やはり俺の九校戦はまちがっている。 (T・A・P)
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九校戦編 壱

 国立魔法大学付属魔法科高校は現在、全国に九つ存在する。

 

 関東(東京)に第一高校

近畿(兵庫)に第二高校

 北陸(石川)に第三高校

 東海(静岡)に第四高校

 東北(宮城)に第五高校

 山陰(島根)に第六高校

 四国(高知)に第七高校

 北海道に第八高校

 九州(熊本)に第九高校

 

 魔法科高校は全国にこの九校しかない。国立魔法大学の付属高校が九校しかないのではなく、正規課程として魔法教育を行っている高校がこの九校しかないのだ。

 本音を言えば、政府はもっと魔法科高校を増やしたいと考えている。それができないのは、教師となる魔法師の数を確保できない為だ。

 第一高校、第二高校、第三高校の一学年定員が二百名。他の六校は一学年百名。合計、一学年千二百名。これがこの国の、一年当たりで新たな魔法師を供給できる数の上限だ。それは人工対比で見た有効レベルの魔法的素質を持つ少年少女の数とほぼ等しい、と考えられている。しかし同時に、適切な教育機会を用意できれば才能の開花が遅い潜在的な魔法適性を持つ子供たちを発掘できる可能性も低くない、と考えられている。

 だが現実は、九つの魔法科高校を運営するだけでこの国の人的資源は精一杯だ。故に、一学年千二百人の魔法科高校生たちを可能な限り鍛え上げ、能力を底上げすることで魔法師という重要かつ貴重な人的資源を充実させていくしかない。そうすることで将来の教師不足を解消し、今より更に多くの魔法師を育成するという正のスパイラルも期待し得る。

 そのために取られている方策の一つが、魔法科高校九校を学校単位で競争させ、生徒の向上心を煽ること。そのための最大の舞台が、夏の九校戦。

 全国魔法科高校親善魔法競技大会。

 そこには毎年、全国から選りすぐりの魔法科高校生たちが集い、その若きプライドを賭けて栄光と挫折の物語を繰り広げる。

 政府関係者、魔法関係者のみならず、一般企業や海外からも大勢の観客と研究者とスカウトを集める魔法科高校生たちの晴れ舞台だ。

 今年も、もうすぐ、その幕が上がる。

 

 

 

 西暦2095年、7月中旬。

 ここ国立魔法大学付属第一高校では先週、一学期の定期試験が終わり、生徒たちのエネルギーは一気に夏の九校戦準備へ向かっていた。そんな中、司波達也はどうやら定期試験の結果に絡んだ呼び出しを教師から喰らい、その後いつものメンバーである西条たちが心配そうに教室を出ていく。

 そんなクラスメイトの様子を比企谷は横目で見送ると、ちょうど通知を告げた端末を取り出して面倒くさそうにため息をついてゆっくりと席を立った。

 

「めんどくせぇ」

 教室を出た比企谷は、重い足を引きずり生徒会室に向かって足を向けている。先程の呼び出しは、完全に生徒会直属となっている奉仕部の二人からだった。

ここ最近の生徒会は九校戦の準備で猫の手も借りたい状況であり、かなり遅くまで残らなければならない状況になっている。それが毎日続くが故に比企谷はかなり辟易しており、ちょっとした反抗としてすぐには行かず教室で休んでいたのだ。まぁ、こうして呼び出されれば行かざるを得ないのだが。

「一年E組、比企谷八幡です。開けてもらえますか」

 いつものように、いつもらしく扉横についているパネルをタッチすると、すぐに扉が開き由比ヶ浜が顔を出した。

「ヒッキー遅い!」

「色々言われてんのにここ最近毎日来てんだろうが、少しは休ませろよ」

 そう、奉仕部は生徒会直属となっているのだが、実のところ認められているのは雪ノ下と由比ヶ浜の二人だけでなのである。

 

事の始まりは、やはり副会長である服部の一言だ。

七草たちは特に気にすることはなかったが、意識高い系である服部が見逃すはずもない。司波達也との事があって幾分かは、本当に幾分かは角が削れていたのだが、まだまだ角ばっていたようだった。

 いつかの司波兄妹との口論の焼き直しのように、雪ノ下と由比ヶ浜が猛然と食ってかかろうとしていたのだが、そこは比企谷八幡、負けることに関しては人類最強。

『了解しましたよ。

ただ俺も奉仕部なんでね、この二人から要請があれば勝手にお邪魔させてもらいますよ。そもそも、生徒会長は否定していませんからね』

 妥協案、と言うほどの物ではなくちょっとした取り決めとして、CADの所持は通常生徒と同じく不可とし、生徒会室へ入室する際は必ず内側から招いてもらわなければ入ることができないようになっている。

 

 比企谷が生徒会室の中に入ると、服部を除いた生徒会メンバーが椅子に座って机に広げている資料を一枚一枚しっかりと確認している、ここ数日何度も目にした光景があった。生徒会室に姿のない服部は部活連の方に行っており、生徒の実力を直に目で見ているとのことだ。

「比企谷君、何をしていたのかしら。今、生徒会が忙しい事はあなたも知っているでしょ?」

「いや、あまり役に立ってねぇだろ、俺」

 選手の選考は最終的に生徒会長である七草、部活連会頭である十文字、風紀委員長である渡辺、それに加えて生徒会メンバーに決定権が存在する。いくら直属と言えど、奉仕部には決定権が存在しない。

「まったく、少しは考えたらどうなの。九校戦の準備が増えたからと言って、通常の仕事が減ったわけではないのよ。私達は私達のできることをすればいいの。それに、選考だけが準備じゃないわ」

「へーへー、わったよ」

 周りと同じく席に付くと、すぐに雪ノ下から本日分の仕事を渡され、ため息をつきながら今日も今日とて生徒会の手伝いに準じる事となった。

 

 

 

「そう言えばヒッキー、定期試験はどうだったの?」

「あ~普通だな。そう言う由比ヶ浜は……悪い、聞いちゃいけなかったな」

「ヒッキーどういう意味! あたしだってちゃんと勉強したんだから」

 見るからに怒っていますと言った表情の由比ヶ浜は立ち上がり、比企谷に向かって指を指している様子を周りは少し微笑みながら見ていた。

「んで、魔法理論の成績はどうだったんだ?」

「う、その……ギリギリ赤点は……」

 さっきまでの勢いはどこに行ったのか、目が太平洋を縦断出来るんじゃないかと思うほどに泳ぎ、声の勢いが重力に従って足元に転がっていった。

「由比ヶ浜さん、帰ったら復習をしましょうか」

「あ、え~っと、今日はちょっと用事があったりなかったりして……」

「ま、それは置いておくとして。

なんとなく分かってたが、魔法理論の結果は今頃教師が頭を抱えてるだろ。つか、実際呼び出されていたみたいだしな」

 ガタッと、司波深雪が大きな音を立てて立ち上がった。さっきまで誇らしげな表情だったが、今は静かな怒りが見て取れた。

 そう、これが司波達也の呼び出しの理由だった。

 第一高校の、というより魔法科高校の定期試験は魔法理論の記述式テストと魔法の実技テストにより行われる。

 記述式テストである魔法理論は、必須である基本魔法学と魔法工学、選択科目の魔法幾何学・魔法言語学・魔法構造学の内から二科目、魔法史学・魔法系統学の内から一科目、合計五科目。

 魔法実技は処理能力(魔法式を構築する速度)を見るもの、キャパシティ(構築し得る魔法式の規模)を見るもの、干渉力(魔法式が『事象に付随する情報体』を書き換える強さ)を見るもの、この三つを合わせた総合的な魔法力を見るものの四種類。

 成績優秀者は、学内ネットで指名を公表される。

 一年の成績も、無論、公表済みだ。

 理論・実技を合算した総合点による上位者は、順当な結果となった。

 

一位、司波深雪

 二位、雪ノ下雪乃

 三位、光井ほのか

 四位、僅差で、北山雫

 

ここまでA組の名前が続き、五位にようやくB組の十三束という男子生徒の名前が出てくる。氏名公表の対象となる上位二十名、全て一科生だった。

実技のみの点数でも、総合順位から多少順位の変動が見られるが、やはりランクインしているのは一科生のみ。

具体的に言えば、一位が司波深雪、二位が雪ノ下、三位が北山、四位が森崎、五位が光井。由比ヶ浜は七位と実技“では”好成績を残している。

だがこれが理論のみの点数となると、大番狂わせの様相を呈してしまう。

 

 一位、E組、司波達也

 二位、A組、司波深雪・雪ノ下雪乃

 三位、E組、吉田幹比古

 

 実技は一科生が上位を占めていたが、理論になると二科生の生徒も上位に食い込んできている。

 確かに一科生と二科生の区分けには実技の成績が大きな比重を占めているが、普通は実技ができなければ理論も十分理解できない。感覚的に分からなければ、理論的にも理解が難しい概念が多数存在するからだ。ただ誰とは言わないが、実技ができていたとしても理論が分からない生徒も存在するが。

 それなのに、トップスリーの内、二人が二科生。

 これだけでも前代未聞なのだが、さらに司波達也の場合、平均で――合計点ではなく――二位以下を十点以上引き離した、ダントツの一位だったのだ。

 つまるところ、教師陣は司波達也が実技で手を抜いているんじゃないかと疑ったのだろう。

「司波さん、達也君なら大丈夫よ。実技の合格点はクリアしているんだし、それに私たちがいるからね」

「……そうですね、ありがとうございます」

 七草の言葉でどうにか怒りは収まったのだろう、司波深雪は頭を下げると再び椅子に座り直した。

 実のところ、比企谷を含めた数人が内心は若干恐怖で震えていたことを、ここに記しておこう。

 



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九校戦編 貳

「そういや、雪ノ下。九校戦の種目ってなにがあるんだ?」

 比企谷は雪ノ下に渡された仕事の中に九校戦関連の書類が混じっており、改めて九校戦の事を考えてみると比企谷は競技について良く知らないことに気がついた。

「あら、比企谷君は観戦に行ったことがないの?」

 不思議そうに七草が顔を向ける。どうやら比企谷の事は雪ノ下と由比ヶ浜とセットで考えており、二人が毎年のように観戦に来ていることを聴き、比企谷も一緒に来ていると思っていたようだ。

「あ~俺にも色々と用事がありますし、好きこのんで人が多い所になんて行きたくないんですよ」

 毎年まとまった休みとなると比企谷はCADの開発の方に取りかかることが多く、あまり雪ノ下達と一緒に行動することができなくなる。それを不満に思って色々と文句を口にしていた二人だが、雪ノ下家の問題と言う事になっているが故に我儘を強く推す事ができなかった。

「ま、今年は行くことになるでしょうから一応種目ぐらいは、と」

 そう、言って比企谷は雪ノ下と由比ヶ浜の二人に目を向けた。成績上位(一方は実技だけだが)の二人は当然九校戦の選手になる。その二人が出場するという事は、比企谷もついて行くことが決定していると言っても過言ではない。

それに、新人戦の出場者リストには材木座たちの名前が候補としてあがっていることも、理由となっているだろう。

「そうね、司波さんたちも出場するのは今年が初めてだから、ちょっと九校戦について説明しましょうか」

 楽しそうに七草は胸の前で手を合わせ、四人に笑顔を向けた。

 

 

 九校戦は八月三日から十二日までの十日間行われ、その中には一年のみが出場する競技『新人戦』が設けられている(本戦は学年制限なし)。ちなみに『新人戦』は四日目から八日目にかけて行われる。

 種目は全六種目あり、『モノリス・コード』『ミラージ・バット』『アイスピラーズ・ブレイク』『スピード・シューティング』『クラウド・ボール』『バトル・ボード』となっている。

 六種目のうち四種目は男女共通となっており、モノリス・コードは男子のみ、ミラージ・バットは女子のみである。

 九校戦の出場人数は本戦・新人戦に男女十名ずつ、各校四十名が出場する。

その出場者の中で各校から一つの競技にエントリーできる人数は三名。そして、一人の選手が出場できるのは二種目までと決められている。だから男女各五人が五種目のうち、二種目に出場し、残り五人が一種目に絞って出場することになる。

 それに加え選手とは別に作戦スタッフが四人まで認められ、技術スタッフ(エンジニア)は八名が参加することができる。

 そして、

「今年の九校戦は第一高校の三連覇がかかっているんでしたよね」

 司波深雪が言ったように、今の三年生にとっては特別な九校戦となっている。

 第一高校現三年生は「最強世代」と呼ばれている。

 七草真由美、十文字克人、そして渡辺摩利。

 十師族直系が二人と、それに匹敵する実力者。

 この三人が一つの学校の一学年に揃っているというだけで驚くべき偶然だが、三人を筆頭に国際ライセンスA級相当の実力者が何人も控えている。

「へぇ、第一高校って凄いんだね、ゆきのん!」

「はぁ、由比ヶ浜さん。それは入学前に説明したはずなのだけれど」

「あれ、そうだっけ?」

 そんな、由比ヶ浜の言葉に周りは自然と頬を緩めた。ただ雪ノ下は頭を抱えたが、すぐに七草の方へ顔を戻す。

「順当にいけば今年の優勝も確実と言えそうですね」

「そうね。でも、油断は禁物なのよね。大きな声で言えないけれど、ちょっと不安要素も抱えているし」

 選手層の人材が厚いと言える第一高校だが、実のところエンジニア、CADを調整できる人材が少々乏しいのだ。当然ながら、九校戦で使用できるCADは共通規格が定められている。その代わり、ハードが既定の範囲内であれば、ソフト面は事実上無制限となる。いかに規格内で選手に適したCAD仕上げるかが焦点なのだ。

 起動式の展開速度はCADのハード面に依存するが、魔法式の構築効率はむしろCADのソフト面に大きく作用される。一瞬の差が勝敗につながるスポーツ系競技において、ソフト調整は非常に重要と言える。エンジニアの腕次第では、番狂わせも発生するだろう。

「まぁ、これは私達の仕事だから気にしなくていいわよ」

 すぐに不安そうな表情を七草は収め、笑顔を浮かべた。

 

 

 

 言うまでもなく、魔法科高校にも魔法以外の一般科目の授業がある。

 その中には体育もあり、試合形式の授業に、少年が必要以上の熱い闘志を燃やしたりするのは、今も変わらぬ風景だ。

 今日の授業はレッグボール。

 フットサルから派生した競技で、フィールドを透明の箱ですっぽり覆ったフットサルである。選手の頭には頭部保護のヘッドギアを着け、ヘディングはハンドと同じ扱いになっている。簡単にいえば、フットサルとスカッシュを混ぜたようなスポーツだと言えるだろう。

「ったく、疲れるから嫌なんだが」

 比企谷はゴールの前でボーっと立ちつくし、他の生徒の動きに目を向けていた。本当であれば、ヌルリニュルリと全試合を補欠ベンチとして動かずに済まそうとしていたのだが、西条に見つかり無理やりこうして参加させられたのだ。

「オラオラ、どきやがれ!」

 その原因である西条は、水を得た魚のように、大海に放たれたサメのように生き生きとボールに飛びかかる。

 レッグボールに使用されているボールは反発力が非常に高く、サッカーやフットサルと違いドリブルは難しい。故に、五人のフィールドプレーヤーの間で、壁や天井を利用してパスをつなぐ事がセオリーだ。

「達也!」

 縦横無尽に走り回る西条が、シュートの様な勢いのボールを中盤にいる司波達也にパスを送る。司波達也はトラップした瞬間吹き飛ばされそうなそのボールを真上に蹴りあげて勢いを殺し、跳ね返ってきたところを踏みつけて完全に勢いを殺した。

 おそらくチームの動きを予め確認していたのだろう、司波達也はすぐにボールを壁に向かって蹴り出した。ボールが跳ね返った先にいたのは、細身の少年。痩せているというより、良く引き締まった体つきで、スピードの乗ったパスを鮮やかにワンタッチでトラップすると、そのまま敵のゴールに向けてシュートを放った。

 放たれたボールにキーパーの手は届かず、ネットを揺らすとゴールを告げる電子ブザーが鳴り渡った。

「天才は何があっても天才って事か」

 シュートを打った少年、吉田幹比古とは一応ながら面識はある。まぁ、同じクラスなのだから当然と言えば当然だが、それ以上に比企谷は吉田幹比古と言う少年を調べていた。

 

 古式魔法の名門、吉田家の直系。

 吉田家は「精霊魔法」に分類される系統外魔法を伝承する古い家系で、伝統的な修行方法を受け継いでいる、らしい。

 直系であり、古くからの修行ならば厳しい日々を過ごしてきたにしては、比企谷が以前から観察していたが自分に自信があるようには見えなかった。

これが能ある鷹であれば比企谷は司波達也同様に警戒していたのだが、より深く調べる事によって情報を得ていた。

「ま、今んとこ障害にさえならないだろうから、どうでもいいがな」

 そう呟くと、今度こそ西条たちに巻き込まれる前にその場から静かに離れた。

 

 

 

 昼休み。

ここ最近の比企谷は雪ノ下と由比ヶ浜に連行され、生徒会室に顔を出していた。普段であれば他の一般生徒と同じく食堂で昼食を口にしているのだが、まぁ、奉仕部の一環として生徒会室に顔を出している。

そして、生徒会には司波深雪が入っていることから兄である司波達也が生徒会室にいる事は、想像せずとも想像できるだろう。

まぁ、だからと言って別に比企谷と司波達也がいがみ合う事は無い。お互いはっきりと口にしてはいないが、停戦協定を結んでいると言える。そもそも、それを言ったら同じクラスなのだから別に同じ部屋にいる分には問題があるとは言い難い。問題があるとしたら、問題が起こった時なのだから。

「選手の方は十文字くんが協力してくれたから、なんとか決まったんだけど……」

 先日、比企谷達に九校戦の概要を話していた時と違い、どうやらなかなかに切羽詰まってきた様子を七草は見せている。その時は気丈にも弱音を見せようとしていなかったのだが、今の七草の様子を言い表すならば、貯まりに貯まった夏休みの宿題を目にした小学生のようにやる気を失っていた。現実逃避ぎみである。

「問題はエンジニアなのよね」

「まだ、数が揃わないのか?」

 渡辺の言葉に、七草は力無く頷く。

「ウチは魔法師の志望者が多いから、どうしても実技方面に優秀な人材が偏っちゃってて……。今年の三年は、特に、そう。魔法工学関係の人材不足は危機的状況よ。

二年はあーちゃんとか五十里くんとか、それなりに人材がいるんだけど、まだまだ頭数が足りないわ……」

「五十里か……あいつも専門は幾何の方で、どちらかと言えば純理論畑だ。調整はあまり得意じゃなかったよな」

「現状は、そんなこと言ってられないって感じなの」

 七草と渡辺が二人揃ってため息をついているという珍しい光景が、事態の深刻さを如実に物語っている。

「……せめて摩利が、自分のCADくらい自分で調整できるようになってくれれば楽なんだけど」

「……いや、本当に深刻な事態だな」

 向けられる七草の視線から逃れるように、渡辺は明後日の方向へ顔を背けた。

 生徒会室の空気はどんどん精神衛生上好ましくない雰囲気を醸し出し、司波達也は地震を感知した子ネズミのごとくその場から逃げるタイミングを見計らい、司波深雪とアイコンタクを取っていた。

 比企谷もその空気を感じ取ってはいたが、逃げ切る算段が整っているのか、特に目につく行動を取っていない。

「ねぇ、リンちゃん。やっぱり、エンジニアやってくれない?」

「無理です。私の技能では、中条さんたちの足を引っ張るだけかと」

 市原から帰ってきた言葉は、いつもと同じすげない謝絶であった。予想していた回答であっただろうが、七草は意気消沈してしまう。

 おそらく、ここが引き際だと判断したのか、司波深雪とアイコンタクを取っていた司波達也は腰を浮かせ――

「あの、だったら司波くんがいいんじゃないでしょうか」

 ――かけたところで、中条から思わぬ攻撃を喰らって、離陸に失敗する。

「ほえ?」

 テーブルに突っ伏していた七草が、顔だけを上げる。

「深雪さんのCADは、司波くんが調整しているそうです。一度見せてもらいましたが、一流メーカーのクラフトマンに勝るとも劣らない仕上がりでした」

 勢いよく七草は身体を起こした。

「盲点だったわ……!」

 獲物を見つけた鷹のような視線が、七草から司波達也へ向けられた。

「そうか……そう言えば委員会備品のCADも、コイツが調整していたんだったよな……。使っているのが本人だけだから、思い至らなかったが」

 すでに九割九分まで諦めているような表情をしている司波達也だったが、不戦敗は主義に反するのか、ささやかながら無駄である抵抗を試みた。

「CADエンジニアの重要性は先日委員長からお聞きしましたが、一年がチームに加わるのは過去に例が無いのでは?」

「何でも最初は始めてよ」

「前例は覆す為にあるんだ」

 間髪を入れず、七草と渡辺から、なにやら過激な反論が返ってきた。

「進歩的なお二人はそうお考えかもしれませんが、俺は一年生の、それも二科生です。CADの調整は魔法師との信頼関係が重要です。反発を買うような人選はどうかと思うのですが」

 一見、もっともらしい意見を口にする司波達也であったが、その言葉の裏に見え隠れする本音は手に取るようにあけすけだった。同じ、厄介事お断り怠け者である比企谷は口の端を少しだけ歪め、心の中で笑っていた。

 そんな司波達也に引導を渡すため、追撃を開始しようとしていた長である二人の横から、思いもよらぬ援護射撃が放たれた。

「わたしは九校戦でも、お兄様にCADの調整をしていただきたいのですが……ダメでしょうか?」

 思いがけない裏切り、まぁ、裏切りと言うよりお願いだが。

 援護射撃ならぬ追い風を受けた七草は立ち上がると、司波深雪の元に近づいて手を取った。

「そうよね! やっぱり、いつも調整を任せている、信頼できるエンジニアがいると、選手として心強いわよね、深雪さん!」

「はい。兄がエンジニアチームに加われば、わたし以外も安心して試合に臨むことができると思います」

 七草はその言葉を笑顔で頷いて聞き入れると、司波達也の方へ笑顔を向ける。

「じゃあ、達也くん。あなたを九校戦のエンジニアに推薦します! それにともない放課後、九校戦準備会議への出席を要請します」

 はてさて、司波達也的には完全なるチェックメイトだ。しかし、チェックメイトされているからと言って、次の一手でキングが取られるかと言えばそうではない。

チェックメイトとは、相手が自らの敗北を認めることができる唯一の条件であり、相手に完全なる敗北をさせない選択を与える為の行為である。つまり、キングが完全に取られるまで、まだ猶予が残っているという事だ。

この場合の、猶予と言うのは、

「分かりました。ただ、比企谷もエンジニア選定の候補に入れてもらえないでしょうか」

 相手のキングを道連れにすることである。

「……おい、何言ってんだ」

 これには比企谷もたまったものじゃない。いきなり矛先が向けられたのだ、怠け者とはいえ命がかかっているだ、対処せざるを得ない。

「つか、俺はCADの調整なんざほとんど出来ねぇんだぞ!」

「え、ええ。それは私が保証できます」

 雪ノ下もいきなりの事で戸惑っていたのだが、さすがに技術が乏しいと『誤認させられている』比企谷を九校戦と言う大舞台に立たせるのはしのびないのだ。

「私達と一緒で少しは調整を教わった事はありますが、私よりできていたという記憶はありません」

「うん、CADの調整ってすっごく難しかったもん」

 七草も模擬戦の事を思い出し、もしや、と言った表情を浮かべていたが、二人の証言により少々落胆した表情を見せた。しかし、司波達也と言う大物を釣り上げたことで満足なのか、総じてにこやかな表情を浮かべる。

「う~ん、さすがに無理かな」

「……そうですか。分かりました」

 さすがの司波達也も、ここは素直に引きさがったようだ。比企谷は嫌そうに司波達也に向けて目線を向けるが、司波達也は表情を崩さず涼しい顔を浮かべるだけだった。

 

 



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九校戦編 参

 

 

 放課後、部活連本部の準備会議で、司波達也をチームに加えるかどうかを最終的に決定することになった。

 比企谷は個人的に九校戦にまったく関与しないことに安堵し、司波達也は最終決定に一縷の望みが残っているが、既に完全に諦めていた。

 まぁ、当然であろう。妹である司波深雪に望まれた時点で、司波達也に退路など消え去っているのだ。そんな自分の力ではどうすることもできない時には、人はついつい自身の得意分野に手が伸びる。

 それは、一旦落ち着きを取り戻すための行動だ。

 昼休みは三分の二以上が過ぎていたが、山積みになっているデスクワークを処理している司波深雪を待つ間、手持無沙汰になってしまった司波達也は、ホルスターから銀色のCADを抜き出して、カートリッジのドライブや起動式切替のスイッテその他、物理的な可動部分のチェックを始めた。

 そんな司波達也の行動を横目に見ながら、比企谷は手の動きを観察していた。

「あっ、今日はシルバー・ホーンを持ってきているんですね」

 それを目ざとく見つけ近寄ってきたのは、さっきまで課題でうなっていたはずの中条だった。

「ええ、ホルスターを新調したんで、馴染ませようと思いまして」

「えっ、見せてもらっていいんですか?」

 キラキラと目を輝かせながら、中条がさらに近寄ってきた。CAD本体だけでなく、周辺装備にも興味があるようだ。

 普段はどちらかと言えば避けられている――というか怖がられている――印象があるだけに、苦笑を禁じ得ない気分だが、小動物的な雰囲気がある中条がこういう風にちょこまかと寄ってくるととても邪険にはできないだろう。

 司波達也は上着を脱ぎ、ホルスターを外して中条に手渡した。

「うわーっ、シルバー・モデルの純正品だぁ。

 いいなぁ、このカット。抜き撃ちしやすい絶妙の曲線。

 高い技術力に溺れないユーザビリティへの配慮。

 ああ、憧れのシルバー様……」

 嬉々として受け取った中条は、今にも頬ずりしそうな勢いで、司波達也はポーカーフェイスを保つのに一苦労していた。

 中条はひとしきり撫でまわすようにホルスターを見詰めていたが、ようやく満足したのか、満ち足りた笑顔を浮かべ返却した。

「司波くんもシルバー・モデルのファンですか? 単純に値段とスペックだけ見れば、マクシミリアンのシューティングモデルとかローゼンのFクラスとか、同じFLT(フォア・リーブス・テクノロジー)の製品でもサジタリアス・シリーズなんかに比べると割高感がありますけど、シルバーのカスタマイズには値段が気にならなくなる満足感がありますよね!」

 中条が「デバイスオタク」だということは聞いていたが、ここまでだとは分からなかった。横にいる比企谷も、デスクワークをしていた雪ノ下たちもちょっと微妙な表情を浮かべている。

「いえ、実はちょっとした伝手でモニターを兼ねて安く手に入るんですよ」

 司波達也がこの台詞を口にした瞬間、端末に向かっていた司波深雪の肩が大きく揺れた。そんな大きな反応をしてしまったことにより、いや、どんなに小さな反応でもこの生徒会室にいる一人に気がつかれない訳がなかった。

「えーっ! ホントですかっ?」

 中条の顔には大きく大きく隠そうとしない「いいなぁ」と書かれている。

 さすがの司波達也でも、少しばかり顔が引きつっていた。

「……今度、モニターが回ってきたらワンセットお譲りしましょうか?」

「えっ!?

 ホントに!?

 ホントに良いんですか!?

 ありがとうございますっ!」

 中条は新しいおもちゃを貰った子供のように――まぁ子供みたいな見た目だが――笑顔ではしゃいで司波達也の空いている手を両手で掴んで、ブンブンと上下に振りまわし始めた。

「……あーちゃん、少し落ち着いたら?」

さすがに見かねたのか、七草が山積みの案件処理の手を止めて中条に声をかけた。

中条はピタッと動きを止め、恐る恐る目線を手元に向けると、火に触れたような勢いで両手を離し同時に全身で飛び跳ねた。

「ゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさい……!」

 耳まで真っ赤にした中条は、何度も勢いよく頭を下げている。

「……あーちゃん、もうそれくらいにしたら? 達也くんも、なんだか困っちゃってるみたいよ?」

 七草に言われるがままに深呼吸し、なんとか中条は落ち着きを取り戻した。

 あきれ顔のため息一つと共に、七草は案件処理へと戻る。中条は、司波達也の顔を見て照れ臭そうに笑うと、急に真面目な顔になって、

「じゃあ、もしかして司波くんは、トーラス・シルバーがどんな人かも知ってたりしませんか?」

 などと訊ねてきた。

 この質問は、司波達也にとって、非常に答えにくいものだった。

「……いえ、詳しい事はなにも」

 壁際でビープ音が鳴った。

 司波深雪が使っているワークステーションの、不正操作のアラームだ。

 誰にでもミスタイプくらいあるので別におかしなことではないが、アラームが鳴るほどのミスを司波深雪がしてしまうのは珍しい。これが由比ヶ浜ならば、納得だが。

「……珍しいわね」

「うん、みゆきん大丈夫?」

 横で作業していた雪ノ下と、その後ろで雪ノ下の作業を見ていた由比ヶ浜の二人は揃って首を横に向けた。

 七草と渡辺、市原も「おやっ?」言う表情で壁に向かっている司波深雪に視線を投げているが、当の司波深雪は横の二人に仕草で大丈夫な事を伝えすぐ何事もなかったかのようにデータ処理に戻った。

 そんな司波深雪の行動を気にすることなく、再び中条は司波達也に質問を投げかける。

「いくら正体を隠している、って言っても、同じ研究所の人たちは知っているはずですよね・ それとも、一人で全部作ってるんでしょうか?」

「……いや、それはさすがに無理なのではないかと」

「そうですよねぇ。そうだ、司波くん、その『伝手』で研究所の人に話を聞けませんかね?」

「……いえ、伝手と言ってもそのような類いのものではないので」

「うーん、そうですよねぇ……」

「それにしても、なぜ中条先輩はトーラス・シルバーの正体がそんなに気になるんですか?」

 司波達也にとってそれは素朴な疑問だった。

「えっ?」

 中条は、その質問こそ意外すぎるもの、という表情を浮かべた。

「気になりますよ!

 トーラス・シルバーですよ?

 ループ・キャスト・システムを世界で初めて実現し、わずか一年間で特化型CADのソフトウェアを十年は進化させたと言われている天才科学者。

 あの、魔工師の憧れ、トーラス・シルバーですよ!?」

 なにやら、責められている様にも感じるひしひしとした迫力に、司波達也ならず横にいただけの比企谷もたじろいでしまった。

「認識不足でした。ユーザーとしてはまったく不満がないと言うわけでもなかったので、それほど、高い評価を得ているとは……」

「ねっ、ねっ、司波くんは、トーラス・シルバーって、どんな人だと思いますか?」

 純粋な、好奇の瞳。

 いい加減に話題を変えなければと思いながら、時間稼ぎの意味で司波達也は適当な答えを返した。

「そうですね……意外と、俺たちと同じ日本人の青少年かもしれませんね」

 再び壁際でビープ音が鳴った。

 

 

「あ、そうだ。

 雪ノ下さん! SWT(スノー・ホワイト・テクノロジーズ)の新製品一覧にアーマーリング型CADが出てましたよね!」

 今度は雪ノ下の方へ矛先を変え、司波達也の前から移動した。

「え、ええ、ようやく正式に発売らしいですね」

 急に詰め寄られ少々ビクッと身体を震わせた雪ノ下だったが、すぐに冷静さを取り戻し毅然とした態度で対処を始めた。

「それで聞きたいん事があるんですけど、このCADの製作者のこと知ってますか!」

 当たり前だが、SWTに限らずCAD製作会社は定期的に新製品であるCAD本体や周辺装備の製品カタログを発行している。発行している、と言っても紙媒体ではないが。さて、製品詳細は当たり前として他にシリーズ、モデルなどの区分けやCADの製作者名が書かれている。

 それは製作した魔工師の信用、信頼によって購入数が変わってくるからだ。

 そんな中、SWTの新製品の一つである特化型CAD、つまりアーマーリング型CADには製品詳細のみで製作魔工師の詳細は記入漏れでなければ一切書かれていなかった。これは普通であればマイナス点なのだが、ことSWTにおいては別の意味を持つ。

 SWT製の製品には時々異質なCADが発売される事がある。

 それを製作している魔工師は一切の正体どころか、名前さえもあかしておらず本当に存在するのか分からない存在。

それ故に一部で『ゴースト』だとか『スプーキー』などと様々な呼ばれ方をされているが、一番多く呼ばれている名前は『無銘』である。

 中条は雪ノ下がSWTの創業者である雪ノ下家の令嬢だと知り、聞くタイミングを計っていた。今回、そのチャンスがめぐってきたと嬉々として、いま雪ノ下に詰めよっているのである。

「いえ、私はほとんど家の事にはかかわっていませんから」

「……そう、ですか」

 雪ノ下の返答によりガクッとテンションが下がる中条だった。そんな姿を間近で目撃した雪ノ下はちょっとした罪悪感を感じたが、自身が知っている情報はほとんど持ち得ないことを知っているが故に何もできないのだ。

 ただ、一つだけ言える情報は持っていた。

「ですが、私の姉さんが言うには、面白い人が作っているそうですよ」

 雪ノ下も無銘の正体が気にならなかったわけじゃない、一度だけ姉である雪ノ下陽乃に聞いたことがあった。

その時言われた言葉が『ん~そうだね。面白い人が作っているってところかな。……納得いかないって顔だね。でも、雪乃ちゃんに教えれるのはここまでだよ。これは雪ノ下家の意思だからね』だった。

「面白い人ですか……ますます気になります!」

 そんな中条の暴走を比企谷は眺めていると、横からの視線を感じた。

「なんだよ、シルバー」

「やはり気が付いたのか、無銘」

 二人は互いにしか聞こえないような声で話し始めた。

 まぁ、言わずもがな、だろう。トーラス・シルバーの正体は司波達也であり、無銘の正体は比企谷たちだ。

比企谷はこれまでの観察結果と、今回の司波深雪の反応によって導き出した。だったら司波達也はどうやって比企谷が無銘だと気がついたのか。簡単な話だ、深淵を覗くとき、深淵もまた等しくこちらを覗く。

 つまり、似た者同士というわけだ。極論だがね。

「ま、なんだ、お前がどんな調整をするのか知らないがシルバーの腕前な俺も知っている。シルバーなら、九校戦であいつらの担当をして欲しいくらいだぜ」

「なら、お前もエンジニアとして九校戦に出ればいい。俺も無銘のCADをいくつか見たが、式構成がまったく考えつかないものばかりだった」

「いやだよ、めんどくせぇ。つか、俺は目立ちたくねぇんだよ」

 比企谷は雪ノ下に今だ詰め寄る中条の背中を見ながら、ため息をつくように言葉を吐きだした。そしてその言葉に同調するかのように、司波達也は瞼を閉じた。

 

 

 

「ところであーちゃん」

「はい、会長。何でしょう」

 中条に詰めよられ、困っている雪ノ下に助け船を出してくれたのは七草だった。まぁ、七草としては一刻も早く中条に生徒会の仕事へ復帰して欲しかった為だろう。

「お昼休みの内に、課題を終わらせておくんじゃなかったの?」

「会長~」

 さっきまでの笑顔が嘘のように泣き出しそうな顔で、中条は七草に助けを求めた。どうやら彼女は、かなり行き詰っているらしい。

「そんな情けない声を出さないの」

 苦笑しながら七草は精査していた発注書から目を離し、中条の方へ顔を向けた。

「少しくらいなら手伝ってあげるから。それで、課題はいったいなんなの?」

「すみません……実は、『加重系魔法の技術的大三難問』に関するレポートなんです。その一つ、汎用的飛行魔法がなぜ現実できないか上手く説明できなくて……」

 シュンとした顔で告げた中条の許へ、全員の視線が集中した。

「毎回上位五名から落ちたことのない中条が随分と悩んでいるからなにかと思えば」

「少し高度な参考書なら答えが載ってると思うけど……」

 渡辺と七草は首を傾げているが、市原だけは納得したように頷いていた。

「つまり、中条さんはこれまで示されてきた解答に納得いかないということですね」

「そうなんですよ!」

 胸の内を代弁してくれた市原に向かって、中条は大きく首を縦に振った。

「加速・加重系統を得意とする魔法師なら、一回の魔法で数十メートルのジャンプも可能です。それなのになぜ、飛行魔法……空を飛びまわる魔法が実現されていないのでしょう」

「正確には、誰にでも使えるように定式化された飛行魔法が何故実現できないのか、ですね。理論的には重力の影響をキャンセルして飛行することは可能ですが……」

 と、市原は区切って中条に目を向ける。その目線に中条は頷き、続けるように話し始めた。

「魔法式には終了条件が必ず記述され、終了条件が充たされるまで事象改変は効力を持ち続ける。

 魔法による事象改変が作用中の物体に対して、その魔法とは異なる事象改変を引き起こそうとすれば、作用中の魔法を上回る事象干渉力が必要になる。

 魔法による飛行中に、加速したり減速したり昇ったり降りたりする為には、その都度、新しい魔法を作動中の魔法に重ねがけしなければならず、必要になる事象干渉力はそのたびに増大していく。一人の魔法師に可能な事象干渉力の強度調節はせいぜい十段階程度であり、十回の飛行状態変更で魔法の重ねがけは限界に達する。

 ……これが一般的に言われている、飛行魔法を実用できない理由ですよね?」

 中条の長い説明を、七草は少しも考え込むことなく首肯した。余談だが、由比ヶ浜の耳から煙が出ていたとか、いないとか。

「なんだ。あーちゃん、解ってるんじゃない。論点も良く整理されているし。何をそんなに悩んでいたの?」

「これって、魔法が作用中の物に魔法をかけようとするのが問題なんですよね? だったら、魔法を重ねがけしないですでに作動中の魔法式をキャンセルすればいいと思うんですよ!」

 自身のアイデアに没頭している顔で中条は熱く論じているが、市原はあくまでも冷静に指摘する。

「残念ながら、それはできません。

 同一のエイドスに同時に二つの魔法式を投射しても、より干渉力の強い魔法式がエイドスを上書きするだけで、強い魔法式が弱い魔法式を消去しているわけではないのです」

「そうなんですか……」

「ですが、面白いアイデアです」

 熱中したり落ち込んだりと忙しい中条に、市原は優しい顔で微笑みかけた。

「……ん? 待って。魔法の効力を打ち消す程度の事だったら、既に誰かが試してみているはずよね?」

 七草のあげた疑問の声に、市原が生徒会業務用のワークステーションを検索画面に切り替えた。

「少しお待ちを……一昨年、イギリスで大規模な実験が行われていますね」

「それで、結果は?」

 訊ねる七草の声は少々弾んでいた。

「完全な失敗です。普通に魔法を連続発動するより、むしろ急激な要求干渉力の上昇が認められたとレポートされています」

「……そう、理由は?」

「いえ、そこまでは」

 顎に人差し指を当てて悩んでいる七草は、生徒会室内を見回すと司波達也に目が向いた。

「達也くんはどう思う?」

「市原先輩が挙げられたイギリスの実験は、基本的な考え方が間違っています」

 司波達也なら答えではなくとも何か参考になりそうな意見を言ってくれるだろうと思っていた七草だったが、返ってきた断定口調で意表をつかれた。

「……どこが間違っているの?」

 目を白黒させながら、かろうじて問い返した七草に、司波達也は一+一の答えが二であることを教えるように、淡々と説明する。

「終了条件が充足されていない魔法式は、時間経過により自然消滅するまで対象エイドス上に留まります。新たな魔法で先行魔法の効力を打ち消す場合、先行魔法は消滅しているように見えますが、それは見かけの上だけのことです」

 比企谷を除いた生徒会室にいる全員が、食い入るように司波達也の顔を見ている。当の司波達也と言えば、そんなプレッシャーなどどこ吹く風とばかりに口調の変化は見られない。

「一回の飛行状態変更のために、キャンセル分の魔法式を余分に上書きしているんです。余分な上書きは累積されていきますから、事象干渉力の上限に到達するのも早くなります」

「……イギリスの実験では、飛行魔法に必要のない余分な魔法をかけちゃってるということ?」

 七草の質問に頷いて、司波達也は説明を追加した。

「そうです、実験の企画者は魔法の無効化について錯覚していたようですね」

 

 

 すべてをひっくるめてこの話を例えて個人的に説明するのであれば、まず少し大きめのコップを思い浮かべてほしい。そのコップの中に水を入れていき、ギリギリまで入れきった状態が事象干渉力の上限であり、コップの中に水を入れる行為が、つまり、魔法の発動である。

この例えで飛行魔法が実用化できない理由を説明するなら、そのコップの中の水がすぐにいっぱいになってしまう、ということだ。

これを解消しようと中条が出したアイデアであるキャンセルとは、コップの中の水をその都度捨てて上限まで溜まらないようにしようということだったのだが、前提条件としてコップを触ることを禁ずる、と言われてしまったのだ。

では、イギリスの実験の場合はと言うと、ストローで中の水を抜こうとしたらストローだと思っていた物はホースで逆に水を入れてしまった、というだけの話である。

 

 

「そうだ、比企谷はどう思う?」

 ふと思いついた、という表情を浮かべた司波達也は横の比企谷に話をふる。

「おい、話しをふるんじゃねぇよ。お前が言ったことが正しいんだろ、知らんけど」

 いきなり話をふられた比企谷は、渋い顔をして言葉を返す。

「つか、なんでそんなに空を飛びたがるんだよ。俺はその感覚が分かんねぇんだが」

 そんな言葉に、司波達也を除いた全員が信じられない物を見るような目線を向け何か言葉を投げかけようとすると、昼休み終了の予鈴が鳴った。

「深雪、教室に戻ろうか」

「はい、お兄様」

 漂う空気などどこ吹く風で、司波達也と司波深雪は立ち上がった。

 

 



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九校戦編 肆

 放課後、司波達也は教室を出て部活連本部に向かった。

 比企谷はその後ろ姿を一瞥すると、一つ欠伸を漏らして立ち上がり荷物を背負い直して生徒会室に足を向ける。

最近は二人の連行がなく、一時の猶予が与えられた比企谷は生徒会室に行く前に途中の自販機からMAXコーヒーを一本購入し、ちびちびと口含み仕事前の休息を甘受していた。

「あ~働きたくねぇ」

 残り少なくなった中身を憂い、やらなければいけない生徒会の仕事に嘆きながら残りの中身を飲み干した。遅くなることはいいが、遅れすぎると面倒なのだ。

 少々急ぎ気味で生徒会室に移動し、

「一年E組、比企谷八幡です。開けてもらえますか」

 いつものようにパネルをタッチした。

 生徒会室の中に入ると、七草と中条の二人を除いた生徒会メンバーが集まっていた。ここで服部もいない、と言った方がいいのだろうがほとんどいないことが多いので割愛する。

 

 

 さて、いつものごとく生徒会の仕事を手伝っていると由比ヶ浜が、本当にふと思い出したかのように口を開いた。

「ねぇねぇゆきのん、会議どうなったんだろう」

「そうね、予定ではもう終わっているはずだけれど。やはり、司波くんがいる事に文句を言っている生徒がいそうね」

 そんな雪ノ下の言葉にピクリと、司波深雪が身体を反応させた。おそらく、兄である司波達也の状況を想像しているのだろう。徐々に周りの温度が下がり始め、その事に気がついた雪ノ下と由比ヶ浜はどうすればいいのか慌て始めた。

「まぁ、大丈夫だろ」

 そう、資料整理をしていた比企谷が自然な口調で言葉を発し、全員の目が背中に突き刺さる。比企谷は振り返り、突き刺さる視線にビクッと身体を震わせるとすぐに嫌な顔を浮かべて続きを話す。

「そもそも推薦してんのは会長だろ。つまり、なにが起きても対応できる位置にいるってことだ。なら、あいつがメンバーに入るのは確定事項でしかねぇだろ」

 事もなさげにさらっと口にする言葉に、雪ノ下、由比ヶ浜、それに市原は少し驚いた顔を比企谷に向けていた。そんななか司波深雪は少し微笑み、完全に機嫌が直って仕事に戻った。

 そのまま全員が仕事に戻るさなか、比企谷の端末に連絡が入る。

比企谷は億劫そうに端末を確認すると、時間が停止したかのように指を止め目をせわしなく動かし素早く端末を操作し始めた。一分もかからず操作を終え、端末をしまうと置いていた荷物をひっつかんで、

「雪ノ下、由比ヶ浜。俺はちっと用事ができたから先に帰るぞ!」

「え、ちょっと、ヒッキー!」

「い、いきなり叫ばないでくれるかしら」

 二人が止める間もなく比企谷は扉をくぐり、廊下を走り去っていく。二人が扉から顔を出した時にはもう後ろ姿さえ見えなかった。

「あの野郎、俺の理論を本当に現実化しやがったか」

 

 

 

 黒のフルフェイスのヘルメットを被り第一高校の制服を着た男が、これまた真っ黒なバイクで飛ばす姿があった。黒いバイクは速度を落とすことなく、とある場所に向かって一秒でも早くたどり着こうと急いでいた。

 他の車を追い抜き、近道をする為に細い路地を通り抜け、それはもう映画かと言わんばかりの急ぎようだった。そして、バイクは目的地に到着する。

バイクの目的地はSWT(スノー・ホワイト・テクノロジーズ)の研究所であった。

 フルフェイスを外した下は、当然ながら比企谷だ。ただ、その比企谷の表情は、いつもより幾分かテンションが上がっているように見えた。

乗っていたバイクを研究所横にある収納スペースに入れると、自動で開いた扉はなにも無かったかのように入口が消える。それを確認した比企谷は、ランダム周期で変わる解錠方法でドアを開き地下へと降りて行った。

地下の研究所につくと開口一番、

「材木座、よくやった!」

 そう、研究所内に響き渡るほどの大声を上げた。

「ようやく来たか八幡! プログラムの確認を頼むぞ!」

 すぐに走ってきた材木座は若干落ち着いているもののすくなからず高揚しているのだろう、かなり興奮気味で声の大きさが抑えられていなかった。

「ああ、デバイスはどのタイプを使った?」

「うむ、とりあえずH‐八型を使った専用デバイスと汎用型デバイスにプログラムを入れてある。八幡のテスト次第で別のデバイスに変更も考えておるぞ」

 材木座は白衣のポケットからブレスレット型のCADと少し歪曲した短冊型のCADを取り出し、その二つを比企谷は手に取り近くモニターに移動する。

「戦闘時を想定して使わねぇとデメリットにしかならねぇからな」

 慣れた手つきでキーボードを操作しプログラムをモニターに流すと、二人は数秒間目を離さず無言で目を鋭くしていた。

「……悪くねぇな。

 まだ少し無駄な部分があるが、テストに支障はなさそうだ」

「むぅ、我もまだまだというところか」

 比企谷の言葉に少々渋い表情を浮かべる材木座だったが、すぐに気を取り直したようで二人揃ってテスタールームへ移動を始めた。

 

 

 

 比企谷は短冊型のCADをベルトに取りつけ、プロテクターを装備した状態でテスタールームの真ん中に立っていた。

「八幡よ、こちらの準備は終わったぞ」

「んじゃ、始めるか」

 静かにサイオンをCADに流し込むと、空中に足を踏み出した。

「お、おお! 成功だ!」

「喜ぶのはまだ早ぇよ」

 喜色満面で喜びの声を上げる材木座に、比企谷は冷静に言葉を返す。

空中に立っている比企谷は一度大きく息を吐くと階段を上がるように二歩目を踏み出し、残っていた足を揃えることなくそのまま空間を踏み切り弾丸のように部屋の天井に向かって飛び出した。

「八幡!」

 このままでは天井に激突して大けがは免れない早さだ、それをガラス越しに見ていた材木座は慌ててマイクに向かって声をかけると、

「慌てんなよ」

 そんな、何でも無いかのような声が帰ってきた。

 天井にぶつかる寸前、比企谷は身体の向きを変え再び空間を蹴って今度は地面に向かって放たれる。再びぶつかる寸前に体勢を整えて地面に当たるギリギリに足をバネのようにしならせ、材木座の姿が見えるガラスへ向け方向を変えた。

 そこから数度、スピードを落とすことなく部屋内を縦横無尽に天地無用に、例えるならピンボールのように動きまわった後、動きを止めて空中に立つと部屋内を覗く材木座に目線を向ける。

「やっぱ若干発動タイミングが遅いな。後で見直さねぇと」

「ふむ、ではサイオンの消費率はどうなのだ?」

「俺が使う分にはいいが、お前らが使う事を想定すればもう少し効率性を上げた方がいいな」

「うむ、了解した」

 これで今後の方針が固まったのだろう、話し終わると急に立っていた足場が無くなったかのように比企谷は下へと落ちていくが、難なく着地をすると防具を外しテストルームを出て開発室へと足を向けた。

 

 さて、彼らが新しく開発した魔法、それは『空中歩行術式』である。

 それは、戦闘時に空中というアドバンテージを得るために開発した術式なのだが、ここでふと思ってしまう。なぜ『飛行術式』ではないのか。

 比企谷曰く、飛行だと咄嗟の事態に反応しきれない場合があるだろう。だが、歩行だと自身が動きたいように体を動かす事ができるんじゃねぇの、とのことだ。

 

 

 



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九校戦編 伍

『それでは、これより九校戦の選手及びスタッフの紹介と徽章授与を行います。代表選手は前へ――』

 発足式、という名のお披露目は時間通りに会長である七草の言葉からつつがなく始まった。

 講堂の舞台上には、九校戦の選手に選ばれた四十人とそんな彼ら彼女らを支える技術スタッフが誇らしげな表情を浮かべて並び立ち、そんな選手の一人一人の紹介をしながら司波深雪が入場証を兼ねた徽章をユニフォームの襟元につけていく。

「はぁ、めんどくせぇ」

 今回も席割は決まっておらず、いつも通り一科生が前、二科生が後ろと全校生徒が自然分裂している。

 しかし、ある一角だけはオセロで駒が反転するように、いつもという常識が反転していた。前から三列目、つまりほぼ最前列と言っても過言ではない席にはE組の面々が一科生の白い目にもめげず一塊りに陣取っている。

 もちろん、その中には比企谷八幡の姿も存在した。

 実のところ比企谷はいつも通り目立つことを嫌って後ろの方に座ろうとしていたのだが、千葉と西条の二人によって引きずられて前へ連れて来られていた。もちろん、無理やりだ。

 さて、比企谷がため息をついている間にも式は進み、授与は最後の一人になっていた。最後の一人、つまるところエンジニア一年である司波達也の番になっていた。

 はた目から見ても司波深雪の表情はさっきまでとは違い、うっとりと底の見えないくらいの嬉しさを内包した笑顔を浮かべて司波達也の前に立っている。その洗練された動きによって徽章を襟につけ終えると同時、大きな拍手が起こった。

 目を向けるまでも無い。

 千葉と西条に煽られたE組の面々が一斉に手を打ち鳴らしたのだ。

『以上五十二名が代表となります。これを持ちまして、九校戦チーム紹介及び徽章授与式を終了します』

 

 

 発足式が終わり、校内では九校戦へ向けた準備が一気に加速した。

 出場種目も決まり、比企谷とゆかりのある面々は毎日時間ギリギリまで練習している。選手は作戦スタッフごとに分けられその下で本番まで練習をするのだが、比企谷は雪ノ下と由比ヶ浜の二人を司波達也に押し付けていた。その二人に加え、材木座、戸塚、川崎を二人の護衛兼監視兼調査として滑りこませた。

 比企谷の中では要警戒人物である司波達也ではあるが、その腕前と知識は目を見張るものがある。少なくとも、今の司波達也という人間の状況を鑑みるに害をなすようなことはしないと目算でき、三人にその技術を間近でみせることができる可能性も考慮したうえでの判断だ。

そして比企谷自身は、生徒会に馬車馬のように毎日遅くまで働かされていた。

ほぼ全員、いや、全員が九校戦メンバーである生徒会は今かなりギリギリで運営されており、猫の手一つでも助かると言う状況なのである。

 その日、仕事が一段落し自販機の横でMAXコーヒーを口にしていると休憩になったのか司波達也が比企谷の前を通った。比企谷に気がついた司波達也は足を止め、自販機で水を購入すると隣に並んだ。

「気持ち悪ぃな、隣に立つんじゃねぇよ」

「俺がどこにいようと俺の勝手だと思うがな」

 嫌そうな表情を浮かべる比企谷をしり目に、司波達也は飄々としたいつもの顔で水を口にしている。

「……んで、何の用だ」

「用、というほど物もはない。ただ、聞きたいことがあっただけだ」

「聞きたいことねぇ。なんだよ」

「あの二人を俺に預けて良かったのか?」

 司波達也としては不思議だっただろう。あれだけ警戒されていた相手から、その大切な二人を押し付けられたのだから。

「ああ、そのことか。別にいいぜ。

 少なくともお前は九校戦に勝てるように動くって事は分かりきってるからな」

「それだけでか?」

「あとは、そうだな。敵であるお前は一番信用できるからだ。よく言うだろ、友達は選ぶな、敵を選べって」

 この言葉にどうやら納得いったような表情を司波達也は浮かべた。

 二人は残りの飲み物を喉の奥に流し込むと、別々の方向へ足を向ける。比企谷は司波達也が来た方向へ、司波達也は最初向かおうと下方向へ。そこでふと、司波達也が再び足を止めた。

「あの三人はお前の知り合いか?」

「さぁな」

 その問いに、背中を向けたまま比企谷は曖昧に応えた。

 

 

 

 八月一日。

 いよいよ選手たちは九校戦へ出発する日になった。

 小樽の八校、熊本の九校の様な遠方の学校は一足早く現地入りしているが、東京の西外れに居を構える一高は、来年前々日のギリギリに宿舎入りする事にしている。

 これは戦術的な意味と言うより、現地の練習場が遠方校に優先割り当てされる為である。本番の会場は競技当日まで下見すらできない立入禁止なので、あえて早めに現地入りする必要もない。

 ただ、それは選手はと言う話だ。選手ではない一般人、いや関係者はすでに会場入りしている。それは、雪ノ下家として同行した比企谷もすでに会場に到着して一高のメンバー、雪ノ下と由比ヶ浜を待っていた。

「あれ? 比企谷くんじゃん」

「え、どこだ?」

「ほら、あそこです」

 ホテルのロビーにあるソファに座って待っていると、入口からなぜか千葉をはじめ、西条に柴田、そして吉田の姿が見えた。

「え、なんで比企谷くんがここにいるわけ?」

 驚いた顔で近づいてきた千葉は、ストレートに訊ねた。

「いや、それはこっちの台詞だ」

「ほら、あたしって『千葉家』の娘だからね。それで皆も連れてきたってわけ」

 千葉家、十師族を含む二十八の家系に次ぐ位の家柄「百家本流」の一つ。十一以上の数字が苗字に入るれっきとした「数字付き」である。特に、自己加速・自己加重魔法を用いた白兵戦技の名門。それを体系化し育成ノウハウを作り上げ、今では警察や陸軍の歩兵部隊に所属する魔法師の大半を指導している。故に一般人ができない軍用施設であるこのホテルを使える、関係者なのだ。

 そんなあけすけな物言いに柴田と吉田は微妙な表情を浮かべていたが、西条だけはどこか愉快そうに笑っていた。

「それで、比企谷くんは?」

「雪ノ下家の付き添いだ。世話になってるからな」

「へぇ、雪ノ下家ね」

 その声はさっきまでの千葉とは違いどこか冷めた印象を持ったが、すぐにそんな表情を押し込めいつもの表情へと戻っていた。そして、それと同時に比企谷の端末に連絡が入った。

「ちょっと外すぞ」

 比企谷は断りを入れてから立ち上がると、人気のない隅へと移動した。

 端末を開くと材木座から連絡が入っており、バスが襲撃に遭ったとの連絡と状況の詳細が事細かく報告があった。報告を全て読み終えると、端末をしまいその場から離れて自身が取っている部屋に急いだ。

 部屋に戻るとすぐにノート型端末を立ち上げるとどこかへ連絡を取り始めた。

 

 一通りやるべき事が終わったのか、ノート型端末を閉じてロビーに戻るとすでに一高の選手たちが到着していた。千葉達は司波兄妹と話しこんでおり、入口に目を向けるとちょうど雪ノ下と由比ヶ浜がロビーに入って来るのが見えた。

「あ、ヒッキーみっけ」

「あら、本当ね」

「よう、遅かったな」

 事故があったことなど知らないふりをして、二人に話しかける。

「ええ、途中で事故が起こらなければ時間通りについていたわ」

「うん、本当に危なかったよね」

「事故? 物騒だな」

 と、二人と話しながら比企谷は二人の後ろを通っていく三人に目線を送っていた。三人は瞬時に理解したのか、足早にホテルの奥へ入っていく。

「それより行かなくていいのか? 他の奴らは行っちまうぞ」

「そうね、私たちも行きましょうか」

「分かった。じゃあまた後でね」

「はいよ」

 無事で目の前にいる二人の後ろ姿を見送ると、踵を返してホテルの外に出ていく。その顔は、隠しきれない憤怒の鬼が半分顔を覗かせていた。

 



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九校戦編 陸

さて、なぜ第一高校が例年前々日の午前中と言う早すぎる到着時間を予定していたのか。

 それは、夕方に予定されているパーティーの為である。

 第一から第九高校の選手及びスタッフのみが参加する、高校生のパーティーだからこそとうぜんアルコールは無し。これから勝敗を競う相手と一同に会する立食パーティーは、プレ開会式の性格が強く、例年の事ながら和やかさより緊張感の方が目につく。

「なんつーか、帰りてぇ」

 会場の後方、端の端、隅の隅。そんな呟きが聞こえてこなかった。正確に言うなら、周囲には聞くことさえできない呟きだった。

 その呟きの主は、当然のことながら比企谷八幡である。

本来、比企谷はこのパーティーに参加する事はできない。前述にもあるが、このパーティーは九校戦出場者のみが出席できるパーティーであるが故にだ。

例外として、いま比企谷の目の前で司波達也と話している千葉たちのようにホテル側のスタッフとして働いていれば入ることはできるが、比企谷がそんな事をする人間でないのは言うまでも無いことだろう。

なら、なぜ会場内にいるのかと言えば、まぁ、簡単な話しで魔法を使ったと言うだけのことだ。ミステリーの天敵であると言えるであろう魔法の仕業。

「……はぁ、あの野郎まだ諦めてねぇのかよ」

 陰で司波深雪たちと一緒にいる雪ノ下と由比ヶ浜を見守っていた比企谷は、彼女たちに近づく集団が目に入り顔をしかめて言葉を吐き捨てた。それは、雪ノ下たちの近くにいた材木座、戸塚、川崎の三人も気がつき自然に近くへと移動を始める。

「やぁ、雪乃ちゃん。久しぶり」

 雪ノ下たちに声をかけたのは、第三高校の制服を着た葉山隼人だった。

「……」

 一瞬、葉山の方へ雪ノ下は目を向けたが、すぐに目線を戻して最初から何もなかったかのように、そこには何もないかのように司波深雪たちとの会話に戻っていった。

雪ノ下と同じように葉山の声に顔を向けた由比ヶ浜は少々渋い表情になっていたが、葉山の後ろにいた同じように渋い表情を浮かべて葉山の行動を見ていた三浦たちに気がつくとさっきまでの表情が嘘のように笑顔へと変わった。ただ、三浦たちの方は由比ヶ浜に気がつくとよりいっそう申し訳なさそうな表情を強くした。

 葉山は最初から由比ヶ浜の態度には興味が無い様子を示しており、無視を決め込んでいる雪ノ下の様子を見ても気分を害した様子を見せなかった。

それどころか、

「第一高校はどうだい雪乃ちゃん。

第三高校はあの十師族である一条将輝がいるんだけど……」

 空気が読めないかのように話を続け始めた。途中、三浦が葉山を連れて戻ろうと行動を起こそうとしたが、行動を察知した葉山んお方が上手だったのかその動きは事前に潰される事となった。

 司波深雪たちは雪ノ下たちの知り合いだと最初は思っていたが、途中からおかしい事に気がつきはじめ怪訝な表情を浮かべ出した。由比ヶ浜の方へ顔を向けるも、由比ヶ浜はなんとも言い難い微妙な顔を返すだけで、光井と北山はどうしていいか測りかねていた。

 ただ、司波深雪は違った。

「雪乃、この人って知り合いなの?」

 声を潜めることなく聞こえるように、聞かせるように口にする。

「いいえ、しらな……」

「ああ、自己紹介が遅れたね。俺は葉山隼人。雪乃ちゃんとは小さい頃からの幼馴染で……」

 雪ノ下が答えるのと同時に葉山が横から口を出すも、

「あなたには聞いていません!」

 さっきまで出していた優しい声はなりを潜め、司波深雪の声は罪人を咎めるようなものへと変わった。

「さっきから聞いていたらなんですか、あなたは。一方的に話しかけてくるなんて。迷惑しているのが分からないんですか!」

 司波深雪は一歩前に出て、雪ノ下を隠すように葉山の前に身を乗り出した。厳しい顔を葉山に向け、そんな司波深雪の態度に笑顔を崩さずにいたがその目の奥にある苛立ちが手に取るように分かった。

「すまな……」

「深雪、どうした?」

「お兄様!」

 起死回生の手、というわけではなく、葉山はいつものようにいつものごとく、話をうやむやにしようとしていたのだろうが、それよりも前に騒ぎに気がついた司波達也が彼らの前に現れた。

 司波達也はすぐに司波深雪の横に立つと、目の前にいる葉山に向かって射殺さんばかりの視線を向ける。

「君たちの会話にいきなり入ってすまなかった。俺たちはここで失礼するよ」

葉山はようやく分が悪いと感じたのか、それとも何か確認が終わったのかあっさりとその場を離れる。踵を返すとすぐ、その口元は醜く歪んで動いたように見えた。

そんな戻っていく葉山に付いて行かず、三浦たちはその場に残った。

「ごめん、結衣。それと、雪ノ下さん」

「ううん、大丈夫。それに、優美子の方が大変でしょ」

「ええ、由比ヶ浜さんの言う通りよ。三浦さん、あなたは悪くないわ」

 そんな二人の言葉に一度顔を伏せ、再び決意したように俯いたまま頷くとバッと顔を上げた。

「うん、ありがとうだし。それに、決めたのはあーしだから」

 三浦の上げた顔には笑顔が浮かび決意がにじみ出ていたが、ほんの少しの空元気が混じっていた。

 

 

 

 三浦たちが去った後、事情を聞きたそうな表情を浮かべていた光井だったが持ち前の優しさも相まってかぐっとこらえ、さっきのことは気にしていないふりを装っていた。司波深雪、北山も空気を変えるためなのだろうホテルスタッフから飲み物貰って二人に渡してすぐ別の話題を口にした。

 比企谷は全てを見ていた、聞いていた。

 危険を冒し、壁際から雪ノ下たちの近くに移動し、葉山の一挙手一投足を見逃さないように注意を払っていた。それは、最初から、最後まで。だから、あの場を去る時に口にした言葉を『やっぱり、ヒキタニより俺の方が雪乃ちゃんに相応しいじゃないか』と、言う言葉を聞き逃していなかった。

 葉山が離れたのと同時に比企谷もその場を離れ、再び壁際で周囲の警戒を始める。だが、双方その腹の中がどうなっているのかは、推し量る事はできないだろう。

『ご静粛に。

 これより、来賓挨拶に移ります』

 会場に設置してあるスピーカーからアナウンスが流れ、主役である高校生たちは食事の手を止め、談笑を中断して壇上へと目を向け始めた。壇上にかわるがわる現れるのは魔法界の名士たちで、その中に雪ノ下陽乃の顔もあった。といっても、軍へのCADの提供および技術協力者の中の一人としてだが。

 そして、最後に現れるのが「老師」と呼ばれる、十師族の長老だった。

 九島烈。

 この二十一世紀の日本に十師族と言う序列を確立した人物であり、二十年ほど前までは世界最強の魔法師の一人と目されていた人物だ。

 最強の名を維持したまま第一線を退き、以来、ほとんど人前に出てくることのないこの老人は、なぜかこの九校戦にだけは毎年顔を出すことで知られている。

 順調に激励、訓示が消化されていき、いよいよ九島烈の順番となった。

 司会者がその名を告げると、会場にいる全ての人間の目は壇上へと向けられ九島老人の登壇を待っていた。

そして現れた人物の姿に、会場全体が困惑の空気に包まれた。

眩しさを和らげたスポットライトの下に現れたのは、パーティドレスを身に纏い髪を金色に染めた、若く美しい女性だった。

ざわめきが広がる。

この光景に会場内は、衝撃を受けた。それは、あの司波達也をも巻き込んだ衝撃の波だった。

意外すぎる事態に、無数の囁きが交わされていく。

壇上に上るのは、九島老人ではなかったのか。

なぜ、こんな若い女性が代わりに姿を見せたのか。

「相変わらず悪戯が好きな爺さんだぜ」

 精神干渉魔法。

 会場すべてを覆う大規模な魔法が発動しており、ただ一つ目立つものを用意しそこへ注意を逸らすと言う「改変」は、事象改変と呼ぶまでもない些細なもの。ただそれを、この会場全ての人間に対して一斉に起こした大規模だが、微かで弱く、それ故に気がつくことさえ困難な繊細な魔法。

 比企谷はそんな悪戯を起こし、女性の後ろでしてやったりとした表情を浮かべている老人にため息を吐いた。呆れつつも周りを見渡せば、どうやら数人はこの魔法に気がついている様子を見せていた。その中には司波達也の姿もあった。

 九島老人は囁きかけると、ドレス姿の女性はスッと脇へとどいた。

 ライトが老人を照らし、大きなどよめきが起こる。ほとんどの者には、九島老人が突如空間から現れたように見えただろう。

「まずは、悪ふざけに付き合わせたことを謝罪する」

 その声はマイクを通したものであることを差し引いても、九十歳近いとは信じられぬほど若々しいものだった。

「今のはちょっとした余興だ。魔法と言うより手品のたぐいだ。だが、手品のネタに気がついた者は、私の見たところ五人だけだった。つまり」

 五人、と言った瞬間、九島老人は何もない空間へと目線を向けたように見えた。まるで、本当は六人だ、と言いたげに。

 だが、そんな事に気がつかずほとんどの高校生が続けてなにを言いだすのか興味津々の態で耳を傾ける。

「もし私が君たちの鏖殺を目論むテロリストで、来賓に紛れて毒ガスなり爆弾なりを仕掛けたとしても、それを阻むべく行動を起こす事ができたのは五人だけだ、ということだ」

 老人の口調は、特に強いわけでなくむしろ優しいものだった。だが会場は、言いようのない静寂で覆われていた。

「魔法を学ぶ若人諸君。

 魔法とは手段であって、それ自体が目的ではない。

 そのことを思い出して欲しくて、私はこのような悪戯を仕掛けた。

 私が今用いた魔法は、規模こそ大きいものの、強度は極めて低い。

 魔法力の面から見れば、低ランクの魔法でしかない。

 だが君たちはその弱い魔法に惑わされ、私がこの場に現れると分かっていたにも関わらず、私を認識できなかった。

 魔法を磨くことはもちろん大切だ。

 魔法力を向上させる為の努力は、決して怠ってはならない。

 しかし、それだけでは不十分だと言うことを胆に銘じてほしい。

 使い方を誤った大魔法は、使い方を工夫した小魔法に劣るのだ。

 明後日からの九校戦は、魔法を競う場であり、それ以上に、魔法の使い方を競う場だと言うことを覚えておいてもらいたい。

 魔法を学ぶ若人諸君。

 私は諸君の工夫を楽しみにしている」

 聴衆の全員が手を叩いた。

 だが残念ながら、一斉に拍手、とはいかなかった。

 戸惑いながら、理解できてないながらとりあえず手を叩いた様子の少年少女たちを、比企谷は面倒くさそうに眺めていた。

 これが、未来のこの国を背負う人間たちの集まり。言葉の意味も、言葉の本質も、この時間の真意も、何もかも理解できていない選ばれた九校の精鋭たち。その状況を目の当たりにして吐き捨てても吐き捨てても無限に湧き出る失望感が、よりその両眼を濁らせる。

「……何のために俺は作られたんだよ」

 今、吐き出る言葉はそれだけだった。

 



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九校戦編 柒

 比企谷は式の途中で会場から外に出た。

 その顔には一切の表情と言う表情がなく、どこかに捨ててきたと言われれば信じてしまうほどだ。それでも自身の役割を忘れていないようで、音もなく端末を取り出して操作すると懐にしまいホテルの外に出る。

 夏の真っ只中とはいえ外はもう暗く、夜の帳が落ちていた。ホテルから漏れる明かりで暗いと言う印象はないが、それでも世界は夜である。

夜、暗闇、闇。

悪意あるものが、害意あるものが動き出す時間だ。

今この瞬間もホテルの敷地外から三つの影が侵入しようと、周りにめぐらされているフェンスを上っていた。

「ああ、ちょうどいいな。

こいつはただの八つ当たりみたいなもんだが、恨むんなら自身のタイミングの悪さと、てめぇらの組織を恨め」

 木の陰から両手にCADをつけた比企谷が姿を現した。唐突に現れた比企谷に侵入者は驚く様子を見せず、フェンスから内側に飛び降りると一人は銃を構え残りの二人は拳銃型CADを向けその指は完全にトリガーを引く瞬間だった。

「反応はいいが、既に魔法を発動している相手に対しては致命的な遅さだ。つか、ここは逃げの一手だろ」

 そう、拳を握ったあとに呟いた。

 フェンスの下には手足が根元から消し飛ばされ、咽が抉れた侵入者が転がった。まだ息はあるものの、かろうじて死んではいないと言うレベルだ。芋虫のようになった侵入者たちの目はマスクで隠されておりうかがい知れなかったが、おそらくそのマスクの下にある双眸は徐々に失われていく命を感じながら絶望にまみれているだろう。

 そのまま放置しておいても死亡と言う結果は変わらないだろう、だが、比企谷は手のひらを開き鬱憤を込めるかのように手の中にある空気を念入りに握り潰した。

「……コポッ」

 侵入者の抉られた喉から大量の血液が噴き出した。

 小さな噴水のように喉から噴き出した血液は、喉を伝って地面に落ちるものと飛散し細かい雫となって周囲に降りそそいでいく。体の中に残った血液をさらに排出した事により侵入者の命は風前の灯だろう。まぁ、それ以前に、下腹部から下半身にかけて消失して生きている人間がいればの話だが。

 比企谷はコンマ数秒、そんな侵入者の遺体を冷めた目で見降ろしたあと、深いため息をつくと両手のCADを使い処理を始めた。

 一分もかからず迅速に処理を終えた跡には血の一滴も残っておらず、一見したところで争いがあったとはとても思えないくらいになっていた。ただ、それは視る者によってはすぐに看破できるものである。完全な隠ぺいなど不可能に近い故に。だから比企谷は、なにがあったか、よりも、誰がやったのか、を重点に消滅させていた。

侵入者の邂逅から処理まで五分と経たず終わらせると、ようやくホテルに在住しているとおぼしき軍関係者が数人駆けつけてきた。すぐにその事に気がついた比企谷は姿を消すと、軍関係者の横を悠々と歩いてホテルの入口へと移動する。

移動中、再び端末を取り出すと『無頭竜の先遣隊を発見し消滅。後に実行部隊の可能性あり』と送ると周りに人の気配がないことを確認して姿を現し、何事もなかったかのようにホテルの中に入って自分の部屋へ足を向けた。

 

 

 

 一度部屋に戻って装備を整えた比企谷は再びホテルの外に出てくると人気のない場所へ姿を隠し、暗闇と同化しながら巡回を始めた。

 さっきの騒動未遂のせいなのだろうか、それとも通常業務なのか、たまに巡回している関係者を目にしたがそこまで危機感を抱いているように見えず、おそらく現場に向かったのは新人で異常なしと判断し機械の誤報として処理したのだろう。

 それからいくらか時間が経ち、今日が明日に明日が今日に変わるまでもう少しと言った時だった。先遣隊の連絡がない事に不審を抱いたのか、それともそう言う手はずだったのか、拳銃と爆弾を持った三つの人影がすでに敷地内へ侵入していた。

 存在を消した比企谷は早急に現場へ急ごうとしたが、同じように向かっている二つの人間に気がついた。

 一人は巡回中にも見かけた吉田であり、もう一人は身のこなしから判断するとどうやら司波達也のようだった。

比企谷は吉田一人であれば少しばかり手を出そうと考えていた。別に吉田を助けるためと言うわけではなく、雪ノ下と由比ヶ浜が頑張ってきた九校戦を不確定要素で中止にしないよう動こうと考えていただけである。

しかし、上手い具合に司波達也が動いたおかげで、比企谷は一歩引いたところで二人の動きを監査する事に変更した。

先に侵入者と接触を果たしたのは吉田だった。かなり高度な隠密術を使い、侵入者に近い木陰に隠れて呪符を使った古式魔法を発動しかけていた。このまま魔法を発動すれば平和的に侵入者を制圧できるだろう、だが吉田が発動しようとした魔法の発動プロセスには少しばかり無駄な回路が存在していた。

それ故、発動前に吉田の気配に気がついた侵入者たちは拳銃の銃口を向け、今まさに引鉄を引こうとした瞬間、拳銃はバラバラに解体され飛び散った部品が地面に落ちていく。その直後、空中に生じた小さな雷が三人の賊に降りそそぐと、侵入者は意識を飛ばして倒れた。

比企谷はそれを確認すると、スッと気配と姿をくらました。この場に向かって近づいてくる手練れのないような気配に気がついたからだ。息を殺し、存在を殺しその姿の端を目にすると今できる最速で離脱した。

「あ~ぜってぇバレてたな。こんなんで出てくるんだったら使っとくんだった。つか、やっぱあいつは一〇一の所属か」

 チラリと暗くて何も見えない後ろを振り向くと、

「それに加えて分解か。ここまで似てると、笑うしかねぇかもな」

 そう、自然に口から言葉が洩れていた。

 

 

 

 

 



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九校戦編 捌

 ――八月三日 

 九校戦開幕式はつつがなく行われた。

 この日から十日間、延べ十万人の観客に加え有線放送での視聴者は、本戦と新人戦の合わせて二十種目にも及ぶ若き魔法師たちの熾烈な勝負を目にすることになる。

 本日、一日目の競技はスピード・シューティングの決勝までと、バトル・ボードの予選。第一高校からは優勝候補の二人、スピード・シューティングに七草とバトル・ボードに渡辺が出場する。

 司波達也たちご一行と雪ノ下たちは七草の試合を観戦すべく、スピード・シューティングの競技場へ移動した。司波達也と比企谷を中心にそれぞれ別れるように横へ座り、後ろの列には千葉たちが座った。もちろん言わずもがなだが、比企谷は端に座ろうとしていたが逃亡防止と言うことで中心になった。

「お兄様、会長の試技が始まります」

「第一試合から真打登場か。渡辺先輩は第三レースだったな」

「はい」

 当然、司波達也の横には司波深雪が鎮座している。

「ねぇねぇ、ゆきのん。これのルールってなんだっけ?」

「……ええ、そうね。また、説明しておくわ」

「……甘やかしすぎだぞ、おい」

 そんな比企谷の視線に顔を逸らすと、一つ咳をすると雪ノ下は口を開く。

「スピード・シューティングとは――」

 スピード・シューティングとは、三十メートル先の空中に射出された円盤型の標的、クレーを魔法で破壊し、制限時間内に破壊したクレーの個数を競う競技である。いかに素早く、いかに正確に魔法を発射できるかを競う、と言うのがスピード・シューティングと言う競技名の由来だ。

 試合には二つの形式がある。

 予選は五分間で破壊した標的の数を競うスコア型。

 そして、準々決勝以降は対戦型。紅白の標的が百個ずつ用意され、自分の色の標的を破壊した数を競う。

「――と、これくらい覚えておけばいいわ」

 由比ヶ浜だけでなく、西条たちも雪ノ下の説明に感嘆の声を漏らした。司波達也も感心するような表情を浮かべ、その後に追加で説明を加える。

「予選では大破壊力を以て複数の標的を一気に破壊するという戦術も可能だが、準々決勝以降は精密な標準が要求されるというわけだ」

 追加の説明に雪ノ下が同意するように相槌を打ち、北山は熱心に頷いた。北山はこの中で唯一、新人戦でスピード・シューティングにエントリーしているためその言葉に共感しているようだ。

「したがって普通なら、予選と決勝トーナメントで使用魔法を変えてくるところだが……」

「七草会長は予選も決勝も同じ戦い方をすることで有名ね」

 司波達也が言いかけたセリフは、後ろに座っている千葉が横取りした。

「そう、それほどに会長の使う魔法、と言うより会長は魔法を使うのが上手いんだ」

「まぁ、それはなんとなく分かるが、じゃあどんな魔法を使うんだ?」

 体を乗り出し西条は問いかける。

「それは実際に見て見た方がはやい」

 と、顔を競技場の方へ向けた。西条も、これ以上訊いても答えないと分かったのか乗り出していた体を背もたれに預けた。

 それからすぐに開始前のシグナルが響く。

そして、観客席は静まり返る。

 選手はヘッドセットをつけているので少々騒いだところで関係ないのだが、これはマナーの問題である。

 豊かに渦巻く長い髪に上からヘッドセットをつけ、目を保護する透明なゴーグルをかけ、ストレッチパンツの上にミニスカートと見間違えそうなウエストを絞った詰襟ジャケットと言うユニフォーム、スピード・シューティング用の小銃形態デバイスと相まって、かわいらしさと凛々しさが絶妙にミックスされ、近未来映画のヒロインのような雰囲気を醸し出している。

 七草のその実力、その容姿が故に男女問わずファンは多い。それこそ、客席の前列を埋め尽くすほどに。

 静寂の中シグナルは進み、開始のシグナルが点る。

 軽快な射出音と共に、クレーが空中を駆け抜けた。

「速い……!」

 思わず呟いた北山の一言は、標的の飛翔スピードに対するものか、

 ――それを打ち砕いた七草の魔法に対するものか。

 ドライアイス亜音速弾。

 それが、七草が使用している魔法である。自身の周囲にドライアイスを生成し、亜音速に加速させてぶつけている。言ってみればただそれだけなのだが、ここで重要なのは魔法発動スピードでも反復回数でもなく、命中精度である。

 三十メートル先を飛ぶクレーは、有効範囲内に入るたびに次々と破壊され細かい破片になって落ちていく。三十メートル、と言葉だけで聞けば短い距離だと感じるかもしれないが、実際に体験してみると意外と遠い。

それほどに離れていて、ここまで取りこぼしなく正確にクレーが破壊されていくのは、司波達也と比企谷が感心するに値する脅威だと言えよう。

そこでもう一つの魔法、遠隔視系知覚魔法『マルチスコープ』というレアスキルを七草は併用して使用している。ただ、この魔法を使用していれば命中精度が上がるというわけではなく、物体をマルチアングルで知覚する、例えるなら監視カメラの映像を見ている感覚だと言えばいいだろうか。

マルチスコープで得た視覚情報を処理し、そのうえで命中率100%を維持している七草真由美は十師族と言う才能をまざまざと見せつけていた。

「……パーフェクトとはね」

「……怖ぇな」

 五分の競技時間が終了しゴーグルとヘッドセットを外した七草は、客席の拍手に笑顔で応えていく。そんな姿を見ながら二人それぞれが呟いた。

 

 

 

 バトル・ボード

 人工の水路を長さ一六五センチ、幅五一センチの紡錘形ボードに乗って走破する競技だ。ボードに動力は付いておらず、選手は魔法を使ってゴールを目指す。他の選手の身体やボードに対する攻撃は禁止されているが、水面に魔法を行使することはルールの範囲内である。

 コースは全長三キロの人工水路を三周し、途中には直線、急カーブ、上り坂や滝状の段差が設けられている。

 平均所要時間は十五分ほどで、最大速度は時速五十五キロ~六十キロに達する。

 比企谷達は渡辺のレースが始まる前にはスピード・シューティングの会場からバトル・ボードの会場に移動した。席順はさっきと同じように座り、既にスタートラインにたゆたう四人の選手に目を向けて開始の合図を待っていた。

 他の選手が膝立ち、または片膝立ちで構えている中、渡辺だけは真っ直ぐに立っており他の選手をかしずかせている女王様のように見えた。

「うわっ、相変わらず偉そうな女……」

 千葉の渡辺摩利嫌いは健在のようで、左右に座る西条も柴田も聞かなかったことにしていた。

 空中に飛行船で吊るされた大型ディスプレイに、四人の選手がアップで移される中、ただ一人渡辺だけが不敵に笑っていた。それは、負けることなど微塵も思っていない自身に満ちた笑い顔だった。

 レース前の選手紹介が始まり一人ずつディスプレイ映されていき、渡辺の名前が呼ばれた瞬間、黄色い声援が客席を――時に最前列付近を――揺るがした。

「……どうもうちの先輩たちには、妙に熱心なファンがついているらしいな」

「つか、うるせぇ」

 熱狂度では、七草のファンの少年たちよりも、こちらの方が数段上だろう。

「分かる気もします。渡辺先輩はかっこいいですから」

「ええ、私も深雪さんに同意するわ」

 司波深雪と雪ノ下は揃って相槌を打つ。その時の雪ノ下の表情に、どこかしらの尊敬とあこがれの感情が見えたような気がした。

『用意』

 スピーカーから、合図が流れる。

 空砲が鳴らされ、競技が始まった。

 

 

「自爆戦術?」

 呆れ声で千葉は呟いた。

 司波達也は呆れて声も出なかった。

 比企谷は心の中で少し笑った。

 スタート直後、四高の選手がいきなり、後方の水面を爆破したのだ。

 おそらく大波を作ってサーフィンの要領で推進力に利用し、同時に他の選手をかく乱するつもりだったのだろうが、使用者自身がバランスを崩してしまうほどの荒波となってしまった。

 そんな中、渡辺だけは大波の混乱に巻き込まれずスタートダッシュを決め早くも独走態勢に入っていた。

 水面をなめらかに進むボートは、無駄という言葉を知らないかのように直角の曲がり角を鮮やかにターンし、滝状の段差をそのまま空を飛んでいきそうなほどの滑空をみせる。ボードと身体が一体化しているんじゃないかと思うほど、他の追随を許さないほどに。

「硬化魔法の応用と移動魔法のマルチキャストか」

 魔法式の解析ではなく、水上を走り去る姿、ボードの上の姿勢とバランスのとり方で、渡辺がなにをやっているのかを司波達也は見抜いた。

「硬化魔法? どこに使ってるんだ?」

 自分の得意魔法だけに、西条は無関心でいられないのだろう。

「ボードから落ちないように、自身とボードの相対位置を固定しているんだ。さらに渡辺先輩は、自身とボードを一つの『もの』として移動魔法をかけている。しかも、コースの変化に合わせて持続時間を設定し細かく段取りしているな」

 自分の得意魔法が故に、それがどれほど高度な技術なのか西条は理解できた。

「へぇ……」

 だから、西条は素直に感嘆を漏らした。

 その一方で、

「面白い使い方だ……」

 技術者の性か、司波達也は思考の海へと沈んでいった。

 レースはまだ一周目の半ばだったが、渡辺の加速魔法と振動魔法の併用、常時三種類から四種類の魔法を絶妙に組み合わせにより勝利は決定したも同然だった。

 

 

 

 本日のバトル・ボードは予選のみ。あとは昼食後に第四レースから第六レースが行われるだけだ。午後はスピード・シューティングの準決勝と決勝を観戦することにして、司波達也は一旦、皆と別れた。それに便乗しようと比企谷も姿をくらまそうとしたが、そうは問屋がおろさず雪ノ下と由比ヶ浜に捕縛されていた。

「比企谷君、どこに行こうとしていたのかしら?」

「ヒッキー、どこに行こうとしてたの?」

「あ、いや、ほら、トイレに……スイマセン」

 経験から無駄だと悟った比企谷は素直に謝ると、雪ノ下たちについていった。

 

 

「それで雪ノ下、由比ヶ浜、自信はどうだ?」

 全員で昼食をとっている最中、比企谷は二人に訊ねた。

「ん~いっぱい練習したし、自信は凄くあるよ!」

「そうね、私も自信はあるわ」

 無邪気に返答する由比ヶ浜と、いつものように雪ノ下は冷静に返した。

「えっと、結衣はたしかクラウド・ボールで、雪乃はアイスピラーズ・ブレイクだったよね」

「うん! すっごい頑張って練習したから本番の時は応援してね!」

「ええ、司波さんと北山さんと一緒よ」

 そこから新人戦の話題に流れ、出場する五人を中心に話しが回っている途中、

「あ~悪い、ちょっと用ができた」

 と、端末を取り出した比企谷が立ち上がった。

「姉さん?」

「ああ。ちょっと行ってくるわ」

 どうやら雪ノ下陽乃からの呼び出しがあったようで、比企谷はその場を後にする。

 

 

「比企谷君、どうも本気できな臭いわよ」

「あ~やっぱりですか。俺としては働きたくないんですけどね」

 雪ノ下陽乃の言葉に、比企谷は深くため息をついた。

 呼び出された比企谷は今、雪ノ下陽乃の部屋に来ていた。そこには比企谷だけではなく、材木座、戸塚、川崎の姿もあった。

「八幡よ、敵は無頭竜でよいのか?」

「ああ、無頭竜で間違いねぇよ。だとしても俺だけで充分だろ」

 それに、どうやら一〇一が控えているみたいだからな、呟く。

「まぁ、お前らは九校戦を楽しんどけよ。せっかく選ばれてんだから」

「で、でも、それじゃ八幡が楽しめないんじゃ」

 戸塚は心配そうに比企谷に顔を向けるが、当の本人はヒラヒラと手を振って心配するなと応える。

「そう、じゃあ、あたしは楽しませてもらうよ。ただ、なにかあたしたちに言っておくことはあるかい?」

「あ~そうだな、んじゃ、優勝してこい」

 どこか期待を込めた眼差しを向ける川崎の言葉に、少し悩む様子を見せた比企谷は当たり前のことを言うかのように、優勝しろと口にした。

「「「了解」」」

 三人からすればその言葉は信頼の証である。これほど嬉しいことは無いというほどに。だから、こんな時でも三人は三人とも嬉しさを押さえきれず笑顔であった。

 そんな光景を見て雪ノ下陽乃も少し口元に笑みを浮かべていたが、すぐに表情を引き締めざるをえなかった。

「だから新人戦が終わっても手を出すなよ、全部俺が片付けるんだからな」

 そこには静かに時を待つ、鬼がいた。

 



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