真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版) (DICEK)
しおりを挟む

第001話














 身体は勝手に動いていた。武器を持った男三人に、少女が囲まれている。助けなければ。そう考えるのは男として自然なことだった。

 一番手近な男にタックルを食らわせる。自分たちの他に人間がいるとは思ってもみなかったのだろう。一刀のタックルに、リーダー格らしい男はなす術もなく転倒させられた。男と一緒になって地面を転がる際、彼が手放した武器を奪って立ち上がり、構える。

 武器は両刃の剣である。刃を落としてあったりは……多分しないのだろう。本物の武器を持ったことは祖父の家にあった日本刀を持って以来だったが、それに通ずるずっしりとした物騒な重さがこの剣にはあった。

 芸術品として飾られていた祖父の日本刀とは比べるべくもない。手入れなど全くしていないのだろう。錆すら浮いている汚い剣が、しかし、今の一刀の唯一の武器だった。

 無手であれば、男一人と侮られもしたのだろうが、今の一刀は武器を持っている。男たちは三人。無論のこと武器を奪われた男も短刀を出し全員が武装していたが、強そうには見えなかった。一刀の彼らの印象はあくまで、武器を持った素人である。

 だが一刀も、素人には違いない。剣道をかじってこそいるものの、それを実践的に使ったことなど一度もない。喧嘩など数える程しかしたことがなく、その時も武器を持ってなどしなかった。精々、竹刀程度の大きさのものを取り回し慣れているというくらいだ。

 詰まるところ、優勢なのは数が多いあちらの方である。武器を持った戦いだ。数を頼みにこられたら、アッと言う間に一刀は殺されていただろうが、男三人が動く気配はなかった。明らかにイラだった様子の彼らは、同時に一刀を――厳密には、その手に持った剣を恐れていた。

 武装した敵と戦ったことが、ないのかもしれない。彼らの装いはいかにも盗賊といった風で、昔、教育番組で見た三国志の人形劇に出てくるやられ役のモブを連想させた。頭にまいた汚い黄色い頭巾など、実にらしい。

 踏み込む、退く。踏み込む、退く。昔遊んだおもちゃのようで何だか気分も良くなってきたが、あまり時間をかけてもいられない。剣を振り上げて大声をあげると、男たちは一目散に逃げていった。

 とりあえず、危機は去った。

 一刀は大きく息を吐き、剣を地面に放り出す。どっと疲れが押し寄せてきたが、するべきことはまだあった。

「大丈夫?」

 間に合った、というのは『助けた』一刀の認識である。何か怪我をしているのでは、単純に、少女を慮っての問いだったが、

「別に、大したことないわ」

 窮地を助けた人間に対するものとして、少女の反応は随分とそっけないものだった。所謂、ヒーローに対するヒロインっぽい対応を少なからず期待していた一刀は、微妙に肩すかしを食らったが、元よりヒーローという柄ではないと思いなおす。助けようと思って手を出したのだ。少女が無事と主張するなら当面問題はない。

「なら良かった。俺は北郷一刀。ついでに聞いておきたいことがあるんだけど、良いかな」
「手短にお願いね。できればこんなとこ、さっさと離れたいから」
「ここは、何て場所なんだ?」
「豫州潁川郡」

 聞いたことがないどころか、現代日本ではありえない地名に、いよいよ一刀の想像にも現実味がなくなってきた。少なくとも、一刀の最後の記憶にある場所とここは全く異なっている。

 そもそも、ここに来る直前まで何処で何をしていたのか記憶が曖昧だ。自分がどういう人間なのかは、はっきりと思いだすことができる。これまでの生い立ち、現在の交友関係。長年続けた趣味から猥本の隠し場所まで、記憶は鮮明だ。

 記憶喪失という訳ではないらしい。あくまで、ここに至るまでの直前の記憶がすっぱりと抜け落ちている。

 だが、直前までどこにいたという記憶がなくとも、今現在立っている場所がちょっとやそっとではたどり着けないような場所だ、ということは理解できた。これが夢というのでなければ少なくとも、慣れ親しんだ地元からはかなりの距離を移動していることになる。

 加えて、先ほどの男たちと少女の恰好だ。いかにも人形劇だった男たちに対し、少女の装いにはまだ現代でも通じそうな部分がある。これだけを見れば古風なコスプレとしても通じそうではあるが、いくらなんでもコスプレ関係のイベントで、武装したエキストラを用意はしないだろう。

 こつこつと剣を叩くと、固い金属の感触が返ってくる。改めて、剣が本物であることを確認すると、一刀は深く深く溜息を吐いた。現状解ることから判断するに、どういう訳か人形劇で三国志な場所に放り込まれた、というのが一番妥当なように思える。

 気合の入ったドッキリという可能性は捨てきれないし、できることならばそうであってほしいとは思うけれども、北郷一刀という一個人を担ぐためにここまで大がかりなことをするとは思えないし、それでは事前の記憶が曖昧という現象の説明がつかない。

 その辺りは、いくら考えても解らないような気もする。できることなら、全てを打ち明けることができるほどに信頼ができ、かつ自分など及びもつかない知恵者の頭を借りたいと思う一刀だったが、ここが何処で、何時なのかも解らない。手を貸してくれそうな人間は、全く脳裏に浮かんでこなかった。

「何を珍妙な顔をしているのかしら。間抜けで精液臭い顔が、更に酷いことになってるわよ」
「それは申し訳ない。それで、厚かましいお願いで恐縮なんだけど――」
「助けてもらってお礼くらいはするわ。実家が近くだから、寄っていきなさい」
「助かるよ、ありがとう」
「別に、命を助けられたのに恩人を放り出す不義理な女、なんて思われたくないだけよ」

 男を実家にあげるなんて、本当に忌々しいことだけどね……と小さく付け加え、忌々しそうに溜息を吐いた。命を助けられておいてここまで言える少女に、一刀は逆に感心していた。北郷一刀個人がどうこうと言うよりも、元々男が好きではないのだろう。

 そう考えると、冷たくされることにも納得がいった。だからと言って何のダメージも受けていない訳ではないが、冷たい態度に理由がつくだけでも違うものだ。初めての土地に不可解な状況。同級生からはよく動じない男だと言われたものだが、それにも限度がある。まだ、十代だ。不安なものは不安なのである。

「そう言えば、自己紹介もしてなかったわね。私は荀彧。字は文若よ。でも覚えなくて良いわ。きっと短い付き合いになるでしょうからね」

 振り向きもせずに名乗った少女の名前は聞き覚えがあったが、それは記憶が確かならば男性の名前だったはずだ。少女は確かに貧相であるものの、そこに男性的な特徴はない。女性っぽく見える男性という可能性も否定できないが、その可能性について少女に言及したら、間違いなく渾身の力を込めた拳が飛んでくる。

 少女は女性であるとして、だ。記憶の中では男性であるはずの名前を、少女が使っている。同姓同名ということはあるだろう。一刀にとっては外国の名前だ。女性名と男性名にどれほどの違いがあるのかすら、明確に答えることはできない。

 普通に考えるならば、名前が同じ、似てる、あるいは近いだけの他人と考えるのが当然なのだろうが、既に全く知らない場所に気が付いたら立っていて、暴漢に襲われている少女を助けるという、非日常的な場面に遭遇している。

 馬鹿げた想像だが、まさか三国志の世界に放り込まれた上に、その登場人物が女性になっているなんてことも、もしかしたらあるのかもしれない。

 すたすたと先を歩く少女の背中を見ながら、一刀はこっそりと溜息を吐いた――

「…………一度しか言わないから、良く聞きなさい」

 ――ところで、しばらく黙ってると思っていた荀彧がいきなり口を開いた。溜息を聞かれていたとしたら、また面倒くさいことになりそうだと身構えていると、荀彧は視線をこちらに向けないまま、小さく唸った。

 一刀の目には、荀彧は何事に対してもはっきりと物を言うタイプに見えた。それが言いよどむなどよほどのことである。一体何を言われるのか。身構えた一刀に荀彧が口にした言葉は、一刀が全く想像もしないことだった。

「本当は、あんたみたいな精液男にこういうことを言うなんて、本当に、本当に嫌なんだけど、口にするのも嫌なんだけど…………ありがとう。命を助けてくれたことには、本当に感謝してるわ」

 話はそれだけよ、と荀彧は今度こそ口を閉ざした。足音の大きさから、彼女がいかに不機嫌であるのか見て取れる。言葉の通り、本当に、心の底から嫌だったのだろうが、それでも、その気持ちを押し込めてお礼を言ってくれた。

 自然と笑みがこぼれる。一目でへそ曲がりと解ったこの少女が、自分の想像を遥かに超えるへそ曲がりと解って、妙に嬉しくなった。

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第002話 荀家逗留編①
















 生まれて初めて武器を持って、自分の意思でもって他人を傷つけた場所から、一時間も歩いただろうか。一刀はキツめな性格の猫耳頭巾に、彼女の実家があるという街まで連れてこられた。

 街の様子を見て、一刀は本当に違う時代に来てしまったのだな、と理解する。舗装されていない道に、道行く人たちは古風な恰好をしていた。時代劇特有の、小ぎれいな古臭さはまるでない。彼ら彼女らは普段から、こういう恰好でここで暮らしているのだ、というリアルさが道を歩いてみて犇々と感じられた。

 そんな人々の視線を、一刀は一身に集めていた。最初は前を歩く荀彧が目立っているのだと思った。事実、この街の有名人である荀彧は確かに人目を引いていたが、それ以上に一刀自身がかなりの人目を引いていた。本人が視線を自覚できる程である。

 一つ二つであればまだ勘違いで済ませることもできただろうが、道行く人々全員が一刀を凝視しているのだから、自分を誤魔化すことはできなかった。

「何か、もの凄く人の目を集めてる気がするんだけど、もしかして荀彧は有名人?」
「あんたの服が目立ち過ぎるのよ。何よ、その真っ白できらきらした服は……」

 巻き込まれることを嫌がってか、荀彧は振り返ろうともしない。言われて、一刀は自分の服を見下ろした。彼の通う聖フランチェスカの男子の制服は上が白ランという攻めに攻めたデザインである。親戚のお爺さんには『海軍のなりそこない』と笑われてしまったこのデザインだが、学園では男子は皆この恰好であることと、女子の制服はもっと目立つために感性がマヒしてしまい、『目立つ服』という印象は一刀の中で綺麗さっぱり消えていた。

 慣れとは恐ろしいものであるが、一歩学園の外に出れば人目を引いていたことは記憶に残っている。これも慣れだが、まだその視線になれていなかった頃の、初々しい記憶が今さらになって甦ってきたのはどうしてなのか。古風なこの環境ならば、更に悪目立ちするのも、仕方ないことのような気がしないでもない。

 堪らず上着を脱ぐ一刀だったが、その下に来ているワイシャツも白かったので、あまり効果はなかった。原色の少ないこの空間において、真っ白というのはそれだけで目立っていた。化学製品特有のきらきら感が、それに拍車をかけている。

 視線に居心地の悪さを感じていた一刀は、早く目的地に着かないかと考えていたが、荀彧に案内され、辿り着いた彼女の実家はまさに屋敷と呼ぶに相応しいもので、視線とはまた別の意味で一刀に居心地の悪さを感じさせた。

 塀がどこまでも続いていて、終わりも見えない。この街であれば荀彧さんちはどこですか、と聞けば『あの家だよ』と案内してくれるだろう。街の規模に比して、この屋敷は明らかに大きい。

 荀彧の性格から、それなりのお嬢さんだろうとは予想していたが、この屋敷の大きさは予想を遥かに上回っていた。塀に沿ってえっちらおっちら歩いていると、ようやく門が見えてくる。その門の前には、お手伝いさんといった装いの若い女性が立っていた。

 女性は荀彧を見つけ相好を崩すと、その隣に一刀の姿を見て目を見開いて驚いた。その時、一刀と荀彧は同時に彼女がこれから自分たちにとって良くないことを言うと直感した。女性を止める間もあればこそ。彼女は門の中にまで引き返し、屋敷中に響くような大声でこう言った。

「奥様! 街の噂は本当でございました! お嬢様が、婿殿を連れてお戻りにっ!!」

 もう、街の噂が届いているのか。昔の人でも耳は早いんだな、と諦めの境地で感心している一刀の横で、荀彧は微動だにしない。彼女は、立ったまま気絶していた。






「――そういう事情だったのですね。ご迷惑をおかけいたしました」
「こちらこそ。突然押しかけてしまって申し訳ありません」
「とんでもございません。娘の命を救ってくださった貴方は、当家にとっても恩人です。どうか気のすむまで、当家にご逗留くださいませ」

 ありがたい申し出に、一刀は素直に頭を下げた。卓を挟み、対面に座る女性は荀昆と名乗った。荀彧の母に当たり、現在の荀家を取り仕切っている女性だという。母親というだけあり、荀彧にも面差しが良く似ていた。二回りくらい年齢を重ね、毒舌と罵詈雑言と吊り上がったキツい目つきを取り除いて、落ち着きと柔和さを足したらきっとこうなる気がする。

 ちなみに荀彧であるが、今は自室で横になっている。旅の疲れ、襲われた衝撃で、と家人は説明したが、彼女にとって一番衝撃的だったのは、自分が婿を連れてきたという話が、実家だけでなく街にまで広まっていたことだろう。

 あの性格である。衝撃を受けるのも無理もない。うんうん頷きながら静かにお茶をすすっていると、荀昆の方から話を切り出してくる。

「婿殿――失礼、北郷殿はどちらから?」
「奇妙な話ではありますけど、お嬢さんが襲われていた現場に、自分がどうしていたのかも理解できない有様でして」
「それはまた、本当に奇妙な話ですね」

 普通そんな話をされれば少なからず不信感が態度に出るものだが、荀昆は欠片もそういうものを出さなかった。事実とは言え、あからさまに嫌な顔をされてしまったらどうしようと心配していた一刀は、心中でそっと胸をなで下ろす。

「全く。できれば、この国の地図など見せていただけるとありがたいんですが」
「この街周辺ではなくてですか? では、一番広い範囲を記した地図をお見せしましょう」

 荀昆が手配すると、部屋の隅に控えていた侍女がすぐに地図を持ってきた。両腕を大きく広げてもまだ足りない、一刀の感覚では非常に大きな地図である。

 その地図を見て理解したことは、人形劇という直感も中々捨てたものではないということだった。『中国』という国家の全図が一刀の頭の中にしっかりと記憶されていた訳ではないが、ぼんやりとした記憶の中にある『中国』とこの地図は似ている――気がしないでもない。

 地図については、根拠もあいまいな記憶という曖昧なものであるが、書き込まれているのは漢字であり。いくつか見たことのない字があるが、道々見かけた看板にも漢字が使われていた。ここが漢字を標準的に使う文化圏というのは間違いない。

 不可解なことはある。書いてある文字は読めないのに、話している言葉は理解できることだ。普通、話している言葉は使われる文字と密接に関係している。一刀が理解している以上、ここで使われているのは彼が唯一話せる日本語と考えるのが妥当であるが、地図や看板に使われている文字、文章を見る限りはそうではない。

 その辺りに、どうしてここにいるのかという疑問の解決の糸口がありそうだったが、当面はそれ以上に大事なことがあった。当分逗留して良いと荀昆は言うが、それを額面通りに受け取る訳にもいかない。これだけ大きな屋敷だ。人間一人を飼っていたところで経済的には痛くも痒くもないのだろうが、結果的に恩を売ったとは言えいつまでもおんぶにだっこでは外聞が悪い。

 いずれここを出て、生活する手段を見つけなければならないだろう。元の世界に戻る手段を探すにしても、諦めてこの世界で暮らすにしても、独り立ちできるだけの知識と手段が必要だ。

「…………事情がおありなようですから、話したい時に話してくださる、ということで構いませんよ」
「そうしていただけると助かります。まだ俺…………いえ、私の中でも考えがまとまらなくて」
「時間はたっぷりありますので、お好きなように使われるとよろしいでしょう。お部屋を用意させました。お疲れでしょうから、休まれてはいかがですか?」
「そうさせていただきます」
「案内は彼女にさせます」

 部屋の隅に控えていた、地図の準備をした少女が荀昆の声に一歩前に出る。幼い顔立ちをしているが、自分よりは二つか三つは下だろうと、一刀は当たりを付けた。それにしては随分と落ち着いている。自分と比べてどっちが大人に見えるかと人に聞けば、ほとんどが彼女の方だと答えるだろう。

「それでは。御用の際は何なりと仰ってください」
「お心づかいに感謝します」

 荀昆と別れ、少女について屋敷を歩く。少女に案内された部屋は、実家にある一刀の部屋の倍は広い部屋だった。これで客間ならば、屋敷の人間が住んでいる部屋はどれだけ広いのだろう。金持ちとそうでない人間の差を見た気がして、少し落ち込んだ。

「私は宋正。字は功淑と申します。お客様のお世話を、奥様より申し受けました。御用の際は、なんなりとお申し付けくださいませ」
「ああ、その、助かります。ありがとう」

 年下であるという見立てはそれなりの確信のあるものだったが、話して見るとやはり年上に見えた。いつか確認するのが良いのだろうが、荀彧の例もある。あれはかなり特殊な部類だろうが、二人続けてあんな感じの対応をされると流石に心も傷ついてしまう。

 時間はまだあるのだから、色々と質問するのは後でも良いだろう。大して運動をした訳でもないのに、今日はやけに疲れてしまった。できることなら、今すぐにでも床につきたい気分だ。 

「代わりの服は、こちらでご用意させていただきました。お召し物の方はこちらでお預かりし、洗浄の上ご返却いたします」
「何から何まで、ありがとうございます」
「とんでもございません。お嬢様を助けてくださいましたこと、私ども、心より感謝してございます」

 宋正の態度に、やはり裏は見られない。あれで、家人には好かれているのだろう。その言葉を聞いて、何故だか一刀は少しだけ安心した。結果的に自分が助けた少女が、人に好かれていることが、単純に嬉しかったのだ。

「お疲れのようですので、私はこれで失礼しますね」

 言って、足早に宋正は部屋を後にした。制服を脱ぎ、用意されていた着物に着替えると、寝台に飛び込んだ一刀は泥のように眠り始めた。














「婿殿はどうですか?」
「お疲れだったのか、すぐにお休みになられました。しばらくは、起きられないかと」
「そうですか。男嫌いのあの娘が男性を連れてきたと聞いた時には何の冗談かと思ったものですが、実物は冗談以上に冗談のような方でしたね」
「ええ、まさしく」

 一目見て、一度話してみれば彼がどれだけ特殊なのか解るというものだ。命を助けられた恩義があったとは言え、そう判断したからこそ娘も彼をここまで連れてきたのだろう。

 彼について、調べなければならないことは山ほどあるが、まずは最も疑問に思ったことについて、荀昆は宋正に問うてみた。

「彼の服については?」
「服飾に詳しい物に見せましたが、縫製はともかく素材については検討もつかないと。洛陽でもこれ程の素材は手に入らないと申しておりました」
「でしょうねぇ……」

 人目につくような服を着るというのは元来、庶民ではなく富裕層の文化である。目立つ服を着ているというだけである程度の資金力がある家の人間である、という証明にもなるのだ。何の事情も知らない街の人間は、どこの貴族かと思っただろうが、一刀と直接話をした荀昆は違う意見を持っていた。

 確かに育ちは良いようだが、高貴な生まれの人間特有の鼻についた雰囲気がない。良い意味で庶民的な一刀の雰囲気は、精々成り上がったばかりの商家の次男か三男という風だ。富裕層であったとしても、資金力も発言力も荀家とは比べ物にならないくらい下だろう。

 だがそうなると、あの服装の説明がつかない。希少で手に入らないというのならばまだしも、彼の服を見た人間は見当もつかないと答えた。服飾に詳しいと豪語するくらいである。古今の素材に精通しているはずだが、それでも尚見当がつかないということは、それだけ希少ということだ。

 希少であることはすなわち、値段が張るということとほとんど同義である。彼の振る舞い、雰囲気から感じる家格からすると、あの服を着ていることは酷く不釣り合いに思えた。

 態度、雰囲気から察せられる家格と、ああいう服を着ている家格が釣り合っていない。それに最も大きな疑問が残る。ああいう服を着る家格の人間だとして、それが丸腰で、護衛もなしに、どうして街の外れにいたのかということだ。

 記憶が曖昧という返答を、一刀はしたが、そういう事情を疑ってかかるのが荀昆の仕事でもある。何もないのなら話は早いし助かるが、そうではない時、早い内に手を打っておかないといけない。今、とにもかくにも情報が欲しい。 

「人を放った結果は?」
「元より街の住人についてはそのほとんどの素性を掴んでおりますが、記録を見る限り彼がこの街に住んでいたことはありません。放った者は第一陣が戻って参りましたが、やはり彼を初めて見る、という者ばかりですね。この街の周辺にまで調査の網を広げるよう、準備はしておりますが……」
「無駄な気はしますが、しないよりはマシでしょう。引き続き素性の調査をするよう、指示を出しておいてください」

 小さく、荀昆は息を吐いた。人間一人の調査の出だしで、ここまで難航するのは久しぶりのことだ。これでタダの人というオチだったら肩すかしも良いところだが、あの娘が連れてきた男性だ。きっと何かある、と思うのは親のひいき目だろうか。

 いずれにせよ、あくまで採算という面で彼を見るならば、あの服一つでも世話をした元は取れる。他に何か得るものがあるようならば、これからゆっくり人となりを見れば良いのだ。

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第003話 荀家逗留編②








 食事をして寝るだけという生活に一日で耐えられなくなったという体で、一刀はこの世界の情報収集を始めた。宋正に荀家の書架に案内してもらい、一つ目の木簡を開いたところで最初の躓きである。

 やはり文が全くと言って良いほど読めない。大体の漢字には見覚えがあるからぼんやりとした意味こそ解るものの、正確に訳してみろと言われたら困る有様である。この年になってこの文が読めませんと他人に言うのは想像していた以上に恥ずかしかったが、背に腹は変えられない。宋正に文章の翻訳をお願いすると、彼女は目をまん丸にして驚いた後、優しい笑みを浮かべて言った。

「でしたら、ご一緒に読み書きの勉強などいかがですか?」
「ありがたいお話ですが、そこまでしていただく訳には……」
「私は正式に北郷様付きになりましたから。北郷様から何かご指示がないと、正直暇なんです。私を助けると思って、お願いできませんか?」

 教えてもらう相手から頼まれてしまっては断るものも断れない。元より願ってもないことなのだ。宋正の申し出に対する、一刀の答えは決まっていた。

「申し出に感謝します。お願いできますか?」
「喜んで。ところで、もう少し砕けてくださって構いませんよ。北郷様はお客様ですし、私の方が年下でしょうから」
「年下かなとは思ってましたけど、本当にそうなんですか?」
「そうだと思いますよ。私は今年で十四になります」

 思わず、一刀は宋正を凝視してしまった。年下とは思っていたが、いざ本人から年齢を言われてみるとどうにも信じがたい。確かに自分よりも3つも年下だと言われても、納得できる容姿をしている。侍女らしくきっちりと服を着こなしてはいるが綺麗というよりは可愛らしい面差しだ。一刀の世界の中学生よりもとても大人びて見えるのは、環境の違いに寄るものだろう。

「では、どうぞ?」
「解ったよ。これからもよろしく、宋正」
「私のことは功淑とお呼びください。真名で呼ばない、親しくさせていただいている方々は私をそう呼ばれます」
「了解。ところで真名って何だ?」
「――教え甲斐のある生徒を持てて、私も嬉しいです」

 功淑本人が言った通り、彼女は本当に専属になっていたようで、それからは一刀と終日行動を共にするようになった。文字の読み書きからこの国の歴史、風俗から社会情勢まで、功淑は一刀が求めた全てを教えてくれた。文章を読めるようになるにはどれだけ時間がかかるのだろうと不安に思っていたが、文字そのものは馴染みがあること、何故だか会話は既にできることもあり、本人も驚く程の速度で知識を吸収していく。

 このちぐはぐさに功淑は戸惑った。当然知っているべきことを知らないと思えば、本腰を入れてかかるべきと思っていた文字の指導は、驚くほど早く進んでいる。

 これならば、二週間もあれば読み書きはできるようになるだろう。二、三日指導を受けて、そう太鼓判を押してもらったところで、一刀も更に欲が出てきた。

 荀家には、私設の警備隊がある。通常は屋敷の警護をし、家人が遠出する時などはその護衛も務める。有力者の間でこういう部隊を持っているのは、珍しいことではないらしい。

 必要になったその都度金で雇うのは信用できないからと、常に雇用しているという。

 警備の総数は約百五十。およそ10日に一度休日があり、それ以外は全て出勤。実働のおよそ半分が屋敷の警備に当たり、残りは中庭などで訓練をしている。家人の指示で使い走りをすることもあるが、警備をしていない時は大抵が訓練である。

 一刀が勉強をしている時、中庭で訓練をしているのが見えた。勉強に飽きたという訳ではないが、そろそろ身体を動かしたくなってきた一刀は、その旨を功淑に伝えた。

「問題ないと思います。奥様と向こうの隊長には、私の方から話をしておきます」
「助かるよ。ありがとう」
「どういたしまして。ところで、北郷様は何か武術の心得がおありなのですか?」
「じいさんに剣を少し――何もしてないよりはマシって程度かな。人と戦ったのは、この前が初めてだよ」

 剣道というジャンルに絞れば、二段である一刀の腕は高校生にしてはそれなりのものである。世間を見ればもっと強い奴はいくらでもいたが、それはそれだ。

 しかし、実際に真剣を持って戦うとなれば、話は大きく違ってくる。死なない前提の剣道と、死と隣り合わせの実戦では、気の持ちようからして、大きく違う。すぐに元の世界に帰る見通しが立っていない以上、身を守る手段というのはあって困ることはない。

 できることなら一から剣の指導を受けたいと思っていたところだ。警備の訓練に混ざれるならば、これ以上のことはない。

「それにしても、警備に話をつけられるなんて凄いな。功淑はもしかして、えらい立場だったりするのかな」
「入ったばかりなので、書生の中では立場は低いですね。北郷様の専属になったのも、年が近いからではないかと。警備に話をつけられるのは、単純に年の離れた兄が警備隊長ですから、話をし易いというだけの話ですね」

 大したことではない、という功淑の態度に過度の謙遜が見えた気がした。これという根拠はないが、本人の言葉以上に、彼女は偉い気がする。

 書生というのが役職の一つを指し、家長である荀昆の弟子であることは知っていたが、具体的にこの家がどんな仕事をしているのか、実のところあまり良く解っていない。下の方の立場であっても、普段は仕事をしていたはずだ。それを良く解らない人間の世話を任されたのだから、腐っても不思議ではない。

 内心でどう思っているのか知れないが、少なくとも功淑はそれなりに楽しそうに講義をしてくれているのが、一刀にとって救いだった。これ程熱意を持って勉強をしたことなど、過去にはない。思えば、勉強のために時間を費やすことのできる環境が用意されていたことが、どれだけ恵まれたことだったのか、この世界にやってきて初めて知ることができた。

 元の世界に戻ることがあれば、今までよりもずっと真面目に学校に通えるだろう。こんな美少女の先生はいないだろうことが、少し残念ではある。

「うちの家の人間に、色目を使わないでもらえるかしら」

 そんな邪な考えが、視線か態度に出ていたのか。これでもかというくらいにトゲのある声に、一刀は思わず背筋を伸ばした。見れば、不機嫌そうな顔をした荀彧がいる。不機嫌でない時がないくらい不機嫌な少女は、足音も高く部屋を横切ると、卓に広げられていた書物を見た。

「書庫で勉強をしてるって聞いたから来てみれば、随分と初歩的なことをやってるのね」
「文の勉強を兼ねてるというかさ。恥ずかしい話、言葉は話せるけど書けないんだよ、俺」
「一体どんな育ちをしたらそうなるのかしら――別に気になってないからね? 単に、あんたを罵ってみただけなんだから」
「明日から剣も学ばれるようですよ?」
「そうなの? まぁ、どっちかと言えば、そっちの方が向いてるんじゃない?」

 荀彧の声に、一刀は感嘆の溜息を漏らした。相手を慮ったものを『気持ちの籠った言葉』とするなら、今の荀彧の言葉はまさに真逆である。これほどまでにお前に興味を持っていませんよ、という感情を持たせようと放たれた言葉を、一刀はいまだかつて聞いてことがなかった。

 それ故に、もの凄く空々しい。荀彧に比べ、圧倒的に頭の回転で劣る一刀でも、荀彧に別の意図があることを理解できてしまった。話が途切れても帰る気配がないし、様子を見に来たというだけにしては腰が重いのだ。少しの沈黙が流れる。それだけで、荀彧のイライラが増したように一刀は感じた。

 こつん、と一刀のつま先が小突かれる。宋正だ。視線を向けると、宋正は一瞬だけ荀彧の方を視線で示した。その仕草の意味を察するに――

「良ければ、荀彧も俺の勉強を見てくれないか?」
「はぁ!? なんで私が!!」

 いきなり怒鳴られてしまった。それから荀彧はいかに北郷一刀がダメな精液男なのかを、豊富な語彙を尽くして罵倒し始める。十分ほども続いていただろうか。流石に息が続かなくなっていた荀彧は、荒い息を吐きながら近くの椅子に腰をかけた。

「良いわ、教えてあげる。借りの清算も、早めにしておきたいしね。ただし、私のやり方は功淑ほど甘くないから覚悟しておくことね」

 その言葉と興奮した様子の荀彧の顔を見て、最高に頭が良くて呼吸するように他人を見下しても、男というただそれだけで罵詈雑言を飛ばすような性格でも、他人のために骨を折って、そのために行動することのできるそれなりに良い奴なのだと理解した。あくまでそれなりだが。

 要するに感情表現が屈折しているだけなのだ。大抵の人間は浴びせられる罵詈雑言で心が折れてしまうのだろうが、それさえ突破できれば中々面白い奴ではあった。急ににこにこしだした一刀にとりあえず罵詈雑言を浴びせた荀彧は、すぐさまカリキュラムを作り直し、実行に移す。

 一言で言うならスパルタである荀彧の講義はそれはそれは凄まじいもので、二週間はかかるという功淑の見通しを遥かにぶっちぎり、それから三日で読み書きを可能なものとした。

 それができるようになると、後はひたすら勉強である。荀彧の言う所によれば、北郷一刀に才能はなく、精々下級の官吏にでもなって、慎ましく一生を終えるのがお似合いだと言う。

 だが、現状ではそれもままならないということから、役人になるための基礎知識から徹底的に教え込まれた。理解できないと言うと、容赦のない罵詈雑言が飛んでくる。最初こそ、その手加減のない物言いに一刀でもイラっときたものだが、勉強にある程度こなれてきて、相対的に罵詈雑言が少なくなってくると、それだけ物足りなくなってしまう。

 自分はもしかして、精神的なドMなのかと、こんな世界に来て気づくというのも奇妙な話である。

「実際、お嬢様は北郷様のことを良く思っていると思います」
「そうかな――」

 つかの間の休憩時間である。荀彧が荀昆に呼び出されて席を外している間に、功淑が耳打ちする。実感ができない一刀は功淑に疑問の声を挙げたが、彼女は当然です、とばかりに力強く頷いた。

「まず、お嬢様は極力男性とは会話をしようとしません。するとしても、とても短く済ませます。まして、大恩あるとは言え、自分から男性の教師役を言い出すなんて、これはもう何かあるとしか思えません」
「その何かが殺意とかでないことを祈るよ……」

 ツンデレというものがあると聞いたことはあるが、デレがないツンデレというのも存在するのだろうか。少なくとも優しい言葉をかけてもらった記憶は、一刀にはない。仲良くなればそういう時も、もしかしたらあるのかもししれないが、年頃の少女らしく頬を染めて、男を前に恥じらう荀彧など想像することもできない。

 きっと、仲良くなっても彼女はずっとツンのままなのだろう。そんな気がするし、そうであってほしいとも思う。

「戻ったわ。さぁ、また死にもの狂いで学んでもらうから、覚悟なさい」
「聞くにしても今さらだとは思うけど……俺に教えてくれるのはありがたいけど、良いのか? 今荀彧って無職なんだろ? 就職活動の邪魔にならないか?」
「惰眠を貪ってるだけのアンタと一緒にしないでもらえる? もう曹操様のところへ文を出したわ。今はその返事待ちよ」
「そうか。受かると良いな」
「私が落ちる訳ないでしょ!?」

 こいつめんどくさいなぁ、とは思いつつも、一刀の顔には笑みが浮かんでいた。口を開けば罵詈雑言が出てくるのでも、こういうやり取りはとても楽しい。落ちる訳ないと荀彧は言うが、功淑の話では最近の荀彧は常にイライラそわそわしているという。自信があっても気にはなるのだろう。

 荀彧にとって自分が特別優秀であるというのは事実であるが、それに必ずしも結果が伴う訳ではないことは当の荀彧が一番理解している。不確定要素というのは限りなく無に近づけることはできても、完全に排除することはできない。もしかしたら、という疑念は例え、荀彧くらい優秀な人間であっても消せないのだ。

「そうか。俺も信じてるよ。荀彧が受かるの」
「そのムカつく笑いを今すぐ引っ込めなさいよ! 一体何がおかしいの!?」

 頭から湯気でも出しそうな顔色で掴みかかってくる荀彧から、一刀は笑いながら逃げ出していく。部屋の中で始まった追いかけっこを、功淑はにこにこと眺めていた。














目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第004話 荀家逗留編③

 北郷一刀の腕っぷしについてである。

 幼少の頃より祖父に剣道の手ほどきを受けた一刀は、地元では剣道少年として知られていた。とは言うものの突出した才能があった訳ではない。その腕はかけた時間相応で、天性の輝きはないものの実直な剣を持つ努力家というのが一刀の評価だった。

 だがその評価が活きるのも、この世界に来るまでの話だ。あくまでスポーツである剣道と、有事の際には相手を殺すことまで前提となる剣術では、根本の心構えからして大きく異なっており、さらに言えばその資本となる体力についても要求の度合がまるで違った。

 試合でガス欠になっても精々黒星がつく程度であるが、有事の際にガス欠になることは自身だけでなく仲間や雇用主の危険を意味する。荀家に限らず、剣を持って戦う職業の人間に体力がないなんてことはあってはならぬことであり、持久力のある身体を作ることは仕事の大前提だった。

 故に訓練と言えども、武装して行うのが常である。それはド新人であろうと客分であろうと変わらない。ド素人でかつ客分だった一刀はまず具足を付けることにも苦労したが、護衛部隊の人間は誰も手を貸さなかった。

 珍妙な付け方をして不格好になったド新人を笑うのが、彼らの通過儀礼であるからだ。

 何とか一人で具足を付け終えた一刀を全員で大笑いした後、さて仕事だと言わんばかりに懇切丁寧につけ方を指導していく。道具というのは正しく使ってこそ十全な機能を発揮するもので、具足の付け方一つでも、緩みがあってはいけないのである。

さて、具足をつけての訓練のその一日目。護衛部隊の面々と同じメニューをこなした一刀は、訓練が終了すると同時にぶっ倒れた。決してひ弱な方ではないはずの一刀だが、慣れない具足を着用しての訓練であること。そも一緒に訓練をしているのは体力が資本である本職の護衛要員であることが災いした。

 彼ら彼女らにすれば新人がぶっ倒れるなどいつものことである。あぁ新人が倒れてるなぁと笑いながら井戸の水をぶっかけて元気づけたりもしたのだが、これに激怒したのが荀彧だ。その日はたまたま訓練の後に講義を入れていたのだが、体力の尽きた一刀はまともに勉強のできる状態ではなかったのだ。

 ふらふらした様子の一刀に、それでも容赦のない罵倒を浴びせる荀彧は鬼気迫る程だったが、歯牙にもかけないような相手であればそも声もかけない。婿殿であるという噂は街の中からすら払拭されつつあったが、その見込みのある男性であるという認識は、荀彧を知る人間に共通のものだった。

 普通であれば一生立ち直れないような罵倒であるが、足腰が立たないような状態であっても一刀は一々頷いて聞いている。この時点で普通の精神性ではない。荀彧と番になるような男性はどういう人間なのだろうと、彼女を知る人間であれば一度は考えるものだが、その二人のやり取りは彼らを非常に満足させるものだった。

 そして荀彧からの物言いによって、その翌日から講義がある日は講義を先にするというスケジュールの変更が一刀の知らないところで決められた。

 一刀が訓練をしている間、現状、彼に講義をすることが唯一の仕事である荀彧は自分の時間を持てる訳だが、その時間を荀彧は当たり前のように講義の準備に費やした。一刀に教えるレベルの話で今さら荀彧が学ぶことなどない。片手間にでも教えられるようなことばかりだったが、やると決めた以上誰が相手でも手を抜かないのが荀彧である。

 一刀でも解るように黙々と難解な話をかみ砕いて編集していく荀彧に、功淑はそっと苦笑を浮かべた。これも仕事の内だと荀彧は言うのだろう。事実、仕事については完璧主義の荀彧だから、相手が一刀でなくても同じくらいの手間はかけるに違いない。

 翌日の分の編集を終えた荀彧は今、功淑の淹れたお茶を飲みながら護衛部隊の長からの報告書を読んでいる。既に荀昆も目を通したもので、屋敷の主だったものは目を通しておくようにという通達も成されたものだ。

 男の情報など頭に入れておきたくないのだが、家長の命令では仕方がない……という体で、苦々しい表情で報告書に目を通す荀彧を、功淑は微笑ましそうに眺めている。

 その報告書によれば、一刀の評価はそう悪いものではない。

 筋肉は薄いが、これは時間をかけて鍛錬をすれば解決するとのこと。剣の腕は、どこかで学んだことがあるらしく、悪くはないが微妙に癖があり、特に疲れてくると左の手首を狙いたがるという。筋が良いと言えなくもないが、特筆する程ではない。このまま訓練をすればそれなりのものにはなるだろうが、武人として光るものはない、というのが責任者の結論だった。

「何も取柄のない人間ってみじめよね……」

 くくく、と邪悪な笑みを浮かべ荀彧は報告書を放り投げる。近頃は不機嫌な表情が定番である彼女にしては珍しい機嫌の良さそうな表情に、功淑は済まし顔で椀にお茶を足した。

「北郷様にも取柄はあるかと存じますよ。お優しいところとか」
「ああいうのは、八方美人とか優柔不断って言うのよ」

 一転、今度は不機嫌な表情でお茶を啜る。この荀彧という少女は基本的に、他人が一刀を褒めるところを聞くのが嫌いなのだ。かと言って、自分が褒める訳でもない。まるで、北郷一刀の評価が常に最低でないと気が済まないと言わんばかりに、本人の前は元より他人の前でもこき下ろすのである。

 そんな辛口評価の荀彧であるが、護衛部隊の長が一刀の武術の腕前について論じたように、彼の学識について同様の報告書を荀昆に提出していた。末尾に署名の入った、正式なものだ。

 荀彧の一刀に対する評価は、それはもう酷いものだった。広く家人のために記載した報告書は、そのほとんどが一刀への罵詈雑言で埋まっていた。これでは公平も公正もあったものではない。これでも、彼女が直接一刀に並べる罵詈雑言に比べれば大分控えめに表現されているのだが、初めて読む人間はそのインパクトに圧倒され、そこまで配慮が回らないだろう。

 普通の人間は、この報告書を書いた人間はよほど調査対象のことが嫌いだったのだろうと、苦笑して報告書を閉じるのだろうが、普段から一刀と荀彧のやり取りを見ている人間はまた別の感想を持つことになる。その原因は、罵詈雑言で埋め尽くされた報告書の最後を結ぶ言葉にある。

 努めて難しい言葉で装飾され若干意味の取りにくい文章になっているが、要約するとこういうことだ。 

『こんな奴を外に出したら荀家の恥だ。こんな奴は精々私の目の届く所に置いておいて、一生奴隷のようにこき使ってやるのが妥当である』

 家人たちの間に、生暖かい微笑みが広がったのは言うまでもない。いっそ、仕官の際に傍仕えとして連れていく可能性もあるのでは、という期待すら持ちあがっていた。

 出自について全く不明という不安な所はあるにはあるが、家人が知る限り、あれだけ荀彧と接していて音を上げないどころが好んで近くにいようとする奇矯な精神を持った男性は、今のところ一刀だけだ。血を残すためにも、荀彧には適当なところで子を成してもらいたいというのが荀昆を含めた家人全員の願いであるのだが、今までは男の影すら全くなかったのである。

 北郷一刀は荀彧の前に舞い降りた最初の可能性だ。たかがこれだけでと他人は思うかもしれないが、彼女の性格を考えたらこれが最初で最後ということも大いにありうる。家人が一刀にかける期待は計り知れない。

 これで少しでも、荀彧の方に少女らしい反応でもあれば勢いに任せて押し切るという選択肢もないではなかったのだが、こういう文章や行動の端々にたまに見せる態度以外は、相手を嫌っているとしか思えない発言を連発している。祝言を勧めるにも口実というものが必要なのだ。

 他の男性と比べて、特に甘い態度を取っている訳でもない。むしろより気合を入れて罵倒している節すらある程だ。これでは勧めようにも勧められない。

 結果として、北郷一刀は荀彧に他の男性よりも相対的に近づくことのできる稀有な男性である、という資質以外には、特に見るべくところはないと結論づけられた。

 こと、人材に関する育成、取集を主にしている荀家としては、この時点で見るべきところはほとんどなくなっているが、荀彧を助けたという功績そのものは消えることはない。

 家としては別にいつまでもいてくれて良かったのだが、勉強が進むにつれ、警備の訓練に慣れてくるにつれ、一刀の内面にはそろそろ旅立たなくてはという気持ちが強くなってきた。

 その気持ちが言葉として表面に出てきたのは、荀彧の元に曹操から直筆の文が届いた時である。月日にして二十五日。この日、北郷一刀は荀家を出ようと心に決めた。















「そろそろ旅に出ようと思うんだ」
「別に良いんじゃない?」

 会話はそれで終わってしまった。まさかあの荀彧が引き留めてくれると思っていた訳ではないが、ここまで無味乾燥だと流石に肩すかしである。それなりに意を決していた手前、受けるダメージもそれなりだ。思いつめた顔で口を開いたと思ったら、どんよりした顔になってお茶を啜る一刀に、苦笑を漏らしたのは功淑だった。

「どこか、行く宛はおありなのですか?」
「黄巾との決戦が北部で行われる見通しって話だから、それを避けて進もうかと。行けるなら一度洛陽に行って、それから南に行ってみようと思うんだけど」
「洛陽までなら出入りの商人に着いて行けば問題ないでしょう。あちらも護衛を雇っていますから、お一人よりは安心です。ですが南に行くとなると、誰か旅の人でも捕まえるのが心強いかと存じますが……」

 心当たりはおありですか? と功淑が視線で問うてくるが、無論のこと一刀にそんなものがあるはずもない。こちらにきてできた知り合いは、荀家の人間とその関係者のみだ。街にもほとんど出ていないから、交友関係は全くと言って良い程広がっていない。それに加えて、

「あんた、路銀はどうするの?」

 荀彧の発言に、一刀は言葉を失った。全く考えていなかった、と顔に出してしまった一刀に、荀彧は心底失望したという様子で深々と溜息を吐く。荀彧がぐさぐさと一刀の心を容赦なく刺していくのはいつものことだったが、功淑の目から見ても、今日の荀彧は当たりが強いような気がする。

 念願叶って曹操の処に仕官が決まった。それで浮かれているというのもあるのだろうが、一刀が一人で何処ぞに旅立ってしまうという事実が、彼女の心を波立てているのだと双方の関係者としては思いたいところである。もしかしたらという期待も込めて、家人は荀彧に内緒で彼が傍仕えになっても良いように準備も進めていたのだが、結局、荀彧の方からはその申し出はなかった。相も変わらず、一刀との距離感の掴めない少女だ。

「……仕事をしながらってことになるかな」
「普通は路銀を作ってからそういうことを言うべきだと思うんだけど?」

 荀彧にちくちくと文句を言われながらも、一刀は一言も彼女に路銀を出してくれとは言わなかった。立場を考えればどういう形にしても、荀家が金を出してくれるというのは一刀も理解している。それでもそれを口にしないのは、義理堅いというべきか世渡りが下手というべきか。

 それを好意的に解釈した功淑は前者として捉え、それを欠点として見た荀彧は後者として捉える。

「これは内緒のお話なのですが、こちらを立たれる際にはいくらかお渡しするように奥様から言付かっておりますよ」
「準備の段階からそれをアテにするのもな……自分で言いだして置いて何だけど」

 北郷一刀の現代人的な小さなプライドを満たすのを目的とするのであれば、どういう形であれ金を作ってから旅立ちの話を切り出すべきだったのだろう。だが、荀彧の就職が決まり彼女が近い内にこの家を出ていくという。いつまでも世話になる訳にはいかないのだ。このタイミングを逃してしまったら、この居心地の良い場所にいつまでもいたくなってしまうだろう。出ていくとしたら今しかないのだ。

「そういう無計画なところ、あんたらしくて良いんじゃない? 私は支持するわよ。私がいない時に私の実家に、あんたがいるっていうのも嫌だし」

 一刀にとっては無計画でも、荀彧にとっては渡りに船だった。自分で言った通り、実家に一刀が居続けるというのは彼女にとってあまり気持ちの良いことではなかったし、一刀は金の問題を気にしているようだが、こういう時にいくらか金を包んでやるのは、荀家の経済力を考えれば普通のことだった。

 型どおりのことを拒否されて、一刀の旅立ちが遅れるのもそれはそれで困る。荀彧が支持したことによって、一刀にとっては些か不本意な形ではあるものの、旅立ちは確定となった。

 そして同時に、荀彧よりも早く出立することも確定となる。袁紹のところから出戻ったとは言え、将来を嘱望されている人間が有力者の元に仕官するのである。この時代だ。全国に散っている親類を集めるのは骨だが、地元の有力者を集めてのパーティーくらいは開かれる。

 荀彧はそれの後に出発する。先方の曹操をあまり待たせる訳にもいかないから、彼女が旅立つのはおよそ一週間の後ということになる。しかも、その間は本人は元より家人も忙しくなる。自分がいない家に滞在するのはムカつくという荀彧の要望を叶えるのであれば、旅立ちはすぐにでもしなければならない。

「明後日に旅立つってのは可能かな?」
「急な話ですが、ちょうど洛陽に向けて旅立つ商隊がございます。その馬車に乗せてもらえるよう、手配をしておきましょう」
「ありがとう功淑。助かるよ」
「とんでもございません。ですが、北郷様がいなくなられると、寂しくなりますわね」
「私は清々するけどね」

 二人の少女の反応は対象的である。この期に及んでもツンケンした態度の荀彧に寂しさを憶えなくもないが、これこそが荀彧と思い直すことにした。出立が決まれば、後は挨拶回りである。功淑を伴って荀昆に会いに行き、できるだけ早く出立するという旨を伝えに行く。

 当然、荀昆は引き留めたが、これから仕官する荀彧のためという建前を持ち出されると、それに乗らざるを得なかった。へそ曲がりの荀彧の内心など解る訳もないが、本人は一貫してさっさと叩きだせという趣旨の発言を続けている。余計な気を回して余計にへそを曲げられたら、目も当てられない。

 それに今ならば本格的に忙しくなる前に、一刀の出立に荀彧を立ち会わせることができる。流石に命の恩人である。その出立に立ち会うのまで嫌だとは言わないだろう。

 良くも悪くも苛烈な性格をしている娘に心中で溜息を吐きながら、荀昆は一刀の旅立ちを認めることにした。

 家主に挨拶が済めば後は早い。翌日に小さな酒宴が開催され、さらに翌日に出立である。ほとんど屋敷から出なかったから、挨拶に行かなければならないような人はなく、元より身体一つでこちらに来たから整理しなければならない荷物はほとんどない。

 身の回りの物は餞別としてもらった。服がいくつかと、荷物を入れるための大きな鞄。今は着なくなった制服もここに詰められている。功淑が教えてくれた通り、荀昆は路銀を持たせてくれた。しばらくは遊んで暮らせるだけの額であるが、これが正真正銘の生命線である。これがなくなれば素寒貧になるのだ。その前にどうにかして暮らせるだけの手段を見出さなければならない。

 ついで、荀昆は紹介状を二通書いてくれた。

 一つは商隊宛てのもの。この人間は我が家の関係者だから、荷台に空きがあるようだったら混ぜてやってくれという趣旨の言葉が書かれている。これを見せれば荀家と取引のあるところならしばらくは一緒に旅をしてくれるだろうと保証してくれた。

 もう一通は、洛陽に住んでいる彼女の孫宛てのものだ。『さる高貴なお方』の家庭教師をしているとかで、荀彧を除けば現状、一族の出世頭であるという。そんな偉い人に仕えているなら時間は取れないのでは、と疑問に思った一刀が問うてみると、彼女もその孫に会えるかまでは保証しかねると答えた。

 ただ、屋敷には家人がいるはずだから、滞在の間の宿くらいは貸してくれるだろうと、こちらは保証してくれた。結局荀さんちにお世話になるのか、と旅立つ前から微妙に情けない気持ちになりつつも、好意はありがたく頂いて置くことにした。

 警備隊の面々は、一刀のために具足を一式プレゼントしてくれた。訓練で使っていたものなので武将が身に着けるような本格的な物と比べるといくらか格が落ちるが、防具としての性能は悪いものではない。あるのとないのでは大きな違いがあると、一刀は木剣で撃たれながら学んだ。

 それから同じく訓練で使っていた剣が一本である。これも別に良い剣ではないが、武装しているという事実は良くも悪くも相手にプレッシャーを与える。1の危険を対価に3の安全を買った、とでも表現すれば良いのか。武装していたところで襲われる時は襲われるし、運が悪ければ殺されて死ぬ。それが世の摂理というものである。

 どれだけの猛者であっても、死の危険を完全に排除することはできない。一刀のような中途半端な実力であるなら尚更だ。護衛部隊の面々から口を酸っぱくして言われたのは、危険と思われる者、物にはなるべく近づかないことと、なるべく集団で旅をすることだ。

 元気でな、という励ましてくれる彼ら一人一人と握手して、最後に残ったのは二人だ。その片割れである功淑が一歩前に出る。

「どうか健やかに。北郷様のご健康を、心から祈っております」
「俺なんかに良くしてくれてありがとう。功淑も元気で」
「…………本音を申し上げますと、こんなに早くお別れするのはとても残念です。少しですけど、私、北郷様のこと良いなと思っていたんですよ?」
「嘘でも冗談でも、功淑みたいな子にそう言われると嬉しいよ」
「ありがとうございます。お世辞でも冗談でも北郷様のような殿方に、そういってもらえると嬉しいです」

 次いで、一刀の前に立ったのは荀彧である。仏頂面だ。ここにいるのも嫌だというくらい不機嫌な顔に、一刀は逆に安心した。にこやかな顔だったり、泣き顔なんて浮かべられたら、それはそれで落ち着かない。不機嫌な仏頂面でこそ、荀彧だ。

「私には大きいから、あんたにあげるわ」

 荀彧は無造作に、袱紗を差し出す。受け取るとずしりと重たい感触があった。紐を解いて中を見ると、それが剣だと分かる。鍛練で使っていた剣よりも少しだけ短い。取り回し易さを重視したのだろう。装飾などは一切なく実用一点張りの剣だった。有事の際、小柄な女性でも取り回せそうなサイズである。

「こんなもの、もらって良いのか?」
「私が良いって言ってるんだから、良いのよ。私は別に、あんたと違ってバカなことに首を突っ込んだりはしないもの」
「……解った。ありがたくもらっておくよ」

 一刀は、それで折れることにした。荀彧からの贈り物である。来歴は気になるが、その希少さに負けてしまった。口にすれば荀彧は気持ち悪いとでも言うのだろうか。言わない気もする。きっとゴミでも見るような目で見つめてくるだけだ。

 その光景を少しだけ想像すると、目の前にそれと同じ顔をした荀彧がいた。想像が現実になったのかと軽く目を見開く一刀に、荀彧が実に冷たい声で告げた。

「そんな気持ち悪い笑顔を見なくても良いんだって思うと、清々するわ。あんたのことだからロクな一生は歩まないんでしょうけど、私に迷惑かけることなく精々平穏無事に暮らしなさい」
「栄達を祈ってるよ」
「言われなくても。その内、私の名前はあんたの耳にだって届くでしょう。曹操様の名前と一緒にね」
「ああ。凄く、楽しみにしてる」







村に行く前に寄り道をします。
これによりある人とある人の出番がかなり早まります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第005話 洛陽滞在編①














 洛陽。帝国の首都にして、文化流通の中心地の一つである。今は乱世。治安の悪さ、文化の遅れなど現代と違うところは色々とあるが、行きかう人々の活気だけは現代以上のものがあった。私は、洛陽にいる。そんな人々の気概が見えるようである。

 こんな時代だ。大都会にいるということは、それだけでステータスであったのだろう。人々の熱に自分も浮かされながら道を行く一刀には、喧噪さえも心地よかった。

 荀家から商隊に連れられて、洛陽に到着した。彼らと別れ、目指す目的地は所謂高級住宅街である。それにも種類があるらしく、場所によって職業とランクが分かれているという。一刀が目指す先は高級官僚の屋敷が密集しているエリアで、一般市民はまず近寄らない場所である。

 尋ね人の名前は、荀攸という。荀昆の孫であり、荀彧から見ると年上の姪。『さる高貴なお方』の教師をしている荀家の出世頭だ。その内私が抜くけどね! とは荀彧の弁である。

 その屋敷は、高級住宅街の中にあっては地味な装いだった。荀家は華美な装飾を排し、質実剛健を追求することで他との違いを際立たせていたが、この屋敷もそれに近い。屋敷を囲む長い塀に、大きな正門の横には詰所が置かれている。常駐の警備がいるのだろう。今もどこの馬の骨とも知らない男を、彼らは強い視線でもって警戒している。

 知らない人間が屋敷の前でぼーっとしてたら、警戒もするだろう。この辺りの屋敷の住人は、重要人物ばかりだ。何かあってからでは遅いという危機感をこの時代に当てはめれば、問答無用で剣を抜かれるということも考えられないではない。

「お初にお目にかかります。私は北郷一刀と申すもので、荀昆殿の紹介で参りました。こちらが紹介状でございます。よろしければ、荀攸様にお取次ぎ願えませんでしょうか」

 最大限に腰を低くし、最初から紹介状を差し出す。主人の祖母の名前は効果覿面だったらしく、疑いの目を向けていた警備はすぐさま居住まいを正し、屋敷の中に使いを走らせた。それが戻ってくるまでしばらく待ちか、と一刀が休めの姿勢を取っていると、使いを出した警備の人間が申し訳なさそうに言った。

「申し訳ないのですが、主人は今留守にしております」
「…………今の使いの人は、何をしに屋敷へ?」
「北郷様が本日いらっしゃることは、先ぶれが来ましたので存じ上げておりました。ですが、主人は本日宮廷でどうしても外せない用事がありまして、そのために留守にしております」
「それなら出直してきますが」
「いえ、屋敷にご案内するようにと申しつけられております。夕刻までに戻るとのことですが、主人が戻るまではお客人(・・・)が北郷様の対応をすることになっております」
「…………お客人?」
「はい。先日から屋敷に滞在を。主人の友人です。北郷様のことをお聞きになり、それならば自分がと仰られました。主人も彼女ならばと任せたという次第でして」

 セレブのすることは解らない。一刀としては夕方出直してくるのでも構わなかったが、相手のあることな以上相手の都合も考えなければならない。紹介状があるとは言え、どの道一刀は頼る側なのだ。ならば相手の都合に合わせるのが筋というものだろう。

 一刀が方針を考えている間に、中まで走っていった警備が、女中さんを連れて戻ってくる。

「それでは、お入りください。中へはこの者が案内致します」

 残っていた警備が示したのは、連れてこられた女中さんだった。その女中さんに連れられて、一刀は屋敷の中に入る。どういう必要があると、ここまで広大な屋敷を立てようという気になるのだろうと不思議に思った。荀家でも客間を中心に普段使っていない部屋は沢山あったし、そのメンテナンスにかかる時間も費用も人手もバカにならないだろう。親戚を集めたって部屋は全部埋まらないと思うのだが……その辺りには、庶民には解らない金持ちならではの事情というものがあるのだろう。

「こちらになります」

 女中さんはとある扉の前で止まった。応接室だろう。ここに来るまでに見た他の扉よりも装飾が多い。

「北郷様が到着されました」
「入ってもらって」

 それでは、と女中さんが扉を開ける。女中さんは中に入らない。入れ、と視線で促された一刀は、一人で応接室の中に入った。背後で扉がぱたりと閉まる。

「やぁ、はじめまして」

 応接室で待っていたのは、この世界らしくない装いの女だった。この世界では初めてみるパンツルックである。肌の露出はほとんどなく、上は白いワイシャツで上も女性にしては短い。ほどよく膨らんでいる胸がなければ、女顔の男性でも十分通用しただろう。目元の黒子が色っぽく『男性の想像する女にモテそうな女』のイメージを体現したような女性だった。

「僕は単福……と普段なら名乗るんだけどね。こちらの家主に敬意を表して本名を名乗ることにするよ。徐庶。字は元直だ」
「北郷一刀です。姓が北郷で名前が一刀。字と真名はありません」
「二文字の姓に二文字の名前とは珍しいね。しかも字も真名もないのかい?」
「ええ。そういう土地に生まれまして」
「興味深いね。この国の出身ではないのかな?」
「はい。東の島国の出身です」

 位置情報について嘘は言っていない。ここが中国と同じ場所にある国であるなら、日本が東にある島国であるのは間違いないが、世界を飛び越えるような摩訶不思議に出会った後である。この世界に日本が存在していなかったとしても、何ら不思議はない。

 ともあれ、出身地についてはこれからはそれで押し通すことにした。現代ほど地図の精度が高くないことは荀家で散々確認した。東の海に島国があるかないか、それをきちんと把握している人間はそういないだろうから、この世界に日本がなかったとしても全く困ることはない。特に金持ち及びその関係者ならば、知らない土地=とんでもない田舎として解釈してくれるだろう。

「島国出身にしては白いし軟な気がするけどね……育ちも良さそうだ。僕には成金商人の二男か三男って雰囲気に思える」
「あちらでもそう言われました。甘っちょろい内面が、にじみ出ているようでお恥ずかしいです」

 徐庶の眉が僅かに動く。謙遜とかユーモアというのは、ある程度文化が成熟していないと生まれないものだ。世の平均を遥かに上回る博識を誇る徐庶をして見当がつきにくい東の島国となれば相当な田舎である。それっぽくはないというのが、徐庶が一刀を見た率直な感想だった。

 少なくとも庶民の生まれではないだろう。身体つきも肌の白さも肉体労働をしている雰囲気ではない。この時点で島国生まれというのも怪しいのだが、本人がそう言っていることを無理に掘り下げることもない。人には聞かれたくないことの一つや二つはあるものだ。

 それに、徐庶が一刀に聞きたいことはそんなことではない。

「荀攸殿の話では、君は最近まで荀家にいたんだろう? 功淑は元気かな。相変わらず美人かい?」
「ええ。俺の世話をしてくれました。お知り合いですか?」
「同じ先生の元で学んだ仲だよ。と言っても、僕の方が先に卒業してしまったしいくらか年上だけどね」
「……初めて聞きました」
「そうなのかい? まぁ、女には秘密が多いからね。功淑みたいな美人なら猶更さ」

 お互いの過去を全て知り合う程に、親しかった訳ではない。一刀にだって功淑に話していないことは沢山ある。あちらが話していないことがあっても不思議ではないしそうだろうという認識でいたのだが、先ごろまで一緒にいた知人の近しい時期の事情を全く知らなかったという事実は、一刀にもいくらか衝撃を与えていた。

「驚いてるようだね。彼女、結構優秀だったんだよ」
「書生の中では位が低いと言っていたんですが……」
「ご当主様に直接お仕えするって聞いてるよ。扱いが本当に書生で、しかも位が低いって言うなら僕は荀家の評価を大分改めないといけないね」

 はぁ、と一刀は溜息を吐いた。女は秘密がいっぱいというが本当である。徐庶と向かい合うようにして応接椅子に座ると、女中さんがお茶の用意をしてくれる。案内してくれた人とは別に、応接室には2人の女中さんが影のように控えていた。お茶を淹れてくれた彼女も、配膳が終わると部屋の隅で影に戻る。

「……同じ先生と仰いましたが、どういう学校だったんですか?」
「水鏡女学院って言ってね。その道では結構有名なんだよ? 水鏡先生って名高い司馬徽先生が学長でね、講師も生徒も警備の人も皆女性さ。何しろ女学院だからね」
「年が離れてらっしゃるようですが、学年が違ったんですか?」
「何歳からなら入学できると決まっている訳ではないからね。入学するに値すると判断されれば入学できるし、卒業するに値すると判断されれば卒業できる。だから同じ卒業生でも、在学年数が違うんだよ。ちなみに僕は三年で卒業した。功淑は四年だね。五年くらいかかるのが普通らしいから、これで功淑がどれだけ優秀か良く解ってくれただろう」

 さりげなく自分の方が主張しているが、話のオチには功淑を持ってきている。功淑に親しみを感じているのは事実なのだろう。ともすれば男性にも見える顔に、今は人懐っこい笑みが浮かんでいる。

「でも上には上がいるよ。入学した時から超が付くほど優秀だった二人の娘が、二年かからずに卒業するって話でね。僕も先輩として鼻が高いよ。あの娘たちの名前はその内、世に轟くだろうね」
「俺の地元では、一定の年齢になったら皆同じところで同じ内容を勉強して、同じ時間をかけて卒業してたので少し新鮮に感じます」
「…………ちょっと待って。たったそれだけなのに聞きたいことがいくつもできた。君の地元では例えば10歳になったっていう、ただそれだけの理由で勉学のために子供を集めるのかい? それに皆って言ったね。農家の子でも商人の子でも職人の子でも分け隔てなく?」
「そういう理由で分けられたって話は聞いたことないですね」
「経済的な理由もあるだろう。富裕層でない家の子はどうやって学費を捻出するんだい?」
「いえ、学費はかかりません。七歳になる年から十五歳になる年までの九年間。学費については国が負担して子供に学ばせます」
「例えばどんな勉強を?」
「読み書きと計算と国の歴史と地理と――」

 小学校中学校で学んだことを簡単に列挙していく一刀の言葉を聞いて、徐庶は額を押さえて頭痛を堪えるような仕草をした。聡明な彼女でも理解が追いついていない風である。そんなにおかしなことかと首を傾げる一刀に、徐庶は頭の中で言葉を整理しながら、質問を続けた。

「君の地元は子供を皆高級官僚にでもするつもりなのかな」
「公務員になるのは少数だと思いますよ。農業にしろ職人にしろ、家業がある家は子供の誰かが稼業を継ぐのが普通な感じです」
「こういう言い方をすると申し訳ないけど、例えば石工が仕事をするのに国の歴史は必要ないと思わない?」
「それは俺もそう思います。これは大人に聞いた話ですが、九年の勉強はなりたいものになるための下準備のためにするんだと。石工の子が公務員になったり、農家の子が商人になったり、後で自由に職業を選ぶために幅広い知識を満遍なく吸収するんだそうです」
「…………現実にそれで国が回るとは思えないけど、それで本当に国を回しているんだとしたらその構造を作った人間とは是非とも話をしてみたいね。身分も経済力も関係なく、国家が学費を負担してまで全ての子供に恒常的に知恵をつけさせるなんて、正気の沙汰とは思えない」
「底辺のレベル――あー、知識の度合が底上げされていた方が、国民全体としての総合力が上がるような気がしませんか?」
「一長一短だね。このまま文明が進歩していったとして、最終的にはおそらくそんな所に落ち着くんだろうとは思うけど、今すぐこの国で実行するのは難しいかな。上の人たちのほとんどは、庶民が知恵をつけることを歓迎しないと思うよ」
「そんなもんですか……」
「それに九年も同じ内容で授業を受けさせるのは時間の無駄だと思うよ。デキの良い生徒と悪い生徒が同じ授業を受けるってことだろう? どうして習熟度で教室を分けないんだい?」
「それは何とも」

 頭の良い人というのは、次から次へと疑問が出てくるものなのだろうか。比較的人当りの良さそうな徐庶でこれなのだから、荀彧相手にこの話をしなくて良かったと思う。

「どうやら君の地元は相当に面白い所のようだ。君さえ良ければ色々と話を聞かせてもらいたいな。洛陽にはしばらく滞在するのかい?」
「滞在期間は決めてませんが、もう少ししたら南に向けて旅をしてみようと思ってます」
「それなら僕が同道してあげるよ。僕もちょうど荊州にある学院まで戻らないと行けないんだ。学院は男子禁制だから途中までってことになるけど、それでも良ければだね。これでもそれなりに腕は立つから、道中の護衛くらいならしてあげられるよ」
「本当ですか!?」
「うん、本当だ。その代わり洛陽にいる間、僕が同道している間は僕の問答に付き合ってくれるかな。それさえ認めてくれるなら、護衛料とかケチ臭いものは要求したりしないよ」

 それなら是非! と声を挙げようとしたところで、部屋の扉がノックされた。応接室に入ってきたのは、入り口から屋敷まで走った警備の人間である。彼が告げたのは、主人である荀攸が戻ってきたということだった。本来であれば女中さんから一刀と徐庶に伝えられるべきことだったのだろうが、警備の声が大きく、女中さんが振り返った時にはそれは既に伝わっていた。

「夕刻に戻るはずでは?」
「夕刻までに(・・・)は戻るはずって聞いてるよ。予定が早まったんだろう。良くあることさ。何しろお相手は『さる高貴なお方』だからね」
「生徒ですよね?」
「時には教師よりも偉い生徒もいるものさ」
「徐庶様、北郷様、主人のことなんですが……」
「戻ってきたんだろう? 大丈夫、後は僕たちで――」
「いえ、それがお一人ではなくお連れがいるようなのですが、お連れの方がその――」
「わかった。みなまで言わなくて良いよ」

 にこやかに微笑んでいた徐庶が微笑みを引っ込めると、急に居住まいを正して立ち上がった。彼女は一刀にも立ち上がるように促すと、服装の点検を始める。慌てた様子の徐庶に、一刀は問うた。

「そこまで慌てるような人なんですか?」
「『さる高貴なお方』だよ? 慌てもするさ」
「誰なんです? 荀攸さんの生徒ってのは」
「知らないで使ってたのかい? ならちょうど良い。知らないままの方がきっと幸せだ。ただし、間違っても粗相のないようにね。これは脅しじゃないぞ。君の首のために言ってるんだ」

 ご到着です、という女中さんの言葉に、一刀は徐庶と一緒に背筋を伸ばした。礼儀作法については一通り教わったつもりだが、実践の機会はこれが初めてである。ここでしくじったらどうなるのだろう。緊張しながら待っていると、扉は静かに開かれた。

 扉を開いて現れたのは、黒髪黒目の少女だった。目鼻立ちのはっきりとした、ちょっとやそっとではお目にかかれない程の美少女である。小学生の中頃、きっと十歳にも届いていないだろう。可愛さよりも幼さが目立つような年齢なのに、ただこちらに歩いてくる、それだけの所作が恐ろしく様になっている。

 歩き方一つについても、高い教育を受けた後が伺えた。素人に解る程度なのだ。おそらくこの美少女が『さる高貴なお方』なのだろう。

 美少女は最敬礼をしている徐庶に軽い挨拶をすると、どうして良いのか解らずただ立っていた一刀を下から覗き込んだ。上目遣いの見本のような仕草に、思わずどきりとするが、真っ黒なその瞳に一刀は何か底知れないものを感じた。

「貴方が先生の親戚を助けた人ね。お名前は?」
「北郷一刀。姓が北郷で名前が一刀。字と真名はありません」
「珍しいお名前ね。でも、何だかかっこいいわ。似合ってる」
「ありがとう――ございます」

 ありがとう、で区切ろうとした瞬間、横から蹴りが飛んできた。痛みに思わずございます、と付け加えた一刀を見て、美少女はくすくすと小さくほほ笑んだ。

「私はリュウキ――うん、劉姫よ。貴方のことは一刀くんって呼ぶわ。よろしくね、一刀くん」




水鏡女学院についてはこちらで設定をしました。
原作、アニメなどで既に設定があるかもしれませんが、調べて見つからなかったので自分設定の採用となります。

カリキュラムを理解できる頭があると判断されると入学でき、カリキュラムを全て終えると卒業できます。ドロップアウトする生徒もいるので、卒業してるだけでかなり優秀です。帽子は卒業生に贈られるもので先生が選びます。

他、細々した設定は作中にて。次回、荀攸さん登場。洛陽回は二回か三回で終了です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第006話 洛陽滞在編②










「遅れまして。私は荀攸。字は公達と申します。叔母を助けてくださったそうで、ありがとうございました」

 劉姫の後に、家主である荀攸が一歩前に出てくる。自己紹介をするまでもなく、一刀は彼女がそうであるというのは理解できた。それくらいには、荀彧や荀昆と風貌が似ている。ただあちらの二人と比べて荀攸は大分穏やかな雰囲気をしている。

 宮廷で仕事をしているのだ。もっとデキる女といった堅苦しい雰囲気をしていると思っていたのだが、良い意味で裏切られた形である。

「行きがかり上当然のことをしたまでです。それに荀昆殿を始め、荀家の方々には良くして頂きました。俺の方が申し訳ないくらいですよ」
「そう言っていただけると助かります。叔母は私達が無理に袁紹を勧めたせいで苦労をしたようなので、北郷殿と気心の知れたやりとりができて、大分気が晴れたと思います」
「彼女の助けになれたのなら、何よりです。荀彧は、元は袁紹のところに?」

 辞めてきたばかりで、元々袁紹のところにいたという話も聞いたような気はするが、本人が死ぬほど嫌そうな顔をして語りたがらなかったため、元の仕官先についての情報はまるでなかったのだ。袁紹と言えば本人の能力はともかく名門の出身で、今から天下取りの競争をするとしたら最も天下に近い位置にいる人間だと聞いている。

 親戚一同が薦めるのも分かるし、あの荀彧が主人の悪評を差し引いてまで一度は首を縦に振ったのだ。更にこれから乱世になるとなれば、仕官先としては本当に悪いものではないのだろう。結局辞めてしまったのは、荀彧とは反りが合わなかったのか。それとも彼女に『こいつではダメだ』と見限られたのか。

「はい。仕官先としては申し分ないと判断し勧めたのですが……アレならば最初から曹操殿を勧めれば良かったと後悔しております」

 溜息の度合いは深い。本当に後悔しているのだろう。誰に聞いても傑物だという話の曹操よりも、その誰に聞いても溜息を吐かれる袁紹にこそ興味が湧いてきた一刀だったが、誰に対しても聞ける雰囲気ではなかった。

「北郷殿は、旅をされるおつもりだとか。これから南に?」
「はい。洛陽に少し滞在の後、南を回ってみようと思います」
「僕が学院に戻るまでの間は、護衛を兼ねて一緒にどうだいって誘ってた所さ」
「そうなの? 元直が一緒なら安心ね」
「お褒めにあずかり恐悦至極にございます」

 徐庶は印籠を見せられた悪代官がするように、へへーと畏まっている。『さる高貴なお方』とは聞いていたが、これは想定以上に高貴なのかもしれない。身分権力が現代以上に物を言うこの世界で、人をこれだけ畏まらせるというのは一体どれほど偉い存在なのだろう。

 実感できれば良かったのだが、生まれてこの方尊い生まれの方と縁のない生活をしてきた一刀は、偉い人と言われてもぴんとこなかった。おそらく徐庶のするような態度が正しいというのは分かるのだが、目の前にいるのは一刀にとってはただのちょっとおしゃまな美少女である。

 それが態度に出ていたのだろう。劉姫の興味が一刀に向いた。一瞬、荀攸がしまったという顔をしたが止める間もなく、劉姫は一刀との距離を詰めてきた。

「一刀くん、お願いがあるんだけど聞いてもらえるかしら」
「内容に寄りますが……なんでしょうか」
「貴方さえ良ければ私とお友達になってもらえる? 気心のしれた間柄というものに、ちょっと憧れていたの」
「へい――伯和様。お戯れが過ぎます」
「あら、先生。私にお友達ができたらいけない? 私ももうすぐ十になるのよ。もう少しすれば子供だって産めるようになるわ。褥を共にする時、殿方に『物を知らない女だ』なんて思われるなんて嫌だもの。色々な人から知識を吸収するのは、悪いことではないと思うのだけど、違う?」

 嫌だわ、と言われても教師は困るだろう。そういう風にならないために教師がいる訳だが、荀攸が教えるのは一般常識まで含めた教養全般である。庶民の間には風習としてそういうことがある、というレベルであれば劉姫もそれは理解しているが、彼女の生まれでは実際にそういう場面に遭遇することはまずない。

 いずれ褥を共にするという人間も上流階級の出身の男性になるだろうし、その彼もきっと庶民に関する風習を実感はしていないはずだ。出自の不確かな人間と無理に交流を持つ必要はない。ついでにこんな利発な少女を相手に『物を知らない』などと思う男はいないだろう。それは一刀でも実感できる。

「いけません。彼が帝国の臣民である以上、貴女は敬意を持たれる存在でなければなりません」
「彼は帝国の臣民ではないよ、荀攸殿」
「…………今なんとおっしゃいました?」
「東の島国の出身らしいよ。何の役職にもついていないし、今はただの旅人のようだからどこの臣民かと言えば故郷の国の臣民なんじゃないかな」
「先生?」

 劉姫の言葉に荀攸が押し黙る。他の国の人間だからと言って彼女に礼を尽くさなければならないことに代わりはない。彼が立っているのはこの国の地であり、ましてこの洛陽は首都である。貴い血筋に生まれた人間は、ただそれだけで偉いのだ、という理屈はこの国の根幹に根差している。

 ここで一つを見逃すことはとても小さいことかもしれないが、本来、見逃されることなどあってはならないのだ。国に仕える人間として、劉姫の申し出は簡単には受け入れがたいものだったが、自分の教師のそういう性質をよくよく理解している劉姫は更に言葉を重ねた。

「特別に便宜を図ったりはしないわ。そんなもの、持ち込ませないし持ち込まない。私が彼を友人と思い、彼も私を友人と思う。そういう関係を築きたいの。本当にそれだけだわ。本当よ?」

 真摯な劉姫のお願いに、荀攸がついに折れた。

「解りました。外に持ち出さないと仰せであれば、もはや私に否やはありません。よくよく、友誼を結ばれるがよろしいでしょう」
「ありがとう、先生。私、先生のこと大好きよ」
「調子の良いことを仰られても、これ以上譲歩したりはしませんからね」
「解ってるわ。私は基本的には、良い子だもの」

 自らの野望に対し、最大の障壁となっていた荀攸を黙らせると、劉姫は笑みを浮かべて振り返った

「そういう訳で、今から私と一刀くんはお友達よ。対等な感じでお話ししてほしいわ。あと、私のことは伯和って呼び捨ててね。絶対よ。お友達だもの」

 ほらほら呼んでみて、という劉姫に釣られて伯和と呼び捨てると、彼女は嬉しそうに大きく頷いた。念願叶ったという風である。名前一つで、と思わずにはいられないが、家庭環境というのは人それぞれである。伯和には伯和の家庭の事情というものがあるのだろうと、一刀は納得することにした。

 同時に、伯和の後ろで彼女が伯和と呼び捨てにされる度に、お腹を押さえて苦しそうにする荀攸のことは見ないことにした。こちらはこちらで立場があるのだろう。その苦しみは理解できなくもないが、特に子供のお願いというのは世の中の何よりも優先されるのだ。

 荀攸の苦しみを知ってか知らずか、伯和はまるで他には誰もいないかのように一刀の手を取り、応接椅子に座らせた。そこが指定席だと言わんばかりに、当たり前のように隣に座る。それで何をするのかと言えば、伯和がしたのは一刀に話をせがむことだった。

 教育係の反対を押し切ってまで作った友達と最初にすることが、お話という。一体どれほど友達が少ないのか。一刀の思う友達らしいことなどしてあげられそうにないが、少なくとも、ここで彼女と向かい合っている間は彼女の要望に応えてあげようと思った。

 せがまれるままに、話をする。と言っても、するのは故郷の話ではなくしばらく前、荀家に滞在していた時の話だ。実感の籠った苦労話は利発な少女に大層受けが良く。一刀君のおばかさん、という軽い罵倒を交えながら和やかに進んでいった。

 最初はどうなることかとはらはら見守っていた荀攸も、今は力を抜き徐庶と並んで向かいの応接椅子に座っている。

「一刀くんは知ってるかしら? 一年くらい前に予言が流行ったのよ。天の国から御使いが現れて、この国を正しい方向に導いてくださるって」

 伯和はにこにこしているが、他の二人はどんよりとした顔をしている。この話題を聞いていたくないと顔に書いてある二人に、伯和は気づきもしない。

「それは、この国的には不味いんじゃないかな? そうなると今の皇帝陛下の立場がないだろ」

 どういう理由でその予言が発せられたかに関わらず、人の口を伝わり世に広まった以上、最終的な内容には少なからず人々の願望が含まれているはずである。彼ら彼女らは既に、国が自分たちを救ってくれるとは信じていないのだ。現代と違って、権力者の権力は絶対だ。

 流行ったのが一年前ということは、既に沈静化しているのだろう。体制側が火消しに走ったのか、民衆が単純に飽きてしまったのか。いずれにせよ、誰もがこれから乱世に突入する気配を感じている現状、御使いはまだ現れていないに違いない。

 とは言え、仮に御使いが既にこの地に舞い降りていたとしても、私がそうですとは名乗りにくいだろう。自分の立場に置き換えてみても、誰の後押しもない状態で、名乗り出たりはしないはずだ。

「別に気にしないと思うわ。予算が浮いたって喜ぶんじゃないかしら」
「随分現実的な皇帝陛下だな……自分が追われるかもしれないんだぞ?」
「誰もが意に沿った立場にいる訳じゃないと思うの。皇帝陛下だって、そうだと思わない?」
「…………伯和が言うなら、そうじゃないかって気がしてくるよ?」
「そう? きっと私の高貴さがそうさせているのね」

 ふふ、と伯和は嬉しそうに笑った。

「一刀くんは、予言って聞いたことある?」
「あんまり聞いたことないな。俺が生まれる前は、空から恐怖の大王が降ってきて世界が滅ぶって予言が流行ったらしいけど」
「…………その予言は一体誰が喜ぶの?」
「一部の人は凄い喜んだって聞いてるよ。後は大昔の王様が魔法使いからこんな予言を聞いたらしい。『お前は女の股から生まれた者には殺されないだろう』って」

 一刀が期待していた反応は『それじゃ無敵じゃない』という無邪気な反応だったのだが、伯和は少しだけ視線を彷徨わせると、あっさりと答えた。

「お腹を切開して生まれた人に殺されたんじゃない? 事例は少ないけど、そういう生まれ方もあると聞いたわ」
「…………こんな予言もあるぞ。森が動かない限りお前は安泰だ――」
「ねぇ先生。木々や葉っぱの被り物をして夜間に皆で移動したら、森が動いているように見えるかしら」
「伯和様。その辺りで勘弁して差し上げたらいかがですか? 一刀さんが表現に困るような面白い顔をされてますよ」
「だめよ。もっとこういう顔をさせてみたいわ。初めてできたお友達だもの。もっと色々な顔を見てみたいの。さぁ一刀くん。私に凄いって言わせたいようだけど、何かとっておきのお話はないかしら」

 次を促してくる劉姫に、一刀は考えた。先ほどの二つも何となく思いついたもので、元々温めておいた話ではない。話の上手い人間ならばこういう時に披露できる笑いの取れる話の一つや二つくらいは用意しているのだろうが、そうでない一刀にとっておきの話などない。

 だが、伯和は期待に満ちた目でこちらを見つめている。そんなものはないと言えない雰囲気に、一刀は無理やり記憶の奥から話を捻りだした。

「一応確認だけど、体制を批判するような冗句ってアリなのか?」
「他ではどうか知らないけれど、私が認めるわ。好きな話をしてくれて大丈夫よ」
「助かるよ。さて……ある男が、皇帝陛下が物乞いにお声をかけているのを見た。どうしても皇帝陛下と話がしたかった男は、翌日物乞いの恰好をして通りで待った。すると狙いの通り、皇帝陛下が近くにいらっしゃった。どんな言葉をかけてくださるのだろう。期待に胸を膨らませる男に、皇帝陛下はおっしゃった」

「昨日、とっとと失せろと言ったはずだが理解できなかったようだな」

 この冗句に特に思い入れがあった訳ではない。追い詰められて最初に思い出したのがこれだったから口にしただけだが、この国では不味いんじゃないか、というのは披露してから思った。

 荀攸など過呼吸を起こしかけて、徐庶に介抱されている。それだけ貴い立場の人を扱うのは冗句でも難しいのだ。これからは冗談でも言わないようにしようと反応のない隣の劉姫を見れば、お腹を抱えて俯いていた。

 貴い身分であるという。気でも悪くしたのだろうかと顔を見れば、涙を流しながら声を押し殺して笑っていた。大受けである。

「…………ち、巷にはそんなに面白い小話があるのね。初めて聞いたけど面白かったわ。でも、私の前以外でそういう話をしたらダメよ。皆が私みたいに冗談を理解してくれるとは限らないんだから」
「気を付けるよ、本当に……」



最初は最後にするのは小話ではなくモンティ・ホール問題というらしい確率論の話だったのですが、分かりやすい小話に差し替えました。何しろ私が理解できないもので……

この後、2、3日滞在して徐庶さんと色気のないデートをしたりしましたが無害です。

特に何も思い浮かばなければ次回から村編になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第007話 とある村での厄介事編①




 荀攸の屋敷で寝泊まりをした間は、主に元直――すぐに気心が知れ、元直と字で呼べと要求された――と散策をしたり問答をしたりして過ごした。滞在期間は三日である。そろそろ洛陽を立つという彼女に合わせて、一刀も荀攸邸を辞することにした。

 結局、初日に出会った劉姫とはあれきり出会うことはなかったが、彼女の教師である荀攸からは手紙を預かった。流麗な文字にて曰く『必ず抜け出して会いに行くから、次に洛陽に来た時は一緒に街を散策しましょうね。約束よ』とのこと。絶対に他の連中に内容は見せるな、とのことだったので、甚く内容を気にしていた荀攸にも秘密と相成った。

 胃が痛むらしい荀攸に見送られて洛陽を立ってしばらくは、荊州にあるという元直の母校を目指して南下する。荀攸から餞別として馬を貰ったので、荀家から洛陽までの道中よりは、比較的早いペースで進んでいる。しばらく前まで馬に乗るなど考えもしなかった立場である。旅慣れた元直に比べると聊か恰好悪い乗り様ではあったが、それをからかわれながら旅路を行くと話も弾んでくる。

 故郷の話は洛陽で一通り話し切ってしまったので――その後、『絶対に信頼がおけると判断できる相手以外には、この話はするな』と釘を刺されてしまったが――道中にするのは主に元直の話である。旅慣れ人に慣れ話に慣れた彼女の話は面白く、聞き役になるのが一刀の仕事だった。

 慣れない馬の旅、そして良く考えれば人生で初めての女性と二人の旅行であるという事実に気づき、遅まきながらどきどきし始める頃には、旅にも終わりは見えてきた。学院に一番近い街で別れるという約束であるため、順調に行けば、後三日程。

 もうすぐ日が暮れる。今日は近くの村で宿を借りようと話していた矢先、ようやく村が見えてきた頃、一刀の耳に人の争う声が聞こえてきた。

 ただ事ではない。二人は瞬時に、馬を駆けさせる。村の入り口。大勢の武装した男が、一人と戦っている。おそらく村人だろう。遠目には男性か女性かも解らなかったが、背格好からして子供のようである。そのたった一人が、大人の男たち相手に立ちまわっていた。

 ただ事ではない腕前だが多勢に無勢だ。援護は必要であると判断した一刀が元直を見ると、彼女は小さく頷いてみせた。

「君が突撃、僕が援護ってことでどうかな」
「俺が援護、元直が突撃の方が良くないか?」
「君が僕よりも弓を上手く扱えるって言うならそれでも良いよ」
「悪かった。俺が突撃、元直が援護だ」

 先行して、馬を駆けさせる。立っている賊は数えてみた所、十五人。既に倒れているのが何人かいる。子供一人で、と思うと憤りも湧くが、賊をまとめて相手取れると判断したからこそ一人での相手ということもある。いずれにせよ手練れであるならば、素人に毛が生えた程度の自分の心配など、大きなお世話に違いない。

 馬で走ってくる一刀に、賊の一人が気づいた。迎撃する者はいない。慌てて道をあける賊に、すれ違い様に斬りつけ、戦っていた者を回収した。

「乗れ!」

 しばらく走って馬は反転、再び賊たちの方を向く。戦意は失っていないが、後ろからは元直の援護が入る。放たれた矢は狙い違わず確実に命中していく。村人を攫って行った一刀に比べて、明らかに手練れの雰囲気だ。賊であるからこそ命は惜しい。我先にと逃げ出すが、ただ走っているだけの人間など的と変わらない。

 背中に、あるいは足に矢を食らった仲間がばたばた倒れていくのを見て、ただ逃げるだけでは本当に死ぬだけだと理解した賊は、こここそが活路とばかりに一刀の方に駆けてくる。その数は五人。

「ねえ」

 少年か少女か解らなかった村人は、近くで見ると『少年のような少女』だった。戦闘中だ。盗賊の返り血を浴びている。褐色の肌に流れる汗と、漂ってくる少女の匂いに思わずどきりとした。緑色の瞳がまっすぐに一刀を見つめている。

「助けてくれてありがとう。お兄さん、名前は?」
「北郷一刀。姓が北郷で名前が一刀だ。字と真名はない」
「私は太史慈。字は子義だよ。よろしく、一刀さん」
「よろしく。ところで俺たちの前に盗賊が五人迫ってる訳なんだけど、三人任せても良いかな」
「五人全員私が引き受けても良いけど?」

 子義の提案に、一刀は押し黙る。任せられるのならばそうしたいのだが、少女一人に戦わせて自分一人後ろにいるというのも抵抗があった。その機微を表情から察したのだろう。先に子義の方から折衷案を出してくる。

「やっぱり、二人くらい受け持ってもらっても良い? こういう時に殿方を立ててやるのが女の仕事だって母上も言ってたし」
「……ありがたく好意を受け取ろう。君が三人、俺が二人ってことで」

 苦笑を浮かべながら、一刀はその提案を受け入れた。子義の母君はおそらく、何も言わずに最初からそういう配慮をしておくべし、と言いたかったのだろうが、世の中そんなものだ。

 さて、と気を引き締める。自分の希望の通りに二人受け持つことになったが、野党とは言え与し易い相手という訳ではない。何しろ初めての実戦である。見たところ、荀家の警備隊と比べるとかなり質は劣るが、自分の腕がそう大したものではないということは、一刀自身が良く理解してる。

 ここには手練である元直と子義がいる。自分の仕事は、当面生き残ることだと割り切ることにして、一刀は馬から飛び降りた。子義は既に右に展開した三人へと飛び込んでいた。

 一刀の受け持ちは二人である。戦意というよりも焦燥感に満ちているのは、元直の矢に追い立てられたからだろう。その野盗二人が、一刀を見て少しだけ安堵の色を浮かべた。こいつは弱そうだ、と思っているのが表情からでも解る。事実その通りではある。侮られていることに腹も立つが、一刀はこれを好機と見ることにした。

『まず何よりも戦いを避けるようにしなさい。愚鈍なあんたが生き残りたいなら、まず戦いには関わるべきじゃないわ』

 軍学を教えたがらなかった荀彧が、口を酸っぱくして言っていたのがこれである。君子危うきに近寄らずだ。できれば一刀もそうしたかったが、世の中注意しているだけではどうにもならないことがある。その対処法が一人旅はしないというもので、安心できる護衛でも連れて歩けというものだったのだが、それでもなお、護衛があまりあてにできない状況でどうするべきか。

『相手よりも頭数を揃えなさい。攻める時には相手を囲む。守る時は囲まれないようにすること』

 あんたの頭で理解できるのはそれくらいよ、と軍学っぽい話はそこで打ち切られた。そんな単純な、とその時は思ったが、こうして武器を持って敵と相対してみると腑に落ちるものがあった。

 援軍が期待できるこの状況で考えるべきは、生き残ること。いわば守りの戦いだ。守る時には相手に囲まれないように動かなければならない――要は一対二の状況ではなく、一対一の状況を二つ作ると考えれば良いのだ。

 一歩右にずれる。一人目が二人目の影に隠れた。これで一対一。二人目に、一刀は当身を食らわせる。二人目は何とか堪えるが、後ろにいた一人目はたたらを踏んだ二人目にぶつかってひっくり返った。

 さらに、一対一。一刀の方から攻める。立ち振る舞いを見るに、荀彧の屋敷にいた警備隊の面々よりも大分弱い。素人に毛が生えた程度。おそらく自分と大差ない実力だろうが、慎重に慎重にと脳裏で唱えながら気を引き締める。

 どれだけ玄人でも剣で斬られれば死ぬ。打ち込む。相手に攻撃する時間を与えない。一人目が出てこないように二人目の動きを誘導する。気持ち悪いくらいに上手く行っていた。

 二人目の腕を斬り割く。血が噴き出た。怪我をしたことで二人目が逆上して更に踏み込んできた。剣を合わせて鍔迫り合い。力は強い。押し返すと、力任せに更に力を込めてきて――その力の分、一刀は力を抜いて大きく飛びのいた。

 素人が相手ならこれで確実にいける、と警備隊の面々が太鼓判を押した技だ。剣道の試合でも、小学生の頃によくやった。後ろに大きく下がった分、二人目は大きくバランスを崩し、その場に転んだ。無防備に晒される背中、首の付け根めがけて、思い切り剣を振り下ろす。

 鈍い音に、鈍い感触。二人目はそれで昏倒した。急所である。具合が悪ければそれで死んでもおかしくはない打たれ方だが、さて残りは――と目を向けると、一人目の賊は太史慈に打倒された後だった。

「受け持ちは三人から四人になったみたいだな。手際が悪くて申し訳ない」
「そんなこと思わないよ。私一人じゃここまで簡単に倒せなかったと思うし。お兄さんたちに感謝だね」

 弓矢で賊をあらかた仕留めた元直が、軽い足取りでやってくる。見事な弓の腕だ。確かに、援護を元直に任せたのは正解だった。

「視界に入った連中は皆動けなくしたけど、これで全部かい?」
「こっちから攻めてきた奴は全部かな。逆から攻められてたら私一人だとお手上げだったけど、何も騒ぎになってないってことは大丈夫ってことだね」
「それは何よりだ。ところでお嬢さん。こいつらを拘束しておきたいんだけど、縄を持ってきてもらっても良いかな」
「解りました!」

 にこにこと太史慈を見送った元直は、彼女の姿が見えなくなるとすぐに笑みをひっこめた。そして手近に転がっていた賊の襟首をつかむと、一刀の前まで引きずってくる。

 それは一刀と戦っていた内の片割れで、最後に太史慈に打倒された男だった。鼻血を流し、全身打たれたようだがとりあえず当面は命に別状はなさそうである。

 そんな男の前に腰を下ろすと、元直は努めて淡々とした声で言った。

「最初に言っておくけど、僕は君たちが生きようが死のうが知ったことじゃない。幸い、君以外にもくたばってない人間はいるから、君がダメなら他に聞く。それをよーく踏まえた上で、僕の質問に答えるようにね」
「わ、わかった……」
「よろしい。君らの仲間はここにいるだけで全部かい?」
「一緒に行動してる奴らってことならそうだ。俺たちは元々冀州の黄巾本隊にいたんだが、そこから逃げてきた口だ」
「連携してる訳じゃない、逃げてきた連中は近くにいるのかな?」
「それは知らねえ」
「指の二、三本も砕かれないと自分の立場も理解できないのかな……」
「本当だよ! こんな稼業をやろうってんだ。同業者が近くにいたら、河岸を変えるなり喧嘩を売るなりするわな」

 必死な賊の言葉には、一応の筋は通っていた。いずれにせよ、当面これで全部というのならばありがたい話だ。元直はそう、と短く言うと渾身の力を込めた拳を顔に打ち込んで賊を気絶させ、他の賊にも同じ質問をしていく。拳で五人も気絶させる頃には、情報の摺合せは終わっていた。

「どうやら本当にこいつらは単独みたいだね」
「他にも似たような連中がいるってのは、あまり嬉しい話じゃないけどな……」
「今日明日に来るってものでもないようだし、それは無視しても良いんじゃないかな。見ず知らずの人たちの安全にまで気を配っていたら、身体がいくつあっても足りないよ」
「それはそうなんだけどさ」

 だからと言って我関せずとはいかない。少しでも関わってしまった以上、何とかしてあげたいと思うのが人情というものだ。不服である、という一刀の雰囲気を察した元直が苦笑を浮かべる。

「一刀。『それ』は君の良いところだと思うけど、あれもこれもとはいかないものだよ。こういう世なら尚更ね。友人として君のことが大事だという僕の気持ちは、できればくみ取ってもらえると嬉しいね」

 危ないことはしてくれるな、という元直の言葉に一刀は少しずつ冷静になる。何はともあれ、今は目の前の問題を片づけることだ。戻ってきた太史慈から縄を受け取り、賊を縛り上げていく。矢を受けて怪我をしているものは応急処置だけをする。命に別状はないが、放っておいて良い傷でもない。

 本当であればちゃんとした治療を受けさせるべきなのだろうが、とりあえずの監禁場所に連れていく際、すれ違った村人たちは視線だけで殺さんとばかりに殺気立っていた。治療してやれという雰囲気ではない。この時勢だ。打倒されたにも関わらず、命があるだけでも御の字なのだろう。

 殺伐とした世界観に打ちひしがれながら、一刀が案内されたのは村の中央。明らかに『偉い』人が住んでいる家だった。屋敷なれしたせいか、小さな家だな、と思ってしまったのはご愛敬である。

 中に通され、村長ですと紹介されたのは初老の男性だった。白い髪に白いヒゲ。一刀が想像するいかにも村長な容姿の男性は、孫ほど年の離れた一刀と元直に手をついて頭を下げた。

「村を助けてくださって、ありがとうございます」
「私たちが手を出さずとも、太史慈さんが何とかしておられたでしょう。族を相手に一人で立ちまわっておられたようですし」

 暗に少女一人に押し付けて残りの大人は何をやっていたんだと責める一刀に、村長は恐縮して頭を下げた。

「お恥ずかしい話なのですが、村の女が二人まとめて産気づきましてな……男衆はそちらの警護に回っておりました。いずれにせよ、年若い子義におんぶにだっこという形になり、大人としては恐縮するばかりでございます」
「それは……大変でしたね。赤子の方は?」
「無事に出産しました。両方とも、元気な女の子です」
「それは、おめでとうございます」

 事件に関するやり取りが終われば、今日あったばかりの人間である。特に話がある訳ではない。報酬などの話も必要だろうが、いきなり金の話をするのも無粋である。話は当たり障りのない世間話に移行した。

「お二人は、どういう旅を?」
「僕は恩師に会いに水鏡女学院まで」
「それでは、貴女様が軍師先生でいらっしゃる?」
「いまだに仕官をせずに、ふらふらしている不良弟子ではありますが」
「事情がおありなのでしょう。無理には聞きますまい。して、貴方様は?」
「見分を広めるために旅をしています。こちらの徐庶さんとは、洛陽から同道してもらっています」

 特に目的はないと正直に言う一刀に、元直はこっそりと溜息を漏らし、村長は返答に困った。

 この国に生きるほとんどの人は、今日を生きるために日々仕事をしている。そんな中、明確な目的なく旅ができるのは、掃いて捨てるほど金を持っている富裕層か、出先でも金品を調達できる技術を持っているかのどちらかである。前者は金持ちのボンボン、後者は傭兵や悪い意味では盗賊などもこちらに分類される。

 一刀はボンボンでも通りそうな容姿をしているが、同行者は元直だけで他に護衛はいない。洛陽から同道したという彼女がいなければ、一人で旅をしていたのだろうか。正直、村長の目から見ても一刀は一人旅ができそうな程強そうには見えなかったが、見た目が強さに直結しないことは太史慈を見て思い知っている。

 人には人の事情があるのだと、元直の時と同じく深くは聞かないことにした。

「ところで、物は相談なのですが……」

 きたな、と元直は思った。顔には出さずに静かに白湯を啜っている。

「村に残って自警団を組織するのを手伝っていただけませんでしょうか」

 村長が口にしたのは、元直の予想通りのものだった。

 官軍が当てにできないのだから、自衛の手段を考えるのは当然のことである。おまけに旅人である一刀は元々村の労働力に含まれていない。悪い言い方をすれば、仮に戦い死んだとしても痛くもかゆくもない人間なのだ。多少良心は痛むだろうが、それだけである。まさに、危険な仕事を任せるにはうってつけの相手だった。

 無論、男一人の食い扶持が増えるのは決して軽い条件ではないが、日々の生活を維持するのと同時に、身の安全も守らなければならない。その助けになるのならば、男一人くらいは許容できる範囲だろう。

 さて、と元直は一人考えた。仕事を任されるのは良い経験になると思うが、知己のいないこの村で一人自警団の組織に関わるのは、何かあった時に危ない。

 一刀の身を案じた元直が出した結論は、決してこの話を受けてはいけない、というものだったが、

「俺で良ければ、喜んで」

 これも、一刀の良いところではあるのだろう。善性に従って行動できるのは、それはそれで素晴らしいことだ。行動を律することのできる、頭の切れる側近でも抱えるのが望ましい。話に聞く限り、荀家のお嬢さんなどは事を成すに辺り、一刀とかなり相性が良いと思えるのだが、ない物ねだりをしても仕方がない。

 せめて、できるだけの助言はしよう。とんとん拍子で話がまとまっていくのを横耳に聞きながら、元直は静かに白湯を飲み干した。









大分話が変更された結果、相手にする盗賊の規模も増えそうになってきました。
今回の編で稟ちゃんたちと合流、現状、シャンも同道する形で話を進めていますがまだ確定ではないのでご了承ください。

この話が終わったら連合軍編――ではなく、間に一つ挟むことになるかと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第008話 とある村での厄介事編②












 村長に頼まれて一刀が組織したのは、現代風に言えば町の青年団のようなもので、自警団と表現するのは些か物足りないものだった。団員はそのほとんどが農家であるので、全員が兼業団員である。農作業が終わった後、夕餉の前などに皆で集まり訓練をする。日々の労働が二時間くらい増える形になるが、団員は誰一人として文句を言うことはなかった。

 団員は下は十代の前半から、上は四十の後半まで幅広い年齢層で構成されている。人数は三十二人。人口二百人に満たない小さな村であることを考えると、戦力としては十分過ぎる程である。団長は一刀で、副団長は団員の推挙により子義が務めることになった。

 十二歳である子義は自警団の中でも最年少でかつ唯一の女性団員であるが、その実力は突出していた。たまたま村を訪れた旅の武芸者から手ほどきを受けただけらしいが、その武芸は堂に入っており、彼女一人とそれ以外という勝負が平然と成り立ってしまう程だった。

 個人では唯一、きちんとした戦闘訓練を受けたことがある一刀が何とか太刀打できたのだが、荀家の屋敷で受けた内容をそのまま子義に伝えると、彼女はあっという間にそれを吸収し、より手が付けられない程になってしまった。

 正直、子義が一人いれば自警団など必要ない気がする。初めて出会った日も、彼女は一人で大立ち回りをしていた。ただ敵を倒すだけであればあの日も加勢はいらなかっただろう。自警団が必要になるとすれば、単純な戦力ではなく頭数の勝負になる時くらいである。子義で倒せない敵がやってきたら、そもそも他の団員がいてもどうにもならない。

 そういう実力差は、事実として団員たちも理解していた。子義が強いということは、一刀などよりも同じ村で暮らしてきた面々の方が良く理解できている。それでも、自警団を組織するという村長の言葉に皆が手を挙げたのは
男としての、大人としての意地があったからだ。

 そういう意地っ張りは、一刀も嫌いではない。意地と根性で訓練をする男たちは日に日に強くなり、二か月の後、同じように襲撃してきた盗賊十人を何なく撃退した。後はこつこつ経験を積んでいけば、村を守るくらいならば十分にこなせるようになるだろう。

 ここまで来ればお役御免である。そろそろお暇するタイミングを計ろうかと思っていた矢先、一刀にとって最悪な事件が起きた……











「今、何と仰いました?」
「だから、五百だよ!! 確かに俺は伝えたからな!!」

 馬でやってきた旅装束の男は、それだけを伝えると村を出ていった。盗賊がやってくる。その数は五百。にわかには信じがたい話だが、事実だとすれば大問題だ。村の自警団ではどう考えても迎え撃つことはできない。一刻も早く村人全員で避難するべきだと訴えるため、一刀は村長の家まで飛んで行った。

 何しろ緊急性の高い話である。それはすぐに村中に伝わり小さな村は大騒ぎとなったが、村人たちが出した結論は一刀の予想とは大きく異なるものだった。

「村に残る、というものが半分を越えました……」

 一刀は一瞬、村長の言葉が理解できなかった。自分たちを殺すものがやってくるという。それなのに逃げないというのは、死にたいとしか思えない。命は一つしかないのだ。それは現代でもこの世界でも変わることはない。命あっての物種だと一刀はさらに強く訴えたが、村長の返事は力ないものだった。

「逃げても、先がないのです」

 持ち出せる蓄えは少なく、この人数の人間を養える場所などない。また逃げても、盗賊は追いついてくるだろう。ならば生まれ育った場所で死にたいと考える人間が多く、村長でもそれを翻意させることができなかった。一刀にもその気持ちは解らないでもなかったが、まだ生きる道が残されているのに死に場所を選ぶというところには共感することができなかった。

 とは言え、長年村民と一緒に過ごしてきた村長が翻意させることができなかったのだ。新参者である一刀にそれを覆す言葉などあるはずもない。当面の説得を諦めた一刀はくれぐれも短気を起こさないようにと強い伝言を残して、村長の家を飛び出した。

 当面、自殺などしないように、と村中に使いを走らせた一刀は、村の入り口で一人途方に暮れた。

 本来村を守るべき自警団の中ですら意見が割れている。村に残る面々は徹底抗戦をする構えであるが、ただ死ぬよりは戦って死ぬという後ろ向きな考えでいる。村から離れる決断をした面々は既に旅支度を始めていた。何が何でも生き残る、という決断をした連中は行動まで早い。

 副団長である子義は一刀に追従する形で村から離れる方に付いているが、本音を言えば賊と戦いたいのだろう。事実、子義の実力であれば五百人くらい……と思わせる何かを持っているが、天性の才能にこそ恵まれているがそれはまだ完全に開花しきっていない。

 せめて後一年後であればまだ違ったのだろうが、普段の訓練の力量からみても殺せても精々二百人。それも相手が一人か二人ずつ、連携せずに行儀よくかかってきた場合の話だ。五百人は明らかに多すぎる。

 とにもかくにも、やってくる盗賊を撃退する手段が、一刀にはまるでなかった。生きることを半ば諦めたとは言えお世話になった人達だ。何とか助けてあげたいというのが偽らざる一刀の本音である。

 しかし、数で圧倒的に劣り、かつ無策ではどうにもならない。子義と一緒でも最終的には殺されてしまうのがオチだろう。生まれ育った村で死ぬという意義が村人にはあるが、一刀にはそれがない。死ぬために戦いたくはないと考えるのは、人間として当然のこと。その焦りがまた一刀の思考を鈍らせていた。

 冷静に、落ち着いていれば一刀一人でもある程度は有効な作戦を考えることができただろう。希望的観測とは言えまだ盗賊がやってくるまでに時間はあるのだ。村で戦うにしても罠を作るなり、偽装工作をするなり、勝率を上げるための方法はいくらか思いついたはずであるが、焦った頭ではそれもない。

 もはやこれまでか、と焦燥感の中絶望する一刀の耳に、場違いに涼やかな声が届いた。

「お困りのようですね、お兄さん」

 顔を上げると、そこには西洋人形のような少女がいた。フリルのついた水色の服に、ふわふわで金色の長髪。頭の上に前衛的なデザインをした人形が乗ってさえいなければ、文句なしの美少女だ。童女と言っても差し支えない見た目をしているが、不思議と落ち着いた雰囲気がある。

 洛陽で出会った劉姫とはまた違う。おそらくは自分と同じか、少し年上だろうと一刀は直観した。勿論、出会ったことのない顔である。

「今日やってきた、旅の人です。私たちが外にいた時に、村にやってきたみたいで……」

 少女に同道してきた子義が、解説してくれる。金髪童女の他にも、二人の人間がいた。茶色の髪をひっつめてお団子にし、眼鏡をかけた目つきの鋭そうな美人と、ビキニに袖しかない服にスカートの斜め履きという、この世界で見た中では一番極まったデザインの服を来た、タレ目の少女だ。

 誰一人としてそんじょそこらの凡人ではなさそうな気配であるが、女性三人だ。この時勢にこの面子で旅をしている以上、荒事に巻き込まれても何とかするだけの腕っぷしが知恵があるのだろう。恰好からして戦闘担当はビキニの少女に違いないと一刀は思った。

 金髪童女が、石に座った一刀に目線を合わせるように腰を下ろす。眉毛まで金色だ。染物特有の嘘臭さがまるでない。吸い込まれそうな深い緑色の瞳である。

「話は聞かせていただきました。何でも盗賊が迫ってきていて大変だとか」
「失礼だけど、貴女たちは?」
「申し遅れました。私は旅の軍師で程立と申します。こっちはお友達の戯志才と、徐晃です」

 程立の紹介に、残りの二人は頭を下げた。戯志才と紹介された女性は、眼鏡の奥から鋭い視線を一刀に向けている。値踏みされているようで気分は良くないが、今は非常事態である。自分の身が危険にさらされるかもしれないと思えば、用心深く行動するのも理解できた。

 対して、徐晃と紹介された少女はいまいち焦点の定まっていない視線で一刀のことを見つめていた。こちらはこちらで落ち着かない。何となく、この中で一番強いのはこの徐晃だな、と一刀は感じ取っていた。子義とこの娘ならばあるいは、という期待も持ち上がるが、

「で、どうしてお兄さんはまだこんな所にいるんですか? 村の戦力では勝てないことは、解りきっていると思うんですがー」
「どうしてってそりゃあ……」

 まだ村を守るという役目を捨てきれないからだ。ここにいれば何か良い知恵が浮かぶのではと思ったが、何も浮かばない。元より、十倍以上の戦力に戦いを挑むというのが無茶な話である。程立の指摘は尤もだった。

「勝てない戦についてあれこれ考えるより、救える人を確実に救った方が良いと思いませんか? 降って沸いたような凶事で命を落とすなんて、今の時代にはよくあることです。むしろ、馴染み深い場所で覚悟の上で死ぬというのは、とても幸福なことではないでしょうか? 人にはできることとできないことがありますよ。お兄さんは力を尽くしました。気に病むことは――」
「そういうことじゃないんだよ!」

 その言葉は、自然と一刀の口をついて出ていた。今までの人生を振り返っても、女性を怒鳴るなど初めてのことである。怒鳴られた程立よりも怒鳴った一刀の方がその事実に驚いていたが、一度口から出た言葉は引っ込めることはできない。

 反射的に謝りそうになるのをどうにか堪えた一刀は、勢いそのままに言葉を続けた。

「俺は、俺に良くしてくれた人たちに、死に場所なんて選んでほしくないんだ。だって理不尽だろ、こんな死に方なんて……俺にできることなら、何でもするよ。軍師だというなら、俺に知恵を貸してくれ」

 吐き出せるだけ言葉を吐き出した時、一刀は地に膝をつき頭を下げていた。助けるためなら何でもする。その言葉に嘘偽りはない。そのためになら自分の軽い頭の一つや二つ、大したことではなかった。少なくともこの金髪童女は、自分などよりも遥かに頭が回る。足りない頭数をどうにかするための知恵を生み出す頭脳は、何としても必要なのだ。

「……シャンは、このお兄ちゃんに協力しても良いと思う」
「殿方にここまで言わせて見捨てたのでは、流石の私でも良心が痛みます」
「そーですね。いじめるのはこのくらいにしておきましょう。何しろ風も最初からお兄さんと同意見ですから」
「……最初から?」
「はい。善良な村人が困っているのに、助けない道理はありませんからねー」
「なら今のやり取りは必要なかったんじゃ……」
「村の人の話を聞いてみた限り大分信用されているみたいですけど、それと一緒に事に当たれるかは別の問題ですから。この非常時に文句を言うだけなら、お尻をけ飛ばしてでも他の村人と一緒にいてもらうつもりでいました。お兄さんは合格です」

 と、程立は自分が咥えていた飴を一刀の口の中に強引に突っ込んだ。チープな味が口の中に広がる。この国にきて初めてのケミカルな味に、一刀が目を白黒させている内に程立は振り返った。

 そこには、自警団員たちがいた。逃げることを主張した者も、残ることを主張した者も全員いる。元より、村を守るために立ち上がったのだ。今は村の危機。自警団が何もしない訳にはいかない。逃げると主張したのも、何も手はないと思ったからだ。

 その知恵を授けるのが胡散臭い旅の軍師とは言え、襲ってくる盗賊たちに立ち向かうための手段があるというなら、何もせずに諦める訳にはいかなかった。戦う。それを決めた面々を前に言葉はいらない。飴をばりぼりとかみ砕いた一刀は子義を伴って歩き、自警団員たちの前に立つ。

 一刀を含めて三十三人。変わらずに一割以下の戦力だが、各々の目には戦うという意思が満ちていた。そんな彼らを見て、風は満足そうに頷いた。

「そんな皆さんに、良いお報せです。五百人いるという盗賊さんたちですが……実はその半分もいません」
「……………………なんだって?」
「そして数が頼みの烏合の衆であることも解っています。問題なのは二十人弱の幹部くらいですねー」

 何とかしなければいけないのは自分たちと同じくらいの人数で、しかも周囲にいるのは烏合の衆である。これなら何とかなる気がしてきたが、その幹部を皆殺しにするには烏合の衆とは言え二百人以上の賊を突破しなければならない。依然として数の差は存在しているが、大分ハードルは下がっている。

 しかも今は策を考えてくれる軍師がいる。頼り過ぎるのもどうかと思うが、五百と正面からぶつかることに比べればどうということはない。

「ですので、お兄さんたちの当面のお仕事はその幹部を皆殺しにすることです。幹部のところまで行く手段はいくつか考えてますが、ここは一番成功する可能性の高い方法で行きましょう。お兄さん――」



「――お芝居の経験とかありますか?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第009話 とある村での厄介事編③




 この村に来る前、風たちは四人で旅をしていた。今いる三人と、星――『常山の昇龍』を称する趙雲を加えた四人である。遊学をしようと決めた風と稟は一路洛陽を目指し、そこにたまたま洛陽に立ち寄っていた星が加わって意気投合した。

 星は武人であるがそれなりに学があり、道中学問を教えてくれるのであれば、という条件で護衛を買って出てくれたのだ。最も年若いシャンとは、道中の村で出会った。仕官先を探しているが、右も左も解らないという彼女に、やはり学問を教えるという条件で同行することになった。

 星は飲み込みが良かったが、風や稟の目から見てシャンはそれ程でもなかった。とは言え、学ぶ意欲は素晴らしくゆっくりとした速度ではあっても、きちんと知識を吸収し、応用してみせるだけの知恵はあった。剛力無双にこの知恵である。将来は一角の人物になるだろう、というのはシャン以外の三人の共通する見解だった。

 四人での旅は、それはそれは楽しいものだったが、そう長くは続かなかった。

「生涯の主と思い定めるには聊か心許ないが、これほど放っておけないと思ったお人は初めてだ」

 故にしばらく客将として世話になると、星が幽州は公孫賛の元に残ることになり、四人は三人となった。

 公孫賛とは風も稟も話をした。確かに能力は高く、特に騎馬隊の指揮力に優れていたが、大業を成すような大人物には見えなかった。だからこそ、星も生涯の主と定めた訳ではないと態々言い残したのだろう。

 それでも星が残ると決めたのは、大業を成すような器ではないけれど、どうにも放っておけない雰囲気があったからだ。あれは明らかにいらない苦労を背負い込んで、色々な面で苦労する性質である。風も自分に武力があれば残ると言っていたかもしれない。これも人徳と言えるのだろう。星が残ると決めた時、公孫賛は涙を流して喜んでいたのを良く覚えている。

 さて、黄巾賊との決戦が冀州で行われるという見通しを立てた風たちは、それを避けるようにして帝国を左周りで旅をしてきた。いつか使う時が来るだろうと、情報を収集しながらである。女三人の旅だ。情報を吐き出してくれる人間はそう多くはなかったが、腕っぷしの強い人間が一人二人いると、役人や商人の口も軽くなる。

 風も稟も知力で人に遅れを取るつもりはなかったが、乱世ではやはり力が物を言った。シャンの背格好を見て誰もが最初は不安を抱くのだが、彼女が自分の得物である大斧を振り回して見せると、途端に態度を軟化させるのだ。誰だって命は惜しい。力ある武人に対して知識人よりも敬意を払うのは、ある意味当然と言えた。

 方々で、シャンの腕は高く評価された。シャンくらいの腕であれば、どこでも高い給料で雇ってくれるだろう。年齢を考えれば仕官していないというのも納得はできるが、それも時間の問題だ。是非我が家に。という勧誘をしかし、シャンは断り続けた。

 星が大器を求めて旅をしていたように、シャンにも拘りがあったのだ。いくら話を聞いても要領を得なかったが、簡単に言えば彼女は相性の良い相手を選びたいのだということだ。

 器の大小はあまり重要ではない。会ってみて、話してみて、触れて見て、感じてみて『この人は心の底から信用できる』と思ったなら、生涯その人に仕えようという気でいるらしい。全ての話を断ったのは、彼ら彼女らがそういう気分にさせてくれなかったからだ。

「できれば男の人が良いなー」

 とシャンが口にした希望は、剛力無双の武人としては聊か乙女めいていた。年齢を考えればそれも無理からぬことではある。大斧を振る才に恵まれなければ、普通の少女としてシャンも暮らしていたはずだ。その才能が選択肢を広げると同時に、狭めてもいる。

 大抵の人間はシャンの才能を見て、それを活かすことを勧めるだろう。それと普通の少女としての幸せが両立しないとは言わないが、今が乱世であることを考えると、彼女ほどの才能だ。おちおち恋もできないだろう。主が素敵な男性であれば、その問題が一気に解決する。

 武勲を挙げて名前を売り、ご主人様に見初められて寿退官する。血なまぐさい前半部分を除けば、都市部の少女に好まれそうな、少女の成功譚そのものである。

 年若いシャンですら、最終的には家庭に入ることを考えている。女性としてはそれが正しいのかもしれない、と思うと何だか自分が打算のみで動いている汚れた人間のような気がして、風も稟も気分が滅入った。あくまで主は感性で選ぶ、というシャンに風と稟は羨望に近い気持ちを覚えていた。

 二人も主たる人間を選ぶに感性に依るところがないとは言わないが、シャンに比べるとその選考基準は打算的であると言わざるを得なかった。風たちが求めているのは、最終的に勝利する船だ。どれだけ相性が良くとも、途中で沈んでしまうのでは話にならない。

 後は、できれば名家の生まれでないことが望ましい。例えば曹操や孫堅など、既に大人物であると風評のある者は世に散見されるが、そういう人物はえてして、親類の発言力が強い。彼女らがいかに有能であっても、親類とは自分の後援者であり、同士である。例えその提案が間違っていると頭では解っていても、無視をできない時が来るかもしれない。名家の生まれでなければ、そういう柵は一切考えなくても良いのだ。

 もっとも、勝馬であるという事実に比べればこちらの方はあまり重要ではなく、あくまで好ましいという程度だ。どれだけ才覚があっても、それを活かす下地がなければ埋もれてしまう。風も稟も神ではない。いかに大器であっても、埋もれたままでは発見することはできないのだ。地に埋もれた大器と比べれば、多少窮屈な中器であっても満足するより他はない。

 三人で話し合った結果、現状、もっとも仕えても良い人間というのは曹操だった。中器というには大器過ぎるが、苛烈であっても公正で、卑しい身分の人間は重く用いないとして知られる袁紹と比べると、比較的広く人材を登用している。何より、高い才能を愛する人ということで有名だ。

 広く人材を集める、という点では孫堅も似たようなものであるが、あちらは既に上層部の体制が固まりきっていた。古参の武将が多く残っており、武官も文官も既に派閥が出来上がっている。側聞するに、文官筆頭は既に周瑜に代替わりしており、しばらく世代交代は見込めない。その周囲も縁の深い一族を中心に登用が進んでいる。

 これで盆暗ばかりというのであればまだ良かったのだが、文武両道を絵に描いたような孫呉上層部は、例え文官であっても、一通りの武を修めていると聞いている。筆頭である周瑜も鞭の名手であり、それに続く陸遜も三節棍を使うという。知一辺倒という人間には、聊か住みにくい集団なのだ。

 一緒に旅をしている間、星は色々と手ほどきをしてくれた。それほど運動神経の悪くなかった稟は、それなりに形になったのだが、背が小さく、また膂力にも恵まれなかった風は少し剣に触っただけで諦めてしまった。文の部分では誰にも負けなくても、武の部分では話にならない。

 無論のこと、孫堅も武がからっきしであるからという理由で、文官の登用を渋ったりはしないはずだ。文武両道というのはあくまで理想論であり、文官の本領は頭を使うことである。運動ができないからと言ってデキる文官の登用を渋っていては、国は立ちいかなくなる。孫堅もそれは解っているだろう。

 仕官を希望すれば風もきっと採用されるのだろうが、あくまで理想と言っても、それが理想として掲げられていることに違いはなかった。自分には向いてませんから、と言って全く歯牙にもかけないのでは角も立つ。まして自分たちは外様であり、周瑜や陸遜は一定の武を修めている。肩身の狭い思いをするならばと、どちらかと言えば曹操に、と軍配が上がっている訳である。

 流浪の軍師を気取るのもそろそろ限界だ。各地で残党が暴れているものの、黄巾の乱は一応の終息を見せた。少しばかり平和な時間が続くが、大きな戦が起こるのは時間の問題だろう。目下の問題が片付いたことで、権力争いが本格化している。

 遅れれば遅れるほど、売り込みは面倒臭くなる。そろそろどこかに仕官した方が良い。このまま曹操の本拠地まで旅をし、それまでに有力な候補がいなければ曹操に仕官する。三人でそう取り決めて、一路東進。

 その間に、一つおかしな盗賊団を見つけた。

 規模は五百人と言われているが、官軍と交戦した記録はない。襲撃した村は全て焼き払われていたが、その徹底っぷりに比べると死傷者は驚く程に少なかった。何でも、これから盗賊が来るぞ、という先触れが来たらしい。それが一つや二つであれば、良い人もいるものだ、という話で済むのだが、その盗賊団が襲撃した村は十を超え、その全ての村の生存者が、先ぶれが来たと証言していた。

 容姿も共通している。馬に乗った旅装束の男で、盗賊団が来る。それは五百人くらいだ、という情報を残すと馬で去っていくという。これ程怪しい存在もないが、これは違う村の証言を紐付けて初めて理解できたことだ。官軍であれば、ここまで詳細な調査はしなかっただろう。つまりは生存者同士が情報の交換でもしなければ、永遠に表に出てこなかった情報だが、誰も気づいていない情報というのは、使う人間が使えばそれなりに価値があるものだ。

 そして実際に襲われた村を見分して更に盗賊団の情報を収集した結果、先ぶれの男が言っていた五百人というのは相当なフカシであることも解った。始末されていた竈や便所の跡から類推するに、実数はおよそ半分ほど。二百から二百五十の間と言ったところだろう。
 
 先ぶれの男も盗賊団の一味だろう。先ぶれが行くことで村人は逃げる人間、残る人間に振り分けられる。残った人間はそれこそ死にもの狂いで戦うだろうが、村から逃げる人間がいる分、盗賊団の取り分は少なくなる。それを理解していて尚、先ぶれ作戦を取り続けたということは、取り分が少なくなることよりも、戦う相手を少なくすることを優先した結果である。

 二百人からの無頼の輩がいて、ただの村人を警戒している。農村部とは言え、従軍経験者がいることもあるだろう。一般人とて油断できる相手ではないのがこの時代の常であるが、用心深いというよりは臆病、というのが風と稟の共通見解だった。

 臆病で、戦闘能力に自信がない二百人からなる盗賊の集団。これならシャン一人でも、皆殺しにできると戦闘担当の少女は自信を持って断言した。

 盗賊団一つである。名前が売れる訳でも金になる訳でもないが、既に大きな被害が出ている以上、これを見過ごすのも道理に反する。できることならば何とかしようと心に決めて動きを予測し、次に襲われる村に当たりを付けて先回りして見ると、その村には自警団があった。

 自分の村を自分で守ろうという取り組みは珍しいものではない。従軍経験者がいれば、隊伍を組んで組織的な動きをする、というのもできなくはない。村人たちも命がかかっているから熱心に仕事をするだろうし、戦闘技術も学ぶだろう。

 村によって練度の差が激しいものだが、居並んだ団員の動きはそれなりに洗練されていた。この周辺に限定すれば、人数も練度も最良と言える。

 その指揮をしていたのは、北郷一刀という若い男だった。年齢は風や稟よりも少し下。農村ではなく都市部にいそうな男で、商家の次男か三男というのがしっくりくる優男である。それなりに洗練された服を着ていれば、さぞかし都のご婦人がたには人気が出るだろうが、今は農村らしく簡素な防具で武装していた。

 見た目の印象がそんなものだから、強そうには見えない。この男性が自警団の代表というと守られる側としては不安なのではと思うが、合流するまでに聞いた限りでは、彼の評判は悪くない。

 元々が旅人で、この村に来て三か月程であるという。給金などもちろん出ていないが、彼は毎日よく働き、村の男衆を調練したという。村を囲む柵も、いざという時の避難計画も、夜間の見回りも、全て彼が一人で構築したものだ。

 見た目以上に、優秀な男なのだろう。ここまでタダで尽力されると、何か裏があるのではと疑ってしまうが、顔を見た限りは、腹芸のできそうなタイプではない。これは風の直感であるが、この男は見た目通りの良い人だ。

 それなりに優秀であること、良い人であるということは解った。この男ならば勝算を示せば喜んで村の防衛に協力してくれるだろう。シャンが一番仕事をするとは言え、命をかけて戦うことになる。死傷者がゼロという訳にはいかない。風が聞きたかったのは、自分と、そして何より仲間が死ぬ危険を理解した上で参加できるかということだった。

 迂遠な言い回しでそれを試すと、男は声を挙げて反抗し手を突いて頭を下げた。村を助けるために力を貸してほしいと、彼はそう言っている。その頃には、自警団も全員集まっていた。盗賊との闘いに勝算があるとは匂わせておいた。ここまでは予定調和である。

 彼らの力量を再計算して、風は作戦を立て直した。元々は、盗賊団を強襲。周囲を自警団で固めて逃走経路を封じ、夜間にシャンを投入して皆殺しにする計画だった。作戦と呼ぶのもおこがましい雑な計画であるが、ある程度の取りこぼしを許容するのであれば、これが一番死傷者が少ない作戦である。

 シャン一人に犠牲を強いているようなものであるが、シャンの実力であればそう大怪我をするものではないし、何よりシャンが積極的にその作戦を採用するように働きかけた。自分一人でやるのが最も成功率が高いと、理解しているのだ。実力が離れすぎていると、仲間というのは邪魔でしかない。

 だが、この男だ。一刀は自分を自警団の一員、ただの戦力と考えているようだが、それは勿体ないことだった。風たちだけでは実行できず、村人全員の力を借りても無理だった作戦が、彼一人いるだけで実行が可能になる。後はどれだけ、一刀が作戦を理解し実行してくれるかだ。

 胸が高鳴る。一刀は地に手を突いて頭を下げ、知恵を貸してと願った。量られているのは、自分たちの器だ。どれだけ命を救い、この村と、人々と、その生活を守れるかで、風たちの器量が判断されるのだ。

 見栄など張る性質ではないと思っていた。しかし、この男に軽く見られたくないと思っている自分がいる。命のかかった状況だ。不謹慎ではあるが、知略を尽くし、物事に当たるこの時間が久しぶりに楽しい。

「お兄さん、お芝居の経験とかありますか?」

 風の問いに、一刀は目を白黒とさせた。意表を突けた。その事実に、風は笑みを深くした。








風たちのパート。彼女らは彼女らで仕事をしていたのでした。
次回、盗賊団との戦闘パートです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第010話 とある村での厄介事編④










「それでは、お兄さんに問題です。盗賊のお頭というのは、一体何人いるものでしょうか」
「一体何の話だ?」
「大事な話ですから、きちんと考えてください。風は稟ちゃんたちと旅をしている間に、この国で起こった賊の規模、構成、官軍あるいは民兵に討伐されたならそれに費やされた人員、費用、時間、その他諸々を調べました。その結果によれば、盗賊のお頭は概ね一人ですね。共同代表を設けているところも三つほどありましたが、例外なく内紛が起こって殺し合いになりました」

 いやー、怖いですねーと全く怖がっていない様子で、程立は飴を舐めている。準備している間、作戦を頭に叩き込んでほしいと、子義と一緒に呼び出されての話である。その場に戯志才と徐晃も同席していた。徐晃は実働部隊として、一刀に同行することになっている。

 程立と同様に、何を考えているのかよく解らない少女の瞳は、何やらじ~っと一刀のことを見つめ続けていた。視線を返すと、首をこてんと傾げてみせる。嫌われている訳ではないことは解るが、同時に意味も解らない。年頃の少女は難しいのだという現代の常識は、この世界でも当てはまるようだった。

 こうなると竹を割ったような性格である子義の存在が頼もしい。今も忠犬とは私のこと、と言わんばかりに一刀の傍に控えている。ちらと視線を向けると、太陽のような笑顔を返してきた。随分とこの笑顔に助けられた気もする……と感慨深く溜息を吐く一刀だったが、今は作戦のことだ。

「同格の奴を沢山作って、話し合いで決めるって賊はなかったのか?」
「そういう都の若手官僚のような方法を好む人間は、間違いなく賊にはなりませんねー。話を戻します。では、副団長さんは何人でしょう?」
「一人……じゃないのか?」

 自警団でも、副団長は子義が一人である。複数設ける案もあり実際にそうしたのだが、最終的には一人で落ち着いた。序列はできる限り明確にしておいた方が良い、というのがその理由である。

「調べた限りでは一人が多かったですけど、序列を設けて二人、三人置くところも結構ありました。『何か』あった時、次に誰の命令を聞けば良いのか明確にしてるんですね。従軍経験者が上の方にいたんじゃないかと、風は考えています。更に質問です――と、お兄さん。計算はどの程度できますか?」
「一通りは。大丈夫。大体の計算は問題なくできるよ」
「優秀ですねー。それで質問ですが『幹部』――集団の意思決定にある程度関与できる人は盗賊団の内何割くらいを占める思いますか?」

 程立の問いに、一刀は自警団に合わせてそれを考えてみた。自警団は一刀を含めて三十三人で、幹部、と言うか役職があるのは団長である一刀、副団長である子義、それから約十人ごとに部隊を分けた時に、それを指揮する人間が三人である。

 従軍経験者が務めるこれは便宜上十人隊長と呼ばれている。この三人に一刀たち二人を加えた五人が、自警団における役職持ちである。残りは全員同列だ。三十三人の内の五人。計算し、キリの良い数字にするとして……

「…………一割五分ってところじゃないかな」
「自警団に当てはめて考えましたね? 一応、正解と言っても良いでしょう。ですが、少人数と多数の集団では事情が聊か異なります。仮に二百五十人の賊がいるとして、その中で団の意思決定に関与できることを幹部の条件とするなら、それを満たすのは二十人にも満たないんじゃないかと思います。後はそれぞれが子飼いの人間を抱えて、末端までを支配する。盗賊は概ねそういう構図です」
「それで、その幹部がどうかしたのか?」
「はい。この幹部とそれに追従する者を殺すことで、盗賊団全体を機能不全にする。風の作戦目標はそこにあります」

 程立の立てた作戦は一言で言うなら、なりすましの連打だった。

 まず、一刀が盗賊の同業者となって内部に入り込む。一刀の身分は洛陽を拠点にしている人買いの一味で、あの村には品定めのために潜入していた。女子供を攫って男と年寄りは殺す。そういう算段だったのに、お前らのせいで半分以上が逃げ出してしまった。責任取れと文句を言いに行く、というのが初期段階の筋書きである。

「悪党のくせに何て言い草だってのが正直な感想なんだけど、こういう業界ではそういう言い分に正当性があるものなのかな」
「あらかじめ取り決めがあったのならともかく、そうでないなら早い者勝ちだと思いますよ。まぁ、実際はどうあれ盗賊の皆さんは都市部の犯罪組織の事情なんて知りませんから、言ったもの勝ちですね」

 そこから妥協案を探すということで、商談に持っていくのが第二段階だ。

 一人も確保できないのでは商売にならないから、お前たちに業務を委託する。殺さずに生け捕りにしてくれれば一人につきこれだけ払おう。ついては、これが頭金である。最低、これに相当する人数は確保してもらいたい。

 そこで使用する銀は程立たちと、一刀の持ち出しである。尤も、一刀を含めた四人分の財布を全てひっくり返しても、演出のために必要な小袋一杯の銀を用意することはできなかったため、鉄や銅のクズを使っての代用である。とりあえず袋を開けた瞬間だけ、誤魔化すことができれば良いのだが、一刀にはまたも疑問が残る。

「俺たち人買いは、どうして自分たちで何とかしないで誰とも知らない盗賊に業務を委託するのかな」
「馬車数台に分乗した捕獲用の精鋭部隊の到着が、村に先ぶれが来てから四日後だからです。その数は四十。精鋭ということは念押ししてくださいね。シャンの力を見せつけてあげると良いでしょう。精鋭が皆これくらいと思ってくれれば、上出来です。奇しくも、村人たちと同じくらいの猶予が盗賊団に与えられる訳ですね。選択肢も同じ、戦うか逃げるか。あちらにも同じことを考えてもらいましょう」

 十中八九、盗賊団は戦わない方を選択するだろう。生け捕りにする手間は増えるが、同じ仕事をするだけで余計な手間賃まで貰えるのだ。相手が要求しているのは人だけで、その他一切は含まれない。若干危険は増すが収入が、それも銀と言う現物資産で増えるのだ。盗賊ならばこれに乗らない手はない。

「で、ここからが大事なんですが、頭金はできるだけ偉い人に手渡ししてください。お金を確認しているその時が、行動開始の合図です。狙いは幹部と追従する者のみ。それ以外は放っておいて構いません。とにかく、幹部だけは絶対に皆殺しにしてください」
「幹部皆殺しは確定なんだな」
「この盗賊団を無力化して、今後あの村に手を出さないようにする必要がありますからね。音頭を取れる人間を生かしておくことはできません。他に妙案があるなら、伺いますがー」
「いや、別にないよ」

 目的達成のために殺してしまう、という発想そのものに思うところがないではなかったが、村に残って戦ったとして、首尾よく盗賊団を撃退できたとしても、そこに人死は発生する。盗賊は死ぬし、自警団も死ぬし、村人も死ぬ。

 だが、この作戦は成功すれば、少なくとも村人は死なない。優先順位の問題なのだ。村人を死なせないことを最優先にするのならば、村で自警団で迎え撃つよりもずっと、程立の立てた作戦の方が優れている。味方の安全を犠牲にしてまで、こちらを攻撃してくる敵に払う配慮はないのである。

「ところで、この村には他にもいかつい顔は何人かいるけど、どうして俺が人買いの役なんだ?」

 農村部だけあって、普段の農作業で鍛えられた男衆の肉体は細く締まっていて無駄な贅肉など一片もない。日に焼けたマッチョと細マッチョで団員は占められており、その中に一刀が加わるとどうしても肌の白さと筋肉のなさが目立つ。

 率直に言うなら相対的に弱そうに見えるのだ。犯罪組織の人間という役割を演ずるなら、もっと強そうに見える人間は何人もいる。別に怖気づいたとか仕事を押し付けたいと思っている訳ではないのだが、およそ見た目に関することについては、何かと自虐的になる一刀だった。

 そんな一刀の内心を知ってか知らずか、程立は薄い笑みを浮かべてその問いに答えた。

「裏稼業とは言え商人の役ですからね。読み書き計算は必須です。そして何より、お兄さんは誰がどう見ても都市部生まれの都市部育ちで、この辺りの住民ではありません。村の人は一応、全員面通しをしましたが、やっぱりお兄さんがこの役柄に最適です」

 程立の物言いは『こじゃれた都会者』と好意的に解釈することもできたが、一刀には『お前は青瓢箪だ』と言われているように聞こえた。人知れず地味に傷ついた一刀は、救いを求めるように子義を見た。

「なぁ、子義。俺はそんなに弱そうに見えるかな」
「村の女衆は都会っぽくて素敵って言ってるよ。私も同じ意見かな」

 団長かっこいー、と軽い言葉で締めてくれた子義のおかげで気分もいくらか回復したが、一刀はもう少し気合を入れて訓練をしようと心に決めた。

「肝心なことを聞いてなかった。幹部が殺されてる時、他の連中が襲い掛かってきたらどうするんだ? まさか全員、逃げずにその場でじっとしてるとでも言うのか?」
「じっとさせてください。お兄さんは人買いではなく、実は官軍の先遣隊です。精鋭の部下が既に包囲しているので、抵抗は無駄。逃げず、そして抵抗さえしなければ雑兵の命は取らないと、全員に聞こえるように宣言してください。自分が助かるためなら、人は喜んで他人を見捨てます。盗賊さんなら尚更です。まぁ、それでも逃げる人はいるでしょうけど、その時は風と稟ちゃんが何とかします。いやー、自警団の指揮権を貸してくれて助かりました。これで風も作戦立案以外で貢献できます」
「村が守れるって結果が大事なんだ。誰が指揮をしてるかってのは、あまり関係がないと思うよ」
「お兄さんが調練していてこそですよ。お兄さんの命令だから、怪しい旅の軍師にも、あの人たちは喜んで従ってくれるんです」

 程立のまっすぐな発言がこそばゆい。掴みどころのない、ふわふわとした少女だが頭の冴えが凄まじいものだった。軍師というのはこんなのばかりなのだろうか。洛陽から同道してくれた元直も、世話になった荀彧も、知らないこと、理解できないものはないとばかりに、すらすらと物に応えていく。真に知識を理解し、それを応用して物事を解決するとは、こういうことなのだと、感心せずにはいられない。

「さて、第一、第二、第三段階。作戦についてはこんなところです。後は現地に着くまでの間に、細かい演技指導をしましょう。お兄さんの働きにこの村の行く末がかかっています。気を引き締めて、事に当たってください」
「……あぁ。質問ばかりで申し訳ない。俺の提案に乗ってくれることが作戦の大前提になってる訳だけど、もし、奴らが乗って来なかったらどういう作戦で行くんだ」
「その時は作戦なんて必要ありません。幹部だけ狙って殺すのが、盗賊団皆殺しになるだけです。二百人くらいならシャンが何とかしてくれるはずですから、お兄さんは生き残ることを優先してください」
「大丈夫。団長のことは私が守るから!」

 完全武装した子義が、目をきらきらさせながら言ってくる。戦を前に大興奮しているらしい。いつも一刀の周辺をちょろちょろとしている彼女だが、今日はいつになくひっついて離れない。実際、子義が近くにいてくれるのならば頼もしい。徐晃とも手合わせをした。流石に及ばないまでも、風や稟を驚かせるくらいの動きを子義はしてみせた。いずれ同格になるだろう、というのが徐晃の見立てである。

 改めて、一刀は子義を見た。地方の村で終わらせて良いような人材ではない。大舞台に立てば、子義は一角の人物になれるだろう。幸い、自分に懐いてくれている。村を出て例えば、名を挙げるために戦うと言ったら、この娘は付いてきてくれるだろうか。

 それでなくとも、旅の助けになってくれるだけでも、とても嬉しい。実際、この小さな妹分のことが一刀は好きになりかけていた。男女のそれではもちろんないが、この娘と一緒に旅が出来たら楽しいだろうな、と夢想するのである。

「妄想にふけっているところ申し訳ありませんがー」

 下から、にゅ、と程立が顔を出してくる。美少女のドアップに思わず一刀は後退った。一刀のつま先に乗って背伸びして、それでも小柄な程立とは視線が合わないが、頭の上に乗った模型が顔に当たっている。地味に痛い。

「皆殺しの気配を感じたら、予定を変えて風と稟ちゃんも突撃の指示を出しますから安心してください。皆で一緒に戦いましょう」
「程立も戦うのか?」
「風は稟ちゃんと違ってか弱いので応援だけです」
「…………心強いよ、ありがとう」












戦闘パートと言いましたが実は嘘でした。
次から本当に戦闘パートに入ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第011話 とある村での厄介事編⑤












 村人たちの情報から、盗賊たちが夜営をしている場所は判っていた。先ぶれが『襲われた』と証言した村の方角と村を行き来するには、普通に歩いて二日かかる。その大体中間くらいの位置に丘があり、そこに古い漁師小屋があるのだ。馬を使って一日で踏破するのでなければ、そこで夜を過ごすのが普通である。

 盗賊団に馬がいないという保証はないが、二百人全員が騎馬ということはまずないだろう。官民問わず、行軍速度は足の遅い兵に合わせて遅くなる。歩兵の方が多いのであれば、行軍速度は軽装の旅人とそう変わるものではないはずだ。

 盗賊団がやってくるのは先ぶれの情報では二日後の夜ということだったが、程立の分析からさらに一日猶予があると判断された。

 理由は簡単である。彼らはできる限り、村人の数を減らしたい。村人の避難のための時間は、できるだけ長い方が良いが、長すぎてもいけない。二日猶予があれば着の身着のまま逃げるには十分だが、安全のために更に一日余裕を持たせる、ということである。

 臆病にも程がある話だが、対応する側の一刀たちには朗報だった。ではその浮いた分の一日を盗賊はどうするかということであるが……これは中間地点の猟師小屋で時間を潰すより他はない。回り道をするには人目につく。不必要に目立つようでは犯罪者失格だ。

 何より村を襲うのにここまで臆病になる盗賊である。時間を潰して安全を買えるなら、喜んでそうするだろう。斥候を出している可能性は程立でも否定できなかったが、最初から一つの村が標的になっている以上、多くの斥候を出す必要はない。程立は出していないと踏んでいるが、出ていたとしても二、三人としている。

 つまりは、およそ二百五十人という盗賊が、この丘に大集合している訳だ。やらなければならないと解っているが、あまりの数の多さに今さら身震いする一刀である。

 既に程立と戯志才は、半分に分けた自警団を率いて指定の場所に到着しているはずである。村人の記憶を頼りに丘の詳細な見取り図を作成し、そこから小屋で戦闘が起こった際、どのルートを使って逃げてくる可能性が高いか割り出し、そこを塞いでもらっている。打ち漏らしは彼女らに任せるより他はない。

「さて、上手く行くかな……」
「何かあってもシャンがどうにかするから、安心して」
「私も頑張っちゃうから!」

 人買い風に身なりを整えた一刀の周囲には、子義と徐晃のみがいる。二人とも武器らしい武器はもっておらず、完全な――実は完全ではないのだが――無手である。盗賊団に警戒を抱かせないためであるが、これも一刀が不安を消せない原因となっていた。武装した敵の本拠地に乗りこむのに武器がないのだから無理もない。子義も徐晃も一騎当千の猛者であることは理解しているが、身を守る手段がないというのは心細いものである。

 こうなると、緊張している様子のない二人のことが、羨ましくなる一刀だった。弱者と強者、その差だろうかとも考える。確かにこれだけ強ければ、殺されるかもという恐怖は少なくて済むだろう。一刀が見る世界よりも子義が見た世界の方が、見ているものが同じだとしても、安全に見えるのは道理である。

 今回も子義一人であれば、盗賊を殺すという目的のみに絞った場合、実のところ大した問題ではない。村と村人を守らなければならないという条件がついているからこそ、彼女には難しい問題となってしまっているだけだ。何度でも、どれだけ時間をかけて挑戦しても良いなら、子義にとって盗賊二百人というのは物の数ではない。

 自分にそういう力はないが、それが近くにあるというのは一刀の心を落ち着かせた。少女二人が、自分を守ってくれるという。実力は彼女らに遥かに及ばないが、例えどれだけ実力差があっても、一刀は男で子義と徐晃は少女だ。年下の女の子の前で恰好悪いマネはできない。それは男として当然の矜持だった。

 両頬をばしん、と叩いて気合を入れる。ここから先は、北郷一刀一世一代の大芝居だ。

「止まれ」

 丘の麓。猟師小屋まで、一本道が続いている。その道以外には木々が生い茂っており、夜間の踏破には向かない。きちんとした道があるのはここと、この反対側の二つのみ。こちらに守衛は二人。反対側にも、おそらく同じだけの人数がいることだろう。

 そちらが主要の逃走経路の一つである。程立の部隊が今頃は近くに到着しているはずだが、今は目の前のことだ。守衛の目は、不審に満ちている。村から離れた何もないところに、男一人に少女が二人。状況に合わないこの組み合わせは、守衛たちの目には恐ろしく奇異に見えた。既に、警戒度はかなりのものである。一刀から見て遠い方の一人は、腰の剣に手をかけていた。

 ここで戦闘になったら、全てが終わる。窮地の時こそ、不敵に笑ってください。程立の最後のアドバイスを思い出した一刀は、不遜な笑みを浮かべる。

 そしてそれが、守衛二人からいきなり騒ぎを起こす、という選択肢を排除させた。得体が知れない。そう思わせることができた時点で、ある意味、一刀の勝利である。
 
「何の用だ」
「お前らの同業者だよ。代表と話がしたい」

 なるべく威圧的に、と程立から演技指導を受けていたが、それがどこまで実行できているかは怪しかった。流し見した不良映画のイメージであるが、守衛二人の反応を見るに、そう的外れな振る舞いでもないのだろう。深夜に同業者の来訪。守衛二人の不信は更に増していく。

 これから村を襲撃する予定がある。そこに外部から同業者を名乗る人間が来たのだ。罠であればもちろん問題であるが、話が本当だったとしても彼らにとっては寝耳に水である。立場によって差はあるが、とにもかくにも、盗賊の取り分というのは頭数が増えるほどに少なくなる。守衛二人としてはこのまま回れ右をして、どこかに消えてほしかったが、代表と話がしたいと言っている以上、完全に無視する訳にもいかない。

 この連中を通して良いものか。一刀たちを観察する守衛たちの目が、子義と徐晃に向いた。如何にも女、という風ではない。簡素な恰好をしており一目みた限りでは田舎の村娘という風である。色気はないが、それでも少女ということは解った。

 ここが都市部であれば、それでも情婦というのが一番しっくりくる解答だろう。だがこの状況である。深夜にやってきた如何にも怪しい男が、両脇を固めるように連れている。それの意味するところはつまり――

「俺の女で、護衛だ。腕は立つ」

 やれ、と徐晃に短く指示を出すと、彼女はすたすた歩いて、手近にあった岩に拳を思い切り叩きつけた。砲弾が直撃したような轟音が辺りに響く。徐晃が何でもないような顔をしてその場を退くと、岩は真っ二つに割れていた。守衛二人の口が驚きでかくん、と落ちる。護衛ならば強いだろう。その程度に考えていた二人に、年若い少女が素手で岩を割って見せる、あまりに衝撃だった。加えて、

「これで不服なら、そっちの奴の頭を割るが」

 次はお前だ、という直接的な脅しである。名指しされた方の守衛はこの時点で落ちた。すがるような目で残りの守衛を見るが、命にまだ余裕のある彼は仲間の命よりも自分の職務を優先させることにした。

「……うちの頭とどういう話だ」
「それはお前に関係ない。あんまり寝言言うなら、お前の頭も割って勝手に進むが……」
「…………付いてこい」

 渋面を作った男は、もう一人をその場に残して奥へと歩いていく。当面の命の危機が去った男は、深々とした安堵の溜息を漏らした。守衛について奥へ行く途中、ちらと残った男を見た徐晃が男の前で拳を強く握りこんで見せた。拳を開くと、粉々になった石がぱらぱらと地面に落ちた。

 視線を合わせる。こちらの意に反することをすると、こうなるというより直接的なメッセージに男の心は完全に折れてしまった。自分よりも一回りは下だろう少女と、視線も合わせようとしない。自分の成果に満足した徐晃は一つ頷くと、少し先を歩いていた一刀たちに早足で追いつく。

 木々の間の道を行きながら、一刀は考えた。第一段階突破。守衛のところで騒ぎが起きると全てがご破算だった。ともかく最悪の事態を回避できたことに、一刀は人買いの顔を維持しながらも、心中で安堵の溜息を漏らしていた。子義と徐晃も、少しは緊張しているかと思って聞き耳を立ててみれば、

『俺の女だって! 俺の女だって!!』

 子義が小声で、きゃーきゃー大騒ぎしていた。できればそういう話は後でしてもらいたいものだが、幸いにも前を歩く男には聞こえていないようだった。ギクシャクした動きはそのままである。徐晃の力を見て、怖気づいているのだろう。岩を真っ二つにする少女が後ろを歩いていれば生きた心地がしないのは当然だ。一刀も逆の立場であれば、同じ気持ちになるに違いない。

 小高い丘の上。猟師小屋の近くに、盗賊たちが思い思いの恰好で座っている。守衛は盗賊たちの中を突っ切ると、猟師小屋にまで伺いを立てに走った。あの小屋の情報も既に掴んでいる。村人の話では入り口は正面にある一つだけで、裏口などの類はない。

 つまり正面の入り口さえ塞いでしまえば、中の人間の命運は決まったようなものだ。幹部が猟師小屋に全員入っているなら難題の一つがこの時点で解決するが、盗賊たちの顔だけを見てそれを判断する手段は、一刀たちにはない。数えるのもバカらしいくらいに周囲には盗賊の姿があったら、下っ端と幹部の区別はやはりつかなかった。

 盗賊たちを見まわしている一刀の背中を、徐晃が数度叩く。腰の辺りの右側を二回、左側を二回。右が百の単位で左が十の単位だ。ざっくりと、目に見える範囲にいる盗賊の数を、徐晃には数えてもらっていた。この場に二百二十人強。事前予想のほとんどが、ここにいる計算になる。

 後は猟師小屋の中にいる幹部で全員だろう。十人前後少ない気がするが、これくらいの人数ならばそれは誤差だろうか。ともかく、一刀たちの使命はこの場に集合している盗賊の無力化である。この場にいない盗賊のことは、また後で考えれば良い。

 一分程待っただろうか。小屋の中から男が姿を現した。ひげ面で顔には刃傷。加えて大男というのはいかにも盗賊と言った風で、一刀よりも頭一つ分は高い。それがのしのしと歩いてくるものだから、一刀も思わず及び腰であるが、隣に子義と徐晃がいるのを思い出し、気を引き締める。

 今の自分は北郷一刀でも自警団の団長でもなく、洛陽を拠点にする犯罪組織の一員で、この場には交渉に来たのだ。盗賊風情に遅れを取る訳にはいかない。

「あんた、同業者だって?」
「正確には違う。俺は――いや、俺の所属する組織は所謂人買いだ。主に田舎から人を攫って国中に売りまくる、そういう仕事だ。その一環として略奪もするが、それはまぁ、この際置いておこう。今晩は仕事の話でここに来た。あんたがここの頭ってことで間違いないか?」

 そう言って、一刀は男ではなく周囲の盗賊の顔を見た。替え玉を使われている可能性を確認するためだが、どの賊の顔にも、動揺は見られない。眼前の大男が頭ということで、間違いはないだろう。村を襲うのに臆病なくせに、こういう時は堂々と顔を出すというのはいまいち釈然としないが、本人であるというのなら一刀にとっては好都合だった。

「仕事の話って、どういうことだよ」
「お前たちの仲間が『盗賊が来るぞ』とぬかしたせいで、村人が逃げちまった。女子供が欲しかったのに、村に残ってるのは老人と男だけだよ。どうしてくれる」
「誰が話を漏らしたか何て知らねえよ。そりゃあ俺たちには、関係のない話だ」
「恍けるなよ。俺はそいつが村に来た時に、その場にいたんだ。馬に乗って村に来た旅装束の男はあんたの子分だろ? 捕獲しようと思ったんだが、残念ながら逃げられちまった。逃げ足早いな。あんたの子分は」

 頭は白を切ったが、そうはいかないとばかりに畳みかける。実際、あの旅装束の男が彼らの仲間という証拠は何もないが、既に確証を掴んでいるという態度は、切羽詰まった時にこそ真価を発揮する。大事なのは、相手がどのように感じるかだ。この場でははったりこそが最大の武器である。

「――で、その人買いが俺たちに何の用だい?」

 認めることもしないが、頭は話の先を促してきた。実質的に認めたようなものだが、これはこの際どうでも良い。話の主導権は取ることができた。ここからは証拠がどうしたではなく、仕事の話だ。

「女子供がいないのは正直痛いんだが、誰も連れて帰れないんじゃ、俺たちが追われる身になる。村人はもう三十もいないが、できればこいつらは生け捕りにしてもらいたい。老人と男でも、いないよりはマシだからな。生け捕りにしてくれたら、一人頭銀でこれだけ払う」

 一刀は懐から小袋を取り出して、口を開いて中身を見せた。小袋の上の方にある本物の銀が、松明の照明にキラキラと輝いている。その輝きを見て頭の顔色が変わり、頭の顔色を見て盗賊たちの顔色が変わった。袋の中身全てが銀であれば一財産で、これが人数分増えるのである。幹部が多めに取っていくのはいつものことだがそれでも、街で豪遊できるくらいの稼ぎにはなるだろう。

 現物資産は、大きな力だ。あっという間に欲に目が眩んだ頭に向けて、小袋をじゃらじゃらと振ってみせる。確認しろと視線を送ると、頭はふらふらと歩み寄ってきた。ちょろい。あと五歩、四歩、三歩――ここで、一刀は脇の徐晃に視線を送った。作戦開始の合図である。

 二歩、そして一歩…………ゼロ。頭が小袋に手をかけるのと、徐晃が袋に手をかけたのは同時だった。頭が疑問の声を挙げる。だが、一音だけのそれが終わるよりも早く、徐晃は小袋の紐を掴み、力任せに振りぬいた。

 古今の推理小説の、凶器消失トリックでは定番の武器である。重量物に紐をつけ、遠心力で相手に打撃を加える。単純な方法だが、その破壊力は凄まじい。銀と鉄と銅と、それら金属の一撃を頭に食らった盗賊の頭が、冗談のように吹っ飛んだ。

 徐晃の一撃で頭部は砕けている。明らかに即死だ。それは明らかなのに、盗賊たちは状況を受け入れるのに時間がかかった。その僅かな間に、徐晃は最強の凶器と化した小袋を持って小屋に突撃をかけ、子義は吹っ飛んだ頭から武器をはぎ取った。短刀と、剣である。

 頭が倒され、その下手人が武器を奪って武装した。その上、残りの幹部がまとめて殺されようとしている。そこまで来て、残りの盗賊たちは一斉に色めき立った。全員が得物に手をかけ、殺意をこちらに向けてくる。逃げる人間は見た限りいない。

 しかし、敵の頭数が減らないのは、一刀にとっては好都合だった。全ての戦力をここに釘づけにできれば、後々の問題が少なくなる。ここからは人買いではなく、官軍の指揮官だ。目まぐるしく変わる自分の役職に、気分を高揚させた一刀は、その場で大音声を張り上げた。

「勅命である! 盗賊ども、大人しく縛につくが良い!」 








ちなみにそんな勅命は出ていません。はったりです。
暴れん坊将軍で言うと例のテーマが流れました。次話は皆殺しモード、その後に解決編です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第012話 とある村での厄介事編⑥









 いつの時代、どこの国であったとしても、軍事組織、あるいは治安維持組織には命令系統というものが存在する。この国において、便宜上その頂点に君臨するのが皇帝陛下だ。彼女(・・)は国中の全ての事柄に口を出す権限を有しているのだが、実際にはそう上手く物事は進まない。

 確かに皇帝は権力の頂点に位置しているが、それを支える重鎮たちの権力も無視することはできない。世が乱れに乱れた現在は特に、皇帝の権威失墜が著しい。盗賊が跋扈し、官軍が弱体化しているのもその一例と言えば一例だ。

 だが、皇帝という権力者が存在しているという事実だけを理解している庶民はその実、皇帝の中身がミジンコであったとしても気にもしないだろう。庶民の頭にあるのは自分たちが庶民であり、この国には皇帝という偉い人がいるという事実のみだ。単純であるが強力なその事実の前に、『勅命』という言葉は得体のしれない強制力を持つ。

 冷静であれば、たかが地方の盗賊の処分に勅命が出るなどあるはずがないと、庶民であっても気づくことができたはずだ。皇帝は偉い人である。だからこそ、庶民の行く末に一々首を突っ込んだりなどしないということを、庶民はこれも、事実として認識している。

 だが頭目があっという間に殺され、その下手人が勅命であると大音声を挙げていた。劣勢に陥り、更に思考力が落ちている盗賊たちは、事実と違うことを『そうかもしれない』と思わされてしまった。

「既にこの丘は包囲されている。刃向かえば斬る! 逃げれば斬る! 命惜しければその場でじっとしているが良い! 我らの目的は首領と、それに連なる者の首! 雑兵の首などいらん!!」

 声は大きく、意図は明確に。誰を殺して誰を殺さないか。こうすることで、自分は殺されないと判断した人間は自然と気と手を抜き、自分は殺されると理解した人間は色めき立つ。

 殺される人間は、殺されない人間に対して圧倒的に少なく、まして幹部は小屋の中に集中している。勿論、幹部の全員が小屋の中にいた訳ではない。小屋の外に出ていた幹部は皆こそこそと隠れようとしたのだが、味方のはずの盗賊たちの視線によって、彼らは炙り出されてしまった。

 誰も『こいつが幹部だ』と声を挙げた訳ではない。しかし悲しいかな、自分は殺される人間ではないと認識した全ての盗賊の視線が、外に出ていた殺されるべき人間へと向いた。視線を集めた人間は三人。それを幹部だと狙い定めた子義は、一刀を守ったまま行動を開始した。

 その手が閃くと、短刀が放たれる。盗賊たちの間をすり抜けたそれは狙い違わず、視線を集めていた人間の一人に命中した。必殺。一撃で殺すために子義は喉を狙ったが、それは僅かにそれて肩に命中した。悲鳴を挙げ、痛みに蹲る幹部の男に、子義は小さく舌打ちをする。一刀を連れながらでも、その動きは止まらない。

 殺されないと判断した盗賊たちに、動きはほとんどなかった。その場を動かなければ殺されないのだ。実際にその通りになるか保証はないものの、言葉の力はまだ生きている。おかしいと思う人間が増えたら、言葉の魔法は消えてしまう。より多くの人間が正気を取り戻し冷静になる前に、全ての行動を終了させなければならない。

 即席の鈍器をぶら下げた徐晃は、全速力で小屋の方へ走った。小屋に他に出口はない。外で何か起こったというくらいは理解できたろうが、まだ誰も小屋の中から出てはいなかった。このままならば徐晃の足の方が早い。外で何が起こったのかを理解するよりも先に、小屋の中にいた幹部は皆殺しにされるだろう。

 やがて、盗賊の中にも動き出す者が出てきた。外にいた幹部が号令をかけ、十人ほどが動いた。幹部に近い人間なのだろう。こいつらを殺せば褒美を出すと、具体的な金額まで口にしているが、その金額は一刀の感性から言っても少なかった。

 窮地において、救援相手に提示するのは自分の命の値段と言っても過言ではない。それは同時に、相手に命の危険の享受を強制するための値段でもある。相手が聞いて心を揺さぶるような値段でなければ、義理で結ばれていない人間は動いてはくれない。

 幹部の発言は既に動いている盗賊以外にも向けられていたが、その金額で動こうとする人間は一人もいなかった。というよりも、すぐに動き出さなかった時点で既に、彼らは幹部に対し角が立っていた。

 腐っても幹部である。仮にこの場で一刀たちが殺された場合、動かなかった面々はその責任を追及される。まさかいきなり殺されはしまいが、相当な冷や飯を食わされることは覚悟しなければならない。元より、義理ではなく利益で結ばれた間柄だ。動かなかった人間にとって、幹部たちは既に、ここで死んでくれた方が都合のよい人間となっていた。

 お頭と、兄貴と仰いでいた人間たちだが、自分の命には代えられない。義理を優先する人間は、既に幹部の号令に従って動いている。残りは全て、義理なく利で動く人間たちである。

 一方、子義に守られながら動く一刀は、動く者と動かない者にはっきりと分かれた盗賊たちを見て、感嘆の溜息を洩らしていた。

 最大二百二十人殺さなければならなかったところが、十分の一近くにまで数が減った。たかが言葉、されど言葉だ。ただの言葉でも効果的に使うことで、自分たちよりも遥かに数で勝る集団の動きを誘導することができ。戦場において何故軍師が重く用いられるのか、頭ではなく心で理解した瞬間だった。

 外に出ていた幹部は三人。それぞれが四、五人を率いて一斉に動き出している。その三組が連携をしている様子はない。とにかく目の前の脅威を排除しようと、全速力で向かってきていた。

「子義、こういう時どうするんだった?」
「まずは……近いところから攻めること!」

 即座に近きを攻めると判断した子義は、一刀を連れたまま最も近い集団へと突っ込んでいく。まさか敵の方から突っ込んでくると思わなかった賊の足が、一瞬だけ鈍った。その一瞬で、子義には十分だった。一息で距離を詰めると、持っていた剣で先頭を走っていた賊の喉を割く。赤々とした血が噴き出す中、子義の動きは止まらない。

 喉を割いた賊の身体を後続に向かって蹴飛ばすと、大きく跳躍。その後ろを走っていた賊の頭上から、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。ぐしゃりと目覚めの悪い音がし、賊は頭蓋を割られた。子義はそのまま剣を引き抜こうとしたが、骨にめり込んだ剣は力を込めても動かない。

「こっちだ!」
「ありがと! 団長、愛してる!」

 放られた剣を受け取った勢いそのままに、動きの止まった賊の首に叩きつける。手入れも碌にされていない数打ちだったが、子義の力、技量で振りぬかれたそれが、容易に賊の首を跳ね飛ばした。瞬く間に、三人。ここまでの動きで、ようやく周囲の賊は子義が手練れであることを理解した。

 一人いれば二人目も、と考えてしまうのは人間の心理である。子義の後ろを走っているだけの一刀にも、畏怖の視線が向けられる。実際そんなことは全くないのだが、子義の奮闘が一刀が安全である時間を少しの間ではあったが増やしていた。

 子分を瞬く間に切り殺された幹部は、その僅かな間に剣を抜き放っていた。子義に向かって突き出されたそれを、彼女は事も無げに弾き、返す剣で幹部を切り倒す。剣戟は一合のみ。相手をするのが馬鹿らしくなるくらいの、力量の差だった。

 これを殺さなければならないのか。子義たちを目指して走る賊たちの足も鈍るが、既に拳を振り上げてしまった以上、それを実行しなければ命はない。進むも地獄、戻るも地獄。そして留まっても地獄だ。今さら剣を捨てて命乞いをしても、官軍は賊の命など助けてはくれない。

 ならば少しでも生き残る確率が高い方に。賊たちは雄叫びをあげて、突っ込んでくる。

「いいもの見つけた!」

 子義が持ち出したのは、今しがた斬り殺した幹部が背負っていた矢筒だった。弓は剣を抜いた時に、足元に落ちていた。何故彼が後生大事に弓を持っていたのか。それは一刀にも子義にも知る由もなかったが、弓を手にできたことは、子義にとって好都合だった。剣も槍も自警団の誰より上手く扱う子義だが、彼女が最も得意とするのは弓である。

 子義が狙って放った矢は、一刀が知る限り一度も的を外したことはない。的のど真ん中に刺さった矢の尻に、当たり前のように次矢を直撃させたのを見て、天才というのはいるものだと理解した。

 子義は矢をつがえ、大きく息を吸い込み――吐いた。

 そして一息に弦を一度引くと、後はもう子義の独壇場だった。その独壇場は、子義の手から矢が尽きるまで続く。彼女の矢が届くのは、視界その全てだ。目に見えている限り、的を外すことはない。一矢で、一人。確実に目を射抜いて行く子義は、盗賊には悪魔にでも見えただろうか。

 瞬く間に先頭を走っていた三人が射殺されたのを見て、後続は完全に足を止めた。もはや逃げるより他はない。戦うことを放棄した賊は我先にと駆け出したが、その動きは酷く直線的である。ただ動いているだけの的など、止まっているのと変わらない。まずは幹部、と既に盗賊の輪の外まで逃げつつあった二人の幹部に子義は的確に矢を撃ちこんでいく。

 初めは背中、その次は首。一発でも致命傷。二発あれば即死だ。外にいる殺すべき人間は、もう殺した。残っているのは幹部の号令に従った、賊が二人。彼らはまだ、剣を手放していない。

 だが、矢はその時点で尽きていた。子義はすぐに弓を手放したが、行動が一拍遅れてしまう。攻めるのならば、弱い方だ。一刀の方が組みやすいと判断した盗賊二人は、獰猛な笑みを浮かべて一刀へと駆け出し――唐突に、その片方が吹っ飛ばされた。
 
 血でべったりと赤くなった小袋。金属で一杯になったそれが、砲弾のようにすっ飛んできた。向かって右にいた賊にそれが直撃したのだ。徐晃の力で振り回されたそれは、容易く人間の頭を砕いて見せた。全力で投擲されたそれは、盗賊の身体をくの字にへし折った。遠回しな慣用表現では断じてない。大勢の人間の前で人間が、くの字に曲がったのである。

 即死なのは疑いようがない。その惨劇は事態の行く末を見守っていた人間全ての動きを止めるには十分だった。一刀も子義も含めて、全く動く人間のいなくなったその場を、一人の少女が疾風のように駆ける。

「お兄ちゃんに――」

 助走をつけて大きく踏み切ると、徐晃は空中で器用に身体を捻る。それはまるで、全てを貫く一矢を放つ、引き絞られた強弓の弦のようで、

「――近寄るな!!」

 十分な加速と、十分な捻転。剛力無双の徐晃の、渾身の力を込めた回し蹴りが賊の頭に直撃する。拳一つで岩を割るのだ。その全力の飛び蹴りを食らったら、人間は一体どうなってしまうのか。人の頭が爆ぜる(・・・)のを間近で見た一刀は、頭から真っ赤な何かを被ってしまった。ホラー映画も真っ青、いやさ真っ赤な光景に、むしろ一刀は冷静になった。

 一仕事終えた徐晃は満足そうに頷くと、一刀の元に駆けてくる。小屋の中は粗方片づけたのだろう。返り血で真っ赤に染まった少女は、ここに来る前と変わらない純粋そのものと言った表情を浮かべている。僅かに焦って見えるのは、こちらの身を案じているからだろう。

 今しがた盗賊の頭を粉砕したとは思えない少女は、少しだけ緊張した声音で一刀に問うた。

「お兄ちゃん、怪我はない?」
「自分のあまりの役に立たなさに真っ赤になって恥じ入るばかりだよ」

 それは危機的状況における北郷一刀渾身の冗句だったが、その機微は少女たちには伝わらなかったらしい。額面通りに一刀が落ち込んでいると解釈した少女二人は、そんなことないよ! と全力で励まし始めた。頭から血を被ったことも忘れて、何だか本当に情けなくなってきた一刀である。

 そうこうしている内に、二つに分けた自警団の面々も到着した。戦闘の痕跡は見られるが、一人も脱落者はいない。無事に任務を果たしてきたのだろう。部隊の中ほどから出てきた程立は一刀の姿を見つけると、手で口元を隠してわざとらしい、驚いた表情を見せた。

「おや、お兄さん。少し見ない間に随分と男前になりましたね」
「血も滴る良い男ってことで、笑いの一つも取れれば本望だよ。そっちの首尾はどうだ?」
「風の方は五人程。幹部じゃなかったみたいですが、ともかく自警団の皆さんが頑張ってくださいました」
「私の方は七人ですね。いずれも幹部ではなさそうでしたが、実力で排除しました。私が剣を抜く機会があるかと聊か肝を冷やしていましたが、貴殿の部下の働きで事無きを得ました。よく調練をされていますね」
「俺の働きなんて微々たるもんだよ。戯志才が助かったならそれは、皆がそれだけ頑張った成果さ」

 な? と視線を向けても、自警団の面々は照れて視線を逸らすばかりだった。農村の屈強な男たちは、年下の男に真正面から褒められることに慣れていないのである。

「さて、親睦を深めるのはこれくらいにするとして、事後処理を始めましょうか」

 放っておくといつまでも和んでいそうだった面々を、程立がぴしゃりと元の場所まで引き戻す。周囲には逃げられなかった盗賊が二百人から存在している。集まった自警団たちはそれでもまだ盗賊団の十分の一程の戦力だったが、既にお互いの格付けは済んでいた。数が少ないからといって、一刀たちに逆らおうとする者はいない。

 誰からともなく、剣を放り始める。投降の意思表示に、村の自警団にとって、今宵一晩の大戦の勝敗はここに決したのだった。









戦闘終了。次回、戦後処理編を経て次賞に入ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第013話 とある村での厄介事編⑦









 戦後処理である。まずは全員で死体を脇に片付けた後、生き残った盗賊たちは一ヵ所に集められた。自警団員はそれを囲むようにして配置されている。その正面には一刀と子義と徐晃。軍師役である程立と戯志才はその両脇に立った。

 話をするなら程立たちの方が……と一刀は中央に立つことを辞退しようとしたが、一番身体を張った功労者はお兄さんですからーと押し切られてしまった。誇らしげに両脇に立つ子義と徐晃を見ると悪い気はしないが、分不相応に偉そうに思えて、気分が落ち着かない。

 話し合いについては、生き残りの盗賊たちの中から代表者が立てられた。廖化という名前の三十絡みのダミ声の男だ。代表に立てられるだけあって盗賊たちからは信頼を得ているらしい。いかつい顔には違いないが悪人というよりは現代の土方のような雰囲気である。

 その土方っぽい廖化が、一刀たちを見て盗賊たち全員が思っていた疑問を口にした。

「…………結局よお、お前らはどこの誰なんだ?」
「俺たちはこの先にある村の自警団だよ。今日は先手を打って襲撃にきた」

 一刀の言葉に、盗賊たちは心の底から安堵の溜息を漏らした。奇襲という条件が伴ったからこそ、自分たちが見逃されたのだということが理解できたからだ。予定通りに村を襲撃していたら、大した加減をされることもなく、皆殺しにされていたことは想像に難くない。

「ところでまず質問なんだけどさ、お前たちは頭領ってどうやって決めるんだ?」

 盗賊のリサーチをしていた程立の言うところには、発起人が頭領になるケースが定番ではあるが、盗賊も生き死にの激しい職業だ。発起人がいつまでも生きていることは少なく、いざ発起人が死んだ時、スムーズに頭領が交代できるケースは少ない。 明確に序列を決めて副団長を用意しているケースもあると程立は言ったが、それに全ての人間が納得している訳でもない。

 それならお前たちのところはどうだったのか、と手近なところでサンプルを得ようと思ったのだが、一刀の問いに廖化たちは顔を見合わせた。

「……お前知ってるか?」
「知らん。そういや、何でお頭はお頭だったんだ?」
「俺が合流した時にはもうお頭だったぜ?」
「あぁ、幹部連中は皆死んじまったからなぁ……」

 盗賊たちはひそひそと話しあってはいたが、内容を聞くに結論は出そうにない。頭領本人と幹部が全滅しているのである。順当に考えれば組織の中では彼らが古参のメンバ-だろう。彼らが全滅した以上、それよりも後に入ってきた人間ばかりになるのは自明の理だ。

「とりあえず、解らないってことは解ったよ。話を早くするのに、とりあえずお前たちのお頭はお前たちをやっつけた俺たちってことで良いかな」
「それは異論ねえ。頭領をぶっ殺したんだからな。とりあえず、あんたをお頭と呼べば良いのか?」
「いや、俺じゃなくて俺たちって話だったんだけど――」
「風たちはこの人に率いられてきました。ですので、今日からこの人が貴方たちのお頭です」
『へい、姉御!』

 程立の物言いに盗賊たちはかしこまり、彼女に対して礼をした。話の流れでお頭になったはずなのに、盗賊たちは程立の方をより敬っている気がする。要所を押さえて、自分のしたいことを相手にさせる。そのための話術に長けた程立は、今の一刀たちの集団の中ではかなりの主導力を持っている。

 口の達者さでは戯志才も負けてはいないのだろうが、こと、今回の仕事については程立が異常なまでに積極性を発揮しているらしく、一歩引いた位置に立っていることが多かった。

「別に、彼女と付き合いが長い訳ではないのですが、これ程熱心に物事に取り組むとは思いもしませんでした。彼女なりに、思うところがあるのでしょう」

 とは、戯志才の弁である。何が程立をそうさせるのか一刀には見当もつかなかったが、ともあれ程立ほどの智者が知恵を貸してくれることは、一刀たちにとっては好都合だった。

 現に盗賊団はその機能を失い、交戦をしたというのにこちらには死者が出ていない。負傷者も、軽傷の者が三人いただけである。その三人すら、こんなものは唾を付けておけば治ると言っていた。十倍近い戦力を相手にした大戦だ。文句なしの大勝利だ。

「まずはお前たちのこれからについて話しておかないといけない」

 一刀の言葉に、盗賊たちは静まりかえった。捕まった盗賊の『その後』など考えるのもバカらしいくらいに決まりきっているが、勝者の言葉だ。それとは別に、けじめというのはつけなければならない。

「通常なら、お前たちはこれから官憲に突き出される。牢屋にぶち込まれるか、強制労働か、雑な判断をされて死刑か。いずれにせよ、ロクなことにはならないだろう」

 文句が出るかと思っていた一刀は、揃いも揃って神妙な面持ちである盗賊たちを意外に思った。事実、暴動くらいは起こされるかと覚悟していたのだが、その気配がまるでない。既に全員が自分のロクでもない未来を完全に受け入れている風ですらある。

「……文句は言わないんだな」
「俺たちも好き放題やったからなぁ……文句言えた義理じゃねえよ。まぁ、できれば捕まるのは勘弁してもらいたいが、ここから逃げ切れるとも思えねえしな。なに、今すぐ死ぬよりは大分マシさ」

 ここで負けてしまったのが運の尽きだ。元より、盗賊たちの誰も、この生活を長く続けられるとは思っていなかった。盗賊に身を窶す以前も、どんづまりの生活をしていた。どんづまりが、どんづまりのどんづまりになっただけのこと。それがついに終わるのだ、と思えば少しは気分も良い。

 もっと泣きわめいて文句を言うものだと思っていた。盗賊たちの目にあるのは諦観である。人間、死ぬ時は死ぬのだと彼らは理解しており、自分たちにその番が来たことを受け入れている。潔いと言えば、そうなのだろう。自分たちを打ち破った相手を恨まぬというのであれば、打ち破った側の気持ちもいくらか救われるというものだ。

 肩すかしも良いところだが、注文通り(・・・・)ではあるのだ。死を受け入れている彼らに、怖い物はない。無理難題を突き付けるなら今だと、程立は作戦を実行する前、最後の仕上げとしてそれを付け加えた。

 二百人からなる、戦闘可能な集団。今の世にこれを遊ばせておくのは勿体ないと、程立は言った。官憲に突き出しても、牢屋か労働か首を刎ねられるか。いずれにせよ、貴重な戦闘資源が無駄に消費されることには違いない。

 それならば、有効に使える内に有効に使ってしまおう。それを実行するのは――

(貴方ですよ、お兄さん)

 と程立が視線で言っている。やるなら今だと、軍師殿の仰せだ。この作戦を知っているのは、この場にいる中では程立と、その盟友である戯志才だけだ。重要な戦闘を担う前に、余計なことを考えさせるべきではないと、子義と徐晃には教えられなかった。

 俺には良いのかと文句を言った一刀に、程立は笑みを浮かべて答えた。

「お兄さんには、それ以上の覚悟を背負ってもらわないといけませんからね。これから(・・・・)のことを考えたら、これくらいのことは簡単にこなしてもらわないといけません」

 昨日今日出会った少女に、これからの人生のことを問われる始末である。居並んだ二百人の盗賊たちを見て、北郷一刀は考えた。村で自警団の訓練をしている時、故郷のことはあまり思い出さなかった。家族のことも、友人のことも脳裏に浮かばない。ただ考えていたのは、どうすれば彼らを強くできるか、どうすればこの村がもっと豊かになるのか。

 自警団が強くなれば、それを担保に安全を買うことができる。不慮の人災に対応できるようになるだけで、この時代では生存率が大幅に向上するのだ。一刀にすればたったそれだけのことだ。かつて『水と安全はタダ』とさえ言われた国で生まれ育った一刀は、この国のことを知れば知る程、何とかしてやりたいと思うようになっていた。

 そのためにはどうしたら良いのか。考えれば考えるほど、自分には全てが足りないことを自覚する毎日だった。
自分には力が足りない。金が足りない。権力が足りない。それら全てを持っている人間でも、国が腐ることを止めることはできなかった。

 もっとも、全てにおいてこの国よりも恵まれた現代においても、世界を、全ての人間を正しい方向に導くことはできなかった。科学や文明が進化したところで結局のところ、人間のすることは変わらないのである。ならば自分にできることは何もないのではないか。鬱屈しかけていた一刀のところに、お人形さんのような少女はそっと、耳元で悪魔のように囁いた。

 ここに、力があるぞと。人とは力、力とは礎である。その礎の上に文明が生まれ、国が興り、人の歴史が続いて行く。その一端を担う力が、目の前にあるのだ。それは即ち、この国の歴史への挑戦権に他ならない。一つの大きな戦が終わり、これから更に大きな戦が起こるという。

 そうなれば、より多くの血が流れ、多くの権力者が覇を競おうとするだろう。そこに一石を投じることは、流す血を増やすだけではないのか。疑問は残るが、自分ならという思いもある。この国で生まれた人間ではないからこそ、持てる感性というものもあるはずだ。

 頂点に立てなくても良い。自分の意見を聞いてもらえるだけの立場に就ければ、より良い国を作ることに協力することができる。そうまで考えると、一刀の口から自然と言葉が出ていた。

「そこで、俺からお前たちに提案がある。どうせならってことなんだけど、傭兵とかそういうものになってみないか?」
「…………なんだって?」
「牢屋とか強制労働とか処刑台とか嫌だろ? それなら危険ではあるけど、そこそこの自由が保証される傭兵の方が良いんじゃないかと俺は思うんだけども……」
「いやいや、ちょっと待てよお頭。俺たちゃ盗賊だぜ? 盗賊に傭兵になれって言うのか?」
「珍しいことでもないと思うけどな。どうだ、程立」
「食い詰め者の行く先としては、傭兵も盗賊も定番ですからねー。きちんと集計をした訳ではありませんが、真っ当な経歴をお持ちでない方も、かなりの数いると思いますよ」
「だ、そうだ。今盗賊であることと、過去盗賊であったことは、この際大した問題じゃないよ」
「お頭はそれで良いのか? その、お頭の村を俺たちは襲おうとしてた訳だが……」
「つまり、襲ってない訳だろ? 襲ってたらそりゃあ、自警団な手前手心を加えるつもりはなかったさ。盗賊とは言え奇襲をかけて幹部を皆殺しまでした俺の方にこそ、お前たちに負い目がある訳だけど、それをお前たちは頭にしてくれた。これでお互いに遺恨はなしだな」

 言葉にすれば簡単だが、お互いが内心でどう思っているかなど解るはずもない。自警団の面々も、自分の村が襲われていないから特に強硬な手段に出ていないが、盗賊というそれだけで許せないという気持ちはあるだろう。

 自分たちが悪党であるという認識があるからこそ、彼らはそれ以外の人間に信を置けない。そんな上手い話があるはずがないと、心のどこかで思ってしまうからだ。新しく頭領になった男とは言え、上手い話だ。俄かに信じることはできない。その疑いを一つ一つ晴らそうと、一刀は言葉を重ねる。

「俺の生まれた国じゃ、農民の子から大将軍になった男もいた。この国だって、帝国を興した劉邦は元々は亭長だった。盗賊から傭兵くらい、どうってことないだろ」
「そうは言ってもなぁ……というか、傭兵ってのは盗賊よりも儲かるのか?」
「いや、収入は今までよりも激減するし、窮屈な思いをするだろう。俺がお頭になったからには略奪は許さない」
「それじゃあ、どうやって稼ぐんで?」
「略奪してる奴をぶちのめす。俺からするとおかしなことではあるんだけど、今の世の中だと盗賊ならいくら雑に扱っても国も民も許してくれるらしい。お前たちだって結構ため込んでただろ? 今度はそれを狙うんだ」

 無論全てを懐に収めては角が立つから、ある程度は世に放出する必要があるだろうが、それでもそれなりの収入にはなるはずだし、盗賊を倒すということで農民たちからはそれなりの歓待を受けることができる。盗賊の時は村や街に入るにも抵抗があったが、これからは違う。精神面でも大きな違いがあると言って良い。

「同業者を襲うってのか」
「盗賊しか襲わない俺たちは、もう同業者じゃないから遠慮する必要はないぞ。頼もしい軍師殿が調べてくれたところによれば、この国に盗賊はまだまだ沢山いるらしい。金がなっている木だ。蹴飛ばして実を落とさない手はないぞ」
「今までよりも危ねえんじゃ……」
「武装してる奴を襲う訳だから当然危険は伴う。そこは我慢してほしい。でも、官軍と戦わなくても済むし、場合によっては協力することもあるだろう。あっちもあっちで人手不足だからな。戦力を高く売り込んでやる好機だ」
「断ったら皆殺しか?」
「そこまではしないよ、官憲に突き出す。ちなみに残ってくれれば、今までお前たちで稼いだ分を頭割りして全員に再分配する。嫌だと言ったらその時点で再分配には入れない。大人しく俺たちの糧になってくれ」
「つまり、全員が反対したら?」
「お前らが稼いだものは、俺たちが全ていただく」

 汚ねえぞ! と男たちが大合唱するが、一刀は耳を塞いで聞こえないふりをした。勝者総取りというのは、アウトローの解りやすい原理原則である。感情に任せて文句は言うが、理不尽だとは思わない。何故なら彼らも同じ立場であればそうするからだ。

「さて、この時点で傭兵になっても良いって奴は?」

 一刀が手を挙げると、盗賊たちの内半分程が手を挙げていた。その中には廖化も含まれている。官憲に突き出されるよりは、と打算的な判断でこちらに来ることを選択した者たちが。正直、この段階で転ばれるというのもそれはそれで信用ならないのだが、信頼関係は今後構築して行けば良い。今すべきは一人でも多くの盗賊を、真っ当な道に引っ張り込むことだ。

「じゃあ次はメリット――良いことを話す。これはまだ内緒の話なんけど、一年くらい先、遅くても三年の間には黄巾の乱以上の大戦が起こる。兵はいくらいても足りなくなる。そこで一旗揚げることができれば、一生食うには困らなくなるくらい稼げるようになるだろう。故郷に錦を飾ることもできるぞ」
「黄巾の乱は終わったばっかりですが…………あれ以上の戦が起こるんで?」
「三年以内には必ず(・・)な」

 それで、盗賊たちは沈黙する。ただの民にとっては良い迷惑だろうが、身体一つで勝負するつもりのある人間にとって戦というのは稼ぎ時だ。ましてこれから傭兵でもやろうかという集団なのだ。戦は多ければ多い程良い。先ほど手を挙げなかった人間の半分は、傭兵になっても稼げないことを危惧していた。

 一年から三年と幅こそあるが、確実に起こるというのであればそれに賭けるのも悪くはない。無論、ただのホラ話という可能性もあるにはあるが、その時はその時で好き放題すれば良いのだ。元より、官憲に突き出されるか傭兵になるかの選択である。そこに稼げる可能性が加わったのだ。強制労働や牢屋、死ぬよりはずっと良い。

 そこまでで、残った盗賊の更に半分が賛成に回った。それでも残るという盗賊たちの諦観は深い。生き残る可能性、稼げる可能性を示しても、まだ死刑の可能性の方が良いと言っているのだから、その根深さが伺える。

 どうしたものか。考える一刀の横顔を、風は無言で眺めていた。風がさせたかったのは、まさにこれだ。動かないはずの人間の心を、動かすことができるかどうか。一騎当千の武人でもなく、知略で全てをひっくり返す智人でもなく、人の上に立って人を動かし、利ではなく心で人を導ける者。

 その資質が一刀に欠片でもあれば、力を貸すことも吝かではない。既にシャンは心を決めているようだし、今は戯志才を名乗る友人の反応も悪いものではなかった。ここで器を示してくれるのならば……と期待を込めて、風は一刀を見つめている。

 口説き落とすための助言は何もしていない。ここで話していることは全て、一刀が自分で考えたことだ。風の目から見ても良い線を行っている。正直ここまででも、十分に合格点をあげても良いくらいだ。これで残りの連中まで口説き落とせたら上出来を越えて、出来過ぎである。

 程立から期待の視線を受けていることも知らず、一刀は考えた。自らの命でもなく即物的な利益でもない。彼らを動かす者があるとすれば、それ以外の何かだ。利ではなく、心に訴えかけられるもの。それが何であるのかを考えて、一刀は程立を見た。

 飴を加えたお人形さんのような少女は、値踏みするような目でこちらを見つめていた。試されている。そのことに憤りはない。程立たちは十分に仕事をしてくれた。自警団だけでは村を守ることはできなかったし、こうして盗賊団を前に話す機会も持てなかった。むしろ恩義に感じているくらいである。

 その恩義に報いるためにも、程立の眼鏡に少しでも適うような人間であると示してみたい。自分のこと、彼らのこと、これから名を馳せるであろう程立たちのこと。時間をかけて考えて、一刀はそれを覚悟と共に口にした。

「――俺は、天下を狙う」

 しんと静まり返っていたはずの場が、更に静まりかえった。沈黙が深くなるという現象を肌に感じながら、一刀は静かに興奮を覚えていた。自分が一体何を言っているのか。それは十分に自覚している。目をまん丸にして飴を取り落としてしまった程立を見れば、これが客観的に見てどの程度の大言壮語であるのかうかがい知れるというものだ。

 ホラ話で済むようなものでもない。場合によってはその場で首を刎ねられてもおかしくはない危険な言葉だが、そこまでやってようやく諦観に満ちていた残りの面々が聞く姿勢を見せた。居並んだ人間全員の目が、自分に集まっている。静かに高揚した一刀は、更に話を続けた。

「お前たちの協力を得た俺は、天下に名を馳せやがて天下を差配するようになる。広い部屋の中央にある玉座に俺が座って、その周囲にずらりとお前たちが並ぶんだ。今から欲しい役職を言ってくれ。そうしてくれたら、その役職に就けるよう最大限努力するよ」
「大盤振る舞いだな! するってえと、俺たちのお頭は陛下になるのか?」
「今から呼ばないでくれよ。俺もまだ死にたくないからな」

 盗賊たちの間に、一笑いが起きた。久しぶりに笑ったと、心の底からの笑みである。ホラ話であっても、ここまでぶち上げる人間は、盗賊家業の中にもいはしない。そんな人間が自分たちのお頭になったのだ。盗賊である自分たちももしかしたら、と夢を抱くには十分である。

「そんな訳で。俺の目指す山は遠く険しい。登りきるためには頼りになる仲間が必要だ。この大言壮語に付き合ってくれるからには、相応の報酬を約束する。自慢じゃないが、俺ほど分け隔てなく人材を登用して、働き相応の報酬を支払える人間は、他にいないぞ」

 盗賊たちを見まわす。全員が、一刀を見ていた。諦観の中にいた面々も、全てではないがそれが払拭されている。元より何もしなくても、ロクでもない死に方をするのだ。人生の最後にバカをするのも、悪い話ではない。そして付き合うのならば、最高のバカが良い。

「俺についてくるのに、異論のある奴はいるか?」

 ただ座っていただけだった盗賊たちは、一刀の言葉に居住まいを正し、全員が跪いた。それを見て、一刀は満足そうに何度も頷く。




「何度も何度も、窮屈な思いをさせるかもしれないけど、惨めな思いだけは俺が絶対にさせない。せめて胸を張って生きて、その内できるかもしれない家族にこう言おう。お前の夫は、お前の父親は、この国と、そこで暮らす人々と、そしてお前たちを守るために、多くの仲間と命がけで戦い、そして生き残ったと」
















これでこの章は終了になります。
事後処理の事後処理は次章の頭にて。
次章『流浪の傭兵団編(仮)』となります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第014話 流浪の軍団編①




 





1、

 村に戻った一刀たちを出迎えたのは、村人たちの驚きの顔だった。

 自警団の面々が旅の軍師を連れて出ていったと思ったら、戻ってきた時には盗賊たちを配下に加えていた。何を言っているのか解らないと思うが、事実である。混乱するのも無理はない。一刀たちが最初にやって来ず、団員たちが村の外で待機していなければ、早合点した自殺者くらいは出ていたかもしれない。それくらいの混乱だった。

 一混乱あったが、盗賊は既に脅威ではないということは一刀の説明で村中に伝わることとなった。村を捨てなければならない程の脅威は、これで去ったのである。

 自警団員も、一刀以外は全員村人だ。この損耗をなしに事を成し遂げた一刀を村人たちは褒め称えたが、それに水を差す形で一刀から『そろそろ村を離れたい』という要望が伝えられた。

 村人としては一刀には長くこの村に留まってもらい、村の人間と番にでもなって末永く村に残ってほしいというのが正直なところだった。子義はそのための、悪い言い方をすれば生贄のようなものだったが、本人が望むのであればそれを止める権利は誰にもないと、快く送り出すことになった。

 一刀が面倒を見ていた自警団は残ることになった。元々、村を守るために立ち上がった者たちである。彼らにとって最も守るべきはこの村であり、それは国家やそこで暮らす人々を守ることに優先する。それでも名残惜しいと、彼らの多くが泣いてくれたことは一刀にとって望外の幸運だった。

 そのため、団長職の引き継ぎ作業は早急に進める必要があった。傭兵団の面々は、今は徐晃たちが面倒を見ているが、いつまでも村の近くに大人数を置いておく訳にもいかない。まして彼らはこの村を襲おうとしていた盗賊である。心を入れ替えたと説明しても、村人はそう簡単に安心できるものではないだろう。

 順当に行けば次の団長は副団長である子義が務めるのが筋なのだが、彼女は村に戻るとすぐに自分の家に飛んでいき、ご母堂から旅立ちの許可を貰って戻ってきた。番としてあてがわれた才ある少女は、村人の意図とは違った方向でその責務を全うしようとしていた。

「母上は『これと思った殿方に尽くしてこそ真の女です』って言ってたよ。これからは私のことは梨晏って真名で呼んでね!」

 今回の作戦で機先を制することを憶えたらしい少女は、天真爛漫に笑って見せた。有無を言わせず子義改め梨晏が旅についてくることになったため、新しい団長は子義を除いた残りのメンバーから選ばれることになり、十人隊長の一人が継ぐことになった。従軍経験もある年配の男で、団員にも良く慕われている。彼ならば十分に、自警団を率いていけるだろう。

 一つの肩の荷が降りた一刀を、村人たちは宴に引っ張り込んだ。一刀たちが戻ってきた時から既に準備は進められており、そこに賊のアジトから回収した酒や食料が持ち込まれていた。金品はそれほどでもなかったが、何故か酒類だけは規模に比して大量にあり、幹部はこれを自分たちだけで消費するつもりだったようである。

 生きる死ぬの話をしていたことも忘れて、村ではその日宴が開かれた。団員たちの監視で村の外にいる程立たちは参加を見送ったが、あちらもあちらで酒類と保存のできない食料を使って軽い宴をしているはずである。

 村の宴は老いも若きも全員が参加し、飲めや歌えの半狂乱である。一刀も色々歌わされたり踊らされた。未成年だから酒はという間もなく、がぶがぶ飲んでとにかく吐いた。吐いた傍からまた飲まされる中、流石にこれはいつまで続くんだろうと気になってきたが、気にしたところで宴は終わらず、主賓が逃げる訳にもいかない。

 結局、飲み過ぎた一刀がぶっ倒れても気にもされず、宴会は続けられた。どういう趣旨で宴会が開催されるかなど、参加する人間にはあまり関係ないのである。

















2、
 
 村の外では盗賊団改め傭兵団が、陣を張って待機している。アジトに残っていた資材を使っての設置だったが、軍が使っているような幕舎のようにとはいかない。それでも、従軍経験者を中心に組まれた幕舎はそれなりに様になっており、これで野宿でも雨露をしのげると大いに団員を喜ばせた。

 一仕事が終わると、後は宴会である。酒類はほとんどが村に持ち込まれたが、団員のためにも確保されていた。浴びるように酒を飲み、飲めや歌えの大騒ぎである。そんな中、一部の団員が酔った勢いでシャンに戦いを挑んだ。戦いという言葉を使ってはいるが、お互い実力差は解っているので稽古のようなものである。

 一人が打倒されると次の一人が、というノリでほとんどの団員がシャンに挑んでは返り討ちにされていく。傍からみていると豪快ないじめに見えなくもないが、打ちかかっていく人間は皆楽しそうで、吹っ飛ばされても笑っていた。酒の力があるのは否めないが、間違いなく親睦は深められている。

 一通りの団員が打ちかかっては地面に転がり、更にもう一周と始めた辺りで、村の方から子義が駆けてきた。打ちあわせにはない行動に、何かあったのかと団員たちも色めき立ったが、子義はそんな団員達を無視するとまっすぐシャンの元に駆けより、言った。

「私はもう十分だから、今度は徐晃がしたいことをしてきて」

 望外の配慮に、シャンは目を丸くする。シャンは子義を抱きしめて何度も礼を言うと、手早く真名を交換して村の方に駆けていった。心を決めていたのを、子義には見抜かれていたらしい。

「だって、私と同じ顔してたもん」

 からからと笑った少年のような少女は、自分の剣を持つと団員たちの元へ向かって行った。

 シャンが出ていったことで終了するかと思われた酔っ払いどもの宴だが、今度は子義が代わりにその役目を負った。子義も子義で自分の熱を持て余しているらしく、シャンと同じように団員たちの突撃を受けては返り討ちにしていた。シャンほどの強力はないが、彼女も猛者である。

 ちぎっては投げちぎっては投げする様は、シャンから子義へ変わっても関係のない人間からすると地獄絵図に見えた。既に何人も流血しているが、子義も団員たちも皆楽しそうなので、稟は黙っておくことにした。

「シャンの力を借りて盗賊を懲らしめてやるだけのつもりが、今後の人生が決まってしまいましたね」
「いやいや、風も驚きました。まさかあのお兄さんがここまでやるお人だとは……」

 一献、と風が酒瓶を差し出すと、稟が椀を差し出す。風も稟もそれほど酒に強い訳ではないのだが、今日はとにかく飲みたい気分だった。皆殺しにした幹部たちが思いの他酒をため込んでいたので、今夜呑み明かす分は十分にある。

「お兄さんは、本当に陛下になれると思いますか?」
「厳しいでしょう」

 稟の言葉はにべもない。大器の片鱗を感じるとは言え、今の一刀は裸一貫に近い。曹操や孫堅など天下に覇を唱えようと言う人間は、既に頭角を現しており、彼女らに比べると大きく見劣りしていることは否めない。スタートからして、大きく出遅れているのだ。この時代、この国で、これは大きなハンデとなる。

「彼に才能がないとは言いませんが、敵は強大で障害も多い。前途多難なのは間違いありません」
「ですが、風がいます。稟ちゃんもシャンもいます。子義ちゃんも、きっとお兄さんについていくでしょう。これからもっと、多くの人がお兄さんの周りに集まります。そうなれば、もっともっと、風も稟ちゃんも夢を見れるかもしれません」

 ご返杯。今度は稟が風に酒を注ぐ。お互いに酒が好きという訳ではない。見た目の通り、酒にあまり強くない風は既に相当酔いが回っていたが、椀を止める様子はなかった。長い髪をかきあげ空気にさらされた耳は真っ赤になっている。明け透けに物を言うように見えて、実のところあまり本心は話したがらない。

 掴み所のないというイメージは、そういう部分から来ている。今なら風の本音が聞けるかもしれないと、稟の酒を勧めるペースも早くなる。

「…………こういう気持ちを、楽しいと言うのでしょうか。久しく忘れていました。自分がどこまでやれるのか。今から楽しみで仕方ありません。やりたいことが、次から次へと湧きだしてきます」
「風もですよ。明日からきっと、楽しい毎日になります」

 なのでまた一杯。風もかなり早いペースで飲まそうとしてくる。普段飲まない訳ではないが、そろそろ前後も怪しくなってきた。子義がいるとは言え、ここで軍師二人が酔いつぶれてしまう訳にもいかない。少しは控えるべきでは? そう稟が言おうとした矢先、風はふらふらと頭を前後に揺らすと受け身も取らずに前のめりに倒れた。

 強かに顔を地面に打ち付ける嫌な音がする。風! と声を挙げて稟も立ち上がるが、酒が回っているせいでただ動くこともままならない。足がもつれた稟は、仲良く風の隣に倒れてしまった。起き上がろうとしても、足腰に力が入らない。おまけに気持ち悪くなってきた。このままだと友人と二人仲良く吐しゃ物の海に沈んでしまう。

 新しい門出の日に、女として最悪な末路が待っているのかと悪い気分の中で憂鬱になりかけていたが、二人して倒れていた軍師たちを目ざとく子義が発見した。

「大変! 先生が倒れてる!」

 軍師である二人は、団員たちの中では先生と呼ばれることになっていた。まだ何も教えた訳ではないのでむずがゆかったが、水でも持ってきてもらえるならば、今はどんな生徒でも歓迎だった。うーうー呻きながらまっていると、やがて子義が一抱えはある水がめを抱えて戻ってくる。離れて見ている分には気づかなかったが、子義も明らかに酔いが回っていた。

(これだから酔っ払いは!)

 と心中で毒づいても声にならない。当然ではあるが、その中には水が一杯に注がれていた。尋常ではない量に稟が抗議の声をあげるよりも早く。子義は何の躊躇いもなく水がめの中身をぶちまけた。

 
 















 慣れない酒をしこたま飲んだ一刀は、ふらふらとした足取りで自分の小屋に戻った。村にいる間に滞在していたものであり、一刀一人で住んでいた小屋である。男の一人暮らしであるから元々荷物などないが、明日旅立ちということで、酔ったまま簡単に荷造りをした。

 そのまま、寝床に倒れ込む。今日でここともお別れかと思うと、汚い掘立小屋でも感慨深い。酒の力もありこれならぐっすり眠れるか……と思って目を閉じてみても、中々寝付くことができなかった。興奮して夜も眠れない、という言葉を聞いたことはあるが、まさか自分がそうなることがあるとは思いもしなかった。

 自警団の団長になる。というのでも現代の学生からすると十分に異常なことだったが、それが傭兵団の団長になりいずれは『天下を取る』と公言してしまった。男が一度言ったことである。生半なことでは取り下げることはできない。

 自分にできるかとは考えなかった。気付けばそんな言葉が出ていたというのが一番近い。宣言を聞いていた面々もそれは驚いただろうが、一刀自身も自分の発言に驚いていた。今まで生きてきて、自分が野心家などと思ったことはない。

 団員たち相手にぶちあげたことも、適当に口を突いて出た妄想なのではと考えたが、天下を取る、という言葉は随分と一刀の心に馴染んでいた。よくよく考えてみても、北郷一刀という人間は天下というものが欲しいらしい。

 と言っても、天下を手に入れてではどうするか、と聞かれると返答に困ってしまう。具体的に何かやりたいことがある訳ではないのだ。自分の望みを叶えるために差し当たって天下が必要だから求めているだけ、と言ったら他の野心家は怒るかもしれないが、それが本心なのだから仕方がない。

 細かい展望については、知恵者の力を借りることになるだろう。そう言えば、細かい話をまだ詰めていなかったが、程立と戯志才は付いてきてくれるのだろうか。それではー、と軽いノリでここでさよならされてしまうと、一刀としても物凄く困るのだが、かと言ってあれだけの知恵者である二人を引き留めるだけの条件を、一刀は提示することができないでいた。

(出世払いってことでどうにか付いてきてくれないかな……)

 妙案に思えたが、そもそも出世できるか現段階では全く見通せないのだ。金もなく将来も見通せない男が、女性についてきてくれなどと言えるものだろうかいや言えない。悪い方向に酔ってしまった一刀は、どんどん暗い方向に考えが傾いていく。

 それを引き戻したのは、静かに戸が開く音だった。子義でもやってきたのか、と思えば違う。足音の主はこっそりと小屋の中に入ると、寝転がっている一刀の横にすとんと腰をおろした。腰を下ろして、何をするでもない。見られている気配は感じる。じっと、横顔でも見ているのだろう。彼女ならば夜が明けるまで見ていても不思議ではない。

 美少女に見つめられるというのも悪い気分ではなかったが、流石に決まりが悪くなった一刀は身を起こし、傍らに立つ少女――徐晃に声をかけた。

「こんばんは、徐晃」
「こんばんは、お兄ちゃん。もしかして寝てた?」
「いや、起きてたよ。今日が最後の夜だから眠れなかったんだ」
「寂しい?」
「色々あったからな。寂しくないと言えば、嘘になるかな」
「お兄ちゃんは絶対にそういう言い方をするって、稟が言ってた。ちょっとびっくり」
「…………そういう言い方って?」
「男の人って意地っ張りだから、寂しくても素直に寂しいって言わないんだって」
「悔しいけどそうかもなぁ……」

 それが男というものだ、と一刀は心中で納得する。人の好き好きだろうが、少なくとも一刀は一々寂しいという男を女々しいと思う。見栄や意地というのは、時にどうしても必要になるものなのだ。

「それで、何か用かな? 話がしたいだけでも、勿論歓迎だけど」
「ねぇ、お兄ちゃん。シャンのこと、ぎゅ~ってして?」
「…………なんだって?」
「シャンのこと、抱っこして?」
「いや、意味が解らなかった訳じゃない。どうして抱っこしてほしいんだ?」
「いや?」
「嫌じゃないけどさ……」

 徐晃の無垢な瞳を前に、一刀は答えに窮してしまった。夜中に女性が男の部屋を訪ねてきたのだ。結婚年齢も低そうな世界であるし、もしかしたらそういうことかと期待しないではなかったが、徐晃の反応を見るにその先がある訳ではないらしい。純粋にただ抱っこしてほしいようだが、一刀にはその意図が読めない。

 伝えた通り嫌な訳ではないが、既に腕を広げて身構えている美少女を前にすると、実行するのも憚られた。時間をかければ諦めてくれるだろうか、と考えるがそれでは何の解決にもならないし、これから一緒にやっていこうという仲間の要望だ。美少女をどうこうという邪な感情は別にして、小さな要望くらいは叶えてあげたいと思う。

 意を決して、一刀は徐晃を抱きしめた。力を込めて細い身体を抱くと、徐晃も手を回してくる。こうして抱き合ってみると、驚くほどに細い。この身体のどこからあんな力が……と思ったのは僅かな間だけ。気になってしまうのは手先の感触だ。

 徐晃の服は布地面積がとても少ない。背中に回した手は、徐晃の素肌に触れていた。誰も突っ込んだ様子はないから、これはこれで奇抜と言う程のファッションではないのかもしれないが、男ばかりの環境では目に毒だろう。その内違う服を着るように、やんわりと伝えた方が良いのかもしれない。

 そんなことを考えている間に、徐晃の方から腕は解かれた。

「満足したか?」
「した。それで、確信した。お兄ちゃんはずっと、シャンが探してた運命の人」

 言って、徐晃はその場に跪き、臣下の礼を取った。

「私は香風。この真名と共に我が身命、我が名声、我が忠節の全てを貴方に捧げます。私の――シャンのことを受け入れてくれるなら、今ここで、シャンって呼んで?」
「結構ずるいな」
「女は多少強引な方が良いって、稟が言ってた。こういう女、お兄ちゃんは嫌い?」
「いや、はっきり物を言ってくれる方が嬉しいよ。察しが悪いって、少し前まで言われ続けてたからな」

 脳裏に猫耳を被った軍師の姿が浮かぶ。今ごろ彼女も曹操のところで頑張っているのだろうか。元盗賊を率いて傭兵団を組織したと言ったら蹴り飛ばされそうだが――と考えていたら、今度は徐晃――シャンの方からぎゅーっとしてきた。夜に差し向かいで男女が二人。他の女のことを考えていたら気分が悪いに違いない。

 心なしか眉を吊り上げているように見えるシャンの後ろ頭を優しくなでると、

「ありがとう、シャン。これから一緒に頑張ろうな」
「受け入れてくれて、ありがとうお兄ちゃん。一緒にがんばろうね」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第015話 流浪の軍団編②








1、

「いきなり貴殿の顔を潰すことになってしまって申し訳ないのですが、先延ばしにしても意味がないので単刀直入に申し上げましょう。できるだけ早急に金銭の工面をしないと、大業を成す前に我々は空中分解します」
「まぁ、そうだよなぁ……」

 村を出発して最初の夜、元気に野宿の準備をしている団員達を他所に、一刀たちは幹部会議を行っていた。参加しているのは団長である一刀と、軍師である程立と戯志才改め郭嘉。武官役としては梨晏とシャンの二人が参加している。

「数は力と申します。今の段階で兵が二百を超えるというのは素晴らしい始まりと言えるでしょう。しかし、我々にはそれを支えるだけの資本がありません。私や風の実家に支援を頼んでも良いのですが、それは最後の手段としましょう。団長である貴殿ができる限り己が力で、というのが外聞としても望ましいのです」
「お兄さん、荀さんちと仲良しだと言ってましたね。援助は頼めませんか?」

 程立の言葉に、一刀は渋面を作った。可能か不可能かと言われれば、可能だろう。北郷一刀は荀家に相当大きな貸しがある。滞在一か月で清算できたと一刀の方では思っているが、機会さえあればあの人たちは喜んで手を差し伸べてくるという確信があった。

 あの家がどれだけ金持ちなのか知らないが、少なくとも二百人の荒くれ物の食い扶持を確保したところで、パンクすることはない。一刀が問題だと思っているのは、彼個人の内面の話だ。あの人たちには良くしてもらったがそれだけに、迷惑をかける訳にはいかないと思っている。

 そんな内心を顔に出した一刀に、程立は少し呆れた様子で溜息を吐いた。

「迷惑とは思わないと思いますけどねー。所謂名家の人たちなら、これから戦乱が起こるということは感じ取っているでしょう。今はどの馬に乗るのか思案している最中で、恩は売れるだけ売っておけという風潮です。風たちは馬としては魅力はないかもしれませんが、まっさら加減では他に類を見ません。二百人の食い扶持分くらい、投資する価値はあるとお金持ちなら判断すると思います」
「俺の金持ちっぽい知り合いって、その荀さんちの関係者しかいないんだけど、かたっぱしから手紙でも出せってことか?」
「そうなりますね-。決心がついたのなら、洛陽にいるらしい荀攸さんにも一筆お願いしますね。支援の手は多ければ多い程良いですからー。でも、曹操さんのところの荀彧さんには出さないでください。お兄さんの話を聞く限り、支援してくれる可能性は皆無なので」
「……一晩考えさせてもらえるかな」
「あまり時間はありせんよ。少なくとも、最初の街に着くまでには結論を出してください」

 郭嘉の発言は、特に手厳しい。全体的にゆっくりと話す程立と違って、単刀直入に物事をずばずば言ってくる。おまけに理知的な眼鏡美人なものだから、相対して話していると威圧感を感じることもある。

 それに、郭嘉は団の金庫番だ。本人はもっと違う役割を得意としてるようだが、程立と比べた場合自分の方が得意ということで請け負ったのだ。団の金の流れの全てを把握する女性である。現段階でも色々と金策を考えてくれているようだが、長期的にもっとも効果があると彼女が主張するのが、大口のスポンサーを早めに見つけることだった。

「スポンサーを……あー、沢山金を出してくれる金持ちを見つけたとして、団のやることにあまり口を出されるというのも困らないか? 金だけ出してもらって口は出させないっていうのも、あんまりだとは思うけど」
「その辺りは契約次第でしょう。少なくとも、今の段階の我々には注文を付けても、応えることができませんからね。先々のことを考えるのも大事ですが、今は目先のことを優先しましょう。今日を生き残ることができなければ、戦うべき明日など来ませんよ」

 今借りた恩が後々になって負債となり、自分たちの行動を縛ることを危惧していたのだが、ど素人の自分が少し考えて思いつくようなことを、郭嘉が考えていないはずもない。参謀である彼女らが今はそれが必要で、それは必要ないと言ったのだ。

 一刀が考えるべきは、必要であるものをどのように捻出するかである。打てる手は多い方が良いというのであれば、手紙は出さざるを得ない。一度、近況報告くらいはしようと思っていたのだ。そこに援助の打診が加わるだけであるが、一刀の気持ちは晴れなかった。

 きっと、荀昆も荀攸も援助はしてくれるだろう。だが、その話はそう遠くない内に曹操のところに仕官したはずの荀彧の元にも届くはずだ。いずれ知れる話である。伝わるなら早い方が良いのは間違いないが、あの猫耳の耳に入ったら、後で何を言われるか解ったものではない。

 再会した時にどんな罵詈雑言が飛び出るのか。それを想像すると『楽しみで仕方がなかったが』それに程立や郭嘉が巻き込まれるのはどうにか避けたい。

 しかし、これを当の程立たちに言う訳にはいかないし、北郷一刀の頭では荀彧を上手いことけむに巻く方法など考えつかない。手紙を出すとなった時点で、荀彧から罵詈雑言が飛んでくるのは確定なのである。


















2、

 街が見えてくると、一刀達は二組に分かれた。街の外で陣を張って寝床を確保する組と、街の中で活動する組である。居残り組を指揮することになったのは程立で、これに梨晏が補佐として付くことになった。軍師と武官はセットで行動するというのが、幹部で決めたルールである。

 町に行く組は、郭嘉を筆頭に団長である一刀と、護衛としてシャンが付く。後は街で節度ある自由行動を許された十人の団員だが、彼らはさっさと街に消えてしまった。女性がいては行き難い所に行きたいらしい。団長もどうっすか? と誘われはしたのだが、誘った団員がシャンの拳で吹っ飛ばされたのを見るに、団長にそういう自由は許されていないらしかった。

 そのせいで微妙に機嫌が悪くなってしまったシャンの手を引いて、郭嘉の後ろに付いて街に入る。都会というには些か鄙びているが、それでもここ三ヶ月を暮した村と比べると随分と都会である。村では人の喧騒など宴の時くらいしか聞くことはなかった。喧騒すら、今は耳に心地よい。

 郭嘉が立ち寄ったのは商家だった。街でも一等地にある建物で、一目で大手と理解できる。村から持ってきたものを現金化するためと聞いている。こういう場所は一見さんに厳しいとも聞いたが、その不安はすぐに解消された。受付の男はやってきた郭嘉を、一目で只者ではないと判断したらしい。彼女が用向きを伝えるとすぐに奥に引っ込み、店主を連れてきた。

 いかにも商人といった恰幅の良い男である。郭嘉と比べると、親子ほども年が離れているだろう。行商人には見えない身なりの良い理知的な少女に、店主はまず面食らう。

 そしてそれを待っていたかのようなタイミングで、郭嘉はにこりともせずに話を切り出した。

「初めまして。私は郭嘉。旅の者です。東にある村からいくらか品物を持ってきたのですが、こちらで買取っていただけないでしょうか」

 草履や蓑、傘など農業の合間に作った品々である。これらの品質は持ち出す前に郭嘉が確認しており、街でも十分に売れるレベルの物だと太鼓判を押した。

 ただ、荷馬車もない集団では持ってこれる量に限りがある。二百人の内何人かを人足として利用し、持てるだけ持ってきたのだが、それでも商家に持ち込まれるケースで買取るには、些か物足りない量と言わざるを得ない。店主も僅かに渋い顔をしたが、郭嘉はそれを見逃さなかった。

「我々としては、これくらいの値段でと考えています」

 郭嘉が提示した値段に、今度は店主は驚きの顔を見せた。明らかに相場を大きく下回っていたのだ。東の村から運んできた手間と仕入値を考えると、利益としては明らかに割に合わない。もしや非合法な手段で入手したのでは、疑問を口にされるよりも僅かに先に、郭嘉が言葉を重ねる。

「お近づきの印、とお考えください。実は我々は、昨今蔓延る賊どもを打ち倒すことを生業をしておりまして、賊の所在は喉から手が出るほど欲しいものなのです。商人ともなれば、旅から旅の者とも多く伝がございましょう。相場との差額は、その情報料とお考えいただければと思います。無論、それを知らぬと仰せの場合でも、この値段をひっこめたりは致しません。あくまでこれはお近づきの印。そう考えてくださいますれば、幸いです」

 さて、と主人は考えた。流れの行商人にすればこの差額はそれなりの大金だろうが、街で店を構える彼にとっては大した金額ではない。それを担保に情報を売れと言われている訳だが、それで先々自分に利益があるのかどうか。商人らしい賢しさで、彼は考えていた。

 盗賊というのは、商人にとっても悩みの種である。商隊が商品を運ぶ際、これに護衛をつける訳だが、その費用もバカにならないし、この護衛でも何とかならなかった場合、大きな損害を被る。賊が少なくなったとしても護衛を付けなくなるということはないが、ある程度の安全が保障されれば護衛を少なくすることができる。賊がいないに越したことはない。賊を倒すことを生業とするというのは、商人からすれば渡りに船だ。

 当然、彼の元にはどこで賊が出てどれだけ被害が出たという情報があった。元よりタダで仕入れた情報である。これに値段が付くというのならば売らない手はないのだが、ここで商人としての欲が出る。彼らは基本、客が許してくれる最大限の値段で物を売ろうとする。もっと吊り上げられる、と彼は考えていた訳だ。

 しかし、こちらは郭嘉である。実は商人が持っている程度の情報は、彼女は既に知っていた。元より今彼が握っている情報というのは、郭嘉がシャンたちと旅をしていた時に収集した情報が元になっている。むしろ、純度が高い分、郭嘉が記憶している情報の方が正確で価値があると言っても良い。

 主人の表情から、その純度の低い情報を勿体ぶろうとしていることを察した郭嘉は、内心を隠しながら言葉を続ける。

「それでは、こういう形ではどうでしょうか。ご主人の商隊がこの街を出る時、盗賊がいる区域の近くを通るのであれば、その道程、私どもが同行します。この際、ご主人のお連れになる護衛の半数以下の人数でお供するとここでお約束しましょう」

 数を頼みに襲い掛かったりはしない、と言葉にしておく。無論店主にとって郭嘉というのは初めて会う相手であり、信用するに値しない人間である。差額と情報料は釣り合うかもしれないが、そこに賭け金として商隊の安全を突っ込むことは、また別の話だ。

 もう一つ。そう判断した郭嘉は、後ろ手で一刀に合図を出した。それを受けた一刀は懐からあるものを取り出し、店主に差し出す。

「これは?」
「豫洲から洛陽に赴きました時、私を乗せてくれた商隊責任者からの書状です。こちらの商家とも取引があるとお聞きしましたので、お持ちしました」

 差し出された書状を一目みて、店主の顔色が変わった。彼の商家はこの街では大手の一つであるが、国全体で見ると決して大きいとは言えない。対してこの書状を書いた者は、国全体で商売をしている大手であり、彼も年に何度か取引をさせてもらっている。

 書状には彼が何度も見たことがある名前と、横に印が押されている。間違いなく本物、という確証は持てないが、この場でこれを出されるだけで店主には十分だった。疑念は全て払拭され、この時点で郭嘉たちは大事な取引相手に変わった。

「いえ、この時勢に賊を討とうとしてくださる義勇の士。我々も疑うことなどありはしません。ご同道、こちらの方からよろしくお願いします」
「ご配慮感謝いたします。つきましては、私共はまだ今晩の宿を決めておりません上、仲間は街の外で待機しております。御都合のよろしい時に打ちあわせなどしとう存じますが、どのようにするのがよろしいでしょうか」
「商隊の出発は三日後でございます。そちらの都合がよろしければ、明日にでも打ち合わせをしたく存じますが」
「それではそのように。また明日、こちらを訪ねさせていただきます」

 それから二、三社交的な言葉を交わして、郭嘉は商家を辞した。その後を、一刀もシャンも黙って付いて行く。店が見えなくなってしばらくして、郭嘉は肩越しに振り返った。

「何か聞きたいことがあるのではありませんか?」
「悪いな。俺、ほとんど黙って突っ立ってるだけだったよ」

 質問よりも先に謝罪が出てきたことに、郭嘉は苦笑を浮かべた。上に立つ人間は謝罪のタイミングが遅いことが多いが、一刀は自分に否があると思ったらすぐに頭を下げる。正直、頭が軽すぎると思えなくもない。もう少し、集団の頂点に立っているという自覚を持ってくれると良いのだが、それは追々教えていけば良い。

「こういう場で貴殿が役に立つのは、もっと経験を積んでからです。今は私か風のやりようを見て、糧にしてください。それに書状を出してくれただけでも、十分な働きです。私や風では、あんなものは用意できませんでしたからね」
「そう言ってもらえると助かるよ。それでさっきの交渉だけど、良かったのか? タダで護衛を引き受けることになったみたいだけど」
「視点を変えましょう。彼らは私たちにタダで道案内をしてくれた上、途中まで道を共にしてくれるのです。加えて言えば契約の大筋が決まっただけで、まだ細かいところを詰めた訳ではありません。これからいくらでも、こちらに良い条件を追加できるでしょう。道中の糧食くらいはもぎ取ってやりますので、大船に乗ったつもりでいてください」
「村から持ってきたものは、随分安く売ったみたいだけど?」
「彼に精神的に貸しを作っておきたかったのでそうしました。彼の気持ちの中では、今回の収支は黒になっているはずです。お互い納得ずくで良い取引をしたと言えるでしょう。それに儲けが出ていない訳ではありませんよ。少しですが蓄えができました」

 全て計算通りです、と郭嘉は結論付けたが、それが一刀には腑に落ちない。

「……結局、郭嘉の目的は何だったんだ?」
「あの商家と共に仕事をすることです。収入についてはこの際、どうでも良いのですよ。最悪盗賊の蓄えを根こそぎ奪えば良い訳ですし、盗賊を討伐したとなれば、少ないでしょうけどしかるべきところから報酬が出ます。名前と顔を売り、この辺りの顔役を通じて方々に『我々は仕事のできる集団である』と宣伝してもらうため……目的としてはそんなところですね」
「郭嘉がいてくれて本当に良かったよ」
「ありがとうございます。あと、道中の村から現金化できそうなものは回収していきましょう。馴染みの行商人と契約している可能性もありますが、そうでないものもあるはずです。金子はあって、損はありませんからね」
「傭兵団が副業をしてるんじゃなくて、その内行商人が副業で傭兵をすることになりそうだな……」
「そうならないために、貴殿たちがいるのです。きりきりと働いてください」

 郭嘉流の冗談に、一刀は苦笑を浮かべる。難しい話は退屈なのか、シャンは一言も発しないままだが、繋がれた手はそのままだった。その手がふと引かれる。どうした、と声を挙げようとした矢先、

「おっと……」

 小柄な少女と、すれ違い様にぶつかってしまった。少女はバランスを崩して転びそうになったが、素早く動いたシャンが身体を支えた。シャンも十分に小柄だが、少女は更に小さい。見たところ怪我はなさそうだ。一刀は少女と視線を合わせるようにして、膝をついた。少女の赤みがかった真っすぐな瞳が、一刀を見つめ返す。

「怪我はない?」
「はわわ……大丈夫です! こちらこそ、不注意でご迷惑を」
「良いさ。怪我がないなら何よりだ」

 少女に怪我ないことを言葉にして確認した一刀は、改めて少女を観察した。淡い金髪のおかっぱ頭。大きめの帽子と、腰元に大きなリボンの付いた女子高の制服……のような制服を着ている。フランチェスカの女子制服に比べると地味な装いだ……という感想を、数か月前に抱いたことを、一刀はすぐさま連想した。彼女はスカートなど履いていなかったが、着ていた上着のデザインは眼前の少女と同じである。

「君はもしかして――」
「朱里!」

 人ごみの中、少女を追ってきたのはやはり、一刀の想像した通りの女性だった。

 この世界では珍しいパンツルック。女性にしてはすらっとした長身だが、出るところはしっかりと出た男装美人である。少女と共通するのは制服の上着と、帽子をかぶっていること。ただし、少女の方はベレー帽だが、女性が被っているのは、古典映画でマフィアが被っていそうなソフト帽である。

 女性――元直は、一刀の姿を見つけると、軽く目を見開いた。

「一刀じゃないか。これから後輩と訪ねようと思っていたのに、そっちから来てくれるとは……まさか僕に会いたくなったのかな?」

 相変わらずの伊達男っぷりを発揮した元直は、一刀たちの視線を集めると小さくウィンクをしてみせた。一つ一つの仕草が、役者のように様になっている。それでいて嘘臭くないのだから、如何に普段から彼女がこういうことをしているのかが解るというものだ。


「自警団の団長を引き受けた君が、かわいいお嬢さんを連れて何でここにいるのか……まぁ、他にも聞きたいことは色々ある。再会を祝して僕が費用を持つよ。その辺の茶屋にでも、付き合ってもらえないかな?」












元直さん再登場。
何故ここに後輩たちをつれているのかは次回にて。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第016話 流浪の軍団編③







 元直が選んだのは住宅街にある、小洒落た雰囲気の店だった。労働者が中心の大衆食堂とは明らかに客層が違う。目につく身なりの良い連中は下級官吏だろう。彼らは来客があったことに入り口に目を向けたが、それが女性の集団であることに目を剥いた。

 目ざとい連中は元直と後輩二人が着ているのが水鏡女学院の制服だと気づいていた。才媛を輩出すると有名な学院で、政財界にその出身者は多い。そんな連中がこの地方都市に何の用だろうか。地元の役人としては気が気ではないが、元直は主人に話を付けると奥まった個室へ足を進める。

 金の使い方が堂に入っている。おそらく普段からこういう所を使っているのだろう。一緒に旅をした仲ではあるが、経済的な感覚には開きがありそうだった。

(思えば洛陽にいた時からこんな感じだったな……)

 一緒に散策していても遊び方が綺麗と感じたものだ。それでいて楽しそうに見えないというのではなく、同行している人間にも常に気を配っている。良い意味で遊び慣れている社交的な人間だ。初めて足を踏み入れる都会で遊ぶことになっても、こいつと一緒にいれば大丈夫という安心感がある。

 個室に案内された元直は一刀たちに席を勧め、適当に注文を済ませると帽子を取って一礼する。

「そちらのお嬢さんたちは初めましてだね。僕は徐庶。字は元直。一刀とは友人で、洛陽から村まで一緒に旅をした仲だ。見て解るかもしれないけど、水鏡女学院の出身だ。後輩共々よろしく」
「私は郭嘉。字は奉孝と申します。学院きっての才媛と名高い貴殿に、お会いできて光栄です」
「その肩書も後輩二人に持っていかれそうで、冷や冷やしてるけどね。こちらこそ『神算の士』と名高い郭嘉殿にお会いできて光栄だ。それでそちらは――」
「徐晃。字は公明」

 シャンの自己紹介は短い。お前と関わり合いになりたくないという感情が透けて見えていた。小さな両手で抱えた椀に口を付けながらも、視線は全く元直に向けようとしない。口数は少ないが人につっけんどんな態度を取るような少女ではないはずなのだが、何か理由があるのか。それを聞こうとした一刀を、元直が指で制した。

 元直は卓に身を乗り出してシャンに顔を近づけると、努めて優しい声音で言った。

「大丈夫。別に一刀を取っていったりはしないよ。見たところ君はかなりの手錬のようだ。君みたいな可愛い武人がいるなら、一刀も安心だね。僕の親友のことをよろしく頼むよ」
「…………ごめん。シャンが悪かった」

 シャンがおずおずと差し出した手を、元直は笑顔で握り返した。惚れ惚れする程の気の回しっぷりに内心で感心していると、一刀の袖がちょいちょいと引かれる。

「お兄ちゃん、この人凄い良い人?」

 手錬よりもかわいいという言葉を気に入った様子である。今までシャンの周囲にいた人間は、誰も彼女に可愛いと言ったことがなかったのだろうか。こんなにかわいいのに……と思いながらシャンの髪に手を伸ばす。唐突に髪に触れられたことにシャンは僅かに身体を振るわせるが、すぐに髪をすく指を受け入れて笑みを浮かべる。

「一刀、そういうのは君らの部屋でやってもらえるかな?」

 放っておくといつまでもいちゃついていそうな気配を感じた元直が、少し強い語調で断りを入れる。隣では郭嘉が額を押さえて苦い顔をしており、少女二人は『私たちは何も見てません』という顔で視線を逸らしていた。そもそも、今は少女二人の自己紹介のタイミングである。咳払いをしてその場を誤魔化す――誤魔化したことにした一刀は、視線で少女たちに先を促した。

「しょ、諸葛亮。字は孔明です」
「鳳統。字は士元と申しまひゅ」

 かみかみであるが、少女たちの名乗った名前を聞いた一刀は動きを止めた。片方に聞き覚えがある。諸葛亮。字は孔明。三国志を全く知らない人間でも名前を知っているだろうその人物は、主人公格の一人である劉備に仕えた天才軍師として知られている。

 一刀は諸葛亮と名乗った少女の顔をじっと見つめた。頭にはベレー帽。薄い青色の長い髪は首のところで二つに縛られている。気が強い性質ではないのだろう。視線は定まっておらず常に泳いでいた。自信に満ち溢れた元直とは対象的である。

 それは鳳統と名乗った少女も同様だった。一刀が視線を向けると、童話に出てくる魔女が被るような先の曲がったとんがり帽子のつば(・・)で、顔を隠してしまう。一刀の位置から見えるのはおかっぱの金髪くらいである。

 最初に出会った水鏡女学院の関係者が元直なせいか、小動物のような、という印象を強く持った。考えれば卒業生在学生が全部元直のような少女、という方が恐ろしい。二人には男心を擽るかわいらしさはあるが、軍師として見ると聊か頼りないようにも思える。

 しかし、青い髪の少女は諸葛亮だ。学校を卒業したばかりというならば、まだ誰にも仕えていない可能性が高い。仕官先に向かっている途中という可能性もあるが、それにしては急いでいる気配が感じられなかった。元直はここで出会わなければ村まで足を運んでいた風である。後輩の二人は元直の旅に同行していると考えるのが自然だろう。

 小さく、溜息を吐いた。

 一刀に三国志に関する知識はほとんどない。それでも、諸葛亮が後の三大勢力の一角、その大軍師であることは知っている。この世界が三国志に似た世界であることも、荀家にいた頃に薄々ではあるが気づいていた。

 問題なのはここが同じ世界ではなく、似た世界ということだ。

 仮にここが同じ時間軸の過去であるとしても、既に未来から過去に向かって一人の人間が移動している以上、同じ過程、同じ結末になるとは限らないし、何より重要人物の性別が変わっているという重大な差異がある。

 女だからこそできることも勿論あるだろうが、男でなければできないことも当然ある。性別とはそれだけ個人を構成する要素の中で大きなものだ。今後の展開が実際の歴史や小説と同じになると、期待するのは難しい。

 だが、展開とは別に期待できるものもある。かの史実を元にしたという歴史小説において、重要な役割を果たした人物たち。彼らと同じ名前を持った少女らには、同じような能力、同じような役割があると考えて差し支えないように思える。現に曹操は英傑と評判だし、一刀程度の知識でも聞いたことくらいはある名前が周囲にも何人もいる。

 知らない人間が他に思いつくとすれば、精々劉備関羽張飛趙雲、後は呂布くらいのものだろう。趙雲はシャンたちの旅仲間だったらしく、今は幽州の公孫賛の元で働いているという。呂布は朝廷の軍に属しており、司隷が活動の拠点だとか。国士無双の武士として知られており、最強の呼び声高い。

 ただ劉備他二名については情報を集めながら旅をしていた郭嘉たちも知らないと言っていた。まだ世に出ていないだけならば良いが、最悪この世界には存在していない可能性もある。やられ役が百人千人消えたところで誰か別の人間がやられ役になるだけだが、三勢力の一つの代表が存在しないのでは展開が大きく変わる可能性があるが――そもそも、そんなことを気にしたところで始まらない。

 元より大した三国志の知識はないのだから、三国志のように歴史が転がったところで対応できる所は少ない。現代の知識を活かそうにも、ただの高校生である一刀にはすぐにでも実行できる革新的なアイデアには心当たりがなかった。

 火薬ならば作れるかも、と某落第忍者漫画で読んだ知識を元に実践できないか考えてみたが、結局危険すぎるということで誰にも相談せずに断念した。硫黄と硝石と木炭で作れるということは知っていても、どれをどれくらいの分量で混ぜるのか全く解らないし、木炭と硫黄はどうにか他人にも説明できるが、硝石がどういうものでどこで取れるのか一刀には見当もつかない。

 この世界にもあくまでこの世界の水準で化学的な知識を持っている人間はいるだろう。そういう人間を捕まえて試行錯誤を繰り返せばいずれ作れるようになるかもしれないが、その過程に危険があることに変わりはない。

 一刀の勢力の規模ではその危険を受け入れることはできないし、そもそも試行錯誤するだけの予算がない。生兵法は怪我の元、というのが良く解る思索だった。

 ついでに言えば、仮に歴史通りに物事が進まなかったところで、一刀に不都合は全くない。現代から見た過去と同じように物事が進まなければ、北郷一刀という存在が消えるというのであれば本腰も入れようが、今のところ身体が透けたり頭痛がしたりという兆候は見られない。

 どういう事情でこの世界に来たのか、一刀は考えないようにしていたが、もし神様のような超常的存在の力で送られてきたのだとしたら、きっとその神様は『自らの欲するところを為せ』と言っているに違いないと考えることにした。

 神様については顔を合わせる機会があったら渾身の力を込めて殴りつけるとして、今はともかく諸葛亮である。

 この少女が演じる役割は、史実や小説とそう差はないと考えて差し支えないだろう。この少女の小さな肩に、この国の命運が乗っている。少女がどこに行く、誰に仕えるということが、多くの人間の趨勢を決めるのだ。欲を言えば自分のところに欲しい。郭嘉にも程立にも何の不満もないが、物を考える人間こそ今、一刀の勢力では大きく不足している。

 後の大軍師であれば大歓迎だが、しかし誰もが郭嘉や程立のように好んで小勢力に籍を置いてくれる訳ではない。名門の学校を卒業したばかりだ。まさか現代と同じで新卒か既卒かを気にするような環境でもないだろう。就職口はいくらでもあるだろうし、是非うちに! という勧誘も掃いて捨てる程あるに決まっている。

 そんな純真無垢な美少女二人に、盗賊あがりの傭兵団に来ませんか、と言うのは人間として抵抗があった。アットホームな職場である。やる気次第で出世もできる。現代的な誘い文句が次々に浮かんでくるが、どれも空々しく思えた。どちらも一応事実ではあるのが、救いと言えば救いである。

 とは言え背に腹は代えられない。一刀は既に傭兵団の団長であり、団員の将来を預かる立場である。団員の質は団員たちの生存率に直結する。この少女たちが味方にいれば、それだけ味方の命は助かり将来性も豊かになるのだ。輝かしい未来に水を差すのは心苦しいが、人間やはり自分たちが一番大事である。ダメで元々。結婚詐欺師にでもなったつもりで、一刀は小さく余所行きの笑みを浮かべた。

「俺は北郷一刀。これから村に向かうつもりだったなら聞いてるかもしれないけど、少し前までそこで自警団の団長をやってた。今は色々あって、傭兵団の団長をしてる」
「詳しく聞きたいね。僕の見立てでは、もう少しもう少しと先延ばしにして、子義ちゃんあたりと番になると思ってたんだけど」
「そんな気配は感じてたけど、幸か不幸かそうはならなかったな。というか、他人の目から見てもそんな雰囲気だったのか?」
「僕が村の人の立場だったら君を放っておかないよ。それなりに顔は整ってるしそれなりに学がある。何より若い男だ。頭数は生産力。若さはその持続性を表す。ちょうど良い年齢の子がいるなら、とりあえず宛がってみようと思うのは当然さ」
「五歳も下だぞ?」
「たかが五歳だろ? それくらい年の差のある夫婦なんて世にいくらでもいると思うけどね」

 何を言ってるんだい、と元直は表情でそう言っている。郭嘉もシャンも、子義を宛がうことそのものに思うところはあるようだったが、五歳の年齢差を問題にしているようには見えない。そも、現代でも五歳差の夫婦というのは珍しいものではない。一刀が『五歳も下』と思ったのは、現代で考えると子義がまだランドセルを背負っているような年齢だったからだが、ただ嫁ぐだけであれば十代前半というのは少ないだけでありえない訳ではない。

 特に人口が生産力に直結する田舎であればなおのことだ。男も女も夫婦になるのは早ければ早い程良い。その分、子供が沢山生まれ、生産力に貢献できるからだ。子義と夫婦になる。別段、悪い話と思えないのが非常に恐ろしい。長くあの村にいて、周囲にそんな状況を作られていたら。考えれば考える程、あのまま村に残っていたら本当に子義と夫婦になっていた気がする。

「誰が君の気持ちを射止めるかには興味が尽きないが、今は置いておこう。自己紹介も済んだことだし近況報告をしてもらえるかな?」

 気を取り直して、一刀は最近自分に起こったことを話し始めた。村に二百人からなる盗賊団が押し寄せてくると情報が入ったこと。その盗賊団を追ってきた郭嘉たちが村にやってきたこと。彼女らの作戦で盗賊団に奇襲をかけて幹部を皆殺しにし、子分たちを自分の勢力下においたこと。

 その際、『天下を狙う』とぶちあげたことは省略した。仲間たちにも、外でその話は絶対にするなと厳命してある。元直のことが信頼できない訳ではないが、個室とは言え、流石に外でする話でもない。一刀の全ての話を聞き終えた元直は、長い長い溜息を吐いた後、

「どうして僕がいない時に、そういう面白そうなことをするのかな。親友として理解に苦しむね」
「悪かったよ。次はちゃんと声をかけてから面白いことをするよ」
「頼んだよ。それでも疑問は残るけどね。二百人の荒くれ者をどうやって支配下に置いたのか、とかさ……」

 君の作戦? と元直の視線が郭嘉に向く。

「いいえ。勧誘に関しては一刀殿に何の入れ知恵もしていません。彼の器を見るためでもありましたから」
「なら、一刀は君の眼鏡に適ったのかな。最初はどうして君がと思ったけど、納得尽くでいてくれるなら安心だ。一刀、この眼鏡の美人さんを逃がしちゃだめだよ?」
「愛想を尽かされそうになったら、拝み倒してでも引き留めるつもりだよ」
「仲が良さそうで何よりだ。傭兵団ということは、いずれ起こるだろう大戦までは、盗賊を狩って生計を立てるつもりなのかな」
「そのつもりです。先ほど大手の商家に挨拶に行ってきました」
「繋ぎを作る、ということだね。しばらくはこの街を拠点に?」
「この辺りではここが一番大きいですからね。もっと大きな街に行っても良いのですが、そういう場所には似たような勢力が多くありましたし……」

 村に到着する前、情報収集をしながら旅をしていた郭嘉は、近隣の街の状況を良く理解していた。もっと良い街に行くこともできたがここで妥協したのは、そういう存在を知っていたからに他ならない。無論のこと頭脳で負けるつもりはないが、地元有力者の支援を受けているという段階で、彼らは勢力として一歩も二歩も先を行っている。兵数では既に同等以上のものなのだ。彼らに勝つのに必要なのは、時間だけである。

「今は雌伏の時という訳だね。いずれ軌道に乗るとは思うけど、まだ乗ってはいない。なら、僕らにもまだ機はあるってことかな」
「協力してくれるってことか?」
「いや、もっと打算的な表現をしよう。業務提携のお誘いさ。僕は――水鏡女学院は、一刀の将来に期待して情報を提供する。代わりと言っては何だけど、将来君が立身出世したら、僕の後輩たちのために就職を世話してくれないかな?」
「名門女学院の期待に応えられるか解らないぞ?」

 全国にその名が知られるような名門校。通っているのは名家の子女に限らず、全国から優秀な少女が集まっているという。全てが元直に匹敵するという訳ではないだろうが、その卒業生となれば超のつく優秀な人間だ。いずれ天下を取るとぶちあげている。最終的には何でも受け入れられるようにならなければならないが、それはあくまで最終的な話。名門校の少女を受け入れられる体制が、何時整うかは現状全く見通しが立っていない。

 一刀の問いにはそれでも良いのか、という確認の意味も込められていたが、元直は大して考えた様子もなく首を縦に振った。

「いくら優秀な生徒を生み出しても力を活かせる場所がなければ意味がない。就職口が増えれば、優秀な人間は取捨選択の幅が広がるし、そうでない人間も進路に幅ができる。後、卒業生だけでなく途中で退学になった生徒たちについてもできる限り就職口は世話をしなきゃいけないからね。就職口は多いに越したことはないのさ」

 ただの卒業生というよりは教務員のような口ぶりである。お使いに行かされたり後輩の面倒を見たり就職口の世話をしたり、元直の仕事は一体何なのだろうか。その興味は尽きないが、彼女の提案は一刀にとって願ってもない話だった。

 元よりこちらはお願いする立場なのに、向こうから枠を確保してくれとお願いされている。現時点では、一刀側に大きなうま味があるだけで、水鏡女学院にはそれがない。即断即決しようとした一刀がブレーキをかけたのは、その差分に何が充てられるのか解らなかったからだ。

「嬉しいよ。ちゃんと用心深くなったんだね。二つ返事で是と言っていたら、軽く説教でもするところだった」
「他にも条件があるんだろ?」
「うん。僕からの要望は二つ。これからは僕と連絡を密にしてほしいということ。早い話、水鏡女学院の情報網に協力してほしいんだ。勿論、全ての情報をよこせなんて言わない。あげられるものだけで構わないから、適宜情報をこちらに送ってほしい」

 悪い話ではないように思える。小勢力である一刀たちは、確固とした情報網を持っていない。既に持っている勢力のものを使わせてもらえるなら、これに越したことはない。勝手に情報を吸い上げられる、という可能性もあるにはあるが、情報を吸い取られるデメリットよりも、情報を得られるメリットの方が大きいように思えるのだ。

 一刀は視線を郭嘉に向けた。個人的な考えでは、この話は受けておきたい。元直は信頼に値する人物だし、水鏡女学院とのコネは維持したい。黙っていても有望な新人を確保できる……可能性がある環境は、先々のことを考えるならば今の内に構築しておきたい。

 その優秀な新人を受け入れる体制が整うのは二年も三年も先だろうが、元来先行投資とはそういうものだ。確定した未来を観測できないからこそ、皆懸命に勉強するなり手を回すなりして、将来に備えるのである。

 一刀の視線を受けて、郭嘉は小さく笑みを浮かべた。

「私の顔色を窺う必要はありませんよ。貴殿の思うようになさってくださって結構です」

 部下を思う上司と、上司を立てる部下の演出である。それを装っているが、これは迂遠な表現による郭嘉のゴーサインだ。受けて問題なし。希代の軍師はそう言っている。

「ありがとう郭嘉。やっぱりお前は頼りになるな」
「おだてても何も出ませんよ」

 そっけない態度だが、口の端が僅かに上がっている。シャンや梨晏ほど感情表現が豊かな訳ではないが、起伏が少ないという訳ではない。個性の塊のような程立と一緒に旅ができたのだ。郭嘉も相当な変わり者である。

「それは問題ない。受けようと思う。もう一つは?」
「こっちは特に深く考えずに受けてくれると嬉しい。僕の最も自慢する後輩であるところのこの二人を、しばらく預かってもらえないかな?」
「それは願ってもない話だけどさ……」
「学院でも演習はするんだけどね、それはあくまで演習だ。実際に就職してから軍権を預かることになる訳だけど年端もいかない美少女にいきなり軍権を預けるには色々と抵抗がある。未経験なら尚更ね。そういうところでしらない衝突を避けるために、実地訓練をできるだけさせておきたいのさ。君のとこにはデキる軍師もいるし、徐晃ちゃんみたいな腕の立つ美少女もいる。後輩を預けるには持ってこいの環境なのさ」

 持ってこいとは言うが、軍権をいきなり預けるのは抵抗があると言われたばかりである。少女二人を受け入れるということは、それをするということだ。元直の紹介である。しかも諸葛亮だ。一刀には受け入れることに全く抵抗がなかったが、普通はいくら優秀でも抵抗があるものなのだろう。何しろ元直が態々条件の一つに数えるくらいだ。

「良いよ。構わない。むしろ俺からお願いしたいくらいだ。元直の紹介なら安心だしな」
「そう言ってもらえると助かるけどさ。僕だからってのは信用し過ぎじゃないか?」
「親友なんだろう? それくらいは信頼するよ」
「…………君も言うようになったね」

 元直は肩を竦めて苦笑した。信頼までされたのでは、疑問を持つ訳にはいかない。いくつもの懸念が一気に解決した。これで後輩の未来が開けるならば、安いものだ。

「君の仲間たちに挨拶に行かないとね。子義ちゃんの顔も見たいし、もう一人の軍師さんにも会ってみたい」
「良い奴だよ。元直もきっと気に入ると思う」
「楽しみだね」

 ほほ笑む元直の横で、所在なさげにしている少女二人を見る。ベレー帽の青髪と、魔女帽子の金髪。諸葛亮と鳳統。少女二人に、一刀は妙な違和感を覚えていた。言葉にはできないが、何か大きなことが違っている気がする。

 元直を見る。彼女は笑顔を返してくるだけだ。ここに何かあるという気配はないが、元直ならばそれくらい笑顔の下に隠して見せるだろう。元直のことは信頼できる。何か隠しているとして、それがこちらに危険があるものではないと確信は持てた。

 ならば、気にすることはないと、一刀は思うことにしたが、何かを試されていることは解った。これは少女二人の実地研修であると同時に、北郷一刀の面接試験でもあるのだ……









違和感の正体については後々に。多分想像の通りです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第017話 流浪の軍団編④







「元直、一つ聞きたいんだけどさ。その帽子、どこで買ったんだ?」
「これは学院を卒業した記念に先生から頂いたものだよ」
「君らの先生が選んだってことか?」
「正確には先生がこういう帽子を作ってくれと仕立て屋に発注したものだ。だからこれに限らず、僕らの帽子は唯一無二って訳だね」
「…………君らの先生ってどういう人だ?」
「上品で優しい人だよ。生徒が解らないことは、解るまで付き合ってくださる。実に根気のある教育をなさるお方だよ」
「服飾については?」
「あまり華美な服装は好まれないね。印象の通りに上品な服装を好まれる。中々趣味の良い方だよ」
「そうか……」
「妙齢なご婦人に鞍替えでもしたのかい? 先生を紹介しろって言うなら、生徒の一人としては全力で抵抗させてもらうけれど」
「そうじゃないよ。そんな人が選んだなら、俺の判断が間違ってんだなって打ちひしがれてたのさ」
「どういうことだい?」
「いや、俺が帽子を贈る立場だったら、諸葛亮と鳳統に贈る帽子は逆にする。諸葛亮の方にとんがり帽子。鳳統の方にベレー帽だな」
「…………一刀。君は時々、本当に凄いね」
「いつも凄い元直にそう言ってもらえると身が引き締まるよ」
「皮肉じゃなくて、完全な褒め言葉だよ。君は本当に人を見ている。これからもそれを忘れないで。ただ、同時に君の問題点もはっきりと見えた。君はもう少し自分に自信を持つと良い。今のうちに沢山失敗をして、郭嘉さんにでも怒られて、そこから色々学ぶんだ。そうすればきっと、君は人の上に立つに相応しい人間になれるよ」
「励ましてくれてありがとう。元直にそう言ってもらえると、本当に励みになるよ」
「僕もそう言ってもらえて嬉しいよ。いつか僕が仕えてみたいと思えるくらいに成長しておくれ?」














 元直たち三人を連れて野営地まで戻ると、団員たちは死屍累々の有様だった。適正を見て隊を分けるという作業をしている最中である。選定は主に程立と梨晏が担当している。この作業はもうまもなく完了するということだった。

 隊の振り分けが済めば、兵は幹部各々に振り分けられる。土木作業に強い部隊が欲しいと言っていた程立には元大工など、土木作業の経験者を中心に。弓が得意な部下が欲しいと言っていた梨晏には、元猟師など弓が得意な連中を集めると言った具合だ。

 それはそれとして、戦闘訓練も同時に行っている。一周りは上の男たちが姉御と慕える程に、梨晏とシャンの腕は突出していた。今日も梨晏一人で二百人の面倒を見ていた訳だが、死屍累々な二百人に対して梨晏は少し疲れたという程度である。今の傭兵団に梨晏の相手が務まるのは、シャンしかいなかった。

「おやおや兄さん。お仕事に行ったと思ってましたが、女性をひっかけてきたんですか?」

 軽い書類仕事をしながら訓練を眺めていた程立が、一刀たちに気づいて腰を上げる。歩み寄ってきた程立の小ささに、元直は僅かに驚きの表情を浮かべた。郭嘉とセットの軍師というから、勝手にもう少し大きい女性を想像していたのだ。それが、自分の後輩よりは大きいとは言え、こんなにも小さいのだから驚きもする。

 だが、小さくても軍師である。この少女は郭嘉と並び立つ人間なのだと思いだし、元直は笑みを浮かべて程立に手を差し出した。

「はじめまして。徐庶。字は元直だ」
「これはご丁寧に。私は程立。字は仲徳と申します。水鏡学院一の才媛と名高い貴女にお会いできて光栄です」

 程立は元直の手を握り返し、型通りの挨拶をしている。相変わらず眠そうな顔をしていて、内心を読み取ることはできない。そんな程立を横目に見ながら、一刀はそっと郭嘉に耳打ちした。

「元直はそんなに有名なのか?」
「知らないで付き合っていたんですか? 風も私も言った通り、水鏡女学院の歴史の中で一番の才媛と名高い方です。水鏡先生の信頼も厚く、行く行くは学院を継ぐのではとさえ言われています。ただ――」

 郭嘉の視線は、元直の後ろに立つ二人の少女に向いた。

「あの後輩二人は、それを凌ぐ程の傑物だと言われています。『臥竜』と『鳳雛』とあだ名され、学問全てに精通しているとさえ言われていますが、正確な所は解りません。『臥竜』諸葛亮は内政に、『鳳雛』鳳統は軍略に特に秀でているという話です」
「なるほどな……ちなみに、自分のその周辺の人間を除いて、郭嘉の目から見て、現役で有能な頭の回る人間ってどれくらいいる?」

 興味本位の質問であるが、一刀たちが後に天下を取るのであれば避けて通ることはできない問題だ。質問を置き換えるとこういうことになる。自分たちが天下を取るに当たり、最も障害となる頭脳は誰か。郭嘉の返答は早い。自分たち以外でならばと、常日頃から考えていたのだ。

「今現在までの実績を加味して名前を挙げろと言われれば、私が挙げるのは四人ですね。孫堅配下の周瑜、豫洲の曹操、袁術配下の張勲に袁紹配下の顔良」
「前半二人は聞いたことあるけど、後半二人は記憶にないな」
「表にはあまり名前の出ない方々ですからね。ですがその筋に有名です。袁紹も袁術も愚物と名高いですが、それにも関わらず北袁も南袁も軍団の体を有し続けているのは、一重にこの二人が軍団を仕切っているからだと専らの評判です。できれば会って話をしてみたいと思っているのですが、無理でしょうね」
「だろうなぁ。元直、その二人に会ったことないか?」

 程立と話し込んでいた元直に、話を振ってみる。先生のお使いで国中をうろうろ歩き回った元直だ。意外なところで顔が利いても不思議ではないと思い、それなりに期待しての問いだったのだが、元直の答えは否だった。

「僕も郭嘉さんと同じ気持ちだよ。とても会って話をしてみたい。どういう感性をしてたら愚物を頭上に据えてあんな大軍団を維持できるのか。是非コツを聞いてみたいね」
「外に漏れるくらい袁紹と袁術って言うのは不味いのか?」
「袁術は、実のところそれ程悪いものでもないのです。突拍子もないことを多々言うらしいですが、張勲が上手く取りまとめていますし、親戚連中も袁術に追従します。よくも悪くも愛されているのでしょう。袁術の一存で組織全体が動くので、一枚岩と言っても良い。問題なのは袁紹です。本人が突拍子もない上、それに輪をかけて親戚連中が煩く組織が一枚岩ではないのです。貴殿一押しの荀家のご息女も、相当苦労したことでしょう。辞めて当然です」

 友人の、かつての就職先を悪く言うのもどうかと思うが、袁紹に対する郭嘉の評判は最悪だった。これだけ評判が悪く、しかも一枚岩でないと外から評価されるような組織では、あの我の強い荀彧ではさぞかし苦労したことだろう。

 袁紹の悪い評判は、荀彧ならば知っていたはずである。それでも一度は仕官することを受け入れたのだから、本人なりに色々と思うところはあったのかもしれないが、結局は辞めてしまった。いずれ大軍団同士がぶつかることになる。その時、荀彧が後悔することがないよう、友人としては祈るばかりだ。

「それでお仕事の方は?」
「抜かりなく。ついでにいくらか金銭を作ってきました。これで少しはまとまった買い物もできるでしょう。部隊の編制についてはどうです?」
「こっちはまだ少し時間がかかりそうですが、お兄さんの直属兵だけは先に選んでおきました。ここから増えることはあっても減らすことはありませんので、存分に働いてきてください」

 風から部隊の名簿が渡される。そこには廖化を始め三十名の名前が記載されていた。彼ら全員が直属の部下である。直属、という単語一つが付くだけで、全てが違う気がした。名前を指でなぞり、一人一人顔を思い出す。ここから自分の道が始まるのだと思うと、身が引き締まる思いだった。

「夜が更けるまでにまだ時間はあります。食事が済んだら座学の開始です。お兄さんには覚えてもらわなければならないことが、山ほどありますからね」
「シャンは梨晏と鍛錬をしてくる……」

 巻きこまれることを嫌ったシャンは素早い動きで梨晏の所に飛んでいく。一刀がやってきたと知ってこちらに走ってきていた梨晏は、同じくらいの速度で走ってきたシャンに捕まり、奥へと連れ去られていった。

 どちらも決して勉学ができない訳ではない。稟や風をして悪くはないという頭の回転は、武将にしてはかなりの高得点を与えられるレベルであるという。

 三人で旅をしている時、シャンは稟と風の二人から手ほどきを受けていた。その時の記憶が頭から離れないのだろう。傭兵団を結成して以来、一刀のための講義は定番となっているが、シャンが自分から参加しようとしたことは一度もない。

 逆に何でも一刀と一緒が良い梨晏は何度か参加したことがあるが、毎回参加するとシャンが寂しいと思い、たまに彼女に付き合っている。繰り返すがシャンも別に勉強が嫌いな訳ではないし、やらない訳でもない。ただ身体を動かす方が好きなだけなのだ。

「一刀に講義をするのかい? それなら後学のために僕も拝聴したいな。朱里、雛里。君たちも一緒に聞くと良い」
「……断っておきますが、水鏡女学院を卒業した方々にするような内容ではありませんよ?」
「洛陽にいた時は散策をするだけだったし、旅をしてる間はただ話をしていただけだったから、一刀がどの程度できるのか個人的に興味があるのさ。後はこっちの二人も含めて、本当に後学のためだよ。これからは人に教えることも沢山あるだろうからね。参考にさせてもらうよ」
「これは手を抜けませんね、稟ちゃん。悪い意味で、お兄さんを寝かせられなくなりそうです」
「…………お手柔らかに頼むよ」
「それはできない相談ですねー」

 ふふー、と口元に手を当てて、程立は静かに笑っている。冗談めかした口調だったが、こういう時こそ彼女は本気でこちらを攻撃してくるのだ。今夜は本当に寝られないかもな。一刀はそっと、心中で溜息を吐いた。























 





 最初に商店を訪れた翌日、約束の通り細かな日程が調整された。商店が用意する護衛は五十人。三十人前後で護衛の方は調整してもらいたいという要望を受けた一刀は、三十人の直属兵を全員連れていくことにした。
 
 これに軍師役として郭嘉が付き、戦闘補助としてシャン。さらに研修生の二人の内、諸葛亮が同行することが二人には全く相談せずに決められた。自分たちは二人で参加。最悪でも元直が一緒だと思っていた諸葛亮は一人で行って来いという先輩の指示に大慌てしたが、これも研修の一環、という先輩権限で黙らされてしまった。

 卒業しようと先輩は先輩である。仕官し、役職を持てば立場も変わるのだろうが、共に遊学している身である以上、物を言うのは年功序列だ。思うところは色々あっても、決して逆らうことはできないのである。

 相談すらさせまいと、鳳統は程立が連れ出してしまっている。独立独歩。将来一緒に仕事をしようと約束していても、一人で考えなければならない時は必ず来る。これも訓練、これも修行と言われれば反対の言葉など出てくるはずもないのだが、いきなり放り出されて気持ちの整理など付くはずもない。

「折衝などは私が担当します。貴女は補佐ということで、仕事を見ていてください」
「解りました。お気遣い、ありがとうございます」

 緊張も何もかも全て飲み込み、諸葛亮は一人で郭嘉と打ち合わせを始めた。気持ちさえ切り替えることができれば、学院史上一番の天才と評される少女である。『神算の士』とあだ名された郭嘉も、舌を巻くほどの明晰さで話を詰めてしまった。

 学院でどれだけ成績が良くても、実地はまた別である。そう舐めてかかっていた部分があったことを郭嘉は心中で認めた。この少女は本物である。自分と同等以上の知性に巡り合った郭嘉は、興奮した様子で予定を詰めていった。

 その一方で派遣が決まった直属兵たちに、程立の厳しいチェックが入る。人は見た目が九割。傭兵団でございと言っても、見た目が盗賊では何の説得力も何もない。安物でも小綺麗な鎧を見につけ、ヒゲを伸ばしていた者はとりあえずとばかりに綺麗に剃る。急ごしらえに強い違和感が残るが、見ためが盗賊なよりはマシだろう。今は服に着られているような状態だが、いずれ心がついてくるようになる。今は辛抱の時期だ。

 そして約束の当日。一刀たちを見た依頼者たちの代表の反応は、実に微妙なものだった。最初に交渉をした責任者ではなく、その部下の男性である。交渉の時にも同席していたのだが、彼はその時よりも女性が増えていることに驚いた。

 男が代表で女性が増えている。しかもそれが美少女となれば、良くない感情も掻き立てられるというものだが、戦闘担当として同行していたシャンが大荷物を一人で軽々と動かすのを見て、依頼者も本職の護衛たちも一刀たちの認識を改めた。

 一番最初に力を見せつけるのは、交渉を有利に進めるための手段の一つである。命に関わる現場では尚更だ。

 馬車は五台。それに十人ずつの護衛が付く。中に三人。周囲に七人。一刀たちが受け持ったのは、前から三番目と四番目。少し余った兵は周囲を適当に歩かされている。馬車に乗っているのは一刀と郭嘉、それに諸葛亮である。

 商家が雇った護衛は、周囲の索敵までやっている。一刀たちを含めて都合八十人の大所帯だ。さて、この人数を見ても襲ってくる敵が果たしているものだろうか。郭嘉が元々持っていた情報に、元直が持ってきた情報を加えても、この辺を根城にする大人数の盗賊はいない。

 二百人の盗賊が傭兵団に鞍替えすることが昨今あったように、盗賊の事情というものは流動的で、一貫している訳ではない。油断は禁物である。

「何もなければそれに越したことはありませんが、これでもなお襲ってくるとしたら、脅威ですね。この数を物ともしない規模か、それだけの手錬がいるか、数の差を理解できない程の大馬鹿か……」
「大馬鹿なら楽勝ってことじゃないのか?」
「戦力差を理解できないということは、定石を無視してくるということでもあります。ある意味、死を覚悟して突撃してくる死兵と同じです。努々、油断をなされぬよう」
「忠告ありがとう。あぁ、俺も気が緩んでるみたいだな」
「気を張られ過ぎても困りますけれどね。貴殿はとりあえず、我々の後ろで堂々としていてください。当面はそれが一番の仕事です」
「仕事が本当に、それ一つだけだと楽ができるんだけどな――」
「お兄ちゃん。いつでも馬車から降りられるようにしてて」

 会話に割り込むように、外からシャンの声がする。緊張を孕んだ声音だ。何かある。そう察知した一刀は、同じくらい緊張に満ちた声音で問い返した。

「……敵襲があるのか?」
「まだ。でも良くない雰囲気。少なくとも一人、こっちを見てる」
「護衛団の監視の目を抜けてきたのかな?」
「手を繋いで放射状に広がるというのでもなければ、どれだけ監視の目を密にしても穴はできます。突破してきたということそのものは、それ程驚く程のことではありません。突破してきたのは少数でしょう」

 穴があるとは言っても、その監視の目をすり抜けるのは大規模では難しい。斥候を担当している護衛はそれなりに訓練されていたようだから、大規模の部隊を素通りさせるということは考え難い。敵部隊が通過するところの斥候だけ殺した、という可能性もないではないが、シャンが感じている視線は一つである。

「あちらも斥候、ということはありませんか?」
「戦闘要員。結構強い。シャン程じゃないけど」

 その知らせを吉報とするかどうか、判断に迷った。シャンならば勝てると喜ぶべきなのだろうが……それは敵がそれだけしかいない場合の話である。腕の立つ人間は監視の目を抜けて一人、こちらに視線を送っている。それだけで済むはずがない。どこか別の場所にも伏兵がいると考えるのが普通だろう。考えている間もあればこそ、シャンから次の指示が飛んだ。

「降りて!」
「全く、中々楽はできないな!」

 シャンの号令で、一刀は素早く立ち上がった。その横を郭嘉が『お先に!』と飛び出して行く。その手は既に腰の剣にかけられていた。軍師の割には機敏な動きをしている。逆にどんくさい諸葛亮は、立ち上がることにすら失敗してその場でひっくり返っていた。待っていたら間に合わない。そう判断した一刀は、短いスカートから伸びる真っ白い足を見ないようにしながら、諸葛亮を横抱きにした。

 所謂お姫様抱っこである。いきなりの行動に諸葛亮は声にならない悲鳴を上げたが、今は無視だ。諸葛亮を抱えてひらりと馬車を飛び降りると、シャンの手招きで急いで馬車から距離を取った。

 シャンが大騒ぎをしたことで、車列全体が止まっている。何故お前が、と本職の警護の人間は嫌そうな顔をしているが、シャンが手錬であることは全員が認めている。それに『敵襲!』と騒がれては、行動しない訳にはいかなかった。何より大事な自分の命がかかっているのだ。周囲の警戒にも力が入るが、シャンだけは更にその先を見ていた。

「先頭の馬車! 離れて! 早く!」

 シャンの声は切羽詰まっている。いよいよただ事ではないと理解した面々は、我先にと血相を変えて馬車から離れた。周囲に敵影は見えないがその頃になると、シャン以外の面々にも何故彼女が大騒ぎしたのか理解できた。

 地に影が見える、一刀が空を見上げると、大きな塊が空を飛んでいた。明らかに重量物である。狙いは先頭の馬車。直撃コース。全員が安全な距離まで離れたところで――直撃。

 飛んできたのは、荒縄で縛られた大岩だった。それは馬車の下部に直撃し、車輪を粉砕。馬車としての機能を完全に破壊した。自分が攻撃されたことを理解した馬が暴れだすが、馬車からは御者まで離れてしまっている。それを制御する手段はない。

「聞いた話じゃ、始皇帝が同じ狙われ方をしたらしいけど、なるほど、これは生きた心地がしないな」
「堂々としていてほしい、という私の進言を聞き入れていただけたようで何よりです。一応、うちに被害はありません。あちらについては確認中ですが……大丈夫なようですね」

 被害なし、と状況を調査しに行っていた団員から報告が入る。物的被害は現状、馬車が一つ。これを諦めるならば中の荷物も諦めなければならないが、その辺りの判断は一刀にはできない。遠距離攻撃で狙われている以上、とにかくこの場を離れることが先決だとは思うが、さてどういう判断が出るのか。

 考えている内に、第二射が来た。先頭の馬車を狙った初撃とは異なり、今度は最後尾の馬車を破壊した。道は決して狭い訳ではないが、先頭と最後尾の馬車が破壊されてしまったため、残りの馬車は退路を大きく塞がれてしまう。

 シャンは飛んできた方向に視線を向けていた。ただ二回の攻撃。それだけで、シャンはある程度、相手の力量と数を理解していた。

「一射目と二射目は同じ奴。狙って当てたみたい。大した腕。距離が離れてるから相手に走って逃げられると多分追いつけない」
「ここでシャンを追撃に出すのは怖いな……」

 年端もいかない少女に頼り切りというのも男として恰好悪いが、相手の戦力が全く見えない以上、最大戦力であるシャンを動かすことは躊躇われた。どういう行動をするのかの判断はまだ来ない。一刀は思考を進める。

 前後の馬車を破壊された。車列は動かず、護衛達は足止めされている。逃げるとすれば荷物を置いてとなるが、護衛たちにその判断はできない。商人も軽々に荷物を放棄することはできないだろう。指令が遅れたことで、護衛たちの展開も遅れる。攻撃をするとしたら、今だ。

「賊の襲撃。ここで戦うことになるだろう。敵の規模の予測と、俺たちの展開方法の指示を頼む……諸葛亮」

 郭嘉ではなく、諸葛亮に一刀は話を振った。彼女の実力を知る、良い機会と思ったからだ。何しろ諸葛亮である。さぞかし素晴らしい作戦を瞬時に思いつくのかと期待してみれば、何も反応はない。希代の軍師は一刀の腕の中で、ベレー帽を胸に抱えてぼーっとしている。

 そこで初めて、一刀は少女を横抱きにしていたことを思い出した。壊れ物を扱うようにそっと、諸葛亮を地面に下ろす。一刀の視線と問いを受けても、諸葛亮は何も聞こえていないかのようにぼーっとしていた。目の前で手を振っても、視線すら動かさない。流石に心配になった一刀は、少し強めに肩を揺すり、諸葛亮に再度訪ねた。

「……もしかしてどこか怪我でもしたか? 諸葛亮、大丈夫か?」
「え? あ、はい! 私ですね!! 失礼しました、大丈夫です!!」

 慌てて大声を上げた諸葛亮は、ベレー帽を深く被りなおした。そして、深呼吸を何度もする。気息が整い顔を上げると、少女は既に『臥竜』の顔になっていた。

「それなら良かった。状況は把握してるな? 答申を頼む」
「前後の馬車を破壊して足止め。この後伏兵の出現が常道かと。しかし、こちらは斥候を放っておりました。この周囲に密集していては発見される可能性が高い。ならば襲撃の機だけを決め、斥候よりも速く接近し、精鋭にて一気にこちらを叩くのではないかと」
「あっちも馬車か何かってことか?」
「おそらく騎馬。前から二十、後ろから十」

 それでもこちらよりは少ないが、護衛団は精神的に風下に立たされている。今奇襲を受けたら大打撃だが、幸か不幸か、今はつい最近まで賊をやっていた面々で構成される傭兵団がいる。こういう奇襲はやっていた側だ。精神的な動揺は少ない。既に有事と判断し、各々周囲を警戒している。

「廖化。この奇襲をどう思う?」
「まるでなっちゃいませんな。岩で狙うという戦法ありきで襲撃を決めたとしか思えません。おそらく軍人崩れが主体で経験が浅いんでしょう。騎馬を三十も揃えられるなら、他にやりようはいくらでもあったでしょうに……」
「俺もそう思う。しかし奴らが他のやりようを選ばなかったおかげで、俺たちはタダ働きをしなくても済みそうだ。三十もいるならニ、三頭はお駄賃として俺たちにくれるだろうさ」
「わ、私なら交渉で十頭は確保してご覧にいれますがっ」

 はい! と手を挙げて主張する諸葛亮はやる気に満ちていた。出遅れた分を挽回したいという意欲は感じられるが、その発言は先輩軍師の郭嘉には少々弱気と見えた。降って湧いた資源とは言えそれでもゼロから交渉を初めて十頭確保できるならば成果としては十分であるが、やるなら限界まで毟り取るのが郭嘉の流儀である。

 眼鏡をくいと持ち上げ、郭嘉は微かな笑みを浮かべる。最も付き合いの長い程立ならば、郭嘉の機嫌の良さを見て取れただろうが、出会って数日の諸葛亮にそれは解らない。小言でも言われるのかと背筋を伸ばした諸葛亮に、郭嘉は彼女なりの励ましのつもりで言った。

「私なら三十全て毟り取ります。欲がないのも結構ですが、時と場合によりますよ」






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第018話 流浪の軍団編⑤






「それでは諸葛亮。差配は引き続きお任せします」
「承りました。それでは――廖化さん」
「おうよ」
「五人連れて先ほどの射手の動きを抑えてきてください」
「別に首級を挙げてしまっても構わんのでしょう?」
「貴方がたの安全と、任務第一でお願いします。お願いしたいのはこちらで戦ってる間、もう岩を撃たせないことです。そのために犠牲がでるというのなら、首を挙げる必要はありません」
「了解でさあ。いくぞ、野郎ども」

 廖化の一声で、五人の部下が共に駆けていく。悪路をモノともしない。彼らは元盗賊。舗装された日の当たる道ではなく、人目のない、じめじめとした悪路を歩くことを生業としていた者たちだ。最近訓練こそしているが彼らの専門は『いかに一方的に相手をぶちのめすか』に特化しており、それはただの兵よりもよほど軍学の本質に通じていると言える。

 具体的な説明をするまでもなく、自分よりも大分年下であるはずの子供の指示にも、嫌な顔一つせず駆け出していった廖化たちを見て、諸葛亮は彼らの認識を改めた。強面であるというだけで、かなりの苦手意識を持っていたのだ。人は見た目に寄らない。知識として理解していたことに、初めて実感が伴った瞬間である。

「次に徐晃さん。後方から十騎ほど迫ってきます。これを無力化してください」
「安全第一?」
「いえ、手段は問いませんが確実に(・・・)無力化をお願いします。後、馬はなるべく傷つけないようにお願いしますね。戦闘後にできるだけ回収したいので」
「了解。行ってくる」

 無手のまま、シャンは後方に向けて駆けていく。その際、一番後ろの馬車を護衛していた面々はあっさりとシャンを見送った。勝手な行動をするなと咎める人間はいない。郭嘉や諸葛亮などのように、こういった緊急時に対応を考えることのできる人間がいないため、彼らはなし崩し的に一刀たちの傘下へと入っていた。

 彼らを使えば、こちらの戦力を危険に晒さずに対応できる。諸葛亮の脳裏に別の作戦が浮かぶが、すぐさまそれを却下した。味方の実力を信頼しているというのもあるが、何よりその発想は目先の利益に囚われ過ぎている。

 軍師は、味方の誰よりも先を見て行動しなければならない。この商隊との関係は今度も続くだろう。このせいで今の行動に制限を受けたと考えるのではなく、多大な恩を売りつける好機だと考える。味方の消耗は限りなくゼロに近づけ、同様に商隊の護衛の損耗も抑えなければならない。

 現状、正面からの突撃を受け止めるために、護衛は車列前方に集中している。理想は護衛の被害を、敵部隊との一度の接触だけに抑えることだ。その援護に人員は回さず、襲撃者を殲滅することに全てを費やす。護衛と襲撃者を二度も接触させてはならない。作戦の肝はそこである。

「正面から襲撃してきた騎馬二十は一度の接敵の後、両側に十ずつに分かれます。我々は戦力を片側に集中し、まず一方の殲滅を目指します。陣頭指揮は一刀さん、お願いできますか?」
「承った。でも、これに関しては俺が指示できるようなことはほとんどないな……」

 ははは、と苦笑を浮かべる一刀に、団員たちが追従した。こちらより数が少ないとは言え、騎馬を相手に軽装で戦うというのに誰にも緊張した様子は見られない。

 その精神性に、程立が彼らを真っ先に一刀の直属にした理由があった。一刀の直属になった人員は、廖化も含めて全員、盗賊をやっていた経歴が長い者たちである。色々な修羅場を潜り、様々な能力を実戦で身につけた彼らは当然、馬を盗んだこともある。

 走っている馬に飛び乗って乗り手を殺して馬を奪うという芸当を、彼らは『造作もないことだ』と言う。彼らには何ができるのか。出立前に聞き取りをし彼らの力量を理解した諸葛亮は、騎馬の襲撃があると判断した段階で、この作戦を取ることを決めていた。

 車列の先頭で声があがる。正面からやってきた敵部隊と接敵したのだろう。騎馬はその場に留まらず、二手に分かれて一度後方まで抜ける。残りの戦力を全て片側に集中させた一刀たちは、敵部隊が近づくのを息をひそめて待った。

「ところで、何でこっちだけにしたんだ? もう片方にも配置してたら、一気に落とせたと思うんだけど」
「皆さんの力量を疑っている訳ではありませんが、全員が馬を奪えるとは限りません。両側に分散すると十の騎馬に対して十人少々で相手をすることになります。二つ三つ打ち漏らしがあれば敵が残ることになり、危険です」
「なるほど。倍に近い数で当たればそれが保険になるってことだな」
「そういうことです。それでも、一つ二つは打ち漏らす可能性は否定できませんが……」

 世の中に絶対はないということだ。そうなったとしてもフォローする段取りは考えてあるし、最悪、少数であれば逃がしてしまっても構わない。一刀たちの目的は部隊を守ることで、敵を殲滅することではない。敵の殲滅はあくまで目的達成のための手段なのだ。

「何にしても、成功させておくことに越したことはないってことだな」
「その通りです」

 土煙が近づいてくる。一刀の部隊は約二十人。縦に広がって敵部隊を待っていた。一番先頭に近い人間のところに敵部隊が近づく。彼の合図と共に、全員が一斉に動いた。腰を低く走りながら馬に近づき、頃合いを見計らって飛びつく。作戦の都合上一斉にという訳にはいかないが、正体不明の敵に取り付かれた、と敵部隊が気づいて騒ぎ出した頃には、作戦の大部分が終わっていた。

 馬に飛び乗り、短刀で首をかっきる者。取っ組み合いの末に敵兵を地面に落とす者。それに失敗して敵兵と一緒に地面に落ちる者と様々だったが、馬に取り付いた人間は次々と作戦を成功させた。余った人間が乗り手のいなくなった馬を回収に走る。馬の数を数えると……

「九。これは一人か二人足りないか?」
「そのようですね。一番外側を走っていた人間を討ち漏らしたようです」

 郭嘉の言葉に後方を見れば、難を逃れた人間がこちらを振り返りながら馬で駆けていくところだった。まさか軽装の人間に馬を取られるとは考えもしていなかったのだろう。反撃されることを想定していないのだから、一刀の身からしても見通しの甘さが伺える。

 そして、反撃がこれで終わりと考えたのも、如何にも甘い。諸葛亮の考えたフォローその一。一刀たちから僅かに離れて配置してあった護衛部隊が、その一人に一斉に襲い掛かる。騎馬と人間という戦力差はあれど、騎馬と戦う心構えをしていた人間十人に、騎馬一人では心もとない。気もそぞろな所に矢をくらい、あっさりと落馬。その後、殺到した護衛部隊にたこ殴りにされる。馬は乗り手がいなくなってもぱかぱか駆けていったが、それは一刀隊の人間が全速力で走って追いつき、確保した。

 護衛部隊の人間に確保される前に、という行動である。聊か卑しいかとも思ったが、所有権を主張する時、実物が手元にあるに越したことはない。

 結局、こちら側にやってきたのは諸葛亮の予想の通りに十騎ちょうど。馬も十頭、ほとんど無傷で確保することができた。対してこちらの損耗はほとんどゼロ。一緒に落馬した団員が腕の骨を折る怪我をしたが、これも命に別状はない。本人は痛みでのたうち回っているが、煩い黙れと仲間に蹴り飛ばされ大人しくなった。

 さて、後は残りである。こちらとは反対側に回った敵部隊が遅れてやってくる。二手に分かれて車列を周回するならば、大体同じ速度で動いた場合、終点で合流することになる。喧噪に紛れてこちらのことが伝わらなかったとしても、合流すべき場所で味方がいなければ何かあったと思うだろう。

 しかし、彼らはそのまま馬を走らせ。こちら側まで来た。そこで見たのは、既に馬を奪われた味方の姿である。劣勢だ。それを理解した敵部隊の取れる行動は、簡単に言えば二つ。逃げるか、戦うか。奇襲は相手に迎撃態勢が整っていないからこそ生きるのである。

 既に準備万端、待ち構えている上に、既に十騎が打ち取られた。勢いはあちらにあると見るのが自然だ。後方から来るはずの味方も遅れている。劣勢であるのは疑いようがないが、それでは撤収、と素直に言えない事情も敵部隊にはあった。

 ここで撤収するということは、今回の襲撃がタダ働きであることを意味する。しかもこの時点で人員と馬を十ずつ失っていて収穫は何もない。彼らとて潤沢な蓄えがある訳ではない。収入がないということは即ち、それだけ自分たちの未来を圧迫するということだ。

 それでも、勝てる戦か負ける戦か、即断できれば彼らの未来も変わっていた。集団の先頭を走ってた男は結局、撤収することを選んだが、そうするまでにやられた味方を見てから五秒の時間が過ぎていた。

 そしてそれだけの時間があれば、一騎当千の猛者が戻ってくるには十分だった。

 集団の一番後ろを走っていた男の胸に、剣が生える。後方から全速力で走ってきたシャンが、剣を投擲したのだ。振り返り、仲間が討ち取られたことを確認した敵部隊の面々は恐慌状態に陥るが、それで手加減するようなシャンではない。

 走ってきた速度を落とさぬまま地面を踏み切り、一番近い男を蹴り飛ばす。腹に蹴りを食らった男はもんどりうって吹っ飛び、シャンは空いた馬の背を更に蹴って飛び上がる。この頃になると、敵部隊の中にも迎撃しようと動く人間が出てきたが、それも悪手である。

 空中で身体を捻ったシャンは手近な男の頭部を蹴り飛ばし、持っていた剣を奪うと――それを構える間もなく、次の男に投擲する。最初の男がやられたように、胸に剣を突きたてられた男は、自分が負けたことも理解できないまま絶命した。

 血煙が舞う。シャンはそんな中を、無表情に飛んでいた。これは戦闘ではない。もはや一方的な殺戮である。これには勝てない。遅まきにそう悟った敵部隊の中には逃げようという人間も出てきたが、その頃には、馬を奪った味方の展開も完了している。騎馬の敵が有利だったのは、こちらに騎馬がいなかったからだ。

 騎馬という条件が同じであれば、多数の方が有利なのは自明の理である。敵部隊の生き残りは既にシャンの手によって数を減らされた。数の上で有利に立っていて、しかも精神的に風上に立っているのであれば、賊あがりの人間でもそう負けるものではない。

 逃げようとする敵兵を追いまわし、着実に一人、一人と殺していく。その際、一頭だけ馬を逃がしてしまったことの方が、一刀たちにとっては大問題だった。人が乗っている馬とそうでない馬では、当然乗っていない馬の方が速い。ここは危険である。一目散に逃げる馬を捕まえるのは、彼らにとって一苦労だった。

 結局、敵兵の判断の遅れが一刀たちの仕事をスムーズにした。逃げた馬を追って、回収した仲間が戻ってきた頃には全ての戦闘は終わっていた。

「敵兵は、これで全部かな」
「後方の敵は皆殺しにしてきた。馬を纏めるのに時間がかかっちゃってごめんなさい」
「いやいや、一番武者働きをしたのはシャンだ。これで文句なんて言ったら罰が当たるよ。よく頑張ってくれた」

 頭を撫でようとして、シャンが返り血で真っ赤になっていることに気づいた。懐から布を取り出し、せめて顔にかかった血だけはと拭っていく。ごしごしこする一刀を、シャンは薄く笑みを浮かべて受け入れていた。

「北郷殿!」

 やってきたのは商隊の代表者である。顔色は悪いが見たところ怪我はない。前方の護衛部隊がどうにかしてくれたのだろう。

「ご無事なようで何よりです」
「こちらこそ。大変なお手数をかけて申し訳ない。賊を全て討ってくださったようですな」
「まだ岩を投げてきた奴がどうなったのか解りませんが……」

 という一刀の言葉を見計らっていたかのようなタイミングで、廖化と仲間たちが戻ってくる。彼らは麻縄でぐるぐる巻きにした大男を引きずっていた。察するに、彼が大岩を投げたのだろう。廖化たち五人に怪我はなさそうである。諸葛亮の指示通り、安全第一で無力化することに成功したようだった。

「ご覧の通り捕らえました。護衛もいませんでしたのでね、実に楽な仕事でした」
「とりあえず、この者は官憲に引き渡すということでよろしいでしょうか?」
「ええ。御随意に」
「それは助かります。後、物は相談なのですが……」

 馬の交渉を切りだそうとした一刀を『ここは私が』と郭嘉が遮る。ここまで話が進んだのならばここからは軍師の仕事だ。欲しいものは根こそぎぶんどっていくのが郭嘉のやり方である。馬の件はこのまま任せておいて問題ないだろう。

 馬一頭はそれなりの値段で売れる。商人としてもタダで手に入るのならばそれに越したことはないだろうが、人員も含めて全損するはずだったところを助けられたという恩義がある。元手のかかっていないことでそれを少しでも相殺できるのであれば、と交渉は郭嘉が考えていたよりもスムーズに進んだ。

「荷馬車をこの場で復旧するのは難しいでしょう。残りの荷馬車に荷物を全て分散させることは可能ですか?」
「お恥ずかしながら、どの馬車も荷物が満載でして……」
「ではこの荷は置いていくしかありませんね」

 足がないのだから仕方がない。早馬を飛ばして馬車をよこすにしても、馬車が到着するまでにどんなに早くても二日はかかるはずだ。その間、荷が無事である保証はない。最終的に荷物を無事に送り届けるためには、この荷を守る人員が別に必要になる。

 その間も変わらず、商隊の護衛も継続しなければならない。ここの警備に人員を割くということは、その分商隊の警備が薄くなるということでもある。賊は既に撃退したが、賊があれだけとも限らない。一度目があれば二度目も、と考えるのは人間として当然のことである。

「よろしければ、我々が残りましょうか?」
「なんとおっしゃいました?」
「そちらさえ良ければ、我々が残ってこの荷を警備しますと申し上げました。無論、そちらの警備も継続するため人員の大部分はそちらに残します。こちらに残るのはそちらの北郷と徐晃、それから諸葛亮の三名のみです」

 それならば、と商人は考えた。一刀たちの力量を彼もよく把握している。賊を撃退した手腕は見事だが、その大部分を成したのは徐晃の腕っぷしである。それが商隊から離れるのは心細いが、人員のほとんどは残る。元々彼らは警備には含まれていなかったのだ。義理は大いに果たしていることになるが……

「こちらからも三人残します。それでもよろしければ……」
「無論です。お聞き入れくださり、ありがとうございます」

 信用しきってはいませんと宣言されたに等しいが、それくらい警戒するのも当然のこと。郭嘉も態々頭を下げて商人の対応に感謝した。こうして予定の一つの通りに、一刀たちは二つに分けられることになった。商隊に残る部隊を郭嘉が、荷物を守るために残る方……と言っても、実働部隊は実質シャン一人だが、その指揮を諸葛亮が執ることになった。

 賊に襲われたような場所に、長居はしたくない。手早く荷物をまとめた商隊は、既に出発の準備を整えていた。
郭嘉を中心とした一刀団は、それぞれの馬車に再分配されている。

「後は頼みましたよ、諸葛亮」
「お任せください」

 簡単な引き継ぎだけで、郭嘉は諸葛亮に後事の全てを託した。頭の良い人間というのはやり取りも少なくて済むものらしい。一刀も含めて事前の打ち合わせをしたにはしたのだが、それでもまだ不安な一刀を尻目にてきぱきと作業は進められ、郭嘉たちは商隊について出発してしまった。

 後に残されたのは一刀とシャン、諸葛亮と商隊が残した三人の護衛のみである。約三十頭の馬も郭嘉たちが連れていってしまった。

「…………しかし、まさか最上の予想が大当たりするとはな」
「郭嘉さんは凄いです」
「諸葛亮だって鳳統と一緒に話を詰めただろ? 俺からすれば二人も十分過ぎる程凄いよ」

 一刀としては素直に心情を吐露したつもりなのだが、諸葛亮からすると過剰な褒め言葉であったらしい。そんなことは! とぶんぶん腕を振りながら後ろに下がり、足をもつれさせて一人で転んだ。控えめな性格の割に短いスカートの中身が見えそうになるが、紳士の義務として視線を逸らす。

「大丈夫か?」
「うぅ……ご迷惑をおかけしました」

 頭をさすりながら諸葛亮が立ち上がる。その間、シャンはせっせと郭嘉や廖化から聞いたことを木簡に書き留めていた。攻めに攻めた服装のセンスをしている割りに、シャンは字が上手い。

 それ以外の残された護衛隊の人間は、既に気を抜いている様子である。賊に襲われたらその時はその時、と考えているのだろう。シャン一人いれば大抵の賊は撃退できるし、それでもどうにもならない規模の敵がもし現れたら、ケツをまくって逃げれば良い。雇い主から離れて仕事ができると思えば、休暇を貰ったようなものだ。

 一刀もそのつもり、という風で護衛部隊の面々に気さくに話かけ、彼らの気を引きつける。その間に、シャンは動いた。こちらから見えるかもしれないギリギリのところに、人影があるのが見えたからだ。走って寄ればそれが仲間の団員だと解る。商隊の斥候にもばれないように、十分に距離をとって追いかけてきたのだ。団員はシャンを見ると頭を下げる。

「郭先生の予想が当たったようで」
「首尾は上々。これに場所が書いてある。風に渡して」
「了解」

 一礼すると、男は足早に去っていった。男が向かう先にいるのは一刀団の本隊である。彼らはこれからシャンの渡した情報を元に、賊の本拠地を襲撃する手はずとなっている。その指揮を執るのは風と、居残っている鳳統の二人である。

 盗賊というのは基本、本拠地を空にはしない。そして本拠地には多かれ少なかれ、ため込んでいるものである。賊が出たということは、徒歩や馬で遠くても三日以内に移動できる距離に本拠地があるということでもあった。商隊が襲われたということは、同時に本拠地が近くにあるということ。

 ならば物のついでに、本拠地を襲ってみよう。稟が立てたのはそういう計画だった。無論、悪条件が重なれば空振りもあるし、全くため込んでいない可能性もある。収支が+になるかは現場を見てみない限り解らなかったが、空振りなら空振りで行軍練習だと思えば良いと、稟は随分前向きに計画を立てた。途中で賊に襲われれば良し。そうでなければ普通に護衛して顔を売るだけの話である。少なくとも懐は痛まない。

 果たして、賊は襲撃してきた。廖化たちは生き残った男を戻ってくるまでの間に適当に締め上げ、こっそりと本拠地の場所を聞きだしていたのだ。今回の強襲が失敗したと知れれば賊はアジトの場所を移す可能性が高い。本隊はそうなる前に逆に強襲をかけ、ため込んだモノを根こそぎ分捕らなければならない。後は時間との勝負だった。









目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第019話 二つの軍団編①











 最近、親友がつれない。決して冷たくなったり距離を置かれている訳ではないのだ。ただ、今まではお互いが一番――と少なくとも朱里はそう思っているし、彼女もそう思ってくれていると思っている――のに、最近はどうもそうではなさそうな気配をひしひしと感じ取っていた。

 一刀団。北郷団。呼び方は安定しないが、団員たちは皆どちらかの名称で自分たちのことを呼んでいる。そんな団に雛里と共に研修生として加わって、あっという間に半年の月日が流れた。団に入る流れを作った灯里は仕事でいたりいなかったりと忙しい。まだ仕官していない彼女は、朱里たち全員の恩師である水鏡先生に使われ、各地の情報収集と使い走りを行っている。灯里程の才媛がする仕事ではないと思わないでもないが、彼女くらいに信頼のおける人間でないと各地の情報網の調整は行えないらしい。

 つい最近まで、水鏡学園では在校生、卒業生の全てを対象にした考査が行われていた。最も諜報活動を指揮するに優れた者は誰か。その考査で灯里は最終候補の一人にまで残ったという。最後の一人になれば学院の情報網の中から人員を譲渡されるという破格のご褒美が貰えたのだが、水鏡先生も含めた教師陣の長い議論の末、灯里は負けてしまった。

 結局、その栄誉に預かることになったのは、灯里や朱里の後輩で、まだ学園に籍を置いている在校生である。目つきが鋭く口の悪い、何かと他の生徒と衝突することの多い女性だが、何故か朱里と雛里には優しい変わり者だ。彼女の方がいくつか年上だが、それでも朱里たちを先輩と呼び随分とへりくだって接してくれた。

 彼女は元気にしているだろうか。卒業してから手紙のやりとりもままならない。いつか時間を見つけて話をしてみたいと思うが、それはいつになるのだろうか。学生の頃も時間が足りていると思ったことは一度もないが、卒業してからはその比ではない。

 何しろ自分以外の人員の命を実際に預かっているのだ。その重圧は半端な物ではなく、事実最初の頃は雛里と一緒に体調も崩した。今は何とか先輩の軍師に倣って仕事ができるようになり、団員たちにもどうにか認められ始めている。雛里と一緒ではなく一人での仕事にも慣れてきたところだが、同時に人員配置にも偏りが見えるようになっていた。

 基本の構成は郭嘉と程立、徐晃と太史慈、自分と雛里の三組からどちらか一人ずつの計三人に兵が付く。仕事は商隊の護衛か、賊の討伐。どちらに誰が配置されるのかはその時々で、配置を決めているのは郭嘉である。

 その配置に寄ると、雛里が盗賊の討伐に配置されることが極めて多く、しかもその時には大抵一刀が一緒に行動する。一刀が賊討伐に回されるというのは解る。彼は団の代表で、郭嘉としては最も経験を積ませたい人間で、顔と名前を売らなければならない人間である。普通ならば何かあっては困ると安全策を取るのかもしれないが、自分の主の教育方針に関して、郭嘉という軍師は妥協することをしないらしい。

 雛里が討伐に回されるのも解らないことではない。元より軍略に秀でている彼女は、兵を動かすことでこそその感性が磨かれる。長所を伸ばすか短所を補うかは教育する人間それぞれだろうが、郭嘉は既に雛里の得意分野を見抜いている節がある。もしかしたら雛里と二人、願掛けとして仕込んだ秘密にもとっくに気づいているかもしれない。

 それはそれで大問題だが、目下の問題は親友のことだ。必然的に一刀と一緒に行動する機会の多い雛里は、それだけ彼と親睦を深めている。最近まで女子校という男性のいない環境で勉学に打ち込み、入学までも接した男性と言えば家族親類くらいの雛里にとって、北郷一刀というのは久しぶりに出会った、比較的自分に近い年齢の他人の男性である。

 特別感を憶えるのも無理はない……と思わないでもないが、それでも親友が自分に向ける笑顔よりも五割増くらいのかわいらしい笑顔を、一刀に向けているのが面白くない。このまま行けば、一刀はきっと条件を満たすことになるだろう、と朱里は感じていた。郭嘉が察しがついているくらいなのだ。一刀も秘密にはいずれ気づく。

 その時、自分と雛里の間の『熱』に隔たりがあることが、後々の問題になったりはしないだろうかと朱里は心配していた。朱里も、一刀のことは嫌いではないし、むしろ好ましいとさえ思っている。気持ちの整理がつかないのが、親友が自分よりも彼のことを優先しているように思えているからのみだ。

 能力面で不安が残るが、それはいずれ時間が解決してくれるだろう。何より、郭嘉と程立という希代の軍師と徐晃と太史慈という猛者が既に仲間にいるというのは大きい。名前の売れていない勢力に、よくもここまで人が集まったと思うが、それも天運、天命と言われれば納得できる。

 いずれ彼に共に仕える。それは別に悪いことではないのだが、朱里は何故だか胸騒ぎを憶えていた。その理由は杳として知れないが……

「そのかわいくも切ない顔は、親友と道が分かたれることを心配している顔だね」
「灯里先輩……」

 学園時代からの、最も頼りになる先輩が笑みを浮かべてそこにいた。自分たちよりも前の世代で最も優秀であると評される才媛は、在学中から多くの生徒の信頼を集め相談に乗っていたらしい。水鏡先生や教師陣も勿論相談に乗ってくれるが、年齢が近いからこそ話せることもある。実質的に、灯里は生徒たちのまとめ役だった。

 誰か一人、どこかの集団へと腰を落ち着けることはない。基本、満遍なく色々な生徒と関わっていた風ではあったが、その中でも自分たち三人と一緒にいることが多かったような気がするのは、気のせいではないだろう。自分と、雛里と、灯里と、彼女。四人で政策について、軍略について議論を交わしたのも昔のことのように思える。

「君たちの誓いのことは僕も知ってるよ。できうる限り応援してあげたいとも思うけど、それは君たち二人の意見がきっちり揃っていたらの話だ。僕の見る限り、雛里の気持ちは結構傾いているように見えるね」
「うぅ……」

 朱里の口から悔しそうな呻き声が漏れる。灯里の目から見てもそう見えるのならば、本当にそうなのだろう。灯里は人をからかって遊んだりはするが、悪質な嘘を吐いたりはしない。真実を告げることでからかっている可能性も十分にあるが、現状、朱里にとって重要なのは灯里の分析の中身であって彼女が何を考えているかではない。

「まぁでも、現時点で仕えたい主君がいるって訳じゃないんだろう? それなら雛里に合わせるというのも友情を守る手ではあると思うよ。朱里も一刀が乗り気ではないって訳ではないみたいだし」
「それはそうなんですが……」

 この規模で軍師猛者がこれだけ揃っているのは破格の好条件である。頭数が少ないことが問題ではあるが、それは金銭や時間で何とかできる。自分の将来まで含めて打算的に考えるのであれば、将来有望な若い男性で煩い親戚も支援者もいない、あるいは少ないというのは、いずれその『隣に立とう』という女性にはこれまた破格の条件である。

 有力な武将には女性が多く、彼女らのほとんどは家を代表しているが、その家と仲良くしようと考える権力者にとって、相手は女性であるよりも男性である方が遥かに都合が良い。胎は一つ。種が間違いなくこちらの物であっても奪われてしまえばそれまで。しかし、胎がこちらにあれば種は最悪違う人間のものでも良い。

 朱里自身にそのつもりは今のところないが、実家が何も言ってこないとは限らない。これから出会う中でそう思う権力者も数多くいるだろう。自分が主と仰ぎ見る人である。売りこみ易い要素は多いに越したことはないし、自分自身、好けるあるいは都合の良い要素は多い方が良い。

 北郷一刀に不満はない。むしろ好意的に思っているところの方が多い。それでも、朱里が仕える人を一刀と決めることに抵抗があるのは、親友の雛里が彼にかわいい笑顔を向けているからだ。一言で言えば嫉妬である。論理的でないと解っていても、すぐに割り切れるものではない。

 そんな朱里を見て、灯里はうんうんと頷いている。学院にいた頃は学問に傾倒していた節があり、人生を楽しむことをそれほどしてこなかった。自分は相当遊んでいた方だと思うが、それでも学生時代にもっとやるべきこと、やっておきたかったことがあったと、国中を飛び回るようになって初めて気づいたものだ。

 今、後輩2人は他人のことで思い悩み、学問以外のことに目を向けている。良い兆候である。これで一つ二つ喧嘩でもして、お互いの友情を育んでくれたら先輩としてこれ以上のことはないのだが、さてどうなることか。後輩たちにとって良い方向に向かってくれるよう期待を込めて、灯里は朱里の肩をぽんと叩いた。


「まぁ、友情よりも愛情とも言うしね。君が選んだ主君よりも一刀の方が良いと雛里が言っても、決して責めてはいけないよ」
「先輩のばか!」























 先の商隊長を盗賊から守った一件で、一刀たちは名を挙げることになった。聊かできすぎではあるが、これも郭嘉の目論見の通りである。名前の売れた後は、こちらから営業をかけなくても仕事が入ってくるようになった。

 一刀団は二班に分かれて行動している。

 何か予定外のことがあった時、敵を皆殺しにできるだけの腕っぷしを持っているのが、今は梨晏とシャンしかいないからだ。保険の数、即ち部隊の最大数である。それに軍師が一人と兵が二、三十というのが護衛に駆り出される時の基本の編制である。

 それ以外の人員も遊んでいる訳ではない。当初の予定の通り、賊を見つけて叩き潰すという企画のため、賊がいるという情報のあった場所に急行しては、完膚なきまでに叩きのめして蓄えを根こそぎ分捕っていく。

 しばらくすると噂が広まり、一刀団が近づいているという情報が伝わると賊が逃げるようになったが、入念に下調べをしておいた軍師たちは、その逃走経路もしっかりと予測している。ここまで逃げれば大丈夫と賊が安心した瞬間、周囲に兵がわんさか湧く光景は、彼らにとっては悪夢と言って良いだろう。

 戦利品は通り道の村々に五割強ばらまいてしまうが、それでも恩賞と合わせると十分にプラスになる。事業として着々と成長していた。その内盗賊がいなくなるのではと思うが、世が乱れている影響だろうか、討っても討っても賊は湧いてきていた。

 郭嘉の予定では、こうなるのはもう少し先のことだった。いくら腕が良くても、それを発揮できる場はいつもある訳ではない。名前を売るためには、目に見える形で賊を討ってやる必要があったのだが、初めての仕事でいきなり、しかも依頼主と荷物を守るという最高の形で行きあたることは、神算の士と名高い郭嘉でも見抜くことはできなかった。

 恐ろしいことに、この半年の間の一刀団の死者はゼロである。重傷者こそ何人か出たが、全員命に別状はなく、回復次第復帰することになっている。これを含めた実績によって、団員も増えた。この時代、兵士の命はまさに一山いくらである。死ににくい上に結果を出しているというのは、兵として働きたいと潜在的に思っている人間に対して十分なアピールポイントになるのだ。一刀が説法の真似事をして勧誘したケースもあるが、多くは志願者である。

 二百名で始めた団が、今は三百にまでなった。経歴は様々だが、基本的に食い詰めた人間がほとんどである。出自や経歴に差はほとんどない。出身などで差別があったらどうしようと不安に思っていた一刀だったが、今のところそういう問題は起きていなかった。

 軍規もある。きちんとした給料も出る。小規模ではあるが、一刀団はもはや軍隊だ。学がなく、身体一つでどうにか生計を立てたいという人間には、それなりに魅力的な職場と言えるだろう。

 そんな風に団が軌道に乗った頃、狙い澄ましたように仕事が舞い込んできた。大商会の紹介である。一刀たちと同様に賊を討っている他の集団と合同で、賊軍を討伐してくれないかというものだった。

 そこまで大規模であれば官軍が出動してもおかしくないのだろうが、既に民草や商隊に大きな被害が出始めており、上を待っていたら手遅れになると近隣の商人たちが集まって金を出すことにしたらしい。金を出す以上、人員の選定は慎重に進めなければならない。熟慮に熟慮を重ねた結果、一刀団ともう一つに白羽の矢が立ったとのことだ。

 依頼を持ってきた郭嘉から説明を受けた一刀は、僅かに思考した後に渋面を作った。

「俺たちだけって訳にはいかないのか?」
「数が増えたとは言え、今回の敵は我々の総数よりも多いようですからね。味方がいるに越したことはありません」

 それなら仕方ないな、と一刀はすぐに納得した。初見の相手と連携ができるか不安であるというのもあるが、頭数が増えると単純に取り分が減ることを心配したのだ。商人から依頼料が出るとは言え、ため込んだお宝を分捕る機会もそれなりにあるだろう。それをふいにすることは、弱小団である一刀たちにとっては、できれば避けたいことだった。

 郭嘉と顔を突き合わせているのは、幕舎とは名ばかりの粗末なテントである。一刀が使っているのは『個室』で一人部屋として使っているが、これは団の中で一刀一人だけの特別待遇である。ヒラ団員は八人くらいで一つのテントを使っているし、郭嘉たち幹部でも二人一組で使っている。郭嘉は程立と、梨晏はシャンと同室だ。こういう特別待遇は逆に肩身が狭いと苦情を言ったら、郭嘉はしれっとこう言った。

『別に貴殿に配慮した訳ではありません。会議をする時、一々どこでやるのかを決めるのも面倒と思っただけです』

 常にスペースに余裕のある、人の出入りの少ない場所が欲しかっただけというのが郭嘉の言い分である。気の回し方も郭嘉らしい、と苦笑したのも少し昔のことのように感じる。幹部だけでなく、一刀に何か話がある時、団員たちは一刀の幕舎まで足を運んでくる。今日の郭嘉は一人だ。外部との折衝は主に郭嘉が担当している。まず最初に彼女が話を聞き、取り次ぐに足ると思ったら一刀の所まで話を持ってくる。

 一応、伺いを立てるという形を取っているが、一刀の所まで話を持ってきたということは、郭嘉としては受けて問題なし――もっとはっきりと言えば、受けろ、ということである。郭嘉の類稀な頭脳をして、収支がプラスになると判断したのだろう。ならばもはや、一刀に反対をする理由はない。

「ちなみに敵の数は?」
「五百から六百という話です。今回共に戦うことになっている軍団はおよそ六百と聞いていますから、それなりに有利に戦うことができますね」

 討伐対象の賊軍と、今回の味方がほぼ同数ということだ。おそらく、最初はそちらにだけ依頼をするつもりだったが、後になって不安になったのだろう。同数であればよほどの戦力差がない限り、人的被害が多く出る、一刀たちは、言うなれば傭兵団である。戦死者が出ることも仕事の内とは言え、後々まで仲良くしたいのであれば、人死は避けておきたい。利に聡い商人のこと。余分な出費などビタ一文も払いたくはないのだろうが、未来への投資とでもして、自分たちを納得させたらしい。

 数字の上では、一刀団が合流した分だけ勝っていることになる。欲を言えばもう少し欲しいところだが、今回の作戦が商人が身銭を切ることで成り立っている以上、これ以上の戦力増強は望めない。スポンサーがこの人数で戦えというのなら、この人数で戦うしかないのだ。

「味方の軍団は信頼できるのか?」
「我々と同業のようです。実績、名声共に申し分ありません。団長とその妹分は、一騎当千の猛者と評判です」
「猛者がいて六百ならそいつらだけで何とかなった可能性も大いにあるな。俺たちを邪魔に思ってたりしないか心配だな」
「その辺りは相手の反応を見て考えるのが良いでしょう。そろそろこの団を吸収してやろうという人間が現れてもおかしくはありませんからね。注意してください」

 郭嘉の言葉に、一刀は溜息を吐いた。勢力拡大を狙っているのは、一刀たちだけではない。盗賊は討っても討っても後から湧いてくるが、同様にそれを討伐することを生業とする者たちも、盗賊団程数は多くないが成立している。それらが解散壊滅することはあっても、勢力として無事な内に合流することはあまりない。

 誰でも主導権は握りたいのである。一緒にやろうと言うのも、実際行動に移すのも簡単だが、末永く仲良くやろうとすると途端に問題が生じる。それを取りまとめるには何か、他の連中にない特別な要素が必要だが、一刀たちには軍師と猛者という他にはないカードがあった。

 向こうにも一騎当千の猛者がいるという強力なカードがあるようだが、こちらには更に素敵な軍師たちがいる。話の持っていきかた次第では、あちらを吸収できるかもしれない。団を結成して以来、最も大きな飛躍の可能性に一刀の心も踊ったが……

「なるほどな。ちなみに向こうの代表者の名前って知ってるか?」
「確か、関羽。字は雲長といったかと」

 一刀は郭嘉から視線を逸らす。何だか無性に、雄大な海が見たくなった。 








目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第020話 二つの軍団編②













 関羽団と初顔合わせの日。団の代表として、一刀は会合の場に向かっていた。同道するのは護衛として梨晏。軍師として諸葛亮である。てっきり郭嘉がついてくるものだと思っていたのだが、これも勉強と郭嘉の判断で諸葛亮がついてくることになったのだ。

 研修という名目で預かって早半年。2人は既に団の一員と化している。鳳統よりも諸葛亮と一緒に仕事をする機会が多く、当初よりもかわいらしい笑顔を向けてくれるようになった。鳳統と同様、団に残ってくれると嬉しいのだが、現代で言えば超名門校出身の首席卒業者を、零細ベンチャーが誘うようなものである。引く手数多な才媛であることは解りきっているから、どうも声をかけにくい。本人たちの、特に諸葛亮の感触は悪くないと思うのだが、中々上手くいかないものである。ちなみに元直はいたりいなかったりだ。学院の仕事は忙しいらしい。

「先方がお待ちです」

 会合の場は、依頼者の代表である大商人の店、その会議室を使わせてもらうことになった。スポンサーである商人たちは同席しない。今回は複数の商人が連名で依頼を出してきた。会議室を使わせてくれている大商人はあくまでその代表であり、集団の決定権を持っている訳ではない。

 下手に口を出して責任問題に発展するのが嫌なのだろう。お前が口を出したせいで負けた、という流れになってしまえば、他の商人から攻撃される格好の材料になる。功績も失敗も、全て当事者が負う物とする。一刀たちだけで決めて一刀たちだけで動く背景には、そういう商人たちの思惑があった。

 さて、相手よりも先に来るつもりで三十分は早く会場に着いたのだが、相手は更に先に来ていたらしい。出鼻を挫かれた形になった一刀は、案内役の青年について歩きながら、心中で『関羽』について考えていた。

 関羽。字は雲長。三国志の主役級の一角、蜀を治めた劉備に仕えた人物であり、三国志を代表する武人でもある。劉備、張飛とは義兄弟であり、中華街などによく祭られている。それ以外は見事な髭を蓄えていたくらいしか情報がないが、今までのことを考えるに最後のヒゲは役に立たない情報である可能性が高い。使える情報はほぼ名前だけだ。

「一刀さん、緊張していらっしゃるようですが」

 考え事で立ち止まっていると、諸葛亮にまで心配される始末である。名前しか分からない以上、現時点でできることは少ない。本当にまだ売り出している途中のようで、情報もほとんど集まらなかった。郭嘉が持っていた情報でほぼ全て、というのだから関羽と言えどまだ新人なのだろう。誰にでもそういう時期はあるものだが、関羽が新人というのも違和感のある現代人である。

 さて、と一刀は自分の頬を指で動かしてみた。そんなに緊張しているように見えるのだろうか。むにむにと動かしていると、隣の梨晏が手を伸ばしてきた。頬をつまんで上に下に伸ばしてくる。笑顔の梨晏に、緊張した様子は全くない。

「大丈夫だって団長なら。私も諸葛亮もついてるよ」
「それは理解してる。二人とも、凄く頼りにしてるよ」

 ただ、相手が『あの』関羽だから、とは口にできない。まだ名前の売れていない人間をどうして警戒することができるだろうか。思い返してみると、知っているかと方々に聞いてしまった名前の中に関羽も張飛も入っていた気がするが、今はそれは考えないことにする。

 名前のパターンが少ないらしいこの世界でも、字まで含めて一致すれば別人ということはないだろう。つまり今回の関羽はあの関羽である可能性が高い。後の英傑であるのならば仲良くしておいて損はないが、そうなると疑問が一つ湧いてくる。

 劉備は一体、どこにいるのだろうか。

 一刀の記憶では劉備と関羽は割りと最初の頃からつるんでいたような気がするし、劉備が関羽の風下に立っていたという記憶もない。劉備の名前が自分の耳にまで聞こえてこないというのは、どういうことだろう。

 関羽とまだ接触していない。あるいは接触しているけど存在を隠したい事情がある。そもそもこの世界には劉備が存在しないか。関羽も曹操も諸葛亮もいるのだ。劉備だけいない理由は一刀には思いつかなかったが、全員集合していると誰に保証されている訳でもない。いるいないと、情報がない時点で決めてかかるのは危険である。
 
 一刀の数少ないアドバンテージは、世に出る可能性の高い人間を少数ではあるが知っていることだ。既に世に出ているならばともかく、出ていないならば、これを狙って釣り上げることができる……かもしれない。これでこの世界における英傑の容姿や出身地など知っていれば無敵だが、生憎と知っているのは名前だけである。かろうじて身体的な特徴を知っているケースでも、女性になっていた場合、関羽のヒゲなど共通していない可能性が高い。

 劉備の特徴というのも、耳が大きいらしいというくらいしか知らない。まさか耳の大きい人間を全て勧誘するという訳にもいかないし、これでこの世界の劉備が普通の耳をしていたら笑い話にもならない。結局、中途半端な知識では参考程度にしかならないが、何も知らないよりはマシだろうと無理やり良い方向に考えることにして、一刀は会議室の扉を開けた。

 大商人が気を使ってくれたのだろうか。会議室は一刀が思っていたよりもずっと広かった。中央にあるテーブルの片側に、二人の少女が座っている。彼女らは一刀が入ってきたのを見ると、椅子から立ち上がった。その内背の高い方の少女の黒髪が、動きに合わせてさらりと流れた。

 おそらく彼女が関羽だろう。道中で集めた話の中で、黒髪というのがあったからおそらく間違いはない。関羽というからもっといかつい女を想像していたのが、普通に美少女だ。緑を基調とした服にミニスカート。それにニーソックスを合わせているのは、一刀の基準で言うと中々あざとい服装ではあるが、無遠慮に視線を向けるのは憚られる理由が、少女らの背後にあった。

 武器は預からなかったのだろう。少女らの背後には、一目で重量物と解る武器が、二つ立てかけられている。ただ持ち上げるだけでも一苦労だろうに、ここまで持ってきたということは彼女らはこの武器を普段使いにできる程度には使いこなしているということである。

 この細い腕のどこにそんな力が……とも思うが、それはシャンの時に通った道だ。英傑になると定められているような才能を持った少女には、見た目に合わない力が備わっているものだ。納得はいかないが、事実であるのだからしょうがない。

 人間、初対面が肝心である。武器にも足にも目を向けないようにして、努めて笑顔を浮かべた一刀は少女二人に向かって一礼した。

「はじめまして。私は北郷一刀。姓が北郷で名が一刀です。田舎の生まれでして、字と真名はありません。こちらが太史慈と諸葛亮になります」
「二文字姓が三人も並んでるのだ……もしかしてお兄ちゃんの団は、皆二文字姓なのか?」
「鈴々!!」

 単純に疑問に思った、という体で赤毛の少女が問うてくる。子供からすればもっともな疑問だが、会談の場でいきなりするような質問でもない。早速関羽から怒声が飛ぶが、赤毛の少女はどこ吹く風である。一しきり赤毛の少女を怒った後、関羽は心配そうな顔を向けてきた。機嫌を損ねてはいないだろうかと心配している風であるが、今さらこの程度でイラだったりなどしない。

 無駄に関羽を心配させないよう、一刀は殊更に笑みを浮かべて、応えた。

「ああ、確かに珍しいですね。ですが、これは意図したものではありません。団でも、二文字姓なのはこの三人だけですよ」
「そうなのかー。あ、鈴々は張飛。字は翼徳なのだ。で、こっちが――」
「何故お前が私の紹介をするんだ……」

 一刀が機嫌を損ねていないと解って安堵した様子の関羽は、姿勢を正して深々と頭を下げた。

「義妹が失礼をいたしました。私は関羽。字を雲長と申します」

 ただの自己紹介であるが、ここで張飛に少し変化が起こった。関羽のことを、不思議そうな顔で見上げている。何か想定外のことがあったという顔である。今のやり取りのどこに、と思うがまさか直接聞く訳にもいかない。関羽もその視線に気づいていないようである。

 これで関羽もしまった、という顔をしていたらいよいよ一刀も何かあったのかと本気で考えなければならないところだったが、関羽の反応を見るに大したことではない、と思うことにした。小さく咳払いをして気持ちを切り替え、差し出された関羽の手を握り返す。

 関羽に促され、着席する。こちらは三人で相手は二人。

 人数の上で優位に立っている上に、こちらには軍師役までいる。関羽は意外にインテリであると小耳に挟んだこともあるが、まさか諸葛亮よりも頭が回るということはないだろう。一刀としては頭脳労働担当の人間を伴うのは当然のことなのだが、相手方にいないのを見るとどうにも、自分が仲間におんぶにだっこをしているような気がしてならない。

 何も話さない内から微妙に恥ずかしい思いをしている。根本的なところは諸葛亮が話を詰めることになっているが、精神的に風下に立っていても良いことはない。流れを変えよう。そう思った一刀は、機会があれば聞こうと思っていたことを、最初に切り出した。

「失礼。貴女方義姉妹は三姉妹とお聞きしたのですが、もうお一方はどちらに?」

 この言葉に、関羽と張飛は顔を見合わせた。その顔にあるのは疑問一色である。これで何か隠しているのだとしたら中々の役者だが、少なくとも一刀の目にはそうは見えなかった。現時点で、義姉妹はこの二人だけである。一刀はそれを確信した。

「失礼しました。きっと、情報が間違っていたのでしょう。見当違いのことを言って、申し訳ありません」
「構いません。情報が間違っているということもあるでしょう」

 一刀が中央。諸葛亮が右側に座り、梨晏は左側である。腰に下げていた剣は、関羽たちにならって壁に立てかけておくことにした。お互い武装していないので条件はイーブンと、建前上はそうなるのだろうが、あちらは関羽と張飛である。対してこちらは梨晏が強いものの、一刀は普通の兵と変わるところがなく、諸葛亮にいたっては剣を持ち上げるのにも難儀する始末である。

 いざ荒事になったら不利は否めないが、先ほどの応対を見るに二人とも誠実な人柄ではあるようだ。よほど怒らせるようなことでもない限り、武器を手に取ったりはしないだろうと安心する。

「どうして我々と共同で?」
「方々で北郷殿のお噂を耳にしました。それで、共に戦ってみたいと常々思っていたのです」

 型通りの答えである。そう答が返ってくることも予想済みだ。一刀団の筆頭軍師である郭嘉は、関羽からのこの提案の目的を、戦力の取り込みであると決め込んでいた。

 一刀たち三百は多いとは言えないが、統率の取れた人員というのはそれだけで魅力がある。訓練の時間を短縮できるのだ。それだけ戦場に出すまでの準備期間を減らすことができるし、即時投入が可能であれば言うことはない。

 関羽団の方も一刀たちよりは多いが、各地の群雄に比べると多いとは言えない。この時勢だ。特に野心的な人間でなくても、戦力の増強を考えるのは当然である。

 だが話を聞いてみた限り、関羽の言葉に裏はないように思えた。本当にただ協力して戦ってみたいだけなのではと一刀は考え初めていたが、郭嘉に釘を刺されたことを思い出す。特に相手方が女性である時、直感にのみ従って判断をするなと。思考が傾きそうになっていることに気づいた一刀は小さく息を吐き、隣の諸葛亮を見た。

 やはりベレー帽がイマイチ似合っていないちびっこ軍師は、一刀の視線を受けて小さく、しかし力強く頷いてみせた。最近、この小さな身体にも貫禄が出てきたような気がする。元より、こういう交渉事になると相手が強硬論を唱えでもしない限り、一刀に出番はない。

 基本、諸葛亮他軍師が交渉を進め、たまに視線を向けられた時に良きに計らえ、的なことを言うのが一刀の仕事である。本格的な交渉をしている訳でもない。スポンサーは急げと言っている訳だから、明日明後日には双方全ての団員が一同に集まり、当日の作戦を練ることになるだろう。

 今日は本当に見合いのようなものだ。話がまとまりさえすればそれで良い。相手に良い印象でも与えられれば更に良いのだが、女の笑顔ほど男を惑わすものはないと一刀は良く知っている。

 確かに笑顔は魅力的だが、一刀の周囲にいる女性は笑いながら大の男を纏めて吹っ飛ばすし、笑いながら悪夢でも見そうな程の課題を押し付けてくる。油断してはならない。

 結局その日、一刀たちは当たり障りのない会話をし、再会する日取りを決めて、大商人の店を離れた。元よりすぐに出動できるように準備はしている。商人たちから指定された日程は、一刀たちからすれば余裕のあるものだった。それはあちらも同様だという。既に準備を進めており、後は現場に向かうだけとのことだ。

 関羽たちと別れ、自分たちの陣まで向かう途中である。その両側を、少し遅れて梨晏と諸葛亮がついてくる。関羽と張飛のことについてしばらく考えていた一刀だったが、結局まとまらなかったので、考えることはやめにした。陣地まで戻れば、幹部全員に今日の印象を話すことになるだろう。簡単ではあるが、関羽と張飛の対策会議を開催する予定なのだ。深く考えるのはその時で良い。

 肩越しに背後を振り返ると、諸葛亮が早足になっているのが見えた。考えごとに集中していて、気づかなかった。身体の強い梨晏は歩く速度くらいどうってことないが、諸葛亮はそうはいかない。何もないところでも転ぶことがある諸葛亮を、早足で歩かせるのも忍びないと思った一刀は、歩調を落とした。後ろではなく、並んだことに諸葛亮は自分が配慮されたことに気づいた、縮こまる。

 謝るつもりだ。そう感じた一刀は、諸葛亮が口を開く前に彼女の手を取り歩き出す。自分が好きにやっていること、君が気にすることはない。言葉にはしなかったが、賢い諸葛亮のことだ。何を言いたいのかは伝わっただろう。諸葛亮から、礼の言葉はない。その代り、小さな手でぎゅっと手を握り返してくる。

 ちらりと視線を向ければ、諸葛亮は顔を真っ赤にしてうつむいていた。ベレー帽を目深にかぶって、視線を合わせないようにしている。恥ずかしがっている時の癖である。

「団長ー」

 恨みがましい声に目をむければ、梨晏がジト目で睨んでいた。ん、と小さく唸って左手を差し出してくる。何を要求しているのかは一目瞭然だった。一刀が苦笑を浮かべて右手を差し出すと、梨晏は花が咲くような笑みを浮かべてその手を取った。

















「あのお兄ちゃんを仲間に引き込むって言ってたような気がするんだけどな」

 一刀たちが去り、二人きりになったところで鈴々は口を開いた。当初の予定では共に戦う利を説き、できることなら団をまるごと仲間に引き込む予定だった。それを提案したのは愛紗であり、誰よりも団の中で乗り気だったはずなのだが、結果はご覧の通りである。

 今日の愛紗の振る舞いは予定とはかなり違っていた。相手の代表に問題があるようならこの話はなかったことにするとも聞いていたが、鈴々の目から見て彼に問題があるようには思えなかった。愛紗の胸や足にちらちらと視線が行っていたが、鈴々だって目が行くものなのだ。男性ならば当然だろうと思いなおす。

 話を進めても問題ないと思うのだが、愛する義姉は違う判断をした。加えて態度が、不自然なまでに軟化している。愛紗は団の代表であり、鈴々を含めて団員全員には代表としての態度で接する。当然、敬語などは使わない。

 一緒に仕事をする相手とは言え、目上の人間ではない。団員の数もこちらの方が多いし、実績も勝っている。相手を下に見る必要はないが、見上げる必要はもっとないはずだ。にも関わらず、愛紗の態度はまるで自分の主人に対するもののようだった。

 普段の愛紗を知らない人間には、ただの物腰の穏やかな人間に見えただろうが、同じ団の人間には愛紗の行動は不可解に見える。仲間に引き込むという話をおくびにも出さなかったことも含めて、鈴々は今回の会談にいくつも疑問を持っていた。

「高い志を持っておられるように感じた。顔合わせの日に、いきなりそういう話をするのも失礼なのではと思いなおしただけだ」

 対して、愛紗の答えは実に尤もらしい。まるでこの話はするな、とでも言いたげな義姉の頑なな態度に、鈴々ははっと閃いた。

「……もしかして、あのお兄ちゃんのこと気に入ったのか?」

 その言葉に対する、愛紗の反応は劇的だった。顔を真っ赤にして振り向き、鈴々を怒鳴るのかと思えば、結局何も言わないままに唸り声を上げるだけに留まる。自分でも、どうするのが正しいのか、自分が何を言いたいのか理解できていないのだ。はっきりと混乱している愛紗の様子に、鈴々は相好を崩す。愛する義姉の、こういう態度を見るのは、鈴々にとっても初めてのことだった。

「そーか、そーか。愛紗にもついに春が来たんだなー。ああいう優男が好みとは、鈴々も知らなかったのだ」
「好みとか、そういう話ではなくてだな――」
「別にお兄ちゃんの子分になったところで、鈴々は怒ったりしないよ? 皆も同じことを言うと思うのだ。愛紗の好きにしたら良いと思う。大丈夫、愛紗のおっぱいで誘惑して『ご主人様』とか呼んであげればどんな男もイチコロなのだ!」
「だからそういう話ではなくてだな!」

 顔を真っ赤にして抗議の声を挙げる愛紗に、鈴々は取り合わない。普段やりこめられる義姉に、一矢報いることができた。それだけで、鈴々はあの青年のことが好きになりかけていた。







書いてみたら本当に当たり障りのない会話しかしなかったので、会談部分はざっくり省略しました。
これなら最初から全員で合流した方が良かった気がしないでもありません。

次回から戦闘パートになります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第021話 二つの軍団編③





 盗賊をやっていた仲間に聞いたことがある。何でも盗めるとしたら一体何を盗むか。彼らは全員が全員、一瞬も考えることなく『現金』と答えた。現金は売らなくて済むし、どこの街に行っても価値は同じであると。

 だから盗賊団から巻き上げた品を配って歩く時、喜ばれると思って現金から配ろうとしたのだが、それはありえないと止められてしまった。現金は食べられないし、交換してくれる人間がいなければただの金属の塊である。盗賊の拠点と街の間にあるような村はどうせ困窮しているから、現金よりも食べ物や衣類などの現物を配った方が喜ばれるという。

 そんな事情で、食料や衣類などを優先して村々に配って歩いた結果、一刀団には現金や貴金属などの交換価値が高い物と、盗賊が使っていた武具などの、そこそこ価値はあるけれど村々にあっても使いどころに困る物が残った。

 現金はいざという時の実弾として蓄え、武具は磨いて自分たちで使った。途中から入団してきた面々も、武具を持って入団というケースはほとんどなかった。収入の少ない内は盗賊から奪った武具が、実質的な一刀団の生命線だったのである。

 最初の一件で名前を売っておかなければ、こうはいかなかっただろう。きちんとした仕事が入るようになり、そこそこ規模の大きい盗賊を潰すこともできるようになったのも、最初の仕事で馬を回収し、それを売って現金に換えることができたことが大きい。

 三百人全員が武装できて、少ないが騎馬隊も編制できている。最低限、傭兵団としての体裁は整っていると言えるだろう。

 とは言え、袁紹や袁術などの金持ち連中の兵団と比べると、装備が見劣りするのは否めない。これで関羽団の兵が全員ぴっかぴかの鎧で武装していたら劣等感を憶えて仕方なかったのだろうが、ヒラ兵士に限って言えば、装備の質は一刀団と大差なかった。

 差があったのは関羽と張飛が直接指揮をとる二十から三十の部隊で、彼らは重い武器と頑丈な鎧で武装していた。明らかな待遇の差であるが、それを不公平と思う人間はいないようだった。

 彼らが良い装備を与えられているのは、彼らが精兵だからという理由もあるのだろうが、そうであるが故に、より危険な現場を請け負うことになるからだ。つまりはそれだけ死ぬ可能性が高いということである。何しろ一騎当千の武将が直接指揮をするのだ。普通の兵では命がいくつあっても足りないような現場を生き抜くには、相対的に良い装備がどうしても必要なのである。

 良い装備の兵も、普通の装備のヒラ兵士もきちんと整列して行進している。軍規が行き届いている証拠である。血色が悪かったり不衛生な兵は一人もいない。想像していた以上に良い環境のようである。なるほど、確かにあの関羽が率いているだけのことはあると思ったが、兵の質よりももっと気になることがあった。ぐるりと兵たちを眺めた後、一刀は関羽に問うた。

「これで、全員(・・)ですか?」
「はい。私と鈴々を含めて六百二十一名。我々はこれで全員です」
「軍規も行き届いているようで、行動に乱れがない。お羨ましいことです」
「ご謙遜を。一刀殿のところは、一から結成してまだ半年と伺っています。それでこれだけの兵団を作られたのですから、一刀殿も中々のものですよ」
「俺の力など微々たるものです。未だに仲間におんぶに抱っこの状態で、お恥ずかしい限りです」

 ははは、と一刀は苦笑を浮かべる。中々でも微々たるものでも、実際に関羽の方が倍以上の兵を持っているのだから、二つの団を外から見た人間はそのほとんどが、一刀団よりも関羽団の方が優れていると判断するだろう。

 軍師や武将など、団員の質で劣るつもりは決してないが、現時点で関羽団に劣っているという事実を否定する材料はない。郭嘉たち最高の人材を活かすには、まだまだ道半ばであると関羽団の兵を眺めながら、一刀は団を大きくするという決意を新たにした。

 自分の中の劣等感以外に、気づいたことがいくつかある。

 関羽の言葉を信じるならば、関羽団はこれで全員。やはり、劉備はここにはいないようだ。梨晏やシャン、郭嘉たち軍師にもそれとなく関羽団の兵を確認してもらったが、結果は芳しくない。関羽と張飛以外に特別技量に優れる者はおらず、また軍師役を担っていそうな者も、ぱっと見た限りではいないらしい。

 劉備の件はとりあえず置いておくとしても、軍師役がいないというのは意外なことではあった。何気にインテリだという噂の関羽がそれを兼ねているのだろうが、彼女は団の代表であり一騎当千の猛者である。戦では常に最前線に出て戦う彼女に、本陣で俯瞰して物事を見るという作業は不可能だ。

 これからのことを考えれば軍師の一人か二人は仲間に引き入れるべきだと思うのだが……まぁ、それは言われるまでもないことだろう。相手はあの関羽である。現代でぬくぬく生きてきた人間がぱっと見て思いつくようなことくらい、早々に考えついているはずだ。

 兵団の紹介が済むと、一刀たちは関羽団の幕舎に移動した。普段、関羽と張飛が使っている幕舎だそうで、広い作りである。これからの事を話し合うために、お互いの幹部を集めての会議であるが、ここで明確に人数に差が出てしまった。

 一刀団から出席した幹部は団長の一刀、武将であるところの梨晏とシャン。軍師として郭嘉、程立に客員の軍師である諸葛亮と鳳統。元直の立場も諸葛亮たちと同様『客員の軍師』であるのだが、色々と忙しい彼女は今現在はこの場にいなかった。連絡はついている。盗賊と戦う時までには必ず戻ると言っていたが、果たして戻ってこれるのかどうか分からない。

 一刀団がこれだけ大所帯なのに対し、関羽団の幹部として出席しているのは関羽本人と義妹の張飛の2人だけだった。それぞれが率いる中には百人隊長など、中間の管理職は複数名いるらしいのだが、それは幹部ではないというのが姉妹二人の認識で、隊長たちの方も同様であるらしい。

 少し少なすぎやしないだろうか。それとも、普通の団はこうなのだろうか。自分たちが普通の集団でないことは自覚しているが、逆にどういうものが普通なのだろう。そもそもこの国にとって、存在そのものが普通でない一刀には良く分からない。不安に思って横に座っている程立を見る。一刀の視線を受けた程立はいつもの寝ぼけ眼のまま、顔を寄せ、耳元で囁いた。

「ご懸念はもっともです。普通はこれくらいの集団になれば、少なくとも後2、3人は幹部がいるはずです。先頃戦った盗賊団を思い出していただけると、お解りいただけると思いますが」

 確か二百人からの集団に十人は幹部がいた。一人が二十人程度直接指揮をしているとすれば計算は合うが、烏合の衆がそこまできっちりとした統制を取っているとは思えない。深く考えず、何となく偉い奴とそれ以外を分けていてその形になったのだとしたら、それは自然が生み出した最適解ということなのだろう。勤勉な人間よりも怠け者の方が先に真理にたどり着くことがあるという。盗賊団の件も、そういうことなのかもしれない。

「人には限界があります。その限界を越えて物事を処理をしようとすると、そこから無理が生まれて全てが破綻します。組織が分業する理由の一つは、物事を無理なく運営するためなのです。しかし逆に言えば、自分の能力の範疇でさえあれば、物事は上手く回ります。六百人の集団を自分と義妹で運営するというのは、関羽さんにとって無理のないことなのでしょう」
「実は苦労してるとかは?」
「なさそうですねー。統制は取れていますし、調練もきちんとこなせています。物資が不足している様子もなく、兵たちの士気も高い。考えうる限り、限りなく最高に近い状態と言っても良いでしょう」
「文句のつけようもないっていうのはこのことだな……」
「ですが、それでも限界というのは必ずやってきます。組織が大きくなり関羽さんの限界が見えてきた時、いきなり組織の体系に手を入れるのは、得策とは言えません。張飛さんと二人で処理できなくなったということは、既に無理が生じているということであり、その上更に他人の手が入るということでもあります。全て今まで通りとは絶対にいきません。思わぬ所で思わぬことが起こり、それが大惨事に繋がる。世の中そういうものです」
「それは流石に悲観論が過ぎるんじゃないかと思うけどな」
「風は軍師なので、悲観論で備えてしまうのはご容赦ください。でも、困ってからようやく動くようでは遅すぎるということは忘れないでくださいね? 勝つために必要なのは、執念深い調査と周到な準備です」

 いつもの調子で痛い所を突いてくる程立であるが、それもまた真理である。美少女に顔を寄せている一刀を、関羽は黙って眺めていたが、話が終わったのを見ると小さく咳払いをして、今度は自分の話を始めた。

「――依頼主の情報では、賊軍が拠点としているのはここから三日程。朽ちた大昔の砦とのことです」

 一刀たちと関羽たち姉妹は、卓を挟んで向かい合っている。それほど大きくはない卓の上には、周辺の地図が置かれていた。現代人である一刀から見ると落書きのような地図だが、周辺の状況を把握するにはこれで十分だった。何しろそこは街道から外れた平地にあり、周囲に特筆するような地形はない。

 大昔とは言え、どうしてそんな場所に砦など作ったのかという疑問は残るが、実際にあるのだから今はそれを考えないでおく。

「改修されていると厄介ですが、その辺りの情報は?」
「崩れた塀を木で補強してある程度ということです。元々旅の人間が宿に使うこともあったとかで、詳細な情報が街にありました。あそこを砦として使うのならば、改修するよりも新しく立てた方が予算も時間も少なくて済むとのこと。大人数が雨露を凌げるだけの場所、という認識で問題ないかと思います」
「籠城する可能性は低い、と見て良さそうですねー」

 一刀の左隣に座っている程立が、寝ぼけ眼で見上げてくる。相変わらず大きな飴を咥えているが、それに張飛が卓の向こうから熱い視線を注いでいた。どうしても欲しいと言う程ではないが、是非口には入れてみたいという風である。

 見た目の通りの食いしん坊キャラのようだ。それをどうにか隠そうとしているようだが、視線は飴に釘づけである。当然、程立はそれに気づいていた。張飛の視線を誘導するように、飴を右に左に揺らす。張飛の視線もそれに合わせて動いていた。程立にとって飴は貴重品、という訳ではない。飴のストックは沢山ある。程立にとっては精神安定剤のようなものらしく、補充できるような場所に行った時にはいつも持てる限界まで補充してくる。

 最近は街に寄ることも多かったから、自分の分が不足している訳では決してない。別にケチな性格でもないから張飛に分けることに抵抗がある訳でもないはずだ。単純に、からかうのが面白いからそうしているのだろう。見た目お人形さんなせいか、微妙な悪戯好きなのである。

 散々からかい倒した後、程立は懐から予備の飴を取り出して卓の隅に置くと、張飛に向かって軽く掌を差し出して。『どうぞ』の仕草に張飛は目を輝かせる。飴に飛びつくために身体が動きかけたが、今が会議の席だと思いなおしたらしい。こほん、とわざとらしく咳払いをして椅子に座りなおしている。

 そんなやり取りを横目で眺めていた関羽は、義妹の行動に深々と溜息を漏らしていた。

「こちらの総数は九百。あちらは六百。一応、総数では勝っている訳ですが、そちらに何か計画などはおありでしょうか」
「正直、夜陰に紛れて近づき、夜明けと共に総攻撃、くらいしか考えておりませんでした……」

 関羽団の実力であれば、盗賊六百などは問題にならないだろう。ただ倒す、追い散らすというだけであれば、他所の手を借りるまでもない。

 しかし、商人たちからの依頼は盗賊団の全滅である。これは軍事的な用語としての意味ではなく、その全てに近い数を抹殺、あるいは捕縛せよという依頼である。関羽の言った方法では劣勢になった時点で、盗賊団の大部分が逃げてしまう。相手を逃がさないための周到な準備が必要となる訳だが、包囲殲滅となると同数である関羽団だけで対応するのは難しい。一刀団の三百を入れても微妙なところである。

「平野部で包囲するなら五倍は欲しいところですねー」

 程立ののんびりした声が幕舎に響く。何の気なしに言ったようにも聞こえるが、言い換えれば単純な包囲戦は無理だと暗に言っていた。ではどうするのか。それを話しあう会議な訳だが、関羽団の側から意見が上がってくる気配がない。

 引き摺り出して総力戦というのが現状、彼女らの考える最高の手段なのだろう。一刀自身、妙案があるという訳ではないが、大将とは別に中長期的な作戦を考えることのできる参謀が必要とされる理由が、よく解った気がした。一刀も頭を捻ってみたが、関羽の出した総力戦以上の案が出そうにもない。

 ちらと、郭嘉を見る。理知的な眼鏡美人は、僅かに目を細めると視線で諸葛亮を示した。一刀は、僅かに眉を上げて疑問を呈する。郭嘉は視線で『諸葛亮に任せる』と言っている。それに否やはないが、別に郭嘉本人が提案しても良い場面のはずだ。

 疑問は残ったが、筆頭軍師の指示である。ここで諸葛亮を使うことに、何か意味があるのだろうと思いなおした一刀は、諸葛亮に視線を向けた。

「諸葛亮。説明を頼む」
「は……はい!」

 まさか自分が指名されると思っていなかった諸葛亮は、背筋を伸ばし、かちこちと前に出る。緊張のあまり両手と両足が一緒になって動いていた。これで大丈夫なのかと関羽、張飛からも不安気な視線が向くが、一刀たちと関羽張飛の中間、地図の広げられた卓の中間位置に立つと、諸葛亮の震えはぴたりと止まった。大きく息を吸って吐く、俯いていた顔を上げた時には、諸葛亮の顔はもう軍師のものに変わっていた。

「分断し、各個撃破することを提案いたします」
「方法を説明してくれ」
「彼らの同業者…………流れてきた盗賊に偽装した兵五十でもって夜襲を繰り返します。彼ら自身ではなく、彼らのため込んだ財を狙っていると思わせるのです。自分たちの命ではなく、財物を狙っているとなれば、彼らも一度は足を止め、迎撃することを考えるでしょう。そうなってから、実際に忍び込み、財物を盗み出します。彼らが追ってくるように仕向けるのです」
「それで全数を引っ張り出すことができるか?」
「いいえ。間違いなく全員では追ってきません。財宝全てを一度に盗めるのならばその可能性もありますが、少数ではそれも難しいでしょう。砦から打って出てくるのは最大で半数。三百程度と考えます。こちらは五十ですから、それで十分と判断するでしょう」

 それが成功すれば、半分ずつに賊軍は分断されることになる。残りの半分は砦に籠ったままだが、半分は外に出ているのだ。明らかな少数で引っ張り出すところに難しさはあるものの、それをどうにか乗り越えることができれば後はこちらの領分である。

 こちらで状況を設定できるということは、罠を張って待ち構えることができるということだ。数で劣る敵を追っていたのに、気づけば危機的状況に追い込まれている。賊軍の不安は相当なものとなるだろう。

「可能な限り砦から引き離した後、伏兵により奇襲。足の速い戦力の九割をこちらに集中させます。出てきた賊は全て、討つか捕縛。砦に残った兵は、残りの全兵力で奇襲。賊が出ていったのとは逆方向からです」
「財物を放り出して逃げるってことは?」
「勿論考えられますが、出ていった半数が劣勢となれば状況が変わります。何しろ単純に取り分が倍に増えた訳ですから、この欲を振り払うことは容易ではありません。逃げるにしても、財物を確保してからです。財物がどういう状態で保管されているか解りませんが、六百という大所帯ですから相当量と考えられます。持ち出すのも一苦労でしょう」
「それで、諸葛亮殿。砦を襲う際の策は?」
「油をまいて火を放ちます」

 即答した諸葛亮に、関羽は絶句してしまった。砦を攻める際の手段として、火攻めは割とスタンダードなものだと聞いている。朽ちた砦に盗賊が沢山。火攻をするには持ってこいの状況であるが、表情を見るに関羽には精神的な抵抗があるようだった。思っていた以上に関羽が乗ってこないため、とりあえずという形で一刀が言葉を続ける。

「財物も一緒に燃えるかもしれないが……」
「賊の討滅とこちらの安全を最優先に考えました。それに信頼できる筋(・・・・・・)からの話では、拠点を決めた盗賊はすぐに持ち出せるものとは別に、価値の高いものをすぐに持ち出せない形で管理すると聞きました。あくまで希望的観測の範疇をでませんが、砦の状況を鑑みるに価値の高い財物はおそらく、地面に埋めているものと思われます」
「だと助かるんだがね……」

 諸葛亮の言う信頼できる筋というのは、無論のこと団の仲間たちのことであるが、彼らに言わせても本当に地面に埋まっている可能性は五割を切るという。財物が失われるのは決して少なくない損失であるが、作戦の成功に比べたらどうということはない。砦に火をつけても大丈夫、という精神的な不安を取り除くための提案だったのだが、それに乗る形でようやく関羽が口を開く。

「しかし火を放つというのは……」

 いかにも正道を行くという関羽からすれば、賊とはいえ炎に巻かれて人が死ぬ光景に抵抗があるのだろうが、その語調を見るにそこまで反対、という訳ではないようである。それを悟った諸葛亮は、普段とは異なる口調でぴしゃりと言い放った。

「義に寄って立った貴女方と、非道を働く者たち。どちらの安全を優先するかは考えるまでもありません」
「…………そうだな。すまなかった。忘れてくれ」

 結局、関羽の方が折れる形で話はまとまった。火を放つというのは現時点ではまだ案の一つであるが、そういう方法を取ることもある、ということで話はまとまった。

「それで、誰が盗賊のふりをするかということなのですが……」

 疑問を呈してきたのは関羽である。同業者が稼ぎを狙ってきたと賊に思わせることが、この作戦の第一段階である。襲撃するこちらが盗賊に見えなくては話にならないし、そしてそれは作戦を続行するに辺り、ある程度の精鋭でなければならない。

 関羽団で言えば彼女か義妹の張飛の直轄の兵がそれに当たるのだろうが、自分たちが賊のふりをできるか不安に思っているのだろう。無理もない。ただ襲撃するならばまだしも、本職の盗賊を相手に同業者だと思わせなければならないのだ。

 危険な役割である。関羽の性格上、是非ここは私に! と言いたいところなのだが、正直、品行方正に生きてきた彼女に、盗賊の真似事を完遂する自信は全くなかった。義妹の張飛は義姉に比べればまだマシだったが、実力はともかく愛敬のある顔立ちは盗賊に見えない。

 人は見た目が九割という。こういう時も、それは同じだ。ぱっと見盗賊に見えないようでは、相手の疑念を誘うことになる。疑念を抱かれるようではダメなのだ。考えれば考えるほど、自分たちはその作戦には向いていないことを理解した関羽は、困りきった顔で一刀を見た。

 これが、一刀団の軍師たちが待っていたタイミングである。卓の下で、郭嘉が一刀の座る椅子を軽く小突いた。郭嘉本人は澄ました様子で、明後日の方角を向いている。わざとらしいと思うが、それは事情を知っている一刀であればこそだ。ん、と小さく咳払いをした一刀は、関羽に用意していたセリフを口にした。

「どうでしょう。ここは俺に任せていただけませんか?」
「一刀殿……しかし、危険な作戦です」
「危険なのは、どこの場所でも同じでしょう。貴女に比べれば武の腕は全くもって大したことはありませんが、これくらいならば、何とかなりそうです。俺ではと不安に思う気持ちは解りますが、俺の男を立てると思ってここはお任せいただけませんか?」

 自分の行いに不安がある以上、他人を頼るしかない。そこに、一緒に仕事をする団の代表からの提案だ。しかも自信がある様子で、男を立ててくれとまで言っている。無論、一刀の言う通り不安に思う気持ちはあるが、それを口にできるほど、関羽の肝は太くなかった。

 この時点で、なにやら妥協してばかりと気づきつつあった関羽が、確信を持つことになるのはもう少し先の話である。


「一刀殿がそこまでおっしゃるのであれば、是非もありません。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」

















「で、予定の通りに作戦を通したと、そういう訳ですな……」

 自分の幕舎に戻り、直属兵を集めて概要を説明した後のこと。部下を代表して口を開いた廖化に、一刀は頷いて見せた。

「ああ、全部諸葛亮と郭嘉の考えた通りになったよ」
「重畳ですな。しかし、まさか盗賊の真似事をして感謝されるような日が来るとは、楽な仕事もあったもんです」
「楽ではないぞ? 盗賊のふりをしながら、色々仕事しなきゃならないからな」

 この作戦なら、こちら主導でいけるだろうと、主に諸葛亮が中心となって組まれたこの作戦は、当初の予定通り無事に採用される運びとなった。明日には共に移動を開始する手はずとなっているが、軍師たちは郭嘉の幕舎へと移動し、作戦の詳細を詰めている。

 相談するならここでも良いのではと思ったが、今度は詳細が決まったら伝えるとのことで、会議からはハブられてしまった。仕方ないので、一刀は直属の兵を集めて、会議の内容を報告した。関羽の言っていた通りキツい仕事のはずなのだが、集まったいかつい男たちは一様に笑みを浮かべている。本当に、楽な仕事と思っているらしい。

「いやいや、ただ戦うよりはずっと気持ちが楽でさぁ。気質の問題なんでしょうかね。正面切って戦うよりは、こうやってちょろちょろしている方が性に合っているというか……」
「それは俺も同じだけど、これからはそういう場面も増えてくるだろうしな。少しずつ慣れていこう」

 油断するなという意味でいったつもりだったが、廖化たちの雰囲気は緩いままだ。これで大丈夫なのかと思うが、彼らは盗賊としていくつもの修羅場を潜っていた猛者である。自分よりもずっと肝が太いのだと思えば、これほど心強いものもなかった。

「それにしても、団長。相手の偉い美人の大将をもう籠絡したようで。おめでとうございます」
「…………一体どうしてそういう話になったんだ?」
「団長たちが話を練っている間に、俺らは俺らであちらの兵と交流を持ちましてな。いや、堅物ばかりかと思えば意外に話の解る連中で……それで、奴らの話では、あちらの大将はそれはそれは美人で大層腕も立つそうですが、性格も見た通りで如何にもな堅物とのこと。それが団長の前では年頃の乙女のようにふるまっているというのですから、これは何かあるのではと」

 情報元はよりによってあちらの兵である。こちら側だけで完結するならば、ただの邪推ということで片づけられもするのだが、関羽について何も知らないに等しい自分たちと異なり、共に戦ったことのある彼らは関羽の人となりをそれなりに知っている。

 その彼らが言うのだから、説得力も一入だった。無論、頭っからそれを信じるほど一刀も純粋ではないが、一刀とて健全な男子である。まして関羽ほどの美少女ともなれば、もしかしたらと思うくらいはどうしようもなかった。

 にやにや笑う廖化を視界の隅に追いやりながら、関羽という少女について考えてみる。自分の前では乙女のようになるということだが、言われてみれば確かに自分とそれ以外に話す時で大分口調が変わっているように思えた。隣にいた義妹張飛と会話している時と比べると、その違いが良く解る。

「それは俺がこっちの代表だからじゃないかな。対外的な話をする時は、大体ああなるのかも」
「そうではない、というのがあちらの兵の主張ですな」

 じわじわと外堀が埋められていく。廖化の言う通り本当に脈アリなのであれば、団を吸収する材料になるのではという打算が一刀の脳裏に浮かんだ。戦力増強というだけではない。あの関羽が味方になるというのは、現代からやってきた一刀にとっては、有力な武将がただ仲間になるという事実よりも遥かに価値のあることだったが、そう上手くは行かないだろうと即座に否定した。

 昔からプレイボーイで鳴らしていたというのならばまだしも、一刀自身、女性とお付き合いをした経験はなかった。それっぽく振る舞うことはできるだろうが、あくまでぽいだけだ。救いがあるとすれば相手の関羽もそんなに経験があるようには見えないことである。初めて同士ならば上手く行くのではと少しだけ考えるが、関羽の性格が見た目の通りというのであれば、疑念を抱かれた瞬間に全ての目論見が終了しそうな気もする。

 いくら考えても、成功する目が見えてこない。少ない勝算にかけて無理に実行するくらいならば、せめてもう少し勝ちの目が見えてくるまでそういう手は封印しておくべきだと思うのだ。

 軍師たちがどうしてもやれと言うのであれば世話になっている手前やらざるを得ないが、一刀個人としてはできれば取りたくない手段ではある。人間誠実であるのが一番だ。そこまで考えたところで、ふとあることに一刀は思い至った。

「なぁ、女性とお近づきになりたい時って、どうやって声をかけるんだ?」

 できれば広く意見を求めたい。幸い部下は全員年上であるから、何か良い知恵でも貰えるのではないか。軽い気持ちで一刀は問うたが、廖化たちから帰ってきたのは爆笑だった。

「ははぁ、団長のような優男でも、そういう疑問を持つんですな」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、実は結構切実なんだ。下心を持って近づいたら、警戒されるものなんだろう? それじゃあどうやって仲良くなるんだ」
「なるようになるもんだ、としか俺程度の経験では答えられませんが、とりあえず二人きりになるところからでも始めてみたらいかがですか? 少しでもダメだと思ったら大人しく引き下がると決めてかかれば、少しは気も楽でしょう」
「想像した今この時点で、大分気が重いんだけど……」
「それこそ、なるようになるってもんでさぁ。俺としちゃあ、後学のためにお誘いするなら諸葛先生が良いんじゃないかと思いますが」
「参考までに、どうして諸葛亮が良いと思ったのか教えてもらえるか?」
「団長の周辺じゃあ、一番笑って済ませてくれそうじゃありませんか。郭先生からは小言を貰いそうですし。程先生はふふふと笑いながら踏みつけてきそうで聊か恐怖を憶えます。徐先生は何だかんだで『良い経験』をさせてもらえそうではありますが、今の団長には手に負えないでしょう。あれは怪物です」

 本人から聞いた話ではあるが、あれでも学生時代はそれなりに遊んでいたらしい。水鏡女学院は読んで字の如く女子高だった気がするのだが、あの性格あの見た目ならば確かにモテそうではある。遊んでいた、と態々男である自分に言うのだから、そういうことなのだろう。女同士というのに興味がないではないが、同時になるほど確かに怪物だとも思う。

「シャンと梨晏と鳳統が候補から外れたのはどうしてだ?」
「前のお二人は今の時点で尻尾を振ってついてきてらっしゃる。団長の望むような経験は積めんでしょう。鳳先生は何というか、今まで名前の挙がった方々と比べると、聊か壁があるんじゃないかと思うんですが……」
「よく見てるなぁ、廖化……」
「これでも団長の倍は生きてますのでね」

 感心した一刀に、廖化は事も無げに返す。確かに、よく話しかけてくれる諸葛亮と比べると、鳳統との会話は少ない。それを壁と言うのならばそうなのだろう。団長である一刀の立場をしても、きちんとコミュニケーションが取れているとは言い難い、唯一の人物だ。

 女性と仲良くなるという単純な目的を別にすれば、今最も交流を持たなければならないのは鳳統なのかもしれないが、ここまでオススメを聞いてしまった手前、全く参考にしないという訳にもいかない。

 デートとか男女交際とか、そういう甘酸っぱいものに発展することはあるまいが、ともあれ何事も経験しないことには始まらない。こんな思いをするなら、学校に行っている間にもっと色々とやっておけば良かったと、後悔しても遅いのである。

「時間が取れたら、諸葛亮に声をかけてみるよ。まぁ、そういうことにはならないと思うけど、某か成果があったら皆でお祝いでもしてくれ」
「何も準備しないで待ってまさぁ」
「そこはお世辞でも、期待してますとか言うところじゃないのか?」
「いやぁ。ここですんなり成功しちまうというのも、それはそれで腹が立つというか何というか……」

 なぁ、と廖化が振り返ると、部下たちは一様に頷いた。男の友情というのは、かくも美しいものである……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第022話 二つの軍団編④










 人数も増え、様々な戦闘経験を積んだ一刀たちだが、所謂攻城戦の経験は少ない。防衛に向いている程の拠点を構えている賊軍を相手にしていなかったことが主な要因であるが、同時に可能な限りリスクを避ける戦い方をしてきたことも、原因の一つとして挙げられる。

 一刀団の基本戦術は、敵対勢力に対する執念深い調査をし、周到な準備をした上で、彼らが拠点の外にいる時を狙って奇襲するというものだ。元賊が多いだけあって、彼らは方法論としての戦術を理屈ではなく経験として理解している、

 可能な限り大人数で、少人数の敵を、迅速に、一方的に攻撃する。真っ当な教育を受けていると人からどう見られるかを気にしてしまうものだが、彼らは皆行動原理の根幹が生き残ることで統一されている。味方を、引いては自分の命を危険に晒すくらいならば、敵を痛めつけるし殺しもする。

 欠点があるとすれば、リスクを避けるせいで人数の割りに直接的な戦闘力が低いところだが、それを軍師による作戦の質でカバーしている訳である。筆頭軍師である郭嘉が団員に最初に徹底させたのは、上からの指示に疑問を持たないことと、それを忠実に、そして迅速に実行することだ。

 ある程度の慣れが必要な後半はともかく、上の指示が絶対であるのは軍でも賊軍でも同じである。命令に忠実という意味で、一刀団の面々は最初から優秀であったと言えた。

 総合的に見れば、兵士としての質は決して悪いものではない。無論のこと、世の英傑の部隊と比べると直接的な戦力は見劣りすることは否めないが、一刀団の兵たちは彼らには決してできない戦い方ができる。

 今回、関羽団の協戦もその得意分野を請け負っている形である。

 深夜、賊軍砦の近く。一刀を中心として団の精鋭五十人は、簡単な迷彩を施したボロ布をまとって闇に潜んでいた。視線の先には聞いていた通りのボロ砦が見える。かがり火に照らされている部分を見る限り、やはり補修はされていないようだ。

 歩哨が見える範囲に約5人。反対側にも同数がいるとして、砦の外側におよそ十人。予想の通りであり、そして郭嘉たちが望んだ通りの展開でもある。今回は見張りがいた方が、一刀たちにとっては都合が良いのだ。

「梨晏、行けるか?」
「もちろん。関羽さんに、良い弓ももらったしね」

 軽く弦をはじいて、梨晏が小さくウィンクをする。今梨晏の手にあるのは、関羽が予備として使っていた弓を譲り受けたものだ。今まで梨晏が使っていた弓も悪いものではなかったのだが、流石にかの関羽が使っているものは質が違った。しっかりと手入れされていたし、何より強力である。

 ちなみに、関羽団の中で彼女以外にこの弓を引ける者はいないらしい。張飛は弓を持ちたがらず、精兵の面々も弓は使うが、関羽が使うものは強すぎて引けないそうだ。梨晏が弓手であると聞いた関羽が、それならばと持ってきた弓を、梨晏は涼しい顔で引いて見せた。

 剣を使わせても十分強い梨晏だが、弓には更に天稟を発揮している。既に一騎当千の実力を持っているはずの関羽ですら、弓では既に敵わないと言っているのだから、その才能の高さが伺えた。

 周囲では他の部隊が既に配置についている……はずである。現代であればそれこそ、誰がどこにいるかなど文明の利器の力で把握できるのだろうが、今の状況、今の時代では確かめる術はない。恵まれた時代に生まれたものだと思いながら、一刀は指で梨晏に合図を送った。

 一刀の合図を受けて、梨晏は精神を集中させる。身体はここにありながら、視線は、精神は遥か彼方を見据える感覚。息を吸い、吐き、そのまま呼吸を止めて弦を一気に引く。

 狙いを定めたのは一瞬。

 矢が放たれた。それと同時に一刀たちは駆け出していく。ボロ布を放り出し、一目散に。見張りの内の一人が、駆ける一刀たちに気づいたが、声を挙げるよりも先に、梨晏の矢がその喉を射抜いた。うめき声すら上げられずに倒れる男に、他の見張りは気づかない。

 やがて、一人、二人と、見張りが射殺されていく。一刀たちが砦の壁に取り付いた頃には、全ての見張りが射殺されていた。遠目に見れば、弓を持ったまま梨晏が駆けてくるのが見える。本人は走りながらでもやれると言っていたのだが、万全を期した形だ。足音も小さく駆けてきた梨晏が合流するのを待ち、暗闇の中、一刀は仲間に指で合図を送る。

『実行』

 夜の闇は暗く、近くにいる仲間の顔も良く見通せない中、一刀は確かに仲間たちがにやりと笑うのを見た気がした。それが気の迷いのせいか、逡巡する間もあればこそ、団員たちは一斉に雄叫びを挙げた。そうして口々に、文字にするのも憚られるような品のない罵詈雑言を吐きながら、砦の中になだれ込んでいく。

 同業者がお宝を狙って殴りこんできた。その筋を信じさせるのに、これ程説得力のある行いもない。賊徒だった頃を思い出した一刀軍の兵たちは、あらんかぎりの罵詈雑言を吐きながらも、その実、郭嘉と諸葛亮が立てた作戦を忠実に実行していた。

 正面入り口を突破したら、外周に沿うようにして二手に分かれる。片方は一刀が指揮を取り、もう片方を廖化が受け持つ。どういう隠し方をしていたとしても、お宝は砦の中ほどにあるに違いない。襲撃となれば中央の守りが厚くなるはずである。

 一刀たち正面から攻める面々の役割は、一つは中央の動きを観察し、お宝がどこにあるのか目星を付けることと、首領、幹部の面構えを確認すること。もう一つは、有事にあっても中央に寄らず、外、あるいは外周付近に残った賊を討ち果たすことである。

 一刀たちが受け持ったのは討ち果たす方だ。そのため、兵は廖化隊に比べて相対的に質の高い人間が揃っている。とは言え、廖化の部隊も危険がないという訳ではない。総力戦でないとは言え、敵の本拠地に踏み込んでいるのだ。危険でない場所などあるはずもない。

 最終的に賊徒を殲滅させるのであれば、頭数は少ないに越したことはない。有事の際に中央に行かない、あるいはいけないとなれば、賊徒にあって立場が低いことは推察されるが、それが腕っぷしに繋がる訳ではないということは、廖化たちからしつこいくらいに念を押されていた。

 賊の首領というのは概ね、腕っぷしが強いものだが、賊軍の中での立場というのは腕っぷしの強い順で並んでいる訳ではない。集団から外れた位置にいるから雑魚、という認識はくれぐれも捨てるようにと何度も言われた一刀に油断はない。というのも、

「はっ!」

 裂白の気合と共に、梨晏が剣を振りぬく。これで五人目だろうか。一刀の護衛として合流した梨晏は、二合と剣を打ちあわせずに、賊を斬り殺していく。一応、一刀も剣を抜いて警戒しているのが、仕事は専ら梨晏の傍を離れないことだった。乱戦が続くこの状況で、梨晏の近くが一番安全だという確信がある。

 自分の5つは年下の少女におんぶに抱っこというのは恰好悪いにも程があるが、自分の力を過信しないようにとは郭嘉に何度も言い含められている。少し無理をしようとすると、脳裏に郭嘉の顔が思い浮かぶのだから、その言葉の浸透っぷりが伺える。

 外周の戦いが一刀たちの一方的優勢で落ち着くと、砦の戦いは一転、膠着状態に陥った。生き残っている賊は中央に集まって防御を固め、反撃の機会をうかがっている。思いのほか、行動が徹底している。有事の際は中央に集まれと、簡単な取り決めでもあったのだろう。外に残っていたのは、単純に乗り遅れただけの鈍間だった可能性も否めない。

 もはや寝ている賊はいるはずもなく、武器も既にいきわたっているだろう。奇襲の時間は終了だ。ならばここで撤収するべきであるのだろうが、一刀たちにはまだ一仕事が残っていた。

 時間は十分に稼いだ。廖化達も観察がし易い位置に陣取っただろう。一つ、二つ、三つ、四つ。心中で数えて時を待ち――

 やがて、一刀たちが押しかけてきたのとは逆の方向から、雄叫びがあがった。賊徒の間に動揺が走ったのを、一刀たちも見逃さなかった。遠間に、梨晏が次々に矢をいかけていく。一矢一殺。息の続く限り、矢の続く限り賊徒を殺すという意思を持った梨晏の矢に、賊徒は堪らず押し込められていく。

 別動隊の襲撃は、賊徒を減らすためのものではなく、一刀たちの撤退を安全にするためのものだ。雄叫びを挙げた別動隊は押し込むようなことはせず、一刀たち以上に無理をせずに撤退する手はずになっている。賊に動揺が走っている間に、一刀たちはケツを捲って逃げ出していた。

 正面で廖化たちと合流し、一目散に砦から離れる。走りながら仲間を見れば、何人かシルエットが大きくなっている者がいた。よりそれっぽく見えるということで、殺した賊の身ぐるみを剥いでこさせたのだ。星灯の中、兵たちは器用にも夜目をきかせて品物を選別し、いらないものをその場に捨てていく。手元に残るのは金目の物と、武器である。

 正体不明の敵の襲撃を受け、そいつらは夜の闇の中、何処へともなく逃げていった。相手の規模が解らない上夜の闇である。まさか打って出てくるようなバカがいるはずも――というのが一刀と、今回の連携相手である関羽の意見だったのだが、一刀団の中で元賊徒の面々を取りまとる廖化は、あっさりと二人の団長の考えを否定した。

 曰く、バカでなければ盗賊などやらない。

「あー、本当に廖化の言う通りになったな」

 走りながら後ろを振り返った一刀は、追っ手が迫っていることに呆れて溜息を漏らしていた。向こうが混乱している内に脱出し合流し距離は相当稼いだつもりだったのだが、追手の足はこちらに迫る勢いである。騎馬が三十。馬と人では足の速さから距離を詰められるのも理解できるが、考えが及ばないのは、馬が追ってきているということである。

 騎馬は真っすぐこちらを追ってきている。真っ暗闇の中で、一刀たちの持っている松明が目印になっているのだ。追ってくるのならば迷わず追ってこられるように、相手にとっての目印となるべく持っているものだが、こんな態とらしい目印を追ってくる人間など……と思っていたらご覧の有様である。

 賊の規模からして馬は虎の子だろう。乗っているのも雑魚であるはずもなく、賊の中では精鋭のはずだ。にも関わらず、数も質も正体不明の集団をその連中が追ってきた。自分たちが返り討ちに合うとか、伏兵が待ち構えているとか考えないのだろうか。相手のことながら逃げつつも気の毒に思う一刀だったが、敵の命よりも自分の安全である。

 廖化の提言を受けて諸葛亮は、元々設置するはずだった備えを強化した。徒歩で追ってくるとしたら適当に、もし馬で追ってくるならと配置された伏兵は、しかし集団では伏兵として機能しない。既にこちらの存在は知らしめている。これから戦うのであれば敵の数は少しでも減らしておかなければならず、この場合最も警戒するべきは伏兵に感づかれて、兵を退かれることだ。

 可能な限り少数で、かつ単独であっても追手を殲滅できるだけの戦闘能力の持ち主。一刀団と関羽団を足してもそれを可能とするのは四人しかおらず、そしてこれが二つの団が協調して行う作戦と理解していた諸葛亮は、あちらの二人に頭を下げた。

 誰一人欠けることなく、一刀たちは全員で所定の位置を通り過ぎた。それに遅れること僅か、賊の騎馬が迫ってくる。このまま走るペースを落とさなくても、一分もせずに追いつかれるだろう。それまで逃げの態勢では如何に梨晏がいると言っても一方的に数を減らすばかりである。

 一刀の指示で、仲間は密集して迎撃態勢を取る。通常であれば散開して逃げる場面であるのだろう。騎馬と戦うための装備もなく、ただどっしりと構えただけでは歩兵が騎馬を迎え撃てるはずもない。追手としては罠を警戒する場面である。

 イケイケで追ってきた賊も、流石に足を止めて武器を構えた一刀たちを警戒したが、それで足を止めてはここまで追ってきた意味がないと、そのまま『突撃』と部下に指示を出した。

 残り十メートル。夜の闇で見えない賊の顔が、笑みの形に歪んだのが見える。同時に、一刀は指示を出した。

「散れ!」

 その号令を元に、バラバラに逃げていく仲間たち。迎え撃たれると思っていた賊たちは、勢いを殺せず急な方向転換もできない。

 そこに、飛び込んでくる影が二つあった。名乗りはなく、問答もない。待機場所から飛び出し、賊の騎馬と並走していた関羽は、賊の背後で踏み切ると、青龍偃月刀を一閃させる。首が三つ、宙に舞った。血飛沫が舞うなか、着地した関羽は、次の獲物を求めて得物を振るう。

 後に神格化さえされる、一騎当千の猛者である。十把一絡げの賊で、相手になるはずもない。向こう見ずの賊であっても、流石に目の前に自分の命を脅かすものが、これ以上ないくらいに解りやすく出現すれば、自分たちの立場が風前の灯であること、今まさに罠にはまっているのだということは理解できた。

 責任者の指示は突撃であり、出立の際に出された命令は皆殺しであるが、その責任者の首は先ほど宙に舞った。死人の指示に付き合う程、彼らは職務に忠実でも義理堅くもなかった。馬首を返し、砦までの撤退を始める。この時までに、関羽の手に寄って十の首が舞っていた。

 更に次を、と動きだした頃には、馬は既に動き始めている。その最後尾を走っていた賊の首に、深々と矢が刺さる。梨晏の狙撃である。一刀を含めた他の仲間が逃げたふりをする中、彼女だけはあらかじめ指定されていた狙撃に適した場所まで移動していたのだ。

 優位な位置。邪魔をする相手は何もない。落ち着いて射れるとなれば、弓の名手である彼女が矢を外すはずもない。一射一殺。一つ射かけられる度に、一人が確実に落馬していく。三十を超えていた騎馬が瞬く間に十を切った。ここにいては殺される。賊たちの思いは一つになる。もはや統制などなく、一目散に駆けていく彼らの前に、しかし小柄な影が立ちふさがった。

「燕人張飛、見参…………なのだ!」

 必要のない名乗りは、彼女的には必要なものだったのだろう。小さな身体を最大限に使う様は、それが舞踊などであれば実に微笑ましい光景だが、少女が振るうのは扇や鈴ではなく、自身よりも遥かに長大な蛇矛である。

 張飛の手が閃く。その一瞬後に、胸から血を吹いた男が、馬から落ちた。蛇矛の先には血が滴っている。あれで突かれた。状況からそれは解るのだが、胸を貫かれて即死した男は元より、その周囲を駆けていた男たちは誰一人、少女の手の動きを追うことができなかった。

 あれだけ長大な得物を使っているにも関わらずである。一人殺すのが一瞬であれば、十人に満たない人間を殺すのは、一息の間。

 だが、最後の一人が打たれたのは胸ではなく肩だった。馬から落ちる。それは他の面々と同じだったが、彼らと違ったのはまだ生きていることだった。焼けるような痛みが、自分がまだ生きていることを教えてくれる。助かった、と男が安堵したのは、すぐ近くに倒れている賊仲間の死体を見るまでだった。

 生かされた、それは解るが幸運だったと思うのは早計である。それは賊である彼が良く知っていた。殺してもいい相手を生かしておく場合、末路は一つしかない。彼に待っているのは死んだ方がマシな目だ。逃げなければ。這ってでも逃げようとした男の背中を、団員たちが押さえつけた。

 廖化から確保したと報告を受けた一刀は、すぐに拘束を命じる。その監視に二人を残し、後の人員は馬の回収に走らせる。乗り手だけを殺すように配慮しただけあって、馬は全て無事だった。五頭逃がしてしまったようだが、これだけ確保できれば十分だろう。砦を攻めるのに馬はあまり必要ないが、これからのことを考えれば馬は何頭いても足りないくらいだ。

「一刀殿、ご無事ですか?」
「お蔭さまで。関羽殿は流石の腕でらっしゃる」
「私の腕など……」

 関羽は謙遜の言葉を途中で濁した。それは人の良さから出てきた言葉だったが、彼女とて自分の腕が一流の部類に属することは知っている。一刀たちも決して悪い腕な訳ではないが、それはあくまでただの兵として見た場合のことである。

 自分の部下として彼らがいても、精兵の中には加えないだろうし、仮に戦ったとしても全員まとめて返り討ちにする自信があった。言葉を続ければ、嫌味になると思った関羽は、自分はどうして上手く言葉を紡げないのだろうと、そっと溜息を吐いた。

 そこに、馬を回収し終わった張飛と梨晏が合流する。

「賊の死体はどうするのだ?」
「気分としては野ざらしでも構いませんが、残しておいても厄介ごとしか生みませんからね。幸い、馬も手に入りました。回収して土に埋め、手くらいは合わせようと思います」
「ふーん、お兄ちゃんは優しいんだな」
「それほどでもありませんよ。単に化けてでやしないかと怯えているだけです」

 一刀はそこまで信心深い訳ではない。最初こそ、死体を見て気分を悪くしたものだが、そういうものだと割り切れるようになってからは、それもなくなった。死体を埋めようというのも、単純に衛生面での問題を気にしてのもので、心情的にどうしてもやらなければならないと思っている訳ではない。

「さて、こっちは上手くいったな。あっちの首尾はどうかな?」
「徐先生と程先生なら、問題ありませんでしょう。両先生も、団長の方を心配しておられたようですし」
「失礼しちゃうよね、私がいるのに……」

 砦に攻撃を仕掛ける一刀たちとは別に、一刀団の人員を割いて、砦の周辺の捜索と配置を行っている。五人一組で行動させ、砦から逃げてくる者を捕まえる算段であると言う。今後のことも兼ねた訓練という話だが、賊の経験のある人間の中ではすばしっこく、隠れるのが上手くて盗みが得意だった、という人間を中心に編制されている。

 それを指揮するのが程立と、仕事から戻ってきた元直である。程立はいつも通りののんびりとした顔でシャンを伴い、元直は今回は参加できると喜び勇んで出発していった。

 本来の予定では砦から脱走者が出るのはもう少し先の話だったのだが、虎の子の騎馬隊が負けてしまったとなればその予定は早まるかもしれない。思いの他早く、彼らにも活躍の機会がやってくるだろう。自分の仲間がそれを成せるのだと思うと、一刀の気分も良い。

「しかし、軍師の考えというのは素晴らしいものですね。私も兵法を齧ってはいますが、足元にも及ばない」
「俺も毎日が勉強ですよ。こんなことも解らないのかという目で見られると時に死にたくなりますが、同時に彼女らがいれば安心と思えます」

 基本的に、一刀は毎晩軍師の誰かの講義を受けている。どういうシフトになっているかは聞いていないが、持ち回りで行っているらしく、同じ人間の講義が二日続くことは少ない。そこには客員である諸葛亮や鳳統も参加しており、元直もこちらにいる時は戯れに講義を行ってくれる。

 彼女らからすれば一刀の知識は大分物足りないものであるらしく、時間はいくらあっても足りないと言われている。政治経済についてはいずれ必要になるだろうが、まずは軍学を中心とした部隊の運用や社会情勢について叩き込まれている途中である。

 一刀が知識を叩き込まれている間、団の他の面々は読み書き計算の練習をしている。識字率は一刀が考えていたよりも高かったが、それに四則演算ができるという条件を加えると、最初期のメンバーの中では両手で数えられるほどしかいなかった。

 何もそこまで、と郭嘉には呆れられたが、これは必要なことだと押し通して夜の暇な時間を勉強に当てることにした。その甲斐あってか、数も数えられなかった面々も、九九を覚えるくらいまでには成長している。読み書きの方はもっと順調で、もうしばらくすれば途中で合流した全員が、問題なく簡単な文章ならば読み書きできるようになるはずだ。

「お羨ましいことです」
「この手のことは縁ですからね。俺が彼女らと出会ったのもたまたまでした」

 ははは、と一刀は笑うが客員とは言え、自分たちの中に諸葛亮と鳳統がいるのである。軍師がいないと困っている、劉備を伴わない関羽を前にすると、聊か心も痛んだ。

 関羽たちと合流する前、郭嘉と話したことを思い出す。この時勢である。傭兵団も義勇兵も集合離散を繰り返しており、関羽団もそれを考えているだろうというのが郭嘉の読みだ。軍師不足を実感しているならば、今はそれを強く意識しているだろう。

 味方に関羽がいる。現代人である一刀にとってこれ程心強いこともないが、今の一刀には初期の団員たちに語った決して小さくはない野望がある。挑戦もする前から、これを諦めたくはない。

 その点で言うと、関羽という名前と実力は大きすぎるが、結果を見過ぎる余り過程を蔑ろにするのでは、そもそも夢に挑むこともできないかもしれない。

 合流するのか。そうでないのか。いずれ結論は出さなければならないだろう。賊軍には打撃を与えた。彼らの壊滅が早まったことが、今の一刀には少しだけ憂鬱に思えた。
 







合流するル-トとしないルート、一応両方とも構想中です。
しないルートは前と同じなのでそこまで悩みませんが、するルートは前と大幅に変わるので実現の度合は低めです。立身という感じではなくなりますしね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第023話 二つの軍団編⑤





 盗賊というのは往々にして、自分は機を見るに敏であると誤解しているものである。人の命が軽い時代だ。健全に生きている人間ですら簡単に死ぬのに、他人から見て積極的に殺しても良い理由のある人間が生きながらえる理由など、そうあるはずもない。

 彼らが生きていられるのは一重に運が良かったからである。そこに彼ら自身の資質というのはほとんど関係がない。盗賊の総数を考えれば、死ぬ前に引き上げられた一刀団のような例は稀である。

 さて、機を見るに敏であると自称する所の盗賊たちの数人は、虎の子の騎馬隊があっさりと返り討ちになったところで逃走を決めていた。襲撃してきたのがどういう相手なのか知れないが、精強であることに間違いはない。ならば死ぬ前に逃げてやろうと、分け前も取らずに一目散に廃砦を後にしたのである。

 先立つものも何もないが、命あっての物種だ。騎馬隊を返り討ちにするような連中と戦っても勝てるはずはないし、そういう時、真っ先に捨て石にされるのは下っ端だ。死ぬにしても幹部連中は最後の方になる。時間さえ稼げれば、彼らは容赦なく下っ端を斬り捨てて、宝をもって逃げようとするだろう。

 人から奪うことに抵抗はないが、それだけに他人のために命を張ることなどできるはずもない。彼らは盗賊である。彼らを結び付けているのは即物的な物のみだ。優勢である内は良いが、劣勢になると一気にその組織力は瓦解する。良くも悪くも、勢いが物を言う集団なのだ。

 主力の騎馬隊が壊滅されたのを理解しても尚、廃砦に残っている者の方が多数なのは、彼らがまだ自分たちの方が有利であると根拠なく信じていることもあるが、それ以上に廃砦にまだ宝が残っていることが大きい。

 気持ちは解らないでもない。盗賊にとっての価値基準は儲かるかそうでないかだ。積みあがったお宝というのはそれだけで、自分の命をかけ他人を殺す理由になりうる。

 だがそれでも、命には替えられないというのが正常な思考というものだろう、と男たちは考えた。逃げ出したのは自分たちが最初だが、このまま何事もなければ――お宝目当てに襲撃をしかけてきた連中が、お宝も取らずに諦めるなんて奇跡的なことでも起きなければ、これからどんどん逃げ出す連中は増えていくはずだ。

 頭数が減れば勝てる確率も下がるし規律も厳しくなっていく。逃げるならば今しかない。しばらくは不自由するだろうが、盗賊団に残っていても不自由はしていたのだ。自分で考えて動けるようになったと思えば、十分に釣りは来る。

 軽くなった心で夜道を走っていた男はしかし、不意の違和感を覚えた。それに従って足を止めた男を、他の連中が追い越していく。足を止めずに振り返る連中と、それを眺める男。奇妙な沈黙が流れたのは一瞬で、それを打ち破ったのは女の声だった。

「撃て!」

 女の声と共に、無数の矢が射かけられる。何故敵が、と考えるまでもない。ここで攻撃されるはずがないと安心していた盗賊たちは、その全てがまともに矢を受けて倒れ伏していく。足を止めていた男が幸運だったのは、そのおかげで致命傷を負わなかったことだ。

 集団から離れていたのだから、攻撃しないでも良さそうなものだが……というのは、攻撃を受ける側ならではの愚痴である。実際、的が止まっているのだから、狙わない道理はない。男が生き残ることができたのは、止まっている的であるが故に良く狙うことができ、死なない程度の重傷を負わせるだけで済ませられたからだ。

「まさかこうも上手く行くとはね……いや、経験に勝る宝はないね」
「徐先生のお力あってのことですよ。俺たちだけじゃあ、こうも上手くはいきませんや」

 ははは、と呑気な笑い声を挙げながら、物陰からぞろぞろと人間が出てくる。そのほとんどは具足に身を包んだ人相の悪い男たちだ。おそらくこいつらが廃砦を襲った同業者なのだろうが、その先頭を歩いているのは男装した身なりの良い女だった。

 男の恰好をしていても肉付きの良さの解るその女は、一人一人自分たちが撃った人間の状態を確かめると、最後に男の前に腰を下ろした。まともに口をきけるのが、事実上、彼一人であることを見抜いたからだ。女――元直は、男の顔を覗き込むと、薄い笑みを浮かべて淡々と言う。

「もう理解してると思うけど、僕らは砦を襲った連中の一味だ。君が生き残ったのはたまたまだけど、それを幸運とするか不幸とするかは君次第だ。仕事が終わるまで生きていられたら、生きたまま官憲に突きだす程度で許してあげるよ。お互いにとって、良い結末になることを期待する」

 元直が視線で合図を送ると、彼女の部下となった兵たちが男を立たせる。

 彼らの腰の軽さを、賊あがりの面々は見抜いていた。元直はこの時点で逃走者が出る可能性は正直低いと見ていたのだが、彼らは絶対に出ると踏んでその逃走経路まで予測して見せた。まさかそこまで都合よく、と元直も半信半疑だったのだが、事実、彼らの予想した通りのルートに、逃走者は現れた。

 経験者でないと解らないことがある、というのは知識としては知っていたつもりだったのだが、まさにその通りの結果となった。砦を挟んで向こう側には程立が部隊を率いて展開しているが、あちらにも逃走者がいるだろう、という話である。

 なるべく殺さないように撃てと指示を出したのだが、誰もが梨晏のような弓の名手である訳ではない。手加減したつもりの矢はほとんどが当たり所が悪く、五人いた逃走者の内生き残ったのは一人だけだった。それでも情報を引きだすという当初の目的を達成できるのだから良しとするべきなのだろうが、もう少し良い結果を出せたはずだと考えてしまうのは、軍師としての宿命だろうか。

 団員の気持ちは一刀を中心に良くまとまっている。郭嘉たち軍師の考えた作戦を忠実に実行できる部隊の練度は正攻法でこそ関羽団に劣るが、変則的な戦いであればある程、真価を発揮する。懸念だったのは部隊を指揮する将校が少ないことだったが、これも改善されてきている。時間さえあれば、いずれ精鋭部隊に変化するだろうが、今はその時間が微妙に足りていない。

 いずれ起こる大戦を前にどれだけ経験を積み、人数を増やすことができるかが一刀団にとっての勝負である。ここで関羽団を吸収することができれば僥倖なのだが、果たしてそう上手く行くものだろうか。関羽自身、合流に前向きではあるようだが、元直はこの話が、どうもすんなりまとまらないように思えてならなかった。

 最も大きな懸念は後輩の二人である。その片方、朱里が危惧していた通り、大親友である二人の理想に生まれた乖離が実のところかなり深刻なレベルにまでなっている。

 元直の見立てでは、雛里の気持ちは大分一刀に傾いている。それは別に悪いことではない。二人の実家はあまり良い顔をしないだろうが、将来性という意味では一刀団はそれほど悪くない就職先である。決して良いとは言えないし、大手に比べればリスクもあるが、名家に少ない椅子を占領されていないというメリットもあるからだ。

 そういう環境でこそ腕を振るいたい、という野心的なタイプでは二人とも決してないが、自分の理想に適い、自分を必要としてくれているのならば、どこにでも行くという強い決意があった。一刀が現状勢力として弱いというのは、彼女らにとってはマイナスにはならないはずだ。

 だが現状、一刀が良いと主張するのは雛里一人で、朱里はそこに賛同していない。それどころか、関羽とのやり取りを見るに、どうにも彼女についていくべき、という主張をしそうですらある。関羽団の将来性も一刀団同様、中々のものだ。一刀と異なり彼女自身が一騎当千の猛者であり、義妹の張飛も同様である。腕っぷしでは梨晏やシャンも負けてはいないが、それでも、関羽たち義姉妹と比べると聊か見劣りする。

 朱里が惹かれる原因の一つは、彼女らに軍師が一人もいないということだ。一刀団は既に郭嘉、程立という軍師がおり、実際に軍団を仕切っている。実際に前線で兵隊を指揮する能力は関羽本人に及ばないだろうが、平常時まで兵団を管理運用するとなると、考える頭がある一刀団の方が明らかに上手い。

 一刀団と関羽団の間には、団を運用する上での効率の面でかなりの差が見て取れる。それは朱里も、実際に団を動かしている関羽も感じていることだろう。事実、朱里が関羽にあれやこれやとアドバイスをしている姿を、元直は何度も見かけている。関羽本人の反応も、そこまで悪いものではない。

 より切実に軍師を必要としているのは、明らかに関羽団である。であるならば、こちらに仕官した方が良いのでは。朱里がそう主張してきてもおかしくはない。現状、二人は自分たちが同じ所に仕官するということを疑っていない。自分の判断を相手は理解してくれる。それだけの信頼が確かにある。

 このままではいずれ、二人はぶつかるだろう。まさかこの仕事中にぶつかるということはあるまいが、もう少し時間がかかると思っていた仕事も、早く片付きそうな気配である。

 先輩としては後輩の夢をかなえてやりたいところではあるのだが、この場合、最も尊重すべきは個人の意思である。相手のことを考えて自分の意思を曲げたところで、良くない結果にしかならないものだ。言葉を尽くして語り合ってこその軍師であるし、何より親友である。喧嘩するとしてもすぐに仲直りするだろう。そこを心配してはいないのだが、

「静里は怒るだろうなぁ……」

 誰にでも当たりが強いくせに、どういう訳かあの二人には従順に懐いていた、強面の後輩のことを思い出す。あの少女のことだ。二人と一緒に働くつもりで今も勉強しているのだろうが、自分が連れて行った先でその道が分かたれたとなれば、小言の一つも言ってくるに違いない。

 それを考えると今から憂鬱で仕方がないが、どちらが、あるいは二人がどういう仕官の仕方をするにしても、元直自身の今後の予定を考えれば、後輩の誰ともしばらく顔を合わせることはないだろう。その間に、ほとぼりが冷めていることを祈るばかりである。

「悪くない顔してるんだから、女の子の二、三人くらい押し倒すもんだと思ってたのに……」

 その点、一刀はかなり奥手なようだった。思い返せば、洛陽を出てしばらく二人で旅をしてた時である。男女の二人旅だ。色々とハプニングを起こしてからかいもしたのだが、一刀の反応は芳しいものではなかった。

 自分の容姿にそれなりに自信のあった元直はそれで地味に傷ついたのだが、まぁ男にはそういう気分の時もあるだろうと、その時は気にしないことにした。それから状況が大きく変化し、彼の周囲を取り巻く環境も大きく変わったが、一刀の態度は相変わらずだった。

 身持ちの固さについて苦言を言うようなつもりはないが、少々強引に行った方が話が上手くまとまるということだってある。今一緒にいる関羽など、甘い言葉の一つでも囁いて押し倒してしまえば、そのまま尻尾を振ってついてきそうな気配だ。

 これには元直を始め、全ての軍師がその好感度の高さに不信を憶えていた。一時はそういう手なのではと疑いもしたが、今では単純に一刀が好みの男だったのだろうと決着している。早い話が一目ボレだ。

 後輩二人についても、一刀が自主的に動いて朱里の方にも時間を作るべきだったのかもしれない。事実、やってはいたのだ。特に幹部には一刀は時間を設けて話すようにしていた。客員軍師であるところの朱里にもそれは同じで、むしろ既に合流している郭嘉たち以上に時間を割いていたのだがそれでも、一緒に仕事のすることの多い雛里には及ばず、そこが朱里と雛里の間に考えの差が生まれる原因となっていた。

 そこをどうにかしてほしかった、と一刀に求めるのはやはり酷な話かもしれない。元直は長い、長い溜息を吐いた。

 人の縁というのは複雑である。一度分かれた道でも、未来に合流しているということはよくある話だ。まして今は乱世である。栄枯盛衰は世に溢れ、それ故に、立場的には大きく出遅れている一刀にも、飛躍の時は大いにある。

 自分を含めて、後輩たち全員が仕える。そんな状況がくれば良いなと希望を持った元直だが、しかし、その未来もそんなに遠いものではないのでは、と思いもした。聊か都合が良すぎるかとも思ったものの、一刀の天運を考えるとありえない話ではない。

 何しろ彼は『さる高貴なお方』のお友達なのだ。運はある。ならば少しくらい、身勝手な夢を見ても良いだろうと、元直は気持ちを切り替え、今後の作戦を練り始めた。



















 騎馬隊を一気に殲滅できたことは盗賊と敵対する一刀たちにとって僥倖だったのだが、予定外の快進撃は予定外の進行を余儀なくした。どうやって攻めるのが最善かというのはまだ決まっていないが、今が攻め入る好機であるという見解は、軍師全員一致していた。

 元よりそれ程時間をかけた作戦を組んでいた訳ではなかったのに、それが更に早まるのである。大打撃を与えることも想定していなかった訳ではないから、完全に想定外という訳ではないのだがそれでも、こうまで事態が好転するというのは、軍師たちをしても、相当に確率が低いと予想せざるを得ないことだった。

 とは言え、盗賊の殲滅にかける時間を短縮できるのは悪いことではない。望外の幸運に喜びながらも、戦いはこれからだと気を引き締めて会合の場にやってきた一刀は、集団の代表の一人として全員を見渡して言った。

「さて、まずは報告から頼む」
「捕獲した馬は全部で二十七頭でした。今、廖化たちが捕虜を締め上げていますが、引きだした情報を加味するにあれで全てのようです」
「つまりもう騎馬隊はいないって確証が持てたってことか……他に何か情報は聞きだせたか?」
「蓄えた宝の大まかな位置と総量などを。これは実際に現場を改めるのが良いでしょう。最低それまでは捕虜は生かしておくべきですね」

 自分たちの収入になるというのも勿論あるが、賊の蓄えは被害を受けた住民への保証の原資にもなる。どうせ放っておけば国に回収されてしまうのだ。取られたものを回収してくれとは、商人たちの契約には含まれていない。ならば煩いことを言われる前に、ばらまいてしまえというのが一刀たちのやり方である。

 奪われたとは言え、元来自分の物だったものを勝手に配られたとなれば商人たちも腹も立とうが、彼らは盗賊以上に利に聡い人間だ。彼らの指示である、と明言しなくてもそう匂わせておけば、民たちは勝手に商人たちにも感謝するようになり、体を張った訳でもない彼らの名声も上がる。

 世の中ほとんどのものは金で買えるが、名声はそれが難しい物の一つだ。一刀たちの評判は前から知っているだろうし、そうされることは織り込み済だろう。これについては、関羽も納得している。全てを着服すると言えば良い顔はしないだろうが、その多くを民に還元するとなれば、彼女も嫌とは言わない。

 だがそれらを実行に移すためには、宝をなるべく完全な状態で確保することが肝要になってくる。そのためにはお宝について正確な情報が必要になり、迅速に動く必要がある。一刀たちは彼らの主力を撃破したが、それは同時に彼らの死亡宣告がより現実的になったことを意味する。

 盗賊というのは自分の危機に敏感だ。欲と自分の命が釣り合っている内はまだ良いが、いよいよ勝ち目がなくなったとなれば、多くはわき目もふらずに逃げ出すことだろう。

 現に、今も逃げているかもしれない。それはつまり宝が目減りしている可能性を意味しているのだが、一刀のそんな不安を打ち消すように、諸葛亮が手を挙げた。

「東班の灯里先輩から伝令が飛んできました。逃走した賊を一名確保したそうです。皆さんが締め上げて吐かせた情報によれば、宝を持ち出せる状況ではなかったと」
「西班の風からも同様の報告が来ました。臆病風に吹かれた人間というのは、それ程多くはないようですね」

 逃走した人間を全て確保したと確証がある訳ではないが、情報を総合すると逃げたのは圧倒的少数ということで間違いはないだろう。主力が撃破されたというのに、呑気なことである。砦とは名ばかりで籠城には向かないし、そもそも籠城というのは時間をかければどうにかできる別の手段があるからこそ成立するものだ。

 今のところ一刀たちは宝を狙った同業者を装っているが、同業者であるならば、元手をかけた以上、それを回収するまで後には引けないということは、盗賊ならば良く理解できるはずだ。しかも一刀たちは主力の騎馬隊を撃破して勢いに乗っている。勝っている側が引く道理はない。同業者であると信じられている限り、彼らは一刀団の再来を疑わない。

「あっちから攻めてくる可能性は?」
「ないとは言いきれませんが、低いでしょう。主力の騎馬隊が全滅したのは事実です。我々の戦力は彼らにとって未知のもの。いくら賊でも情報は欲しいと考えるでしょうが、まとまった戦力を出しては守りが手薄になる。現状では斥候を増やすというのが関の山ですね」

 そしてその斥候を捕捉するための人員は既に出している。

 一刀たちは砦から離れた布陣している。斥候を出すにしても、それなりに時間をかけないとたどり着くことはできないし、仮に彼らが陣地を捕捉したとしても、こちらが放った人員が賊が砦に戻るまでに捕縛する手はずとなっている。

 だがそれも確実に上手く行くという保証はない。『人さらい』が上手い人間と、関羽団の中でも斥候を主任務にしている人間を配置しているが、その網を抜けて情報を持ち帰られることもないではない。情報の確度は作戦の成否を分ける。迅速に行動しなければならないと軍師の意見が一致したのは、そういう事情からだ。

 今は一方的に、しかも安全に攻撃する最大のチャンスなのだ。迅速に兵を動かして叩き潰す。この会議はそのためのものだ。

「こちらから打ってでるとして、どういう作戦が良いかな?」
「正面から全戦力で近づいては、やはり臆病風に吹かれることもあるでしょう。できる限りの賊を討滅、あるいは捕縛することが今回の目的。完勝することは大前提として、勝ち方にも注文をつけねばなりません」
「すると、夜陰に乗じて奇襲するということになりそうですが、強力な抵抗にあうと考えるとなると、やはりこちらも全戦力を動かさざるを得ないでしょう。関羽殿。事前にお報せした通りに兵を動かすとして、日暮れまでに全ての準備を整えることは可能ですか?」
「その辺りは、滞りなく。ご期待には応えます」
「重畳です。明朝までに決着を付けるとして、その仕込みですが……」

それについても事前の作戦会議で軽く触れられている。幸い、騎馬隊を撃破したことで素材は上がっており、徐庶からの伝令で既に逃げた人間がいることは裏が取れた。後は相手がそれに乗るかだが、それは演技のデキ次第である。

「準備の方は?」
「仕込みの方は昼までに。風と元直殿に伝令を飛ばします。初動は日が暮れてから。決行は深夜。決着は明朝までにはつくでしょう」
「皆にはそれまで交代で休憩を取るように伝えてくれ」

 一刀の言葉を受けて、郭嘉が幕舎の外に待機していた兵を伝令に飛ばす。

 流れで、元から用意していた案の一つを採用することになった。そのための準備も進めていたから、後はそれを早めるだけである。交代で休みを取れ、という指示を出した以上、一刀を含めた幹部にも、休む義務が発生する。例えどれだけ少なくても、休憩があるのとないのとでは気持ちの上で相当な違いが出るものだ。

 休むのも仕事の内であるとは、こちらの世界に来てから実感したことである。ばたばたと動きだす幹部たちを見ながら、しかし、一刀は全く別のことを考えていた。

 以前からの計画を実行する時では? 火急の時であるに違いはないが、軍師にだって息抜きは必要だろう。この小さな軍師様は、どうにも働きすぎてしまうきらいがある。優秀には違いないのだが、同等の働きをしているはずの郭嘉や程立は、それなりに余暇を楽しんでいる風だ。

 これが年齢や経験から来る違いであれば良いのだが、性分の問題であるとすると誰かが助け船を出してやる必要があるだろう。その配慮は、軍師たちには期待できない。一刀は郭嘉に『お疲れのようですね。少し休んでは?』という配慮をされたことがあるが、彼女はおそらく自分と同じ軍師にそれを言ったりはしない。

 郭嘉という少女にとって、軍師が自分の体調管理をきっちりこなすのは当然のことなのだろう。その点、ちびっこ軍師の二人はまだまだ力が抜けていないように見えた。一緒に働くようになって半年である。それなりに打ち解けてきたという自負があるが、なるべく働こうという彼女らの固さが抜けたようには感じられない。

 彼女らがのびのび働けていないのだとしたら、団長である一刀にも責任がある。

 仲間が働きやすい環境を作り上げるのも、団長である一刀の役目だ。自分と一緒に過ごすことが必ずしも、諸葛亮にとってプラスになるとは限らないが、違うことをしてみるのも新たな発見に繋がるだろうと前向きに信じることにした。

 女性に声をかけるのは一刀をしてもそれなりに勇気のいることだったが、諸葛亮が鳳統と離れ、一人でいるところを見計らって、一刀は声をかけた。自分に声をかけたのが一刀だと知ると、諸葛亮はぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべた。

「一刀さん!」
「諸葛亮、ちょっと良いかな? 少し2人だけで話がしたいんだけど」

 それまで全くよどみがなかった諸葛亮の動きがぴたりと止まった。ここで済む話だと思っていたのだろう。それくらいなら今までも何度もしたことがある。主に、諸葛亮の方から話を持ち込むことが多いが、一刀の方も話を振らない訳ではない。

 団長として、一刀は努めて多くの人間とコミュニケーションを取るようにしている。義務から来ているところもあるが、元来の性分もあった。他人と話すのは楽しいし、何より頭数が多いから男性と話している時間の方が多いが、個人別に見ると女性の方が上位を占めるというのは、仕方のないことではある。諸葛亮のような美少女とお話しできて、喜ばない男はいないのだ。

「その……二人きりで、ですか?」
「まぁ、そう身構えるようなことでもないんだけどさ。軽くお茶でもしながら、世間話でもどうかなと」

 軽く、世間話、というのを強調して緊張をほぐそうと試みるも、余計に胡散臭くなっている気がする。自分を見る諸葛亮には、余計に緊張が生まれているように見えた。あわわ……だったものがあわあわあわわくらいになっている。一言で言えば、かなりテンパっていた。これは失敗したかな、と一刀が内心でしょげていると、それを彼の顔色からそれを敏感に察した諸葛亮が、慌てて声をあげた。

「是非ご一緒させてください!」
「…………俺から誘っておいてなんだけど、良いのか?」

 自分で誘おうとした時にはびびっておいて、いざ食いつかれると不安になるというのもおかしな話であるが、耳まで真っ赤になってまくし立てる諸葛亮を見たら、全てがどうでも良くなった。

「大丈夫です何も問題ありませんこちらからも是非お願いします!」
「うん、ありがとう。それじゃあお茶の用意をしてくるから、この間会合でつかった場所で待っててくれるか?」
「一刀さんの天幕ではないんですか?」
「二人でって言っただろ?」

 一刀の個人スペースなだけあって、一応のプライバシーは存在しているが、いつでも来てくれてOKという主張を日頃からしているせいで、人の出入りは結構多い。普段ならばそれでも良いのだが、これから人生でほとんど初めて、自発的に女の子と二人になろうかという時に、人の出入りがあるようでは具合が悪い。

 別に諸葛亮に対して不埒な行動をしようという訳では断じてないのだが……美少女とは言え女性を誘うのだ。やましいことはありませんよと、ある程度はアピールするのも必要だろう。警戒されてしまってはそも、二人きりになどなれはしないのだ。

 二人で、という単語に真っ赤になった諸葛亮は、大きく腰を折って頭を下げると、足早に去っていく。後ろから見ても耳まで赤いのが良く解る。あの美少女を自分がああいう風にしたのだと思うと、何だか気分も良いが、二人きりになるというのはスタートであってゴールではない。誘っただけで満足していては何のために誘ったのか解ったものではない。ここからが本番なのだ。

 手早く自分の幕舎に戻って、お茶の準備をする。ここで誰かが訪ねてきたら予定を大きく変えなければならなかったが、天が味方しているのか、騒々しいことが多い一刀の幕舎の近くは静かなものだった。

 既に予定が決まっているというのも大きいのだろう。兵は交代で休憩に入っているし、関羽団とも詰めるべきことは既に詰めてしまった。そも、予定が繰り上がった時の対応だって、ここに移動するまでの間に大雑把にではあるが決めてあった。

 戦は執念深い調査と周到な準備で決まるのだ、という程立の言葉の通り、調査と準備について、一刀団の軍師たちは一切手を抜かない。事前の詳細な打ち合わせは、その準備の一環と言える。逆に、既にすることが決まりきっている場合、真に予定外のことがない限り、改めて集まる必要はない。

 それでも、筆頭軍師たる郭嘉は何か見落としがないか気を張っているのだろうが、それを思うと、暇を持て余しているように思える自分が、相当な配慮をされていると実感する。後でフォローをしようと、一刀は心に決めた。

 そう考えていることが郭嘉に知れたら、彼女は心底呆れ切った顔で溜息を吐くことだろう。これから女性と会うのに部屋を出る時には別の女のことを考えているのだ。男としてそれは誠実とは言い難い行為であったのだが、微妙に舞い上がっている一刀はそれに気づいてもいなかった。



次回、デートという名の仕事回。
このパートは後3、4話かかりそうです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第024話 二つの軍団編⑥





 集団で生活している一刀団の人間は、団長である一刀まで含めて自然に一人になる機会というのは少ない。一般兵たちは五人、あるいは十人で部隊ごとにまとまって生活しているし、幹部クラスでも二人で一つの幕舎を使っている。個室を持っているのは一刀だけだが、人の出入りが激しく寝る時くらいしか一人になることはない。

 その寝る時でさえも、外に立哨がいるために厳密には一人ではない。意識しなければ一人になることはできないのだ。それをストレスに思ったことはあるが、この国に来て一年以上になるとこういう生活にも慣れてしまった。

 だが、他に誰かいるというのは、女の子を口説くには最悪の環境と言える。どうしても二人きりでなければならない状況などほとんどなかったために、いざ二人きりになろうとすると、途中で邪魔が入ったらという可能性を考えてしまうのだ。

 集団からこっそりと離れればそれも大丈夫だろうが、今は非常時である。賊からは大分距離を取っているとは言え、集団から離れればそれだけ安全ではなくなってしまう。一刀もそれなりに剣が使えるが、あくまでそれなりに過ぎない。元々剣道をやっていたため最低限の基礎はできているが、剣道と実戦で使う剣では勝手が大分違ったしそもそも現代っ子である一刀とこの時代の男性では、基礎体力などが大きく違う。

 そんな環境でも団の中で真ん中より上になれたのだからなる程、才能があると言えなくもないのだろうが、一刀のすぐ近くにはその才能の塊である梨晏がいるし、シャンもいる。自分の腕を過信するなが、一刀が自分に課した教訓である。

 諸葛亮も一応心得はあるようだが、それもないよりはマシという程度のもの。戦力としては全く期待できないとは、先輩である元直のお墨付きである。

 集団からあまり離れることはできないということはつまり、時間をかけることができないということだ。諸葛亮に言いたいことは、ずっと考えていた。結局のところ、『それ』は一つしかない。問題はそれをどう言うかである。言葉を尽くすべきというのは解っていても、それが一番難しい。

「どうぞ」
「あ、ありがとうございましゅ!」

 ベンチのような倒木の両端に、二人で腰掛ける。一刀が手を伸ばしても、ぎりぎり届かないような距離感だ。歓迎されていない訳ではないようだが、警戒はされている。年頃の少女としては正当な警戒とも言えた。むしろ諸葛亮のような性格で、息のかかるような距離にすとんと座られたら、逆に一刀の方が警戒してしまう。

 用意したのは冷たいお茶だから、息を吹きかけて冷ます必要はないのに、一生懸命にお椀に息を吹きかけている様や、空になっていることに気づかないでお椀に口を付け、一人真っ赤になって照れる様は、控え目に言っても
かわいらしいものだった。

 見ているだけで幸福になるというのは、こういう様を言うのだろう。できれば二時間でも三時間でもただ眺めていたかったが、残念ながらそこまで時間がないし、年端もいかない少女を何時間もただ眺めていたと後から女性陣に知られれば、何を言われるか解ったものではない。

 名残惜しい気持ちを封印し、心を微妙に鬼にして一刀は話を切り出した。

「今回の戦闘について、改めて意見を聞きたい」
 
 一刀の言葉に軍師の顔になった諸葛亮は、顔こそまだ緊張で赤かったが、その震えはぴたりと止まった。この落差が、一刀には楽しい。お人形さんのような少女が真面目な顔で軍事を語る様は、そのギャップもあって一刀の目を惹きつけてやまなかった。デキる女然としている郭嘉や、独特の雰囲気がある程立では出せない落差である。

「犠牲をいとわなければ、我々だけで正面からぶつかっても勝てる相手でした。相手を殲滅し、こちらの損耗を極力抑える。その両方を達成するために知恵を絞りましたが、天が味方してくれたのでしょう。我々に非常に都合の良い結果になろうとしています。周到に策を練り、入念に準備を重ねました。これ以上は、そう望めません」

 勝てるだろう、と軍師殿は言っている。あれだけの戦力に、過剰なまでの準備を重ねた。加えて梨晏やシャンなど、一騎当千の猛者もいる。これで勝てなければ確かに嘘だろう。贔屓目など何もなく、ただの事実として諸葛亮はこの戦に勝てると判断した。

 後はどれだけ損耗を防げるかの勝負だ。戦である以上、人は死ぬ。今まで人死がゼロであったのは、部隊を指揮する郭嘉たちの優秀さもあったのだろうが、単純に運に恵まれていたことも大きい。遠からず、仲間が死ぬ時は来る。それは今回かもしれないし、それは梨晏やシャンかもしれないし、自分かもしれない。

 それは避けては通れない道である。何度も何度も自分に言い聞かせてきたことであるが、仲間が死ぬかもしれないという考えは、その度に一刀を恐怖に縛り付けていた。そんな一刀の手を、諸葛亮がそっと握る。いつの間にか距離は縮まっていた。体温の高い小さな手に、微かに力が籠っている。それは一刀にとって頼もしい温かさであり、力強さだった。一刀の中で、不安が小さくなっていく。

「一刀さんの気持ちは解ります。私も、私の策で人が死ぬことは、とても恐ろしいです。朱里ちゃんと一緒に何度も泣きました。ですが――これがより良い世界を作るために必要な戦いであると信じるからこそ、仲間の命を預かっているのだと感じるからこそ、私達はより早く、より効率的に敵を打ち破る策を考えます」

 諸葛亮の手は震えている。希代の軍師であるという自負があり、評判がある。彼女らの振る舞い、そして生み出す策には、彼女らが望む望まないに関わらず、多くの人間の命がかかっているのだ。何かあった時、失敗しましたでは済まない。学校では本当の意味で理解できなかったものを理解した時、一体彼女らはどれほどのプレッシャーを感じたのだろうか。

「この恐怖は消えません。貴方の恐怖も消えないでしょう。ですが、私は一刀さんの恐怖を少しは理解できます。それは幹部の方たちも一緒のはずです。貴方は上に立つ人。それらしい振る舞いを求められることもあるでしょうけれど、そうでない時は、弱いところを見せても良いんじゃないかと、そう思います」

「人の死に心を痛めることは回避できませんが、それを分かち合うことはできます。お辛い時には、誰かを頼るのも選択肢の一つではないでしょうか? 僭越ながら、私もいましゅ――」

 滑らかに回っていた諸葛亮の舌は、そこでついに限界を迎えてしまった。大事な場面で噛んだ事実に耐えきれなかった諸葛亮は一刀に背を向けて耳を塞いでしまう。気持ちは解らないでもない。一刀も同じ立場だったら死にたくなるだろうが、自分などはともかく諸葛亮が死んでは世の中にとって大きな損失だ。

 こんな自分を、羞恥心を推してまで諸葛亮は励ましてくれた。ならばその気持ちに報いるのが男というものだろう。どこか浮ついていたものがあった一刀の気持ちが、諸葛亮の小さな背中を見て定まった。言うべきことを言うのは、今しかない。

「諸葛亮、まず改めて聞きたいことがある」

 一刀の声に、諸葛亮はちらりと視線を上げた。顔は羞恥で耳まで真っ赤になっており、顔も手で覆ったままであるが、とにかく話を聞いてくれるつもりがあるのだ、と解釈した一刀は言葉を続ける。

「数年以内に大きな戦がある、というのが出会った頃からの郭嘉と程立の読みなんだけど、それは君も同じか?」
「はい……私も朱里ちゃんも同じ意見です。早ければ一年以内。おそらく『菫卓討つべし』という内容で檄が飛ぶのではないかと思います」
「……そこまで?」
「はい。群雄割拠の時代とは言いますが、現状の勢力を分析すると菫卓さんの一強です。ここで叩いておかないと、諸侯はいずれ彼女の前に膝を屈することになるでしょう。幸い――野心ある諸侯にとっては幸いということですが、宦官の始末に手間取り政治的な混乱を引き起こした、という事実もありますので、その辺りを突いてくるのではないかと」
「洛陽には行ったことあるけど、そこまで治安が乱れてるってことはなかったぞ?」
「拳を振り上げる理由さえあれば、実際にどうであるかというのは関係ないのでしょう。勝ってさえしまえば、後はどうにでもなりますから」

 羞恥心と戦いながらも、諸葛亮は軍師の顔に戻っていた。どうにでもなる、と真顔で言える辺りに自信の高さが伺える。本当に、こんな弱小勢力にいてくれているのが、奇跡のような少女だ。

「諸葛亮が諸侯側の軍師にいたとして、檄を飛ばしたり、檄を飛ばした側に組しようと献策する?」
「早目に国を一つにまとめる、という目標を掲げるのであれば、菫卓さんに付くのは悪い案ではありません。現状の最大勢力ですし、ここで諸侯が一人二人合流すれば、それで残りを押し切れます。実際、そうすることをどの軍師も一度は考えるはずです。ただ」

「宦官を排除した後とは言え、最大勢力ということは既に多くの椅子が埋まっていることを示しています。諸侯を排除する段階で手柄を挙げることはできますが、事実として、既に一番上の椅子に座っている菫卓さんより上に行くことは不可能です。今よりも上に、程度で満足されるのであればそれでも構いませんが、もっと上へ、ということであれば、やはり菫卓さんを排除、という方向に舵を切らざるを得ません」
「戦に参加しない、という選択肢はない?」
「明確に菫卓さんに付くという態度を示さない以上、どういう形であれ戦には巻きこまれるでしょう。兵を出さないのも角が立ちますし、日和見を決め込むことは難しいと思います」
「内心はどうあれ、ある程度力があるなら、排除側の方に付くことになるってことだな?」
「そういうことですね……一刀さんは、大戦に参加されるつもりなんですよね?」
「恥ずかしながら、俺にも野心があるからね。軽蔑する?」
「そんな……一刀さんなら、良い政ができると確信できます」
「諸葛亮にそう言ってもらえると嬉しいな……」

 ははは、と軽く笑って、大きく息を吐く。

「その野心について、話をしたい。俺は、機会というのは誰にでもあるべきだと思う。努力次第で誰もがなりたいものになれて、やりたいことをやれて、そして天寿を全うして死ねる。そんな世界を作りたいんだ」

 一刀の脳裏に浮かぶのは、現代の国々である。制度一つをとっても、それを実践するようになるまでにどれだけの苦労があったのか、実際に人を使うようになり、政治だの軍事だのに目を向けるようになって解るようになった。

「そのためには精強な軍がいるし、優秀な文官が必要だ。そのために色々な人に教育をしなければならない。戦う人も考える人も、何人いても足りないんだ。俺の夢を実現するためには、やらなければならないことが山ほどある」

 事実、一刀の故郷が現代に近い体制になるまで、人類は何千年も歴史を重ねている。正確なところは記憶していないが、ここが所謂『三国志』な世界であるならば、文化的には二千年くらい遅れている勘定になる。どうみても二千年前には思えない所もあるが、政治体制としてはそんなに乖離はしていないはずだ。

 そんな状況を、先人たちが二千年もかけて作り上げた環境を目指して作り変えようとしている。目指すべきヴィジョンが明確であったとしても、そこに至るまでには膨大な労力と時間がかかる。

「おそらく、というか間違いなく俺たちが生きている間に、その夢は実現しないだろう。実際にそうなっている所を見れないことのために力を貸してくれと、俺は沢山の人に言っている訳だ」

「でも、俺たちの仕事の先にそういう未来はある。俺がバカだから上手く言葉にできないけど、俺にはそれが誰よりも解ってる。そういう世界のためになら、礎になる価値はあると俺は思うんだ。この国に生きる皆が、次の世のために、次の世代のためにって気持ちを繋いで行ければ、世界はきっともう少しマシになる…………と、思う」

 人類が皆善人であるならば、とは誰もが考えることであるが、そう上手く行くものではないというのは一刀自身だけではなく誰もが理解している。誰がどのような体制を作ろうと、それはいつか必ず終わるものだ。これから何かを作ろうという人間の仕事は、その時代ができるだけ長く続くように手配することである。

「そのためには、手柄を挙げて権力を持たないと行けない。そうして最後には――」

 諸葛亮の耳に顔を寄せ、そっと囁く。

「天下を取る」

 流石に、少女の目が驚きで見開かれる。天下を取る、というのはこの国の頂点に立つこと。それが意味するのはどういう形であれ、現皇帝に取って代わるということである。乱世なのだ。誰にもその機会はあるはずだが、機会があったとしても、その地位に至るまでの道は険しく遠い。

 それを、富裕層の出身でもなく特に実績がある訳でもない一刀が目指すのだから、そこにあるのは並大抵の苦労ではない。それでもなお、一刀は『天下を取る』と口にした。冗談めかした雰囲気ではない。その目を見て、少女は一刀が本気であると悟った。

「俺には君の力が必要だ。今回の戦が終わったら、どうだろう、正式に俺たちの仲間になってくれないか?」

「君が何処の誰であろうと、俺は同じことを言ったと思うよ。一緒に働いてみて、これからも君と一緒に働いてみたいと思った。だから」

鳳統(・・)、これからも俺に力を貸してくれないか?」










 この人なら。そういう予感と同時に、期待もあった。いつか呼ばれると思っていたその名前に、鳳統(・・)は小さく息を漏らした。

「何故、と聞いてもよろしいでしょうか? それともいつから、の方が?」

 てっきりしらばっくれると思っていた諸葛亮改め鳳統は、あっさりと白旗を上げた。少なくとも、一刀にはそのように見えた。他人の名前を名乗るのが気持ちの良いことであるはずがない。鳳統のような性格であるならば猶更だ。鳳統の言葉を受けた一刀は、まず苦笑を浮かべた。これから行う返答が、きっと鳳統の期待に沿うものではないことが解っていたからだ。

「どっちの答えも最初からかな。確信を持ったのは今諸葛亮――じゃないな、鳳統の顔を見てからだけど」
「そ、そんなに不自然だったんでしょうか……」
「自然ではなかったよ。違和感は色々あった。君ら二人と元直はお互いに真名で呼び合う時は普通なのに、名前で呼ばれる時にはちょっと反応が遅い時があるとか、普通にしてるだけなのにどこか据わりが悪そうにしてるところとか。最初は居心地が悪いのかなと思って色々気にしちゃったんだけど、どうしてか考えた時に、君たち二人を最初に見た時のことを思い出したんだ」

 良い? と鳳統に断りを入れてから、一刀はそっと彼女の帽子を持ち上げる。一刀の世界では良いところのお嬢様が身に着けていそうな、上品な装いのベレー帽である。淡い紫色の髪をした鳳統にも、決して似合っていない訳ではないのだが、予めもう一つ別の選択肢があるとなれば見方も変わってくる。

「鳳統はやっぱり、あっちの帽子の方が似合うよ。君の髪の色によく合ってると思う」
「ありがとうございます」

 くるりと帽子を回転させて、鳳統の頭に戻す。もう一つの帽子――本物の諸葛亮が今被っている魔女のような帽子を鳳統が被っているところを想像してみた。やはり、そちらの方が据わりが良いように思う。

「帽子を入れ替えてたのは、入れ替わってることを自分たちで忘れないようにするためかな?」
「そうです。最初、学院を出て灯里先輩と旅を始めた頃は、上手くいかなくって。それで灯里先輩に相談したら、わかりやすく帽子を入れ替えてみたらどう? って言っていただいて……」

 鳳統の言葉に、一刀は苦笑を浮かべた。あの男装美少女は、最初からこの話に一枚噛んでいたということでもある。悪戯が好きそうな彼女の考えそうなことではあるが、相手の感性を見る上では悪い手段ではないのだろう。元直は一刀と知らない仲間ではないが、鳳統と諸葛亮は会うのは初めてだ。世話になった先輩が推してくるとは言え、手放しで飛びつくには不安も不満もあるだろう。推すのであれば、何か具体的にアピールポイントが必要だったのだ。

 それは実際、一緒に仕事をしてみれば解ることではあったが、そこで解るのは組織としての強さであって、一刀個人の強さとはまた異なるものだ。話してみて接して見て解ることもあるだろうが、明確に『彼はこういうことができて、こういうことを理解できる』ということが示されることは、これから仕官する先を探している人間にとっては大きな判断材料となる。それが水鏡女学院出身の才媛がしかけた問いであるのならば、尚更だ。

 実際、他人の力を借りずに結果的にとは言えその問いを見破ったのだ。これが仕官のための審査だとしたら合格点がほしいところではあるが、心情的に一刀としての問題は他の所にある。

 きっと、幹部以上の面々で、確信を持てていなかったのは自分だけだろう。軍師二人は論理的に、武将の二人は勘やなんとなくで真実に行き着いているように思う。お兄ちゃん、今更気づいたの? とシャンに言われたら地味に傷ついてしまうし、何より、入れ替わっていたという事実をどう他の面々に紹介したものかと一刀は早くも頭を悩ませていた。

 そんなうんうん悩む一刀を見て、鳳統は別のことを気にしていた。この件に関して思っていたよりも一刀の反応が薄いのである。多少なりとも怒られると思っていた鳳統は、その危惧を解消するために恐る恐るといった様子で一刀に問うた。

「その……怒らないんですか?」
「かわいいことするなぁ、とは思ったけど、それだけだよ。怒る理由はないし、団の中にも君らを責める人間はいないと思う。物凄く驚かれるだろうけど」

 えー!? と驚いて、おそらくそれだけだ。『どこの誰』というのは勿論重要なことではあるが、人格というのは本人に付随するもので、名前について回るものではない。例え名乗る名前が違ったとしても、それは鳳統や諸葛亮の本質的な評価には繋がらない。団の連中は良くも悪くも深く物事を考えないので、一度驚いてしまったらそこで終わりである。この世界の文化上、真名を偽ったとなれば大問題だが、鳳統たちがやったのはそうではない。子供のやった悪戯程度で、彼らは済ませることだろう。何しろ、彼らには何も実害はないのだから。

「何故そうしたのかとも、お聞きにならないんですか?」
「答え合わせ的な意味では聞きたいね。でも、それは鳳統一人で話しちゃまずいことだろう。諸葛亮と一緒にやりだしたことなんだし、落ち着いたらってことで構わないよ」
「ご配慮、ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げる鳳統に、一刀は大きく息を漏らした。紆余曲折はあったが言いたいことはとりあえず言うことができた。百点満点とは言わないが、それなりに満足の行く結果である。

「こんなところかな。茶飲み話にしては少し真面目過ぎたかもしれないけど、今言ったことも含めて、将来のことを考えてくれると嬉しいかな。勿論、俺は鳳統の意思を尊重する。違う道を歩くということになっても、間違ったって責めたりはしない。ただ、俺は鳳統と一緒に働きたいし、一緒に働けるなら凄く嬉しい。そのことは覚えてもらえると助かるかな」
「ご、ご安心ください。記憶力には聊かの自信がありますので……」
「それは良かった」

 言いたいことを言った一刀は、それで肩の荷が降りた。気分が軽くなった所で、遠くに自分を呼ぶ声が聞こえる。梨晏の声だ。おそらく、幹部の誰かが自分を探しているのだろう。となれば、鳳統も探しているに違いない。

「それじゃあ、行こうか諸葛亮」
「はい。お供いたします」



次回戦闘、その次がまとめ。二つの軍団編は後二話の予定です。

他のも含めて投稿の感覚が開くようになってしまいました。なるべく時間を取るようにしていますが、気長にお待ちいただけたら幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第025話 二つの軍団編⑦







 突然ぼとりと空から落ちてきた『それ』に最初に気づいた賊は、暗がりに落ちてきたそれを無警戒に拾い上げた。その警戒心のなさは賊ならではだったのだろう。その無警戒さの中でそれが人間の首であることに気づいた時、賊が上げた悲鳴は身も世もないものだった。

 賊が上げたのは何ら意味のない叫び声だったが、先日襲撃があったばかりである。団員の大声は『敵襲』と叫んだに等しい。声を聞いた全員が武器を持ち何事だと集まってくる。結果としてそれは首が落ちてきたというだけで襲撃そのものではなかったのだが、いくら発展途上の文明であっても天気によって人間の首が降ってくるということはない。

 そして落ち着きさえすれば賊たちにとって人間の首など見慣れたものだった。

 首の元の持ち主は先日の襲撃で恐れをなして逃げ出した連中の一人だった。いずれ見つければなます切りにでもするところであるが、今は追手を出す余裕もない。逃げたのならば放っておけば良いと廃砦に残った賊は逃げた連中のことを頭から消していたのだが、忘れ去られていたはずの人間は彼らが思いもしない形で戻ってきた。

 首だけになった元同僚に賊たちはいよいよ自分たちが追い詰められていることを感じ取った。

「聞け! クズども!」

 廃砦の賊たちが一か所に集まるのを待って、物見場に立った一刀は大声を上げた。見張りは既に打倒している。高い場所にいるのは一刀と、その護衛についてきたシャンと梨晏のみだ。

「この砦は包囲した。翌日の夜までに総攻撃をかける。命が惜しければ投降しろ。ただし、お前たちのお宝はすべて俺たちがもらい受ける。投降以外の手を選んだら皆殺しだ。何か質問はあるか!」

 一刀の問いに、賊たちは無言で返した。誰もがこの展開に追いつけず言葉を失っている中、考えるよりも先に行動をするタイプの賊はこそこそと物陰に移動し暗闇の中で矢を番えた。狙うのは口上を述べる一刀である。物陰から、一撃必殺を狙って放たれたその矢は、狙い通り一直線に一刀へと伸びていった。

 男は生き残った賊の中では弓の名手として知られていた。正規軍にでも所属していればそれなりの地位に就けたはずの腕であるが、それはあくまで凡人の中にいれば輝くというそんなレベルの話である。武として一刀個人の腕はいまだに大したものではなかったが、脇を固めるシャンと梨晏の腕は賊とは比較にならないくらいに高い物だった。

 護衛の一人であるシャンは男が物陰に移動したのも見えていたし、矢を番え一刀を狙っているのも見えていた。準備の段階で潰さなかったのは、攻撃があるようなら一度はやらせておけと一刀から指示があったためである。危機とは未然に潰すものだ。護衛の観点からするとその指示は堪ったものではなかったのだが、その方が効果があると言われては従わざるを得なかった。

 飛来した矢は一刀に当たる直前で、当たり前のようにシャンに掴まれた。自分を殺すはずだったその矢を見た一刀は内心、かなりびびっていたのだがそれを表には出さなかった。大将の動揺はすぐに下に伝わる。デンと構えるのが一番大事な仕事だと言われそれを実践できていた……というのであればかっこよかったのだが、単純に事態に思考が追い付いていなかっただけである。

 その間に、シャンは一刀を挟んで反対側にいる梨晏にその矢を放り投げ、梨晏は自分の強弓にその矢を番えた。
狙うのは今まさに一刀を狙った賊である。必殺のはずの一撃が年端もいかない少女に掴まれ唖然としている男の額に、その一瞬後梨晏の物となった矢は吸い込まれた。梨晏が使うものとは比べ物にならないくらいに粗悪な矢だったが、梨晏くらいの腕があればそれも問題にはならない。

 何より額を貫通するくらいの強さで矢を受ければ、矢の質に関わらず人間というのは死ぬものである。梨晏の矢を受けた賊が一矢で身体ごと吹っ飛ばされたのを見て、賊たちは上にいるのが自分たちが逆立ちしても勝てない連中であると理解した。

「改めて言うが投降以外の手を選んだら皆殺しだ。何か質問は?」
「投降したら命は助けてくれるのか?」
「官憲に引き渡す。その後のことは俺の関知するところじゃない」
「それじゃあ投降する意味がねえじゃねえか!?」

 こんな時代である。投降した賊に温情が与えられるということはほとんどない。賄賂でも出せるならば話は別だろうが、お宝を奪われるのであれば賊たちにはもう実弾がない。投降するのはほとんど死ぬのと同義だ。戦っても死ぬ。投降しても死ぬというのであれば少しでも旨味がある方を選ぼうというのが人間というものだ。

 この場合は一刀たちに投降しないという手段である。捕まった場合、順当に行けば間違いなく先はない。ならば生き残る可能性が少しでも高い方をと思うが現実として、逃走した人間は首だけになって転がっている。弓で射殺そうとした者はあっさりと返り討ちにされた。相手にはそれ相応の武力あるのだ。

 言葉を全て信じるのであれば、廃砦は既に包囲されている。逃げるのであればそれを突破しなければならない。流石に包囲した戦力全てが上にいるような手練れということはあるまいが、上の連中が騎兵を破った連中と繋がっているのであれば、兵力としての質もあちらの方が上であることが想像できる。

 百の言葉を重ねるよりも、一つの事実を突きつけた方が早い。これが一瞬後の自分となれば、如何に賊たちでも足を止めるには十分な理由だった。事実、射殺された男を最後に即座に反抗するものは出てきていない。目の前にいるのは手練れであっても、見えているのは中央にいる一刀を含めて三人。数を頼みに圧殺するには十分な数がまだ賊たちにはあったが、『敵は目の前にいるだけではない』という当たり前の事実が、死体を伴った交渉によって補強された。死の恐怖と自らの生存の可能性を意識した彼らは、突発的な行動に出ることはできない。

「とりあえず今死ななくても済むだろう。繰り返すが投降しなければ皆殺しだ。今死ぬか後で死ぬか、好きな方を選ぶと良い」

 そこで、更に主張を展開する。今死ぬのも後で死ぬも結局死ぬならば大した違いはないが。今死ぬよりはと希望を抱かせることで、意味のない問答に価値を見出させる。一刀の望みは彼らが問いに対して答えを出すことではなく、その問いを考え続けることだ。欲を言えば、集団としての結論は出ない方が良い。その方が自分たちにとって遥かに安全で、簡単だからだ。

「投降を選ぶのであれば、正門から両手を頭の上に挙げて、何も持たずに出てこい。それ以外の場所、方法で外に出てきた者は、敵意ありとみなして殺す。宝を持ち出しても殺す。いいか、決まり事は厳守しろ。それがこの場で殺されないための、唯一の方法だ」

 一刀は、賊たちに背を向けた。そろそろ夜明けが近い。周囲に人影は見えないが、団の仲間と関羽たちは陣を引き払い、全員で前進している。元直と程立の部隊が時間的に位置についていないため、包囲はまだ完了していないが、臨戦態勢には違いない。

 被害が出ることを厭わなければ、現時点で総攻撃をしても賊を殲滅できるだろうが、そういう手段を一刀は取らなかった。最大目標は、可能な限り多くの賊を無力化すること。そのための準備はまだ済んでいなかった。

「猶予は一晩だ。明朝、また来る。それまでに結論を出せ。それまでに廃砦の外に出たものは、どういう意図であろうと殺す」

 言って、一刀は物見場を飛び降りる。これで自分一人で着地し、颯爽と駆け出すことができれば恰好もついたのだが、先に着地したシャンが一刀の身体を受け止めた。上る分には一人でもできるが、過程を一足飛びにした飛び降りは一刀程度の身体能力であると負担になるのである。二階建て家屋の屋根というのは、一般人が気軽に飛び降りることのできる高さではないのだ。

 これで、作戦の第一段階が完了した。砦に火をつける手はずも大方済んでいる。一刀がシャンたちを侍らせ悪役を決めている間に、馬やら何やらを使った団員たちが、放火に必要な道具を近くまで運んでいたのである。いざ火をつけるまでにはまたセッティングをする必要はあるが、武装解除せずに姿を見せたら殺すと脅しをかけておいた。

 不用意に外を見に来る人間はそういないだろうし、いたとしても梨晏の弓で排除できる。計画を実行するまで射殺役の梨晏と、彼女に次いで弓の上手い関羽には負担をかけることになってしまうが、逃走者を捕獲するために出払った元直と程立が配置につくまでまだ時間がある。足並みが揃い、時間がくれば計画実行だ。

「貴殿も悪役が板についてきましたね」
「あまり嬉しくはないけどな。さて……これで翌朝まで外に出ないでくれるかな?」
「それが生存の猶予となれば彼らは時間一杯を使うでしょう。命が安い連中であれば尚更です」
「それなら重畳だ。それじゃあ皆、後は計画の通りに。休む奴はしっかり休んでくれよ」

 既に一刀隊は砦から視認できるところまで移動している。この辺りに他に建造物を始め遮蔽物はないため、身体全てを晒さないまでも、顔を覗かせれば確認できるはずだ。砦を包囲するように動いているが、その包囲も完全ではない。出払った程立と元直の部隊が合流してもまだ心許ないくらいであるが、砦に火がついた状況を加味すれば、ギリギリこれでも行けるというのが軍師たちの判断である。

 彼女らに比べて知識や経験で劣る一刀にはまだ不安が残るが、軍師が大丈夫と言っているのだから大丈夫なのだろうと思うことにした。こと作戦を実行する段階になれば、大将役にできることは少ない、デンと構えているのが仕事だと言われれば、心に不安があってもデンと構えるのが一刀の役目だ。

 一刀たちの混成部隊は、現在五つに分けられている。一刀のいる部隊を本隊とし、関羽と張飛を隊長とした部隊を二つ。それから賊の逃走経路を押さえていた元直と程立の部隊で五つである。現代ほど通信技術が発達していない現状では、リアルタイムでのやり取りなど望むべくもない。

 緊急時の連絡手段を決めた上で、タイムテーブルに従って行動している。特に予定の変更がなければ、日が沈むまでに配置に就き、本隊が動いたのに合わせて行動を起こす手筈となっている。細かい調整は必要であるものの、全ての部隊に軍師が一人ずつ配置されているため、臨機応変な対応は彼女らに一任されている。

 一刀の本隊には郭嘉が残ったという訳だ。関羽の部隊には諸葛亮――本人である――が配置され、張飛の所には鳳統が配置されることになった。全ての部隊に一流の軍師が配置できるという、規模の割りに軍師過多な集団の頼もしさである。

 そうして、何事もなく時間は過ぎ、日没前になる。その間一刀たちは交代で休みを取りきちんと食事も済ませた。士気の面でも体調の面でも現状考えうる限り最高の状態である。賊の方は生きた心地のしない夜を過ごしただろうが、それも一刀の望むところだ。

「日頃の行いが良いのかな」

 見上げる空には、雲一つない。日はゆっくりと沈み夜の帳は下りた。星と月の光はあり足元を照らしているものの、現代育ちの一刀には、この時代の夜の闇はまさに闇である。その闇を照らすための松明は、既に背後にある。ここから動いていない、ということを誤認させるために、展開した全ての部隊が多めに松明を設置し、それを残してゆっくりと前方に移動している。

 廃砦の上にも松明はともされているが、物見の人間は出ていないようである。実際、物見場に武装を解除しないで上った人間がいたのだが、姿を見せた瞬間に、梨晏に射殺された。余計なことをすると殺されると悟った賊たちは鳴りを潜め、今は自分たちの今後について激論を交わしている。

 仮に宣告した期限まで待ったとしても、全会一致の結論は出ないだろうと一刀たちは踏んでいる。大筋として投降という形には落ち着くだろうが、あらゆる欲を捨てきれないからこそ、彼らは賊に身を落としているのだ。刻限が来るまで、彼らは意味のない会議をずっと続けるのだ。

 それをこれから襲うのである。我ながら卑怯だと思うが、背に腹は代えられない。敵と仲間の命であれば、仲間の命を取る。この世界にやってきて、一刀の優先順位は現代で暮らしていた頃よりも遥かに明確になっている。これから人を殺すという罪悪感はいまだに消えないが、だからこそ正しい道を選べるのだと自分を騙せるようにもなった。

 これは必要な戦いである。自分に言い聞かせるように心中で唱えながら、一刀は腕を振り上げる。一刀隊の中でも工作が得意な人間が廃砦に取り付き、放火の最終準備も済ませている。後は自分が腕を振り下ろすだけで火矢が射かけられ、廃砦は炎に包まれるだろう。

 それが、軍師たちの決めた開戦の合図である。これから人が死ぬ。それを強く認識した一刀は大きく息を吸い、そして腕を振り下ろした。号令はない。ただ、一刀の合図を見た梨晏は、一気に火矢を撃ちまくった。設えられた油類に火がつき、廃砦に燃え広がる。周囲に炎が見える段になって、流石に賊たちも気が付いた。

 小火ではない。明らかな敵方の手による現象に、命の危機が迫った彼らは即座に謀られたのだと察する。各々が武器を取り、火が回らない内にと廃砦の外に飛び出すが、廃砦から出てきた瞬間、梨晏の矢に射殺される。

 廃砦は所々が崩れており、どこが正面というのもないのだが、一刀たちが受け持っている南側の出入り口を賊たちは正面と捉えているようで、それはこの非常時においても同じだった。他の出入り口と比べて多くの人間が飛び出してくるが、その賊たちにただひたすらに梨晏は矢を射かけていく。

 一矢一殺。それはもはや必殺と言っても良い手際だったが、流石に弓の名手でも動きの速さに限界がある。射殺すよりも廃砦から出てくる人間の方が多くなってくると、生き残った連中は纏まることはなく好き勝手に逃走を開始する。

 こうなると、梨晏でも手は出せない。出てくる場所が限定されるなら照準する時間は限りなくゼロにすることはできるが、的が散ってしまうとそれも限度がある。それでも梨晏は矢を放つのを止めない。それが仲間の安全を最も高めることを、彼女自身が知っているからだ。

 同じ射殺係である関羽の十倍を超える量の矢が、梨晏の元には準備されている。それが尽きるまで一刀隊の安全は半ば保証されたようなものだった。それにしても、と思う。夜の闇の中、敵味方入り乱れて戦っているのに味方を避けて正確に敵だけを射抜いていく梨晏の弓の腕には感服するばかりである。

 一刀隊の面々も梨晏の弓の腕に慣れてしまっているため、背中を誤射されるかもなど考えもしない。好きな風に動いて好きな様に戦っていると、梨晏の矢が敵を射殺しているのである。ある意味こんな簡単な戦いもない。信頼のおける援護がある上に、一刀たちは普段から連携を重視した訓練をしている。

 命からがら逃げてきて、しかも個々で戦う賊と、準備に準備を重ねて策に沿って行動し、十分以上の援護をもらって集団で戦う一刀団では勝負の趨勢は明らかだった。

 絵に描いたような一方的な戦いを続けていると、燃える廃砦の中から飛び出してくる人間も皆無になった。生きて居る人間は殺しつくしたか捕虜にしたのだろうか。それにしては数が少ないと一刀は思った。軍師たちの試算では一刀たちの受け持ちはまだ三、四十はあったはずなのだが、予定はあくまで予定である。

 実際は、他の出入り口から出る人間が多かったということなのだろう。賊が出なくなってからしばらく待って、もういないと判断した一刀は梨晏の援護を終了させ、郭嘉の待つ隊の本営に走らせた。散ってしまった隊を集めて被害状況を確認。後は他の隊に伝令を、と考えた所でまだ燃える廃砦から飛び出す影があった。

「撃つな! 撃つな!」

 両手を頭の上にあげ、大声を出しながら廃砦から一人、走り出てくる。薄汚れた装いであるが声は高い。性別不詳だが男であれば声変わりもしていない年齢ということになる。遠目には少年に見える。射殺役の梨晏は今は離れた場所にいるが、それを相手が知る手段はない。

 兵たちは一刀を守るように展開し、正面にはシャンが立つ。暗闇の中でもシャンの大斧の存在感は凄まじい。大斧から手を離さないシャンを横目に見ながら、走ってきた人影は一刀の前に立った。煤で薄汚れてはいるが悪い身なりではない。町中ですれ違えば、中流の人間とは判断されるだろう。少なくとも田舎者と判断されないだけの雰囲気がある。

 若干癖のある薄紫色の髪は無造作に伸ばされ、首の後ろで一つにくくられている。まともな恰好をすれば、女子が放っておかないだろう美男子ぶりだったが、全身の汚れとへらへらと笑いながら両手を挙げている様がその持前の要素を台無しにしていた。

 全身を眺めて、一刀は頷く。直感的に気づいたことはとりあえず置いておくとして、この人物は見た目からしてどう見ても賊の関係者ではない。

「どこの誰か聞いても良いですか?」
「あんたらと同じ人間に雇われた、って言っても簡単には信じてくれないよな?」
「そうですね。俺たちはそういう話は聞いていません。詳しく事情を聞かせてもらっても良いでしょうか」

 込み入った話になると判断した兵たちは、一刀に視線で許可を取って一刀たちから距離を開けた。護衛はシャン一人になるが、それで十分と判断したのだ。兵たちが離れるのを待って、人影は話し始める。

 商人たちも一刀たちが得た物の『一部』を民に放出して回るということは十分に理解していた。回収できるなら良しと諦めれば良い物が大半ではあったが、中にはそうでないものも紛れ込んでいるおり、一刀たちはそれを任せるには信頼できない。そこで目端の利く人間を送りこみ、可能なようであればその回収をするよう依頼があったという訳だ。

「なら俺たちに一声かけてくれてくれても良かったんじゃありませんか?」
「民のために頑張ってますって顔してる人間に、自分本位なお願いはできないもんさ。兄さんたちが名誉とかそういうのを気にするように、商人にだって気にすべき評判ってものがあるのさ」
「確かにクソ野郎と評判の人間から商品は買いたくないものですが……」
「ところでさ、兄さん。あんたいつもこんなにバカっ丁寧なのかい? 俺みたいなのにそうしても、良いことないぜ?」
「そうですか? でもまぁ、年上の女性には丁寧に接しておいて損はないかと思って」

 一刀の言葉に、人影は一瞬動きを止めた。それは演技をすると決めたら貫き通す『彼女』にとっては実に久しぶりの現場での失点だった。眼前の人物のその様子を見て、一刀は気まずそうに言う。

「…………もしかして、言わない方が良かったですか?」
「何も言わないでくれていたら、お互い笑顔で別れられたのですけどね……」

 口調が少年のそれから女性のものに変化すると、雰囲気までががらりと変わった。先ほどまで少年のようにしか見えなかったのに、今ではどうみても女性と感じられる。最初から気づいていた一刀は驚きもしないが、完全に男性だと思っていたシャンは、その変化に目を丸くしていた。

「貴女には会わなかったことにしますよ。俺たちの仕事は盗賊の殲滅であって、奪われた品物の回収はただの努力目標なので」
「沢山回収すれば、お金持ちの方々の覚えが良くなるのでは?」
「そこは別の手段で何とかします。貴女を捕らえて考えるというのも手ではありますけど、かわいい仲間を危険に晒す訳にもいかないので」

 一刀の物言いに、女性はくすりと小さく笑みを浮かべた。一刀の物差しではこの女性は自分よりも遥かに強いとしか感じられない。射殺係の梨晏は郭嘉の方に合流しているため、弓の援護もすぐには期待できない。実際に戦ってシャンが遅れを取るとも思えなかったが、無駄に危険な橋を渡ることもないだろう。

「見逃していただけるようなので、私はこの辺で。縁があればまたお会いすることもあるでしょう」
「名前を聞いて良いでしょうか?」
「それは再会した時の楽しみにしておきましょう。さようなら、北郷一刀さん」

 ゆらり、と女性は身体を傾げると、細身の体に似合わない速度で駆けだしていった。その背を見ながらシャンが得物に手をかけるが、一刀はそれを制止する。今ならば無力化できる。そう判断したからこそシャンは攻撃しようとしたのだろうが、雇い主が同じという彼女の言葉が本当であれば、一応味方ということになる。

 それが本当である保証はどこにもないが、とりあえず一刀は彼女を信じることにした。

「あの人、どうして俺の名前を知ってたんだと思う?」
「そうじゃない可能性も十分にあるけど、依頼人に聞いたんだと思う。さっきの人は結構強いし、ある程度のお金持ちに雇われたと考える方が自然」
「国が送り込んできたということはないかな?」
「それはないでしょう」

 戦闘が引けたのを見て、梨晏とその部下と一緒にやってきた郭嘉が言った。既に他の四部隊にも伝令を走らせており、砦攻めは終結に向かおうとしている。残っているのは戦後処理だが、それは他の四部隊が合流してからになるだろう。明確に撃ち漏らしがあるのであれば、その分の戦力も出さなければならない。終局に向かってこそいるが、まだ終わってはいないのだ。

「貴殿の態度と話の流れを察するに、私に内緒にしたいことがあったようですが、無駄に終わりましたね」
「俺が郭嘉に隠し事をするはずないだろ?」
「ダメな男は皆、女にそういうことを言うんですよ」

 頭痛を堪えるような仕草をして、郭嘉は深々と溜息を漏らした。郭嘉の陰から心配そうな顔で覗いていた鳳統と視線が合うと、彼女はぶんぶんと勢いよく首を横に振った。そんなことはないと全身で主張してくれる鳳統に心が温まっていると、梨晏が無言で頭を差し出してきた。

 撫でれー褒めれーと無言で主張する生意気な頭を脇に抱えてぐりぐりすると、梨晏はきゃーと悲鳴を上げた。少女らしいところもたまにあるのに肝心なところは少年なのだ。身体つきではシャンも大差はないのだが、奇抜な恰好をしていること以外は普通に女の子している。

 梨晏が美少女であることを否定はしないが、扱いは妹分というよりも弟分の方が近い。これで大丈夫なのかなと思いつつも、弟妹のいなかった一刀にとって梨晏との距離感というのは気持ちの良いものだった。

「できることなら全く関与させずに終了と行きたいところではありましたが、流石に個人と集団では個人の方が足が速いですね」
「介入は予想できてたってことか?」
「全員一致の見解でした。詳らかにしたところで支障しかないので、これまで伏せていましたが」
「それまたどうして」
「目立つ所に現れるのでなければ、知らないままでいてほしかったのですよ。どういう事情であれ『貴方の手の者の邪魔をしました』と態度や言葉に出るようでは、我々の利益にはなりませんからね」
「さっきの人が俺の目の前に現れたのは予想外ってことか?」
「我々が包囲している中、気付かれずに廃砦に取り付き仕事を達成した手腕を見るに、気付かれずに外に出ることは十分に可能だったことでしょう。にも関わらず貴殿の前に姿を現したのですから、それは彼なりの意図があったと考えるのが自然です」

 郭嘉の言葉に、一刀は努めて表情を消さなければならなかった。どうやら郭嘉は、彼が彼女だとは気付いていない様子である。

「優秀な人間には違いないでしょう。集団の規模が大きくなれば、いずれ草の者を使う必要も出てきます。信頼のおける人間には、今から唾を付けておくのも悪いことではありませんよ」
「草の者ねぇ……」

 随分時代がかった集団が出てきたものだが、現代と比較にならないくらいに通信技術が遅れているこの世界においては、情報の精度は文字通り生死を分けるものである。郭嘉もことあるごとに重要性を説いてはいるのだが、中々前には進んでいない。

 一刀団の中でも、向いていそうな人間を情報収集専門に当てようと画策しているのだが、色々な技術を持った人間が集まる一刀団にも、殺しや潜入工作が本職同等という人間はいなかった。専門の人間を作るにしても、完全に手探りの状態で始めることになる。

 最低、一人は専門技術を修めた人間が必要になるが、それは信頼のおける人間でなければならない。ただ戦えれば良い人間と違って、募集要項そのものが厳しいのだった。

「草の者のことはとりあえず置いておきましょう。まずは事後処理が先決です。関羽殿、張飛殿からは伝令が戻ってきました。視界に入った人間は全て討ち果たすか捕虜にしたということで、これから合流するとのことです」
「後は程立と元直の所か。伝令が来るまで待つか?」
「検分を急ぎましょう。中にまだ賊がいるかもしれませんから」

 ほどなくして、関羽、張飛とも合流し廃砦に向かう。廃砦はまだ燃えていたが、火の勢いは既に衰えていた。消火作業を急ぎつつ、周囲の警戒には一応張飛本人とその部隊を使うことにした。手ごたえがなさ過ぎて暴れ足りないらしい。

 行くのだ―! と馬で走り去る張飛を見送り、概ね消火の済んだ廃砦の中に足を踏み入れる。炎の燻る中に転がっていたのは無数の死体だった。焼け焦げた死体を見ながら外に出てきた人間が思っていた以上に少なかった原因はこれだったのだと理解する。逃げることよりもまず宝を優先した人間は全て、『彼女』にやられてしまったのだろう。争った形跡がほとんど見られないのを見るに、やはり一方的な戦いだったのだ。

 死体をいくつかひっくり返した関羽が検分を始めていた。流石にこの時代の人間か、焼死体にも嫌な顔一つしない。

「……どうやら殺された後に炎に巻かれたようですね。どの死体も喉を一掻きで殺されています。この人数となると中々の手練れですが、同士討ちとは思えません」
「俺たち以外に侵入者がいたってことでしょうか」

 勿論、その人物には心当たりがあったが、それを口にはしなかった。郭嘉以下、一刀団の人間は全員黙っている。示しを合わせた訳ではないが、さっきのことは秘密にするというのが一刀団の認識だった。

「そう考えるのが自然でしょう。私たちに歩調を合わせているということは同じ依頼主か、あるいはその対抗馬の横槍か。色々と考えられることはありますが、今は置いておきましょう。ここに死体しかないというのであれば、回収できるものを回収し、撤収することを提案しますが、いかがでしょうか」
「全面的に同意します。俺もそろそろ、街で美味い物でも食いたいです」

 この世界にも随分慣れたものだが、元々一刀は現代育ちである。風呂は毎日入るものだったし、生活は規則的。食事も基本的に三食取っていて、しかも特別肉体労働などしたこともなかった。集団での行動は楽しいし勉強にもなるが、それが長い期間になるとやはり街暮らしが恋しくなってくる。

 これには早く慣れないとなと思いながらも、清潔な環境での生活への渇望は中々収まらないのだった。

 それから捕虜を引きずり回し宝の回収に着手する。『彼女』が持ち出したのか捕虜の話よりも目減りしていたが、それは捕虜の勘違いということで強引に押し通し、撤収の準備を始める。周辺の警戒を終えた全ての部隊が合流し、廃砦の周辺には一刀団と関羽団、全ての兵力が集まっている。

「一区切りついたということで、前々から聞きたかったことがあるのですがよろしいですか?」

 撤収の陣頭指揮を程立に任せ回収した品物の簡単な目録作りをしていた所、同じ作業に従事していた関羽が何でもないことのように言った。

「構いませんよ。答えられることでしたら何でもお答えします」
「そうですか。それでは――」









「諸葛亮殿と鳳統殿は、どうして名前を入れ替えているのですか?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第025話 二つの軍団編⑧






「まさかそんな事情だったとは……」

 一刀と元直の説明を聞いた関羽は、自分の行動を鑑みて項垂れた。自らの思うところを口にした。単純な疑問であったし、それは希代の軍師からの謎かけにも思えた。果たして自分の実力が彼女らの御眼鏡に適うものであるのか。決して野心的ではない関羽をしても、それは気になることではあった。まさかそれが同盟や合流を模索している相手に直接的な損害を与えることになるとは考えもしなかったが。

 賊たちを討った後、何も夜間に移動することはないと判断した一刀たちは廃砦付近に陣を張ることにした。戦いが一方的なものだったこともあり、賊にも生き残りは相当数いる。それには見張りを割かなければならない。戦が終わり今は戦勝ムードである。酒も出ているし、軽い無礼講の様子だ。

 それに出たくないという人間はいない。まして二つの軍団の一刀以外の幹部は、客将も含めて全員が美女美少女である。飲み屋や食堂で看板娘というのが重宝されることからも解るように、見目麗しい女性というのは飯や酒を美味くし、気持ちを潤わせるものである。

 特に何かする訳でもないが近くで顔を見れるだけでも気分が良いし、もしかしたらお酌くらいはしてくれるかもしれない。そういう期待もあって誰もが捕らえた賊の見張りを嫌がっていた。当然それは、団長であり男である一刀は関羽よりも良く把握していた。

 そこで一刀はこっそりと両方の団員たちを集めた。関羽には適当な理由をつけての召集である。貧乏くじを引かされるのだと理解していた団員たちの態度は芳しいものではなかったが、一刀は彼らにこっそりと臨時ボーナスを出すことを約束した。

 今回の依頼主は大商人の集まりで金持ちだ。当然、街の色々な所に顔が利く。彼らの紹介ならば如何わしいお店の人気の女性の予約も、自分たちよりは簡単に取れるだろう。仮に予約は取れなかったとしても、費用の全ては団が持とう……

 次の瞬間、団員たちの間で殴り合いが始まり、勝ち残ったものが見張り番を受けることになった。貧乏くじを引いたはずの彼らは、戦闘が終わった後だというのに意気軒高。逃げる気配のある賊もいたが『逃げれば首から下を穴に埋めてその周りで火を焚いてやる』と脅してやると、すぐに大人しくなった。

 そんな訳で生き残りを逃がすような心配はなくなった。どういう理由で彼らのやる気を引きだしたのか察した郭嘉には氷の視線で見つめられたりもしたが、一刀は意に介さなかった。熱意を持って仕事に臨めるならこれ以上のことはない。

「しかし私が何も言わなければ、二人ともが一刀殿の所に行っていたかもしれない訳で――」
「可能性の話ですよ。今の俺には縁がなかった。それだけの話です」
「そう言っていただけると私としては助かりますが……」

 今の時勢、軍師というのは喉から手が出るほど欲しいものであるし、軍団の運用を考えれば何人いても十分であるということはない。特に優秀な人間、上を狙う人間であるほどその傾向は強い。関羽もその例には漏れないはずであるが、現状彼女は強い引け目を感じているようで、希代の軍師を引きこむことができたという嬉しさは微塵も感じることはできない。そこに彼女の人の良さを感じる一刀である。

「話がどちらかにまとまるってことはあるかな?」
「ないんじゃないかな。二人とも軍師としてこうあるべきという判断をしたんだ。それを曲げるということはないと思うよ」
「実力はどっちが上ってことはないのか? 一応、諸葛亮の方が主席だったとは聞いてるけど」
「総合的な成績ならね。でも弁論に限って言えば拮抗してると思うよ。学院の関係者であの二人に勝てるとしたら僕か水鏡先生か静里くらいのものさ」

 確かに元直は弁が立ちそうではある。元直にあの二人が勝てる姿というのは思い浮かばないし、あの二人の先生というのなら、水鏡先生という名前が挙がるのも頷けるが、静里というのは聞いたことがない。名前の感じからして誰かの真名で、元直の後輩ということは察せられるがそれだけだった。

「前に話したことがあったかもしれないけど、静里というのは僕の後輩でね。朱里たちから見ると年上だけど学院の後輩でもある。口が悪いだけあって弁は立つよ。少し前の考査で僕を破って先生から贈り物を勝ち取った才媛さ」

 言葉の端々から悔しさがにじみでている。笑顔ではあるが目が笑っていない。諸葛亮たちの前では良い先輩として振る舞っているが、元直とて稀代の軍師として数えられている。自分の頭脳に誇りはあるだろう。それが後輩に負けたのである。心情として面白いはずがない。

「まぁいずれにしても、あの二人の問題はあの二人が解決するべきだと思うし、あの二人なら自分たちで解決できるだろう。その点については心配する必要はないと思うよ」

 他にも色々と問題はあるが、最も懸念があるとすればあの二人の心情である。自分たちが関与したことで二人の間に亀裂が入るようなことになれば寝覚めが悪い。現状でも無傷とは言えないだろうが、ある程度は慰めにはなる。

「もっと強引に行くべきだったと思うか?」

 一刀は傍らでちびちびと杯を傾けている郭嘉に聞いた。ちなみに、梨晏とシャンは既に酔いが回り、仲良く一刀の膝を分けて寝込んでいる。先ほどから一言も発言をしていないのはそのためだ。

「全てをその手にというのであれば、最初からそのように動くべきでした。私たちであれば経過とその後はどうあれ、そうすることもできたでしょう。しかし、貴殿はそれを望みませんでした。我々にとってはそれが全てです」
「前向きに捉えるなら過去は振り返るなということですねー」
「後ろ向きに言うなら?」
「女の子に優しいのはお兄さんの美点の一つですが、行くべき時には行かないといつか大損しますよ」
「肝に銘じておくよ……」
「君は上に立つ人間にしては仲間に物を聞くのに躊躇いがないけど、心情的な所ではもう少し仲間を頼ると良いと思うよ。難しい決断なら尚更さ」

 頼れる仲間がいるのは良いことだよ、と元直は杯を傾ける。一刀にとっては耳の痛い話だ。

「私は一刀殿を引きこむつもりでおりました」

 自分は今後どうするべきなのか。杯を傾けながら考えていた一刀に、関羽の言葉が届く。それなりに酒が進んでいるのだろう。白い頬は朱に染まっている。隣で飲んでいた張飛がその袖をちょいちょいと引っ張っているが、酔っているらしい関羽はそれに気づいていなかった。

「ですが私は、この度のことで力不足を痛感しました。私はまだまだ一刀殿に相応しくないと思うのです」

 この人は一体何を言ってるのだろうと、一刀は心の底から不思議に思った。相手はあの関羽である。後に中華街に飾られるような神様になるような人間さえ相応しくないというのなら、一体どんな人間が相応しいというのだろう。

「ごめんな、お兄ちゃん。愛紗は頭は悪くないし強いけど、見ての通りとっても面倒くさい奴なのだ」

 張飛もしみじみと言っている。妹分にまでこう言われるのだ。自分が言ったことを他人に言われた程度でひっくり返したりはしないだろう。良く言えば芯がしっかりとしている。悪く言えば頑固というのが、一刀の関羽に対する印象だった。現時点で引きこめないのは残念であるが、本人が心に決めたというのなら諦めるより他はない。

「これから関羽殿はどうなさるおつもりで?」
「実は北に行こうと思っています。知人から手を貸してほしいと連絡が来まして」
「差し支えなければご友人の名前を伺っても?」
「公孫賛と申します」
「――異民族との戦いで名を挙げられた、実質的な幽州牧とされる方ですね。白馬のみで構成された騎馬隊を指揮していることから、『白馬義従』とも呼ばれています」

 話だけを聞いた一刀の感想は、かっこいいなという単純なものでしかなかった。ある程度の実力が保証されているからこそ、白馬で統一などという見た目に拘れるのである。郭嘉たちから言わせれば一刀など、見た目に拘るのはまだまだということなのだろうが、いつかはそういう見た目にかっこいい部隊を指揮してみたいと思う。

 だが、関羽がこの近辺から姿を消すというのは、心情は別として一刀たちにとっては都合の良いものだった。何しろ関羽は優秀な商売敵である。取り分が増えるということはより味方の安全を保証できるということでもあった。

 最善はもちろん、関羽たちを仲間に引き込むというものだったが、今回の共同作戦はやっただけの価値はあったと言って良いだろう。関羽が入れ替わりを指摘した時には両方持っていかれてしまうのではないかと冷や冷やしたが、最終的な収支がプラスになったのであれば一刀としては文句はない。懸念があるとすればやはり、鳳統たちのことだ。

「決着がつかないことで、二人の間にしこりが残ったりしないかな?」
「主義主張が違っても、仰ぎ見る旗が違っても友情というのは育めるものだと思うよ。二人はちゃんと親友さ。そこは何も心配はいらないんじゃないかな」

 元直の言葉が終わるのを待っていたように、別の場所で話し合いの場を持っていた二人が戻ってきた。時間にして三時間程である。将来の話をしていたにしては短い時間と言えるだろうが、稀代の軍師である二人にとってそれが長かったのか短かったのか解らない。

 諸葛亮は一刀を一瞥もせずに、関羽の前に跪く。鳳統も同様に一刀の前に跪いた。

「私は鳳統。字は士元。真名は雛里と申します」

 同じような口上を、諸葛亮も関羽に行っている。二人の間で話はついたということなのだろう。かつて望んだ形ではないのだろうが、二人は共に仕えるべき主を見つけた。軍師を渇望していた関羽にすればこの状況は望むべきものであるはずなのだが、諸葛亮を前に困った顔をしている。

 誰の思惑とも外れてしまったのだろうが、二人の軍師の道筋はここに決まった。



















 賊討伐の共同作戦の結果は、収支を見れば大成功と言って良かった。懸念の一つはお宝が目減りしていたことである。やはり途中乱入した謎の人物により持ち出されていたことは間違いないようで、それについては生き残った賊にも確認させた。死体まで改めたが賊の中で奪っていけた人間はおらず――その可能性がある人間は悉くが死体になっていた――元直が締め上げたから間違いはないだろう。

 それを差し引いてかつ村々に大放出したとしても、一刀たちの手元には相当量のお宝が残った。これを懐に入れられるのならば話は楽だったのだが、余った以上そうもいかない。賊が誰かから奪ったものを奪い返したのであれば、元の持ち主に返すのが本来の筋である。

 それについては一刀団の面々がそれなりの難色を示した。お宝は回収した人間のものであり、返す必要はないというのが彼らの理屈だ。現に今までも盗賊を襲ってお宝を回収していた訳だが、これらは持ち主に返したりはしなかった。

 だが今回は元の持ち主がはっきりとした物がほとんどであり、商人たちは目録まで作っている、着服、放出するのが多少であればそれでも目を瞑ってくれるだろうが、それが多量となるとそうもいかない。回収したお宝を返すのは規定事項なのだ。

「安心してください。可能な限りぶんどってきますので」

 戦後の交渉は郭嘉が続けて担当することになった。一刀も顔は出したが、基本突っ立っていただけである。あれをしたこれをする。これからは――と話を畳みかけて、回収したお宝の一部であったり金子であったりと一刀団及び関羽団の収入はかなりのものとなった。

 それこそ団員たち全員で豪遊しても余裕な程である。なお、一刀がこっそり行った約束は商人たちの手によってきっちり守られた。今後良好な関係が築けるのであれば、娼館に便宜を図ることなど彼らにとっては安いものだったからだ。これにより一刀は関羽団の人間からも一目置かれることになったのだが、当然と言えば当然のことながら、そういう配慮をしていたことは郭嘉たちにもしっかりとバレており、決して短くない時間のお説教をされる羽目になった。自業自得ではあるが、後悔はしていない一刀である。

 それからしばらくして、関羽たちは予定の通り北に移動するための準備を進めた。近辺の戦力が薄くなることに商人たちは難色を示したのだが、ここで関羽が強く一刀たちを推したことが効いた。自分たちがいなくても、彼らがいれば大丈夫だと。

 当座に限って言えば、一刀たちにとってはありがたい話である。一刀たちもいつまでこの辺りにいるか解らないが、スポンサーの覚えが良いに越したことないからだ。関羽たちが受け持っていた仕事も自分たちが請け負うというのであれば収入も増えるし、人員の増加も見込める。関羽からの推薦は一刀たちにとっては良いことずくめだ。

 一刀たちが討伐した賊がこの辺りで最大規模かつほぼ最後の戦力だったようで、商隊の危険度は今までよりも大きく下がった。それは一刀たちの実入りが下がることを意味するものだったが、その分今までよりも時間は取れるようになった。

 できた時間は調練に回している。ちょうど雛里が加入して指揮系統を見直そうとしていたところだ。全体の調練は彼女に任せ、残りの幹部は金策と人員の確保に奔走することになった。関羽たちと協力して事に当たったとは言え、大規模な盗賊団を討ったことは近隣の住民には相当に好意的に受け止められているようで、自分も合流したいという若者を相手にすることになった。

 景気の良い所に乗っかろうという食い詰め者もいたが、そういう人間も含めて一刀たちは全て受け入れることにした。この規模の軍団にしては一刀団の調練は厳しい。従軍経験者であるシャンがいることも大きいが、関羽団と一緒に仕事をしている間に、彼女らのノウハウも色々と吸収させてもらったことも一因である。

 今はそれを雛里が実践している最中だ。本格的に合流したのは最近のことでも、半年間のおためし期間の間に団の面々とも打ち解けている。普通は年若い少女に仕切られたら面白くないと思うのかもしれないが、それがとびきりの才能を持つ美少女であれば話は別らしい。郭嘉や程立と同じように、団の面々からは先生と呼ばれ慕われている。いかつい男たちに先生と持ち上げられることに雛里はくすぐったい思いをしているようだが、それもいずれ慣れるだろう。


 そして、関羽たちの出立の日である。


 団の面々は個別の別れを先に済ませてしまったため、一刀団から出ているのは一刀たち幹部のみである。一刀が雛里たちと出会った街の外で、彼らは向かいあっていた。

「関羽殿の武運をお祈りしています」
「私もです。再会する時には、もっとマシな人間になれるよう励みます」

 相変わらず不思議な程に関羽が自分を立ててくれることを不思議に思いながら、一刀は差し出された彼女の手を握り返した。離れている間も連絡を取り合えるようにと、元直が情報網の一部を割いてくれることになった。二つの団どちらも、人員を割いて情報を集めるに足ると判断されたらしい。

 ちなみに彼女は一足先に旅立っている。またも水鏡先生の指示で、今度は并州へと足を運ぶことになった。何でも先生の姉弟子の娘が難しい仕事をしているとかで、その手伝いとか。大戦の気配は元直も感じ取っていたが、おそらく参加はできないだろうと残念がっていた。

「北の地で君たちの活躍を楽しみにしているよ」

 そういって元直は笑っていたが、梨晏やシャンはともかく凡人の域を出ない自分がどれだけ名を上げられるかは微妙なところである。まさか勇猛果敢に名のある武人と一騎打ちという訳にもいかない。自分の腕前は自分が良く解っている。そういう展開に魅力を感じないでもないが、魅力優先で動いていては命がいくらあっても足りない。
まずは生き残ることが一刀の最優先課題である。

「一刀さん。色々とご迷惑をおかけしました」

 諸葛亮が一刀の前で頭を下げる。一刀の方に、彼女からご迷惑をかけられた覚えは全くない。それどころか一刀には親友である雛里と袂を分かつことになった一因を作ったという負い目さえあったから、頭を下げるべきは自分だとさえ思っていた。

 それは関羽との共同作業であったものの、それで負い目が完全に消える訳でもない。諸葛亮を前にして一刀が感じるのは申し訳ない気持ちだったが、諸葛亮の方には含むものはないように感じられた。

 相手は軍師である。それも当代随一の天才と名高い美少女だ。言葉を額面通りに受け取るのは危険ですよと、郭嘉に何度言われたかしれない。解ってはいるつもりだが、一刀はこの少女に限ってそれはないと信じることにした。

「こちらこそ。壮健で」
「私の親友をよろしくお願いします」
「承りました」

 それくらいで、他に交わすような言葉はない。簡単なやりとりで終わるものと思っていた一刀の前で、諸葛亮は一刀にだけ見えるように小さく指を動かした。顔を寄せてくれ、という合図に屈んで顔を寄せると、諸葛亮が耳元に顔を寄せてくる。

「本音を言うと、私は別に貴方でも良かったんです」

 囁くような声音に、一刀は思わず諸葛亮を見返した。赤紫色の瞳が、一刀を見返している。決して豪胆とは言えない少女は軍師らしく、自分の知性に従って行動している時にはその性質は鳴りを潜める。これは諸葛亮の本心なのだろうと一刀は思った。

「私の見た限り、将来性という点で貴方の勢力と愛紗さんの勢力にそこまでの差はありません。貴方の方が先だったということも事実と理解しています。ですが、雛里ちゃんがあんまりにも貴方を推すので、私も引くに引けなくなってしまいました」

 諸葛亮の表情には、後悔も見て取れる。諸葛亮も雛里もあの性格である。少女同士の約束とは言え、本人たちにとっては重いものだったことは察するに余りある。それでも尚、諸葛亮は自分の心情に従って行動することを選択した。

 稀代の軍師としては、らしくない行動である。打算を無視した行動は一重に少女の未熟さが生み出したものと非難する人間もいるかもしれないが、眼前の可憐な少女の姿を見ると諸葛亮の行動にも納得が行く気がした。名前と能力が先に立って現代生まれの一刀さえ誤解しそうになるが、諸葛亮も雛里も見た目通りの年齢をしている。理性的に行動できなかったとしても、不思議ではない。

「ただそれだけ、というには事が大きくなってしまいましたが、私にとってはそれだけのことです。貴方を邪険に思っている訳ではありません。そこは誤解のないようにお願いします」

 言って、諸葛亮は静かに微笑んだ。差がないというのであれば、心情的にはどちらを選んでも構わないということでもある。関羽を選んだのは感情的な理由であったとしても、筋道を立てて雛里を説得しようとしたその内容にまで嘘はあるまい。諸葛亮は本気で関羽を立てて、雛里を説得しようとしたのだ。

「そんなことは一度も思ってませんよ。貴女は貴女の思うままに行動し、雛里もそれに応えた。ただそれだけのことですよ。友達の間になら、よくあることです」
「……私の真名は朱里と申します。また会う日まで壮健で。手を携え、共に戦える日を楽しみにしています」
「こちらこそ。武運を祈ります」

 控えめに差し出された手を握り返すと、朱里はたた、と駆けて関羽に合流した。堂々とした立ち姿である関羽とそれに付き従う朱里。張飛だけがこちらを振り返りながら大きく手を振っている。こちらで手を振り返しているのは主に梨晏だ。表裏のない真っすぐなあの性格が、梨晏には馴染み易かったらしい。

「朱里ちゃんは何て?」

 戻ってきた一刀に雛里が問いかける。昨晩、二人で夜を明かし思う存分語り合った二人は、別れの際はあっさりとしたものだった。離れていても心は一つ。言葉にすれば美しいし一刀もそれを支持する立場であるが、それでも最後に親友が何を言っていたのか気にはなるらしい。気にしてないというポーズを取っているのも実に微笑ましいことである。

「私の親友をよろしくだってさ。朱里も雛里と同じ気持ちだと思うよ」
「…………」
「どうした雛里」
「……………………どうして朱里ちゃんのことを真名で呼んでるんですか?」
「? いや、さっき呼んで良いって言われたからだけど」

 聞かれたから答えた。一刀にとっては軽い気持ちでの返答だったのだが、雛里にとってはそうではなかったらしい。 雛里は帽子のつばで顔を見せないようにしながら、一刀の腹に一心不乱に無言で拳を打ち始める。ぽこぽこぽこ、ぽこぽこ。全く痛くはないし、傍から見れば微笑ましい光景とも言えるだろうが、やられている一刀としては対応に困る状況だ。助けを求めようと周囲に視線をむければ、これだからこいつは……という心の声が聞こえてくるかのようなしらけ切った視線が痛い。

 目の前で揺れる魔女っこ帽子のしっぽを眺めながら、一刀はようやくこれが朱里なりの意趣返しなのだと理解した。脳裏で小さく舌を出した朱里の姿が見えた気がした。




次回から連合軍編になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。