしない限り、どう足掻いても厄介ごとや面倒なことに巻き込まれるのは避けられません。理解も納得も不要ですが、覚悟だけはしておいてください』

 

 なるほど、確かにこれはあなたにとって都合が悪い。女神エリスよ、救いはないのですか。

 そんな姿を見て多少は溜飲が下がったのか、幸運の女神は笑いをこぼす。

 

『ふふっ、救いですか? それなら既にあなたが与えてるじゃないですか。定まった死を覆すという、これ以上ない形で。今更私が出る幕なんてありません』

 

 全くもってその通りだった。

 ぐうの音も出ないとはこのことだろう。

 

『今更になって見捨てたり放り出しちゃ駄目ですからね。一度手を差し伸べた以上、最後まで責任を持って助けてあげてください』

 

 見捨てる。放り出す。

 カルラと呼ばれたエルフがあなたの命の恩人であるラーネイレに酷似している以上、あなたの中にそのような選択肢は存在しないに等しい。

 そんな真似が出来るのであれば、あなたは彼女の顔を見た瞬間、反射的に蘇生したりはしていなかった。

 

『ああ、なるほど。そういう理由でしたか……。ちなみに私事(わたくしごと)で恐縮ですが、私は一流の悲劇より三流の喜劇の方がずっと好きだったりします。こんな仕事をしている以上、悲劇なんて嫌っていうほど見てきましたからね。なので今回の件についてはちょっとだけあなたに感謝しているんですよ。心底驚きましたし仕事も増えましたけど。これから事後処理で徹夜ですし。私だけ』

 

 どんよりとした空気を背負う女神エリスだが、そういうのは女神アクアやカズマ少年に期待してほしいとあなたは言った。彼らならばどんな悲劇も一流の喜劇に仕立て上げてくれることだろう。

 そもそもノースティリスの冒険者に喜劇を期待するなど、ナンセンスにも限度というものがある。

 

『そうですか? 私はあなたも結構いい線いってると思うんですけど……っと、ここまでみたいですね』

 

 部屋の扉を見やる女神エリスに倣って扉の向こうの気配を探ってみれば、足音とともに何者かがこちらに近づいてきており、やがて部屋の扉を控えめにノックする音がした。扉の外から聞こえてきたのはあなたの予想通りの声。

 そう、買出しに出かけていたゆんゆんである。

 

「すみません、遅くなりました」

 

 ゆんゆんを出迎えたあなたは再び女神エリスがいた場所に目を向けてみたものの、慈愛に溢れた幸運の女神の姿は既に消え去っていた。

 

『カズマさんはぽんぽん死んでぽんぽん生き返っちゃいますけど、彼は特例中の特例。私があなたを導く日が永遠に来ないことを、私はあなたが信じる女神様に願っていますよ』

 

 そんな言葉だけを、あなたの耳に残して。



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第113話 エルフの国のお姫様

 セミの鳴き声を目覚まし時計に、私は意識を取り戻した。

 

「…………」

 

 目を覚まして最初に目に入ったのは、木組みの天井。

 ただしそれをそうだと意識するまでにはそれなりの時間を必要とした。

 

 幸運を司る女神、エリス様に天国に導かれたところまでは覚えている。

 だがそこから今に至るまでの私の意識と記憶には、深遠の如き断絶が刻まれていた。

 

 ここは天国なのだろうか。

 ふとそんな考えが寝起きで呆けた頭に浮かぶ。

 

 けれど、エリス様から聞いていた感じとは随分雰囲気が違う。

 かといって私が住んでいた、慣れ親しんでいる王城のような空気も感じられない。

 良くも悪くも猥雑で卑近。私達のような者からは程遠い、言ってはなんだが平民が普段使っている部屋のような印象を受けた。

 市井の暮らしに興味があった私は、何度か無理を言ってあまり高級ではない宿屋に泊まったことがある。ここはまるでそういった時の部屋に近い。

 少なくとも、ここを天国だと言われて素直に受け入れられる者はいないだろう。

 

「──! ────!!」

 

 エリス様の話から退屈を覚悟していたけど、これなら意外と悪くないかもしれない。

 そんな風に感慨に浸っていると、どこからともなく潜めたような声が聞こえてきた。

 

 気になって体を動かそうとしたけど、まるで泥の中にいるかのように体が重い。

 もどかしい思いをしながら満足に働かない体を頑張って動かし、なんとか首だけを声の方に向けてみれば、そこには知らない二人組が言い争っている光景が。

 彼らはずっと私のそばにいたのだろうか。少しも気が付かなかった。

 

「駄目ですって! 怪しいですって! どうしちゃったんですかいきなり、味を占めたんですか? ……いやいやちょっと待ってくださいどうしてそうなるんですか嫌です私は被りませんよそんなの恥ずかしい……あ、でもこれって友達とお揃いってことよね……ペアルック……えへへ、どうしようかな……じゃあ折角だしちょっとだけ……」

 

 一人は黒髪の可愛らしい女の子。

 一見すると大人しそうな顔をしているけど、ちょっと露出度の高い服を着ている彼女は、少し目線を上に向け、そわそわと落ち着かなさそうにしている。

 何かを言っているというのは分かるのだけど、まだ聴覚が仕事をさぼっているのか、今の私には雑音としか受け取ることができなかった。

 そしてどうやらセミの鳴き声と思っていたのは彼女の声だったようだ。ごめんなさいとそっと心の中で謝っておく。

 

 彼女の隣にいるもう一人は、多分だけど男の人。背は結構高いと思う。

 薄着の上から分かる体はよく鍛えられていて、戦いを生業にするもの特有の物々しさを放っていた。

 多分と表現したのは、首から上をすっぽりと覆う、光を反射してキラキラと光るピンク色の……ピンク色の……。

 

 

 これは……なんだろう……本当になんなのだろう……。

 

 

 兜? それとも桶? とにかく何かを被っていて、私の体が満足に動いていたとしても、その顔を見ることが叶いそうになかったから。

 故郷でもトリフでも見たことが無い。天国で流行している最新のファッションなのかも。

 でもそうだとしたら、あまりにも前衛的すぎる。ただでさえお洒落には最低限しか身を入れていなかった私はちょっとついていけそうにない。

 まさかと思って確認してみたものの、幸いにして、私が今着ている服は奇抜なものではなく、まるで平民が着るような、簡素で、しかし清潔なもののようだ。着心地も中々悪くない。無論私が生前着ていたものには遠く及ばないのだけど。

 服飾への批評はさておき、お願いだから私が着ているような衣服こそが天国の普通であってほしい。私は切実に祈った。エリス様に。

 

「…………あ」

 

 暫く黙って観察し続け、耳がようやく仕事を再開したと思ったころ。

 じっと観察していたせいだろうか。視線に気付かれてしまったようだ。不意に、男性と私の目が合った、気がする。多分。

 どうしよう、何故か気まずい。というか何を言えばいいのか分からない。

 

「……おは、よう」

 

 辛うじて口から出てきたのは自分が発したとは思えない、かすれきった挨拶の言葉。

 喋るにしたってもう少し何かあったのでは、などと考えてしまうあたり、私は自分で思っていた以上に混乱しているらしい。他人事のように考える。

 それでも声は相手に届いたらしく、男性は挨拶を返してくれた。

 けれど同時に、男性からはじっと私を観察している雰囲気が感じられる。顔が隠されていて視線が読めないから実際のところは分からないのだけど。

 

「よかった、気が付かれたんですね。おはようございます、ご気分はいかがですか? どこか痛むところとかありませんか?」

 

 女の子が笑顔で声をかけてきた。

 邪気や含みの無い本当に嬉しそうな表情は、初対面の私ですらきっと優しい子なのだろうと確信させるもの。

 さておき、気分はどうだろう。悪くはないと思う。

 そして痛むところと聞かれて気になる点があった私は、小さく身じろぎして感覚を集中する。

 全身がまるで自分の体のようではない違和感はある。しかし肝心要の背中の傷は痛みも特別酷い違和感もない。

 いや、それどころか、私を死に至らしめた傷は、まるで嘘のように綺麗さっぱり消えているようだった。

 

「今日は……何日……?」

「今日ですか? 今日は……」

 

 尋ねてみれば、最期の日から数日しか経っていなかった。

 返ってきた言葉に、私は全身を脱力させて小さく息を吐く。

 やはり私は死んでしまったのだろう。

 あれだけの傷や痛みを短い時間で跡形も無く完治する術など、私の知る限り存在しない。奇跡が起きても不可能だ。

 それにエリス様も言っていたではないか。貴女はもう決して生き返ることが出来ません、と。

 

 家族や臣下には申し訳ないことをしたと思う。

 お母様は……助かっただろうか。

 

「あの……」

「はい、どうしました?」

 

 ここが天国だとしたら、今私の前にいる二人はきっと……。

 

「……あなた達は、天使様? それとも神様?」

 

 私の言葉に、二人は同時に噴き出した。

 

 

 

 

 

 

 死を受け入れた果て、終わりの先で彼女を待っていたもの。

 それは一人の紅魔族だった。あとバケツマン。

 あなた達は人間であり、断じて天使や神などではない。前者はまだしも後者は不敬が過ぎるというものだろう。

 

「ええと、私達は人間ですよ。ほら、羽も無いですし」

 

 背中を見せ付けるようにその場で一回転するゆんゆん。

 軽やかなターンにあわせ、ピンク色のミニスカートがふわりと膨らんだ。

 天使の背中には羽が生えている。誰もが知る一般常識だ。かくいうあなたのペットの堕天使にも羽が生えており、自在に空を飛ぶことができる。

 

「そうだったの……」

 

 途端に痛ましい表情になるカルラ。

 これには流石にゆんゆんも困惑したようだ。

 

「ど、どうされたんですか? やっぱり体のどこかが痛みます? もしくは私が人間でガッカリさせてしまいました? もしそうならすみません……」

「あっ、ごめんなさい、違うのよ。私は大丈夫だしあなたにガッカリしたとかじゃないわ。ただ……」

 

 イルヴァにおいて、あなたが思う善人とは誰か。

 このような質問をされた場合、あなたは真っ先にラーネイレの名前を挙げる。

 そんなラーネイレとよく似たカルラは、やはり善良な性質を持っているようだ。

 女神エリスから気高く輝く美しい魂を持つと称された彼女は、まるでゆんゆんを慰めるように、柔らかさの中に憂いを秘めた笑みを浮かべた。

 

「あなたのような子が、そんな若い年齢で亡くなって、こうして天国にいる。そんな世界の現実が少しだけ、悲しくなってしまったの」

「そうだったんですか、私が死んでるから。それなら仕方ないですよね」

「ええ、本当に。私も頭では分かってはいるのだけど、心まではどうしても……」

「……って違いますよっ!? 私まだ生きてますから!!」

「え、そうだったの? 私てっきり……」

「そうですよ! 私まだ生きてますよね!?」

 

 何故かあなたに対して自分の生存確認を行うゆんゆん。

 確かにあなたはゆんゆんを強くするため、無数の死と蘇生を繰り返すデスマーチを敢行したいと考えている。だがそれを本人に漏らしたことは一度もない。

 少し不思議に思いながらもあなたは黙って首を縦に振った。頭に当たったバケツがカラコロと場違いな音を響かせる。

 

「ふぅ、よかったぁ。あ、それとここは天国じゃないですよ。帝都トリフの最寄の街のフィーレです。ご存知ですか?」

「…………近くに竜の河の支流が流れていて、そこから獲れる魚料理で有名な、あのフィーレ?」

「はい。そのフィーレです」

「…………」

 

 ゆんゆんの言葉の意味を一生懸命咀嚼し、まだ力が入らないのか、どうにもおぼつかない手つきで自分の体のあちこちを触り、やがて数分間の沈黙の末、カルラは縋るように声を震わせて問いかけた。

 

「……私、生きているの?」

 

 髪の色と同じ、鮮やかな空色の瞳。

 ゆんゆんの持つ紅の瞳とは対照的な色合いを持つそこから、一筋の涙を流しながら。

 

 

 

 

 

 

「私達が見つけた時、上流から流れてきた貴女は本当に酷い傷を負っていました。一目見て、その……もう駄目かと思ったんですけど。辛うじて命を繋いでいたみたいで。手当てが間に合って良かったです」

「…………」

 

 自分が生きているなどあり得ない。カルラはそのことを知っている。

 だが誰かの命を救えたことが嬉しいと語る心優しい少女が嘘を言っているとは思えないし、思いたくないのだろう。エルフの王女は嬉しさと困惑が混ざった表情でゆんゆんの話を聞いていた。

 

「そう、だったのね。本当にありがとう。なんてお礼を言えばいいのか……」

「別に気にしないでください、っていうのも無理ですよね。でも気持ちとお礼の言葉だけで十分ですよ。困ったときはお互い様ですから」

 

 少なくとも自分の目の前にいる少女は何も知らない。知らされていない。

 だって自分は死にかけていたのではなく、正真正銘、完全に死んでいたのだから。

 

 ゆんゆんとの話の中でそんな確信に至ったのだろう。カルラはあなたに視線を投げてきた。

 意思の強さを感じさせる瞳を向けられたあなたは、前に立っているゆんゆんに気付かれないようにメモ帳を取り出し、カルラに見えるようにページを開く。

 そのページには『今日の深夜、二人きりで話がしたい』と書かれていた。

 

 やはり自分は命を落としている。その後で何かがあったのだ。それもここでは言えないような何かが。

 力を抜いてベッドに沈み、天井を見つめるカルラの重く深い溜息は、そんな声が聞こえてくるかのようだった。

 さぞかし悲壮感溢れる想像をしているのだろう。あなたからしてみれば杞憂に過ぎないのだが。

 

「……ごめんなさい。少し気が抜けてしまったみたい」

「あっ、いえ! こちらこそごめんなさい。貴女はさっき目が覚めたばかりなのに、そういうのに全然気が付かなくて」

「ううん、いいの。でも()()()()()()()

 

 言外にあなたに了承の意を告げ、カルラは気を取り直したように自己紹介を始めた。

 

「そういえばまだお互いの名前も知らなかったわね。私はカイラム・ブレイブ・ワンド・カルラ。カルラって呼んでくれると嬉しいわ」

「はい、カルラさんですね。こちらこそよろしくお願いします!」

 

 隠すこともなく自分が王族であることを明かす姿に、あなたは少し意外に思った。

 何故あなたがフルネームからそれを判断できたのかといえば、それはこの世界の王族の姓名に特徴的な命名法則が存在するからだ。

 例えば同じ王女であるアイリスのフルネームを例に挙げてみるとこうなる。

 

 ベルゼルグ(国の名前)スタイリッシュ(王家の誓い)ソード(その国を象徴する武具)アイリス(ファーストネーム)

 

 ……とまあこのように、カルラのそれは聞く者が聞けば王家に連なる者と一瞬で理解できる自己紹介だったのだが、生憎とゆんゆんは気付かなかったようだ。

 ノースティリスでもあるまいし、まさか一国の王女が大怪我をして川から流れてくるとは夢にも思っていないのだろう。

 気付いていないフリをしているというのはあり得ない。あなたはゆんゆんほど腹芸に向いていない人間を他に知らなかった。

 

 次に自己紹介をしたのはゆんゆん。

 丸椅子から立ち上がり、高々と名乗りを上げる。

 

「我が名はゆんゆん! 紅魔族族長の一人娘にしてアクセルの冒険者! 二人の師の垂訓を受ける者にしてやがては紅魔族の長となる者!」

 

 見事なポーズを決めての自傷行為。もとい自己紹介。

 突然の奇行に一瞬面食らったカルラだが、彼女も伊達に王女をやってはいかなった。

 

「よろしくゆんゆん。紅魔族だったのね。実は私、紅魔族の方と会ったのは生まれて初めてで。やっぱり同じような自己紹介をし直した方がいいのかしら。そういう話を聞いたことがあるのだけど」

「いえいえいえいえそんな、結構です! むしろ今のは忘れてください! 名前以外は何も聞かなかったことにしてください!」

「まあ、ええ。わかったわ。貴女がそう言うのなら」

 

 忘れてほしいならどうして恥ずかしい思いをしてまで紅魔族流の挨拶をするのかと聞かれれば、それが紅魔族の掟だから仕方なくとゆんゆんは答えるだろう。

 なんとも生真面目で難儀な少女である。

 

「それで、そちらの彼……でいいのよね? 彼は……」

 

 依然として黙して語らぬあなたのせいで、部屋の中に気まずい沈黙が広がっていく。

 何故黙っているのか。何故バケツを被ったままなのか。それを説明するには、まずカルラが目覚める直前まで時間を遡る必要がある。

 

 自分に宛がわれた部屋で、あなたはどうやってカルラに自分の印象を残さないようにするか考えていた。

 ラーネイレに酷似している、それはつまり、カルラが誰もが認める絶世の美少女であることを意味する。

 しかも第一王女。下手をすれば王位継承者だ。そんな相手の命をあなたは救った。どう考えても厄ネタにしかならない。見捨てる気は無いが派手に動けば最悪ウィズに害が行く。そうなるとなんやかんやあって世界は滅びる。

 なんとかできないかと思案している最中にゆんゆんに呼び出され、咄嗟に幾つかの案の中から選んだ結果がこれだ。別にバケツマンにド嵌りしたわけではない。

 むしろ冷静になった今となってはいつものように出たとこ勝負で行くべきだと考えているし、自分のこの選択は大失敗だったと後悔している。

 あの時のあなたは、相手が久しく会っていない知り合いに似ているということで色々と考えすぎて血迷っていたのだ。原因は間違いなく長期間癒しの女神の声を聞いていないせいである。

 

「ええと……何考えてるんでしょうねほんと……じゃなくて!」

 

 今まではタイミングを逃していたが、いい加減もういいだろうとあなたがバケツを取ろうと動いた瞬間、アドリブに弱い紅魔族の少女が師を見習ったのかのごとく盛大に血迷う。

 

「彼はそう! 世のため人のため、魔王軍の野望を打ち砕く! 愛と平和の使者、プリティーピンキーバケツマンさんなんです!」

 

 ゆんゆんはもう駄目だ。なんかもう色々と駄目だ。ここのところめぐみんに会っていないせいで紅魔族のセンスを客観視できていないのかもしれない。

 斜め上のやりかたでフォローしてくれた少女に対してあなたが抱いた感想は、本人が聞けばショックのあまり崩れ落ちて打ちひしがれ、軽く三日は引き篭もること請け合いなものだった。

 

 それにしたっていきなりのこれである。長旅で疲れているのだろうか。それともどこかで頭を打ったのか。はたまた螺旋の王やシュブ=ニグラスといったイスの魔物に遭遇したか。

 あなたは自分を棚に上げてゆんゆんの正気を疑い始めた。久しぶりに温泉の出番かもしれない、と。

 

「プリティーピンキーバケツマンさん……。世界のために戦うなんて、とても凄い方なのね。私も見習いたいわ」

「えっ!?」

 

 ゆんゆんの妄言を真に受けて感心するカルラ。王女だけあって天然というか箱入りな部分があるのかもしれない。

 そして真に受けられて逆に驚愕するゆんゆんに少しばかりお話をしたい気分になったが、これ以上おかしな流れになっては堪らないと、あなたはバケツを脱いで普通に自己紹介を始めた。

 

「なんであっさりバケツ脱いじゃうんですか!? 私はきっと口に出せない事情があってやってるって思ったんですけど!?」

 

 バケツを被っていたらそれはそれで文句を言うのに、脱いだら脱いだで文句を言われるとは。

 最近のゆんゆんは少しわがままだ。いい傾向と言えるだろう。

 

「悪くないもん! 私絶対悪くないもん! なんで私をちょっと困った子を見る目で笑うんですか! あああああああんもおおおおおー!!」

 

 我を忘れて涙目で勢いよく掴みかかってくるゆんゆんと、はいはい可愛い可愛いとあやすあなた。

 いきなり取っ組み合いを始めたあなた達の愉快な姿を見た美しいエルフの少女は、自身を襲った過酷で悲惨な境遇を今だけは忘れ去り、くすくすと上品に笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 控えめに言ってバカ丸出しとしか言いようがない出会い方をしたその夜。

 ゆんゆんを含め、街の誰もが寝静まった頃を見計らって、あなたはカルラの部屋を訪れていた。

 

「こんばんは、冒険者さん。いい夜ね」

 

 窓の外に浮かぶ月を見上げ、その光に照らされるエルフの姫君の姿は、あなたが初めてラーネイレと会った時のことを思い出すほどに美しく。

 同時にやはり彼女とは顔が似ているだけの別人なのだと、何故か心のどこかで納得している自分がいるのをあなたは自覚していた。

 

 部屋の備え付けの丸椅子をベッドの近くまで寄せ、音を立てないように静かに座る。

 体の調子を尋ねてみれば、彼女は素直に答えてくれた。

 

「起きたばかりの時よりは違和感は良くなったわ。……いえ、これは慣れただけね。でも苦痛は感じていないから」

 

 昏睡した彼女を診たのはこの街のアークプリーストなのだが、その時と目覚めた彼女を診た時、アークプリーストはこう言っていた。

 

 ──体の傷は癒えているようですが、彼女はあまりにも深い魂の傷を負っています。幸いにして安静にしていれば傷は癒えますし、命に別状もありません。ただしばらくの間、満足に体を動かすことはできないでしょう。

 

 この世界において肉体と魂は密接な関係にあり、肉体が深い傷を負えば、魂も相応の傷を負う。

 あなたの知るところではカズマ少年が首を斬られたり折られたりして死亡し、蘇生した後。

 女神アクアの回復魔法のおかげで傷自体は完治していたにもかかわらず、彼は暫くの間、首の違和感や幻痛を訴えていたらしい。

 これはカズマ少年が怖気づいたり、ここぞとばかりにサボリを要求したわけではない。リザレクションを経験した者の間ではよくある話だ。

 最高位のアークプリーストである女神アクアの力をもってしても後遺症が残るのか、という話だが、リザレクションでは肉体の傷は癒せても、呼び戻した魂の傷までは癒せない。

 あなたの復活の魔法も似たようなものだ。這い上がる、埋まるという選択肢すら失った者。つまり魂が死んだ者を蘇らせることはできない。

 

 つまるところ、カルラの不調の原因はリザレクションでも届かない死から無理矢理引き上げられたせいだった。

 あるいは生死を分かつ門とやらを経由していないからかもしれない。

 

「不便といえば不便だけど……本当なら私は死んでいた。それを思えば暫く体が動かない程度で文句を言ったらバチが当たってしまう」

 

 やはり、彼女は理解していた。

 心中を赤裸々に語るのはそのせいだ。

 

「私は死んだ。エリス様と会って、理解して、納得した、受け入れた。でも今、私はここにいる。……不安になるの。本当に私は生きているのか。本当はアンデッドになっているんじゃないかって。ゆんゆんさんの前では我慢していたけど、日の光に手を当てるのは本当に怖かったわ」

 

 彼女は理解していた。

 自分の境遇の全てを。逃れえぬ死の定めを。

 そして。

 

「……冒険者さん。あなたは、どうやって私を生き返らせてくれたの?」

 

 他ならぬあなたが、その定めを覆したことを。

 

「もしその手段が今も使えるというのなら、お願い、万が一の時、私の母を──」

 

 強い意思を秘めた空色の瞳があなたと交差する。

 あなたはカルラの言葉を遮り、自分が使った蘇生魔法はリザレクションではなく、ニホンジンが使う異能のようなものであること、カルラが自身の恩人と似ていたが故に蘇生したこと、この蘇生魔法は神々をして無視できないもので、カルラを蘇生した後、女神エリスから直々に警告を食らったことを明かした。

 

「エリス様が警告を……でもエリス様の気持ちも分かるわ。私のような死が確定した相手すら蘇らせる魔法なんて、世界に混乱しか呼び起こさない……。ごめんなさい冒険者さん、私のせいで……さっき言ったことは忘れてちょうだい。私もこの事は誰にも喋らないことを約束する」

 

 実際のところ、カルラは勘違いをしており、神々から警告を食らった理由は別にある。

 だがあなたはあえて全てを語らずにいた。魂の門や創造神の定めた理といったスケールが大きすぎる話より、蘇生の問題の方がよほど説得力があるからだ。

 

「ともあれ、私はあなたに命を救われたわ。私はカイラム王国の第一王女、カルラ。私は私のもてる全てを使い、この大恩に報いることをここに誓います。たとえこの身を捧げることになろうとも」

 

 カルラの手が光り、どこからともなく一枚の紙が彼女の手の中に舞い降りる。

 冒険者稼業を営む中、あなたは似たものを何度か見た覚えがあった。

 すなわち、絶対の施行を強制させる魂の契約書である。契約不施行の代償は言うまでもなく己の命。

 救助した彼女は衣服以外の全ての私物を失っていた。こんな物騒な契約書をどこから取り出したというのか。

 

「契約スキルで今生み出したの。これはその中でも上位のものだけど、大商人や王族なら誰でも出来るんじゃないかしら。ついでといってはなんだけど、蘇生魔法について話さない事も追加しておいたから安心して。口頭のみで交わされる約束は互いの信頼の上に成り立つ尊いものだけど、やっぱりこういう命に関係する話はきっちりしておくべきだと私は思うから」

 

 凄まじい勢いで人生という坂道を駆け降りていく王女の姿に、流石のあなたも頭を抱えたくなった。

 全力で生き急ぐのは人間の特権ではなかったのか。頼むからもう少し自分を大事にしてほしい。わざわざ残り少ない魔法のストックを使って生き返らせた意味が無い。無駄に行動力と自己犠牲の精神に溢れているところまでラーネイレに似る必要もないだろうに。

 そんな内心をおくびにも出さず、あなたは努めて気軽な様子で、恩を返してくれるというのであれば多少の金銭と国宝級ではない手ごろな神器が三個ほど欲しいと要求した。期限は設けないしそれ以外は何も求めていないとも。

 

 要求は承認され、契約書は光となって消える。

 あなたはほっと胸を撫で下ろした。

 

「……たったそれだけでよかったの?」

 

 神器三個をたったそれだけと言い放つあたり流石の王族だ。感覚が違う。

 しかし廃人として名の売れているイルヴァやノースティリスでは割と無茶をやってもどうにでもなるしできるのだが、この世界におけるあなたは極めて高い戦闘力を有しているだけの一介の冒険者に過ぎない。

 後ろ盾という後ろ盾が無い以上、一国の王女に全てを捧げられても、何もかもを破壊する予定の無い今のあなたの手には余りすぎた。

 

 ついでに言うと彼女をペットにしてノースティリスに連れて帰る気も無かった。

 ラーネイレをペットにしたなどという、非常に不名誉かつ恐ろしい噂を流されかねない。

 ラーネイレは廃人ではない。つまりあなたの友人ではない。だが数々の経験を通して今や廃人に準じるほどの戦闘力を有しているし、強く、気高く、美しく。何より誰が相手でも分け隔てなく接するラーネイレは、非常に多くのファンを抱えているのだ。

 

「ふふ、冒険者さんって無欲なのね」

 

 そしてそれはきっと、トンチンカンなことを言っているこの王女も同様なのだろう。




そこそこ余裕ができたので感想の返信を再開します


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第114話 今そこにある危機

 ざあざあと屋内にまで届く大きな音を響かせ、天から降り注ぎ続けるにわか雨。

 もしかしたら割れてしまうかもしれない。そんな心配をしてしまうほどに激しい勢いで風と水滴が叩きつけられている両開きのガラス窓の向こう側に広がっているのは、どこまでも続く鈍色の空。

 たまに思い出したように空の彼方が明るく光り、少しの間を置いて雷音が耳に届く。

 偉大な大自然の恵みとも脅威とも呼べる激しい雷雨を眺める二人の少女は、荒れた天気とは正反対の和やかな雰囲気で交流に興じていた。

 

「ちょっとタイミング悪かったですね」

「冒険者さんは大丈夫かしら。まさかこんなに天気が崩れるなんて」

「心配いらないと思いますよ。すっごく旅慣れてる人ですから」

 

 二人の言葉が示すように、今現在、フィーレの街にあなたの姿は無い。

 あなたは今日の早朝に単身で街を発ち、帝都トリフにあるカイラムの大使館に向かっていた。

 カルラはまだベッドから自力で起き上がって歩き回ることすらできない。体を起こしてもらってベッドの上で飲食をしたり、肩を貸してもらうことで辛うじてトイレには行くことはできるが、限りなく絶対安静に近い状態であることに変わりはない。無理をさせるわけにはいかなかった。

 かといって回復するまでのんきに待っていては目的の一つである闘技大会が終わってしまうし、間違いなくカイラムの上層部で起きているであろう混乱を収めるため、一刻も早い生存報告を行いたいというカルラの願いもあった。

 最も手っ取り早いのは帝都へのテレポートだったのだが、フィーレではテレポートサービスが営業しておらず、またカルラもテレポートが使える職業ではなかったため、あなたが徒歩で向かった次第である。

 国営の機関である冒険者ギルドを通じて大使館に手紙を送るという案もあったのだが、事が事なだけにあまり大っぴらにしたくないというカルラの意向を汲んだ形になる。

 

「こう言ったら悪いかもしれないですけど、正直、ちょっと意外でした。カルラさんをここに一人で置いていくわけにはいかないからって、私に一人行動を許してくれるとは思わなかったので」

 

 どういう意味だろうと首を傾げるカルラ。

 彼女は定めた方針に問題があるとは思っていなかった。

 ベストではないのかもしれないが、考える時間も惜しい現状においては間違いなくベターな選択肢と言える。

 

「私達がパーティーを組んでいる時、危ないからあんまり一人で行動しないようにって言われてるんですよ。今日だってこんなメモを渡されたくらいですし」

 

 そう言ってゆんゆんが取り出したメモ書きに記載されていたのは、五つの約束事。

 

 一人で依頼を受けないこと。

 知らない人についていかないこと。

 困った時はカルラと相談すること。

 渡した物は決して手放さず、その取り扱いには細心の注意を払うこと。

 最後の最後に頼れるのは自分の力だけだと理解しておくこと。

 

「冒険者さんはゆんゆんのことを大切に思っているのよ」

「いいんですよ、子供扱いされてるって正直に言っちゃっても」

 

 メモを読み終えたカルラがにっこりと微笑んで感想を述べるも、ゆんゆんは力のない微苦笑を返すことしかできない。

 本人の恵まれた資質と一足飛びで至った高レベル化の恩恵により、ゆんゆんの冒険者としての経験は、質という点で見れば既にベルゼルグ王都の冒険者と比較しても遜色ないものとなっている。

 しかし経験の量では駆け出しに毛が生えたも同然であり、それを本人も理解していた。

 そういう意味でもまだまだ二人の師には遠く及ばないという自覚がゆんゆんにもあったが、それはそれ、これはこれだ。

 

「私ってそんなに危なっかしく見えるのかなあ……」

 

 しばしばあなたからゲロ甘でチョロQと称される少女の呟きは、友人であるめぐみんを筆頭にゆんゆんの無防備さ(ちょろさ)を知る者であれば誰もが勢いよく頷くことだろう。

 あのウィズですら、アクセルの外ではあまりゆんゆんに一人で行動させないようにとあなたに言い含めるほどである。

 

「でもほら、ゆんゆんは荷物を任されているんでしょう? わざわざ絶対に手放しちゃいけないって書くくらいに大事なものを。それって貴女が信頼されている証拠だと思うの」

「任されたというか、お守り? みたいなものらしいです。私とカルラさんのどちらか、もしくは両方が命にかかわる状況に陥った時にだけ封を壊して開いていいって言われました」

 

 何日もかからない予定なのに大袈裟すぎますよね。

 笑いながらそう言ってゆんゆんが荷物袋から取り出したのは、一冊の赤い装丁の本。

 縦横に細い緑のリボンが結ばれているそれは、立派で手触りのいい表紙の上から鍵付きの鎖でガチガチに縛られており、呪いの品を彷彿とさせる異様な気配を発していた。

 

「随分と雰囲気のある品ね。魔法がかかっているのかしら」

「…………」

「ゆんゆん、どうしたの? 顔色が悪いわ」

「……これ、動いてます」

 

 笑顔から一転、青い顔になったゆんゆんが恐る恐る本をテーブルの上に置いてみると、小さく、しかし確かに振動していることがわかった。

 耳を澄ませば地鳴りのような異音も聞こえてくる。本の中から。

 

「…………」

 

 うるさいほどの雨音を容易く掻き消す、深く重い沈黙の帳が室内に降りる。

 粘ついた空気を敏感に感じ取った二人が自分の腕を見やれば、雨が降っているとはいえ蒸し暑さを感じずにはいられない環境の中、そこには真冬の寒空の下でしかお目にかかれない量の鳥肌が。

 人為的に潜在能力を解放された紅魔族の中でも指折りの優秀さを持つゆんゆんは勿論、カルラもまたこの世界の王族の例に漏れず、世界最高水準の血統と教育と食材によって非常に高いレベルと戦闘力を持つに至った一廉の人物だ。

 あまりにも節操の無い血の取り込みっぷりから家系図を見た者からこれだけで分かる英雄と勇者の歴史、日本人からは人間ダビスタと揶揄されるベルゼルグ王族ほどではないが、連綿と受け継がれ研磨されてきたカイラム王家の血は確かにカルラを世界有数の強者たらしめている。

 そんな二人をして畏れを抱かせる赤い魔本。本能が潜在的な脅威を感じ取ったがゆえの反応である。

 

「お守りなのよね?」

「本人はそう言ってました。本人は」

 

 含みを持たせた答えをしつつ、ゆんゆんは恐る恐る本を仕舞う。

 望むべくもないが、仮にこの場にあなた以外のノースティリスの冒険者がいた場合、その者は有無を言わさずに本を奪い取って地面に埋めるか、あるいは川に投げ捨てに向かっていただろう。

 ゆんゆんも今すぐ窓から投げ捨てたかったのだが、そうもいかない。

 露骨なまでに危機感を抱かせるものを持たせたあなたを内心で軽く呪わずにはいられないのだった。

 

 

 

 

 

 

 夕刻。

 カルラが眠りについたタイミングを見計らい、ゆんゆんは自身に宛がわれた別室で日記を書いていた。

 

 

 

 ☆月∵日(大雨)

 

 今日は昼前から物凄い雨が降り始めたせいで、私はずっと宿の中。

 これを書いてるのは夕方だけど、今も湿気が強くて嫌な感じ。

 やることもないのでずっとカルラさんとお喋りしていたんだけど、そこで明らかになった驚愕の事実……と書くのは少し失礼になっちゃうんだろうか。

 なんとカルラさんは竜の谷に行っていたんだって。話を聞いて凄くビックリした。私達が竜の谷を目指してるって聞いたカルラさんも凄くビックリしてた。自分が死にかけるほどの大怪我をした場所に行くっていうんだから当たり前だと思う。危険だから絶対に止めた方がいいって言われちゃった。私がカルラさんの立場でも絶対に同じことを言う自信がある。

 ……うん、日記を書いてるとカルラさんの話を思い出しちゃって私も行くのを止めたくなってきた。正直怖気づいてる自分がいる。でも今更あの人は止めないよね。知ってた。だってウィズさんも凄く楽しみにしてたもん。ウィズさんも凄く楽しみにしてたもん。別に大事なことじゃないけど二回書いておく。あの人本当にウィズさんのこと大好きすぎる。いや分かるけども。ウィズさん優しいし綺麗だし包容力があるし魔法の腕も凄いしおっぱい大きいし。私も大人になったらウィズさんみたいになりたいなあって思う。特に温泉で見たウィズさんのおっぱ……私は何を書いているんだろうか。本当に何を書いているんだろうか。ここの部分は後で消しておこう。

 

 気を取り直して続き。

 カルラさんが竜の谷に行った理由だけど、なんでもカルラさんのお母さんが重い病にかかってしまい、このままじゃ死んでしまうので海を越えて他国から竜の谷のエリー草を求めてやってきたとのこと。

 エリー草のことなら私も知っている。

 様々な英雄譚や御伽噺に出てくるこれは、あらゆる怪我や万病をたちどころに癒し、死の淵から掬い上げるという伝説の霊草だ。一説には神様が人間に与えた奇跡の一つだとかなんとか。

 ウィズさんがお店を開いて間もないころに大金を使って仕入れたはいいけど、近所のおばあさんが病に倒れた時に無償で使ってしまったと言っていたのを覚えている。

 似たような効能を持つ霊薬としてエリクサーがあるのだけど、エリー草の効能はエリクサーを上回る。エリクサーの語源がエリー草から来ているのは有名な話。

 昔は色々なところに群生していたらしいのだけど、戦乱や乱獲でそのことごとくが消え失せてしまい、今では野生のエリー草が確認されているのは竜の谷だけ。

 人の手による栽培も試みられており、実際にある程度は成功しているのだけど、コスト面の問題が解決できてない上に野生のものと比べると効力が数段落ちる。具体的にはエリクサーと同じくらい。竜の谷のエリー草は今ではラストエリー草と呼ばれているんだとか。

 そしてカルラさんのお母さんは普通のエリー草やエリクサーでは治療できず、竜の谷に赴くことになったのだという。

 

 ここで突然なんだけど、私は実はカルラさんが貴族なんじゃないかなって思ってる。所作の一つ一つがなんかもう優雅あっ! って感じでオーラが漂っている。深窓の姫君っていう言葉がこんなにも当てはまる人を私は初めて見た。見た目の割に本人は凄く活動的みたいだけど。

 そもそもいくら他国の人間だからって、危急とばかりに大使館に生存を報告しに行くとか普通はしない。っていうか家臣と一緒に竜の谷に行ったって本人が口にしてた。

 今のところカルラさんは何も言ってこないので大丈夫だと思うけど、後で家臣の人に不敬罪で死刑とか言われないか私はちょっとだけ心配に思ってたり。

 以前、カズマさんが散々無礼な口を利かれた挙句祝いの場で殺されかけた、貴族はクソだ爆裂魔法をぶち込んでやりたいってめぐみんが滅茶苦茶怒ってたし。怖すぎる。気をつけておこう。

 

 そうそう、怖いといえば赤い本のこと。

 渡してきた本人はお守りって言ってたけど、なんか震えてるし中から音がするしで怖すぎる。普通に貴族より怖い。いや本気で。

 もしかして私は呪いの本を押し付けられ『こんなにプリティーラブリーアルティメットシスターな私を呪いの本呼ばわりするなんてありえないでしょ、常識的に考えて。礼儀がなってないよね礼儀が。これだから紅魔族は』

 

 

 

 

 

 

「ひいっ!?」

 

 自分の書き込みを上書きするような形で浮かび上がってきた文字列を見てしまった少女は、突然の恐怖体験に震え上がって悲鳴をあげる。激しすぎる動揺でペンが手から零れ落ち、小さな音をたててテーブルの上に転がった。

 ゆんゆんが普段使いしている日記帳は、四つで一つの交換日記とは違い魔法がかかったりギミックが搭載されていたりはしない、ごくごくありふれた市販の手帳だ。断じてこのような出来事が発生していい代物ではない。

 日記に滲むのはどす黒い赤字。血で描かれているとしか思えないそれを注視してみれば、おぞましくも恐ろしいことに紙の上でうぞうぞと蠢いている。

 さらにゆんゆんは文字列が無数の極小の文字で構成されているのに気が付いた。

 小文字はイルヴァ語で『お兄ちゃん』と書かれていたのだが、異世界言語を知らないゆんゆんにとっては不気味な記号にしか見えなかった。

 見えなかったのだが、しかし。

 ゆんゆんは、その文字列を読むことが叶わずとも、文字列の意味を理解することができていた。

 

(何これ、お兄ちゃん? 気持ち悪い……)

 

 それは、普通なら決して気が付かないものだった。

 同時に決して気が付いてはいけないものでもあった。

 

 彼女の身に何が起きたのか。それを簡潔に説明するとこうなる。

 

 ──ゆんゆんは妹を理解してしまった!

 

 意味が通じるものにとっては絶望的な一文である。

 誰もが痛ましい表情で力なく首を横に振るだろう。

 

 これは別に特定の誰かが悪かったというわけではない。

 ただ単に、今日はたまたまそういう星の巡りだった。それだけの理由。

 身も蓋もない言い方をすると運が悪かった。

 それでも諸悪の根源を探すというのであれば、そういうものを持たせたあなたが該当するだろう。

 

(この、お兄ちゃんって、あれ、お兄ちゃん? ちょっと待って。なんで私はこれが読め……お兄ちゃん? ……お兄ちゃん。お兄ちゃん♪ お兄ちゃん! お兄ちゃん!!)

 

 ゆんゆんの思考と精神が侵されていく。

 狂気的で冒涜的な光景であるにもかかわらず、不思議と文字列から目が放せない。

 お兄ちゃん。今のゆんゆんにはたったそれだけの文字が何よりも輝かしく、愛おしい。

 

 お兄ちゃんは私の愛。お兄ちゃんは私の夢。お兄ちゃんは私の奇跡。お兄ちゃんは私の希望。お兄ちゃんは私の理想。お兄ちゃんは私の絆。お兄ちゃんは私の摂理。お兄ちゃんは私の星。お兄ちゃんは私の月。お兄ちゃんは私の地。お兄ちゃんは私の空。お兄ちゃんは私の海。お兄ちゃんは私の宇宙。お兄ちゃんは私の命。お兄ちゃんは私の真理。お兄ちゃんは私の光。お兄ちゃんは私の揺り篭。お兄ちゃんは私の木漏れ日。お兄ちゃんは私の家。お兄ちゃんは私の願い。お兄ちゃんは私の祈り。お兄ちゃんは私の永遠。お兄ちゃんは私の至尊。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃんは。お兄ちゃんは。

 

 お兄ちゃんは()()の全て。

 

 百面ダイスを三個振って全てで100(ファンブル)を引くような奇跡的な確率の果て、かみ合ってはいけない何かがかみ合ってしまい、何かに繋がってしまったゆんゆん。今まさに、取り返しの付かないことが起きようとしていた。

 

「おに、いちゃ……あなたが、わたしの……」

 

 それはゆんゆんが生まれ持った類稀なる才能という名の悪運が発露した瞬間でもある。本人からしてみれば災厄以外の何物でもなかったが。

 悟りにも似た安らかな心地の中、深遠の扉を開いた少女の肉体と魂が大いなる一に還っていく。

 

「ふうん、こういうことが起きるものなんだ」

 

 ゆんゆんでもカルラでもない、幼さすら感じる少女の冷え切った声。

 

「でもお兄ちゃんはお前のお兄ちゃんじゃない。私だけのお兄ちゃんだよ」

 

 刹那、バチンッという音が部屋の中に響き、ゆんゆんの額に強い衝撃と痛みが走る。

 

「痛ったああああ!? 割れてる割れてる何これ凄く痛い絶対頭割れてりゅのほおおおおおごごごご」

 

 椅子から転げ落ち、赤くなった額を押さえる次期紅魔族族長。床を転がって奇声を発する姿は女子力というものが根本から死滅していた。

 そのおかげか、彼女は今の今まで自分が何に魅入られて何を考えていたかなど綺麗さっぱり忘れ去っていた。紅魔族特有の美しく黒い髪が先端から緑に変わっていたことなど露知らず。

 

「無駄な親和性の高さを発揮しないでくれる? 色々と面倒なことになるのが目に見えてるし、何よりお前と一緒になるなんて私は死んでも御免だよ」

 

 聞こえてきた誰かの声に涙目でゆんゆんが顔を上げれば、そこには呆れ果てた表情で見下ろしてくる緑髪の少女の姿が。

 

「いっ、妹ちゃん!?」

 

 そう、今はここにいないあなたの妹にして船旅の途中でゆんゆんを殺しかけた相手である。

 無論妹の名前はあなたが命名したものがあるのだが、本人がそれをゆんゆんに教えて呼ばれることを強く拒否したため、このような呼称となっていた。

 テーブルの対面に座った妹は右手でデコピンを作っており、素振りをするようにゆんゆんの額を狙って中指を空撃ちしている。

 自身を襲った痛みの理由を悟ったゆんゆんは額に手を当てて思わず尋ねた。

 

「えっ、なんで? なんで私デコピンされたの?」

「お前を助けてあげたつもりだけど」

「えぇ……」

 

 理不尽大魔王かな?

 自身の陥った危機を理解していないゆんゆんは、ほんのりとそんな感想を抱いた。

 しかし彼女とて然る者。親友を筆頭とした同族のおかげで理不尽には慣れっこである。

 すぐに気を取り直してイスに座りなおす。そして部屋の中を見渡すも、どこにもあなたの姿は無い。

 

「もう帰ってきたの? 早かったね。お兄さんは自分の部屋?」

「まだだよ。私はお前のお守りのために置いていかれたの。隣の部屋で寝てるエルフじゃなくって、お前のね」

 

 壁越しに隣の部屋を一瞥した後、ゆんゆんの荷物袋に目を向けて手を伸ばす。

 中からゆんゆんが呪いの本と称した赤い本が浮かびあがり、妹の手に収まった。

 本の名前を、妹の日記という。

 

「具体的な説明は面倒だからしないけど、これが私。私がこれ。まあこの体は時間制限つきで、本を開かない限り本当の意味では出てこれないんだけど」

「そっかあ……それかあ……絶対に開くなってそういう……」

「お兄ちゃんには困っちゃうよね」

「本当に困っちゃうなあ……」

 

 零れ落ちる本音。

 自分を心配してのことなので、流石にありがた迷惑と思いはしない。

 思いはしないが、それはそれとしてもう少しなんとかならなかったのかと頭を抱えたくはなった。

 

「でもその、よかったの? お兄さんと離れ離れになって」

「は? いいわけないでしょ。私はお兄ちゃんの頼みだからしょーがなく、本当にしょーがなく、断腸の思いでここにいるだけ。お前はお兄ちゃんの空より広くて海より深い慈悲に感謝するべきだよ」

 

 横柄な態度を隠そうともしない妹に、ゆんゆんはつい苦笑いを浮かべる。

 一度は襲われこそしたし本は色々と恐ろしかったものの、こうして出てきた妹の外見年齢は十歳前後と非常に幼い。ゆんゆんから見た彼女は子供でしかなく、あなたのことが大好きでしょうがない女の子だ。

 辛辣といえば非常に辛辣だが、悪辣でも陰湿でもないことを思えばそこまで気にならないし、若干の微笑ましさすら感じられた。たった今妹と同化しかけた影響かもしれない。

 

 そして妹だが、今の彼女にゆんゆんを害する予定は無い。

 主にあなたが妹分と認識しているめぐみんのせいで紅魔族のことを蛇蝎の如く嫌っている妹だが、今この瞬間、本気でめぐみんやゆんゆんを殺そう(埋めよう)と考えているわけではない。

 何故ならあなたが止めたから。それ以外の理由など存在しようはずもない。

 後先考えずに本気で殺すつもりなら暗殺という形でとっくにやっているし、それが容易く実行可能なだけの能力が今の妹にはある。

 確かに死ねば(埋まれば)いいのにとは思っているのは事実だが、その程度の感情は至高存在たる兄の命令に比べればゴミも同然なのだ。彼女の中では。

 二度ほど地雷を踏まれた際に暴れたのも、あなたが止めるならそれでよし(我慢する)。止めないなら殺してもいい相手だとあなたが認めたことになるから。

 無論殺意自体は本物なので、あなたが止めなかった場合の結果はお察しである。

 

 

 

 

 

 

 三分という瞬きのような現界可能時間が終わり、妹は姿を消した。

 

 にもかかわらず、ゆんゆんは妹との対話を続行していた。

 どんなに相手が自分に刺々しくてもめげずに頑張って歩み寄っていく彼女の姿勢と善性は、人によっては鬱陶しいと煙たがられるものだが、得難く尊いものだ。

 しかし同時に、テーブルの上に妹の日記と自分の日記を置いてごく自然に自分の日記の白紙のページに向かって話しかける姿は完璧に独り言を極めており、およそ正視に堪えがたい痛ましいものだったわけだが。

 

「ねえ妹ちゃん。妹ちゃんはお兄さんの仲間なんだよね? 元々いた世界の」

 

 かつてゆんゆんがあなたに本格的なパーティー結成を打診した際、力不足を理由に断られたことがある。

 そんなあなたが仲間だと口にしていた妹は、ウィズとはまた違う形のゆんゆんの目標と呼べた。あなたが知れば即座に止めに入るだろう。

 

『そうだね』

 

 ゆんゆんの問いかけに答えるように白紙のページに文字が浮かびあがる。

 今度はおぞましい血文字ではなく、普通の黒である。

 

『私はお兄ちゃんの一番の仲間だよ。お兄ちゃんの! い、ち、ば、ん、の! 仲間だよ!!』

 

 書き込みからドヤ顔が透けて見える妹の言葉だが、嘘を言っているわけではない。

 内面に色々と難点を抱えてこそいるものの、それでも妹はあなたの最初の仲間である少女と並んで重用されていた。内面に色々と難点を抱えているが。

 

「ってことはやっぱり強いんだよね」

『そりゃまあね。今の私は全力の25%しか出せないけど、それでもお前よりは確実に強いよ。気になるっていうなら硬貨を一枚上に軽く投げてみて』

 

 言われるままに放り投げられ空を舞う1エリス硬貨。

 硬貨が重力に囚われて空中で止まった瞬間、ゆんゆんの目と耳が硬貨に奔る赤い閃光と微かな金属音を捉える。

 閃光の正体は包丁だ。ゆんゆんは一瞬先の硬貨の無惨な最期を幻視する。

 だが硬貨はそのまま何事も無かったかのようにテーブルに落下した。

 

 てっきり硬貨がバラバラになっているか硬貨を刻んで何かを作ると思っていたゆんゆんは、何をしたのだろうと内心で首を傾げつつも硬貨を拾い上げ、言葉を失った。

 

『1エリスあらため、1お兄ちゃんってとこかな』

 

 なんと硬貨には精巧なあなたの似顔絵が刻まれていた。

 それもゆんゆんが見たことの無いほどの眩しいキメ顔と笑顔の両面刻印仕様だ。

 

 投げられた硬貨自体は不自然な動きを一切見せなかった。

 空中で停止した一瞬の間に妹はこれを作り上げたのだ。

 繊細にして大胆極まりない妙技によって生み出された一種の芸術品だが、妹はこれこそがあなたへの愛の力だと高らかに謳う。

 愛の力はさておき、妹の技量は最早疑いようが無い。

 ここ最近密かに抱えるようになっていた思いを打ち明けるべく、ゆんゆんは口を開いた。

 

「妹ちゃん。ちょっと聞いてもらいたい話があるんだけど、いいかな?」

『は? そういうのはお兄ちゃんかウィズお姉ちゃんにしなよ。何のために二人がいると思ってんの。そもそもなんで私がお前の相談に乗ってあげないといけないわけ? どうせつまんない話なんでしょ?』

「うん、ほんとそう言われるとその通りなんだけど。でも妹ちゃんはあの人の仲間だから」

『ふぅん?』

 

 くだらない理由だったら即座に会話を打ち切ろうと思っていたが、あなたが関係しているとあって少しだけ興味が湧いた妹は続きを促した。

 あなたと離れた彼女は手持ち無沙汰だったのだ。

 

「ほら、私って弱いでしょ? これでも結構強くなった自信があるけど、ウィズさん達と比べるとどうしても」

『お兄ちゃん達の家の周辺の関係者の中だと最弱だろうね』

 

 なおゆんゆん以外のラインナップは廃人とそのペット、リッチー(魔王軍幹部)、デュラハン(元魔王軍幹部)、大悪魔(元魔王軍幹部)、邪神(魔王軍幹部)となる。

 類が友を呼び続けた結果、実に豪華な顔ぶれが揃っていた。

 アクセルが第二の魔王城と化していることを女神エリスが知れば、即座に自身の信者全てに号令を出して聖戦が始まることだろう。

 

『で、それがどうしたの?』

「始まりはフィオとクレメアさん……あ、二人は私の知り合いなんだけど」

『知ってるし見てたから紹介はいらない。基本的にお兄ちゃんが見たものは私も見てると思っていいよ』

 

 これはあなたに子供が欲しいと宣言した時のような、ゆんゆんが羞恥と後悔のあまり涙目でぷるぷるする過去すら知っていることを意味するのだが、幸いにしてゆんゆんはそこまで気付かなかった。

 

「そっか。それでフィオさん達、レベル1になっちゃったでしょ? その時に言ってた足手纏いにすらなれないって言葉を聞いて、私と似てるなあって思っちゃったんだ」

『そうだね。お前もお兄ちゃんのお情けでパーティー組んでもらってるもんね』

 

 あまりにも忌憚の無い言葉だが、今のゆんゆんには明け透けなそれがかえって心地よかった。

 彼我の力量に大きな隔たりがあることは強く自覚していたから。

 

『で? まさかこの先強くなれる自信が無くなったとか言わないよね。私は別にどうでもいいけど』

 

 それこそまさかである。

 自らの無力を心の底から嘆いたあの日、ゆんゆんは強くなると決めたのだから。

 

 だが、しかし。

 それでも、たとえフィオとクレメアのように自分のレベルが1になってしまったとしたら。

 足手纏いにすらなれなくなってしまったとしたら。

 たとえあなたがそれを受け入れたとしても。

 

「私は……これ以上迷惑をかけることになる自分を許せるのかな……」

 

 雨音に掻き消される小さな呟き。

 それを受け、日記にやれやれとため息をついているようにしか見えない妹の絵が出現する。

 

『死ねばいいんじゃない? さしあたっては十回くらい。そんなつまんないこと気にならなくなるよ』

 

 突如として突きつけられた理不尽すぎる要求に、紅魔族の少女は震え上がった。

 

「妹ちゃん!? 私はそこまで言われないといけないようなことを言ったの!? それとも馬鹿は死ななきゃ治らないとかそういう話!?」

『は? 誰が聞いてもそうだねその通りだねって頷く立派なアドバイスでしょ』

 

 嘘ではない。妹のアドバイスは確かに正鵠を得たものだった。あなたも妹に同意する程度には。

 惜しむらくは、そのアドバイスが通じるのはノースティリスだけ、もしくは残機無限の場合に限る、という但し書きが付くものだったことだろうか。見てくれこそ可憐な少女にすぎない妹もまた、立派な廃人の仲間である。

 妹も最初からそれを理解して発言しているし、ゆんゆんの勘違いを訂正する気も無かった。だがそれはそれとして言いたいことはあった。

 

『お兄ちゃんは優しすぎるからあんまりこういうこと言わないんだよね。だから私が言う。お前には決定的に図々しさが足りてない。その癖自分の弱さが許せていない。殊勝なのは大変結構だけど、私から言わせてもらえばお前のそれは意味の無い悩みでしかないよ。余計なことに気を取られて実際にお兄ちゃんを心配させる前にさっさと忘れるべきだね。別にお前がミジンコ並のクソ雑魚だとは言わないけど、それでも今のお前とお兄ちゃんにはあの三人以上の力の差があるんだから、今更足手纏いにすらなれないもクソもないわけ。乱暴な言い方をすれば私達にとっては同格未満の全てが等しく足手纏いになる。今の私ですら本当の意味でお兄ちゃんの役には立てない。だからお前がレベル1になったところでお兄ちゃんにとっては誤差同然っていうか。迷惑をかけたくないって言うならさっさと強くなってお兄ちゃんを楽しませてあげてよ。お兄ちゃんの趣味の一つは仲間を強くすることなんだから』

 

 長い文章を読み終えたゆんゆんは、その特徴的な赤い目をぱちくりと瞬かせる。

 

「もしかして妹ちゃん、励ましてくれてる?」

 

 問いかけに対する答えは無く、話は終わりだと言わんばかりに全ての文字が消失した。

 妹の日記を含め、ゆんゆんが声をかけてもうんともすんとも反応しない。

 静寂に包まれた部屋の中、いまだ降り止まない雨の音が大きくなった気がした。

 

「……その、妹ちゃん。ありがとうね。私これからも頑張るよ」

 

 感情の整理はついていない。

 ただ、自分が思い悩んでいたのは全くの無駄であることだけはなんとなく分かった。

 反応こそなくとも声は聞こえているだろうと礼を言い、二冊の日記を仕舞いなおす。

 

「もっと強くなりたい……いや、ちょっと違うかな。レベルだけじゃなくて、めぐみんみたいに、もっと自分の強さに自信が持てるようになりたいな。今すぐは無理でも、少しずつ」

 

 決意を新たに。自身の動機を明確に。

 また一つ大人になった少女は、そろそろ夕飯の時刻であることに気が付き、カルラの様子を見に行こうとして──。

 

 とても文字に書き起こすことが出来ないような、落雷の如き激しい絶叫、そして宿全体を揺るがす物音がした。カルラの部屋から。

 

「カルラさん!?」

 

 果たして何が起きたのか。

 いてもたってもいられず部屋を飛び出すゆんゆん。

 

「──あがっ!?」

 

 全速力で駆け出した少女は、ちょうど扉の前に立っていたあなたに激突した。

 

 

 

 

 

 

 物凄い勢いで頭から突っ込んできたゆんゆんに、あなたはいささかばかり驚かされた。

 カルラの部屋にいなかったので外出中かと思いきや、自分の部屋にいただけのようだ。

 

「おごごごご……そこはさっきデコピンされたところ……!!」

 

 あなたの鍛え上げられた腕に額を思い切りぶつけてしまい、うずくまって痛みに呻く少女の姿は、あなたをしてなんとも言えない気持ちにさせるものだった。気をつけよう。紅魔族は急に止まれない。

 赤くなった額をさすり、涙目で見上げてきたゆんゆんにあなたはただいまの挨拶をする。

 

「あ、お帰りなさい……って大変です! カルラさんが!」

 

 焦燥を滲ませるゆんゆんに、カルラの家族が迎えに来ただけなので大丈夫だと答える。

 嬉しさのあまり少し、いや、かなりうるさくしてしまったようだが、何かしらの害があるわけではない。

 

「なんだ、そうだったんですか。また一大事かと」

 

 ほっと息をつくゆんゆんには申し訳ないが、これはある意味超の付く一大事である。

 なんせやってきたのは()()()()()()なのだから。

 

「カルラ! おおおお、カルラ、カルラあああああああ!!!!」

「陛下! お気持ちは我らも重々承知の上ですがどうかお気を静めになられてください! 騒ぎになりますし姫のお体に障ります!」

 

 ベッドに縋りつき、滂沱の涙を流すエルフの偉丈夫。

 偉丈夫を必死に諌める線の細いエルフの老人。

 感無量とばかりに天井を見上げ涙を堪える筋骨隆々の武装した壮年のエルフの男。

 

 エルフ尽くしという点を除いても、異様としか表現できない顔ぶれである。

 誰も彼もが緑を基調とした品の良いローブや鎧に身を包んでおり、こんなそこそこの値段がする程度の宿にいていい人種ではない。

 こんな起動直前の核爆弾じみた連中を抱えてテレポートで飛んできたあなたとしては、さっさと今までいた場所にお帰り願いたいところだった。カルラといい偉丈夫といいフットワークが軽すぎて困る。

 

「あの……」

 

 控えめに服の袖を引っ張ってくるゆんゆんが頬を引きつらせて恐る恐る問いかけてくる。

 

「今、カルラさんのことを姫って言ってた気が……陛下って……わ、私の聞き間違いですよね?」

 

 あなたはヤケクソじみた笑顔とサムズアップをもって答えた。

 実はカルラがエルフの国の第一王女であること、そこで泣いている偉丈夫がカルラの父にして国王であること、残りの二人はこれが罠だった場合を見越して投入された国の最高戦力にして重鎮であること、カルラが助かったのはゆんゆんが救助を提案したから、つまりゆんゆんのおかげであることはばっちり彼らに教えており、ゆんゆんは既にエルフの国の大恩人だと認識されているということを。

 

「…………」

 

 ある意味死の宣告とも呼べるあなたの言葉を受けて顔色を蒼白にしたゆんゆんは、悟りを開いたかのごとく真顔になった。

 そして。

 

「すみません私ちょっと人生の具合が悪いみたいなので一週間くらいアクセルに帰らせてもらいます。テレポッ──ぐふっ」

 

 あなたと違って何の覚悟も無しに襲い掛かってきた事実に色々と考えすぎた結果、精神的にいっぱいいっぱいになってしまったのだろう。

 即座に逃走を図ったゆんゆんに当身を食らわせる。

 気持ちは痛いほどに理解できるが、世の中には逃げてはいけない戦いがある。

 死なば諸共、一緒に幸せになろう。

 ウィズのため、ひいては世界の平和のため。少しでも責任や功績を分割して擦り付けようと画策するあなたの姿がそこにはあった。



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第115話 がんばれゆんゆん冒険者二年生

 帝都トリフ。

 大陸中央部に位置するリカシィ帝国の中枢は、同時に世界最大級の都市としても知られている。

 その規模はベルゼルグの王都を遥かに凌ぐものだが、あそこは魔王軍に攻め入られるという非常事態が半ば日常となっている特殊すぎる地域。国力の直接的な指標にはならない。数百年以上同じことをやっている時点でこれ以上無いほどに国力を示しているとも言えるが。

 ともあれベルゼルグがその強大な武力を背景とした国力に相応しい拡張と発展を遂げるのは、魔王軍の脅威を退けてからになるだろう。

 

 ではノースティリスの冒険者であるあなたから見たトリフはどうだろうか。

 ノースティリスのみならず、イルヴァという星の国々を旅して回ったあなたから見たトリフは。

 

 結論から言えば、イルヴァのそれらと比較してもトリフの規模は一線を画していると認めざるを得ない。

 これが命の価値が重い世界における強大な脅威に晒されていない大国の力とでもいうのか。

 旅立ちの前、ウィズに大陸全域の地図を見せてもらった時。あなたは真っ先に自身の目を疑い、次に縮尺が間違っているのではないかと確認してしまったほどだ。

 果たして帝都全域を更地にするまでに核爆弾が何個必要になるのか。自他共に認める歴戦のボンバーマンの一角たるあなたですら真剣に考え込んでしまう。とりあえず二桁は確実だろう。

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんとカルラと一旦別れ、妹を目付け役として残して早朝にフィーレを発ったあなたは、あまり人目につかないよう街道ではなく竜の河の側を遡るように進んだ。そうしてトリフの玄関口に辿り着いたのがちょうど天気が崩れ始めた昼前。

 

 馬車を使っても二日はかかる道のりを短時間で消化できたカラクリは、今更説明するまでも無いだろうが速度を引き上げたから。街道を使わなかった理由も同様。流石に悪目立ちするだろうと考えたのだ。目立つのはまあいいとしても無駄な足止めは食らいたくなかった。

 あなたは今回のように急ぎの用事や依頼でもなければ自身の速度を上げて旅をしたりはしない。そこまで生き急いでいなければあまり意味も無いゆえに。

 速度を上げた状態ならすぐ到着するから楽だしお得なのでは? そんな疑問を抱く者もいるかもしれない。

 客観的な視点から見た、到着するまでにかかった時間という意味では間違っていない。

 間違ってはいないのだが、あなたの主観となると話は変わってくる。

 基準速度である70の時の一秒と限界速度である2000の時の一秒。これらは体感では同じ長さ、同じ一秒になる。

 普通なら10時間かかる道を速度を上げて1時間で踏破しても必要な距離そのものに変化が無い以上、あなたの主観では10時間で踏破した事になってしまう。なので労力という観点では変化が無い。これはそういう話だ。

 

 

 

 目的地に辿り着いたあなたは軽く周囲を見渡す。

 トリフを取り囲むようにいくつも点在する玄関口の一つ……つまりあなたが今いる場所は壁ではなくちょっとした野生動物や魔物避けの柵や塀で囲まれているだけの郊外なのだが、それでもそこいらの街に引けを取らないほどに繁栄している。大きさはアクセルの3割ほどだろうか。大会前とあってか人通りも郊外とは思えないほど多い。世界中から人が集まってくる一大イベント。都市内部の盛況っぷりはこの比ではないと思われる。

 ここも若干後ろ髪を引かれるものはあるが、今のあなたはワケありだ。本命はさらにこの先、今も微かに視界に映っている、巨大な外壁の向こう側にある。

 時間は幾らでもあるのだから、ゆんゆんを回収した後に一緒に見て回ろうと、軒を連ねる異国の店に目をくれず、都市内部へとまっすぐ伸びる本道を進んでいく。

 

 初めはおぼろげだったそれは、あなたが近づくにつれ少しずつその威容を示していく。

 石を積み上げて作ったものではないと一目で理解できる、継ぎ目一つ見当たらない滑らかな純白の外壁。

 高さはおよそ20メートル。不思議な質感をした外壁の耐久力は石やレンガとは比較にならないほどに高く、さながら鍛え上げられた鋼の如し。それでいて長き時を風雨に晒され続けながら錆一つ浮かんでいない。天気がいい日は眩しくて割とうざいと評判だったりする。

 こんなものが核爆弾数十発分の効果範囲を持つトリフ全域を囲んでいるのだ。

 製作者は不明。神の奇跡とも勇者の偉業とも称されるそれはこの世界の文明レベルから完全に逸脱した存在だった。

 

 ……なのだが、あなたは最近似たようなものをお目にかかっていたりする。

 具体的には紅魔族の里の地下、魔術師殺しが安置されていた地下格納庫がこんな感じだった。

 あちらは普通に灰色だったが、仮にこの外壁がニホンジンや紅魔族関係の代物なら色々と納得が出来るのが酷いところだ。製作者が不明な部分を含めて。どうせ歴史の闇に葬られたとかではなく、面倒に巻き込まれたくないとか秘密にしておいた方がカッコイイとかその程度の理由なのだろう。

 

 

 

 

 

 

「よし、次の者!」

 

 門の前に出来ていた都市内に入ろうとする人の列に並ぶこと暫し。

 激しい嵐を予感させる空模様に、これはいよいよかと雨具を取り出したタイミングで順番が回ってきたあなたは門に足を踏み入れた。

 あらかじめ取り出していた冒険者カードを衛兵に渡す。

 神々がもたらした産物にして偽造が不可能な冒険者カードは、当人の犯罪歴などが載る事もあって非常に公的価値の高い身分証であることは周知の事実。よって今回のような場合はこれを見せれば大体解決する。

 冒険者のみならず商人や料理人といった他職の者も同じようなカードを有しており、カードの便利さと浸透っぷりが伺える。

 

「ふむ、冒険者か……なるほど、ベルゼルグ所属と」

 

 珍しい、といった風にとどまるこの反応は流石の異国と言わざるを得ない。

 これがベルゼルグの各地だと頭のおかしいエレメンタルナイトがやってきたと知った衛兵の顔が青くなったり半泣きになったりといったリアクションが返ってくるのだ。

 イルヴァでもあるまいし濡れ衣も甚だしい。

 

「しかしこれは……」

 

 カードを見て軽く目を見開いた衛兵は、興味深いとばかりにカードとあなたを交互に見やっている。

 何かおかしな事でもあったのだろうか。心当たりは腐るほどにある。

 あまり足止めを食らいたくないあなたが努めて軽い調子で問いかければ、衛兵は頭を掻いて答えた。

 

「ああいや、すまない。ここまでレベルとステータスが高い冒険者を見るのはなにぶん初めてでな。流石はあのベルゼルグの冒険者といったところか」

 

 レベル40台の冒険者を十数人揃えれば確実に勝てる。もとい納税させられる。

 実際は全くそんなことはなかったのだが、とりあえず冒険者ギルドにそう認識される程度のレベルとステータスがあなたの冒険者カードには記載されている。つまり個人としてはそれなりに破格と言えるだけの数値が。

 ともすればこの場で英雄扱いされてもおかしくない。ベルゼルグより平均レベルが10も低いこの大陸ではなおのこと。

 それがこうして感心されるだけに留まるあたり、この衛兵の肝が据わっているだけなのかベルゼルグのイメージがおかしいのか判断に困るところだ。

 

「この時期に来たってことは観光か? それとも所属を移す予定でも?」

 

 暗に出場するつもりなのか、という問いかけ。

 ベルゼルグ所属の者は大会出禁を食らっているが、所属を他国に移せばペナルティこそあれども出場はできるという抜け道がある。

 しかしそんなつもりの無いあなたはやんわりと観光と大会の観戦に来ただけだと否定した。

 

「そうか、残念だな。この能力なら大会に出場できれば優勝候補間違いなしだったろうに」

 

 こういった大会に出場者が求めるものとは何だろう。

 あなた自身の経験則で大雑把に分類すれば富、栄誉、己の力試し、強者との戦いといったところか。

 次いでこれらをあなた自身に照らし合わせてみよう。

 

 まず富。

 金銭についてはどれだけあって困るものではないが、今のところ満足するだけのものを有している。それこそ国から徴税部隊を送りこまれる程度には。

 賞品に神器があれば食指の一つや二つは動いただろうが、残念ながらそこまでぶっ飛んだものではなかった。数年に一度というペースで開催しているのだから当然といえる。それでも莫大な金銭と希少な物品の数々が得られることには変わりないのだが。

 

 栄誉。

 ウィズの手前日頃は極力目立たないように注力しているものの、あなたは目立つこと自体は別に嫌いというわけではない。承認欲求は人並みに備えている。

 だが今のあなたがデメリットを抱えてまで求めるものではない。そういうのはノースティリスをはじめとしたイルヴァの各地で十二分に堪能した後であり、何よりあなたは信仰する女神から特別な寵愛を賜るという至上にして最高の栄誉を得ているのだから。

 それにこの世界でも紅魔族の里に行けばアイドルや英雄扱いを受けている。彼らとあなたでは価値観が違いすぎる上に人気がある理由もイマイチ理解出来ていないので、どれだけちやほやされても喜びや照れより困惑が先に来てしまうわけだが。

 

 力試し。

 試すまでもなくあなたは自分の力を正しく把握している。

 駆け出しでもあるまいし、自分の力量すら見通せず持て余すなど笑い話にもならない。

 

 強者との戦い。

 これは中々に魅力的だが、あなたが求めるのは戦いの中でも命のやりとりなので、当然のように殺傷禁止の大会とはそりが合わない。見世物でも情け無用の血みどろ残虐ファイトが基本のノースティリスとは違うのだ。

 廃人級が大会に出場してなおかつノースティリスの冒険者よろしく観客をミンチにするなど暴れ始めた場合はまた話が変わってくるが、今この瞬間自分の頭に隕石が落ちてくるとかそういう非常識なレベルの仮定になるだろう。

 

 衛兵との会話を続けながら頭の隅でそんなことを考えていたあなたは、ふと頭に隕石が落ちてくる程度なら割と日常茶飯事だったことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 さて、市内に入ったあなたが真っ先に向かったのは衛兵に場所を教えてもらった最寄の冒険者ギルドだ。

 広大な面積を誇るトリフには各地に八つの支部、それらを統括する中央の本部の一つ、計九つの冒険者ギルドが配置されている。

 

 そうしてギルドに辿り着いた頃には激しい雷雨が大地に降り注いでいた。

 この分ではゆんゆん達がいるフィーレも似たような状況だろう。このような天気では竜の河も荒れ放題。つくづくあの日あの時あなた達に見つかったカルラは運が良かったといえる。ラーネイレ達に救われたあなたと同じように。

 

「こちらでよろしかったでしょうか」

 

 過去を想起させる激しい雷雨に運命的なものを感じていると、渋い白髭が特徴的な初老のギルド職員が市内全域の地図を持ってきてくれた。礼を言って机に広げてもらう。

 これこそあなたがギルドに足を運んだ理由である。

 カイラム大使館の大雑把な位置はカルラから聞いているが、もう少し具体的な場所が知りたかったのだ。

 

 あなたが現在いるのは東の第3支部。

 そしてカイラム大使館は城を挟んだ先の中央西側にあるようだ。

 大使館とは国外における外交活動の拠点。必然的に都市中枢から近い場所に配置されると相場が決まっている。カイラムも例外ではない。

 

 最初から分かっていたことだが、大使館は現在あなたがいる場所からかなり離れている。

 場所を記憶したあなたは地図を持ってきてくれた職員に一つの申請をした。

 

「かしこまりました。中央本部へのテレポートサービスのご利用ですね。それでしたら……こちらの書類に必要事項の記載を。費用は()()()()()となっております」

 

 ここで突然だが女神エリスについて思い出してもらいたい。

 幸運を司り、人々の死後を導く彼女はこの世界において最も有名な女神だ。国教や貨幣単位となるほどに。

 

 国教。そう、国教である。

 確かに女神エリスは世界で最も有名な女神であり、それを信仰するエリス教は世界最大級の宗教だが、国教および貨幣単位となっているのはベルゼルグの中だけに止まっている。

 世界中の国が等しくエリス教を国教と定めているわけではないのだ。

 それ以前に国教を定めている国自体が非常に少ない。

 ベルゼルグから海を隔てた先にあるリカシィやカイラムも、国が特定の宗教の保護や支援、信仰の推奨は行っていない。

 

 そういうわけなので、上記のようにリカシィの貨幣単位はエリスではない。

 一億エリスと聞いて一億人の女神エリスなどといった愉快なイメージをせずにすむわけだ。

 あなたとしては自身の名が通貨単位になっているという事実を女神エリスがどう感じているのか気になるところである。

 

 ちなみにフィルとエリスの交換レートはほぼ1:1となっている。これ分けてる意味あるんだろうかと言ってはいけない。通貨とはそういうものであるがゆえに。

 

 話を戻そう。

 先の職員の言葉から分かるように、なんとこのトリフの冒険者ギルド、各地の支部および本部に直通のテレポートサービスを営業しているのである。

 利用できるのは冒険者だけとはいえ、その利便性は語るまでもないだろう。ノースティリスの各ギルドにも見習ってもらいたいものだ。

 費用に関しては日常的に利用しようと思えるものではないが、テレポートの使用を限定的に解禁している上に高給取りのあなたが躊躇うことはない。

 

 何の気なしに十万フィルをポンと支払うも、そこで軽いざわめきが起きる。

 視線を散らしてみれば、地元の冒険者と思わしき者達が警戒と緊張が混じった観察の目をあなたに向けていた。

 

 現地入りしたあなたは最初に所用の手続きをしたのだが、それを担当した職員は研修中の札を下げた少女とも呼べる年齢の人間だった。

 そしてあなたの冒険者カードを見た彼女は、先の衛兵とは違う非常に大袈裟な反応をしてしまったのだ。女神アクアが冒険者になりに来た時にルナが似たような事をやっていた。守秘義務とか無いのだろうか。

 当然修羅の国ベルゼルグからやってきた事も知られている。冒険者達は余所者が自分達の縄張りを荒らしに来たと考えているのだろう。

 今のあなたは観光客なので彼らの心配は杞憂に過ぎないのだが、わざわざそれを説明する意味も理由も無い。

 元よりこのギルドに足を運ぶ機会は恐らくこれが最初で最後になる。

 

 

 

 

 

 

 

 ざあざあではなく、バチバチ。

 雨具越しに感触が伝わってくるほどにその勢いは強い。

 激しい雨音は赤子の鳴き声の合唱すら容易く掻き消すだろう。

 

 そんな十歩先すら目を凝らさねば定かではない、正直こんなことなら日を改めるべきだったと心の片隅で後悔したくなるような豪雨の中。

 たっぷりと捜索に三時間ほどかけ、あなたはカイラム大使館に辿り着いていた。

 

 精神的な疲労を臓腑から搾り出すように嘆息する。

 土地勘の無い場所、視界の悪さ、似たような建物が幾つもあったなどといった事もあり、予想外に時間がかかってしまった。

 何かしらのフォーマットでも決まっているのか、あるいはイメージ的な問題なのか。大使館という建物はどこの国も基本的に白か灰色だ。イルヴァでもそうだった。

 いっそすぐ見分けがつくように壁を派手な蛍光ピンクにでも塗っていてくれないものだろうか。塗ったら塗ったでその国の常識と正気を疑うが。

 

 建物を見上げてみれば、屋根の天辺には一本のポールがぽつんと寂しく立っていた。

 本来であれば所属を示す国旗がはためいていたのだろう。この辟易を通り越す空模様では仕方ない。

 

 大使館の敷地内に、あなたを誰何してくる警備の人間、あるいはエルフは一人もいない。

 窓の中から微かに明かりが見えることから誰もいないわけではないのだろう。

 正面玄関の扉を引き、ゆっくりと開ける。

 

 瞬間、あなたは扉から闇が漏れ出たような錯覚を受けた。

 

 室内に立ち入ったあなたが反射的に行ったのは光源の確認。

 しかし天井をはじめとしてどこを見渡しても、大使館の内部はちゃんと明かりがついていた。よくよく見てみれば別段暗いということもない。

 いや、それは最初から分かっていたことだ。明かりは外からも見えていたのだから。

 

 にも関わらず足を踏み入れたあなたは部屋が暗いという第一印象を受けた。あるいは怪しげな儀式でもやっているのかと勘繰るほどに。

 その理由は建物中に蔓延する重苦しい雰囲気のせいである。まるでお通夜だ。実際比喩表現抜きにお通夜の最中でもなんらおかしくない。

 

「カイラム大使館へようこそ。このような天気の中でさぞ大変だったでしょう。どうぞこちらをお使いください」

 

 玄関で雨具を脱いで片づけをしていると、朗らかな笑顔を浮かべた職員のエルフがやってきた。見た目は二十台後半から三十台前半。スーツを着た短い金髪の男。手には大きなタオルを持っている。

 あなたはふかふかで綺麗なそれをありがたく受け取った。

 

「本日はどのようなご用件でしょうか」

 

 一息ついたタイミングを見計らっての問いかけ。

 相変わらず大使館の雰囲気はすくつの浅層並に暗いが、目の前のエルフはそれを寸分も感じさせない。流石は国外の大使館に配置されるエリートだ。

 

 あなたはプロ根性に感心しつつ、この雨の中でも全く濡れていない、しっかりと保護された二通の封筒を荷物から取り出し、極めて簡潔に答えた。

 

 自分は現在そちらの国の第一王女を保護している者であり、彼女から手紙を預かってきた、と。

 一通は大使館へ。一通は父親へ。

 

 果たして、反応は劇的だった。

 

 

 

 

 

 

 少し昔の話をしよう。

 ある時、ノースティリスで一つの博物館がオープンした。

 それ自体は全く珍しい話ではない。どこにでも転がっている、ノースティリスの日常の一つだ。

 

 だがその日オープンした博物館は、そんじょそこらのものとは一線を画していた。

 その名もラーネイレ博物館。れっきとした名前である。

 

 名前を裏切る事無く、博物館にはラーネイレ縁のものしか置かれていなかった。

 どこを見てもラーネイレ。建物まるごとラーネイレ。

 主な展示物はラーネイレの剥製。その数は365体。

 他にはラーネイレのカード、ラーネイレの絵画、ラーネイレの人形、ラーネイレの抱き枕、ラーネイレの隠し撮り写真、ラーネイレの歩んできた軌跡、その他諸々、展示物から土産物まで全てがラーネイレ一色。

 

 館主は365日の間、一日も欠かさず毎日ラーネイレの剥製を願いで入手していた。

 狂気の沙汰としか言いようがない。

 無論ラーネイレの剥製をひたすら集め続けたことではない。そういった手合いはあまり珍しい部類ではないし、熱を上げた相手の剥製を集めるのは人として当然の欲求だとあなたは思っている。

 彼が狂っていると評されたのは、それを博物館として大々的に公開したからだ。いくらなんでも相手が悪すぎる。少しでも考える頭を持っている者はその選択肢を選ばない。

 あなたも名の知れた博物館の館長として、そして何よりも一介の収集家として。ラーネイレ本人を殺害するという形で入手した彼女の剥製やカードは目玉展示品のひとつとしているが、それだって常識の範囲内にとどめている。

 

 何が悪いかといえば盗撮写真が悪かった。

 

 結果として、誰もが知る英雄にしてアイドルを辱めた博物館は、開館当日中に押し寄せた無数の暴徒の手によって無惨に焼け落ち、365体の剥製を始めとしたラーネイレコレクションは一つ残らず盗み出され、不届き者の館主はサンドバッグに吊るされた。

 この話を聞いた誰もが「まあそうなるだろうな」と答える曰くつきの事件だ。

 

 余談だが、この時集った暴徒の中には、後にあなたの友人となる『全裸勇者』の異名を持つ風の女神の狂信者、かつては虚空を這いずるものと呼ばれていた凄腕の剣士、そして緑色の髪を持つ皮肉屋のエレアの姿が確認されていたりする。

 

 ……つまり、何が言いたいのかというと。

 ラーネイレと同じように、カルラもまた国民から大人気だということだ。

 

 

 

 

 

 

 さっさと帰りたい。

 何度思ったか知れない言葉を胸中で呟く。

 部屋の隅には本棚があるが、とても読んで時間を潰そうという気にはならない。

 時計を見てみれば、あなたが()()に来てから既に一時間が経過していた。

 部屋中に満ちる重苦しい沈黙と気まずさから居心地の悪さを隠そうともしない、ドアの横に佇むエルフの騎士に声をかける。

 

「はいぃっ!?」

 

 新米なのだろう。まだ少年の年頃のエルフは驚きで飛び上がった。

 まだ時間はかかりそうなのかと問いかける。

 

「ええと、申し訳ありません。僕のほうからはなんとも」

 

 困り果てた声色だ。さもあらん。彼に聞いてもしょうがない、意地が悪い質問だった。

 なにせ彼はこの一時間、いきなり国の外からやってきたどこの馬の骨とも知れぬ人間と二人きりにさせられているのだから。

 だが会話の取っ掛かりにはなったようだ。面貌から快活さが垣間見える騎士はミゲルと名乗り、臆した様子もなく尋ねてきた。

 

「あなたはどうしてこのお城に?」

 

 言葉短くあなたは答える。

 トリフにある大使館に手紙を届けたら有無を言わさず連れてこられた、と。

 

「トリフ……っていうことはリカシィから? 隣国じゃないですか」

 

 彼の言葉から分かるように、現在のあなたの所在地はエルフの国カイラム、その王城の一室である。

 

 連れてこられた理由については納得が出来る。

 それはそれとして今日は大使館の職員にカルラを回収してもらい、後日ゆんゆんと共に改めて……という予定を立てていたあなたはさっさと帰りたかったのだ。

 

「リカシィといえば闘技大会ですよね。それ関係でわが国の姫様がリカシィに滞在している最中なんです。カルラ様っていう凄く美しい方なんですけど、ご存知ですか?」

 

 期せずしてあなたはカイラムの現状を理解した。

 カルラ本人も推測していたが、王女が竜の谷で安否不明になった件はまだ国内に知れ渡っていないようだ。

 流石に事情を知っていてこの態度と質問はありえない。

 

「今は先輩達も大半が外に出ちゃってて。僕みたいなひよっこまでこうして駆り出されてるんです」

 

 カルラ本人曰く、彼女の母、つまり王妃が病床にあるというのは一般に伏せられている。

 そしてカイラム代表としてリカシィに赴いていたカルラは母が危篤に陥った事を知り、いてもたってもいられず竜の谷への探索隊に参加を強行。

 苦難の末にエリー草を発見したはいいが、帰り道で突然の奇襲を受け致命傷を負い河に転落。死亡。流れに流れあなた達に見つかるという経緯をたどった。

 

 竜の谷は空間が歪んだ異次元と化しており、テレポートが禁じられてしまうが故に起きた悲劇である。

 きっと騎士達は今もリカシィの各地でカルラの捜索中なのだろう。

 彼らの胸中は想像に難くない。あるいはその悔恨と絶望が豪雨を発生させたとしてもおかしくはない。

 

 リカシィとしてもとんだ災難だ。

 竜の谷は幾人もの勇者や英雄、騎士団、要人が挑んではスナック感覚で死んでいく人外魔境。

 そんな手に余りすぎる場所をリカシィは自国の領土と定めていないし、実際各国に受け入れられている。

 身も蓋も無いことを言うと竜の谷の中でカルラが死んでもリカシィとしては自業自得だし無関係、知ったことではないと言い切れる。

 だがカルラは公的にはリカシィに滞在していることになっている。

 これだけならまだなんとかなるかもしれないが、カルラは竜の谷で河に落ちた。そして竜の谷の河は幾重にも枝分かれしてリカシィ全域に続いている。

 カルラの死体がリカシィ国内で発見された場合、それはもう言葉に出来ないくらいめんどくさい事態に陥るのが目に見えていた。ラーネイレ似の王女様は各方面に迷惑をかけすぎである。

 

 かくいうラーネイレも故郷の森が焼き討ちを食らった際、立ち往生していた下手人を救うべく燃え盛る森の中に飛び込み焼死したことがある。

 死に慣れていない者が苦しい死に方をするとあっさり終わりを選ぶのは珍しい話ではないので、彼女の行動は人命救助という意味では確かに間違っていなかった。自分が死ぬくらいなら止めとけよと誰もが口を揃えるだろうが。

 普通に這い上がったからいいものの、仮にそこでラーネイレが終わって(埋まって)いた場合、諸々へ与える悪影響は恐ろしいことになっていただろう。

 ただでさえ碌でもないと評判のイルヴァは、間違いなく今よりも悪いことになっていた。

 

 ミゲルと軽い雑談を交わしつつも聡明な割にいざとなったら後先考えない行動に出る知人との妙な部分での一致に頭痛を感じていると、客室の扉を何者かが外からノックした。

 ようやく沙汰が下る時間が来たのだろうか。

 

「────ッ!?」

 

 扉を開け、中に入ってきた人物を目の当たりにしたミゲルが大きく目を見開いて絶句した。

 

 やってきたのは一人の騎士。

 しかしミゲルのような新米ではなく、明らかに高位のそれだと分かる壮年の男。

 一般的にエルフは魔術や弓が得意とされているが、そんな印象を根底から覆すかのように鎧の下は巌の如く鍛え上げられていると分かる。

 

 兜こそ脱いでいるものの、それ以外は完全武装で入ってきた騎士にミゲルは直立不動。

 

「すまない、お待たせした」

 

 燃えるような赤毛をオールバックに整えた男は、ミゲルの姿を認めたかと思うと、やんわりと退室するよう命じた。

 

「ご苦労だった。ここは私が引き継ぐ。貴様は下がってよい」

「了解しました! 失礼いたします!」

「うむ」

 

 きびきびと退室したミゲルを見送り、赤毛の騎士はあなたに向き直る。

 

「お初にお目にかかります。カイラム近衛騎士団団長を勤めております、エルドルと申します」

 

 名乗りをあげた男は深々と頭を下げた。

 流石は騎士だと賞賛を送りたくなる、お手本のように綺麗なお辞儀だ。

 

「まずはこの国全ての者を代表してあなたに感謝を。カルラ様の命をお救いいただき、本当に、本当にありがとうございました……」

 

 引き締められた顔はよく見ると目に隈が浮かんでおり、うっすらと涙の跡が見える。

 特に言葉も思い浮かばなかったあなたは素直に礼を受け取った。

 とりあえず手紙は本人の直筆であると認められたようだ。面倒が無くて助かる。

 

 あなたの対面に座ったエルドルは長年の懸念が解消されたかのように晴れ晴れとした、しかし頭痛を抑えるかのような、実になんとも言えない表情で語り始めた。

 

「単刀直入に本題から入る無作法、お許しください。あまり時間が無いのです。結論から申しますと、姫様を送迎する人員の選抜で非常に揉めました」

 

 テレポートの定員は四名であり、あなたと飛べる者は三名。

 あなた無しで送るだけならどうにでもなるが、万が一を考えてあなたも同行させる事となっている。リスク管理は大事なので疑われても文句は無い。テレポートは対象を火口に直接飛ばすような真似も出来るのだから。

 エルドルは人員の一人だという。しかし一時間以上も人を放置して人員の選出で揉めるとは何をやっているのだろう。

 そんな呆れを敏感に読み取ったエルドルは苦笑いを浮かべる。

 

「呆れになるのはご尤もです。我々もそんな暇があるのなら一秒でも早く姫様の下に向かうべきだと分かってはいたのですが……」

 

 奥歯に物が挟まったような言い方をするエルドルに、あなたはとてつもなく嫌な予感がした。

 癒しの女神があなたの『癒しの女神型1億金貨貯金箱』を誤って割ってしまった時も、こんな風だったことを思い出す。

 あれは限定販売のレア物だったのであなたは随分と落ち込んだものだ。後に女神お手製の貯金箱を下賜されたわけだが。

 女神本人曰く猫だという、妙に目力の強い造形をした異形の貯金箱はあなたの宝物の一つである。

 

「真っ先に名乗りを上げた方がですね……ええ、なんと申しましょうか……」

 

 聞きたくも知りたくもなかったが、この言い回しから察するに、ことここに至っては何の意味も無いのだろう。

 あなたは可能な限りゆんゆんに印象と功績を押し付けるべく、作戦と言い回しを脳内で練り始めた。

 

 

 

 やがて、審判の鐘……もとい扉を叩く音が鳴る。

 

「……どうか他言無用に願います」

 

 厳かな声を掻き消すように扉が開く。

 そして魔術師であろう、老齢のエルフを伴って現れた男を見た瞬間、あなたは顔を顰めなかった自分の表情筋を褒め称えた。

 まったくもって不思議なことに、やってきたエルフはこの部屋の壁にかかった肖像画とそっくりの顔の持ち主だったのだ。違いは服と王冠をつけていないところくらい。

 カルラと同じ空色の髪と瞳を持ち、威厳と覇気に溢れた一目で傑物と分かる偉丈夫。

 エルドルに促され席を立ったあなたを、鋭い眼光が貫く。

 

 

 肖像画のタイトルはカイラム・ブレイブ・ワンド・シリウス。

 現在のカイラム国王、その人である。

 

 

 この後滅茶苦茶王様に感謝された。

 

 

 

 

 

 

 ……以上がここに至るまでの経緯だ。

 

 なんやかんやあったが、とりあえず人心地ついたあなたはご自由にお召し上がりくださいとお茶と共に差し出された薄い焼き菓子を齧る。

 名前はレンバス。見た目はクッキーのようなシンプルな焼き菓子ながら芸術品のように美しく、味は筆舌に尽くしがたい。

 エルフにとって特別な代物らしいが、なるほどこの味であればそれも頷ける。

 女神にお菓子を奉納しているあなたの舌を唸らせ、プライドを刺激する品だ。幾つかお土産に持って帰れないだろうか。後でカルラに頼んでみるとしよう。

 

「…………はっ!?」

 

 日が沈み、夜が更けた頃。

 ベッドに寝かされていたゆんゆんはようやく意識を取り戻した。

 妹に聞くところによると彼女はあなたが出かけていた際に妹と同調、同化しかけたらしい。恐ろしすぎる話はあなたの心胆を寒からしめた。とりあえずおはようと声をかけておく。

 

「あ、はい。おはようございます。おかえりなさい……?」

 

 挨拶もそこそこにきょろきょろと周りを見渡し始める紅魔族の少女。

 寝起きの頭でも何かがおかしいと気が付いたのだろう。

 

「え……あれ? へっ?」

 

 頭上にハテナマークが飛んでいそうな表情をしている。

 状況を理解出来ていないようだ。無理も無い。

 

「あの。ここ、今、私、どこですか? なんかここ、おかしいっていうか、すごい? すごくないですか?」

 

 凄いか凄くないかでいえばとても凄い。

 豪華さで見るならベルゼルグ王城でカズマ少年が過ごしていた部屋が近いが、彼はよくこんな場所で寛げるものだと変なところで感心してしまう。

 このような場所で時間を過ごすだけならあなたも慣れているが、日常を過ごし寝泊りするとなると話は別だ。ありていに言って落ち着かない。

 

「もしかしてこれって夢?」

 

 寝起きと混乱で微妙に言葉が怪しいゆんゆんにあなたは答える。

 ここはカイラム王城、来賓用の客室だと。いわゆるVIPルームだ。

 あなたに宛がわれた部屋も隣にある。宿は引き払った。荷物もちゃんと忘れずに持ってきている。

 

「かいらむ、おうじょう? ……なんで?」

 

 何故。何故だろう。

 決して相手に強要されたわけではない。拉致されたわけでもない。だがあなたは今ここにいる。

 強いて言うなら報酬の為だろうか。

 今回の件については多少なりとも責任を感じているというのもあるし、半ばで投げ出すのも収まりが悪いというのもある。

 無論時と場合、相手の出方によっては相応の対処をするつもりではあるが。

 

「すみません、ちょっと意味が分からないです」

 

 普段のツッコミや皮肉とは違い、本気であなたの言葉の意味が理解できない、といった表情だ。

 なんとなくそうではないかと感じていたが、やはりゆんゆんは当身を食らう前後の記憶が飛んでいるようだ。あるいは現実から目を背けているのか。

 残念ながらどれだけ逃避しようとも立ちはだかる現実と廃人からは決して逃れられない。

 

 ベッドに近づいたあなたはレンバスを一切れ手渡す。

 

「うん? これ、お菓子ですか? ありがとうございます」

 

 ゆんゆんはベッドにこぼさないようレンバスを小さく齧り、そのままフリーズした。

 実に期待通りの反応である。

 

「…………」

 

 柔らかな月の光が部屋に差し込む中、忘我の紅魔族は体をガタガタと震わせ、おぼろげだった瞳には確かな理性が宿り、額からはだらだらと冷や汗が流れ、顔色は青に変化していく。

 

 何事かと聞かれればただ事とあなたは答える。

 レンバスは食した者の心身の調子を整えてくれるという素晴らしい効果を持つ。

 そしてゆんゆんは無事に記憶を取り戻して現状を正しく認識してくれたというわけだ。

 

「人生の具合がっ!」

 

 それはさっきやった。

 

「世界が私に優しくないっ!!」

 

 ちなみにゆんゆんが寝ている間にベルゼルグとリカシィから感謝の言葉が届いている。

 あなた達はごく一部で一気に有名人になった。

 

「やだあ! やだやだやーだー! ふぁっきゅー!!」

 

 昨今稀に見る勢いでゆんゆんのキャラ崩壊が激しい。

 切羽詰った救国の英雄はベルディアよろしく泣き言と駄々を漏らし始めた。

 むさくるしいおっさんであるベルディアのそれと違って大変可愛らしいが、さっさと諦めて現実を受け入れるべきだ。泣いても喚いてもこの悪夢は決して覚めない。

 今度は気絶しないよう、あなたはゆんゆんの頭に軽くチョップを入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 現在に至るまでの流れを簡潔に説明し終えると、ソファーであなたの横に座ったゆんゆんは両手で顔を覆っていた。

 

「直接本人に確認こそしませんでしたが、私もカルラさんが平民だとは思っていませんでした。でも王女って。王女様って。そんなの考慮してませんよぉ……」

 

 それに関してはカルラの自己紹介で気付かなかったゆんゆんが全面的に悪い。

 近接戦闘の師兼友人からぐうの音も出ない正論でぶった切られた少女はテーブルに突っ伏した。

 

「私達、これからどうなっちゃうんでしょう?」

 

 カルラが薄汚い陰謀に巻き込まれた結果その命を落としたというのなら、彼女を生還させたあなた達に魔手が伸びていただろう。だが今のところ特にそういった気配は無い。

 よくも悪くもただの事故だったのだ。

 

 闘技大会に間に合うようにリカシィに戻りたいとは伝えているし、相手側からも了承を得ている。

 ゆんゆんが考えているような悪い事にはならないだろう。というかあなたがさせない。ゆんゆん一人を守るくらいは容易いものだ。

 いざとなったらあなたが城ごと厄介事を物理的に消し飛ばしてくれると思えば、少しは気も晴れるのではないだろうか。

 

 そんなあなたの言葉を受け、ゆんゆんは夏の雪のような儚い笑みを浮かべる。

 

「あはは、ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。……ところでいざとなったら城を消し飛ばすって冗談というか比喩的な表現ですよね? ね? だってめぐみんじゃあるまいし。めぐみんじゃあるまいし」

 

 勿論100パーセント本気だ。あなたは真顔で答えた。

 メテオの威力と効果は彼女もよく知るところである。

 とはいえあれがあなたの本気と勘違いしてもらっては困るわけだが。

 

「私が……こういう時こそ私がしっかりしないと……今ここにはウィズさんがいないんだから……!」

 

 スイッチが入ったかのように真紅の瞳に炎が灯る。それは不退転という名の決意の表れか。

 あなたの甲斐甲斐しいフォローのおかげでゆんゆんは覚悟が決まったようだ。

 

 

 

 

 

 

 結局そのまま王城にて何事もなく一夜を過ごし、その翌日。

 

 ゆんゆんが起きたらいつでもいいので改めて礼をさせてほしい、そう言伝を預かっていたあなたはエルドルに連れられて城の中を進む。

 カルラの捜索に出ていた者達はまだ戻っていない。人手不足というのもあるだろうが、案内として近衛騎士団の長という大物が宛がわれているあたり、あなた達への待遇の一端が察せられる。

 

「…………」

 

 あなたの後ろではゆんゆんがおっかなびっくり周囲を窺っていた。

 ここは王城。余りにも自分が生きてきた世界とは違うと肌で実感しているのだろう。絨毯一つ踏むことすら躊躇しているようだ。

 先日の決意から気負っているというのは分かるのだが、だからといって絨毯を避けてこそこそ端っこを歩くのはあまりにもみっともない。しゃんとするようにと背中を叩く。

 

「うひゃい!?」

 

 いきなり変な声をあげるゆんゆんに驚いたのか、エルドルが足を止めて振り返った。

 

「いかがなされました?」

 

 彼女はこういった場所が初めてなので酷く緊張しているようだと、弟子の無礼を謝罪する。

 恥ずかしい思いをさせられた真っ赤な顔のゆんゆんは、エルドルから見えないようにどすどすとあなたの背中を小突く。

 

「ってそうだ。あの、エルドルさん……でしたよね?」

「はい。なんでしょうか」

「カルラさんと、カルラさんのお母さんの具合はどうですか?」

 

 恐る恐るの問いかけに、エルドルは安心させるように笑いかける。

 

「姫様でしたらいまだ床から起き上がれない安静の身ではありますが、それ以外は心身共に健康そのものだそうです。今朝は既に食事も終えたとか。王妃様も姫様のご帰還と時を同じくしてエリー草を摂取し、驚くべき速度で快方に向かっていると聞き及んでおります。姫様にも特大の拳骨を落としたとかなんとか」

「そうなんですか……よかった。いや、拳骨はともかくとして」

 

 実のところ、先日宿に父王が駆けつけて大騒ぎしていた時、カルラは目を覚まさなかった。

 枕元であれだけうるさくしても目覚めない彼女に若干の不安はあったが、軽く診断した同行者の宮廷魔術師筆頭曰く魂の傷を癒すべく眠りが常よりも深くなっているのだという。

 聞けば昨夜遅くに目が覚めて家族や家臣と感動の再会を果たしたりちょっと洒落にならないくらい怒られた後に泣かれたとのことだが、あなた達はその時普通に寝ていたので蚊帳の外だったりする。

 

 王妃に関しては竜の谷から持ち帰られたエリー草の使用を頑なに拒んでいた。

 最初は喜んでいたものの、カルラが顔を見せない事から何かがあったのだと察した彼女は、詳細を知るやカルラに使えといって譲らなくなってしまったのだ。

 

「全ては貴女がたのおかげ。我ら事情を知る者一同、この大恩を生涯忘れはいたしません」

「え、あ、はい……」

 

 今まで朗らかだった礼儀正しい紳士から真摯すぎる表情で告げられた言葉に否定や謙遜の言葉を返すことも出来ず、ゆんゆんはあなたに目配せを送ってきた。

 愚直で重圧すら感じる善意に慣れていないのだろう。慣れろというほかない。

 

 とはいえ彼らの反応も無理も無い。

 カルラが戻らなければそのまま王妃も没していた可能性は極めて高い。

 確かにカルラを蘇生したのはあなただが、それだって水死体の引き上げを提案したゆんゆんがいなければ起こりえなかった。

 あなたも多少大袈裟に語りこそしたが、そういう意味ではゆんゆんがカイラムの救世主というのは純然たる事実であり、決してからかいや冗談では済まないのだ。

 

 

 

 

 

 

「おはよう、ふたりとも」

 

 自室のベッドで横になったカルラがあなた達を出迎える。

 つい昨日も同じような姿を見たが、その時とは何もかもが違っている。

 

 木組みのシングルサイズのベッドは、レースの天蓋が付いたキングサイズのベッドに。

 見た目より着やすさと着心地に特化した貫頭衣は、シンプルながら品のよさと職人の技術が光る室内着に。

 水で洗うのが精一杯だった顔にも公人として恥ずかしくない最低限の化粧が施されていた。

 

 ただでさえエルフは見目麗しい者が多い種族として有名だ。そんな中、すっぴんでも国一番の美人だった彼女は、今や輝きを放たんばかりの美貌を見せ付けている。

 同性からの嫉妬すら湧き起こらない、神々に愛されているとしか表現できない黄金の造形美。

 しかし彼女が神々に愛された美貌を持つ者なら、あなたは女神そのものの美貌の持ち主から寵愛を受けている身だ。ついでにそっくりさんのラーネイレが化粧した姿を何度も見ている。隣でぽかんと惚けた顔を晒すゆんゆんの二の舞にはならなかった。

 部屋の隅で心なしかドヤ顔を浮かべていたメイドの何人かが、そんなあなたを見て軽く驚きを浮かべる。

 

「私の実家へようこそ。本当なら立って挨拶とお礼の言葉を交わしたかったのだけど……」

「いえいえいえいえそんなとんでもない! 大丈夫ですカルラ様! やめてください私なんかに! 畏れ多いです!」

 

 あ、これダメなやつだ。あなたは瞬時に察した。

 気負ったゆんゆんが時折変に空回ることをあなたはよく知っている。

 それがいい方向に行く場合もあるのだが、今回はそうではなかったらしい。

 

 ほんの一瞬。瞬きの間に消え去ってしまうような刹那の間。

 あなたはカルラの顔に失意の感情が浮かんだのを見逃さなかった。

 

 昨日までとは違い、今は周囲の目がある。

 気安い口を利いていいような相手と状況ではないことは間違いない。カルラもそれくらいは理解している。

 だがそれはそれとして、昨日までは普通に仲良くカルラと交流していたゆんゆんの態度の変節はあまりにも急激で、露骨すぎた。

 

 色々な意味で前のめりになっている少女をやんわりと抑え、王族相手に礼を失さない程度に丁寧に、しかし最低限の友好と気安さが相手に伝わる挨拶を行う。

 エルドルをはじめとした、あなた達の交流を見守っていた者達から感心した気配が伝わってきた。

 

 このあたりの機微も長い冒険者生活における経験の賜物といったところ。

 こういった場におけるあなたの評価は癒しの女神の評価に繋がる場合がある。冒険者にありがちな無礼で無教養で野放図な無頼の輩と一緒にしてもらっては困るのだ。

 まあそれはそれとして剥製目当てで王族を殺したりするわけだが。

 

『あーあ、お姫様を傷つけちゃった。ゆんゆんいけないんだー。かわいそー。やっぱり紅魔族みたいな田舎者はダメだよね、お兄ちゃん』

 

 ここぞとばかりに煽りの言葉を発する妹。

 だがしかし。ここであなたにとってあまりにも予想外の事が起きる。

 

 びくり、と。

 ゆんゆんが体を震わせて怯えた目であなたを見たのだ。

 

『聞こえてるかな? 聞こえてるよね? 昨日まであんなに仲良くお喋りしてたのにね。相手が綺麗すぎてゆんゆんは頭が空っぽになっちゃったの? これだからぼっちを拗らせたやつは。他人との距離感が分からない』

 

 ハッと我に返った様子のゆんゆん。

 明らかに妹の電波が届いているが、そんなことはどうでもいい。どうせ一体化しかけたせいでパスが繋がったとかそんなところだ。元より妹の声は女神エリスにも届いていた。一人が二人になったところで大した問題ではない。

 

『あんな露骨に媚びなくたって、お兄ちゃんみたいに自然な態度で普通に礼儀正しくしておけばいいんだよ。そうしとけばこっちに滅茶苦茶でっかい恩がある向こうは勝手に好意的に評価してくれる』

 

 それ以上にあなたは内心で大きく感動していた。

 言葉のナイフでぐっさぐさと刺しに来ているが、それでもあれだけ蛇蝎の如く嫌っていたゆんゆんの名前を呼び、一方的な上から目線の説教という形とはいえ、まともなコミュニケーションをとっているのだ。これがどうして感動せずにいられよう。

 あなたは後で妹の頭を思う存分撫でてあげることにした。

 

『言っておくけどこれはお前の為に言ってるわけじゃないからね。お前がどれだけ無様を晒したところで私は知ったこっちゃないけど、一緒にいるお兄ちゃんが舐められるのは我慢できないから。それだけだよ』

 

 だがそれはそれとしてこのツンデレの鑑みたいな台詞は何事なのだろう。

 彼女が癒しの女神を信仰しているという話は聞いていないのだが。

 

 いや、あなたも実際これが妹の本音で本心なのは理解している。

 理解はしているが、身近に頑張ってツンデレを演じている女神がいるだけに、どうしても思うところが出てきてしまうのだ。

 

「…………」

 

 妹の言葉を受けたゆんゆんは、やがて衆目が集まることを気にすることなく両手でぱしんと頬を強く叩いた。

 そうして一歩、はっきりとした足取りであなたより前に出る。

 浮かぶのは見るものが親しみを感じる自然な笑顔。

 

「すみません、まだちょっと寝ぼけてたみたいです。お城のベッド、すっごく寝心地が良くって。おはようございます、カルラさん」

「ええ、おはようゆんゆん。気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」

 

 それを受けたカルラの表情は、語るだけ野暮というものだろう。

 

 

 

 

 

 

 その後、あなたとゆんゆんは改めてカルラの心からの感謝の言葉を受け取った。

 

「本当なら二人にはもっと我が国に滞在していてほしいのだけど。闘技大会を見に行くのよね?」

 

 頷く。

 今回の件は事が事だ。歓待を受けるのも吝かではないが、それでも目的がある旅な以上、あまり拘束され続けるのは喜ばしい話ではない。

 

「そういうことなら私の方で席を用意させてもらっても構わないかしら」

「よろしいんですか?」

「ええ、これくらいお安い御用よ。もし二人が良ければ私に用意された席でもいいのだけれど。この体ではどのみち見にいけないし」

「えっ」

 

 あなたは扉の横で静かに佇むエルドルに目配せする。

 紳士の騎士は意を得たとばかりに微妙に王族特有の価値観のズレを持つ王女を諌めた。

 

「姫様、よろしいでしょうか」

「どうしたの?」

「お言葉ですが、流石にそれは悪目立ちが過ぎます。姫様の御身を軽んじる事にも繋がりかねません。恩を仇で返すことになると愚考いたしますが」

「……ああ、やっぱりそうよね。ごめんなさい、今のは聞かなかったことにしてくれると嬉しいわ」

 

 普通に一等席を用意してくれることになった。

 あなたは最悪立ち見でもいいと思っていたので非常に助かる話である。

 

「大会が終わった後は、そのまま、その足で?」

「はい、竜の谷に向かう予定になってます」

 

 息を呑む複数の気配。

 これまでの弛緩していた空気が一瞬で張り詰めたものに変化した。さもあらん。

 今の彼らからしてみれば、かの地はカイラムにとって全ての終わりを生み出しかけた場所。まさしく地獄の入り口に他ならないのだから。

 

「そう……一度足を踏み入れた私の警告だけど。あそこは人間も、エルフも、ドワーフも、果ては魔族すらも。等しく立ち入っていい場所ではないわ。私や家臣たちは奇跡的に帰ってこれたけど、あそこは生物が生きていける環境ではない」

 

 テレポートによる行き来を封じる世界の絶島にして魔の領域。

 自然の脅威がありのまま残された、どこまでも果てが見えない広大な大地。

 蠢くものどもは言わずと知れた竜を筆頭に、太古の昔に滅んだはずの神話に語られる魔物達。

 闇夜を徘徊する、竜の谷で散っていった数多の英雄の亡霊。

 規則性も法則性も無く、ただただ無作為に流転する環境と天候。

 安全な筈の場所で時折感じる、知恵持つ強大な何者かの視線。

 

 本で読むのとは全く異なる、竜の谷に挑んだ者の口から次々と語られる竜の谷の姿はあまりにも生々しく。まるで生命のように息づいていた。

 

「……とまあ、私達が経験したのはこういう場所だったのだけれど」

 

 やがてカルラの語りが終わり、場は耳に痛いほどの沈黙が降りる。

 ふと、王女とあなたの目があった。

 

「ごめんなさいゆんゆん。ここまで話しておいてなんだけど、どうやら逆効果だったみたい」

「えっ、それってどういう……」

「だって冒険者さん、とても楽しそうな顔をしているんだもの」

 

 そう、素敵な話を聞けたあなたはとても満足していた。

 一日でも早く行ってみたいと、まるで遠足を楽しみにした子供のように興奮を抑えきれない。

 きっとこの世界に来て一番楽しい冒険になるだろう。

 

 人はそんな者にバカにつける薬は無いと言う。

 あなたの経験上、バカじゃない冒険者なんぞ存在しないわけだが。

 

 

 

 

 

 

「あ、そうそう。ところで話は変わるのだけど」

 

 なんともいえない空気を切り替えるように、カルラが突然こんな事を言い始めた。

 

「昨日、父と母と話し合って、いつまでも私達の記憶に残るよう、貴方達への感謝を何か見える形で残したいということになったの」

 

 あなたが考える形に残る何かといえばやはり剥製だ。

 流石にあなた達本人を加工するわけにはいかないが、似たようなものであれば十分に作成可能だろう。

 自身の剥製が飾られるというのは面映いが、何もこれが初めてというわけではない。

 

「それで本人達の意見を聞きたいのだけど、城の中庭に二人の彫像が建つのと、肖像画を描いてもらうの、どっちがいいと思う?」

 

 出鼻を挫かれたあなたはつい思っていたことを口に出した。

 

「……剥製? 冒険者さん、それってどういう」

「すみませんカルラさん。肖像画でお願いします」

 

 

 

 

 剥製という言葉から凄まじく嫌な予感がした。この厚意による申し出(チャンス)を断るわけにはいかないと思った。今は当時の自分の判断に感謝している。

 後に、この時のことをゆんゆんはそう述懐している。

 全てを受け入れた透き通った透明な笑顔で、しかし瞳だけは諦観で泥水の如く濁らせて。



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第116話 誠意は言葉ではなく金額

 竜の谷で致命傷を負ったまま行方不明となり、最早生存が絶望視されていたカイラム国の第一王女、カルラ。

 愛娘の悲報を知ったせいで頑なに治療を拒んでしまい、刻一刻と病状が悪化していく王妃。

 

 事情を知る誰もが暗澹たる未来を想像せずにはいられない中、泡を食ってカイラム王城に駆け込んできたトリフ担当の大使館職員がある一報をもたらした。

 なんとフィーレ近隣の川を流れる瀕死の重傷を負った王女を救助、保護したと証言するベルゼルグの冒険者が、王女直筆の手紙を携えてやってきたというのだ。

 

 青天の霹靂と呼ぶに相応しいその報告は、天地を揺るがす衝撃をもってカイラムの首脳陣に届けられる事となる。

 緊急に開かれた会議はかつてないほどに紛糾した。

 

 ──手紙は本物なのか!?

 ──手紙を持ってきた冒険者について至急ベルゼルグに照会を!

 ──悠長が過ぎる! 一刻も早く姫様を迎えに行くべきだ!

 ──姫様が消息を断って何日経ったと、そしてどれだけの距離があると思っている……竜の谷からフィーレだぞ? 大陸の半分以上を流され続けたということだ。あまり言いたくはないが、耳聡い魔王軍や良からぬ者の策謀なのではないか……?

 ──それは……。

 

 残酷な、しかしあまりにも現実的な意見に誰もが沈黙する中、一人の男が立ち上がった。

 これ以上付き合っていられないとばかりに。

 

 ──カルラの迎えには私が赴く。二名供を選抜せよ。

 ──陛下!?

 ──どうかお気を確かに! まだ手紙の筆跡鑑定すら済んでおりません!

 ──仮に手紙が真実でも姫の現在所在地はフィーレ、つまり国外なのですぞ! 法に則り手続きを踏む必要があります!

 ──やかましい止めるなぶっ飛ばすぞ!

 ──ご乱心! 陛下ご乱心!!

 

 会議は踊る、されど進まず。

 飛び交う怒号と拳、乱れ舞う椅子と重臣。

 

 重要人物たるベルゼルグの冒険者を放置しての喧々囂々の大騒ぎは、かれこれ一時間にも及んだ。

 無駄に時間がかかった原因の大半は国王のせいだが、それでも誰も彼もがカイラムの至宝と謳われる美姫の生存に歓喜したくても信じきれなかったのだ。

 ただ一人、直筆の手紙の内容と筆跡からカルラの生存を確信した国王を除いて。

 

 

 

 

 

 

 かくして王女は死地より奇跡の生還を果たし、王妃はエリー草の効能でみるみるうちに快方に向かっている。

 一両日を経ても喜びと興奮の火がいまだ消える事の無いカイラム王城、その執務室。

 つい先日までカイラムで最も重く暗鬱な空気に支配されていたそこは、今ではすっかり平時の姿を取り戻し、ただ小さな紙をめくる音が聞こえてくるだけの場所となっていた。

 

「…………」

 

 執務室に現在いるのは今日の勤めを終えたカイラムの王にしてカルラの父、カイラム・ブレイブ・ワンド・シリウスただ一人。

 彼はつい先ほど届いた、ベルゼルグの冒険者ギルドによって記されたあなたのプロファイルを読み込んでいる。

 口さがない日本人はギルドの閻魔帳と呼んで憚らないそれは、カルラの手紙を持ってきたあなたの素性を探るべく、いの一番にベルゼルグの冒険者ギルドに請求されていた資料である。

 それゆえにあなたの同行者である紅魔族の少女、ゆんゆんの資料は届いていない。

 

 王女と王妃の命の恩人という、今カイラム王城で最もホットな人物の片割れ。

 そんなあなたのベルゼルグ冒険者ギルドにおける評価は、このようなものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 【1/4 個人情報】

 冒険者No.:非公開項目

 種族:人間

 性別:男

 信仰:不明

 職業:エレメンタルナイト

 本拠地:アクセル

 出身地:不明

 犯罪歴:器物損壊1件

 依頼受注数:662(XXXX年7月30日現在)

 依頼達成数:662(同上)

 

 

 【2/4 詳細】

 アクセルを拠点としてベルゼルグ各地で活動する冒険者。

 出身、履歴は全て不明。アクセルにて冒険者登録をおこなった日より前のあらゆる記録が存在しない。

 登録から常にソロで活動していたことで有名だったが、現在は二人パーティーを組んでいる。

 

 本人の気質は基本的に冷静かつ温厚。

 協調性は決して低くないが同じ冒険者からの評判は悪い。

 後述の納税の一件を除けば冒険者ギルドや国家に対しても礼儀正しく従順。高レベル冒険者にありがちなプライドの高さ、横暴さは見受けられない。

 ただし行動と言動の節々から独特の価値観が窺え、法に触れない範囲で手段を選ばない非常識さ、狡猾さを見せることがある。

 また要注意団体、アクシズ教団および紅魔族と懇意にしているとの噂がある。

 

 冒険者としては非常に多芸多才。

 採掘、採取、演奏、釣り、調理、交渉など、スキルに頼らない技能を幅広く保有している模様。

 登録日から考えると常軌を逸した依頼受注数と依頼達成数がソロ冒険者としての彼の優秀さ、そして頭のおかしいエレメンタルナイトというある種の不名誉な異名の所以を物語っている。

 また受注する依頼の分野は多岐に渡り、自身が専門外と認めたもの以外は選り好みしない。活動拠点であるアクセルにおいては主に雑用と緊急性の高い討伐依頼を受注している。

 

 個人戦闘力はベルゼルグの冒険者の中でも突出していると言える。

 それゆえか彼が王都で受注する依頼は討伐が過半数を占める。討伐履歴は別途参照のこと。

 ベルゼルグ王都防衛戦において七度の参戦が確認されており、その全てで指揮官や精鋭を単独撃破。さらにはアルカンレティアにおいて魔王軍幹部、デッドリーポイズンスライムのハンスを討伐。多大な戦果をあげている。

 ただし戦闘力とその異名に反してエレメンタルナイトとしての技量、才覚は平凡の域を脱するものではなく、特筆すべき点は見当たらない。

 

 XXXX年4月末、ギルドが徴税のために派遣した上位冒険者十七名が彼と交戦。瞬く間に全滅した。

 上記の全ては冒険者カードから読み取れるステータスでは到底不可能とみなされており、上述の技能と同じく冒険者カードに記載されていない何らかの異能を持つ可能性が非常に高い。

 

 

 【3/4 盗賊殺し】

 彼にスティールを仕掛けた冒険者計55名が原因不明の恐慌に見舞われており、その全てが盗賊として再起不能に陥っている。

 事態を重く見たギルドが真偽を定かにする魔道具を用いて事情聴取を行うも、具体的な理由は今も判明していない。

 

 また対人戦への忌避感、単純な危険度の高さ、魔王軍と比較して低い優先順位、報酬額の低さなどの理由から一般的に冒険者から敬遠されている、盗賊や山賊といった犯罪者の討伐依頼も厭わず受注する傾向があり、上述の件と併せて彼が一部で盗賊殺し(シーフキラー)の異名で呼ばれる原因となっている。

 本人は普通に依頼を受けているだけであり、特別賊徒に恨みを抱いているわけではないと証言しているが、実際に彼が壊滅させた盗賊団、山賊団の数は(検閲済)に及ぶ。

 賊徒への対応はギルド内外で長年の課題となっていたのだが、これによって一般人への被害が激減。

 結果だけ見ればベルゼルグ国内の治安が大きく改善されることとなった。

 

 

 【4/4 検閲済】

 

 

 

 

 

 

 エルフの王は書類を机に放り、椅子に背中を預ける。

 

「ふむ、なるほど……」

 

 やはり尋常の冒険者ではない。

 直接顔を合わせた印象、そして紙面から読み取ったあなたの情報を総括し、シリウスは簡潔にそう結論付けた。

 しかしそれは最初から分かりきっていたことでもある。

 なにせ面倒を見ている少女をドラゴン使いにすべく、魔王領をも超える危険地帯、竜の谷に好き好んで赴こうというのだから。話を聞いたシリウスはかなり本気で自身の耳とあなたの正気を疑った。

 なるほど、あのベルゼルグにおいてなお頭のおかしいエレメンタルナイトと呼ばれるだけのことはある。

 

「だからどうしたという話だがな」

 

 ふんと鼻を鳴らし、誰に向けるでもなく呟かれた独り言が静寂に溶ける。

 国王であるシリウスにとって、あなたは最愛の妻と目に入れても痛くない自慢の愛娘の命を救ってくれた大恩人のうちの一人。

 魔王軍に所属していない。賞金首のような重犯罪者ではない。国家転覆を目論む工作員ではない。

 それだけ分かっていれば彼にとっては十分であり、なんならあなた達がアクシズ教徒でも構わないとすら考えていた。

 

(だからこそ、竜の谷で死んでもらっては困るのだが……)

 

 思い描くのは数時間前の非公式的な会見でのこと。

 一国の王として、一人の夫、父として。

 シリウスはあなた達に心からの謝恩の言葉を送り、カイラム国内における様々な特権、そして竜の谷探索における最大限のバックアップを確約した。

 本音を言えば城に召抱えるなりこの後のカイラムにおける厚遇も約束したかったのだが、あなた達はあくまでもベルゼルグという他国の冒険者だ。

 そして冒険者ギルドが国営の機関である以上、一国の王といえどもその所属員を許可なしに好き勝手にはできない。

 

 何よりそれとなく移籍を打診してもやんわりと断られてしまった以上、無理強いは出来なかったしするつもりもなかった。

 代わりというわけではないが、国王の名の下に謝礼はそれなりに奮発した。

 愛娘であるカルラからそういう約束をしていると聞かされており、床に伏せたまま動けない自分の代わりにと頼まれていたのだ。

 無論シリウスはその願いを一にも二にもなく受け入れた。

 どれだけの大金をもってしても到底返しきれる恩ではないが、それでも何もしないよりはずっといい。シリウスは考えていた。

 

「誠意は言葉よりも金額、だったか? なるほど、流石は勇者だ。いい言葉を残す」

 

 王侯貴族には守銭奴と揶揄された、しかしデストロイヤーの被害者などに寄付を惜しまなかったいにしえの勇者の言葉を諳んじた国王は人好きのする笑みを浮かべ、執務室を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 肖像画を描いてもらうのはゆんゆんがドラゴン使いになるまで一時延期になった。

 カイラムきっての宮廷画家に肖像画を描いてもらえる事になっているとはいえ、一朝一夕で完成するものではない。完成まで待っていては闘技大会が終わってしまう。

 それに、自分はともかくとして、ゆんゆんは一緒にドラゴンがいた方が絵的に栄えておいしいだろうとあなたは考えたのだ。まさしく天才的な閃きである。

 画家は描く前に死なれては困るとぶっちゃけすぎた発言をしてエルドルに怒られていたが、描いたすぐ後に死ぬのもそれはそれで縁起が悪すぎるのであまり差は無いだろう。どの道死ぬつもりも無い。

 

 カイラムとしては、あなた達がカイラムを発ったしばらく後、正式にこの件について国内に知らせる方針なのだという。

 

 王女と王妃については現在影武者を立てているし、城内には緘口令が敷かれている。

 しかし大勢の騎士や術師を動員して国外で竜の谷およびカルラの捜索をさせているし、そのことをリカシィも知っている。いつまでも国民に隠し通せると考えるのは浅慮が過ぎるというものだろう。

 

 そういうわけなので、あなたもゆんゆんも、彼らの意向に異を唱えることはしなかったものの、辛うじて匿名を死守する事だけは成功した。

 人の口に戸を立てるのは不可能なので多少は漏れるかも知れないし、事情を知る者からの救国の英雄および賓客扱いは不可避だ。

 それでも今後の冒険者活動への影響は最小限に抑えられたといえるだろう。

 

 

 

 そんなこんなで短くも濃密だったカイラムでの滞在も終わりを告げ、王宮を出立する日がやってきた。

 終わってみればあなたは神器を、ゆんゆんはカルラという新しい友人、そして国家の後ろ盾という非常に得難いものを手に入れた。共に万々歳といえる結果に終わったのではないだろうか。

 

 現在あなたとゆんゆんは餞別を受け取り、せめて見送りだけでもベッドから起き上がってやりたいと身支度をしているカルラを待っているところだ。

 

「おとーさん、おかーさん。おげんきですか。わたしはげんきですうそですごめんなさいあんまりげんきじゃありません」

 

 つい先ほどまで、新たに得た友人との別れを若干名残惜しそうにしていたゆんゆん。

 しかし今、その小市民メンタルは一足飛びで女神エリスの御許に誘われようとしていた。

 

『まただよ』

 

 文字にすれば(笑)とでもなりそうな、嘲笑じみた妹の呆れ声。

 確かに最近のゆんゆんはメンタルブレイクの頻度が高い。それだけ大事に巻き込まれているともいえる。

 果たしてトラブルメーカーなのはあなたなのか、それともゆんゆんなのか。少なくともカルラを川から引き上げると決めたのはゆんゆんなので、自業自得ではある。

 ちなみに今回は知る人ぞ知る救国の英雄になった件やドラゴン使いの肖像画などの上がり続けるハードルで精神的な限界に至ったわけではない。

 

「わたしはついせんじつ、ものすごいけがをしたきれいなおんなのひとをたすけました。かるらさんというえるふのおんなのひとです。あとでしったけどなんかおうじょさまでした。えるふのくにかいらむのおうじょさまです。いっぱいびっくりしたけどわたしとおともだちになってくれました。すごくうれしかったです。あといのちをたすけたおれいとしてにじゅーおくえりすぶんのおかねをもらいました」

 

 ゆんゆんをこうしたのはつい先ほど渡された、餞別という名の莫大な礼金である。

 正確には礼金が入った口座なのだが、意味合いとしては同じだ。

 

 カイラムは今回の礼として、エリス(貨幣単位)に換算して20億という大金をあなた達に譲渡した。かつて3億エリスで卒倒したウィズが聞けば発狂しかねない話だ。

 資金以外にもトリフでの宿の手配やレンバスのような食料をはじめとした物資の補充、カイラムで活動する際の税金の撤廃をはじめとした各種特権などなど。

 まるで子煩悩な母親のように面倒を見てもらっているが、ゆんゆんを壊したのはあくまで20億という直接的な数字の暴力である。

 彼女の分け前は10億だが、そんなものは何の慰めにもならない。

 

 返金についてだが、絶対にやってはいけないとあなたが念をおしておいた。

 かつてない真剣な様子のあなたの姿に、ゆんゆんは相当の失礼にあたるからだと解釈したが、実際は契約不履行とみなされて普通にカルラが死ぬからだ。

 まさかゆんゆんもカイラム側もカルラが自分の命を担保にしているとは夢にも思わないだろう。つくづくやってくれたという感想しか出てこない。

 

「いちげきひっさつだいしゃりん。おくまんちょーじゃのなかまいりです。かいらむにこうざをつくったのでぜいきんはかからないといわれました。こまっちゃいますね。わたしはいますごくこまっています。たすけてくださいおねがいします」

 

 がりがりがりがりごりごりごりごり。

 一心不乱に日記帳に齧りつき、鬼気迫る勢いで文字を書き殴り音読する紅魔族の少女。

 そのうち若白髪が生えたり円形脱毛症になりそうな勢いである。若い身空でそれはあまりに忍びない。

 天界への道は善意と現金で舗装されている。

 

 

 

 やがて日記を書き終えたゆんゆんはペンを放り投げ、虚ろに笑い始めた。

 ガンバリマスロボ化、もとい闇堕ちしていないのでまだ若干の余裕がある。

 大金は口座に振り込まれているので少しだけ現実感が薄いのだろう。これが現金一括払いだった場合は間違いなくアウトだった。

 

「……ふ、ふふっ、20億。20億だって。これってもう人生の勝利者なんじゃない? ゴール見えちゃってない? ねえめぐみん聞いてる? 20億よ20億。二人で分けても10億なのよ? 私こんなお金貰ってどうすればいいの? お願い誰か答えて、誰か私を助けて、こんなんじゃ私頑張れない……!」

 

 誠意は言葉より金額。

 以前あるえがカツアゲされていると勘違いした時にゆんゆんが言ったこの言葉は、とある勇者が残した金言だ。故郷の有名人の受け売りらしい。

 それに則ってみればなるほど、カイラムはあなた達に誠意を見せたといえるだろう。

 

「誠意にも限度ってものがありますよ!? これって誠意という名の札束でぶん殴ってきてますよね!?」

 

 がおーと吼える精神的に不安定なゆんゆんに異論は無いと頷く。

 命を救った見返りとして、カルラはあなたに国宝級ではない神器を三つ、そして多少の金銭を支払うという契約を交わした。

 今となっては金額を明瞭にしなかったのは失態だったと大いに反省している。

 あなた自身は割と日常的にやっていることだったりするが、まさかここまで露骨に契約の抜け道を突いてくるというか、恣意的な解釈をしてくるとは思わなかったのだ。

 

 確かにカルラは、カイラムは、あなたと交わした契約を違えてはいない。

 間違いなく多少の金銭を謝礼として渡してきた。

 

 問題はそれが国家規模だったことだ。

 

 なるほど、国家規模で見れば20億エリスは多少の金銭だ。

 決してはした金ではないがそこまで大袈裟な額でもない。亡国の危機を救った報酬と考えればなおのこと。

 しかし恐るべきはエルフの国カイラムか。

 普通に考えてそれはやらないだろう、という行為を平然と行ってきた。実に遠慮が無い。どれだけカイラムがカルラと王妃の命を救った件を重要視しているかが分かろうというものだ。

 あなたとしても久しぶりにいっぱい食わされて清々しい気分である。中々どうして侮れない。

 

「どう考えても清々しい気分の原因の大半はレアアイテムを貰えたからですよね」

 

 図星を突かれたあなたは硬直した。

 どこか見覚えのある、しかしあなたが所持するものとは細部が異なる紅白の球体が手の平からこぼれ落ちてテーブルに転がった。

 彼女はいつの間に読心能力を身に着けたというのだろう。

 

「見れば分かりますよ! さっきから嬉しそうにニコニコしてテーブルの上に並べたアイテムを眺めたり触ったりしてるんですから!」

 

 言葉からは若干の棘が感じられた。

 ゆんゆんからしてみれば自分が寝ている間にあなたがカルラと交わした契約のせいで億万長者となってしまったわけで、流石に思うところがあったらしい。

 もしくは神器が欲しかったりしたのだろうか。

 幸いにしてこの中から選んでくださいと渡された目録はまだ手元に残っている。あなたは既に自分の分を選んでしまったが、まだまだ他にも興味深い品は残っていた。

 

「違います! ちーがーいーまーすー! ちょ、やめっ、だからやめてください! リストを見せないでくださいってば! 私にはこれがオススメとか言われても受け取れませんから! これ以上私を追い詰めるとあれですよ! ほんとあれですよ! 大変ですよ! 泣きますよ! みっともなくぎゃん泣きしますよ! いいんですか!?」

 

 たとえ友人が相手でも拒否という名の立派な自己主張を覚えた今のゆんゆんの姿を見れば、めぐみんも少しはこの危なっかしい少女に不安を覚えることが少なくなるだろう。

 あなたとしても可愛い弟子兼友人の積極的な精神的自立を促すため、こうして容赦の無い無茶振りをしている……わけではない。完全に素でやっている。

 

 

 

 

 

 

「カルラさん、カイラムのみなさん、色々と親切にしてもらって本当にありがとうございました」

 

 トリフの大使館に飛ぶテレポート陣の前で、あなたとメンタルを復帰させた(何もかも諦めた)ゆんゆんは集まったエルフ達にぺこりと頭を下げる。

 見送りの中には国王や病み上がりの王妃も混じっているが、代表は当事者である娘に任せ自分達は背景に徹するつもりのようだ。

 

「こちらこそ、私の、そして母の命を救ってくれて本当にありがとう」

 

 車椅子に座ったカルラがあなた達の前に出てきて別れの言葉を告げる。

 なんとなくあなたが国王の隣の女性、カルラと同じく車椅子に座る王妃に目を向けると、なるほどカルラの母だと一目で分かる青髪の美しいエルフが微笑みを浮かべて頭を下げた。

 一見するとたおやかで淑やかな線の細い女性だが、病身をおしてカルラに拳骨を落とした挙句、国王の出る幕が無いほどに散々説教を食らわせたのだという。人は見た目によらないものだ。

 

「二人とも元気で。あなた達が無事に竜の谷から戻ってくることを、私達カイラム一同、強く願っているわ。どうか無理だけはしないで」

 

 頷いたあなたは竜の谷の土産話、そしてドラゴンを従えたゆんゆんの勇姿をどうか楽しみに待っていてほしいと答える。

 まるでピクニックに行くような気軽さで魔窟に赴くあなたの姿に、何人かの騎士が痛ましいものを見る目を向けた。恐らくはカルラと共に現地に行った者だろう。

 

「ええと、ゆんゆん……その、頑張ってね?」

「はい……カルラさんもお体に気をつけてくださいね」

 

 積極的にハードルを上げて退路を断っていくあなたにカルラが苦笑し、ゆんゆんが肩を落とす。

 カルラが生き返ってから今日まで一週間も経っていないが、二人は随分と仲良くなったようだ。

 

「ありがとう。体がちゃんと動くようになったらアクセルを案内してくれるというゆんゆんとの約束、楽しみにしているわね?」

 

 突然投下された爆弾にその場の全員が反射的に、そして勢いよくゆんゆんに目を向ける。

 あなたとしても完璧に初耳である。確かにアクセルはゆんゆんが一人で出歩けるくらいに平和な街だが、それにしたってあなたに相談も無しになんという事をやっているのか。

 果たせる見込みが薄い約束はすべきではないと咎めようとしたあなただったが、何故かゆんゆんも驚愕していた。

 

「え、ちょっと待って、私そんな約束した覚えは……あります、はい。確かにしました。でも……」

「まああの時のゆんゆんは私が王女だって気付いてなかったみたいだけど」

 

 悪戯っぽく笑うフットワークの軽さに定評のあるエルフの王女。

 彼女が蘇生して間もない時にそんな話をしたようだ。

 なるほど、とあなたは少しだけ安心した。いくらゆんゆんが紅魔族でも、他国の王女を自分が住む町を案内する為に招くような軽率な真似はしなかったようだ。だがめぐみんなら普通にやるだろう。

 

「でも大丈夫なんですか? こう、いろんな意味で」

「渡航の口実についてはほら、魔王軍と戦うベルゼルグの人たちへの慰安目的とか命を落としかけた軽率な王女への罰とか……」

「軽率って自分で言っちゃうんですか?」

「自分のことだから言えるのよ」

 

 あなたと参列したエルフ達が確認の意を込めて国王夫妻にアイコンタクトを送ると、二人はにっこり笑って両手で大きくバッテンを作った。

 さもあらん。カルラには説得を頑張ってほしいとしか言いようがない。

 

 

 

 

 

 

 かくしてあなた達はカルラと別れ、カイラムを後にした。

 次に彼女に会うのは竜の谷から帰還した後で、その次は完全に未定。むしろ互いの身分を思えば二度と会えない可能性の方がずっと高い。

 

 だが何故だろうか。

 普通に考えればありえない話なのだが、あなたはアクセルでカルラと再会する予感がしてならなかった。

 それはまるでかつてラーネイレと出会った時と同じように。




 【4/4 とあるベルゼルグ冒険者ギルド幹部による記述】

 最初に書いておくが、本項は全て日本語で記述されている。
 防諜ってほど大袈裟なもんでもないが、俺達日本人の転生者について触れているからだ。
 閲覧権限を持っているのは日本人のギルド幹部だけだが、そこんとこをよく理解しておくように。

 ……さて、この冒険者にはある時点より前の記録、辿るべき足跡が一切存在しない。
 これは俺達日本人の転生者と同じ特徴だ。
 だがこいつは少なくとも日本人じゃない。名前と顔を見りゃご同輩じゃないのは分かる。
 なら在日外国人? もしくは日本以外からの転生者? 姿が変容するタイプのチートを貰った?
 どれもありえないとは言えないが、俺は違うと思っている。
 調べた限り、現代地球人にしてはあまりにもこのふざけたエセ中世ファンタジーの世界に順応しすぎているからだ。

 かくいう俺も一度本人と話をしたことがあるが、穏やかで愛想がよく社交的。受け答えも明瞭、正気で平静を保った理性的な人物だった。
 少なくとも巷で言われているような気が違った人間には見えなかった。
 チンピラや半グレみたいな犯罪者予備軍に片足突っ込んだ冒険者どもとは比較にならない。

 ……なのだが、非常にセンシティブであるがゆえに本人以外がそれを知るには専用の手続きとそれなり以上の権限が必要となっている()()()()()()の項目がやばい。本気でやばい。
 この項目における人間ってのは普通の人間、エルフ、ドワーフといったいわゆる人類種を総括したものであるわけだが。
 これを書いている現在で809人。それだけの数をあいつは殺している。

 809人。言うまでもなくベルゼルグはおろか世界中の現役冒険者の中でもぶっちぎりのトップだ。
 2位(冒険者歴35年の超ベテラン)が163人な事を思うとサイコキラーが裸足で逃げ出す勢いで盗賊やら山賊をぶち殺してやがる。
 もうチンピラとか半グレとは比較にならない。悪い意味で。

 だが実のところ、別にこれ自体はおかしい数字じゃなかったりする。こいつが潰してきた賊共の規模と数を見れば十分理解できる範疇にあるからだ。
 かといって納得出来るかと聞かれればふざけんなアホかよって感じだが。
 幾ら相手が犯罪者だからって、冗談抜きで老若男女見境なしだからな。そりゃ盗賊被害も減るってもんだ。片っ端から根切りにされてるんだから。
 石ころ一つぶんでも考える頭を持っている奴なら足を洗うか他国に逃げる。
 おかげさまでベルゼルグの治安は大幅に改善された。恐怖政治か何かか。

 信じられるか? こいつ冒険者登録してまだ一年とちょっとしか経ってないんだぜ? その間にこんだけ人殺しをやって平然としてる奴を俺は同じ地球人だと思えないし思いたくない。
 数十にも及ぶ盗賊の生首を魔物の討伐証明よろしくギルドに提出してくるような人間を俺は他に知らない。

 繰り返すが、当人はいたって温厚かつ理性的であり、断じてこの手の輩にありがちな血に酔っていたり殺戮に飢えている人間ではない。
 だからこそ恐ろしくおぞましい。
 一体全体どこでどういう経験を積めばこんな頭のネジが飛びまくったイカレポンチが生まれるのか甚だ理解に苦しむ。理解したくもないが。

 手口といい躊躇の無さといい明らかに殺しに慣れすぎてる。草刈りや害虫駆除のノリで人殺しが出来る人間が、まだ犯罪者しか殺してないのは奇跡としか言いようがない。
 つーか神様もこんな明らかに紙一重なやつを転生はさせないだろ、常識的というか俺らの転生理由的に考えて。下手したら魔王軍よりタチ悪いぞこいつ。
 更に恐ろしいのはこれだけ殺っといても犯罪者扱いされないってところだ。法治国家出身としてはこの世界のゆるがば法律はクソとしか言いようがない。

 あとこの項目を閲覧できる奴ならとっくに知っているだろうが、ギルド幹部にして鑑定のチート持ちの神原の爺さんがこいつを視たせいで再起不能になった。スティールを使った盗賊達と同じように、だ。あるいはもっと酷いかもしれない。具体的にどうなったかは伏せさせてもらう。ちょっとここには書けない。とりあえず死んではいない。
 まあ神原の爺さんが神様印の鑑定チートを悪用して他人の弱みを握りまくってたファッキン俗物クソジジイなことを思うと正直いいぞ良くやったって気分ではあるんだが。
 辛うじて判明しているのは、あいつに鑑定スキルを使うと緑色の髪の少女が視えるという一点だけ。鑑定対策の攻性防壁的な独自魔法、あるいはチートなのかもしれない。
 これ以外にもステータスを大きく逸脱した戦闘力といい、このろくでもないイカレた世界の人間から頭がおかしいと評される精神性といい、俺はこいつが地球でもこの世界でもない、第3の異世界人の可能性があると推察している。

 無論こいつがただの現地人ならそれに越したことは無い。
 全ては俺の杞憂で笑い話のうちに終わる。
 だが地球人でも現地人でもないとしたら?
 残念ながらあまり愉快な話にはなりそうにない。

 今までの転生者は日本人だけだったからまだよかった。
 日本人同士の争いも諍いもあったが、それでも政治、民族、宗教的イデオロギーという根本的な和解が限りなく不可能に近い問題とはほぼ無縁だったからだ。
 ちょっと調べりゃ分かるが、この世界にはかつて日本人以外の転生者がごまんと存在した。
 だが現在この世界で確認されている地球人は日本人だけだ。ここらへんは間違いなく神様の采配だろう。

 複数の国家から呼ばれた転生者達が対立する事となった場合の悲惨さはこの世界の歴史が雄弁に物語ってくれている。
 まして世界が違えば何をか言わんや、だ。

 だが最後に日本人の転生者が確認されてからもうすぐ一年が経過しようとしている。
 一向に改善されない現状に神が匙を投げたのか、たまたま異世界転生ではなく輪廻転生や天国行きが選ばれ続けているのか。もしくは俺達が新たな転生者に気付いていないだけなのか。
 いずれにせよ、こいつ以後も日本、ひいては地球以外からの転生者が送り込まれてくる可能性だけは考慮しておくべきだと俺は思う。

 結論、あらゆる意味で最上級の要注意人物。
 ただし殺人対象があくまで犯罪者に限定されていること、敵対した際の被害が未知数すぎることなどから、現状は不干渉を徹底しておくように。
 下手に藪を突いて竜を出す必要は無いだろう。元魔王軍幹部、バニルの抑えでもあるわけだしな。

 あとここに書くまでもないことかもしれないが、レアアイテムに目が無いらしいので転生特典に神器を選んだやつは取られないように注意しておけ。
 御剣響夜が一度盗まれた神器をこいつに回収され、返してもらうまでに死ぬほど苦労したそうだ。


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第117話 とりあえず暴力で解決だ(71話ぶり2回目)

 短かったカイラムでの滞在を終えたあなた達は、無事にトリフに戻ってきた。

 例によって感謝の意を示す職員一同から深々と頭を下げながら見送られ、ゆんゆんが微妙な居心地の悪さを感じるといった一幕もあったものの、これでひとまずはエルフ達とお別れとなる。

 

 トリフにてあなた達が最初に向かったのは宿泊施設。

 それもそんじょそこらの安宿ではない。カイラムが手配してくれたのはリカシィという国における一番の高級ホテル、そのロイヤルスイートだった。

 この時期にそのような部屋が空いていた理由だが、実は元々カイラムが利用する予定だったからだったりする。王妃とカルラのごたごたで宙に浮いたところをあなた達が譲り受けた形だ。

 今回は無料だからいいものの、普通に利用しようと思えば一泊の費用はいったいどれほどのものになるのか。ゆんゆんはさておき、高給取りの冒険者であるあなたにとってはさしたる痛手にならないが、それでも積極的に利用するような場所ではない。

 

「最初にホテルに入った時からなんとなく分かってましたけど、さっきまでいたお城とは全然違いますよねここ。見た目もですけど、特に雰囲気が」

 

 先進的とでも言えばいいのだろうか。

 触れることすら躊躇われるような煌びやかな装飾で囲まれた、いかにもといった伝統的で貴族然とした王城の来賓用の客室と違い、ホテルの部屋はどちらかというとシックでモダンな落ち着いた雰囲気の、しかしだからこそ内装の質の高さが際立つものだった。

 異世界という根本からしてかけ離れた文化から生まれ洗練されてきたそれは、たまに自宅の模様替えで遊ぶあなたとしても大いに参考になるものであり、思わず唸らずにはいられないもの。

 ここならばゆんゆんも少しは肩肘を張らずに過ごすことができるだろう。

 

「広すぎてちょっと落ち着かないんですけど……明らかに一人で寝泊りするような場所じゃないですし」

 

 確かに場所が場所だけに貴族が使用人を侍らせて使っても全く問題のない広さとなっており、市井に生きるものが個人として使う分には持て余してしまうだろう。

 だからというわけでもないだろうが、あまり宿でくつろぐことなくゆんゆんは観光に行きたいと提案してきた。

 カイラムで散々怠惰に溺れていたあなたも異論はなかったが、その前に軽く地図や観光案内を見てトリフについて勉強しようということになった。

 

「こうして見ると本当に信じられないくらい広いですよね」

 

 大理石のテーブルに広げられたのはトリフ全域が描かれた地図。ちょっとどころではなく縮尺がおかしい。核爆弾数十発分は伊達ではない。

 アクセルは勿論のこと、ベルゼルグ王都と比較してもなお遥かに巨大なこの帝都は、主に四つのエリアで分けられている。

 

 まず地図の中央。

 ここは帝城があるトリフの中心部だ。

 周囲は高い壁に囲まれており、昼夜問わず厳重な警備が敷かれている。

 

 次に帝城周辺の区域。

 大商人や貴族が住まう豪奢な邸宅が整然と立ち並び、各国の大使館および冒険者ギルドの本部が存在する。

 許可のない一般人およびレベル25未満の冒険者は立ち入りが禁止されている(ただし冒険者ギルド本部のみテレポートサービスを利用して建物内に限り立ち入り可能)場所であり、全トリフ住人の憧れの的にして押しも押されもせぬ一等地。

 ちなみにあなた達が宿泊しているホテルもここに建っている。

 

 そして広大な帝都のほぼ全てを占めるのが、残りの一般エリアだ。

 数多くの家々や商店が軒を連ね、雑多な町並みを作り上げている。

 身も蓋も無い言い方をすると()()()()()()()()()()()()()

 鍛冶街、歓楽街、果ては魔術ギルドまで詰め込まれた帝都はまさしく混沌と呼ぶに相応しい。

 各地区は名目上の格差は存在しないことになっているが、地区ごとに貧富の差が明確になっているのはご愛嬌といったところか。

 

「あの、ちょっと気になったんですけど。この壁に囲まれた空白地帯ってなんなんでしょう?」

 

 繰り返すが、トリフには大体なんでもある。

 これにはスラム街といういわば国の暗部も含まれている。

 ゆんゆんが指し示した地図の南西にある空白がそれだ。

 

「そんなお話に出てくるようなものがあるんですか!?」

 

 驚きの声をあげるゆんゆんだが、それもそのはず。

 ノースティリスの冒険者であるあなたからしてみれば耳を疑う話だが、なんとベルゼルグという国にはスラムが存在しない。ただの一つもだ。

 スラム撲滅。口で言うのは容易いが、決して少なくない資金と人員がこれに用いられている。世界中からモノとカネが集まるベルゼルグだからこそ可能な芸当と言えるだろう。

 

 ベルゼルグがスラム撲滅に力を入れる理由は二つある。

 一つは国教であるエリス教が弱者救済を推奨しているから。とはいえこちらは努力目標のようなもので、半ばオマケと言って差し支えない。

 現実的な理由は、言わずと知れた魔王軍の存在だ。

 下手に国の目が届かないスラムを放置しようものなら魔王軍が暗躍する温床にしかならないのだから、徹底的に撲滅するのは当然といえば当然といえる。

 

 身を持ち崩した人間が行き着く先といえばスラムと相場が決まっている。

 だがベルゼルグにはスラムが無い。そういった人間はどうなるのか。賊に落ちぶれる。

 大陸の危険度の割にベルゼルグに賊が多かった理由がこれだ。

 そしてあなたに片っ端から根切りにされた今、ベルゼルグを根城にする賊は殆どゼロになった。めでたしめでたしである。

 

 

 

 

 

 

 トリフ東部地区中央。

 この都市最大と言われる市場にあなた達はやってきた。

 

 あなたの眼前に広がるのは思い思いに動く無数の人の群れ。

 一大イベントである闘技大会の季節とあって、その密度は最早めまいを覚えるほど。

 耳を塞ぎたくなる喧騒とあちこちで開かれている食べ物の露天の匂いも相まって、視覚聴覚嗅覚がバカになってしまいそうだとあなたは思った。

 

 ふとゆんゆんを見てみれば、呆けた顔で目を白黒させていた。

 軽く目の前で手の平を振ってみる。

 

「……あ、すみません。なんだか圧倒されちゃって」

 

 さもあらん。

 経験豊かなあなたであってもこれほど活気に溢れた場所はあまりお目にかかったことがないくらいだ。

 

「でもこれじゃはぐれちゃいそうですよね」

 

 仮にはぐれてしまった場合、この人の波の中を探し出すのは困難を極めるだろう。

 あなたはゆんゆんに紐で繋いでいいか尋ねてみた。

 首でも腰でも手でも足でも、好きな場所を選んでいいとも。

 

「紐?」

 

 ゆんゆんは怪訝な表情を浮かべた。

 待ってましたとばかりにあなたはポケットから紐を取り出す。

 

「紐ですね。どこからどう見てもただの紐です」

 

 ただの紐ではない。あなたがノースティリスから持ち込んだ数少ない道具の一つだ。

 あなたは普段使いする道具以外はあまり持ち歩かない傾向があり、願いの杖がゴミになったのと相まって転移に際して物資に相当の制限を課されてしまったわけだが、この紐は常用していた品であるがゆえにそれを免れた。

 

「でも紐ですよね?」

 

 この紐はノースティリスでは主にペットが迷子になるのを防ぐために用いられているものだ。

 雑貨屋で売られている程度の安物だが、ある程度伸縮自在な上に丈夫な素材で作られている。これを使えばゆんゆんが迷子になっても一安心である。

 

「まさかのペット扱い!?」

『はあ? ゆんゆん如きがお兄ちゃんのペットになれるわけないでしょ。少しは身の程を弁えたら?』

「えぇ……」

 

 この後、ノースティリスにおけるペットの概要などを説明したのだが、それでもゆんゆんは紐で繋がれる事を猛烈に嫌がった。

 

「意味は分かりましたけど、でもなんでそこで紐が出てくるんですか! もっと普通に手を繋ぐとかあるでしょう!?」

 

 ゆんゆんがそれでいいのなら、とあなたは少女の手を掴んだ。

 

「へっ!?」

 

 びくり、と体を強張らせるゆんゆん。

 あなたからしてみれば子供の手を引くに等しい行為であり全く思うところは無いのだが、ゆんゆんからしてみればあなたは異性で年上の友人。

 そんな相手と手を繋ぐのは多感な年頃の少女には非常にハードルが高い行為なのではないかと考えていたのだ。

 

「……うん、まあ、そう言われると確かにそうなんですけど。でも紐で繋ごうとしたあなたにだけは言われたくないです。絶対に。ありえない選択肢ですよそれは」

 

 流石に気恥ずかしいのか少しだけ頬を赤くしているものの、案外平気そうだというのがあなたの率直な感想だ。

 

「確かに思ったよりずっと何ともないですね。自分でもちょっと意外なくらい。きっとあなたがお」

『お? お? なんだって? 言ってみなよ、この私が見てる前で。言えるものならさあ。まさかとは思うけど“お”の次に来る言葉は“に”で、その次は“い”じゃないよねえ?』

「…………お世話してくれてる人だからだと思います!!」

 

 握ったゆんゆんの手からぶわっと汗が噴き出した。じっとりして気持ち悪い。

 これはいよいよ本番となった夏の暑さが原因なのか、あるいはたちの悪いチンピラじみた因縁をつける妹の研ぎ澄まされた氷の殺意に怯えたからなのか。

 眩しく輝く太陽は何も答えてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 ブティック、化粧品店、魔道具店。

 好きな場所で買い物をして構わないと言われたゆんゆんはまずこの三つを選んだ。

 年頃の少女が選ぶには明らかにおかしい店が一つあったが、紅魔族的に異国の魔法文化は興味を惹かれるものらしい。あるいはウィズの垂訓の影響かもしれないが、あなたとしても頷ける話ではあった。

 

「むう……」

 

 ブティックと化粧品店では大満足のうちに買い物を終えたゆんゆんだったが、魔道具店での彼女は芳しくない様子を見せている。

 今もガラスケースに展示された杖や巻物を物色しているが、ずっと怪訝な表情を崩さない。

 

 ウィズ魔法店を愛してやまないあなたと違って、ゆんゆんの感性は一般的なものだ。

 そうした視点から見れば面白みにこそ欠けているものの、品揃え自体はさほど悪くないように見えるのだが、何かしら気になるところがあったのだろうか。

 あなたの問いかけにゆんゆんは軽く周囲を見渡した後、あなたにだけ聞こえる小さな声でこう言った。

 

「このお店、やけにお値段が高くないですか? それも戦闘に使うタイプの魔道具だけ」

 

 ゆんゆんが選んだのは東部中央で最もランクが高い店、つまり一般人が手を出せる中では最高の店であり、値が張るのは当然だ。

 トリフでこれ以上を求めるのなら城の外周にある最高級店を選ぶ必要がある。

 

「それはそうなんですけど、そうじゃないというか。……言っちゃなんですけど、その、明らかに性能と値段が見合ってないんです」

 

 残念ながらあまり共感できそうにない話だった。

 あなたにとって、装備品や魔道具の性能が値段と釣り合っていないというのは今に始まった話ではない。

 

「でもベルゼルグだと、もっと安くて強力なのが普通に売ってましたよ? 勿論紅魔族の里が一般的じゃないのは私も分かってますけど、王都とかアルカンレティアでも。お洋服とかお化粧品はむしろ安いくらいだったのに、魔道具だけ明らかに高すぎるなんて絶対におかしいですよ」

 

 あなたは理解して、納得して、その上でゆんゆんを優しく諌めた。

 この場合、おかしいのは店ではなくゆんゆんの物差しだ。比較対象が悪い。

 

「!?」

 

 あなたに諭されたゆんゆんは強烈なショックを受けていた。よもやあなたに物差し云々を語られるとは夢にも思っていなかったと言わんばかりの反応である。

 しかし実際、魔王軍と戦っている国の高ランク魔道具店とさしたる脅威に晒されていない国の魔道具店を一緒にするのは少々酷というものだろう。

 この国の冒険者はベルゼルグと比較して平均レベルが10ほど低いという事実を忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 その後もひとしきりショッピングを楽しんだあなた達だったが、ゆんゆんが人ごみに酔ってしまったこともあってオープンテラスのカフェで休憩をとることにした。

 装備品や物騒な魔道具はさておき、嗜好品の質に関してはリカシィはベルゼルグを優に上回っている。

 適当に選んだカフェだったのだが、茶も菓子もベルゼルグの平均的なそれよりもずっと美味だ。

 

 ミル・クレープという名前の、何枚も重ねられたクレープ生地の間にたっぷりのクリームと彩り豊かな果物を挟んだケーキ風デザートに舌鼓を打つ。

 濃厚なクリームの甘みと果物の微かな酸味が喧嘩する事無く調和しており、幾重ものクレープ生地が全てを柔らかく包み込んでいる。

 ノースティリスに帰った暁には是非とも癒しの女神に奉納せねばなるまい。味の研究のため、あなたは通りがかったウェイトレスにテイクアウトの注文をした。

 

「私はどうしようかな……うーん、折角だけどやめておきます」

 

 一応ゆんゆんにも尋ねたのだが、彼女は財布の中を見て首を横に振った。

 

「今日までにだいぶ使っちゃったので。ちょっと節約しないといけないかもです」

 

 いきなりおかしなことを言い出した愉快な同行人に、あなたは思わず小さく笑い声をあげる。

 ゆんゆんは冗談のセンスが抜群だ。

 

「どうしたんですか?」

 

 どうしたも何も、ゆんゆんはつい数時間前、カイラムからエリスに換算して十億という身の丈に余る大金を受け取ったばかりだ。

 金銭の不足に悩むなど滑稽でしかない。

 

「あ゛う゛ん゛っ!」

 

 あなたの答えを受け、果たしてどういった感情の発露なのか非常に気になる、なんとも愉快な呻き声、もとい悲鳴を少女はあげた。

 口座の存在を忘れていたわけではないだろう。むしろ忘れていたかったのか。

 

「最初から口座に触る気が無ければ口座が存在しないのと一緒ですし……」

 

 微かな震え声に、あなたはまるで税金のようだと思った。

 税金は最初から払う気が無ければ存在しないのと同じである。

 実際あなたもこの世界で税金を払う気は無い。誰が何と言おうと絶無だ。

 

 誰もが中指を突き立てる無法な税率と戦闘力に物を言わせた脱税はさておき、素直に口座から引き落として使うべきだとあなたは諭した。

 全てを使えとは言わないが、一億エリス分くらいは構わないだろう。

 

「構います。構いますよ。というか十分じゃないですか……受け取っただけでもう十分じゃないですか……私いっぱい頑張りました……!」

 

 切実な訴えだった。いっそ悲痛ですらある。

 ギャンブルで溶かしつくすなどの無為な浪費は論外だが、完全に死蔵して腐らせるのも良いことではない。

 ゆんゆんが言ったように、最初から口座に触れる気が無いのは口座が存在しないのと一緒だからだ。

 

「はい、口座は存在しません!」

 

 はいじゃないが。

 笑顔の主張に呆れたあなたは、ぺしんと手の平で軽く小市民メンタルな少女の頭を叩いた。

 ゆんゆんはこういうところに関してはめぐみんの強かさを見習うべきだ。彼女ならきっといざという時のための貯金と家族への仕送りを残した後は、ここぞとばかりに散財して爆裂魔法の強化に励むと考えられる。

 

「確かにめぐみんはそういうとこありますけど。全部使い切らないところとか地味に理解度高いなって思います。でも私、あんな大金の使い道とか思いつかないですし……」

 

 そこであなたの出番である。

 経歴の殆どがイルヴァという異世界でのものとはいえ、あなたが歴戦の冒険者であることは疑いようも無い事実だ。

 そしてベテラン冒険者にとって、降って湧いた大金の使い道など相場が決まっている。

 

「……つまり?」

 

 いい機会なので装備を更新すべきだとあなたは提案した。

 竜の谷に使い慣れていない装備で赴くのはそれはそれであまりよろしくないだろうから、ベルゼルグに帰還してから。

 

「でも私、別に装備には困ってないですよ?」

 

 正直なところ、ゆんゆんはレベルと装備が釣り合っていない。レベル20台の頃と同じ装備を使い続けているのだから当たり前だ。

 今までは本人が特に不足を感じていなかったこと、促成栽培に収入と貯蓄が追いついていなかったことなどからあなたもあえて口を出さずにいたが、こうして臨時収入があったのだから存分に活用すべきだろう。

 不満が無いからいいというものではない。冒険者たるもの、装備品はいつだって最善を目指すべきだ。文字通り己の命を左右するものなのだから。

 

 先日のルビードラゴン戦においてゆんゆんが大いに手こずっていた理由として、装備がレベルに追いついていなかったというのが第一に挙げられる。

 現在使用している紅魔族産のロッドとローブ、そしてドワーフの鍛冶師が鍛えたミスリルの短剣。

 これらは確かに優秀だが、あくまでも同価格帯の中では、という但し書きが付く程度のものでしかなく、上を目指そうと思えばいくらでも目指せる。

 どちらも職人自体は世界有数の腕前なので、素直にそれらの店で上位のものに一新すれば困ることは無いだろう。あるいは今のゆんゆんならオーダーメイドを受けてくれるかもしれない。

 

 口座に手をつけるかは別として、冒険者としての師にして先達であるあなたの珍しく真摯な忠告をゆんゆんは素直に受け入れた。

 

「でもウィズさんのお店じゃなくていいんですか?」

 

 彼女に頼めば武具を仕入れてくれるだろうから、ゆんゆんがそれを望むのならそれもいいだろう。

 だが知ってのとおり、ウィズの目利きは極端だ。

 仕入れる品はアクセルでは需要が無いだけの強力で面白みの無いアイテムか、もしくはあなたの蒐集欲を掻き立てる素晴らしいネタアイテムばかり。

 今回の場合、前者であれば何も問題は無い。

 しかしカズマ少年考案の異世界由来の道具を除き、最近のウィズが仕入れる品は比重が後者に大きく偏っている。

 これはあなたという唯一無二のお得意様に喜んでもらう為だろうとバニルはなんとも複雑な表情で語っていた。

 確かにあなたはウィズの店、ウィズの商品が大好きだしウィズの目利きには大変感謝しているが、今のゆんゆんに必要なのは()()()()()()ではないのだ。

 

 故にあなたは冷たい目で淡々と問いかける。

 思わず目を覆いたくなるような素敵なネタ装備や産廃をウィズが善意100%でおすすめしてきた場合、ゆんゆんはそれを拒否出来るのかと。

 

「…………できましぇん」

 

 かつてウィズのおすすめした品で痛い目に遭ったゆんゆんは、そう言ってがっくりと肩を落とすのだった。

 

 余談だが、あなたに鍛冶屋潰しでゆんゆんに装備品をプレゼントする気はさらさら無かったりする。

 実際に作る分には全く構わないのだが、それをゆんゆんが愛用するとなると話は別だ。

 あなたは道具の力で擬似的に鍛冶スキルを得ている。しかしそれは所詮外付けの紛い物でしかなく、本当の意味で自分のものになっていないという意識がある。

 出来合いの品を強化したり妹に渡したような手慰みの玩具を作るならまだしも、自分が作った装備に他者の命を預けさせることができるほど、あなたは自分を信頼していなかった。

 

 パンはパン屋に。武器は武器屋に。これはそういう話だ。

 

 

 

 

 

 

 それはあなた達がカフェから出てきたところで起きた。

 

「おいババア今なんつったぁ! もっぺん言ってみろ!!」

 

 通りにつんざく男の怒声が響き渡った。

 何事だろう。お世辞にも穏やかな雰囲気ではない。

 ゆんゆんは正義感から、あなたは野次馬根性で騒ぎが起きている場所へ足早で向かった。

 

 現場では頬に十字傷が入った、凶悪な人相をした短気そうな男がいきりたっていた。

 頭三つぶんは背が小さい、日傘を差した老人を眼光鋭く睨みつけている。

 

「聞こえなかったのならもう一度言ってさしあげましょう。その耳かっぽじってよくお聞きなさい」

 

 男と相対する、燃えるような赤い髪を持つ優雅な老婦人は言った。

 堂々と、高らかに、謳うように。

 

「あなた、女装に興味がありませんこと?」

 

 しん、と。

 圧倒的な沈黙が周囲を満たす。

 夏の熱気すら容易に凍てつかせる、最低に終わっている一言だった。

 

「うわあ……」

 

 場に割って入ろうとしていたゆんゆんもドン引きだ。

 

 ──女装?

 ──今女装って言ったぞ。

 ──格好からして南海の国から来た冒険者よね。

 ──闘技大会に出る予定なんだろうけど……女装?

 

 ひそひそと囁きあう周囲の人間のなんとも言えない視線を振り払うように男は叫んだ。

 

「あるわけねえだろ!? 俺がそんな変態に見えてるってのか!」

「いいえ、全く。見たところ貴方はモヒカンで髭面のむくつけき冒険者。女装などこれっぽっちも似合わないと思いますわ」

「お、おう。分かってるならいい。いやよくねえよ分かっててなんでいきなりそんな事聞いてきた」

「馬鹿ですわねえ。ガチムチマッチョが似合わない女装にド嵌りする光景は最高に尊いのですよ?」

「狂ってんのか!?」

「失礼な。ただの趣味ですわ。それに心配しなくても怖いのは最初だけですわよ。慣れれば気持ちよくなりますわ。ほら、こんなにたくさんのお仲間が」

 

 懐から何枚もの写真を取り出す老婦人。

 その全てにフリフリのドレスを着てばっちり化粧をきめたガチムチマッチョの男達が映っている。目が腐りそうな冒涜的な写真だ。

 二人を見守っていた観衆があまりのおぞましさにえずいた。

 

「もっと怖くなったわ! くそっ、これ以上付き合ってられるか!! 俺の世間体が死ぬ!!」

 

 己があまりにも恐ろしい相手と相対していると理解した男は、震え上がって逃走した。

 よりにもよってあなた達のすぐ傍を通りすぎるような形で。

 

「待ちなさいこの根性なし! 世間体を気にして逃げるとかそれでもキンタマ付いてますの!? ご両親が泣きますわよフニャチン野郎! クソわよッッ!!」

 

 そして婦人は下品極まりない罵倒を放ちながら追いかけてきた。

 当然その進行先にはあなた達がいる。

 自然と顔を付き合わせることとなった。

 

「それ以上逃げるというのであればこちらにも……考え、が……」

 

 あなたの姿を認め、ぱたりと足を止める老婦人はあなたが知る相手だった。

 そう、レインの師匠にしてウィズの元クラスメイトであるリーゼロッテである。

 最近はウィズと文通をやっている、彼女の新しい友人と言っても差し支えないリーゼロッテである。

 彼女はこんな異国のど真ん中で何をやっているのだろう。

 本当に何をやっているのだろう。

 

「…………」

 

 気まずい沈黙の中見詰め合うあなたとリーゼロッテ。

 そして。

 

「ごきげんよう。今日もいい天気ですわね」

 

 何事も無かったかのように婦人はにっこりと瀟洒に微笑むのだった。

 冷や汗をだらだらと流し、全力で目を泳がせながら。

 

 

 

 

 

 

「……適当に歩いていたら何やらおかしな雰囲気の場所に着いてしまいましたが、まあここらへんでいいでしょう」

 

 人目を逃げるようにその場を後にしたあなた達三人は、やがてリーゼに連れられるまま薄暗く人気の無い路地裏の奥に辿り着く。

 スラム街の区画ではないはずだが、それに近しいものを感じる仄暗い空気の場所だ。

 遠くから聞こえてくる喧騒はどこか別の世界のもののように現実感を喪失し、日差しで暖められた地面がじりじりと不快な熱と臭気を発している。

 あまり長居するような場所ではない。あなたは率直にそう感じた。

 

「…………お知り合い、なんですよね?」

 

 恐る恐る聞いてくるゆんゆんに、あなたは数秒ほど本気で頷くべきか悩んだ。

 ウィズ以外では変態ロリコンストーカーフィギュアフェチ、全裸勇者、TS義体化ロリのチキチキマニア、ロリペド踊り食い(物理)、小作人(遺伝子組み換え)、冒涜的精神崩壊系歌姫といった愉快な面々を友人に持つあなただったが、女装、それもさせる側が趣味の知り合いや友人はいなかったのだ。

 せめて美少年が相手ならまだギリギリ格好や言い訳がついたのだが。

 

「まあ、そうですわね。私は彼と会ったのはこれで二度目。知り合い以上の関係ではありませんが……そういう貴女、もしかしてゆんゆんという名前だったりするのかしら?」

「え、はい。私をご存知なんですか?」

「へえ、貴女が。なるほど、確かに聞いたとおりの特徴をしていますわね」

 

 興味深げにじろじろと観察してくるリーゼロッテに居心地悪そうにするゆんゆん。

 明らかに貴族といった風体の相手なので、初対面ということもあってどう対応すればいいか分からないのだろう。

 あなたは他者紹介を兼ねて助け舟を出すことにした。

 

 彼女の名はリーゼロッテ。

 ベルゼルグ有数の大貴族にしてウィズの元クラスメイト兼ライバルでレインの師匠でベルゼルグの宮廷魔道士だ。

 

「ええっ!?」

「ふふ、驚かせてしまったかしら。そう、わたくしこそかつて紅蓮姫の名を欲しいままにし、王都に攻め入る魔王軍をことごとく消し炭に変えてきたアークウィザードですわ」

「紅蓮姫のリーゼロッテって、私本で名前を見たことありますよ!?」

「うんうん、まだ若いのによく勉強していますわね。不肖の弟子にも見習わせたいですわ」

「そんな立派で偉い人が異国の往来で衆人環視の中あんなことを!?」

「オーケー話し合いましょう。好きな金額を言いなさい」

 

 話し合おうと言っておきながら説得でもなく脅しでもなく初手買収を選択してくるストロングなスタイルは清清しさすら感じられてあなたも嫌いではない。

 彼女の奇行や口止めはさておき、何故ベルゼルグの貴族であるリーゼロッテがトリフにいるのだろうか。

 

「まあ隠すようなことでもないので言ってしまいますが、アイリス様が闘技大会に招待されているのでその付き添いですわ。当然護衛である不肖の馬鹿弟子もシンフォニア家の小娘と共に来ていますわよ」

 

 彼女達は現在帝城に滞在しているらしい。

 一人で自由行動をしていて大丈夫なのだろうか。

 

「アイリス様に許可は取っていますし、何よりわたくしはアイリス様の護衛ではありませんから。無論やれと言われれば完璧に勤め上げることなど造作もありませんが、若人の仕事を奪うつもりはありませんわ」

 

 茶目っ気たっぷりにいい事を言った風な雰囲気を出しているが、実際にやったことがやったことなので全く格好が付かない。

 あなたとゆんゆんの真夏の湿度の如きじっとりした視線に耐えかねたのか、リーゼは冷や汗を流しながらこほんと咳払いをした。

 

「話は変わりますが、あなた達の話はわたくし達の耳にも届いています。カイラム第一王女、カルラ様の命を救ったそうですわね。アイリス様もご友人の無事をお喜びになっていましたわ。あなた達に感謝を」

「ええと、はい、ありがとうございます。じゃなくって、恐縮です」

 

 ぺこりと頭を下げるゆんゆんにリーゼは眉を顰めたかと思うと、あなたにこう言った。

 

「……おかしいですわね。ねえちょっと、さっきから不思議に思っていたのですけど、この子紅魔族と聞いていたのにめっちゃ普通に受け答えしてきますわよ。どうなっていますの。高笑いもキメポーズもしないとか本当に紅魔族なんですの?」

「わ、私はそういうのじゃないですから……まともで普通な紅魔族ですから……!」

「ウィズも似たようなことを言ってましたけど。貴女はアクシズ教徒の中にもまともで普通なのがいると言われてはいそうですかと信じられますの?」

「そういうレベルなんですか!?」

「そういうレベルですわ」

 

 確かに紅魔族の里で生まれ育ったゆんゆんがこんな性格に育ったのは、この世界における最大の謎の一つと言えるだろう。

 同レベルの謎にウィズの商才が入っているのは論ずるまでもない。

 

 

 

 

 

 

 ウィズの元クラスメイトとウィズの愛弟子。

 そんな二人の会話の潤滑油、とっかかりとなったのはやはりここにはいないウィズだった。

 

「先のカルラ様の件では名前が出てこなかったのでまさかとは思いましたが、ウィズとは行動を共にしていませんでしたのね」

「はい。ウィズさんは今もアクセルにいます。冒険者稼業は引退しているし、今は旅よりお店を優先したいって。竜の谷の探索には同行してくれる予定になっているんですけど」

「竜の谷はわたくしも一度行ってみたかったのですが、立場がそれを許さなかったのですよね……ちっ、ほんと悠々自適の老後を過ごしてて羨ましいですわあの楽隠居」

「ろ、老後……」

「見た目こそ現役時代のままとはいえ、あれも実年齢は大概ババアに片足突っ込んでますわよババアに。若さの秘訣があるのなら是非とも教えてもらいたいですわね実際。最近どうにもあちこちの関節に違和感が……」

 

 ゆんゆんは同年代やある程度年齢が近しい相手だと人見知りしてしまうが、親と子ほどに差がある場合は初対面でも意外と普通に話すことができたりする。

 無論リーゼが散々醜態を見せた後だったり貴族らしからぬフランクな女性というのも無関係ではないだろうが。

 

 そうして城に戻るというリーゼを送ることになったあなた達だったが、突如として辺り一帯がにわかに騒がしくなった。

 激しい物音と怒鳴り声は、どう判断しても市場の喧騒とは一線を画した物々しさを内包している。

 

「腐臭のする堕落と退廃と暴力の気配。魔王軍という脅威が消えれば我が国もいずれこうなるのかと思うと頭が痛いですわ」

 

 不快そうに鼻を鳴らすリーゼに対し、ゆんゆんは体と表情を硬くしていた。

 彼女は凶暴な魔物との戦いにこそ慣れていても、悪党と相対する経験はまるで積んでいないのだ。

 

 

 ──逃げたぞ、追え!!

 ──奥だ、奥に行った!

 ──早く捕まえろ! 殺してもいい! 絶対に逃がすんじゃねえ!!

 

 

「あわわわわ……」

「明らかにこっちに近づいてきてますわねえ。これってやっぱりわたくしのせいなのかしら」

 

 あなた達がここにいるのはリーゼに連れられてきたからだが、これは単に運が悪かっただけだろう。

 そういう日の巡りだったというだけだ。

 

「それもそうですわね」

「なんでお二人ともそんなに落ち着いてるんですか!? いやあなたはなんとなく分かりますけど、リーゼロッテさんまで!」

「リーゼで結構ですわよ。まあぶっちゃけ厄介ごとに巻き込まれたらとりあえず片っ端からしばき倒せばいいか、と考えていることは否定できない事実ですわ。どうせ相手はチンピラとか無法者でしょうし」

「あっこれダメだ! 二人とも似てる(脳筋)タイプの人だ!! ウィズさん! 助けてウィズさーん!!」

 

 路地裏にゆんゆんの悲鳴が響き渡り、それに引き寄せられたかのように小さな影があなた達の前に駆け込んできた。

 

 

 

 

 

 

 同時刻、アクセル、ウィズの家。

 

「──あっ!?」

 

 食器棚の整理をしていたウィズの手から一つのカップが零れ落ち、音を立てて砕け散る。

 不幸なことに、それは彼女の大切な友人である年下の少女のものだった。

 

「おい大丈夫か? 気をつけろよ。その程度じゃリッチーは怪我しないっつっても」

「びっくりしました。いきなり取っ手の部分がぽろって取れちゃって」

「取っ手が取れってそれは駄洒落か?」

「違います。というかもしかしてゆんゆんさんの身に何か起きたのでは……」

「いきなり何言ってんだお前。ただの経年劣化に決まってんだろ」

「ベルディアさんはジンクスとか信じないんですか?」

「デュラハンになってからはさっぱりだが、人間だった頃は何の前触れも無く靴紐が千切れたとか黒猫が横切るとか窓の外でカラスが群れてたとかしょっちゅうだったからな。不吉の象徴とか言われても信じられん」

「ああ、道理で……」

 

 告死を司るデュラハンは一般的に不吉の象徴として扱われている。

 ウィズはギロチンにかけられたベルディアがデュラハンになった理由の一因をなんとなく察した。

 

 

 

 

 

 

「はあっ、はあっ……!」

 

 あなた達の前に飛び込んできたのは、背丈がゆんゆんの肩ほどの小柄な何者かだった。

 ぼろぼろに擦り切れた外套で全身を覆い隠し、布でぐるぐる巻きにされた、身の丈ほどの棒状の長い何かを必死に抱えている。

 外套の上からでは分からないが、歩き方を見るに体のあちこちに怪我を負っている。

 見るからに怪しさが爆発していた。

 

「……!?」

 

 道を塞ぐように立つあなた達の姿を認め、相手の目に絶望の色が浮かび上がった。

 

「お構いなく。わたくし達はただの通りすがりですわ」

「…………」

 

 道を譲るように左右に分かれるあなた達。

 相手はリーゼの言葉にも警戒心を解く事は無く、しかし頻りに後方を気にする様子を見せている。

 

「あの、もしお困りなら言ってください。何かの助けになれるかもしれません」

「ちなみにこの先は行き止まりですわよ。追われているのなら引き返すことをおすすめいたしますわ」

「──っ!」

「あらあら、これでも親切で言ってあげたのですけど」

 

 聞く耳持たずとばかりに奥へ行ってしまった。

 実際あの先は袋小路となっているので、壁を越える手段を持っていないのなら立ち往生が確定した瞬間である。

 

「あの……よかったんですか?」

「ワケ有りなのは明らかでしたが、あちらが取り付く島もない感じでしたし、良いも悪いもありませんわ。こちらは相手の事情を何一つ知りませんもの」

 

 そうこうしているうちに、彼、あるいは彼女を追っていると思わしき一団があなた達の方へ近づいてきた。

 

「これはまたおあつらえ向きというか。まるで戯曲から飛び出してきたかのような連中ですわね」

「つまり?」

「絵に描いたような場末のチンピラってことですわ」

 

 辛辣なリーゼの感想に、ゆんゆんも否定はしなかった。

 人相の悪い薄汚れた風体の男達がぞろぞろと肩を並べてやってくる様は、安いチンピラ以外の感想が出てこない。

 ベルゼルグの街中ではまずお目にかかれない人種である。

 

「きっと第一声はこうですわよ。なんだお前ら。見せもんじゃねえぞ」

「いやいやそんなまさか。そこまで分かりやすくないと思うんですけど」

 

 男達の人数は六人。

 あなた達の数メートル先で立ち止まった彼らは、辺りを注意深く観察している。

 特にあなた達の背後、路地裏の奥を気にしているようだ。

 

 その中の一人、禿頭の男が威圧するように睨みながら言った。

 

「なんだお前ら。見せもんじゃねえぞ」

「うわ凄い! 言った! 今この人本当に見せもんじゃねえぞって言いましたよ! 私こういうチンピラ丸出しの人初めて見ました!!」

 

 ゆんゆんはたまに無神経というか歯に衣着せぬ物言いをすることがある。

 本人に悪意があるわけではない。ただ正直なだけだ。

 

「あ゛あ゛!!?」

 

 案の定一瞬で顔を赤くする禿頭の男。

 まるで瞬間湯沸かし器の如き沸点の低さである。

 

「止めろ、絡むな。今は遊んでる場合じゃねえ」

「なあオイ、あんた達、薄汚れたマントをつけた、これくらいの背の小さい奴を見なかったか? これくらいの長さをした荷物を抱えている奴なんだが」

 

 やはりというべきか、この男達は先ほどの者を追っているようだ。

 

「お探しの人物でしたらこの先に行きましたわよ。袋小路になっていたのですぐ見つかるでしょう」

「そうか、情報感謝する。行くぞ」

 

 愛想よくしているつもりなのか、粗野な笑みを浮かべて通り過ぎようとする男達だったが、おもむろに足を止める。

 彼らの道を塞ぐようにリーゼとゆんゆんが立ちはだかったからだ。

 

「……どいてもらえるか?」

「いい年した大人の男達があのような幼子を血眼になって追う理由を教えていただけて? ええ、ただの興味本位ですわ」

「ああ? それがあんた達にとって何の関係がある?」

「さっきの子、隠していたみたいだけど体のあちこちに怪我をしていました。何かに怯えていました。……お願いします、答えてください」

「……ちっ、めんどくせえな」

 

 にわかに殺気立つ男達が一斉に得物を抜いた。

 いくらなんでもあまりにも気が早い。追っている相手の重要さが窺える。

 ゆんゆんが身を低く構え臨戦態勢をとり、リーゼが暴の気配を向けられて喜色満面になり、あなたは虚空から現れた赤い包丁を後ろ手に握った。

 

「こっちも急いでるんだ。その間抜けな正義感に免じて手足の一本で勘弁してやるよ」

「あー! いけません、いけませんわ! いくらここが人気のない路地裏だからってこんな真昼間っからそのような乱暴狼藉は大変困りますことよ! でもしょうがないですわね! だって老人と子供相手に大人気なく刃物を持ち出しちゃったんだからこれはもうしょうがねーですわっシャオラァっ!!」

「なんだこのババあぐべっ!?」

 

 老体とは思えぬ機敏さと腕力を見せ付けたリーゼに日傘で、あなたに包丁によるみねうちでしばき倒される六人の男達。

 不用意な行動の結果、彼らは瞬く間に夏の地面に焼かれることになった。

 

「ぺっ、雑魚が。その程度で粋がってんじゃねーですわよ。当代最強の冒険者と一部で評判の頭のおかしいエレメンタルナイトが相手ならまだしも、ひ弱な魔法使いのババアにワンパンでぶちのめされるとか末代までの恥ですわね」

 

 ちなみにこの自称ひ弱な魔法使いババアのレベルは62。英雄の域を超えたいわゆる人外級、誰もが認める生ける伝説である。

 大の男に女装させるのが趣味の度し難い変態だが生ける伝説なのだ。

 それはさておき、倒れ伏す男を蔑んでげしげしと蹴りを入れるリーゼの姿は実に堂に入っており、まったくもってチンピラ顔負けだった。彼女が本当に貴族なのか疑わしく思えてくる。なんとなく弟子であるレインの気苦労が察せられた。

 

「えぇ……なんていうかもうえぇ……」

 

 突如吹き荒れた暴の嵐に慄くゆんゆんに、刃物を持ち出した相手が悪いとあなたは笑顔で断言した。

 これは正当防衛である。しかも殺していないのだから、むしろ相手には感謝してもらいたいくらいだ。

 

「いや、確かに先に武器を抜いたのはあっちとはいえ、幾らなんでも躊躇が無さすぎて眩暈がしそうなんですけど……」

「ゆんゆん、よく覚えておきなさい。迷いは死を招くということを。そして悪党をぶちのめすのは最高に気持ちがいいということを」

「……もしこの人たちが悪者じゃなかった場合は?」

「そんときゃ笑ってごまかしますわ」

 

 からからと笑うリーゼの家名はアイアンフィスト。

 鉄拳の名を戴くに相応しい、ベルゼルグきっての武闘派である。

 

 

 

 

 

 

 チンピラをぶちのめしたあなた達は、再度路地裏の奥に向かうことにした。

 どうやら二人は先ほどの者を助ける方向で考えているようだ。

 助ける理由も見捨てる理由も持たないあなたは、この件の舵をゆんゆんに委ねている。

 ただ袋小路から姿を消していればそれ以上積極的に関与する気は無かったのだが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。

 

「……気を失ってます」

 

 疲労が限界を超えたのか、もしくは逃げ場のない場所に追い詰められて緊張の糸が切れたのか。

 追われていた者は壁によりかかるように気絶していた。

 

「男の子のようですわね。それもイケメンになる将来が約束されてるって感じの」

 

 あなたは地面に転がっていた包みを手に取った。

 全長はおよそ130センチほど。重さは2キロ前後。

 布の向こうの硬質な感触からして、恐らく中身は金属製だろう。

 

「積荷の正体を気にするのは結構ですけど、とりあえずここを離れませんこと? さっきの連中が目を覚ますと面倒ですわよ」

 

 リーゼの言葉に否やは無い。

 不審者と物品を回収したあなた達は、速やかに路地裏を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 流石に浮浪者と見紛う格好の不審者を帝城や中央区画のホテルに連れて行くわけにもいかず、あなた達は適当な安宿を利用することにした。

 

 少年を介抱するゆんゆんを尻目に、あなたはわくわくとした面持ちを隠そうともせずに包みを解く。

 果たして、中から出てきたものとは。

 

「あら、随分と立派な剣ですわね。雰囲気がありますわ」

 

 金字で複雑な魔法陣が刻まれた漆黒の鞘に収まった、刃渡り1メートルのロングソードだ。

 レア物の気配を敏感に感じ取ったあなたはこっそりと鑑定の魔法を使った。

 

 ──★《ダーインスレイヴ》

 

 どうやらダーインスレイヴという銘の聖剣のようだ。神器(アーティファクト)判定である。

 身体能力を強化する以外にも自動治癒、潜在能力開放といった様々な恩恵を所有者に与えるらしい。キョウヤのグラムに比肩する素晴らしい武器と言えるだろう。

 なるほど、彼が追われる理由としては十分すぎた。追っ手の手の早さも同様に。

 

「しかしこの鞘の文様、どこかで見た覚えが……確か王宮の資料庫で……最近どうにも物忘れが多くていけませんわね……」

 

 リーゼはしばらくうんうんと唸った後、ポンと手を叩いた。

 

「思い出しました。ダーインスレイヴですわ!」

「魔剣ダーインスレイヴ!? 本物なんですか!?」

 

 名前を当てたリーゼが目を見張り、ゆんゆんが劇的な反応を示す。

 どうやらこれがどういうものか知っているようだ。

 しかしゆんゆんはこれを魔剣と呼んだ。あなたの鑑定の魔法では聖剣にカテゴリーされると出たのだが、これはどういうことだろう。

 

 あなたは二人にダーインスレイヴについて説明してもらうことにした。

 

「ダーインスレイヴ。担い手を超人と変える強大な力を持ち、過去の所有者全てに輝かしい栄光……そして悲惨な破滅をもたらしている曰く付きの魔剣です」

「真に優れた武具は時に担い手を選びますわ。ベルゼルグの至宝であるエクスカリバー然り、あなたが懇意にしている魔剣の勇者が持つグラム然り」

 

 あなたの愛剣もそうだ。

 愛剣はそれらとはあまりにも毛色が違いすぎるが。

 

「ですがダーインスレイヴはその逆。担い手を一切選ばないのです。勇者だろうがチンピラだろうが一般人だろうが区別無く、誰にでも、等しく、同じ力を与えます。そして誰もが区別無く剣がもたらす力に魅入られ、溺れ、破滅していった。故に魔剣なのですわ」

「一度抜けば生き血を浴びるまで鞘に収まる事は無いと言われてるので、絶対に抜いちゃダメですよ?」

 

 あなたはゆんゆんの言葉に力強く頷き、ダーインスレイヴを鞘から解き放った。

 

「ほら来た! 言っといてなんだけど私抜くと思った! 絶対抜くと思ったもん! っていうかなんで頷いたんですかもー!!」

「これっぽっちも臆さないとかやりますわね。そうでなくては」

 

 とても魔剣と呼ばれているようには見えない、一切の装飾を廃した、ただひたすらに実用性のみを突き詰めたシンプルなロングソード。

 いい剣だ。白銀に煌く曇りの無い刀身を日に翳しながら素直にあなたは思った。

 担い手を選ばないという話は嘘ではないらしく、キョウヤがグラムを使っている時のような強い力を感じる。

 極上の神器の気配にたまらず蒐集癖が疼き、あなたの口角が歪な孤を描く。

 

「あわわわわ……目が欲望でぎらぎらしてるし気持ち悪い笑顔になってる……魔剣の呪いの話は本当だったんだ……!」

 

 ゆんゆんがとても失礼なことを言い出した。

 これは決してダーインスレイヴの影響ではなく、コレクターであるあなたの素だ。

 レアアイテムを前にして物欲に駆られたあなたは大体いつもこうなる。

 

「うわあああああああああああ!!!!」

 

 突然の絶叫が部屋に響く。

 何事かと思えば、あなた達が拾った少年が目を覚まし、顔を真っ青にしてあなたを……いや、正しくは抜き放たれたダーインスレイヴを見つめていた。

 その瞳に映るのはただ一つ。強い怯えのみ。

 

「だ、ダーインスレイヴが、抜かれている……な、なんてことを……」

 

 ガタガタと恐怖に体を震わせる少年の姿に興が削がれたあなたは、ダーインスレイヴを鞘に収めて少年のベッドに放り投げる。

 あとでなんとか譲ってもらえないか交渉しようと考えながら。

 

「あ、え……?」

「別に必要ありませんでしたわね、生き血」

「ですね。良かった……本当に良かった」

 

 ちなみに本当に生き血が必要だった場合、あなたは自傷行為で済ませるつもりだった。

 武器に出血させられるなどあなたには日常茶飯事なので何も問題は無い。

 

 

《────》

 

 

 ダーインスレイヴに反応したのだろう。

 異空間の中で、自分以外のあなたに使われる全ての近接武器を嫌悪するエーテルの魔剣が威嚇の唸り声をあげた。



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第118話 ★《ダーインスレイヴ》

「危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」

 

 うらぶれた安宿の一室。

 少しの間周囲を見渡した後、自分を追っていた者達の姿が無いことを認めた少年は、ボロボロのベッドに正座をして深々と頭を下げた。

 身なりこそみすぼらしいものの、高度な教育を受けたもの特有の所作、整った顔、白い肌、金色の髪、透き通った翡翠の瞳もあわせて生まれと育ちのよさをまるで隠しきれていない。

 

「ふふふ、とんだ甘ちゃんですわね。まるで砂糖がけ蜂蜜練乳ワッフルのような甘さ」

 

 名前を聞いただけで胸焼けがしそうな菓子を引き合いに出し、リーゼがニヤリと嗤った。

 

「いつ誰が貴方を助けたと言ったのかしら。どうして貴方を追っていた者達とわたくしたちが無関係だと思えるのです? 一言もそんなことは言っていないというのに」

「そんなっ!?」

「リーゼさん!?」

 

 少年の端正な顔が絶望に染まり、ゆんゆんがまさかといった声をあげる。

 

「いやまあ嘘なのですけど。ちなみに彼らですが、貴方との関係を問い質したら襲ってきたのでそこの彼と共にぶちのめしましたわ」

「……はい?」

「ぶちのめしましたわ」

 

 いえーいとイイ笑顔でサムズアップを決めるあなたとリーゼに面食らった少年は困惑の表情でゆんゆんを見やるも、彼女は無言で首を横に振るだけだった。

 

「私が止める暇も無くて。もしかして貴方のお友達だったりしましたか?」

「いえ、むしろ敵、とまでは言いませんが、相容れない者達であることだけは確かです」

「ならよかった……いや全然よくないけど」

「それで、肝心の貴方が追われていた理由ですが。まあ今更聞くまでもありませんわね」

 

 室内の全ての人間の視線が、ベッドに放り投げられたまま転がっている剣に、鞘に収まったダーインスレイヴに注がれる。

 

「よもやダーインスレイヴとは。いったいどこから引っ張り出してきましたの?」

「確か百年くらい行方が知られていなかったはずですよね」

「それは……」

 

 苦渋を顔に滲ませ、言葉を詰まらせる少年。

 自身がダーインスレイヴの名を呼んだせいでバレてしまったと考えているようだ。

 

「…………」

 

 しばらく黙りこくっていた少年は、やがて視線をあなたに向けてこう言った。

 

「それを話す前に、その……そちらの方なのですが……本当に大丈夫なのですか?」

 

 爆発物に触るが如く、恐る恐るの問いかけ。

 何の話だろうとあなたは首を傾げた。頭は間違いなく大丈夫だが。

 

「普通にダーインスレイヴのことだと思いますよ。思いっきり抜いてましたし。一度抜けば生き血を浴びるまで鞘に収まる事は無いと言われる危ない魔剣を。一度抜けば生き血を浴びるまで鞘に収まる事は無いと言われる危ない魔剣を! 私はやっちゃ駄目ですよって言ったのに!」

「……? 貴方達は僕の持つ剣がダーインスレイヴだと気が付いていたんですか?」

「ええまあ。割と資料は残っているものなので。とはいえ正直なところ、本物かどうかは半信半疑でしたけど。実際本物なんですの?」

「間違いありません。これは正真正銘、本物のダーインスレイヴです」

「じゃあ生き血を浴びないと鞘に収まらないっていうのは……」

「いえ、世間に伝わっているその話は間違っているんです。ダーインスレイヴは決して生き血を求めるような魔剣ではありません」

 

 確かに鑑定の魔法で調べた限りではそのような効果は存在しなかったし、剣を握ってもそのような衝動は襲ってこなかった。

 

「おかしいですわね。ならばどうして先ほどの貴方はあんなにも剣を持った彼に怯えていたのです?」

「ダーインスレイヴは血を求めませんが、ダーインスレイヴの担い手は、潜在能力開放の副作用なのか、精神の根幹が闘争に支配されてしまうんです。……実際に僕はそうなってしまった人を見ました」

 

 闘争心とは無縁といった風の、極めて自然体のままのあなたを三人が見やる。

 あなたはこれといった反応を示さず、もう一度剣を抜いてみていいか尋ねた。

 

「…………どうぞ」

 

 何かしら思うところがあるらしく、強い警戒の中にどこか期待を含んだ声色で了承を示す少年。

 再びダーインスレイヴを解き放つも、やはりあなたの心身に変容は発生しない。

 そうして再び鞘に収めると、表情を強張らせていたゆんゆんと少年がほっと安堵の息を吐いたので、あなたは三度ダーインスレイヴを抜いた。

 

「ねえなんで? なんでまた抜いたんですか? 今絶対そういう流れじゃなかったですよね?」

 

 真顔で問いかけるゆんゆんに、ヘイヘイゆんゆんびびってるーと煽らんばかりの、極めて軽いノリで何度も何度も曰くつきの魔剣を抜き差ししながらあなたは答える。

 コロコロと変わるゆんゆんと少年の表情の変化が楽しいのでなんとなくやっているだけだと。

 ノースティリスの友人達のノリに近いリーゼに、あなたは若干引きずられていた。

 

「子供ですか! たまにそういうめぐみんみたいなことしますよね!」

「気持ちはとてもよくわかりますわ」

「リーゼさんまで!?」

 

 あなたがひとしきりダーインスレイヴとゆんゆんで遊び終えたタイミングを見計らい、彼は意を決した様子で自己紹介を始めた。

 

「僕はレオ・ジュノー。この百年間、北の国、ルドラの辺境でダーインスレイヴを秘匿し続けてきたジュノー家の末子です。先祖はダーインスレイヴの担い手、アマネケントの仲間だったと聞いています」

 

 ベルゼルグと今回の旅にあたって多少下調べをしたリカシィ、そしてカルラ関係で伝手が出来たカイラム以外の国について、あなたは限りなく無知に等しい。ルドラだのジュノー家だのと言われてもさっぱりである。

 ただその独特の名前の響きからして、かつての担い手は恐らくニホンジンだったのだろう。

 

「ルドラはリカシィの北にある、国土の大半が雪に覆われた国です。ただリカシィの北は険しい山脈で蓋をされていて港がないし、何よりルドラは一年を通して周辺の海域が荒れ狂っている竜の谷を挟んだ先の大陸にあるので、リカシィとはあまり国交がないはずです」

「アマネケントはベルゼルグの冒険者ですわね。詳細は伏せますがダーインスレイヴの担い手の例に漏れず、悲惨な最期を遂げたそうですわ」

 

 物知りなゆんゆんとリーゼが補足を入れてくれた。

 だがそんな二人もジュノー家については初耳らしい。

 

「およそ半年前のことです。僕達の住んでいた町を、大規模な魔物の群れが襲いました。その数は……」

「ストップ。長話になりそうな気配を感じました。日が暮れそうなので要点だけ纏めて巻きでお願いしますわ。格好を見て分かるかと思いますが、わたくしこれでも結構高貴な身分なので。そろそろ戻らないといけないのです」

「え、あ、はい。わかりました」

 

 キリリとした表情でフリーダム全開な発言を飛ばす貴族の老人に、レオとゆんゆんはなんともいえない微妙な表情になった。

 かくいうあなたも似たようなことを考えていたのだが、実際口に出すあたりまるで空気を読む気が無い。

 無駄にシリアスな空気になることを嫌ったのか、あるいは単にめんどくさいだけなのか。

 どちらにせよノースティリス適性が高そうな女性である。

 

「ええと……魔物の襲撃に際し、このままでは勝てないと悟った僕の兄が家に封じられていたダーインスレイヴを持ち出したんです。そのおかげで町は救われたんですけど、今までの担い手と同じように、兄もまたダーインスレイヴがもたらす力に魅入られ、闘争心に呑まれてしまいました」

 

 あまり悲劇的な結末で終わってはいないのだろう。

 淡々と事実を語るレオの声からは強い負の感情が読み取れない。

 

「魔剣に執着し、魔物との戦いに明け暮れる兄に、このままではかつての悲劇を再現するだけだと僕の両親はダーインスレイヴを再び封印せんとし、それを拒む兄との三日三晩の戦いの末、殆ど相打ちのような形で兄から魔剣を取り上げる事に成功しました」

「ご両親とお兄さんは、その……」

「ご心配なく。懸命の治療の甲斐あってか、幸いにして三人とも一命は取り留めましたので」

 

 気まずさを隠せないゆんゆんを安心させるように、レオは柔らかく微笑んだ。

 隣のリーゼが小声で発したこの子絶対女の子にモテまくりますわよ、ナチュラルハーレム野郎ですわ、という言葉は聞かなかったことにしておく。

 

「ただ残念な事に二度と剣を振るえない体となってしまいましたが。更にダーインスレイヴで災厄を引き起こしかけたことを国から咎められ、ジュノー家は最低限を残して殆どお取り潰しのような形となってしまいました」

「ダーインスレイヴが引き起こした悲劇の数々を思えば当然の沙汰ですわね。むしろ歴代の担い手と比較すれば相当マシな末路とすら言えますわ」

 

 真顔でぶったぎったリーゼにレオは苦笑し、頷いた。

 

「そうですね、僕もそう思います。何より死者が一人も出なかったのは本当に運が良かった」

「ダーインスレイヴの逸話には一族郎党皆殺しとか国を真っ二つに割る内戦とか、そういう悲惨すぎるものが当たり前のように出てきますもんね……」

 

 常であればリーゼの無神経な言葉に難色を示すであろうゆんゆんが素直に同意するあたり、ダーインスレイヴが流してきた血の量が窺える。

 あなたは俄然この曰くつきの魔剣が欲しくなった。

 

《────》

 

 流した血の量なら負けていない。むしろ自分の方が圧倒的に勝っている。

 愛剣がそんな意思を飛ばしてきた。

 今日の愛剣は珍しく活動的だ。あなたがダーインスレイヴに熱をあげていることが余程気に食わないらしい。

 愛剣はあなた以外に使われることを拒絶するどころか柄に触れられただけで下手人とあなたを爆死させるほどに愛が重い魔剣なので、誰彼構わず受け入れて担い手にするダーインスレイヴは殊更受け入れがたいのだろう。

 

「ダーインスレイヴはジュノー家から没収され、密かにルドラ所有のものとなりました。ルドラのものとなったのですが……そのおよそ一ヵ月後、傷だらけになった一人の魔法使いがジュノー家の戸を叩きました。鞘まで血に塗れたダーインスレイヴを持って」

 

 そこまで語ったレオは深い溜息を吐いた。

 

「彼は語りました。どこからか話を聞きつけた野心溢れるルドラの貴族が、宝物庫に収められたダーインスレイヴを盗み出した挙句鞘から解き放ち、魔剣の力をもって偉業を成し遂げんと目論み、千の私兵を率いて竜の谷へ向かうも、三日と経たず貴族を含めたほぼ全員が命を落としたのだと」

「いわゆる手の込んだ自殺ってやつですわね。ダーインスレイヴ絡みでは実にありふれた結末ですわ。家臣を巻き込んだことは控えめに言ってゴミクズですけれど」

 

 他国とはいえ大貴族であるリーゼの耳に入っていないあたり、この件は内密に葬られたのだろう。

 

「三日で千人もの人たちが……」

 

 やっぱり行くの止めません?

 そう言いたげな目で見てくるゆんゆんにあなたは笑顔で首を横に振る。

 ハードルが上がれば上がるほどテンションが上がる師の姿に、紅魔族の少女はがっくりと肩を落とした。

 

「二度とこんな事が起きないよう、なんとかして魔剣を隠してくれ。竜の谷の生き残りだという彼はそう言って戸惑う僕にダーインスレイヴを押しつけ、テレポートでどこかに姿を消しました。すぐさま僕達はルドラに報告したのですが、再発を防ぐため、そして百年間秘匿し続けた手腕を鑑みて、やはりダーインスレイヴの扱いについては僕達に一任すると認めました。そのお陰でジュノー家はある程度持ち直したのですが……正直完全に持て余したんだろうなって思いました」

「私もそう思います」

「同じく」

 

 端的に記すのならば、ルドラは恐れ慄いたのだろう。

 魔剣の力と名声に魅入られた者たちの底なしの欲望、そしてそれらがもたらす破滅に巻き込まれることを。

 

「最初は僕達も元鞘に収まったと思っていたのですが、それはあまりにも甘い見通しでした。誰かが口を滑らせるまでもなく、ごく短い間とはいえダーインスレイヴを使っていた兄の姿を通じて、魔剣を持つジュノー家の噂はとうの昔に広まっていたのです。それも表ではなく、裏の世界に」

 

 魔剣に目が眩んだ者の愚かさ、恐ろしさをよく知るジュノー家はそれを知るや、殆ど夜逃げのような形で姿を眩ませたのだという。

 

「当初、僕達はベルゼルグに逃げる予定でした。日夜魔王軍との戦いに明け暮れるあの国は、反社会的勢力に極めて敵対的なので」

「人手や優先度の問題で賊程度なら放置されがち()()()のですけどね。マフィアやそれに類するものに対しては貴方の言う通り徹底的ですわよ」

「はい。ですがそれは相手も重々承知していたらしく。いくつかあるベルゼルグへのルートは完全に塞がれてしまっていました」

 

 そうして追っ手を掻い潜りながらの逃避行を続ける中、彼らはやがて海を隔てた南の大陸、リカシィに辿り着くこととなる。

 

「ですがやはり傷も満足に癒えないままの逃避行は無理があったのでしょう。船での旅、そして別大陸の慣れない環境もあってか、リカシィに来て間もないうちに両親と兄の体に限界が来てしまいました」

 

 これ以上の無理はできない。

 追っ手に捕捉されるのも時間の問題となった中、レオは一つの決断を下した。

 すなわち、唯一満足に体を動かせる自分がダーインスレイヴを持って追っ手の目を引きつける事を。

 

「随分とまあ無茶な真似をしましたわね。嫌いではないですけど」

「ですが僕とダーインスレイヴが囮になっている間に、家族は無事にベルゼルグに逃げ延びました。今頃は辺境の地で体を休めている筈です」

「それでなんやかんやあってベルゼルグへのテレポートサービスをやっているトリフに辿り着いたはいいものの、路銀も底を突き、いよいよ追い詰められて進退窮まったところでわたくし達に出会ったと」

「……はい。これで僕の話は終わりです。正直あの時は本当にもう駄目かと思いました。あと目が覚めた直後、ダーインスレイヴが抜かれているのを見た瞬間も何もかも終わったと思いました」

「分かります。凄く分かります。私も色々終わったって思いました」

「しかし巻きでと言ったのに結構長い話になりましたわね」

「すみません、これでも頑張ったつもりだったんですけど」

 

 レオは軽く謝罪し、次いで本題であろう問いを投げかけた。

 今もダーインスレイヴを手に取ったままのあなたに。

 

「それで、僕の話を聞いてもらった上でお聞きしたいのですが、ダーインスレイヴを持っても平気なあなたは一体……」

 

 何者と問われても、今のあなたはベルゼルグの冒険者ギルドに所属している、ちょっと腕に自信があるだけのしがない一般冒険者に過ぎない。

 女神に選ばれた勇者だとか世界の命運を背負っているだとかの背景は持ち合わせていないのだ。この世界においては。

 

 だがそんなあなたの割と真面目だった回答はリーゼとゆんゆんのお気に召さなかったようだ。

 露骨に白けた雰囲気が部屋に漂った。

 

「そこのちょっと腕に自信があるだけのしがない一般冒険者さん、冒険者カードを見せてくださる?」

 

 リーゼに乞われるまま、冒険者カードを投げ渡す。

 相変わらずステータスの項目は読み取れないが、その他の項目も見られて困るようなことは書いていない。スキルポイントも使い切っているので変なことはできない。

 この旅の途中、ふとしたタイミングで女神エリスに天界に招かれた時に冒険者カードの不具合について話しておけばよかったと考えるも後の祭。アクセル帰還後に相談してみる予定である。

 

「つ、強すぎる……これのどこが一般冒険者なんですか!?」

「ベルゼルグの冒険者を見たのは初めて? 確かにステータスやレベルはかなりのものですが、これくらいの冒険者ならそこそこいますわよ。この数字が彼の全てを記しているのなら、の話ですけどね。ただそれ以上に本当の意味でやべーのは討伐欄ですわ。ほらこれとか」

「デッドリーポイズンスライムのハンス……まさかあの魔王軍幹部ですか!?」

「そのまさかですわ。それ以外も殺りも殺ったりといった有様で。噂には聞いていましたが、聞きしに勝るとはこの事ですわね。冒険者になって一年ちょいでこれとかそりゃ頭がおかしいって言われますわよ。わたくしも見てておハーブが生える勢いですわ。特に生息域が極めて狭いオークの殺害数が998とか、オークに個人的な恨みでも持ってらして?」

「オークはあの時の……っていうかソロでこれって本当に常軌を逸してますよね。もしかしてしがないって一般的な意味じゃなくて言葉通り死が無いってことだったりします?」

 

 人の身分証明書を肴にあーだこーだと言いたい放題である。

 

「つまるところ、彼はベルゼルグの中でもやべー奴扱いされてる超強い冒険者ってことですわ」

「よく分かりました」

 

 レオは数秒ほどあなたが持つダーインスレイヴを見やったかと思うと、おもむろに床に土下座をしてこう言った。

 

「その上であなたにお願いがあります。どうかダーインスレイヴの担い手になっていただけませんか?」

「え゛!?」

「なるほど、そう来ますのね。ですがレオ、貴方自分が何を言っているのか、その意味を分かっていらして?」

「……分かっている、つもりです。彼が魔剣を狙う者たちから追われるようになることは、痛いほどに。それでもどうか、どうか」

 

 喜んでありがたく。

 ニコニコ顔のあなたは即答し、目にも留まらぬ早業で魔剣を腰に差した。もう絶対に返さないという言外のアピールである。

 

「まあそう答えますわよね。知ってたと言わざるを得ませんわ」

「あわわわわわ……」

 

 垂涎もののレアアイテムを手に入れた時特有の、麻薬の如き達成感と高揚があなたの全身を満たす。冒険者をやっていてよかったと感じる一瞬である。

 

《────!》

 

 しかし案の定と言うべきか、愛剣が猛烈なクレームを飛ばしてきた。

 過去の経験則から判断して、これは軽く頭蓋が爆砕するレベルの癇癪だ。げきおこぷんぷんまるである。

 あなたはその程度で死ぬようなヤワな体ではないが、この場でいきなり流血沙汰になるとごまかすのが非常にめんどくさいので頑張って宥めすかす。まるで自分が浮気者になったような錯覚をあなたは覚えていた。誤解もいいところである。

 もちろんその間もあなたの笑顔は崩れない。

 

「どどどどういうことですか!? 駄目ですよそんな早まったことしたら今からでも遅くありません考え直しましょうこの人は絶対ダーインスレイヴを渡しちゃいけない人間? ですよ!? ほら見てくださいよあのずっと欲しかったオモチャを与えられた子供みたいなキラキラした無垢で純粋な笑顔うわあ何あれこわっ、ちょっと待って本当に怖い!! 絶対よくないこと考えてますよ!! これでどんなやつをぶっ殺そうかなーとかそういうのを! そしてなんだかんだでまた私が酷い目に遭わされるんでしょそういうのわかっちゃうもん!!」

「少し落ち着きなさい。剣を抜いても彼が呑まれないのは分かっているでしょうに」

「だってえ……」

「まあ気持ちは多少なりとも分からないでもないですけれど。レオ、初対面の相手に魔剣を渡すなんてどういうつもりですの? まさか厄介払いとか考えてませんわよね」

「ジュノー家に代々伝わる家訓なんです。ダーインスレイヴは真にあるべきところに。剣は正しく使いこなせる担い手の元へ」

「それが彼だと?」

「はい。仰るとおり、出会って間もない間柄ですが、僕はそれが彼だと確信しています。正気に戻った兄もこう言っていました。仮にダーインスレイヴを本当の意味で使いこなすことが出来る者がいるとするのなら、それは英雄でも勇者でもなく、精神的な超人。剣の力に魅入られる事の無い、鋼の理性を持つ者だろうと」

「……ええ、まあ、そうですわね。良い意味でか悪い意味でかは奈落の穴にでも投げ捨てておくとして、精神的な超人ではあるのでしょう」

「精神的な超人……鋼の理性……えぇ……? いやいや、物は言いようとはいうけど流石に限度ってものがある気が……」

 

 実のところ、あなたは自分がダーインスレイヴに呑まれない理由を、剣の力に頼るまでもなくとっくの昔に精神の根が闘争に支配されているからだろうと予想していたりする。

 だが何度苦痛に塗れた悲惨な死を迎えても決して埋まる(終わる)ことを選ぶことなく、鍛錬の果てに頂に至った廃人が精神的な超人だと言われたら、あなたとしても頷くしかない。

 

 それはそれとして話は全く別の方向に変わるのだが。

 レオに限りなく崇拝に近い眼差しで、リーゼには半笑いで、ゆんゆんにいたっては世界の正気を疑う目で見つめられている、その鋼の理性を持つ精神的な超人は、現在進行形で人知れずピンチに陥っていた。

 

《────!!》

 

 ここ最近は血を吸わせていなかったのもあって、ダーインスレイヴの入手が切っ掛けとなっていよいよ不満が爆発してしまったのだ。竜の咆哮すら容易く掻き消す声無き喚叫があなたの心身をしたたかに打ち据える。物理的に。

 下手に喀血などしようものなら変に勘違いされてダーインスレイヴの譲渡がなかったことになりかねない。それだけは絶対に避けねばならないと、説得を続けながらも気合と根性で負荷に耐える。

 

 そうしている中、ふと負荷が和らいだ。

 愛剣が矛を収めたのかと思いきや、担い手の危機に反応したダーインスレイヴが必死に加護を送ってきたのだ。

 魔剣が持つ治癒の力があなたを満たす。

 

《────!? ────!!!!!》

 

 だがそれが愛剣の逆鱗を十六連打した。

 癒しの力は一瞬で塗り潰され、あなたの幾つかの内臓がミンチになる。

 

 分かりやすく説明すると、今のあなたは癒し系銀髪清楚(聖剣要素)博愛美少女と関係を持ったせいで青髪(エーテル要素)長身長髪(大剣要素)の独占欲が強すぎる幼馴染のお嬢様に涙目でのしかかられて「バカバカバカ! ご主人様は新しい(神器)を見たらいっつもそう! こんな誰にでも体を許すクソビッチのどこがいいの!? 私というものがありながら浮気ばっかりするご主人様なんて嫌い嫌いだいっ嫌い! 今日という今日は絶対許してあげないんだから!!」と詰られつつ包丁で全身を滅多刺しにされているような状況だ。いつものことながら愛情表現が過激すぎて困る。

 他人の目が無く巻き込み被害が発生しないであろう竜の谷では使用を解禁する予定なのだが、そこまで待ちきれなかったのだろう。

 愛剣は誰がどこからどう見ても血と殺戮に飢えているろくでもない呪われた魔剣なのだが、これはこれで主人であるあなたのことを想ってのこと。愛剣の中には真実あなたのことしか存在しないのだから。

 あなたを愛すること。あなたに使われること。あなたの敵を殺すこと。これだけが彼女の全て。

 それを思えば多少理不尽な嫉妬でミンチにされたところで、可愛いワガママ、愛嬌の一つと笑って受け入れられるものである。生憎友人達からは賛同を得られなかったが。間違いなく日常的に愛剣を使って殺し殺されをしているせいだ。

 

 

 

 

 

 

 その後、なんとか無事に説得という名の愛剣との刺激的なコミュニケーションを終えたあなたは、追われている身であるレオをテレポートでベルゼルグに送り届けた。

 ついでといってはなんだが、当座をしのぐ資金として一千万エリスほど持たせている。

 ポンと渡すには大きすぎる額にレオは恐縮していたが、ダーインスレイヴの価値と比べればたかだか一千万エリスなど無に等しい。

 

「よりにもよって頭のおかしいエレメンタルナイトにダーインスレイヴが渡ったと知れたら、人魔問わない無差別襲撃百連戦とか発生しそうですわね。昔の文献から予想するに、恐らく魔王軍も狙ってますわよ、それ」

 

 別れ際、リーゼがそんな警句を残した。

 分かっていると首肯しつつも、あなたはなんとなく気になっていたことを尋ねてみた。

 曰く、リーゼにレオを女装させないでよかったのかと。

 

「パスで。ああいうのはわたくしの好みからは外れています」

 

 けんもほろろに切り捨てられた。

 全く興味が湧かないといわんばかりに。

 

「シミ一つ無い白磁の肌。少女と見紛う華奢な体躯。手入れをすれば金糸の如く煌くであろう髪。鈴の音のボーイソプラノ。将来が約束された中性的な美貌。いずれの特徴もむっさいガチムチマッチョとはまるっきり正反対、ケチのつけようがない、百点満点、いいえ、それ以上に女装が似合う理想の素材と言えるでしょう。ですが最初から似合うと分かりきっている相手に女装させるなど、そんなの面白くもなんともありませんわ。それならむしろあなたの方が……」

 

 真に迫った声色に背筋に悪寒が走ったあなたは、ゆんゆんの手を引いて逃げ出した。あなたは願いで性転換をしたこともあるが、女装は好きではないのだ。

 リーゼの背負う業はまるですくつのように深く、昏い。

 

 

 

 

 

 

 ホテルに戻って一休みし、共に寛ぎながら明日の予定を話し合っていたところでゆんゆんが口を開いた。

 

「実際どうするつもりなんですか?」

 

 あなたがダーインスレイヴの担い手となることについては早々に諦めた彼女の言う通り、このまま放置して良い問題ではない。

 

「ダーインスレイヴを隠しておくならこの先もずっとレオ君とその家族は狙われ続けるでしょうし、かといってあなたが持っているとバレたら、まああなたは大丈夫でしょうけど、あなたと仲の良いウィズさんが狙われちゃうかもしれませんよ? ……うわあ酷いことが起きる未来しか見えない」

 

 無論あなたもそれについて何も考えていなかったわけではない。

 ウィズに危機が迫ると自動的に世界が滅びるので、早速手を打ちに行くつもりだ。

 ダーインスレイヴという素晴らしい魔剣を譲ってくれたレオにも恩返しをする必要がある。

 

 あなたは明日一日中一人で行動するので、大人しくホテルで留守番をしていてほしいとゆんゆんに告げた。恐らく日付が変わっても帰ってこないだろうとも。

 社会見学にはもってこいのタイミングだが、これからあなたがやろうとしていることにゆんゆんがいると申し訳ないが邪魔になってしまうのだ。

 勿論妹はお目付け役として置いていく。

 そう伝えると、妹が落胆のあまり両膝を突く幻が見えた。

 

「分かりました、そういうことなら大人しく待ってます。でもどこに行くんですか?」

 

 あなたが向かう先はトリフの闇、無法者の巣穴。

 南西のスラム街である。

 

「あっ……もしかして私がいると邪魔ってそういう意味!?」

 

 何故かゆんゆんの顔が真っ赤になった。

 

「夜遊びですか!? 朝帰りですか!? ウィズさんに言いつけますよ!!」

 

 スラムに行くと言っただけでこの反応。ゆんゆんは何を想像しているのだろう。

 あなたは心底からの呆れ顔で溜息を吐き、断じてそういう目的で行くのではないし、過激な本を読むのは程々にするようにと極めて真っ当で健全な注意をしてむっつりスケベの少女を撃沈させた。

 

 

 

 

 

 

 広大無辺な帝都トリフに何故スラムが生まれたのか。いつからスラムが在り続けるのか。

 ベルゼルグの冒険者にして旅人であるあなたはそれを知らない。興味も無い。

 だがその澱んで腐りきった空気、土地そのものに染み付いたすえた臭い、堕落と暴力が全てを支配する退廃した世界は、あなたに郷愁を抱かせるに十分すぎるもの。

 

 ノースティリスの掃き溜め。ならず者の楽園。

 王都パルミアから南西、山岳地帯に位置する無法者が集う犯罪者の街、ダルフィ。

 翌日になってあなたが足を踏み入れたトリフのスラムは、そこにとてもよく似た雰囲気の場所だった。

 

 少し近くからは娼婦のものであろう嬌声が。

 少し遠くからは複数の人間が争っているのか、怒号と悲鳴が。

 そして足元からは、見ない顔であるあなたにナイフをちらつかせて恐喝を行おうとしたチンピラ達の、苦痛と悔恨に満ちた呻き声が。

 

 争いに巻き込まれないようにひっそりと息を潜めつつもあなたを警戒する複数の気配を無視し、あなたはスラムの奥へと進んでいく。

 ベルゼルグでは決してお目にかかれないいくつもの光景を目の当たりにし、あなたの足も自然と軽くなるというものだ。

 精神の均衡が早くもノースティリスの側に傾き始めていることを強く自覚しつつ、あなたはやはりゆんゆんを連れてこなくてよかったと強く考えていた。

 

 その腰に、金字で複雑な魔法陣が刻まれた漆黒の鞘に収まった長剣を携えて。

 

 

 

 

 

 

 一方、あなたに置いてけぼりにされたゆんゆんは、約束を守ってホテルの自室で待機していた。

 だが決して寂しくでも退屈でもない。あなたが目付け役として妹を置いていったからだ。

 

「ねえねえ妹ちゃん。お兄さんは何をしようとしているのか分かる?」

 

 最早何のためらいもなく自身の日記帳の開いたページに語りかけるゆんゆん。

 このままでは頭のおかしいエレメンタルナイト、頭のおかしい爆裂娘に続く三人目の頭がおかしい何かが生まれる日も遠くないだろう。

 しかも今度は揶揄ではなく、本当に触れてはいけない感じの意味合いで頭がおかしいと呼ばれることになる。電波ゆんゆんだ。二重の意味で。

 

『そりゃ勿論話し合いだよ。お前らを殺さないでいてあげるから狙うのを止めろって誠心誠意真心を篭めて説得するの』

「絶対嘘だよねそれ。しかも最大限好意的に解釈しても説得じゃなくて恫喝と脅迫だよね」

『当たり前じゃん。一々そんなのやってたらキリが無いよ。それより最初から狙う気すら起きなくなるほど派手に暴れた方が確実だし手っ取り早いでしょ、常識的に考えて。でもまあ今回は別のやり方を選ぶんじゃないかな。スラムを綺麗さっぱり更地にするだけなら朝飯前だけど、それはそれで面倒な事態になるだろうし』

 

 過去に実行したことがある気配がぷんぷんする。常識とはいったい。

 精神衛生上の問題が出そうだったので、ゆんゆんはそれ以上の追求を避けた。

 

『私の考えが正しいなら、お兄ちゃんはスラムの中でダーインスレイヴを腰に下げるなり背負うなりして他人に見えるように持ち歩くだろうね。そして酒場みたいな人が沢山集まる場所に行くんじゃないかな。自分が持ってる剣がダーインスレイヴだとは知らない風を装って』

「え、それって大丈夫なの!? 色々破綻してない!?」

『してないよ。私達が使えるイルヴァの魔法の一つに、インコグニートっていう変装用の魔法があるんだよね。勿論お兄ちゃんもこれを使うことができるし、こっちで全然使ってないからストックもいっぱい残ってる。お兄ちゃんの生写真を賭けてもいいけどお兄ちゃんはこの魔法を使う。その上でガチガチに変装を固めるはず。万が一インコグニートを見破る相手がいても問題が無いように』

 

 イルヴァの魔法について回るストックの概念についてはゆんゆんも聞かされている。

 なんでそんなめんどくさい仕様になっているんだろう、と首を傾げたが。

 

『そうこうしていると、事情を知っている奴らの間にお兄ちゃんがダーインスレイヴと思わしき剣を持っていることが広まっていく。もしかしたらさりげなくお兄ちゃんが吹聴していくかもしれないね。でも確定情報ではない。脊髄反射で生きてる頭空っぽの真性馬鹿は襲ってくるかもしれないけど、まあそういうのは遠慮なくぶちのめしていくとして。ちょっと頭の回る奴が世間話の体で随分立派な剣だけどどこで手に入れた? みたいな白々しい質問をしてくるんじゃないかな』

 

 ゆんゆんはその情景がありありと想像できた。

 むしろ今この瞬間、妹が話す内容が実際にスラムの中で起きている気がしてくる。

 どう考えても穏便に進むとは思えない。

 

『そしたらお兄ちゃんはきっと嬉々としてこう答える。路地裏で偶然出会ったみすぼらしい金髪の子供が快く譲ってくれたって。嘘偽り無く正直だね流石お兄ちゃん愛してる。でも魔剣が欲しい連中はジュノー家が魔剣を後生大事に守ってきた事を知ってるわけで。さてゆんゆん、お兄ちゃんの言葉を聞いたそいつらはどう考えるかな? ただし知能はゴブリン以下だと仮定する』

「ゴブリン云々は置いておくとして……無理矢理レオ君から奪い取ったって頭の中で変換する……?」

『十中八九そうなるだろうけど、鵜呑みにされてもそこまで困ることはないかな。どんな形にせよ、ダーインスレイヴがジュノー家の手から離れたって暗に伝えることが主な目的なんだから』

「そ、それで……?」

 

 ごくりと固唾を呑む。

 果たして、一連の流れの結末とは。

 

『ダーインスレイヴ目当てに襲ってくる奴を片っ端から全部ぶっ飛ばして、接触してくるマフィアとかあるか知らないけど裏ギルド? とかなんかそういうスラムの支配者的なのもなんやかんやで全部ぶっ飛ばして、終わり! 朝日が昇る中、瓦礫の中心で響き渡る狂笑! ブラボー! 積み上げた無数の悪党の上で童心に帰って高笑いするお兄ちゃんは最高に輝いてるよ! かくしてスラムを滅茶苦茶に荒らしまくった新たなダーインスレイヴの主はトリフを離れ、何処かに姿を消したのでした! めでたしめでたし!』

「雑ぅ! 最後いきなり雑になった!! 妹ちゃんこれ絶対私の相手するのが面倒になったでしょ! しかもそれって最初に妹ちゃんが言ってた最初から狙う気すら起きなくなるほど派手に暴れるやつじゃない!?」

『ゆんゆんは馬鹿なの? 頭お花畑なの? そんなわけないじゃん』

「えっ……? 私の相手するの面倒じゃないの……? だったら私のお友達に……」

『は? クソ面倒に決まってるし友達とか寝言は寝ていいなよ。もしくは来世に期待したらいいんじゃない?』

「死ねと!?」

 

 欠片も容赦の無い口撃を受けたゆんゆんはテーブルに突っ伏した。

 

『私が最初に言ったのは皆殺しパターンで、今回お兄ちゃんが選ぶのはみねうちであえて生かしておいて語り部を増やすやり方。ウィズお姉ちゃんが狙われたら間違いなくお兄ちゃんは前者を選ぶけど。それも世界相手に』

「怖っ……何が怖いって実際そうなるって確信出来るのが怖い」

 

 何故なら初対面の時に似たような話をした覚えがあるから。

 ゆんゆんは妹が語る恐ろしい未来予想図にたまらず震え上がり、そして祈る。どうかそんな日が訪れることがありませんように、と。

 

 

 

 

 

 

「──っていう話を昨日妹ちゃんとしたんですけど」

 

 翌日。スラムで沢山遊んでツヤツヤ顔になったあなたがホテルに戻ったのは朝早くだった。

 そして食堂や立食形式ではない、自室に食事を持ってきてもらう形での朝食の最中、ゆんゆんからそんな話を聞かされた。

 

 妹の行動予測があまりにも完璧すぎる。

 実は傍で見ていたのではないかと勘繰らずにはいられない精度だ。

 

『愛の力だよお兄ちゃん!!』

 

 妹の電波を戯言だと一笑に付す事が出来たらどれだけ楽だっただろう。

 

 先日のあなたは、精神を闘争に支配されたダーインスレイヴの担い手に相応しく、魔剣を狙って矢継ぎ早に襲ってくる様々な連中を片っ端からしばき倒し続けていたのだ。普段の抑圧から開放された、非常に充実した楽しい時間だった。

 場の流れや上がったテンション、均衡が傾いた精神がもたらす衝動に身を任せてトリフの暗部に根を張る組織やら犯罪ギルドやらスラムの支配者やらに喧嘩を売りに行ったりもした。ついでに潜伏中の魔王軍の手先とも遭遇したのでそちらはちゃんと殺しておいた。

 スラムにはベルゼルグの上位冒険者に匹敵する者も数人とはいえ存在し、あなたを驚かせたものだ。

 最後のほうは完全に魔剣に呑まれて見境を失った狂人扱いされていた気がしないでもないが、おおむね目的は達成できたと言えるだろう。

 

 それに面白いものも見ることができた。

 普段は対立して暗闘を繰り広げているという様々な組織が手を取り合い、スラムの秩序と仲間を守るべく荒ぶる魔剣の暴威に立ち向かってきたのだ。

 それは悪人の心にも確かに光が存在することの何よりの証左でもあった。

 老いも若きも男も女も特に理由の無い暴力の前に皆等しく沈んだわけだが、それでも死人は一人も出していない。やはりみねうち。みねうちは全てを解決する。

 

 気が向いたらまたダーインスレイヴを持って遊びに行こう。

 つい先ほどまでの感動的な光景を思い返し、あなたが自身の仕事に満足げに頷いていると、ゆんゆんがおずおずと声をかけてきた。

 

「ええと……具体的に何をしてきたかは知らないですけど、とりあえずレオ君たちは今までよりずっと安全になって、かといってあなたが狙われることもないんですよね?」

 

 決して軽々しく断言は出来ないが、あなたはそうなるように行動したつもりである。

 とはいえダーインスレイヴが普段使いのできない、持っていて嬉しいコレクションの一つになることは避けられないだろう。

 

「しょうがないとはいえ、ちょっと勿体無いですよね。折角あなたならダーインスレイヴを問題なく扱えたのに」

 

 もしかしたらゆんゆんも使えるのではないだろうか。

 会話の流れであなたは適当な軽口を叩く。殆どリップサービスのつもりだった。

 

「いやいや、私なんかじゃ普通に無理ですよ」

 

 だがゆんゆんの苦笑を見た瞬間、あなたの脳裏に電撃的な閃きが走る。

 レオは言っていた。ダーインスレイヴを真に扱うことができるのは精神的超人。鋼の理性を持つものだと。

 

 それならば、紅魔族の里で生まれ育ちながらも紅魔族に染まる事無く、一般的な感性を保ち続けてきたゆんゆんもダーインスレイヴを使いこなせるのではないだろうか? いや、きっと使いこなせるはずだ。

 普段は打たれ弱いが、本当の意味で崖っぷちに追い詰められた彼女が発揮する精神力はあなたもよく知るところである。

 仮に剣に呑まれた場合は普通に気絶させて取り上げればいいだろう。

 

 思い立ったが吉日。

 あなたは早速ゆんゆん強化プランの一環として、ダーインスレイヴを試してもらうことにした。

 

 試してもらうことにしたのだが。

 

「いやそんな、私ならきっとダーインスレイヴを使いこなせるって言われても。申し訳ないですけど期待されても絶対持ちませんよ? だから早く鞘に入れてください。そもそも私、長剣とか使ったことないですし。っていうか普通に怖いから嫌、ちょ、なんですか、だから持ちませんって。いけるいけるじゃなくて。ワンチャンとか絶対無いですから。ほんと待って、鞘、鞘から出したまま無理矢理持たせようとするのやめてっ……やだっ、放して! 絶対やだ! やだやだやーだー! やーなの! やー!!」

 

 追い詰め方が悪かったのか、速攻で泣きが入ったので断念せざるを得なかった。

 軽く退行するほどとは、ゆんゆんはどれだけダーインスレイヴを持ちたくないのだろうか。

 どこまでも不憫な魔剣に、あなたは深い同情の念を向けるのだった。




【ツンデレで甘えん坊で尽くすタイプで一途で依存心が強くて寂しがりやで貞操観念がマジキチで愛がアダマンタイト製のムーンゲート級に重い世間知らずの箱入り娘であるエーテル製の生きた神器大剣こと愛剣ちゃんによる各装備品に対する偏見と悪意に満ちた評価一覧】

 ※意訳です。

 刀剣類以外の近接武器:論外。

 刀剣類全般:同族だから我慢してご主人様が使う事を許容しているけど、本当はご主人様は私だけを使うべきだし私だけを使ってほしい。有象無象なんかより私の方がいっぱいいっぱいご主人様の事を愛してるし、何より私の方がずっと強くてご主人様の役に立てるんだから。

 防具、装飾品、遠隔武器全般:私と一緒にご主人様を守る大切な仲間。でもご主人様が一番信頼してるのは私に決まってるよね。

 グラムちゃん:寝取られた挙句超格安で奴隷落ちした箱入り娘。ご主人様も最初から実用度外視で観賞用に買ったしあまりにも惨めで憐れなので慈悲を恵んであげた。あと私の方が強い。

 遥かな蒼空に浮かぶ雲ちゃん:なんか空から降ってきたとか言ってる不思議系。新参の分際でご主人様にいっぱい使ってもらってるから嫌い。あと私の方が強い。

 母なる夜の剣ちゃん:ご主人様に瞬殺されたクソ雑魚に使われてた可哀想な子。なんか私とキャラが被ってる気がするから嫌い。あと私の方が強い。

 聖剣(岩)ちゃん:切れ味0。剣の風上にも置けない……剣……え、剣……? そうかな……そうかも……。とりあえず私の方が強い。

 ダーインスレイヴちゃん:清楚ヅラして誰にでも簡単に体を許す淫乱尻軽クソビッチ。あろうことか私のご主人様に色目を使いやがって死ね殺すぞ。あと私の方が強い。

 ホーリーランスちゃん:ご主人様が信仰している女神から貰った槍。ご主人様の一番(ナンバーワン)ではなくとも唯一無二(オンリーワン)ではある、私の唯一にして最大の敵。こいつのせいでご主人様といっぱい喧嘩した。絶対に許さない。絶対に。絶対に、絶対に、絶対に許さない。


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第119話 最近私が可哀想すぎる気がします

 テーブルに両肘を突き、口元で両手を組んだゆんゆんが重苦しい声を発した。

 

「最近私が可哀想すぎる気がします」

 

 手で隠されて読めない表情、若干の俯き加減から繰り出される上目遣いは他者とのコミュニケーションを徹底的に拒絶しているかの如く。

 相応の者がやれば相手に威圧感を与えられるのだろうが、悲しいかな、ゆんゆんがやっても可愛らしいだけである。

 だが一応は彼女も真面目に言っているようなので、いつものようにはいはいと雑にあしらうわけにもいかない。あなたはとりあえず目線で続きを促すことにした。

 

「でもそれ自体に何かを言うつもりはありません。私の自業自得だったり心の弱さが原因なのも沢山ありますから」

 

 具体的には船上で嘔吐したり。

 戦闘中に酔いがぶり返して魔物の体内でゲロ塗れになったり。

 妹と同調、同化しかけたり。

 救助した相手が王女だったせいで救国の英雄扱いが確定して錯乱したり。

 謝礼として十億エリスでぶん殴られたり。

 ダーインスレイヴを無理矢理持たされかけて恐怖のあまり軽く退行したり。

 最近の彼女は実にバリエーション豊かな目に遭っている。

 

「ただダーインスレイヴについては流石の私も物申したいことが……持ちませんってば。はあ、またさっきのやりとりするんですか? 何度言われても絶対に嫌です。今度は鞘つきとはいえ笑顔で近づけないでください油断も隙も無い。……鞘から抜けって意味じゃありません! しまいにゃ訴えますよ!? そして勝ちますよ私は!!」

 

 またしてもゆんゆんの魔剣チャレンジは失敗に終わった。

 魔剣を鞘に収めて引き下がるも、舌打ちして渋面を隠そうともしないあなたに本気の意気込みを感じたのか、ゆんゆんは軽く戦慄いていた。

 だがそれも束の間、すぐに気を取り直してこほんと咳払いをし、話を続ける。

 

「色々と考えた私は結論付けました。あなたがそういう無茶振りをしてくるのはダーインスレイヴについて詳しくないからだろうと」

 

 なるほど一理ある。あなたは少女の言葉に一定の理解を示した。

 

「歴代の担い手が引き起こしてきた凄惨な事件の数々を知れば、あなたもちょっとは私に魔剣を使わせることを思い留まってくれると思います。思い留まってくれるといいなあ。……なので図書館に行きましょう」

 

 トリフの図書館といえば世界有数の規模を誇る大図書館として名が知られているという。

 あなたの目的である観光という視点でも悪くない、それどころか大いにアリと言える選択肢だ。

 ゆえに異論を挟むこともなく、あなたはゆんゆんの提案を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 リカシィ帝立中央図書館。

 

 世界的に有名な図書館の一つであるこの場所は、古今東西、世界中から集められた資料の数々が保管されている。

 資料は書籍に留まらず、切手や写真、巻物や地図、果ては絵画のような美術品にまで及ぶ。

 さらに館の奥深くには立ち入りが禁じられた書庫があり、古代の魔道書や呪物が封印されているという。

 

 中央と銘打ってこそいるものの、この大図書館が建っているのは帝城周辺の外、つまり一般区画であり、平民にまで分け隔てなく門戸が開かれている。

 流石に館外への蔵書の持ち出しや魔道カメラによる撮影は固く禁じられているが、所定の手続きさえ行えば、立ち入りはおろかある程度は自由かつ無料で資料の閲覧が可能だ。

 資料の写しが欲しければ写本でやれというスタンスである。

 

 ……とまあ、図書館についておおまかにそんな説明をあなたはゆんゆんから受けた。

 

「ほら見てください、この線で囲まれた場所、全部が図書館の敷地なんですよ。このおっきな建物全部に本があるって考えると眩暈がしそう。私なんかじゃ一生かけても読み切れなさそうです」

 

 図書館入りを待つ人の列に並ぶ中、帝都の地図を広げたゆんゆんの薀蓄のように、帝都広しとはいえ、一つの区画でこの図書館ほどの規模を誇る場所は帝城、そして闘技大会の会場くらいのものだ。

 図書館自体はベルゼルグにも王都や大きめの町に幾つか点在しているのだが、トリフのそれは他所の図書館とは一線を画した規模を誇っていた。なんと内部には土産物店やカフェもあるらしい。ここまで来ると立派な一つの観光施設といえる。

 

 その後、入念な手荷物検査を行い、ようやく入館を果たしたあなた達の目に最初に飛び込んできたのは、一際目立つ中央の巨大な四角柱。

 

「ふわぁ、おっきい……」

 

 生まれて初めて見る想像を絶した光景に、ゆんゆんが感嘆の声をあげた。

 あなたもまたぽかんと間抜けに口を開けて視線を上層に向ける。

 

 現在あなたのいる場所は一階から五階までの吹き抜け構造になっているのだが、四本の支柱と柵で囲まれた柱が建物を貫くように天井まで伸びていた。

 柱と評しこそしたものの、実際のところは建造物に近い。透明なガラス板で覆われたそれの内部は本棚が円柱状に配置されており、四角い積み木を積み上げているかのように階層を分けて作られている。

 そうやって見上げるほどの高さを持つ天井にまで到達した本棚の山は、さながら本の塔といったところか。

 

 先のゆんゆんの言葉を裏切らない、眩暈がしてきそうな景色だ。

 あなたは本の塔の天辺を見上げ思わず唸る。

 イルヴァのどこの国でも、このようなものはお目にかかったことがない。

 この場に友人である元素の神の狂信者がいれば、さぞかし期待と興奮に目を輝かせ、不気味に笑ったことだろう。

 ただし知識を貪欲に求める彼は廃人の例に漏れず極めて自己中心的であり、さらにあなた以上に他者を顧みない性格なので、絶対にこの場に連れてくるわけにはいかないのだが。間違いなく好き勝手に希少な本を強奪する。

 

「じゃあ私はダーインスレイヴの伝承とかそっち系の本を探しますけど、あなたはどうしますか?」

 

 以前のあなたであれば、異世界にまつわる本を探し求めただろう。

 だがバニルや女神エリスを通じて全うな手段では帰還の手がかりを得られないと知った今のあなたは、正直そこまで図書館に帰還方面の期待をしていない。

 それに図書館には来ようと思えばいつでも来ることができる。

 なので少し考えた後、適当に新刊コーナーをぶらつくことに決めた。

 

「了解です。じゃあまた後で」

 

 一度ゆんゆんと別れる形になるが、館内のあちこちに警備のゴーレムが立っているので心配は無用だ。

 

「結構可愛いですよね、あれ。図書館のパンフレットの表紙にも描かれてましたし」

 

 壁際に無言で佇む130cmほどの小柄な体躯のゴーレムを指してゆんゆんはそう言った。

 

 大きな真ん丸の白い頭部と黒い胴体を持ち、骨のように細長い手足を生やすというデフォルメの利いたコミカルな人型の外見の持ち主は図書館全域になんと数千体が配備されているらしい。

 警備ゴーレムは偏屈で人嫌いながらも高名な魔法使いだった初代館長が作り出した遺物であり、レベル40の冒険者パーティーくらいならあっという間に取り囲んで袋叩きにするという。

 高度な判断力を有した完全自律行動を取り、見張りのみならず館内の案内といった職員の真似事まで可能。さらに自己修復機能を持つのでメンテナンス不要と手間いらず。職員や利用者からは図書館のマスコットとして扱われている。

 ただし故人である初代館長以外の命令を受け付けないので現在進行形で制御不可能の暴走状態なのが玉に瑕。

 なんとか命令の上書きや停止させようと考えるのが普通だが、解体して構造の解析などもっての他。派手に自爆した挙句仲間を呼ぶ。そして下手人を袋叩きにする。

 自爆機能など搭載して本を傷つけるつもりなのかという話だが、図書館の各種資料には強力な保護の魔法がかけられている。ゴーレムの自爆も見た目こそ派手だが威力は控えめなので問題は無い。

 そんなこんなでリカシィも完全に匙を投げている有様だ。

 少なくとも図書館で暴れるなどの迷惑行為を働かない限り人に危害を加えたりはしないので、ゴーレム達の好きにさせているのだという。

 

 

 

 

 

 

 さて、一度ゆんゆんと別行動を取ることになったあなたは現在新刊コーナーを散策中だ。

 冒険をこよなく愛するあなたは言うまでも無くアウトドア派だが、それでも本が嫌いなわけではない。見たことも聞いたこともないタイトルの数々は、眺めているだけで不思議と楽しくなってくる。

 

『食べられる魔物、食べられない魔物』

『文化的侵略者チキュウジンを我らの世界から追放せよ』

『第百十二次ベルゼルグ平原会戦報告書』

『魔法少女ネガティブはるるーと』

『ゴブリンでも理解できる魔王軍の成り立ち』

『魔道大国ノイズの功罪』

『岐阜県出身の岐阜県出身による岐阜県出身のための岐阜アルティマニアΩ』

『きのこたけのこ戦争の歴史』

『触手と女神と最終兵器』

『魔王物語物語物語』

『至高の冒険者パーティーの軌跡』

『毎日10時間くらい天井を見ている人に送る本』

『英雄辞典 XXXX年度版』

『銀髪強盗団、その正体に迫る』

『冒険者1000人に聞きました』

『月光の迷宮姫』

『リカシィうまいもの100選』

『紅魔の塔』

『ブーメランクワガタの飼育記録(被害総額5200万エリス)』

『幻の槍、アンリョウを求めて』

『よいこのえほんシリーズ ゆうしゃシャハタプフのぼうけん8 シャハタプフとほしくずのけん』

『四神の獣 星を護る者達』

『これであなたも今日からアクシズ教徒』

『この世に神などという都合のいい超越者は存在せず、敬虔にして蒙昧な信者の無垢なる祈りは虚空に溶ける』←こいつ最高にアホ ←激しく同意 ←みんなの迷惑なので本に落書きしないでください! ←お前もな

 

 分別される前だけあって、本棚には上記のもの以外にも雑多で個性的な本が無秩序に並べられていた。

 最新といってもそれはあくまで最近になって図書館に収められたからであり、中には数百年前に執筆されたものすらあるようだ。最後のものにいたっては表紙に落書きが残ったままである。あなたとしても著者は最高にアホだとしか思えなかったが。

 

 数々の本の中からあなたがなんとなく手に取ったのは、触手と女神と最終兵器。

 ジャンルはコメディ小説。エロ本ではない。繰り返す、エロ本ではない。

 

 あらすじはこうだ。

 とある不幸な事故に遭って命を失ったはずの主人公達。

 滅びの渦中にある異世界に呼び出された計数百にもおよぶ彼らの魂は、天をも貫く巨躯を持つ星食いと呼ばれる化け物を倒すため、まさに乾坤一擲、これで駄目なら滅ぶだけと世界中の知と力の全てを結集して生み出された数百体の最終兵器にそれぞれ封じ込められることになる。

 ただし魂が封じられた数百体のうちの殆どは死の衝撃と転移の影響で自我が崩壊しており、運良く自我を残したものは主人公を含めてたったの五つ。

 最終兵器にはそれぞれ担い手としてあるべく魔道、科学、人道的、非人道的問わずありとあらゆる人体改造、徹底的な調整を施された者達が宛がわれており、兵器に封じられた主人公は相棒である赤髪の少女、主人公をマスターと呼ぶ個体名ナンバー38にサヤという名前を付けた。

 天を裂き大地を砕く激しい戦いの末、最後まで生き残った十の最終兵器は遂に星食いに勝利する。その中にはサヤの姿もあった。

 だが星食いの核を破壊した際に意識を失った主人公が次に目覚めたその時、傍らに担い手にして相棒であるサヤの姿はなく、そして彼の姿は全長2メートルほどと非常に小さくなった、しかし確かに星食いである触手の化け物になっていた……。

 

 とまあ、こういった感じの導入で始まる物語だ。

 再度繰り返すがジャンルはコメディ。

 どう見ても戦いの螺旋は終わらないバッドエンドだろとかここからどうやってコメディにするんだという疑問が尽きないかもしれないがコメディなのである。

 まず主人公がバカだ。教養が無いという意味ではなく、ノリが非常に軽くあまり物事を深く考えないし考えたがらない。考えてもそれが長続きしない。基本的に行き当たりばったりで行動する。

 バケモノになったせいで軽くやけっぱちになっている節があるのは確かだが、それはそれとして間違ってもシリアスな人間ではない。

 何せ冒頭の事故が起きた時、彼は三徹の直後で文字通り死ぬまで爆睡していたくらいなのだから。

 

 

 

 

 

 

 その後しばらく本を読み進め、死に別れた主人公の妹が勇者として主人公の迷い込んだ異世界に召喚されたところでゆんゆんが戻ってきた。

 手には何冊かの本が抱えられており、そのいずれもがダーインスレイヴについて記された書物である。

 

「すみません、お待たせしました。さあどうぞ」

 

 言うが早いが、ずいっと書籍を差し出してくるゆんゆん。

 自分が選んだ本に自信があるのか、かなりの意気込みを感じる。

 

「そりゃ必死にもなりますよ。真剣に選ばないとあなたに魔剣の恐ろしさを理解して貰えませんからね」

 

 あなたはゆんゆんの言葉に訂正を挟んだ。

 正確には恐ろしいのはダーインスレイヴではない。剣がもたらす強大な力に魅入られた者達の欲望こそが真に唾棄すべきものだ。

 スラムで暴れまわった際、あなたはダーインスレイヴの担い手として彼女と交感を果たした。愛剣という強大な意思持つ剣の主であるあなたにとっては剣との意思疎通などお手の物である。

 そしてダーインスレイヴが担い手を破滅させて喜ぶような性質を持っていない、それどころか担い手の破滅を大いに悲しんでいる事を理解した。

 ダーインスレイヴもまた担い手に不可避の破滅をもたらす魔剣という、不本意かつ不名誉な忌み名の被害者に過ぎない。

 

「…………」

 

 中々良いことを言えたのではないだろうか。

 ダーインスレイヴの悲劇的な経歴を思えば感じ入って涙が流れそうだ。

 満足げに笑うあなただったが、気付けばゆんゆんの顔から血の気が引いていた。

 パニックを通り越してドン引きしているのがわかる。

 

「あの、血が流れてますよ。両目から」

 

 触れてみればなるほど、確かに指には鮮やかな赤が付着している。

 教えてくれたゆんゆんに礼を言い、本を汚してはいけないとあなたはすぐさまハンカチを取り出した。

 

「やっぱりダーインスレイヴの呪いが……」

 

 ダーインスレイヴの呪いではない。慣れた手つきで血涙をハンカチで拭いながらあなたは答える。

 これは真に自らを使いこなせる初めての担い手兼理解者を得たダーインスレイヴがあなたの擁護に歓喜のラブコールを送るも、愛剣の勘気のラブコールに打ち消されてこうなっただけだ。

 とことん相性が悪い二振りの剣だが、それもそのはず。相手を選ばず誰にでも力を授けるダーインスレイヴは、どこまでも一途にあなただけを想い続ける愛剣からしてみれば水と油。決して相容れない相手なのだから。

 

「愛剣って、普段あなたが使ってるやつじゃなくってあの綺麗な青い大剣のことですよね。あまり使ってないってことは危ないんですか?」

 

 恐る恐るの問いかけだが、あなたの手にある限り愛剣に危険は無い。

 エーテルというこの世界に存在しない素材で作られているせいで悪目立ちするというのもあるが、愛剣はちょっと攻撃力が高すぎるので他者を巻き込むと大惨事が確定する上にみねうちが大嫌いなので、この世界では普段使いを禁止しているだけである。

 

「まあ、それくらいなら……」

 

 あとついでに他の剣を使っていると嫉妬してあなたを吐血させたり内臓をミンチにしたり全身から大量出血させるくらいで、ダーインスレイヴのように他者を巻き込んだ悲劇を引き起こしたりはしない。

 日常茶飯事だと容易に察することができる、極めて軽い口調で放たれた師の血に濡れた言葉に頭を抱えるゆんゆんを放置し、あなたはダーインスレイヴについて記された書物を開くのだった。

 

 

 

 

 

 

 ダーインスレイヴがいついかなる経緯でこの世界に生まれ落ちたのかは、世界最大の謎の一つと言われている。

 識者の考察から飲み屋での噂話まで諸説紛紛あるが、今日に至るまで終ぞ定かになっていない。

 

 繁栄し増長した人類を戒めるべく神々がもたらした。

 いずこより現れた勇者が携えていた。

 ドワーフが命をかけて鍛え上げた。

 

 上記三つの説が比較的有力とされるも、やはりいずれも明確な根拠に欠けており、憶測の域を出るものではない。

 間違いなく断言できるのは、ダーインスレイヴの名が最初に歴史上に登場するのは、遥か遠い昔、今は千年王国と呼ばれた場所であるということだ。

 ダーインスレイヴの詳細な情報が殆ど消失している理由については、栄華を誇った千年王国が目を覆わんばかりの終焉を迎えたことが大きいとされる。

 とはいえこの国に関してはダーインスレイヴの逸話の数々とはあまり関係ないので今は置いておく。

 

 ゆんゆんがあなたに知ってほしいと考えた、ダーインスレイヴにまつわる逸話の数々だが、起承転結のうち、起承転までは純粋に読み物としても非常に興味深く面白いものだった。

 これは当たり前といえば当たり前の話だ。ダーインスレイヴは担い手に栄光を約束するのだから。

 必然的にこうして残された逸話は英雄譚が大半になる。

 平民ながら成り上がりを目指す者、愛するものを護る力を求める者、竜狩りを目指す者、悪魔を殺さんとする者、他にも様々な者達がダーインスレイヴの担い手となり、栄光を掴み取ってきた。

 

 問題は結の部分。

 ダーインスレイヴの担い手は栄光と同時に破滅が約束されているとされるわけだが、終わり方についてはあなたは大いに不満が残るものだった。

 歴代のダーインスレイヴの担い手達は、国一番の騎士に成り上がった者も、愛するものを救った者も、竜狩りの英雄も、悪魔殺しも、最後は等しく破滅を迎える。

 悲劇悲劇悲劇。それも揃いも揃って最後は剣に魅入られた担い手が欲望から周囲と自身を破滅させるという形で物語は幕を閉じてしまう。

 一つ二つなら多少は心を痛めてもいいだろう。しかしそれが十二十と積み重なると話は変わる。どんな道筋を辿ってもゴールが一つしか存在しないのだ。リーゼがジュノー家が相当マシな末路を辿ったと称したのも頷ける。

 それほどまでに誰も彼も破滅の仕方がワンパターンすぎて面白みが無い。これでどの本も書かれた時代や著者が違うというのだからまったくもって恐れ入る。

 

 決して唐突とは言わない。結末に至るまでの伏線は貼られている。説得力も十分にある。

 だがこれでは率直に言って読んでいて飽きてしまう。なまじ破滅するまでは楽しませてくれるだけに落胆もひとしおだ。

 終末狩りというある種の単純作業に励むベルディアだってもう少しバリエーションに富んだ死に様を見せてくれるというのに。

 くれぐれもあるえにはこんな読み手を辟易させる話を書く作家にはなってもらいたくないものだと、彼女の読者第一号兼パトロンであるあなたはしみじみと思った。

 

「どうでしたか? ダーインスレイヴの逸話の恐ろしさが分かってもらえました?」

 

 確かにある意味恐ろしい逸話の数々だった。ゆんゆんが求めていた形ではなかったが。

 ただまあゆんゆんがそこまで嫌だと言うのであれば、あなたとしても無理強いするつもりは無い。

 

「あんなに嫌だって言ったのに二回ほど無理強いされた気もしますけど、とりあえず分かってもらえてよかったです」

 

 あなたが出した結論に、ほっと安堵の息を吐くゆんゆん。

 帰ったらウィズに相談するとしよう。何かゆんゆんにダーインスレイヴを持たせるいいアイディアが出てくるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 目的を達成したあなた達は館内のカフェで一息つくことにした。

 大声で騒ぐと問答無用でゴーレムに叩き出される館内と違い、カフェの店内はそれなりに賑やかな声で溢れている。

 多少込み入った話をしても他人に聞こえはしない。

 聞こえはしないが、念のために具体的な単語はぼかして会話をすることになった。

 

「ちょっと思ったんですけど、あなたなら本人……いや人じゃないですけど、本人から直接色んな話を聞けたりするんじゃないですか? 意思疎通できるんですよね? 正直私としてはどんなびっくり人間なんですかって感じですけど」

 

 残念ながらそれは出来ないとあなたは首を横に振った。

 意思疎通こそ可能だが、相手の意思を言語化するとなるとそうはいかない。

 長い付き合いの愛剣にしたって人間のように直接言葉を発することはできない。感情を読み取ってそれらしく翻訳するのが限界だ。

 あなたに出来たことといえば、本人という最高の当事者に質問を繰り返すことで、誕生の経緯に関して明らかにした程度だ。

 具体的にはおおまかに前述の三つの有力な説を一つに纏めた感じのものらしい。

 あまりにもあっけなく暴かれてしまった世界最大の謎の一つにゆんゆんはがっくりしていたが、世界は広い。不思議や謎など数え切れないくらいに存在する。

 竜の谷、そしてその奥に存在するという竜の楽園もその一つだ。

 

 

 

 

 

 

 カフェから出る前にあなたはトイレに行ったのだが、トイレから戻ると大変なことになっていた。

 

「ねえねえ、キミこの辺の子? 年いくつ? どこから来たの?」

「えっ、えっ……?」

「俺らと一緒に遊ばない?」

 

 ゆんゆんが三人の男に絡まれている。どこからどう見てもナンパだ。

 武具こそ持っていないが、三人とも体はそこそこに鍛えられている。闘技大会の出場者だろうか。

 それにしても流石はゆんゆん。ちょっと目を離しただけでこうなるとは流石のあなたも予想外だ。ゲロ甘でチョロQな雰囲気が漏れているとでもいうのだろうか。中々どうして侮れない。

 

「お菓子が美味い店見つけたんだけどどう? 興味とかない?」

「え、ええっと、その……」

 

 あなたを探しているのだろう。突然のナンパにうろたえながらあちこちに目を彷徨わせる紅魔族の少女。

 ぼっちを拗らせていた時期の彼女であれば一緒に遊ぼうという誘いに嬉々として食いついたのだろうが、なまじそこら辺の問題が解消されているせいで人見知りが前に出てきてしまっている。

 そんな彼女を見かねて助けに入る事無く、むしろいい機会だと、あなたはゆんゆんに見つからないようにそっと気配を絶って物陰に隠れた。

 これは別に困り果てたゆんゆんを眺めて悦に浸ろうだとか、ピンチに陥った少女を助けて好感度を稼ごうと考えているだとか、そういう下種な考えの下での行動ではない。あなたが隠れたのはもう少し真面目な理由だ。

 

 やや過保護な気のあるウィズは、治安が際立って良いアクセルの外でゆんゆんから目を離さないようにとあなたに言い含めているし、実際あなたも可能な限りそうしているわけだが、それだっていつまでも続けていられるはずがない。

 雛鳥が親鳥から巣立つように、いつか必ずゆんゆんはあなたやウィズの庇護の手から離れる日が来る。来なければいけない。ゆんゆん本人のためにも。

 

 この期に及んでそれを言うのかという話だが、レベル40を超えて英雄の領域に足を踏み入れながらも師の庇護下にある冒険者というのは、ベルゼルグでもちょっとどころではなくありえない存在である。

 彼女の目標でもある二人の師がどちらも規格外であるがゆえに成り立っている今の関係だが、そうでもなければゆんゆんは年齢や促成栽培、メンタルの不安定さを鑑みてもさっさと自立しろ、むしろ弟子を取って育成しろと尻を蹴り上げられて然るべきなのだ。

 ウィズとあなたにしても、店を経営しているウィズがゆんゆんと恒常的にパーティーを組むなど決してありえないし、あなただっていつまでも甲斐甲斐しく彼女の面倒を見てやるつもりは無い。

 

 もしゆんゆんが自分のペットだったのなら、あなたは喜んで一から十まで彼女の世話を焼くだろう。ベルディアにしているように。

 だがゆんゆんはあなたのペットではない。ウィズのような特別ではない、しかしたった一人の普通の友人だ。

 廃人には遠く届かずとも実力自体は十分すぎるほど足りているのだから、少しでも早く精神的に一人前になってほしいというのがあなたの偽らざる本音である。

 少なくとも一人で自由に行動させても大丈夫だと思える程度には。

 

「え、えっと……私、友達と一緒なので……」

「友達もいんの? いーよいーよ、全然オッケー。俺ら気にしないし」

「あうぅ……こ、こういう時ってどうすればいいの……?」

 

 見たところ相手は軽薄だが悪人といった感じではない。可愛い女の子がいたので声をかけたのだろう。ゆんゆんがはっきりと意思表示をすればすぐに離れていくと思われる。

 あなたもこうして側で見張っているので、最悪このまま放置していてもゆんゆんがお持ち帰りされた挙句美味しく頂かれ、めぐみんに涙目ダブルピース写真を送るようなことには絶対にならない。

 これを期に、お人よしのウィズにすら危なっかしいと評されるゆんゆんも少し自衛というものを覚えるべきだとあなたは考えていた。

 

 考えていたのだが。

 

「不埒者を発見しました」

 

 無粋な声がナンパ男達を咎めたことで、またしてもゆんゆんの成長の機会の芽は摘まれてしまった。

 至極残念な結果に終わり、あなたは溜息を吐く。

 

「不埒者ってひっでえなあ。俺らはただ可愛い女の子にぃっ!?」

 

 男達もまた苦笑して何の気無しに声の方に振り返るも、ギヨッと目を見開き全身を硬直させる。

 

「我々は警備兵だ」

「お前達は排除される」

「抵抗は無意味だ」

 

 いつの間に現れたのか、警備ゴーレムが三体、男達を囲んでいた。

 かわるがわる発せられる無機質なマシンボイスが不気味さを感じさせる。

 

「ちょっと待て! ここ図書館じゃなくてカフェだろ!? なんでお前らが来るんだよ!?」

「我々は警備兵だ。お前達は排除される。抵抗は無意味だ」

「そもそも俺ら以外の奴だって普通に騒いでるのになんで俺らだけ!?」

「我々は警備兵だ。お前達は排除される。抵抗は無意味だ」

 

 問答無用で聞く耳持たず。

 完全に相手を無力化することに特化した電撃棒(スタンロッド)の二刀流で武装したゴーレムが迫ってくる光景はちょっとしたホラーだ。

 ナンパ男達はゴーレムに電撃棒で尻を叩かれ、ほうほうの体で逃げ出してしまった。

 

「カフェルールを知らないあたり、ありゃ新参かな」

「おおかた大会に乗じてトリフに来た余所者ってとこだろ」

「あの程度じゃ参加しても予選落ちでしょうねー」

「もうちょっと粘ってくれればネタになったんだけどなあ」

 

 結構な騒ぎになっていたのだが、カフェの客は男達を軽く笑い者にするだけですぐに意識から追いやるあたり、この程度は日常茶飯事らしい。

 困ったゆんゆんを誰も助けなかったのは、ゴーレムが来ると最初から分かっていたからだ。

 ノースティリスの酒場で詩人が聴衆に投石を食らって殺害された時のような懐かしい空気を感じながら、三人と三体と入れ替わるような形であなたは席に戻った。

 

「あ、おかえりなさい。今ちょっと凄いことがあったんですよ! ゴーレムがわーって!」

 

 金欠冒険者に金を握らせればゆんゆんをナンパしてくれるだろうか。

 興奮冷めやらぬ様子で自分を助けてくれたゴーレムのことを語るゆんゆんに、あなたはそんなマッチポンプ全開の事を考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 夕刻に差し掛かった頃。

 宿でくつろぐあなた達にとある知らせが届いた。

 

「お客様にお手紙が届いております」

 

 従業員ではなく宿のオーナーの記章を付けた男性が手ずから持ってきた手紙は二通。

 どちらも宛て先はあなたとゆんゆんの両方となっている。

 

「うわっ、うわあ、何これ、なんて見るからに高そうな封筒。手触りも良いし、私がいっつも使ってる十枚入り400エリスのやつと全然違う……一ついくらするんだろ」

 

 厄介ごとの気配を感じ取ったのか、ゆんゆんは早くも逃げ腰だ。

 

「こっちの手紙は……あ、リーゼさんからだ」

 

 知り合いからの手紙ということで露骨に安心した様子を見せるゆんゆん。

 高位貴族でありながらゆんゆんに気負わせることがないのはフランクなリーゼの人柄ゆえだろうか。

 もしくは初対面でこれ以上ないほどの醜態を見せたのが原因かもしれない。

 

「えーと、お手紙の内容はですね。明日、私達が泊まっているこのホテルのレストランで夕食でもどうですか、招待するのでそちらさえよければ来てくださいって感じのやつでした。どうします? 私は全然大丈夫ですけど」

 

 なんとも奇遇な話だが。

 もう一通。あなたが開いた手紙にも同じ内容が記されていた。

 すなわち会食の招待状である。

 

「お店も一緒なんですか? ちょっと変ですね。そっちは誰からだったんです?」

 

 あなたはゆんゆんに見えるように、手紙に書かれた差出人の名前を晒す。

 ベルゼルグ・スタイリッシュ・ソード・アイリス。

 見覚えのある封蝋がされた手紙を送ってきたのは、そんな名前の相手だった。

 友人とその母の命を救い、訪れるかもしれなかった国家的な危機を未然に防いでくれた冒険者達に直接お礼が言いたいと、私的な席を設けたらしい。

 あとよければ冒険の話を聞かせてほしいとも。

 

「ああ、ええ、はい。そういうことですね。分かりました。了解です。今度は大丈夫です。知ってます。何せ自分が住む国の王女様ですから。そういえば今こっちに来てるってリーゼさんも言ってましたもんね」

 

 ゆんゆんは一瞬で全てを受け入れる諦めモードに入った。

 手紙の内容を見るに、拒否しても特にお咎めはないようだが。

 

「無理無理絶対無理! そりゃ私だって出来ることならお断りしたいですけどね!? 絶対に取れない選択肢ですからそれは! いくら魔王領が近い辺境っていっても紅魔族はベルゼルグの住人で、私はその次期族長なわけで!!」

 

 確かにゆんゆんの立場と心情からしてみれば実質強制連行といっても過言ではない。

 どこぞの廃人連中のように国家に対して欠片も帰属意識を持ち合わせず、王侯貴族の招待をうるせー知らねー! と突っぱねるような真似を求めるのは酷というものだろう。

 ちなみにあなたはそういった申し出をあまり拒否しない。

 これは相手に阿っているわけではなく、気に入らない仕事、向いていないと感じた仕事でなければ基本的に受けるという、あなたの冒険者としてのスタンスはイルヴァでは広く知られており、相手も依頼という形式で手続きをしてくるからだ。おかげさまで廃人の中では比較的道理が通じる相手だともっぱらの評判である。

 

「でもアイリス様かあ……カルラさんのお友達だそうですけど、前にめぐみんがメタクソ言ってましたよ。お祝いの席でカズマさんを侮辱した挙句お付の人が切りかかってきたって」

 

 確かにそんなこともあったが、以降に伝え聞く話の内容、そして一度だけ戦場で見かけた姿から判断するに、今の王女アイリスは当時とはまるで別人といえるだろう。

 会食で発生した事件、そして拉致したカズマ少年との交流を通じて一皮剥けたと考えられる。

 

 その証拠に、前回とは違い手紙の文面からもどこかこちらへの思いやりが伝わってくるものとなっている。前日に招待状を送ってくるのが非常識であると相手も認識しているようだ。

 タイトな日程に関しては単に良いタイミングが今しかなかったのだろう。大会が始まるのは明後日からで、彼女達は誰もが認める賓客。大会期間中の夜は帝城でパーティー三昧になるのが容易に想像できる。

 

「でもなんで今なんでしょう。ベルゼルグに戻ってからじゃダメなんでしょうか? いやまあ竜の谷で死ぬ前に会っておきたいって考えるのも無理はないと思いますけど」

 

 ベルゼルグで会う場合は間違いなく王女も私人ではなく公人として振舞ってくるとあなたは確信している。なにせあなた達は今や知る人ぞ知る救国の英雄だ。

 だがゆんゆんが王城や大貴族の邸宅に招かれたいというのであれば、あなたは本人の意思を尊重するつもりだった。

 これもまた一つの得難い経験であるがゆえに。

 

「ちょっとホテルの人にお願いして、私達が着ていく服を貸してもらいましょうか。明日の夜に間に合うように」

 

 プレッシャーに弱い上にまだまだ場慣れしていない紅魔族の少女は、にっこりと逃げの一手を打った。

 

 

 

 

 

 

 矢のような速さで慌しく時間が流れて翌日の夜。

 ホテルでレンタルしたスーツとドレスに着替えたあなたとゆんゆんは、王女に招待されたレストランへと時間通りに足を運んだ。

 

「急な呼び出しにも関わらずこうしてご足労いただき、感謝の言葉もありません」

 

 案内役は顔見知りでもあるリーゼロッテ。

 堂に入った優雅な振舞いは、非の打ち所の無い完璧で理想的な貴族の淑女としての体面を見事に作り上げている。

 厳つい男に女装させて尊厳を破壊し、新たな世界に目覚めさせた姿に悦に浸るおぞましい変態趣味の持ち主と同一人物だとはとても思えない。

 そんな彼女に案内されたのは一般的なテーブル席ではなく、特別な客をもてなし、プライバシーを守るために作られた奥の個室。

 

 地獄の門を潜るような重い足取りで個室に入ったゆんゆんを待ち構えていたのは、王女アイリスと王女の護衛兼教育係のクレアとレイン。

 ダクネスの実家での会食といい、こういった場に連れてくる供回りが二名というのはあまりにも少ない。

 人員は対魔王軍に割くことを優先し、護衛は量より質で選んでいるのだろう。

 

 促されるままに席についたあなた達に、王女アイリスは以前とは違い、自分の口を通してあなた達に語りかけてきた。

 

「二人とも、突然の呼び出しにこうして応じてくれてありがとう。そして貴方とこうして会うのは二度目ですね。以前は祝いの席でありながらみっともない姿を見せてしまってごめんなさい」

 

 真っ先にあなたに謝罪の言葉を口にする王女アイリスは本当に変わった。それも良い方向に。

 今の王女アイリスが相手であればあなたも喜んで彼女を殺害し、その剥製を上位の価値を持つ展示品の一つとして博物館に飾ることすら吝かではないといえば、その変化がどれほどのものかはきっと伝わるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 さて、会食自体は前回と違って終始和やかに進み、特に語るような点は存在しなかった。

 貴族に囲まれ自国の王女直々にカルラとカルラの母親を救ったことへの礼を述べられたゆんゆんは料理の味など殆ど覚えていられなかっただろうが、それでもカルラという共通の友をとっかかりにすることで、無事に王女アイリスとも友好的な関係を築くことができたようだ。

 

 カイラムで散々経験したりあなたから学んできた、友好を求める王侯貴族への適切な距離感での接し方という処世術も上手くこなせており、お付の二人もゆんゆんを咎めることもない。

 食事を終えても場がお開きとなることはなく、今もゆんゆんと王女アイリスは文のやり取りを約束したり、カルラについて語ったり、互いの趣味について教えあったりと友誼を深めている。

 あなたが微笑ましい気持ちで楽しそうに語り合う二人の少女の交流を眺めていると、リーゼが近づいてきた。

 

「今までにアイリス様の友と呼べるような相手はカルラ様くらいのものでした。こうして楽しそうなアイリス様のお顔が見られるのは臣下として非常に喜ばしい話ですわ。……まあその相手があのウィズの弟子というのは思うところが全く無いわけでもないですが」

 

 王女アイリスを孫を見るような目で慈しむリーゼ。

 

「それはそうと、昨日今日と町の散策に出ていたのですが、風の噂になっていましたわよ。ダーインスレイヴを持った狂人がスラムを更地にする勢いで暴れ回り、スラムを牛耳る組織や犯罪ギルドを壊滅させたと。現役時代のウィズみたいなことやってますわね」

 

 周囲に聞こえないように小さな声で語られた噂には、少しばかり尾ひれが付いていた。

 氷の魔女時代のウィズの話には大変興味があるが、あなたは別に組織そのものを壊滅させたわけではない。ちょっと全員ぶっ飛ばしただけである。

 

「噂になっている狂人の風貌があなたとまるで似ても似つかないということは、追っ手を撒くために何かしらの手を打ったのでしょう? ちょっと最近ストレスが溜まっているので是非とも交ぜてほしかったですわ」

 

 相も変わらず血の気の多い老人である。

 異世界の住人とは思えないほど自分達の気質に近しいリーゼロッテの空気に触れ、どこか懐かしい心地に浸るあなたは、ふとスラムで暴れている最中に偶然遭遇した魔王軍の手先のことを思い出した。

 あなたが問答無用で自分をぶちのめすつもりだと理解した彼は、人間に化け、スラムに潜伏していた自身の正体が露見していると勘違いしてしまったのだ。

 そしてご丁寧に魔王軍所属であることを口走り、変身を解いて魔族としてあなたに襲い掛かり、当然のように殺害された。感覚的にはレベル30後半。それなりの地位にいたのだろう。

 実のところ単に魔族というだけならスラムに隠れ住んでいるだけかもしれなかったので、あなたもわざわざ殺しはしなかった。運が悪いとしか言いようがない。

 

「なるほど、魔王軍の手先がスラムに。あなたがぶち殺した分で終わりとは限りませんし、今回の闘技大会は一荒れするやもしれませんわね」

 

 上記の件についてリーゼに伝えると、彼女は驚きもせずにそれを受け入れた。

 

「リカシィは魔王領から海を隔てた遠い地にあるとはいえ、闘技大会は世界中から多くの要人が一箇所に集まる、魔王軍からしてみれば絶好の機会。主催であるリカシィは連中に対して最大級の警戒を払っていますわ。無論わたくし達も同様に」

 

 それもそうかとあなたは納得する。

 各国から招待した客人に死人でも出ようものなら、リカシィの面目は丸つぶれ。

 被害の規模次第では決して無視できない混乱が世界を襲うだろう。

 

「だからこそ、カルラ様の一件を耳にした時は心底肝を冷やしましたわ。トリフを抜け出して竜の谷の探索に参加した挙句、現地で行方不明になるというだけで十分すぎるほど大問題ですのに、あなた達が偶然救助していなければ最悪そのご遺体がリカシィ国内で発見されていたかもしれません。そうなるとアレ、ほんともうアレ。ちょっとここでは言葉に出来ないくらいアレですわ。マジでくっそヤベーことになってますわよマジで」

 

 一瞬でリーゼの語彙が壊滅したが、それほどまでに紙一重だったということだ。

 あなた達があの日、あの時、あの場所にいて、ゆんゆんが川を流れる遺体を引き上げたいと思う善良な心の持ち主であり、あなたがリザレクションを超越した復活の呪文の使い手であり、カルラがあなたに反射的に復活の呪文を使わせるほどラーネイレに酷似した容姿を持っていたからこそ、全てが丸く収まった今がある。

 ラーネイレがそうであるように、カルラもまた運命に愛された人物なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 かくしてゆんゆんが王女アイリスという新たな友を得た翌日。

 今夏一番の暑さを記録する猛暑の中、誰もが待ち望んだ闘技大会が遂に幕を開けた。

 

 そしてこの日、あなたはかつてない驚愕と感動と後悔に同時に襲われることになる。

 他ならぬ、ゆんゆんの手によって。



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第120話 第154回リカシィ闘技大会

 東方に日々魔王軍と鎬を削りあう世界最強の軍事国家、ベルゼルグ。

 西方に現存する国家の中で最古の歴史を持つエルフの国、カイラム。

 北方に人を拒む険しい山々と雪に覆われた氷鉄の国、ルドラ。

 南方に蒼海に覇を唱える貿易国家、トリスティア。

 

 そしてこれら四国の中央に位置するリカシィ帝国は、上記四国の流通の要所としての役割を担っている。

 人間、獣人、エルフ、妖精、ドワーフ、ドラゴニュート、その他もろもろ。

 多種多様な種族が一箇所に入り混じるこの国は、しばしば人種のるつぼと形容される。

 

 そんなリカシィが世界に誇る一大イベントこそ、リカシィ首都、トリフにて三年に一度開催される闘技大会だ。

 世界各地から要人、観光客、腕自慢の参加者が集うこの血沸き肉踊る催しは、今年で154回目を数えるという非常に伝統のある行事である。

 

「これってどれだけの人が並んでるんですかね。ずーっと後ろの方まで列が続いてますよ」

 

 ホテルから会場へ向かう道の途中、ゆんゆんが呆けた口調で驚きを吐露する。

 あなたから見て左側、およそ50メートル先ではトリフ中から集まった者達がどこまでも続く果ての無い人の列を形成している。

 列の最も前は会場から続いているのだろうが、列の後ろがどこで途切れているのかはとても想像できない。見ているだけで眩暈がしてきそうだ。

 

 だが幸いなことに、この列はあなたとゆんゆんにとっては全く関係が無い。

 本来であれば辟易としながらも仕方なく列の一員に加わっていたのだろうが、今のあなた達には完全に他人事である。

 時折恨めしげな視線を貰いながら、長蛇の列を置き去りにしたあなた達は一足先に会場内に辿り着くことができた。

 

 さて、トリフが巨大な壁に囲まれた都市であるということは周知の事実だが、闘技大会の会場の敷地もまた壁の中にある。

 この壁は後年になって作られた普通のものだが、それでも会場の敷地面積はアクセルの街に引けをとるものではない。

 

「とても壁の中とは思えないというか、図書館もそうでしたけど、広すぎてここまでくるともう一つの街ですよね」

 

 大会会場の敷地面積がアクセル並で、帝城と図書館も同様。

 そんな規模の場所を一つの都市で三つ抱えてなお余りあるというのだから、トリフの広大さにはあなたも舌を巻くしかない。

 

 会場の中には円形のコロシアムが東西南北と中央、計五つ建てられており、観客と参加者はそれぞれのコロシアムに割り振られることになっている。

 そしてあなた達が向かった先はメインとなる中央のコロシアムだ。

 開会式と閉会式、そして決勝トーナメントはここで行われ、観客収容数も五つのコロシアムの中で最大となっている。

 

「本日はようこそお越しくださいました。こちらは中央会場、特別指定席の入り口となっております。身分証とチケットの提示をお願いいたします」

 

 長蛇の列を作っている一般用ではなく、いわゆるVIP専用の入り口から進入を果たす。

 

「他の人はこの暑い中朝からずっと並んでるのに、こうして私達は並ばずに会場に入れて凄くいい席に座れるんですよね。なんだかちょっとズルしてるみたいです」

 

 あなた達の席はカルラが用意してくれたものだ。

 当初カルラが自分の代わりに使ってもらおうとしていた王族専用席には及ばないが、それでもそこらへんの貴族が大金を積んだところで易々とは入手できない席ではあるという。

 

 

 

 

 

 

 恭しい態度の職員に案内され、あなた達は自身に宛がわれた席に辿り着いた。

 コロシアムの内部はすり鉢状となっており、あなた達が座るのは底に近い部分。参加者が戦う舞台を最も間近で見られる特等席だ。

 戦いの舞台は百メートル四方。

 この中で一度に最大八人がぶつかり合うと考えると意外に狭く感じられる。

 

「なんかイメージしてた観客席と全然違う感じです。カルラさんは一等席を手配するって言ってくれてましたけど、私、一等席っていってもあっちのいっぱい人がいる方みたいなやつだと思ってました」

 

 ゆんゆんが指し示す先もまた十分に一等席と呼べるものだったが、あちらは一般の一等席。

 対してあなた達が座るのは王族視点での一等席である。

 それはほぼ個室と呼んで差し支えない、コロシアムという限られた空間を選ばれた少人数のために贅沢に使った席だった。

 カルラ、ひいてはカイラムがどんな手段でこの席を確保したのか非常に気になるところである。

 間違っても大会開始の一週間ほど前に手配してポンと楽に取れるような席ではない。

 

「こんなに良い席で大会を見られるなんて、カルラさんに感謝しないといけませんね!」

 

 無邪気に喜ぶゆんゆんはこういったイベントの参加経験に乏しいだけあって、自分がどんな席に座っているかまるで気が付いていなかった。

 しかし変に脅かして大会を楽しめなくなってしまうのはよろしくない。

 あなたは何も告げることなく、少女の言葉に同意するだけに留めた。

 

「話は変わりますけど、もうすぐこの会場の席全部が人で埋まっちゃうんですよね。今はそれほどでもないから私も気にならないですけど……」

 

 会場全体を見渡してみるも、客席の埋まり具合は非常に疎ら。全てが埋まるまでに軽く数時間は必要とするだろう。

 時計を見ても開会式までにはだいぶ時間がある。

 遅れるよりはマシだが、少し早く来すぎてしまったかもしれない。

 

「凄く楽しみにしてましたもんね、今日のこと。こうして朝一で来るくらいですし。でもこう言っちゃ失礼かもですけど、あなたでも見てて楽しめるものなんです?」

 

 きっとあなたは出場する人たちの誰よりも強いのに。

 そんな言葉をあえてぼかしたゆんゆんの質問に、勿論楽しめるとあなたは頷く。

 

 確かに大会に出れば、余程のことが起きない限りあなたが優勝するだろう。

 

 だがそれとこれとは話が別だ。

 参加者より強いからといって、他者が戦う姿を見て楽しめないという道理は無い。

 馬より速く走れるからといって、競馬が楽しめないわけではないように。

 

「分かったような分からないような。じゃあもしベルゼルグ所属の人が出場禁止になってなかったら、あなたも大会に出たかったですか?」

 

 難しい質問だ。

 あなたは現在の形式では参加者として興味を惹かれないが、ベルゼルグの者が出場するとなると少しばかり事情が変わってくる。

 特にデメリットが見つからない上、莫大な賞金を目当てにして、ウィズやバニルが参加してくる可能性があるからだ。

 さらに噂に聞くベルゼルグ王族やリーゼ、普段は魔王軍との最前線で戦っているニホンジン達が出てくるかもしれない。

 ゆえに状況次第ではあなたも大会に参加するだろう。

 命を懸けず、互いに制限をかけた健全な環境でウィズと戦うというのも考えようによっては悪くない。

 大金がかかっているだけあって、あちらもかなり本気を出してくれると思われる。

 

 ちなみにベルゼルグの参加が許可されている場合、ゆんゆんの出場が無条件で確定する。

 今もゆんゆんに参加させ、少しでも対人経験を積ませたいと考えているくらいなので当然だ。

 

 どんな時でも全く懲りないブレない悪びれない。

 いつも通りといえばいつも通りなあなたの回答に、ゆんゆんは奥歯に物が挟まったような微妙な表情で苦笑いを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 人を殺せる本。

 鈍器と形容するに何ら不足のない分厚さを誇る、闘技大会のルールブックの通称だ。

 物騒な異名は伊達ではなく、実際に殺人事件の凶器として利用された例が存在する。頭蓋を陥没させるという形で突き刺さっていたらしい。

 そんな投擲武器としても運用可能なルールブックに書かれている数多の項目のうち、比較的重要と思われるものを箇条書きにしていくとこうなる。

 

 魔王軍とベルゼルグ所属の者の参加は禁止。

 団体戦と個人戦に分かれており、先に団体戦を消化するスケジュールとなっている。

 団体戦は一チームにつきメンバーは最大四人まで。

 全体を通して予選と本選に分かれた勝ち抜き式のトーナメント形式。

 シードと敗者復活戦あり。

 一試合につき制限時間は三十分。超過した場合は審判による判定で勝敗を決める。

 その他の勝利条件は相手を場外に出すか降参させるか戦闘不能にするか。

 年齢、性別、身分、国籍、装備、スキル、宗教、道具、戦術、種族、職業などの制限は一切無し。毒物だろうが呪いだろうが問題無し。むしろじゃんじゃん使ってください。卑劣行為大歓迎。ちょっと手足が取れたり死の境を彷徨っても歴戦のスタッフが対応します。ただし魔王軍とベルゼルグは除く。

 試合外での闇討ち、殺人、替え玉、破壊工作、八百長、アクシズ教徒による試合内外での宗教勧誘はいずれも禁止。発覚次第問答無用で失格。

 

 総合すると極めて健全で常識的、安全な大会と言えるだろう。

 

「いや、その理屈はおかしい」

 

 ゆんゆんから真顔でツッコミを入れられた。

 

「っていうか何思いっきりダーティープレイ推奨しちゃってるんですか。そんなのどこにも書いてませんよ。……え、書いてませんよね? 大丈夫ですよね? 私どっか見落としてませんよね?」

 

 まるで我が事のようにルールブックを熟読するゆんゆんは確かに何も見落としていない。

 だが実際ルールブックには試合内における毒物や呪いの使用が制限されていない。

 制限されていないということは使っていいということだ。

 そして使っていいということは是非使ってくださいと言っているということだ。

 

「論理が飛躍しすぎてもはや別次元にシフトしてる……ホップステップテレポートの勢いですよそれは」

 

 だがあなたに賛同する者はそれなりに出てくるだろう。

 断言してもいい。

 

「賛同するのってどうせあなたの世界出身の人でしょう? 私達と一緒にしないでください」

 

 溜息を吐くゆんゆん。

 正論ではあるが、勘違いをしている。

 あなたに賛同するであろう者とは、紅魔族とアクシズ教徒のことだ。

 アクシズ教徒にいたっては名指しで宗教勧誘の禁止を食らっているくらいなので、本気で何をやっても不思議は無い。

 

「……そうですね。私もそう思います。でも魔王軍にすら避けられる人たちと一緒にしないでください」

 

 声は微かに震えていた。

 しかし悲しいかな、異端の感性を持つとはいえ同じ紅魔族のゆんゆんが言ってもまるで説得力に欠けている。

 

「分かってます! そんなのは私自身が一番よく分かってますから! だからわざわざ言わないでくださいよもー!!」

 

 

 

 

 

 

 そうこうしている間に時間は流れ、開会式が終わり、団体戦の予選が始まった。

 開会式では帝室が抱える楽団の見事な演奏があったり、前回個人戦優勝者のニホンジンが選手宣誓をしたり、何人もの大会関係者による無駄に長い訓示で観客と参加者全員が辟易したり、リカシィの皇帝が直々に参加者達に激励の言葉を送ったり、特別ゲストとして王女アイリスが感謝と激励の言葉を送ってその絶世の美少女っぷりから皇帝を上回る歓声を浴びたりしたが、ひとつひとつ書いていくとあまりにも長すぎるのでここでは割愛する。

 

 開会式のハイライトを挙げるとするのなら、やはり皇帝と王女アイリスは避けては通れない。

 王女アイリスに人気で負けてしょんぼりする皇帝の姿は少し可哀想だった。

 皇帝はその地位に違わぬ威厳のある老人であり、国内外に辣腕を振るう名君でもあるのだが。

 普通にやってるだけで人気出るから美少女ってずるいわ……と言わんばかりの切ない表情があなたの印象に深く残っている。

 

 

「予選Aブロック一回戦、第2試合! ムカつくぜクソッタレー!! チームvsばーか滅びろ商店街!! チーム!」

 

 アナウンスが次の試合に臨む2チームの名前を呼ぶ。

 あまりにもあまりなチーム名に、軽く会場がざわめいた。

 

「ず、随分前衛的なネーミングセンスですね」

 

 どちらも世の中への憎悪に満ち溢れた名前をしている。

 一体全体何があってそんな名前を付ける気になったというのだろう。

 

 ──いやあ、早くも2試合目で面白いカードになりましたねえ。解説のジョージさん、ごらんになっていかがです?

 ──それ私が普段商店街の役員やってるって分かってて聞いてます?

 

 解説席の方が軽く剣呑なムードになっているが、観客からしてみれば知ったことではない。

 喝采を浴びながら両チームが入場してくる。

 

 ──ムカつくぜクソッタレー!! チームは三名のパーティー。三人とも随分と若いですね。十代半ばといったところでしょうか。内訳は少年一人、少女一人。あと一人は……どっちでしょう。いや、ほんとどっちだこれ……。

 ──こんな可愛い子が女の子のはずがないじゃないですか。

 ──ジョージさん!?

 

「本当に性別どっちなんですかね……ここから見ても全然分からない……」

 

 あなたの目から見ても性別が判断できないあたり凄まじいものがある。

 だが今はそんな事はどうでもいい。重要な事ではない。

 闘技大会の出場者に求められるのは見た目ではなく強さ、ただそれだけだ。

 

「正論なのに逆に空気読めてない感が凄い」

 

 ──さて、対するばーか滅びろ商店街チームですが、手元の資料によると団体戦にもかかわらず一人での出場となっております。

 ──稀にあることなのですが、選手からの要望で解説の我々にだけ氏名欄が公開されておりません。ただやはり一名というのは普通に考えて無謀な挑戦です。あるいはよほど己の腕に自信があるのか。

 ──かなり期待出来るかもしれませんね。さて、選手が入場してきましたってあーっ! これはああああ!

 

「きぐるみだこれ!?」

 

 そう、ずんぐりむっくりとした全長170cmほどのリスのきぐるみが現れたのだ。

 サザンカ商店街をよろしく、と書かれた大きな旗を持ち、同じくサザンカ商店街と書かれたタスキとマントを身につけている。

 間違いなくきぐるみの中は死ぬほど蒸し暑くなっているはずだ。

 商店街の宣伝で出場させられていると考えると、なるほど、中の人が商店街滅びろと呪いたくなる理由も理解できる。

 

 ──まさかまさかのきぐるみでの登場です! しかもこれはジョージさんが役員を勤めている北東地区のサザンカ商店街のマスコット、リスのサザンカ君のきぐるみだあああああああ!

 ──おい誰だ中に入ってる奴。後でぶっ殺すからなマジで。

 

 あまりのネタキャラっぷりに観客席はどっと笑いに包まれた。

 きぐるみの手で器用に解説席に中指を突きつけるファンキーっぷりには皇帝も思わず苦笑い。

 

 ちなみに戦いはあっという間に決着が付いた。

 リスのサザンカ君は三人から寄ってたかってボロ雑巾にされたのだ。

 ムカつくぜクソッタレー!! の名に違わぬ容赦の無さであった。

 隣で見ていたゆんゆんが「やめたげてよお!!」と叫んだほどである。

 

「そこまで! 勝者、ムカつくぜクソッタレー!! チーム!」

 

 審判の声が試合の終わりを告げる。

 また一つ、勝ち上がったチームが駒を先に進めると同時に、夢破れた者たちが散っていったのだ。

 だが今回の試合に関しては、観客の誰もが滅びろ商店街チームは試合に負けて勝負に勝ったと言うに違いない。

 ちなみに敗者復活戦が残っているので出場を辞退しない限りリスのサザンカ君はもう一度出番が来る。

 きっともう一度全力で商店街のネガティブキャンペーンに走るのだろう。

 

 

 

 

 

 

「すみません、ちょっとトイレに行ってきます」

 

 その後も楽しく観戦を続けていたあなた達だったが、おもむろにゆんゆんが席を立った。

 あなた達がいるエリアは一般人の立ち入りが禁止されている。

 警備員も多数配置されているのでカフェでのようにナンパされるとは思えない。

 それでも広い会場の中で道に迷ってしまうかもしれないと思ったあなたは、自分も付いていったほうがいいか問いかけた。

 

 何故か滅茶苦茶怒られた。

 

「初めてのお使い扱いですか! っていうかナチュラルにトイレに付いていくか聞かないでくれます!? 思わずお願いしますって言いそうになりましたよ! いくらなんでもトイレに付き添いが必要なほど子供じゃありませんから! あとそれ立派なセクハラですからね!?」

 

 一息に捲し立ててぷんぷんとゆんゆんは去っていってしまった。ぷんぷんゆんゆんである。

 冗談はさておき、流石に年頃の少女相手に少しばかり無神経だったかもしれない。あなたは素直に反省した。ゆんゆんが戻ってきたら謝罪することにしよう。

 

 

 

 

 

 

 おかしい。遅すぎる。

 そんな心境であなたは時計を見やった。

 

 ゆんゆんがトイレに行って早三十分が経過した。

 にもかかわらず、ゆんゆんはトイレに行ったまま一度も戻ってきていない。

 繰り返すが、あなた達のいるエリアは一般人の立ち入りが禁止されている。まさかトイレが混んでいるなどということは無いだろう。

 ゆんゆんを信じて待ち続けたが、そろそろ探しに行く頃合かもしれない。

 リーゼも魔王軍が何かしら大会に関与してくる可能性を示唆していた。何か事件に巻き込まれていなければいいのだが。

 だが杞憂の可能性も無いわけではない。

 探すべきか、待つべきか。

 しばし逡巡した後、あなたはもし次の試合が終わってもゆんゆんが戻ってこなかった場合、警備員の手を借りてゆんゆんを探すことに決めた。

 

「続きまして予選Aブロック一回戦、第10試合! 海鳥の歌チームvsエチゴノチリメンドンヤチーム!」

 

 エチゴノチリメンドンヤ。

 翻訳が効いていないのかさっぱり意味が読み取れない。何語だろう。随分と奇抜な名前のチームもあったものである。

 

 あなたがそんな印象を抱いた瞬間、突如として舞台中央に七色のカラフルな爆発が発生した。

 爆発と言っても見たところ殺傷能力は皆無であり、ただひたすらにド派手で人の目を引くだけの、エンターテイメントに特化した演出のようだ。

 まさか初戦でこのような大道芸を披露してくるとは、エチゴノチリメンドンヤはよほど目立ちたがりのチームなのだろうか。

 いやおうなしにあなたも興味を惹かれるし、あなたと同じくエチゴノチリメンドンヤってなんだ? イチゴの仲間か? と首を傾げていた観客達もこれには大喝采。

 

 シュプレヒコールが吹き荒れる中、屋内であるにも関わらず、舞台上に今度は強い突風が吹き荒れた。瞬時に観衆の目を覆い隠していた煙が跡形も無く消し飛んでいく。

 観客席にまで音が聞こえてきそうな轟風は、明らかに自然に発生したものではなく人為的なもの。

 間違いなく魔法、それもアークウィザード級のものだ。

 

 そしていつの間にそこに現れていたのだろう。

 煙が晴れた舞台の中央には、気付けば二つの人影があった。

 

 片や純白のブレストプレートで武装し、鼻から額までを覆い隠す群青色の仮面を付けた金髪の少女。

 片や全身を漆黒のローブで覆い隠し、頭部には鮮血の如き真紅のバケツヘルム……というかバケツそのものを被った正体不明の何者か。

 どちらも体躯は十代前半という子供のもの。

 

 あまりにも異様な出で立ちをしたチームの出現に、それまでが嘘のようにしんと静まり返る会場。

 だが観客の視線を一身に浴びながらもそれをまるで意に介す事無く、二人はポーズをばっちり決めて高らかに名乗りを上げる。

 

「いつも心に愛と勇気を! チリメンドンヤの孫娘、マスクドイリス推参!」

「弱きを助け強きを挫く! 正義と平和の使者、ジャスティスレッドバケツガール参上!」

 

 ぶっふぉっ、と。

 とてつもなく覚えのある二人の声を受け、間抜け極まりない擬音があなたの口から溢れ出た。



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第121話 天下御免で絶対無敵のスーパーヒロイン(非合法)

 ちょうどあなたの口に含まれていたオレンジジュースが、盛大に噴き出されたことで瞬時に霧と化す。

 霧となったオレンジジュースは夏の強い日差しを反射することでキラキラと輝き、あなたの足元に小さな虹を生み出した。

 

 世の絵描き達がこぞって筆を取らずにはいられない、幻想的で感動的な光景をいとも容易く生み出したあなただが、はっきりいってそれどころではない。

 ゆんゆんだ。

 格好こそ席を立つ前から大きく変わっているものの、間違いなくあの真っ赤なバケツを被っているのはゆんゆんだ。

 人は誰しも己の常識を遥かに超える事態に直面すると思考を停止させてしまう。あなたにとってはまさに今がその瞬間である。

 津々浦々を巡り多種多様な経験を積んできたあなたは大抵のことに動じないだけの胆力を有しているが、いくらなんでもこれは反則としかいいようがない。

 何がどうしてこうなった。

 果てしない驚愕と感動と後悔があなたを同時に襲う。

 

 まさかあのゆんゆんがこんな大胆すぎる行動を、という驚愕。

 自分の知らない間にここまでの成長を遂げていたとは、という感動。

 そして、何故自分はあの場に立っていないのか。あの時トイレに行くと言ったゆんゆんについていっていればよかった、という後悔。

 

 つまるところ滅茶苦茶楽しそうなのであなたも二人に混ざりたかったのだ。

 

 だがすぐにそれはダメだと思い直す。

 たとえそれがどれだけ傍から見ていて楽しそうで羨ましいと感じたとしても。

 ノリノリで楽しんでいるティーンエイジャーの少女達に大人の男が自分から混ざっていくなど、空気が読めていないなどという言葉では到底片付けられない。外野から石もて追われても文句は言えない所業だ。

 混ざるのであれば性転換して若返る必要がある。

 しかし性転換する上で必要不可欠な願いの杖が音が鳴るだけの産廃になっているので、今のあなたではどうにもならない。

 ウィズに頼めばどこからともなく性転換の道具を仕入れてきてくれるのかもしれないが、副作用が恐ろしすぎるので却下。

 

 そもそもあなたがこの件について何も聞かされていないということは、ゆんゆんがあなたに秘密にしておきたかったということだ。

 普通にゆんゆんが恥ずかしがったのか、あなたが出張れば何もかも台無しにされてしまうと考えたのかは定かではないが、除け者にされた寂しさをぐっと堪えてあなたは今回はゆんゆんの意向を汲んであげることにした。

 

 

 

 

 

 

 ──エチゴノチリメンドンヤチーム、初戦から大胆なパフォーマンスで物の見事に会場中の度肝を抜いていく! しかしご安心ください、かくいう解説席の我々も唖然とさせられました! そして対する海鳥の歌チームも動揺を隠しきれていない様子!!

 ──彼らは結構場数を踏んだやり手のはずなんですけどね。しかし無理もありません。貰い事故もいいところですよこんなの。狙ってやっているのであれば大したものです。

 ──なるほど、一見すると奇怪極まりない一連の行動を、ジョージさんはエチゴノチリメンドンヤチームの作戦であると考えているのですね?

 ──むしろそうであってほしいと願います。

 

 両チーム……エチゴノチリメンドンヤは最初から舞台に上がっているので、海鳥の歌チームが舞台に上がる。

 海鳥の歌のメンバーは二十台前半の男女がそれぞれ二名。

 剣士とナイトが男、僧侶と魔法使いが女という構成になっている。

 

 ──海鳥の歌チームは最近頭角を現している実力派の冒険者パーティー。その平均レベルは23。主にトリフを拠点として活動しているので、見覚えのある方も多いのではないでしょうか。

 ──エチゴノチリメンドンヤチームは本人達の希望により本名、出身、経歴全ての項目が非公開となっています。怪しんでくださいと自分から言っているようなものですが、規則上、登録には冒険者カードのような身分証が必要になります。身元が明らかになっていない者は大会に参加することが出来ないのです。

 ──つまり大会運営はちゃんと彼女達の素性を把握している、というわけですね?

 ──はい。そういうことです。

 

 解説はああ言っているが、運営は間違いなく二人の正体に気付いていない。

 何せ彼女たちはベルゼルグ第一王女と紅魔族次期族長。

 あらゆる意味で非合法かつレギュレーション違反としか言いようがない。

 

 そんなインチキコンビが使っている武器だが、これはトリフで売っている安価な市販品……ではなく、どちらもベルゼルグ王都の高級武具店で売っていそうな一級品、つまりガチンコ仕様である。

 露骨に勝ちに来ている。実に大人気ない。酷い話もあったものだ。

 

 王女アイリスがその手に持っている武器はアダマンタイト製の片手剣。

 かなりの業物だが、流石に王都防衛戦で使っていた神器、聖剣エクスカリバーには大きく劣る。

 しかしエクスカリバーはベルゼルグの国宝として見た目が広く知られているので、こんな場所で振り回そうものなら一瞬で大問題に発展する。使用を禁じるのは当然だろう。

 

 神器はお目にかかれないが、あなたにとっては期せずして降って湧いた、ベルゼルグ王族の戦いを見る初めての機会である。

 魔王軍幹部として長きに渡り最前線で戦い続けたベルディアは、ベルゼルグの王族に対してあなたにこういう言葉を残している。

 

 ──あいつらはそこらへんのニホンジンが束になっても勝てないくらい強いぞ。俺は過去に何人か殺したことがあるんだが、基本的に罠や謀略で孤立したところを精鋭で袋叩きにする必要があったな。王族が常に最前線で戦いながら指揮を執るなどあらゆる意味で論外で常識外だが、そうでもしなければ今頃とっくに世界は魔王軍の手に落ちているだろう。ちなみに今の俺ならタイマンで普通に勝てる。終末狩りは最高だな……とでも言うと思ったかバカめ! あんな鬼畜の所業を俺にやらせるご主人はほんとバカ! だが最初に終末狩りを考えた奴はもっとバカだ!!

 

 強い力を持つ勇者を代々取り込み、素養を引き継ぐという形で血の研磨を続けてきたベルゼルグ王家。

 その最先端、まだまだ幼く未熟な王女アイリスの現時点の実力は果たしてどれほどのものなのか。

 相手の虐殺は半ば確定した未来だが、それでも非常に興味深い一戦と言えるだろう。

 

 一方のゆんゆん。

 彼女もまた普段使いしているものではなく、マナタイト製の長杖を持たされていた。普段は短杖を使っているので中々新鮮な光景である。

 めぐみんやウィズ、レインや女神アクアがそうしているように、魔法を扱う後衛職は長杖をメインの武器として扱うというのが一般的だ。

 素材使用量は多ければ多いほど魔法を補助する上で有利になるというのもあるし、長物は近接戦闘時にリーチの面で強い。足場の悪いところでも三本目の足として役に立つ。

 ゆえに短杖はその取り回しの良さを活かした、いざという時のためのサブウェポンとして重宝されている。

 

 そんな中、ゆんゆんはアークウィザードとしては非常に珍しい、短剣と短杖の二刀流スタイルを好む。

 後方で固定砲台となるのではなく、紅魔族の高い身体能力とあなたから叩き込まれた近接技能を十全に活かした戦い方だ。

 本領を発揮するのは中衛だが、前衛と後衛の役割もおおむね問題なくこなせる万能型といえる。

 ウィズから武器に付与するタイプのセイバー系魔法を伝授された今の彼女は、クリエイトウォーターとテレポートとみねうち以外のスキルを持て余し気味なあなたなどより、よっぽどちゃんとした魔法戦士をやっていた。

 

「両チーム用意はいいですね? それでは……予選Aブロック一回戦、第10試合! 海鳥の歌チームvsエチゴノチリメンドンヤチーム……試合開始!!」

 

 開幕の銅鑼が鳴ると同時、重装備のナイトを中心とした陣形を組んで様子見に徹する海鳥の歌チーム。

 対してエチゴノチリメンドンヤチームは、マスクドイリスを置き去りにジャスティスレッドバケツガールが単身で突っ込んだ。

 連携を欠片も考えていないその振る舞いは、まるで王都防衛戦におけるあなたの鏡写しの如く。

 

 ──ジャスティスレッドバケツガール、まさかまさかの開幕単独突撃! ローブを着て杖を持っていれば後衛職だろうと判断する我々の固定観念を嘲笑う奇襲をしかけてきた!!

 ──相方のマスクドイリスはその場から一歩も動きませんね。何かのスキルを使っているという様子でもないようです。

 

 実際ゆんゆんは後衛職なのだが、たかだかレベル20台前半のパーティーに押し負けるような温い鍛え方をあなたとウィズはしていない。王女アイリスのサポート無しでも余裕で勝利を掴むことができる。

 だがそれでは王女アイリスが楽しくない。きっとどこかのタイミングで動きを見せるはずだ。

 二人がどんな作戦を組んできたのか、あなたは期待に胸を膨らませながら戦いを見守っていた。

 

 対して、突撃してきた見るからに魔法使いなバケツ頭に面食らうも、即座に迎撃を開始する海鳥の歌チーム。

 ナイトが仲間の盾となるように一歩前に進み、僧侶が支援魔法をかけ、剣士と魔法使いが遠距離攻撃を担当する。

 オーソドックスながらもスムーズな立ち回りは、それなりに場数を踏んで自分達の戦い方を確立した者達の動きだ。実力派と言われているのは伊達ではない。

 伊達ではないのだが、相手が悪い。あなたは早くも内心で追悼の言葉を送り始めた。

 

音速剣(ソニックブレード)!」

「ライトニング!!」

 

 倍近いレベル差があれども、ゆんゆんは上級職でも最低クラスの防御力を持つアークウィザード。

 迂闊な被弾は当然痛手に繋がる。

 ゆえに自身に向かって放たれた飛ぶ斬撃や雷撃を、彼女は僅かに射線から体をずらすという形でバケツとローブに傷が付かない紙一重の距離で避けていく。

 このことからも分かるように、ゆんゆんは目がいい。船上で知り合ったハルカのような常軌を逸したレベルではないが、攻撃を見切るのがとても上手い。

 というか上手くないと耐久力の低い魔法使いがリーチの短い武器を使った接近戦など命が幾つあっても足りはしない。

 

 ──海鳥の歌チームの攻撃を掻い潜り、あっという間に接近戦の距離まで縮めてきたバケツガール! ここからどのような戦いを見せてくれるのでしょうか!

 

「デコイ!!」

 

 懐に潜り込まれた瞬間、ナイトが囮スキルを発動。

 ゆんゆんの意識を引きつけながら鋼鉄製のタワーシールドを構え、その重量をもって盾殴り(シールドバッシュ)を敢行した。

 ではゆんゆんはどうしたかというと、迫り来る壁の如き盾を杖でぶん殴った。

 金属同士が正面からぶつかり合う派手な音が会場に鳴り響く。

 結果として打ち負けたのはナイト。1メートルほど後方に吹き飛ばされ、一撃で大きく凹んだ盾に愕然とした表情を浮かべる。

 

「じょ、冗談だろ……!?」

「あの見た目で前衛職だっていうの!?」

 

 アークウィザードが使える魔法の中には肉体を強化するものがあり、ゆんゆんも当然これを使用できる。

 流石に同レベル帯の前衛職と直接の殴り合いを可能にするほどではないが、レベル20台の前衛であれば余裕で上回ることができる。

 

エンチャント・サンダー(エレキ・オブ・セイバー)!!」

 

 ゆんゆんの嘘っぱちの詠唱と共に、長杖の先が過剰なまでに派手な音を立てて紫電を帯びる。

 

「エンチャントってことは、お前魔法戦士か!」

 

 ──なんとジャスティスレッドバケツガールは魔法戦士だったようです! ジョージさん、中々珍しい職業ですよこれは! この出力であれば、あるいは上級職のエレメンタルナイトに到達しているやもしれません!

 ──スペック自体は下級職の時点で中級職と言えるくらい高いんですけどね。純粋に適性持ちが少ないというのと、あまりにも色々と出来すぎるせいでスキル振りが中途半端になりやすく、どうにも器用貧乏のイメージが拭えない職業でもあります。

 

 物凄い勢いで嘘をつくゆんゆんに、会場中の誰もが騙された。

 付与式のセイバー魔法を知らなければあなたも容易く騙されていただろう。

 

 ──さて、こうなると俄然気になってくるのがマスクドイリスの職業ですが……は?

 

「足元がお留守になってますよ」

 

 半ばゆんゆんの一人舞台の様相を呈してきた中。

 不思議と、その大きくもなんともない普通の一言は会場の隅々までよく届いた。

 突然真横から聞こえてきた声を受け、ナイトは反射的に足元に目を向ける。

 

「ごめんなさい、ちょっとお兄様に教わった台詞を言ってみたかっただけです」

 

 てへぺろと舌を出しての茶目っ気に溢れた台詞と裏腹に、放たれたのは目が覚めるような剛の剣による躊躇の無い一閃。

 響き渡る轟音に何が起きたのかを理解できた者が何人いるだろうか。

 ゆんゆんが音と光で注意を集めたまさにその瞬間、マスクドイリスが動いたのだ。

 超高速で舞台の反対側に移動し、その細腕に見合わぬ膂力を以って、全身を金属製の重装備で固めたナイトをいとも容易く場外に吹っ飛ばした。

 解説があげた忘我の声は、そこにいるはずのマスクドイリスの姿が忽然と消えていたから。

 

 鎧を破壊され、舞台の外で痙攣するナイトは完全に意識を失っており、場外に落ちて失格になったことを差し引いても戦えるような状態ではない。

 控えめに言って瀕死の重傷である。

 

 場外の話題になったので記しておくが、舞台の高度限界はちょうどコロシアムの天辺まで。それを超えると場外判定で失格になる。

 過去に先手必勝で一発だけ攻撃を当ててから舞台の遥か上空に時間切れまで逃げ去り、徹底的に判定勝ちを狙って優勝を果たした鳥の獣人がいたので、今はしっかりとレギュレーションが定められている。

 

 同時に地下は舞台の1メートル下まで。

 過去に先手必勝で一発だけ攻撃を当ててから舞台の地下深くへ時間切れまで逃げ去り、徹底的に判定勝ちを狙ったはいいが穴に水を流し込まれて溺死したモグラの獣人がいたので、今はしっかりとレギュレーションが定められている。ちなみにリザレクションでしっかり蘇生された。

 

「イリスちゃん!? ねえマスクドイリスちゃんちょっと!?」

「大丈夫ですジャスティスレッドバケツガール。舞台とその周囲にかけられた効果のおかげで基本的に参加者が死ぬことはありません。この程度は大会では日常茶飯事です。それにお兄様もこう言っておけば大体なんとかなると言っていました。──安心せい、峰打ちじゃ、と」

「うわあその方向性の言葉ってなんだか物凄く聞き覚えがある!」

「なるほど、やっぱりお兄様は間違っていなかったということですね! 流石はお兄様です!」

「どうなのかなあ、それってどうなのかなあ!?」

 

 流石に血相を変えてゆんゆんが詰め寄るも、王女アイリスはあっけらかんとしていた。

 大会とはいえ同じ人間相手に平然と暴力を行使するあたり、王族の教育方針を感じずにはいられない。実に素晴らしい。

 

『王女様、思ってたよりだいぶ強いね。いつもベルディアおじちゃんと遊んでる人ほどではないけど』

 

 素直に感心した風の妹の言葉。

 あなたの見立てでは、互いに神器とスキル無しの状態で比較した場合、王女アイリスの現段階での実力はキョウヤより頭一つか二つ下。

 慢心が消え去り、ストイックに修行に励む才能に溢れた魔剣の勇者が比較対象であること、そして彼女の弱冠十二歳という年齢を思えばこれは規格外と言ってもいい。

 これに国宝の神器と王族の固有スキルが付いてくると考えると、なるほど、ベルゼルグ王家の実力の程が窺えるというものである。

 

『これ護衛いるのかな? どう考えてもクレアとレインって人たちより王女様の方が強いでしょ』

 

 確かに王女の強さはクレアとレインを優に上回っている。

 ゆんゆんがドラゴン使いになった暁には、本気の王女アイリスと戦って勝てるようにゆんゆんとドラゴンを鍛えようとあなたが考えるほどに。

 

 ゆんゆんが最終的に目指す先が廃人級であることは周知の事実だが、そこに至るまでの道のりはあまりにも遠く、茫洋としすぎている。

 だが手ごろな目標を設定し、段階的にそれを超えていくというのであれば。

 本人としても鍛える側としても、モチベーション的に力の入りようが大きく変わってくる。

 廃人へと至る道が己とのモチベーションとの戦いである以上、ゆんゆんも何かしらの手を打ち続ける必要があり、あなたは直近の目標をドラゴン使いに定めていた。そして次の目標を王女アイリスと見定めたわけである。

 

 高い山に登る時、最初から山頂を目指すのではなく、五合、六合と刻んでいくように。

 あなたもまた段階的に目標を作って踏破してきたものだ。

 その相手はある時はコボルトであり、ある時はドラゴンであり、ある時はミノタウロスの王であり、ある時は猫の女王であり、ある時は神であった。

 どれも皆、あなたが今に至るまでに超えてきた思い出深い相手、強敵と書いて剥製(もう殺した)と読む間柄である。

 ゆえに王女アイリスも彼らと同じように、ゆんゆんの勝利の思い出(ハンティングトロフィー)になってほしかったのだ。実際に殺害出来るかは別として。

 

 

 

 

 

 

「そこまで! 勝者、エチゴノチリメンドンヤチーム!!」

 

 その後、半死体と軽傷者を二名ずつ生み出し、王女アイリスとゆんゆんは無事に勝者となった。

 どちらがどちらの手によるものかは言うまでもないだろう。

 

 最初から分かりきっていたが、やはり酷い虐殺になった。

 繰り返すが、海鳥の歌チームは何も悪くない。

 ただただ相手が悪かった。強さ的な意味でも、規約違反的な意味でも。

 何もかもエチゴノチリメンドンヤチームが悪い。

 

 ──決着ゥゥ―――――ッ!! 強い強いぞ強すぎる! 一見してイロモノコンビかと思いきや、終わってみれば圧倒的! 海鳥の歌チームを鎧袖一触で撃破! 何者なんだこの二人! 何者なんだエチゴノチリメンドンヤチーム! 突如出現したダークホースにオッズも大荒れ間違いなし!

 

 圧倒的な力を見せつけ、観客達から拍手と喝采を浴びるエチゴノチリメンドンヤチーム。

 闘技場において、強さとは正義だ。ダーティープレイに走らない限りは。

 マスクドイリスは観客に手を振って悠然と、ジャスティスレッドバケツガールは逃げるように駆け足で舞台を後にした。

 

 ──さてジョージさん、今の戦いを振り返ってみて、いかがですか?

 ──間違いなく優勝を狙えるでしょう。それでも彼女らの不安点を挙げるのであれば、やはりジャスティスレッドバケツガールになります。明らかに対人戦に不慣れな様子を見せていました。それだけではなく、観客席への流れ弾を気にしていたようにも思われます。

 ──初めての参加者によく見られるパターンですね。慣れた参加者はそういうの全然気にしなくなるんですけど。

 

 舞台とその周囲には特殊なマジックアイテムの効果によってみねうちに似た状態が維持されており、更に舞台と観客席の間には攻撃を通さないように強固な結界が張られている。

 大会参加者と観客の両方に配慮が為され、危険への対策が施されているというわけだ。

 

『あっちのアリーナにはそういうの全然無いもんね』

 

 妹が言うアリーナとは、イルヴァにおける闘技場の名称だ。

 あなたのような冒険者は勿論のこと、非番の兵士や暇を持て余した貴族、小銭目当ての傭兵、度胸試しの観光客、時には残酷で悪趣味な見世物として連れてこられた奴隷が出場したりもする。

 内容としては同じ参加者やモンスターと戦ったり、手持ちのペットでチームを組んで戦わせたりするという、分かりやすくオーソドックスなもの。

 

 闘技大会のような配慮は存在せず、戦いの舞台と観客席は3メートルほどの段差と申し訳程度の柵で仕切られているだけ。

 場外負けなど存在しないので敗者は当然のように殺されるし、観客席に流れ弾が飛ぶなど日常茶飯事。対戦相手から逃げ出したモンスターが観客席に飛び込み、阿鼻叫喚に陥るなど珍しくもなんともない。

 

 

 

 

 

 

 試合が終わっておよそ五分後。

 ゆんゆんが戻ってきた。

 

「す、すみません。遅くなっちゃいました。トイレがすっごい混んでたり道に迷っちゃったりで」

 

 全速力で走ってきたのだろう。

 肩で息をしつつえへへ、と可愛らしくはにかんで席に座るゆんゆんにあなたは困惑した。

 それはひょっとしてギャグで言ってるのか、と。

 あなたが見たところ、ゆんゆんはジャスティスレッドバケツガールの正体がバレていないと本気で信じている。自分の言い訳が通じると考えている。

 そこまでは分かるのだが、何故変装と言い訳に絶対の自信があるのかが分からない。

 自分の師匠は目にガラス玉を突っ込んでいるとでも思っているのだろうか。

 

 思うところは多々あれど、それでもあなたはあえて何も気付いていないフリをした。

 暴露するのは簡単なのだが、仮にそれをやった場合、翌朝、自室で首を吊っているゆんゆんが発見された……。みたいな喜劇、もとい悲劇が起きる予感がするのだ。

 

 しかし次の試合からはどうするつもりなのだろう。

 スケジュールの関係上、今日のところはエチゴノチリメンドンヤチームの試合はこれで終わりだが、明日以降も団体戦は続くし、勝ち上がれば残る参加者の数は減り、必然的に一日の試合回数も増える。

 適当なところで満足して出場を辞退するのか。

 もしくは紅魔族随一の方向音痴にして頻尿の持ち主の称号を手に入れるつもりなのか。

 

「それでなんですけど、実は道の途中で偶然アイリス様に会ったんです。そしたら折角だし一緒に観戦しようってお願いされちゃって……あの、明日からはアイリス様のところで観戦してもいいですか?」

 

 少しだけあなたは感心した。

 中々に上手い言い訳を作ってきたものだ。王女アイリスとはとっくに口裏を合わせているのだろう。

 あなたは特に追及することもなくゆんゆんのお願いに許可を出した。

 

 しかし疑問も残る。

 ゆんゆんのアリバイを完成させるためには、王女の護衛であるクレアとレインの協力が必要不可欠だ。

 まさか二人は主君の非合法的な手段を使った大会への参加を認めたというのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 大過なく無事に大会一日目が終わりを迎えた夜。

 ホテルのバーで一人グラスを傾けるあなたの姿があった。

 適当におすすめを頼んだのだが、やはり酒に関してはイルヴァ側が圧倒的に後塵を拝している。

 やはり水だ。何にしても水質の差が大きすぎる。

 

「こ、こんばんは……お隣、よろしいですか?」

 

 かけられた声に、おや、とあなたは思う。

 呼び出しはしていたのだが、まさか今日来てくれるとは思わなかったのだ。

 来訪を待ち望んでいた相手に、あなたは振り返り……目が点になった。

 

「ほ、本日はお誘いいただきありがとうございます……」

 

 現れたのは王女アイリスの護衛であるレイン。

 カイラム印の招待券を持つとはいえ、招かれざる客でありながら会場内で王女アイリスの席に行けるわけがないと判断したあなたは、大会職員を通してレインに便りを送っていた。

 大事な話がある。大会期間中は毎日この時間この場所にいるので、時間がある時に来てほしいと。

 

「私の格好、おかしくはありませんか?」

 

 レインは普段の地味めな格好ではなく、ばっちりと化粧を決め、赤と黒を基調としたやたら気合いが入ったお洒落な服装をしている。

 これからデートにでも行くのだろうか。もしくはパーティー会場から直接足を運んできてくれたのかもしれない。

 あなたは素直にとても似合っていると言葉を送った。

 

「あ、ありがとうございます……普段はこういう格好をしないのでどこか変だったらどうしようかと……」

 

 レインはおずおずとあなたの隣に座った。

 バーは暗がりなので気が付かなかったが、よく見てみるとレインの顔は真っ赤だ。

 大丈夫だろうか。熱でもあるのかもしれない。

 

「うひゃい!?」

 

 あなたが気遣う言葉をかけると、飛び上がらんばかりの反応が返ってきた。

 明らかに様子がおかしい。

 

『ねえお兄ちゃん、これあれじゃない? お兄ちゃんからデートに誘われたって勘違いしてるんじゃない?』

 

 妹の言葉にあなたは危うく噴き出しかけた。

 確かにレイン以外からも検閲される可能性を考慮して、手紙に具体的な内容は何も書いていなかった。

 だがあなたとレインは正真正銘、ただの顔見知りでしかない。

 彼女がウィズの大ファンであるということを通じて多少は縁があるが、それ以上のものではない。

 その程度の相手からの呼び出しを、デートの誘いと考えるものなのだろうか。

 

『この人王女様の教育係で護衛でしょ? 同僚も女性ばっかりだろうし、出会いが無さすぎて喪女を拗らせてると私は見たね』

 

 そういえばリーゼとの初対面の日、リーゼがレインにいい年なのだからさっさと相手を見つけろと言っていたような気もする。

 

「その……ご存知の通り、私の実家は貴族の中でも最下層な上に貧乏という、名ばかり貴族もいいところでして……しかも学園を卒業してからは師匠のところでお世話になり、そのままアイリス様の護衛の役職を頂いたので、その、こういった経験が、ですね……あ、アイリス様の事でしたら大丈夫です。その、とても喜んで送り出していただきまして……」

 

 妹の考察を裏付けるが如く、聞いてもいないレインの身の上話が始まった。

 レインは十分に美人に分類される女性なのだが、彼女をこれっぽっちもそういう目で見ていないあなたとしては普通に怖いだけである。何が怖いかというとまんざらでもなさそうなのが怖い。出会いに飢えすぎている。

 このまま放置していてはレインの中で勝手に外堀が埋まりかねないと判断したあなたは、彼女の誤解を解くことにした。

 

 

 

 

 

 

「死にたい……死のう……」

 

 無事に誤解は解けたがレインの目が死んだ。

 翌朝、自室で首を吊っているレインが発見された……。みたいな喜劇、もとい悲劇が起きる予感がする。

 あなたは酔い潰す方向で事態を解決することにした。

 酔った勢いでうっかり口を滑らせてくれないだろうかと考えていることは否定しない。

 

「ううっ……出会いが……このお仕事って全然男の方との出会いが無いんです……同じ護衛のクレアとも身分の差がありすぎて……本人は同僚に様付けは不要だと仰っていますが……たまに周囲の目が怖くて……」

 

 あなたは愚痴を吐き続けるレインをまあまあと慰めつつ、だいぶ酔いが回ってきた頃合を見計らい、自然な会話の流れでゆんゆんと王女アイリスが友情を築いたことについて話をした。

 

「ええ、はい……喜ばしい話です……私もアイリス様がお喜びになるお顔を見るのは大変嬉しいです……」

 

 さて、本題である。

 そのゆんゆんが闘技大会中に王女アイリスと共に試合を観戦するという件についてだ。

 これについてレインはどう思っているのだろう。

 

「ああ、そうらしいですね……アイリス様と師匠もそう仰っていました……」

 

 少しおかしな答えが返ってきた。

 まるで護衛であるはずのレインが関与していないような言い回しである。

 

「あーあー、はい、それは、ですね……アイリス様はちょっと今クレアと喧嘩をしていまして……今日もずっと我々ではなく師匠をお付きにして……私達は別の場所で試合を観戦してたんですよ……」

 

 レインの言葉にあなたは確信した。

 何故かレインは王女アイリスたちのチームの正体に気付いていない。

 

 そしてリーゼと王女とゆんゆん、この三人はグルだ。

 リーゼは型破りな面を持つが王家に忠誠を誓っている大貴族。

 二人を大会へ潜り込ませる裏工作などお手の物なのだろう。

 

『これは言いだしっぺは王女様かな。そういうこと考えそう』

 

 確かに、いくらリーゼとはいえ、自分から王女を大会に出るよう諭すとは思えない。

 王女が発端だという妹の予想をあなたは肯定した。

 

 しかしリーゼがやり手とはいえ、あなた達がトリフで彼女と出会ったのはほんの四日前。

 幾らなんでも手際が良すぎる。

 この世界の童話にはジェバンニとかいう何でも一晩で解決してくれる万能執事が存在するが、あれはただの物語だ。

 

「……クレアはアイリス様を深く敬愛しているのですが、その、たまに、ほんの少しだけ、愛情表現が過激になるといいますか……そのせいかアイリス様が、最近のクレアちょっと気持ち悪くて嫌です、大会会場での護衛はリーゼに担当してもらうので反省してくださいと仰られまして……何故か私まで一緒に……このまま護衛をクビにされたらどうしよう……ウィズさんのお店で雇ってもらおうかな……」

 

 この後、あなたは酔い潰れて眠ってしまったレインを帝城まで送り届けることになる。

 多少面倒だったが、自室で眠らせるなどというのは選択肢に上りすらしなかった。

 

『絶対何かあったって勘違いするよね。本人も、周りも』

 

 そういうことである。

 まかり間違ってウィズの耳に届いたらと思うと、あまりにも恐ろしすぎる。



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第122話 おてんば姫たちのお茶目で可愛い悪巧み

 ──これは闘技大会初日の前日、その夜半に起きた出来事である。

 

「ふう、終わりっと。結構長くかかっちゃった」

 

 今日のぶんの日記を書き終えたゆんゆんは、壁にかかっている時計を見やった。

 

「うわ、もうこんな時間。明日は朝早くから会場に行くって言ってたし、私もそろそろ寝ないとね……」

 

 独り言が多いのはぼっちが長かった彼女の癖だ。

 大きく伸びをして固まった体を解し、ベッドに向かう。

 そのタイミングで、ゆんゆんの部屋の扉が小さくノックされた。

 

「……誰だろ、こんな時間に。はーい、どなたですかー?」

 

 軽く誰何するも、扉の向こうからの返答は無い。

 この時点でゆんゆんは早くも相手があなたやホテルの従業員でないことを察する。

 

「もしかしたら怪しい人かも……」

 

 音を立てないようこっそりとドアアイを覗き込む。

 

「──!?」

 

 ゴン、と。

 驚きのあまり勢いよく扉に頭をぶつける紅魔族の少女。

 

(なんで!? ほんとなんで!?)

 

 痛みを感じる暇も無い。軽くパニックに陥りながらも急いで扉を開ける。

 果たして部屋の前に立っていたのは。

 

「ゆんゆん、こんばんは。こんな時間に申し訳ないのですけど、少しお部屋にお邪魔させてもらってもいいですか?」

「先ほどぶりですわね。ところで今凄い音が聞こえましたが、大丈夫なんですの?」

「あ、アイリス様、リーゼさんまで……」

 

 目立たないように全身を覆い隠すローブを着た二人の貴族。

 まさかと思ったゆんゆんが慌てて周囲を見渡すも、どこにもあなたの姿は無い。

 

「何を心配しているのか分かりませんが、この場にいるのはアイリス様とわたくしだけですわ。あと隣の部屋の彼の差し金でもありませんわよ」

 

 リーゼロッテの簡潔な説明に、自分に用があるのだと理解したゆんゆんは、そのまま二人を部屋に招き入れる。

 

「ちょっと消音の魔法をかけさせてもらいますわね。部屋の外に音が聞こえるとまずいので」

 

 部屋に入った途端、これから面倒な話をするとゆんゆんに教えるかのような魔法を使うリーゼロッテ。

 ゆんゆんは猛烈にあなたに助けを呼びたくなった。

 

「あの、その前にお聞きしたいんですけど、お二人はどうやってここまで? まさかお城から徒歩で?」

「それこそまさかですわ。わたくしがあらかじめ貴女の部屋の前をテレポートの転移先として登録しておき、帝城のアイリス様のお部屋から直接飛んできたのです」

 

 あまりにも万能すぎるテレポートという魔法は、星の数ほど悪用する方法がある。

 魔王軍も使用可能なこの魔法によるテロを予防すべく、王族が住むような城にはテレポート防止の結界が張られている。

 ベルゼルグやカイラムの城内でも、テレポートを使いたければ特別な術式が施された専用の部屋を経由しなくてはならない。

 あるいは結界をものともしない魔力の持ち主が無理矢理強行突破するか。

 

「まあわたくしも結界をぶち抜けるっちゃぶち抜けるのですが、それをやってしまうと事が露見してしまうので。なのでアイリス様のお部屋に転移部屋と同じ効果を持つ絨毯(国宝クラス)を持ち込み、誰にも知られることなく合法的に抜け出した、というわけですわ」

「合法的とはいったい……」

「ゆんゆん、法を作るのは我々貴族ですわよ」

 

 威風堂々とした振る舞いとは裏腹に、発言の内容は完全に悪徳貴族丸出しだった。

 遠い目になるゆんゆんに、王女アイリスが真剣な表情で口を開く。

 

「今日はゆんゆんにお願いがあって、こうしてお邪魔しました」

 

 友人にして王女である相手からの懇願である。

 ただでさえ人のいいゆんゆんに、断るという選択肢は最初から存在しない。

 

「ええと、私に出来ることなら……」

「私と一緒に明日から始まる闘技大会の団体戦に出場してくれませんか?」

「なにゆえ!?」

 

 魂の奥底から生じた切実な疑問は、ツッコミじみた叫びという形で飛び出した。

 

「実は私、以前からカルラと秘密の約束をしていたのです。今年の闘技大会に一緒に出ようと」

「なにゆえ!?」

「それは勿論、カルラと私がお友達で、お互いに闘技大会で楽しく遊んだという思い出を作りたかったからです! 大会の為に剣のお稽古もいっぱい頑張りました!」

 

 おてんば王女アイリスの元気いっぱいな溌剌とした回答。

 頼むからお茶目な冗談であってほしいと一縷の望みに縋るゆんゆんは、思わずリーゼロッテに救いを求めるような目を向ける。

 

「アイリス様のお言葉の通りですわ」

 

 そんなゆんゆんの内心を知ってか知らずか、にっこりと微笑んで頷く老淑女。

 現実は非情である。

 

「でもカルラさんは……」

「はい。残念ながらカルラは竜の谷で大怪我をしてしまい、今年の大会に出ることは出来なくなってしまいました」

「なので、その代わりを私に?」

 

 数時間前の交流を通じて、つい最近、王女アイリスのもとにカルラから手紙が届いた事、手紙にはあなたとゆんゆんのことが書かれていた事、ゆんゆんは自分のような王族が相手でも友達になってくれるとても優しい女の子なので、きっと王女アイリスとも仲良くしてくれると書かれていた事をゆんゆんは聞かされている。

 ゆんゆんが実際に話をした王女アイリスはとても良い子だったし、カルラがそうであるように、これから先も仲良く付き合っていけると思っている。

 だからこその問いかけだったのだが、王女アイリスは代わりだなんてとんでもないと首を勢いよく横に振った。

 

「ゆんゆんは私の新しい大切なお友達です。こうして迷惑を承知で頼みに来たのは、カルラと同じように、ゆんゆんと闘技大会で楽しく遊んだという思い出を作りたいと私が思ったからです」

「お友達……大切なお友達……大切なお友達と思い出作り……」

 

 初雪のように純粋で無垢な王女から放たれる、健気で悪意の無い言葉。

 それは耳を通してゆんゆんの全身へと駆け巡り、麻薬のような多幸感を引き起こす。

 にへら、とだらしのない笑みを浮かべるゆんゆん。

 実際のところ、彼女の交友関係そのものはあなたと知り合ってからかなり改善されており、あなたやウィズなどより普通に多くの友人がいるのだが、それでも効果は抜群だった。

 

「わ……わっかりました! 私に任せてくださいアイリス様! みんなに私達の友情パワーを見せ付けてあげましょう! 私達の! 友情パワーを!!」

「ゆんゆん……ありがとうございます! 二人で優勝目指して頑張りましょう!」

 

 ゲロ甘でチョロQとあなたから評される紅魔族の少女は一瞬で陥落した。

 心に寂寥を抱える二人の少女が互いの両手を握り合う光景は、いたく感動を呼び起こすもの。

 ただし彼女の親友兼ライバルのめぐみんがこの場にいれば、間違いなくこんな言葉を言い残していただろう。

 

 ──友情パワー。ゆんゆんが言うとこれほど空しい言葉はありませんね……。

 

 

 

 

 

 

「大会に出るにあたって、お二人に幾つか質問があるんですけど」

「なんでしょう?」

 

 可愛らしく小首を傾げる王女アイリスの姿は見るものの庇護欲を掻き立てずにはいられない。

 しかし決して忘れることなかれ。

 彼女は世界最強の軍事国家、ベルゼルグの第一王女である。

 

「そもそもどうやって王族であるカルラさんとアイリス様が大会に参加申請できたんですか? 本人が直接会場に行って身分証明書を提示する以外の申請は禁止されているはずです。というかどうやって私を明日から始まる大会に参加させるおつもりなんです? 参加締め切りは過ぎちゃってますし、あとわざわざ言うまでもないと思いますが、ベルゼルグに所属している人間は闘技大会に出られないんですけど」

「リーゼにお願いしたら一週間で解決してくれました」

 

 王女アイリスの言葉を受け、ベルゼルグきっての重臣はゲスい笑みを浮かべて親指と人差し指で輪を作った。

 金を意味するジェスチャーである。

 

「流石にテレポートのように合法的に……とはいきませんでしたが、それでも当家の名前を出して参加者名簿を管理する職員を買収するだけの簡単なお仕事でしたわ。権力から札束ビンタのコンボはいつだって王道で大正義」

「おっふ……ちょっと聞かなかったことにしていいですかね……」

「他の参加者に迷惑をかけるような真似はしていませんわよ? 参加の申請こそしたものの、当日までに様々な理由で出場できなくなったり土壇場で怖気づいて逃げ出したりと、参加者の枠が空くというのは珍しくもなんともない話ですわ。なので大会当日に空いた枠をアイリス様とカルラ様のチームとしてこっそり上書きすれば、誰もお二方が参加していることに気付かないという寸法です。勿論カルラ様ご本人の名義で登録しているわけではないので、そのままゆんゆんが滑り込みでカルラ様の代わりに入れるというわけですわね」

 

 二人が出場すること自体が他の人たちの迷惑になるんじゃないかな。

 ゆんゆんはそんなことを思ったが、ベルゼルグ所属の自分も参加者になった手前、空気を読んで口には出さなかった。

 カルラもそうだったが、貴族というのはちょっと平民と価値観が違うのだ。

 紅魔族のお前が言うなと誰もが口を揃えるだろうが、現実から目を背けるのはゆんゆんの得意技である。

 

「参加の経緯は分かりました。次の質問ですけど、正体とかそこらへんについての対処はどうなってるんです? ばれたら大問題になりますよね」

「それはこれを使います」

 

 そう言って王女が腰に下げた袋から取り出したのは、群青色のマスクと漆黒の外套だ。

 

「実はこのマスクとマント、着用者の正体を隠蔽する能力があるんです」

「なんて都合のいい……」

「お城の古い宝物庫に置いてあったものですが、お父様の肩を叩いておねだりしたら好きなだけ使ってよいと言ってくれました。ゆんゆんはどちらを使いたいですか?」

「え……じゃあ外套で。私黒いのとか赤いのが好きなので」

 

 なんとなく王女アイリスの意識が仮面に向いていることを感じ取ったゆんゆんは、悩むこともなく外套を選んだ。

 黒と赤が好きという話も嘘ではない。

 

「でも外套だけだと、戦ってる最中とかふとした瞬間に顔が見えちゃうかもしれませんよね。……あ、そうだ」

 

 がさごそと自身の荷物袋を漁って取り出したのは、派手なピンクのラメ入りバケツ。

 友達とのペアルックという響きに憧れがあったゆんゆんは、あなたから予備のバケツを譲ってもらっていたのだ。

 

「それはなんですか? お風呂で使う桶に形が似ているように思います。それにピンク色でキラキラ光っていてとっても可愛らしいですね」

「アイリス様、あれはバケツという掃除用具ですわ。あらかじめ中に水を溜めておき、掃除に使って汚れた拭き布などを入れて汚れを落とすのです」

「お掃除の道具ですか……実は私、お掃除って一度もやったことがないんです」

 

 世間知らずの箱入り娘っぷりを大爆発させる王女アイリス。

 ゆんゆんは羨みつつも、これはこれで私なんかじゃ想像も付かない気苦労とかあるんだろうなあ……としみじみと思う。

 

「でも流石にこのままだとあの人にバレちゃうので。別の色に塗って誤魔化そうと思います」

「それについては私が手配しておきましょう。希望の色とかありまして?」

「赤でお願いします」

「黒と赤とは紅魔族らしいですわね。了解ですわ」

 

 紅魔族らしい。

 リーゼロッテの言葉に悪意は無いが、だからこそ微妙な気分にさせられた。

 

「ですがぶっちゃけこんなもん被って戦えますの?見たところ目の部分に穴が開いているようですが」

「慣れてますから」

「ゆんゆんはワザマエのタツジンなのですね! お兄様が言っていました。盲目は強キャラの証だと!」

「は、はあ……」

 

 いきなり会話が異次元に跳躍した。

 ゆんゆんの中では紅魔族と良い勝負の意味不明っぷりである。

 

「まあゆんゆんの隠蔽工作はこれでいいでしょう。ですがよいですかアイリス様。散々繰り返しますが、御身の正体を隠すため、エクスカリバーをはじめとした王家に代々伝わる武具、そして勇者から引継ぎし王族専用スキルの数々は、今回に限っては決して使用してはなりません」

「もう、分かっています。エクステリオンもセイクリッドライトニングブレアも使わずに戦います」

 

 エクステリオンとセイクリッドライトニングブレアって何そのスキルめっちゃ強そう。

 ゆんゆんは現実逃避気味に思った。

 

「……さて、我々の用件はこれで終わりですわ。あらためてアイリス様のお願いを聞いてくださった貴女に感謝を。ただそちらの保護者にだけは話しておきたければ別に構いませんわよ?」

「それは絶対にやめておいたほうがいいです。あの人こういう話が大好きだから、この事を話したらここぞとばかりに自分も参加したいって言い出すに決まっています」

「それは……ちょっと困ります。クレアやレインに話されないとも限らないですし」

 

 苦笑いする王女アイリス。

 ゆんゆんと違って、あなたは王女アイリスの友人ではないのだ。

 

「……? アイリス様、護衛のお二人はこのことを知らないんですか? カルラさんと出ようとしていたことも?」

「…………むう」

「アイリス様?」

「先ほどから思っていたのですが。私もカルラのように様付けではなく、他の呼び方にしてほしいです」

「え、じゃあ……アイリスさん?」

「私よりゆんゆんの方がお姉さんですよね?」

 

 お好みの呼称ではなかったらしい。

 葛藤の末、ゆんゆんは声を絞り出した。

 

「…………あ、アイリスちゃん?」

「はい!」

 

 ぺかーと眩しく輝く一億エリスの笑顔。

 これには大きなお友達も一撃でノックアウトされること請け合いだ。

 実際アクセルで冒険者を営む、最近はニンジャプレイに磨きがかかってきた某日本人は見事にノックアウトされた。

 

「真面目にこれ大丈夫なんですかねリーゼさん。私打ち首とかされません?」

「ちゃんと公の場で弁えてさえもらえれば何も問題ありませんわよ」

「アイリス()()()だけに?」

「だいぶ混乱してますわね……」

 

「それでゆんゆんの質問の答えなのですが、レインもクレアもこのことは知りません。私はリーゼに直接頼んだので」

「それは……どうしてか聞いても?」

「お父様が教えてくださった、王族だけに代々伝わっている助言に従いました。バレたら怒られるようなことをしたい時、あるいはした時は、アイアンフィスト家にお願いすれば大体なんとかしてくれる、と」

「ここだけの話、今は立派に国王を務めておられる陛下も、お若い頃は大層ヤンチャであらせられましたわ。小娘といっていい年齢だった当時のわたくしは散々陛下の無茶に振り回され……事後処理……折衝……国際的な席でドタキャン……現カイラム国王陛下と共に変装して王都に繰り出し冒険者と殴り合い宇宙……土下座行脚……うっ、頭と胃が……陛下、陛下……ほんともう勘弁してくださいまし……学院時代の噂を聞いたからってウィズのパーティーを城に招いてまだトラウマが癒えてなかった時期のわたくしと会わせようとするのはぐうの音も出ない畜生の所業ですわよ……ショック療法とか言ってほんとマジ……」

 

 変なスイッチが入ってしまったのか、死にそうな目で虚空を見つめてぶつぶつと過去の壮絶な労苦を思い出すリーゼロッテ。

 その背中が煤けた姿は痴呆が入った老人のようだ。

 

「……とまあこのように、お父様は若い頃、リーゼに沢山迷惑をかけてしまったそうなので、今でもあまり頭が上がらないそうです」

 

 苦笑する王女アイリス。

 王族って凄い。

 ゆんゆんはそう思った。

 

「その……リーゼさんは大丈夫なんですか? アイリスちゃんが闘技大会に出るっていうのは」

「今の陛下と同じように、アイリス様もいずれはベルゼルグの頭領として我らを率い、魔王軍と戦う未来が約束されておられる身です。それを思えばこの程度のお願いなど、ワガママのうちにも入りませんわ。何よりこれこそが我らアイアンフィストの役目であり、使命であるがゆえに」

「リーゼさん……」

「というかやりたい事をあらかじめこちらに伝えてくださるアイリス様は、我ら臣下への思いやりに溢れておられて感謝のあまり涙が出そうですわね実際」

「そんなに」

「陛下をはじめとするお歴々は事後承諾や後始末の丸投げが基本だったので」

 

 王族って凄い。

 ゆんゆんはあらためてそう思った。

 

 

 

 

 

 

 そして時は流れ団体戦、三日目。

 エチゴノチリメンドンヤチームは三回戦に駒を進めていた。

 

 対するはカイラムの冒険者チーム、エルフォース。

 エルフ戦士、エルフ武闘家、エルフアーチャー、エルフプリーストの四人組で、全員女性である。

 ちなみに上記の四つの職業はカイラム冒険者ギルド所属のエルフのみが就ける固有職であり、通常の職業より肉体面で少しだけ劣る代わりに魔法面に強いという特徴を持っていたりする。

 

 だがそんなもの、生物として圧倒的に上位のスペックを誇る王女アイリスの前では誤差に等しい。

 

「流石はエルフォース……私のお友達から貴女達のお話は聞いたことがあります! 中々やりますね!!」

「ほげえ死ぬ!」

「死ぬ! 実際死ぬ! 許されざる暴挙ですよこれは!!」

「誰よ! 誰なのよ私達のこと話したの!!」

「秘密です!!」

 

 べちこーん、と。

 マスクドイリスの剣から放たれた衝撃波がエルフ達を襲う。

 エルフォースのメンバーは回避と防御に全力を注ぐことで、辛うじて猛攻を凌いでいた。

 彼我の戦闘経験の差が成せる技である。

 驚嘆に値するしぶとさだが、しかしそれも長くはもたないだろう。

 

(相変わらずアイリスちゃんつっよ。見てて頼もしいと同時に、王族とはいえ年下の女の子に負けてるという事実に軽く凹みそうになるんだけど……)

 

 大暴れする相方をサポートしながら、しみじみと感じ入るゆんゆん。

 しかし彼我の力量に大きな差があるのはある意味当然といえる。

 

 ゆんゆんは紅魔族の里で生まれ育ち、満足に戦いの経験も積まないままに魔法学校を卒業、めぐみんを追って流れで冒険者になった。

 紅魔族の優秀なスペックと本人の才覚から一人でも致命的な失敗を犯すことはなかったが、それでも本格的に戦士としての修行を始めたのは、あなたとウィズに師事してから。つまり本当に最近のことなのだ。

 

 対して王女アイリスは、ベルゼルグの王族として、生まれたその時から魔王軍との戦いが宿命付けられている。

 物心ついた時から剣と魔法の修練は始まっていたし、受けてきた教育や与えられてきた食事でもゆんゆんとは大きな開きがある。

 

(でも、どうしようもないってほどではない、かな? こうして戦っている姿を見ている限り、手も足も出ないとは思わない)

 

 これが相手の本当の全力でないということを加味しても、勝機が欠片も見つからないというほどではない。

 勝てないにしろ、十分戦いと呼べるものにはなるだろう。

 少なくとも、あなたやウィズと戦うよりはずっと。

 

 そこまで考えたゆんゆんは、思わず心中で頭を抱えた。

 

(いやいやいやちょっと待って違うでしょ!? なんで私は年下の仲間、それも自分の国の王女様とガチンコで戦う想定をしてるわけ!? 私は戦闘狂じゃないからね!? ダーインスレイヴだって持ってないし! 身体は闘争を求めるとかそういうんじゃないから!!)

 

 かなり本気の弁解を自分自身に向けて始めるゆんゆん。

 舞台の中央でいきなり棒立ちになったその姿が隙だらけであることは誰の目にも明らかであり、圧倒的格上相手に極限まで集中力を高めていたエルフォースがそれを見逃すわけもない。

 

 乾坤一擲。側面から後頭部を狙った武闘家渾身のハイキックが襲い掛かる。

 視覚と聴覚を著しく阻害するバケツを被っているせいで、ゆんゆんは攻撃を察知できていない。

 相手の力量は辛うじて王女アイリスの攻撃を凌ぐほどに高い。直撃すればゆんゆんは容易く昏倒するだろう。

 

「避けてください! 左です!!」

 

 間一髪のところで状況に気付き、マスクドイリスが慌てて発した呼びかけは間に合わない。

 

 

 

 

 攻撃に気が付いていない。

 気が付いても、意識して動くにはタイミングが遅すぎて間に合わない。

 

 それでもなおゆんゆんの身体は自ずと動く。

 

 ゆんゆん本人からしてみれば極めて不条理で不本意な話だが、彼女は基本的に単独で活動する冒険者だ。

 ただでさえ低耐久のアークウィザードが単独で活動する以上、回避技能は必須であり、そして単独行動のゆんゆんが意識の外、死角から襲われる事は正しく死を意味する。

 

 ゆえに、意識外や死角からの攻撃に関して、ゆんゆんは二人の過保護な師から特別徹底的に仕込まれている。

 物魔遠近、殺意の有無を問わず、意識の外、死角からの攻撃に対応できるように。

 それこそ重度の船酔いという、立っていることすらままならない最悪のコンディションにでもなっていなければ、頭上からの奇襲だろうが避けられるほどに。

 

 四方八方からウィズの魔法で攻撃されるという修行を受けたことがある。ちょっと痛かった。

 目隠しをされた状態で二人の攻撃を防ぐという、しばしば物語に出てくる修行を受けたことがある。結構痛かった。

 口頭による近接戦闘の教えを受けている最中、きまぐれなタイミングで敵意も殺意も無しに飛んでくるあなたのガード不可即死攻撃(みねうち)を避けるという悪夢のような修行を受けたことがある。死ぬほど痛かった。

 

 主にあなたから何度も何度も痛い目に遭わされ、その都度試練を超えてきたゆんゆんの体は、骨にまで染み付いた動きを無意識のうちに再現する。

 迫り来る攻撃を、背中に目が付いているかのような自然さで避ける姿は、王女アイリスを含めた会場中の驚きを誘った。

 

 そして攻撃を避けたこの瞬間、ただでさえ集中力が途切れ意識が散漫となっていたゆんゆんは、現在自分は闘技大会に参加しているのではなく、慣れ親しんだあなたとの訓練中だと錯覚した。してしまった。

 

 大会の中では意識的にかけていたブレーキが。

 躊躇いという名の手加減が。

 暴力への忌避感という名の容赦が。

 

 あなたという強大な力を持ち、あまりにも容赦の無い師匠を前に、忽然と消失する。

 

 入れ替わるように少女の心中に浮かぶのは、ただひたすらに強い焦燥。

 

 いけない、考え事をしていたせいで完全に集中力が切れていた。

 今の攻撃を回避できたのは運が良かったわけでも勘が冴えていたわけでもなく、単に注意、警告が目的で放たれたものだったからという理由でしかない。

 次に同じ無様を曝せば、訓練に身が入っていないと判断され、今日は終わりだと冗談抜きで一瞬で叩き潰される。本気で、全力で戦わなければ。

 

 相手に体勢を整える間など与えない。

 身体を傾ける回避動作から身体を大きく捻り、その反動を使ったカウンターを仕掛ける。

 

「────行きますッ!!」

 

 動作の継ぎ目が見えない流麗さを以って、槍のように構えられた長杖、その先端が皮鎧越しに武闘家の鳩尾へ突き刺さった。

 自身の攻撃の勢いも相まって、地面から大きく浮き上がる武闘家の身体。

 あなたとの訓練で常に見せているゆんゆん本来の動きは、それまでの精彩に欠けたものとは比較することすらおこがましい。

 無駄の無い体捌きから垣間見える冷徹な合理性は氷の魔女と謳われたウィズ直伝のもの。

 そしてどこまでも効率よく相手を倒すことだけを追求した、傍目からは殺意の有無すら判別が付かないほどに容赦の無い一撃は、頭のおかしいエレメンタルナイトと呼ばれるあなたを彷彿とさせるものだった。

 

「ぐぁふううぅっ!?」

 

 皮鎧越しとはいえ、鋼鉄の盾を容易く凹ませる一撃を人体の急所に受け、白目を剥いて悶絶する武闘家。

 バケツの中から覗く、感情の見えない紅瞳が相手を捉える。

 そして。

 

「ライトニング! ライトニング!! ライトニングッ!!!」

 

 鳩尾に押し付けられた杖の先端から、ゼロ距離で魔法が発動した。

 威力よりも速度に重きを置いたゆんゆん得意の中級魔法。

 

 舞台の上で三度雷光が閃き、武闘家は悲鳴の一つもあげることなく意識を失い、崩れ落ちた。

 予想外すぎる光景を目の当たりにした少女の意識に、動揺で間隙が生まれる。

 

 おかしい、自分の攻撃がクリーンヒットして、しかも倒れた。確かな手ごたえを感じた。もしかして勝てた? たかだか中級魔法を食らわせた程度で? 馬鹿な、ありえない。これは罠だ。わざと攻撃を食らって私の動揺を誘う作戦に決まっている。実際こうして見事に引っかかった。滅茶苦茶手加減した状態でも理不尽レベルで強いのに搦め手まで悪辣とかちょっと本気で勘弁してほしい。今すぐ追撃しないと。これ以上相手に攻撃の主導権を渡してはいけない。守勢に回った瞬間負けが確定するのは他ならぬ自分が誰よりも理解しているのだから。やらなければやられる。でも戦っても生き残れない。約束された敗北を先延ばしにし続けるような紙一重の戦いは経験という意味ではとても大きいけどそれはそれとしてしんどい。

 

 高速で思考を回し続ける中、全身からぷすぷすと焦げた臭いを発する武闘家を油断無く見下ろし、杖を振り上げる。

 

「もう止めて! とっくにチシェリは戦闘不能になってる! もう勝負はついたでしょ!?」

「──はッ!?」

 

 武闘家の仲間の叫びを聞いたゆんゆん、ここでようやく現実世界に帰還。

 眼前で倒れ伏す相手があなたではなく、武闘大会の対戦相手だったことにようやく気付く。

 

「流石ですジャスティスレッドバケツガール! ワザマエ! タツジン!」

 

 興奮したマスクドイリスの賞賛も今は耳に遠い。

 自分は誰に何をするつもりで、誰に何をした?

 滝のような冷や汗が背中に流れるのを自覚しながら、誰に向けたものでもない言葉が口から小さく漏れ出た。

 

「ち、ちが、私そんなつもりじゃ……」

 

 ──ジャスティスレッドバケツガール、死角からの強襲に対し強烈なカウンター! 一瞬でチシェリを沈めました!

 ──それまでは確かに見られていた、人に暴力を向けることへの忌避感や手加減といったものが完全に抜け落ちていましたね。死角からの攻撃に対し反射的に体が動いたのだと思われます。

 ──ジャスティスレッドバケツガールが実は敗者に追い討ちをかけるダーティーブラックバケツガールだったというわけではなく、たまたまそういう訓練を積んでいただけだと?

 ──恐らくは。ただ訓練相手はバケモノか悪魔かなんかじゃないんですかね。鳩尾に杖を突き刺してからのゼロ距離三連ライトニングとか、大会じゃなかったら普通に殺意が認められるレベルの攻撃を無意識でやるくらいですから。しかもそこから追撃しようとしてましたし。

 

 解説のフォローによって、ジャスティスレッドバケツガールの評判と印象が悪くなるのはすんでのところで避けられた。

 半泣きになりながらかなり本気で解説に感謝の念を、武闘家に謝罪の念をそれぞれ送るゆんゆん。

 気を取り直して武闘家を優しく場外に運んでから趨勢の決まった戦いに戻る中、ふと観客席に目を向ければ、そこには声を張り上げて笑顔で喝采をあげるという非常に珍しい師匠(あなた)の姿が。

 

 こうして強くなれたことについてはとても感謝している。

 この道を選んだのは自分だということも理解している。

 自身の無力さを痛感した日に抱いた願いに一欠けらの陰りも後悔も無い。

 だがそれはそれとして。

 

(そんなんだから解説の人にバケモノとか悪魔とか言われるんですよ! 分かってるんですかそこんとこ!? 魔法使っててもこれウィズさんの修行とは全く関係ない部分ですからね!?)

 

 心の声は決して届かないし正体がバレるので届けてはいけないと分かっていても、つい思わずにはいられないゆんゆんであった。

 

 

 

 

 

 

 ブラボー! いいぞ! とてもよかった。花丸をあげたい気分である。大変よくできました。

 ゆんゆんが武闘家を半殺しにした一連の攻防を見て、彼女に近接戦闘の術を比喩表現抜きで叩き込んでいるあなたは大いに満足していた。

 今の光景を見ることができただけで、ゆんゆんが大会に出た意味は大いにあったと断言できるほどに。

 訓練と同じように実戦で動く、ゆんゆんが今やったのはまさにそれだ。

 言うは易く行うは難し。特にゆんゆんのような優しい心を持つ少女にとっては。

 見たところ、集中力が欠けた状態だからこそ偶然発生した、解説の言うとおり無意識下での反撃だったようだが、あれを意識的にやれるようになった時、ゆんゆんは今よりもずっと強くなっているだろう。

 

 弟子の心、師知らず。

 師の心、弟子知らず。

 

 それはまさしく今のあなたとゆんゆんを指し示すに相応しい言葉だった。



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第123話 たったひとつの冴えたやりかた。あるいは促成栽培という名のデスマーチ(10%)

 圧倒的なスペックを振るい続けたエチゴノチリメンドンヤチームは、その後も順調に勝ち進み、下馬評を裏切ることなく予選を突破した。

 これは、予選が終了した日の夕刻、リカシィ帝城の一室にて起きた一幕である。

 

「アイリス様、ゆんゆん、決勝トーナメント進出おめでとうございます」

 

 王女アイリスに用意されたその部屋は、ささやかな祝いの席へと変化していた。

 テーブルには様々な菓子や飲み物が並べられ、部屋の壁には祝、Aブロック突破! と書かれたリーゼロッテ自作の横断幕がかけられている。

 

「お二人のこれからの活躍を祈って、乾杯!」

「…………」

 

 笑顔でグラスを掲げるベルゼルグの中でも五本の指に入る譜代の臣にして大魔法使い。

 だがしかし、肝心のアイリスとゆんゆんからの反応は無い。

 

 本来であれば和気藹々とした空気が流れていたであろう祝賀会は、実際には正反対といってもいい、恐ろしく静かで不穏な雰囲気で満ちてしまっていた。

 私、拗ねています、と言わんばかりに頬を膨らませたアイリス。

 そして口をだらしなく半開きにし、魂が抜けたかの如く放心した姿を晒すゆんゆん。

 

 笑顔を引っ込めたリーゼロッテはグラスを軽く呷り、こう言った。

 

「いやー、まさか決勝で負けるとは思いませんでしたわね」

 

 今まさに打ちひしがれている少女達への配慮など欠片も無い老人のずけずけとした物言いを受け、アイリスの頬が更に二割ほど大きくなり、ゆんゆんは椅子の上でびくんびくんと痙攣した。

 

 Aブロック2位。

 それがエチゴノチリメンドンヤチームの予選結果だ。

 予選ブロックの優勝者には褒賞が与えられるが、決勝トーナメントは各ブロックの8位まで出場可能となっている。

 当然予選2位であるエチゴノチリメンドンヤチームも決勝トーナメントに出場する予定となっており、予選決勝で負けたからといって何か問題があるわけではない。二人が求めるものを考えればなおさら。

 だがそれはそれ、これはこれ。予想だにしない敗北は二人に決して小さくない衝撃を与えていた。

 

「反省会にしておきます?」

 

 無言で首肯する少女たち。

 とてもではないが祝賀会を楽しめる気分ではなかった。

 

「ではそのように。……アイリス様、可愛らしく拗ねても時間は戻りませんわよ。ゆんゆんもいつまでも腐った魚みたいな目をしていないで切り替えなさいな」

 

 リーゼロッテが人差し指で王女の頬を突くと、ぷひゅーと間抜けな音がその可憐な口から漏れた。

 ここにアイリスの付き人のクレアがいれば刀傷沙汰不可避の狼藉だが、この場には三人しかいない上に気にするものはいない。アイリスもゆんゆんも今はそれどころではないのだ。

 

「だってリーゼさん、レギュレーションをぶっちぎっておきながらあの体たらくとか、ちょっと、ほんともう……ウィズさん達に腹を切ってお詫びするしか……」

「確かに不甲斐ない戦いといえばその通りでしたが、たった一回封殺食らったくらいでそんなに凹んでどうしますの。予選落ちしたわけでもあるまいし。次に勝ちゃいいんですのよ勝ちゃ」

 

 学生時代、ウィズに挑んではボロクソに負け続けた経験を持つリーゼロッテ。

 彼女は決定的な挫折を味わったものに対しては寛容だが、それ以外の敗北は噛み締めて自身の糧とすべしという持論を持つ人間だった。

 

 ややあって、眉間に皺を寄せたアイリスが不承不承と口を開く。

 

「私たちの方が絶対に強かったはずです」

「そうですわね。その意見には同意いたします。個人個人の強さ、という意味ではこちら側が上回っていたでしょう」

 

 ですが、と続ける。

 

「実際の勝者は相手チームです。アイリス様たちは個人としては上回っていても、チームとしては圧倒的に負けていたとわたくしは断言いたしますわ」

 

 ぐうの音も出ないとばかりに押し黙る王女アイリス。

 彼女は大の負けず嫌いだが、現実を受け入れられない愚か者ではない。

 エクスカリバーや王家伝来の必殺技を使えば勝っていたなんてことは絶対に考えないし、口にしない。それはあまりにもベルゼルグの血を継ぐものとして情けなさ過ぎるがゆえに。

 

 繰り返すが、アイリスとしてはこの大会への参加は遊び以外の何物でもない。

 思い出作り以外にも、日頃の訓練の成果を確かめたいとか、できたらちょっと私TUEEEEしてみたいとか、そういったベルゼルグ王族によく見られるモチベーションで大会に臨んでいる。

 

 仮に相手と鎬を削った上での敗北であれば、天晴れと相手の強さを清々しい気持ちで受け入れただろう。

 しかし今回は少しばかり負け方が悪かった。

 相手はルールに則って勝利した。卑怯な手を使われたわけではない。

 それでも納得いかない。そんな心境が彼女の機嫌を悪くしている。

 人は誰しも気に入る負け方と気に入らない負け方を持っており、今回は後者だった。

 

 ちなみにゆんゆんに対して怒っているとかそういう話ではない。

 それどころか先に脱落したのがアイリスなので、むしろゆんゆんには若干申し訳なく思っていたりする。

 

 そんなベルゼルグ第一王女と紅魔族次期族長。

 間違いなく全参加者随一のステータスを誇る、エリート中のエリートチームを破ったのは、二人と同年代の少年少女であるムカつくぜクソッタレー! チームの三人である。

 

「挙げられる敗因としては、アイリス様の実戦経験不足と慢心、ゆんゆんの対人戦への腰が引けた姿勢、二人の連携も策も投げ捨てた雑な立ち回りといったところでしょうか。チーム戦なのですから次はちゃんとチームで戦いましょう。これらを見事に突いた相手の戦い方が普通に上手(うわて)でしたわね。いくら能力面で優越しているとはいえ、若さと勢いに任せた無策のゴリ押し一本で優勝できるほど甘くはなかった、ということでしょう」

 

 事前に相手の情報を集め、戦い方を分析した上で対策を講じ、勝利すべく作戦を練る。

 それはどのチームも大なり小なりやっているであろう、しかし物見遊山で大会に参加していたエチゴノチリメンドンヤチームが怠っていた行為でもある。

 

「次は絶対に勝ちます! あんな負け方で終わりというのは……そう……ムカつくぜクソッタレー! なので!」

「その意気ですわ」

 

 気持ちを切り替え、むん、と可愛らしく気合を入れる王女に微笑むリーゼロッテ。

 

「ただまあなんというか、やはり血は争えませんわね。陛下もお若い頃は連携を苦手としておられました」

 

 アイリスに限らず、ベルゼルグの王族は常に最前線の先頭に立って戦うという役割を担っているが故か、味方を鼓舞することにかけては他の追随を許さず、軍の指揮能力も抜群に高い。

 だが他者との連携は比較的不得手としていた。

 最大戦力の王族が突撃して周囲が支援するという戦法が基本なので連携どころの話ではない。

 彼らが突出した力を持つ個人であるが故の弊害である。全力で戦う王族に追随出来るだけの力量を持つ人材は希少なのだ。

 

「お父様はどうやって苦手を克服したのですか?」

「いわゆるたったひとつの冴えたやりかた、というやつですわ」

「それは?」

「特訓! ひたすらに特訓あるのみ! 立ちはだかる壁を、艱難辛苦を乗り越えるのはいつだって努力で手に入れた己の力ですわ!」

 

 ぐっと握りこぶしを作って力説する、生きた伝説と謳われる大魔法使い。

 その瞳にはメラメラと炎が燃え盛っている。

 圧倒的な才を有する氷の魔女に戦いを挑み続けた彼女は、熱血で努力家で脳筋だった。

 

 そんなこんなでアイリスとゆんゆんは、決勝トーナメントに向けて連携の特訓に励むことになったのである。

 

 

 

 

 

 

 予選トーナメント終了後、あなたに一つの依頼が届けられた。

 依頼人は王女アイリスとリーゼ。

 仕事の内容はゆんゆんと一緒に王女アイリスに修行をつけてやってほしい、というもの。

 大会の熱気にあてられて体を動かしたくなった王女アイリスが、体を動かすついでに友人であるゆんゆんを育成した優秀な冒険者として知られているあなたの手腕を見てみたいと仕事を依頼した……ということになっている。ついでにお目付け役としてクレアとレインも参加するらしい。

 

 言うまでもなくこれらは建前であり、実際は予選決勝での敗北があってのことだとあなたは確信していた。

 中々に不甲斐ない負け方だったので、二人が鍛え直したいと考えるのも無理はなかった。

 

 具体的にどう負けたかというと、まず相手のピンク髪の性別不明な剣士と切り結んでいた王女アイリスが落とし穴(ピットフォール)のスキルで剣士と共にボッシュート……もとい場外判定で脱落。

 防戦一方とはいえ自身と単騎で切り結ぶ相手に夢中になっていた王女は、落とし穴の警戒すらしていなかっただろう。

 

 王女アイリスは強力な剣士だが、だからこそ相手の実力を引き出し、戦いを楽しみ、その上で勝利しようとする余裕があった。

 そして相手の前衛を優先して狙う癖を持つ。経験不足なのか視野も狭い。そこを狙い撃ちされた形だ。

 

 落とし穴のスキルはタイムラグと効果範囲の狭さから命中させるのが非常に難しいスキルなのだが、超高速で動き回る王女アイリスに当たる瞬間……つまり足を止めて剣士と切り結ぶタイミングでこれを見事に決めてみせた。

 失敗すれば味方だけが落ちてしまう博打のような策。

 決してまぐれ当たりなどではなく、王女アイリスの移動速度、移動距離を完璧に読みきった上での落とし穴の配置は、職人芸と呼ぶに相応しい練達の業といえるだろう。

 常軌を逸した見切りを見せたハルカといい、ベルゼルグの外にも腕利きは存在するようだ。

 

 次にゆんゆん。

 彼女が相対したのは盗賊と魔法使いだったのだが、二人に完璧に封殺されていた。

 盗賊は魔法使いを背負った上でゆんゆんから徹底的に逃げ回ったのだ。それを可能にするだけの足の速さを持っていた。逃げ足を強化するスキルも使っていたのかもしれない。

 近接戦闘を拒否されたゆんゆんは仕方なく攻撃魔法を選択するも、ここで盗賊は背負った魔法使いを盾にするという暴挙に走る。

 無論無策なわけはなく、魔法使いは自身に向けられた魔法を反射するという、魔法使い殺しとしか言いようのない未知のスキルによってゆんゆんの攻撃魔法を防いでみせたのだ。

 冒険者カードで取得不可能なオリジナルスキルを持つものは珍しいが、決して存在しないわけではない。

 そしてこうなるとゆんゆんとしては手詰まりになってしまう。

 逃げ足を殺すべく使った、相手ではなく場に影響するため反射不可能な沼地生成の魔法、ボトムレススワンプも飛行魔法で無効化。つくづく相手の選択肢が多い。

 

 ここでゆんゆんが王女アイリスに加勢していれば勝負は分からなかったが、互いにスタンドプレーに走ってしまった。

 そのままでもいずれは盗賊のスタミナが切れていただろうが、その前に王女アイリスが落とし穴で除外されてしまう事態に。

 

 場内の驚きが覚めやらぬ中、ここで盗賊は魔法使いを背中から下ろし、ゆんゆんに突撃。

 傍からは無策の特攻にしか見えない行動だった。

 王女アイリスに匹敵、あるいは上回る超高速で真正面から迫り来る盗賊に対し、ゆんゆんが選んだのは物理攻撃での迎撃。魔法使いの反射スキルが他者にも使えると踏んでのことだろうとあなたは推測している。あなたが同じ立場でも物理攻撃を選択していた。

 

 二対一という不利な状況でありながら、それでも順当に戦えばゆんゆんは勝ちを拾えていた。

 だが対人戦に不慣れな彼女は意識して相手に致命傷を与えることができない。

 安全が保障されている以上、それは優しさではなく甘さでしかない。その欠点を見事に突かれてしまったのだ。

 

 盗賊は、ゆんゆんの攻撃に自分から当たりにいった。

 防ぐでも避けるでもなく、軽装と攻撃の勢い、そして盗賊職の耐久の低さも相まって、当たれば冗談抜きで死にかねない。そういう威力の攻撃に自分から当たりに行った。

 無論結界の効力で死ぬことはなく、盗賊もそれを織り込み済みで動いていたのだろうが、それでも中々の胆力である。

 どこまでも想定外の行動に、相手を必要以上に傷つけることを厭うゆんゆんの動きが反射的に停止。近接戦闘においては自殺行為としか言いようのない、致命的すぎる隙が生まれた。

 言うまでもなく盗賊はその隙を見逃すことなく全力で腰にタックル。勢いのまま二人揃って場外へ。

 

 かくして舞台には魔法使い一人だけが残り、ムカつくぜクソッタレー! チームの勝利と相成ったわけである。

 

 王女アイリスを釘付けにした剣士。

 絡め手で二人を場外判定に持っていった盗賊。

 ゆんゆんの魔法を封殺した魔法使い。

 

 この中の誰か一人でも欠けていれば決して勝利は為しえなかった。

 完璧な作戦勝ちであり、素晴らしいチームワークだと惜しみない賞賛をあなたは送る。

 ひたすらゴリ押し全開で勝ち上がってきたどこかのレギュレーション違反チームも見習ってもらいたいものだが、二人が負けたのはあなたとウィズの教育方針も決して無関係ではない。

 

 ゆんゆんはあなたとウィズから知識と技量を物理的に叩き込まれているわけだが、他者との連携については全くと言っていいほど手付かずとなっている。

 姫騎士戦ではあなたが他のパーティーに預けたので共に戦っていたが、ルビードラゴン戦においては、周囲に数多くの冒険者がいたにもかかわらず、彼らと連携することなく一人で戦っていた。

 あなたと仮設パーティーを組んでいる今でさえ、二人が連携して戦うことはない。前衛と後衛でバランスがいいのに、だ。

 これは『ゲロ甘でチョロQで対人関係の構築に難を抱えすぎているゆんゆんがそう簡単に仲間を見つけられるとは思えないので、とりあえずソロの冒険者として活動できるようにする』という、本人が聞けば膝から崩れ落ちるであろう方針の下で育てられているからである。

 

 あなたはこの方針が間違っているとは思っていないが、ゆんゆんと王女アイリスの敗北の一端を担っている自覚はあった。

 

 だからというわけではないが、大会を観戦するにあたって邪魔にならない、早朝の6時から8時の間だけという条件で王女アイリスの依頼を受諾。

 王家からの正式な依頼とあって報酬は莫大で、しかも全額一括前払い。

 おまけにゆんゆんに他者との連携という得がたい経験を積ませることもできる。

 朝食前の軽い運動としては破格ともいえる、非常に旨味のある仕事だった。

 

 

 

 

 

 

 季節は夏真っ盛り。

 トリフでは街を覆う白壁が日光を反射して暑いうざい壊せと騒ぎになったり、熱と脱水症状で倒れた者が教会に運び込まれるといった毎年恒例、夏の風物詩の騒ぎや事故が起きている。

 

 そんな中、第2区画の外れにある練兵場へと足を運ぶあなたとゆんゆんの姿があった。

 入り口で兵士に軽く誰何されたものの、話は通っているようですんなり入ることができた。

 ここは普段は使用されていない予備の練兵場であり、早朝という時間もあいまってリカシィの兵士や騎士の姿はどこにも見えない。

 

「ごきげんよう二人とも。アイリス様はもうすぐいらっしゃいますので、少し待っていてくださいな」

 

 声をかけてきたのは自分も参加するつもりなのか、動きやすいラフな格好をしたリーゼ。

 時計を見れば時刻は5時45分。ちょうどいい頃合いである。

 ゆんゆんに準備運動を始めておくように指示すると、リーゼが手招きしていることに気がついた。何か話したいことがあるらしい。

 

「以前あなたが夜中にレインを呼び出した件なのですけど。よくも不肖の弟子を袖にしてくれやがりましたわね」

 

 開口一番、耳を疑う難癖が飛び出した。

 あまりにも理不尽な物言いに、さしものあなたも苦笑を禁じ得ない。

 口ではこう言っているものの、ニヤニヤと嫌らしく笑っているあたり、冷やかし目的で話題に出したことは明らかだ。

 

「久しぶりにいいものを見させていただきましたわ。ろくすっぽ交流の無い男からの呼び出しをナンパだと勘違いして盛り上がった挙句、盛大に爆死する行き遅れの姿は実に傑作でしたわよ」

 

 嬉々としてここにはいないレインを揶揄する老魔法使い。

 弟子に人権は無いと言わんばかりの態度はぐうの音も出ない畜生の一言だ。いっそ心地よさすら感じるほどである。

 

「というか相手を選べって話ですわね。見た目は……まあレインも悪くないですし個々人の好みによって左右されるものですが、多数に意見を聞けばより美人だと判定されるのはウィズでしょう。家柄、殆ど名ばかり貴族。資産、実家が借金持ち。戦闘力、雲泥の差。……お手上げですわ。レインが勝っているのは実年齢の若さくらいしかありませんわね」

 

 あえて実年齢と言ったのはウィズの外見年齢を指してのことだろう。

 とはいえその一点で彼女に致命傷を与えられそうだが。

 どの道あなたがレインを選ぶことはない。どうしようもなく戦闘力が足りないからだ。

 

「しかし下手したらレインの方が年上に見られるウィズにはびびりますわ。どうやってあの若々しさを維持しているのか、あなたはご存知?」

 

 真実を話すわけにもいかないので、あなたは適当に答えた。

 ウィズは天才なので老けないらしい、と。

 

「て、天才は老けない……!? なんという説得力……! ウィズ、おそろしい子……!」

 

 血の気の失せた顔で白目を剥くリーゼ。

 世界中の誰よりもウィズの天才性と正面から向き合ってきたかつての級友は、あっさりとあなたの言葉に納得してしまった。

 口からでまかせを吐いたあなただったが、老けたウィズの姿を想像出来ないのも確かだ。

 ただ一つだけ物申すのなら、間違ってもウィズは子という年齢ではない。実年齢的にも、外見年齢的にも。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 気の合う相手と楽しく馬鹿な話に興じていると、王女アイリスがやってきた。

 腰には神器エクスカリバーを携え、両隣にはあなたに鋭い目を向けるクレア、そして先日の一件が尾を引いているのか死ぬほど気まずそうにあなたをチラチラと見やるレインを侍らせている。

 

「始める前に、二つお願いしたいことがあるのですが、いいですか?」

 

 少しめんどくさそうな王女アイリスの言葉に頷く。

 

「まず一つめ。あなたの冒険者カードを見せてください」

 

 あなたは自身の能力とスキル構成について、冒険者ギルドを通して他者が閲覧できるようにしているし、何ならベルゼルグからの開示要請を受諾したこともある。

 何故今更になって本人のカードを見たがるのかは疑問だったが、断るようなものでもない。あなたは素直にカードを渡した。

 

「ありがとうございます」

 

 雁首揃えてあなたの冒険者カードを調べる王女ご一行。

 つい最近見たばかりのリーゼはニヤニヤと意味深に笑って三人を見守っており、あなたとゆんゆんは顔を見合わせて立ち尽くすばかりである。

 

「言っちゃなんですけど、あんまり参考にはならなさそうですよね。カードから読み取れる情報と実際の強さがあまりにもかけ離れちゃってますし」

 

 ゆんゆんの身も蓋も無い言葉は正鵠を得ていた。

 冒険者カードに書かれたあなたのステータスは、どちらかといえば戦士寄りのものとなっている。

 スキル構成についてだが、こちらは物理と魔法剣スキルの取得は必要最小限に留め、魔法使いスキルの中でもテレポートや中級魔法、上級魔法といった汎用性の高いものに残りのポイントを注ぎ込む、という形だ。

 

 長所は幅広い状況に対応可能な汎用性。

 短所はアタッカーにあるまじき決定力の低さ。

 

 戦士寄りのステータスを持ちながら魔法使いに偏ったスキル構成を持つ、典型的器用貧乏な魔法戦士。

 レベルとステータスこそ高いものの、同格の相手と戦えばスキルの差でいともたやすく馬脚を現す。

 それが冒険者カードから読み取れるあなたという冒険者だ。

 

「わかってはいましたが、参考にはなりませんね」

「何故これであそこまでの戦果を叩きだせるのだ?」

 

 理解できないといった風のレインとクレアの言葉。

 あなたの冒険者カードは異世界転移の影響か不具合が起きており、実際のステータスとは著しく異なっている。

 慣れ親しんだ自前の能力で存分に戦うことができるがゆえ、スキルもテレポートとクリエイトウォーターとみねうち以外は戯れや対外的な都合で使う以上の意味を持っていない。

 

 この世界の冒険者からしてみればあまりにも異質なせいか、あなたのエレメンタルナイトとしての評価はお世辞にも高いとは言えない。

 以前リーゼがあなたを最強の冒険者と呼称した件はそれを如実に示している。

 強い冒険者だと認められてこそいるものの、強いエレメンタルナイトだとは微塵も思われていないのだ。

 あなたはこの世界で得た力をまるで使いこなしていないが、だからこそどんな職に就いても今と同じように戦うことができる。

 魔法戦士もやはり対外的に都合がいいからやっているに過ぎず、彼らの評価はまったくもって正しい。

 

 

 

 不思議なものを見たとばかりの三人に冒険者カードを返してもらい、次の願いを尋ねると、王女アイリスはおもむろにエクスカリバーを抜いた。

 刀身から感じられる力はグラムやダーインスレイヴと同等以上。

 国宝として祀られるに相応しい、紛うことなき最上級の神器である。

 

《――――》

 

 朝日を反射する曇り一つ無い荘厳な剣に、四次元ポケットの中のダーインスレイヴが反応を示した。

 伝わってくる感情は仄暗い嫉妬、羨望、そして自己嫌悪が複雑に入り混じったもの。

 聖剣として生まれながら強い力に魅入られた者たちの手で悲劇を生み出し続け、ついには呪われた魔剣のレッテルを貼られた自分と、聖剣として輝かしい正道を歩み続けるエクスカリバーとの対比に思うところがあるらしい。

 そしてそんなダーインスレイヴをエーテルの魔剣が嘲笑する。

 私は生まれてからずっと最高のご主人様に無二の相棒として使い続けてもらってるけど、お前は? という感じだろうか。隙あらば積極的にマウントを取りに行くスタイルで愛剣は実に性格が悪い。

 

 四次元ポケットの中で人知れず繰り広げられる廃人さん家ノ神器事情はさておき、王女アイリスはエクスカリバーで何をしようというのだろうか。

 

「必殺技を使います。防ぐなり避けるなり、お好きになさって結構です。ベルゼルグにおいてなお頭がおかしいと称されるあなたの強さを私達に見せてください」

「ちょ、アイリスちゃん!? 必ず殺す技は人に向けちゃダメだよ!?」

「ごめんなさい、私もそう思います。でも必要なことなんです」

「大丈夫ですわよ。万が一に備えてアークプリーストは連れてきていますわ」

「死ななきゃセーフって考え方は絶対に間違ってますからね!?」

『ゆんゆんはお兄ちゃんを舐めすぎでしょ。そりゃまああの子は年齢の割に強いし才能もあるみたいだけどさ。それでもゆんゆんが戦える程度の相手にお兄ちゃんをどうこうできるわけないじゃん』

「そうかな……そうかも……」

 

 妹の正論で沈黙したゆんゆんを少し離れた場所に追いやり、神器を抜く。あなたはこういう展開が嫌いではなかった。

 ここでダーインスレイヴを持ち出せばさぞかし絵になったのだろうが、生憎とあなたが使うのはいつもの大太刀だ。

 冬将軍から斬鉄剣との交換という形で譲り受けたこの神器は、エクスカリバーにこそ及ばないものの、十二分に強力な武器だった。

 

「ではいきます。――エクステリオンッ!!」

 

 力強く振るわれたエクスカリバーから放たれるのは、弧を描いて飛翔する光の斬撃。

 かつてこのスキルをもってグリフォンを一刀の元に切り殺した場面を見ているあなたは、回避でも防御でもなく、エクステリオンによく似たタイプのスキル、音速剣(ソニックブレード)を使った迎撃を選択した。

 

 二つのスキルは中空で衝突し、相殺。

 衝撃と呼ぶほどのものではないが、真正面から吹いてきた風があなたの髪を揺らす。

 これは風の分だけあなたの攻撃が押し負けたということを意味する。その証拠に王女アイリス側に風は吹いていない。

 

 その光景を目の当たりにしたゆんゆんとレインの表情に浮かぶのは強い驚愕。

 クレアは渋々とした納得。王女アイリスは安堵と喜び。

 最後にリーゼはこの程度は当然、と後方理解者面をしていた。

 

「嘘、アイリスちゃんが勝った……!?」

『勝ってねーよいい加減にしろ。ゆんゆんの目が節穴すぎて私はもうびっくりだよ。どう見てもお兄ちゃんは手加減しまくってたでしょ』

 

 音速剣は数多の剣スキルの中で最も基本的な物理遠距離スキルであり、ランクとしては下級の中から上。

 速度と射程に優れるが、そのぶん威力が犠牲となっている。

 使い勝手の良さを反映してか、同ランクのスキルと比較して消費コストはやや重め。

 対してエクステリオンは体感で上級ランクの中といったところだろうか。

 

 圧倒的なスキル性能の差をあなたは本人のステータスという名の自力で補った。

 王女アイリスの現在の実力は神器込みで魔王軍幹部時代のベルディアに届かない程度。負ける道理は無い。

 ただあなたが狙っていたのは完璧な相殺なので、そういう意味ではあなたの負けである。王女の攻撃力があなたの想定を上回っていたのだから。

 魔法は無理だが物理なら少しはいけるかと思っていたのだが、やはりウィズが見せてくれた芸術のような相殺は易々と再現できそうにない。精進あるのみである。

 

「……ふう。クレア、これで満足しましたか?」

「はっ、出すぎた真似をいたしました」

 

 剣を収めた王女アイリスとクレアがあなたに頭を下げる。

 王族の頭は軽くない。公的な場であれば軽く問題になりそうな行動だが、今はプライベートなので咎める者はいなかった。

 

「試すような真似をしてすまない。私達という教育係を差し置いてアイリス様を指導するというのなら、その力を見せてもらいたかったのだ。あなたは山師などではなく、確かに尊敬に値する実力の持ち主のようだ」

「私は必要ないと言ったのですけど、リーゼとレインも賛同してしまったので仕方なく……」

「一応言っておきますが、あなたの実力を疑っていたわけではなく、探り合うよりも最初に一発カマしておいた方が互いに益があると踏んだまでですわ。期間は短いのですから、効率よくやりませんと」

 

 王女を預ける相手の力量を見極めたいというクレアの心境は、彼女の立場からしてみれば当然のものである。

 それに貴族の仕事を請けていれば、この程度は珍しくもなんともない。

 あなたは気分を害することなく軽く手を振って応えた。

 

 大会のスケジュールは大会ごとに変動するが、今年は団体戦予選、個人戦予選、個人戦決勝、団体戦決勝の順で行われる。

 個人戦は決勝まで八日間の日程で消化されるので、そこまで時間に余裕があるわけではない。巻きでいきたいというリーゼの考えも当然だった。

 そして効率的な促成栽培はあなたの得意とするところである。ただし相手にかかる精神的な負担に関しては考慮しないものとする。

 

 かくしてあなたは大手を振って大国の王女をしばき倒す権利……もとい鍛える権利を手に入れたわけである。

 

 

 

 

 

 

~~ゆんゆんの旅日記・トリフ地獄の七日間編~~

 

【1日目:戦慄の日曜日】

 予選トーナメント決勝であまりにも不甲斐ない負け方をした私達は、決勝トーナメントに向けて連携の特訓をすることにした。

 連携の特訓とはいっても内容は口頭を交えた練習と実践という名の模擬戦なので、私にとっては割といつも通りといえばいつも通り。

 模擬戦では何故か混じってきたレインさんとクレアさんも加え、四人がかりでリーゼさん達に挑むことに。

 

 結果から言うと私たちは負けた。四対二で手も足も出なかった。ズタボロにされた。

 格上とか大人気ないとかそういう問題じゃない。

 相手が二人揃って真正面から私達を叩き潰すことに躊躇が無さすぎる。

 流石にみねうちを使った死ねる痛みで覚えろスタイルではないんだけど、それ以外はアイリスちゃんという王族相手の配慮とか忖度はこれっぽっちも無かった。ボコボコのボコ。無論私もクレアさんもレインさんも。

 ただアイリスちゃんは滅茶苦茶楽しそうだった。怖い。

 死ぬ気で頑張れば決勝トーナメントが始まるまでにクリアできる難易度設定にしているとのことだけど、どう考えても大会で優勝するよりこの二人に勝つ方が難しいです、本当にありがとうございました。

 

【2日目:虐殺の月曜日】

 今日も今日とて蹴散らされた。

 早くも無理ゲー臭が酷い。

 これで存分に舐めプされているという事実に震える。心が折れそうだ。

 いつものことだけど、効率最優先で精神的負荷は度外視してくるから困る。ウィズさんがいれば適度なところで止めてくれるのだけど、いないのでお手上げとしか言いようがない。

 最悪なのはリーゼさんも似たようなスタンスであるという事実。

 スパルタ*スパルタ=地獄。悪夢のような方程式だ。

 

 とはいえ光明が無いわけではない。

 特訓の後の話し合いで、レインさんが二人の連携パターンを破らない限り勝機は無いと言っていた。

 特訓中は疲れててそれどころじゃなかったけど、こうして今になって思い返してみれば、確かに二人の動きには一定の規則性があったような気がする。

 まるで私たちにお手本を見せているかのように。

 でもいつの間に連携パターンを構築したんだろう。そんな時間があったとは思えない。

 まさか即席で? 息ぴったりすぎでは?

 

 

【3日目:屍山の火曜日】

 今日はパターンの把握と自分達の連携の構築に殆どの時間を費やした。

 急がば回れの精神は実際大事。

 

 ……なんて上手くいけばどれだけ良かっただろうか。

 実際のところは付け焼刃の連携を実践して「分かってないなーそうじゃないんだよなー」としばき倒された。ストッパーであるウィズさんがいない上にリーゼさんと波長が合うせいか、明らかにいつもより手加減の具合が緩い。

 余りにも相性がいいからか、リーゼさん曰く、あと三十歳ほど若かったら口説いていたかもしれないとのこと。ウィズさんには秘密にしておこう。

 あと相変わらずアイリスちゃんのテンションが高い。薄々察していたけど、アイリスちゃんは戦闘狂というやつだ。ベルゼルグ王家に対する世間の噂は正しかったらしい。

 確かに得意とする近接戦闘で圧倒し、あまつさえ王女様相手にダメ出しをしながら容赦なくしばき倒してくる相手は他にいないと思う。っていうかいちゃダメだと思う。

 いつもこんな感じで鍛えてもらっているという私の言葉を聞いて心の底から羨ましがられた。

 絶対にアイリスちゃんには言えないけど、ほんのちょっとだけこの子頭大丈夫かな……って思った。自分が住む国の王族の教育方針に不安しかない。

 

 

【4日目:血涙の水曜日】

 訓練の中身は昨日と殆ど同じ。

 でも昨日と違ってぎこちないながらもちゃんと4人パーティーとして戦えたと思う。

 疲れてるから日記は短め。明日も頑張ろう。

 

 

【5日目:埋葬の木曜日】

 訓練の成果が出てきたのか、ちょっとずつ皆と息が合うようになってきた。

 確かな手ごたえを感じる。だいぶ食い下がれるようになった。

 これ明日はワンチャンあるんじゃない? いけるんじゃない?

 

 

【6日目:絶望の金曜日】

 この世界にまた二つ、新しいスキルが生まれた。

 火と光と風の合成魔法剣、属性付与・紅炎(エンチャント・プロミネンス)

 闇と光と氷の合成魔法剣、属性付与・月光(エンチャント・ムーンライト)

 

 プロミネンスはエンチャントファイアに似てるけど威力が桁違い。火よりも赤い真紅の炎。当たったら死ぬ。

 ムーンライトは蒼白い光の斬撃を飛ばせるようになる。ブレード光波って呼んでた。当たったら死ぬ。

 紅と蒼の魔法剣はどちらも例えようもなく美しかったけれど、生まれたばかりで熟練度など皆無であるはずの二つのスキルは、無造作に放たれた一撃ですら生半可な攻撃ではびくともしないはずの練兵場の一部を溶かしつくし、消し飛ばした。

 

 当然のように人間相手には使用禁止になったわけだけど、恐ろしいと形容する以外の言葉を私は持たない。

 特にこの新技を編み出したのが私たちではないというところが。

 

 いやまあ魔法剣なんだから魔法戦士しか使えないというのは分かる。

 分かるんだけど、それはそれとしておかしい。すこぶるおかしい。どう考えてもおかしい。

 何故鍛えられている側ではなく、鍛えている側……それも間違いなくこの中でぶっちぎり最強な人に強化イベントが発生してしまうのか。

 普通こういうのは私たちに起きるべきではないのか。

 連携の特訓は明日で終わり。成果はあった。成長は確かに実感できてる。それは間違いない。間違いないんだけど。

 

 っょぃ。

 勝てなぃ。

 もぅマヂ無理。。。不貞寝しょ。。。

 

 

【7日目:虚空の土曜日】

 勝った。

 最終日にギリギリ辛うじて死力を振り絞った結果勝てた。

 確かに勝ったのだけど、何故勝てたのかは分からない。少なくとも昨日まで以上に手心を加えてくれたなんてことは一切ない。

 もう一回同じ真似をやれと言われたら絶対に無理。

 正直この日記を書いている今も、あれは夢だったんじゃないかと疑っている私がいる。

 それほどまでに実感の無い、虚ろな勝利だった。

 

 決着がつき、初勝利に浮かれることすら叶わず疲労困憊で地面に倒れ伏す死にかけの私たち。

 朝からいい汗かきましたわー、と杖に寄りかかって肩で息をしながらもその場に立っているリーゼさん。

 そしてあれだけ激しく戦ったにもかかわらず、汗一つ流すことなく、息を切らすことなく、あまつさえ残った時間で魔法剣を使った一人5連携とかいう意味不明の遊びを始めるスタミナおばけ。

 

 果たして私たちは本当に勝ったと言えるのだろうか。

 勝利とはいったい……うごごごご……。

 

 

【8日目:消えた明日】

 今日は一日ゆっくり休養。

 流石に昨日今日と休みにあてた甲斐あって疲れは取れたしコンディションは万全になった。魔法ばっかり取り沙汰される紅魔族だけどこういうところも優秀らしい。

 

 明日から決勝トーナメント開始。

 結果は出したい。特訓の成果を確かめたい。

 というかあれだけやっておいて実戦で何の成果も上げられませんでした! なんてオチだったら流石に私は泣く。本気で泣く。

 

 色々と大変なこともあったけど、優勝目指して頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 それは、団体戦決勝トーナメントの準決勝で起きた。

 

「折角のお祭をお邪魔してしまってすみません」

 

 一人の男が突如として舞台に上り、慇懃に頭を下げる。

 前回の個人戦優勝者であり、この大会の宣誓を行った、黒い髪と黒い目を持つ青年だ。

 

「僕のことを知ってる人はこんにちは。知らない人は初めまして。この国で勇者をやらせてもらってます、伊吹といいます」

 

 イブキと名乗った青年が指を鳴らすと、舞台の中央に空間の裂け目が生まれた。

 亀裂からは禍々しい空気が流れ込んでくる。どこに繋がっているのだろうか。

 彼は満足そうに穏やかな笑みを浮かべて宣告した。

 

「大変申し訳ないのですが、今日はちょっと、皆さんに死んでもらおうと思います」

 

 それは、決定的な一言だった。

 

 行動に至った理由は知らない。

 意味にも興味は無い。

 大事なのは、ニホンジンが裏切ったという事実だけ。

 

 つまり神器チャンスである。ありがたくぶちのめそう。

 会場を不穏な空気とざわめきが支配する中、物欲に塗れたおぞましい笑みを浮かべたあなたは歓喜のガッツポーズを作った。



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第124話 あなたに幸運な日が訪れた!

 ――連携訓練初日。

 

「ぐ、うっ!!」

 

 受身を取る余裕も無く背中から地面に叩きつけられ、ほんの一瞬、アイリスの意識が飛んだ。

 痛みと衝撃で明滅する視界の中、警鐘を鳴らす本能と直感に従って真横に転がり、勢いのまま立ち上がって後ろに飛び退く。

 瞬間、たった今までアイリスがいた場所に武器が叩き付けられた。

 派手な音を立てて剣が地面を穿つ光景にアイリスは胆を冷やす。

 これで終わりだと言わんばかりの追い討ち。

 当たっていたらどうなっていたかは考えるまでもない。

 

 油断無く剣を構えながらもそれ以上の追撃が来ない事を確認し、荒い呼吸を整える。

 粘ついた口内の違和感を嫌って唾を吐けば、血の混じったそれが地面を汚した。

 

 何度も何度も地面に転がされて砂に塗れたせいで、アイリスの結い上げられた髪はすっかり解けた挙句土埃でくすんでしまっている。絹糸の如き金糸の髪は今や見る影も無い。

 少女の全身を苛む倦怠感と鈍痛は、修練の過酷さと相手の容赦の無さを見事なまでに物語っていた。

 色々と人格的に難点を抱えながらもベルゼルグ王家への忠誠心は本物であるリーゼロッテが、生傷を量産するアイリスの痛ましい姿にこれちゃんと治療しないと後でクッソやべーことになるやつですわと冷や汗を流して目を泳がせたと書けば、どれほどのものかは伝わるだろう。

 

 礼節を知り、身分の差を弁えた瑕疵の無い振る舞いが出来る。

 その上で幼い姫君を相手に虐待としか形容できない暴力を微塵の躊躇も無く行使してくる。

 

 言うまでも無いだろうが、王女を気持ち悪いくらいに深く敬愛する護衛のクレアは傷つくアイリスの姿を見て怒り狂った。

 当初抱いていた冒険者への敬意を投げ捨てて殺意を露にした彼女も、今は練兵場の隅に積み上げられた藁の山に埋もれている。

 怒りのあまり訓練も連携も頭から綺麗さっぱり抜け落ちていた様子だったので、少し頭を冷やせと強めにぶっ飛ばされたのだ。

 

 既に仲間達は戦闘不能。戦えるのは自分だけ。

 これは連携の訓練なのだから、一人で戦っても意味は無い。

 本来であればさっさと打ち切るべきなのだが、それでも王女は強く剣を握り、眼前の相手を見据える。

 

 その理由はたった一つ。

 嬉しくて楽しくてたまらないからだ。

 

 今のアイリスであれば、勝てるかどうかは別として、魔王軍の幹部とも一対一で戦うことができる。

 ゆえに、たとえ相手が格上であっても、非殺傷の結界無しで全力を出せば事故で大怪我を負わせてしまうかもしれない。

 訓練を始める前にアイリスが抱いていたそんな不安は、三分も経たずにどこかに飛んでいってしまった。

 

 頭のおかしいエレメンタルナイト、巷でそう呼ばれている冒険者は強かった。

 ただひたすらに、圧倒的に、理不尽なまでに。

 今までアイリスが見てきた誰よりも強かった。

 

 力が通じない。技が通じない。魔が通じない。速さが通じない。

 どれだけ全力を出しても軽く蹴散らされる。

 一人になってからは許可を得て神器を使い始めたが、やはり敵わない。

 

 無造作に振るわれる剣は彼女が経験したことがないほどに重く、鋭く、そして速いもの。

 蹴りを防げば骨が軋む。

 攻撃を食らえば全身が痛みに悲鳴をあげる。

 

 何度打ち据えられても立ち上がる王女にナイスガッツと朗らかに笑う相手からは威圧感が感じられない。

 振るわれる剣には殺意が無い。敵意も無い。戦意すら無い。いっそ寒気がするほどの自然体。

 暴力を振るって婦女子を甚振る事に愉悦を覚える類の下種ならまだ辛うじて理解の範疇にあるが、それすら無いというのだから恐れ入る。

 本人は今回の依頼を朝食前の軽い運動と称していたが、ジョギング感覚で一国の王女をぶちのめしてくるような相手は、なるほど、頭がおかしいと言われても仕方ないだろう。

 

 だからこそ嬉しい。王女だからと遠慮することなく、子供だからと侮ることなく、一人の戦士として扱ってくれるから。

 だからこそ楽しい。王族として国と民を背負うことなく、何も考えず、ただ一人の人間(アイリス)として全身全霊を賭してなお届かない相手に挑むことが、こんなにも楽しい。

 

「はあああああああっ!!!」

 

 王女は激情のままに聖剣を振るう。

 神器に呼応するかのように沸騰する、数多の年月で練磨され続けてきた、狂戦士(ベルゼルグ)の名を冠する王家の血に抗うことなく。

 類稀なる強者を前に、全身から湧き上がる闘争と開放の愉悦がアイリスの体を突き動かしていた。

 

 

 

 

 

「わーい、地面あったかーい」

 

 激しく戦う二人の剣士を眺めながら、完全に置いてけぼりを食らったゆんゆんは投げやりに呟く。

 例によってあなたに軽めにしばき倒されて起き上がる余裕も無い彼女は、うつぶせのまま近くのリーゼロッテに問いかけた。

 

「ところでリーゼさん、そろそろ止めなくていいんですか? アイリスちゃんの根性は凄いですけど、これじゃ訓練の趣旨を完全に逸脱してますよ。エクスカリバーまで使っちゃってますし」

「止めたいのは山々なのですけど、あそこまで楽しそうなアイリス様を見ていると気が引けるというかなんというか」

 

 ――本当にありがとうございます。あなたに会えてよかった。あなたのおかげで、私はもっともっと強くなれます!

 

「アイリスちゃんボロ雑巾にされてますけど」

「あそこで見ざる言わざる聞かざる決め込んでる当家のアークプリーストに死ぬ気で治療させますわ」

「ああ、あの参加してないのに心労と胃痛で死にそうになってる人……」

 

 ――これで最後! 私の全部、ありったけ!

 

「個人的にはしばき倒されてるアイリス様を見て平然としてるゆんゆんに軽くビビッているのですけど、そこんとこどうなのです?」

「いやまあ、少しも驚いてないとか引いてないって言ったら嘘になりますけど」

 

 ――征きましょう、エクスカリバー! 

 

「でも私の近接戦闘訓練の時も大体あんな感じですし、普通にあれくらいやるだろうなって半分くらい諦めてるというか。むしろ体で覚えろってみねうち(ガード不可即死攻撃)が飛んでこないだけ有情というか、アイリスちゃんへの配慮を感じて羨ましいというか。あれ死ぬほど痛いんですよ」

「おおう……流石は頭のおかしいエレメンタルナイト。マジパねぇですわ。これはこっちも気合を入れ直したほうが良さそうですわね」

「やめてくださいしんでしまいます」

 

 ――セイクリッド・エクスプロードッ!!!

 

 そうこうしていると、一際大きい爆発と激突音と共にアイリスが吹っ飛ばされた。

 爆発に吹き飛ばされたアイリスは大きくのけぞった体勢で青空へときりもみ回転で高く高く舞い上がり、クレアと同じく藁の山に突っ込むという非常に芸術点が高い形で頭から勢いよく落下。

 暫く経ってもアイリスは起き上がってこない。最後に放った必殺技で完全に体力と精神力が尽き果ててしまっていた。

 

「終わりみたいですね。リーゼさん、ありがとうございました。というか私としてはアイリスちゃんがあんなに楽しそうにしてたのが怖いんですけど。最後とか明らかに人間に向けちゃいけない威力の技ぶっぱなしてましたし」

「そこはベルゼルグ王家の血としか言いようがありませんわね。大体にして、それを言ったらアレを真正面から無傷で破ってみせた彼の方がよっぽどですわ」

 

 アイリスが放った最大の必殺技を正面から打ち破り、剣を鞘に収めて手を振ってくる師の姿に、ゆんゆんは万感の思いを込めてこう言った。

 

「ぐうの音も出ない」

「アイリス様もスッキリしたでしょうし、明日からはちゃんとした訓練になりますわよ。……ほらレイン、いつまでもあったけえ地面さんにいい夢見せてもらってないで起きなさい。終わりましたわよ」

 

 ぺちぺちとレインの頭を叩くリーゼロッテは椅子代わりに倒れ伏したレインに腰掛けていた。

 この大魔法使いは弟子に人権は無いと笑顔で断言する、弟子達からクソババアと罵倒される人でなしである。

 

「うっ……」

「おおレイン! 死んでしまうとは情けない! 真っ先に脱落するとはなんという体たらくでしょう! 貴女の師匠として恥ずかしいったらありませんわ!」

「ふ、二人して私を集中的に狙っておきながらなんという言いがかり……」

「何が言いがかりなものですか。こちらは二人でそちらは四人。率先して数の優位を潰すのは当然でしょう? 貴女ならもう少し粘れると思っていましたのにまったく。四人の中で最年長の癖に」

「年は関係ないじゃないですか年はぁ……!」

「つーかウィズとやりあった時は足を止めての打ち合いだったから気付きませんでしたが、近接技能がゴミクズレベルに退化してやがりますわね。いい機会なので鍛え直してあげましょう」

 

 レインは元気いっぱいな師を腐ったドブ川のような目で一瞥し、自身の隣でやはり地面に転がっているゆんゆんに声をかけた。抑揚の無い、本気のトーンで。

 

「ゆんゆんさん、もしよかったら私もウィズさんの弟子にしてくれませんか」

「えっ」

「聞こえてますわよコラァッ!!」

 

 

 

 

 

 

 ……とまあこのように、あなたが受けた王女アイリスの依頼、連携の訓練は、和気藹々とした充実感のあるものだった。

 ゆんゆんや王女アイリスのような、才能とやる気に満ち溢れた若人を鍛えるのはあなたとしても楽しく、やりがいのある仕事だ。

 

 そして、ゆんゆんと王女アイリスの二人は訓練の成果をあなたに見せてくれた。

 多くの観衆が見守る中、これ以上ない形で。

 

「それまで! 勝者、エチゴノチリメンドンヤチーム!」

 

 地鳴りのような喝采が会場を包む。

 仮面とバケツに隠された二人の表情は見えないが、どちらも結果を出せて肩の荷が下りた様子を見せている。

 二人からチラチラと視線を飛ばされているあなたが拍手を送っているのも決して無関係ではないだろう。七日間の特訓が無駄にならず、あなたとしても一安心といったところだ。

 あれだけやって本番でまるで成長が見られなかった場合、あなたは本人たちに物申すことすら視野に入れていた。それもエチゴノチリメンドンヤチームの正体に気付いていると明かした上で。

 

 ――決勝トーナメント1回戦第1試合を制したのはAブロックの刺客、エチゴノチリメンドンヤチーム! 終始危なげない堅実な試合運びで勝利を収めました!

 ――いやあ、見違えましたね。両者共に予選とはまるで別人のような動きでした。二人は間違いなく今大会の台風の目になるでしょう。

 

 予選のような個人プレーのゴリ押しではなく、ちゃんと連携して戦ってチームとして勝利を収めたエチゴノチリメンドンヤチーム。

 ただでさえステータス面でぶっちぎりだった二人がマトモな連携を覚えた結果、決勝トーナメントは開幕早々虐殺の気配が濃厚になってきたわけだが、予選も決勝を除いて虐殺だったので今更だ。

 

「それでは勝利者インタビューに入りたいと思います」

 

 参加人数の関係でスケジュールが詰まっていた予選とは違い、決勝トーナメントでは試合ごとに勝者のインタビューが行われる。

 舞台に残った二人に近づいていく、つい最近どこかで見た顔のような気がするスタッフの女性は、その手に魔導マイクという拡声器の魔道具を持っていた。

 短杖ほどのサイズのこれを使って会場中に声を届かせるのだ。

 

「エチゴノチリメンドンヤチーム、一回戦突破、おめでとうございます」

「ありがとうございます! 次の試合も頑張るのでこれからもみなさん応援よろしくお願いします!」

「お、お願いします……」

 

 再度の喝采に手を振る少女たち。

 如才無くインタビューに答えるマスクドイリスは伊達に王族をやっていない。

 対してジャスティスレッドバケツガールはローブ越しでもガチガチに緊張していると分かるが、あのゆんゆんがバケツ越しとはいえこの大勢の観衆の視線を浴びて逃げ出さずにいられるというだけで彼女の成長が感じられた。

 頑張れと心の中でエールを送るあなたは先日購入した魔導カメラを使ってこっそりと二人を撮影する。大切に保管してゆんゆんが立派な大人になった頃に写真を見せつつネタバラシをして反応を楽しむ予定だ。

 

「早速ですが、チーム名のエチゴノチリメンドンヤ、これはどういった意味合いのものなのでしょうか?」

「とっても簡単に説明すると大商人です」

「なるほど、マスクドイリス選手の名乗りであるチリメンドンヤの孫娘、これはつまり……」

「ふふっ、これ以上は秘密でお願いします。エチゴノチリメンドンヤは正体不明の二人組なので」

 

 言外に自分がいいとこのお嬢さんであることを可愛らしくアピールするマスクドイリス。

 庶民ではありえない身奇麗な格好と輝く金髪から彼女の身分の高さは容易に察することができるので、観客に驚きは生まれなかった。むしろやっぱりな、という納得が広がるばかり。

 実際はいいとこのお嬢さんどころの話ではないのだが。

 

 ちなみに観客からの二人の人気は予選の時から非常に高い。

 やる事が派手でノリが良い上に抜群に強く、しかもどちらも声が美少女。人気が出るのも当然といえば当然である。

 

「解説の方でもありましたが、予選とは随分と動きが違っているように見えました。決勝では本気を出していく、ということでしょうか?」

「いえ、予選決勝では非常に恥ずかしい負け方をしてしまったので、頑張って特訓してきました。ムカつくぜクソッタレー! チームには是非ともリベンジしたいと思ってます」

「応援しています。それで特訓というのは具体的にどのような?」

「それも秘密で。でも夢のような七日間でした」

「悪夢のような七日間でした」

 

 笑顔で答えるマスクドイリスからは光が。無感情に答えるバケツガールからは闇が漏れ出ている。

 光と闇が両方そなわり最強に見える二人にインタビュアーは言葉を詰まらせた。

 予選のエルフォース戦でバケツガールが見せた修羅の如き戦いっぷり、そしてそれを仕込んだ者はバケモノか悪魔だろうと解説が予想していたのを覚えていたのだろう。

 

 解説によるあなたへの深刻な風評被害はさておき、やはり王女アイリスは筋がいい。

 才能ではなく、精神的な面で。モチベーションは廃人になるために重要な要素だ。

 戦うこと、強くなることが大好きな彼女が自分のペットになれば、あっという間に強くなるだろうに、とカイラムで手に入れた空っぽのモンスターボールを弄びつつ、あなたはとても惜しい気持ちになるのだった。

 

 

 

 

 

 

「ゆんゆん、お疲れ様でした!」

「アイリスちゃんもお疲れ様でした」

 

 決勝トーナメント初日を快勝で突破したゆんゆんとアイリス。

 アイリスの部屋で二人は互いを労う。敗戦でお通夜ムードだった予選決勝後とは違い、室内は明るい雰囲気で満たされていた。

 相手チームのあの動きが良かった、あのスキルはもっといいタイミングで打てたと初戦の振り返りをしているうち、やがて二人は自然とあなたについての話に行き着いた。

 

「散々ボコボコにされた甲斐があったというか、またみっともない所を見せなくて本当によかった……」

「正体に気付いてないとはいえ、先生も私達の戦いに満足してる感じでしたね。短期間とはいえ教えを受けた身として、いいところを見せられてよかったです」

「予選決勝で負けた時は苦笑いしてたからね。色々とお世話になってる身としてはほんと申し訳なくて……って先生?」

「はい。あの素晴らしい強さと精神性に敬意を込めて先生と呼ばせてもらおうかと」

「リーゼさんのことだよね?」

「リーゼはリーゼですよ? 先生じゃありません。あ、もちろんご本人に先生と呼んでいいか許可は取ってあります。快く頷いてくれました」

「そっか。ふーん……頷いてくれたんだ……」

「ゆんゆん?」

 

「あの人の弟子は私なんだけどな……」

 

 ぽつり、と無意識のうちにゆんゆんの口から漏れ出た言葉。

 自分でも意味を理解していない、独占欲と呼ぶにはあまりにも幼く微笑ましい感情の発露。

 それを見逃すアイリスではない。

 

「もしかして、もしかしてそうなんですか? ゆんゆん、()()()()()()なんですか!?」

「いきなりどうしたの!?」

「恋です!」

「えっ」

「ゆんゆんは先生に恋をしているんですよね!? 師弟愛を超えた淡くて暖かくて切なくて甘酸っぱい感情を抱いているんですよね!? だからぽっと出の私に嫉妬してるんですよね!?」

 

 目をキラキラと輝かせてふんすふんすと息荒くゆんゆんに詰め寄るアイリスは、年頃の乙女らしく恋愛話が大好きだった。それが友達のこととなれば猶の事。

 レインは見事に爆死してしまったが、ゆんゆんなら脈がある。王女の恋愛部分を司る直感がそう告げていたのだ。

 ちなみにこの直感が役に立った事は今までに一度もない。あなたに呼び出されたレインに朝まで帰ってこなくて大丈夫と笑顔でゴーサインを出したくらいのガバガバさである。

 

「でも大丈夫です、私は先生の強さを尊敬しているだけで恋愛感情は一切ありませんから! 年齢が倍くらい離れてますし、私の好みは普段はだらしないけど私に優しくて甘やかしてくれてやる時はやる感じのちょっとだけ年上のかっこいい男性なので! だから友達としてゆんゆんの恋路を全力で応援しますしむしろお手伝いしたいです是非お手伝いさせてください!」

「ちょっと待って、ほんと待って。そういうのじゃないから落ち着いて。お願いだから。アイリスちゃんが期待してるようなことは何にも無いから」

「かーらーのー?」

 

 アイリスのウザ絡みにゆんゆんは少しだけイラッとした。

 

「アイリスちゃん、そういうのどこで覚えてくるの? ともかく、あの人は私にとって保護者っていうかほら、お兄さんみたいな感じだから。お兄さんっていっても実の兄じゃなくて近所のお兄さん的な意味でね? ここすっごく大事」

 

 最後のくだりだけゆんゆんは真剣で必死だった。

 誇張抜きで命にかかわる問題だからなのは言うまでも無い。

 

「大体私はいつも子供扱いされてるし、眼中にすら無いよ。それにあの人はちゃんと好きな人……いや、そういう意味で好きなのかは正直分からないけど、とっても大事に想い合ってる人がいるんだから」

「今大事なのはゆんゆんの感情であって先生の感情ではないと思います。結ばれない理由を他者に求めるのであれば、それは自分の本当の感情に気が付いてないだけかもしれませんよ?」

 

 一理ある、と言えなくもない。

 ゆんゆんは他人事のように判断した。

 

「そうかなあ……でも私、まだ恋とか全然分かんないし、手を繋いでもこれっぽっちも意識とかしなかったし……確かに一番親密な男の人ではあるけど……」

「じゃあこうしましょう。目を瞑って、頭の中でゆんゆんと先生が恋人同士になっている姿を想像してみてください」

「…………」

 

 場の雰囲気に流されて言われるままに想像するも、すぐに苦笑いを浮かべる。

 聡明な紅魔族の頭脳をフル回転させたが、ゆんゆんには強くなってから出直してこいと袖にされる未来しか見えなかったのだ。

 真っ先に戦闘力を問題点に挙げるあたり、自身の師匠のことをとてもよく理解していた。

 

「ごめんアイリスちゃん、やっぱり無理っぽい。自覚は無いけどやっぱり異性として見てないんだと思うよ。お互いにね」

「でもゆんゆんは先生と一緒に冒険者をやっているのですよね? 若い男女が、二人で。ならラッキースケベが起きたこともあるはずですよね? ちょっとエッチなハプニングで異性を意識しちゃったことがありますよね? 私は本で読んだから詳しいのです!」

「え、えぇ……? ラッキースケベって、よりにもよって私達にそんなのあるわけが……ハッ!?」

 

 唐突に、ゆんゆんにかつての記憶が蘇る。

 別にラッキースケベではないが、それ以上に致命的な記憶が。

 

「ありましたか!? やっぱりラッキースケベで先生にずっきゅんラブなんですね!?」

「がぁアあああああaあああああああ!! おアアアアアあああああああああああああ!!!!!」

 

 アイリスの声は届かない。それどころではない。

 確かに異性として意識していた。それも思いっきり。言い訳ができないくらいに。

 ただ忘れていただけ。むしろ永遠に忘れていたかった。何故思い出してしまったのか。

 

 ウィズの目の前であなたの子供が欲しい、愛人でもいい宣言。

 紅魔族随一のドスケべ作家であるあるえが書いた英雄譚と称した願望ダダ漏れのえっち小説。

 作中の仲睦まじい師弟にして夫婦の情熱的なキス。おっぱい。その他諸々のダダ甘なイチャイチャラブラブ。

 

 誤解と勘違いで盛大にやらかしてしまった悶死級の失敗、そしてそれに伴ってあるえの小説の中身、つまりゆんゆんとあなたのあれこれを頭の中で鮮明に思い浮かべてしまい、羞恥のあまり雄叫びをあげてガンガンと頭を壁に打ち付けるゆんゆん。

 行為としてはベッドの上で転げて悶えるそれに近い。

 ある意味健全に思春期をやっていたが、傍で見ていたアイリスは突然の奇行に声をかけることも出来ずにドン引きすると同時にこれが紅魔族、アクシズ教徒に匹敵すると言われる部族……と戦慄していた。

 

 しばらくしてひとしきり感情を吐き出して落ち着いたのか、ゆんゆんは何事も無かったかのように、にっこりと微笑んでアイリスにこう言った。

 

「何もなかったよ? だからこの話は終わりにしよう?」

「は、はい、分かりました」

 

 心優しいアイリスはこの件に触れないことにした。

 壁に頭をぶつけながら「あるえ」なる人物に呪詛を吐き続けるゆんゆんが、一切の光を灯さぬ紅瞳がとても怖かったのだ。

 

 

 

 

 

 

「というわけで、あなたが仰っていた通り、スラムに魔王軍の痕跡が残されていたことが判明しましたわ」

 

 ゆんゆんと王女アイリスが年頃の乙女らしく楽しい恋愛話に花を咲かせていたちょうどその頃、あなたはホテルの自室でリーゼと顔を突き合わせていた。

 ダーインスレイヴを使ってスラムで暴れていた際、あなたが偶然に遭遇して殺害した魔王軍の手先。

 この件について聞かされたリーゼは、自分の家の家臣にスラムを調査させていたのだという。

 あなたが場所を覚えていなかったせいで少しばかり時間がかかってしまったが、無事に痕跡を発見できたらしい。

 

 それはいいのだが、何故自分に教えに来たのだろう、とあなたは不思議に思った。

 何やら小難しい文章が長々と書かれている報告書の写しを見せられてもちんぷんかんぷんである。

 

「勿論この国の上の方にも知らせは出してますわよ? あなたは第一発見者ですし、この国に何が起きているのか知らせる必要があると判断しました」

 

 なるほど、と目線で続きを促す。

 

「具体的な話をしますと、大会期間中に相手が何かやってくることは分かりましたが、何をやってくるかは分からないということが分かりました。ぶっちゃけお手上げですわね」

 

 報告書の束は、リーゼの魔法によって灰の一欠けらも残さず一瞬で燃え尽きた。

 

「恐らくあなたが殺した手先は下っ端だったのでしょう。残念ながら本当に必要最低限の情報しか攫えませんでしたわ」

 

 魔王領から遠く海を隔てたこの国まで魔の手が伸びている事から分かるように、人類はこと情報戦、諜報戦において魔王軍に後塵を拝している。それも圧倒的に。

 変身能力を持つ魔物や魔族、悪魔崇拝者、寝返った裏切り者など、人類側に潜む獅子身中の虫は枚挙に暇が無い。よくもまあこのような控えめに言ってクソな状況下で長年に渡って拮抗状態を作り出せているものだと感心させられるほどだ。

 

「繰り返しますが、何かが起きるのは間違いないのです。ゆえに事が起こる前兆があれば、あなたに参戦を要請するやもしれません。くれぐれもそのつもりでいてくださいまし。無論わたくしも戦いますので」

 

 特に断る理由も無いあなたは頷いておいた。

 せっかく楽しんでいる大会をぶち壊しにされたくなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 だがしかし、団体戦決勝トーナメントの準決勝。

 当然のように勝ち上がってきたエチゴノチリメンドンヤチームの試合において。

 あなたが楽しんでいた大会は見事にぶち壊しになってしまった。

 

「大変申し訳ないのですが、今日はちょっと、皆さんに死んでもらおうと思います」

 

 イブキと名乗った、この国の勇者にして、裏切り者のニホンジンによって。

 

「突然ですが僕は魔王軍に寝返りました。この世界において本当に正しいのは貴方達人類ではなく、魔王軍だと確信したからです。理解も納得も不要ですが、別に魔王軍が正義だとか人類が悪だとか言っているわけではないので、そこだけは勘違いしないでほしいと思います。人類に不当な扱いを受けたり迫害されたわけでもありません。むしろ大変よくしていただきました。ありがとうございます」

 

 これは何かの余興なのではないか。

 辛うじて漂っていたそんな雰囲気を一蹴する、これ以上ない決別の言葉に、会場はしん、と静まり返った。

 静寂に満ちた舞台の上で勇者は一人喋り続け、あなたは神器を持っているならもったいぶらずに早く出せと心の中で強く念じ続ける。

 

「この亀裂の先は魔界、皆さんには地獄って呼んだ方が通りがいいですかね? とにかく、そういう悪魔の世界に繋がっています。数分もしないうちに悪魔の軍勢が流れ込んでくるでしょう」

 

 死にたくないならさっさと逃げろと言わんばかりの内容だが、そう上手くはいかないらしい。

 

「頭上を見てみてください」

 

 会場には屋根がない。そういう建物だ。

 そして、つい先ほどまで広がっていた抜けるような夏の青空は、今や毒々しい赤紫色の幕で覆われていた。

 

「この会場を丸ごと結界で封じました。テレポートと非殺傷結界を封じる機能も付いているのでそのつもりで。本来なら会場ごと地獄に送り、そこで確実に死んでもらう予定だったんですが、ちょっと不幸な事故が起きて少しだけ作戦変更となった次第です」

 

 あなたは直感した。

 彼が言う不幸な事故とは自分がスラムで魔王軍の手先を偶然殺した事だ、と。

 きっとあの魔族は何かしらの術式を構築する起点の一つだったのだ。魔王軍幹部が魔王城の結界を維持しているのと同じように。

 

「結界の効力は24時間。つまり皆さんはその間、このあまり広くもないフィールドの中で、押し寄せる悪魔の軍勢と戦い続けてもらうことになります。仮に結界が破られたところで、悪魔が帝都に溢れかえるだけですが……とまあこんなところですかね」

 

 会場は数万人の非戦闘員で溢れかえっている。

 とてもではないが巻き添えを起こさずに大規模戦闘を行える環境ではない。そして悪魔側は好き放題に戦える。

 つまるところ、死刑宣告を別の形に言い換えただけだ。

 

「何故僕がべらべらとこんなことを説明していたのか疑問に思っている方もいらっしゃるでしょう。これは悪感情を味わいたい悪魔からの悪趣味な注文です。わけも分からず混乱の中で死んでいくより、最初に僕が全部説明して現実を理解させておいた方が貴方たちがより深く絶望するだろうから、とのことで。別に僕の意向ではありませんので悪しからず」

 

 あなたが最も知る悪魔とはお隣さんことバニルだ。

 彼は好みの悪感情の関係で、悪魔としての高い格にもかかわらず、いっそそこらへんの人間より無害ですらあるのだが、全ての悪魔が彼と同じなわけではない。あなたも依頼や王都防衛戦で人に仇なす邪悪な悪魔を抹殺したことがある。

 無数の悪魔が会場に、そして帝都に溢れかえった時、どんなことが起きるのかは想像に難くない。

 

 張り詰めた緊張の糸が途切れたのか、どこかで誰かが悲鳴をあげた。

 悲鳴を皮切りにして、時が動き出したかのように観衆の多くが席を立って出口の方へ殺到していく。その表情に恐怖を貼り付けて。

 静止を求めるスタッフの声は容易くかき消され、会場が修羅場の様相を呈す中、あなたもまた混乱に紛れるように席を立ち、その場から姿を眩ませることにした。

 全ては己が目的を果たすために。

 

「民を護るべき勇者でありながら魔王軍に与する大罪、最早捨て置くわけにはいきません! 世のため人のため、チリメンドンヤの孫娘が貴方に天誅を下します! 覚悟しなさいこの悪党め!」

 

 姿を消す直前に聞こえてきたマスクドイリスの声に、少しだけ足を早めながら。

 

 

 

 

 

 

 舞台に上がったアイリスの凛々しい啖呵は、混乱に陥った民衆の恐慌を一時的にでも鎮める効果を発揮した。

 誰よりも前に立って戦うベルゼルグの王族であれば誰もが生まれ持っている、スキルではない、カリスマという名の才能。

 素性を隠しても隠し切れない魂の輝きは、危機において遺憾なく発揮される。

 

「へえ、やるもんだ」

 

 我先にと逃げ出そうとしていた者たちの視線も、今だけはアイリスに釘付けになっている。

 希望、期待、懇願。

 闇の中で足掻く無数の人間の感情を一身に背負い、それでも小さな王女は怯むことなく毅然と立つ。

 まさしく人々を導く英雄に足る姿を見せられ、伊吹は感嘆の声をあげた。

 

「そういう君はどこの国のお姫様なのかな。僕が今まで見てきた貴族の女の子とは随分と毛色が違っているけど」

「……は? はあっ!? マスクドイリスはチリメンドンヤの孫娘です! 断じて姫などではありません! 止めてくれませんかそういうのは!」

 

 身バレの危機に挙動不審に陥るマスクドイリス。

 全身を輝かせていたカリスマは一瞬で霧散し、民衆の目が絶望に沈む。

 相棒を追ってきたバケツガールも、なんとも言えない微妙な雰囲気を発していた。

 控え室にいた二人は騒ぎを聞きつけ舞台に上がったのだが、今なら別に素顔でも良かったのでは? とゆんゆんは考えていたりする。

 

「越後のちりめん問屋、その孫娘と聞かされて馬鹿正直に君を商家の者だと考える日本人は殆どいないと思うよ。露骨に水戸黄門ネタだし。むしろ率先して身分をひけらかしてると思ってたんだけど」

「ミトコーモン? よく分かりませんがとりあえずあなたを口が利けなくなるようにぶっ飛ばします」

 

 今大会の続行を望み、その上で失格を望まない王女は口封じに走る事にした。

 ある意味ではポジティブに未来を見ていると言える。

 

「これは通じないのか。誰が吹き込んだか知らないけど片手落ちもいいとこだろ……っと!」

 

 弛緩した空気を切り裂くように放たれた火閃が伊吹を襲う。

 火炎魔法を圧縮して速度と貫通力を高めた高度な術式であり、こんな物を扱えるのは世界に一人しかいない。

 最初から当てるつもりの無い、牽制目的の火閃をひらりと避けた伊吹は、上の観客席から魔法で降りてきた相手に慇懃に礼をした。

 

「これはどうも、リーゼロッテ卿。ご機嫌麗しゅう」

「よくもまあやってくれやがりましたわね、このクソガキ。おふざけが過ぎましてよ」

死線(デッドライン)のリーゼロッテ。世界に冠たる魔法使いである貴女がこの場にいたことは、人々にとって無明の闇の中で煌く灯火と言えるでしょうね」

「軽々しく人の異名を呼ばないでいただける? そのスカした面を二度と見れないものに整形してさしあげましょう。あとわたくしはベルゼルグでは二番目ですわ」

「おお、怖い怖い」

 

 肩を竦めて苦笑する伊吹は、この女傑は口だけではなく本気で実行するという確信を抱いている。それが可能な人間だとも。

 

「エチゴノチリメンドンヤ、助太刀致しますわ。協力してぶちのめしますわよ」

「了解です。ご助力ありがたく」

 

 互いに頷きあうベルゼルグの主従。

 そしてリーゼロッテに続くように、大会参加者やリカシィの兵士、騎士達が、各々の武器を手に舞台を囲み始める。

 戦うために。悪意に抗うために。あるいは大切なものを護るために。

 

「――――出迎えご苦労、人間ども」

 

 だが、人間の戦意が高まったタイミングを見計らったかのように、それは亀裂から姿を現した。

 

 魔の者である証の青い肌。

 天に唾吐く金の双角。

 紅魔族のものとは異なる、禍々しい赤の瞳。

 光を拒む漆黒のローブ。

 

 いかにも人間が想像する魔王といった風貌の男は、見た目を裏切ることなく尋常ではない魔力と重圧を放っている。

 男の姿を認め、伊吹は意外そうな声を出した。

 

「あれ? 貴方お一人ですか?」

「配下はすぐそこで号令待ちだ。閣下に倣って少しばかり一人で遊ばせてもらおうと思ってな。折角の祭なのだ。一息に終わらせてしまってはつまらんだろう?」

「日本人こそ僕しかいませんが、それでも何人か強い人がいますし、多分死んじゃうと思いますけど」

「所詮は殺戮の前の余興に過ぎん。せいぜい我の残機を一つ減らしたことを褒め称えてやるとするさ」

 

 加速度的に重くなっていく空気に、リーゼロッテは小さく舌打ちした。

 眼前の敵が爵位持ちの高位悪魔だと瞬時に理解したが故に。

 

 それでも自分なら一対一でも勝てない相手ではない。アイリスがいれば確実に勝てる相手だ。

 だが決して侮っていい相手でもない。恐らくアイリスと自分は24時間の間、この悪魔にかかりきりになるだろう。

 悪魔は残機持ち。一度殺しても平然とここに戻ってくる。そして敵はこの悪魔だけではない。

 

 自分達ベルゼルグ関係者の戦闘力。リカシィ関係者の戦闘力。参加者の戦闘力。指揮個体とそこから想定される悪魔の総戦力。無補給で増援のあても無く非戦闘員を護りながら24時間戦い続ける必要があるという最悪の状況。

 これらを可能な限り客観的に計算し、若い頃は紅蓮姫と、年を経て経験を積み重ねた現在は死線(デッドライン)の異名で呼ばれる魔法使いは瞬時に冷徹な回答を導き出した。

 伊吹は完璧に彼我の戦力差を把握した上で事を起こしている、と。

 

(分かってはいましたが、たとえ明日まで生き残っても、夥しい数の犠牲者が出ますわね。最低でも九割が死ぬでしょう。戦える者も、そうでない者も)

 

 人類からしてみれば極めて遺憾で業腹な話だが、魔王軍との戦いはいつだって後手後手だ。

 今回とて、魔王軍が暗躍している事はリカシィ側にも周知されていたわけだが、編成された対魔王軍用の警備や防衛戦力の情報を知る者の中には、当然この国の勇者である伊吹の存在もあった。

 全ての情報は最初から相手に筒抜けであり、イニシアチブは常にあちらの手にある。

 

 特に最悪なのは、試合直前だったせいでアイリスの手にエクスカリバーが無いことだ。是が非でもどこかで取りに行かせる必要がある。

 一人でも多くの民を生き残らせるために。

 

 ……ただし、一つだけ。

 窮地に立たされた人類側にもたった一つだけ。

 

 伊吹すら想定していないであろう、不確定要素(ジョーカー)がこの会場に存在していることを、リーゼロッテは知っている。

 それも、歴戦の大魔法使いをして、アレを適当に突っ込ませて自分が取りこぼしを処理すれば、もうそれだけでケリが付くのでは? 犠牲者ゼロで完勝するのでは? などという、あまりにも滑稽で身も蓋もない考えが真剣に浮かんでくる、常軌を逸した特級戦力が。

 

 問題があるとすれば、その異名に違わず本人が自由すぎるところ。

 実はリーゼロッテとバケツガールは先ほどからそれとなく探しているのだが、どこを見回しても肝心の本人の姿がどこにも見当たらなかった。

 客席からも忽然と姿を消している。

 

(ファック!!)

 

 リーゼロッテは心の中でそっとキレた。

 

「では早速始めようか。人間どもよ、せいぜい明日まで生き足掻いてみせろ。そして……全ての抵抗は儚く虚しい徒労に過ぎぬのだと、絶望のうちに知るがいい!!」

 

 アレに限って臆病風に吹かれたというのはまず有り得ないが、それはそれとして後で絶対に女装させよう。

 目の前の悪魔を焼き殺すべく魔力を高め始めたリーゼロッテは、強く固く心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 そうして、覚悟を決めた全ての戦士たちが、その覚悟を嗤う悪魔が。

 互いの命をかけてぶつかり合わんとした、まさにその瞬間。

 

 選手が舞台に上がる入り口、鋼鉄製の大扉が。

 耳をつんざく轟音と共に粉々に弾け飛ぶ。

 

 限界まで張り詰められた弓のような緊張感が走る中、それは来た。

 

 通路の向こうから響き渡るのは、あらゆる感情の枷から解き放たれた、聞けば怖気を感じずにはいられない、喜悦に狂ったざらつく笑い声。

 現れたのは金字で複雑な魔法陣が刻まれた漆黒の鞘に収まった長剣を携えた、異様な風体の男。

 深緑色の外套で全身を覆い隠した盗賊職のような軽装。ただしその頭部だけがどす黒い血で染まったボロボロの包帯で完全に覆い隠されている。

 包帯の向こう側に垣間見える双眸は狂気に沈み、どこまでも歪な弧を描いていた。

 

 この緊迫した場面をまるで理解出来ていないかのごとき振る舞い。

 明らかに狂を発していると、()()()()()を除き、悪魔を含めた誰もが考える中、インタビュアーが呟いた小さな畏怖の声を、手元の拡声器が拾う。

 

「だ、ダーインスレイヴ……嘘でしょ……!?」

 

 虫も殺さぬ顔の持ち主である彼女はその実トリフのスラムの支配者の一人、アサシンギルドの首領だった。

 つまり先日のダーインスレイヴの乱の被害者の一人である。

 彼女の素性を知る者は殆どおらずとも、その真に迫った声は、いとも容易く彼女の言が真実であると受け入れられた。

 

 禁忌と共に語られる忌み名に、これまでのどこか現実感を喪失したものとは違う、実を伴った怯臆が広がっていく。

 

 裏切りの勇者。

 強大な悪魔とその配下の軍勢。

 血塗られた魔剣の主。

 

 かくして最後の演者が舞台に上がった。

 正義も大義も仁義も持たず、己が心の赴くまま、ただ我欲を満たさんと欲す、それだけのために。

 

「ダーインスレイヴというと、あのダーインスレイヴか? ハハハハハッ、そいつはいい! 今日は素晴らしい日だ! ……おい貴様、その剣を我に寄越せ。偽物であれば苦と惨と悲をからめて貴様を殺す。だが本物であれば褒美として貴様の命だけは助けてや」

 

 ごとり、と。

 鈍い音を立てて、悪魔の首が地面に転がった。何の前触れも無く。

 数呼吸の間の後、思い出したかのようにバラバラに崩れ落ちる悪魔の体。

 

 辛うじて何が起きたのかを理解出来たのは、アイリスとリーゼロッテとゆんゆん、そして伊吹の四名のみ。

 

 刹那の間に高位悪魔を惨殺したもの、それは魔剣から放たれた神速の六連撃。

 ひとたび鞘から解き放たれれば、血を見るまで決して納まることはない。

 そう恐れられる魔剣は、逸話に恥じることなく一つの命を絶ってみせた。

 雑草を刈るように、あっさりと、無慈悲に、無感情に、無感動に。

 

 ぶちまけられた悪魔の青い血が静寂の舞台を毒々しく染め上げる。

 物言わぬ肉の塊となった悪魔を見下ろすのは、一瞬のうちに舞台に移動していた魔剣の主の絶対零度の瞳。

 ぐしゃり、と水っぽい音を鳴らし、悪魔の頭は踏み潰された。

 

「……いや、いやいやいや、ちょっと待っ」

 

 返す刀で切り捨てられる伊吹の姿に、そこかしこで悲鳴があがる。

 離反したとはいえ、彼はこの国の勇者だった人間だ。

 敵であることを頭では受け入れられても、感情が受け入れられるかは別の話。彼は今日というその日まで、理想的な勇者であり続けたのだから。

 それが目の前で惨殺されてしまっては心穏やかではいられないのは当たり前。

 

 ……なのだが、伊吹は五体満足のままだった。

 瀕死の状態で全身を痙攣させているが、辛うじて生きてはいる。

 

 いつの間にか、ざらついた笑い声は聞こえなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 悪魔には残機という命のストックがある。

 残機があるということは、殺してもいいということだ。

 そんな悪魔の軍勢がやってくる。人間を殺すために。

 あなたにとって、これはジェノサイドパーティー開催のチャンスに他ならない。脳内妄想の女神エリスも満面の笑顔で言っている。悪魔を殺せと。これは絶対的に正しい事であり、正義はあなたにあるのだと。

 殺人数の世界記録保持者であるあなたは、キルスコアが増えるたびに冒険者ギルド本部からどこで誰を殺したのか取調べを受ける。これは非常にめんどくさい。

 しかし悪魔は残機をゼロにしないと冒険者カードの殺害欄に記載されないので、もはやあなたの独擅場。殺りたい放題のエンジョイタイムである。

 

 神器チャンスに加えてジェノサイドパーティーまで斡旋してくれるとは、ニホンジンとはなんと思いやりと自己犠牲の精神に溢れた素晴らしい民族なのだろう。なんなら事が終わった後に助命嘆願をしてやってもいい。

 

 ……といった具合に最高にテンションが上がったあなたは意気揚々と乗り込んだというのに、無粋な悪魔のせいで台無しになってしまった。

 あなたはダーインスレイヴを要求してきた悪魔の死体を足蹴にして唾を吐く。

 コレクターからコレクションを奪おうとするなど許される話ではない。そんな愚か者は死ぬべきだ。

 せめて冬将軍のように交換を申し出ろという話である。殺していい相手なので当然奪ってから殺すが。

 

 悪魔の死体をしっかり焼却して片付けたあなたは、次にみねうちで半殺しにしたイブキの所持品検査という名の半死体漁りを始めた。

 どうか神器を選んだニホンジンでありますように、と女神アクアと女神エリスに祈りながら。

 

《――むむっ! 高位悪魔をぶち殺した素晴らしい戦士が私に祈りを捧げている気配を感じます! 分かりました、どうやら異教徒のようですがその功績と稀に見る清らかで真摯な祈りに免じて今回だけの特別サービスですよ? 私の幸運の加護よ、祈っている人に届けー!》

 

 何か電波が聞こえたような気がする。

 

 

 

 ――あなたに幸運な日が訪れた!

 

 

 

 ★《転生者カウンター》

 ★《万里靴》

 

 果たして、敬虔な信仰者の真摯にして無垢なる祈りは確かに天に届いた。

 なんと勇者イブキは二つも神器を所持していたのだ。

 もはや青天井と化したテンションからワァオー、という声が自然と漏れ出たあなたの心に祝福の鐘が鳴り響く。今なら生身で空だって飛べる気がした。

 勝者として当然の権利なので、神器はどちらも回収しておく。何やら偉そうな悪魔を殺したのだから誰にも文句は言わせない。

 ダブル神器とジェノサイドパーティーのコラボレーションにより、今のあなたはもはや無敵モードに突入している。精神的な意味で。

 

 ちなみにあなたがイブキを抹殺しなかったのは、仕事の外で殺人数を増やして冒険者ギルドに説明を求められるのを嫌がったというのもあるが、何より彼はこの国の勇者、つまり英雄にしてアイドル的存在との事なので、皇帝を含め多くの観衆が見守る中で惨殺してしまうと禍根を残してしまうかもしれない。そう考えたのだ。

 たとえ彼が人類に反旗を翻してしまったのだとしても、そう簡単に受け入れられるものではないだろう。

 一応魔王軍に洗脳されている可能性もゼロではない。ほぼその線は無いだろうとあなたは思っているが。

 

 ついでにダーインスレイヴを使っているのは他にちょうどいい武器を持っていなかったからだ。

 リーゼの警告を受けておきながら、不覚にも遥かな蒼空に浮かぶ雲は宿に置いてきたまま。

 愛剣はみねうちを嫌っているし色々な意味で極上の危険物。あまり表沙汰にしたくない。

 ホーリーランスは最後の手段。サキュバスの群れをしばき倒した時のように他の選択肢が無いならまだしも、今はそうではない。

 

 というわけで、あなたは自分を使ってほしいとアピールしてきたダーインスレイヴの使用に踏み切ったわけである。

 悪魔を殺す時にダーインスレイヴの固有スキルが発動したので、少しだけ彼女を選んだ事を後悔していたりするが。

 

《――!?》

 

 えっ、なんでですか!? と言わんばかりの困惑の感情がダーインスレイヴから伝わってきた。

 スキルを放った瞬間、あなたの脳裏に浮かんだ名前は六連流星。

 恐らくは担い手の潜在能力を瞬間的に最大まで引き上げることで歴代の担い手達の技を再現し、神速の六連撃を放つ必殺技なのだろう。

 王女アイリスの必殺技、セイクリッド・エクスプロードに匹敵する強力無比なスキルである事は疑いようもない。はっきり言ってあなたが同じ速度で六回攻撃するより遥かに強かった。何かしらの補正がかかっていると考えられる。

 だがあなたはスキルが自動で体を動かすという未知の感覚がどうにも苦手なのだ。生理的に受け入れられないと言い換えてもいい。

 ゆえに修行して自力で使えるようになるまで、このスキルについては使用禁止を言い含めておいた。

 

 しょんぼりしたダーインスレイヴから同意を得られたので、今度は神器回収の過程でパンツ一丁になったイブキをロープで縛り上げる。

 最近本で学んだ亀甲縛りなる縛り方にチャレンジしてみよう。

 

「ちょっと、ヘイちょっと。そこのやりたい放題やってるお排泄物自由なジェントルマン。一人でイイ空気吸ってないでそろそろこっちを見なさいな。あとそこの縛り方はそうじゃありませんわよ」

 

 リーゼが声をかけてきた。

 彼女はダーインスレイヴの主があなただと知っている。

 まさか誰何が目的ではないだろう。何の用だろうか。

 

「何の用じゃありませんわよ。見てみなさい周りを。どうしてくれますのこの空気」

「でもほら、なんか助かった感じですし……ね?」

「ね? じゃありませんわよ。まだこれっぽっちも終わってねーですのよ。つーか誰かツッコミ役代わってくださる? 心底あっち側に交ざりてーですわマジで。え、ダメ? 高位貴族としての役目を果たせ? ……クソわよッ!!」

 

 状況を上手く飲み込めていない様子のマスクドイリスと半ギレのリーゼの様子に、ここであなたはようやく周囲が水を打ったように静まり返っていること、そして会場中の視線が自分に集まっていることに気がついた。神器の回収に夢中になりすぎていたようだ。

 万単位の人間から一挙手一投足を注視されていることに居心地の悪さを覚えつつ、あなたは気を取り直して口を開く。

 努めて穏やかな口調で、悪魔の恐怖に囚われているであろう人々を安心させるように。

 悪魔を恐れる必要は無い。自分は正しいことをするために馳せ参じた、と。

 

「それ絶対嘘ですよね!? あと今一番みんなが怖いと思ってるのは確実にあなたですからね!?」

 

 リーゼと同じくあなたの正体を知っているジャスティスレッドバケツガールが、天にまで届きそうな大声で反射的に叫ぶ。

 リーゼとマスクドイリス以外の全ての人間が同意した気がした。




★《ダーインスレイヴ》

 人格を有しながらも担い手を一切選ばないという、非常に稀有な神器。
 これは「所有者を選ぶような武具はそれだけで3流」という製作者のポリシーによるもの。
 使い勝手を重視するドワーフの鍛冶師であり、治癒と潜在能力の引き出しというシンプルながら非常に強力なエンチャントを彼女に施した。

 血塗られた魔剣という風評に反し、剣に宿った人格は真面目かつ献身的で包容力のある世話焼き聖剣タイプ。
 担い手がどれだけその強大な力に呑まれて堕ちようとも、決して彼女だけは主を見捨てない。見捨てられない。そういう武器として望まれた、生まれながらの在り方、剣としての根幹であるがゆえに。
 だがその気質こそが数々の悲劇を引き起こした原因の一つでもある。

 実は初登場の時点では諦観と自己嫌悪で半分くらい心が死んでガンバリマスロボ化したゆんゆんばりのレイプ目状態になっていたのだが、廃人という本当の意味で自分を使いこなせる力量を持ち、なおかつ力に呑まれない精神的超人が担い手になり、凄い……こんな理想的な男の人に使ってもらうの、私生まれて初めて……! と即落ちエヘ顔ダブルピースをキメて一発で浄化された。

 固有スキルは六連流星。
 瞬間的に身体能力を最大まで引き上げて放たれる、神速の六連撃。
 使用者に応じて形を変える変幻自在の絶技であり、単体相手の威力ならエクスカリバーの必殺技、セイクリッド・エクスプロードすら上回るという、間違いなく世界最強の攻撃スキルの一つ。
 欠点は使用者への負荷が大きすぎることだが、治癒能力である程度はカバーが可能。
 元はダーインスレイヴ自身が主のために編み出したスキルだったのだが、皮肉にも歴代の所有者が力に溺れる原因の一つとなってしまった。

 現在の担い手は六連流星を完全な形かつ一切の負担無しで使用可能。
 ただの六連撃とは一線を画す威力には感服したものの、スキルが体を動かす感覚が好みではないらしく、ダーインスレイヴをやきもきさせている。

 好きなものは自分を使いこなせる担い手。
 苦手なものはエクスカリバーのような人々に尊敬される聖剣。
 嫌いなものは図らずとも担い手を破滅させ、罪無き人々を殺めてきた自分自身。

 最近の悩みは担い手の愛剣からの風当たりがやたらと強いこと。
 魔剣の忌み名と謗りは甘んじて受け入れるが、淫乱尻軽クソビッチと呼んでくるのだけは本気で止めてほしいと思っている。

 出典:らんだむダンジョン


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第125話 死線に踊る

【PM14:05 地獄へのゲート消失および結界解除まで残り23時間55分】

 

 少し離れた場所で観客をどうするか話し合いを始めたリーゼ達を気にすることなく、あなたは一人で地獄に続く亀裂……ゲートの前で待機していた。

 24時間耐久ジェノサイドパーティー。またの名を人間がダメなら悪魔を殺せば(パンが無いならお菓子を食べれば)いいじゃない大作戦のために。

 内容はこうだ。

 あなたが地獄へのゲートの前に陣取って、出てくる悪魔を手当たり次第に殺す。

 仮に処理漏れが発生した場合は他のメンバーで対処する。

 これを24時間、状況終了まで続ける。

 ルールとマナーを守って楽しくジェノサイドパーティーしよう!

 

 あなたは沢山殺すことができて楽しい。人間側は死人を減らせて嬉しい。女神エリスは悪魔の残機が減って嬉しい。

 三者三得、趣味と実益と大義を兼ねた史上最高に賢い作戦といえるだろう。テンションが上がりすぎて残像を生み出しそうな勢いだ。

 悲劇が喜劇に転がり落ちるのは半ば確定した未来だが、女神エリスは一流の悲劇より三流の喜劇の方がずっと好きだと言っていた。何も問題は無い。

 

 あなたは殺戮に餓えていたが、憎しみに支配されているわけではない。

 これは衝動的ながらも健全な心の動きによってもたらされたものである。

 あなたはただ、久しぶりにジェノサイドパーティーがやりたいだけなのだ。

 悪魔が本格的に攻めてくるまではいつものように作業的に殺すが、何十匹か殺して心身が温まってきたら本気を出す予定である。

 

 ゲートの向こう側、地獄に突入する案も考えたが、万が一テレポートのような転移技を食らって戦線離脱してしまった場合、テレポートを使って闘技場もしくは地獄のゲート前に戻ってこれるのかが不明なので安定択を採ることにした。

 ジェノサイドパーティーは24時間続くのだから、血気に逸って損をすることもない。バニルとの約束もある。いのちだいじに。

 

 一方でゆんゆんや王女アイリスといった他の防衛戦力はゲートを囲む形で陣を組んでおり、下手をしなくても味方の攻撃があなたに当たる恐れがある。

 危ないからもう少し離れるようにと指示を受けていたりするのだが、あなたはこれを完全に無視した。自分のことは気にせず攻撃すればいい、と。あなたは後ろ玉に当たるような未熟者ではない。

 いのちだいじにはどうしたという意見も出るだろうが、あなたの線引きではこれは余裕でセーフということになっている。つまり今のところ命の危険は一切感じていない。そういう意味では雑用依頼も味方からの集中砲火もあなたにとっては同じようなものである。

 実際にあなたが命の危機を感じるような事態に陥った場合、生存者の数は絶望的なものになるだろう。闘技場が極めて高い確率で更地になるからだ。

 

 さて、そんな何が出てくるのか分からない地獄に続いているというゲートの向こう側は見えない。見えないのだが、あなたは何者かがゲートの前にいる気配を感じていた。

 なのでダーインスレイヴをゲートに突っ込んでみる。特に理由は無い。思慮深いように見えてあなたは割と衝動的に動く人間だ。

 案の定何かに突き刺さった感触が返ってきたので、そのまま勢いよく上に振り抜く。手ごたえがあったので多分死んだのだろう。引き抜いたダーインスレイヴの刀身は、青い血でべっとりと汚れている。

 周囲から軽くざわめきが起きるが、それ以上にあなたの心をかき乱す声があった。

 

《おっ、殺りましたね! さっきあなたが殺した高位悪魔の残機がまた一つ減りましたよ! ふふっ、いい気味ですね! ところで知っていますか? 高位悪魔は爵位を持っているんです。ゴミクズの分際で貴族を気取るなんて片腹大激痛ですよね。ゴミはゴミらしく身の程を知るべきだと私は思います。さあ、もっともっと悪魔を殺して世界を綺麗にしましょう! 今なら特別にエリスポイントダブルアップのチャンス!》

 

 電波である。紛うことなき電波である。

 あなたはてっきり空耳かと思っていたのだが、先ほどから脳内に聞こえていた何かは女神エリスの電波だったようだ。

 電波は電波でも明らかに毒電波の類だったが。どれだけ悪魔のことが嫌いなのだろう。

 この電波の特筆すべき点は、女神エリスは声が届いていると欠片も思っていないし、ましてや悪魔を殺しているのがあなただと気付いていないというところ。

 

 つまりこの声は、具体的な場所は分かっていないが、とにかく世界のどこかで高位悪魔を殺している戦士がいることを感じ取った女神エリスの独り言なのだ。

 

 怖い。怖すぎる。慈悲深い幸運の女神の闇を感じ取ったあなたは、頭痛を覚えると同時に背筋が寒くなった。

 エリス教徒が悪魔を蛇蝎の如く嫌い、かたつむりを前にした清掃員、あるいはかぼちゃ系モンスターを前にしたイルヴァの冒険者の如き振る舞いを悪魔に対してするのは有名な話だが、それは女神エリスの毒電波に汚染、もとい影響されているからではないのだろうか。そもそもエリスポイントとはいったい何なのか。

 色々と考えながらもこれから24時間ハイテンションで口出しされることを嫌ったあなたは、そっと神の電波を受信可能になる装備を外した。

 

 

 

 

 

 

【PM14:08 残り23時間52分】

 

 首脳陣による緊急かつ短時間の話し合いの結果、観客の建物内への避難が決定。

 話が終わり、各々が役目と責任を果たすべく散っていく中、リーゼロッテに近づく者がいた。

 

「師匠、お話があります」

「どうしましたのレイン、そんなマジな顔をして。まあここまでハードな状況はわたくしも片手で足りる程度にしか経験したことがありませんが。とはいえ貴女が思っているようなことには……」

 

 緊張を解すような師の軽口にもレインが表情を崩すことは無い。

 話の重要性を嫌でも理解したリーゼロッテは、普段の軽薄さを引っ込めて大貴族の当主として応じた。

 

「聞きましょう」

「事態を察知してすぐさまアイリス様に用意された席に駆けつけたのですが、どこにもアイリス様のお姿が見えません。ご一緒にいるはずのゆんゆんさんも」

「あ、あー……」

 

 レインとクレアは、マスクドイリスの正体がアイリスだと知らない。

 失踪したようにしか見えないのも当然だった。

 

「アイリス様でしたら、その……」

 

 アイリス様ならレインのすぐ後ろで話聞いてますわよ。めっちゃ焦ってますけど。

 そんな言葉をリーゼロッテは既の所で飲み込んだ。

 

「ゴホン。アイリス様でしたらわたくしが舞台に下りる直前、信頼できる者に預けました。今は安全な場所に隠れています。護衛である貴女達には申し訳ありませんが、こうなってしまってはどこに敵の目と耳があるのか分からない以上、具体的な場所については伏せさせてもらいますわ」

「信頼できる人間……? えっ、師匠が……?」

「ちょっと待ちなさい。なんですかその反応は。まるでわたくしが誰も信じてない悲しい人間みたいじゃありませんの。いますわよ信頼している人間くらい」

「いえ、失礼しました。この会場の中に師匠が信頼してアイリス様を預けることが出来るほど強い方がいたのかと……そういえばいましたね、一人。リカシィの人間ではないですが」

 

 レインは心当たりがあるのか、誰かを探すように周囲を見渡す。

 ややあって、納得したとばかりに頷いて息を吐いた。

 

「なるほど、つまり師匠はアイリス様をこの場にいない()に預けたんですね? そういうことでしたか……安心しました。本当に」

 

 目に見えて肩の力を抜くレイン。

 彼女は頭のおかしいエレメンタルナイトがアイリスを守護していると勘違いしていた。

 当然リーゼロッテは弟子の勘違いに気付いていたが、色々と都合がいいのでそのままにしておくことにした。後で根回しをしておく必要はあったが。

 

(状況が終了したら即とんずらぶっこくであろう彼をどこかのタイミングで捕まえて、密かにアイリス様を守護していたことにしてもらい、ついでにアイリス様とゆんゆんは本当に隠れていたと嘘を教える必要があり……国賓である我らは戦後の処理に無関係ではいられませんし……ベルゼルグへの報告書も……めんどくせえですわ。おうちかえっておさけのんでねたい)

 

 軽く頭痛を覚えるリーゼロッテ。

 だがこうして終わった後のことについて悩める程度には余裕があると気を取り直す。

 

「とはいえアイリス様のこと、いよいよとなればご自身から馳せ参じるでしょう。ええ、それこそエクスカリバーを携えて。今はそこまで切羽詰っていないので大人しくされているでしょうが。ゆえにアイリス様を戦わせたくないのであれば、レイン、護衛である貴女がアイリス様の分まで戦いなさい。シンフォニア家の小娘と共に役目を果たすのです」

「了解しました。非才の身ではありますが死力を尽くします」

 

 視界の隅でうろたえているマスクドイリスに言外に説明する。

 今のところは必要ないが、事態が悪化したらエクスカリバーを取ってくるようにと。

 そんな家臣のフォローを主は感謝と共に正確に受け取って軽く頭を下げた。

 

 今すぐ取りに行かせないのは、二人と入れ替わりで姿を消すことになるエチゴノチリメンドンヤチームが敵前逃亡したと受け取られかねないからだ。

 大会が続行された時の為に世間体や風評を気にしたと言っていい。

 

(とはいえ、彼がいなければ問答無用でエクスカリバーを取りに行かせていたところですわ)

 

 リーゼロッテの見立てではエクスカリバー込みでも犠牲者は9割を超えていた。間違いなく歴史に残る悲劇であり、大事件だ。

 そうなってしまえばどう足掻いても大会の続行は不可能。敵前逃亡も何もあったものではなく、変装を続ける意味はどこにも存在しない。

 

 裏を返せば、戦力を出し惜しみ、世間体や風評に気を配れる程度には余裕があるということだ。少なくとも今のところは。誰が原因なのかは言うまでもない。

 代償としてダーインスレイヴの悪評が積み重なるわけだが、本人としても変装した姿で目立つのは望むところなのだろう。

 避難の順番待ちの観客からこっそり向けられた魔導カメラに堂々とピースサインを返したり、あろうことか剣の構えまで披露したりと、無駄にサービス精神旺盛な包帯頭の姿を見ていると肩の力も抜けようというものである。特に理由があってのことには見えず、その場のノリで生きているとしか思えない。

 

 そんな包帯頭の構えだが、これはダーインスレイヴを腰のあたりで低めに両手で持ち、大きく足を広げて半身になり、右足を前に出して構えた剣先をカメラに向けるというもの。

 誰も見たことの無い不思議な剣の構え。

 それもそのはず。これはイルヴァという異世界において勇者の構えと呼ばれている剣の型なのだから。

 

 無形の剣を常とする師が珍しく披露する剣の構えに、ジャスティスレッドバケツガールがまさかカメラを向けた観客にみねうちするのでは、と警戒を強め……しばし呆然とした。

 何故か? あまりにもかっこよかったからだ。

 派手な効果音が聞こえてきそうなほどにかっこよかったのだ。

 

 イルヴァでこの構えを生み出したのは、機械仕掛けの自我を持つゴーレムである。

 正義の為に戦い、恐れを知って尚、護るべき者の為に決して引く事の無かった彼のゴーレムは勇者と謳われた。

 そんな勇者が必殺技を使うときに好んで用いたこの構えは、しばしば太陽が昇る様を表現していると評される。

 戦術的優位性(タクティカル・アドバンテージ)こそ何も無いが、素敵性能(カッコよさ)は最上級。

 絵にした時ものすごく映える。ただそれだけの型。

 そこに何の意味があるのかと問われれば、カッコイイだろう!!! と誰もがギャキィッ!!! とした笑顔で答える。そのときキミは美しい。

 

「か……カッコいい! 凄い! 凄いです! あんな素敵な剣の構え、私見たことがありません!」

 

 何を思ったのか突然ネタに走った包帯頭が見せた勇者の構えは、勇者の血を引くアイリスにクリティカルヒットした。

 キラキラと目を輝かせて早速真似を始める相棒に苦笑しつつもバケツガールは思う。

 後でこっそり練習しよう。紅魔族のポーズと違って恥ずかしくなくてカッコいいし、と。

 

 生死の狭間に立っていることを誰もが忘れる、明るくて長閑なひと時だった。

 

 

 

 

 

 

【PM14:40 残り23時間20分】

 

 無事に観客の避難が終わった。

 未だ安心安全とは程遠い状況ではあるが、それでもリーゼロッテは軽く息を吐いて逃げ残りがいないか注意深く周囲を見渡す。

 つい先ほどまでは眩暈を覚えるほど沢山の観衆で埋め尽くされていた観客席も今はもぬけの殻。観客席に続く全ての出入り口は兵士によって硬く封鎖されている。

 観客達は闘技場の建物の中に避難済み。

 数万人を収容可能な建物は極めて頑丈な作りになっており、ちょっとやそっとの攻撃で壊れるようなものではない。

 

 状況が始まったのがちょうど午後2時。

 悪魔が惨殺され、裏切り者の勇者が半殺しにされるまで5分。

 観客の扱いと当座の指針を決定するまでに3分。

 避難開始から終了まで32分。

 

 万を超える人間の収容がこれほど迅速に終わったのは、観客の自制心、職員の奮闘の賜物でもあるが、何よりリカシィの皇帝が直々に音頭を取ったからに他ならない。

 大国を統べる彼のカリスマが無ければ、ここまで短時間での避難は完了しなかった。

 

 中を見るまでもなく建物は地下までごった返しになっているだろう。

 トイレや食料の問題、窮屈な建物の中で混乱が発生した場合の対処を考えると頭が痛くなる。伊吹のような裏切り者や魔王軍の手先が避難民の中に紛れていないなどと、どうして言い切れよう。

 

 それでも観客席に流れ弾が飛んでくるという命を賭けたルーレットに強制参加させるよりは遥かにマシだと、リーゼロッテを始めとした防衛側の首脳陣は考えていた。

 防衛側の戦力にとっても自身の流れ弾で人が死ぬ状況で戦うのと一枚でも壁を挟んで戦うのでは、やはり精神的負担に雲泥の差がある。

 

 確かに観客を建物に詰め込んだ場合、混乱を鎮めるまでに時間がかかるという難点を抱えているが、同時に混乱が全体に伝わるまで幾ばくかの時間的余裕が生まれる。

 対して観客席に一発でも流れ弾が飛んでパニックが起きた場合、それは枯野に火を放つが如き勢いで全体に伝播し、阿鼻叫喚の地獄絵図が顕現するだろう。

 アイリスや皇帝の一喝で静めるというのは分の悪い賭けどころの話ではない。

 そもそも皇帝を建物の奥に避難させないという選択肢が有り得ない。ここは王族が率先して戦うベルゼルグではないのだから。

 

 あらゆる可能性を考えても、観客を建物に避難させた方が犠牲者は少なくて済む。

 彼らはそんな結論を出し、無事に避難は終わった。

 

 では避難が終わるまでの間、悪魔は一度も来なかったのか?

 まさかそんなわけがない。避難が終わるまでの間、三度に渡って合計五十体の悪魔がゲートより現れた。

 尖兵とはいえ爵位級が従えるだけあって雑兵はおらず、防衛側が負傷者や消耗を覚悟するに足る戦力だ。

 いずれもこちらの世界に出現した瞬間、ゲートの前で出待ちするダーインスレイヴの主によって殺されたわけだが。

 五十体のうち一体も例外はない。

 

 観客の避難がスムーズに進んだのは、転移した瞬間即死してわけもわからず戻ってくる同胞に悪魔側が困惑しているであろうこと、そして何よりも騒ぎを起こしてアレに目を付けられたくないと観客達が思っていたのも決して無関係ではないだろう。

 相手が悪魔とはいえ、他人の目や向けられる感情など一切おかまいなしに、呼吸をするように作業的に命を絶っていくその姿は、ダーインスレイヴを抜きにしても関わり合いになりたくないと思わせるに十分なもの。

 

 そんな戦う様を眺めながら、リーゼロッテは臍を噛む思いをしていた。

 身分と立場が邪魔をしなければ自分もアレに交ざれていたのに、と。

 

 実のところ、リーゼロッテは彼の力量についてなんら驚きを抱いていない。

 アイリスとの修練でその片鱗を見せていたというのもあるし、何よりあのウィズの良人だからだ。どれだけ低く見積もっても今のウィズと同等に強いのだろうと思っている。

 ゆるふわでぽわぽわと化したウィズだが、学生時代に見せた決闘を遊びと称した彼女のイメージは今もリーゼロッテに根強く残っており、そんな彼女がああも信頼と好意を露にするのだから、彼もまた相応に強いのだろう、と。

 力こそ全てとまではいわずとも、ベルゼルグの貴族だけあってやはり彼女も強さを尊ぶ気質を持っていた。

 

 氷の魔女と謳われた冒険者時代のウィズと今のリーゼロッテが戦った場合、これはリーゼロッテが確実に勝つ。数十年という時間、そして積み重ねてきた経験値は嘘をつかない。

 だが時間は誰にも平等だ。現役を退いて久しいとはいえ、今のウィズが冒険者時代のウィズより弱いなどと何故言えよう。

 ゆえにリーゼロッテは、弟子であるレインを圧倒してなお底を見せないウィズの実力を、学生時代から今の自分までの成長を更に上乗せしたものに、学生時代の体感による才能差を足して見積もっていた。伊吹に自分はベルゼルグで二番目の魔法使いと発言した理由はこれである。

 

 リーゼロッテという魔法使いは、個人で戦略を左右する領域に片足を踏み入れている。

 そして、ウィズという魔法使いが個人で戦略を左右する領域に立っていると確信している。

 

 自分がここまで強くなったのだから、ウィズならもっと強くなっているに違いないと信じて疑わない。

 天才は老けないという世迷言をあっさりと信じてしまったり、ある意味ウィズという学生時代の宿敵兼トラウマに対して多大なる幻想を抱いていたわけだが、結果的にそれは間違っていない。よもやリッチーになっているとは想像もしていなかったが。

 

「リーゼロッテ卿、ご協力感謝する」

 

 包帯頭とシンプルなコードネームを付けられた(なにがし)をここぞとばかりに好き勝手やりやがって羨ましいから自分も交ぜろと鋭い目で睨みつけていたリーゼロッテに声をかけてきたのは、リカシィの騎士団長にして、防衛側の総指揮を担っている人間だ。

 身分、レベル、経験、いずれもリーゼロッテの方が上なのだが、彼女はあくまでもベルゼルグの貴族。

 避難民への指示にしろ防衛の指揮にしろ、土地勘があって各種情報を頭に叩き込んでいるリカシィの人間が指示を下したほうがスムーズに事が進むのは明らかであり、リーゼロッテとしても指揮権に固執する気は毛頭無かった。

 むしろ彼女の性質上、個人として前線で戦う方が遥かに戦果を挙げられるので、相手側の対応は願ったり叶ったりですらあった。

 

「生憎とお役には立てませんでしたが」

 

 肩を竦めて自嘲するリーゼロッテ。

 彼女を含めた上位戦力と見込まれた人員達は、少し前に結界を破ろうと四苦八苦していた。ただしゲート前から梃子でも動かなかった包帯頭を除く。

 出た結論は解除こそ可能だが、最短でも一日はかかるというもの。

 調査の過程で先の申告の通り、24時間後に結界は解除されると判明してしまったので、あまり意味は無かったわけだが。

 

「もしもの時の展望があるのは良い事だ。少なくとも立ち往生だけはせずに済む。……さておき、アレについてはどうすべきだと思う?」

 

 騎士はリーゼロッテに釣られるかのように舞台の中央、ゲートの前で佇む男に目線を向ける。

 瞬きの間に高位悪魔を惨殺し、裏切りの勇者を半殺しにしたダーインスレイヴの担い手。

 他の者のようにゲートから距離を取ることもなく、指示に耳を貸そうとしない。ここで悪魔を殺すの一点張り。

 今のところ人類に剣を向けることこそしていないが、腹の内が全く読めない相手であり、完全に持て余してしまっていた。

 

「放置で。幸いこちらに用は無いみたいですし、自由裁量(フリーハンド)を与えるべきでしょう。好きなように戦わせるのが最良と判断致しますわ。下手に戦列に加えようものならば、それは結果的にこちら側の著しい戦力の低下を意味することになるでしょう」

「正気か!? よもや卿ほどの方がダーインスレイヴにまつわる逸話の数々を知らぬわけではあるまい!?」

 

 目を見開いて忠言してくる騎士に、そりゃそういう反応になりますわよね、と得心するリーゼロッテ。

 杞憂と笑い飛ばすのは簡単だが、ダーインスレイヴという名はそれだけ重い意味を持つ。

 ダーインスレイヴのみならず、担い手の第一印象も控えめに言って最悪。

 かくいう彼女とて、彼の正体を知っていなければ絶対にこんな提案はしなかった。

 不思議と馬が合う相手であり、同時にウィズがあれだけ慕っている相手ということで多少なりとも見る目が甘くなっていることは、リーゼロッテも自覚するところである。

 

 だが同時に彼女は知っている。

 ベルゼルグ王都防衛戦において、頭のおかしいエレメンタルナイトと呼ばれる冒険者が参戦した場合の人類側の異常なまでの損耗率の低さ、そして戦闘時間の短さを。

 王都防衛戦では、兵士や騎士と違って訓練を受けていない冒険者は各々のパーティー単位で自由に戦っているわけだが、それでも最低限周りとの意思疎通は欠かさないし連携もする。

 彼にはそれが無い。普段はどちらかというと社交的な人間なのだが、防衛戦では意思疎通も連携もしない。本当にしない。

 敵味方の攻撃が激しく飛び交う中、一切の連携や作戦を投げ捨て、背中から飛んでくる味方からの攻撃すら一顧だにせず、敵陣の最も圧が強い箇所に単騎特攻するという異名に違わぬ自殺行為を平然と敢行する。

 その上で敵の指揮官の首を狩って誰よりも勝利に貢献するというのだから、指揮する側として匙を投げるしかないだろう。

 

 防衛側の現状はおよそ考えうる限り最悪に近い。

 孤立無援で人員も物資も足りておらず、世界各国の要人と万を超える非戦闘員を抱えている。

 最高戦力を無為に腐らせるような愚行だけは絶対に避けなければならなかった。

 

「彼を敵ではないかと疑う気持ちはよく理解できます。ですがここだけの話、盤面はほぼ詰んでいるといっても過言ではありません。我が名に懸けて断言しますが、彼抜きで戦った場合、明日までに最低でも会場中の9割が命を落とすことになるでしょう。いいですか? 最低でも9割です。わたくしを含めた全員が死ぬことすら普通に有り得ますし、むしろその可能性の方が高い。幸いにして今のところは行動で示してくれていますが、我々には彼が味方だと信じる以外の選択肢は存在しないのです」

「9割……卿の力をもってしてもか?」

「相手が魔王軍、あるいは物資が潤沢なら如何様にでも。ですが今回の敵は残機持ちの悪魔。補給無しに24時間ぶっ続けで魔法を使い続けられるほどわたくしも人間離れしていませんわ。一応聞いておきますが最高級マナタイトの備蓄は如何ほどで?」

 

 騎士は黙って首を横に振った。

 マナタイトやポーションなど、医療スタッフ用の魔力回復の手段は幾つかあるが、いずれもこの大魔法使いの戦いを支え続けるには質も量もまるで足りていない。

 

「でしょう? 何よりこの会場はわたくしが全力で戦い続けるには狭すぎます。防衛戦力の巻き込みは勿論のこと、屋内の観客を蒸し焼きにしたくはありません。下手したら悪魔よりわたくしが人間を殺した数の方が多いとかそういうことになりますわよ」

 

 リーゼロッテという魔法使いが最も得意とする戦い方は広域殲滅。

 単独で戦局を左右し得る力の持ち主というのは、えてして全力を出せば出すほど他者と足並みを揃えるのが難しくなるものだが、彼女は特にそれが顕著だった。

 逸脱した力をこれでもかと見せ付けたダーインスレイヴの主もまた同様に。

 

「だが自由裁量を与えるというのは受け入れがたい。せめて連携を取らせるべきではないのか?」

「逆にお尋ねしますが、貴方は彼と連携が取れるとお思いですか? この未曾有の危機の中、彼に背中を預けることが出来ますか? 力量云々の話ではなく、精神的に」

 

 無言で眉を顰める騎士の姿が何よりの答えだった。

 信用も信頼もできるわけがない。

 

 怖気が走る嗤い声。高位悪魔を容易く惨殺した戦闘力。悪魔に向けられた底冷えする殺意。多くの人間の目の前で嬉々として瀕死の人間の身ぐるみを剥がして縛り上げ、その上で平然と正しいことをしに来たと嘯く精神性。

 数多の悲劇を生み出してきた魔剣の主に相応しい、冷徹で残虐で自分勝手なエゴイスト。イカレた人格破綻者。

 騎士からしてみれば、どれだけ強くても頼りにしたいとは思えないし、金を積まれたって関わり合いになりたくない、近寄りたくない手合いだった。

 

「だから好き勝手させるのが最善だと言っているのです。むざむざ戦力を低下するほど我々に余裕はありませんし、ダーインスレイヴは担い手に栄光と破滅を約束する剣。噂を信じるなら彼がダーインスレイヴを手にしたのは最近のこと、今は栄光の場面だと祈りましょう」

「……事が終われば、彼には色々と話を聞く予定になっている。卿も手伝ってもらえるだろうか」

「ええ、よろしいですわよ。協力は惜しみませんわ」

 

 戦いが終わった後、彼は速攻で姿を眩ませるとリーゼロッテは確信していた。

 何故なら自分が彼の立場だった場合、そうしているからだ。

 そして要請に応じこそしたが、リーゼロッテには彼を捕まえるつもりなど毛頭無かった。

 

(話を聞かせてほしいと近づいておきながら、リカシィの最終的な目的がダーインスレイヴという危険物の回収、封印なのは明々白々。彼らからしてみればここでダーインスレイヴを見逃すのは論外。放置すればどんな悲劇が起きるか分からないのですから、それは当然のこと。ですがちょっとでも高圧的に出ようものならばうるせー知らねー! 誰が渡すかバーカ! クソして寝ろ! とびっくりするほど雑なノリで今度は人間相手にみねうち無双が始まりますわ。ええ、間違いなく)

 

 何故なら自分が彼の立場だった場合、そうしているからだ。

 

 

 

 

 

 

【PM15:02 残り22時間58分】

 

 数度の様子見を経て、今度こそ悪魔による本格的な侵攻が始まった。

 リーゼロッテの予想を裏切ることの無い、闘技場の人間たちを皆殺しにして余りある悪魔の軍勢が地獄から溢れてきたのだ。

 

 絶えず聞こえる激しい剣戟と咆哮、断末魔は建物の中にまで届き、観客達は身を竦ませて救いを求め、神に祈りを捧げる。

 防衛側は緊張で張り詰めているが、今のところは全身を誰のものか分からない血で染め、生死の狭間、死線の上でクソッタレと悪態を吐きながら悪魔と踊り狂い、死んでいくような事態には陥っていない。

 それどころか、数分に一度、這々の体で飛び出してくる悪魔を散発的に処理するだけの簡単な作業が待っていた。

 

 ともすれば拍子抜けとすら言える防衛側の現状は、絶え間無く出現する悪魔の目の前、死線の向こう側にたった一人で立ち、心の底から楽しそうに踊る人間によってもたらされたもの。

 奇しくも人間と悪魔の両方から『包帯頭』と呼ばれている、ダーインスレイヴの担い手である。

 

 踊るという言葉は断じて比喩ではない。彼は剣を手に踊っていた。少なくとも、人間と悪魔の両方にそう見えていた。

 殺しの技と呼ぶにはあまりにも遊びが混じりすぎていたし、彼が見せるあらゆる動作が明確に誰かに魅せるためのものだったから。

 

 ダーインスレイヴの担い手は剣から与えられる超人の力を振るい栄光を手に入れるが、剣を使い続けるうちにやがて精神の根幹が闘争に、狂気に支配されてしまう。

 結果として、呑まれた者の戦いは荒々しい、洗練とは程遠いものとなる。

 血に飢えた魔剣の忌み名は決して伊達でも誇張でもない。相応の理由があった。

 

 翻って、今代の主である包帯頭の戦いは如何なるものか。

 結論から述べると、ここにかつてのダーインスレイヴを知る者がいたとすれば、その者は間違いなく己の目と正気を疑うだろう。

 

 迷いの無い透明な足運びは重力の楔から解き放たれたかのように軽やかで。

 体捌きから連想されるのは生の喜びを全身で表現する雄々しくも儚い命の躍動。

 円を描くように振るわれる剣は、まるでそうあることが自然の摂理であるかのように数体の悪魔を抵抗無く断裁し、その命をもって血華を咲かせる。

 膂力、技術、魔法、呪い。悪魔のあらゆる抵抗は一切の意味を持たず、狩る者と狩られる者という互いの立場をこれ以上ないほどに明確に示した。

 

 総じて、神話に生きる英雄を謳う物語、その佳境として用いるに十分すぎるほどの剣の舞(ソードダンス)

 それは最初に現れた時の狂気的振る舞いとはかけ離れた、完璧に統制された暴力であり、ダーインスレイヴに呑まれることなく使いこなしている証に他ならず。

 このような状況でなければ、人魔の全てが瞬きすら忘れて見惚れていたに違いない。

 それがたとえ血塗られた魔剣によって作られた舞台、無数の悪魔の血と、肉と、骨を足場として行われる、おぞましい死の舞踏だったとしても。

 

 包帯頭が剣を振るえば悪魔が死ぬ。包帯頭が攻撃を避ければ悪魔が死ぬ。包帯頭の動きに目を奪われた悪魔が死ぬ。包帯頭に抗おうとした悪魔が死ぬ。包帯頭から逃げようとした悪魔が死ぬ。

 包帯頭のありとあらゆる行動が悪魔の残機を磨り潰していく。

 

 夏に降る雪のように儚く溶けていく悪魔の命。希釈される現実感。

 彼の一帯だけ別の法則が働いているのではないかと錯覚するほどの絶対強者による一人舞台。

 息をつく間もなく、ただひたすらに悪魔を殺して、殺して、殺し続けて。

 

 それでも、正しいことをやりに来たという本人の申告は決して嘘ではなかった。

 悪魔を打ち滅ぼし、無辜の民の命を守る。紛れも無く英雄の姿だと言えるだろう。

 殺戮に歓びを覚えていると、誰の目にも明らかでなければの話だが。

 

 つまるところ、包帯頭は大多数の人間からこう思われていた。

 うっわ、邪悪……と。

 

「あいつ、殺しを楽しんでやがる……!」

 

 リカシィに所属する兵士の一人がそう言った。戦慄に声を震わせて。

 隣の兵士が辟易としながら答える。

 

「見りゃ分かる。幾ら相手が悪魔だからって、頭がおかしくなりそうだ」

 

 殺しに楽しみを見出したり喜びを感じる類の人間というものは、どうしても命を奪うことへの暗い愉悦が滲み出るものである。

 だが包帯頭から感じ取れる雰囲気はそれらとは一線を画していた。

 例えるならば、お祭りでテンションが上がった陽気な若者といった風なのだ。

 悪魔を殺すぜウェーイ! もっと殺すぜイェイイェイ! 楽しいぜフゥー! と言わんばかりに。

 ただしやっていることは目を覆わんばかりのジェノサイド。あまりのギャップに理解と直視を拒否する者が続出していた。

 

 これは、駄目だ。いけないものだ。

 ゲート前の殺戮を眺める人間の中には、そう思う者が何人もいた。

 正義の戦いと呼ぶには包帯頭は圧倒的で、一方的であるがゆえに。

 何より殺しすぎていた。あまりにも殺しすぎていた。

 幾ら相手が悪魔とはいえ、あれほどに徹底的な殺戮は本当に正しいのか? あれほどの力を持っているのなら、殺す以外にもっと他の手段があるのではないか?

 少しでも包帯頭が苦戦していれば決して抱かなかった疑問が出てくるほどに。

 

「超人。いや、魔人とでも呼ぶべきか……」

 

 魔人。

 それはまさしく血塗られた魔剣の主に相応しい称号といえた。

 

「で、なんでそんな魔人にベルゼルグの連中はシュプレヒコールなんか送っちゃってるわけ?」

「だってベルゼルグだからなあ。国教がエリス教だし、あいつらみんなそうなんだろ」

「あいつらマジで悪魔嫌いすぎだろ。俺も好きではないけど、あそこまで喜ぶ気にはならねえよ」

「女子供にしか見えない悪魔もだいぶ交じってるからな……」

 

 それでもエリス教徒は口を揃えて答えるだろう。悪魔を殺すことが正しくないわけがない、と。

 悪魔が絡むとキチガイになる。それはエリス教徒に対する一般的な認識であり、事実だった。

 

「見ろレイン。悪魔がゴミのようだ! なんと凄まじい技量か! 見ていて惚れ惚れするな! エリス様も喜んでおられる!」

「稀代の剣士と呼ぶになんら迷いを覚えませんね。我らのスカウトに応じてくれないでしょうか」

 

 事実、クレアとレインのような敬虔なエリス教徒は、包帯頭をまるで問題視していない。

 力なき人々を守り、悪魔を殺す。それはエリス教徒として何より尊敬に値する理由だからだ。

 たとえ血塗られた魔剣を用いていようとも、人間に刃を向けない限り評価を覆すことは無い。

 それどころか信仰している女神エリスが悪魔の死に喜んでいるような気配も微かに感じ取っており、自分達も彼を見習ってより多くの悪魔をぶっ殺そうと気合を入れ直すほどである。

 

 防衛戦に参加しているベルゼルグの民の中で悪魔の虐殺ショーに酔い痴れていないのは、火の神を信仰するリーゼロッテ。信仰そのものに疎いゆんゆん。そして。

 

「流石先生、あの数の悪魔をたった一人で凌ぐなんて、しかもあんなに余裕そうに!」

 

 運よく生き延びた悪魔を容易く斬り殺しつつ感嘆の声を漏らすアイリス。

 彼女は悪魔が死んでいる現状ではなく、それを為している者の力量に目を奪われていた。

 常軌を逸した戦闘力。そしていまだ姿を見せてない、本来この場にいて然るべき誰か。

 アイリスはその洞察力によって誰から教えられるまでもなく包帯頭の正体に勘付いており、既にゆんゆんに確認も行っている。

 

「違う、違うよ。余裕なんかじゃ、ない」

 

 そんな相方にゆんゆんは否定の言葉を述べる。

 全身に走る畏怖で声を震わせながら。

 

「何が違うんですか? 悪魔に紛れているせいでよく見えませんけど、剣舞を踊るくらい余裕じゃないですか。しかもとてつもなくお上手な剣舞を」

「多分だけど、今、あの人は本気を出してる」

「……? 訓練の時の方がずっと速くて強かったと思いますけど。スキルすら使ってないですし」

 

 アイリスの言葉が示すように、包帯頭は最初の高位悪魔を殺した時にしか攻撃スキルを使っていない。

 これはこの世界の常識では絶対にありえない戦い方であり、彼が忌避される一因となっていた。

 

「そうなんだけど、そうじゃなくて」

 

 少女は懸命に言葉を捜す。

 日頃の冒険者活動や鍛錬で見ていた力など、彼にとっては戯れの範疇を出ないのだと突きつけてくる、初めて見る師の本気の姿。強さを求めた先にあるものをバケツ越しに必死に目に焼き付けて。

 

「なんて言えばいいのかな……そう、全力ではないにしろ、私達にもハッキリと分かるような形で、本気を出してる」

 

 ゆんゆんの言葉と感覚はどこまでも正しい。

 今この瞬間、彼女の師は本気で悪魔と戦って(遊んで)いた。

 本気でジェノサイドパーティーに興じていた。

 

 そしてそれは、彼が限りなくノースティリスの冒険者に、廃人としての自分に立ち戻っているという事実を意味する。

 

 

 

 

 

 

 絶え間無く押し寄せてくる知性のある敵。そして無惨に撒き散らされる血と肉と命。

 野生動物を呼び出す終末狩りでは決して味わうことのできない、久方ぶりに味わう心地よい空気の中、心の底からジェノサイドパーティーを楽しむべくあなたは剣を振るう。

 

 説明するまでもないが、ジェノサイドパーティーとは観客の皆殺し(ジェノサイド)をもって幕を下ろすパーティーのことだ。

 だがその名前が示すようにパーティーであることを忘れてはいけない。

 

 パーティーには観客が必要だ。

 そしてパーティーである以上、最終的に殺されるのだとしても、その過程は観客も楽しめた方が良いに決まっていると、殺されたけど、それだけの価値はあったと思ってほしいと、あなたはそう考えている。

 あなたは殺戮に餓えているが、ただ殺すだけというのはあまりにも()()()()

 観客の無い中で行われる孤独な舞踏や演奏に価値は無く、観客を楽しませないジェノサイドパーティーはパーティー会場で行われるただの殺戮行為でしかないのだから。

 ただでさえ久方ぶりのジェノサイドパーティーなのだ。悪魔の残機を磨り減らして人々を救うという結果だけではなく、それまでの過程も重視したいとあなたは思っていた。

 

 だが今は防衛戦の真っ最中。

 一人で悠長に楽器を奏でているような暇はない。

 正確には不可能ではないのだが、それはあまりにも空気が読めていないし演奏の腕前で正体が露見しかねないので却下。

 

 ゆえにあなたは廃人として培ってきた剣の技量を用いて観客(悪魔)の目を楽しませることにした。一般的に魅せプレイと呼ばれる行為である。

 速度2000、つまり常人のおよそ28.5倍という速さで殺していては相手が楽しめないので、基準速度である70を維持したまま戦い、その上で人間の被害も可能な限り減らす。

 能力を意図的に制限した見栄え重視の戦いを行うというのは慣れていないのもあって少々大変だが、それでも見る者が少しでも楽しめるよう、誠心誠意、本気で心を込めて観客を魅せられるようにあなたは心がけていた。たとえそれが酔狂な自己満足に過ぎないのだとしても。

 

 その上で殺す。観客である悪魔を片っ端から皆殺しにする。

 残機がある限り、悪魔は死体を残さない。放っておけば勝手に消失する。血も肉も骨も、全ては泡沫の夢の如く。

 あなたはダーインスレイヴを要求された怒りで最初の悪魔は手ずから丹念に処理したが、何も残さないだけゴミよりマシと受け取るかは人それぞれだろう。

 ゆえにお代は命を置いていくだけ。残機があるのだから命の十や二十は安いもの。まったくもって良心的な料金設定と言わざるを得ない。今のあなたは本気でそう思っている。

 

 世の為人の為に好きなだけ殺していいという大義名分。

 現在進行形で行われているジェノサイドパーティー。

 殺しても這い上がってくる上に悪辣な性格をしているという、ある意味ノースティリスの冒険者によく似た性質を持つ悪魔達。

 

 結果として、これらの要素はウィズという外付け良心装置によって嵌められた枷を解き放ち、あなたの心の天秤を限りなくノースティリスの冒険者の側に傾けた。

 地獄に突撃しないのは自分の命を大事にするという約束があるから。そして悪魔しか殺していないのは、あなたに残された正真正銘最後の自制心だ。

 それすら無くしてしまえば、あなたは今度こそ完全にノースティリスの冒険者としての己を取り戻し、一切の見境を失うだろう。

 

 

 

 

 

 

 激しい戦いの中、ダーインスレイヴは悪魔の肉を切り裂き、骨を断ち、血を浴びながら歓喜に打ち震えていた。

 もしそんな機能があれば、幼子のような声をあげて泣いていたことは間違いないほどに。

 

 悪魔を殺戮する主は、傍から見れば血に狂った魔剣に支配されているように見えるだろう。

 だが他ならぬ彼女には分かっていた。

 主は自分がもたらす力をまるで意に介していない。精神に何ら影響を受けていない。完全に素の自分を保ったまま戦っているということを。

 

 自分を使っても狂わないこと。壊れないこと。

 それは、ダーインスレイヴが歴代の担い手に何よりも求めていた資質であり、しかしただの一人も満たすことの出来なかった資質だった。

 

 悪魔から譲渡を要求された時、彼女は主の殺意と絶対に手放さないという意思を感じ取った。

 意思の根源は力への渇望でも悪魔への嫌悪でもなく、ただの物欲。独占欲と言い換えてもいい。

 自分の力に狂い、手放すことを拒否する担い手は腐るほど見てきたが、ただの珍しい武器、一つの神器としての自分を求められるのは初めてだった。

 そんな主の独占欲は、彼女に一つの決意を抱かせることになる。

 

 すなわち、この主で最後にしようと。

 

 彼女は次の主を迎えても、同じように力を与えていく。ダーインスレイヴはそうあれかしとして生み出された剣であるがゆえに。

 だが、彼という担い手を、自分を本当の意味で使いこなす無二の主を得た今、他の者に使役されて同じ悲劇を繰り返すなんて二度と御免だった。

 故に彼という人間が終わりを迎える時、彼女もまた終焉を迎えることを決めたのだ。

 

 自分を使っても壊れない心身ともに歴代最高の担い手にして、意思持つ武具という、彼女からしてみれば同族を多数所持する収集家。

 同族とのお喋りも初めての経験だった。主の愛剣はやたらと風当たりが強くて少し困るが、彼女はもう担い手を狂わせて破滅させるのも、封印という孤独の中で永い年月を過ごすのも嫌だった。

 彼の手にある限り、自分は主を破滅させる血塗られた魔剣ではなく、ただの強力な神器の一つでいられる。

 それは数多の悲劇を生み出し続けたダーインスレイヴにとって、泣きたくなるくらいに幸せで、夢のような話だった。

 

 

 

【PM16:23 残り21時間37分】

 

 ふと、あなたは周囲を見渡す。

 

 いつの間にか、戦いの痕跡が殆どと言っていいくらいに消え去っている。

 悪魔の攻撃の余波で舞台のあちこちが崩れているが、逆に言えばそれだけだ。

 あなたがあれだけ浴び続けていた返り血も、気付けば臭いすら無くなっていた。

 

 どういうことだろうと、止まらない違和感と胸の奥より生じる飢餓にあなたは眉をひそめる。

 時計を見れば、まだ殺し始めて一時間半も経過していない。

 数にして1200近く。その程度しか殺していないというのに、ゲートから新しい悪魔が湧かなくなったのだ。

 あなたは感謝をこめて殺してきた観客の顔や特徴を全て覚えている。そしてまだ観客は一度ずつしか殺していない。

 おかしい。これは誰がどう考えてもおかしい。終わるにはあまりにも早すぎる。ゲートに不具合でも起きたのだろうか。攻撃は当てていない筈なのだが。

 

 ハラハラした心地で一秒でも早く悪魔が出てくることを祈るあなたの姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 あなたが胸を焼く焦燥感を紛らわせるべく魔剣を素振りして周囲の人間から距離を置かれていたちょうどその頃。

 地獄の深部、人間界に続くゲートの前は大騒ぎになっていた。

 

「思ってたやつと違う!」

「誰よ、24時間人間殺しまくり悪感情食べ放題パーティーなんて言ったのは!」

「やたら強い人間がゲートの前で出待ちしてるんですけど。好みのショタっ子の手足を引き千切って地獄にお持ち帰りする予定が台無しなんですけど。キレそうなんですけど」

「どうなってんですか伯爵! あんなのがいるとか聞いてませんよ!?」

 

 喧々囂々、吃驚仰天。

 予想だにしない状況に慌てふためく悪魔たちに、伯爵と呼ばれた悪魔は怒鳴り返したい気持ちでいっぱいだった。

 どういうことなのかを聞きたいのはこちらの方だ、と。

 

 今回の襲撃にあたり、悪魔達は幾つかのルールを設けていた。

 それは人間界に行ける悪魔の数は一度に100まで、20時間が経つまで残機を減らされた者は1時間休み、といった自分達を制限するようなもの。

 ルールといっても契約のような強い縛りではなく、意味合いとしては口約束やマナーといったものに近い。

 隔絶した彼我の戦力差を理解する悪魔達にとって、この戦いは完全に遊戯であり、極上の悪感情を得るための餌場でしかなく、多少残機を減らされたところで痛痒すら感じない。そのはずだった。

 

 1200。

 この場に集った悪魔の総数である。そして魔王軍とは一切関係が無い。

 地獄の七大悪魔の傘下である彼らは全員が最低でも20の残機を保持しており、数合わせの雑兵など一人もいない。

 自由すぎる主がここ数百年領地の経営を放り投げているせいで微妙に肩身が狭い思いをしている、残忍で、凶悪で、精強な悪魔達。

 地上では悪魔の能力はおよそ半分にまで低下するわけだが、それでもそこらの国の一つや二つ、思考停止の平押しで陥落させられるだけの戦力だ。

 世界最強国家であるベルゼルグが相手でもそれなりの深手を与えられるほどに。

 

 それがおよそ一時間で全滅した。文字通りの意味で全滅した。

 1200の悪魔達が、一人残らず残機を減らされたのだ。

 原因は分かりきっている。今もゲートの前で悪魔を出待ちしているであろう始末屋ことダーインスレイヴの担い手、包帯頭だ。

 英雄や勇者といった言葉では到底片付けられない出鱈目な強さ。完全に想定外にして規格外の存在。正真正銘の一騎当千。

 

 ゲートが一度に三体程度しか通れないサイズなのも被害の拡大に繋がった。

 本来の予定通り、地獄に転移してきた人間達を全軍で囲んで嬲り殺しにするという形であれば、こうも一方的な展開にはならなかっただろう。

 今の人間側はゲートという分かりやすい目印に火力を集中すればよく、悪魔の側も出待ちである程度削られるであろうことは最初から承知の上だった。

 だが悪魔の数と質と残機に対して結界に隔離された人類の総戦力、継戦能力はあまりにも乏しい。

 彼らは遠からずして悪魔の圧力を抑えきれなくなり、結果として闘技場は阿鼻叫喚の地獄絵図に陥るはずだった。

 たった一人で圧力に耐えるどころか、逆にほぼ全ての悪魔を駆逐した包帯頭さえいなければ。

 

 集団の頭である伯爵にいたっては早くも残機を二つ失っている。

 一度殺された後、何が起きたのか分からずゲートの前で呆然としていたところを、ゲートから生えてきた剣によって殺されたのだ。

 上半身をぶちまけて絶命する伯爵の凄惨な死に様を目の当たりにした悪魔達はドン引きした。

 ドヤ顔を決めて一人で人間界に宣戦布告に行ったのにもう死んだのかと笑っていたら、まだ終わっていないとばかりに再度惨殺されたのだから。

 これ絶対向こう側にキチガイ級のエリス教徒がいるだろ……と嫌な確信を抱くのも当然といえた。

 何度か出した様子見が全員揃って一瞬で死に戻りした結果、確信は更に強固なものとなる。

 

 今もゲートの半径5メートル以内は不自然に空白が生まれており、誰一人として近寄ろうとしない。

 悪魔は好みの悪感情を得るためならば時に命すら惜しまないが、無為に残機を減らされるのを良しとするわけではない。

 士気の低下を感じ取った伯爵はこのままではいけないと、一つの提案をする。

 

「一度に送り込む人員を増やすためにゲートを広げる。作業終了まで恐らく3時間はかかるだろう。終わる頃には人間界は夜になっているだろうが、夜の闇は我らの力を強める。よってそれまではハラスメント(嫌がらせ)攻撃に徹するというのはどうだ?」

「賛成!」

「異議なし!」

 

 かくして悪魔達は、ゲートを拡張する時間を稼ぐべく攻撃魔法やスキルを撃ってチマチマ嫌がらせする作戦に切り替えたのだった。

 

 

 

 

 

 

【PM16:30 残り21時間30分】

 

 戦いはあなたが期待していたものとはまるで別の形になった。

 押し寄せてくる悪魔を殺し尽くす殲滅戦から、ゲートから散発的に飛んでくる悪魔の攻撃を盾や魔法で生み出した壁、ゴーレムを使って防ぐという、退屈で面白みの無い消耗戦に。

 やることがなくなってしまったと、悪魔を出待ちしていたあなたは傷心のままに後方に下がった。

 ゲートに攻撃するのは簡単だが、今のあなたが求めているのは自分の手で殺したという実感であって冒険者カードに刻まれる数字ではないのだ。

 

「壊れた壁は随時魔法をかけ直して修復しろ! 消耗した者は控えと交代! 間違っても後方に攻撃を飛ばすなよ!」

 

 恐らくはリカシィの騎士なのだろう。檄を飛ばす指揮官の背中を冷めた心地で見やる。

 状況は悪い意味で安定していた。膠着したと言い換えてもいい。

 悪魔の攻撃にはまるでやる気というものが感じられないのだ。威力はそれなりにあるので放置するわけにもいかないが、嫌がらせ以上のものになっていない。人類側もそれは理解しているはずだ。

 

 ゲートから飛んでくる攻撃の射角はおよそ120度。これは流れ弾による同士討ちを避けるためだろう。

 今のところ360度全方位に攻撃がばら撒かれるような事態には陥っていない。だからこそこうして防ぐことができている。

 時折こちらからもゲートに攻撃を放っているようだが、どこまで効果があるかは疑問である。

 そしてこのまま時間切れまで悪魔が消極的な行動に走った場合、期待を裏切られたあなたは怒りのままにゲートが閉じるタイミングを見計らい、核爆弾を地獄に投擲するつもりだった。

 

「ちょっとよろしくて? 悪魔の行動について耳に入れておきたいことがあります」

 

 剣呑な空気を漂わせるせいでゆんゆんすら近づいてこないあなたに声をかけてきたのはリーゼだ。

 彼女は何かが書かれたレポートを手に持っている。

 悪魔の行動と言われても、相手が地獄に引き篭もってしまったのは誰の目にも明らかだ。あれだけ大口を叩いておきながらこの様とは、あなたでなくとも遺憾の意を表明するというものである。

 

「悪魔が突然引き篭もった理由についてはおおよそ想像がつきますが、まさか最後までこれが続くわけではないでしょう」

 

 ここであなたはようやくリーゼに目を向けた。

 彼女はこれで終わりではないという。

 何かしら根拠があっての発言なのだろうか。

 

「魔王軍と違い、悪魔は人間を殺すためなら手段を選ばないというわけではありません。糧である悪感情を得るために殺すのです」

 

 ゲートから互いの姿を見ずに殺すのでは、悪感情を得ることができない。

 そして悪感情を諦めたのであれば、ゲートを維持しておく理由が無い。

 つまり悪魔達は次の攻勢の準備中なのだとリーゼは言う。

 

「それに、悪魔が出てこなくなってから、ゆっくりとですがゲートが拡大し続けていますわ」

 

 先ほどまでの悪魔は、一度に三、四体しか出てこなかった。

 その結果があなたによる出オチの連発であり、生存者を増やすためにゲートを拡大している最中なのだろうとリーゼ達は推測していた。

 

 なるほど、不貞腐れるにはまだ早いとあなたは納得して気持ちを切り替える。

 ノースティリスでも冒険者が請け負うパーティー依頼は一回につき60分と相場が決まっていた。

 今は休憩時間、幕間なのだと思えば、次の出番を待つのも苦にならない。あなたは剣呑な気配を引っ込めて落ち着きを取り戻すのだった。

 

 

 

 

 

 

【PM19:40 残り18時間20分】

 

 悪魔によるゲートの拡張は無事に終了した。

 平均的な体躯を持つ悪魔が同時に十体まで突入可能になったのだ。

 これ以上の拡張はゲートが不安定に陥り、最悪消失してしまうというギリギリまで広げたことになる。

 

「さて、再突入の準備が終わったわけだが……全員、作戦は頭に入っているな?」

「一斉に突入、殺されても生き残りで包帯頭を囲んで叩く。無理ならガン逃げして他を狙う」

「なんという知性に溢れた作戦。これは成功間違いなし」

「こんだけ苦労させられてるんだから、たんまり悪感情を食わんと割に合わんぜ」

「とにかく包帯頭だ、包帯頭さえ凌げばどうにでもなる」

 

 散々ハラスメントを続けて疲弊させた後の総攻撃。

 その直前に言葉を発したのは、場に集った悪魔の中でも特に感情に敏感な悪魔だった。

 

「……ちょっといいか?」

「どうした?」

「俺、一回殺されてからずっと思ってたんだけど。あの包帯男ってさ、もしかしてここ数十年行方不明になってるっていうマクスウェル様じゃね?」

 

 あちらこちらから聞こえてくる、はあ? という呆れ声。

 

「お前は何を言っているんだ」

「包帯頭はエリス教徒だって結論が出たでしょ」

 

 口々に否定されたその悪魔は、突如として激昂した。

 

「だって明らかに強さが人間じゃねえもん! どっからどう見ても俺ら側じゃん!」

「いやまあ、うん。確かにそうだけども」

「神とか天使とかそこらへんかもしれないじゃん?」

「俺らに憎悪とか憤怒じゃなくて歓喜と感謝と友愛と郷愁と殺意がごちゃ混ぜになった感情を向けてくるようなエリス教徒や神がいるわけねえだろ常識的に考えて! もっかい言うけど歓喜と感謝と友愛と郷愁と殺意だぞ!? どういう感情だよ滅茶苦茶すぎるだろ意味分からんわ! どんな頭してたらそうなっちゃうの!? 俺は悪魔だけど本気でこええよアイツ!!」

 

 一見すると荒唐無稽でしかない主張に沈黙する悪魔達。

 歓喜と感謝と友愛と郷愁と殺意。

 誰もが薄々と感じ取っていた、包帯頭が自分達に向けてくる得体の知れない感情が納得という形で明確になった瞬間である。

 結果として、悪魔達の中で一つの結論が生まれる。

 すなわち、包帯頭は理解不能な存在である、と。

 

 奇しくもそれは七大悪魔と呼ばれる存在達と同じだった。

 

「……え、マジ? マジでマクスウェル様かもしれないの?」

 

 地獄の公爵、七大悪魔の一角。

 真実を捻じ曲げる者。

 辻褄合わせのマクスウェル。

 

 彼らの主、その友であるマクスウェルという悪魔には謎が多い。

 人間、それも勇者や英雄ではなく学者に存在を否定された、などという根も葉もない噂が流れるほどに。

 そして実際にその姿を見たことのある悪魔はこの場に存在しない。

 存在しないのだが、マクスウェルについて知っていることはある。

 一見すると人間の青年によく似た姿をしていること。後頭部が消失していること。時には同胞に手をかける程度には気が触れていること。

 どれもこれも悪魔界隈では非常に有名な話だ。

 

 現在問題になっている相手は、若い人間の男のような体つきであり、頭部全体を包帯で覆い隠しており、気が触れているとしか思えない、常軌を逸した感情を自分達に向けてくる。

 本人だと断定するには根拠が弱すぎるが、同時に絶対に違うと否定しきれるだけの材料も無い。

 

「…………」

 

 辺りに不気味な沈黙が満ちる。

 そして。

 

「直前になってそういう怖いこと言うの止めろよ本当にそうかもって思えてきただろ!」

「ダメだって! 侯爵級まではピンキリだけど公爵級は、七大はマジで無理だって!」

「下級神格をワンパンで滅ぼすようなお方に私達が勝てるわけないじゃないですかやだー!」

「悪魔の軍団を束ねる七大悪魔が臣下より弱いとでも思ったか理論が僕達を襲う!」

「七大単独で配下含めた領地の悪魔を全員一度に相手して余裕でぶちのめせるっておかしくない? 地獄のパワーバランス壊れすぎてない?」

 

 恐怖で震え上がる悪魔達。

 彼らの上司もまた七大悪魔の一角であるがゆえに、七大悪魔については並の悪魔より遥かに知見を得ている。

 

 爵位級の悪魔が必ずしも位に見合った強さを持っているというわけではない。

 人間と同じように、その権力や財力によって爵位持ちを認められている悪魔は少なくない。

 だが公爵級である七大悪魔だけは話が別だ。

 七大悪魔に求められる要素は、純然たる戦闘力、その一点のみ。

 最上位の力を持つ神格と互角に渡り合う、その理不尽としか表現しようのない強さについて、臣下である彼らは嫌でも理解していたし骨身に染み付いていた。

 

「いっそこっちから呼びかけてみるか? 流石にマクスウェル様だとは思わないっていうか心の底から違っていてほしいが、悪魔の悪感情を狙う同胞の可能性は捨てきれない」

 

 兵士の中には工作員として悪魔崇拝者が複数紛れ込んでいる。

 その者達に声をあげさせるのだ。

 バケモノみたいな強さを持つ包帯頭は怪しい、これは悪魔の自作自演なのではないか、と。

 悪魔からしてもおかしい強さなのだから、それなりに説得力はある。

 

「でもそれって根本的な解決にはなりませんよね?」

「同士討ちを狙うにしても、使ってる剣はダーインスレイヴなんだろ? いざとなったら包帯頭は普通に人間を殺すんじゃねえかなあ」

「あんまり殺されちゃうと悪感情の取り分がほら、ね?」

「まあ、どっちにしろ包帯頭の足を引っ張らせることくらいは出来るかもしれないわね」

「じゃあ試してみる価値はあるってことで」

 

 

 

【PM19:44 残り18時間16分】

 

 日が沈み、魔の者の時間である夜がやってきた。

 天井が結界に覆われているせいで星と月の光は最小限しか会場内に届いておらず、無数の篝火と明かりを灯す魔道具が会場内を照らしている。

 

「食事中にすまない、少し時間を頂けるだろうか」

 

 そんな中、ゲート付近で一人寂しく夕食を食べていたあなたに声をかける者がいた。

 警戒混じりの硬い声に顔を上げれば、女性の騎士と複数の兵士、そしてアークプリーストと思わしき法衣を纏った老人が半円を描くようにあなたを取り囲んでいる。

 妙に物々しい雰囲気だとあなたは感じた。それとなくゲートを見やるも、悪魔は沈黙を保っている。

 

「……突然だが、一部の兵から貴方に疑いの声が出始めている」

 

 あなたは血塗られた魔剣と恐れられるダーインスレイヴを使っている。

 事情を知らない者に萎縮されるのは致し方ない。ジェノサイドパーティーの必要経費と甘んじて受け入れるつもりだった。

 また自分のせいで主に迷惑がかかったと感じたのか、しゅんと気落ちするダーインスレイヴを慰めるようにそっと刀身を撫でる。単純に不憫だと思ったし、ペットおよび所持品のメンタルケアはあなたの義務だからだ。

 あなたが感じ取ったのは、物言わぬダーインスレイヴからのえへへ……と目に涙を浮かべながらもはにかんで手のひらに頬ずりするような柔らかな意思。

 次いで、愛剣が薄汚い体でご主人様に触れるなぶっ殺すぞクソビッチといった具合の理不尽すぎるキレ方をした。徹底的なまでに相性が悪いが、ホーリーランスを相手にする時より相当にマシなので問題は無い。

 

「ダーインスレイヴを使っていることもあって、その……貴方は悪魔の関係者なのではないか、拘束すべきだ、という意見がだな……無論誰も取り合いはしなかったが……それでも疑心が広がりつつあるのだ」

 

 内輪揉めを始める程度には余裕があるようで何よりだと、あなたは含み笑いをする。

 しかしそれもほんの僅かな時間のこと。

 包帯の下で細められた視線の温度は、真冬の雪山もかくやという勢いで低下していく。

 

 あなたは悪魔と疑われたところで怒ったりはしないし苛立ちも無い。これは本当の話だ。エリス教徒であれば互いの尊厳をかけた戦いが始まるところだが、あなたは気にしない。

 だがジェノサイドパーティー、もとい無辜の人々の為の正義の戦いを邪魔しようというのであれば、これは断じて許されることではない。あなたは声を大にして立ち上がるだろう。

 世界中の全ての人があなたを糾弾しようとも、女神エリスだけはあなたの背中を押してくれる。悪魔を殺して人々の為に戦えと。正義を為すのだと。

 神意という名の大義名分を手に入れたあなたが止まることは決してない。

 行く手を阻む者に死を。これはあなた達にとっての不文律でもある。

 流石に殺しはしないが、お楽しみを邪魔する無粋な輩はみねうちで死なない程度にぶちのめされても文句は言えないし言わせない。

 

 言葉を発する事無く、しかし人間的な感情の一切が消失した瞳でダーインスレイヴを手に取るあなたに、取り囲んだ人間、そして周囲で見守っていた人間達から一気に血の気が引いていく。

 

「いや待て、待ってくれ。すまない。この通りだ。貴方が怒る気持ちはとてもよく分かる。誠に申し訳ない。貴方の奮戦のお陰で犠牲者が出ていない事実は我々もよく理解しているつもりだ」

 

 まさかいきなり実力行使に訴えてくるとは思っていなかったのか、慌てて頭を下げる騎士の女性。

 完全に問答無用で来ると思っていただけに、あなたとしては出鼻を挫かれた形になる。

 少し大人気なかったかもしれないと、毒気を抜かれたあなたは反省した。

 視界の端で泡を食って駆け出そうとしていたゆんゆんに、大丈夫だ問題ないと軽く手を振って応える。

 みねうちはもう少し話を聞いてからでも遅くはないだろう。

 

 剣を置いて続きを促してみれば、彼女達は疑いを晴らすため、あなたに幾つかの魔法をかけたいのだという。

 具体的にどんな魔法なのかを尋ねたあなたは、返ってきた答えに首肯してその申し出を受け入れた。もし謀ってきた場合の対応はお察しである。

 

「では失礼して……セイクリッド・エクソシズム!」

 

 随伴の僧侶が唱えたのは、悪魔を祓う破魔の高位魔法だ。

 悪魔のみならず魔族や邪教徒にも効果を発揮し、普通の人間には無害。だが一般的に人間に使うのはマナー違反だとされている。

 この魔法を使うということは、対象を悪魔や邪教徒だと疑っていると宣言しているようなものだからだ。どうしたっていい顔はされないし、下手をすれば決闘や裁判沙汰にまで発展する。

 そんな青い炎があなたに降りかかり、薄暗い闘技場の中を明るく照らし出す。

 悪魔にとっては猛毒に等しい、しかし人間にとっては幻想的な光景を生み出すだけの退魔の魔法はおよそ一分の間持続し、やがて音も無く消え去った。

 あなたは異世界人だが悪魔ではないので、当然のように効果は無い。むしろ効いていたら驚きである。

 

「セイクリッド・ターンアンデッド!」

 

 次いで、あなたの周りを穏やかな純白の光が取り囲んだ。

 アンデッドを浄化する魔法の中でも上位に位置するものであり、高位アンデッドが相手であっても十分効果が見込める強力なもの。

 こちらも軽々しく人間相手に使おうものならば、ノータイムで顔面に拳が飛んできてもおかしくない魔法である。

 そして言うまでもなくあなたに効果は無い。

 

 その後も幾つかの魔法をかけられることによってあなたが悪魔や魔族、アンデッドは勿論のこと、精霊や神でもない正真正銘生身の人間だと証明され、まさかと成り行きを見守っていた者たちの間に安堵と驚愕が広がっていく。

 結果的に悪魔を退けて人々を守るという目的が達成されるのだとしても、それが認められない程度に悪魔やアンデッドに対する風当たりは強い。ウィズとベルディアはさぞかし生き難い思いをしているのだろう。

 決して一般的な存在ではないが、それでもスケルトンやリッチが人間の中に混じって生きている世界で生きてきたあなたとしては、カルチャーギャップに戸惑いを覚えてしまう。

 ベルディアはペットなので当然連れて帰るとして、ウィズもいつかはイルヴァに永住してくれないものだろうかと、あなたは自身の故郷に思いを馳せるのであった。

 

 

 

 

 

 

 悪魔崇拝者からもたらされたその情報は、全ての悪魔を震撼させた。

 

「包帯頭、人間だってよ……」

「ちょっと何言ってるか分からない」

「すぐ嘘つくよね」

 

 彼らからしてみれば、相手が神や七大悪魔だった方が余程救いがあった。

 狂った強さの理由が理解できるし、説明できるからだ。

 それほどまでに包帯頭は強かった。

 ダーインスレイヴを使っているというだけでは到底説明がつかないほどに。

 

 この期に及んでも悪魔達に撤退の文字は無い。

 時間に対して残機はまだ余裕があるし、何より数万人の悪感情を得るなど、千年に一度あるかないかという稀に見る極上の好機だったからだ。

 

「最早遊んでいる余裕は無いことは明らか。小細工も抜きだ。全軍で集中して包帯頭を叩くぞ」

「精鋭が聞いて笑うわね。閣下が聞けば爆笑するでしょうよ」

「それでも包帯頭を殺せるのなら安いもんだ。……だが、本当に殺せるのか?」

「必ず死ぬはずだ、人間ならば!」

 

 

 

 

 

 

【PM20:01 残り17時間59分】

 

 言わずもがな、夜とは魔の者の時間である。

 太陽が沈み、月が天に昇ったのを見計らったように、再び悪魔の猛攻が始まった。

 拡大したゲートからは無尽蔵とすら思える悪魔が絶え間無く湧き出てくることで、悪魔に抗う人々の心胆を寒からしめる。

 

 だが、その動きについては明確に変化した。

 物見遊山の色が濃かった先ほどとは違い、確かな意図……殺意の下に動く悪魔達。

 これは悪魔に付け入る隙が減った事を意味し、人類にとって凶事に他ならない。

 

 夜の闇、月の光によって強化された悪魔達の狙いは一つ。

 降って湧いた障害にしてたった一人で最終防衛線を担う、包帯頭の命。たったそれだけ。

 秒単位で積み上げられる同胞の屍に目をくれる事無く、他の人間には一切目もくれず、彼らは狂ったように包帯頭に襲い掛かる。

 そこに勝機があるのだと、その先に自分達が求めるものがあるのだと信じて。

 数万という人間を容易く殺し尽くせる悪魔達が、恥も矜持も投げ捨てて、1200対1という、いっそ馬鹿馬鹿しくなる数の差を用いて、たった一人を殺すために。

 

 悪魔達の凄絶な殺意と気迫を感じ取り、それでも包帯頭は口元に歪な弧を描く。

 無抵抗な相手を機械的に処理するよりも、必死に足掻いて抵抗する相手を闘争の中で殺すほうが楽しいということを、彼はよく知っていた。

 

 

 

 

 

 

【AM0:32 残り13時間28分】

 

 日付が変わって少し経ち、闘技場の人間達が眠気と戦い始めたちょうどその頃。

 地獄はお通夜に片足を突っ込んでいた。

 

「えー、4時間半かけて合計3600近い残機を捧げた包帯頭集中攻撃作戦ですが……」

「なんの成果も! 得られませんでした!!」

「ハイクソー。二度とやらんわこんなクソ作戦」

「残機が! 残機がオシャカになったっ!!」

「一度に三倍送れるようになったはずなのにね、さっきと何も変わらなかったね、夜なのにね、おかしいね」

「何も変わらないどころか最初よりやべー奴になってない?」

「夜になったら強くなるってやっぱり魔の者じゃねえか!」

 

 逆に楽しくなってきたとヤケクソ気味に笑う悪魔達。

 彼らは包帯頭をこれっぽっちも人間だと思っていない。

 

 そしてことここに至り、遂に悪魔達は全ての驕りと慢心を捨て去った。

 1200という数の悪魔が覚悟を決め、天使や善神といった不倶戴天の敵と戦う精神状態になったのだ。

 ありとあらゆる手段を用いて包帯頭を殺すべく。

 全ては悪感情を得るために。

 

 

 

 

 

 

 AM0:35

 数分の小休止を挟んで悪魔の侵攻が再開。

 そしてこれ以降、ゲートから出現する悪魔が途絶えることは一度も無くなった。

 

 AM0:49

 悪魔が召喚したミスリル製の巨大ゴーレムが二体同時に襲来。

 その体躯は天井部分の結界に届くほどのものであり、普通に破壊しただけでは観客席及び闘技場内への被害が確実と、包帯頭にとって非常に相性が悪い相手だったが、一体はリーゼロッテの固有魔法『オブリタレイト』によって灰の一欠けらも残さず焼失。もう一体はムカつくぜクソッタレー! チームの魔法使いの固有魔法『黒く歪む星』により存在の痕跡すら残さず消失。

 かつて魔王の相棒である炎の不死鳥(フェニックス)すら焼き殺してみせた白炎の魔法、オブリタレイト。

 インクをぶちまけるように対象を黒で塗りつぶして抹消する魔法、黒く歪む星。

 全力を出した自分にすら通用する二つの超魔法を見た包帯頭のテンションが限界を突破。エーテルの魔剣を呼び出そうと試みるも、ダーインスレイヴとの二刀流を嫌った魔剣の癇癪により左腕と内臓の数箇所がミンチ一歩手前に。辛うじて正気に戻ることに成功。

 莫大な召喚コストがドブに捨てられた事実に悪魔は半泣きになった。

 

 AM1:00

 女神エリス、現在進行形で減っている悪魔の残機を感じ取り、すっかりお気に入りになった戦士を応援しながら就寝。

 その寝顔はここ数十年で最も安らかだった。

 

 AM1:37

 隅に転がされたまま忘れられていた勇者伊吹が目覚めるも、即座にエリス教徒によって袋叩きにされ再び気絶。

 いつまでもパンツ一丁のまま放置しておくのは良くないのでは、というジャスティスレッドバケツガールの正論によって毛布がかけられることに。

 その後、エリス教徒によって簀巻きにされた挙句「私は悪魔と手を組んで人類を裏切った、ゴブリンにも劣る生きる価値の無いゴミクズです」と書かれた麻袋を頭に被せられた。

 

 AM3:34

 眠気と疲労によるコンディション低下を懸念した上層部により、防衛戦力は入れ替わりで睡眠をとることが決定。

 ただし感謝のジェノサイドパーティーがやめられないとまらない包帯頭を除く。

 

 AM4:44

 悪魔達の呼び出しに応じた侯爵級悪魔が退屈潰しとして襲来。

 包帯頭を相手に単独で15秒の時間を稼いだことで悪魔達から尊敬と賞賛を一身に浴びるも、肝心の侯爵級はあんなバケモノと戦わせるんじゃないわよ! と涙目で同胞に罵声を飛ばしてとんぼ返りした。

 

 AM6:59

 悪魔の合計死亡数が10000を突破すると同時に女神エリスが起床。

 その寝覚めはここ数十年で最も爽快だった。

 

 AM7:32

 伯爵が自身の上司、七大悪魔の一角との接触に成功。土下座して応援を依頼。

 だが爆笑のち我輩のご飯は減らすなといつも言っているだろうと叱咤された挙句、近所の清掃活動とカラス退治で忙しいから帰れと地獄に強制送還されることに。

 

 AM9:15

 避難民の中から悪魔崇拝者達が蜂起。

 

 AM9:20

 悪魔崇拝者の鎮圧終了。

 避難民及び警備に重軽傷者多数。死者ゼロ。

 蜂起があった全ての箇所で、包帯を頭に巻いた幼い少女に半殺しにされていた、という報告が確認される。

 包帯頭に聞き取りを行ったところ、こんなこともあろうかと控えさせていた自分の仲間だという回答が返ってきた。

 ダーインスレイヴの回収が更に困難になったことを理解した上層部の胃が悲鳴をあげる。

 

 AM9:30

 悪魔による最終最大攻勢開始。

 

 PM13:55

 全ての悪魔の残機が1に。作戦終了。

 最後に殺された伯爵の捨て台詞はバーカ! 滅びろ人間!! だった。

 

 PM14:00

 ゲートと結界が消失。

 悪魔側の合計死亡数37564。

 人類側の死亡者0。

 

 

 

 

 

 

「消えた……空も……終わったの……?」

 

 人類を脅かすゲートが閉じ、空を隠していた忌まわしい結界が消失した。

 人間達の目に飛び込むのは抜けるような夏の青空、白い雲。眩しい太陽の光。

 あんなにうるさいと思っていたセミの声。そして会場に突入してくるリカシィ騎士団の声が遠くから聞こえてくる。

 

 暫しの間の後、大喝采が会場を包み込んだ。

 勝ったのだ、生き延びたのだと、誰も彼も喜びを爆発させて。

 

 悪魔は最後の最後まで諦めなかった。

 何故そこまで固執するのか、というほどに戦いを止めなかった。

 

 それでも人類は勝利した。未曾有の危機を乗り越えたのだ。

 一人の死者も出さないという、最高の形で。

 

 悲劇を喜劇に塗り替えた最大の原因にして立役者、包帯頭。

 歓声の中、ただ一人舞台の中央で立ち尽くしていた彼は、やがて肺腑の空気を入れ替えるように深い、とても深い息を吐き、ゲートがあった場所から目を離して戦いを共にした者達に向き直った。

 喜びから一転、緊張に満ちた沈黙が会場に満ちる。

 多くの者が武器を手に身構えるも、包帯頭がとった行動はあまりにも予想外のものだった。

 

「……え?」

 

 あちこちから聞こえる呆けた声。

 それもその筈。剣を鞘に収めた包帯頭は、自分以外の全ての者に対して向けるように、ゆっくりと腰を曲げ、静かに頭を下げたのだから。

 王侯貴族もかくや、という優雅な礼はまるで、演奏を終えた音楽家のようであり、あるいは舞踏を終えた踊り子のようでもあり。

 いかがでしたでしょうか。ご満足していただけたのであれば幸いです。

 そんな声が聞こえてくるような、どこか気取っていて外連味に溢れる、しかしやるべきことをやりきって心の底から満足した者だけが出来る礼だった。

 

 そして、頭を下げた体勢のまま。

 ダーインスレイヴの担い手である包帯頭は、まるで幻のように、人々の前から忽然と姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

「……かくしてリカシィを襲った未曾有の危機は、災いを呼ぶ呪われた魔剣と、その主の活躍によって辛くも退けられたのでした。めでたしめでたし」

 

 その日の夕刻。

 無事に幕を閉じたジェノサイドパーティーの余韻に浸りつつ一人で飲み会を開いていたあなたをリーゼが訪ねてきた。

 

「いい話ですわね。感動的ですわ」

 

 戦いが終わって数時間が経過した今も、あなたからダーインスレイヴを回収しようとするリカシィの者はやってきていない。

 聞くところによると王女アイリスには正体を勘付かれたようだが、秘密にしてくれるとのこと。

 どちらも目の前の老婦人の忖度があってのものだと理解しているあなたは、彼女に感謝を告げた。

 

「どういたしまして。こちらとしても、あなたがダーインスレイヴを所持している限り安全ならば口外する理由はありませんわ。怪我人こそ多数出ましたが、あなたのおかげで死者は一人も出さずに済んだわけですし。奇跡ってレベルじゃありませんわよこんなの」

 

 リーゼはあなた抜きだと最低でも会場の9割が死ぬと予測していたらしい。

 概ねそんなところだろうと、あなたは自身が殺してきた悪魔を思い返す。

 深夜に一度だけ現れた女悪魔がいれば、ほぼ確実に全滅していただろうが。

 

 あなたと十数秒渡り合った後に殺された悪魔はさておき、リーゼは何をしにこんな所にやってきたのだろうか。

 彼女はあなたと違って立場のある身分だ。さっきの今ではまだまだやるべきことが山積みになっているはずである。

 

「ええ、今回はレインに無理を言って抜け出してきましたが、今日から我らベルゼルグの使者は忙殺されることになるでしょう。なのであなたがとんずらぶっこく前に感謝と口裏合わせ、そして一つばかり依頼をしておこうかと」

 

 王女アイリスとゆんゆんは悪魔との戦いの中、安全な場所に避難しており、そこに護衛としてあなたも一緒にいた事にしてほしいのだという。

 リーゼはあなたがエチゴノチリメンドンヤチームの正体を知っていることを知らないからこその提案だろう。

 どちらにせよ否やは無い。あなたは首肯した。

 

 そして依頼の話だ。

 あなたはグラスを揺らしながら目線で先を促す。

 自分に何をさせたいのかと。

 

「魔王の殺害を」

 

 それは今まで散々見てきたおふざけなど一切存在しない、本気の声色であり表情だった。

 リーゼは今、公人として、ベルゼルグの貴族として自分と相対しているのだろう。あなたは心地よい酔いの中で確信を抱く。

 同時に依頼の内容も納得できるものだった。ダーインスレイヴという神器を使ったとはいえ、あなたはそれだけの力を見せ付けたのだから。

 女神エリスに魔王討伐を打診された時のことを思い返しつつ、あなたは魔王が前線に出るか魔王城の結界が消失、もしくは突破可能になれば手を貸すことを確約した。

 

「ありがとうございます」

 

 我が意を得たりとばかりに悠然と微笑む老魔法使い。

 女神エリスの時よりも少しだけ前向きなあなたの回答だが、彼女は女神エリスよりずっと深くあなたの力量を理解している。彼女が公人としてやってきている以上、この場における拒絶は最悪人類の敵扱いされかねない。

 何よりあなたはリーゼという人間のことが嫌いではなかった。こうして多少は便宜を図ってもいいと考える程度には。

 

「無論ですが、あなた一人に戦わせるつもりはありません。時が来れば、少なくともベルゼルグ国王陛下とわたくし、そして教皇猊下があなたに同行することになるでしょう」

 

 彼女が口する教皇とは、エリス教の最高指導者である。

 あなたと同じくイレギュラーである女神アクアを除けば間違いなく世界最高のアークプリーストであり、歴戦の悪魔殺しである。

 ベルゼルグ国王、リーゼロッテ、エリス教の指導者。

 およそ考えられる限り人類側における最高の戦力と言えるだろう。

 失敗はまだしも全滅した場合の影響が大きすぎる。

 

「勝ちゃあいいのですよ勝ちゃあ」

 

 乱暴な口調であなたが用意したグラスに手を伸ばすリーゼ。優雅な貴族タイムは終わったらしい。

 ふと気になったあなたは一つの問いを投げかけた。来たる決戦の折、ウィズはどうするつもりなのかと。

 

「別にどうもしませんわよ。そりゃあ戦ってくれるならとても心強いですけど、あの子だって前線で戦う気は無いのでしょう? 聞けばあんな辺境で何十年も小さな店を経営しているらしいじゃないですの。こちらも隠居したババアを無理に駆り出すほど鬼ではないですし切羽詰ってもいませんわ。ババアが言うなと言われればそれまでですが」

 

 ナチュラルにウィズをババア扱いするのは同期である彼女くらいだろう。

 安心したあなたは、酔いもあってつい口を滑らせた。

 若返りに興味はないかと。

 

「若返り?」

 

 あなたの言葉を聞いたリーゼは、目だけがぴくりと反応を示した。

 それに気付くことなくあなたは続ける。自分はそういうポーションを所持しているのだと。

 あなたが所持しているのは、ただ若返るだけのポーションである。別にアンデッドや悪魔といった人外になるわけではない。

 代償は無い。寿命が据え置きなんてこともない。安心安全、ノーリスクなポーションである。

 

 無論貴族である今の彼女が若返ってしまえば大変な騒ぎになるだろう。そこまであなたも考えなしではない。

 なのでリーゼがやるべきことを全て終えて、第二の人生を送りたいというのであれば、あなたは喜んで協力するつもりだった。

 具体的に何年後になるかは不明だが、老いて死の際が迫った時にでも使えばいいのではないだろうか。

 

「……まるで悪魔の囁きですわね」

 

 言い得て妙だが、あなたは人間だ。

 この世界においても人間扱いになっていることは、つい昨日確認したばかりである。

 

「…………」

 

 何を考えているのか、沈黙を保つリーゼ。

 そして一分後。

 

「折角のお誘いですが遠慮しておきますわ」

 

 きっぱりと断られてしまった。

 即答しないということは宗教上の理由ではなさそうなので、あなたは理由を尋ねてみた。

 

「子供や孫より先に死にたいので。先に逝った夫をあまり待たせておくのもどうかと思いますし」

 

 そう言ってリーゼは笑った。

 老いているからこそ出来る、あなたには決して出来ない、美しい笑顔だった。

 

 あなたには子や孫はおろか配偶者すらいない。だが友人を見送り続けてきたので理解も納得もできる理由である。

 ゆえにあなたはそれ以上この件について口にすることを止めた。

 心の底から残念だとは思っているが、本人がそう言うのであれば仕方が無い。

 

「……あ゛ぁ゛ー!! 今でこそこんないい感じの台詞吐いておきながらいつかあの時受け取っておけばよかったって激烈に後悔する未来が見えますわー! そりゃあこっちだって若返りたい気持ちが無いって言ったら大嘘になりますわよ! だからこそ心の底から聞きたくなかったと思わずにはいられない! 消えろ! この記憶よ消えろー!!」

 

 いきなりヤケ酒を始めたリーゼに申し訳ないと苦笑し、グラスにワインのおかわりを注ぐ。

 ぐいっと一気飲みする彼女は酔いとは無関係に据わった目つきであなたにこう言った。

 

「一応忠告しておきますが、絶対に表沙汰にするんじゃありませんわよマジで。副作用無しの若返りとか確実に洒落にならないおぞましくやべーことになりますわ」

 

 言われるまでもないとあなたは頷く。

 酔いの勢いだったのは事実だが、あなたはリーゼが相手だからこそ提案をしたのだ。

 

「そう言われて悪い気はしませんけどね。ところであなた、実年齢はお幾つなのです? そのポーションを自分でも服用しているのでしょう?」

 

 あなたが自身の年齢を答えると、ウィズやわたくしよりよっぽどジジイじゃありませんの! とキレ気味の声とグーパンチが飛んできた。

 愉快な気分に浸りながら手のひらで拳を受ければ、パァンといい音が鳴った。とても老人が放つ拳ではない。

 

「ったく……ウィズにもそのポーションを?」

 

 あなたは首を横に振った。

 ウィズは最初にあなたと出会った時からあの姿である。

 

「そうでなくては。流石は我が終生のライバルですわ。やはり天才か……」

 

 満足そうに笑って頷くリーゼ。

 ウィズはリッチーなわけだが、流石にそれは口にしない方がいいだろう。

 とはいえあなたは人間のままでもウィズは今と変わっていない気がしてならなかったわけだが。

 

 

 

 

 

 

 七日後、あなたとゆんゆんはトリフを出立した。

 

「ふんふんふーん」

 

 馬車に揺られながら、ご機嫌に鼻歌を歌うゆんゆん。

 あなたも直接確認したわけではないが、ゆんゆんの持ち物である、魔法によって見た目よりもずっと多くの物が入る荷物袋の中には、闘技大会優勝者に与えられるトロフィーや豪華賞品が入っているのだろう。

 

 一時は中止の声もあがっていた闘技大会だが、悪魔に負けてたまるかという関係者達の奮迅の努力の甲斐あって、会場の復旧と事態の沈静化に五日かけてから無事に最後まで執り行われることになった。

 そしてエチゴノチリメンドンヤチームは準決勝でムカつくぜクソッタレー! チームにリベンジを達成し、その勢いのまま優勝を果たしてみせたのだ。

 

 世界的に有名で歴史ある大会で優勝するという、輝かしい栄光を手に入れたマスクドイリスとジャスティスレッドバケツガールの二人。

 引っ込み思案なゆんゆんも、優勝の栄冠を手にした時ばかりは感極まったように喝采に手を振って応じていた。

 

 結局のところ、あなたは何故二人の少女がルール違反を犯してまで大会に参加したのかを知らない。

 だがゆんゆんは大会を通して心身ともに大きく成長した。それだけは間違いのない事実だ。

 

「すっごく楽しかったです! いつかまた来ましょうね! 今度はウィズさんやめぐみんも一緒に!」

 

 トリフの感想を尋ねてみれば、このような答えが返ってきた。

 

 新たな出会い、戦い、祭。

 様々なことがあったトリフが遠くに離れていく。

 

 距離という意味ではまだ半ばだが、トリフ以北、つまり竜の谷に続く道のりは険しい山々で蓋をされている国土と何より竜の谷の影響で一気に人里が減少する。

 今までの旅路と比べれば目的地まではあっという間になるだろう。

 

 馬車の窓から吹く爽やかな風を浴びながらあなたは目を瞑る。

 いよいよ目前まで迫ってきた竜の谷という未踏の地。

 そしてそこで行われる、かけがえのない友との冒険を楽しみにして。




・ムカつくぜクソッタレー! チーム
 とある事情で離れ離れになってしまった友人を探して冒険をしている三人組。
 激闘の末、レギュレーション違反コンビにリベンジを食らってしまったが、友人も一緒に戦っていた場合は勝てていた可能性が高い。

 実は異世界人。ただし地球人ではない。
 冒険の途中で起きたアクシデントによってこの世界に迷い込んでしまった彼らは、絵本を作ったり冒険者活動をしたりして生活費を稼いでいる。
 たまたま一緒に迷い込んだ腐れ縁であるニワトリ頭の科学者と一緒に、そのうち自分達の世界に帰るのだろう。

 そして冒険は続く。この開かれた世界で
 いつか、再会を果たすために!

 出典:四月馬鹿達の宴


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挿話集 勇者、悪魔、女神、そして……

【挿話1 勇者伊吹】

 

 転生者にしてリカシィの勇者、伊吹は確信をもって断言する。

 この世界において、本当に正しいのは魔王軍であると。

 

 異世界という地で文字通り第二の人生を歩む事になった彼は、最初の頃は転生について、降って湧いた人生の余暇のようなものと考えており、自身の生死にあまり頓着していなかった。

 ステータスやスキルが存在する剣と魔法の世界という、彼からしてみればまるでゲームのような世界だったことが現実感を希薄にさせ、魔物や魔王軍という人類の敵すらどこか他人事のように思えてしまっていたのだ。

 

 地球では旅をすることが好きだった彼は、多くの転生者とは違い、戦闘系や生産系ではなく、万里靴という、どれだけ歩いても疲れなくなる能力を持った神器を特典として選んだ。

 

 テレポートを使うのではなく、自らの足で異世界の様々な国を旅し、多くの人に触れ合っていく。

 無論、楽しいことばかりではなく、常識や文化の違いに辟易させられることは何度もあったが、それでも気付けばあれほど希薄だった世界は眩しいほどに鮮明になっていた。

 ベルゼルグという最前線ではなく、大国リカシィを第二の祖国として定めて腰を据えた彼は、旅で培ってきた経験と与えられた特典を有効に使い、名声と栄光を積み上げることになる。

 そうして前回の闘技大会で優勝を果たし、リカシィの勇者として華やかな栄達を手に入れた。

 

 勇者として認められてからも精力的に働いていた彼の運命が動いたのは二年前。

 彼が帝城の図書室で発見したのは一冊の古ぼけた手帳。

 

 その名は転生者カウンター。

 

 冗談のような名前だが、これでもれっきとした神器であり、転生者に与えられた特典の一つである。

 

 彼はこの真新しい手帳を相当に古い代物だと即座に看破した。

 何故ならば、本来の持ち主、あるいは別の転生者が残したと思われる、この世界においては完全なる未知の言語であるアラビア語による解説書が同封されており、解説書には故郷(地球)の同胞に捧ぐ、と筆者の名前付きで書かれていたからだ。

 筆者の名前はアラビア言語圏特有のもの。そして日本人以外の転生者は数百年ほど観測されていない。

 アラビア言語圏に旅をすることもあった伊吹は、最低限とはいえアラビア語の読み書きが出来る人間であり、宝物庫の片隅で放置されていたこの道具の効果とその使い道を知ることができた。

 

 はるか遠い昔、転生者同士の凄惨な戦争が起きてしまった時、どんなに強力な神器や異能よりも転生者達から恐れられた神器の使い道を。

 

 神器が持つ機能は三つ。

 

 一、転生者の数をカウントする。

 転生者の累計数と現在生存中の転生者の数が分かる。

 

 二、転生者に手帳を向けると、その転生者の名前とステータス、スキル構成、選んだ転生特典が分かる。

 射程は視界範囲内。だが視界範囲外でも半径10キロ圏内にいる転生者の探知が可能。

 転生者以外には効果を発揮しない。転生者の子供や子孫であっても探知は不可能。

 

 三、探知した転生者が持つ転生特典の効果、性能、そして転生者カウンターの所持者にとって現実的な範囲内での対処法が分かる。

 

 無敵の特典など存在しない。あらゆる特典には攻略方法がある。

 だが転生特典とは選んだ者によって千差万別であるがゆえに、初見殺し性能が極めて高い。

 この道具はその優位性を完全に消し去るものだった。

 

 完全に対転生者戦に特化した神器。

 何故こんな神器が存在するのか?

 その理由はまさしく神のみぞ知るといったところだろう。

 だが事実、この神器はこれ以上ない形で活躍をした。同じ星からやってきた者達を殺すという形で。

 

 さて、再度繰り返すが、あらゆる特典には対処方法が存在する。

 これは転生者カウンターも例外ではない。

 転生者同士の戦争で無敗を誇ったかつての所有者は、戦後、この世界の現地人……つまり転生者ではない人間からの暗殺という形であっけなく命を落とした。

 

 話を戻そう。

 伊吹がこの道具を発見した当時、カウンターには10149の数字が記載されていた。

 つまり、伊吹がカウンターを発見した時、この世界には累計で10149人もの転生者が送られていたということになる。

 

 伊吹はこの数字を理解した瞬間、愕然とした。

 一万人以上の地球人がこの世界に送り込まれているという事実に。

 そして、これだけのチート持ちを使っても魔王軍を打ち倒せないどころか、ようやく魔王軍と拮抗しているという現状に。

 

 追い討ちをかけるように10150に変化する数字。

 まさしく今この瞬間、新たな転生者がこの世界にやってきた事を知らされた彼は、二つの感情を胸に抱く事になる。

 

 地球人を送り続けるだけで本気で介入しようとしない神への不信。

 そして、転生者を送り続けることは本当に正しいことなのだろうか、と。

 その後、勇者としての伝手を用い、カウンターの数字が増えるたびに転生者の調査を行ったが、転生者カウンターが正しく機能しているという無常な事実が明らかになるだけだった。

 

 葛藤と思索の果て、彼は一つの結論に至る。

 すなわち、この世界において本当に正しいのは魔王軍であると。

 

 善悪の話ではない。

 正義の在り処にも興味は無かった。

 互いが互いを憎みあって戦争をしている以上、それを語ることはあまりにも不毛だと思ったから。

 

 それでも自分にとって正しいのは魔王軍だと確信を抱いていた。

 

 異世界より招かれた勇者が世界を救う、といった物語は現代地球において溢れかえったものだ。

 異世界と言わず、事態と関係の無い相手に事態の解決を乞い願うという形であれば古今東西の物語や歴史で見かけられる。

 

 外様に頼らず、自分の力だけで解決すべきだとは伊吹も思っていない。

 誰だって出来ることと出来ないことがあり、そして人に頼ることは大事だと知っている。

 だが、それでも。

 身の丈に余る力を与えた転生者を千年以上に渡って一万人も送り込んで魔王軍に勝てないどころか、拮抗という形で無理矢理延命をしているこの世界……いや、この世界の人類は、どう考えても間違っている。彼はそう結論付けた。

 転生者はしばしば特典をチートと呼称するが、なるほど、まさしくこれはチート(ずる)だ。

 これならいっそ滅んでしまった方がいいと思った。むしろ魔王軍に同情すらした。倒しても倒してもどこからともなく強力な力の持ち主が出てくるのだから、ズルだろふざけるなと文句の百や二百……いや、一万は言いたくなるだろう。

 

 伊吹は勇者としての権限と転生者カウンターを使って自然な形で転生者を帝都から遠ざけ、準備を万端に整え、入念な計画を実行した。

 ベルゼルグで謀反を起こした転生者とコンタクトを取り、魔王軍、そして魔王軍の伝手で地獄の高位悪魔と共謀し、カイラムの王女に竜の谷への探索行について情報を裏から流した。

 

 彼にとっての不幸は二つ。

 

 この世界の人間でも地球人でもない、第三の異世界人の存在。

 重大な事故を引き起こしたせいで凍結、破棄され、既に忘れ去られて久しい神々の計画によって偶然この世界に迷い込んだ、招かれざる者。真なる異邦人。

 地球であれば機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)と揶揄されるような狂った戦闘力を持つバランスブレイカーが会場に紛れ込んでいるなど、想定できる方がおかしいだろう。

 まさしく運が悪かったとしか言いようが無い。

 

 そして、もう一つ。

 彼は何故転生者に特典を与えるという間接的で中途半端な形でしか神々が世界に介入しないのかを知らなかった、知る術を持たなかった。

 

 大規模な介入が行われないのには、神々からしてみれば相応の理由がある。

 それは――。

 

 

 

 

 

 

【挿話2 悪魔について】

 

 ――アクセルの街、冒険者ギルドにて。

 

「今日はお前たちに悪魔について簡単に教える」

 

 ギルドに併設されている酒場で昼食を取りながら、ベルディアが口を開く。

 テーブルの対面に座っているのは魔剣の勇者の仲間であるフィオとクレメア。

 二人はあなたの推薦でベルディアに体力作りの修行をつけてもらっている最中である。

 生前は騎士団で部下を鍛えていた彼の指導は厳しいながらも確かなものであり、キョウヤをボコボコにするせいでゲイのサディスト野郎と隔意を抱いていたフィオとクレメアも今はそれなりに素直になっていた。

 体力作りだけでなく、空いた時間にはこうして最低限の知識も詰め込んでいるあたり、ベルディアは相変わらず面倒見が良い人間だった。今はアンデッドだが。

 

「お前らは悪魔をどれくらい知っている?」

 

 微妙な面持ちで互いの顔を見合わせるフィオとクレメア。

 二人がレベル1になったのは悪魔が原因なのだからある意味では当然の反応である。

 

「地獄っていうこことは別の世界に住んでて、人間の悪感情を食べる趣味が悪い生き物」

「あとエリス教の人たちが滅茶苦茶嫌ってる」

 

 彼女達が語ったのは一般常識の範囲内である。

 エリス教徒の話を含めて。

 

「悪魔の習性や生態を挙げるが、これは大きく三つに分類できる。すなわち食性、契約、残機だ。まず食性、つまり悪感情を糧に生きるってことだが、これはお前らも知ってるくらい悪魔を悪魔足らしめる最も有名な要素だからな。今更説明しなくていいだろう。それでもあえて言うなら悪感情の為なら命を惜しまない悪魔は割と多いってくらいか。あと人間だけじゃなく魔族の悪感情も普通に食べる」

「……クソじゃない?」

「超絶にクソだが? 身をもって理解してるだろ?」

 

 悪感情目当てにレベルドレインを食らった二人は無言で頷いた。

 あまり思い出したくない記憶だったが、同時に再起を図るには決して避けては通れないものでもあった。

 

「次、契約。悪魔は何よりも契約を重んじる。相応の対価さえ用意できれば、一度交わした約束は絶対に破らない」

「それってなんで?」

「そういう文化で、そういう生き物だからとしか答えようがないな。勿論契約するかは悪魔の意思次第だ。お前らが契約を盾に爵位持ち悪魔を顎で使うのは奇跡をダース単位で用意しても無理だろう。万が一契約出来たとしても、それは気まぐれの産物に過ぎず、願いの内容によっては対価として死んだ方がマシな目に遭わされるぞ」

 

 高位の悪魔と契約を交わそうというのであれば、相応の力量が求められる。

 冒険者時代のウィズが死の淵にあった仲間を救うべく公爵級であるバニルと契約を交わした時、残りの寿命の全てを使って戦いを挑み、その上で運否天賦に身を任せるしかなかったほどに。

 バニルという人間に無害な悪魔であってもこのレベルだったのだから、他の高位悪魔との契約の難しさは推して知るべし。

 

「相手が契約を反故にした場合、当然悪魔も契約を遵守しなくなる。あるいは契約者と悪魔のどちらかが死亡した場合、交わしていた契約は強制的に解除される」

 

 魔王軍幹部として働く契約を交わしていたバニルは、めぐみんの爆裂魔法で残機を一つ減らした結果、契約が解除されて自由の身になった。

 同時にウィズとの契約も解除されており、ウィズもバニルもそれを理解しているわけだが、それでも彼は今もウィズの店で働いているしウィズもバニルの終の棲家となるダンジョンを作るべく店を経営している。

 契約が終わっても、彼らは互いを友人だと思っているがゆえに。

 

「んで最後、残機だ。悪魔は命のストックを持っていて、殺してもその数だけ復活することができる。だからなのか、人間とも魔族とも異なる独特の死生観を持つ」

 

 残機に加え長寿でもある悪魔は、高位になればなるほど趣味人としての側面を持ち合わせるようになる。

 最高位の悪魔であるバニルが最高の死を迎える為に汗水流して働いているのがいい例だろう。彼らは好みの悪感情を得るためならばあらゆる努力を惜しまないのだ。

 自身の欲望に素直かつ趣味に生きるがゆえか、高位悪魔は陽気な者が多い。

 悪魔は明るく楽しく生きている。

 

「あと高位の悪魔ほど残機は多い傾向にあるな。お前らが遭遇したレベルドレインが使える悪魔くらいになると、下手したら三桁近くになるだろう」

「うへえ……」

 

 クレメアは嫌そうな顔を隠そうともせず、フィオはリベンジの難しさに頭痛を覚えながら問いを投げかけた。

 

「一回減った残機って回復しないの?」

「するぞ。主に時間経過や精力、魔力、生命力、悪感情を摂取すると増える。だから残機が少なくなった悪魔は専ら地獄に引き篭もるようになる」

「クソクソのクソじゃん。エリス教徒が目の色変えるわけだわ」

「エリス教徒はエリス教徒で普通じゃないけどな。ちなみに復活できる場所はある程度自分で自由に決められる。テレポートの座標登録みたいなもんだ。人間界では復活できる場所に厳しい制限がかかるけどな」

「具体的には?」

「たとえばアクセルの中で悪魔が復活しようとするなら、サキュバスやグレムリンといった最下級の悪魔が路地裏みたいな人気の無い場所に自分のテリトリーを構築してようやく可能になる。高位の悪魔であればあるほど、ダンジョンの奥深くや闇が濃い場所といった人里離れた場所でしか生き返ることができなくなるわけだ」

 

 ここで彼はただし、と付け加えた。

 

「悪魔の本拠地である地獄の場合、この制限が解除される。好きな場所で復活出来るようになる」

「こっちの話じゃないなら、あんまり意味なくない?」

「そうでもないぞ? たとえば人間界に転移可能なポータルを作って、ポータルの前を復活場所に登録した悪魔の軍勢を並べるとする」

「……そしたら、どうなるの?」

「どんだけぶっ殺してもぶっ殺しても残機の限り復活して攻めてくる、悪魔の軍勢と戦わないといけなくなる」

 

 二人の少女は顔を青くした。

 彼女達にとって、それは絶望としか言いようがないからだ。

 

「つっても地獄に繋がるポータルとか、十全に準備を整えても一日か二日維持するのが限度だろうけどな」

「十分すぎない? 悪魔がこの世界に溢れ出るってことでしょ?」

「いや、ポータルの維持が不可能になる前に悪魔は地獄に戻る。単独ならまだしも、軍勢規模でやりすぎると天界の神が直接介入してくるからな」

「神様が?」

「そうだ。何故悪魔がこの世界に来るか知っているか?」

「何故って、そりゃ悪感情を食べるためでしょ」

 

 頷くベルディア。

 クレメアの言葉は正しい。

 だがそれだけではないということを、元魔王軍幹部である彼は知っていた。

 

「これは以前戦った悪魔から直接聞いた話なんだが、この世界は神と悪魔の両方にとって要所の一つにあたるそうだ」

 

 人類にも魔王軍にも知る者は殆どいないが、この世界は天界と地獄の両方から近い場所に存在している。

 ゆえに神々と悪魔は、最終戦争に向けて互いの勢力が足がかりとすべく介入を重ねているのだ。

 そう教えられたフィオが当然の感想を口にした。

 

「神様にとって大事な場所なら思いっきりやっちゃえばいいじゃん。サクっと魔王軍だの悪魔だの滅ぼして世界を平和にしてほしいんだけど」

「光と闇は表裏一体。神と悪魔もまた同じように。つまり天界の神が直接人類に介入すれば、悪魔も同等に介入可能になる。俺たちが生きる世界にはそういう法則が敷かれている。そして両勢力が本格的に介入しようものならば、この世界で小規模な最終戦争が勃発し、勝敗とは無関係にこの世界は滅びる。それは世界の管理者である神々の望むところではないんだろうよ」

「ふーん、じゃあ悪魔が本気を出さない理由は?」

「人間や魔族の悪感情が悪魔にとっての食料だからだ。悪魔は悪感情目当てに生き物を殺したりするが、世界を滅ぼしたいとまでは思っていない。人間が家畜を食っても絶滅させないのと同じだ」

「なに、私らは牛や豚と一緒なわけ?」

「悪魔にとってはな」

 

 互いに世界を滅ぼしたくないので、特典を与えた転生者を使うことで間接的に手を下したり、最小限の人員で魔王軍に協力したり召喚に応じるという形で人類にハラスメント行為を行う。

 それぞれの思惑は妙な部分で合致し、介入は最小限に止まっていた。

 結果としてこの世界における人魔の戦争は泥沼とも呼べる、長きに渡る拮抗状態に陥っているわけだが、それはあくまで人間の視点であり、十万や二十万歳程度ではまだまだ若造扱いな神と悪魔にとってはごく短い時間に過ぎない。

 

 なお、高位の神格である女神アクアの降臨という特大の介入についてだが、これが世界へ与えた影響は最小限で済んでいる。

 これは彼女が偶然という神の意思が介在しない形で特典として選ばれた上で、力を大きく落とされた結果だった。創造神の見事な采配と言えるだろう。

 それでも降臨を察知されて魔王軍幹部が直接動いたあたり、彼女の女神としての格が窺えた。

 

 

 

 

 

 

【挿話3 デーモンスレイヤー】

 

 鉤爪を使って屋敷の壁をよじ登る修行をしていた俺は、不覚にも足を滑らせて頭からおっこちた。

 例によってエリス様がいる天界に送られたわけだが、今日のエリス様はいつもと違って少し様子がおかしい。

 

「あらあらあらあら、カズマさんってばまた死んじゃったんですか? ふふっ、本当にしょうがないんですから。あ、お茶飲みます? お菓子もありますよ」

 

 そう、やたらとテンションが高いのだ。

 遠足前の子供のようにそわそわウキウキしているエリス様を見ていると、俺まで嬉しくなってくる。正直滅茶苦茶可愛い。

 こんなエリス様が見られるのならもう少し死んだままで、いや、毎日死んだっていいかもしれない。

 

「エリス様、めっちゃ嬉しそうに見えるんですけど。なんかいいことでもあったんですか?」

「はい! 悪魔がたくさん死んだんです!」

「…………はい?」

「悪魔がたくさん死んだんです!」

 

 俺は猛烈に生き返りたくなった。

 そんな血生臭い事を、初めて見るレベルの素敵な笑顔かつ道端に綺麗な花が咲いていたんです、みたいなノリで言わないでほしい。どんな顔をすればいいのか分からなくなる。

 

「しかもなんと! エリスポイントの最大獲得数が大幅に更新されて、現在53375640ポイント! この数字の殆どをたった一日で稼いだっていうんだから驚きですよね! ダブルアップチャンスだったとはいえ、これは過去数百年更新されていなかった数字を大幅に上回る、空前絶後で前人未到、史上最高の大記録なんです! 凄くありませんか!? ゴミを皆殺しってところも語呂が良くて最高に素晴らしいですね!」

「いや、知りませんけど。というかなんなんですか、そのエリスポイントってのは」

 

 軽く引いていた俺の姿を見て自分の興奮っぷりに気がついたのか、エリス様は少し恥ずかしそうにこほんと咳払いをした。

 

「エリスポイントとは、悪魔を殺したり残機を減らしたエリス教徒の方に私がつけている独自の点数です。実は今回の方は私の信者ではなかったのですが、私に祈りを捧げていたのと非常に篤い信仰心の持ち主だったので特別にカウントしました。高位の悪魔、強い悪魔を殺すほどポイントが増える仕組みになっていて、上位入賞者、いわゆるランカーの方にはデーモンスレイヤーの称号が贈られます。当代のエリス教の教皇や聖女もランクインしてますね」

「ポイントを貯めたりランカーになったらなんかいいことあるんです? 特典とかあります?」

 

 俺はエリス様の信者ではないが、エリス様に合法的にセクハラしても許されるのなら、俺としてもそのエリスポイントとやらを貯めるのは吝かじゃない。

 これはもちろん世界平和の為にであって、邪な気持ちは一切無いということを明言しておく。

 チート? そんなものはいらん。いや欲しいっちゃ欲しいんだが、チートのために努力するとか本末転倒が過ぎるだろ。忍者プレイはちょっと楽しくなってきたからセーフだ。

 

「特典ですか? 私が喜びます。とっても、とーっても喜びます!」

 

 ぺかーと輝くエリス様の笑顔を見て俺は……ガッカリした。

 

 

 

 

 

 

【挿話4 回る運命の輪】

 

「……以上の結論として、御身の次元βへの渡航は御身のみならず両世界間に極めて重篤な問題を引き起こすものだと予想されます」

 

 遠い遠いどこかの世界。

 誰かが誰かに向かって報告書を読み上げていた。

 

「お気持ちはお察しいたしますが、やはり彼については自力で帰還するのを待つのが最善かと」

「…………」

「あの、ジュア様?」

 

 報告書を読み上げていた、騎士のような出で立ちをした壮年の男が恐る恐る声をかける。

 ジュアと呼ばれた、少女にも大人の女にも見える姿の持ち主は、いかにも不機嫌といった様子であり、男の報告に気分を害したことを示していた。

 

「言いたいことは分かったわ」

「分かっていただけましたか」

 

 ホッと安堵の息を吐く。

 

「つまりギリギリまで力を落として探しに行くのはセーフってことよね?」

「全然分かってないじゃないですか」

 

 安堵の息は嘆息に変わった。

 

「少なくとも生きているのはハッキリしているのでしょう? 彼のことですからここぞとばかりに異世界をエンジョイしてますよ。ほっといたらそのうちひょっこり帰ってきますって。彼のペットや私の同僚だって皆そう思ってます。そんなに心配してるのはジュア様だけですからね?」

「べ、別にアイツのことなんて何とも思ってないし! 心配してるわけじゃないんだからねっ!」

「そういうコテコテの照れ隠しはいいですから」

「じゃあハッキリ言うけど。私以外の神から粉かけられてる気配を感じるの! 具体的には三柱くらいから! 水系と運勢系とあとなんか弱くてよく分からないの!」

「大人気ですね。そりゃそうか」

 

 現在話題になっている人物は、信仰を力とする神にとって代替不可能な存在である。

 山のような金銀財宝や神器などより遥かに価値のある、心身共に極まった信仰者。

 異界の神とはいえ、惹かれるのも不思議ではない。

 

「あの子が異世界でどっかの馬の骨とも知らぬ神に寝取られたらどうするつもり? イルヴァ七柱が六柱になりかねないのよ?」

「いや、無いでしょ。彼に限って改宗は天地がひっくり返っても有り得ませんよ。もうちょっとご自身の最愛の信者を信じてあげましょうよ」

「あるかもしれないじゃない! あの子の信仰を疑ってるわけじゃなくて、私の声が聞こえなくて寂しい思いをしてるところにスっと入り込んで洗脳するような性質の悪い神がいるかもしれないでしょ!? あの子レベルの信者を得るっていうのは私達にとって何より大事なことなんだから!」

「そいつは間違いなく彼の手でぶっ殺されますね」

 

 平然と神殺しに言及するが、過去に実績があった。ありすぎた。

 廃人の中で最も凡庸でありながら、廃人の中で最も運命に愛された彼は、冒険の中で幾度も神を弑逆してきた経験を持つ。

 そして壮年の男、防衛者と呼ばれる癒しの女神の眷族は主に無慈悲な真実を突きつける。

 

「というか彼と会えなくて寂しいのはジュア様の方でしょうに」

「別に寂しいなんてこれっぽっちも思って……なくはないけど! 顔が見たいとか声を聞きたいとかちょっとは思ってるけど!」

「ついでに沢山甘やかしてほしいとかお菓子を作ってほしいとも思ってますよね? 下界で羽を伸ばすのは結構ですが、また体重増えても知りませんからね」

「女神ぱんち!!」

 

 

 ――説明しよう! 女神ぱんちとは癒しの力を拳の一点に集中して放つ幻の必殺技である! 相手は全回復した後に死ぬ。

 

 

 いたいけで純粋で繊細な乙女心を傷つけた防衛者は痛みを感じる間もなく(ミンチ)になった。

 彼らの業界ではご褒美だし、どうせ3分で復活するので何も問題は無い。

 

「はあ……会いたいなあ……寂しい……早く帰ってきなさいよ……ああ言われたけど、やっぱり探しに行っちゃおうかな……」

 

 静かになった神域で、膝を抱えた癒しの女神は弱弱しく呟く。その姿はさながら子離れできない母親、あるいは弟離れできない姉のようで。

 今にも消えてしまいそうなほどに儚くか細い、しかし確かに感じられる彼との繋がりを、大事に大事に胸の内で抱きしめながら。



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第126話 ぽわぽわりっちぃはまだエーテル病には効かないが、そのうち効くようになる

 ~~ゆんゆんの旅日記・北へ。White Illumination編~~

 

 ☆月!日(晴れ)

 北に向かう隊商の護衛依頼をやることに。

 最近になって盗賊が増えてきているらしい。

 なんで盗賊なんて悪いことをやるんだろう。

 真面目に働いてさえいれば、普通に生きていけるはずなのに。

 とりあえず話を聞いて処す? 処す? とウキウキしていた誰かに襲われる前に反省して足を洗って罪を償ったほうが良いと思う。

 トリフで悪魔と戦ってからちょっと雰囲気が変わった気がするし。

 なんていうかこう、何をやり始めてもおかしくない感じ。

 今までもそういうところはあったけど、それよりもずっと。

 

 

 ☆月Λ日(雨)

 トリフを発って少し経ったけど、北に進むにつれて明らかに町や村の数が減っていくし、それまでは殆ど聞かなかった竜の谷の話を耳にするようになってきた。

 誰々が行ったまま帰ってこなかったとか、栄誉を手に入れたとか。悪いことをすると竜が来るとか。

 北部では竜の谷が人々の生活に強く根付いているみたい。

 あと妹ちゃんになんかお兄さんの雰囲気変わったよね? と聞いたら悪魔を殺しまくった影響で本来あるべきお兄ちゃんの姿に戻ってきてるだけだよ、という答えが返ってきた。

 異世界の冒険者であるあの人は今まで相当に抑圧されていたのだという。それが彼や私達にとって良いことなのか悪いことなのかは分からないけど、ウィズさんとの合流が切実に望まれる。多分ウィズさんさえいればなんとかなるだろうから。

 

 

 ★月†日(曇り)

 めぐみんとアイリスちゃんとカルラさんにお手紙を出した。

 私は今日も元気。嘘です全身が痛い。

 訓練でいつものようにしばき倒された。しんどさはいつもの3割増しってところ。

 というか明らかにリーゼさんと組んでた時の加減具合を引き継いでる。

 だというのに私は一人。アイリスちゃんもレインさんもクレアさんもいない。

 大会で優勝してちょっと鼻が高くなっていた私を積極的に分からせて圧し折っていくスタイル。

 ちょっとくらい甘やかしてくれてもいいのでは。レギュレーション違反は駄目ですかそうですか。

 うん、そうだね。私もそう思う。いや向こうは気付いてないけど。

 

 

 ★月*日(晴れのち曇り)

 インジラに着いた。

 インジラはトリフと竜の谷の中継地点でリカシィ北部だと一番大きな町。規模としてはアクセルと同じか、もう少し大きいくらい。

 ここから先は野宿が大半になる予定なので、一泊して物資の補充をしてから先に進むことに。明日は天気が崩れそうなので、ひょっとしたらもう少し泊まることになるかも。

 ついでに寄った冒険者ギルドで売られていた新聞に載っていたんだけど、トリフで悪魔と戦った二日間がエリス教の祭日になったみたい。

 理由は悪魔が山ほど死んでエリス様が喜んだから。

 怖すぎる。正直ドン引きしたのは私だけじゃないと思う。

 

 

 ★月+日(雷雨)

 疲れた。死ぬかと思った。

 

 

 ★月ν日(雨)

 昨日の日記を読み返すとあんまりにもあんまりだったので、何があったかを書こうかと思う。

 といっても簡単で、インジラがキノコに襲われただけ。つまり大惨事が起きた。

 町中にキノコが生えたとか菌糸に覆われたとかそういうのではなく、飛来するキノコの軍勢に物理的に襲われた。魔物に襲われるのと同じ感じで。やっぱり大惨事だ。

 春のタケノコ狩りと秋のキノコ狩りは季節の風物詩として有名だし命が懸かっているので皆真面目にやる。紅魔族やアクシズ教、魔王軍だって例外ではない。誰だってきのこたけのこ戦争に巻き込まれたくはないからそれは当たり前。

 本当ならキノコ狩りのシーズンはもう少し先だったのだけど、今年はたまたまズレていたみたいで、近隣の森で大繁殖したキノコの軍がインジラの町を襲ったのだ。

 偶然居合わせた私達も当然のように戦いに駆り出され、先日の悪魔との戦いよりずっとしんどい防衛戦を強いられることになった。

 

 厚い傘で鈍器のように殴りかかってくるシイタケ。

 鈍重ながら重装備で固めた騎士すら一撃で撲殺してくるエリンギ。

 猛毒を持ち、矢のような速度で飛来し突き刺さってくるカエンタケ。

 人体に寄生して思うがままに操るトウチュウカソウ。

 その他にも色々なキノコがインジラを襲った。

 

 今回は何とか殲滅に成功したけど、あんな自然の猛威と互角に戦うタケノコの軍勢の争いに巻き込まれれば、そりゃ国の一つや二つは簡単に滅ぶだろう。インジラが半壊程度で済んだのは不幸中の幸いとしかいいようがない。

 中でも一番の脅威だったのは冥王マツタケ。

 秋の死神や徘徊する地均しといった明らかにヤバい異名を持つ、カブトタケノコに並ぶキノコの最上位(最高級)種。

 緑色の平べったい石づきと黄緑色で円錐状の傘で構成された、何故マツタケの名を冠しているのか分からない程度には一般的に知られるマツタケからかけ離れた姿を持つ異形のキノコであり、テレポートじみた短距離転移や爆裂魔法のような大規模破壊攻撃を使ってくるという、誰もが認める世界最強のキノコだ。

 

 死神のような模様を持ち、家ほどもある大きさで町を思うがまま蹂躙する冥王マツタケを一人でやっつけたあの人(あなた)がいなかったら、今頃インジラは更地になって滅んでいたのではないだろうか。悪魔狩りの時よりよっぽど真面目に英雄をやっていたと思う。

 というか私も冥王マツタケの攻撃に巻き込まれかけた。あれは本当にやばかった。バカじゃなかろうか。頭おかしい。本気で死ぬかと思った。生きてて良かった。

 

 ちなみに冥王マツタケは宇宙の深遠が見えそうな美味しさだった。

 

 

 ★月&日(晴れ)

 竜の河で釣りをした。

 私がレインボーサーモンを釣って大喜びしている隣で釣りあがるマッコウクジラ。

 地面から浮遊して高速で突っ込んでくる、全身傷だらけで歴戦だと分かるマッコウクジラ。

 突然始まるガチンコバトル。互いに引かぬ媚びぬ省みぬの三段構え。マッコウクジラのマッコウが真っ向勝負のマッコウだというのは有名な話。

 アクセルの川で釣ったお裾分けだと海の魚を貰っていたから、彼が使っているのがそういう釣竿だっていうのは私も知っているけど、正気を疑う光景だった。

 ジェットアッパーと命名された、スキルでもなんでもないただのパンチで全長20メートルのクジラを空高く打ち上げるのはもう悪い夢でも見ているのかと。

 

 今日の夕飯はクジラの塩焼きとクジラの甘酢漬けとクジラのサラダとクジラのフライとクジラの煮込みとクジラのスープとクジラの天ぷらとクジラのソーセージとクジラの刺身とクジラの活け造り。

 経験値がたっぷり込められたクジラ料理は、味はともかく量が……量が多かった……! あといくつか料理のジャンルが被ってる……!

 

 

 ★月¢日(晴れ)

 立ち寄った村でゴブリンを退治した。近くに巣穴が出来て村の人達が困っていた所にたまたま私達が来た形になる。

 巣穴の規模はそこそこ大きかったけれど、去年の私でも苦戦するような相手ではなく、一時間もかからずに仕事は終わることに。私もだいぶ経験を積んで強くなったなあ、なんて書いてみたり。

 少なくともこの前のキノコ狩りよりは全然楽勝だった。比較対象が悪すぎるといってしまえばそれまでだけど。

 村の人からは退治のお礼としてお金の他に村で採れた野菜や果物を貰った。

 新鮮な野菜を使った宿の料理も美味しかったので野営の料理で使うのがとても楽しみ。

 

 ただこういう時、今までは経験を積ませるという理由で殆ど私が一人で戦わされていたんだけど、今回は二人で同じくらいゴブリンをやっつけた。

 でも人目が無いのをいいことにダーインスレイヴを抜くのはちょっとどうかと思う。ダーインスレイヴを見た瞬間、また私に使わせようとしてくるのかと思って逃げかけた私は絶対に悪くない。

 本人曰く、私に使わせるのではなく、ダーインスレイヴの固有スキルである六連流星の練習台にしたかったとのこと。スキルを剣から引き出すのではなく自分で使いこなせるようになりたいらしい。

 

 あれだけの強さを持っていながら満足せず更なる高みを目指す向上心には頭が下がるけど、身体に莫大な負担がかかるが故に命を削って放つといわれている、伝説級の必殺スキルを気軽に使うのは止めてほしい。本当に止めてほしい。

 日記だから書けるけど、六連流星は通常攻撃代わりに連発していいスキルじゃないから。アイリスちゃんのセイクリッドエクスプロードとかめぐみんの爆裂魔法みたいな、ここ一番で使う必殺の大技だから。

 

 ちなみに練習中の六連流星を食らったゴブリンは肉片も残さず血霞になっていた。

 悪魔を斬ったように綺麗に斬撃の痕だけが残るのが成功であり、消し飛ばしてしまうのは無駄に威力が分散した失敗の証らしいけど、傍目にはただのオーバーキルでしかない。ゴブリンがちょっと可哀想になった。

 オーバーキルで思いついたけど、まさか六連流星にはみねうちが乗ったりするのだろうか。もしそうなら絶対に死ねない即死攻撃が六回飛んでくるなんて悪夢でしかない。頼むから絶対私には使わないでくださいお願いします。

 

 

 ★月‐日(晴れ)

 ようやく辿り着いたというべきか、遂にこの時が来てしまったというべきか。

 明日の昼過ぎには竜の谷に到着する予定となっている。

 ここまで色んなことがあったり色んな目に遭ってきた私だけど、ここからが旅の本番なのだ。

 

 えぇ……嘘でしょ……? 正直もうおなかいっぱいでいっぱいいっぱいなんだけど……。

 

 心の底から溢れ出た本音はさておき、竜の谷について考えると胃が重くなってくるものの、なんだかんだいってドラゴン使いになるのを私はそれなりに楽しみにしていたりする。

 あとウィズさんが合流するのでこれまでのような無茶振りは歯止めがかかるはず。そうであってほしい。

 

 

 

 

 

 

 トリフを発ち、リカシィ北部を駆け抜けるように縦断したあなたとゆんゆんは、暦の上では夏が終わって秋も半ばに差し掛かろうという頃。長いようで短かった旅の目的地、その入り口に辿り着いた。

 

 リカシィ最北の集落。竜の里(ドラゴンズビレッジ)

 竜の谷はリカシィから地続きになっているものの、リカシィの国土ではない。

 そして竜の谷はリカシィに蓋をするように連なっている北部大山脈の向こう側に存在する。

 

 竜の里は山脈の麓に作られた集落であり、竜の谷に挑む者にとって最後の憩いの場であり、住民のほぼ全てをドラゴニュートが占める場所でもあった。

 全身の皮膚を覆う硬い鱗、手足から伸びる鋭い爪、短時間であれば飛行可能な背中の翼、リザードマンによく似た爬虫類的な、しかしリザードマンには存在しない角が生えた頭部。

 まさしく二足歩行の竜と呼ぶのが適切なドラゴニュートは、一般的に温帯の南側から熱帯に生きる種族である。乾燥と寒冷を苦手としており、ベルゼルグではあまり見かけない。

 亜寒帯のこの地域に定住するというのは、世界的に見ても非常に珍しい例といえるだろう。竜の谷が原因であるのは言うまでもない。

 ドラゴン使いを志す者にとってそうであるように、竜の血を引くドラゴニュートにとっても竜の谷は聖地に等しい場所なのだ。

 だからこそ、こんな他の種族が竜を恐れて近寄らない地域に集落を作って暮らしている。

 

「はえー……」

 

 馬車の窓から首を出して呆けた声を出すゆんゆんの視線の先にあるのは、十数キロほど西に見える大瀑布、竜の滝。

 竜の河、竜の里、竜の滝。

 竜の谷と関係を持つ地名はもれなく竜の名が付く。竜の里唯一の宿の名前が竜の宿なあたり徹底している。

 

 そんな竜の滝の幅はおよそ500メートル。落差は200メートル。

 山脈に大穴を穿ち、吐き出されるような形で竜の谷から流れてきた河の水が、大自然による絶景を作り上げていた。

 莫大な水量が降り注ぐ事によって生まれる水煙は、風に乗って集落まで届くこともあるのだという。

 

 竜の滝は当然のように世界有数の大滝としてその名を轟かせているわけだが、世界各地の滝とは異なり、梅雨だの乾季だのには関係なく、一年間、朝から晩に渡って途切れる事無く激しい水を吐き出し続けている。

 ここから国中に流れていく水と大河に生息する生物はリカシィにとって必要不可欠な存在であり、同時に氾濫という形で数多の人々の命を奪ってきた脅威でもあった。

 リカシィの歴史は治水の歴史。まさしく大自然が生み出した奇跡と言えるだろう。

 

 ゆんゆんと同じように、あなたもまた竜の滝に目と意識を釘付けにされていた。

 これを見るためだけに旅をする価値があると断言できるものだ。

 知らないもの、初めて見るもの、素晴らしいものを楽しむのは、どれだけ経験しても飽きることは無い。

 まさしく冒険者の本懐であり、旅の醍醐味であった。

 

 イルヴァでもお目にかかったことの無い大瀑布に目を奪われること暫し。

 あることに気付いたゆんゆんがぽつりと口を開く。

 

「そういえば、カルラさんってあの滝から落ちてきたんですよね。あんな深い傷を負って……私だったら絶対死んでますよ……」

 

 凄惨なイメージに体を震わせるゆんゆんだが、当のカルラは余裕で死んでいた。

 本人曰く流木にしがみついたところで力尽きたとの事だが、あなたからしてみれば致命傷を受けた状態で滝壺に落とされるも辛うじて浮上し、流木に掴まるまで五体を失わずに生きていたことが驚きである。

 手足の一二本といわず、体がバラバラになっている方が普通だ。

 慌てていたので状態の確認もせずに蘇生と回復をしてしまったが、実は全身の骨が砕けていたのかもしれない、とあなたは今更ながらに思った。

 

 そうこうしているうちに里に到着したあなた達は馬車を降りる。

 馬車の中では分からなかったが、里の空気には滝から届くひんやりとした水気が多く含まれていた。

 何度か深呼吸し、心地よい空気で肺を満たしたあなたは周囲を見渡す。

 

 北の果てという辺境に位置しながらも竜の里は中々の賑わいを見せており、住民であるドラゴニュート以外にも里の外からやってきたと思わしきドラゴニュートがちらほら見受けられる。

 人外魔境の近場という点では紅魔族の里と同じだが、外部の者が足を運ぶという点では大きく差が開いているようだ。

 

 意外と言っては失礼になってしまうが、思っていたよりもずっとしっかりした集落だったというのがあなたの第一印象である。

 規模という面ではやや大きめの村といったところだが、建物に関しては木造建築ではなく、アクセルでも見るようなちゃんとした煉瓦作りとなっており、道も石で舗装されていた。

 アクセルやトリフのような外壁が一切存在しない点は特筆するべきだろう。竜の谷と隣り合わせであるこの地は、さながら台風の目のように魔物が寄り付かないのだという。

 

「すぐに行っちゃいます?」

 

 時刻は午後3時を回ったところ。

 このままウィズを回収して竜の谷に挑むというのはあまりにも勇み足が過ぎる。

 あなたとゆんゆんは到着の前から話し合いをしており、ここまでの旅の疲れを癒す意味合いも込めて、二日ほど休養することになっていた。

 なのですぐ行くのかというゆんゆんの質問は、アクセルに戻ってウィズに出立の準備をするように報告するのか、という意味である。

 トリフを発つ直前、あなたはこれからの旅程を記した手紙をウィズに郵送した。

 幸いにして大きな事故や事件も無く、おおよそスケジュール通りに到着出来たので、あちらも準備は終わっているだろう。

 

 ゆんゆんの問いかけにあなたは首肯し、一緒にアクセルに戻るか問いかける。

 あなたはあまり長い時間をかけるつもりはなかったが、彼女も久しぶりに家に帰ったりめぐみんに会いたいはずだ。

 

「うーん……やっぱり止めておきます。家の掃除はウィズさんがしてくれてますし、今帰ったらなんか悪い意味で気が抜けちゃいそうなので。あと次にめぐみんに会う時はドラゴンと一緒って約束したんです」

 

 その意気や良しと、少女の成長を感じ取ったあなたは満足げに微笑む。

 高いレベルを持っていながらも、旅に出る前はどこか頼りなかったゆんゆん。

 そんな彼女も今回の旅を通して様々な経験を積んだおかげで、ゲロ甘でチョロQな面は据え置きながらも、一端の冒険者としての心構えを身に着けていた。

 

 

 

 

 

 

 宿に荷物を、すっかり単独行動する時のお約束となった目付け役として妹をゆんゆんに預けたあなたは、テレポートでアクセルに飛んだ。

 久方ぶりのアクセルの町並みは変化に乏しかったが、だからこそ落ち着きを感じさせるもの。

 まるで実家のような安心感に、自身がすっかりアクセルに馴染んでいることを自覚しつつ、自宅のドアを開けようとしたあなたは、ふと思い立ち動きを止める。

 そうして懐から取り出したのは一冊の手帳。

 

 ――難解だ!

 

 手帳を開いて十秒ほど経過した後、そんな心地を抱いたあなたは深い溜息を吐いた。

 やはり駄目だったという諦観の溜息である。

 

 さて、この手帳の名前を転生者カウンターという。トリフで勇者イブキから回収した神器の片割れだ。

 鑑定の魔法を用いてこの道具の概要を把握したあなたは、そのコレクターの為に用意されたとしか思えない性能に狂喜し、裏切り者の勇者に心からの感謝を捧げた。

 本来の所有者でないあなたでは累計転生者数、現在生存中の転生者数、半径3キロ圏内の転生者の有無、手帳を向けた転生者の特典内容しか読み取ることが出来ないが、それでもあなたからしてみれば竜の谷から戻った後、魔王領に単身で潜って転生者狩りに励むに足りるだけの性能だった。

 

 ……だが、しかし。

 世の中はいつだって都合よくいくものではない。

 ここであなたは予期せぬ壁にぶち当たることになる。

 

 なんと、転生者カウンターに書かれている文字(アラビア語)を何一つとして読むことができなかったのだ。

 

 残酷なこの事実にあなたは打ちのめされ、絶望に膝を突いた。上げて落とされただけに落胆も一入である。

 探知の範囲内に転生者が存在しているとフィーリングで理解できるならまだしも、それすら判別不可能。そういうレベルで完全に未知の言語だったのだ。

 アクセルで手帳を開いたのは、アクセルであればほぼ確実に転生者が引っかかるアテがあったからなのだが、それすら分からないのではお手上げである。

 せめて手帳に転生者の似顔絵でも載せてくれればその者を狩るだけで良かったのだが、ユーザーへの配慮に著しく欠けていると言わざるを得ない。

 

 あなたは知る由も無いが、水瓶座の門が作られたのは転生者が日本人に固定されてからの事である。

 ゆえに水瓶座の門で付与される言語翻訳は、転移先の世界で使用されているものと日本語だけ。

 それはつまり、日本語以外の地球語をあなたは読み書きすることができないということを意味していた。

 

 鑑定の魔法で性能については把握できているので、数字の部分については理解できた。

 おかげで世界に散らばっている生きた宝箱の数を把握できたわけだが、逆に言えば本当にそれだけでしかない。

 

 女神エリスに助けを求めるべきか真剣に悩んだあなただったが、転生者カウンターの性能や危険性を考慮した場合、ほぼ確実に回収されるという結論が出てしまった。

 銀髪強盗団の活動に役に立つと説得出来るか考えたものの、カウンターはあくまでも転生者に引っかかるのであって、神器に引っかかるわけではない。銀髪強盗団の活動には役に立たない。説得の材料としては不適切といえるだろう。

 

 イブキから回収したもう一つの神器、万里靴について語るべきことは特に無い。

 これは履いている間はどれだけの距離を歩いても疲労しなくなるという、非常にシンプルながら実用的な効果を持つ神器だった。

 自動でサイズを補正してくれる便利機能付きなので、竜の谷の探索でゆんゆんに使わせるのもいいかもしれないとあなたは考えている。ただし他の探索者に見られないような場所で。

 

 

 

 

 

 

 自宅にベルディアはいなかった。

 フィオとクレメアの面倒を見てくれているのかもしれない。

 自身の分、そして荷物になるからとゆんゆんが預けてきた各地の土産の数々を自室に置き、面倒見の良いペットに書置きと土産を残したあなたは、その足で隣のウィズ魔法店に向かう。

 

「いらっしゃいま……お帰りなさいっ!」

 

 店のドアに付けられたベルの音に振り向いたウィズが、あなたの姿を認め、心からの笑顔を浮かべて出迎える。

 久方ぶりの再会、そして友人にして同居人の暖かい笑顔にあなたの表情が自然と綻んだ。

 ぽわぽわりっちぃはまだエーテル病には効かないが、そのうち効くようになる。当然メシェーラにも。

 冒険から帰った時、出迎えてくれる人がいるというのはとても幸せなことだ。

 この世界でウィズと出会えてよかったと、改めて感じ入るあなたがいた。

 

 積もっていたフラストレーションは献身的な悪魔達のおかげで発散されたが、そのせいで今日まであなたの精神的な均衡はノースティリスの側に大きく傾いたままだった。

 まるでコップの水が表面張力を保ち続けるような危うい天秤が水平に戻ったことを自覚しつつ、帰還の挨拶もそこそこに店内を見渡す。

 どうやらあなた以外の客はいないようだが、あなたがアクセルを発つ前と比較すると品揃えがだいぶ変化している。

 店長お勧めの商品を買い漁るチャンスだが、まだあなたの冒険は終わっていない。お楽しみは竜の谷から帰るまで取っておくことにした。

 自分以外の客が産廃を買うとはこれっぽっちも思っていないからこそ出来る荒業である。

 

「私の準備は終わってますけど、すぐあちらに戻るわけではないんですよね? じゃあちょっとお茶を淹れてきますね」

 

 パタパタと店の奥に駆けていくウィズを忙しないことだと見送る。

 店内備え付けのテーブル席に座ると、モノクロカラーの仮面を被った店員が声をかけてきた。

 

「聞いたぞお得意様。トリフでは随分と暴れまわったそうではないか」

 

 リカシィで購入した土産の数々を受け取りつつニヤリと笑うバニル。

 見通す悪魔である彼が断定ではなく伝聞調で語るのは中々に珍しい光景と言えるだろうが、あなた達にとっては自然なものである。

 

「我輩の部下が泣きついてきてな。包帯頭をなんとかしてくれと、必死に地面に頭を擦り付けて」

 

 バニルはあなたを見通すことができない。

 彼があなたを見通す時、そこには底の無い穴のような漆黒の闇がどこまでも広がっているのだという。

 部下に頭を下げられ、何者なのかと包帯頭を見通そうと試みた際に同じものが見えたので正体があなただと確信を抱いたらしい。

 

 あなたとバニルの関係はさておき、ジェノサイドパーティーの観客はバニルの配下だったようだ。

 世の為人の為とはいえ、あなたは知り合いの部下の残機を合計で四万近く減らした。上司として思うところがあるのかもしれない。

 

「気にするな。奴らの行動は人間(ご飯)を減らすなという我輩の意向に反したものだった。我輩としてはむしろよくやってくれたとお得意様に感謝したいくらいだ」

 

 ひらひらと手を振って答えるバニルに、彼の本質が現れている。

 根底にあるものが善意ではなく食欲なあたり、どれだけ無害でも彼は天界の神々と骨肉の争いを繰り広げる大悪魔の一角であり、決して善良とも人間の味方とも言えない存在だった。

 それでも最下級の魔物はおろか、そこらへんの野生動物より危険度が低いのは間違いないわけだが。

 姿を見かけたら今すぐその場から逃げるか這い上がる覚悟を決めろと言われる廃人達とは比べることが失礼に当たる。

 

 

 

 

 

 

 少しの間土産話に花を咲かせた後、あなたは一人で竜の里に戻ることになった。

 次にウィズと会うのは二日後になる。

 ウィズは既に荷造りを終えていたのでこのまま拾っていってもよかったし、なんならあなたとゆんゆんは三人で竜の里を観光しようとすら考えていたのだが、ウィズはずっとアクセルにいた自分が最後の最後になって観光に混ざるのは心苦しいと同行を辞退したのだ。

 ゆんゆんは気にしなくていいのにと言うだろうが、あなたとしては十分に理解できる理屈だった。あなたがウィズの立場でも同じことを言うだろう。

 時の流れに置いていかれた不死者とポーションの限り自由に若返ることができる廃人。互いに時間は幾らでもあるのだから、観光は次の機会まで待っておくとしよう。

 そう結論付けて竜の里に戻る直前、ウィズがこんな事を言った。

 

「すみません、一つ忘れてました。あなたとゆんゆんさんが旅に出ている間に、前から開発していた魔法が完成したんです。ちょっと見てもらっていいですか? 多分竜の谷でも役に立つと思うので」

 

 あなたは喜んでその提案を受け入れた。

 だがシェルターに行くのかと思いきや、その必要は無いという。

 どうやら攻撃魔法ではないらしい。

 

「じゃあいきますね。――ブラックロータス」

 

 水平に伸ばしたウィズの手のひらに生み出されたのは、青みがかった黒い蓮の花。

 一見するとただの花でしかないそれは、しかし身震いするほどの膨大な魔力が秘められていることが分かる。

 そしてその魔力量は、なんとあなたの目の前にいる女性とほぼ同じだった。

 

「どうぞ触ってみてください」

 

 言われるまま花弁に触れる。

 氷雪系の魔法を得意とするウィズが作り出した花は、凍傷してしまいそうなほどに冷たく、そして硬い。

 

「久しぶりの実戦だったデストロイヤー戦で痛感したんですけど、私、全力で爆裂魔法を使うと魔力が殆どすっからかんになっちゃうんですよ。辛うじて行動に支障は出ないんですが」

 

 この世界における魔法の魔力消費量は基本的に固定値だ。

 なのであなたやウィズレベルになると好き放題魔法を使えるようになるのだが、一部の最上位スキルになるとそうも言っていられなくなる。

 最大魔力量から割合消費。字面だけでげんなりさせられる仕様だが、消費した魔力の分だけ威力が青天井に高まっていくので一概に悪い話ではない。ちなみに爆裂魔法は初期状態でほぼ100%消費。こんなスキルを真っ先に習得するめぐみんはやはり理性が蒸発しているし、爆裂魔法に習熟して消費が下がった今もパッシブスキルで消費を増やしてギリギリのラインを攻めているので、やはり魔法を使うと完全に機能停止する。

 それを思えばウィズは動き回れるだけマシと言えるのだが、どちらにせよ気軽に使える魔法ではない。

 めぐみんは頭がおかしいので気軽にぶっぱなして昏倒するが。

 

「きっとお店を経営するだけなら気にしなかったと思います。ですがあなたのお手伝いをするのなら、このままではいけないと一念発起しました」

 

 彼女が実戦から遠ざかって久しいのはあなたも良く知るところである。

 今ではすっかり錆を落としたものの、ゆんゆんに付き合って体を動かし始めた頃は酷かった。本当に酷かった。

 

「魔力不足を最も手軽に解決できるのがマナタイトとポーションです。ただ失った魔力をその都度消耗品で回復しようとすると、はっきり言ってコストが馬鹿になりません。お金がかかります。お金がかかるんです。お金がかかりました。魔法使いはとってもお金がかかるんです……!」

 

 最後に血を吐くような泣き言が挟まれたような気もするが、魔力のやりくりの大変さはあなたもよく知るところだ。

 魔法使いとして軌道に乗るまで、あなたは何度も何度もその身を爆発四散させた。レベル上げのために無心で魔法を唱え続けていたせいで餓死したのも一度や二度ではない。死んで覚えろのやり方に例外は無い。

 

 これはイルヴァでの話だが、元素の神を信仰すると『魔力の吸収』という固有技能を習得できる。どういう技能かの説明は不要だろう。文字通りの意味である。

 そしてこの技能は魔力の高さと信仰の深さで回復量が増加するので、廃人がこれを使うとちょっと笑えないレベルで魔力(MP)を回復できるようになる。

 それなりにスタミナを消費するのだが、変態ロリコンストーカーフィギュアフェチの魔力は無尽蔵と言っても過言ではない。

 ほぼ有り得ない仮定だが、めぐみんが元素の神を心の底から信仰しようものならば、正真正銘のデストロイヤーが生まれることになるだろう。

 

 ちなみに癒しの女神を信仰すると『ジュアの祈り』という固有技能を習得できる。

 癒しの女神が与える恩恵に相応しく、信仰の深さに比例して対象の傷を癒すという効果を持つ。

 非常にシンプルではあるが、狂信者であるあなたが使った場合の回復量は凄まじい。

 具体的な突破方法は手番を回さず封殺するか、回復量を上回る超火力でゴリ押しするか。

 回復魔法で十分と言うなかれ。あなた達の戦いでは魔法を封じられる場面がそれなりにあるのだから。

 どう足掻いても泥仕合になるので、友人間ではクソ技止めろふざけんな死ねとブーメランが飛び交うくらいに評判が良い。ただし最後の良心こと幸運の女神の狂信者を除く。

 

 故郷の友人たちに思いを馳せていたあなたは硬質な音に意識を引き戻される。

 ウィズがテーブルに置いた鉱石の音のようだ。

 あなたは記憶を手繰り寄せ、テーブルの上の石を吸魔石だとあたりをつけた。

 外付け魔力タンクのような鉱石であり、マナタイトより魔力貯蔵量は低いが何度も繰り返し使うことができる便利な品だ。許容量を超えると爆発するのであえて爆弾代わりに使うこともできる。

 

「他の魔力回復手段といえばこの吸魔石ですが、私の魔力量を補うには一つ一つの回復量が心許ないというのが実情です。なので魔法で吸魔石の効果を代替することにしました」

 

 それがブラックロータス。

 自然界には存在しない、吸い込まれるような黒い蓮の花。

 

「ブラックロータスは花一輪につき術者一人分の魔力を貯めることが出来ます。回復できるのは術者だけなんですけど、私であればドレインタッチを通じて他者の回復も可能です。そして私が作ることができた花の数は全部で10。実質的な最大魔力量が11倍になりました」

 

 その言葉にあなたは目を瞬かせ、十秒ほどかけて咀嚼し、結果として内容を上手く理解しきれなかった。

 自分の耳はおかしくなってしまったのだろうか。

 恐る恐る、あなたはもう一度言ってほしいと聞きなおしてみることにした。

 

「実質的な最大魔力量が11倍になりました」

 

 幻聴ではなかったようだ。

 しれっと恐ろしいことを言ってのける天才アークウィザードにあなたの目が遠くなる。

 才能という名の目に見えない暴力で横っ面をぶん殴られた気分だ。

 

 爆裂魔法のような、割合消費の大魔法の使用頻度をブラックロータスは大きく上げることができる。

 革新的という言葉では到底片付けられない、世界を揺るがしかねない魔法。めぐみんが聞けば瞳を爛々と輝かせて習得を迫ってくるだろう。

 

「実はこれ、あなたの世界にあるストックという概念を流用した魔法なんです。宝島採掘の時、あなたの世界の魔法を覚えたじゃないですか。あれを分解して解析して理解することによって生み出せた魔法なので、同じくストックを使えるあなたならともかく、他の方には恐らく習得不可能だと思います。少なくとも今のところは」

 

 他の者にも習得可能なのか問いかけてみれば、そんな答えが返ってきた。

 世界が爆裂魔法に焼かれる悲劇は避けられたようだ。

 

「魔法の使い方ですが、冷暗所に出しておけば花自体が少しずつ空気中の魔力を吸収してくれますし、私自身の余った魔力を篭めることで貯金みたいな形にもできます。いいですよね、貯金。心が安らぐ素敵な響きの言葉です。通帳を見るたびに幸せな気持ちになれます。あなたと出会うまでは別世界の言葉でしたけど」

 

 魔法使いが聞けば誰もがずるいと答えるに違いない魔法。

 廃人級の創作魔法に相応しく雑に壊れすぎていると言わざるを得ない。

 その筈なのに、最早あなたの頭には貯金のイメージしかない。何故自分から率先してオチを付けていってしまうのか。

 

「ちなみに習得には触媒が必要で、一輪につきだいたい……現金換算で2000万エリスくらい必要だと思います。かくいう私も長年溜め込んでいた触媒の在庫がほぼ払底しました。やばいですね」

 

 天才アークウィザードの背中が煤けている。

 総額2億エリス相当が吹き飛んだようだが、費用対効果の観点では非常に安い買い物だろう。

 あなたであれば喜んで投資している。

 

「ちなみに本来ならホワイトロータスっていう、雪の花みたいな呪文にする予定だったんです。ですが何度試しても真っ黒にしかならなくて。多分私がリッチーだからだと思うんですけど」

 

 心なしか気落ちした様子の同居人を見かねたというわけではないが、あなたはこの魔法を教えてもらえないか頼んでみることにした。

 今のあなたは自身の魔力量に不足を感じていないものの、それはそれ、これはこれだ。金ならある。

 

「勿論大丈夫ですよ。習得には触媒とストックの概念以外にも術式についての知識が必要なんですが、これの骨子は私が在学中に発表したものを発展させたもので――」

 

 ――難解だ!

 

 いつまでも聞いていられる綺麗で心地よい声で紡がれる異次元の言葉が耳の左から右に抜けていく。

 開始10秒であなたの瞳から意思の光が消え去り、思考と理解はやってられるかと匙を投げ、その仕事を完全に放棄した。今のあなたは無表情で口が半開きになり、背景に壮大な宇宙を背負う勢いである。

 あなたは元素の神を信仰する友人と機械の神を信仰する友人を呼び出したくなった。

 二人は変態ロリコンストーカーフィギュアフェチとチキチキ大好きTS義体化ロリだが、それでも他に類を見ない天才なのだから。

 

 

 

 

 

 

 逃げるように竜の里に舞い戻った翌日。

 竜の宿の竜の温泉でほどよく体を休めたあなた達は、朝から里の中を歩き回っていた。

 昼になって暖かくなってきたら滝の近くに足を運ぶ予定である。

 

「お客さん、出来たてのドラゴン饅頭はいかがかね? 熱々で美味いぞ」

 

 なんでもかんでもドラゴンの名前が付くのは流石だとしか言いようがない。

 雑貨屋の店主である老齢のドラゴニュートに勧められるまま、ファイアドラゴン味のドラゴン饅頭を購入。蒸し器から取り出された大ぶりで熱々の饅頭にゆんゆんと二人、雑貨屋のベンチに座って噛り付く。

 ファイアドラゴンの名前に負けることのない真っ赤に着色された饅頭の皮は、別段激辛ということもなく小麦の香りと味が強いものであり、軽く握ればふわふわもちもちとした柔らかい手ごたえが返ってくる。

 たっぷりと詰まった中身の餡は、肉汁溢れるジューシーな豚のひき肉と微塵切りにした数種類の野菜を塩、胡椒、牡蠣油などで味付けしており、更に辛くなりすぎない程度にトウガラシを使って味を引き締め、纏めあげている。

 熟練の技が光るピリ辛肉まんだった。でかい辛い美味いと舌鼓を打ちあっという間に饅頭を平らげるあなた達に、いい食べっぷりだと朗らかに笑うドラゴニュートの店主。

 

「二人が昨日馬車から降りるのを見とったよ。わざわざ陸路で来たって事はやっぱりあれかね、ここには巡礼に?」

 

 あなたはゆんゆんの肩に手を乗せ、自分達がベルゼルグの冒険者であること、キビアからトリフを経由する形で陸路で旅をして冒険者としての経験を積ませていたこと、そして修行の締めとして彼女をドラゴン使いにするために竜の谷に挑むつもりであることを答える。

 店主は途端に痛ましげな表情になった。

 

「……悪いことは言わん。あたら若い命を粗末にするような真似は止めておけ。立ち入りこそ禁じられてはいないが、あそこは決して度胸試しや遊び半分で行くような場所じゃあない」

「ここに来るまでに何回も似たようなことを言われましたよ」

「そりゃそうだろ。誰だって同じことを言うだろうさ。最近だとカイラムの騎士団が来ていたんだが、竜の谷から戻ってきたエルフ達はどいつもこいつも敗残兵みたいにボロボロで今にも死にそうな顔をしてたもんだ。その前だとどっかのお貴族様が1000人くらい引き連れていたのを見たが……殆どはそのまま帰ってこなかった」

 

 低い声で語られる二つの怪談。

 どちらも聞いた事のある話であり、あなた達にとっても決して無関係ではなかった。

 

「お爺さんは竜の谷に行ったことあるんですか?」

「若い頃に一度だけな。つっても直接足を踏み入れたわけじゃない。竜のアギトの出口から第一層を眺めたことがあるだけだが」

「どんな場所でした?」

「……とても言葉に出来るようなもんではなかったなあ。ただこう、全身の血が熱くなる感覚があったのをよく覚えているよ。傍流とはいえ、確かに流れている竜の血がそうさせたのかもしれん」

 

 懐かしさに目を細める老いた竜人。

 その瞳は竜の谷への敬意と畏怖に満ち溢れていた。

 

「比類無き危険な地だが、あれは死ぬ前に一度は見ておく価値がある光景ではある。だからまあ、せめて安全な入り口で満足して引き返しておけ。ほら、ちょうどあそこにいる者達のように」

 

 繰り返すが、竜の谷はドラゴン使いを志す者にとっての聖地として扱われている。

 そんな聖地の麓にある里の中心には、竜騎士の祖であるパンナ・コッタ、そして彼の相棒であった伝説のドラゴン、プリン・ア・ラ・モードの像が建っており、像の前には観光客と思わしき三十人ほどの団体が集まっていた。

 集団の殆どは十代前半の若い少年少女で構成されており、誰も彼も身形が整っている。

 そんな未来の可能性に溢れた若者たちを、騎士然とした壮年に差し掛かった人間の男性とスーツを着た若い女性が引率していた。

 

「あれって何の団体さんなんです?」

「トリフでやってる観光ツアーの客だよ。竜騎士やドラゴン使いを目指す若者向けの。ここは徒歩で気軽に来れるような場所じゃないからな。高い金を払ってテレポートで飛んでくるのさ。竜の谷の入り口まで立ち入るってんだから、逞しいというか」

 

 不機嫌だったり見下しているとまではいかずとも、どこか面白くなさそうな店主の言葉。

 竜の里は観光地としてそれなりに栄えている。彼はそれを不服に思っているわけではない。

 だが竜の里の先であれば話が変わってくる。

 ドラゴン使いや竜騎士にとってそうであるように、ドラゴニュートにとっても竜の谷は聖地なのだ。そんな場所が観光地扱いを受けるのは気分が良くないのだろう。

 

 ゆんゆんはきょとんとしていたが、あなたには店主の複雑な気持ちをなんとなく理解出来ていた。

 ノイエルの聖夜祭では自重しているものの、別の場所にある癒しの女神の聖地に観光客が軽々しく足を踏み入れた場合、あなた達はその愚者をサンドバッグに吊るす。吊るすだろうではなく吊るす。実際に吊るした事があるので間違いない。

 この世界においては、アルカンレティアでも女神アクアが教徒を率いて魔王軍幹部と戦った場所が聖地に指定されており、関係者以外の立ち入りが禁じられている。

 それを思えばドラゴニュートはとても温厚な種族といえた。

 

 

 

 

 

 

 たっぷり休んで心身の疲れを癒し、英気を養った翌日の早朝。

 どこか不穏なざわつきが聞こえてくる里を奥へと進み、山脈に続いている長い細道の入り口に建っている小屋にて。

 

「ゆんゆんさん、お久しぶりです。……随分と遅くなってしまいましたけど、今から私もパーティーに混ぜてもらいますね」

 

 あなたに連れられてやってきた完全武装状態のウィズがぺこりと頭を下げた。

 妹を除外すればずっと二人組だったあなたとゆんゆんに、待望の三人目が加わった。この世界における史上最強のパーティーが生まれた瞬間である。

 あなたは言うに及ばず、ゆんゆんの面倒を見なくて良くなった妹も満面の笑顔。

 ゆんゆんに至っては瞑目し、右手を硬く握りしめ、そのまま高く掲げて無言で勝利のガッツポーズを作っている。

 きた! 常識人きた! メイン常識人きた! これで勝つる! と言わんばかりの大歓迎状態だ。かくいうあなたの脳内にも「勝ったな」「……ああ」と謎の電波が聞こえてくる始末。

 

 そんなゆんゆんの突然の奇行にこれまでの彼女の苦労を感じ取ったのか、ウィズは微かに苦笑を漏らすに留まった。

 

「じゃあウィズさんも来てくれたことですし、早速ですけどパーティー名を決めちゃいましょう!」

「あの、本当に私も考えていいんですか? 新参なんですけど」

「当たり前じゃないですか! むしろ私的には大本命ですよウィズさんは」

 

 竜の谷はその出入りに際し、あなた達が現在いる小屋で手続きを行う必要がある。

 手続きといっても複雑なものではなく、誰がいつ出入りしたのかを記録するだけの簡単なものだ。

 ここに団体名を記載するにあたりどうするか考えたあなたとゆんゆんは、いい機会なので、今まで宙ぶらりんだったパーティー名を決めてしまおうとなった次第である。

 

 そんなこんなで数分を使った結果、案が出揃った。

 ゆんゆんと愉快な仲間達。世界最強コンビとオマケ。ネバーアローン。

 左から順に、あなた、ゆんゆん、ウィズが提案したパーティー名である。

 

「はい。じゃあ私達のパーティー名はネバーアローンということで」

 

 はいじゃないが。

 ウィズの案に不満があるわけではない。しかし他の案を一顧だにせず即決するのはパーティーとしていかがなものか。

 あまりの横暴にあなたが思わず物申すと、ゆんゆんはキッパリとした口調で断言した。

 

「多数決です。っていうかなんですかゆんゆんと愉快な仲間達って。まるで私がリーダーみたいじゃないですか。少しは真面目に考えてください」

 

 素面で刃のブーメランを投擲してくる紅魔族の少女にあなたは閉口する。

 世界最強コンビとオマケなどというふざけた名前を提案した人間が口にしていい発言では断じてない。

 やいのやいのと言い合っていると、ウィズがくすくすと楽しそうに笑った。

 

「ふふっ、すみません。なんだか懐かしくなっちゃって。ブラッドとロザリー……昔の私の仲間なんですけど、まだ駆け出しで知り合ったばかりの頃、二人が同じような事を言っていたなあって」

 

 憂いの無い笑み。

 かつて氷の魔女と呼ばれていた彼女は、純粋に自分が人間だった過去を懐かしんでいた。

 そして興味深い話題だとあなたが沈黙したのをいいことに、ここぞとばかりにパーティー名を記載するゆんゆん。

 彼女は旅を通じて立派な主体性と強かさ、あるいはあなたが相手であればこれくらい言ったりやっても大丈夫だろうという自然な距離感を身につけていた。

 

「駆け出しだった頃のウィズさんの姿って全然想像出来ないです」

「そりゃあ私にも駆け出しだった時期はありますよ。ちなみに当時の私は10歳くらいでした」

「じゅっさい……10歳!? 子供じゃないですか!」

「学園を卒業してそのまま冒険者になりましたから。世間知らずで常識にも疎く、仲間達には迷惑をかけっぱなしでしたね……」

 

 再会を祝した雑談も悪くはないが、先は長い。

 ウィズの思い出話を肴に、あなた達は竜の里を発ち前に進むのだった。

 

 

 

 

 

 

 竜の谷唯一の進入路は、リカシィと竜の谷を隔てる険しい大山脈に穴を穿つような形で開いている長い細道だ。

 危険だと知って挑み命を散らしていく者達を皮肉るように名付けられた細道の名は竜のアギト。

 

 そんな細道の入り口には慰霊碑があった。

 竜の谷で命を落とした者達のために作られた物だ。

 手入れは日常的にされているようで汚れは無く、慰霊碑には献花がされている。

 

 死者達に黙祷を捧げたあなた達は竜のアギトに足を踏み入れた。

 魔力で動くランタンで暗いトンネルの中を照らしてみれば、壁に何かの文字が刻まれていることにあなたは気がついた。

 入り口のものはほとんど風化しており読み取れなかったが、先に進むにつれて文字は鮮明になってくる。

 

『巡礼記念・■■年■■日』

『聖地にキタ――――(゚∀゚)――――!!!!』

『何も来てねえよぶち殺すぞ』

『私、ドラゴン使いになったら故郷の幼馴染に告白するんだ』

『ここまで来てドラゴン使いになれなかった奴おりゅ?』

『ドイナカ村のみんなぁー見てるぅー?』

『まぉぅ丶)ょぅカゝら、キまιナニ』

『ある貴族の三男坊は賭けにでることにした。安楽少女の実で衰弱死する前に「ばかばかばか! どうしてそんなことするのよぉ~」と美少女ロリっ子ドラゴンが抱きついてくることに、生死を賭すのだ』

『('A`)ノシ ←僕の相棒のドラゴンが描きました』

『ごめんねえ? 強くってさあ!』

『リオノール参上!』

『ライン・シェイカー、竜騎士の末席として始祖と先達に敬意を払い、ここに足跡を残す』

『竜騎士最強! 竜騎士最強! 竜騎士最強! 竜騎士最強! 竜騎士最強! 竜騎士最強!』

 

 誰も彼もが自由に痕跡を残していた。

 直筆かは不明だが、中には歴史に残る英雄や魔王の名前も刻まれている。

 ここまで来るとちょっとした歴史的資料だ。

 

「私達も何か書いていきます?」

 

 ウィズの問いに、あなたは首を横に振って答える。

 自分達は竜の谷を踏破し、ゆんゆんがドラゴン使いになった記念に改めてここに来た証を残せばいいだろうと。

 

「…………」

 

 あなたの言葉にいよいよだと感じ始めたのか、明かりに照らされたゆんゆんの顔は緊張で少し青くなっていた。

 そんなゆんゆんを見かねたわけではないのだろうが、ウィズが明るい調子で声をかける。

 

「それにしてもゆんゆんさん、とっても立派になりましたね」

「えっ、そ、そうですか?」

「はい。面構えや立ち姿、雰囲気が旅に出る前と比べて随分と変わりましたよ。勿論いい方に。背も少し伸びましたね」

 

 頑張ったんですね、と優しく声をかけて頭を撫でるウィズに、涙ぐむゆんゆん。

 

「旅の中で沢山の経験をしたんですよね?」

「えっと、そうですね。お話ししたい事が沢山ありすぎて今ここでは話せませんけど、旅の中で本当に色々ありましたから……本当に、ウィズさんがいてくれればなあって思ったことが何度あったことか……」

 

 遠い目をする少女に、ウィズは困ったようにあなたを見やった。

 弱メンタルでゲロ甘でチョロQなゆんゆんに何度も相当な無茶をさせたと考えているのだろう。

 誤解だとあなたは首を横に振る。

 

「ここだけの話、ウィズさんがいたら10億エリスが6億7000万エリスになってたかもしれないんですよ」

「えっ」

 

 雲行きが変わってウィズが困惑の声を発した。

 

「実は税がかからないお金が10億エリスぶんほどあるんですけど、半分貰ってくれませんか? 私を強くしてくれたウィズさんには5億エリスを受け取る権利があると思うんです。むしろ受け取るべきだと思います。受け取ってくださいお願いします」

「えっ、5億エリス……えっ!?」

 

 この期に及んで何を馬鹿なことを言っているのだろう。

 あなたは嘆息して胡散臭い詐欺師のような発言をする、血迷ったゆんゆんの頭を軽く引っぱたいた。

 まだ割り切れていなかったのかと呆れると同時に軽く驚きですらある。

 

「10億って、災厄級の賞金首でも狩ったんですか?」

 

 何かを殺して得た金ではない。むしろその逆だと首を横に振る。

 これは世界を覆う災厄を未然に防いだ正当な報酬、人命救助に対する感謝の気持ちだ。

 具体的には生存が絶望的だったカイラムの王妃と王女の命を救った救国の英雄への礼である。

 

「あぁ……なるほど……」

 

 カイラムの国王は大変な愛妻家であり、第一王女は誰からも愛される国の宝。

 そんな二人を救った謝礼を、ゆんゆんは精神的にも物理的にも完全に持て余してしまっていた。

 とはいえあなたは装備の更新に使えばいいとアドバイスしていたのだが、もう忘れてしまったのだろうか。

 

「装備の更新に10億エリスも必要ないですから! だからウィズさん、5億エリスを受け取ってください! 受け取って私の心の負担を軽くしてください!」

 

 とんでもないとウィズは全力で首を横に振った。あまりの勢いに長い髪がぺちぺちと音を立ててあなたに当たる。

 ウィズがここで大金を受け取るような女性だったらあなたはウィズ魔法店の投資に苦労していないし、結果的に同居するような関係にもなっていないのだから、拒否は当然の結果だった。

 

「そんなあ……」

「でもほら、良かったじゃないですか。冒険者の中でも魔法使いは特にお金がかかりますし」

「本当ですか? ウィズさん、本当にそう思いますか? 10億エリスですよ? ポンと10億エリスを手に入れることが本当に良い事だと思いますか?」

 

 かつて宝島採掘の分け前として3億エリスを手に入れた結果、一瞬で卒倒した元極貧リッチーはそっと目を逸らした。

 

 

 

 

 

 

 どれだけ暗い道を歩き続けただろうか。

 やがてあなた達の目に、ランタンのものではない光が見えた。

 

 竜の谷の入り口を前に改めて気を入れ直し、あなた達三人は竜のアギトを出る。

 

「…………え?」

 

 だが、しかし。

 あなた達を待ち構えていたのは、竜のアギトに入る前に見ていた透明感のある青空ではなく、郷愁と懐古を呼び起こす色鮮やかな茜色の空。

 今まさに太陽が地平線の向こう側に沈もうとしている瞬間を、あなた達は目撃していた。

 

「今、何時でしたっけ?」

 

 ウィズの言葉に時計を見れば、針は昼過ぎを指し示している。

 あなたの体感でも竜のアギトでそこまで長時間を過ごしてはいない。

 自分達は、今どこにいるのだろう。

 あなた達がそんな疑問を抱いたのは自然な成り行きといえた。

 

「そうだっ、コンパス! ……うぅわ」

 

 ゆんゆんが取り出した5万エリスのコンパスは、針が目にも留まらぬ速度で回転し、音を立てて綺麗な円を描いていた。どう見ても使い物にならない。5万エリスはゴミになったようだ。

 まるで異界といった有様だが、正しくここは異界なのだろう。

 その証拠に、竜の谷には他と比較にならないほど濃密で膨大な魔力が満ち溢れている。

 あなたの知る限りではすくつの感覚に近い。時空の一つや二つは歪んでいて当然といえた。

 

 早くもワクワクが止まらないあなたは周囲を見渡す。

 

 竜のアギトの出口は辺りを一望できる小高い丘にあった。

 そしてあなたの開けた視界には、地平線の向こう側まで続く終わりの無い樹海が広がっている。

 夕焼け空を背に自由に舞う数十の小さな影の正体は、言うまでも無くドラゴンだ。

 闇に包まれた樹海の中からは、聞いたことの無い何者かの咆哮が聞こえてくる。

 

 竜の谷第一層、千年樹海。

 

 ここは竜の谷の最も外側であり、魔境の表層に過ぎない。

 だが同時に、竜の谷で最も多くの命が散っていった場所でもある。

 

 あなたとしてはこのまま丘から降りて探索を行いたいところだったが、話し合いの結果、日が出るまでは樹海に足を踏み入れず、竜のアギトの出口付近で一夜を過ごすことになった。

 出鼻を盛大に挫かれた形になるが、開始早々負担が大きい夜中の強行軍をする理由も無い。ここまで来れば竜の谷は逃げないし、先は長いのだから気長にやればいい。

 そう気を取り直して夜営の準備を進めていたあなただったが、空から聞こえてくる咆哮と敵意に不意に手を止めた。

 

「ゆんゆんさん、少し後ろに下がってください」

 

 殺気を受けて逃げ腰全開になっていたゆんゆんを安心させるよう、優しく声をかけるウィズ。

 その視線はあなたと同じく、空のある一点に釘付けになっている。

 あなた達という新たな侵入者に真っ先に気が付き、腹の足しにせんとすべく襲い掛かってきたそれの正体に気付いたゆんゆんは、慄然とその名を呼ぶ。

 

「ルビー、ドラゴン……!」

 

 アクセルの冒険者が総出で挑み、死闘の末にようやく打ち倒したドラゴン。

 しかもゆんゆんが戦った時よりも大きい。およそ1.3倍といったところだろうか。

 

「どうしましょうか」

 

 夕飯のアンケートよりも平坦なウィズの声。

 極めて簡潔で端的なそれは、戦うか逃げるかという選択を問いかけているのではなく、かといってあなたとウィズのどちらが戦うのかという選択を問いかけているものでもない。

 それを理解するあなたは簡潔に、端的に、素材は必要無いと答えた。夕飯の希望を告げるように。

 あなたの答えにウィズは特に気負うでもなく頷き、杖を構える。

 

「ちょっと素材が勿体無いですけど、先は長いですしね。ルビードラゴンなら他所でも見れますし。……ファイアーボール」

 

 放たれたのはめぐみん以外の全ての魔法使いが使えるであろう、この世界で最もポピュラーな攻撃魔法。

 高速で放たれた火球は飛来するドラゴンの顔面に直撃。

 瞬間、夕闇を爆発の閃光が塗り潰し、魔力への高い抵抗を持つ鱗などまるで存在しないかのように、一撃でルビードラゴンは消し炭へと姿を変えた。

 

「うーん、やっぱり杖の質が良いと魔力の乗り具合が違いますね」

 

 到着早々の熱烈な歓迎を退け、ご機嫌な様子で杖を撫でて昼食もとい夕食の準備に戻るウィズ。

 アクセル総出でかかってようやく倒した相手を瞬殺したわけだが、この程度は出来て当然と何ら意に介していないし、一つの命を汚い花火に変えたことへの呵責などこれっぽっちも感じていなかった。

 彼女はぽわぽわりっちぃかつ善良な平和主義者。あなたと違って無闇に他者の命を奪うような人間ではないが、別に戦いが嫌いなわけではない。

 殺しに来たのだから殺されても文句は言えない。そういう価値観を持っている。

 そもそも襲い掛かってきたモンスターの命を奪う事すら憂うレベルで根っからの博愛主義者(頭がお花畑)だった場合、あなたは最初からウィズに目をつけていない。

 

 とはいえ仮に今この場であなたとウィズが戦った場合、これはあなたが勝利を収めるだろう。

 理由は複数あるが、概ね速度の差と装備の差に集約される。

 だが、ウィズがまだ人間だった頃、かつて死の淵にあった仲間達を救う為、単身でバニルに挑んだ時のように。今のウィズが本当の意味で覚悟を決め、全力を発揮し、自身の持つあらゆる手段を用いてあなたに相対した、その時は。

 全力を出した自分と命のやりとりができる。

 彼女はそういう存在なのだと、あなたは長年に渡る戦いの経験から直感し、確信していた。

 

 今回の旅に出るまでのあなたであれば、ウィズの戦いを見てテンションがおかしなことになっていただろう。だがジェノサイドパーティーでリフレッシュした今のあなたは、これといって感情を揺さぶられることはない。

 ただ、これから何度戦うか分からないので不要だと答えたものの、やっぱり素材は少し勿体無かったかもしれないと考えながら、キャンプの設営に戻ろうと踵を返す。

 

「あの……」

 

 服の袖を弱弱しく引っ張られた。

 何事かと振り向いてみれば、そこには救いを求めるような目で見てくるゆんゆんの姿が。

 軽く心が折れかけており、何故かウィズではなく、あなたに訴えたいことがあるようだ。

 

 早くも怖気づいたのかと思いきや、ゆんゆんはアクセルに戻りたがっているというわけではなかった。

 では何が原因かといえば、初めてウィズがまともに戦っているところを見たのが原因だった。ウィズが杖を使っているのを見るのもこれが初めてだろう。

 なまじ同じアークウィザードであるがゆえに、師の力量と彼我の差があなたの時よりも強く実感出来てしまったらしい。ゆんゆんがあれだけ苦戦した相手をウィズがあっさりと仕留めたことも決して無関係ではないと思われる。

 

 リーゼといいゆんゆんといい、ウィズの全自動で心を折る機械っぷりにはあなたも頭が下がる気分だ。

 ここで慰めの言葉を送るのは簡単だが、廃人を目指すというのであればさっさと割り切ってしまった方が精神衛生上良いに決まっている。

 あなたが軽く頭を撫でた後によくあることだと笑顔でサムズアップを送ると、この場には自分と価値観を共有出来る相手がいないと理解してしまった少女の目から光が消失し、その小さな口からはウボァーと断末魔の如き魂の呻き声が溢れ出た。

 

 かくしてご機嫌な廃人とリッチー、そしてそんな規格外の戦闘力を持つ二人に振り回される運命が確定した紅魔族の少女による、竜の谷探索行が幕を開けたのだった。



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第127話 第一層:千年樹海

【竜の谷第一層:千年樹海】

 

 ともすれば世界の果てまで続いているのではないかと錯覚する、どこまでも果てが見えない広大無辺な樹海。

 竜の谷に満ちる魔力によって変質した動植物は、他に類を見ない独自の生態系を築き上げている。

 過去数多の英雄、勇者、賢者が竜の谷に未知と財宝と栄誉を求めて挑み、命を落としてきた。

 

 第一層という呼称が示すように、確固たる事実として、竜の谷という魔窟においては千年樹海すら浅瀬にすぎない。竜の谷には樹海の先がある。

 だが樹海を抜け、第二層まで辿り着いた上で生還を果たした者は全挑戦者中僅か1%に満たない。

 更に眉唾物の話ではあるものの、歴代の魔王の中にすら竜の谷で消息不明になった者がいるという。

 人類はおろか魔族からも禁足地と呼ばれる恐ろしい場所でありながら、彼の地へ足を向ける者は後を絶たない。

 希少なアイテムの数々、そして踏破した先に待つ未知と栄光に浪漫を求めて。

 さながら火に引き寄せられる虫のように。

 

 自分なら、自分達ならきっとやれると。

 未知を解き明かし、魔境を踏破し、歴史に己が名を刻んでみせると。

 根拠の無い自信に導かれて。

 

 恐らくこの書を開いた者は竜の谷の情報を求めているのだろう。

 だからこそ記す。竜の谷とは我々のような定命の者が足を踏み入れてよい場所ではない。

 命を無為に散らせたくなければ決して近寄るな。蓋をしろ。歴史の闇に埋もれさせてしまえ。

 どうしてもというのであれば、せめて竜のアギトの出口で引き返すべきだ。

 樹海に足を踏み入れ、手遅れの段階になってから悔やんでも全ては遅いのだから。

 

 ――ナンテ・コッタ著『竜の谷探索紀行』より

 

 

 

 

 

 

 空間が歪み、時の流れが外とは異なる竜の谷にも等しく夜は来る。

 無数の巨木が競い合うように生い茂る樹海の中は、月の光も届かない深い闇に包まれている。

 だがそんな樹海を空から目を凝らして眺めてみれば、竜のアギトにほど近い、ある一点だけが微かに明るさを放っている事に気が付くだろう。

 それは魔道具という、人の手によって灯された明かりだ。

 耳のいい者なら、明かりに耳を澄ませば聞こえてくるかもしれない。

 悲鳴と、絶叫が。

 

「来るな! 来るなよお!」

「もうやだあ!」

 

 悲鳴の主は大木に背を預け、震える手で必死に武器を振る四人の少年少女。

 足元に転がったランタンに照らされる彼らの表情は恐怖と絶望で滑稽なまでに歪みきっており、整った顔は見る影も無い。

 

 そんな四人は周囲を完全に囲まれてしまっていた。

 見れば嫌悪感を覚えずにはいられない、ニタニタと下品で邪悪な笑みを浮かべた、人間の子供ほどの背丈をした緑肌の子鬼、ゴブリンに。

 ゴブリンといえばドラゴンに並んで有名なモンスターであると同時に、ドラゴンとは正反対の、弱小モンスターの代名詞だ。

 今まさに命を落とそうとしている彼らとて、何度もゴブリンを倒した経験を持っている。これがただのゴブリンであれば鎧袖一触で蹴散らしていただろう。

 

 だがしかし、ここは言わずと知れた竜の谷。

 ゴブリンひとつとっても外のゴブリンとは強さが違う。装備が違う。賢さが違う。

 竜の谷に挑んでは散っていった者達の装備を手に入れ、魑魅魍魎が跋扈する樹海で長年生き続けてきたゴブリン達は、時に格上のドラゴンすら狩り殺すだけの能力を有している。

 未熟な半人前の人間を殺すなど、ゴブリンにとっては赤子の手を捻るほどに容易いものでしかない。ゆえにこうして絶体絶命の危機に瀕していた。

 

 そしてもう一人、少し離れた場所で孤立した者がいる。

 ゴブリンから逃げ遅れた……いや、最初に獲物として狙われた少年だ。

 

「ぎあ゛あああゃああァあああああ!!!!!!」

 

 静かな夜の森に響き渡る、魂を抉られたような苦痛の絶叫。

 複数のゴブリンが粗末な棍棒を手に持ち、打楽器を鳴らすように少年を殴打する。

 どか、ばき、ごり、ぐちゃ。

 人体が壊れる、おぞましい音を全身から発しながら、少年はあまりの激痛に助けを求めることすら出来ず、悲鳴とも絶叫ともつかない声を発し続けている。

 死体漁りで入手した強力な武器で一息に殺すのではなく、あえて何の変哲も無い粗悪な木の棒を使ってじわじわと嬲り殺しにしているあたり、その悪辣さが窺えた。

 

 少しずつ小さくなっていく、耳を塞ぎたくなる悲鳴を聞きながら、少年少女の脳裏に過ぎる切実な感情。

 それは、どうしてこんなことになってしまったのだろう、という現実逃避じみたもの。

 彼ら五人はベルゼルグから地続きになっている隣国、エルロードの士官学校の学生である。

 早朝に宿から抜け出し、届出も出すことなく密かに竜の谷に足を踏み入れたのだ。

 恐るべきは若さゆえの無謀さか。

 

 何も踏破を目指していたわけではない。

 少し潜って危険を感じるか何かを手に入れたら帰還するつもりだった。

 

 度胸試しのために。

 家族や同級生に自慢するために。

 あわよくばドラゴンを手に入れるために。

 様々な野心と欲望を胸に意気揚々と足を踏み入れた彼らは、当然のように竜の谷の洗礼を浴びる事になる。

 運悪く入り口で空を舞う竜に捕捉されなかったのも災いした。

 

 初めは最大限に警戒しながら樹海を進んでいたものの、これといった何かが起きる事も無く時間だけが経過し、世間で言われている危険なんて無いじゃないか、と気が抜けたその瞬間。

 待ってましたと言わんばかりのタイミングで奇襲を受けたのだ。

 

 事実、襲撃者は見計らっていた。

 辺りを取り囲まれても気が付かない、新たに迷い込んできたエサが油断する瞬間を。

 金に物を言わせて手に入れた優秀な装備や道具も、使う者が未熟ではガラクタに等しい。

 

 功名心に逸った結果として、彼らは今まさにこの瞬間、その慢心と無知と無力さから成る無謀の代償を支払おうとしていた。

 弱肉強食という原初の掟が全てを支配する地において、彼らが持つ数少ない価値があるもの。

 すなわち、唯一無二である己が血と、肉と、命を以って。

 

「助けっ、誰か助けて!!」

 

 哀れな声が夜の闇に溶けた。

 この無常なる大地でどれだけ泣き叫ぼうとも助けは来ない。来るはずがない。

 五つの若い命は無惨に、無為に散り、女神エリスの御許に誘われる定めにある。

 

 その筈だった。

 

「――――?」

 

 包囲を狭めていたゴブリンが、憐れな犠牲者を嬲っていたゴブリンが、唐突に動きを止めて一斉に一つの方角に目を向ける。

 だがそこには何も無い。静寂を取り戻した夜の森が広がるばかり。

 それでもゴブリン達は、見せ付けるかのように浮かべていた粗野で下卑た笑みを引っ込めて、知性を帯びた真剣な表情で注意深く目を細め、闇の中を凝視する。

 獣の気配も虫の声もしない、夜の森の先を覗き込むように。

 

 そうして、視線に応えるかのように。

 森の奥、視線の方向から風が吹いた。

 不気味なほどに静かで、生ぬるく、不吉の臭いが混じった風が。

 

 風を浴びたゴブリンの長は、ふと我に返り、あることに気が付く。

 自分は今、冷や汗を流している、と。

 

「――――!!」

 

 突如として大声をあげる長。

 それに従い、数十のゴブリン全てがその場から一目散に逃げ出した。

 包囲していた四人はおろか、嬲り殺しにしていた玩具すら一顧だにせず。

 誤解や異論を一切挟む余地が無い、お手本のような遁走。

 

 竜の谷の中では直接的な力こそ下位に属するものの、谷の外のゴブリンとは比較にならない高い知性と鋭い直感、狡猾さと臆病さで繁栄してきた彼らは察知したのだ。

 おぞましく強大で、残酷で、絶望的な存在が近づいてきていると。

 

 故に逃げた。脇目も振らず、脱兎の如く。

 迫り来る破滅から、自分の命を守るために。

 

「消え……なんで……?」

「たっ、たすかった、の……?」

 

 変化する状況についていけず、その場にへたりこむ四人だったが、ややあって聞こえてきた、草木を掻き分ける音にびくりと体を震わせた。

 何かが近くにいる。こちらに近づいてくる。

 少しずつ大きくなってくる足音に、明かりを消す事も重傷者の治療も忘れ、必死に息を殺してぎゅっと目を瞑り、祈りを捧げる。どうか近づいてきませんように、と。

 

 やがて、足音が止み……目を閉じた四人の耳に、男の声が聞こえてきた。

 場違いなまでに陽気で、緊張感の欠片も無い声が。

 人間の声だ。助けが来たのだ。そうに違いない。

 九死に一生を得たと理解した、あるいは願望に抱きついた彼らの全身から力が抜け、悲しくもないのに涙が溢れた。

 

 お礼を言わなければ。

 そう思い、目を開いた彼らの眼前に映ったもの。

 それは、大口を開けた、緑色の、人間の頭など容易く一飲みにしてしまえる巨大な猿の顔。

 あまりのおぞましさに冷気と錯覚する怖気が全身に走る。

 

「ひぎゃあああああああああ!!」

 

 夜の森に、悲鳴が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 ルビードラゴンの熱烈歓迎を退けたあなた達は、竜の谷の内外時間のズレから到着早々野営の準備をする羽目になった。

 だが狙われやすい丘の上で一夜を過ごす意味と理由は無い。

 

「テントはここらへんでいいですか?」

 

 竜のアギトの出口にほど近い、広めの空間を見繕うウィズに、あなたはテントよりもっといいものがあると手のひら大の立方体を取り出す。

 ゆんゆんは何ですかそれ、と不思議そうにしていたが、高名な冒険者だったウィズは一目で気づいたらしく、驚きをあらわにした。

 

「もしかしてそれ、ポケットハウスですか!? どこで手に入れたんです!? それともまさか買っちゃったんですか!?」

 

 ポケットハウス。その名が示すように、携帯可能な家屋が封じられた魔道具だ。

 設置した場所の地下にそれなりの広さを持った異空間を生み出す、今はベルディアが終末狩りに利用しているシェルターという道具に似ているものの、快適性や利便性はポケットハウスの方が圧倒的に上。

 主に王侯貴族といったごく一部の特権階級がやむを得ない事情で野宿する際に用いる道具であり、当然のように市井には出回っていない。

 知名度は魔法のエキスパート集団である紅魔族、その族長の娘にして物知りなゆんゆんが辛うじてそういう名前の魔道具があると知っている程度。かくいうあなたもカイラムで初めてその存在を知った。

 

 魔道具店の店主として様々な品を見てきたウィズが目の色を変えるだけの事はある貴重品だが、これはカルラの命を救った対価として手に入れた道具の一つである。

 カイラムから提供された食料などの物資の中にこれがあったのだ。

 

「ああなるほど、確かに王家の宝物庫なら予備の品もありますか。でもいいなあ。ポケットハウス、現役時代にずっと欲しかった品の一つなんですよ」

 

 羨望を隠そうともしないウィズに、気持ちはとてもよく分かるとあなたは同意を示す。

 持ち運び可能な倉庫兼別荘。冒険者垂涎の品であることは疑うべくもなく、その有用性は天井知らず。

 こんな物があるならもっと早く知っておきたかったと思わずにはいられない。

 

 次々と思い浮かぶ便利道具の悪用方法はさておき、ここらへんなら大丈夫だろうと、天井まで7メートルほどの空間に立方体を放り投げれば、中から小奇麗な一階建ての木造家屋が姿を現した。

 壁は白、屋根は紺に染められており、成人男性が一人暮らしする分には十分といった大きさ。

 ゆんゆんはぱちくりと目を瞬かせて家の壁にぺたぺたと手を触れ、ウィズは興味津々といった風に魔法の家を見回している。

 

「すご……本当に家が出てきた……」

「建築様式からして、家自体はカイラムで作られたもの。普通の一軒家といった外観ですし、貴族の方ではなく、冒険者や商人のような一般身分の方が個人で使うために用意した感じですかね」

 

 更に上位の品になると貴族の屋敷のような豪邸が飛び出てくるらしいが、そういったレベルになると流石に国宝級になる。

 あなたがこの道具の説明を求めた際、強い関心を引いたと理解した相手は折角だからと屋敷入りの上位品を提案してきたのだが、あなたは持て余すのが目に見えているとこれを断った。

 ポケットハウス自体はモンスターボールや魔剣グラムといった神器ではないのだが、国にとって価値が高すぎるものだと、カルラと内密に交わした命を懸けた契約、国宝級でない神器三つという項目に引っかかる可能性があったからだ。

 

 そんな魔法の家に入り、あなたは軽く部屋の説明を行う。

 内部が拡張されているといったことはなく、外から見たとおりの広さだ。あなた達が三人で利用するとなると窮屈さを感じるのは避けられない。

 それでも寝室や風呂にトイレ、台所といった家としての機能は一通り揃っているし、家具が足りていないということもない。テントの代替品、野外活動時の拠点として利用する分には贅沢すぎるほどだろう。

 

「いいお家ですね。殆ど使用されていないのか、新品同然ですし。結界とは別に家全体にしっかり対魔、対物処理が施されてます」

「結界まで張れるんですか。どうして世間に出回ってないんです? 凄く便利そうなのに」

「実際便利ですよ。秘匿されていたり失伝した技術というわけではないので、最高位の魔道具職人さんに頼めば作ってもらうことはできると思います。巷で見かけないのは単純に高いからですね」

「高い?」

「はい。お金がかかるんです。とっても。一つ作るだけでも、ちょっと洒落にならないくらい。現役時代の私のパーティーが入手できなかった理由でもあります。その気になれば買えなくもなかったんですけどね」

 

 心から尊敬する師から告げられた、あまりにもあんまりな理由に、お金、お金かあ……と、なんとも言えない微妙な表情で言葉を詰まらせるゆんゆん。

 ちなみにあなたが譲り受けたポケットハウスは小さめの一戸建てだが、それでも買おうとすると貴族の豪邸が軽く三つは建てられる額になるという。

 費用対効果は極めて悪いと言わざるを得ない。あなたにはこれっぽっちも関係ないが。

 

「高っ! えっ、そんなにお金かかるんですか!?」

「かかっちゃうんです。テントの代用品にそこまで費やすなら、装備品とかを優先しちゃいますよね、冒険者は。そもそも冒険者でもなければ野宿する機会なんてあまり無いですし」

「うーん……でもこれがあるだけで野宿しなくて良いって考えると……。というかこんなに便利なもの貰ってたのなら、早く出してほしかったです」

 

 帝都から竜の谷まで、かなりの日数を野宿で過ごしたゆんゆんが抗議してくるが、あなたも別に嫌がらせで使っていなかったわけではない。

 あなたがポケットハウスを隠していたのは便利すぎるから。テレポートの使用を禁じていたのと同じ理由だ。

 今回の旅、その中でもここまでの道程はゆんゆんの冒険者としての経験を積ませるのが目的でもあったのだから、当然と言えば当然と言える。

 そんなあなたの説明を受けたゆんゆんは、そういうちゃんとした理由があるのならと納得し、素直に不満を引っ込めた。

 

 

 

 

 

 

 今日の食事当番であるゆんゆんがキッチンで夕食を作っている間、あなたとウィズは竜のアギトの先にある丘の簡単な調査とポケットハウスのモンスター避けの結界の起動を行う事にした。

 とはいえ何かが起きるわけでもなく、調査も結界の起動も問題なく終わったのだが、結界が張られた家を見てウィズがこう言った。

 

「すみません。この家なんですけど、結界を含めて私が改造してしまってもいいですか? 今すぐっていうのはちょっと難しいですけど、竜の谷で集めた素材を使えば大幅に強化出来ると思うので」

 

 まさかの提案である。

 これがあなたを含む廃人であれば当然の権利を行使するとばかりに、改造ついでにお茶目な悪戯心を発揮して外敵ではなく家主を対象にした致死性非致死性問わない愉快なトラップを仕掛けるところだが、ウィズに限ってそれは有り得ない。

 あなたは目線で続きを促した。

 

「さっきも言ったように、決して悪い家ではありません。むしろ良い家だと思います。ですが正直なところ、このまま竜の谷で使い続けるのを考えると少々……かなり防御力に不安があります。勿論あなたに要望があれば可能な限り組み入れることをお約束しますので。幸いというべきか、この家は相当に拡張性を残しているみたいですから」

 

 普段のウィズからしてみれば驚くほどに直截な意見が飛んできた。

 あるいはこれが冒険者としての彼女の一面なのかもしれない。

 いずれにせよ、あなたにウィズの申し出を拒否する理由は無い。防御力の低さはあなたも懸念していた点だ。テントより遥かにマシとはいえ、到底満足いくものではない。

 最低限、核とメテオと終末の更地三点セットがダース単位で飛んできてもびくともしない程度の耐久力は欲しい。

 出立の直前に交わした約束、バニルが目的を果たした後に店を畳んだウィズとあなたが旅をする時にも使うことになるかもしれないのだから。

 

 故にあなたは素材集めなり肉体労働なり、あらゆる協力を惜しまないので徹底的に頑丈にしてほしいと許可を出す。

 かつて氷の魔女と呼ばれた魔法使いは大船に乗ったつもりで期待してくださいと胸を張った。

 

「さしあたっては結界の強度を魔王城のものと同等にします。同等とはいっても幹部二人か三人分の強度ですけど。それならあまり手間も時間もかけずにやれるので。それ以上は準備が出来次第追々といったところでしょうか。あ、ちゃんと結界だけじゃなくて壁自体の耐久力や撃退用の攻撃能力も考えないといけませんよね」

 

 あなたが何かを言うまでもなくポケットハウスを要塞化させる気満々だった。同居人が頼もしすぎる。

 それにしても、魔王城の結界術式をウィズは覚えているのだろうか。

 現役幹部なので術式を教わっていても不思議は無いが。

 

「教えてもらったのではなく、私自身にかけられている術式を解析しました。個人的な趣味で改良した術式を作ったりもしましたね。残念ながら実用化の段階でコスト面の問題が解決できずにお蔵入りしましたが。ブラックロータスがある今ならもっと良い術式が作れるので、色んな素材を頑張っていっぱい集めましょうね」

『昨日も思ったけど、ウィズお姉ちゃんって魔法関係の話になるとナチュラルにぶっ飛んだ事言うよね』

 

 廃人の中で最も凡庸であるあなたは知っている。

 自重することなく才能を全力でぶん回してくる天才ほど恐ろしいものはないということを。

 最後に折れてしまったとはいえ、ウィズに日々挑んでいた学生時代のリーゼの努力と奮闘を思うと、あなたは素直に頭が下がる思いだった。

 リーゼはリーゼで世界に名だたる才覚の持ち主であるわけだが、いかんせん生まれた時代が悪かったとしか言いようがない。

 

 

 

 

 

 

 竜の谷とはいえ、せめて初日くらいは戦闘一回くらいで平和に終わってほしい。

 そんなゆんゆんの淡い期待が打ち砕かれたのは、日が沈んで少し経った頃。

 あなた達から見て竜のアギトの出口側、つまり樹海の方角から聞こえてきたのは悲鳴と絶叫。

 それも非常に性質の悪い事に、獣や竜といった分かりやすいものではなく、人間が発したと思わしきものが。

 

「……あの、ウィズさん。今、人の声みたいなのが聞こえませんでした?」

「聞こえました。ここまで届くということは、かなり近いところからだと思います」

 

 二人は息を潜め、耳を立てている。

 すぐさま助けに行こうと駆け出さないのは、人間のものだと確信できていないから。

 更に言えば、この声が人外の罠である可能性を否定しきれない。

 

 あなた達のパーティーであるネバーアローンは、竜の谷に挑む際に届けを出した。

 そこで判明したのだが、ここ半年の間、ネバーアローンを除いて竜の谷に入った者はたったの二組しかいなかった。

 一つはダーインスレイヴを持ちこんだルドラの貴族の一団。もう一つはエリー草を求めてやってきたカイラムの騎士団。

 前者は微かな生存者以外の全員が死亡。後者も撤退は完了しており、全員の安否が確認されている。

 

 ではそれより前、半年以上生き延びてきた者の声ではないのか?

 そう思う者もいるかもしれないが、竜の谷に挑み、半年以上生き延びて帰ってきた者は確認されていない。ただの一人もだ。竜の谷を踏破した者がただの一人も確認されていないように。

 

 だからといって、声の主が生存者である可能性がゼロなわけではない。

 竜の谷を踏破できると確信しているあなたのように、奇跡的に生存してきた者かもしれない。届けすら出していない馬鹿、もとい自殺志願者の線もある。

 

 いずれにせよ、ここであなたに見捨てるという選択肢は存在しない。あなたはウィズとゆんゆんに先んじて立ちあがった。

 三人の中で最も道徳心に欠けるあなたが。

 ここにベルディアがいればあなたを偽者扱いするのは避けられないだろう。

 

 実際問題、悲鳴を聞き届けたのがあなた一人であれば、あなたはこれをあっさりと見捨てていた。自己責任だと冷徹に突き放して。

 死にかけている場面に遭遇したり直接助けを求められれば、余程の事が無い限りは助ける。逆に言えば最低でも関わり合いにならないと助けない。

 竜の谷は入れば死ぬとまで言われている危険地帯。どこかから悲鳴が聞こえたからといって、完全な赤の他人を助けに行くほどあなたは善良ではないし、そんな義理も無いからだ。

 

 それでも今、あなたは見知らぬ誰かを助けるために腰を上げた。

 穏やかな異世界生活で人並みに良心を取り戻したわけではない。単にウィズとゆんゆんが声の主を見捨てるわけがないと分かっているだけ。外付け良心が仕事をしたのだ。

 どうせ助けるのであれば、わざわざ三人で向かわずとも機動力と突破力に優れ、明かりを必要としないほどに夜目が利くあなたが単独で向かうのが最も確実かつ手っ取り早いという理屈である。

 

 そんなあなたの宣言を聞かされたウィズとゆんゆんは真っ向から反対こそしなかったものの、未知の領域での単独行動に強い懸念を示した。あなたが強いのは理解しているが、それはそれ、これはこれ。

 とはいえ足並みを揃えていては手遅れになりかねないし、こんな表層で単独行動した程度で自分が危険に陥る場所なら今すぐ撤退すべきだという、あなたのぐうの音も出ない正論を最終的に受け入れることになる。いのちだいじに。

 

 

 

 

 

 

 竜のアギトを越え、月光に照らされる丘を下り、暗黒と化した樹海に足を踏み入れる。

 瞬間、あなたの肌が感じ取ったのは粘つく異様な空気。

 長年に渡って人魔を退けてきた実績は伊達ではないらしく、命に届くかは別として、入り口の時点でもあなたがこの世界で見てきたどんな地域や迷宮より危険度が高いと分かる。魔王領はまだ行った事が無いので除外。

 

 なんとも興味をそそられる地だが、考察は後に取っておこう。

 助けを求める悲鳴は今も聞こえてくる。あまり遠くない場所にいるようだ。

 鞘に収められた大剣を背負い直し、駆け出したあなたの姿は樹海に消えた。

 

 しばし暗黒の樹海を順調に進み、声が聞こえてくる場所まで残り半分ほどとなったところであなたが遭遇した相手は、深緑色の毛皮を持ち、額に白角を生やした大猿。

 体長はおよそ3メートル。中々に大柄な体躯だが、周囲の木々のサイズがそれ以上に狂っているせいであまり大きいとは思えない。

 

「…………」

 

 明かり一つ無い暗闇の中、唸り声ひとつ上げることなく、あなたの視線の先で静かに警戒、威嚇を向けてくる大猿。

 いかなる技術の賜物なのか、ゆっくりと後ろに下がりながらも草木を踏みしめる足音が聞こえてこない。

 

『さて、どうしよっか?』

 

 どうもこうもない。あなたは先を急いでいるのだ。

 じりじりと後退する大猿を追うような形で、あなたは一歩前に進む。

 

『繧、繝槭ム縲√Ζ繝ャ』

 

 砂嵐のような雑音が聞こえた瞬間、左右と樹上の三方から矢のような勢いで何かがあなたに迫ってきた。

 いずれも正面の大猿と同じ姿の持ち主であり、やはり音を発していない。

 正面の一体があえて姿を見せて獲物の意識を引き付け、隙が生まれた瞬間に囲んだ他が仕留める。

 気配を樹海と同化させ、夜の闇に紛れた無音の奇襲はまさしく樹海に生きる者ならではの狩りといったところ。生半可な探索者ではこれだけで致命に足るだろう。

 

 惜しむらくは、あなたは断じて生半可な探索者などではなく、必殺の奇襲すら完璧に察知されていたことだろうか。

 ゆえに大猿に対し、妹はどこまでも冷たく嘲った。

 所詮は猿知恵に過ぎないのだと。

 

 人間の体など枯れ枝のように容易く圧し折れそうな大猿の手があなたに届こうとする間際、あなたの右手が背負われた大剣、その柄に触れ……青い光が空間に奔った。

 縦横無尽に放たれた光の正体は、ほんの一瞬だけ鞘から解き放たれ、振るわれた大剣の軌跡だ。

 夜という漆黒のキャンバスに幻想的な青白い残光を描き、あなたを狙っていた四体の大猿は、凶貌を浮かべたまま、己が死んだ事すら知覚出来ずに解体された。

 

 血の臭いに獣が寄ってくるかもしれないので、氷属性付与(エンチャント・アイス)を使って切断面だけ凍結させてある。おかげであなたも樹上から襲ってきた大猿の血と臓物を浴びる悲劇は避けられた。

 使い始めの頃は加減が利かず斬り付けた相手の全身を凍らせてしまっていたが、合成魔法剣を編み出す程度に熟達した今ではそれなりにマシな制御が可能になっている。

 

 いつものように死体を量産したあなたは、最も綺麗だった正面の個体、狙って首だけ落とした大猿を回収して足早にその場を後にした。無論生首も忘れてはいない。

 あらかじめ文献やカイラムから樹海に生息する生物の情報を得ていたあなただったが、この大猿は見たことも聞いたこともない種類であり、希少な素材だったら勿体無いと考えたのだ。

 

 いつの間にか悲鳴が途絶えた夜の森は不気味なほどの静寂に包まれており、風に揺れる木々のざわめきしか聞こえてこないが、あなたの表情に浮かんでいるのは、まるで子供のように無邪気な笑顔。

 高い膂力、巨体に見合わぬ俊敏さと隠密性。

 あなたの見立てでは、大猿一匹と正面から戦って仕留めるのに必要な戦力は、レベル30前後の人員が四名。

 それが一度に四匹。ベルゼルグの王都で活動する冒険者パーティーが複数必要になる強さだ。あくまでも正面戦闘での評価なので、あなたが受けたような奇襲を食らえば普通に壊滅すら有り得る。

 前情報に引っかからなかった事から、普段はここから離れた地域で狩りをしている魔獣だとあなたは推測している。

 それでもルビードラゴンと併せて入り口でこれなのだから、あなたの期待も天井知らずに高まろうというものである。

 

 

 

 

 

 

『子供じゃん。声を聞いてまさかとは思ったけど』

 

 地面に転がっているランタンの明かりに照らされたそれを見て、妹の声に珍しく困惑が混じった。

 だがそれも無理は無い。あなたが辿り着いた場所にいたのは、大木に背を預けて震える四人の人間と思わしき少年少女。そして少し離れた場所で転がっている血塗れの少年だったのだから。

 何者かに襲われていたのは明白だが、その何者かは既にこの場から姿を消しており、気配も感じ取れない。

 

 まさか彼らが撃退したわけではないだろう。

 武装はしているが、彼らはどこからどう見ても戦士ではなく一般人。

 間違っても竜の谷にいていい者ではないのだから。

 

 無数に湧き出てくる疑問はさておき、とりあえず生きた人間であることは確かなので、あなたは彼らに声をかけてみることにした。

 だが誰一人として反応を示さない。声が聞こえていないのだろうか。目を開ける様子も無い。

 あなたは反応を確かめるために四人に近づき、彼らの目の前に大猿の生首を掲げてみた。威嚇してきたまま死んだので口を大きく開けており、迫力は満点だ。人間の頭など容易く一飲みにしてしまえるだろう。ついでに切断面からひんやりした冷気が漂っている。

 

「あ、あ、たすか――」

 

 誰かが安堵の声を発した。

 呼応するように四人は硬く閉じられた目を開き。

 

「ひぎゃあああああああああ!!」

 

 明かりに照らされた大猿の生首に悲鳴をあげ、そのまま気絶してしまった。

 視力を失っていたわけではないようだ。

 予想外の事態が起きてしまったが、これはこれで説明したり足手纏いを連れて歩く面倒が無くなったともいえる。

 転がっている瀕死の少年にみねうちした時使う(マッチポンプ用)治療ポーションを投擲したあなたは、五人を連れて帰る手段について勘案を始めた。

 

 

 

 

 

 

「あ、おかえりなさうわぁっ!? ……うっわ、うわうわ、ぅーわ」

 

 ポケットハウスの前であなたを出迎えたゆんゆんは、両手を口に当てて高速で後ずさった。

 

「夢に見そう……」

 

 右手で大猿の生首を縦方向にぶんぶんと振り回し、左手で大猿の死体を引き摺って戻ってきたあなたに対しての言葉だ。

 ちなみに救助した五人だが、これは二番目に綺麗だった大猿の死体を回収し、その上に装備と荷物と纏めて山積みにされている。

 

「……うん? いや、まさか。まさか。もしかして」

 

 嫌な結論に思い至ったのか、ゆんゆんの顔が強張った。

 

「あの、念のために一応聞いておきたいんですけど。そこで雑に山積みにされてる人たちって全員生きてますよね? まさか、まさかとは思いますけど、子供の死体に対してそういう扱いをしているわけではないですよね?」

 

 懇願するかのような色を帯びた、非常に真剣で硬質な声。

 あなたの返答次第では互いの関係性に小さくない亀裂が入るだろう。

 

 あなたは答えた。

 一番上に乗っている血塗れの少年を含めて全員生きている、と。

 賞金首のような犯罪者は別だが、そうでない者の死体を運ぶのであれば、もう少し丁重に扱っている。

 

「そうですか、私の勘違いで良かった。納屋にあった荷車を持ってくるので、そっちに乗せ換えましょう。ここならまだテレポートが使えるみたいですから、二回に分けて竜の里に送ります」

 

 そんなあなたの答えにほっと安堵の息を吐き、ポケットハウスの裏手に歩いていくゆんゆん。

 だが持ってきた荷車に粗方乗せ終わったところで、彼女はハッとした顔になった。

 

「いやよく考えたらこれっぽっちも良くないな!? そこは生きてる人にも配慮してくださいよ!!」

 

 普段のノリが戻ってきたようだ。

 だが彼らは生き残ったのだからそれで充分だろう。

 

「線引きが極端! これいつものパターンだと絶対あれでしょ、説明とか落ち着かせて連れて歩くのが面倒になってみねうちした感じですよね!? 騒がれたら魔獣が集まってくるから強制的に黙らせたとかそういう微妙に納得できなくもない理由で!」

 

 確かにその選択肢が無かったといえば真っ赤な嘘になる。実際、あなたは素人に気を配りながら連れて歩くのが面倒だと思っていた。

 ゆんゆんの理解力には感心させられるが、彼らの意識が無いのは単に恐怖で気絶したからだ。原因はあなたにある。しかしそれとて意図的ではなく純粋な不可抗力によるものであり、いつものようにぶっ飛ばしたわけでもない。

 具体的には九死に一生を得て気が抜けたところに大猿の生首を目の前で見せ付けられて倒れただけだ。

 

「ああ、そういう……」

 

 ゆんゆんの視線があなたの振り回す生首に向けられた。彼女からしてみれば納得のいく理由だったらしい。

 誤解が解けて何よりだと、ついでにあなたは一つの予告をした。竜の谷において自分がみねうちする機会は著しく減るだろう、と。

 なにせ現在あなたが背負っている武器、ゆんゆんにも見せた事がある自我を持つエーテルの魔剣。使用を解禁した愛剣は、みねうちスキルが使えないのだから。

 

「スキルが使えない?」

 

 正確には使おうと思えば使える。

 現に過去一度、あなたは愛剣でみねうちを使ったが、強い不快感が込められた抗議を受けた。

 あなたの敵を殺すためだけに存在する自分を、よりにもよって不殺を目的に使わないでほしいと。

 ゆんゆんにも通じやすいように説明すれば、愛剣にとってのみねうちとは、見た目だけは豪勢だが無味無臭無栄養という不愉快極まりない食事を強要されているに等しいのだ。

 故に次に愛剣でみねうちしたが最後、彼女は確実に不貞腐れてストライキを起こす。

 そうなってしまうと機嫌を取るのがとてもとても面倒なので、結果として愛剣の装備中はみねうちが制限されてしまう。

 

「ストライキって。言うに事欠いて剣がストライキって。参考までに聞いておきたいんですけど、ダー……あー、すみません。配慮が足りてませんでした。じゃあえっと、あなたがちょっと前に手に入れた武器とどっちが危ないと思います?」

 

 意識を失っているとはいえ、他人の前で出す名前ではないとあなたが救助者を横目で見やって人差し指を口に当てる仕草をすれば、すぐに意を汲んでくれたゆんゆんはぼかした表現で質問してきた。

 そんな少女の問いに、圧倒的に愛剣だとあなたは即答する。

 愛剣の危険度は、目的があったとはいえ、ダーインスレイヴを人前でおおっぴらに振り回したあなたが人前での使用を躊躇うレベルだ。

 

 危ないを強いと変換したのか、久しぶりにあなたに使ってもらえてご満悦な愛剣がもっと褒めてもっと褒めてーと甘えてきた。最近はダーインスレイヴに構う事が多かったので、その反動もあるのだろう。

 あなたとしても愛剣を振るえて楽しかった。この世界で色々な武器を手に入れて使ってきたが、やはりどんな武器より手に馴染む。本気で戦う時に愛剣以外の武器に命を預けることは考えられない。

 そんな思いを込めながら鞘の上から撫でてやれば、あなたがあまり見せない明確なデレに感動した愛剣のテンションが成層圏を突破した。

 

「……気付いてますか? 背中から災厄の気配が駄々漏れになってますよ。お願いですからそれ以上私に近づかないでくださいね」

 

 勿論気付いているし、圧が不快だから野晒しにするなと友人が作ってくれた特製の鞘のおかげで、これでも相当に抑えられていたりする。

 刀身を晒した状態で力を解放した愛剣は、それこそ魔王軍幹部が危ないから今すぐ使うのを止めろと100%善意で警告してくるレベルのプレッシャーを撒き散らす。

 対して温泉街ドリスでゆんゆんに見せた時の愛剣は、構い倒した直後だったのでかなり精神的に安定していたしご機嫌だった。

 それなりに経験を積んで度胸が付いた今のゆんゆんでも、魔剣としての本性を露にした愛剣と相対して平静を保つのは難しいだろう。

 

「…………」

 

 本気で碌でもないな、と目で語ってくるゆんゆんにあなたは話を変えて問いかける。

 五人の素性は判明したのかと。

 あなたが救助に向かっている間、ゆんゆんとウィズには竜の里で聞き込みを行ってもらっていた。ウィズは今も竜の里にいるようだが。

 

「ああ、はい。昨日の話ですけど、トリフでやってる観光ツアーのお客さんがいたじゃないですか。その中の五人が、朝から姿を消しているみたいで。竜の里で騒ぎになってました。なのであなたが救助した人たちが多分そうなんだと思います」

 

 なるほど、とゆんゆんの説明に納得する。

 あなた達が竜の里を発つ時、里の中からは不穏なざわつきが聞こえていた。

 あなたは全く気にしていなかったが、原因は彼らを探していたからなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 結果から言えば、救助された五人はベルゼルグの隣国であるエルロードの学生だった。

 どうやら貴族も混じっていたらしく、送り届けた際に引率と従者から何度も頭を下げられ、エルロードでの歓待を提案されたものの、あなたはこれを固辞。礼なら竜の谷から帰ってから聞くので、法に則ってベルゼルグを通してほしいとウィズとゆんゆんを引き連れ早々に拠点に舞い戻ってしまう。

 カルラの時は蘇生した責任を取るようにと女神エリスに言われていたし、あなたとしてもラーネイレに酷似した王女との出会いに思うところがあったので最後まで付き合った。

 だが今回の五人については本当にどうでもいい。この期に及んでエルロードに引き返して足止めを食らうなど断じて御免だったし、回収した大猿の解体処理をしてしまいたかったのだ。

 

 明日まで時間はあるのだし、無理に突き放さずとも良かったのでは?

 やんわりとそんな正論を述べていたウィズも、いざ初めて見る魔獣の死体を前にしては興味と興奮を隠しきれていない様子だった。

 それは良かったのだが。

 

「次はここです。同じ猿系の動物や魔獣と比較して、この大猿は声帯が著しく変質、いえ退化しているのが分かりますよね? 恐らく自分では鳴き声すらあげられないのではないでしょうか。これを補っているのが角です。微弱な魔力を送受信する機能を有した角を使い、彼らは声を必要とせずとも仲間とコミュニケーションを取っているわけですね。あなたのお話では不自然なほどに音を発していなかったとのことですが、角から放出された魔力が遮音結界のような効力を発揮しているのでしょうね。角に特定の出力で魔力を流してみると未知の属性……だいぶ前にあなたが見せてくれた音属性に酷似した波長を発しましたから。勿論直に観察してみないことには断言できないわけですが、いずれにせよこの角こそが彼らにとっての生命線であると同時に樹海で長い年月をかけて適応してきた結果なのは間違いなく――」

 

 長い。

 ウィズの話は非常に為になる。あなたもブラックロータスのちんぷんかんぷんな術式を説明された時よりはずっと理解できているし興味もそそられるのだが、それにしても長いと思わずにはいられない。

 かれこれ一時間は大猿の解体と調査、考察が並行して続いている。

 解体があなたの仕事で、調査と考察が水を得た魚と化したウィズの仕事だ。

 今日は早めに寝ましょうとウィズ自身が言っていたはずだったのだが、まるで終わる気配は無い。

 なおゆんゆんはこの場にいない。明日の準備があるからと、ポケットハウスの中に引っ込んでしまったのだ。あなたは逃げたのだと確信している。

 

 あなたの友人にも何人かインテリがいる。

 機械工学、農学、死霊術。

 いずれ劣らぬ大天才であり、それぞれジャンルこそ異なっているものの、意外とウィズと話が合ったりするのかもしれない。

 

『人間性の部分で盛大に事故る未来しか見えないよ? 具体的に誰とは言わないけど』

 

 言われてみれば確かにそうだとあなたは内心で頷く。

 TSチキチキマニアと生態系の破壊者はさておき、変態ロリコンストーカーフィギュアフェチだけは駄目だ。彼は自他共に認める天才であると同時に、自分と信仰する神以外は基本的にゴミか駒か研究材料と認識しているという、精一杯控えめに表現しても邪悪で人でなしな下種野郎。廃人は誰しもそういう傾向を持っているが、彼は特にそれが顕著だ。外付け良心が機能しない。

 己の好奇心を満たすためなら手段を選ばず、倫理や他者の尊厳など一切気にしない。ウィズが最も嫌うタイプである。

 

 結局その後、あなたが眠りについたのは竜の谷の時間にして深夜2時を回ってから。

 五時間ほどかけ、冒険者ギルドに持っていけば報酬に色が付くほど綺麗に大猿を解体し終えてからのことだった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで翌日。

 コンディションを整えたあなた達は、改めて竜の谷に立ち入った。

 丘の上から樹海を見渡せば、眼下を埋め尽くすのは木々という名の鮮やかな緑の絨毯。

 深海を彷彿とさせた昨夜とは雰囲気をがらりと変化させた樹海は、どこまでも自然の偉大さと生命力で満ち溢れている。

 

「とっても風景が綺麗……」

 

 ここから見る限りでは、とてもではないが命を食い尽くす魔の樹海だとは思えない。

 そんなゆんゆんの感想を否定するのは難しい。

 だが実際に樹海に入れば嫌でもその危険性を理解するだろう。

 

「しかし話には聞いていましたが。あんなに大きい樹が本当にこの世にあるものなんですね」

 

 感嘆するウィズの言葉に釣られるように、あなたとゆんゆんの視線が遥か遠くに伸びる。

 樹海の風景の中でも特に印象的な、遥か北に掠れて見えるそれは、先人によって世界樹と名付けられた。

 樹海に埋もれるどころか圧倒して余りあるという、現在確認されている中では世界最大の木であり、世界樹を一般的な樹木とするならば、千年樹海の木々は根元近くまで刈られた草に等しい。それほどまでにサイズに差がある。世界樹と呼ぶに何ら不足の無い、神秘の大樹。

 

 樹の天辺は天界に通じているという説すらあり、枝には決して腐らず永遠に輝き続ける黄金の林檎が実っているのだという。

 蒐集家のあなたは当然として、ウィズも魔法の触媒、魔道具の素材に使えるのではと興味津々だ。

 

 一方でゆんゆんは真っ先に腐らない金の林檎って食べられるんですかね? 味とかどうなってるんでしょう、という微妙に間の抜けた感想を溢した。

 ある意味では至極全うで常識的な疑問だが、あなたは気付いている。ゆんゆんが食いしん坊になっているということを。

 旅の先々で各地の名産を食し、野宿であなたの手料理を食べ続けた結果、紅魔族の里という閉鎖的環境で生まれ育った少女の舌はすっかり肥えてしまったのだ。

 まだまだ育ち盛りな年齢かつ食も旅の醍醐味の一つとはいえ、色気より食い気が先行しすぎである。

 だがあなたはそんなゆんゆんを揶揄しようとは思わない。あなたが信仰する女神も似たようなものだからだ。

 

 

 

 

 

 

 ネバーアローンの大きな目的は二つ。

 竜の谷の踏破と、ゆんゆんをドラゴン使いにすること。

 そしてゆんゆんが心を通わせる相手は、無闇に人を襲うことなく、人語を解すだけの知性を持つ竜でなければならない。

 コミュニケーションさえ取れればいいので、人語は話せなくても構わないのだが、終末でいつでも呼び出せるような一山幾らの野生動物じみた竜はお呼びではない。

 だが目的の竜に樹海で出会えるかは分からないし、かといって探して回るにはあまりにも樹海が広大すぎる。ゆえにあなた達は先を目指す。北の果て、樹海の向こう側を。

 

 だが丘を降りたあなた達は、まず世界樹のある北ではなく西へと向かった。

 竜の里の西に滝があることから分かるように、竜の谷もまた入り口を西に進めば大河とぶつかるようになっている。

 あなた達が採用したルートは川沿いを北に進んでいくというもの。

 樹海を真っ直ぐ貫く大河をひたすら遡っていけば世界樹の近くに辿り着くのだが、同時に千年樹海で最も危険な道だと言われている。通称天界直通ルート。誰が呼び始めたのかは知らないが洒落と皮肉が効きすぎている。

 

 そうして三時間ほどかけて西に進んだあなた達の目の前に横たわっているのは、ごうごうと激しい音を立てて流れる大河。

 目測では対岸までおよそ5キロメートル強といったところ。

 あなた達が立っている河岸は流れも比較的緩やかだが、中央付近の水が流れる速度は鉄砲水もかくやという勢いだ。

 

「泳いで渡るとか言わないですよね? ね?」

「すみません。お恥ずかしながら、私泳ぎはあまり得意では……」

「ウィズさん、これはもう泳ぎが得意だったらどうにかなるレベルを超えてますよ」

 

 大河を前に途方に暮れるゆんゆんとウィズを尻目に、カイラムで譲ってもらった樹海の地図を広げる。

 つい最近大規模な探索を行った騎士団が作った地図の写しだけあって非常に精巧なものだ。

 地図には彼らの任務、つまりエリー草が生えている場所までのルートが記されており、エリー草を手に入れるには大河を渡る必要があるらしい。

 カルラはカイラム騎士団と力を合わせてエリー草を手に入れたものの、帰り道で竜に襲われ、致命傷を負って大河に落ちた。恐らくカルラは渡河の最中、それも岸から離れた場所で襲われたのだろう。

 確かにこの河の流れの速さから引き上げるのは不可能だ。

 つまり落ちたら溺れて死ぬ。

 

 言うまでもないが、竜の谷に橋などという気の利いた建造物は無い。エリー草を求めるのであれば何かしら渡河の手段を手に入れる必要がある。

 こういう場合は川幅が狭い場所を見つけて渡るというのがセオリーだが、残念ながら綺麗に舗装された道のように河の幅は終始ほぼ一定となっている。

 カイラムはエレメンタルマスターが樹と石で即席の橋を作って渡河したそうだが、エレメンタルナイトとアークウィザードしかいないネバーアローンに採れる選択肢ではない。

 泳いでいくのは論外だ。あなたとウィズはともかくゆんゆんの命が幾つあっても足りない。

 エリー草自体は大河の東側にも生えているのかもしれないが、わざわざ探して歩くのは骨が折れすぎる。この機会を逃す手は無い。

 この難所を突破してエリー草を入手するには、知恵を絞り、仲間と連携を取る事が重要になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――数十分後。

 

 あなたは岸から少し離れた場所で片膝をついた。

 既に渡河の準備は万端だ。

 

「で、ではいきます。重かったら言ってくださいね?」

 

 背後からおっかなびっくり近づいてくるウィズに了承の意を示せば、あなたの背中にそっとウィズの体重がかかり、頬に柔らかく長い髪が当たる。

 ぐふっ、とあなたから苦しげな息が漏れ、両膝と両手を地面に突いた。

 

「えっ」

 

 苦渋の表情を作り、誰が見ても一目で限界だと分かるほどに全身をぷるぷると震わせるあなたは、重量負荷が自身の限界を遥かに超過していると深刻に告げた。

 最早自分は立ち上がるどころかこの場から一歩も動くことすらできないだろう、と。

 顔面から滝のような脂汗を流しながら。

 

「確かに重かったら言ってくださいと言ったのは私ですけど! 装備と荷物込みでもそこまで重くはないと思いますよ!? 重くないですよね!?」

 

 無論これは異性との接触に慣れていないウィズの気を紛らわせるためのあなたの小粋なジョークである。

 ウィズの重さなら十人分背負ったところであなたの行動に支障は出ない。

 

「……なら安心しました。それはそうと今からあなたを殴りますね」

 

 凍てついた声による宣告と共に、杖で後頭部を気持ち強めに殴打された。

 軽いジョークだったのだがお気に召さなかったらしい。体重だけに。

 

「もっかいいっときますね」

 

 再度の殴打。

 いい感じに空気が暖まってきたところでゆんゆんに声をかける。

 

「暑さでテンション壊れてません? 大丈夫ですか?」

 

 壊れてはいない。それどころかむしろこれが友人に対するあなたの素だ。

 今まではウィズを慮って配慮を重ねていたが、晴れてパーティーを組んだのだから、やりすぎない程度に気楽にやっていくつもりだった。

 

「だからって初手で女の人に体重ネタぶっこみますかね、普通。まあいいですけど。……ウィズさん、重かったらすみません」

 

 背中にかかる重みが一人分増えた事を確認し、すくと立ち上がる。目線が一気に高くなったゆんゆんが驚きの声をあげた。

 二人を背負ったあなたはそのまま河岸に立つ。

 

「まったくもう……じゃあ始めますね」

 

 あなたの背中越しにウィズの手が伸びた。

 その手には杖が握られており、真っ直ぐ大河に向けられている。

 

「カースド・クリスタルプリズン」

 

 詠唱と共に杖から魔力と閃光が迸り、氷の魔法を得意とするウィズの手により、大河の一角が瞬く間に凍結した。

 蒸し暑かった周囲の温度は冬並みに低下し、吐く息が白に染まる。

 杖を持った今の彼女はリッチーの名に相応しく、人の形をした災害に等しい。

 

 川が凍り、道が生まれてからがあなたの仕事だ。

 仕事と言ってもウィズと比べれば大したものではない。

 ウィズとゆんゆんを荷物ごと背負い、氷の上を走る。たったこれだけ。

 

「簡単には割れないと思いますが、河の生き物をなるべく殺してしまわないようにある程度の水深までしか凍らせていないので、充分に気をつけてください」

 

 警告に頷き、氷に乗る。

 間を置かずに強い冷気が足元から上ってきた。このまま氷上で動かずにいれば、十秒もかからずにあなたの足は凍り付いてしまうだろう。

 軽く足元に広がる氷の感触を確かめたあなたは、善は急げとばかりに駆け出した。

 

 ウィズは上流まで凍結させたわけではない。水の流れは時を置かずして押し寄せてくる。

 カルラがやられたように、渡河の最中に襲われる可能性もある。

 普通に走って渡るには、5キロという距離は長すぎた。

 

 だからこそあなたが二人を背負って走るのだ。

 

 自身の速度を平時の70から700(10倍)まで、少しずつ段階的に引き上げながら。

 迫り来る川の流れすら置き去りにして。それでいて氷の床を砕かないように注意を払いながら。

 前に、前に。

 

「っ……!」

 

 あなたの背中でウィズとゆんゆんが吹き付ける強風に顔を庇う。

 あなたにとっては速度70だろうが700だろうが体感速度に変わりは無い。言ってしまえば、自分以外の速度が相対的に低下しているだけ。

 だがあなたに背負われているウィズとゆんゆんにとっては違う。彼女達は体感速度70のまま、10倍速になったあなたの移動速度を味わっている最中なのだ。

 

 イルヴァの生物にとって、速度の限界とは筋力の限界に近い。

 己の限界までは負担無しで自在に調節可能だが、限界を超えた速度を体感しようと思うと身体に負担を強いられることになる。

 そしてこのルールはこの世界で生きる者にも適用される。だからこその速度700止め。それ以上は渡河に支障が出てしまう。

 

 あっという間に距離を稼いだあなただったが、およそ500メートル進んだところで氷の道が消失しているのが見えた。

 

「カースド・クリスタルプリズン!」

 

 だが視認と同時に再度ウィズが魔法を唱え、新たな道が生まれる。

 あとはこれを繰り返すだけ。

 途中で怒り狂ったサハギンが水中から襲ってきたが、あろうことかあなたの進行方向に出てきたので蹴りで空に打ち上げられ、反射的に動いたウィズに追撃の雷を食らって沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

「現役時代もあんなのは一度もやったことなかったのでとっても楽しかったです! 河の東側にある世界樹に行くっていうことはもう一回河を渡るんですよね? 次はもうちょっと速度を上げちゃっても大丈夫ですよ?」

 

 無事に渡河を終えた後、ぺかーと輝く笑顔で放たれたウィズの台詞である。

 対して息も絶え絶えなゆんゆんはこう言い残した。

 

「物凄い力技によるゴリ押しを見ました」



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第128話 愉快な森の仲間たち

【竜の谷に住まうモノ】

 

 ご存知の通り、世界中を見渡しても他に類を見ない数多の魑魅魍魎が闊歩する竜の谷だが、恐るべき彼の地に生きるもの全てが我々に牙を剥いてくるというわけではないというのは、あまり知られていない。

 ごく少数とはいえ非好戦的かつ言葉が通じる種族の存在が確認されているし、中には命の危機を救ってもらった探索者すらいるという。

 時と場合によっては、彼らとの交流が我々の探索の一助となることもあるだろう。

 だがしかし、たとえ友好的に接してくるモノと出会ったとしても、それらを前に油断してはならない。侮るなど以ての外。

 努々忘れることなかれ。彼らもまた竜の谷という人外魔境に適応し、長年に渡って生き延び続けてきた者達なのだということを。

 たとえ危険性の低い相手だとしても、彼らは等しく強者なのだ。

 

 少なくとも、竜の谷に定住する事すら不可能な我々よりはずっと。

 

 ――コウジロウ・イイダ著『未知なる楽園を魔境に求めて』より

 

 

 

 

 

 

 再三繰り返すようだが、カイラムの騎士は大河を渡った先でエリー草を手に入れた。

 では何故カイラムは尋常ならざる危険を冒してまで大河を渡ったのだろう。

 理由はとても単純なもので、長い年月をかけて先人達がおびただしい数の犠牲を積み重ねながら樹海を探索してきた結果、エリー草の群生地はその場所をおおまかとはいえ把握されているからだ。そこが河を越えた先にあるというだけの話。

 

 ただし場所が分かっているからといって、そう易々と手に入るものではない。

 入り口からたった数時間の距離にある大河に辿り着くことすらできずに命を落とす事など、当然のように起こり得る。

 よしんば大河に辿り着けたとしても、5キロメートルにも及ぶ荒れ狂う河を渡る手段を持つ探索者は極めて稀。渡河の手段を持っていても無事に渡りきれるかどうかは殆ど運任せに等しい。

 

 大河を越え、死闘と苦難の果てにエリー草を手に入れても、最後に復路という絶望が立ちはだかる。

 テレポートが使えれば話は簡単だったのだが、これでは命が幾つあっても足りはしない。

 伝説の霊草扱いを受けているのは決して伊達ではないのだ。

 

 相対的に安全な大河以東で当てもなくエリー草を探すのか、あるいは全滅の危険を飲み込んで渡河するか。

 死期が間近に迫っていた王妃を救うため、カルラ一行は後者を選択した。

 騎士団の中でも実力者ばかりを選抜して探索行に投入したとはいえ、壊滅状態に陥らず目的を達成し帰還を果たすことができたのはいっそ運命的とすらいえるだろう。

 帰り道でカルラが命を落とし、あなた達に掬い上げられたのも同様に。

 

 

 

 さて、そんな大河を渡ったあなた達ネバーアローンは河辺で昼食を兼ねて小休止を取っていた。

 ぶどうジャムがたっぷり塗られたサンドイッチを咀嚼するあなたの視線の先では、ウィズが作った氷の道が鈍い音を立てながら少しずつ砕け、流されていっている。氷の中には無数の命が閉じ込められているのだろう。

 風情と大自然の力と命の儚さが同時に感じられ、えもいわれぬ思いが呼び起こされる。

 

「…………」

 

 軽く河の環境を破壊してみせたリッチーだが、彼女は早々に食事を終え、現在はダーインスレイヴを真剣な眼差しで調査している真っ最中だ。

 そう、ダーインスレイヴである。

 此処に至るまでの旅の思い出話にダーインスレイヴが登場し、あまつさえあなたが所持していると聞かされたウィズは、担い手に栄光と破滅を約束するとされる血塗られた魔剣に強い興味を抱いたのだ。

 魔剣に惹かれていると書くとウィズが魔剣に魅入られたと考えるところだが、彼女はダーインスレイヴそのものではなくダーインスレイヴに用いられている術式にこそ強い興味を持っていた。

 必然的に、一度抜けば血を見るまで止まらない魔剣なのだと聞かされたにもかかわらず、あなたが躊躇い無く鞘から抜いたこと、そしてゆんゆんにゴリ押しで魔剣を使わせようとした事までゆんゆんの泣き言という形で芋蔓式に知られ、軽くお小言を貰ってしまったわけだが、目の付け所が常人とは違うのは流石というべきか、魔道具店の店主らしいというべきか。

 

 なお調査とはいってもダーインスレイヴは鞘に収めたままであり、剣は抜かれていない。

 このような扱いを受けるのはあまり慣れていないのか、ダーインスレイヴから困惑の感情が伝わってきてはいるものの、あなたとしてはウィズを止める理由が無いのでそのままにしている。

 

「ウィズさん、それ使いたいんですか?」

 

 あなたをチラチラ見ながらのゆんゆんの問いかけを受け、ウィズは剣から視線を外して答えた。

 

「使いませんよ。というよりは使いたくても使えない、と言った方が正しいでしょうか。魔法の威力を強化する効果は無いですし、彼のように剣に魅入られないという確信も持てないので、仮に使えたとしても使う気は一切ありませんが」

「使うだけなら出来ませんか? そりゃ魔法使いが剣を使うっていうのは一般的ではないですけど」

「いえ、私は長剣全般を装備できないんです。タライが降ってくるので間違いありません」

「……そういえばそんなのありましたっけ」

 

 この世界独自の概念として、装備適性というものが存在する。

 そしてこの適性を持たない武器防具を無理に装備しようとすると、装備を司る神が罰として頭に金ダライを落としてくるのだ。かくいうゆんゆんも里帰りした際に金属製の棍棒を装備しようとしてタライの直撃を食らっていた。

 刀剣類以外を使うと激怒した愛剣による血の惨劇が不可避なあなたからしてみれば、決して他人事ではないし、多少の親近感を覚えもする。

 

 とはいえタライが降ってくるのは向き不向き以前の問題、どうしようもなく根本的に装備を扱う才能が欠けている時だけなので、あまり見られる光景ではない。前に弓矢を射ったら真後ろに飛ぶといった冗談のような才能が必要になる。

 そして適性は現在の技量とは一切無関係なので、ダクネスが全く当たらない剣を振り回してもタライは降ってこない。ああ見えても剣を扱えるだけの才能は持っているのだ。本人の欲望のせいで完全に腐ってしまっているわけだが。

 剣や槍といった特定の装備に憧れがあっても問答無用で足切りしてしまう金ダライを見て、神の慈悲と受け取るか大きなお世話と憤るかは人それぞれだろう。

 

 

 

 

 

 

 小休憩を終え、探索を再開しようとしていたあなた達だったが、不意に樹海の草むらをかきわける物音が聞こえてきた。

 何者かが接近してくる気配を察知したあなたが取った対応は、ウィズへの目配せ。

 既に杖を手にしていた彼女は無言で頷き、あなたと挟み込む形でゆんゆんの背後に回った。後方の大河からの奇襲を警戒した形であり、最初に決めていた探索行におけるあなた達の並び順でもある。

 

 果たして、草むらから姿を現したものとは。

 

「ウサギかあ……」

 

 ゆんゆんの言葉の通りのウサギだった。

 どうやらあなた達は群れと遭遇したようで、数にして30は軽く超えている。

 ウサギ側としてもあなた達と出会ったのは想定外だったようで、あなた達の姿を認めた途端、ピタリと動きを止めた。恐らくは河の水を飲みに来たのだろう。

 

 反応を示さないあなた達に何を思ったのか、その場で思い思いに毛繕いを始めるウサギの群れ。

 

 どのウサギも体長は30センチメートル弱と非常に小柄。

 白雪のような汚れ一つ無い純白の毛皮とルビーを彷彿とさせる真っ赤な瞳が強く印象に残る。

 無垢でつぶらな瞳と人懐っこい愛嬌たっぷりの仕草も相まって、愛玩したいと思わずにはいられない、どこまでも愛くるしいウサギだった。

 

「河を渡った途端に殺しに来るとかちょっと殺意が高くないですかね!」

「厄介な魔獣なのでくれぐれも気を付けて。特にゆんゆんさんは首を重点的に守ってください」

 

 ゆんゆんのやけっぱちな叫びが青空に吸い込まれ、ウィズが強い口調で警戒を呼びかける。

 タダのウサギにしか見えない相手に滑稽と受け取られるかもしれないが、二人の反応は当然のもの。

 どれだけ心が癒される外見をしていても、竜の谷で生きるウサギがマトモである筈がないのだから。

 あまり出会いたくなかった魔獣との遭遇に、あなたの眉間に思わず皺が寄ったほどである。樹海の中で遭遇しなかっただけマシとも言えるが。

 

 そんな竜の谷の外であれば大人気間違い無しの可愛らしさを持つウサギに与えられた名前はギロチンラビット。

 断頭台の名を冠しているという、最早名前だけでゲンナリさせられること請け合いの、人魔から恐れられる殺戮ウサギだ。ベルディアが相対すれば容易にトラウマが刺激されるだろう。

 

 特徴としてはとても小さくてとても素早くてとても攻撃力が高い。特技は首狩りと騙し討ち。

 遭遇した探索者達も研究者も一様にクソを煮詰めた最低最悪の鬼畜ウサギだと吐き捨てている。

 普通のウサギとは違ってガチガチの肉食動物であり、特に頭部の脳髄や眼球といった部位を好んで食い荒らす。ギロチンラビットに襲われた獲物は頭蓋骨しか残さないというのは有名な話。

 

「あなたは初動で飛んでくるであろうラビテリオンを打ち落としてください。あとは私がやります」

 

 頼もしいパートナーの言葉に了解したと頷き、あなたは愛剣を抜く。

 

 戦闘態勢に移行したあなた達を見たギロチンラビットの群れは、得意とするだまし討ちが通じないと悟ったようで、途端にその獣性と力を解放した。

 四肢と牙、両耳にライト・オブ・セイバーを思い起こさせる強い光を纏う断頭の獣。

 ウサギの中でも体躯が優れた半数、通称近接タイプが地を這うようにあなた達に飛び掛ってくる……と思わせておいてから、残りの半数の遠距離タイプが頭を振り回し、高速で飛翔する光の三日月を耳から放った。

 ギロチンラビットの中で最も危険だと言われているのがこの耳だ。誰が呼んだかラビットカリバー。飛び道具はエクステリオンならぬラビテリオン。当然の権利のように連射してくるあたり始末が悪い。

 光ったりやたら殺傷能力が高かったり飛び道具を撃てたりと、どれもこれもベルゼルグの至宝である聖剣エクスカリバーを連想させる要素を持っているからこそ付いたあだ名である。

 

「ライトニング!」

 

 戦端を開いたのはゆんゆん。

 しかし近接タイプを狙った雷撃は輝く両耳、ラビットカリバーでいとも容易く切り払われてしまった。

 敗因は火力不足。高い能力を持つ紅魔族とはいえ、やはりレベル40前後ではまだまだ厳しいものがあるらしい。

 

「物凄い理不尽を感じる!?」

 

 まだまだ精神的に余裕が感じられる少女の嘆きを耳にしながら、あなたは時間差で飛んでくる大小様々な三日月、その全てを切り払い続ける。

 エーテルの青と光の白が溶けて混ざり合い、陽光を反射して美しく煌いた。

 非常に風情が感じられる光景なのだが、首に突き刺さる無数の殺意が余韻に浸ることを許さない。

 

 肉薄するウサギ。飛翔する斬撃。一斉攻撃の全ては最終的にあなた達の頸部を切断するためのもの。

 牽制も撹乱も、全ては断頭の為の布石に過ぎない。彼らのありとあらゆる戦闘行動は最終的に首狩りに帰結する。

 噂に違わぬ首狩りウサギだ。殺意が高すぎる。ここまで首狩りに固執する相手はイルヴァでもお目にかかったことが無いほどに。

 

 ギロチンラビットは徹底的に首を狩ろうとしてくる。

 だからこそこの魔獣はあなた達にとって厄介な存在だった。

 

 ウサギはあなた達が圧倒的格上であることを知らない。

 だがあなた達は知っている。このウサギが相手ならば万が一があるということを。

 首を落とされれば人は死ぬのだ。廃人だろうがリッチーだろうが例外なく。

 どちらも容易く首を狩られる間抜けではないが、あなたをして辟易させられる、めんどくさい相手であることだけは確かだった。

 最初から首が取れているベルディアはギロチンラビットの天敵なので、彼を連れてくれば良かったと思わずにはいられない。ゆんゆんへの身バレは目隠しでもさせておけばいいだろう。

 

「クリスタルウォール」

 

 ベルディア本人が聞けば怒りで顔に青筋を浮かべるであろう雑な作戦を考えている間にウィズの準備が終わり、音も無く出現した透明な氷壁があなた達を取り囲む。

 永久凍土を思わせる氷壁は四方八方から放たれるラビテリオンの雨を受けても傷一つ入らず、切りかかってきた近接タイプは氷壁に触れた瞬間、全身の毛皮から血液まで余さず凍結させ、即死した。

 

「クリスタルジャベリン」

 

 次いで氷壁の一部が無数の槍へと変化し、目にも留まらぬ速度で射出。

 弾道からして自動追尾機能付きらしく、氷像と化した近接タイプ、氷壁を警戒し足を止めた近接タイプ、そして危険な相手に手を出してしまったと理解し、我先にと樹海目掛けて逃走する遠距離タイプの全てに突き刺さる。

 一匹残らず断末魔を遺す間も無く一瞬で凍りつくギロチンラビットの群れ。

 

 敵味方共に血の一滴も流すことなく戦いは終わった。

 死体ではなく時間が止まっているだけのようにも見えるウサギ達の姿は、どこか剥製を髣髴とさせる。

 

 後顧の憂いを断つと言わんばかりの一方的で無慈悲な蹂躙。

 美しくも凄惨な瞬殺劇に絶句するゆんゆんに気付いているのかいないのか、当のウィズは何でもないことのように涼しい顔で佇んでいる。

 なるほど、氷の魔女と呼ばれるだけのことはある。

 いつだったかウィズが言っていた、彼女の創作魔法は殺傷能力が高いものばかりというのも頷けるというものだ。

 しかしここまで盛大にオーバーキルする必要はあったのだろうか。

 あなたの何気ない問いかけに珍しくゆんゆんが無言で同意してくる。

 

「ちょ、ちょっとやりすぎましたか? 危ない魔獣なので早急に仕留めるべきだと思ったんですけど」

 

 困り顔で目を泳がせるウィズにくすりと笑う。

 ゆんゆんであればそういった感想になるのかもしれないが、あなたの観点は少し違う。

 下手に手加減して事故が起きるよりずっといいのだから、やりすぎとまでは言わない。

 それはそれとして、氷結のハリネズミに生まれ変わったギロチンラビットから素材が取れるかは非常に怪しいところだ。特にラビットカリバーは希少かつ強力な素材として有名なのだが。

 

「素材……あああっ!? い、今からでも温めればギリギリなんとかなりませんかね!?」

「素材じゃなくてもうちょっとこう……。やっぱりなんでもないです。私が間違ってる気がしてきました」

 

 氷壁が解除されたので、あなたは足元で転がっている氷像を爪先で軽く突く。

 だがやはりというべきか、繊細なガラス細工のようにウサギは粉々に砕け散ってしまった。

 中空でキラキラと輝き、微かな時間あなたの目を楽しませたダイヤモンドダストは風に吹かれて儚く散っていく。

 ウサギが何も残さずに消失した後に残された地面に突き刺さる氷槍は、まるで主無き墓標のようだった。

 

「すみません、次はもう少し上手くやります……」

 

 遅まきながら勿体無い精神を発揮して肩を落とすアークウィザード。

 久しぶりのパーティー戦と万が一がある面倒な魔獣を前に、現役時代のノリが顔を覗かせたらしい。

 消耗を最小限に抑えるために、最大限の効率をもって最速で敵を殲滅する。

 魔王軍の攻勢が今よりもずっと激しかった彼女の現役時代、氷の魔女と謳われた無二の英傑の戦い方とはそういうものだった。

 

 

 

 

 

 

(化け物! 化け物がいる!)

 

 三人の人間とギロチンラビットの戦いを偶然目撃していたそれは、全身に走る悪寒と恐怖に震え上がっていた。

 

(っていうかクソ寒い! 死ねる! 馬鹿じゃないの!?)

 

 虚勢を張り、内心で必死に罵声を飛ばさないと意識を手放してしまいそうな中、それは必死に人間達が離れていくように祈る。

 どうかあいつらに見つかりませんように、と。

 一瞬たりとも気を抜かず、集中して人間を注視する。

 あるいはそれが良くなかったのかもしれない。

 

「どうしました?」

 

 ギロチンラビットを殲滅した二番目に背の高い人間が、一番背の高い人間に声をかけた。

 一番背が高い人間は周囲を見渡しながら答える。何者かに見られている、と。

 言葉を聞いたそれの全身からぶわっと冷や汗が流れる。

 

(き、気付かれてる!? いやまさか、そんな……そんなの今まで一度も無かったし、きっと別の奴でしょ!? そうだよね!?)

 

 それは同胞の中でも飛びぬけて高度な気配遮断スキルを有している。

 暴力はあまり得意ではないが、このスキルを使って長い年月を生き残ってきたのだ。

 

(うん大丈夫、私のスキルは完璧、誰にも気付かれない、竜にも気付かれないくらいだしって嫌ああああああああ!! なんでこっち近づいてくるのおおおおおおお!!??)

 

 絶望に心中で絶叫する。

 地表を火竜の群れが焼き払った時を遥かに上回る恐怖。

 

(困ります!! 困ります!! 人間様!! 困ります!! あーっ!! 困ります!! お客様!! あーっ!! 人間様!! 人間様!! 人間様困り!!あーっ人間様!! 困りますあーっ!! 困ーっ!! 人間困ーっ!! 困ります!! 困り様!!あーっ!! 人間様!! 困ります!! 困ります!! 人間ます!! あーっ!! 人間様!!)

 

 盛大に錯乱するそれに人間は近づいていき、そして……。

 

 

 

 

 

 

 ギロチンラビットを退けたあなた達だったが、あなたはまだ何者かの視線と気配を感じ取っていた。

 探ってみれば、気配を発していたのは樹海に程近い場所に咲いていた一輪の赤い小さな花。

 殺気は感じられなかったが、念の為と愛剣を振りかざした瞬間、あなたは大いに驚かされることになる。

 

「待って待って、ほんと待って! お願いだから!」

 

 なんと目の前の花が声を発したのだ。少女のような、可愛らしい声を。

 レア物の気配がする。あなたは花を斬るのではなく引っこ抜く事にした。

 だが軽く力を込めても抜ける気配がない。よほど深くに根を張っているのだろうか。

 

「痛っ! 痛い痛い痛い! ちょっと止めて! 止めてよバカ! スケベ! エッチ! 変態!」

 

 矢継ぎ早に飛んでくる罵声。

 花にセクハラ扱いを受けたのはあなたも初めての経験だ。

 声がいたいけな少女なものだからか、ウィズとゆんゆんのじっとりとした視線を背中に感じる。

 

「いや、こう見えても私は花じゃないから……よいしょっと」

 

 あなたの足元の土が盛り上がり、深い緑色の肌と鮮やかな桃色の髪を持った人間大の少女のような何かが姿を現した。

 頭頂部にはあなたが摘み取ろうとした花が生えており、肌の色と乳房が無いこと以外は人型である上半身は全裸。対して下半身は巨大な花と蔓で構成されており、彼女が立派な人外の者だと主張していた。

 植物タイプの人間に似た人外といえば安楽少女だ。かつて見たそれとは随分と様子が異なっているが、竜の谷の安楽少女なのだろうか。

 

 あなたの言葉に少女は心底不快そうに顔を顰めた。

 

「安楽少女ぉ? あんな寄生しか能が無いクソザコ下等植物と一緒にしないでくれる? 人間には分からないだろうけど、それって私達からしたら滅茶苦茶失礼な認識だからね」

「もしかしてアルラウネの方ですか?」

「正解。名前を知ってるって事は私達の事も知ってるんでしょ? 隠れて見てたのは謝るから殺すのは止めて。ほんと後生だから。あんた達みたいなバケモノと戦う気なんてこれっぽっちも無いから」

 

 アルラウネ。

 竜の谷においては非常に希少な、人類に敵対的ではなく、なおかつ言語を用いて意思疎通が可能な種族だ。中にはアルラウネに命を救われた探索者もいるという。

 森を住処とし、竜の谷の外でも姿を見かける種族なのだが、ベルゼルグには生息しておらず、あなたも姿を見るのはこれが初めてだ。

 人間やエルフ、獣人全般のような人類枠ではないが、魔物や魔族扱いもされていない。

 亜人(デミ)と呼ばれる非常に曖昧で大雑把なカテゴリーに分類された種族である。

 

 竜の谷のアルラウネは主にエリー草の群生地周辺を縄張りとしており、エリー草を手に入れたければ彼女達の許しを得る必要がある。

 カルラ達も現地でアルラウネと交渉し、エリー草を入手したのだという。

 そんなエリー草の管理者と言っても良いアルラウネがどうしてこんな縄張りから離れた場所に、それも単独でいたのだろう。

 

「普通に散歩してただけよ。散歩くらい人間だってやるでしょ? 私達はここら辺によく来るの。水がいっぱいあるしね」

 

 事も無げに言い放つあたり、人間にとっては厳しい樹海の環境も、そこに生きる者にとっては当たり前の事として受け入れているようだ。

 

「そういうわけで、遭遇したのは本当にただの偶然だから。油断する隙を狙ってたとか無いから。河を渡ってきたってことはエリー草が欲しいんでしょ? 場所まで案内してあげてもいいから。なんなら私の方から仲間に口利きしてもいいから。なのでどうか命ばかりは勘弁してください……」

「あの、ここまで言っているんですし、なんとか見逃してあげることは出来ませんか?」

「アルラウネは樹海の中でも温厚な種族といわれています。なので襲われてもいないのに殺すのは私も気が咎めると言いますか」

 

 何故かあなたがアルラウネを殺す事前提で話が進んでいる。

 わざわざ説得されずとも、相手がアルラウネと分かっていればあなたも最初から殺すつもりは無かった。

 無論襲われた場合はその限りではないが、エリー草までの道案内を頼むことにしよう。

 

「助かった……」

 

 剣を鞘に収めたあなたに、へろへろと腰を抜かすアルラウネ。

 人間味に溢れる姿を見せる彼女を見てあなたはふと思った。

 何故アルラウネと自分達は言葉が通じているのだろう、と。

 

 あなたからしてみれば驚くべきことに、この世界は過去から今に至るまで、一貫して統一された言語が用いられている。

 世界中どこの国に行っても言葉が通じないという事は無いし、人類と魔族、高い知能を持つ魔物も同じ言語で会話が可能。世界で最初に生まれた言語が世界中に広まり、使い続けられている。

 あなたと同じ異邦人であるチキュウジンもこれには疑問と違和感を覚えるものらしく、神にどうしてそうなっているのか尋ねた者がいた。

 神の返答はこうだ。

 

 ――だってこの世界バベられてないし。

 

 あなたにはまるで意味不明な答えだが、チキュウジンにはそれで十分伝わったらしい。

 理由はどうあれ、この世界の言語が統一されているのは確かだ。

 それはいいのだが、何故隔離された地である竜の谷でも当たり前のように言葉が通じるのだろう。

 気になったあなたはオーリッドと名乗ったアルラウネに尋ねてみた。

 

「変なこと気にするのね。なんで人間と言葉が通じるのかって聞かれても、私はそんなの知らないし考えたこともないけど……私達は森がおかしくなる前からここで暮らしてるって話だから、多分そのおかげじゃない?」

 

 竜の谷の空間が歪む前。この地がまだ何の変哲も無い半島だった頃。

 今より遥かに平和で安全だった森で生きていたアルラウネ達は、人類と交流を持っていたのだという。

 隔離される前から変わらず同じ言葉を使っているのであれば、こうしてあなた達と会話が可能なのも道理と言えた。

 

 

 

 

 

 

 勝手知ったるオーリッドによる道案内は、カイラムが強行軍で五日ほどかけた道を僅か半日足らずにまで圧縮してみせた。

 流石の現地人であり、その事には素直に感謝してもいいのだが、竜の谷はどこまでいっても人間に平穏を許すつもりがないのか。

 あなた達は一難去ってまた一難とばかりに面倒ごとに巻き込まれる事となる。

 

「いやあああああ!! 人間よ! 人間が来たわ!」

「なんだってこんなタイミングで!」

「カエレカエレ! ニンゲンカエレ! ココオマエタチノクルトコロチガウ!!」

 

 樹海の一部を切り開いて作られたアルラウネの集落に辿り着いたあなた達は、現在進行形で凄まじいまでの大歓迎を受けている。

 悲鳴と怒声の大合唱。喧々囂々阿鼻叫喚。

 辛うじて攻撃こそ受けていないが、それも時間の問題だろう。

 あなた達は是が非でもエリー草を求めているわけではないが、折角目と鼻の先まで来たのだから一つは手に入れておきたい。そう考えていたのだが、ここまで熱烈な出迎えを受けるとなると、最早エリー草の交渉とかそれ以前の問題な気がしてならない。

 

 あなた達は何かを言うでもなく、ここまで道案内をしてくれたオーリッドを見やった。

 申し開きがあるのなら聞く用意はある。だが事と次第によっては、あなたはこの場で愛剣を抜くつもりだった。今更ジェノサイドに躊躇いなどあろうはずもない。

 

「あ、あっれー? っかしいな……いや違うから、勘違いだからその目は止めて。私にも予想外だから。話せば分かるはず」

 

 同胞の反応に困惑しているが、とても会話が通じるとは思えない。

 

「どうしましょうか。私としては諦めて引いたほうが良いと思いますけど」

 

 ウィズの言葉にあなたはもう少し様子を見たいと答えた。

 撤退するにしろ戦うにしろ、せめて比較的温厚とされるアルラウネ達がこうも刺々しい理由くらいは知っておきたいところだ。

 

「ここは我らアルラウネの土地! 人間よ、今すぐ立ち去りなさい! 汝らに災厄が降り注ぐ前に!」

 

 強い口調で警告を放ったのは一際大きい体と強い魔力の持ち主であるアルラウネ。

 彼女は集落と同胞を守るように両手を広げ、あなた達の前に立ちはだかる。

 それを見てオーリッドが目を見開いた。

 

「女王様!?」

「オーリッド。愛すべき同胞よ。貴女がこの大変な時に人間達を連れて来た事を罪に問うつもりはありません。ですが今はそれどころではないのです。彼らを直ちに送り返しなさい」

「もしよろしければ事情をお聞かせ願えませんか? 何か手助け出来るかもしれません」

「人間と話す口など持ちません!」

 

 女王と呼ばれたアルラウネは手袋越しに何かを握り締め、天高く掲げてみせた。

 

「去らぬというのであればこちらにも考えがあります!」

「女王様、それはまさか!?」

「見なさい! これこそが破滅をもたらす災いにして死を呼ぶ結晶!!」

 

 仄かに赤みを帯びた乳白色の鉱石と思わしき物体だ。

 余程恐ろしい物なのか、他のアルラウネ達は血相を変えて震え上がっている。

 

 特に魔力や力の波動は感じられないが、ここは竜の谷だ。どんな危険物が飛び出てきてもおかしくない。

 警戒するあなたは鑑定の魔法を唱えた。

 

 魔法の結果判明したのだが、アルラウネが手にしている物体は、地殻変動で陸上に隔離された海水が長い年月をかけて結晶化したものだった。

 舐めるとしょっぱく、海水を濾過し煮詰めて結晶化させたものと比較して丸みのある味と豊富な栄養分が特徴。

 北国であるルドラで掘り出されたものであり、品質は上の下。

 

「……それって岩塩では?」

 

 ゆんゆんの小声に頷く。

 アルラウネが死を呼ぶ結晶と呼び恐れ戦いているものは岩塩だった。

 

「…………」

 

 顔を見合わせて沈黙するネバーアローン。

 それはただの調味料だと相手に教えてあげたほうが良いのだろうか。

 確かに塩分を過剰に摂取すれば死んでしまうが。

 

「なんですかその顔は! ま、まさか私がこれを使えないとでも? 舐めないでください、脅しと思ったら大間違いですよ! なんたって私は皆の命を預かる女王なのですから!」

「あの、落ち着いてください。貴女が持っているそれは岩塩といって……」

「名前くらい知ってますバカにしないでくださいこの人間め!!!!」

 

 情緒不安定なのか、あるいは余程持っているのが嫌だったのか。

 ヤケクソな雄たけびをあげて全力で岩塩を投擲する女王。

 この世の終わりとばかりに悲鳴をあげて地面に這い蹲るアルラウネ達。

 

 どうにも見ていて気が抜ける種族とはいえフィジカルは優れているのか、放られた岩塩の塊はあなたの顔面に向かって高速で飛んできた。

 レベル20程度の冒険者なら当たり所が悪ければ死にかねない勢いのそれを、あなたは特に何を思うでもなく掴み取る。

 女王の顔色が蒼白に変わったが、今は無視しておく。

 

 手のひらに納まったそれを観察するも、魔力やそれに類する何かが篭っているようには見えず、やはり変哲の無い岩塩だという結論しか出てこない。

 では味はどうなっているのだろうと、愛剣の鞘で削って手に落ちたそれを舐める。

 別におかしな味はしなかった。塩辛さの中に仄かな甘みが感じられる、良質で、しかしやはりごく普通の岩塩のようだ。

 

「ぱうわああああああああああ!!」

「信じられないことをするなッ!」

「このクソバカ! 越えちゃいけないライン考えなさいよ!!」

「地面に塩撒いちゃいけないって親から習わなかったの!?」

 

 あなたが岩塩を削った時、ひとつまみ分にも満たないごく微量が手から零れて地面に落ちたのだが、それを見て発狂するアルラウネ達。

 だがこれくらいの量で土地は枯れないとあなたは知っていた。反応がいささか大袈裟すぎる。

 

「量の問題じゃねえんだよなあ!」

「地面に! 塩を!! 落とすな!!!」

「土地が死ぬ! 土地が死んじゃいましゅうううううう!!」

「これだから動物は! これだから動物は!!」

 

 自分達で塩を持ち出しておいてこの言い草である。

 アルラウネ達はこの竜の谷の中でも随分と愉快なパーソナリティを持っているようだ。

 しかしこのままでは遺恨が残ってしまいそうなので、塩が落ちた部分の地面を掘って回収、謝罪しておく。

 

『反応がまんまかたつむりで笑える』

 

 妹が放った辛辣な毒に、あなたは小さく噴出した。



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第129話 樹海に奔る血染めの流星

【冒険の断章】

 

 今日、樹海の中で流星を見かけた。

 空じゃなくて樹海の中で流星ってなんだよって話だが、やたら速くて眩しかったので流星としかいいようがない。

 正体は不明。遠目に見ただけだが、一緒に見かけた黄金竜と比べるに、そこまで大きくはなかったと思う。

 そんな流星に黄金竜の群れは抵抗も許されず一方的に虐殺されていた。

 あれはやばすぎる。遠くから見ていただけで殺されたと思った。

 他のモンスターと比べても明らかに格が違う。樹海の主のような存在? そんなのがいるという話は聞いた事が無いが、いてもおかしくはない。

 いずれにせよ絶対に近づくべきじゃない。見かけたら死ぬ気で逃げるべきだ。

 

 ――とある探索者が遺した手記

 

 

 

 

 

 

 しばらくの間粘ってはみたものの、まるで対話らしい対話が出来なかったあなた達。

 アルラウネの集落からは一時離脱せざるを得なかったが、集落で情報を仕入れてあなた達に合流したオーリッドが集落に何が起きているのかを教えてくれた。

 

「私が散歩に出た日だから……だいたい十日くらい前から、夜になるとアンデッドになった人間の軍勢がめっちゃ攻めてきてるみたい。皆がやたらキレ気味だったのはぶっちゃけ寝不足のせいね」

 

 アンデッドの軍勢。

 その単語を耳にした瞬間、あなたとゆんゆんは無意識のうちにパーティーメンバーである不死の女王に目を向けていた。

 最上位にして伝説級のアンデッドであるリッチーが近づくと、形が残っている死体は魔力に反応して動き出すし、現世を彷徨う亡霊達も勝手に集まってくる。

 そして千年樹海には志半ばで散っていった者達の亡霊が今も徘徊しているのだという。

 

「……? …………!?」

 

 あなたとゆんゆんの視線に気付いたウィズは最初こそ不思議そうにしていたものの、すぐに視線に込められた意図を理解したようで、盛大に焦った表情で違います私のせいじゃありませんと首と手のひらを勢いよく横に振って全身で無罪アピールを始めた。

 アンデッドと聞いてつい反応してしまったが、確かにウィズが原因ではないのだろう。アンデッドが集落を襲い始めたのはあなた達が竜の谷に入る前、つまりウィズがアクセルにいた時からなのだから。

 

「どしたの? 虫でも飛んでた?」

「い、いえ、こちらの話ですのでお構いなく。ところでアンデッドの軍隊がどうしてアルラウネの集落を襲うんですか?」

「皆はエリー草を欲しがってるんじゃないかって言ってたよ。まだ喋れるアンデッドがエリー草エリー草って何度も呻いてたんだってさ」

 

 竜の谷に満ち溢れる異質かつ強大な魔力によって、この地で生まれたアンデッドは何度滅ぼしても夜のたびに這い上がってくる。

 単純な力では彼らを永遠の眠りにつかせることはできない。

 それはつまり、半強制的にノースティリス的生活を強いられることを意味していた。しかも肉体は中途半端にしか復活しない。この世の地獄だろうか。

 彼らを本当の意味で終わらせるには、プリーストが持つターンアンデッド系のスキルを使うか、全てを忘れ去るほどの長い時間の果てに魂が擦り切れるのを待つ必要がある。

 

 

 

 

 

 

「アンデッド達を天に還してあげようと思っています」

 

 オーリッドが去った後、強い決意と使命感を瞳に湛えたウィズが宣言した。

 彼女の目的と人間性から考えて、確実にそういう流れになるだろうと確信していたあなたに驚きは無い。

 

 竜の谷を探索するにあたって、あなた達三人は終点までの踏破とゆんゆんをドラゴン使いにするという本命以外にも、それぞれが異なる目的を抱いている。

 

 あなたは胸躍る冒険と強敵との戦い、犠牲者が遺したレアアイテムの回収。

 ゆんゆんはあなたとウィズを通じての冒険者、魔法使いとしての成長。

 ウィズは希少な素材の収集、そして竜の谷を彷徨うアンデッドの葬送。

 

 彼女はアクセルの共同墓地でも葬送をやっていたが、その時はあくまでも昇天を望むアンデッドだけを送っていた。

 だが竜の谷では当人が望む望まざるに関係なく、出会ったアンデッドの全てを葬送したいらしい。

 

「アクセルのアンデッドの方々には墓場が……葬式をあげてもらえずとも、眠りにつき、自分の死を理解し、昇天を受け入れる時間が作れる場所がありましたから。でも竜の谷には墓場がありません。この地のアンデッドの殆どは自分が死んでいる事にも気付けないまま、心の安らぎを得る事無く、体が朽ち果て、魂が擦り切れるまで彷徨い続ける運命にあるんです」

 

 それはあまりにも悲しすぎるから。

 曲がりなりにも不死者の王を称する者として、見過ごすわけにはいかないから。

 ウィズは亡霊の軍勢を余さず天に還すのだという。

 

「私が葬送するには専用の魔法陣を使う必要があります。具体的にどれくらいの規模なのかは不明ですが、軍勢ともなると恐らく私は魔法陣の維持で手一杯になってしまうと思うんです。強い魔力に惹かれてアンデッド以外の魔物も呼び寄せてしまうと考えられます」

 

 そこまで口にしたウィズは申し訳なさそうにあなた達に頭を下げた。

 

「なのですみません……もしよろしければ、お二人も葬送に協力してもらえませんか?」

 

 頭を下げるウィズに、顔を見合わせてどちらからともなく笑みを浮かべるあなたとゆんゆん。

 仮にここで一人でやりますから二人は安全な場所に、などと馬鹿げた台詞が飛んできた日には、それこそあなたとゆんゆんによるスーパー説教タイムが幕を開けていただろう。

 

「ウィズさん、そんな水臭いこと言いっこなしですよ。私達はパーティーなんですから、わざわざお願いなんてされなくてもお手伝いしますって。ね?」

 

 相槌を求められたあなたは鷹揚に頷く。

 ネバーアローンは廃人とリッチーと紅魔族で構成された冒険者パーティーだ。

 どれだけ低級なアンデッドが押し寄せてこようとも、あなた達の敵ではない。アンデッドだろうが悪魔だろうが好きなだけ持ってこいという話である。

 だからウィズが気に病むことなど何も無いのだ。

 さっくり葬送を終わらせてアルラウネに恩を売り、エリー草を手に入れるとしよう。

 

「廃人とリッチーと紅魔族ってこうして並べてみると紅魔族だけ格落ち感が凄くてなんか嬉しい。っていうか自分で威勢のいいこと言っといてなんですけど、実際私はどれくらい役に立てるのかって話ですけどね」

「本当にすみませ……いえ、違いますね。ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 改めてオーリッドを通じてアルラウネにアンデッド浄化の協力を申し出たネバーアローン。

 だが寝不足で不機嫌な女王は断固たる態度であなた達に告げた。

 

「アンデッドを浄化する手段を持たない我らに助力したいというあなた方の話は理解しました。こちらの応対に少々見苦しい点があったのも認めましょう。ですが我らと違い、樹海で生き延びることすら叶わぬ脆弱な人間の力など、信用出来るはずがありません。仮にこれが森に深く精通したエルフならば我らも喜んで受け入れていたでしょうが……。どうしても助力したいというのならば、人間、あなた達がこの樹海においてなお大言を吐くに相応しい力の持ち主であるということを、我らに示してみせなさい」

 

 望むところだと提案を受け入れたあなたとウィズは、アルラウネの女王およびアルラウネ20体に戦いを挑む事になった。それも武器を使わず、無手という条件で。

 明らかに門前払いする気満々だと分かる、理不尽にも限度というものがある条件。

 それでもリッチーとしての使命感に燃えるウィズとこういったお祭り騒ぎが大好きなあなたは一歩たりとも引き下がらなかった。

 竜の谷で生きているだけあってアルラウネ達は容易い相手ではなかったが、廃人とリッチーのコンビは大立ち回りを演じ、立ちはだかる全てのアルラウネを真正面からオラっ素直になれっ! どうか力を貸してくださいって言え! 言えっつってんだろ!! とばかりに死なない程度にボッコボコにしばき倒して女王をギャン泣き……もとい納得させることに成功。

 

 見事に試練を乗り越えて平和的な方法で愛と知恵と勇気と力を示したあなた達を、アルラウネ達は快く受け入れてくれた。

 

「ねえ、アンデッドを片付けたらどっか行くのよね? まさかこのまま居座ったりしないわよね? 絶対よね?」

「ここは退屈だよ? 長居しても全然楽しくないよ?」

「あなた達にはこんな樹海の浅瀬じゃなくて、もっと相応しい場所があると思うの。だからほら、ね? もっと奥にあるでっかい木ならきっと面白いものが見れるわよ?」

「エリー草なら採ってっていいからやることやって早くどっか行ってくださいお願いします」

 

 見事に試練を乗り越えて平和的な方法で愛と知恵と勇気と力を示したあなた達を、アルラウネ達は快く受け入れてくれた。

 

「いやあの、本当にすみません。私はあらゆる意味で二人のオマケでしかないので……どんな行動を選ばれても止められないっていうか……多分この一件が終わったらすぐ探索に戻るとは思うんですけど……」

 

 その証拠として、ゆんゆんは女王をはじめとした幾人ものアルラウネから取り囲まれている。

 少し離れた場所から助けを求めてチラチラとあなたに視線を送ってきているが、あなたはいい経験と思い出になるだろうと例によってこれを黙殺。

 

 少女から目を離したあなたは、おもむろに空を見上げた。

 日はとうに沈みきっており、無数の星々が静かに瞬き、真円を描く月はその柔らかな光で地上を照らしている。

 現在あなた達がいる場所はアルラウネの集落からほど近い場所にあるエリー草の群生地。

 千年樹海という木々の天蓋で空が閉じられた地において、地上から空を眺められる数少ない場所にエリー草は生えていた。

 

 アルラウネ曰く、太陽と月と星の光、そして膨大な魔力こそがエリー草を育てる力になるのだという。

 丁寧に管理されているというのもあるのだろうが、竜の谷はよほど繁殖に適しているらしく、あなたの足元には幻の霊草と呼ばれているエリー草が無数に生い茂っている。

 欲の皮が突っ張った人間であれば間違いなく目の色を変える宝の山。だからこそ谷の外では姿を消してしまったのだろうが。

 

 ……さて、そんなエリー草にはあなたが心の底から驚かされた事実が一つ存在していた。

 空から地上に視線を戻し、無数のエリー草を見渡す。

 その胸中に去来するのは、一言では言い表せない様々な感情が複雑に入り混じったもの。

 

 月光に照らされるエリー草は、自身もまた淡い粒子状の光を発していた。

 群生地の一面から立ち上る燐光の色は明るめの青白。

 奇しくもあなたの愛剣であるエーテルの魔剣の刀身とほぼ同じ色である。

 

 この燐光を浴びているとアルラウネはとても体の調子が良くなるのだという。だからこそ近場に集落を築き、こうしてエリー草が絶滅してしまわないように管理と繁殖を続けている。

 光を浴びたゆんゆんとウィズが同じ感想を抱いていた以上、つまりこの光は、イルヴァでエーテルと呼ばれている星の力、星の意思が形を持ったものに限りなく近しいのだろう。

 過去のイルヴァにおいてエーテルは木々を通して星から抽出されていたが、この世界ではエリー草が同等の役割を担っているらしい。

 足元から立ち上るエーテルに酷似した燐光に包まれながらあなたは思索に耽る。木々とエリー草ではあまりにも数に違いがある。この世界においてエーテルを浪費するエーテル技術が発達する可能性はゼロに等しい。ゆえに自分達の世界のように、メシェーラ菌に世界が脅かされるような事態には陥らないだろう、と。

 

 

 

 しばらくの間、目を閉じて心地よい郷愁に浸っていたあなただったが、森に偵察に出ていたアルラウネが発した大声によって意識を引き戻される事となる。

 

「来たわよ! 今日も今日とてバカみたいにうじゃうじゃとこっちに集まってきてる!」

 

 うげえ、マジ勘弁と口々にアンデッドを罵倒し始めるアルラウネ達。

 

 直径100メートルほどの群生地はモンスターや密猟にやってきた者の侵入を防ぐためにアルラウネが作り上げた自然の防壁で囲まれており、半ば要塞じみたその堅牢さは今日までアンデッドを撃退し続けてきた事から容易に察せられる。

 そんな群生地の中心、あなたの傍らで瞑想を続けていたウィズがあなたに目を向けた。

 

「始めます。あとは手筈通りに」

 

 あなたの首肯と同時にウィズから膨大な魔力が溢れ出す。

 

「ブラックロータス。一番、二番、三番、四番……起動」

 

 リッチーの四方を囲むように咲き誇るのは、氷で出来た美しい黒い蓮の花。

 術者と同等の魔力が込められた黒蓮から魔力を吸い上げながら、不死者の王は樹海に巨大な魔法陣を描いていく。

 青白く光る地面、そして魔法陣に込められた冗談のような魔力量にアルラウネとゆんゆんは浮き足立っているようだ。

 

「マジで? アークウィザードってこんなことできるの?」

「それにしたってこれはちょっと人間離れしすぎでしょ。正直引くわ」

「ちっさい人間。アンタもあっち手伝ったほうがいいんじゃないの? アークウィザードなんでしょ?」

「いえ、同じアークウィザードでも私にはこういうのは逆立ちしても無理なんで……ほんとウィズさんと一緒にしないでくださいお願いします……自分の不甲斐なさにちょっと死にたくなるので……」

「小さい人間、貴女も苦労しているのですね……」

「女王様、これで涙拭いていいよ」

「これはどうも……ってパンツとかいう下着じゃないですかこれ! 張っ倒しますよ!?」

 

 アンデッドを天に還すスキルは女神アクアのような神聖系職業の専門分野であり、アークウィザードとリッチーが所持しているスキルではない。

 故にこれは氷の魔女と呼ばれた天才アークウィザードが生み出した魔法の一つである。

 

 ウィズを中心として恐ろしい速度で広がり続ける複雑な魔法陣の直径はおよそ3キロメートル。

 リッチーであるウィズも魔法の対象になるのではないかという話だが、術者はあらかじめ効果の対象外に設定してあるのだという。

 こんな大魔法を使えるのであれば、わざわざ防衛線など引かずともアンデッドを一掃可能かと思いきや、そうもいかない事情がある。

 

「事前に説明したように、この魔法は本来アクセルの墓地で昇天を希望する方を天に還すために作りました。効果範囲内に入ったアンデッドを強制的に葬送するためのものではありません」

 

 今回の浄化作戦にあたってそこら辺の設定を弄ったようだが、それでも全てのアンデッドを葬送するには短くない時間がかかる。

 押し寄せるアンデッドを食い止め、浄化されるまでの時間を稼ぐのがあなた達の仕事だ。

 ここに女神アクアがいれば話は早かったのだが、無い物ねだりをしても仕方が無い。

 

「あなたがアンデッドを浄化する手段を持っていたというのはかなり驚きましたが、正直助かります。お手伝い、お願いしますね」

 

 頷いたあなたは地面に突き刺していたそれを引き抜いた。

 エーテルの魔剣でもダーインスレイヴでもなく、あなたにとって唯一無二の価値を持つ純白の突撃槍、ホーリーランスを。

 

「あの、すみません。集中が乱れるので槍を私に近づけないでもらえるとありがたいのですが……」

 

 聖槍が放つ温かい光を浴びたウィズが怯んだ。

 癒しの女神に賜ったこの神器は、この世界のアンデッドや悪魔といった闇に属する者に対して強い浄化の力を発揮するのだ。

 女神アクアには遠く及ばないにしろ、強力な対神聖装備を身に付けた今のウィズにも嫌がらせになる程度には効果がある。

 

《────!》

 

 聖槍に問題があるとすれば、愛剣がこの聖槍を不倶戴天、唯一無二の仇敵だと認識しているところだろうか。

 可愛がったばかりなのでそこまで不機嫌になってはいないが、それでも青筋を浮かべて舌打ちを何度も繰り返すかのような気配を発しており、新人良心枠ことダーインスレイヴにやんわりと諌められている。

 四次元ポケットの中で繰り広げられる神器達の愉快なやりとりはさておき、力と声が届かぬ異世界においてなおこれだけの恩寵。

 癒しの女神への信仰を更に深めたあなたは槍を旗のように縦に構え、厳かに祈りを捧げた。

 

「ちょっ、止めてください! その光は私に効きます! 止めてください!」

 

 あなたが唱えた聖句に呼応した聖槍が強く輝き、ウィズが抗議の声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 エリー草はあらゆる傷と病を癒す伝説の霊草。

 中でも竜の谷のエリー草はラストエリー草と呼ばれるほどに隔絶した効能を持つ。

 そんな魔境に存在する奇跡を求め、苦痛と本能に突き動かされるままに襲ってくるアンデッド達。

 

 腐敗した肉に包まれたゾンビ。

 骨のみの体となって動き続けるスケルトン。

 肉も骨も失い、それでも彷徨い続けるレイス。

 

 押し寄せてくるのは、アンデッド御三家ともいえる下級アンデッドが大半だが、中には高位アンデッドも混じっているようだ。

 

「あーもうしつこい! 数が多い! うざい! 臭い! 汚い! 死ね!!!」

「死体は死体らしく土に還って養分になりなさいっての!!」

「ちょっとずつ浄化されてるのは助かるんだけどさ、叩き潰しちゃ駄目って逆に難しくない?」

「超分かる。手加減しないといけないってストレス溜まるわ」

 

 闇に包まれた樹海の中から延々と湧き続けるアンデッドの総数は不明だが、少なくとも千を下回ることはないだろう。

 対してアルラウネの数は五十に満たない。

 圧倒的無勢の中で、しかしアルラウネ達は下半身の強靭な蔦や固有スキルを使ってそれぞれが一騎当千の活躍を見せていた。

 

 アンデッドに同情し、顔に悲壮感すら浮かべて戦っているゆんゆんとは違い、アルラウネにとって人間のアンデッドは害虫のようなもの。

 容赦どころか同情すらありえないと、押し寄せる不死者達を千切っては投げ、千切っては投げ。

 動けなくなる程度に痛めつけたアンデッドを一まとめにして隔離する余裕すらある始末。

 

 竜の谷で命を落とした者と竜の谷で生きる者。

 両者の力の差はいっそ喜劇的ですらあった。

 

「ごめんレイス出た! 三匹! でっかい人間は早めに処理お願い!」

 

 そんなアルラウネ達と特に相性が悪いのが砕くべき肉体を持たないレイスを筆頭とする死霊系のアンデッドであり、聖槍を使ってそれに対処するのがあなたの仕事だ。

 普通に攻撃して霊体を貫くと槍の力で浄化される前に消滅してしまい、時を置いて再び復活してしまう。

 なので消滅してしまわないように気を使って十秒ほど槍の光を当てる必要がある。

 速度を上げても意味が無い。殺すだけでいいなら一瞬で済むので楽なのだが。

 アルラウネが愚痴る気持ちがよく分かる、非常に根気のいる仕事だった。やはりアークプリーストがいればと思わずにはいられない。

 

「サンキューでっかい人間。レイスは私達だと処理しきれないから助かるわ」

「ぶっちゃけ蹴散らすだけなら余裕なんだけどね」

「びっくりするほどクソザコが殆どだしねー」

 

 鎧を着たゾンビの四肢を破壊し、適当に浄化待ちの死体置き場である穴に放り投げながら雑談に興じる。

 共に戦うゆんゆんは勿論のこと、淡々と死霊の処理を続けていたあなたも、アルラウネに混じって雑談ができる程度には受け入れられていた。

 

「普段見かけるアンデッドって着てる服も装備もバラバラなんだけど、今回攻めてきてる連中は似たような服と装備の奴がやたら多いのよね。しかもそういうのに限って弱いし。でっかい人間、なんか知らない?」

 

 彼らが世界各地から集まってきた探索者の死体だというのはハッキリしているのだが、アルラウネが言うように、この場に集ったアンデッド、その多くからは偶然では有り得ない、明確な統一性が感じられた。

 ボロボロの装備品はお世辞にも高級には見えず、はっきり言ってしまうと市販の量産品と大差が無い。間違っても竜の谷に挑んでいい装備ではないのは確かだろう。

 

 オーリッドがアンデッドの軍勢と称していたが、なるほど、言い得て妙である。

 どこぞの考えなしが軍を率いて竜の谷に挑み、無為に死者の山を生み出したとしか思えない有様だ。

 

『これってダーインスレイヴを盗んで竜の谷に挑んだっていうルドラの貴族が連れてきた兵士だよね』

 

 貴族に率いられ、三日と経たずにほぼ全員が死亡した千人の私兵。

 妹が言うように、統一感のあるアンデッド達はほぼ間違いなくその成れの果てだろう。

 樹海を彷徨っていた他のアンデッドを巻き込んで規模が膨れ上がったのだと考えられる。

 

「うっへ、千人ってマジ?」

「人間はバカなの? 死ぬの?」

「もう死んでるんだよなあ」

「死ぬなら勝手に死んでくれないかな。私達に迷惑をかけないでほしい」

 

 あなたから話を聞いたアルラウネ達がげんなりとし、自身に魅入られた者が生み出した数多の犠牲者だと知ったダーインスレイヴが盛大に曇り、聖槍に出番を奪われた愛剣が腹いせにねえ今どんな気持ち? どんな気持ち? とダーインスレイヴを全力で煽り倒した。

 

 

 

 

 

 

 一つ、また一つ。

 不死者の王が生み出した魔法陣の効力でアンデッドが光に還り、安らぎのうちに天に昇っていく。

 非常に幻想的な光景なのだが、アルラウネにとっては人間の魂がどうなろうと知ったことではないのだろう。まるで気に留めることなく、消滅した死体が遺していった品をだらだらと回収していっている。

 

「あ゛ーしんど、私達にゴミ掃除までさせるとかほんと人間は碌なことしねえな」

「でもだいぶアンデッドも減ってきた感じじゃない?」

「このペースなら朝日が昇るまでには終われそうね」

「私、この戦いが終わったらたっぷり光合成するんだ……」

 

 遺品の中に目ぼしいものがあれば譲り受けたいところだが、この分ではあまり質に期待はできないだろう。

 

 散発的に出没する死霊を処理し続ける中、慣れないアンデッドと戦い続けて心身の疲労が溜まっているのか、大きめの岩に座り込んでいたゆんゆんを見つけたあなたは声をかけてみた。ガンバリマスロボ化しかけていたら無理矢理休ませよう、と考えながら。

 

「あ、お疲れ様です」

 

 まだ全てのアンデッドが消え去ったわけではないが、それも時間の問題だろう。

 疲れているのなら眠っても大丈夫だと告げると、ゆんゆんは首を横に振った。

 

「そこまで疲れたわけじゃないんですけど。ちょっと考え事をしてただけなので」

 

 視線をアルラウネに固定した少女はぽつりと呟く。

 

「たとえ人間っぽく見えて、人間のように振舞っていても。やっぱり人間とは違うんだなーって」

 

 感傷を帯びた声色。

 何故ゆんゆんがそんな考えに至ったのかは分からないが、アルラウネは上半身が人の形をしていても人間ではない。亜人(デミ)だ。

 人のような、しかし人ではないもの。

 人間はおろか人類と比較しても生きる場所が違う。価値観が違う。死生観が違う。

 ましてや彼女達は人界から隔離された竜の谷に生きている。それを思えばこうして意思疎通が可能で、なおかつある程度互いを尊重しあえるというだけでも十分すぎるほどに幸運なことなのだ。

 

 イルヴァという異世界で様々な種族と出会ってきた冒険者として、そんな事をゆんゆんに話そうとしていたあなただったが、考えていた言葉はついぞ口から出てくることはなかった。

 

『……へえ』

 

 静かに感嘆する妹。

 そして唐突に無言で目を細め、北に視線を固定したあなたの姿に、ゆんゆんが恐る恐る声をかけてくる。

 

「ど、どうしたんですか? 新手のアンデッドですか?」

『ゆんゆん、二度は言わないからね。今すぐアルラウネと一緒にエリー草が生えてる場所から離れたほうがいいよ。近づいたらきっと死んじゃうだろうから』

「えっ?」

『にしても、最初の層でこれなら先はだいぶ期待できそうじゃない? ね、お兄ちゃん』

 

 状況を理解できずに戸惑うゆんゆん、そして妹の声に答える事無くあなたはその場から姿を消した。

 

 光り輝く流星。

 そうとしか形容できない何か。あなたと妹が急速な接近を感じ取っていた存在が、木々を伝って凄まじい速度で戦場に飛び込んできたからだ。

 アルラウネが築いた頑健な防壁を迎撃機能ごと一瞬で粉砕し、魔法陣の中央に立つウィズを目掛け、おぞましい死臭と殺意を撒き散らしながら。

 

 背後から迫る何者かにウィズが気付いていないわけが無い。

 しかし彼女は防御、回避、攻撃のいずれも選択しなかった。それどころか振り向きすらしなかった。

 下手に動けば魔法陣の維持に支障が出かねないし、それ以上に、あなたが自分を護ると理解していたから。

 

 直接言葉と視線を交わすまでもなく仲間の意を汲み、瞬く間に流星とウィズの間に体を滑り込ませたあなたは流星を迎撃する。

 

 七回。

 刹那の交錯であなたの振るった聖槍と流星がぶつかり合い、火花を散らし、轟音を響かせた回数だ。

 打ち合いに負けて弾き飛ばされた流星は草花と土煙を巻き上げながら地面に着地し、月明かりに照らされる形でその姿が露になる。

 流星の正体を視認したアルラウネ達の間に極めて強い緊張が走り、慄然としたゆんゆんの震え声が夜に溶けた。

 

「何、あれ……」

 

 それは全身を眩い白銀に輝かせた、体長50センチほどのウサギだった。

 左目は醜く潰れており、残された右の瞳からは血よりも紅く、炎よりも激しい、稲妻状の光が絶えず放出されている。

 これだけならただのギロチンラビットか、あるいはギロチンラビットの上位種だと予想できただろう。

 

 だがこのウサギは、三日月のブローチがついた黒いシルクハットを被り、一振りの剣を口に咥えていた。

 全長5メートルを超える巨大なギロチンの刃に無理矢理柄を取り付けたようにしか見えない、どす黒い血で染まった禍々しい異形の剣を。

 サイズ比1:10。あなたも巨大な岩石が付属した聖剣を所持しているが、それでも軽く目を疑う光景だ。たかだか上位種程度で片付けて良いとは思えない。

 樹海で振り回すにはあまりにも巨大すぎる代物だが、何かしら収納する手段を持っているのだろう。

 

「人間、気をつけなさい! そいつは竜だろうが同族だろうが見境なく片っ端から首を落として食らい尽くすハグレのギロチンラビット! 私達がヴォーパルと呼ぶ気狂いウサギです!!」

「最っ悪だわ! なんだってコイツがこんな浅い場所に来るわけ!? 縄張りは深層じゃなかったの!?」

「どうせアンデッド目当てに決まってる! 人間が悪い! とにかく人間が悪い!!」

 

 ヴォーパルの殺気に当てられて恐慌に陥りかけているアルラウネ達の声が聞こえていないかのように、あなたと背中合わせになる形で魔法陣を維持し続けているウィズが静かに口を開いた。

 

「防御ありがとうございます。加勢は必要ですか?」

 

 あなたは気負い無く答える。必要無いと。

 ウィズはウィズの役目、ウィズの目的を最後まで全力で果たすべきだ。

 これはあなたの役目で、あなたの目的なのだから。

 無論危険な相手とは共に戦うという約束といのちだいじにの指針を忘れたわけではない。ただ今はその時ではないというだけ。

 

「……了解です。くれぐれも油断しないでくださいね」

 

 互いに互いを一瞥すらする事無く、短い会話は終わった。

 狙った獲物を仕留め損ない、真紅の隻眼で不機嫌そうにあなたを強く睨み付けるヴォーパル。

 見境の無い狂獣と呼ぶにはあまりにも理性的な瞳で、どこまでも深く、重く、鋭く研ぎ澄まされた殺意をあなたに突きつけてくる。

 

『話を聞くにアレはこの世界だと特別個体(ネームド)って呼ばれてる、特別強いモンスターだろうね』

 

 ギロチンラビットという、竜の谷に生息する強力な魔獣の特別個体。

 ヴォーパルと呼ばれたそれが並ではないのは最初から分かりきっている。

 何せ殺す気で放ったあなたの初手を凌ぐどころか、聖槍を通じてあなたの手に微かな痺れを残してみせたのだから。

 

 手応えと殺気で分かる。

 素晴らしく鍛え上げられていると。練り上げられていると。

 惚れ惚れするほどに。敬意すら抱くほどに。

 

 ヴォーパルは最初から強かった者ではない。一足飛びに至った者でもない。

 これは一歩一歩、過酷な環境で死体を積み上げ、手段と目的が入れ替わるほどの修練に身を浸し、終わりの無い闘争の果てで掴み取った力だ。

 才の有無は重要ではない。他ならぬあなたがそれを証明している。

 

 今までこの世界、命の価値がイルヴァとは比較にならないほどに重いこの世界で出会ってきた誰よりも何よりもノースティリスの冒険者に……あなたに近い獣と相対する。

 

 竜の谷での冒険において、ウィズがアンデッドの葬送を目的の一つとしているように、あなたは強敵との戦いを待ち望んでいた。

 そしてこのヴォーパルは、吹けば飛ぶような有象無象ではなく、正真正銘、あなたと戦う事が出来る相手だ。

 高揚に導かれるまま、あなたは役目を終えた聖槍を四次元ポケットに戻し、エーテルの魔剣を解き放つ。

 

 

――★《冤罪の処刑刃》

 

 

 碌でもない由来の品だと一目で理解できる、神器判定の断頭剣を咥えた愛すべき凶獣と戦うために。




★《冤罪の処刑刃》

 かつて、とある国の農村に一人の男がいた。
 決して豊かではないが貧しくもない平民の生まれだった男には野心があった。己の腕一本で成り上がるという、男が抱くものとしてはそれほど珍しくないありふれた野心だ。
 だが男には才能があった。他の追随を許さない、煌くような剣の才能が。

 やがて粗末な剣を片手に故郷を飛び出した男は、紆余曲折の果てに末席とはいえ騎士の身分を手に入れることとなる。
 念願かなって騎士となった男だが、それでも満足することはなかった。
 自分の限界はこんなものではないと努力を重ね続けた。ただひたすらに、更なる高みを目指して。

 窮地に陥った王の命を救ってみせた。
 国を脅かす悪竜を打ち倒してみせた。
 仲間と共に幾度となく魔王軍を退けてみせた。

 男はあらゆる戦いで勝利を積み重ね、階段を駆け上がるように出世していく。
 それはまるで絵に描いたような、誰もが夢見る輝かしい成功譚。
 気付けば男は国一番の騎士と謳われ、平民として初めて騎士団の長にまで上り詰めていた。
 国内外はおろか、敵である魔王軍にまでその勇名を轟かせた男は輝かしい功績の数々と共にその名を永遠に語り継がれてゆく。

 そのはずだった。

 強い雪が降るある日、城下を見回っていた男は背中から斬り付けられた。
 悪漢でも潜伏していた魔王軍でもなく、仲間であるはずの同じ騎士から。

 次に目が覚めた時、男は牢に繋がれていた。

 罪状は謀反。
 不遜にも現王族を廃し、自身が玉座に座らんと企てたのだと。

 自身の首にかけられた罪状を知った男は激憤した。
 冤罪、身に覚えが無いどころの話ではない。
 王と国に剣と命と忠を捧げた男にとって、それは侮辱という言葉すら生温いものだったからだ。

 男は明かりが届かない地の底で必死に叫び続けた。
 謀反など考えたことも無い。何かの間違いだと。頼むから陛下と話をさせてくれと。
 喉を潰し、血を吐きながら、それでも叫び続けた。

 男は知る由も無かったが、全ては平民ながら騎士の頂点に立った男を、身の程を弁えていないと疎んじた高位貴族を擁した騎士一派の謀略だった。
 手回しは初めから十全に為されており、完璧に捏造された証拠は数え切れず。
 ゆえに男とその部下達の主張はその一切が省みられることなく。
 ほどなくして男の処刑が決まった。

 男は愛し愛された筈の国民達から侮蔑を一身に浴び、石と心無い言葉を投げつけられてもなお、最期の瞬間まで自身の潔白を叫び続けた。
 だが男の言葉は終ぞ聞き届けられること無く、哀れにも断頭台の露と消える。
 それはありふれた夢を抱いた男に相応しい、悲劇的で、しかしどこまでもありふれた英雄の死に方。

 魂を焼き焦がす憎悪と気が狂わんばかりの悲憤と果ての無い絶望を抱えたままに人生の幕を下ろした男。
 その名前は、ベルディアという。


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第130話 断頭の獣『ヴォーパル』

【No.4:癒しのジュアの狂信者】

 

 イルヴァに名高き廃人達を紹介していくという、先日友人からお前の頭ノースティリスかよと呆れられた(極めて遺憾である)地獄のようなコーナーも晴れて四回目となった。

 私の予想に反してこのコーナー、読者諸兄からの反響が非常に大きいのが恐ろしくもあり嬉しくもある。恐れ多くもかの高名な(プライバシー保護のため省略)氏から応援のお便りを頂いた時は私も目と自身の正気を疑ったものだ。

 今のところ編集部や私の自宅が廃人やその手の者に襲われ更地にされるといった事件は発生していない。どうでもいいと捨て置かれているのか、あるいは時期を待っているのか。個人的には前者であってほしいと願って止まない。

 

 愚にもつかない私事はここらへんにして、今回紹介していくのは恐らく最も世間的な知名度が高いであろう廃人、通称癒しの女神の狂信者だ。

 彼の名は――

 

 (中略)

 

 さて、ここからは表面的なプロフィールではなく、もう少し突っ込んだ話をしていこう。

 

 癒しの女神の信奉者である彼は、かのレシマスの迷宮を踏破した冒険者だ。

 廃人の例に漏れることなくノースティリスを主な活動拠点としているわけだが、少し調べてみれば世界各地に彼の冒険の足跡が残されているのが分かる。

 活動的で探求心に富み、未知と冒険と戦いをこよなく愛し、希少な物品や剥製の収集を行う。

 彼は廃人という良くも悪くも個性に溢れすぎた者達の中で最も冒険者らしい冒険者と表現できるだろう。

 それゆえか、馬鹿と冗談を煮詰めたとしか表現できない廃人達の中では相対的に常識と良識を兼ね備え、なおかつ我々の道理が通じやすい人物でもある。

 私は今回の企画にあたって全ての廃人と会ってきたわけだが、仮に上司から廃人の中から誰か一人を選んで長期に渡る密着取材を行えと命令されたら私は迷わず彼を選ぶ。そしてそんなクソのような命令をしてきた上司をサンドバッグに吊るしてもらうように依頼する。絶対に。絶対にだ。

 

 友好度は中。危険度は低。

 

 極めて雑で身も蓋もない表現になってしまうが、彼は廃人の中で最もとっつきやすい人物といえる。

 彼もまた自分ルールの中で動く者であることは周知の事実だが、それでもこれまでに私が紹介してきた三名と比較すればその接しやすさはまさにかたつむりとクイックリング。

 彼と付き合っていけないようでは廃人と友誼を結ぶなど夢のまた夢と言わせてもらおう。そのような奇特な人物がイルヴァ全域を見渡したところでどれだけいるのかは別として。

 

 だがゆめゆめ忘れることなかれ。彼もまた廃人の一角であるということを。

 私がここでどれだけ彼を褒め称えた文章を記そうとも、それは所詮廃人という手の施しようがない者達の内における相対的評価に過ぎない。

 地を這う蟻に対して我々が感じるような、限りなく無関心に近い寛容さ。

 一見すると人当たりが良い彼がごく一部の気に入った者や親しい者以外に向ける感情とは、我々からしてみればそういうものなのだから。

 

 次頁から始まる彼のインタビューはそれを如実に感じさせるものとなっている。

 

 ――『イルヴァwalker、914号』より抜粋

 

 

 

 

 

 

 エリー草が発する擬似エーテル光を塗り潰す、目を奪われずにはいられない神秘的な青白。

 エリー草が発する擬似エーテル光を飲み込む、目を背けずにはいられない冒涜的な赤黒。

 対照的な色彩を帯びたエーテルの魔剣と血染めの断頭剣はしかし、両者共に数え切れない無数の命を奪い、その血肉を食らってきたおぞましき凶刃という意味では全くの同類であった。

 

 互いの剣の主もまた同様に。

 

 ノースティリスの冒険者と隻眼の首狩兎。

 明確な意義も確固たる目的も無くただひたすらに戦い続け、現在に至るまでの過程で屍の搭を築き上げてきたあなた達は、他者を傷つける事に忌避感を覚えず、他者の命を踏み躙る事に一切の呵責を覚えない筋金入りのろくでなしである。

 あなたとヴォーパルに違いがあるとすれば、それはあなたを信頼して背を預け、あなたが背を預けている相手の存在に他ならない。

 

 あなたは友人であるウィズを想っている。

 あなたは友人であるウィズを尊重している。

 あなたは友人であるウィズが戦う力を持たぬ無辜の民が傷つき命を落とすのを、何よりも厭い嫌うという事を知っている。

 

 日々終末狩りに勤しむベルディアを通じ、ウィズは異世界人であるあなたの倫理観、道徳観、死生観がこの世界のそれとは著しく乖離していることを理解しているわけだが、彼女があなたに街中で一般人を殺戮するなと警告したことは一度も無い。

 そもそもの話、普通はそんな当たり前すぎる警告をしない。未開の地に住まう邪悪な蛮族が相手でもあるまいし、するわけがない。この世界の常識的に考えて、する方がおかしい。

 

 残念ながらそんな当たり前すぎる警告が必要な地域で冒険者をやっていたあなたは、ウィズとの交流を通じてその人となりを理解し、あくまでも自発的に自らの行動を律していた。犯罪者や賞金首のような殺しても良い相手以外の人間を殺さない程度には。

 多少なりともフラストレーションが溜まるのは事実だが、だからといって不平不満を零すほどのものではない。

 新たに異邦の地で得た掛け替えの無い友人と決定的に袂を分かつ事を考えれば、多少の不自由などわざわざ天秤にかけるほどの事ではないのだ。別に何が相手だろうと殺すな壊すな暴力を振るうなと博愛精神と正義感と平和主義と狂気に満ち溢れた酔っ払いの戯言を投げかけられているわけではないのだから。

 

 繰り返すが、あなたは無辜の民の命を理不尽に奪っても心が欠片も痛まない類の人間である。

 強くなるのと反比例するかのように良心は風雨に晒された岩のように磨耗し、鈍化した共感能力は今や錆びた刃の如く。

 廃人。直訳すると壊れた人。

 間違っても英雄や勇者などとは呼べないし呼ぶべきでもないからこそ人々の間で自然と生まれた呼称であり蔑称でもあるそれを、当のあなたも受け入れて自称している。

 後悔こそしていないものの、人として辿るべきではない不可逆の成長、変化を遂げてしまったと自分でも理解しているがゆえに。今更矯正など出来よう筈もない。

 

 今のあなたはなんでもいいからバラバラにしたいぞ、とばかりに道行く一般人を殺戮して喜悦を覚える感性の持ち主ではないのだが、それはそれとしてジェノサイドパーティーを楽しく行える人間ではあるし、他者を殺害して剥製を集めるのを趣味としている。

 赤の他人。どうでもいい相手に配慮をするつもりが端から無い。意思や尊厳を重んじる気が無い。

 好悪の問題ですらなく、単純にどうでもいいと思っている相手に自分の行動を制限されるのが窮屈で面倒だと感じている。行動の結果どうなるかと理解していても、それはあなたを止める理由にはならない。

 邪悪なエゴイストという謗りは免れないし、実際にそれは間違っていない。

 

 ウィズというあなたの破滅的な行動を抑制する枷にして檻がなければ、自分ルールの下に己が望むまま振舞う廃人はこの世界に今とは比較にならない多大なる悪影響を及ぼし、人、神、魔の全てから討ち滅ぼすべき災厄と見なされていただろう。

 あるいは樹海に生きるアルラウネ達から忌避されている、ヴォーパルと同じように。

 

「――――!」

 

 さて、そんなヴォーパルはあなたが愛剣を抜いた瞬間その視線の色と発する気配を著しく変化させた。

 目の前に立つあなたの事を、獲物の前に立ち塞がった邪魔者ではなく、明確にして強大な自身を脅かす敵だと認識したのだ。

 指向性を持ったあなたの戦意と圧に呼応するかのごとく膨張する獣の殺気。

 瞳に宿っていた冷めた理性は闘争本能と首狩りの意思に塗り潰され、ヴォーパルは戦闘態勢に入った。

 退屈な狩りでも蹂躙でもない。自らを上回る強者と戦うために。

 

 逃走など有り得ないと突き刺さる不退転の殺意に込められた意思は期待。そして渇望。

 やはり似た者同士なのだろうと確信したあなたの瞳に力が宿り、肉体に活力が満ちていく。

 

 それでこそだと。自分に血を流させてみせろと。痛みを与えてみせろと。

 狩りであれば負傷などすべきではない。蹂躙であれば痛みすら論外だ。

 だが戦いにはそれが必要だ。そうでなくてはいけないとあなたは考えている。

 流血と苦痛を伴わない戦いなど、何の意味も価値も持たないのだと。一晩もあれば忘却の彼方に消え去ってしまう空虚な暴力に過ぎないのだと。

 あなた自身が培ってきた経験から確信していたがゆえに。

 

 

 

 

 

 

 先手を取ったのはヴォーパル。

 挨拶代わりに放たれたのは空を裂き地を抉る斬撃。

 

 断頭剣から放たれたそれはラビテリオンを昇華させたスキルなのだろう。

 武器に魔力や気といった何かしらの力を込め、敵に向けて飛ばす。

 威力や呼称こそ様々であるものの、この世界における近接職の基礎教養といっても過言ではない、普遍的な遠距離攻撃スキル。

 

 しかしヴォーパルの攻撃は今までにあなたが見てきたスキルの中で最も強大かつ禍々しかった。

 ギロチンから放たれた5メートルほどの孤月は、まるで血染めの刀身から滲み出たかのような赤黒さ。

 

 迫り来る脅威に対してあなたが選んだのは攻撃スキル、音速剣での迎撃。

 いつぞやの王女アイリスとの対峙を髣髴とさせる光景だが、その結果はまるで異なっていた。

 一瞬の拮抗の後、あなたの放った全力の音速剣は巨大な血の三日月に呆気なく飲み込まれたのだ。

 

 武器の性能は愛剣が優越している以上、これはあなたの問題に他ならない。

 剣を補って余りあるほどに技の威力と錬度に差があることの証左である。

 相手に付き合った形になるとはいえ、数十回当ててようやく遠方の下級ドラゴンを撃墜できる程度の、手慰み程度にしか鍛えていないスキルで迎え撃つというのは不躾だった。

 どうにも悪い癖がついていると自戒したあなたは内心でヴォーパルに謝罪し、愛剣で孤月を切り払う。

 飛散した血剣がエーテルと交じり合って大気に溶け合う中、既にヴォーパルは一足で距離を殺し、あなたを射程圏内に収めていた。

 

 敵手を屠らんと迫るギロチンは音すらも置き去りに。

 一拍遅れて聞こえてくるのは背筋が粟立つ風切音。

 あなたのすぐ後ろにはウィズがいる。たとえヴォーパルの意識があなたにのみ向けられていようとも、回避という選択肢は有り得ない。

 故に先ほどの焼き直しのように二本の大剣が撃音を奏で、火花を散らす。

 自身の十倍にも届こうかという長さのギロチンを軽々と振り回すヴォーパルだが、愛剣を通してあなたの手に伝わる感触はギロチンが見た目どおり、あるいはそれ以上の重量を持っていることを明確に教えてくる。

 

 数度攻守を入れ替えながらじゃれ合いのような剣戟が続くも、それが終わる間際、真後ろに飛び退いたヴォーパルに合わせる形であなたは大地を蹴って前進。首筋目掛けて突きを放つ。

 よりにもよって首狩兎の首を狩らんとするそれは紛う事なきあなたの挑発だった。

 無造作に放たれた突きはしかしヴォーパルの矮躯を容易く両断せしめるだろう。そういう威力を込めた攻撃である。

 呼吸を盗まれ間合いに踏み込まれたヴォーパルはギロチンを振るうも、あなたはニヤリと笑った。

 

 耳をつんざく爆音にアルラウネ達が耳を塞ぐ。

 突如として発生したその正体は愛剣の攻撃によるものであり、グレネードと呼ばれる音属性の爆発だ。

 イルヴァの武器には攻撃に応じてスキルや魔法が発動するエンチャントが付与される事がある。

 この世界の属性付与(エンチャント)スキルとは似て異なるその中で最も強力な物の一つとされるのがこのグレネード発動であり、当然のように愛剣はこれを発動出来る。元から所持していたわけではなく、他のグレネード発動武器を捕食する(合成する)事で手に入れた産物だ。

 

 愛剣のグレネードは生半可な相手であれば余波だけでミンチになる威力なのだが、野生の生存本能の賜物なのかヴォーパルはギロチンを盾にする形でこれを辛うじて受け流してみせた。

 だが至近での爆発に幾らかのダメージを受けたのは事実であり、更に足場が無い状態での防御で体勢を大きく崩した。

 当然ながら立て直す間など与えるつもりの無いあなたの追撃がヴォーパルを襲うのだが、獣はここであなたの想定を上回った。

 なんと体勢を崩したまま空中を蹴ることで、あなたの攻撃を無理矢理避けてみせたのだ。

 

 飛行ではない、しかし三次元的な機動。

 ギロチンラビットが空を駆けるという話は聞いた事が無い。ヴォーパルの固有スキルだろうか。

 意表を衝かれ目を丸くしたあなたは、離脱しながら振るわれる凶刃を一歩下がって回避。

 

 慣性を無視した動きで何度か空を蹴った後に防壁の上に着地したヴォーパルとあなたの視線が交錯する。

 時間にすれば一呼吸ぶんにも満たない、束の間の攻防。

 気付けば集中を続けるウィズ以外の全ての者があなた達を注視しており、獣の鳴き声一つ聞こえてこない静寂が場を支配していた。

 

(余所でやれぇ!! ここで、戦うな! ここで!!)

(バケモノの戦いに巻き込まれる可哀想な私達の気持ちになってみなさいよ!)

(どっちもどっか行ってくださいお願いします! お願いします!!)

 

 視線に込められた声無き声が聞こえてくる。アルラウネの悲痛な懇願が。

 それは恭しく頷くしかない、全くもって正当で一分の隙も無い主張だった。

 あなたもヴォーパルも、まだまだ互いに小手調べであり様子見もいいところ。だがひとたび本格的な戦闘に突入すれば、容易くこの一帯は焦土となりエリー草も根絶やしになってしまうだろう。

 あなたとしてもエリー草を絶滅させるのは本意ではないのだが、あなた達の都合にヴォーパルが付き合う理由は無い。殺意の対象であるあなたがこの場に居座り続ける限り、ヴォーパルは巨刃を存分に活かせるこの広場で戦い続けるだろう。あなたがヴォーパルの立場であればそうする。

 

 ゆえにあなたは周囲のアルラウネ達に呼びかけた。命が惜しければ今すぐ北から退避するようにと。

 言うが早いか、蜘蛛の子を散らすように北の防衛網を担っていたアルラウネが遁走する。

 話が通じる相手だと面倒が無くて助かるとあなたが北に駆け出せば、やはりというべきか、ヴォーパルは他の存在を一顧だにせずあなたを追ってきた。

 あなた以外に興味は無く、そしてあなたを逃がすつもりは無いということだろう。しかしそれはあなたとしても大いに喜ばしく、そして望むところであった。

 

 玩具を与えられた子供のような心地の中、あなたとヴォーパルの姿が闇に消える。

 その間際。あなたは声を聞いた気がした。

 

 ――どうかお気をつけて。

 

 あなたの身を案じるパートナー(ウィズ)の声を。

 

 

 

 

 

 

 手付かずの大自然である千年樹海の中での戦闘行為は外部の者にとって困難を極める。

 その最たる原因は樹海を形成する無数の樹木だ。

 長柄の武器を自由に振り回すことは適わず、魔法や弓矢は射線を容易に遮られる。

 伐採しながら進もうにも数が多すぎるし、何より太く頑健極まる幹は生半可な攻撃ではビクともしない。

 そんな無数の大樹が生存競争の中で好き勝手に生い茂った結果、視界は封鎖され、木々の根は真っ直ぐ歩くことすらおぼつかない荒れた地形を作り出した。

 入り組んだ樹海の内部には素人でも感じ取れるほどの大小様々な気配が犇いており、弱肉強食の掟に従って独自の生態系を築いている。

 

 どれをとっても解決は容易いものではなく、人魔を問わず世界中が匙を投げるに値するだけの理由がそこにはあった。

 

 ではそんな千年樹海に生きるヴォーパルは、どう考えても邪魔にしかならない、己が身の丈を遥かに超える断頭剣を用いて如何に樹海の中で戦うのか。

 その答えをあなたは身をもって体験している最中である。

 

 四方八方から聞こえてくる、大木が切り倒され枝が折れる音。

 地の利は圧倒的に相手側にある。どうしたものかと楽しく頭を回しながらあなたは自身に向かって倒れてくる巨木を回避。

 周囲の木々を巻き込んだ伐採はバキバキという破砕音と地響きを生み出し、枝葉と土煙が舞い上がった。

 倒壊した巨木の幹は斜めに切断されており、やすりをかけたような滑らかな切断面が残されている。

 

 一息つく間も無く背後を振り向いたあなたは闇に向かって剣を振るう。

 愛剣は音も無く迫っていたヴォーパルのギロチンとぶつかり合い、闇を瞬きの間だけ明るく染めた。

 弾かれたヴォーパルはグレネードを警戒しているのか、接近戦に付き合う気は無いと言わんばかりに木々を飛び跳ねて離脱。曲芸師のような身軽さを見せながら姿を消すその口にはギロチンが咥えられていなかった。

 あなたは既に数度同じ光景を目にしており、相手が四次元ポケットの魔法に類似した収納手段を所持しているのは最早誰の目にも明らかだ。ゆえに木々が獣の行く手を阻む事は無い。

 

 ヴォーパルが姿を消した数秒後、血色の孤月が木々を切り裂きながらあなた目掛けて降り注ぐ。

 攻撃の出所は樹海の上。つまり空だ。

 ヴォーパルは空からあなたを攻撃してきている。

 互いの姿は見えずとも狙いは完璧なあたり、あなたがヴォーパルを捕捉しているのと同じように、空を駆けるヴォーパルもまたあなたの気配を察知しているらしい。

 

 状況は膠着していると言ってもいい。

 ヴォーパルは斬撃で樹海を切り開きながら時折首狩りを狙い、離脱するという行為を繰り返していた。

 相手の攻撃はあなたに当たっていないが、あなたもまた空を駆けるヴォーパルに攻撃を届かせていない。

 単独での飛行手段を持たないというのはあなたの致命的な欠点の一つである。

 とはいえ遠距離攻撃を持っていないわけではない。あなたは攻撃を防ぎながらヴォーパルが何をやってくるのかずっと様子を見ていたのだ。

 

 しかし相手の対応が殺気に反してどうにも消極的だとあなたは感じていた。

 ヴォーパルが逃げる気配は欠片も無い。かといってこのまま殺しきれると考えているとは思えない。まさか手詰まりというわけでもないだろう。スタミナか集中力が切れるのを待っているのだろうか。あるいは相手もまたあなたの出方を窺っているのか。

 

 全距離で戦えるあなたが最も得意とするのは愛剣を使った近接戦闘なのだが、相手がそれに付き合う理由も無い。愛剣の危険度を理解しているようなら尚更だ。

 かといっていつまでも現状に甘んじているわけにもいかない。それは少しばかり退屈に過ぎる。

 ゆえにあなたはいつものように、自分のやり方を相手に押し付けることにした。

 

 ヴォーパルが頭上に近づいたタイミングで月光の魔法剣を発動。

 冷たく煌く魔力を纏った愛剣を振るってグレネードを発動させれば、木々は細切れにされた後に文字通り根こそぎ消し飛ばされ、あなたを中心とした周囲一帯は大きなクレーターと化した。

 これでやりやすくなったと星空を仰ぐあなたに容赦なく降り注ぐ血刃の雨。

 しかしあなたはこれを僅かな身動きのみで避けながら、ヴォーパルに向けて意識を集中する。

 

 自分が空を飛べないのなら、相手を地に落としてしまえばいいのだ。

 

 魔法を使う。抵抗された。

 魔法を使う。抵抗された。

 魔法を使う。抵抗された。

 魔法を使う。抵抗された。

 魔法を使う。成功。

 

「――――!?」

 

 五度目の発動でガクンと体を崩し、羽をもがれた鳥のように落下するヴォーパル。

 あなたの目論見は成功し、獣から驚愕した気配が伝わってきた。

 あなたが使った魔法はグラビティというイルヴァの魔法である。

 いわゆる補助魔法に分類されるものであり、攻撃力は無い。

 効果は術者を除く視界内の対象全てを強制的に地面に引き摺り落とす『重力』の状態異常にするというもの。

 動きを制限したり圧死させるほどの超重力を与える魔法ではないにしろ、効果自体は強力だ。特にあなたのような飛行手段を持っていない者にとっては。

 メテオと同じく魔法書が存在せず能動的に鍛える手段が無い魔法なので今回のようにそれなり以上の相手だと連発する必要があって不安定なのだが、今回は上手く刺さった形になる。

 

 そんな重力の鎖に引き摺り落とされるヴォーパル目掛けてあなたは剣を振るう。

 地上を照らす月の光を凝縮したかのような溢れんばかりの魔の力は、今もなお重力にもがく獣に吸い込まれるような流麗さで到達した。

 純白の毛皮を切り裂く月光の刃。

 瞬きの後にヴォーパルはその命を断たれるだろう。

 事ここに至っては最早防御も回避も不可能だと断ずるあなたはしかし、同時に自身の膨大な経験から確信を抱いていた。あるいは期待と言い換えてもいい。

 

 この程度で終わるはずがないと。

 まだ底が、見せていないとっておきがあるはずだと。

 

 

 

 

 

 

 月光を彷彿とさせる光を纏った一撃。

 防御も回避も許さないタイミングで迫り来るそれは正しく必殺の気配で満ちており、まともに受ければただでは済まないだろう。

 故にヴォーパルは心中で一つの事実をあっさりと認めた。

 相手は自分を上回っている、と。

 

 単純な力量で。

 手札の数で。

 装備の質で。

 戦闘経験で。

 自分は相手に劣っている、と。

 

 相手が青い剣を抜いた瞬間から、ヴォーパルの生存本能は絶えず悲鳴と絶叫と怒鳴り声をあげている。

 即ち、逃げろと。絶対に勝てないと。コレとは決して戦うなと。

 生死の境に立った今この瞬間ですらもそれは変わらない。

 勝ちの目がまるで見えない。相手の底が見えない。正真正銘の怪物。

 それはヴォーパルにとって素晴らしい事実だった。

 

 ヴォーパルはずっとこんな相手を待ち望んでいた。絶対的な強敵を。絶望的な死闘を。

 この広大な緑の箱庭で生まれ育ち、強くなりたいという魂の奥底より生じたたった一つの衝動に従い、戦って、戦って、戦い続けて。

 共に生まれ育った軟弱な群れの同族達を一匹残らず食い殺し、ただひたすらに強さと戦いを追い求めた。

 

 隻眼が放つ光が輝きを一段と増し、シルクハットの内側から小さな何かが零れ落ちる。

 音も無くヴォーパルの首に巻き付いたそれは、銀色をした鎖つきの懐中時計だ。

 

 かつてヴォーパルの片目を永遠に潰した探索者が使用していた品であり、死闘の末に探索者の首を落としたヴォーパルはこれを回収した。

 ヴォーパルは野生に生きる獣だ。それが何なのかを知らない。時計というものを知らない。

 シルクハットやギロチンといった他の身に着けている道具同様、どういう由来の品なのかを知らない。使い方と効果を経験則で理解しているのみ。

 

 この時計は非常に使いにくい。

 具体的には月が見える夜にしか使えない。そして月の満ち欠けによって効力が増減する。

 最も強くなるのは満月の日だが、次の満月になると完全に効力を失う。そしてまた次の満月に向けて少しずつ力を増していく。

 そして今宵は満月。時計の力が最も強くなるか弱くなる日である。

 

 普段ヴォーパルはこの道具を使わない。前回の使用も十年以上は前の事だ。

 理由は単純。道具がクセの強さを補って余りあるほどに強すぎる力を持っているから。

 使ったが最後、どんな相手もあっという間に死んでしまうほどに。

 戦いはおろか狩りにすらならない。あまりにも一方的すぎる殺戮はひたすらに退屈な作業と成り果てる。それはヴォーパルの好むものではなかった。

 強すぎる力を持つが故に普段は眠らせていた道具を発動させながら、奇跡のような出会いに感謝を捧げる隻眼の獣は願いをかける。

 自分達の戦いを天から見下ろす満月に向けて。

 そして、自らと対峙する恐るべき強敵に向けて。

 

 どうか、どうかこの道具すら歯牙にかけない相手であってほしい、と。

 そんな敵を殺した時、自分は今よりもずっと強くなっているだろうから。

 

 真紅の魔眼が凄絶なまでの殺意に沈む。

 ヴォーパルは正しく断頭の獣と成り果てる。

 

 そして獣の殺意に応えるように。

 月光の刃が毛皮に届いた、まさにその瞬間。

 カチリと音を立て、時計が時を刻み始めた。

 

 時計の名は白兎の銀時計。

 奇しくもヴォーパルを彷彿とさせる名を持つ、時の流れを操る神器である。

 

 

 

 

 

 

 愛剣が肉を裂き骨を断つ寸前、ヴォーパルの姿が消失した。

 微かに視認できた残光の軌跡からしてテレポートのような瞬間移動ではない。

 やはりヴォーパルは速度を引き上げる手段を持っていたようだ。何かがシルクハットから零れ落ちていたので、恐らくはそれだろう。

 スキル、神器、異能。あるいはそれらの複合という可能性もある。

 だがあなたはどれでも構わないと思っていた。ベルディアを通じてこの世界の住人も速度を上げる術を持つと知っている以上、手段にはあまり興味が無い。

 ただヴォーパルの姿が消えた瞬間、あなたは速度を最大まで引き上げた。直感的にそうする必要があると確信したのだ。

 

 結果からいえば、あなたの判断は正しかった。

 

 一条の閃光が暗闇に奔る。

 その煌きはどこまでも眩く、鋭く、そして禍々しく。

 

 閃光が通り過ぎた後、刹那の空白の後に発生する衝撃と血風。そして轟音。

 全てを蹂躙する嵐のような一撃が樹海に叩きつけられ、ヴォーパルの軌道上に存在した木々と生命は文字通り消し飛んだ。空に散る巻き上げられた地面と無数の生命の残骸。

 血風とは比喩ではない。吐き気を催す鉄錆の臭いを纏った赤黒い風が吹き荒れたのだ。斬撃の余波という形で。

 何が起きたのかを考察する意味は無い。ただでさえ流星と見紛うヴォーパルが常軌を逸した速度を発揮した結果、隻眼の獣は最早英雄が影を踏む事すら叶わぬ災厄と化したというだけである。

 

 ヴォーパルの攻撃は樹海の一部に破滅的な傷跡を刻み、あなたの体から血を噴出させた。

 数箇所の裂傷はいずれも骨に達するものではなく、間を置かずして血は止まり傷も塞がる。まるで時を巻き戻したかのようにあっさりと、跡形も無く。

 魔法やポーションを使ったわけではない。下手な不死者より遥かに高い不死性を保持するあなたの自然治癒能力は最早人間の範疇にないというだけの話だ。廃人の中でも頭一つ抜けたしぶとさは癒しの女神の狂信者としての面目躍如といったところだろう。

 

 だが、それでも。

 あなたが戦闘中に明確な傷を負ったのはこの世界においてこれが初めてだった。

 現在のヴォーパルの速度は僅かに、しかし確かに素のあなたの反応速度を上回っている。

 そしてこれはあなたと戦う上で明確な強みであり、武器となるものだ。

 神すら弑する力を持っていたとしても、あなたは不死身でもなければ無敵でもない。

 深い傷を負えば治癒には相応の時間がかかるし、負傷を重ねればやがて死に至る。

 

 だが、そうでなくてはいけない。戦いとはかくあるべきなのだとあなたの口角が弧を描く。

 力量差という名の天秤が傾ききった戦いなど、とても戦いとは呼べないのだから。

 

 愛剣の柄を強く握り締める。

 長い平和で腑抜けていた主に呼応した魔剣が輝きを増し、その真の力を発揮する。

 

 

 

 

 

 

 数度の交錯の末に無惨に切り開かれた樹海の一角。

 最早二度と元の草木が生い茂っていた自然豊かな地に戻る事は叶わぬであろう場所を、あなたとヴォーパルは戦いの舞台と見定めた。

 歴史に名を残す強大な竜、魔物、英雄、勇者。

 これらを片手間に屠る域に在る者のみが立つ事を許される超越者の戦場にて、廃人と断頭の獣は互いの命を懸けて戦う。

 

 本来であれば満天の星が見えているはずのあなたの視界には無数の線が奔っている。

 重力魔法に囚われている獣の動きに支障は無く、空気を蹴る能力は健在。

 超速で駆けるあなたの周囲を縦横無尽に奔る閃光はあなたを上回る速度で駆けるヴォーパルの魔力の残滓だ。

 

 反応速度を僅かに上回るヴォーパルの動きをあなたは捕捉している。反応出来ている。出来ていなければとうにあなたの首は胴体と泣き別れしているだろう。

 だが追いきれてはいない。

 閃光に向けて放たれた魔剣が紙一重で空を切る。

 攻撃の余波として生まれた暴力的なエーテルの青い奔流が樹海を飲み込み、射線に存在した全てを破壊し消し飛ばす。

 それはスキルではない。与えられるべき名を持たない一撃に過ぎない。

 だが人界で放てば間違いなく甚大な被害を生み出す、廃人という世界を相手取って戦うことができる冒険者が振るう魔剣の一撃だ。万難を切り開き聖邪善悪を等しく討ち滅ぼしてきた神殺しの剣だ。

 

 破壊の風を巻き起こすあなたの全身は既に己の血で染まっていた。

 対してヴォーパルは未だ無傷。純白の毛皮は一滴の返り血も浴びていない。

 

 傍目にはあまりにも一方的な戦いに映るだろう。

 だがあなたとヴォーパルの肉体強度には理不尽なまでの開きがある。同じ肉の器を用いていながら命の在り方が、肉体と魂魄を編む法則が根本的に異なっている。

 それでもヴォーパルは臆する事無く、攻撃の余波で肉と骨を軋ませながらもあなたの攻撃を全力で掻い潜り、命懸けの反撃であなたの全身に傷を刻んでみせる。

 獣が足を止める事は一瞬たりともない。己の唯一の勝機である速度を活かし攻め続ける。魔剣の射程圏内という死線の先に身を投じ続ける。

 速度を緩めた瞬間が自身の死ぬ時だと理解しているがゆえに。

 それはまるでか細い蜘蛛の糸を使った綱渡り。

 

 生涯最高の敵を前にしたヴォーパルに一片の油断も慢心も無い。

 あるのはどこまでも研ぎ澄まされた殺意のみ。

 敵の一挙手一投足を注視する。戦いの果てに敵の首を断つ為に。

 

 首狩り。ギロチンラビットのあらゆる戦闘行動の全ては首狩りに帰結する。

 どれほど種から逸脱しようともヴォーパルもまた例外ではない。

 それはヴォーパルが自覚すら出来ていない、持って生まれた種族の業。本能の宿痾と呼べるものだ。

 

 だからこそ、それを見抜いたあなたは戦いの最中、ほんの一瞬だけ。意図的に全身の力を抜き防御を捨てた。

 無防備に晒される無傷の頸部。

 自身の命を餌にしたそれは断頭台に首を差し出す行為に等しい。正気の沙汰ではないと誰もが口を揃えるだろう。

 

 ヴォーパルとてそれが罠だとは理解している。

 理解してなお獣は一歩踏み込んだ。首に意識を向けた。向けざるを得なかった。

 

 あなたの首に掠り傷が生まれる。

 負傷とも呼べないそれはカウンターで振るわれた魔剣を獣が回避した結果だ。

 どれだけ断頭に固執していようとも、ヴォーパルが死の気配を撒き散らすおぞましき青を警戒しない事だけは有り得ない。絶対に。

 

 だからこそ、回避先を読んだあなたが繰り出した拳は、ヴォーパルの胴体に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 矢のような勢いで撥ね飛ばされる白い矮躯。辛うじて咥えたままだった断頭剣の柄が吐き出された血で染まっていく。

 反射的に防御に魔力を回していなければ確実に終わっていたと思える一撃を受けたヴォーパルは悔恨と共に悟る。

 自分は致命的な失敗をしたと。選択肢を間違えたと。警戒を餌に釣られたのだと。

 

 全身に走る衝撃と激痛に呻く間も無く追撃の猛攻を捌く。

 間違いなく骨の数箇所が砕けている。恐らくは内臓も幾つか潰れているだろう。

 だが致命に足るものではない。

 高位の魔物の例に漏れず、ヴォーパルの治癒力もまた尋常の域にはない。時をかければ致命傷すら癒してみせるだろう。

 それでもこの戦いの最中に傷が癒える事は無い。

 

 何よりも重大な問題として、被弾によるダメージは獣の速度を僅かに落とした。落としてしまった。

 唯一にして明確なアドバンテージが埋められた差異はあまりにも大きい。

 紙一重で避けていた魔剣の猛威が獣を蝕んでいく。

 直撃こそ防いでいるものの、それも時間の問題だとヴォーパルは理解している。

 攻撃を受け流すだけで骨が軋む。少しずつ身体が刻まれる。血が流れる。肉と共に命が削られていく。

 

 猶予は無い。

 命を懸けた綱渡りは無様に足を踏み外し、今まさに死という名の奈落に落ちようとしている。

 いつ死んでもおかしくない状態。

 故にヴォーパルは捨て身に出た。

 

 魔剣を正面から防ぐ。

 あまりの衝撃に魔力で強化してなお刀身から悲鳴を響かせる断頭剣。

 当然のように打ち負け、撥ね飛ばされながら、全身を覆っている魔力の全てを停止。流星と見紛う輝きが燃え尽きたかのように消失する。

 

 そして生まれた余剰魔力の全てを脚力の強化に回す。

 

 ヴォーパルは神器、白兎の銀時計の正式な所有者ではない。

 劣化した神器は上がった速度の分だけ使用者の身体に甚大な負担を強いてくる。最大加速時の負担ともなれば英雄級ですら一瞬で再起不能を通り越して死に至るほどに重い。

 ヴォーパルは魔力で全身を強化する事でこの負担を無視していた。

 

 それを無くす。

 限界を超えた加速は強靭とはいえ崩壊しつつある身体に止めを刺すだろう。

 方向転換など以ての外。

 

 ゆえに一撃。

 直線の一撃で首を落として殺す。

 殺せなければ自分が死ぬ。

 ただそれだけ。

 

 敵を見据え、ヴォーパルは躊躇う事無く地を蹴った。

 光の矢が廃人の命を穿たんと飛翔する。

 

 

 

 

 

 

 これは、避けられない。

 愛剣や魔法を使って防いでも確実に相打ちになる。

 光の矢を前にしたあなたは一瞬で直感した。

 

 このままではあなたは首を断たれ、命を落とすだろう。

 あるいはここがイルヴァであればあなたは潔くそれを、死を受け入れていたかもしれない。

 

 ――どうかお気をつけて。

 

 脳裏に過ぎる言葉に分かっていると同意する。

 ここはイルヴァではない。それは許されない。それは今であってはいけない。

 友との約束があなたを突き動かす。

 

 あなたは左手を大きく開き、腕を前に差し出す。迫り来る断頭の意思の前に。

 一瞬の抵抗すら許さず、あなたの左腕は手の平から切り裂かれ、骨ごと断たれていく。

 

 痛みを通り越して熱と入り込んだ刃の冷たさしか感じ取る事ができない左腕だが、あなたも最初からこうなることは織り込み済みで行動していた。腕一本で止まると考えるほど楽観はしていない。

 ゆえにギロチンが肘まで届いたその瞬間、あなたは伸ばした左腕を全力で上に向ける。肉と骨に埋まったギロチンを奪うような形で。

 不可避の断頭を防いだ代償は断裂する肉と破砕した骨の音が教えてくれる。

 力技によって強制的に太刀筋を逸らされたギロチンは、その勢いを殺す事無く後方へ飛んでいった。あなたの左腕を肩ごと巻き込み、美しい血の放物線を描きながら。

 引き裂かれ捻じ曲がり腕と判別するのが不可能なまでにグチャグチャにされた肉の塊を見れば、誰もが永遠に再起不能に陥ったと認めるだろう。

 

 パーティーメンバーの二人が見れば確実に血の気が引くレベルの負傷なのは間違いない。

 だが、あなたは死んでいない。今もなお命を繋いでいる。

 そしてあなたの腕一本と引き換えにヴォーパルは得物を失った。

 しかし相手も然る者。あなたが左腕を捨てた時、あなたの目論見を察知したヴォーパルもまたギロチンを口から放していた。

 

 ギロチンを失ったとしても、獣であるヴォーパルには生まれ持った武器がある。

 名高い聖剣を捩った名称で呼ばれる耳……ではない。もっと純粋で、獣らしい部位。

 鋭い前歯。牙と呼び変えてもいい。

 残った魔力の全てを注ぎ込んだ最後の牙があなたを狙う。

 

 青い剣と白い牙に照らされた互いの影が重なり、そして――

 

 

 

 

 

 

 あなたの肩まで切断された左腕と首筋から、噴水のような勢いで血液が吹き出した。

 他の負傷と違い、血が止まる気配は無い。

 左腕は当然として、首筋の傷もまた骨にまで達している。

 ヴォーパルの最後の一撃はあなたにそれほど深い傷を与えていた。

 

『――――』

 

 妹が何かを言っている。

 速度差によって聞き取ることが出来ないが、声色からして恐らくは労いの言葉だろう。

 

 心地良い激痛を味わいながらあなたは息を吐き、周囲を見渡す。

 すぐにそれは見つかった。

 速度を戻したあなたは愛剣を鞘に収め、血の道を生み出しながら近づいていく。

 

 地に横たわる、胴体を真っ二つに袈裟に断たれた血塗れの兎。

 その首には修復不可能なまでに破損した懐中時計がかかっており、下半身は完全に消し飛ばされている。

 そしてその傍らにはあなたの腕だった肉塊がこびりついた断頭剣が、さながら墓標のように地面に突き刺さっていた。

 

「…………」

 

 あなたの足音を聞き届けたのか、ヴォーパルがあなたに敵意の篭った鋭い目を向けてきた。

 辛うじて生命が尽きていない事は分かっていたのであなたに驚きは無い。それでも驚嘆すべき生命力ではあるが。

 隻眼で睨み付けてくる瀕死の獣に何かを言うでもなく、あなたは一つの道具を取り出した。

 

 道具の名はモンスターボール。

 かつてベルディアを捕獲した道具であり、カイラムで譲り受けた神器の一つである。

 

 あなたがイルヴァから持ち込んだモンスターボールは転移の影響で変異し神器となった。

 だがこれは違う。あなたを正規の所有者と認めていない。

 強制的に捕獲できたベルディアの時とは違い、捕獲する相手を自身の力で打倒する必要があり、なおかつ対象の同意を得る必要がある。

 

 その為にこの神器には魔物とも意思の疎通を図る事ができる機能がある。

 あなたは紅白の球体を身体に当てて獣を誘った。自分の仲間にならないかと。

 

 だがヴォーパルはあなたを一蹴し、嘲笑った。

 群れるなど断じて御免であり、救いなど求めていないと。

 敗北とは死だと。そうであるべきだと。

 

 ヴォーパルから伝わってくる意志は固い。

 あなたは心の底から残念だと思ったが、同時にそれでこそだとも感じる。

 頷いて手を引けばヴォーパルは小さく鼻を鳴らし、静かに目を閉じ――その生涯を終えた。

 

 あなたは暫し目を瞑り、ヴォーパルに感謝と礼を込めた黙祷を捧げる。

 願わくば次はイルヴァに生まれてくるようにと。

 

 得難く、素晴らしい敵だった。無粋にもこのまま死なせるのが惜しいと考えてしまうほどに。

 そんな相手がこのまま野晒しにされたり躯を貪られるのをあなたは望まない。

 あなたは獣の遺骸を断頭剣と共に回収し、その場を立ち去るのだった。



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第131話 憧憬と羨望

【決して色褪せぬ記憶。あるいは英雄譚の始まり】

 

 駆け出し冒険者の町、アクセル。その冒険者ギルド。

 一年前に建て直したばかりで真新しい建物の片隅で、一人の少女がちびちびとジュースを飲んでいた。

 年齢はつい最近二桁に届いたばかり。にもかかわらず周囲の喧騒を一切意に介さず泰然と振舞う姿からは、ある種の風格すら漂わせている。

 衣服こそ簡素な普段着だが、その長い髪から覗く貌は幼くして完成されており、このまま成長すれば、誰もが振り向かずにはいられない極上の美女に育つ未来が約束されていた。

 そんな彼女は、つい最近冒険者になったばかりの駆け出しである。

 

 少女はベルゼルグの片田舎で生まれ育った孤児だ。親の顔も名前も覚えていない。

 孤児が冒険者になるというのはこの世界では珍しくもない話だが、彼女については少々事情が異なる。

 エリス教の孤児院で暮らしていた彼女はある日、魔物の襲撃によって住居である孤児院を失ってしまう。

 幸いにして死人こそ出なかったものの、路頭に迷いかけていた孤児達を救ったのは、たまたまその場に居合わせた老魔法使い。

 ベルゼルグ王立魔法学院という権威を持つ場所で長年に渡って教鞭を執り、平民生まれでありながら貴族位を持つ彼は、少女を引き取る代わりに金銭や孤児院の再建といった援助を申し出たのだ。

 邪推など幾らでも出来てしまう、人身売買じみた行為だったが、魔法使いは断じて下種な目的や悪意を持って近づいたわけではない。

 若い才能が芽吹く姿を何よりも愛する彼は、哀れな境遇にある孤児の中から彼女を見出した。数多の教え子を導いてきた経験が少女に眠る類稀なる魔道の才覚を見抜いたのだ。

 

 後見人となった魔法使いに薦められるまま魔法学院に入学した少女だったが、結果として魔法使いの見立ては正しかったといえる。

 老魔法使いの指導の下、あまりにも非凡すぎる才能を見せた少女は、入学から卒業まで一貫して首席を維持し続け、数々の画期的な論文を発表し、前途有望な生徒と教員の心を片っ端から圧し折り、学院の最年少卒業記録を大幅に更新し、孤児院で暮らしていた頃からの夢だった冒険者になった。

 首席卒業者の常として宮廷魔道士や貴族のお抱えとしてスカウトを受けたが、少女はその全てを興味が無いと一蹴。

 

 そんなこんなで無事に学院を卒業して一人立ちしたのはいいのだが、王都をはじめとする街々を観光していたのが悪かったのか、アクセルに辿り着いて十日が経過したにもかかわらず、少女は未だに誰ともパーティーを組めずにいた。

 この年の新人冒険者は例年よりも数が少なかったというのもあるが、何より春という新人冒険者が一同に会し仲間を見つけるシーズンは既に終わってしまっている。

 しかも少女は学院で冒険者登録を終えているので、ギルド職員や同業者からは冒険者だと認識すらされていない。杖を持っていたり学院の制服を着ていれば話は変わったのだろうが、今の彼女は安物の子供服に身を包んでおり、一人立ちの餞別として後見人からプレゼントされた杖も魔法の袋の中。

 

「…………」

 

 トドメに少女は無表情で無愛想だった。

 無感情ではないのだが、感情表現は悲しいほどに下手糞。

 本人に自覚こそ無いが、一般的にコミュ障と呼ばれる人種である。間違っても積極的に他人に話しかけていく人間ではない。

 

 ――魔道の研鑽を優先しすぎたせいで対人能力が壊滅的な上に一般常識も疎かなまま巣立ってしまったが、肝心の本人がそれを望んだのだからしょうがないな。かくいう儂も最高に楽しかったし!

 

 後にこう述懐した老魔法使いは、一人の人間としては些か問題がある人物だったと言えよう。

 

 そんなコミュ障でぼっちと化した少女は、職人が手がけた人形の如く整った無表情の下で静かに嘆息し、思考する。

 今日まで粘ってはみたものの、これ以上ここで時間を浪費し続けるのは無意味だと。何より退屈でしょうがないと。

 聞けば自分と遊んでくれたクラスメイトは、学院の卒業後に宮廷魔道士になったという。しばらくぶりに顔を見に行こうか。また遊んでほしい。

 それは年齢相応の子供らしく可愛らしい考えだったが、件のクラスメイトもまた少女に心を折られた犠牲者の一人だ。しかも被害者の中でも一等惨い折れ方をしている。

 自身の心を圧し折ってトラウマを刻み込んだ相手が会いたがっていると知れば、間違いなく膝が砕け、胃に穴が空き、治療中の精神が今度こそ再起不能に陥るだろう。

 

「ねえねえ、ちょっといい?」

 

 だがジュースを飲み終わり、席を立とうとしたまさにそのタイミングで少女に声をかける者が現れた。

 肩を叩かれたので自分に声をかけてきたのだろうと判断した少女は、顔を上げて振り向いた。

 少しだけ年上の少女だ。13か14といったところだろう。

 格好と首にかけた聖印からエリス教のプリーストだと分かる。

 

「もしかして貴女も冒険者になりに来たの?」

 

 少女は無言で首を横に振った。

 

「あれ、そうなんだ。じゃあどうして冒険者ギルドにいたの?」

「仲間を探しに来た」

「……ええっと、ごめん、それは冒険者の、だよね?」

「他にあるの」

 

 冷たさすら感じる無表情から繰り出される突き放すような物言いに、自分は何か気に入らない事をやってしまったのだろうかと困惑するプリースト。

 だが少女は思った事を口にしているだけで他意は無い。対人能力が壊滅的なだけだ。

 幸いにして相手のプリーストは善良かつコミュニケーション能力に長けていたので、頑張って意を汲み取り、問いかけた。

 

「つまり、もう冒険者になってるから、冒険者になりに来たわけじゃないって事?」

「……? 最初からそう言ってる」

 

 言ってないよ!? 全然言ってないよ!?

 そんな言葉をプリーストは辛うじて飲み込む事に成功した。

 

「と、とにかく! 貴女が冒険者なのは分かったわ。格好を見た感じからして新人でしょ?」

「そう」

「じゃあさ、良かったら私達とパーティーを組まない? 私達も新人なんだけど、仲間が全然見つからなくて困ってるの」

 

 プリーストの少女はロザリーと名乗った。

 田舎から幼馴染と共にアクセルを目指したはいいものの、道中で何度も寄り道をした結果、アクセルに到着した時には新人冒険者が仲間を探すシーズンが終わってしまっていたのだという。

 

「私は見ての通りプリースト。エリス教徒のね。幼馴染……ああ、ブラッドっていう名前なんだけど、そいつは剣士なの。貴女は?」

 

 剣や弓といった武器すら持っていない少女に尋ねるロザリーへの返答は、極めて簡潔だった。

 

「アークウィザード」

 

 何気なく自身の冒険者カードを提示すれば、驚きに目を見開いたロザリーは何度もカードと少女の顔を見やった。

 

「嘘っ、じょ、上級職!?」

「問題無い」

 

 この問題無いとはステータスも取得スキルも新人冒険者としてやっていくのに不足は無いはず、恩師もそう言っていた。の意である。

 ちなみに恩師からは新人冒険者どころか今すぐにでも対魔王軍の最前線に投入可能だと言われてたりする。

 全く興味が湧かないので無視したが。

 

「え、いや、問題っていうか、私もブラッドも下級職だから……ていうか何このステータス……えぇ……すご、やばっ……」

「どうでもいい」

 

 最初からお前達には期待していない、私一人で十分だと言わんばかりの物言い。

 本人からしてみれば私は気にしない程度のニュアンスだったのが、少女は致命的に言葉選びが下手だった。ついでに共感能力も不足していた。

 

「お、いたいた。おーい、ロザリー!」

 

 ロザリーとその幼馴染は、そのどちらも才能があると太鼓判を押された将来有望な若者である。

 それでも流石にこれは力の差がありすぎる。やっぱり辞退すべきだろうかとロザリーが考え始めた所に、ドタドタと足音を鳴らして駆け寄ってきたのは、ロザリーと同年代の少年である。

 安物の皮鎧を纏い背に剣を帯びた彼は、冒険者カードを片手に顔を付き合わせる二人の少女を見て状況を把握したのか、ニカッと人好きのする笑顔を浮かべ、挨拶も自己紹介も惜しいとばかりに単刀直入に尋ねる。

 

「俺達とパーティーを組んでくれるのか?」

「ん」

 

 首肯する少女に少年は喜びを顕にした。

 

「マジか! ロザリーから聞いてるかもしれないけど俺はブラッド! 剣士だ、よろしくな!」

「待って、ブラッドちょっと待って。こっち来て、いいから早く」

 

 頭痛を覚えているかのような表情のロザリーに引っ張られていくブラッド。

 

「んだよ、どうした?」

「どうしたじゃないわよ。あのねえ……」

 

 本人に聞こえないよう、ロザリーは小声で少女の説明を行う。

 相手がアークウィザードである事や今の自分達とは力の差がありすぎる事を。

 

「マジか。あんな小さい子なのにすげえじゃん」

「そうなの凄いの。だから私は止めておいた方がいいと思うんだけど」

 

 腕を組んで十秒ほど黙考したブラッドは首を横に振った。

 

「言いたい事と気持ちは分からんでもないが却下で。ここ数日メンバー探してたわけだが、他にあぶれた奴も俺らを拾ってくれるパーティーも見つからなかった。この機会を逃したら次に仲間が見つかるのがいつになるかマジで分からない。幾らなんでも二人でやっていくのは不安だ。それに……」

「それに?」

「たとえあの子が滅茶苦茶強くても、俺達も負けないくらい強くなればいい。そうだろ相棒?」

 

 真っ直ぐにロザリーを見つめるブラッド。

 正しく英雄の卵と呼ぶに相応しい、どこまでも前を見る夢と希望に溢れた幼馴染に、苦労人のプリーストはしばらくの無言の後に大きく溜息を吐き、小さく笑った。

 

「はいはい、分かったわよ。分かりましたよ。ほんとしょうがないんだから」

 

 互いの拳を軽く突き合わせ、二人の若者は椅子に座って退屈そうに両足をぷらぷらと遊ばせる少女の元に戻る。

 

「話は終わった?」

「おう、これからよろしくな! 名前聞いてもいいか?」

「ウィズ。よろしく」

 

 二人から差し出された手を、少女は握り返した。

 

「うっし、これで世界最強剣士ブラッドと愉快な仲間達の結成だな! 早速ギルドに申請してくるわ!」

「待ちなさい。まさかアンタ本気だったの? 前に聞いた時は冗談だと思って適当に流したけど、そんな名前のパーティーでやっていくつもりだったの?」

「俺はいつだって本気だぞ。最高にイカした名前だろ?」

「幼馴染として親切心から教えてあげるけど、アンタのセンスは死んでるわ。ゴミね。っていうかそんなパーティー名で呼ばれるようになったら私は本気で荷物纏めて故郷に帰るから」

「いくらなんでも言いすぎじゃねえ!?」

 

 騒がしく席を立った三人はこの後、ジャイアントトードの討伐を受注。

 その最中、ブラッドから魔法が見たいと言われたウィズはジャイアントトードに炸裂魔法を使用。内側から弾けて汚い花火と化した蛙の血肉は三人に降り注ぎ、彼らは無言で公衆浴場に向かう事になる。

 

 後の世で氷の魔女と謳われた天才アークウィザード、そして至高の冒険者とまで呼ばれた英雄達の冒険の始まりが、結果だけ見ればどこまでもありふれた愉快なものだった事を知る者は、本人達以外には存在しない。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 ウィズは夢から覚めた。

 とても、とても懐かしい夢から。

 

 微弱な光を発する常夜灯に照らされた時計を見てみれば、時刻は午前三時を回ったところ。

 同じベッドで眠っているゆんゆんを見やるも、少女は深い眠りについたまま。

 夢のせいか目は冴えている。再び寝直す気分にもならなかったウィズは、ゆんゆんを起こさないようにベッドを抜け出し、寝室を後にした。

 

(少し肌寒いですね……)

 

 家の中は暗く冷え込んでいる。吐く息が白に染まるほどに。

 ここは光の届かぬ樹海の中なので暗いのは分かっているのだが、寝る前との温度差が気になった。

 外は雪でも降っているのかもしれない。そんな事を考えながら家の中の点検を行う。

 

(新しく追加した結界をはじめとして各種機能に支障は無し。うん、バッチリです。でもこの分なら屋内の気温を調整する機能は優先して追加しておいた方が良さそうですね)

 

 家を軽く見回り、点検を終えたウィズはある場所で足を止めた。

 あなたが寝室として使用している部屋である。

 ウィズとしては異性の寝室を覗くといったはしたない真似をする気は無かったのだが、どういうわけなのか、中から人の気配がしない。

 昨日の今日という事もあり、意を決してこっそりと部屋の中を窺う。しかしやはりあなたの姿は無い。

 

 見回り中に遭遇しなかった以上、家の中にいないのは間違いない。

 心中で謝罪しながら部屋に入り布団に触れてみるも、温かさは残っていなかった。

 寝床を離れてから数時間は経過しているようだ。

 

「……?」

 

 言いようの無い不安に駆られるウィズだったが、ふと、あなたの部屋の窓から微かな光が差し込んでいる事に気が付く。

 あなたがエーテルと呼ぶ、幻想的な青白い光だ。

 なんだろうと窓に向かったウィズは、外に見えるものにほっと安堵の息を吐き、表情を綻ばせた。

 

 

 

 

 

 

 冬の如き冷気が満ちる森の中、家の前の切り株に腰掛け、刀身を晒したままの大剣を抱きかかえるように持ち、静かに目を瞑って俯く冒険者。

 目の前に映るこの光景を切り取って一枚の絵に収めれば、それはきっと素晴らしいものになるだろう。

 自身が恋焦がれる相手だという贔屓目を抜きにして、ウィズはそう思った。

 

「それはそれとして、もう少し安静にしてほしいんですけどね……というかなんで外で寝てるんでしょうか」

 

 夜に溶ける小さな呟き。

 寝顔を眺め続けるにはここは少し寒い。風邪を引いてしまうかもしれない。

 ウィズは静かな寝息をたてるあなたを起こすべく肩に手を伸ばす。

 

「…………」

 

 だが、その手は半ばほどでピタリと停止した。

 何を言うでもなく手を引いた不死王の視線が、あなたの左肩と首筋に固定される。

 彼女の瞳はどんよりと陰鬱に曇ってしまっているわけだが、その原因は言うまでもなくあなただ。

 

 ヴォーパルとの戦いを終えた後、あなたは道に迷いながらも戦いの痕跡を頼りにアルラウネの集落に辿り着いたのだが、意気揚々と朝帰りを果たしたあなたは当然のように騒動を引き起こした。

 出血こそ時間をかけて自然に止まっていたものの、一切の治療を施す事無く帰ってきたあなたは全身がズタボロの血塗れ。首筋には致命傷にしか見えない深い傷跡。トドメに左腕が肩まで完全に消失。

 満身創痍。それ以外に当てはまる表現が無いほどの重傷。

 あなたとしては楽しく激しく戦えてご満悦だったのだが、あなたが負った傷はこの世界において再起不能と呼ばれるものである。

 凄惨極まる姿でニコニコと隻腕を振ってくるあなたを直視してしまったウィズとゆんゆんは、それはもう大変な事になった。

 常日頃から他者をみねうちでぶっ飛ばしているときのように、ちょっと死にかけたけど生きてるから余裕でセーフ、などと普通に思っていたあなたが盛大に慌てて冷や汗を流し、真剣に時間を巻き戻してやり直したいと考えてしまう程度には大変な事になった。狂気を癒し精神を落ち着かせるカを持つイルヴァの道具、ユニコーンの角を二人に使用したほどである。

 欠損した左腕が回復魔法で綺麗さっぱり再生していなければ、最悪ウィズは自分の目的を優先したばかりに取り返しの付かない事になってしまったという罪悪感で精神的に再起不能になっていただろう。

 

「…………はぁ」

 

 重く深い嘆息。

 後遺症が残っていないかは散々確認したし、本人もこれくらいの負傷は慣れたものだと全く気にしない様子だった。

 生きているからセーフという認識には大いに思うところがあるが、事実として、あなたの回復能力はそれほどまでに高い。この世界の常識を遥かに超えている。

 思い返せばもう一人の同居人であるベルディアなど、あなたが旅立つ前は毎日のように死に至るほどの怪我を負っていたという。そしてそんなベルディアを治療していたのがあなただ。

 せめて治療してから帰ってきてほしかったというのが偽らざる本音だが、それでもあまり気に病むべきではないのだろうと、ウィズは頭を振って気持ちを切り替えた。

 

 いたいけな二人の乙女の心をある意味弄んだあなたの左腕は元通りに再生した。

 だがしかし、ヴォーパルが最期に刻んだ首筋の傷跡だけは、回復魔法やエリー草を用いても完全に消え去る事は無かった。

 生々しく痛々しい傷跡を見たあなたが、思い出がまた一つ増えたと無邪気な子供のように笑ったのをウィズは覚えている。

 全身に刻まれた残痕は、あなたの冒険者としての歴史であり、戦いの記憶でもある。

 

 異世界ことイルヴァでのあなたの冒険にウィズは思いを馳せる。

 どれだけの戦いを超えてきたのだろう。

 どれほどの冒険を繰り広げてきたのだろう。

 決して楽しいことばかりではなかった筈だ。過酷で理不尽な経験を幾度もしてきた筈だ。

 それでも、時には一人で、時には仲間と共に困難を打破し、数々の偉業を成し遂げてきたのだろう。

 

 なぜならば、冒険者とはそういうものだからだ。たとえ異世界であろうと、その在り方が大きく変わるものではないということはあなたを見れば分かる。

 そしてウィズは、そんなあなたを心の底から羨ましいと思っていた。

 冒険者として生きるあなたを。

 

 ノースティリスの冒険者として活動する中で、最早後戻りが出来ないほどに人間としての価値観が破綻してしまったあなたは、全うな人間性を保持するウィズに対して懐古が入り混じった羨望を抱いている。

 だがそんなウィズもまた同じく、あなたに対して似たような感情を抱いているということをあなたは知らない。

 そして今の彼女は特にそれが意識の表に出てきていた。

 理由は単純にして明快。

 

(昔の夢を見たから、ですかね)

 

 思わず自嘲する。

 幼くして冒険者になったウィズだが、ある程度の経験を積んだ後の活動は、その大半が魔王軍との戦いに費やされていた。

 当時は今よりも遥かに魔王軍の攻勢が激しく、孤児院で夢見たような、世界を股に駆ける冒険者として活動することは終ぞ叶わなかったのだ。

 学園卒業当時はあまり戦争に興味が無かったのだが、成長の過程で一般常識を学び、魔王軍が生み出した数々の悲劇を目の当たりにした少女は、優しく勇敢で正義感が強い仲間達に引っ張られるように人格を形成した。それが氷の魔女と呼ばれた英雄だ。

 夢見た姿からは程遠い有様だったのだが、それでも後悔は無いとウィズは胸を張って断言する。

 仲間たちと過ごした時間は、掛け替えの無いものだったと。

 騒がしくも輝かしい日々は、決して色褪せることは無いと。

 何度人生を繰り返したとしても、彼女は同じ道を辿るだろう。

 

 それでも。あるいは、だからこそ。

 かつての英雄は、目の前で眠りこける男に羨望を、憧憬を抱かざるを得ない。

 ウィズからしてみれば、あなたはまるでかつて自身が夢見たもの……物語に出てくる冒険者を体現するかのような存在だったのだから。

 

 未知を愛し、財宝に目を輝かせ、強敵と戦い、苦難を乗り越え、そしてまた次の冒険へ。

 どこまでも真っ直ぐに世界を見つめ、受け入れて。

 自分の力をもって思うがまま、自由に楽しく生きる。

 

 店で冒険の土産話を聞いていた時は見えなかった、竜の谷という前人未到の場所だからこそ見えてくる、冒険者としてのあなたの姿。

 それは、今のウィズにとって。

 

「……少しだけ、眩しい」

 

 繰り返すが、ウィズはかつての仲間達を今も心から大事に思っている。そこに嘘は無い。

 だがこうも思うのだ。

 もし、仮に。

 自分の最初の仲間があなただった場合は。

 

「私は、どんな人生を送っていたんでしょうか……」

 

 小さく呟きながら右手を伸ばす。ゆっくりと、傷跡が残るあなたの首筋に向けて。

 完全に無意識での行動だったそれは、まるで光を、温もりを求めるアンデッドを彷彿とさせた。

 神聖さすら感じられるこの光景を見れば、声をかけることすら憚られると誰もが口を揃えるだろう。二人の仲間であるゆんゆんであっても、遠巻きに眺めるだけに違いない。

 

 だからこそ、そんな触れ得ざる静謐な空気をぶち壊すのは、いつだって当人達である。

 

 がしっという音が聞こえてきそうな勢いでウィズの腕が掴まれる。

 ウィズがあなたの首筋に触れようとしたまさにその瞬間。

 眠っていた筈のあなたがウィズの手を止めたのだ。

 

「ゎひゃあ!?」

 

 思わず奇声をあげ、目を白黒させるリッチーを、目を覚ました冒険者は無言で見つめていた。

 なお、眠りを妨げられたあなたの目つきはそこはかとなく剣呑さを帯びたじっとりとしたものだったので、間近で見つめあう二人の男女の間にいい感じの雰囲気だとか、甘酸っぱい空気だとかいったものが介在する余地は欠片も存在しない。

 その証拠に、記念すべきあなたの寝起きの第一声を受けたウィズは、はわわわわと顔を赤く染めて弁明を始めた。

 

「よばっ……夜這い!? 違います、誤解です!!」

 

 繰り返すが、ロマンチックな雰囲気などは無い。絶無である。

 

 

 

 

 

 

 起きたら目の前にウィズがいた。

 あなたは本気で夜這いを仕掛けてきたと思ったのだが、違うらしい。何があったのだろう。

 

「いや、何があったのかは私の台詞なんですけど……どうしてこんな場所で寝てたんですか。風邪引いちゃいますよ?」

 

 呆れ声を受けて周囲を見渡してみれば、確かにあなたがいる場所は野外だった。

 記憶を探る必要も無く、手元の愛剣に何をしていたのかを思い出す。

 

 あなたはヴォーパルから回収したギロチンと懐中時計を調査、手入れしていたのだ。

 ウィズが一目見てこれの修理は不可能ですと匙を投げた懐中時計はともかく、断頭剣のサイズは5メートル超と極めて長大。

 当然のように狭い屋内での出し入れなど出来るわけもなく、仕方なく屋外で作業を行う必要があったわけである。

 そうして作業が一段落したタイミングを見計らって、久方ぶりにあなたに本当の意味で使われてご満悦の愛剣が甘えてきた。そんなこんなで愛剣を構っているうちに眠ってしまっていたらしい。

 愛剣を仕舞ったあなたは立ち上がり、冷えた体を動かす。野外での睡眠など雪中でも可能な程度に慣れたものだが、今はちゃんとした寝床が用意されている。こんな場所で寝落ちなどするものではないと少しだけ自戒した。せめて寝袋には入っておきたい。

 

 さて、あなたの行動を聞かされたウィズだが、何かしら思うところがあったのだろう。僅かに眉を顰めてみせた。

 

「あのギロチン持って帰るつもりなんですか。いや、あなたの趣味は知ってますし、私としてもとやかく言いたくはないですけど。でもギロチンですよ? あとあれってアンデッドに特攻持ってますよね?」

 

 複数の意味を込めて頷く。

 冤罪の処刑刃と名づけられたこの武器は、あなたに神器判定を受けたレアアイテムである。ヴォーパルの遺品という観点からしても捨てるという選択肢は存在しない。

 

 しかも鑑定の魔法で発覚したのだが、なんとこの剣は人間だった頃のベルディアの首を斬ったギロチンを加工して作られた代物らしい。神秘の格としては十分すぎるだろう。ヴォーパルが愛用していたのも分かるというものだ。

 魔王軍の幹部となったデュラハンを屠る為に生み出された、呪われし再殺の刃。当然のようにアンデッドに対して絶大な効果を発揮する。

 巡り廻って竜の谷に流れ着いたようだが、生前から続く因縁の物品と言えるだろう。

 ベルディアが望むのであれば使わせるのも吝かではない。彼はこのような身の丈を超える巨大な剣を好んで扱うし、何より自身を滅ぼす為に作られた武器を扱うというのは、最高に皮肉が効いているし浪漫に溢れている。有り体に言ってあなた好みだ。

 

「普通に可哀想だから止めてあげてください。本当に止めてあげてください」

 

 ドクターストップならぬリッチーストップがかかった。

 ダメなのだろうか。

 

「ダメですね。生者であるあなたには伝わりにくいのかもしれませんが、あの武器はあまりにも異質です。仮にもリッチーなんてものをやっている私ですらあまり触れたいとは思わないほどに。あなたが持っている聖槍とはかけ離れた、神聖さなど欠片も含まれていない、夥しい血と怨嗟と死で呪錬された不死殺し。ベルディアさんはああ見えて結構繊細な部分があるみたいですから、もしかしたら泣いちゃうかもしれませんよ?」

 

 外付け良心装置的にはアウト判定だったらしい。

 

 

 

 

 

 

「……いや、泣かないが? 泣かないんだが? 控えめに言ってキレそうなんだが? 俺を何だと思ってらっしゃる?」

 

 昼食中、いきなり虚空に向かって抗議を始めたベルディアをドン引きした目で眺めるフィオとクレメア。

 ハッと我に返った廃人のペットは居心地が悪そうに頭を下げた。

 

「す、すまん。なんか不愉快な思念が飛んできた気がして」

「ねえクレメア。やっぱりこいつ……」

「うん……類友……」

「止めろぉ! 俺は頭おかしくねーから! まともだから! そういうのはご主人だけでお腹いっぱいでいっぱいいっぱいだぞ!!」

 

 必死に弁解を行う元魔王軍幹部が己の過去と相対する日は遠くない。

 だがそれはそれとして、説得力はこれっぽっちも無かった。

 

 

 

 

 

 

 竜の谷の冒険はまだまだ始まったばかり。

 短かった滞在が終わり、アルラウネの集落を発つ時がやってきた。

 次の目的地は世界樹。ひたすらに真っ直ぐ川を上っていけば辿り着く。天界直通ルートがいかなるものか、あなたは早くも楽しみになっている。

 

「色々とお世話になりました。沢山お土産も貰っちゃって」

 

 エリー草を筆頭に、アルラウネが樹海で集めた様々な素材と食材。

 先日のアンデッド浄化作戦で集まった遺品の山。

 浄化作戦とヴォーパル討伐の謝礼として、あなた達はこれらを受け取っていた。

 

 あなたに素材の価値は判別出来ないが、ウィズは宝の山だと目を輝かせていた。

 遺品の大半は経年と戦いによる破損でガラクタと化していたのだが、それでもあなたの予想よりも数多くの物品が使い物になる状態だった。曲がりなりにも竜の谷に挑んだ探索者が持ち込んだ品だけの事はある。

 中でも魔法の荷物袋が複数手に入ったのは大きい。土産と遺品を突っ込んだらいっぱいになってしまったが、プラスマイナスはゼロだ。

 

「いえ、こちらこそ世話をかけました」

 

 集落の入り口で頭を下げて感謝を述べるウィズに相対するのはアルラウネの女王、ただ一人。

 他は遠巻きからあなた達を観察している。

 千を優に超えるアンデッドを残らず浄化したウィズ、そしてヴォーパルという樹海の災厄を単独で仕留めてみせたあなたは、完全に人間扱いされなくなっていた。

 

「樹海の脅威と目障りなアンデッドを取り除いてくれた事には感謝します。ですが我々が再び会う事は無いでしょう」

 

 相変わらずの塩対応にあなたは力強く頷く。

 エリー草が欲しくなったらまた来ると。

 

「二度と来るなと言っているのです! 来ないでください! 分かりなさい!!」

 

 半泣きの女王を無視したあなたは、周囲のアルラウネに友好的な笑顔を浮かべて手を振ってみた。

 

「けえれけえれ!」

「にどとくんなー!」

「ココオマエノクルトコロチガウ!」

「塩撒いとけ塩!」

 

 ブーイングの嵐だが、あなたはこれはこれで楽しかったりする。少なくとも怖気づかれたり命乞いされるよりは遥かにマシだ。

 楽しかった。擬似エーテルも見たいので、是非ともまた遊びに来よう。そんな事を考えながら、どこからともなく飛んできた小袋をキャッチする。

 

「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 突如として見た目からは想像もできない、豚のような悲鳴をあげてのたうち回る女王。

 何事かと思ったが、よく見てみれば掴んだ袋は口がしっかりと締められていない。

 どうやら投げられた途中で、袋から零れた塩が女王に降り注いだようだ。

 アルラウネ達からしてみればかなりの大惨事だというのは分かるのだが、女王の姿は塩をかけられたかたつむり、あるいは硫酸を一気飲みさせられた駆け出し冒険者に酷似していた。体を張った一発芸にあなたはかなり大爆笑である。

 

「もしかしてバカなんですかね……」

 

 慌てたウィズのクリエイトウォーターを浴びる女王と、そ知らぬ顔で明後日の方を見て口笛を吹く下手人のアルラウネに向けられたゆんゆんの小さな呟きは、あまりにも痛烈で無慈悲だった。




・ウィズ(幼少期)
 天下無敵のハイパー美少女。
 何の躊躇も無くバカみたいな才能でぶん殴ってくる、魔法使いにとっての悪夢。全自動心折マシーン。
 挫折に追い込まれた同期は数知れず。

 好きなものは魔法とお菓子と心躍る冒険譚。
 苦手なものは空腹と寒さと退屈。
 趣味は買い物と魔法の修行。

 幼少期と氷の魔女とリッチーを比較した場合、魔法使いとして最も未熟なのが幼少期なのは言うまでもない。
 だが一人の戦う者として見た場合、幼少期こそがウィズの最盛期である。
 最も廃人に近しい精神性を持っていたのがこの時期だからだ。
 あなたが成長に比例して壊れていったのとは逆に、彼女は成長で全うな人間性を手に入れた。
 守りたいものができた、大切なものができた。
 だからこそ負けやすくなった。精神的に弱くなった。

 それでも、掛け替えの無い仲間達との出会いは彼女にとって正しく、素晴らしい事だったのだろう。
 少なくとも、他者の命を虫のように踏み潰す廃人と出会ってしまうよりかは、ずっと。


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第132話 世界樹が奏でる交響曲

【世界樹】

 

 千年樹海の奥地に堂々とそびえ立つ、世界最大にして神聖不可侵の巨木。

 枝には黄金に輝く不朽の果実、頂上には天界への入り口が存在するとまことしやかに囁かれ、葉を口にすれば死者すらたちどころに蘇るという。

 

 だが過去世界樹まで辿り着き生還した探索者の中に枝葉の高さまで飛行、浮遊が可能な者は誰一人として存在せず、落下すれば死は免れない幹という名の断崖絶壁を登りきった者もいなかった。

 ゆえにいかなる強風ですらびくともせず、ただ十年に一度だけ一枚葉を落とすという世界樹の葉ですら、エリー草以上の幻、伝説と化しているのが実情だ。

 

 謎と神秘に満ち溢れた世界樹だが、歴代の探索者達によって唯一判明している事実は、竜を筆頭とした樹海に生きる者たちの殆どが不思議とこの神秘の樹に近寄ろうとしないという点だ。

 これもまた世界樹が神聖視される一因となっている。

 よもや頂上に存在するとされる天界、そこに住まう神々の威光が漏れ出ているとでもいうのだろうか。

 

 ――コウジロウ・イイダ著『未知なる楽園を魔境に求めて』より

 

 

 

 

 

 

 ~~ゆんゆんの旅日記・千年樹海編~~

 

 ★月П日(曇り)

 水。動植物が生きていく上で欠かせないもの。

 それはモンスターも同じであり、川や湖といった水場の近くを縄張りにしているモンスターは、周辺のモンスターと比較して明確に強くて危ない。

 こんなのは子供でも知っている常識だけど、竜の谷でもそれは同じだった。

 

 アルラウネの集落を発った私達は竜の河に戻り、そのまま世界樹を目指して北上した。

 そうしたら出るわ出るわのモンスター。

 今日だけで何回モンスターの襲撃に遭ったんだろう。ちょっと思い出せないくらい。

 

 全身から酸毒を帯びた槍のような大きさの棘を飛ばす鳥、目にも留まらぬ速さで動き氷炎雷と三属性の攻撃を使う獅子、闇の糸でアンデッドを操る巨大蜘蛛、他には燃えて増えて消えるクラーケンまで出てきた。焼きイカのいい匂いがしたし食べたら経験値がいっぱい詰まっていて美味しかった。

 今の私じゃ逆立ちしたって勝ち目が見えない強大なモンスター達が当たり前のように湧いてくるあたり、天界直通ルートの異名は伊達じゃない。推奨レベルはどれくらいになるのやら。

 

 まあ襲ってきたモンスターは全部二人に蹴散らされたわけだけど。

 ただひたすらに前進、蹂躙、制圧あるのみ。もしかして二人の辞書には逃げるという項目が存在しないのでは? なんて思ってしまう。

 ネバーアローンが通った後は死体すら残らない。何故なら道具や魔法に使う素材として解体され、骨の一片まで回収されるから。血の臭いに寄ってきたモンスター達も一体残らず素材になった。

 

 つくづくパーティーの戦力が無法すぎる。自然災害だろうか。

 とはいえ強さに関しては今更すぎるし最初から分かってたのでそこまで気にならない。気にしてたらこの二人とはやっていけない。

 それでも血に汚れても一切気にせず、初めて見るモンスターの死体を嬉々として解体する二人にはほんのちょっぴり付いていけないものを感じる今日この頃。

 

 ★月Α日(晴れ)

 昨日今日と歩き通しだったというのに、遥か彼方に見える世界樹が近づいた気がまるでしない。

 このペースで順調に進めば一ヶ月くらいで到着するとの事。

 私とウィズさんにとって無理のないペースで進んでいるとはいえ、過去の探索者達が残した記録と比較すると間違いなくハイペースなんだけど、それでも先は長いと言わざるを得ない。乗り物の重要性を切実に感じる。

 三人で河を渡った時みたいに背負って加速して爆走してくれないだろうか。

 

 ★月%日(晴れのち吹雪)

 今日は昼から吹雪だった。

 真夏みたいな酷暑から三分で視界が白に閉ざされたのでびっくりした。すごくびっくりした。寒暖の差があんまりすぎる。

 二人はともかく私が死ぬので今日は早めの野宿を行う事に。

 ポケットハウスが無かったら私だけ凍死してたと思う。カイラムの人達に感謝。

 

 ★月χ日(吹雪)

 昨日に引き続き天気が絶好調。

 何事も起きなければ良かったのだけど、竜の谷でそんな甘い考えが通じるわけもなく。

 昼過ぎに家の中に響いたのは、外からドアを叩く音と助けを求める声。

 亡霊の群れが家の周りを取り囲んでいたらしく、ウィズさんが葬送していた。

 いくら天候が吹雪で日の光が届かないとはいえ、昼間からアンデッドが湧いてくるとか物凄いナチュラルに怪奇現象が起きるから困る。

 

 亡霊以外にも雪で家が埋もれるんじゃないかとかモンスターの襲撃があるんじゃないかとか不安になったけど、ウィズさんが家の周囲に結界やら迎撃機能を追加してくれたみたいで、そこは安心していいみたい。

 でも当たり前のように魔王城の結界を性能の比較対象にしないでほしい。ウィズさんはどこを目指しているんだろう。

 魔王城の結界は紅魔族の皆が総出で攻撃しても破れない代物なので、私も普通に反応に困る。

 流石のめぐみんでも破るのは無理なんじゃないだろうか。爆裂魔法一発しか撃てないし。

 

 ★月;日(晴れ)

 吹雪が止んだので冒険を再開。

 一面の雪景色から始まって北に進み続ける一日だったけど、先日と同じく見た事も聞いた事も無い凶悪なモンスター達と何度も遭遇した。

 結果は踊れ踊れ皆殺しのワルツを! みたいな感じ。

 集まった素材を売り払ったらどれだけの財産になるんだろう。考えるだけで軽く震える。

 というか絶対に分け前を受け取りたくない。

 私何もしてないし。謙遜とか誇張抜きで本当に何もしてない。冒険楽しい! ってノリノリで全てを蹂躙する二人の後を付いていってるだけ。

 今更だけど、ドラゴンだとか魔物だとか悪魔だとか関係なく蹴散らしていく二人はパーティー名をスレイヤーズに変えた方がいいと思う。

 

 ★月‐日(雷)

 サンダードラゴンと遭遇した。私が相棒にしたいと思っているドラゴンだ。

 天気が雷雨とか嵐じゃなくて雷なのはそういうこと。

 目的の相手という事で私は精一杯頑張ってみたのだけど、見事に失敗した。

 というか普通に無理。

 ドラゴン使いを目指すには、まずドラゴンに力を示すか対話に持っていくところから始める必要があるわけで。

 人と交流可能な理性と知性を持たずひたすら空を飛んで雷を落としてくる相手とか、力を示すとか心を通わせるとか対話とかそれ以前の問題なわけで。

 私が得意な雷属性の魔法は当然のように通じないしセイバー系魔法は射程外だし他の攻撃魔法は咆哮と羽ばたきで軽く掻き消されるしで手も足も出なかった。

 結局ドラゴンは最終的にウィズさんの爆発魔法で塵一つ残さず消滅させられる事に。

 ルビードラゴンの時といい、他のモンスターと比較して明らかに処理が雑なあたり、此処以外でも見かけるような竜種は二人の眼中に無いのだろう。

 

 今日の件でよく分かったけど、せめてこっちの話を聞いてくれるドラゴンじゃないと絶対に無理。文字通り話にならない。余裕で死ぬ。

 ドラゴン使いの相棒はほぼ全てが理性的な竜である理由が深く理解できた一日だった。やっぱり野生の獣はダメだ。

 全身をガッチガチの耐雷装備で固めていたからダメージこそ無かったけど、あたり一面に降り注ぐ雷の中に立つというのは生きた心地がしなかった。

 

 ※月☆日(雨)

 また一つ月が変わった。

 今回の旅が始まって結構な日数が経過した事になる。

 旅の中で私は沢山のものを見た。沢山の人に出会った。

 懐かしむにはまだまだ早いし旅も終わっていないけれど、日記を読み返していたらちょっとしんみりしてしまう私がいたり。

 久しぶりにめぐみんに会いたい。今日もアクセルで爆裂魔法を撃ってるのかな。

 

 ※月£日(強風)

 どうしてモンスターは私達を襲うんだろう。

 私を狙うのは分かる。むしろそりゃそうだって感じ。

 天界直通ルートを使うには、私は普通にレベルが足りていない。自慢じゃないけど一時間も経たずに餌になる自信がある。

 でも私以外の二人は違う。強い。もうハチャメチャが押し寄せてくる勢いで強い。

 二人と今まで返り討ちにしてきたモンスターとでは、狩る者と狩られる者という絶対的な線引きがされている。それくらいに力の差があった。

 だからこそ、何故襲ってくるのかが分からない。

 まさか千年樹海の天界直通ルートに縄張りを持ってるようなモンスターが、相手との力量差を感じ取れないほど無能なわけないだろうし、謎過ぎる。

 

 ※月↑日(晴れ)

 私達が頻繁に襲われる理由が判明した。

 そもそもの話、二人はモンスターから強いと認識されていなかったらしい。

 強者が発する独特の気配や圧力みたいなのを、普段の二人は無意識で抑えているとの事。

 流石に無数のアンデッドを浄化したりヴォーパルと戦った時のように、真剣になった場合はそういうのが滲み出てしまうらしいけど、それはここまでの道中で本気を出すまでもなく凶悪なモンスターの数々をぶち殺してきたという事だ。それこそアクセルで日常生活を送るのと同じような空気で。

 モンスター側からしてみれば極めて理不尽かつ詐欺以外の何物でもない。

 まるで徘徊する即死罠ですね、という素直な感想を零すと二人は微妙な表情になっていた。

 

 じゃあそんな二人が意識して戦闘態勢というか周囲に圧を振りまいたらどうなるのだろう? という話だけど、見事に樹海が静かになった。

 まるで凶悪な魔物に怯える駆け出し冒険者のように、必死で息を殺す無数の気配を私は感じ取ることができた。

 樹海のモンスターとか動植物の気持ちは分かる。とてもよく分かる。

 ついでに今まで二人がどれくらい周囲に配慮していたかも理解できた。

 特にウィズさんの変貌っぷりが酷い。凄いんじゃなくて酷い。

 本人には口が裂けても言えないけど、あれを見た今は氷の魔女という紅魔族じみた異名に真顔かつ神妙に頷くことしか私にはできない。

 私は日々の鍛錬でボコボコにされながら格上のプレッシャーに曝される訓練を受けているし、何よりウィズさんがとても素敵で優しい人だって知っているから平気だけど、そうじゃなかったらウィズさんを見る目が変わっていたかもしれない。悪い意味で。

 

 ※月Ч日(雨)

 人間は戦ってばかりだと心が荒む。

 私は全然戦ってないけど、それはそれとして築かれ続ける屍山血河を眺めていると心がとても疲れるし、なんか嫌な記憶を思い出しそうになる。

 冒険を始めてから明らかに肌艶が良くなっているウィズさんも、久しぶりにはしゃぎすぎて少し精神疲労が溜まったとのこと。

 最後の約一名は精神の疲れとは無縁どころか「戦うと元気になるなぁ!」みたいなノリを隠そうともしないので、ちょっとそこらへんの精神構造が私達の考える人類の規格をぶっちぎっている可能性が高い。なんたって異世界人だし。

 

 というわけで、世界樹にだいぶ近づいてきたけど今日はお休み。

 ポケットハウスの中でのんびり過ごしたり真昼間からお酒を飲んだりお菓子を作ったりちょっとした演奏会をやった。

 今いる場所がどこなのかを忘れてしまいそうになる、穏やかな一日を過ごせたと思う。

 

 肝心の演奏会だけど、軽く依存性を疑うレベルで上手なバイオリンを伴奏にウィズさんと私が歌を披露することに。

 伴奏とウィズさんの歌唱に対して私だけ釣り合っていなかった気がするけど、それでも恥はかかずにすんで一安心。

 友達が私の誕生日を祝ってくれた時のため、お返しの一つとして小さい頃からこっそりと歌の練習をしていて良かった。

 まあ私が人前で歌ったのは今日が生まれて初めてなんだけど。

 

 ※月@日(全部)

 朝起きたら夜だった。眠りすぎたというわけでもないのに。

 今までも時間の流れが微妙に速かったり遅かったりした日はあったけど、今日は特に酷かった。

 一日が夜→夕方→夜→昼→朝→夜という順番で流れていったのだから。

 ここの時空が歪んでいるというのは周知の事実だけど、それにしたって太陽や月の動きが常識を無視しすぎていて頭がおかしくなりそう。

 天気も滅茶苦茶だったしもうやってられない。

 この調子だと明日は空から槍でも降ってくるんじゃないだろうか。

 

 ※月L日(晴れ時々槍)

 確かに私は昨日ああ書いたけど、空から槍が降ってくるのが見たいとは書いてない。

 

 

 

 

 

 

 竜の河の岸をひたすら北進していくという、一般的に手の込んでいない自殺と揶揄される天界直通ルートを真っ直ぐ突き進み、立ちはだかる全ての者を等しく蹴散らして屍の山を築き続けたあなた達ことネバーアローン。

 廃人とリッチーと紅魔族の三人は聞きしに勝る竜の谷の環境に幾度も足止めを食らいながらも、無事に当座の目的地である世界樹に辿り着いた。

 規格外の樹木が生み出した無数の枝葉によって日の光は遮られており、世界樹の周辺はすこぶる暗い。このような秘境でなければ間違いなく日照問題および切り倒しのデモが発生し、アクセル近郊に在ろうものならば漏れなくめぐみんの的になるだろう。

 

 あなた達は首を大きく曲げて頭上を仰ぎ見る。

 聞こえてきた小さな感嘆の声は誰が発したものだったのか。

 あなた達が立っている木の根元からでは分からないが、どこまでも伸びてゆく幹と枝葉は雲を貫くまでに至っていた。

 目測による樹高は6000メートル超。分類としては恐らく広葉樹。

 枝下は1500メートルで、樹冠が4500メートル。

 

 山脈を彷彿とさせるあまりの雄大さと果てしなさに、あなたは軽く眩暈を覚えた。

 最初から分かりきっていたが、呆れるほどに巨大な樹だ。非常識を通り越して非現実的ですらある。

 

「着いたー! おっきいー! 暗いー!」

 

 ゆんゆんもまた眼前にそびえ立つ世界樹を思い切り見上げながら喝采をあげていた。

 適度に休みながらの行軍だったこともあり、そこまで疲労の色が濃いわけではない。

 だが代わり映えのしない天界直通ルートをひたすら前に前に直進し続ける日々には若干辟易していたのだろう。少しばかりテンションがおかしいし、その顔には強い開放感と喜びが浮かんでいる。

 少し前、槍が降ってきた日のやさぐれっぷりにはあなたも少し危機感を抱いていたので、ここらでなんとかメンタルをリフレッシュさせておきたいところである。

 

「うーん……?」

 

 一方、はっきりしない表情で周囲を見渡すウィズ。

 先ほどまではあなた達と同様、名所への期待にうきうきりっちぃと化していたのだが、世界樹の至近距離に近づいた途端こうなってしまったのだ。何かしらの違和感を覚えたらしい。

 

 明らかにおかしい様子を見せるパートナーに、あなたは体調を気遣った声をかける。

 世界樹の頂上は天界に繋がっているという噂は眉唾物だったが、実際に近づいてみれば確かにそれらしき澄み切った力の気配が世界樹一帯に満ちている事が分かる。

 本来であれば魔物が近づかないという世界樹の近辺で何日か休養を取り、第二層の準備を万全に整える予定だったのだが、この気配と空気がリッチーに悪影響を及ぼすというのであれば、予定の変更を考慮する必要が出てくるだろう。

 

「ああ、すみません。体調は問題無いので大丈夫です。心配してくださってありがとうございます」

 

 ウィズは何でもないかのように答えた。

 

「確かにここは澄んだ気配で満ちていますが、アンデッドを浄化する神聖系とはジャンルが違うといいますか。具体的な言葉で表現するのは難しいんですけど、とりあえず長時間滞在していても私への悪影響は無いと思います」

 

 ただ、と言葉を続ける。

 視線を世界樹の根元、地面の下に向けながら。

 

「既視感とでも言えばいいのでしょうか。木の下から感じ取れる何かに覚えがあるような、でも何か違うような。とにかくはっきりしなくてもやもやするんですよね」

 

 歯に物が詰まったかのような物言いだが、少なくとも彼女の心身に悪影響を及ぼすものではないらしい。

 言われてみれば確かに、気配の大元は頭上ではなく地面の中から感じられるように思える。

 天界は空ではなく地の底にあるとでもいうのだろうか。

 

「地獄に繋がってたりするかも、なんちゃって」

 

 冗談めかしてゆんゆんが言う。ありえないとは言い切れないのが怖いところだ。

 いずれにせよ、ここで臆したり見て見ぬふりをするのであれば、あなたは冒険者などやっていない。

 早速スコップを取り出し、世界樹の根元を掘ってみることにした。

 

 だがスコップを地面に突き立てた途端、あなたに高速で飛来する何かの気配。

 間違いなくあなただけに向けられた攻撃。だが敵意や殺意と呼べるものはない。まるで意思の無い機械が放ったかのように。

 速度も素のヴォーパルより遥かに遅い。故に悠々と余裕を持って反射的にスコップで打ち払い……かけたところで、あなたは愛剣のビキィッ!! と額に太い青筋を浮かべたかの如き怒りの意思を敏感に感じ取った。

 その力と反比例するかのように気難しい愛剣は、刀剣類と聖槍以外の近接武器の使用を決して許さない。

 あなたは今まさにスコップを武器として使おうとしている。そして言うまでも無いが、たとえ鋭利な刃を持っていたとしても、スコップは刀剣類ではない。少なくとも愛剣はスコップを同族だと認めていない。

 

 つまりこのままだとジェラシーで臍を曲げた愛剣によって流血沙汰が不可避になる。

 ついでに愛剣がストライキを起こす。

 

 危うく血みどろの大惨事を引き起こしかける所だった。軽く冷や汗ものである。あなたの冒険者生活はいつだってスリリングでブラッディでアハハ! ミンチミンチィ! な刺激に満ちている。

 あなたはスコップでの迎撃を放棄し、矢の如き速度で迫りくる、円錐螺旋状で全長一メートルほどの物体、つまり細長いドリルにしか見えない何かを手で掴む事で防いでみせた。

 軽く大道芸を披露したあなたは、正体を調べてもらうためにそれをウィズに軽く放り投げる。

 仮に世界樹から降ってきたというのであれば鑑定の魔法を使っていたところだが、これは違う。わざわざストックを減らす理由は無い。

 

「ただの樹の枝、ですね。一切加工が行われた痕跡が無いにもかかわらず、不自然極まりない形状をしている点を除けばですが」

「世界樹の枝ってことですか?」

「いえ、周囲に生えているものと同じ種類だと思います」

 

 周囲を見渡すも、最も近くの樹まではそこそこに距離がある。

 それもそのはずで、世界樹の周囲から1000メートルほどは樹が一本も立っていない空白地帯と化している。草花も小さなものがまばらにしか生えていない。

 巨大すぎる世界樹に栄養を取られたり日光を遮られた結果、自然とこのような不自然な地形が形成されていったのだろうとウィズは推測していた。

 

 魔物の襲撃があるかもしれないと警戒しつつ周囲の気配を探っていると、やがて樹海の中から何者かが姿を現した。

 猛烈な速度で近づいてきている。

 

「コラー!」

 

 やがて聞こえてきたのは微妙に緩くて間の抜けた怒鳴り声。

 

「そこの人間たちー! 馬鹿な真似は今すぐ止めなさーい!!」

 

 あなた達に向かって声を張り上げているのは、3メートルほどの身長を持った、人の女性と樹木をかけあわせたような外見の持ち主だ。

 根の足、幹の肌、緑の葉の髪で身体が構成されたそれは自身が樹木の亜人、ドライアドであると全身で示していた。アルラウネよりも更に植物に近い亜人である。

 世界樹の近くに多く生息しているといわれているが、アルラウネのように集落を持っているわけではなく、世界樹を管理しているわけでもない。

 

 種族としての性質は総じて温厚で気長で暢気。

 

 そんな樹人とも呼べる存在が枝のような腕を振り上げながらあなた達の方へ走ってきている。

 敵意や殺意は感じられないが、非常に怒っているようだ。

 ごく自然と、ウィズとゆんゆんの視線があなたの持つスコップに向けられる。確かに理由はそれくらいしか思い浮かばない。

 やがてあなた達の元に辿り着いたドライアドは、苛立たしげに根足で地面をぺしぺしと叩き、頭部の葉をざわざわと騒がしく鳴らしながらあなた達を怒鳴りつけた。

 

「あのねえ! こないだも言ったと思うけど、ここは私達にとって大事な場所なの! 人間がカミサマって呼ぶようなものなの! また掘り返して荒らそうっていうなら今度こそ容赦はしないわよ!? 前みたいにごめんなさいしても許してあげないんだからね!」

 

 樹の亜人であるドライアドが世界樹を神聖視するというのは理解出来る。怒られた理由も同様に。

 理解は出来るのだが、肝心の発言の内容がすこぶるおかしい。

 あなた達の困惑を感じ取ったのか、ドライアドは呆れを前面に押し出して嘆息した。

 

「なに、私達が教えてあげた話、もう忘れちゃったの? あんなに痛い目に遭ったのに? 大丈夫? 人間って忘れっぽすぎない? また私達にボコボコにされたいの?」

(どうやら誰かと勘違いされているみたいですね。過去の探索者でしょうか)

 

 ひそひそと耳打ちしてくるウィズに頷く。

 同一視されているのは単にドライアドに人間の見分けがついていないからだろう。あなたとしても非常に身覚えのある話だ。

 ゴブリンやかたつむりなら余裕で見分けが付くのだが、モンスターや亜人は多少の差異こそあれ、どれも似たような顔、似たような姿をしているように見える。

 さておき、竜の谷は時間の流れが歪んでいる。未来の自分達が何かの理由で過去の世界樹に流れ着くのかもしれないとあなたは考えるも、その探索者がボコボコにされたというくだりでその線は無さそうだと判断した。

 このドライアドは天界直通ルートで出会ってきた魔物達より確実に弱い。少なくともヴォーパルと同等の敵が出てこない限りはネバーアローンの敵には成り得ないだろう。

 

 あなたは知らなかったとはいえドライアドの聖域を荒らしてしまった事をドライアドに謝罪し、話に出てくる探索者と自分達が全くの無関係である別人な事を告げる。

 知った事かと言わんばかりに問答無用で掘り進めるとでも思ったのだろう。ゆんゆんが物分りの良いあなたの姿に目を見開いて嘘でしょ……と驚愕しているが、あなたは努めてそれを無視した。

 

「えー? でも私人間の区別とか付かないしなー」

「すみません、貴女が仰っているのっていつごろのお話なんですか?」

 

 いぶかしむ様子を隠そうともしない樹人に、ウィズが問いかける。

 

「確か私の年輪が今より三十くらい少ない時、だったかな? 最近でしょ?」

 

 年輪が三十などと言われても、あなたには意味がさっぱり分からない。

 自分の常識が当たり前のように他者に通じると思ってもらっては困ると閉口するあなたは、リッチーの知恵袋を頼る事にした。

 

「ドライアドは人間換算でおよそ十年に一度、体の年輪が増えるといわれています。なので彼女の話は三百年は昔という事になりますね……私はもしかしたらまたアンデッドが迷惑をかけているのかも、と思ったのですが」

 

 アンデッドどころの話ではなかった。

 なるほど、暢気と言われているわけだとあなたは脱力する。あるいは植物らしいのか。

 竜の谷の時間が歪んでいるとはいえ、最近と称して百年単位の時間を平気で持ち出してくるあたり、時間に対する感覚が人間とは根本的に異なっている。

 おまけに人間の事も碌に知らないようだが、それは当然といえば当然なのかもしれない。

 世界樹が存在する場所は、言わずと知れた千年樹海の奥地。

 ここまで辿り着く事の出来る人間など、そうはいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 説得の末、なんとか人間の寿命を教え込む事に成功したあなた達。

 ドライアドが人間って十年輪ぶんも生きていられないの!? 可哀想すぎる……と同情の涙を流すといった一幕こそあったものの、無事に誤解を解くことができた。

 とはいえ地面を掘るだけでああも怒りを露にするのだから、幹を伝っての登頂や枝葉、実の採取の許可など夢のまた夢。

 そんな事を考えていたネバーアローンに対し、ここまでやってきた目的を聞かされたドライアドは、事も無げにこう言い放った。

 

「ふーん、てっぺんに何かあったら私にも教えてね。ちょっと気になるから」

 

 地面を掘った時とはまるで異なる、いっそ投げやりと言ってもいい反応。

 世界樹の枝葉を少々。そして黄金の林檎を採取する予定だと聞かされても、好きにすればいいと表情すら動かさない。

 

「葉っぱが欲しいならあげちゃってもよかったんだけどね。今はちょっと切らしちゃってるけど、一年輪に一枚も降ってくるし」

「世界樹はドライアドの聖地なんですよね? 樹を傷つけても大丈夫なんですか?」

 

 ゆんゆんの言葉にドライアドは意味が分からない、といった表情を作った。

 

「うん? 樹は別にどうでもいい、とまでは言わないけど。前に来た人間も登ってたし、ちょっと傷つけたり登ったりしても私達は気にしないよ」

「登った人はてっぺんまでいけなかったんですか?」

「途中で落っこちて死んだ。しかも死体で土地が汚れちゃったからもう大変で大変で。登るのはいいけど私達に迷惑はかけないでね」

 

 ドライアドが神聖視しているのはあくまでも何かが眠っている、あるいは眠っていたこの土地そのものであって、土地の上に立っている世界樹についてはその限りではないようだ。

 雲を貫く大樹に何らかの神聖さを見出すのはあくまでも外部の者であり、現地に生きる者にとってはただの巨大な樹木に過ぎないらしい。

 そうなってくるとあなたとしては俄然この土地の下に興味が湧いてくるわけだが、ドライアドも詳細までは知らないのだという。

 

「私が生まれるよりもずっとずーっと昔、とにかくでっかくてすっごいのがここで永遠の眠りについたから、ここらへんは私達にとって力が溢れる場所なの。そんででっかくてすっごいのが背負ってたおっきい樹がなっがーい時間をかけて成長して、こうなったってわけ」

「……土地を調査しても構いませんか?」

「構うに決まってんでしょ!」

「ちょっとだけ、ちょっと掘るだけですから」

「絶対ダメー!」

 

 既視感の正体を知りたがっているのか、ウィズが無謀な提案を行うも即撃沈。

 ウィズほどではないにしろ、あなたもまたこの気配に似通ったものを知っている気がした。

 それもイルヴァではなく、この世界で。

 

 永き時を経てなお大地にはっきりと残る力の残滓。

 この地に眠る者は、まさしく神と呼ぶに相応しい存在だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 地面を荒らすなと入念に警告を行ったドライアドが立ち去り、いよいよ世界樹に挑む時がやってきた。

 といっても断崖絶壁を登るのはあなた一人であり、そこまで無茶な身体能力を持たないウィズとゆんゆんは地上で留守番である。

 幾らなんでも危険すぎるので、流石のあなたも二人を背負って登るつもりは無い。

 

 ロッククライミングならぬツリークライミング。

 本格的に登る前に練習として軽く上り下りを行い、これならば問題ないとあなたは確信を抱く。

 規格外の大きさを誇る世界樹の樹皮は、一般の樹木とは比較にならないほど凹凸が激しい。手足をかける場所には困らないだろう。

 標高1500メートルを超えれば樹冠に到達し、枝葉を伝って上り下りが可能になるので更に楽になる。

 

 だがウィズに幾らかの荷物を預けてゆんゆんを任せ、さあ登ろうかというタイミングで、ゆんゆんがあなたを呼び止めた。

 

「今更ですけど、本気で登るんですか? 私が竜を仲間にしてからでも遅くないと思いますよ?」

 

 わざわざ危険を冒さずとも、竜に乗って頂上まで飛んでいけばいいと身も蓋も無い正論を吐く紅魔族の少女。

 山登りを趣味としている者からごちゃごちゃうるせー! とゲロゲロ収集用具こと呪い酒をぶつけられる事確実の発言だ。たまにゆんゆんはこういう事を言う。

 ここまでの道程でゆんゆんがテイムを成功させていればそれも悪くはなかったのだが、生憎とそうはなっていない。

 空を飛ぶにしても、仲間にしたドラゴンが世界樹に近寄れるのか、そもそもどの高さまで飛べるのか、といった問題も出てくる。

 

「それって今登る理由にはならないですよね?」

 

 無論だとあなたは頷く。

 あなたは登山家ではないし、楽な道は間違っていると考えているわけでもない。

 自力で上り詰めた末に見る事ができる光景は間違いなく最高だろうが、空を飛んで一気に世界樹の頂点まで行くのはさぞかし爽快だろうとも思っている。

 

 落下が死を招く事も承知の上。

 それでも尚ゆんゆんの提案を受け入れるつもりが無いのは、ここで世界樹を見過ごして後回しにするという選択肢が、あなたという冒険者からしてみればちょっとどころではなく有り得ないものだからだ。

 

 何故かと聞かれれば、あなたは自分がそういう冒険者だから、としか答えようがなかった。

 こればかりは理屈ではないのだ。

 山を登る理由を聞かれてそこに山があるからと答える登山家のようなものである。

 そもそも理屈と正論で動くのであれば、あなたは冒険者などやっていないし廃人になどなっていない。

 

「そう言われちゃうと返す言葉が無いんですけど。ウィズさんはどう思います?」

「とっても冒険者らしいと思います。冒険者ってそういうものですよね。むしろそれでこそというか」

 

 ご満悦な様子で腕を組み、うんうん分かります分かります、と頷くウィズ。

 後方理解者面がやけに堂に入っている。

 

 ウィズの冒険者観はさておき、ゆんゆんは心配しすぎだとあなたは笑う。

 確かに世界樹の登攀は危険を伴う行為だ。一般人やそこいらの冒険者が挑むのは自殺行為に等しい。

 だがあなたは一般人でもそこいらの冒険者でもない。

 それにダーインスレイヴを使ったりヴォーパルの相手をするよりかは間違いなく安全だといえる。

 

「こういう時だけ説得力が凄い事を言う……」

 

 世界樹を一切傷つけずに登る必要があるわけではないので、万が一の事態に陥ったとしても愛剣なり他の武器を突き刺して落下を防げばいい。

 理路整然とした正論を突きつけられたゆんゆんは渋々引き下がったので、今度こそあなたは頂上を目指して世界樹を登り始めた。速度を全開にして。

 あなたの体感では登頂までにかかる時間は一切変わらないのだが、客観的には通常の約30倍の早さで登頂可能なのだから、やらない理由はどこにもない。

 

「うっわ……」

「これは、ちょっと……」

 

 だが登り始めて間も無く、地上から声が聞こえてきた気がした。

 速度を戻したあなたが振り返るも、二人はなんでもないと首を横に振っている。

 気のせいだろうかと内心で首を傾げつつ、あなたは登攀を再開する。

 

「なんていうかこう、悪い夢に出てきそうですよね。それも熱が出て寝込んでる時の夢とかに」

「……あまり見ていたいものではありませんね。本人には絶対言えませんが。私が同じ事を言われたら多分泣きます」

 

 労しいものを見る目であなたを眺めるゆんゆんとウィズ。

 

「あの動きってまるでゴキ……」

「止めましょうゆんゆんさん。本当に止めましょう」

 

 当のあなたは全く気付いていなかったが、人外の身体能力を存分に活かしながら常人の約30倍という超高速で手足を動かして軽々と樹を登る今のあなたの姿は、傍目には地面をカサカサと這い回る巨大な虫そのものであり、その正視に耐えない気持ち悪さでゆんゆんとウィズをドン引きさせていたのだ。

 

 

 

 

 

 

【標高約200メートル】

 軽々と到達。

 ふと地上を見てみると、ウィズとゆんゆんはまだあなたを見つめていた。

 速度を落として余裕を示すかのごとく声をかけ、軽く手を振ってから登攀を再開する。

 

【標高約500メートル】

 あなたはふと気付く。

 世界樹には虫がいない。ただの一匹もだ。

 

【標高約800メートル】

 遠くから獣の鳴き声が聞こえてきた。

 手足を止めて振り返ってみれば、世界樹の領域とも呼べる区画の外で同じ高度に飛ぶグリフォンがあなたを捕捉している。

 襲われても傷ひとつ負う事は無いだろうが、不慮の事故で幹から落下してしまう危険性はある。

 身構えるあなたに対し、グリフォンは近づくどころか不思議と困惑しているかのような雰囲気で離れていった。

 

【標高約1100メートル】

 空洞化している部分を発見。

 高さ直径2メートル、深さは5メートルほどと、あなたが入っても余裕のある大きさだ。

 まだまだ先は長い。特に疲労はしていないが、あなたは洞で小休止を取る事にした。

 

『いい景色だねー』

 

 内なる妹の声に同意し、眼下に広がる樹海が写るようにカメラで自撮りを行う。

 折角なので複数枚撮ったのだが、そのうちの一つにこっそり妹と愛剣とダーインスレイヴとホーリーランスが入り込んできた。

 

 何の変哲も無いはずの一枚を見たあなたは、たまらず眉間を押さえる。

 あなたの頭の上に顎を乗せる形で写りこむ笑顔の妹。

 あなたの背後で浮遊し、邪魔だ消えろと二本の神器に凶悪な殺意を放つ愛剣。

 画面両端にこっそり写りこんで自己主張する魔剣と聖槍。

 百鬼夜行じみた心霊写真がそこにはあった。

 

【標高約1500メートル】

 樹冠に到達。

 幹のみならず、葉の一枚一枚も縦横共にメートル超えと他に類を見ないほど大きい。

 縦横に伸びた無数の枝葉は樹海の如く入り組んでおり、あなたの進行を阻む。

 さながら世界樹の迷宮といったところだろうか。

 

【標高約2000メートル】

 探索は順調に進んでいるが、黄金の林檎は見つかっていない。

 それはいいのだが、樹冠に足を踏み入れてからというもの、あなたは時折何者かの視線を感じるようになっていた。

 少なくとも視線の主が虫や獣、モンスターといったものでないことは分かっている。

 見つからないからだ。どれだけ本気で探っても、あなた以外の生物の痕跡が、何一つとして。

 千年樹海において最大の生命である世界樹には、不自然なまでに他の生命が存在しない。

 聞こえてくるのはあなたの足音と呼吸音、そして枝葉が風に揺れる音だけ。

 世界樹は人が死に絶えた街のような、不気味な静けさを保ち続けている。

 

【標高約2500メートル】

 どういう理由かは不明だが、世界樹の枝と葉が内包する力は上に行けば行くほど強くなっている。

 土産や素材として用いるのであれば、最も上に生えているものを採取するのが望ましいだろう。

 余談だが、世界樹の葉に鑑定の魔法を使ったところ、確かに死者蘇生の効能を持っている事が分かった。

 世界から寿命以外で発生する死者を根絶する事が可能なように思えるが、問題は葉っぱ一枚を食べつくして初めて効果を発揮するという点にある。

 葉身は小さいものでも5メートル超で厚さもそれ相応。

 これを食い尽くすというのは人類、それも死体にはどう足掻いても不可能な所業でしかない。

 

【標高約3000メートル】

 この高さまで来ると気温と酸素濃度の低下がはっきりと感じられる。

 訓練を行っていない一般人が装備も準備も無くこの高さまで来るのは中々に苦しいものになるだろう。

 それでも高い身体能力を保有する高レベル冒険者が足を止めるほどのものではないし、更にそれを上回るあなたにとっては言うまでもない。

 

【標高約3500メートル】

 視線を感じる頻度が明確に上昇した。

 あなたは幾度と無く周囲に声をかけてみたものの、返答は一切無い。

 恐らくは世界樹の意思のようなものだろうとあなたは予想しているが、試しに声をかけてから枝葉を数本切り取っても反応は無かった。

 

【標高約3700メートル】

 いつまでもこちらを無視し続けるというのであれば考えがあると、あなたは幹の比較的乾燥している部分を削り、焚き火を行ってみた。知れば神をも恐れぬ蛮行だと誰もが口を揃えるだろう。

 だが火が付いた瞬間、どこからともなく飛んできた鉄砲水……世界樹の雫とでも呼ぶべきものが焚き火を粉砕してしまう。

 ここに来て初の反応に気をよくしたあなたは三度同じ事を繰り返したが、三度目になって顔面に水が直撃した。天界直通ルートのモンスター達でも余裕で首がもげる一撃である。

 

 行動の意味をあえて言葉にするなら「止めろっつってんだろ!!」だろうか。

 ずぶ濡れにされたものの、こればかりは自分が悪いと思ったあなたは素直に謝罪した。

 ついでに世界樹の雫には女神アクアの最上級回復魔法に匹敵するという、極めて強大な癒しの力が込められていた。

 ただし最低でも10リットルを一気飲みする必要がある。

 葉といい、まるでウィズが仕入れてくる産廃の仲間のようだとあなたは思った。

 巨大極まる世界樹にとってはこれでも雫扱いになるのだろうが、人間にとってはネタアイテムにも程がある。頑張れば飲めなくもないだろうが、それでも加減しろ莫迦としか言いようがない。

 

【標高約4000メートル】

 焚き火を行ってからというもの、あなたは常に視線を感じるようになっていた。

 目を離している隙に再犯されては堪らない、という事なのかもしれないが、軽く焼き討ちを食らいかけたにもかかわらず、相手からの敵意は感じられない。

 時折速度を落として推定世界樹の意思に語りかけながら、あなたはひたすら先に進み続ける。

 

【標高約4500メートル】

 世界樹の雫が湧き水のように流れ出ている地点を発見。

 人間が薬として使うのであれば論外もいいところだが、飲料水としてはクリエイトウォーターを超えるものなので、あなたは手持ちの空き樽を総動員して雫(世界樹比較)を回収する事にした。

 

【標高約5000メートル】

 ふとあなたはここで愛剣を抜いたらどうなるのだろう、と思った。

 イルヴァにおいては木々から抽出されるエーテルを物質化するほどに集め、凝縮した魔剣を見て視線の主はどんな反応を示すのか。

 結果としてはかつてないほどに強い感情、驚愕の気配が返ってきてあなたの方が逆に驚かされた。

 世界樹の意思と思わしき相手であっても愛剣には思うところが出てくるらしい。

 

【標高約5500メートル】

 何かの合図や目印があったわけではない。

 だが確かに、そして唐突に世界樹から感じられる空気が、気配が変わった。

 神聖や邪悪とは根本から異なる、水のように清んだ無色透明の力が上方から流れ込んできている。

 今はまだそこまで強くないものの、進めば進むほどに力は強まっている。

 あなたはウィズが言っていた言葉の意味を理解できた気がした。

 終わりはきっと、すぐそこに。

 

 

 

 

 

 

 およそ標高6000メートル地点。

 終点が間近に迫る、地上から遠く離れた場所で、あなたはそれを発見した。

 

 あなたが辿り着いたのは、樹のドームとでも呼ぶべき場所だ。

 それまでの険しかった道のりとはうって変わり、樹上でありながら平らな地面、広場のように円形の広範囲に渡って幹が均されている。

 幹が上から見えない強い力で押さえつけられながら成長を続けたらこういう形になるのだろうと思える、決して自然に形成されたとは思えない歪な地形。

 不自然に整えられた幹から伸びた枝葉は広場の外周をドーム状に囲むように広がっており、外からは暫く見ていなかった木漏れ日が差し込んできていた。

 

 そして、広場とドームの中央。

 世界樹の中心であるそこには、一本の樹が生えていた。

 均された平らな幹に根を生やし、自身を覆う枝葉のドームを突き破り、更に上に向かって伸びる樹が。

 

 樹高は精々が百数十メートルといったところ。

 決して小さくはないどころか樹海の木々より倍近く大きいのだが、世界樹とは比較にならないほどに小さい。

 だがあなたが少し前から感じ取っていた強い力の気配は紛れも無くこの樹が発しているものであり、更にはあなたが此処に到達するまで一度も見つけられなかった、黄金に輝く林檎が数え切れないほどに実っていた。

 

 黄金の林檎のサイズは一般的な林檎とほぼ変わらない。

 その葉と雫に癒しの力は宿っていない。

 

 それでもなお、樹の前に辿り着いたあなたは誰から教えられるでもなく直感する。

 世界樹の奥底に生えた一本の樹木。

 これこそが世界樹の大元にして力の根源、世界樹の始まりであり、真に世界樹と呼称すべきものなのだと。

 

 

 

 

 

 

 真なる世界樹を登りながら黄金の林檎を十個、そして杖に加工出来そうな太さの枝を数本採取したあなたは更に上に進み、終に終点に辿り着いた。

 世界樹の先端。標高6142メートル。

 長く続いた緑の天蓋を抜けた先で、久方ぶりの青空と太陽があなたを出迎える。

 

 世界樹の頂上には、神々が住まう天界への道がある。

 そう言われていたし、あなたとしてもそれなりに信憑性がある話だと思っていたのは事実だ。

 

 だが、そこには何も無かった。

 

 まことしやかに囁かれていた、天界へ通じるという道も。

 あるいは自分を待っているのかもしれないと考えていた、世界樹の化身も。

 神器も。特別なアイテムも。敵も。味方も。それらの気配や痕跡と思わしき何かも。

 何も無い。

 本当に、本当にそこには何も無かった。

 

 ただ一つ、風景を除いては。

 

 あなたの視界全てを埋め尽くす、何物にも代えられない、不可侵にして至上の風景だけがここには在る。

 

 何一つとして遮るものが無い、どこまでも続く無窮の空。

 大海の如き青の中で力強く輝く唯一無二の宝石。手を伸ばせば届きそうだと感じるまでに近づいた太陽。

 ここまで歩み続けてきた、数多の命を食らい尽くしてきた広大な樹海も、樹海を真っ直ぐに貫く雄大な大河も、今のあなたにはまるでミニチュアのように見えており、あなたは自身が巨人になった錯覚を覚えた。

 

 そして樹海から目を外して北を見やれば、そこには樹海の果て、更にその先が……竜の谷、第二層が広がっている。

 

 妹や神器といった、あなたと共に在る意識持つ者達もまた同様に、この絶景を堪能しているようだ。

 

 胸の奥底より湧き上がる熱い衝動。

 それに抗う事無く、あなたは大きく息を吸い込み、声をあげた。

 何ら特別な意味も価値も持たない、どこまでも原始的で達成感に満ち溢れた雄叫び。

 そんな長く、長く続いた大きな声は、青い空に吸い込まれ、溶けて消えていく。

 二度三度と繰り返し、あなたは胸の熱を抱えたまま至福のひと時に浸る。

 

 この世界に、竜の谷に来て本当によかった。

 熱と共に胸中に満ちる、シンプルで嘘偽りの無い感想。

 

 何もかもを忘れ、一時間ほど風景を堪能した後、あなたはカメラを手に取り……しかしすぐに仕舞い込んだ。

 今この風景をカメラに撮るのは憚られる。そんな事をあなたは考えてしまったのだ。

 まだ足りない。せめてもう少し。満足するまでは自分達で独占していたいと。今だけはこの景色を自分達だけで共有していたいと。

 

 こうして結局、枝に腰掛けたあなたはかれこれ二日もの長い間、その場に居座り続ける事になる。

 

 茜色に染まる世界と沈む夕日。

 全てを飲み込む暗黒の中で美しく煌く月と星々。

 闇を塗り潰し、朝の訪れを知らせるために昇る朝日。

 

 一日目でこれら全てを存分に味わい、二日目になってようやく朝昼夜分の写真を残し始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 ……と、このような冒険を経て、あなたは無事地上に戻ってきた。

 普段は見せる事の無い、少年のように純粋で綺麗で無邪気な笑顔を浮かべるあなたは土産話に興じる。

 ウィズとゆんゆん。二人の仲間に向けて数多の写真をばら撒き、世界樹のてっぺんから見た景色は本当に最高だったと、ついでに世界樹からこんなにいいものを貰ってきたと大人気なく苗木を見せびらかしながら。

 そう、苗木である。

 当然ただの苗木なわけも無く、微弱ながらもあの真なる世界樹と同質の力を発している苗木だ。

 終点を降り、あなたが真なる世界樹を後にしようとした所で、何の前触れも無く頭上から降ってきたそれは、音速を軽く超える速度で降ってきたこともあり、ばっちりあなたの頭に突き刺さっていたりする。軽く血が流れた。

 

 確固たる意思を持ちながらも、あなたに向けて言葉を発する事は一度も無かった世界樹。

 故にあなたに苗木を、それもあなたに突き刺さるほど凄まじい速度で寄越した理由は分かっていないのだが、受け取った以上、あなたは責任を持って苗木をアクセルに連れ帰るつもりだった。

 育つまでには途方も無い時間が必要になるだろうが、いざ育ちきった時にどうなっているのかは色々な意味で興味が尽きない。

 

「あなただけずるい! ずーるーいーでーす! 一人でとっても楽しく冒険しててずるいです! いいなー! 私も付いていきたかったですー!」

 

 あなたの自慢話、もとい冒険譚を聞くウィズはそう言って悔しがりながらも、まるで絵本に心をときめかせる幼子のように、その顔と瞳をきらきら輝かせている。

 こういうのが大好きでしょうがないのだと言わんばかりに。

 普段の落ち着いた物腰のウィズからは想像も出来ないハイテンションっぷりだが、あなたとしても、ここまで喜んでもらえるのであれば冒険者冥利に尽きるというものである。

 

「……! …………!!」

 

 師のように感情を大きく表現する事が恥ずかしいのか、黙して語らぬゆんゆんもまたそわそわした様子を隠しきれていない。

 あなたが持ち帰った写真をじっと見つめる目に宿るのは、確かな感動と興奮。

 ゆんゆんがドラゴンを仲間にし、今度は二人の仲間と共にあの絶景を見ると思うと、あなたは早くもその時が楽しみになるのだった。

 

 

 

 

 

 

「ほっ、ほぁああああああ……!」

 

 あなた達の前には、皮を剥き、四つ切りにされた黄金の林檎が皿の上に乗っている。

 皮の内側もしっかり黄金色であり、どうにも貧乏性が抜けないウィズが恐れ戦いて奇声を発した。

 

「本当に食べちゃっていいんですかこれ!? なんかこの世のものとは思えないすっごくいい匂いがするんですけど、私大丈夫なやつですか!?」

 

 林檎から漂う、芳醇で甘い蜜の香りには数々の美食を経験してきたあなたですら青天井に期待が高まっていく。

 ゆんゆんもまた軽く錯乱しかけているようだ。

 

「いただきます!」

「い、いただきます!」

 

 恐る恐る果実を口に近づけ、しゃくり、と各々が同時に一口齧り。

 途端に鼻腔を突き抜ける爽やかな甘酸っぱい香り。

 そして。

 

「うぐっ……!?」

 

 あなたは吐いた。

 ウィズは吐いた。

 ゆんゆんは吐いた。

 

 緑と清涼感に溢れた景色に響き渡るゲロゲロ三重奏。

 明滅する視界。混濁する意識。

 全ての思考と感情が消し飛んだあなたの頭を支配するのはどこまでも簡潔にして明瞭なる三文字。

 

 まずい。

 

 黄金の林檎はとにかく不味かった。ただひたすらに不味かった。

 辛いとか甘いとか渋いとか苦いといった、言語で表現可能な領域を超越している。あまりの不味さに体が拒絶反応を起こすほどに不味い。

 不味いという概念を凝縮して濃縮して濾過してそこから更に精製した果てに生み出されたとしか思えない不味さだ。その癖匂いだけは最高なのが完全に悪意のある嫌がらせにしかなっていない。鼻を摘んでも余裕で不味さが貫通してくる始末。

 あなたは長きに渡る冒険者活動の中で多種多様のゲロマズと形容した物を飲み食いしてきたが、この林檎の形をした悪意と比較すればそれらは塵に等しい程度でしかなかったと思い知る。

 どれだけの言葉を重ねたとしても、この不味さを表すには到底届かない。

 空前絶後、人生最低最悪の不味さ。口内への虐待。味覚への陵辱。味という概念への冒涜。

 

 何度水で口を洗い流しても、後味が消えずにこびりついている。口の中がゴミ溜めになったかのような気分だ。

 腐って呪われたゾンビ肉の方が遥かにマシな味がする。

 

「まずい!! 世界のまずさが競い合うように地獄の交響曲を!!!」

 

 最早精神力が限界だったのだろう。

 断末魔の如き怨嗟に満ちた詩的な叫びをあげ、ゆんゆんは豪快に昏倒した。

 

「……っ、…………ッ!」

 

 ウィズもまた涙目でぶんぶんと勢い良く首を横に振っている。

 これ無理です、限界です。死にます。

 そんな泣き言が聞こえてくるかのようだ。

 

 異世界廃人とリッチーと紅魔族によるパーティー、ネバーアローン。

 世界最強の一行はだがしかし、今まさに壊滅の危機に瀕していた。

 

 悪夢の如き修羅場だが、まだ終わっていない。

 あなた達は黄金の林檎を四つ切りにした。つまりあと一切れ残っている。

 あなたは今も強く震える手で皿を持ち、ウィズに手渡そうと試みる。

 残ったのを食べていいと視線で強く訴えかけながら。

 

「…………!!!!」

 

 ぜったいいやですむりですしにますあなたがたべてください。

 残像が見える速度で首を横に振って拒絶する不死の女王。

 だがあなたもこんな劇物の処理など断じて御免だった。

 これ以上は本気で死ぬ。ああ、世界樹の頂上が天界に繋がっているってそういう……と変な納得を覚えてしまう程度には死ぬ。

 とはいえ捨てたり燃やしたりすると世界樹に呪われそうなので、必死に逃げようとするウィズの肩を掴み、あなたは無理矢理黄金の林檎を口に突っ込まんとする。

 あなたの腕を必死に押し返すウィズだが、流石に筋力に差がありすぎる。

 

「そうだまおうさん、まおうさんにたべさせてあげましょう! めずらしいものがすきだからきっとよろこんでくれますよ!」

 

 あなたに追い詰められたリッチー兼現役魔王軍幹部だが、彼女は起死回生一発逆転を狙うべく、とてつもなく冷徹で悪辣で非情な外道テロ作戦を提案した。

 裏切り行為にしたってそれはないだろう、というレベルの。

 ドン引きである。人の心とか無いのか? とベルディアに詰られる事間違い無しだ。

 だが魔王に食べさせるかはさておき、ウィズの提案は中々に悪くないものだった。

 捨てられないのであれば、嫌いな奴の口に突っ込めばいいのだ。至高の素材、伝説の果実である黄金の林檎を食べられるのだから責められる謂れはこれっぽっちも無い。

 

「そうですよね! すごいあじですもんね!」

 

 とりあえずそういうことになった。

 味覚を粉砕されたあなたとウィズの頭が一時的にパーになっているのは言うまでもない。

 

 結局この後、あなた達の味覚と正気が回復し、冒険を再開するだけの気力を取り戻すまで、三日もの時間が必要になった。

 

 

 

 

 

 

 世界樹を発ち、その後も旅を続けたあなた達は、千年樹海の果てに辿り着く。

 

「ここが第二層……」

 

 ごくり、と。

 あなたの隣でゆんゆんが喉を鳴らした。

 

「なんというか、思っていた以上にアンデッドである私は相性が悪そうですね……」

「アンデッドどころか人間だって生きていけない場所ですよこれは……」

 

 申し訳なさそうにするウィズにツッコミを入れるゆんゆんだが、さもあらん。

 第二層は数多の命を飲み込んできた千年樹海が可愛く見えるほどの、壮絶にして過酷すぎる環境だ。

 

 竜の谷、その第一層を踏破してみせたネバーアローンの前に現れた光景は、千年樹海が竜の谷における浅瀬に過ぎないのだと突きつけてきた。

 眼前に広がる赤褐色の大地。

 あなた達が今立っているのはまだ千年樹海であり、足元には草花が元気に生い茂っている。

 だがそこから一歩でも足を踏み出せば、枯れ草の一本すら存在を許さない、尋常の生命を拒む世界があなた達を待ち構えていた。

 

 一般論として、地続きの自然環境というものは段階を踏んで緩やかに変化していくものである。

 ある地点を境に緑溢れる草原から一瞬で砂漠だの荒野だのに変化したりはしない。

 だが竜の谷は一般論を粉砕して唾を吐いた挙句中指を突き立てるような場所なので、当たり前のように非常識が罷り通ってしまう。

 

 草木の代わりに荒れた地面のあちこちから顔を覗かせるのは燃え盛る炎の叢。

 空高く立ち上り天を焼き焦がす、巨大な火炎旋風。

 炎に焼かれ、煤だらけになった無数の岩山。

 過酷な環境に適応し跋扈する屈強な生命。

 雲も星も月も一時たりとも存在を許されず、ただ太陽だけが孤独に、そして永遠に空に在り続ける。

 

 竜の谷第二層、白夜焦原。

 そこは沈まぬ太陽と燃え盛る大地に支配された、灼熱の領域である。




 ★世界樹の枝
 類稀なる硬さとしなやかさを併せ持った枝。
 杖にしてもいいし木刀にしてもいいし箸にしてもいい。
 ただし加工するのは死ぬほど大変。

 ★世界樹の葉
 死者を蘇らせる力を持つ、奇跡の葉。
 だが葉っぱを一枚まるごと食べないと効力を発揮しない。
 そしてサイズは最低でも5メートルほど。
 およそ死人に食わせるサイズではない。
 いかなる健啖家であっても無茶言うな! と叫ぶだろう。
 おまけに苦い。激烈に苦い。一口齧れば死人も思わず飛び起きる苦さを持つ。
 その苦さはドライアドを除く千年樹海に生きる者たちが一切世界樹に近寄ろうとしない理由である。

 ★世界樹の雫
 ありとあらゆる傷を癒す力を持つ、奇跡の雫。
 ただし10リットルを一気飲みしないと効力を発揮しない。
 雫といっても6000メートルの樹木基準での雫である。
 瀕死の重体であっても即座に完治させてしまうが、およそ怪我人に飲ませていい水量ではない。
 味は雑味も無くスッキリしていて美味しいので、飲料水として使う分には申し分ない。

 ★黄金の林檎
 標高6000メートルという世界樹の最奥に聳え立つ、世界樹の根源とも呼べる一本の樹木に生っている神秘の林檎。
 天界に住まう神々の食べ物として紹介されれば誰もが疑わずに信じる事請け合いの、どんな財宝よりも美しく力のある果実。
 世界樹の力と歴史が凝縮されたそれは、植物系の素材として文句なしの最上位。世界に並び立つものが無い、至高にして究極の逸品である。
 一口齧ればそこには新たな世界と価値観があなたを待っている。

 ★《世界樹の苗木》
 それはあまりにも永い時を生きてきた。
 世界を渡り歩く巨大な亀の背で生まれ育ったそれは、様々な風景を見るのが好きだった。
 役目を終えた大亀が代替わりを果たして永遠の眠りにつき、その命と体を星に返した後もずっと、ずっと生き続けていた。亀の墓標のように。

 やがてそれのいた場所が一種の異界と化し、永い時を過ごした後、それの前に一人の冒険者が現れる。
 代わり映えの無い樹海の風景に飽き飽きし、いい加減新しい景色が見たいと思っていたそれは、一本の苗木に自らの意識を分け与え、自分よりも遥かに小さいその冒険者に付いていく事にした。
 旅は道連れ世は情け。
 自身が生まれ育った大亀の背にあった時と同じように、冒険者の頭に自身を突き刺す形で。
 中々に頑丈そうなので、思い切り勢いをつけて。

 何故か即引っこ抜かれて異空間にぶち込まれた。それも若干キレ気味に。


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第133話 第二層:白夜焦原

【竜の谷第二層:白夜焦原】

 

 樹海を踏破してみせた探索者が目の当たりにするもの。

 それは天に昇り続ける太陽と猛る炎によって支配された灼熱の領域であり、不毛にして壮絶なる地獄の大地だ。

 

 ――樹海という名の地獄を越えた私達を待っていたのは、竜の巣でもなければ黄金の楽園でもない。更なる悪夢の入り口でしかなかった。

 

 ただの物見遊山や度胸試しではなく、命を懸けて竜の谷に挑まんとする者であれば容易に諳んじれるであろう、あまりにも有名な一文。

 正しくこれこそが、白夜焦原の過酷さを物語っている。

 

 歴史上初めて彼の地に辿り着いた上で誰一人として失わずに完璧な生還を果たし、値千金と呼ぶ事すら憚られる情報を持ち帰ったのは、当時世界最強と呼ばれていたベルゼルグ王族を含む勇者一行、そして魔王と魔王軍幹部による合計十名の混成パーティーだ。

 人魔における最上位層の共演であることは述べるまでもない。

 目と耳と正気を疑うような内容だが、偶然にも同時期に竜の谷に挑み、偶然にも樹海で遭遇して一蓮托生となった彼らは、力を合わせて死の樹海を踏破してみせたのだという。

 当時はいわゆる戦間期であり、人魔の対立がそれほど根強くなかったというのも、彼らが一時とはいえ手を取り合えた理由として挙げられるだろう。

 

 生還した勇者達はその後、前人未到の偉業を成し遂げた喜び、第二層に対する驚愕、そして引き返さざるを得なかった悔恨を自伝にて克明に書き残しており、前述の文章はそのうちの一節となっている。

 

 ――ナンテ・コッタ著『竜の谷探索紀行』より

 

 

 

 

 

 

 首を真上に向けてみれば、そこには燦々と輝く太陽と澄み渡る青空。

 首を正面に向けてみれば、そこには焼け焦げた大地と立ち昇る赤い竜巻。

 なんとも対照的な光景だとあなたは感じた。

 ノースティリスにも灼熱の塔というこれまた熱風吹き荒れる炎のダンジョンが存在するのだが、白夜焦原とは比較する事すらおこがましい程の隔絶した差がある。

 

 第二層において探索者達の身を脅かす最たるもの。

 それは決して魔物などではなく、白夜焦原という環境そのものだ。

 

 無数の木々で埋め尽くされていた千年樹海と違い、白夜焦原は極めて見晴らしが良好。

 良いか悪いかは別として、夜の闇を恐れる必要も無く、地中以外からの奇襲は端から考慮に入れる必要が無い。

 ただしそれらを補って余りあるほどに、白夜焦原は過酷な旅を強制してくる。

 

 沈む事を知らず、照り付けるを通り越して突き刺さるが如き日の光は、探索者の時間感覚を狂わせ、コンディションを否応なく悪化させる。

 一度でも炎の匂いが染み付いた熱風に巻き込まれれば無惨な姿を晒すのは必定であり、自然発火が当たり前のように発生するほど大地に満ちた炎の魔力は、呼吸するだけで容易く肺腑が焼け爛れる。

 その気になれば物見遊山で立ち入り出来てしまう千年樹海とはまるで異なる、まさしく世界全てが敵に回ったと錯覚しかねないほどの悪環境がそこにはあった。

 

 だがそれでも、第一層とは比較にならないほど到達者が少ないにせよ、この第二層までは、ある程度信頼に足る情報が残されている。

 つまりあらかじめ対策を練った上で挑戦可能という事だ。

 当然あなた達ネバーアローンも先人の足跡を無下にする事無く、入念な事前対策、つまり耐火と耐熱に特化した装備と道具を持ち込んでいた。

 持ち込んでいたのだが、それでもなお足りなかった。

 甘く見ていたつもりはないのだが、環境の苛酷さはあなた達の想定を上回っていたのだ。

 とはいえ実のところ、あなただけならどうにでもなった。むしろ余裕ですらある。暑いといえば暑いが、耐えられないとか生命の危機といったほどではない。

 ゆえにこれが単独行であれば、あなたは意気揚々と炎の大地に挑んでいただろう。

 

 それにあなたでなくとも、第二層まで辿り着く事が出来るだけの力量、高いレベルを持つ探索者であれば辛うじて耐えられた筈だ。

 だが第二層に挑むにはレベルが足りていないゆんゆん、そして世界全てが恐ろしい勢いで殺しに来ているウィズにとっては不足だったらしい。

 足を踏み入れた瞬間の二人の顔を見て、とても長時間の探索が可能だとはあなたは思えなかった。

 ゆえに本格的に挑む前、各々の耐久限界を計る試験を入り口で行っていたのだが……。

 

ふぁっきんほっと(くそ熱い)!!」

 

 対策を施してなおあまりある暑さと熱さに限界を超えたのか、ゆんゆんが唐突にやけくそじみた叫び声をあげた。

 だが裏を返せばこうして弱音を吐く程度には余裕があるという証左でもある。今はまだ。

 準備無しのぶっつけ本番で第二層に挑んでいた場合、極限環境に耐えるだけの頑健さを持つあなたはともかく、多少悪環境に耐性がある程度のゆんゆんはとっくに屍を晒していた事だろう。

 

 とはいえ楽観視が出来るかと訊かれればそうではない。

 ネバーアローンが耐久試験を始めてまだ四時間弱。

 にもかかわらず、ゆんゆんの消耗は極めて激しいものとなっていた。

 具体的には「暑いですねー……」→「熱い……」→「あっづぁ……」→「これ死んじゃうやつ……」→「ふぁっきんほっと!!」という流れである。

 

 日光を防ぐべく被ったフードの下からは玉のような大粒の汗が止め処なく流れ出ており、焦点の合っていない虚ろな瞳と相まって、このまま放置してよい状態ではないという事が一目で分かる。

 早めに引き返し、どこか涼しい木陰なりポケットハウスなりで小休止を取らせる必要があるだろう。

 気付けの意を込めて、あなたはゆんゆんの頭に水を浴びせかけて魔法で冷風を生み出した。カズマ少年から教わった初級魔法の併用である。

 

「あ、終わりですか……? 良かった……そろそろ川に飛び込もうか真剣に悩んでました」

 

 水も滴る良い美少女と化したゆんゆんは、竜の河を横目に見やって真顔で自殺行為を口にした。

 先に限界を迎えたのは案の定ゆんゆんだったが、いずれにせよ、現状ではとてもではないがまともな探索は望めそうにない。更なる対策は必須だろう。最低でも半日は耐えてくれないと困る。

 あなたはそう考えながら、静かに瞑目したままのウィズに終了の声をかけた。

 

「…………」

 

 反応が無い。

 今度は軽く肩を叩いてみたのだが、やはりうんともすんとも言わない。

 ともすれば深い瞑想に入っているようにも見えるわけだが、あなたは早くも嫌な予感を覚え始めている。

 

「ウィズさん、ウィズさん? 大丈夫ですか?」

「…………」

 

 明らかに大丈夫ではなさそうだ。

 恐る恐るあなたがフードを脱がすと、氷魔法を得意とするアンデッドという、白夜焦原(炎と光の世界)に対して極めて相性が悪い存在であるウィズは、口と目と耳と頭から湯気とも煙とも魂ともつかぬ真っ白な何かを勢いよく放出し、その場に豪快に昏倒した。ちなみに地面は焼肉パーティーが開ける程度には熱いので、このまま放置するとリッチーのこんがり肉が完成する。

 ゆんゆんが限界を迎えたのなら、ウィズはとうに限界を超えていた。

 この場にベルディアがいれば間違いなく声高にツッコミを入れるだろう。これそういうやつじゃねーから! と。実際倒れるほど痩せ我慢をする必要はどこにも無いし、あなたもそこまでしろとは言っていない。

 

「し、死んでる……!?」

 

 戦慄するゆんゆん。

 言いたくなる気持ちは分からないでもないが、リッチーに向けるものとしては少々ブラックジョークが過ぎる。ウィズは自身がアンデッドである事を完全に割り切っているわけではないのだから。

 足早に樹海に引き返し、ぷすぷすと煙を発しているウィズの頭を冷やしながら、あなたはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 第二層の一歩目で早速躓いてしまったネバーアローン。

 原因であるウィズとゆんゆんはあなたの足を引っ張ってしまったと肩身の狭い思いをしていたようだが、肝心のあなたは全く気にしていなかった。

 冒険において予定外の足止めを食らうなど日常茶飯事。むしろ何もかもが予定通り上手くいくのであれば、それはそれで少々退屈さを感じてしまう。あなたはそういう冒険者だ。

 とはいえ流石にここまで来ておきながら尻尾を巻いてアクセルに逃げ帰るなどという展開になってしまった場合、とてもではないが心中穏やかではいられなかっただろう。

 

 ――すみません。三日、いえ、二日だけ時間をください。絶対になんとかします。

 

 だが、目覚めた後にそう言って、断固たる決意を瞳に燃やしたウィズ。

 彼女が自身のプライドをかけて全身全霊で耐熱装備の改良に勤しんでいる以上、それはほぼ確実にありえない。

 ウィズがどれくらい本気なのかは、作業部屋から響いてくる常軌を逸した凄まじい異音が教えてくれる。

 文字に起こすとギュイーンガガガガガドタンバタンパパパパパウワードドンカァオカァオバリバリバリズガンドガンピーピーピーボボボボ以下略。

 集中したいのでなるべく作業中は一人にしてほしいと言っていたが、ウィズは部屋の中で何をやっているのだろう。たまに光子銃じみた音が聞こえてくるあたり、軽く冷や汗ものである。少なくとも作業風景を覗こうとは思えない。狂気度が上がりそうだ。

 無力なあなたはポケットハウスが内部から爆発四散しない事を祈る事しか出来ない。

 

 そんなわけで短いながらも自由時間を手に入れたあなたは、ここぞとばかりに大自然の中で自己鍛錬に精を出したり、竜の河で釣りをして釣れたモンスターをしばき倒したり、愛剣で世界樹の枝を削って木刀を作ったり、襲ってくる樹海のモンスターをしばき倒したり、ヴォーパルの為に剥製の勉強をしたり、もっと頑張らないといけないと奮起したゆんゆんをその意気やよしとしばき倒したりと、人外魔境での冒険中とは思えない、まったくもってのどかで充実したアウトドアライフを満喫している最中だ。

 

 半ば休暇気分のあなたはゆんゆんの鍛錬中に地中から襲ってきた、全長30メートルはあろうかという赤黒の百足を鼻歌混じりに迎え撃つ。

 改めて説明するまでも無く、愛剣はみねうちが嫌いな上にあなたの交友関係に興味が無いので、ゆんゆんに向けて振るうと死ぬ。具体的には鍛錬で使うと仮にみねうちをしてもグレネードが発動してゆんゆんがミンチより酷い姿になる。

 カルラの件を通じて復活の魔法に対する諸々の懸念が大方解消された今、ゆんゆんの成長のため、あなたは本人の許可を取った上で一回くらいゆんゆんを殺してしまっても大丈夫なんじゃないかと考えていたりするのだが、今のところそのような機会には恵まれていない。

 いずれにせよゆんゆんがあなたやウィズを目指す以上遅かれ早かれではあるのだが、ともあれそういう理由で現在あなたの手にあるのはダーインスレイヴだ。

 

 あなたから見た百足の討伐推奨レベルは平均55の2パーティー(8人)

 大きくて硬くて素早くて毒を持っていて雑に強い。

 流石に樹海の最深部だけあって魔物も気合が入っている。

 だが問題は無いだろう。雑に強いというならあなたの方がよほど雑だ。

 そもそも既に倒した事がある敵であり、素材は有り余っている。急いで愛剣に切り替えるほどの脅威でもない。竜の谷ではここぞとばかりに愛剣を使い倒すつもりとはいえ、この扱いやすく献身的な魔剣にも血を吸わせてやるべきだ。

 あなたが自分を引っ込める気が無いと知り意気込んだダーインスレイヴの刀身が煌き、あなたの意思の下、人魔に忌避されるというその血塗られた力を解き放った。

 

 六連流星。

 発動と同時にあなたの姿が掻き消え、斬撃という名の閃光が百足を激しく打ち据えた。

 巨体が空高くに打ち上がる。

 

 六連流星。

 木々を跳躍しながら空中の百足に追撃。剣との接触から一拍遅れて甲殻と肉が砕ける音が響き、冗談のような勢いで幾度も慣性を無視した軌道で撥ね飛ばされる百足の姿はさながらピンボールの如く。

 

 六連流星。

 弄ぶような追撃。数多の節足の全てが砕け散った。

 

 六連流星。

 嬲り殺しのような追撃。僅かな胴体と頭部を残して百足の全身が弾け飛ぶ。

 

 六連流星。

 胴体と頭を木っ端微塵にした最後の一撃と同時に神速の攻撃スキルがもたらす負荷、強制加速が終わりを告げ、急制動で地面に残痕を刻みながらあなたは着地する。

 

 ――残身までキマってて最高にすたいりっしゅであめいじんぐでびゅーてぃふぉーだよお兄ちゃん……。

 

 妹が恍惚とした声をあげた。

 贔屓目抜きの賞賛だと分かっているので、あなたとしても満更ではない。

 

 一人五連携、六連六連六連六連六連流星。

 合計三十の斬撃の威力は凄まじいなどという言葉では到底物足りないだろう。

 鍛え上げられた鋼を思わせる体躯を持つ百足はさっきまで命だったモノと形容する他ない悲惨な姿となったわけだが、これはヴォーパルが見せた空間殺法を参考にしたものだ。

 ちなみに五連携として成立させるため、最後の一撃以外にはみねうちが乗っていたりする。魅せ技として相手を即死させない為の配慮だったのだが、何故か百足の残骸を見たゆんゆんは顔を真っ青にして震えていた。

 

 そしてその後、気が乗ったあなたは日没までの時間を六連流星の修行に費やす事になる。

 まだまだ自動で体が動いた時のキレには届かないが、スキルの鍛錬、そして百足の血肉の臭いに引き寄せられてやってきた、献身的で自己犠牲の精神に溢れた樹海の魔物達の甲斐もあり、それなりに技としての体裁は整ってきたというのがあなたの感想だ。

 六連流星はダーインスレイヴの固有スキル。彼女以外の剣を用いた発動は不可能という重い縛りこそあれども、やはりそれを補って余りある強力無比な技である事は間違いない。

 本来であれば身体にかかる絶大な負担により命を削って放つ必要がある大技も、あなたなら通常攻撃よろしくノーコストで気軽に連発が可能。

 ゆんゆんが顰め面で「絶命奥義血みどろ虐殺暗黒流れ星に改名すべきでは?」と毒を吐く程度には無法極まるスキルと化した。ちなみに読み仮名はブラッディージェノサイド★シューティングスター。

 ベルディアなら「出し得壊れ性能のクソ技ぶっぱ連打とか殺意しか感じないからマジでやめてもらえる?」くらいは言うだろう。

 あなたとしてもこういった自分だけの必殺技、必殺剣に憧れが無いわけではないので、機会があれば積極的に使用して更に錬度を高めていきたいと考えている。

 

《――――》

 

 あなたがダーインスレイヴの扱いに習熟する度、彼女の好感度が青天井に上がっていく気配がするのはきっと錯覚ではないのだろう。

 嬉々とした感情を隠そうともしないダーインスレイヴに、あなたは構ってもらえて嬉しくてしょうがない子犬のように全身全霊で甘えてくる癒し系銀髪清楚博愛美少女の姿を幻視する。

 

《――――》

 

 そしてあなたがダーインスレイヴの扱いに習熟する度、愛剣の機嫌が底無しに悪くなっていく気配がするのもきっと錯覚ではないのだろう。

 今すぐこのご主人様を誑かす淫乱尻軽クソビッチをぶち殺したいなあ……とどす黒い憎悪を隠そうともしない愛剣に、あなたは呪詛を吐き続ける皆殺し系青髪独占欲激重美女の姿を幻視する。

 

 他にもハラハラと魔剣と愛剣の関係を見守る苦労人の聖槍に、空に浮かぶ雲のように終始我関せずを貫くマイペースな大太刀。

 日常的に神器事情を繰り広げる彼女達が全て擬人化していた場合、色々な意味であなたは地獄だっただろう。

 

 これが世間一般でよく言われるハーレムの主の味わう気苦労なのだろうか。もしそうならやはり自分にはそんな甲斐性も器も無いに違いない。

 美しい夕日の下、例によって体を内側からミキサーにかけられる痛みを味わいながら、あなたはそんな益体も無い事を考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 ウィズの手によって魔改造された外套と護符を身に着け、再び灼熱の荒野に足を踏み入れたあなた達。

 不安は覚えていなかったが、驚くべきことにまるで暑さを感じない。

 冷気で軽減しているのではなく、純粋に熱が遮断されている。

 前回とは全く異なる体感温度と快適さに、あなたは小さく感嘆の声を漏らした。

 

「うん、これなら問題なさそうですね。ゆんゆんさんの方はどうですか? 何か違和感があったら遠慮なく言ってくださいね」

「大丈夫です。あっあっこれもしかしなくても死んじゃうやつっていう暑さが初夏の天気がいいお昼頃くらいになりましたから」

 

 ゆんゆんにとっては運動していると軽く汗ばむ程度の体感温度になったようだ。

 表情も前回とうってかわって平静そのものであり、これならば探索に支障をきたす事は無いだろう。

 

「ただ私のもう一つの問題は解決していないというか、これを解決するのはちょっとやそっとでは無理だと判断したので、いざとなったらお願いしますね。私も十分に留意するつもりではありますが」

 

 ウィズの言う問題点とは、炎と光の魔力で満ちている白夜焦原の内部ではウィズとブラックロータスの魔力が自然に回復しないという、アークウィザードである彼女にとって致命的と呼べるものだ。

 得意の氷魔法で熱を防ぐのではなく、耐熱装備を突貫で魔改造するという解決策をウィズが選んだ理由でもある。

 あなたとゆんゆんは地獄のような暑さの中でも普通に魔力が回復するので、やはりウィズにとって白夜焦原との相性は最悪中の最悪なのだろう。不死性の代償は軽くない。

 とはいえブラックロータスという禁呪認定を食らいかねない狂った性能の魔法のおかげでウィズの魔力総量は冗談のような域に達しているし、最悪ドレインタッチであなたから魔力を吸収する手筈となっている。いざとなったらお願いしますというのはそういう意味だ。

 

 

 

 

 

 

「なんか、モンスターと出会わないですよね。樹海と比べてとかじゃなく、普通に」

 

 探索を開始してから暫くして、予想外とばかりにゆんゆんが言った。

 千年樹海では天界直通ルートを使用していたので襲撃に次ぐ襲撃だったが、現在のあなた達は人類が想定する中で最も安全とされる進行ルートを通っている。碌にモンスターと遭遇しないのはそのせいだ。

 

「安全……本当に安全なのかなあ……」

 

 ちらりと視線を横に向けるゆんゆん。

 その先にあるのは樹海で散々見てきた竜の河だ。

 彼の大河は白夜焦原においても何も変わらない姿を見せている。

 

「竜の河沿いにひたすら北進しているのは同じなのに、こうも変わるなんて思いませんでした。魔物だって全然水中から出てこないし」

 

 河の中の生物が白夜焦原に顔を出そうものなら、さほどの時間もかけずによくて干物、悪くて炭になるのが関の山であり、その逆、白夜焦原に適応した者達にとって水で溢れた竜の河は自身の命を脅かす極めて危険な場所となる。

 だからこそ、あなた達の進行ルートとなっている河沿いは一種の安全地帯になっていた。無論油断は禁物だが。

 

「なるほど……じゃあこのまま河沿いに第三層まで行くっていうのは……」

 

 暑さこそ緩和されたとはいえあまり長居したくないのか、そのような提案をしてくるゆんゆん。

 だがあなたはそのような生温い提案は断固として拒否する構えだ。

 現在河沿いに進んでいるのはなだらかな平原が続いているからであり、遠くに見える山岳地帯に入ればそちらの探索と採掘を優先する予定になっている。

 

「ゆんゆんさんは鉱石に興味が無い感じですか? 装備品を作るのにとても役立つと思うのですが」

「無くはないんですけど、あんまり良すぎるやつだと今の私だと持て余しそうな予感がひしひしと……」

 

 そんな事を話していたあなた達の耳に、どこからか小さな地響きが聞こえてきた。

 ふと足を止めて周囲を見渡してみれば、北東の方角にそれはいた。

 

 溶岩魔人とでも呼べばいいのだろうか。

 身長40メートルにも届こうかという、全身が赤熱化した流体で構成されたゴーレムだ。

 関節部分以外の全身が岩とも金属ともつかない鉱物で覆われており、極めて高い防御力を持っている事が一目で分かる。

 そんなゴーレムはずしんずしんと足音を響かせ、巨体に見合わぬ俊敏な動きで何度も手を伸ばしては空を切るという動作を繰り返していた。

 

「あれは一体何をしているのでしょうか?」

 

 ウィズの疑問に、恐らくは何かを追っているのだろうとあなたは答えた。

 風景が明るすぎるので分かりにくいが、よく目を凝らしてみれば、ゴーレムの少し前方に小さな火の玉のようなものが浮かんでいるのが見える。

 まさか人魂ではないだろう。対策抜きだとリッチーですら余裕で瀕死になる環境でアンデッドが生まれるとは考え辛い。

 

「なんかもう見てるだけで熱くなってきたんで絶対近づいてほしくないんですけど、まあこっちに来ないのなら別に……」

 

 火の玉が突如として方向転換し、あなた達の方へ向かってきた。

 当然火の玉を追うゴーレムもあなた達に突っ込んでくる。見ているだけで暑苦しい。

 無言でゆんゆんに視線を向けるあなたとウィズ。

 普通に考えればこれはただの偶然でしかなく、あなたもウィズも、ゆんゆんに対して何かしらのマイナス感情を抱いたわけではない。そういう雰囲気だったので、なんとなく見やっただけだ。

 だが同時に、迂闊で余計な一言は運命を手繰り寄せる事もあるのだと、歴戦の冒険者であるあなた達は熟知していた。人はそれをフラグと呼ぶ。

 

「ごごごごごめんなさいいいいいいいいっ!!!」

 

 本人にも多少はやらかした自覚はあったのか、少女の悲鳴じみた謝罪が青空に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 フェニックス。

 不死鳥の異名を持つ、炎を司る神獣の眷属だ。

 カテゴリとしては魔物ではなく幻獣。

 冬将軍における雪精に相当する存在であり、その声は太陽を呼び起こすと伝えられている。

 特徴としては燃える体、炎を自在に操る能力、肉の一片からでも再生可能という極めて高い不死性に加え、敵対者の防御力を低下させる脆弱の魔眼を持つ。

 主な生息地は南海の貿易国家トリスティアにある不死火山といわれているが、まともな目撃情報すら殆ど無いという謎の多い幻獣だ。

 特に有名な個体としては魔王のペットとしてのそれが挙げられるだろう。

 代々の魔王に継承され続け、長年に渡って人類を苦しめてきた恐るべき魔鳥だが、二十年ほど前にリーゼの手によって灰の一欠けらも残さず焼殺されている。

 

 間違っても負けるような相手ではないにしろ、それなりに面倒な相手だったと廃人とリッチーが認める溶岩魔人が追っていたのは、なんとそのフェニックスと思わしきものだった。しかも雛鳥。

 あなた達はフェニックスが白夜焦原に生息しているという事を知らなかったが、環境としては生息していない方がむしろ不自然なくらいであり、何より第二層以降は全くといっていいほど調査の手が進んでいない。まあそういう事もあるだろう、とさしたる驚きも無く受け入れられた。

 

 あなた達に命を救われたからなのか、あるいは力の差を感じ取ったのか。

 溶岩魔人を押し付けてきた不死鳥の雛はやけに人懐っこい様子を見せてきた。

 どこまで付いてくるつもりなのか、襲うでも逃げ出すでもなくあなた達に追随するように数メートル上を飛行する雛にあなたが手を差し出してみれば、即座に乗ってきて小さく鳴く始末。

 なんとなく干し肉の切れ端をちらつかせてみると、勢いよく啄ばんでくる。

 警戒心というものがまるで感じられない。

 あなたは少しだけモンスターボールでペットにするか考えたが、家が全焼したりアクセルが焼け野原になる未来しか見えなかったので止めておいた。

 

「ふふっ、可愛いですねー」

 

 柔らかく微笑んだウィズが雛を撫でようとそっと優しく手を伸ばす。

 だがその瞬間、雛は切羽詰ったものすら感じられる甲高い鳴き声をあげ、全身を纏う炎を激しく燃え上がらせた。

 ほうら明るくなったろう。あなたの脳裏にそんな電波が過ぎる。ついでに干し肉は炭になった。やはり炎属性のペットは扱いにくい。

 

「えっ」

 

 自分に触るな近寄るなという明確すぎる拒絶の意思を受け、たまらず強張るウィズの笑顔。

 体に触れられるのが嫌いなのだろうかと次いであなたが接触を試みたのだが、今度は逆に雛鳥の方から手の平に擦り寄ってくる始末。

 唖然とするウィズに向けて、あなたはペットを飼ってきた年季が違うのだとドヤ顔を浮かべた。特に理由は無い。

 

「ちょっ、うえぇっ、なんで!? なんでダメなんですかぁ!? 私がリッチーだからですか!? フェニックスとの相性がとても悪い氷魔法が得意だからですか!?」

 

 恐らくは両方が理由だろう。

 同じ不死の名を冠していても生命力の権化であるフェニックスとアンデッドであるリッチーは正反対の存在であり、炎と氷と属性的にも互いは相反する者同士なのだから。

 

「やっぱり私、ここ苦手です」

 

 可愛いものを愛でる機会を失って若干ふてくされた様子のリッチーは、珍しく毒を吐いた。

 つくづくウィズと白夜焦原は相性が悪いらしい。

 動物に愛されていて大変申し訳ないと、ここぞとばかりにあなたは笑顔で煽り散らす。

 

「ていっていっ」

 

 むくれたウィズに杖でぽこぽこと叩かれた。

 あなたとしては遠慮が無くなってきて大変喜ばしい傾向だと歓迎せざるを得ない。

 

「でもこれ本当にフェニックスでいいんですかね。いや、私もフェニックスの事は殆ど知らないんですけど、それにしたって……」

 

 いい感じにギスギスしてきた空気を敏感に察知したのか、おずおずと問いかけてくるゆんゆん。

 

「これ、どう見てもひよこですよね?」

 

 あなたは改めて雛鳥を観察する。

 

 思わず愛でずにはいられない愛らしく小さな体。

 明るい黄色の羽毛。

 オレンジ色の嘴と脚。

 楕円形の黒い瞳。

 ぴよぴよという鳴き声。

 

 不死鳥の雛はこれらの特徴を併せ持っていた。

 

「つまり完全にひよこですよね?」

 

 ゆんゆんの言葉が示すとおり、噂に名高きフェニックス、その雛鳥の見た目と鳴き声は鶏の雛に酷似しているといえるだろう。

 

 実のところ、あなた達はフェニックスの雛鳥がどういった姿をしているのかを把握していない。

 もしかしたらこれは白夜焦原特有の個体なのかもしれないが、それはそれとして、全身が絶え間なく発火している以上、間違いなくこれはフェニックスだとあなたは確信していた。

 鶏の無精卵をドラゴンの卵と騙されて温めていた女神アクアの二の舞になる予定は今のところ立てていない。

 

 

 

 

 

 

 冒険の舞台が第二層になり、雛鳥という同行者が増えてもあなた達の行動指針は一切変わらない。

 未知を愛する心を忘れず、風景を慈しみ、思う存分楽しく冒険する。

 敵は寄らば斬る。寄らずとも寄って斬る。

 

 今のところヴォーパルのような突出した強敵は出現していないが、やはりと言うべきか、誰も彼もが何かしらの形で炎やそれに類する能力を有しており、白夜焦原の名に恥じぬ姿をあなた達に見せ付けてきた。

 

 そしてきっと、そんな場所だからなのだろう。

 ある日の野営中、愛剣が非常に珍しい形で自己主張を始めたのは。

 

 エーテルの生きた大剣ことあなたの愛剣。

 唯一にして無二の相棒である彼女は、あなたに使われ、あなたの敵を殺す事だけを求めている。

 なのであなたに使われている間に限っては極めて大人しく、何かをしたいとかどうこうしてほしいといった形で自己を主張する事は滅多にない。

 そんな彼女がいきなり自分を装備した状態で火炎属性付与(エンチャント・ファイア)のスキルを使ってほしいと意思表示を始めたのだから、あなたはとてもとても驚かされた。

 

 あまりにも稀な出来事にすわ何事かと尋ねてみれば、どうやら自分も専用のスキルが欲しいとの事。

 間違いなくダーインスレイヴに対抗意識を燃やしている。火炎属性なだけに。

 ともあれ可愛い愛剣の頼みとあれば否やは無い。

 あなたが魔法剣を発動させると、たちまち青い刀身は赤炎に染まり、強い熱気で空気が揺らぐ。

 雛鳥が歓喜の鳴き声を発し、傍で見ていたゆんゆんとウィズが当然のように抗議の声をあげた。

 

「やめてほんと止めてください見てるだけで暑苦しいっ! 装備のおかげで熱は感じないけどそれはそれとして心の底から暑苦しい!!」

「なんでよりにもよってその魔法剣を選んじゃったんですか……」

 

 辟易とした憔悴を隠そうともしない二名だが、気持ちはとてもよく分かる。

 あなたも軽く後悔したくらいだ。これは辛い。視覚的、精神的に辛い。

 

《――――》

 

 だが愛剣的には物足りないらしい。

 あなたは二人から離れ、更にスキルの出力を上げる。

 

《――――》

 

 既に剣から熱気が伝わってくる錯覚を覚えるほどなのだが、まだ足りないらしい。

 どうやら愛剣はあなたに全力を出してほしいようだ。

 何もこんな場所でなくともいいだろうに。そんな事を考えながらもあなたは魔力を注ぎ、スキルを最大出力まで引き上げる。

 

 愛剣を通り越してあなたの半身が火に包まれると、二人は視界にも入れたくないとばかりにあなたから目を背けた。

 別に熱さは感じないのだが、これ以上あなたが魔力を込めてもスキルから零れ落ちるだけになってしまうだろう。

 にも関わらず愛剣は更に力を込めるように要求してきた。

 魔力制御スキルを使えということらしい。

 あなたは主に範囲攻撃魔法のフレンドリーファイアを防ぐ目的でしか使用していないスキルだが、その気になればこういった繊細な魔力の運用も不可能ではない。

 

 そこから更に乞われるままに注いで、注いで、注ぎ続けて。

 どれほどの時間が経過しただろう。あなたの頬を一筋の冷や汗が伝った。

 現在進行形であなたが注いでいる魔力は、既にスキルという器では到底収まりきらない量に届いてしまっている。

 これがどういう事かと言うと、1リットルの水しか入らないタルに10000リットル以上の水を圧縮して無理矢理詰め込んでいる状態といえば容易に伝わるだろう。以前ウィズの店で購入したトイレ型水桶とはわけが違う。

 

 しかもそれだけではない。

 白夜焦原に満ちる炎の力。

 ともすれば無尽蔵と錯覚するそれが、赤の奔流という形で愛剣に収束されているのを感じるのだ。

 

 あまりのやりたい放題っぷりにスキルが悲鳴をあげている。

 んほおおおおおおおおおおおおおらめえええええええええええしゅごいのおおおおおおおおおおそんなにいっぱいはいらないのおおおおおおおおわらひこわれひゃいまひゅうううううううううう!! といった具合に。

 

 間違いなくあなたの卓越した魔力制御と愛剣の悪巧みが悪魔合体した結果なのだろうが、あなたは嫌な予感しかしなかった。

 具体的には一歩でも間違えると壮絶な爆発オチで終わる気配が漂っている。

 かといってここで手を止めてしまえばそれこそ行き場を失った力が暴走して大惨事は不可避であり、だからこそあなたは強く警戒するようウィズとゆんゆんに声をかけようとした。

 したのだが。

 

「…………」

 

 凝視。

 つい先ほどまであなたに呆れていたウィズが、不死の女王が、あなたを凝視している。

 在り得ざるものを見たかのように呆然と、しかし瞳だけは爛々とした強い光を宿したまま。

 それはあなたが垂涎モノの神器を発見した時のそれに酷似したものであり、友人達が自身の琴線に強く触れた事象に遭遇した時に見せるものでもあった。

 

 自分達と彼女の意外な共通点を発見して嬉しく思うあなただったが、それはそれとしてあなたの一挙手一投足を見逃すまいとする今のウィズはとても声が届きそうにない。

 魔法ガチ勢としての一面が顔を覗かせている、どころの話ではない。我を忘れるレベルで前面に出てきてしまっている。そういうのはもう少し別のタイミングでお願いしたかったというのがあなたの本音である。

 これはダメそうだと一瞬でウィズの助力を諦めたあなたは、ゆんゆんに声を投げかけた。

 最悪の場合、もしかしなくてもゆんゆんは派手に爆死すると思うので、ちょっとだけ覚悟しておいてほしい、と。

 

「ヤダーッ!!」

 

 魂から搾り出したかの如き渾身の絶叫。

 だが捨てる師あれば拾う師あり。

 可愛い妹分が発したそれに若干正気を取り戻したウィズがハッとした表情で魔法を唱えると、ゆんゆんの周囲を三角錐状に形作られた氷の結界が覆ったのだ。

 即席のシェルターながら、核の数発程度は容易に防ぐ事が出来るだろう。

 ちなみにゆんゆん本人は師のアシストに全く気付いていない。それどころか暑さで頭をやられているのか、やだやだ絶対やだと錯乱して頭を軸にした逆立ち回転(ヘッドスピン)を始めている。

 

 自身を結界の外に置いたままのウィズをあなたが見やると、彼女はこれで大丈夫ですと両手でガッツポーズを作って力強く頷いた。

 構わず続けろという事らしい。

 

 半ば自棄になって更に魔力を注ぎ続けるあなた。

 興奮のあまり、遂には自覚も無く口元に笑みを浮かべ始めたウィズ。

 結界の中でどりゅどりゅと激しく回転するゆんゆん。

 

 どれだけ控えめにいってもカオスとしか表現できない状況の中、やがて。

 パキン、と。

 どこからか、何かが割れた音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 白夜焦原に、一本の火柱が立ち昇る。

 雄大な大空からしてみれば蜘蛛の糸の如くか細い、しかし天を貫き、塗り潰し、焼き焦がす蒼い炎が。

 

 竜の谷第二層、その表層部といっても過言ではない場所にて突如発生した炎は、白夜焦原に住まう全ての者達に観測、あるいは察知されていた。

 炎に入り混じるのは数え切れないほどの血と死で彩られた星の力。

 そのあまりの異様さにあるものは逃げ惑い、あるものは震え上がり、またあるものは警戒を露にする。

 

 そんな火柱の発生源。つまり愛剣を持つあなたは当然のように全身を蒼炎で焼かれていたわけだが、その心中を占める感情はただ一つ。

 なんか思ってたのと違う。

 

 幸いというべきか、爆発オチに関しては避ける事に成功した。

 ゆんゆんは爆死していないし、愛剣もやる事をやりきったのか満足げな感情を発している。ウィズに至っては歓喜と好奇に目を輝かせている始末。

 だが最低でも核規模の大惨事を予想(期待)していたあなたとしては、少々肩透かしを食らった感が否めない。

 

 愛剣から放出されている蒼い炎の正体は、火炎とエーテルの混合物。

 火の粉に混じって漂うエーテルの燐光がそれを証明している。

 エーテルが星の力である以上、あるいは星の火と呼べるのかもしれない。

 そして装備の恩恵で火炎に対して無敵であるあなたの体を当たり前のように焼き焦がしている事から、どうやらこれは耐性貫通効果を持ったスキルでもあるようだ。

 

 最大値のおよそ四割。

 冗談のような量の魔力を注ぎ込んで生み出しただけあって、相応に強力なスキルなのだろう。

 自傷効果付きなあたりにあなたは若干のネタ臭を敏感に感じ取っていたが。

 火を消して、一応念の為にと冒険者カードを確認してみると、火炎属性付与のスキルの部分が■■属性付与に変化していた。

 文字化けしたステータスより明らかに酷い事になっている。

 

 何もしていないのにスキルが壊れた。

 そんな何かして壊した者特有の言い訳を瞬時に脳内で浮かべるあなたとて思うところが全く無いわけではないが、愛剣が満足したのなら安いもの。

 魔力の消耗と精神的疲労から若干投げやりな心地に浸っていると、あなたの胸元に軽い衝撃が走った。雛鳥が螺旋軌道で勢いよく突っ込んできたのだ。

 ぴぃぴぃと鳴いてはぐいぐいと胸元に全身を押し付けてくる姿は親に甘える子供のよう。

 とてもではないがこの極限環境で生きる者には見えない。生息地を間違えているのではないだろうか。

 そんな事を考えながらもあなたは雛鳥を叩き落とす事はしなかった。流石のあなたもそこまで無慈悲ではない。これだけ小さいと剥製にするのもさぞかし簡単だろうと考えている程度だ。

 

 一般論として、剥製コレクターにとっての剥製にしたい度合いとは対象への興味や好感度に比例するものであり、一種の友好表現の発露である事は言うまでもないだろう。

 つまりじゃれついてくる雛鳥を撫でながら剥製の事を考えているあなたは極めて正常そのものであり、何一つとしておかしな点は存在しないのだ。

 

「勿体無いです!!」

 

 いつの間にか至近距離に詰め寄ってきていたウィズが声高に主張した。

 いきなり何を言い出すのか。

 思わず目を点にするあなたに構う事無く彼女は続ける。

 

「そのままだと折角のスキルが勿体無いです! あれじゃ唯の力の垂れ流しじゃないですか! もっとしっかり制御すれば見違えますって!! 私もお手伝いしますから!! 二人で力を合わせれば間違いなく素晴らしいスキルになりますよこれは!!」

 

 暑さを吹き飛ばすレベルでウィズのテンションが高い。

 暑苦しさを覚えるくらいに。

 彼女はリッチーで氷の魔女だというのに。

 

「どうやら理解されていないようなので僭越ながら簡単に説明しますがあなたはたった今長きに渡るスキルの歴史に一つの名を刻んだんですよどういう事かというとですねまず込めた魔力や生命力といったものの量によってスキルの威力が大きく左右されるというのはスキルを扱う者にとって常識なわけですが同時に術者のステータスと所持スキルから算出される威力を著しく逸脱するほどのものにはならないわけでつまり限界が存在するわけですね当然この限界を超える研究は遥か古代から行われていますが結局のところスキルという器には規定値を著しく超えた魔力および生命力を込められない込めても溢れてしまうという課題を超えられていないというのが実情ですいえ正しくは実情でしたかくいう私も魔力制御には自信があるのですがやっぱりどうしても限界があったというかどれだけ魔力を圧縮して押し込んでもある一定の地点まで来ると魔力が零れるのを止められなかったんですよねやり方自体は間違っていなくてでも何かが足りない手ごたえを感じてはいたのですがあなたのおかげでそれがはっきり分かりましたスキルの限界を突破させる為にはまず莫大な魔力とそれを扱いきれるだけの魔力制御これは当然ですねそしてマナタイトなどを使えばどうにでもなります冗談のような量になるでしょうが決して非現実的ではありません次にあなたが愛剣と呼ぶそれのような術者の魔力制御を極めて高いレベルで補佐する媒体それも所持者と一心同体といっても過言ではないレベルで同調可能なものが必要ですこれは確かに厳しすぎる条件ですというかほぼ実現不可能といっても過言ではないでしょう私も恐らくはあれでももしかしたらあれを使えばあるいはそれはともかく最後の要因それは注がれ続ける術者の膨大な力にスキルという器が耐えられるようにするだけの要素を外部から補填する必要があるなるほどこれは盲点でしたですがやはり非常に厳しい条件でもあります火の力が満ちる白夜焦原だからこそ火属性スキルをあのような形で昇華出来たのだと個人的には愚考しますここまで属性が偏りきってなおかつ強い力で満ちた場など世界中探したところで幾つもあるものではありませんから兎に角その奇跡としか言いようのないスキルを腐らせておくのはあまりにも勿体無いので是非とも習熟しましょう少しずつで構いませんから!」

 

 長い。

 あまりの必死さと早口にドン引きしながら、あなたは努めて我が意を得たりという顔で頷いた。

 話は一割ほどしか聞いていない。あなたは冒険者であって研究者ではないのだ。

 

 ちなみにゆんゆんにも感想を尋ねてみたのだが、返ってきた言葉は。

 

「焼身自殺でも試してみたくなったんですか?」

 

 というあんまりすぎるもの。

 爆死の危機に晒されたせいか若干恨み節すら篭っていたわけだが、あなたとしては焼身自殺の部分については全力で同意する事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんながありながらも、夜が来ない世界を河沿いに北進し続け、やがて山岳の麓、丘陵地帯に足を踏み入れたあなた達。

 水場である竜の河を離れた事で、環境は更なる苛烈さを見せ付けてくる。

 見渡す限りの平原から一転。焼け焦げた大地のあちらこちらで隆起した岩盤が顔を覗かせていたり、底の見えない亀裂から溶岩が漏れ出ていたりと、探索においては入念に注意を払う必要があるだろう。

 

 無論魔物との戦闘も忘れてはいけない。

 河沿いの道では退屈さすら覚える遭遇率の低さだったが、ここに来てようやく襲撃の頻度が跳ね上がる事になる。

 それこそわざわざ寄って斬る必要が無い程度には群がってくるので、ありがたく素材に生まれ変わってもらっていた。

 

 とはいえ例外が無いわけではない。

 

「カースド・クリスタルプリズン」

 

 ウィズが放った魔法によって即死し、物言わぬ氷像と化したのは、あなた達を襲撃した十匹の火竜、その最後。

 フィールドとの相性がすこぶる悪いウィズだが、そんな中でも魔法の冴えが陰りを見せる事は無い。

 彼女が氷魔法で生み出す魔物のオブジェは体感的にも視覚的にも涼が取れるものであり、灼熱地獄の探索における数少ない癒しといえるだろう。

 

「お二人とも、お疲れ様でした」

 

 ウィズに護られながら観戦していたゆんゆんが竜の骸の数々を見渡す。

 

「こんなに大きくて強そうな竜の群れを短時間で片手間に処理するのは、まあ正直見慣れましたけど。でもドラゴンの死体を回収せず野晒しにしていくっていうのはやっぱり慣れないです」

「私と彼のスタンスはお話ししましたよね? 今回も強さや大きさこそ外で見かけるものとは桁違いでしたが、火竜といえば最もポピュラーなドラゴンですから」

「まあドラゴンといえば空を飛んで火を吹くモンスターみたいなイメージはあります」

 

 竜種はそれ自体が希少だが、その中でも火竜は最も個体数が多い。

 あなた達にとっては、前人未到の領域で限りある収納袋に突っ込むほど価値のある存在ではないのだ。四次元ポケットの魔法とて無限の容量があるわけではない。

 少し前に遭遇した、マグマ浴を行うゴブリンや巨大な火炎旋風の中を優雅に泳ぎまわる鮫の群れはこいつはとんでもないものに出くわしてしまったと非常にテンションが上がって写真に収めたほどなのだが。

 

「そういう意味ではドラゴンよりフェニックスの方が遥かに……」

 

 言葉を止めたウィズはじっとゆんゆんを見つめた。

 

「えと、ウィズさん? どうしたんです?」

「……いえ、仲が良さそうで羨ましいな、と」

「ああ……個人的には私の頭の上で休むの止めてほしいんですけどね。装備のおかげで熱さはお風呂のお湯くらいなんですけど、いつか髪が燃えそうで怖いですし」

 

 ゆんゆんの頭頂部でのんびり羽を繕う暢気な雛鳥。

 どれだけ愛らしい容姿や仕草をしていても、竜の谷に生きている時点で油断禁物なのは今更言うまでもない。

 故にあなたは相手が微かでも害意や殺意を仄めかす行動を取ったら即座に殺処分するつもりでいたのだが、今に到るまでこのひよこのような何かは一度もそのようなそぶりを見せていなかった。

 

 それどころかこの小さな同行者はいつの頃からか、あなたとウィズが戦い始めるとゆんゆんの頭の上に陣取るようになっている。

 かといってゆんゆんに懐いたわけではない。

 その証拠に、今も彼女が掴んで頭から離そうとすると、鬱陶しそうに羽ばたいた。

 あなたはこの原因について、ゆんゆんが自分と同じく庇護される側の者だと気付いたが故だろうと予想していたりする。

 身も蓋も無い表現をすると、ゆんゆんは雛鳥に舐められていた。

 それでも全力で威嚇するウィズ相手よりは遥かにマシな対応だ。友好度で言うと低めの普通と天敵くらいには差があるだろう。ウィズが羨むのもむべなるかな。

 

 

 

 

 

 

 さて、ネバーアローンが第三層への最短ルートを外れて丘陵地帯まで足を伸ばしたのは、この地に眠る鉱物系素材を採掘するためだ。

 山登りが目的ではない。

 

 手始めに地殻変動が原因であろう、大きく隆起した地面を小手調べで軽く掘ってみたのだが、あなた達は自身の見通しが如何に甘く温いものだったのかを存分に思い知らされる事となった。

 

「やばいですね……」

 

 畏怖が込められたウィズの独白に応答は無い。

 何故ならあなたとゆんゆんも全く同じ気持ちだったからだ。

 

「そりゃ私もアークウィザード兼魔法店店主として手に入れることを期待していなかったといったら大嘘になります。なりますけど、やっぱりちょっとこれはやばいとしか言えないですね……」

 

 あなた達の足元に転がっているのは、直径三センチにも満たない小さな、しかし眩く燃え盛る真っ赤な鉱石。

 それが三個。

 採掘を始めてたったの五分しか経過していないにも関わらず、早くもネバーアローンの心中には嵐が吹き荒れている。

 

「一応念の為に確認しておきたいので、もし今もお持ちでしたら例のアレを出してもらっても大丈夫ですか? ほんの少しの間だけで構わないので」

「例のアレ?」

 

 あなたは首肯し、物体としての性質が完全に停止する四次元空間から要求された品を取り出した。

 直径十数センチ、地面に転がっている鉱石より遥かに激しく燃え盛る赤熱の球体。

 そしてそれを一目見た瞬間、ウィズの瞳が諦観に染まり、ゆんゆんの視線が凄まじい速度であなたの手と地面を往復する。

 

「サイズと品質こそだいぶ劣っていますけど、やっぱりどう見ても同じ鉱物、コロナタイトですよね……。ありがとうございます、もう仕舞ってくださって大丈夫ですよ。爆発したら大変ですし」

 

 コロナタイト。

 たった一つで機動要塞デストロイヤーの動力源を数百年以上もの間担っていた、伝説の希少鉱石。

 暴走状態で爆発しそうなところをあなたがイルヴァに持ち帰るべく四次元ポケットに突っ込んでそのままにしていたせいで、余剰エネルギーを吸収した妹がわけの分からない進化を遂げてしまった、ある意味で因縁の品。

 

 あなた達は、そんなものを苦労なくあっさりと掘り出してしまっていた。

 それも三個も。

 確かに竜の谷は伝説級の地域であり、あなたとウィズは廃人級という、伝説を通り越した神話という名の沼に頭のてっぺんから足の先まで浸かっている冒険者なのだが、それでも過去の体験という比較対象が存在する以上、喜びよりも困惑の色が遥かに濃くなってしまうのは当然といえるだろう。

 

「もしかして当たり前のようにそこらへんの地面に埋まっちゃってたりするんですかね。もしそうなら寒気がする話なんですけど」

 

 暴走すると大爆発を起こす核の如き危険物が無数かつ無差別に足元に埋まっている可能性がある。

 幾ら現代ノースティリスがイルヴァの歴史に名を残す修羅の国でもそこまで無体な真似はしない。

 恐るべし竜の谷。恐るべし白夜焦原。

 あなたの頬を熱気とは全く別の理由で汗が伝う。

 

「いやいやいやいやちょっと待ってくださいなんであなたがコロナタイト持ってるんですか私初耳ですよ伝説ですよ伝説!?」

「えっ? あ、ああー……ゆんゆんさんはそうでしたね。すみません」

 

 そういえばゆんゆんはデストロイヤー戦に参加しこそすれ、あの場にはいなかったのだったか。

 絶賛暴走継続中のコロナタイトを四次元に戻し、当時を思い返しながらあなたは簡潔に答える。

 これはデストロイヤーの動力部から回収した物だと。ゆんゆんならば知られても問題は無い。

 

「あの時の!? 私テレポートで爆発しても平気な場所にあなたが吹っ飛ばしたって聞いてたんですけど!?」

 

 デストロイヤー戦に参加した者達の話を纏めた冒険者ギルドの公式発表ではそういう事になっているが、それはコロナタイトをイルヴァの魔法で回収すると知られたくなかったあなたが吐いた嘘だ。

 

「えぇ~……なんかもうえぇ~……」

 

 脱力の極みとばかりにガックリと肩を落とすゆんゆんを尻目に、あなたは足元のコロナタイトを拾い上げる。

 暴走状態でこそないものの、それでも準備も無しに素手で触れようものなら重度の火傷を負う事は避けられないだろう。

 白夜焦原での冒険は最初から予定内だった以上、耐熱耐火加工が施された荷袋は当然持ってきているが、中身ごと袋が燃え尽きてしまうのではないかという懸念を拭い去る事が出来ない。

 だからといってコロナタイトをこの場に捨てていく気にはなれなかった。少なくとも今はまだ。

 安全安心の四次元ポケットに突っ込んでおくのも悪くはないが、それとは別に、何かの理由で外に持ち出す時に入れておく保管容器くらいは用意しておきたいところだ。

 

「でしたら新しく収納箱か袋を作っちゃいましょうか。白夜焦原で手に入れた素材を使えばなんとかなると思います」

 

 ウィズの提案を否定する理由は無い。

 ただ、こういう事になるなら一匹くらい火竜の素材を回収しておくべきだった。

 

 そんな事をあなたがしみじみ考えていると、不死鳥の雛鳥が鳴き声をあげてあなたの周囲を飛び回り始めた。

 今まで世話をしてきた経験から、これは餌を求めている時の鳴き声だと分かる。

 そして注意と意識はあなたの手の中に向けられており、明らかにあなたが持つコロナタイトを強請ってきていた。

 

「折角ですし、一つくらいはいいんじゃないですか? 個人的にもフェニックスがどうやってコロナタイトを食べるのか興味があります」

 

 およそ全ての物の価値は変動するものだと相場が決まっているが、それにしたってウィズの態度は伝説の鉱物に対する敬意が足りないと多くの者が口を揃えるだろう。

 だがあなたは彼女と同意見だったので、不死鳥に向かってコロナタイトを軽く放った。

 

 如何なる原理なのか、明らかに自身の小さな口には入りきらないコロナタイトを一息に飲み込んでみせる雛鳥。

 炎に包まれた小さな体が内側から更に眩しく輝き、ガリゴリと硬いものが砕ける音が響く。

 野生に生きるものらしく豪快すぎる食べ方だった。

 内臓はどうなっているのだろう。不思議に思ったあなたが轟音鳴り止まぬ腹部を軽く揉んで擦っても硬い感触は無い。雛鳥はくすぐったそうに体を動かすばかり。

 世界は神秘に満ちていると感心せざるを得ない。

 

「餌……伝説の鉱石が鳥の雛のエサかあ……相手がフェニックスだからギリギリ耐えられるけど、安いなあ伝説……」

 

 自身を完全に置き去りにしていく世界観のインフレを目の当たりにし、虚無の暗黒に呑まれかけているゆんゆん。

 その小さな呟きは、憎たらしいほど綺麗な青空に溶けて消えるのだった。




《■■属性付与》
 火炎属性付与だったもの。
 スキルという器が砕け散るまで魔力と白夜焦原に満ちる火のエレメントを無理矢理注ぎ込む事で発現したスキル。
 星の力を内包した蒼い炎は敵のみならず術者までも焼き尽くす。
 莫大なエーテルを必要とする関係上、実質愛剣の固有スキルと化している。
 このスキルの習得に伴い、あなたの火炎属性付与は永遠に失われた。

 超威力、超射程、低燃費、火耐性貫通。
 単純に性能だけ見ると強いとか使えるとか通り越して壊れているといってもいいレベルなのだが、スキルを発動させた姿は誰がどこからどう見てもただの焼身自殺以外の何物でもないし、自傷ならぬ自焼効果も当然の如く耐性を貫通するので実際ただの焼身自殺。わしは心底痺れたよ。うおおおおおおおおお!!! あっちいいいいいいいい!!!!
 問答無用で味方も巻き込むので超迷惑。使った瞬間パーティー追放食らっても文句は言えない。

 ■■は文字化けだとか意味深な伏せだとかではなく、単にスキルがぶっ壊れたので物理的に火炎の部分が読めなくなってしまっただけ。
 なにもしてないのにこわれたはやくなおして。

 総評するとあなたと愛剣が廃スペックで脳筋ゴリ押し愛のツープラトン万歳アタックした事で限界突破した結果生まれた、辛うじてスキルとしての体を為しているだけの、爆裂魔法のような浪漫スキルとも呼べないし決して呼んではいけないクソバカスキル。
 ただし紅魔族の里でこのスキルを発動してしまった場合、比類なき多幸感を得てかつてない狂奔に陥った紅魔族全体が一丸となりあなたを現人神として崇拝する地獄のようなカルト宗教が生まれる事になる程度には素敵性能が無意味かつ極限に高い。


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第134話 マインしてクラフトする

 鉱物。

 それは人々が営みを行う上で欠かせない、切っても切り離せない要素の一つ。

 だが鉱物一つとってもイルヴァとこの世界では扱いが大きく異なる……というのは以前も述べた話だ。

 

 繰り返すが、イルヴァでは大地を司る神が定期的にファハハハハハハハハハハハハハー! フワハァー! と地殻変動を引き起こして自身の力を大地に行き渡らせているがゆえか、その恵みが枯渇するという事は無い。

 短期間で掘りつくせば何も出てこなくなるが、その場合も年単位で放置していれば自然と鉱脈は復活する。

 ゆえに畑を休ませるのと同じように、複数の鉱脈をローテーションで掘っていく、というのがイルヴァにおける普遍的な採掘事情だ。

 あなたが所持する素材群を除いた各種鉱物も、大半は安価かつ手軽に手に入る。

 無論希少価値が高いものについては相応の値段になるし、万が一大地の神が零落でもすれば話は大きく変わってくるのだろうが、少なくとも今のところはそうなっている。

 

 対してこの世界の鉱物資源はまさかの有限。

 採掘された富で栄華を誇りながら、人類に掘り尽くされたり魔物に食い尽くされたりといった様々な理由で資源が枯渇、廃鉱になった鉱山街は枚挙に暇が無い。

 国単位の話になると、世界地図において最北部に位置する、雪に閉ざされた氷鉄の国ことルドラが挙げられるだろう。

 カイラムがエルフの国であるように、ルドラはドワーフの国。

 そして鉄の名を冠する事から分かるように、ルドラは世界で最も多くの鉱山と採掘力、そして鍛冶師を有している。

 そんなルドラはここ数年、複数の大鉱山で事故や魔物騒ぎが相次いで発生。世界各国の鉱物事情と流通価格に小さくない悪影響を及ぼした。

 既に解決済みの事件であり、その裏には例によって魔王軍による暗躍があったという話だが、遠い他国という事もあってあなたは噂話程度でしか知らない。

 

 両世界の差異についてだが、あなたは神々のスタンスの違いから来るものだと推察している。

 イルヴァの神々は、この世界の神々と比較して人々に近しい存在であり、その恩恵や影響を直接肌に感じられる事が多い。無論特別に寵愛という名の贔屓をされているあなた達とは比較にならないほど小さいものではあるのだが。

 

 一方でこの世界の神々は、女神エリスが人知れず世のため人のために活動していることからも分かるとおり、地上の者達に決して無関心というわけではないにしろ、やはりどうしても距離はあるとあなたは感じていた。異邦人にして筋金入りの狂信者であるあなただからこそ、余計に。

 互いが長い歴史の中で育ち、作り上げられてきた世界である以上、このスタンスの違いについて良し悪しを論ずる意味は無いだろう。両世界における命の重さが異なるように、どちらもそういう世界であるというだけだ。

 

 あなたの考察はさておき、限りある資源であるからこそ、この世界における希少な鉱物の価値がイルヴァより遥かに高いというのは伝わっただろう。

 伝説と謳われるコロナタイトが拳大で軽く億を超える程度には。

 だからこそ、その危険度の高さから人の手が入る余地が一切なく、強力で希少な鉱石が生まれやすい環境である濃密な魔力で満ちた白夜焦原の山脈は、あなた達にとって文字通り宝の山と呼べた。

 

 

 

 

 

 

 奥に進むにつれて遭遇するモンスターが徐々に強くなっていくのを感じ取りながら丘陵地帯を超え、白夜焦原に満ちる炎の力を長年に渡って浴び続けた山岳地帯に足を踏み入れたあなた達ネバーアローン。

 山麓を超えるかどうか、といった具合の標高を、あなた達は採掘場所に見定めた。

 白みがかった青空を背景に聳え立つ黒い山々はコントラストが映えていると同時に、難攻不落を誇る砦のような印象を受ける。

 どこまでも人の立ち入りを拒んでくる世界の姿に、そうでなくては踏破のし甲斐がないとあなたは意気込みを新たにした。

 

 ここまであなた達と行動を共にしていた不死鳥の雛も、それまでと比べて目に見えて元気になっているのが分かる。今もあなた達から離れる気は無いようだが、もしかしたら巣が近いのかもしれない。

 

 何か面白い発見があるかもしれないとあなたが軽く周囲を見渡してみれば、煤けた大地については相変わらずであるものの、川の名残と思わしき地形が彼方にまで続いていた。

 半島が竜の谷という魔境に変質する前は、この不毛の大地にも大きな川が流れ、木々が生い茂っていたのだろう。

 普通に考えれば諸行無常とでも呼ぶべきなのだろうが、無常というには白夜焦原は凶暴なまでの生命力に溢れすぎている。

 その筆頭が今まさにあなたの目線の高さで羽ばたいている不死鳥だ。

 育ち盛りの雛は腹が減ったのかぴよぴよと鳴いて餌を催促してきたので、あなたは白夜焦原で作ったカリカリの干し肉を差し出す。餌付けもすっかり手馴れたものだ。相変わらずウィズからは絶対に受け取ろうとしないが。

 

 ちなみにこの干し肉、魔物の解体作業の過程で生まれた大量の廃棄肉を使い、手慰みと実益を兼ねてあなたが作った代物だったりする。

 手当たり次第片っ端からポケットハウスの軒先に吊るしたので、今あなたが手渡したものも何の肉かは分からない。

 それどころか本当に食べても大丈夫なのかすら不明だが、ひよこのような何かはご機嫌な様子で干し肉に噛り付いた。コロナタイトを難なく消化するくらいなので、さぞかし頑丈な胃腸を持っているのだろう。

 

「幸いにしていい感じのキャンプ地も見つかりましたし、ここを拠点にして掘っていきましょうか。とはいっても時間制限があるわけでもないですし、安全第一で頑張りましょうね」

 

 眼前の山々を見上げてそう言ったウィズはフード付き耐熱外套の上から安全用ヘルメットを被っており、片手には愛用のツルハシを装備している。

 姿と口ぶりからなんとも手馴れたものを感じさせるが、それがかえってミスマッチを助長しており、非常にシュールな姿となっていた。

 

 この期に及んで再確認するまでもなく、アークウィザードであると同時に研究を好むウィズは博識だ。

 そして今となっては懐旧の念すら覚える玄武との遭遇、もとい宝島発掘作業の時のように、多種多様な素材群の中でも鉱石系について一家言を持っている。

 その道の専門家には及ばずとも、深い造詣を持っている事は間違いないだろう。

 一方で実際の採掘能力はお世辞にも高いとは言えない。

 肉体的疲労を覚えないアンデッドの体を活かして不眠不休で働く事は出来るが、眠気や精神的疲労はしっかり感じるのでそのうち限界が来て頭がおかしくなるか昏倒する。

 

 対してあなたの知識は今も素人に毛が生えた程度ではあるものの、こと採掘能力に関してはプロフェッショナルにも引けは取らないという自負がある。

 採掘に限らず、思考を停止して延々と単純作業に従事する事においてあなたの右に出る者はイルヴァでも極めて稀。廃人に到るまでの過程と経験が生み出した実績は伊達ではないのだ。

 ツルハシやスコップで山にトンネルを作り出すなど造作も無く、イルヴァと比較して大地が脆いこの世界であれば、それこそ地下深くまでもが採掘場所の候補に入るに違いない。

 

 頭脳労働担当のウィズと肉体労働担当のあなた。

 互いが互いを補うコンビと言えるだろう。

 

「あの、すみません。ちょっといいですか? 私はこの分野に詳しくないので、素人質問で大変恐縮なんですけど」

 

 手を上げるゆんゆん。

 だがどういうわけなのか、反射的にウィズの表情が虚無になり、目から一切の光が消え去った。

 とても怖い。

 

「はい」

「え、えっ? 私何かまずい事言っちゃいました? まだ何も質問してないのに?」

 

 機械の如く感情が乗っていない師の声に震え上がる少女。

 あなたはゆんゆんがおかしな事を言ったとは思えないのだが、今のウィズは透明視装備を持たずに受けたモンスターの討伐依頼で不可視のカボチャ系モンスターが複数混じっていると気付いてしまったノースティリスの冒険者のような姿だ。

 想像しただけで眩暈、動悸、頭痛、立ちくらみ、吐き気、そして膝が折れそうになるほどの絶望と疲労と憤怒があなたを襲う。

 やはりカボチャ系モンスターは等しく生きていてはならない。生かしておいてはならない。憎悪を燃やしたあなたは人知れず抹殺の決意を新たにした。

 

「……ああ、すみません。学生時代に嫌というほど聞いた言葉だったのでつい過剰反応を。本当に嫌というほど聞いた言葉だったので。本当に嫌というほど」

「つい、であんなになっちゃうんですか!? すんっ……ってなってましたよ!? しかも三回も繰り返すくらい!?」

「なっちゃうんですよ。レポートや研究の発表っていうのは。似たような経験をした方ならきっと頷いてもらえるんじゃないですかね……」

 

 ふふふ、と疲れきった哀愁の笑いを零すウィズ。

 あなたは生まれてこの方学生という身分に縁が無かったので共感できないが、幼い頃から天才アークウィザードとして実力を示していたという彼女がトラウマになるほどの恐ろしいイベントだったようだ。

 

「自慢みたいになってしまいますが、私が在籍していた魔法学院はその筋では非常に有名でして、何かにつけて各地で名を馳せた魔法使いや研究者の方々が大勢集まっていたんです。中でも学生が発表した論文や研究成果が微に入り細を穿つとばかりに延々と質問攻めにされて憔悴するのは風物詩のようなもので。私も例外ではなく毎回の恒例行事でした。当時から魔法関係の研究は好きでしたけど、発表だけは本当に面倒で億劫に感じていましたね……自分で言うのもなんですが、当時の私はコミュニケーション能力が冗談や謙遜抜きで壊滅していたので」

 

 滅多に聞けない貴重なウィズの昔話にほへー、と興味津々で聞き入るあなたとゆんゆん。

 

 だがここにかつてのクラスメートであるリーゼロッテ、あるいはウィズに質問を投げかけた者達がいれば、彼らはこみあげる頭痛と胃痛を耐えながら死んだ目で吐き捨てていただろう。

 貴女が言われていたそれは、他の学生とは意味合いが違う、と。

 あるいは、お前マジざっけんなよ……と。

 

 この分野に詳しくないので、素人質問で恐縮ですが。

 身に覚えのある者が聞けばトラウマに震え上がるであろうこの言葉が向けられる時、それはもっぱら初心者でも気付くようなミスや問題点をオブラートという名の皮肉に包んで指摘されている時だ。

 

 だがウィズに向けられていたそれは違う。

 他意のない、まさしく文字通りの意味合いしか込められていない。

 賢者と呼ぶべき世界的に高名な魔法使いや研究者。

 彼らをして微に入り細を穿つレベルで質問し、説明してもらう必要があるほどに、歴史に残る不世出の天才という名の全自動心折マシーンが生み出した独自の魔道理論は難解極まりないものだったのだ。

 幼少時のウィズの対人能力が死滅していたのも決して無関係ではないが、それ以上に画期的すぎて、あるいは頭のネジが飛びすぎていたせいで。

 彼らはウィズが自分用に構築した、そのままでは同レベルの天才しか理解できない、それでいて間違いなく有用な理論に対して幾度と無く質問を繰り返し、天才美少女の「なんでそんな事までわざわざ説明しないといけないの? 言わなくても分かるでしょ?」という悪意の無い、しかし心底面倒臭そうな応対に心とプライドを抉られながら、何とか自分達でも理解可能なレベルまで翻訳していったのだ。

 ウィズの発表時期が来るたび彼らは胃薬を調達し、頭皮の脱毛に悩まされた。中には感情の希薄な幼い少女に蔑まれたい、という度し難い趣味に目覚めてしまった者すらいたりする。

 

 そんな悲惨な事実を知らないウィズは、覇気すら感じ取れる凛とした表情で宣言した。

 

「もう大丈夫です。どんな質問をしてくださっても構いませんよ。覚悟完了しましたので」

 

 全身から迸る不退転の決意はたった一人で人生最終最大の戦いに挑む気高い英雄の如く。

 氷の魔女の異名で謳われた現役時代を彷彿とさせる、仲間の威風堂々たる姿を見たあなたとゆんゆんだがしかし、感動や畏怖よりも先に、子供の頃、どれだけ質問されるの嫌だったんだろう、と考えてしまったのは致し方ないといえるだろう。

 

「じゃあ、なんですけど。お二人は探知魔法を使った後、普通に人力で山を掘っていくんですよね?」

「そうですね。その予定になっています」

「どうしてクリエイト・アースゴーレムを使わないんですか? 私ならともかく、ウィズさんなら凄く大きいゴーレムを作れますよね? それを使ってガンガン山なり地面なりを掘っていけばいいと思ったんですけど。なんなら山にクリエイト・アースゴーレムを使えば一気に掘れちゃいますよね」

「あー、なるほど……」

 

 あなたとウィズは何とも言えない表情で互いの顔を見合わせる。

 村人全員が手練のアークウィザードである紅魔族は、力仕事筆頭のインフラ整備すら全て魔法で解決してしまう。

 魔王軍の攻撃で村が壊滅しても三日もあれば元の景観を取り戻すという話なので、ノースティリス顔負けのインフラ技術を有しているのは間違いない。

 そんな場所で生まれ育ったゆんゆんは魔法の運用方法についても常人とは視点が少し異なっていた。

 戦闘関係に偏っているあなたやウィズではこうはいかない。

 

「ゆんゆんさんの質問ですが、確かに可能といえばそういうやり方も可能だと思います。ただ……」

「ただ?」

 

 気まずそうに目を泳がせ、口ごもるウィズの言葉をあなたは継いだ。

 その場合、ゆんゆんはほぼ確実に数え切れないくらいの回数死ぬ事になるだろう、と。

 

「死ぃ!? 私また命の危機ですか!? それも数え切れないくらい!?」

 

 またである。

 竜の谷の探索行におけるゆんゆんの命はあまりにも儚い。

 

 ゆんゆんが口にしたような、繊細さの欠片もない能力にあかせたゴリ押し採掘。

 それをあなたとウィズが考えなかったわけではない。

 むしろ最初はそのつもりだった。

 順調にいけば普通にそうなっていただろう。

 

 だがかつて溢れる知性と力による友情パワーで宝島を綺麗さっぱり掘り尽くしたあなた達は、今回も白夜焦原に聳え立つ山脈に意気揚々と挑み、眼前に立ちはだかる断崖の如き焦山を凄まじい速度で削っていく……というわけには残念ながらいかなかった。

 その原因は小手調べの段階であっさり出てきてしまったコロナタイトに他ならない。

 機動要塞デストロイヤーの製作者が遺した手記によると、動力として用いられたコロナタイトは火の付いた煙草を押し付けただけで盛大に暴走したのだという。

 ということは、あなた達が地中のコロナタイトにツルハシやスコップを直撃させた場合、デストロイヤーの動力源よろしく暴走、爆発してしまうのでは? という懸念が生まれてしまったのだ。

 決して杞憂だと笑い飛ばす事は出来ないし、爆発の衝撃で他のコロナタイトが……といった風に連鎖爆発が起きる可能性すらある。

 

 とはいえコロナタイトが爆発したところで、あなたとウィズが致命的なダメージを負うかは怪しいものがある。

 なので最悪でも直接的な人的被害はゆんゆんが塵一つ残さず消し飛ぶ程度に収まるだろう。

 そしてゆんゆんの案である地面を使ったゴーレム生成も結局この爆発問題を解決はできない。それどころかほぼ確実に大爆発が起きてゆんゆんの消失とばかりに影だけ残して蒸発する。

 採掘中、事あるごとに爆死されては命がどれだけあっても足りはしない。

 

 山肌を用いてゴーレムを作った場合だが、こちらはほぼ確実に大規模な山崩れが発生するだろう。

 普通に掘っていて爆発した場合もそうだが、山や坑道が崩落して生き埋めにされてしまうというのは非常によろしくない。

 竜の谷はテレポートの魔法が使用不可能なので、一度生き埋めにされると脱出が極めて困難になってしまうのだ。大問題である。

 

 余談だが、イルヴァの魔法にも転移関係のものが複数存在するわけだが、こちらに関しては恐らく発動自体は可能だろうとあなたは認識していた。

 だが使ったが最後、時空の歪みに巻き込まれて全身がバラバラに引き裂かれて四散する気配をあなたは感じているため、実質使用不可能になっている。いのちだいじに。

 

 オマケのような理由にはなるが、他にもあまり派手に採掘するとモンスターを引き寄せすぎて面倒な事になりかねない、という懸念もあるといえばある。

 ゆんゆんにはこちらの方が伝わりやすいかもしれない。

 

「なるほど、言われてみれば確かにそうですね。私が浅慮でした…………ってあまりにもさらっと言うからつい流されかけましたけど! 被害は私が塵一つ残さず消し飛ぶ程度って! 程度って! 私なら何回死んでもセーフみたいな言い方止めてもらえませんか!? いや一度だって絶対に嫌ですけど! 幾ら私が紅魔族だからってその子みたいに無茶な生態はしてないですからね!?」

 

 あなたの隣で滞空する不死鳥を指差して涙目で吠えるゆんゆんに、悪いほうに考えすぎだとウィズと共に優しく宥める。

 ことあるごとに発露するネガティブさはゆんゆんの悪い癖だが、自身の力が通用しない環境における冒険は神経をすり減らして当然だ。彼女がナーバスに陥るのも無理も無い。

 実際問題、神器による擬似的な無限残機を得たベルディアでもあるまいし、現状のゆんゆんが何回死んでもセーフと考えるほどあなたの人間性や倫理観は終わっていない。

 彼女はカズマ少年のようにリザレクションによる無限蘇生は叶わないし、あなたの復活の魔法も数えるほどしかストックが残っていないのだから。

 ノースティリスの冒険者と同じく、ゆんゆんの命の価値をゴミ同然にするには、相応の条件を整える必要があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 さて、地雷原じみた鉱脈にネバーアローンはどう対処していくのか、という話だが。

 答えは単純にして明快。

 コロナタイトが危険なら、コロナタイトを刺激しないように採掘を行えばいい。

 あなたの説明を聞いたゆんゆんがきがるにいってくれるなあ。と渋面を作る程度には難問だが、この場にはそれを可能とする人物が存在する。

 

「マテリアル・サーチ」

 

 手の平に乗せた小さなコロナタイトに向けて魔法を使うウィズ。

 トラップ・サーチやエネミー・サーチといった魔法使い用の魔法をアレンジし、この世界の炭鉱夫が使う鉱物探知スキルを再現したオリジナル魔法である。

 

「やっぱりというか、地面にも山にも相当な量のコロナタイトが埋まっていますね。しかも少し離れた場所にはコロナタイトの鉱脈っぽいものまでありますけど……掘りますか?」

「反対! 私は反対です! お二人は良くても死にますから! 私が!!」

「ゆんゆんさんを死なせてしまうつもりはないですが……まあそうですね、危険なので手を出すのはやめておきましょうか」

 

 脳内地図に周囲一帯のコロナタイトの埋蔵箇所をマーキングしたウィズに先導され、あなた達は安全に採掘が可能な場所に向かう。

 マテリアル・サーチが炭鉱夫のスキルに明確に勝る点として、今のウィズが示してくれたように、特定の鉱物のみに狙いを絞って探知可能という点が挙げられるだろう。あなたと出会う前の彼女は、この魔法を使って欲しい素材を集めていたらしい。

 イルヴァにも物質感知という似たような名前と効果を持つ魔法があるのだが、素材の一つ一つには反応を示さないし、何故か階段や扉にも反応を示してしまうせいで、もっぱら主目的である素材の溜まり場を探すよりも迷宮の階段を探す用途で使われているというのが実情だ。

 

 そうしてしばらくの間、無数の大小さまざまな岩が転がる荒れ道を歩いた後、ウィズは足を止めた。

 岩山というよりは岩壁と呼ぶべき、垂直に切り立った山肌だ。

 

「よし、ここらへんなら大丈夫です。地面も山も多少深く掘ったところでコロナタイトに当たる事はありません」

 

 言うが早いか、巨大な岩壁に向けてツルハシを振り下ろす不死の女王。

 魔法使いらしい細腕から繰り出された一撃は、しかし頑丈な岩に弾かれる事もなく、驚くほどあっさりと突き刺さった。

 あなたの感心した視線に気付いたウィズは笑顔でツルハシを掲げてみせる。

 

「やっぱりあなたにも分かりますか? このツルハシはあなたに紹介した職人さんが手がけたもので、私みたいな非力な後衛職でも軽々振るえる上、硬い岩盤でも簡単に貫ける逸品なんです。自動修復機能付きでちょっとくらいの損傷なら勝手に直るので手入れもあまりいりません。以前は出番が無かったですが、普段私が採掘する時はお世話になってるんですよ」

 

 それほどにいい品なら随分と金もかかったのではないだろうか。

 かつての真冬を通り越した絶対零度の懐事情を知るあなたが何の気なしに発した感想を受け、ウィズは目をそっと逸らした。

 

「……高性能で得られる快適さはプライスレスなので」

 

 なるほど、至言である。異論などあろうはずもない。

 だがこのツルハシ代を食費に当てるべきだとは一度も考えなかったのだろうか。

 

「さて、じゃあ掘り始めましょうか」

 

 ネバーアローンの知恵袋、パートナーの正論をまさかの黙殺。

 あーあー聞こえなーいとばかりに脇目も振らずに採掘を始めた、世話焼きで家事も得意と、誰かと共同生活を営むなら絶対良いお嫁さんになれると確信できるのに、いざ一人暮らしをさせると食生活が世界最速でゴミになる元極貧店主の背中を、あなたとゆんゆんはじっと見つめる。

 

「あの、ちゃんとウィズさんの生活の面倒、見てあげてくださいね?」

「えっ!?」

 

 切実に訴えるゆんゆん。

 真剣に頷くあなた。

 驚愕を露にするウィズ。

 

「私が生活の面倒を見られる側なんですか!? 面倒を見る側じゃなくて!? 家事やってるのに!?」

 

 ウィズはこれまで、異世界人であるあなたに何度もこの世界の常識を教えてきた。

 更に同居では自身が炊事掃除洗濯といった家事全般を一手に担っているという自負もあるのだろう。甚だ心外といった様子。

 

 確かにウィズは家事担当かつあなたの精神的ストッパーであり、外付け良心でもある。

 だが生活の面倒を見るのと家事担当は違う。違うのだ。主に金銭的な意味で。

 一人で放っておくと綿に含ませた砂糖水を食事にするこの愛すべき友人は、どの面下げて自分が生活の面倒を見るなどとのたまっているのだろう。

 全力で抗議を始めたウィズの戯言を聞き流しながら、あなたは素で思った。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで採掘が始まったわけだが、何も雁首揃えて仲良くツルハシを振るうわけではない。

 ネバーアローンの採掘における各々の役割分担はこうだ。

 

 まずあなたがメイン業務である採掘を担当する。

 うおォン、あなたはまるで人間削岩機だ、とばかりにただひたすら目の前の壁を掘って掘って掘り続けるだけの簡単なお仕事であり、同時にあなたにとっては慣れ親しんだ作業でもある。

 

 ウィズの仕事は全体の統括、各種魔法を用いた採掘跡の掃除、粉塵の除去、窒息やガス中毒の防止といった採掘環境の維持、採掘物の管理と多岐に渡る。

 実質的な採掘リーダーがウィズである事に疑いの余地は無い。

 

 最後のゆんゆんは土魔法を使った坑道の補強と風魔法によるウィズのサポート。

 本人は自分だけ仕事が少ないのでは、と悩んでいたが、ウィズの魔力が回復しない現状ではサポートだけでも十分すぎるほどにありがたいものだ。

 坑道の補強とて他に劣らぬ重要な仕事であり、魔法をインフラに活かすのが上手い紅魔族にうってつけの役割といえるだろう。

 

 オマケとして、不死鳥の雛がたいまつや魔法の代わりに坑道を照らす。

 世の中には坑道にカナリアを連れて行き、弱ったり死んだら毒ガスが出ていて危険だから引き返すという極めて非人道的な運用法があるそうだが、不死鳥はその名の通り馬鹿げた生命力を持っているので多少毒ガスを吸い込んだところで命に別状は無い。それどころか毒ガスに当たった場合、真っ先に倒れるのは確実にゆんゆんである。

 

 

 

 

 

 

 白夜焦原において唯一、一切の日光が届かぬ深い闇の中、規則的で硬質な破砕音がどこかから響いてくる。

 それは一人の人間がツルハシを振るう音と呼ぶにはあまりにも大きく、速く、そして激しすぎた。

 カーン、カーンではなくドガガガガ、としか形容出来ない、どう考えても激しい魔法やスキルが入り乱れる戦闘音でしかないそれは、あなたが速度を全開にして採掘を行っている証に他ならない。

 ツルハシ二刀流による一心不乱の坑道掘り。

 

 常軌を逸した音と採掘を目の当たりにした二人のアークウィザードは、採掘が始まってすぐの頃はそうはならんやろ、と酷く狼狽を示したのだが、あなたがその狂った身体能力を存分に振るうと正気を疑う事態に陥るのは最早ネバーアローンの日常なので、早々に慣れる事になる。

 それでも採掘音が酷くやかましかったのは確かなので、明かり無しでも物が見えてなおかつ頑丈すぎるあなたが先行して採掘し、あなたが掘り散らかした跡を二人が片付けつつ付いていくという形に自然と落ち着いた。

 

 そんな整地削岩機と化したあなたが切り開いた坑道の中でもちょっとした部屋と呼べるほどに広い空間で、ウィズは採掘品のチェックと整理を行っていた。

 雑多に並べられた袋や箱の中には、何かしら鉱物と関わりを持つ者なら一瞬で目の色を変える事請け合いの、超の付く希少鉱石が所狭しと詰められている。

 

 ミスリルやオリハルコン、アダマンタイトといった一般的に希少鉱石とされるものはほんの序の口。

 あなたがエーテルと呼ぶ、星の力が感じられる青い結晶体。

 熱漂う坑道でなお凍てつく冷気を放つ鉄鋼。

 下手をせずとも一つで億に届く、濃密すぎる魔力を内包したマナタイト。

 竜が埋められた、竜の化石ならぬ竜の化鉱。

 確実に竜の谷の異界化に貢献しているであろう、周囲の時の流れを歪める異常な鉱物。

 研磨する前から目を奪われる魔性を持った、宝石の原石の数々。

 存在自体が伝説や幻と謳われる柔らかい石。

 耳を澄ませると中から声が聞こえてくる、石のような物体。

 果ては古今東西の文献を紐解いてきたウィズですら全く未知の鉱石の数々。

 

 まだ採掘を始まってさほど日数が経過していないにもかかわらずこの有様。

 このペースならば世界の鉱石市場の掌握を通り越して崩壊させる事すら容易だろう。

 故に竜の谷産の素材の数々の例に漏れず、取り扱いには細心の注意を払う必要があるとはネバーアローンの共通認識だ。

 だがそれはそれとしてまだまだ採掘を止めるつもりは無かった。あなたとウィズは金銭欲や名誉欲こそあまり強くないものの、物欲に関しては高位冒険者らしく相応に持ち合わせている。

 

「ウィズさん、壁の補強終わりました」

「了解です。お疲れ様でした」

 

 案外居心地がいいのか、大人しく耐火性の鳥籠の中でくつろぐ不死鳥が放つ明かりを頼りに、ここまで掘り進めてきた坑道の地図、現在自分達がいる場所に新たに工事完了のサインを書き込む。

 本職の炭鉱夫が見ればその見やすさに感嘆するであろう詳細な地図は、ウィズが自ら書き記したものだ。

 迷宮に潜る冒険者にとってマッピングは必須技能。凄腕冒険者だったウィズも当然のように高度なマッピング技術を有している。

 

「私はマッピング苦手なんで詳しくは分からないですけど、パッと地図を見た感じ、この坑道もだいぶ長くなってきた感じですか?」

「そうですね。まあ拡張ペースがペースなので」

 

 ネバーアローンが作った坑道はこれで三本目。前の二本は拡張を続けた結果、山を貫通した。

 道は一律で縦横3.5メートルほどと、それなりに余裕を持った広さになっている。

 それを単独で成し遂げるあたり、今もどこかで無心で破壊行為を続けるあなたの採掘の技術が垣間見えた。時間制限付きかつ甲羅掃除を兼ねていた宝島採掘の時とはわけが違う。癒しの女神に鉱物を捧げ続けてきた更地マシーンの面目躍如といったところだろう。

 

「真面目にやったら私が歩くより坑道が伸びる方が早いってどういう事なんだって感じですよ実際。しかもこの広さで完全人力。そうはならないでしょとしか言いようがないっていうか」

 

 陰口や悪口ではない、思ったままを口にする少女に苦笑を浮かべるウィズ。

 ふと時計を見てみると、今日の採掘を開始して数時間が経過していた。

 長時間時間の流れが分からなくなる暗闇の中で作業を行っていると、えてして時間の感覚が狂うものだが、永遠に太陽が昇り続ける白夜焦原において時間感覚の乱れなど然程気に留める事柄ではない。要は慣れである。

 

「ゆんゆんさん、そろそろお昼ですし、一旦休憩にしましょうか」

「あ、もうそんな時間なんですね」

 

 軽く片づけを行ったウィズとゆんゆんは部屋の片隅に鎮座する、大きな岩に括り付けられたロープに向かう。

 一目見てとても頑丈な作りだと分かるこのロープは、千年樹海で集めた素材を使ってあなた達が作成したものであり、先を見通せない暗闇の先にまっすぐ伸びている。

 

「せーのっ!」

 

 そんなロープを掛け声と共に二人が思いっきり引っ張ると、手ごたえと同時、彼方から絶えず聞こえていた破砕音がぴたりと鳴り止んだ。

 

 実はこのロープ、先端があなたの腰に結ばれていたりする。

 これは落下防止の命綱であり、遭難防止措置であり、そして何より速度差や採掘音といった様々な理由で声が届かないあなたを呼び出したい時に用いられるものである。

 

 その用途に違わず、呼び出しを食らったあなたは程なくして戻ってきたわけだが。

 

「なんでちょっと一人になっただけでそうなるんですか!?」

 

 明かりに照らされる、全身が血と土で滅茶苦茶に汚れたあなたの姿。

 一切覚悟していない状態で叩きつけられた視覚の暴力に、アークウィザードの師弟は揃って泡を食ったように慌てるのだった。

 

 

 

 

 

 

 血塗れの原因について問い詰められたあなたは、珍しく消沈し、嘆息混じりに答える。

 少しばかり下手を打ったと。

 

「ヴォーパルのような強敵と遭遇でもしたんですか?」

 

 あなたが怪我を負っていない事を確認した後、言外に、そういう時は私を呼ぶ約束ですよね? と眉根を顰めたウィズの問いかけだが、そうではない。

 採掘中にモンスターと遭遇したのは確かだが、全身を鱗ではなく赤熱した岩石で覆った竜であり、今まで遭遇してきた雑多なモンスターと同じく、ヴォーパルとは比較にならない相手であった。

 当然あなたに瞬殺されたわけだが、あなたの行動がいけなかった。

 

 岩竜は眠っていた。

 あなたの採掘ルート上で。

 

 結果として鉢合わせになってしまい、無心で採掘していたあなたはつい反射的に竜を素手で攻撃してしまったのだ。結果として竜は爆散。至近距離にいたあなたは盛大に返り血を浴びた。

 そして血濡れのまま採掘を続行したため土や泥が全身に付着して汚れたというのが事の真相である。

 まさしく下手を打ったとしか言いようがない。十分防げる事故だっただけに、あなたとしては多方面に対して反省する事しきりである。

 

 ただの返り血だと分かり、ほっと安堵する二人のアークウィザード。

 ヴォーパル戦であなたが負った傷は今もちょっとしたトラウマになっているようだ。

 二人に軽く謝罪しながらもあなたは己の首筋に刻まれた深い傷跡、愛しき強敵が遺した残痕にそっと触れる。

 更なる強敵の登場を願いながら。

 

 

 

 

 

 

 採掘を楽しんだ後は工作の時間だ。

 本来であれば素材はそのまま保管し、冒険が終わってからあらためて消費していく予定だったのだが、予想以上に各種素材がざくざく集まってくるので荷物限界の容量が心許なくなってきてしまったのだ。

 千年樹海や白夜焦原と違い、微かに伝え聞く三層はその性質上、素材の収集を行う機会は限りなく少なくなるだろうが、ここで引き返すという選択が存在しない以上、四層以降の存在の可能性を考慮して容量に余裕がある内に消費しておく事に越したことはない。

 

 比較的安全と判断した素材を使って魔法袋やめぐみんへのお土産といった思い思いの道具を作るウィズとゆんゆんを尻目に、あなたは低品質コロナタイトを素材にした道具を作っていた。

 

 止めろっつってんだろ! とベルディアから全力で頭を引っ叩かれそうな行為だが、当然ポケットハウスの中で制作を行うほどあなたは気が触れていない。

 ちゃんとアクセルから持ち込んだシェルターの中で遊んでいる。

 当然だが工作中に爆発の危険があるのでゆんゆんはシェルターに立ち入り禁止だ。

 

 トンテンカンテン、ドカーン。

 トンテンカンテン、ボカーン。

 トンテンカンテン、ガチャガチャ、*チョドーン!*。

 

 シェルターに響き渡る数々の音。

 そんなこんなで多くの失敗と爆発を経験した末に完成したアイテム。

 その名はニュークリアグレネード。

 

 

 ――ヒトゴロシくんはさあ……遊び半分で私の飯の種を奪う人?

 

 

 完成させた瞬間、どこぞの貧乳テロリストから毒電波が届いたこれは、間違いなくコロナタイト由来であろう、核熱属性というあなたからしてみれば未知の属性の爆発を引き起こす手榴弾であり、イルヴァの技術と異世界の物品が合わさって生まれた両世界の架け橋的存在だ。

 簡単に言ってしまうと、直径数メートルという超極少規模の核爆発に似た爆発を無限に発生させられる楽しいオモチャである。

 

 うっひょーたーのしー! と童心に返って完成したニュークリアグレネードをシェルターの壁にぶつけて久方ぶりに爆発で遊ぶあなただったが、そんなあなたの肩を強く掴む者が現れた。

 

「…………」

 

 ウィズである。

 にこにこと満面の笑顔を浮かべた、しかし無言のウィズである。

 

「…………」

 

 あなたには分かる。

 おこである。

 ()()ぽわぽわりっちぃが本気と書いてマジと読むレベルでげきおこである。

 

 あなたは困惑した。

 怒っているのは分かるのだが、肝心の理由が分からない。

 制作の過程で爆発に巻き込まれて軽く煤けたりはしたものの、あなたは一切の怪我を負っていない。ゆんゆんやポケットハウスを危険に晒してもいない。

 あなたにはウィズがここまで怒る心当たりが本当に欠片も無かった。

 

「お楽しみのところ大変申し訳ないのですが、それは、ダメです。それだけは、ダメです。その道具は封印してください。速やかに、永久に。さもなくば私が破壊します。今、ここで」

 

 あなたは困惑した。

 いくらなんでも横暴がすぎる。何が逆鱗に触れたのか。

 ウィズは突然このような無体な要求を突きつけてくる女性だっただろうか。

 

「分かります。あなたは爆裂魔法に興味津々でしたもんね。でも約束しましたよね? 爆裂魔法が必要な時は私にお願いするって、約束しましたよね?」

 

 あなたは困惑した。

 確かに約束したが、何故その話が今出てくるのだろう。

 別にこれは爆裂魔法を発生させる道具ではないというのに。

 説明するため、あなたは再度壁に向けて手榴弾を投げる。

 爆発が起きたが、やはり爆裂魔法ではない。

 

「ほらまたそういうことする! 当て付けですか! 爆裂魔法の杖を仕入れなかった私への当て付けですか!? そんなのを爆裂魔法の代わりにするなんて私は絶対に認めませんからね!!」

 

 あなたは困惑した。

 笑顔から一転、ぷりぷり怒り始めたウィズはめぐみんが憑依したかの如き物言いである。

 いよいよ本気で彼女の頭が心配になってきたあなたは、ウィズの額に手を当て、次いでユニコーンの角を取り出した。

 

「熱はありませんし正気を失っているわけでもありません! これは私の尊厳の問題なんですー!」

 

 あなたは困惑を通り越して逆に楽しくなってきた。

 実のところ、手慰みに作ったオモチャを手放す程度は全く構わないといえば構わないのだが、折角の機会なのであなたはウィズに軽く遊んでもらうことにした。

 ニュークリアグレネードを掲げて宣言するあなたの姿を見た妹が発した次の言葉が全てだ。

 

 ――いわゆる「もしこの宝がほしいならこの私をたおしてゆくがいい」ってやつだねお兄ちゃん!

 

 かくしてどこでもない異空間の狭間にて、廃人とリッチーによる天地を揺るがす戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

「あ、おかえりなさい、お二人とも随分遅かったですね……ってなんで二人揃ってそんなズタボロに!?」

「ううっ……ゆんゆんさん、私は無力です……」

「いきなりどうしたんですか!? 本当にどうしたんですか!?」

 

 orzと床に手を付いてさめざめと嘆くウィズ。

 かつて見た事も無いほどに満足げに笑って天高く拳を突き上げるあなた。

 

 どこまでも対照的な二人の師の姿を見たゆんゆんは直感的に悟った。

 あ、これ絶対その場の勢いとかつい楽しくなってみたいな、最高にしょーもなくてどーしよーもないアホな理由で喧嘩したな、と。




 WARNING!! WARNING!!
 Encounter with Extra Enemy!!

 Enemy data:unknown
 Enemy level:unknown
 Enemy power:unknown

 unknown
 unknown
 unknown
 unknown
 unknown

 ……極めて困難な戦闘が待ち受けています。
 本当に挑みますか? y/n

 ウィズ「yyyyyyyyyyy」


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第135話 白夜に帳を下ろすもの

【冒険の断章】

 

 この文章を見つけて読んでくれているあなた。

 あなたが誰かは分からないけど、本当にありがとう。

 

 私は■■。

 あなたがこれを読んでいる時、私はきっと死んでいると思う。

 

 私は■■というパーティーに所属していたベルゼルグの冒険者。

 私達六人を指し、人々は世界最強最高のパーティーと称えてくれた。

 それはきっと客観的な事実だったのだと思う。

 真実、私達に勝るパーティーは世界中を見渡しても存在しなかったから。

 冒険を繰り返して、幾度と無く魔王軍を退け、幹部すら打ち倒してみせた。

 

 力、富、名誉。

 全てを手に入れた私達がその集大成として未踏領域である竜の谷に挑んだのは当然の帰結だった。

 

 更なる修行と万全な事前準備。

 ありとあらゆる事前準備と数度の挑戦の末、私達は見事に樹海越えを果たし、第二層、白夜焦原に挑んだ。

 

 第一層から尽きることのない強敵。死闘に次ぐ死闘。

 楽に勝てる戦いなんて一度も無かった。

 それでも私達は勝ち続け、前に進み続けた。

 自分達こそが竜の谷を踏破する最初の探索者になるのだと、全員がそう信じて疑わなかった。

 

 油断なんて無かった。

 私達は竜の谷の魔物とも対等に戦えていた。

 絶対に。断言してもいい。

 

 でも、死んだ。

 みんな、みんな死んだ。

 突然現れた正体不明の何かに、冗談みたいに、あっけなく殺された。

 

 最初に死んだのは■■。

 クルセイダーであり、これまで私達をあらゆる脅威から護り続けてきた最高の盾は、一瞬で装備ごと焼失した。灰の一欠けらも遺す事無く。

 

 次に殺されたのは私と同じ転生者でソードマスターの■■。

 転生特典を使う間もなく消し炭にされた。

 今にして思うと、■■が灰すら残らなかったのに対して■■以降の死体が辛うじて人型を保っていたのは、相手が火力を調節していたからなのだろう。

 

 そうして最後まで残った私と■■のうち、■■が生きたまま焼き殺された。

 私は■■に庇われて無様に逃げて、私は命からがら千年樹海まで辿り着いて。

 運よく人間が入れる木の空洞を見つけ、今も隠れてこの遺書を書いている。

 あれから何日も経ったのに、今も仲間の肉が焼ける臭いが消えない。

 

 もはや進む事も、引き返す事も出来ない。

 私一人では樹海の踏破は叶わない。私はここで死ぬ。絶対に死ぬ。

 死ぬのはこれが二回目だけど、やっぱり怖い。体が震えて止まらない。

 でも仲間と同じ場所に逝くと思えば少しだけ心が楽になる気もする。

 

 私はこれから竜の河に向かい、この遺書を投げる。

 願わくば、この文章を誰かが読んでくれますように。

 無事に竜の河を流れきって、そこから誰かに拾われるのにどれだけ沢山の奇跡が必要かなんて分かってはいるけど、どうか。どうか。

 

 お願いします。

 どうか伝えてください。

 

 決して日が沈まぬ白夜焦原にも、夜の帳は下りるのだと。

 そして私達は、その夜に為す術も無く殺されたのだと。

 

 

 

 ――誰の目にも留まる事無く失われた遺書

 

 

 

 

 

 

 ~~ゆんゆんの旅日記・白夜焦原編~~

 

 △月♪日

 先日の二人が喧嘩した理由が判明した。

 なんでもぬくりあぐれねえどとかいうコロナタイトを材料にした無限に爆発を起こせるアイテムを巡って口論、というかウィズさんが一方的にヒートアップしてしまい、この機会を逃してなるものかとアイテムを賭けての決闘に持ち込んだらしい。

 

 ズタボロになった二人を見た時、私は最初、例の秘密がウィズさんに露見して喧嘩になったのかと思ったのだけど、いざ蓋を開けてみれば聞いているだけで頭が痛くなるような理由だった。

 つい痴話喧嘩と認識して思わず二人に懇々と説教じみたことをしてしまった私は間違ってないと思う。

 二人に護られてなかったら余裕で死んでいる、ネバーアローンぶっちぎり最弱の名を欲しいままにする私としてはそんな理由で無駄に消耗してほしくないわけで。

 シェルターの中を見てみたら世界の終焉みたいな光景が広がってたし。正直一目見て絶句した。どんだけ激しく戦ったのかと。しかもどちらも武器防具を一切使用していないとか。頼むから嘘だと言ってほしい。

 

 あと投げたら勝手に手元に転移する明らかにヤバい威力の爆発を無限に起こせるとかいう超危険物を楽しい玩具扱いする姿は見ていて頭がおかしいとかより本気で分からない……文化が違う! って思った。

 私としても、ぬくりあぐれねえどは処分してほしい。

 めぐみんが見たら怒りのあまり発狂する未来しか見えない。

 

 

 △月:日

 一日中、ウィズさんの湿度と重力が凄かった。

 あるえの絶対に許されない許してはいけない小説騒ぎの事を思い返してみれば、確かにウィズさんはそういう一面があったような気もするけど。

 それはともかくとして、憧れの女性であるウィズさんに対する私のイメージが変な方向に壊れ始めているので一刻も早くなんとかしてほしい。

 当人曰く、ぬくりあぐれねえどを処分するのは吝かじゃないけど、物陰から顔半分覗かせて無言の抗議をしてくるウィズさんがとても可愛いから明日までは処分しないとのこと。

 可愛いと思う気持ちはちょっとだけ分からなくもないけど、私が巻き込まれたら秒で影すら残さず蒸発するであろう喧嘩の後だと思うと、実にいい根性と性格をしていると呆れざるを得ない。知ってたけど。

 でもこれもウィズさんに対するある種の甘えなんだろう。私がちょっとくらい辛辣な事を言ってもいいよね、と思っていたり、ウィズさんがああも分かりやすく拗ねた態度を取るのと同じように。

 

 この事からわかるように、あの人はウィズさんが自分で思ってるよりずっとずっとウィズさんの事を大好きだし、信頼も信用もしているし、何より対等だと思っている。

 彼とそこそこの期間、お情けでパーティーを組んでもらっている私が言うのだから間違いない。

 正直羨ましい。

 

 

 △月?日

 ぬくりあぐれねえどを処分したおかげでウィズさんが無事正気に戻った。

 同時に言葉に記すのも憚られる自分の姿を自覚してしまい、穴があったら入りたいとばかりに恥ずか死しそうになっていた。

 分かる。紅魔族随一のえっち作家あるえの小説を読んで誤解した私もそうだった。やはりあるえは許されない。

 それはそれとして、激しく喧嘩したり彼をズタボロにした事についてはどう思っているんだろう。

 

 

 △月#日

 喧嘩自体は別になんとも思っていないらしい。

 あの程度ならウィズさんの中では手合わせになるらしい。

 無駄に魔力を消耗したのは非常に申し訳ないと思っているけど、互いに命を懸けない範囲内で思いっきり戦う事自体は楽しかったし、負けた事が嬉しかったらしい。それはそれとして次は勝ってみせますと向上心の塊のような言葉をいただいた。

 

 私は忘れていた。

 現役冒険者時代のウィズさんは、氷の魔女の異名を持つ、魔王軍をじゃんじゃんバリバリぶち殺していた超武闘派アークウィザードだったという事を。

 前にリーゼさんからウィズさんの学生時代の話を少しだけ聞かせてもらったけど、子供のウィズさんも今のウィズさんからはとても想像出来ないくらいやばい人間だったのだという。

 

 それらを考えれば決しておかしい話ではないのかもしれない。

 でもあの地獄のような戦場跡を生み出す戦いが手合わせというのは、私にはあまりにも異次元の話すぎる。透明な顔で「あ、はい」としか言えなかった。

 私が目指す先はあまりにも遠い事を再確認した日だった。

 後悔は無いけど誰か私を慰めて励ましてくれないだろうか。

 

 

 △月%日

 採掘最終日。

 温泉を見つけた。というか掘り当てた。白夜焦原にも地下水はちゃんと流れているらしい。ぼこぼこ煮立ってたけど。

 掘り当てた当人の口ぶりでは地味に狙っていたようだ。

 毒ガスを疑う凄まじい臭い、ウィズさんが今まで掘り当ててきたどんな鉱物よりも目の色を変えて大喜びしていた事、温泉の湧き場所をテレポートに登録出来ない事を嘆いていたのが印象的だった。

 白夜焦原は暢気に服を脱いで温泉に入れるような環境ではないというか私とウィズさんが余裕で死ぬので、温泉のお湯は巨大な樽に入れて持って帰ることに。

 

 鑑定の魔法という異世界スキルで判明した効能は以下の通り。

 

 冷え症、肩の凝り、腰痛、むくみ、不眠症、食欲不振、性欲減退、肥満、発育不良、そばかす、虫歯、視力低下、糖尿、薄毛、動脈硬化、呪い、麻痺、毒、凍結、火傷、石化、昏睡、倦怠期、四十肩への効能

 精神沈静化(混乱魅了幻覚狂気といった精神異常全般に対する効能?)

 疲労、生命力、魔力、精神力、精力回復

 全ステータス、状態異常耐性、成長力、金運、恋愛運上昇(三日)

 炎スキル威力微上昇(永続)

 炎、水、毒耐性微上昇(永続)

 

 どれとはいわないけど、絶対嘘が混じってると思う。

 

 ・追記

 温泉を使ったお風呂に入ったけど、これ本気でやばい。世界最強。

 最強すぎて世界中の温泉街が滅びる。

 満場一致でもっとお湯を回収する事が決まった。

 

 

 +月α日

 世界最強コンビによる青いエンチャント・ファイアの制御訓練が始まった。

 今日からは訓練の進捗を書いていこう。訓練するのは私じゃないけど、日記に書くネタが出来てとても助かる。

 さて、初日になる今日は高すぎる出力を抑えるところから始まったのだけど、内容は焼身自殺焼身自殺焼身自殺焼身自殺自爆自爆焼身自殺焼身自殺焼身自殺自爆焼身自殺、みたいな感じ。

 忘れた頃にこのページを読み返したら、私は当時の自分の精神が病んでいたと勘違いするんじゃないだろうか。

 とにかくしばらくはお肉が食べられなくなりそうな凄惨極まる光景だった。普通に食べたけど。今日のご飯も美味しかった。

 

 

 +月β日

 炎に満ちた白夜焦原の環境が出力の低下を難しくしているらしい。

 今日は旅をしながら焼身自殺を眺める一日だった。

 幾度となく全身をこんがり焼いていた本人曰く、こういったセンスを求められる何かを一から新しく始める時に必要な才能は人並みらしい。ただひたすら回数をこなして習熟していく事は得意中の得意だとも。

 じゃあ明らかにセンスが必要であろう合成魔法剣は? という問いには今回と違って能力のゴリ押しが通じたという回答。

 普段が普段なので、こういうところは普通の人なんだなあ、と思った。

 普通の人は全身焼いたり自爆しても平然としてないといってはいけない。

 

 

 +月γ日

 昨日と同じ。

 強いて言うなら焼身自殺が減った代わりに自爆の頻度が増えた。

 爆裂魔法使いかな?

 

 

 +月δ日

 昨日と同じ。

 流石に埒が明かないと思ったのか、方針が変わった。

 スキルの総出力はそのままに、余剰出力を制御して他に回す事に。

 

 

 +月ε日

 攻撃能力は現状でも過多なので、余剰出力は防御力と機動力のどちらに回すか。

 アークウィザードの私だったら防御重視にしただろうけど、機動力に全振りするらしい。

 機動力も現状で十分すぎるのでは? もういらなくない? と思ったけど空を自由に飛びたいらしい。

 申し訳ないけど鳥みたいに飛ぶのは普通に無茶だと思う。

 

 

 中略

 

 

 +月ω日

 遂に今日、白夜焦原の空を人間? が飛翔した。

 飛翔したというより、かっ飛んだと書いたほうが正しいかもしれない。

 着地も失敗して地面に上半身ごと突き刺さってた。

 発動したスキルは最高にカッコよかったし私も興奮したんだけど、なんだかなあ。

 一ヶ月近い時間をかけて無数の失敗と試行錯誤と紆余曲折の果てに完成した超強力スキルだけど、使いこなすまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 あと訓練が終わったので日記に書くネタも終わってしまったのが残念。

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

 

 $月£日

 白夜焦原に夜が来た。

 

 

 

 

 

 

 白夜焦原を北進し続け、どれだけの日数が経過しただろうか。

 代わり映えのしない風景の中で魔物を退け冒険を続ける中、最初に違和感を覚えたのはあなただった。

 瞬きの時間に満たないほどの一瞬、視線のようなものを感じたのだ。

 

 警戒しながら周囲を見渡すも、あなたの索敵内には敵影も気配も無い。

 生命の残滓すら感じられない、荒涼とした焦原が広がっている。

 

 気のせいだったというわけではない。

 視線を大地から空に移し、観察を続けること暫し。

 あなたはそれを発見した。

 

「どうしたんですか?」

 

 突然足を止めたあなたが気になったのだろう。

 声をかけてきたウィズに、あなたは遠い遥か彼方、北西の空を指差す。

 

「んんー……全然見えない……ウィズさんはどうです?」

「……黒い点? というか星? のようなものが見えます」

 

 ウィズの言葉が示すように。

 青以外の色彩が存在しないはずの蒼穹に、目を凝らして注視しなければ気付かないであろう、星のように小さな、本当に小さな黒点が浮かんでいる。

 あなたとて何も無ければ気付かずに終わっていただろう。それほどの距離だ。

 

「なんでしょう。恐らく魔物だとは思うのですが」

「明らかに自然現象じゃないですしね。竜の谷だと何が起きてもおかしくはないですけど」

 

 恐らくあれがあなたの感じた視線の主なのだろう。

 だが今は何も感じない。相手は今もあなた達に気付いていない。

 黒点が気付かないほど遠方のあなた達がたまたま黒点の視界に入りこみ、それをあなたが感じ取っただけのようだ。

 接近するには距離があり、放置するには異様が過ぎる。

 あなたは望遠鏡を使って黒点を調べてみることにした。

 

 

 夜を凝縮した、煌々と輝く闇黒の太陽。

 望遠鏡で黒点を見たあなたが真っ先に抱いた印象だ。

 ごぽごぽという音が聞こえてきそうなほどに激しく表面が沸き立つ黒の球体の内部は視認できず、球体から溢れ出た泥状の何かが絶えず地面に滴り落ちている。

 一切の光を拒む在り様はこと白夜焦原という炎と光の世界において異様と例えるほかない。

 

 結論、正体不明。

 

 解析はウィズに任せようとあなたが望遠鏡から目を離そうとした、まさにその瞬間。

 月を彷彿とさせる金色の双眸が闇の中に浮かんだ。

 

 見られている。こちらの存在を認識されている。

 あなたがそう理解するまで、刹那ほどの時間すら必要としなかった。

 

 交錯する互いの視線。

 あなたが望遠鏡越しに観察しているように、敵意に満ちたそれは、遥か彼方から、自身を捕捉したものを、あなたを見据えている。

 

 驚きは無い。

 ここまで見れば流石に気取られるか、という冷静な納得があるばかり。あなたからしてみれば非常に望ましい結果といえる。

 直感に従って望遠鏡を投げ捨てたあなただったが、それは正解だったといえるだろう。

 手放した瞬間、望遠鏡が中空で禍々しい黒炎に包まれ、音も無く一瞬で焼失してしまったのだから。灰すらも残さずに。

 

 夥しい呪詛が込められた炎。

 威力はウィズが無言で眉を顰めたあたりから容易に察する事が出来た。

 微かに手に残ったそれを、あなたは軽く手を振り払う。

 

「ピィィィッ!?」

 

 炎に注視するあなたの聴覚に甲高い鳴き声が突き刺さった。

 まるで悲鳴にも似た、切羽詰った響き。

 

「ど、どうしたの!? 大丈夫?」

 

 恐慌に陥ったのは、黒炎を見た不死鳥。

 今までどんなモンスターと遭遇しても平然としていた不死鳥の雛が、全身に纏っていた炎を消し去り、まるで見た目そのまま、無力な小鳥のように震えている。

 

 だがすぐに精神に限界を迎えたのか、ふっと、死んだように気を失ってしまった。

 

「…………」

 

 沈黙するネバーアローン。

 黒い炎の主は不死鳥の雛の関係者らしい。

 だがこの尋常ではない反応からして、お世辞にも親しい間柄とは言えないようだ。

 

 再度空の彼方に見やったあなたはゆんゆんとウィズより一歩前に出た。

 北西に向けて。

 

「……こちらに近づいてますね」

 

 あれほど小さかった黒点が、少しずつだが、大きくなってきている。

 今、この瞬間も。

 

 あなたは地面に落ちた不死鳥の雛を拾い上げ、ゆんゆんに手渡した。

 高い生命力を持つ不死鳥とはいえ、あなた達の戦いに巻き込まれれば流石に死ぬだろう。

 

「ゆんゆんさんは私達が全力で護りますが、ゆんゆんさんも自身の生存を考えて行動してください」

「は、はいっ!」

 

 緊張、あるいは恐怖からか、雛を抱きしめるゆんゆんの顔は真っ青であり、体は震えていた。

 さもあらん。明らかに彼女の手には余りすぎる相手だ。

 

 一直線にあなた達に向かってくる黒点。

 その軌跡に沸き立った黒の残滓が垂れていく。

 まるで青空というキャンパスを漆黒のオーロラで汚すかのように。

 

 白夜焦原に、帳が下りる。

 白夜焦原に、夜が来る。

 決して終わらぬ筈の青空に、有り得ざる夜が来る。

 星も月も昇らない、暗黒の夜が来る。

 

 永遠に続くものなど決してありはしないのだと、あたかも世界に誇示するかのように。

 

「……ライト」

 

 明かりを生み出す魔法がネバーアローンを照らす。

 白夜焦原において最も不要な魔法をウィズが行使した理由など一つしかない。

 

 黒点を中心に発生した爆発が闇を膨張させ、一瞬であなた達を飲み込んだからだ。

 直接的な攻撃力を持たないそれはまさしく闇の結界であり、闇で形成された狩猟場であった。

 それは誰一人として逃がす気は無いという殺意の表れ。

 

 かくしてあなた達は、ネバーアローンは。

 光届かぬ闇の中で、夜と相対した。

 

「…………」

 

 それは光を飲み込む帳の中においてなお異彩を放つ、凶兆の黒翼。

 災禍を連想せずにはいられない呪いの炎を纏った巨鳥が、遥かな高みからあなた達を見下ろしている。

 全身から溢れんばかりの憎悪と殺意を漲らせながら。

 

 黒い不死鳥。

 それが、夜の正体だった。

 

 本来、不死鳥の炎は赤だ。

 故にこの相手が不死鳥であるならば、特異個体(ネームド)に相当する存在であることは疑いようが無い。

 

 だが同じ特異個体とはいえど、ただひたすらに闘争と強者を求めていたヴォーパルとは決定的に違う。

 黒い不死鳥からは、あなた達全員をこの場で抹殺するという絶対の意思しか感じ取る事が出来ない。

 

 全身に突き刺さる殺意と圧力にあなたは確信を抱く。

 これは、獲物ではなく、敵であると。

 蹴散らされるだけの雑魚ではなく、ヴォーパルのような、あなたと戦いが成立する敵なのだと。

 

《――――!》

 

 喜悦の色に染まったあなたの感情に呼応した愛剣が猛り、淡いエーテルの燐光が闇を照らす。

 

「――――!!」

 

 引き摺られるように膨れ上がる敵意。

 大気を震わせる獄鳥の叫換が、問答無用の開戦を告げる。

 夜明けを告げるというその鳴き声はしかし、天を覆う黒炎の大波という形で、あなた達を更なる闇に引きずり込んだ。



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第136話 告死の焔『黒翼』

 【黒翼】

 

 白夜焦原深部で遭遇した、不死鳥の特異個体。白夜に夜をもたらすもの。

 全長約20メートル、翼開長約80メートル。

 平均的な不死鳥の十倍以上という巨躯は全身が漆黒に染まっており、あまりの濃度と密度により質量を帯びた呪いの黒炎を自在に操る。

 

 推定討伐レベルは不明。

 白夜焦原の主と推測される存在であり、白夜焦原に生息する数多の魔物とは隔絶した戦闘力を持つ。

 最低でも第二層の魔物程度は片手間に殺害可能でなければ戦いそのものが成立しないだろう。

 

 性格は極めて獰猛かつ好戦的。

 更にその巨躯が砂粒ほどの大きさになるほど遠い空の彼方からでも獲物を探知し、一片の容赦も無く強襲を仕掛けてくるほどに偏執的。

 およそ死が形を成したモノに等しい悪夢を前に、どれだけの探索者が犠牲になったのだろう。私には想像もつかない。

 

 そんな黒翼を前にし、ただ震える事しか出来なかった私に背を向けて黒翼と戦う二人の師の姿を、私は一度たりとも忘れた事は無いし、これからも忘れる事は無いだろう。

 ずっと、ずっと。

 

 ――『竜の谷回顧録』より抜粋

 

 

 

 

 

 

 怖気が走るほどの憎悪に満ちた呪殺の黒炎。

 直撃を食らえば当然の事、それどころかほんの余波ですら白夜焦原に住まう魔物達を魂ごと抹焼するに十分すぎる威力。

 だからこそ、全てを飲み込まんと迫り来る脅威を目にしたウィズが、迎撃でも回避でもなく、ゆんゆんと雛の防御に全力を注いだのは当然の話だった。

 

「――ブラックロータス!」

 

 闇の中で咲き誇るは、同じ黒でありながら不死鳥が纏い操るそれとは決定的に異なる、青みがかった光沢を放つ幻想の氷蓮花。

 術者本人と同等の魔力量が込められた媒体を用い、史上稀に見る才を持つ不死の女王は一人と一匹を囲むという形で三角錐状の氷結界を瞬時に形成。

 内外の相互干渉を拒む結界はウィズが持つ防御手段の中で最も強固なもの。尋常の手段ではゆんゆんを守りきれないと判断した彼女は一切の躊躇無く奥の手を切ってみせた。

 

 この氷結界だが、ウィズがまだ人間の冒険者だった頃、バニルに対して使用したとっておきの魔道具を擬似的に再現したものである。

 彼女はこの手持ちの資産の大半を溶かして仕入れた魔道具を使い、なんと一ヶ月もの長期間、バニルを封じ込めてみせた。

 彼我の力量差を鑑みれば間違いなく称えられるべき偉業なのだが、問題はウィズの目的がバニルの封印ではなく討伐だった事だ。

 殺そうとしていた敵に一ヶ月も続く絶対的な安全地帯を提供してしまった挙句、仮面の悪魔に散々煽られた氷の魔女は普段のクールさをかなぐり捨てて盛大に発狂した。

 

 若き英雄の微笑ましい過ちはさておき、この氷結界を多少なりとも魔法を齧った者が見れば例外なく驚愕、あるいは戦慄すら覚えるだろう。

 黒蓮に込められた莫大な魔力に。そしてたった一手で黒蓮の魔力を使い切る術者の手腕に。

 

 間違いなく最速で行使された魔法は、ウィズの力量を証明する何よりの一手であり、しかし自己犠牲と呼ぶに等しい一手でもあった。

 尋常ならざる速度で迫る殺意の激流は、二手目で対処するなどという悠長な真似を決して許しはしない。

 黄金の山より遥かに重い一手を仲間の守護のために使用したウィズは、自身の防御も迎撃も間に合わず、呪いの炎にその身を晒す。

 

「ウィズさんっ……!」

 

 少女の痛切な呼びかけに振り返り、安心させるように笑うウィズ。

 そんな師が一瞬の後、炎に呑まれる姿をゆんゆんは幻視した。

 

 

 

 ここにあなたがいなければ、間違いなく幻視は現実となっていただろう。

 

 前方に黒い波。後方に守るべきもの。

 奇しくもあなたが姫騎士を掃討した時に酷似したシチュエーションだが、その規模と威力はまるで比較にならない。

 夜の名を冠する巨刃が神秘の格において劣っているというわけではなく、単純に女王騎士と黒い不死鳥の強さに隔たりがありすぎるのだ。

 

 これを聖剣という名の岩石で割るのはあなたであっても些か以上に骨が折れるだろう。

 だが何も問題は無い。今あなたの手にあるのは力を封じられた聖剣ではなく、その真価を余す事無く振るう場と機会を得た無二の相棒なのだから。

 

 一刀両断。

 エーテルの魔剣から解き放たれた青い斬撃は、いとも容易く黒を割ってみせた。

 ネバーアローンを避けるように流れていく死の奔流を見送るあなたの目に宿るのは、歓喜の光。

 

 双眼鏡が焼失した際、あなたに纏わり付いていた炎の残滓は微かにあなたの手を焼いていた。

 耐性を貫通しているのか、あるいは他の要因か。

 いずれにせよ、不死鳥の攻撃はあなたに通じる。そして、不死鳥はあなたを殺そうとしている。

 やはりこの世界は素晴らしい。

 微かな明かりで照らされた暗中に、どこまでも楽しげなあなたの笑い声が響く。

 

 ともすれば恐怖で気が触れたと誤解されかねない姿だが、今のあなたの笑い声には悪魔相手に大立ち回りを繰り広げた時のような狂気の影はどこにも無い。

 ただ純粋に、あなたは楽しくて嬉しいから笑っていた。

 まるで玩具を与えられた子供のように明朗に、快活に。

 

 そんなあなたの姿を目の当たりにした三者は、それぞれ別の感情を抱く。

 

 不死の女王は呆れすら混じった頼もしさ、そして幼少時の自身との共通点を垣間見て懐古の念を。

 紅魔の少女は人々が包帯頭を指した魔人という呼称への最大限の納得と畏怖を。

 そして黒翼の不死鳥は――。

 

 

 

 

 

 

 あなたは自身に向けられる殺意の質が明確に変化した事を感じ取った。

 燃え上がる激情に染められていた黄金瞳が、今はまるで凪いだ海のよう。

 

 だがこれは決して不死鳥が冷静になり、戦意を収めた事を意味するわけではない。

 むしろその逆。

 怒りと殺意が振り切れて冷静になったように見えているだけだとあなたは瞬時に察した。

 あなた自身、癒しの女神を明確な悪意の下に侮辱されたと感じた時は似たような状態になる。

 

 己の持ち得る全ての手段をもって相手をこの世から抹消する。

 ただそれだけの存在になる。

 攻撃を防いだ事か、あるいはそれ以外の要因か。

 いずれにせよ、あなたは不死鳥の逆鱗に触れたのだ。

 

「――――」

 

 鳴き声一つ発する事無く離脱し、音も無く闇の中に消え去ろうとする黒鳥。

 停止状態から一瞬であなた達の視界を振り切ろうとする間際、あなたはグラビティの魔法を詠唱していた。

 ヴォーパルの時のように地面に縛り付けられれば相手に白兵戦を強要できたのだが、結果は失敗。

 魔法に抵抗された時特有の手ごたえではない。つまり純粋に無効化された。この不死鳥に重力魔法は通用しないようだ。

 

 静寂の闇に残されたのは凍て付く殺意、そして撒き散らされた翼羽のみ。

 宙を舞うそれをあなたは指で摘む。

 やはりというべきか、羽からは強い呪いの力が感じられた。

 不死鳥の羽には瀕死の者すら復活させる強い癒しの力があるといわれているが、この黒羽に関してはとてもそのような効果は期待出来そうにない。癒しどころかトドメを刺すだけの結果に終わるだろう。

 だが相手を殺傷する事だけを目的とした攻撃的な魔法や道具を生み出す素材としては非常に役に立ちそうだ。

 

「……逃げては、いないですよね」

 

 周囲を警戒しながら呟くパートナーに対し、あなたは自分から少し離れるように促した。

 不死鳥の気配は完全に闇に溶けてしまったが、今もあなたを狙っている事だけは分かる。援護するにしても、あまり近くにいると巻き込まれかねない。

 ましてや彼女は不死者なのだから。

 

「確かに私は火に弱いですが、恐らくこの呪い火ならある程度耐え――後方から来ます!」

 

 ほんの一瞬、されど全身を貫く殺気。

 揺らぐ力の気配に危機を察知したウィズが叫ぶ。

 反射的にあなたはウィズを抱きかかえ、全力でその場を飛び退いた。

 直後、不死鳥の攻撃が空間を蹂躙する。

 あなたが抱えていなければ、当然のようにウィズも巻き込まれていただろう。

 

 地面に触れるか否かという高度で飛翔し、速度と巨躯を活かして体当たりを行う。

 言葉にしてみればたったそれだけだが、不死鳥が通り過ぎた跡はただでさえ荒れ果てていた地面が見る影も無いほどに抉られ、融解し、呪詛に汚染されきっており、攻撃が持つ威力と脅威を雄弁に物語っていた。

 

 息つく間も無く彼方から飛来するは、闇すら塗り潰す黒の火閃。

 焼け付く熱波を体で感じながら、その性質はレーザーよりビームに近いとあなたは理解した。

 初撃の波と比較すると威力と範囲で劣り、速度と貫通性で勝る。

 実体を持たず、愛剣で切り払っても意味が無い攻撃。

 

 射線を辿ってウィズが雷魔法で反撃を仕掛けるも、既に離脱済みなのか手応えは無し。

 そして十秒も経たぬ内に今度は対角線からの正確な砲撃と突撃。

 

 超高速で飛行可能。

 重力魔法は無効。

 闇の中に気配を溶かし、なおかつ彼方からあなた達をピンポイントで狙って突撃と長距離攻撃が可能。

 念の為にと愛剣とライトの光を消してみるも、当然のように狙いは正確性を保ったまま。

 

 そうして前後左右、更には上空から襲い来る殺意を回避し続ける事数十回。

 厄介な相手だとあなたは素直に思った。

 

 あなたは暗視能力を有してこそいるものの、それでも数十メートル先を見るのが精一杯。

 対して不死鳥が作り上げた闇の帳は、どれだけ小さく見積もっても半径数キロに達するだろう。

 

 結界で攻撃を防ぐというのはあまり意味が無い。

 攻撃を避けるが防ぐに変わるだけ。

 

 ならば帳を破れるか、という話だが、愛剣を用いれば普通に可能だとあなたは判断している。

 だが破ったところで即座に再展開してくるのが関の山。根本的な解決には至らない。

 

 何よりあなたを最も手こずらせているのは、不死鳥の尋常ではない生命力だ。

 

 実のところ、あなたとウィズは突撃に合わせて何度か攻撃を叩き込んでいたりする。

 だがまるで効果が無い。

 胴体に風穴を開け、両の羽を折り、首を落としてみせた。

 にも関わらず殺しきれていない。飛翔を止められない。あらゆる負傷は一瞬で回復し、落とした首は灰になったかと思うと一瞬で再生した。名に違わぬ出鱈目なまでの不死性である。あなたをして素直に脱帽するしかない。

 

 悪魔のように残機を持っているのか。

 単純に再生力が極まっているのか。

 あるいは何か仕掛けがあるのか。

 

 ちなみに相手が真なる不死不滅の存在であるという可能性は最初から除外している。

 それは神ですら不可能な領域であるがゆえに。

 

 いずれにせよ、不死鳥もまたヴォーパルとは違う形の強敵である事は疑いようのない事実であり、つまりは素晴らしいという事だ。

 

 ちらり、と結界に護られたゆんゆんを見やる。

 少女は死の恐怖に怯えながらも必死に意識を保っていた。

 不死鳥がゆんゆん、あるいは雛を狙ったのは三度。

 いずれの攻撃もあなた達と結界に阻まれるという結果に終わっており、今は捨て置くと判断したようで徹底的にあなた達に注力している。

 とりあえずゆんゆんを心配する必要は無いだろう。

 

 あなたはウィズに問いかける。

 何か現状を打破する手立てはあるかと。

 

「……ちょっと、吐きそうです」

 

 あなたに抱えられたまま前後左右に高速で激しく不規則に揺られ続けたウィズの顔は、もはや青を通り越して白い。

 リッチーは魔力が込められていない攻撃を無効化する。

 だがまだまだ冗談を言う程度には余裕があるようだ。他ならぬあなたが見込んだ女性である。頼もしいとあなたは笑う。

 

「…………」

 

 あなたは梅雨のようなじっとりとした視線を感じた。

 あんまりふざけたこと言ってると服の中にげろっぱしますよ、と言わんばかりである。

 

 あなたは視線を振り切るように射線から大きく飛び退いた。瞬間、再びの砲撃。

 冗談はさておき、実際状況は手詰まりと言っていい。

 相手もあなたの回避パターンを覚えてきたのか、偏差射撃じみた真似まで行ってきた。不死鳥の攻撃があなたを捉えるまでそう時間はかからないだろう。

 

「あなたが私と一緒に戦っている限りは、ですよね?」

 

 平然と放たれた言葉に、あなたは沈黙をもって答えた。

 自分を無視して一人で突っ込んで戦えば不死鳥に追いつけるだろう、ウィズは暗にそう言っている。

 そしてそれはどこまでも正しい。

 

 あなたは、ウィズに歩調を合わせて戦っている。速度を合わせて戦っている。

 だからこそここまでの防戦を強いられている。

 

 確かに仲間を置き去りにすれば、不死鳥を捉える事は可能だろう。

 あなた一人では不死性を突破する見込みが立っていないが、延々と殺し続ければ死ぬかもしれない。

 

 だが今はヴォーパルとの戦いの時のような、ウィズに優先すべきものがある状況ではない。

 にもかかわらず今回も置いていくというのであれば、それこそ何のためのパーティーなのか分かったものではない。

 あなたは友人と共に冒険がしたいから、友人と共に戦いたいから彼女を仲間に誘ったのだ。

 あなたは人生を、戦いを、冒険を楽しむために生きている。

 ゆえに、たとえ他者から悪癖だの見下しているだのと罵られようとも、あなたがウィズを置き去りにする事は決して無い。

 

 不満を隠そうともしないあなたの憮然とした物言いに、ウィズはありがとうございます、と小さく微笑み、ですが、と続けた。

 

「私の事は気にしなくても大丈夫ですよ」

 

 自身を省みないかのような物言い。

 溜息を吐きたい気分に駆られたあなたはだがしかし、次の言葉で自身の勘違いを悟る。

 

「私だって一ヶ月もの時間をあなたとの特訓だけに費やしていたわけではないんです」

 

 あなたの信頼には応えますと告げる不死の女王。

 

「竜の河を横断した時から、私はずっと、ずっと考えていました。このままではいずれ自分があなたの足を引っ張る時が来ると。そして、私とあなたが共に戦う上で最大の障害になるであろうもの、あなたが速度と呼ぶ能力の差を埋める方法を」

 

 あなたに置いていかれるのは、嫌ですから。

 なんでもないような調子で発した声は、不思議とあなたの耳に残った。

 

「完成度は七割。まだ未完成もいいところです。もっとちゃんと術式を練ってからお披露目したかったですしぶっつけ本番で実戦投入というのもどうかと思うんですが、この状況下ではそうも言っていられないので――タイムシフト」

 

 ウィズが唱えたのは時の名を冠する魔法。

 あなたは確かな魔法の発動を感じ取ったが、何も変化が起きていないように思える。

 

「受動的な魔法なんです。試しに速度を上げてみてください。さしあたっては竜の河を横断した時と同じくらいまで」

 

 言われるがまま、あなたは自身の速度を引き上げた。

 速度700。平時の十倍であるそれはゆんゆんにとって辛うじて耐えられる負荷であり、ウィズが行動に支障を来たさない限界の速度だ。

 そしてこれだけ速度に差があれば、まともな会話は不可能になる。

 ウィズはあなたに置いていかれる。

 

「……どうです? 成功しました?」

 

 あなたはその声を聞く瞬間まで、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 リッチーであるウィズはこの先決して老いる事が無い。

 生きながらにして時の流れが停止した存在とも言えるだろう。

 

 冒険者を引退し、アクセルに居を構えて幾年月。

 不老であるウィズは、子供の頃から見知った街の住人が成長していく姿を、街の片隅で眺め続けていた。

 彼女は自分と同年代だった者が親になり、祖父になっていく姿を知っている。覚えている。

 世話になった人間を葬送したのも一度や二度ではない。

 

 定命である限り、全ての者はやがては皆等しく老いて逝く。そこに例外は無い。

 今はまだ存命である掛け替えの無い仲間達も、友も。やがては誰一人としてこの世に残る事無くウィズを置いていく。

 限りなく不死に近い悪魔の友ですら己の死に場所を求めている以上、彼女がやがて独りになるのは半ば約束された未来だった。

 例外といえば水の女神くらいだろうが、彼女は本来天に在るべきもの。

 忘れた頃にふらっと現れて思い出話に興じる事はあるかもしれないが、決して孤独を埋められるほどの存在ではない。

 

 それでもウィズはそれを自覚し、受け入れてすらいた。これこそが自身と仲間の不可避の死を覆した己の背負うべき代償だと理解していたがゆえに。

 

 そんな中、彼女を当たり前のように受け入れる者が、あなたが現れた。

 望むべくもなかった、いっそ諦めてすらいた、自身の隣に立つもの。

 孤児だった彼女が生まれて初めて手に入れた、仲間や友とは似て非なる、家族のような存在。

 誰かと共に在り続ける事が出来るという温もりを知った彼女は心の底から喜び、そして同時に恐れるようになった。

 他ならぬ、孤独を。

 最初から知らなければ、耐えられたのに。

 

 皮肉なのは本人にすら上記について明確な自覚が無かった点だろう。

 ゆえにかつての仮面の悪魔はウィズではなく、あなたに忠告を行うに留めた。

 

 長い時を共に生き続けるという約束をあなたと交わした結果、ウィズは自身が抱く感情を多少なりとも自覚し、魔王城の結界を破る為に自身の命を欲するのであれば応えようという覚悟、あるいは自殺願望じみた自己犠牲の精神すら捨てる事になる。

 

 未だ自覚こそ薄いものの、いつだってウィズは心の片隅で思っている。

 他の誰もが私を置いて行くのだとしても。

 あなたには、あなたにだけは、置いていかれたくないと。

 どうか、私を独りにしないでくださいと。

 

 タイムシフト。

 時の名を冠したそれは、時の流れから置き去りにされ、孤独を恐れるようになった不死王が生み出した、祈り(呪い)に等しい魔法である。

 

 

 

 

 

 

「今気付いたんですけど、他に動くものが見えない状況だと魔法が成功してるのか分からないのが地味に困りますねこれ」

 

 速度700の世界の中、あなたの耳に本来であれば決して有り得ない筈の声が届く。

 驚きのあまり抱えたままの仲間を見やれば、ウィズは悪戯が成功した子供のように笑ってみせた。

 

「タイムシフトは自身とは違う時の流れに身を置く者を対象にした魔法です。つまり最初からあなたに使う事を目的として作った魔法ですね。この世界だと他にそんな特異能力を持つ方は何人もいないでしょうし」

 

 まさかと思いつつあなたは速度を1000に引き上げる。会話が可能だった。

 更にあなたは速度を素の最大に引き上げる。会話が可能だった。

 

 あなたは加速の魔法を使った。愛剣を握ったまま。

 ここで遂に会話が不可能になった。

 魔法を解除すると、すみませんと苦笑いするウィズの顔が。

 

「対象の時流と自身を同調、あなたの言葉を借りるなら対象と同じ速度になる魔法……なんですが、魔法みたいに外付けで速度を弄られるとダメみたいですね。ひょっとしたらいけるかな、と思ったんですけど。でもさっきも言ったようにまだ未完成の魔法なので。完成した暁にはあなたがどんな速度になっても対応してみせますよ」

 

 上空から飛来する火閃。偏差で六連。

 それまでは対処に苦慮を強いられたであろうそれも、速度を引き上げた今のあなたならば余裕をもって回避が可能だ。

 そしてウィズは加速による負担を一切受けていない。完全にあなたの速度についてきている証拠だ。

 文字通り自身の世界が変わる様を初めて経験した事に感嘆の声をあげつつ、ウィズは魔法の説明を続ける。

 

「採掘で手に入れた、周囲の時の流れを乱す石。時流乱鉱とでも呼びましょうか。あれを触媒にして作った魔法になります。あくまで速度を同じにするだけの魔法なので、あなたみたいに自由自在に体感速度を変化させられるというわけではありません。ただ超高速で動いているだけの相手に使っても何の効果も発揮しないはずです」

 

 でもこれであなたに迷惑をかける事無く一緒に戦えますよ、と自慢げに胸を張るウィズだが、彼女は本当にこの魔法が持つ意味と価値を理解しているのだろうか。

 いや、きっと理解していないのだろう。

 彼女はあなたがどんな気持ちでいるのかを知らないのだろう。

 どれだけの歓喜の中にいるのかを知らないのだろう。

 

 あなたが持つ最大の武器の一つ、速度差という優位性は現時点をもって対策された。

 タイムシフトの魔法が真に完成した瞬間、ウィズは、正しく全身全霊のあなたを殺し得る存在になる。

 あなたの期待通りに。

 

 

 

 

 

 

 さて、そういうわけでウィズが曲がりなりにもあなた達廃人の速度領域に入門してきた。

 加速の魔法抜きでも今のあなた達であれば不死鳥に追いすがる事は十分に可能だろう。

 打開策を見出した今、不死鳥に対して二人でどう戦うのか。

 念願かなって喜びのあまりニコニコと笑うあなたは提案した。

 相手が突撃してきたタイミングで空中戦に持ち込もうと。

 

「…………大丈夫ですか?」

 

 あなたに釣られて柔らかな笑顔を浮かべていたウィズは、一瞬で圧倒的真顔になり、あなたの頬と額に手を当ててきた。

 しかしながらあなたに熱は無い。健康そのものだ。

 

「今だけは熱があってほしかったです。ちょっとだけ」

 

 修練と度重なる失敗の果てに何とか形にこそなったものの、まだまだ制御も着地も満足にこなせない、現状では爆速でかっ飛んでいくしか能が無いクソバカスキル。

 そんなものを使って戦うと仲間が言い始めたのだから、ウィズの反応もむべなるかなといったところ。

 仮にこれをゆんゆんから聞かされたのなら、あなたは即座にユニコーンの角を脳天にぶちこむであろうレベルの世迷言である。

 

 しかしあなたとて素晴らしいものを見て青天井と化したテンションに突き動かされたからこのような事を言っているわけではない。断じてネタや冗談ではない。本気も本気であり大真面目だった。

 

「あの、怒らないで聞いてほしいんですけど。あなたと一ヶ月訓練した私が断言します。無理です。絶対に不可能です」

 

 確かにあなた一人であれば論外の極みだ。

 どれだけ最善を尽くした上で奇跡は起きます起こしてみせますとダース単位で奇跡を引き寄せても、殺風景な白夜焦原の大地を彩る素敵なオブジェに生まれ変わるのが精々だろう。

 自在に空を駆ける不死鳥と無明の闇の中でダンスを踊るなど夢のまた夢。

 

「現実を正しく認識してくれているようで安心しました」

 

 だがそれはあくまでもあなた一人で飛んだ場合の話。

 ウィズのアシストがあればおおよその問題は解決可能だとあなたは踏んでいた。

 それに空を超高速で逃げ続ける不死鳥に地上から追いすがるだけならまだしも、そこから再生力を突破して殺しきるところまで考えると、地上からの攻撃ではどうしても厳しいものがある。

 このような相手を仕留めるためのグラビティの魔法だったのだが、無効化されてしまう以上、相手のフィールドで勝負を挑む必要があるだろう。

 

「それは、まあ、そうかもしれませんけど……でもアシストって、どうするつもりですか? あのスキルを使った場合、今みたいに私を抱えて戦うのは無理ですよね?」

 

 スキルの形状の問題で、抱えたり背負った状態でスキルを発動するとウィズが炎で焼ける。

 なのであなたはウィズを肩車して飛ぶつもりだ。

 

「肩ぐる、えっ…………えっ?」

 

 

 

 

 

 

 度重なる交錯と攻防の果て、目的を果たすか己が滅びるその時まで殺しても飽き足らない怨敵を殺すためだけの機構と化していた黒翼の不死鳥は、唐突に自我を取り戻した。

 隣を見てみれば、なんと驚くべき事に、空を飛ぶ青白い炎が自身に追随していた。

 忌々しい人間が、重力の檻に囚われたものが、星の力が込められた青白い炎を噴出しながら空を駆け、自身を追ってきている。

 

 その事実を認識した瞬間、不死鳥はいっそ笑い出したい気持ちになった。

 この人間達は、どれだけ自分達を侮辱すれば、激怒させれば気が済むのかと。

 

 殺意を新たに。自身の目的を明確に。

 惰弱の魔眼を持たず、卵から孵った瞬間、自身を温めていた親とまだ卵だった兄弟達をその炎で尽く焼き殺してしまった結果、同族である不死鳥達からも忌み嫌われ、故郷である不死火山を追放された呪殺の黒炎。

 竜の谷という極限の環境で羽化した凶鳥の憎悪は、どこまでも際限なく燃え上がる。

 

 

 

 

 

 

「速い暗い何も見えない見えないのに速い怖い怖い怖いんですけどぉ!!」

 

 深い闇の中、超高速で飛翔するあなたが認識できているものは手元の蒼い炎、風を切る音、頭上からの泣き言、そして無限の殺意に染まった黄金の瞳だけ。

 

 完成した■■属性付与は、愛剣が蒼炎で覆われるのと同時、あなたの背に二対四枚の蒼い光翼が発生するスキルと化した。

 激しくエーテルの燐光を撒き散らす様は友人謹製のドヒャアドヒャアとかっ飛ぶ機械人形群を彷彿とさせる姿であり、事実あなたはスキルを完成させるにあたって大いに参考にさせてもらっていた。

 つまりこの光翼は鳥のように羽ばたくためのものではなく、推進装置(ブースター)に他ならない。

 現在ウィズが半泣きでやってくれているように外付けで制御を行わなければあらぬ方向に飛んでいくし、適度に出力を落とすなんて器用な真似もできないので着地は墜落と同義だ。

 流れ星が落ちる定めにあるように。

 

 そんな光翼型近接支援残酷冒険者が闇黒の空を切り裂きながら飛翔する。

 

「これ本当に大丈夫なんですか危ないです怖いですやばいです絶対死にますいくらリッチーでも落ちたら死んじゃいますって!!」

 

 こうして不死鳥と並んで飛ぶことができているのは、ひとえに叩きつけられる風圧を魔法で防ぎつつ飛行の制御を行うウィズの力あってのものだ。

 本当に感謝しているとあなたは風にかき消されないよう大声で告げた。

 

「ありがとうございますそう言ってもらえて嬉しいですでもすみません私ちょっと今ほんと必死なんで余裕ないんでそういうの後にしてもらっていいですかねというか私はどうしてあんな提案を了承しちゃったんでしょうかってあああああああああ攻撃攻撃来ます避けて避けてください!!」

 

 黒翼を大きく広げた不死鳥が身を翻し、あなた達に翼と胴体を晒す。

 一見すると急所を晒すに等しい愚行だが、あなたが射線から逃れた途端、胴体から黒の熱線が放射される。

 あなた達と不死鳥の移動速度はほぼ同等。

 超高速の世界に身を置くに相応しく、不死鳥の反応速度も尋常ではないが、それでも攻撃後に生まれる隙だけはどう足掻いても彼我の速度差が如実に現れてくる。

 

「お好きなタイミングで仕掛けてください、合わせますっ!」

 

 一瞬の交錯であなたが首を落とし、ウィズのライト・オブ・セイバーが羽を断つ。

 そうして機動力が落ちた時間を使い、無数の攻撃を叩き込む。

 

 斬撃、衝撃、炎、氷、雷、風、土、水。

 ありとあらゆる暴威が不死鳥の身に降りかかる。

 

 だが、死なない。

 廃人級二名の火力をもってしても不死鳥を殺しきれない。

 何度でも灰の中から蘇る黒い翼の飛翔は止まらない。

 

「これが魔王さんなら、軽く百回は殺せてると思うんですけどねっ……!」

 

 黄金の林檎を押し付けようとした件といい、ウィズは魔王の事が嫌いなのだろうか。

 いくら世界を脅かす魔王軍の長とはいえ、そこまでされる謂れはあるのだろうか。

 まあ普通にあるかもしれない。

 

「いえ、別にそういうわけでは、ないんですけども、こう、つい思ってしまうといいますか!」

 

 疑いを深める中、あなたはふと思い立った。

 不死鳥に黄金の林檎を食べさせたらどうなるのだろう、と。

 一口で廃人とリッチーを再起不能一歩手前にする劇物を叩き込んだらどうなるのだろう、と。

 

「…………」

 

 ウィズ、絶句。

 あなたは頭上から仲間が戦慄する気配を敏感に感じ取り、世界のどこかで見知らぬ威厳溢れる老人が心の底から安堵の息を吐いた気配を感じ取った。

 

 

 

 

 

 

 結論から述べると、効いた。

 覿面に効いた。

 それはもう恐ろしいほどに効いた。

 

「なんて、惨い……」

 

 どんな攻撃を受けても悲鳴一つあげず、決して地に落ちなかった不死鳥が、小さな果実をたった一切れ口の中に放り込まれただけで全身の炎を消し去り、地面で悲鳴のような鳴き声をあげてのたうち回っている。

 限りなく墜落に近い着地をして速度を戻したあなた達が近くにいるというのに、気を配る余裕も無いようだ。

 強敵の無様な姿を目の当たりにし、しかしあなた達の胸中に去来する感情は哀れみではなく、同じ味を経験した者としての仲間意識と同情、そして偉大な大自然が生み出した世界樹への果てしない畏怖。

 

「あの林檎、あとどれくらい残ってましたっけ……」

 

 黄金の林檎(必殺アイテム)の残弾は二十九。

 あなたは世界樹を登る際に十個、枝が脳天に突き刺さった後に半ギレの勢いで二十個採取している。

 

「……折角ですしこの場で全部食べてもらいます?」

 

 想像するだけで怖気が走る提案である。

 あなたは真顔でウィズの肩を掴み、無言で首を横に振った。

 そんなことをしてはいけないと。

 なんというか、それは、ダメだとあなたは思った。

 自分から不死鳥に林檎を食べさせておいてどの口がという話だが、本当にダメだと思った。

 

 戦いの中で殺すのは大歓迎だが、流石に死ぬほど不味い林檎で殺したいとまでは思っていない。

 あなたはそこまで手段を選ばない人間ではなかった。

 

「まあ、そうですよね。自分で言って私もちょっと……かなり……とても無いな、って思いました」

 

 でも現役時代なら普通に食べさせてましたよ、という言葉は聞こえなかった事にしておく。

 

「いっそ封印しちゃいましょうか。幸い弱りきっている今なら効きそうですし」

 

 殺しきれないなら封じてしまえばいい。

 不死の対処法としては常道であり、あなたも不服は無い。

 

「了解です。ではそのように」

 

 あなたの許可を得たウィズの魔法により、不死鳥の全身を氷の鎖が縛っていく。

 異変に気付いた不死鳥が気力を振り絞って暴れるも、身を纏う黒炎は消えたまま。

 

「封印には一応相手の力を封じる効果もありますが、魔法の相性問題もあってあまり長期間留め置くのは無理です。半年程度で封印が解けると思っていてください」

 

 半年。

 あなた達が白夜焦原を立ち去るには十分すぎる時間だろう。

 封印が解けた暁には再戦を挑み、今度こそ不死を突破して殺しきってみせよう。

 

 それまでは修行、修行あるのみである。

 新たなモチベーションを手に入れたあなたは氷に包まれる不死鳥を眺め続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

「……ふう、終わりです」

 

 鎖と棺で封印され、物言わぬ氷像と化した不死鳥。

 芸術のような美しさは是非美術館に飾りたくなるほどのものだが、氷が溶けた時に生まれるのは闇と炎のジェノサイドパーティーだ。

 

「さて、ゆんゆんさんを迎えに行きましょうか」

 

 一つ問題がある。

 ゆんゆんと雛はこの闇の中、どこにいるのだろう。

 がむしゃらに飛び続けたあなた達は自分がどこにいるのか把握していなかった。

 

「あー……でも不死鳥は封じましたし、恐らくそろそろ景色も戻るかと思うのですが……」

 

 ウィズの言葉は正しく、数分も経たないうちにあなたの目蓋に光が差し込んだ。

 空を見上げてみれば、遥か上空で夜空が割れ、辟易するほど眩しい青空と光が顔を覗かせている。

 不死鳥が下ろした夜の帳は破れ、熱砂の白夜が帰ってきたのだ。

 

「良かった、これでゆんゆんさんを探しに行けますね。あ、今度は飛ぶのは無しですからね? 案の定着地失敗しましたし」

 

 分かっていると苦笑し、その場を立ち去ろうとするあなたは、最後に一度、紛れも無い強敵であった不死鳥を振り返る。

 

 

 

 ……そして、遠い彼方。

 未だ晴れぬ深い闇の中に、蒼い炎を垣間見た。

 

 

 

 背筋に走る悪寒。

 狙われている。

 攻撃が来る。

 回避が間に合わない攻撃が来る。

 

 直感に従ったあなたはウィズを背に庇い、四次元ポケットから盾を取り出し構える。

 タワーシールドと呼ばれるそれはあなたの本来の武装の一つ。

 防御特化。取り回しが悪い上に愛剣の両手持ちがあなたの基本スタイルである以上、この盾を使う機会は滅多に無いのだが、今がその時だとあなたは判断したのだ。

 

 直後、蒼白い火閃があなた達を飲み込む。

 黒い不死鳥が放つ熱線に酷似した、しかしそれより威力が上の攻撃。

 間一髪防ぐ事に成功したが、直撃を受ければ相応のダメージは避けられないだろう。

 

「今のって、まさか!?」

 

 背後で驚愕するウィズにあなたは頷く。

 今の攻撃は、あなたが使うエーテルの炎に酷似していた。

 

 エーテルの炎。

 星の炎。

 そんな力を使う敵がいる。

 

 そして。

 

「――――!!」

 

 黒翼の不死鳥が憤怒の咆哮と共に再度の飛翔を果たす。

 あなた達と共に蒼炎に巻き込まれた結果、封印ごと肉体が消滅、復活したのだ。

 あるいは最初からそれが彼方の敵の狙いだったのか。

 

 再び黒い炎を身に纏い、一直線に蒼い炎の下へ飛び立つ不死鳥。

 

「もしかしたら敵の敵かもしれない、と思ったんですが」

 

 二つの炎は戦闘を始めるどころか、互いに隣り合って飛んでいた。

 奇しくもあなたとウィズのように。

 

 やがて、静かに近づいてくる蒼い炎の姿が露になった。

 

 蒼い不死鳥。

 

 黒に比肩するその身をもって闇を照らすそれを見たあなた達は、例えようも無く美しいと思った。

 

 星の力が込められた蒼い炎。

 だがそれはあなたが操るような、数え切れないほどの血と死で彩られた炎ではない。

 澄み切った、浄化の力を持つ炎。

 傍らの黒炎とは正反対の力。

 

「第二ラウンド、ってやつですね……」

 

 対照的な蒼と黒が並び立ち、あなた達を静かに、しかし敵意と殺意に満ちた視線で睥睨する。

 闇の帳が破れ、日の光が辺りに降り注ぐ中で、あなた達は黒と蒼の比翼に相対した。



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第137話 星と闇の比翼

 多くの自然現象がそうであるように、火もまた正負の印象を同時に内包した現象の一つである。

 

 安息、文明、信仰、浄化、生命。

 暴力、破壊、災厄、汚染、死。

 

 あなた達の前に立ちふさがった二羽の不死鳥は、まさしくそれらを体現する存在といえるだろう。

 

 浄化の力を持つ星の炎。

 呪詛の力を持つ闇の炎。

 

 そしてこの不死鳥達が持つ力は、色彩こそ間逆であるものの、奇しくもあなたとウィズの力や関係性に酷似していた。

 

 あなたが扱うのはエーテルの魔剣。

 無数の血と死で呪錬されたおぞましき星の力。

 他にも破壊()だの災厄(メテオ)だの殺戮(ジェノサイドパーティー)だの、あなた自身物騒な文言には全くもって事欠かない。

 

 ウィズは不死者の王ことリッチー。

 言わずと知れた闇の極致であり、格としては大悪魔に比肩する。

 しかし彼女は彷徨えるアンデッド達を天に還す事を己が使命と定めており、事実竜の谷における冒険でも数多くの魂に安息を与えてきた。

 つまり浄化の力を行使していると言えなくもない。

 

 鏡写しのような不死鳥とネバーアローンの戦い。

 あなたの見立てでは蒼い不死鳥の総合的な強さは最低でも黒い不死鳥と同等であり、ウィズもそれは間違っていないだろうと答えた。

 

「今一度確認しておきますが、現状の私達には黒い不死鳥を殺害する手立てがありません。それどころか無茶に無茶を重ねる事でようやくまともに戦えるようになり、黄金の林檎でようやく戦闘不能に出来ました。蒼い不死鳥が同等の不死性を持つのであれば最悪撤退も視野に入れる必要があるかと……逃走が可能であれば、の話ですが」

 

 薄々不可能だと理解しつつも、ウィズは逃走を選択肢の一つにあげた。

 新たに参戦した蒼炎の不死鳥もまた親の敵とばかりにあなた達を鋭い目で睨みつけ、壮絶なまでの敵意と殺意を向けてきている。

 たとえここであなた達が脱兎の如く逃げ出したとしても、どこまでも追跡してくるだろうということがあなたには容易に想像出来た。

 それこそ竜の谷の外、地の果てまで追ってくるとあなたは確信している。竜の谷の外で暴れる番の不死鳥は人魔に壊滅的な被害をもたらすだろう。

 

「もう一回林檎使っちゃいます?」

 

 渋面を作りたくなる頼もしさ全開の提案を行うパートナー。

 だがあなたはこう答えた。

 自身の勘が正しければ不死はともかくとして、戦闘自体は格段に楽になる筈なので、少なくとも今すぐ林檎を使う必要は無いと。

 

 ウィズは思わずといった風に形容しがたい表情であなたを見やった。

 確かに頭と正気を疑われてもおかしくない発言だが、あなたは決して嘘を言っていない。

 蒼と戦う中で黒の不死性を打破する手立てが見つかるかもしれないと考えてはいるが、変に隠し立てをしているというわけでもない。

 言葉の通り、先ほどまでより楽に戦えると予想している。

 

「本気ですか?」

 

 ここで正気かと問いかけてこないあたり、ウィズの善性が垣間見えるというものである。

 単純計算で脅威は二倍。

 更に言うのであれば浄化の蒼炎はウィズに覿面に効くだろう。

 常識的に考えれば逃げの一手か形振り構わぬ全開戦闘か最終兵器(即死林檎)の口内投入が圧倒的に正しい。

 それを理解してなおあなたが前言を翻す事は無い。このまま問題なく戦えると。

 

「――――!」

 

 自信の根拠をウィズが尋ねる間も無く、甲高い咆哮を合図に、天高く舞い上がる二羽の不死鳥。

 今まさに崩壊しつつある帳を突き破り、白夜に蒼黒の螺旋が描かれる。

 一糸乱れぬ連携を見せる不死鳥は灼熱の比翼と呼称するに相応しい。

 

 油断無く速度を引き上げるあなたはしかしその光景を見つめながら確信を深めた。

 第二ラウンドにおいて主導権を握る事になるのは相手ではなく自分達だと。

 

 楽観と覚悟。

 互いに異なる感情を抱きながら、廃人とリッチーが蒼と黒の奔流を迎え撃つ。

 

 

 

 

 

 

 白夜焦原の空を不死鳥が飛ぶ。

 飛翔の軌跡は蒼と黒、二色の筆を操るかのごとく空の画板に炎の線を走らせた。

 そして描かれた二本の線は竜巻、閃光、弾、壁、津波といった形で不死鳥の意思、つまり憎悪と殺意へと変換され、焼け焦げた大地に降り注いでいく。

 

 浄化と呪詛。

 炎に秘められた力こそ正反対なれど、いずれもただの一撃で強固な城塞を容易く蒸発させ、人々の営みを灰も残さず無に帰すだけの威力を持っていた。

 天の裁き、あるいはこの世の終焉と呼ぶに足る、強大な力。破滅の嵐。

 そんな攻撃がたった二人の冒険者に向けられ、叩きつけられる。

 

 だが、しかし。

 地から天に放たれる攻撃もまた存在した。

 

 黒雷、氷嵐、爆炎、閃光。

 青い斬撃と光条。

 絶え間なく乱れ飛ぶそれらは天から降り注ぐ炎を打ち払い、打ち砕き、彼方の空を飛ぶ不死鳥を撃墜する。

 何度でも、何度でも。

 

「…………」

 

 そんな光景を、ゆんゆんは、戦地の遥か彼方で見守り続けていた。

 結界に護られた非力な少女は、ただただ必死に、そして真摯に祈りを捧げる。

 地獄と呼ぶことすら憚られる中で今も戦い続けている、二人の師の無事を。

 

 

 

 

 

 

 楽しくて、嬉しい。

 それは、あなたと共に不死鳥と戦うウィズが抱く、嘘偽りの無い感情だ。

 

 楽しくて、嬉しい。

 今の自分には、英雄と称えられていたかつての自分達が常に背負っていたもの、背負うべきだったもの、背負わなければいけなかったものが何もない。

 正義、大義、使命、人々の期待。

 そういったものが一切合財介在する余地の無い、どこまでも自由で純粋な闘争に身を投じている。

 

 楽しくて、嬉しい。

 何故ならそれは、幼き頃の彼女が憧れ、夢見ていた冒険者の姿そのものだったから。

 あの日なりたかったものになれている。心からそう思えるから。

 

 楽しくて、嬉しい。

 あなたという、かつて夢見たような冒険者と肩を並べ、強敵と戦っているから。

 

 楽しくて、楽しい。

 それは嘘でもなんでもない、ウィズの素直な気持ち。

 

 

 だが、しかし。

 

 

(だからこそ見えてくるものがあるわけで……)

 

 自身の防御とあなたの援護と不死鳥の攻撃への対処を続ける中、ウィズは心中で深く嘆息した。

 あなたや不死鳥に対してではない。

 これは往時の感覚、いわゆる戦闘勘を取り戻せていないと認識した自分自身へ向けられた失望だ。

 

 ニュークリアグレネードを巡るあなたとの喧嘩や闇の中の空戦では気付かなかったが、今になって彼女は理解する。

 現役時代はおろか、幼少期と比較しても、自分が著しく衰えているという事実を。

 

 思考と動作に僅かな間隙がある。ノータイムで動けていたのに。

 自分の連携に粗が見える。連携なんて即興でも完璧にこなせていたのに。

 集中すると視野が狭くなる。常に目の届かない範囲まで見渡せていたのに。

 深い部分まで読みきれていない。敵味方の動きなんて手に取るように読めていたのに。

 最善の対応が取れていない事が分かる。最善手なんて打てない方がおかしかったのに。

 自身の性能を十全に発揮しきれていないと痛感する。そんな者はどれだけ強くても二流もいいところだと思っていたのに。

 

 戦えば戦うほど、本当の自分はこんなものではないと、もっと上手くやれる筈だという忸怩たる思いばかりが募っていく。

 かつては呼吸するように出来ていた事が出来なくなっている事実を突き付けられる。

 

(現役時代の私に見られたら、あまりの不甲斐なさにきっと怒鳴り散らされちゃうでしょうね。今すぐ私と交代しなさいって)

 

 思わず自嘲する。

 長年に渡るアクセルでの平和な隠居生活は、魔王軍に恐れられた英雄の心身を錆付かせるに十分すぎるもの。

 現役を退いた後も魔道の研鑽だけは怠っていなかったし、あなたとゆんゆんに混じって運動するようになったり元同僚であるベルディアに触発された結果、ちょっと全力疾走した程度で息切れしたり筋肉痛になるといった、目を覆わんばかりの無様を晒さないだけの体は取り戻せた。

 しかし実戦から遠ざかっていた事実に変わりはなく、竜の谷でも立ち塞がる全てを蹴散らすばかり。

 不死鳥という真剣に戦う必要のある敵に相対する事で初めて自覚させられた、魔法使いとしてではなく、戦う者としての明確な劣化。

 

 少し前までならそれでもよかった。

 リッチーである自分が現役時代のように全力で戦う事など無いと思っていたから。

 だが今となっては、とっくに現役は引退したから、などと甘えた事は言っていられない。

 可能な限り近いうち、自分を徹底的に叩いて追い込む必要があるとウィズは認識していた。

 少しでもかつての自分を取り戻し、更にその先へ進むために。

 

 ウィズがこうも必死になる理由は、言うまでもなく共に戦っているあなたが原因だ。

 ゆんゆんであればどちらも同じくらい凄いと言うだろうが、他ならぬウィズはあなたと自分の間にある壁を感じ取っていた。

 

 判断の早さが違う。

 連携の巧みさが違う。

 視野の広さが違う。

 読みの深さが違う。

 行動の正確さが違う。

 戦闘者としての純度が違う。

 

 嬉々として立ち回り、エーテルの魔剣を振るう廃人。

 その姿は、あなたの隣に立ちたいと願い、あなたに置いていかれる事を厭う不死王の心の柔らかい部分を否応無く刺激し続けていた。

 

 だがそれは何もおかしい話ではなく、むしろ当然の事ですらある。

 こと戦闘経験という要素において、質量共にあなたを上回る者はこの世界に存在しない。

 あなたはウィズより遥かに長い期間活動を続ける現役の冒険者であり、鍛え上げたペットと共に個性豊かな友人達と殺し殺されを日常的に繰り広げていたのだから。

 

 無論ウィズとしても彼我の戦闘経験の差については熟知している。

 だがそれはそれ、これはこれ。

 彼女はあなたの足を引っ張るなど絶対に嫌だったし、気兼ねなく頼り頼られる関係になりたいと思っているし、何よりも負けず嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

 ただひたすらに災厄の焔を退け、殺意を打ち払い、敵を撃墜する。

 そうして二色の不死鳥と戦い続け、体感にして早数時間。

 手を変え品を変え、果敢に、そして幾度と無くあなた達に襲い来る不死鳥達が致命傷を受けた回数は合計で四桁に到達している。

 

 よくもまあこれだけ殺され続けて諦めないものだ、とあなたは不死鳥に対してある種の感慨を抱く。

 このまま戦っても勝ち目が無い事くらいとうに理解できているだろうに、と。

 筋金入りの諦めの悪さを誇るあなたであっても、ここまでどうしようもないとなれば一旦引いて策を練るなり準備を整えて改めて挑むなりはするというのに、相手は一切そのような様子を見せない。

 

 あまりにも不死鳥がしつこいので、あなたはウィズとの連携を磨く叩き台になってもらっていたりする。

 初見であなたと完璧に息の合った連携をこなしてみせたリーゼと違い、ウィズは現役を退いて久しい。

 いかなる才人であっても長いブランクがあれば戦闘中の機微に疎くなるのは避けられない……という事にあなたは不死鳥との戦いの最中、遅まきながら気付かされた。

 ミスとまでは言わずともギクシャクしたり、判断の遅れが見て取れたり、本来であれば不要なあなたのフォローが必要になる場面もあった。

 ウィズ本人も直接口や表情にこそ出していないが、自分自身に憤懣やる方ない思いを抱いている節がある。

 よってあなたは、どれだけ好き勝手に叩いても死なず、それでいて適度な緊張感を保って戦える不死鳥を存分に有効活用させてもらっていた。

 つまり、その程度には余裕を持って、楽に戦えていたのだ。

 

 そう、楽に戦えている。

 

 開戦の直前に嘯いたあなたの言葉に嘘は無い。

 紛う事なき強敵に対して、あなた達は確かに楽に戦えてしまっている。

 耐性を貫通する炎は決して油断していいものではないが、それでも更なる苦戦を余儀なくされるはずだった不死鳥に対して圧倒的優勢に立っている。

 

 そもそもの話、あなたとウィズが黒い不死鳥に苦戦を強いられた最大の要因とは何だろうか。

 耐性を貫く呪いの炎。

 常軌を逸した不死性。

 なるほど、これらは確かに十分すぎるほど厄介だが、しかし最たるものではない。

 

 あなた達が何より手を焼いていたもの。

 それは超高速で飛行する不死鳥の気配と姿を覆い隠していた闇の帳である。

 気配を隠され、視界を閉ざされていたからこそ序盤は一方的な防戦を強いられていたし、不死鳥を追えるようになった後も空中でひたすら白兵戦を敢行していた。

 

 だが今現在、あなたとウィズはどこまでも続く青空の下で戦っている。

 見晴らしは極めて良好。超高速で飛翔する二匹の不死鳥もはっきりと目視出来る。

 

 こうなってくると話は変わる。

 いかに不死鳥の飛行速度、移動速度が凄まじくとも、反応速度と行動速度の差から生まれる攻撃密度の差で圧殺できる。出来てしまう。

 外部要因込みとはいえ、現在と同じ速度のあなたを切り刻んで片腕を飛ばした挙句首まで落としかけたヴォーパルの恐ろしさが分かるというものである。

 

 さて、そんな相手が持つ最大のアドバンテージである帳を黒い不死鳥が再展開してこない理由だが、これは確実に蒼い不死鳥にあるとあなたは考えていた。

 浄化と呪詛。誰がどう考えても二羽の性質は正反対であり、だからこそ帳の中では蒼い不死鳥は全力で戦えない。あるいは全力で戦うと自然と帳を破壊してしまうのだろう。

 逆もまた然り。黒の能力が白夜焦原と相反するものならば、蒼は白夜焦原の性質を更に先鋭化させるといったところだろうか。ウィズとは致命的に相性が悪そうだ。

 黒にしろ蒼にしろ、比翼の力が同質であれば、ここまで一方的な戦いになっていなかったのは間違いない。

 

 実に惜しいと若干の落胆を抱きつつ、攻勢に区切りがついたタイミングを見計らい、あなたはパートナーに目配せする。

 

「今更ではあるんですけど、これはちょっと、普通に戦っているうちは勝てる気がしませんね……負けもしませんが」

 

 疲労を隠そうともしないウィズの弱音。

 リッチーは肉体的な疲労とは無縁なので、これは精神的なものだろう。

 ブラックロータスを使って魔力を二度回復しているので、その影響もあるかもしれない。

 

 だがあなた達とて、何も無為無策で不死鳥を殺し続けていたわけではない。

 

 ひたすら遠距離戦に徹する不死鳥は、その中で片手で数える程だが近距離戦を挑んできた。

 そんな数少ない機会で判明した事実がある。

 片方が再生している最中にもう片方が致命傷を受けると、目に見えて両方の再生が遅延するのだ。

 そして二羽が同時に致命傷を受けた場合、更に再生にかかる時間は長くなる。

 

 以上の要素からあなた達が辿りついた回答。不死の突破方法。

 それは、完全に同一のタイミングで二羽を跡形も無く消し飛ばす、という身も蓋も無い力技だった。

 

「つまり、ようやくというか、あるいは来るべき時が遂に来たというか……まあ、そういう事ですね」

 

 そう、爆裂魔法の出番である。

 

 

 

 

 

 

「はッ!?」

 

 同時刻、アクセル郊外にて、爆裂魔法をこよなく愛する頭のおかしい紅魔族が唐突に何かを受信した。

 

「どうしたの?」

「……スロウスさんは感じませんか?」

 

 おもむろに眼帯を外し、どこまでも真剣な表情でじっと北西の空を見つめる少女の瞳は爛々と紅く輝いている。

 全力で困惑しつつ、身分を隠して活動する現役魔王軍幹部は正直に答えた。

 

「感じるって、何をかしら」

「爆裂魔法です」

「えっ」

「この世界のどこかで爆裂魔法が行使されようとしています」

「えっ」

 

 本名ウォルバクは一応師弟関係っぽい間柄を築いている仲の良い少女の正気を真剣に疑った。

 

「非常に遺憾ながら今の私を遥かに上回る威力の爆裂魔法の気配……一体誰がこんなものを……いや、この波動は身に覚えが……しかしスロウスさんではない……となるとまさか……ウィズ? ウィズが全力で爆裂魔法を使う必要がある相手と戦っている……? ……ふっ、面白いじゃないですか。中々どうして、世界は私が思っていた以上に広いようですね」

 

 嗚呼、どうして自分はあの時この子の前で爆裂魔法を使ってしまったのだろう。

 再会した後も爆裂魔法の研鑽に付き合ってしまったのだろう。

 怠惰と暴虐を司る心優しき女神は、目の前の少女の人生を滅茶苦茶にしてしまった事実を改めて痛感し、人知れず自責の涙を流した。

 

 

 

 

 

 

 爆裂魔法で二羽同時に消し飛ばす。

 言うは容易いが、いざ実行するとなるとそうもいかない。

 

「超高速で自在に天を駆ける二羽を同時に射程と効果範囲に収めつつ、爆裂魔法を当てる必要があるわけですからね……」

 

 不死鳥が同時に地上を強襲してくるのを待つ手もあるが、流石に気が長すぎる。

 そんなものよりあなたはもっと正攻法の手段を選択するつもりだった。

 

 飛んで、時間を停めて、纏めて殺す。

 

「あのスキルを使って飛ぶ時点で正攻法のせの字も無いですよねという感想は置いておいて、時間を停めるとは? 言っておきますけど私はそんな魔法使えませんよ」

 

 あなたもそんな魔法は習得していない。

 だから、鬼札を切る。

 あなたがイルヴァから持ち込んだ品の中でも屈指の凶悪さを誇る道具を、時間停止弾を使う。

 

 自信満々に取り出したるは機械の申し子にして科学の結晶、光子銃。

 またの名をレーザーガン。

 ノースティリスにおいては汎用性の高い遠距離武器として多くの冒険者に愛用されている品だが、あなたの装備品であるこの銃はそんじょそこらの発掘品ではない。

 機械の神の狂信者である友人ことTSチキチキマニアお手製の逸品である。

 廃人仕様の威力もさることながら、単発銃、散弾銃、機関銃と三つの形態に切り替えが可能な超便利仕様となっている。

 

「……えーと、つまり、魔法の杖みたいなものって事ですよね?」

 

 説明を受けて困惑をあらわにするウィズ。

 友人が作ってくれた武器を自慢する気満々だったあなたは、仲間の味気ない反応に肩透かしを食らった気分になった。

 デストロイヤーのような複雑な機械の塊を作れるあたり当然といえば当然だが、この世界にも銃という概念は存在する。紅魔族の里であなたがレールガンを手に入れたのが動かぬ証拠だ。

 だがどこかのタイミングで製造技術が散逸してしまったのか、あるいは意図的に存在が抹消されたのか。

 こうして博識なウィズが知らない程度には知名度が無い。

 

 通じないのであれば自慢話も虚しいだけである。

 仕方が無いと気を取り直してあなたは説明を続ける。

 

 この銃に特別な弾丸を込めた上で発射、何かに命中させれば、その瞬間、弾丸に刻まれた術式が起動し、銃を撃った者以外全ての時間が停止する。

 正確には銃を撃った者のみ時の流れから一時的に切り離されるだけであって、世界全ての時間を停めるわけではないのだが、与えられる結果は同一だ。

 

 あなたが所持する時間停止弾の効果、つまり停止した時の中で与えられる猶予は五手。

 五秒ではない。こればかりは個々人の認識の問題になってくるが、ウィズであれば五手あれば爆裂魔法を行使するに十分間に合うだろう。

 この世界での時間停止弾の使用はこれが初めて。不発の可能性が無いわけではないが、その時はまた別のやり方を考えればいいだけだ。

 

「確かに五手あれば十分すぎます。なるほど……私がこれを不死鳥のどちらかに命中させればいいんですね?」

 

 責任重大と意気込むウィズに対し、あなたはそんなわけがないと真顔で即答した。

 

「えっ」

 

 時間停止弾の残弾は七。

 補充の当てが無い今、極めて貴重な品である。

 それこそこの世界でも問題なく発動するか確認する為に使った事が無い程度には貴重なのだ。あなたはこんな所で無駄使いしてほしくなかった。

 どれだけ至近距離で撃とうとも、不死鳥という高速動体にぶっつけ本番で素人が銃を命中させられると考えるほどあなたは耄碌していない。

 はっきり言ってしまうと、あなたはウィズの射撃の腕をこれっぽっちも信用していない。

 ウィズが銃を使った事が無いというのもあるが、それ以上に弓の射的の出店で見せてくれた醜態が記憶に焼きついている。

 

「いやまあ、それを言われちゃうと返す言葉もないんですけど。じゃあどうしろと? 時間を停められるのは道具を使った人だけなんですよね?」

 

 あなたは何でもないかのように答えた。

 時停弾は誰かしらに当てればいいのだから、不死鳥ではなく、自分に向けて撃てばいいのだと。

 無論この自分とはウィズではなく、あなた自身を指す。

 

 

 

 

 

 

「最後ですからね、これが本当に最後の一回ですからね!?」

 

 光翼型近接支援残酷冒険者(クソバカ肩車)、再び。

 いくばくかの間を置いて再開された不死鳥の攻撃を防ぎつつ、あなたの頭上でウィズが喚いているが、暗闇の中、不死鳥だけを頼りに飛ぶ必要があった先ほどまでとはまるで状況が違う。

 この通り視界は盛大に開けているのだから、青空を飛ぶ爽快感に身を任せるくらいでちょうどいいのだ。

 

「でも結局最後は墜落するじゃないですかー!」

 

 そればかりはあなたのスキルの錬度が足りていないのだから、我慢してもらうしかない。

 

「分かってますけども! 我慢しますけども! でもあなたがスキルをまともに使えるようになるまで、少なくともちゃんと着地出来るようになるまで、二度とこんな事やりませんからね!?」

 

 了承の意を告げると同時、あなたはスキルの火を入れる。

 展開される蒼き焔の翼。

 最善のタイミングを見計らい、テイクオフ。

 

 再び空高くかっとんでいく廃人とリッチー。

 ウィズの甲高い悲鳴がドップラー効果を生み出し、白夜焦原の空に虚しく木霊する。

 

 姿勢制御も安全も二の次三の次、最大速力で上空に吹っ飛んだあなた達は、その勢いのまま黒い不死鳥に特攻。

 

「ヶッ!?」

 

 あまりにも突然すぎる奇襲に対応が間に合わず、愛剣で胴体を串刺しにされた不死鳥は激しく吐血。

 しかし致命傷を負うには至らず、灰と化す事も無い。

 反撃とばかりに全身から発された漆黒の呪炎があなた達を燃やし尽くさんとするも、苦し紛れのそれはあなた達の命に届く事は無く。

 不死鳥という巨大な荷物を抱えたあなたは、気配だけを頼りに黒を蒼に押し付ける。

 超高速で飛び交う者同士の正面衝突は双方に激しい衝撃を与えたが、その反動を用いてあなた達は全速力で離脱に成功。

 もつれるように落下していく二羽の不死鳥が体勢を整える直前、あなたの肩から落ちまいと必死にしがみ付いていたウィズが声を張り上げる。

 

「――撃ちます!」

 

 そして、光子銃を押し付けられたあなたの肩に衝撃が走り――――

 

 

 

 

 

 

 引き金は羽のように軽く、腕に伝わる反動は限りなく無に等しく。

 ともすれば何も起きないのでは、と感じたウィズの耳に、どこからか音が聞こえた。

 

 ギチリ、と。

 重く、鈍く、錆付いた歯車が動く音が。

 

「――――ッ!?」

 

 刹那、ウィズの視界が唐突に切り替わる。

 そうあるのが正しいのだとばかりに、ごく自然に、何の実感も無く。

 

 時間停止弾の力によって時の流れから切り離されたウィズの視界に広がるもの。

 そこは、どこまでも続く白と黒だった。

 

 青い空も。

 眩い太陽も。

 焼け焦げた大地も。

 

 二羽の不死鳥も。

 傍らにいるあなたも。

 

 全てが静止し、白と黒に染められた、無音の世界。

 ただ一つ、ウィズを除く世界の全てが、無機質なモノクロームに支配されている。

 

 一人取り残されたウィズは、真っ先にこう思った。

 恐ろしい、と。

 あなたに置いていかれたくないと願うウィズにとって、この絶対的に冷たく孤独な世界は、彼女の悪夢に等しい。

 もしずっとこのままだったら?

 静止した時の中に取り残されてしまったら?

 反射的にそんな事を考えてしまう。

 

 

 ――ガチリ(5)

 

 

 ウィズの瞳孔が開き、息が荒くなり始める直前、再度聞こえてきた歯車の音。

 無音の世界に響いた鈍い音は、すんでの所でウィズの正気を取り戻し、自身のやるべき事、やらなければいけない事を思い出させることに成功する。

 

 

 ――ガチリ(4)

 

 

「ブラックロータス、五番から九番!」

 

 モノクロの世界で咲き誇る、五輪の黒い、しかし確かな鮮やかさを誇る蓮の花。

 

 

 ――ガチリ(3)

 

 

 魔花から一瞬で魔力を吸い上げ、詠唱を開始。

 どこまでも深い集中は、まるで白黒の世界から目を背けるかのように。

 

 

 ――ガチリ(2)

 

 

 魔法そのものに三輪分の魔力を込め、残りの二輪で強制的に詠唱を短縮。

 限りなく一瞬に等しい時間で、不死の王は過去に類を見ない威力の術式を完成させた。

 とはいえ力技が過ぎる魔法は決して長くは保たない。

 もって三秒。それ以上術式を維持しようとすれば、あなたを巻き込んで盛大に自爆するという結果に終わるだろう。

 

 

 ――ガチリ(1)

 

 

 だが何も問題は無い。

 三秒という永遠に等しい時間など、彼女には必要ないのだから。

 

 

 ――ガチリ(0)

 

 

「――エクスプロージョン!!!」

 

 

 そして時は動き出し、モノクロームに染まったウィズの世界が色彩を取り戻す。

 

 

 

 

 

 

 視界の全てが白に染まったと感じた次の瞬間、あなたは背中から地面に叩きつけられていた。

 よほど激しい勢いだったのか、全身が痛みを訴えている。

 更に酷い眩暈に襲われており、妙な耳鳴りが止まず、意識も朦朧。

 

 それはあなたにとってとてつもなく身に覚えのある症状だった。

 強力な音属性の攻撃を受けた時のそれに極めて近い。

 この分だと鼓膜も破れていそうだと感じたあなたは範囲回復魔法である治癒の雨を発動。

 痛みが引くと共に全身の異常が快癒し、感覚を取り戻す。

 

 ウィズは大丈夫だろうか、と考えるあなたはしかし、すぐに自分が何かを抱きしめている事に気がついた。

 

「うぼぁー……」

 

 あなたの腕の中で呻いたのは、目を回して失神するウィズである。

 反射的に抱きかかえていたようだ。

 軽く確認するも、治癒の雨の効果か、これといった外傷は見当たらない。

 

 不死鳥はどうなったと空を見やるも、そこには何も無い。どこまでも静かで青い空だけが広がっている。

 作戦は成功したのだろうか、と考えながらあなたはウィズに声をかけて軽く叩き、起こそうとする。

 

「へぐー……」

 

 何度か試したものの、全く起きる気配がない。

 仕方ないのであなたは黄金の林檎を使う事にした。

 

「――殺気!?」

 

 何かを感じ取ったのか、まるで嘘のような勢いで飛び起きるウィズ。

 あなたはばれないように林檎をこっそり仕舞った。

 

「…………」

 

 何事も無かったかのように目覚めの挨拶を行うあなたの面の皮の厚さは最早世界レベルである。

 しかしウィズはしばらく無言であなたの顔をぺたぺたと触ったかと思うと、深い、深い溜息を吐いてこう言った。

 

「時間停止弾、私は二度と使いませんからね」

 

 

 

 

 

 

「爆裂魔法の威力が思いのほか強すぎたというか、安全距離が足りていなかったというか、攻撃範囲に巻き込まれかけたというか。大体そんな感じだと思います」

 

 謎の衝撃と墜落の原因について、ウィズはそう答えた。

 無茶な作戦だったのは否定のしようがない。

 流石にぶっつけ本番が過ぎたようだ。

 

「ほんとこれっきりにしてくださいね、こう色々と……」

 

 成功したからヨシ! と朗らかに笑うあなたに対し、がっくりと肩を落とすウィズ。

 流石のリッチーといえど、自身の爆裂魔法の余波に巻き込まれるというのは生きた心地がしなかったのだろう。

 

 とはいえ無茶の甲斐あって不死鳥は消滅した。

 あの爆裂魔法は間違いなくあなたでも消し飛ぶ威力だった。

 これで生きていたら流石におかしい。

 

 気が抜けてそんな発言をしたあなたが悪かったのだろうか。

 ふと気がつくと、あなた達の前方、爆裂魔法の余波で生まれたクレーターの中央に、蒼と黒の小さな火種が浮かんでいた。

 

 少しずつ、しかし確かに大きくなっていく灯火を見たあなたは反射的に攻撃を仕掛ける。

 吹けば飛ぶような火を何度も消し飛ばし、同時に吹き飛ばし、掻き消してみせる。

 しかし無より生まれ出ずる灯火が真の意味で消えることは無い。

 

 数分の格闘の末、全ての試みが徒労に終わったあなたは腹立たしいほどに爽やかな青空を見上げた。

 参った、流石にお手上げである。

 復活する前に急いで去るか、恥を忍んで黄金林檎をぶちこみ封印するしかあなたには手立てが思い浮かばない。

 

「……もういいです、分かりました」

 

 そうやってあなたが匙を投げたと同時、ウィズが口を開く。

 消滅と再生を何度も繰り返し観察し、遂にその本質を見極めた不世出の魔法使いが。

 

「不死鳥の殺し方が分かりました」

 

 内容とは裏腹に、その口調はどこまでも重苦しいものだった。

 

 

 

 

 

 

 目覚めは唐突だった。

 それの記憶の最後にあるのは太陽の如き白。そして全身を貫くかつてない衝撃。

 

 何が起きた。何をされた。何を受けた。

 何でもいい。自分は確かに生きている。ならば殺さなくては。

 あれを、あの恐るべき、許されざる者達を殺さなくては。

 決して逃がすわけにはいかない。奴らがどれだけ強いのだとしても、勝ち目など見当たらないのだとしても、絶対に、絶対に、絶対に。

 

 燃える憎悪。

 絶える事の無い殺意。

 

 閉じかけた黄金の瞳を意思の力で抉じ開け、呪殺の黒鳥が再誕する。

 

 軽く周囲を見渡せば、自身の傍らで今も静かに眠る蒼い翼を持つ番の姿が。

 一瞬の安堵と共に翼を広げた黒鳥はしかし次の瞬間、自身が最も恐れる光景を目の当たりにした。

 

「――――」

 

 憎悪も殺意も置き去りに、一瞬で漂白される意識。

 自身から少し離れた場所に、あの人間がいる。

 全力で飛べば一瞬で届く距離に、殺さなくてはならない者がいる。

 

 だが、だが。

 人間の手に握り締められている小さなそれは――。

 

 

 

 

 

 

「同時に殺す必要があるという条件自体は合っていたんです」

 

 静止した黒い不死鳥を前に、ウィズが淡々と声を発する。

 

「ただ、二羽ではなく、三羽同時だったというだけで」

 

 ウィズの爆裂魔法を受けてなお復活する不死鳥を本当の意味で殺すために必要だったもの。

 それは、あなた達が偶然助け、ここまで連れてきた小さな不死鳥の雛だった。

 あなたがひたすら灯火を消している間にウィズがゆんゆんを捜索し、雛を回収してきたのだ。

 

 意識を取り戻した筈の不死鳥は、気を失った雛に視線を固定したままピクリとも動こうとしない。

 雛があなたに握り締められているがゆえに。

 

「二羽がどれだけ致命傷を受けても退かなかった事を思うと、恐らくこの子は……」

 

 あなた自身、黒い不死鳥と雛には何かしらの関係があるのだろうとは思っていた。

 だが雛は黒い炎を見て激しく怯え、失神までしたのだ。

 穏やかな関係だと思えないのは当然だろう。

 

 やがて同じように蒼い不死鳥が目を覚まし、同じように雛を前に動きを止める。

 どうしようもなく隙だらけ。

 今なら不死鳥を殺せる。文字通り、赤子の首を捻るように簡単に。

 

 だがあなたはぺちぺちと雛の頭を軽く叩いた。

 これまでとは比較にならない殺気が二羽の不死鳥から飛んでくるが、あなたはそれを無視する。

 

「……?」

 

 ぱちくりと小さな目を瞬かせて目覚める、ひよこにしか見えない不死鳥の雛鳥。

 何が起きているのか分かっていないのか、首を回して周囲を確認。あなたと目が合った途端元気に挨拶をしてきた。

 全くいい気なものである。最悪の場合、このまま三羽揃って縊り殺されるかもしれないというのに。

 

 あなたが首と目線で前方を示すと、雛は釣られるように前を向く。

 そして。

 

「――ピィッ!?」

 

 悲鳴をあげた。

 反射的に黒と蒼が憤怒の咆哮をあげ、大地を炎上させる。

 ギャアギャアワアワアと仲良く鳴き叫んだところで何を言っているのかは聞き取れない。

 だが今すぐその手を離せとかぶち殺すぞヒューマンとかそういう感じのニュアンスなのだろう。

 

 辟易したあなたが愛剣を抜くと、エキサイトしていた二羽は一瞬で鎮火した。

 自分の立場を理解するだけの賢さはあるようだ。

 

「あの、なんか凄い悪い事をしている気持ちになってきたんですけど……」

 

 おずおずと声をかけてくるウィズ。

 だがこの場で悪いのは間違いなく相手の方である。

 

 ウィズが良心と戦っている最中にも三羽の会話は続く。

 最初のうちは話す舌など持たぬとばかりに激憤を続けていた蒼と黒も、ぴよぴよと鳴きつづける雛と会話を続けるうち、次第と様子が変わっていった。

 

「…………」

 

 蒼が、黒を睨みつける。

 その瞳からは底知れぬ怒りが感じられた。

 

「…………」

 

 黒が、蒼から目を逸らす。

 全身から冷や汗を垂れ流し、しかし一瞬で蒸発させていた。

 

「…………」

 

 無言を続ける両者。

 そして。

 

「コ……コケーッ!!」

 

 全身を蒼い炎に焼かれ、黒が鶏のような悲鳴をあげた。

 

「ああ、不死鳥の鳴き声が朝を告げるってそういう……」

 

 疲労感に満ちたウィズの呟きは、空に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 結果を言えば、あなた達が予想した通り。

 雛は蒼と黒の子供であり、家出というか初めての冒険に出かけて見事に迷子になり。

 数ヶ月間雛を探し続けていた蒼と黒は、雛を連れたあなた達を誘拐犯だと誤解。

 誘拐犯を発見してマジギレした黒の炎を見た雛は、親の怒りが自分に向けられているのだと誤解して見事に失神。以下戦闘……という流れである。

 神獣の最高位の眷属にあたる蒼い不死鳥は人間の文字を知っていたようで、拙くも器用に爪を使って地面に文字を掘って伝えてきた。親子勢揃いで土下座しながら。

 

「なんていうか、大変でしたね……お疲れ様でした」

 

 炎の台風一家。もとい一過。

 旅の連れだった雛と別れ、事の顛末を知らされたゆんゆんの感想である。

 一歩間違えれば大惨事だった事件であり、相手の勘違いという言葉ではとても済まされない。

 

 だがあなたとウィズはそこまで気にしていなかった。

 散々不死鳥をぶち殺した身であるし、何よりもケジメは付けると、不死鳥達から侘びの品を貰っていたからだ。

 

 世にも珍しい蒼と黒の不死鳥の尾、羽、肉、骨、血、内臓。

 何度でも再生するからこそ可能である、しかし本人達が灰にしなかったからこそ残る不死鳥の素材の数々欲張りセット(徳用)。

 割合としては黒い不死鳥の素材の方が圧倒的に多かったのは言うまでもない。



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第138話 第三層:最果ての霧湖

 ここまでのあらすじ

雛「これは断じて家出などという思慮に欠ける短絡的行動ではない。支配からの脱却であり光輝く未来への飛翔である」

雛「道に迷った……めっちゃ魔物が襲ってくる……おかしい、どうしてこんな事に……おうちかえう! ママどっち? おうちどっち?」

雛「魔物に追われてる最中よさげのを見つけたので擦り付けたら余裕でボコボコにした。襲ってくる様子も無いし私の家の方角に向かってるみたいだしついていこう」

雛「冒険楽しい! パパとママに似た炎を使う人いっぱいちゅき! 黒い髪の子供は羽休めする場所にちょうどいい。薄汚い氷の不死者は私に近づくな」

黒「見つけたぞおんどれぇ!! よくも可愛い可愛いウチの娘を攫ってくれたもんじゃのう!! 生きて帰れると思うなよダボが!!!」
雛「パパがガチギレしてう! しぬぅ! ころされう!」

蒼「何子供放って人間さんと乳繰り合ってんだぶち殺すぞクソが……」
黒「あいつあいつ! あいつ誘拐犯! うちの子持ってた!」
蒼「あぁあああん!? 俄然許せねえ! 往生せいやあああああ!!」

雛「目が覚めたらママまでいた上に何故か私が誘拐された事になっていた件について」

蒼「この度は誤解からあなた方には大変なご迷惑を……」
黒&雛「前が見えねぇ」


【竜の谷第三層:最果ての霧湖】

 

 深緑の第一層、灼熱の第二層を越えた探索者を待ち受ける風景。

 それは海のように巨大で、一寸先すら見通せぬ深霧に包まれた湖だという。

 

 竜の河の源流と思わしきそれは、竜の河が小川に感じられるほどの規格外の規模。

 しかし荒れ狂う竜の河とは対照的に、白霧の湖には波一つ立たず、どこまでも静かで穏やかな水面が続くのだという。

 

 大海にも似た水の塊に生命は存在するのか。

 湖はどれほどの広さなのか。

 この湖こそ竜の谷の終着なのか。

 

 尽きることなく湧き出る疑問は、そのいずれもが一切明らかになっていない。

 何故なら今日に至るまで、第三層に到達した上で生還した探索者はただの一人たりとも存在しないからだ。

 上記の情報とすら呼べない眉唾物の話ですら、第二層を越えたところで力尽き、無念と悔恨と共に第三層の情景を書き綴って竜の河に投げ入れた探索者によってもたらされたもの。

 奇跡と偶然が無数に積み重なり、百余年の時を越えて遺書が漁船の網に引っかからなければ、今も竜の谷における足跡は第二層で止まっていただろう。

 

 彼の探索者は生きた伝説と呼ばれ、今も様々な英雄譚で謳われる冒険者パーティーの一人。

 ゆえに遺書の内容を精査する手段は無く、存在の真偽すら定まらぬ中、それでも第三層は追悼と敬意を込めて、こう呼ばれている。

 

 最果ての霧湖、と。

 

 ――ナンテ・コッタ著『竜の谷探索紀行』より

 

 

 

 

 

 

 短くない時間を共にした不死鳥の雛を無事親元に帰したあなた達は、その後も襲い来る白夜焦原深層――推奨レベル70程度――の敵を蹴散らして解体するという平穏でゆるふわな旅を続け、第二層の果てに辿り着いた。

 ネバーアローンの目の前には、今となっては懐かしさすら覚える第一層と第二層の境目のように、焼け焦げた大地の一歩先で瑞々しい緑の芝が待ち構えている。

 緑の絨毯の長さはおよそ50メートル。

 そしてその先には全貌が見通せないほど巨大な、どこまでも深い白霧に包まれた湖が広がっていた。

 

 第三層、最果ての霧湖。

 よくも悪くも生命の力に満ち溢れていた千年樹海や白夜焦原とはまるで異なる、耳に痛いほどの静謐に満ちた凪の世界。

 もし世界に果てが存在するのだとすれば、なるほど、このように静かで穏やかな場所なのかもしれない。

 あなたをして自然とそう思わされる神秘的な場所だ。

 彼の地では何が待ち受けているのか。あなたは早くも興奮が最高潮に達していた。

 

「どうやら先人が遺した記述は正しかったみたいですね」

 

 感慨深いとばかりに発したウィズの声には安堵が多分に含まれている。

 白夜焦原のような自分を全力で殺しに来ている領域ではないと感じ取っているのだろう。

 

「ピヨッピョッ」

 

 あなたの肩から聞こえてくるひよこの鳴き声。

 生まれて初めて見る光景に興奮した様子を見せる不死鳥の雛によるものだ。

 

 何故離脱したはずの雛がここにという疑問への回答だが、なんとこの雛、あろうことか親元に帰した次の日にあなた達に再合流していたりする。

 今度は保護者が同伴するという事で、拒みはしなかったものの、あなた達は揃って驚きと呆れを覚えた。

 無駄に周囲を威圧して敵の出現を妨げるといったような形で冒険に悪影響を与えてこそいないが、今も蒼い不死鳥が空の彼方であなた達を常に捕捉している。

 盛大にやらかして蒼にズタズタのギチョギチョにされていた黒は巣でお留守番らしい。

 

 そんなこんなで小さな旅の連れとして道中に彩りと新鮮さと激レア素材の山を与えてくれた不死鳥の雛とも、今度こそここでお別れである。

 

「じゃあね雛ちゃん、ばいばい。もう道に迷っちゃダメだよ?」

「ピッピッ」

 

 ゆんゆんが手を伸ばすと、雛はやれやれといった風に鳴き、優しく指を啄ばんだ。

 

「お父さんお母さんみたいな立派な不死鳥になれるといいですね」

「ビャアアアアアアアア!!!!!」

 

 ウィズが手を伸ばすと、雛はやめてください不快です死にますと全力で威嚇拒絶炎上してリッチーの心を粉砕する。

 そして崩れ落ちるウィズを無視したあなたが餞別代わりにコロナタイトを与えて一撫ですると、雛は名残惜しそうに体を手の平に擦りつけ、別れの挨拶とばかりに一声鳴いて青空に羽ばたき、飛んできた蒼い翼と共に去っていった。

 

「色々ありましたけど、いざこうしてお別れするとやっぱりちょっと寂しくなりますね。最近は私にもだいぶ慣れてくれてましたし」

「そうですね……色々ありましたね……私は最後の最後まで全身全霊で嫌われてましたけどね……」

 

 地獄の底から轟く大人気ない不死王の声と恨めしげな視線から逃げるように、あなたとゆんゆんは第三層に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……空気が乾いてないですし、涼しいですし、ちゃんと魔力も回復するし……生き返った気分です……アンデッドですけど」

「ですねー」

 

 やはり白夜焦原での負担は大きかったのか、何度も深呼吸を繰り返し、水分に満ちた空気を肺いっぱいに吸い込むウィズ。

 自虐という名の不死者ネタを華麗に受け流すゆんゆんからも確かな余裕が感じられる。

 

 足を止めるのもそこそこに、名の由来となっている湖に近づくあなた達。

 濃霧の湖からは何も感じ取れない。

 湖上に滞留し、地上に伸びてこない霧という明らかに異常な現象が目の前で起きているというのに、だ。

 ただただ虚の白が広がっているばかり。

 

「記述の通り、怖いくらい静かな湖ですね。何より生命の気配が感じられません。竜の河を遡ったりはしていないんでしょうか?」

 

 軽く警戒しつつ湖に近づいていると、突然ざばり、という水音が。

 この距離まで全く気配を感じさせないという異質な相手の登場に、反射的に武器を構えるあなた達。

 

 果たして、視線の先、湖から現れたものは、あなた達がよく見知った姿をしていた。

 ゴブリンだ。

 保護色なのか、通常とは異なり全身が淡い水色に染まったそれは、腋にマグロのような姿の、全身のあちこちから触手を生やした黒光りする冒涜的な魚を抱えている。

 

「…………?」

 

 あなた達の姿を認めたゴブリンは数秒間呆気に取られていたが、襲い掛かってこないあなた達に敵意が無いと判断したのか湖からあがり、警戒する様子を見せるでもなく自然な足取りで白夜焦原の方角へ向かっていく。

 そして階層の境目まで辿り着くと、魚類の尻尾部分を第三層に、残りを第二層に置いた。

 途端に響き渡る耳障りな悲鳴。あなたは不快さに思わず眉を顰めた。

 

「魚を……焼いてる……」

 

 ゆんゆん、呆然。

 だが全身を焼かれながら必死に泣き叫ぶ異形の触手マグロは本当に魚類と呼んでいいのだろうか。

 大いに疑問が残るところだ。

 

 数分の後、ゴブリンは一本の触手を引きちぎったかと思うと、あなた達の足元に放り投げて、そのまま丸焼きと共に湖の中に帰っていった。

 おすそ分けをくれたということだろうか。

 こんがりと焼かれ、本体と切り離された今もなおびちびちと跳ねる活きの良い触手は黒と銀のまだら模様であり、その先端は槍のように鋭く尖っている。

 あなたは触手を食べてみる事にした。

 

「うわあ、それ食べるんだ。食べちゃうんだ。ちょっとは躊躇いましょうよお願いですから。いやいいです私は遠慮しておきます近づけないでください怖いので絶対食べません……え、あの、ウィズさん? ウィズさん?」

「……折角なので、私も一切れだけ」

「ウィズさん!?」

 

 調味料を一切使用せず、いい具合に火を通しただけの触手の味はあなたが初めて経験するものではあったが、大層美味であった。

 ただ咀嚼されて飲み込まれても触手はしばらくの間胃の中で元気に跳ね回っていたので、ある程度頑丈な者でなければ腹を破って肉片が飛び出てくる事だろう。

 

 

 

 

 

 

 到達早々未知との遭遇を果たしたネバーアローンは真っ先にポケットハウスを中心としたキャンプを設営し、周囲の環境調査を行った。

 霧の湖は人魔にとって文字通り竜の谷における分水嶺であり、湖畔の先は真なる未知の領域。

 過酷な白夜焦原における長期の探索は大小の差こそあれども各々の心身に疲労を蓄積させていたし、何より今のうちにこなしておかなければいけないタスクもあった。

 故にあなた達が即座に第三層の攻略を始めるのではなく、入り口で入念に準備を整える事を選んだのは当然といえるだろう。

 

 そうした調査の中で判明した事実は以下のものだ。

 

 千年樹海や白夜焦原とは違い、全うな形で昼夜が巡る。

 霧はあくまで湖の上にのみ滞留しており、地上には広がっていない。

 竜の河は湖を中心に南に延びているが、湖の北端にも同等の大河がある。

 湖はおよそ一日、つまり速度を2000にしたあなたが一月かければ一周出来る程度の大きさ。

 湖の中の気配は感じ取れないが、釣りをしたら色々釣れるので生き物はいる。

 湖の周囲には生命の痕跡も気配も存在せず、白夜焦原に囲まれる形で草原だけが広がっている。

 採取した霧は高密度の水の魔力で構成されており、湖の外部から何も感じられない以上、湖の内部はこれまで以上の時空間の歪みが発生している可能性が極めて高い。

 

 これらの他に、時間の経過で移ろいゆく風景は勿論のこと、霧の湖を背景にした自撮りなどなど。

 入念に残した第三層の写真とこれまであなた達が各々書き記してきた竜の谷の情報を持ち帰るだけで、ネバーアローンがレジェンドオブレジェンドな冒険者パーティーとして認められるのは100%確定である。

 当然ネバーアローンの一員であるゆんゆんの名前もまた冒険者の歴史に燦然と輝く事になるだろう。

 ゆんゆん本人の意思は完全に無視して、必然的に、そして強制的に。

 

 

 

 

 

 

 あなた達が不死鳥との戦いを終えた帰り道、ウィズは一つの願いを口にした。

 

 ――第三層に辿り着いたら、鍛錬に付き合ってもらえませんか?

 

 鈍りきった戦闘勘を取り戻したいという彼女の真剣な申し出を断る理由などあなたにあるはずもなく。

 ウィズが万全の体調を取り戻し、周囲の調査を終えたタイミングを見計らい、リッチーブートキャンプを執り行う事となったわけである。

 

「あの、今更なんですけど。本当にやるんですか?」

 

 ポケットハウス、シェルター内部にて。

 奥歯に物が挟まったような雰囲気で問いかけてきたゆんゆんにあなたは頷く。

 ウィズたっての願いであり、あなたとしても先の戦闘で多少なりとも感じるものがあった以上、断る理由が一つも無いと。

 

「まあ……私じゃ分かりませんけど。二人の領域の話は」

 

 口ごもる彼女はこう言いたいのだろう。

 何もそこまでする必要は無いのではないか、と。

 

 だがこれはウィズ本人が確かな覚悟を胸に望んだことであり、あなたが交わした約束だ。

 あなたが友との約束を違える事は決して無い。

 たとえ彼女の願いが、自分を生死の境を彷徨う程度に追い詰めてほしい、殺すつもりで戦ってほしいという、一般的に鍛錬とは到底呼べない狂気の沙汰だったとしても。

 

「でも、だからってこんな……」

 

 早くも説得が面倒になってきたあなたははっきりと告げる。

 戦いの規模こそ桁違いになるだろうしあなたとしても気合の入れようは別次元になるが、それでも内容自体はゆんゆんがいつも味わっているものと同じ筈だと。

 事実、彼女があなたの手で生死の境を彷徨ったのは一度や二度ではない。

 ベルディアが聞けば死なないとか温すぎるのでは? と真顔で答えそうである。

 

「いやいやいやいや! 無理がありすぎますよそれは! 幾らなんでもたかがみねうちでしばき倒されて瀕死になるのがそんなに無情で残酷な……わけ……」

 

 この世界において、死なない、死ねないみねうちを何度も食らうのは一般的に極めて非情な行為と認識されている。

 ゆんゆんの自分自身に対する死生観は師の手によってガバガバにされていた。

 具体的にはいつもの事だし生きてるからセーフ、といった具合に。

 

「…………ごめんねめぐみん。私、汚れちゃった。汚されちゃった。こんなんじゃもうお嫁にいけない……責任取ってください……」

 

 余程ショックを受けたのか、誤解を招きそうな発言をして不貞寝を始めるゆんゆん。

 無事に納得してくれたようで何よりだが、シェルターのど真ん中で寝ていると巻き添えを食らって危ない。弟子への思いやりに溢れるあなたはゆんゆんを壁まで転がしてあげることにした。

 

「おあ゛ぁあ゛あああー……」

 

 あなたにされるがまま、汚い鳴き声を発して地面を転がるゆんゆん。

 

「すみませんお待たせ……いや、何がどうしてそんな事になったんですか」

 

 壁に顔をくっつける形で突っ伏したゆんゆんに向けられたウィズの疑問は至極尤もなものだったが、あなたは割とある事なので気にしなくても大丈夫だと断言した。

 思春期という多感な時期を迎えた健康的な少女の例に漏れず、彼女もまた繊細な年頃なのだ。

 

 

 

 

 

 

 慣らしを兼ねて軽く準備運動を終えたあなたは、シェルターの中央でウィズと対峙した。

 気を取り直したゆんゆんもあなた達の戦いを見学したいとの事で、壁際に張られた結界の中で固唾を呑んであなた達を見守っている。

 先日の喧嘩と違ってウィズは完全武装。あなたが使用しているのは二人が見慣れぬ装備品の数々。

 主にみねうちの関係で愛剣が使えないのでダーインスレイヴに頼るが、それ以外は正真正銘あなたがイルヴァで愛用していたものである。

 

「これ一つあれば一生安泰という神器で全身を固めて、ようやくスタートラインに立てる。ちょうど今そんな気分です」

 

 莫大な時間と資産を溶かし、徹底的に厳選と吟味を重ねた廃人御用達の装備を前にしたウィズの感想だ。

 流石の慧眼といえるだろう。

 事実あなた達ノースティリスで活動する廃人とその仲間はそういう領域で戦っている。

 

「現状の装備は勿論、現役時代に私が使っていた装備ですら不足も不足。戦闘勘を取り戻してもまだまだ私が求めるものは遠そうですね……タイムシフト」

 

 がっくりと肩を落として落胆の様子を見せるウィズだが、果たして彼女は気付いているだろうか。

 その口が確かな笑みの形を作っているという事実に。

 まるで一度は途切れ、終わってしまった筈の道が続いている事を知って嬉しくてたまらないとばかりに。

 

 そんなあなたの指摘に、ウィズはぽかんと口を開け、やがて恥ずかしそうに小さく笑う。

 

「そう、ですね。自分では全然気がつきませんでしたけど、きっと今、私は心のどこかで喜んでいるんだと思います。子供の頃の私は、自分が出来ない事が出来るようになる事が、強くなる事がとても好きでしたから。冒険者になった後は成長するにつれてそれどころじゃなくなって、リッチーになった後はお店の事で精一杯で、強くなる事なんて考えもしなくて。……だからきっと、久しぶりに童心に帰ったりしているのかもしれませんね」

 

 脳筋、もとい才能と向上心に溢れたパートナーにこの上ない頼もしさを覚えながらあなたは速度を引き上げた。

 今回の鍛錬は常に速度2000の状態で行われる。

 体感で一ヶ月過ごしても実時間は一日足らずなのだから、活用しない理由は無い。

 当然ながらタイムシフトの影響下に無いゆんゆんとは多大な速度差が生まれる。

 今もあなた達を見守っている勤勉なゆんゆんにとっては残念な話だが、自分達の戦いは全く参考にならないだろうとあなたは確信していた。

 

 速度差がありすぎるし、何よりもあなた自身、ゆんゆんに配慮するつもりが欠片も無かった。

 正しくは全力を出してくるであろうウィズを前にして、ゆんゆんに配慮出来るだけの余裕が無い。

 

 確かに現在のあなたは装備と戦闘経験でウィズを圧倒している。

 勝てるか勝てないかでいえば勝てる。

 真面目に戦えば、順当に、勝つべくしてあなたが勝つ。

 それはあなたもウィズも認める事実だ。

 

 だが、それだけだ。たったそれだけなのだ。

 断じてあなたとゆんゆんのような、天地が逆さになっても覆らないような絶対的な力関係ではない。

 無傷で対戦ありがとうございました、なんで負けたのか明日までに考えておいてください、なんて余裕をぶっこける相手では断じてない。

 忘れてはいけない。速度差を埋めたウィズは錆付いてなおあなたと戦闘が可能な力の持ち主なのだという事実を。

 そんな相手を愛剣も自己強化魔法も使わないという条件で生死の狭間に追い込むには、あなたも相応に気合を入れて戦う必要があるだろう。

 

 頑張るぞいっ、と上機嫌を隠そうともせずにダーインスレイヴを振り回すあなたは、つまるところ、ウィズとの蜜月(戦い)をエンジョイする気満々だった。

 

 

 

 

 

 

 頬に吹き付ける突風、そして一拍遅れて同時に聞こえてきた複数の破砕音。

 周囲に無数に張り巡らせた多積層構造の氷盾が一気に叩き割られた事実を認識しながら、ウィズは、かつて氷の魔女と呼ばれていたアークウィザードはふと考える。

 思えば自分が最後に戦闘中に死を強く感じたのはいつだっただろうか、と。

 

 人生の中で最も死に瀕した瞬間はすぐに思い出せる。

 バニルと契約を結ぶため、身の丈に余る戦いの代償でほぼ全ての寿命を使い果たし、その上で禁呪を行使してリッチーになった時だ。それは間違いない。

 九割九分、何故生き残れたのか分からない程度には死んでいたという自信があった。

 

 だがこれが戦闘中となると話は変わってくる。

 最も強い相手だったバニルには相手の意向で常にあしらわれていたせいで命の危険など皆無だったし、リッチーになった原因ことベルディアとの戦いも終始優勢を維持していた。

 最後に経験した、自分が死ぬと、殺されると感じるほどの死闘。

 それは魔王軍との戦いだったような気もするし、魔王軍とは関係の無い魔物だったような気もする。

 

(いずれにせよ、確かに言える事が一つだけあります)

 

 これほど死と隣り合わせの戦いは、生まれて初めてであると。

 

(仮にも不死者の王が自分の死を感じ続けるなんて、これっぽっちも笑えませんけど)

 

 傍から見れば無為な思考に囚われながらもウィズの集中が鈍る事はない。

 今この瞬間も全力で頭を回し、死力を尽くして戦っている。

 四方八方から打ち込まれる攻撃を盾の魔法で防ぎ、黒蓮の魔法すら惜しまず攻撃魔法を叩き付けている。

 

 相手の身体能力はただひたすらに人外であるとしか形容する術が無い。

 膂力、敏捷性、反射神経といった近接戦闘に欠かせない要素の全てがウィズの魔導と同等の領域に練り上げられている。

 

(流石に純粋な遠距離戦、魔法の打ち合いでなら圧倒出来るんですけどね。というかそれで負けたらしばらく立ち直れない自信があります。ただ近接戦闘が本領なあちらが私に付き合う道理は無いわけで)

 

 血で血を洗う猛鍛錬を始めて体感で既に七日目。

 未だ全盛期の感覚には届かずとも、戦闘中に集中を乱すような惰弱さは払拭されている。

 激痛と流血という形で、強制的に。

 

 物魔遠近の全てにおいて万能な冒険者を相手にするウィズに余裕など無い。

 一見すると余計な愚痴や嘆きも熱で思考がショートするのを防ぐために行っている現実逃避に近い。

 

 ウィズの戦闘能力は後衛としてのそれに特化している。

 最低限の近接技能こそ有しているものの、今も徹底的に近接戦闘を拒否するという形で戦っており、不死王に相対するノースティリスの冒険者は、彼女が得意とする遠距離魔法戦には付き合わず、いっそ愚直なまでに自身の有利な距離に持ち込むという形で彼女を追い詰める。

 乱れ飛ぶ魔法を切り開き、決して怯む事無く、何度も何度も繰り返しウィズを血の海に沈め続けた。

 

 それはまるでウィズが自分一人だけでも十全の力を発揮できる術を教えるかのようであり。

 ウィズの戦いの全てを余さず記憶するかのようであり。

 あなた自身の戦いを見せ付けるかのようであった。

 

 自分達にとっては、互いの手札が明らかになってからが本当の戦いなのだという、自身のポリシーを伝えたいかのように。

 どこまでも丁寧に、丹念に、入念に。

 あるいは執拗に、無慈悲に、徹底的に。

 

 そしてそんなあなたの本気を感じ取っているウィズはあなたに心から感謝しているし、全身全霊で鍛錬に励んでいる。

 戦えば戦うほど、余分なものが削ぎ落とされていく感覚がある。

 生死の境を彷徨うたびに現役時代の戦闘勘が、幼少期の自分の感性が戻ってくる。

 一人の戦う者として急速に研ぎ澄まされていくのが分かる。

 まるであなたに手を引いて導かれるかのように。

 

 それが、どうしようもなく楽しい。

 

(でもそれはそれとして負けっぱなしは悔しいし性に合わないので……そろそろ一勝くらいはさせてもらいますよ!)

 

 意気込みながらウィズは一つの魔法を詠唱した。

 生み出されたのは五体の妖精を模した小さな氷像。

 不死王に侍るが如き氷精を目にしたあなたの動きが微かに鈍り、意識の一部が向けられる。

 

(やっぱりあなたならそうしますよね、初めて見る魔法ですもんね!)

 

 何度も繰り返してきた戦いの中で、ウィズはあなたの悪癖とも呼べる性を見出していた。

 それは、戦闘中は初見となる攻撃を絶対に無視しない、無視できないというもの。

 自身に通用しない、どれだけ取るに足らない攻撃と理性で認識していても、意識を向けてしまう。

 無論馬鹿正直に攻撃を受けるわけではないのだが、良くも悪くも取捨選択ができない。何らかの形で見定めた上で対処をしてしまう。

 

 戦闘者として正しい姿勢であるそれをウィズは逆手に取った。

 

 自律行動可能な氷精を空中に飛ばし、攻撃に参加させる。

 全てが瞬く間に撃ち落とされるも、本体であるウィズの魔力によって即時再生。

 本体のウィズも数多の攻撃魔法を発動。

 ありとあらゆる属性による多重攻撃の中には避けられた魔法があった。威力が足りていない魔法があった。耐性に阻まれた魔法があった。無効化された魔法があった。

 しかし矢継ぎ早に繰り出される魔法の数々は、あなたにとって、その全てが等しく初見となるものであり、たとえ効果を発揮できずとも、無視する事を決して許さない。

 

 これはたった一手、読み合いと立ち回りであなたを上回るための初見殺し。

 二度目は淡々と踏み潰されるとウィズ自身も理解しているハリボテのような策。

 

 だがそれでいい。

 二度目など必要ない。

 全ては今この瞬間の勝利のために。

 

 

 そうしてほぼ全ての札を吐き出した末、彼女の執念は実り、その一瞬が訪れる。

 錆付いた氷の魔女が、癒しの女神の狂信者を上回る瞬間が。

 

「ストームブリンガー!!」

 

 生み出した機会を過つ事無く、本命である風魔法を発動。

 危機を敏感に察知したあなたが退避する間を与えず、あなたを中心とした空間を、血煙も残らぬ暴虐の風が圧壊し、断裁した。

 

 ストームブリンガー。嵐をもたらすもの。

 ウィズが創作した独自魔法の一つであるそれは、廃人の動きを短時間とはいえ封じ込めるという恐るべき嵐の檻。

 無駄に高すぎる威力を誇る攻撃はしかし他者への行使を目的としたものではなく、なんとなく作りたいから作ってみただけという、世の魔法使いが聞けば残酷な才能差に憤死しかねない理由で生み出された。

 だがウィズの創作魔法は大半がそんな物騒な代物だ。

 

 風、水、土、光。

 あなたに通用する属性を用い、天災に等しい破壊魔法で絶えず檻を形成するウィズに躊躇は無い。

 

 自身のパートナーがこの程度で死ぬわけが無いと知っているから。

 一瞬でも気を抜けば檻から脱出してくると理解しているから。

 その証拠とばかりに檻を貫いて飛来する暴力的な光条の雨。

 光子銃、その機関銃形態による反撃である。

 

 瞬く間に削られていく氷の盾を矢継ぎ早に補充する。

 光子銃は込められたエンチャントを含め、その全てが純粋科学で作られた兵器だ。

 魔力が込められていない攻撃を無効化するリッチーに負傷を与えられる武器ではない。

 だがこのように防御札を破壊する事は出来る。直撃させれば集中を乱す衝撃を与える事も出来る。

 そして身を護る盾を失った魔法使いが近接戦闘に持ち込まれた末路など、考慮にすら値しない。

 

(……ッ、攻撃と並行しながらだと盾の補充が追いつかない。このままだとジリ貧ですね)

 

 何より今の攻勢では遠からず檻から脱出される。

 確信を抱いたウィズは攻撃と防御に半々ずつ割いていた意識とリソースの全てを、攻撃に割り振った。

 全ての盾が割られる前に相手が防御に専念せざるを得なくなる状況を作る。完全に封殺する。

 

(足を止められている今しかない。大丈夫、ギリギリで間に合います)

 

 加速度的に激しさを増していく魔法の嵐。

 攻撃の余波でシェルター内部はとっくに崩壊しているし結界内のゆんゆんも気絶しているのだが、そんな事は誰も気に留めない。

 

(3、2、1……今!)

 

 幾重にも及ぶ攻撃魔法による結界。

 あなたの現在の力量を正確に把握して作られたそれは、完成したが最後、今回の鍛錬における初の白星を主に捧げただろう。

 だが天才アークウィザードによる封殺戦術が完成しようとしていたまさにその瞬間、身を護る氷の盾、その最後の一枚を貫いた弾丸が、ウィズの頭部を掠め、鮮血を伴う痛みを彼女に与えた。

 

 ダメージと呼べるような負傷ではない。

 だがそれでも光子銃の一撃は、ウィズに確かな傷を刻んでみせたのだ。

 

 繰り返すが、光子銃の攻撃はリッチーに通用しない。

 ゆえにあなたは魔弾という、魔力が込められた特殊な弾丸を使用した。

 時間停止弾と同じ、限りあるリソースの一つを躊躇い無く切った。

 

 攻撃魔法の檻の中、氷盾が尽きるタイミングとウィズの思考を読み切って。

 瞬きにも満たぬ刹那の間、ウィズの意識を逸らす為だけに。

 

 流血で赤に染まる右の視界に、ウィズは己が犯した致命的な失策を悟る。

 これが攻撃魔法による負傷であれば意に介さなかった。そのまま封殺できていた。

 集中は切らしていない。瞬きもしていない。目も気配も常に嵐の中のあなたを捉え続けていた。

 だが、それでも。

 ほんの一瞬、予想外の一撃を受け、攻撃に全力を賭す必要があった意識の一部を防御に割り振ってしまったのは確かな事実で。

 

 魔弾の一撃を最後に、光の弾雨は嘘のようにぴたりと止んでいた。

 だがそれは反撃を諦めたあなたが防御に徹している事を意味するわけではない。

 その証拠に、今の今まで檻の中にあったあなたの気配が、もうすぐそこに――。

 

(まずっ――!)

 

 血に塗れた死角から聞こえてきた、ざり、という微かな着地音に全身が総毛立つ。

 意識の間隙を突かれた。

 相手の距離になった。

 身を護る盾を失った状態で、手を伸ばせば触れられる、必殺の間合いに踏み込まれた。

 

「ライト・オブ――」

 

 一か八か、光輝の杖剣を振るわんとするウィズは確かに見た。

 数々の破壊魔法を浴びて全身から血を流す冒険者を。

 血塗られた魔剣を構えた友人を。

 自身を追い詰めた友人に、不敵な笑みを向けるあなたの姿を。

 

 その瞳はどこまでも真っ直ぐに、ウィズを、かけがえの無い友(倒すべき敵)を見据えている。

 

 極限の集中で自身の意識を除く全てが遅くなっていく中でウィズの目に焼きついたもの。

 それは白銀に煌くダーインスレイヴの刀身。

 

 迫り来る死の予感。

 避けられぬ破滅の気配。

 自身の首筋に死神の鎌が添えられる光景を幻視したウィズは、あなたが何をしようとしているのか、そしてこのタイミングではいかなる対処も間に合わない事を悟り、頬を引き攣らせる。

 

 それはダーインスレイヴの代名詞。

 血塗られた魔剣の地位を永遠に不動のものとした忌むべき主殺し。

 神速にして不可避の絶技。

 廃人が不死王との鍛錬の中で完全なる体得を果たした悪夢の必殺剣。

 

 純粋に友との戦いを楽しむあなたの笑い声を伴奏に、六連流星が解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 ~~ウィズの鍛錬日誌・屍山血河編~~

 

 一日目

 ぐうの音も出ないほどボッコボコにされました。

 

 二日目

 同上。

 しばき倒された直後に回復魔法で強制的に復活、再戦を繰り返しました。

 

 三日目

 何度も何度もみねうちを食らっているゆんゆんさんは正直凄いと思います。

 

 四日目

 決して勝ち目が見えないわけではないんです。

 ダメージを与える事は出来ている。

 でも届かない。勝利に繋がらない。

 きっとこれが私と彼の経験の差なのでしょう。

 

 五日目

 戦う、食べる、戦う、食べる、戦う、寝る。

 そんな毎日です。

 

 六日目

 ちょっと突破口が見えたかも?

 そろそろ一度くらい勝っておきたいので明日試してみます。

 

 七日目

 あと一歩のところで失敗。

 直接本人に言うと完全に負け惜しみになってしまうので、六連流星はノーコストで撃っていい技じゃないとここでこっそり主張しておきます。

 

 八日目

 夢を見ました。

 子供の頃の私が「私だけずるい。私と代わって」と何度も訴えてくる夢を。

 びっくりするほど無表情かつ愛想が悪くてリーゼさんや当時のクラスメイトに申し訳なくなりました。

 

 九日目

 勝てないのは相変わらずですが、結構動けるようになってきました。

 

 十日目

 早くも十日目。

 でもそれは私達の体感であり、実時間ではまだ半日も経ってないのだと思うと、速度差が生み出すアドバンテージの恐ろしさを痛感せずにはいられません。

 

 十一日目

 伸びが悪くなってきた感覚があります。

 自分に必死さが足りていない。

 悪い意味でこの日々に慣れてきてしまっているのでしょう。

 明日から一段階強く叩いてもらうようお願いしないと。

 

 十二日目

 (自らに向けた反省および改善点、あなたとの戦闘において有用な戦術、考察、立ち回りを記した図と計算式が延々と記述されている)

 

 十三日目

 (同上)

 

 十四日目

 (同上)

 

 十五日目

 (同上)

 

 

 

 

 三十日目

 辛うじて勝ちも負けもしない形で一日を終えました。

 個人的には殆ど負けだと思っていますけど、それでも初めての引き分けです。

 現役時代の感覚を取り戻せたのかは分かりませんが、ひとまず及第点、自分に失望を覚えないラインまでは引き上げられたので鍛錬は今日で終了。

 ちょっとだけお休みして、第三層に挑みます。

 

 

 

 

 

 

「うわあ……なんかもう、うっわあ……」

 

 いつかの時、どこかの場所。

 古ぼけた一冊の手記を前に、真紅の瞳と長い黒髪が印象的な妙齢の美女が頭を抱えていた。

 

「えぇ……あの時の二人ってこんな事やってたの? 一ヶ月近くも? 嘘でしょ……?」

 

 いかなる経緯で紛れ込んだのか、倉庫の整理中に見つけた手記を何気なしに開いてみれば、そこに記されていたのは美女にとってひどく懐かしく、そして愕然とせずにはいられないものだった。

 

「十二日目から二十九日目までの内容があまりにも異次元すぎる……図も計算式も読んでて意味が全っ然分からない……十二日目に何が起きたっていうの……」

 

 若くして世界最高クラスの魔法使いと謳われるようになった彼女は、かつて師の片割れが抱いていた異名を引き継ぐかの如き、他者に怜悧な印象を抱かせる鋭い美貌の持ち主である。

 そんな彼女がテーブルに突っ伏してとほほ……と情けない声をあげる姿を見れば、きっと誰もが目を疑う事だろう。

 

「……はあ。私も相当強くなったけど、まだまだ先は遠いなあ。知ってたけど」

 

 師の元から独り立ちをして久しい彼女は深く嘆息し、手記を痛めないよう、ゆっくりとページを読み進めていく。

 

「あーあー、こんな事あったあった。懐かしいなぁ……そうそう、幽霊船を見つけたんだよね」

 

 表情を柔らかく綻ばせ、過日の思い出に浸りながら。



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第139話 夢中の会遇、霧中の遭遇

 ふと気がつくと、あなたは見知らぬ場所にいた。

 年季を感じさせる、石造りの部屋だ。

 

 あまり広い場所ではないが、少なくとも牢獄でない事は分かる。恐らくは居間に類する場所だろうとあなたはあたりをつけた。

 暖炉の火で照らされてはいるものの、周囲は夜中のように薄暗く、使用感のある家具や道具が雑多に散らかっている。

 道具の傾向からして、部屋の主は何らかの職人といった物作りに携わる者である事が見て取れる。

 だが掃除は苦手らしい。

 

 ここはどこなのだろう。

 自分は何をしていたのだったか。

 

 そんな事を考え始めたあなたは、自分がソファーに寝転んでいる事に気がついた。

 何者かに膝枕をされ、慈しむような手つきで頭を撫でられている。

 微かに頭上から聞こえてくる子守唄からして女性のもの。

 あなたは心地よい睡魔を振り切るようにソファーから起き上がり、隣を見やる。

 

「あっ……」

 

 あなたは思わず目を奪われ、言葉を失った。

 

 そこにいたのは、空色の瞳を持つ、美しい白銀の少女だった。

 腰まで届く銀の長髪、日の光を知らぬが如き色素の薄い肌、火に煌く純白のドレス。

 薄暗く卑近な部屋の中、まるで彼女だけが光り輝いているかのように異彩を放っている。

 

 触れただけで折れてしまいそうな華奢な体は、地に積もる白雪にも似た儚さを思い起こされる。

 散々美しいものを見てきたあなたですら目を見張るほどの、完成された神造のヒトガタ。

 触れるどころか近づく事すら躊躇われる。しかしだからこそ自分の手で汚してしまいたくもなる。

 そんな相反する感情を抱かずにはいられない、胸を締め付けられるほどに無垢で、不可侵で、神秘的な少女だった。

 全てが人外的。そうとしか形容できない相手。

 あなたが知る中において最も彼女に近しいのは、幸運の女神の狂信者だろう。

 あなたにとっては掛け替えの無い大事な友の一人だが、数多の邪神に愛される激ヤバ存在である事に変わりは無い。

 

「おはようございます、マスター」

 

 あなたと目があった少女は、とても、とても嬉しそうに微笑んだ。

 言葉では到底言い表せないほどの万感の思いを、あなたに向けて。

 

「……えへへ、嬉しいな。私、ずっとマスターとこうしたかったんです」

 

 触れ得ざる神聖が零した人間味は老若男女の心を等しく奪い、愛という名の劫火で焼き尽くし、狂わせる。

 この愛しい笑顔を自分だけのものにしたい、他の全てを犠牲にするのだとしても、喜んで捧げようと。己が命すらも。

 

 そんな魔性ともいえる笑顔を向けられたあなたは誰かに教えられるまでもなく即座に理解した。

 謎の超絶美少女から自分への好感度が大変な事になっていると。

 好かれる分には一向に構わないのだが、その理由どころか相手の正体すら不明な現状において、これはちょっとした恐怖ですらあった。

 

 ヤンデレ。

 メンヘラ。

 SMプレイ。

 監禁。

 無理心中。

 

 物騒な語句を頭で並べ立てながら、あなたは自身が最も気になっている事を尋ねた。

 

「ここですか? ここは私がこの世に生を受けた場所です。正しくはその記憶を再現したもの。自分にこんな機能があるなんて私も知らなかったんですけど、マスター特典? とかいうので一度だけ許されたご褒美なんだとか」

 

 あなたは戦慄と共に一つの確信を抱いた。

 間違いない、これは押し売り強制主従契約である。

 気取られる事なく無理矢理契約を結ぶなど、あなたは色々な意味で恐ろしい相手に出会ってしまったようだ。

 異教徒にゴリ押しだの洗脳だのと呼ばれている、12月のノイエルで行われるきぐるみバイトによる癒しの女神の宗教勧誘だって一応は相手の同意が必要だというのに。地味にノルマが辛いあの仕事を同胞は必死に頑張っているというのに。あなたも頑張ったというのに。

 

「私のこの姿も特典によるものだそうです。マスターが私に抱くイメージを反映させているとかなんとか……あっ! あの、マスター、今さらなんですけど、私の事、分かりますか……?」

 

 初見のイメージを塗り替える、控えめで不安を隠そうともしない言葉と態度に、あなたは寒空の下、道端に捨てられ震える哀れな子犬の姿を幻視する。

 普段のあなたであれば、このような人を人と思わぬ邪悪な下種は問答無用でミンチにしている所だ。相手の好意など知ったことではない。

 しかし何故だろう、不思議とそのような正義の鉄槌を振り下ろす気にはなれなかった。

 

 それは彼女が結んだという契約の効力なのかもしれない。

 あるいは恐る恐る問いかけてくる少女から、砂粒ほどの悪意も害意も感じ取れないからかもしれない。

 もしくは、あなた自身が、こんな()()()()()()を体現するかのような雰囲気を持つ少女を、敵だと思いたくないと感じているのか。

 

 ……ふと、何かがあなたの意識に引っかかる。

 もし、もしも。あなたと彼女に本当に面識があるのだとするなら。

 たった一つだけ思い当たる名前が浮かんだあなたは、その名前を口にした。

 

「――はいっ!! えへへ、気付いてもらえて良かったあ……お前なんか知らんとか言われたら泣いちゃうところでした」

 

 不安げだった少女は途端にはにかみ、心から安心しきった様子であなたの肩に顔を埋めて頬ずりする。

 とてもではないがぶち殺すつもりだったとは言えない雰囲気だ。

 実際に殺せるかはさておき最低野郎の烙印待ったなしであった。

 

「マスター。私はずっと、あなたにお礼を言いたかったんです。本当に、本当にありがとうございますって」

 

 心中で冷や汗を流すあなたを他所に、少女は静かに言葉を紡ぎ始めた。

 

「私はここで生まれ、使命を与えられました。そして長い長い時の中で、幾度と無く出会いと別れを繰り返してきたんです。何度も信じて、何度も力を貸して、何度も裏切られて、何度も自分自身の性に何度も何度も絶望して、それでもそういうものとして生み出された私には自分の在り方を変えられなくて。なんとかしようと足掻いても、それは裏目に出るばかりで。どれだけ祈っても、願っても、血と死に彩られた悲劇しか生み出せない。壊したくないもの、失いたくないものばかり壊してしまう。失ってしまう。……私は、そんな私が他の何よりも大嫌いでした」

 

 言葉の内容はどこまでも抽象的で、しかし積もりに積もった、暗く、昏い、果ての無い諦観と絶望に満ちたもの。

 あなたはそっと少女の頭を撫でる。

 彼女に対し、今までに何度か行ってきたのと同じ手つきで。

 少女は全身の力を抜いてあなたに体を預けてきた。

 

「……ありがとうございます。マスター、あなたに出会う事が出来て本当に良かった。あなたのお傍にいられるおかげで、私は今、とても幸せです」

 

 彼女の言葉を信じるのであれば、この会遇に二度目はない。

 たった今だけ許された、本来は有り得ざる刹那の奇跡。

 それでもあなたが感傷を抱く事は無い。

 彼女はこれから先、あなたと共に在り続けるがゆえに。

 

「はい、私はあなたのものです。あなただけのものです。だからどうか、これからも末永くよろしくお願いします。私はあなたの一番にも特別にもなれないけれど、それでいいんです。それがいいんです。あなたが私の唯一で特別であってくれるなら、ただそれだけで。だからこれから先、ずっとずっと、私は、マスターだけを――」

 

 与えられた時が終わりに近づいているのだろう。

 少しずつ、しかし確かに崩壊を始めた部屋の中、どこまでも健気に微笑む少女は目尻に大粒の涙を浮かべ、綺麗な両手をそっとあなたの頬に伸ばし――

 

 

 

 少女があなたに触れようとした、まさにその瞬間。

 ぐわっしゃーん、と。

 盛大な破砕音を響かせて壁をぶち抜いて超高速で飛来した青い閃光が、少女を背後から強襲した。

 

「ぅぐっへぇええええぇぇー!?!?」

 

 奇声、もとい悲鳴をあげ、勢いのまま前方にぶっ飛び部屋の外に消える白の少女。

 根元まで突き刺さった、青白い大剣を胴体から生やしたまま。

 

 死ねよやぁー!!!! といわんばかりの、およそ殺意しか感じられない勢いで飛来した閃光の正体をあなたは完全に捉えていた。

 エーテルの魔剣ことあなたの愛剣である。

 まるで下手糞な演奏に対して投石でミンチにするという形で返礼するどこぞの軍人の投擲のような惚れ惚れする速度で、全身に怒りと殺意を漲らせた愛剣がどこからともなくかっ飛んできたのだ。

 

 当然ながらあなたの知る愛剣に自律で飛翔して相手をぶち殺すような機能は無い。

 コロナタイトパワーによって四次元の中で人知れずおぞましい進化を遂げた妹の再現は頼むから勘弁してほしいとあなたは思った。

 かなり本気かつ切実な願いだった。

 

「お兄ちゃんに呼ばれて飛び出るあいあむぷりちーしすたー!!」

 

 愛剣が爆砕した壁の向こうは無明の闇が広がっており、先が見通せない。

 そんな闇の中から現れたのは妹。

 これっぽっちも呼んでなどいないが頼もしくはある。

 あなたは状況を把握しているのであれば教えてほしいと告げた。

 

「状況も何もこれは夢だよ。もう朝だからそろそろ起きよう? 夢中じゃなくて霧中の冒険がお兄ちゃんを待ってるぜベイベー!」

 

 なんだ夢か。

 部屋が崩壊する中、あなたは妹が手渡してきた真紅の包丁で首を掻き切った。

 躊躇無く自傷行為に走る様はあまりにも手慣れたものだが、それもその筈。

 夢から覚めるならこれが一番手っ取り早い事をあなたはよく知っているがゆえに。

 

 ――ごめんなさいごめんなさい! でも仕方ないじゃないですか! 嬉しかったんだもん! マスターと直接お喋りしたかったんだもん! お礼を言いたかったんだもん!

 ――!!! ――――!!!!

 ――違います先輩誤解ですそんなんじゃありません! あとお願いですからその呼び方だけは止めてくださいって何度も! 淫乱尻軽クソビッチとかマスターに呼ばれたら私この先生きていけません!

 

 どこかから聞こえてくる、悲鳴にも似た白の少女――ダーインスレイヴの化身の抗議を耳に、愛剣と会話が出来るのは羨ましい、なんて考えながら。

 

 

 

 

 

 

 あなたは自身に宛がわれた寝室で目が覚めた。

 ベッドの他には小さなテーブルしか置かれていないという、本当にただ眠るためだけの場所だ。

 

 先ほどまで見ていた夢の影響なのか、妙にすっきりとした心地の良い朝を迎えたあなたは軽く顔を洗い、寝室を後にする。

 自身の意思で動いたりしない愛剣を携えて。ほっと一安心である。

 

「おはようございます。ゆんゆんさんはまだ起きてませんよ……っと、何かいい事でもありました?」

 

 不寝番を勤めていたウィズに朝の挨拶を行うと、ご機嫌なあなたの表情を見た彼女はくすりと笑った。

 あなたは正直に答える。

 目の覚めるような清楚系博愛超絶美少女から情熱的な永遠の愛の告白を受ける夢を見たと。

 

「そういうのは正直に答えなくていいです。非常に反応に困るので」

 

 真顔でぴしゃりと言い切られてしまった。

 言葉のキャッチボールは絶好調だ。軽快で洒落たシティボーイの軽口にウィズの友好度がガンガン上がっていく音が聞こえる。

 

「霧を吸っても幻聴や精神錯乱の効果はありませんよ」

 

 今日も朝から華麗なパーフェクトコミュニケーションをばっちり決めてみせたあなたは、自分が寝ている間に何かあったか尋ねてみた。

 

「これといって特に何も。湖中から大小様々な生き物の気配は感じ取れども姿は見えず、敵襲も無し。相も変わらずの霧景色です」

 

 ウィズの言葉通り、甲板から見える景色に変化は無い。

 どこまでも続く白霧があなたの視界を妨げている。

 竜の谷第三層、最果ての霧湖。

 血みどろの鍛錬で心身を鍛え直したネバーアローンが湖の探索を本格的に始めて早半月。

 今日も今日とて湖上は完全な凪。魔法によって生み出された風、そして船が湖を掻き分けて進む音のみが静かに聞こえてくる。

 

 甲板、船。そう、あなたは船上の人となっていた。

 白夜焦原に耐熱装備を用意していたのと同じように、あなた達は湖の渡航手段として港町で購入した小型の帆船を持ち込んだのである。

 

 例によって竜の谷の探索に耐えられるよう、ここまでの探索で集めた素材を用いてウィズから強化と呼ぶ事すら憚られる魔改造を施されている。

 船自体の強度もさることながら船外に満ちる霧を防ぐ結界が張られていたり無風かつ素人でも操船が可能だったりと、造船技師に見せれば「お前マジふざけんなよこれガワ以外完全に別物になってんじゃねえか!?」と膝を突いて嘆かれる事必至である。

 

 だがそんな先人の知識を用いた事前準備もこれで打ち止め。

 以降は完全に手探りで探索を進めていく必要があるわけだが、それはあなたとしても大いに望むところだった。

 

 

 

 

 

 

 ~~ゆんゆんの旅日記・最果ての霧湖編~~

 

 $月¥日

 進めども進めども霧が晴れる事は無く、どこまでも続く湖に終わりは見えない。

 本当に前に進んでいるのかすら分からない毎日が続いている。

 これまでの階層とは別の方向で第三層は辟易する。

 今更引き返そうとは思わないけど、せめて風景くらいは変化があってくれてもいいんじゃないだろうか。

 

 

 $月Ю日

 狭い船内でやれる事は多くない。

 軽い運動くらいなら大丈夫だけど、魔法を交えた激しい訓練なんてもってのほか。

 こういう時にシェルターが使えれば楽なのに、空間ごと隔離されるせいで外で何かが起きても分からなくなるからダメとの事。

 じゃあ釣りでも、と考えたけど大物を釣って船が壊れたり沈んだら大変だからとこれも却下された。

 こういう時だけ真面目な冒険者みたいな事を言わないでほしい。

 

 

 $月;日

 第三層で素材を採取する機会は少なくなるだろうという二人の予測は正しかった。

 魔物すら碌に出てこない。

 本当に出てこない。

 あれだけ竜の河で見かけた生き物達はどこに消えてしまったのだろう。

 

 

 $月☆日

 霧の湖を眺めていると魂が吸い込まれそうな錯覚を覚える。

 二人がいるからいいけど、船上に一人で置き去りにされたら私は恐怖で一日ももたず発狂する自信がある。

 まあ戦闘力という意味では圧倒的に置き去りにされているわけだけど。

 船旅を始める直前に28倍速で行われていた地獄の訓練で二人は更に強くなった。

 二人はどこまで行けば満足するのだろう。

 向上心は素晴らしいと思うけど、追いかける身としてはお願いだから勘弁してほしい。

 いや本当に勘弁してくださいお願いします。

 

 

 $月%日

 甲板にマンボウが降ってきた。

 ビダァァァン! みたいな勢いで降ってきた。

 怖ぁ……。

 マンボウはそのまま苦しんだかと思うと死んでしまった。

 怖ぁ……。

 

 

 $月!日

 朝起きたら、船首の先に立って腕を組んだゴブリンが真っ直ぐ船の進む先を見つめていた。

 なんで?

 半日くらいして満足したのか、ゴブリンはそのまま湖に帰っていった。

 でっかい真珠を残して。

 だからなんで?

 

 

 $月Μ日

 気付いてしまった。

 きっとこの霧には生き物の頭をバカにする作用があるのだ。

 多分アクシズ教徒の人たちは大丈夫だろうけど、あんまり吸わないようにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 泥のような大湖を進む船旅の時間がどれほど経っただろうか。

 

「……んあ?」

 

 最初にそれを発見したのは、ぼーっと景色を眺めていたゆんゆんだった。

 

「なーんだ、ただの船か。何かと思った」

「船!?」

 

 少女の言葉にあなたとウィズは強く反応する。

 すぐさまゆんゆんの傍に近寄って目を凝らすも、深遠の白霧には何一つ影が見えない。

 

「ゆんゆんさん、本当に、本当に船が見えたんですか!?」

「え、はい。ちらっとだけど、確かにあっちの方角に船が見えました。でもそれがどうしたんです?」

「しっかりしてくださいゆんゆんさん! 一大事ですよ! 船なんですよ!?」

「あれれ? 私また何かやっちゃいました? えへへーまいったなーめだっちゃったなーこまっちゃうなー」

 

 自己陶酔が極まったアホ面でヘラヘラ笑うゆんゆんの姿はあまりにも痛々しく見ていられない。

 刺激の無さすぎる船旅のせいで、気付かないうちに彼女の頭はだいぶバカになっていたようだ。

 正気に戻れとあなたは少女の頭を強めに引っ叩く。ウィズもあなたの行為を咎めなかった。

 

「あべし!!」

 

 甲板に沈むゆんゆんを放置し、あなたは指し示した方角に船を進める。

 あなたは頭がバカになったゆんゆんの幻覚という可能性も考慮していたのだが、程なくしてその不安は裏切られた。

 

「……見えました! 確かに船影です!!」

 

 深い霧の果てに微かに映る影は、まるであなた達から逃げるような形で霧の中を進んでいた。

 しかし速度自体はあなた達の船が遥かに上だったのか、間もなく影ではなくその全貌が露になる。

 

「これは、軍艦? どうしてこんな場所に……」

 

 最果てと呼称された、時空が歪む前人未到の霧の湖上で遂にあなた達が出会ったもの。

 それは、あなた達の乗る帆船が玩具に見える規模の巨大な船舶だった。

 

 

 

 

 

 

『ダメ、振り切れない』

「クソがよ。よりにもよってあんなチャチな船に足で負ける日が来るとはな」

『どうするの?』

「どうもこうもねえよ。わざわざご足労いただいたんだ。あちらさんのお望みどおり会ってやるさ。それともなにか? まさか戦えってのか?」

『貴方がそれを望むなら私は従う』

「なんとも心強いね。だが一応聞いておく。正直に答えてくれ。勝ち目はあると思うか?」

『…………私の命と引き換えに相手の船を沈めるくらいなら、なんとか』

「オーケー分かったもういい。頼むぜ相棒、先走って手を出してくれるなよ」

『くれぐれも気をつけて。相手は正真正銘の化け物だよ。私が足元にも及ばないほどの』

「お前ほんとそういう事言うなよ。怖くて泣きたくなるだろマジで……」

 

 

 

 

 

 

 追いついて並走を始めると同時、相手の船は緩やかに速度を落とし、やがてその場に停止した。

 十分に警戒して接舷を行うも、相手は反応を見せない。

 

 頑健な印象を受ける漆黒の船体のあちこちには白線で模様が描かれている。

 外部から見る限り、老朽化や風化は一切していない。

 損傷も無し。現役の船そのものといった姿が一層に不気味さを煽る。

 

 総金属製である船の全長はおよそ500メートル。

 舷には無数の砲塔が顔を覗かせていた。

 だが通常の大砲とは様相が異なっている気がする。

 

「恐らくは魔導砲ですね。学園の文献で見た覚えがあります。ノイズ時代に猛威を振るったという兵器で、遺失技術の一つです。……一つくらい回収しちゃっても大丈夫ですかね?」

 

 冒険者らしく物欲に駆られたウィズはさておき、あなたは強い違和感を覚えた。

 あなたの知識による時系列はこうだ。

 

 紅魔族誕生→デストロイヤーによりノイズ滅亡→紅魔族が竜の巣である霊峰を襲撃→辟易したドラゴンが一斉に夜逃げ→夜逃げ先がなんやかんやで異界化して竜の谷に

 

 仮にこれがノイズ時代の軍艦なのだとすると、辻褄が合わない。

 時空が歪んでいるせいだと言われてしまえばそれまでだが、それにしたってどこから迷い込んできたのかという話である。

 

「……うわーっ!? 船だこれ!? 何コレでっか!? ええええええ!? なんで船!?」

 

 正気を取り戻したゆんゆんは全身全霊で驚愕していた。

 あなたの気付けは効果があったようだ。一安心である。

 軽く事情を説明し、乗り込む準備を行う中、ウィズがあなたに耳打ちしてきた。

 

「ところで気付いていますか? 見られてますよ」

 

 あなたは頷いた。

 船に近づいたその時から、あなた達はずっと見られている。

 

 船の上から、ではない。

 船の中から、でもない。

 船の下から、それもずっと下からだ。

 湖の底から、強い力の持ち主による、敵意と警戒が多分に含まれた視線があなた達に注がれている。

 

「正直あまり戦いたくはないですね」

 

 単純な強さでいえばあなた達が圧倒している。戦えば問題なく勝てる。

 だがその過程でこの船は確実に沈むだろう、と確信を抱く程度には強い。

 

 不幸中の幸いは、ヴォーパルや蒼黒の不死鳥のような手合いではなさそうなところだろうか。

 確かに敵意は感じられるのだが、警戒の度合いの方が遥かに高く、そして怯えが混じっている。

 そう、視線の主は、あなた達に怯えていた。

 廃人とリッチーに意識を向けられている、今この瞬間も。

 

 

 

「おーい!」

 

 上から声が聞こえてきた。

 野太い男の声だ。

 あなた達は視線を向ける。

 

「あんたら大丈夫かー!? 今ロープを下ろすからちょっと待っててくれー!」

 

 船の縁から体を乗り出した水夫があなた達に勢いよく手を振っている。

 その体は青白く透けていた。

 

 

 

 

 

 

 軍艦に乗り込んだあなた達は、無数の視線に晒された。

 

「……ッ!」

「ゆんゆんさん、大丈夫ですから落ち着いて」

 

 水夫の死霊。

 軍人の死霊。

 魔法使いの死霊。

 商人の死霊。

 冒険者の死霊。

 死霊、死霊、死霊。

 

 どこを見回しても船上には死霊しか見当たらない。

 誰も彼もがあなた達に警戒を向けている。

 

「いやすまん。どいつもこいつもちょっと気が立ってるみたいでな」

「いえ、当然かと」

「そう言ってくれると助かる。……おら散れ散れ! 船長と我らの守り神が認めたお客様だぞ!」

 

 水夫が叫ぶと、空気が一気に弛緩した。

 死霊達は時折あなた達を見やりながらも、思い思いに甲板で過ごし始める。

 

「あんたらも嵐に巻き込まれてここを彷徨ってたクチだろ? 災難だったな」

 

 安心させようと笑顔を向けてくる水夫に、あなた達三人は顔を見合わせ、同時に頷いた。

 ここは相手に話を合わせよう、と。

 

「すみません、助かりました」

「なあに、気にすんな。この大海原、困った時はお互い様さ。悪党は別だけどな。何よりアンタみたいな美人さんを案内する役目を仰せつかって役得ってな!」

 

 ガハハ、と笑って先を進む男。

 まずこの船の船長に会ってほしいのだという。

 あなたがウィズに目配せをすると、彼女は周囲を見渡して小さく頷いた。

 

「あなたが思ったとおりです。それは間違いありません」

 

 船からは生者の気配がしない。

 ほぼ間違いなくこの軍艦は幽霊船だ。

 そして船員達は、自分が死んでいる事に気がついていないときている。

 

「で、でも、それならどうして……」

 

 怯えるゆんゆんの言うとおり、不死者の王であるリッチーはただそこに在るだけでアンデッドを引き寄せる性質がある。

 にも関わらず、亡霊達はウィズの影響を受けていないようだ。

 

「私もこのような事象は初めて経験するので分かりませんが、恐らくは既に何者かの影響下にあるのかと……」

 

 そんな話をしているうちに、あなた達は船長室に辿り着いた。

 話では船長があなた達の船を捕捉し、出迎えるように命じたのだという。

 今も湖中の底にある気配とどんな関係があるのだろうか。あなたは水夫が言っていた守り神という何者かが引っかかっていた。

 

「船長、客人をお連れしました」

「おう、お疲れさん。下がっていいぞ」

「へい」

 

 死霊に船長と呼ばれ、あなた達に対峙するものは、やはりというべきか、アンデッドだった。

 幾つもの勲章をぶら下げた純白の軍服に身を包み、鯨の印章が刻まれた白の軍帽を被ったスケルトンである。

 

「さて、俺の船にようこそお客人」

 

 アンデッド案件はウィズの担当だ。

 一行を代表してウィズが一歩前に出る。

 

「お招きいただき、ありがとうございます。私達は……」

「そちらの挨拶は必要ない。状況は把握しているつもりだ」

「そう、ですか……」

「そういうわけなんで、遠路はるばるご足労いただいたところ大変申し訳ないんだが、速やかにお引取り願いたい」

「……理由を、お伺いしても?」

「聞きたいか? ならハッキリと言わせてもらおう」

 

 虚ろの眼孔に寒々しい青い火が灯る。

 ひりつく空気が瞬時に船室に満ちる。

 スケルトンらしからぬ流暢な言葉には有無を言わさぬ絶対的な拒絶だけがあった。

 そしてその決意に溢れた声と敵意は、あなたにではなく、ましてやゆんゆんにでもなく。

 

「失せろバケモノ。たとえこの身が不死者に堕しようとも、かつて我らが掲げた正義と信念と矜持に懸けて、俺の魂も、俺の仲間も、誰一人として貴様のような邪悪には渡さない。絶対に、絶対にだ」

 

 ただ一人、ウィズだけに向けられていた。

 

「…………」

「…………」

 

 互いに無言。

 誰もがぴくりともせず、睨み合いが続く。

 

「…………ば、バケモノでも邪悪でもないんですけど!? 変な言いがかりはやめてくれませんか!?」

 

 沈黙の末、抗議の声をあげたのはウィズだった。

 よほどショックだったのか半泣きだ。

 相手の雰囲気がガチなせいで滅茶苦茶効いてる、とあなたは思った。

 

「……バカにしてんのか? 不死王が何言ってやがる」

「そ……そうですけども! 確かに私はリッチーですけども! でも清く正しく人畜無害で人と自然に優しいリッチーなんですよ!?」

「えぇ……なんだこいつ……狂いすぎだろ……何千年生きてたらこうなるんだよ……俺もいつかこうなっちまうのか? やべえ怖ぇ……」

 

 とても何か言いたそうなゆんゆんにあなたは無言で首を横に振った。

 

 清く正しく人畜無害で人と自然に優しいリッチー。

 ウィズは何一つとして嘘を言っていない。

 ただちょっと世に仇なす魔王軍幹部の一角なだけである。




 ・六連流星
 ダーインスレイヴ装備時に使用可能。
 速度と命中率に上昇補正がかかる六回連続攻撃。
 一回の攻撃ごとに66d66+666を加算する。
 任意発動不可能。
 自身も66d66+666の無属性ダメージを受ける。


 ・六連流星(真)
 ダーインスレイヴを必要としないほどに心技体が極まった真なる適正者がダーインスレイヴを装備した時のみ使用可能。
 速度と命中率に大幅な上昇補正がかかり攻撃対象の回避率を減算する六回連続攻撃。
 一回の攻撃ごとに6d6+6を乗算する。
 任意発動可能。
 消費コスト無し。


 ・ダーインスレイヴちゃん
 使命と誇りを胸に、人魔の戦いで混迷を極める世界に慈悲と救済をもたらすべく舞い降りたもの。
 そのあり方はどこまでも強く、気高く、美しく。
 しかしてその実態は真性にして魔性のサークルクラッシャーならぬ人生クラッシャー。
 彼女は力を求める者に等しく全力をもって応えたが、彼女に魅入られた者は周囲を巻き込んで悲惨で凄惨な最期を遂げた。
 献身と信頼が裏切られた回数は数え切れず。
 自らが生み出す破滅の螺旋に心は折れて久しく、それでも自らの業は止められず。
 終わりの無い絶望と諦観に朽ち逝く中で、今まで彼女が出会ってきた誰よりも彼女の力を必要としない冒険者に掬い上げられた、身も心も血と汚濁に染まった白銀の聖女。

 そんな設定が似合いそうな大清楚博愛子犬系薄幸不憫健気感情激重銀髪碧眼超絶美少女。
 もといダーインスレイヴの化身。

 経緯としては、一ヶ月間に及ぶ血で血を洗う濃密な鍛錬においてあなたがダーインスレイヴを使い続けた結果、晴れて習熟度が上限に到達。武器の補助抜きでも六連流星を完全な形で行使する事すら可能になった。好感度は最早限界突破の青天井。
 そんなこんなで彼女の産みの親の仕込みが発動。
 あなたと言葉を交わし直接礼を言うべく、決して二度目は無い一夜限りの奇跡の会遇を果たした、世界で一番幸せな血塗られた聖剣(女の子)

 化身の姿形はその性質やダーインスレイヴに纏わる数々の逸話からあなたがイメージしたものが反映されているが、性格や口調は正真正銘本人のもの。
 かーっ! 見んねホーリーランス! 卑しか女ばい!! エーテルの魔剣は突然キレた。


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第140話 五里霧中の幽霊船

 不死王を恐れながらも頑なに拒む骸骨船長と自身の潔白を主張するウィズの対話は平行線を辿った。

 終わりの無い水掛け論にこのままではいつまで経っても埒が明かないと判断したあなたは、畑違いを承知で選手交代を申し出た。

 そして一旦頭を冷やして落ち着いてもらうべく、ウィズにはゆんゆんと部屋から出てもらい、あなたは単身で船長と対峙する。

 

「……はぁ。いやすまん、大変見苦しい姿を見せた」

 

 不死王の圧力から解放された骸骨は、目深に帽子を被り、疲労困憊とばかりに存在しない肺腑から息を搾り出した。

 あなたとしてはヒートアップしたウィズの姿を眺めているだけで愉快だったので特に言う事は無い。

 笑顔のあなたが満足げに告げると、外から壁を強く叩く音が響き、船長がびくりと全身を震わせた。

 壁ドンならぬ壁パン。とんだパワハラリッチーである。ノースティリスでもスロットの台パンは出禁案件だというのに。

 

「なあ兄さん、今更聞くのもどうかと思うが、アンタともう一人の子は何者だ? 不死王とはどういう関係なんだ? 最初は不死王の下僕だろうと思っていたんだが、どうやらそういう間柄ではないようだし。しかもどっちもアンデッドじゃない、まともな生身の人間だよな?」

 

 まともかどうかは議論の余地があるかもしれないが、どちらも生身の人間ではある。

 そしてあなたとゆんゆんのウィズとの関係は友人であり、ベルゼルグに所属する冒険者だとあなたは自己紹介を行った。

 

「不死王の友人、ねえ。ヤバげな気配が漂ってる兄さんはともかく嬢ちゃんは死霊術師とかそういうタマには見えなかったんだが。人は見かけによらないってことか……まあ全体的に黒い格好だったしな」

 

 あんな若い子が嘆かわしいと首を振る船長。

 このように、世間一般におけるリッチーの評判と印象は極めて悪い。

 ゆんゆんも扉の向こうで物凄く嫌な誤解されてる!? とショックを受けている事だろう。

 

 死霊術師。別名ネクロマンサー。

 れっきとした職業の名前ではあるのだが、死霊術を扱う者全般を指す事もある。

 吸血鬼やデュラハンも広義では死霊術師。

 どちらの場合も、死者を己が欲望のままに弄び、故人の尊厳と魂を冒涜するおぞましき闇の走狗である事に変わりはない。

 許されざる邪悪。唾棄すべき外道。全ての生きとし生けるもの達の大敵。

 

 当然ながら、不死者の王ことリッチーもこの死霊術師の範疇に含む。

 それどころか筆頭ですらあった。

 

 世間一般のイメージにおける死霊術師といえばリッチー。

 様々な伝説や英雄譚に登場する、死者を冒涜する邪悪の代表といえばリッチー。

 根暗で陰鬱で陰険で陰湿で孤独で執念深くジメジメした薄暗いところが大好きで全身から腐った生ゴミの臭いを漂わせている人生の負け犬で放置しておくと知らないうちにやたら増えているクソうざいドブネズミやナメクジのようなイメージを持たれている死霊術師といえばリッチー。

 

 このように、エリス教とアクシズ教による怨念すら感じられる執拗なネガキャンもといロビー活動は、死霊術師とリッチーの印象にとてつもない被害を与えていた。

 実際ほぼ全ての死霊術師が邪悪である事は歴史も証明する客観的な真実なので、皆はこんな腐った蛆虫のようなゲロカスになっちゃいけないよ! という啓発活動は決して間違っていないのだが、親兄弟親族友人を皆殺しにでもされた挙句アンデッドにでもされたのかと勘繰りたくなるあまりにも徹底した人格否定と誹謗中傷っぷりは、死霊術師に対する若干の同情の念をあなたに抱かせていたりする。

 友人であるウィズの件を抜きにしても、ノースティリスの冒険者であるあなたの感覚では、このレベルの人格否定を受けて当然と思えるのは無神論者やカボチャ型モンスターをペットにしている輩、癒しの女神を気狂い共に媚を売って股を開き跪かせては悦に浸る売女と罵った木っ端邪神といった具合の、本当にどうしようもない連中くらいだからだ。

 ちなみに最後の邪神は当然の事だがあなた達癒しの女神の敬虔な信者によって、その信徒を含めた全員が埋まるまで徹底的に縊り殺されている。当然の事だが。当然の事だが。

 閑話休題。

 

「しかしベルゼルグとは初めて聞く名前だな。街とかじゃなくて国家なんだよな? この地図だとどこらへんに位置するのか教えてくれないか」

 

 壁に張られている大きな世界地図を横目で見やる船長。

 遥か昔に作られたであろうそれは、あなたが知る現代の地図と殆ど差が無い。

 強いて言うなら現代より未踏領域が多いようだが、これは単純に開拓が進んでいなかった時代の地図だからだろう。

 

 あなたはベルゼルグの位置を、つまり地図の右端に視線を向けた。

 時に極東とも称される、広大な大陸のほぼ全てを険しい山脈が縦断する地域の先には、魔王領という名の未踏領域が広がっている。

 そして山脈に穴を開けたように存在する空白地帯の東西の端には、ベルゼルグ王都と魔王城が蓋をするような形で存在する。

 人類が東進するにせよ魔族が西進するにせよ、他の陸路は存在せず、だからこそ人魔はこの空白地帯で長きに渡る争いを繰り広げているというわけだ。

 ベルゼルグ王都が陥落すると人類の敗北はほぼ確定するが、魔王軍もまた結界によって絶対的防御を誇る魔王城が戦略上極めて重要な防衛ラインになっているとはリーゼの談。人魔の戦いはいわば互いの喉元に刃を突きつけた状態で続いているのだ。

 

 しかしこの地図の極東、ベルゼルグが位置する地には全く別の国名が記されていた。

 すなわち、ノイズ、と。

 

 かつて他を寄せ付けぬ圧倒的な国力で世界を席巻し、魔道技術大国とまで呼ばれたノイズは、機動要塞デストロイヤーの暴走によって何百年も前に滅び去っている。

 そして亡国となったノイズの跡地に生まれた国。

 ノイズに代わって魔王軍の浸透を防ぐために作られた国。

 それこそが現代において世界最強を誇る軍事国家、ベルゼルグである。

 

 だがノイズの軍人であろう船長の前でそんな話をしても、笑い飛ばされるか激昂されるのが関の山だとあなたは理解していた。

 ノイズが滅びたという確たる証拠を所持しているわけでもない。誠実は美徳だが、この場における迂闊な発言は彼との対話を更に困難なものとするだろう。

 よってあなたはこの地図上には存在しないという微妙に本当でも嘘でもない発言でお茶を濁した。

 

「ほーん……」

 

 船長は感情の読めぬ瞳でじっとあなたを見つめていたが、あなたとて腹芸はお手の物。

 やがて彼は諦めたように息を吐いた。そういう事だったのか、と。

 

「未踏領域、それも魔王領に迷い込んじまったってわけか……納得だな。最悪でもある」

 

 何やら妙な勘違いをしていたので、あなたは訂正するついでに現在地を指し示した。

 リカシィ最北に位置する、険しい山脈と潮流で閉ざされた半島を。

 変な場所に転移している可能性も無いではないが、少なくともあなたの認識における現在地はここだ。

 ついでに前人未到の人外魔境こと竜の谷についての説明を誕生の経緯も含めて行っておく。

 

「…………」

 

 あなたの説明を受けたスケルトンはあからさまに困惑していた。

 

「現在地については、まあいい。いや本音を言えば全然良くないんだが、俺自身思い当たる節が全く無いわけでもないし、まるっきり出鱈目を言っているとも思えない」

 

 だが、と言葉を続ける。

 

「ベルゼルグっていったか? いくら異界の中とはいえ、人類領域に不死王の国が存在するというのは……受け入れがたいものがあるな」

 

 不愉快そうに部屋の外を睨むスケルトンに、あなたは疑問を抱いた。

 彼が竜の谷を知らないのは時代的に当然なので何もおかしくないし違和感も無い。

 あなたが中途半端に話を濁したせいでベルゼルグが竜の谷の中にある国だと勘違いされているのもある意味仕方がない。

 

 だが船長の中のベルゼルグはウィズが支配する国という事になっているようだ。

 確かにリッチーは不死者の王だが、何故彼女が国を持っている事が前提になっているのだろう。

 

「今になってようやく理解出来たってだけだ。確証があったわけじゃなかった。だが霧を抜けた先、あのおぞましい地獄から不死王が来たっていうのは、もうそういう事だ。もうこれ以上ない答え合わせだろ?」

 

 あなたの問いに、船長は吐き捨てるように答えた。

 壁の向こう側のウィズを鋭く睨みつけながら。

 

 軽く頭を掻くあなたは問いを投げかける。

 この霧湖の周囲について知っているかと。

 

「湖の周り? ああ、原っぱの先のことか。勿論知ってるさ。日の沈まぬ炎の大地。これでも生前はあそこに流れるバカでかい川を使って脱出しようと試行錯誤した事がある。だが無理で無茶で無謀な試みだった。この船はともかく、とても人が耐えられる環境じゃなかった。アンデッドと化した今となっては尚更無理だろうな」

 

 淡々とした船長の答えに確信を得たあなたは一つの事実を告げる。

 ウィズを含めた自分達三人はその炎の大地、白夜焦原と呼ばれる領域からやってきた探索者であり、船長が知るであろう霧の内部とは一切無関係であると。

 

「…………は?」

 

 それは彼にとってよほど予想外の言葉だったのだろう。

 カクン、と骸骨の顎の骨が外れた。

 

 

 

 

 

 

 船長室のテーブルに並べられたのは、あなたの言葉を裏付ける数々の証拠品。

 とはいっても大層なものではない。

 あなた達がこれまでの探索で撮影してきた写真の数々を披露したというだけである。

 

 千年樹海と白夜焦原の様々な風景と事あるごとに残していた各々の自撮りは勿論のこと。

 資料用にと残した竜の谷に巣食う数々の魔物の死体だったり。

 世界樹の頂上から見た至上の風景だったり。

 ネバーアローンと死闘を繰り広げた不死鳥の親子だったり。

 黒い炎の不死鳥が怒り狂った嫁に総排泄孔の毛まで毟られた哀れな姿だったり。

 火炎竜巻無尽鮫やマグマダイバーゴブリン、スーサイドフライングマンボウ(いずれもゆんゆん命名)といった奇々怪々な生物の数々だったり。

 

「…………」

 

 食い入るようにネバーアローンの愉快な冒険の軌跡とウィズを交互に見つめていた船長は、やがて被っていた帽子を壁に投げつけてヤケクソで叫んだ。

 

「おかしいだろ! なんで不死王が人間と一緒に真面目に清く正しく冒険者やってんだよ!」

「そこはこう、成り行きというか、かつての夢の成就というか、趣味と実益を兼ねてというか……普段は街の片隅でひっそりお店やってますし……何度も言ってますが世間にご迷惑をおかけしないよう気を付けてますし……」

「もうそこからおかしいじゃん! 人様に迷惑かけない不死王とか初めて聞いたよ! 不死王なら不死王らしく邪悪な儀式とか陰謀とか魔王軍みたいな人類の敵やってろよ!」

 

 本人としても思うところが無いわけではないのか、今度ばかりはウィズも強く反論はしなかった。

 流石に魔王軍という言葉には若干目を泳がせていたが。

 そんなうららかな春の陽気につられてお昼寝をしてしまい、そのまま消滅しかけてしまうようなぽわぽわりっちぃにあなたとゆんゆんは生暖かい視線を送る。

 

「……本当か? 本当に霧の先のアレとは無関係で、冒険の最中に偶然この船を見つけたから近づいてきただけの一般通過不死王なのか?」

「はい。霧の先がどうなってるのかは知りませんが、この船の彷徨える魂を支配しようという考えは毛頭無いですし、なんなら貴方を含めて成仏させて天に還したいと思っています」

「マジか……マジかあ……」

 

 きっぱりと断言するリッチーの言葉と瞳には強い使命感が宿っている。

 しばし呆けていた船長はやがて拾った軍帽を被り直し、深々と頭を下げた。

 

「数々の非礼と暴言、深くお詫び申し上げる。本当にすまなかった」

「謝罪を受け入れます。……実際、ほぼ全てのリッチーが船長さんの言うような邪悪な存在である事は事実ですから。誤解されても正直しょうがないかな、とは思います」

 

 無事に誤解が解けたので今度は相手の事情を聞く番だ。

 

「ノイズ海軍所属第二艦隊旗艦、ホワイトフォーチュン。この船の名前だ」

「まさかとは思いましたが、やはりノイズの軍艦でしたか。どういった経緯で竜の谷に?」

「魔王軍との大規模な海戦に勝利した直後、嵐に巻き込まれ、気がついたらここにいた」

 

 嵐に巻き込まれたのはここだ、と船長が指し示したのは船舶の消失事件が多発するがゆえ、現代において船の墓場とも称される魔の海域だった。

 

「そして湖から出る事も叶わず、湖の魔物との戦いで死者を増やしながら当ても無く彷徨い続け……やがて全滅した。餓死で終わらなかったのは唯一の救いだな」

 

 船と船員達を襲った悲劇に心を痛めているのか、悲しげな表情のゆんゆんがあなたの服の裾を強く掴んでくる。

 あなたは善良な少女の頭を軽く撫でた。

 

「いくつか質問があります。構いませんか?」

「俺が答えられる範囲で答えよう」

「貴方を含め、亡くなった船員の方々がリッチーである私の影響を受けないのは何故ですか?」

「相棒によって、魂がこの船に縛られているからだ。どういうわけなのか、この地は死者が自然に成仏する事が無い。葬送可能なプリーストもいるにはいたんだが、この地から切り離すにはレベルが足りないと言われたよ。全員の同意を得た上での行為だから納得は不要だが理解はしてほしい」

「リッチーの私が言うのもどうかと思いますが、自分達がアンデッドになる事は想定の範囲内だったと?」

「そうだ。葬送が不可能な以上、放置してそのまま悪霊にするわけにはいかなかったし、何より俺達は霧の向こうで見たモノに連れて行かれてしまう事を恐れた。アンデッドになるよりも、ずっとずっと。どんな手段を用いたとしても、それだけは絶対に避ける必要があった」

 

 彼らは一人残らず地縛霊ならぬ船縛霊になっているようだ。

 それを為した相棒とは何者なのだろう。

 

「そっちも気付いてると思うが、湖底にいるやつだな。後で顔合わせのタイミングを作ろう。言っとくけどアンデッドじゃないぞ」

「貴方以外の船員の方はご自身が既に亡くなっている事に気がついていませんよね? その理由は?」

「すまんがそれは俺にも分からない。全員がアンデッドになった後、いつの間にかこうなっていたとしか答えようがない。無闇に刺激する必要も無いからそのままにしているが、相棒はこんな変な場所で船に縛ってしまった影響じゃないかとは予想していたな」

 

 聞けば船長以外の船員は嵐に遭遇してからの記憶が一月前後のペースでリセットされるのだという。

 自分の記憶だけリセットされないのは相棒との繋がりのお陰だろうとも。

 他にも彼はあなた達の質問に隠し事をする事無く答えてくれた。

 

 だが、しかし。

 最後の最後にウィズが発した問いにだけは。

 

「霧の先、白夜焦原ではない方角には何があったんですか?」

「…………」

 

 推定第四層の話題になった瞬間、口を閉じるスケルトン。

 眼孔の炎が掻き消え、船室に暗く重苦しい沈黙が満ちる。

 

「……申し訳ないが、あそこについての詳細は口にしたくない。ただ下船したが最後、死ぬよりずっと悲惨な目に遭う事になると、一目見ただけで俺と相棒を含めた全員がそう確信した。気になるなら自分の目で確かめてくれ。先に進むというのであれば目にする事になるだろう」

 

 硬質な声色には、どこまでも強い恐れと忌避感だけがあった。

 

 

 

 

 

 

 船長室を後にしたあなた達は、彼に連れられて軍艦の最下層にやってきた。

 特別製であるこの船は船底を開放出来る仕組みになっているらしく、あなたの目の前では微かな明かりに照らされた湖面が静かに揺らいでいる。

 

「ここまでの船旅でこうは思わなかったか? この湖はやけに魔物が少ないと」

 

 船長は、第三層であなた達が常々感じていた事を言い当てた。

 確かにこの湖は竜の河と繋がっていながら、あまりにも魔物との遭遇頻度が少なすぎる。

 

「昔はこの湖も魔物がわんさかいたんだ。でかいのやばいのが色々と。俺達が全滅したのも結局は湖に巣食う魔物が原因だ」

 

 だが、今はもういない。

 果たしてその理由は、これから会うものにあるのだという。

 船長が相棒と呼ぶもの。船員が守り神と呼ぶもの。

 

「俺達の死後も相棒が戦って戦って戦い続け、湖の敵を駆逐した結果だ。この湖は相棒の縄張りと化して久しい」

 

 船長が何かの合図を送ると同時、湖底に沈んでいた強い力の気配がゆっくりと浮上してくる。

 少しずつ、あなた達に向かって。

 

「この場所も、本来なら相棒が体を休める為のものだった。長い放浪の影響で相棒がでかくなった今となっちゃ出入りなんて無理だけどな。本当なら甲板で会ってもらうのがいいんだが、今の相棒は仲間達の記憶の中の姿と違いすぎる。下手に船の外で姿を見せると騒ぎになっちまう」

 

 何かが近づいてくるのを厳かな雰囲気で待つ中、ふとゆんゆんが挙手をする。

 

「湖に魔物が少ないのはこの船の影響という話ですけど、じゃあ空からマンボウが降ってきてそのまま死んだりゴブリンが船首で数時間ポーズ決めたり霧を長時間吸うと頭がバカになるのもこの船の影響って事なんですか?」

 

 船長はニヒルに笑った。

 

「知らん……何それ……怖……」

 

 ゆんゆんの頭がバカになっていたのは霧のせいではなく素だ。

 ゆんゆんは普通に頭がバカになっていただけなので、誰かの責任にしてはいけない。

 あなたは頭がバカになっているゆんゆんがバカな事を言って申し訳ないと船長に謝罪した。

 普段はここまでバカではないのだが。

 

「何度もバカバカ言わないでください! 紅魔族は知力のステータスも高いんですからね!?」

「ん? 嬢ちゃん紅魔族だったのか? あの紅魔族? アークウィザード適性が最大レベルの紅魔族?」

 

 船長の反応にゆんゆんは目を瞬かせた。

 

「私達のことご存知なんですか?」

「いや知ってるも何もあんなに有名な……ああ、そうか。嬢ちゃんは子孫って事になるのか。言われてみれば確かに黒髪紅目で特徴はそのまま引き継いでるか」

 

 興味深そうに眺めてくる船長にゆんゆんはどこか居心地が悪そうだ。

 ちなみに紅魔族の里で拾った日記を読んだあなたは知っている。

 紅魔族はノイズの時代に生まれた改造人間、魔王軍に対抗する為の生物兵器である事を。

 そういう意味ではゆんゆんを含めた紅魔族はノイズの血を色濃く残す民族なのだろう。

 

「通称プロジェクトK。高まる魔王軍の圧力を抑えるために精鋭アークウィザードを量産しようというウチの軍の研究部署による肝煎り案件。ノイズ史上最高と名高い天才が国民全員に被検体募集かけて応募が殺到した結果抽選になったという改造人間」

 

 ちなみにこの天才とはデストロイヤーの製作者である。

 改造人間や生物兵器と聞くといかにも悲劇的な境遇を背負っているように思えるのだが、ノイズの国民はすこぶる頭のネジが飛んでいたので全くそんな事は無かった。

 

「ウチの船からも当選者が出て皆で祝福して送り出したのが懐かしいよ。俺もめっちゃ応募したかったんだけどな。改造手術で今までの記憶が全部無くなるっていうから泣く泣く我慢するしかなかった」

 

 アンデッドの身でありながらそれまで散々常識的かつ理性的な振る舞いを見せ、リッチー相手に覚悟を決めて啖呵まで切った船長の口から平然と飛び出す世迷言。

 ノースティリスの冒険者であるあなたであっても強化の代償に全ての記憶が消し飛ぶ改造は本気で勘弁してほしいと感じるので、ノイズの国民は相当のキワモノ揃いである。

 そんなノイズの国民性と血をゆんゆんも受け継いでいるのだろう。自分が改造人間の末裔と聞かされてショックを受けるどころか若干興奮していた。まとも寄りの感性を持っているゆんゆんですらこの様なのだから、普通の紅魔族であればそれはもう大変な事になってしまうだろう。

 自他共に認める廃人であるあなたをして素直にやばいと認めざるを得ない。紅魔族が人魔から関わり合いになりたくないランキングにおいてアクシズ教徒とツートップを独占するのもむべなるかな。むしろノイズとは無関係の身で張り合うアクシズ教徒が何なのかという話まである。

 

「あのあの! もっと紅魔族について聞かせてくれませんか? 私達についての話って殆ど残ってなくて……」

「んー、じゃあこんなのは知ってるか? 知り合いに聞いた話なんだが、手術を受けた紅魔族たちは自らの産みの親である天才科学者をマスターと呼び慕っている……もとい慕っていたらしい」

「マスター……!?」

「な、かっこいいよな」

 

 和気藹々と語り合う彼らの感性についていけないあなたとウィズは互いに無言で視線を交わし、少しだけ二人から距離を取った。

 

「ちょっとだけ、ゆんゆんさんを遠くに感じます」

 

 あなたは真顔で頷く。

 

 ――平然と遺伝子合成なんて超絶マッドな真似するご主人に引く権利は無いだろ、マジで。

 

 吐き捨てるかのようなベルディアの毒電波が届いた。

 

 

 

 

 

 

 やがて浮上してきた何かは、白くて大きいものだった。

 

「お疲れ相棒」

『うん。ここには全身が入らないから、体の一部しか見せられなくてごめんね』

 

 先ほどまで水面だった場所は、真っ白でツルツルしたさわり心地の良さそうな何かで埋まっていた。

 ついでに頭に穏やかな声が聞こえてくる。

 電波ではないようだ。思念の類だろう。

 

「これだけじゃ何のこっちゃ分からんだろうから先に説明するが、相棒は白鯨だ。名前はモビー。こいつがまだ小さな子供だった頃、群れからはぐれて浜辺に打ち上げられていたのを同じくガキだった俺が見つけて、友達になった。んでまあ海の軍人になった俺と一緒に育って、一緒に戦って、一緒に湖に迷い込んで、今に至る」

 

 白鯨。

 時に海の巨人とも称される幻獣だ。魔物ではない。

 通常の鯨より遥かに巨大で賢く、そして強い。

 この世界の海における最強の種族といえるだろう。

 

「よ、よろしくお願いします!」

『はじめまして、紅魔族の子。仲間達と同じ血を引く者に会えて私も嬉しい』

「モビーさん、はじめまして」

『よろしく不死王。相棒から話は聞いてる。お願いだから殺さないで』

「初手命乞いは普通に凹むのでやめてください……」

 

 相も変わらずウィズが動物に苛められているのを横目に、あなたは船長にだけ聞こえるように尋ねる。

 これまでにモビーは何回死んでいるのかと。

 

「……当てずっぽうで言ってるわけじゃないな。驚いた、分かるもんなのか?」

 

 モビーはあなたやベルディアと同じ気配を纏っている。

 何度も何度も死んで這い上がり、強くなった者特有の気配、自身の生死が軽くなった者の気配だ。

 これは同類でなければ分からないだろう。カズマ少年のように一桁程度ではこうはならない。

 ましてやモビーはこの世界の海における強者。霧の湖における戦いで相当に自身の屍を積み上げてきたのがあなたには手に取るように理解出来た。

 

 とはいえそんな血生臭い事情を明け透けに説明しようとは思わない。

 なんとなく分かるとだけあなたは答えた。

 

「なるほど、伊達に不死王と友人やってないって事か。ちなみに質問への答えだが、正直覚えてない」

 

 声には苦いものが含まれていた。

 仲間と船を守るべく戦った友を何度も死なせてしまったという強い自責の念から来るものだろう。

 

「まあそれが分かってるんなら、こっちとしても話が早くて助かる。こうして相棒と会わせたのは、アンタ達を類稀なる強者にして冒険者であると認めたうえで頼みがあるからだ」

 

 そう言ってあなた達の視線を集めた船長は、懐からあるものを取り出した。

 小さな紅白の球体であるそれは、ベルディアが常日頃からお世話になっている、中に入れた者に擬似的な不死を与える神器。モンスターボール。

 あなたがカイラムで入手したそれを見せると、アンタも持ってたのか、と船長は驚きを露にした。

 

「説明の手間が省けた気がしないでもないが、相棒はこの神器の中に入る事が出来る。だから俺達を昇天させた後、ここに残される事になる相棒を海に帰してやってほしいんだ。両者の同意があれば相棒は神器から解放されるから、残った神器はアンタ達の物にしてくれて構わない」

「竜の河を伝っていけば海に出られますよ? モビーさんの強さなら可能だと思うのですが」

『樹海の奥までは私だけで行けたけど、出口らしき場所で押し戻された。恐らく一定以上の強さを持っていると出られないようになっている』

「とまあこういうわけだ」

 

 初めて聞く話だが、確かに竜の河に巣食う強力な魔物が滝から流れ落ち、リカシィ国内で暴れたという話をあなたは聞いていない。頻繁にあって然るべきだというのに。

 神々が結界を張っているのかもしれない。

 

「私達は来た道を引き返す予定はありませんけど、それでもですか?」

「ああ。アンタ達とは今日が初対面である事は重々承知だし、こういう事は言いたかないが道半ばで全滅する可能性すら考慮した上での決断だ。こんな機会は間違いなくこれが最初で最後だろう。相棒にはこんな場所で一生を終えてほしくないんだよ」

『私からもお願い。相棒や仲間との思い出が詰まったあの海に私は帰りたい』

「代価として家宝であるこの神器、そしてこの船から好きな物を持って行ってくれていい。……とは言っても軍艦だし、残念ながら冒険者が求めるような金銀財宝は積んでないんだが」

 

 不死者と化し、そして間もなく消え逝く船長からの依頼。

 あなた達ネバーアローンは、満場一致でそれを引き受けた。

 

 

 

 

 

 

 およそ十日。

 ノイズが誇る魔道軍艦、ホワイトフォーチュン号の諸々の処理に必要とした時間である。

 ネバーアローンと話をつけた船長とモビーが真っ先に行ったのは、自分達は死者と化しており、長年に渡って霧の湖を彷徨い続けていると船員達に各々の遺品や遺書という物証付きで説明する事だった。

 

 突如として現実を突きつけられた亡霊達は荒れに荒れた。

 自分達が死んでいたからではない。

 当然驚きも嘆きもしていたが、そこは軍艦に乗るものとして覚悟の上だったし、葬送して天に還してもらえるというのであれば素直に受け入れよう、くらいの意識ですらあった。

 

 ――予約してたコンサートに行けなくなったって事!?

 ――やったああああああ!! メシマズ鬼嫁から解放されたあああああああ!! 俺は自由だあああああああ!!

 ――この作戦終わったら溜まりに溜まった有給消化するつもりだったのに! 死ぬ前に使っときゃ良かった!

 ――今なら心置きなくやれる……! 金を地面にばら撒いて上から目線で高笑いするというアレを!

 ――私第二回紅魔族改造手術に当選してたんですけど!?

 

 船上で乱舞する各々の俗すぎる未練と悲喜交々。どうせ最期ならパーッとやるか! と始まる宴会。ホワイトフォーチュン最強を決める拳闘大会。船のあちこちで発生する爆発。ノリと勢いで袋叩きにされてマストに吊るされる船長。

 紅魔族の祖先であるノイズの国民性が存分に発揮されていたといえるだろう。

 

 

「んじゃ船長、お先に失礼します」

「おう、お疲れ。俺もすぐ行く」

 

 朗らかに笑い、手を振りながら甲板に描かれた魔法陣に足を踏み入れる古代の亡霊。

 深い霧の中、また一人、不死王の手によって彷徨える亡霊が天に還っていく。

 短い付き合いだったが、誰も彼もが気のいい者達だった。船と一緒に沈めたくないし天には持っていけないからと様々な遺産、今となっては非常に貴重な古代の物品、文献、魔道具も多数譲り受けている。

 いい船で、いい仲間達だったのだろう。あなたは素直にそう思った。

 

「残りは……もういないか」

「はい。あとは船長さんだけです」

 

 船員の亡霊達によって往時の姿を維持していたという巨大軍艦は、ほぼ全ての亡霊が解き放たれた今、その真の姿を曝け出している。

 度重なる戦闘で荒れ果て、あちこちにどす黒い血痕がこびりついた甲板。半ばから真っ二つに折れたマスト。穴だらけの船体。

 現在進行形で崩壊しつつある船のあちこちから響いてくる、悲鳴の如き異音。

 雄大にして強大だった姿は最早見る影も無い。今この瞬間に沈んでもおかしくない、まさしく幽霊船と呼ぶに相応しい死に体だ。

 

「正直船を預かるものとして卒倒したくなる光景だが……それでもやっと肩の荷が降りた。このクソッタレな場所であいつらに穏やかな最期を与えてやれた」

『うん、お疲れ様』

 

 船の隣には白く、そして巨大な鯨が悠々と浮いていた。

 長年に渡って戦い、傷つき、死んで、這い上がり、船と仲間を守り続けてきた白鯨、モビー。

 その全長はおよそ200メートル。玄武に匹敵する巨躯の持ち主である。

 

「モビー、お前も元気でな。海に帰ったらいい嫁さん見つけるんだぞ」

『そういう相棒は結局最期まで童貞だったね』

「止めろよ未練残っちゃうだろ!」

 

 長々とした思い出話や感情の整理はこの十日間で終えた今、湿っぽい言葉は不要と最期まで軽口を叩き合い、長い時を共に歩んできた一人と一頭は笑顔で別れを終えた。

 ギシギシと船体が鳴き続ける中、最後の一人となったスケルトンがネバーアローンの三名に頭を下げる。

 

「最期に改めて礼を言わせてもらうが、相棒共々、本当に、本当に世話になった。感謝の言葉も無い。アンタ達に会えて良かった」

 

 その上で、と彼はあなた達に警告する。

 

「どいつもこいつもクソバカな連中だっただろ? 誰も彼もが笑って天に逝った、自慢の仲間達さ。だが、そんなあいつらでも、霧の向こうは等しく恐れた。あれはそういう場所だった。くれぐれも気をつけてくれ」

 

 真剣な表情で頷くあなた達に満足したのか、船長は静かに笑って魔法陣に入る。

 

「モビーを、俺の大事な友達をよろしく頼む。じゃあな」

 

 光に溶けて姿が消える最後の一瞬、あなた達は日に焼けた肌を持つ、まさしく海の男といった風の精悍な壮年の男が、満面の笑みを浮かべる姿を垣間見た。

 そうして不死王を除くアンデッドが誰一人としていなくなった幽霊船は破綻を迎え、轟音と共に傾き始める。

 

 だが、誰がどこからどう見ても限界だったにも関わらず、幽霊船が沈没を始めたのはあなた達が脱出し、十二分に距離をとった後。

 それはまるで、最後の力を振り絞り、あなた達を巻き込むまいとするかのような姿だった。

 

 

 

 

 

 

 幽霊船を除霊したあなた達ネバーアローンは、その後、湖の主であるモビーに案内される形で霧を抜けた。

 モビー曰くそのまま進んでいるだけでも到着はしていたとのことだが、およそ半月近い道のりを短縮した計算になる。

 そうして第三層を突破したあなた達は、ノイズの軍人と白鯨が恐れたものを目の当たりにする事になる。

 

『案内はここまで。私は眠りにつく。放っておいたら何年もそのままになるから、用があるか海に辿り着いたら起こしてほしい』

「分かりました。モビーさん、ここまでありがとうございました」

『うん。見れば分かると思うけど、くれぐれも死なないで。絶対に、ここでだけは』

 

 最後に強い警告を残したモビーはモンスターボールの中に収まり、長い眠りについた。

 

 天に還った船長と巨大な同行者の言葉はどこまでも正しい。

 第四層。最果てと呼ばれる場所の先。

 この地で死ねば碌な事にはならないだろうと、あなた達は一目見た瞬間から否応なしに理解させられていた。

 

「……うっ!」

 

 よほど耐え難かったのか、顔面を土気色にしたゆんゆんが船縁から身を乗り出して思いきり嘔吐する。

 吐瀉物が静寂の湖を汚すも、あなたは彼女を揶揄しようとは思わなかった。

 それなりに精神的にタフになってきたゆんゆんであっても耐えられなかった。それだけの事だ。

 

 おぞましい血の色に染まった呪いの空。

 草木の一本も見当たらない荒れ果てた荒野は、その全てが濃密な闇と瘴気で汚染されきっている。

 汚染された大地のあちこちでは曲がりなりにも日の下であるに関わらず不死者が自然発生し、だがその強すぎる死と闇に耐えきれず数分ともたずに崩壊、苦悶の声をあげながら消滅。その姿はまるで生死を繰り返すかの如く。

 

 世界が死んでいる。

 そうとしか形容できない壮絶な風景。

 

 同じ荒野でも、光と炎に満ちた白夜焦原とは対極的。

 静寂に閉ざされた虚無の荒野でもない。

 どこまでも血と闇と死で満たされた世界。

 

 竜の谷第四層。

 深き霧の果てにて探索者を待ち受けるこの地は、今はまだ語られるべき名を持たない。

 足を踏み入れた者は生者も死者も等しく飲み込み、染め上げ、呪い、縛り、永遠の闇に捕らえる怨念と死色の大地。

 

「……船長さんが私を見て誤解するわけですね」

 

 そんな場所を見たウィズは静かに告げる。断言する。

 奇しくも船長の言葉自体は正しかったのだと。

 

「間違いありません。ここはリッチーの支配領域です。それも、私より遥かに格が上の」

 

 あなたの目が希望で輝き、ゆんゆんが恐怖と絶望のあまり失神した。



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第141話 第四層:蓋棺の大地

【蓋棺の大地】

 

 竜の谷、その第四層。

 人界において最果てと呼ばれていた霧の湖の先。

 古代の亡霊と白鯨が恐れた悪夢の領域。地獄の扉が開いたかのような死の具現。

 彼の地について私が記述する事、記述していい事は殆ど無いといっていい。

 ただ私達は、後にこの場所を蓋棺の大地と名付けた。

 

 ――『竜の谷回顧録』より抜粋

 

 

 

 

 

 

 光届かぬ闇の底。

 一人の不死王が、永遠とも思える長い眠りから目を覚ました。

 

 久方ぶりの感覚。

 自身の領域に足を踏み入れた者がいる。

 念の為に領域が広がっていないか確かめ、眠りにつく前と変化が無い事を確かめて嘆息する。

 

 天使か、悪魔か、迷い人か。

 あるいは懲りずに人魔による討伐軍が編成されたのか。

 温かい泥の中にたゆたうような心地よさから強制的に引き上げられたそれは、とても憂鬱な気分になった。

 

 躍起になって国を広げようとする若さも、強敵を打ち破る情熱も、全てを取りこぼしたくないと恐れた狂気さえも、全ては自身の中から失われて久しい。

 今となってはただ一つ、永い時の中で自然と生まれた感情、切なる願いだけが残るばかり。

 

 不死王は倦んでいた。

 世界に複数存在する超越者達は専ら世界の運行に携わっており、領域に引きこもる不死王に関心を示そうとしない。不死王も自分から喧嘩を売りに行く程の元気もやる気も無い。

 かといって不死王を敵視し、積極的に襲い、そして殺しきれるほどの上位者はこの世界に降臨しない。降臨する事が出来ない。

 そのレベルの神魔が投入されると天秤が崩れて最終的に世界が滅びる。

 半ば惰性で存在し続けている過日の覇者は、この地で世界の終わりまで眠り続ける事すら吝かではないのだから、素直に放っておいてほしいと心底から願う。

 

 とはいえ黙って無抵抗で殺されてやるほど人が良いわけでも王としての矜持を失ったわけでもない。

 殺しに来るというのであれば全力で抵抗も殺害もするし、敗者の魂は好きなようにさせてもらう。

 ついでに領域に立ち入って犠牲になる者達についても知った事ではない。あからさまに危険なのは分かるだろうし、他人の領域に立ち入る方が悪いと本気で思っている。

 

 不死王は億劫な心地で多少の些事では目覚めぬ己の意識を叩いた何かを探る。支配領域を探査する。

 そうしてみれば、自身のいる場所から遥か遠く、支配領域の最端から一人の女の気配を、同胞の気配を、自身と同じ不死王の存在を感じ取った。

 

 予想だにしなかった相手に不死王は暫くの間呆けたように瞠目し、やがてくつくつと邪気の無い笑い声を漏らし始める。

 彼方の相手は、その女は、まるで赤子のように幼く穢れなき無垢の不死王だった。

 同胞として、先達としていっそ愛おしさすら覚えるほどに。

 

 間違いなくあちらもこちらの存在を気取っているだろう。

 会ってみたいと思う。

 会って話がしてみたいと思う。

 

 愉快だった。錆付き腐り果てた心が少なからず弾んでいる事を自覚する。

 その気になれば遥か遠方の此処から配下をけしかける事も能力云々を調査することも可能であったが、稀人に対してそれはあまりにも無粋であると考えた不死王は即座に探査を打ち切り、今しばらくの不干渉を決めた。

 深淵の闇に揺られながら、初めての逢瀬で想い人を待つ少女にも似た夢見心地で。

 

 その淀み、濁りきった瞳に、廃人の姿は映っていない。

 今は、まだ。

 

 

 

 

 

 

 第四層。人類史において一切の足跡も情報も残されていない、名も無き領域。

 不死王が支配するという死霊の地において、あなた達は上陸し橋頭保を築くのではなく、船に乗ったまま周囲を調査する事を選んだ。

 ウィズは全然余裕を通り越してかつてないレベルで絶好調を維持するであろうこの地獄は、入念に準備を整えてからでないと本気でゆんゆんがゴミのように死んでしまうだろう。無対策で挑もうものならば、それこそちょっと目を放した隙にあっさり死んで死霊の仲間入りをする。仲間が増えるよ! やったねウィズ! みたいなノリと勢いで死ぬ。

 現にあなたが試しにと投げ込んだふかふかパンは三秒でどろどろに腐りきってしまった。極めて危険と言わざるを得ない。

 

「もうダメだぁ……おしまいだぁ……」

 

 ゆんゆんは即行で絶望していたが、まだまだ余裕があるな、とあなたは冷静に判断していた。

 本人的には本気で絶望しているし暗澹たる心境なのだろうが、紅魔族の里であなたが死んだと勘違いして号泣していた時よりマシだし、何より振る舞いや物言いにどことなくネタ臭が溢れているのだ。ゆんゆんの得難い素質だろう。本人はそんなのいらないとキレ気味に叫ぶだろうが。

 

 ゆんゆんを勇気付けるというわけではないが、あなたはウィズに問いかけた。

 勝算はあるのかと。

 

「もう一度言いますが、私と相手にはリッチーとして赤子と大人に等しい差があります。なんちゃってリッチーの私と違い、正真正銘、不死者の王と呼ぶに足る相手です。百戦やって百戦私が負けます。これは絶対に間違いありません」

「みんなここで死んじゃうんだぁ……」

 

 自己申告の通り、ウィズのリッチーとしての位階はすこぶる低い。

 あなたが戦う者としては評価されていても、エレメンタルナイトとしては凡庸だという評価を下されているのと同じように。

 

 この世界はスキルの法則ありきで回っている。

 戦士や魔法使いがそうであるように、農民は農民の、商人は商人の、鍛冶師は鍛冶師の、演奏家は演奏家のスキルをそれぞれ有しており、その中には当然王のスキルも存在する。

 

 リッチーは不死者の王と呼ばれている。

 これはアンデッドとしての格やアンデッドを引き寄せる性質のみを指すものではない。

 単純な話、リッチーは不死者を束ねる王として在るべきスキル群を有しているのだ。

 

 翻って、ウィズをリッチーとして、不死者の王として見た場合。

 その錬度は駆け出しもいいところである。

 冒険者でいえばゴミ掃除やドブ浚いといった雑用をこなしたりゴブリンだのジャイアントトードだのといった最弱クラスのモンスターを狩って日銭を稼いでいるような、いわば下積みの段階。

 

 彼女には不死者として積み重ねてきた年月が無い。

 どれだけ才能に溢れていようとも、心だけは人間でありたいと思っているウィズには、不死王としてあるべき覚悟が、配下が、矜持が、熱量が、研鑽が足りていない。

 第三層で一ヶ月間ぶっ続けで行われた戦闘勘を取り戻す訓練の中でも、彼女がリッチーとしての技能を用いる事は無かった。

 リッチーのスキルは触り程度にしか習得していないし、これっぽっちも使いこなせていない。

 これはウィズに多大な伸び代が残されている事を意味するが、現時点において純粋にアンデッドとして見た場合、ベルディアの方が余程格が上だったりする。

 

「ですがそれは不死王として見た時の話です。魔法使いとして見た場合は私が勝っている……いえ、あくまで私見に過ぎないと前置きしておきますが、一対一なら普通にボコボコに完封出来る自信があります」

 

 あなたが冒険者としてのプライドを持っているように、ウィズもまた魔法使いとしてのプライドを持っている。

 これまでの冒険とわくわく血塗れブートキャンプを経て学生と冒険者時代の感性を取り戻しつつある彼女は、あまり謙遜をしなくなった。少なくともあなたの前では。

 

「じゃ、じゃあ、実際に戦った場合は……?」

 

 ウィズは小さく首を横に振った。

 

「戦ってみるまで分からないと言いたいところですが、正直単独だと勝ち目は薄いと思っています。このクラスのリッチーだと従えているアンデッドは十万やそこらではきかないでしょうし、相応に質も伴っているはず。私はそんな大軍勢と一人で戦う経験なんて持ってませんし、十中八九こちらのリソースが先に枯渇するでしょうね」

「対戦ありがとうございました。次の人生を用意してきますね。先立つ不幸をお許しください」

 

 判断が早いと錯乱するゆんゆんを叱咤する。

 だってぇ……と涙目でぐずるゆんゆんだが、ウィズの言葉はちゃんと聞いておくべきだ。

 彼女は単独だと勝ち目は薄いと言った。当然そこにあなたの存在は勘定に入っていない。

 そういう事だろうとあなたがアイコンタクトを送れば、ウィズは静かに頷いた。

 

 相手が不死王として戦うように、ウィズは魔法使いとして、冒険者として戦う事になる。

 この世界の冒険者はパーティーを組んで戦うのが常識。つまり彼女のパートナーであるあなたの出番だ。

 殲滅戦と泥仕合と長時間耐久はあなたの得意中の得意分野。

 あなたにとって多勢に無勢など日常の一コマに過ぎない。

 

「本当にいいんですか? とは聞きません。今更ですもんね。ただ時と場合によっては私の都合に巻き込んでしまう形になるでしょうから、そこは申し訳なく思いますが……存分に頼りにさせてもらいますね」

 

 現在のウィズが敗色濃厚と予想するレベルの強敵。

 速度を上げて愛剣で斬って終わり、といった味気ない結末に終わるとは考えにくい。

 期待に胸を膨らませるあなたは参戦を許可するウィズの言葉にニヤリ、と笑った。

 

 

 

 

 

 

 外周を船で探索中、ふとゆんゆんが尋ねてきた。

 その顔色はお世辞にも良いとは言えず、誰の目にも憔悴している事が分かる。

 

「……あの、質問があるんですけど。どうしてお二人、というかウィズさんは、あのアンデッド達を浄化しないんですか?」

 

 闇と瘴気に満ちた地上で生まれては消滅していく不死者達を指した言葉だ。

 多種多様なアンデッド達は一様に苦悶の表情を浮かべながら苦痛の声を発し、時折目に付いたあなた達に救いを求めるように手を伸ばしている。

 あなたにとっては良くも悪くも思うところが浮かんでこないそれも、一般的には地獄と形容される光景だった。

 事実ゆんゆんも彼らに極力目を向けないようにしている。

 それでも目に見えて辛そうなので、人間の死に直面した経験すら殆ど無い善良な少女にとっては殊更耐え難いのだろう。

 

「浄化で解決するなら私も喜んで手を出すんですけどね……確かに彼らはアンデッドではあるのですが、死者ではないんですよ」

 

 ウィズは声に苦いものを含ませて答えた。

 

「……死者ではない?」

「魂が入っていないんです。かといって擦り切れているわけでもない。高位のアンデッドがスキルで生み出したり、ダンジョンの中といった闇と魔力が濃い場所で自然発生するアンデッド系モンスターと同列の存在です」

 

 あなたの身近な例ではベルディアが使役するアンデッドナイトが相当する。

 あれはあれで魂が入っていないという割に妙な人間味を見せる時があるが。

 

「浄化しても救いにはならないって事ですか?」

「一つ一つに対処していたら終わりが無いというのもあります。何せ発生源が全域ですから。それにここが相手の支配域である以上、一部だけ浄化してもすぐに元通りになってしまうと思います。対症療法にもならないでしょう。結局は大元を断つ必要があります」

 

 この場に破魔と浄化に特化した力を持つ女神アクアがいればもう少し状況も変わってきたのだろうが、そうそう都合よくはいかない。

 あなたとしても打てる手段が無いとは言わないが、それはダンジョンを超火力で外から消し飛ばして消滅させるという冒険者の風上にも置けないようなやり方になってしまう。あのバニルだって自分の墓標になるダンジョンでそんな蛮行に走られた日には本気で激怒する事請け合いだ。あなたはそこまで生き急いでいるわけでも人生に絶望しているわけでもなかった。選ぶにしろ、せめてもう少し探索を進めてからにしたい。

 

「相手と戦う事前提で話が進んでいる感じですが、まだそうと決まったわけではないですからね? 目にも心にも悪い光景ですが、これ自体はあくまで自然現象に近いものなので、相手が他者の尊厳と魂を弄ぶ邪悪なリッチーだと確定したわけではありません。目にも心にも悪い光景ですが」

 

「じゃあ、魂が入っているアンデッドを見つけた場合は……?」

「魂が入っていて、同じような状態に陥っていて、それを相手が放置している場合ですか? その時は相手のリッチーを頑張って説得します。説得が通じない場合は……」

「せ、説得が通じない場合は?」

「戦争ですかね……」

「戦争!?」

 

 魔王軍に対する選択肢が抹殺オンリーだったせいで、現役時代は血の気が多すぎた、全然こっちの話を聞かない狂犬のような奴だった、といったある意味当然の評価をバニルやベルディアから受けているウィズは、なんでもないかのように物騒な未来予想図を口にした。

 新たに発見したもの。視線の先にある、船の残骸を見つめながら。

 

 

 

 

 

 

 ホワイトフォーチュン号と同じように霧の湖に迷い込み、放浪の果てでこの地に漂着したと思われる複数の船の残骸をあなた達は調査する。

 恐らくは船団だったのだろう。

 その殆どは原形を留めていないが、浅瀬に乗り上げたり、波打ち際で朽ち果てている船の残骸の量はとても一隻や二隻分では届かない。

 

「やっぱりこれってノイズの船なんでしょうか」

「いえ、恐らくは違う国か時代のものでしょう。ノイズの船にしては普通すぎますから」

 

 若干誤解を招きそうなウィズの発言だが、当たり前のように船体が総金属製だったり超巨大だったり遺失技術が搭載されているといった事のない、あなた達にとっても親しみのある、いたって普通の中型木造船である事は事実だ。

 その中の一つ、辛うじて内部を探索可能な程度に原形が残っている残骸を探索すべく、あなた達三名は船に乗り込んだ。

 

「こう言っちゃなんですけど、思っていたよりずっと綺麗ですね」

 

 ほっとしたゆんゆんの言うように、甲板は戦闘で荒れ果てたり血痕が残ったりはしていなかった。

 時間の経過で自然に壊れていったという印象を受ける。

 周囲を見渡すも、アンデッドの姿は無し。

 人骨の一つでも転がっていれば安心感を覚えるところだったのだが、死体どころか戦闘の痕跡すら残っていない。いっそ不気味ですらある。

 何らかの気配も感じられない。油断は禁物だが、恐らくは完全に無人の船なのだろう。

 

「ゆんゆんさん、足元には十分気をつけてください。落ちたら大変ですから」

 

 床板は軽く体重をかけるだけでミシミシと悲鳴をあげている。あまり長居はしたくない場所だ。

 

「あー、そうですね……じゃあ紐いいですか? 普通のじゃなくて、あっちの方のやつです」

「紐?」

 

 首肯するあなたは紐を取り出した。

 トリフでは結局使わなかった、ノースティリスの道具の一つだ。

 主にペットの迷子防止に用いられる、ある程度の伸縮性を持ちとても丈夫なそれをゆんゆんの腰と自身の手首にしっかりと結びつける。

 

「ウィズさん、何か変なところないですか?」

「大丈夫だとは思うのですが、すみません、お二人の見た目が、なんと言いますか、こう……」

「だいぶ犯罪的ですよね。正直自分で頼んでおいてこれどうなのって思います」

 

 あなたは慰めるように微笑みこう言った。

 赤い紐がゆんゆんにとてもよく似合っていると。

 事実紐に繋がれたゆんゆんは犬耳が似合いそうだとあなたは思っている。

 ゆんゆん本人の気質も猫というより犬。

 つまりわんわんゆんゆんだ。にゃあにゃありっちぃとは良いコンビが組めそうである。

 

「凄い、褒められてるのにこんなに嬉しくないのって私生まれて初めてかも」

「他意は無いんでしょうけど、台詞が完全に犯罪者のそれなんですよ……」

 

 いい具合に緊張も解れてきたところで探索を再開。

 慎重に慎重を重ね、甲板、船室、船倉といった箇所を注意深く調べていく。

 船の規模はそれなりに大きい。ある程度の手がかりや情報が残されていると考えていたのだが……。

 

「何も残ってないですね。綺麗さっぱり船から持ち出されちゃってます」

 

 食料や物資、船員の私物は勿論の事、船内の設備に至るまでが徹底的に剥がされ持ち去られている。

 引越しを終えた後に残された家のような、いわばがらんどうの船。

 埃とカビだらけのそれは、あなたにはまるで二度とここに戻ってこないという悲壮な決意の表れのようにも思えた。

 

 そんな中発見された唯一の手がかり、この船に残された痕跡と思わしきもの。

 それは船室の寝台で開かれたまま放置されていた、一冊のボロボロの本だった。

 

 航海日誌だろうか。

 長い年月に晒された本は風化が進みすぎており、あなたが軽く本の端に触れただけでボロボロと崩れてしまった。

 持ち運びはおろかページをめくる事すら不可能だろう。

 ウィズが目を皿にして開かれたページの解読を試みる。

 

「霧……呪、死……長……会いし……ダメですね、殆ど読めません」

 

 単語の片鱗から類推するに、読むだけで気分が沈みそうな内容が記されていたようだ。

 最初から分かりきっていた事だが、この船に乗っていた者達はあまり愉快な末路を辿っていないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ノイズの幽霊船とは別の末路を辿った廃船を立ち去り、その後も岸の探索を続けるあなた達。

 しかし終ぞ目ぼしいものを見つける事は無かった。

 こうなると次は陸地に乗り込む必要が出てくるわけだが、対策無しで挑んだ場合、前述の通りゆんゆんが物凄い勢いでアンデッドの仲間入りをしてしまう。

 

 そういうわけなので、同じく生身であるあなたが陸地で受ける影響について調査を行う事に。

 有象無象のアンデッドにとっては逆に毒になる強い闇と瘴気に満ちた領域は、リッチーであるウィズにとって実家や聖域の如き居心地の良さを覚える場所であり、コンディションは常に過去最高潮を維持。

 あなたとしては頼もしい事この上ないのだが、当然ゆんゆんの参考にはならない。

 

 そんなこんなで数度の検証を経て判明した事実をイルヴァ的に翻訳して表現すると以下の通りになる。

 

 このフィールドにいる限り常に暗黒、地獄、混沌属性のダメージを受ける。

 このフィールドは暗黒、地獄、混沌属性への耐性を弱化する。

 このフィールドはマナを吸収する。

 このフィールドはテレポートを妨害する。

 このフィールドは腐敗を著しく加速させる。

 このフィールドで死亡した者はアンデッドとして這い上がる。

 

 あなたはこの領域の主であるリッチーは邪悪なクソ野郎だと早くも確信していた。

 主に最後の強制アンデッド化の部分で。

 被験者は霧の湖で釣り上げた触手マグロだったのだが、なんともまあ酷い姿になっていた。傍から見ていたゴブリンもドン引きだ。

 

 ゆんゆんの事を考えると最悪撤退も視野に入れる必要が出てくるレベルだったのだが、他ならぬゆんゆんがリッチーに囚われているであろう魂持つアンデッド達をこんな場所に見捨てたくないと探索の続行を強く希望。

 あなたは弟子の勇気と慈悲に感銘を受けたウィズと共に夜を徹して対策を練り、己の無力を自覚する少女に施した。

 

「ゆんゆんさん、再三繰り返す形になりますが、心身に少しでも異常があると思ったらすぐに言ってくださいね。絶対に我慢はしないでください」

「心労が凄いです。装備品があまりにもレジェンド級すぎて」

 

 装いも新たになったゆんゆん、その中でも特に目を引くのは漆黒の外套と蒼い腕輪だろう。

 あなたもいくつかの耐性装備を貸与しているが、数々の対策の中で最も役に立ったのは不死鳥の番の素材で作られた装備の数々である。

 あなたが浄化と星の力である蒼を用いて装身具を、ウィズが呪いと死の力である黒を用いて外套をそれぞれ制作し、相反する属性の力を打ち消しあうのではなく融合させ、相互に引き立て活かすという形で仕立て上げた。可能な限り装備者であるゆんゆんに負担をかけないように。

 特異個体である不死鳥の力は、そのどちらもが第四層に対して特効と言っていいほどに相性がいい。

 あなたとウィズが楽しい共同作業で作り上げた装備が無ければ、ゆんゆんの生存対策は相当に難儀していただろう。あなたは素材となった二羽の不死鳥に深い感謝の念を送った。ちなみに素材はまだまだ大量に残っている。素材セット(徳用)は伊達ではない。

 

「参考までに伺いたいんですけど、これってお金にしたらどれくらい行くと思います?」

「ええと……どうですかね」

 

 金銭感覚がガバガバなウィズはあなたに確認を求めてきた。

 高レベル冒険者の例に漏れずあなたの金銭感覚も大概壊れきっているが、少なくともベルゼルグやリカシィといった大国が国家予算を投入したところで手に入るような代物でないのは確かだ。

 入手難度まで考慮すると、そんじょそこらの神器より希少価値は高いだろう。

 

「胃がっ、急に胃が痛みを!」

 

 領域の影響を受けているのかもしれない。

 あなたは浄化ポーションをゆんゆんの口に無理矢理突っ込んだ。

 ゆんゆんに何かあったらこうするという決まりごとであり、その場のノリやイジメでこんな事をやっているわけではない。

 だがそれはそれとして涙目で棒状のモノを咥える少女は中々に犯罪的な絵面だった。

 

「ンーっ!? んー! がぼっばぼぼぼぼばばばばぼ…………わ、私の扱いが日々雑になっていくのを感じる……あ、でもなんかこういうのってお客様扱いじゃなくていかにもパーティーって感じがしてちょっと嬉しいかも……」

 

 えへへ、と健気な笑みを浮かべる少女を前にしたあなたとウィズは慄然とした。

 ソロ冒険者を拗らせすぎたせいでゆんゆんのパーティー観がだいぶ酷い事になっている、と。

 あるいは瘴気が脳に来ているのかも知れない。今度はポーション瓶を頭に叩きつけようとするあなただったが、その寸前でポーションを持つ腕を掴まれた。

 

「…………」

 

 横目を向けてみれば、神妙な顔つきでふるふると首を横に振るウィズの姿が。

 止めてあげてください、という事らしい。あなたは素直に引き下がった。

 

 お客様扱いしていないという意味ではゆんゆんの言葉は正しいのだが、ドラゴン関係が落ち着いた暁には、彼女は少しばかり真面目にパーティーメンバーを探した方がいいのかもしれない。そのうち変な人間に捕まってしまいそうである。

 ちなみに廃人に捕まっている時点でゆんゆんの人生はとっくに手遅れだという言葉をあなたは聞くつもりがない。

 

 

 

 

 

 

 死霊の大地の探索を始めるネバーアローンの面々。

 だがその探索は困難を極めた。

 

「辛い……今までで一番辛い……こんなに何か起きそうな場所なのになんで何も起きないの……」

 

 十日目まで我慢していたゆんゆんが遂に吐いた上記の弱音が全てを表している。

 

 第四層には何も無い。

 山も川といった起伏の存在しない、延々と続く呪いの荒野には風景に近い湧き出るアンデッドと瘴気以外本当に何も無い。

 第三層ですら頻度こそ稀だがモンスターの襲撃や現地の生物との遭遇、交流といった日常のアクセント程度の事はあったのだが、だらだらと歩き続けてしまっている。

 退屈は廃人を殺すというのはイルヴァの常識である。

 

 おまけに白夜焦原のように天候が不変。

 絶えず視界に入ってくる不吉な赤い空も相乗効果で精神を削ってくる。

 ウィズ曰く領域の主も間違いなくあなた達を知覚しているとの事だが、相手からのアプローチは無い。

 道中でそれなりに往く手を阻む野良アンデッドの壁を浄化したり、領域内でポケットハウスを使用しているにも関わらずだ。

 

 不死王の術で無限ループに嵌っているならまだ救いがあるのだが、ただただ無闇矢鱈に広くて精神を削るほどに邪悪で何も起きないくらい平和なだけ。それだけでこんなにも辛い。

 不死王の元に近づいているのは確かなのだが、まだまだ先は長いとはウィズの言葉。

 あなたとウィズはともかく、このままでは闇堕ちに定評のあるゆんゆんのメンタルが危ない。そろそろ何か無茶をする頃合だろうか。

 

 領域をぶんどる。

 メテオで一帯を破壊する。

 最大出力のホーリーランスを突き立てる。

 

 如何にして不死王に喧嘩を売るか大真面目に相談を交わしていたあなたとウィズだったが、ふと彼方の空から微かに聞こえてきた音に意識を引き戻された。

 竜の谷の冒険の中で何度か耳にした事のあるそれは、その地名に反して聞く回数が非常に少なかったものでもある。

 すなわち竜の咆哮だ。

 怒り狂い、激情に猛る魔物の声が赤い空を通じてあなた達の元にまで届いてきた。それも複数。

 

 常識的に考えれば咆哮の主はドラゴンゾンビだろう。

 敵襲かと反射的に身構えて後方に下がるゆんゆんだが、これはあなた達に向けられたものではない。

 そして何でもいいので変化が欲しかったあなた達に危うきに近寄らずという選択肢は存在しない。

 音の方角へ足を向けると、やがて赤い空に目立つ数十の白い飛行物体を発見した。

 大小様々な白の群れが無数の白炎や白い光線をこれでもかと言わんばかりに地表に叩きつけている。

 

「恐らくですがホワイトドラゴンの群れですね。統率者である一番大きいのはかなり強め。優に数百年は生きている個体でしょう」

 

 ホワイトドラゴンは神聖属性の竜だ。

 邪悪という邪悪を煮詰めたかのような第四層を蛇蝎の如く嫌って攻撃するのは何もおかしな話ではない。

 

「大丈夫ですか? それってウィズさんも狙われたりしません?」

 

 志は同じかもしれないが、あちらが襲ってきた時は仕方が無い。

 相手が説得に応じるならばよし、無理ならこれまでと同じように応対するだけだ。

 

「つまりぶち殺すって事ですね。知ってました」

 

 だが幸いといっていいのか、白竜の群れがあなた達に向かってくることは無く、そのままあなた達の進行方向、つまり北に向かって飛び去ってしまった。

 この死地を越えた先には竜の巣があるのだろうか。何にせよ名前負けする事は無さそうだ。

 

「気付いていますか? 最後の一瞬、一番強い竜が私達を見つめてましたよ」

 

 ウィズの言葉に頷く。

 ヴォーパルや不死鳥には劣るが、それでもモビーに匹敵するであろう、あなたがこの世界で出会ってきたどの竜よりも圧倒的に強大な個体。当然ウィズが邪悪に属する者である事もお見通しだろう。

 それでも白竜はあなた達を一瞥するに留めた。そのような些事には関わっていられないとばかりに。

 

 白竜達の浄化の力が降り注いでいた場所がどうなっているのかも気になる。

 あなた達は現地に向かってみる事にした。

 

 

 

 

 

 

 光と浄化の力が雨のように降り注いだ大地、無数の大小様々なクレーターの中心には、周囲と比べても一際強い闇の力の発生源が存在していた。

 それは一本の剣。

 ボロボロの鞘に収められた、朽ちた大剣が小高い丘に突き立っている。

 あなたはまるで墓標のようだと感じた。

 

 大剣の周囲では、墓を守護するかのように死霊達が円陣を組んでいた。

 全身が漆黒で統一された重装兵、重装騎兵の軍勢。

 よほど訓練されていたのだろう。死してなお一糸乱れぬ動きを見せる亡霊兵の数は百や二百では届かない。

 その表情に浮かぶ感情はどこまでも虚無。喜怒哀楽の一切が感じられない。

 魂入り、つまり自然発生したアンデッドではないようだが、自我が残っているかは怪しい。ノイズで生者と見紛う亡霊達を見たばかりなので、尚更に痛々しい姿だ。

 物言わぬ彼らはしばらくの間警戒を続けていたが、一人、また一人と姿を消しては大剣の中に吸い込まれていく。

 

 やがてその場には一本の剣だけが残された。

 黒翼が操る炎のように、質量を持った闇に包まれた朽ちた大剣が。

 白竜の爆撃じみた攻撃を長い年月防ぎ続けているであろう呪いの剣が。

 

 その光景を、ウィズは暫くの間険しい瞳で見つめていたが、おもむろに剣に向かって進み始めた。

 

「彼らを無理矢理にでも天に還します。手遅れになってしまう前に」

 

 魂が擦り切れていく不死者の姿を放ってはおけないと有無を言わさず行動を始める不死王。

 浄化の魔法陣に囲まれた大剣がこれまでと同じように葬送の光に包まれる。

 剣の中では無数の気配が蠢いているが、魔法陣に阻まれ現出する事は叶わない。

 無数の亡霊を送り届けるべく、赤い空に、天に続く光の柱が伸び――

 

『ああ、それは止めてもらおう』

 

 あなたの頭の中に女の声が聞こえてくるのと同時。

 地上から発生した闇に魔法陣が掻き消された。墓標の剣も亡霊も健在。

 あなたは反射的に体を竦めたゆんゆんを背中に隠した。

 

『彼らはまだ中身()が健在なのでね。このまま天に還してしまうのは少々忍びない』

 

 微かな気配はあるが影も形も無し。

 相当に離れた場所から話しかけているのだろう。

 

「……この領域の主の方とお見受けしますが」

『如何にも。初めましてご同輩。声だけで失礼する。本来であれば直接相見える時まで会話は待っておくつもりだったのだが、流石に見過ごせなかったのでね。無粋を承知で介入させてもらった』

 

 声は若い女のもののように思えるし、同時に老女のようにも感じられる。

 

『彼らには未練がある。強い強い未練だ。それを考慮せず無理矢理成仏させるなんて可哀想だろう?』

「……一概に否定はしません。ならば貴女が未練を晴らしてあげようというお気持ちは?」

『ああ、なるほど。そっちはそういうタイプなのか。幼いほどに若く、不死王とは思えないほどに善良で、それでいて恐ろしく強い。いや、からかっているわけではないよ。むしろますます興味深くなってきたくらいだ。ふふっ、もっともっと貴女の事が知りたくなった』

 

 悪戯好きな子供のような、くつくつとした笑い声。

 だがその中には粘ついたおぞましい執着が見え隠れしている。

 

『質問に答えようか。私の知ったことではないね。私には彼らの未練を晴らしてあげる理由が無い。未練の内容を教えるつもりも無い。知ったところでどうにかなるとも思えないしね』

「このまま彼らの魂が擦り切れるのを良しとすると、そういう事ですか?」

『それが貴女の逆鱗かな? でもすまない、未練を抱えたまま魂が擦り切れるとか、そういった事にはあまり興味が無いんだ。散々見飽きたものだし、何より私から言わせてもらえば彼らは不法入国者。別に私が直接手を下したというわけではないが、私の領域で野垂れ死にした者を私がどう扱おうとそれは私の自由だ。それにほら、何か奇跡が起きて彼らが擦り切れる前に未練が晴れるかもしれないだろう? 我ながら実に寛大だと思うね。まあ擦り切れたら私の軍に加わってもらうが』

 

 声に悪意は感じられない。

 同時に善意も感じられない。

 どこまでも淡々と、そうであるのが当然と言葉を紡ぐ。

 なるほど、確かにこれは王だ。

 

「…………なるほど、よく分かりました」

 

 あなたの背後でごくりと喉を鳴らすゆんゆん。

 彼女は姿の見えない不死王ではなく、ウィズに気圧されている。

 共感性が錆付いたあなたにもはっきりと理解出来る。今、ウィズは静かに激怒していると。

 彷徨える魂を葬送する事を不死王としての自身の使命と定めている彼女は、相手が自身と相容れぬ、死者の魂を弄ぶ者であると確信した彼女は、氷の魔女と呼ばれた所以を存分に見せ付けている。

 

「会いに行きます。待っていてください」

『嬉しいね。首を長くして待っているよ』

 

 二人の不死王が交わす謁見の約束。

 あるいは開戦の狼煙。

 それは言葉の内容だけ見れば、まるで親しい友人が交わすかのような内容だった。

 

『……と言いたいところだが、こうして言葉を交わしてしまった以上、貴女が私の元に辿り着くのを待ち続ける意味も最早無い。私は気が長い方だと自認しているが、お迎えさせてもらうとしよう。余人を交えず二人で語り合おうじゃないか。存分に楽しんだ後でいいから私の元に来てほしい。何せこんなに長くお喋りに興じたのは随分と久しぶりで、私も少し疲れているからね』

 

 気配が消失する刹那、パチン、と指を鳴らす音が聞こえたかと思うと、ウィズの足元を中心に大きな穴が開いた。

 

「へっ?」

 

 そのまま闇の中に吸い込まれていくリッチー。

 穴の外にいたあなたは、ゆんゆんを抱えて穴に飛び込んだ。

 言葉からしてあなたとゆんゆんはお呼びではないのだろうが、そんなものは知った事ではないと。

 一瞬の躊躇いもない行動だった。

 

「きゃああああああああああ!?」

「ちょっ待っ心の準備とかあああああああ!!?」

 

 地下深くに落下していくリッチーと紅魔族の悲鳴が響く中、深淵に続く穴が静かに閉じる。

 そしてその場には、大地に突き刺さる一本の古剣だけが残された。



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第142話 暗く深く淀んだ奈落の底で

【1】

 

 これは遠い遠い昔の話。

 世界の果てと言ってもいい辺境の地に、小さな国がありました。

 

 狭く痩せた国土、国内外を闊歩する強大な魔物、近隣諸国の度重なる干渉。

 国民は飢えと渇きに喘ぎ、貴族は権力に酔う余裕すら無く、全てを纏める王族は避けられぬ破滅の未来に頭を抱える。

 未開地域である近隣の魔物に対する防波堤、風除け、あるいは炭鉱の金糸雀として生まれ、滅びないように適度な援助を受け、しかしだからこそいつ滅びてもおかしくない、泡沫の国。

 

 そんな国に、ある時、一人のお姫様が生まれました。

 

 

 

 

 

 

 落ちる。落ちる。落ちる。

 ウィズを追ってその身を投じた穴の中、一片の光すら差さない闇の中。

 あなたの体はただひたすらに落下を続けていた。

 浮遊感を覚えたのは穴に飛び込んだ一瞬だけ。下からの風圧やら重力といった物理現象が、あなたが現在進行形で高速落下しているという事実を教えてくれている。

 

「しぬー! これぜったいしぬしんじゃうー!」

 

 あなたの腕の中で泣き喚くゆんゆんはまだまだ元気そうだ。

 紅魔族の例に漏れず興奮すると両目が赤く光る彼女は、暗中における数少ない光源であり、今も非常に目立っている。生憎と照明代わりにはならないが。

 

 だがそんなゆんゆんも役に立つ事はある。

 同じく落下を続けるウィズに、あなた達の存在を知らしめるという形で。

 

「――! ――――!」

 

 少女の叫び声を聞き届けたのか、赤い光を視認したのか。

 いずれにせよ、上方のあなた達の存在を認識したウィズは、ライトの魔法を使って周囲を照らし、大きく口を開けて何かを言っているように見えた。

 だがその声は風音によってかき消され、あなた達に届く事はない。

 

 ウィズが自身を追尾する明かりの魔法を使い、自身の居場所を明確にしてくれたというのはあなたにとって喜ぶべき事だ。

 何故ならば、気配だけを頼りに無茶な回収をする必要が無くなるのだから。

 あなたはゆんゆんが落下しないように強く掴み直し、自身の速度を引き上げた。

 

 

 ……さて、突然だがここで少しだけ速度の話をする。

 自己の速度をある程度自在に弄る事が可能なイルヴァにおいて、主流とされる時の流れ、いわゆる基準速度を数値に起こすと70になる、というのは今更説明するまでもないだろう。あなたが導かれた異世界の基準速度が70である事も同様に。

 では速度70のAと速度700のBが速度以外は同じ条件で同じ高さから同時に飛び降りた場合、どのような事になるのだろうか。

 両者共に同じタイミングで着地する?

 Bが着地した時に受ける衝撃は?

 

 答えはBがAの10倍の速さで先に着地する、だ。

 そして着地時に受ける衝撃はAもBも完全に同一。

 

 だがBがAを抱えて飛び降りた場合、Aには10倍速で落下した時と同じ負荷がかかる。

 素直に理不尽と言えるだろう。それほどまでに速度差が生み出す影響は大きい。

 だからこそイルヴァの住人は基準速度を定め、その時間の流れで日常を送っているというわけだ。

 

「おあ゛ばァーっ!?」

 

 加速するあなたに引っ張られ、突如として落下速度が数倍になったゆんゆんは高まる風圧と重力で口から内臓が飛び出たかの如き悲鳴を発した。

 実際あなたは内臓が口から飛び出る姿を自身のものを含めて何度も見た事があるので間違いない。

 

 だが健気に師を想うゆんゆんの文字通りの挺身、尊い犠牲の甲斐あって、速度を戻しながら手を伸ばしたあなたはウィズを抱き寄せる事に成功した。

 落下する女性を自身の腕で抱きしめる。

 抱きしめられた後、一瞬だけ呆けた後に赤面したウィズのように、絵面だけ見ると非常にヒロイックでロマンチックなシチュエーションではあったのだが、いかんせん傍らで白目を剥いて奇声を発して口から魂が抜けかけているゆんゆんのせいでムードは最低最悪である。あんまりにもあんまりすぎてウィズもスン……と真顔になったくらいだ。両手に華からは程遠い。

 

「ありがとうございます! でも多分、私落ちても大丈夫だと思うんですけど! あちらもそれを理解しているからこその行動でしょうし!」

 

 あなたにぎゅっとしがみつきながら風に負けないよう声を張り上げるウィズ。

 リッチーは魔力が付与されていない攻撃を無効化する。

 衝撃こそ受けるものの、落下時のダメージも無効化されるのだろう。

 

 だがそんな事はあなたの知った事ではない。

 穴の深さは相当なものだ。落下時に受ける衝撃だってどれほどのものになるのかは分からない。

 このままウィズが一人寂しく奈落の穴の底に叩き付けられるのを黙って見過ごせるほど、あなたは人間が出来ていなかった。

 つまり、これはそう。

 死なば諸共の精神である。

 

「それはなんか意味が違う気がします! というか言葉の綾だとしても申し訳なさでいっぱいというか私の心象が最悪なんですけど!? 絶対に死なないでくださいね!?」

 

 当然こんな場所で死ぬつもりが無いあなたはウィズを腕の中から解放し、空いた手に愛剣を握る。

 更にウィズに後方に向けて風魔法を撃ってもらい、空中で姿勢を制御しながら前進。

 仮にこの穴が壁など無い特殊な空間であれば別の手段を考える必要があったのだが、無事に勢いのまま壁に愛剣を突き立てる事に成功。

 だがその瞬間、あなたは自身の致命的な失敗を悟った。

 

「やろうとしている事は分かるんですけど! すみませんひょっとしてこれ全然減速してなくないですか!?」

 

 そう、ウィズの申告の通り、愛剣の切れ味が良すぎて全く減速しないのだ。エーテルの魔剣は終わりの見えない壁面を延々と切断し続けている。

 こんな事なら鞘ごとぶちこめば良かったと舌打ちするあなたは愛剣を戻し、今度は鞘付きのダーインスレイヴを思い切り壁に突き立てた。

 

 今度こそ嫌な手ごたえと共に、あなたの腕と魔剣の刀身に極めて強い負荷がかかる。

 だがそれはあなたの目論見が成功しつつある証左でもあるし、あなたの腕もダーインスレイヴもこの程度で圧し折れるほど柔ではない。

 ゴリゴリと壁を破砕する過程で火花が飛び散り、あなたの顔が微かに照らされる。

 普段のものとも戦いを楽しんだり物欲に支配されている時とも異なる、こういった如何にもなシチュエーションを楽しむ心。ハプニングやイレギュラーに心躍らせる姿。どれだけの年月を経ても、人間性が変質しても変わらない、あなたの冒険者としての本質の発露。少年のように純粋で楽しげな表情が。

 

「――――」

 

 そんなあなたをウィズが羨望の瞳で見つめている事など、当然あなたは気付かない。

 というか実際それどころではなかった。まだまだ落下の勢いは強いというのに、下方に微かな光が灯っているのを見てしまったからだ。このままではあなたとウィズはともかくゆんゆんが軽く死ねる。地面に叩き付けたトマトみたいな姿になる。

 ウィズに下方に向けて風魔法を使うよう指示し、今度は壁に爪先を突き刺して踏み付ける。良い子も悪い子も真似をしてはいけない。

 強い衝撃。常人であれば一瞬で下半身が千切れるほどの負荷と引き換えに落下速度が更に大きく減少。

 最終的に、あなた達は地面から10メートル余という本当にギリギリの地点で完全に静止する事に成功してみせた。

 

「い、いぎでる……じぬがどおぼっだぁ……」

 

 無事に地面に降り立ったネバーアローン。

 腰が抜けたのか四つんばいになり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているゆんゆんはまるで女神アクアのようである。

 そんな少女の顔をタオルで拭きつつ、あなたは明かりの魔法で照らされた周囲を見渡す。

 不死王に落とされたあなた達が辿り着いたのは、横幅20メートル、天井までの高さ10メートルほどの大通路のど真ん中。前後など分かるはずもないが、どちらの道も薄暗く、そして果てが見えない。

 延々と続く通路と壁には、何かしらの魔術に関係すると思わしき複雑な模様が描かれており、更に模様が放つ淡い白の魔力光が今もこの通路は生きているという事をあなた達に教えてくれている。

 

 恐らくは遺跡なのだろう。

 古代の遺跡といえばモンスターと相場が決まっているし、地上を思えば尚の事警戒が必要になる。

 

 だがあなた達が降り立ったのは、ぐずるゆんゆんの泣き声以外は何も聞こえてこない、とても静かな場所だった。

 闇や瘴気が感じられなければ、地上に満ちていたアンデッドの怨嗟の声すら聞こえてこない。

 あなた達以外の気配も無い。

 相当に長期間放置されていたのか、埃っぽい空気は淀んでおり、すえた臭いを発していた。

 神聖さすら感じる静謐に支配された、しかし同時に死の気配を身近に感じる、まるで厳かな墓所のような場所だ。

 

 頭上にはあなた達が通ってきた穴が開いているが、どれほど落ち続けてきたのか、赤い空は見えない。あるいは既に穴は閉じているのか。

 そして少なくともこの穴を通って地上に戻れと言われたら、あなたも勘弁してほしいと素で即答する程度には長い時間と距離を落ちている。帰還は他の地上に続く道を見つける必要があるだろう。存在するかは不明だが。

 ドッカンターボなクソバカ肩車飛行魔法は冗談抜きに前方にしか飛べないので圧倒的に却下である。

 寝そべった状態で発動すればあるいはといったところだが、あなたは壁に熱い抱擁で擂り下ろされながら上昇し続けるのは本当に本当の最終手段としてしか選びたくなかった。

 

「…………」

 

 穴に飛び込んだあなたやゆんゆんとは異なり、三人の中で唯一正式にこの場に招かれたウィズは、床や壁の模様を触れて調査している。

 あなたが何か発見があったかと問いかけるも、彼女は首を横に振った。

 

「まだ術式と機構が生きているのは間違いないのですが、見た事が無い記述ばかりで具体的な内容についてはなんとも。ただとてつもなく古い遺跡ですよ、ここ」

 

 ノイズより更に過去の文明の遺跡だろうとウィズは推測していた。

 普通に考えれば件の不死王が暴れていた時代の遺跡という事になる。

 だが不死王の居城と判断するのは早計が過ぎるというものだろう。

 気配も雰囲気も地上とは正反対であるこの遺跡は、むしろ不死王を封じる為に作られたかのようにあなたには思えた。

 

「あくまでも私見に過ぎないという事を念頭に置いてほしいのですが、人類と魔族双方の魔法技術が用いられている可能性があります」

 

 魔王軍幹部であるウィズは、魔王城に収められた魔道書や文献を読み漁った事があるのだという。

 好奇心と探究心の赴くまま、果ては禁書庫にまで足を踏み入れたらしい。無論幹部といえどそこまでの信頼を得ているわけではないので、魔王をはじめとした他の者には内緒でこっそりと。各種魔法を使って自身の痕跡を隠蔽しながら。

 この事から分かるように、ウィズは魔王軍が相手だとかなりアグレッシブかつ遠慮無しに行動する。

 なんちゃって幹部と自称するように、リッチーになっても当人の意識は人類側に偏っているので、これに関しては当然といったところだろう。

 

 その後は三人で軽く話し合い、魔力が流れている側の通路を進む事になった。あなたには分からないが、ウィズは不死王の気配と思わしきものを感じ取っているらしい。

 ライトの範囲外、微かに照らされた薄暗闇に注意を払いながら、呼吸音と足音だけが聞こえる道を歩き続ける。

 時に直線、時に十字路、時に曲線と迷路のような道をマッピングしながら、ウィズに先導されつつ進む。

 

 罠は無い。

 そして敵も出てこない。

 無人の遺跡。

 

 ウィズとゆんゆんが張り詰めた弦の如き緊張感で歩を進める中、あなたは不死王について考えと期待を巡らせていた。

 この先に何が待っているのだろう、と。

 

 ウィズの手前あえて黙っているが、同族への粘ついた執着やそこらの不死者への雑すぎる対応から見るに、件の不死王はあなた達イルヴァの廃人に悪い意味で近しい精神性を有している事があなたには分かる。

 あなたも外付け良心と出会っていなければ似たようなものだ。

 だが不死王はウィズとの会話でその性格や善性を多少なりとも理解し、その上で興味と好感を抱いてここに招き入れた。やり方は問答無用のボッシュートだったが。

 さらにこうも言っている。存分に楽しんでから来てほしい、と。

 

 まさかボッシュートや退屈な迷路を延々と歩かせる事を皮肉ったり揶揄して言っていたわけではないだろう。仮にもウィズを客人として招いているのだから。王としての器が知れるというものだ。

 あなたはそういう事をいけしゃあしゃあとのたまうヒネためんどくさい輩は変態ロリコンストーカーフィギュアフェチな鬼畜眼鏡の友人だけでおなかいっぱいだった。

 

「……そろそろ、ですかね」

 

 終わりが見えてきたというウィズの宣言に意識を引き戻される。

 一時間近い探索の中で描いてきた、通路の詳細な地図。

 最短ルートを通ってきた関係上、あちこち抜けがあるそれはしかし明らかに魔法陣のような複雑な図形が描かれており。

 あなた達はその中央部分に足を踏み入れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 通路の最奥。その一歩手前。

 あなた達の眼前に巨大な扉が姿を現した。

 縦10メートル横20メートルと通路を完全に塞ぐ形で固く閉ざされた扉だ。

 

 厳重や執拗を通り越して妄執すら感じられるほどに厚く束ねられた鎖と、これみよがしに扉の前に浮かんでいる強固な結界魔法陣が侵入者を拒んでいた。

 よく見てみると扉の前の地面には六つの丸い窪みがあり、何かの球体をはめ込めるようになっているようだ。明らかにサイズが違うのでモンスターボールではないだろう。一応念の為にと試してみたが、やはりサイズは違うし反応も無かった。

 

「やばいです、私でも滅茶苦茶な強度の結界だって一目で分かります。これ絶対さっきのリッチーを封じてるやつですよ……」

 

 ゆんゆんが震える声でそう言った。

 

「んー……まあ、そういう事になるんですかね?」

 

 ウィズが口ごもるようにあなたに同意を求めてきた。

 否定する要素はない。あなたはとりあえず頷いておいた。

 確かにこの遺跡はそういう場所なのだろう。

 

「調べたところ、ただの純粋な封印みたいですし、とりあえず中に入りましょうか」

「えっ」

 

 ゆんゆんは物凄い勢いでウィズに顔を向けた。

 マジですか止めてくださいちょっと何言ってるか分からないです、と言わんばかりの表情だった。

 

「えいっ」

 

 微妙に気が抜ける声で杖を一振り。

 リッチーのライトオブセイバーによって全ての鎖は一瞬で切断され、結界もガラスが破砕した時のような音と共に消滅した。

 封を失った重厚な扉をあなたがいわゆるヤクザキックで乱暴に蹴破る。喧嘩の話の時間だ! コラァ!! みたいな安いチンピラ丸出しのノリである。お里が知れる行為だがあなたのお里はノースティリスなので特に問題は無い。ただあまりの躊躇いの無さにゆんゆんが!? となっていた。

 恐らく封印を解いて中に入るには世界中を巡って六つの宝玉的なアイテムを集める必要があったのだろうが、残念ながらそういうアイテムは知らないし持ち合わせてもいない。よって立ちはだかる障害は物理で破るのみである。

 

「何やってるんですかあああああ!?」

 

 通路に少女の非難の悲鳴が木霊する。

 

「大丈夫です安心してください。封印を破ったから遺跡が崩れるとかそういうのは無いです。ちゃんと調べて理解した上での行動ですから」

「いやリッチーの封印解いちゃダメですよ!? こんなの狡猾で邪悪なリッチーの罠に決まってるじゃないですか!?」

 

 あなたはゆんゆんの懸念を鼻で笑った。

 それはないと。ありえないと。

 

「なんでそう言い切れるんですか!?」

「……ゆんゆんさん、落ち着いて聞いてくださいね? 正直封印の体を為していないんです。私達には分かるんです。というかこの程度の封印すら内側から破れないような容易い相手だったら私も自分が負けるなんて絶対に言いません」

 

 敬愛する師から諭すように淡々とした口調で無慈悲な現実を突きつけられたゆんゆんの目から光が消えた。

 

 

 

 

 

 

 封印を破り、扉を開け放った先。

 そこには玉座にて退屈を持て余した不死者の王があなた達を待ち構えていた……などという事は無く。

 

 部屋中に通路と同じ複雑な模様が描かれた大広間が、がらんと静かに広がっていた。

 作った地図からして、扉の先が広間になっているというのは最初から判明していた事だ。

 そして広間の中央、魔法陣の基点には直径50センチほどの漆黒の球体が安置されていた。

 

 これまでの遺跡内部と同様、球体を封じる目的で作られたのであろう部屋の中には、呪いや闇といった負の力が一切感じられない。

 だが長い冒険者生活の中で数多の呪物を見たり手に入れてきたあなたの直感が言っている。

 

 不死王は、間違いなくこの球体の中にいると。

 

 とはいえここまであからさまでは経験も直感もあったものではない。

 この中にいなかったらどこにいるのだという話である。

 これで不死王と無関係だったらそれこそ笑えないギャグだ。

 万が一、億が一道を間違っていた、落下地点から反対の道を進むべきだった日にはあなたは本気で爆笑してバニルよろしくウィズを煽るだろう。

 

「……周囲の結界を解除するまでもなく、球体に触れるだけで不死王がいる場所に飛べると思います」

 

 ウィズはそう言っているが、あなたは念の為に球体に鑑定の魔法を使い……眉を顰めた。

 読み取れない。

 しかし抵抗されているとか無効化されているとか術の力が足りていないといった具合の手ごたえではない。

 確かに魔法は正常に効果を発揮しているのだが、読み解く事が出来ない。初めての経験だ。あなたは魔法が闇に吸い込まれているかのような錯覚を覚えた。

 

「行きましょう。間違いなく危険が待っているでしょうが……ゆんゆんさんは……」

「そりゃ行きますよ!? っていうかここに置いて行かれる方が百倍怖いし嫌ですからねいや本気で!?」

「……うん、まあ、それはそうですよね。すみません変な事を聞きました」

 

 三人の胴体を紐で結び、同時に黒の球体に触れる。

 

「いっせーの!!」

 

 掛け声と共に触れると同時、あなた達は広間から消失した。

 

 

 

 

 

 

 誰かが、あなたの体を揺らしている。

 

「――」

 

 霧がかかったかのようにおぼろげだったあなたの意識が、少しずつ鮮明になっていく。

 

「――――!」

 

 バラバラだったパズルのピースが嵌るように、少しずつ、少しずつ。

 

「――――ちょっとアンタ邪魔だよ! さっさとどいてくれ!」

 

 耳をつんざく怒鳴り声に意識が覚醒するのと同時、強く腕を引っ張られたあなたは無理矢理その場から動かされた。

 ふらつきながらも倒れることは無かったのは、ひとえに運が良かったのだろう。

 そんなあなたの横を、あなたに道を塞がれていた行商の馬車が通り過ぎていく。

 

 どうやらあなたは町の入り口に立っていたようだ。

 

「どうしたんだ、門の前でぼけーっと突っ立って。轢かれてもしらんぜ?」

 

 あなたの手を引いたと思わしき人間が、呆けた顔をするあなたに笑いかける。

 衛兵と思わしき金属製の鎧に身を包んだ――――。

 

 なんだこれは。これはなんだ。

 あなたは反射的にそう思った。

 

 人間の衛兵がいる。それは分かる。それはいい。

 衛兵は亡霊だ。それも分かる。それもいい。

 

 だが、相手の顔が見えない。視認する事が出来ない。

 目、鼻、口を含む顔面全体が黒い何かで塗り潰されている。

 

 黒い何かは闇や魔に類するものではないとあなたの直感は訴えている。

 だが完全に正体も原因も不明。未知の現象だ。

 

 あなたのすぐ傍には紐に繋がれたウィズとゆんゆんの姿がある。

 二人もまた絶句した様子で衛兵の顔面を凝視している。

 別々に転移したというわけではないようだ。

 小さく安堵したあなたが周囲を見渡してみると、町の中は非常に多くの者達が道を行き交っていた。

 

 人間がいた。

 エルフがいた。

 ドワーフがいた。

 妖精がいた。

 竜人がいた。

 竜がいた。

 魔族がいた。

 

 長年に渡って戦争を続けている人魔が、当たり前のように同じ場所で生活していた。

 人食いで知られる鬼が人間の子供相手に果物を売っていた。

 年嵩のドワーフと魔族が肩を組んで酒場から出てきていた。

 大きな鞄を背負った竜が空を飛んでいた。

 

 彼らは等しく亡霊だった。

 だがこの煌びやかな都は、間違いなく数多の種族が共存し、かつてない繁栄という名の平和を成し遂げ、謳歌している場所……理想国家とでも呼ぶべき、地上の楽園だった。

 

 そしてそんな平和の都の亡者達は、誰も彼もが等しく顔を塗り潰されていた。

 

 人類も、竜も、魔族も。

 誰一人として例外は無い。

 あなたとウィズとゆんゆん、ネバーアローンの三名を除く全ての者はノイズで塗り潰されている。

 

 亡霊達にこれといった危険は感じられない。あなたの経験と感覚は危機を訴えていない。

 だが明らかに異様であり、異常だった。

 遥か彼方から、微かに不死王の気配がする事に軽く安堵を覚えてしまう程度には。

 

「……なんて、酷い」

 

 顔を真っ青にしたウィズが弱弱しく呟き、足元をふらつかせる。

 彼女は亡霊達に起きている現象を正確に把握しているようだが、この場では言いたくないのか、あなたのアイコンタクトに対して無言で首を横に振った。

 

「おいおい、随分とお連れさんの顔色が悪いようだが大丈夫か? もしあれなら詰め所で少し休んでいくといい」

 

 心配そうに声をかけてくる衛兵の声色に他意は感じられない。

 だが何が地雷になるか分からない現状で彼らと関わり合いになるのを避けたかったあなたは、旅の疲れが出ているようなので近場で宿を探すと衛兵に礼を言うに留めた。

 

「そうか。まあここの宿に泊まればすぐ調子も良くなるだろうさ」

 

 死霊の大地の底に広がるは、無貌の亡霊が闊歩するおぞましき平和の都。

 不死王が支配する栄華の墓所にて、衛兵は朗らかに告げた。

 

「何はともあれ――旅人さん達、ようこそ千年王国へ! 沢山楽しんでいってくれよな!」

 

 魔王軍の名前すら存在しなかったほどの遥か遠い昔。

 世界を統一し、凄惨な滅びを迎えたといわれている国の名を。



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第143話 第四層(裏):千年王国

【2】

 

 滅びゆく定めにある国に生まれたお姫様は、とても、とても優れた才能を持って生まれました。

 何において?

 全てにおいてです。

 この世界において、これほどの人間が何の作意も無しに生まれる事は二度とないだろうと神々が驚嘆し、認めざるを得ないほどに、お姫様は完璧でした。

 

 外交、内政、軍事、文化、芸術、学問、魔道、武芸、容姿、人品。

 公人として。私人として。

 ありとあらゆる要素において非凡すぎる才覚を示したお姫様は、まさしく万能の天才と称える以外の術が無く。

 当然のように父の後継者として選ばれ、幼くして国の柱、女王として戴冠しました。

 

 完璧だったお姫様は、誰よりも強く、気高く、優しく、美しく、賢く、それでいて親しみやすく。

 己の国と民を深く愛した女王は、民からもまた深く敬愛されていました。

 

 

 

 

 

 

 千年王国。

 現代においては歴史の片隅に名を残すのみである超大国。

 世界を統一したといわれているにも関わらず、彼の国について記された資料、残された痕跡はあまりにも少ない。いっそ不自然なほどに。

 

 だがしかし、ただ一点。

 栄華の果ての最期、どのような形で滅びたのかという事だけは疑いようの無い歴史として認識され、周知されている。

 

 千年王国の王都に住まう民、総勢数百万。

 その全てが一夜にしてアンデッドと化すという、最低最悪の形で。

 

 

 

 不死王に招かれるまま、無貌の亡霊が闊歩する古代の死都に降り立ったあなた達ネバーアローン。

 右も左も不明なまま行動する事を嫌った三名は最初に出会った衛兵に薦められたように近場の宿を探し、今後の予定を含めた情報のすり合わせを行う事になった。

 意図せずして久方ぶりに文明らしい生活に触れる事になったわけだが、しかしネバーアローンの空気はお世辞にも良いとは言えない。

 

「…………」

 

 重苦しい雰囲気を発するウィズがその原因である事は言うまでもないだろう。お通夜だってもう少しマシな空気になる。

 

 宛がわれた部屋のベッドに座り込み、目を瞑って沈黙を保ち思索に耽る不死者の王は、ともすれば激発しそうな自身の感情を押さえつけているようにも見えた。

 記憶に無い師の姿に、ゆんゆんもどう言えばいいのか対処に本気で困っているようで、お願いですからなんとかしてくださいとあなたに必死に目線で訴えてくる始末。

 あなたとしても声をかける事自体は吝かではないのだが、今はウィズの心に寄り添うタイミングではないと思っていた。

 それどころか自身の経験から、この類の手の施しようの無いアンデッドはとりあえず本人か親玉を死ぬまで徹底的に磨り潰してぶち殺せば救われる(浄化される)はずだと本気で考えているあなたではアンデッド絡みの案件だとウィズに共感を示すことが出来ない。どれだけ頑張っても心にも無い薄っぺらい言葉が上滑りするだけで終わるだろう。相手を不快にさせるだけだ。

 ゆえにあなたはゆんゆんの視線と無言の懇願を黙殺した。放っておけばウィズもそのうち気持ちを切り替えるだろう。

 

「ひ、ひとでなし……!」

 

 あなたを非難する少女の言葉そのものに否定する要素は無い。

 だがそれはそれとして、竜の谷の影響なのか、どうにも最近ゆんゆんの毒気が強まっている気がしたあなたは、近いうちに毒消しポーションを溺れるほどがぶ飲みさせようと思った。正直今でもかなり際どいレベルだというのに、これ以上変な方向にグレたりすると再会した時にめぐみんがショックで寝込みかねない。

 

 人知れず今後の予定を立てたあなたは窓の外の風景を楽しむべく視線を向ける。

 改めて観察しても驚かされる、数多の異種族達が共存しているとは思えない、賑やかで、平和な街だ。

 当たり前のように不死者が日の下を歩き回り、全ての住人の顔が黒で塗り潰されている事を除けばの話だが。宿の従業員も他の宿泊客も、当然のように顔が塗り潰されていた。

 

 何の変哲も無い青空も、爽やかな風も、眩い陽光も、紛い物ではない、正真正銘真実のもの。少なくともあなたの目にはそう見えているし感じている。

 とても地の底に封じられているとは思えないが、世界のどこかに転移したというわけではないだろう。

 あなたは現在自分達がいる場所について、彼の不死王が作り上げた箱庭のようなものだと推察していた。

 つまり敵地のど真ん中なわけだが、相手側からの接触は今の所無い。観察されているような気配も感じ取れない。言葉の通り、あなた達が自身の下に出向いてくるのを待っているのだろう。

 

 ウィズがかつてない激憤と敵意を向けた不倶戴天の相手は、死と血と呪いに満ちた冒涜の頂であなた達を……いや、己の同胞を待っている。

 

 邪悪に満ちた不死王の居城はともかく、相手も伊達や酔狂や皮肉で楽しんでほしい、などと嘯いていたわけではないようだ。

 一目見ただけでイルヴァやこの世界の現代よりも洗練されていると分かる文明の町並みは、軽く百年は先を行っていた。

 アクリ・テオラのように意識して機械に偏らせたものでも、ましてやノイズのように明らかに何かがおかしい(転生者の介入による)ワープ的進化を遂げたものでもない。

 魔法の存在する世界が長い年月をかけて平和かつ順当に繁栄していけばこうなるだろう、という万人が思い描くお手本のような姿は、古代都市よりも未来都市という言葉こそが相応しい。

 これを自身の治世で成し遂げたというのであれば、なるほど素直に称えるしかない。

 

 遥か地下深くの遺跡に封じられた、滅びたと伝わっている栄華を極めた古代の都。

 ウィズの手前空気を読んで大人しくしているが、実のところ今のあなたは本気でいつ宿から飛び出してもおかしくない状態だ。首輪が外れた瞬間、雪景色を目の前にした犬よろしく大興奮で探索を始めるだろう。

 あなたは断言する。この最高のシチュエーションに興奮しないなど有り得ないと。そんな冒険者は今すぐ足を洗うべきだと。

 それこそ女神アクアよろしく「はああああ? ここで盛り上がらないとか何の為に冒険者やってるんですかー? 脳はご無事でおじゃるか? 埋まって記憶と価値観をリセットするべきでは?」と煽り散らす事すら辞さない構えだ。

 

「すみません、取り乱しました」

 

 そうしてしばらく風景を眺めたり写真に収めながら背中を小突いてくるゆんゆんをはいはい可愛い可愛いと雑にあやしていると、ある程度感情を飲み込んだのか、若干調子を取り戻したウィズが頭を下げた。

 適当に手を振って気にしていないと答えたあなたは根本的な質問を発した。

 つまり、無貌の亡霊の正体とは何なのかと。

 あなたの隣で窓の外から見える街の景色を眺めながら、若き不死王は口を開く。

 

「私もあくまで感覚で捉えているだけなので言語化するのが少し難しいのですが。顔の無い亡霊、彼らはあまりにも永い時間の果てに魂が朽ち果て、意思の全てが擦り切れ、それでも不死王に魂を支配束縛されているが故に消滅出来なかった者達です。彼らには砂粒ほどの自我すら残されていません。空っぽなんです」

 

 意思を、心を、自我を喪失した魂。

 だがあなたが感じる限り、亡霊達はいずれもしっかりとした違和感の無い、普通の人間のように柔軟性のある受け答えをしている。

 決められた動作しか出来ない人形とは違うようにあなたの目には見えた。

 

「そうですね。その感想は正しいものです。いわば彼らは生前の情報を完全にコピーしたものですから」

 

 完全にコピーしているのであればそれはもう本物なのでは? とはいかない。

 精神と肉体は密接な関係にある、なんていうのは当たり前の話。

 たとえ肉体が生きていても、精神を失ってしまえば肉体は動かない。イルヴァにおいて心を持たぬモノが這い上がれないように。

 だが無貌の亡霊はどういうわけかそれをやってしまっている。

 それが亡霊という精神体でもやっている事に変わりは無い。彼らは本来あるべき自我を持たず、体だけで動いているのだという。だからこそどうしようもなく惨たらしいのだとも。

 

「傍から見れば生きているような振る舞いをしていても、彼らは精神を失った肉体が生前の知識と人格を再現、模倣しているだけに過ぎないんです。彼らは永遠の停滞の中にいます。今いる場所から前にも後ろにも進めない。これ以上の変化が無い。それは、怨嗟に塗れたアンデッドよりもずっと悲惨で、救いが無い事……少なくとも、私はそう思っています」

 

 隔離された不死王の領域という特殊すぎる環境の影響も大きいだろう。

 通常このような事は起こりえないとウィズは言う。

 

 ふと鬼畜メガネとTSチキチキマニアが手を組んで似たような実験をしていた事をあなたは思い出した。

 確たる人格も理性も本能も持たず、しかし人格を持っているかのように振舞うもの。

 彼らは自身が生み出したそれを哲学的ゾンビと名付けていた。

 当然ながら自我が無いので這い上がれない。失敗作として処分された悲しきモンスターである。

 

「あのリッチーのせいでそうなってるんですか?」

「消滅出来ないせいでこうなっているのは確かなんですが、相手が最初からこれを想定していたかはちょっと分かりません。不死王に操られているわけでもないようですし、何より私自身ここまで手の施しようの無いアンデッドは初めて見ましたから。個人的には偶発的なものであってほしいと願っていますが……」

 

 仮に偶発的であっても、現在進行形で亡霊達を束縛、放置している時点で相手が邪悪なリッチーである事に変わりはない。

 まず有り得ないだろうが、相手が説得に応じるのであれば良し。どうしようもなければ不死王をミンチにして亡霊達を解放すればいいだけの話だ。

 あっけらかんとしたあなたが出した、とりあえずぶち殺せば解決するだろうという典型的ノースティリスの冒険者丸出しの結論にウィズは肩の力を抜いて笑って頷いた。

 

 いやウィズさん、そこ笑って同意する所なんですか? っていうかなんでこの二人は朗らかな雰囲気で明らかにやばい級のリッチーをぶち殺すなんて超絶物騒で血腥い話をしてるんだろう……と言わんばかりの表情をしていたゆんゆんには二人仲良く気付かなかったフリをした。

 

 

 

 

 

 

 いざ決戦の地へ。

 意気込むウィズにあなたは待ったをかけた。

 

 確かに、突撃、隣の晩御飯! みたいなノリで不死王の居城に特攻するのは簡単だ。

 しかしあなた達は冒険者である。未知の地域の探索を行わないなど言語道断。いくらなんでも拙速が過ぎると。

 再三繰り返すが、件の不死王は自身の国を存分に楽しんでほしいと言っていた。

 そしてあなたはまだまだ千年王国を見て回りたいと思っている。

 

「そこまで言ってたかな……ストレートに受け取ればそういう風に言ってた気がしないでもないけど……」

 

 そして霧湖の経験からして、不死王を始末したが最後、解き放たれた千年王国も軍艦と同じように崩壊する可能性は十二分にある。

 亡霊達から譲り受けた物品の数々は不思議とそのまま残っているが、太古の都が現存している今の内に存分に堪能、満喫したいというのがあなたの偽らざる本音だった。

 

 とまあ、こんな時ばかり容赦なく知恵の泉が尽きず湧き出るが如く怒涛の勢いで口が回るあなたの理路整然とした一分の隙も無い完全無欠に説得力に溢れた言葉の数々によって始まったネバーアローンによる千年王国探索。

 この世界の歴史家が発狂して奇声をあげながら地面にのたうち回った挙句美麗なブリッジを決めて羨むであろうその一歩目は、この箱庭がどこまで広がっているのかという調査で始まった。

 転移した門から最初に出会った衛兵に見送られる形で中枢都市と呼称される千年王国の最深部を出立し、中枢都市の外に広がる数多の外郭都市を各種公共交通機関などを使って足早に素通りする形で、たっぷりと時間をかけて王都の端と呼ばれる場所にまで足を運んだあなた達。

 だがしかし、現代における世界最大の都市を遥かに超えた規模を超えても、箱庭の果てには辿り着けなかった。

 ここまで来ると最早都市ではなく一つの国家とすら呼べるだろう。

 核爆弾の効果範囲にして既に四桁は優に届こうかという規模の箱庭に、彼の不死王が持つ影響力、そして封印の規模が垣間見える。

 

「まだ続いてますね……幻覚というわけでもないようです」

 

 年輪状に広がっていく広大な外郭都市を抜けた先には、黄金色の小麦畑と綺麗に整備された道路がどこまでも続いていた。

 周囲を観察してみれば、麦藁帽子を被ったゴブリンと思わしき小柄な人型が家畜の世話をしているのが遠目に見える。妙な能力でも所持しているのか、明らかに両手がメートル単位で伸びている始末。

 まるでノルマのようにここまで欠かさず遭遇してきたゴブリンを第四層では見かけなかったので、あなたは少しだけ安心した。まあここまでの例に漏れず顔は黒く塗り潰されているわけだが、そんな事は些細な問題だろう。ここまで作ってきた竜の谷図鑑に麦藁ゴブリンと新たに記載しておく。

 ついでに家畜に関しても不死者と化しており、同様に顔が塗り潰されていた。

 

 箱庭の果てを目指して先を進むあなた達。

 時折すれ違う人々の顔面さえ無視すれば非常に長閑で牧歌的な時間だったのだが、農村を二つ越えた先でそれは終わりを告げる事になる。

 

 何の目印も気配も無く、あまりにも唐突にあなた達の周囲の空間が歪んだのだ。

 そして心構えや態勢を整える間もなく、気付けばあなた達は全く別の場所に強制転移させられていた。

 

 はじめ、あなたは痺れを切らした不死王が無理矢理呼び寄せてきたと思ったのだが、景色こそ変化しているものの、周囲に不審な点は見受けられない。

 あなた達が先ほどまで立っていた、人里を繋ぐ普通の道と同じであるように思えた。

 

 ふと思い立ったあなたは二人に断りを入れ、一歩その場から後退する。

 すると再び景色が歪み、先ほどまであなた達がいた場所に戻ってきた。

 また一歩進むと再び転移し、二人の元に。

 

 何が起きてもおかしくない場所だとはいえ、要領を得ない事態に首を傾げずにはいられないあなた達。

 答えが得られたのは転移した先を進んでしばらくの後。

 

 あなた達は中枢都市の東門を抜け、ひたすらに東進を続けていた。

 にも関わらず、転移した先で都市の西側に辿り着いたのである。

 

 

 

 

 

 

 この箱庭はループしている。

 空間的にも、時間的にも。

 そんな結論をウィズが出すのはそれなりに早かった。

 

 恐らく周期は一年。

 亡霊達は終わりの無い停滞の日々を繰り返しているのだという。

 

 では本人達が知覚不可能であろう時間のループはまだしも、空間のループという明らかな異常事態に巻き込まれた場合、亡霊はどのような反応を示すのだろうか。

 ふとそんな事を考えたあなたによって、道行く亡霊に道案内を頼むという形で数度の実験が行われたわけだが、ループ地点まで来ると亡霊は強制的に消失、自宅などに再配置されるという結果に終わった。そして亡霊達は周囲を含めてその事に何の違和感も抱かない。抱く事が出来ない。おかしいと思う事が出来ない。あなた達がどれだけ物証をかき集めて言葉を尽くしても、全く通じる気がしなかった。

 

 箱庭の統制はどこまでも歪でありながら、同時に完成されたものだった。

 人形劇の舞台としては上等だろう。

 ノースティリスの冒険者としては亡霊を殺した場合、それを目撃した他の亡霊の反応が気になるところだったが、生前の人格から逸脱しない反応、つまり普通に怒り狂うか犯罪者を恐れて逃げ惑うだろうというウィズの回答が返ってきた。絶対にやらないでくださいね、とも。

 釘を刺さないとあなたは実際にやるタイプの人間だと彼女は理解していた。

 亡霊に対してさほどの興味も感傷も憐憫も同情も抱いていないとも。

 そしてそれはどこまでも正しい。

 顔が黒で塗り潰されているのを見ても少し不気味、くらいにしか思っていない。

 

 ともあれ小世界と呼ぶに相応しい箱庭の概要を把握したあなた達は、再度中枢都市の探索に舵を切った。

 広大が過ぎる外縁都市の全てをたったの三人で調査するというのは現実的ではない。時間がどれだけあっても足りはしないだろう。

 

 そしてあなた達が最初に足を運んだのは本屋や図書館といった書物が置いてある場所。

 千年王国が都市としての機能を十全に維持している以上、これらの施設も当たり前のように完全な形で亡霊達の手によって運営され続けている。

 

「古代の亡都なんて物凄いシチュエーションなのに情報収集が簡単すぎる……職員の幽霊の人とか滅茶苦茶親切に教えてくれましたよ」

 

 そんな図書館内にて、山積みになった文献を前にテーブルに突っ伏したゆんゆんがやるせなさ全開の台詞を吐いた。

 地図や歴史書を筆頭に、滅亡と同時に完全に失伝した知識と技術の数々は積み上げた金銀財宝より遥かに価値があるもの。

 だが遠い未来に生きるあなた達と違い、千年王国の亡霊達にとってここは現在だ。

 後世の人間にとって自身の目と正気を疑う仰天モノの情報の価値も、彼らにとってはごく普通の日常を構成する常識の一部に他ならない。

 

「街の様子やこれを見てしまうと、この国が滅んだ後に何が起きてしまったのか、みたいな事を考えちゃいますよね……」

 

 その最たるものの一つ、世界地図を見ながらウィズが言う。

 規模自体はノイズの軍艦で見た地図よりかなり小さいそれは、世界の開拓が進んでいなかった時代である事を指し示している。現に地図は西、南、北と満遍なく未踏領域が広がっていた。

 

 だが、しかし。

 地図の中央。世界の中心と記されている場所。

 つまりこの時代においては千年王国となるわけだが、彼の国はあなた達がよく見知った場所にあった。

 現代では極東と呼ばれている、ノイズとベルゼルグが存在する地域に。

 

 だが千年王国の跡地に直接ノイズが生まれたわけではない。

 現ベルゼルグ領域からさらに東。

 大陸を縦断する山脈の向こう側。

 つまるところ、現代では魔王領と呼ばれる地域に千年王国は在った。

 

 そして東方に関しては現代の地図より開拓が進んでいると、現役魔王軍幹部であるウィズは感嘆を込めて説明してくれた。

 無論この現代の地図とは人類側の地図ではない。

 ベルゼルグ以東を支配する魔王軍側の地図である。

 

 

 

 

 

 

 千年王国の建国史曰く。

 滅び行く泡沫の国を救うべく、一人の少女が立ち上がったのだという。

 誰よりも強く、優しく、賢い、黄金の姫が。

 

 少女はその類稀なる才覚で国内を纏め上げ、知恵と力と勇気と愛を以って様々な異種族と手を取り合い、国を豊かにし、他国の干渉を撥ね退け、仲間と共に戦い、遂には世界の覇権と恒久的な平和を手に入れた。

 あなた達が知った王女の冒険と戦いと栄光の軌跡。

 それは完全無欠の英雄譚であり、誰もが夢見る幻想譚であり、この国の民にとっては現在進行形で続いている華々しい叙事詩であった。

 誰もが認める英雄であり、勇者であり、賢者であった少女が戴冠してから千年が経った事を記念し、国名を千年王国に改める程度には。

 

「その、いいお話でしたよね」

「そうですね。お姫様が今も生きていると言われなければ私も素直にそう思いました」

 

 偉大なる英雄姫にして建国の母は千年の時を経た今も生きている。

 道行く亡霊に尋ねればそんな答えが当たり前のように返ってきた。

 しかも彼らの中で女王は人間のままだった。

 在りし日の女王がウィズのように不死者と化し、それを周囲に隠していたというのは流石に無理があるだろう。ウィズとあなたが共に抱く見解である。

 ウィズのように隠れ住んでいるわけでもない、当時の世界の頂点に立つもの。

 そんなものが邪悪な不死者と化せば、世界の管理者たる神々が放置するわけがないのだから。

 

 どんな手段を用いたにせよ、人間のまま千年の時を生きた女王は間違いなく人類史に燦然と輝く偉人で超人だったのだろう。

 

「……やっぱりこのお姫様がリッチーになったんですか?」

「十中八九、そういう事になるのでしょう」

 

 だがかつての黄金姫は千年を超える生の果てに錆付き腐り堕ちた。

 邪悪な不死者と化した女王によって国は滅び、広大な、しかし世界と比せばちっぽけな箱庭の中で、かつての栄華の残影だけが人知れず今も続いている。

 

「女王に何があったのかは分かりません。彼女が何を考えて暴挙に走ったのかも。それでも、こんな永すぎる悲劇は終わらせる必要があります」

 

 更に強くなった不死王の決意にあなたとゆんゆんは頷いた。

 ゆんゆんはその正義感から。

 あなたは物欲から。

 

 ノースティリスの冒険者であるあなたは、件の不死王をぶち殺したら絶対に最高品質の激レア神器が手に入ると確信していた。

 

 

 

 

 

 

 ~~ゆんゆんの旅日記・千年王国編~~

 

 λ月λ日

 千年王国を探索(エンジョイ)するチャンスを逃すつもりがこれっぽっちも無い、筋金入りの冒険者の提案によって情報収集を終えた後も純粋に観光する事になった私達。

 神話に足を突っ込んでいるような古代の都市は個人的にも興味は尽きない場所だけど、顔の無い亡霊は普通に不気味だし、事実を知れば悲惨で痛ましいと思う。

 ウィズさんも最初ほどではないにしろ、亡霊を見るたびに心を痛めている感じがする。

 だというのに一人だけ亡都を満喫しまくり、あろうことか亡霊達と普通にコミュニケーションを図るどこかの誰かさんはお願いだから空気を読んでほしい。切実に。大興奮してキラキラ輝く満面の笑顔とか見せていいタイミングじゃないから。亡霊に対して何の感傷も抱いてないのが分かる。人の心とかお持ちではないのだろうか。

 

 愚痴はさておき、私達は千年王国からしてみれば未来人で、他国人だ。

 千年王国で何をするにしてもお金は必要であり、当然千年王国で流通しているお金なんてこれっぽっちも持っていなかった。

 となると現地調達するしかないわけで。

 最初に転移して宿に行く時にその事に気付いたあの人はどこからともなく金塊を出したかと思うと両替屋に直行。エリス換算で2000万くらい手に入れていたのだけど、更に倍プッシュで8000万ほど作った挙句全員分の身分証まで作っていた。ここでだから書けるけど絶対に非合法だと断言可能な手段で。

 

 あまりのやりたい放題っぷりにウィズさんですらドン引きしていたけど、気持ちはとても分かる。少しは自重してくださいと言ったら普段は自重してるから異世界産の鉱物は売却はしていないし身分証も合法的に手に入れたという答えは返ってきた。

 

 幸いにして今日はこれといって事件は起きなかったけど、明日以降、いきなり亡霊をぶっ殺したらどうなるんだろう? みたいなノリで白昼堂々凶行に及んでも私は他人のフリをしてやり過ごしつつ前からやる人だと思ってましたと街頭インタビューで正直に答えようと思う。

 外付け良心であるウィズさんが正常に機能してくれる事を願うばかりである。

 

 

 λ月ヽ日

 今日は朝から一日中買い物をした。

 ベルゼルグやトリフと比較しても遥かに大都会と呼べる中枢都市での買い物は、正直大満足という感想しか出てこない。思う存分楽しんでしまった。

 ただ折角買っても不死王を倒して国が解放されたら商品が消えちゃうのでは? と思ったけどノイズの軍艦で譲り受けた遺品の数々が綺麗な形で残っていたように、消える事は無いだろうとの事。停滞した時間が流れ始める前に所有権が移ったからどうのこうのとウィズさんが言っていた。

 

 それ以外だと亡霊に対してちょっとだけ開き直ったウィズさんが目の色を変えて魔道具店の商品を買い占めようとしていたのが印象的だった。

 元気が戻ったのは嬉しいけど、都市全体の魔法店を買い占めるにはどれだけお金があっても足りないとさめざめと泣くのは反応に困るのでやめてほしかった。

 

 喫茶店に寄ってお茶やデザートも堪能したけど、これ食べても本当に大丈夫なのかな……ってちょっとだけ思った。

 

 他にも色々見て回ったけど、少なくとも武器防具に関してはベルゼルグ王都の方が質が良い物を売っているように感じた。私より遥かに高位の冒険者である二人も同意見だったので間違っていないと思う。

 これは世界を統一して何百年も経ち、長い平和で武具の需要が少ない千年王国と現在進行形で魔王軍と戦争をやっているベルゼルグとの違いだと思う。

 

 

 λ月ヾ日

 今日は劇を見た。

 建国の女王を称える冒険活劇を。

 

 それは滅び行く国に生まれた小さなお姫様が沢山の仲間と出会い、国を大きくしていく物語。

 お姫様の仲間には人間がいた。エルフがいた。ドワーフがいた。妖精がいた。ゴブリンがいた。ラミアがいた。人魚が、鬼が、スライムが、ドラゴンが、天使が、悪魔がいた。

 

 現代では絶対にありえない、無数の種族が黄金のお姫様の下に集い、手を取り合って数々の困難に立ち向かう。

 英傑達による笑いあり、涙ありの劇は紆余曲折を経てハッピーエンドで幕を下ろした。

 夢のような物語。けれどこの国の人たちにとっては過去に起きた出来事。

 リッチーになってしまったのだというお姫様がこの劇を見たら何を思うんだろう。夕暮れの帰り道、私はそんな事を思った。

 

 

 λ月ゝ日

 千年王国の時代にも冒険者はいたらしい。

 冒険者といっても現代よりも戦闘の比重がずっと軽い、時に戦い、時に宝を捜し求め、時に広い世界を探索、開拓していくという文字通りに冒険をする人たち全般を指していたけど。

 ウィズさんは子供の頃からそういう冒険者になりたかったらしい。

 魔王軍がなければウィズさんは夢を叶える事が出来たんだろうか、とちょっぴりしんみりしたけどウィズさんは今まさに夢を叶えている最中ですから大丈夫ですよ、と笑っていた。

 

 竜の谷の冒険に誘ってもらったのはウィズさんにとってとても嬉しい事だったみたい。

 珍しく、本当に珍しく善行が出来ましたね! と心の底から褒めたのにお返しに毒消しポーションを山ほど口に突っ込まれた。

 なんで? 流石におかしくない?

 私の毒を消そうと思った、とか本気で理解の外すぎた。どこからどう見ても健康体なのに失礼すぎる。

 

 相変わらずの奇行はさておき、魔王軍といえば、どれだけ聞いたり調べたりしても千年王国時代に魔王や魔王軍のマの字も存在しなかった。

 それどころか異種族が手を取り合って活動する、というのがお姫様が活躍するまではありえない事だったらしい。現代では人類側と魔王軍側に分かれてこそいるけど、当たり前のように沢山の種族が共存しているのでこれには驚いた。

 少なくとも千年王国時代に魔王はいなかった。これは間違いない。

 じゃあずっと昔から今に至るまで人類と戦い続けている魔王と魔王軍はどのタイミングで、どんな理由で生まれたんだろう?

 

 

 λ月$日

 この国では結構な頻度で竜を見かける。現代で人類種と呼ばれている種族よりは少ないけど、それでも珍しいものではない。

 空を飛んでいたりお酒を飲んでいたり銀行で働いていたり。

 高位の竜は人の姿を取る事もあるというし、きっと私が思う以上の数が住んでいるのだろう。

 私と友達になってくれるドラゴンも人の姿になってほしい。一緒に住めるだろうから。

 

 そんなドラゴンと心を通じて一緒に戦う人を竜騎士、ドラゴン使いと呼ぶ。

 私は騎士じゃないからドラゴン使いを目指しているわけだけど、中身は殆ど同じといっていいと思う。

 私の世代だと世界最年少でドラゴンナイトの称号を手に入れたライン・シェイカーさんが有名だろうか。

 ドラゴン使いの勉強の一環として読んだ、月刊ラブラブドラゴンとかいうドラゴンへの愛が迸りすぎてだいぶ気持ち悪い事になっているかなりキワモノな雑誌で何度か名前を見た。思い返せば竜のアギトに名前を残していた気もする。

 

 現代の竜騎士事情はさておき、この国を作ったお姫様は竜と心を通わせたのだという。

 じゃあパンナ・コッタさんじゃなくてお姫様が世界最古の竜使い、あるいは竜騎士という事になるんだろうか?

 そんな事を私は考えていたのだけど、別にそういうわけではないらしい。

 心を通わせて仲間にしたけど、ドラゴン使いみたいにドラゴンの力を身に纏うとかそういうのはやってなかったみたい。

 

 お姫様は騎士として戦った事もあるのだという。

 姫で騎士。姫騎士。私には例のアレしか思い浮かばない。

 姫騎士と竜騎士の因縁じみた関係を考えるとなんだか微妙な気分になったりならなかったり。何もかもアクシズ教が悪いと思った。

 

 

 λ月〇日

 それなりの日数が経ったけど、なんだかんだで千年王国の探索というか観光を楽しんでしまっている私がいたりする。

 亡霊だとか不死王だとかを考えなければ実際ここは楽園だ。

 悲劇に終わってしまったとはいえ、遠い昔にこんな素晴らしい国があったのだと思うと感動すら覚える。

 

 不安だったウィズさんも亡霊を表面上は気にしていない感じ。

 個人的にこの国で一番凄いと思ったのは食事。

 平和だと食文化の発展も著しいのか、見た事も聞いた事も無い美味しい料理が次から次へと見つかっている。

 自分が信仰する女神様の為に勉強していたらいつの間にかお菓子作りが趣味の一つになっていたというあの人も、大量のレシピ本を購入していた。半分以上はお菓子の本だったと思う。

 お菓子と聞いてウィズさんが毒見役に立候補しつつチラチラ一緒に作りたいアピールをしていたけど、私はあえて見て見ぬフリをした。

 

 

 

 

 

 

 さて、思い思いに千年王国を堪能するネバーアローンだったが、ふと思い立ったあなたの提案によって、職人街に足を運ぶ事になった。

 ここは千年王国が世界に誇る技術者達の工房が軒を連ねる地域であり、当時の世界最先端をひた走っていた場所でもある。

 現に耳を澄ませば今もあちこちから物作りの音が聞こえてくる。無貌の亡霊と化した職人達は、魂が擦り切れてもなお、自慢の腕を振るい続けているのだろう。

 停滞した箱庭の中で、成長する事も衰退する事も無く、永遠に。

 

「曲がりなりにも物作りに携わる者としてこの地域も興味深くはありますが、あなたはどうしてここに?」

 

 ウィズの当然の疑問に対し、あなたは回答の代わりとして一本の剣を取り出した。

 あなた達の中で唯一、千年王国と縁があるとされる神器、すなわちダーインスレイヴを。

 

「あー、なるほど……」

「それは……」

 

 納得を示すゆんゆんとは対照的に眉根を顰めるウィズ。

 自身の血を一ヶ月間吸い続けてきた忌むべき魔剣が相手となれば、流石のウィズも思うところが出てくるらしい。

 

《――――》

 

 少し前、夢の中であれほど多弁だったダーインスレイヴは不思議と沈黙を保ち続けている。

 確かにあなたでは直接彼女の声を聞き届ける事が出来ないが、それだけではない。

 平時でもそれなりに意思表示をしていたにも関わらず、今のダーインスレイヴは、いっそ頑ななまでに己の意思と感情を閉ざしていた。見ざる言わざる聞かざるとばかりに。

 しかしだからこそ、それは彼女の何よりの意思表示でもあった。

 全くの無関係であればこうも露骨過ぎる反応を示すはずが無いのだから。

 

 最早ダーインスレイヴが千年王国と縁深い武器である事は明らかだ。

 しかしあなたは道行く亡霊に彼女について尋ねようとはしなかった。

 

 あなたがダーインスレイヴと深い交感を果たすほどの主だからだろうか。

 なんとなく直感で分かるし、伝わってくるのだ。

 自分の進む先に、ダーインスレイヴが求めて止まない、しかし同時に恐れて止まない何かがあるのだと。

 

 仮に彼女が行きたくない、お願いだから止めてほしいと懇願するのであれば、あなたとしても考慮しなくはなかった。あなたはそこまで鬼畜ではない。

 だが健気な魔剣はあなたの意思を尊重するとばかりに意思を示さない。

 故にあなたは完全なる興味本位で行動していた。

 

 

 

 

 

 

 やがて、あなた達は一軒の鍛冶屋に辿り着いた。

 周囲の家屋と比較すると若干古めかしいが、特別目立つほどでもない、風景に埋没した石造りの建物だ。アシュトン鍛冶店、と名の書かれたシンプルな看板がかかっている。

 扉を叩いて声をかけるも、中からの反応は無い。

 ドアノブを回せば当たり前のように扉は開いた。あなたは中を覗いてみたが、カーテンがかかった仄暗い店内には多種多様の武具や雑貨が所狭しと並んでいる。

 だが店員は誰もいないようだ。この期に及んで泥棒も何もあったものではないが、それはそれとして中々に無用心である。

 

「留守ですかね? お休みなのかも」

「あ、ここに定休日が書かれてますね。えーと、今日は……」

 

 今日は営業日、という事になっている。

 軽く探ってみれば建物の中からは人の気配が感じ取れた。

 留守というわけではないようだ。ウィズ魔法店のように店の裏が自宅になっているようなので、そっちにいるのだろう。

 

《――――》

 

 強い、強い焦燥感が伝わってくる。

 アシュトン鍛冶店に辿り着いてからというもの、探知機代わりに使っていたダーインスレイヴからはいよいよ悲痛なまでの感情が殺しきれずに漏れ出ているようになった。

 あなたの考えが正しければ、彼女が期待と恐怖で板ばさみになるのは当然といえるだろう。

 

 後の世に数々の破滅を齎してきたダーインスレイヴは、千年王国末期に生み出されたとあなたは推察している。

 少なくとも亡国となるまで、彼女の産みの親が存命だった可能性は十分あると考える程度には終わりに近い時期に作られた神器だ。

 国が滅びる前に親が故人となっているのであれば、こうも実家に帰ってくる事を恐れる理由が見当たらない。

 

 あなた達は店の裏手に回り、ドアをノックした。

 返事は無い。

 三十秒ほど待った後、あなたは再びドアを叩いた。

 やはり返事は無い。

 また三十秒待った後、あなたは強くドアを叩いて中に声をかけた。

 いるのは分かってんだぞ開けろオラァ! みたいなノリと勢いで強くドアを叩く。

 これでダメならあなたはドアをぶち破るつもりだった。

 どうせ相手は亡霊だし別に構わないだろう。あなたが真面目にそんな事を考えていると、中からどたどたと足音が聞こえてきた。

 

「いやかましいっ!! そんなガンガンぎゃあぎゃあ騒がんでも聞こえとるわ!!」

 

 まさしく怒り心頭といった空気を揺るがす大声と共に、蹴破らんばかりの勢いでドアが開く。

 

「ったく、どこのクソバカじゃい……人が気持ちよく昼寝しとったっちゅーに……死ねよ……とっくに死んどるけど」

 

 そしてその瞬間、ダーインスレイヴから複数の感情が爆発的な勢いで同時に流れ込んできた。

 歓喜。疑問。悲哀。安堵。

 

「んあ? …………あぁ?」

 

 出てきたのはドワーフの老人の亡霊だった。

 筋骨隆々で、背は低く、長く白い髭を蓄えた彼は、あなた達の姿を見て()()()()をしていた。

 

「…………顔?」

 

 そしてそれはあなた達三人も例外ではない。

 あなたも、ウィズも、ゆんゆんも。

 老人を見て驚嘆に言葉を失っていた。

 

 老人は亡霊である。これは間違いない。

 彼一人が悲劇の中で生き延びていたなんて事は無い。

 彼にも等しく死は訪れている。

 

 だが、彼は顔が黒で塗り潰されていなかった。

 あなた達が表情を読み取る事が出来た。

 

「……顔がある。いや、それどころか……お主等、まさか……生者……なのか?」

 

 何よりもあなた達の存在を、自分の現状を正しく認識していた。

 かくしてネバーアローンは、生きとし生けるもの全てが等しく悠久の時に擦り潰された無貌の都の中で、ダーインスレイヴの産みの親と目される工匠と、ただ一人、今もなお擦り切れる事無く自我を残す亡霊との出会いを果たした。



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第144話 魔剣の里帰り

【3】

 

 若くして戴冠した女王は、愛する祖国と民の幸せの為の労苦を惜しみませんでした。

 画期的な技術や発明の数々。

 痩せた大地でも育つ作物の品種改良、土壌の改善。

 自ら兵を率いての国内を荒らす魔物の討伐。

 他国からの干渉に対する掣肘。

 

 少しずつ、しかし確実に豊かに、そして平和になっていく国に、誰もが喝采して女王を褒め称えました。

 

 ……ですが、それでも。

 当の女王本人だけは知っていました。

 こんな小手先の延命では根本的な解決には至らないと。

 

 炭鉱の金糸雀が金の卵を産むガチョウに変わったと判断された時。

 危険極まる未開領域と接するというデメリットを、国を併合する事で得られるメリットが上回ると看做された時。

 その時こそ、これまでのようなお遊戯じみた干渉ではなく、圧倒的国力の差を持つ近隣諸国が本格的に牙を剥いてくるのだと、女王は誰よりも理解していました。

 

 自国だけではどうしようもなく力も人も足りず、他国は等しく潜在的な敵。

 だからこそ、人類領域である西方ではなく、俗に魔領と呼ばれる東方の蛮地――他国の目が届かない未開領域に女王が活路を見出したのは当然の帰結でした。

 

 

 

 

 

 

 ダーインスレイヴに導かれる形で老鍛冶師の亡霊に遭遇した、あなた達ネバーアローン。

 互いの驚きと興奮も冷めやらぬまま、自我と顔を保持していた彼はあなた達を家の中に招き入れた。

 

「汚い部屋ですまんな。適当に寛いどくれ。片付けてもすぐ元通りになるからほったらかしのままじゃった」

 

 鍛冶師の家の居間は、年季を感じさせる石造りの部屋だった。

 ぶっきらぼうな言葉の通りお世辞にも整頓されているとは言えず、使用感のある家具や道具が雑多に散らかっている。

 多少の違いこそあるものの、ダーインスレイヴの夢で見たものとほぼ同じ風景である。あなたは若干の感慨深さを覚えながらソファーに座り、ちらりと後ろの壁を見やった。

 

「どうしました?」

 

 隣に座るウィズになんでもないと返す。

 現在彼女が座っている場所は、大清楚博愛子犬系薄幸不憫健気感情激重銀髪碧眼超絶美少女ことダーインスレイヴの化身が座っていたポジションだ。

 あの時のように壁をぶち抜いて飛来した武器にウィズが背中から串刺しにされて奇声をあげながらぶっ飛んでいった場合、あなたはあまりの絵面に爆笑しない自信がこれっぽっちも無かった。

 

「んんむ……」

 

 困惑するような響きで唸りながら、あなた達の顔をじろじろと眺めるドワーフの老人。

 

「聞きたい事が多すぎる。いったい何から聞くべきか」

 

 それはそうだろう、とあなた達は思った。

 同時にあなた達も彼に聞きたい事は多い。

 

「あー、一応の確認なんじゃが、お前さんら、生きておるよな? いよいよ頭がパーになった儂が見ておる幻覚とか妄想じゃなく、実在の人物じゃよな?」

 

 亡霊であるにも関わらず、彼はウィズがリッチーであると気付いていなかった。

 やはり彼もまた件の不死王の影響下、支配下にあるのだろう。

 生きている、のくだりでウィズとゆんゆんが若干困った雰囲気を発したのを感じ取ったあなたは、問いかけに首肯した。

 ここで一人は不死王です、などと自己紹介するとスケルトン船長の二の舞になりそうだったし、何よりノースティリスの冒険者視点では殺したら死ぬリッチーも余裕で生きている判定になる。嘘は言っていない。

 他者とは少し命の在り方が違うだけである。

 

「まさかとは思うが、この国の者か?」

 

 代表者としてネバーアローンの中で最も博識かつ社交的なウィズが彼に答えた。

 

「いえ、地理的には千年王国に近いのですが、私達はお爺さんからすればずっと未来の時代にある国、ベルゼルグの冒険者です」

「アシュトンでいい。しかしベルゼルグか、当然だが知らん名だな。あとずっと未来っつったが、具体的にどれくらい経った?」

「千年王国は今を生きる私達にとって神話にも近しい存在です。世界を手中に収め、しかし国民全てが一夜にしてアンデッドになり滅びた、という事だけが確かな事実として伝わっています。具体的な時間経過についてはちょっと分からないですが、最低でも五百年、下手をすれば千年、あるいはそれ以上……」

 

 この後もアシュトンと名乗った彼は質問を重ね、あなた達から情報収集を行った。

 世界が人類と魔王軍に分かれた事。

 自分達が現在進行形で旧領から海を隔てた遠い場所の地下の遺跡に封印されている事。

 あなた達が不死王に招かれる形で千年王国に辿り着いた事。

 全てを聞かされた後、彼は深い溜息を吐いた。

 

「なんつーか、完全に別世界の話じゃな……」

 

 気疲れからか、十歳は老け込んだように見えるアシュトン。

 人魔が長きに渡って血みどろの戦争を繰り広げているという話に思うところがあったらしい。

 しかし今を生きるあなた達からしてみれば、恒久平和及び共存繁栄を成し遂げていた千年王国の方こそ別世界のように見えているし感じている。お互い様だろう。

 

 

 

 

 

 

 話を飲み込むまで若干の小休止を挟み、今度はあなた達が尋ねる番になった。

 

「単刀直入に伺います。この国に何が起きたんですか?」

 

 ウィズの問いに難しい顔をしたアシュトンは暫くの間、腕組みをして目を瞑っていたが、やがて覚悟を決めたようにその重い口を開いた。

 

「結論から言えば、後世に伝わっている話は正しい」

 

 努めて感情を排した老鍛冶師は淡々と言葉を紡ぐ。

 一夜にして国民全てが不死者と化すという、理想国家を襲った最低最悪の末路を。

 

「あれからあまりにも永い時が経ったが、忘れもせん。千百十一年目を祝う建国記念日の翌日じゃ。突如として血の色に染まった空が天を覆い、地からおぞましき闇と呪いが溢れ出した。そうして永遠の平和を約束された筈の王国は絶望と苦痛に喘ぐ不死者の巣に変貌した。スケルトン、ゾンビ、レイス。ありとあらゆるアンデッドが跋扈する地獄のような場所にな」

 

 血色の空。闇と呪いの大地。無数の亡者達。

 彼が語ったそれは、まるで第四層を彷彿とさせる光景だった。

 

「何故あんな事が起きたのか、どのような手段を用いたのかについては今も分からん。じゃが誰がやったのかについては、最初から国民の全てが不思議と理解しておったよ。……これは陛下の仕業であると」

 

 世界を統一せし偉大なる建国の母。

 過去現在未来の全てにおいて並ぶものなき黄金の英雄姫。

 千年を超える時を生き続け、理想国家を統治する名君を崇め称える言葉に限りは無く。

 だがしかし、全てに破滅をもたらしたのもまた女王であった。

 

「三年。不死者と化したわし等が地獄を彷徨った月日じゃ」

 

 隔離された地獄から出る事は叶わず、女王に声を届けようにも彼女は城の門を固く閉ざした。

 女王の力によって粗悪なアンデッドと成り果て、少しずつ心までバケモノに変わっていく恐ろしさに正気をすり減らしながら永遠にも思える苦痛の日々を過ごした千年王国の国民達。

 

「全てが終わってしまったあの日から、国の外で何が起きていたのかは分からん。じゃが三年を過ぎたある日、空が青さを取り戻し、地の不浄が祓われ、皆が生前の姿を取り戻した」

 

 亡霊である事に変わりは無いが、日の下にいても浄化はされないし、心身を苛んでいた苦痛は取り除かれた。生前と同じように日常生活を送る事も出来る。

 相変わらず国の外には出られないが、状況は今までとは比較にならないほどに改善されたと、誰もが安堵した。

 

「そう、状況は改善した。今にしてみれば笑えるほどに愚劣、蒙昧の極みじゃが、当時は皆そう勘違いしておった。かくいう儂も再び鎚を振るえるようになって喜んだもんじゃわい」

 

 一週間が経った。何も起きなかった。

 一ヶ月が経った。何も起きなかった。

 半年が経った。都は平和だった。

 一年が経った。記憶を除いた全てが一年前に巻き戻った。

 

 すぐさま異常に気付きはしたものの、流石にこの時点では大半の者が具体的に何が起きたのかを理解出来ていなかった。

 だが数度の繰り返しを経て、遂に確信と共に周知されるに至る。

 自分達は一年を繰り返している、と。

 

 そう、次に始まったのは一年間という時間を繰り返し続ける新たな地獄。

 不死者と化し、更にループによって寿命というくびきから解き放たれた彼等は、しかし終わりの無い停滞の日々に少しずつ壊れていった。

 

 隔離された箱庭の中で死ぬ事は出来る。狂う事も許された。

 だが一年経てば全ては何事も無かったかのように元通りになる。

 壊れた物も、狂った心も、喪われた命すらも。

 

 かくして数百万の亡霊達は永遠の一年という名の牢獄に囚われた。

 ただ一つ、記憶だけを引き継ぎながら。

 

「全ての試行錯誤は無駄に終わった。城以外の全てが更地になるほどの激しい争いが起きた事も数え切れない程にある。じゃが、いかなる知恵も武勇も、仮初の永遠を打破する事は叶わんかった。そうして何度一年を繰り返し続けてきたのかは最早覚えておらん」

 

 ありとあらゆる手段がループの前では無為に終わると悟り、誰も彼もが諦観と無気力に沈み、ただただ終わりだけを望む木偶になって幾年月。

 繰り返した回数を数える者もいなくなった頃、それは生まれた。

 

「最初は人間の老人や赤子といった弱い者から。次に動物や意思薄弱だった者から少しずつそれは増えていった」

 

 あなた達も散々見てきた、顔の無い亡霊達。

 永劫の時に魂が擦り切れ、それでも消滅が許されなかった者達の成れの果て。

 

「それは自分達が死んでいる事に気付いておらんかった。それどころか、繰り返す時の記憶を引き継いですらいなかった」

 

 生前の記憶に従い、粉々に砕けた魂の残骸で駆動する自我無き人形。

 全ての悲劇を忘れ去り、何でもないかのように振舞う無貌の亡霊達への恐怖によって、人間のみならず、竜やエルフといった長命種の精神もまた恐ろしい勢いで磨耗した。

 たった50年で国民のほぼ全てが無貌の仲間入りをするほどに。

 

 魂の耐用年数の限界。話を聞きながらそんな言葉があなたの脳裏に浮かぶ。

 何度も這い上がり、何でもないように振舞いながら、ある日突然埋まる者を何度も見てきたあなたにとっては、むしろ馴染み深くすらある。

 

 繰り返しに巻き込まれなくなる無貌の亡霊になる事は、即ち精神的な死を迎えるに等しい。

 それを思えばある種の救いですらあったのだろう。

 

 ヒトであろうとなかろうと、限界が来る事、壊れる事に大層な理由など必要無いのだ。

 そしてそれはきっと、狂った女王も同様に。

 

「……あの、質問があるんですけど、いいですか?」

 

 千年王国の壮絶な末路に気圧されたのか、青い顔をしたゆんゆんが恐る恐る手を上げた。

 

「じゃあお爺さん、アシュトンさんは、どうして今もご無事なんですか?」

 

 彼が無事かどうかは大いに議論の余地があるが、この老人がこうして過去を語れる程度には自我と顔を残している事は確かだ。

 少女の問いに、アシュトンは気まずそうに目を逸らし、禿げた頭を掻いた。

 

「こういうのを自分で言うのはどうかと思うが……儂はそう、ちょっとだけ他人より頭のおかしいとこがあったんじゃろう」

 

 まだループが始まってそれほど時間が経っていない頃。

 彼はふと、こんな事を考えたのだという。

 

 生前の姿を取り戻した亡霊は飲み食いも睡眠も出来るが、それらが必要不可欠なわけではない。

 それはつまり、飲まず食わずで一年中鍛冶の腕を磨けるという事なのでは?

 

 そして一年経てば、記憶を除いた全てが元通りになってしまう。

 逆に言えば記憶だけは引き継ぐ事が出来る。

 それはつまり、永遠に鍛冶の技量を磨けるという事なのでは?

 

「で、やってみたら出来た。出来たから続けて、今に至る。心を無にして不眠不休で修行したり、逆に何もせず遊び呆けたり、惰眠を貪ったり、最高級の素材を使って一年でどこまでの武具を作れるか試したり、安い素材でどれほどの高みに至れるか挑戦したりと、色々やっとるよ」

「顔の無い亡霊達を見て何か思ったりとかは……」

「ぶっちゃけあんま気にならんかった。鍛冶一本で生きてたせいで家族も友人もおらんかったし」

「えぇ……」

 

 あんまりにもあんまりな答えにゆんゆんはドン引きしていた。

 少女の顔には絶対ちょっとだけ頭がおかしいどころじゃないですよ。明らかに限界突破しちゃってますよと書いてある。

 

「…………」

 

 一方のウィズはちょっと分かります、絶対口には出せませんけど、みたいな顔をしていた。

 魔法ガチ勢にしてリッチーとしての性能を存分に活かして魔道の研鑽を重ねている彼女がアシュトンにとやかく言えるはずも無い。

 

「なあ嬢ちゃん、微妙な目で明後日の方を向いとる姉ちゃんはともかく、なんかそっちの兄ちゃんが滅茶苦茶仲間を見つけた、仲良くしようぜ、みたいな温かい目で見てきて怖いんじゃが。距離感の詰め方おかしくないか。今日が初対面じゃよな?」

「すみません、気にしないでください。この人ちょっとそういうとこあるんで。多分直接的な害は無いと思います」

「それ間接的には害がある可能性があると言っとらんか」

「多分大丈夫です。多分。きっと」

 

 アシュトンは鍛冶職人ならぬ鍛冶廃人だった。

 心を無にした状態での修練も、己の限界への挑戦も、まったくもって共感を覚える事頻りであり、自身の同類と呼ぶにあなたは何ら躊躇いを覚えない。

 まさかの有資格者の発見に喜びを隠せないあなたは、老人にどこまでも友好的で優しげな笑顔と眼差しを送るのだった。

 

 

 

 

 

 

 折角の機会なので、あなた達はアシュトンに店内を見せてもらう事にした。

 どれもこれも良い意味で癖が無い。非常に扱いやすそうな、そして強力を通り越して凶悪な武具が並んでいる。

 

「やっばーい……一目見てこれやばいって分かるー……」

「ですね……オーラが凄いというか……」

 

 そんなアシュトン鍛冶店にて。

 一山幾らの数打ち扱いなのか、乱雑に樽に突っ込まれた細槍の一本を手に取ったゆんゆんが慄然とした面持ちを隠そうともせずに震えた声を発し、ウィズがそれに追従した。

 

「すまんが今年は休養の年でなあ。一応勘が鈍らんように在庫の武具は鍛え直しとるが、在りし日の王国民ならいざ知らず、戦乱に生きる未来の冒険者の目に留まるような武具は無いと思うぞ」

 

 そんな二人の様子に気付いていないアシュトンは、久しぶりの客とあってどこか楽しそうに棚卸しに励んでいる。

 あなたは今回のループで最も良い出来だという剣を見繕ってもらい、こっそり鑑定の魔法を使ってみた。

 

 ――★《ロングソードSS》

 

 冗談のような結果が返ってきてあなたは噴出した。

 あまりの衝撃に名前末尾のSSに対する疑問すら浮かんでこない。

 神器判定。まさかの神器判定である。

 数打ちの量産品が極限まで強化された結果、神器として昇華してしまったようだ。

 正直そこらの神器が裸足で逃げ出す程度には強い。本気で武具を作ったらどうなってしまうのだろう。

 きっとSSはスーパー凄いの意に違いない、と一人納得するあなたは感激のあまり語彙と知能指数が死滅していた。

 

「ん、それを買うのか? そりゃ別に構わんが。あと一ヶ月ちょっとで次の巻き戻しだぞ」

 

 ロングソードSSを買ったあなたに、アシュトンはそう言った。

 千年王国で手に入れた品を外に持ち出した後にループが発生した場合どうなるかを確認する術は無いが、何も問題は無いとあなたは答える。

 その前にネバーアローンが諸悪の根源である不死王をぶちのめしてこの国を永劫のループから解放するからだ。

 

「期待せずに待っとるよ」

 

 アシュトンはあなたを鼻で笑った。

 絶対無理だと思っているのが透けて見える。

 だがあなたは気を悪くする事も無く、成功の暁には渾身の武器を打ってほしいとだけ告げた。

 

 きっと彼をモンスターボールで捕獲するなりウィズの支配下において酷使すれば大変愉快な事になるのだろう。

 相手は鍛冶廃人。神域にある彼であれば神器の量産など造作も無いに違いない。

 

 だがあなたはそんなつもりは無かった。

 コレクションとの出会いは一期一会であるべきだというポリシーがあなたにはある。

 無為に下手に量産してしまっては貴重品としての純度が、心情的な価値が下がってしまう。それはあなたの望むところではなかった。

 

 だからこそ、あなたがアシュトンに望むのはただ一つ。

 老鍛冶師が人生を懸けた最高の一振りを。

 

「……ま、気が向いたら打ってやるさ。気が向いたらな」

 

 あなたの正面からの真摯な言葉に、鍛冶に狂った頭のおかしいドワーフはニヤリ、と笑った。

 

 

 

 

 

 

「久しぶりに生きた人間と会えてそこそこ楽しかったぞ。良い気分転換にもなったし、宿屋の女将によろしく言っといてくれ」

 

 思い思いに買物をし、別れの挨拶をしていると、アシュトンがそんな事を言った。

 顔を見合わせるネバーアローンの面々。当然だがあなた達は彼の言葉に心当たりが無い。

 

「……ん? 三丁目の宿の女将から腕利きの鍛冶屋の話を聞いて来たんじゃなかったのか? 今回のループでウチの店に来たのは女将だけじゃぞ」

 

 あなた達は揃ってハッとした表情になった。

 予想だにしない生きた亡霊との遭遇の衝撃で、完全に当初の目的を忘れていた事を今になって思い出したのだ。

 このまま彼とお別れしてしまっては、何のために出向いたのか分かったものではない。

 

「違うとなると……まさか偶然ウチに辿り着いたってのか? このクソ広い区画の、何十軒もある鍛冶屋の中から? 幾らなんでもそりゃ出来すぎだろ」

「いえ、偶然ではないんですが……その……」

 

 ウィズのアイコンタクトにあなたは頷き、一歩前に出た。

 そう、あなた達が彼と出会ったのは決して偶然ではない。

 導かれたからこその必然である。

 

 あなたは自分達をここまで導いてきた武器を、ずっと沈黙を保ち続けていた剣を取り出し、この武器に見覚えはあるかと尋ねた。

 

「…………」

 

 金字で複雑な魔法陣が刻まれた、漆黒の鞘に収まった長剣。

 果たして、それを眼前に突きつけられた亡霊は、驚愕に目を見開いていた。

 

「……生前で最も脂が乗っていた頃。神の使いを自称する胡散臭い輩に、最高の素材を用意するから、最高の剣を作れと注文を受けた」

 

 あなたから剣を受け取ったアシュトンは、静かに鞘から剣を抜いた。

 

「…………素材、情熱、技量。全てにおいて、あの時の儂は、これ以上無いほどに恵まれておった」

 

 後世において数多の悲劇を生み出してきた、血塗られた魔剣の忌み名を持つ神器を。

 

「忘れるものか。儂の生涯における最高傑作をどうして忘れられるものかよ。ダーインスレイヴ。我が最愛の娘……まさか、再びこうして会える日が来るとは夢にも思わなんだ。おかえり。本当に久しぶりじゃなあ……」

 

 手を離れた今、あなたにダーインスレイヴの声は聞こえない。

 だがきっと、彼女はこう言っていると確信していた。

 

 ――ただいま、お父さん。

 

 と。

 

 

 

 

 

 感無量とばかりに涙ぐんだ鍛冶師が目を瞑って十秒。

 彼はいきなり叫んだ。

 

「――うぅわ!! きっしょ!!」

 

 しんみりしたちょっといい感じの雰囲気をぶち壊す、魂の奥底から溢れ出たかの如き叫びだった。

 あまりの変貌にウィズとゆんゆんはおろかダーインスレイヴもびっくりだ。

 しかもどういうわけなのか、アシュトンはあなたを凝視して後ずさりしている。

 

「お前、びっくりするほど気持ち悪いな!? 信じられんぞ!! 正気か!?」

 

 耳を疑う謂れの無い罵倒。

 あなたはノースティリスの冒険者であり廃人だ。正気を疑われた回数は数えていないが、気持ち悪いと形容された事は殆ど記憶に無い。

 魔剣を抜いたせいで狂ってしまったのだろうか。

 あなたは彼をぶちのめして正気に戻すべきなのか少しだけ本気で迷った。

 

「ど、どうしたんですかいきなり」

「どうしたもこうしたもあるか! この男、こんな澄ました顔してあれじゃぞ! ほんとアレじゃぞ!」

「ええっと、よく分からないですけど、多分大丈夫ですよ? 割といつもの事ですから」

 

 あなたはグーでゆんゆんの頭を強めに引っ叩いた。

 聡明なゆんゆんの貴重な脳細胞が死滅する音が聞こえる。

 

「ダーインスレイヴには、ダーインスレイヴがこの者こそは、と思うほどの担い手と出会った時の為に、担い手の抱くイメージを反映させた上で一度だけ直接精神の中で会話が出来るようになる機能を与えたんじゃが、そのイメージを反映させた姿がただひたすらに気持ち悪い!! 見た目が悪いとかじゃなくてむしろ逆で造形が良すぎてこれを考えた奴の歪な欲望と偏執的なこだわりが感じられて怖い!! キモい!!」

「物凄いボロクソ言ってる……どんな姿なんですか」

「ちょっと待て今描いて教える!!」

 

 言うが早いがガリガリと絵を描き始めたアシュトンにあなた達は目を丸くした。

 本業顔負けの凄まじい速度と技量である。

 

「あー……絵、お上手ですね?」

「武具のデザインは凝る方じゃし繰り返しの中で絵の練習もやったからな! しかしほんっと気持ち悪い!! お前これ絶対自分が考えた最高に可愛い女の子とかそういう表題じゃろ! あわよくば現実に出てきてほしいとか考えとるじゃろ! カーッ!!」

 

 あなたをメタクソに誹謗中傷しつつ、アシュトンは見事な絵を完成させた。

 大清楚博愛子犬系薄幸不憫健気感情激重銀髪碧眼超絶美少女ことダーインスレイヴの化身の絵を。

 産みの親だからだろうか。彼は深い部分でダーインスレイヴとの交感を果たせるらしい。

 

「見ろ! この男はダーインスレイヴの人格がこんな姿だと思っとる!」

「…………」

「…………」

 

 あなたは自身のイメージと夢の中で出会った白銀の化身の姿を完璧に再現してみせたドワーフに拍手と心からの賞賛を送ったのだが、三人からの視線の温度が更に低下した。

 だがそれも致し方の無い事だろう。人格持ちの神器との交流が少ない者では、あなたの領域(レベル)の話は分からないのだから。

 あなたはノースティリスの冒険者だ。

 異邦人であるがゆえに、このように他者と価値観を共有出来ない事が往々に起こる。

 この場に自身の理解者はいないのだと悟ったあなたは、己を苛む孤独にニヒルに笑った。

 

「何を考えているのかなんとなく分かるので言いますけど、それとこれとは関係無いです。絶対に」

 

 ウィズが真顔で発した発言に仲良く頷くゆんゆんとアシュトン。

 

《――! ――――!!》

 

 あなたはアシュトンの背後であなたに向かって必死に頭を下げているダーインスレイヴの化身の姿を見た気がした。

 

 

 数十分後。

 女性人格の強力で貴重な神器のイメージが美しくなるのは万人が有するいたって普遍的な感覚であり常識である。

 あなたは誰もが認めざるを得ない完全無欠の正論を振りかざす事で三人の反論を完全に封殺してみせた。

 三人があなたの説得と翻心を諦めたように感じるのはきっと気のせいだろう。

 

「まあなんだかんだでダーインスレイヴが大層世話になった恩人のようじゃし? 本人も喜んどるみたいじゃし? これ以上は儂も突っつかんが……でもなあ……」

 

 ダーインスレイヴの刀身を磨きながらブチブチといちゃもんを続けるアシュトン。

 そんな偏屈な老人に向かって、ゆんゆんが一つの問いを投げかけた。

 

「アシュトンさんは、その、ダーインスレイヴについてどれくらいご存知なんですか?」

 

 常識的に考えれば、彼がダーインスレイヴの血塗られた半生を知っているわけがない。

 だがゆんゆんの問いかけを受けたアシュトンは、ぴたりと剣を磨く手を停止させ、身に纏う雰囲気を豹変させた。

 まるで痛いところを突かれたとばかりに顔を顰めた彼は、低い声で答える。

 

「過去から今に至るまでのおおむね全てを、と答えておこう」

「え、でもアシュトンさんはずっとここに……」

「無論直接見聞きしたわけではないが、それでも自分が作った剣じゃぞ。直接手に持って刀身と中身を見れば、この子がどれだけ自身の意に反した生を送ってきたのかは分かる。どれだけの血を吸ってきたのかも。そして、同時にそこの変態との出会いが、この子にとってどれだけ救いになったのかも」

 

 血塗られた魔剣の異名を与えられた武器の産みの親は、自慢の娘に、次いであなたに複雑な眼差しを向けてきた。

 

「所有者を選ぶような武具はそれだけで三流。今も掲げる己のポリシーが間違っていたとは微塵も思わん。どれだけの悲劇を生み出そうとも、悪いのは決してこの子ではなく力に魅入られた者達の方じゃと儂は断言しよう」

 

 それでも、と続けた言葉に滲むもの。

 それは彼の深い悔恨と自身への失望。

 

「この子が送ってきた境遇については、人の愚かさと悪意に限りは無いのだと考えもしなかった、歴代の所有者以上に無知で愚かな儂に全ての責任があり、この子が傷ついてきたのは間違いなく儂が原因である……すまなかった」

 

 歴史に類を見ない、豊かで満ち足りた平和の世で生まれ育ったが故に、貪欲に力と栄光を求める者達の醜悪さ、人の心の弱さを知らなかった老匠の痛切な謝罪に応える声は無く。

 ただ震える父親を慰めるように、一本の剣が柔らかで温かい光を放ち続けていた。

 

 

 

 

 

 

 いくらここが不死王の庭とはいえ、四六時中気を張っていては戦う前から疲れてしまう。

 そういうわけなので、宿の一室であなたはゆんゆんと遊んでいた。

 いかがわしい意味でも血腥い意味でもなく、文字通り普通に。

 

「私のターン、ドロー。先王リカルドをコストに黄金の英雄姫を召喚します。そのまま黄金の英雄姫の効果発動。このカードよりレベルが低いユニットを種族ごとに一枚ずつ選んでデッキから直接ユニットゾーンに召喚する事が出来ます。そのまま全員で邪竜王ゲヘナに攻撃。何かありますか?」

 

 あなたは肉の壁の罠カードを発動した。

 多種多様の種族が砦の壁に生き埋めにされている絵のカードだ。

 壁には顔だけが見えるようになっており、老若男女問わず集められ埋められた彼らは、一様に苦悶と嘆きの表情を浮かべている。

 

「うわ、びっくりするほど絵と効果が邪悪」

 

 カードイラストの醜悪さにドン引きするゆんゆん。

 肉の壁の罠カードは邪竜王ゲヘナが場に出ている時しか発動出来ないという実質専用カードだが、そのぶん強力な効果を持っている。

 具体的には破壊された時に自爆して相手を一掃する。

 

「こんな外道戦法を実際にやったっていうんだから怖すぎですよね、この邪竜王とかいうの。魔王軍だってここまで卑劣じゃありませんよ」

 

 ちなみにこの邪竜王ゲヘナとは、英雄姫の冒険譚、その魔領編におけるラスボスである。つまり過去に実在していたドラゴンという事だ。

 現代の魔王に相当する竜族であり、その傲慢さと卑劣さ、そして何よりも強大さをもって英雄姫とその仲間達を何度も苦しめてきたのだという。

 その最期は最終決戦でボロボロに傷つきながらも仲間達の力と想いを一つに結集した黄金姫によって滅ぼされるという、強大な邪竜かくあるべし、というものだった。

 

 閑話休題。

 

 あなた達がアシュトンを訪ねてから数日が経過した。

 現在あなたの手元にダーインスレイヴは無い。アシュトンに預けてある。

 一時的にも神器を手放すなど普通ではありえないが、ダーインスレイヴのメンテナンスをしたいと真摯に頭を下げられては所有者であるあなたとしても断れないし、永い時を経て里帰りを果たしたダーインスレイヴの心情を汲んであげたかったのだ。

 

「ほんと、所有物にはびっくりするほど寛容で優しいですよね。所有物には。あとこの期に及んで言うまでもないですけどウィズさんにも。その寛容さと優しさを十分の一でいいですから私にも向けてくれると不肖の弟子としては涙がちょちょぎれるほど嬉しいんですけどね」

 

 あなたと対戦型トレーディングカードゲーム(千年王国産)に興じるゆんゆんの言葉には確かな棘と毒がある。

 あなたは悲しい気持ちになった。自分はこんなにもゆんゆんを慈悲深く思いやっているというのに、全く伝わっていなかったのだろうか、と。

 

「今日の昼間に私に何をやったのか思い出してからそういう事言ってくれます?」

 

 日課であるゆんゆんとの修行中、アシュトンがダーインスレイヴを持ってきてあなたにこう言った。

 使用者が実際に剣を振っている所を確認したいから、ちょっとダーインスレイヴを使ってみろ、と。

 了承したあなたはダーインスレイヴを使って即座にゆんゆんをぶちのめした。目の前で起きた突然の惨劇にアシュトンは泡を食ったように慌てていた。根がとことん善良なのだろう。みねうちなので大丈夫だと教えると信じられないものを見る目で見られたのはあなたの記憶に新しい。

 

「人の心が無いのか!? って叫んでましたね。とにかくそういう事です」

 

 ゆんゆんが修行で半殺しにされるのは特筆に値しないただの日常風景である。

 となると六連流星を使ってほしかったのかもしれない。

 加速時間の修練中にウィズに向けて六連流星をぶっぱなした回数は数え切れないが、ゆんゆんはあの必殺剣を身に受けた事が無い。

 あなたは次の修練で彼女に完成した六連流星を味わってもらう事を確約した。

 

「もしかして無慈悲って概念が擬人化した存在だったりします? 六連流星は絶対にやめてください。死にます。みねうちが乗ってても本気で死にます」

 

 慈愛に満ち溢れた冒険者であるあなたは朗らかに笑った。

 ゆんゆんは冗談が上手だ。

 死ぬほど痛いだけで絶対に死なない、死ねないみねうちスキルで死ぬとはこれ如何に。

 

「心が死にます」

 

 メンタル面への配慮がおざなりになりがちなのはあなたの悪い癖だろう。

 友人達やベルディアからも度々注意を受けている。

 

 だがあなたは知っている。

 折れて砕けた心は放っておけばそのうち勝手に治るのだと。

 実質ノーダメージに等しい。

 妹も同意してくれている。多数決によりあなたの圧倒的勝利は確実だ。

 

「そういうところですよ! 本当に、本当に、そういうところなんですよ!!」

 

 真面目な話をすると、あなたとウィズを目指す以上、ゆんゆんのメンタルが何度も何度も粉砕骨折するのは規定路線なので、盛大に闇堕ちしたりガンバリマスロボにならない範囲であればあなたは彼女の精神面での健康に配慮する気が基本的に無かった。そもそもゆんゆんのメンタルケアはウィズの担当だ。

 そんな内心をおくびにも出さず、キャンキャンと可愛らしく吠えて威嚇してくるわんわんゆんゆんを構い倒す。

 顔を真っ赤にしてキレ散らかしたゆんゆんから明らかに調整をミスっているとしか思えないクソのような鬼畜カードコンボでボコボコにされていると、ダーインスレイヴを携えたアシュトンがあなた達を訪ねてやってきた。

 

「二人だけか。あの姉ちゃんはどうした?」

「ウィズさんはご近所の錬金術とか魔法関係のお店を見てくるって言ってました」

「ふむ、そうか」

 

 ソファに腰を下ろした彼は、しばらくあなた達を眺めていたが、やがて一つの問いを投げかけてきた。

 この数日で何度も発した問いを、改めて確認するように。

 

「なあおい。お主等は本気で陛下に挑むつもりなのか?」

 

 あなたもまたこの数日で何度も発した言葉を返す。

 ネバーアローンは千年王国を支配する不死王をぶち殺すためにここに来たと。

 そもそもそれ以外にこの封印と隔離された箱庭から脱出する手段が思い浮かばなかった。

 

「そうか……」

「まあ私は交戦した瞬間即死するのが分かりきってるので二人に守ってもらうしかないんですけどね……」

 

 ゆんゆんの乾いた笑いに気が抜けたのか、表情を柔らかくしたアシュトンはこう言った。

 

「白状するが、久方ぶりに生者に会えて嬉しかったというのは嘘ではない。それでもお前さんらがどうなろうと儂は知ったこっちゃなかった。それこそ陛下に敗れて死のうともな」

 

 だが、と言葉は続く。

 

「ダーインスレイヴを所有し、なおかつ真に認めるほどの主が相手であれば、儂としても便宜を図らんわけにはいかん」

「つまり?」

「勝率を上げてやっても良い」

 

 廃人に向けて手を差し出す鍛冶廃人。

 その真意は明確であった。

 彼は、あなたの武器を強化すると言っている。

 

「持っとるんじゃろ? ダーインスレイヴを差し置いて常用しておる剣を。ダーインスレイヴが先輩と呼ぶ剣を。ダーインスレイヴを淫乱尻軽クソビッチ呼ばわりする阿婆擦れ魔剣を」

「最後のやつで雰囲気が台無しすぎる……」

「言ってくれるな嬢ちゃん。実は儂もちょっと反省しとる」

 

 あなたはここでカードゲームを止め、アシュトンに向き直る。

 その上で断りを入れた。

 気持ちだけ受け取っておく、と。

 

「この身では不足か」

 

 首を横に振る。

 あなたは要不要ではなく、可能か不可能かを論じている。

 そしてこればかりは能力の問題ではないのだ。

 あなたも出来る事なら愛剣を強化してほしいと思っているが、アシュトンが直接愛剣に手を加える事は不可能だろう。

 今のゆんゆんがあなたとウィズのコンビにガチンコ戦闘で勝利するレベルの難題だ。

 

「そう言われてもな。こっちにゃ具体的にどれくらい難しいのか伝わらんぞ」

「はい! 世界がひっくり返っても絶対に無理って事です!」

 

 清々しい笑顔のゆんゆんはノータイムで匙を投げた。

 当然だろう。

 ここでゆんゆんがワンチャンありますなどと言い出した日には偽物と断じて即座にみねうちでぶちのめすところだ。

 

「試してみねば分からんぞ?」

 

 苛立たしげな声色。口元もひくついている。

 あなたのそっけない対応とゆんゆんの発言が職人のプライドを刺激してしまったようだ。

 こうなれば千の言葉を尽くすより直接見せた方が早いと思ったあなたは愛剣を解き放つ。

 エーテルの燐光が部屋に散った。

 

「何度見ても綺麗な剣ですよね」

「おおう。なるほど、初めて見る素材の剣じゃな。非常に興味深い。しかし儂の目には手を加える余地がまだ残ぅおぼろろろろろろろろろろろろ」

「ちょちょちょアシュトンさん!?!?」

 

 結果として、亡霊が盛大にゲロゲロするという非常にレアすぎる光景が生まれた。

 

「無理! 無理じゃあああああああ! 無理無理無理絶対に無理!」

 

 悲痛な表情のアシュトンは一瞬で匙を投げた。

 全力で明後日の方向に投げ捨てた。

 匙投げ選手権で世界新記録を叩き出しそうな勢いで投げ捨てた。

 

「生理的に無理だし物理的にも無理! こんなんあらゆる意味で無理に決まっとるじゃろクソボケがぁ! 死ぬ、実際ガチで死ぬ! 死んでるのに死ぬ! 主を選ぶとかそういう次元じゃないこやつ儂のポリシーに全力で喧嘩売っとるな!? つーか自己主張と儂への殺意が強すぎる! 巻き戻しすら利かないレベルで魂が抹消される幻が見えたぞ! 魔剣どころか邪剣とか狂剣の類じゃろそれぇ!!」

 

 流石は鍛冶廃人。

 一目で愛剣の性質を理解してくれたようだ。話が早くて助かるし、あなたとしても無用な犠牲者を出さなくて一安心である。無論この場合における無用な犠牲者とはあなた自身の事である。

 あなたはアシュトンに向かって中指を突き立て唾を吐き捨てながら罵詈雑言を浴びせかけるが如き態度と機嫌の悪さを発揮している愛剣を撫でて鞘に納めた。

 

 アシュトンが愛剣を強化するのであれば、また別の手段が必要になってくるだろう。

 この世界ではまだ一度も実行していないが、愛剣は他の武器を合成(捕食)する事で付与された能力(エンチャント)を継承するという恐ろしく凶悪な能力を持っている。

 主にして最大の理解者であるあなたをして素直に認めざるを得ないほどに性格に多大な難を抱えてこそいるが、ぼくのかんがえたさいきょうのぶきを実現可能な剣なのだ。性格に多大な難を抱えているが。

 では何故この世界の武器を合成していないのかというと、愛剣を含めたイルヴァ産の武器には単純に装備に付与出来るエンチャントの数に上限が存在し、なおかつ長年に渡るイルヴァでの冒険もとい重ねに重ねた厳選と継承により、愛剣のエンチャント枠はとうの昔に限界まで埋まってしまっているし、エンチャントの強度も凄まじい事になっているからだ。

 そしてこの世界において、あなたが目を引くほどに、既存のエンチャントを上書きするほどに強力なエンチャントが付与された汎用装備は見つかっていない。

 逆に言えば神器のような一点物を砕くというのであればエンチャントの更新も見えてくるのだが、あなたは言わずと知れた蒐集癖持ち。考慮にすら値しない。論外の極みである。

 

「お、おぞましいものを見た……」

 

 一瞬で恐ろしく憔悴してしまったアシュトン。心なしか体が強めに透けているような気もする。

 ついでに狂気度が上がったかもしれないが、彼は無貌にならない程度には頭がおかしいので特に問題は無いだろう。

 

「トラウマになりそうじゃあ……いっそ巻き戻しでこの記憶を消してくれ……」

「そんなにですか……」

「やばい。あの剣は本気でやばい。強さ以前の問題としか言えん。何がどうなったらあんなザマになるのか分からんし、分かりたくもない。何よりあんなもんを平気な顔で使える精神構造がこれっぽっちも理解出来ん。狂うどころか完全に精神が壊れてないと無理じゃろ……唯一無二の主に使われる事、主の敵を殺す事が存在理由の全てでありながら故あれば平然とその主を傷つけ殺そうとする剣じゃぞ……」

 

 言葉尻だけ捉えれば矛盾ここに極まれりといった有様だが、それについては命の重さがペラ紙以下の塵芥な世界で生まれ育った剣なのでしょうがないとしか言いようが無い。

 だがそんな事まで彼に教える理由は無いのであなたは口を噤んだままだ。

 

「こんな頭おかしい人間にダーインスレイヴを任せたくねぇー……なあ嬢ちゃん、アレの代わりにダーインスレイヴの主になってくれんか? 剣と主双方の意向で専用調整を施したから他人が使うとちょろーっと精神汚染が入るかもしれんが、優しくて気立てのいい子じゃぞ」

「いいえ、私は遠慮しておきます」

「そこをなんとか。今なら特別サービスで防具も新調してやるから」

「いいえ、私は遠慮しておきます」

「よーし分かった! 杖も付けてやる!」

「いいえ、私は遠慮しておきます」

 

 ノーと言える女に成長したゆんゆんにあなたは鼻が高い気分になった。

 だがその応対は実に塩である。取り付く島も無いとはこの事か。

 この分ではいつかウィズの氷の魔女という異名を引き継ぐ日が来るのかもしれない。

 そうなれば、ウィズを敬愛しているゆんゆんはきっと素直に喜ぶだろう。ウィズの方はお察しだが。ほぎゃー! と叫んでくれそうである。

 羞恥心から涙目で顔を真っ赤にしてぷるぷる震える友人の姿を思い浮かべたあなたは、ほっこりした気分になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 そうして、新しい顔ぶれを加えた楽しい時は瞬く間に過ぎ去っていき。

 アシュトンとの別れの日、そして不死王の居城に赴く日がやってきた。

 

 千年王国中枢都市の中央。

 そこにはまさしく国の心臓、千年王国の象徴と呼べる建造物がある。

 あなた達は事前の調査でそう聞いていたし、史書や観光パンフレットなどで王城の姿を確認していた。

 いたのだが。

 

「まあ、ご覧の有様じゃよ」

 

 親切心から道中の案内を買って出たアシュトンの声は硬い。

 

「あの日からずっとこうじゃ。今となっては在りし日の姿を思い出す事すら出来ん」

 

 闇。

 あなた達の眼前には闇があった。闇しかなかった。

 かつて王城があったというその広大な敷地には、光を拒む深く巨大な闇だけが広がっている。

 これまでとは比較にならないほど澱んだ死の気配に満ちたそれは、間違いなくこの先で不死王が待ち構えているのだと教えてくれていた。

 

「…………」

 

 あなたとウィズは顔を見合わせ、互いに何を言うでもなく頷き合う。

 巻き戻しの日は近く、退路は無い。

 後はぶっつけ本番の出たとこ勝負である。

 

「アシュトンさん、ここまでありがとうございました」

「……おう。悪いがこれ以上は無理じゃからな。戦闘力皆無の鍛冶屋に何か出来るとも思えんし。今更になって陛下の顔を見るのは怖い」

 

 彼にはダーインスレイヴの件のみならず、色々とお世話になってしまった。

 もし全てが終わった後に彼が消滅していなかったら、外の世界を見せるのも悪くはないかもしれない。

 その時はウィズになんとかしてもらおうとあなたは思った。なんなら本人が望めばノースティリスに連れて行ってもいいとも。

 

「……ゆんゆんさんは、どうしますか?」

「わ、私も、二人と一緒に……一緒に行きます! 行かせてください! 死ぬほど怖いですけど! 絶対何の役にも立てないですけど!」

 

 あまりの恐怖と圧力と己の無力に屈しかけ、それでも真っ青な顔で震え竦む体に活を入れ、精一杯の啖呵を切ったゆんゆんの姿はまさに勇者と呼ぶに相応しいものだった。

 くすりと微笑むウィズは小さく頷き、彼女の小さな手を握った。闇の中ではぐれてしまわないように。

 

「では、行きましょうか」

 

 そして、あなた達、ネバーアローンは。

 廃人とリッチーと紅魔族は。

 黄金の不死王が待ち受ける、闇の中に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 闇に身を躍らせた瞬間、あなたを襲うのは強い浮遊感。

 あなたの身はこの浮遊感は転移の感覚であると伝えてきている。

 

 だが転移していたのはほんの一瞬。

 気付けばあなたは闇の中ではなく、広い空間に出現していた。

 

「ここは……」

 

 ゆんゆんとウィズも同様に転移していたようだ。

 困惑したように、しかし油断無く周囲を見渡している。

 

 あなた達が転移したのは人の気配が無い、人の手で作られたと分かる広い空間だった。

 壁から床、天井に至るまで極限とも呼べる荘厳にして優美な装飾が施されており、空間そのものがまるで神の御前を思わせるほどの威圧で溢れていた。

 

「謁見の間、でしょうか……」

「いかにも」

 

 薄暗い空間の奥。

 赤いカーペットの先から、声が聞こえてきた。

 喜びの感情を隠そうともしない、本当に嬉しそうな声が。

 

「ようこそ同胞。待っていたよ。本当に、本当に待っていた」

 

 そこには、黄金がいた。

 あなたが今まで見てきた中で、最も美しく、最も眩く輝く黄金が。

 

「こうして客人を迎えるなど何年ぶりだろう。もし無礼や不手際があれば許してほしい」

 

 闇に煌く黄金の髪。

 どんな宝石より尊い黄金の双眸。

 穢れを知らぬ純白の王衣。

 おぞましい闇を纏う漆黒の長杖と長剣。

 

「お初にお目にかかる。幼き同胞。名も知らぬ不死王よ。歓迎しようじゃないか、盛大にね」

 

 在りし日の英雄にして、千年王国の支配者。

 腐り堕ちた黄金の不死王が、玉座からあなた達を見下ろしていた。

 

 

 

 

「――ああ、だが。羽虫(ゴミ)を連れてきたのはいただけないな」

 

 不死王からウィズに向けられていた微笑みと友好が消え去り、どこまでも無感情で無機質な冷酷さが声に宿る。

 

「確かに私は言ったはずだ。余人を交えず二人で語り合おう、と」

 

 腐った黄金瞳があなたに、次いでゆんゆんに向けられる。

 

「その他大勢はお呼びじゃないんだよ。始めまして知らぬ人達。そして永遠にさようなら」

 

 侮蔑に満ちた視線を向けてくる不死王が長杖を地面に一突きした瞬間、あなたとゆんゆんは巨大な闇の牙に飲み込まれ――謁見の間から消失した。




★《ロングソードSS》
 鉄製の凡庸なロングソードを極限まで強化した結果生まれた、ロングソードのような何か。
 人格は宿っていないし特殊な効果を持っていたりもしない。
 ただし誰が持ってもまるで長年の相棒だったかのように手に馴染む。
 凄く使いやすくて凄く強い。ただそれだけの、シンプルイズベストを体現する剣。

 見た目は完全に無個性かつ平凡な量産品。
 いわゆる「誰がどう見てもEランクだけど実はSSランク」な武器。

 出展:ふしぎの城のヘレン


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第145話 逝きなさい、貴方の望む死を

【4】

 

 東方に広がる未開にして未踏の蛮地、魔領。

 信頼のおける少数の友人、仲間を伴って魔領の探索を行う年若き女王を待ち受けていたのは、彼女が生まれて初めて経験する大冒険の数々でした。

 

 人類領域のすぐ傍、つまり魔領の片隅でひっそりと身を潜めて生きてきたゴブリン達との偶然の出会いから始まり。

 エルフとドワーフの確執。

 荒くれものであるオーガの力試し。

 巨大な海獣によって危機に瀕した人魚。

 無邪気な妖精が住まう花の国。

 強く恐ろしい魔物の数々。

 沢山の出会いと別れ、戦いと発見、驚きと喜び、胸躍る冒険の数々がありました。

 

 そして女王を待ち受けていた最後にして最大の試練。

 それは魔領の大半を恐怖をもって支配する者、傲慢にして強大なる闇の竜、ゲヘナ率いる軍勢との戦争でした。

 

 魔領に生きる全ての種族が女王の下に手を取り合い、団結し、戦いに望みました。

 

 自身以外の全てを下等と断じ、悪辣な手段を一切厭わない邪竜との戦争は凄惨と混迷を極め、敵味方に多くの、本当に多くの死者が出ました。いっそ不必要なまでに。

 事実、全ての犠牲は邪竜にとって単なる余興にすぎなかったのでしょう。

 他者の嘆き、悲しみ、怒りを嘲笑いながら睥睨するゲヘナはまさしく純粋悪と呼ぶに相応しく。

 女王とその仲間達は何度も何度も傷つき、血と涙を流し、己が無力に打ちひしがれ、それでも折れることなく戦い続け……無数の犠牲と屍を積み上げた果て、遂に女王はゲヘナを討ち滅ぼします。

 

 戦争の終わり。

 それは、女王が新たな魔領の王となった瞬間でした。

 

 

 

 

 

 

「――きゃあっ!?」

 

 不死王の不穏な言葉に身構える間も無く、不意に目の前が真っ暗になったと思った次の瞬間、闇の牙から吐き出されたゆんゆんは地面に転がっていた。

 

「いたた……」

 

 軽く頭を摩り、周囲を見渡して何が起きたのかを確かめる。

 そして少女は、反射的にひゅっと空気が口から漏れ出た音、そして、自分の血の気が引く音を聞いた。

 何の覚悟も無いままに叩きつけられた、あまりにも大きすぎる衝撃と恐怖に飲まれたかのように。

 

 闇。

 そこには闇だけがあった。

 自身の姿すら視認出来ないほどの、どこまでも暗く、深く、静かな闇しかなかった。

 それは人に刻まれた原初の恐怖に他ならない。

 

「ライト!」

 

 何も見えない中、恐れに駆られたゆんゆんが反射的に行使したのは明かりの魔法。

 だが少女を照らす光の強さは普段の魔法のたった十分の一程度。

 この全てを飲み込む圧倒的な闇の中においてそれは、あまりにも頼りなく、そして心細いものでしかなく。

 不死王の力の影響なのか、光量に比例するかのように、魔法の持続時間も著しく短縮されている。

 信じられないほどの速度で光は弱くなっていき、明滅し、そして消えた。

 

「そんな、なんで……!?」

 

 三度同じ行動を繰り返し、三度同じ結末を辿る。

 

 テレポートを使う。効果が発動しなかった。

 上級魔法を使う。魔法は虚しく闇に飲まれて消えた。

 空間を切り裂かんとライト・オブ・セイバーをがむしゃらに振り回す。闇に光の軌跡を描くだけで終わった。

 喉が張り裂けんばかりの声で二人の師の名を呼ぶ。残響さえ残らなかった。

 

 少女のあらゆる行動は何の影響も及ぼさなかった。

 どれだけ必死に呼んでも、叫んでも、一切の反応が返ってくる事は無い。

 虚無という名の拷問。

 

 誰もいない。誰もいない。誰もいない。

 ここには、自分以外誰もいない。何も無い。

 敵も、味方も。それ以外も。

 自分に害を為す者も、自分を助けてくれる者も、誰もいない。

 そして、ここから脱出する術は、無い。

 

 聡明な頭脳から導き出されたのはそんな絶望的な結論。

 少女の顔面が蒼白になり、息が加速度的に荒くなっていく。

 

 じわじわと、少しずつ、少しずつ。

 少女の頭と意識を、絶望と共に一つのイメージが支配し始める。

 落とされた深い闇の中、苦しみと悲しみに満ちた孤独で救いの無い死を迎え、不死王が従える数多の亡霊の一つになるという、あまりにも簡潔で明瞭な結末が。

 

「――ッ、ライト! ライト!!」

 

 恐怖を振り切るように、あるいは見えてしまった末路と立ちはだかる現実から逃避するように。

 パニックに陥った少女は何度も魔法を使って明かりを灯す。

 狂ったようにひたすらに無為な行為を繰り返し続ける。

 豊富な、しかし決して無限ではない魔力が尽きるその時まで、何度でも、何度でも。

 

 そんな彼女を、じっと闇の中から見つめ続けている瞳がある事にも気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんが闇の中で必死に足掻いていた頃。

 

 かつて世界に覇を唱えた千年王国の象徴である王城、その謁見の間にて。

 二人の不死王という生命を冒涜せし邪悪にして闇の極致、世界の敵が対峙していた。

 片や玉座から全てを睥睨し、艶然と微笑を浮かべ。

 片や全身から凍てつく魔力を迸らせ、射殺さんばかりに玉座の主を睨みつける。

 

「主に付き従ってここまで付いてくる忠誠心は見上げたものだが、下僕風情に立ち入ってほしくはなかったのでね。事後承諾ですまないが排除させてもらった」

「…………」

「うん、怒るだろうとは思っていた。予想以上に怒っているようで少し驚いたが。そんなに大事な下僕だったのかい?」

「下僕ではありません。仲間です」

 

 硬質な声で強く否定するウィズに、予想だにしない言葉を聞いたとばかりに目を丸くした女王はやがてなるほど、と頷いた。

 ウィズに親近感を抱いたかのような、人好きのする自然な笑顔を向けながら。

 

「仲間、か。今となっては涙が出るほどに懐かしく、心地よい響きの言葉だ」

 

 だがしかし、と言葉を続ける。

 まるで幼い子供に言い聞かせるように、残酷なまでの優しい口調で。

 

「そんなに大事な仲間なら尚の事、こんな場所まで連れて来るべきではなかった。明らかに危険な場所だと最初から分かっていた筈だろう? 私がどういう者であるかも同様に」

 

 決して皮肉や嫌味ではない、心からの忠告。

 それは確かに同胞へ向けたものでありながら、相手からの心象というものを完全に度外視していた。

 

「とはいえ私だってこんな様になっても人の心全てを失ってしまったわけではない。残った死体と魂は貴女に返そうじゃないか。そのまま二人とも貴女の傀儡にしてしまえばいい。そうすれば大事な仲間と永遠に共にいられるだろう?」

 

 ウィズは最初、自分が何を言われたのか理解出来なかった。

 さも名案とばかりに投げかけられた相手の言葉が、あまりにも己の価値観、倫理観とかけ離れていたがゆえに。

 ニコニコと笑う眼前のリッチーは、ウィズが知る魔王や魔王軍とは根本的な部分で違う。これの精神性は最早悪魔の領域に突っ込んでいると認識する。

 

「……二人はどこに?」

「ここではないどこかに。死ぬにしても、二人一緒なら寂しくはないだろうさ」

 

 煙に巻く物言いで頭に血が上りかけるも、しかし嘘は言っていないと理解したウィズは、ひとまず最悪の展開だけは避けられた事に安堵した。

 この場においてゆんゆんが一人で分断されたというのであれば、それはもう半ば手遅れを意味するわけだが、自身のパートナーが同行しているのであれば、余程の事が無ければ死にはしないだろうと判断したのだ。むしろ現在の自分の方が危険な可能性すらあると感じている。

 ウィズがそれなりに平静を取り戻すまで待った後、金色の暴君は穏やかな声色で、ある意味至極当然の提案を行ってきた。

 

「まずは自己紹介をしよう。コミュニケーションの基本であり、礼儀だからな」

 

 思うところが多々ありはしたものの、ウィズは素直に首肯した。

 相手に招かれるままに辿り着いたはいいが、今も彼の不死王が自分に何を求めているかすら分かっていない現状は流石によろしくないと考えたのだ。

 

「私はアーデルハイド。親しい者はアデルと呼んでいた」

「ウィズです。貴女は私に何を望んでいるのですか?」

 

 世間話および腹の探り合いを端から完全に拒否する構えを見せたウィズに、率直すぎるな、と苦笑するアーデルハイド。

 

「まあいいか。簡単な事だ。私の願いはただ一つ。滅びだ」

「……滅び?」

「ああ。私と戦い、私を殺してほしい。手段は問わない。全身全霊を賭した私を殺せる者。私はただ、それだけを望んでいる」

 

 思わず敵意を忘れ、目を丸くするウィズ。

 相手の言葉が予想外だったから……ではない。

 自身の滅びという願いが、あまりにも聞き覚えのあるものだったからだ。

 友である大悪魔と似通った願いの持ち主が、自身と同じ不死王であるという奇妙な偶然に虚を突かれてしまったのだ。

 

「理由をお聞きしても?」

「不死者にこういう表現が正しいのかはさておき、私は長く生きすぎた。有体に言うと疲れてしまった」

「なら……」

「自殺すればいいという気持ちは分かるしきっと正しいのだろう。だが、それは嫌なのさ」

 

 玉座に腰掛けた女は薄暗い天井を見上げ、言葉を紡ぐ。

 かつて在りし日を回想しながら。

 

「恐らくそちらも調べるなりして知っているだろうが、今となっては遥か遠い昔、私は世界を統一した」

 

 自慢するでもなく、淡々と過去の事実を列挙する。

 

「戦って、戦って、戦い続けた果てに私は勝者となった。勝ち続けた。勝ち続けて、しまった」

 

 言葉と全身に隠し切れぬ疲れを滲ませながら。

 

「私が不死王となった後に発足された、人と神と魔の連合軍でさえ私に敗北した。神と悪魔が本気を出していればともかく、均衡を崩すのを恐れた両者は世界を滅ぼすには足りない程度の戦力しか捻出出来ず、終ぞ私の命には届かなかった。ゆえにこうして国ごと一年を繰り返す時の牢獄に私を封じたわけだが、封印の体を為していないのは貴女も知っての通り。……つまるところあれだ、勝者のまま消えるのが我慢できないという身勝手な老人の我儘だよ」

「……なるほど、分かりました」

 

 話を聞いたウィズは、その観察眼であらゆる言葉は何の意味も価値も持たない類の手合いだと早々に理解する。

 アーデルハイドと名乗った不死王は、どうしようもなく死に焦がれているだけの、かつて偉大な人間だった者の残骸であると、分かってしまったから。

 己の死を追い求める。バニルとは違い、最早彼女には真実それ以外何も残っていないのだと。

 

「どうして貴女はリッチーになったんですか? 私の場合は死に瀕した仲間の命を救う為でした。貴女は何を理由に禁忌に手を染めたんですか?」

「……さてね、あまりにも昔の事すぎて忘れてしまったよ。だがきっと身勝手で理不尽でつまらない理由だろうさ。ああ、間違いなく貴女のように尊く称えられて然るべき理由などではない」

 

 虚ろな彼方を見る目。人間性が感じられない声。

 明らかな嘘に、答える気が無いと判断する。

 

「では改めて聞きますが、城下の死者を解放する気は無いのですよね?」

「民あっての王だろう? 彼らがいなくなれば私は王ではなくなってしまう」

 

 そう言って女王は微笑んだ。

 死にたいとは言ったが自分から弱体化するつもりはないのだと。それでは自殺と何も変わらないのだと。

 ならば是非も無い。

 杖を構え戦意を見せるウィズに対し、破綻した女は微笑を浮かべながら頬杖を突く。

 

「やる気になってくれるのは嬉しいが、時期尚早という言葉を送ろう。無論、やるというのであれば喜んで付き合うがね。確かに貴女は強い。一対一であれば五分……いや、私がやや劣るか。これについては素直に賞賛を送ろうと思う。互いが存在した年月の差を考えるといっそ畏敬すら覚える」

 

 万能の天才であるアーデルハイドに対し、ウィズの才覚はどこまでも魔導と戦闘に特化されている。

 たとえアーデルハイドの心が永い停滞で錆付き腐り果てているのだとしても、積み重ねてきた経験は決して嘘をつかない。そしてウィズにはそれを覆すだけのポテンシャルがあった。

 

「だが、本気で戦えば私が勝つ。少なくとも、今はまだ。絶対に。理由など言わずとも理解しているだろう?」

「…………」

 

 そして同族であるからこそ互いに理解出来てしまう、戦士(個人)ではなく、(統率者)としての絶対的な格差と錬度。

 ただの一体も不死者を従えていない氷の魔女では、雲霞の如き軍勢を率いる黄金の不死王には決して届かない。

 少なくとも、今はまだ。絶対に。

 

「それでもやるというのであれば構わんよ。精々楽しく踊ろうか。先達として、不死王の戦いというものを存分に教授しようではないか」

 

 堕ちた黄金が立ち上がる。

 腐臭のする、虚ろで気だるげな雰囲気を全身から漂わせ。

 それでいて表情だけは愉しそうに。

 

同族(アンデッド)に吐く台詞でもないが……殺しはしないから、安心して本気でかかってくるがいい。何度負けても構わない。何度でも、何度でも立ち上がって挑むといい」

 

 そこまで言うと、少し違うな、と自嘲するように首を横に振った。

 

「どうか、何度でも、何度でも私に挑んでほしい。どうか、諦めないでほしい。私は貴女に期待している。私は、貴女が私の悪夢を終わらせる者である事を切に願う。それが今でなくとも、いつか、必ず」

 

 どうか、どうか、願わくば、と。

 己の死を願う王の言葉と表情は、どこまでも痛切で、誠実な色を帯びたもの。

 敵対者であるはずのウィズが思わず憐憫を抱くほどに。

 

「……少しだけ、訂正を」

「聞こう」

「貴女を終わらせるのは私ではありません」

 

 ともすれば弱気の発露とも受け取れる宣言に、黄金の不死王は興が削がれたとばかりに嘆息し、玉座に再度もたれかかった。

 

「始まる前からあまり落胆させるような事を言わないでほしいんだが」

「事実ですので。貴女を終わらせるのは私ではありません」

「では誰が終わらせると? 神か? 悪魔か? それとも野生の超越者が喧嘩を売りに来てくれるのか?」

()()です」

 

 永遠の孤独を生きる不死王に対し、他の何よりも孤独を恐れる不死王は力強く断言した。

 自分のパートナーは、あの程度で死にはしないと。

 絶対にこの場に戻ってくるのだと。

 パーティーの名前、Never Alone(独りじゃない)が示すように。

 

 

 

 

 

 

 廃人ぱんち!

 不意に目の前が真っ暗になったと思った次の瞬間、あなたの光って唸って真っ赤に燃える愛と勇気と希望の拳が闇の牙を内側から爆砕した。

 

 説明しよう。

 廃人ぱんちとは癒しの女神の即死治療攻撃である女神ぱんちを腹部に叩き込んでいただいた事で深い感銘を受けたあなたが、三日という永遠にも等しい時間、地獄の修行を積む事で会得した活殺自在の絶命奥義、廃人神拳だ。

 なんかこういい感じに気合と力を入れて殴ると発動し、なんやかんやで物理法則に中指を突き立てて唾を吐きかける謎エネルギーが発生してふわっとした感じで相手はグチャグチャになって死ぬ。活殺自在だがそれはそれとして絶命奥義なので相手は死ぬ。活殺自在(自己申告)の絶命奥義(本当)である。

 具体的に表現するとミンチになる。精一杯ぼかして表現してもミンチになる。どう足掻いてもアハハ! ミンチミンチィ!

 それは技でも神拳でもなんでもなく、ただ単に廃人パワーで力いっぱい殴っただけの脳筋ゴリ押し力技なのでは? などとは口が裂けても絶対に言ってはいけない。

 たとえそれが真実だとしても、ひとたび解き放たれた言の葉は時にどんな神器より鋭い刃となって相手の心に突き刺さるのだから。

 三度の食事より甘いお菓子が好きな癒しの女神に対して体重増加を指摘するのと同じように。

 

 

 

 さて、自身を飲み込んだ闇を破ったあなたが降り立ったのはまたしても闇の中だった。

 ここもまた呪いと瘴気で満ち溢れた地上と同じく不死王の領域の一部なのだろうが、同じ闇の空間でも、現在あなたが立っている場所は黒い不死鳥が展開した帳とは随分と様相が異なっている。

 

 無音、無明、無尽。

 獄鳥の殺意に満ちた夜帳の狩猟場とは異なり、ただひたすらに静かで冷たい闇だけがある。

 全ては余分と言わんばかりに、ここには闇以外何もない。

 静謐で満たされた黒の澱。時の流れさえ停滞し、やがては永遠に凍りつきそうな虚無に支配された死の揺り篭。希望さえも潰えた棺の底の更に奥。

 空間そのものは終わりが見えないほどに広く、しかし本質的に終わっているがゆえの閉塞感が常に重く圧し掛かってくる、そんな場所で、あなたは全身の力を抜いてリラックスした。

 

『なんかすくつに似てるもんねー』

 

 妹の言葉通り、此処はあなた達が主戦場とする無限にして虚無の迷宮、すくつの雰囲気にとてもよく似ていた。

 であるからこそ、闇で閉ざされたこの空間は、あなたにとって非常に心地よく、心身が休まるものだったのだ。許されるのであれば今すぐ寝転がって惰眠を貪りたくなるほどに。

 

「――ライトッ!!」

 

 目を瞑ったまま実家のような安心感に浸る事暫し。

 つい溶けてたゆたうように闇に身を任せていると、悲鳴のような叫び声と共に、少し離れた場所であまりにも頼りない一筋の光芒が闇に灯った。

 案の定というべきか、今にも闇に飲まれそうな儚くか細い明かりに照らされているのはゆんゆんである。あなたと一緒に謁見の間からの強制退去を食らっていたらしい。

 一心不乱に光に縋る彼女は完全にパニック状態に陥っていた。

 

『五分くらい前からお兄ちゃん達の事探してたし誰かいませんかー的な事叫んでたし何回も明かりの魔法使ってたよ。必死すぎて笑えるよね』

 

 あっけらかんと言う妹。

 どうやらリラックスしすぎていたせいでゆんゆんに気付けなかったようだ。

 同じ場所に放り出されたのは誰にとっても幸運な出来事であった。この状況下でゆんゆんが単独行動を強いられるというのは、即ち死を意味するに等しい。即死である。

 歩を進めながらあなたはゆんゆんに声をかけた。

 だが何度も闇に明かりの魔法を塗り潰されては付け直す紅魔族の少女は、びくりと体を震わせ、恐怖に染まった表情をあなたに向ける。

 

「だ、誰っ!?」

 

 武器を抜いたかと思うと、真っ青な顔色で怯えたように後ずさるゆんゆん。

 どうやらあなたの姿が見えていないらしい。

 仕方がないとあなたは白銀の聖槍を取り出し、祈りを捧げる。

 聖人と呼ばれても決しておかしくはない、イルヴァ広しといえど十人と存在しない領域の極まった信仰者。女神の寵愛を受けし者。その誠実にして真実の祈りは奇跡を容易く引き起こす。

 信仰の象徴ではなく実用面であなたに頼られるという滅多に無い機会にテンションが急上昇したのか、普段の数倍増しで眩い光を放つ神器が一帯の闇を祓い、あなたの姿を照らし出した。

 

「ぅあばー!」

『うおっまぶしっ』

 

 眩しい。実際眩しい。本当に眩しい。

 照らし出すを通り越して闇が光で焼き尽くされんばかりの勢いだ。異界の闇深くにおいてなお眩く輝く女神の威光は敬服する他ないが、普通に勘弁してほしいレベルの眩さだった。

 合図も無しにいきなり特大の極光で目を焼かれたゆんゆんは目が、目がー! と軽く終わっている声で闇の中を七転八倒し、あなたも堪らず目頭を押さえる。愛剣がここぞとばかりに煽り散らし、聖槍は恥じ入った様子で光量を落とした。傍から見れば結構なピンチでもあなた達はマイペースである。

 

「あっ――」

 

 だが暫く経って光に慣れ、目をしぱしぱと瞬かせながら気安い様子で手を振ってくる師の姿を認めた途端、ゆんゆんの表情は安堵一色に染まり、次いでくしゃくしゃに歪んだ。

 

「よかっ、わたし、ひとりかと……わ、わ゛あ゛ぁ゛あああああああ――ッ!!!!」

 

 限界まで張り詰めた緊張の糸が切れたのか、恥も外聞も投げ捨てて、赤子の如きギャン泣きで突っ込んでくるゆんゆん。

 

「へぶっ!?」

『くっそうける』

 

 だが勢いのあまり足がもつれて転倒してしまい、ビダァン! と闇に正面衝突顔面ダイブ。

 地面の材質は不明だが、とりあえず硬くはあるので痛そうではある。

 

「う゛ー! う゛ー!!」

 

 手を差し伸べてもゆんゆんはぐずぐずと泣き続けていた。それどころか強くあなたの服の裾を掴んで離そうとしない始末。いつぞやの里帰りを思い出す姿で折角の可愛い顔が台無しである。これもある意味可愛くはあるのだが。

 弱音を吐いたり喚き散らしたり悪態をつく事は多々あっても、なんだかんだで芯の強い彼女がこうも弱いところを見せるというのは珍しい光景だが、不死王という圧倒的格上の手によって闇の中に一人放り出された事実が余程恐ろしく、心細かったのだろう。

 状況だけ見ると完全に死のカウントダウンが始まっていたので無理もない。彼女はまだ年齢十代前半の子供なのだ。

 しっかり者のゆんゆんの子供らしい部分が見られてほっこりした気分になったのもあり、妹のように情けないと笑ったり叱ったりする事を優しいあなたはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 終わりの見えない闇の中、あなたは光を宿すホーリーランスを片手に持ち、おっかなびっくりといった様子で付いてくるゆんゆんの手を引きながら歩き続ける。

 

「ウィズさん、大丈夫でしょうか……?」

 

 不安げなゆんゆんだが、今のウィズであれば問題は無いだろうとあなたは認識していた。

 廃人ブートキャンプが無ければ少しばかり危うかったかもしれないが。

 

「ところで今更なんですけど、どこに向かってるんですか?」

 

 気配と視線を感じる方角だとあなたは答えた。

 

「え゛」

 

 先ほどホーリーランスがあなた達の目を焼いたと同時、虚無の闇から突然気配が生まれたのをあなたは把握していた。

 そしてその何かは今もあなた達に意識を向けている。

 相手も気取られているのは理解している筈だが、一切のリアクションが無い。ゆえにこうして出向いている次第だ。

 

「だ、脱出とかはしないんですか……?」

 

 結論から言えばこの空間からの脱出自体は可能だ。

 その気になれば今この瞬間にでも出来るとあなたは認識していた。

 だがその場合、出口がどこになるのかが分からないという地味に致命的な問題がある。

 謁見の間に戻るならいいが、変な場所に飛ばされると困った事になりかねない。

 脱出手段が脳筋ゴリ押しなだけに尚更。

 

「あー……」

 

 暗中模索の道すがら、あなたはこういう時の対処法をレクチャーしていく。

 すなわち、ゴリ押しで突破するか救援を待つか閉鎖空間の起点を破壊するか。

 いずれにせよ落ち着いて冷静に行動することが重要だ。先ほどのゆんゆんのようにパニックに陥っては、助かるものも助からなくなってしまう。

 レベルは一人前に高くても、やはりこういった部分で彼女は経験の浅さが浮き彫りになってくる。

 ただ今回に関しては場所と状況と相手が悪すぎるという点を無視するべきではないだろう。どれだけ冷静に行動したところで死ぬ時は死ぬのだから。

 

「……」

 

 世間話のような気安さで生死について語るあなたに、ゆんゆんはその手を強く握る事で応えた。

 

 

 

 そうして、時間と距離の感覚がおかしくなる空間をどれだけ歩き続けただろうか。

 長かった気もするし、短かった気もする。

 兎にも角にも、あなた達は目的の場所に辿り着いた。

 

「来たか。待ちくたびれたぞ」

 

 闇の中から揶揄するような笑い声が聞こえてくる。

 およそ人の発するものではないと分かる、聞くだけで呪われそうな低くざらついた耳障りな声が。

 輝きを増した聖槍に照らされ、常闇の住人がその姿を光の下に晒す。

 

「黒い、竜……」

 

 それは、漆黒の竜だった。

 相手は蹲っているが、それでも見上げる必要があるほどの巨躯の持ち主。

 

 竜はとても、とても愉しそうにあなた達を見下ろしている。

 その紅の瞳から滲むのは、猫が鼠を嬲り殺しにするような嗜虐の色。

 ゆんゆんはその不気味な圧力に耐えかねたのか、そっとあなたの背中に隠れた。

 

「アレが此処に何かを落とすのは随分と久しぶりだ。歓迎しよう、ご覧の通り闇以外に何も無い場所ではあるがな」

 

 互いに初対面の間柄だが、あなたとゆんゆんはその竜を知っていた。

 千年王国の英雄譚で、演劇で、歴史書で語られる黄金姫の最大にして最強の宿敵。

 地獄の名を冠する悪しき黒竜の王、ゲヘナ。

 

「如何にも」

 

 あなたの呼びかけに竜は泰然と頷いた。

 血戦の果て、黄金姫とその仲間達によって討滅されたという話だったが、邪竜は確かに此処にいる。

 全ては伝説に過ぎず、実は密かに生きていたという事なのだろうか。

 

「否、確かに我は疑いの余地無く滅び、殺された。愛しき怨敵とその仲間達の手によってな」

 

 だが、と続ける。

 つまらない余興を見るように、嘆息しながら。

 

「どこかの愚か極まる馬鹿が考えたのだ。化物と戦うのは化物が相応しいと」

 

 千年の果て、不死王と化し世界の敵となった黄金姫。

 世界を巻き込んだ戦乱の中、どこかの誰かが考えた。

 不死王の最大の敵である邪竜を地獄から蘇らせてぶつけようと。

 当然の帰結として、作戦は見事に失敗した。

 そもそもゲヘナに戦う意欲が無かったのだ。

 

「いかなる形であれ、我は敗北し、滅びを受け入れた。再戦の機会を与えられたところで応じるはずが無かろう」

 

 竜は比類なき邪悪であったが、確かな矜持を持っていた。

 自死を封じられた竜は、千年の時を越えて相まみえた不死王に、再度の死を与えるように告げたのだという。

 

「だがアレは我を殺さなかった。殺さず闇の檻に封じた。我がどこにも行かぬように。我が此処から出るのは我の魂が朽ちて滅びる時だ。それがいつになるかは分からんがな」

 

 あなたの直感が囁く。

 不死王が邪竜を殺さなかった理由。

 そこに不死王と化した理由があるのだと。

 

「故にこうして永遠に闇にまどろみ、たまに訪れるアレの無聊を慰めるだけの無様な姿を晒している。笑えるであろう?」

 

 くつくつと自嘲するゲヘナの話を聞いたあなたはこう思った。

 殺そう、と。

 

 土は土に。

 灰は灰に。

 塵は塵に。

 

 死は必ずしも終わりを意味しない。

 アンデッドすらあなたにとっては生者と何ら変わりない。

 

 だが望まぬ生など苦痛であり、地獄でしかない。

 埋まることを選んだ者を無理矢理這い上がらせるべきではないのだ。

 

 だから殺す。終わらせる。

 あなたはそれが救いになると信じている。

 それだけが救いになると知っている。

 

 人はそれを介錯と呼ぶ。

 

 話を聞き終えたあなたは聖槍を松明のように地面に突き刺し、愛剣を抜いた。

 ウィズのような純然たる慈悲、葬送の意思の下に解き放たれるはエーテルの魔剣。

 だが出力される結果は慈悲とは清々しいほどに真逆。

 血と死に彩られた星の力が蒼い殺意という形で闇を侵食し、純黒の空間を塗り潰していく。

 ホーリーランスのように闇を祓うなどとは口が避けても言えない、毒を更なる猛毒で上書きするような呪われた忌むべき力。

 ならばそんな力を平然と振るう人間とは如何なる者なのか。

 

「ほう、闘争を望むか。結末など最初から分かりきっているが……それもまた良かろう」

 

 あなたの意思を感じ取り、地獄の名を冠する竜は静かに立ち上がった。不死王以外の相手に大人しく首を差し出すつもりは無いらしい。

 同時に周囲に生まれる無数の気配。

 竜の支配者であるゲヘナの権能で闇から竜が発生した事を知覚したあなたは、まるで終末狩りのようだと小さく笑う。

 こんな場所まで来て終末狩りとはつくづく業が深いと。

 

「我が名はゲヘナ。かつて在りし、竜を束ねしもの。星の力を振るうおぞましき屠竜の剣士よ、我が名と業をその記憶に刻むがよい――!」

 

 悪夢にも等しい、閉ざされた深き黒の澱にて。

 漆黒の邪悪がその巨大な両翼を広げ、光届かぬ天に向かって高らかに咆哮した。

 

 

 

 

 

 

 三分。

 吹き荒れる破壊の嵐によって、数多の魔法で守護された、豪奢にして荘厳な謁見の間が廃墟と化すのに要した時間。

 十分。

 互いに底を見せない二人の不死王が小手調べのような戦いを一区切りさせるまでの時間。

 

 感情の読み取れない瞳で自身を見据えるウィズに対し、アーデルハイドは感嘆の声を発した。

 

「やはり強い。今まで私が出会ってきた誰よりも、何よりも抜きん出ている」

「お褒めに与り光栄です、とでも言っておきましょうか」

「人間だった頃はさぞ名のある英雄だったと見たが、どうだろうか」

「ご想像にお任せします」

 

 余人が巻き込まれれば瞬時に塵と化す戦いを繰り広げておきながら、両者共にいまだ無傷。

 一息ついた不死王達は奇しくも同一の見解に至る。

 すなわち、このまま戦った場合の勝敗について。

 

 アーデルハイドの戦士としての分類は魔法剣士。

 器用貧乏などではなく、本物のオールマイティー。

 剣と杖の二刀流で遠近物魔において完璧に戦う姿にウィズはパートナーの姿を幻視する。

 

「分かってはいたが、やはり紙一重と呼ぶには足りない程度の差で圧されているな。このまま戦士として戦えば負けるのは私だろう。素直に認めるが勝てる気がしない」

 

 このままであれば百戦やって百戦勝てる。

 それがウィズの出した結論だ。

 純粋に個人の力量だけ見ると百戦やって五十五勝てるかどうかといった具合。

 だが勝てる。どこぞの廃人のせいで徹底的に万能型への対策が出来てしまっている。それが分かる。

 互角に見えて、しかし既に詰んでいる。

 初めて経験する、不思議な感覚だった。

 

「いやはや、全く恐れ入る」

 

 久しぶりに思い切り体を動かして楽しかったと笑う女は自身の劣勢を認め、混じりけ無しの賞賛を送った。

 再び玉座に腰掛けながら。

 

「では体も温まってきた事だし、ここからは一人の戦士ではなく、不死王としてお相手しよう」

 

 踊る白い指先が死を描く。

 思うが侭に魂を手繰り、安寧を奪い、尊厳を侵す。

 

「とりあえず百から始めてみようか」

 

 闇から生じるは亡霊の軍勢。

 王を守護する無貌はいずれ劣らぬ一騎当千の英傑揃い。

 無残に朽ち果てた栄光の残骸が、不死王の走狗が魔女に立ちはだかる。

 

「ブラックロータス、一番起動」

 

 対する魔女は手中に生み出した黒蓮の花を静かに握り潰した。

 発生した暴力的な余剰魔力を使い、全能力を強制的にブースト。

 激情すらも凍て付かせ、死の波濤を迎え撃つ。

 

 だが、黄金の不死王と氷の魔女が今まさに激突しようとしたその時。

 どこからか謁見の間に巨大な何かが落下してきた。

 超質量がもたらす衝撃によって荒れ果てた城内は完全に崩壊。

 

「げほっげほっ、一体何が……」

 

 舞い上がる土煙の中、ウィズは見た。

 巨大な黒い竜の姿を。

 

「あれは、まさか……」

 

 傷一つ無い、しかし今にも死んでしまいそうなほどに存在感が希薄な竜の名前を知っている。

 少しずつ雄大な体が崩れゆく、その雄雄しき姿を知っている。

 アーデルハイドが今にも泣き出しそうな諦観の笑みを浮かべ、そっと優しく体に触れた相手を知っている。

 

「ゲヘナ……そうか、遂にお前も逝くか」

「…………」

「柄にもなく別れの挨拶にでも来てくれたのか?」

 

「――悲しい」

 

 黒竜が静かに口を開いた。

 溜息を吐きながら。

 

「悲しいな。嗚呼、悲しいとは、憐憫とは、こういう感情なのか」

 

 邪悪に満ちた声に、空気が凍った。

 

「聞いているのか? 貴様に言っておるのだぞ、我が愛しき宿敵よ。こうして直接顔を突き合わせるのは幾年ぶりか。今の貴様の姿はかつて再会した時と比してすらあまりにも醜く、哀れだ」

 

 黄金の不死王を嘲笑する漆黒の邪竜。

 その声は侮蔑と冷笑の意を隠そうともしていない。

 

「貴様ともあろうものがあれほどの者を見過ごしたのか? 今の我であっても一目で理解出来たのだぞ。まだ若かりし頃。我を討った時期の貴様であれば間違いなく斯様な無様は晒しているまいに。諦観という自慰に耽る悦楽はそんなにも甘美なものだったのか? 最早人界に己に並ぶもの無しと驕ったか? あの全てを見通していた眼はどこに落としてしまったのだ? 玉座の牢獄は、どんな財宝よりも美しく輝いていた貴様の魂をどれだけ腐らせた?」

 

 朗々と紡がれる言葉はどこまでも悪意に満ちており、迂遠なもの。

 

「……貴様は何を言っている?」

「こと此処に至って我の意すら汲み取れぬ愚鈍さには最早憐れみすら覚える。やはり貴様は決定的に誤った。我が怨敵、かつての偉大な賢者にして比類なき英雄よ。黄金の勇者姫よ。貴様は人として生き、人の枠を外れる事無く、誰からも愛され、涙を流して惜しまれながら、それでも人として死ぬべきだったのだ」

「今更貴様に言われるまでもない。そんな事は私自身が一番理解している」

 

 アーデルハイドはウィズに目をやり、言った。

 まるで少女のように、声を弾ませて。

 

「だが見ろ、私を終わらせる者が現れたんだ。私に救いを与えてくれる女性だ。ずっとずっと、私が待ち続けていた人だ」

 

 だがゲヘナは油断無く自身を見据えるウィズを一瞥し、嘆息する。

 

「確かに強い。心胆寒からしめる戦士である事は認めよう。だがまだ足りない。貴様には届かない。個人としてはともかく、不死王としての格に隔たりがありすぎる。それは致命的な差であり、同時に今日明日で超えられる壁ではあるまい」

「まあ、確かにそうだ。認める。それでもようやく訪れた機会だ。お互い気長にやるつもりだよ」

「安心しろ。その必要は無い。悠久の果て、約束の日が遂に訪れたのだから」

 

 宿敵の言葉に、アーデルハイドは意味が分からないと眉を顰め、ウィズは死にゆくゲヘナが誰と出会い、戦ったのかを知った。

 

「アレは英雄と呼ぶにはおぞましく、勇者と呼ぶには壊れすぎている。アレは正義も大義も持たず、ただ純粋に闘争を求める狂った殺戮の化身だ。……それでも貴様が誰より何より待ち焦がれていたものが、我らに全き死を運ぶ執行者が現れたのだ」

 

 嗤いながら朽ち逝く竜の言葉に誘われるかのように。

 ただただ静かに。

 気配も、音も、前触れも無く。

 何も無い空間から……つい先ほど、二人の人間が闇に呑まれ消え去った場所から、血に染まった蒼色の刀身が生えた。

 

「そら、来たぞ」

 

 燐光を放つ大剣は、ゆっくりと上から下に進み、空間を断裁する事で小さな隙間、あるいは亀裂を作り出す。

 

「蒙昧にして哀れなりしアーデルハイドよ。今ひとたび剣を取れ。覚悟を決めろ。児戯ではない、真実の闘争の時だ」

 

 最早首だけとなったゲヘナは離別の言葉を遺す。

 思い残す事が無いように。

 

「明けぬ夜が無いように、覚めぬ夢が無いように。貴様の永き悪夢もここいらが覚め時であろうよ……三度目は無いといいな、お互いに」

 

 悪意も害意も無く。

 ただただ相手を労うかのような穏やかな声を最期に、太古の魔竜は塵と消えた。

 

「…………」

 

 永き時を共にした宿敵の最期とその理解不能な遺言に呆然とした姿を隠そうともしないアーデルハイド。

 

 亀裂に罅が入り、闇の奥底から風が吹く。

 むせかえるほどの血臭に染まった、嵐の如き暴風が竜の遺塵を儚く散らす。

 崩壊した謁見の間に、不吉と呪詛に満ちた凶兆たる星の力が、幻想的な死色の蒼い風が――エーテルの風が満ちていく。

 

 程なくして、空間に開いた亀裂は音も無く砕け散った。

 亀裂のあった場所に降り立つのは一人の人間。

 古の邪竜を完殺し冥府の底に叩き返した男が、ぐったりと気絶した黒髪の少女を姫のように優しく抱きかかえ、竜血に染まった魔剣を携えて。

 

 一度は闇の底に落とされた招かれざるものが。

 女神に誘われし異界の剣士が。

 ノースティリスの冒険者が。

 不遜にも不死王達の舞台に躍り出る。

 人ならざる者の領域に。

 人ならざる者の戦場に。

 

 ウィズは己が絶大な信頼を寄せるパートナーに言葉をかけようとして、しかし二の足を踏んだ。

 体にいくつかの真新しい傷を作った男の表情と雰囲気が、ウィズをして息を呑むほどに物騒極まりないものだったから。

 触れれば……いや、近づくどころか下手をすれば視界に入っただけで斬られかねないと、そう感じた。

 その冷徹さから氷の魔女と呼ばれたウィズに対し、剣の魔人という呼称が当てはまりそうなほどに鋭利な気配。

 

 ウィズの知る男は、喜怒哀楽の感情のうち、怒と哀を滅多に見せない。

 これは決して男が優しいとか器が大きいとかいう事を意味するわけではなく、色々と経験しすぎているせいで、大抵の事では負の感情を抱かないというだけである。閾値が高いのだ。無駄に。

 そんな人間が怒っていた。それもウィズが一目で分かるくらい、明確に。

 仲間が危険に晒されたからだろうか、と考えるも、それは違う気がした。

 

「…………」

 

 呆けた表情のアーデルハイドは、つい先ほど二人に放った、永久の闇に落とす魔法を再び行使した。

 だがそれはもう見たとばかりに無造作に切り払われる。

 次いで強制転移を仕掛けるも、弾かれて無効化。

 足元に穴を作る事による物理的落下に至っては、ダンと床を強めに踏むだけで能力を潰された。

 

 自身の領域の中枢という圧倒的優位な場でありながら、排除が出来ない。

 

 亡羊としていた黄金の不死王は、ここでようやく、そして初めて男の存在を明確に意識した。

 意識して、認識して、観察して、理解した。

 自分の前に立つものは、自分を屠る事が出来るのだと。

 ゲヘナの言葉通り、自分達を滅ぼす事が出来るものが、自分が何より誰より待ち望んでいたものが、幾千の時の果て、此処に現れたのだと。

 

「――クヒッ」

 

 絶えず思考を苛んでいた頭の霧が晴れる。

 剣を持つ手に力が篭る。

 血の気が失せた口元が歪な弧を描く。

 

「ククッ、ハハハ、アハハハハハハハハハハッ!!」

 

 感情が振り切れたが如き大笑。

 憂いと諦観と怠惰に支配されていた不死王が玉座から立ち上がった。

 全身から滲み出ていた汚泥の如き負念が一瞬で霧消し、黄金の瞳に、魂に、焔が灯る。

 爛々と、轟々と。

 

「失礼! これは失礼した! 冒険者殿は羽虫ではなく賓客であったか!」

 

 この世界で最初に魔王と呼ばれた女に、激情という名の狂気が、亡失して久しい覇気が宿る。

 

「どうか許されよ! 私とした事がとんだ無礼を働いてしまった! 全く年は取りたくないものだな! ゲヘナに返す言葉も無い!」

 

 猛り笑い、高らかに謳い上げる孤高の王。

 

「教えてくれ強き人! そして私に刻んでくれないか、あなたの名を!!」

 

 常人であれば容易く心が折れ、膝をつき、魂から屈服するであろう黄金の覇王の絶大な重圧と無上の歓呼を一身に浴びた男は、しかし不快げに目を細めるばかり。

 そうして何か言葉を返すでもなく、一足で不死王の眼前まで移動し、勢いのまま、世界中のどんな芸術品よりも尊く美麗な顔面に拳を叩き込んだ。

 ウィズは剣は使わないんですね、と思ったが、純物理攻撃に無敵なリッチーに対してガッツリ魔力を込めているあたり、抜かりも加減もあったものではない。

 そうして拳に込められた全ての力と衝撃を真正面から食らった不死王の頭部は、血肉の一片すら残さず消し飛んだ。遅れること一拍。軽い破裂音だけを場に残して。

 首から断続的に血を噴き出す女王と宙を乱れ飛ぶ金の髪は、血の惨劇以外に形容する術が無い。

 

 数秒の間を置いて足元に崩れ落ちたリッチーを冷え切った瞳で見下ろしながら、男は淡々と自身の名を名乗る。

 

 完全に相手に喧嘩を売りに行っていた。自分達は初対面だが既にお前の事が嫌いだとばかりに。

 正々堂々、議論や疑問を挟む余地など無いほどに真正面から。

 空気を読む気が欠片も無いを通りこして空気を読む能力と情緒が搭載されていないと誰もが認めるであろう凶行。

 静寂に支配された謁見の間、右手にこびりついた諸々を掃う廃人の無表情と濁った瞳からはいかなる感情も読み取る事が出来ない。

 

「登場シーンは思わず見惚れちゃうくらいかっこよかったんですけどね……最高に勇者とか英雄然としてて……」

 

 悟りきったウィズは眼前の光景を受け入れる。

 無二の信頼を置くパートナーの死生観がこの世界の基準に照らし合わせるとあまりにも常軌を逸している事、そして他ならぬウィズ自身とガチンコで命のやり取りをしたがっている事を知る彼女は、痙攣を繰り返す頭部が消失した美女の死体に自分もいつかこんなスプラッター極まる姿になるのだろうかと涙目になりかけたが、約30倍濃縮(一ヶ月間)の特訓の中で数えるのも億劫になるほど半死半生を通り越した崖っぷちのボロ雑巾にされている時点であまりにも今更だった事に気付くと、六連流星というノーコスト超威力出し得脳死ぶっぱ連打が大安定なパワーバランス完全崩壊、この世の悪徳という悪徳を余さず放り込んで煮詰めたとしか思えない必殺技に私怨を燃やしながら、無造作に地面に放り投げられたゆんゆんの介抱を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 廃人ぱんち!

 あなたの光って唸って真っ赤に燃える正義と自由と平和の拳が邪悪な不死王の頭部を爆砕した。

 精神の均衡がノースティリス側に傾いた今のあなたは、息をするように流血沙汰を起こすし自分ルールを平然と他者に押し付ける。これもほんの軽い挨拶代わりでありノースティリス的コミュニケーションの一種だ。

 どうせこの程度で死ぬわけがないと理解しているので、あなたが致死性の暴力を振るう事に躊躇を覚える筈もない。

 

 近年はとんとご無沙汰だが、あなたはイルヴァの著名人および王侯貴族の剥製目当てに世界各地を行幸して同様の行為に励んでいた時期がある。当然ながら滅茶苦茶国際指名手配されたがとっくに時効なので現在のあなたは綺麗な身空だ。何も問題は無い。だいぶ時間も経って新顔の著名人も増えた頃合なので、気が向いたらまたそのうち襲撃する予定だったりする。

 

 さて、手の平大回転を決めるリッチーの光輝の美貌を、ごちゃごちゃうるせー! 死ねオラー! そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる!! みたいな極めて雑なノリと勢いでミンチよりひでぇ有様にしたあなたは、非常に珍しい事に素でお冠であった。ぷんすこぷんといった具合に。

 あなたは三千世界に並び立つもの無き唯一無二の至高至極至尊神である癒しの女神の寵愛を賜るに相応しい、慈悲と寛容と友愛を旨とする温和で理知的で模範的なノースティリスの冒険者だ。

 間違っても短気だったり血の気が多い野蛮人ではないし、不意打ちそのものについてとやかく騒ぐ気も無い。それどころかあの程度で死ぬ方が悪いと考えてすらいる。

 

 だがそれはそれとして、ゲヘナの扱いについては大いに物申したい気分だった。

 あなたは自他共に認めるペット愛好家である。

 そんなあなたの価値観に照らし合わせると、あれはペットに食事も与えずサンドバッグに吊るしたまま放置するという鬼畜外道の所業に等しい。

 そういうのは普通に良くないし許される事ではないとあなたは認識している。あまりにもペットが可哀想だと。サンドバッグに吊るしたのなら殴ってやれという話だ。耐久力が上がる。

 ペットの面倒を見る事、特に食事の世話なんてものは主人として最低限のマナー、常識以前の問題。イルヴァだろうと異世界だろうとそこに変わりは無いし、それすら出来ないのであれば最初からペットなど飼うべきではない。せめてベルディアのように放し飼いにしておくべきである。

 

 ――ナチュラルに俺の扱いを放し飼いって表現するの止めろ。マジで止めろ。あとペット愛好家を自称するくせに平然と他人のペットをぶち殺した件についてどう思ってるのか問いたい。問い詰めたい。

 

 あなたの脳内ベルディアもそうだそうだと言っている。

 正義はどこまでもあなたにあるのだと肯定してくれている。

 ちなみに脳内ベルディアは身長30cmほどで二頭身の可愛らしいデフォルメ体型である。饅頭のような丸顔の持ち主であり、頭が取れると一頭身になる。名称はゆっくりベルディア。

 今日も今日とてバリ3絶好調な毒電波はさておき、ペットの力強い声援を受けたあなたは百万の味方を得た心地だった。

 

 ――ねえ聞いて? 頼むから自己完結しないで? 満足そうに笑ってないで俺と意思疎通して? ほんとそういうとこだぞ。

 

 弱い者から狙うのは常道だろうと徹底的に狙われたゆんゆんを庇ったのが主な原因とはいえ、ゲヘナはあなたに傷を与えられる程度に強い竜だったので、憤りも尚更である。

 ついでに先制攻撃を受けたので、あなたはここぞとばかりに断罪の廃人ぱんちをお見舞いした次第だ。

 一発は一発。完全なる正当防衛であり報復であり教育的指導であるとあなたは誰憚る事無く主張するだろう。

 言うまでもないが、あなたは攻撃を受けた理由、つまり自分とゆんゆんが招かれざる客であるという揺るがぬ事実は一切の躊躇無く三段式の棚にぶち上げている。

 

 一発ぶん殴ったしあとは懇々と説教をするだけ。ペットだいじに。

 そう思っていたあなたの血塗れの手を、勢いよく起き上がった頭の無い女が両手で強く握り締める。

 取るに足らない下等生物に噛み付かれて激昂したかと思いきや、攻撃の意思は感じられない。

 血塗れになった血の通わぬ冷え切った手をすげなく振り払うあなたに対し、頭部を復元するやいなや、不死王は世紀の世迷言を吐いた。

 

「ははっ、あはははっ! 強いし痛い! 痛いな! ちょっとびっくりするほど痛い! 痛みなんて何年ぶりだろう! 貴方は本当に私を殺せるのか! 大好き! 結婚してくださぁ!?」

 

 情事の最中かと見紛う荒い吐息と上気した頬は匂い立つほどの色気で満ちており、本来の煌きを取り戻した宝石のような瞳は見る者を引き込んで止まない。

 だがいかんせんダクネスが憑依したかの如き発言で何もかも台無しだ。あなたはこんなにも心に響かない求婚を久しぶりに受けた。

 チキチキしたいしチキチキされたい、とか毎日おはようとおやすみの歌を聞いてほしい、といい勝負である。それぞれ誰の発言であるのかはあえて明記しない。

 宗教上の理由とかそれ以前の問題だったので比較的ノーマルな感性の持ち主であるあなたは普通にやんわりとお断りしている。間違いなく今回もそうするだろう。普通にドン引きだった。

 

 さて、そんなある意味では偉業を成し遂げた不死の女王。

 廃人ぱんちの衝撃で頭のネジが抜け落ちたか、あるいは余程打ち所が悪かったのか。

 あまりにも正視に堪えない姿にあなたが目を逸らそうとした瞬間、いつの間にか不死王の脳天ど真ん中に氷のナイフが突き刺さっていた。具体的には「結婚してくださぁ!?」の「さぁ!?」の部分で。

 突き刺さった、ではない。

 まるで過程を吹き飛ばし、対象に命中したという結果だけが世界に現出したかの如く、あなたが気付いた時には既に突き刺さっていたのだ。瞬きすらしていないというのに。いっそ額からナイフが生えてきたと表現した方が近しいかもしれない。

 再生した不死王の頭部はナイフによって内側から無数の氷柱を生やすという形でグチャグチャになった挙句瞬時に凍結し、次いでミキサーにかけられたかのごとく風刃で切り刻まれ、最終的にガラスを地面に叩き付けたような音を立てて砕け散った後爆発した。

 殺し方が執拗かつ無駄にグロテスクだった。見た目のエグさという意味では廃人ぱんちとどっこいどっこいである。

 煌くダイヤモンドダストと再び地面に転がる首無し死体がコントラストになっていて実に映えているとあなたは感じた。一体何がどうコントラストなのかはよく分かっていない。

 

 音も気配も無い、あなたですら全く気取れなかった完全なる無音暗殺術。 

 少し殺意が高すぎるのではとあなたが下手人を見やるも、当人は何でもない事のように気を失ったゆんゆんを介抱していた。

 

「錯乱していたので、少し頭を冷やしてもらった方がいいかなあと思いました。あとなんか死にたいとか言っていたので」

 

 返ってきたのはどこまでも冷徹で、淡々とした声。

 これまでの付き合いと経験からあなたは知っていた。氷の魔女と呼ぶに相応しいその姿は、ウィズがかなり怒っている時のそれだと。つまり本気で怒っているわけではいない。7割といったところだろうか。

 体感にして一ヶ月間にも及ぶ血みどろブートキャンプ中、あんまりボコボコにされるので何回か逆ギレした時のウィズもこんな具合だった。

 ウィズの力とやる気を引き出す為、あなたが心を痛めながら泣く泣く彼女の好感度と引き換えに友人達と散々磨きあった各種煽りスキルと害悪戦法をここぞとばかりに満面の笑顔で嬉々として披露した事は関係が無い。多分きっと恐らくあまり関係が無いといいなあとあなたは思っている。

 死者を弄んだり無辜の非戦闘員を殺害してウィズの逆鱗を秒間十六連打した時ほどの怒りではないが、それでも普段優しい人が怒ると怖いのは、いつの世もどこの世界でも同じなのだろう。

 

 

 

 

 

 

「すまない、随分と見苦しい姿を見せてしまった」

「本当ですよ。本当に本当ですよ」

 

 苦笑いを浮かべるのは別人格を疑うほどに雰囲気が柔らかくなった不死王。

 王ではなく個人として振舞う彼女はこういう人間らしい。

 アーデルハイドと名乗った美姫に対して辛辣に吐き捨てるウィズの目はあまりにも冷たかった。こちらも別人格を疑いたくなる。

 不死王イコール多重人格者説。愚にも付かない考察を頭の中でぶちあげるあなたに、アーデルハイドは微笑みながら口を開いた。

 

「彼女にはもう話をしたのだが、あなた達に頼みがあるんだ。依頼と言い換えてもいい」

 

 そうしてなんでもない事のように語られたのは、無駄にスケールの大きな自殺願望だ。

 生きるのには飽きたが自殺する気は起きない。

 だって自分は、自分の国は、封印こそされども負けたわけではないのだから。

 故に死ぬのであれば、自身と従えた総軍で全身全霊をもって戦い、その上で力及ばず討ち滅ぼされるという形が望ましい。

 

 この世界の住人であればうるせえ黙れクソバカメンヘラ女死にたきゃ一人で勝手に死ね他人を巻き込むなと口汚く罵るであろう、すこぶる身勝手で傍迷惑な話を聞いたあなたはしかしこれを快諾した。

 あなたがこの手の輩に出会ったのはこれが初めてではないし、戦いの果ての死を望む者を終わらせた(埋めた)回数も片手では利かない。

 とはいえ、あなた達が相手のワガママに付き合う義理も道理も無い。この場で本人を仕留めるのが最も手っ取り早く、そして正しい。

 それを覆すというのであれば、相応の代価が必要になる。

 

 つまるところ、あなたは言う事を聞かせたいのならなんか良い物寄越せとチンピラよろしく強請り集りに走ったのだ。冒険者として当然の権利を行使したともいえる。

 そしてアーデルハイドはそれに見事応えてみせた。

 相手が提示した依頼報酬にあなたはホイホイと釣られた。物凄い勢いで釣られた。それはもう前のめりすぎてウィズに若干白い目で見られてしまったほどだ。しかしウィズも報酬を聞いて目の色を変えていたのであなたを非難する資格は無い。

 

 千年王国の所有権。

 

 これがアーデルハイドに勝利した際に得られる報酬だ。

 仮にも国を相手取って戦うのだから、勝てばその国を得るのは当然の権利。

 そのような理屈らしい。

 具体的には人、土地、物のうち、土地と物の全てがあなた達のものになる。それも封印されて持ち運び可能な状態を維持したままで。

 人、つまり亡霊達は眷属扱いなので支配者であるアーデルハイドの消滅と同時に消失してしまう。

 昇天でないのは、無貌となるほどに磨耗した魂では天界に辿り着けず、そのまま世界に溶けてしまうから。

 アーデルハイド曰くそれでも世界の霊的リソースは著しく回復するだろうとの事だが、異世界人であるあなたはその手の話題に一切興味が無いのでどうでもよかった。

 ただ百万単位の霊魂が女神エリスをはじめとする転生を担当する神々にデスマーチを超えたデスマーチを強いる事は無さそうである。

 

 つまるところ、勝てばポケットハウスとシェルターを足して更に規模を国家レベルにした空間が手に入るというわけだ。

 千年王国の財宝、技術、文献、その他諸々があなた達の所有物になるのだから、人生のゴールが見えたなどという言葉ではとても足りない。

 蒐集家であるあなたをして100%確実に持て余すであろう、規格外にも程がある有形無形の財産。国内の探索だけで何年必要になるのか想像もつかない。

 ウィズの非常に物言いたげな視線を受けながら、物欲に支配されたあなたが正々堂々互いに全力を賭しルールとマナーを守って楽しく戦争しようと爽やかにアーデルハイドと握手を交わしたのも至極当然といえるだろう。

 

 ちなみに満足死しなかった場合は所有権を放棄しないので普通に丸ごと滅んで消えると脅された。つくづく横暴極まるリッチーである。

 

 

 

 

 

 

「……なるほど、状況は理解できました」

 

 謁見の間を辞したあなた達は、一夜を王城の中で過ごす事になった。

 相手の懐で休むなど正気を疑われそうだが、そもそも千年王国全域がアーデルハイドの庭である以上今更である。

 そうして宛がわれた貴賓室で、意識を取り戻したゆんゆんにあらためて現状の説明を行った。

 

 不死王の顔面に拳を叩き込んで赤い花を咲かせたら好感度が青天井になった事。

 あなたとウィズが不死王率いる千年王国とガチンコで戦争をする破目に陥ってしまった事。

 戦場は封印された国の中ではなく、地上、つまり竜の谷第四層全域である事。

 敵の規模は不明だが、それなりの長期戦が予想される上にあなたも派手に暴れるつもりな事。

 勝利報酬は三人で山分けにする予定なので安心してほしい事。

 

「理解できたんですけどすみません。どこからツッコミを入れればいいんですか? とりあえず報酬は絶対に受け取りませんなんでそういう事するんですか嫌がらせですか本当に止めてください耐えられません死にます心が」

 

 説明を受けたゆんゆんは真顔でこう言った。

 

「あと戦う事は止めないというか止められるわけもないんですけど、私はどうすれば? 自慢じゃないですけど何の役にも立ちませんよ、本気で。肉壁にもなれないっていうか」

 

 ゆんゆんの扱いについてはあなたとウィズも大いに頭を悩まされた。

 共に戦わせるのは論外として、避難させるにしても避難先をどうするのかという話である。

 戦火に焼かれないとはいえ千年王国に置いていくのは本人も嫌だろうし、あなた達としても不安が残りすぎる。

 シェルターに突っ込む。モビーを出して第三層に避難させる。結界で保護する。

 他にも様々な案を考えたが、どれもこれも何かしらの不安要素を抱えてしまっており、結局は最終手段を選ぶ事になった。

 あなたとしては非常に気が進まなかったが、背に腹は代えられない。

 成功する可能性そのものは非常に高く、それでいてゆんゆんの安全という一点においてこれは最たるものになるだろう。

 

「まさかとは思いますが一回私を殺しておいて戦いが終わったら生き返らせるとか言いませんよね」

 

 これっぽっちも頭に浮かばなかったといえば嘘になるが、死ぬと漏れなくアーデルハイドに魂を握られるというのがあなた達の見解なので流石に選べない。

 ウィズ的にも却下だろう。

 あなたの案はもっと人倫に則った極めて人道的なものだ。

 

「本当かなあ……ウィズさん、本当ですか?」

「すみません、正直人道的かどうかは私もちょっと自信が無いです」

「ですよねー」

「でも一番安全な案なのは間違いないです。一応ですけど前例もありますし」

「あ、前例あるんですか。まあそうじゃなかったらそもそもウィズさんが反対してますよね。……してますよね?」

 

 ゆんゆんを放置する事、目を離して戦うのは不安がありすぎる。

 なら手元に置いておけばそれが一番安全。そういう考えである。

 

「…………うん?」

 

 あなたが取り出したのは神器モンスターボール。

 テーブルに置かれたそれを見て、ゆんゆんはぱちくりと瞳を瞬かせ、ウィズはそっと目を逸らした。

 

「これってモビーさんが入ってる道具、というか神器ですよね? 確かモンスターボールとかいう名前の」

 

 これはエルフの国であるカイラムで譲り受けた物なので、中にモビーは入っていない。空っぽのモンスターボールだ。

 ゆんゆんにはこの中に入ってもらう。そして戦闘中は四次元ポケットにでも突っ込んでおけば限りなく絶対的な安全が保障されるというわけだ。

 ちなみにウィズの言う前例とはベルディアの事である。

 言うまでもないが、あなたはゆんゆんをベルディアのように本格的なペットにする気は毛頭無い。戦いが終わったら即座に神器から解放する。あくまでも安全第一を考慮した一時的な処置だ。

 

 モンスターボールは捕獲対象に擬似的な不死を与える神器。

 確かにこれを利用すれば、ゆんゆんを死に慣れさせる事も出来るだろう。

 だが彼女はあなたにとって特別ではない、しかしたった一人の普通の友人。

 命を守るためとはいえ、あなたは友人を捕まえて一時的にでもペットにする事に対して強い忌避感を覚えていた。

 今回はゆんゆんの命の為に苦渋の決断を下すが、ベルディアがやっているような、モンスターボールを利用してのデスマーチは絶対に行わない。

 これはあなたの譲れない一線でありポリシーである。

 

「本音を言ってもいいですか?」

 

 少女の問いにあなたは頷いた。

 

「思ってたより百倍はマトモな手段が出てきてびっくりしてます」

「ゆんゆんさん、落ち着いて聞いてくださいね。嘘こそ言ってはいないですが決してマトモな手段ではないです」

「えっ」

 

 本人の同意が得られたので、あなたは立ち上がって剣を抜いた。嫌な事はさっさと終わらせてしまおう。

 愛剣は使えないのでロングソードSSの出番だ。

 

「ちょいちょいちょいちょーい!! なんで武器抜くんですか!? どう考えても今そういう流れじゃなくなかったですか!?」

 

 泡を食ったように慌てる理解の乏しい少女にあなたは優しく説明する。

 あなたは神器に認められた正規の所有者ではない。ベルディアが使用中のイレギュラー品だけは十全だが、このモンスターボールも性能が劣化してしまっている。

 そして劣化したモンスターボールを使用して相手を捕獲するのに必要な条件は二つ。

 

 使用者が捕獲対象をぶちのめす事。

 捕獲対象の同意を得る事。

 

「……つまり?」

 

 ゆんゆんが身の安全を確保したければ、必然的にみねうちでしばき倒される必要がある。

 

「…………人道的?」

 

 みねうちなので命に別状は無い。

 少女を安心させるため、あなたは力強く断言した。

 

 十秒後、部屋中に鈍い音と悲鳴が響き、一人の少女がノースティリスの冒険者の仮仲間(ペット)になった。

 

 

 

 

 

 

 これは、あなたとゆんゆんがアクセルから旅立って少し経ったある日の話である。

 暇を持て余したベルディアは居間で一冊の本を読んでいた。

 

「ベルディアさん、何を読んでるんですか?」

「古今東西神器図鑑。なんかご主人の部屋にあったから借りてきた。結構色々書かれてて面白いぞ」

 

 同居人から手渡された本をウィズはパラパラとめくる。

 

「ダーインスレイヴ、エクスカリバー、アイギス、イージス。流石に有名どころは記述が多いですね」

「そこらへんは世の中に出てきた回数も多いしな。俺が戦った事のある神器もだいぶ載ってたぞ」

「あ、正宗。ユキノリさんが使ってたやつも載ってるんですね。懐かしいなあ」

「誰だよユキノリ」

「昔の私のパーティーメンバーです。ユニークジョブのサムライに就いていて、ベルディアさんとも戦いましたよ」

「お前の印象が強すぎて他の連中全然覚えてねーな……」

 

 二人の魔王軍関係者が会話に花を咲かせる中、一つの神器が目に止まった。

 紅白の球体である神器モンスターボール。

 二人にとっても非常に縁が深い神器である。

 

「これがベルディアさんの命を繋いでいるんですよね」

「無理矢理生かされ続けてると言えなくもないんだが、まあそうだな。アンデッドが命を繋ぐだの生かされてるだの表現するのもおかしな話だが」

 

 擬似的な不死を与える神器。

 転生者に与えられる特典の中でも最上位の一角に位置する、極めて強力な道具だ。

 

「恩恵に与ってる身であえて言うが、何回殺しても蘇るのって反則すぎるだろマジで。持ち主を暗殺する以外どう対処しろっつーんだこんなの」

「殺さずに無力化して封殺すればいいんですよ」

「簡単に言ってくれるなあ」

 

 かつては死闘を繰り広げ、因縁すらあるウィズとベルディアだが、数奇な流れを経て今ではお茶を飲みながら気楽に談笑する間柄である。

 

「でもこうして図鑑に載っているような道具が家の中にあるっていうのも中々凄い話ですよね」

「まあ、そこはご主人だからな。それに俺が使ってるのはご主人が持ち込んだ異世界の道具だから、厳密には別物なわけだが」

 

 いつか神器の方も普通に手に入れてそうな気がする。

 今此処にいない、数奇な流れを作り出した張本人。筋金入りのコレクターにして廃人に対する二人のイメージは極めて強固だった。

 

「そういえば前からちょっと気になってたんですけど、モンスターボールの中にいる時ってどんな気分、というかどんな感じなんですか?」

「こう見えて中の居心地は悪くない。むしろ快適なくらいだ」

「狭くないんですか?」

「むしろかなり広い方だぞ。だが……」

「?」

「入る時の感覚がなあ……」

 

 眉を顰め、腕を組んで言葉を捜すベルディアは、やがて淡々と呟く。

 

「無理矢理トランクに詰められて暗く冷たい海に投げ入れられてどんどん底に沈んでいくような感じ。あとちょっとキナくさい」

 

 あんまりにもあんまりすぎる感想に絶句するウィズ。

 この世の地獄みたいな話に、想像しただけで陰鬱になりそうだった。

 

「実際にトランク詰めを経験した事は無いんだが、とにかくそういう感じだと思ってくれていい」

「えぇ……」

「体験してみたいか? むしろしようぜ」

「いいえ、私は遠慮しておきます」

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんがまた一つ大人の階段を登った数日後。

 あなた達ネバーアローンの三人は、アーデルハイドに送られるという形で誰一人欠ける事無く千年王国から脱出し、地上部である第四層への帰還を果たしていた。

 赤い空。朽ち果てた荒野。溢れる瘴気。生まれた傍から消えていく不死者。

 アーデルハイドの影響を受け続けた領域は、相も変わらず地獄の様相を呈している。

 

 あなた達の現在位置は国境、すなわち第三層と第四層の境目。つまり霧湖の出口である。

 もう一度広大な虚無の荒野を進むと考えると、あなたは非常に憂鬱な気持ちになった。

 

 開戦の火蓋が切られるまで残り僅か。

 あなたもウィズも準備は万端であり、ゆんゆんもモンスターボールに突っ込んである。

 

『るるーらーらーつーよーくーもっとーもっとーつよーくーなーりたいー』

 

 ボールの中から変な歌が聞こえてくる。

 ゆんゆんが不貞寝を決め込んでいる姿がありありと想像できてしまい、あなたはくすりと笑った。

 ちなみにゆんゆんの言葉はウィズに聞こえていない。

 

「なんだか大変な事になっちゃいましたねー……」

 

 個人と世界を統一した古代国家が戦うという、字面だけ見ると寝言に等しいシチュエーションなわけだが、ウィズに緊張や不安の色は殆ど無い。

 

「自分のすぐ隣でとってもウキウキしてる、頼もしい仲間がいますから。緊張したり不安を感じてる暇も無いんですよきっと」

『楽しそうにしてるだけで怖いですからね実際。絶対碌な事をしないという負の信頼があるっていうか』

 

 あなたへの信頼感に溢れたウィズの言葉に対し、平然と毒を吐くゆんゆん。

 ボールから出してしばき倒しても許されるのではないだろうか、とあなたは思った。

 

『異論があるなら手に抱えてるそれが何なのか説明してみてくださいよー!』

「ところで気になっていたんですけど、あなたがさっきから触っているそれは一体……千年王国で買った魔道具ですか?」

 

 奇しくも二人のアークウィザードは同じタイミングでそれに言及した。

 

「えっと……可愛い置物……ですね?」

『可愛いですけど! 確かに凄く可愛いですけど! 私も欲しいくらいですけど! 今から戦争やるぞーってタイミングでウッキウキで取り出した時点でもう! もうね!!』

 

 ウィズが言葉を選ぶように困惑した様子で、ゆんゆんが頭を抱えるような声色で言及したそれは、やや大きめの置物だった。

 木製の揺り篭の中で、小さな白い猫が眠っている。

 そんな見ているだけで微笑ましくなるような置物は、千年王国で手に入れた道具などではなく、あなたがイルヴァから持ち込んだ道具の一つだ。

 

 正式名称はCat's Cradle。

 直訳すると猫の揺り篭。

 分類としては個人携行可能戦術核爆弾。

 本来はもっと無骨で寒々しい外装だったのだが、可愛くないとか癒しが欲しいとか女の子が使う見た目じゃないとか猫の揺り篭っぽくしろとか猫の尻は最高でおじゃるなとか猫と和解しろといったユーザーの意見を反映した結果、今では一般家庭に混じっても違和感が無い外見になっている。

 

 整地に、場の盛り上げに、嫌がらせに。

 その他多種多様な理由でノースティリスの冒険者にこよなく愛される便利アイテム。

 一家に一個、核爆弾。お値段とってもリーズナブル。

 戦争をやるというのならこれを使わない事には始まらない。

 

 今まではウィズに配慮して使用を控えていたが、ついにこの世界でも日の目を見る時がやってきたのだ。

 周囲はだだっぴろい荒地で人気が無い。巻き添えを心配する必要が無い。

 これはもう核を使わない理由が微塵も存在しない。あなたはここぞとばかりに自由を満喫させてもらうつもりだった。

 

『こじんけいこーかのーせんじゅつかくばくだん?』

 

 意味不明すぎたのか、ゆんゆんのIQが3くらいになっている。

 

「すみません、個人携行可能と爆弾は分かるんですけど、戦術核とは?」

 

 物騒な匂いを敏感に感じ取ったのか、あなたから一歩引きながらウィズが問う。

 あなたは少し考えて正直に答えた。

 ニュークリアグレネードの規模が凄く凄く凄いやつであると。

 

「せっ……戦争! それを使ったら戦争ですよ!?」

『ウィズさんしっかりしてください。今から戦争するところです』

 

 ニュークリアグレネードに並々ならぬ敵意を抱くウィズが聞き捨てならぬと激憤し、ゆんゆんが冷静に突っ込みを入れる。

 だがこれはあくまで景気づけ用の玩具に過ぎず、威力そのものは非常に低い。

 見た目が派手なだけであって、決して強力な兵器の類ではないのだ。

 なのでこの爆裂魔法係に固執するウィズが心配するような事は無い。

 ついでに放射能汚染も無いという自然環境と人体に優しいクリーンかつエコな仕様となっている。

 

「…………」

 

 湿度と重力を感じる疑惑と不信の目であなたを見つめるウィズ。

 戦闘が始まる前から硬い絆で結ばれたネバーアローンの結束に罅が入ろうとしている。

 おのれ不死王!

 邪悪なアーデルハイドめ生かしておけぬ。あなたは今まさに雌雄を決さんとする古代人に改めて怒りを燃やした。

 

『とばっちりすぎる……』

 

 

 

 そんな緊張感の欠片も無い穏やかな時間は唐突に終わりを告げる。

 約束の時刻が、闘争の時間が訪れた。

 

 見果てぬ地平の彼方にぽつんと発生するのは、隠すつもりも無いと分かる、黄金色に煌く邪悪な気配。

 地上に転移したアーデルハイドのものだ。

 彼女は声なき声で世界に向かって叫んでいる。あなた達を殺すと。私を殺してみせろと。

 伝わってくる気配だけでアーデルハイドが救いようのない存在である事が分かる。

 癒しの女神が見れば間違いなくこう言うだろう。慈悲と憐憫をもって、静かに、厳かに。

 

 あなたが終わらせて(殺して)あげなさい、と。

 

 仰せのままに。

 鮮明すぎる妄想という名の神託を得たあなたの手に力が篭る。

 極まった信仰者の脳内具現化偶像に解釈違いなど存在する余地など無い。間違いなく今日のあなた(狂信者)は絶好調だ。

 

 次いであなた達の視界に影が溢れる。

 人、亜人、魔物、魔族、巨人、竜、精霊、天使、悪魔。

 雲霞の如く湧き出る無貌の亡霊が虚無の地平線を埋め尽くし、赤き呪怨の空を覆う。

 万夫不当、一騎当千と謳われる英雄ですらあっという間に飲み込まれ、引き潰され、黒い軍勢を構築する歯車の一つになるだろう。

 

 不死王の号令を待つ亡霊軍は身じろぎすらせず、虚ろに佇んでいた。

 完璧な統率を誇る隊列には一糸の乱れも無く、不気味な圧力と静寂があなた達に這い寄ってくる。

 

「壮観ですね。こうして実際に見ると本当に私とは格が違うって分かります」

 

 ウィズが吐いた言葉は弱音というよりも自虐に近い。

 自身が持つ能力を磨ききっていない、それどころか目を逸らしていたとこうして突きつけられたのだからさもあらん。

 リッチーにはこれだけのポテンシャルがある。神が大悪魔に並ぶ怨敵と定めるだけの理由がある。

 

 だがウィズが気にするような事ではないとあなたは考えていた。

 二人の不死王はその在り方が違う。積み重ねてきた年月と経験が違う。ウィズ本人とてアーデルハイドのようになりたいわけではないだろう。

 

 能力を磨ききっていないという事は、ウィズにはまだまだ沢山の伸び代があるという事だ。非常に喜ばしい。

 彼女であればアークウィザードとリッチーの二束の草鞋を完璧に履きこなしてみせるだろう。あなたはそう信じて疑わない。

 

「今に始まった事じゃないですけど、本当に前向きですよね」

 

 当然だとあなたは笑う。

 そうでなければノースティリスの冒険者などやっていけない。

 さる高名な魔王も言っていた。

 余の武器はどんな時でもポジティブハートだと。

 

「魔王と名の付く方が絶対に言っちゃいけない台詞ですよそれ。少なくともヤサカさんは絶対に言わないですね」

 

 ヤサカ。あなたの知らない名前が出てきた。

 誰の事だろう。

 

「ヤサカキョウイチ。魔王さんの本名ですけど……話した事なかったですっけ?」

 

 初耳である。

 この世界の命名規則に当てはまらない、カズマ少年やキョウヤのようなニホンジンと似た響きの名前だとあなたは思った。

 関係者なのかもしれない。

 

 今代魔王の話はさておき、いつまで経っても亡霊が動き出す気配は無い。

 どうやらアーデルハイドはあなた達に先手を譲ってくれるようだ。慢心ではなく覇王の矜持というやつだろう。

 

 その意気やよし。

 相手の期待に応えなければ名が廃ると発奮したあなたは猫の置物の鼻を押した。

 

 ――ねこいずびゅーてぃふる! ねこいずぱーふぇくと! げいじゅつはばくはつだー!

 

 ノースティリスの王都在住な猫好きで有名なミーアという女性が吹き込んだ電波音声と共にカウントが始まる。

 そのまま猫を抱え、後方から助走を始める。

 

「あの、何をして……え、投げる?」

 

 開戦の号砲を告げる第一投。

 長らく待ち望んだこの瞬間を逃すまいと、あなたは地平線の彼方に向かって全力で猫の置物を投擲した。

 満面の笑みを浮かべながら。

 

 音の壁を越えて流星と化した飛翔猫は勢いを落とす事無く亡霊の軍勢に到達。

 そして。

 

 ――にゃーん。

 

 赤い空に響く猫の鳴き声(起爆音)

 瞬間、呪いと闇に支配された世界は眩い光と核の炎に包まれる。

 爆音にかき消された、あなたの気が触れたとしか思えない哄笑だが、同時にどこまでも解放感に満ちた、大空に解き放たれた籠の鳥を彷彿とさせるものだった。

 周囲に配慮をする必要が無い。

 それは今この瞬間、本当の意味であなたを縛る感情の枷の一切が外れた事を意味する。

 

 この世の終わりを具現した大地で、世界に等しい敵との戦いが始まった。



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