パープルアイズ・人が作りし神 (Q弥)
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入学~九校戦。そして精神支配。
プロローグ・九島烈と少年。


「横になってゆっくり休みなさい」

 

病弱な孫の部屋を出た九島烈は表情を歪ませる。

 

魔法師を兵器とする事は止めねばならない。これ以上、光宣のような子を産み出してはならない。

 

魔法師開発の歪みの果てに産まれた孫の姿を見るたびに陥る思考。

魔法師開発を率先してきた自分が苦悩するのは滑稽だと理解している。

だが何とかしなくては…

沈んだ気持ちのまま自分の書斎のドアを開ける。

 

「!?」

 

驚きに固まる烈。

愛用の肘掛け椅子に少女が座っていた。

少女は本棚から取り出した古いハードカバーを読んでいる。

一瞬妖怪の類かと疑う。

九島家の砦の様な屋敷の、烈の書斎に誰にも気がつかれずに入り込むことは卓越した忍びでも不可能だろう。

ましてや、今日は孫も自分もいる。

そんな事が可能な人物は…と記憶をたどる。

黒髪を肩まで伸ばしたぞっとするような美少女…少女、いや違う。

記憶に残る少年の顔を思い出す。

古い古い記憶の中の少年の顔。日にやけ、刃物の傷跡と薬物でかさかさになった頬、全てを憎むかのような目…

記憶が作り出した幻覚…違う。

似ても似つかないその少女、いや少年の顔が記憶の少年の顔と重なる。

 

「驚いたな…これほど驚いたのは何年ぶりか…」

 

素直に驚きの声を上げる烈。

少年が読みかけのハードカバーから視線を烈に向ける。

 

「僕も驚いたよ、さすがに老けたね烈くん」

 

革張りの肘掛け椅子がギシギシと音をたてた。重厚な椅子に埋まるように座る小さな姿はひどく不安定だ。

 

「…やはり生きていたか」

 

安堵と疑惑、そして罪の意識が交じり合った複雑な感情。先ほど孫の姿を見ていたからこそなおさらだ。

 

「僕も自分が生きていた事が信じられないけどね、力が回復してまともに動けるようになったのは2日前さ」

 

「その間どこにいたのかね?」

 

「どこか知らない山の中だよ。傷を回復することより全身に染み込んだ薬物を排除するのに時間がかかったよ」

 

「たしかに最後に会ったときより顔色が良い」

 

「うん、傷の回復中は身動き出来なくてね、熊に生きながら齧られた時は恐怖だったね、くくく」

 

稚気と狂気をはらんで笑う。作り物じみた容姿とあいまって奇妙な不気味さだ。

 

「一瞬で怪我を治す魔法でもあればよかったんだけどね」

 

「残念だがそのような魔法は開発されていないな」

 

ちらりと三年前の沖縄戦のある魔法師のことが頭をよぎるが、あれは属人的なモノでインデックスにも登録されていない。

そっか残念だと答える少年は手にしていたハードカバーを開いたまま机に伏せる。

 

「ああ、すまないがそれは『不思議の国のアリス』の初版本でね、本が傷むから栞をはさんでくれないか」

 

「ん、ごめん。あいかわらず細かいね」

 

少年は栞になりそうなものを探し、机にあった万年筆を本にそっと挟んだ。

烈くんが来るまで読んでいようと思ったんだけど面白いねとつぶやく。

手ごろな紙ではなくわざわざ万年筆を栞にする、半開きになったハードカバーが妙に少年の不器用さを示していた。

烈は少年の過去と今の容姿の最大の違いを指摘する。

 

「髪を伸ばしたのか」

 

「うん、昔は丸坊主だったからね」

 

なるほど、記憶の少年の髪を伸ばせば今の容姿とわずかに重なる。その重なった少年の瞳が烈に向けられる。

 

「ところで、弟たちはどうなったかな」

少年の瞳が黒曜石のように光る。

かつて最高にして最巧と言われた烈の魔法はケレンに満ちたものだ。

少年の能力がかつてのままなら、自分の魔法など圧倒的な破壊力の前に消し飛ばされるだけだろう。

危険な問いだがこの場でごまかして、後に真相を知った時の事を考えれば素直に答えた方が賢明だろう。

 

「生き残った彼らは全国の施設に軟禁されている」

 

「そっか…でも、しかたないかな。生きていてご飯を食べられれば、まだマシだね」

 

烈は少年の言葉に首をひねる。

 

「助けようとは思わないのかい?」

 

「今の僕に出来ることは…ないと思うな」

 

寂しそうに笑う。

かつての彼なら身を捨てて助けに行ったかもしれない。

しかし、今の彼には何の政治力も財力もない。助けたところで、身内に追い立てられ一人ずつ抹殺されるだけだろう。

本来ならば処分されていた存在だが、烈が手を回し施設軟禁にさせた。

生きているだけでも幸せ、と言う時代を烈も少年も生きていたのだ。

少年も烈と同じだけ歳をとったのだ。見た目はそうは見えないが…むしろ昔より幼く感じられる。

だが、烈は少年の評価を上方に修正する。

 

「ふむ、ところで久、私にどのような用があって来たのかな?」

 

にこり。少年、多治見久(たじみひさ)は、歳相応の笑顔を見せる。

 

「名前を呼んでくれるのは軍では烈くんだけだったね。もちろん約束を叶えてもらうためさ」

 

「約束?」

 

「戦争が終わったら、学校に通わせてくれるって言っただろう?」

 

「学校か…」

烈の脳裏に魔法科高校の事が浮かぶ。

 

「まさか戦争は続いているのかい?」

 

「いや…平和ではないが、戦場ではないな」

 

国際情勢は緊迫している。三年前も沖縄と佐渡で隣国との小競り合いがあった。だが大都市が戦場になる可能性は低いだろう。

十師族も他国の監視を行いつつ権力争いに夢中でいられる状況なのだから。

 

「ちょうどいい、一ヵ月後に魔法科高校の入試がある」

 

「まほうかこうこう?」

 

烈は魔法科高校について久に説明する。

国策で魔法師を育成するために全国に九つ建てられた事、卒業生は勿論軍人もいるが技術者や医療関係に進む者もいる事など。

まじめに聞き入っていた久がぽつりとつぶやく。

 

「そっか、選択肢が増えたんだね」

 

かつて能力者が戦場にしか行き場が無かった世代の感慨だと、烈も頷く。

 

「でも僕が高校生ってのは流石に無理じゃないかな。魔法科小学校や中学校はないの?」

 

「残念だが、教師が不足していてね。魔法科高校でも足りていない。それに年齢は、今更だろう」

 

久の能力がかつてのデータのままなら魔法力は圧倒的で入学には問題は無いだろう。

学力は…不安しかない。学校に通ったことも無く、ひたすら人殺しの知識を叩き込まれた10歳の子供だ。

魔法理論も壊滅的だろう。まだ理論も技術も未熟だった時代に、思うだけで能力が使えたのだから。

とは言え知能は高かったので、入試までに詰め込めば何とかなるだろう。

本来ならもう一年時間を空けたいところだが、今年の一校には深夜の子供たちも入学するはずだ。

 

3年前の沖縄戦での司波達也の異能、四葉の後継者候補筆頭の司波深雪。

 

彼らがいれば久の異常性も影に隠れるだろうし、四葉に傾いた十師族のパワーバランスを戻すことにも繋がるだろう。

一校の校長の百山には十師族の口利きは利かないであろうから、久には必死に勉強してもらおう。

ふっと笑みを浮かべる烈を不思議そうに見上げる久。

 

「どうしたの?」

 

「いや、ひとつ尋ねたいのだが、久、君はこの国についてどう思う?」

 

唐突な質問だが、この国を守るために、非人道的な実験を繰り返し、魔法を開発し、十師族という組織を創った者として、重要な問いだ。

 

久は答える。

 

「この国は嫌いだよ。実験で全身を切り刻まれ、血を抜かれ、危険な薬を大量に打たれ、毎日痛くって、弟や妹も同じ目にあわされた」

 

久が立ち上がり、烈の両目をしっかりと見つめる。その顔には稚気も狂気もない。

魔法師開発の歪みの、始まりの少年の無垢な瞳。

 

「でも、仲間や弟たちが、命を賭して守ったこの国を、僕は守りたい。もしもこの国を滅ぼそうとする物がいたら、容赦なく滅ぼす。僕にはその力があるのだから」

 

烈もしっかりと久の紫がかった黒い瞳を見返す。

 

「昔よりもっと上手にできるだろうしね」

 

世界最初の戦略級能力者はにっこりと笑った。




次回からは、入学編。主人公、多治見久、精神年齢10歳の一人称の文になります。

魔法力は桁外れに高く、制御も上手いが、CADの操作は不慣れなので、魔法師としては一年目はあまり目立たない。
再生能力はあるが達也より時間がかかり、意識がないと治せない、その間痛みもそのまま。
子供なので女子よりかっこいい男子に憧れます。
一校の女子には女の子扱いされるのでちょっと苦手。
なぜか年上の、しかも一回りもはなれた歳の女性にもてる…予定。


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司波達也くん。

ここからオリ主の一人称です。


 

「しまった、早く来すぎた」

 

魔法科第一高の入学式の当日、僕は興奮で寝られなかったので、さっさと登校する事にした。

そのせいでCADも携帯端末も忘れて来てしまった。

CADを忘れるなんて魔法師の卵としては初日から失格だと思う。

魔法科高校はとても敷地が広いので、しばらく見学がてら歩いていれば時間もつぶせるかな。

僕はとてとて歩き始める。

一高の制服がぶかぶかで歩きにくい。

何でぴったりのサイズを烈くんは用意してくれなかったのだろう。

いや、これ以上小さなサイズがないのか…あまった両袖がぷらぷら揺れるのが気になる。

制服の肩には花弁のエンブレム縫い付けられている。

僕は一科生になったのだ。一科生と二科生の違いは担当講師がつくかつかないかなのだ。

僕は学校に通ったことが一度も無いので、それがどの程度の差なのか良くわからない。

勉強が苦手な僕にはよかったんだろう。

あのペーパーテストで合格できるんだから、やはり魔法科高校は魔法力重視なんだ。

それにしても、友達できるかな。

女男とかいじめられないか不安だ。

 

中庭のベンチで一人の男子生徒が座っていた。

読書でもしているのかな。

姿勢の綺麗な人だなと思う。背筋をぴんとのばして携帯端末を見ている。

男子生徒がふと視線を上げ僕を見た。

 

「何か用か?」

 

落ち着いた声だ。普段から発声の練習でもしているのかな。良く通る腹式呼吸の声だ。

 

「じろじろ見てごめんなさい。姿勢の綺麗な人だと思ったものだから…」

 

僕は素直に頭を下げて謝った。せっかくの学生生活なのだからケンカや面倒ごとは御免だもの。

 

「別に謝らなくてもいいが…男子だよな…?」

 

ベンチに座るその男子生徒と立っている僕の視線の高さはほとんど同じだ。

 

「男の子だよ!男子の制服着てるからわかるでしょ!」

 

僕はあわてる。どうしてみんな僕を女の子と間違えるのだろう。

試験勉強中、光宣くんと時々外出したときも仲の良い兄妹に間違えられたし。

 

「そうか」

 

男子生徒は無表情のまま、あまり興味がなさそうに答えた。

これは珍しい反応だ。大概の人は僕が男の子だって否定するとよけいにからかってくるのに。

 

「きみは新入生?」

 

「そうだが」

 

「僕も新入生なんだ。ねぇ僕の名前は多治見久。久でいいよ。どうしてこんなに早く登校したの?学校が楽しみだから?」

 

「司波達也だ。俺のことも達也でいい。妹が新入生総代でね、付き添いで早く来たんだ」

 

「達也くん妹がいるんだ。いいなぁ僕にも妹がいたんだ」

 

「いた?過去形になっているが…」

 

「うん、ずっと昔に死んじゃってね、あっ慰めとかいいよ、昔のことだから」

 

絶対に忘れられない妹たちのことだけど、他人には無関係だし、こんな昔のことでせっかくの入学式を暗い気持ちにさせたら迷惑だもの。

達也くんの無表情に少しだけ感情がこもったような気がした。

 

「あっごめんなさい読書中に、僕迷惑だった?」

 

「式までの時間つぶしだから気にしなくていい」

 

「そっそう、ねぇ迷惑ついで何だけれど、お友達になってよ!」

 

さすがに唐突かなとも思ったけど、僕ははやく友達が欲しいんだもん。

彼はすごく落ち着いているし、声を荒げたりしないし、何よりどこか僕と同じような雰囲気を持っている気がするんだ。

 

「唐突だな…。だがいいのか?」

 

司波達也くんはそう言うと、自分の制服の肩を指差す。そこには花のエンブレムがなかった。

 

「そんな花柄どうだっていいと思うけど…」

 

司波達也くんはちょっと驚いた顔になったけど「構わないよ」と友達になることを許してくれた。

やったー!学生生活初の友達だ!凄く嬉しい!

 

「隣に座っていい?」

 

「構わない」そう答えた達也くんは携帯端末に再び目を向けた。

僕は達也くんの隣にぽんっと座る。読書の邪魔にならないように静かにしていよう。

えへへ友達だ、と浮かれながら両足を前後に振る。だってベンチに座ると足がつかないんだもん。

静かな時間が流れる。

僕はふいに眠気にさらされた。今日は一睡も出来なかったのだから仕方がないや。

僕は達也くんの肩…いや腕にもたれてうとうとし始めた。

達也くんは邪険にしないでそのままでいてくれた。

なんていい人なんだろう。

 

 

 

 

 

「新入生ですね?入学式の時間ですよ」

 

女の人の声で僕は目を覚ました。小柄な、と言っても僕より背の高い女性が目の前に立っていた。

僕が達也くんの腕まくらから起きるとその女性は達也くんと会話をはじめる。

スクリーン型とか仮想型とか良くわからない事をしゃべってるけど、何となく達也くんが褒められているような気がする。

ちょっと嬉しいけど、達也くん本人は少しわずらわしそうだ。僕のときと対応が違って面白い。

達也くんの態度に気がつかないのか、女性はくすっと笑うと自己紹介をした。

 

「申し遅れました。私は第一高校の生徒会長を務めています七草真由美です。ななくさ、と書いて、さえぐさ、と読みます。よろしくお願いしますね。」

 

さえぐさ生徒会長か。生徒で一番えらい人がこの人なんだな。

 

「俺…自分は司波達也です」

 

「そう貴方が…」

 

七草会長が感心してつぶやく。なんでも入試試験で前代未聞の高得点で、魔法理論と魔法工学は満点だったそうだ。

「ペーパーテストの成績です」なんて謙遜してるけど。

 

「すごいよ!すごいよ達也くん!」

 

達也くんが謙遜する分、僕は興奮して叫んじゃった。

達也くんの前で両手を握り締めて喜ぶ僕の姿はきっと、憧れのスポーツ選手を前にした子供のように瞳をキラキラさせているに違いない。

 

「えぇと…?」

 

七草会長がとまどった声をあげたので、僕も自己紹介する。

 

「僕は多治見久です。宜しくお願いします」

 

「えっ!?貴女が多治見久さん!?」

 

「あっ今、貴女って漢字あてたね。達也くんには貴方だったでしょう!」

 

「魔法発動の速度、魔法式の規模、対象物の事象書き換え強度が歴代一位…いえこの国の記録のどれよりも上位だった多治見久君が貴方だったの」

 

七草会長の言葉に達也くんも驚いているようだ。

入試の実技では烈くんに言われたように最初は少し手を抜いたんだ。

でもそれは試験官にすぐばれたみたいで、不思議そうに機械を調べ始めて、何度かやり直させられたんだ。

機械まで変えて5回も同じ事をさせられてイラついた僕は思わず少しだけ力を入れてやったんだ。

昔の僕なら命令されれば何度でも同じ事を繰りかせただろうけど、今のメンタルはただの10歳児と同じだ。

そうしたら機械が壊れてしまって、頭を抱えた試験官たちにやっと解放されたんだ。

 

「でも、ペーパーテストは平均程度だったけれど…魔法理論と魔法工学は白紙答案で0点だった。司波君とはまったく逆の成績ね…どうして白紙答案なんてしたの?」

 

「だって現代魔法を勉強し始めたの入試の三週間前だったんだもの!」

 

この僕の言葉に七草生徒会長も達也くんも絶句したようだ。

 

烈くんの前に現れたときの僕はまだ体力は完全に回復していなかった。

でも能力のみで回復していた頃より、栄養・美味しい食事をとっていたから回復は早かった。

動けなかったから仕方ないけれど、多くの時間を無駄にしたのか、この時代に回復したのは運命なのかな。

休み休み勉強したんだけど、一般知識にすら不足している僕が普通の勉強だけでも大変なのに魔法のことまで覚えられる訳がない。

光宣くんも親切に教えてくれたんだけれども無理だった。

そこで烈くんが「微妙な点を取るくらいなら白紙で提出しなさい。その方がインパクトがあるだろう」と言ったんだ。

「魔法力とペーパーテストの結果にギャップがあればあるほど学校側は疑心暗鬼になって勝手に良い方に解釈するだろう」

さすがは最高にして最巧と言われているらしい烈くん。見事に合格できたよ。

でも、まぁ入学してから勉強は大変だろうなぁ…部活も憧れたけど、それはちょっと無理になるかも。

 

七草会長が何か言いたそうな表情をしたので、僕は達也くんの制服の裾を引っ張ると「じゃぁ始業式が始まりますので失礼します」と走り出した。

このまま彼女と話していると危ない気がする。それは達也くんも同じようで、会長に挨拶すると僕についてきた。

しばらく走ってから、

 

「久、どこに向かっているんだ」

 

達也くんが尋ねてくるので「何言ってるの始業式の会場だよ」と答えると、

 

「講堂は逆方向なんだが…」

 

「え?」

 

「講堂はこっちだ」

 

と、ゆっくり歩き始める達也くん。

僕はその達也くんの制服の裾を頼りなく握ってとてとてとついて行った。

ひょっとして僕は方向音痴なのかも…



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入学式と。

講堂の中は新入生でいっぱいだった。

花のエンブレムのある生徒が前に、無い生徒が後ろに綺麗にわかれていた。

入学案内にそんなこと書いてあったかなと思ったけど、達也くんは悪目立ちしたくないと後ろの席に向かった。

僕も達也くんについて行った。

達也くんは何か言いたそうだったけれど、僕の手は達也くんの制服の裾を握ったままなのだ。

決して迷子にならないためじゃないたら。

 

後ろの空いている席に並んで座る。

 

しばらくして反対側の空席に女子生徒が四人座った。

達也くんと自己紹介しあっている。僕も自己紹介したほうがいいのかな。

 

「あっあの僕は多治見久です。宜しくお願いします」

 

座ったままぺこりと頭を下げる。

快活そうな女の子が不思議なものを観るように達也くん越しにつぶやいた。

 

「ええと…女の子?」

 

「女の子じゃないもん男の子だもん。ちゃんと付いてるもん」

 

何がって?もちろん…

 

「一科生の方ですか?」

 

メガネの女の子が気弱に尋ねてくる。一科生だと問題あるのかな。一科生だと友達になれないのかな…達也くんはなってくれたけれど。

女の子は少し苦手だなと思っていると式が始まった。

校長先生が舞台に立ってお話をしている。

こういうのはすぐ眠くなるんだよなと思っていると、達也くんの肩をまくらにまた眠ってしまった。

 

 

ゆさり。達也くんに優しく起こされた。

式は寝ている間に終わったようだ…

始業式の後IDカードの交付があった。あいかわらず僕は達也くんの制服の裾を握っている。

 

 

「なんだか親娘みたい」って千葉エリカさんが言って、達也くんが微妙にへこんでいた。親娘?

 

クラス分けは僕がA組、達也くんエリカさん美月さんがE組、あとの二人は別の組でE組になりたかったって残念がっている。

僕もE組がよかったな。

後の二人がそれぞれホームルームに向かう。

「あたしらもホームルームに行く?」エリカさんが尋ねると、

「すまない妹と待ち合わせしている」と、達也くんの妹さんのお話になった。

美月さんが妹さんの入学式答辞を素敵だったと言っている。

新入生の総代を務めるって言う妹さんのことか。オーラがどうとか、僕も起きていればよかった…

 

 

「お兄様、お待たせしました」

 

僕たちが会話している廊下の講堂の方から一人の女子生徒がゆっくりと、でも少しだけ急いで歩いてきた。

黒髪の凛とした女性だ。なるほど背筋のすっきりとした感じが達也くんに似ている。

妹さんはもちろん僕より背が高かった。

僕より背の低い生徒はいない…んだろうな。

 

「こんにちは、司波くん、多治見くん。また会いましたね」

 

妹さんの後ろから七草会長さんが声をかけてきた。

達也くんは軽く頭を下げたが、エリカさんと美月さんはちょっと気圧されてるみたいだ。

僕は達也くんの身体の影に隠れつつ頭を下げて、七草会長の視線からさりげなく隠れる。

こんなとき小さい身体は有利だ。嬉しくないけど…

 

「お兄様、その方たちは?」

 

達也くんが僕たちを紹介してくれた。

 

「そうですか、早速クラスメイトでデートですか」

 

ん?なんだか少し涼しくなったような気がする。外は春うららかなのに。

 

「そんなわけないだろう、深雪を待っている間、話をしていただけだよ。そんな言い方三人に失礼だよ」

 

三人?エリカさん、美月さん、僕…

 

「ちょっと達也くん!僕は男の子だよ!今日何度目かなこの台詞…やっぱりこの髪切っちゃおうかな…」

 

「「「だめよ!!」」」

 

エリカさんと七草会長と、なぜか深雪さんの声が綺麗に、ほんとうに綺麗にハーモニーした。

何故だろう、達也くんもそうだけど、この人たちの声には逆らえなくなる魔力が宿っているぞ…

 

 

生徒会の用は日を改めてと七草生徒会長が気を使ってくれて(隣の男子生徒が何か言いたそうだったけれど)、

僕たち5人は帰りにエリカさんが見つけたというケーキ屋さんに寄った。

僕はケーキ屋もカフェも生まれて初めてだったから興奮してしまった。

快活なエリカさんも意外と行儀良くケーキを食べている。

4人とも間違っても口にケーキをいれたまましゃべったりしないのだ。

僕はもぐもぐと甘いケーキを食べながら、達也くんの話を聞いている。

達也くんは口数は少ないけれど、話しかけるとちゃんと答えてくれるんだ。

僕の知っている大人は、烈くん以外はそうじゃなかった人が多かったから…

僕は達也くんの話をキラキラした目で聞いている。

その僕の姿を深雪さんが優しい笑顔で見ている。学校での笑顔とは違う本当の笑顔だった。

 

入学式の翌日、僕は1-Aの教室に向かう。

相変わらず制服のサイズはぶかぶかで、とてとて歩く。

待望の学園生活初日なので、浮き浮きと階段を上がる。

やっぱり薬物が抜けた身体は軽く感じる。ドーピングはやっぱり良くないよね。

教室に入り端末で自分の席を確かめる。今日は端末もCADもちゃんと持って来た。

CADは受付に預けてきたけれど、今のCADの軽量化には驚きを隠せない。

僕が実験していた頃は、大型バス一台分もあったりしたのだから。

科学の進歩は凄いな。人間もそれに追いついて進歩していてくれると良いのだけれど。

僕は明るく楽しい学園生活を送りたいんだ。

 

そう思っていたのだけれど、教室に僕が入ると早速雰囲気が変わった。

「なんで子供が?」とか「昨日二科生とつるんでたガキだ」とか教室のあちこちから聞こえる。

わざと聞こえるように囁いているところが陰湿だ。

でもこれくらい気にしない。昔は悪魔だの化け物だのもっと酷いこと言われてきたから。

僕の沸点はかなり高いのだ。

 

再び教室の雰囲気が変わる。教室がざわざわと、僕の時とは違う熱のこもったざわざわだった。

僕は端末で履修登録や学校の施設、部活動なんかを検索していたので、深雪さんが隣に立つまでそのざわざわの原因に気がつかなかった。

クラスの視線が深雪さんに集まっている。その美貌に釘付けなんだろう。

僕はあまり人の美醜には心を動かされないので(醜いより美しい方がいいけれど)、深雪さんをクラスの男子生徒たちの様な目では見ない。

(第一、深雪さんには達也くんがお似合いだし)

と思っていたら、深雪さんが極上の笑みを浮かべた。クラス中の生徒からため息が漏れる。その笑顔には僕もドキドキだったけど…

あれ?今、僕、声に出してた?

 

「おはよう、久」

 

「あっおはようございます、深雪さん」

 

昨日のケーキ屋でおたがい名前で呼ぶように約束をしたんだ。

深雪さんは今日も姿勢正しく、所作のひとつひとつが綺麗だ。

深雪さんは端末を確かめると、僕の隣の席に座った。

 

「お隣ね、一年間よろしく、久」

 

「うん、こちらこそ。あっ昨日は達也くんにお金全部払ってもらっちゃってご馳走様でした」

 

「もう、昨日も何度もお礼を言われたわよ、あんなに美味しそうに食べている姿を見せられたら誰だってご馳走したくなるわよ」

 

昨日のケーキ屋の支払いは5人分達也くんが払ってくれたのだ。

なにしろ僕は端末やCADどころか一円も持っていなかったのだ。今は端末での振り込みやマネーカードが主流らしいけど。

 

「お昼ごはんは達也くんも食堂?」

 

「まだ朝よ、もうお昼のお話?ええ、そうよ」

 

そっかぁじゃぁお昼は急いで行かないと、と思っているとオリエンテーションが始まった。

他の生徒は深雪さんに話しかけるタイミングがなくなり、何だか僕を睨んでいる気がする。

オリエンテーションはしかめ面の先生がつまらない訓示じみた話をした。

A組は特に優秀なんだそうだ。僕は勉強は皆に比べて遅れているので(入試後も一生懸命勉強したけど)頑張らないと。

 

授業見学のときは深雪さんが僕の手をつないで連れて行ってくれた。

恥ずかしかったけれど、「あなた方向音痴でしょ、お兄様に聞いたわ」と言われ黙って引っ張られていく。

僕が深雪さんの隣にいると、なぜか誰も近寄ってこない。二人を中心に他の生徒と奇妙な空間の半円ができる。

あれ?深雪さん僕を壁にしてる?話しかけるなオーラを発しているような…ああこれが昨日美月さんが言っていたオーラなのか。

授業見学ではモリサゲくんが張り切って先生の質問に答えて滑っていた。

でも大勢の前で失敗を恐れずに挑戦する姿勢は僕も見習わなくてはいけないな。

 

授業見学の最後、深雪さんは他の生徒に囲まれていたので、僕は先に食堂に向かった。

 

「久ぁー、こっちこっち!」

 

食堂に入るとエリカさんが声をかけてくれた。

達也くん、エリカさん、美月さんに、もう一人男子生徒がいた。堀の深いかっこいい人だ。

 

「皆さんこんにちは」

 

きちんと挨拶をすると、男子生徒が「君が多治見久くんか。西城レオンハルト、レオでいいぜ」と挨拶してくれた。

あっ、一校に入って、初めて女の子扱いされなかったぞ。レオくんは絶対にいい人だ。

達也くんと同じご飯を選んで来て、隣に座る。一口大に切られた卵焼きをほお張る。もぐもぐ…

 

「どうかしたのか?」

 

急に無言になった僕に達也くんが尋ねてくる。こう言う細かいところにすぐ気づくのが達也くんだ。

 

「美味しい…美味しいんだけど、思ってたよりは美味しくない…かな」

 

「学校の食堂じゃぁこんなもんじゃないのか」

 

と一人食べ終わっていたレオくんが言う。

僕は昔は薬物で味覚が死んでいたから気にならなかったけれど、今はもの凄く敏感になっている。敏感すぎて偏食になるかもしれないな。

そうだ料理部に入って料理の勉強をしよう。

さっき検索したとき料理部があった。活動に融通が利くそうなので勉強と両立できると思う。

僕は、美味しいご飯さえあれば幸せなんだ。

 

お互いのクラスの情報を交換しながらご飯を食べていると、深雪さんが急ぎ足でやって来た。

そこでA組の生徒と達也くんたちと一悶着があった。

モリサゲくんがブルームとかウィードとか大声でわめいている。

魔法師として誇りを持つなら人間として尊厳を持って欲しいと思うけど。

達也くんが気を使って席を立ち、エリカさんたちも文句を言いながらも大人の対応をした。

僕は一人取り残されて、もぐもぐとご飯を食べていたけれど、隣からものすごい怒気と冷気を感じる。

あれ?茶碗蒸しシャーベットなんてお昼ごはんのメニューにあったかな?

シャリシャリ。

 





久は人を美醜より、姿勢や声や態度で判断します。
声優さんの声は魔的ですよね。
なので、深雪の美貌もそれほど気になりません。
次回。モリサゲくんの大活躍と、全一科生合同授業で久が始めての模擬戦で全生徒の度肝を抜く。

原作の部分はさくっと進めていきます。


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ぺちゃり!

「僕はお前を認めないからな!」

 

モリサゲくんの公開プロポーズは見事に失敗した。でも公衆の面前で深雪さんにアタックする度胸は凄いと思う。

僕は校門での騒ぎのあいだ、達也くんの後ろにただ立って見ていた。

レオくんやエリカさんの動きの早さや美月さんの情熱的なところ、七草会長や委員長さんの毅然さ、なにより達也くんの対人調整の上手さに感心しきりだった。

モリサゲくんの去り際、取り巻きの生徒が「覚えていろ!」と小声でつぶやいていた。

 

『覚えていろ』

 

何てすばらしい台詞なんだろう。

犯罪まで犯して(自衛以外の魔法は明確な犯罪だ)先制攻撃に失敗しておいて二度目があるなんて、何て優しい世の中になったんだろう。

刀を抜いた以上は、相手を戦闘不能にするまで攻撃する覚悟がないなら抜かないべきだ。

校門事件のおかげでクラスメイトの光井ほのかさんと北山雫さんとお友達になれたのはよかった。

たったの二日でこれなら友達100人も夢じゃないぞ。

 

そう思っていたけど、翌日の教室は僕を見る視線がよけいきつくなっていた。

二科生の肩を持つチビ。しかも、まわりに深雪さんほのかさん雫さんと美女三人をはべらせている。

正確には深雪さんに二人が集まって、僕は隣に座っているだけなのだけれど。

とくにモリサゲくんの集まりはぶつぶつ毒を吐いている。

そんな時間があるなら勉強すればいいのに。みんな頭がいいんだな。

今日から本格的に授業がはじまるから、その前に端末のテキストをキャンパスノートに書き取りしはじめた。

一字一字、刻むようにシャーペンで書いていく。ノートにはすでにびっしり書き込まれている。

 

「え…?ノートに書き取り?」

 

ほのかさんが驚いた声をあげ、雫さんも、

 

「アナログ…」

 

と驚いている…のかな?

 

「うん、端末の液晶で勉強しても中々覚えられなくて。こうやって書き写すのが今も昔も一番の記憶術だよ」

 

見るだけで記憶できる能力があればいいんだけれど…とつぶやくと深雪さんが微妙な表情をした。

僕なにか変なこと言ったかな。

 

「あんなに頭のいい達也くんだって毎日勉強しているんでしょ」

 

「ええ、お兄様は誰よりも努力を惜しまない人なの」

 

「すごいなぁ達也くんは、いつか追いつきたいなぁ」

 

今日の深雪さんは朝から少し機嫌が悪かったけれど、少し回復したみたいだ。良かった。茶碗蒸しシャーベットはもうゴメンだし。

僕も達也くんには及ばないけれど頑張るんだ!と両手をぐっと握り締める。

実際、寝る間も惜しんで勉強している。僕はあまり睡眠はとらないけれど、勉強ばかりも学園生活に幅が出来ないので、早く皆に追いつかないと。

 

翌日の深雪さんはものすごく機嫌がよかった。

深雪さんは生徒会に入り、達也くんも風紀委員になったんだそうだ。

風紀委員のなにが嬉しいのか良くわからないのだけれど、深雪さんが花のように笑っているとクラスの雰囲気も明るくなる。

相変わらず僕を見る男子生徒の目にトゲがあるけれど…

その日は一般科目の体育があったんだけれど、僕が更衣室で着替えようとするとものすごく嫌がられた。

男子生徒が全員着替え終わってからにしろと言われ、一人ぽつんと着替えた。男同士なのに変だなぁ。

運動は苦手だ。昔は鍛えていてドーピングもあって身体能力は異常だったけれど、今は筋肉が全然ないから。

僕がとてとて歩くのは制服がぶかぶかだからじゃなく、たんに体力がないせいなのか…鍛えないといけないな。

体育も終り一人遅れて教室に戻ると、僕の机の上にびりびりに破れたキャンパスノートが散らばっていた。

落書きまでしてあって、僕は一瞬途方にくれた。

ほのかさんや雫さんが怒って、深雪さんも静かにクラスを見回していた。僕が泣くとでも思ったのかな。

僕が途方にくれたのは、ノートなんていくらでも手に入るものを攻撃して楽しむようなメンタルの高校生がいると言うことにだ。

ノートは記憶するための手段でしかなく、べつに思い入れも無い。

この手の行為はだんだんエスカレートするかもしれないから気をつけたほうがいいいんだろう。

書いた分は覚えたし、破かれたノートを集めゴミ箱に捨てる。

新しいノートを出して、平然と書き取りをはじめる僕を皆が(深雪さんたちも)きょとんとした顔で見ていた。

 

午後、全一科生合同の授業が広い闘技場であった。

僕たちも自分のCAD持参で参加した。授業自体は簡単で、2・3年生には復習と習熟、1年生は授業と上級生との交流だ。

それは建前で実際は授業はさっさと終り、残った時間(残った時間の方が長い)を使って新入生の腕試し、上級生との模擬戦が行われた。

新入生のなかにも名の知られた生徒がいるのだろう、七草生徒会長や風紀委員長、それに存在感のある大きな男子生徒が端末のリストと新入生を照らし合わせている。

なるほど首実検みたいなものか。ちなみに深雪さんは除外されていた。ものすごい魔法戦になるからだそうだ。

何試合か行われて、当然上級生が全勝。今は新入生の十三束鋼くんと服部副会長が模擬戦をしている。

激しく体が入れ替わり、魔法が飛び交っている。流れ弾や外れた魔法は大きな男子生徒と七草生徒会長が難なく防いで、取り囲むように見ている生徒を守っていた。

服部副会長も新入生だと侮らず真剣に闘っている。ちょっと力が入りすぎているような気もするけど何かあったのかな。

十三束くんも善戦したけれど、勝利は服部副会長だった。お互い健闘をたたえ合っている。うん、副会長は立派な人だな。

勝った人も負けた人も、すごかった。現代魔法がここまで緻密で種類が豊富だとは知らなかった。物凄く興奮した。

その気持ちは身体の大きな男子生徒、十文字克人さんも同じみたいで、

 

「俺と模擬戦を行いたい新入生はいるか?」

 

と立候補者を募った。うん、低くていい声だ。間違ったことを言っても何故か正解かと思わせる胆力がある。

新入生はみな一歩下がったかのような雰囲気だ。二日前あんなに尊大だったモリサゲくんも背中が丸くなってる。取り巻きは震えている。

それでもモリサゲくんは踏ん張って、目の力は失っていない。闘いたいんだろうか。

 

「モリサゲくん、挑戦してみたらどうだい」と、僕は背中を押してあげた。でも、

 

「むっ無理に決まっているだろう!僕じゃ勝負にならない!それに僕は森崎だっ!」

 

と首を振った。なるほど勝てない戦はしないと言う戦術なんだ。彼我の実力差を見極められる実力があると言うことだ。

でもここは敵わないまでも全力でぶつかっていく方が深雪さんの好感度が上がると思うのだけれどなぁ。

 

「おっお前が挑戦しろよ!」

 

モリサゲ…いや森崎くんの取り巻きが僕に言う。声が震えているけれど、トイレ我慢しているのかな。

 

「ん、そうだね、じゃぁ挑戦してみる。はい!僕が十文字先輩に挑戦します」

 

はきはきと元気な声で手を上げる僕。森崎くんも取り巻きも、いや全生徒が驚いているみたい。

一番驚いているのは十文字先輩だったけれど。

 

「おまえが?」

 

「ハイ、宜しくお願いします」

 

とてとてと十文字先輩の前に向かう僕。

闘技場の、生徒で囲まれた円形の舞台に十文字先輩と僕が対峙する。おっきいな、僕の二倍背が高い。体重は何倍だろう…

七草生徒会長と風紀委員長がなにやらごそごそ話している。

風紀委員長がごほんとひとつ咳払いすると、「ん、では私が審判をしようと」僕たちの間に立った。

十文字先輩も真剣な顔になる。いやもともと真剣な顔だったけれど…臨戦態勢になったのはわかる。

闘技場の生徒たちにもその気配は伝わり、ざわついていた声がなくなる。

 

「では、これまで同様、死や再起不能、身体を損壊する攻撃は魔法でも直接でも禁止、頭部への攻撃も禁止する、蹴りを行う場合は…」

 

とっても素敵な声で細かいルールを説明してくれた。この声も聞いていたいなぁ。

 

委員長の「開始!」の合図で模擬戦が始まった。

 

僕が深雪さんと同じ携帯電話タイプのCADをすっと構え、操作する。

刹那、瞬きよりも速いスピードで、僕は十文字先輩の後頭部に浮いていた。

 

擬似瞬間移動。僕の能力からすれば、CADの操作分著しくダウングレードな魔法だけれど、烈くんに非常時以外は必ずCADを使うことを魔法科高校入学の条件にされているからしかたがない。

僕の擬似瞬間移動は人間の反射速度を軽く超えているので、十文字先輩も生徒たちも僕が十文字先輩の後頭部の中空にいる事にすら気づけない。

でも、問題はここからなのだ。

魔法だって普通の格闘技だって、訓練と反復が大切で、何よりもセンスが必要だ。

かつての僕はひとつの能力で力押しをしていくタイプだった。それ以外に必要が無かったから。

CADの操作にも慣れていない僕は最初の一回目はいいけれど、それにつなげるコンボがとっさに浮かばない。このCADどんな魔法が使えたっけ?

まずい、こんな事を考えていたら中空の僕はいい的だ。

こうなったら!CADを持っていない左手で拳骨を作ると、十文字先輩の頬げたに向かって、思いっきり、

 

「えいっ!!」とぶん殴ったんだ。渾身の力を込めて!

 

 

ぺちゃり。

 

 

十文字先輩の頬から、世にも可愛い音がした。

 

いっ痛い!殴った僕の拳骨より十文字先輩の頬の方が硬い!思わず左手を擦ろうとしたけど、その右手にはCADを持っている。あっどうしようと思っていると、僕の体勢は崩れ、変な角度で落下し始めた。

こんな時こそ魔法なんだろうけれど、重力を制御するような魔法CADに入っていたかな…あっ頭から落ちる!

「危ない」と誰かが叫んだけれど、逞しい両腕が僕をひょいっと抱きかかえた。僕も慌てて目の前のモノにしがみ付く。ひしっ!

 

男子生徒たちから遅れて歓声が、女子生徒からはなぜか黄色い悲鳴があがった。

僕は十文字先輩に横抱きに、いわゆるお姫様抱っこをされていた。僕の腕は先輩の首を抱きかかえている。お互いの顔が物凄く近い。きょとんと先輩を見つめる僕を、先輩も見つめ返している…

 

「きゃぁぁあ!なにあの子、男の娘?」「ファンタジスタよっ」「いい、これいい誰か写真を…」「わっ私も撮る!」「十文字君!そのまま動かないで!」

 

ぼっ僕は確かに男の子だけど、今変な変換してたよね!僕と十文字先輩は何故かそのまま固まっていた。

 

「驚いたな、十文字が攻撃を受けたのは初めてじゃないか?」

 

風紀委員長さんのつぶやきに、

 

「でもこれって勝負はどうなるのかしら…顔への攻撃は禁止されていたわよね」

 

七草生徒会長が妙に漫画チックに首をひねる。しまった!そうだった!審判団の協議の結果、僕の反則負け、と言う事になった。

十文字先輩にゆっくり下ろされ、しっかり挨拶して深雪さんたちのところに戻る。はぁ負けちゃった。

しょんぼりしていると、ほのかさんが抱きつくように褒めてくれて、深雪さんも雫さんも、クラスのほかの生徒たちも物凄く褒めてくれた。

負けて褒められる…初めてだなぁ。涙がでるほど嬉しいや。

でも、どれだけ魔法のスペックが高くても魔法師の経験が僕は足りないなぁ。もっと勉強しなくちゃ。

 

「これは、今年のクラブ勧誘週間は大変だな」

 

誰かが言った。クラブ勧誘週間?

 

 

その日をきっかけに、僕への嫌がらせはなくなった。深雪さんたち以外とも会話をするようになれて嬉しいんだけれど、

なぜか着替えは一人でやれって、僕だけ後に更衣室を使わされるんだ。

「僕も男の子なんだから一緒で良いでしょっ」て抗議したら、森崎くんだけでなく、深雪さんにも「駄目です」って言われた。

どうして?

 

 




あれ?森崎くん活躍しなかった。原作シーンと重なる所はさくっと進める予定です。
以降は不定期になると思いますが宜しくお願いいたします。


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勧誘週間と男好き疑惑

文章書くのって楽しいですね。
魔法科高校の年表だと、九島烈くんはもう産まれてその辺をうろうろしているんですよね(笑)。


 

 

すずめの鳴き声で朝になったことに気がついた。僕は書き取りしていた手を止めて時計を見る。

もう7時か…魔法の勉強は面白くて時間が経つのが早い。一般教科は…まぁ魔法科高校だし。

僕は魔法科高校と大学の中間辺りに住んでいる。烈くんが手配してくれた一軒家だ。

僕一人に大きすぎる家だけど独房じゃなければなんでも良いや。

奈良の九島家から第二高校に通えば、来年光宣くんと同じ学校に通えるのではと最初は考えていたのだけれど、

「一校に通わないと話が進まない」とメタな事を言われた。???

キャビネットという交通システムで高校まで30分くらいだから、そろそろ登校準備をしよう。

朝ごはんは、水と高カロリージェルだ。同じジェルは台所に箱で買ってある。

自動調理器というのが台所にあるんだけれど、ボタンを押してもなにも調理されて出てこない。壊れているんだ。

本当は手料理したいけれど、そんなスキルはないので、今はジェルで十分だ。

どんどん栄養をとって『咲-Saki-』の姉帯豊音さんみたいに大きくなるんだ。このままだとすこやんになりそうだから。

なんで『咲-Saki-』を知っているかって?烈くんの書斎の蔵書にあったんだ。このペーパーレスの時代に紙媒体の全巻初版本で。初版本が好きなんだな。

烈くんは10代の頃『電脳の伝道師』と自称していたらしい。チュウニビョウと言う病気だったそうだけれど。

その頃から二つ名を持つほど活躍していたんだ。凄いな。

『咲-Saki-』の最終巻、インターハイ個人戦決勝、照と和のリードを最後の最後にまくる咲さんが…おっと、早く登校しないと遅刻しちゃう。

今日から新入生勧誘週間なんだそうだ。

「お前は狙われるから気をつけろ」って森崎くんが忠告してくれたけど、運動神経も頭もそんなに良くない僕を勧誘するような部活は無いと思う。

僕は料理部にはいって美味しいものを沢山つくるんだ。

僕は美味しいものさえあれば大概幸せなんだ。

 

キャビネットから降りて、一校までの道をとてとて歩く。他の生徒は男子は特に手ぶらが多いけど、僕は筆記具やらなにやら入れたかばんを肩にかけている。

はやくこれにお弁当を入れて登校したいな。

 

「はぁはぁ…」

 

それにしても一校前のこの坂はつらいな。息が切れる。でも、いくら僕が体力不足でもちょっと疲れすぎなんじゃないかな。

いつもはこんな…ぐらり、あれ?世界が斜めに…違うな僕がふらふらしているんだ。

倒れそうになった僕は、街路樹の幹に手をついてかばんを道路に落とす。

 

「はぁはぁおかしいな…薬が抜けてから僕の能力ならこんな体調になるはずはないんだけれど…」

 

薬物を大量に投与されていた時代は、僕の回復能力はその薬の毒を排出しようとしていた。だから凄く身体が痛かったんだ。

薬のせいで能力が打ち消しあっていて僕の機能は低下していたんだけれど、そのことに気がついたのはずっと後のことだ…

 

「久、どうしたの!顔色がすごく悪いわ」

 

とても素敵な声が僕の背中にかけられた。顔をみなくてもわかる。深雪さんだ。この声で告白なんてされたら絶対即OKうけあいの美声だ。

深雪さんがいると言うことは、当然、

 

「後ろから見ていてもふらふらしていたぞ」

 

達也くんも無表情だけれど、心配してくれているのは良くわかる。

 

「歩ける?すこし休んでいく?」

 

「ん、平気…」

 

平気じゃなかった。僕はその場にぺたりと座り込んでしまった。

 

「お兄様、とりあえず、久を学校の保健室に連れて行きましょう」

 

「そうだな」と言うと、達也くんは、僕を両腕に抱えて…ってこれお姫様抱っこでしょ!

 

「達也く…これは…この時代は…お姫様抱っこがデフォなのかい…?おんぶでいいのでは…」

 

「何を言っているの久!女の子が公衆の面前でおんぶなんてはしたないですよ!」

 

「あうぅ…」

 

色々つっこみたいけれど、体調がそれを許してくれない。僕は二日連続で男子にお姫様抱っこされてしまった。今回は二科生もいる…これで全校生徒に知られるのか。

それにしても達也くんは全然動じていないな…すごい精神力だ。すごい…んだと思う。

深雪さんは僕のかばんを持ってきてくれている。自分で薦めておいて「私もお兄様にお姫様抱っこされたい」とかつぶやいて微妙に不機嫌になっている。

はやく保健室につかないかな…

 

保健室の安宿先生は、なぜか胸元の良く見える服を着ている。寒冷化の影響で露出が少ないのがセオリーのこの時代、一人だけ作品が違いません?と言った感じだ。

目のやり場に困る。けっして見たいわけじゃないぞ、うん。どきどき。

 

安宿先生は見るだけで患者の状態がわかるそうだ。CADを使わなくてもいいなら、これは魔法と言うか超能力だ。魔法と超能力は同じもの…か。

 

「久はどうですか、先生」

 

深雪さんが先生に尋ねる。見ただけで異常がわかるのなら、僕の能力もわかってしまうのだろうか。そのあたりは守秘義務とかあるんだろう。

安宿先生は神妙な顔をして一言。

 

「これは…寝不足ね」

 

「「は?」」

 

兄妹の声がきれいに重なる。これはもうデュエット曲出しなよ。

 

「多治見君、あなた最後に寝たのはいつ?」

 

僕はちょっと考えて「一週間くらい前、東京に来る前日かな…あっ入学式のとき達也くんの隣でうとうとしたな」

 

そうお兄様のお隣で…と言うつっこみはなかった。僕は起きていれば少しずつ回復する能力があるので眠らなくてもたいして疲れない。

おかげで遅れている勉強がはかどる…丸暗記、と言う説もあるけれど…

エネルギーをとり続ければ長い間起きていられるだろう。

あれ?ぼくが10歳の容姿なのはもしかして老化もこれで回復しているのか!?

まっまあいい。それは後で考えよう。

 

「僕はあまり寝なくてもいい体質なんです」

 

安宿先生は呆れ顔で「いくら肉体はよくても、精神的に疲弊していくわ。その精神的な疲れをリセットしてくれるのが睡眠です」

 

眠るとスッキリして嫌なことを忘れられると言う。眠っている間に嫌な夢をいつも見るので無理なんじゃないかな…

でもひとつに夢中になると僕は行動が極端になるみたいだ。

 

何十年も身動きとれず、空だけ見ていた僕の心は、すこし壊れているのだろう。

 

「じゃぁ久は大丈夫なんですね」

達也くんが相変わらずの無表情に呆れ顔が混じっている。

 

「ええ、今日は保健室で寝かせておくから、あなたたちは教室に行きなさい」

 

「僕も行く」

 

「駄目です、寝ていなさい」

 

「はい」

 

そんな素敵ボイスで言われては…

達也くんと深雪さんが教室に行って、安宿先生と二人保健室に残った。安宿先生は結婚していて子供もいるそうだ。

だから子供の扱いが上手なんだ…ん?僕は子供じゃない…

春の日差しが暖かいな。新緑も、町の緑の匂いだ。

んぅん、他人と一緒の部屋で…寝るなんて…光宣くん…ち…いらい…すぅすぅ。

 

昼休み、エリカさん美月さんレオくん雫さんほのかさんがお見舞いに来てくれた。

なんと森崎くんもお見舞いに来てくれたんだ。深雪さんへの公開告白撃沈の傷も癒えてないだろうに。嬉しいな。

 

結局、午後の授業も休んだ僕は、「新入生勧誘でけが人が増えるから」と、忙しくなる安宿先生にお礼をして保健室を出た。

勧誘でなんでけが人が出るのかよくわからないけれど、とにかく僕も料理部に見学に行こう。問題ないようならそのまま入部しよう。

僕は足取りも軽く、とてとてと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「…迷った」

 

一人、料理部の調理実習室に向かっていた僕は、見事に迷った。

これは『咲-Saki-』の主人公宮永咲さんと同じスキルだな。どうせ同じスキルならリンシャンカイホーしてみたいけれど、魔法科高校に麻雀部はないだろう。

ここどこ…と涙目でうろついていたら、急にくらっとめまいがした。

さっきの寝不足とは違う、何か波のような強い波動…

僕は両手をついてその場にしゃがみこんだ。

あっそういえば僕のかばん、深雪さんが教室に持って行っちゃったな…

 

しばらくその場でじっとしていたら、

 

「大丈夫か?」

 

と逞しい声がかけられた。見上げると、十文字先輩が立っていた。相変わらずの存在感だ。そこにいるだけで廊下が狭く感じる。

 

「十文字先輩…?これは…」

 

「どうやらサイオン波酔いの生徒が何人か出ているようでな、安宿先生が症状の出た生徒を見つけたら第八演習室につれてくるように部活連にも通達が来ている」

 

「サイオンは…酔い」

 

「立てるか?」

 

十文字先輩に言われて、何とか立ち上がったけれど、地に足が着いていない。ふわふわする。また倒れそうになるところ…

ふわり、と十文字先輩が抱きかかえてくれた。って、またお姫様抱っこ!!?

 

「連れて行こう。多治見は感受性が強いのだな」

 

「久です」

 

「ん?」

 

「多治見という苗字はあまり好きではないので、久と呼んでください」

 

「そうか、では久、行くぞ」十文字先輩は優しく僕の名前を呼んでくれて、実習室に連れて行ってくれた。

 

お姫様抱っこしたままで…

 

当然、道中も実習室も騒然。

 

「きゃぁぁあ!なにあの子、噂の男の娘?」「ファンタジスタねっ」「じゅるる、これ誰か写真を…」「わっ私も撮る!」「十文字君!そのまま動かないで!」

 

 

 

 

帰宅時間になり、症状がなくなった僕は、かばんを取りに1-Aの教室にもどった。

そこには深雪さんと雫さんとほのかさんがいて、

 

「久は男の人が好きなのね。でもお兄様はだめよ」

 

「…アブノーマル」

 

「久君と達也さんがっ!!?」

 

 

僕は回復能力以上のダメージを受けた…

 

 




『咲-Saki-』は当然、魔法科高校の時代には完結していますよね!ね?

久の心はすでに狂っています。なのでちぐはぐな行動を時にとります。
自動調理器の謎に気づくのはいつになることやら。

烈くんは若い頃、2010年代、つまり今頃アキバをうろうろしていたりする(笑)。
誰にだって黒歴史があるのだよ…


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テロリストとはじめての手料理

心臓は大切です。


「全校生徒の皆さん!僕たちは校内の差別撤廃を目指す有志同盟です!」

 

その日、僕は教室で深雪さん雫さんほのかさんと会話をしていた。深雪さんが達也くんの話ばかりするので他の男子はあまり深雪さんの周りに集まらなくなった。

雫さんも呆れ顔だ。

僕は笑顔でほのかさんははうっとり、達也くんの昔のエピソードや何かを聞いていた。

 

校内放送で男の人が差別がどうの叫んでいて、深雪さんが生徒会の呼び出しで、放送室に向かった。

校内で差別があるんだ、嫌だなぁ。みんな仲良く出来ないのかな。

その騒ぎのせいで部活は中止になっちゃった。僕は料理部に入部したんだ。楽しみだったのにな。

 

翌日、有志同盟について雫さんとほのかさんが、深雪さんに尋ねていた。

深雪さんの意見は容赦ないと雫さんが少し引いているみたいだ。

深雪さんの評価はたぶん達也くんを基準に考えられているのだろう。達也くんが誰よりも努力していて、それを見ている深雪さんも生まれ持った素質に溺れず努力しているのだ。

それはハードルが高い。

 

僕には、産まれ持った素質なんてないから、せめて努力だけでも追いつかないと。

 

三人の会話中も相変わらずテキストの書き取りをしていた僕に、ほのかさんが「久くんはどう思う?」と聞いてきた。

僕は素直に、

 

「他人にお前は不幸だ、不当に差別されているなんて言える人は、他人の気持ちのわかる立派な人だと思う」

「他人の痛みや気持ちを共感できるなんて凄いな。僕には出来ないから…羨ましいな」

 

「それ…皮肉?」

 

雫さんが言ったけれど、僕は黙って書き取りをつづけていた。深雪さんが僕の横顔をじっと見つめていた。

 

公開討論会当日、僕は調理実習室で料理を作っていた。

昨日は、迷子になりつつも部室にたどり着いて、先輩の部員さんにご挨拶をした。

そのまま料理をしたかったけれど、部員(全員女性だ)はどこか上の空で、有志同盟について意見をかわしていた。

料理部に二科生はいなかった。料理に一科も二科もないと思うけれど…

 

今日はいつも通りに行動しましょうと部長さんの提案で、討論会に参加したい人は講堂に行き、残った人は料理をする事になった。

僕は討論会なんて興味がないので、当然料理サイドだ。

初参加の僕のことを考えて、まずは簡単な家庭料理からと、肉じゃがを作ることになった。

僕は深雪さんにプレゼントしてもらったエプロンをつけて、不器用に調理している。

フリルが沢山ついたものすごく可愛いエプロンだ。これ女の子用じゃないかな。料理部の先輩たちは似合う似合うって喜んでくれたけれど。

簡単な魔法を使うと、調理が上手に時間も短縮できるそうだけれど、僕はことわって、レシピどおりに教えてもらうことにした。

なんでも魔法に頼るのは魔法科高校の悪いところなんじゃないかな。これは簡単に魔法が使える魔法科高校だけなのかな。

 

なべに落し蓋をして火をかける。あとは煮えるのを待つだけだ、と考えていたら、外から大きな爆発音がした。

先日の部活勧誘のときも学校はどったんばったんしていたから、僕は全然気にならなかったんだけれど、部長さんが端末で何か調べていた。

外で何かパラパラと音や大声がしている。みんな部活に一生懸命なんだな。

中火にしたなべのじゃがいもに串を刺すとすっと入った。しょうゆを少し入れて弱火で五分煮る。

料理部の先輩たちは、なぜか実習室のすみにかたまってがたがた震えている。

どうしたのかな寒いのかな。今日は暖かいけれど。

5分きっかり待って火をとめる。煮えたじゃがいもを小皿にうつして、はふはふしながら食べてみる。

だし汁がしみて、じゃがいもの食感も程よく残って、凄く美味しい。

やった!初めての手料理ができた。これで女子力が上がったぞ。女子力ってなんだろう。深雪さんが言っていたけど。

 

そうだ!この肉じゃが、達也くんと深雪さんに食べてもらおう!

エプロンのお礼もあるし、やっぱり手料理は誰かに食べてもらった方が嬉しいからね。

 

適当な量の肉じゃがをお玉ですくって、両手持ちの蓋つきスープカップにうつす。美味しそうな湯気がカップから立ち上る。

カップに蓋をすると、両手でカップの柄をもって、とてとてと走り出す。

二人は討論会で講堂にいるだろう。講堂までは迷わずに行く自信があるんだ。

 

背後から部長さんや先輩がなにか叫んだような気がしたけれど、冷めないうちに持っていかないと。

 

実習室から講堂に向かう途中の、一階の渡り廊下に5人の戦闘服を着た男の人たちがいた。

校舎の影に隠れるようにして、手にはサブマシンガンみたいなものを持っている。

あんな部活あったかな、ミリタリー部?サバゲー部?すごくリアルな銃だ。

 

僕は気にしないで、彼らの横をとてとて走り抜ける。

 

僕に気がついた5人が、獲物をみつけたハンターみたいに嫌な笑みを浮かべると、僕に銃口を向けてきた。

駄目だよ、いくらオモチャだからって、防具をつけていない人に銃を向けちゃ。

 

タタタタタタッ!!

 

乾いた音をたてながら、その男の人たちは僕に向けて発砲した。

僕は立ち止まって、その彼らをぼぅっと見ていた。

 

これはオモチャじゃなくて、本物の武器なんだ。

何百と言う弾丸が僕の小さな身体に向かって飛んできていた。空になった薬きょうがからから地面に落ちている。

火薬の、鼻がむずがゆくなる匂いがしている。

男たちはニヤついてサブマシンガンの引き金を絞っていた。

 

10秒くらいたって、男たちは指を緩め、サブマシンガンを撃つのをやめた。

 

僕は肉じゃがを入れたカップを両手で持ったまま、男たちをぼうっと見ていた。

 

何百発もの弾丸は、僕どころか、僕の後ろの壁も柱も天井も地面にも、穴をあけていなかった。

 

硝煙と火薬の匂いが、校舎と講堂の間にある狭い中庭に充満していた。空の薬きょうが男たちの固そうなブーツにぶつかってころころ転がる。

 

この人たちは魔法科高校の生徒たちなのかな。なんでも魔法を使おうとする魔法科高校の生徒にあって、武器を使うなんて感心だな。

人を殺すなら、なにも魔法に頼らなくても、銃で撃った方が早いと思う。それともこの銃も魔法が使われているのかな。

 

「なんの魔法をつかったっ!」「わからん!アンティナイトを使えっ!」

 

男たちは叫んでいる。

魔法なんて使ってないじゃん。僕の両手はカップを持っていて、CADは使っていないんだよ。

男たちは銃を片手にし、僕に反対の手のひらを向ける。何をするのだろう。

指輪をしているみたいだけれど…

 

きぃぃぃん、と頭のなかで音にならない音が響いた。頭が割れるように痛い。痛いけれど…

 

僕はあいかわらず男たちをぼぅとみていた。

 

男たちは、アンティナイトが効いてないのか!高純度の特注品なんだぞと騒いでいる。

 

アンティナイトがなんなのか僕にはわからないけれど、効いているよ。頭がすごく痛いもん。

 

「船酔いする船長の話を知ってる?」

 

僕は男たちに言う。どんな船長でも船酔いする場合がある。

頭が痛くても、気分が悪くても、的確に操船して、冷静に判断し行動する。それが名船長と言われる人たちだ。

僕もそうありたいな。

僕はずきずきする頭で考えて、

 

「ああ、そうか、この人たちは僕を殺そうとしているんだ」

 

そうやっと気がついた。肉じゃがのことばかり考えていたから。どうも今の僕は極端になるなぁ。

この人たちは有志連合の人たちと違って、他人の痛みのわからない人たちなんだ。

殺しちゃってもいいよね。『せいとうぼうえい』なんだよね。

 

べちゃりっ!

 

5人の男たちの前の地面にピンクの塊が落ちた。

それはまだビクビク脈打っていて、赤い液体をびゅーびゅー吹いていた。

 

「自分の心臓を見るなんて、めったに出来る経験じゃないよね」

 

それは男たちの心臓だ。男たちは奇妙な声をあげると崩れ落ちた。

虫みたいにもごもごもがきながら、さっきまで自分の体内にあった心臓を、手を自分の血でぬらしながらつかんでいる。

そうだよね、心臓はだれにだって大切なものなんだから、手に持っていたいよね。

あっ僕も肉じゃがのはいったカップを大事に持っているから、同じだね。

 

「たぶん5分以内に何とかしないと死んじゃうから」

 

男たちは自分の血と地面の土に汚れながら、ひゅーひゅー言っている。

 

「何言ってるかわかんないや、じゃあ僕行くね。冷めちゃったら二人に一番美味しい肉じゃが食べてもらえないもん」

 

一晩おいたほうが味がしみて美味しくなるんだったかな?それはカレーか。

あっ今度はカレーをつくってみんなに食べてもらいたいな。

でも僕は辛いの苦手だから、りんごが隠し味の甘いカレーになっちゃうなぁ。

 

僕は、カップを大事にもって、とてとて、いや、転ぶといけないからゆっくり歩こう。

 

振り向くと男たちは動かなくなっていた。

なんだ誰も助からなかったのか。でもじごーじとくだよね。僕だって痛かったんだから。

 

講堂には沢山の生徒たちや副会長さんがいたけれど、達也くんと深雪さんはいなかった。

十文字先輩も七草先輩もいなくて、外で大きな音がするたび生徒たちが怯えているだけだった。

 

探しに行こうとしたんだけれど、生徒会役員の市原さんにここにいなさいと言われて、しかたなく空いている席に座った。

肉じゃが冷めちゃうなぁ…

 

あっそう言えば、お箸わすれてた。




久は何の事情もしらない一生徒なので、大きな組織と立ち向かうのは主人公の達也くんの役目です。


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十師族って何ですか?

早朝、光宣くんからテレビ電話があった。なんだか物凄く辛そうな表情だ。

 

「昨日、一校で大変な事がありましたが、無事でしたか?」

 

ニュースで大々的に取り上げられていてたらしく、慌てて電話してくれたのだそうだ。嬉しいな、だけれど…

 

「特に何も無かったよ。それより、光宣くん顔色悪いよ、また体調崩したの?」

 

深雪さんに匹敵するような美男子の光宣くんの顔は、見るからに辛そうだ。

 

「はい…今日は特に良くないのですが…」

 

「なにやってるの!光宣くんの体調が悪い方が心配だよ、あぁっああ、僕が生駒にいたなら看病できたのに…」

 

九島家にいた時は光宣くんより僕のほうが体調が悪くって、よく僕の看病をしてくれたんだ。僕の手をにぎって一晩中看病してくれて…

 

「久さんが生駒にいた頃は、僕の体調も過去に無いくらい良かったのですが…」

 

あの当時は、僕も体調不良だったし受験勉強していたから奈良の観光はまったくしなかった。近所の散策程度だけれど、一度だけ光宣くんに連れられて、近くの吉野の聖地・阿智賀にも行ったんだ。

阿智賀?それは勿論、烈くんの蔵書に全巻初版本で…って似たような会話前にもしたって。そんなことより…

 

「光宣くんの体調が辛い方が僕はいやだよ、僕のことなんてどうでも良いから、養生してよ」

 

僕は涙をぼろぼろ流してお願いする…鼻もずるずるしてる。

おかしいな…昔の僕は泣いたことなんてないのに…色々と情緒が不安定みたいだ。

 

 

光宣くんと互いを気遣った後、僕は一校に登校した。一校に向かう他の生徒たちの表情がいつもより沈んでいる。

ひょっとして僕があの五人を殺しちゃったからかな…同じ学校に通う仲間を僕に殺されちゃ、気分も荒むよね…

1-Aの教室ではクラスメイトが色々会話している。

深雪さんの表情も硬く、雫さんはあまり変わらないけれど。ほのかさんはいつもより暗い。

僕、嫌われちゃった…?

それよりも光宣くんの病状が気になる。電話かけようかな、でも寝ていたら悪いしなぁ。

 

二時限目、端末にメールがあり、昼休み部活連に来るように書かれていた。

 

昼休み、部活連に行くと、十文字先輩、七草会長、渡辺風紀委員長の三人が待っていた。

昨日の騒動の事情聴取を関わった全員からしているそうだ。

 

 

テロリスト…?

え?あの武装していた男の人たちはテロリストだったの?

ニュースも端末もチェックしていなかった僕は、昨日の顛末がさっぱり理解できていなかったのだ。

 

それにしても、いくら生徒自治が進んでいるからと言って、そんな重大なことを10代の生徒に丸投げする教師たちは何なのだろう。

最初のオリエンテーションでえらそうなことを言っていた教師は何をしているのか。

 

 

七草生徒会長が端末を操作すると、部活連のモニターに、昨日の中庭での僕と五人の戦闘員・テロリストとの顛末が映された。

映像の僕は、ぽつんと、ある意味間抜けにスープカップを手に突っ立っている。

その僕にサブマシンガンを向ける男たちは、もっと間抜けに死んでいった。

音声はなく、現実感の不足した映像だけれど、五人の人間が死に至った記録だ。

 

「これは、お前がやったのか?いや罪に問おうと言うのではない、あくまで全体の掌握を目的としている」

 

渡辺委員長が詰問口調から、やや柔らかく尋ねてくる。

 

「まって摩利、中庭のサイオンセンサーは何も感知していないわ。校内の監視装置は勧誘週間以外は24時間稼動しているのよ」

 

七草会長が端末を確認しながら委員長をたしなめる。

それはそうだろう。この程度の能力ではセンサーは感知できないだろう。

実験所の精密な機械ならともかく、校内にいくつも設置されるような精度の落ちるセンサーが僕のサイオンを感知できた時は、ここらあたりの町は地図から消えている。

CADは機能的にサイオンを流し込まなくてはならないので魔法師はどうしてもセンサーに引っかかるだろうけれど…

それにしても、どうしよう素直に話す訳にも行かないし。

 

これはある意味、軍の査問会みたいだ。査問会といえば、昔、烈くんが何度か召喚されていて、そのたび「沈黙は金、かえるの面にしょんべん」って言っていたな。

僕はその後の、渡辺委員長と七草会長の質問に沈黙で答えた。

 

立ち上がっていた渡辺委員長が、質問疲れしたのか、パイプ椅子に乱暴に座る。

「魔法師に魔法のことを聞くのはご法度だけれど…」七草会長が指をもじもじさせている。

なんと言われようと、かえるの面にしょんべん、かえるの面にしょんべん。僕は心の中で呪文のように唱えている。

 

「…久」

 

それまで黙って僕を見ていた十文字先輩が声を発した。

いつもの頼りがいのある男らしい真摯な声だ。

 

「これは十師族の十文字克人ではなく、第一高校三年の十文字克人として聞きたい。これはお前がやったことなのか?」

 

「それは何が違うんだ?」

 

「ねぇ…」

 

たしかにセンサーにも感知できない魔法を使う生徒がいれば、その生徒はやりたい放題できて、管理側はお手上げだろう。

 

僕は十文字先輩と暫時見つめあい…お互いの瞳には僕と十文字先輩しか映らず、それ以外の風景は意味をなくし…ってちょっと僕は男の子だよっ!

 

「わかりました。男と男の約束ですね!」

 

「えぇ?今のでわかったの?」

 

「男と男の娘の間違いじゃないのか?」

 

男同士の約束とあれば答えなくてはならない。

僕は十文字先輩の目をしっかり見つめながら、こっくり、と頷いて肯定した。

 

七草生徒会長と渡辺委員長のため息が部活連の部屋に流れる。

渡辺委員長が腕を組みなおし、七草生徒会長が考え込み、十文字先輩は動じていない。

僕は、お腹がぐーぐー鳴りはじめて、早く開放してくれないかなと考えている。

光宣くんはちゃんとご飯食べたかな。生駒の九島家のご飯は美味しかったなぁ。

 

あっ、そういえば…

 

「ところで…じゅっしぞくって、何ですか?」

 

「何っ?」

 

「はぁ?」

 

「ふぇえ?」

 

七草生徒会長のスットンキョウな声は録音して永久保存しておきたいほど可愛かった。

 

 

 

 

 

放課後、いつものメンバーで喫茶店に寄った。達也くん、深雪さん、雫さん、ほのかさん、エリカさん、レオくん、美月さん、僕。

美月さん以外、事情聴取をうけたそうだ。美月さんは美術部にいたそうだ。

「久はどこにいたんだ?」レオくんに聞かれ、「料理部にいた」と答えると、

 

「なんで料理部で呼び出しをうけるんだ?」

 

「わかんない、ぼくは料理してただけなんだけれど…」

 

それより僕は光宣くんの病状が気になるから落ち着かない。

 

「何か気になることでもあるのか?」

 

僕の挙動にすぐ気がつくのはやはり達也くんだった。

 

「友達が病気でね…朝電話のときすごく辛そうだった…かわれるんならかわってあげたい…僕は痛いの慣れてるから…僕が病気のときはずっと手を握っていてくれたんだよ」

 

なんで光宣くんはあんなに苦しんでいるのだろう…魔法師開発は精神も肉体も通常の人間より強靭にすることじゃなかったのかな。

 

「久、あなたが身代わりになって病気になったら、その彼が悲しむわ」

 

「そうだぜ、俺たちだって悲しむぞ」

 

「悲しむ」

 

「久、そんな事はいうものじゃない…」

 

皆が心配してくれている。嬉しいな。身代わりはしちゃいけない…そっか、

 

 

僕は最初から間違っていたのか…

 

 

でも、あの時は他に良い考えなんてわからなかったしな。弟たちも悲しんでいたのだろうか…

 

皆に元気つけられた僕は、光宣くんに電話しようと、携帯端末を取り出すと左手で持って、右手の人差し指で番号をぽちっ、ぽちっ、と押していく。

あっ間違えた…もう一回、ぽち、ぽち、ぽち…あっまた間違えた…

 

その姿を見ていた達也くんが、

 

「久…おまえ、魔法の実習は、うまくいっていないんじゃないか?」

 

「うん、あんまり…据え置き型にサイオン流し込むだけなら簡単なんだけれど、入試のときのとか。でも…」

 

いくつかの魔法を交互に出したりするの苦手で、模擬戦も最初の一撃を避けられると簡単に負けてしまうんだ。

 

「その原因がわかったぞ」

 

「えっ?ほんと?凄い!達也くん、僕の授業みてないのにわかるなんてすごい!!」

 

「いや、達也君でなくてもわかると思うけど…」

 

エリカさんもわかるの?すごいなぁ。

 

 

「久、お前は、機械オンチだ」

 

 

そうか、僕は方向音痴だけでなく機械音痴だったのか。運動音痴でもあるし、音痴のハットトリックだ。ファンタジスタだ!

さいわい歌は音痴な設定ではないのだ。僕の声は『小松未可子』さんと言う設定になっているから。

 

「それでよくこれまでやってこれたな、まさか自宅の自動調理器も使えないとかな」

 

レオくんは冗談で言ったつもりらしいけれど、

 

「よくわかったね、僕んちの自動調理器壊れてんだ。何回押しても、何にも出てこないんだよ」

 

皆は互いの顔を見合わせると、代表して深雪さんが、

 

「久、自動調理器に食材は入れている?食材を入れないと、機械も調理なんて出来ないわよ」

 

「ええっ!?そうだったの!僕はてっきりボタンを押せばなんでも出てくるスタートレックのレプリケーターみたいなのと思っていた!」

 

「すたーとれっくって何?」

 

何?スタートレックを知らないだと!ピカード艦長は僕の理想の艦長で、声がまた渋くてねぇ!

僕はちょっと落ち込んで、

 

「そっかぁ、僕は機械音痴だったのか…ボタン式じゃなくて、考えただけで使えるCADがあったら便利なのになぁ」

 

そう呟いたんだけれど、達也くんが、

 

「完全思考型のCADか…面白いな」

 

何か思いついたみたいで思考モードに入ってしまった。

こう言うときの表情はいつにも増してかっこいいんだ。

ほら深雪さんが見惚れている。ほのかさんも。

 

…あれ?エリカさんも?…?

 

僕の飲んでいるメロンソーダの氷がからんと音をたてた。

 

 




次回は、外伝、達也くんのデート回。誰とデートかって?僕とに決まってるじゃない。


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外伝、達也のバーチャルデート最後の相手は…男の娘だとぅ!

達也目線。
キャラ崩壊のギャグです。
でもドラマCDの達也はかなり崩壊していましたよね。にやり。




学校の特別授業で俺、司波達也はプシオンを利用した心理テスト、要するにバーチャルデートをした。

正直、トラップとしか思えないが…

モニターである俺の協力者は、親しい先輩、小悪魔な生徒会長、同級生、俺に好意を寄せる女子、友人男子Lだった。

全員を攻略…実験は無事に終了した。いや、テスト用の腕輪型端末が電子音を出し、もう一人協力者を用意したと言う。

協力者は…

 

男の娘だとぅ!!?

 

心当たりが、いや該当者は一人しかいない。

リアルすぎる学校のシミュレーションルームが、海の見える公園にかわった。ここで待ち合わせ、なのだろう。

 

「達也くーん」

 

遠くから俺を呼ぶ声がする。俺ガイルの戸塚…てさぷるんの陽菜…オバロのルプーの声と同じ声だな。

何故こんなに詳しいのかって?深雪が稽古事をしている時の時間つぶしに過去のアーカイブを…

 

「達也くん、お待たせ…」

 

「俺も今来たところ…なっ!?」

 

久の声に振り向いた俺は、過去になくした感情が復活したのかと思うほど、胸の鼓動が高まった。

 

なんだこの可愛い生き物はっ!

 

久は白いキャミソールワンピースを着ていた。適度なフリルとレースがあしらわれたスカート…これはどう見ても女の子の服装だ。

折れそうなほど華奢な鎖骨、筋肉など殆どついていない腕。ヒールサンダルからは綺麗にそろった爪が覗いている。

肩から背中までまっすぐ伸びた黒髪、まるで5年前の深雪を見ているようだ。

考えてみれば、俺はぶかぶかの制服を着た久の姿しか知らない。こんな儚げな姿をしていたのか…

 

「達也くん、今日はよろしくね」

 

まて、前かがみになるな!見えるピンクの何かが見えるっ!

 

「僕、すっごく楽しみで全然寝られなくて、いやいつも寝られないんだけれど、あっこの服、深雪さんが選んでくれたんだ。男の子はデートでこう言う勝負服を着るんだって」

 

騙されているぞ、それは女の子の服装だ。通りで深雪好み、つまり俺の好みの服だったわけだ。

久は基本的に他人を疑わない。お菓子を上げるというと誘拐犯でもついていくタイプだ。

 

端末のディスプレイに選択肢が三つ表示された。

 

 

『普通のデート』『危険なデート』『過激なデート』

 

 

ここは…『普通のデート』だ。まずは公園の散策、か。

 

「うん、僕は普通がいいな。ねっねえ達也くん、手を繋いでいい?」

 

「ああ」

 

久の小さな手が、俺の手を握る。熱い…体温がかなり高い。「大丈夫か?」思わず尋ねる。

 

「えへへ、僕…緊張しちゃって、ちょっと熱っぽいかも…」

 

たしかに発熱しているようだが…違う。久の小さな手に、何か膨大なエネルギーが渦巻いている。

そのエネルギーが繋いだ俺の手にも少しずつ流れてきている。これは、サイオンだ。

膨大な量のサイオンが久の体内に宿っている…これは人間のレベルを超えている!

久は二ヶ月ほど前まで、どこか人里離れた山奥で病気療養をしていたらしい。

これだけの魔法力やサイオンをもつ人物が魔法界に無名でいられるはずはないから、その隔離されたサナトリウムでずっと暮らしていたのだろう。

一般知識にも疎く、天然…いや浮世離れした…

 

「どうしたの?なにか考え事?僕なにか悪いことしちゃった?」

 

上目遣いに俺の顔をうかがう久。何だこの無垢で可愛い生き物はっ!!

 

「いや大丈夫だよ、じゃあ行こうか」

 

「うん!」

 

満面の笑みを浮かべる久。ヒールサンダルのためいつものとてとて歩きではなく、おずおずと歩いている。

久の歩幅にあわせて、俺もゆっくり歩く。

 

端末の選択肢は他の協力者の時と違って無難イベントが多かった。

 

『一緒にソフトクリームを食べる』

『頬についたクリームをやさしく舐めてあげる』

『ペットショップで子犬とじゃれあい、乱れた裾から太ももの奥が見えるラッキースケベ』

『公園の噴水で水を掛け合いワンピースがわずかに透ける』

『ランチを食べさせ合いっこする』

『お姫様抱っこ中に久の吐息が耳元にかかる、ああいい香り…』

 

…無難?…おかしい、いつもの俺なら絶対に無難だとは思わないはずだが、前の協力者の一緒に温泉なんて選択肢に比べれば、無難…だ。

それにしても、少し前から気になっているのだが、久の下着はどうなっているのだろう。

どんなに可愛くて愛おしくてたまらず抱きしめたくなっても、久は、男の娘…いや男なのだ。

ワンピースに男物のトランクスはおかしいだろう。

そういえば、さっきのスカートの裾がめくれたときに、白い布地が…いっいや、考えるな。

考えるな、と決めると本当に考えなくなれるのはありがたい…

 

 

デートをはじめて、かなり経った。前回までの協力者の時より時間が長いが…

今はショッピングタワーにいる。

隣を歩く久は、さすがに疲れてきたのか、少し足の運びが遅い。俺は歩く速度をさらに落として、

 

「さすがに疲れたな久、今日はここまでにしよう。それともまだどこか行きたい所はあるか?」

 

「うーん…そうだ、服が欲しい、僕は学校の制服とパジャマくらいしか持っていなくて、買い物も…その一人だと何を選べばいいかわからなくて」

 

「端末で買えば簡単なんだが、久は機械音痴だったな、そうだな…」

 

左腕の端末が反応し、選択肢のディスプレイが表示された。

 

 

『パジャマを買う』

『女性用水着を買う』

『女性用下着を買う』

 

…バカなっ!?パジャマは今持っていると言ったぞ。そもそも服と言っているのに何故水着と下着、しかも女性用!!

この実験用端末は絶対に不具合を起こしている。久を女の子と認識している。ぐぬぅ。

だが、これは実験…モニターの俺としては選択肢に従わねばなるまい。

…本当にそれでいいのか?

 

水着は試着室で何着か試着して感想を聞かれるだろう。もっこ…りを隠すために全種類パレオにするわけには行かないだろう。

 

下着は今も女性用を履いている…のか?ならば、選択肢は女性用下着しかないのか?そうなのか?

 

「そっそうだな、まずは下着から選ぼうか」こう曖昧に言えば、久は男物の売り場に行くに違いない、頼む行ってくれ。

 

「うん」

 

久は迷うことなく、女性用下着売り場に入っていった。

 

深雪っ!!!!やはり、お前は久に女性用を履かせたのか!!なんて事を!

 

久は色々と下着を見て回っている。どう見ても女の子だ。

 

男性用売り場に比べて、やたらと広く、選ぶのは時間がかかる。

考えてみれば、兄妹の深雪と違い、他人に下着姿を見せたくは無いだろう。

乙女の恥じらい…があるだろう。乙女ではないが…

深雪は下着姿をよく見せてくるが…深雪は乙女ではなく淑女だ。

 

「ねっこれ似合うかな」

 

「ああ、似合うよ」

 

久は可愛らしいデザインのショーツを俺の顔の前に広げる。

男の冷静さを保ちつつ答える。それを試着するのか…?

その姿を見せないでくれ。たとえ見せようとしても、全力で阻止しよう。

 

「あっこのブラかわいい」

 

「まだブラジャーは早い!」

 

代金は俺が払う。男の娘に女性物の下着を買う…背徳感…違う、ぐぅう。

 

ショッピングタワーから出る。

久は俺の腕に左腕をからめ、右手にラッピングされた紙袋をさげている。

中には、歳相応(?)やすこし大人びた下着が数枚…いや、考えるのはよそう。

 

最初の公園に戻ってきた。かなり精神的に疲労したが、夕日が海の見える公園を赤く染めている。デートはこの当たりで終りだろう。

 

「達也くん、今日は本当に有難う。僕、こんなに楽しかったの生まれて初めてだったよ」

 

「大げさだな」

 

「うぅん、おおげさじゃないよ、何だか僕…幸せだよ」

 

「なら良かった、俺も楽しかったよ」

 

久は頭を深々とさげ「じゃあ、また明日学校で」と身を翻し、とてとてと走り出した。

涙を見せまいとしたのか?

ん?とてとて?

ヒールサンダルでその走り方は…

 

「おっおいいきなり走ると…」

 

予想通り、久は足を滑らせる。片方のサンダルが飛ぶ。

俺は自己加速魔法で久を助けようとするが間に合わず、久は公園の土の地面にころぶ。

 

「きゃうんっ!」

 

物凄く可愛い声で尻餅をつき、ぺたんこ座りになる。地に着いた右手の下で紙袋がつぶれていた。

 

「久っ、怪我はないか?」

 

俺の顔をぽかんと見あげる久。

 

「怪我は…ないけど、服破れちゃった…せっかく深雪さんが選んでくれた服なのに…」

 

久の紫がかった黒い瞳に、うるんっと涙が溜まる。

 

ぐぅ、壮絶に抱きしめたい…

 

そこに、ぽつん、ぽつんと雨が降り出した。雨は一気に土砂降りになり、雷鳴がとどろき始めた。

 

なんだこの謀ったようにベタなタイミングは!やはりトラップか!!

 

久を助け起こそうと伸ばした左腕の端末から、ディスプレイが開く。

 

『このまま放置して一人帰る』

『雨に濡れたまま、ふたりで抱き合い温めあう』

『目の前のホテルで休憩していく』

 

なっなんだと…正解が、ない!

 

雨のせいで気温が一気に下がり始めた。久の濡れた肩が震える。

 

「くちゅんっ」

 

くしゃみまで可愛い…

ええいっ、俺は、びしょぬれで全身の肌が透け始めた久を抱きしめると、目の前のホテルに駆け込んだ!

 

 

 

 

 

シャワーの音が聞こえている。

 

俺は適当にタオルで髪を拭くと、清潔な白いシーツのベッドに腰掛けた。罠だ…策略だ。

今頃、見ないとか言っていたモニターで、あの小悪魔生徒会長はにやにやしながら俺の姿を見ているに違いない。

 

この実験と言う名の罠は、ここで終りにしなければ、俺が終わる。深雪に殺される。

深雪に殺されるのは構わないが、そうなると深雪も自ら命を絶つだろう…

 

絶対にここで終わらせる!

 

「達也…くん」

 

顔をあげると、

 

(俺が買った)青いリボンのショーツを履いて、胸と下(どこだ!)を細い腕で隠し、

濡れた黒髪を華奢な肩にふわりとかけ、潤んだ瞳でこちらを見つめる久が立っていた。

 

どう見ても女の子だ…顔を真っ赤にして、震える足でゆっくりと俺のほうに歩いてくる。

 

待て!

 

ぎしりと音をたて、ベッドに上がり、横座りになり俺を見つめてきた。石鹸の香りが鼻腔をくすぐる…

 

「あっあのさ、ここってそういう事するところなんだよね」

 

待てっ!

 

「僕ね、こっ怖いけれど、達也くんなら…いい…かな」

 

頼むから待ってくれ!

 

「僕、痛いのは慣れてるけれど…できれば優しくしてくれると…一生の思い出に、できるかな…なんて」

 

台詞まで壮絶に可愛いが、待ってくれっ!

 

久のまぶたが静かに閉じられ、あごを軽く俺の方に上げて…

 

左腕の端末からディスプレイが現れる。よし、中止の指令か!?

 

『する』

 

『しないわけにはいかない』

 

『今夜は寝かせないよ』

 

待てぇ!!!!!

 

久の柔らかい身体が、俺の身体にゆっくりと重なる…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すぅ…すぅ…すぅ…

 

 

 

なっ…に?

 

久は俺の身体にもたれかかったまま、すやすやと寝息を立てていた。

かなり疲れていたのだろう、ゆすってもまったく起きない。

 

助かった…

 

助かっ…てない!

俺にはわかる。今、深雪はこちらに向かって来ている。怒りのオーラを感じる。

深雪が久にあんな格好をさせたんだろう!という俺の意見など無駄だろう。

シミュレーションルームの扉がひらく。

ごおおおおおお、氷の女王が光臨していた。

俺は今日二度目の回避不能の攻撃を受けた。

 

自己修復術式がオートスタートした。

 

その間、久は幸せそうに眠っていた…

 

 




ん?
…誰が久を着替えさせるんだ?
まさか俺か?

久は深雪から借りたキャミソールワンピースで九校戦にでる…(笑)





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誘拐事件。都合よく助けなんて現れない。

前回がギャグオンリーだったので、今回はエグイです。
ご注意ください。


討論会からしばらくすると、一校を自主退学する生徒が増えた。

勉強についていけない生徒もいただろうけれど、事件のショックで魔法師の世界に恐怖を覚えた生徒がいたのだろう。

 

烈くんが言っていたように、今は平和ではなく、それなりの覚悟が必要な時代のようだ。

 

深雪さんは相変わらず優秀で、雫さんほのかさんも他を抜きん出ている。

森崎くんだってクラスでは突出した成績なのだ。二科に対する態度は相変わらずだけれど。

僕は、レオくんとともに頭を抱えながら、一生懸命勉強している。

 

その森崎くんが落ち込んでいた。

尋ねてみたら、友人の一人が一校を辞めてしまい、その後連絡がいっさいとれなくなっているんだそうだ。

そう言えば、いつも一緒にいた彼の姿が無い。彼の事だろうか、名前は…なんだったかな…

何でも世界的に魔法師の誘拐失踪事件が報告されているそうで、未熟な学生は格好の標的になる。

特に魔法科高校の生徒は良家の子女も多いので、要人警護を生業としている森崎くんの実家は大変忙しいそうだ。

「みんなも気をつけるんだぞ」

クラスの皆に警戒を促したり助言をしていた。

森崎くんは面倒見も良く、生徒や教師たちからの信頼は厚い。

深雪さんの森崎くんへの評価は…いわずもがなかな。

町中に監視カメラが設置されているけれども、出来るだけ人通りの多い道を歩くように言われ、僕も頷いた。

 

 

自宅近くのキャビネット駅を降りると、コミューター乗り場だ。駅から自宅までは住民IDで空のコミューターを利用するのは一般的なんだそうだ。

僕はコミューターの狭い空間が落ち着かないので、自宅まで歩くようにしている。身体を鍛える意味もある。

 

前方の路側帯に黒いバンタイプの自走車がとめられていた。

僕は特に気にもとめず、黒い車の横を通り過ぎる。

すると、大きな手が僕を後ろから羽交い絞めにしてきて、扉がスライドして開いた車の中に乱暴に放り込まれた。

僕は背中からどすんと落ちて、一瞬呼吸が止まったけれど、すぐさま起きて、外に逃げようとした。

けれど、車内にいたもう一人の男が、僕の首に棒状のものを突きつけてきた。

プシュッっと言うエア音がして何か液体をうちこまれた。睡眠薬?と思うまもなく、手足から力がぬけ、僕は前のめりに倒れた。

 

扉が閉まる音がして、男が「出せっ」と叫ぶと車はタイヤをきしませながら急発進した。

僕は冷たい車の床にうつぶせになっていて、そのまま意識を………

 

 

失わなかった。

 

 

薬はかなり強力で、僕の小さな身体には過剰な量だった。そのせいで身体は動かず呼吸も苦しい。目もかすんでいる。

でも意識はしっかりしていた。

僕の身体は、意識があれば、どんどん回復していく。第二の本能になるくらい、訓練してきた結果だ。

体内に入った異物を排除しようと、ぼくのサイオンと細胞は活発に活動を始めている。

この程度の薬なら1時間もあればだいたい抜けるだろう。

ただ、その間は物凄く痛い。熱もでるので、苦しい。

たまらず「うぅ…」とうめき声をあげてしまった。

 

薬が完全に効いていないことに驚いたのか、男の一人が硬い靴で僕の頭を蹴り飛ばした。

その蹴りは容赦がなかった。薬の量といい、この誘拐犯は僕が死んでも構わないようだ。

僕は車内をごろごろ転がり、扉にぶつかった。

今の蹴りで頬が切れて、口の中に血の味がひろがった。お馴染みの、いやな味だ。

 

でも意識はあった。

 

僕は本当に死んだように、じっと動かず耐えていた。追撃はこず、誘拐犯たちは車での逃走に集中し始めた。

ドコの誰かはわからないけれど、白昼の誘拐劇、それも監視カメラの中での行為だ。

すぐにでも警察が動き出して、僕を助けに来てくれるだろう。

 

でも助けが来るまで、僕の身に起きることまでは警察もどうにもできないだろう。

 

車は監視カメラの追跡も気にせずゆっくり走っている。追跡を逃れる手段があるのだろう。

だとしたらそれなりの組織だ。

僕を待ち伏せして誘拐を実行した事から、準備期間もかけた計画的な誘拐だろう。

この誘拐が、僕個人を狙ったのか、魔法科高校に通う未熟な魔法師を狙ったものなのかは、わからない。

それにしても全身が針で突かれているように痛い。考えるのが億劫になってきた。

まずは誘拐犯を観察しながら、回復の方に集中することにしよう…

 

車はかなり長いこと走っていて、やがて車ごと何かの建物の中に入っていった。

僕は男に軽々と肩に担がれ、車から連れ出される。

 

一瞬、潮の香りがした。海が近いのかな。

 

建物は何かの倉庫のようだった。天井も高く、大きなコンテナが整然と並んでいた。かなり丈夫そうな建物で、多少の騒音では外には聞こえなさそうだ。

倉庫のコンクリートの床に無造作に放り投げられた。痛かったけれど、がまんする。

 

男たちは三人、大きいのと、小さいのと、太っているの。

日本人のようだ。犯罪組織の下っ端構成員といった雰囲気で、暴力になれている態度だ。

CADと携帯端末は車内で奪われていた。そういえば手提げバッグはどうしたのかな、たしか車内に投げ込まれたときは手にもっていたはず。

手足は痺れていたけれど薬はだいぶ抜けていて、逃げようと思えばいつでも逃げられる。首だけ起こして周りを見た。

 

ふとこちらを見た三人と僕の目が、偶然合ってしまった。

 

「何故動ける?」と慌てる男たちが僕の方に駆けてくる。

 

めんどうだな、もう少し様子を見ていようと思っていたのだけれど、まあ、いいや、殺そう。

そう考えた僕の首に、誰かがさっきの棒状の器具を押し付けた。

 

しまった!もうひとりいたのか!

 

プシュッ!薬が打ち込まれた。、僕の首は焼けゴテを押し当てられたように激しく痛んだ。

 

「ごえぇえあ」

 

今のは僕の声か?僕は身体をのけぞらせ、ケイレンする。痛い、痛い。全身が、滅茶苦茶痛い。

 

「油断するな、魔法師は人間じゃないんだぞ」

 

僕に薬をうった男が言う。3人よりも身なりが良い。構成員でも現場指揮官クラスだろう。

 

「すみません、でも、薬をそんなにうったら、そのガキ、死ぬか再起不能ですぜ」

 

「かまわん、最悪、脳みそだけでも手に入ればクライアントは満足する」

 

脳みそだけ?どう言う意味だろう。

僕はびくんびくん震えながら、コンクリートの床を指で引っかく。

こんなに痛いの久しぶりだ…

 

「じゃっじゃぁさ、このガキ、やっちまってもいいかな」

 

太った男が、垂らしたよだれを、毛むくじゃらの腕でぬぐいながら言う。すごく、嫌らしくて気味が悪い。

 

「またかよ、男をやってなにが楽しいんだ?」

 

「いいいだろ、魔法師は遺伝子をいじくっているから可愛い子が多いんだ。そっそのガキは特別可愛いぜ」

 

「たしかにファイルを見たときは女だと勘違いしちまったぜ」

 

「こんなべっぴんな男の子、もう二度と味わえねぇだろうからさぁ」

 

男の娘じゃなく、男の子って言ったな…

 

「まぁいいだろう、日本の優秀な魔法師の卵を一人でも減らせば、我が国の利益になるからな、だが程ほどにしておけよ」

 

「ありがとうございますぅ、ぐへへ」

 

太った人はいやらしく笑うと、上着を脱いで上半身裸になった。

上着を脱ぎ捨てると、僕に覆いかぶさるように四つんばいになる。油っぽい体臭が気持ち悪い。

脂肪でたるんだ醜い顔が、僕の顔に近づく。僕の髪や耳元の匂いを嗅ぎ始める。

 

「ひぃぃ」

 

かすれたような声を上げる僕。

嗜虐心を刺激されたのか男の呼吸が荒くなる。すごく獣臭い。

男は一校の制服をむんずとつかむと、無造作に左右にひっぱった。ボタンがとぶ。

うぁ…大事な制服が…

制服のしたの白いシャツの襟を引きちぎると、ビリビリの布地から、ぼくの薄い胸とお腹があらわになる。

 

「ぐへへぇぁ、綺麗な肌だなぁ」

 

無骨な指が、僕の胸からおへそをなぞる…

 

「やぅやめ…やめぇ」

 

薬のせいで声が上手くでない。全身の激痛に、本能的な恐怖。初めて感じる恐怖だ。物凄く気持ちが悪い。

 

「始めは痛いけど、すぐ気持ちよくなるぜぇ」

 

男が、僕のズボンのベルトに手を伸ばす。がちゃがちゃと金属音をたてベルトをはずそうとする男。

 

「やっ…やめ…ろ」

 

「ぐへっぐへっぐへへへはふぅ、はぶぅ、はぶぁ、ぶはぁはぁ」

 

男の笑い声が、意味をなさないあえぎにかわる。

 

「おいおい、ほどほどにしとけよ」

 

僕たちに背を向けて、他の3人は端末を操作していた。太った男の行為には興味がないようだ。

 

「はぶうぅ、はがう、ぼあぁぁぁあおあげぶぁひががががぁぁ」

 

「うっせぇな!静かにやれよ!」

 

怒った男たちが、こちらを振り向き、驚愕の顔を浮かべていた。

 

 

 

太った男が、僕の上空に浮かび、両手両足を大の字に広げ、不自然なまでに反り返っていた。

 

「あがっあががががが、あがぁああひいいぃいぃい!」

 

男は、そのまま巨人の強い力に引っぱられるように、真っ二つにお腹から裂けた。

血と脂肪と肉、内蔵なんかが飛び散り、僕にべちゃべちゃかかった。

肉の塊は信じられないくらい大きな音をたてて、コンクリート床に落ちた。

 

男たちは呆然と立っていた。

 

すさまじく嫌なにおいが充満している。

 

僕は上半身をむくりと起こし、糸の切れたお人形さんのように虚脱した体勢で座った。

嫌な血と肉片が僕の身体を伝ってぼたぼた床に落ちる。

一校の白い制服が赤く染まっていた。

 

「なっなんだこいつ、こいつの魔法か?CADは持ってないぞ…」

 

「どうでもいい、殺してやる!」

 

小さな男が拳銃を構えた。その小男の膝から上の身体が音も無く消滅した。残された二本の足が、奇妙なバランスをたもって立っている。

 

「くっくそ、こいつこれでどうだ!」

 

大男は指輪をはめた手をこちらに向けた。またアンティナイトとか言う指輪か。キーンと頭の中で音が鳴り響く。

 

「どうだ、これで魔法師は魔法が使えまい、あはははああがっあがぁあがががぁは!?」

 

勝ち誇ったように大口で笑う大男。そんなに口をあけていたいなら…

 

大男の口が考えられないほど開かれる。僕に向けていた手で自分の顎やのどをかきむしる。

人間の構造上不可能なくらい上あごが開き、頬が割け、180度以上口を開き、そのままぶちっと千切れる。

大男がどさりと倒れ、顎から上の頭がゴツンと後から床に転がる。

一人残った現場指揮官らしい男が、恐慌を起こして、逃げ出した。

 

逃がすわけ、ないじゃん。

 

僕は男のふくらはぎを容赦なく砕く。男はもんどりうって倒れ、顎を打ったのか、口を血まみれにして振り向いた。

 

僕の身体は、重力を無視して浮き上がり、男を見下ろす位置まですぅと音も無く移動する。

 

「あっあがぁっがひっえ?」

 

男がずるずるとあとずさる。この男なら何か知っているだろうか。

 

「何故僕を狙ったんですか?」

 

男は答えない。

 

「げぁっ!」

 

男の左手の親指がはじけた。

 

「何故僕を誘拐したんですか?」

 

もう一度聞くけれど、顎をがくがく震わせていて答えない。

 

「ぎゃぁ!」

 

こんどは右手の親指が千切れとんだ。

 

「あっあへあへはっへははっはは」

 

男は口から泡をはいて変な笑いをし始めた。股間からアンモニア臭がする。右耳を吹き飛ばしたけれど、今度は反応しなかった。

 

「この程度の拷問で精神崩壊するんだ…狙いはなんだったのか…」

 

こんなとき、一生徒でしかない僕はただただ戸惑うだけだ。

 

 

 

 

 

 

「いやいや、凄いものを見せてもらったよ」

 

場にそぐわない飄々とした声がかけられた。頭がつるつるの、左目に傷のある男の人だ。

いつからいたのかな。僕は感知系は鋭くないから全然気がつかなかった。

 

「ずっと見ていたんですか?」

 

「いや、僕が来たときにはすでにそちらの3人は死んでたよ」

 

「そうですか…やっぱりピンチのときにヒーローは現れないんですね」

 

僕はコンクリートの床に降りると、その男の人をみつめた。男の人は細い目を少し開いて、僕を見つめ返した。

 

「パープルアイズ…ひょっとして君は、多治見研究所の出身かな?」

 

僕の瞳はいつもの黒曜石色ではなく、薄く透明な紫色をしている。能力を使うとサイオンの活性化で瞳が変色するらしい。

でも、今回は恐怖や痛みの中でも力をちゃんと制御できてよかった。

もし全開で使っていたら、この国は、いや下手をすると…考えたくない。

 

「よく知っていますね…どの記録にも残っていないと聞いているんですが。あなたは…誰ですか?」

 

敵だったら殺さなきゃ。僕は全身の痛みをこらえながら静かに聞いた。

 

「僕は九重八雲、世捨て人の様な者さ」

 

 

その人は、そう名乗った。




お読みいただきありがとうございます。


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狂気とボタン

タイトルを『パープルアイズ・人が作りし神』にしました。サイオンで紫の目になる設定は最初から考えていました。


「僕は九重八雲、世捨て人の様な者さ」

 

 

その人は、そう名乗った。

 

「九重家 雲さん?落語家さんですか?」

 

「九重 八雲だよ。 そんな亭号みたいに呼ばないで欲しいな…」

 

八雲さんは目に見えて肩を落とした。だってお坊さんには俗っぽくて見えないし…

何だかつかみどころが無い人だ。少なくとも、頭は捕まえられそうに無い…

 

ぶるる。

 

僕は不意に寒さを覚え震えた。僕はシャツを破られて、お腹がむき出しになっている。

ぐっちょり濡れた制服が冷たくなり始め、僕の体温を奪う。

どうして僕の制服は濡れているんだっけ…意識が九重さんに向かっていたから一瞬忘れてたけれど…

 

「そうだ…」

 

「ん?どうしたんだい?」

 

八雲さんが首をひねる。七草生徒会長と同じで、どこか動作が漫画チックだ。

 

「ボタン、探さなきゃ」

 

「え?」

 

ずっと飄々としていた八雲さんの雰囲気がちょっとかわった。

これまでは本心を隠すためなのか演技っぽい感じだったんだけれど、本気でわからない、といった感じだ。

 

「さっき、制服破られたとき、ボタンがどこかに飛んじゃって…探さなきゃ」

 

僕は、赤く染まったコンクリート床を、べちゃべちゃと音をたてながらさまよい始める。

かつて人間だった肉の塊や一部があちこちに散らばっている。

邪魔だな…

僕は四つんばいになって、まだ暖かさの残る肉だか内臓だかわからないものを、手でぞんざいに払いのけながら、ボタンをさがす。

 

ぺちゃり、べちゃっ…

 

最初はひとつずつ払いのけていたのだけれど、小さなボタンは見つからなくて…

面倒だな…

嗅覚はもう麻痺するほどの匂いだったから、僕にはただの赤いどろどろした液体にしか見えなくなっていた。

両手でばちゃばちゃと目の前をかき混ぜるように探しはじめる…

 

ない…ないよボタン…

 

それは酷く不気味な光景だったんだと思う。九重さんは、そのあいだ黙って立っていた。

 

 

「あっ…制服…汚しちゃった」

 

僕はそこでやっと制服が汚れていることに気がついた。

制服の両袖が変な色に染まっている…元の色がわからないくらい…

 

「九重さん…どうしよう…制服汚しちゃった」

 

僕は振り返って八雲さんを見た。言葉を捜しているようだったけれど、

 

「まいったな…僕より年上のはずなんだけれど」

 

八雲さんはつるつるの頭を撫ぜながら言う。最初の飄々とした雰囲気に戻った。

 

「ボタンは僕が探しておこう、それに制服も用意するから、まずはその汚れを落とそうか」

 

「この人たちはどうしよう」

 

「それも僕の弟子に片付けさせておくよ」

 

「…九重さんはどうしてそんなに親切なんですか?」

 

「うーん、遅れて到着しちゃったから…かな、そのお詫びって事でどうだい?」

 

僕は九重さんをゆっくりと眺める。この人は何者なんだろう。どうしてここにいるのだろう。

 

「うん、実はね、君の事を調べていたんだ」

 

「探偵さん?それともストーカーさん?」

 

「いやいやいや、身近で問題が起こりそうなときは、あらかじめ調べておく。情報を集め分析し対応を検討しておく。それが僕たち、忍びなんだよ」

 

なんだか妙なキーワードを聞いた。

 

「そうですか、忍野忍さんですか。じゃぁ暦お兄ちゃんはどこにいるんですか」

 

「おいおい、人を鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの成れの果ての名前で呼ばないでくれないかい?」

 

この状況でボケられるなんて、ある意味すごい精神力だな…と呟く忍さん…いや九重さん。

この状況でパーフェクトに突っ込める九重さんも凄いと思うけれど。

とりあえず現状はこの人を信用してもいい…ような気がする。

 

「僕は由緒正しい、忍術使い、忍びだよ。実は一校の入試成績が流出していてね」

 

魔法力だけだけれど成績上位者で、有力な一族とも関わりが無く、戸籍上天涯孤独の僕は、犯罪組織からすればとても狙いやすい立場なのだそうだ。

誘拐するなら、魔法科高校の生徒なら誰でもよく、たまたま僕が狙いやすかった、と言う事か…

 

「そうですか…それにしても魔法科高校は大丈夫なんですかね…」

 

「何がだい?」

 

重要な機密と魔法師の卵を集めた学校なのに、テロリストの侵入は許す、機密情報は一生徒にすら漏れる程ずさん。

管理は生徒会に丸投げ、一科と二科の問題、辞めていく生徒のケアもしない。

人材不足にしても教師役立たず、警備も常駐していない、カウンセラーはえちいし。

校長は切れ者なのか違うのか曖昧、教頭は富井副部長をイメージさせるし、違法な魔法使用はほとんど野放し。

魔法科大学に生徒を送り込むだけにしては脇が甘いのではないだろうか。

 

「うーん、そうしておかないとただのゆるふわ魔法学園ラブコメになってしまうからねぇ」

 

とメタな感想をのべる九重さん。

 

「この組織のことは僕も調べておくけれど、調査結果は知りたいかい?」

 

僕はちょっと考えて「そうですね、教えてください。お礼は…身体で払えばいいんですか?」

 

「いやいや、僕にその趣味はないよ。これもお詫びのうちさ。わかったら連絡するよ。そろそろ警察も来る頃だろう」

 

どれだけ時間が経過したかわからないけれど、警察だって無能じゃないだろう。たぶん。

 

「ここは片付けておくから、君は着替えてさっきの車の中で寝ていると良い。警察に質問されたら薬をうたれてずっと意識が無かったと答えるといいよ」

 

じっさい、この薬は2~3日は昏倒させる危険なモノなんだから、と血の池に浮かんでいた棒状の注射器を拾い上げる九重さん。

 

うん、こんなとぼけたやり取りをしている間も、全身に激痛が走っている。

九重さんのお弟子さんが大きな車でやって来た。その車の中のシャワーで身体を洗う。

その頃になると、疲れや痛みでふらふらになっていた。

用意してくれた制服を着ると、自力で歩いて、犯人たちが使っていた車の扉を開ける。

潮風が熱を持った僕の身体をやさしく撫ぜる。

僕はゆっくり犯人の車の後ろで身を横たえた。

九重さんがスライドドアをゆっくり閉めた。

僕は、近づいてくるサイレンを聞きながら、意識を失った。

 

悪い夢を見なければいいけれど…

 

 

警察が来たのは10分後ほどだっただろうか、車の中で寝ていた僕は、すぐに保護された。

警官に肩をゆすられると、目を覚まし、九重さんに言われたとおりに説明をする。

警察が呼んだ救急車で病院に運ばれ、検査をうけたけれど、薬の投与は拒否した。

僕には良い薬も悪い薬も害でしかない。

お医者さんは魔法師の事情に詳しいのか、僕の言うとおりにしてくれた。

食事は出してくれたのだけれど、病人食だったので、もっと高カロリーのモノが欲しかった…

 

そのまま一晩、病院の天井を見ながら起きていた。

今僕は病院のパジャマを着ている。制服はどうなったかな…

少しぼぅっとするけれど、朝になる頃には痛みもなくなる。

病室の壁に一校の制服がかけられていた。少しも汚れていない白い一校の制服…

 

僕はふらふら起き上がると、パジャマを脱ぎ、一校の制服を着た。

 

何だろう…落ち着くな。この制服が僕のいる場所になったのかな…

ベッドに腰を下ろし、そんな事を考えていたら。

病室のドアがノックされた。

 

「どうぞ」

 

扉が開き、十文字先輩と七草生徒会長が入ってきた。

僕は身柄を引き受けてくれる人がいないので、二人がかわりになってくれて、今朝、病院に来てくれることになっていた。

 

僕は立ち上がり「ご心配をかけました」と頭を下げた。

 

すると、七草生徒会長が、

 

 

 

「久君!あなた、やっぱり女の子だったのっ!!」

 

 

 

 

「ほぇ?」

 

七草会長の言葉の意味がわからず、病室の姿見に映った自分の姿を見てみると…

 

 

一校の女子の制服を着た美少女がそこにいた。

 

 

「なっあ!?」

 

そういえば、昨夜シャワーを浴びた後制服を着たとき、やけに足元がスースーすると思った…

ん?下着は…あれ?いつもより布地が少ないような…まさか下着も女性も…の?

 

どうしよう、とっさにどうすればわからなくなった僕は、十文字先輩に助けを求めようと振り返る。

スカートとキャミソールのレースがふわりと揺れ、僕の素足があらわになる。

 

十文字先輩はいつものように巌のような…いや、男らしい太い眉をぴくぴくさせている。

 

どう説明すればいいんだろう、犯人が着せた、九重さんが着せた、実は女装が好き…どれも駄目だ!

気がついたら女子制服を着ていましたじゃ、だめだろうな…

 

とにかく、一度廊下にでてもらい、パジャマに着替えた僕は、昨日の説明をする。

警察に話したことと全く同じでで、薬をうたれた後は覚えていないの一点張りだ。

 

なんでも実行犯が見つからず、車のあった倉庫にもなんの手がかりもなかったそうだ。

実は車は、隣の倉庫に移動させて、現場は別、と言うミステリーの定番のトリックなのだけれど。

九重さんたちは警察が調べている間に、悠々と作業していたに違いない。

 

僕の意外なほどの元気な姿に、安心した二人だった。

でも、この事件は誰にも、とくに達也くんや深雪さんたちには絶対秘密にしてもらうことをお願いした。

 

「今日は学校はお休みして、明日から普通に登校します」

 

「無理をしちゃだめよ」

 

十文字先輩はだまって頷いて、僕も頷き返す。男と男の娘は、目と目だけで通じ合うのだ。

 

 

九重さんからの連絡はその日のうちにあった。ちょっと殺しに行って来ようかな。

 

でもその前に、九重八雲さんの頭を木魚がわりに叩く!

 

 

千切れていたボタンは、女子用制服のポケットに入っていた。

 




この誘拐事件は実は重要で、ある女性の興味と関心を誘います。
ただ九校戦で活躍して注目するだけだと、他の師族と理由が同じになってしまうので、差別化をはかる為です。
その女性とは、誰でしょうか。

僕は男の子だよ!


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真夜中は別の顔

もう完全に女の子だ…

艦これで駆逐艦・深雪がドロップするたびに、深雪さんだって思うんだ(笑)。


僕は、重要な岐路に立たされている。

二日前の誘拐事件で、烈くんに貰った一校の制服を失った。

僕は二着の制服を交互にクリーニングに出しながら着ている。

もう一着は、クリーニング屋に預けたままだ。駅までの通学路にあるからいつも帰宅途中に受け取りに行っている。

昨日、受け取りに行くのを忘れていて、今は、朝の7時。

つまり、クリーニング屋は開いていない。

 

僕の目の前には、一校の女性用の制服が壁にかけられている。九重八雲さんが用意してくれた制服だ。

木魚がわりに叩こうと思っていたけれど、お弟子さんが僕を女子と間違えていたそうで、お弟子さんは叱っておいたって。

あまり叱らないであげてください。僕は八雲さんがわざとやったんだって邪推していましたって電話で謝ったら、八雲さんは薄く笑って許してくれた。

男子の制服はぶかぶかだけれど、この女子の制服は僕のサイズにぴったりで、キャミソールに紫色のラベンダーがあしらわれていて可愛い…

あっホントに可愛いな…僕これ結構好きかも…いや、違う!

 

一校には制服を着ていかなくてはならない…

 

そうだ、僕はみなに病弱と思われている所があるので、クリーニング屋が開店する時間を待って、午後から登校しよう。

そうするとただでさえ遅れがちな僕の成績は危険領域に達するかも…

 

いっいや、全てのアニメや漫画のヒロインが頭が良い訳ではないはずだ。

『ニセコイ』の小野寺小咲さんだってあんまり頭が良くないのに頑張って凡矢理高校に入学したじゃないか。

…ん?僕はヒロインじゃない…なんて愚にもつかないことを考えていたら、

 

不意に来客を告げるチャイムがなった。ドアホンのモニターを見ると、七草生徒会長が朝から機嫌よく立っていた。

 

「久ちゃん、お姉さんといっしょに学校行きましょう!」

 

小野寺小咲さんにそっくりな声だ。僕はこの声と深雪さんの声には何故か逆らえないのだ…

 

…?、待って、どうして僕が今、女子用の制服しか持っていないって知っているの?

女の勘?まるちすこーぷ?魔法師の能力はここまで進んでいたのか!?

 

七草会長が僕のことを心配して、お家の車で送迎してくれるのは、本当に嬉しい。

でも、学校まで直接行かないで、わざわざ高校前駅で降りて、歩いていくのは何故だろう。

ブランド物を見せびらかすように。いやペットかな?

 

手と手をつないで、七草生徒会長は「真由美お姉さんでいいわよ」…真由美さんは機嫌よく、女子用制服の僕は恥ずかしさでうつむいて涙目で歩く。

 

途中で会った渡辺委員長が「真由美も色々とストレスを溜めていてな…すまないな」と苦笑していたけど、助けてはくれなかった。

僕のメンタルの心配はしてくれないのか…二日前は大変だったんだよ。

 

「お昼ごはんは生徒会室で一緒に食べましょう。達也君と深雪さんも一緒よ」

 

いやだ、達也くんにこの姿を見られるのは嫌だ(バーチャルデートでワンピース姿を見られたけれど、あれは男の子の勝負服だって深雪さんが言ってたもん)。

 

しかし、教室には深雪さんがいる…

1-Aの教室に僕が入ったときのクラスのざわざわは、深雪さんが初めて教室に来たときと同じくらいのざわざわだった。

ちょっと森崎くん、どうしてそんなに顔を真っ赤にしてるの!

1-Aで僕と話をしてくれる男子は森崎くんだけなんだよ!どうして逃げるの!?

 

自分の席に向かう。隣の席は当然…

 

「久…あなた…」

 

やめて、深雪さん、何も言わないで…

 

「次のお休みの日、一緒にお買い物に行かない?あなた服はあまり持っていないって言っていたわよね」

 

僕の行動範囲は学校と、通学路、あとは自宅に殆ど引きこもっているので、制服とパジャマ以外は、適当な服はほとんどない。

服より、深雪さんがくれたエプロンの方が多い。深雪さんは何着エプロンを持っているのだろう。

 

「え?本当に?僕お買い物は近所のスーパーで食材しか買ったことがないから嬉しい、行く!」

 

僕はハットトリック音痴のファンタジスタだけど、実は買い物音痴でもあるんだ…もうキングオブ音痴だ。

 

雫さんとほのかさんが「私も行く」「だったら私も行く!」参加を表明してきた。

 

僕は男の子の服とかわかんないから、深雪さんたちが選んでくれるなら安心だな。楽しみだな。

 

僕は基本的に人を疑うことを知らない…

 

その日、僕はショッピングセンターで、深雪さんと、雫さんと、ほのかさんに散々着せ替え人形にさせられた。

 

「あらこのブラ、久に似合うんじゃないかしら」

 

ブラはまだ早いって達也くんが言っていたよ…うぅ。

どうして学校の女子生徒は僕を女の子扱いしたがるのだろう。真由美さんと同じで、ストレスを抱えているのかな…

僕のストレスは…もういい。

 

 

 

4月24日、達也くんの誕生日会に僕も参加させてもらった。

誕生日プレゼントはどうしよう、って呟いたら、「私にまかせて」と深雪さんが言った。

 

いつもの喫茶店だったのだけれど、深雪さん以外は僕とエリカさんしか誕生会のことを知らなかった。

エリカさんも騙されたとか良くわからないことを言っていた。

エリカさんは人をからかうくせに、自分がからかわれるとプンスカする。ちょっとメンド…いやお友達の悪口はだめだよ。

 

「さあ準備しましょう」って着替え室に僕を連れて行く深雪さん。

 

プレゼントの準備かな。歌とか?僕は歌には自信があるんだよ。

『咲日和』の衣たんの誕生日の会みたいに、みんなで歌うんだね「達也たんいえぇ~い♪」

 

僕は人を疑うことを知った方が良いと思う。

控え室から出てきた僕の格好は、どうみてもフリフリのヒラヒラのお姫様だった。

娘のピアノ発表会で気合入れまくりの母親みたいな深雪さんは、もう…満面の笑みで素敵だな

 

「僕より、深雪さんがドレス着て達也くん祝えばいいのに。その方が達也くん喜ぶよ」

 

「私だけ着飾っては、何の準備もできていなかったほかの皆さんに失礼でしょ」

 

たぶん夜、二人きりになって、ドレスでお祝いするつもりなんだ。

もう、結婚しちゃいなよ…

 

深雪さんが、破顔一笑した。あれ?また僕、口に出してた…?

 

その笑顔を見せられては、もう好きにして…と言う気分になっていた。

化粧までしてくれて、深雪さんが唇にルージュを引いてくれて。あ?これ深雪さんのルージュなの!?ドキドキ。

 

 

「よく似合っている」

 

達也くんの言葉に喜んで良いのだろうか。達也くんは基本的に深雪さんのする事は全肯定するんだ…

エリカさんはにやにや、雫さん無言で写真撮りまくらないで…

 

「達也たん、いえ~い♪」

 

 

 

 

「そういえば、久君の誕生日はいつなんですか?」

 

微妙に落ち込んでいた僕に美月さんが尋ねてきた。

 

「僕?4月1日だよ」

 

本当はわからないけれど、戸籍上はそうなっている。

 

「えぇ!?久が一番の年上なのか!?」

 

レオくんが声を上げ、全員が同様に驚いている。

何を言っているのだろう、僕が年上なのは当然じゃないか。僕より年上なのは知り合いでは烈くんくらいなのに。

 

「じゃぁ少し遅れたが、久も一緒に誕生日を祝おうか」

 

「うぇ?でも今日は達也くんの誕生日会じゃない」

 

「構わないわよ、お兄様、久、誕生日おめでとうございます」

 

みんなが、店長さんも「おめでとう」と言ってくれた。

誕生日を祝ってもらったことなんて一度も無い僕は、嬉しくて、幸せで、涙をぼろぼろ流しながら「ありがとう」って…

 

ろうそくの火を達也くんと一緒に吹き消して、店長さんが用意してくれたケーキを切り分けることになったんだけれども、

 

「あっ店長さんといれると9等分に切らなくちゃ…9等分ってどう切ればいいのかな」

 

エリカさんの言葉に、店長さんは自ら辞退してくれた…ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

幸せな気持ちで、自宅に帰宅した。魔法科高校に入学できてよかった。

深雪さんがくれたこのお姫様の服は、もう着ることはないだろうな。ない…よね!

 

パジャマの僕は、遅れた分を取り戻そうと勉強していた。

 

ぷるるるる。

 

20時頃、携帯が鳴った。相手は、九重八雲さんだった。

 

「今夜、例の組織を襲撃するよ」

 

僕は長い髪の毛を適当にリボンでまとめると、唯一まともな男の子の格好(光宣くんのお古だ)に着替える。

 

迎えのセダンに乗り込むと、飄々とした八雲さんが「これに着替えて」と動きやすい戦闘服を貸してくれた。

暗くせまい車内の中でごそごそと着替える。

 

「出家の僕は俗世にはあまり関わりたくはないんだけれど、乗りかかった船でもあるし…今回限りって事で」

 

つるつるの頭を撫ぜながら「もっと大きな組織ともつながりがありそうだからねぇ」と呟く。

 

組織のことはわからないけれど、当面の安全確保が僕の目的だ。

誘拐組織にたびたび狙われては、勉強もろくにできない。今でもできてないから、もっとひどくなる…

 

「監視カメラはすでに押さえてあるから、建物を壊さない程度で少し派手にやってもいいよ。その間に弟子たちが客船の方を襲撃するからね」

 

陽動作戦か。昔よくやったから慣れている。

 

「何人いるんですか?」

 

「幹部と戦闘員ふくめて53人」

 

「全員、殺してもいいんですか?」

 

「うん。でもこの人物だけは僕が捕まえるから、もし見つけても殺さずに足止めしておいてね」

 

その組織の大幹部は古式の魔法師で隠形が得意なんだそうだ。僕は制圧向けなので、その手の魔法師は苦手だ。

 

セダンが、その表向きは貿易商社の立派なビルの前にとまる。

僕は端末とCADを車において、外にでる。そのまま堂々と正面ホールに歩いていく。

 

「じゃあ始めようか」

 

気配を感じさせない、八雲さんの声だけが聞こえた。

 

「うん」

 

頷くと、僕の姿は、薄い紫色の光を残して、夜の闇に消えた。

 

 

 

 

翌日。

横浜港に停泊中の豪華客船から、世界中で行方不明になっていた魔法師たちが、警察によって救出された。

スクリューを破損し航行不能になっていた擬装された客船には、元魔法科高校一校生の姿もあった。

 

 

 

僕は、男子のぶかぶかの制服を着て、とてとて登校する。

1-Aの教室には、友人が無事見つかって喜ぶ森崎くんの笑顔があった。

 

 

 

 




久は、ずっと絶対服従の暗示を受けていた影響で、回復した今でも、人の言うことを素直に聞いてしまいます。
肉体や魔法力は回復できても、精神支配はわずかに残っている、と言う設定です。
どれだけ疑っても、女装させられる運命…


精神とは何か…それは四葉がずっと追い求めてきた謎ね…ふふふっ。

お読みいただきありがとうございます。




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依存性とヨルとヤミ

今回もエグイです。ご注意ください。
でも、『爆裂』も相当エグイ魔法ですよね。


 

寒冷化で天候が変化したこの時代でも6月は比較的雨が多い。

科学の進化で天気予報が外れることはほぼなっくなったそうだ。

学校前駅から一校への道には傘の花がいくつも開いていた。

 

その傘の色を「アジサイみたいだな」と、キャビネット乗り場に立つ僕はぼぅと見ていた。

誘拐事件が起きてから、僕は極力誰かと行動を共にするようにしている。

帰りは達也くんやレオくんと一緒になることが多いけれど、登校はみんな時間がばらばらなので、だれか友達がいないかなと探す。

 

誘拐組織は壊滅したけれども、同じような犯罪組織は世界にいくつもあるそうだ。

あるレベル以上の魔法師以外は、海外移動が容易になっている時代、未知の組織が突然目の前に現れてもおかしくない。

一校の生徒の多くが護衛をつけて身を守っているそうだ。

八雲さんとは、あの事件以降、特に連絡をとりあっていない。

誘拐事件のときはボランティアで助けてくれたけれど(僕の能力で支払ったようなものか?)、一度で終わらせておかないと、後々たくさんの借金を背負い込むような気がする

 

僕は探知系の能力をいちじるしく欠いている。情報収集力も家電以上携帯以下だ。誘拐のたびに組織を皆殺しにしていては、社会貢献にはなるけれど、面倒だ。

迷ったけれど、昨日、一校に入学してから初めて烈くんに電話で相談してみた。

 

「ふむ、わかった、手配しておこう。では九校戦で会えるのを楽しみにしているよ」

 

九校戦。夏休み中に行われる、魔法科高校対抗の魔法スポーツ大会か。

僕の成績や運動能力では選手に選ばれることはないだろうから、応援に行ったら会えるのかな?

赤点とって夏休み中に補習が無ければだけれど。

 

二ヵ月後か…そんなに頻繁に事件は起きないよね…

 

 

雨粒が傘をぽつぽつ叩いている。

僕は友達が少ない。21世紀初頭に大ヒットしたライトノベルのタイトルじゃないけれど、そうなのだ。

特に男子生徒の友人は壊滅的だ。同じクラスでは森崎くん。他のクラスでは、達也くんに、レオくん、新しくお友達になってくれた吉田幹比古くん…

女子生徒は比較的僕に好意的なんだけれど、上級生の女性陣は、僕を女の子あつかいするので困る。

できれば、僕を女の子あつかいしない人がいないかなぁときょろきょろしていたら、

 

「おはようございます、多治見君」

 

黒い傘を手にした市原鈴音先輩が僕を見つけて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 

「おはようございます、市原先輩」

 

丁寧に頭を下げて挨拶して、市原先輩を見上げる。

市原先輩は生徒会の会計をしていて、渡辺先輩と同じくらい背が高い綺麗な人だ。僕を女の子扱いしない数少ない女子の先輩の一人でもある。

生徒会と部活連の幹部の人は、4月の誘拐事件のことを知っていて、何かと気を使ってくれてる。登校時には一緒になってくれる時がある。

真由美さんや渡辺先輩は時々からかってくるけれど、市原先輩はそのようなことはしない。無表情なんだけれど落ち着いていて、ちょっとした気遣いをしてくれる。

 

「行きましょうか」

 

「はい!」

 

何より、その声には『絶対王者』の風格がある。三順先を見通さないと太刀打ちできない、あっさりと10万点差がつきそうな…ガクブル。

 

僕は市原先輩の後ろをとてとてと歩いて一校に向かう。

手をつないでもいいかな…と思っていたら、市原先輩は手が濡れるのも構わず手を伸ばしてきてくれた。

えへへ、って笑って市原先輩の顔を見上げたら、いつも無表情な先輩が少し照れたみたいだ。さすが照。

 

 

魔法科高校の授業はあいかわらず僕には難しい。来月にはテストもあるので、僕とレオくんは相変わらずひーひー言っている。

こんな難しい勉強で必ず上位に入っている僕の友人(レオくん以外)は本当に凄いな。

特に達也くんは凄い。教師よりも何でも知っている。魔法力のスペックだけが高い僕には凄すぎて良くわからないくらいだ。

 

「自分は普通に魔法力が欲しかったが…」

 

って達也くんは言う。達也くんも深雪さんと同じクラスになりたかったんだろう。それに魔法科高校に通う生徒はそれぞれ複雑な事情をかかえているようだ。

 

 

一校に入学して三ヶ月、気がついたことがある。

 

 

魔法科高校は十師族と師補十八家・百家のためにある。

 

 

魔法師の勉強も、魔法科高校はすでに基礎は入学前に学んでいることを前提にしている(僕が苦労するわけだ)。

中学在学時に魔法関係の塾に通って勉強するのが普通なんだそうだ。

必然、塾に通うだけの経済力が求められる。

護衛の件もそうだ、経済的に苦しい魔法師の卵は、有力家の保護下に入ることになり、結果、有力家は力を増す。

それ以外の生徒は、たとえ優秀でもナンバーズ出身でないと侮りの目で見られる。

国策なら、小中学校から、魔法以外もちゃんと教える教育機関を作ってほしいと思う。

十師族は国に尽くす立場にある、なんて高潔なことを十文字先輩が言うけれど、その先輩も十師族に強い思いがあるみたいだ。

 

優秀な魔法師は十師族の一員でなければならない、なんて考えていないといいけれど…

 

一科二科以外に差別しているのは十師族などの有力家もそうなのだ。

まぁ十師族の出身の人も色々大変な事があるのだろうけれど。

 

だからと言って、僕を女装させようとするのはやめてください真由美さん。ストレスははんぞー先輩で晴らしてください。

 

 

その有力家に無関係の魔法師は、誘拐組織以外にも狙われる。あまり権力の中枢にいない家や、企業だ。

 

入試成績リスト流出のせいか、勧誘がくる。

 

放課後、料理部にいた僕に、来客のメールがきた。またか…とげんなりする僕を部の先輩たちが励ましてくれる。

 

「それだけ、久は優秀な男の娘なんだって」

 

男の娘じゃないったらぁ。

 

学校の応接室で僕の向かいのソファに座る女性は、いかにも企業の人らしくかっちりとしたスーツ姿だ。

 

「わが社のCADが…」「メンテナンスが…」「信号化するスピードが…」

 

めずらしい紙のパンフレットを読みながら、よくしゃべるなぁと感心する。

僕のCADは烈くんがくれたもので、メンテナンスも烈くんが手配した会社をそのまま使っている。

だいたい僕はCADが苦手なので、授業以外ではほとんど触らない(だから上手くならないんだな…)。

 

優秀な魔法師はつぎつぎと有力な家にとりこまれるので、まだ1年の僕にも早々につばをつけに来る。

将来も目標も、そもそも卒業できてライセンスがとれるかどうかもわからないのに。

 

「そのときはわが社が高待遇で研究員の立場を…」

 

研究される立場じゃないだろうか…と元実験動物だった僕は勘ぐる。

前にいる女性も、とにかく必死で勧誘してくる。説明する内容の半分も僕にはわからないのに…

 

義理で、一定時間相手をすると、僕はいつものお決まりの台詞を言う。

 

「僕はまだ新入生でして、相談できる身内もいませんから、七草生徒会長か十文字克人部活連会頭に相談してからお答えします」

 

こう答えると、滑らかだった舌が急停止する。

僕がすでに七草家か十文字家の下にいると勘違いするのだ。

目に見えて落胆し帰っていくその女性の後姿を見送りながら、僕は普通に学生生活を送りたいんだけれどなぁ、と一人ごちる。

 

 

 

 

学校前駅までは達也くんたちと帰るけれど、そこから自宅までは、当然一人だ。

自宅近くの駅からは、前回の事件以降極力コミューターを利用している。ただ今日はお弁当の食材を買うために、周りを警戒しながらの徒歩だった。

僕が方向音痴なのはわかっているけれど、さすがに自宅までの道で迷うようなことは無い。

エコバッグを片手にスーパーを出れば、自宅までは数分の距離だ。

僕はいつも通り、とてとて歩いていた…

 

無意識に、いつもはまっすぐ進む十字路を、左にまがった…

疑問に思うことも無く歩み、左に、左に…あれ?ここどこ?

閑静な住宅街から抜け、駅近くの雑居ビル群のほうに戻っている。

 

おかしいな…僕は家に帰って…あっ、やっとついた。

 

僕はビルの建設現場を見つめている。建設現場だとわかっているのに、そこが自宅だと頭の中の誰かが言っている。

はやく帰らなきゃ…

ふらふらと立入り禁止の看板を跨いで乗り越え、鉄骨がむき出しのビルの中に入っていく…

 

あれ?ここどこかな…赤茶色の鉄骨があっちこっちむき出しで…

全然知らない、ビルの建設現場だ。

重機はエンジンがかかっているのに、誰もいない。

 

にゃぁ

 

足元で猫が鳴いたような気がした。僕の意識が足元に向く。

 

ぎっぃぃぃぃぎぎぎぎぎぎっ

 

頭上で、金属がこすれてきしむ変な音がしていた。

ふと見上げると、沢山の鉄骨をのせた大きな鉄板のワイヤーがたわんでいた。鉄板がぐらぐら揺れ始め、クレーンのフックからワイヤーがばちんと外れた。

鉄板が傾き、何十本もの大きな鉄骨が滑り、僕に向かって次々と落下してきている。

 

危ない…逃げなきゃと思っているのに、足元の猫を見ろ、と脳内の誰かが言っている。

僕は足元の猫に手を伸ばす…

 

あれ?いない…あっ鉄骨…

 

 

ずががががががっん

 

 

鉄骨が耳を聾する轟音とともに、次々と落下している。ある鉄骨は地面に突き刺さり、転がり、土煙があがって、地面を揺らす。

立っていられないほどの局地的な地震だ。

 

辺り一帯に響く轟音、呼吸が出来ないほどの土ぼこり。

なのに誰も建設現場に現れない…

 

土煙が消えた建設現場に、鉄骨が複雑にからまって転がっている。

コンクリート片や鉄パイプがあちこちに散乱している。

アレの下敷きになって、人間が生きている確率はゼロと誰でも思う惨状だ。

 

 

建設現場の入り口に、二人の大人が立っていた。

一人は、昼間魔法科高校に僕の勧誘に来たお姉さん。同じスーツを着ている。

もう一人は、スーツ姿だけれど、少しくたびれている感じの男。

お姉さんは驚きで、ぶるぶる震えていた。

 

「こっ殺したんですかっ!?」

 

「おっ俺はただ、あのガキの実力を測ろうと…」

 

男も自分の両手を見ながら震えている。その左腕にはブレスレットタイプのCADがはめられていた。

 

「だからって、過剰すぎるでしょう、もっと別の方法があったはずです社長っ!」

 

「うるさいっ!魔法科高校入試の魔法力主席のガキだぞ!あの程度の状況覆して当然の実力があるはずだ!」

 

「でも、社長の認識阻害魔法と幻覚が通じている時点で、それほど突出した実力があるとは思えませんでした!」

 

「何だとっ!」

 

男は血走った目を一杯に開いて、お姉さんをにらみつけた。

 

「俺の魔法は十師族にも負けない!この精神干渉魔法は誰にも破られない!俺を数字落ちにした連中は俺の魔法の価値がわからないんだ!」

 

震える指先を鉄骨の山に向けて、

 

「あいつはいずれ七草家に飼われるんだろうっ?俺をエクストラ落ちにした七草弘一の!あの七草弘一の部下になるなら敵だ!敵は芽の内に摘んでおくんだ!」

 

女性は男の剣幕に鼻白んだものの、いつまでもこの場にいては危険と判断したのか、

 

「とっとにかく、はやくこの場から逃げましょう、私の魔法もいつまでも作業員を遠ざけてはおけないですよ」

 

左手の携帯電話型CADを操りながら叫ぶ。

 

「そっそうだな…これは不幸な事故だったんだ、あのガキが他の有力師族の眷属にならなかった事をよしとしよう…」

 

男の乾いた笑いは、どこかイビツだった。

 

 

 

 

「僕をいじめて、楽しい?」

 

 

 

 

「「ひっいぃ!?」」

 

僕は、二人の後ろから声をかけた。二人は面白いほど飛んで驚いた。振り向きながらCADを構える。

 

「なっぁ?いっいつからそこに…鉄骨に押しつぶされたんじゃ…」

 

「そんなことするわけないよ。あんな大きなかたいのがあたったら痛いよ。二人が会話しているあいだずっと後ろに立っていたよ」

 

僕は『移動』した後、二人の会話を全部聞いていた。

探偵ドラマの犯人みたいに、聞かれもしないのにベラベラしゃべる間抜けな人たちだなぁって。

 

「何の魔法をつかった…」

 

男は呟きながら、こっそりとブレスレットに右手を滑らせる。またあの精神干渉の魔法を使うのだろう。

 

僕は残念だけれど、感知系の能力はないし、精神支配の魔法は苦手だ。ふいをつかれるとあっけなくダメージを受ける。

CADの操作も苦手だから『魔法』の発動もわずかに遅い。でもCADを使わない能力は人間の反応速度を遥に凌駕している。

 

男の左腕がブレスレットごと消える。男のCADを操作しようとした指が空振りする。

 

「え?」

 

男が痛みを感じるより早く、今度は右手が消える。血が吹きだす時間すらなく、右足、左足、が音も無く消え…

胴体と頭だけになった男が、どすんと地面に落ち、四肢を失った部分から、思い出したように血が吹き出る。

 

「あががっがががががぁ」

 

絶叫するも、転がることも出来ない男は、その場でばったんばったんと無様に暴れる。むわっと血の匂いが建設現場の匂いと混ざる。

 

「人間噴水みたいだね、お姉さん」

 

呆然と、男の姿を見ていたお姉さんの隣にたって、無感情で呟いた。

 

「ひっい?」

 

物凄い速度で振り向いて、僕から離れるお姉さん。

 

「ねえお姉さん、僕をいじめて楽しい?」

 

「ひいぃいぃ、いっいや来ないでっ!」

 

お姉さんが滑稽なくらい震えて携帯型CADを操作しようとするけれど、まったく魔法が発動しない。

 

「りっ…領域干渉…?うそ、なんでCADも使わないで…なにっ何なのあんた!はは…は…は…」

 

さっきから僕の質問に答えてくれない…踵の高い靴なんて履いて、背が高いな…みんな僕より背が高いから首が疲れちゃうな…

 

お姉さんの下半身を僕は、『飛ばした』。

 

上半身だけになったお姉さんが、べちゃっと地面に落ちる。上手いこと上半身だけで立って、僕を見上げた。

まるでおへそから下が地面に埋まっているみたいだ。

 

お姉さんの悲鳴が建設現場に響き渡る。なくなった下半身を探すように両手で、地面と自分の接地面をガリガリしている。

血と内臓がごぼりとあふれてくる。

僕は身長の縮んだお姉さんの前にしゃがんだ。お姉さんが僕を掴もうと手を伸ばすけれど、ぎりぎり届かない距離だ。

 

「ちょっ…うぉぞぉ…わた…し…しし…じぬ…ぅ」

 

人を殺そうとしておいて、何を言っているのだろう。…そうか、僕は人じゃないもんね。薄い紫色の瞳の化け物だ。

お姉さんの目は僕じゃない何か別のものを見ているようだった。

そんなお姉さんに僕は話しかける。

 

「昔ね、敵を殺すときは出来るだけ残酷に、他の敵が戦意を失うほど残虐に殺せって、偉い人が僕に言ったんだ」

 

お姉さんの血涙まみれの目が僕を睨んでいた。視線じゃ人は殺せないのに…

 

「僕はね逆効果じゃないかって思ったんだけれど、偉い人の言うことだから聞かないといけないよね」

 

四肢を失った男はまだぴくぴく動いていた。

だから僕は、すぐ近くに転がっていた鉄パイプを数本拾う。

 

上半身だけのお姉さんを男の方に『向け』て、

 

「ねえお姉さん、どっちが正解かな?えらい人?僕?」

 

と尋ねながら、男の致命傷にならない箇所を、鉄パイプでゆっくりと突き刺していく。

僕は非力だから、全体重をかけて、ぐいっぐいっと押す。

三本差したところで、男は動かなくなっちゃった。あれ?死ぬの早いな…差すとこ間違えたかな…

 

「ねぇお姉さん、どう思う?」

 

 

お姉さんは答えてくれなかった。

 

 

 

二つの変死体を見下ろしながら、どうしようかなと悩む。このままこの死体を放置していたら大事件だよね。

 

『飛ばす』かな…ん?

 

 

二人の女の子が、立入り禁止の看板の前に立って、こちらを見ていた。

 

二人とも顔を真っ青にしながらも、声も上げず、逃げたりもしない。

女の子のほかにも黒服を着た男の人が何人か現場を取り囲むように立っていた。

女の子たちの服装は、フリルやリボンをふんだんにつかった可愛い服で、黒い…どう見てもコスプレの類だ。

 

警察では無い様だけれど、

 

「こんにちは、あなたたちも僕の勧誘ですか?」

 

僕はご近所さんに話しかけるように、普通に聞いた。

この子たちも殺した方がいいのかな。偉い人は女子供も容赦はするなって言っていたし…

 

女の子の一人が、ゆっくり歩いてきた。

 

 

 

「こんにちは、多治見久さん。私はヨル、あの子はヤミ。主からのメッセージをお伝えしに来ました。」

 

 

 




次回からやっと九校戦に入れる…
原作は4月から一気に7月中旬に進んでしまうので、
6月になにかエピソード作れないかなと思い描きました。
あまり6月でなくても良い話ですが。6月に血の雨が降る…

お読みいただきありがとうございます!


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九校戦前

今回はのんびりと。


7月中旬、試験の成績上位20名が発表された。僕の友人たちが一科二科関係なく上位を独占していてとっても嬉しい。

エリカさんも意外と優秀なのだ。

 

「どういう意味よ」

 

「いってぇ!なんで久じゃなく、俺の頭を叩くんだっ!!」

 

僕とレオくんは上位20位に入っていないので、当然公表されていない。たぶん21位なんだよ、ねレオくん。

 

達也くんの理論順位一位と幹比古くんの三位は一科生を驚かせたけれど、達也くんが一番なのは当たり前だよ。

達也くんはなんでも知っているんだ。

 

「何でもは知らない、知っていることだけだ…」

 

と、『羽川翼』さんみたいなことを言う余裕っぷりだ。

 

雫さんが上位に入れて、これで九校戦の選手に選ばれると喜んでいた。

雫さんは昔から九校戦のファンで、深雪さんも会場に観に行ったことがあるそうだ。

昔の甲子園みたいなものなんだろうな。

 

僕は魔法力のスペックが高いだけで、義務教育もまともに受けていないので、赤点じゃなかっただけでも一安心だ…

いや、それでももっと頑張って勉強しないと。

みんなだって、持って産まれた素質だけじゃなく、ちゃんと努力しているんだ。

 

…産まれ持った素質か…

 

僕は『ダイの大冒険』のポップの葛藤が良くわかるよ…

いつか僕も大魔道師と呼ばれるように(?)、夏休みは自宅に引きこもって、勉強しよう。

 

正直いって、外は怖い…

 

烈くんが護衛の件を約束してくれて、僕に気が付かれない範囲から守ってくれているみたいだけれど、古来から、暗殺と誘拐を防ぐ方法は無いのだ。

ターゲットが人間である以上、犯人は時間をかけてゆっくり相手が油断するのを待てば良い。

いくら僕が殺人にまったく抵抗感が無いからといっても、痛いのはゴメンだもの。

 

あっでも、九校戦には烈くんも来るから、一度は会場に足を運ばないといけないな。

迷わずに行けるかな…不安だ。

 

 

それに、九校戦の終わった後、ある人と会う約束をしている。

6月の建設現場で襲われたあの日、僕はあまり知らない人と会うのは気が進まなかったので、『ヨル』と『ヤミ』の話を最初は断った。

建設現場での後処理をしてくれるからと言われたけれど、やっぱり嫌かな…と考えていたら、僕のお腹が「ぐぅうううう」って物凄く大きい音で鳴ったんだ。

能力を使うとお腹がすくから仕方がないんだけれど、すごく恥ずかしかった。

二つの変死体を前にしてお腹を鳴らすなんて、まるで食人鬼だ…

 

「あっ主のお屋敷でお食事でもいかがですか?きっと美味しいお茶菓子もでますわよ」

 

「…じゃあ、行く…」

 

以前、知らない人にお菓子を貰えるからと言って付いていくんじゃないぞ、って達也くんに言われたんだけれど、おかしいなどうして断れないんだろう。

 

「あるじさんは僕に何のようなの?」

 

「そこまでは存じません、主に直接お聞きください」

 

とそっけなく『ヨル』さんは言ったんだ。

その間『ヤミ』さんは黙っていたけれど、僕のちぐはぐな行動に眉をひそめていた…

 

 

 

 

成績発表の放課後、生徒会室に呼び出された。僕だけでなく、深雪さん、雫さん、ほのかさん、森崎くんも一緒だった。

僕以外の4人は成績優秀者だから、生徒会長から表彰でもされるのだろう。

僕は…なんでだろう?

 

生徒会室には七草生徒会長、市原先輩、中条あずさ先輩、服部先輩。それに当たり前のように渡辺委員長がいた。

 

「皆さんには、九校戦新人戦の主力選手として出場をお願いします」

 

真由美さんがにこやかに言うと、深雪さんが責任感のある返事をして、雫さんとほのかさんはお互いの手をとって喜び、森崎くんも右手をぐっと強く握っていた。

 

「みんな凄いや、僕は一生懸命応援してるね!」

 

友人が喜んでいる姿っていいな。九校戦って甲子園みたいにテレビ中継とかするのかな…とか呟いていたら、

 

「何をいっている、多治見、お前も選手として出場するんだぞ」

 

と、渡辺委員長があきれた顔で言ったんだ。ん?

 

「九校戦は成績上位者から選ばれるんじゃないんですか?一生懸命勉強してきた人からすれば、成績の振るわない僕が選ばれたら不満なんじゃないですか?」

 

いや僕も一生懸命勉強したんだけど、この体たらく…

 

「多治見君の考えは半分は正解です。しかし、九校戦は魔法を使ったスポーツです。自身の得意魔法との相性が悪い成績上位者もいます。事実、総合順位4位の十三束鋼君はその理由で選手選考を辞退しています。」

 

市原先輩が僕の疑問に答えてくれた。

 

「逆に相性のいい生徒の筆頭が多治見君です。あなたはCADの操作が苦手で、状況に応じて魔法を使い分けることは不得手です。しかし、一撃に秘める威力は、そもそも司波さんより上なのです」

 

「だからね、久ちゃんにはアイス・ピラーズ・ブレイク新人戦に出場して欲しいのよ、お願いできるかしら」

 

アイス・ピラーズ・ブレイク…?氷の列柱の破壊?氷の破壊か…昔、鉄道や鉄橋の破壊は何度かしたけど…いまいちピンと来ない僕に、

 

「何言ってんだ多治見!これは名誉な事なんだぞ、僕と一緒に頑張って出場しよう!」

 

森崎くんが鼻息も荒く薦めてくれたので、僕は力なく頷いて了承したんだ。…不安しかないけれど。

 

 

結局、僕は新人戦のメンバーに選ばれて、授業を中止してまで開かれた、お披露目の発足式に参加した。

達也くんもエンジニアとして参加するそうだ。

発足式の前の舞台裏で、深雪さんが達也くんのエンジニアのジャケットの花柄の徽章をみてラブラブな雰囲気を醸し出していた。

その雰囲気に生徒会のメンバーはうんざりしていたけれど、僕はにこにこ二人を見ていた。

 

僕も他の選手たちと同じジャケットを…ん?ちょっと待って、僕のこのジャケット女子用だよ!スカートだよ!しかもミニだよ!

 

「ん?自分で着たんだろう、何をいまさら言っている?」

 

「だって、はいって渡されたら、僕疑わずに着ちゃうんだもん!」

 

女性陣の目がキランと光った気がした…錯覚だよね。ね!

 

「あっあら?係りの人が間違えたのね…ごめんなさい、後で男子の用意するから、今日はこの姿でね」

 

ウソだ!絶対わざとだ!真由美さんの影が悪魔の形してるもん。

 

「いやだ、僕帰る」

 

「だめよ!お兄様の晴れ舞台に欠員は失礼よ!」

 

氷の女王が僕の左腕を掴む。誰か助けて…味方なんていない…涙。

 

講堂の舞台に50人が整然と横一列にならんでいる。

参加選手とエンジニアを真由美さんが紹介して、深雪さんがメンバーの襟に徽章をつけている。

森崎君が堂々と胸を張っている。その隣の僕は、女子用のジャケット着せられて涙目…

深雪さんを前にした森崎くんのだらしない顔と、深雪さんの笑っていない目は印象的だった…

深雪さんは達也くんを低く評価する人には、ものすごくインギンブレイなのだ。

 

深雪さんが僕の背にあわせて軽く腰をかがめて、徽章をつけてくれた。

僕に向ける深雪さんの笑顔はとっても素敵だった。それが淑女の半笑いでも…涙。

 

 

 

「技術スタッフの司波です。CADの調整のほか訓練メニュー作成や作戦立案をサポートします」

 

発足式のあと、学年の男女で分かれて、ミーティングが行われた。

教壇には達也くん。達也くんの担当は一年女子だった。

教室には深雪さん、雫さん、ほのかさん、里美スバルさん、明智エイミィさん、滝川和美さん…えっと、僕。

 

「えっ?どうして僕も女の子のグループにいるの!?」

 

「何を言っているの、久は女の子じゃない」

 

「ちがうよ、男の子だよ!」

 

「そっかぁ久にゃんは男の娘だったのかぁ。でも制服は女子用だよ」

 

エイミィさんがニパァと笑う。違うよ男の子だよぉ!

 

「ボクはどっちでもいい」スバルさんがダテメガネをくいっ!

 

「よくないよ、僕は男の子なんだって!!」

 

「ここにいるメンバーは、達也さんがCADの調整をしてくれるんだから、久、嬉しいでしょ」

 

「え?本当に!!僕、達也くんがしてくれるんだったら女子用の制服でも我慢する!頑張る、何でもするよ」

 

「何でも!?って事は、あんな事やこんな事も?」と思春期な滝川和美さん。

 

「うっうん…達也くんが…望むなら…僕…」もじもじ、もちろん冗談だよ!

 

きゃぁきゃぁとガールズトークで喧しい。ん?ガールズ?

 

達也くんが「そろそろ打ち合わせをしたいんだが」とため息をついていた。

 

数日後、本格的に九校戦の練習が始まって、僕もアイス・ピラーズ・ブレイクの練習に参加している。

十文字先輩を筆頭に千代田花音先輩、深雪さんと優勝確実と言われているメンバー相手の練習なのだから、本番より選手が豪華だ。

 

新人戦男子は僕とあと二人。あとの二人はあまりやる気がなさそうにみえる。理由を聞いてみたら三高に絶対的優勝候補がいるんだそうだ。

競技前から戦意喪失ではだめだと思う。『あきらめたら、そこで試合終了ですよ?』って安西先生も言っているよ。

 

達也くんは深雪さんたち女子一年生にアドバイスをしたあと、僕にもいろいろ手ほどきしてくれる。

 

「久、お前の魔法力はもともと凄い。起動式はかなり荒いが、それを補う圧倒的なスピードとサイオンの量だ。先制さえ出来ればお前の勝ちは間違いない。」

 

「うん」

 

「一番のネックはやはりCADの操作だ。そこでお前にはCAD操作の練習を繰り返してもらう」

 

「えっと、つまり素振り?」

 

「まぁそうだな、防御は無視して、圧倒的スピードと領域支配力と破壊力で相手を圧倒するのがお前にあっている」

 

そこで僕は得心がいった。

 

「つまり清澄高校麻雀部の合宿で部長さんが和ちゃんに、ツモ切りの練習をさせたのと同じことだね!」

 

「むっ、まさか久、お前の名前は、麻雀部部長の竹井久からとっているのか?」

 

「三分の一は正解だよ」

 

とメタな会話をしつつ、九校戦に向けて練習をつづけたのだった。

 




いくらオリ主の設定が自由でも、
達也の異常性と価値を下げるような万能キャラにはしたくないので、
久の頭脳と肉体は基本的に10歳レベルです。
この10歳と言う設定にもじつはちゃんと意味があります。


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意識とは…

魔法科高校の劣等生SSが発売されていることに昨日気がつきした。


見上げる満天の星空は、祖国の空とは違っていた。

日本では考えられないくらい広い広い草原。真冬の、氷点下20度にもなる冷たい空気。

吐く息が凍りつくほど寒いはずなのに、僕は半そで半ズボンだ。それでもむき出しの細い手足は、もう寒さを感じられないほど感覚が麻痺している。

ここ半年は実験室ではなく、戦場にいたから比較的体調はよかった。

でもあることをきっかけに、僕は研究所に呼び戻された。それからの1週間は、それまでの実験動物人生においても、もっともおぞましかった。

その研究の結果がどうなるのかは僕にはわからない。

 

僕は明朝、死ぬのだ。

 

凍てつく草原にぽつんと座る僕の隣に、烈くんが立っている。

背筋をまっすぐ伸ばして、白い息を吐きながら、遠く、地平線の先を見ている。

人工の明かりの無い、星と月明かりが照らす冷たい世界を。

 

「ねぇ、烈くん、人の意識ってなんなんだろうね」

 

僕は乾いてひび割れた自分の爪を見つめながら聞いた。

烈くんは、手を顎に当ててしばらく考えると、張りのある声で答えた。

 

「難しい質問をするね。おそらく意識とは自分と他人を隔てる薄い膜…あるいは心や精神を守る繭みたいなものかな」

 

烈くんは僕にもわかるよう、出来るだけ簡潔に答えてくれた。

 

「そっか、じゃあその膜がない人は意識が繋がっているんだね。繋がっていれば人は分かり合えるのかな…」

 

「繋がっていても、分かり合えたと思うのは、錯覚だと私は思うけどね」

 

「僕は違うと思いたいな。もし意識が繋がっている二人がいたら、きっと誰よりも分かり合えると思うよ。そんな人たちがいたら会ってみたかったな…」

 

返事は、沈黙だった。冷たい風が、草原を海のように波立たせた。

東の空が白み始めるまで、草原の二人は無言だった。

僕はやおら立ち上がって、お尻に付いた草をぱたぱたと手ではたいた。

 

「じゃぁ、行って来るよ」

 

烈くんの返事を待たず、僕はゆっくり歩き出した。

また風が吹いた。風に追われる様に、僕は『飛んだ』。

 

数分後、数百万の人間と、都市や町が、大地ごと、地球から音も無く消えた。

 

 

 

バスが急停止する。大きなブレーキ音がして、僕の小さな身体にシートベルトが食い込んだ。

周りで大勢が騒いでいる。切羽詰った声が連続していた。

 

ああ、僕はまた昔の夢を見ていたのか…

 

九校戦の会場に向かうバスの中、ぼくは最初からうとうとと眠っていた。

隣の席には十文字先輩が最初は座っていたのだけれど、深雪さんのまわりに男子生徒がむらがって混乱したので、渡辺委員長が席替えをした。

僕は一番前の席にひとりで座っていた。

僕は眠ると昔の夢を良く見る。ろくな夢じゃないことが多いから、今の夢は楽しい方の夢だ。

あの時、僕の背中に向かって烈くんがなにか言ったような気がしたけれど、気のせいだったかな…

 

会場に向かう途中、隣の車線で車の事故があったようだ。みんなの連携が上手くいかずに混乱して、今バスは足止めされている。

僕は覚醒しきっていない意識の中、ぼうっと窓から外を見ていた。

 

達也くんが交通誘導をしていた。赤い誘導灯がゆらゆらと揺れていた…

 

 

なんで今、最後のときの夢を見たのかな…

 

バスがホテルについても、しばらくぼぅっと座っていた。生徒たちが続々とバスを降りていく。

 

「まだ眠いのか?だったらホテルの部屋で少し寝た方が良いが、懇親会までには起きて来いよ」

 

渡辺委員長がバスの中の確認をしながら、最後まで残った僕に声をかけてくれた。

 

「はい」

 

僕は素直に頷いて、バスを降りる。

服部先輩が同級生と、達也くんがカートを押しながら深刻そうな表情の深雪さんと話をしていた。

何を話しているのか、僕にはわからなかった。

 

ホテルは軍の施設なので、それほど豪奢ではなかったけれど、生徒たちが泊まるには十分な大きさだった。

僕は達也くんたちと一緒にフロントに入っていく。

 

「1週間ぶり、元気してた?」

 

フロントには私服のエリカさんがいた。

入学したときよりも髪が伸びているなぁ。ショートパンツにピンクのノースリーブ…

達也くんが作業があるからと台車を押してエレベーター乗り場に向かうと、ちょっと寂しそうな顔になった。何故?

私服の美月さんが小走りでやってきて、深雪さんとお話している。

リボンをあしらったキャミソールに膝までの長さのスカート。…おっきい。

寒冷化が進んでいるとは言え、二人とも夏服は開放的だった。美月さんは涼しげに見えないのはなぜだろう。おっきいから?

真由美さんもそうだったけれど、女の子の私服は足や肩を大胆に出すのが普通なのかな?

 

深雪さんも生徒会役員なので二人に挨拶をして、達也くんの後を追った。

僕は一選手でしかないけれど、合流したレオくんと幹比古くんの男女4人の中に入っては悪いので、「あとはお若い方におまかせして」と自室にむかった。

 

なぜか、僕の部屋は一人部屋だった。男子生徒は誰もぼくと一緒の部屋になってくれなかったのだ。なんでだろう男同士なのに…

 

 

夕方、ホテルの大きな部屋で懇親会があった。

400人以上のカラフルな制服の生徒がところどころ固まって、散らばっている。

やたらと派手なデザインの制服ばかりだ。とくに緑色の制服は、バッタとか昆虫見たいで、ちょっと恥ずかしい。

その中にまじると、普段コスプレみたいだなと思う一校の制服も普通に思えるから不思議だ。

もちろん、公式の場なので、今の僕は男子の制服をきている。相変わらずぶかぶかだけれど。

発足式は公式の場じゃないんだ…そうなんだ…

 

その中でも十文字先輩の存在感は圧倒的で、どこにいてもあの辺りに一校生がいるんだなってわかる。

達也くんと深雪さん、それに真由美さんが何かお話している。二人の雰囲気も周りとはどこか違うような気がする…

僕は迷子にならないよう、達也くんの制服のそでを握っていた。

パーティー会場で迷子?そんな事起きるわけない…はず。

 

沢山の生徒の間を縫うように、メイド姿(?)のエリカさんがトレー片手にするするっと動いている。

同じくウェイターをしているはずの幹比古くんは、何人も同じような人がいて見つからない。

 

僕はこんな華やかな場所は苦手だ。

背が低いから、大勢の人のお腹の辺りばかり見ることになる。

料理を取ろうとテーブルに近づいたら、他校の生徒の波に押されて、気がついたら一校の集団から離れた場所の壁際にいた。

早く終わんないかなぁと、やたらと甘いオレンジジュースをちびちび舐めていた(テーブルの料理はあんまり美味しくなかった)。

深雪さんと真由美さんは輪の中心にいて、他校の生徒と交流している。二人ともこういう会に慣れているようだ。

達也くんも僕と同じように壁の葉っぱになっていた。

僕は達也くんのとなりに戻ろうかなと、空になったグラスをテーブルにおいて、とてとて歩き出した。

 

 

とすん、と赤い制服の生徒にぶつかってしまった。小柄だけれどがっしりとした、知的でどこか愛嬌のある男子生徒だった。

ぶつかった僕のほうが軽くよろめいてしまった。

 

「あっ、ごめんなさい」

 

「ん?君は…一高の多治見久くんだね」

 

「僕のことを知っているんですか?」

 

ちらっと入試結果流出の件が頭をよぎった。

 

「もちろん、僕は三高の吉祥寺真紅朗、対戦校の選手のことは大概しらべているよ。とくにアイス・ピラーズ・ブレイク男子新人戦にでる選手のことは念入りに調査しているんだ」

 

僕の情報を、僕が知らないことまで語ってくれた吉祥寺くん。これは彼の調査力がすごいのか、一高のセキュリティがずさんなのか…?

大会に提出した選手データに得意魔法まで書かれているのかな?

 

「過去最高クラスの魔法力らしいけれど、アイス・ピラーズ・ブレイクはウチの将輝の優勝するよ!」

 

自信たっぷりに語る吉祥寺くん。『マサキ』って誰だろう。

僕は他校の生徒のことなんて知らないからそんなにフフンッってドヤられても…

『マサキ』って『サイバスター』のパイロット?『天地無用』の『柾木天地』のことかい?

うぅむ、流石にこんな真面目そうな人にそんなボケをして困らせても、僕も困るし。

とりあえず殴るわけにもいかないし(あたりまえだけど)、どうしよう…だれかこの空気を壊してくれないかなぁ…

 

 

 

来賓の挨拶が始まった。壇上にお偉いさんたちが立ってお話をしている。

吉祥寺くんの意識もそちらに向いたので、僕はこっそりと吉祥寺くんから離れて、もとの壁に立つ。

お偉いさんたちの話は遠まわしな上に華美で面倒くさい。要点だけ述べれば数行ですむだろうに。

料理でもとろうかとおもったけれど、みんな神妙に聞いている(フリだけかも)ので、動くに動けない。

あくびをかみ殺す…

 

「ここで魔法協会理事、九島烈様より激励の言葉を賜りたいと存じます」

 

司会のお兄さんの言葉に、僕はおやっと顔を上げる。烈くんが挨拶に来ていたのか。

会場の雰囲気が今までとはかわった。全員が真剣になって意識を舞台に向ける。

 

 

 

会場がふっと薄暗くなった。

 

柔らかいスポットライトがぱっとついて、照らし出されたのは、金髪のドレスを着た若い女性だった。

 

会場が、少しざわついて、ひそひそ話しする声があちこちからあがる。

 

 

僕は…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

烈くんが、女の人になっちゃった!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斜め上の勘違いをしていた。

 

すごい!あんなにお爺さんだったのに、この半年で、あんな綺麗なお姉さんに変身できるなんて…

さすがは烈くん!最高だよ!しかも金髪って、やっぱ昔から金髪キャラが大好きだったもんなぁ。

なんか『プリキュア』っぽいよね。『キュアハート』最高とかドキドキとか言ってたもんね!

烈くんはやっぱりすごいなぁ…

 

 

 

 

…あれ?烈くんどこにいくの?と思ったら、金髪女性が脇にどいて立ち去って、うしろからいつものお爺さんの烈くんが現れた。

なんだ、性転換でも変身していたわけでもなかったのか…

 

まぁ烈くんが金髪お姉さんにいきなりなっていたら、光宣くんもびっくりして病状を悪化させちゃうかもしれないから良かった。

その後は、魔法は工夫と使いようだって感じの話をしていた。烈くんが言うと妙に重石がつくから不思議だ。

これが貫禄ってやつなのかな。

 

でも僕は烈くんの書斎が、過去のアニメのBOXやコミックスで満載なことを知っているので、一人笑いをこらえていた。

僕のアニメや漫画の知識はそこから得ているのだ。

一校合格から一ヶ月は書斎にこもってずっと見ていた…べっ勉強もしていたよもちろん、僕の学力が遅れているのは決してそのせいじゃないよ!

 

とっとりあえず、後でからかってやろう。

 




原作中で起きた事件はざくっと飛ばしながらすすめます(笑)。
わざわざ自分の下手な文章で原作と同じ事を書かなくても、
アニメ&原作が好きなら既知のことですしね。


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暗殺者と大人の女性

なかなか競技に入れない…


懇親会の翌日は休息日で、選手は練習や調整、作戦スタッフは作戦の練り直しなど、休息日ではあってもやることが沢山ある。

僕の新人戦の出番は5日後なので、その間は先輩や友人の試合を観客席で応援するくらいしかすることが無い。

もちろん、一生懸命応援するつもりだから、一日中観客席にいるつもりだ。

それ以外は富士山を眺めながら景勝地の散策なんてのも魅力だけれど、ノーベル賞級方向音痴の僕はむやみに出歩くのは危険だ。

富士の樹海で数日ハイキングなんてのはゴメンだし。

いくら寒冷化の影響で夏の気温が下がっているとは言え、直射日光の下での応援は、きついだろうなぁ。まぁ日焼けは回復しちゃうからしないけれど。

僕の肌は女の子みたいに滑らかで白いんだ…

 

一人部屋の僕はいつも通り一晩中勉強をしていた。

九校戦で活躍すると成績に加点されるそうだけれど、そもそも低空飛行な僕の成績はその程度では一発逆転とはならない…

 

朝7時になって、そろそろホテルの食堂でご飯を食べようかなと思っていたら、携帯端末に烈くんからメールが来た。

『最上階のVIPルームにいるから、朝食を一緒にとらないか。』

達也くんたちとは朝食の約束をしていなかったので(みんなスケジュールがばらばらだったから)、烈くんに『すぐ行く』と返事をした。

 

一高の制服に着替える。そういえば、烈くんに制服姿をみせるのははじめてだ。

ホテルのフロントで名前を告げたら、係りのお姉さんがVIPルームに入れるICカードと指紋キーの登録をしてくれた。

 

最上階直通のエレベーターの認証システムにカードを通して、人差し指の指紋をスキャンさせた。

エレベーターは一般用より豪華で、静かだった。慣性を感じさせないで、最上階まで止まらずに登る。

扉が開いた。生徒たちの泊まる階とはちがって、華美にならない程度に豪華なつくりになっているのが一目でわかる。

 

「烈くんの部屋はどっちかな」

 

端末で確認しようをしたら、奥から車椅子に乗った小柄な女性と3人の男性がエレベーターに向かってきた。

3人は女性の護衛だろうか。隙の無い視線を僕に向けてどのような状況にも対応できるよう、わずかに重心を低くしていた。

僕の目で見ても相当な手練れだ。ぴりぴりした殺気を決して表にもらさない…それだけ車椅子の女性が重要人物なんだろう。

その女性は、重要人物に似合わない雰囲気だ。

僕を見つめると、にっこり笑った。とっても可愛らしい。どことなく『咲-Saki-』の『小鍛治健夜』に似ている。

 

「おはようございます、あなたは…一高の、多治見久君ですね?」

 

声も『後藤沙緒里』さんに脳内変換してしまうぞ!

 

「おはようございます。どうして僕の名前を知っているんですか?」

 

「いきなりごめんなさいね。私は九校戦のファンで体調がいい年は必ず見に来ているんです。多治見君のことはパンフレットの選手紹介で知りました」

 

高校生の僕に、物凄く丁寧に話してくれている。しかも、僕を女の子と間違えなかったぞ!!

 

「ええと、お姉さんはどなたですか?」

 

僕の質問に、お姉さんは「おや?」と可愛く小首をかしげ、護衛の人も不思議なモノを見る表情になった。

 

「私は五輪澪と言います。多治見君、新人戦頑張ってくださいね」

 

僕がお礼を言うと、五輪澪さんと護衛はエレベーターの中に入っていった。

 

それが僕と澪さんとの出会いだった。

 

 

 

烈くんの部屋は、VIPルームの一番奥まった位置にあった。

 

「ん?何だろう」

 

大きな両開きの扉の前に二人の男性が倒れていた。先ほどの澪さんの回りにいた男たちと同じスーツを着ている。護衛官のようだ。

首に指を当ててみると脈は無い、呼吸も。外傷はないけれど、殺されていた。

 

扉を開けようとノブに手をかけたけれど、びくともしない。鍵がかかっているというより、ドアの相対位置を固定している感じだ。

魔法で誰かが閉じ込められているのか…部屋からして烈くんだろう。刺客か?

ドアを壊す…いや、『飛ぶ』か。

 

部屋に『飛んだ』僕の目に飛び込んできたのは、開放的なガラス窓からみえる朝の富士山と、背筋をぴんと伸ばして立つ烈くん、ガジュアルなスーツ姿の女性、その二人にデリンジャーを向ける男の背中だった。

烈くんと女性は、いきなり室内に現れた僕に気が付いたけれど、視線は男に向けたままだった。

二人とも荒事に慣れている。危険な状況でも、銃を持つ男よりも余裕が感じられる。

 

「私はすでに隠居した身だ。いまさら殺したところで、たいした影響はないと思うがね」

 

烈くんの態度はいつもと全く同じで、人のいい笑みを浮かべている。

味方にとっては逞しく、敵にとっては忌々しい、まるで世間話をしているかのようだ。

 

「それは謙遜だな、退役少将のお前はいまだに軍にも日本の魔法師にも隠然たる影響力がある」

 

魔法師でありながら、男の銃の構えには隙が無かった。

 

「それは買いかぶってくれたものだ。だがわざわざ軍のホテルで襲撃するとはリスクが高いと思うがね」

 

「九島烈!毎年九校戦でこの部屋を利用する事はわかっていた。一人になったところを襲う予定だったが、電子の魔女がいたとは好都合だ」

 

「ふむ奇門遁甲を使う大陸の方術師か。最近、活発に活動しているようだが…」

 

「我々にしてみれば、お前は九族皆殺しにしても怨みは晴らしきれん!」

 

強い口調で男がつばを飛ばしながら叫ぶけれど、烈くんも女性も銃を向けられながらも落ち着いていた。

 

「ふむ、その我々が誰なのか、ゆっくりしゃべってもらう事にしようか。久、お願いできるかな」

 

「?」

 

銃をかまえた刺客は、烈くんの言葉を理解できないまま、いきなり昏倒した。

手から滑り落ちる銃を空中で女性が拾う。そのすばやい動きは訓練されているとわかるものだった。

 

「何をされたんですか?」

 

女性は、銃から弾丸を抜いて、安全を確保してから聞いた。

 

「うむ、久が刺客の血液を少し『飛ばし』たんだよ。彼は一時的な酸欠で倒れたのさ」

 

「昔、何度か同じような方法で敵を捕まえたことがあったね」

 

女性は理屈は理解できたけれど、方法がわからなかったようだ。僕は、烈くんに尋ねる。

 

「僕が来るタイミングで襲わせたの?」

 

「いや、それは偶然だった。続きの部屋には軍の魔法師も控えていたから、どのみち彼は逮捕されていたよ」

 

「廊下の倒された護衛は?」

 

「彼らは犯人の手引きをした内通者でね。殺されたのは、口封じだったんだろう。最近、要人の暗殺未遂や誘拐の類の非合法活動が活発でね。いいかげん目障りだったので、罠を仕掛けていたのだよ」

 

「僕が4月に襲われたのも?」

 

まったく、この国の警察は何をやっているのだろう…犯罪者の捜索は軍の仕事じゃないだろうに…

 

「ふむ、組織は違うが根元は同じようだな」

 

「でも、自分を囮にするなんて、年寄りの冷や水だよ」

 

「ははは、そう言ってくれるのは久くらいだな」

 

楽しそうに笑い声をあげる烈くんの姿を、その女性はあっけにとられているみたい。

 

「襲われることを知っていたんだ。ああだから澪さんをこの階から逃がしたんだ。護衛がぴりぴりしてたわけだ」

 

「彼女にあったのかい?」

 

「うん、ご挨拶しただけだけれど」

 

「彼女は荒事にはあまり無縁でね。九校戦は毎年のお楽しみだから邪魔をするわけも行かなくてね」

 

烈くんと無邪気に会話をする僕の姿に、女性は戸惑っている。

続きの部屋から護衛官が現れて、倒れている男を拘束すると、部屋の外に連れ出していった。

部屋には僕と、烈くんと女性が残った。

 

「まぁちょっとしたハプニングもあったが、朝食を運ばせようか」

 

「ここで食べるの?懇親会の食事はいまいちだったよ?」

 

「ははは、ここでの食事は私が自腹を切るから、それなりのものを用意するよ」

 

「朝からステーキだと嬉しいな!」

 

「用意させよう」

 

あんな荒事の後でも平然と食事の相談をする僕たちをみて、女性は少しあきれているようだ。

 

 

「はじめまして、多治見久君、私は藤林響子です」

 

豪華な部屋で、朝から豪華な食事をしながら、藤林響子さんは名乗った。

藤林響子さん。防衛省技術本部兵器開発部所属技術士官で、烈くんのお孫さんだそうだ。

呪文みたいなご職業だ。僕なら絶対一息で言えない。

それにしても、彼女の声は物凄く運命を感じる…僕の名前のモデルの一人である『咲-saki-』の竹井久さんと声が同じだからかな?

 

「ん?烈くんのお孫さんって事は光宣くんの従姉弟なの?」

 

「あら、光宣とお友達?」

 

「うん、光宣くんは初めて出来た年下のお友達なんだ。勉強も教えてくれたし、一緒にお買い物にも行ったよ」

 

「響子と光宣は特に仲が良くてね、本当の姉弟みたいなんだよ」

 

「えーいいなぁ光宣くん、こんな美人のお姉さんがいて…僕もこんなお姉さんが欲しかったな…」

 

二人は行儀良く食事を進めているけれど、僕はあいかわらずもごもごと物を噛みながらしゃべってしまう。

二人は軽めの朝食だけれど、僕のお皿にはでんと分厚いステーキが。あっこのお肉美味しいな。

 

僕は入学から5ヶ月の学校生活を二人に話した。料理部のこと、勉強のこと。

先輩のことやクラスメイトのこと、特に達也くんと深雪さんの話をしたら烈くんは興味津々だった。

響子さんはどこか複雑そうな顔をしていたけれど、どうしたんだろう。

 

食事もおわって、3人ともお茶を飲んでいたら、烈くんが、

 

「ところで久にひとつ頼みたいことがあるのだがいいかな?」

 

「烈くんが頼みなんてめずらしいなぁ。何?僕に出来ることなら良いけれど」

 

烈くんは響子さんをちらっと見てから、

 

「響子は3年前、婚約者を戦場で失ってね。それ以降、仕事に打ち込こんでいたのだが、ここにきて親族一同が見合いを薦めているのだよ」

 

「お祖父様っ!いきなりなにをっ!?」

 

「響子には結婚の意志はないようなのだが、魔法師界の事情でそうそう拒否し続けるわけにはいかなくてね」

 

響子さんは烈くんのいきなりの話に戸惑いまくっていたけれど、僕はぴーんときた。

 

「あっわかった、意にそわぬ結婚話を断るために、一時的に恋人のフリをして両親に紹介するっていう、お約束のやつだね」

 

「ふむ、さすが理解が早い(オタク系の展開には)」

 

「まあね(烈くんの書斎で勉強したからね)」

 

 

「そこで久、響子と一時的に婚約して親族を説得するのに協力してやってくれないか」

 

 

「「ええええええ!?」」

 

 

響子さんは烈くんの依頼に慌てて立ち上がる。

 

「お祖父様っ!いくらなんでも子供…いえ女の子とは婚約はできませんよ」

 

「女の子じゃないよ、男の子だよ!烈くん!そもそも歳の差がありすぎて藤林さんに失礼だよ!」

 

僕からしたら物凄い年下の婚約者だ。こんな若いお嫁さんなんて、僕は『加ト茶』じゃないんだから!

でも僕のその台詞に藤林さんは「歳の差…」とものすごく落ち込んでいた。

 

「別に魔法協会に発表する公式のものではないが、私が認めたとなれば、文句を言う者はいないだろう。久は幼く見えるが戸籍上は16歳だ。婚約者がいてもおかしくあるまい」

 

戸籍上はね。僕の戸籍は魔法科高校入学時に烈くんが造ってくれた、内容はいい加減な物だ。だいいち何十歳もサバを読んでるし!

 

「お祖父様がお決めになられた事なら私も従いますが…」

 

「烈くん無理強いはだめだよ!藤林さんみたいに綺麗な人なら同い年くらいのふさわしい男の人が回りに沢山いるはずだよ!」

 

藤林さんはさらに落ち込んでいた。ん?僕失礼なこと言ったかな?

 

 

食後のお茶も終わって、二人で話すこともあるだろう、と烈くんは部屋をでていった。

豪華で広い、やたらと景色のいい部屋に、僕と藤林さんは取り残された。

扉が閉じてしばらくして、藤林さんは全身から力を抜いた。烈くんがいた間ものすごく緊張していたみたいだ。

同じ祖父と孫でも光宣くんの態度とはだいぶ違う。烈くんは光宣くんの前では凄く好々爺なんだ。

 

「ごめんなさいね、多治見君巻き込んでしまって…」

 

藤林さんは本当に申し訳なさそうだ。

 

「うぅん、僕のほうこそ。たぶん烈くんは僕が誘拐とか犯罪組織とかに狙われたりするから、その相談相手に藤林さんを選んだんだと思う」

 

「誘拐?そういえばさっきもそんなような事をいっていたけれど…」

 

「うん、4月に誘拐されて、そのときは何もされずにすんだんだけれど…」

 

実際はかなり酷い目にあっている。

返り討ちにしたけれど、その後も僕の周りは誘拐犯の影がちらついている。

烈くんが手配してくれた護衛が何回も僕の見えないところで戦っていてくれたそうだ。

僕が直接手を下していたら、町中変死体だらけになっていただろうな…

九校戦はテレビで中継もされるから、その手の事件は今後増えていくことになるだろう。

残念なことに、こんな事は学校の友人には相談できないし。巻き込んだら悲しいし。

 

「だから藤林さんは婚約とか形だけで気にしなくて言いと思う。僕が相手なら誰も本気にとらないと思うし」

 

本気にとったり、私がショタ好きだって真面目にからかう人が回りにいるから困るのよ…と藤林さんは呟いていた。誰のことだろう。

 

「僕と関わると、たぶん藤林さんに迷惑かけちゃうから…時々電話で相談に乗ってくれたら嬉しいけれど…」

 

僕はまだ暖かいカップを手のひらで包んで、ゆっくり身体をゆすっていた。

それは小さな僕の身体をますます小さく見せていたんじゃないかと思う。

 

藤林さんは座りなおして、僕を真正面に見つめながら、

 

「そうね、まずはお友達ってことから始めましょうか」

 

大人の笑顔をみせた。どことなく真由美さんに似た小悪魔的笑顔だったような気がするけれど。

光宣くんのお姉さんなら、僕にとってもお姉さんみたいなものだ。嬉しい。

 

でも、婚約者のフリって展開は、その後、恋愛感情に発展するのがお約束だ。

流石に年齢差がありすぎるから、そんな展開にはならないと思うけれど…




達也と幹比古のこの夜の襲撃者撃退は二人の見せ場なので、
同日、別の事件も起きていた、と言う事にしました。
新人戦までが遠いですが、先輩方の試合はばっさり飛ばす予定です。


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戦略級魔法師

劣等性SS一気読みしました。
しかし、美月は影がうすいですねぇ、美月主人公のエピソードがないと幹比古とは進展しなさそう…


藤林響子さんとは、その後も色々なお話をした。

僕はあまり物を知らないので、基本的に話すのは響子さん(そう呼ぶようになった)の方だ。

だんだん響子さんの話は愚痴っぽくなってきて、仕事の後輩の可愛げのないシスコン男の話を聞くに、僕は同情に耐えなかった…

 

お昼になって、響子さんはストレスを思いっきり発散させたすっきりした顔でお仕事で集会があるからと部屋を出て行った。

ご飯を一緒に食べたかったけれど、それは今度と言う事に。

僕はどうしようかと思ったけれど、

 

「VIP用のレストランで好きなものを好きなだけ注文して良いわよ。全部、お祖父様が払ってくれるわ」

 

と頼もしいことをいわれたので、早速同じ階のレストランに行った。

僕は起きているうちは絶えず回復しているので、物凄くお腹がすくんだ。

どれだけ食べても太らない…成長も出来ていないけれど。

 

でも、VIP用レストランに入って凄く後悔した。

お昼時間だと言うのに、僕以外誰も利用者がいないのだ。烈くんも来ないし、テーブルマナーも知らないし、僕よりウェイターの人数が多いって…落ち着かない

何だか居残りの教室みたいで、食欲も減退するな…

 

やっぱり生徒用の食堂に行こうかと思っていたら、車椅子の五輪澪さんが、護衛の人とともにレストランに入ってきた。

護衛の人は入り口で控えて、澪さんは僕に気づくと車椅子を自分で操って僕のところに来た。

 

「こんにちは、多治見君」

 

「こんにちは五輪澪さん」

 

お一人でしたら…相席はよろしいですか?と丁寧に尋ねられたので、僕は喜んでOKした。

どれだけ美味しくても一人じゃ寂しいから。

 

「多治見君は…」「久でいいですよ」「じゃぁ私も澪で」

 

とお互い名前を呼ぶように約束した。

 

澪さんは僕に学校のことを聞いてきた。澪さんは病弱で学校にいけなかったので、学校生活に興味があるそうだ。

 

澪さんは小食で、僕が健啖にぱくぱく食べている姿をほほえましく見つめてくれる。

 

また勉強の話になった。魔法科高校の勉強は難しくて大変だ。

 

「僕は入試前までは山奥に引きこもっていたみたいなものだから勉強は苦手で…」

 

僕の身体は最後の戦いで全身ぐちゃぐちゃにつぶれて、五感もすべて失われていた。

意識を取り戻したのはどれくらい経ってからだろうか。

遺伝子レベルに染み込んだ薬物や壊れた部位の排除を繰り返したため、男的な頑強な部分がなくなってしまった。

エネルギーを補給できず、能力だけで回復したので、一回り縮んで、ますます女の子みたいになって…

 

言葉を選んで、僕の病気のことを話したら、澪さんは凄く同情と共感してくれたみたいだった。

 

「…そう」

 

澪さんは僕の男の子らしくない体形を、病気のせいだと思ったようだ。

 

秀でた魔法師は魔法力と身体のギャップで、病気とは違うさまざまな症状がでるみたいだ。

光宣くんや澪さんはそれで苦しんでいるんだ…

完璧な遺伝子なんて創れないんだ。僕も身を持って知っている…

 

学校の友人はみんなとても優秀で、僕のレベルじゃ足を引っ張るだけだから、一度も勉強の質問をしたことが無い。

教師も正直いって人間的な能力に不信がある。だからテキストの丸暗記になっちゃって…

そもそも魔法の理論の勉強はいきなり専門用語の羅列でパニックだ。

 

僕の話を静かに聞いていた澪さんは「わかりました、久君は基礎が出来ていないんです」

 

「でも基礎ができていなくても、魔法は大体使えるし…」

 

澪さんは少し考えて…

 

「久君はドリブルもレイアップシュートも練習しないで、いきなりダンクシュートを決めようとしているのです」

 

「はっ!」

 

それは僕の脳髄にダイレクトで伝わる言葉だった。

 

「身体能力がずば抜けて強い『桜木花道』くんと、魔法力がずば抜けて強い僕は…同じ…」

 

澪さんが端末で、二つの起動式をみせてくれて、

 

「この二つの違いはわかりますか?」

 

「さっぱり」

 

「じゃあ量産型ザクのF型とJ型の違いは?」

 

「えぇ!?全然違うよ、バーニアの形とかスラスターの有無とか防塵フィルターとか…」

 

「なるほど…久君は空間や立体の理解はすばらしいけれど、逆に端末内の…つまりデジタルが苦手なのね」

 

魔法の専門用語ではなく、僕の偏った知識に上手に当てはめて説明してくれる…

 

「すごい、すごいよ澪さん!澪さんの説明物凄く良くわかる!もっと教えてください!」

 

その日、僕は澪さんに勉強を教えてもらうことになった。

僕の部屋では無理なので、澪さんが泊まっているVIP用のスィートルームに勉強道具を持って行く。

 

澪さんは病弱だったせいで学校は休みがちで、特に大学以降は自宅にいることが多かったので、アニメやコミックスを沢山読んでいるのだそうだ。

 

 

「恋はいつでもハリケーンなのじゃ!!!」

 

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」

 

「てめぇらの血は何味だーっ!」「久君、それはケロロ軍曹ねっ!」

 

 

その晩は、勉強そっちのけでアニメ激熱台詞掛け合いごっこをしてしました。

一高の友人とはこんなことできないから、心の底から楽しかった。

 

これは…運命の出会いかも知れない…

 

「僕と…」

 

「私と…」

 

 

「「オタク友達になってください!」」

 

 

勉強後も(殆どしてないけれど)、澪さんが貸してくれたパジャマに着替えて、深夜まで、オタクトークに花が咲く。

疲れた僕たちはベッドで寝そべりながらも話を続け…

気が付いたら、朝。

僕は澪さんと手をつなぎながら、一緒のベッドで眠っていた…

パジャマかわりのジャージを着た澪さんのすこやかな寝顔を見ながら、僕もまた眠りに落ちた。さすが『すこやん』…

 

 

あれ?僕は藤林響子さんと婚約したことになっているから、ほかの女性と寝ちゃっていたのは、浮気?

えぇ?婚約当日に、浮気!?

これはまずいかもしれないけれど、僕、子供だし…と都合よく子供をアピールしてごまかそう…むにゃむにゃ…

 

 

あっ、しまった、九校戦の開会式…ガン無視しちゃった…

 

 

開会式のあと、競技が始まった。

僕は澪さんに誘われて大会用本部のVIPルームでモニター観戦していた。

本来なら一生徒は入れない場所らしいんだけれど、澪さんの希望はあっさりと了解された。

澪さんの要望は大概通るんだそうだ。すごいな。

でも、ここだと選手を直接見たりできず、観客の熱狂も厚い壁の向こうで、自宅でテレビを観るのとかわらないな。

澪さんはあまり人目につくところには出てはいけないんだそうだ。

大人は色々と事情があるんだな。

僕の試合は直接見てほしいなって言ったら、観客席横の来賓席で見られるように調整するって言ってくれた。

 

澪さんは九校戦のファンなので、出場選手の得意魔法や使用魔法、戦法なんかを詳しく説明してくれる。

 

一日目のスピード・シューティング男女予選と決勝、バトル・ボード男女予選。

二日目のクラウド・ボール男女予選と決勝、アイス・ピラーズ・ブレイク男女予選。

三日目のバトル・ボード男女準決勝、決勝。アイス・ピラーズ・ブレイク男女決勝リーグ。

 

先輩たちの競技を空調のきいたVIPルームで澪さんとわいわい言いながら見て、夜はアニメ漫画トークで盛り上がり…澪さんの部屋で寝て…

澪さんは僕を歳の離れた弟みたいに扱うので、僕もすっかり打ち解けてしまった。

三日間はあっという間に時間が過ぎていった。

 

渡辺委員長の事故のときは、驚いたけれど、達也くんがすばやく対処していたみたいでよかった。

僕がいても何も出来ないからなぁ…

 

四日目の新人戦が始まる朝、僕の携帯端末に、真由美さんと深雪さんのメールが溜まりに溜まっていることに気が付いた…

端末は自室に置きっぱなしだった。

澪さんに競技の準備があるから、今日は一緒の観戦は出来ないと、VIPルームまで直接断りに行った。

 

「そうですか…残念です」

 

「あっああ、でもお昼ご飯までなら大丈夫です!」

 

寂しそうな澪さんを放っておけずに、午前中はVIPルームで手をつなぎながら森崎くんやほのかさんの試合を見ていた。

澪さんは少し、子供っぽいところがある。

周りの偉い人たちも、澪さんにはあまり強く物を言えないみたいだ。愛されているんだなぁ。

今は大型モニターでほのかさんのバトル・ボードを見ていたけれど、

 

「「きゃっぁぁぁ」」

 

ほのかさんの閃光魔法には澪さんともども声を上げて驚いていた。

 

 

早めのお昼ごはんを澪さんと一緒に食べて、僕は一高の天幕におどおどと顔をだした。

真由美さんが新人戦女子スピード・シューティングで上位を独占した雫さんたちと達也くんを褒めたたえていた。

 

天幕に足を踏み入れたとたん、みんなの視線が僕に集まった。

幕内の浮ついた空気が変わった…いや、気温が数度さがった。

真由美さんはふうと安堵のため息をついて、頬に治療あとのある渡辺委員長や生徒会メンバーは真由美さん同様一安心していた。

 

しまった、返信メールを出すのを、すっかり忘れていた…僕はひとつに集中すると、他に意識が行かなくなる癖がある。

 

僕は音信不通状態で、深雪さんは僕が富士の樹海で迷子に、真由美さんはまた誘拐されたんじゃないかと心配していたそうだ。

 

「久っ!ちょっとそこに正座なさい!」

 

あっ深雪さんは怒った顔も素敵です…

 

「ごめんなさい!ある意味ずっとホテルで引きこもっていたんです!」

 

澪さんが会場にいることは、誰にも言ってはいけないんだそうで、となると言い訳は何も出来なくなる。

必死に謝ったんだけれど…ごめんなさい。

 

スピード・シューティングで雫さんが使った魔法がインデックスに登録される可能性があり、登録者名を雫さんにして欲しいと達也くんが謙遜していた。

真由美さんたちは怪訝そうに、深雪さんは少し悲しそうに、達也くんの辞退理由を聞いていた。

 

やっぱり達也くんは凄いな。

明日は、達也くんに恥をかかせないよう、僕も新人戦アイス・ピラーズ・ブレイク頑張らなくちゃ。

達也くんが調整してくれたCADで負けたなんて絶対にいやだもの。

澪さんも応援してくれているし。

 

 

その夜、僕は勝利でハイになった女子生徒に散々着せ替え人形にされた。

そんな中、深雪さんは笑顔にどこか不機嫌さを隠していた。何があったんだろう。僕でストレスを発散するのはやめてぇ!

 

達也くんになぐさめてもらいなよ…

 

表情は変わらないけれど、深雪さんの機嫌がすこし良くなった気がした。この後、達也くんの部屋に行くのかな?

 

深雪さんの攻撃がはげしくなった。どうしてこんなに色んな衣装があるんだろう?

待って、明日、僕試合なんだよ!

え?アイス・ピラーズ・ブレイクの衣装?ちょっと待って、僕は男の子だよ!

 

 

うぅ、明日のアイス・ピラーズ・ブレイクは男の子らしく頑張ろう…




あはは、五輪澪さんを隠れオタクの面白お姉さんにしてしまいました。

深雪や先輩たちの活躍は原作どおりなので同じ事をここで書きません。
お読みいただき有難うございました。


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アイス・ピラーズ・ブレイク

魔法は、あまり深く考えないでください…


 

 

九校戦五日目、新人戦二日目のお昼。

新人戦女子のアイス・ピラーズ・ブレイクは深雪さん、雫さん、エイミィさんが予選を突破して一高の天幕は盛り上がっていた。

男子も続け、と幹部は盛り上げるも、僕以外の出場者二人の表情は暗い。

映像でみた第一試合の、三高の一条将輝くんの魔法『爆裂』をみて、ますます沈んでいた。

試合開始のポールが青色に変わり、拳銃型のCADを構えた瞬間に12本全てのピラーが爆発したんだ。

一瞬もかからない速さだった。

一本一本倒していく選手が多い中、深雪さんや花音先輩みたいに面で制圧する選手は圧倒的に有利だ。

どれだけ情報強化して防御しても、それを上回る干渉力で圧倒される。

防御より攻撃に特化するところは花音先輩と同じだなぁ。

 

深雪さんの場合は防御も同時にするので、僕は深雪さんに練習で勝てたことがない。

 

 

一高の控え室、僕の出番はいよいよ次だ。気合、入れて、頑張るぞ!

 

「久…今朝も言ったが…本当にその格好で試合にでるんだな?」

 

いつも無表情の達也くんが、あからさまに引きつっている。

 

「うん?だって深雪さんがこれが男の子の勝負服だって昨夜言っていたよ」

 

僕の衣装は、肩紐が細い、フリルとレースで縁取られた、ややクラシカルな膝上丈のキャミソールスカートだ。

両腕はむき出しで、ちょっぴり胸元まで見えて露出が多いけれど、真夏の気温ならこれくらい出ていても平気だ。

バーチャルデートのとき達也くんも似合ってるって褒めてくれたキャミソールの本物版だ。

エリカさんも美月さんも真由美さんも私服はこれくらい露出していたから、今回は騙されていないと、確信している!

 

騙されているぞ…と達也くんがつぶやいた気がするけれど気のせいかな。

 

「そっそれでCADはどこに持っていくんだ?」

 

「ここだよ」

 

「のなぁ!?」

 

達也くんがめずらしく、変な声を上げた。

 

僕は、スカートをめくって、内もものホルスターから、僕の小さな手にぴったりのリボルバーを抜いた。

特化型のこのCADは達也が僕のために調整してくれた、大事なCADだ。このCADにはこのホルスターが相応しいと深雪さんが用意してくれたんだ。

 

僕は『タイバニ』の『ブルーローズ』みたいにポーズを決めて、

 

「私の氷はちょっぴりコールド、あなたの悪事を完全ホールド」

 

と氷の女王・深雪さんに教えられた決め台詞を言った。ふっ…決まった。

 

達也くんは本当に凍り付いていた。これは試合開始前に言う勝利の儀式なんだそうだ。ムエタイの踊りみたいなヤツだね。

 

「そのホルスターは戦術に使えるが…格好はともかく…その台詞は絶対にやめておけ」

 

深雪さんの行動全肯定の達也くんが珍しく、深雪さんの意見を必死に否定した。

 

 

 

僕をのせたテーブルが、アイス・ピラーズ・ブレイクの舞台に静かにせりあがった。

アイス・ピラーズ・ブレイク競技場の反対にいるのは7高の男子で昔の海軍の軍服を着ていた。

観客席は女子の試合のときより少なかったけど、観客のどよめきは負けていなかった。

7高選手は口を半分あけて、会場の雰囲気に飲まれている。

試合前からその精神状態では、僕の負けはないな「ふっ」っと僕は、深雪さんに教えられた通りにちょっと生意気な表情で笑った。

会場の女子生徒から変な悲鳴があがっている。

僕は観客席の隣の来賓席に目を向けた。澪さんが面白いくらい手を振って、僕に笑顔を贈ってくれている。

一般の観客席ではエリカさんやレオくんが応援をしてくれていた。エリカさんはお腹を抱えて笑っているように見えるけれど…

 

えへへ、頑張るぞ!

 

深雪さんの最初の試合を思い出して、僕も同じように目を薄くして静かに氷の柱を見下ろした。

戦場経験の多い僕は、幸いにも緊張はしないで、集中を高めつつ、右手に少しずつ力をこめる。

 

スタートの青ランプが点滅した瞬間、僕はスカートの中のリボルバー型CADを抜いた。

スカートの裾が揺らめいて、太ももの奥が見えそうで見えない絶対領域になる。

相手選手の動きが一瞬固まった。

僕はほんのちょびっとだけサイオンをCADに流し込む。僕にとっては微々たる量でも、常人には視界を覆うほどの煌きになる。

余剰サイオンで身体が輝きを放ち、キャミソールに僕の身体のラインがくっきり浮かんだ。

この特化型CADにはひとつの術式しか入っていない。

僕が引き金を絞ると、敵フィールドの空気が揺らぐ。相手選手が少しバランスを崩し、12本のピラーが消えたかと錯覚する速度で横滑りし、次の瞬間相手側の壁に全て激突、半秒と経たずに轟音とともに木っ端微塵になっていた。

僕のフィールドのピラーは一本も、かすり傷すら付いていなかった。

会場が静寂に包まれ、勝利のブザーが高らかに鳴った。試合開始から一秒とたっていなかった。

 

遅れて、歓声とどよめきがうなりをあげて会場を覆った。

僕はできるだけ凛とした態度をたもったまま、来賓席の澪さんに笑顔を向けた。

 

会場から黄色い悲鳴と久たん萌えとか言う男性の声が聞こえていたけど…なんだったんだろう。

 

 

僕はアイス・ピラーズ・ブレイク第一回戦を圧勝した。

 

試合後、僕は犯罪組織、有力魔法師の家、企業以外に、妙な趣味の男子にも狙われるようになる。

もちろん、そのときの僕はそんな事は知らない…知らない方が絶対にいい…ぶるる。

 

 

「これは、ほとんど反則…じゃないのか?」

 

僕の衣装を指差しながら渡辺委員長が呟く。

 

「この姿を見て動揺する方が悪いのです」

 

達也くんですら動揺したのだから、普通の男子には無理な相談だと思う…

 

「今の魔法は…何だったの?」

 

真由美さんが笑いをこらえつつ、達也くんに尋ねる。達也くんが種明かしをする。

 

僕は自他共に認める機械音痴で、CADの操作は苦手だ。でも魔法力は圧倒的なので、先制さえしてしまえば、まず負けない。

そこで達也くんは特化型CADにただひとつだけ起動式を用意した。僕はサイオンを流し込んで引き金を絞るだけでよかった。

 

『簡易擬似瞬間移動』

 

僕が入学直後、十文字先輩と模擬戦をしたときに使った魔法の簡易版だ。

もともと擬似瞬間移動は単純な術式で、真空のチューブを作るときの空気を押しのける気流をいかに発生させないかが一番難しい。

模擬戦のときは気流の制御も行っていたけれど、今回はそれをしていない。

真空中を移動させる物質の強化も、破壊が目的なので、当然行わない。

 

まず、太ももチラ見せで相手を動揺させ、真空チューブを作るときに気流を消す術式はわざと追加しないで、相手側の気流を乱し、CADの操作を妨害。

真空チューブの先の壁を破壊しないよう強化、氷の柱を音速の20倍で真空チューブ中を移動させ、壁にぶつけその物理エネルギーで破壊。

もともと機械で簡単に作った氷なので複雑な魔法をかけなくても簡単に壊れる。破壊時の衝撃と轟音で相手の舞台を揺らし、CADの操作をさらに妨害。

重力を制御しても、マッハ20で移動する物体をとめることはそもそも困難で、破壊しないように壁で受け止めるには十文字先輩クラスでないと出来ない。

魔法が起動してしまえば、破壊を止めることはほぼ不可能だ。

一本が一トンを超える12本の柱を同時に動かせるだけの魔法力と干渉力に、圧倒的なサイオン量。

これが達也くんが考えてくれた僕のアイス・ピラーズ・ブレイク用魔法だ。

僕は練習期間、この魔法と素振りだけを延々練習していた。CADの操作にもなれて、九校戦直前の校内練習試合で僕に勝てたのは、深雪さんと十文字先輩だけだった。

 

「すごいな…たしかにルールでは相手を直接攻撃することは禁じているが、魔法を使った結果で影響を与えることは禁じていない」

 

「久ちゃんの圧倒的魔法力だからあんな重い柱全てを同時に動かせるのね…」

 

「力技も力技ですね。…防御はいっさい考慮されていないとは…」

 

「だっだが最初のスカートめくりは、ひっ必要なかったんじゃないのか、ルールぎりぎりだろう」

 

渡辺委員長、真由美さん、市原先輩、はんぞー先輩の順の感想だ。

 

「久は男ですよ、男の太ももを見て動揺する男子がいるでしょうか」

 

達也くんが薄く笑う。戦術家…というより人が悪い笑みだ、とみんな思っているみたいだ。

 

そうだよ、僕は男の子なんだから太ももを見られるくらい、戦術の一環だと言われれば平気だよ。

女性物の下着…えっとなんのことだろう?

 

 

「確かに凄いんだけれど…でも…」

 

「ええ、三高の一条選手の『爆裂』の方がタイムは上でした。本当に僅差ですが…一条選手は太もも幻惑は効かないでしょうし…」

 

真由美さんと市原先輩が懸念を示すけれど、

 

「そこは考えていますよ」

 

達也くんの言葉に、僕も頷いた。

 

その後も僕は、予選リーグでは同じ魔法を使った。第二試合も深雪さんが勝負服を用意してくれるおかげで、僕は圧勝した。一回戦より透け透けが増えてるけれど…

第一試合より観客席が満員になって、男性女性関係なく異様な熱のこもった歓声をあびる。

勝利後、に貴賓席の澪さんに手を振った。

 

響子さんもどこかで見ていてくれていると嬉しいな。

 

予選は余裕で通過した。

ホテルに帰って携帯端末をチェックしたら、烈くん、光宣くん、響子さん、澪さんから祝福のメールが来ていた。

料理部の先輩たちからもおめでとうってメールが来ていて、すっごく嬉しい。

 

本当は澪さんのスィートルームに勝利報告に行きたいけれど、今日の夕食は一高生が全員集まるので参加しなくてはならない。

 

こういう場では、僕は皆から離れて、壁際でぽつんとしている。

生徒向けの料理は相変わらずイマイチなので(僕は舌が肥えすぎているな…)、ジュース片手に会場を眺めていた。

 

達也くんが女子生徒に囲まれてハーレム状態になっていた。本人は戸惑っているけれど。

いつもなら不機嫌になりそうな深雪さんも、達也くんが賞賛の嵐とあってご機嫌だ。

 

幹部たちと会話していた十文字先輩と目が会う。先輩は軽く頷いて、僕も頷き返す。男と男の娘の間に言葉はいらないのだ。

 

逆に、僕以外の一年生男子は成績がふるわなかったようで、森崎くんが達也くんを忌々しげに睨んでいた。

 

 

翌日、予選をもう一回に勝利すれば、決勝リーグだ。

順当に行けば『マサキ』くんと勝負することになる。懇親会の吉祥寺くんのドヤ顔を思い出す。

 

僕の試合は新人戦女子、深雪さんたちの後で、ほのかさんのバトル・ボードと競技時間が被る。

エリカさんたちはどちらの応援に行こうか悩んでいたけれど、僕の三回戦は一瞬で終わるから、ほのかさんの応援に行ってもらった。

僕の応援には十文字先輩が来てくれていて、澪さんも当然来賓室で応援してくれている。

達也くんは控え室で、僕にアドバイスしてくれた。

 

三回戦も、これまで同様、一秒で試合終了。達也くんにほのかさんの応援に行ってもらった。

僕は次の決勝リーグまでの時間を利用して、来賓席の澪さんに会いに行くことにした。

 

 

 

試合会場から観客席に向かう廊下で、赤い制服を着た二人組みがいた。

吉祥寺くんと『マサキ』くんだ。『マサキ』くんはなんだか偉そうに、僕を見下ろし(僕のほうが背が低いから当然だけれど)、

 

「お前が、多治見久か…」

 

と格好良く呟いたけれど、僕の意識は来賓室の澪さんに向いている。ひとつに集中すると他に目が行かなくなるのは僕の悪い癖だ。

 

僕は、二人をおもいっきりスルーして、横をとてとて走り抜けていった。

 

「なっ?」

 

『マサキ』くんの中途半端にあげられた右手が、ちょっと間抜けだったような気がしたけれど、二人の存在は僕の意識に残っていなかった。

 

 

来賓席までの通路を迷わずいける自信はなかったけれど、さすがに僕も目に見えている場所にまっすぐ行くなら迷わない(たぶん)。

僕は一般の観客席の後ろの通路を走っていた。

試合会場ではほのかさんの試合が行われている。観客はそっちに意識が向かっているので、キャミソール姿の僕には気が付かなかった。

 

途中、会場の熱狂にそぐわない、サングラスの大男とすれ違った。サングラスのせいでどこを見ているのかわからなかったけれど、

 

「変な人だな」

 

一瞬思ったけれど、すぐ忘れて、澪さんの待つ来賓席にむかう。

 

警護のチェックを受けて、来賓席に入ると、自分のこと以上に喜んでくれている澪さんがぶんぶん手を振っていて微笑ましかった。

 

 

 




パワーアップフラグを入れつつ…

お読みいただきありがとうございます。


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負けちゃった…

魔法はやっぱり深く考えないでください。


九校戦六日目の午後アイス・ピラーズ・ブレイク決勝。

僕の試合の前に深雪さんと雫さんの試合が行われた。試合は深雪さんの圧勝だったけれど、深雪さんが初めてピラーを失った試合でもあった。

深雪さんも雫さんも、バトル・ボードで優勝したほのかさんも本当に凄い。

僕も頑張らないと…

達也くんの準備してくれた戦術にCAD、深雪さんが選んでくれた白いワンピース…にかけて…

 

「調子はよさそうだな」

 

試合前の控え室で、達也くんが僕をじっと見つめながら言う。時々、達也くんは何かを見透かすような目をする。

肉体と言うより、本質やDNAまで見抜くような、不思議な目だ。

もっとも僕のDNAは常人と変わらない。

 

常人と変わらない…だからその後の悲劇に繋がったんだと思うけれど、今は関係がないや。

 

「うん、絶好調だよ…このCADもいつも使ってるCADより使いやすい」

 

アイス・ピラーズ・ブレイク決勝リーグは、3人目の選手が辞退したことで、僕と一条将輝くんの一対一の戦いになった。

3人目の選手の実力も秀でていたけれど、1秒以内で勝負を決める僕らには敵わないと判断したようだ。

 

「でも…ごめんね達也くん」

 

「なぜ謝る」

 

「達也くんの技術なら規定の範囲内でもっとすごいCADを調整できたのに…」

 

達也くんの調整したCADは、使用者の力量以上の力を吸い取ろうとするみたいで、深雪さん以外の新人戦女子は試合後はぐったりしている。

僕はサイオン不足になることは無いけれど、逆にサイオンを取り込みすぎて、魔法の制御が難しくなってしまった。

ほんの少しのサイオンでも勝負できる僕のCADは達也くんの技術レベルではかなりスペックが落ちている。

自分の技術に誇りを持っている達也くんの存分の力を発揮させてあげられない自分が不甲斐ない…

この話は、もう何度もしているから、達也くんはそのことにはふれなかった。

 

「勝負は一瞬で決まる」

 

「うん、わかってる。今の僕の出来ることを一生懸命するよ」

 

 

アイス・ピラーズ・ブレイクの競技場は、ついさっきの新人戦女子決勝の興奮が収まっていない。

試合内容もそうだけれど、深雪さんの神がかった存在感は観客を性別を問わず虜にしたようだ。

 

そんな会場に、24本のピラーをはさんで、僕と一条将輝くんは対峙していた。

一条くんは三高のイメージカラーと同じ赤いライダースーツだ。10代の少年らしいバランスのとれたスタイルをしている。

対する僕は、どう見ても10歳程度の女の子だ。

観客の熱気を含んだ微風が、僕の長い黒髪とスカートの裾を揺らしている。

会場の大きなビジョンに映された僕は、凛とした深雪さんとは違って、どこか消え行きそうなはかなさがあった。折れそうなほどの細い腕だ。

僕も一条くんも、右手に拳銃型のCADを持って、その時を待つ。

今回は太ももチラ見せなんて小細工は通用しない。たぶん。

 

一条くんの目は力強く、僕はやや伏せがちに氷の柱をみつめている。

フィールドをはさんで立つポールが赤く点滅すると、会場は水を打ったように沈黙した。

夏の太陽が、24本の氷柱と対照的な二人の濃い影を作っている。

 

ポールの光が黄色に、そして青にかわった。

 

僕と一条くんは同時に銃をかまえ、引き金を絞った。

 

刹那。

 

僕のフィールドの12本の氷柱が一斉に爆発。

 

一条くんのフィールドの12本の氷柱が轟音とともに一斉に消滅。

 

僕のフィールドには粉々になった氷の粒が舞い上がり、一条くんのフィールドには床一面を冷気の白い幕が覆っていた。

 

観客は予選とは異なる僕の魔法がわからなかったようだけれど、勝敗はまばたき程の差もないことはわかっていた。

砕かれた氷を浴びたかのように静かに固唾をのんで勝敗の発表を待つ。

キラキラと氷の粒がフィールドに漂っている…

 

勝負の結果が発表されるのに、少し時間がかかっている。

一条くんは微動だにせず、勝敗を告げるポールを見つめている。

僕は、試合開始前と同じく、白い冷気が漂うフィールドを見下ろしていた。

 

数秒後、ポールが点滅したのは一条くんの方だった。

 

会場から爆発的な歓声があがった。深雪さんの試合のときに負けないほどの歓声が会場を揺らしていた。

 

 

 

あぁ…負けちゃったな…

 

 

 

一条くんを見ると、勝利の興奮からか試合前より厳しい目で僕とフィールドを見ていた。

僕はステージで丁寧にお辞儀をしてきびすをかえした。

その時は不思議と悔しさは感じなかった。魔法師開発の現在を見られたような気がしたからかな。

 

でも、一高のテントに戻って、達也くんと十文字先輩たちの姿をみたら、自然と涙がこぼれてきて…

 

「ごめんなさい…僕…勝てなかった。達也くんのCADは完璧だったのに、僕が上手に使えなくて…十文字先輩や深雪さんは遅くまで練習に付き合ってくれて、レオくんたちも応援してくれてたのに…みんなの期待にこたえられなかった」

 

キャミソールの裾をぎゅっと握って、僕はみんなに謝った。

 

「いいえ、私たちこそこれほど接戦になるとは思っていなくて驚いているわ…」

 

「ああ、この競技で一条の『爆裂』に勝てるヤツなんて十文字会頭くらいで…」

 

「彼の実力なら、本戦でも優勝候補ですが、十文字君との勝負を避けて、確実な新人戦アイス・ピラーズ・ブレイクに出場したのでしょう」

 

真由美さんとはんぞー先輩、市原先輩が続けて、

 

「多治見、見てみろ」

 

渡辺委員長が会場を映しているモニターを指差して、

 

「多治見の破壊した氷は一欠けらも残っていないが、一条の方は大きな氷の塊がいくつか残っている…」

 

それは勝敗には関係ない、氷を先に壊すか倒すかすればいいのであって消滅させることではないのだから。

結果的には勝敗は僅差だけれど、わかる人にはわかる。より複雑な魔法の一条くんと単純な物理破壊の僕とでは内容に大きな差があることに。

ここにいる一高の生徒はそれがわかるレベルの魔法師の卵なんだ。

 

僕は深雪さんの前に立って、泣き顔で謝った。

 

「深雪さん…ごめんなさい…達也くんの実績に泥ぬっちゃった」

 

深雪さんはものすごく慌てて「何を言っているの、久は自分のできる限りのことをしたのよ。一条選手は…いつか私がこてんこてんにやっつけるから、ね」

 

あっ、一条くんごめん、君は深雪さんとは仲良くなれなさそうだ…

 

なんとか僕を元気付けようと、みんなが褒めたり慰めてくれている。

負けて悔しいけれど、ちょっと嬉しい。えへへ。

 

僕の泣き笑い顔に、みんなほっとしたのか、今の試合の考察をはじめた。

 

「今の魔法は、予選と同じ『簡易擬似瞬間移動』か?」

 

十文字先輩が達也くんに聞いた。

 

「はい、予選までは壁にぶつけて破壊した分、移動に時間がかかりました。ですが、今回は床にぶつける事で時間を短縮しました」

 

もっとも、ミリセカンドの差もありませんが…達也くんが説明する。

 

フィールドの床は、壁よりも頑強に作られている。花音先輩の『地雷源』にも耐える堅さだ。

なので、縦の真空チューブも柱の長さ分で短くすみ、床の強化魔法も使わず、柱の移動も重力に従わせ術式を単純化、魔法の速度をあげる。

音速の20倍の速度のエネルギーは、氷を気体にするほど粉々に破壊した。

 

「わざと時間のかかる魔法で予選を突破し、相手の油断をさそう計画でしたが、流石は『クリムゾン・プリンス』ですね」

 

時間がかかるって…一秒もかからないんだけれど…真由美さんが首を左右に振る。

僕の魔法力はやはり制圧に向いているし、今回は相手が悪かったって。

 

十文字先輩が僕の前に来ると、大きな身体でしゃがんで、僕の肩に逞しい手のひらを置いた。それから優しく微笑むと、

 

「久、今回は敗北したが、お前には来年がある。次に勝てるように努力すればいい」

 

十文字先輩の行動に、テントのみんなは少し驚いたみたいだ。特に二・一年生は十文字先輩のそんな笑顔を見たことが無かったからなおさらだ。

みんなは知らないけれど、十文字先輩は凄く優しくて、天然さんなんだよ。

 

僕は「はい」って答えて、にっこりと笑った。

 

そうだ、これは殺し合いじゃなくて、スポーツ競技なんだ。来年、またチャンスがあるんだ。

烈くんが「平和ではないけど戦場ではない」って言っていた通り、今は魔法が人殺し以外でも活躍できる時代なんだなぁ。

 

 

色々な事があったけれど、僕の九校戦はここで終わりだ。あとは観客席で一生懸命選手を応援しよう。

 

 

僕は一高の制服に着替えると、来賓席に向かった。

会場の熱気はだいぶ落ち着いて、今は男子新人戦バトル・ボードの決勝が行われていた。

試合のビジョンを横目で見ながらとてとて走る。

 

 

あれ?僕が試合前に見かけたサングラスの大男、3人いるな…

大男なのに、十文字先輩のような存在感がないと言う不思議な3人だった。

 

 

来賓室につくと、澪さんが立ち上がって僕を迎えてくれた。そのまま抱きしめてくれて、すごく褒めてくれた。

何だかすごく照れくさくて、ちょっと誇らしい。

 

僕は澪さんの隣に座って、ふぅと息を吐いた。

 

「えへへ、澪さんの顔見たら、なんだか力が抜けちゃった」

 

「なんですかそれは」

 

「僕の出番は終わったけど、一高のテントにいると、みんなぴりぴりしているから」

 

「明日からのモノリス・コードとミラージ・バット、ここからがむしろ佳境ですから…」

 

澪さんが少し悲しそうな顔をした。

 

「どうかしたの?」

 

「ええ、残念だけれど、お家の都合で明日朝、東京に戻らなくてはいけなくて…」

 

「そっか…でっでも、九校戦が終わってもまた会おうよ、オタクトークとか勉強教えてくれたり、都合が合えば聖地アキバにも一緒にいこうよ!」

 

澪さんに僕の住所を教えて携帯番号の交換をする。

その後は競技もなかったので、澪さんの部屋で夜中までオタクトークして、そのまま力尽きて眠りに落ちた。

僕は澪さんの抱きまくら状態だったけれど、僕も澪さんも体力がないなぁ。

 

翌朝、ホテルの屋上のヘリポートに、ヘリコプターが下りてきた。

僕は澪さんの後ろから車椅子をおして屋上に向かう。

屋上の頑丈な扉を警護の人が開ける。

個人が利用するには巨大なヘリが視界に入りちょっとびっくりした。

ローター音と巻き起こる風にすこしたじろぐ。

澪さんは慣れているようで、大物ぶりを発揮していた。

 

「あら?」

 

ヘリから少し離れたところに、女性が一人立っていた。

ヘリの起こす風にも負けず背筋をぴんとまっすぐ伸ばした女性だ。

カジュアルなスーツに長い少し跳ね返った髪が風になびいている。

女性がすっと振り向いた。

 

「藤林さん」

 

「響子さん」

 

僕と澪さんの声が重なる。

 

「ん?久君は藤林さんのお知り合い?」

 

澪さんに尋ねられて、僕が答えるよりも早く、響子さんが颯爽と歩いてくる。

 

「おはようございます、澪さん。軍からの要請でお迎えのヘリを準備いたしました。護衛のヘリも近隣の基地から出動いたしますのでご安心して東京にお戻りください」

 

どことなく、声がかたいな。これがお仕事のときの響子さんなのかな。

 

「藤林さんは…久君とどういったお知り合いですか?」

 

澪さんは、藤林さんの報告より、僕との関係が気になるようだった。

藤林さんは僕を、ひょいっと引っ張ると、いきなり抱きしめてきた。

 

「もがっ?」

 

僕は変な声をあげる。響子さんの思いのほか豊かな胸に顔が埋まる。柔らかい…

 

 

「実は私たち、婚約しているんです」

 

「えええええええええええええええっ!?」

 

響子さんの爆弾発言に、澪さんがあげた驚きの声は、ヘリのローター音より大きかった。

 

響子さんは、今、小悪魔的笑顔をしているんだなと、僕は胸に埋まりながら考えていた。




来年こそ、勝つ!

お読みいただき有難うございました。


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双子と強化兵

一気に時間を進めます。


澪さんを見送って、響子さんとホテル屋上のヘリポートに残る僕。

澪さんはヘリの小さな窓にへばりついて、僕たちを見下ろしながら、青空に消えていった…

 

今日は大会七日目、新人戦ミラージ・バットとモノリス・コードの予選が行われる。

僕は観客席でほのかさんや森崎くんの応援をしようと思っている。

 

「響子さんも一緒に観戦する?」

 

「ごめんなさい、そうしたいけれど…」

 

お仕事じゃ仕方がないね。響子さんは風のように去っていった…

響子さんと出会ってから数日、あまり打ち解けるほどは会話をできていない。

でも、僕と関わって迷惑をかけても悲しいから、これくらいの距離が良いんだと思う。

達也くんたちや先輩、光宣くんに澪さんも、僕と関わって人生を狂わせなければいいけれど…

こんな考えは、昔はまったく持たなかった。人と親しくなることは臆病にさせるんだな。

でも、これまで僕が関わっている人たちは今でも十分波乱万丈な人生を送りそうだ。

並大抵の精神力ではない人たちばかりな気がする。

 

「魔法科高校に普通の人はいない」

 

4月の雫さんの言葉は全てを語っている、と僕も思う。

 

観客席は九校戦のメイン試合開始とあって満員だった。深雪さんやレオくんたちのいる席に向かおうとしたんだけれど…

すっかり有名人になった深雪さんに、隙あらば話しかけようとする男子生徒が一高生以外にも周りに集まっていた。

深雪さんの隣の席が空いているからだ。そこは達也くんの指定席だから誰も近づけないよ。

エリカさんは周りのハエを追い払うべく八面六臂の活躍をしていた。

そのエリカさんが僕に気が付いて、レオくんが男子生徒をかきわけて僕をその空席に連れて行ってくれた。

ん?僕のために席をひとつ空けておいてくれたのか…みんな有難う!

でも、逆に周囲の男子生徒が増えた気がする…

一部生徒の僕を見る目がちょっと怖い…

やっぱり僕は外は苦手だ。九校戦が終わったら、家に引きこもろう。

宿題も沢山あるし。

 

ミラージ・バット決勝ではほのかさんとスバルさんが活躍して、ほのかさんが優勝。

でも、モノリス・コードでは事故が起きて、森崎くんたちが怪我をおってしまった。

深雪さんと雫さんと僕はあわてて一高のテントに向かった。

たいへんな騒ぎだった。森崎くんは重症だったけれど命に別状がないそうでほっとした。

モノリス・コードのファンである雫さんがフライングだって怒っていた。

いくら仲が良くないからって森崎くんの心配をしようよ、雫さん。

 

モノリス・コードはその後、達也くん、レオくん、幹比古くんがかわりの選手になって、翌日の決勝で三高に勝利して優勝をかざっていた。

観客席の前にそろった3人に惜しみない拍手がおくられて、深雪さんは涙をながして感動していた。

 

そういえば僕は、達也くんがCADの調整以外で魔法を使っている姿を昨日初めて見た。

勉強だけでなく、CADにも詳しくて、僕が負けた一条将輝選手にも勝ってしまう…

ほんとうに達也くんはすごいなぁ…

僕は達也くんになら…あげても…いいかな…なんて、ウソです。僕も負けないよう頑張ろう。

 

 

九日目の朝、僕は烈くんに誘われて、VIPルームで食事をしていた。

食事中は当然、九校戦の話が殆どだったけれど、僕が盛んに達也くんの事を賞賛するから、烈くんも興味を持ったみたいで、

 

「少し、会って話をしてみたいね、その司波達也くんに」

 

って言ったから、じゃあ僕が紹介してあげるねって烈くんを一校のテントに連れて行った。

 

外はこれまでの晴天とはうってかわって、今にも泣き出しそうな曇天だった。

 

烈くんにはお偉いさんや警護の人がぞろぞろついて来たから、僕はひとりで一高の天幕に入って達也くんを探したけれどいなかった。

ミラージ・バットで一高の選手がまた怪我をしたみたいでテントの中は重い空気になっていた。

スポーツに怪我は付き物だけれど、怪我をするのは一高の選手ばかりだな…

 

真由美さんに聞いたら、達也くんはデバイスチェックをしに大会本部にいるそうなので、烈くんと大会委員のテントに向かう。

 

大会委員のテントにはシステムチェック待ちの生徒の列が外まで並んでいた。

僕が生徒たちをよけて、中に入ろうとすると騒動が起きた。

一高の生徒…いや、達也くんが係りの人を取り押さえていた。

 

何があったのだろう、いつもとは違う物凄い殺気だ。

右手で手刀を作って、係りの人の首にすぅっとおろしていく…あの右手で何をする気なのか…

 

いつもの無表情な達也くんしか知らない僕は、テント入り口で立ち尽くしてしまった。

 

僕の隣にいた烈くんが、すっと前に出た。

 

「何事かね?」

 

「九島閣下」

 

烈くんの穏やかな声が、殺気だったテントを一変させた。

うぅん、達也くんが殺気を引っ込めたのかな…

 

達也くんと烈くんが難しい話をしている。紹介はできなかったけれど、結果的にOKなのかな。

 

やがて達也くんはCADを手にテントを後にして、烈くんもさっきとはちがって、大会役員を厳しいまなざしで見回していた。

忙しそうだな…

僕は烈くんに一声かけると、観客席に向かうことにした。レオくんが席をとっておいてくれているはずだ。

 

深雪さんのミラージ・バットは華麗だった。

あの衣装はもう少しデザインをどうにかできないかなと思ったけれど、深雪さんに似合わない服はないのだ。

第二試合で深雪さんは『飛行魔法』を使って圧勝した。その艶姿に、僕も満員の観客もただただ魅了されていた…

 

属人的な能力での『飛行』は僕も可能だけれど、めったに使わない。感知能力の低い僕が空に浮いたら、ただの的になってしまうし。

その『飛行魔法』を技術として確立するなんて現代魔法は感動的だな。

 

 

 

 

みんなと一緒にお昼ご飯を食べてミラージ・バット決勝までの時間…散策でも…と思っていたら、僕は迷子になっていた。

僕の方向音痴は…このホテルには10日もいるのに。

 

うぅ、夕方までに会場に戻れればいいや、と散策…もとい、右往左往していた。

 

「ん?」

 

ひろい駐車場から、なにか争うような音と声が聞こえてきた。

近づくと、そこではサングラスの大男と女の子二人が魔法で戦っていたんだ。

大男は観客席にいた、存在感の希薄な大男だった。

 

はじめ僕は、何かの魔法競技の練習かと思った。と言うのも、大男の方は殺気がなく、女の子たちの方もあまり緊張感がなかったからだ。

男の魔法は肉体を駆使した接近戦で、一発一発が重い、死にいたるような攻撃だった。

女の子たちの攻撃も容赦なかったけれど、どこか殺人を恐れている、相手を気絶または行動不能にすることを主眼にした攻撃だった。

女の子たちは、そっくりで、ボーイッシュな子とお洒落な子の双子だった。

双子の姉妹…一瞬『ヨル』と『ヤミ』を思い出したけれども、こちらの双子は雰囲気が陽性だった。

双子は少しずつ焦り始めていた。魔法を当てても、大男はまったくダメージを気にせず、次々と攻撃してくる。

大男の攻撃は単純で、双子は上手く連携して戦っている。でも、体力的な差が双子を追い詰めようとしていた。

 

どうしよう、僕には大男と双子、どちらも手助けする理由が無いし、どっちが悪いのかなんてもっとわからない。

公共の場で魔法を使っていれば、サイオンセンサーが反応する。ここは軍の施設だから、いずれは軍の人が来るだろうけれど…

でも、この二人を助けないと、今後の学生生活に差し障りがある予感がした。

うぅむ、僕はエスパーではないから未来予知なんて出来ないんだけれど。

まぁ大男を戦闘不能にしておいてから二人に事情を聞こう

 

僕は、烈くんを狙ってきた刺客にしたのと同じように、血液を少し『飛ばし』た。

それは双子と激しく争っている最中だったので、大男は派手に転んで、動かなくなった。

驚いていた双子だったけれど、僕の存在に気が付く。

 

「君が助けてくれたのかい?」ボーイッシュな女の子が僕に聞いてくる。

 

僕が頷くと、「自分たちだけで何とかできたのに!」と突然怒り出した。

そうは見えなかったけれど、本人が言うんだからきっとそうなんだろう。

 

「ごめんなさい」

 

僕は素直にあやまった。

すると、女の子は僕が謝ってくるとは思わなかったのか「うそうそ!助かったよ」と慌てだした。

結局、自力で倒せたのかどうか、良くわからない反応だ…困ったな。

とりあえず、何があったのか尋ねてみるか。

 

「お姉さまの応援に来ていて帰るところだったのですが、急に二人の大男に襲われまして…」

 

髪の長い子が状況の説明をしてくれた。

 

「二人?」

 

「あっはい、最初は運転手の名倉さんと連携して戦っていたのですが分断されてしまって…あっ名倉さんを助けにいかないと!」

 

「ちょっと待って」

 

いきなり森に向けて駆け出そうとする二人を押しとどめて、僕は烈くんに電話をした。

 

「会場裏の駐車場で襲撃事件が起きている。相手は大男、たぶん強化兵だ、一人は捕まえたけれど、もう一人交戦中だよ」

 

「ふむ、すぐ手配しよう、なにここは軍人だらけだ、助けは一分とかからないよ」

 

そのわりには、双子が戦っている間、救援が来なかったけれど…気づいていたけれど、様子見していた…?まさかね。

 

「うん、お願いするね」

 

電話をきると、二人にすぐ救援が来るからホテルに避難してくれるかな、とお願いした。

 

僕は二人と一緒にホテルに戻る前に、大男が逃げ出さないよう念のために腕と足の腱を『切断』しておいた。

大男は死んだように倒れていたけれど、軍の施設にこうも不審人物や強化兵が入り込めるってのは、大丈夫なのかな…

魔法科高校といい軍の施設といい、日本はスパイ天国なのかな?

いずれ紛争が起きたとき、他国のスパイや工作員がずかずか土足で入り込んでくるのではないだろうか…

十師族が力をつけて自分たちを守ろうとするのは、軍や警察への不審があるのかな…僕は不安になった。

 

 

救援の軍人さんはすぐに来てくれて、僕は二人を軍人さんにまかせると、会場にとてとて戻っていった。

双子が僕に声をかけたようだったけれど、僕の意識は深雪さんの試合までに戻ることに移っていた。

僕には無関係の二人だし、名倉さんと言う人がどうなったかは、僕には関係が無いことだ。

 

それより早く戻って、深雪さんの応援をしないと。

観客席で応援していないことに気が付かれたら、深雪さんに凍らされる…ぶるる。

 

…あれ?そういえば、あの大男は三人いたはずだけれど、もう一人はどうなったかな…

 

 

 




達也のモノリス・コードを二行で終わらせる。
こんなSSは他にない!(笑)

デバイスチェックの場に九島烈が唐突に現れたのは、
久が連れて行ったからと言う事情があったとかなかったとか…


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精神支配

 

モノリス・コード決勝は十文字先輩の独り舞台で圧勝。

はんぞー先輩たちもただ自陣のモノリスの横に立っているだけだった。

昨日の深雪さんの勝利で一高の優勝は決まっていたのに、容赦のない攻撃をする十文字先輩は重戦車みたいだ。

どこか鬼気迫っていた気がするけれど…

閉会式の優勝旗を掲げる姿は、ちょっと怖いくらいの迫力があった。

 

最終日の後夜祭のホールは、懇親会の時に比べて、和気藹々としていた。

深雪さんは相変わらず他校の男子に、達也くんは大人のビジネスマンに囲まれていた。

新しくできた友人や恋人同士の会話も多いみたいだ。

 

僕は相変わらず、一番隅っこで壁にもたれていた。

大勢の知らない人の中はどうしても落ち着かない。

この後は生徒だけのダンスパーティーがあるそうだけれど、僕は早々に部屋にもどろうかな。

 

…そんな事を考えていたら。

会場が、ふいにざわめきはじめた。

 

「おっおい、あれ五輪澪さんじゃね…?」

「うそ、世界に13人しかいない戦略魔法師の?」

 

VIPが集まっている一角に、電動車いすの女性が現れて、会場の視線はその小さな女性に集中した。

 

五輪澪。戦略級魔法師、十三使途。この国最強の切り札。日本の魔法師の頂点。

あまり澪さんが公式の場に現れないこともあって、会場は動揺と興奮の坩堝と化していた。

 

「九校戦の…最後に…サプライズか…?」

 

「どうして澪さんが…?」

 

真由美さんは澪さんのことを知っているみたいだ。十師族の一員は面識がある人が多いようだ。

 

電動車いすにすわる澪さんは、ドレスアップをしていた。髪も整え、薄く化粧をして、ルージュをひいて。

いつもの中学生みたいなラフな姿とちがって、すごく綺麗だった。

澪さんが大人の女性なんだなって、はじめて思った瞬間だった。

はじめて出会ったとき、澪さんはほんとうに病人みたいだったけれど、今は生命力みたいなものに溢れている。

そっか、笑顔なんだ。最初の澪さんは暗くうつむいているような表情だった。

 

澪さんの笑顔は可愛くて、綺麗で、とっても素敵だった。

 

僕はとてとてと、澪さんにむかって走り出した。

周りの生徒は驚いていた。

 

「おっ、おい多治見っ!」

 

はんぞー先輩が僕の背中に声をかけたけれど、僕は無視して、VIPの集まる所まで走っていく

 

警護の軍人さんも一瞬、接近を阻むような動きをしたけれど、僕が九校戦の期間中何度も顔を合わせている一高生だと気が付いて道を明けてくれた。

 

僕は車椅子の澪さんの前に立って、

 

「澪さん、すごく綺麗です!!」

 

って、目をきらきらさせている。澪さんはストレートな僕の言葉に照れたけれど、

 

「ありがとう久君、魔法科高校の生徒さんのパーティーに私が紛れ込むのは失礼だと思ったのですが、どうしてもこの時間になってしまって」

 

「わざわざこのためにとんぼ返りしてくれたんですか?」

 

「私はあまり人前とかこのような華やかな場所には出ないんだけれど、久くんや魔法科高校の生徒さんのお祝いをどうしてもしたくて」

 

いつもの女の子みたいな表情で、呟くように話す澪さん。ほんのり頬が赤い。

 

僕は愛おしくてたまらなくなって、澪さんの腰に手を回すと、ぐいっと抱きかかえてしまった。

いつもの僕の力じゃ、持ち上げるなんて、いくら澪さんが軽いからって無理だけれど、ちょっと『能力』でずるをして。

 

「えっえ?」

 

澪さんもまわりの人もあっけに取られていたけれど、僕はくるくるとメリーゴーラウンドみたいに、澪さんの靴の爪先が床にすらないように、くるくる回り始めた。

遠心力で足が浮いて、両手を半分万歳みたいに挙げていた澪さんとくるくる回る。

 

「ちょっ久くん」

 

「あはは」

 

少し、びっくりしていた澪さんも、レースをあしらった白いドレスグローブの両手を僕の首にまわして、僕の顔を見つめてくる。

 

楽団の人たちが気を使ってくれて、僕たちに合わせて軽快な曲を演奏し始めてくれた。

 

くるくる、くるくると、僕の腰まで伸びた長い髪、澪さんの肩まで伸ばした髪、ドレスのスカート、僕のぶかぶかな制服が、不器用に円を描いて回る。

 

それはものすごくほほえましい光景で、他の生徒や関係者は僕たちの不規則な動きにあわせてスペースをつくってくれた。

5分くらいくるくるしたところで、僕は足をもつれさせて、澪さんともつれるように転んでしまった。

もちろん、澪さんが怪我をしないように『能力』で軽く持ち上げていた。

パーティー会場の床に座り込んだ僕と澪さんは、お互いをきょとんと見詰め合っていたけれど…

 

「くすっ」

 

澪さんが吹き出して、その顔がものすごく可愛くて、僕も…

 

「あはは」

 

二人の笑いが重なって。

 

「「あははははははは」」

 

会場に温かい拍手と笑い声が広がっていった。僕…は、魔法科高校に入れて、幸せだ。

 

澪さんは、自分の足で歩いて登壇した。虚弱な澪さんは、しっかりと舞台を歩いている。

簡単に全ての選手に向けて祝福と激励の言葉をのべていた。

現役最高の魔法師の言葉に、全ての生徒たちが興奮していた。

 

生徒たちのダンスパーティーがはじまり、澪さんは遠慮してホールを後にする。

 

「また、東京で会いましょう」

 

「うん」

 

ダンスでは一高の女子生徒と踊ることになった。僕はダンスなんて出来ないから、今度は僕が振り回される立場だ。

 

真由美さんに、深雪さん、雫さん、ほのかさん、エイミィさんや新人戦に出場した他の一年女子。

 

男子生徒からもお誘いがあったけれど…もちろんきっぱり断った。僕は男の子だよ、男が男の子と踊って楽しいの!?

あっでも達也くんと十文字先輩となら踊ってもいいかなって思ったけれど、二人はホールのどこにもいなかった。

深雪さんもどこにもいないけれど…外で新鮮な空気でも吸っているのかな…?

 

 

 

 

帰りのバス、現地で直帰する人とバスで一高までもどる生徒にわかれていた。

生徒会や部活連の先輩は監督責任もあってバスで、花音さんみたいに有力家に関係のある生徒は現地でそれぞれ帰っていった。

深雪さんも役員なのでバス。雫さんはまよっていたけれど、ほのかさんとバスを選んだ。

達也くんがかたくなに作業車両で帰るといったときは深雪さんはちょっと不機嫌になっていた。来年はエンジニアも同じバスに…ぶつぶつ言ってる。

往路より生徒の数は減っていたけれど、バスの中は九校戦勝利の余韻にひたって、にぎやかだった。

 

僕は楽しかった12日間を思い出しながら、往路と同じように一番前に座っていた。

 

騒がしかったバス内も、しばらくすると12日間の疲れからか、みんなウトウトしはじめていた。

 

 

 

僕も、うとうと…まどろみ始めた…白い…白い景色が広がる…夢の入り口。

 

 

 

…あっ、いやな夢を見る…

 

 

 

 

白い白い、実験室。

 

両手両足をかたい金属で固定され、診療台に寝かされている僕。下着一枚の半裸…頭髪は抜け落ちて、坊主頭…

身体の感覚は、痺れで鈍い。

 

「なんで、他と同じデータしかでないの!」

 

白い服を着た女性が、固定端末に表示されるデータを見てわめいていた。

 

世界群発戦争のさなか、非人道的に行われた計画。

成功したはずの人体実験。

金属どころか、空間さえも捻じ曲げるような強力な『能力』を人の手で作り出した。

科学者は『神』を作り上げたと狂喜の声を上げた。

でも、僕の、血液、細胞、遺伝子、あらゆるデータは、常人となにもかわらなかった。

常人と同じなのになぜ『能力』が使えるのか…

同じ過程で実験を再現しても、『能力』をもつ実験体は出来なかった。

成功した理由がわからなければ、二人目、三人目の『神』は創れない。

実験が成功したと考えていた頃の科学者たちの狂喜は『狂気』にかわっていた。

 

「どうして、他の実験体と同じなのに、T-09だけが『能力』を使えるの!!」

 

女性化学者が叫んでいる。かきむしるように頭を抱えている。

あぁ、これは6年目の終り頃の…

 

女性科学者が僕を睨む。椅子から立ち上がる際、エアで打ち込む注射器を右手に、左手に手術用メスを持っていた。

髪や血走った目は疲れを感じさせる。

でも科学者のものとは思えない整えられた指先は彼女が地位と名誉を手に入れている証拠だろう。

 

「何をみているのよTー09!09!」

 

僕の力のない視線が気に障ったのだろう、いらいらとこちらを睨む。

 

 

僕は09(ゼロキュー)じゃない、久(キュー)じゃない…久(ひさ)だ…

 

 

心でつぶやく。実験動物の答えなど期待していない彼女は、無表情で注射器を僕の首にあてる。

 

強力な、昨日よりも強力な薬物が、動脈を通じて、僕の全身にいきわたる。

毛細血管の集まる目が飛び出るかと思うくらい痛い…同じような激痛が頭から爪先まで僕を襲う。

壮絶な痛みに僕は歯を食いしばってたえる。僕の乳歯はもうぼろぼろになっていた。

 

この薬をうった直後は僕の身体のサイオンは活発に働き出す。でもそれも一時的。

 

「さあ!この傷を回復させなさい!」

 

彼女が左手の手術用ナイフを僕の胸に突き立てる。右利きの彼女は、そのままぼくの白い皮膚をぎりぎり切り裂いていく…

治りきっていない別の傷の上からもぎりぎり…

本来痛みを感じさせないほど切れ味が良いはずのメスは、僕に無駄に苦痛をあたえている。

僕に苦痛を与えることが目的のようだった。

薬物では変異しなかった何かを、苦痛で『能力』が、僕の身体の何かを変異させるために。

 

「はやくっ!はやく回復させなさいよ!!」

 

僕の回復能力は目に見えて衰えていた。薬を打ち込まれると一時的に『能力』が戻るけれど、反動で少しずつ『能力』が落ちていった。

僕のちいさな身体には『回復』で排除できないほどの薬物が、深く深く染み込んでいる。

 

吹き出る鮮血も勢いがない。ぴしゃぴしゃっと、彼女のつややかな黒髪と頬をぬらした。

 

彼女を殺すことも、手足を固定する金属を破壊することも、研究所を脱走することも、僕には簡単だ。

でも、できない。

この6年間、毎日毎日、絶対服従の暗示を受けている僕はそんな事できない。

身体が悲鳴をあげても、心は、精神は、彼女たちに従わなくてはならないと、僕に命令している。

 

彼女は、一向に進まない回復に腹を立てたんだろう、左手にもったメスを利き手の右に持ち替えて、細い肋骨の隙間から心臓までずぶずぶと押し込んできた。

僕の『能力』は発揮初期に比べるといちじるしく落ちていた。死ねば、全身輪切りにして調べられる…死んでもかまわない。殺しても殺人にはならない。

僕は実験動物なのだから。

彼女の目は、科学者のそれではなくなっていた。

口の両端をいびつに上げて、右手に力をこめる。

 

今度ばかりは、僕は大きく口をあけて、血を吐きながら絶叫をあげ…

 

 

 

 

 

「うぅああああああっ!!」

 

僕は悲鳴をあげて、跳ね起きた。

制服の左胸、一高一科の花のエンブレムを握り締める。血は出ていない…

バスは静かに高速道路を走っている。わずかな振動が両足に響いてきている。

あぁ九校戦の帰りのバスだ…

 

「びっくりした…どうしたの久ちゃん!」

 

反対側の座席の真由美先輩の声に、僕はそちらを向く。真由美さんに市原先輩が、僕を見ている。

 

空気を求めるようにぜいぜいと激しく呼吸しながら、バスの後ろを見る。深雪さんやみんながおどろいて僕を見つめている。

 

「ごめんなさい…おどろかして…ごめんなさい」

 

僕は崩れるように、座席に座る。

 

「試合のことはもういいのよ」

 

「悪い夢を見たのか?」

 

真由美さんに渡辺委員長が声をかけてくれる。

 

僕は頭をふって否定する。夢じゃない、現実に起きたことだ。

 

凄く気分が悪い…自分の身体を抱きしめる。震えがとまらない。両腕をかきむしる様に抱きしめる。ぶかぶかの制服がしわくちゃになる。

 

これはどんな種類の感情なんだろう…良くわからない…でも涙が溢れてくる。

 

「うっうぅぅぅ…」

 

嗚咽が漏れる。

涙が止まらない…僕は両手で顔を覆う。聞く人の心を絞るような、か細い嗚咽が指の隙間から漏れる

 

「おっおい、多治見!?」

 

「ごめんなさい…うるさくしてごめんなんさい」

 

ああ、きっとこれは『恐怖』と言う感情なんだろう。

 

「うぅああうぁあああ…」

 

あの白い研究所の、あの科学者のように、僕も頭をかきむしる…

 

「ちょっとどうしたの久ちゃん。あーちゃん、ちょっと来て!」

 

嫌なことを僕は考える。

僕への命令権を持つ、あの科学者や軍の偉い人がまだ生きていて、このバスに乗っている生徒を殺せと命じてきたら…

今の僕は拒むことができるだろうか。

試合会場の駐車場で、双子を襲っていた強化兵のように、ためらいもなく殺しつくすまで動きを止めないのだろうか。

 

このバスの中の生徒の魔法では僕の『能力』を防ぐことは不可能だろう。

 

命令権を持つ人物が、生存している可能性はほぼゼロだと思う。

僕に命令できる人物なんて、もういない。

 

肉体も、魔法力も、完全に回復している。

でも、

 

 

僕の『精神支配』は、まだ終わっていない…

 

 

 

バスが一高前駅について、選手たちは解散、明日からは夏休みになる。

 

バスで精神錯乱寸前だった僕を助けてくれたのは、あーちゃん先輩の特殊な魔法だった。

情動干渉系魔法は厳しい規制があるそうだけれど、真由美さんが責任を持つからと…

バスにいた生徒も、その後深雪さんから事情を聞いた達也くんも僕を気遣ってくれた。

「本当に平気?ひとりで帰れるの?」

 

「うん、大丈夫。僕は方向音痴だけれど、ここからなら迷わないから…」

 

「そうじゃなくて…」

 

雫さんが悲しそうに呟いた。

心配してくれて自宅まで付き添い申し出るみんなに、笑顔を見せる僕。

少なくとも、起きてさえいればあんな夢を見ることはない。

以前の経験で1週間は徹夜が出来ることがわかっているから、残りの夏休みは遊び…勉強頑張ろう。

順番が来てキャビネットに乗る僕を、みんなが見送ってくれた。

みんなにいろいろ心配や迷惑をかけちゃったな。

なにかお礼が出来ないかな…考えておこう。

 

 

さいわい、何事もなく自宅について、セキュリティを解除して扉を開ける。

二週間ぶりの自宅だ。

僕は掃除なんかは機械に任せないで自分でしていたから、掃除や布団干ししなくちゃ。

 

…あれ?照明がついている。

 

玄関に入ると、室内の照明がついていた。外出すると勝手に切れるはずなのに…何でだろう。

いぶかしみながらも、僕は台所のドアを開け…

 

「お帰りなさい、久君!ご飯にする?お風呂にする?それとも私かしら?」

 

は?

 

 

はぁああああああ?

 

「くすっ、いっぺん言ってみたかったのよね、この台詞」

 

台所には、エプロン姿の藤林響子さんが、笑顔も素敵に立っていた。

僕は肩にかけていたかばんを、床にドスンと落とした。

 

「えっえええ?響子さん…え?どうして?」

 

「どうしてって?私たちはいずれ結婚するのよ?一緒に住むのは当然でしょう!」

 

響子さんの笑顔は、小悪魔的だった。きっと床に落ちた影は悪魔の形をしている。

トリックスターと言われる、あの烈くんの孫なんだ響子さんは。一筋縄でいくはずがない。

僕は、この烈くんが用意してくれた家が、何故一軒家なのか、唐突に理解した。

僕の一高入学前から計画していたのだ。

 

響子さんショックから、まだ立ち直れない僕。しばしぼーぜんとしていた。

 

 

ピンポーン。

 

 

来客をつげるベルが鳴った。僕はいやな予感がした。僕はエスパーじゃないのに…

 

ドアホンのモニターに、車椅子の澪さんが映っていた。

 

「こんにちは、久君。ふふっ来ちゃった」

 

澪さんは、溢れんばかりの笑顔で、

 

「久君!今日から私もここに住むわっ!」

 

と、高らかに宣言をした。

 

えっ?何?いきなりのライトノベル的ハーレム展開は!?

バスの中でのシリアスな展開は何だったの!?

あまりのインパクトに、僕の『恐怖』は虚空の彼方に吹き飛んでしまっていた。

 

 




実は最初から藤林響子さんを押しかけ女房(半分いじわる)にする構想でした。
僕には広すぎる一軒家って、複線を入れておいて。
でも、まさか澪さんまで押し寄せるとは書いている自分も予定外。
澪さんと光宣くんはこのSSでは重要な立ち位置にいるのですけれど。
そのあおりで将輝の出番が減りました(笑)。

ここで一章終了の区切りです。
お読みいただき有難うございました。


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四と五と九
川の字


そろそろオリ主と達也を絡めたい。
でもその前に重要イベントを入れないと!


 

 

 

僕は三歳のときに実験動物になって研究所に入れられた。

それからの7年間、体中をいじくり回された。そのことに恨みはない。自分で選んだ結果だから。

世界は群発戦争で大混乱だったし、日本もかなり追い詰められていた。

僕のあげる小さな声は大きな戦いの音にかき消されるだけだった。

7年間のうちの数ヶ月は戦場ですごした。

最後は特攻を命じられて、『能力』の制御ができず、半径100キロにわたる更地を作ったりもした。

最後の半年は、烈くんがいろいろと話を聞かせてくれて楽しかったけれど、僕は勉強をしたことがない。

実験動物に一番必要ないものは知恵だからだと思う。

戦場では、破壊工作や人殺しの方法をいくつか知った。

僕は、命じられたことをこなすだけの機械でしかなかったから…

 

 

だから、今、僕はこの状況で何をすればいいかさっぱりわからず、照明を落とした寝室の天井を見ながら硬直している。

 

僕の左右には、二人の女性が寝ている。

 

僕の右腕に腕を絡めて(柔らかい胸がむちむちあたる…)、大人らしいシルクのパジャマで寝ているのは、

藤林響子さん。26歳。「電子の魔女(エレクトロン・ソーサリス)」の異名を持つ目の涼やかな美女。

九島烈くんの孫で光宣くんの従姉弟。現在は防衛省にお勤めのキャリアウーマンさん。

僕の婚約者になっているけれど、本人は絶対僕をからかって遊んでいる。

仕事場の後輩のシスコン男の話は、涙なしにはいられない。ストレスが溜まっているんだな。

声は『伊藤静』さん。静姫…

 

僕の左腕に腕を絡めて(あれ…胸がない…まったく?…)、大人らしくない上下ジャージで寝ているのは、

五輪 澪さん。25歳。国家公認戦略級魔法師「十三使徒」の一人で、小柄で虚弱体質な可愛らしい女性。

世界的にも超有名で戦略級魔法「深淵(アビス)」の使い手。

現在は大学院生だけれど、体質のために特例で自宅でのオンライン講習している引きこもりさん。

21世紀前半のアニメ漫画に詳しく、あまり女性らしくない体形のせいで(本人には絶対に言えない)性別を越えた僕のオタク友達だ。

声は僕の脳内変換で『後藤沙緒里』さんと言うことになっている。可愛い…

 

真ん中の僕は、実験動物だった頃の面影はない。

どう見ても10歳そこそこの腰まで黒髪を伸ばした(切りたいんだけれど、周りが反対するんだ…)、人形じみた容貌の美少女…

現在、男性ファン急増中の魔法科高校一年生男子。男の娘?…いや断じて違う!

 

一見すると美女ふたりに美少女の『川の字』だ。

僕が普通の高校生男子だったら、ハーレムうはうはフルスロットルなんだけれど、僕の身体もメンタルも基本10歳の子供だ。

『身体は子供、頭脳は大人』なコナンくんと違い、『身体も頭脳も子供』…

 

性欲は殆どあんまり微塵もちっともこれっぽっちも、ない…興味はあ…いっいや…その…うぅ。

 

両隣のふたりは、寝息も可愛く、すやすや寝ている。

僕はスプリングのきいたベッドで寝返りもうてない…

ずっとこの体勢と言うのは結構苦しい。

右を向くと、胸元をはだけさせた、響子さん。

左を向くと、女性というより女の子、見た目『すこやん』な澪さん。

 

どうしよう…う…ん…良い香りだな…同じシャンプーなのに女性が使うと空気まで変わる気がする。

体勢は苦しいけれど、心は、温かい…んっ目を閉じてじっとしていようか…

 

僕はいつの間にか眠りに落ちていた。

悪い夢も見ない、深い眠りだった。すうすう。

 

朝になった。

響子さんはすっきりと、僕はもう少し温もりに包まれていたい、澪さんは基本お寝坊さんだ。

 

台所の食卓で僕たちは朝食をとっていた。

ごくごく普通の和食の朝食なんだけれど、作ったのは、僕だ。

響子さんも澪さんも料理はからっきしだった。二人とも名家のお嬢様だからしかたがないけれど…

 

「このお味噌汁、おいしいですね」

「赤味噌なのね」

「出汁はとりすぎず、あまり煮立てないのがコツだよ、やっぱお揚げが至高だね」

 

三人、話が弾まないまま、お味噌汁をずるる。

 

食べ終わった食器を三人並んで洗う…うぅ狭い。

 

「ふぅ~ごちそうさまでした」

 

食後のお茶を飲みながら、響子さんが隣に座る澪さんに昨夜とおなじ事を言い始める。

 

「でも、どうして澪さんがお泊りしていくんですか?」

 

「久君は未成年なんですよ、そんな一人暮らしのお家に響子さんお一人を泊めるわけにはいかないでしょう」

 

「私たちは婚約しているんです何の問題もありません。第一、澪さんは他人でしょう、人の家庭に意見を言える立場ではありませんよ」

 

澪さんは必死に、響子さんはからかうように話を続ける。

 

「久君は私にとって、お友達であり弟のような存在なんです!久君、私のことは澪お姉ちゃんと呼んでくださいね」

 

…澪お姉ちゃん。お姉ちゃん…えへへ。

 

「澪さん、弟さんがいらっしゃるでしょう、たしか七草真由美さんと交際のお話が進んでいるとか」

 

それは、ちょっと気になる情報だな…こんど女装させられそうな時にネタとして使ってみよう。

 

「お二人とも、喧嘩はしないでください。響子さんもからかわないでくださいよぉ。僕としては烈くんの決定は決定として、響子さんにはふさわしい人とお付き合いしてくれたら良いと思うんですけど…」

 

「ひどい、私のことは遊びだったのね」

 

「僕のほうが遊ばれていますよぉ、僕は真剣なんですよ…」

 

響子さんは話をまぜっかえして、面白い方向に持っていこうとしている…

 

「そうですよ、藤林さんはまだお若いんだし、いくらでも素敵な出会いがあると思いますよ」

 

「澪さんは私よりひとつ年下なだけでしょう…それを言うなら澪さんもふさわしい方がいらっしゃいますよ?」

 

「私はこんな虚弱体質ですし…女の幸せはすでにあきらめています…」

 

「そんなぁ、澪さんそんな悲しいこと言わないで!」

 

 

それに貰い手が無いときは、久君にお嫁さんに貰ってもらおうかしら…ぶつぶつ。

 

 

ん?今、心の声が聞こえたような…僕はエスパーじゃないけど…

 

「虚弱って…とっても元気そうですけれど…」

 

響子さんのジト目に、澪さんが頷いた。

 

「実は九校戦のころから少し調子が良くって…こんなに良いのは大学に入る前以来です…」

 

澪さんの肌ツヤは、これまででも一番張りがある。澪さんが元気になってくれると嬉しいな。一緒にアキバにも行きたいし。

 

「澪さんはもう少しご飯を食べた方が良いと思うな。栄養つけて元気になろうよ!僕料理部でもっと『女子力』をあげて、澪お姉ちゃんに美味しいもの食べさせてあげるね」

 

澪さんは、栄養をつけてもっと脂肪をつけたほうが良いと思う。

抱き心地が響子さんにくらべてかたい…いや、これは澪さんの健康を考えて…うん。

 

「えへへ、澪お姉ちゃんか…有難う久君。久君のご飯を食べるにはこの家に住まないといけませんね」

 

澪お姉ちゃんは凄く嬉しそうだ。その笑顔に毒気が抜かれたのか響子さんも素に戻った。

 

「とは言え、私も仕事の関係で、久君の家に毎日帰る、と言うわけにはいかないのよね」

 

「私も、学校は端末でOKなんですが、登録魔法師としては自宅を離れ続けるわけにもいかなくて。ここには緊急時にヘリは降りられませんから」

 

あのでかいヘリが、こんな住宅街に降りてこられたら、大迷惑です。

澪さんは戦略魔法師なので非常時につねに備えておかなくてはいけないらしい。

今も、警護の人が家の近隣を固めているそうだ…それは僕の安全も守られるからいいんだけれど…戦略魔法師は大変だなぁ。

 

響子さんはお仕事に差しさわりがない日には家に顔をだしてくれるそうで、澪さんも週の半分は自宅に戻ることになった。

 

「いずれこの家の裏にヘリポートを作って、愛の巣を…ぶつぶつ。」

 

裏にって、他の人を追い出しちゃ駄目ですよ!

 

「久くん、今夜は一緒にお風呂入りましょう、婚約者なんだから遠慮はいらないわよ!」

 

「藤林さん!!それはまだ早いですよ!だったら私も一緒に入ります!」

 

「家のお風呂はそんなに大きくないですよ!」

 

結局その日は、三人でどたばたとライトノベル的な一日をおくった。

二人は家事を手伝ってくれて、九校戦で着たキャミソールを着させられて…

響子さんは自分の電動クーペでお仕事を片付けて、澪さんは勉強を教えてくれた。

オタクトークに花が咲いた時には響子さんはドン引きしていたけれど。

夜、お風呂に入っているとき、本当に響子さんがバスタオル一枚で入ってきて、澪さんもお姉ちゃんが髪を洗ってあげるって入ってきて…

 

「ちょっ、二人とも身体くらい自分で洗えるから、どこ触って、だめ、あっそこは大事な…ああああぁ」

 

気のせいか、僕をいぢめる時の二人は『翼&岬』のゴールデンコンビも驚く息の合い方で…

 

僕、もうお嫁にいけない…ん?おムコだったっけ?

 

お風呂あがり、僕の髪を二人が綺麗にくしけずってくれて、とっても気持ちよかった。

 

「久君や澪さんの髪はすごく綺麗ね。わたしはどうしても跳ね返っちゃって」

 

響子さんの髪の毛は、響子さんの性格みたいだ。澪さんはお人形さんみたいだね。

お互いの髪を整えながら…ってこれ完全に女の子同士だよね…

正直、長い髪の毛は面倒なんだけれど、こんな日常も楽しいな。

 

その夜は、昨夜と同じような状態で三人で川の字で寝た。朝には一文字になっていたけれど。

背中に柔らかい暖かいものや、シャンプーや女性の香りに包まれて…

二人とも、僕を抱きまくらかぬいぐるみ扱いしているよな…

それでも熟睡できてしまった僕は大物なのかもしれない。

 

朴念仁…?いやいや、僕は10歳の男の娘だし。ん?

 

翌朝、響子さんは自分の電動クーペで出勤。

澪さんはお迎えのおっきなリムジンで帰宅して行った。あれは角を曲がれるのかな。

 

 

「ふう」

 

僕は深いため息をついて、玄関の扉をロックする。

 

僕は起きている間に『回復』するから、逆に、眠るとまったく回復できない。

一人で眠ると、怖い夢を必ず見るから、一人のときは極力起きている。

誰かが隣にいてくれると、怖い夢をみないで眠れるから澪さんと響子さんのおかげで頭のリフレッシュはできた。

凄く楽しかったけれど、使ったことのない筋肉を酷使した感じだ。

九校戦の疲れはないけれど、今日は一日休憩だな。つまり引きこもる。

お茶でもいれようかな…と考えたところで、ああ今夜は一人なのか…と寂しくなった。

なんだかんだで三人でいたときは修学旅行みたいで楽しかったんだな。

まぁ三日後には澪さんはまた来てくれるし、響子さんもその日の予定をメールしてくれるそうだ。

それまでは食料の備蓄もあるし、家に引きこもって、大人しくしていよう。

 

そう思っていたら、ぴんぽーん。おなじみのドアホンが鳴った。

 

こんな朝から来客かな?まさか勧誘かな、宗教の勧誘なら、たいがい二人連れだから、モニターをみて出るかどうか考えよう。

 

「うっ…」

 

モニターには黒い二人の少女が映っていた。双子の女の子…一人はにっこりと、もうひとりは苦虫を噛み潰したような表情…

 

「こんにちは、多治見久さん」

 

黒いコスプレまがいの格好の二人、『ヨル』と『ヤミ』。二人の後ろには黒いリムジン…

 

「そんな黒い大きな車、逆に目立ってしょうがないよ?」

 

「大丈夫です、認識阻害の魔法を使っていますから」

 

「…」

 

街中での魔法の使用は厳しく制限されているのではなかったのだろうか…

 

「これから、主のところにお連れいたしますので、失礼のない服装に着替えてください」

 

「えぇと、今日は朝の占いが悪かったので外出は控えたいなぁ、宿題も溜まってるし」

 

「大丈夫です、車の中でお勉強はお手伝いします」

 

「ヨルちゃんは魔法科高校一年の勉強わかるの?」

 

「あなたよりできますわよ」

 

『ヨル』ちゃんの目は厳しい…なんで僕の成績知ってるの?情報ダダ漏れ?

 

「ええと、どちらに向かわれるのでございますか?」

 

モニターの中の『ヨル』さんは、

 

「横浜の魔法師協会本部ビルです。さっさと扉をあけないと、破壊して、首に縄をくくって、全身を縛り上げて引きずっていきますわよ」

 

本気の目でそう僕に告げる。

 

「姉さん、さっさと壊そう、車もいつまでもここにおいて置いては面倒だ」

 

ものすごく面倒になりそうなことを『ヤミ』ちゃんが言ってる…

 

「うぅ、わかりました…」

 

この二人、怖いな…僕は何故か敬語で答えていた。

横浜の魔法師協会ビル?二人の主?いったい誰がそこにいるんだろう。

 

 

 




久は起きている間は回復を繰り返しています。
逆に、寝ている間は巨大すぎるサイオンが脳を攻撃してしまい夢見が悪くなります。
誰かと触れながら寝ると、悪い夢は見ません。
何故でしょうかねぇ…?


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四葉真夜

これで、当初の予定通り、澪、響子、真夜がそろった。


「その格好で行くんですか!?」

 

『ヨル』さんがあきれた声でいった。

 

「ボクよりも女の子だ…」

 

『ヤミ』さんの台詞に「?」と思ったけれど。僕の格好は九校戦アイス・ピラーズ・ブレイクのとき着ていたキャミソールだ。

腰まで伸びた黒髪はつややかで、黒曜石の瞳は濡れたように輝いている。少しだけ踵の厚いサンダル、首のチョーカー。

だって、これは、

 

「だって、これは深雪さんが男の子の勝負服だって言ってたもん!だから失礼なんて事まったくないもん!」

 

僕はない胸をはって、えっへんって言ってやった。どうだまいったか!

 

「深雪さん…あなたは…こんなことでストレスを発散させて…」

 

「ばか…なのかな」

 

『ヨル&ヤミ』さんがぶつぶついっている。なんだよ、文句があるの!?

 

「達也くんだって、凄く似合ってるってデートのときに言ってくれたよ!」

 

「なっ!?でぇと?」

 

「えぇ!?」

 

『ヨル&ヤミ』さんが何故か驚いている。達也くんと深雪さんのことは知らないのになんでだろう。

 

黒いリムジンに正面に『ヨル』さん、隣に『ヤミ』さんが座る。車内は広くて、調度品も高級感がただよっている。真由美さんや光宣くんの家のリムジンに乗ったことがあるけれど、見た目はあまりかわりがないみたいだ。

柔らかすぎずかたすぎない座席に身をうずめる黒い服の女の子二人に白い服の男の娘…?

 

…沈黙。うぅ、沈黙が車内を支配している。

 

アニメの話をするわけにいかないし、九校戦のことも興味なさそう。学校のことは知らない人の話をされてもつまらないかな。

 

「横浜まではどれくらいかかるの?」

 

「一時間弱…といったところでしょうか」

 

うぅ、その間、沈黙の海に沈んでいるのか…二人は油断なく僕のことを見つめている。

僕はすることがないので、正面の『ヨル』さんをじぃっと瞬きもしないで見つめ返してあげた。

見詰め合う二人の少女…いや僕は男の娘だけれど。

『ヨル』さんは最初は僕に対抗して目を見開いて見つめ返していたけれど、だんだんそわそわし始めて、可愛い顔に汗をかきはじめた。

車内は静かで、エンジン音も慣性も感じられない密室…

 

じぃー

 

ぷはぁと、息をとめていたのか、大きく呼吸をした『ヨル』さんが視線をはずした。

 

「なっ何をそんなに見つめていらっしゃいますのっ!?」

 

「『ヨル』さんのお顔だよ。到着するまですることないから…『ヨル』さんの可愛い顔をみていようと思って」

 

「そっそんなまじまじ見るのは…失礼ですわよ」

 

「どうして?可愛いモノを見ていたいと思うのはいけないことなの?」

 

「私より可愛い人に言われてもっ!それに限度が…あなたの黒曜石みたいな瞳は…何だか深くてのみこまれそうで…」

 

じー。もじもじしちゃってかわいい。隣の『ヤミ』さんも笑いをこらえているみたいだ。

僕はリムジンが横浜に着くまで、『ヨル』さんの可愛い顔をじーっと見つめていた。

 

じー。

 

 

横浜の魔法協会ビルは近代的で、とっても大きなタワービルだった。三つの建物を空中ブリッジでつなぐどこか危うい構造をしている。

リムジンは地下の駐車場にとまり、直通のエレベーターで応接室のある階まで登る。

僕の両隣には双子が立っている。黒・白・黒のオセロゲームみたいな三人…

自然光をたっぷり取り入れた廊下を双子に挟まれて歩く。

大きな扉の前に着くと、『ヨル』さんがノックする。インターホンから「どうぞ」と女性の声が返ってきた。

 

広いけれど、窓のない豪華な応接室。ソファに優雅に座る女性と、その後ろにきりっと背を伸ばして立つ老紳士がいた。

 

「多治見久さまをお連れいたしました」

 

『ヨル』さんと『ヤミ』さんは、さっきまでと違って物凄く緊張しているようだった。

こういうとき僕はすごく落ち着いている。痛いことをされなければ、特に緊張や抵抗はしない。

 

「ご苦労様、二人とも。下がってていいわよ」

 

二人は深々とお辞儀をして廊下にでる。静かにドアを閉める音を背中で聞いていた。

 

「まずは座ってくださいな、葉山さん、お客様にお飲み物と、お約束していたお茶菓子も用意してくださる?」

 

「かしこまりました」

 

老紳士は一部の隙もなく一礼して、応接室の続きの部屋に下がっていった。

 

僕は女性の声を聞きながら…うわぁ、女王の声だ…

『ROD』のアニタや『ストライクウィッチーズ』のルッキーニちゃんから、ゴゴゴな『淡ちゃん』『ガハラさん』まで七色の声を持つ女王の声だ…

 

僕は進められるまま、対面のソファに座り、

 

「こんにちわん」

 

と『生徒会役員共』の『魚見さん』と同じ挨拶をしてみた。これでベストな返答がくればこの人の人となりがわかる…

 

「こんにちは、多治見久君、今日はわざわざご足労いただきありがとうございます」

 

素でかえってきた…ぬぅ…どうやら冗談が通じない人みたいだ。

それに、僕のこの格好をみても、とくに問題視しなかったので、やはり深雪さんの言っていた『男の娘の勝負服』は間違っていなかった。

 

 

 

 

「私は四葉真夜。四葉のことはどこまで知っているのかしら?」

 

僕は考えて

 

「よつ葉乳業のオーナーさん?」

 

と、素直に答えた。僕は魔法師の世界のことは良く知らない。

数字が付いている苗字がナンバーズだと言うことはなんとなくわかるけれど、一や五とかはともかく、語呂合わせみたいな苗字だとさっぱりだ。

ん?そういえばエリカさんの苗字も千葉で『千』が入っているな。エリカさんもナンバーズなの?

ということは『はいふり』の『万里小路楓』さんもナンバーズなのかな…ぶつぶつ。

 

そんな事を真剣に考えている僕を四葉真夜さんはじっと見つめている。

 

「…つまり何も知らないと…私、四葉真夜の事は?」

 

「…綺麗なお姉さん?」

 

「おねっ…お世辞も下手なようね…」

 

「お世辞じゃないよ!お姉さんすごく綺麗だよ、なんだか吸い寄せられるような、魅せられる?…なんて言うんだろう…あぁ僕頭があんまり良くないから言葉とか出てこなくて…えっとその」

 

僕は涙目になって、両手をあたふたさせながら真夜さんに言う。

 

「これは…やりにくいわね…いくらなんでもお姉さんはないと思うけれど?」

 

「え?だって響子さんや澪さんと同じくらいだと思うんだけれど…」

 

「…私はその二人よりは年上ですけれど…?そう、貴女くらいの子供が見ればそうなのかもしれないわね」

 

「え?でも四捨五入すれば0歳ですよ?」

 

「その『ガハラ』さんの台詞は笑えないわね…」

 

えぇ?おかしいな同じ声なのに。逆らったらホッチキスで頬をばっちんされそうな気配は同じなんだけれど。

ちなみに僕と烈くんは四捨五入したら100歳だ!

あっでも『ガハラ』さんが通じるなら、コミュニケーションがとれそうだ。

あと、僕は貴女じゃない!貴方だよ!

 

「それで僕にどんな御用ですか?僕は達也くんみたいに頭も良くないし真由美さんや深雪さんみたいに魔法も上手じゃないし…九校戦では負けちゃったし」

 

ん?でも『ヨル&ヤミ』の双子が僕の前に現れたのは6月だったな…

 

「達也君…九校戦でエンジニアとして活躍した司波達也君のこと?それと七草真由美さんに、司波深雪さんね」

 

「うん、達也くんのこと知ってるんだ!やっぱり達也くんは凄いなぁすっかり有名人だ」

 

僕は達也くんの話をすると目がキラキラするんだ。まるで恋する女の子ねって深雪さんに言われたこともある。

そんな僕をじぃっと見つめていた深夜さんは、

 

「特に用ってほどのことでもないの、少しお話をして…」

 

真夜さんは、僕の一挙手一投足から真意を見抜こうとしているような感じだけれど、ものすごくやりにくそうな感じでもある。

子供が苦手なのかもしれない。まぁ僕のほうが年上だけれど…

 

老紳士さんが姿勢もただしく飲み物を持って応接室にもどってきた。

真夜さんにはハーブティー、僕の前には甘い香りの黒い飲み物を置く…この香りは…

 

「あっ『ミロ』だ!」

 

僕は一口ミロを飲む。甘くて美味しい…こんな美味しい飲み物が他にあるだろうか…いやない!

 

「ミロではありませんが…私がちょっと魔法でずるをしております」

 

「このコーヒー凄く美味しいです、セバスチャンさん!」

 

「葉山とお呼びください…」

 

葉山さんは表情も変えず一礼すると、そこが定位置であるかのように、真夜さんの斜め後ろに立った。僕だけでなく部屋全体に視線を合わせる感じで隙がない。

 

「それで話を戻すけれど…今回は特になにがあるわけではないの…ただ、貴方が4月に誘拐事件にあったことを聞いて気になっていたのよ」

 

「誘拐事件…」

 

僕は少し身をかたくした。コーヒーから立ち上る湯気をじっとみる。

あの時は『能力』できりぬけて、九重八雲さんが協力してくれたからその後も組織を壊滅できた。

でも、あの時は物凄く痛い思いをした。研究所以来の痛み、それと未知の、本能的な恐怖も。

すっかり忘れていたことを、思い出して、僕はうつむいた。

 

「ごめんなさいね…いやな事を思い出させてしまって。…私も、貴方と同じような事があってね…もうとても昔のことだけれど…」

 

その言葉に僕はばっと顔をあげた。

真夜さんの悲しそうな顔は、それでもどこか他人の出来事を話しているようだった。

 

「ええっ!?そんな…つらかったよね、怖かったよねっ!」

 

「怖かった…と思うわ」

 

その返事の意味は良くわからなかったけれど、真夜さんがその事件で苦しんだことはわかる。

たぶん人生を狂わされるほどの苦痛だったんだ。だから思い出したくないし、思い出せなくなるくらい心の深くに沈みこませたんだと思う。

そう思うと、僕は涙をぼろぼろ流しだして真夜さんを見つめてしまった。

僕は少し情緒が安定していない。方向音痴だったりチグハグな行動をとってしまうのも、色々と壊れているからだ。

でも、怖かった、と言う気持ちは誰よりも良くわかると思う。

 

僕は唐突に立ち上がった。一瞬、葉山さんが警戒したみたいだけれど。

僕は構わずにテーブルを回り込んで、ソファにゆったりと腰掛ける真夜さんの前に立って…

 

「えあぁ?」

 

「!?」

 

真夜さんが驚きの声をあげた。葉山さんも何か声をあげたようだけれど、僕は聞いていなかった。

 

 

僕はとすんと膝立ちになると、真夜さんの細いお腹に抱きついた。

 

 

真夜さんの細い腰に手をまわして、お腹に顔をうずめると、しくしく泣き出してしまった。

真夜さんは少し硬直しているみたいだけれど…

 

「ごめんなさい…お洋服汚してしまって…でも怖かったはずだよ、男の子の僕だって凄く怖かったんだもん。女の子が辛くなかったはずがないよ!」

 

涙が真夜さんの洋服をぬらして行く。

 

「これは…困ったわね」

 

真夜さんは、対応に困って動けないでいる。

 

「そういう場合は、優しく頭を撫ぜてあげればよろしいのですよ」

 

「そ…そう?」

 

真夜さんは、ぎこちなく僕の頭を撫ぜてくれた。

 

そのまま、どれくらい時間が経過したのかわからなかったけれど…僕が泣いている間、ずっと頭を撫ぜてくれていた。

 

 

 

 

「ごめんなさい…こんなことしちゃって…誘拐事件の事は結局誰にも言ってなくて…つい」

 

真夜さんの前で、ペタンと正座して、僕は涙を腕でぬぐった。

真夜さんはハンカチで僕の頬をふいてくれた。優しい香りのするハンカチだった。

 

「いいのよ、学生相手には言いにくい話題ですもの…私でよければ何でもお話を聞くわよ」

 

「本当に?よつば…えぁと、真夜さん?真夜様…お姉さん…お姉ちゃん…女王様」

 

真夜さんをなんて呼ぼうかと考え出す…うぅん。

 

「…好きに呼んでくれて構わないわよ、女王様以外で…」

 

「えぇと…どうしよう…僕あんまり頭良くないから、うまい言葉が浮かばないな…僕は複数のことを同時に考えるのが苦手で…」

 

魔法の勉強もそうで、マルチキャストとか機械音痴も手伝ってうまくいかない。

そう真夜さんにいうと、

 

「それはたぶん、魔法の終了条件定義がうまく出来てないのね」

 

「わかっているんだけれど、小手先の技術は苦手で」

 

真夜さんは僕と向かい合ったまま、魔法のコツを教えてくれた。

うぅん、と悩む僕に、真夜さんもちょっとぎこちないけれど丁寧に。

何だか真夜さんのその姿は子供に勉強を教えるお母さんみたいだった。

 

「えへへ」

 

「どうしたのかしら?」

 

「なんだか、お母さんみたい」

 

「えっ!?」

 

僕の言葉に、真夜さんが驚いて声をあげた。これまでとは違う、ものすごく戸惑った声だった。

 

「あっごめんなさい!僕はお母さんもお父さんも知らないから、本当のお母さんがどんなものか良く知らないものだから…つい」

 

僕は頭をさげて謝ると、立ち上がって、ソファに戻る。コーヒーを一口飲んだけれど、すっかり冷えていた。

 

「新しいコーヒーをお持ちしましょうか?」

 

葉山さんが気が付いて言ってくれたけれど、「このままでいいです」と断って、コーヒー皿にカップを戻した。

 

チンッ、ってカップが音をたてた。真夜さんは僕とカップを静かに見つめている。

 

どうしよう、失礼なこと言っちゃった…僕みたいな出来損ないにお母さんみたいなんていわれて不機嫌になっちゃったよね。

応接室の三人は、それぞれ考えながら黙っている。

 

沈黙を破ったのは、真夜さんだった。

 

「そう…そうね、お姉さまは流石に…ですので、多治見久くん、私の事は『お母様』と呼んでも構いませんよ」

 

「ほぇ?」

 

僕は変な声をあげて驚いた。葉山さんは…さっきまでの隙のない姿勢が隙だらけになっていた。

 

真夜さんは視線を少し泳がせるとハーブティーに手を伸ばした。真夜さんは、顔を真っ赤にしていた。

たぶん、あのハーブティーも冷えているんだなと思いながらも…

 

「真夜お母様…」

 

僕は、真夜さんの顔を上目遣いに見ながら「…真夜お母様」と続けた。

真夜さんは、自分がお母様と呼ばれたことに動揺していたけれど、

 

「じゃあ、私は貴方のことを久と呼ぶわね」

 

「うん、真夜お母様!」

 

僕は、大きな声で答えていた。孤児だった僕には母親はいない。だから初めて言ったこの言葉に物凄く感動していた。

最初はぎこちなかった真夜さんが、少し震えて恍惚とした表情になっていた。

 

 

 




原作で真夜が実年齢より10歳は若く見えるって何度か言及していますが、
これって何かの複線なのかなぁと邪推しております。

つまり、
実は真夜が誘拐されたときの人体実験は『不老不死』の魔法なんじゃないかなと。
原作・師族会議編のそもそもが『不老不死』の魔法開発から始まっているので。
崑崙方院が行った『不老不死』の実験は成功していて、
次代を残す必要がなくなった真夜は子供を産めなくなった…と。
おっと、このSSのオチを言ってしまった…汗。


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南国の星空

 

 

 

 

四葉真夜さん…真夜お母様とは、頻繁には会えないのでビジフォンやメールでやり取りする約束をした。

横浜では本当に雑談程度のお話だった。

ただ真夜お母様のことは、誰にも秘密だって言われた。「お母様」と聞かれるのが恥ずかしいからだって。

あはは可愛いです、真夜お母様。今度はお食事をしましょうね、と約束をしてその日は別れた。

帰りのリムジンにご機嫌で乗る僕に怪訝な目を向ける双子のことも全然気にならなかった。

 

 

メールでやりとりは光宣くんともしているけれど、九校戦以降は基本宿題しかすることが無い。

横浜から帰宅後も澪さんが買い揃えた紙媒体のコミックスをごろごろしながら読んでいた。

宿題は…なかなか進まない。

 

 

翌日、達也くんから携帯に連絡があって、週末に雫さんの別荘と海に行かないかと誘われた。

九校戦のバス内での狂態を見た皆が気にかけてくれているんだと思う。

素直にうれしい。僕は二つ返事でOKした。

澪さんや響子さんも一緒にって思ったけれど、長距離の離島への宿泊は戦略魔法師として困難だそう。響子さんはお仕事で無理だそうだ。

防衛省のお仕事ってそんなに忙しいんだ。一緒に行く友人の名前を出したら少し妙な表情になったけれど…

 

旅行前日は響子さんと澪さんとでお買い物に行った。

響子さんは僕に女装させようとして、それに反対する澪さんと楽しそうに言い合っていた。

すっかり二人は仲良しさんだ、と思う。

周りの女性で、僕を男の子扱いするのは澪さんだけだなぁ…

 

 

 

当日、葉山のマリーナまで迷子にならずにいけたのは奇跡だ。

まぁキャビネットに乗り間違えないかぎり、普通はたどり着けるんだけど…

響子さんのナビとシュミレーションが物を言ったのだ。

 

マリーナでは雫のお父さんと少しだけお話した。

財界の大物らしいけれど、深雪さんを前にしたときの態度はただのオッサンだった。

ちなみに僕を前にしたときは…

 

「うんうん、娘がもう一人増えたみたいだ」

 

僕は男の子だよぉー。

 

 

クルーザーで雫さん家の別荘まで、みんなでわいわい騒ぎながら6時間もかかった。

こういう時間も大切だよね。僕はレオくん&エリカさんと同じで移動時間の醍醐味を味わう派だ。

達也くんはいつも通りの無表情だったけれど、深雪さんもほのかさんも、一緒にいられて楽しそうだ。

ボードやカードゲームは定番だね。

 

「あっエリカさんそれダウトっ!」

 

「なぁ!?」

 

別荘にいる間は、雫さん家のハウスキーパー黒沢さんがいろいろと面倒を見てくれる。

クルーザーの操舵もできるハウスキーパーって、『生徒会役員共』の『出島さん』みたいだな。変態では…ないはず。

高校生9人の引率は大変そうだなぁ。僕は家事は得意だから、お手伝いしますね。

 

別荘のある孤島に到着すると、休憩もしないでみんな海に出て行った。

真夏の南国の太陽が真上近くにある。いくら21世紀前半とは気候が違うからって、暑い…

みんな体力あるなぁ…

エリカさんやレオくんはともかくほのかさんや美月さんも余裕そうだったのは意外だ。

 

僕は少し体力を回復させてからビーチに出た。

レオくんと幹比古くんが見当たらない…あれ?遠くの方の海で波しぶきが二つ…何やっているんだろう。

遠泳?自ら楽園から遠ざかる…二人は賢者なのか?

男子二人がいないと言うことは、今砂浜では達也くんがウハウハハーレム状態なんだな。

 

案の定、パラソルの日陰に寝そべっていた達也くんを、5人の水着美少女が取り囲んでいた。

うんうん、流石は達也くん、男子二人を海に追いやって、一人ハーレムとは、お主も悪よのぉ。

ただ、泳ぎに誘われているのか、パーカーを達也くんが脱いだとき、南の島の暑い空気が微妙に変化した。

達也くんの身体は傷だらけだった。

その達也くんを深雪さんとほのかさんが板ばさみにしている…

 

そんなタイミングで僕がビーチに現れる。とてとてとハーレムに向かう。

夏の太陽に焼けた砂浜が素足に熱い。

 

「どうかしたの?」

 

 

「「「「「きゃぁ!?」」」」」

 

 

達也くんをかがんで見下ろしていた、5人の水着美女たちが悲鳴をあげて、達也くんを包んでいた気まずい雰囲気が霧散した。

 

「…」

 

達也くんは僕を一瞥すると、ふいに視線をはずした。どうしたんだろう。

 

「ちょっ、ちょっと久!なんて格好してるのっ!!」

 

深雪さんが女性陣を代表して僕に尋ねる。

 

「なんてって、普通に水着姿だよ」

 

今日の僕は澪さんが選んでくれた水着を着ている。

流石に髪の毛はそのままだと邪魔なので、可愛い花柄のシュシュで束ねている。これだと髪を傷めないんだそうだ。

 

「ひっ久!貴女は女の子なんですよ、お外で上半身裸なんてありえません!」

 

「ふぇ?」

 

おかしなことを深雪さんは言うなぁ。僕は男の子なんだよ。

達也くんはトランクスタイプだけれど、僕のスウィムウェアは泳ぎやすいようぴっちりスパッツ。

これなら派手に動いても脱げることはないし、ちょっと身体のラインが出て恥ずかしいけれど、露出は全然ない!

上半身は裸?それは男の子なら当然でしょう。

 

「久、とにかく…これを着なさい!」

 

「?」

 

深雪さんが腕に抱えていた達也くんのパーカーを僕に着させる。

 

「どうしたの?僕は日焼けとか大丈夫だよ!」

 

「とにかく、砂浜にいる間はそれを着ていなさい!」

 

「えぇ?それじゃ泳げないよ…あっ僕は海で泳いだことがないから、泳げるか心配だな…」

 

無理矢理着させられた達也くんのパーカーは僕には大きくて、裾が水着を隠すぐらい長い。

締め切ると暑いから、胸元のファスナーは半分開けておいた。

一見すると、裸にパーカーだけみたいだ。

 

「余計いやらしいような…」

 

ほのかさんの呟きに雫さんがうんうん頷く。

みんなおかしいなぁ、そんなに僕を泳がせたくないのかなぁ。

 

あっでもこのパーカー達也くんの香りがするなぁ…なんだか落ち着く。

 

結局、僕はパーカーを着たまま、波打ち際で水遊びをしただけで、泳ぐことはなかった…

水遊びといっても魔法を使ったりするので、ジェット水流直撃の僕はもう全身ずぶぬれだよ…

 

「ふう」

 

パーカーを乾かしながら、何か飲み物でもと一人パラソルに戻っていたとき、ライトノベル水着回のお約束的ハプニングが起きた。

達也くんのラッキースケベ能力が、ほのかさんの水着のトップを捲りあがらせていた。

ん?でもこれは後々の深雪さんのことを考えると、アンラッキースケベなのかも?

アンラッキースケベなのは…それを見ていた、僕かっ!

 

 

僕たちが休憩中のバルコニーでフローズンバナナと格闘している最中、達也くんとほのかさんは二人でキャッキャウフフしていた。

 

「くすっ、久、冷凍パイナップルはいかが?」

 

ちょっと、冷凍バナナはまだ良いけど、むいていない凍ったパイナップルは武器だよ!ジャングルのゲリラ戦で使えるよ!

僕が一人冷凍フルーツパラダイスをしていたら、遠泳からレオくんと幹比古くんが戻ってきた。

二人とも黒潮に負けない壮絶な体力をしているな…

幹比古くんがその場にいない二人をさがして、

 

「結構良い雰囲気じゃない?」

 

などとのたまった。ふっ、幹比古くん、僕と一緒に冷凍パイナップルに挑戦するとはチャレンジャーだ。

 

「吉田君、良く冷えたオレンジはいかが?」

 

ちょっと待って、僕がパイナップルで幹比古くんがオレンジ?とばっちりのレオくんはマンゴーだった。

八つ当たりにあきた深雪さんが別荘に戻っていく。

その後、凍ったフルーツはみんなで美味しくいただきました。

 

日も暮れて、夕食はバーベキューだった。レオくんの食べっぷりはさすがだ。

食事中のみんなの雰囲気は、どことなくぎこちない。

達也くんががらにもなくフードファイトをしている。これはレオくんの圧勝だろうなぁ。

美月さんは少し離れて幹比古くんとお話しているし、うんうん青春だねぇ。

 

夜はみんなでゲームをしていたけれど、深雪さんと雫さん、達也くんとほのかさんが、それぞれ部屋を出て行った。

残された僕たちの蚊帳の外感は半端なかった。

 

 

ざざーん。

 

波が、深夜の海岸を洗っている。南国の夜は暖かくて、寝苦しい。

男、兄妹、男の娘、女、で部屋割りされて、僕はひとり、寝室の屋根を見つめながら波の音を聞いていた。

空調は切って、網戸から入ってくる風を頬に感じている。

 

「朝までどうしようかな」

 

自宅なら時間つぶしのアイテムは多いし、宿題だってできる。でもこの別荘にはなにも持ってきていない。

真夜中の2時。みんなは今日の疲れから良く眠っているだろう。

僕はどうしようかな…

 

僕は起き上がって、静かに窓をあけると、バルコニーにでて星空を見上げた。

人工の明かりが殆どない孤島の夜でも、月がまぶしくて、星があまり見えない。パジャマ姿の僕の影がくっきり床に落ちている。

 

「高いところまで上がれば、もっと星が見えるかな…」

 

九校戦の深雪さんが使った『飛行魔法』をふと思い出した。あの時の深雪さんは軽やかで楽しそうで誇らしそうだった…

 

 

「飛行魔法か…」

 

 

僕の黒曜石の瞳に薄紫色の光が宿った。裸足の足が音もなくすぅっと浮き上がる。

ここならセンサーや監視カメラの類はないし、まさかスパイ衛星が撮影はしていないだろう。

僕は、孤島と別荘を見下ろしながら、ゆっくりと南国の空を上昇している。月が大きい。

 

あの月まで飛べるかな…僕は方向音痴だから、一人だときっと迷子になるかもな…

 

二千メートル上昇して、黒い海のなかのぼんやりと明かりの見える別荘を確認する。

ここなら帰るところを見失いはしないだろう。

僕は空中で大の字になって浮いている。僕の『飛行』は浮くと言うより『能力』で持ち上げている。

移動する場合は進行方向に引っ張る必要がある。

 

僕は『能力』を一時切った。僕の小さな身体が重力に引かれて、海面に向け急降下する。

空気がひゅーひゅー耳でなっている。海面に叩きつけられる寸前、『能力』で持ち上げる。

波が爆発したようにはじける。波しぶきをはじきながら一気に急上昇、大きなループを描く。

両腕を飛行機のように広げてバレルロールからインメルマンターン。

速度をどんどん上げて、南国の星空にマヌーバを描く。

夜空を飛ぶことは何よりも美しい…

 

「あはは、楽しいな」

 

僕は笑いながら、飛ぶ。九校戦の選手の『飛行魔法』とは違う。

無尽蔵ともいえるサイオンで、僕程度の物体なら何時間でも飛ばせられる。

 

本当に星の世界まで飛んでいけそうだ。真空はあまり暖かくはないから、無理か。

それに、今の僕には帰る場所があるんだ。

 

自由…僕は自由なんだな…

 

いつの間にか泣いていた。涙を流しながら大きな月を囲むようにもっと大きなループを描いた。

涙の雫が月の明かりにきらめいていた。

 

 

一時間くらい飛んでいただろうか。島から離れすぎたかな…スプリットでUターンして、島に顔を向ける。

 

距離はだいぶある。

でも、砂浜に、誰かが立っている。背の高い、姿勢の綺麗な男性。彼だってことはすぐわかった。

 

僕は雫さんの別荘のある島にゆっくり下りていく。

彼がじぃっと僕をみつめている。

 

僕は達也くんの前の砂浜に降りる。昼間と違って、砂はしっとり湿っていて、素足に気持ちよかった。

 

「こんばんは、達也くん。月がきれいな夜だね」

 

達也くんに向かって歩きながら言う。二メートルの距離で立ち止まる。達也くんの僕を見る目は厳しい。

 

 

 

「久、お前は、サイキックだな」

 

達也くんは断定した。

 

「うん、達也くんには気づかれていたと思ってた」

 

 

九校戦のCADの調整で、色々とさらけ出してしまっているから、その時点でわかっていたと思う。

別に僕の『能力』は秘密ってわけじゃない。多治見研究所を結びつけるのも困難だ。

達也くんが、僕が自然発生したサイキックか研究所出身か、どう考えているかはわからない。

僕はサイオン量は人間の許容を超えているけれど、それ以外のデータは常人と変わらない。

全てを見通すような『目』があれば別だけれど、研究所の精密な機械でも無理だったのだから、そんな能力を持っていないのならわからないだろう。

 

「年齢もごまかしているな…」

 

「…うん」

 

僕は少し警戒する。どうやって僕の年齢がわかったのだろう。

 

「お前の身体は、絶えず新陳代謝を繰り返している。膨大なサイオンはお前の肉体の『回復』に割り当てられている。

お前が眠ると嫌な夢を見るというのは、余剰サイオンが睡眠中、脳の記憶を司る部分を刺激するからだろう。

記憶に関わる海馬がなにかしら影響を受けているのかもしれないが…

勉強が苦手と言うのも、そもそも基礎が全くできていない。義務教育は受けていないかのようだ。

俺が視たお前の肉体は10歳そこそこ、俺たちと同い年ではない。

『回復』によってあらゆる肉体構造が絶えず若返っている。10歳と言う肉体も『回復』のせいでそれ以上成長できないのかもしれない。

16歳…いやもっと上なのかもしれない。肉体は…

だがプシオン、もしくは精神の年齢まではわからない…」

 

僕の知らないことまで理解している。やっぱり、すごいな達也くんは。

ただ、『回復』は研究所で与えられた『能力』の応用で、訓練の結果だ。

記憶力も基本的に覚えたことは忘れない。…そう思っていたけれど。

 

現代魔法師開発はサイキック開発から始まっている…

 

僕は『人造サイキック計画』の唯一の成功例だ。

その後の実験体は身体強化を併用してもサイキック能力の射程が30センチしかなかったそうだ。

僕の攻撃範囲は視界に入っていれば距離はほぼ無制限、僕自身を中心にすれば最低でも半径100キロ。

僕の弟たちとは同じ研究所出身なのに違いすぎる。

 

魔法師開発はその後DNAと血縁、遺伝の方向にシフトする。

しかし、『神』を創ろうとする一部の科学者は戦場での簡単な戦力増強を理由にサイキックを作り続けた…

どうして僕だけが成功したのだろう…神のごとき確立の奇跡?偶然?

僕には三歳以前の記憶がまったくない。何故だろうとずっと思っていたけれど…

自分のことなのにわからない事だらけだ。

 

 

 

「僕はね10歳なんだ。大人にはなりたくない…」

 

「いわゆる、成長する事を拒む…ピーターパン症候群とは違うようだな」

 

「うん」

 

達也くんの視線が鋭くなる。九校戦のデバイスチェックの時と同じ、怖い目。

 

「お前は、俺や深雪の敵ではないな」

 

「敵じゃないよ、疑うなら…僕ここで死んでもいいよ」

 

頭を『飛ばせば』流石に、僕も死ぬだろう。

でも人間の意識は脳だけではなく身体全体に宿っているから、いつかは『復活』するかもしれない。

でもそれはもうこの時代ではないだろうな。

前回は70年かかったから、100年…200年かな。

 

僕がためらいもせず「死んでもいい」と言った事に、達也くんは目を見開いたけれど…

 

「敵じゃないならそれでいい」

 

達也くんの目から殺気が消えた。

 

「僕は魔法科高校にいてもいいの?もし僕が『能力』を制御できなかったら達也くんや深雪さんも巻き込んじゃうかもしれない…」

 

それが一番の『恐怖』だ。

たとえ、一高の生徒や教師、もしくはこの国の魔法師が全員相手だったとしても、空間そのものを捻じ曲げるほどの僕の『サイキック』は、半径100キロの、もしかしたらもっと広い空間ごと別の宇宙まで『テレポート』で飛ばしてしまう。

位置も距離も空気も光もなくなる閉じられた空間で魔法師が出来ることはあるだろうか…

僕自身ですらその世界では何も出来ず死を待っていたのだから…

 

でも、達也くんは静かに、

 

「そのときは、俺が止める」

 

そう言ってくれた。

 

根拠がある台詞とは思えないけれど、僕は実は達也くんのことは何も知らないのだ。

達也くんには僕が知らない『能力』があるのかもしれない。達也くんの『能力』なら僕に出来ないことも出来るのかもしれない。

魔法科高校に通う生徒は隠し事が多いみたいだから。

 

「えへへ、なんだかヒーローみたいな台詞だね」

 

「俺はヒーローなんかじゃない」

 

「うぅん、僕にとってはヒーローだよ。僕…達也くんになら、やっぱり…あげても…いいかな」

 

「…それだけはやめろ…そっちの趣味はない」

 

うふふ、達也くんが動揺している。

 

「そうだよね、達也くんは深雪さん一筋だもんね」

 

「それも…まぁいい」

 

南国の空気でも明け方は冷える。パジャマ姿の僕は小さく震えた。

 

「別荘に戻るぞ」

 

「うん」

 

僕は達也くんの後ろを歩く。達也くんは僕の歩幅に合わせて歩いてくれる。

 

ざっざっ、砂浜を歩く音。波の音が背中から聞こえてくる。

 

僕も達也くんも、フェニックスの木に背をあてて盗み聞きしていた美少女の存在に気づいていた。

 

 

「お行儀が悪くない?」

 

「それでも、深雪は淑女だ」

 

くすっ、達也くんは相変わらず、深雪さんの事は全肯定だ。

 

 

 

 




久のテレポートはどんなに範囲が広くても、
自然の修復機能でテレポートした空間を自然が勝手に回復させてしまいます。
押しのけた空気も失われた空気も自然に回復しますし、
別の物質の中にテレポートすることもありません。
久の『能力』は自然の一部になっています。
『能力』のエネルギー源、膨大なサイオンはどこから来ているのでしょう。
来訪者編まで行けたら明らかになりますかねぇ。


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日常

基本的に、原作の細かいエピソードは、小説やアニメで既知なので、さくっと飛ばします。く


 

 

僕は、昔、学校生活に憧れていた。

魔法科高校は色々と大変だけれども、入学できてよかったと心から思う。

 

夏休み、九校戦の練習、九校戦、四葉真夜お母様、南の島、響子さんと澪さんとの同棲(?)生活。

こんな楽しい一ヶ月は無かった。

 

 

基本的に僕は引きこもりだ。一人のときはやることが無かったので、勉強(丸暗記)をしていた。

九校戦後は、澪さんや真夜お母様が魔法のコツや記憶法なんかを教えてくれたおかげで、丸暗記より少し理解しながら勉強できていた。

それで気が緩んだのは否めない。

今は同じ引きこもり仲間の澪さんが、一緒に遊んでくれるから、南の島から帰宅後は気が緩みっぱなしだ。

しかも、澪さんが家にいると、家の周りの警護はそれはもう国家レベルだ。日本の切り札である澪さんの警備で、町内の治安を最高にしている。

僕は誘拐や事件に巻き込まれる心配がまったくなくなった。

澪さんも今は夏休みなので、僕と一緒に、朝から晩までオタクトークでだべりまくり、夜は力尽きて同じベッドで寝て…

 

機械音痴の僕にかわって、端末で何でも買ってしまう澪さんは、

 

「ポテトチップスは野菜ですよ?」

 

と言うほどの引きこもりクィーンだ。澪さんの虚弱はこのあたりから来ているのかもしれない…

 

だからこれも、学校生活の醍醐味なんだと思う。

今日は8月30日だ。あさっては始業式。

 

「うあああああ!宿題終わらない!」

 

僕は頭をかかえて室内を転げまわっていた。

 

「あれだけサボりまくっていれば当然でしょ!魔法科高校の勉強は遊び半分では無理なのよ」

 

休日の響子さんはラフな格好でラフなことをおっしゃる。

宿題は南の島に行くまでには少しはやっていたけれど、九校戦参加者には成績に色をつけるのではなく、宿題の量を減らして欲しかった。

きっとこんな背水の陣をやっているのは僕だけなんだろうな…レオくんはまじめだし、僕以外はみんな座学は優等生だ。

達也くんと深雪さんなんて今頃、優雅に二人でティータイムしているにちがいない。

 

「久くん大丈夫よ、お姉ちゃんが手伝ってあげるから」

 

澪さんは、基本的に僕には甘い。夏休み一緒に作ったイチゴジャムより甘い。しかも澪さんは僕と一緒に漬かるからますます甘い。

 

「駄目ですよ、澪さん!宿題は自分でするものですよ!」

 

響子さんは建前上、僕の婚約者になっている。でも現実はダメダメな弟妹をもった長女的立ち位置になっている。

仕事場でも家でもストレスを溜めさせてごめんなさい。

 

僕は響子さんの監視の下、机に向かい涙目で宿題をする。それをドアの隙間から見守る澪さん。

 

「二人とも頭がいいから…僕には無理なんだよぉ」

 

「頭の良さとサボりは別です!ほらそこ間違ってるっ!」

 

「ふぇええええん」

 

結局31日の夕方まで仮眠もそこそこ、一気に宿題を終わらせる。実は響子さんも澪さんもちょこっと手伝ってくれたのは内緒だ。

お礼に自作のイチゴジャムでヨーグルト食べようよ!

 

「ん、これ美味しいわね…」「澪お姉ちゃんはたっぷりかけるよね」「イチゴを潰しすぎないのがいいですね」

 

うんうん、甘いものに舌鼓の三人はもう日常系アニメキャラの顔をしている。

 

 

夜、明日の準備をしているときに気が付いた。

 

「あっ、美術の課題が残っていたな…何だったかな」

 

…美術の宿題は…人物デッサン?これならすぐ終わるかな。

 

「人物デッサン?じゃあヌードなのね」

 

「ちょっ藤林さん!なに脱ぎ始めるんですか!じゃぁ私も久君のためなら脱いで…」

 

「なにやってんですか、服は着ててください!動かないで…二人一緒に描きますから!」

 

やたら脱ぎたがる二人を懸命に押しとどめて…惜しいことをした…いやいや僕は10歳。

そもそもヌードデッサンなんて提出できないでしょう!

 

しかし、不器用な僕の描くデッサンなんて、『アルスラーン戦記』の『ナルサス』さんよりひどいものができあがる…

とても二人には見せられない…僕的には上手く描けたと思うけど。

二人の反応は…ごめんなさい。

 

睡眠前、響子さんの携帯端末が鳴った。確認した響子さんは、僕たちに一言断って駐車場の電動クーペに向かう。

家のネットワークは普通の家庭用とは少し違う。響子さんがグレードアップして並のハッカーでは進入不可になっている。

それでも、響子さんは念のため、自分の車で通信をするようだ。

僕たちには聞かせたくない類の内容なんだろう。でも、その会話は短かった。

台所に戻ってきた響子さんは難しい顔で少し迷ったけれど、

 

「大陸の某国の動きが少し活発になっているみたい。すぐどうこうなるとは思わないけれど、10月には横浜で魔法科高校の論文コンテストもあるから二人とも少し気にかけておいてね…」

 

防衛省にお勤めの響子さんが、本当はいけないんだけれど、秘密の情報を漏らしてくれたんだ。

高校の論文コンテストと他国がどう結びつくのかわからなかったけれど、澪さんはこくりと頷いた。

その表情はいつものとぼけたお姉ちゃんではなく、この国の切り札・戦略魔法師の表情だった。

また魔法科高校で騒動が起きるのかな…

 

 

翌日、二学期初日。響子さんは仕事にでかけ、澪さんも自宅に戻って独自に調べてみるそうだ。

 

久しぶりの1-Aの教室で九校戦以来の森崎くんに再会した。

モノリス・コードのときの傷は癒えていた。それに、夏休み前にくらべて森崎くんは落ち着きがついたみたいだ。

 

「九校戦もそうだけど、夏休みに色々あってな。僕は慌てすぎていたんだって思うようになったんだ…」

 

「そっかっ!森崎くんひと夏の経験ってやつをしたんだね!大人になったんだね!」

 

僕はおっきな声で驚いた。友人の成長は喜ぶべきことだ!

 

「なっ、多治見っ!おまっなんて事を言うんだ!」

 

その後、森崎くんは男子生徒に囲まれていた。うんうん、仲良きことは良きことかな。

 

まだみんな高校生なんだから、大変なときは大人にまかせて…任せられる教師がいないんだった…

そういえば九校戦のとき、教師たちは何をしていたのかな…慰安旅行でもしていたのかな。

威厳と貫禄はあるけれどイザと言うときに何の役にも立たない校長を筆頭に…

10月の論文コンテストも教師は生徒に丸投げかな…不安だ。

 

 

魔法科高校は始業式なんてものはなく、いきなり通常授業だった。

夏休みボケの頭にいきなりの授業はきついなぁ。

 

深雪さんは、雫さんとほのかさんとの会話にぎこちなさがあった。

南の島でなにかあったのかな…たぶん達也くん関係だろうけれど…

でも、こればかりは当人同士で解決するしかない。ちょっとした歩み寄りだと思うな。

 

 

お昼になった。

今日の僕はお弁当だ。朝、響子さん澪さんの分も一緒に作った。

澪さんの東京の自宅は弟さんと二人暮らしだそうだけれど、お弁当一人で食べるのかな…

僕は学校があるし仕方が無いけれど、寂しいな。

一人より大勢で食べた方が美味しいよね。弁当作りも三人分のほうが張り合いがあるな。

 

深雪さんとほのかさんたちの間はまだすこし煮え切らない。

その雰囲気は教室にすぐ伝染する。すこし居心地が悪い…

 

教室をあとにして、食堂でレオくんたちとお弁当と思っていたら、途中、真由美さんに遭遇。

真由美さんに九校戦の帰りのバスでのことのお礼を言って食堂に逃げようと思っていたけれど…

 

「久ちゃん、いっしょに生徒会室でお昼食べましょう」

 

がしっと腕を掴まれる。僕は非力だから引きずられるように生徒会室に連行される。

あぁ…今日も遊ばれるんだな…諦念。

 

生徒会室には達也くんと深雪さん、生徒会役員共に、渡辺委員長、僕。

達也くんとは南の島以来だ。

 

全員、お弁当だ。渡辺委員長も手作りなんだそうだ。全員女子力が高いなぁ。

僕のお弁当は、体格に似合わず大きい。おかずも豊富だ。みんなと交換をしたりするんだけれど、こういうのも楽しいな。

 

食後は次の生徒会役員の話題になった。現生徒会は今月で引退なんだそうだ。

時期生徒会長は、あーちゃん先輩かはんぞー先輩のどちらかになるそうだけれど、あーちゃん先輩はいやがっていた。

 

「久ちゃんはどちらが適任だと思う?」

 

真由美さんが尋ねてきたので、僕は少し考えて、

 

「生徒会選挙、僕は…あーちゃん先輩が良いかな。だって、九校戦の帰りのバスで僕を助けてくれたのはあーちゃん先輩だし。

はんぞー先輩はどっちかっていうと補佐とか現場が似合うかな…あーちゃん先輩なら優しい生徒会になると思うよ」

 

「優しいだけでは…一高の生徒会長は…ぶつぶつ」

 

十師族の真由美さんの後任は誰がやっても大変だと思う。

テロリストや危険思想を持つ輩が比較的容易に攻撃してきたりするのに教師は生徒に丸投げという、生徒自治も行き過ぎな学校だ。

ライトノベルによくある謎の権力集団生徒会でも普通テロリストと戦ったりはしないだろうに。

そんな戦闘生徒会長には確かにあーちゃん先輩は向いてないかな…

まぁいざとなったら腹黒い…(物理的に冷たい視線を感じて)もとい、策士の達也くんがいろいろと動くだろう。

 

生徒会室に漂っていた微妙な空気をかえようと、真由美さんが僕に話題をふる。

 

「そういえば、久ちゃんは五輪澪さんとお知り合いだったの?九校戦の後夜祭ではずいぶん親しそうだったけれど」

 

「ホテルであって意気投合したんだ」

 

「ホテル?澪さんはVIPルームを使用していただろうし、どう知り合ったの?」

 

烈くんのことは秘密ではないけれど、澪さんとはオタク仲間で同棲(?)中とはとはいえないし。

そうなると響子さんが婚約者(仮)のことも言わなくちゃいけなくなるかな…

真夜お母様のことも秘密…

 

僕って秘密が多いな…それに、周りを見渡すと尋常でない人たちばかりなんだよな…

おかしいな僕は普通に学校生活をおくりたかったはずなんだけれど…

 

「ん?普通に廊下でばったりあったけれど?」

 

うん、ウソは言っていないぞ。

真由美さんはあまり納得していないような感じで、漫画チックに首をひねっている。

そりゃ26歳の女性と見た目10歳の男の娘が意気投合って、ぴんとこないよなぁ。

 

どうしよう…あっ!天啓が閃いた!

 

「そういえば、真由美さんは澪さんの弟さんと交際しているんだってね」

 

「「「「「えぇ?」」」」」

 

その場の全員の視線が真由美さんに向く。

 

「両家の公認で、将来はご結婚も視野に入れていらっしゃるとか」

 

「それは、ちがう、親同士が乗り気なだけで…私たちはその気は全然なくてっ!」

 

「ほぅ、それは面白いことを聞いたな」

 

矛先が変わり、渡辺委員長がからかい、深雪さんも率先して便乗する。

真由美さんは達也くんをチラチラ見ながら弁明している。何故だろう。

 

 

 

生徒会長は紆余曲折であーちゃん先輩に決まった。

講堂で起きた顛末はここでは言わないけれど、達也くんと深雪さんの醸し出す雰囲気は完全に選挙とは別の世界だったなぁ。

 

 




次回は論文コンペ前の、校内で起きた事件の会ですが煩雑なので、今回同様さくっとすすめて、コンペ会場に向かいます。


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九重八雲

今回の話は余分かなぁと思ったのですが、書いてしまったのでアップします。
一高内で起きた原作部分は駆け足で進めます。


10月に入って、達也くんが論文コンペのメンバーに選ばれた。

市原先輩が中心になって3人がメンバーになるんだそうで、論文のテーマは、

 

重力制御魔法式熱核融合炉の技術的可能性

 

 

さっぱりわからない…

 

一高前駅のお馴染みの喫茶店で、いつものメンバーが集まったところで、達也くんが説明してくれた。

 

やっぱりわからない…

 

僕と同じ反応をしているのはレオくんだけだ…

 

幹比古君が言うには『加重系魔法の三大難問』だそうでポアンカレ予想みたいなものかな…違うみたいだ。

魔法師の兵器利用以外の道を開くアプローチなんだそうだけれど、ひとつの熱核融合炉と何万人もいる魔法師の解放がどうつながるのかさっぱり…

まだ机上の段階で実用化には進んでいない、論文レベルなのだからずいぶん時間のかかるアプローチだ。

高校生があつかうレベルを超えている。さすがは達也くんだ!

でも魔法師の解放は、もう少し単純なレベルからアプローチした方がいいんじゃないかな。難しすぎて一般市民には理解できないだろう。

…せめて僕がわかるレベルでお願いしたい。

 

論文コンペに関して、僕が達也くんを手伝えることははっきりいって、ない…

むしろ足手まといになる。荷物運びくらいは…それくらい自分で持つと断られた。うぅ小さな身体が恨めしい。

 

論文を学校側に提出する日の帰り、久しぶりに全員がそろって駅前まで帰宅する。

幹比古くんやエリカさんがすこし周りを警戒しているみたいだ。

 

途中、RPGゲーム内で達也くんはどんなキャラに相当するかなんて、珍しく勉強以外のネタでもりあがった。

結論は、達也くんは魔王を倒した後に現れる、真のボス。つまり『大魔王バーン』か。

 

「お兄様、力こそ正義です!」

 

大魔王の妹はきっぱりと言う。

僕はなんだろう。達也くんに倒される敵じゃないといいけれど。

 

達也くんの提案でいつもの喫茶店に寄る。

達也くんは深雪さんとほのかさんに挟まれてカウンターに座った。最近のほのかさんは達也くんにべったりだ。

おかげで僕は達也君の隣に座れず、雫さんのオモチャになっている。やめて、雫さん、僕の髪を三つ編みにしないでぇ。

 

エリカさんがトイレに行ったままなかなか帰ってこない。

便ぴ…かな…いやいやこれはセクハラになるので思考中止。

あれ?そういえばレオくんもさっき電話だって席をはずして帰ってこない…これは逢引?

こんな白昼堂々…南の島で何かあったのかな。よし、僕は二人の仲を応援するよ。ってとくに何かするわけじゃないけれど。

 

 

 

しばらくして、なんだか不機嫌なエリカさんが戻ってきた。

 

「まんまと逃げられるなんてっ!」

 

便ぴ…え?違う?

エリカさんは、いつも何か不満を抱えていて、それを笑顔で隠しているような人だ。

じれったいことやもどかしいこと、我慢できないことがあると、周りに当たる。

レオくんや幹比古くんは最大の被害者だ。幸い僕はクラスが違うので被害者クラブには入っていない。

そのかわり深雪さんや真由美さんにおもちゃにされる…

もう少し肩の力を抜けば良いのに名家は大変なんだろう…真由美さんに似ているな。

唯一達也くんに対するときだけは違うんだけれど、そのエリカさんが笑顔の仮面をはずして怒っていた。

 

「まぁ、あれ以上時間はかけられなかったんだから仕方ねぇけどな」

 

「あんなのがうろうろされてたんじゃおちおち学校にも通ってられないわよ」

 

「そのわりには楽しそうだったが…」

 

なにぉ!といつもの喧嘩をはじめる二人。相変わらずの仲の良さだ。

幹比古くんの結界内で、レオくんとともに謎の工作員と戦闘したのだそうだ。

こんな一高の近くで?

達也くんも深雪さんも察知していたみたい。こういう場合、僕や美月さん、雫さんほのかさんは蚊帳の外だ。

幹比古くんはお札に筆で何か描いていたけれど、あれが古式魔法の術式なのか…

街中にはサイオンセンサーが縦横に設置されているのに、古式魔法って探知されないのかな…?

僕の『サイキック』は街中のセンサー程度では探知できない。

僕もみんなの役に立ちたいけれど、僕が出来るのは基本的に破壊工作や人殺しだ。

僕は、敵は嬲るよう殺せと教えられているから、僕の正体を知ればみんなに嫌われるかな…

手加減する殺し方を勉強した方がいいかな。

 

 

 

みんなと別れ、自宅の前でコミューターから降りる。

今日は響子さんも澪さんもいない日なので、ご飯どうしようかなと玄関前で思っていたら…

 

「こんにちは、多治見久くん。お久しぶりだねぇ」

 

いきなり声をかけられたので驚いた。

 

「探知系が苦手なのは本当みたいだねぇ」

 

「うそはつきませんよ。こんにちは九重八雲さん」

 

約五ヶ月ぶりの再会だ。いつもとおなじ格好で相変わらず飄々とした態度の八雲さんは、手を伸ばせば届く距離に立っていた。

見方によってはいきなりそこに現れた感じだ。

近すぎるな…僕の探知能力を試していたのかな。八雲さんの実力なら、僕は鼻をつままれるまで気が付かないだろう…

 

「うそはつかないけれど、黙っていることはある、ってかい?」

 

「それはみんな同じでしょう。それに自分のことも僕はよくわからないし…」

 

違いない、と剃った頭を叩く八雲さん。八雲さんは秘密だらけな感じだ。まぁ忍びだから当然かな。

 

「それで今日はどうなさったんですか?もしかして僕の手料理を食べに?今から夕飯の準備なんですよ」

 

「それはそれで魅力的なんだけれど」

 

実はね、と八雲さんは話を始めた。

さっき一高近くでエリカさんとレオくんが戦った外国の工作員が、虎のような大男に殺されたんだそうだ。

連絡が付かなくなった工作員の仲間は原因を突き止めるために、最初にいざこざを起こしたエリカさんとその仲間、つまり僕たちに目をつけた。

工作員たちは当然、僕たちの身元は調べていたから、まずは天涯孤独な僕の包囲を狭め始めた。

一高周辺で調査の網をひろげていた八雲さんが、工作員たちの動きに気づき…

 

「また騒ぎが起きる前に僕の弟子たちがその工作員は拘束したんだけれど」

 

またか…こちらはセンサーやカメラを意識して魔法の行使は制限されているのに、犯罪者や工作員はお構いなしだ。

警察は本当に何をしているのか…僕の一高教師と警察への不信感は右肩上がりだよ。

これからは容赦なく、『飛ばして』しまおうか。

ただサイオンレーダーは何とかなるけれど、普通の街頭カメラどうしようもないしな…

でも、僕はふいをつかれると弱い。さっきの八雲さんに攻撃の意志があれば、僕はあっけなく倒されていただろう…

 

「お手数をおかけします…いろいろと気を使っていただいているみたいで。僕にはお返しは出来るものがないし…やっぱり身体で…」

 

「いやいやいやいや、それは遠慮するよ」

 

八雲さんは両手を僕に向けて、顔を左右に振った後、細い目を僕に向けて…

 

「君は…危ういんだ。強力な『能力』を持っている一方、探知系が全く駄目とか、偏りも激しいしね」

 

「何でも出来る万能な人は…いないと思うけれど…僕は『サイキック』で、『エスパー』でも『魔法師』でもないですから」

 

「まぁ、それにしても極端すぎるからねぇ…これまではよかったけれど、これからは君の周りでいろいろ騒動が起きると思うんだ」

 

「今でも起きていますよ?」

 

「今までは一高の周りで起きている事件に巻き込まれていたんだよ。でも論文コンペ以降は君そのものが標的になるかもしれないからねぇ」

 

「論文コンペでなにか起きるんですか?僕は行かない方が良いと?」

 

「そうなんだけれど…どのみち早いか遅いかの違いだろうし、すでに蜘蛛の糸は複雑に絡まって君の周りに張り巡らされているしねぇ」

 

八雲さんはため息をついた。でも悲観している顔ではなかった。

 

「ただ、君は自分の価値をもう少し考えた方がいいかな。君の『能力』の真の価値を知った者は何が何でも手に入れようとするだろうからね…」

 

八雲さんの言うことは良くわからないけれど、論文コンペで何かがあると言う警告…忠告かな。

 

 

その後も、学校では騒ぎがいくつかあった。

レオくんとエリカさんの不登校は奇妙な噂を周囲に撒き散らしていたけれど、校内は論文コンペに向けて一丸となり始めていた。

論文コンペの会場は生徒たちが警備にあたるそうで、十文字先輩を中心に模擬戦なんかもしている。

学校や魔法師協会はちゃんとした警備を雇わないのか…いや、これがこの魔法師世界のデフォルトなんだよ。

僕は料理部のみんなと炊き出し係りだ。

模擬戦後休憩していた幹比古くんが美月さんにラッキースケベしていたのはばっちり目撃した。

羞恥で駆け出す美月さんとしりもちをつく幹比古くん。料理部の先輩の叱咤で美月さんを追いかける幹比古くん。

うんうん、青春だねぇ。

 

 




久くんはSSでお馴染みの万能チートではありません。

久の現時点での情報と『能力』は活動報告のアップしました。

もちろん、この時点では開示していない情報もあります。
それは来訪者編で明らかに出来ればいいかなと思います。


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論文コンペ

重力制御魔法式熱核融合炉の技術的可能性…わかりません。


論文コンペの前夜、響子さんは帰宅しなかった。

澪さんも心ここにあらずと言った感じで、緊張を僕に悟らせないように気を配っていたようだ。

一緒のベッドで横になりながら、澪さんはなかなか眠りにつけず、僕らはお互い天井を見つめていた。

軍のことで僕たちには言えないことがあるんだ。澪さんの葛藤が伝わってくる。

すっと、澪さんが僕の手を握ってきたので、僕も握り返す。

こんなとき、僕が大人なら違うことが澪さんにできるのだろうけれど、残念ながら僕は子供だ…

手のひらにお互いの体温を感じながら、だまって薄暗い天井を見ていた。

 

 

なので、論文コンペ当日、僕らは思いっきり寝坊した。

 

お昼前に、慌てて横浜に向かう僕。澪さんは迎えのリムジンで出かけていった。

澪さんはあいかわらず緊張しているようだったけれど…

 

「いってらっしゃい」「いってきます」

 

笑顔でお互いを見送った。

 

横浜に向かう僕は、携帯端末もCADも持っていくのを忘れていた…

 

そのせいではないけれど、論文コンペ会場には迷いに迷って到着。今は14時30分。一高の論文発表直前だった。

生徒IDを提示して会場入りした僕は、警備で十三束くんとペアで歩く三高の一条くんをみかけた。

ふたりは制服のうえから防弾チョッキを着用していた。他の警備担当の生徒もそうだった。

会場全体が緊張で包まれているようだった。

生徒以外にも警備を担当する大人がいた。その数は生徒に比べて少ない…

 

客席は満員で、達也くんの応援に来ているレオくんたちは前の方に集まって座っていた。

九校戦のときみたいにエリカさんが僕に気が付いて手を振ってくれたけれど、座席は埋まっている。

僕は会場を見渡し、空いている席を見つけると、「アソコに座っていいるから」と空席を指差す。エリカさんがOKのサインを出した。

 

僕は会場の端っこの席にすわった。すぐ目の前が中央通路で足元が広い。非常ドアもすぐ前で、舞台はちょっと遠い。魔法科高校のカラフルな制服があちこちに散らばっている。

九校戦との違いは、生徒以外の背広姿の大人が多いことかな。

 

15時になって、一高のプレゼンが始まった。舞台の中央に市原先輩が立ち、達也くんと五十里先輩は舞台袖でサポートの位置だ。

 

大掛かりな模型と演出を使った市原先輩の『重力制御魔法式熱核融合炉の技術的可能性』のプレゼンは…

 

やっぱりさっぱりわからない…涙。

 

市原先輩の説明に感心の声が上がっている…ぅうわからない…僕はお馬鹿さんだなぁ。派手なデモンストレーションはきれいだったけれど…

 

市原先輩のお辞儀とともに会場に大きな拍手が沸く。これだけの拍手ってことは会場にいる生徒たちはみんなその意義も意味も理解しているのだろう。

それだけ物凄い論文だったんだろうけれど…

 

 

市原先輩が舞台袖に消え、三高生が発表準備をしているとき、大きな爆音が響きコンペ会場を揺らした。

会場の生徒たちに動揺が走り、舞台から達也くんが飛び降り、深雪さんの前に立つ。

どんなときでも真っ先に深雪さんのところに駆けつける、本当にヒーローだなぁ達也くんは。

遠くで、たぶん会場の入り口方向から銃声が聞こえてきた。

非常事態…しかもこの会場が狙われているのかな。生徒たちはまだ最初の動揺から抜け出せていない。

 

そこに、荒々しい靴音とともに、客席の非常ドアが開かれ、ライフルを構えた作業服姿の男5人がなだれ込んで来た。

舞台上の三高生徒が魔法を放とうとCADを構える…あの生徒は、複数を同時に無力化できる効果的な魔法を使えるのだろうか…

相手の警戒心をあおるだけなんじゃないかなと思っていたら、案の定、威嚇の射撃を受けて会場の生徒の動きが悪くなった。

爆音から侵入者の突入が早すぎる。警備はなにをしていたんだろう。この侵入者たちは会場内に隠れていたのかな。もしくは手引きした者がいるんだ。

会場内に残っていては誰が敵かわからない…

 

「デバイスをはずして床に置け!」

 

舞台に一番近い闖入者がわめく。他の男たちも銃を会場内に見せ付けるように向ける。

 

僕の目の前の男も、周囲に銃口をむけ、おびえる生徒の反応に喜悦の笑みを浮かべている。

ずいぶんと威力のありそうなライフルだ。ステージの弾痕の大きさからして、十文字先輩の『障壁魔法』クラスでないと防ぐのは難しそうだ。

 

全ての観客が座っている中、二人、達也くんと深雪さんは立っていた。凄く目立つ。

 

「お前もだっ!」

 

侵入者の一人が深雪さんを守るようにすっと立つ達也くんに近づきながら言う。

達也くんの相手を観察する、ある意味まったく指示を無視する態度にいらだったのか、仲間の制止も聞かず、いきなり発砲した。

 

ドン、ドン、ドン

 

続けざま、重なる二人を殺すには十分すぎる弾丸が放たれた。

僕は弾丸を『飛ばそうか』と立ち上がった。

でも、達也くんの態度は揺るがない。弾丸に負けない速度で右手を地面と水平に構える。

一瞬対処に遅れたことを後悔しかけたけれど…

 

立ったままの達也くんの右手はぐっと握られていた。

 

「弾丸を受け止めた…?」

 

誰かが言った。

確かに達也くんは弾丸を受け止めたようにみえる。あの威力を受け止めて怪我は負っていないようだ。

CADを使わず、あのスピードで…達也くんは実技は苦手だって言っていたけれど、どうやったんだろう。

 

ライフルが通用しないと考えたのか、ナイフに構えなおした男が達也くんに襲い掛かった。

バカだな。弾丸をも防ぐような魔法に動体視力をもっている相手にナイフで攻撃するなんて。

達也くんは相手に向けていた握りこぶしを手刀にかえた。九校戦のデバイスチェックの係員に向けたのと同じ手刀だ。

 

達也くんは男のナイフをかわすと、その手刀で男の腕を苦もなく切断した。鮮血が達也くんにかかる。

男はもんどりうって倒れた。

あっという間の出来事に会場は静まり返っていた。

 

「お兄様、血糊をおとしますので、少しそのままでお願いします…」

 

深雪さんの澄んだ声が客席に響いた。

 

呆然とみていた観客と侵入者。

 

そこで僕の悪い癖がでてしまった。ひとつに集中すると他が目に入らなくなる悪癖。

 

「凄いよ!達也くん凄いよっ!」

 

その大きな声に、会場の視線が僕一人に集まった。目の前のライフルを持った男も僕を見た。

今日の僕はいつも通りのだぶだぶな一高の制服で、他の生徒と比べてあきらかに子供だ。

達也くんは犯しがたい迫力を発しているけれど、僕の姿は見るからに弱弱しい。

目の前の男はライフルを構えたまま僕と正対したけれど、子供を撃つのはためらわれたのか、一瞬、銃口が床を向いた。

達也くんの姿が、作業服の男に隠れて見えなくなった。

 

「ちょっと、どいてよ!達也くんが見えないじゃん!」

 

僕の眼中には男もライフルもない。達也くんを見ようと身体をひょいひょい左右に揺らしている。

まるで小ばかにしているような態度だった。

 

「このガキがっ!」

 

男がライフルを構える。達也くんのときは3メートルはあった距離も、僕とその男の距離はほぼゼロだ。

 

ライフルが僕の額に向けられる。

 

「よせっ!」会場の生徒が声を上げるけれど、間に合わない。

 

男が引き金を引いた。

 

ドンッ!空気を揺るがす発砲音。

 

後頭部がばっくりと裂け、血と脳漿がぶちまけられ壁や椅子や床を汚す。会場の生徒から悲鳴があがる。

頭部をぶち抜いた弾丸が、会場の天井に突き刺さって、大きな弾痕をつくった。天井の破片がぱらぱら落ちて…

 

二発目を放とうとしていた指が引き金を絞ることはなかった。

ライフルを撃った男は、自分の頭部を大部分失い、血をだらだらこぼしながら、ゆっくりと大の字に倒れた。

僕は、倒れた男を見下ろす。今の僕の瞳は紫色の光を宿しているだろう。

 

「えっ…なに?いまの…」

 

「ベクトル反転術式?でもCADを使っていない…」

 

侵入者の死亡の衝撃より魔法を気にするところは魔法科高校の生徒らしい。

でも僕は周囲のそんな声は聞いていない。倒れた男をぴょんと飛び越えると、とてとて達也くんにむかって走り出す。

座席と座席の間にある通路を中央にむけて進む。反対側にいた男がライフルを構えた。

 

「この化け物!」

 

ドン!ドン!ドン!ドン…

 

僕に向けてライフルを撃つ、撃つ、撃つ。でも弾丸は一発も僕に届かず、途中で音もなく消える。

撃つのをやめた男は、呆然と間抜けな表情で僕を見つめる。自分の常識外の現象に動揺している。

 

「おまえ何をしたっ!」

 

「邪魔だよ!」

 

質問に答えず、僕は無造作に手を振った。『能力』の行使に動作は必要ない。意識を対象物に向ければ良いだけだ。

でも僕には達也くんのさっきの右手を前に突き出した姿が格好良くてしょうがなかったから、つい無駄な動作を入れてしまった。

そんな動作をいれては僕がやったことがばれちゃうのに…

男は少なく見積もっても60キロは体重があったけれど、風に飛ばされたビニール袋のようにふわっと浮いた。

時速は200キロはあっただろうか、宙に浮いた男はステージの壁に激突、首があらぬ方向にまがって落下した。

会場の全員が男が死んだことを確信していた。

 

「何を…どうやったんだ…?」

 

理解が追いつく間もなく、残りの二人が性懲りもなく僕にライフルを向けてきた。

日本語以外の言葉でわめいている。

僕は無造作にそいつらの両手両足を捻じ曲げる。

 

「ぐぎゃああああ!」

 

両手足があらぬ方向に、まるで雑巾絞りのようにねじれていく。

男たちはライフルを放り出し暴れるけれど、ねじれはとまらない。メキョブチメッキョと異様な音が骨と肉からあがる。

会場の生徒たちは、目の前の現象に思考を停止させているようだ。

極力血が吹き出して会場を汚さないように、と僕は手加減をしているつもりだ。

最初に僕にライフルを向けた男は、まぁ仕方がないよね。『撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ』って『ルルーシュ』くんも言ってるしね。

悲鳴を上げる男たちに止めをさそうか考える。さっきの男同様、壁にぶつけてカエルのように潰そうか…

二人を『持ち上げ』る。男たちねじれた手足をじたばたさせて空中で泳いでいる。

自分たちの運命がステージに倒れている仲間と同じになると悟ったのだろう、命乞いの声を上げていた。

生徒たちは呆然と宙に浮く男たち見上げている。静かな会場に、男たちの悲鳴と哀願の声が無様に響いている。

僕がそんな声を僕が聞くわけはない。殺そう。

 

会場の明るい照明に、僕の薄紫色の瞳が反射した。

 

「待て、久。そこまでにしておくんだ」

 

ステージ前の達也くんがいつも通りの無表情で僕に言った。

 

「どうして?情報なら達也くんが倒したやつが一人いれば十分でしょ?」

 

「こいつらはただのテロリストじゃない。訓練を受けた兵士だ。一人でも情報ソースが多いほうがいいだろう」

 

「達也くんがそう言うならそうするよ。でも、殺さない程度に戦力は低下させておいた方がいいよね」

 

僕は男たちの肩と足の神経を『切断』した。ぶちっと言う音が聞こえ、そのまま床にドスンと落とす。

死んではいないけれど、二度と立ち上がることは出来ないだろうな。

 

他の生徒たちは目の前で起きた事の衝撃であいかわらず動けないでいた。

僕はそんな生徒たちには見向きもせず達也くんのもとに向かう。

 

達也くんの足元でもだえていた男の血を深雪さんが魔法で止めている。男の手が凍っていた。

僕が達也くんの隣に立つと、レオくんやエリカさんも達也くんを囲むように集まっていた。

ほのかさんが達也くんの心配をしている。雫さんと美月さんの顔色は悪い。僕から少し距離を置いている…

レオくん、エリカさん、幹比古くんの態度は変わらない。とくにエリカさんは嬉しそうにしている。

 

「これからどうするの?」

 

質問するエリカさんは血沸き肉踊る表情だ。

 

「逃げるにしても、まずは正面入り口の敵を片付けないとな…」

 

いつものメンバーは達也くんと行動をともにする選択をした。ここのザル警備より達也くんの周りの方が安心するみたいだ。内通者は確実にいるだろうから、会場内は誰が敵かわからない。

 

その後、舞台にいた三高の吉祥寺くんが達也くんにむかってわめいていたけれど、

 

「説明している時間はない!」

 

と達也くんのもっともな台詞に黙り込んだ。現実より目の前の疑問が気になるなんて吉祥寺くんはどこかずれているな。僕に似ている。

吉祥寺くんは僕にも何か聞きたそうだ…でも僕の意識は達也くんにむいているから…

 

真由美さんやあーちゃん先輩に忠告を残した達也くんと僕たちはぞろぞろと会場を後にする。

会場の視線は達也くんと僕を追っていた。

でも二人とも全然気にしていない。

達也くんは相変わらず無表情でただ前を、深雪さんは寄り添うように歩く。

僕は達也くんの後ろをとてとてついて行くだけだった。

 

 

 

 




この時の澪さんは、国防軍が故意に動きを遅らせて、某国の動きを煽っていることを知っています。
自分が動けば、相手の戦略級魔法師の動きも止められるのに、軍人ではない澪さんは国防軍に何もいえない立場です。
久に今後、戦争になるかも知れないことを告げられず気分が落ち込んでします。
澪さんは当然、達也のマテリアル・バーストの事は知りません。




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『人が作りし神』

 

 

 

コンペ会場の入り口では、警備員と襲撃者が銃撃戦を繰り広げていた。

達也くんの指示で、30人近くの襲撃者の銃を深雪さんが魔法で無力化。

動揺する襲撃者を、達也くんとエリカさんが各個撃破して、最後に幹比古くんの起こした烈風が襲撃者を駆逐した。

こういう瞬時の動きは僕は苦手で、達也くんたちのすばやい動きにただ見とれていた。

レオくんは出番がないとぼやく。うん、気持ちは良くわかる…

雫さん、ほのかさん、美月さんは青い顔でただ隠れているだけだった。

 

それにしても情報不足だな…方向音痴の僕はどちらに目を向ければ良いかすらわからない。

これは達也くんにひたすらくっついていこう。

 

雫さんの提案でVIPルームに行くことに。そこで危険地域を示す赤色だらけの横浜の地図と、現状を把握した達也くんは、コンペの実験器具のデータ消去に行くという。

なんでこの非常時に?と思うけれど、敵の狙いがそれかもしれないからだそうだ。

コンペの内容がさっぱりわからなかった僕はとぼとぼみんなの後ろを付いていくだけだ。

 

途中、十文字先輩と合流、一高生徒の避難通路を達也くんが懸念すると、はんぞー先輩たちが駆け出して行った。

 

一高の控え室には市原先輩、五十里先輩、花音先輩、真由美さんに渡辺委員長、他にも僕の知らない一高生がいた。

考えていたことは達也くんと同じだったようだ。頭の良い人は考えることも同じなんだな…

市原先輩たちが一高のデモ機のデータ消去をしている間、達也くんは他校のデモ機のデータ消去に行く。

それぞれ自分の出来ることをしている。

僕は部屋の隅で、みんなの邪魔にならないよう小さくなっていた…

 

現状の把握とこの後の打ち合わせが行われ、渡辺委員長の「懸念はあるものの避難シェルターに向かう」と言う意見に消極的ながらまとまった。

そもそも今回の事件は高校生には荷が重いだろう。

教師たちは何をやっているのか…もうこの感想は良いか…

 

「ん?」

 

打ち合わせの最中、達也くんがいきなり銀色の拳銃型CADを抜いた。

何もない壁に向かって、引き金を絞る。皆が緊張している中での不自然な行動。

でも達也くんは確信をもって、壁にCADをむけている。

CADからは弾丸はでないのだから何らかの魔法を使ったんだと思う。

何をしたんだろう…

 

「…今の…なに?」

 

達也くんのそばに寄り添う深雪さんと、今の言葉を漏らした真由美さん以外は、達也くんの行動を理解できていないみたいだ。

真由美さんはマルチ・スコープで何を見たんだろう…

 

遠くで何か爆発する音が聞こえた。ずずんと足元からお腹まで振動が伝わる。

あまりのんびりしている余裕はなさそうだ…

 

「お待たせ」

 

突然、聞きなれた声とともに控え室のドアが開いた。

控え室にいる全員の視線を集める、軍服を身につけた少し癖のある長い髪の、涼しげなどこか小悪魔的な瞳の女性。

あれ?

 

「え?もしかして響子さん?」

 

「お久しぶりね、真由美さん」

 

高校生小悪魔と大人小悪魔の邂逅…大人の貫録勝ち…ん?

響子さんは、真由美さんに挨拶すると、部屋の隅にいた僕に気づいてウィンクしてきた。可愛いなぁ…

ってあれ?どうして響子さんがここにいるの?防衛省のお仕事は?

僕の無言の問いかけに「家で説明するから」と響子さんは口パクで答えた。うん、可愛いなぁ…

 

 

響子さんに続いて現れた軍人さんの難しい説明の後…

 

 

 

「お兄様、お待ちください」

 

何の儀式なんだろう…僕は一連のやりとりを、ただの傍観者となってみていた。

 

深雪さんが片膝をついた達也くんに近づいていく。

 

深雪さんが達也くんの額に口付けをした瞬間、目に見えない光が奔流となってほとばしった。

爆発的なサイオンが控え室にあふれ出る。飲まれる!

控え室に満ちたサイオンで呼吸が止まり、溺れる。

 

なっ!?

 

光の奔流はすぐに収まった。でもそれは光がなくなったのではなく、達也くんの形そのものになっている。

達也くんの光は深雪さんの?…違う、意識が、深雪さんと繋がっているような感じだ。

 

光の衣をまとった達也くんがすくっと立った。いつもの達也くんとは違う…

 

神々しい…

 

気圧される…圧倒される…身体が、達也くんから発せられる『神気』に押される!

無いはずの風に僕の髪がなびく。

 

洗練され修練された『魔法師』のサイオン。

見るものに畏怖と敬虔さあたえる…冴え渡った光の渦。

 

そして、その彼にかしずく様によりそう、神話から現れたような美少女

 

 

その姿は…

 

 

達也くんは…

 

 

 

『人が作りし神』だ。

 

 

 

僕は感動で膝が震えた。

 

 

 

僕は達也くんの『気』にあてられていた。頭がくらくらする。

 

そして、僕は自分の『能力』と境遇を嫌う心のどこかで、常人にたいして優越感を抱いていたことに気づいた。

実験動物だった僕は、人にあらざる力を得ながら『僕は人間じゃない』と自分を貶めていた。

絶対服従を刷り込まれた僕は、人間じゃないから彼らに従わなくてはならない、と考えていた。

でもどこかで人が到達できない領域にいる事に優越感があったんだと思う。

研究所の科学者の僕に対するいらだちは、僕でもわからなかった心の部分を敏感に感じていたのかもしれない。

 

人類に鉄槌を下す『能力』を持っている僕は、研究所の科学者が言っていたように『神』なんだって。

 

 

サイオンの量に関しては僕のほうが多いだろう。

でも、彼の『神気』に比べれば、僕はただ荒れ狂う、まとまりのない暴風。制御も雑な暴力の塊。

『サイキック』と言う属人的な能力は全てにおいて荒い。古い、アナログ的な力だ。

 

達也くんと言う現代の『神』の前では、僕は魔法師の時代に世界にいてはいけないイレギュラー、役目を終えて滅ぶべき草創期の『神』。ギリシャ神話なら僕はクロノスで達也くんはゼウスだ。

英雄や新しい秩序に滅ぼされるべき存在だ。

 

 

 

 

自身の魔法に不信感を抱くと『魔法師』は力を失うと言う。

『神』の力の源泉は信仰心、祈りや畏怖だ。

 

「やっぱり達也くんはすごいなぁ」

 

そう呟きながらも、過去の『神』である僕は『能力』を失っていない。

属人的で後付な僕の『能力』はむしろ、力は増すばかりのようだ。

 

 

優秀な魔法師が増え、達也くんのような神のごとき魔法師の魔法の行使で、『異次元の扉の鍵』はゆるくなっているのかもしれない…

 

 

…今、僕は何を考えていたのだろう。『異次元の扉の鍵』?なんだそれは…自分でも知らない言葉だ。

 

 

それはともかく、達也くんは達也くん、僕は僕なんだ。

僕は、達也くんじゃないんだから、自分の出来ることをせいいっぱいやらなくちゃ…

 

「あれ?」

 

ふと気が付くと、僕は人気のない都市のなかで、一人たたずんでいた。

僕は真由美さんたちや逃げ遅れていた市民と安全な場所にむけて移動していたはずだけれど…

 

…えっ?迷子?

 

僕が迷子になるのは、自分でも気が付かないうちに頭の中で余計なことを考えているせいなのかも…

 

「ここ…どこ?」

 

真由美さんか深雪さんに連絡…あぁ携帯端末忘れたんだった…

 

僕は周囲を見渡す。ビルとビルの間から、魔法師協会の支部ビルが見えた。

8月、『ヨル』と『ヤミ』につれられて『真夜お母様』にあった、高いけれど、どこか危うい構造のビル。

 

とりあえず、僕は魔法師協会ビルに足を向けた。あれならどこからでも視界に入るし、迷わないだろう。

 

 

 

それからの僕の行動は、観客のいない劇場で踊るようなものだった。

 

魔法協会のビルに向かってとぼとぼ歩く。迷わないように、広い無人の道路の真ん中を。

 

都市のあちらこちらから煙が上がっている。都市全体が戦場のようだ。ただ、敵の戦力は都市の規模に比べて少ない気がする。

敵の狙いは戦闘より、威力偵察、もしくは重要人物の誘拐なのかな。威力偵察なら適当な時間で撤退するはずだけれど…

 

背後からキャタピラの音が近づいてくる。

ライフルを構えた歩兵らしき男たちと、SFアニメに出てきそうな人型の戦車だった。

戦車というよりロボットだな。ひどくバランスが悪い。ごてごてと付いているのは対人兵器なのかな。

その一群は僕に向かってくるというより魔法協会ビルに向かっているんだろう。

スピードを落とさず、僕に向けてガトリングガンを放つ。

会場で侵入者が撃った銃よりもはるかに威力がある…

 

その後の反応はいつもの通りだ。

空間を操る僕に正面から攻撃を当てることは、ほぼ不可能だ。

弾丸は僕に届かず、途中で音もなく消える。歩兵も僕を撃つが同じだ。

学習能力がないな…ワープロ以下だ。

 

僕はその部隊のいる空間を『飛ばす』。歩兵と戦車の上半分が消えた。

歩兵の下半身が転がり、キャタピラだけになった戦車がくるくる回転しながらガードレールを突き破り、ビルのエントランスに突っ込む。

ガラスの割れる音、コンクリートの砕ける音、キャタピラの破裂する音が重なる。

粉塵があがって、血と燃料やオイルがあたりに飛び散った。

生存者なんていない。この光景をみた敵が戦意を失って投降してくれるといいな。

かつての『偉い人』の命令どおり、僕は出来る限り残酷に敵を殺す。

もっと簡単に全てを『飛ばせば』とも思うけれど、『偉い人』の命令は守らないと。

 

僕の精神支配は続いている。

 

僕はふらふらと魔法協会ビルに向かう。

上空を大型の輸送ヘリが飛んでいた。軍用ではなく民間のヘリみたいだ。

こんな戦場と化した上空を飛ぶなんて、良い的だと思うけれど、僕には関係ない。

そういえば澪さんはどうしているかな。響子さんもこの付近で市民の誘導をしているのだろうか。

 

魔法協会ビルに近づくと、さきほどより銃声や怒号が増えている。

敵の狙いが魔法協会ビルなら、僕は戦闘の中心に向かっていることになるけれど、ほかに向かう先が思い浮かばない。

 

大きな交差点で、さっきと同じ人型戦闘車両二台と遭遇した。今度は歩兵はいなかったけれど、容赦なくこちらに銃口を向けるのは同じだ。

敵はどうして戦力を分散させて攻撃してくるのだろう。戦力は集中するのがセオリーなのに。

敵も混乱しているのか、それとも予想外の抵抗を受けて兵力を失っているのかな。

うっとうしい…

 

ざすっ!

 

戦闘車両を食パンみたいにスライスする。6枚切りがいいかな8枚切りかな。僕は8枚切りの薄い方が好みだな…

搭乗者ごとスライスされた車両はエンジンから火を噴いて爆発した。

その爆発の煙は想像以上に広がって、僕を飲み込んだ。

一瞬、視界がなくなり、呼吸ができない。僕は『能力』で煙を吹き飛ばした。

 

「げほっげほっ」

 

目が痛い。爆発の煙と粉塵が目に入った。目に入ったゴミを『能力』で除去する。

ごしごしと顔を制服の袖で拭いたら、制服も僕の顔も真っ黒になっていた。

 

「あぁ洗濯屋にださないといけないな…協会ビルはどっちかな」

 

視線を上げた僕の前に、突然、炎の獣が現れた。

犬よりも大きい、赤い獣がうなり声をあげて僕に襲い掛かってきた。

うなり声は僕が作り出した幻聴だろうか、獣は走りながらも音をたてていない。

大きく口を開けて、僕を飲み込もうとする。

あっ食べられる。

 

そう思った瞬間、その獣が消えた。

 

「あれ?」

 

今のは幻覚かな?

 

「大丈夫か!?」

 

凛々しい男の子が銃型のCADを構えていた。三高の制服を着た生徒だった。

その生徒は僕の周りにいる数体の獣を一体ずつ消していった。

 

「大丈夫か?」

 

もう一度聞かれ、僕はその生徒に向けて、小さく頷いた。その生徒が僕に向かって歩いてくる。

3メートルほどの距離になって、お互いがお互いの素性に気が付いた。

 

「おまえ…いや、君は、一高の多治見久君じゃないか?」

 

「うん、九校戦の決勝以来だね、一条将輝くん。助けてくれて有難う。今のは何?」

 

僕は魔法の知識は学校のテキスト以下だ。知らないものはまったく知らない。

 

「正確には不明だが、大陸の古式魔法師が使う化成体か幻術だな…物理攻撃が減ったと思ったが、敵は魔法師を前線に出してきたようだ」

 

化成体というのはよくわからないけれど、幻術でも人は殺せる。

一条くんは話しながらも周囲の警戒を怠らない。

戦場を経験している雰囲気を感じる。

このあたりが僕とは違う。僕は制圧向けで正面の敵をひたすら蹂躙するのが役目だったから。昔も後方は烈くんに任せきりだった。

 

「どうしてこんなところにいるんだ?他の一高の生徒は?」

 

「僕は他の生徒とははぐれちゃって、どこに向かえば良いかわからなかったから、一番目立つ協会ビルに向かっていたんだ」

 

一条くんが苦い顔をする。

 

「そうか…協会ビルは敵の攻撃が集中しているから、このまま向かうのは危険だぞ」

 

「一条くんはどうしているの?」

 

「俺は義勇軍と行動をともにしているが、敵の化成体を使う古式魔法師を探している」

 

今の化成体か幻術を使う敵は魔法師の一条くんなら対処できるけれど、一般市民では手も足も出ないそうだ。

 

「そう…僕はこのまま協会ビルに向かうよ。一条くんはその魔法師を探してよ」

 

「大丈夫なのか?」

 

「うん、さっきは不意をつかれて驚いたけれど、次からは気をつけるから。協力できれば良いけれど僕じゃ一条くんの足を引っ張るだけだと思うし…」

 

そうは思えないが…と、一条くんは交差点の破壊された戦闘車両をちらっと見た。切り刻まれ黒煙を上げる戦車の残骸。

一体どうやって…と一条くんの目が問いかけている。

その疑問は声に出さず、あれだけの攻撃力があれば身を守ることは大丈夫と考えたようだ。

 

「そうか、だが無理はするなよ、敵はどこから攻撃してくるかわからないからな」

 

「うん、一条くんも気をつけてね」

 

一条くんは警戒をしながらも力強く走り去る。その後姿は物凄くかっこよかった。

 

 

その上空を、目の赤いカラスがくるくる旋回していたことに、僕は気がつかなかった。

 

 

 

 





はい、どんでん返しです。
このSSのタイトル『人が作りし神』は、オリ主の久のことではなく、司波達也のことだったのです。
では久くんは何なんでしょうかね…謎ですねぇ。



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バイロキネシス

協会ビルを正面に見る広い通りの歩道を歩く。あと2キロくらいかな。

それにしても、これだけの都市に、住民も車もいない。なんだかゴーストタウンというより、現代アートのモチーフみたいだ。

 

僕はゆっくり、警戒をしながら歩く。僕の警戒なので、これが警戒といえるのかはよくわからない。

ただ時々、振り返ったり、銃声や大きな音のするほうに注意する。

 

もう少し、歩いたとき、道路の真ん中にコートを羽織った男が立っていた。魔法協会ビルのほうを見つめているけれど、僕の接近には早くから気が付いていたみたいだ。

頭だけ僕のほうを見てきた。『ガハラ』さんポーズだ。少し演技っぽい動作だけれど…

西洋人?

鉤鼻の髪の毛もブラウン。背が高くしっかり筋肉のついた体形。アングロサクソンの特徴がはっきり出た中年男性。

これまでの敵は、大陸系のアジア人だったから、僕は逃げ遅れた市民かなと、首をかしげた。

僕の警戒が緩んだ。

 

男が全身をこちらに向け、いかつい顔に嫌な笑顔を作った。

 

ぼうっ!

 

いきなり、僕の右こめかみの何もない空間が燃えた。髪の毛がこげる匂いが鼻を付く。頬が熱い!

 

くっ、こいつ『発火念力者』かっ!

 

僕は左に体勢を崩しつつ炎の塊を避け、敵の男を見ようとする。

 

出来なかった。視界が一瞬、白くなる…

 

僕は、身体ごと地面に転がった。僕の頭のあった辺りに鬼火のような炎が浮いている。

『バイロキネシス』。僕と同じ属人的な『超能力』だ。

CADは使わない、視界に入っていれば、瞬間的に燃やせる。

『発火』の有効距離は不明だけれど…とにかく…まずい、脳内で発火されては防ぎようがない。今は、相手の方が有利だ。

 

「そらそら逃げないと燃えちゃうぞぉ」

 

男は次々と発火してくる。微妙にポイントをはずしながら火をつけている感じだ。

そうでなければ、わざわざ僕の前に立たず、物陰から僕の体内を燃やせばいいのだから。

そう考えながらも、僕はごろごろ転がり、炎をよけている。

こういうとき長い髪の毛は邪魔だ。身体にまとわり付いてうっとうしい。

 

「どうしたぁ魔法師!そのままじゃ黒こげだぞぉ」

 

だいぶすすけているけれど一高の制服を着ている僕は、『魔法師』に見えるだろう。

 

ぼっっぼっ!

 

僕の頭のあたりに次々炎が生まれる。

けつまずき、転がりながら、僕は『能力』を使う間がない。相手も『超能力者』だ。僕を視認している限り、『能力』の速度は同じ。

男は絶えず位置を移動させながら『発火』を使う。

僕はあるていどなら相手を視認しなくても、『空間把握』で相手の位置や地形はわかる。それが出来ないと『テレポート』は出来ないからだ。

でもこうも息つぐ暇もなく攻撃されては…避けるのに精一杯だ。

僕は勘はよくない。とにかく動いて、避け続けるしかない。

その間は『能力』も『魔法』だって使う暇がない。

 

この空間ごと『飛ばす』ことも出来るけれど、都市の真ん中に更地を作るのは最後の手段だ。

 

「ぐっぁ!?」

 

僕の左腕が燃えた。いや、制服の袖が燃えている。いつものだぶだぶの制服がちりちり燃えている。僕は腕をぶんぶん振って、火を消しながらとにかく体勢を整えようと、路肩に乗り捨てられた電動カーの後ろに飛び込んだ。

車のドアに背をあずけて、相手を見ようとする。

 

「かくれんぼかい?」

 

電動カーに次々炎をぶつけてくる。硬い金属で出来た車のボンネットが次々と発火して塗装が溶けて行く。

ドアウィンドウから相手をうかがおうとすると、ウインドウ一面が燃える。ミラーで確認しようとするとドアミラーが燃える。

 

「くぅ」

 

電動カーはしだいにひとつの大きな炎の塊になりつつあった。いつでも僕に火をつけられるだろうに、男は車に火をぶつけてくる。

 

嬲っている。この男は魔法師にたいして、思うところがあるのかもしれないし、すぐ殺せるのに殺さないのは僕と同じような命令を受けているのかも。

 

それはまぁどうでもいいや。さっさと殺そう。今、男がどこにいるかわからないけれど、半径一キロも『飛ばせば』避けようがないだろう。

幸い、いまこの都市は住民が避難して巻き込む危険がない。

 

と思った瞬間、電動カーが爆発炎上した。

僕の小さな身体は背中から爆風に吹き飛ばされ、アスファルトの道路を無様に転がる。

 

「がっあああああっ」

 

あちこちぶつけ、額から血が吹いた。

でもそのまま倒れていては格好の的になるので、痛みに耐えつつ、転がった勢いで立ち上がると、ビルとビルの隙間の狭い道路に駆け込んだ。

 

車の爆発は、炎に耐えられなかったのか、男の能力なのかわからないけれど、男の『発火』も一瞬、止んでいた。

その期を逃さず、とにかく走って、障害物の多い裏路地に逃げる。

 

「次は追いかけっこか?」

 

男はやはり僕を嬲って楽しんでいる。でも、用心深いのか『発火念力者』の習性なのか、僕に居場所をつかませないよう移動している。

 

とにかく、裏路地にしては少し広いけれど、ゴミ捨て用コンテナの影に隠れ、相手の位置をうかがう。

このまま逃がしてはくれないだろうし、当然、僕も相手を殺すつもりだ。

 

いつでも『能力』を使えるよう、集中する。正面だけみないで全体を見るように、視界を広げて…

 

ぼっう!

 

突然、僕の右足に炎が上がる。考える間もなく、僕は転がって避ける。次は腕の辺りに、次は僕の制服の背中に火がついた。

 

ごろごろ転がって背中の火を消しながら、

 

「どうやって僕の位置がわかるんだ…?」

 

僕はむちゃくちゃに路地裏を走りながら考える。その間も僕の周りで発火する。

その発火はまるで僕の走る場所がわかるみたいだ。『発火』だけでなく『透視』も使える『エスパー』かと疑う。

ただ『エスパー』の透視やテレパシーは激レアな『能力』だ。

こんなイリーガルな雰囲気の男が?むしろ『エスパー』は諜報向きで、こんな戦場で身をさらけ出すだろうか…

 

その間も、僕はあちこち火傷をつくっている。

ただ、やはり『発火』は僕に致命傷を与えない。少しポイントがずれている。最初のように弄んでいるのか、それとも…

 

「まるで誰かの指示に従って発火位置を決めているみたいだ…」

 

走りながら、僕は周りを見渡す。裏路地のビルで切り取られた鈍い色の空に、カラスが飛んでいた。

羽音も立てず、その場で羽ばたいて、僕のほうをみている。カラスの赤い目がやけに目立った。

 

僕はさっきの一条くんとの会話を思い出す。獣をかたどった化成体…まさか?

 

僕はカラスを『飛ばした』。

 

とたん、発火攻撃がやんだ。僕は一息つくと慎重に、最初の大通りに戻ってみる。

男はそこに立ったままだった。燃える車の炎に照らされて、耳につけたインカムにわめいている。やはりカラスを使って魔法師の指示を仰いでいたんだ。

英語でわめいている。西洋人…?大陸の某国に雇われた能力者かな…

 

さっきは不意を付かれたから、とにかく逃げるしかなかったけれど、今度は、僕の周りの空間に初めから『歪み』を造って置く。

 

ざっ。

 

僕は、ゆっくりと歩いて、男の5メートルほど正面に立つ。

 

「ん?なんだガキ…」

 

男はいぶかしむも、余裕の笑みを浮かべている。僕が『魔法師』であるなら『発火』の方が圧倒的に早いからだ。

 

でも、『発火』は全然見当違いのところで起こった。

 

「なに?」

 

男は次々『発火』させるけれど、どうやっても僕の身体に火をつけることができない。

 

僕は黙って、男を見つめる。『発火念力』しかないようだ。『サイキック』はどうしても偏る。現代の『魔法師』はスピードを捨ててまで汎用性を求めたのもこのせいだろう。

特に『発火』は使い道が少ない。破壊工作以外は、せいぜいバーベキューに使う程度だ。

『発火』の弱点のひとつに、正確に『発火』させるには相手か位置を視認するというのがある。

路地裏での『発火』は当たれば運が良いというアバウトな攻撃だったのだ。

 

僕は…

 

 

「ぐあぁああああ!?」

 

男が顔面を両手で抱えてのけぞった。

 

僕は、男の両目を潰した。血の涙を流してしりもちをつく男。これで『回復』しない限りは『発火』は使えない。

 

「おっお前っ!なにしやがったぁ!」

 

「なにって、目を潰したんだよ、見ればわかるでしょ…あぁもう見れないか」

 

男はしりもちついたまま、腰からナイフを抜いた。手を振り回し、ナイフで何もない空間を滅茶苦茶切り刻んでいる。

 

自分の『発火念力』に自信があったのだろう、飛び道具の類は持っていないようだ。

二流だなぁと、僕は思う。人を殺すなら『能力』一辺倒じゃなく、銃でも薬物でもなんでも使えばいいのに。

 

その二流にぼろぼろにされた僕は、二流以下だ…悔しいけれど…

 

先日、九重八雲さんが『僕の真の価値』って言っていたけれど、やっぱり価値なんてないな。

時代遅れで欠陥だらけ、しかも色々と壊れているし…

 

とにかく、僕も『魔法師』として少しずつ勉強して、無理だと思うけれど達也くんに近づきたいな。

どうも『魔法師』は魔法に『能力者』は能力にたよるきらいがあるから…僕も気をつけないと…

 

まずは携帯端末とCADは絶対に忘れないところから始めよう…情けないなこの決意…

 

 

 

同じ『超能力者』として、慈悲なんて…ない。

 

敵対するものは殺す。目を潰したあとは、ナイフを持った腕も『潰し』、逃げられないよう足も『潰す』。

 

ごろごろ英語で汚い言葉をわめきながらころがる男。

路肩の電動カーはいまだに勢いよく燃えている…

 

「ねぇ炎が好きなんでしょ。」

 

僕は『念力』で男を持ち上げると、燃えさかる車に放り込んだ。

 

火達磨になって暴れる男。

 

服がこげ、男自身を燃料に燃え続けている。焼け死ぬ前に、肺が焼けて呼吸困難で死ぬだろう。

 

冷たく見下ろす僕。こういうときの僕は隙だらけだ。

 

さっきの一条くんのかっこいい背中を思い出す。僕も一条くんみたいに、周りの警戒をしようと身体を360度まわす。

あいかわらずとてとてとした足取りだったけれど、敵は…いないみたいだ。

 

男は、動かなくなっていた。人の燃える匂いがする。死んでも火は消えることはない。

 

僕は頬に男を燃やす炎の熱を感じる。

 

「いてて…」

 

全身あちこちが痛い。制服は焦げているし、ぼろぼろにほつれている。両手は煤で真っ黒だし、たぶん顔もそうだろう。

血を流していた擦り傷は『回復』でふさがっている。ただあちこちにみみず腫れがありそうだ。

火傷も、とくに最初に火をつけられた左腕はひりひり痛い。

見てみると、制服の左袖はちぎれて、真っ赤になった素肌が見えていた。

 

「これは洗濯じゃ…汚れ落ちないかな…」

 

10月の風が僕の乱れた髪をゆらす。風があたると左腕の火傷部分がよけいひりひりした。

 

もういいや、次、おんなじような敵が現れたら、容赦なく殺そう。昔、偉い人に言われたように残酷にではなく、瞬時に、だ。

 

そう考えていたら、協会ビルの方から、大勢がこちらに向かってくる。

 

敵かな?今度はまとめて殺すか…

 

僕は道の真ん中に立って、10人くらいの無秩序に走ってくる男たちを見つめる。

 

「?」

 

男たちは…壊乱している…?逃げているんだ。何からだろう。そもそも敵なのかな?

 

そう考えていたら、男たちは一斉に見えない壁に押しつぶされて、奇妙な声を上げると動かなくなった。

 

「今の魔法…?は、なんだっけ…『アスタリスク』?…『ファランクス』!?」

 

押しつぶされて動けなくなった男たちの後から、また大勢が現れた。片手や腕にCADをつけた魔法師たちだ。

魔法師たちは僕を一瞥したあと、潰されている男たちの確保にむかった。

 

「久かっ?」

 

逞しい、その声を聞いただけで、味方に力と安心感を与える、太い声が僕にかけられた。

間違えるわけがない、十文字先輩だった。

無骨なプロテクターとヘルメットで全身鎧っていても、十文字先輩の存在感は隠せない。

どっしりとした足取りで、でも少し早足で僕に向かってくる。

 

おっきいなぁ。巨岩のような十文字先輩を見上げる僕の姿は、ぼろ雑巾のようにこ汚い…

僕は、安堵で膝から崩れ落ちた。両手をついて息を吐いた…

 

「怪我は…大丈夫か?」

 

「はい…ちょっと転んじゃって…火傷もしてますけれど…平気です」

 

泣き笑いの僕の姿はぼろぼろだったけれど、外傷は殆ど無い。

実際この程度なら二~三日で全快するから怪我なんて大層なものじゃない。

 

僕が自力で立ち上がろうとかがむと、ひょいっと、逞しい腕が僕を持ち上げた。

 

「ほぇ?」

 

変な声を上げる僕。うわぁぁ、久しぶりの十文字先輩のお姫様抱っこだ…

 

「無理をするな、敵も撤退している。国防軍がすばやく後方を突いてくれたおかげで、このあたりの戦闘は小競り合い程度になるだろう」

 

「十文字先輩は戦闘に加わらなくていいんですか?僕の事は放っておいて…」

 

「ここからは軍の管轄だ。我々はやれるだけのことをした」

 

十文字先輩が協会ビルと反対の横浜の街をみる。僕もつられて顔を向ける。

 

港のほうで大きな音と、空に小さな黒い粒がいくつも見える。あれが国防軍の兵士なのかな。

さっきの赤い目のカラスの群れみたいにも見えるけれど…

とりあえず、僕のすることはもうなさそうだ。

 

「…よく頑張ったな」

 

十文字先輩の言葉に、胸が熱くなった。横浜の街は夕暮れを迎える…

 

十文字先輩が、僕を軽々と協会ビルまで運んでくれた。

ビルの前に真由美さんやレオくんエリカさんたちが一塊になってたたずんでいた。

激しい戦闘の後の、虚脱した時間のようだ。

虎のような甲冑の男がみんなの前に倒れている。

他の魔法協会所属の魔法師も担架や救護車に運ばれて、激戦だったんだな…

 

「十文字君…久ちゃん!?」

 

僕たちに気がついた真由美さんが声をあげた。僕の酷い姿に驚く。

 

「大丈夫だ、怪我は軽傷だ…そちらも大変だったようだが…」

 

「えぇ…みんなで力をあわせたから倒せたけれど…」

 

真由美さんと十文字先輩は渡辺委員長を交えて、情報の交換を始めた。

 

僕は十文字先輩にそっと下ろされると、身体を痛そうにさするレオくんたちのところに行く。

 

「レオくん、エリカさん大丈夫?すごい痛そうだけれど…」

 

「それはこっちの台詞だぜ…」

 

「久っ!あんた途中でいなくなっちゃうからどこ行ってたのよ!」

 

「ごめんなさい、ぼうっとしてたらはぐれちゃって」

 

「携帯もメールも繋がらないから、みんな心配したんだぞ…」

 

「ごめんなさい…携帯は家に忘れてきちゃって…」

 

僕の言葉に同じポーズで呆れる二人。やっぱり仲良しだ。

 

その後、ビル内で合流した深雪さんに物凄く怒られる。滅茶苦茶怖い。戦闘戦車より…

 

みんなも疲労困憊で虚脱しているけれど、僕みたいにぼろぼろに汚れている生徒はいない。

なんだか物凄く惨めだ…かつて『神』なんて言われていたのに、僕は劣等生だな…

コンペ会場で僕に対して距離を置いていた、美月さんとほのかさんも、僕のぼろぼろの姿に驚いたのか、その時のことは何も言わずに治療を手伝ってくれた。

治療中、男は外に出ていなさい、とほのかさんが治療室からレオくんを追い出していたのは…なんで?僕は男の子だよ。

怪我は擦り傷に火傷と全身にあった。それぞれは軽症だけれど、塗り薬は物凄くしみた。

深雪さんが魔法で火傷で熱を持つ僕の肌を冷ましてくれる。

僕に包帯を巻いてくれたのはエリカさんだった。意外と上手だったので驚いた。

みんなに心配と迷惑をかけちゃったな…

 

ごめんなさい。それと…ありがとう…

 

 

 

 

敵軍が船で撤退したと言う情報を真由美さんから聞いて、全員が安堵の声をあげた。

これで、僕たちの横浜事件は終わったわけだ。

 

達也くんは…響子さんや澪さんはどうしているだろう。無事だと良いけれど…

 

 

 

日が落ちて、僕たちは海の見える公園の護岸で、遠くの海にあがる光をみていた。

かなり遠くなのに、『神』のごとき光。

僕の隣に深雪さんが立っている。

そのときの深雪さんの表情を、何て表現すれば良いか僕にはわからなかった。

 

 




横浜騒乱も久の視点で見ているので、レギュラー陣とは活躍の場が違います。
レギュラー陣の活躍は小説で確認してください。
とくにアニメでカットされた、市原先輩の魔法は要チェック。
アニメ最終話は詰め込みすぎで時間が足りてませんでしたよねぇ。
九校戦は時間をかけてアニメ化していたのに、惜しいなぁ。

オリ主の久は、達也の『再成』のことも深雪の魔法も知りません。
三人が深くからむのはもっと先になりそうです。


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1週間。そして四葉家。

司波兄妹以外のキャラの誕生日は全然明らかでないんですねぇ


10月30日論文コンペの夜。

僕は真由美さんの好意で、リムジンに同乗させてもらって、帰宅した。

リムジンの中では無言だった。今日の事件の衝撃と傷がジンジン痛んでいたから…

帰宅して、置きっぱなしだった携帯端末をチェックすると、深雪さんと真由美さんからの未読メールが沢山あった。横浜にいた時に何度も連絡してくれていたんだ…

他にも料理部の先輩や、現場には来ていなかった森崎くんや、報道で知った光宣くんからもメールがあった。

とりあえず現場で再開できなかった人たちに一斉に返信しておく。

 

エリカさんには悪いけれど、綺麗に巻かれた包帯を解いて、シャワーを浴びて汗と塗り薬を落とす。服用薬ほどじゃないけれど、塗り薬も僕には害でしかない。スリ傷はふさがっているけれど、火傷の部分はまだ真っ赤だ。お湯がしみる…

 

夜中、響子さんからメールがあった。軍務でしばらく帰宅できないけれど、心配しないで、と簡単な一文だった。

国防軍関係となればあまり詳しいことはいえないだろうから、こちらも平気、帰ってきたら手料理ご馳走するってメールを出した。

 

そういえば以前「仕事場の後輩のシスコン男に振り回されている」って言っていたけれど、あれって達也くんのことなのかな?

達也くんはシスコンじゃないよ、ほんの少し、ほんの少しだけ深雪さんに甘いだけなんだよ。

 

澪さんも僕には甘い…

その澪さんからは連絡がなかった。『僕は怪我ひとつないよ』とちょっと嘘をメールで出しておいた。

戦略魔法師である澪さんは、現在の緊迫した状況では、自由に行動が出来ないんだろうな…

澪さんがいつ戻ってきても良いように、澪さんの大好きな甘いものを沢山つくっておこう。

 

夜は、一人でベッドの中で横になっていた。いつの間にか眠っていたけれど、悪い夢はみなかった。

怪我をしているせいかな…

 

 

翌朝、学校から連絡があって11月3日まで休校になるんだそうだ。

この日は、10月31日。世界的に重要な一日だったけれど、僕は自宅に引きこもっていた。

 

 

11月1日。

光宣くんから電話があった。

久しぶりにテレビ画面でみる光宣くんは相変わらずの美貌だ。

その日は調子がよかったようで、横浜でのことや響子さんのお話をした。僕と響子さんの婚約(仮)のことを知っている数少ない人物の一人だ。

烈くんは忙しくて最近会っていないそうだ。まったく90近いのに精力的だなぁ。

冬休みには生駒に遊びに行く約束をした。響子さんも一緒に行けるといいな。

僕の火傷やスリ傷はもう全快している。昔にくらべて治りが早い。やっぱドーピングは駄目だね。

 

澪さんからメールが来た。11月中は帰れないかもしれない、と短く書いてあった。

 

 

11月2日。

テレビのニューズで大亜連合が講和条約を打診してきて、事実上日本の勝利が確定したと言っている。

戦略魔法師である澪さんが帰宅できない状況なのに勝利とはどういうことなんだろう…

こんなとき一兵卒でしかなかった僕は上層部の考えはわからない…もどかしいな。

 

午後、真夜お母様から電話があった。

今度の日曜に、以前約束していたお食事にご招待してくれるそうだ。

 

「マナーとかわからないけれど…」

 

「いいのよ家族のお食事ですもの」

 

家族…昔、僕が一番欲しいと思っていたモノだ…

当日朝、『ヨル』さんと『ヤミ』さんが黒いリムジンで迎えに来てくれるそうだ。

澪さんが夏休みに選んでくれたジャケットを来て行こう。

 

そうだお土産になにか作って行こう。何が良いだろう。

 

 

11月3日。

この日は何をしていたかな…よく覚えていないけれど、澪さんからメールが来た。

メールの内容は、今日には公式に発表されるので、もう秘密にしておく必要がなくなったそうだ。

大亜連合への牽制のために出征、週末に佐世保、来週出航するって。

戦闘になる可能性はほぼないから心配しないでくださいって。

 

戦争に安全な場所なんてない…もし危ないとおもったら必ず連絡してください、と返信した。

僕には、世界中どこにいても一瞬で助けに行ける『能力』があるのだから。

でも、心配だな。

 

携帯端末とCADは絶対に忘れないようにしよう。

 

11月4日金曜日、学校が再開した。

戦勝に沸く教室。誰もがにわか専門家になって国際情勢を語り合っている。

でも僕にはよそよそしい。コンペ会場での僕の過剰な行動は全校に広まっているようだ。

4月の入学したてのときの一科生の態度を思い出す。

席替えはないから僕の隣は深雪さんだ。

深雪さんはいつもの微笑をたたえた表情でクラスメイトと話している。

あの表情は、エリカさんと同じで本心を隠す仮面なのかもと唐突に思った。

仮面にしては綺麗すぎる笑顔だけれど。

 

「怪我はもう大丈夫?」

 

「うん、そうだ深雪さん、紅茶にあうお菓子ってなにかな」

 

「ごくごく定番だとアップルパイ、スコーン、ワッフルといったところかしら」

 

考える動作をしながらもすらすらっと答えが出てくる。なんでもないことだけれど凄いなぁ。

…スコーン?

 

「コイケヤスコーン?」

 

「スナック菓子じゃないわよ」

 

よし、明日放課後にアップルパイとスコーンをつくろう。

 

その夜、自宅ベッドで横になっていた僕は、久しぶりに嫌な夢を見た。

研究所にいた最後の1週間。僕が一番嫌いでおぞましいと思っている1週間…

夢の中で、今寝ているベッドが研究所の診療台と重なっていた。

 

目覚めた後、ベッドに大の字になりながら声もなく泣いていた。

 

8月の九校戦の帰りのバスのときのように錯乱することはなかった。

今日は、学校に行って、勉強して、達也くんや深雪さんたちとご飯を食べて、放課後は料理部でアップルパイを作るんだ。

そう考えながら、ただ涙を流していた。

 

11月5日。土曜日でも魔法科高校は通常授業だ。

一高駅前からずっとだけれど、すれ違う生徒が僕をぎょっとした顔で見る。

とてとて…いや、足を引きずるように教室に向かう。

深雪さんの席には雫さんにほのかさん、他のクラスメイトも集まって談笑していた。

今日も深雪さんも鉄壁の笑顔だ。

でも昨日より不安を隠しているような気がするのは、たぶん僕が情緒不安定だからだろう。

 

「…おはようございます」

 

僕の力ない挨拶に皆がふりむいた。

僕の顔をみて驚きの声を最初にあげたのはほのかさんだった。

 

「ちょっ久君どうしたのその顔!」

 

「目が…真っ赤」

 

え?ああそれでみんな僕を見ていたのか。

 

「…うん、一晩中泣いていたから…」

 

「またあの時みたいに…」

 

雫さんが九校戦の帰りのことを思い出したみたいだ。

 

「うぅん平気。今日はやることが沢山あるから…あっしまったリンゴ…」

 

「リンゴ?」

 

深雪さんが首をひねりながら、ハンカチで僕の顔を拭いてくれた。

8月、初めて真夜お母様に会った日のことを思い出した。真夜お母様もこうやって涙を拭いてくれたな…

 

そう、リンゴだ。

真夜お母様のお土産にアップルパイを、放課後の料理部で作ろうとリンゴを買っておいたんだけれど、自宅に忘れてきてしまった。

そうか、今朝はお弁当を作らなかったから、台所に入らなかったんだ。

一人分のお弁当は寂しいな。はやく澪さんも響子さんも帰ってこないかな…

 

帰宅後、アップルパイは上手に作れた。僕の『女子力』は確実にあがっている。

 

夜は眠らずに、勉強やアニメを観ていた。

でもずっと座っているのは飽きたな…少し運動を、ウォーキングをしようかな。

この時間に外に出たら、深夜徘徊だ。絶対に補導される。でも少し興味があるな。いつか試してみよう。

 

 

11月6日日曜日。

早朝、『ヨル&ヤミ』さんが迎えに来た。

 

「その呼び方やめてくださるかしら、何だか漫才コンビ名みたいで…」

 

『ヨル』さんのしゃべり方は相変わらずシャチホコばっている。

『ヤミ』さんはあまりしゃべらない。声変わりがどうの言ってるけれど、女の子にはないよね。

 

リムジンの中で、二人にお土産をわたす。真夜お母様へのお土産以外にもたくさん作ったパイとスコーンだ。

 

「パイとスコーンは初めて作ったけれど、自信作だよ。次のスコーンはフルーツを入れたいな…」

 

僕の『女子力』の高さに『ヨル』さんは沈黙していた。

その顔をずっと見る。じー

 

リムジンはだいぶ大回りをしていたみたいだ。真夜お母様のお屋敷まで2時間はかかっている。

でもまだ9時前だけれど。

お屋敷といってもリムジンは玄関に直接つけられたので、どれくらいの大きさなのかはわからない。

玄関ではいつもの隙のない立ち姿の葉山さんに女中(メイド?)の女の子が立っていた。

葉山さんがそこにいる事に『ヨル&ヤミ』は驚いていた。

 

僕は葉山さんにお土産のパイを渡す。

 

「これ、僕がつくりました。お屋敷のお手伝いのみなさんと食べてください」

 

「これはありがとうございます」

 

沢山、つくったんだ…リンゴを五個注文したつもりが箱で五個配送されていたんだ。

機械音痴ここに極まれり…しばらくリンゴ尽くしだな…

やっぱり響子さんと澪さんがいないと僕だめだな…いや頑張らないと、僕は男の子なんだから。

葉山さんは丁寧に受け取ると、隣の女中さんにパイをわたしてこまごまと指示をしていた。

その姿にも隙がない。さすがは最強執事(?)。女の子は凄く緊張している。

葉山さんが僕を案内する事になって、『ヨル&ヤミ』さんに女中さんも驚いていた。なんでだろう?

『ヨル&ヤミ』さんも一緒にリムジンを降りて、別の控え室に行くそうだ。

 

他にも来客があるそうで、しばらくは控え室で待つことになった。

控え室にあるものはご自由にっていわれたけれどどうしよう。

ソファも調度品も立派で落ち着かないな。玄関は日本家屋だったけれど、この部屋は洋風だ。

紙媒体の、背表紙も豪華な本がいくつか置いてあった。あれもインテリアの一部なんだろう。

僕はアナログなので、端末より紙の本が好きだ。時間つぶしに良いかなとその本を適当に選ぶ。

英語の本だったけれど、これでいいかな。

実は僕は英語は日常会話程度なら話せるし読める。昔、戦場で英語に触れる機会があった。

 

僕が英語を読める?

第一話プロローグで「不思議の国のアリス」の初版本を読んでいたでしょ。今後の伏線だよ。

本当はドイツ語を覚えられればよかったんだけれど、その当時はそんな余裕はなかったし。

ただ会話ほどは英単語を知らないので、端末で辞書を引きながら読む。

スチーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』初版本だったけれど、十師族では海外の初版本を蔵書するのがステイタスなのだろうか…

ひとつに集中すると他に目が行かなくなるのが僕の悪癖だ。でも待ち時間はそのおかげで潰せた。

僕には難しすぎて、数ページしか読めなかったけれど…

 

ドアをノックする音がして、葉山さんとさっきの女の子が入ってきた。

 

「お待たせをいたしました。お食事の前に、まずは軽くお茶の準備をいたしましたのでこちらに」

 

本を棚に戻して、僕は二人についていく。葉山さん、僕、女の子の順だ。

僕の手にはきちんとラッピングしたパイとスコーンがある。

葉山さんはサンルームの扉をノックした。

中から男性の声がしたので、葉山さんがドアを開けて、中に入ったのは僕と、女の子だけだった。

サンルームの中では、男の人と女の人が晩秋の日差しを浴びてくつろいでいた。

 

なんだか見覚えがあるな…うぅん、見間違えようがない二人だ。

 

「こんにちは、達也くん、深雪さん」

 

僕はきちんとお辞儀をした。

あっ、二人がいるなら二人分のお土産も持ってこれば良かった。二人はお茶を飲んでいる。達也くんはコーヒーだ。

あれも葉山さんが淹れたのかな?真夜お母様へのお土産のパイをみんなで分ければいいのかな?

パイってコーヒーにもあうのかな。ぶつぶつ考え出す。

しばらく考えている僕は、全身で物を考えているのがよくわかる姿だったと思う。

 

深雪さんの目が物凄く冷たい。初めて見る瞳だ。僕を叱るときの怖い瞳とは決定的に違う。

達也くんが深雪さんの前に立った。まるで深雪さんを僕の攻撃から守るように。論文コンペのときみたいに。

 

サンルームに物凄い緊張感が漂っていたことに僕は全然気がついていない。

 

「あっ!」

 

「…」

 

「あれ?そういえば達也くん深雪さん、どうしてここにいるの?」

 

達也くんが目に見えて脱力した。凄い漫画チックな動作だった。

なんだか真由美さんに似てきた気がする。達也くんもストレスが溜まっているのかな…?

 

 




来訪者編(下)「真由美さんの休日」で、原作中唯一、澪さんが登場した部分です。
七草家に登場したこの時の澪さんは、久でエネルギー補給ができず(笑)落ち込んでいた…という脳内設定です。
家の立場が弱い澪さんは穏健派と強硬派に翻弄されて、二年目の九校戦に少し関係してくる…
みたいな感じに出来ればいいなぁと考えております。

お読みいただき有難うございました。


11月2日の部分の「ニュース」が「ニューズ」になっていると誤字の指摘をいただきました。
じつはこれ誤字ではなく、わざとです。伏線…的な感じです。
海外では、ニュースではなくニューズ発音する国があります。
今回、久が日常会話程度の英語が出来る。でも単語はそんなに知らないという台詞があります。
久は教科書ではなく、耳で英語を覚えています。「ほったいもいじるな」みたいな感じです。
ニューズも特殊任務で一度だけ米国に行くときに英会話が必要になってむりやり覚えた英語で、
久は基本丸暗記で覚えは良いですが応用は苦手なので覚えたままを使います。
なぜ久が特殊任務で一度だけ米国に…?
それは劣等生最新刊を読めば、わかりますね。誰かの亡命騒動に関与しているとかいないとか…


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サンルーム

 

 

寒冷化が進んだ時代、季節はかなり早まっている。

外気はもう冬の気配がするけれど、四葉家のサンルームは弱い日差しが心地いい。日向のにおいがする。

 

深雪さんの目は真冬の冷たさで僕を見ている。達也は深雪さんを僕から隠すように立つ。

 

…嫌われちゃったのかな…なんでだろう。コンペ会場で僕が侵入者を残酷に殺したからかな…一高生たちが僕に向ける視線とは違うような気がするけれど…

二人にお土産を持ってこなかったからかな…でも二人がいるって知らなかったし…

 

「久…お前は、四葉家と…いや、叔母上とどういう関係なんだ?」

 

達也くんは警戒感も露に尋ねてくる。ん?

 

「叔母上って誰のこと?」

 

達也くんは『しまった!』って顔になったけれど、気を取り直して、言った。

 

「四葉真夜、俺たちの母親の妹のことだ」

 

「えぇ!?達也くんたち真夜お母様の親戚なの!?いいなぁあんな綺麗な人が家族なんてっ!」

 

「おっ、お母様!?」

 

深雪さんが淑女にあるまじき声をあげた。

 

「久…お前が…いや俺が『視た』お前は、四葉とは関係は…なかった…いや…」

 

達也くんが少し考え込んでいる。深雪さんは、いつもの微笑みの仮面が崩れて憂い顔だ。

 

「久、貴方はいつから叔母様のことを『お母様』って呼んでいるの?」

 

深雪さんが達也くんのかわりに聞いてくる。

 

「今年の8月。あぁみんなと南の島に行ったよね、雫さんの。あの日の二~三日前に初めてあったんだ。だから今日は会うのは二回目だよ。ほらこうやってお土産も作ってきたよ」

 

僕は片手に持った包みを軽く持ち上げる。リンゴの甘い香りがしている。

 

「学校で紅茶のお菓子について聞いてきたあのことね」

 

「うん、『ヨル』さんと『ヤミ』さんにもあげたよ。あとは葉山さんにも。達也くんたちがいるって知っていたら二人の分も作ってきたのになぁ」

 

深雪さんも何だか考え込む表情になった。入れ替わって、達也くんが再起動した。

 

「それで、一体どういう関係なんだ?」

 

「ん?あっそうか、二人には言って…いや学校の友達には誰も言ってなかったか…僕、4月に犯罪組織に誘拐されたんだ」

 

「えっ?」

 

「?」

 

それまで警戒が強かった二人の態度が、軟化したのが雰囲気でつたわる。僕は簡単に説明した。

 

「4月下旬に誘拐事件があって、そのときは無事助かったんだけど…いや物凄く痛かったけど…

6月にもどこかのナンバーズの家の人に襲われたりしてね、その時『ヨル』さん『ヤミ』さんがいてね。

主が会いたいって言うから8月に会ったんだ。真夜お母様も昔同じような経験をしたから、相談に乗ってくれるって。

その後はときどき電話でお話するだけだったけど、勉強とかアドバイスしてくれて、おかげで僕最近成績あがっているんだよ」

 

僕のわかりにくい説明を二人は真剣に、脳内で整理しながら聞いているようだ。

 

「でも…どうして『お母様』なの?」

 

「ほんと初めは『お姉さん』って呼ぼうとしたら、さすがに無理があるから『お母様』でってことになったんだ」

 

「「…」」

 

こんな硬直する二人をみるのは初めて見た。

 

そこに、ドアをノックする音がした。

達也くんが気を取り直して「どうぞ」と言うと、ドアの隣に控えていた女の子のメイドさんがドアをあけた。

 

黒に近い、ロングドレスの女性がサンルームの中を一瞥してから、ゆっくり入ってきた。

当然、真夜お母様だ。

 

僕は、お土産の包みをテーブルに置くと、とてとて駆け出し、そのままばっと、真夜お母様のお腹に抱きついた。

 

「「「なぁ!?」」」

 

達也くん、深雪さん、それとメイドの女の子の三人が絶句していた。

 

「真夜お母様、お久しぶりです。今日はお招きいただきありがとうございます!」

 

「うぇ…ええ、お久しぶりですね。久」

 

真夜お母様も少しぎこちない…ような気がする。僕は抱きついたまま真夜お母様を見上げる。

 

「えへへっ」

 

「どうしたの?」

 

「うん、お母様、今日も凄く綺麗です。お母様のお顔を直接見れて、僕凄く嬉しいんです!」

 

この1週間、響子さんも澪さんもいなくて、実は物凄く寂しかった僕は、ついつい涙目になっていた。

 

「…あっ…ありがとう、私も久に会えて嬉しいですよ」

 

「えへへ」

 

真夜お母様は、僕と、椅子から立ち上がっていた達也くんと深雪さんを交互に見て、物凄く照れていた。

達也くん、深雪さん、メイドさんは、ほとんど凍って固まっていた。サンルームは暖かいのになんでだろう。

 

みんなが席に着く。僕は真夜お母様のおとなりだ。お土産のパイとスコーンをわたすと、お礼を言って、すぐに包みをあけた。

うん、一番上手くできたパイだ。それをメイドさんが用意したナイフで切り分けてテーブルに並べる。

 

達也くんが最初に一口食べて、顔を上げて頷いた。何だか毒見みたいだ。大丈夫だよ何にも変なもの入ってないよ。それをみて真夜お母様も一口食べて、

 

「とっても美味しいですよ。ん…ほんとに美味しいわね…これ」と、もう一口。

 

えへへ、やった。喜んでもらえた。

 

 

 

「横浜では大変でしたね」

 

少し落ち着いてから、真夜お母様が言った。

 

「うぅん、僕は自分だけ守っただけだから、市民や生徒を守っていた真由美さんや深雪さんみたいに凄くないよ…」

 

実際、横浜で僕は自衛しかしていない。誰かのために戦うなんて弱っちいな僕には無理だ。

真夜お母様はカップを上品にコースターごとテーブルに戻すと、

 

「ところで、九島烈先生とはどういうご関係なの」

 

と聞いてきた。達也くんと深雪さんがすこし緊張したみたいだ。どうしたんだろう。

 

「昔のお友達だよ。といっても半年の付き合いだったけれど。今の家も用意してくれて…」

 

「その家で、五輪澪さんと同棲しているんですってね?」

 

達也くんと深雪さんがぽかんとしている。はじめて見る顔だ。

 

「同棲じゃないよ、澪お姉ちゃんとはお友達だよ」

 

「でも週の半分は泊まっていくんでしょう?」

 

「うん、いつも一緒のベッドで寝ていて、そのあいだ手をつないでいてくれるんだよ」

 

いやらしいことなんて何もない。

僕は子供だし、澪さんは子供体型だし…あっいやこれはゲホンゲホン…

 

「藤林響子さんと婚約しているって本当?」

 

ぶほっ!

達也くんがコーヒーを吹き出しそうになって、目の前に真夜お母様がいることを思い出したのか、無理やりコーヒーを飲み込んでいる。

げほげほむせている達也くん。

 

「大丈夫ですかお兄様…」

 

「…大丈夫だ」

 

深雪さんが達也くんの背中を撫ぜている。ほんとに羨ましいくらい仲が良いな。もう結婚しちゃいなって!

あれ?深雪さんの機嫌がよくなった。また僕口に出してた?

 

「響子さんとは婚約(仮)だよ。親戚からのお見合い攻撃を止めるための方便だって」

 

「でも藤林響子さんも澪さんと同じくらい久の自宅にお泊りしていくのよね」

 

「うん、よく『川の字』になって寝てるよ、だって家はベッドがひとつしかないし…どうしてそんな事聞くの?」

 

響子さんは澪さんと違って柔らかい…どこがって?どこだろう。

あとお願いだから寝るときはパジャマのズボンははいて欲しい。はかないと澪さんもジャージの下を脱ごうとするんだ…

 

「久のお母様としては、息子の交際相手の事は気になるでしょう?どちらと将来結婚するつもり?」

 

「澪さんも響子さんも僕とは結婚はしないよ。だってあんな綺麗な大人の女性、大人の男の人が放っておくわけないもん」

 

「久から見ても魅力的なお二人なのね?」

 

「うん。でもお母様も綺麗で素敵だよ。僕が大人だったら絶対ぷろぽーずするよ!」

 

何だか言わされているような気がするけれど、本当のことだからいいや。

真夜お母様も満足そうに微笑んでいるし。

達也くんは驚きまくって百面相になっている。

その達也くんの姿に、笑いをこらえている真夜お母様。

ひょっとして真夜お母様は達也くんのこの表情を見たくて、今日僕を呼んだのかな?

 

ふいに、真夜お母様は、僕と深雪さんを交互に目をやって、

 

「そうやって並んでいると、本当の姉妹みたいね。5年前の深雪さんがいるみたいだわ」

 

「僕は男の子だよぉ」

 

今日の僕は男物のジャケットを着ている。腰まで伸びた長髪は、男らしくないけど。

達也くんが少し考え事をしている。

こういう表情の達也くんは無駄にかっこいい。深雪さんが見ほれている。

 

 

 

真夜お母様が、深雪さんを昼食に誘ったけれど、深雪さんは達也くんをちらっと見てから断っていた。

そのまま帰宅するって。叔母と甥、姪なら一緒にお食事していけばいいのに…

 

昼食は、僕と真夜お母様とで簡単な物で済まし、午後、残っていたスコーンで紅茶を楽しんだ。

夕食までは、僕は、くつろいでいる真夜お母様の隣で『ジキル博士とハイド氏』を頑張って読んで、勉強のわからないところを教えてもらったりした。

とっても穏やかな時間で心が落ち着く…

 

夕食は凄く豪華で、僕はこんなちゃんとしたディナーを食べたのは初めてだった。

真夜お母様の係りは当然と言うべきか葉山さんで、僕の担当はさっきのメイドの女の子だった。

女の子は、なぜか僕より緊張していた。

真夜お母様と葉山さんと僕は普通に談笑しながら(僕が学校であったことが中心だ)お食事している。

 

食後、お茶をしているとき。

 

「これは少し難しいお話なんだけれど…」

 

と、真夜お母様が少し前置きして話を始めた。

 

「久が横浜で倒した『発火念力者』なのだけれど、どうやら米軍の特殊工作兵だったようなの」

 

ん?どうして真夜お母様はあの戦闘のことを知っているのだろう。

僕は生徒会役員でも十師族でも軍人でもないから、あの『発火念力者』のことは誰にも言っていない。

 

「あんな二流のテロリストが米軍の?」

 

二流でも僕はかなり手こずった…思い出すだけで自分が情けない。

でも米軍ならもう少しちゃんとした能力者を派遣するんじゃないだろうか。

 

「ん?米軍?横浜のときの敵は大亜連合じゃなかったっけ?」

 

「ええ、どうやら、米軍は裏で消極的に大亜連合を支持していたみたいね。あの『発火念力者』は建前上脱走兵になっていたわ。あまり有能な工作員を送るわけにはいかなかったと言うことかしら…」

 

なるほど、『能力』も汎用性に乏しい『発火念力者』が『魔法師』を襲う、と言うのは見せかけだったのか。

ただあの男は、たしかに『魔法師』に隔意があった。演技ばかりとは思えなかったけど…

 

「米軍は工作員を倒した人物のことを徹底的に調査するでしょうね。脱走兵に偽装していても、米軍が消極的にとはいえ大亜連合に協力していた確かな証拠なのだから」

 

「それは…僕が米軍に襲われるってこと?」

 

「そこまではないでしょうね、久が倒したって記録はどこにも残っていないから」

 

残っていないのに真夜お母様はどうして知っているのか…綺麗な女性には秘密が多いなぁ

 

「ただ、原因究明のために久や一高の周りを調査しに来る可能性は否定できないわ」

 

コンペ前、九重八雲さんが「次は君が標的になるかも」という忠告をしてくれたけれども、『僕の価値』とは違うレベルで狙われるようになるのかもしれない…

真夜お母様が「護衛をつけましょうか?」と言ってくれたけれど、僕は少し考えて断った。

今だって烈くんの手配してくれた護衛が遠巻きに警護してくれているし、澪さんがいるときはそれこそ国家レベルだ。九重八雲さんもそれとなく気にかけていてくれるし、すでに護衛銀座状態だ。

 

真夜お母様は、お茶を飲みながら、じっと僕を見ている。

葉山さんが、そこが定位置とばかりに真夜お母様の斜め後ろに立っている。

僕の後ろに立っている女の子はどんな顔をしているのだろう…

 

 




引きこもりなオリ主の久くんが、ナイトウォーカーな吸血鬼もどきやスターズとどうからめるか、ずっと考えていました。
原作中で米軍は消極的に大亜連合を手を結んでいると言っていたので、
久が横浜で元スターズ工作員と戦っているところを、米軍は衛星カメラ撮影しています。
しかし、真夜が妨害工作で衛星と街頭カメラの映像を破壊します。
なので真夜は工作員と久が戦ったことを知っています。
映像は撮れなかったけれど、現場の状況や証言から、スターズは久が工作員を倒したことを突き止めます。
マテリアルバースト真相究明という大きな理由で達也とリーナが戦っている横で、吸血鬼騒ぎに巻き込まれた久は米軍にも狙われる…みたいな?

街頭カメラやセンサーが町中に張り巡らされれているという原作中の設定は、とっても厄介です。
映像をごまかせる人物が仲間にいないと全部記録に残ってしまう。
まぁ響子さんが全部消してくれれば万事解決ですが…汗。


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小悪魔





 

 

一高生の僕に対する態度は、先週ほどではないけれど相変わらずよそよそしい。

ただ僕個人にというより、達也くんも同様の扱いを受けていて、深雪さんの不機嫌が続いている。

前線で戦っていた先輩やレオくんたちはいつも通り僕たちに接してくれて、料理部の先輩たちも、極力以前どおりにしていてくれる。

 

僕は気にしないようにしていた。そんなことより今日は、澪さんが出征する金曜日だ。

 

メールでは心配ないって言われたけれど、ひとつに意識が向くとそのことばかりに集中してしまう癖はここでも発揮されている。

戦場に安全地帯なんてない。一日中そわそわ落ち着かなかった。

だから部活もしないで、一高前通りのスーパーで適当に食材を買って、早々に帰宅することにした。

横浜から二週間、僕一人だったので、食事は適当だ。お弁当も夜ご飯の残りを適当に詰めて行っている。

 

僕の家は一高と魔法大学の中間のかつての練馬区といった地域にある。この家は烈くんが用意してくれたんだけれど、一人で住むにはホント大きすぎるな…

澪さんと響子さんが家に住む様になって二ヶ月ちょっとなんだけれど、二人がいないとなにか心にぽっかり穴があいた感じになる。僕の依存性は進む一方だ…

 

玄関のロックを解除して廊下の照明をつける。無人の家は、どこか冷たいな…

とぼとぼと歩いて、無人の台所のドアを開ける。

 

とたん、照明が点灯し…

 

「お帰りなさい!ご飯にする?お風呂にする?それともワ・タ・シ?」

 

「うわぁ!?」

 

エプロン姿も初々しい、新妻ごっこをする響子さんがお約束の台詞で僕を迎えてくれた。

 

「響子さん、その台詞は前にも言いましたよぉ」

 

感知系がダメダメな僕は、それはもう驚いた。心臓が口から飛び出るかとおもったよ…

ここは面白突っ込みをするところなんだけれど、いきなりで嬉しくって、ほかに言葉が浮かんでこなかった。

二週間ぶりの響子さんはあいかわらずのお茶目さんだ。僕はなんだか安心してしまった。

 

「どうしたの?」

 

僕の表情を敏感に察してたずねてきた。

 

「響子さんが軍人さんだって知って、どう接したら良いか考えていたんだけれど、いつもの響子さんで安心したんだ…」

 

「軍人っていっても、私はデスクワークがメインだから、普通の会社員とあまり変わらないわよ」

 

『電子の魔女』のいる職場ってどんな会社になるのか。

デスクワークがメインなので、響子さんが本当に忙しいのは戦いの後の事務処理になるんだそうだ。

そうだよね、ドラマの刑事みたいに捜査だけしていれば良いわけじゃないものね。報告書や書類つくりのほうが時間がかかるんだし。

『相棒』の『杉下右京』さんは犯人を捕まえるだけで、その後の書類は『イタミン』さんたちが書いているんだよね。功績は半々になるわけだ。

 

「響子さんはずっと防衛省にお勤めだと思っていたよ」

 

「まぁ間違ってはいないんだけれど、私が軍属なのは普通に公表されているから、所属部隊以外は秘密じゃないんだけれどね」

 

「達也くんも軍人さんだったなんて驚きだけれど、あの姿勢の正しさとか口調が軍隊っぽい所は今思うとそうなんだなぁって」

 

「達也くんが軍属だってことは内緒よ、口外すると冗談抜きで捕まっちゃうから」

 

「後輩のシスコンが達也くんだったとは…」

 

「それを私が言ったって事は達也君には、絶対、絶対に内緒よ!冗談抜きで!」

 

その剣幕に、僕はたじろぐけれど、いちもにもなく同意する…

 

「ところで…このリンゴの箱は?」

 

響子さんは台所の隅に積まれている木箱に視線を向ける。

 

「間違えて注文しちゃって…五個のつもりが五箱で配達されちゃって…」

 

「くすっ、相変わらずの機械音痴ね」

 

毎日リンゴなんて減量中のボクサーじゃないんだから、今は保存が利くようにリンゴジャムをつくっている。

 

「だから家の中が甘い香りに満ちているのね」

 

うふふ、っと笑う響子さん。響子さんと婚約(仮)になって三ヶ月。こういう表情をするときはよからぬ計画を立てていることを僕は学んでいる。

たぶん仕事場の人間関係でストレスを溜めているんだな。まわりに良い男の人はいないのかな…

僕は子供だから、響子さんを満足させてあげることはできないし…

 

そんな事を考えている僕を、響子さんが微笑みをたたえながら見下ろしている。

うぅ…なんだか今夜の響子さんは、ものすごく色っぽい…どきどきする。

 

「ねぇ久君、一緒にお風呂入ろっか?」

 

土器…いや、ドキッ!

 

「いっ…いやそれはだめ…だよ、結婚前の男女が一緒にお風呂なんて…」

 

響子さんの左手が伸びてきて、僕の頬のあたりの髪を撫ぜる。

 

「髪…綺麗なのに、横浜で少し焦がしちゃったんですって?」

 

焦げて不恰好になっていた僕の髪は深雪さんが綺麗に整えてくれた。

『発火念力者』との戦闘中、邪魔でしょうがなかったから「短く切りたいな」っていったら笑顔で拒否られた。

あの『発火念力者』と背後の米軍のことを考える…

今後のことを考えると響子さんを巻き込んでしまうんじゃないかと不安になる。

 

その表情をみて、「…じゃあ髪を洗ってあげるわね、それならいいでしょ」

 

と優しく言ってくれた。

 

「うん…それなら」

 

 

僕は基本、疑うことをしらない…小悪魔には格好の餌食だ。

 

 

脱衣所で服をぬいで、一人お風呂に入る。実際、長い髪はお風呂に入るのも不便なんだよな…

座椅子に座って、シャワーを全身に浴びながら、浴室の温度を上げる。

お風呂掃除も響子さんや澪さんがいつ帰ってきても良いようにしたばかりだから、かび臭かったりもしない。

湯気が浴室に満ちる。僕の怪我はもうすっかり治っている。

 

自分の手足を見る。凄く細いな…簡単に折れそうだ。レオくんみたいながっしりとした体型に憧れるなぁ。

でも鍛えようと腕立て伏せしたけれど、5回とできなくて…僕は貧弱だなぁ。

そんな事を考えていたら、浴室の扉が開いて…

 

 

バスタオルをつけない、一糸纏わぬ響子さんがお風呂に入ってきた…

 

「のわああ!?ちょっと響子さん、何してるの!現代のドレスコードは人前に肌をさらさないんでしょ!」

 

「あら、私たちは婚約しているんだもの、問題なしでしょ」

 

両手を前に出して視界から響子さんを隠す。指の隙間から見えてなんていない…

 

「問題だらけですよぉ!」

 

ほあわぁ!見ちゃ駄目だ見ちゃ駄目だ見たい…見ちゃ駄目だ見ちゃ駄目だ…

 

「ほら、髪洗ってあげるから、背中を向けていれば見えないでしょ」

 

この小悪魔は言う。響子さんに背を向けて背中を丸める…響子さんが膝を突いたのが音でわかる。

ふと前を見ると…

うわぁ、目の前に鏡があるぅ!湯気の向こうに、響子さんの裸…

 

ぬあわぁ!見ちゃ駄目だ見ちゃ駄目だ見たい…見ちゃ駄目だ見ちゃ駄目だ…

 

僕の家は『暦お兄ちゃん』のアニメ版のお風呂と違って、二人はいると狭いんだよ…

でも、人に髪を洗ってもらうって気持ちいいな。しばらくすると、僕も力が抜けて、響子さんに全てをゆだねる気分になる。

 

シャワーで泡を洗い流すと…「背中も洗ってあげるわね」とのたまう…

 

「ほえぁ?いっいいよぉぉおあああ?」

 

僕の背中に柔らかい温かいものがむにゅむにゅあたっているよ…

ちょっ、スポンジ使おうよ、『暦お兄ちゃん』みたいに手で洗うって…あっ響子さんの手、温かくて気持ち良いな…でもぉ。

響子さんは僕のもじもじな挙動にご機嫌だ。絶対に僕をからかって遊んでいる。

 

…あっいや前は自分で洗うから…ほんと、平気だから、うわぁ僕の身体の向きをそっちに向けないで…

僕は非力だから抵抗できないんだよ…あっ響子さんの膨らみの…あっ、いや僕はこれから目を瞑っているから!絶対開けないから…

甘い吐息が僕の全身をくすぐる…

 

そこは自分で洗うから…え?昔、光宣くんとお風呂に入ったことがあるから平気?僕は平気じゃないからぁ!

 

僕は洗われた…それはもう綺麗に。

 

「あっありがとう、じゃぁ僕は出るから…」

 

目を伏せたまま逃げ出すようにお風呂から出ようとすると、がしっと、腕をつかまれ、抱えあげられ、湯船に入れられる…

 

「だめよ、ちゃんとお湯につかって温まらないと」

 

いえ、僕もう身体が熱いです…

 

ちゃぽん。えっ?響子さんも湯船に入るの?だめだよ…そんな…

 

「ぼっ僕背中向けてるから、響子さん後ろに入って!」

 

うぅ、お風呂で体育座り…

 

「久君、お風呂、まだ隙間あるわよもっとこっちに背中を預けていいのよ~」

 

「いいですこのままで…僕100数えたら出ますからぁ」

 

「そんなカチカチじゃだめよ、しっかりリラックスしないとね」

 

響子さんが僕の両肩を掴むと、そっと自分の方に引き寄せる。

僕は、響子さんのすらっとして水滴をはじくみずみずしいほんのり赤い膝のでもそれなりに鍛えられた引き締まって無駄のない綺麗な両足にはさまれ…うあぁ僕何こと細かく説明しているんだぁ!

 

むにゅあり…

 

あっあああ!当たってます、なにか僕の細い背中になにかが当たっていますぅ…

考えないようにしようとしても、本能が、意識がそこに向かってしまいますぅ…

 

僕は…悩乱しまくって……過呼吸…

 

「さっ先に上がりますっ!!!!」

 

響子さんの腕の力が抜けた隙に、湯船から飛び上がって逃げる。びしょ濡れのまま、お風呂から出る。

その時、つい、ちらっと、響子さんの、白い身体を見…いっいや断じて見ていない!

響子さんが、超小悪魔な表情をしていたなんて、見ていないんだからぁ!ふぇええん。

もうお嫁にいけない…いやお婿だ…ぐすん、僕、遊ばれちゃった。

 

 

 

パジャマに着替えて、お風呂の熱気も冷めないまま、ベッドにぐったり座る。

なんだか疲れたけれど、響子さんも元気そうでよかった。

これでストレスが発散されたんなら、僕の犠牲は無駄じゃなかったんだよ、うん。

 

ガチャリ…

 

「あっ響子さん、お風呂どうでした…あぁあああああ?」

 

寝室のドアが静かに開き…そこには、バスタオル一枚の響子さんが…

 

…あっ綺麗だ…僕はぼうっと見とれてしまった。

 

響子さんは、怪しく微笑むと、僕に迫ってくる。

僕がベッドで少し後ずさると、響子さんの片膝がベッドに乗る。ベッドがぎしっと音をたてる。

響子さんのほんのり上気した顔が目の前にある。シャンプーの良い香りが鼻腔をくすぐる…

 

「今夜は夫婦水入らずね…あなた」

 

うわぁー僕は、10歳なんだよ、戸籍上は16歳で、実際は四捨五入すると100歳だから、なんの問題もない…

えっ?なんの問題…?

 

僕は…響子さんの、潤んだ唇に、吸い寄せられるように、自分の唇を…

 

 

 

 

 

 

バッタアアアアアアンッ!

 

 

 

 

 

 

すさまじい音とともに、寝室の扉が開いた!

 

 

 

「ちょっと響子さん!なにやっているんですか!久君はまだ子供なんですよ!!」

 

「えあっ?澪さん!?」

 

そこには修羅と化した、戦略級魔法師・五輪澪さんが立っていた。怒髪天を突きまくる表情…

僕は十三使徒といわれる当代最強の魔法師の気迫とプレッシャーを全身に浴びていた。

 

こっこれが、戦略級魔法師の実力…?いや違う…けど、違わない…

 

『咲-Saki-阿知賀編』であのレジェンド『赤土晴絵』に10年もの間トラウマを与えた『小鍛治健夜』の姿が、そこにある…このSSで澪さんのビジュアルは『すこやん・小鍛治健夜』なんだ。アラサーだよぅ!

 

「あら?澪さんは今頃、佐世保から出航して、東シナ海に向かって船の上だったのでは?」

 

響子さんがいかにもまじめくさって尋ねる。

 

「出征は中止になりました。そのことは昨日公表されているはずですよ!響子さん!」

 

澪さんの出征は大亜連合とのこれ以上の関係悪化を防ぐ穏健派によって中止になったそうだ。

強硬派はそれでも澪さんを出航させようとしたけれど、穏健派には有力な十師族がいたらしく、結局は中止に。

国防軍の派閥争いに辟易していた澪さんは、チャーターしたヘリでさっさと東京に向けてとびたったそうで…

 

 

…響子さんは、今日、澪さんが帰ってくることを知っていて、あんな意地悪をしたんだっ!

 

「ちょっと惜しかったかな…」

 

ぼそっと響子さんがこぼす…いやいや18禁指定してないんですよこのSSは。

 

「ちょっと警告タグのR-18をチェックするだけなのよ」…ってそんなメタな台詞はやめてぇ!

 

はぁ、僕はため息をつくと、澪さんを見つめる。

二週間ぶりに会う澪さんは少しやつれているようだ…

 

僕は「お帰りなさい」って澪さんを抱きしめた。

凄く細い、弱弱しい…この折れてしまいそうな小さな身体で、この国の運命を左右する立場におかれているんだ…

澪さんの五輪家は、十師族としてそれほど有力ではないそうで、国防軍の派閥争いに表立っては意見できないみたいだ。

今回も他の十師族の口ぞえがあったから帰れたんだそうだ。十師族でもいろいろあるんだなぁ。

僕が支えてあげられればいいんだけれど、僕にはそんな力はない…

澪さんは僕を力強く抱きしめ返して、

 

「久君、今日からは私は、もうずっとここに住みます」

 

「は?」

 

「緊急ヘリは近くの公園のグランドを使います!許可もとりました!」

 

「へ?」

 

こうなると澪さんは人の言うことは聞かない。戦略魔法師である澪さんはある程度のわがまま…もとい、融通が利くそうだ。

すごく逞しい。

小悪魔な響子さんも、くすっと笑っている。

 

澪さん帰宅後は、あわただしかった。

特に戦勝に沸くこの国ではあちこちでパーティーが開かれている。

当然、この国でも最重要人物の澪さんは、あちこちから招待を受けることになる。

澪さんはあまり公式の場に出たがらないので多くは虚弱を理由に断っているけれど、断るわけにはいかない場もある。

今上帝主催の晩餐会、首相主催、国防軍トップ主催、この三つは無理でも出ないと行けないそうだ。

当然、どこの馬の骨だかわからない僕はその三つには付き添いすらできない。

 

ただでさえ、消耗していた澪さんはこの三つのパーティーで完全グロッキー。

僕や響子さんは色々と気を使って、体力回復を手伝い、まるで召使のようにお世話をして…

引きこもりクィーンはもはや引きこもり女皇帝にランクアップ。

朝、僕が学校に行くときの悲しい顔は…あぁ後ろ髪ひかれまくる…すぐ帰りますからぁ。

11月の残り二週間はずっとそんな感じだった。

 

12月最初の土曜日夜、十師族合同のパーティーが行われた。

澪さんの体調を考えて、十師族のパーティーは一回だけにするそうだ。

同じ十師族は家族という建前から、付き添いはある程度自由なんだそうで、今回は僕も付いて行くことになった。

響子さんも藤林家の代表として参加するって。

パーティーは社交的な家として知られている七草家が主催なんだそうだ。

 

七草家…真由美さんのお家か…何も起きないよね。

僕と澪さんは同じリムジンに乗って、七草家のお屋敷に向かった。




響子さんは、このSSではお色気担当です。
澪さんは、お色気…えーと。

久の立ち位置的に十師族と会う機会なんてないので、今後の伏線を張る流れでオリジナルを3話続けます。
これもオリ主目線の一人称文の弊害でもありますが、ころころ視点が変わるのも読みにくいので。
お読みいただき有難うございます。


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十師族

 

 

僕は電動車いすの澪さんの横に立っている。

今日の僕は、澪さんが選んでくれたフォーマルなジャケットだ。半ズボンなのは恥ずかしい。

これが響子さんや真由美さんだったらドレスを着させるはず。たぶん深雪さんも。みんなストレスさんだ…

真夜お母様の執事・葉山さんみたいに斜め後ろに立っていようと思ったけれど、澪さんが手を離してくれなくて、横に立つことになった。

なんだか介添人というより、ペットの犬みたいだ…

 

パーティー開始前に澪さんの弟さん『五輪洋史』に会った。お父さんは仕事で来られないから代理だったそうだ。

線の細いところは澪さんに似ているけれど、澪さんと違って覇気がない。

 

「姉をよろしく頼むよ」

 

って言われた。なんだかほっと肩の荷が下りたような表情だ。

いやいや、今日は僕たちの披露宴じゃないんだから…それとも冗談だったのかな?

 

 

七草家でのパーティーは大盛況だった。

会場は一家庭の部屋にしてはとっても広くて、小さな体育館みたいだ。

パーティーは立食形式で、料理は九校戦のときより断然美味しかった。

ただ、こういう華やかな場は苦手だ。美味しい料理でお腹が一杯になる前に胸が一杯になりそうだ。

 

十師族主催のパーティーとは言え、師補十八家・百家の全員が集まっているわけではないけど、有力なナンバーズは当主か当主に近い人物が出席しているみたいだ。

東京に住むナンバーズは多いし、移動が容易な今の時代、比較的急な集まりでも、問題ないみたい。

僕はナンバーズの名前も顔も知らないので、澪さんの隣で所在無く立っているだけだけど。

 

九校戦のときとは違って、大人のパーティーとあって華やかなドレスが目だった。

洋史さんがいろいろな集団に顔を出して話しかけている。柔らかい物腰で、癖の強そうなほかのナンバーズのなかでは少し頼りない。波間に漂う小船みたいだ。

その中には知り合いの顔もちらほらある。一高にナンバーズが沢山いるってことでもあるけれど。

その殆どが女性で、独身が多い。こういう場は家同士の結びつきの場で、七草家は現在の十師族でも有数の力を持っているんだそうだ。

なるほど真由美さんは超お嬢様なんだなぁ。

洋史さんと真由美さんが結婚すれば、澪さんの義妹になるんだ。これも閨閥つくりってやつだね。

僕みたいな庶民には縁がない話だ…

 

 

澪さんが主賓なのだから当然着飾っている。でも、電動車いすで小さな身体のドレス姿は豪華なパーティーに埋もれている。

上座にいなければ、他の華やかな花にかき消されてしまう。

十師族が集まるので、パーティーとは別にそれぞれの思惑もあるんだろうけれど、僕には関係がない。

ナンバーズ同士の牽制で澪さんに余計な負担がかからなければいいんだけれど…

『ご挨拶』に忙しい澪さんにかわって、僕が小皿に料理と飲み物を選んで運ぶ。これは間違いなく介添人の仕事だ。

 

 

しばらくして十師族の当主たちが澪さんに挨拶してくる。

十師族の挨拶となると洋史さんも波間に漂っているわけには行かず、澪さんの車椅子の後ろに立った。

後ろに立つところが洋史さんらしいな…

 

十師族の当主はあまり堅苦しくない挨拶が殆どで、戦勝祝いの後は雑談だ。

逆に十師族でないナンバーズの方が澪さんに長々と話しかけていたな…

笑顔の仮面にうんざりとした表情を隠していたけれど、真由美さんや深雪さんみたいに上手ではなかった。

だって笑いが『グキッ』てすこし引きつっていたから。このあたりは澪さんっぽい。

 

十師族の当主は雑談後、ちらっと僕をみて離れていくのが殆どのパターンだ。

ナンバーズ間での僕のイメージは、九校戦で少し活躍した一高生程度の認知度だ。五輪家のペットと思っているのかもしれないな。

 

澪さんも十師族は邪険にできないので、親しげに話している。澪さんには既知な間柄でも、僕には初対面、名前なんて覚えられない…

僕は深雪さんを思いだして、とにかくニコニコ笑顔を振りまいていた。

 

でも中には、僕にも話しかけてくれる人たちもいる。

 

十文字先輩が十文字家代表代理として挨拶。タキシード姿がきまっている。相変わらずの存在感だ。

車椅子の澪さんの前に立つと、澪さんは押しつぶされそう。洋史さんは一歩後ずさった雰囲気だ…

十文字先輩はかっこいい!僕はキラキラした目で見る。

戦勝の挨拶を澪さんと簡単にかわしたあと僕に話しかけてくれた、

 

「怪我はもう大丈夫のようだな」

 

「はい、もうすっかり。十文字先輩はかっこいいなぁ…僕も大きくなったら先輩みたいに逞しい男になりたいなぁ」

 

「…そうか?」

 

頑張れ…とその目が言っている。男と男の子の間に言葉はいらないのだ。周囲は無理だろうと言う視線をむけているようだけれど…?

 

 

真由美さんは今日は、よそ行きの笑顔だ。一高生徒会室の脱力した姿は無い。ご令嬢モードだ。

洋史さんと交際関係(仮)の真由美さんは、出征前にもあっていたようで、そのような話をしている。

真由美さんの後ろに、顔はそっくりでも醸し出す雰囲気が真逆な二人組みがいた。

双子はこのようなパーティーには慣れているみたいだけれど、僕の前に立つとすこしおどおどした。

 

「お久しぶりです、多治見久様」「お久しぶりです…九校戦の会場ではお世話になりました」

 

丁寧に挨拶をする双子。九校戦の時の勝気な態度はなかった。こちらも真由美さんと同じで令嬢モードなんだろう。

僕はあのときのことを思い出して、

 

「あの時は、二人だけで倒せるって言っていたのに邪魔してごめんなさい」

 

きちんと腰を折って謝った。

 

「えっあ?あれは違って…」

 

「そうですわ、あの時はきちんと御礼も出来ず多治見様はいなくなってしまわれて…」

 

二人の要領を得ない発言に真由美さんが首をひねった。いつものような漫画チックな動作ではなかった。

 

「二人とも、久ちゃんと知り合いなの?まさか久ちゃんにご迷惑かけたんじゃないでしょうね、あとで話を聞かせてもらうわ」

 

真由美さんは姉の表情になって双子を引きずるように去っていく。

双子のボーイッシュな方がジト目で僕を睨んできた。あっ双子の名前を聞くのを忘れていた…

 

 

九島家の現当主は烈くんの息子さんだ。

親子だけあって良く似ているけれど、どこか頼りない。烈くんが古狼なら、息子さんは古狗といった感じかな…

光宣くんのお父さんなんだよな…あまり似ていないな…

でも烈くんの子供が只者であるはずがない。その目は濁っていない…

響子さんのお母さんの兄なので、響子さんが僕の婚約者(仮)になっていることは知っているはずだ。

礼を失しない程度に、僕を上から下まで値踏みするように見る。

烈くんの真意を測りかねている、もしくは頭の中で色々と計算しているといった感じだった。

僕はニコニコ作り笑い…

 

 

一条剛毅さん。

横浜でも助けてくれた一条将輝くんのお父さんだ。凄い日焼けをしている。潮の香りがするような海の男だ。

 

「九校戦でははらはらしたよ」

 

声まで胆力がある。将輝くんは意外とお母さん似なのかなって感じた。

 

「いえ…結果は僅差だったけど…内容では僕の完敗でした…でも次は負けません!」

 

力強く宣言する僕!

 

「おう、将輝の鼻っ柱を折ってやってくれ」

 

僕の肩をぽんっと叩く。すごく男らしい。

 

 

 

「よっ、久」

 

「あっエリカさん」

 

僕がトイレから(もちろん男子トイレだよ)戻る途中、エリカさんが声をかけてきた。

エリカさんも会場にいたことは気がついていた。ほろ酔い気分な男性の隣に立って、不機嫌なオーラを発していたから逆に目立っていたんだ。

エリカさんのドレス姿は綺麗というより決まっているって感じだ。

 

「エリカさんは…どうしてここに…ああ千葉ってやっぱりナンバーズの『千』だったんだ」

 

「まぁね、バカ兄貴の付き添いよ。バカ兄貴が結婚してればこんなトコ来なくてよかったんだけど」

 

「お隣にいた男の人はお兄さんだったんだ」

 

「ん…美女に話しかけられて鼻の下伸ばして…だらしないったら…」

 

この場にいるのが嫌なのか、兄の鼻の下が気にらないのか…相変わらず、色々と不満をかかえているみたいだ。

その美女のなかに響子さんはいないな…まだ会場に来ていないのかな?

 

「ところで久はなんで五輪澪さんのとなりにいるの?まさか久も十師族の…」

 

そうか、エリカさんは九校戦の後夜祭に参加していなかったのか。

 

「うぅん、僕はナンバーズとかじゃないよ。僕はもともと戦争孤児だから家族とか知らないし…」

 

僕と澪さんの関係はなんて言えばいいのかな。オタク仲間…引きこもり同士。マブダチ…これが一番近いかな。

 

「澪さんとは…趣味が共通の仲のいいお友達…かな。九校戦以降、気にかけてくれているんだ」

 

全身で考え込む僕に、ナンバーズも色々と事情があることを知っているのか、その後は質問はしてこなかった。

 

 

 

澪さんの隣に戻る。

 

「久君…大丈夫?つかれてない?」

 

澪さんは僕がずっと隣で立ちっぱなしだったのを気にしているようだ。

 

「ん、平気だよ、澪さんこそ無理しないでね…」

 

ざわっ

 

一瞬、会場の雰囲気がかわった。

ツヤのある黒に近い、ロングドレスの女性がしずしずと澪さんに向かって歩いてくる。

まるで、今夜の女王は自分だと、十文字先輩とは別の種類の存在感だ…

 

「四葉真夜さんが七草家のパーティーに来るなんて…驚きですわね」

「いや、今日はたまたま会場になっただけで、今も犬猿の仲は変わらないようだぞ…」

 

会場がざわついている。七草家と仲が悪い…?昔何かあったのかな…

そういえば真夜お母様が七草家に現れたときは、会場がどよめきで揺れていたな。

 

四葉真夜お母様。

真夜お母様も、あまり社交的ではないらしいのだけれど、今回は特別な会なので出席したそうだ。

もったいないなぁ、あんなに綺麗なのに、引きこもっているなんて…

澪さんも引きこもりクィーンだし、僕も引きこもりだ。引きこもり三姉妹だな。もちろん僕が長女…長男だ。

 

澪さんと真夜お母様が向き合っている。

会場は静かになった。会場中の視線を集めている。

真夜お母様は人の視線を集める怪しいまでの魅力がある。澪さんは少し気おされているみたいだ。

 

「このたびの戦勝、おめでとうございます…」

 

ごくごく普通の、拍子抜けするくらい普通すぎて、裏を探りたくなるような挨拶だった。

 

公式の場では僕と真夜お母様は見ず知らずということになっている。

理由はわからないけれど、真夜お母様がそういうんだからそうしなくちゃいけないんだと思う。

談笑を終えた真夜お母様はちらっと僕に目を向けると、微笑みをおくってくれた。

僕も笑顔で会釈する。

洋史さんは影が薄い…

 

 

七草家当主、七草弘一さんが最後に澪さんの前に立った。

弘一さんは今回のホストと言う事で、パーティー開始の挨拶もしていた。

室内なのにサングラスをかけて、視線が良くわからないせいか、すこし掴みどころのない人だ。

澪さんと洋史と雑談したあと、僕にも話しかけてきた。

 

「君が多治見久君だね。私は七草弘一、真由美の父親だ。君の事は真由美からもきいているよ、九校戦でも大活躍だったね」

 

「…いえ、僕はなんの貢献もできてないです…」

 

なんだろう、一条剛毅さんと同じ内容の会話なのに、すっきりしない。

真由美のお父さん…もしかしてこの人が真由美さんのストレスの原因なのかな?

…ああ、と僕は唐突に理解した。笑顔が作り物なんだな。

僕は、深雪さんの鉄壁の作り笑顔を毎日みているから、なんとなく人の表情には敏感になっているようだ。

澪さんの笑顔は、疲れを隠す笑顔だ…薄く化粧した顔に汗が浮かんでいる。

 

僕はおずおずと…

 

「あのぉう…」

 

「どうかしたかい?」

 

「澪さんがすこし疲れているみたいなので、休憩室でお休みをさせてあげたいんですけれど」

 

澪さんが驚いたように僕の顔をみた。ちょっと嬉しそうな、複雑な表情だった。

 

「おっと、これは失礼した。お若いのによくお気づきだ。五輪澪さんの体調は、我々の方が気をつけなければならないのに失礼をした」

 

なんだか演技臭いというか、どこか木で鼻をくくったような感じというか、僕の周りにはいない感じの大人だ。

子供的な感覚で、すごく面倒そうな人、だと感じる。

このままだといつまでも話が終わりそうもないので、僕は電動車いすのハンドルを握ると、

 

「ではすこし失礼しますね。洋史さん、後はお願いしますね」

 

と洋史さんに面倒な大人は丸投げにして、さっさと澪さんを控え室に連れて行く。

 

「ちょっ久君どうしたの?」

 

長い廊下で二人になったところで澪さんが尋ねてくる。面倒そうな大人から逃げるとは言えない…汗。

 

「澪さん無理しちゃだめだよ、僕には遠慮いらないよ、疲れたんなら素直に言ってよ」

 

「私は病人じゃないのよ、昔よりも体調は良いし…」

 

「体調だけじゃないよ、気疲れってこともあるし、すこし休憩しようよ」

 

「家同士のお付き合いもあるし、私が主賓なのだから会場にいないと…」

 

「そんな大人の都合はどうでも良いよ、僕は子供だもん、僕のせいにして良いから、ちょっと休憩しよ!」

 

ちょっと強めに言ってみる。

 

もう…久君はかっこいいんだから…もういつでもお嫁さんに貰って欲しいなぁ…

 

ん?今、心の声が聞こえたような…

 

 

 

「あら?会場から逃げてきたの?」

 

澪さんの控え室には、胸元がセクシーなドレス姿の響子さんがくつろいでいた。

 

「えぇ?響子さん…会場に来ていたんですね、そしてなぜ澪さんの控え室に?」

 

「ちょっと久君、まずは最初に言う言葉があるんじゃないの?」

 

セクシーな胸元を僕に見せつけるように、前かがみになって指摘してくる。

うわぁああ…谷間が…あっいや…

 

「すっすごく綺麗です。赤いドレスが、なんだか響子さんの魅力を引き出して…それにセクシーで…真由美さんたちとは違って大人の魅力に溢れてて、可愛くて素敵で…えっあとは…とにかく最高ですっ!」

 

最後はほとんどやけだけれど、顔を真っ赤にして褒める僕の態度に満足したのか、うんうん頷いている。

 

「久くん…私にはそんなこと言ってくれなかったわよね…」

 

背後から物凄いプレッシャーが…これが戦略級魔法師の…ってそれはいいから…

 

「何言ってるの、澪さんは世界で一番可愛いよ!その白いレースのドレスは澪さんの黒髪に似合って…深窓のお姫様みたいで…もう守ってあげたくて…愛おしくて…しかたなくて…とにかく大好きですよぉ!」

 

こちらも殆ど何言っているか自分でもわからない感じだけれど、同じ文字数で叫ぶ。でも本心だし…

 

「大好きって…もう…久君…結婚…ぶつぶつ」

 

澪さんはくねくね身体をゆすりながら自分の妄想の世界に旅立った。でもよかったすこし元気になったみたいだ。

 

「響子さんは会場に入らなかったんですか?」

 

「あら、最初はいたのよ、素敵な男性はいないかしらって。でも私は久君の婚約者ですもの、お誘いをお断り続けるのも失礼なので、引っ込んできたの。それに真言おじ様もいたから…」

 

真言おじ様?…ああ烈くんの息子さん、九島家当主の…

 

「顔を合わせると、見合いしろ結婚しろってうるさいからね」

 

「でも、それは響子さんのことを思ってだと思うよ、僕もはやく響子さんに素敵な人が出来るといいなって思うし…」

 

「うーん、でも会場には久君より素敵な男の娘はいなかったのよねぇ…」

 

そりゃ男の娘は僕以外いないでしょうけれど…

これは、結婚する気は毛頭ないな…僕は男の子だよ。でも僕で響子さんのストレスが解消できるなら多少のいぢわるは我慢しよう…ちょっとえっちぃし…いやいや僕は10歳!

 

控え室は澪さん専用なので他の人は来ない。控え室といっても、十分広くて、ソファもゆったりしている。

お茶の用意もあるので、僕が率先して三人分を淹れる。

こういうときの僕は妙に甲斐甲斐しい。僕は人に尽くしたり何かをしてあげることが全然苦にならないんだ。

お茶を飲みながら、響子さんは十師族の人間関係を簡単に教えてくれた。

真夜お母様と七草さんとの関係も。元婚約者で今は敵対関係、というか七草さんが一方的にライバル視しているんだそうだ。

 

「でも、四葉真夜さんがこういうパーティーに出席するって珍しいわ」

 

「それは私も思いました。特に今回は七草家で行われるので絶対に来ないものだと思っていました」

 

二人の異なるタイプの美女が首をひねっている。

真夜お母様は、僕と澪さんのことを見に来たのかな…?今度聞いてみよう。

 

 

「ところで久君は…おっきい胸が好きなの?」

 

休憩中、澪さんがいきなり正解のない質問をしてくる。

 

「ふえ?なんで?」

 

「だって、響子さんの胸元ばかり見てるし、真由美さんも四葉真夜さんも胸ばかり見てたわ…」

 

「違うよぉ僕は背が低いから、そもそも目線がみんなのみぞおちあたりになるから…」

 

「私は…まったくないから…ぶつぶつ」

 

ふぇーん、澪お姉ちゃん、パーティーはまだ続いているんですよぉ~

 

 

 




響子「独身アラフォー女性に大好きですなんて結婚フラグよ久君」

澪「アラサーだよぅ、って響子さんより私は年下です!」

原作に出てくる女性陣はやたらと男性を値踏みしますね。
響子さんは久をからかって遊んでいます。それ以外は原作どおり、千葉兄をいじったり、癖の強い同僚や一族からのお見合い圧力にストレスを抱えています。
澪さんは、女性の幸せをあきらめかけていた時に久が現れたので…
久は戸籍上は16歳なので、あと2年待てば…と考えています。
つつしみ深い世界なので、それまでは我慢…と考えているみたいな?

十師族と、七草の双子、七草弘一、九島家現当主、千葉寿和の5人と久との接点を深めるためのオリジナル話でした。
お読みいただきありがとうございました。


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冬休み

七草家でのパーティーの翌日、僕は雫さんのお家に招かれていた。

雫さんは九校戦の帰り以降、色々と気を使ってくれている。嬉しいな。いつかお返しをしたい。みんなにも。

 

今日は、僕だけでなく達也くんたちも一緒。招待といっても、期末試験の勉強会だ。

魔法実技はもともとスペックだけは過去最高の僕は、CADの操作さえちゃんとすれば一定以上の成績は出せる。

機械音痴は相変わらずだけれど、最近は家庭教師(澪お姉ちゃん、響子さん(婚約者・仮)、真夜お母様)のおかげで魔法の実習は比較的良好だ。

ただ、座学や一般教科はそうはいかない。

 

「ぐあぁー訳わかんねぇ」

 

とレオくんがもだえている。エリカさんも文句を言いつつ頭を抱えている。気持ちはわかるよ。

エリカさんだって座学は成績優秀なんだけれど、僕とレオくん以外のメンバーは学年成績上位者しかいない…

 

「ふっ、レオくん、僕が究極の勉強法を教えてあげよう!」

 

「なに?久、そんなのあるのか!?」

 

藁にもすがるレオくんに僕が必勝の策を教えて進ぜよう!

 

「くくくっ、必殺!丸暗記!」

 

僕のキャンパスノートにはあいかわらずびっしりテキストがそのまま書き込まれている。書き取りにまさる記憶法はないのだ。

 

「たしかに、記憶しなければそもそも戦えないが…」

 

「理解は二の次さ!」

 

僕はキメ顔でサムズアップする。

 

「いばるんじゃない、応用や論文に対応できないだろう」

 

達也くんに怒られる。でも、100点が無理なら、確実に60点を目指すのが勝利(赤点回避)への道!満点を狙うのは60点(基本)をとれるようになってからだ。

 

 

「実はアメリカに留学することになった」

 

勉強会もほどほどに、お茶会になる。お菓子は僕がつくってお土産で持ってきたシフォンケーキとブラマンジェだ。

お茶会での雫さんの発言はみんなを驚かしていた。

魔法師が重要な国家の戦力である以上、海外旅行なんて厳禁だ。そもそも日本は魔法師開発や技術でも世界トップクラスなのだから、わざわざ海外留学する意味も薄い。

留学期間は三ヶ月。短いな、と僕の感覚では思う。逆に、なんでこの時期なのかな?わからない。

 

 

雫さんのお家は豪邸だ。とにかく万事に広く大きい。それこそ、迷子になりそうなくらい…

 

アメリカか…昔、一度だけ特別任務で行ったな…一日だけだったけれど。

なんてこと考えていたら…

 

「…ええっと、ここどこ?」

 

お茶会の雑談の途中、僕は失礼をしてお手洗いを借りた。

借りたのは良いけれど、初めて来る家の廊下だ。右も左もわからない…わからないまま右往左往。

家の中で迷子って…どこまで方向音痴なんだろう。泣きたい。いや、実際泣き顔なんだけれど…

 

「あ?」

 

「え?」

 

迷宮(僕的感覚で)をさまよっていたら、廊下の角で中学生くらいの男の子とばったりぶつかってしまった。

僕よりすこし背が高い。育ちのよさが顔にでている。目がくりっとした可愛らしい子だ。雫さんに似ている。

 

「あっごめんなさい…貴女は…姉さんのお知り合い?」

 

僕は涙目で頷いている。今日の僕はデニムパンツにセーターのユニセックスな服装だ。

 

「うっうん、おトイレお借りしたら…雫さんのお部屋がわからなくなっちゃって…」

 

腰まで伸ばした濡羽色の髪を可愛いリボンで束ねて(リボンは響子さんが出がけに結んでくれた)、折れそうなほどの華奢な身体に人形じみた容姿。涙を溜めた目は紫がかった黒…どうみても女の子だ…

男の子は頬を赤らめている…女みたいだって思われてる…ううぅ恥ずかしい。しかも、お家の中で迷子なんて、バカにされてるよ…

 

「ねっ姉さんの部屋はこっちだよ、付いて来て…」

 

男の子は進行方向を指差して歩き出した。ちらちらこっちを振り向きながら歩いている。また僕がはぐれると思っているのかな…

 

「ねっ…ねぇ」

 

「なっ何?」

 

男の子は思いのほか大きな声で返事をして立ち止まった。

 

「またはぐれるといやだから…手をつないでも良い?」

 

「えぇ?」

 

「駄目かな…?」

 

僕は上目遣いで(男の子の方が少し背が高いから)、『小松未可子』さんの声でたずねる。

男の子は顔を真っ赤にして小さな手をちょこんと差し出してきた。そんないやがらなくても…

僕は涙目のまま「ありがとう」って笑って、手を握った。男の子がびくってしたけれど、凄く熱い手だ。こころなしか汗ばんでいる。

雫さんのお家は廊下にも暖房が効いているのかな?

男の子はゆっくりと歩いて、雫さんの部屋の前まで連れて行ってくれた。気のせいかすこし遠回りだったような気がするけれど。

お礼を言うと、何故か「うっうん」って頷くと走り去ってしまった…

 

そんな逃げなくってもいいのに…

 

いろいろと壊れている僕の情緒は凄く不安定でチグハグだ。その時々のメンタルで小さなことでも大きく受け止めてしまう。

僕はしょんぼりと雫さんの部屋のドアを開けた。

 

 

雫さんの送別会は試験も終わった12月24日、学校帰りのいつもの喫茶店でおこなわれた。

留学は、交換留学なんだそうで、同い年の女の子が一高に来るそうだ。交換留学生に選ばれるような生徒だ、きっと優等生なんだろう。

一科生でも劣等生の僕とは接点は少なそうだ。

 

喫茶店で、僕はこれまでのお礼を兼ねてクリスマスプレゼントを渡した。

女性陣には、デザインは学生らしく簡素だけれど、誕生石をあしらったプラチナの指輪。

男性陣には何を渡せば良いかわからなかったので、響子さんの意見でカタログを渡した。カタログの商品は指輪と同じくらいの値段帯だ。

 

綺麗にラッピングされた箱を明けて指輪をみた女性陣が驚いていた。

 

「ちょっと久、これかなり高かったんじゃない?」

 

エリカさんが言う。もらい物の値段を詮索しちゃ失礼だよと思うけれど、エリカさんらしい。

 

「うぅん、みんなには迷惑ばかりかけているから…せめてものって思って」

 

「久、あなた無理していない?」

 

「うぅん、お金は平気。僕、遺産もらったし、それに指輪もカタログも澪さんのお家の海運会社系列のお店のだから、お安く手に入れられたんだよ」

 

僕の貯金は、烈くんが「自分の遺産だ、好きに使うと良い」ってくれたお金だ。

7年間の実験動物代(?)にその間、約半年の軍務。戦没者(僕だ)の遺族年金70年分だって。

正直、多すぎなんじゃないかって金額で、学費と自宅は烈くんが出してくれたし、普段は贅沢もしないし、食費くらいしか使わないから、殆ど減らない。

今は澪さんも響子さんも色々とお金は出してくれるし、これくらいの金額は大したことがない。

 

「うっをっ!?これ欲しかったけど手が出せなかったやつ…久っダンケシェーン!」

 

レオくんには登山やアウトドア系のカタログだ。幹比古くんには和風、達也くんのは深雪さんと選べるように服飾関係だ。

 

「かまわないからどんどん使ってね。その方が僕もうれしいから」

 

僕の家庭事情はみんな知らないけれど、五輪家、と言うか戦略魔法師・五輪澪さんのお世話、援助を受けていると思っているみたいだ。

澪さんに会ったのは8月だし、実際には九島家・烈くん個人からの援助なんだけれど。

このことはちょっと調べればわかるんだと思う。真夜お母様もしっていたし。

別に秘密じゃないけれど、とくに誰も聞いてこない。人の家庭事情には踏み込まないのが『魔法師』社会の礼儀なんだそうだ。

 

クリスマス商戦真っ只中の一高前駅でみんなと別れる。

ほのかさんは雫さんと、達也くんは深雪さんと、それ以外は一人だった。クリスマスの甘いイベントは達也くんと深雪さんだけみたいだ。

 

外はすっかり暗い。冬の空気が頬に冷たい。

練馬の自宅に戻ると、窓から明かりがこぼれている。今夜は響子さんもいる。澪さんはネットで大学院なので引きこもり。

響子さんは、素敵な男性とディナーでも行けば良いのに…

僕なんかと関わっていると、ほんとにお嫁に行くタイミングを失うよ…

 

「「おかえりなさい、久君」」

 

二人のタイプの異なった美女がお出迎えしてくれた。さすがに響子さんもえちぃサンタコスプレとかはしていない。ざんね…ヒトアンシンだ。

ケーキも料理も三人でつくる。なんだか家族だな。二人とも段々料理の手つきが上手になってきて手際が良い。

手際が良いと、片付けが楽になるんだよね。

調理器具も充実しているし。これは二人がクリスマスプレゼントだって昨日くれたものだ。

僕は物欲とか全然ないから毎日使えるものの方が良いって知っててくれたんだ。えへへ嬉しい。

 

お返しに、指輪とイヤリングをプレゼントする。

喫茶店で深雪さんたちにプレゼントしたのより豪華で、でも日常邪魔にならない絶妙なデザインだ。

有名な腕の立つ魔工師のデザインはちょっとした魔よけの意味もあるんだそうだ。

目に見えないものが現実にいるとわかっている『魔法師』の時代だ。昔よりも魔よけは確かなものとしてある。

もっとも二人とも国を代表するような『魔法師』だから、こんなのは気休めにもならないけれど

 

響子さんは右手の薬指に、澪さんは左手の薬指に…え?

 

「これは給料の三か月分の…マリッジリングね。久君有難う!」

 

「これは給料の三か月分の…マリッジリングね?久君有難う…」

 

同じ台詞なのに、こめられた意味が違う気がするのは気のせいに違いない。

でも、そんなに値段は高くないよ、せいぜい二か月分くらい。イヤリングをいれるとそれくらいか。

人生で一番高い買い物をしたけれど、二人とも喜んでくれたから、僕も嬉しい。

 

 

そのまま冬休みに入った。大晦日まで特に用事はない。

深雪さんが元日に初詣に誘ってくれたんだけれど、残念ながら断らなくちゃいけなかった。

冬休みに光宣くんに生駒に行く約束をしていたんだけれど、響子さんの仕事の都合で大晦日と元日しか時間が取れなかったんだ。

澪さんも元日はご実家の愛媛まで帰らなくてはならないそう。

もともと僕に会う8月までの予定では秋ごろ、大学院の卒業も問題ないので、東京を引き払って愛媛に帰るはずだったんだそうで、僕と出会って、僕のうちに転がり込んで引きこもっていたので、流石に親戚一同に説明しなくちゃいけないんだそうだ。

いつもなら専用ヘリで宇和島まで直行なんだそうだけれど、今回は僕たちと一緒に奈良まではリニアだ。

リニア乗り場では警護の人が何人も僕たちを囲っていて、ホームは一時騒然としていた。戦略魔法師は大変だ…

 

 

 

ぶっううううううぅん…うぅううぅおおんんお

 

 

リニアが横浜あたりを通過するとき、虫の羽音みたいな変な音が聞こえた。

リニアの個室に虫でも入り込んだかなと思って回りを見回す。

 

「どうかしたの?」

 

個室では、僕の隣に澪さん、正面に響子さんだったけれど、その羽音を聞いたのは僕だけだったみたいだ。

 

「ん…なにか虫がいるかなって思って…気のせいだったみたい」

 

リニアの車窓は物凄い勢いで後方に流れていく。

それでも僕たちは快適な電車の旅を楽しんで、そんな羽音のことも、すぐ忘れてしまっていた。

 

 

奈良駅で僕と響子さんは降りる。澪さんはハンカチ片手に手を振って大阪まで向かい、そこからヘリだそうだ。

東京で会えるのは1月4日になるんだって。

たったの五日間だと思うけれど、依存性の高まっている僕は、それだけで泣きそうだ…

 

奈良駅からは生駒までキャビネットと思っていたら、光宣くんがリムジンで迎えに来てくれた。

どうも僕はリムジンに乗る機会が多いな…四葉、五輪、七草、九島…うぅむ。

 

光宣くんは今日は元気そう。

 

「お久しぶりです、久さん、響子姉さん」

 

「こんにちは、光宣くん」

 

「お久しぶりね光宣くん」

 

相変わらず、物凄い美男子だ。奈良駅でリムジンから降りただけで、周囲の注目を集めていた。背も高くて、足も長い…僕は成長しないのかなぁ。

メールやビジフォンで頻繁にやり取りをしているけれど、それでも話すことは沢山あった。直接会うのは3月末に東京に行ってから、もう九ヶ月も経つのか…

 

「光宣くん、元気そうでよかった」

 

「もう久さん、久しぶりの会話がそれって…でも久さんも去年家にいた時よりも顔色がいいですよ」

 

「ん?」

 

去年、生駒の烈くんの家にいた当時、僕は体調が回復していなくて、光宣くんと二人で介護し合っていた仲だった。ある意味僕が一高に入学できたのはその時の光宣くんの家庭教師のおかげだ。響子さんは8月以降の僕しか知らないから、去年体調不良だったことは知らなかったみたい。

 

「そう…二人とも物凄いサイオン量だから、どこか共通点があるのかも…」

 

って深刻に考え始めてしまった。そんな姿も知的でいいなぁなんて僕は響子さんを見上げ、その二人を光宣くんが嬉しそうに見つめている。

そんな美男子、美少女、美女の姿を見る通行人のため息が聞こえてくる…?

 

 

光宣くんは今年は受験生だ。本当は一高に行きたかったようだ。そうすれば、僕の家に住めるし響子さんとも頻繁に会えるんだけれど、体調の問題があるから二高を受験するそうだ。光宣くんの成績と魔法力なら主席間違いなしだ。

九校戦ではライバルだね。

 

「負けませんよ」

 

「うぅ光宣くんには勝てる気がしないよ」

 

 

元日は午前中、九島家でお正月のお祝いがあった。和室で和風でお膳で和服だ。

九島家は親戚や関係者が物凄く多い。烈くんはこの国の魔法師社会のみならず政界や財界にも顔が広いようだ。当然だけれど、現当主より影響力は強い。

お祝いは、九島家現当主が当然一番の上座なんだけれど、挨拶をするお客の頭の下げ具合は隣の烈くん相手のほうが低い…

そんな国のトップに位置する大人たちの集まりの中にあって、正直言って、僕の存在は物凄く異物だ。華やかな振袖の響子さんと存在自体が華やかな光宣くんの隣で小さくなっている。

僕は光宣くんのお古の紋付を着ている。響子さんのお古は断固拒否した。女装というのは冗談の通じる人たち相手じゃないと駄目なんだよ。

九島家は冗談が通じなさそうだ。烈くんは本当はざっくばらんで面白い人なんだけれど、現当主の雰囲気は重い…うぅ、二人がいろいろと気を使ってくれるのが心苦しい…

この座に並べるのは大変意味があるそうなんだ。僕は広い座敷の一番末席に座っている。

高級な塗り物のお膳や精緻を尽くした料理は、料理好きな僕には興味津々なんだけれど、お客や親戚が胡乱なものを見るような目をチラチラ僕にむける。座布団の端をもじもじ…

 

「ごめんね、家の新年のお祝いはいつもこんななのよ…」

 

と、響子さんも実に居心地が悪そうだ。

小さくなって、料理を食べている。いつになったら退席していいのかな…って考えていたら、僕の前に烈くんが立っていた。相変わらず背筋をピンと伸ばして、年齢を感じさせない立ち姿だ。

現当主の息子さんのほうが老けて見える。座敷の視線が僕と烈くんに集まる。

すっと、烈くんが畳に綺麗に正座をして、僕と視線を合わせてくれた。

座敷の大人たち、響子さんや光宣くんまで驚いて、箸を運ぶ手が止まっていた。

 

「すまないな、久たちにはややかたい集まりになってしまったようだな」

 

「うぅん…僕にはちょっと座敷で正座はつらいかな」

 

「ふむ、ではこれから初詣としゃれ込まないかね。昼からは私も時間が無くてね、すぐ近くに由緒あるお寺があるのだよ。響子と光宣もどうかな?」

 

座敷の雰囲気が動揺で渦巻いている。自分たちや訪問客をおいて、どこの馬の骨ともしらない子供の相手をする烈くんに衝撃をうけているみたいだ。僕にとっては書斎にアニメボックスやコミックスを大量蔵書している面白い昔なじみなんだけれど…

 

「でもいいの?お客さんをほかって置いて?」

 

「ははは、私はすでに隠居の身だよ。この場は現当主にお任せして、孫たちと初詣なんて平和じゃないか」

 

「あははほんとだ、すごい平和だ…平和って良いね。響子さん、光宣くん、行こうよ」

 

 

苦行の時間をなんとかやり過ごし、僕たちは九島家の近くのお寺に初詣に行った。

ケーブルカーに乗るなんて初めてだな。初詣には響子さん、光宣くん、そして烈くん。もちろん、警護や側近もご一緒だけれど。

4人で乗ったケーブルカーに初詣は、なんだか家族っぽかった。




原作の初詣のシーンにオリ主も参加させようと思っていたのですが、
久は九重八雲と達也の関係を知らないので、別行動に。
久は達也の事を心から尊敬して好きなんですが、実はあまり達也の事は知りません。
達也の魔法も九校戦で見たのみでよく理解していない。
体術の師弟という関係も、その話題のときに一緒にいなかったので、知りません。
いずれこの人間関係は微妙な展開になる…予定です。

そして、九島家の新年会は重要で、この会で、久は九島家の庇護にあることが公になりました。久は五輪家と九島家・特に九島烈に関わりのある人物として魔法師の世界に広まります。
四葉とのかかわりは、当然秘密です。七草弘一がなんとなく掴んでいる感じです。

お読みいただき有難うございました。


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達也くんだから避けられるんだよ!

今年最初の登校日。1-A組に、アメリカからの留学生がやってきた。

教師に招かれて、金髪縦ロールに青い目の女の子が教壇に立った。

男子生徒からだけでなく女子生徒からも陶然とした声が漏れる。

森崎くんの呆けた顔は、それはもう間が抜けていた。あとでからかっておこう。

僕の隣の席の深雪さんは鉄壁の微笑で無言だった。

 

僕はと言うと、九島家から帰るときにもらったお土産のことを考えていた。

烈くん以外にも、初対面の人が沢山『お年玉』をくれた。長い肩書きと名前を売り込んでいたけれど、誰一人名前を覚えられなかった…ごめんなさい。

それよりも、貰ったお餅をどうやって片付けようか悩む。

烈くんが帰りにくれたお餅は、半畳もあって、東京まで持ってくるのが大変だった。

高価な物やお金じゃなくお餅をくれるところが逆に面白くて好感度が上がるね。

なんだか田舎に帰省したって感じがする。

僕と響子さんは元日真夜中に帰宅して、澪さんは予定より1日早い3日昼に戻ってきた。

僕のつくるお雑煮は中部地方風で、かつおだしに澄まし汁、ほうれん草にかまぼこ、削り節と言うシンプルなものだ。

二人には好評だったけれど、二日も食べれば餅は飽きる…

 

残ったお餅はぜんざいにしようかなと、僕は焦点の会わない目で虚空を見ながら考え事をしている…

ひとつのことに意識が行くと他のことに気が回らなくなる悪い癖だ。

 

「久?」

 

だから深雪さんに話しかけられるまで、その子が真横に立っていることに気がつかなかった。

その子は深雪さんと会話した後、僕にも話しかけようとしたみたいだ。

 

僕は立ち上がった。もちろん、その子の方が背が高い。相変わらず僕の目線は女の子の胸の辺りになる。

視線をすこし上げて、

 

「It's a pleasure to meet you.」

 

挨拶をした。クラスの皆が「え?」って言った。僕の英語の発音がネイティブだったからだ。

深雪さんも驚いている。僕は昔、任務で英語を話す必要があったので、日常会話はある程度はできる。正確な英単語より発音重視なので英文は苦手だけれど。

その子も驚いていたけれど、すこし驚きの種類が違うみたいだ。

まるで僕のことは調べて知っているのに、情報には載っていなかったスキルにいきなり遭遇したみたいな…

 

「The pleasure is all mine.」

 

女の子も丁寧に返してくれた。

 

『英語を話せるんですか?』

 

『少しだけ、日常会話程度だけれど、貴女は日本語話せますか?』

 

『ええ、日本語の習得も留学の理由のひとつですから』

 

『じゃあ日本語でお願いします。英語は話せるけれど自信はないし…間違ったこといったら失礼だから』

 

「それはワタシも同じよ、私はアンジェリーナ・クドウ・シールズ。リーナって呼んでね」

 

「僕は多治見久。ヒサって呼んでください」

 

僕とリーナさんは何故かいきなり打ち解けてしまった。やはり母国語を話す相手には外国の人は態度が違う。

あの時、ドイツ語も出来ていればよかったな…

 

リーナさんはまず容姿で話題になっていた。深雪さんが日本的な絶世美少女ならリーナさんは華やかな絶世美少女だ。ちなみに僕は絶世男の娘だ…うぅ。

絶世の美少女が僕の右となりと右斜め後ろに座っているけれど、魔法師は容姿が優れている。ほのかさんも雫さんも真由美さんもエリカさんも美月さんも市原先輩も渡辺委員長もエイミィさんもスバルさんもあーちゃん先輩も『ヨル』さんも『ヤミ』さんも美少女だし、澪さんも響子さんも真夜お母様も美女だ。

正直言って、『美』がインフレーションを起こしすぎて、僕には良くわからない。

僕的には達也くんやレオくんや十文字先輩やはんぞー先輩の方がかっこよくて良いと思う。

もちろん、僕が男好きという特殊な意味とは違う。でも達也くんなら僕の…ぶつぶつ…

 

リーナさんはほのかさんともすぐに仲良くなっていた。いつも一緒にいる雫さんがいないから替わり…ってわけではないと思うけれど。

食堂で達也くんにリーナさんを紹介していたのもほのかさんだった。

達也くんにだけ紹介をするほのかさんの態度にエリカさんたちが微妙な表情をしていた。

 

「ワタシの母方の祖父が九島将軍の弟よ」

 

クドウという名前に達也くんが抱いた問いにリーナさんが答えた。

しょーぐん。九島ショーグンか…かっこいいな。

僕といた頃は新任少尉だったけれど、少将まで昇進したのか。極官まで登らなかったのは現場にいたかったからかな。

でも、烈くんの九校戦懇親会の金髪好きネタをここまでつなげられるとは思ってもみなかったよ。

金髪の美少女が親戚に出来てよかったね。

…と言う事は、リーナさんは響子さんや光宣くんのハトコにあたるのか。響子さんの婚約者(仮)の僕もハトコになるのかな…良くわからないけど。

 

 

リーナさんは物凄く優秀な『魔法師』だった。魔法の実習で深雪さんと互角に渡り合っていたのだ。

それはもう全校生徒が見学に来るくらいに。

 

「驚いたわ…ワタシと互角に渡り合える高校生がいたなんて」

 

リーナさんも驚いている。でも、

 

「驚くのはまだ早いわよ。久、来なさい」

 

僕は深雪さんに手招きされて、とてとて近づく。

 

「久もリーナと勝負してみて」

 

リーナさんが怪訝な顔をする。

僕は、いつものぶかぶかな制服に、腰まである黒髪。線は細くて、見るからに弱っちい。風が吹いたら飛ばされそうなほど頼りない。

成績のランキングにも上位にいないし、座学は何とか平均点だ。

そんな僕が深雪さんに言われて、リーナさんとどちらが金属球を相手側に転がすか、という単純なスピードと干渉力を競う魔法技能勝負に挑んだ。

据え置き型のCADでひとつだけの魔法を使う。これは、僕が入学試験当時からの得意な魔法実技だ。

 

「スリーツーワン」

 

リーナさんがカウントをして、同時にパネルに手多く。リーナさんは深雪さんのときと同じでバンッで手を叩きつける。

手、痛くないのかな…僕は心配しながら、そっと手を置く。非力な僕じゃ、手の方が壊れちゃう。

リーナさんがサイオンをCADに流し込…

 

ぽとん。

 

リーナさんが据え置き型CADにサイオンを流し込み終わるより早く、金属球はリーナさんのほうに力なく転がった。

 

「えっ?」

 

リーナさんは今起きたことが信じれないって、外国のお人形さんみたいに綺麗なお顔で、呆然としている。

1-Aの生徒と中二階の見学席からどよめきが起こった。でもそのどよめきは「やっぱスピードはすげぇな」「これでマルチキャストも上達できれば完璧なのに…」という残念が半分のどよめきだ。

一高の生徒は、僕が魔法力は凄いけれど機械音痴で不器用で残念な『魔法師』と言う事を、全員知っているのだ。

 

でもそんなことはしらないリーナさんは「フライング…じゃないわよね…もっもう一回!」と度肝を抜かれている。

都合5回対戦したけれど、5回とも僕の圧勝だった。

呆然と立ち尽くすリーナさん。

 

でも30分後には、複数の魔法を組み合わせたマルチキャストで相手の背中に先にタッチすると言う魔法実技で、馬脚をあらわした僕に勝ちまくることになる。

…うぅ、僕は『魔法師』としてはやはり二流以下だ。どうしても上手くいかない。

 

 

いつもの食堂にリーナさんの鈴のような声がネイティブな日本を奏でていた。

 

「驚いたわ、ミユキには勝ち越せないし、ホノカには精密制御じゃ負けるし、ヒサにはスピードと干渉力で完敗だし…流石は魔法技術大国日本ね」

 

勝負にこだわるリーナさんに深雪さんがやんわりたしなめる。これは国民性の違いだなと思う。

日本人は謙遜を美徳とするけれど、外国では謙遜は自信のなさの現われでしかない。

でも…僕は落ち込んでいた。

 

「僕は全然凄くないよ、リーナさんには最初の実技以外は手も足もでないもん…」

 

「久の機械音痴は筋金入りだからな…」

 

「それでも、久の魔法力は二科の私たちにしてみたらうらやましい限りなんだけれどねぇ」

 

レオくんとエリカさんがため息を漏らす。達也くんはいつもどおりの無表情だけれど、同じような気持ちを持っているようだ。

 

「久君の特性は緻密な制御よりもひとつに特化したBS魔法師に近いのかもね」

 

古式の魔法師である幹比古くんが慰めてくれる。

 

「それにしてもヒサ!ワタシの事はリーナって呼んでって言っているでしょう。リーナサンじゃなくて」

 

「うっうんわかっているんだけれど、どうしても『さん』をつけちゃうんだ」

 

「リーナ、それは私たちも前々から言っているの。同級生なんだから敬称はいらないって、でも…」

 

「久は年下にもさんくん付けで呼ぶのよね…なぜか」

 

本当に、僕は誰に対しても丁寧な言葉を使ってしまう。それがたとえ敵であってもだ。どうしてなのかな…これも精神支配の影響なのかもしれない…

 

 

 

 

ざわっざわわっ…ぶっぶううん

 

その日の夜、自室で勉強していた僕は、虫の羽音のような奇妙な音に気がついた。

僕の家は、台所とひろいリビングとベッドルーム以外に、いくつか倉庫代わりの空室。それぞれが自室を持っている。

澪さんも響子さんも仕事や大学院の勉強は自室で行っている。どちらも魔改造されている上に、ベッドも置けるくらい広い。

でもなぜか寝るときはいつも僕の寝室に集まる。一人だと眠れないから嬉しいんだけれど、下手に寝返りが打てない『川の字』だから大変なんだ。

僕の自室は二階の6畳間で、窓がひとつに机と本棚しかない、自宅で一番せまい板張りの部屋だ。僕は物持ちではないので狭い部屋の方が落ち着くんだ。

 

その自室で変な羽音を聞いて、虫でも入り込んだのかな、と周りを見回したけれど、虫なんていない。

それでも、ぶっぶぶぅぅん…て、声とも思えるような変な音はしばらく続いていた。

ラップ音?見えないものが見える『魔法師』の時代だ。幽霊やポルターガイストのたぐいでもいるのかな…

 

気持ち悪いと思えるはずなのに、なぜか僕はそうは思わず、音が聞こえなくなるまで、まんじりともせずいた…

音はだんだんと遠くなっていって、聞こえなくなった。

 

 

「何だったんだろう」

 

 

 

僕は朝は早い。澪さんと響子さんと住むようになってからは普通になったけれど、昨夜の変な音が気になってたから、早めに準備をして家を出た。

登校すると、リーナさんが教室にぽつんといた。

こんな早い時間にどうしたんだろう。リーナさんの席は深雪さんの後ろ、僕の右斜め後ろだ。

 

「おはようヒサ」

 

「おはようございますリーナさん」

 

リーナさんはすこし間を置いてから、手に持った携帯端末から顔を起こした。

 

「ねえヒサ、一高の施設でわからないところがあるから教えて欲しいのだけど?」

 

「うん、良いよ」

 

僕は一高の校舎ではもう迷う事はなくなった。方向音痴金メダル級の僕はそれはもう嬉しい。そんな僕に案内を頼むなんて、ドンと来い!だ。

 

リーナさんは、気のせいか、この時間には人がいない方向に向かっているような気がする。

施設のことを聞いておきながら、屋上への一番遠い階段を先に歩いている。僕は基本、人を疑わないので、リーナさんの後から揺れる縦ロール金髪を見ながらとてとてついていった。

階段の踊り場で、リーナさんが急に振り向いた。

僕は片足を踊り場にのせた不安定な体勢で、リーナさんを見上げた。

リーナさんはちょっと笑みを浮かべようとして止めた。真剣な顔で僕を見つめている…

どうしたの?って尋ねようとしたら、リーナさんの踵が鳴った。床を蹴って、一足飛びに僕のまん前に達すると、手のひらを僕に突きつけてきた。

 

「もきゃっ!!」

 

白い手のひらが僕の顔面を直撃した。世にも奇妙な声をあげる。

 

「えぇ!?」

 

いきなり攻撃してきたリーナさんが驚きの声を上げていた。

僕はその声を空中で聞いていた。

 

リーナさんの掌底が僕の顔にヒット。

片足に体重をかけていてバランスの悪かった僕は踏ん張ることはできず、その勢いのまま、後ろに飛ばされる。

僕は鼻と首に痛みを感じながら、小さな身体が重力に引かれて落ちていく…

なんでリーナさんはいきなり攻撃してきたのかな…単なるいたずらかな…僕のこと嫌いなのかな…

落ちていきながら色々なことを考える。

このままだと、頭を打つな…体勢も悪いから、どこか骨が折れる…骨折は痛いからいやだな…

仕方がないから『念力』で体勢を立て直すか。僕の『念力』なら校内のセンサーには引っかからないし。

 

がしっ!

 

僕のだぶだぶな制服の左腕をリーナさんが掴んでいた。リーナさんはもう片方の手で階段の手すりを掴み、僕の落下を防いでいた。

僕は変な体勢のまま足から階段に落ちた。上手に立つことができなくて、しりもちを付きそうになる。

それをリーナさんが意外な腕力で引き上げて、僕を立たしてくれた。

 

僕は展開についていけず、リーナさんの綺麗な青い目をぽかーんと見ていた。

 

『うっうそよ…ヒサが潜入兵を倒したって…こんな攻撃も避けられないのに!?絶対報告間違ってるわよ!!ヒサは犯人じゃないって報告しなくては…』

 

リーナさんが英語で意味がわからないことを、顔から滝汗で呟いている。大きく息を吐くと、僕と一緒に階段に腰を下ろした。

ぜいぜい呼吸をしている。すごい漫画チックな動作だ。ストレスが溜まっているのかな?

 

「あの…ごめんなさい。僕知らないうちにリーナさんに嫌われるようなことしてた?」

 

リーナさんは目に見えて慌てた。

 

「ちっ違うの!ごめんなさい、昨日タツヤに同じことした時は軽くはねつけられたから、ヒサもそうだと思って…ちょっと試して…いえその、いたずらを…」

 

「僕なんか達也くんの足元にも及ばないよ、リーナさんだって深雪さんに匹敵するくらい凄い『魔法師』だもん、僕なんかが敵うわけないよ」

 

事実、最初の実技以降は僕の全敗だ。一般教科の国語でも完敗だった…日本語難しいよ。

 

「ヒサはどうして、僕なんかって卑下するの?貴方の魔法力だって規格外の凄さなのよ」

 

「事実だし。僕は誰も守ることが出来なかったから…」

 

横浜でも僕は自分を守っただけだし、昔の実験動物時代も弟たちを守れなかった。『魔法師』としての実力では誰も守れないような気がする。

今の僕なら『能力』でならかろうじて誰かを守れると思うけれど、誰かを助けるなんて傲慢だ。

『忍野ネネ』さんも『人は勝手に助かるだけだ』って何度も言っていたし、助けられるかどうかは結果が全てなんだ。

 

とにかく、リーナさんは、それはもう何度も何度も頭をさげて謝ってきた。

鼻と、首は特に痛かったけれど、これくらいなら放課後くらいまでには治っていると思うから、

 

「平気だよ、気にしてないから」

 

と笑って許してあげた。

その後のリーナさんは、僕が方向音痴で運動音痴で機械音痴のファンタジスタだと知って、僕の扱いが子供を扱うみたいにばか丁寧になった。

 

でも、それは数日の間だけのことで、更なる警戒を持たれるようになるとは、未来予知の出来ない僕には知りようが無かった…

 

 

週があけて、学校では吸血鬼騒動が話題になっていた。連続猟奇殺人の報道は、関係者以外の高校生には面白いネタ提供でしかないと思う。

 

吸血鬼ね…オカルトだなぁ。

 

そう思いつつ、僕は、自室で聞いた妙な音のことを考えていた。

 




お餅のエピソードに深い意味はありません。
昔、田舎に行ったとき、貰ったお餅が半畳もあってびっくりした記憶があるだけです…

それにしても、米軍はリーナが魔法以外はちょっとあれな事を知らなかったんでしょうねぇ。
もう少し切れ者を一高に潜入させないと、達也に手玉に取られるだけなのに。
達也の性格をもう少し調べておきましょうよ、天下の米軍…


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夜歩く

 

 

 

その夜、僕は自宅でくつろいでいた。くつろいでいたんだけれど、妙に胸が騒ぐ…

 

 

今、僕は自宅のリビングにいる。ソファに座る僕の左右には異なった魅力をたたえた美女がふたり。この国を代表するような『魔法師』だ。

その二人はテレビに釘付けになっている。いわゆる恋愛ドラマで、内容はごくごく普通の大人の恋愛モノだ。

濃厚なキスシーンやきわどいベッドシーンなんかもある社内恋愛、どちらかと言えばOL向けの内容だ。

きわどいシーンが放送されれば、大人たるもの僕の目をふさぐものだろうけれど、二人は僕の存在を忘れて集中している。恋愛モノと刑事モノはいつの時代にも通用する普遍の題材なんだね。

 

 

 

ざっわぁぁぁぁ…ぶっうううぅうぅぅぅぁぁんざっぶあぁ

 

 

 

まただ。どこか遠くから羽音のような雑音が聞こえる。

これで三回目だ。それも今回は途切れることなく、幻聴ではないと確信できるほど、深く身体の中で響いている。

澪さんも響子さんも、まったく聞こえていない。

この音は、僕にしか聞こえていない…電波な中二病的な遊びとは違う、確かに、聞こえる。これは声だ。

 

 

ぶっおっああああふぶあぁああううぅうううん

 

 

会話しながら、激しく移動している。息切れの音みたいに。外から…いやもっと遠くから僕の精神の部分に聞こえる声。

 

掛け時計を見る。21時30分。出歩いてもおかしくはない時間だけれど、引きこもりの僕が出かけるには両隣の美女に不審がられる時間だ。

 

「僕、宿題とか勉強があるから、部屋にいるね」

 

恋愛ドラマは佳境に差し掛かっている。二人は僕に視線を向けることなく、頷いている。不審がられないよう、とてとて階段をあがる。ドアをゆっくりあけて、音を少したてて閉める。鍵はない…

二階の自室に入るころには、あの羽音は意識しなくても聞こえるくらい激しくなっていた。

胸騒ぎは全身にわたって、僕を急かしている。

 

 

僕は意識を音の来る方向に向ける。自分自身がその方向の空間にどこにでもいる、という風に錯覚するほど思い込む。

すぐに、僕がいるべき空間が頭に浮かぶ。障害物はない。その音の発生源あたりの空間は公園かな?大丈夫だ。

 

僕は僕がいるべき空間に、僕自身の存在の確立を高める。『空間認識』。探知能力とは違う、僕がそこにいても問題がない空間だと自分に知らせる『能力』だ。

 

 

僕は、空間を捻じ曲げ『瞬間移動』した。

 

 

瞬間、景色と気温が変わった。僕はどこかの、公園に立っていた。真冬の夜の、静かな人気のない公園…

 

いや…誰かいる。三人。ベンチに横になっている女性、地面に片膝をつく男性、性別不明の丸帽子に全身マント…ケープ…コート?良くわからない姿のたぶん人間。

 

「くっうう」

 

男性が苦悶の声をあげた。聞き覚えのある。毎日聞いていて間違えようのない声。レオくんだ。

うずくまるレオくんは、謎の人物に闘志を向けている。でも苦しそうで、動けないみたいだ。

謎の人物の手がレオくんに伸びる。

 

させない。僕は『念力』でその不審人物をはじき飛ばした。そいつは勢いよく、金属製の公園のゴミ箱に突っ込んだ。派手な音をたてて転がるゴミ箱とコート。

僕は駆け出して、レオくんの横に立つ。僕は裸足にパジャマ姿だ。ぺたぺたと可愛い足音が、静かな公園に響く。

 

「レオくん…大丈夫?」

 

僕はレオくんの背中に手を当てて、顔を覗き込んだ。物凄く気分が悪そう。どうしたんだろう、いつもあんなに元気ではつらつとしているレオくんが。

 

「ひ…久…か?」

 

「うん」

 

視界がぼやけているのか、僕を見ているのに僕だとわからないみたいだ。今、僕の意識はレオくんに集中している。

だから、そのコートの怪人が僕の後ろに立っていることに気がつかなかった。

 

「ひ…さ、危な…ぃ」

 

レオくんの警告に、その怪人が僕に手を伸ばそうとしていることに気がついた。

 

 

ぶっああああああああん…ぶっおあああああ

 

 

羽音は、こいつの声だったんだ。逃走か好奇かでせめぎあっているようだった。急いで逃げなくてはいけないのに、目の前に捨て置けない何かがいる…って。

僕はとっさに身体をかばおうと左腕を怪人に向けた。

怪人は攻撃してくるようには見えなかった。まるでかがんでいる僕を助け起こそうとしているかのようだった。

怪人の白い手袋で隠された手が、僕の左腕を掴んだ。目の部分だけ切り取られた白い覆面の、その暗い部分が光ったような気がした。

目が会う…?

僕の黒曜石の瞳が、薄い紫色の輝きを放った。ものすごい脱力感が僕を襲う。

と同時に、怪人の羽音のような声が止み、怪人の驚愕の『声』が僕の精神のどこかで、大きく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『超人!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怪人たちの声は、僕の中でそう叫んでいた。

 

 

『超人』?なんのことだろう。

それよりも、僕は掴まれた左腕から、サイオンと意識…僕をつつむ膜のような『幽体』が大量に奪われていくことに気がついた。

握られていた時間は5秒くらいだけれど、感覚的に全体の二割近くのサイオンを失った気がする。僕には二割でも、普通の『魔法師』の何人分にもなる。

慌てて、掴まれた左腕を振るう。非力な僕では無理だけれど、『念力』を込めて振ったので、怪人は物凄い勢いで公園の雑木林の中に吹っ飛んだ。

怪人はめきめきと木や枝をへし折りながら空中を転がり、かなり遠くで地面に落ちた。

その音を僕は聞いていたけれど、追撃はできなかった。

足に力が入らない。気分が物凄く悪い…これはレオくんと同じだ。

どうする?それでも、レオくんみたいに両足を踏ん張って怪人からの反撃にそなえる。

反撃はなかった。走り去る音が聞こえている。

 

でも僕の意識は怪人のほうに向いていなかった。

 

公園の淡い街頭に照らされて、もう一人が立っていた。そして、僕を凝視していた。

 

薄暗い夜の公園でもはっきりとわかる赤い髪。顔の上半分を隠すマスクからのぞく爛々と輝く目が黄金の光の帯を作っている。小柄な、でも僕よりは大きい。女の子…?

 

こいつは危険だ…さっきの怪人とはレベルが違う…肌がぴりぴりする気配…死を覚悟した闘争を決意しなくてはならない強烈なプレッシャー。

ここで戦闘になれば確実に周囲を巻き込む…過去には感じたことがない『魔法師』の殺気…

 

僕はレオくんごと『飛んで』逃げる選択をした。僕の黒曜石の瞳が薄紫色の光をこぼす…

 

ざっ、その赤い女の子(?)は鬼気を放ったまま、急に、走り出した。僕たちにではなくて、怪人の消えた方向だ。

あの怪人を追っている。そう思った。危険はみずから去っていった。

 

「ふぅ…」

 

安堵して息を吐いた。とたん、足が不確かになって転びそうになる。ぐっとこらえて、ぐったりと横たわるレオくんを見下ろした。

僕はレオくんの鍛えられた背中に両手をあてて、

 

「レオくん」

 

ってゆすってみる。うぅぅっとうめき声をあげるレオくん。外傷は無いみたいだけれど、どうすれば良いだろう。

声をあげて助けを呼ぶ?パジャマで裸足の僕は、はっきり言って不審人物だ。むしろ夢遊病者みたいに儚げな身体をしている。

レオくんの携帯端末で助けを呼ぶ?それはできない、僕がここにいることが知られる。でもレオくんを助けるにはそんな事をいっている場合じゃない。

このまま、どこかの病院に『飛べば』すぐに助けられるだろう…

 

 

がやがやと暗闇から誰かが近づいてくる声と足音。コートをばさばさと音をたてながら近づいてきている。人間の大人の男性…二人?

僕はとっさに近くの雑木林の中に『飛んだ』。木の陰から、男二人がレオくんに声をかけている場面を見る。

 

ん?あの人は…どこかで見たことが…ああ、七草家のパーティーでエリカさんの隣にいた人。エリカさんのお兄さんだ。

周囲を警戒しながら、携帯端末で救急車を呼んでいるようだ。

エリカさんのお兄さんならレオくんを任せても大丈夫だろう。

 

それよりも、僕自身も立っているのがやっとだ。

僕はここに『飛んで』きた時のように意識を分散させて、自室にある意識に集中する。

『飛ぶ』場所を把握して、空間を捻じ曲げる。

僕の存在は、夜の公園から消える。風も起こさない、一瞬よりも早く、消える。

 

 

視界が自室に戻っている。裸足の両足が板張りの冷たい床を感じている。戻ってきた。

 

くらっ。そこで僕は立ちくらみのように、バランスを崩した。何かに掴もうと多機能チェアに左手を伸ばす。チェアは突然の僕の体重に耐えられずキャスターが転がる。

身体を支えられないと右手で背もたれを掴んだところで、僕はチェアごと床に倒れた。

僕よりもチェアの方が大きな音をたて床を打った。チェアの横で、僕は『部室の床より冷たい』なんて『咲-saki-』の『園城寺怜』さんみたいな台詞を考えていた。

だれもいないから一人でボケてもなぁ…と思っていたら、激しく階段を上がってくる音がした。

 

あぁ、僕はいま一人じゃないんだっけ。

 

「久君!どうしたの?凄い音がしたわよ!」

 

ドアが開き、響子さんの叫び声に続いて、澪さんが入ってきた。あんなに虚弱だったのに、階段を駆け上がるなんてすっかり元気だなぁ…

 

「ひっ久君っ!あぁ!」

 

床に横たわる小さな身体を見た澪さんは膝をついて僕を助け起こそうとした。

 

「澪さん待って!頭を打っているかもしれないから…動かさないで…」

 

流石は軍人さんだけあって、響子さんは慌てていながらも、冷静だ。僕を仰向けにして、外傷がないか確かめている。

 

「久君どうしたの?」

 

澪さんが真っ青な顔で尋ねてくる。

 

「あっ…勉強する前にトイレに行こうって、急に立ち上がったら、くらってしちゃって、慌てて椅子を掴んだんだけれど、倒れちゃった」

 

僕はとっさにウソをついた。僕が部屋に戻ってから5分とたっていない。公園での出来事はほんの2~3分の事件だった。

二人は僕の言葉に疑いを持つことは当然無かった。

 

「立ちくらみ…?」

 

「そうかも…でもちょっと体調が悪いかも…」

 

僕はいつにも増して弱弱しい声だ。両手足もぐったりしている。

 

「まさか、また生駒にいたときみたいに体調を崩して?」

 

正月、生駒から帰宅したあと、二人は僕の体調について話し合っていた。

澪さんも8月以降の僕の復調した身体のことしか知らなかったからだ。去年の2月ごろ、僕は半分寝たきり状態だった。それ以前はまともに動けないほど寝たきりだったって教えている。強力な魔法師の肉体の弊害には二人とも当事者でもあり、詳しい。だから、僕がまた体調を突然崩す可能性を考えていた。治療薬も医者も役に立たないことを知っているからだ。

落ち着いた二人は、僕の体調を確かめると、ゆっくりと抱え起こして、二人がかりで寝室に連れて行く。

ベッドに横になった僕は、二人をじっと見つめている。力ない視線だけれど、はっきりと目を見開いている。

その僕の目を見た二人は少し安心したみたいだ。

 

「久君…なにか欲しいものはある?」

 

僕は少し考えて、お腹がすいていることに気がついた。『能力』を使うとお腹がすくけれど、今はものすごい空腹感がすると思っていたら、ぐーぅぅぅ…お腹が面白いぐらい鳴った。

思わず三人で笑ってしまうほどに。緊張した空気が弛緩した。

 

「なにか、食べるもの…できればカロリーが高いモノがいいな」

 

僕は食べ物でもある程度は『回復』する。…これは人間誰だって同じか。僕が人間だったらだけれど。

 

『超人』

 

あの怪人が言っていた言葉を思い出していた。どういう意味だろう。あの怪人は何を知っているのか。

 

カロリーの高いモノは、幸い冷蔵庫の中に沢山ある。三人とも甘いものが好きだからだ。あんまり食べ過ぎると太るんじゃないかって心配するほど、作り置きしておある。

響子さんは軍人さんだから、結構鍛えているけれど、僕と澪さんは運動とは無縁の引きこもり。それなのに二人とも太らないのは、澪さんの『魔法師』の弊害のひとつなのかもしれない。

でも澪さんはもう少しお肉をつけたほうがいいなぁ。響子さんに比べて…っと二人が食べ物を持ってきてくれたようだ。

 

僕は上半身だけベッドから起こした。食欲をそそる良い香りがする。響子さんがトレーに、二人で作ってくれた長芋と鶏肉を卵でとじたおじやを乗せている。

 

「すごくおいしそう」

 

僕のお腹はぐーぐー鳴っている。トレーを腿の上においてスプーンですくおうとしたけれど腕がうまく動かない…澪さんが食べさせてくれることになったんだけれど、なんだかすごく幸せそうな顔をするのは何故?

僕はお皿をすぐにからにしておかわりをお願いする。僕の食べっぷりに二人は顔を見合わせて、ほっと息をついていた。お茶まで飲ませてもらって、全身と心が温かい。

僕はゆっくりベッドに横になって、二人を安心させようとちょっと強がった。

 

「有難う、澪さん響子さん、まだ全身がだるいけれど、倒れたときより全然よくなったよ。これなら明日学校に行けるかも…」

 

「「駄目よ!明日は一日家で寝ていなさい!」」

 

二人の声は綺麗にはもった。二人の心配は心から嬉しいから素直に言うことを聞こう。

 

二人の介護は甲斐甲斐しい。今日は僕も病人らしく(?)、されるがままになっている。

お風呂に入れなかったので、全身を清潔なタオルで拭いてくれた。いつもなら恥ずかしがるんだけれど、今は気力がない。

心配の中にニヤニヤを隠した表情で僕の裸を濡れタオルで拭いてくれる二人…なんだかちょっと怖いな。

ただ、足の裏を拭いたときに、すこしタオルが茶色くなったのには不思議がっていた。でも、僕は家ではいつも裸足だから床の汚れだと思ってくれたようだ。

夜はいつも通り『川の字』だけれど、僕が窮屈でないように少し間をあけて寝ている。左右の二人が僕の様子を気にして長いこと見つめていた。僕は目だけ瞑って静かに寝たふりをしている。

二人の寝息が安定しだした頃、僕は目をあけて、頭だけ左右に動かして、二人を見た。

本当に感謝しかない。

二人が良い人を見つけてお嫁さんに行くまでは僕が二人を守れたら良いな…お嫁さんに行くよね…

 

 

僕の『回復』…と言うよりサイオンの『補充』は進んでいる。あの怪人は何をしたのだろう。僕のサイオンと肉体の間をくるむ『意識』、もしくは『幽体』があの怪人に奪われたことはわかった。

僕が去年の2月、体調が悪かったのはサイオンと『幽体』が傷ついていたんだ。

肉体の『回復』は経験から大体の時間はわかるけれど、失ったサイオンと『幽体』が元に戻るのにどれくらい時間がかかるのかちょっとわからない。2~3日くらいだろうか…

 

…ん?どうして僕は『幽体』なんて言葉を知っているのだろう。『意識』と『幽体』が同じものだとなぜ思うのだろう…わからない。

僕のサイオンはどこから『補充』されているんだろう。

 

それに、『超人』。

 

僕は自分のことを、何もわかっていないのかもしれない。

 

『回復』は起きていないと駄目だけれど、サイオンの『補充』は寝ていても大丈夫なのかな…

そんなことを考えながら僕はいつしか眠りについていた。

 

 

翌朝、僕の顔色は一見すると通常とかわらない。全身のだるさはかなりあったけれど、倒れたときよりはかなり楽になっていた。

僕の顔色を確認すると、安心したのか響子さんはお仕事に出かけた。なにか欲しいものがあるか聞いてくれたので、

 

「プリン!」

 

って答えた。「私のプリンなら…」おっと皆まで言わせないよ!澪さんが自分の胸を見つめている…

学校にはお休みの連絡を入れておいたから、今日は一日横になっていることにした。とにかく身体が重い。

澪さんも大学院の勉強以外のときは、僕のベッドの隣で本を読んだり、寝そべったり、オタクトークに…って、これじゃいつもの引きこもりだ…汗。

 

お昼をすぎて、来客を告げるインターホンが鳴った。

ドアホンのカメラ映像を確認した澪さんが、寝室に入ってきて、

 

「七草真由美さんと十文字克人さんが来ているけれど…どうする久君?」

 

「ん?お見舞いにしては…おかしいな…澪さん世話係みたいなことさせちゃって申し訳ないんだけれど、お二人をお通ししてくれる?」

 

「ええ(なんだか夫婦みたい、うふふ…)」

 

ん?今のは心の声かな…僕はエスパーじゃないのに。

 

玄関を開ける音に続いて、

 

「みっ澪さん!?どうして久ちゃんのお家に!?」

 

真由美さんの声が寝室まで届いた。しまった、これは後々面倒な情報を真由美さんに握られたような気がする。

 

澪さんの案内で、真由美さんに十文字先輩が寝室に入ってきた。とたん寝室が狭く感じるのは十文字先輩の存在感のなせる業だ。

寝室には椅子が二つしかない。澪さんが用意しようとした椅子を十文字先輩が断る。

 

「その…十文字さんが立っていると、久君に凄い圧力というか存在感が覆いかぶさると言うか…」

 

澪さんのわかりにくい説明に、真由美さんも頷いていた。十文字先輩が少し情けない顔になって、澪さんが用意してくれた椅子に座る。

 

「久、今日は学校を休んだが、どこかまた悪くなったのか?」

 

十文字先輩は入学したての僕の体調不良を知っているからか優しく聞いてくる。でもその程度のことで二人がわざわざ来るかな?

 

「昨日、部屋で立ちくらみで倒れちゃって…もうだいぶ平気なんだけれど、念のために今日は休んだんだ」

 

ほんとうはあまり体調はよくない。でも昨日強がった手前、平気なふりをする。

男の意地と見栄は、ほんとにバカなものだなぁ…

 

「…そう」

 

真由美さんが言葉をつなげて、最初は良いにくそうだったけれど、僕の目をみながら聞いてきた。

 

「ねぇ、久ちゃん、昨夜は家にいた?ひょっとして外出していなかった?具体的には22時少し前、渋谷の公園に…」

 

僕は一瞬何のことか考えた。えぇと?

 

「昨夜ね、久ちゃんのお友達の西城レオンハルト君が何者かに襲われてね」

 

ああ、昨夜の公園のことか。

 

「レオくん!?レオくんは大丈夫なの?何者って誰!?」

 

あの時、レオくんはエリカさんのお兄さんたちが対処してくれていたけれど、その後の経過は不明だったから僕は慌てて身を乗り出した。でも急に動いたからか、めまいで頭が揺れた。倒れそうになるのをこらえる。

 

「ごっごめんなさい、驚かせてしまって」

 

「いいんです…僕は平気ですから、それよりレオくんは?」

 

「西城は今は入院をしているが、特に外傷もなく、命に別状はない…今の久と同じような症状だが…」

 

十文字先輩が僕をじっと見ている。そうかレオくんは無事だったか…よかった。

たぶん、レオくんもサイオンや『幽体』『意識』を奪われたんだ。

僕よりも魔法力が劣るレオくんは、僕なんかより苦しい思いをしていると思う。

 

「それでね、さっきの質問なんだけれど、久ちゃんは昨夜はどこにいたの?」

 

「僕は…」

 

昨夜のことを話すとなると、僕の『能力』について知らせなくてはならなくなる。そうなると、僕が抱えている諸問題、誘拐や他のナンバーズ、特に米軍の関与に巻き込んでしまうかもしれない。それだけは避けたい…

 

「久君なら、ずっと家にいましたよ。21時半くらいまでは一緒にテレビドラマを観ていましたし、部屋に戻った5分後くらいに大きな音がしたので部屋に駆け込んだら、床に倒れていました」

 

澪さんがかわりに答えてくれた。体調不良の僕を尋問するみたいな二人に、澪さんは少し機嫌を悪くしている。

 

「一緒にテレビを…って?」

 

「私は久くんと同棲していますから!昨夜も一緒にいましたから」

 

「ええええっ?」

 

「…?」

 

「同棲じゃなくて…同居だよぅ」

 

真由美さんの驚き顔は見ものだった。十文字先輩は動じていないけれど少し鼻息が荒くなったような…

 

「でもどうして僕がその渋谷の公園にいるって思ったんですか?」

 

「朝、西城くんと話をしたとき、犯人に襲われたときに久ちゃんがいたような気がするって言ったから、その確認をしに来たんだけれど…」

 

「久君なら確実に家にいましたよ。疑うなら、久君の携帯端末の位置情報と、昨日のホームセキュリティーのログを調べれば証拠になります」

 

澪さんの発言に、三人はログの確認をしに寝室を出て行った。

たしかに、昨夜は携帯端末は自室においていたし、窓の開閉の記録、住人の出入りを記録するセキュリティーは『テレポート』で外に出た僕の記録は残っていないだろう。

 

僕は、ウソをついている罪悪感からか、さらに気分が凄く悪くなっていた。

ベッドに横になり、三人が戻ってくるのを静かに待つ。

 

 

しばらくしてドアが開いて三人が戻ってきた。

 

「どうやら、五輪殿がおっしゃるように、久は昨夜、自宅にいたことは確実なようだ」

 

「じゃあ西城君が朦朧として幻覚を見た…と言うことかしら」

 

「そうなんだろうな、襲撃の後、意識がかなり混濁していたといっていたからな」

 

「レオくんはそんなに悪いの?」

 

「うぅん、少なくとも見た目にはなんとも無いのよ。ただ原因がわからなくて…」

 

「二人とも、久君は体調があまりよくないので、出来ればこれくらいにしていただけないでしょうか?」

 

澪さんが大人の態度で二人に言った。戦略魔法師である澪さんは、たとえ十文字先輩が前であろうと、気合負けしないだけの胆力があった。

その澪さんの姿に僕はうれしくなっちゃった。初めて会った8月はあんなに虚弱で頼りなかったのに。

 

「じゃっじゃあ、お大事に久ちゃん、また学校で会いましょう」

 

「身体を厭えよ、久」

 

「お見舞いありがとうございます」

 

二人を追い出すように、澪さんも寝室から出て行く。

 

「ふぅ…」

 

僕はため息をつく。身体が重い…レオくんが無事でよかったけれど、犯人とあの赤い髪の人はなんだったんだろう…わからない。

 

『超人』?

 

…どういう意味なんだろう…僕は昨日の出来事を頭で反芻しながら、天井をぼぅと見ていた。




いよいよ久くんの核心部分に突入です。
久くんは何者なんでしょうね。

お読みいただき有難うございました。


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お見舞い

翌日、体調は完全とはいかないけれど、日常生活には問題ないくらいサイオン量は戻っていた。

自分でもこの回復には驚いている。激しい運動でもしない限り平気だ。そして僕は運動音痴の料理部部員だから、運動なんて絶対しない。

 

朝、早起きして三人分のお弁当をつくる。澪さんも響子さんも遠慮したけれど、僕は人に何か出来ることが嬉しいんだ。

 

弁当と勉強道具(こんなの持って行くの僕くらいだ)を持って、キャビネットで学校へ。

キャビネットを一高前駅で降りると、ほぼ同時に市原先輩もキャビネットから降りていた。目が会う。

 

「おはようございます、市原先輩」

 

「おはようございます、多治見君」

 

市原先輩は後輩の僕にも丁寧に話をする。知的で静かな市原先輩と一緒にいると僕は落ち着く。他の人にはさらっと毒舌を吐くけれど、僕にはしない。真由美さんみたいに僕をいじって遊ばないから安心だ。

 

「学校まで一緒でもいいですか?」

 

「構いませんよ」

 

ぶっきらぼうだけれど、どことなく優しさを感じる。やっぱり知的なところが達也くんに似ているな。

学校まで一緒に歩いていると、市原先輩がふと、

 

「多治見君…少し背が伸びました?」

 

「え?」

 

そういえば、ぶかぶかの制服がすこし縮んだような気がする。

いつもいるメンバーではなく、久しぶりに会った市原先輩だから気がついたのか。

 

僕の成長を止めるほど無意識で使ってしまう『回復』は、寝ているときは働かない。

最近、僕はよく眠れている。二人の美女に囲まれてよく眠ると言うのも、アレだけれど。

そのおかげで、成長している…これはまずいのではないだろうか。

今は僕が子供だから響子さん澪さんと『川の字』でも、道徳的(?)にもSS的にも問題はない。

でも、僕が少し大きくなったら、R-18のタグを押すことになるシチュエーションになってしまうのでは…

 

1-Aの教室、論文コンペのころのぎすぎすはなくなっていた。

日常の僕はごくごく普通の…絶世の美男の娘(?)だ。僕の上目遣い(背が低いから必然そうなる)瞳うるうる攻撃に耐えられる生徒はいない。

でも、男のプライドとして、そんな行為はしない。していない。涙もろいから結果的になっているかもしれないけど…

 

 

深雪さんの席の周りに美女が集まっている。リーナさん。ほのかさん、そのほか生徒大勢。

 

「おはようございます」

 

挨拶しながら人垣を掻き分けて、深雪さんの隣の席に座る。

 

「ヒサっ!あなた大丈夫だったの?」

 

リーナさんが僕の元気な姿に過剰なほど驚いていた。綺麗な青い目が見開かれている。一日休んだ程度なのに、どうしてそんなに驚くんだろう。まるで死人が生き返ったみたいな反応だ。

 

「ただの体調不良だから。立ちくらみで倒れたけど、一日休んだら全然平気」

 

『あれで立ちくらみ程度?…どうなってるのよ…』

 

英語でぶつぶつ呟いている。

 

「立ちくらみって…久も女の子なんだから気をつけないと…」

 

深雪さんがまじめな顔で心配してくれている…はずだ。まぁ普通はアレだけのサイオン損失は意識不明の重体になるだろうな。一日でほぼ回復して学校には登校できないだろう。

リーナさんが首をひねりながら青い目で僕をみていた。

 

放課後、僕はレオくんのお見舞いに行くことにした。他のメンバーは昨日もう行っているので、今日は都合が合わず僕だけ。

一人で迷わず行く自信はないけれど、そこは問題ない。

普段、僕は学校と自宅の往復だけなのでキャビネットを使う。

4月以降、烈くんが雇ってくれた護衛は遠巻きに僕を守ってくれていた。

どちらかと言えば、護衛より不審人物の確認だったんだけれど、論文コンペ以降は僕が嫌がっても、警護がそばにいる事になった。

さらに、お正月に僕は烈くんの生駒の家で新年会に参加している。

これはある一定レベルの情報を知る組織なら僕が九島家の派閥、もしくは庇護の下にいることを公に知ることになった。

警護の人たちの真剣度は以前とは比べようがないくらい高まっている。

僕としては不用意に外出できなくなったんだけれど、もともと引きこもりなので問題ない…ないのかな?

一番危ないのは一高付近と通学以外の場所だ。自宅周辺は澪さんの警護で国家レベルの安全地域だ。

今日はレオくんの病院に行く予定だと、朝連絡をしていたので、護衛の人が車を用意してくれている。下手に遠慮をすると、逆に周りに迷惑をかけることになる。名家の人たちもいろいろと大変なんだな…

 

僕の警護の人は二人、清潔感のある社会人の男性。いかつい雰囲気はなく物腰も柔らかい。でもかなりの腕利きだ。

一高の卒業生でもあったので、僕の九校戦での試合もテレビで見ていてくれたそうだ。

ただの護衛以上に親切にしてくれている。

規定どおり、二人の顔を確認。IDも確認して、4人乗りのセダンタイプの電動カーに乗る。これで僕は安心してレオくんの病院に行ける。

 

病院は中野の警察病院。中野駅の北側で一高からはそれほど遠くない。

都心が近いのに公園の緑も回りに多い環境も良いところだった。

 

受付で名前を告げる。僕が病院に来ることは先に連絡しているので、スムーズにレオくんの病室に案内された。

警護の警察官がドアの前に立っている。僕は身分証明書を見せて、レオくんの病室に通された。

レオくんの病室は広くて、逆に一人の部屋としては広すぎる感じだ。

 

白いベッドにレオくんは寝ていた。綺麗なお花を活けた花瓶が棚に飾られていた。

半身を起こそうとするレオくんを僕は制する。

 

「いいよ、レオくん無理しないでよ」

 

「いや、別に無理でもなんでもないぜ、むしろやることが無くてヒマでさ」

 

思ったより元気そうだけれど、そんなわけはないと思う。

 

「いや、昨日はきつかったけど、今はちょっとだるい…くらいに回復してるぜ」

 

強がりではないみたいだ。レオくんの回復力も相当凄いんだな。

 

「ゴメンね、レオくん。僕は何も出来なくて」

 

僕はレオくんに謝る。あの夜、僕はレオくんを助けずに放置している。

 

「何で久が謝るんだ?むしろ、俺が妙なことを口走ったせいで、会頭や会長がお前の家に行ったんだろ、俺が謝る方だぜ」

 

謝罪の認識にずれがあるけれど、修正もできないし、僕はただ「うぅん」って首を左右に振った。

 

「久も体調崩して昨日は学校休んでいたんだろ、無理するなよ」

 

「僕のはただの立ちくらみみたいなものだったから、一日寝ているのは退屈だったよ」

 

「そうなんだよな、それに病院食じゃ足りなくて、腹もへるしよ」

 

わかるよ、お腹すくんだよね。そこで僕はお見舞いにチョコレートや甘いお菓子なんかカロリーの高いモノを持ってきた。

ちょっと高価なものから駄菓子っぽいものまで幅広く。

病院食に飽きていたレオくんは凄く喜んでいた。その後は色々な駄菓子の話で盛り上がった。

レオくんは縁日とか駄菓子なんか日常の何気ないことに詳しくて、凄く面白かった。

 

意外と話し込んで面会時間がきりぎりになっていた。僕は長居をして恐縮したけれど、ヒマよりよっぽど良いぜって、レオくんは喜んでくれていた。その顔には疲労があった。ほんとうは、かなりきつかったのかも…悪いことをしてしまった…

 

病院の外は薄暗くなっていた。真冬の空気が冷たい…マフラーと手袋持ってくればよかったな。

警護の人を待たせてしまった…車は…駐車場にとまっている。

あれ?病院から僕が出てきたのに、車から警護の二人が降りてこないな…寝てるのかな?

車に近づいて、色の濃いウィンドウを覗く。ふたりはぐったりしていた。寝ているにしては全く動かない。

呼吸も止まっているような…死んでいる…?死んでいるのかはウィンドウ越しではわからない。でも、僕やレオくんと同じような症状みたいだ…

リアドアのハンドルに手をかけて、ドアを開けようとするけれど、鍵がかかっていて開かない。ドアを叩くけれど反応しない。

 

どうしよう、ここは病院だし、受付に行って事情を話せば、二人を見てくれるかな…

 

ざっ。

 

意外な大きな靴音に、顔を上げると、外国人の男性が少し離れたところに立っている。僕を見ていた。

 

ざっわああぁざわあああ

 

あの音が聞こえる。あのときの『怪人』とは違うけれど、同じ存在だと思う。

その男は僕を見たまま、両手をあげて手のひらを見せた。敵意はないという魔法師のポーズ。

ゆっくり近づいてくる。ポーズをしているけれど、信用はできない。レオくんを、ひょっとしたら護衛を襲ったのはあいつらなんだ。

僕はじっと男を見つめる。体重をすこし落とす。集中する。

 

僕は、用心して自分の周りの空間を『捻じ曲げる』。見た目では僕の周囲はなんの変化もない。

でも、その男は僕の『念力』に反応した…

『魔法師』では気がつけない変化に気づいた…

 

こいつも『サイキック』だ。

 

僕は横浜でのことを思いだして、警戒を強めた。

 

僕は小さくて弱弱しい。近づく男を前に、車を背に少し腰を落として固まる姿は、どうみても不審者を前にした少女のおびえるそれだ。

男はちょっと困った顔になる。距離が5メートルくらいになる。

 

 

「久君、伏せてっ!」

 

聞き覚えのある声が僕に警告を発した。

 

渦巻く風が、男を襲う。男はとっさに避けるけれどコートがびりびり切れていく。

男が飛び退って後ろに下がると、今度は、僕の横をバネのような躍動感で、

 

「はあああああっ!」

 

警棒を振りかぶったエリカさんが、男に切りかかった。

男はかろうじて初撃は避けたけれど、返す刃を脇に受けて転がった。そこに、カマイタチが追撃。

 

「エリカさん?幹比古くん?」

 

そう言えば、今日の昼、いつもの学食で二人がこそこそ話していたな。いつも幹比古くんをからかうエリカさんが珍しく厳しい顔をしていた…

 

「久っ下がっていなさい!」

 

エリカさんの剣術で鍛えた腹式呼吸からくる、厳しい声に僕は素直に下がる…

二人は、男に次々と攻撃していく。

幹比古くんの魔法や、エリカさんの剣術は横浜のコンペ会場のときより速い。

エリカさんの得物が真剣なら、あの男はとっくに血しぶきを上げていたと思う。

達也くんといい、レオくん、幹比古くん、エリカさん、この4人の1-Eの二科生に勝てる1-Aの一科生が何人いるのか…

達也くんのまわりには凄い人が集まっている。これも達也くんの魅力なんだなぁ。僕も…魅了されている一人だけれど。

 

二人の絶え間ない攻撃は、僕に援護の間を与えなかった。

でも男に触れられるだけで、力を奪われるのでエリカさんも警戒気味に攻撃しているし、CADも使わない攻撃に幹比古くんは戸惑い決め手にかけている。

 

駐車場での戦闘は、僕から少しずつ離れていった。

 

 

 

ざぁああわぁぁぁ

 

 

僕の後ろから羽音がした。慌てて振り向くと、もう一人、いた。外国人の女の姿をしているけれど、『怪人』の仲間だ。

 

女は物言いたげな目で僕を見つめると、きびすを返して走り出した。

エリカさんたちから僕を引き離すのが目的みたいだったけれど、こいつがレオくんを襲った犯人かもと思うと、思わず追いかけてしまった。

 

「久っ!駄目よ!」

 

「くっ、久君、追っちゃだめだっ!」

 

後ろからエリカさんと幹比古くんの僕を引き止める声が聞こえたけれど、ひとつに集中すると他に意識が行かなくなる悪癖は直らない。

僕は女に導かれるまま、追いかける。駐車場の隣の広い公園まで走る。付かず離れずの距離で公園に駆け込む。

 

 

 

公園の広場で女が立ち止まった。

 

その瞬間、女の胸がいきなりはじけとんだ。心臓が砕け、血が飛び散って、女はどさりと倒れた。

 

「えっ?何?」

 

いきなりの展開に、僕はついていけない。

 

僕は立ち止まって、発砲音のしたほうを見た。

赤いマスクの黄金の眼の少女が銃を片手に僕を見つめていた。あの夜、あの公園にいた、『魔法師』だ。

少女のすさまじい圧力は消えていない。殺気は僕にも向けられている。

少女がいきなり銃をしまう。思わず僕の視線は銃を追う。少女の反対の手にCADが握られていた。サイオンの煌き、少女が『魔法』を使う。

 

銃は一発だけだったのか、僕の視線を誘うのが目的なのかはわからない。でも、僕も躊躇なく『能力』で少女を攻撃する。『魔法』と『サイキック』なら僕のほうが圧倒的に早い。

 

僕の『念力』は少女を…傷つけず、そこの空気だけが揺らめいた。

 

え?僕の攻撃はあたったはず…

 

そう思った刹那、少女の魔法が発動。そのスピードの差はほとんどなかった。

 

強大な電撃が僕の小さな身体を貫く…はずだった。

仮面の少女が放った『電撃』は僕の頭頂部に落ちるはずだった。でも、電撃は僕の右腕を掠めてそれた。

 

「!?」

 

「!?」

 

直撃するはずだったはずの『電撃』がそれたことに敵が驚き、歪めた空間でもっと遠くに『電撃』が落ちると思っていた僕も驚いた。

敵の事象干渉能力と空間の把握は横浜の工作員を遥かに超えていた。

しかも、『電撃』の威力はすさまじく、右腕にかすった程度でも僕の小さな身体は弾き飛ばされた。

 

「ぐあっ!?」

 

右腕から、全身を走る激痛に、一瞬、意識が飛んだ。僕はその場に膝をついた。

 

制服の右袖が焦げている。僕は痺れてしばし動けない…これは…必殺の一撃だ…一撃で殺せる『魔法』。

ただ、体内に魔法を通すことは難しい。しかも僕の圧倒的なサイオンは必殺の魔法をかなり防いでくれていた。

それでも直撃していたら、死んでいた。常人なら直撃どころか、かすっただけでも死んでいる。

もし初撃が『電撃』でなく、あの女を倒したような『魔法の弾丸』だったらもっと大怪我をしていたかもしれない。

『魔法師』が『魔法』に頼る弊害が僕を救っていた。怪我は大したことがない、電撃に神経が一瞬びっくりしただけだ。

 

「くっう…」

 

なんとか立ち上がろうとする僕に、少女は瞠目していた。

一撃で殺すつもりだったんだ。

 

僕は一高の制服を着ている。困ったことに、僕は魔法師の世界ではそれなりに有名人になっている。

九校戦はテレビで全国に放送されているし、九島家、五輪家との関係はもはや公然の情報だ。

とくに、九島家との関わりは、敵対すれば、この国では立場がなくなるほどの後ろ盾だ。

四葉家との関わりは誰にも知られていないけれど、僕を誘拐や襲撃するのは、何も知らないアウトローか、あの怪人のような奇妙な存在か、もしくは十師族に渡り合えるだけの大きな組織…

 

僕は真夜お母様の言葉を思い出した。

 

こいつは…米軍っ!?

 

そんな事を考えていると、少女が片手にコンバットナイフを持って、僕の横に立っていた。

アレを首でも心臓でも刺されれば致命傷だ。

 

少女は躊躇なく僕にナイフを突き立てる!

 

しかし、少女の攻撃は、僕に当たらなかった。怪訝に思う間もなく、もう一度ナイフを振るう。でも当たらない。

僕はもう気を取り直して、空間を『捻じ曲げている』。さっきよりも強力に。これは『魔法師』では防げない。

 

僕の魔法力や術式を力技で弾き飛ばしでもしなくては、僕の『サイキック』は防げない。

そんな魔法師は…あれ?いたような気がする…けど…えぇと…

 

いっいや、そんな事を考えている余裕はない。

少女は『電撃』を放つけれど、見当違いのところに落ちる。

僕はここにいる。でも僕の周囲はこの空間にない。魔法は発動できるけれど、届かず、適当なところに落ちる。

戸惑っている様子が良くわかる。マスクの少女は、状況の唐突な変化に微妙についていけない。僕に似ている。

これが達也くんなら冷静に対処しちゃうんだろうなぁ…

僕は、マスクの少女を真っ二つに引きちぎろうと『念力』を使う。

でも、さっきと同じだ。少女のいる空間が揺らめくけれど、少女はそこに立っている。

そこに確実にいるのに僕の『サイキック』が当たらない…?

僕も戸惑う。

少女は僕が攻撃していることに気づいている。僕が攻撃するたびに怪訝な顔をしているのがマスク越しにわかる。

僕がCADも使わず、どんな『魔法』使っているのか考えているようだ。

この程度の『念力』はどんなセンサーにも探知できない。『魔法師』の常識にとらわれていては僕に勝てない。

 

黄金の目と、薄紫色の目が、お互いの攻撃が当たらず、膠着状態になっていた。

いつもならこの当たりで僕がボケをかますところなんだけれど、無言の相手では独り相撲になる…

 

目に見えているのに、いない。でもそんなに遠くにはいないだろう。殺気や圧力をいやなくらい感じる…

公園ごと『飛ばす』か…公園内にいないかもしれない…どうしようか。

 

迷っていた時間はわずかだった。

 

「久っあああああー!!!」

 

「久くーん、どこにいるんだい、いるなら返事してっ!」

 

病院の方からエリカさんと幹比古くんの声がする。あっちの勝負は終わったのかな?

 

マスクの少女は歯軋りすると、物凄いスピード(でもさっきのエリカさんのほうが早い)で、倒した女に駆け寄り、肩に担ぐと、あっという間に走り去った。

 

僕はボケも突っ込みもする余裕がない。

はっきり言って『魔法師』としては、僕には手も足も出ない存在だった。

『怪人』に遭遇して、用心して空間を『曲げて』いたから助かったけれど、いきなり襲われていたら、僕は死んでいたと思う。

 

「ふぅ…」

 

緊張が弛緩して、僕はベンチに腰をおろして息を吐いた。

戦闘は凄く短い間だったけれど、物凄く疲れた。仮面の少女のプレッシャーに命をごりごり削られた気分だ。

胸を撃たれた女の血痕と、僕の右袖のこげた制服が激しい戦いのあった証拠だ。

 

エリカさんと幹比古くんが走ってくるのが見えた。僕は座ったまま手を振った。

 

「久君っ!大丈夫?」

 

「へへぇ逃げられちゃった」

 

幹比古くんの質問に、苦笑しながら僕は答える。

 

「あの血痕は?あの量なら致命傷だと思うけど!」

 

広場にまき散らかされた血痕と肉の破片を、厳しい顔のエリカさんが指差す。

 

「アレをやったのは僕じゃないよ、横から掻っ攫われたんだ、この汚れはそのときの『魔法師』の攻撃のだよ」

 

僕は公園で起きたことを簡単に、仮面との戦闘の部分は割愛して説明した。

怪人の仲間を追ってここまで来たけれど、赤い仮面の『魔法師』に女は殺され、僕が『電撃』を避けている間に、死体を担いで逃げちゃったって。

 

「私たちや警察、十師族のほかに別の組織が動いているってこと…?」

 

「…わからないな」

 

二人が相談をしている。

 

「そういえば…」

 

「なに?」

 

エリカさんが不機嫌そうに聞いてくる。

 

「駐車場で二人が戦っていたやつはどうしたの?倒したの?」

 

「うっ…」

 

「逃げられたわよ!今、家の門下生が追っているわよ!」

 

不機嫌を通り越してゲキオコにエリカさんがなった。こういうとき、被害にあうのは幹比古くんだ。エリカさんのイライラを一身に受けている。

幹比古くんが僕を恨めしそうに見る。僕はしれっと横を向いた。

 

エリカさんの剣術道場の門下生たちが駆けつけてきた。怪人は完全に見失ったそうだ。

 

僕は、エリカさんと幹比古くんと警察病院の前にもどった。警察病院の受付で事情を話し、警備の人を助けてもらう。

二人は意識不明の重体だった。命が助かるかどうかは生命力しだいだって。

エリカさんもつきそってくれて、警察に事情を説明する。エリカさんの存在のおかげか、すぐに開放されたけれど、この吸血鬼騒動は他人事ではなくなっていた。

 

僕は夜は出歩けないから、エリカさんたちの報復部隊に協力はできないし、どうすれば良いだろう…

 

帰宅後、僕の制服(袖が焦げて、ズボンも土がついていた)を見た澪さんは驚いていた。事情を話すと、心配された後、物凄く怒られた。

赤い仮面のプレッシャーにも引けをとらない気迫に、僕は涙目で「ごめんなさぁい」って謝った。

 

戦略魔法師の澪さんの怒プレッシャーに匹敵する、あの『魔法師』はいったい何者なんだろう。

本当に米軍なんだろうか…

 

「ちょっと!久君反省してますか!?」

 

「ふえぇーんごめんなさーい」

 

今夜の澪さんには、僕の必殺上目遣い涙目哀願も通用しなかった…

 

 

 




レオが入院していた、中野の警察病院。
中野駅の北口、区役所の近くに本当にあるんですね。
地図で確認してびっくり。
現実には隣に公園はありませんが、劣等生の世界は人口減少時代ですから緑も多くなっていることでしょう。

お読みいただきありがとうございます。


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悪魔の契約書

このSSを書き始めて、満一ヶ月が経ちました。毎日一話アップできています。文章を書くのは楽しいです。読んでくださっている方も面白いと思っていただけたなら幸いですが、SSを書くのは初めてなのでどう思われているか不安でもあります。オリ主10歳の視点なので、難しい漢字も使わないようにしています。齟齬とか指嗾とか。子供の感想文みたいな文章で読みにくいとは思いますが、今後とも宜しくお願いしますね。





僕が、赤いマスクの少女(?)と戦った翌日の木曜日、警備会社の担当さんから連絡があった。

警察病院に入院していた二人は重体だったけれど、意識を回復して命の心配はなくなったって。よかった。

二人は、僕やレオくんのようにサイオンを奪われたのではなく、血液だけが失われて、脳が酸素欠乏になっていたそうだ。

失った血液が多かったせいで、酸欠にショック症状が出ていたけれど、輸血と『治癒魔法』のおかげで助かったそうだ。

今はまだ集中治療室で面会謝絶なので面会はできないけれど、一般の病棟に移ったらお見舞いに行きたいので連絡してくださいとお願いした。

 

報道では、『吸血鬼』に襲われた被害者は少しだけ血液が失われていたといっていたけれど、『吸血鬼』が『怪人』だった場合、被害者は『幽体』を奪われるはずだ。

 

血液だけって…

ん?それは、僕が九校戦のビップルームで暗殺者の血液を『飛ばして』意識を奪ったのと同じ…

 

護衛が意識を刈られるだけですんだのは、車内にいて怪人が触れることが出来なかったからかな?

怪人の一人は『サイキック』だった。わざわざ『念力』で車の鍵を開けて、『幽体』を奪うなんて手間を避けたのか?

わからないけれど、なんとなく『怪人』は僕の護衛を殺したくなかった、僕と対話をしたいのでは…漠然とそう思った。

すでにレオくんと僕自身が被害にあっている状態で、対話なんてできない、とも思う。

 

あの赤いマスクの少女(?)は米軍なのかな?軍人にしてはコスプレ臭が…

でもどうして『怪人』を米軍が殺しているのだろう。ボランティアじゃないよね。

あの赤いマスクの少女が米軍だとしても、狙いは僕よりも『怪人』の方だ。

レオくんが襲われたあの日も、仮面の少女は『怪人』を追っていたし、昨夜、少女は僕のことを明確な殺意で攻撃してきたけれど、『怪人』を追ってきた途中でたまたま目撃者の殺害を図ったような気がする。

 

真夜お母様が言っていた。僕は米軍に狙われている。

 

少女の第一目標は僕ではない。工作員を倒した僕を殺害するのに、あの赤いマスクの少女はレベルが過剰すぎる気がする。

別の暗殺者がいると思う。物量は米軍の伝統だ。一人や二人ならともかく、延々狙われ続けてはたまらない。相手を殺しつくすまでに、僕の周りの人を巻き込むのは確実…

昔みたいに、敵の中枢を『飛ばす』にしても、相手は超大国だ。容易くない。

 

でも、おかしいなとも思う。どうして僕を殺そうとするのか。ほかって置いても、うぅん、ほかって置いた方が安全だ。

横浜の工作兵を米軍と結びつけるなんて、ただの高校生に考え付かないと思う。

僕は真夜お母様から教えられたから知っているけれど、あの工作兵が自分から米国工作兵と暴露しないかぎりわからないだろう。

今の僕を殺すのは、逆に、あの工作兵の素性を日本の魔法師が探るきっかけになるかもしれないのに。

下手をすると米軍は世界最強の魔法師集団でもある十師族を敵に回すことにも繋がる。

米軍は仲間を殺された報復を考えているのか?それならわかりやすいけれど。

 

僕が米軍に狙われるかも、と教えてくれたのは真夜お母様だ。

 

僕が米軍に狙われている証拠はない。真夜お母様に植えつけられた幻想なんじゃ…

わからないな。僕は頭はよくないし、混乱して真夜お母様を疑うようなことを考えてしまう…

正直、米軍の問題は僕個人には荷が重い。

 

そんな事を、学校に向かうキャビネットの中で考えていた。流れる街の風景をぼぅと見ている。

少なくとも、一高の登下校中に狙われる可能性は低い。『怪人』の問題もこの状況では深入りしない方がいいと思う。

 

あの羽音に似た声は小さいけれど、時々聞こえてくる。正直この音も僕の気持ちを削っている。

 

どうすれば良いんだろう。烈くんに相談しようか…

僕は制服のポケットから携帯端末を取り出した。本当は迷惑をかけたくはないんだけれど、この問題は放置して置くと状況が悪化しそうだ。

 

唐突に、手に持っていた携帯端末が鳴った。端末の画面を確認すると、

 

「えっ?真夜お母様?」

 

慌てて僕は電話にでる。

 

「もしもし、真夜お母様ですか?」

 

「おはよう、久、ごきげんはいかがですか?」

 

電話から聞こえる、真夜お母様の声は、物凄く優しかった。その声を聞いたとたん、僕は涙がこぼれてしまった。

 

「おっおはう…おはようござ…ぃます」

 

「どうしたの?泣いているの?何か困ったことがあるのなら『お母様』が力になってあげますよ」

 

「うぇ?でもお母様にご迷惑はかけられない…」

 

「私は久の『お母様』なのよ、息子の困難は『お母様』が何とかするものでしょう」

 

『真夜お母様』が心配してくれる。『お母様』には頼っても良いんだ…

 

君の周りには複雑に蜘蛛の糸が絡まっている。

以前、九重八雲さんがそう言っていたことを何となく思い出したけれど、『お母様』に頼るのは間違っていないよね。

僕は、今置かれている状況を説明した。米軍の対応は僕には困難だって…

 

「そう、わかったわ、『四葉』の力で、米軍には手出しが出来ないように働きかけましょう。安心して」

 

そんな事が『真夜お母様』と『四葉家』には出来るんだ。すごい。

僕には『真夜お母様』に頼るしか方法がないのだから、「お願いします」って電話なのに頭を下げてお願いした。

 

こんな簡単に解決できるなんて、『もともと米軍に狙われてなんかいなかった』なんてオチだったとか。

 

まるで、僕の困難を知って、絶妙なタイミングで救いの手を伸ばしてくれたみたいだ。

『真夜お母様』は凄いな。嬉しいな。『四葉家』には『達也』くんも『深雪』さんもいる…もっと仲良くなりたいな。

 

僕の憧れや依存性は、精神支配のひとつなのかもしれない。

 

駅前でキャビネットを降りる。一高前の通学路に、兄妹と友人たちを見つけて、僕はとてとて駆け出した。

あれ?エリカさんと幹比古くんがいないな。レオくんはまだ入院中だ。

僕が声をかけるより早く、達也くんが振り向き、深雪さんも同時かそれより早いタイミングで僕に気がついた。

 

「達也くん、深雪さん、ほのかさん、美月さんおはようございます!」

 

「おはよう」「おはよう久」「久君おはよう」「おはようございます久君」

 

達也くんは朝から両手に花々状態だ。兄妹二人の距離は今日も近い。いいなぁ。でも、二人はすこし疲れているような感じだ。

僕は、達也くんと深雪さんを手招きして、ひそひそ話をするポーズをとる。

達也くんと深雪さんが耳を傾けてきた。その耳にむかって小さな声で、

 

「さっきね、真夜お母様と電話でお話できたんだ」

 

達也くんは目を少し細め、深雪さんは目に見えて緊張した。僕は超ニコニコ顔をしている。

 

「なんの話をしたんだ?」

 

「僕、ちょっと困ったことになってたんだけれど、真夜お母様が手助けしてくれるって。えへへ凄く嬉しい。真夜お母様は凄く優しいね」

 

深雪さんは少し考える表情。達也くんは「お前、絶対騙されているぞって」目が言っている。

そんなわけないよ、真夜お母様は綺麗で素敵な僕の『お母様』なんだもん。

 

 

1-Aの教室には、まばゆい存在を放つリーナさんが、自分の席でクラスメイトと会話を楽しんでいた。

 

「おはようございます、リーナさん」

 

「…おはよう、ヒサ」

 

何となくだけれど、笑顔が曇った気がする。僕は深雪さんのおかげで人の表情を読むのは得意だ。

僕を見る、スカイブルーの目には少し警戒心が宿っている。

どうしたのかな…僕嫌われるようなことしたかな。

お昼に聞いてみようと思ったけれど、今日はリーナさんは別のグループと食事をして聞きそびれてしまった。

 

その夜、『怪人』の声が、まるで断末魔の悲鳴のように僕の意識に響いた。かなり遠かったけれど、殺された、そう思った。

たぶん、赤いマスクの少女が殺したんだ。

ぶるるっ、あの少女のプレッシャーを思い出して、僕は震えた。

 

「ん?久君、どうしたの?寒い?暖房の温度上げる?」

 

僕はその時、自宅で澪さんに勉強を教えてもらっていた。大丈夫、と答えて勉強に集中する。

何となくだけれど、『怪人』が殺されても『意識』『幽体』は残るんじゃないか、何故かそう思った。

 

 

翌日、金曜日。お昼。

エリカさんと幹比古くんがぐったりしていた。昨夜、あの赤いマスクの少女と『怪人』と戦いになったんだそうだ。

 

「あの二人を相手によく無事だったね…」

 

「達也君が邪魔…いや、助けてくれたのよ!」

 

その時のことを思い出しているのだろう、不機嫌と睡眠不足で目つきが悪い…

 

「あのあとエリカは達也のバイクで先に行っちゃうから、僕は大変だったんだよ…」

 

頭痛がするのか、幹比古くんは頭を抑えながら言う。

達也くんのバイク?後ろに乗った…はっ!?

 

「吉田君、エリカ、そのお話、詳しく聞かせてもらえるかしら?」

 

うぅ、食堂って暖房きいてるよね…さっ寒い…

 

 

翌日の土曜日。昨日お休みだったリーナさんは登校していた。でも、少し体調と機嫌が悪そうだった。右肩を痛めているのか、動きがぎこちない。

寝違えたのかな…?僕も、寝返りうてないから肩と首がコルんだ。だって不用意に横を向くと美女が二人…寝ているときは時々抱きついて…いっいやあ『回復』がなければ苦行だね。

教室移動中に、達也くん、エリカさん、幹比古くん、美月さんとニアミスした。

さっさと移動しないといけないけれど、深雪さんが、達也くんを見つけてスルーするわけがない。深雪さんは行儀よく、でも少し急いで達也くん挨拶に向かう。

僕も後をとてとてついていく。

リーナさんは『エリカがあんな強いなんて、この学校は何なのよ…』とぶつぶつ英語で呟いていて、E組メンバーを睨んでいた。

 

今夜も、『怪人』の声が聞こえた。あちこちで争っているようだ…

耳をふさいでも、意識が聞いているので、意味がない。

澪さんと響子さんが怪訝な顔をしたけれど、僕はなんでもないふりをしていた。

 

 

日曜日、朝。携帯端末にメールが来ていた。誰だろう…

 

「え?達也くん…」

 

「どうしたの?」

 

朝の食卓で、向かいに座る響子さんが尋ねてきた。澪さんは達也くんと面識が無いから、誰だろうって顔をしている。

僕が学校の友達って説明したら、九校戦で大活躍したエンジニアって澪さんは覚えていた。

そうだよ、スーパーエンジニアなんだ。

 

「達也くんから、今から学校に来て欲しいってメールが来てる」

 

「急ぎなの?だったら私の車で送っていくわよ」

 

キャビネットで向かうより、響子さんの電動カーの方が校門前まで直行できて早いな。

 

「お願いします」

 

「うぅ…今日は久くんと一日引きこもろうと思っていたのに…」

 

「って澪さん、それ毎日ですよぉ」

 

涙(演技)の澪さんを振り切って、制服に着替えた僕は、響子さんの車で一高に向かった。

交通渋滞が無縁のこの時代、一時間とかからず一高に到着した。

日曜といっても部活はあるから、校門は開いている。僕は受付にCADをあずけて、指定された生徒会室に向かう。

 

 

生徒会室には達也くん、深雪さん、エリカさん、幹比古くん、真由美さん、十文字先輩がいた。

深雪さんと十文字先輩以外はなんだか微妙に雰囲気が悪い。真由美さんとエリカさんは何故かそりが合わない。エリカさんが一方的に意識、苦手にしている感じだ。

 

「どうして久ちゃんを呼んだの?久ちゃんは吸血鬼の捜索にはかかわっていないはずじゃない?」

 

真由美さんの疑問は当然だ。僕も知りたい。達也くんが答える。

 

「久は水曜日、レオの入院している警察病院の前で『吸血鬼』に襲われました。現場には『吸血鬼』が二体、謎の仮面の『魔法師』もいました」

 

「えぇ?」

 

真由美さんが驚きの声をあげる。十文字先輩は見た目は変化なしだけれど、その目は僕を心配していた。男と男の子に言葉は要らないんだ。

 

「幸い現場には幹比古とエリカがいたので事なきをえましたが、現場にいなかったお二人にも当時の状況を説明させたほうが良いでしょう。ですがその前に、俺からお知らせしたいことがあります」

 

達也くんの説明によると、『吸血鬼』に発信機を撃ち込んだ事、『吸血鬼』の正体が脱走した米軍の魔法師だという事。

合成分子機械発信機なんてどうやって手に入れたのかってみんな疑問に思ったようだ。

アキバで手に入れたんじゃいのかな…僕は一人ごちる。

後半の説明には全員の顔に、納得の表情が浮かんでいる。

 

「じゃぁ、あの赤い仮面の『魔法師』は、その脱走兵を追っていたんだね…」

 

「えっ?久ちゃんその『魔法師』と戦ったの!?」

 

「戦ったっていうか、目の前で『怪人』…『吸血鬼』を殺されて、死体を持っていかれただけだけれど…逃げるときに『電撃』を使っていたけれど、物凄い威力だったよ、直撃してたら死んでいたと思う…」

 

僕はあのときのことを思い出して右腕をさすった。

 

「その話は、後でしてくれ」達也くんは説明を続けた。発信機の寿命は3日、米軍からの脱走者はもしかしたら10名程度になるかもしれない、と。

そんなに沢山…規律が乱れているわけでもないのに、そんなに脱走兵がいるなんて。

『吸血鬼』には『パラサイト』という妖魔や悪霊がとり憑いているんだそうだ。

『パラサイト』に操られて、米軍の魔法師は脱走した…あの羽音みたいな声は『パラサイト』のだったんだ。

じゃあ、とりつかれた人間を殺しても、『パラサイト』は逃げちゃうんじゃないだろうか。

昨夜、僕が感じた肉体を殺しても『意識』『幽体』は残ると感じたのは何故だろう。

時々、『パラサイト』に共感に似た感情を持ってしまう…あいつらはレオくんを襲った敵なのに…

 

でも、米軍の脱走魔法師の約10人はそれなりのレベルだろうから、あの赤い仮面の『魔法師』が刺客に選ばれたのも当然かな。刺客はあの『魔法師』だけだとしたら、元仲間を殺し続けるのは精神が削られるだろうな。

達也くんは一通り説明すると、興味もなさげに退室しようとする。当然、深雪さんも。

達也くんの精神はタフだろうな。

このメンバーを招集はするし、そのくせ丸投げするし。

 

「えぇ?達也くんも深雪さんも帰っちゃうの、じゃあ僕も…」

 

がしっ!僕の肩を幹比古くんが掴んでいた。

 

「久君は、まだお二人に水曜日のことお話してないよねぇ」

 

その目が「頼むからいてくれ…」と訴えていた。

 

巌のような十文字先輩、ニコニコ作り笑いの真由美さん、不機嫌そのもののエリカさん、繊細な幹比古くん…これは可愛そうだ。

 

「そうだね…じゃあ達也くん、深雪さん、また明日ね」

 

「では失礼します」

 

と、達也くんに続いて、深雪さんは丁寧に頭を下げてドアを閉めた。

 

 

兄妹がいなくなった生徒会室は、沈黙が重い。

この場合、十文字先輩か真由美さんが仕切ればいいんだけれど、なんだろうこの空気。

さっさと説明をして、逃げよう。

 

「じゃぁ僕から説明します。ってそんなに話すことはないけれど、あの日、僕は烈くんが手配してくれた警備会社の人の車でレオくんのお見舞いに行って…」

 

「ん?」

 

それまでニコニコ笑っているだけだった真由美さんが、知らない固有名詞に反応した。

 

「久ちゃん、レツくんって誰?」

 

「烈くんは、九島烈くんだよ」

 

はっ?って顔を真由美さん、エリカさん、幹比古くんがした。

 

「あれ?九島烈くん知らない?ほら、九校戦でも舞台で挨拶してた、十師族の長老とか『トリックスター』とか『電脳の伝道師』とか」

 

最後のは70年も前の二つ名だから知らないか。

 

「とっ当然、九島閣下の事は知っているけど…」

 

「久は今年の元旦の九島家の会に参加している」

 

要領を得ない僕の説明に、十文字先輩が補足してくれた。十文字先輩は十師族代表代理だから知っているけれど、真由美さんは知らなかったみたいだな。

 

「えぇっ!?それって選ばれた人しか参加できない、ナンバーズでもめったに参加できない凄く名誉のある会でしょ」

 

「そうかなぁ…堅苦しくて、光宣くんも響子さんもつまらなそうにしていたけれど」

 

「光宣くん…たしか、九島烈閣下のお孫さんね、響子さんって藤林響子さん?久ちゃん、あなたは五輪澪さんの五輪家の庇護を受けているんじゃなかったの?」

 

「澪さんはお友達だよ。烈くんは…僕が施設にいたころからの知り合いで、学費や自宅も用意してくれたから、どちらかと言えば烈くんの庇護下になるんじゃないかな」

 

真由美さん、エリカさん、幹比古くんが絶句している。おかしいな、ちょっと調べればわかる情報だと思うけど。だって、真夜お母様は知っていたよ。

 

「施設って療養施設かなにか?久ちゃんは入学前は病気でふせっていたみたいな事言っていたわよね…」

 

「七草…詮索は失礼だぞ。この台詞はお前も生徒会選挙のときに言っていたが…」

 

「あのお正月の会ってそんなに凄かったんだ。途中で烈くんたちと初詣に出かけちゃったからわかんないな…あぁ出席者の人が沢山お年玉くれたけれど」

 

「出席者って財界や政界の大物ばかりだったんじゃ」

 

「お年玉にしては金額が凄くて戸惑っちゃった。100万とかのマネーカードが入っていたりしたから、名刺ごと全部烈君に渡しておいたんだ。僕はお金とか要らないし」

 

「それって、九島閣下に取り入ろうとする人たちのリストをまるまる渡した…いえ、もうこの話はやめましょう」

 

真由美さんはどこかぐったりしている。エリカさんは不機嫌なまま。幹比古くんは気弱げ、十文字先輩は巌さん。生徒会室の雰囲気は元にもどった。

僕はあの日の状況と赤い仮面の魔法師の容姿について話す。エリカさんも補足してくれて、説明は簡単に終わった。その後は打ち合わせになるんだけれど…

 

「『吸血鬼』の捜索は、僕も参加するんですか?」

 

「いや、これは十師族と警察の仕事だ。久は参加しなくてもいい」

 

「そうね…千葉家の方も久は必要ないわ」

 

「僕…頼りないけど少しは協力できることもあるかも」

 

4人の目が、「子供は夜、出歩くんじゃありません」って言っている。うぅ子供じゃないのに。僕が一番年上なんだよ。

 

…じゃぁ、この気まずい空間にいる必要はないな。

 

「それじゃぁ、僕も帰りますね。『吸血鬼』の捜査は気をつけてください。赤いマスクの『魔法師』はかなり強いですから」

 

このメンバーが連携すればたぶん大丈夫だと思う。真由美さんとエリカさんは相性悪いから、連携できれば、いいけれど。

僕もひとつ頭をさげると、逃げるように、いや実際逃げだけど、空気の重い生徒会室から出て行った。

幹比古くんの目が「裏切り者ぉ!」って叫んでいたけれど、あとは大人に任せてって事で。

 

ふう、廊下の空気が新鮮だ。ひょっとして、生徒会室は空調が壊れていたのかも…

がんばれ幹比古くん。『吸血鬼』より面倒な相手だけど!合掌。

 

 

僕は一人で帰る事になった…

僕を襲撃するなら格好のタイミングだ。米軍も『吸血鬼』も。

僕は不意をつかれると弱い。だから、周りの空間を完全に『遮断』するほど空間を捻じ曲げている。

銃弾だろうと魔法だろうと、ミサイルだろうと、空間を操る僕に当てることは不可能だ。

物凄く警戒している。横浜の時とは比べ物にならないくらい。こんな警戒するのは初めてだ。

 

羽音ににた声は小さいけれど聞こえているし、さっきは難しい話を聞かされて頭が痛いし、すこし機嫌が悪い。

もし今、米軍が襲撃してきたなら、返り討ちして、近くの米軍基地を消し飛ばしてやる。

それでも諦めないなら、他の基地もその他の基地だって異空間に『飛ばして』やる。

チート能力をフルに使って、米国だって滅ぼしてやる。

 

…そう身構えていたんだけれど…あれ、何も起きない。

 

何も起きることなく、キャビネット乗り場に着く。油断させたところを攻撃…なんてことも起きない。

 

キャビネットに乗って、練馬の自宅に。この周辺は澪さんの護衛が固めている。

もう安心。でも油断しない。周囲に目を配り、襲撃や狙撃に備える…

 

玄関までつく。

 

…あれ?何も起きなかった…うっなんだろうこの中二病的独り相撲は。はっ恥ずかしい。

澪さんと響子さんが迎えてくれる。今日は全国的に日曜日、二人はどこにも出かけないね。

がっくり肩をおとして、部屋着に着替える。僕の部屋着はパジャマだ。

何だか疲れたな…今日は一日引きこもっていよう…っていつも引きこもっているけど…

 

 




生徒会室の会議に久が呼ばれるのはちょっと強引ですが、そうしないと久は『パラサイト』の情報を全然知らないまま話が進んでしまうので、強制日曜登校。
土曜夜、リーナは深雪と達也と八雲にいじめられて、日曜、久が一人警戒しながら帰宅しているときは引きこもっています。襲撃は起こりませんでした。
最初の予定では、米軍に拉致られて、横田ベースで無双して、米軍基地司令官を捕まえる…みたいなことを考えていましたが、いまいち後に続けられないし、スターズを倒すのは達也と四葉家の役目なのでやめました。
その分、真夜の精神支配の側面を強めました。

久は四葉家で真夜に「米軍に狙われるかもしれない」と言われて、自分は米軍に狙われていると思い込んでいます。
リーナが昨夜、久を攻撃したのは自分の姿を見られたからで、レオが襲われた公園で久を攻撃しなかったのは『怪人』に数秒間触れられていれば、重体の上確実に死ぬと思っていたから。

偶然も利用して、真夜は久の精神のもろさをついてジワリと支配していきます。
烈は慎重に外堀を埋めていきます。学校入学、支援、お金、響子と光宣、家族、九島家の庇護。
真夜は四葉家の強化と狂気から。久の過去と『能力』はまだ把握していません。その精神のもろさが疑惑の発端で、『多治見研究所』の関係者だとは考えています。
烈は久が普通に学校生活をおくれればいいけれど将来的には九島、もしくは十師族・この国の魔法師の守護者になってくれればと考えています。



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校内は戦場


一高内でのパラサイト事件は相手が見えないうえに、説明しにくく、久の視点からだと枚数がかかって冗長になるので、このSSお約束の大胆カット。
事件は原作を読んで補填してください(笑)。




 

 

冬の朝日で寝室がわずかに明るくなった。

僕の自宅は閑静な住宅街にある。一日中静かだけれど、この時間は自分の心音が聞こえるくらいだ。

僕は目だけあけて天井を見つめていた。

 

「今夜も眠れなかったの?」

 

え?仰向けの僕は頭だけ声のしたほうを向く。響子さんが僕を見つめていた。

 

「ここのところ寝ていないようだけれど、心配事?」

 

澪さんの声に、僕は左をむいた。澪さんが僕を見つめている。

 

「気がついていたの?僕が寝ていないことに…」

 

「久君は、隠し事なんて出来ないでしょ」

 

「…うん」

 

本当はいろいろと隠し事をしているけれど。今日も『川の字』で澪さん、僕、響子さんで眠っていた。

先月、市原先輩に「背が伸びました?」と言われてから、僕は極力起きているようにしている。

僕は10歳の肉体をしている。昔の肉体に比べれば一回り小さいけれど、10歳…これ以上は成長したくない。

…でも。二人は僕のことを見ていてくれていたんだな、そう考えたら、涙がこぼれてきちゃった。

僕は情緒が安定しないから、ちょっとした事で涙がでちゃう。

 

「どっどうしたの?」

 

響子さんが心配して聞いてくる。僕は首を左右にふると、

 

「うぅん、嬉しいんだ。二人が僕のこと見ていてくれて。このまま時間がとまれば良いなって思うくらい。でもお二人ともはやくお嫁さんになってもらいたいし…」

 

「何を言っているの?私は久くんの婚約者なのよ」

 

「わっ私も、久君を一人前にする…いえ久君が一人前になるまではお嫁なんて…お嫁はその…」

 

一人前にするって、何をする気だろう…うぅむ、二人とも結婚する気ナッシングだね。

 

「いつまでかわからないけれど、一緒にいてくれる?」

 

「「もちろんよ」」

 

二人の声がきれいに重なった。僕は身体ごと澪さんに向いて、

 

「有難う」

 

澪さんの細い身体を抱きしめた。澪さんも僕の頭に手を回してくれる。

 

…良い香り…胸は…な…いっいやその…

 

「ちょっと久君わたしに…は…?」

 

響子さんにみなまで言わせず、右を向くと、背中に手を回し、むぎゅっって抱きしめた。ぷにゅ。う…柔らかい…

こっこれは僕が子供だから出来ることであって…むにゅむにゅ。

 

「ちょっくすぐったいわよ久君」

 

「わっわたしより抱きしめる時間が長いわよ…」

 

背中から戦略魔法師のプレッシャーが突き刺さる。ぜったいジト涙目してる。僕はその目に弱いんだ。

僕は二人の手を握ると、再び仰向けになった。

さっきより心音は高まっている。実はここのところ二人を女性として意識してしまうことがある。僕が成長しているせいなのかもしれないけれど、R-15タグは死守しなくては…

いつまでもこんな時間が続くと良いな…そう思って、目を瞑る。幸せなんだな。そのままうとうとと、まどろみのなかに沈んで…

 

「こらっ!起きないと遅刻よ!」

 

「いいじゃないですか、響子さん、今日はこのままベッドでお話していましょう」

 

社会人と、引きこもり大学院生の意見の相違…

今は2月で、澪さんは大学院は殆ど卒業状態。働かなくても、ご実家の会社の株主配当と戦略魔法師としての国からの慰労金で、24時間引きこもれる…

いまでも24時間引きこもっているか…今度どこかに出かけようよ。

僕は…

 

「そうだね、起きよっか。僕、ご飯つくるね」

 

誰かに尽くすのが、ものすごく落ち着くんだ。二人が幸せなら、それだけで僕も幸せだ。

 

「久君はいいお嫁さんになるわね」

 

「久君がいい旦那さん…ぶつぶつ」

 

ごっご飯とお弁当を今日もつくろう。

 

 

 

学校のお昼時間。今日は、いつものメンバーは食堂に集まっていなかった。

エリカさんと幹比古くんは昨夜も『吸血鬼』捜索でたぶん教室で寝ている。美月さんは…食堂にいないな。エリカさんか幹比古くんと一緒かな。

達也くん深雪さんほのかさんは、たぶん一緒だろう。僕としては達也くんの隣には深雪さんだけいれば良いと思うんだけれど、そう言うと、たぶんブーメランになって返ってくるから見ないふり…

雫さんはアメリカ、レオくんは病院、リーナさんもいないな…

一人でお弁当も寂しいので、僕は料理部の部室に向かった。廊下をとてとて歩いていると…

 

 

「何をするのエリカ!?」

 

「カツト・ジュウモンジ!?」

 

「何を今更!」

 

 

エリカさんが業者専用通用門の校庭でなにやら騒いでいる。リーナさんの声も聞こえるな…

エリカさんは今日も機嫌が悪そうだ。

 

料理部にはお昼にもかかわらず部員が多くいた。みんな数日後に訪れるバレンタインのチョコレートを一生懸命作っていた。

 

「バレンタインは戦争よ!先んずれば男(ひと)を制すのよ!」

 

料理部の元部長さんが気合を込めて、お玉を持ったコブシを握る。いったい何人に配る気だろうあの量は…

甘い香りが満ち満ちている部室ですばやくお弁当を食べると、僕も深雪さんが以前プレゼントしてくれたエプロンを装着。

戦闘態勢に入った。

 

 

「危ないっ!」

 

「自爆!?」

 

「伏せろ!」

 

 

そのころ校庭も戦場になって…?

まさか、またテロリストでも襲撃してきたの?端末にはなんの警告も出てないし。

僕は気になって校庭を見ようとするけれど、

 

「ほら久くん、ちゃんとチョコレートをバットに広げて、気泡をいれないでね!」

 

「はっはいぃいい!」

 

現代のバレンタインは、愛の告白とともに感謝の気持ちをつたえる行事でもあるって、響子さんが言っていた。

感謝を伝えたい人は沢山いる。もうすぐ卒業の料理部の先輩たちにも大感謝だ。市販のものじゃなくせめて手作りをって。

ここ数日は時間があれば料理部にきてチョコを、ぐるぐるボールで溶かしまくっていた。

 

気のせいか、校庭から『魔法』の光が差し込んでくるような…?

 

「氷が足りないわよ!」

 

現部長が『魔法』を使う。校内のCAD所持は禁止されているのでは…

部活ならOKなんですか?え?バレンタインは戦いなんですか?いつもより激しく輝いている…

 

 

「ヴァンパイアの本体はパラサイトと呼ばれる非物質体よ」

 

「ロンドン会議の定義だろう、それは知っている」

 

校庭で、パラサイト?そういえば、例の羽音が聞こえ…

 

 

「久君、手が止まっているわよ!」

 

「あっはいぃぃい」

 

それどころじゃない。元部長の目は戦略魔法師もかくやと思うほど、情念の炎が燃えていた。

もうすぐ卒業の元部長は、ほんとうに何人に配る気でいるのか…いや僕もそれどころじゃない。ぐるぐる。

 

昼休み終了ぎりぎりまで作業して、残りは放課後。急いで教室に戻らなくちゃ。

渡り廊下をとてとて急いでいると、通用門の前で達也くん、深雪さん、十文字先輩、リーナさんが何かのトレーラーの周りで会話していた。

そういえば今日はマクシミリアン・デバイス社の人が新型測定器のデモに来ているそうなので、なにかトラブルでもあったのかな。エリカさんがリーナさんに食って掛かっている。

どうもエリカさんは少し気の強い女性とは相性が悪いな。真由美さん、渡辺委員長、リーナさん。たぶん響子さんとも合わなさそう…もっと肩の力を抜いてって、前にもそんな事言ったな僕…

早く教室に戻らないと…僕の意識はそっちにある。とてとて。

 

 

バレンタイン当日、僕は響子さんがめずらしく朝の着替えを手伝ってくれたので、疑うことなく、手渡された制服を着た。

心なしか、足元がすーすーする…今日は一段と寒いなぁ。

澪さんもなぜかにこやかに、僕の長い黒髪をくしけずってくれた。

今夜は帰宅したら、簡単なパーティーを催すことにしている。

二人に渡すチョコレートは、プレゼントのアクセサリーとともに準備済みだ。

まぁ、機械音痴の僕は、二人と一緒にプレゼントを選んでいるので、サプライズなんてものはないけど。

いつものお弁当箱以外に、手提げ袋を何枚もなぜか持たされた。

みんなに渡すチョコレートは料理部の冷蔵庫に入れてあるので、朝早く登校して、配らなくちゃ。

 

僕は基本疑うことをしらない。ひとつのことに集中すると他に気が回らない…

 

キャビネットを降りて、一高までの道を歩く。時間が早いので、知り合いには会わなかったけれど、他の生徒たちの視線を一身に集めているような…気のせいかな。

料理部によって(部の先輩たちの分は昨日お渡しした)、クラスメイトの分のチョコを持ってくる。

 

教室で久しぶりの出番の森崎くんに手渡す。

 

「おっおおおお俺は、そういう趣味はないぞ…」

 

「え?もらってくれないの?一生懸命つくったのに…」

 

涙目で森崎くんを見上げる。うるうる。顔を真っ赤にした森崎くんはしぶしぶ受け取ると、なぜか教室から駆け出してしまった。そんなに嫌がらなくても。

 

深雪さん、リーナさん、笑顔満面とろけそうな顔のほのかさんは、あれ?髪飾りが水晶だ。三人に感謝の言葉とチョコを渡す。

 

「有難う久…今日の久は完全に女の子ね」

 

「えっ?僕は男の子だよ」

 

「日本では男の娘は、バレンタインに女装してチョコを渡す習慣があるの?」

 

「へ?」

 

「なんて言うか、ミユキのミニチュアね…ヒサは紛れもない美少女よ…」

 

リーナさんに言われて、やっと僕は気がついた。女子用制服を着ていることに。

 

去年の4月、誘拐事件後に九重八雲さんが用意してくれた、紫のラベンダー柄のキャミソールの女子用制服だ。

洋服ダンスの一番奥に隠しておいたのに、電子の魔女に隠し事は本当に出来ないみたいだ…

少し、窮屈だな…やっぱり僕の身体は少しだけ成長したみたいだ。おかげでボディラインがくっきりでて恥ずかしい…

でも、響子さんが、バレンタインには男の子はこの格好が勝負服だって、普段は絶対に僕を女の子扱いしない澪さんも嬉しそうに髪をととのえてくれたし。

なんの問題もないよね。ね。

 

「ねぇ深雪さん、達也くんにもチョコレートあげていい?」

 

「どうしてそんな事聞くの?」

 

「だって達也くんは深雪さんのモノ…ん?違うな深雪さんが達也くんのモノ?これも違うな…なんて言えば…」

 

「ひぃぃぃぃ久、貴女はなんて可愛いんでしょう!」

 

深雪さんは奇声を上げながら笑顔が狂喜乱舞していた。顔を真っ赤にして、僕の頭を撫ぜながら、もだえている…?

リーナさんは呆れ顔、ほのかさんは心ここにあらず、クラスの皆は深雪さんの笑顔に酔っている。

森崎くんはどこに行ったんだろう?

 

午前中の体育の授業、着替え室に入ろうとすると、お前は全員が出てから使え!って久しぶりに言われた。

ここ最近は一緒に着替えていたのに。何故か僕だけ離れた隅のほうで、だれも僕のほうを見ようとしなかったけれど。

 

「ぼっ僕も男の子だよ!」

 

「ちょっチョコを男に配る男…の娘が…いっいるわけないだろうぅ」名前もしらない男子生徒が変なことを言った。

感謝をする相手がいないのかな…?

 

 

お昼休み、食堂にはいつものメンバー。そして、逞しい後姿があった。

 

「あっレオくん!退院おめでとう!昨日メールくれたけれど、元気な姿みられて嬉しいよ」

 

「おっおう、久も見舞いにきてくれてダンケな」

 

レオくんの元気な姿を見て、僕は瞳がウルウルだ。そんな泣き笑いの僕にレオくんは驚いている。決して女子用制服の僕に驚いているわけではない、はずだ。

幹比古くんエリカさん美月さんにも手渡し、最後に…もじもじ。

 

「たっ達也くん…これ、手作り。みんなのも手作りだけれど、一番上手に出来たやつだから、その…貰ってくれるかな…

あっ達也くんは深雪さんから貰うから、僕のなんていらないとおもうけれど…でも…ぅうぅぅ…貰ってください!!」

 

僕は精一杯の笑顔に、黒曜石の瞳に涙を溜めながら、ウルウルと達也くんを見上げる。達也くんは背が高いから…ウルウル。

 

「うっ…久…その…なんだ…」

 

食堂の生徒、全員の視線を集める達也くん。さすが達也くんだなぁ。

 

「どうみても愛の告白…と言うより、背伸びした小学生女子よね…」

 

「でっでも、ものすごく素敵な場面だと思いますよ」

 

「ほら達也、受け取ってやれよ」

 

「深雪さんは…何も言わないの?」

 

「あら吉田くん、私はそんなに心の狭い女じゃないわよ」

 

「タツヤが動揺するの初めて見たわ」

 

「…」

 

妙に不機嫌なエリカさん、達也くんにチョコ渡せなくて不機嫌なのかな。美月さんはいつもの優しい笑顔。ニヤニヤのレオくん。おどおどする幹比古くん。

鉄壁の笑顔の深雪さん、驚くリーナさん、心ここにないほのかさん、達也くんは笑顔がすこしぎこちない。

 

「あっ有難う、久、ちゃんと味わって食べるよ」

 

「うん、ありがとう!」

 

きれいにラッピングされた小箱を受け取る達也くん。涙目で笑う僕。冬の弱い日差しが二人を照らす…

食堂から、ぱちぱちと、自然発生的に拍手が起きた。食堂にいる生徒全員だ。万雷の拍手。

達也くんはチョコの箱を手にして、固まっていた。

 

放課後、部活連に向かう。

十文字先輩とはんぞー先輩に渡すためだ。

はんぞー先輩は、なぜか青い顔をして、チョコレートの強烈な匂いを発していた。きっと沢山貰ったんだね。

十文字先輩はいつものように泰然自若で受け取ってくれて…少し頬が赤い?

はんぞー先輩はぶつぶついいながらも受け取ってくれた。

 

生徒会室に行く。真由美さん、渡辺委員長、市原先輩、あーちゃん先輩に渡す。

真由美さんは、僕の女子制服姿に、超ご満悦だ。

受験勉強と『吸血鬼』騒動でストレス溜めているんだね。

 

九校戦で仲良くなったメンバーとエイミィさんやスバルさんを探して、なんとか手渡す。

 

教室に戻る頃の僕は、つくったチョコを配り終えてすっかり身軽に…ならなかった。

エリカさんとリーナさん深雪さん以外、みんな手渡すそばからお返しにチョコをくれる。

エリカさんは面倒だからと、リーナさんは習慣の違い(達也くんをもじもじ見ていたけれど…?)、深雪さんは本命の達也くんだけにあげるんだよね。

朝、響子さんが紙袋を渡してくれたけれど、一枚じゃ足りず、三枚使って、他のクラスメイトや女子生徒もくれたから、物凄く重い。

僕は非力なんだよ。腕が抜けるんじゃないだろうか…

 

教室に戻ると夕日に照らされた森崎くんがいた。どこか寂しそうだけれど…?

 

「おっお前、それ全部チョコか?」

 

「うっうん、重くって大変…」

 

そりゃこれだけあれば驚くよね。あれ?どうしたの森崎くん、何落ち込んでいるの?紙袋欲しかったの?ゴメンもうないよ…

 

「ホワイトデーには三倍返しだぞ!ざまーみろぅ!」

 

僕のことを心配してくれる言葉を言いながら、ん?泣いていた?僕があげたチョコをちゃんとみんなに見えるように手に持って、森崎くんは走り去った。

なんだ喜んでくれていたのか。よかった。

三倍返しか…さいわい僕は貯金があるし、あまり使い道もないから大丈夫だよ。

でも三倍もされたらすごいカロリーになるよなぁ。僕はカロリーは『回復』にまわされるから太らない、そもそも成長できないから、食べて寝た方がいいのだろうか。

 

澪さんはもう少し食べた方がいいよなぁ。今朝も響子さんに比べてふくらみが…いっいやげほんげほん。太らない体質なんだよね。

帰宅後は、三人で料理を作って、チョコレートの香りに包まれた晩餐は、凄く楽しかった。

 

僕は『パラサイト』が学校に現れたことを知らない。もちろん、ロボ研のガレージの前にいたほのかさんの意識が『それ』の覚醒に繋がったことも…

 





実はオリ主の久はエリカが少し苦手です。人の感情に敏感な久はいつも不満そうなエリカといると落ち着きません。
エリカと二人きりになる機会はまずないのでエリカが久で不満を解消することはないのですが、レオや幹比古への対応を見て、極力そばに立たないようにしています。
真由美も苦手ですが、こちらはオモチャにされるから。
渡辺委員長とあーちゃん、ほのかも達也しか見ていないので、久とは接点が少ないです。
逆に大人しかったり知的で静かな人を好みます。
雫は久を弟みたいに思っています。
久にとって深雪は達也の存在の一部、精神が繋がっていると判断しています。
深雪も四葉関係で不満を抱えていますが、基本的に久のことを気に入っているので(久が深雪が達也のものだと心のそこから思っているので)時々悪乗りでいぢる程度です。
美月もそばにいて落ち着きます。市原先輩もどこか達也に似ていて安心します。
澪は響子がいないときは、凄く大人しい落ち着いた人(オタクに関わらない場合は)。
響子さんも久で遊んでいますが、一緒にいる時間が多いので家族、姉のような存在だと思っています。
真夜はお母様、烈はお兄ちゃんみたいな感じでとらえているのでずっと「くん」で呼びます。

お読みいただきありがとうございました。


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これまでの伏線を一気に回収です。


バレンタインデーの翌日。

一高は奇妙な現象に戸惑っていた。

ロボット研究所のガレージに保管されたホームメイド・ヘルパー、略して3Hが自己診断プログラム起動後、機能を停止せず、微笑んだ、と言うのだ。

3H、通称『ピクシー』は達也くん、深雪さん、を筆頭に、衆人の目の中で勝手に会話をし始めた。

僕も、達也くんの後ろで、その『ピクシー』の行動を見ていた…

 

美月さんの観察で、『ピクシー』の中に先日、校内に侵入して来た『パラサイト』が宿っていることがわかった。しかも、ほのかさんの思念波の影響下にあるそうで、そして、『ピクシー』は、達也くんに向かって…

 

「私は貴方に従属します」

 

と『東山奈央』さんの声で語り始めた…こんなチョイ役にバーニングラブすぎないか!?

 

『ピクシー』が『パラサイト』のことやほのかさんの達也くんへの気持ちを大暴露している…

悶え死にそうなほのかさんをエリカさんと、何故か深雪さんも取り押さえている。

能動型テレパシーでロボ研にいるみんなに聞こえるように話す『ピクシー』。

 

「『パラサイト』は『サイキック』だったのか…」

 

だれかが言った。違う。『サイキック』はテレパシーは使えない。それは僕自身が証明だ。『ピクシー』は明確な『サイキック』ではない。『エスパー』というより、『精神の存在』だと思う。

『高位次元体』のかなり下位の生命体だ。自らの力で『物質化』できず人間か、生物、もしくはこの『ピクシー』みたいに人に近いなにかに宿っていないと、いずれ『意識』が薄まり消えていってしまう存在…

 

…?

 

『高位次元体』?

 

僕は…『彼ら』を知っている!

 

達也くんが『ピクシー』に起動を停止するように命令した。

『ピクシー』は達也くんを見返し、「ハイ」とうなずくと、椅子に座り起動を停止する。

その瞬間、達也くんの後ろにいた僕を見た。

 

ぶっううぅうううん。

 

あの、羽音に近い『声』が聞こえた。こいつは、レオくんを襲った『パラサイト』だ。

僕から『サイオン』と『意識(幽体)』を奪い、僕を『超人』と呼んだ固体。

僕は、周りに気がつかれないように、少しだけ頷いた。

『ピクシー』は起動を停止した。心なしか、笑みをたたえているような気がした。

 

 

その夜、僕は勉強するからと、澪さんと響子さんに告げて自室に閉じこもった。

二人はおしゃべりに集中しているし(世代が同じなので共通の話題が意外と多いみたい)、いつも僕はこの時間勉強しているので、以前のように倒れたりしないかぎり二人は僕の部屋には入ってこない。ドアに鍵をつけようかと考えたけれど、二人に大反対された…

僕は、パジャマに裸足のまま、『意識』を広げる。僕の『意識』が広がる。僕の『意識』は今どこにでもある状態だ。一高のロボ研のガレージに『意識』を集中する。僕の存在の確立を高める。ロボ研のガレージに僕はいる、という感覚を覚える。障害物はない。『空間把握』。

 

そして、僕は空間を捻じ曲げる。『瞬間移動』。

 

僕の目の前に、台車にすえつけられたパイプ椅子に座る『ピクシー』がいる。

ロボ研のガレージは電源が落ちていて暗い。天窓からの月明かりに『ピクシー』と僕が照らされている。

ガレージの床は土足専用だけれど、ちゃんと掃除されているので、裸足で汚れることはない。

僕が声をかけるより先に、『ピクシー』の目が開いた。

僕をじっと見あげている。

 

「『ピクシー』、今からする会話や行動の記録は全部消しておいてくれるかな」

 

「はい」

 

機械とは違う、ずいぶんと熱っぽい、でも畏敬の念がつまった女性の声、つまり『東山奈央』さん。

 

「もし今話すことを達也くんが聞いてきたらどっちを優先する?」

 

「司波達也です」

 

『ピクシー』は即答した。

 

「ん、やっぱり、こちらの世界にいると、現在の依存性に支配されるんだね。僕も澪さんや響子さん真夜お母様に尽くしたい、命令されたい、役立ちたいって思うから…」

 

「『超人』であるあなたも『精神の存在』であることに変わりありません。『精神支配』は弱点であり本能でもあります」

 

「うぅん、でも僕は、その辺の記憶はないんだ、残りかすみたいなものはあるんだけれど…」

 

「『精神の三次元化』で記憶までは物質化できなかったという事が考えられます」

 

「君たちは僕のことを知っているんだね。一高に来たのは僕に接触するため?」

 

「そうでした。貴方の行動範囲は学校と自宅の間が殆どで接触が難しいのです。自宅周辺の警護は我々では接近することすら困難でした」

 

僕は引きこもりだ。最近は身の危険は減っているけれど、4月の誘拐事件は僕にとってはトラウマだ。精神がもろい僕は、ひとつのことに捕らわれてしまう。自宅周辺は澪さんの警護で国家レベルなので、比較的接触が容易な一高を選んだのか…でも僕が気がつく前に達也くん達に倒されてしまっていたけれど…

 

「しかし、現在、私は光井ほのかの精神の影響下にあり、もはや以前の欲求とは違う行動原理になっています」

 

「僕は何者なのかな?あっ、僕は達也くんみたいに頭はよくないから、10歳児でもわかるレベルで教えてくれる?難しい漢字は使わないでね!うぅ…情けないなぁこのお願い」

 

「『精神の三次元化』は非常に高度な『能力』です。完璧な肉体を創ることは不可能だとおもわれます…」

 

ホームメイド・ヘルパーが慰めてくれている…そりゃ僕は非力だし、頭も弱い…ぶつぶつ。

 

「うぅ…じゃぁお願いできるかな」

 

 

 

『魔法』を使うには、別次元からエネルギーを奪う必要があります。

 

ピクシーは僕にもわかるように簡単な言葉で説明を始めた。

 

それは『高位次元』においても同じです。ここよりひとつ上の次元、仮に『4次元』としますが、『高位次元体』も力を使うとき、他次元からエネルギーを供給します。

 

我々がいた4次元の『高位次元体』は、さらに上の高位と下位のこの次元、いわゆる『3次元』から『魔法』のエネルギーを得ます。

 

『4次元』では長い激しい戦いが続いていました。戦いの理由はもはや不明ですが『神』や『王』が乱立する状態が長く続いていました。

 

戦いが長期化すると、『高位次元』はエネルギーの供給過多で熱せられました。

逆にさらに高位と下位次元『3次元』はどんどん冷えていくことが予想されました。

エネルギーを奪うことはできても、与えることはできません。全次元のバランスが崩れ始めました。

『4次元』の『高位次元体』はより高位には昇れません。それならば下位の『3次元』からエネルギーを奪えば良いのです。

そこで、『高位次元体』でも有数の『王』であった貴方は、自らが犠牲となり『3次元の法則』に従うことで、『異次元の扉の鍵』を開けます。

つまり、『肉体』を得ることです。

 

貴方は高位から、この次元の概念による80年前、『三次元』に降臨します。

 

『高位』ではほぼ全能に近かった貴方も、『三次元』のこちらでは大きく制限されます。

貴方が『サイキック』能力だけになったのも我々が『サイキック』なのも規模の違いはあれど同様です。

我々は『精神』そのものに近いため、『ESP』能力も多少は残りましたが、『肉体』に縛られるあなたは『ESP』までは顕現できなかったのでしょう。

 

…顕現ってどういう意味…?

 

………

 

すみません、つづけてください。

 

あなたは『三次元の肉体』の維持、サイオン供給による『回復』を繰り返すことで、少しずつ我々がいた『高位』からエネルギーを奪う予定でした。

『我々』がうばったサイオンの量もわずか数日で回復するスピードは『高位』との扉が狭いことを考えれば脅威のスピードです。

『高位』のエネルギーも少しずつ『三次元』に流れはじめました。

 

しかし、70年前、あなたはエネルギーの供給を一時中断されました。

『三次元』から『高位』へはエネルギーしか移動できません。『我々』には原因不明でした。

この次元の寒冷化はどんどん進むと予想されました。

しかし、60年ほど前から『高位』のエネルギーをわずかずつですが奪う方法を人間は開発しました。

『魔法師』の『魔法』です。

それまでも属人的な『能力者』はいましたが、『魔法師』は技術体系として爆発的に増えていきました。

原因は…

 

 

 

 

 

『僕の精子』から強力な『魔法師』を効率よく開発する方法を編み出した…

 

 

約80年前、僕はこの次元に降り立った。それ以前の記憶がないのは記憶までは物質化できなかったからだ。

人一人分の物質化はたやすいことではない。

僕は、ある孤児院の前に立っていた。父母は不明、でも群発戦争真っ只中だったので孤児としてその孤児院に引き取られた。

年齢は体格から3歳とされた。名前は、院長が適当につけた。古い探偵小説の登場人物からとったそうだ。

 

 

最初の偶然は、その孤児院が、軍が関与していたことだろう。孤児院の同じ地域に研究所が設立されていた。

人工サイキック研究所いわゆる『多治見研究所』だ。

成人のサイキック開発が失敗して、最初は、僕より幼い孤児が選ばれるはずだった。幼ければ幼いほど実験が容易だと判断されたからだ。同じ孤児院の弟や妹が。でも僕が志願した。

 

「僕を実験動物にしてください、かわりに弟たちには手を出さないで」

 

二度目の偶然は、「人造サイキック計画」が成功したかのように見えたこと。

僕はもともと『サイキック』だったのだ。それも文字通り人外の。

この次元に物質化したばかりの僕は、なんの変哲もない子供だった。

 

研究所に入所して、人体実験が始まった。タイミングが悪く、サイオンが僕の体内に爆発的に増加しはじめた。身体がこの次元になじみ、高位からエネルギー吸収を始めたのだ。

高位の力は三次元化でほとんど失われ、『サイキック』だけ戻った。

 

「人造サイキック計画」の最初の孤児を使った実験は成功、しかし、二度目はなかった。当然だろう。

どう調べても、僕の身体は普通の人間だった。『精神』『異次元への扉の鍵』を量る機械はないのだから。

結局、同じ孤児院の弟たちも実験動物にされ、射程30センチの出来損ないサイキックとして、群発戦争当時、特攻要因とされ次々と前線に送られる。

その後も『神』を創ろうと実験は数十年続き、多くの『弟たち』が生まれる悲劇のもとになった。

 

僕も実験動物を6年半つづけた。膨大なサイオンで肉体の『回復』をして高位からエネルギーを奪っていたけれど、実験の薬物で身体はもうぼろぼろだった。でも非人間的な実験のおかげで僕は成長できたのかも。研究所に入っていなければ、僕は3歳の肉体のままだったかもしれない。

 

もともと『精神』の存在に近い僕は『精神支配』からは抜け出せなかった。

残りの半年は、失敗の烙印を押され、精神暗示と薬物投与をされながらも、深刻化した戦場に送られた。

そこで烈くんにあった。半年間の戦場生活は破壊と人殺しの連続だったけれど、研究所の拷問のような実験に比べれば楽園だ。僕は『偉い人』に命じられるまま、破壊を繰り返す。一度だけ、南米に特殊任務のために赴いた。そこで英会話を学んだけれど、僕は教えられたことを丸暗記する。丸暗記したことは大概覚えているので、烈くんに知能が高いと勘違いされたりもした。

 

三度目の偶然は、僕が推定10歳の肉体になったときだ。僕はある戦場で『精通』した。朝起きたとき下着がびっしょり濡れていた。

それからの1週間、研究所にもどされた僕は、ひたすら『射精』を強要された。

精子は必要な『情報』が殆ど詰まっているから、僕の『三次元化』で創られた遺伝子にはない『情報』が精子に見つかったんだと思う。

僕の身体はぼろぼろだったから、機械を身体に入れられ、より強い薬を投与され、何度も何度も『精子』をつくる機械になった。

今思い出しても、おぞましい、涙が出てくる。僕が10歳より歳をとりたくないと思うトラウマになっている。

軍は、十分な『情報』を集め終わると、敗北寸前まで悪化した戦況を一気に回復させるために、僕を敵国中枢で敵もろとも別次元に『テレポート』させた。

そのさい、僕は力の制御ができず、『空間認識』をしないで、とにかく遠くに『飛ぼうと』、半径100キロの『テレポート』をしてしまった。

 

僕の精子で『魔法師』の開発がはじまったことは結果的にはよかったのだろう。

効率的に、血縁と遺伝を利用して『魔法師』が産まれていった。

 

僕が深雪さんの5年前の容姿に似ているのも、この国の『魔法師』が『僕の精子』をもとに造られたからだろう。

 

『魔法』は『高位』からエネルギーを供給して発動する。

 

一つ一つは小さな量でも、『魔法師』が増えれば増えるほど、『高位』のエネルギーは奪われる。

僕に代わって『高位』から『魔法師』がエネルギーを奪い続けてくれている。

ここ最近は『魔法師』のレベルが上がっている。それこそ、僕の『魔法力』に匹敵するくらいの。

『魔法師』のレベルもいつまでも上昇することはないだろうから、いつかは頭打ちになると思うけれど、エネルギーは『三次元』の概念で何百年も奪い続けなくてはならない。

『高位』ではいまでも戦いが続いているだろうから、いつまで続ければ良いかはわからない。

 

僕は『高位次元体』ではあるけれど、『肉体』を得た以上、もう元の高位には戻れない。

エネルギーを高位からサイオンとして奪っている限り僕の『回復』はほぼ無限。肉体も超健康だから『回復』は老化まで防いでいる…

『回復』は寝ている間はできないから、眠り続ければ、僕は成長するし、歳をとる。でも寝続けることはできない。澪さんと響子さんが一緒に住むようになって、夜はよく眠れるようになったけど、10歳から歳はとりたくない。あの時期の実験は、僕に成長を否定させるほど嫌な記憶だ…でも、

 

異次元からのエネルギー供給が続く限り、僕は『不老不死』の存在になってしまうのか?

 

「そこまではまだ過去に例がないのでわかりません。ほぼ情報と精神のみの我々も、こちらの物質の一部を取り込んでしまったので、もう高位には戻れません」

 

なるほど、異世界の食べ物を食べた人間が元の世界に戻れなくなる神話と同じか。

 

…僕の能力は肉体の『回復』ではなく、高位からサイオンを奪っての『三次元の肉体を維持』だったのか。だから失った身体も『回復』するんだ…

じゃあ別に人間の身体ではなく、犬でも猫でもよかったのかな。

 

「おそらくそうですが、『三次元』でサイオンを使用するなら人間が一番目立たず合理的でしょう」

 

そうだね、人のいない森の中で動物として暮らすより人間の方が住みやすいか。

 

 

「ところで、どうして僕に接触しようとしたの?残念だけれど、今の僕はただの『サイキック』だよ。君たちに共感は少しはするけれど『記憶』はないから助けようなんてことはしないよ。むしろ羽音みたいな声にいらいらしていたし…」

 

「ただの『サイキック』にしては、この次元では破格の『能力』ですが…『我々』に協力していただければと考えていたのですが、今の『私』はもはや興味が無いことです」

 

「そっか、僕も今は自分のことで手一杯だから。僕の『サイキック』では『高位』への『テレポート』は不可能だから還すことは出来ないし『パラサイト』が協力を要請してきても拒否するし、攻撃してきたら容赦なく殺すよ、良い?」

 

「問題ありません」

 

「うん、じゃぁ、最後にお願いだけれど、今話したことは、達也くんには秘密にしておいてね。僕は達也くんにも従属したいと考えてしまっているし、これくらいのお願いはかつての『王』として聞いてくれるかな?」

 

「…わかりました」

 

『ピクシー』はぎこちなく頷いた。これは達也くんが無理して聞いてきたら喋っちゃうかな。

でも、いいか。僕は達也くんにならあげても…いっいや、殺されてもいいと思っているし。

 

「じゃぁ、『ピクシー』、僕は帰るね。あんまり自室にいないとばれちゃうし、そもそも寒いし…部屋に靴とか準備しておいた方がいいかなぁ。でもモノを隠しておいても響子さんに見つけられるし…」

 

ぶつぶつ考え始めた僕を、無感情で見つめる『ピクシー』。

 

「最後にひとつだけ…『パラサイト』が明日午前、一高裏の野外演習場に来ます。貴方に会いに…」

 

同胞への哀れみも、自分だけが別の生き方を見つけてしまった罪悪感も感じられない機械的な声だった。ホームメイド・ヘルパーのもともとの機械的な声。

 

「…そう」

 

僕が『飛ぶ』瞬間、『ピクシー』が目を閉じたのがわかった。

 

自室に『飛んで』戻ると、ウェットティッシュで足の裏を拭いて、多機能チェアに腰掛けた。

やっぱり僕は人間じゃなかったんだな。

『異次元の扉』を開け続けてエネルギーを『高位』から奪いサイオンとして体内に蓄積。そのサイオンで『三次元の肉体の維持』をしている元『高位次元体』の『王』で、破格の『サイキック』の男の娘…それが僕か。盛りすぎだなぁ。

でも、『高位』の『記憶』はないし、『高位次元体』の話は『ピクシー』の証言だけで、それ以外に証明しようがない。

 

つまり僕は、ただの『頭はあまりよくないけれど、破格の『サイキック』の絶世の男の娘』だ。現状で設定盛りすぎだよな…男の娘の容姿も『三次元化』の能力を応用すればいくらでもかえることができるのかも。

僕の容姿が70年前とすこし異なるのも、一年前の異次元からの復帰で『三次元化』したときに再構築したからなのかな…あれ?僕は数十年間山奥で身動き取れていなかったんじゃ?あれは夢?…うぅん、よくわかんないや。

 

そんなことより、なんだかお腹がすいたな。今の僕は、お腹が一杯なら大概幸せな子供だ。

自室を出て、とてとて階段を降りる。一階の台所で冷蔵庫をあけて、澪さんと響子さんと一緒に作ったプティングを手にとると、リビングでテレビを観ている二人の間に、とすんと腰掛ける。

 

「あら?久君、美味しそうね…私も食べようかな」

 

「澪さんはいいですね…こんな夜中にそんなカロリーの高い物を食べても太る心配がないなんて」

 

「戦略魔法師クラスの魔法力で肉体が貧弱…こんな利点があったなんて自分でも嬉しいやら悲しいやら」

 

澪さんはもう少しお肉をつけたほうが良いんだけれどなぁ。でも澪さんは今の体型だから澪さんなんだよなぁ…なんて事は口が裂けても言えない。たとえ達也くんに聞かれても…

 

 

 




魔法科高校の劣等生の作中に出てきた幾つかのキーワード。

魔法のエネルギーは異次元から得る、地球の寒冷化、人口サイキック開発の継続、血族や結婚による遺伝子操作に移行、群発戦争、ブラックホール実験からの別次元の存在、異次元生物・妖魔や精霊、パラサイト、サイキック能力、依存性、人体実験、サイオン量が多すぎて病弱、精神、意識、幽体。

これらを総合して生まれたのが、オリ主の久くんです。盛りすぎです。
原作の設定を生かしているので、SSチートキャラでも、世界観的に矛盾はない…はずです。
三次元化による肉体を得る、というのはライトノベルや漫画的にお約束ですね。
『三次元の肉体の維持(回復)』が『起きていないと』使えない、一瞬で再生できないのは、達也の能力と差別化を測るためです。
下位の異次元体である『ピクシー』がやたらと事情を知っているのはのは高位次元では有名な話なんですよ、きっと。
これだけ説明されても、記憶がない久は、高位の話はほとんど他人事です。
四葉真夜の誘拐事件の記憶と同じです。
ただ、久は記憶がない事を悩みません。三次元化してからの記憶がたっぷりあるので…
まぁ空間を操る『サイキック』としてはチート過ぎです。


お読みいただき有難うございました。




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訪問者

16日朝、米軍の小型艦船が機関事故で漂流して日本の防衛海軍に保護されたって報道がされていた。

なにげないニュースだったけれど、携帯端末に真夜お母様からメールが来ていた。

 

米軍の問題は、すべて解決したから安心して勉学に励んでください。

 

ほんとに真夜お母様は米軍を退治しちゃったんだ!すごい!お礼のメールしなきゃ。

報道の機関事故が『四葉』の仕業かどうか僕にはわからないけれど、真夜お母様の言うことに間違いはない。だって僕の『お母様』なんだから。

 

 

今日は朝からあの羽音に似た『パラサイト』の声が聞こえた。それも近い…『ピクシー』が言っていたように一高に向かっているのかな…

僕の朝は早いので、朝ごはんとお弁当を用意して、澪さん響子さんに「行ってきます」って、普通に登校する。

 

1-Aの教室に荷物を置くと、できれば人が少ない方が良いな…料理部のある実験棟に向かう。

途中の廊下でエリカさんにばったり遭遇した。こんな朝っぱら、テニス部(幽霊部員)のエリカさんが実験棟に何でいるんだろう。

肩を怒らせて、目つきが…怖い。

 

「おはよう、エリカさん」

 

「久…おはよう」

 

簡単に挨拶すると、エリカさんはすたすた歩き去っていく。剣術で鍛えているから後姿は颯爽としているけれど、怒りのオーラが見えそうだ…

超絶機嫌が悪い…昨夜なにかあったのかな…また『家庭問題』かな。こんなとき八つ当たりの犠牲になるのはレオくんか幹比古くんだけれど、今は当然いない。

僕がその役回りになるのもいやなので、黙って見送る…

このところ真由美さんも受験勉強や『吸血鬼』問題でたまったストレスの発散対象を物色しているし…

触らぬ神になんとやら…くわばらくわばら。

 

バレンタインも終わって、料理部の朝は誰もいない。僕は料理部近くの男子トイレの個室に入って鍵をかけた。

いくら僕が男の娘だからって女子トイレはつかわない。一高内はいろいろなセンサーやカメラが設置されているけれど、さすがにトイレの中はカメラはない、たぶん。

個室の中から、意識を集中させて、一高裏の演習場に『飛んだ』。

 

人工の雑木林とは思えないほど太い木が枝や緑をよく張って、勢いよく一面に生い茂っている。

それでも鬱蒼としていないのは、ここが手入れされて、しかも、魔法科高校の生徒が利用するのだから、『魔法』であちこち破壊されては植え直しをくりかえしているからだと思う。

センサーの類はない…と思う。正直自信はない。僕は探知系はからっきしなのだから。

 

でもこの場に、3人の男性が立っている。たぶん、彼らならカメラのない場所を選んでいると思う。

なんの前触れもなく、虚空から僕が出現しても、彼らは驚かなかった。どちらかと言えば畏敬の目、だ。

 

2月でも常緑樹の人工林にあまり落ち葉はない。地面は踏み固められていて、ぬかるむようなこともない。

僕がかわいた地面に降り立つと、アングロサクソンの特徴をもった男性が一歩前にでた。

 

「おはようございます、僕は久です。あなたたちは『パラサイト』さん…えぇとなんて呼べばいいのかな?」

 

「マルテ、とお呼びください。『超人』」

 

一歩前に出た男性が返事をしてきた。人の話を聞いているのかな?

 

「僕は久です。『超人』なんて名前じゃないです」

 

3人から人間なのに、どこか奇妙な『気』がたっている。怪しい気配。妖気とでも言うのかな。

 

「それで、僕に何の用かな?」

 

「『我々』に力を貸していただきたい。あなたなら同胞12体を安全な場所に匿い、繁栄に導く力があるはずだ」

 

「興味がないよ」

 

僕は即答する。3人は全身で動揺していた。

 

「我々12体に上下の関係はない。しかし、『王』であったあなたは我々を守る義務がある」

 

嘆願なのか要請なのか良くわからない口調だ。僕が見た目子供だから戸惑っているのもあるんだろうけれど、どこか世間ずれしていない。

チグハグなところが僕とどこか似ている。でも…

 

「僕には『王』とかの記憶はないから。貴方たちには少しは共感はするけれど、同情も興味もありません」

 

僕は自分のことで手一杯だ。記憶のない世界の彼らに対しては何の感情もない。

第一、僕にとって心残りの、人工サイキックで実験体にされて今でも隔離施設に軟禁されている『弟たち』だって放置している。

助け出したところで、軍が追う以上、匿う場所なんて僕にはわからない。

この3人や、12体の同胞だって、十師族、警察、千葉家、たぶん色々な組織に追われている。

『弟たち』と状況は同じだ。僕に出来ることはない。そもそも、

 

「貴方たちは僕の友人を傷つけました。そのことに関して、僕は貴方たちに怒りしかありません」

 

知らない『魔法師』や他人が殺されようと興味はない。でも『友人』であるレオくんや護衛の二人が半死半生の状態にされたことは怒りしか湧かない。

今の僕の精神は身近な人物にしか関心をもてないようだ。でもその身近な人物に対しては、物凄く敏感だ。

僕を心配してくれる人や親身になってくれる人には、あの『ピクシー』のように尽くしたい、何かしてあげたいと考えてしまう。

とくに、僕が昔から欲しかった『家族』に匹敵する人物に対しては…

 

「『王』の友人を傷つけたことは謝ります。ですが、我々も生存の本能があります。手助けしてくれないのでしたら、また『王』の周りで不幸な事故が起こらないともかぎりませ…」

 

 

ごっ!

 

 

空間が揺れた。

 

マルテと名乗った男は言葉を続けられなかった。大地が揺れている。地震…違う。大地だけじゃなく、木も、空気も、空間そのものが揺れている。

 

僕を中心に、三人の男が立つ、10メートル程度の狭い空間が激しく揺れている。

その余波で、一高周辺も地震となっている。生徒たちの慌てている声が雑木林の中まで聞こえてくる。かなり大きな地震だ。

でも僕を中心にした10メートルの大地は、根本的に揺れが違う。空間そのものが揺さぶられている。

 

「じっ『次元震』っ!?」

 

三人の男から、恐怖が伝わってくる。低位の次元体では指一本動かすことすら、呼吸すら困難な圧力がこの狭い空間に満ちている。

次元の間はエネルギーのやり取りしかできない。でも、僕の力は全ての次元を揺さぶるほど強力だ。エネルギーが波動となって高位次元も下位次元にも伝わっている。

怒りが、僕の『念力』が空間を揺さぶっている。男たちの身体が、憑いている『パラサイト』ごと歪む。

人かモノに憑かなければ『意識』を保てない『パラサイト』が、空間ごとすり潰されていく。『パラサイト』の命が削られている。

 

「このまま潰す?それともどこか別の空間に生きたまま『飛ばそうか』?どこがいい?太陽の中心、絶対零度の空間、真空の宇宙、光すら抜け出せない超重力…」

 

「わっわかりました、貴方の周囲の人物に手を出すことは、我々からはいっさいしません…ですからお怒りをお静めください」

 

急に、へりくだった態度になった。生存本能が一番の行動理念の彼らにとって、命を失うことは恐怖以外の何物でもない。自分たちからは手を出さない、と言う台詞は気になるけれど、彼らだって自分が攻撃されれば身を守ることはするだろう。

僕は達也くんに攻撃されたら無抵抗で死んでも良いやって思っているけれど、これは精神の依存性の違いなんだろうな。

一高周辺を揺らす地震は少しずつ小さくなって、とまった。でも、僕の周りの見えない空間はまだ小刻みに揺れている。

 

「さっさとこの国から出て行ったほうがいいね。この国の『魔法師』は優秀だ。貴方たちに居場所はないと思うよ」

 

これは最後の忠告だ。本当は消してしまった方が良いんだろうけれど、僕の興味は自分の周囲にしかない。どこか遠くで生きていくなら対岸の火事だ。

 

「同胞の一体が一高に囚われています…」

 

「あの子は君たちに興味はなさそうだったよ」

 

僕のこの言葉をマルテは信用しなかったみたいだ。同胞はみなおんなじ考えをしていると思っているみたいだけれど、僕には関係ない。

僕の瞳は怒りで、薄い紫色の燐光を放っている。男たちは一歩下がった。

 

「『王』よ、3日後、19日の夜、もう一度、今度は全員で参ります。ご再考を願います…」

 

どうして3日後なんだろう…僕は疑問に思ったけれど、何も答えない。どのみち僕は引きこもりだ。夜出歩くなんて事はしない。

男たちは、もう一歩後ずさると、きびすをかえし、ゆっくりと歩き出した。

 

樹幹の間に、男たちが見えなくなる前にもう僕は、一高に『飛んで』戻った。

 

 

「おはようございます」

 

僕は、隣の席の深雪さんとほのかさんに挨拶をする。教室に戻る頃には怒りなんて忘れている。

 

「おはよう久」「久君おはよう、さっきの地震すごかったね…」

 

ほのかさんは怖がりながらも、どこか楽しそう。達也くんに水晶の髪飾りを貰ってからテンションが高いままだ。

深雪さんは、地震なんかじゃぐらついたりはしない、いつもの鉄壁の笑顔だった。

 

 

昼休みが終わり、その深雪さんが怪訝な顔をしていた。生徒会室で達也くんとお昼を食べていたはずだけれど。

 

「どうしたの?深雪」

 

ほのかさんの質問に、

 

「今朝、大きな地震があったでしょう。なのに観測機関では震源地の特定が出来なかったらしくて、震度が一番大きかったのが一高周辺だったそうで、気象庁から一高でなにか魔法実験でもしたのかって質問が来ていたの…」

 

「えぇ?あんな広範囲に魔法なんて戦略魔法師でも無理だと思うけれど…」

 

と、ほのかさんが携帯端末で地震の震度の地図を見せてくれた。

なるほど、一高のある東京西部で震度5、震度1が関東一円に表示されている…

うぅ、やはり力の制御は大事だな。気をつけないと…

 

 

この日、僕はさっさと帰宅したんだけれど、自宅に驚きの人物が尋ねてきたんだ。

 

夕方、インターホンが鳴ったから、ドアフォンのディスプレイを確認すると…九島烈くんの穏やかな笑顔が…そこに。

 

え?烈くんが自宅にたずねてきた!?

 

相変わらず、背筋をぴしっと伸ばして年齢を感じさせない。

僕の自宅は烈くんが用意してくれて、今は三人住まいだけれど、烈くんがいるとなんだか狭く感じる。

十文字先輩とは違う存在感。貫禄ってやつなのかな。

僕の態度はかわらないけれど、隣の響子さんは自分のお祖父さんなのに、あまり親近感がないみたいだ。

そして、左隣の澪さんはというと…超恐縮している。

響子さんはブラウスにデニムパンツの私服だけれど、澪さんは上下ジャージ、僕はパジャマだ。澪さんは自分のジャージ姿にも焦っている…可愛いなぁ。

 

「こっこれは九島閣下、出征のおりは格別のご厚情を賜わり厚く御礼申し上げます」

 

「なに、あの時期に大規模な戦争など誰も望んでなどいなかったから、結果的に反対しただけだよ」

 

きちんと腰を90度までまげてお礼を言っている。

いつもは脱力しまくっている澪さんが、こんなに緊張している姿を初めて見た。

緊張した顔が『グキリ』ってしているけれど、こんな緊張している表情も美女は似合うんだなぁ。可愛い…

横浜騒動の後、軍の強硬派が大亜連合との全面戦争に持っていこうと澪さんを乗船させて出征直前にまでなっていたところ、烈くんがとめてくれたんだそうだ。

 

「ん?じゃぁ、あの時の、十師族の有力者って、烈くんだったんだ…」

 

「結果的に久の大事な女性を戦場に出さずにすんで私もよかったよ」

 

「だっ大事な女性っ!!あっ失礼しました」

 

澪さんが大声をあげて、謝りながらも、表情はゆるい…僕も烈くんにお礼を言わなきゃ。

 

「有難う烈くん、あのときの澪さんはまだ病弱で戦場なんてとても耐えられなかったと思うから…有難う。戦場は…ひどいからね」

 

烈くんの顔はにこやかだったけれど、どこかしてやったりって表情だ。

何となくだけれど、外堀が埋まっていくような、奇妙な感じ…気のせいだよね。

 

「今日はどうしたの?前もって連絡くれていれば手料理作って待っていたのに」

 

「すまんな、近くに用があったのでね、なぁに、久の姿と孫の顔を見に来ただけだよ」

 

響子さんは相変わらず緊張している。どこかきな臭さを感じているみたいだけれど、しばらく雑談をして、19時前、響子さんの部屋に僕と烈くんが向かう。

澪さんはリビングで脱力している…

響子さんの部屋は、電子の魔女の部屋らしく、どこかのオペレータールームみたいになっている。複数の端末とディスプレイが並んでいて、起動すればもっとディスプレイが増えそうだ。

僕は響子さんの部屋に入ったことがない。ここが澪さんと違うところだ。

すこし悲しいんだけれど、響子さんと僕の間には少しだけ壁がある。壁、と言うより、社会人である響子さんは僕には言えないことが多いから、お仕事関係には立ち入らないようにしているんだ。

澪さんの部屋は、アニメのBOXやコミックスが日々増えているから、出入りは基本自由だ。そろそろ他の空室が澪さんのアイテムで埋まる日が来そうだ。まぁ空室は沢山あるからいいけれど。

 

「若い女性の部屋に入るのも失礼だが…ん?ベッドがないね?」

 

烈くんはお孫さんの部屋を訪ねる雰囲気だ。響子さんは直立不動で無表情に近い、深雪さんの鉄壁笑顔みたいな顔をしている。僕は廊下に立っていて、部屋の中はドアの幅だけ見える。室内には入らない。でもベッドはないことは知っている。

 

「うん、いつも僕の寝室でみんなで仲良く『川の字』で寝ているよ」

 

「なっああ、ちょっと久君っ!?」

 

「そうかそうか。二人を婚約させて正解だったかな」

 

響子さんはさっきの作り笑顔が真っ赤になって照れている。烈くんはすごく機嫌がよさそう。

 

「婚約(仮)だよ!」

 

僕は烈くんを見上げて叫ぶ。でも…最近…

 

「でも響子さんも澪さんも、誰かと結婚って考えると、最近僕、落ち着かなくて。なんだか寂しくて、悔しい?…よくわからない感情に支配されちゃって、胸が苦しいんだ…家族を失う…って事なのかな」

 

「ふむ、久は経験がない感情だからね。どうだい、正式に婚約を発表しては」

 

「だめだよ、響子さんはこんなに素敵なんだもん。すぐに良い男性があらわれるって!」

 

響子さんはうぅって唸っている。職場にまともな男性はいないのかな…

理想が高いのかな。たとえば、基準が達也くんとか。うーん。

そんな僕たち二人をにこやかに見ていた烈くんだけれど、

 

「ふぅむ、ではすまんが響子と話があるから久は席をはずしてくれるかね」

 

「うん」

 

二人は祖父と孫の関係だけれど、軍属でもある。烈くんは退役しているけれど、その影響力は凄いみたい。ここから先は、お仕事だ。僕にはわからない世界なので、リビングにとてとて戻る。

澪さんは脱力したままだった。可愛い。

烈くんがお仕事で響子さんの部屋に残ったって話したら、

 

「着替えてきます、けっ化粧も…」

 

って急に慌てだした。さすがにジャージ姿はまずいと思ったみたいだ。

 

「もう遅いって。それに澪さん化粧なんてしなくてもお肌綺麗だよ。初めて会ったときは病人みたいだったけど、手だってすべすべだから、料理とかで荒れさせたら嫌だなって思ってるし」

 

家は料理は機械に頼らず自炊だ。一緒に住む前は澪さんも響子さんも料理なんてしないお嬢様だったから、冷たい水で手がささくれ立ったらどうしようっていつも思っちゃう。

 

「私は一緒に料理とかしたいし、久君に専業主夫になってもらうのも悪いし、でも二人で引きこもり生活も悪くないし…ぶつぶつ」

 

澪さんの明るくない将来計画が脳内で展開されているようだ。

 

「ほら、いいから、澪さん、一緒にテレビ観てよ!」

 

僕は澪さんの手を握ると、リビングのソファに並んで座る。どのアーカイブがいいかなぁ、とリモコンで適当に映像を流した。最初は所在無さげだった澪さんも、肩をならべて画面に集中しはじめた…

 

 

「19日夜、ホテルのディナーの招待を受けたのだが、行かないかね」

 

帰り際玄関で、烈くんが唐突に言った。響子さんは相変わらず緊張している。

軍属の響子さんにしてみれば、退役元少将の烈くんは祖父とは言え、はるか上官にあたるので落ち着かないのだと思う。

澪さんは国家的重要人物なのでパーティーや晩餐会の参加機会は多い。でも、唐突の招待に戸惑っている。

 

「久君におまかせします…」

 

澪さんが失礼のないように僕の横顔を伺う。僕は十師族のパーティーや九島家の元旦会には参加したけれど、基本的に庶民なので堅苦しい席は苦手だ。

 

「僕はマナーとかわからないから…」

 

「なに、家族の食事会だよ。マナーは気にしなくて良い、この国でも有数のシェフ、遠月リゾート総料理長が手がけるから料理に関しては満足できるものを提供できると思うがね」

 

「えっ?やっぱり遠月学園の卒業生なんですか?」

 

澪さんが食いつく。響子さんも興味を持ったようだ。さすが烈くん、人の関心を誘うのが上手い。

 

「うむ、遠月学園第150期卒業生筆頭の料理人だったそうだね」

 

ぬぅ流石に『ソーマ』くんの世代からは60期も後の人物になるか…でもじゅるる。

 

「行く!」

 

トリックスターの千万の言葉より、美味しい食事ひとつが全ての策略を上回ることがあるのだ。

 

 

 

 




響子と九島烈が、達也たちが青山霊園付近でパラサイトのマルテと対話しているのを街頭の監視カメラで見ていましたが、そのオペレーター室の具体的な場所が原作には書かれていなかったので、久の自宅の響子の部屋で観ていることにしました。
響子の部屋は魔改造していると何話か前に伏線をいれておいた甲斐がありました。

七賢人のレイモンドが一高裏にパラサイトを集める2月19日夜。
レイモンドがどうやってパラサイトを集めたのか原作中に方法は書いてありませんでした。
19日夜、パラサイトが久と再度交渉するために集まることを、パラサイトと周との通信から
レイモンドは知った…みたいな。
周はここで久の事を意識する…と後に続けられる。

久は引きこもりな上に、自宅には澪と響子がいるので、外出させる理由付けが必要で困ります。
達也みたいに簡単に夜中出歩けないので、いろいろと考えなくてはいけません…汗。



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イレギュラー

 

 

その日の夕方、一台のリムジンが僕の自宅の前に止められた。リムジンからこの国の魔法師界でもっとも影響力のある人物が降りる。

九島烈くんだ。今日も柔和な笑顔で立ち姿がスマートだ。痩せぎすなのに日本刀のような硬さと柔軟さを感じる。

澪さんの護衛が烈くんの護衛と打ち合わせをしている。

これから帰宅するまでは烈くんの護衛が、澪さんも守ることになる。もちろん何かあれば僕も全力で守るつもりだ。

澪さん響子さんは、一流ホテルのディナーに恥ずかしくないフォーマルな服を着ている。綺麗だな…うっとり。僕も、ストライプのジャケット&パンツにシャツのベーシックなスーツ。ポケットチーフはネクタイとお揃いで、履いている靴までぴかぴかだ。

今日の澪さんは体調が良いみたいで、車椅子は使わずに歩いていく予定だ。

念のため車椅子はたたんで護衛の車のトランクにつんでいく。

 

「わざわざ九島閣下がお迎えしていただけるとは、恐縮です」

 

澪さんは緊張している。

響子さんは笑顔…でもちょっと作り物っぽい笑顔だ。響子さんは烈くんとは少し距離をおいておきたいみたい。

軍の派閥…ってやつかな…僕にはわからないけれど。

 

「以前も言ったように、家族の食事会なのだよ。気楽に付き合ってくれるといいんだが」

 

「どこまで行くの?」

 

僕はあまり狭い空間は苦手だから近い方がいいな。

 

「ふむ、横浜の海の見えるホテルだよ」

 

「横浜か…」

 

横浜での事件や魔法師協会で真夜お母様に会った日の事を思い出す。

響子さんも色々考えているようだ。何か素敵な男性との思い出でもあるのかな…気になる。

 

「一時間弱くらいでつくかな…」

 

「うむ、普通はそうだが、今日は少し私用で寄るところがある。なに10分程度寄り道するだけだから大して時間はかわらないよ」

 

「うん」

 

僕は運転手がドアを開けるのを手で制して、澪さんの負担が軽くなるようにエスコートをして、ドアを開ける。

 

「どうぞ、お嬢様方…なんて…やっぱり恥ずかしいや…」

 

「いいえ、素敵ですよ久君」

 

「照れずにびしっと決められたら最高だったけれどねぇ」

 

澪さんは基本僕のすること全肯定だ。響子さんは手厳しい。

澪さん、響子さんに僕が乗り、烈くんが最後に乗ると、運転手さんがドアを閉めた。

リムジンは静かに走り出す。ドアウィンドウは黒いので外はわからなかったけれど、護衛の車が前後を挟んで物々しい。あいかわらずリムジンは静かで、4人が乗っても広々としている。僕には大きいシートに身体をうずめる。

僕と烈くんはリラックスしているけれど、二人の美女は緊張からか無言になってしまっている。

 

「二人ともそんな緊張しないでよ…」

 

なんとか気分をほぐそうとする雑談は、ほとんど僕の学校生活の話だった。澪さんは引きこもりだし、響子さんは烈くんの前ではいつもの小悪魔を発揮できない。

烈くんの話はどこか教訓めいている。本当はざっくばらんなお兄さんだったんだけれど。

途中、なぜか話がアニメやコミックになった。

 

「僕は『NARUTO』は自来也が好きだなぁ、強いし、かっこいい。1人でペイン6人と戦ってるし」

 

「私はやっぱりナルトくんね。まっすぐ一生懸命で」

 

「ふむ、私はどちらかといえばカカシかな、強さよりも技巧、はったりや経験に優れているところに共感するね」

 

「…」

 

響子さんはひとり話題に加われず、ジト目でも、ちょっと一安心している感じだ。響子さんと烈くんは軍での関係が複雑そうだな…

澪さんは逆に、仲間が見つかった喜びで声が弾んでいる。

 

「意外ですね、九島閣下がアニメやコミックをご覧になられるとは」

 

「なに、私は隠居の身だからね、時間はたっぷりあるのだよ、昔忙しくて見られなかったアーカイブが山のようにあるからね」

 

「最終回まで待たずに見られるなんて幸せだよね」

 

ほんとうに完結するんだろうなぁという作品は山のようにあるのだ。このSSもそうならないように…げほんげほん。

意外な盛り上がりに澪さんと烈くんの距離感が縮まった気がする。よかった。

 

リムジンは、今どこを走っているのか全然わからない。もっとも外を見られても、土地勘のない僕には同じだけれど。でも30分くらい走ったところで、静かに停止した。

運転手からの車内フォンで知らされた烈くんが、

 

「ではすまないが10分ほど待っていてくれるか。なにほんの野暮用だすぐ戻るよ」

 

運転手がドアを開けると、護衛の人が数人待ち構えていた。外はすっかり暗くなっているのに、護衛の人は黒服ばかりで、なんだか闇夜のカラスみたいだった。

外は街頭も少なく暗い。でも冬の冷たい風で樹木が揺れているのがわかった。公園かな?高く長い壁におおわれている森?少し郊外みたいだ。

烈くんがリムジンから降りて、運転手がドアを閉めようとした瞬間。

 

 

ふぉっあああああああ!

 

悲鳴とも憤怒ともわからない、音が、声が僕の精神に響いてきた。

『パラサイト』の声はこの三日間も遠くから聞こえてきていた。当たり前に聞こえているので逆に別のことに集中すると気にならなくなるくらいだった。ひとつに集中すると他に意識がむかなくなる癖が幸いした感じがする。

ああ、今夜は、あのマルテが指定してきた19日の夜か。

ここは一高の野外演習場のすぐ近くだな…。

 

『パラサイト』が誰かと戦っている。1人じゃない…10人近い精神の声が一塊になって野外演習所の何かに触手を伸ばしている感じ…

 

僕は怒りを覚えた。心の奥に、重りをかけて、怒りで『能力』を暴走させないようにする。

 

僕はマルテの提案は完全に無視するつもりでいた。でも、『吸血鬼』を追っていたのは真由美さんやエリカさんたちだ。マルテは僕の友人たちには手を出さないと言ったけれど、攻撃してきたら身を守るとも言っていた。

一高の野外演習場で戦っているなら、一高生徒の可能性が高いと思う。

やっぱり3日前、『パラサイト』ごと空間ですりつぶして殺しておくべきだった。僕は後悔した。

真由美さんやエリカさん、幹比古くんたち『魔法師』では対応が難しい…『パラサイト』は精神に近い存在だ。精神そのものへの攻撃は僕も出来ないけれど…

 

「どうしたの?久君」

 

一瞬考え込んでいた僕に響子さんが尋ねてきた。僕は…

 

「ちょっと外の空気を吸ってきていいかな。車の中って、ちょっと狭くて苦手なんだ」

 

「そうですね、じゃあ防寒具は…」

 

「いいよ、数分外に出てるだけだから」

 

二人に疑問を抱かれないように、ゆっくりとドアを開けて外に出る。幸い車内からは外は見えない。冬の空気が頬に刺さるように冷たく感じる。

僕は、リムジンを囲む護衛の黒服の人に「ちょっとトイレ…」と言って、護衛の死角に入る。

時間がない。そのまま、『パラサイト』の塊の近くに『飛んだ』。

 

 

イレギュラーな存在が現れる。

 

僕がその場に現れたタイミングは、最悪だった。

 

複数の『パラサイト』の集合体に炎の龍が絡み付いていた。僕の目には炎の龍しか見えない。『パラサイト』の集合体は見えない。でも、そこにいるのがわかる。『高位次元体』の『意識』や『精神』は僕と同質のモノだ。

僕が気づいたのと同時に集合体も僕に気がついた。何か言っている。遅い、かそれとも、助けてか?

『パラサイト』の『意識』は、三次元では何かに憑いていないと、少しずつ薄れていく。何かにとり憑こうとする本能がある。

『パラサイト』にとって僕は最高の器だろう。お互い精神の存在に近い。僕に憑けば、無限のエネルギーを『高位』から奪える。もしかしたら永遠に近い時間を得られる。

集合体は炎への抵抗をやめて、本能のまま、がむしゃらに僕に向かって牙をむく!

 

本来なら『パラサイト』を押さえ込んでいた荒ぶる炎が集合体のアゴと牙に切り裂かれる。

 

音なんてしないはずなのに、空気が牙に切り裂かれ、僕に襲い掛かる。

見えないのに、集合体のおぞましい執念が、まるでガラスをきぃきぃするように不快感を与えてくる。

 

『魔法』では防げない、『意識』の集合体。

 

 

でも、僕にはいっさい通用しない。

 

僕の黒曜石の瞳が、薄い紫の輝きを放つ。暗い雑木林に、淡く、怪しく、漂う紫の燐光。

 

集合体がまとわりついていた炎とともに僕の目の前でとまる。集合体は僕に触れることはできない。

 

僕は、空間を支配する『サイキック』だ。『精神』に攻撃できなくても、集合体の周りをこの空間から『遮断』するだけで、集合体は空間の檻に閉じ込められた。

檻から逃れようと激しく暴れているのが炎の揺らめきでわかる。

でも、何もすることはできない。僕より優れた『サイキック』か、魔法力や魔法式を力技でフッ飛ばさない限り…

 

「久っ!お前…いつの間にそこに…どうやって『それ』をその場にとどめて…いや、それも『サイキック』か?」

 

達也くんが銀色の銃型CADを構えていた。達也くんには僕の『サイキック』が『視える』みたいだ。空間のゆがみに気がついている。すごい、ただの『魔法師』じゃわからないのに!

すぐ隣に向き合って寄り添う深雪さんも僕を見ていた。でも深雪さんに『サイキック』は視えていない。

ただ、二人の位置は、まるでキスでもするかのような距離感だ。この非常時でも、ちゃっかり達也くんに抱きついている。

この二人は南の島で僕が『サイキック』だって事を知っている…

 

 

「『サイキック』!?ヒサは『サイキック』なの!?」

 

達也くんのすぐ近くに、金髪で目の青い少女が地に両手をついて叫んでいた。

リーナさん?

 

あれ?どうして達也くん、深雪さんとリーナさんがここにいるんだろう。

達也くんは以前、『パラサイト』には興味がないようなことを言っていたはずだけれど。

視界の端には『ピクシー』がいた。なんの感情もない目だ。声は聞こえない。でも何となく安堵しているような気がする。

 

集合体に意識がむいていた全員は、僕がいつのまに現れたか気がついていなかったと思う。

達也くんの鬼気迫る気配、深雪さんの領域干渉が支配する夜の雑木林の中、僕は緊張感にかけたフォーマルな格好をしている。靴に土がつかないといいな…

僕は、まさにイレギュラーだ。

 

でも、達也くんはすぐに思考が復帰した。

 

「久っ!『それ』を5秒その場にとどめておけるか」

 

「うん、いいよ、やって!」

 

達也くんの言葉の意味はわからない。でも僕が現れたことで、やろうとしていた行動を中断させてしまったことはわかった。

だから躊躇なく言ったんだ。

『パラサイト』の集合体はこのまま別の空間に『飛ばす』ことはできる。ただそうすると殺すことにはならない。この巨大な『意識』が消滅するまでどれくらい時間がかかるだろう。いつかまたこの空間に戻ってくるか否定できない。

僕の力で消滅するまで閉じられた空間に閉じ込める…これが一番安全だけれど、これは「人造サイキック計画」でつくられた『弟たち』と同じになるからな…

うぅん『意識』だけの存在を殺すにどうすればいいのだろう。意思がなくなるまで強制的に細切れにして薄めてしまえば…何かをきっかけにまた集合するかもしれない。

『高位』にいた頃の『能力』があれば簡単に消滅させられるんだろうけれど、いまの僕は『サイキック』でしかない。

『次元震』で次元ごと潰すには攻撃が過剰過ぎる…

 

達也くんには『意識』を消滅させる方法があるのだろうか。僕は達也くんと深雪さんを興味深く見つめる。

達也くんはCADを持っていない左手で、いきなり深雪さんを抱きしめた。

 

「ふっあぁ!?」

 

深雪さんの驚きと歓喜の混ざった声があがった。達也くんと深雪さんの集合体の周りに充満していた魔法力が一瞬消えた。

達也くんの顔が深雪さんの顔に迫る。唇がふれる寸前、呼吸が交わる距離。深雪さんの歓喜の表情は恍惚になった。深雪さんの視界には、達也くんしかいない。世界に二人だけ…刹那、二人の『意識』が重なる。繋がるっ。分かり合っている。ひとつになっている!

 

達也くんと深雪さんは二人でひとつ。僕にはそう思えた。

 

「深雪、視ろっ!」

 

「視えます、お兄様!」

 

達也くんの右手が炎をまとった集合体のいる場所に向けられた。

 

深雪さんの『魔法』が発動した。僕は集合体を捕らえていた『空間』を開放する。集合体は開放された喜びを味わう瞬間もなく、光に包まれた。

深雪さんと達也くんから発したその輝きは、横浜で僕が達也くんに見た、『人が作りし神』の光と同じだった。

 

僕は信じられないものを見た…いや感じた。精神の集合体が、凍り付いて砕け散った。

音もない、でも意識の欠片がキラキラと輝いて消えていくのを感じた。

『精神』を凍りつかせる『魔法』…ひょっとしたら…

 

この『魔法』は…僕を殺せる『魔法』だ。

 

 

僕とリーナさんは呆然としていた。

 

「…ルーナ・マジック」

 

リーナさんが呟く。月の魔法…?どういう意味だろう。僕は魔法の事はテキスト以下しか知らないから…はぁ自分の頭の悪さがいやになる…いいや、達也くんやリーナさんが知り過ぎているんだと思うけれど、普通の高校生じゃ知らなくて当たり前のことばかり知っているような気がするよ。

 

「ミユキ、アナタたち兄妹は一体」

 

「久、リーナ、今見たことは他言無用だ」

 

「なっ、なによ、いきなり…」

 

リーナさんは達也くんの威圧的な口調に戸惑っているけれど、僕は躊躇することなく頷いた。達也くんが黙っていろって言うなら、絶対に言わない。

夜の雑木林に満ちていた圧力は完全に消えていた。僕の精神に直接聞こえていた声も聞こえない。

もう大丈夫だ…と思う。探知系だめだめの僕には、『パラサイト』を宿した個体がまだいるのかどうかなんてわかるわけがないんだから。

達也くんがリーナさんになにか諭すように話しているけれど、僕はそれを聞いている余裕はなかった。

 

「あっ、達也くん、僕ちょっと時間がないんだ、事情は明日説明するから行ってもいい?」

 

僕は目に見えて慌てている。リーナさんも深雪さんもまだ放心しているけど、達也くんはすでにいつもの冷静さを取り戻している。

 

「わかった明日、一高で事情を聞かせてもらおう」

 

「うん、じゃあ達也くんリーナさん明日ね。深雪さんもお幸せに!!」

 

「ふぇ!?」

 

達也くんの腕の中で、深雪さんが悶えている。僕はくるりと向きを変えると、とてとてと木の陰に消える。三人の死角に入ったことを確認して、『飛んだ』。

 

僕がリムジンから外に出ていた時間は数分だった。警護の人に会釈をして、車の中に戻る。二人の美女が同時に顔を上げてほっと息をはいた。

 

「どっどうしたの?」

 

「お祖父さ…閣下が戻られたのかと思って一瞬緊張しちゃってね」

 

「もしかしたら久君が迷子になっているかもって急に心配になっていたものだから…」

 

澪さんは少し過保護かもしれないなぁ。嬉しいけれど。

 

「外で空気を吸っていただけだから迷いようがな…いと思う…思いたい」

 

しばらくして車内に戻ってきた烈くんはご満悦だった。

どんな用事だったのかは誰も聞かなかったけれど、アゴに手を当てて烈くんが沈思黙考しているせいか、邪魔をしてはいけないと車内は静かになる。

 

そして、僕は僕で考える。僕は頭がよくないからただの心配のしすぎだと思うんだけれど…

 

「ねぇ、烈くん」

 

「どうしたね?久」

 

「ここ2ヶ月、魔法師の世界では『吸血鬼』とか『パラサイト』騒ぎで大変だったけれど…」

 

僕は烈くんの顔色を伺う。美女二人も何を言い出すんだろうって興味を向ける。

 

「そんな不思議なモノって、世界にいくらでもいるんじゃないかなって思うんだ」

 

烈くんが続けてと頷く。

 

「魔法が技術体系化して、見えないものが見えるようになって、かつて神とか妖怪とか言われていたものも、じつはそんなに珍しいものじゃなくて、そこらへんですれ違っているんじゃないかって」

 

かつて『多治見研究所』で僕は『神』と呼ばれた。『パラサイト』は『王』と呼んだ。

神も王も解釈しだいだ。自称でも他称でも、超越した力を持つものをそう呼ぶなら、僕も『そっち』の存在だ。

 

「ふむ、古式の魔法師が召還する精霊も異世界から呼び出していると言う説がある。今回の『パラサイト』も今はそう統一して呼んでいるだけで、古くからの伝承の鬼や妖怪も人に悪さをする魔物も『パラサイト』だと考えられる。久の言うとおりどこにでもいるのだろう。古式における退魔師や陰陽師はそんな『魔』と長年戦って来たのだから」

 

「じゃぁ『パラサイト事件』みたいな事はまた起きるかもしれないんだね…」

 

響子さんと澪さんがぎょっとする。烈くんは静かに僕の言葉に耳を傾ける。

 

「『パラサイト』は『サイキック』で、『精神』の存在だから純粋な意思に染まりやすい。意思のない人形に宿せば、比較的容易に『精神支配』できる。かつての人工サイキックのように人間の能力に左右されない『サイキック兵器』を量産できる…」

 

「ちょっと久君、なにを言っているの?『パラサイト』の兵器利用って…」

 

澪さんが戸惑っている。今の『魔法師』は兵器だ。現状では兵器として生きていく道しかない。もし『パラサイト』が兵器に代用できるなら『魔法師』は存在意義を失うのか、それとも兵器以外の選択肢が増えるのかな…わかんないや。

 

「変なこと言ってごめんね。今の話は忘れてよ…それよりも、今夜のディナーを楽しもうよ」

 

『ピクシー』は単なるホームメイド・ヘルパーだけれど、人型の兵器に『パラサイト』を宿したら…うぅん、こんな僕でも思いつくようなことは、頭のいい人ならもっと凄いこと思いつくよね。

 

僕は達也くんと深雪さんの『魔法』の神のごとき輝きに酔っているのかもしれないな。変なこと考えちゃった。

 

烈くんが笑みをたたえたまま僕をじっと見ていた。

その目には僕の知らない情念がこめられていた気がする…

 

『ピクシー』が言うには、僕は『高位次元体』で『王』だったそうだ。『王』がどんな存在かはわからないけれど、僕がこの世界に現れたのが80年前。たかだか80年だ。人類の歴史は数千年、僕以外にも同じような存在は歴史上いくらでもいたと思うし、いまもどこかにいると思う。

現代魔法における『最初の魔法師』は1999年にアメリカに現れた『サイキック』だったって。

『彼』も『高位次元体』かも。僕の先輩だな。

アメリカは『彼』の遺伝子から優秀な『魔法師』を創り出した…

ひょっとしたらリーナさんもその末裔なのかもしれない。

 

 

横浜のホテルでのディナーは、はっきり言って、滅茶苦茶美味しかった。

遠月総料理長の料理はなかなか食べられないんだそうだ。流石は十師族の長老!僕ははじめて烈くんの凄さを知ったよ!

澪さんも響子さんも車内での緊張は吹っ飛んで、でも優雅なマナーで味わっている。

 

それにしても…うぅむ。

 

「どうしたんだい久?」

 

「みんなはマナーもそうだけれど、食べ方も綺麗だよね。僕はマナーも見よう見真似だし、ぽとぽとこぼしちゃうし…恥ずかしいな」

 

「ははっ、気にしなくて良い、ここの料理が気に入ったのならまた招待しよう。マナーは機会を重ねれば自然と身につくものだよ」

 

響子さんは、烈くんの僕に対する態度があまりにも優しいので驚いているみたいだ。

 

「そうしていると、本当に仲の良い祖父とお孫さんみたいですね」

 

澪さんは素直に思ったことが言えるようになっている。やはり同好の士に対しては態度も気安くなるんだな。

 

「そうかね、では、今度は京都にある遠月ホテルに招待しようか。そうすれば光宣も同席できるからね」

 

「ほんとうに?それは楽しみだなぁ」

 

横浜の夜景は数ヶ月前の戦場がウソのように綺麗だった。ずっとこんなふうに平和だと良いな。

 

「あっ烈くん、その肉食べないなら僕が食べるよ…」「いやいや、これは譲れないね」「ぐぅ」

 

僕は、美味しいものを食べていられれば大概幸せなんだ。外堀どころか、胃袋まで埋められていくような気がするけれど、今は美味しくて、みんなといられて幸せで、何も考えられないや。もぐもぐ。

 

 

 




最初の構想では、久は九島烈と一緒に『ヨル』と確保したパラサイトの交渉の場についていくだけで、戦いにには介入しない予定でした。
ただパラサイトは今後も色々と久と関わるでしょうから、達也のお手伝い程度で関わらせました。
けっして幹比古の『迦楼羅炎』がパラサイトを10秒間押さえ込めなかったわけではありません。
イレギュラーで、原作の行間を縫って暗躍していた久も、今後は達也とからむ機会が増える…かな?
このSSもあと一話で2章が終了です。
原作の来訪者編までを約四十話で終わらせる、このスピード感(笑)。


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アンジェリーナ・クドウ・シールズ

第二章完結です。


昨夜、ディナーで三人がワインを飲んでいたので(僕はフレッシュジュース)、値段も味も結構でおいしそうって目で見ていたら、響子さんが一口くれたので、飲んでみた。

一口で、べろんべろん。薬と同じでアルコールは駄目だとわかった。酔うというより、僕の『回復』はアルコールも異物と判断するみたい。

だるい…ある意味酔っているのと同じか。

食事後、烈くんは横浜でわかれることになった。忙しいんだなぁ。烈くんは終始ご機嫌だった。

行きと同じリムジンで帰宅。澪さんの護衛の追加は、当然、烈くんが手配してくれている。こういうところは抜かりがないね。

 

ぅつぷ気持ち悪い。

 

 

 

翌日、一高駅前でキャビネットを降りると、リーナさんが目立たないように乗り場のすみに立っていた。

本人は隠れているつもりなんだろうけれど、はっきり言って、あの金髪は目立つ。次々と一高生に挨拶されてリーナさんは戸惑っている。

リーナさんは深雪さんと同じで美少女だけれど、深雪さんより話しやすいのか、色々な生徒が挨拶してくる。その笑顔は戸惑いながらもどこか肩の力が抜けていて、晴れやかだった。

ここのところ曇り勝ちだった表情も明るくて、留学初日の笑顔が戻っていた。

 

まぁ深雪さんには達也くんがいるから男子生徒は声をかけられないよね。

 

リーナさんは僕を見つけると、ゆっくり近づいてきた。

 

「おはようヒサ」

 

「おはようございます、リーナさん。誰か待っていたの?達也くん?」

 

「どっどうしてワタシがタツヤを待つのよ。ヒサを待っていたのよ!」

 

おかしいなぁ、リーナさんの達也くんを見る目はエリカさんと同じような雰囲気だったんだけれど…

 

リーナさんは僕の横について歩きだした。僕はとてとてと歩くから速度が遅い。リーナさんは僕に速度を合わせてくれているけれど、少し歩きにくそうだ。

僕を待っていた、と言う割りに無言だ。無言じゃないな、何か言いたそうだけれど言い出しにくい、見たいな感じだな。

それは教室前までつづいて、教室に入る前に、

 

「ヒサ、放課後、ワタシと模擬戦をしてくれない?許可はもうとってあるから。10分でいいのよ」

 

唐突に、模擬戦を挑まれた。

『魔法師』としてはリーナさんは圧倒的に優秀だ。授業の魔法実習でも、僕は初日の玉転がし以外全敗だし。模擬戦なんてやっても僕がまた大敗するだけなんだけどな。

よくわからないけれど、了承した。

 

 

お昼前、端末にメールが来ていた。昼休みに指定の部屋に来て欲しいって。

僕はお弁当を手に、実験棟の指定された部屋に行く。達也くんと深雪さんが並んで、少し離れて『ピクシー』がいた。

『ピクシー』は今日は一高の女子制服だった。すこし大きめだけれど、一見すると人間と変わらない。

 

「『ピクシー』鍵をかけてくれ」

 

達也くんが命じて『ピクシー』が鍵をかけた。ガチャリ、おおきな音がした。何となく逃げ場を失った感じだ。立ち位置的に一対三の構図。

達也くんの目は厳しい。深雪さんはいつもの鉄壁の微笑み。『ピクシー』は無表情。

 

うぅ…僕は少し、おびえた。なんだか尋問とか査問とかの雰囲気だ。部屋が薄暗いし僕は三人より小さいからすごい圧迫感だ。

 

「お兄様、そのように睨んでは、久がおびえてしまいます」

 

「ん?そうかすまない」

 

圧迫感がなくなった。何だか達也くんはときどき十文字先輩に似ている。ただ十文字先輩は素だけれど、達也くんは意識しているから、悪質だ。

 

「昨日、何故あの場に来たんだ?」

 

達也くんの質問は直球だ。あの時、僕の登場はあまりに唐突で、達也くんの行動を止めてしまっていた。

僕が『パラサイト』の集合体の動きを封じ込められたからよかったけれど、下手をすると被害者がでていたかもしれない。

 

「うん、ごめんなさい」

 

「なぜ謝る?」

 

「実は17日朝、パラサイトと遭遇…少しお話してたんだ」

 

「17日か。俺たちが青山で交渉する前に久ともしていたのか」

 

ん?達也くんも彼らと会っていたのか。昼は学校にいたから17日の夜かな。烈くんが家に来て、響子さんと部屋にいた時間帯かな…

 

「パラサイトが久に何の用だったんだ、理由は?」

 

「協力するようにって言われたんだけれど、断ったら、マルテっていうパラサイトが再交渉したいから19日夜、演習場に全員で来るって」

 

「19日夜。レイモンドが言っていた、演習場にパラサイトを集めるというのは、その情報を入手して利用したのか…」

 

レイモンド?知らない名前だけれど、下手に質問しても僕にはわからないからなぁ。ひょっとして達也くんは『レイモンド』に情報を教えられて昨日演習場にいたのかな。

リーナさんはどうしていたんだろう。

 

「それで、協力とはどういう意味だ?」

 

達也くんは自然に聞いてきたけれど、ここはどうしよう…僕の正体に関わる問題だし。しゃべった方がいいのだろうか。

信じてもらえるかな。僕だって証明できないことを…「わかんないなぁ」と思わず呟いてしまった。

 

「たしかに『パラサイト』の考えることは人間にはわからないかもしれないな。『ピクシー』なにか知っているか」

 

「われわれは多治見久の膨大なサイオン保有量に目をつけていました」

 

「レオが入院していた病院で、久の前に現れた時にか」

 

「はい、多治見久ならば同化が可能と推測し、孤立させたところで試みようとしましたが、赤い仮面の魔法師に遭遇し邪魔されました」

 

『ピクシー』が達也くんごしに僕を見た。僕との約束を守って『高位』の部分を省いて説明をしている。

 

「17日、交渉を平和裏に行ったのも、その夜マスターとの会話でもう魔法師は襲わないと言っていた理由からです。しかし、多治見久のサイオン量はそれでもパラサイトには魅力でした、せめて協力を要請するつもりだったのです」

 

「僕も、本当は興味なかったし、夜も出歩けないし、無視したかったんだけれど、たまたま皆で横浜まで車で出かけることになっていて、一高近くで烈くんが用があるからって車を止めたんだ。その時、演習場から争う『声』が聞こえてきたから『パラサイト』と誰かが戦っているのかと思って慌て『声』の方に向かったんだ」

 

「たしかに、大声でしゃべっていたからな。だが…烈…九島烈…が?そうか、『ヨル』だけでなく、九島烈もあの場にいたのか…」

 

よる?夜だったけれど。烈くんは私用であの辺りにいたみたいだけれど…僕は現場で何があったのか実は全体像は不明なんだよね。

達也くんが思考に入った。うん、烈くんもそうだけれど、指をアゴに当てて考える姿がかっこいいな。

かわって深雪さんが聞いてくる。

 

「ねぇ久、これは答えられたらで良いんだけれど、貴方の『サイキック』はどのような事までできるの?」

 

これはデリケートな問題だな…これまで僕が二人の前で見せた範囲で答えた方が良いと思う。世界を簡単に滅ぼすような力をこの小さな身に宿しているなんていって嫌われたら嫌だし。

 

「僕の能力は『サイキック』。『エスパー』の能力はまったくなくて、いわゆる『念力』だけだね」

 

僕は手に持っていたお弁当を『持ち上げた』。

 

「『念力』で細胞を活性化して傷の直りを早くしたり、『空間』を捻じ曲げること、かな。基本的には『魔法』で出来ることを『超能力』でしているだけ」

 

『超能力』も『魔法』も、同質のもの。僕は意識していないけれど、僕が『サイキック』を使うときはちゃんと魔法式が構築されているらしい。

ただ、『瞬間移動』は現代の魔法では不可能だそうなので、黙っていた方がいいな。

 

「横浜のコンペ会場で、銃弾を消したりベクトル変換をした時のことね」

 

「うん、昨日のあの『変なの』も見えなかったけれど、まとわりついた炎で大体の位置と大きさがわかったから空間を『念力』捻じ曲げて閉じ込めたんだ」

 

「吉田くんの炎がなければ…そうね私もあの集合体はお兄様のお力がなければ『視え』なかったもの」

 

昨日のことを思い出したのか深雪さんは顔が真っ赤だ。

僕のことはその後、特に追及をうけなかった。達也くんにはどうやら『視えて』いるので、隠し事はできないからだ。

『サイキック』は『魔法』開発の最初期からあるから、基本的には解明されているし、俗人的なものなので、何でも知っている達也くんは僕の『能力』にはそれほど興味がなさそうだ。

僕の肉体は常人と何も変わらないことは達也くんも以前言及しているけれど、『異次元への扉』はさすがに見えないと思うし、『サイキック』の規模までは判断できないかな…たぶん。

 

今度は、僕も質問してみる。といっても、『パラサイト』のことは知っているから別のこと。

 

「ねぇ、昨夜はどうしてリーナさんがいたの?リーナさんも達也くんたちと『吸血鬼』捜査に協力していたの?」

 

「リーナの正体は…いや、これは久は知らなくても良いことだな、ああ、昨夜はリーナも協力してくれていたんだ」

 

言葉を濁した…でも、達也くんが知らなくて良いって言ったんなら、僕は知らなくてもいいや。

 

 

放課後、僕はリーナさんに指定された第二演習室に行った。演習室は縦長の床が青と黄色の二つに塗り分けられている。中距離魔法専用の演習場なんだそうだ。

リーナさんは身体のラインのくっきり出た実習服を着ている。外国人らしく、頭部が小さく腰の位置が高くて手足が長い。ほっそりしているんだけれど、生命力に満ち溢れた身体だ。

大して僕は、制服のままだ。あいかわらずぶかぶかで、弱弱しい身体。三次元化で得た肉体は、頑丈さまでは得られなかったのかな、転んだだけで骨が折れそうだ。

 

僕は演習のために事務室から受け取ってきたCADを手に持った。携帯型の授業でしか使わないCAD。正直、CADでの『魔法』勝負では手も足も出ないで負けるのはこの二ヶ月の経験で明白だ。

その不安は僕の小さな身体からにじみ出ている。リーナさんは一息つくと、

 

「ヒサは『サイキック』なんでしょう。だったら『サイキック』として本気で戦って!ワタシも本気で戦う!ワタシが勝ったら、ひとつ質問に答えてもらうわ。これはタツヤも推奨の勝負法よ!」

 

達也くん推奨の勝負方法…僕の知らないところで勝負をしたのかな?なんだか達也くんが勝ったみたいな感じだな。純粋な『魔法』勝負でリーナさんが達也くんに負けるとは思えない。

 

「ごめんなさいリーナさん、本気は、出せないんだ」

 

「どうして?ヒサが本気を出すなら、ワタシも全力を出すわ。ここの観測機はすべて切ってあるから、全力でも記録は残らないわ、ワタシも…」

 

僕は首を左右にふった。

 

「僕が本気を出したら、こんな防壁は何の役にも立たないから。一高どころか都市ひとつ被害が出る」

 

僕の言葉をじっくりと吟味しているようだ。僕の『サイキック』は昨夜しか見ていないはずだからどう判断したのかはわからないけれど…

 

「…はったりじゃなさそうね。じゃあいいわ、ワタシも『本気』は出さない、今の状態で勝負するわ」

 

『本気』って何だろう。まさか魔法少女に変身するとか?『まど☆マギ』?『プリティサミー』?『なのは』?『ちゅうかないぱねま』?ネタが古いな…もっと古くだと…おっと。

 

リーナさんのスカイブルーの目が僕を射抜く。僕は気持ちを切り替えるために、まぶたを一度閉じると開いた、薄紫色の燐光がリーナさんを見返す。

 

「いいよ」

 

「じゃあ行くわよ!スリーツーワン」

 

黄金の髪が、リーナさんの過剰サイオンでさらにキラキラ輝いた。綺麗だな。リーナさんが携帯型のCADを軽やかに操作する。

リーナさんが高校生にしてはかなり逸脱した『魔法』を放つ。でもそれは人間レベルだ。昨夜の達也くんと深雪さんの『魔法』に比べれば常識のレベル。

僕にはかすりもしない。

あの『赤いマスクの魔法師』の全力でも僕には攻撃を当てられなかった。

空間を操る僕に、優秀すぎる『魔法師』のリーナさんでは、ほとんど何もできない。

それにリーナさんは、攻撃が素直すぎる。僕と同じで制圧向けだと思う。

これが達也くんや九重八雲さん、もしくは烈くんなら、フェイントやわざと隙をつくったり、僕を誘ったりして、さまざまな手段で僕を攻略できるはずだ。たぶんリーナさんを相手でも達也くんはそうやって勝利しそうだ。

 

リーナさんに『精神』を直接攻撃する『魔法』があるなら勝ち目は高い。深雪さんの昨夜の『魔法』は『神』をも殺す!

 

プラズマの嵐が演習場に吹き荒れている。すごい光景だ。演習場がびりびり揺れて、稼動していない観測機器が次々と吹っ飛んでいく。

超高温の電子が僕に向けて襲い掛かる。これは、かすっただけで確実に死ぬ威力だ。

模擬戦前に魔法の制限をつけなかったから仕方が無い。でも、正面からバカ正直に攻撃するだけでは、残念だけれど…

 

僕は、自分の周りの空間を捻じ曲げて突っ立ているだけだった。今の僕の周りの空間は全方位完全にこの場所から切り離されている。プラズマも重力も毒物も空気だって、僕のフィールドには入り込めない。目に見えているから光は通しているように見える。でも空間の膜は一ミリもない。空間を透かして向こうを見ている感じだ。一ミリもない厚みでも十文字先輩の『ファランクス』よりも上の壁。しかも持久戦では、『高位』からほぼ無限にエネルギーを奪っている僕には『魔法師』では、『人間』では絶対に勝てない!

 

約10分、リーナさんはもてる魔法をつぎ込んで攻撃し続けたけれど…

やがて、攻撃が止んだ。リーナさんは肩で息をしてぜーぜー言っている。

 

「まったく、この学校は何なのかしら…タツヤにミユキにエリカにジュウモンジに…ヒサって。スターズでもこんなのいないわよ…」

 

すたーず?言っている意味は良くわからない。

 

「ごめんなさい、リーナさん、僕に『魔法』で勝つことは不可能なんだ。もし、僕に勝てる人がいるとしたらアメリカの『最初の魔法師』だけかも知れない」

 

僕のこの言葉に、リーナさんは反応した。少し納得と安堵の表情になった。

自分では無理でも、母国の『始まりのサイキック』なら僕を倒せているかもという言葉は、愛国心の強いリーナさんには救いになったのかもしれない。わかんないけれど…

 

「はぁ、もういいわ、ここで見聞きしたことは、誰にも言わないから…」

 

リーナさんが聞きたかったことって何だったんだろう。僕の言葉で何だかすっきりしているから、期せずして質問の答えを言っちゃったのかな。

 

「ねぇ、勝ちでも負けでもない勝負だったけれど、なにか僕にできることはないかな?リーナさんもうすぐ留学も終わるし、なにかお礼をしたいなって」

 

「勝ち負けないって…まったく…それにお礼って、べつに何も…ってヒサは、そういう男の娘なのよね」

 

僕は基本的に疑うことを知らないし、僕に好意を向けてくれる人には好意でお返しをしたいんだ。あと男の娘じゃないよ。

 

「そう…ね…あなた機械音痴だったけれど、歌は音痴じゃない設定なのよね」

 

リーナさんは少し考えて、ニヤリと笑った。決してニコリじゃなかった。

 

「うん、歌う機会なんてなかったけれど」

 

「こんど卒業式の余興をまかされて、バンドで歌うことにしたのだけれど、あなたも一緒に歌ってくれる?」

 

「え?その設定はこのためだったの!?…うぅん僕は歌とか楽器にも触れたことはないんだけれど、先輩たちに感謝の気持ちを贈れるんだったら、精一杯がんばるよ」

 

「そう、じゃあ軽音部の在校生がバンドで協力してくれるから、これから毎日特訓よ!」

 

「ふえ?今から?」

 

「そうよ!ワタシがやるからには妥協は許されないわ!」

 

なんだかリーナさんはノリノリだ。今日の敗北の腹いせに、これからの特訓で僕はリーナさんにしごかれまくる。『未来予知』なんて出来ないはずなのに、未来が視える!腹筋なんて5回も出来ないんだよ…僕は貧弱なんだ。ああぁ!リーナさんやめて…ふぇーん!

 

 

卒業式当日、余興で行われたリーナさんのバンドは大評判だった。僕も、深雪さんが準備してくれた、フリルやキラキラが沢山ついたスカートのステージ衣装を、曲ごとに着替えさせられながら歌った。他のメンバーは小説の挿絵だとみんな制服だよ!?どうして僕だけ?

なにか色々間違っているような気がするけれど、深雪さんに、「これが男の娘の勝負ステージ衣装ですよ」と言われ、当然僕はまったく疑うことなくその衣装で歌う。

踊りがなくてよかった。僕は運動音痴だから踊りなんてできないし、この短いスカートじゃ、踊ると見えちゃうから…

でも、先輩たちは喜んでくれていたからよかった。真由美さんも笑顔、渡辺委員長なんてお腹抱えて笑っていたし、市原先輩も手拍子、十文字先輩もキャラ崩壊寸前で盛り上がっていた。

全員が妙なテンションだ。リーナさんのおかげだな。ありがとうリーナさん。そして、

 

先輩方卒業おめでとう!って言葉でしめたステージだった。

 

もっとも、先輩たちとは、毎日会わないだけで、卒業後の方が深い付き合いになるなんて僕は知らない。

九島烈の庇護下、五輪澪のお気に入り、四葉真夜の精神支配、七草真由美と十文字克人の親しい後輩、一条将輝の好敵手、最強の『サイキック』。

僕は日本の魔法師界の複雑なしがらみに捕らわれているどころか、中心に近い位置にいることなんかまったく気がついていないのだから…

 

 

 

 




原作20巻のうち、11巻を42話で終了です。
このペースならあっという間に原作に追いつける…かな?

達也は前線で戦って戦術的に各家のバランスを壊していきますが、
久はもう少し中心で戦略的に各家のバランスに関わっていけたら…と思います。
ただ久はあまり頭はよくないので、自分で率先して火中の栗を拾いには行かないでしょう。
引きこもりで人見知りで依存性が高いチートサイキック。
どうなることやら。

お読みいただき有難うございました。

今後について活動報告にアップいたしました。
ご意見などありましたらよろしくお願いいたします。


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二年生~九校戦。
春休み


二年に進級できてすこしだらけている春休みの久。学校がはじまれば過酷な日々が待っているのに…?
勉強会の男の子キラーの続きなんですが、北山家パーティーまで前置きがちょっと長いです。
冗長で読みにくいかもです…


一高も春休みに入った。僕は二年生に進級できた…よかった。

僕の成績は入学当時の残念ぶりから多少持ち直して、理論科目は中の中、実技科目は中の上。魔法力だけはダントツ一位…はっきり言って一科の中でも全然大したことがない。

僕も努力しているけれど、一科の生徒は全員努力していて、というか成績が上昇しないような生徒は自主退学している。

他のSSのオリ主は達也くんに匹敵する頭脳の持ち主が多いのに、どうしてこうなった…

 

でも、春休みだ。春休みは良いよね、なんといっても宿題がない。一日中引きこもっていられる。

この春、澪さんも大学院を卒業した。株主配当と国からの慰労金で普通の会社員より高収入な澪さんは晴れて専業引きこもりだ。

戦略魔法師にとって一番重要なのは健康、行動範囲が狭く警護しやすいことだ。澪さんが引きこもりになったのも、虚弱のせいと、国の方針のためだ、と思う。

春休み中は澪さんと二人で夢のようなアニメ&コミック三昧だ。一人、まともな(?)社会人の響子さんの雷が毎日のように落ちるのである。

 

春休み、毎日引きこもり…というわけには、残念ながらいかなかった。

まず、アメリカ留学から雫さんが帰ってきた。

その日は空港まで、僕は護衛の二人の運転するセダンで向かった。

『パラサイト』に襲撃された護衛の二人は、幸い完全復帰できて、僕の護衛を引き続き勤めてくれている。

入院中はお見舞いに行って、「僕のせいで襲われてごめんなさい」って謝ったんだけれど、「きちんと守れずもうしわけない」って逆に謝られてしまった。

空港に行くだけなのに護衛なんて大仰だけれど、遠慮すると逆に多方面に迷惑をかけてしまうから。

 

僕自身に護衛をつけるような価値はあまりないと思う。けれども世間はそうは見ない。

雫さんを空港にお迎えにいった後も、京都のホテルに烈くん、光宣くん、響子さん、澪さんと食事に行ったり、澪さんの大学院卒業のパーティーにも付き添いで参加したりしている。

日本魔法師界の長老と、日本にただ一人の公認戦略級魔法師の庇護下と言う肩書きは、黄門さまの印籠だ。僕に価値が無くても七光りにみんな目がくらむ。

だからといって、僕はいばったり偉ぶったりしない。だって僕の周りは本人の実力で凄い人ばかりなんだから。

 

澪さんの卒業パーティー会場では、久しぶりに車椅子に座る澪さんの隣に立っていた。

以前のように、ただにこにこ笑っていれば良いと思っていたんだけれど…

七草家で行われた戦勝パーティーの時と違って僕に話しかけてくる人が多い。政界や財界の立派な大人たちが、自分の娘や息子をいちいち紹介してくるようになった。

そして決まり文句で、「次は家の主宰の会に出席して欲しい」って言って来る。

にこやかに、言質をとられないように曖昧に適当に返事をする…を繰り返す。

澪さんのパーティーだから、雰囲気を壊さないように、とにかくにこにこ、深雪さんの鉄壁の笑顔には及ばないけれど、とにかくにこにこ。

頬の筋肉が硬直してしまったかと思っていた頃、二人の男性が僕の前に立った。

一人は慎重そうな大人、一人はどこか自信に満ちた高校生くらいの男子。

 

「このたびは大学院卒業おめでとうございます。澪さん。七宝の拓巳と息子の琢磨です」

 

「ありがとうございます、七宝殿、それに琢磨さんも一高入学おめでとうございます」

 

「ありがとうございます、澪さん。努力のおかげで主席で入学することができました」

 

七宝琢磨くんはそう言うと、胸をはって僕を見た。どこか「ふふっんどうだ」みたいな態度が全身から溢れている。澪さんが少し顔をしかめる。

 

「主席なんて凄いや…きっと寝る間も惜しんで勉強したんだよね、尊敬しちゃうなぁ」

 

僕は素直に驚いている。だって去年は深雪さんが主席だったんだ。その前はあーちゃん先輩で、その前が真由美さん。

どう考えても、物凄い優秀な人物だよ!

僕は七宝琢磨くんを尊敬のキラキラした目で見る。琢磨くんは少し戸惑っている。糠に釘?みたいな顔だ。

 

「多治見先輩ですね、4月からは後輩になる七宝琢磨です。至らぬ点も多いと思いますのでよろしくご指導ください」

 

琢磨くんは小さな僕を見下ろしながら、丁寧に挨拶してくれた。インギンブレイ…って言葉が頭をよぎるけれど、うぅん、立派な態度だよ。

 

 

パーティーのお誘いはたくさんあったけれど、僕の自宅は公表されてはいないので、僕個人に公式に招待が来ることはない。

澪さんや烈くん経由では来るみたいなんだけれど、丁寧にお断りしてもらっている。

でも、僕の自宅を知っていて自宅に招待状を送ってくる人も当然いる。特に数週間前までは毎日のようにお世話になっていた先輩たちのお家は有力一族なんだよな。

 

四ヶ月ぶりに訪れた七草家は相変わらずの豪邸だ。むしろ居城といった感じで建物にも圧迫される。これは庶民の感覚なんだろうな。

奇妙なことに、僕個人にきちんと招待状が七草弘一さんの名前で届けられていた。

今回は洋史さんが五輪家の代表代理として出席。澪さんはお留守番。洋史さんは真由美さんと両家公認のお付き合いをしている。澪さんが気を使って代理の立場を洋史さんに譲ったんだけれど、七草家に来ることにどうも乗り気じゃないみたいだ。

あまり順調じゃないのかな。まぁ真由美さんの相手は、達也くん並みにふてぶてしくないと難しいだろうな。

 

パーティーは真由美さんの一高主席卒業&魔法大学入学、香澄さんと泉美さんの一高入学、三人の記念の会だった。主役が真由美さんと言う事もあって、市原先輩や渡辺委員長…この言い方はもう変だな、渡辺先輩の姿もあった。卒業した先輩たちにお会いできるのは嬉しい。市原先輩と渡辺先輩のドレス姿も綺麗だったし。

当然、エリカさんも参加させられている。戦勝パーティーのときより不機嫌を笑顔で隠してお兄さんの隣に立っている。渡辺先輩がお兄さんと談笑している横で、噴火寸前だ。

 

洋史さんは真由美さんとご当主との挨拶もそこそこに、あちこちのグループに顔を出している。どこか腰が落ち着かない人なんだよな…おっと、十文字先輩のいるグループに入り込んでしまって圧倒されているなぁ…目線をあげていれば、離れていても十文字先輩の居場所はすぐわかるのに。

 

僕はと言うと、真由美さんと香澄さん泉美さんにご挨拶した後、壁のすみに追い込まれていた。僕の周りに政界だか財界の背は低いけれど態度は大きな人たちが取り囲んでいる。

九島烈さまにはお世話になっているとか、九校戦での活躍を拝見しましたとか、五輪澪さんのご健康はいかがですかって同じ質問を何人にもされる。

烈くんにお礼を言うなら本人に言えば良いし、九校戦は僕は負けているから褒められてもうれしくない。澪さんが健康になっているのは嬉しいけれど、同じことを何人にも聞かれても…

僕に、おもねったりへつらったりしても…明日には忘れているよ。

かといって邪険にもできなくてこまった。

 

ふとエリカさんと目が会う。その目が「あんたも大変ね」って言ってる。僕も「早く帰りたい…」って目でかえす。

 

中年のおじさんたちの態度は、ねちっこくて、僕を見る目が、値踏みするような目が多いナンバーズの大人と違って、物凄くいやらしい。

僕はこの目が一番苦手だ。誘拐事件のときのことを思い出す。

性的な目で見る濁った瞳…怖い…あのときみたいにとりあえず殺すわけにもいかないし。そうすれば政界が一時綺麗になりそうだ。

 

 

「うぅ…あ」

 

こういう人は僕がおびえると、ますますかさにかかってくる。すきあらば身体のあちこちに触ってこようとする…うぅ、やだよぅ。

視界の墨でエリカさんがこちらに向かってくるのが見える。あっエリカさんを巻き込んじゃう…自分でなんとかしなきゃ。ばれないように、この人たちのベルトを切っちゃおうか。そうすれば恥ずかしくてどっかに行く…

 

「ちょっとよろしいでしょうか」

 

ぬっと、大きな身体が、中年男性の壁を割って入ってきた。高校を卒業したばかりなのに、ここにいる政治家の何十倍も迫力がある。

 

「十文字先輩!」

 

思わず小さく声をあげてしまった。

 

「皆さん、久はまだ高校生です。政財界の重鎮である皆様に囲まれては萎縮してしまいます」

 

十文字先輩の迫力に政財界の重鎮である皆様は萎縮している。よくわからない挨拶をしながら離れて行った。

エリカさんが立ち止まってこっちを見ている。僕は目で「有難う、心配してくれてありがとう」ってお礼を言った。

エリカさんはこういうとき察しが物凄くいいから、OKって指で合図をだすと、そのまま会場を後にした。あのまま帰る気だ。帰るタイミングをうかがっていたな。

十文字先輩はエリカさんには気がつかなかったみたいだけれど、

 

「久はこのような会は苦手そうだな。明後日、わが十文字家でも同じように会があるが、どうする。欠席しても構わんぞ」

 

十文字家からも僕個人宛に招待状が届いていた。もちろん参加するって返事をしている。

 

「十文字先輩の高校卒業と大学入学の記念の会だよ!絶対行くよ!」

 

「そうか?それほどめでたいわけでもないが?」

 

「ああいう大人は苦手だから、当日は十文字先輩のすぐ近くにくっついています」

 

「俺は番犬か?」

 

えへへ、これほど頼りになる番犬もないよね。

十文字先輩のお家のパーティーは七草家よりも規模は小さかったけれど、それでも政財界の人が多く来ていた。

澪さんと出席して、終日、十文字先輩の横にいたから何の問題も起きなかった。

澪さんは十文字先輩の圧力に押しつぶされそうな感じだったけれど…ごめんなさい。

会場では十文字現当主や二人の弟さんと妹さんを紹介されて、妹さんに妙になつかれたりもした。

先輩はお父さん似だな。ご兄弟は線が細くてお母さん似なのかな。

帰り際、妹さんに「どうして久様は男の人の格好をしていらっしゃるの?」と聞かれて、ああ天然なところは似ているなぁて思ったけれど。

 

その後はパーティーはすべてお断りをしておいた。

4月1日。年度が替わって、今日から僕も二年生だ。そして、

 

「「誕生日おめでとう」」

 

って、澪さんと響子さんが、自宅で僕の誕生日をお祝いしてくれた。

 

「あれ?僕の誕生日知っていたの?」

 

「『電子の魔女』の情報収集力を舐めないでよ!」

 

「学生IDに記載されていましたけれどね」

 

僕の誕生日は4月1日と、戸籍上はなっている。本当の誕生日は、そもそもあるのかも不明だけれど、烈くんが戸籍を偽造するときに4月1日にしたんだ。

どうして4月1日なのかな。一番年上だからだろうか。

 

「今日は私たちが腕によりをかけて、ご馳走をつくるから楽しみにしていてね」

 

二人とも一緒に料理をしていたからすぐ上手になった。手先が不器用な僕より上手だ。ただ僕は…

 

「有難う、でも僕も一緒につくるよ、そのほうが楽しいし、二人にも喜んで欲しいから」

 

僕は『ピクシー』と同じで誰かに尽くしたいと本能的に思ってしまう。それが『家族』だったらなおさらだ。

僕の新学期は楽しい一日からはじまった。

 

 

その夜、雫さんから北山家でホームパーティーが3日後に行われるってメールが来た。

雫さんの帰国&進級お祝いのパーティーだって。

春休み中、パーティーの類は全部断ることにしていたけれど、雫さん個人のパーティーだから、もちろん参加する。

 

当日は警護の人の運転で北山家に向かった。

ホームパーティーって言うから、恥ずかしくない程度の普通の格好で行ったんだけれど…

 

「ええぇっ?こんなに規模がおおきいの!?」

 

雫さんのお父さんは十師族のパーティーでも見かけたことが無かったから忘れていたけれども、この国でも有数の経営者で資産家だった。

僕はてっきり家族だけで行うホームパーティーだと思っていたから、この格好はみんなに恥をかかせてしまう。どうしよう。

 

受付の前で戸惑っていたら、

 

「どうした久」

 

落ち着いた男性の声が背中からかけられた。振り向かなくても声の主はわかる。

 

「達也くん!深雪さん!っえぇとあれ?どこかで会ったことがある?」

 

びしっと決まった達也くん、黒を基調にした優雅なドレスの深雪さんに、もう一人両肩を出した可憐なドレス姿の女の子がいた。

僕はその女の子をじーっと見る。僕より背が大きい…女の子は僕を前に物凄く緊張している。過度なほどに緊張。

その顔が四葉家のサンルームのメイド服の女の子と重なった。

 

「あっ、あのときのメイ…」

 

達也くんの手のひらが僕の口の前にすっと出された。

 

「その話は後だ…それよりどうした、その服装は」

 

「うっうん、ホームパーティーって言うから、家族の小さな食事会だと思って」

 

「そうだな北山家のパーティーともなると食事会ではすまないからな」

 

「僕…帰った方がいいかな」

 

「久、いま雫にメールで知らせたから、衣装は貸していただけるわ、一緒に来て。水波ちゃんも」

 

僕は深雪さんの後ろについていく。水波ちゃんは僕の後ろを歩く。

達也くんの顔は、すこし呆れているけれど、どうしたんだろう。僕がウカツだから失望しちゃったのかな…しょんぼり。

 

こういう心理状態の僕が、深雪さんを疑うなんて事は100パーセント、ない。

雫さんが選んでくれた衣装を、深雪さんと先に来ていたほのかさんが着させてくれる。

ここは女性用の控え室じゃないかな…化粧や香水の甘い香りが満ちまくっているけれど。

 

「ほら久、正面を向いて、ルージュがひけないでしょ」

 

ん?ルージュ?僕は男の子なんだけれど、深雪さんが真剣な表情をしている。

みんなも僕の下着姿をみてもなんとも言わず、肌触りのいいキャミソールを着させてくれて、雫さんも間違いないっていうから、渡された服を着せてもらって、ほのかさんが髪を整えてくれて。

 

数十分後、鏡の中にいたのは、それはもう可憐な、美少女がいた。深雪さんと並ぶと、姉妹にしか見えない。むき出しの両肩に細い腕、首筋が儚げなお人形のような顔の美少女。

 

「深雪さんにそっくりな女の子?」

 

誰だろう…ん?あれ?僕?

 

「深雪さん、これって女の子のドレスじゃ…」

 

「何を言っているの久、これは男の娘の戦闘服よ。お兄様も気に入ってくださるわ」

 

「似合いすぎてる」

 

「かっかわいい…」

 

達也くんがそう思ってくれるなら、戦闘服もいいな。と、簡単に騙される…騙されていないはず。

鏡の後ろのほうに水波ちゃんが立っている。その目は…「ばか?」と言っているような気がするけれど、気のせいだ、と思う。

 

パーティー会場はとにかく人だらけだ。これまで参加したパーティーと比べると全体的に和やかだ。雫さんのお父さんは兄弟が沢山いて、今日のお客さんはみんな親戚なんだそうだ。

って事は、雫さんの友人って肩書きの僕は、ものすごく居場所がない…

こういうときはスキル発動、『壁の花』!僕は壁の花になって風景の一部と化そうとしたんだけれど、がしっと深雪さんが僕の腕を掴んで会場の中央に引っ張っていく。

何かストレスの溜まることがあったのかな、3日後にはもう学校だよ…四葉家か生徒会で何かあったのかな?

達也くんが雫さんのお母さんに延々と話しかけられている。達也くんは大人の女性にももてるんだな…あっ達也くんをとられて深雪さんは機嫌が悪い。表情は笑顔だけれど、僕は深雪さんの隠れ感情には敏感なんだ。

 

「こここここっこんにちわっ!」

 

深雪さんに、雫さん、ほのかさん、水波ちゃん、僕という美少女5人の輪に、男の子が混ざった。

…?あれ僕が美少女にカウントされて違和感がないのはなんで。男の子は絶世の美女・深雪さんを見ないで、顔を真っ赤にして僕に挨拶をしてきた。

あれ?この男の子は…

 

「こんにちは、あの時は道案内ありがとうございました」

 

僕は、丁寧に、かつ上品に男の子にお辞儀をしてお礼を言う。

 

「うっうぅん、僕のほうこそ、名前も言わずに、逃げるみたいに…その」

 

「航?久と知り合いだったの?」

 

雫さんが男の子の後ろに立った。凄く似ている。

 

「去年、お勉強会のとき、お手洗いお借りしたら迷っちゃって…雫さんのお部屋まで連れて行ってくれたの…」

 

「12月の試験前の勉強会のときの…久、あなたの方向音痴は筋金入りね」

 

「あはは、でもわかるな雫のお屋敷大きいもの、私も子供の頃迷ったことあるよ」

 

「航、お姉ちゃんにご挨拶なさい」

 

ん?お姉ちゃん?誰のこと…深雪さんのことだよね。

 

「北山航です。今年小学六年生になります」

 

男の子は僕の肉体年齢11歳と同い年だ。背はすこしだけ大きい。ハーフパンツのスーツが凄く似合っている。

 

「多治見久。魔法科高校二年です。4月1日に17歳になりました(戸籍上は)」

 

「えっ!?年上!?」

 

航くんは僕の年齢を聞いて驚いている。

水波ちゃんも一緒に驚いている。水波ちゃんの顔をふっと見ると、物凄く恐縮して頭を下げた。

何だか怖がられている?どうしてかな。四葉家で真夜お母様とお食事をしたときに僕の係りを担当してくれたけれど、嫌われるようなことしちゃったかな。

僕は少しションボリしてしまう。僕は人の感情に物凄く左右されてしまうから…

 

「あっごめんなさい、お気を悪くさせてしまって」

 

勘違いした航くんが謝ってきたので、

 

「違うんです、それよりも航くん、僕とお友達になってよ。僕は男の子の友達が少なくて…」

 

僕は、男子の友人が少ない。達也くん、レオくん、幹比古くん、光宣くん、森崎くん。この5人だけ。女の子の友人は多いんだけれど、料理部に男の子入ってこないかなぁ。

達也くんが深雪さんの隣に戻って来て、航くんが憧れ交じりの目で達也くんに質問している。

あっ僕と同じ目をしている。航くんとは仲良くなれそうだな。

 

パーティー会場に、女優の小和村真紀さんがいて驚いた。

澪さんと響子さんがよく見ているドラマに主演していた女優さんだ。

ほのかさんが興奮して、僕もドラマを見たことがありますって言ったら、当然ねっと言わんばかりに喜んでいる。小和村真紀さんは艶やかな女性だ。見られることに慣れている。自分の美貌を知っていて、それを利用する都会的な人だ。女優だから、日常から少し演技がかっている。

演技しながら、目だけは僕を値踏みしている。十師族のパーティーでも沢山いたタイプ。小和村真紀さんはそれよりも巧みだけれど、僕はそういう人が苦手だ。つい航くんの後ろに隠れるように移動する。

 

「どっどうかしたの?」

 

「その…初めての人とか苦手なんだ…僕は人見知りで、あんまり人の多いところとか苦手で」

 

と航くんを、うるうると黒曜石の瞳を濡らして見つめる。航くんが瞬きもしないで見つめ返してくる。

 

「うっうん、久さんは僕が護るよ!」

 

握りこぶしを作って、凄く頼もしいことを言ってくれた。僕はにっこり笑って、

 

「有難う」

 

って、航くんの両腕を握って、僕の薄い胸に重ねた。

「ひゃひぃ!」って航くんが変な声を上げて、お顔はもう真っ赤だ。僕の胸に触れてた手をしばらく見つめていたけれど、汗かいているな…お熱があるのかな。

 

その後、パーティーの間、僕は航くんの手をずっと握っていた。色々な思惑がある大人たちも子供には近づいてこないみたいだ。と言うか、ドレス姿の僕を多治見久だって気がついた人が雫さんのご両親と小和村真紀さん以外にいなかったんだけれど。

 

それにしても、手をずっと握っているなんて、一高の入学式を思い出すな。あの日も達也くんの制服の裾をずっと握っていた。

初めて達也くんと深雪さんに会ったあの日からもう一年も経つのか…

 

パーティーが終わって、私服に着替える。航くんの手を離すとき、すごく切なそうな顔をしたけれど、女性用の控え室に男の子は入れないもんね…ん?

ほのかさんが化粧を落としてくれて、いつものユニセックスな私服に着替える。でもどうして僕が女性用の控え室にいても誰も疑問に思わないんだろう。

鏡の中の水波ちゃんがジト目でこちらをみている。

 

北山家のご家族がお見送りしてくれる中、帰りの送迎車を順番に待つ。達也くんたちがお車で先に帰り、次は僕の番。

航くんが凄く寂しそうだ。

僕はお迎えの車に乗る前に、航くんに御礼をしようと、ついついいつもの癖で(澪さんや響子さん、真夜お母様にするみたいに)、「有難う、護ってくれて」って、ぎゅって抱きしめながらお礼を言ってしまった。

僕は好意には、凄く敏感だから、ついつい…

澪さんたちと違って、航くんは僕と身長がほとんど同じだから、僕の口唇は航くんの耳元に軽く触れてしまった。耳たぶが凄く熱いよっ!?

 

車に乗って、遠ざかる北山邸を、ドアウィンドウから振り返ったら、その場に崩れ落ちる航くんが見えた。

雫さんがゆっくりと介抱しているのが見える。航くん、やっぱりお熱があったのかな。無理させてしまったな。

今度お詫びに手作りのお菓子を持ってお見舞いに来よう。

僕の『女子力』は、一年前より、遥かに高まっているのだ。

 




第三章開始です。
一年生は42話を毎日アップできましたが、二年生はちょっと不定期になると思います。
原作の二年生のエピソードは達也個人が暗躍する話が多いので、オリジナルを挟みつつ、久もからめるようにいろいろと考えていこうと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
お読みいただき有難うございました。


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指輪

二年生になって、友達のクラスや肩書きが変わった。生徒会役員、クラス替え、学生生活の醍醐味だよね。

 

4月6日。僕は浮かれ気味に一高に登校する。今日の僕の制服はだぶだぶじゃない、僕の体型にぴったりフィットしている。

これまでは既製品の一番サイズの小さいのを着ていたんだけれど、澪さんと響子さんが制服をオーダーメイドしてくれたんだ。誕生日プレゼントだって。

凄く動きやすい。だぶだぶの制服は、僕が成長することを考えて着続けていた。

そして、一年たって、僕の体型は殆ど変わらない。

少しだけ身長が伸びたけれど、一センチも変わらなかった。背が伸びたのに気がついたのは、市原先輩と達也くんだけだ。なんとなく、この二人ってところが性格を現している。

澪さんたちがこのタイミングで制服を作ってくれた、と言う事は、僕がもう一高に通う間は背が大きくならないと思っているのかな?

ぴったりの一高男子制服を着ていると、身体のラインがよく出る。ただでさえ弱弱しい僕の体型がはっきりわかる。だぶだぶの制服を着ているときは、子供が背伸びしている雰囲気があったけれど、今はどうみても、女の子が男装しているみたいな…

明後日は入学式。新入生も登校してくる。七宝琢磨くんに七草の双子さんもだ。後輩に女男っていじめられたり侮られたりしないか不安だ。…一年目も同じこと考えていたな。うぅ、成長してないな…中身も外見も…

 

一高の校門が見えてきた。とにかく、二年生も頑張るぞ!

 

新学期早々、始業式なんてない魔法科高校は普通に授業が始まる。入学式があさって行われるけれど、平の料理部員の僕には関係ない。

これまで達也くんと友人たちは、基本的に登校も下校もばらばらで、お昼休みに集まることが多かったけれど、二年になって生徒会室を利用するメンバーが増えた。

僕はお昼ご飯はレオくん、エリカさん、幹比古くん、美月さんと一緒になることが多くなった。

達也くんは副会長になったこともあり生徒会室で、深雪さん、ほのかさん、雫さん、生徒会メンバーがデフォルトになった。

僕は2-Aなので、あいかわらず達也くんとの接点が少ない。僕も魔工科に転科できればよかったんだけれど、不器用な僕が工学科なんて無理ゲーだ。

今日は生徒会メンバーと雫さんは生徒会室で入学式の打ち合わせだ。

お昼ごはんを食堂で食べながら、ふと、春休みのパーティー会場のことを思い出した。

 

「そういえば、エリカさん、パーティー会場では助けようとしてくれたんだよね、ありがとう」

 

エリカさんは一瞬考えて、七草家でのことをおもいだしたみたいだ。

 

「まぁ何も出来なかったけれど、久もああいうときははっきり言わなきゃだめよ!」

 

「わかっているんだけれど、どう対処したらいいかわからなくて」

 

「何の話だ?」

 

置いてけぼりのレオくんが聞いてくる。僕が七草家のパーティーで政治家やらの中年男に囲まれたことを話す。

エリカさんと幹比古くんは僕が烈くんと澪さんの庇護下にあることを知っている。レオくんと美月さんにも僕の立ち位置を説明した。

美月さんは驚いていたけれど、レオくんはあまり変化がない。

 

「はぁ十師族ってのも大変なんだな」

 

「僕は十師族じゃないよ」

 

「事情を知らない人たちから見ると、久君もナンバーズの一員になるんでしょうね」

 

「僕自身は身寄りのない孤児だし…ただ、皆色々と気を使ってくれているから、いつか恩返しができると良いなって思っているけれど…僕に出来ることなんて…思いつかないな」

 

『高位次元体』の記憶が僕にない以上、僕はこの世界では天涯孤独だ。だから『家族』には恩返しをしたいって心のそこから思う。

美月さんとレオくんは僕の友人の中ではナンバーズと関わりがない。エリカさんは複雑な表情、幹比古くんも色々と思いがあるみたいだ。

 

放課後、僕は料理部で部活をしていた。料理部は長期休暇中に部活がないから久しぶりだ。

今日の調理は道明寺粉の桜餅だった。多めにつくったから、澪さんたちにお土産に持って帰ろう。

お土産を片手に帰宅しようと校庭に向かっていたら、校門前に達也くんと深雪さん、レオくん、エリカさん、雫さん、ほのかさん、幹比古くん、美月さんが立っているのが見えた。凄く目立つメンバーだ。

達也くんが僕に気がついて視線を向けてきた。ひょっとして僕を待っていてくれたのかな。嬉しいな。

声をかけて一緒に帰る。一緒と言っても、一高駅前のキャビネット乗り場までだけれど。

雫さんとほのかさんが同じキャビネットに乗った。またあの豪邸にお泊りするのかな。

そういえば「航くんは元気だった?」って聞いたら、雫さんは「元気」と一言だけ答えたけれど、ちょっと困ったような表情だった。どうしたんだろう。

 

キャビネット乗り場に達也くんと深雪さん、僕が残った。僕が先に来たキャビネットに乗ろうとしたら…

 

「久、今日これから家に来れるか?」

 

「え?」

 

「少し、話しと渡すものがある」

 

達也くんは余計なことは言わない。学校で用を済まさなかったと言うことは、自宅でなければ駄目なんだろうな。

 

「深雪さん、お邪魔してもいいの?」

 

「どうしてそんな事聞くの?お兄様のご招待ですもの、私が反対するわけないでしょう?」

 

「だって、深雪さんと達也くんの愛の巣に、僕が行ったら邪魔でしょ?」

 

「ああああぁ愛の巣!?久っ!貴女はなんて可愛いんでしょう!!」

 

思いっきり頭を撫ぜられた。髪が乱れるくらいに…

 

一緒のキャビネットに乗って、達也くんのお家に行く。当然前列に達也くんと深雪さんが並んで、僕は後ろだ。

キャビネット任せだし、僕は土地勘がないから達也くんの家の具体的な場所はわからなかったけれど、一高からは意外な近さで驚いた。僕の自宅からもそんなに遠くないみたい。

達也くんのお家は僕の自宅と同じくらいの大きさだ。二人の愛の巣にしては大きすぎるんじゃないだろうか。

 

と思っていたら…

 

「お帰りなさいませ達也さ…兄さま、深雪姉さま…、いっいらっしゃいませ!多治見久様!」

 

玄関に、黒を基調にした露出の少ないワンピースにエプロン姿の水波ちゃんが立っていた。どうみてもメイドさん、四葉家で見たときに似た格好をしている。

達也くんを兄さまと呼ぶとき、どこかぎこちなく、僕の名前を呼ぶときは、物凄く緊張して、腰を90度曲げて頭を下げた。

視線を合わせようとしない。どうしてかな…僕のこと嫌ってる?嫌われるほど接点は無かったけれど、真夜お母様とお食事したときのテーブルマナーの下手さに呆れていたとか?

 

真夜お母様と仲良くお食事していただけなんだけれどな…

 

司波家のリビングは広々としていて、滅茶苦茶おおきなテレビがあった。

ソファに腰掛けて、水波ちゃんの入れてくれた日本茶をいただく。テーブルの向かいに達也くんと深雪さんが並んで座っている。肩が触れるほど近い。

水波ちゃんは何故か壁際に立って固まっている。これじゃぁほんとうにメイドさんだよ。

 

「ねぇ水波ちゃんも一緒にお茶いただこうよ、ほら桜餅も美味しいよ」

 

お茶菓子は僕手作りの桜餅だ。桜餅は関東風より関西風の方が好みだ。

でも、水波ちゃん一人だけトレーを手に立っている。三人が腰掛けて、一番年下の女の子が一人立っている…ものすごく落ち着かない。

 

「いえ、久様と同席するわけにはまいりません…後でいただきます」

 

って、かたくなに拒否された…そこまで嫌われているのか…ションボリ。

達也くんは僕たちのやり取りを興味深そうに見ていた。

 

「実は水波も明後日から一高に入学する」

 

「えっ?そうなの、水波ちゃん入学おめでとうございます」

 

「あっありがとうございます」

 

「水波は俺たちの母方の従妹、と言うことになっている。だから久もそのように振舞ってほしい」

 

四葉家で家政婦みたいなことしていたけれど、家族ではなかったんだ。つまり僕が烈くんや澪さんの庇護下にいるのと同じ立場で、四葉家の援助を受けているのかな。それにしても、

 

「母方の従妹ってことは『真夜お母様』の娘って事になるの?」

 

僕が『真夜お母様』って言うと、深雪さんも一瞬緊張するし、水波ちゃんにいたっては硬直する。達也くんは見た目は変化がない、いつもの無表情だ。

 

「母に姉妹は一人しかいないから、設定では…そうなるな」

 

「じゃぁ水波ちゃんは僕の『妹』になるわけだっ!『妹』!すごい、嬉しい、水波ちゃんよろしくね」

 

水波ちゃんは「こっここっこちらこそよろしくお願いします」って物凄く肩に力が入って、堅苦しく挨拶する。どうしてそこまで緊張するのかな…

 

「帰宅時間を合わせる関係で、水波も部活動をするが、料理部に入部する予定だからよろしく面倒をみてやってくれ」

 

「ふぇあ?」

 

水波ちゃんが変な声を上げた。やった、『妹』が出来た上に、部活の後輩もできたんだ。

 

「それと、これは叔母上からあずかった、久への…誕生日プレゼントだな」

 

「えぇ!?真夜お母様から僕に!?」

 

思ってもいなかったので、驚いた。思わず椅子を鳴らして立ち上がっちゃったくらいに!

達也くんは相変わらずの無表情だけれど、どこか困惑しているような微妙な顔だ。僕のキラキラ目に苦笑しているのかな?達也くんが小さな金属製の箱を慎重にテーブルの上に置く。無骨な箱はプレゼントというより中の精密機械を守ることに重点を置いているみたいだ。

僕にとっては宝石箱と同じだ。達也くんに渡されて、箱を慎重に開けると小さな指輪型のCADとペンダントが入っていた。ペンダント…違うな、水滴の形をした…

 

「CAD…?でも操作スイッチとかないけれど…」

 

「これはFLT製の完全思考操作型CAD。FLTが8月に発売を予定している思考操作型CADのテストタイプだ」

 

「FLT?完全思考型CAD…?」

 

FLTは特化型のCADに力を入れている会社だったはず。フォア・リーブス・テクノロジー…四葉の技術…四葉?

 

「指輪は汎用型で魔法は10個しか入れられないが、その分小型で誰もそれがCADだとは気がつかないだろう。その水滴型の補助デバイスを首にかけていれば、ボタンの操作なしに『魔法』を使うことが出来る」

 

「じゃあ不器用な僕にはぴったりのCADだね」

 

僕は烈くんが一年前にくれた携帯電話型のCADを使っている。授業でしか使わないけれど、機械音痴な僕はどんなに魔法力が高くても機械操作がネックだった。

 

「水滴型の補助デバイスはテストタイプでその指輪型CAD専用だが、その分処理速度は販売用より高速化している。久の魔法力ならそれでも遅いかもしれないが…テストタイプとは言え、トーラス・シルバー謹製だ。市場には出まわらない一点ものだな」

 

指輪は凹凸のないシンプルなデザインで、内側にトーラス・シルバーのロゴが彫ってあった。

 

「トーラス・シルバーって、去年、『飛行魔法』を発表した天才技術者だよね。じゃあこれって中々手に入らないんじゃないの?高価なんじゃ…」

 

「そうだな。だが、その思考型CADは発売前のモニターも兼ねているから金額は気にしなくても良い。定期的に俺が調整をして、記録をとることになるが構わないか?」

 

「達也くんが調整してくれるの!?でもどこで…一高?」

 

九校戦のとき、競技用のCADを一高の施設で毎日のように調整してくれたことを思い出す。

 

「そうなるな。本当なら大規模な機器で久をスキャンした方がより有効に使える様になるだろうが、それは汎用型だから簡単な調整で使えないと意味が無いからな」

 

「どの指にはめればいいのかな」

 

「好きな指で構わないが…?」

 

「深雪さん、どの指が良いと思う?指輪ってはめる指で意味が違うんだよね」

 

澪さんはクリスマスにプレゼントした指輪を左手薬指にはめているけれど、深い意味は無い…よね。

 

「そう…ね、久には右手の薬指が良いんじゃないかしら。精神の安定や落ち着き、を意味する指だそうよ」

 

深雪さんは相変わらず博学だな。僕は深雪さんの言うとおり、右手の薬指に指輪をはめた。小さな指輪は僕の指にサイズがぴったりだった。

 

「すごい、まるで僕の指に合わせて作られたみたいにぴったりだ!でも、ちょっと慣れないかな…僕はアクセサリーとかつけたりしないから」

 

達也くんが僕のことをじっと見つめている。何だか罠にはまった小鳥を見つめる猟師みたいな目だな…気のせいだと思うけれど。

 

「日常はめていれば慣れるだろう。だが精密機械で完全防水とまではいかないから、入浴時は外す必要がある。久は料理をするから、指輪をはめるのは外出時だけのほうがいいだろう」

 

水滴型のデバイスを首にかけて制服の下に通す。小さくてデバイスがあることはわからない。

これを使えば、『サイキック』を『魔法』で代用することが出来るな。達也くんが10個の『魔法』の説明をしてくれる。ためしに『念力』のかわりに『物体移動』を試すと、思考しただけで金属製の箱が浮いて、音もなくテーブルに降りる。力の加減もスムーズで驚いた。

 

「問題ないようだな。使いこなせそうで俺も安心したよ」

 

まるで、達也くんは自分がこのCADを作った責任者みたいに安心していた。

 

「うん、有難う達也くん、真夜お母様にお礼の電話しなくちゃ。達也くんからもお礼を言っておいてよ。僕凄く嬉しいよ!」

 

「…わかった」

 

僕は右手の薬指を陶然と眺める。女性が指輪を貰って喜ぶ気持ちがわかるな。

なんだか真夜お母様と絆が深まった、いつでも繋がっているみたいだ。

そんな僕を、達也くんはいつもの無表情、深雪さんは笑顔で見つめている。

深雪さんの目が少し悲しそうに感じるのは気のせいかな。

水波ちゃんは、ずっと硬直したままだ。

 

その後、夕食に誘われたけれど、遅くなるのも失礼だし、澪さんが待っているので、何度も二人にお礼を言って達也くんの家を後にした。水波ちゃんはきちんと頭をさげて見送ってくれた。

帰りのキャビネットの中で真夜お母様に電話する。でも、お忙しいのか繋がらないな…

不器用な手つきでメールをうって、お礼を伝えることにした。

その右手には頂いた指輪が輝いている。えへへ。

 

 

帰宅中は僕もそれとなく、不審者を警戒している。登下校中が一番危険度が高いからだけれど、僕の警戒がどれくらい有効かは怪しい。

自宅近くでコミューターを降りる。このあたりはもう澪さんの護衛の人がいる。専用の家まで借りていて、もしもの時はその家に駆け込むよう言われている。

24時間お疲れ様だけれど、戦略魔法師の警護は国策だし、澪さんの引きこもり生活の安全が第一だ。

 

そのおかげで、ここまで来ると僕も警戒を解ける。

薬指の指輪をちらちら見ながら歩く。僕は『サイキック』だけれど、普段『能力』は全く使わない。物を取りに行くときも横着しないで、自分の足で歩いて取りに行く。だからこの思考型CADも、日常使う機会はあまりないんだよな。魔法は10個だけで、入れ替えは頻繁にできない。授業では備品のCADを使うし、ほとんどただの指輪状態だな。むしろその方が嬉しいかも。

 

自宅近くの交差点を曲がる。自宅までは目と鼻の距離。薄暮の道路を歩く。

 

向こうから、背の高い男性が歩いてくる。髪が長くて、スーツ姿の容姿の優れた青年だ。人の目を引くはずの美貌なのに、奇妙に存在感が希薄だ。

僕は右手の指輪をちらちら見ながら歩く。

ひとつに集中すると他に気が回らなくなるのは僕の悪癖だけれど…なにかおかしい気がする。

 

男性が立ち止まった。歩く僕とすれ違う…

 

「こんにちは、多治見久さん」

 

いきなり話しかけられて、びくっとしてしまった。顔を上げると、男性は、あれ?さっきすれ違ったはずだけれど、男性は僕の前3メートルの位置に立っていた。

貴公子然とした涼しげな容貌だ。僕と同じで長い髪が春の暖かい風に揺れている。

 

「初めまして、『超越者』殿、いえこのような呼び方はお嫌いでしたか」

 

『東京レイブンズ』の『大友陣』さんと同じ声だ。偽関西弁じゃなくて、ちゃんとした標準語だけれど、どこか『陣』さんに似ているな。容貌じゃなくて、底から来る実力者の気配…

 

ん?『超越者』?どこかで聞いたような言葉だ。

『超人』って『パラサイト』のマルテや『ピクシー』が言っていたけれど、同じ意味かな。

 

「あなたは…誰ですか?」

 

男性と僕が向き合っている。おかしいな、澪さんの護衛の人が、すぐ駆けつける状況なんだけれど。

 

「私は周公瑾。横浜で中華料理店を経営している者です。そして、仙道を極め『高位』にたどり着こうとする術者、多治見さんの『後輩』にあたるものです」

 

「中華料理のデリバリーは頼んでいないですよ」

 

「いえ、出前ではないのですけれど…」

 

周公瑾さんの中華料理屋さんは出前はやっていないそうだ。

 




東京レイブンズ好きなんです。アニメも全話録画してますし、原作も全巻買っているんです。
このSSでこれまでに声優ネタで出してきたアニメのタイトルは基本自分が見たことがある作品だけ。
もっとも最近は録画しても見ていない作品が山積みです。
そして見ようとしたらブルーレイを読み込めなかったときのションボリ感といったら…

お読みいただき有難うございました。


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周公瑾

オリ主久が、このSS開始からほとんど初めてまともに『魔法』で戦います(笑)。
エイドスや演算領域など細かい部分は冗長なのでカットしていますが、
『魔法』はあまり突っ込まないでください。


「いえ、出前ではないのですけれど…」

 

周公瑾さんの中華料理屋さんは出前はやっていないそうだ。

 

それにしても、おかしいな。どうして警護の人が来ないんだろう。僕の自宅はもう目と鼻の先だ。

周公謹さんは見た目にも涼しげな人物で、一見危険人物じゃない。立ち振る舞いも穏やかで、僕と話すときも妙な挙動はない。

でも、なにか違和感がある。僕と、自宅と、周公謹さんの立ち位置が、不確かだ。たそがれどきのせいだけではない気がする…

 

「ひょっとして、なにか『魔法』を使っていますか?」

 

周さんは、ほうっと感心した表情をした。

 

「驚きましたね。私の『術』に気がつかれましたか。貴方と二人きりでお話したかったので少々、警護の方たちにはよそを向いていただいています」

 

「危険はないですよね?」

 

「ええ、少し方角が狂う程度の些細な『術』ですよ。貴方の大事な方々を傷つける気は毛頭ありません」

 

この人は、僕と『パラサイト』マルテとした会話を知っているみたいだ。

 

「正直、この場所で貴方に接触するのはリスクが高いのですが、貴方はあまり遠出をされないので、少々無理をいたしました」

 

僕に関わろうとすると、行動範囲の狭さと、自宅周辺の護衛の厳しさに誰もが困ってしまう。

SS的にも引きこもりという設定は面倒だ。事件は現場で起きているのであって、自室では何も起きないのだ。

 

「僕に、何か御用ですか?」

 

「ええ、先ほども申し上げたとおり、私は仙術を極めようとする道士です」

 

「仙術…仙人?」

 

「はい」

 

「仙術って言うと…外部から集めた自然エネルギーを自分の魔法力に混ぜて『魔法』にする?」

 

「お詳しいですね。その通りです。その知識はどこから?」

 

「『NARUTO』に詳しく説明されていたよ。ひょっとして『超大玉螺旋丸』とか使えるんですか!?リアルナルト!?」

 

「…残念ながら派手な攻撃の術はありません。仙術は人間の限界を超えた『仙人』になることが最終目的です。

『仙人』は古代中国では『神』と同等、厳しい修行の末に肉体を保ったまま永遠の存在になること…です」

 

「永遠…不老不死?」

 

「ええ、『パラサイト』のマルテの話では、あなたがそうであると…私は駆け出しの道士で『仙人』どころか、肉体を放棄して永遠になる『尸解仙』にあと少しと言ったところです」

 

「肉体を放棄して永遠になる…精神の存在…マルテさんが言っていた『高位次元体』のことですか?」

 

「そうです。『仙人』にいたるには己の『氣功』を研ぎ澄まし高めなくてはなりません。『氣功』を高めるには、自己鍛錬と強者との命がけの戦いが必要です」

 

「僕と…戦うんですか?」

 

「出来ればそうしたいのですが、現状貴方と戦っても私に勝ち目はないでしょう。ですから少々、胸をお借り…ああ魔法科高校で言うところの模擬戦をお願いしたいのですよ」

 

「…模擬戦?こんな住宅街で?」

 

特定の場所以外での魔法は厳しく規制されている。はずだけれど、原作ではあちこちで使っているなぁ…それだけ『魔法師』の数が多いって事なんだろうけれど。

 

「センサーのたぐいは私の術で妨害していますので、無茶な依頼ではあるのですが、一術者としてお願いできますでしょうか」

 

そしてセンサー類は簡単に操作できるんだよな…僕の周りに妙なスキルを持った人が集中しているのかもしれない。僕の周りじゃなくて達也くんの周りかな。

 

丁寧に頭を下げる周さん。

ふと、僕は右手の薬指にはめられた指輪を見る。真夜お母様がプレゼントしてくれたこのCADを使ってみたいって欲求がある。

 

「相手を傷つけない威力でいいなら…」

 

せっかく澪さんたちがプレゼントしてくれた制服を初日から汚したくはない。

 

「ありがとうございます。それではその条件でよろしくお願いします」

 

周さんが腰を少し落として、攻撃態勢に入った。

 

「行きます!」

 

どこから取り出したのか手にダーツの矢みたいなものが握られていた。

周さんが銀の矢を鋭く放る。速度はそれほど速くない。

胸の水滴型デバイスに使用魔法と規模をイメージしてサイオンとともに送り込む。指輪型CADがタイムラグなく反応した。

僕は『自己加速魔法』で攻撃をかわした。アスファルトに落ちた銀の矢は、やじりの部分が丸まっていて刺さらないようになっていた。僕を傷つける意思はないみたいだ。今のところは…

二本、三本と矢を投げる。『自己加速魔法』でステップを踏むように避ける。一高の靴がアスファルトの表面をこする。

数回『自己加速魔法』を使ってみて、この『魔法』は僕には向いていないことがわかった。

なにしろ僕の身体は貧弱だ。下手に加速しても足がついていかないし、数回しただけで身体が痛い。

『自己加速魔法』の得意なエリカさんは、物凄く鍛えているんだな…

『念力』で身体を動かすことも可能だけれど、今の僕は『魔法師』なんだ。『魔法』だけで試したい。

 

周さんは今度は『魔法』を銀の矢に込めて、左右一本ずつ続々と放つ。

矢は『自己加速魔法』でかわす僕を追ってくる。身体が持たないので、後方に下がると、『圧縮空気弾』を撃つ。矢が失速する。『圧縮砲』は軽い砂埃を上げて、地面に当たる前に消える。

周さんは指をぱちんと鳴らした。矢よりも小さく速い飛翔体が何十発も同時に空気を裂いて飛んでくる。変幻自在な動き。魔法が込められている。

『ベクトル変換魔法』で術がこめられた金属の玉を周さんに返す。

ベクトル変換した金属の玉は周さんの身体にかすりもしない。周さんの立っている周りの空間に奇妙なもどかしい違和感がある。これが方位を狂わすって事なのかな?

 

「魔法の発動速度が過去最高ですか…流石にやりますね」

 

周さんは背広の内ポケットからお札のようなものを取り出し、指で撫ぜた。

僕の周りに炎が上がる。でも熱は感じない。『幻術』。威力は落としているように見えるけれど、わからない。触れたとたん爆発的に燃え移るかもしれない。油断はできない。

僕は『加重魔法』、空気の濃度を変化させて幻術の効果を打ち消そうとするけれど、消えない。光系の幻術?

『屈折魔法』。幻術は揺らいだけれど消えない、精神系のようだ。精神系を対処できる魔法はないので、

 

「だったら!攻撃は最大の防御!」

 

『電撃魔法』が周さんを襲う。当たらなかった。方角を狂わされている。さっきの周さんの言葉を思い出した。

でも周さんも、電撃が自分の近くに落ちるのをみて、すこし慌てたみたいだ。幻術が消える。

これは『パラサイト』事件のときの赤い仮面の魔法師に攻撃が当たらなかったときに似ている。

目に見えているものに固執しては攻撃は当たらない。でも探知系が弱い僕には難しい。

3月リーナさんが演習室でみせたプラズマの嵐を思い出す。同じように『電撃』を面で攻撃する。数十本の稲妻が隙間なく周さんに降り注ぐ。

 

「くっ」

 

ばりばりって物凄い音がしたけれど威力は落としてある。

『電撃』が周さんの放った札に吸い寄せられる。避雷針みたいだ。札は一瞬で燃え尽きる。

燃え尽きた灰が地面に落ちるより早く、周さんは全ての札をアスファルトにたたきつけた。

にょきっと四本足の獣が、湧き出てきた。横浜で見た『化成体』と似ている。5体いる。

『電撃』や『火炎』で攻撃するけれど獣には通用しなかった。

獣は牙と爪で四方と頭の上から同時に襲い掛かってくる。

 

「じゃぁこれなら」

 

物理的な攻撃では効果がないとわかるとマルチキャストで『加重』『減速』『移動妨害』で獣を攻撃する。

ひとつの『魔法』では無効化だったけれど、複数の『魔法』を組み合わせて獣を消滅させた。

 

周さんは終始距離をおいていたけれど、僕は接近しようか悩む。

貧弱な僕のパンチやキックはたぶん通用しない。周さんは体術も得意そうだし、たとえパンチが当たっても、痛いのは僕の手の方なのは、入学したての時の十文字先輩との模擬戦で経験済みだ。

 

周さんが攻撃をやめて、戸惑った表情をみせた。

 

「貴方は…『魔法』を使ってらっしゃる?『サイキック』ではなかったのですか…?マルテの情報は間違っていたようですね」

 

「僕は魔法科高校に通う『魔法師の卵』ですよ」

 

今の僕の瞳は薄紫の光をほんの少しだけ放っているけれど、『魔法』の規模は怪我をしないようにかなり抑えているから、夕日の赤に負けてほとんどわからないくらいだと思う。

僕は真夜お母様にいただいた思考型CADで『魔法師』になっている自分に少し酔っていた。今の僕は『サイキック』は使っていない。一高に入学して初めて、『魔法』で戦っている!この思考型CADは物凄く使いやすい。

膨大なサイオン量と魔法力をきちんと制御して、苦手だったマルチキャストを使って、複数の『魔法』を連続して使っていた。僕の胸元の水滴型デバイスのある辺りが淡く輝いていた。

その輝きに周さんが気がついた。

 

「思考型CAD…ですか?なるほど、それを使用していたので、マルテにはわからなかった…ということですか。これは誤りましたね…」

 

少し誤解があるみたいだけれど、周さんは僕の『サイキック』と戦いたかったみたいだ。

マルテの時は思考型CADは当然持っていなかったけれど、周さんは僕が十師族のツテで、市販化される前に手に入れていたと思ったみたいだ。

 

お互い、威力を抑えた攻撃は、まさに『模擬戦』だった。スポーツ感覚に近い。

僕も周さんも汗ひとつかかず、最初に向かい合ったときの位置に戻った。

 

「ここまでにいたしましょうか」

 

「…ええと、ごめんなさいご期待に添えなかったですよね?」

 

「いいえ、こちらこそご迷惑をおかけしました。どうやら情報不足だったようです」

 

手に扇状に広げた残りの札を器用に束ねると、背広の内ポケットにしまう。その手つきはマジシャンみたいで、ちょっとかっこいい。不器用な僕には無理だなぁ…

周さんはきりっと背筋を伸ばして、襟元を正すと、きちんと腰を曲げて頭を下げてきた。

あわてて僕もお辞儀を返す。

位置情報は狂わされているけれど、周さんの姿自体は幻術じゃないようだ。本人が頭を下げている。

その間も決して視界からはずさないように注意する。今回は正面から向かってきたから対処できたけれど、『魔法師』の僕が本気の周さんに勝つのは難しそうだ。まだ全然手の内を隠しているだろうし。

僕は古式魔法師の隠密性とは相性が悪いみたいだ。

 

「ご迷惑ついでですが、今後もお付き合いいただけますと幸いです。十師族の庇護下にある貴方ではなく、多治見久様本人とです」

 

「それは…どこが違うんですか?」

 

「私は術者なので、権力には興味がないのです。もちろん身を守るために権力者の方と共闘することはありますが、私自身は仙道を極めたい、ただの道士です。『高位』である貴方にご指導をたまわりたいと考えているだけです」

 

ウソではないと…思う。本来の周さんはもっと裏がありそうだけれど、僕に対する態度は真摯と敬意に溢れている。それが演技なのかもしれないけれど…正直このあたりの判断は僕には難しい。周さんは笑みを終始たたえて本心がわからないからだ。

 

「僕が『高位』かどうかはわかりませんよ。マルテさんの証言だけで証明のしようがないですから…」

 

「…そうですね。とりあえずは今回のお詫びに、私の店にご招待させてくださいませんか?」

 

「中華料理店ですか?えぇとどこにあるんですか?本格的な中華って食べたことがないから凄く気になります」

 

僕は美味しいものさえ食べていられれば大概幸せなんだ。そういえば昔、お菓子を呉れるからってほいほい知らない大人に着いていくなって達也くんに言われたけれど、食べ物で釣られるのは、ひょっとしたら僕の一番の弱点かも…

 

「横浜の中華街です。中華街でもそれなりの店ですから、ご満足いただけると。もちろんお友達もご一緒でかまいませんよ」

 

「横浜は…ちょっと遠いな…僕は引きこもりだから遠出はしないし」

 

横浜…いろいろと因縁がある街だな。魔法協会の本部があるからなんだろうか。

とはいえ、僕は基本、一高と自宅の往復だけの毎日。日曜日は引きこもっているし…

 

「では機会がありましたらいつでもお尋ねください」

 

「お店の名前はなんですか?」

 

「いえ、中華街におこしいただければ、こちらからご案内させていただきます。ではあわただしくて恐縮ですが、私はこれで…」

 

周さんがまぶたを伏せて、軽く頭をさげて優雅なお辞儀をした…

 

はっと気づくと周さんはいなかった。使用した武具のたぐいもいっさいなくなっている。

夢でも見ていたのかと思うくらい、唐突に視界から消えていた。急に住宅街の生活音が聞こえてくる。僕と周さんが対峙していたのは数分だった。

数分のわりには中身が濃かったな。でもなんだか、狐につままれた…そんな言葉がよぎる。

何となくだけれど、周公謹さんとは長い付き合いになるような気がする。

肉体を捨てて精神の存在になる…精神は何かに憑いていないとやがて消滅してしまう。

『仙人』は精神を失わないで永遠になる方法を知っているのかな。他人の身体に憑いて生きながらえる『パラサイト』は『尸解仙』と同じモノなのかな?

よくわからないや。僕は頭はあんまりよくないんだから…

 

きょろきょろ周りを見回しながら、今頃になって、僕は片手に手提げかばんを持ったままなことに気がついた。キャンパスノートや空のお弁当箱、お土産の桜餅が入っている。

これを片手にもったまま『模擬戦』をしていたのか…周さんはどう思っただろう、余裕や手抜き?わからないな。

『自己加速魔法』のせいか普段使わない筋肉と関節が少し痛い。『回復』で治るけれど…

 

自宅に帰ると、警護の人が玄関の死角になる箇所に立っていた。『模擬戦』でアレだけの音がしたのに気がつかないなんて…これはちょっとまずいのではないだろうか。

もし周さんが澪さんを害しようとしたら、この人たちでは防げない…そう考えたら、僕は震えがとまらなくなった。僕がいれば空間を『遮断』して、一切の攻撃は防げるけれど、もし澪さんや響子さんが敵の手に落ちたら…女性の身になにかあったらと思うと、とにかく恐ろしい…

周さんとは友好的な関係を築かないといけない。

 

僕は玄関に靴を脱ぎ散らかしたまま、照明のついているキッチンに駆け出す。

達也くんの家に寄る前にメールで帰宅時間を知らせているので、いつもなら台所で夕食の準備をしていてくれているはずだ。

ばたんと扉を開けると、エプロン姿がお似合いな黒髪の美女が、驚いて振り向いた。

きょとんとしているけれど、相変わらず可愛い。

僕はとてとて近づくと、いきなり澪さんを抱きしめる。

 

「ひゅあぁ?久君?どうしたの?」

 

嬉しさや驚きが混じった奇妙な声を澪さんがあげた。身長差から僕の顔は澪さんの胸に埋ま…らない…相変わらずのぺたん…こ…げほんげほん。

さて、いきなり抱きついて、澪さんの無事を確認したのは良いけれど、どうしよう。

周さんの事は心配させるから言えないし、ロマンティックな文句のひとつも思い浮かばない。

 

「あっあのね、制服…そう、新しい制服で今日から学校に通えて嬉しかったんだ。澪さんありがとう」

 

「そっそこまで喜んでくれると私も嬉しいけれど、あら?胸のところに何か硬いもの…ペンダント?」

 

澪さんは流石に感覚が鋭い。僕の胸にかけられたデバイスにすぐ気がついた。僕はデバイスと右手の指輪を澪さんに見せる。

 

「これ、完全思考型のCAD。FLT社のモニターを兼ねて、達也くんがプレゼントしてくれたんだ。トーラス・シルバーの新作なんだって」

 

僕は最高の笑顔でCADを澪さんに見せる。

他の人には『真夜お母様』のことは話さないようにって言われているから、達也くんが呉れた事になっている。『真夜お母様』は恥ずかしがり屋さんなんだなぁ。

 

「それは凄いことですね。でもどうしてお友達の司波達也くんがそんな貴重な…ああ司波くんは物凄いエンジニアでしたものね、FLTが司波くんに関心を持つのは当然ですね。それに久君の魔法力はモニターとしては最適ですもの、よかったですね」

 

澪さんは自分で自分の疑問を解決してしまった。頭の良い人は凄いな。

 

「私もFLT社のCADを使っているんですよ」

 

「え?そうだったんだ」

 

澪さんが携帯電話型のCADを見せてくれた。一見普通のCADだけれど、表にトーラス・シルバーのロゴが刻印されていた。いつもは失念してしまうけれど、澪さんは戦略級魔法師である以前に優秀な『魔法師』なんだ。僕なんかより遥かに、達也くんや深雪さんと同じ高みにいる人なんだ。

周さんの『術』は心配だけれど、過度な心配は不要かもしれない。もちろん用心に越したことはないけれど。

 

「久君、少し髪が乱れていますね、それに埃っぽい…?」

 

『模擬戦』で動き回ったから、少し砂埃で汚れているかも。制服もやっぱり埃っぽいかな。

 

「今日は春の暖かい風が結構吹いていたから…」

 

僕と周さんの髪が、風にそよいでいたのを思い出す。でも、周さんは少しも埃がついていないような気がするな…

 

「ちょっと待ってくださいね」

 

澪さんが『魔法』で制服の埃を取ってくれた。埃が床に落ちる…澪さんがCADを操作すると、埃は一塊になってゴミ箱に入った。

 

「すごい!」

 

こんな緻密な『魔法』を簡単に使いこなせるなんて、やっぱり澪さんはこの国最高の『魔法師』なんだ…でも、

 

「…でも、制服だけ?髪も一緒に綺麗にすれば…」

 

僕の指摘に急にもじもじし始める澪さん。いきなり挙動不審だ。

 

「髪は…その私がお風呂で洗ってあげ…ま…うぅぅうううう」

 

照れまくって言葉を続けられなかったようだ。響子さんの真似をしようとしたみたい。小悪魔は澪さんには無理っぽい。

 

「そうだね、じゃぁ澪さんに洗ってもらおうかな…」

 

いつもなら慌てて断るところだけれど、僕の不安はこころに淀みを作っている。今は離れたくない。僕の依存性は高まる一方だ。

 

「じゃっじゃぁ、そのままお風呂に一緒に入っちゃおう…かな」

 

「…うっうん」

 

『家族』だもん、僕は子供だし、問題はない!ないはず。

僕が先にお風呂に入ってシャワーで室温をあげていたら、絶妙のタイミングで響子さんが帰宅してきた。

 

「うひゃぁい響子さん!?」

 

お風呂の外から、澪さんのスットンキョウな声が聞こえてくる。

 

「あら?澪さんお風呂?久君は?あら一高の制服に下着が脱衣所のかごに綺麗にたたんで置いてあるわねぇ」

 

たぶん響子さんの表情は獲物を見つけた小悪魔になっている。たぶん。

逃げ場が…ない!

 

「じゃぁ私もお風呂に入ろうかな」

 

「ちょっ響子さん!?じゃっじゃあ私が先に!」

 

「ふひぇ!?」

 

逃げ場は無いんだって!

二人とも弟(響子さんには光宣くんは弟同然だ)がいるから子供の僕の裸は全然平気なんだ。

僕は二人の裸は…僕は平気じゃないよ、手で隠して見ない。目を瞑ってるから見えない。あぁ、そこわぁ!ああぁん!

その後、僕は便乗した小悪魔と、遠慮がちなのにちっとも遠慮していない澪さんに全身を洗われまくった。

ふぇぇ、もうお婿にいけない。

 

でも、『家族』って幸せだな。僕の力で護りたい。

 

 




原作では「たとえ死すとも私は在り続ける!」と言って周公瑾は燃え尽きますが、
基地内で裏切り大尉との会話で『尸解仙』にすらいたらないと言っていますので、
最後、みずから肉体をすてて『仙人』、肉体を捨てた永遠『尸解仙(このSSにおける精神の存在)』になったのでは、と思うのです。
原作で、いずれ周公謹は復活するかもしれませんね。

お読みいただき有難うございました。



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深く静かに…

恒星炉?食べたことないです。
原作を読み返しても、サッパリワカラナイデス…



 

その夜、いつも通り『川の字』になって澪さん、僕、響子さんで眠っていた。でも僕は不安で眠れない。

二人の手をぎゅって握ったまま、目を瞑って考えていた。

 

方角を狂わす周さんの『仙術』、九重八雲さんの意識の不意をつく『忍術』。

 

この人たちに匹敵するような隠密性の高い古式の魔法師が世界にどれくらいいるのかはわからない。もし、彼らが僕の大事な人たちを害したり誘拐しようとしたとき、僕は何が出来るだろう。彼らのような『術』に対処するのが難しいことは探知系の弱い僕にもわかる。

さいわい、ぼくの周りにいる人は『魔法師』として稀有な実力者ばかりで、一瞬で無力化させることは出来ないし、殺すより利用価値が高い人たちだ。

この人たちが誘拐されたりした場合どうすれば良いだろう。

 

達也くんと深雪さんみたいに『意識』が繋がっていれば、どこにいても気がつけるのかもしれない…

 

『意識』か…僕は『高位次元体』らしい。『高位次元体』は『ピクシー』の言によると『精神』や『意識』『幽体』の存在に近い。

『意識』を感じられれば…あっ、と思いつく。僕は『瞬間移動』するとき『意識』を世界のどこにでもあるように拡散させて、一点に集中させる。これまでは『瞬間移動』する『空間』に集中させてきたけれど、この『空間把握』を利用したら他人の『意識』を感じられるかも…

 

僕は『瞬間移動』をする時のように深く静かに『意識』を広げる。『空間』を意識するのではなく、『意識』を意識する…

 

…あっ。

 

広がった『意識』の海にすぐ反応があった。波紋のように広がる、この『意識』は澪さんと響子さんだ。両手に伝わる体温とは関係なく、『意識』だけを感じられる。それも物凄くはっきりと。

そのまま『意識』を広げていく。どんどんと…もうひとつはっきりと力強い『意識』を遠くから感じた。

 

…これは光宣くんの『意識』だ。生駒の九島家の自宅にいることがはっきりとわかる。

 

さらに『意識』を広げたけれど、三人以外は感じられない。

 

もう一度、試みる。今度は『意識』を分厚く濃密に広げる。そうすると澪さんと響子さんの意識はまばゆいばかりに感じられた。すごい、ふたりを感じられる。

ほかにも、二人ほどじゃないけれど淡い光を感じる。

 

この大きな塊は…十文字先輩だ。小さな光…これは市原先輩…?もっと小さくて微かにしか感じられないのは…真由美さんだ。

他には、薄いけれど鋭い『意識』…これは烈くん。一高に感じるのは『ピクシー』だ。

あっこれは真夜お母様。

 

ん?これは誰だろう…ものすごく小さい、でもどこか懐かしい『意識』…わからないな…

 

あと、少し他の光とは違う、二つに分かたれているけれど繋がっている『意識』を感じられる。これは達也くんと深雪さんだ。

この二人の『意識』は横浜や一高の演習場で見た神のごとき光を秘めていた。

 

 

いくつか疑問が生まれた。『意識』を感じられた人物の共通点は何だろう。

 

澪さん響子さん…僕の一番身近な人物。光宣くんは去年の二ヶ月一緒にすごして、体調が悪いときお互い一晩中手を握り合っていたりした。

 

十文字先輩は、何度か接触している。お姫様抱っこも何度かしてもらっているし。

市原先輩…誘拐事件のあと卒業するまで、一高の通学路で会うたびに手をつないで登校してくれた…

確か真由美さんとも手をつないで登校したことがあるけれど…一度だけだったかな。

烈くんは昔、戦場で生死を友にした仲だし、『ピクシー』は同じ精神の存在で、サイオンや幽体を奪われたこともある。

真夜お母様は二回しか会ったことはないけれど、長時間抱きしめてくれて頭をなぜてくれた…

あと不明のもう一人はわからないけれど、達也くんも深雪さんも何度か接触している。

 

全員、『魔法師』、そして、ある一定時間肌を接触させている人物。

このメンバーの中に航くんがいないのは、航くんが雫さんと違って『魔法師』じゃないからだと思う。

この『能力』は『サイキック』というより『高位』であった僕の残りかすじゃないだろうか。『空間認識』ではなく『意識認識』だ。

この力のおかげで、達也くんと深雪さんみたいに繋がっているわけじゃないけれど、僕がこの世界に一人じゃないって感じられる。

孤独ではないって『精神』や『意識』で、肌に染み込むようにわかる。

 

一人じゃない。

 

そう感じられたとたん、二人の手を握り締めていた手の力を抜いた。

この『意識』を基準にすれば、即座に『飛んで』いけると思う。この『能力』は僕の不安定な情緒を十分に落ち着けてくれる。

それにしても、予想外なほど簡単に『意識認識』ができた。もしかしたら、気がついていないだけで、僕にはもっと別の『能力』があるのかもしれない…

 

 

「昨夜は眠れなかったみたいだけれど、どうかしたの?」

 

朝食を食べていたリビングで、澪さんが尋ねてきた。響子さんも同じ顔をしている。

僕は朝早く起きると、お弁当と朝食の準備を始めた。すっかり主夫業が板についている。

二人も手伝ってくれるし連携もなれたものなのであっという間にご飯もお弁当もできる。

その間僕は物凄く晴れやかだった。今日の僕の機嫌のよさは、ちょっと説明しにくいな…だから。

 

「昨日、新しい制服とか、お風呂とかご飯とか、料理部でつくった桜餅を褒めてもらえたり、すごく楽しくて。でも、もし二人が結婚したらこんな毎日おくれなくなるんだなぁって考えたら悲しくなっちゃって…でもそれが本来ある姿なんだなって」

 

「何度も言ってるでしょ、私は久君の婚約者なのよ!?」

 

婚約(仮)だけれどね。といつものお約束の突っ込みはしない。

 

「わっ私は結婚は、あと一年…久君が18になって…ぶつぶつ…」

 

澪さんちょっと怖いです。戦略魔法師のプレッシャーを感じます。

 

いつもの日常が、そこにあった。

 

 

今日は入学式だけれど、生徒会役員ではない僕は普通に授業だ。

一高前の通学路に制服を着慣れない生徒が沢山いた。今日から先輩だ。がんばらないと。

 

「よっ久、おはよ」

 

一高前の通学路、屈託のない元気な声に振り向いた。

 

「おはようレオくん。今日は…一人?」

 

「久もだろ、今日は達也たちは入学式で早くから登校しているしな、ここまでばらばらなのもめずらしいけどな」

 

僕は今日はエリカさんとは一緒じゃないんだ?って言いたかったんだけれど…

 

「ねぇレオくん、二年生になって勉強はどう?」

 

「ぐぅ!難しいぜ、二年は魔法実技が増えるって言うけど、どっちも大変だぜ…久は?」

 

「大丈夫ならこんな質問はしないと思わないかい?」

 

僕はドヤ顔でサムズアップ。二年生になってますます勉強は難しい。これでも毎日二時間勉強しているのに…このテイタラク。

魔法実技も学校のCADを使うから機械音痴の僕は低空飛行だ。

真夜お母様にいただいた完全思考型は使う機会がない。学校では事務室に預けているし、日常では使い道がない…これはモニターとしてはどうなんだろう。今度調整するときに達也くんと相談しよう。

 

わっ話題を変えよう。

 

「レオくんは山岳部だったよね。山登りとかするの?」

 

「山岳部って言っても、校舎裏の演習場のアスレチックを駆け回るだけだぜ。山も登りたいけどな」

 

「楽しそうだなぁ、今度見学に行ってもいい?」

 

「おう構わないぜ、でもどうしたんだ?久は料理部だろ」

 

「うん、そうなんだけれど、少し身体を鍛えたいなって思ってね」

 

『自己加速魔法』を数回使っただけで悲鳴を上げる身体じゃ情けない。

 

「ん、そうだなぁ久は鍛えた方がいいだろうな、いつでも来いよ、アスレチックだから大した運動じゃないぜ」

 

僕の友人のなかでレオくんが一番善良だ。偽悪家でも偽善家でもない。レオくんが大したことがないって言うなら本当だ。

 

「うんお願いするね」

 

 

4月9日、入学式の翌日、隣の席に登校してきた深雪さんに水波ちゃんのクラスを尋ねる。

 

「1-Aよ。でもどうして?」

 

「達也くんに水波ちゃんが料理部に入るからよろしくって頼まれたから、放課後料理部に案内しようかと思って」

 

「新入生の部活勧誘は12日からよ」

 

「でも、達也くんと深雪さんを一人で待つのも寂しいでしょ」

 

「久は、水波ちゃんを知っているの?」

 

雫さんが聞いてくる。雫さんとほのかさんは入学式で水波ちゃんに会っているけれど、僕は昨日帰りは一緒じゃなかった。

 

「うん、えーと、達也くんのお家に行ったときに、一度だけ会ったことがあるんだ」

 

四葉家で会っていることは内緒だ。うーん、四葉家は内緒が多いな。

 

「久君、達也さんのお家に行ったことがあるの?」

 

ほのかさんがうらやましそうに驚いているけれど、友人たちは達也くんのお家に行ったことがないんだそうだ。意外だなって思ったけれど、他のメンバーの家にも行ったことは雫さんの家だけだから、今の時代はそういうものなのかもしれない。とくに魔法科高校の生徒は色々と事情を抱えすぎている…

 

「6日の帰りにお呼ばれしたんだ。指輪のモニターの説明があったから」

 

思考型CADモニターの話は基本的に秘密になっている。一高の事務室にも登校時指輪だけ渡している。水滴型デバイスは首にかけたままだ。指輪型CADとセットなのでこれだけ持っていてもただのペンダントだ。

思考型CADはFLTの発売前の製品だから情報が漏れては大問題だ。けれど、友人たちには達也くんが説明した。そりゃ新学期、僕が指輪をはめるようになったら、敏感な皆が気がつかないわけがない。もちろん、他人に情報を漏らすようなメンバーはいない。

達也くんの拳銃型CADもFLTとのちょっとしたツテで手に入れたらしいので、この思考型CADもその関係なんだと思う。魔法力だけは歴代一位の僕はモニターには最適だって皆思ったみたいだ。

 

 

放課後、早速、水波ちゃんを1-Aに迎えに行く。先月まで通っていた教室だから、迷ったりはしないぞ!って階段をひとつ降りるだけなんだけれど…

 

「…失礼します。桜井水波さんは…いますか?」

 

僕は女性は基本的に「さん」で呼ぶけれど、水波ちゃんだけは「ちゃん」と呼んでいる。真夜お母様も深雪さんもそう呼んでいるからだ。

僕が1-Aの教室に入ると教室がざわめいた。有名人が教室に来たって、感じだ。

僕は困ったことに魔法師界でそれなりに有名人だ。ナンバーズには烈くんと澪さんの庇護下にいる魔法師の卵、一般生徒には九校戦で一条将輝と互角に勝負した男の娘、と認識されている。

ちなみに、同級生と上級生には機械音痴の魔法力は過去最高の残念魔法師、といわれている…

水波ちゃんが慌てて立ち上がり、その前の席の香澄さんが僕と水波ちゃんに視線を向けてから立ち上がった。桜井と七草だから席は隣同士なんだね。

 

「多治見様こんにちは、家のパーティー以来ですね」

 

今日の香織さんは猫かぶりモードみたいだ。ボーイッシュは封印なのかな。

 

「あれ?香澄さん、どうしたの?いつもと口調がちがうよ。あっそれよりパーティーでも言ったけれど入学おめでとうございます」

 

「あっありがとうございます…」

 

僕が丁寧にお辞儀したものだから香澄さんも頭をさげた。

 

「それで今日は…」

 

「うん、達也くんが、水波ちゃんが料理部に入るって言うから、部室まで案内しようと思ってね」

 

達也くんの名前を聞いたとたん、

 

「料理部?多治見先輩は料理部なんですか?部活勧誘は3日後からじゃ?」

 

香澄さんはなんだか非難がましい目というか、何と言うか難癖がましい感じになった。

 

「そうだけれど、水波ちゃん達也くんたちを待つのに暇になるなら今日からでも…って思ったんだけれど、余計なお世話だったかな…」

 

「いっいえ、ご同道させていただきます」

 

相変わらず水波ちゃんは僕を前にすると萎縮する。少し悲しい。同じ『真夜お母様』の兄妹の立場になっているのに。いつか『久お兄様』って言ってくれないかな。

 

「水波ちゃん、そんなシャチホコバラ無くても…じゃあ行こうか」

 

水波ちゃんはきちんと香澄さんに挨拶をして、僕のうしろについてきた。その背中をじっと香澄さんが見ている…

 

実験棟への渡り廊下を歩きながら、

 

「ごめんね、水波ちゃん。なんだか悪目立ちさせちゃった」

 

僕たちのやり取りはクラスにいた生徒全員の興味をひいてしまっていた。

 

「いっいえ多治見様に非はありません。七草さんは達也さ…お兄様のことになると少し意地が悪くなられるのです」

 

「んーんなんでだろう…あっそれより、水波ちゃん、僕の事は多治見じゃなくて久って呼んでよ」

 

「そんなとんでもない」

 

なんでそんなに恐縮するのかな…

 

「お願いだから、僕は多治見って苗字は好きじゃないから、ね」

 

涙ウルウル上目遣い攻撃をする僕。水波ちゃんの方が頭ひとつ分背が高いんだ…

 

今日の料理部はメンバーが沢山いた。料理部は意外と部員が多い。参加に融通が利くので掛け持ちしている生徒が多いからみたい。それに手料理が上手だとモテルって、卒業した元部長さんが言っていた。

水波ちゃんは新入部員第一号と言う事で大歓迎された。ウェルカム料理をしていたら、僕の『女子力』の高さに驚かれた。僕は不器用だけれど料理は得意なんだ。毎日台所に立っているし。

水波ちゃんは何故か対抗心を燃やしているみたいだ。料理が好きなのかな?

話をしていると、水波ちゃんは料理部以外にも山岳部にも入るそうだ。

料理部の皆は驚いた。料理部と山岳部じゃあ正反対な感じだからかな。

山岳部か…今の時期なら裏の演習場の雑木林でも春の山菜が収穫できるのかな。

 

そして、軽い気持ちで、山岳部に見学に行って酷い目にあうのは数日後のことだ。レオくんの体力と運動能力の凄さに感動したよ…自分の貧弱さに涙が出るよ…

水波ちゃんも凄い身体能力だった…

雑木林のアスレチックコースの途中、ため池に派手に落下してヌレネズミになった僕は、運動はまずは散歩から始めようと決意した。

 

そして24日朝、早めに一高前駅で待っていた僕はキャビネットから降りてきた達也くん深雪さんに水波ちゃんに手を振って駆け出した。僕の手にはいつもの手提げかばん以外にもうひとつお洒落なデザインの紙袋があった。

今日は達也くんの誕生日なんだ。用意しておいた、誕生日プレゼントを渡す。

 

「CADの調整の感謝も込めて、お誕生日おめでとう!」

 

「ありがとう、だがクリスマスのときのように高価なものだったりしないよな」

 

「うん、あんまり高いモノだともらう方が恐縮しちゃうからって響子さんが言っていたから、今回は常識の範囲内…だと思う」

 

クリスマスプレゼントを一緒に選んでくれた澪さんは、ちょっと金銭感覚が一般とずれている。お嬢様だから仕方が無いけれど、僕も貯金はかなりあって無頓着なので人の事は言えないけれど。

 

「開けても良いか?」

 

「うん!」

 

わざわざ、人目のあるキャビネット乗り場で開けなくてもと思うけれど、他のメンバーとの待ち合わせも兼ねているし、早く感想を聞きたいから良いや。

深雪さんが手伝いながら、達也くんは起用にラッピングをはがしていく。深雪さんは甲斐甲斐しい。水波ちゃんがその二人を呆れ気味に見ている。

紙袋から取り出した、化粧箱には、ペアのバカラのシャンパンフルートが入っている。

クリスマスの指輪やカタログに比べれば常識の範囲内の金額のプレゼントだ。

台座には達也くんと深雪さんの名前と短い言葉を刻印してある。

 

「tatuya&miyuki Our Eternal Destiny」

 

「ふっ、『二人の永遠に続く運命』!?ひっ久!貴方はなんて可愛いんでしょう!!!!!」

 

深雪さんが発狂したかと思った。僕の頭は深雪さんに撫ぜられまくって脳震とう寸前だった…

今夜二人はこのグラスでシャンパンを飲んでくれるかな。だったら嬉しいんだけれど。

 

翌25日、達也くんや生徒会、選抜された魔法師による恒星炉実験が校庭で行われた。

…何がなにやらわからない…恒星炉…原作をちゃんと読み返してもさっぱりわからない。

実験中は授業は中断して、全生徒が校庭の実験機械と達也くん達に注目している。

僕は校庭に出て見学派だった。今日、たまたま視察に来ていた政治家のおじさんと取り巻きのマスコミも興味津々で校庭の隅に固まっていた。

僕は、隣に立つレオくんに聞く。

 

「ねぇレオくん、恒星炉って何かな?」

 

「俺に聞くな」

 

きっぱり。その隣のエリカさんに…

 

「私に聞かないで」

 

聞く前に拒否られた…

 

実験は無事成功して(どう成功したのかわからないけれど)、大きな歓声が学校全体からあがった。

爆発的な歓喜と歓声だ。みんなこの実験の凄さがわかるんだ。僕にはさっぱりわからないのに!?

校庭の雑誌記者や政治家の人に先生がなにやら説明している。

政治家のおじさんもこの実験の意義が理解できていないみたいだ。それでもマスコミの人たちが色々と質問をしている。いちゃもんをつけているみたいだけれど。先生も呆れている。

先生はなにやらマイクを隠し持っているみたいだけれど…

 

やがて歓声が途切れて、興奮の後の沈黙が訪れたとき、僕は政治家が見覚えのある人だって気がついた。思わず叫んでしまった。

 

「ああっ!あの政治家のおじさん、七草家のパーティーで僕の身体にやたらと触ってきたスケベな人だ!」

 

スケベな人だぁ!スケベなひとだぁ!スケベなひとだぁ!

 

僕の声は、校庭いっぱいに響き渡った。

政治家のおじさんがぎょっと弾けるように震えて、僕を見た。肥えたあごがぷるぷる震えている…

あの政治家のおじさんの目には僕の後ろに烈くんが見えている…みたいだ。

黒髪の一高男子制服を着ている僕と、政治家の中年おじさんに、全校生徒と教師、マスコミ関係者の目が集まった。見るからに華奢な僕と、脂ぎった初老の狒々爺…どっちが悪人と判断するか、誰の目にも明らかだった。

 

「ああ、すみません、神田代議士、今の生徒の声も録音してしまいました。これも後日、先生のお手元に送らせていただきますよ」

 

先生が人の悪い笑顔を浮かべている。一高の先生にしては珍しいタイプの人だ。

政治家のおじさんは逃げるように一高を後にしてマスコミもすごすご去っていく。

僕は何故か生徒たちからヒーロー扱いされたのだった…

 

 

 

 




登校中の市原先輩とホームパーティーの航くんの手をつなぐ伏線はここに繋がっていたのです。
決して航くんの純情をもてあそぶためだけではなかったのです(笑)。
原作で雫が達也を自宅に誕生日パーティーに誘いますが、純情を三度ももてあそぶのはくどいのでやりません。




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夜は終わらない

「え?検査入院、」

 

26日、朝食を食べているときの、澪さんのこの言葉に驚いた。

隣の席に座る響子さんは思い当たることがあるのか納得顔をしている。

 

「27日夕方から2晩検査入院するの。毎年、入院して検査をしているんだけれど、私の虚弱はこれまでも原因は不明だったし、

今年は調子が回復したから断っていたのだけれど、両親や弟がどうしても入院しろって…」

 

澪さんは僕と出会うまではほとんど病人だった。顔色も悪いし、気持ちも落ち込んでいた。虚弱体質で運動も出来ないから引きこもって…引きこもりは変わらないか…

僕と会った九校戦以降、急に体調が回復したから、僕は元気な澪さんしか知らないけれど、虚弱体質の時期しか知らない人のほうが圧倒的に多い。

とくに、澪さんの戦略魔法師という肩書きで十師族に連なっている五輪家としては、澪さんの健康が一番重要なんだ。

 

「ぎりぎりになってしまってごめんなさい、病院の予約を入れたって連絡がさっきあって…」

 

澪さんは専業引きこもりだから、予約さえしてしまえば断りきれないと踏んだんだろうな。

ちょっとセコイな。洋史さんらしいけれど…いやいや澪さんの弟さんの悪口はいけない。

 

「僕が泊まりで付き添うよ…」

 

「いいのよ、別に病気ってわけじゃないんだし。久君は学校があるでしょ。たったの二晩なんだから」

 

「じゃぁ、入院のときと退院のときは一緒にいる…」

 

退院は29日の日曜日か…退院の時間がわからないな。

残念だけれど、その日の雫さんのお家で行われる達也くんの誕生日パーティーは、僕はお断りすることにした。達也くんのお誕生日はまた来年もくるし、ひとつのことに気が向くとほかの事に意識が回らなくなるのが僕の悪癖だし。

 

「澪さんが入院か…その間は響子さんはお仕事はどうなっているの?」

 

僕は一人じゃ眠れないし、『意識把握』で澪さんの存在は感じられるけれど、そもそも、寂しがりやなのだ。

 

「とくに用はないかな。だから二日間は夫婦水入らずね久君」

 

小悪魔が小悪魔的な発言をする。毎度のやりとりだ。

 

「ちょっ響子さん!私がいないからって、久君に妙なことはしないでくださいね」

 

「あら?私たちは婚約しているんですもの、問題ないわ」

 

「問題あります!久君にはまだ早いです!東京都の条例のいんこー罪が適応されるんですよ!」

 

僕は戸籍上は17歳なんだ。肉体年齢は11歳…いんこーだね。

その日、2-Aの教室で雫さんに誕生パーティー不参加を告げると、雫さんの無表情が微妙な表情になった…?航くんにも会いたかったけれど、残念だな。

 

 

27日は僕は特にイベントはなかった。

水波ちゃんが料理部に入部した関係で、僕は帰りに達也くんと深雪さんを一緒になる機会が増えた。水波ちゃんは僕の料理の腕前にライバル心を抱いているみたいだけれど、僕への態度は相変わらずぎこちない。

駅前までの道中、生徒会役員の達也くんはなにか考え事をしているようだった。新入生同士でいざこざがあったみたい。

 

「水波、七宝琢磨について、一年生の間でなにか話題になったことはないか?」

 

「七宝琢磨さんは、今年の新入生総代で一年生では一番の有名人ですから注目は集めていますが…特には」

 

「まだ入学して一ヶ月も経っていないからな、無理も無いが…」

 

達也くんと水波ちゃんの会話に僕はついていけない。

 

「七宝琢磨くんがどうかしたの?」

 

「ん?久は七宝を知っているのか?一高入学後なにか接点があったのか?」

 

「入学後はないけれど、入学前、澪さんの五輪家のパーティーでお父さんと琢磨くんはお話をしたよ」

 

達也くんは興味深げな目を僕に向けた。

 

「ほう?そのときはどんな感じだったんだ?」

 

「うぅーん、お父さんは凄く慎重そうな人だったかな。七草家と十文字家のパーティーには来てなかったし。

琢磨くんは主席で合格したっていきなり自慢されちゃった。すごく上から目線だったな。一高に主席合格なら誇ってもおかしくないから、僕はなんとも思わなかったけれど」

 

達也くんは僕の言葉を慎重に吟味している。深雪さんと水波ちゃんは僕が十師族のパーティーに立て続けに出席していることに驚いていた。

 

「七宝くんがなにかあったの?」

 

魔法の無断使用で風紀委員室に連行されて、その後、七宝くんと七草姉妹が模擬戦を行ったんだそうだ。

魔法の無断使用なんてこれまで何度もあったよな…一年生の間に起きたことをざっと思い出してみる。防衛以外の魔法の使用は犯罪って言っておいて、僕たちが入学した二日目の校門前の森崎くんの告白事件から始まって、魔法の無断使用なんて日常茶飯事だった気がするけれど。

なんで今回だけ問題になったんだろう。しかもその後に模擬戦って…?

これは七宝くんが、一高上層部にコネがないからなんだろうな。

達也くんなんて真由美さんに色々と便宜を図ってもらっていたし…おっと深雪さんの目が厳しくなってきた!

 

 

「一高で騒動があったんだって?」

 

帰宅後、いきなり響子さんが楽しげに聞いてきた。おそろしく情報が早い。僕だって知らなかったのに。帰宅途中の達也くんとの会話を話すと、楽しげに自室に入っていった。

あの電脳部屋でよからぬ事をたくらんでいるのではないだろうか。

小悪魔の電子の魔女って、だれか手綱を握らないと、そのうち大問題を巻き起こすんじゃ…

その場合、巻き込まれるのは、なんとなく達也くんな気がするけれど…合掌。

 

 

27日夕方、僕は澪さんの迎えのリムジンに便乗して都心の病院まで向かう。

響子さんは自宅にいたけれど、夜からお仕事で帰宅は未明になるそうだ。

病院にリムジンで行くって、なんだか変だな…リムジンは都心の物凄く大きな国立病院のビップ専用玄関についた。病院のお偉いさんがずらっとならんでお迎えしていた。リムジン以上に変な光景だ…

澪さんの泊まる病室はとにかく広かった。レオくんが以前入院した警察病院の個室も広かったけれど、豪華さではほとんどホテルのスィートだった。テレビやら端末やらが沢山合って、澪さんが診療用の水色の病衣を着ていなければ引きこもり部屋かと思えるほどだ。

澪さんは大人の女性にしては成熟していない。一見すると女子中学生か高校生になりたてくらいの体型をしている。診療用の薄い水色の病衣を着ている姿をみると、ものすごく切なくなってくるほどだ。だから面会時間がすぎても、澪さんのそばにいたんだけれど、流石に9時を過ぎたあたりで澪さんに諭されて帰宅することにした。

 

明日も、学校が終わったらすぐに来るから、と病室を後にする。病院の玄関はもう閉まっていたから、職員用の通用口から外に出る。

都心と言っても夜だからひと気はなかった。大きな通りに出て、キャビネット乗り場を探す。

 

「たぶん、あっちだ!」

 

僕の護衛は今日はいないから、さっさと家に帰ろう。

夜のビルやマンションのコンクリート街を、一人ぽつんと歩くのは、ちょっと心細い。

すれ違う人もいないので、自然と足が速くなる。あいかわらずとてとて歩きだけれど…

キャビネット乗り場はこっちでいいんだよね…僕は方向音痴なんだけれど、一本道だから間違えていない…はず。

携帯端末で調べようと立ち止まったとき、

 

ざぁっ!

 

ん?何だろう、大きな影が僕の頭上を走った。小さな飛行船…?。

何故か黒い船体で夜の闇にまぎれているけれど、ビルからの窓明かりに照らされて、逆に目に付いた。

やけに低く、ビルの谷間を飛んでいるけれど、大丈夫なのかな。飛行船は高層マンションの前で止まってさらに降下してきた。マンションにぶつかりそうな距離だ。

 

「なんだっ?」

 

マンションから何か小さな人影みたいなものが飛行船に飛び移るのが見えた。物凄く高層だったけど、あれが人間ならものすごい度胸の持ち主だ。

飛行船はマンションの前で止まっていたけれど、数秒後、人影が何もない空中に飛び出してきた!

 

「落ちるっ!?」

 

僕が叫ぶのと、飛行船のゴンドラ部分が爆発炎上するのは同時だった。このままじゃどこかのビルに激突して大事故になる!

人影は落下しながらも飛行船の方に向きをかえて、銀色の銃を構えた。

見覚えのある銃だ。銃じゃない、CADだ。人影は高いビルの隙間を僕のほうに向かって落下してくる。

 

飛行船がいきなり消滅した!

 

えっ?いま何が起きたんだろう。飛行船も燃え盛るゴンドラも、一瞬で消えてなくなった!

 

それよりも、落下する人影は『慣性制御魔法』を使ったみたいだけれど、その規模は物凄く小さかった。『魔法』は得意じゃないんだったよね。スピードは減速したけれど、このままじゃ転落死だ!

 

僕はとっさに『念力』で落下してきた人物を軽く受け止めて、そのままゆっくりと僕の前で、地面に下ろした。

全身黒ずくめに黒い覆面(目と顔の下半分が出ている)を被っていても、僕にはその人物がすぐにわかった。

向かい合った僕たちは、一瞬、無言だった。

 

『達也君、何が起こったの!?』

 

覆面状のヘルメットに内蔵されている通信機から聞き覚えのある声がした。響子さんの声にそっくりだったけれど…

 

「不明です、あの飛行船はハイジャックされていたようですから…」

 

憮然とした声で返答する達也くん。僕に見られたこと、通信を聞かれたこと、どちらも偶然だけれど、迂闊だったことは同じだ。

 

「…こんばんは達也くん、こんな場所で会うなんて凄い偶然だね…そのごめんなさい、僕は見ちゃいけないモノを見ちゃった…かな」

 

飛行船を消滅させた『魔法』が何かは僕にはわからないけれど、おっかなびっくり声をかけた。

軍の特殊任務だったのかな。響子さんが通信に出ていたからそうなんだろうけれど。

秘密保持のために口封じされるかな…達也くんがこの程度で僕を、とも思うけれど、覆面からのぞく目は凄く鋭い。

 

「久…今のは『念力』でお前が受け止めてくれたのか?」

 

「…うん」

 

「そうか、助かった。あのまま落下していたら全身強打で無事ではすまなかった…それで、どうしてここにいるんだ?」

 

達也くんから敵意が消えた。無事ですまないわりにはすごく冷静だな。さすがは達也くん。僕はほっと一息つく。

 

「澪さんが検査入院したから付き添いで、そこの国立病院にさっきまでいたんだ。帰ろうと外に出たら飛行船が低空で飛んでいたからつい着いてきちゃって…」

 

「そんなにあの飛行船は目立ったのか?」

 

「黒かったけれど、ビルの窓からの明かりではっきり見えていたよ。通行人がいたら気になっていたと思う。どこか抜けている組織だね」

 

「…そうだが、こんな夜中の都心に通行人はいないだろう」

 

「だったらあの人たちは達也くんの敵…なのかな?」

 

「そうなるな」

 

不審な人物が3人。僕たちに向かってビルの陰から近づいてくる。手にはナイフに拳銃。目出し帽をかぶった露骨に怪しい連中だ。ただ、動きが素人臭い。練度が低いのか、歩き方が普通だ。

軍人でも魔法師でもないみたいだ。

達也くんが銃型CADをすっと動かそうとするのを僕は言葉で制した。

 

「まって、僕が生け捕りにするから」

 

僕は思考型CADにイメージとサイオンを送り込んだ。男たちは一歩、二歩と歩いて、三歩目にふらついて、四歩目には頭を抑えながらふらふらになって、ゆっくりと倒れた。

その間、僕と達也くんは静かに立っていた。男たちは軽くケイレンしながら意識を失った。手に持っていた凶器がアスファルトに転がる。

 

「何をしたんだ?」

 

「ん、酸素に酔ったんだ」

 

「見事だな『酸素分圧』か」

 

ヘルメットで顔の全体は見えないけれど、口元が笑っている。感心してくれているみたいだ。

人間は超高分圧の酸素を吸うと簡単に意識を失う。ただあまり高分圧だと死にいたる場合があるので、男たちの周りの気圧を低下させて酸素だけを肺に送り込んだ。

『サイキック』の僕ならもっと単純に男たちを無力化できるし殺せるけれど、『魔法師』としての僕ならもう少し複雑なことができる。

 

「『気圧流動変化』『気密防壁』『収束』『圧縮』『移動』のマルチキャストか。思考型CADを使いこなせているようだな」

 

非常時にもかかわらず、達也くんが的確に魔法を解説してくれる。研究者気質はここでも抜けていないところが面白い。

 

「うん、達也くんが僕に使いやすい『魔法』を調整してくれたからね」

 

『自己加速』みたいな身体にかける魔法や近接攻撃系の魔法は僕には向いていない。

だから応用の効く4系統8種を指輪には入れている。僕は『擬似瞬間移動』みたいに、物体の移動に関わる『移動魔法』が得意だけれど、『 加速・加重』『移動・振動』『収束・発散』『吸収・放出』の系統魔法は、どれも基本で、授業で習う単純な『魔法』なので、僕でも複雑な組み合わせは簡単だ。

逆に特化した『魔法』や、起動式が公開されていない『魔法』、『系統外』、知覚系や精神系はさっぱり駄目だけれど…

 

「あっ、こんなところで『魔法』を使ったら、街頭センサーに引っかかるんじゃ!」

 

「それは…大丈夫だ」

 

達也くんが通信機で確認している。

街頭センサーをごまかせる方法が…ああ『電子の魔女』が一緒なら問題ないのか。七宝くんと違って、達也くんは抜け目がない。この世界では世間をごまかすスキルを持っている人が勝ち組なんだ。

 

「こいつらもこちらで対処しておく。久、今夜ここで見たことは…」

 

「うん、誰にも言わないよ。深雪さん聞かれても…がんばって黙ってるよ」

 

僕に現場を見られたことは不問にしてくれるみたいだ。心の底から約束する。

でも、氷の女王の尋問に耐えられる人物がいるだろうか…いや、いない。それは達也くんとて同じことなのだ!

 

「…そうか。久は帰った方が良いだろう。キャビネット乗り場はアソコだぞ」

 

と達也くんはキャビネット乗り場の方を指差した。一本道だから迷いようがない。迷わない…はず。

 

「寄り道するんじゃないぞ」

 

「うん、有難う。なんだか達也くんお父さんみたいだね」

 

一年前、僕たちの入学式でエリカさんが言った台詞を思いだして言った。あっ、達也くんがへこんでいる。珍しい。

しばらく歩いてから、後ろを振り向いたら、達也くんも倒れた男たちもいなくなっていた。

まるで、さっきの飛行船なんて最初からいなかったんじゃないかって思えるほど素早い。

今夜の僕は警備の人がいないので、自分なりに警戒してさっさとキャビネットに乗って帰らなくちゃ。

 

 

キャビネットで最寄の駅まで戻ってきた。時間は23時。こんな夜中に外に出ているなんて久しぶりだ。

都心よりも星が物凄くよく見える。昔に比べて、空気が綺麗だし、街の明かりが抑えられてる。

どうしようかな家までは一キロ弱で歩いても20分くらい。ここから自宅近くまでコミューターに乗ろうか、星を見ながら歩いて帰ろうか…

 

「ん?久じゃねぇか?」

 

「え?」

 

いつもの屈託のない笑顔を整った顔に浮かべて、レオくんがキャビネット乗り場にむかって歩いて来た。リュックサックに無造作な私服、靴だけは歩きやすそうな登山靴だ。

こんな時間に会うなんてびっくりだけれど…

 

「こんな夜中にどうしたのレオくん」

 

「それはお互い様だろ」

 

「僕は病院の帰りなんだけれど、レオくんは家に来た…ってわけじゃないよね」

 

澪さんが検査入院するから付き添いで都心まで行っていた帰り、と説明する。その割には時間が遅すぎだけれど…

 

「ここが久の家の近くなのか?それは知らなかったぜ、俺は部活の後、ずっと歩き回っていてな、たまたまここのキャビネット乗り場から帰ろうと思ったんだが」

 

「部活の後?6時間も歩いていたの!?それに制服は…」

 

「6時間って言っても舗装路だったからな40キロも歩いてないぜ。制服はすぐに着替えたぜ。制服で夜中歩いてちゃ目立つからな」

 

リュックをくいっと片手で持ち上げた。リュックに制服一式やあのかっこいいプロテクター型のCADが入っているのか。あの部活のあと6時間も歩いて平然としているって、凄すぎるよ。

 

「ところで、あいつらは久のお友達じゃないよな」

 

「うん、僕は男友達が少ないから、あんなお兄さんたちは知らないな」

 

「じゃぁ俺の客かな」

 

さっきの都心の不審者の仲間?と最初は思ったけれど、全然違う。

真夜中のキャビネット乗り場、男たちが僕たちを囲むように歩いてくる。

数を数えると10人いた。

…暴力に慣れている雰囲気だ。魔法師じゃないな、街のチンピラ…暴力組織の構成員かな。さっきの不審者たちより腰が据わっていて、手に持った警棒や鉄パイプを僕たちに見せびらかすように振り回している。

駅の交番は反対側だ。大声を出せば駆けつけてこられる距離だけれど…

ぱんっと左手に右コブシを打ち付けて、レオくんはにやりと獰猛に笑った。

 

「面白いことになったぜ。久は…恐くはないよな」

 

「うん、全然」

 

「だよな」

 

今日は色々なことが起きる。…夜はまだ終わらない。




引きこもりで、久の事情を知らない同居人が二人もいると、久は夜中に出歩けません。
めったにしない夜の外出は有効利用しなくては!
もともとレオとは色々とからめる予定でした。
達也とエリカと幹比古だと動きが速すぎて、久はついていけないので、格闘シーンになると残敵の掃討担当になってしまいます。
レオと久は相性がよさそうです。

お読みいただき有難うございました。


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サイキックアーツ

残念魔法師の久の実力は二年生になって少しずつ認識されていきます。
そのたびに周りが驚くことになるのですが…どう驚かれるかまでは深く考えていないのです…大汗。



 

真夜中のキャビネット乗り場、僕たちの包囲を狭めてくる10人の男たち。どう見ても堅気じゃない。

そこにさらにワゴンタイプの電動カーが乗り付けられた。車からぞろぞろ手に得物を持って降りてくる…さらに10人の男たち。

 

僕とレオくんは特に逃げも身構えもしないで、肩を並べて立っている。レオくんは相変わらず楽しそうだし、僕も無警戒にパーカーのポケットに両手を入れている。

 

「西城レオンハルトだな」

 

20人の男たちは僕たちを取り囲むと、ひとりが前に出て言った。手には鉄パイプを持って、手のひらに当ててぺちぺち音をたてて、へらへらと笑う。もてあそぶ気満載だ。

 

「違います、僕は多治見久です」

 

僕はまじめに答えてやった。

 

「ぷっ。あっはははははははっ!久っ、いいぜその台詞、喧嘩の前口上としては最高だぜ!」

 

レオくんは大爆笑。男たちは苦虫を噛みまくった顔をしている。

 

「レオくん笑いすぎだよ!僕はまじめなんだよぉ!」

 

「だってよぉ、あはははは」

 

男たちに囲まれているのに、僕たちは登校中の雑談みたいに余裕だ。

 

「ちっ、こんな夜中まで歩き回りやがって、しかも女と逢引かよ…」

 

つばを吐いて男が呟く。恐ろしいくらいに…安っぽい男だ。

ん?女って誰のことだろう。今日の僕はデニムに長袖のシャツ。夜にそなえて、いまはパーカーを羽織っている。

いつものユニセックスな姿だ。この髪の長さは…女の子に見えるんだろうな。

そして、男たちは繁華街でカップルにからむ街の爪弾き者たちにしかみえない。

 

「レオくん、ボク…コワイヨォ…ヨヨヨ」

 

僕は、台詞棒読みでレオくんの逞しい腕に、細い折れそうな手でしなだれた。今夜のボクはテンションが高いな。見上げると月は暗い。ルーナマジックじゃなさそうだ。

チンピラに絡まれた恋人を装う僕は、男たちの死角で舌をぺろっと出した。

 

「おぉおおう、俺がいるから平気だぞ!」

 

レオくんも悪乗りに付き合ってくれている。まったく緊張感がない。それは男たちにも伝わった。

 

「けっ余裕ぶっこいてんじゃねぇぞ!」

 

最初に誰何してきた男がいきなり、鉄パイプをレオくん向けて振り下ろしてきた。他人を傷つけることになんのためらいもない動き。敵を前にしたら僕も見習いたい潔さだ。

でも、体重を乗せた渾身の一撃は、戦闘訓練は受けていない素人の動き、そして遅い。

エリカさんや達也くんの体捌きと比較にならないほどスローモーションだ。

レオくんがいつもエリカさんのシバキを食らうのは、エリカさんの動きが速くて、レオくんの動きも予測しているからだ。レオくんは避けようとしているのに直撃する。剣術で鍛えた能力の使いどころをわざと間違えているエリカさんは意地悪だよなぁ。

僕の慣れない目でもそうなのだから、レオくんには止まって見えるほどだったかも。

 

がしっ!

 

レオくんは振り下ろされた鉄パイプを無造作に素手で受け止めた。そのままパイプを軽く握ると、もう男が引こうが押そうがびくともしない。

ブルゾンに隠れた腕にはそれほど力がこめられているようには見えないし、レオくんは相変わらず獰猛な笑みを浮かべたままだ。

男がむきになって押したり引いたりしている。大木に止まる虫みたいだ。

 

「そんなに欲しいのかよ、ほらよっ」

 

男がパイプを引いたタイミングで、レオくんは、ぱっと手を離す。男はバランスをくずしてよろめいた。

尻餅をつかないように踏ん張ったけれど、レオくんは喧嘩慣れしている。相手が体勢を立て直す前に、軽く握った拳が男の頬げたをとらえた。

たった一撃、軽く撫ぜた程度だった。それでも、男の口からは鮮血と、折れた歯が飛び出す。

鉄パイプがからんと金属音を立てて転がり、倒れた男を頑丈な登山靴で、無造作に踏みつける。変な声を出して、男は気を失った。

 

その一撃だけで彼我の実力差がわかった。その間、他の男たちはぽかんと見ているだけだった。こいつらはただのチンピラだ。弱者をいたぶるだけしか能力がない連中。

 

「ねぇレオくん、この人たち、レオくんを追ってきてたみたいだけれど、弱すぎるね」

 

「ああ、しかも連携が出来てねぇ。こいつら普段からチームじゃねぇな」

 

「『一般人』すぎて『魔法』は使わない方がいいかもしれないね」

 

「大丈夫なのか?」

 

「うん、大丈夫だっよっ!」

 

僕は一番近くに立つ男にすっと近づくと、くるりと綺麗に回し蹴りを決めた。

 

「ごっがぁ!?」

 

細い足を高くまっすぐ伸ばして、つま先が男のアゴにヒットする。

蹴りの速度はそれほど速くない。体重も乗っていない、見た目だけが綺麗なダンスのような蹴り。

それなのに、僕の体重の二倍はあるだろう男は、ヒットしたアゴを中心に空中で一回転して、派手に地面に倒れた。

大の字になって、白目をむいて、動かない。脳震とうを起こしているみたいだ。

 

「ほらね」

 

僕はレオくんにウィンクをする。男たちもレオくんも驚いていた。僕は『魔法』は使っていない。ただの蹴りにしては威力が異常だった。

 

「くそっ!このガキッ!」

 

男の一人が、スタンガンを取り出した。スタンガンがばちばちっと放電している。それを僕に押し付けてくる。

 

「久っ危ない!」

 

レオくんの警告。

僕はそのスタンガンに左手のひらを向けて、放電部分を正面から受け止めた。

 

ばちばちっ!ばちばちっ!

 

男がスタンガンのスイッチを何度も入れる。そのたびに放電の音がキャビネット乗り場に嫌に響くけれど、僕は左手でスタンガンを受け止めたまま、にこりと笑った。

夜のキャビネット乗り場、淡い街灯に照らされた、黒髪を腰まで伸ばした、人形のような僕の目が、薄紫色の燐光を放つ。

物の怪じみた容姿の微笑みに、スタンガン男がひるんで後ずさった。

僕はひょいっと一歩踏み込むと、スタンガン男の股間を思いっきり蹴り上げた。『念力』とともに。僕は男の汚い股間なんて触れたくないから蹴りは寸止めだけれど、『念力』は容赦ない。

 

「ぎゃっ!?」

 

男は股間をおさえて内股になる。ふらふらで立っているのがやっとみたい。無様に前かがみになった男のアゴを蹴り上げた。男は伸身後方宙返りして、顔から地面に落下した。

 

「なっ、なんだあのガキ!」

 

「『魔法』なのかっ?」

 

「でも道具もなにも使っていないぜ…」

 

道具…?CADの事か。これでこいつらは魔法師のことを知らない一般人だってわかった。

もしかしたら最近話題になっている『人間主義者』や『魔法師排斥運動』にかぶれた連中かもしれない。

『人間主義者』。この言葉を聴くと、僕は怒りを覚える。人間は自然のまま生きろだって…?魔法を使う人間は確かに遺伝子に手を加えられている。その意味では人間とは違うけれど、今の魔法師たちは、かつての僕や弟たち、多くの犠牲の上に成り立っている。出来ることなら戦争の道具じゃなくて、人類や世界の発展のために貢献して欲しい。実際、昔よりは選択肢の多い自由な世界に向かっている。魔法師は戦争以外でもさまざま世界に貢献している。時間が経てば、人口における魔法師の割合も増えているだろうし、いまさら過去には戻れない。

 

僕は足もとに落ちている鉄パイプを拾うと、両端を手に持って、無造作に二つに折った。かたい鉄パイプが飴細工のようにぐにゃりと曲がった。

 

「なっ!?」

 

僕はCADを使っていないから、『魔法』を使っていないことは誰の目にも明らかだ。もちろん思考型CADも使っていない。

僕は都心で達也くんが飛行船を消滅させた『魔法』を思い出していた。あの『魔法』は論文コンペの会場で、ライフル弾を右手で受け止めた『魔法』と同じかもしれない。

『消滅魔法』と体の動きを組み合わせて、相手の動揺を誘う。そして、『魔法』の偽装も同時にできるんだ。達也くんもCADを使わずに『能力』をつかえるんだ…

僕も同じように、キックが決まる瞬間、『念力』で男のアゴや股間を叩いた。蹴りで男が倒されたように見せるためだ。

スタンガンも手のひらと放電部の間に見えない『空間の隙間』を作っていた。リーナさんのプラズマの嵐すら通さなかった『空間の隙間』を。

この程度の『念力』では街のサイオンセンサーは反応しない。純粋な体術にしか見えないんだ。

 

鉄パイプも『念力』で曲げている。それをバレーボールくらいに丸めると…

 

「そっれっ!!」

 

と、男たちに向けて、思いっきり投げつけた。『念力』で加速された鉄のボールは別の男に直撃。鼻血を吹いて、もんどりうって倒れた。

 

「デッドボール!」

 

僕はこういうとき、容赦はしない。一撃で無力化していく。ここにレオくんがいなくて、街頭カメラがなければただのチンピラだろうと無慈悲に殺していたはずだ。

 

「はっ、やるな久!」

 

レオくんは僕の心配はいらないと知って、獰猛な気を爆発させた。

レオくんが軽快なステップで男たちの中にもぐりこむ。男たちはすれ違うたびに、顔や身体にパンチを受けて、倒されていく。

 

「化け物がっ!」

 

一人が、レオくんの背後から警棒で殴りかかる。レオくんはその警棒を腕で弾きかえした。

頑丈な警棒がぼっきり折れたけれど、レオくんは痛みすら感じないのか、弾き返した左腕で、男の顔面を鷲づかみにする。

 

「おおっ!アイアンクローだ!」

 

レオくんは男を掴んだまま、男一人、80キロはあるだろう体重を片手で持ち上げた。

ぎりぎりと頭蓋骨がきしむ音がする。男は手足をばたばたさせるけれど、レオくんは微動だにしない。

レオくんは地面で伸びている他の男の上に、そいつを叩きつける。

 

男たちは一人ずつじゃぁ敵わないとわかって、全員で襲い掛かってきた。全員と言っても、同時に攻撃できるのはせいぜい二人、それも素人の攻撃だ。

僕は肉弾戦は苦手だけれども、一高の実技で、毎日、森崎くんや深雪さん、一年生の三学期にはあのリーナさんとだって真正面から模擬戦をしているんだ。相手の攻撃はかすりもしない。間合いは完全に見切って5センチの幅で避けて、体重の乗っていない蹴りやパンチでも相手を確実に無力化していく。僕はほとんど一歩も動かずに4人を倒した。

レオくんは一見無造作な動きだけれど、一撃一撃が重い。レオくんの蹴りを食らうと、相手は数メートル吹っ飛ぶ。

 

20人いた男たちは数分で残り2人になった。僕たちは呼吸ひとつ乱していない。

 

「なっ何なんだこいつら…魔法師でも劣等生じゃなかったのかよ!」

 

「これじゃワリにあわねぇよ!」

 

残りの男たちは逃げ腰だ。

 

「どうする、まだやるか?」

 

倒れている男のひとりがうめき声を上げた。レオくんがこつんと蹴ると、すぐ静かになった。あれは常人の全力以上の威力があるんだ…

 

「くっぅ…」

 

残った男たちは腰が引けている。手には警棒とスタンガンを持っているけれど、そんなものが役に立たないことはわかっているようだ。

 

「レオくん、どう料理する?右腕の二~三本はへし折っても正当防衛だよね」

 

「右腕は一本しかないぜ」

 

「じゃあ肋骨にしようか、意外に治りにくくて大変なんだよねぇ」

 

にじりと、僕たちは二人に詰め寄る…

 

 

「そこで何をしている!全員動くなっ!」

 

大きな怒声がキャビネット乗り場に響いた。複数のライトが僕たちに向けられる。

その場に立つ僕たち四人はすでに制服の大人たちに包囲されていた。

駅の反対側にある交番から警察官が駆けつけてきたんだ。探知系が弱いから全然気がつかなかった。怒鳴った警察官の顔は見覚えがある。だったら、

 

「警部補さん、助けて!あいつらがいきなり襲ってきたんだっ!」

 

僕は弱弱しい声で助けを求めた。警察官の一人が僕に気がついた。

 

「君は…多治見久君!?」

 

自宅の最寄の交番のお巡りさんは、僕のことを知っている。僕も知っているから、正しい階級で呼んだ。

この街には戦略魔法師の澪さんが住んでいるから、警備の魔法師は地元の警官にも協力をお願いしている。

僕と澪さんも、地元の警察所のお巡りさんにきちんと挨拶をしているし、警察官には一高出身者も多いから、僕のことを知っている人が多い。

僕は見知ったお巡りさんに駆け寄ると、涙目でうるうると見上げて助けを求めた。

 

「友達のレオくんがいなかったら、僕、何をされていたか…うぅぅ…怖かったよ!」

 

僕は警察官の制服にしがみついて哀願する。

レオくんは呆れ顔で僕を見ている。僕の上目使い涙目うるうる攻撃に耐えられる人はいない。

 

「くっ久君、もう大丈夫だよ」

 

会話している間に、残りの男たちは得物を地面に放り落として拘束されていた。

 

人数が多かったので駅の交番ではなく、最寄の警察署で事情聴取を受けた。

街頭のカメラに一部始終が記録されていて、僕たちは魔法師だったけれど素手、男たちは武装していた上に、2対20の人数差。明らかに男たちが悪い。

相手が一般人だから、あえて『魔法』の行使も控えた…となれば、男たちの怪我も正当防衛の範囲内だ。だから、警察署での僕たちの待遇は悪くなかった。僕とレオくんにココアとコーヒーまで出してくれた。

男たちは知らない人物からレオくんを襲撃するようにお金で雇われた街のチンピラだったそうだ。本当はもっとひと気のない場所で襲撃する予定だったのだけれど、レオくんの歩く速度が早い上に放浪するように目的もなく動き回るから、中々追いつけなかったそうだ。

レオくんは襲われた心当たりはないとは言えないけれど、金で雇われた集団に襲われるほどの記憶はないって。襲撃者は誰も札付きで前科持ちもいたから、僕たちはすぐ解放された。

レオくんはそのままキャビネットで帰宅、僕は家までは歩いても5分の距離だけれど、わざわざ警察官が自宅までパトカーでおくってくれた。

レオくんは別れ際に、

 

「今回は巻き込んじまったみたいですまなかったな…」

 

って本当に済まさそうな顔になった。

 

「気にしないで、これでも僕も色々と面倒ごとにはなれているから…じゃぁ明日一高でね」

 

パトカーで自宅に着くと、警備の人が慌てて待機用の家から出てきた。

今日は澪さんの警護の人は数人が残っていて自宅を監視していた。僕の家はセキュリティーを構築したのが『電子の魔女』なので監視は必要ないんだけれど、警備にも手順があるから。

警察官と話をして警護を引き継ぐ。僕は警備の人に澪さんには黙っていてくださいってお願いした。警備員さんも澪さんや僕が狙いじゃなかった事件なので了承してくれた。

 

パトカーで帰宅した自宅には、久しぶりに誰もいなかった。照明のついていない家に帰ってくるのは久しぶりだ。…なんだか凄く寂しい。

軽くシャワーで汗を流して、今、時間は真夜中の1時だ。どうせ一人では眠れないから、自室で勉強していよう。ここのところ、僕の成績は下降気味だ。勉強に集中できないことが多いからっていい訳には出来ない。

響子さんは2時ごろに帰ってきた。

4時間前に都心で起きた事件の事はなにも会話しなかったけれど、目と目で通じ合う何かが僕たちにはあった。共犯者の意識だろうか。

響子さんは自室でこまごまと何か調べ物をしているみたいだ。さっきの事件の事は響子さんにはすぐばれるんだろうな…

僕は、朝まで、ベッドで横になりながら、天井を見つめていた…

 

翌朝、一高に登校すると、校門に七宝君が立っていた。何だか不機嫌な表情だ。誰か待っているのかな?

 

「おはようございます、多治見先輩」

 

「おはようございます七宝くん」

 

「少しお話を…お願いがあるのですがお時間よろしいでしょうか」

 

「えっ?僕?」

 

今日は土曜日で、放課後の午後、演習室で十三束くんと模擬戦を行うんだそうだ。そこで、僕に七宝くんのセコンドについて欲しいとお願いされた。

 

「セコンド?どうして僕が?」

 

模擬戦では七草家の影響下にある人物が多すぎて、中立的な立場の人物がいない。九島家と五輪家の庇護下にある僕に中立の立場で見届け人になって欲しいと言われた。

学校には他のナンバーズもいるし、僕が中立の立場なのかどうかはわからないけれど、了承した。

今日は放課後、澪さんの病院に行く予定だけれど、少しくらい遅れても大丈夫だ。

 

 

授業開始前、僕とレオくんは生徒指導室に呼ばれて、昨夜の事情を聞かれた。警察から事件の報告があったそうだ。

僕たちは何を聞かれても知らぬ存ぜぬを通す。実際、そうだったからだけれど…

とにかく夜は一人では出歩かないよう注意を受けるにとどまって開放された。

生徒指導室から出た廊下で、

 

「まったく…おちおち勉強もしてられねぇぜ」

 

「うん、僕もこれ以上成績落ちたら、今度は保護者同伴で呼び出しうけちゃうよ…」

 

「しゃれにならねぇ…」

 

二人してへこむ。一科と二科の違いはあるけれど、授業の内容はまったく同じなんだ…

赤点になるほど成績は悪くないけれど、毎日勉強をしてこの程度なのだから、どうすれば成績向上するのやら…

ただ、昨夜の事件後、なんだかレオくんとの距離感がぐっと近づいた気がするな。

ちょっと嬉しい。

 

 

放課後15時、約束どおり七宝くんと共に演習室に行く。第三演習室には達也くん深雪さん幹比古くんに三年生の二人、七宝くんの相手の十三束くんがいた。

 

「どうして久が?」

 

生徒会役員で立会人の達也くんが短く聞いてくる。僕の立ち位置を七宝くんが説明した。なんとなくだけれど、非難を含んだ視線が七宝くんに向けられる。先輩方を信用していないのだから仕方が無いけれど僕には無関係だ。僕は深雪さんの隣に立って模擬戦を見学することにした。

 

………

 

七宝くんと十三束くんの模擬戦は十三束くんの圧勝だった。僕が立ち会う必要なんて欠片もなかった。けれど、七宝くんがCADを使わずに大規模な『魔法』を使ったことに驚いた。CADを使わなくてもつかえる『魔法』は意外と多いのかな…

そのあと追加で行われた十三束くんと達也くんの模擬戦は僕には物凄く参考になる勝負だった。

特に十三束くんの『セルフ・マリオネット』は興味深い。

昨夜、僕は『念力』を身体の動きに上乗せしてチンピラを攻撃した。十三束くんの『セルフ・マリオネット』は『移動系魔法』だけで身体を完全に動かす魔法だ。これを『念力』に置き換えれば、僕は体術でも常人をはるかに超越した動きが出来ることになる。

 

勝負の間、深雪さんは憂い顔だったし、幹比古くんは達也くんと互角に戦う十三束くんに驚いていた。『術式解体』出来る生徒がもう一人いるって、一高はほんとにどうなっているんだろう。3月のリーナさんの嘆きを思い出す。

上級生の二人も興奮していたし、壁にもたれている七宝くんも高度な魔法戦に言葉がない。

十三束くんと達也くんの戦いは接戦だったけれど、達也くんの勝利に終わって、お互いが健闘をたたえあっている。

達也くんが攻撃を受けたことに深雪さんが驚いていたけれど、達也くんだっていつも無傷とはいかないと思う。昨夜だってビルの高さから落っこちてきていたし。

深雪さんは心配のしすぎだよなぁ。嬉しさで涙目になっているし。

 

僕は達也くんが魔法が苦手といっているわりにさまざまな魔法を使っていることに疑問をいだく。ひとつひとつの規模は小さいけれど、そのスピードは僕とかわらない。

 

「それにしても、マジックアーツは…ああいう戦い方があるのか…あれなら僕にも出来そうだな…」

 

貧弱な僕の身体も『サイキック』で動かせば、ほぼ無敵の格闘術に利用できるだろう。言うなれば『サイキックアーツ』だ。

これは、僕にとって肉弾戦におけるパワーアップフラグだ。『術式解体』は防げないけれど、瞬時に、何度でも『サイキック鎧』は修復できる。

ちょっと試してみたいけれど、機会はそのうち訪れると思う…

 

 

 




原作のこの時点で達也は劣等生どころか、国策の一高のシステムすら見直させる破格の人物だと知られていますが、オリ主の久はいまだに残念魔法師だと思われています。もちろん、高校生として学力は残念なんですが、覚えるのが苦手なだけで覚えたことは忘れません。それは魔法術式もです。『サイキック』として余裕で地球を破壊させるほどの力を持っていることを知っているのは、『ピクシー』だけ。九重八雲、九島烈、四葉真夜、周公謹がわずかに知っていています。完全思考型CADを手に入れた今は系統魔法の達人となりつつあります。系統外と感知系はまったくだめですが、もともと魔法力は深雪レベルなので、4系統8種を組み合わせて色々なことが出来るようになります。魔法師としても人間としても近しい人たち以外、一高生や十師族のほとんどは久の事をどこかで侮っています。殺人を厭わず友人や家族以外がどうなろうと興味がない精神が不安定な不老の少年…八雲の言葉通り、危ういです。


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化け物

『魔法』アクション描写は難しいです。
ただの蹴りじゃなく、いちいち『魔法』をかけながら文章にするとすごく読みにくくなってしまいました…ご容赦ください。


 

「それにしても、マジックアーツは…ああいう戦い方があるのか…あれなら僕にも出来そうだな…」

 

僕の呟きは、意外と大きく演習場に響いた。

 

「それはどういう意味だい?多治見君…?」

 

僕の呟きに、模擬戦が終了したばかりの十三束くんが反応した。その声には厳しいものがまじっていた。自分の切り札を簡単に真似できるなんて言われたら気を悪くするのも当然だ。

 

「あっいえ、なんでもないんです、ごめんなさい」

 

頭をさげて謝る。僕は思ったことを無意識に口にしてしまう癖があるな。それに完全思考型CADを貰ってから少し浮かれていたんだと思う。

今の台詞はこれでうやむやに…

 

「あぁ…なるほどな、そういう使い方もできるか…」

 

達也くんが、考え込みながら言った。演習場にいる皆に聞こえるくらいの声で…

達也くんは僕の『魔法師』の能力を知っている。完全思考型CADの調整もしてもらっているし、頭のいい達也くんなら脳内で僕の『魔法』はシュミレーションできるはずだ。なのにあえて声にしたのには理由があると思う。

達也くんの意図は、達也くんと深雪さんの世間からの関心を、僕に向けさせるためみたいな…?本来ならそれは七宝くんの役目だけれど…深読みしすぎかなぁ…

 

でも、達也くんの言葉は消えかけた火に油を注ぎまくった。

 

「だったら多治見君、君とも模擬戦をお願いしたいね」

 

「おっおい、十三束、許可はさすがに下りないだろう」

 

桐原先輩もそう言っていますよ!十三束くん熱くならないで!

 

「じゃぁ、模擬戦ということでなく、マジックアーツ部の体験入部ではどうですか?沢木部長。多治見君はマジックアーツをしたいみたいですから」

 

三年生の沢木碧さんは風紀委員でマジックアーツ部の部長さんなんだそうだ。

その部長さんにむかって十三束君が提案する。達也くんとの模擬戦の興奮が残っているのかな?さっきまでの冷静さがない。壁にもたれたままの七宝くんも微妙な顔だ。

沢木さんは今時珍しい体育会系なんだそうで、十三束くんの情熱におされ気味になっている。

 

「うぅん、司波君、どうかな?マジックアーツ部の体験という建前なら問題ないかな?そのかわり多治見くんには魔法の制限はつけないという条件でどうだろう。

もちろん相手を殺したり大怪我させるような魔法はだめだけれど、多少の怪我なら日常茶飯事だから遠慮しなくて良い」

 

「そうですね、部長の沢木さんが認めるのなら」

 

えぇ?達也くんらしくない。僕が嫌がっているのをわかっているのに話を進めている。

 

僕は小声で「僕は『セルフマリオネット』を『サイキック』で行う『サイキックアーツ』考えていたんだけれど…」と呟いた。

 

達也くんは少し考えたけれど、僕の目をはっきりと見据えた。

 

「久、自信を持て、皆が過小評価しているが、CADを使いこなせれば深雪だって容易くは勝てない」

 

「真正面からならね…模擬戦じゃない実戦なら、僕は達也くんや幹比古くんには勝てないし、ましてや深雪さんは…」

 

『精神を直接攻撃できる魔法』に、僕は絶対に勝てない。

 

「僕が久君に勝てるって…どうやって?」

 

幹比古くんが首をひねる。

 

「久は探知系がからっきしだからな」

 

「あぁ確かに、古式の真骨頂は隠形にあるからね」

 

「だが久が探知系まで得意になったら、もう無敵の『魔法師』だ。誰にだって得意不得意はある」

 

達也くんのこの言葉は凄く実感がこもっていた。

僕は深雪さんに助けを求めようとしたけれど、鉄壁の笑顔は揺るがない。あぁ深雪さんは達也くんの判断は全肯定なんだよな…

達也くんの思惑はわからないけれど、やってみようかな。

 

「わかりました。『魔法師』として勝負します。えぇと、相手は十三束くんだけですか?それとも上級生のお二人も同時に?」

 

「何!?」

 

「俺たち三人と!?」

 

「おっおい久君!何言っているんだ」

 

幹比古くんが慌てているけれど僕は…

 

「平気です。僕の『魔法』が無制限なら、三人が同時に相手でも問題はないと思います」

 

沢木先輩は達也くんに視線を向ける。達也くんが頷くのを見て、「じゃぁ三対一のマジックアーツの試合を行う」

 

 

僕と沢木先輩はCADを持っていないので事務室に受け取りに行く。

実習室を出るときに七宝くんと目があった。驚きと興味がこもった目だった。

 

 

「多治見君のCADは…その指輪なのかい?」

 

演習室に戻ってきて、僕が指輪をはめていると十三束君が尋ねてきた。

僕にかわって達也くんが指輪について説明してくれた。

 

「皆さんは久が機械音痴の『魔法師』だと思っていますが、完全思考型のCADを使うことによって、その欠点は克服されています。はっきり言って、皆さんは久を侮りすぎですね…」

 

このタイミングでその台詞…達也くんは人が悪い。三人は明らかに動揺している。これも作戦なんだね…僕の『魔法』は無制限。中距離からの攻撃も『接触式術式解体』や『対抗魔法』で防ぐ自信が三人にはあったんだろうけれど、

 

「いえ、僕も『マジック・アーツ』で闘います。でもルールは知らないので多少のルール違反は見逃してくれると嬉しいです…」

 

桐原先輩が手に持っていた木刀を壁に立てかけて、沢木先輩と十三束くんと相談している。

マジックアーツは体術に『魔法』を乗せる競技だ。手足の届く範囲しか『魔法』は使えない。ただパンチやキックなどで衝撃波を作ることはOKなんだそうだ。

 

「なるほど、『キノガッサ』のマッハパンチですね。しゅっしゅ!ドレインパンチ!」

 

「違うっ!『男塾』の『J』の必殺技だ!F・P・M・P(フラッシュ・ピストン・マッハ・パンチ)!しゅっしゅっ!」

 

僕と沢木先輩の間に、かすかな友情が芽生えた。その分他のメンバーとの距離が開いた気がするけれど…

 

 

僕と向かい合う三人はかなり集中している。僕がどんな『魔法』を使うか情報不足だから、あらゆる状況に対応できるよう、緊張しつつも無駄な力は抜いている。やっぱり一高の中でもトップの実力者だ。

5メートルの距離をあけて向かい合う。達也くんが、間に立って、片手を挙げて…

 

「はじめっ!」

 

とするどく手を下ろした。

三人が腕輪型のCADを操作してサイオンを流し込もうとする。防御系か加速系の魔法を使うつもりなのかな。

 

でも、はっきり言って、遅い。

 

三人がCADを片手で操作し終わるより早く、僕の魔法は発動している。あのリーナさんよりも僕の魔法は早いんだ。しかも、この完全思考型CADは真夜お母様にいただいて、達也くんが調整してくれている僕専用のCAD。余分な入力作業もいらない、その魔法起動速度は優等生の『魔法師』より遥かに速い。

 

殺すだけなら、この瞬間に三人は死んでいる。『接触式術式解体』でも真空や数千度の熱そのものには耐えられないだろうから。でもこれは競技だし『マジックアーツ』だから死なない程度にダウングレードしなくちゃ。

 

まずは、時速40キロの『マッハパンチ(空気砲)』を3発同時に撃つ。減速しないよう、こぶし大の『真空チューブ』を作って、その中に収束させ密度を上げた『マッハパンチ』を移動させる。顎先をかすめるように精密にコントロール。ボクサーのパンチと同じ要領で。

魔法師の身体は頑丈なので風圧だけじゃ脳は揺れないかもしれないけれど、『マッハパンチ』は『真空チューブ』出口の空気を押すから『接触型術式解体』では防げない。

『真空マッハパンチ』!空気がチューブから抜けた音と共に、三人の頭がくらっと揺れた。

 

「えあ?」

 

思考が一瞬途切れて、魔法の起動が中途半端になっている。さっきの達也くんとの模擬戦で疲労のあった十三束くんは膝をつく。

これまでの僕なら、ここでCAD操作にとまどって、反撃を食らうところだ。でも…

目が泳いでいる二人の先輩に『擬似瞬間移動』で接近。さらに『光波干渉』で姿を消して、『重力制御』で先輩二人の両足を浮かし、逆に十三束くんを地面に押し付ける。『接触型術式解体』も重力は打ち消せない。

僕は弱い身体を守るために関節の『位置固定』『移動』『加速』。蹴りで足を痛めないように、足にも空気の層『空気装甲』を作る。蹴りと当時に身体の反対側に『空気の壁』。

 

「ぐぅ!」

 

沢木先輩を蹴飛ばす。加速されて強化された見えない蹴りと『空気の壁』にはさまれた瞬間、ごく弱い、昨夜のスタンガン以下の『電撃』を流し込む。沢木先輩が崩れ落ちる。

 

返す刃で桐原先輩を『空気装甲』『電撃』で蹴り飛ばし、『擬似瞬間移動』で時速300キロで反対の壁までふっとばして距離をあける。音はいっさいしない。そのままだと即死なので、壁に勢いよくぶつかるところ、空気のクッションで受け止める。念のため重力を弱める事もしておいた。

 

「え!?」

 

十三束くんには沢木先輩がいきなり倒れ、桐原先輩が壁に吹き飛ばされ宙に一瞬浮いた結果しか見えていない。

試合中によそ見しちゃだめだよ。僕は十三束くんの間合いにいるんだ。

 

「久っ!それまでだ!」

 

達也くんが叫んだ。僕は『光波干渉』を切る。

 

「えっあぁ?」

 

十三束くんが驚きの声をあげた。唐突に僕が現れ、彼の目の前には僕の踵があった。達也くんが制止しなかったら、『重力踵落とし』が十三束くんの背中にヒットしていた。触れた部分と反対側の『重力』で挟みうつキックだ。

まさに一瞬の出来事。十三束くんには試合開始と同時に僕がシャドウボクシングして、いきなり消えて、目の前に僕の踵が出現したように錯覚したはずだ。

 

「どうしてとめるの?この後『鉄拳』の『リリ』さんみたいにエーデルワイスからの10連コンボを決めて『Sebastian, can't you do better than this?』って台詞を…」

 

鉄拳のリリさん可愛いよね。しかもあれで16歳!DOAのあやねさんも16歳なんだよね…無理があるよね格ゲーの年齢設定とプロポーション…

達也くんは僕のボケを黙殺する。

 

「最初の『真空チューブ空気砲』だけで勝負はついていたと思うが?」

 

「え?でもレオくんならあの程度の衝撃は蚊に刺された程度だよ。加減がわからなかったから威力を弱めたんだけれど…」

 

40キロはボクサーのパンチの速度とほぼ同じで、人間を倒すにはここまでが制限だと思ったんだけれど。

 

「レオを基準にしたのか?それは反則負け一歩手前だったぞ…」

 

特殊警棒を『魔法』なしでへし折る肉体のレオくんは特別なんだね。

 

「俺たちが初撃に耐える事を想定して追撃してきたのか…」

 

電撃で気を失っていた沢木先輩が早くも目を覚まして立ち上がっている。先輩も頑丈だ。

 

「姿を消すのは反則じゃないのか?」

 

桐原先輩が蹴られたお腹を押さえながら言う。

 

「消えるなとは言っていませんでしたし、そもそもお三方は最初の『真空チューブ空気砲』で軽い脳震とうを起こして、すでに闘える状態ではありませんでした。久が『光波干渉』で姿を消したのはその後です」

 

「『光波干渉』?…俺には最初から多治見先輩の姿が見えてなかったのに…」

 

傍観者の七宝くんが呟く。

 

「僕の『擬似瞬間移動』はそもそも人間の反応速度を超えているからね。初見の七宝くんが驚くのも当然だよ」

 

勝利は、当然、僕だった。僕の説明を皆が聞いている。一つ一つの『魔法』は初歩的で簡単だ。『4系統8種』をマルチキャストして反応不能な速度で攻撃する。これまでは出来なかったけれど、思考型CADのおかげで可能になった。『真夜お母様』と達也くんのおかげだ。

それに、今回は全ての『魔法』をダウングレードしている。これは試合で殺し合いじゃないからだけれど…

 

「久は『マジックアーツ」で闘いましたが、中~長距離からの『魔法』だけでも一瞬で勝敗はついていたでしょう…久、最初の『真空チューブ空気砲』は3発、速度は40キロだったがどこまで威力を上げられる?」

 

僕はもともと過去最高の魔法力をもっているけれど、機械音痴の残念魔法師として世間に認識されている。

学校のテキストにある『魔法』しか普段は使わないから、さらに目立たない。

 

過去最高の魔法力。

 

この意味はダテじゃない。CADさえ使いこなせば、僕の異常性はすぐに露見する。

特殊な『魔法』なんて必要ない。学校のテキストにある『簡単な魔法』だけでも、その規模は壊滅的なんだ。

 

「うっ、達也くんにはバレバレだ…あれ本当はパンチは必要ないんだよね。マジックアーツだからパンチで撃ち出したけれど…うぅん、空気だけなら最低でもマッハ10以上は余裕かな。去年の九校戦でアイスピラーズブレイクで氷の柱を動かしたよね。合計12トンの氷にくらべれば軽いから、物理的に可能な速度まではいけるかな…」

 

『真空チューブ空気砲』は『擬似瞬間移動』の空気版でこれもダウングレードだ。ただの『空気砲』よりも精密に的を狙えて、空気抵抗がなくなる分速度があがる。当然殺傷力も。

 

「真空のチューブ内ならほぼ無限だろうな…」

 

「数は…屋外なら間隔を広げれば10K㎡に1万発はいくかな。空気を『供給』しながらループキャストで数十分は撃ち続けられると思う。攻撃距離は…20キロくらいかな。距離がひらくと数も制御も落ちるとおもうけれど…」

 

「なっ!?1万!?」

 

演習場にいた達也くん以外の全員が絶句を通り越して戦慄している。

『サイキック』なら視認できれば距離は関係ないけれど、『魔法』はどうだろう。

 

「10K㎡に1万発を数十分って…街ひとつ壊滅できるよね…それは戦略級の威力があるんじゃ…」

 

まだ脳震とうが抜けていない三人にかわって幹比古くんが聞いてくる。

 

「数は関係ないよ、5センチにしたのは今回の対人用で、九校戦のときみたいに真空チューブを最大の2メートルまで太くすれば本数は減るから」

 

「その分、破壊力は飛躍的にあがるんじゃ…」

 

「空気をどれだけ『供給』できるかによるだろうな」

 

「『擬似瞬間移動』だって10トン以上のものを動かせるなら、重要な施設でそれを使えば壊滅的な被害になるよね…」

 

「やっとその事実に気がついた人物が現れたか…。去年の九校戦で久は負けた。『魔法』の複雑さは勝った一条の方が上だが、戦術的に考えれば久の『擬似瞬間移動』のほうが遥かに危険だ」

 

10トン以上の物体をマッハ10で瞬間的に移動させて破壊する魔法力。この恐ろしさに誰も気がつかなかったって…そんなに負けたことのインパクトって強いのかな。

 

「ん…だけど、そんな面倒な魔法使わなくても、一万度のプラズマや100Gの重力とか真空を街に…あっいえなんでもないです…」

 

僕の魔法力は桁が違う。当然、規模も。テキストに載っている簡単な魔法も僕が使えばそれだけで戦略級の破壊力だ。

制御はそれなりに得意だから普段は威力をかなり落としているんだ。それこそ『深雪さんレベル』まで…

それに、『サイキック』を使えば街どころか地球にでっかい穴があくよ、なんて言えない。

 

達也くんは相変わらずの無表情で、深雪さんは鉄壁の笑顔なんだけれど、他の生徒の僕を見る目は、数分前とは違う。恐れだ。化け物を見る目。僕はおもわずひるむ…だからあまり本気は出したくないんだ。僕の魔法力は破壊に特化しすぎて危険なんだ。

その昔、怪物や化け物って散々言われたからあまり気にならないけれど、同じ学校に通う同じ『魔法師の卵』にそう思われるのは悲しい。

 

僕は達也くんを見る。達也くんは九校戦のときに僕を『視て』気がついているはずだ。僕が『魔法』をかなりダウングレードしていることに。

 

「すまなかったな久」

 

「うぅん、いいんだ、僕の『能力』が化け物じみているのは昔からだから、気にしていないよ」

 

「皆もここで見たことは他言しないで欲しい。久の魔法力は入学前から『戦略魔法師』クラスです。今は九島家や五輪家の威光に隠れていますが、いずれは久自身の『魔法』でこの国を代表するような『魔法師』になるでしょう。

ですが今は一高校生です。過度な期待やプレッシャーはかけるべきではないでしょう」

 

うまく纏めようとしているけれど、模擬戦をすることになったのは、達也くんが火に油を注いだからだよ…

 

今回の模擬戦は秘密になった。先輩たちに十三束くんに七宝くんも幹比古くんも誰にも言わないって約束してくれた。もちろん達也くんと深雪さんも。

でも、この日から、一高で僕を馬鹿にするような態度をする生徒が減り始めた。

噂はどんな小さな穴からももれる。人の噂も75日とはこの魔法師界ではいかない。

僕の周りはにわかに騒がしくなっている。

その分、達也くんへの注目が下がっている。これは達也くんの思うツボだよな…

もっとも、もうすぐ九校戦だから、達也くんと深雪さんは嫌でも目立つことになると思うけれどね。

 

 




これでも余分な文字は減らしたんですが、やっぱり読みにくいですね…

原作では4月末から6月末までのあいだ何も事件が起きていません。これはきっと世間の目が達也から久に移ったからなのです。
達也は基本的に深雪が平穏にすごせればそれで良いので、久には悪いと思いつつも容赦なし。
まぁ久が2年になって注目を集めるというのは最初からの構想なので、ごめんね久。
二人の美女に挟まれたウハウハ生活にこのSSの作者は嫉妬しているのだよ!


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九島家

連載50話になりました。本当にありがとうございます。
このSSはクロスオーバーでもなく、痛快チートキャラでもなく、定番の達也強化でもありません。
原作の邪魔をしないようオリ主は右往左往しているせいで、肝心の司波兄妹の出番が少ない、変な(?)SSとなっていますが、エタらないように頑張って書いていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。


 

5月4日金曜日。昔ならGWだけれど、魔法科高校には日曜日と春夏冬の長期休暇以外は通常授業だ。

 

新入生が入学して、ほぼ一ヶ月が経過した。生駒の光宣くんも京都の二高に入学している。春休み京都でお食事したのも光宣くんの入学お祝いだった。光宣くんは学力も魔法力も美貌も破格の存在だ。今頃二高のアイドルになっているんじゃないかと思っていたのだけれど…

夜、テレビ電話に出た光宣くんは物凄く体調が悪そうだった。

ここ最近では一番ひどいそうでほとんど二高に通えていないんだって。

僕は明日、学校から帰宅後、生駒にお見舞いに行くことにした。

本当は響子さんも澪さんも同行したかったのだけれど、響子さんは軍のお仕事、澪さんは唐突の長距離移動は護衛の手配等で戦略魔法師として困難。生駒には一泊するだけだから、僕一人で行く事になった。

光宣くんにそう告げると、奈良駅までリムジンとその後の護衛を引き受けてくれることになった。

かえって気を使わせてしまったかと心配だったけれど、一人だとさびしいので…と力なく言っていたので、僕たちは余計心配になってしまった。

 

土曜朝、午前は当然授業がある。午後からの予定を警備の担当に電話をして、帰宅後、東京駅まで送迎してもらう手配をした。

一高への登校中、七草姉妹に声をかけられた。

 

「「おはようございます、久先輩」」

 

「おはようございます、香澄さん、泉美さん」

 

流石は双子、朝の挨拶が綺麗にハモった。この双子はアニメには出てこなかったから脳内変換で『阿澄佳奈』さんに設定しよう。

そのほうがイメージがわかりやすくなるしね。異論は認めないぞ!

二人には名前で呼ぶようにお願いしている。水波ちゃんにも何度も言っているけれど、いまだに苗字で呼ぶんだよな…

4月28日の模擬戦の日から他の生徒に話しかけられる機会がなぜか増えた。

これまでも企業やナンバーズの勧誘はあったけれど、去年の6月以降、学校を通しての面会は全て断っていた。

でも生徒からの接触は防ぎようがない。一高はナンバーズの子息が多いから…

今までは達也くんと深雪さんに接触しようとするナンバーズが多かった。この二人に注視しない人なんていないと思うけれど、ただ、達也くんは他の生徒は物凄く話しかけにくい。特に女子生徒には恐れられているみたいだ。深雪さんは一見社交的で面会を望まれれば会うけれど笑顔の仮面をはずすことは出来ない。

七草姉妹はナンバーズ、しかも十師族の、現在の魔法師でも一二を争う勢力の家系。

泉美さんは学校で会えば雑談くらいはしていた。僕の容姿が深雪さんに似ていることが原因みたいだ。男の娘だと思われているんじゃないだろうか…

香澄さんはほとんど交流がない。去年の九校戦で初めて会ったときから、少し相性が悪いような気がする。挨拶くらいはするけれど、すごく話しにくそうなんだよな…活発な香澄さんからすると弱弱しい僕はいらいらするのかも。双子なのに全然僕への態度が違う。それに僕が達也くんと仲が良いから警戒もされているし。今もお父さんに命令されて、いやいや話しかけて来る感じだ。

今日の僕は、すこしとぼとぼ歩いている。光宣くんのことが心配だからだ。ひとつが気になるとほかに意識が向かなくなるのが僕の悪癖なんだけれど、その態度に香澄さんが気がついた。

 

「どうかされたんですか?」

 

香澄さんは僕に対して余所行きの口調だ。

 

「うん…家族みたいに大事なお友達が具合が悪くてね…心配なんだ。今日の午後会いに行くんだけれど、今も苦しんでいるのかと思うと…」

 

僕の人体実験と遺伝子からこの国の魔法師研究は始まっている。烈くんは生存率10パーセントという危険な後天的強化で『魔法師』になったから僕とは系統が違うけれど、彼の子供の世代は僕の遺伝子情報が使われているかもしれない。光宣くんの異常は僕の遺伝子とも関わりがあるのかもと深く考えてしまうときがある。多くの魔法師が健康体なのだから、原因は別のところにあると思うけれど、烈くんや響子さんは原因を知っているのかな。

 

「意外ですね…久先輩はもっとドライな感情をお持ちかと思っていました。あっいえ申し訳ありません妙なことを言ってしまって」

 

香澄さんが頭をさげる。あまり妙なことを言った顔をしていないけれど、登校中の出来事なので、他の生徒の注目を集めてしまった。

 

「うぅん、気にしなくていいよ。確かに僕は友人や『家族』にしか関心がもてないし…」

 

香澄さんは、鋭いな。僕の本質をなんとなくだけれど感じているのかも。

僕が否定しないので、香澄さんは次の言葉が出てこなかった。何となく今日も相性が悪い。

泉美さんはこの会話に入って来れず、微妙な空気のまま一高の校門をくぐった。

 

午前の授業は身にも頭にも入らなかった…明日から頑張ろう!

 

帰宅後は着替えて、澪さんと響子さんとつくったお土産を保冷箱ごとかばんにいれる。荷物はお土産と携帯端末だけだ。生駒の九島家には二ヶ月住んでいて僕の部屋があるし、服や下着はそのまま残っている。サイズは成長していないから問題なし…

東京駅まではいつもの警護で車で向かう。リニアに乗って奈良まで僕一人だから一般席でよかったんだけれど、予約をしてくれたのは澪さんだ。普通に個室だった。一人で個室って贅沢だっていったら澪さんは首をひねった。このお嬢様め!

奈良駅にはお正月にもお世話になった九島家のリムジンと護衛と運転手さんが待っていてくれた。この時代の交通機関は優秀だ、夕方前には生駒に着いた。

九島家のお手伝いさんたちとは顔見知りなので、皆さんの分のお土産もちゃんと作ってきた。お土産は光宣くんの病気のことを考えて果物のゼリーとアイス。それをお手伝いさんに渡して冷蔵庫に入れておいて貰い、すぐさま光宣くんの部屋に向かう。

部屋の場所はわかっているから、一人で向かう。迷子には…ならないはず。

ただ九島家の全体を僕は知らない。ましてや研究所には近づいたことがない。魔法師の研究所なんて表と裏があるに決まっている。僕は個人としての烈くんは大好きだけれど、知らないほうがいいことだってきっとある。

 

光宣くんの部屋のドアを軽くノックする。

小さな返事があった。ベッドから起きようとする気配がしたから、「あっいいよ」って自分からドアを開けた。

ベッドで上半身を起こした光宣くんは、いつにもまして線が細い。ただ白い顔が少し赤い。

 

「こんにちは、光宣くん」

 

「お久しぶりです、久さん」

 

一ヶ月前、澪さんや響子さん、烈くんと京都でお食事して以来だ。僕の姿をみると、心の底からの笑顔になった。女の子なら一発で惚れちゃう笑顔だ。

光宣くんは本物の美少年だ。でも、貧弱さはない。生命力、男性の生まれ持った存在感やカリスマとか、病床にあってもその雰囲気は伝わってくる。烈くんの孫だなって会うたびに思う。

人形じみた容姿の僕とはそこが違う。僕は生命力に乏しい。今日もユニセックスな格好でどうしても男性的な体型とは程遠い。男物の服を着ると男装の少女にしか見られない。

 

ベッドのふちに座る光宣くんは見るからに熱がある。お手伝いさんが言うには全然眠れてなくて、それで余計疲弊しているんだって。

薬もお医者さんも治療の助けにならない『魔法師』の弊害。

 

「光宣くん辛かったら寝てて良いよ」

 

「いえ、今日はそれほど悪くは…」

 

「僕に強がらなくてもいいよ、お互い看護しあった仲でしょ!」

 

変な励ましだけれど、去年は僕のほうが体調不良で光宣くんが、いつも手を握っていてくれた。

『ピクシー』が言ったことから考えると、去年の2月、僕の肉体は『物質化』した直後で安定していなかったらしい。

それまでの数十年間どこかの山の中で身動きできず空を見上げていた記憶があるけど、どうもその間の記憶はまどろんでいて曖昧だ。

『高位』からのサイオン供給が始まるまで、『意識』や『幽体』の不安定だった?…あぁ『多治見研究所』に入ったときと同じだな。

僕は頭がよくない。というより記憶力に難がある。一度覚えれば忘れないけれど、覚えるのが大変なんだ。3歳以前(高位次元体)の記憶はないし。

普通の優れた『魔法師』は記憶力も抜群なんだけれど、これは『物質化』の弊害のひとつなんだろうな…

 

光宣くんはくすっと笑うと、素直にベッドに横になった。

 

「体調は悪いのですが、部屋に閉じこもっていると、自分だけ取り残された気分になるのが寂しいんです」

 

「病気のときは誰だって不安になるよ、僕だってそうだし。勉強はあいかわらず取り残されているけどね!」

 

「それは…不安ですね」

 

「うん、響子さんや澪さんには迷惑かけちゃって、毎日のように勉強教えてもらっているよ…」

 

「それはそれで、楽しそうではありますが…」

 

澪さんは僕に基本甘いけれど、響子さんはスパルタなんだよ!

光宣くんは病弱で同世代の友人がほとんどいないそうだ。一般人なら気軽に友人ができるだろうけれど、なにしろ『九島』だ。

僕は光宣くんの手を握った。熱い。かなり高熱だ。だれも看護についていないけれど、光宣くんが遠慮したのかな…

 

「ん?久さん、指輪をはめるようになったんですか?」

 

流石に敏感だ。僕の右薬指のCADにすぐ気がついた。僕はFLTの完全思考型CADの話をした。

 

「まだ発売前、たしか予定は8月だったかな、だから内緒だよ」

 

「完全思考型CADですか、ローゼンがすでに発売していましたね。かなり大型で僕には向いていなかったのですが、そんなに小さなCADで…」

 

「これは試作機だからデバイスとセットだけれど、発売用は今使っているCADをそのまま使えるらしいよ」

 

「それは!ぜひ手に入れたいです!」

 

目を輝かせている。物凄く興味を持ってくれたみたいだ。光宣くんの魔法力は複雑な『魔法』をいくつも使える。『基本』で火力押しの僕なんかよりレベルが高いからCAD選びも大変なんだよね。トーラスシルバーの新作だから最初は一般には手に入りにくいと思うけれど、そこは『九島』だからね。

僕は簡単な『魔法』を使って完全思考型CADの性能を披露する。洗面器にはられた水を数度さげたり、部屋の空気を清浄フィルターにかけてみたり。光宣くんは僕の機械音痴を知っているから、『魔法』の上達振りに喜んでくれている。

その後も、光宣くんが疲れない程度に雑談をする。

晩御飯は光宣くんの部屋で一緒にとった。今日は烈くんは生駒にいないし、現当主は僕には会おうとしないので、九島家で挨拶に追われることもない。

ずっと光宣くんの部屋に引きこもっていた。

 

夜、お手伝いさんが光宣くんのベッドの隣に客用の布団を敷いてくれた。九島家には僕の寝室もあるけれど、今夜は光宣くんの部屋で泊まることになった。

僕はパジャマに着替えて、椅子に座り光宣くんの手を握っていた。光宣くんは落ち着いたのか、静かに寝息をたてている。

 

唐突に…

 

ざっわあぶぅああああん…

 

羽音に似た声が僕の精神に響いた。

これは…

2月、東京を騒がせた吸血鬼事件でなんども聞いた、『パラサイト』の声。

やっぱり、まだいたんだ。声は小さい…力が弱いけれど近い。

 

僕は光宣くんの手をそっと布団に下ろした。眠ったままなのを確認する。うん大丈夫。ちょっと留守にするね。心の中で呟いて、『意識認識』する。

僕の意識が静かに広がる。すぐ目の前に光宣くんを感じる。強烈な意識だ。

いた。『パラサイト』が4体…?場所は…九島家の研究所だ。ちょっと妙な4体だけれど…

僕は『声』のする場所に『飛んだ』。

 

 

会議室くらいの広さの真っ暗な研究所。何かしらの計器のLEDライトがところどころ点灯している。うら寂しい。かつて僕がいた多治見研究所を思い出させる…パジャマ裸足に金属の床が冷たい。

低周波の振動が不気味に響いていて、観測機やケーブルが雑然と置いてある。

等身大の人形が4体。手足を金属で拘束されて寝台状のリフト・ジャッキに立てかけられていた。

もう一度『意識認識』する。『ピクシー』やマルテと同じ『パラサイト』だ。

でも、一体一体は意識が薄まっている。4体に分かたれて、意識は繋がっているみたいだ。

一体の目が開いた。『サイキック』だ。人形の目が僕をじっと見ている。

家庭用につくられて愛嬌のある容姿の『ピクシー』と違って、温かみのない整った顔。文字通り人形の目だ。

なんとなく僕に似ている。

 

ざっあああああぶぅうん

 

何か言っているけれど、意味はわからない。ただ、何ていうのかな、生への執着が乏しい。『ピクシー』たちと違って生生しさにかけている。『ピクシー』が野生ならこの4体は養殖された生き物みたいだ。

躾をされている…?あぁ…そうか、精神支配だ。僕の精神支配もいまだに抜けない。現在の『魔法』で精神支配されているなら、僕よりも強固に支配されていて、話せないんだろう。

もともと、『パラサイト』がどうなろうと僕には関係ない。この4体が僕や友人たちに敵対しないかぎり何もする気は起きない。九島家で行われている実験なら、この国の利益につながると烈くんが判断したんだと思う。僕にはよくわからない政治が絡む世界だ。

この『パラサイト』は僕には脅威にならないし、確認するだけだったから、さっさと戻ろう…

 

研究所に照明がぱっとついた。

僕は照明が研究所内を照らし出すより早く、大きな計器の影に『飛んで』隠れた。

研究所に男たちがぞろぞろ入ってくる。探知系が駄目な僕はこういう時、動けない。声だけ聞く。

 

「起動を停止しているはずのP兵器のサイオンセンサーがわずかな反応をしめしたが…異常はないな」

 

P兵器…?

 

「ガイノイド自体に変化の兆候はない。『パラサイト』本体のサイオンだ」

 

万物にはすべてサイオンを内包している。これは達也くんがCADの調整するときに言っていた。だから身体をスキャンするときは全裸が一番良いのだそう。

 

「カメラにはなにか映っているのか?」

 

カメラがあったのか!探知系がさっぱりな僕が気が付ける訳がないけれど…

 

「いや、暗かったからな…生物と同じように夜は照明は消していた。だがこれからは昼夜にかかわらず照明はつけておいたほうがいいな」

 

ほっ、僕は映っていないみたいだ。

 

「憑依させた『パラサイト』は眠っている。夢でも見たのでは?」

 

「なるほど、母体と『パラサイト』が安定した証拠なのかもしれない」

 

「P兵器は順調だ。このまま他のガイノイドへの培養を進めよう…」

 

…僕は見つかる前に、光宣くんの部屋に『飛んだ』。

光宣くんは行儀よく眠っている。まだ熱があるから、額に汗をかいている。ホーロー製洗面器にはった水はわずかに温くなっていた。

僕は『冷却魔法』でその水を触って心地良いくらいの温度に下げる。

汗をぬぐった後、水に濡らしたタオルを絞って、光宣くんの綺麗な額に置いた。

額に濡れタオルをおいても解熱には役に立たない。太い血管がないからだ。でも額につめたいタオルを置くと気持ち良いんだよね。

僕が倒れたときにも光宣くんは同様のことをしてくれた。

『魔法』で血液の温度を下げればいいんだけれど、卓越した魔法師の光宣くんの身体に直接『魔法』をかけるのは難しい。

今の僕なら出来ると思うけれど、やめておいた方が良いかな。光宣くん本来の治癒力で治すべきだ。

もう1枚濡れタオルを絞ると、太い血管のある首の周りに息が苦しくないように置く。

僕はベッドの横の椅子に腰掛けて、光宣くんの手を握る。熱い。僕の手は冷たいな。

われながら甲斐甲斐しいと思う。赤の他人からみたら僕の行動は奇妙を通り越して不気味ですらあると思う。でも、あの『P兵器』と同じで僕の精神支配は続いている。親しい人物に尽くしたいと自然に考えてしまう。ほのかさんと『ピクシー』の達也くんに向ける感情とは違う。家族に向ける情愛。特に、澪さん、響子さん、光宣くん、達也くん、深雪さん、真夜お母様。この6人への想いは強烈だ。もちろん友人や一高関係者たちへも想いはあるけれど、それ以外の人物にはまったく興味がわかない。

香澄さんの指摘は、本当に本質をついている。

 

いずれ、この想いは僕を破滅へと導くかもしれない。

 

これは僕が精神の存在に近いからなんだろうけれど、不快じゃないから良いんだ。

 

 

『P兵器』か…うぅん、僕には関係ない事だ。

 

僕は、朝までじっと何も考えず、光宣くんの看護を続けてた…

 




生駒って奈良と大阪のちょうど間で10キロくらいしか離れていないんですね。
曜日を調べるために西暦2096年のカレンダーをネットで見ましたが、2016年から96年に移動中、あぁ未来にワープしてるとか思っちゃいました。すぐ現在に戻ってきましたが(笑)。
お読みいただき有難うございました。


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好奇心は猫を殺す

お気に入りが300人になりました。
嬉しい限りです。ありがとうございます!


「久さん、ずっと手を握っていてくれたんですか!?」

 

朝日が窓から入ってくる。僕は一晩中寝ないで光宣くんの手を握っていた。僕が手を握っていると光宣くんはすごく安らかな表情になるんだ。そういえば澪さんも僕と寝ているとすやすや眠るんだよな。なんでだろう。

朝の7時、光宣くんは熟睡から目が覚めて、僕を見つめた。

 

「ん、僕は体質なのかあんまり眠れないんだ…」

 

「こんなに熟睡できたのはいつぶりでしょうか…ああ去年の3月以来かもしれません。久さんの手は安眠効果抜群です!」

 

光宣くんの顔色が良い。額に手を当ててみると、熱はなくなっている。

 

「体調はどう?熱はなくなったみたいだけれど」

 

「はい…劇的に良くなっています。自分でもびっくりです!」

 

ベッドから上半身を起こした光宣くんが僕を感激の目で見つめてくる。一晩、寝ないで看護されれば誰だって感動すると思う。

 

「去年、光宣くんがしてくれたことのお返しだし、『家族』だから、気にしないで」

 

「はい、それでもありがとうございます」

 

凄まじい笑顔だ。僕が女の子なら一目惚れしちゃうよ。

朝食は家族用の食堂でいただいた。ごくごく普通の朝食だったけれど、光宣くんはお代わりをするほど食べている。完全に回復したみたいだ。光宣くんは意外と健啖家で、そこは僕と同じだ。

九島家のお手伝いさんたちは光宣くんに対して、腫れ物に触るように行動する。すこし恐れているみたいだ。光宣くんは僕たちには丁寧だけれど、それ以外の人には必ずしもそうじゃないんだ。お坊ちゃんだからなぁ。

食後、そのお手伝いさんが騒然としていた。なにがあったのかと思ったら、烈くんが帰宅したんだって。予定外の帰宅で九島家の緊張が高まっていた。

当主の真言さんがいるのに、この慌てぶりは…烈くんの影響力が絶大なんだ。

僕たちは光宣くんの部屋にいたんだけれど、しばらくしてドアをノックする音がして、僕がドアを開けるとスーツ姿の烈くんが立っていた。相変わらず背筋をまっすぐ伸ばして、ゆっくり部屋に入ってくる。

光宣くんの部屋は窓を開けて、春の空気を一杯に入れている。もう病人の部屋じゃない。

 

「おはよう、烈くん」

 

「おはよう、久。光宣も…ん?今朝は顔色がいいな」

 

「おはようございます、お祖父様。久さんが寝ないで看病してくれたおかげです!」

 

「そうか…ありがとう久、光宣の笑顔を見られて私も嬉しいよ」

 

烈くんは魔法師界の重鎮だけれど、光宣くんの前ではただの祖父と孫の関係だ。光宣くんの

元気な姿に喜んでいる。家族っていいな。

 

「ふむ…午前は研究所に用がある。午後も用事があるが…昼は一緒にどうかね?奈良駅近くのホテルで美味しいでも食べないかね?」

 

烈くんはご機嫌だ。僕も美味しいものを食べられるなら一も二もない!

 

「奈良駅なら、そのまま東京に戻れるね」

 

「ふむ、帰りのリニアは私が手配しておこう」

 

烈くんにだいたいの時間を教えてもらう。東京駅に警備担当を呼ばなくちゃいけないから時間は前もって知る必要がある。十師族は大変だなって以前は思っていたけれど僕もだいぶ慣れてきた…

光宣くんは僕が帰るって聞いてすこし寂しそうだ。

 

 

「それまでどうしようか。烈くんの書斎で時間を潰す?」

 

実は光宣くんも21世紀前半のサブカルチャーに詳しいんだ。烈くんの秘密部屋に入室許可を貰っているのは僕と光宣くん。澪さんも許可を貰っているけれど、生駒に来たことがないから、今度一緒に来れたら良いな。きっと驚いて数日引きこもるよ。

 

「それもいいですが、少し外の空気を吸いませんか?久しぶりに体調が良いので外に出たいんです」

 

光宣くんは僕や澪さんと違って引きこもりじゃない。

九島家のある生駒は大阪と奈良の中間でどちらも10キロ程度の距離なので簡単に行けるといわれたけれど、僕は混雑が苦手だから。

 

「久さんは史跡や観光地はご存じないんでしたよね」

 

「うん」

 

去年、九島家にいた時は受験勉強や体調不良で近所を散歩する程度だった。

神社仏閣のことは知らない。それどころかこの国の歴史すらまともに知らない。

 

「法隆寺すら知らないんだよね…」

 

日本で最古の木造建築すら知らない…昔は研究所と戦場、今は一高と引きこもりな僕は、知識がかたよっている。

 

「そうですね…車で30分弱ですし、意外と観光客は少ないので斑鳩周辺を散策しましょうか」

 

光宣くんの提案で、午前中は斑鳩を散歩することになった。

お馴染みのリムジンで20分ほど南下して、竜田川の緑地で降りる。土と緑の香りが鼻腔をくすぐる。

竜田川から法隆寺の周辺は考えていたより田舎だった。田植え前の水を張った水田が綺麗で、新緑に抱かれた古い木造のお寺が点在していて落ち着く。

日曜でもまだ早い時間だからなのか、観光客どころか地元の人すらあまりいない。

21世紀前半の大陸からの観光客が騒がしいと言うイメージがあったので驚いた。あぁそうか人口減少しているんだった。

お寺の中には入らないで、舗装されていないなだらかな小道を歩く。春風が心地いい。一高のあるあたりや僕の自宅の練馬も都心に比べれば緑が多いけれど、斑鳩はコンクリートの建物が全然ない。日本人の精神の原点ちかくにいるんだなぁって何となく考えてしまう風景だ。少し離れて護衛の魔法師もいるけれど、僕たちの視界に入らないように気をつけてくれている。

僕はいつも通りとてとて歩いているけれど、光宣くんは周囲を少し警戒しながら歩いている。

 

「何か気になることがあるの?」

 

「奈良や京都の有名寺院の周囲には九島家を敵視する古式の術者が住んでいるんですよ」

 

「え?そんなところに来ても平気なの?」

 

「大丈夫ですよ、彼らの敵愾心なんて、ただの虚勢です。本格的に襲ってくることなんてありません。手を出したら最後滅ぼされるだけですから」

 

光宣くんが怪しく笑った。そのときは自らの手で滅ぼすってその笑顔は言ってるね。光宣くんは絶世の美少年だけど、その思想は九島家に染まっている。敵対組織は容赦なく潰すのは当然だ。僕も賛成する。

 

「嫌がらせはあるって事?蚊を追い払うみたいなもの?」

 

「ええ、多少薬をまいておけば何もできません。そんなことは気になさらないで散策を楽しみましょう」

 

光宣くんはすごく楽しそうだ。昨夜まで寝たきりだったから、体調が回復して外を歩けるだけでも嬉しいだろうな。僕や澪さんにはよくわかる感情だ。もっとも僕も澪さんも引きこもりだけど…

お寺や史跡について質問すると詳しく説明してくれる。呪文みたいな神様の名前や由縁がすらすらでてくる。話をすること自体が楽しいみたいだ。

でも一時間も歩くと、僕の足運びは怪しくなった。

 

「あっ、お疲れですか久さん、すみません僕が長々と話つづけてしまって」

 

「うぅん、楽しいからいいよ。でも、光宣くんは僕より体力があるなぁ…僕がなさすぎなんだけど」

 

「僕は体が弱いわけではないので…」

 

「そこが僕や澪さんと違うんだよね」

 

「五輪澪さんには同情以上に気をかけていただいてしまって恐縮です」

 

「澪さんにとっては僕も光宣くんも弟みたいなものなんだよ」

 

遊歩道の木で出来たベンチで休憩をした。喉は水筒で潤す。今はエコの時代なんだ。自販機なんて田舎には繁華街にしかない。

普段東京にいると感じられない、自然を体感できて、思わず深呼吸をしてしまう。光宣くんにはわからない感覚だね。

 

ベンチで休んでいると、猫が一匹、僕に近づいてきた。三毛猫だ。目を閉じて泣き声もあげずとぼとぼと歩いてくる。野良猫?お腹空いているのかな…ああそうか水が欲しいんだ?

 

僕はそっと水筒の水を手のひらに溜めて、猫の口に近づけた。猫はゆっくり近づいてくる。

光宣くんが僕の動きに気がついた。

 

「…え?その猫はいつ…久さん!駄目ですあぶない」

 

光宣くんの警告と同時に、猫のサイオンがいきなり膨れ上がった。閉じられていたまぶたが開く。がらんどう…真っ暗だった。

小さな猫の牙が怪しい黒色に濡れている。鉛色のよだれを垂らして…いや、毒だ。

 

ぐわしっ!

 

僕は牙をむく猫を無造作に、がしっと頭を包むように捕まえた。

猫は逃れようとぶらぶら暴れている。頭を万力のように握っているけれど、鳴き声は上げない。冷たい…体温がない。死んでいる?猫のぬいぐるみみたいだけれど、奇妙なさわり心地だ。

 

「え?久さん!触っても…大丈夫なんですか!?」

 

「何が?毒?うん、全然平気だよ」

 

「牙だけでなく、体表にもなんらかの術がかけられていますが…流石ですね」

 

僕は『サイキック』で手のひらに空間の膜を作っている。紙よりも薄くて、リーナさんのプラズマすら通さない空間の裂け目。こんな毒や術が届くわけがない。

光宣くんがブレスレット型のCADを操作した。僕の手の中で暴れていた『猫』が大人しくなる。魔法で凍らせた…いや、一時的に仮死状態にしたみたいだ。『猫』がぐったりと身体を垂らす。

僕はゴミを捨てるように、ぽいって『猫』を地面に捨てる。慈悲のかけらも感じられない行動だけれど、光宣くんは何も言わない。むしろ当然といった顔だ。

 

「なにこれ?」

 

「わかりませんが、古式の術者が使う『使い魔』のようです。帰ったら詳しく調べてみましょう」

 

「魔法を使ってもこのあたりはセンサーとかないの?東京だと死角がないくらいセンサーだらけだよ」

 

「ここは田舎ですし、人も少ないので繁華街以外にはあまりセンサーの類はありません。古式の術者や寺院が多いですから、あまり行政も設置ができないようです」

 

「これはどこの組織かな、ちょっと滅ぼしに行こうか」

 

近所に買い物に行こうか、みたいな気軽な意見だけれど光宣くんも気持ちは同じみたいだ。

 

「それも調べてみないとなんとも…嫌がらせにしても手が込んでいますね。古式の術者たちの間でなにかあったのかもしれません」

 

「気をつけてね。その組織を潰すときは僕もお手伝いするよ」

 

「はい、お願いします」

 

怪しい妖気みたいなものを放って薄く笑う光宣くんは、僕と同じで人殺しに禁忌を感じていない。

 

光宣くんは警護の人に『猫』を回収するように命令している。その姿は命令することに慣れている。光宣くんも『九島』なんだと実感する姿だった。

光宣くんは楽しみながらも散策に水をさされてちょっと不機嫌だ。色々と考えているみたいだったけれど、こんどは僕の方が積極的に話しかけて『使い魔』の事は一時的に思考から除外したみたいだ。

僕は『使い魔』や猫のことなんてさっぱり忘れている。

 

 

烈くんから連絡があったので、その後は奈良駅前のホテルでお食事をいただいた。少しマナーにも慣れてきて、ゆっくり食事を楽しむことが出来るようになっていた。

食事後、烈くんが手配してくれたリニアで東京に向かう。

別れ際の光宣くんはすごく寂しそうだった。また遊びに来るし、九校戦でも会えるよって分かれた。

 

 

リニアはまた個室だった。まぁセキュリティもあるからいいんだけれど…

リニアの建設は21世紀前半に始まって、当時は夢のような計画だったけれど、大阪までつながるとは…

それにしてもトンネルが多い。

 

コンコンッ。

 

しばらくして個室のドアがノックされた。なんだろう、車内サービスは頼んでいないけれど…

ドアの小窓を開いて通路をのぞくと、つるっと光る頭がいた。驚いたけれど、あの頭の知り合いは一人しかいない。

 

「九重八雲さん」

 

「こんにちは、多治見久君。すこしご一緒してもいいかな」

 

この状況じゃ嫌ともいえないよね。内側からの電子ロックをはずすと、八雲さんが音もたてずにドアを開けて個室に入ってきた。

いつもの飄々とした風体で、目立つようで目立たない作務衣姿。細められた目は、一見柔和だけれど座っている僕を見下ろして何か考えている。落ち着かないな…

 

「どうぞ座ってください」

 

勧められるまま、向かいの座席に腰をかける八雲さんは、決して僕から視線をはずさない。

警戒しているのかな…?

 

「こんにちは、凄い偶然ですね。ひょっとして聖地巡礼の帰りですか?」

 

「いやいやいやいや、それもしたいけれど、いつもの情報収集だよ」

 

「何か気になることでも?」

 

「九島家が先月、戦闘用人型機械を4体購入して、今日になって12体も追加注文した情報を耳にしてね、ちょっと気になったんだ」

 

4体…あぁ研究所にあった、『パラサイト』を宿したロボットか。

どこからそういう情報を仕入れてくるのか、家電以上携帯以下の僕には謎で仕方ない。

 

「そうですか」

 

「知覚系魔法を開発しているはずの九島家がどうしてロボットをって、気になるだろう?」

 

「男のロマンなんじゃないでしょうか?十六神合体っ!」

 

「…情報収集は忍びの道だけれど、流石の僕も九島家に忍び込むことは出来ないからね、久君なら何か知っているんじゃないかなって」

 

僕が九島家に行っていた事も知っているんだ。じゃぁこのリニアに乗ったのも僕に会うためか。

 

「僕は光宣くんのお見舞いに行っただけですし、探知系の魔法はさっぱりですから」

 

「うーん、久君は自分が考えているより重要な立場にいるんだけれどね」

 

「僕はぎりぎり一科生を保っている劣等生ですよ?少し魔法力が強いだけです」

 

「少しねぇ…久君、普通の魔法師は九島家に玄関から堂々と訪問なんて出来ないんだよ」

 

剃りあげた頭をぺちぺち叩く、八雲さん。

『家族』を訪ねるのに困難もなにもないと思うけれど、困ったなぁ。烈くんのしていることは僕も知らないのに、八雲さんは僕から情報を引き出そうと話を長引かせようとしている。

 

「本当は、八雲さんは僕に聞かなくても知っているんでしょう?九島家に忍びこめなくても、研究員は九島家に監禁拘束されているわけじゃないんだから」

 

八雲さんの細い目が鋭くなった。狭い個室がさらに狭くなった気がした。

 

「まいったな…ただね、情報は複数から総合しないと。人型機械で何を造ろうとしているのかは分かっても、それで何をしようとしているかまでは分からないだろう?」

 

「八雲さんが分からないことを僕が分かるわけないですよ」

 

「『P兵器』という言葉に聞き覚えはないかい?」

 

「移動後使用可能の兵器のことですね、ビームサーベルとかストナーサンシャインとか。やっぱ背後に回りこんで攻撃したいですよね」

 

「その二つじゃ威力が違いすぎるよ。僕的にはバーグラリードッグで雑魚を掃討…いや、スパロボの武器属性じゃなくてねぇ…」

 

八雲さんは僕がぼけると的確に突っ込みを入れてくれるね。

僕は窓の外の流れる景色に目を向ける。今はトンネル内で景色は当然真っ暗だ。リニアは振動がないから、凄い勢いで後方に流れている警告灯がないと只の暗闇に止まっているみたいに感じる。斑鳩の田園風景は綺麗だったなぁ。

今、ガラスに映った僕の顔は無表情になっている。こういうとき人形のような顔は有利だ。あの『P兵器』と同じで感情を読み取ることは出来ない。

同じようにガラスに映る八雲さんが僕をじっと見ている。

僕が答える気がない事を察したのか、八雲さんは向かいの席から立ち上がった。

 

「そうか…お邪魔しちゃったね」

 

その背中は少し寂しげだ。ちょっと演技臭いけれど、僕はその背中に向かって、

 

「ねぇ八雲さん、情報が欲しかったら只でってわけには行かないと思いませんか?」

 

八雲さんが振り向いて、少し考えてから答えた。

 

「お金が欲しい…わけないよね、君は大金持ちだ」

 

僕の口座の残高も知っているのか…情報収集がお仕事とはいっても少し人のプライバシーに踏み込みすぎじゃないだろうか。

 

「烈くんが何をしようとしているかは、少し気になります。でも、知らなくても良いことだとも思います」

 

「じゃぁ、それがわかったら教えるから、久君も僕が知らない情報を教えてくれるかな」

 

今度は僕が少し考える。

 

「響子さんのスリーサイズは教えられませんよ」

 

澪さんと響子さんは料理は手伝ってくれるけれど、それ以外の家事は苦手なんだ。自宅では洗濯は僕がしている。当然、下着類も。痛まないようにちゃんとネットに入れて洗っているから、二人のサイズは知っているんだ。尽くすにも程があるけど、炊事洗濯掃除、全部楽しいから良いんだ。

 

「それは!?…情報料は高そうだね…」

 

「澪さんのスリーサイズはもっと教えられません。ばれたら半日正座させられます」

 

「う…ん『すこやん』のプレッシャーはトラウマになるからね」

 

怒ったときの澪さんは、それはもう怖い。

 

八雲さんが個室から出て行って、僕はトンネル内の暗闇をしばらく見つめる。

今回の八雲さんとの遭遇は、僕の八雲さんに対する考えを少し改めさせた。

警察でも探偵でもないのに、忍びだからって何でも知ろうとするのはやりすぎだよ。

調べて知った情報を誰にも漏らさないなんてことは…ないだろう。

僕についてもどこまで知っているのか。『高位』の事は知らないはずだけれど…

 

好奇心は猫を殺す。

 

イギリスのことわざだったかな。斑鳩で僕は『猫』を捕まえたけれど、すでに死んでいた。あれは殺したことになるのかな?

 

 




古都内乱編の達也と光宣の『管狐』の話を読んでいると、光宣もパラサイドールの開発に関わっているみたいですね。光宣も九島の人間だなって思います。
今回の『猫』事件で、『管狐』のことを詳しく調べて、パラサイトの培養方法を思いつく…と言う伏線です。
久もパラサイドールの開発には肯定的です。魔法師を戦場から解放するひとつの手段になるのですから。
達也もパラサイドールの開発自体は否定しないはずです。九校戦を実験場所にされたことを怒っているのですし。
烈がパラサイドールをわざわざ九校戦に投入したのは、達也と戦わせて性能をチェックするためです。達也は深雪の事以外で私闘なんてしないでしょうから、危険ですが九校戦を利用した…という流れです。

パラサイドール事件のときの九重八雲の動きは奇妙ですね。なぜあそこまで深く関わろうとしたんでしょうか…九校戦が実験の舞台になっても八雲には特に被害はないのに。まるで達也をパラサイドールと闘わせる手助けをしているみたいです。と深読みをしているんですが、穿ちすぎですかね?





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プロポーズ

いろいろと忙しいんですが、文章を書くのは楽しいので頑張ります。


僕は藤林響子さんと婚約(仮)をしている。

もともと、響子さんに結婚の意志がないので、魔法師界の責任や親戚からの圧力をかわすために、去年の九校戦のとき、烈くんの提案で行われた。

ただ、公にはされていない。将来、響子さんにふさわしい男性は必ず現れるはずなので、婚約解消の汚点をつけないためだ。さびしいけれど、本来なら、僕みたいなイビツな存在に関わるべき存在じゃないと考えている。

この婚約(仮)は、響子さんへの親戚からのお見合い圧力は、完全に避けることに成功した。烈くんの威厳と影響力はそれだけ巨大なんだ。

 

でも、困ったことに、僕が元旦の九島家の会に参加してから、僕あてにもお見合いの話が来るようになった。とくに魔法師の家系じゃない大企業家や大物政治家からが多い。

大物社長やら政界の誰それさんの娘さんのお見合い写真が健康診断書や家系図なんかと一緒に自宅に送られてくる。

 

大名の過去は野に伏し山に伏し

 

財力を手に入れたら、次は現在の日本を裏から牛耳る十師族の権力に手を伸ばす。

雫さんのお父さんもその一人だね。雫さんのお母さんは魔法師界では有名だったそう。北山家のパーティーで達也くんに絡んでいたイメージが強いけれど…

僕みたいに天涯孤独な身は犯罪組織や企業以外にも魅力に感じるみたいだ。僕の住所は少しずつ世間に知られるようになっている…八雲さんじゃないけれどどうやって調べるのやら。お見合いの承諾もしていないのに健康診断書って、先走りすぎるよね。娘の個人情報を他人に晒しているんだから。

でも、ときどき息子さんの写真が送られてくるのはなんでだろう。僕を女の子と間違えている人もいるんだ…つまり表面上の僕しか知らない、にわかに魔法師界につながり、とくに九島家とつながりを持ちたいと考えている人たちがいるんだね。元旦の九島家でお年玉を沢山くれた人たちと同じ底が浅いけれど、権力のにおいに敏感な人たち。僕の値段をつけるのは僕自身じゃない。利用価値が高いと思われているんだ。正直面倒くさい。

 

響子さんは冗談で見合い写真と、ネットで見つけてきた本人の写真との違いを教えてくれる。犯罪すれすれな冗談だよ、響子さん。いくらネット上にながれている画像だから問題ないって言っても、限度があるよ。

それにしても、このお見合い写真は修整がすごいな…

それに、お見合い写真が来るたびに、澪さんの機嫌が悪くなるから、これが一番こまる。

お見合い写真が来た時の澪さんのプレッシャーを間近に受ける僕の精神は鰹節のようにごりごり削られる。『精神』の存在に近い僕にとって、それは体が削られるようなものだ。

こんな人たち、僕にとってはアニメの通行人かモブだよと言ったら、背景まで細かくチェックしている澪さんの機嫌はますます悪くなった。おかげで、この見合い写真を送ってくる人たちに対して敵意を覚えるようになった…澪さん機嫌直して、ほらプリン作ったよ、一緒に食べようよ!

興味はまったくないんだけれど、安易に捨てるわけにも行かず、この手の見合い写真を自宅に積んでおくのも気分が落ち着かない。

だから、澪さんの提案で、ある程度数が溜まると、烈くんに郵送する事にしている。澪さんと五輪家には政治力がないし、もともと烈くんと繋がりを持ちたいんだから、別にいいよね。逆な意味で目をつけられるけど。正直、この見合い写真を送ってくる人たちがどうなろうと僕には興味がない。それより澪さんのプレッシャーの方が怖い。

 

それでも3月までは二~三週に二回くらいのペースだったんだけれど、4月、僕が模擬戦をした、あの日以降、その手の見合い写真が増えた。毎日のように送られてくる…響子さんは面白がっているし、澪さんは…うぅ。

いったい誰があの日の情報を流したんだろう。あの日の演習室にいた人物は、達也くん、深雪さん、幹比古くん、沢木先輩、桐原先輩、十三束くん、七宝くん。

うぅん、誰にもメリットがない気がする。僕に注目が集まって喜ぶのは…誰だろう。

 

5月下旬、8月の九校戦に向けて生徒会や選ばれるであろうメンバーは少しずつ準備を始めてる頃だ。

特に今年の生徒会長あーちゃん先輩の性格から、例年より早めに動き出している。去年、僕も九校戦代表メンバーに選ばれたけれど、選出されたのは7月半ばだった。今年も成績上位者やクラブ活動に力を入れている生徒はメンバーになれるかどうかそわそわし始める頃なんだって。

九校戦が大好きな雫さんなんかはそのうちの一人だ。

逆に、僕は九校戦のメンバーに選ばれるかどうかはそれほど興味がない。

選ばれればがんばるけれど、成績上位者じゃないし、料理部部員に出場可能な競技はないし。九校戦よりもなによりも、その前の定期試験の方が僕には壁だ。

毎日二時間勉強しているけれど、記憶力がイマイチな僕は、この一ヶ月はとくに自分を追い込まなくてはいけない。

 

実は今週の土曜日、光宣くんから例の『使い魔』を使役していた術者の正体がわかったので、一緒にご挨拶しに行くことになっている。約束したからって律儀に連絡をくれたんだ。

術者がわかった時点で一気に攻めたほうがいいんじゃない?って光宣くんに言ったら、包囲する人員の確保や、根回しと後処理の準備が必要になるんだって。

背後関係や、確実にその日、その場にいるように仕向けることも大事で、他の古式魔法師との全面戦争にならないよう気を配らなくちゃいけないんだそうだ。

僕はその手のノウハウがないから、本当に制圧向け。悪く言えば鉄砲玉だ。昔なら烈くん、今なら光宣くんが僕を上手に使ってくれる。誰にだって向き不向きがあるって達也くんも言っていた。

 

「僕の役目はどうなるかな?カメラやセンサーの類さえ押さえてくれれば、まとめて髪の毛一本残さず消しちゃうけれど?」

 

老若男女かまわず殺すと言う僕の物騒な提案に声色一つ変えず、

 

「いえ、術者の一人は生け捕りしたいのです。それ以外は処分しても構いませんよ。いちいち穴を掘って埋めるのも手間ですし」

 

と子供同士で無慈悲な提案をしあっている。この会話は僕の部屋で携帯端末で行っている。少し小声で、階下の二人の美女に聞かれないように。何だか子供の悪巧みみたいで楽しい。

 

殺戮は、土曜の夜に行われる…

 

 

 

自室で勉強中、そんな事を思い出していたら、携帯端末が鳴った。ディスプレイをみて電話の相手の名前を確認してみると…

 

「え?十文字先輩?」

 

十文字先輩から電話なんて初めてだ。一高在学中、緊急連絡用に携帯アドレスは教えあっているけれど利用する機会はなかったし、最後に会ったのは3月のパーティーの時だ。

 

「こんにちは、お久しぶりです十文字先輩」

 

「久か。3月以来だが元気そうだな」

 

十文字先輩が電話をしている絵がなかなか想像しにくいけれど、相変わらず声には迫力がある。十文字先輩は細かな気遣いは苦手、というかそもそも念頭にない人だけれど、一高では僕の事は気にかけてくれていた。

どうも十文字先輩の僕のイメージは入学したての体調不良のときで固定されているみたいだ。

簡単な挨拶をして、普通ならお互いの近況なんかを話すところだけれど、十文字先輩がそんなまどろっこしい事をするわけがない。いきなり、

 

「明日、一高の放課後、横浜の魔法協会ビルに来てくれ」

 

僕の都合とか、あまり気にしていない発言をする。まぁ予定なんて引きこもりの僕にあるわけないけれど。

 

「お話があるなら魔法大学は近いから大学にいきますよ」

 

魔法大学はかつての自衛隊の朝霞駐屯地にある。僕の住んでいる練馬の一番北に正面入り口があって、キャビネットなら20分もあれば行ける。

 

「いや、個人的な用件なので、衆目は集めたくはない。横浜まで来れるか?」

 

「はい、じゃあ学校が終わったら直接向かいますので16時頃で大丈夫ですか?」

 

「かまわない」

 

十文字先輩が僕になんの用だろう?わからない…気になって勉強に身が入らない。一つが気になるとほかに意識がいかなくなるのは僕の悪い癖だ。決して勉強をサボっているわけじゃない!

でも、横浜か。そうだ、以前、周公謹さんが招待してくれた中華街に帰り寄っていこう。いきなり友人や澪さんと響子さんは誘えないので…

いつもの警備会社に電話して、翌日の予定を伝える。学校から直接、横浜に向かうので、校門に直接は目立つので、キャビネット乗り場まで迎えに来てもらうことに。そのさい警備のいつもの二人のほかに、運転専用の人を追加で一人お願いする。

 

翌日16時、魔法協会ビルの個室で僕と十文字先輩は二ヶ月ぶりに再会した。

個室は20畳、自宅のリビングくらいの広さなんだけれど、十文字先輩がいるともっと狭く感じられる。個室は盗聴なんかの心配がないように設計されているって説明してくれるけれど、そんな重要な話なのかな?

でも、十文字先輩のカジュアルなスーツ姿は一高の制服に見慣れた僕には新鮮だった。

ソファで向かい合って座る。お茶はインターホンで呼んだ協会の女性が用意してくれた。ティーポットごとテーブルに置いて外に出るのを確認してから、十文字先輩は話し始めた。

 

「制服のまま来たのか。そこまで急がなくてもよかったのだがな」

 

「いえ、この後、近くでお食事していく予定があるので」

 

そうか。と答えると、前置きなく用件に入る。

 

「最近、見合いの話が多いらしいな」

 

昨夜、十文字先輩の用件について、澪さんと響子さんに質問しても予想できなかったので、ぶっちゃけ何も考えずに横浜に来たんだけれど、この話題は唐突で驚いた。

 

「よくご存知ですね、じつは毎日のように来ているんで困っているんです」

 

「ここのところ、昵懇の政治家や企業家から相談を受ける機会が増えていてな、久も17歳だからそういう話題があってもおかしくはない」

 

「先輩にもそういう話は来るんですか?」

 

「来るな。だが俺は十師族次期当主だ。相手は同じ十師族かナンバーズから選ぶことになるだろう。だが久は九島閣下や五輪澪殿の庇護下にいてもナンバーズではない。そのせいでハードルが低いと考える連中が多いんだろう。今でもさまざまな組織から注目を浴びているし、今後はもっと浴びることになるだろうな」

 

「…はい、九校戦の選手に選ばれたら、たぶんこれまで以上に面倒になると思います」

 

「アイスピラーズブレイクか…」

 

「はい、今年も一条くんと競うことになると思います」

 

競技用のCADに慣れるまでに去年は二週間もなかったけれど、今年はもう少し準備期間があるから、このままだと面倒なことが増えそうだ…辞退しようかな。

新人戦に出場した去年と違って、今年は本戦、出場選手は3年生も候補だから、実力者もいるだろうしね。そんな事を考えていたら…

 

 

 

「そこでだ、結婚してくれないか」

 

 

 

「は?」

 

唐突に十文字先輩が言った。真顔で。まっすぐ僕の目を見つめて。

 

 

十文字先輩にプロポーズされてしまった。

 

 

十文字先輩と僕が結婚?この時代は男と男の娘で結婚できる時代になったのか。

まさか連載第5話の男好きネタがここまで引っ張られるとは考えてもみなかったよ。

 

「そりゃぁ僕は十文字先輩の事は好きです。入学以降いろいろと気を使ってくれて、すごく助かっていました。でも、僕たちは男同士ですから…結婚は…」

 

「…?何を言っている。魔法師は早婚が求められているが、久につりあう年齢の女子はそういない。どうだ、俺の妹と婚約する気はないか?」

 

「妹さん?十文字家のパーティーでお会いした?」

 

びっくりした。十文字先輩は天然さんだから!ただの言葉足らずだったのか!

まさか、数行で済ませた十文字家のパーティーがここにつながる伏線だったなんて…

 

「そうだ。同じような話は司波にもしたことがある。その卓越した『魔法力』は学校の実技ではわかり難いが、この国のためには必要だ。九島五輪両家の庇護にある久は、もはや十師族のメンバーと言ってもいいし、十文字家として久を守ることもできる」

 

司波?達也くんのことか。達也くんにも同じようにプロポーズしたのかな?この二人がカップルになったら、責めは達也くんかな…おっと、この想像は危険だ。氷の女王を召喚してしまう…

十文字先輩は、本気だ。僕の現在の立場はともかく、もともとは天涯孤独の孤児に、十師族の十文字家の娘を嫁に出そうと言うのだから思い切った提案だ。先輩の気持ちは素直にありがたい。

でも、これは…困った。十文字先輩は真剣に僕のことを考えてくれているけれど、言った方が良いのだろうな…

全身で悩んでいる僕を見て、

 

「ん?妹はまだ小学生だが…やはり年齢が気になるか?俺としては似合いの二人だと思うのだが?」

 

たしかに十文字家のパーティーではとっても懐かれた。帰るときまで僕のことを女の子だと思っていたみたいだけれど…?お似合いなのは、それは僕の見た目が11歳だからですよ。戸籍上は17歳で、この地に現れたのは80年近くも前ですから。

 

「妹との年齢差が気にかかるならば、七草家の双子ならどうだ?同じ一高生として顔も見知っているだろうから、俺から七草殿に話を…」

 

「ちょっと待ってください!」

 

僕は両手で、十文字先輩の圧力を押し返すように制止する。

 

「じっ実は、これまで秘密にしていたんですが…僕には婚約者がいるんです!」

 

「ほう?それは、俺も知っている人物か?よければ教えてもらえるか」

 

「実は…烈くんの肝いりで、僕は藤林響子さんと婚約しているんです!」

 

婚約(仮)だけれど…心の中で呟くと、場を支配していた十文字先輩の圧力が消えた。

おそるおそる見上げるとぽかーんと口をあけた十文字先輩がそこにいた。これは快挙かもしれない。こんな顔誰も見たことがないだろな。

 

「そっ…そうか九島閣下の…たしかに藤林響子殿は未婚で閣下のお孫さんにあたる。藤林家は十師族に次ぐ名家だ、藤林殿自身も世界的に名を知られた『魔法師』…」

 

おおっ!十文字先輩が動揺している。これは動画に撮っておいて記念に残したいくらいレアだ。

 

「いろいろと事情があって、公にはしていないんですが…」

 

「うっうむ、いろいろと問題があるな。なるほど、久が成人すると共に公表することになるのか…なるほどなるほど、流石は閣下だな」

 

小学生の妹を婚約者に薦めるのも法的にいんこーですけれどね。まぁ僕の実年齢からすれば響子さんも滅茶苦茶年下なんだけれど。それに、僕と響子さんの婚約(仮)は、ライトノベル的な理由なんですよ。

 

先輩は、ひとつ咳払いをして、気分を落ち着ける。それだけで、いつもの十文字先輩に戻った。

 

「すまなかったな、どうやら先走ってしまったようだ」

 

「いえ、公表はしていませんでしたが秘密にしていたわけではなくて、知っている人は知っている…みたいな」

 

「ふむ、では俺も今後久のところに見合いの話が来ないように働きかけて置こう」

 

「お願いします」

 

僕は立ち上がってお辞儀をしながらお礼を言った。

個室からは僕が先に出たんだけれど、出るときちらっと振り返ったら、十文字先輩が複雑な顔で考え込んでいた。僕と響子さんのカップリングはそんなに変かな。十文字先輩と達也くんのカップリングよりは…おっとこれ以上の妄想は危険だ…

 

お見合い話のあと、警護人さんたちと中華街に寄った。

周公謹さんとの約束で中華料理屋に招待されている。いつでも良いと言っていたし、周さんが僕を見つけてくれなかったときは適当なお店で僕がご馳走すればいい。

今日は食事中、車から離れることになるので一人、運転手兼車の監視役をお願いしている。いつもの警護の二人は『パラサイト』事件のときにいろいろとご迷惑かけたので、今回のお食事はそのお礼も兼ねている。

二人は恐縮していたけれど、一人だと食事もさびしいからってお願いした。

中華街に入ると、異国を感じるな。入り口の門が異界への入り口みたいだ。こんな事を思うのは僕が『魔法師』だからだろうか。

平日だけれど、食事時なので人は多かった。僕を見つけてくれるかな…と思っていたら。

 

「多治見久様、ようこそお越しくださいました」

 

周さんがまるで今日僕が来ることがわかっているかのように中華街の入り口に立っていた。一安心だ。警護の二人に周さんを紹介する。二人は周さんの美青年ぶりに驚いていた。

周さんに、運転手さんがいることを教えると、帰りにお土産の天心を用意してくれるって。

僕たちは周さんに案内されるまま一軒のお店に入った。ここが周さんのお店なのかどうかはわからない。具体的な説明はなかったから。急な来店で席が空いていなかったのかもしれないし。

でも、まさか個室に招待されるとは思っていなかった。中華のマナーとかわからないな…

 

「いえ、個室ですから、マナーは気にせず、堪能していただきたいです。われわれも腕によりをかけて準備させていただきます。なにかお好みがあれば用意しますが?」

 

「僕は中華料理はわからないから…」

 

警備の二人にたずねると、警備があるので酒精のものは厳禁、とのことだった。

気にしなくても良いですよって言ったけれど、マニュアルで決まっているって。そこは厳格だ。

あとは周さんにお任せして、料理を楽しんだ。中華料理は食堂の簡単なものしかイメージがなかったけれど、多様で濃いものからあっさりしたものまで、満足の行くものだった。たぶん金額的にも高額な料理だったみたいで二人は驚きつつも箸を進めていた。

僕は最近、ホテルで高級料理を食べる機会が増えたせいか、あまり値段を気にすることがなくなっている。朱に交われば赤だけれど、今度は澪さんと響子さんとも来たいな。

コースとして時間がかかるし、量もおおかったけれど、僕は良く食べるし、二人も鍛えている関係で胃は丈夫だ。出された料理をどんどん片付けていく。

 

周さんは、僕に対してものすごく腰が低い。本気で僕が『高位次元体』だと信じているようだ。食事の終り、デザートをいただいているとき、少し雑談した。

そのさい、他国人として色々な組織との軋轢はあるけれど、僕個人と敵対することは絶対にないって、以前と同じ事をくりかえした。

『僕個人』って表現はすこし気になるけれど…僕や『家族』以外なら、僕には関係がない。

 

周さんはお土産にと人数分の天心を用意してくれた。運転手さんの分は多めに。

帰りの車の中、お腹一杯の三人に、高級な天心をお土産にもらった運転手さんは、それはもう満足げな顔だった。お腹一杯なのに車内のお土産の入った紙袋から漏れて漂ってくる天心の香りは…おいしそう…いやいや運転手さんの分だよ。僕はすこし食い意地がはっている。昔、まともな物を食べていなかった反動かな。

その車内で、周公謹さんの印象について尋ねてみた。子供の精神の僕とは違って、二人は『魔法師』としても社会人としても経験豊富で、多くの人を見てきている。

その二人が言うには、微笑みの仮面で本心はわからない。腹に確実に一物も二物も持っているし、見た目どおりの年齢とも思えない貫禄がある。でも、僕に対する態度は敬意と尊敬、

 

「あとすこし久君に対して恐れを感じているような気がします…なぜそう思うのかはわかりませんが…」

 

不確かなことを言ってすみませんと謝るけれど、素直な意見を聞かせてくれてこちらこそありがとうございますって、頭を下げる。どうやら二人も僕と同じ意見みたいだ。

それに、奇妙なことに二人は周さんの顔をよく覚えていなくって、覚えていないことに何の疑問も持っていなかった。最初、周さんの美貌に驚いていたのにおかしいな…

 

 

帰宅すると、警護人の一人が、僕が車を降りる前に、周囲の確認と自宅周辺の澪さんの警護人と打ち合わせをする。これもマニュアルなので素直に従う。

安全を確かめて、僕が車を降りると、もう21時だったんだけれど、家の前にリムジンが一台止まっていた。道路を半分塞いで。家の周りの住人は僕たちをどう思っているんだろう…

それにしても見覚えのある白いリムジンだ…僕も乗ったことがある。

 

警護の三人にお礼を言って、自宅に入ると、澪さんが笑顔で玄関に現れた。

 

「お帰りなさい」、旦那様。

 

ん?今、旦那様って心の声が聞こえたような…?

 

流石にジャージは着替えていた。お土産の天心を手渡す。響子さんが帰ってきたら…真夜中にこんなカロリーの高い物、響子さんは食べるかな…僕と澪さんは『魔法師』の弊害のおかげでどれだけ食べても太らないけれど、響子さんは気になるお年頃…でも逆に澪さんは体型が中学生のままで…おっとこれは今考えることではない。

澪さんの笑顔は少し緊張が混じっている。自宅に十師族の直系がいれば、当然そうなるよね。

リビングのソファに想像していた女性が座っていた。

 

「こんばんは、真由美さん」

 

「こんばんは、久ちゃん」

 

真由美さんとも3月末のパーティー以来だ。私服の真由美さんは、あまり一高時代とかわりがない気がする。

 

 

 

「え?七草家に正式に招待?お食事?僕が?」

 

真由美さんの言葉に、僕は『?』マークの連続だ。いきなりどうしてだろう。

 

「ええと、澪さんと一緒に?」

 

「久ちゃんだけよ。以前のパーティーでは父は久ちゃんとほとんど会話ができていなかったし、去年の九校戦で妹たちが外国の『魔法師』に襲われていたのを助けてくれたお礼もしたいって」

 

「今になって?」

 

「そうよ、今になってよ。何かたくらんでいるんじゃないかって…家の父親は陰謀が趣味みたいなところがあってね。だから久ちゃんは無理に来なくても良いのよ。私が直接、久ちゃんに会えば断れないと狸親父が考えたのよ…」

 

澪さんが困った顔をしている。ここにまで来た時点でもう断れない状況を作っていることに真由美さんは気づいているのだろうか。

 

「そんな深刻に考えなくてもいいですよ、真由美さん。親しい先輩のお家にお食事に行くってことですよ。最近は烈くんや澪さんのおかげでテーブルマナーもそれなりになったから、ちゃんとした料理で緊張することもなくなったし」

 

「そう言ってもらえると助かるけれど…今日は十文字君と会っていたそうね?何か問題でもあったの?」

 

「最近僕がいろいろと面倒な事に巻き込まれているので気をかけてくれたんです。でも、その問題は大したことじゃないですよ。ちょっと資源の無駄遣いなだけですし」

 

お見合い写真は全部、九島家に送る。

 

「土曜の夕方からなんだけれども大丈夫?」

 

土曜!?

その日の夜は人殺しに奈良まで行かなくちゃだけれど…

これはアリバイ作りにちょうどいいかも。僕は光宣くんとの悪巧みを思い出して、くすっと笑った。

一高時代みたいに漫画チックに首を一瞬ひねってやめた真由美さんは、お礼を言いながら帰っていった。

 

土曜まで、一高で七草姉妹には会わなかった…

その日の夕方、澪さんに衣装を調えてもらって、警備の人の車で七草家に向かう。

今夜は東京も奈良も、晴れだって。でも奈良の空には一時、血の雨が降るかもしれないけれどね…

 

 




今回、ちょっと長いですね。
最初の構想では七草家に行くところまで考えていたんですが。

達也と克人、どちらが責めで受けか…なんて事を考えていた久は、
澪さんの部屋にあったそっち系の話も当然読んでいます。
澪さんのライブラリーは烈と違って女性向けが当然あるわけです。
創作での性的な表現は久は平気です。でも、現実に性的な目で見られることには苦手です。
人殺しや報復行為に禁忌は感じなくても性的な方面は恐怖を感じる…あいかわらずチグハグですが、いずれ事件が起きる…かもしれません。

次回はひさしぶりにエグイかな…?
お読みいただいてありがとうございます。


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人を呪わば穴はいくつ?

久しぶりにすぷらっしゅ!

昨日、投稿したのですが、誤字にミスだらけで、同じ様な文があって冗長だったので修正。
足りない部分もあったので、少し追加しました。


「こんにちわ。今日はご招待いただきまして、ありがとうございました」

 

七草家に招待された僕は、土曜日の夕方自宅で準備を整えると、いつも通り警護の運転する車で出かけた。七草家に来るのは三度目だ。車寄せで僕は降りて、車と警護の二人は七草家の準備した控え室で帰りを待つことになる。今日の僕はフォーマルなスーツ姿で、玄関にお迎えしてくれた真由美さんと香澄さん泉美さんにご挨拶した。

 

「ようこそいらっしゃいました、どうぞお上がりください」

 

三姉妹がそろってお辞儀をする姿は、物凄く奇妙だ。いつもはボーイッシュな香澄さんもくるぶしまで隠れるワンピースを着ている。

 

「緊張しなくていいのよ、久ちゃん…ってそんなに緊張はしてないのね?」

 

七草家は現在の魔法師界で頂点に立つ家だから、普通の魔法師は固くなるはずだけれど、

 

「僕はあまり緊張しないんです。入試のときも九校戦の試合のときも特に緊張しなかったですし。不安や心配は勿論ありますけど」

 

僕の興味は今夜の術者襲撃の方に比重をおいている。戦場の緊張感にくらべれば大したことないからだ。感情の起伏がいろいろと間違っていることは自覚している。緊張はしないけれど、へまをしないように気をつけないと。このような場では無意識でもだいぶ自然に振舞えていると思う。いつも頼りなく見える僕だっていろいろと経験をつんでいるのだ。

真由美さんの後ろ、双子に挟まれて七草家の廊下を歩くときも、いつものとてとて歩きにならないように気をつけないと。そう考える時点で真由美さんからしてみれば、子供が背伸びしているみたいで微笑ましく見えるみたいだけれど…

 

お食事前、応接室で真由美さんと軽くお茶をした。真由美さんは一高のことを聞きたがったので、いろいろとお話をした。あーちゃん先輩のことを聞くと凄く和んでいたけれど、達也くんの話をすると、僕には表現できない表情になった。興味?それとも好意かな?わかんないな…

真由美さんは卒業生の大学でのお話をしてくれた。自宅から大学までキャビネットで20分の距離なんだけれど、会う機会は殆ど無いので先輩たちの近況を聞けてすごく嬉しい。

その後、真由美さんに食堂に案内された。パーティー会場には行った事があるけれど、自宅の中は初めてだな。食堂は家族用だけれど、七草家の食堂なので、一般の感覚より広い。ヨーロッパのパレスみたいだ。僕は去年の四葉家での真夜お母様とのお食事を思い出した。

 

食堂には、七草弘一さんと双子が立って待っていた。簡単な挨拶の後、それぞれの席につく。それぞれに給仕の男性がついていて椅子を引いてくれた。

テーブルには上座に当主の弘一さん、僕と真由美さんが並んで、向かいに双子、という配置だった。僕の前が香澄さんで、いつもの態度は控えているけれど、この中で一番居心地が悪そうにしている。僕に向ける目が、いつもとは違う。

僕の落ち着いた態度をじっと見ていた弘一さんが、

 

「多治見くんはこういう席は慣れているようだね」

 

話の取っ掛かりにしても、なんだか値踏みするような雰囲気が隠れている。色のついたメガネのせいで表情はイマイチわからないけれど…、

 

「はい、澪さんや烈くんとお食事に行く機会がたびたびあるので。マナーも見よう見真似で、失礼のない程度ですが覚えました」

 

「ふむ、そうか、では食事の前に、お礼を言わせて貰おう。遅くなったが、去年の九校戦で香澄と泉美が大亜連合の強化兵に襲われていたところを救っていただいて、本当に有難う」

 

丁寧に頭を下げる弘一さん。真由美さんと双子もそろって頭を下げた。

 

「いえ、余計な手出しでした。今ならわかりますが、二人の実力なら僕がいなくても倒せていたと思います」

 

当時は魔法師としてはかなり未熟だったからわからなかったけれど、双子は一高に主席に迫る成績で入学した優等生なんだ。そんじょそこらの魔法師とはレベルが違う。

 

「父親としてその評価は嬉しいが、無傷で、とはいかないだろうからね」

 

「…そうですね。強化兵ともなれば、追い詰められれば自爆や特攻をするでしょうから…」

 

かつての僕も最後は特攻を命じられて、拒否は出来ない精神支配を受けていた。強化兵の末路なんてそんな物だ。

双子はそこまで考えていなかったのか、すこし神妙な表情になった。

 

「でも、用心は必要ですけれど、あのような外国の工作兵が来る様なことは当面ないと思いますから、殺伐としたお話はここまでにしませんか?」

 

「そうだね、我々十師族、特に五輪澪さんのおかげでもあるし、改めてお礼を言わせていただいて、では食事にしよう。多治見くんは苦手な食べ物はないよね」

 

我々十師族って、さりげなく自分の功績も誇るところは大人だなぁ。

 

「ないです。美味しいものなら、なんだっていただきます」

 

「はは、頼もしいね。では、始めようか」

 

弘一さんが給仕に目配せをすると、楽しい(?)お食事会が始まった。

拍子抜けするくらい普通の食事会で、真由美さんが言う陰謀好きの弘一さんが何か探りをいれてくるのではと考えていたのだけれど。そんな心配は忘れて、僕はお食事をにこにこしながらいただく。僕は美味しいものさえ食べていられれば幸せなんだ。

 

フォークを操る僕の右手の指輪に気がついた弘一さんが尋ねてきた。

 

「その指輪は、ひょっとして完全思考型CADかな?」

 

「え?完全思考型CAD?FLTが8月に発売するって発表があったばかりよね」

 

食事がはじまって、七草家のみなさんの口調も余所行きのものではなくなっている。僕もこの方が落ち着くな。

 

「たしかローゼンが発売していたが、こんな小さくはなかったな」

 

僕は首にかかった水滴型の思考デバイスを首元から取り出すと、

 

「はい、8月に発売されるFLTのモニターをしているんです。このデバイスは指輪専用だからこれはプロトタイプです。発売用は自分のCADを使えるようになるって話ですけど、僕にはこれで十分です。でも、これを使えば深雪さんにも模擬戦で負けないんじゃないかな。深雪さんと模擬戦はしたことはないし、あまりしたくもないけど…」

 

双子は、一高内の僕の評価『機械音痴の残念魔法師』しか知らないだろうから深雪さんに比肩するって聞いて驚いている。

『精神』を直接攻撃できる深雪さんと戦う…想像するだけで、恐怖を感じる。

 

「司波深雪さん、一高の副生徒会長だね。彼女に負けないとは凄い自信だね」

 

「はぁ、達也くんや深雪さんも規格外だけれど、久ちゃんも大概よね…そうよね、入試の結果が過去最高の魔法力だった上に魔法科高校で一年以上学んでいるんだから実力も上がるわ」

 

「魔法科高校で実力が向上しない人なんていないと思うな。僕もほぼ毎日二時間勉強しているけど、ペーパーテストは相変わらず中くらいだから…」

 

毎日勉強しているのはウソじゃないけれど、集中力は足りていないかも…澪さんや響子さんがいないときは、全然進んでいない気がする。

 

「学校の実習も、学校のCADを使うので相変わらずイマイチ…」

 

「久ちゃんの機械音痴は…仕方ないわね。誰にだって不得手があるもの」

 

「だから、今のままだと今年の九校戦に出場しても、氷倒しで一条くんには勝てないんじゃないかな…思考型CADが使えれば勝てると思うけれど」

 

「レギュレーション違反だからね。それでも一条くんに勝てる…とはそれは、本当に凄いことだよ」

 

「あとは…抜いて構える時間を省略できれば…」

 

特化型CADが拳銃の形をしている関係上、汎用型とちがって照準がCADまかせだから、どうしても標的に向けて構えてしまう。それは一条くんも同じだ。CADには銃口がないんだからわざわざ構える意味は…

 

「あっ!」

 

「…あぁ」

 

香澄さんと真由美さんがほとんど同時に声を上げた。香澄さんは同じ風紀委員として、真由美さんは前生徒会長として後輩の得意技術に気がついた。

『ドロウレス』。特化型CADで、照準だけ『魔法師』が行う高等技術。

なるほど、二年生になって、すっかり空気になって、九校戦でも出番がなさげな僕の数少ない男友達に陽の当たる機会が来るのかっ!

 

でも、それだと照準補助システムつき汎用型に『魔法』をひとつだけ入れて使えば、『ドロウレス』と同じに効果になるんじゃ?

ん?つまり、去年雫さんが新人戦で使ったようなCADがあれば森崎くんは必要ない。

そんな汎用型CADを調整できるエンジニアなんているわけ…いるじゃん。達也くんが。

なるほど、去年は時間がなくて僕の分の照準補助システムつき汎用型が用意できなかったのか。

 

…勝てるね、一条くんに。去年もほとんど僅差だったんだから、今年も選手に選ばれたら達也くんにお願いしてみようかな。

 

森崎くんに陽の光が当たる機会は…ないみたいだ。合掌。

 

食事会は終始なごやかで、話題は九校戦の話に落ち着いた。双子も九校戦は毎年、真由美さんの応援に行っていたし、今年は選手に選ばれるだろうから、話に食いついてきた。

僕はメインディッシュのお肉に食いついている。もぐもぐ。美味しい。

食事は一時間ほどで終わって、今、時刻は21時半。意外と楽しい会で、食事後も少し団欒の時間があった。それにしても、本当にただの食事会だったな。最後に弘一さんが、

 

「また機会と時間があったら食事を一緒にしよう。九校戦後でもどうかね。その時は香澄も同席するから九校戦の武勇伝を聞かせて欲しいな」

 

どうして香澄さんだけなんだろう?疑問に思ったけれど、三姉妹の僕を値踏みする気配に、後ろ髪を引かれる前に、お食事のお礼を言って七草家を後にした。

 

練馬の自宅に帰宅したのは22時半をすぎていた。

澪さんと響子さんに、七草家での会話をかいつまんで話した。響子さんはニヤニヤ、澪さんはプンプンして教えてくれなかったけれど、二人には今日のお食事会の意味するところがわかったみたい。

シャワーを浴びて、パジャマに着替えると、日課である勉強を自室でするから、と二人に告げた。

今は23時、もう遅いから勉強はいいんじゃないって澪さんに言われたけれど、赤点は取りたくないからねっ!ときっぱり言って自室にこもった。

予定通りだ。自室で勉強をしながら時間をつぶして(全然集中できなかったけれど)、今は23時50分。さっとデニムパンツと長袖シャツに着替えると、用意しておいた靴を履いた。買ったばかりでまだ部屋においておいた運動靴の紐をきゅっと縛ると、僕は意識を集中する。

 

約束の時間は0時ちょうど。奈良の、とある山奥にある古式魔法師の道場の前。

『空間認識』『意識認識』。

あぁ、光宣くんがそこにいるのがわかる。僕は、光宣くんの後ろに『飛んだ』。

 

 

一瞬もかからず400キロ近い距離を『飛ぶ』。

 

その道場は、奈良の、山奥にあった。今までいた七草家や東京とは明らかに違う空気だ。自然の緑と土のにおいが濃い。月明かりだけの道場は奥行きまではわからないけれど、結構大きい。自然は豊かなのに虫の音は聞こえない。かわりに、怒号交じりの、人が争う音が聞こえていた。

 

僕が『飛んだ』ときには、もうドンパチが始まっていた。

 

光宣くんの背中を見つけたので、声をかけてゆっくり近づく。ぎょっと振り向いた光宣くんの眉が少し歪んでいた。光宣くんにしてみれば僕がいきなりその場に現れたので驚いている。僕が探知系は全く駄目だって知っているのに、死命を決する距離まで近づかれたことが不快なのかな……?そんな表情も魅力に感じるんだから美男子は得だな。

 

「どうしたの?」

 

道場からは殺伐とした気配が溢れている。のんびりと尋ねる僕に、すぐ気を取り直して

 

「申し訳ありません、認識阻害の結界を張っていた人員の一人が敵に気がつかれまして、久さんを待たずに戦闘が始まってしまいました」

 

約束の時間までは5分はあるはずだ。

やはり子供主導では手違いがおきるかな。もちろん九島家全体が協力して動いたら、もっと大規模になってしまって、古式魔法師との騒動も大きくなってしまう。烈くんは研究所の方が忙しいだろうから、子供だけで、と言う話だったんだけれど……。

光宣くんが不機嫌だったのは部下の不手際の方だったのか。光宣くんは僕や家族以外には厳しいというか苛立ちがある。自分は優秀な魔法師なのに常人の手助けが必要な体質が恨めしいのかもしれない。

 

事前の情報では、古式の術者は道場の中に12人いる。中年以上の男女。だれもそこそこの術者、らしい。そこそこって事は一人ひとりは大したことがない。

道場内から大声やめきめきと言った木材が折れるような音がする。

九島家の魔法師が遅れをとるほどの術者はいないし、例の『使い魔』を使役した術者も、直接攻撃が得意ではない、呪殺専門なんだそうだ。

ただ、真夜中なのに、どたばたと騒がしい。山奥の道場なので、板張りの床を踏む音が結構、周囲の山に響いていた。こんな夜中に稽古でもあるまいし…

 

僕が空間を遮断して、音が漏れるのを防ぐ。急に音が聞こえなくなった。

 

「何をしたんですか?」

 

「道場を丸ごと『空間の檻』に閉じ込めたから、もう敵どころか音も外には漏れないよ」

 

『サイキック』を使う。光宣くんにはわからなかったみたいだけれど、瞠目している。道場は木造だけれど、山奥とは思えないほど、いくつか建物があって広い。

 

「この大きさの道場を?やはり久さんは凄いですね。時間通りに行動できず恥ずかしいです」

 

「襲撃が計画通りにいかないなんて当たり前だよ。それより時間がないから急ごうか。『檻』の中を丸ごと攻撃すると九島家の人員も巻き込んじゃうから、さっさとすまそう」

 

「…やはり計画に問題があったようです。久さんに襲撃をお任せしておけばこんな面倒は起きなかったかもしれません」

 

この手の襲撃は不測の事態にそなえて二手三手を準備しておかなくちゃいけないけれど、光宣くんは自分の『魔法力』に頼ってしまうから、ごり押しになっちゃうんだよね。意外と部下の意見は聞かないし…

 

「連絡不足はお互い様だから。僕ももっと早く来られればよかったし。今は『術者』を捕まえるのが先決だね」

 

烈くんなら、僕の『能力』をある程度把握しているから、もっと上手にできるけれど、仕方がないね。これを糧にどんどん経験をつんでいけば良い…ってこんなことがたびたび起こるのかな?起きるんだろうな。僕と光宣くんの付き合いも長くなりそうだし。

かつて烈くんがいた立場に光宣くんが立って、僕を上手に使う、なんて未来はそんなに遠くない現実かもね。

 

「では、『例の術者』はここの道場主で、この男です」

 

携帯端末で道場主の顔と全身を見せてくれる。老人だ。ひげを蓄え、針金のような体。長年厳しい鍛錬を繰り返してきた雰囲気。

これまでは記録が残らないようにぜんぶ電話では口頭だけにしていたから、僕は術者の顔を初めて見た。

 

「この男以外は最悪殺しても構いません」

 

「了解。じゃぁ、適当に倒すか殺すかして術者を捕まえよう」

 

道場に正面から入る。道場内で炎や武具が飛び交っている。時代劇の殺陣みたいだけれど、命がけの戦いを術者と九島家の戦闘員が行っている。

光宣くんはざっとひと眺めして、

 

「道場主は…いないようですね隠れているんでしょうか」

 

「なるほど、時間もないし、僕は右側の男から『尋問』していくね」

 

「じゃあ僕は左から」

 

と左右に分かれて走り出した。

 

道場は意外に広かった。バスケットコート3面、小さな体育館くらいあった。

敵の術者が九島家の魔法師と戦っている。僕は無造作に一人に近づく。術者が僕に向けて手印を向ける。密教系の術はアニメやコミックでおなじみなので僕にもわかる。

あれは不動明王火炎呪だ。でも、どうしようもなく遅い。呪文を唱え終わるのをいちいち待っているあげる義理はない。

僕はその術者の両指を『サイキック』でへし折る。印を結べなければどうしようもない。

全部の指の関節が逆方向にまがって、悲鳴を上げる男。

 

「ねぇ、道場主さんはどこ?」

 

「しっ知るかっぐあぁああ!」

 

今度は両肘をへし折る。そして同じ質問をしたけれどかたくなに答えない。両足を関節ごとにへし折っていくけれど、答えない。そうか、膝を折った時点で気を失っていたのか。残念。

次の術者に聞くか。道場を見回すと、九島家の工作員たちが、敵3人を無力化していた。

残りの7人は光宣くんを取り囲んでいたけれど、敵の攻撃は光宣くんの身体をすり抜けていく。すり抜けた武具が味方同士にあたっていた。

涼やかな笑みを浮かべている光宣くんは、たしかにあそこにいる。でも術者の攻撃はあたらない!

んん?あれ?あの『魔法』、僕は知ってる。

アメリカの『仮面魔法師』と同じ、そこにいるのに、いない謎の『魔法』…

僕が疑問に思っている間もなく、光宣くんの『電撃』が術者たちの身体を這いよった。7人同時に無様に倒れる。圧倒的だね。

僕たちが道場に侵入して5分と経っていない。

 

「道場主はどこにいるんです?」

 

光宣くんがその美貌で尋ねるけれど、術者たちは沈黙を守っている。光宣くんは少し不機嫌になっているけれど、道場主が建物内に最初からいたなら、まだどこかに隠れている。

 

「皆さんを戦わせて、自分だけ隠れている、そんな人物に忠誠を誓う価値があるんですか?」

 

「やかましい、九島のガキが!」

 

それぞれがふてくされて、口々にののしっている。質問には答えてくれそうにない。

あまり時間をかけると、澪さんが心配して僕の部屋に尋ねてくるかもしれないな…早くしないと。

 

「ねぇ光宣くん、僕が質問するから、そいつら一列に並べてくれる?」

 

僕の提案に一瞬考えて「了解しました」と部下に下知して、電撃や怪我で身動きが不自由な術者たちを一列に並べる。

 

 

術者が一列に並べられた、11人いる。拘束していないけれど、全員鉄の意志で好きな姿勢で座った。一番端が、さっき僕が気絶させた男。九島家の部下が引きずってそこに横たえた。僕と光宣くんが並んで正面に立ち、九島家の部下がその後ろに並ぶ。

 

正座して座る女に僕は問いかけた。

 

「道場主はどこですか?」

 

「知らないね!古式の術者は拷問されても師匠への恩は裏切らない!」

 

自分に酔っているのか、にたりと笑った。長年の修行で化粧っ気のない、なめし皮のような厚い面の皮だ。

 

「そういうの興味ないから」

 

僕は質問している女の隣にいる、さっき僕に関節をへし折られて気絶した男に顔を向ける。女もつられて視線をむけた。

 

ぐっじゃぁっ!

 

僕は気絶している男を『念力』で頭を無造作に、胴体から引きちぎった。首がボーリングみたいに転がって、裂けた部分から血がどぼどぼ溢れ、修行で磨き上げられた綺麗な木の床を汚した。

 

「ひいっ!?」

 

変な声を上げたのは、九島家の部下の一人だった。光宣くんが厳しい目でその男を睨んだ。部下が慌てて呼吸を止めた。これ以上僕に部下の醜態を見せたくないみたいだ。

血の池はどんどん大きくなっている。

大量の血の匂いが道場に満ちる。僕は無表情。光宣くんも冷たい目のまま女を見下ろしていた。

女は、死体と僕たちを見上げて、顔面を蒼白にして、それでも声を上げるのをこらえていた。

 

「道場主はどこですか?」

 

と、僕は同じ質問をした。

 

「しっ知らん!」

 

「そうですか」

 

今度は逆に座る男の後頭部がはじけ飛んだ。

 

「ばびゃっ!」

 

後頭部から、物凄い勢いで脳漿が飛び散る。ざくろの実みたいな粒粒が床と壁を妙にピンク色に染めた。

後頭部が弾けた男はゆっくりと後ろに倒れた。べしゃっと床にぶつかる。倒れると頭の半分が木の床に埋まっているみたいだった。変なの。

 

僕は無表情で、女を見下ろしながら、同じ質問をバカみたいに繰り返す。

 

「道場主はどこですか?」

 

「なっ、こっ殺せばしゃべるとでも思ったのか!?」

 

「思うよ。だって後9人もいるんだから、1人くらいしゃべる気になるよ。それに11人も弟子を殺されても出てこないような師匠は、いろいろと失格なんじゃないかな」

 

腰まで伸ばした黒髪。絶世の美少女の容姿を持つ僕が、抵抗できない中年の大人たちを見下ろしている。無表情でしゃべる僕は人形じみていて、それだけで不気味だと思う。

僕の瞳は薄紫色の燐光を放って、『魔法』ではない謎の『能力』で術者たちを殺している。

確実に人間としては失格だ。

 

「ばっ化け物がっ!がぁあぶばぁ!!」

 

大口を開けた女の頭が360度回転する。見えない力に無理矢理ありえない首の動きをさせられる女の頭。

驚愕して、舌をだらしなく垂らしたまま、もがいていた身体はすぐにぐったりとした。女は丁寧に正座したまま、頭が変な方向に倒れた。

 

「ひっいいい!?」

 

仲間の術者がうめく。

女の淀んだ目が、隣の男を見つめていた。

僕の行動に光宣くんも部下の男たちも言葉がなかった。こういう時、僕は容赦はしない。絶対に。

 

「化け物ですがなにか?それに、先に手を出して来たのは貴方たちでしょ。攻撃しておいて攻撃されたら文句を言うの?あの『使い魔』の毒は危険なものでしょう、それにかけられていた術も」

 

僕が光宣くんを見ると、

 

「漢方生薬の斑猫と青酸化合物を混合した、とても危険な毒でした。量的に1千人は殺害可能でしたね。青酸化合物だけでも致死量の何百倍でしょうに、わざわざ斑猫を混ぜたところに歪な殺意を感じます」

 

「だってさ、人を殺す気なら、自分も殺される覚悟がいるよね。人を呪わば穴二つ…今回はいくつ穴が必要になるかな…」

 

くくくっ。

僕は口の両端を軽くあげて微笑んだ。妖艶という生々しい笑顔とは違う、どこか生気の欠けた、人形の乾いた笑いは、術者たちの戦慄をさそった。

 

「おっ俺たちはそんな事知らなかったんだ!」

 

術者の一人が悲鳴のようにわめいた。

 

「じゃぁ、知っている事を話してよ、道場主さんはどこですか?」

 

「あっああああ…」

 

恐怖から舌が凍りついたみたいだ。

僕はゆっくりと手のひらを術者に向けた。意味のない行動だけれど、向けられた男には一瞬後の死。穴がもうひとつ増えるかな。

 

「まっ待て、待ってください。殺さないで、答えます答えます!師匠…いっいえあの男は…」

 

一人があわてて震えながら答えた。他の術者は、誰も止めなかった。

 

台所の地下に食物倉庫があって、そのさらに奥に隠し部屋があった。老道場主はそこに隠れていた。ありがちな隠れ家だから時間をかければすぐに見つけられただろうに。生への執着が自分を見失わせたのか。

老い先短い道場主が最後の悪あがきを見せた、と言うのが真相なのかもしれない。お粗末すぎて、ただ周りを巻き込んだ自爆テロだ。

 

九島家の部下が暴れる道場主を無理矢理引きずり出した。光宣くんが、本人だと確認する。

老道場主は、自分を裏切ったであろう弟子たちを睨む。そして、道場の凄惨な光景に声を失ったけれど、自業自得だよね。

 

僕は光宣くんに時間を確認した。携帯端末は自宅においてある。位置情報が記録されるからだ。ここに来て約20分。アニメなら一話分だね。早く帰らなきゃ。

部下に指示を出していた光宣くんに笑顔を向ける。今の笑顔は、どんなタイプの笑顔なのかな。

 

「じゃぁ光宣くん、あとはお任せするね。急いで戻らなきゃ」

 

「はい、詳しいことはいずれお知らせします」

 

光宣くんの笑顔は安堵が混じっているけれど、美少年の本物の笑顔だ。生命力を内包している。真相は比較的どうでもいい。早く帰って、勉強しなきゃ。今日も勉強は進んでいないんだ。

 

「あっ久さん、返り血がついています」

 

僕の白いシャツにぽつぽつと赤い染みが出来ていた。このまま帰ると澪さんと響子さんに気がつかれるな…どうしよう。『魔法』で…

光宣くんがシャツの袖を少しまくると、ブレスレッド型CADを操作した。赤い染みがふわっと気体になって、染みはウソのように綺麗になくなった。僕はゆっくりその場で一回転する。他にはない?と聞いて、大丈夫ですって光宣くんが答える。こういう細かいところに気がつくのが光宣くんだよね。

 

「有難う。じゃぁ、また電話でね。九校戦で会えたらいいね」

 

「はい、楽しみにしています」

 

僕も光宣くんも、人を殺めたことに何の後悔もわだかまりもない。この程度で僕たちの心に染みをつくることはできない。二人とも、どこか人間として欠けている部分がある。

 

たしかに、二人とも化け物だな、と思う。

 

僕はきびすを返し、夜の闇の中に消える。まるで神隠しのようだ。

 

 

 




前半、後半で話しのギャップをつけるために、ちょっと長くなりました。

最初、七草家での食事後、真由美たちとくつろいでいる最中に、トイレに抜けて、奈良に『飛ぶ』、20分後帰ってきて、七草家内で迷子になっていたんだ、という北山家勉強会と同じパターンでアリバイ作りをしようと考えていました。
でも、真夜中まで七草家にいるのもおかしい。
襲撃には明け方4時が本当は理想なんですけれど、朝の4時に家を抜け出すのは澪さんと響子さんが一緒にいる引きこもりな久には難しい。
なので夜の0時という変な時間の襲撃になりました。まぁ光宣は戦い慣れしていないので、経験不足と自信からくる慢心です。
直接のミスは九島家の部下がしますが、諸葛孔明が負けるときには部下が不始末を起こすのと同じですね(笑)。

戦術的失敗者に興味はない。達也の台詞ですね。

光宣は今回の戦闘のせいで、再び体調不良になって、九校戦前の病弱状態になります。久に心配をかけないよう連絡は音声オンリーで。響子がお見舞いに来る頃にはパラサイトの培養には成功していました…響子もここから九島家のパラサイドールを達也と戦わせる陰謀に巻き込まれます。
わざわざ達也にリークする必要なんてないのに、烈か父親に指嗾されたのでしょうか。
大陸の術者がドールを狂わす術式を組み込みますが、それよりも烈の言うとおり忠誠術式の方が強固なのです。精神支配は容易く崩せない。それは久自身が証拠で、このSSの根本です。達也が割り込まなければ、パラサイドールはただの人形で終わるはずだった…八雲の心配も杞憂…
二年生の九校戦の裏ではみんな独り相撲している違和感があったので、自分なりに考えてみた次第です。

お読みいただき有難うございました。


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劣等生

前話の揺り返しで、今度は久が酷い目に会います。ご注意を。
人を呪えば穴はいくつなんでしょうね。



僕は料理部で部活をしている関係で帰宅時は水波ちゃんと一緒になることが多い。

水波ちゃんは達也くんと深雪さんを待っているので、校門で生徒会役員と風紀委員、他の部活をしているメンバーと待ち合わせをする。

二年生になって幽霊テニス部員だったエリカさんも剣道部のカケモチみたいな状態なので、

一高から駅前までの短い通学路は他のクラスの友人たちと一緒になる。

二年生のこれまでのメンバーに、水波ちゃん、泉美さん、香澄さんと、大所帯だ。

レオくんと美月さん以外のメンバーは四葉家、七草家、千葉家、吉田家。僕自身は天涯孤独だけれど世間では九島家と五輪家。中々剣呑な集団だと思う。

 

僕は魔法科高校に入学するまで学校に通ったことがなかった。

だからアニメやコミックスに出てくるやたら登場人物たちのテンションの高い学校イベントにちょっと憧れがある。文化祭や体育祭、修学旅行があれば情緒に波のある僕のテンションも波の頂点に達すること請け合いだ。

でも、魔法科高校には、そんなものがない。

九校戦と論文コンペ以外は、とにかく勉強、長期休暇中も宿題の山。その反動で多くが部活動に励むし、九校戦にはやたらと力を入れる。

学校でのイベントと言えば、一高には怪談話が多くあるそうだ。魔法実験の蓄積で人外の存在が学校の一部にこもっているとかなんとか。

 

駅前でキャビネットの順番待ちをするけれど、なにしろ大所帯なので、いつもならすぐ来るキャビネットが、その日に限って数分来なかった。

 

中学生くらいの女の子二人が僕たちに近づいてきた。恐る恐ると言うか、少し挙動不審だ。

一瞬、その場にいるほぼ全員(美月さん以外)が警戒する。女の子たちはちょっと驚いたけれど、僕の方を熱い目で見つめてきた。

 

「あっあの、多治見久さんですね」

 

「去年の九校戦見ました。私たちファンなんです!」

 

「あっありがとう…」

 

いきなりで驚いたけれど、僕の声を聞いて女の子はきゃーきゃー騒いでいる。

そういえば去年の九校戦のときも他校の生徒に囲まれた。女子より男子生徒の方が多かったけれど、その目が血走っていて怖かったイメージしかない。

九校戦は全国にテレビ中継されているから、一般の人も僕のことを知っている。魔法師は一般社会では畏怖される面が強い。常に『魔法』という武器を所持しているのだから当たり前だと思う。九校戦の新人戦では深雪さんが容姿実力ともにダントツで目立っていたけれど、僕もキャラ的にはそれに匹敵するくらいにインパクトがあった。

最近、この手のファンが増えた。もうすぐ今年の大会の概要が発表されるから、去年のダイジェスト番組でも見て話題に上がったのかな…

実は深雪さんも、ファンと思しき人たちに声をかけられそうになる。でも、神々しい容姿に一般人は気圧されるし、なにより達也くんが強固な壁となって、一般人を近づけない。

僕は見た目だけは弱弱しい。この女の子たちより腕っ節は負けるだろうから、比較的声をかけやすいみたいだ。去年の九校戦は僕は敗者なので、ファンと言われてもぴんとこない。僕よりも優勝した一条くんの方がかっこいいと思うけれど、こういう女の子たちの嗜好は男の娘の僕なのだ。これまでの奇行を知らない一般の女の子にはテレビでみかけた可愛い男の娘として、身近な動物園の小動物みたいに思えるんだろう。でも、一皮むけば、過去に数百万人もの一般市民を虚空に消し去り、殺戮に何の抵抗もない化け物なんだよ。そんな事言って脅したりしないけれど…

 

「今年も、応援しています!」

 

「頑張ってください!」

 

「ありがとう…」

 

一方的に告げると、女の子たちは走り去った。他人のペットの犬を触り飽きたみたいだ。僕は猫より犬だよな。

何となくだけれど、微妙な空気がキャビネット乗り場に満ちた。エリカさんがにやにやしているのは、おもしろいネタが近くにあるときの顔だ。エリカさんは確実に猫だよなぁ。

 

「人気者だな、久」

 

達也くんが無表情に言ったけれど…

 

「冗談じゃないよ…ただでさえ変に注目を浴びて困っているのに…僕自身は何も成し遂げていない劣等生なんだよ」

 

僕は狭い肩幅をさらに狭くして落ち込む。魔法師、ナンバーズ、十師族、企業、政治家。ここに一般人まで加わっては、僕は外出すらままならない。まぁ引きこもりだけど。

問題は、僕自身が公式の場できちんと実力を発揮していないで、評判だけが一人歩きしているところだ。

 

「意外ですね、久先輩は、モテルンデスネ」

 

なぜかジト目の香澄さんが抑揚のない台詞を僕を見下ろしながら言う。このメンバーで僕が一番背が低いし、香澄さんの僕の評価はもっと低いと思うんだ。こういうことがあるとすごく嫌味を言われる。特にこの前のお食事会からは…嫌われているのかもしれない。しょんぼり。

 

「冗談じゃないよ…」

 

僕はさらに落ち込んだ。

 

 

 

一高では、教師はまったく姿が見えない。僕の教師に対する不信感はいまだに根強い。

警察に対しても不信感は残っている。

去年、僕が誘拐されたときの犯人も、僕と八雲さんが壊滅させたとは言え、手がかりなし。『パラサイト』のときも犯人どころか『吸血鬼』さわぎの原因すらつかめていないのかも。

十師族やナンバーズが自分たちの手で事件を解決しようとするのも、警察の捜査の足を引っ張っているのだろうし、十師族は自分たちでも事件を起こしたりしている。

自宅周辺の警察官は顔見知りだし、エリカさんのお兄さんも警察官だからあまり悪くは言いたくないけれど、自分たちの身は自分たちで守るのが、十師族の、広くは魔法師界の原則だ。

 

僕も、魔法師界にそこそこ顔が知れていて、警護の意識もそれなりに高くなっている。世間から見れば僕も十師族の端くれだから、特に一人のときは注意が必要だ。

元日の九島家の会に参加してからは魔法師界以外の権力者も手を伸ばしてきていたけれど、お見合い写真は十文字先輩の働きかけのおかげで激減した。

そして、何故かこの前の七草家のお食事会に参加してからは、お見合い写真の類が全く来なくなった。

どうしてだろうって澪さんと響子さんに尋ねると、

 

「どうしてでしょうねぇ!ぷんぷん」

 

「どうしてでしょうねぇ…にやにや」

 

と、よくわからない反応が返ってくる。

 

皆と別れてからそんな事を思い出しつつ最寄の駅まで移動。いつもどおり自宅近くまでのキャビネットに乗り換えようと乗り場でキャビネットが来るのを待っていた。

ここは以前、レオくんとチンピラたちと喧嘩をした場所だ。

6月半ば、寒冷化で梅雨が曖昧なこの時代、どんよりと曇るけれど大雨はあまり降らない。今日も雲の隙間から弱い光が差し込んでいる。なんとなく気分も空気も沈みがちになる。試験も近いからなおさらだ。

夕方5時。この時間はこのあたりは住宅街で人目もあるし、警察もいるから比較的安全な場所だ。

パトロール中の警官と目が会い挨拶をする。警察への不信感はあるけれど、駅前の警察官は一高出身者だし、『魔法師』でもあるから、僕をみかけると気さくに挨拶をしてくれる。

 

 

安全な場所だけれど、駅前の交番と自宅の澪さんの警護の隙間でもある。

さっきの一高駅前でのやりとりで、僕の警護意識も少し緩んでいた。もともと僕の集中なんて長続きしないんだけれど…

 

 

ふと、キャビネット乗り場の反対側に、一人の女性が立っているのが見えた。身動きしないで、僕の方をじっと見ている。

またさっきみたいなファンかな…?

 

女性は、見覚えがあった。見覚えがあるというより、僕の一番身近な女性。

 

「あれ?澪さん?」

 

澪さんが立っている。電動車いすは最近は使っていないけれど、外出するときは必ず警護の人が念のために折りたたんで持っている。

その警護の人がいない。

澪さんだけが、所在なげにたたずんでいる。夕暮れにはまだ早いけれど、どこかぼんやりとうす暗闇に沈んでいる。

 

「澪さん?」

 

と声をかけたけれど、澪さんは聞こえなかったのか、踵を返すと、ゆっくり歩き始めた。とぼとぼと華奢な後姿だ。どこか哀れを誘う…あんな歩き方だったかな…疑問に思うけれど、僕が澪さんを見間違えるわけがない。

 

「ねぇ、澪さん?」

 

僕は、澪さんを追って走り出した。それはとくに目立つ光景じゃなかったので、周囲の人たちも特に疑問には思わなかったみたいだ。

なんで澪さんは僕を無視するんだろう。僕の声が聞こえにくいのかな。そりゃ僕はあまり声は大きくないけど、『小松未可子』さんの設定で男の娘だから、聞こえないわけがない。

澪さんは僕の駆ける速度よりも速く歩いている。追いつかないし、声が聞こえない距離じゃない。

僕は、やがて必死に追い始める。澪さんは僕と同じ距離を保ちながら歩いている。

 

 

おかしいなと思うけれど、『僕の一番大事な女性』に絶対に追いつかなくちゃって、脳内の誰かが言っている。

 

脳の中の誰か?これは、以前にもどこかで…澪さんが角をまがる。見えなくなる。追いかけなくちゃ!

疑問は、すぐに考えなくなった。僕はひとつに意識が向くと、他を考えなくなるけれど、これはおかしい…おかしいけれど、

 

「澪さん、待ってよ!」

 

僕は泣きそうな声で叫ぶ。澪さんはそれも無視して閉鎖されているビルに入っていった。立ち入り禁止の柵の隙間を器用にすり抜ける澪さん。あの数センチの隙間をどうやって?まるで学校に現れると言う幽霊だ。

僕が柵を乗り越えているうちにもビルの階段を上がっていく。

 

あれ?おんなじ様なことが一年前にもあったような…?

たしか、僕を勧誘に来た企業のお姉さんと社長がいて、僕を建設中のビルに…

 

今回は、解体作業前のビル?

僕は置いてけぼりをくらった子供のようにふらふらと、導かれるままに階段を登る。

澪さんが三階にある半開きのドアの隙間に消えた。三階に駆け上がっただけで息が切れそうだけれど、元はオフィスだったと思しき部屋に僕も飛び込んだ。

 

「ぐぁがっ!」

 

ドアを潜り抜けた僕の真横から、いきなり底の分厚いブーツが飛んできた。僕の無抵抗の横腹を直撃する。体重の乗った蹴りは、軽い僕を吹っ飛ばした。手に持っていたかばんを手放して、僕はごろごろと転がる。放置されたままのオフィスデスクにぶつかってとまったけれど、痛みよりも僕の頭の中は澪さんのことしか考えられない。

 

ぼぅとした意識の中で放置されたオフィスを見回す。ビルの半フロアくらいある広いオフィスにはデスクやチェア、ロッカーなんかがそのまま乱雑に置かれていた。入り口近くはスペースが出来ていて、そのまわりにチェアや備品のはいったダンボールがばらばらに積まれている。照明はついていないけれど、広々とした窓から夕方の日差しが、どこかさびしく室内を照らしていた。

 

ドアの横に立っていた男が僕に向かって歩いてくる。高校生くらいかな。身なりが良いけれど、その表情にはどこか険がある。

 

「澪さんは…」

 

僕がその男に尋ねると、いきなりお腹を蹴り飛ばされた。背中のデスクに挟まれて後頭部をうつ。

何が起きているのか全然理解できない。ただ、僕の頭の中には澪さんのことしかない。

 

男の両腕が伸びてきて、一校制服の襟元をつかむ。僕はずるずると引きずられるように持ち上げられた。足が宙に浮き、目の前に男の顔がある。

 

「こんにちは、多治見久君」

 

僕は襟元をしめられ呼吸が苦しいし、蹴られた箇所が痛いけれど、目の前の男は全く眼中にない。オフィスにいるであろう澪さんを視線だけで探す。

 

「俺の顔をみてピンと来ないか?あぁ?」

 

来るわけない、息が出来ないし、澪さんを探さなくちゃいけないんだ。

 

「俺はな、養子にだされたが、本名は名波、かつては七海といったナンバーズだ。俺には兄がいてなぁ…ちょうど一年前に経営する会社の社員と共に行方不明になったんだ」

 

男は僕が聞いてもいないのに語り始める。

 

「この一年、色々と調べたが。どうもお前に一高に会いに行ったあと兄貴は行方不明になったみたいだな。お前は、一高では実力を隠しているが、魔法力は過去最高なうえに本当は上級生三人を瞬殺できるくらい優秀な戦闘能力なんだってな」

 

上級生?十三束くんは同級生だよ。それより息が苦しい。澪さんはどこ…?

 

「しかも、七草家の連中とつるんでいるそうだな。自宅に招かれて、七草の娘と『お見合い』するくらいになっ!」

 

何を言っているのか良くわからない。

男は僕の襟首をぱっと放した。僕はそのまま糸の切れた人形みたいにうずくまる。空気をもとめてぜいぜい息をする間も澪さんを探している。そんな足元の僕の頭を凄い力で掴んで視線を上げる。男の顔が目の前にある。でも…

 

「俺たちの家はな、七草にナンバーを奪われた。俺は兄貴ほど優秀じゃなかったが、この『魔法』だけは得意でな。これまでは義理の両親の手前隠してきたが、どうやらお前が何か知っているって聞いてなっ!」

 

誰に?誰だろう。

あぁ精神支配系の魔法師なんだっけ。七草家に恨みをもっていたよね、あの社長さんは。弟さんも同じなんだ…弟さんの精神支配の魔法は、そうだね、すごいなよく効いている。むしろ効き過ぎなくらいだよ。声を上げたいのに、声を出すなって脳内で響いている。だから質問にも答えられないし。精神系の魔法は僕には普通より効くみたいだ。それより、澪さんを…

 

「兄貴や、会社の社員について、何か知っているんだろう!」

 

知っているけれど、今の僕は澪さんのことしか頭にない。男を無視して、視線がオフィス内を泳ぐ。無視されたのが気に食わなかったのか、悪態と共に右足を僕の顔の前に向ける。視界がブーツの裏でふさがれた。

 

「ぎゅっあ!」

 

凄い勢いで顔面を蹴られた。鼻血を吹きながらコンクリートの壁まで無様に転がるけれど、声は出ない。痛いけれど、何もできない。男は、僕を尋問したいのか痛めつけたいのか良くわからない。ただ、あの時の社長さんと同じで人間としてはイビツだ。這いつくばりながらもオフィスを見回す。澪さんがいない。いない…すごく悲しい…

 

男は格闘技の心得があるのか、僕を蹴っ飛ばしたまま片足立ちで立って、すこし怪訝な顔をしている。

 

「おかしいな…俺の得意魔法にしても効き過ぎだぜ…」

 

僕は鼻血で床と制服を汚しながら、まるで今、男の存在に気がついたみたいに、

 

「ねぇ澪さんはどこ?」

 

って尋ねた。男は足を下ろして無警戒に近づいてくると、僕のかたわらにしゃがんだ。僕の長い黒髪を掴むと頭をぐいっと持ち上げる。痛いっ痛いっ!髪の毛がぷちぷち抜けるのがわかる。でも、何も考えられない。

 

「ミオさんって言うのか?お前の一番大事な女は。俺の魔法はな、かけられたヤツの脳に一番大事な異性を映し出して情報を聞き出すんだ。その間思考も低下するが…ここまで効いたヤツははじめてだぜ。ほらミオさんなら目の前にいるぜ」

 

うつぶせに横たわり、頭だけを男に上げさせられている不自然な体勢の僕の前に二本の足が見えた。その白い足を見上げていくと、澪さんがいた。顔は良く見えないけれど…よかった澪さんがいた。

 

「おい、ミオさんが聞いているぜ、俺の兄貴を知らないかってな?」

 

男が何か言っているけれど、僕は澪さんがいたことに歓喜して聞こえない。両手を澪さんに無理な体勢のまま伸ばそうともがく。

 

「なんだこいつは!気色悪いな!」

 

男がいきなり掴んでいた髪を離すものだから、僕は床に顔をぶつける。フロアがはがされてむき出しになったコンクリートは硬いしざらざらして痛い。でも、澪さんがいたからいいんだ。僕は自分自身の痛みには比較的慣れている。鼻血を流したまま、見上げる。

 

あれ?いない。澪さんがまた消えている。

 

「ねぇ、澪さん…どこにいったの…?」

 

「知るかっ!」

 

思いっきり肩口を蹴られる。

僕は蹴られた勢いのまま放置されたデスクまでぐるぐる回りながら飛ばされる。ガンって金属部品に頭がぶつかった。どこか皮膚が切れたのか、僕の額から頬にむけて鮮血が流れた。

澪さんを探さなきゃいけないのに、体が言うことを利かない…

 

「ちっ、このままじゃラチがあかねぇ」

 

男が携帯電話型のCADを操作した。『精神魔法』の効果が切れた。

 

その刹那、全身を激痛が襲う。いきなり痛みが来たので、呼吸が止まって、声を上げることが出来なかった。でもそのおかげで冷静になれた。状況を一気に理解する。僕は七草家に恨みを持つ数字落ちの魔法師に襲撃されている。僕の脳が澪さんの幻覚を生み出し、何も考えられなくなるくらい『精神魔法』がかけられていた。左腕と肋骨が折れている。口内と鼻の中、頭頂部の裂傷から血が流れていて、打ち身にスリ傷。蹴られた右まぶたも腫れあがっている…

ここまでされたのに精神を支配する魔法のせいで何も出来なかった。情けない…ほんとうに情けないな。

九校戦で活躍したとか、過去最高の魔法力とか言っても、こんな男のひとつの魔法にすら抵抗できなかったなんて…

右手の指輪を見つめる。真夜お母様に完全思考型のCADをいただいて少し調子に乗っていたけれど、やっぱり僕は『魔法師』としては劣等生だ。

でも、『サイキック』としてなら、誰も僕に勝てない!

 

僕はゆらりっと幽鬼のように立ち上がった。自分の足でじゃなく、『念力』で。

僕の黒曜石の瞳が薄紫色の光を放つ。

敵対者は残酷に、無様に殺す…精神支配は、もはや僕の一部だ。

 

「あぁ?なんだ?立ち上がれんのかよ。そんじゃ今度は質問に答えてもらおうか」

 

男がCADを操作した。何の魔法かは僕にはわからない。でも、なにも起きなかった。

僕は、腫れぼったい目で、男をじっと見つめている。

数秒たって何も変化がない事に男が疑問に思ったのかもう一度『魔法』を使う。でも、何も起きない。

 

「ん?おかしいな、なんで魔法が発動しない!?」

 

男は、焦り始めた。CADを何度も操作して、サイオンを流し込むけれど、なにも起きない。

それも当然だ。今、僕は、男のCADを『空間の檻』に閉じ込めている。サイオンは届かない。

 

「お兄さん…魔法使えなくなっちゃったんだ…」

 

僕が呟くと、男は目に見えてぎょっとした。目を見開いて何度も何度もCADを操作するけれど『魔法』は発動しない。

『魔法』への不信は、『魔法力』の喪失につながる。これは去年の九校戦で達也くんが言っていた言葉だ。

 

「魔法…使えないんじゃ、もう『魔法師』じゃ…ないね」

 

「おっおまえが何かしたのか!?」

 

「さあね…でも、攻守逆転だよね」

 

僕はオフィスにある二人用の金属製デスクを片手ですっと持ち上げた。軽自動車くらいの大きさがある。

それは不思議な光景だ。僕よりも大きくて重い、僕がぶつかっても全く動かなかった、大人でも数人がかりでやっと動かせる大きさのデスクを無造作に片手で持ち上げているのだから。

もちろん『念力』で持ち上げている。男には、当然、わからない。

 

「これ、投げるから、『魔法』で防ぎなよ。『魔法師』なら、できるよね」

 

「よっよせ…」

 

男が後ずさった。

僕は道端の小石でも投げるように、腕だけひょいっと振った。でも『念力』で加速されたオフィスデスクは100キロ以上の速度で唸りをあげて宙を飛ぶ。

車が一台ぶつかるようなものだ。まともにぶつかれば、下手すれば死ぬ。

男は逃げようか、それともCADを操作しようか一瞬考えた。でも、致命的な逡巡だ。

 

「ぐべっ!」

 

デスクが男を直撃した。デスク自体の重みと僕の『念力』でつぶれるようにへばりついて、両足が床を滑った。

がらがらがぁん!

大型デスクは、そのままコンクリートのうちっ放しの壁と男を挟むようにぶつかる。

轟音でビルが揺れた。つもった埃が舞って、天井の建材がばらばらとこぼれ落ちてくる。

 

「うぅがぁあああ…いでぇぇぁ!」

 

デスクに轢かれそのまま下敷きになる男。血まみれの上半身をデスクから出していた。なんだ生きているのか。運が良いね。

男は言葉にならない悲鳴を上げて暴れている。人一人の力では動かせない重さだ。『魔法』じゃないと無理だ。

轢かれたときに手から落ちたCADが床に転がっていた。男がそのCADに気がついて手を伸ばそうとするけれど、ぎりぎり届かない。身体をゆすって必死に腕を伸ばす。

僕はもうひとつデスクを『持ち上げた』。さっきのより小さいけれど、十分重い。

痛みと恐怖で歪んだ男の顔を薄紫色の光が射抜く。

 

「もうひとつ、いこうか。何個耐えられるかな?」

 

「やっやめろっぉぉぉぉっ!」

 

男が絶叫するけれど、無視してデスクを『投げる』。

『投げる』瞬間、折れた左腕がずきって痛んだ。そのせいで、コントロールがずれて、デスクの上じゃなくて、男のCADに伸ばした腕の上に落ちた。鋭利な金属部分が、男の右腕の肘から下を両断する。

 

「ぐっぎゃぁあああ」

 

ちぎれた腕をぶんぶん振り回すものだから、オフィスも男も、僕もびちゃびちゃ血に染まる。

埃っぽいオフィスに男の悲鳴が響く。

 

「あっがぁ…」

 

やがて男は痛みのゲージが振り切れたのか、ぐったりと動かなくなった。意識を失ったんだ。

 

「そのままだと、失血で死んじゃうよ。止血したほうがいいよ」

 

僕の忠告は聞いてくれないみたいだ。男は白目をむいて、死へのカウントダウンに入っている。

 

 

ぐらりと、僕の身体が揺れた。倒れそうになるのをこらえて壁に寄りかかる。足から力が抜ける。コンクリート壁にもたれてずるずると座り込む僕。痛い…物凄く痛い。

僕も気絶できたらこの痛みから解放されるかな。でも僕の『回復』は起きていないとだめだから、痛みに耐えてこのままじっとしていよう…

あぁ澪さんと響子さんにもらった制服が汚れちゃったなぁ。まただな。これで制服を汚すのは何度目だろう…

澪さんの幻覚はもう見えない。それが逆に悲しい。涙が溢れる…

 

 

僕の経験からすると、このあたりで救援が駆けつけてくるはずだ。

全てが終わってから現れる。もしくはわざと遅れてやってくる…

だいたい、さっきの轟音は外にも聞こえているはずだから、誰かがやってくるはずだけれど…

 

階段を駆け上がってくる足音が聞こえる。カツカツと少し可愛い靴音だけれど、二人かな、話し声も聞こえる。女の子?

 

「ああっっ!!姉さんいたよ!」

 

「あぁ!?多治見久様、ご無事ですか!?」

 

想像もしていなかったので僕は驚いた。

開けっ放しの扉からオフィスに入ってきたのは、『ヨル』と『ヤミ』さんだった。

『ヨル&ヤミ』さんとは去年の10月、四葉家への訪問以来だ。相変わらず黒いコスプレみたいな衣装を着ていて可笑しい。

『ヨル』さんが僕に向かって駆けてくるけれど、「ひぃ」っと僕の惨状に息を呑んだ。

僕は血まみれだし、まぶたや頬は晴れ上がっている。髪の毛は乱れて、たぶん本物の化け物みたいになっている。人形じみている容姿だけに、酷く見えるはずだ。

 

『ヤミ』さんがデスクに下敷きになった男の確認をしている。首に手を当てて生きているかどうかの確認をしている。

 

「まだ息がある。はやくこいつを運び出して!…このまま死なせるより生かしておいたほうが利用価値がある!」

 

あとからオフィスに駆け込んできた黒服たちに指示を出すと、僕の方に顔を向けた。女の子…?何となく違和感があるな…その中性的な顔は、ものすごく申し訳なさそうな表情をしている。

 

「それより多治見様の治療が先よ!」

 

いつもは大人ぶって背伸びをしている『ヨル』さんの声も上ずっていた。

 

「多治見じゃなくて、久って呼んでってお願いしたよ…」

 

『ヨル』さんがハンカチをポケットから取り出している。ハンカチも黒かった。よっぽど黒が好きなんだね…

僕の血が黒いハンカチに染み込んでいく。血はまだ止まっていない。

 

 

 




劣等生13巻の冒頭シーンの直前のこの事件。
この怪我のせいで、久は、再び体調をくずした光宣のお見舞いにいけなくなり、
響子だけが生駒に行き、パラサイドールのことを知ることになります。

久のお察しの通り、『ヨル』と『ヤミ』のふたりは真夜の命令でワザと遅れてきました。
ただ久がここまで精神系の魔法に弱いことは想定外でした。
久の魔法力と完全思考型CADがあれば本来ならもっと軽症ですむと考えていたのです。
この程度の魔法師に後れをとった久の評判は一時的に落ちます。にわかに接触しようとしてきた連中は手を引くほどに。それも結果的に真夜の思惑通りになります。勿論、九校戦までの話ですが。
そして、この事件は澪さんや警備に内緒ってわけには行きません。
これは『ヨル』『ヤミ』、四葉の分家である黒羽の存在が、九校戦の前に、表に知られる事件です。
幹比古が春あたりから噂になっていたと言っていたのはこの事件もひとつになります。

そういえば『僕の一番大切な人』って、澪さんだったんだ。←これ重要ですよ。



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分水嶺

前話の後半です。ちょっと切りどころが難しくて長くなってしまいました。


「それより多治見様の治療が先よ!」

 

いつもは大人ぶって背伸びをしている『ヨル』さんの声も上ずっていた。

 

「多治見じゃなくて、久って呼んでってお願いしたよ…」

 

『ヨル』さんがハンカチをポケットから取り出している。ハンカチも黒かった。よっぽど黒が好きなんだね…

僕の血が黒いハンカチに染み込んでいく。血はまだ止まっていない。

 

「申し訳ありません…あの男が多治見様に接触する前に確保する計画だったのですが、多治見様を見失ってしまって…」

 

「ですが…あの男にここまで苦戦されるとは想像していませんでした」

 

『ヨル&ヤミ』さんが謝ってくる。確かに、出来ればもう30分はやく来て欲しかった。

 

「うぅん、僕が去年、殺した人の家族が復讐に来たんだから、僕自身の不始末だよ」

 

弱弱しく首を左右に振る。『精神系』の魔法が弱点とは言え、自分が情けない。額から血が流れ落ちて目に入る。視界が赤く染まる。頭部は血管が密集しているからちょっとした怪我でも出血するけれど、頭頂部の傷は縫合しないと簡単にはふさがらない。『ヨル』さんのハンカチが白かったら真っ赤に染まっていただろうな。

 

「大丈夫だよ、自分でやるから『ヨル』さんの可愛い服が汚れちゃうから…」

 

血痕だらけの埃っぽいオフィスにリボンを多用したその服は物凄く場違いだけれど、『ヨル』さんには似合ってる。汚しちゃったらかわいそうだよ。

制服のポケットからハンカチを取り出そうとすると、激痛が走った。左上腕の骨が完全に折れている。

 

「そんな事はいいですから、治療を…まずは痛み止めの薬を」

 

部下に『ヨル』さんが命じるけれど、僕が止めた。

 

「待って…薬はやめてもらえる?僕は薬は効かないんだ…」

 

僕の『回復』は薬も異物として扱うから、不用意に飲めない。

 

「効かない?」

 

「ん、体質なんだ。添加物は一切駄目で、自然食品以外は毒なんだ…」

 

僕は物凄くナチュラルな食生活をしている。これも『三次元化』の弊害だと思う。下手に添加物を摂取すると体調が崩れる。入学当時、食堂のお昼ご飯が、どうしても美味しく感じられなかったのはこのせいだ。あの頃は料理も出来なかったから、栄養ジェルばかり食べていた。烈くんに誘われて高級料理店に時々行くと、物凄く美味しく感じるのはやっぱりちゃんとしたものを提供しているんだよね。痛み止めは、常人には薬でも僕には劇薬だ。怪我は『回復』で時間をかければ治るけれど、基本自分の治癒能力しか頼れない。

 

「では、治癒魔法で治します」

 

僕の体質も『治癒魔法』は大丈夫だ。『ヨル』さんが僕に『魔法』をかける。一時的に傷がふさがって、血が止まる。骨折していた箇所が一時的につながる。ただ、肋骨の骨折箇所は呼吸をするたびに痛む。痛み自体は消えないけれど、治療前よりは楽になった。

 

「ありがとう、『ヨル』さん」

 

僕が痛みに耐えながらにっこりと笑うと、『ヨル』さんが悲しそうな顔をした。

僕がまぶたや頬がはれて見るに耐えない顔だからかな…

 

「早くこのビルから出ましょう。さっきの轟音で人が来るかもしれませんから」

 

『ヤミ』さんが提案する。

 

「警察には?」

 

「警察が頼りにならない事は、多治見様も理解されていると思いますが?」

 

そうなんだけれど、こういうことの積み重ねが十師族と公権力との軋轢を生むんじゃないかな。でもまぁ、僕も警察には不信感しかない。

『ヤミ』さんが僕を助け起こしてくれる。

 

「大丈夫…一人で歩けるから」

 

「ビルの裏に車を用意してありますから、そちらに」

 

僕は、双子に助けられながら、階段を下りる。

ビルの裏側に黒いリムジンが止まっていた。すごく大きくて目立つけれど『認識阻害』の魔法をかけているんだったよね。

僕が半殺しにした男は黒服が連れ出していた。隣に止められているバンタイプの電動カーに荷物のように詰め込まれていた。あの傷と出血で助かるとは思えないけれど…

僕がリムジンに乗る前に、『ヤミ』さんが座席の配置を換えて簡易ベッドにする。簡易ベッドはふかふかしていてちょっと頼りない。

 

「ここに寝てください、治療を続けます。その前に制服は脱いでください」

 

リムジンが走り出すと、言われるまま簡易ベッドに腰掛けて制服を脱ぐ。下も脱いでくださいと言われる。制服は何とか脱げたけれど、シャツは痛くて無理だった。

 

「そのままで構いません、少し動かないでください」

 

『ヤミ』さんが収納からハサミを取り出した。鋭利な切り口が僕の目の前にある…

 

「ひっぃ…」

 

僕は一瞬研究所のことを思い出して、顔を歪めた。双子は構わずシャツを切っていく。下着1枚になった僕はぐったりしていた。もちろん怪我が痛かったせいでもあるし、体が熱っぽくなっている。『回復』が始まっているんだ。

『ヨル』さんは僕の女の子みたいな身体を見つめた。『ヤミ』さんは何故か目を背けた。

 

「これは…酷いですね」

 

僕の白い身体は、打ち身やスリ傷だらけだった。いつも自分の体が弱弱しいと思っていたけれど、本当に折れるとは思っていなかったな…

裸を見られるのは慣れているから平気だけれど、女の子二人にってのはちょっと恥ずかしいな。

リムジンには包帯や骨折治療用の添え木まで常備してあった。『ヨル』さんが骨折した箇所に添え木をしてくれる。

 

「『治癒魔法』は永続しないのでかけ続けなくてはいけません。帰宅されたら五輪澪様か藤林響子様にお願いしてください。骨折箇所の治癒には1週間はかかります」

 

頭部の裂傷箇所を被覆材で塞いで包帯を巻く。ぐるぐる巻きにされるかと思ったけれど、包帯を無駄にしないで手際が良い。肋骨の治療は難しいので、コルセットかわりに『ヨル』さんがバンテージをきつく巻いてくれる。僕は上半身を起こして『ヨル』さんの意外に器用な治療に感心していた。僕の目の前に『ヨル』さんの可愛い顔がある。凄く近い。

 

「『ヨル』さん」

 

「どうしました?」

 

ふと視線を上げた『ヨル』さんと真正面から目があった。お互いの呼吸がわかる距離。まるで口付けをするみたいだ。『ヨル』さんが硬直して、可愛い顔がみるみる真っ赤に染まった。

 

「ありがとう『ヨル』さん。『ヤミ』さんもね」

 

「…う、うん」

 

『ヤミ』さんはなんだか男の子みたいに返事をした。

『ヨル』さんが、はっと気がついて、あわてて距離を広げる。

 

「…久様はほんとうに深雪さんに似ていらっしゃるわね…なんだかドキドキしてしまいますわ」

 

『ヨル』さんの口調が元に戻ったのと、僕を久って呼んでくれて、思わず微笑んだ。

傷は魔法をかけ続けて一週間か。『回復』だとどれくらいかな、5日くらいかな。その間は学校はお休みだ…

 

 

リムジンは10分ほどで自宅についた。『ヨル』さんが降りると、自宅の警備員が警戒も露に前をふさぐ。

 

「私は黒羽亜夜子。四葉家の分家に当たる者です。弟の文弥と共に、四葉家当主真夜様のご命令で多治見久様を暴漢の手より救出いたしました」

 

『ヨル』さんが名乗りをあげた。僕は初めて『ヨル』さんの名前を聞いた。

 

「黒羽亜夜子…黒羽文弥…あれ?『ヤミ』さんは…」

 

「えぇと…任務中は女装、いえ変装しているんです。決して趣味でも男の娘でもありません!」

 

男の子だったんだ…女装が凄く似合っている。どうみても女の子の僕とは違って、少し中性的で男の子を思わせる部分がある。

そんなに慌てなくても、その気持ちは良くわかるよ。

 

「五輪澪様にお取次ぎください。多治見久様は大怪我をおっています」

 

僕がリムジンのドアからひょいと顔を出す。包帯に腫れあがった酷い顔だけれど、警備員はすぐに僕だって気がついた。即座にインターフォンで澪さんに連絡を入れる。

僕はゆっくりとリムジンから降りた。シャツは切ってしまったので、裸に制服を羽織っている。腕が痛いので袖には通していない。オフィスに落とした手提げかばんは、『ヨル』…うぅん亜夜子さんが持ってきてくれていた。

自宅玄関が凄い勢いで開いた。いつものジャージ姿の澪さんが髪を振り乱して慌てて飛び出してきた。そんな澪さんの姿を見られて僕は凄く嬉しい。幻覚じゃない、本物の澪さんだ。

澪さんがリムジンにもたれかかって立つ僕に気がついて、裸足のまま駆けて来た。

 

「澪さん…裸足で外に出たら、足が汚れちゃうよ」

 

「そんなことは…久君っ!頭を怪我…なぁ、その顔は…」

 

僕の顔は色々とひどいことになっているのが見なくてもわかる。

 

「平気…痛いけれど、治療は二人がしてくれたから」

 

「二人…?」

 

澪さんが双子に気がついた。双子は僕と澪さんを静かに見つめていた。澪さんが、少し落ち着いたところに『ヨル』こと黒羽亜夜子さんが、一歩前に進み出た。

 

「初めまして、五輪澪様。私は黒羽亜夜子、四葉家の分家、黒羽家の長女です」

 

「弟の文弥です。こんな格好をしていますが…男です」

 

澪さんが怪訝な顔をする。双子はともにフリルやリボンだらけのドレス姿だ。澪さんでなくとも文弥くんには反応に困ると思う。

 

「詳しいお話は、お部屋で。久様のお体のこともありますし。お邪魔してもよろしいでしょうか?」

 

「久君…?」

 

「うん、まずは上がってよ。僕のお家にようこそ、亜夜子さん、文弥くん」

 

またしても僕の家の前の道路をリムジンが塞いでいる。もう、リムジン用の駐車場を作ろうかな…そんな事を考えながら4人で玄関に入る。靴は澪さんが脱がしてくれた。澪さんは僕の折れていない右腕を支えながら廊下を歩く。僕が寝室でなくリビングのドアに手を伸ばすと、

 

「ベッドの方が良くないの?」

 

澪さんが聞いてくる。僕は首を左右に振った。

 

「胸にバンテージがきつく巻かれてて、横になるほうが呼吸が辛いから…」

 

「胸?まさか肋骨が?お腹も…」

 

はだけた制服の間からバンテージで巻かれた胸が見える。蹴られたお腹も青く充血していた。

 

「うん、ちょっと二本折れてる。蹴られたお腹は、内臓に異常はないから大丈夫だよ」

 

「くっ!?」

 

「澪さんは驚きの連続だね…ごめんなさい心配かけてしまって」

 

「…それはいいのだけれど…まずは着替えを」

 

澪さんにパジャマを用意してもらって、手伝ってもらいながら着替える。脱いだ一高の制服を丁寧にたたむ。あれはもう着れないだろうな。

僕の傷とアザだらけの身体を見て、澪さんが一瞬悲鳴を上げそうになったけれど、飲み込むようにこらえていた。リビングのソファにゆっくりと座る。自宅に帰ってきた実感がわいてほっと息をついた。

 

「あっそうだ、二人に何か飲み物を…」

 

こういうときも僕の奉仕精神はきっちり働く。

僕が立ち上がろうとすると、澪さんが制する。双子は遠慮したけれど、澪さんにお願いしてお茶をいれてもらった。僕は水を貰う。

双子に今日の事件について話してもらおうと、僕の隣に澪さんが座って、双子と向かいあう。澪さんから凄い圧力を感じる。僕が大丈夫とわかって、怒りが湧いて来たみたいだ。広いリビングが息苦しいくらいの圧力がかかる。双子の表情が凍りつく。まるで双子が敵みたいだ。顔面が蒼白になっているし、呼吸が苦しそう。気丈な二人でも戦略魔法師のプレッシャーは恐怖のようだ。

僕は折れていない右手で澪さんの手を握った。

 

「澪さん、僕は大丈夫だから、二人のお話を聞こうよ」

 

「…そうね」

 

澪さんからの圧力は完全には消えない。双子への警戒感が残っているみたいだ。

 

「…じっ実は、事は去年の4月、久様が犯罪組織に誘拐されたところから始まります」

 

「えっ?誘拐!?」

 

亜夜子さんが澪さんに去年の4月の誘拐事件のことから説明を始める。僕が4月に誘拐されたことや6月にナンバーズに襲われたことを澪さんは初めて知った。僕たちが出会う前の出来事なので教えていなかったんだ。澪さんは、じっと亜夜子さんの話を聞いている。

誘拐事件で真夜お母様が同情以上に僕に気をかけてくれたこと。二度しか直接会っていないけれど、時々連絡は取り合っていた。僕の完全思考型CADも四葉真夜が贈ったものと説明する。達也くんと深雪さんとの関係はあえて言わないみたいだ。真夜お母様に秘密にしているって言われているから、僕もあえてその関係は黙っている。

 

「去年の事件の顛末は七草弘一氏もご存じないと思われますが、今回の件は『お見合い』の後、弘一氏が探偵に久様の情報を流したのです」

 

「後?前じゃなくて?『お見合い相手』の身辺調査ではなく?」

 

『お見合い』?なんのことだろう。あれはただのお食事会だったよ。でも、僕のことを調べるならお食事会の前なんじゃないかな…

 

「その探偵は、数字落ちの男に一年も前から雇われていましたから、七草弘一氏がその事に気がつかなかったわけがありません」

 

「…そうね、弘一さんは諜報や分析は卓越していらっしゃる」

 

「ですから我々四葉家は弘一氏がワザと情報を流したと判断しました」

 

「わざわざなんのために…?」

 

「これは想像ですが、久様の実力をはかるため…ではないでしょうか。久様の評価は、実績が伴っていないので」

 

「それと真夜様への嫌がらせもあるかもしれません。弘一氏なら久様の指輪を見て四葉家とのつながりに気づくことも出来るでしょう」

 

「七草弘一氏はこれはあくまで『お見合い相手』の身辺と素行の調査だと言い張るでしょうから、七草家に対しては結果に対する謝罪を要求する程度のことしかできないでしょう…」

 

FLTのモニターと真夜お母様がどうつながるんだろう。やっぱりFLTは『四葉の技術』という会社名だけあって四葉家に関係があるのかな。

この会話の間、僕はソファに深くもたれて、澪さんをずっと見ていた…握っている右手をさらにぎゅっと握る。本物だ。幻覚や偽者じゃない。やっぱり本物の澪さんは可愛いな。

 

双子は説明を終えると、さっさと帰っていった。出していたお茶にも口をつけていない。

 

「久様、お大事に…」

 

別れ際の台詞が申し訳なさそうだ。この傷は僕の責任なんだから気にしなくてもいいのに。

 

僕が過去に殺人をしていることに関して、澪さんは気にしていないようだった。

氷水を入れた氷嚢で僕の腫れたまぶたを冷やしてくれている。

十師族の教育は剣呑にすぎるよね。

 

 

澪さんからの連絡で、響子さんも慌てて、いつもより早く帰宅した。

響子さんが国防軍に所属しているのは知っているけれど、どこの部隊か、どこの基地にいるのかは知らない。軍の情報だから教えてもらえないんだ。車で一時間以上かかる距離だって。自動運転だし渋滞はないから通うには問題ない距離なんだそうだ。

 

響子さんは軍属だから、僕の顔を見ても澪さんほど狼狽しなかった。でもそっと抱きしめてくれた。折れたところが痛いけど、柔らかいふくらみがフニフニが心地いい…おっと澪さんのプレッシャーが背中に圧し掛かる…痛みがぶり返すぅ!

 

僕は相変わらずリビングのソファに座っていた。『回復』のせいで身体が熱い。僕の体質は二人ともよく知っているから、安心して脱力している。

澪さんと響子さんは、七草弘一さんの話をし始めた。七草家と四葉家の関係について響子さんは心当たりがあるそうだ。

 

「以前、九島閣下がおっしゃっていたわ。七草弘一さんは四葉真夜さんが興味を持つと対抗心から何でも手に入れたがったり邪魔したりするって…」

 

「なんだか子供みたいですね。へたに地位も力もあるから迷惑千番です」

 

「五輪家は七草家と家同士で交流をもたれているそうですが」

 

「そうですが、弟と真由美さんの親交は深まっていません。相性が悪いんでしょうけれど、どのみちこの交際話はここまでになりそうですね!」

 

澪さんが怒っている。すごいプレッシャーだ。響子さんもたじろぐ。あのプレッシャーは下手をすると10年トラウマになるから気をつけないといけないんだ。

 

 

 

翌日、僕は学校を休んだ。赤いあざのある顔で学校に行っては、只でさえ目立つ僕は視線の集中砲火を浴びてしまう。

一晩、『回復』をし続けたものの、骨折はそう簡単には治らない。特に肋骨は呼吸のたびにずきずきする。『念力』で強制的に骨折部分をつなげようかと試みたけれど、痛すぎてやめた。やっぱり時間がかかっても『回復』にまかせる。それでも常人より治りが早いんだから。

響子さんはお仕事に出かけて、僕は寝室で横になっていた。手にはコミックスがある。傷は痛いし熱もあるけど、暇なのはどうしようもない。澪さんもかたわらの椅子で漫画を読んでいる。ある意味、日常だ。

 

夕方前、インターフォンが鳴ったので、澪さんが確認に出る。警備がいるので、少なくとも不審者ではないけれど、今はお客は遠慮したい状況だ。でも、

 

「久君、七草真由美さんと妹さんたちがお見えになったのだけれど、どうする?」

 

真由美さんと双子がお見舞いに来た?

お通ししてくださいって言って自宅に招きいれた。

澪さんは思うところがあるみたいだけれど、今回の問題と七草弘一さんはきっかけに過ぎないから僕はそれほど気にしていない。

 

部屋に入ってきた三姉妹は真由美さんはフォーマルなスーツ、双子は一高の制服だった。学校から直接来たのかな。僕の包帯頭と、特に顔をみて酷く驚いている。人形のような顔に青アザは悲愴すぎるようで、双子も息を飲んでいた。

真由美さんは比較的荒事にもなれているので、落ち着いていた。

 

「お怪我の具合は?」

 

「左上腕と右肋骨二本の完全骨折、全身に打ち身と擦り傷、鼻腔と口腔、頭頂部の裂傷。特に頭頂部の傷は深くて縫合が必要なほどですが今は魔法で治療中です」

 

想像していたより重症だったのか三姉妹が戸惑っていた。

 

「久ちゃん、今回の事は、本当に申し訳ございません。澪さんもご迷惑をおかけしました」

 

三姉妹が深く頭を下げる。澪さんは無表情で軽くお辞儀を返した。

 

「そんな謝らなくてもいいですよ、今回は僕が油断したせいなんですから」

 

「いえ…今回の犯人が七草家に恨みを持つ人物で、久ちゃんが巻き込まれたと四葉家から正式に抗議があったんです」

 

「四葉家が七草家に抗議…?」

 

澪さんが首をひねった。昨日の今日ですこし手際がいいような気がするな。いくら以前から調べていたからって…

 

「助けてくれたって言っても、犯人は僕が倒してしまったし、背後関係は僕にはわからないから別に抗議とかはしなくていいのに」

 

真夜お母様が心配してくれたのかな…?

 

「どうしてですか?久先輩は父の計略に巻き込まれたんですよ?」

 

香澄さんが声を荒げる。いつもの僕へのいらいらした態度と同じだけれど、父親に対する不満も込められているようだ。

 

「澪さん、五輪家としても正式に七草家に抗議をしていただいても構いません。これは七草家の不始末です」

 

「いえ…久君が抗議はしないって言ってますから」

 

なんだか一方的に弘一さんが悪者になっているけれど、そもそもの発端は…

 

「数字落ちにしたのは七草弘一さんかもしれないけど、僕が昨日の犯人のお兄さんと部下を殺したのは事実だから…襲われるのは当然だよ」

 

「殺した…?それはいつのこと?」

 

真由美さんは知らないんだ。僕は去年の事件と、真夜お母様がその後助けてくれたことを説明する。僕が人を殺していることに双子がショックを受けているようだけれど、二人も十師族として殺人自体に正当性があれば非難的な顔にはならないみたいだ。以前も今回も完全に正当防衛だから。

 

「…でも、名波家を数字落ちにしたのは父の陰謀だって、その犯人は言っていたのよね」

 

「犯人の家の『魔法』と人間性に問題があったと思うよ。二人ともかなり歪んだ性格をしていたから。他の十師族がそれを認めたんなら、弘一さんのせいじゃない。犯人がどう思うかは、別だ」

 

昨日の犯人は完全に殺意があった。誰かに僕が犯人だって教えられたようだった。

 

「僕が誘拐されたことに、真夜おか…さんは物凄く同情してくれて、いろいろと気を使ってくれていたんだ…」

 

「誘拐事件…そうね、四葉様なら」

 

真夜お母様の誘拐事件は七草弘一さんとも関係があるから、真由美さんも双子も良く知っているようだ。

 

「今回は弘一さんのリークで襲われたけれど、たぶんいつかはばれて襲われていたはずだよ。たまたま今回は引き金になっただけで、敵を討つなら僕だって何でもするよ。今回は僕が気を許したのがいけないんだ」

 

「…でも」

 

香澄さんは唇をかんで何か言いたそうだった。

 

「資料を読んだけれど、久ちゃんが苦戦するような『魔法師』じゃないと思えるのだけれど?」

 

「うん、でも『精神系』の魔法は本人も言っていたけれど、凄かったよ。暴行されている間、僕は全く抵抗できなかったから」

 

「そんな危険な『魔法』を使う一族じゃ数字を奪われても文句は言えませんね」

 

泉美さんが呟いた。泉美さんは弘一さんの陰謀をあまり信じたくないみたいだ。ちょっと自分に言い聞かせるみたいな呟きだった。

それを聞いた香澄さんが困惑して、僕をふっと見た。僕と目が会うと慌てて視線をはずそうとして、逆に僕を睨むように見つめてきた。努めて無表情を演じようとしているから、どんな気持ちなのかは僕にはわからなかった。ただ、何だか自分にも責任があるって感じているみたいだ。

 

「今回のことで僕も学びました。自分の身は、大切な人は自分で守らないと。僕もこれからは受身じゃなくて先に動いていかなくちゃ」

 

僕は右拳をぐっと握った。

僕の右手を中心に空間が揺らいだ。陽炎のように、澪さんのプレッシャーに負けない圧力が狭い部屋に満ちる。

澪さんが目を見張り、三姉妹も恐怖で一歩後ずさるほどの気迫。

 

「そっ…それは十師族の考えに久ちゃんも、だいぶ染まってきているのかも」

 

真由美さんが声が震えるのをこらえるように言った。

 

「そう…かも」

 

部屋から圧力が消える。

やられるからやるのか、十師族は家族って言っていたけれど、どうも仲の悪い家族みたいだ。

やられる前にやるのか、十師族でも剣呑な家との関わりが僕は強い。九島家はその筆頭みたいだ。

みんな最後はこの国のためって言うんだろうけれど、方法が違えばぶつかり合うし足も引っ張る。

四葉家はどうなんだろう。僕は四葉家の事は何もしらない。九島家と四葉家は仲はどうなんだろう。

 

澪さんが僕の意外な一面をみて、少し頼もしげな顔になった。

三姉妹はほぅと息を吐いて、僕を見る目に戸惑いと畏怖がある。僕が本気を出せば自分たちなんて風前の灯のような実力の差を一瞬感じたみたいだ。

 

僕は少し魔法師界で有名になりすぎている。それは、九島家と五輪家の威光が実績を上回っていて、僕自身は軽く見られているようだ。

一度、実力を見せ付ける必要があるかもしれない。

たとえば、九校戦。

ぐうの音もでないくらい、僕と敵対すると危険だって教え込むために。徹底的に。

その思考が、十師族、特に四葉家と同じだってことに僕が気づくのはしばらく後のことだ。

 




この事件で黒羽家のことが魔法師界に噂として流れる…ということになるのです。

七草弘一は久が完全思考型CADをつけていることで四葉家が久に興味を持っていることをしります。
情報を流して、久が七草家の婿候補になっていることを世間に知らせて、七草に恨みを持っている人物が襲撃できるよう工作しました。久が殺されても別に構わないと思っていたのですが、裏目に出てしまいました。
これで、五輪家は完全に四葉家側に付くことになりました。逃した魚は大きいのです。
久自身は七草弘一に対して特に何も思いはありません。
でも手を出してくるなら容赦はしないぞ!とは思っているでしょうね。
香澄と久の微妙な関係は、前回九校戦の出会いから考えていました。わざわざ双子を前回の九校戦に登場させていたのはそのための伏線です。双子はダブルセブン編以降影が薄いので…
本当は水波ちゃんと久の関係を深めたかったのですが、水波ちゃんには光宣くんがいますからね(笑)。

今回の事件で久の意識がかわりました。これまでは目立ちたくなかったので、力を抑えていました。第一話の予告どおり二年生から久のチート伝説が始まる…かな?
もちろん機械音痴は直りませんが…


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蔑み

久のチートぶる前のワンクッション。


 

 

僕の怪我は、客観的にみても重傷だった。常人なら、即入院のレベル。

入院しても僕は外科手術すらできない。麻酔が効かないから、効かないというより毒でしかない。

澪さんと響子さん、この国どころか世界でも有数の魔法師が『治癒魔法』をかけ続けてくれたおかげで、肋骨は翌日にはつながった。左上腕の骨は太いので3日かかってつながる。怪我の程度を考えると、僕の『回復』を完全に上回っていた。

ただ逆に、カンフル剤的な治療は僕の体力をごそっと奪った。結局1週間ぐったりとしていた僕は自宅で療養することになる。『回復』でゆっくり治した方が良いみたいだけれど、そうなると折れていた箇所の痛みが長引くからどっちが良いんだか…痛し痒し。

痒くはないけれど、二人が僕を丁寧に看護してくれるから、ちょっとくすぐったい。隙あらば家事をしようとする僕は二人に何度も叱られる。

 

僕はまるまる1週間、一高を休んだ。試験前なのに不安だ…と思っていたけれど、60点狙いの僕にはある意味ちょうど良かった。痛みと体調不良だけれど、時間だけはたっぷりある。

この1週間のテキストは一切捨てて、これまでの復習を二人の美女が個人家庭教師をしてくれた。おかげで、逆に学力が向上した。

僕の自習が全然集中できていないことの証明だった。そうだよね、僕が方向音痴なのも、無意識に無駄な思考に陥っているからで、要するに集中力がないんだ。

 

療養中、光宣くんが心配してくれて電話をくれた。僕は顔を見たかったからテレビ電話にしない?って提案をしたんだけれど、やんわり断られた。

どうやら、いつもみたいに体調が悪くなったみたいだ。話し声は正常を装っていたけれど、僕たちは光宣くんの性格を知っているから、僕はいてもたってもいられなくなる。

自分のことをさておいてお見舞いに行こうとして二人に怒られた。

響子さんが月曜日がお休みなので、例の電脳カーで生駒に帰省することになった。

じゃあ僕は何かお見舞いの品を作ろう…として澪さんにまた怒られる。正座で。僕はけが人なんだよ…ごめんなさい。けが人なので大人しくしています。

 

月曜日から僕は学校に行くことにする。さすがにこれ以上勉強が遅れるのは、九校戦どころではない。ほんとにない。

僕が学校を休んでいる間、友人たちがお見舞いに来ようとしてくれた。でもお断りのメールを全員に送った。顔の腫れはすぐ治ったけれど、僕の無様な姿を他人に見られたくなかったからだ。

僕の周りには卓越した『魔法師の卵』ばかりだ。自分自身が情けなくて泣きたくなるほどの。

それに僕は誰かに、特に『家族』に尽くしたいという願望がある。

療養中は澪さんも響子さんも僕を丁寧に扱ってくれたけれど、それが逆に落ち着かない。僕の友人たちは情け深いし、人間的にも優秀な人ばかりだから僕に滅茶苦茶優しくしてくれるに決まっている。

嬉しいけれど、そんな事されたら、もう消えてなくなってしまいたくなるよ。

 

月曜日朝、僕はいつも通り、朝食を三人で作って、お弁当も作る。お弁当は二人分、僕と自宅警備の澪さんの分だ。響子さんはお昼には生駒についているから向こうで食事はとるって。

 

キャビネットで一高に向かうけれど、ここまで長期休養したのは初めてだ。僕は弱弱しいけれど、学校は好きだから無理をしても行く。今回は響子さんたちが怒るから我慢していたんだ。

一高前駅で友人たちが集団を作っていた。今日から登校する事はメールしていたので待っていてくれたんだ。嬉しい。思わず泣きそうになるのを堪えて、

 

「おはよう!」

 

って殊更にこやかに僕は駆け出した。体調は万全じゃないし、相変わらずとてとてしているけれど。

 

「災難だったな」

 

簡単な挨拶の後、達也くんが短く言った。このメンバーは泉美さんと香澄さんから事情を聞いている。友人たちは他人に言いふらしたりしないから。

 

「久、少し痩せ…てないわね」

 

深雪さんが少し首を傾けた。

僕は病気療養していたけれど、いつもより栄養のあるものを食べて飲んでの引きこもりだったから体型はそのままだ。『回復』が文字通り回復にまわっても、流石に一週間で背は伸びない。

 

この集団はだいたい先頭が達也くんで歩く。そうなると左右は深雪さんとほのかさんが占める。僕的にはほのかさんを押しのけて達也くんの隣に行きたいけれど…

深雪さんの横、半歩後ろに水波ちゃん。雫さんは当然ほのかさんの隣。レオくんはたいがい一番後ろで、美月さん、エリカさん、幹比古くんと並ぶ。

レオくんは背が高いし、幹比古くんとエリカさんは細いけれど鍛えているから背筋がぴしっとしている。

美月さんは一部分がボリュームがあるしほんわかした雰囲気がある。

泉美さんは隙あらば深雪さんの隣に行こうと狙っている。香澄さんはその泉美さんの後ろを歩く。僕は達也くんの背中を見ながら歩く。

 

何だか前後左右、壁に囲まれながら僕は歩いているけれど、ようするに、このメンバーで歩くと僕の隣は香澄さんになる。

 

達也くんは無表情だけれど、周囲に気を配っているから、僕の歩く速度にあわせてくれる。この剣呑な集団はゆっくりと移動している。

香澄さんは僕と並んで歩くことに少しいらいらしている。そもそもこの目立つ集団に混じりたくないみたいだけれど、泉美さんがいるので嫌でも一緒になる。双子だからって別行動をとれば良いのにと思うのは素人考えで、七草家のお嬢様としては警護の関係で一緒にいた方が良いからだ。

皆はいつも通りに振舞っているけれど、何となく僕を守るように固まっているような気がする。僕が誘拐や襲撃にあいやすい体質(?)だからかな。

もちろん、全員、僕の実力はある程度知っている。正面から戦えば、深雪さんだって勝てない事を。でも、『魔法』は探知系がまったくだめで、精神系もだめで、方向音痴で機械音痴で勉強が苦手なことも良く知っている。

優秀なこのメンバーの中で、僕は身長だけでなく、なんとなく埋もれてしまう。

そして、僕の弱弱しい雰囲気、チグハグな存在感は香澄さんには性格的にも合わないみたいだ。

 

香澄さんは、僕を目だけでちらちら見ている。その視線に僕が気がついていることも気づいている。ますますイライラする…なんだか悪循環だ。

僕と香澄さんは出会った日から、なんとなくだけれど、相性が悪い…

 

 

僕が数字落ちにぼこぼこにされたって言う噂は一高中に広まっていた。友人たちが言いふらすわけがないから、どこから漏れたんだろう。

二年生と三年生は僕のことを知っているので、これまでと変化はなかったけれど、一年生の僕に対する視線は少し変化していた。

 

数字落ちに負けた一科生。

 

数字落ちは、魔法師界ではあまり認められていないみたいだ。

数字落ちだからって部分的には突出しているんだけれど、魔法師界にあまり詳しくない生徒、特に一年生には、そんなドロップアウトに負けた魔法師と言う事で、僕に蔑みの目を向けてくる。

僕が九校戦で負けた。それに五輪澪さんに囲われている、ようするに『ヒモ』だと思っている人も多い。とくに男子生徒はそう考えるみたいだ。

氷倒しで一条くんに勝てるのは十文字先輩しかいない事を皆忘れているけれど、実際、事実だから僕には反論のしようがない。

 

2-Aの教室に深雪さんたちと入る。すっかり影が薄くなったけれど、森崎くんとも挨拶をする。

そういえば、僕の警護をしてくれている二人も森崎くんの会社で働いていたことがあるんだって。二人は森崎くんのことを良く知っていた。『クイックドロウ』が高度な技術な事も教えてくれた。深雪さんは一年以上も前の事件を森崎くんの評価基準にしているから挨拶くらいしかしない。本心を隠す鉄壁の笑顔。それでもぽやぁ~とした表情になる森崎くんは強靭な精神力をしていると感心する。

1週間ぶりの授業は、いつもなら光宣くんのことが気になって勉強に集中できないけれど、響子さんが光宣くんの側にいてくれていると考えると、僕の精神は落ち着いた。

『家族』。僕が一番欲しかったものが身近にある…おっと勉強に集中しないと。勉強に集中集中…そんな事を考えている時点で集中できていないことに、当然僕は気がついていない。

集中…えぇとこれは何語?集中は日本語だよね。こんせんとれーしょん…コンセントとレーション。電気プラグを刺すと温かくなる軍事用配給食糧…?響子さんも軍で食べたりしてるのかな…響子さんのお昼ご飯はなんだろう、光宣くんと一緒に食べていたらいいなぁ…ぶつぶつ。

 

授業はあっという間に終り、放課後になる。一日って早いな。こんせんとれーしょん。

水波ちゃんが今日は料理部に来るそうなので、1-Aに迎えにいった。水波ちゃんが料理部に来る日はいつも迎えに行っている。達也くんの「よろしく」ってお願いを僕はちゃんと守っているんだ。水波ちゃんを迎えに行くと、隣の席の香澄さんにも当然会う。そのたびに香澄さんは…いやもうこれはいいか。

なんて事を考えながら歩くから僕は色々と事件に巻き込まれるんだよな。

 

案の定、1-Aの教室のドアのところで、男子生徒と肩がぶつかる。男子生徒は魔法師らしい優れた容姿の頑強な肉体をしていた。

僕はよろめいて、しりもちをつく。

 

「きゃふん!」

 

男とは思えないくらい、可愛い声だ…自分の声に惚れちゃうよ。

 

「おや?多治見先輩。この程度も避けられないんですか?」

 

男子生徒は、僕を見下すようにニヤリと笑うと、ゆったりと歩いて廊下に出て行った。僕はぽかーんとその男子生徒の背中を見ていた。

僕の声は教室の生徒の視線を集めていた。香澄さんと水波ちゃんが、床にしりもちをついたままの僕に近寄ってくる。

香澄さんが目に見えてイラついている…

 

「あんな事言われて怒らないんですか!」

 

「事実だから。それに、この程度でいちいち怒っていたら、死人が増えるだけだからね」

 

僕の沸点は高い。高すぎて怒りの感情に乏しい。

人形じみた顔に怒りの感情をみせなくても、僕は容赦なく人を殺す。無駄な動作なんかしない。僕が人を殺すときは、殺される側は、どんな強者だろうと一方的に殺される。

空間を操る僕に勝てる者は、いない。

 

香澄さんは、以前、僕の本質に何となく気がついていた。相性の悪さも香澄さんの防衛本能なのかもしれないな…

 

香澄さんが左手を差し伸べようとして、右手にかえた。僕の骨折が左腕だったことを思い出したみたいだ。僕がその右手をとると、香澄さんが引き上げてくれた。

ただ、僕の体重が意外に軽くて、香澄さんが力を入れすぎていたせいで、僕は香澄さんの身体にぶつかってしまう。

 

「あっ!?」

 

今度は香澄さんがしりもちをつくことになった。

あっこのままじゃ頭と腰を床にぶつけちゃうな、そう考えた僕は『念力』で香澄さんの身体をそっと支えて、床に強く身体をぶつけないようにする。

でも、手は繋いだままだったので、僕も一緒に引っ張られてバランスを崩す。倒れる。香澄さんに圧し掛かるように飛び乗ってしまう。

 

「きゃん!?」

 

またしても僕が可愛い声を上げる。ふにっ。あっ柔らかい。どこが?どこでしょう。

 

僕たちの体勢は、ちょっとエッチだ。僕が上体を起こすと二人の腰が重なる位置になってしまった。

一高の女子用制服はぴっちりしているから足が必要以上に開くことはなかったけれど…お互い手は握ったままだ。超至近距離でお互いを見つめ合ってしまう。妙に長い一瞬だった。

教室から黄色い悲鳴が上がって、僕の目の前にある香澄さんの可愛い顔が真っ赤になる。

 

「ひっ久先輩!早くどいてください!」

 

「あっうん、ごめんなさい」

 

僕の動きはゆったりというより、のろのろしている。香澄さんのイライラが増す。手は繋いだままだったので、今度は僕が香澄さんを引き上げようとするけれど、香澄さんは自力で起き上がった。

手をちょっと乱暴に離すと、

 

「久先輩、体重軽すぎですよ!」

 

「うっうん、僕は筋肉が全然ないから…」

 

体質なのか、どうしても筋肉がつかない。これまでも何度か鍛えようとしたんだけれどだめだった。いつまでたってもとてとて歩きなのはそのせいだ。

 

「もっもう!腰をぶつけてしまった…あれ?痛くない…」

 

香澄さんが制服の汚れを落とそうと軽く腰をぱんぱんとする。香澄さんは倒れたときの背中を何かに持ち上げられる感触を思い出したのか、僕を不思議な目で見る。

 

「うん、僕が『持ち上げた』から」

 

ただ僕が『念力』を使ったことには誰も気がつかない。香澄さんも持ち上げられたと言われて釈然としていないみたいだけれど、この出来事は僕の無様な姿を下級生にさらしただけの事件だ。どうも香澄さんと関わるとこんなふうに上手くかみ合わない。香澄さんが僕にイラつくのも何となくわかる。

今も…あれ?イライラしていないな…恥ずかしそう…違うな、なにか戸惑っているみたいな感じがする。

 

「多治見様、香澄さ…んも大丈夫ですか?」

 

水波ちゃんがかたわらに立つ。これで1-Aの二大美少女に挟まれわけだ。僕がこのクラスに来ると男子生徒に睨まれるのは、たぶんこのせいだ。

 

「ん、平気。香澄さんもごめんなさい」

 

僕が丁寧に頭をさげる。こう言う態度も香澄さんをいつもイラつかせるみたいだ。上級生らしく振舞えば良いのに、僕は誰に対してもバカ丁寧だ。それが敵であっても…

何となく気まずい雰囲気が三人に漂う。

無言の三人はお互いを見ているようで、微妙に視線が合っていない。香澄さんは怪訝な表情だし、水波ちゃんは僕に対して相変わらず萎縮している。

教室もその雰囲気を感じたのか、一瞬、静かになった。

 

「なんだ、まだいたんですか、多治見先輩ぃ」

 

その空気をぶち壊す男子生徒の声。さっき僕とぶつかった生徒が教室に戻ってきたんだ。お手洗いにでも行っていたのかな、手をハンカチでふいている。

妙に小奇麗で上等そうなハンカチはその生徒の家柄の良さをしめしている。

男子生徒は僕を見下ろしている。以前、澪さんのパーティーで七宝琢磨くんが僕に見せた目と同じ、優越感と劣等生を見る目。

七宝くんは、あの模擬戦の日以降は僕にそんな目は見せない。むしろ男らしい対抗心、ライバルや憧れを態度で示すようになった。僕が達也くんや親しい男友達、十文字先輩に向けるのと同じ目だ。

居心地が悪いな。僕は、

 

「水波ちゃん、部室に行こうか。じゃあまた帰りに、香澄さん」

 

水波ちゃんの手をとって歩き出した。達也くんに頼まれているから、先輩としてちゃんとお世話しないと。

僕の方が背が低いから子供がお姉さんを引っ張っているようにしか見えないみたいなんだけれど、香澄さんとは帰り、校門で皆と一緒になるだろうからお詫びはまたその時に。

何となくだけれど、香澄さんの目が厳しくなった。そそくさと立ち去る僕が気に食わなかったのかな。いつものイライラした態度が戻ったようだ。

 

男子生徒は「ふふんっ」と鼻で笑うような態度だ。

僕の沸点は高い。こんなことで怒ったりはしない。でも、ちょっと仕返しするくらいはいいよね。

僕は水波ちゃんと廊下にでると、男子生徒が見えなくなってから、ちょっと『能力』を使う。

 

ハンカチをポケットに入れようとしていた男子生徒のベルトが音もなく外れて、下着のゴムがぷちっと切れる。当然、重力に引かれてズボンが下着ごとずるりと床に落ちる。

 

見えないけれど、教室から女子生徒の悲鳴があがる。そりゃぁ男子生徒がいきなり教室で下半身を露出させたら驚くよね。

どすんと倒れる音が聞こえた。一高の制服は上着の裾が長いから丸見えにはならないけれど、ずり落ちたパンツをあげようともたついて、無様に倒れたみたいだ。

こんどは男子生徒の爆笑が、離れていく教室から轟いた。妙にその声が大きかったのは、あの男子生徒が普段から家柄のよさを鼻にかけるちょっと嫌なやつだったからかな…?

その笑い声を背中に聞きながら、今日の料理はなんだろうな…僕はもう男子生徒の事は忘れている。ひとつのことに夢中になると他に意識が行かなくなるのは僕の悪癖。

うつむきながらも萎縮して顔も赤らめているという器用な水波ちゃんの手を引いたままだ。

僕と水波ちゃんは料理部の部室に向かう。

 

 

 






電撃文庫
魔法科高校の劣等生(20) 南海騒擾編

著者/佐島 勤 イラスト/石田可奈

定価/未定

2016年9月10日発売

卒業旅行の季節。五十里&花音、桐原&紗耶香の仲良しカップルは旅行を堪能! そして、あずさと服部も……? さらには、達也に向けるほのかの恋心も爆発し!? 

楽しみだね、達也くん。


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洗脳

九校戦へのツークッション。


「株主総会?」

 

「それで6月最終土曜日に帰省しなくちゃならないの」

 

6月の最終営業日は企業による株主総会の集中日。21世紀の始めも終りも、それは同じで、澪さんのご実家の海運会社もその日に株主総会が行われる。

澪さんのご実家の会社は宇和島で株主総会を行うんだそうだ。十師族にはそれぞれ受け持つ地域があるので、どうしても宇和島でと言う事になるんだそう。

海運会社の収益は好調で、それも澪さんの健康が回復すると共に株価も上昇中。澪さんは自分も株主であり、同時に大企業五輪家の顔であり象徴であり、アイドルでもある。

これまでは虚弱体質のために出席していなかったから、正月以来の帰省もかねているんだって。

じゃあ僕も一緒に行こうかなって思ったけれど、その日は土曜日。もちろん、学校がある。先週まるまる休んだばかりなので休めない。

土曜の朝出かけて、月曜に戻ってくるって、警備もそのように手配済み。戦略魔法師は行動の自由がないのが大変だけれど、健康になっても澪さんは引きこもりだからなぁ。

 

いつもならここで響子さんが「夫婦水入らずね」ってチャチャを入れるところだ。

 

「土曜日曜は私も土浦で演習があるから帰宅できないのよね…」

 

ぼそりと、なんだか独り言みたいに呟いていた。あれ?土浦?茨城県の霞ヶ浦の横だったかな…?

 

「響子さんは土浦までいつも通っているの?土浦に駐屯地があったの?それともその日だけ土浦に行くの?」

 

響子さんがしまった、って顔になる。響子さんの所属部隊や勤務地は秘密になっている。響子さんは頭が良いし、こんな何気ない会話で漏らすほど迂闊じゃない。

 

実は、響子さんは今週の火曜日、生駒の九島家から帰宅して、ちょっと態度がおかしい。

澪さんは気づかなかったけれど、僕はなんとなく響子さんの異変に気がついた。すこし悩んでいるみたいな感じだ。光宣くんのことではないと思うけれど。生駒の九島家で何かあったのかな。

響子さんは軍属なので、僕たちには言えないことが多い。だから僕も不用意にどうしたの?って質問が出来ない。結構それがもどかしい。しかも、響子さんは祖父である烈くんとは軍閥が異なるので、九島家と軍との間ですこし微妙な立ち居地にいるみたいなんだ。

そのことを尋ねることができない。尋ねても答えてくれないだろうし、僕にはどうしようも出来ない問題だ。

微妙に大人になりきれていない澪さんは僕と話が合うし、同じ嗜好に引きこもりで基本的に何でも話し合っているけれど、響子さんは社会人で大人だ。大人の友人付き合いもしていて、外では響子さんは小悪魔的に相手をからかったり試したりするような話し方をする。

その性格が微妙に男性を遠ざけているのではと邪推してしまうけれど、自宅では響子さんは僕を子供、もしくは弟だと考えているから、僕をからかったりエッチないじわるもしてくる。けれど、僕じゃ対等の相手には不足だ。

早く響子さんにふさわしい男性が現れるといいんだけれど、それはそれで寂しい。

 

それじゃぁ土曜の夜は久しぶりに一人か…どのみち僕は引きこもりだから深夜徘徊はしないし、澪さんの部屋でアニメ三昧…もとい、試験前の追い込みをしなくちゃ。

って考えていたら、『真夜お母様』から電話があった。

今週の土曜日、四葉家に泊りがけで遊びに来ないか、というお誘いだった。

真夜お母様には去年の11月以降会っていないし、なにより完全思考型CADと、先日の数字落ち魔法師事件の『ヨル&ヤミ』、いや亜夜子さんと文弥くんの派遣のお礼を直接言いたいと思っていたから、ぜひ行きますってお答えした。

定期試験前だけれども、まるで僕がその日一人になるから寂しくて、お誘いを絶対に断らないことを知っている、みたいなタイミングだ。

以前のように亜夜子さんたちがリムジンでお迎えにくるのかと思っていたら、最寄の駅までキャビネットで来て欲しいそうだ。亜夜子さん達も高校に通っていて、そう簡単に東京には戻ってこられないみたいなんだ。どこの高校の入学したのかな。やっぱり双子そろってなのかな?

別の車を四葉家から最寄り駅まで迎えに出してくれるんだけれど、駅の名前を聞いたら、

 

「小淵沢駅に17時にお迎えの車をやりますので、それに乗ってくださいね」

 

「えぇと、それってどこですか?」

 

かつての山梨県と長野県の県境にある小さな駅だって。四葉家は保養地で有名な清里近くにあって温泉も湧いているんだって。

以前、お招きを受けたときはどこかさっぱりわからなかったから、意外な近さに驚いている。

 

「じゃぁ八王子の一高前駅から一本で行けますね」

 

時間的には二時間弱か、学校は昼に終わるから部活をして、直接向かえばちょうどいい。着替えや下着類は用意しておいてくれるって。

真夜お母様に直接会うのは8ヶ月以上ぶりだから凄く楽しみだ。またパイやパウンドケーキを用意して行こう。

でも、澪さんと響子さんには四葉家の場所は秘密だって。

 

「もっとも『電子の魔女』は四葉家の場所も知っているでしょうけれど」

 

そうだよなぁ、響子さんは隠し事、特にネットに流れている情報は知ろうと思えばどんなところにも進入できて、誰にも気がつかれない。

響子さんはネットで知った情報を誰にも言わないから良いんだけれど。ひょっとしたら誰にも言えない情報を入手してしまって悩んだりすることもあるのかな。

 

土曜日、僕と澪さん響子さんはそれぞれのスケジュールに合わせて行動する。

一高への登校は別に待ち合わせの約束をしているわけじゃないから、メンバーの組み合わせはその日によってばらばらだ。

一高前駅でキャビネットを降りたら、ちょうど達也くんと深雪さん、水波ちゃんがキャビネットから降りてきたところだった。僕は三人に駆け寄る。

 

「おはようございます、達也くん、深雪さん、水波ちゃん」

 

「おはよう久」

 

三人が挨拶してくれる。そして、僕が上機嫌なことにすぐ気がついた。代表して深雪さんが尋ねてくる。

 

「嬉しそうだけれど、何かあったの?」

 

「うん、『真夜お母様』が四葉家にご招待してくれたんだ」

 

「えっ!?」

 

僕の言葉に達也くんは無表情だけれど、深雪さんは緊張して、水波ちゃんは硬直する。僕はニコニコ笑いながら、

 

「今日、放課後に最寄の駅まで行くから、お迎えの車をよこしてくれるって」

 

「最寄の駅?四葉家の場所を教えられたのか?」

 

達也くんの目がすこし鋭くなった。

 

「うぅん、具体的な場所まではしらない。最寄の駅まではここからだと二時間弱くらいだよね」

 

「…そうだな。一人で、迷わず行けるのか?」

 

「平気だよ。キャビネットにここから乗るだけだから…たぶん」

 

三人は、動揺している?特に深雪さんの鉄壁の微笑が崩れているし、水波ちゃんは異常なまでに緊張している。そんなに僕の方向音痴が心配なのかな。

僕たちが微妙な雰囲気で会話をしているとき、七草の双子が一高前駅に降りる姿が見えた。

泉美さんが深雪さんに嬉しそうに駆け寄ってくる。香澄さんは僕の小さな身体を見つけて露骨に態度が変わった。どうやら本格的に嫌われてしまったみたいだ。

 

 

授業が終わって15時頃、一度自宅に帰ってから着替えてまたキャビネットに乗って出かけると、逆方向に向かうことになる。何となく時間的に損した気分になるので、一高駅から直接小淵沢駅向かうことにした。小淵沢駅は山に囲まれた田舎の小さな駅だった。人口の多かった時代はもう少し大きかったんだろうけれど、今は小さな無人駅。約束の17時まではあと15分ほどある。

内陸の田舎は、斑鳩の田園風景とは全然違って山が近くまで迫ってきている。6月最後の土曜日、人影のまったくない無人駅は照明がどことなく暗い。まだ明るい時間なのに、どこか寂しげな雰囲気の中、僕の一高の制服姿は、物凄く浮いている気がする。

その照明に誘われるようにふらふら飛んでいる蛾を見ながら、僕はやっぱり帰宅して着替えてくれば良かったかなって、ぼぅっと考えていた。

無人駅の待合室のベンチにぽつんと座っていると、待ち合わせの駅と時刻はここでよかったんだよなって、何となく不安になってくる。

不安を紛らわすために、少し近所を歩こうかなって考えたけれど、方向音痴の僕が不用意に歩くと気がついたら山の中なんてことになっているかも知れないので我慢。アナログの僕は携帯端末で時間を潰すことをしない。ただ、ぼうっと暮れ行く山の稜線と茜空を見ている。

知らない土地に一人で不安があるとは言え、どうしてこんなに孤独を感じるんだろう…

 

お迎えの車は、5分ほど待っていただけで小淵沢駅にやってきた。

運転手の男性が僕の姿を見つけると、慌てて車外に飛び出して遅れたことを謝り始めた。

 

「いえ、約束の時間は5時ですから、まだ時間前ですし、お迎えありがとうございます」

 

大人の男性が卑屈に謝る姿は、まわりに誰もいないとは言え落ち着かない。僕の手荷物はお土産のお手製お菓子だけなので、さっさと後部座席に腰掛けて車を出してもらう。

運転手さんは僕に対して、緊張感がある。水波ちゃんと同じ態度だ。運転中も僕の方をミラーでちらちら見ながらも、慎重に田舎道を運転していた。トンネルを走行中、ふと運転手が『魔法』を使った。『魔法』じゃないな…サイオンを少しだけ放出したみたいだ。トンネル内で車が曲がったのが慣性でわかった。

トンネルを抜けた風景は特にこれまでと変化がない。でも運転手さんがふぅっと息を吐いた。さっきまでの緊張感が少し抜けている。どうやら四葉家の防衛圏内に入ったみたいだ。小淵沢駅から北に向かったのか南に向かったのかも僕にはわからなかったけれど、以前の黒塗りリムジンと違って窓からは景色が見える。ここが四葉家のある町…村かな。

車が大きなお屋敷に吸い込まれていく。ここが四葉家の本家なのかな。でも七草家や北山家に比べると、ごく普通の田舎の大きな日本家屋くらいの規模みたいだ。

車寄せではなく、普通の玄関に、車がつけられた。玄関には老齢の執事、葉山さんと中年の家政婦の女性が姿勢も正しく並んでいた。運転手さんがまた緊張を深めた。

詳しくはわからないけれど、執事には序列があって真夜お母様つきの葉山さんは筆頭で中年の女性は白川夫人と言って葉山さんの補佐、序列6位のメイド長なんだそうだ。

僕が自分でドアを開けようとすると、運転手さんは慌てて外に出て、ドアを開けてくれた。

葉山さんがじっと運転手さんを見つめると、運転手さんの表情が青くなった。ちょっと悪いことをしてしまった気分だ。

以前来たときよりも皆さん緊張している気がする。前回は達也くんと深雪さんに黒羽の双子もいたけれど何が違うのかな。僕が今回はお泊りするけれど、あまり宿泊する人がいないからかな?わからないな…

運転手さんにお礼を言って、玄関前の二人に挨拶をする。葉山さんはいつも通り、背筋が伸びた綺麗な立ち姿だ。

僕は前回同様、四葉家の使用人の人たちの分のお菓子も作ってきた。葉山さんに手渡すと、メイド長に一言指示を出しながら手渡す。メイド長が深くお辞儀をしてきたけれど、やっぱり仰々しい。

 

「こんにちは葉山さん、今回はお招きありがとうございます」

 

「いらっしゃいませ多治見様。今回はご当主の指示のもと我々一同、誠心誠意お世話をいたします」

 

「よろしくおねがいいたします」

 

大げさだなってやっぱり思うけれど、僕は葉山さんに導かれて、母屋の書斎に向かう。

書斎か…生駒の烈くんの書斎はアニメのメディアやコミックスで埋め尽くされていたけれど、まさか真夜お母様のお部屋はそんな事は…ないと思う。

 

葉山さんが古風なデザインのドアをノックすると、室内から女性の張りのある声がした。葉山さんがドアを開け、僕が先に室内に入る。葉山さんが後から中に入ってドアを閉める。

 

「奥様、多治見久様をお連れいたしました」

 

一礼すると、定位置である真夜お母様の斜め後ろに立つ。

 

「いらっしゃい久、お久しぶりね」

 

「お久しぶりです、真夜お母様、本日はお招きいただきありがとうございます!」

 

僕が丁寧にお辞儀をする。『真夜お母様』はおやっと首をひねると、

 

「あら?今日は、私に抱きついてこないの?」

 

いたずらな笑顔を浮かべた。相変わらず若々しい。黒い衣装もいつものままだけれど、まるで前回お会いしたときから時間が停止しているみたいなたたずまいだ。

 

「だってお母様、ティーカップを片手に持っているから…」

 

背の高い本棚や年代を思わせるヨーロッパ調の家具。外観は日本家屋だけれど、室内は洋風の四葉家の書斎。九島家もそうだけれど十師族は数十年の歴史しかない家だ。どこか和洋折衷な成金な部分がある。伝統より歴代の当主の趣味が雑多に残っている感じだ。

真夜お母様はマイセンのティーカップを口につけている。雑多だけれど、落ち着いた書斎にはハーブの良い香りが満ちている。

黒い衣装の『真夜お母様』に白い磁器はその妖艶な容姿もあって妙に存在感があるけれど、今抱きつくとカップとお茶でお母様が悲惨なことになる。

 

「あら、そうね」

 

お母様はカップをソーサーに置くと、椅子に座ったまま、両手を広げて、

 

「いいのよ、いらっしゃい」

 

って艶やかに笑った。僕はお土産をその場にそっと置くと、お預け中の犬よろしくばっと駆け出して『真夜お母様』のお腹に抱きついた。どことなく演出っぽいし、条件反射みたいだなって思う、僕はやっぱり犬っぽいな。

葉山さんは無表情でまっすぐ立っている。

 

書斎ではCADや事件のお礼と試験前の勉強についてお話をした。試験前にお招きしてしまってとお母様は謝るけれど、一日サボった程度で僕の成績は微動だにしない!どうせ今日は勉強したって集中できないからいいんだ。よくはないけれど。

僕は制服だったから、お母様が葉山さんに指示してあまりフォーマルにならない程度の私服を用意してくれた。ざわざわメイドの数人が着替えを手伝ってくれる。脱いだ制服くらい自分でたためるのに…

 

19時、お食事の用意が出来たからと『真夜お母様』が僕の手を引いて食堂まで案内してくれた。『真夜お母様』の係りは当然、葉山さん。前回は水波ちゃんだったけれど、僕の後ろにはメイド長の白川夫人だった。ディナーはちゃんとしたコースで、以前と違って僕はしっかりマナーを守って綺麗にこぼさず食べる。マナーが上達したことをお母様が褒めてくれた。嬉しいなぁ。

 

お食事の後は、服を着替えていつもみたいなユニセックスな格好になった。自由時間だけれど、僕はくつろいで本を読んでいる『真夜お母様』の隣で、静かに前回読み切れなかった洋書を辞書をひきながら読んでいた。静かで、紙をめくる音や二人の呼吸音、心臓の鼓動まで聞こえてきそうな静寂。でも物凄く落ち着く。

しばらくして。

 

「久、そろそろお風呂に入りなさい。家のお風呂は温泉のお湯を引いて露天になっているからゆっくり入ると良いわ」

 

温泉か。僕は入ったことがないから楽しみだ。白川夫人の案内で温泉に行く。この時代、温泉なんかの公共のお風呂には湯着を着て入るんだそうだけれど、僕は服を着てお湯に入る時代の人間ではない。脱衣所のかごにぽぽいっと服を脱ぎ捨てタオルで長い髪を結い上げると、素っ裸で温泉に向かう。

夜の温泉は竹柵で囲われていたけれど、湯気だけでも何となくテンションが上がる。かなり広い、泳げそうだな。もっとも僕は泳いだことがないから、泳げるかどうかわからない…

温泉は硫黄の匂いがあるってイメージがあったけれど、無色透明で匂いもなかったから自然石で作られた普通のお風呂みたいに感じられた。あまり効能の強い温泉だと僕には身体に合わなそうだからいいけれど。

軽くお湯で身体を濡らして、片足をお湯に入れる。意外と温い。ゆっくりと肩までつかると、

 

「はふぅー」

 

思わずため息が漏れる。温めのお湯に、見上げると月と星空。寒くもなく暑くもない気温。あぁ日本人だなぁって、お湯が染み込むような心地よさに考えてしまう。まぁ僕が日本人なのかどうか疑問だけれど、戸籍上は確かにそうだ。

お湯に浮かぶようにお風呂に入っている。月が綺麗だ。星は月の明るさに隠れてあまり見えない。

お湯をすくって顔にぷはーってかける。うん気持ち良い。

ふっと腕を見る。細い。最低限の筋肉。貧弱だ。魔法師の弊害の象徴である澪さんも同じ境遇だけれど、お風呂に入るたびに考えてしまう。僕の身体はこの世界では異物なんじゃないだろうか。

『三次元化』『回復』『高位次元体』。複雑な状況にチグハグな精神性。なのに証明は一切出来ない。証拠は『ピクシー』の証言のみ。

僕の『能力』はこの世界には破格すぎる。『魔法師』としても機械音痴な事を差し引いても桁違いだ。僕が『メラ』を唱えても、その威力は『メラゾーマ』になってしまう。

独自の魔法を使っても普通の『魔法師』では再現できないことになるだろうから、この世界に貢献は出来ない。もっとも達也くんがあの『トーラス・シルバー』みたいに、僕専用のCADを作れたらエンジニアの腕とあいまってすごい魔法や技術が開発できるかもしれないけれど。九校戦では無難な魔法勝負に終始することになるかな…

 

そんな事を、らちもなく考えていたら…浴場の扉がカチャッって開いた。

おやって、目を向けたら、僕と同じように黒髪を結い上げて、湯着をまとった『真夜お母様』が立っていた。

月明かりに照らされて、黒髪に肌色、湯着の白が浮き上がっている。

僕は驚いてお湯から立ち上がった。僕は全裸だけれど、裸を見られることは研究所時代のせいで慣れている。

『真夜お母様』も、僕みたいな貧弱な子供の裸を見ても驚かない。

 

「お母様?」

 

「くすっ、『親子』ですもの、一緒に入っても問題ないでしょ」

 

「…はい!」

 

『親子』。その言葉だけで、僕は感動してしまう。天涯孤独な僕は『家族』という存在は憧れで願望だ。

お母様はお湯で軽く身体を流すと、僕の隣にゆっくり向かってくる。濡れた湯着が身体に密着して生々しい。お母様なのにドキドキしてしまう。

僕の隣で肩までお湯に浸かる。僕はちょっと身を縮める。お母様が僕の左腕にぴたっと右腕を重ねた。

 

『真夜お母様』から良い香りがしてくる。石鹸の類ではない、心が落ち着く香り…

 

「気持ち良いですね、久」

 

「はい、広いお風呂がこんな気持ち良いなんて知りませんでした」

 

「そう?いつでも入りに来ても良いのですよ」

 

「本当ですか?それなら『お母様』に会う機会が増えて僕も嬉しいな…」

 

「試験が終わると九校戦ですが、久は今年も氷倒しに出場するの?」

 

「わからないけれど…そうなったら頑張りたいです。じつはこっそり練習もしているんですよ」

 

「今年の九校戦の公式発表は週明けに行われます。ちょっと騒ぎになるでしょうね」

 

お母様は今年の九校戦に関してもう知っているんだ。でも、

 

「その前に、試験を乗り越えないと…今年は赤点を心配するほど酷くはないけれど、上位に食い込むほどには学力がないから、また他の生徒は僕を残念な目で見るんだろうなぁ」

 

僕自身を蔑むのは構わない。でも、僕の周りの人たちをもその蔑みの目で見ることには耐えられない。僕の友人や『家族』はすばらしい人たちばかりなんだ。

 

「でしたら九校戦で実力を発揮するのが一番ですね」

 

「…うん。今年は、勝てると思う…」

 

「でも、去年みたいに、ほぼ互角の勝負なら一条選手が勝利と言う判定になるでしょうね」

 

「どうしてですか?」

 

「氷倒しの判定は機械ではなく、審判員の価値基準と主観で決まります。審判員は当然、十師族よりの判定をするでしょう。

去年も達也さんが一条選手に勝った後も、他の十師族が問題にして、その後の競技に口出しをしていたのですよ。十文字さんが圧倒的に、過剰なまでに圧勝したのはそのためです」

 

僕と一条くんとの勝負はゼロコンマの世界だ。どちらが勝ちと判定されるかは審判の判断となる…

 

「じゃぁ僕が勝ったら、そのあと一高の競技がしにくくなる…?」

 

「あくまで、可能性ですよ。久はもう十師族の一員のような立場ですからね。でもまだ本当の十師族ではありませんから…」

 

「十師族って面倒くさいですね…あっごめんなさい」

 

「いいんですよ、でも四葉家は権力や権勢に興味はないの。もともと一族を『家族』を守るために研究開発をしてきた結果なのだから」

 

「…あぁ!」

 

『家族』を守る!それは僕が一番考えていることだ。『真夜お母様』と同じ事を考えている。

心の高まりを、恍惚を感じる…

 

僕は十師族に対しても素直な感情を向けられない。個人としては仲が良いし悪意はないけれど…

五輪家は澪さんは大好きだ。でも弟の洋史さんの頼りなさ、もっと言うと卑屈さにはあまり良い感情はない。

七草家は真由美さんは僕に優しいし何かとお世話になっている。双子も感情的には色々とあるけれど一高の後輩だ。でも当主の弘一さんは僕に思惑があるようだ。

九島家の烈くんと光宣くんは僕の一番の友人たちだ。響子さんは婚約者(仮)。でも現当主の真言さんは僕に関心がない。まったくの無視を決め込んでいる。

十文字克人先輩は個人としては僕に気をかけてくれるけれど、十師族としての考えには少し壁がある。

僕は、ぼうっと考えながら、真夜お母様から香ってくる良い香りに包まれていた。

少しずつ、少しずつ。僕の『回復』に影響を与えない速度で緩慢に、香りを肺に吸い込んでいく…

時間の感覚がなくなっている。僕は体力がないから長風呂はちょっときつい。お母様の隣でリラックスし過ぎたかな…

僕の頭がくらっと揺れる。良い香りだな…眠いようで眠くない、不思議な脱力感…

 

「そろそろ上がりましょうか、久、今夜は一緒に寝ましょうね」

 

「…はい」

 

僕の変化に気がついてくれた『真夜お母様』が立ち上がった。僕もつられて立ち上がる。

お母様とご一緒に眠れるなんて凄く嬉しい。僕は、湯当たりしたかのように、熱くなった身体で、お母様に手を引かれて温泉からあがる。

お母様が湯着のまとわり着いた身体のまま、僕の濡れた身体を拭いてくれる。僕はお母様のお顔、胸の谷間、白い肌、黒髪、微笑をたたえた唇をぼぅっと見つめていた。

すこし長風呂してしまったかな…

 

寝室でお水を飲むけれど、身体は熱いままだ。頭が重い。

ベッドの中で、お母様は僕を抱きしめてくれていた。僕も抱きしめ返す。

心地いい香りが肺から全身に染み渡って、僕自身がお母様に包まれているような、まるでお母様の一部になったかのような錯覚に陥っていた。

そのまま眠りに落ちる…眠っているようで眠っていない。レム睡眠…?うつつと夢の間の領域…

まるで赤子のように、お母様の柔らかい胸に顔をうずめて、僕の意識は混濁していた。呼吸が苦しい。全身が疼く。性的欲情とは違う、下半身がムズムズして、思考がぼんやりと、意識が薄まっていく…少しサイオンを感じた気がした…

お母様の声が脳内に聞こえる…不快じゃない…むしろ、もっとひとつになりたいって欲望に支配される。

 

捕獲したパラサイトがあなたは『高位次元体』だって言っていたけれど、本当?

 

わからない…僕には記憶がないから…

 

戸籍上は17歳だけれど、本当の年齢は?

 

僕は三歳以前の記憶もない…ただこの身体は11歳。これ以上は大人になりたくない…

 

精神とは何?

 

健全な精神は健全な肉体に宿る…

 

つまり精神は脳だけでなく肉体そのものに宿る、と?

 

精神は意識や魂、生命力や生命エネルギーと言った目や機械では測定できないもの。だけれど、肉体そのものの形をとる…

 

何かしらの不幸で体の一部が欠けていると精神も欠けたものになる?

 

よくわからない…僕は精神の存在に近いけれど、肉体の維持にそれのほとんどを当てている。それがなんなのか測定できない以上結局は想像するしかない…

 

肉体の三次元化?

 

もともと不安定な存在を無理に肉体化しているから酷くイビツでチグハグな存在だ…もしかしたら時間が全てを証明してくれるかもしれない…

 

…そう、答えは自分で見つけるしかないのね…

 

わからな…い

 

寝言で会話をしている…変な会話だ。夢の中の出来事みたいだ。夢は起きたら忘れてしまうだろう。

でも、僕の意識は混濁しつつも寂しいと感じている。

たぶん日にちがかわれば、『真夜お母様』とお別れしなくちゃいけないからだ。

帰宅したら、今夜は澪さんはいないけれど、響子さんはいるはずだ。響子さんの悩みが解決されていたらいいんだけれどな…

僕はまどろみの中、『真夜お母様』の香りに包まれて、多幸感を味わっている。

お布団が『真夜お母様』の体温で、物凄く温かい。

このまま消えてしまってもいいかなって思いながら、僕は深い眠りについた。

 

翌朝、目覚めたとき、お風呂から上がった後の事は覚えていなかった。

同じベッドの隣に『真夜お母様』が横になっていた。大人のワンピースの寝間着。カーテンの隙間から、6月のまだ弱い朝日が差し込んでいる。朝日が薄ぼんやりと並んで寝る二人を照らす。

『真夜お母様』が僕を見つめていた。たぶん慈愛に満ちた目だ。僕がそう思いたいから、そう見えるのかもしれないけれど…幸せな朝だった。

僕はお母様にしがみつくように抱きついて、また眠りに落ちていた…

 

あの甘い香りは、もうしていなかった…

 

 

 

 




捕獲した『パラサイト』が忠誠や依存に逆らえない事、そして『高位次元体』である久の情報を真夜は聞き出します。
久が世界を滅ぼす力を持つ存在であることも知りました。支配の方法も。
達也が久の事を知らないはずはないので、報告していないことをすこし不審に感じます。
達也でも気づかなかったのか、それとも…なので、古都内乱編で周公謹捜索を命令でなく依頼という形でだして忠誠をしらべます。

久は個人への好意はあるけれど、十師族そのものには好感はありません。これは一高に入学した当時から感じていたことです。
この回で、真夜は四葉家以外への十師族への不信感を久に植え付けます。
やがて、九校戦で現実のものとなる…


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混濁

ちょっとごちゃごちゃした内容なので、自虐的なタイトルです。


四葉家から帰るとき、僕はふわふわしていた。地に足がつかず、まるで酩酊状態みたいになっていた。酔ったことはないから想像だけれど…

でも、温泉に長いこと入っていて湯当たりで体調不良になったにしては、頭の中の一部分は妙に冴えている。まるでテスト前日に徹夜して一気に頭に知識を詰め込んだみたいな、妙な冴え。でも、気のせいかたった一日で頭が良くなったような気がする。そんな都合のいいことありっこないよねぇ。

その冴えが何なのかはわからないけれど、朝目覚めてから四葉家にいる間は『真夜お母様』が、僕を柔らかいソファに寝かせて、膝枕しながら団扇で軽く風を送り続けてくれていた。こんな優しい母親が他にいるだろうか。僕は感動に身体が打ち震えて、体調不良なのか幸福感なのかわからない酩酊状態…

達也くんと深雪さんは良いなぁ。こんな素敵な女性が親戚で。僕はあくまでも他人だから達也くんたちが羨ましくてしかたがない。でも、生き方を比べちゃ駄目さ~♪と『熱血最強ゴウザウラー』の歌詞にもある。僕は僕で出来ることをひとつずつこなしていこうと思う。

 

夕方前には練馬の自宅に戻ってきた。僕は、四葉家で綺麗に洗濯されていた制服から、いつものパジャマに着替えるとソファに座ってぼぅっとしていた。『真夜お母様』に抱かれた多幸感が全身に残っている。だけど、けだるい。これまで体験したことのない、よくわからない体調だ。

何気なくテレビをつけると、過去の九校戦の特集が放送されていた。『魔法師』と魔法競技は思ったより世間に受け入れられているようだ。『魔法師』排斥運動なんてものがあるけれど、テレビ局はそんな運動とは別に、CGではないリアルの『魔法師』の派手な映像をまとめていた。響子さんの高校時代の映像が映っている。響子さんも高校では大活躍だったんだ。『電子の魔女』としてではなく、優秀な『魔法師』の響子さんは新鮮だ。若い…いや今も若いよ、うん、可愛いなぁ。特集は三連覇の一高の情報に移った。十文字先輩や真由美さん、去年のダイジェストの深雪さんの映像に、僕の姿もちらっっと。

九校戦は『真夜お母様』も観ていてくれるから、がんばらないと。

でも十師族の横槍か…決勝で事件が起きるんだろう。何が起きるのか、僕には未来予知は出来ないけれど、『真夜お母様』のこれまでの予測は外れたことはない。用心しないと…

 

テレビを見終わって、九校戦以前に勉強しなくちゃ…これ以上恥ずかしい成績では、澪さんにも響子さんにも友人たちやお母様に失礼だ。

ソファから立ち上がろうとするけれど、だるい…お腹もすいたし、喉も渇いた。

料理はする気力がない。去年買い溜めしておいて、今は非常用に備蓄している栄養ジェルが台所の床下に大量にある。あれでも飲んでおこうか…

立ち上がるのが辛い。でも『真夜お母様』のことを考えると少し落ち着く気がする。僕は右手の指輪をぼうっと見つめる。えへへ幸せだ。

 

夜20時ころ、響子さんが帰ってきたとき、僕はリビングの照明もつけず、電源を落としたテレビの黒い画面を焦点の合わない目で見ていた。

暗闇に人形のように動かないで座っている僕は、少し奇妙で猟奇的な姿だったらしく、響子さんも一瞬驚いていた。

 

「ちょっと長風呂して湯当たりしちゃったんだ…」

 

僕の下手な言い訳も響子さんは疑わなかった。響子さんもまだ悩みから抜け出していないみたいだ。僕の額に白い手を当てると微熱があったみたい。

水分はとったかと聞かれ、とっていないと答える。響子さんに水分をたっぷり摂るように言われ、ごくごく水を飲んだら、少し落ち着いた。たしかに脱水状態だったみたいだ。こう言うとき軍属の響子さんはすごく頼りになるお姉さんだ。

脱水状態は澪さんには内緒にしてもらうことにして、夜、僕たちは一緒に寝る。澪さんがいない、響子さんと二人きりで寝るのも実は珍しい。澪さんが家にいない日なんて殆ど無いから。

ベッドに横になりながら、僕はいつも通り目だけ瞑って一晩、『回復』を働かせる。

隣の響子さんも目は瞑っているけれど、眠れないで寝返りをうっている。ふっと、お互いが向かい合った瞬間、二人のまぶたが開いて、暗闇の中目が合った。

 

「響子さん、心配事や悩み事があったら言ってね。僕じゃ頼りないから、僕以外で誰でもいいし…何なら面倒は押し付けちゃうとかさ」

 

僕はにっこりと笑いかけた。

 

「…ええ、ありがとう久君」

 

響子さんの悩みがなにかはわからないけれど、ちょっと思いついたことがあるみたいだ。寝返りをうつのをやめて、やがて寝息を立て始めた。

僕は朝までの時間、起きている。澪さんがいるときもそうだけれど、誰かと一緒にいるのに一人の時間。その間色々なことを考えているけれど、ほとんど覚えていない。僕の記憶力は頼りない。僕は響子さんの寝顔や天井を見つめながら、昨日、お風呂から目覚めるまでの間のことを考えた。やっぱり何も思い出せなかった。

寝言を言っていたような気がするけれど…?

季節は夏に向かっているから夜が短い。5時、部屋が明るくなって僕はベッドから起きると、響子さんに布団をかけ直して、台所に向かう。

昨日、『真夜お母様』と軽く朝食をご一緒してからは何も食べていないな。朝食も体調不良でちょっとだったし。

『回復』は『高位次元』からのエネルギーで出来る。でも、人間は固形物で栄養を補給しなくては、脳と肉体のバランスを失ってしまう。

 

健全な精神は健全な肉体に宿る、だ。

 

ん?昨日もそんな事言っていたような…寝言でそんな事言うかな?

 

 

月曜日、いつも通り学校に登校する。

ゆっくり歩いて登校したので授業開始ぎりぎりになってしまった。すこし足元がふらふらしている。

 

「久、体調が悪いの?」

 

隣の席の深雪さんが心配してくれる。

 

「うっうん、そんなに酷くないんだ。長風呂してたら湯当たりしちゃって…えへへ」

 

「苦しかったら保健室で休んでいた方が良いよ」

 

ほのかさんも言ってくれる。試験前だからちゃんと授業うけないと。

 

「平気だよ、これくらいの不調は『起きていれば』治るから」

 

「?」

 

僕の奇妙な台詞に雫さんが首をひねる。

 

身体がまだ重いけれど、授業中もどんどん『回復』している…

 

放課後の一高にニュースが広まっていた。九校戦の競技が変更になったんだって。

耳の早い料理部の部長が友人から情報を仕入れて、料理部でもその話題でもちきりになった。参加競技のない料理部でもこう盛り上がるんだから、スポーツ系の部活は大変だろうな。

『真夜お母様』が言っていたことはこれだったんだ。

とりあえず『アイス・ピラーズ・ブレイク』は残っているけれど、僕は選ばれるかな?そもそも選ばれなければ、実力は発揮できない。

放課後、いつものメンバーが校門に集合。駅までの短い通学路だけれど、僕の足取りはまだ重い。達也くんはペースを落として歩いてくれる。香澄さんはのろのろ歩く僕に何も言わなかった。完全に無視することにしたみたいで、僕が話しかけようとすると顔を赤くして大げさにそっぽを向いて、そっぽを向いた自分に腹を立てている…

幹比古くんの提案で喫茶店に寄っていく事になった。幹比古くんが喫茶店に誘うなんて珍しいな。喫茶店前までは七草の双子もいたんだけれど、香澄さんが帰宅を選んだので泉美さんも帰る事になった。泉美さんは残念そう。香澄さんはまったく僕に目を向けず、さっさと逃げるように行ってしまった。完全に嫌われてしまったみたいだ。

明日からは、部活に行くとき水波ちゃんを教室まで迎えに行くのはやめにしよう。そう言ったら水波ちゃんも事情を察して了承してくれた。すごくほっとしているけど何でだろう?

喫茶店では九校戦の新競技の話題が当然中心になった。

アイス・ピラーズ・ブレイクとミラージ・バット、モノリス・コードはそのままで、

ロアー・アンド・ガンナー、シールド・ダウン、スティープルチェース・クロスカントリーが新競技に加わる。

氷倒しもソロとペアがあって、今回はクロスカントリー以外の種目とは重複出場できないんだって。

みんながクロスカントリーの危険性について話し合っていた。

僕には疑問でしかない。

 

「ねぇその競技がどうして危険なの?森の中のアスレチックや行軍なんてレオくんや水波ちゃんは息も切らさずこなしてるでしょ」

 

「レオを基準にするのは間違っているよ久君」

 

幹比古くんが呆れる。

 

「学校の裏山のコースは決まっているからな。地図も経験もない森を分け入って進むのは案外難しいんだぞ」

 

「でも軍の施設の森ならちゃんと整備されているんじゃない?人死にがでるような危険な森は使わないよね」

 

「たとえ整備された雑木林でも罠や、魔法的な障害もあるんだから。しかも距離が長いから大変だよ」

 

このなかで山に詳しいのはレオくんと幹比古くんだ。

 

「ふぅん」

 

「ふぅんって、久も参加することになるんだよ」

 

雫さんは競技変更を最初に聞いたメンバーの一人だし、九校戦のマニアでもあるから、気のない僕に鋭く指摘した。

 

「僕が選手に選ばれたらの話だよね。三年生だっているんだし」

 

「一条選手と互角に勝負できるのは深雪か久君だけだから、間違いなく選ばれると思うけれど。ねぇ達也さん」

 

ほのかさんが達也くんに肩をさらにくっつけながら言う。僕の位置がテーブルの反対側だから、余計達也くんに密着して胸がたゆんってなった。達也くんは、無表情で頷いていた。すごいな。達也くんは異性に対して鈍感というより無関心。僕と近いところがある。僕は幼い精神からだけれど、達也くんは性格なのかな?それにしては無関心すぎる。

 

「また上位成績者に文句言われるのか…」

 

去年の成績上位者で選手に選ばれなかった生徒が試合当日まで陰口を言っていたことを僕は知っている。もちろん氷倒し第一試合以降は沈黙したけれど。今年は三年生もいるからなぁ。

 

「クロスカントリーは選手の2、3年生は全員参加することになる。過酷な競技だ。ドロップアウト、自信喪失や疲労からの魔法力喪失者もでるだろう」

 

「そんなに大変なんですか?」

 

ほのかさんが真剣におびえている。まさか達也くんにしがみつきたいからじゃないよね。

深雪さんも達也くんにくっつくくらい近くに座っているけれど、そこまではしない。深雪さんは、どうしてほのかさんに甘いのかな?

 

クロスカントリーは僕も参加することに?

それは、無理だろう。レオくんが簡単だって言う(簡単なのはレオくんだけだ)裏山のアスレチックコースだって、僕はスタート直後の池に、盛大に落っこちている。

整地されていない、踏み固められていない森の中なんてまともに歩けるわけがない。僕の筋力と体力はどうにも情けない。

『能力』を使えば別だけれど…

 

それにしても、魔法競技で自信喪失からドロップアウトする選手が出ることを、達也くんは真剣に考えているようだ。

過保護すぎなんじゃないかな。高校野球だってプロになれるのは一握りだし、夢をかなえたり希望の職種につけるのもごく一部だ。

魔法科高校に通っているからって、全員が魔法大学に進学できるわけじゃない。

そもそも、今だって、年に何人も退学していく生徒がいる。その生徒たちのケアは一切していない。その生徒だって一般人どころか、国家から見ても稀有な才能を持つ人材だろうに。

九校戦に参加する生徒は優秀だから、退学するような劣等生とは区別している…なんてこと達也くんが考えているとは思えない。

これはきっと、あーちゃん生徒会長が心配のあまり学校業務に手がつかなくなって、自由時間が奪われることを不安視しているんだな。

達也くんは、基本、深雪さんのことしか考えていない。もちろん冷血漢じゃないから友人たちの事は気にかけているけれど、積極的に自分から動くタイプじゃない。

もし、響子さんが同僚のよしみで、悩み事を達也くんに打ち明けたら、達也くんはどうするかな?

達也くんは、深雪さんとほのかさんに挟まれて、器用にコーヒーを飲んでいる。ほのかさんの胸がたゆんって揺れるけれど、無表情。たゆん。

 

その後も九校戦の話をした。達也くんが去年の決勝の反省と一条選手の特徴、というか欠点を教えてくれた。

確かに去年の一条くんは全試合一瞬で終わっていたから、達也くんのその戦術に、その場にいた全員がなるほどって頷いた。

僕も納得する。

でも、僕は『真夜お母様』の言葉を思い出していた。それで完勝して、判定はどうなるのかなと。

 

 

翌火曜日、九校戦に向けて一高が動き出した。具体的には生徒会と部活連による選手選考から各部への調整だ。

僕は、それよりも来週からの試験の方が重大だ。試験一週間前で今日からほとんどの部活が活動中止になる。その空いた施設で九校戦の模擬試合なんかも行われるんだけれど、とにかく勉強だ!

帰宅して、着替えと食事を済ませると、澪さんに家庭教師になってもらって集中して勉強をする。今日からはこれまでの復習をすることになっていたんだけれど…

あれ?妙にすらすらと解答できる。これまで必死に覚えようとして覚えられなかった魔法理論が何故かよどみなく答えられる。

澪さんも驚いているけれど、試しに、今回の試験範囲の模擬試験をしてみたら…あれ?なんかすごく良い点数だ。僕は覚えるのは苦手だけれど、一度覚えれば大概忘れないから、このままで行けば成績は飛躍的に向上するかも…

それでも慢心は危険なので、頑張って勉強をする。

その間、響子さんは自室に閉じこもっていた。あの電脳部屋で何をしているのかな…おっと集中しないと。

 

 

水曜日の放課後、九校戦の選手候補が準備棟の小会議室に集められた。ソロとペアがあるので練習相手の生徒も集められていた。

でも試験前なのにみんな余裕だよな…基本的に選手に選ばれるような生徒は、そもそも成績も優秀なのだ。

僕も、呼ばれたから会議室に行く。レオくんとエリカさんもいたけれど、いつもの口げんかを始めそうになって皆の注目を一瞬集めた。

水波ちゃんや七草の双子もいる。七宝琢磨くんの姿もある。森崎くんは…どこに…えぇと空気?森崎くんですら選ばれないなら、僕は練習相手の方かな。

全員の前に生徒会と部活連の首脳が並んで、参加選手の説明を始める。はんぞー先輩が代表選手を呼び上げている。

 

「アイス・ピラーズ・ブレイクの男子ソロは多治見久。女子ソロは司波深雪」

 

「あっ、はい」

 

呼び上げられたら返事をするんだった。深雪さんが「はい」って素敵な声で返事をした。氷倒しか…選ばれて少しほっとしている。

 

「ちょっといいか?服部!」

 

逞しい声で、沢木先輩が手を上げた。沢木先輩、桐原先輩と十三束くんはシールド・ダウンの選手に選ばれている。レオくんは練習相手になるんだって。

 

「どうした沢木」

 

「多治見君はシールド・ダウンにも向いているんじゃないか?マジックアーツ部の部長としても彼のセンスには興味があるんだが」

 

シールド・ダウン代表の三人は、4月の模擬戦の相手だ。その日、演習場にいた七宝琢磨くんも「ああ」って得心顔をしているし、模擬戦の噂を知っている生徒もいるみたいだ。でも、それ以外の生徒は怪訝な顔だ。

香澄さんも、他の一年生が僕のことを論評するたびに表情が曇っていく…一高の精鋭が集まる中でも沢木先輩は全国区での有名人。マジックアーツの選手としても、その見事な体格からも他を抜きん出ている。沢木先輩と僕、一高の体格最強と体格最弱。沢木先輩の意見は香澄さんの悩乱を招いているんだろうな。

 

「その意見は選手選考でもあったんだが…司波、説明してくれるか」

 

はんぞー先輩は見た目や評判で生徒を区別しない立派な人だ。僕のこともちゃんと認めてくれる一人でもある。ひょっとしたら十文字先輩になにか言われているのかも。

 

「久の魔法発動速度に勝てる『魔法師』は、現代にはいません」

 

達也くんが無表情で言った言葉を理解するのに一年生は少し時間がかかったみたいだ。

2、3年生は僕が深雪さんやリーナさんとの魔法実習を見学しているので、僕の魔法発動速度は誰もが知っている。

 

「アイス・ピラーズ・ブレイクとミラージ・バットでは、ほぼ敵なしです」

 

うん、氷倒しは早撃ちだから。ミラージ・バットでは『簡易擬似瞬間移動』を連続するだけで楽勝なんだって…ん?ミラージ・バットは女子オンリーの競技だよ達也くん。無表情でジョークを言うのは反則だよ!あまりに自然に言うから全員が何も疑問に感じていないよ!だったら僕のボケにも突っ込みを入れてよ!僕のボケに突っ込みを入れられるのは九重八雲さんだけじゃないんだ!達也くんが隠れアニメオタクだって事をみんなにばらす…ひゅぅ。うぐぅ、氷の女王が僕をひと睨み!すみません、なにも知りません。

 

「久の『魔法』ならシールド・ダウンでも、特にソロならば優勝は可能でしょう。沢木先輩と闘っても互角に渡り合えると思います」

 

会議場がざわついた。とくに僕のことをよく知らず見下すような態度をとる生徒が多い一年生は。

 

「沢木先輩は体重、パワー、体力で優位。特に格闘のセンスや経験は圧倒的に有利です」

 

格闘技で体重差は決定的な差だ。ボクシングで数グラムの差でも厳しく階級わけされているのはそのためだ。

 

「逆に、久の『魔法力』と発動スピード、それに常人の反応速度を超えた動体視力のアドバンテージは想像を絶します。シールド・ダウンだけでなく、ソロ競技ならどの種目でも優勝できますね」

 

達也くんが絶賛してくれている。物凄く嬉しいけれど、達也くんが人前でここまで褒めるなんて珍しい。これは褒め殺しだ。深雪さんの目に嫉妬が混じって、怖いです。背筋が凍ります…

そう。僕の魔法は、時に常人の反応速度を超える。その魔法を使っている間、僕には相手が見えている。つまり、僕の動体視力は人間のそれを超えているんだ。でも肉体の強度は…

 

「競技用のCADさえきちんと使いこなせば、ですが」

 

と、同級生と上級生の共通認識。この台詞は、もはや僕と言う『魔法師』を説明するのにお約束なので2、3年生にはお馴染みのやりとりだ。1年生で僕を知らない生徒はちょっと僕を見る目が変わる。香澄さんの目つきは変わらないから、僕は努めて香澄さんの視界から隠れる。レオくんの身体は逞しくて良いな。こそこそ。そんな僕の態度にますます苦虫噛み潰しな香澄さんなんだけれど…

 

「試合当日までは時間もあるし、それまでにはなんとかなるんじゃないかな」

 

「久の機械音痴が一ヶ月で直ることは断じてありません!」

 

断言された!

 

「同じ事を繰り返すだけでいいなら何とかなりますが、臨機応変となると無理です」

 

重ねて断言された!僕の機械音痴は『三次元化』の弊害のひとつなんだ、たぶん。虚弱とまではいかないまでも、肉体そのものが弱い。

 

「しかしなぁ」

 

沢木先輩が、しつこく食い下がった。体育会系の沢木先輩には珍しい態度だから三年生も戸惑い始めた。沢木先輩には4月の模擬戦での敗北がよっぽど印象深いんだろうな。試合用のCADで僕が複数の魔法を使いこなせない事は努力と根性で直せると考えているみたい。努力はともかく、根性はないから、無理だ。自分でも断言する!

 

「久は、しかし、それ以前にシールド・ダウンでは決定的な弱点があります」

 

「それは?」

 

「シールドが重くて、久では持てないからです」

 

「そんなに重いとは思わないんだが、なあレオくん」

 

「…そうですね」

 

沢木先輩が僕の隣に立っていたレオくんに声をかけた。レオくんも軽く頷く。

会議室の隅にシールド・ダウンで使用する盾のサンプルがひとつ置いてあった。跳び箱の踏切板くらいの大きさがある。

急ごしらえで形はこれから煮詰めるけれど、木製でぶつかっても壊れない、がっしりとした造りだ。5キログラム…いやもっとありそうだ…

二人を基準にするなって誰かの声が聞こえた。あれは僕でなくても手こずるよ。水波ちゃんは新人戦でシールド・ダウンの選手に選ばれたんだよね。小型化されるとは言えあの踏切板みたいな盾を持って走り回るんだよね。凄い膂力だよ。

 

「逆に、氷倒しで三高の一条選手に勝てる選手は、十文字先輩が卒業した今、久しかいません。どう思う久?」

 

達也くんが質問してきた。ん?ちょっと違和感があるな。こういう場では、達也くんは事務的に事を処理する。

友人しかいない場でならこの質問は特に疑問に思わなかったけれど、もうすでに決まっていることを、わざわざ僕に聞いてくるなんて、変だな。

喫茶店での会話もあったから、

 

「うっうん。達也くんが考えてくれた戦術があれば、今年は勝てると思う」

 

おおっ!と会議場がどよめいた。

でも、『真夜お母様』のご心配を、今は誰にも言えない。練習中、達也くんには告白するつもりだ。

一条くんに勝つには、誰の目にも明らかな圧倒的な勝利、もしくはインパクトが必要になる。

『戦略級魔法師』に匹敵する、インパクトのある『魔法』。

 

会議場での説明会と顔見せが終わっても、生徒会や委員会のメンバーはまだ用がある。部活はできないから、僕はさっさと帰宅して澪さんと遊ぶ…もとい、テスト勉強にしようかな。

帰宅組は僕とレオくんとエリカさん。

レオくんとエリカさんは肩を並べるでなく、微妙な距離感で歩く。嫌がっている割には、いつも一緒にいる気がするけれど、同じクラスだから行動が同じになるんだよね。運も実力って言うし…ん?違うな、縁は奇なものだったかな。

 

一高前駅で二人と別れて、キャビネットに乗ろうとしたとき、携帯端末が鳴った。

発信相手を確認する。匿名だ。知らない番号だけれど、間違い電話かな?用心して出ない事にする。

キャビネットに乗ってしばらくして、同じ番号からかかってきた。今度は切れない。さっさと出ろって呼び出し音に急かされているようで落ち着かないので、やむなく出る。

 

「こんにちは、多治見君」

 

「あなたのおかけになった電話番号は現在から使われなくなりますので、ご確認の上おかけ直さないでください」

 

「あぁぁ妙な言い回しで切らないで!」

 

僕は携帯端末をじぃーっと見つめた。切ってもまたかけ直してくるな…しかたがない。

 

「こんにちは、九重八雲さん、以前と番号が違いますね。あぁ、忍びの道は恋の道なんでしたよね」

 

以前、誘拐組織を襲撃するときに電話のやり取りがあったけれど、それ以来の電話だ。

 

「蛇の道は蛇っていいたいのかな…ああぁ、うん、用心のためにたびたび番号は変えているんだ。いきなりですまないね、謝るよ」

 

顔は見えないけど、絶対口だけだよなって確信する。

 

「それでね、少しお話があるんだよ。明日朝7時に僕のお寺まで来て欲しいんだ。ちょっとした驚きがあるよ」

 

驚き?何だろう。

 

「お寺ってどこですか」

 

端末にお寺の位置情報が送られてきた。地図にして表示したら、一高から10分くらい車で移動した距離に九重寺って、そのままのお寺があった。

 

「八雲さん…って、本当にお坊さんだったんですね!」

 

「う…うん。まぁ見えないってよく言われるよ」

 

落ち込んでいるのが電話でもわかる。これは本当だなって思う。

僕と八雲さんの間にある今の問題は九島家の『P兵器』のことだけだ。

正直言って、わざわざお寺に行く趣味もないし、その時間は澪さんと響子さんと一緒に朝食を作っている。

 

「頭を剃ったおっさんと、美女二人。八雲さんならどっちを選びますか」

 

「それは美女に決まって…あっいや、ほら僕は略式だけれど抹茶も点てられるから、美味しい和菓子を用意しておくからさ」

 

じゅるり。うっ、だめだ、僕の最大の弱点は食べ物に釣られることなんだ…

 

「僕の舌は肥えていますよ」

 

ハードルをあげる。

 

「もっもちろん、ちゃんとしたものを用意するから…」

 

「じゃあ吉祥寺のこざさの早朝限定の羊羹をお願いしますね」

 

「えぇ!?それは朝から行列しないと買えない…わかったよ。九重八雲の名にかけて、手に入れておくよ」

 

え?半分冗談だったんだけれど!

 

「えっ!すごい!八雲さんって、やっぱり凄い人だったんですね!僕、初めて八雲さんを尊敬したよ!出来れば澪さんたち用にお土産分も用意してください!」

 

「初めての尊敬がこれって…うっうん、わかったよ、じゃぁ待っているね」

 

消え行くような声で八雲さんは電話を切った。何となく、勝った気がした(笑)。

でも、朝の7時にってことは6時くらいに家を出ないといけない。そんな早朝に出かけたら美女二人に怪しまれるな…あっそうか、九校戦の代表に選ばれたから早朝から練習があるって言えば良いか。

わざわざ朝の7時に呼び出すって、なにか重要な用なんだろうな。それに驚きってなんだろ。

それよりも羊羹楽しみだな。朝から羊羹もどうかと思うけれど…?

 

 




朝から桜餅を食べて、一日体調不良になったことを思い出します(笑)。

四葉家で久は強制睡眠学習を受けています。
水波は1週間体調不良ですが、久は『回復』のおかげで数日ですみました。
前年は真由美の鶴の一声で選手に選ばれて、成績上位者の非難をあびていました。
これで心置きなく九校戦の練習にはげめるはずですが、事情を知らないので久は相変わらずです。
自分の成績が不振なことを物凄く気にしています。もっと自信を持てればいいのですが、精神の不安定さは『三次元化』の弊害のひとつです。
へんに自信家なキャラにするとただのチートキャラになってしまうので、このチグハグなところが久なのです。
それを見るとイライラするのが香澄さん。やがてイライラが…


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告白

 

九重八雲さんが住職をしている九重寺は小高い丘の上で緑に囲まれていた。下の道路からだと全容はわからない。山門につながる石段と辻塀、瓦屋根と緑しかみえない。

朝の7時、僕はなんとか迷わずに石段前にたどり着いた。キャビネットに乗ってくるだけだけれど、機械操作が苦手な僕は、行き先が間違っていないか不安で行き先の車内表示を何度も見て確認した。

朝早く自宅を出たけど、九校戦の選手に選ばれて張り切っていると澪さんも響子さんも考えてくれた。二人とも九校戦には詳しいから、その気持ちはわかるみたい。

 

九重寺の石段は上りにくい。学校の階段と違って一段一段高さや形が違って、小さな僕にはきつい。わざと上りにくくしているみたいな不便さだ。

見上げると山門はそれほど大きくなかった。地獄の入り口は広いって決まっているけれど、これがちょうど良いのか不足なのか、寺院の知識がかけらもない僕にはわからない。僕がえっちらほっちら石段をあがると、山門にお弟子さんが一人音もなく現れた。

軍服は個性をなくすけれど、僧形も個人の判別を難しくする。過去に二回、お弟子さんの数人とあっているけれど、その人だったのかな…?

お寺は山門から見える範囲はそれほど広く感じられない。丘の上なんだからこれくらいなのかな。僕はお寺に来るのも初めてだ。比較しようがないか。

お弟子さんに案内されて本堂じゃなくて、お坊さんが住む住居、僧坊っていうの?僧坊に向かう。

普通に玄関があって、大きな下駄箱もある。僕は一高の制服だから、学校指定の靴を脱いで下駄箱に入れようとしたら、沢山の草履や下駄、雪駄といった和風な履物の列にまじって、運動靴となぜか女性用のインラインスケート靴があった。運動靴とそれは並んでいた。

お弟子さんの後ろについて廊下を歩く。お弟子さんはすっすっと歩いて足音がしない。足音を出さないで歩くのは忍者だって『花の慶次』で天下一の傾奇者『前田慶次』が言っていたから、この人も忍びなんだろう。

僕はとてとて歩いて、そのたびぎぃぎぃ廊下がなった。

とあるふすまの前でお弟子さんが立ち止まると、お弟子さんが声をかけるより早く、中から声がした。お弟子さんが苦笑いをしている。

お弟子さんがすっとふすまを引いてくれて、中に入ると、薄暗い部屋の奥に、すこしだらしない雰囲気で胡坐座りの九重八雲さん。そして、

 

「あれ?達也くん、深雪さん。どうしてこんなところにいるの?」

 

きちんと正座をして、体ごと斜めになってこっちを見る二人。一人はいつもの通りの無表情。もう一人は絶世の驚き顔。

 

「こんなところ、はないだろう多治見君」

 

「おはようございます、達也くん、深雪さん。今日は水波ちゃんは?」

 

「水波は留守番している」

 

「おはよう、久。先生は久とお知り合いだったのですか」

 

深雪さんが僕ではなく八雲さんに尋ねた。

 

「ん、色々とあってね」

 

「僕にしてみたら二人が八雲さんとお知り合いの方がびっくりだよ。だって八雲さんってすごく胡散臭いし俗っぽいから、凛とした二人との接点がこれっぽっちも浮かばないよ?」

 

「確かに、胡散臭いし俗っぽいな」

 

「そう、ですね」

 

兄妹は否定しなかった。八雲さんががっくり肩を落とす。すごく演技臭い。それよりも三人は畳に座布団で座っているけれど、僕は立ったままだ。三人の顔が僕より下にあるって凄く変だな。

僕はどこに座れば良いんだろう。

 

「あぁ多治見君は僕の膝の上に…いっいや冗談だよ、そこに座ってくれるかい」

 

深雪さんの氷の視線が八雲さんに刺さった。そこ?八雲さんと兄妹の間の横に、いつの間にか座布団が置いてあった。達也くんも深雪さんも気がつかなかったみたいで感心している。

僕はとてとて座布団に向かう。…どう座ろう。僕は正座は苦手だ。出来ないといっても良い。そんな習慣がないから。達也くんも深雪さんも姿勢正しく正座している。綺麗な姿だな。それに比べて八雲さんは…

 

「あぁうん、好きな姿勢で座ってくれて良いんだよ」

 

僕は、ぺたんと女の子座りをする。これなら安定するし足もそんなには痺れない。僕はこのまま登校する予定なので一高の男子制服だけれど、たぶんどう見ても女の子の姿に見えるんだろうな。

八雲さんみたいに胡坐にしようか…

 

「駄目よ久!女の子はそんな格好しちゃ!」

 

深雪さんに怒られたから女の子座りのままで…ん?

 

「師匠?どうして久をここに?」

 

「うん、多治見君は九島家の関係者でもあるから、少しお話を聞けたらと思ってね。九島家の関係者で簡単に会話が出来るのは彼くらいだ」

 

「師匠?」

 

達也くんは八雲さんに体術を教わっているんだそうだ。二年生の7月にして初めて知った。

 

「そう言えば、久の前で体術の修行の話をしたことはなかったな」

 

達也くんとはクラスが違うし、帰宅時もほのかさんが積極的に話しかけているから意外と会話が少ない。達也くんは話しかけないと比較的無口になるし、僕と同じで時々考え込むから、特に雑談なんかが足りていないな。

 

達也くんがこのお寺に訪れたのは、匿名のメールでリークがあって、それの調査と確認を八雲さんにお願いしたんだって。

 

「リークのメール?」

 

「多治見君誰からだと思う」

 

「わかりません」

 

「藤林響子さんだ」

 

匿名なのになんでわかったんだろう?

 

「響子さんが?あぁここのところ悩みがあったみたいだから、誰にも相談できないようなことなら、誰かに押し付けちゃえって言ったけれど…それが達也くんに?ごめんなさい僕が悪いんです」

 

「なるほど…それは確かに迷惑ではあったが、内容が内容だけにいまさら放置はできない」

 

「内容は?…僕が聞いても良いのかな…?響子さんが黙っていたこと」

 

「九島烈が新兵器の実験を九校戦のクロスカントリーの舞台で行おうとしているんだよ」

 

八雲さんが、横からドヤ顔で言うけれど…

 

「ふぅん」

 

僕の返事は柳に風だ。

 

「…」

 

達也くんがいつも通りの無表情で沈黙。

 

「…」

 

深雪さんは怒りを押し隠した表情。

 

「…」

 

八雲さんはにやっと意味ありげに笑みをたたえて黙っていた。

僕の気のない返事に三人が三種類の表情で沈黙したけれど、僕、変なこと言ったかな?ちょっと考えて、

 

「高校生を実験に利用しちゃいけない?」

 

「何を言っているの久、いけないに決まっているでしょう!」

 

深雪さんが柳眉を逆立てて怒っている。

 

「多治見君、高校生が新兵器の性能実験に利用されるんだよ、計画をたてた九島烈は狂っているとしか思えないけれど?」

 

九重八雲さんがイケシャアシャアと偽善臭い事を言った。これはワザと言っていると直感する。

 

「新兵器って言ってもどんな兵器かわからないのに?それは殺傷力の高い兵器なの?ただの照明かも知れないじゃない」

 

「そっそれはそうだけれど」

 

深雪さんが口ごもる。深雪さんにしてはちょっと冷静さに欠けていると思うけれど、やっぱり生徒会副会長だからなのかなぁ。

 

「『P兵器』と言う符丁だけはわかっているんだけれどね」

 

『P兵器』。九島家の研究所にあった『パラサイト』を宿した人型ロボットだ。

八雲さんは符丁だけって言っているけれど、本当はもっと詳しく知っているのに、達也くんと深雪さんには黙っている。情報の独り占め?いや、違うな。

 

「なんでわざわざ九校戦で?九島家ならいくらでも人員を集められるでしょ?」

 

「国防軍も暇じゃないからねぇ」

 

深刻な顔で話しているけれど、その細い目は別だ。多くの事を知っているのに隠している。達也くんと深雪さんをミスリードしようとしている。

 

実験なら国防軍じゃなくても民間人でも、九島家の工作兵でも良いはずだ。烈くんの実力ならその程度の事は簡単なはず。そのほうが安全だし確実だ。なのに、わざわざ九校戦で実験をしようとしている。情報漏えいの危険を増やしてまで。漏えいじゃなくて、ワザと流しているんだ。

響子さんが達也くんにリークするのは、僕がお先棒を担いでしまった結果になったけれど、予定通りなんだな。

雇った工作兵と九校戦の違いは…

 

「それにしても八雲さんは世事には関わらないって言っていたのに、ずいぶんと積極的ですね。忍びのかたわらで正義の味方もやっているんですか?」

 

「達也くんに頼まれたし、九島家とは色々とあるしね」

 

「神様だって願い事を聞くのにはお賽銭を要求するよ。ボランティアなんてうそ臭いな」

 

八雲さんの細い目は、これまでで一番胡乱な目だ。怪しい笑みを浮かべている。

会話がふっと止まって、部屋が静かになる。達也くんが当たり前のことを聞いてきた。

 

「久、普通は高校生が実験相手に選ばれれば怒ると思うが?」

 

「達也くんもあまり怒っているようには見えないけれど?」

 

達也くんがむっと唸った。達也くんが怒るのは深雪さんに害をなそうとする相手がいた場合だけだ。僕と八雲さんはある程度わかっているけれど、達也くんは現時点では新兵器の全容が不明だから怒れないんだろうな。

 

ああ、そうか。たぶん、烈くんは達也くんと『P兵器』を闘わせたいんだ。

その理由まではわからないけれど、八雲さんもその事に気がついている。知っていて達也くんに全部教えないで『P兵器』と闘わせる方向に導いている。

 

精神支配を受けている『P兵器』は、命令がない限りクロスカントリーで生徒を襲わないはずだ。

 

八雲さんは、何か隠している…そもそも、現時点では『P兵器』は達也くんの敵にならない。九島家の研究所にいた『P兵器』の『パラサイト』は四つに分けられていて、弱かった。

あれをさらに10体以上分けるなんて、弱体化するだけだ。研究員が弱体化しない方法を…もしかして光宣くんが古式の術者を生け捕りにしたのはそのため?光宣くんは九島家の思想にどっぷり漬かっているから、これは九島家全体の策謀だ。響子さんは、優しいから高校生が巻き込まれることを悩んでいたんだ。大したことじゃないのに。

でも、それだけでも足りない気がする。何かもうひとつピースがありそうだ。八雲さんは、その別の思惑が介入することを知っているんだ。八雲さんは達也くんの純粋な味方じゃなさそうだ。八雲さんも自分の思惑で動いている。

僕は達也くんのことを実は全然知らない。頭の滅茶苦茶良い、魔法が苦手な天才的エンジニア。それも、学校や九校戦のレベルまで。横浜の騒乱で『神』のごとき輝きを放っていたけれど、軍人として、『魔法師』として本気を出した達也くんについては、まったく知らない。

烈くんは、知っているんだな。僕が八雲さんをじっと見つめると、八雲さんはわざとらしく視線を逸らした。これはクロだ。

 

八雲さんも、達也くんが『P兵器』と闘う姿を見たいんだ。自分は対岸で疑われずに、協力者を気取りながら『本気』の達也くんを見たいんだ。

 

あらゆる情報を集めるのが忍びなら、達也くんは何が何でも知りたい情報のはずだ。

そのことを僕が、八雲さんに問い詰めようとしたタイミングで…

 

「久はどうして怒らないの?自分の通っている学校の生徒に危険が及ぶかもしれないのよ」

 

深雪さんは本気で怒っているみたいだ。達也くんと同じ質問をしてくる。でもこの議論はたぶん噛み合わないと思うな。

 

「九校戦がたまたま実験に選ばれただけだよ深雪さん。それは僕だって友人が傷つけられるのは嫌だけれど」

 

「でも」

 

「深雪さん。僕にはね、物凄い『力』がある」

 

ぐらっ。部屋が揺れた。地震。違う。薄暗い室内で僕の瞳が薄紫の燐光を漏らす。

 

「それこそ、文明を破壊する力だ」

 

さらに揺れる。壁に亀裂が走った。瓦が落下して割れる音が、屋外からお弟子さんたちの声が聞こえる。九重寺のある丘が、街そのものが揺れている。

達也くんがすっと深雪さんをかばうように移動した。いつもひょうひょうとしている八雲さんの顔にも汗がにじんでいる。

僕から放たれている圧力は狭い部屋を押しつぶすほどだ。空間が悲鳴を上げている。『戦略魔法師』の澪さんの圧力を遥かに超える『高位次元体』のプレッシャー。深雪さんの顔面が蒼白だ。

 

「僕はね、三歳のときに研究所に入った。それからの7年間、僕はただの実験動物だった。ちがうな、動物だってもっと優しくされるだろうから、ただの人形だ。

全身を切り刻まれたし、血を抜かれたし、色んな薬をうたれたよ。麻酔が効かないからそりゃもう痛くてね。

特に後期はひどかったね。目玉をえぐられたり、ハンマーで内臓を潰されたりしたよ。でも僕はいいんだ。他に選択肢がなかったけれど僕自身が選んだ結果なんだから」

 

鳴動は止んでいる。お寺も丘もすでに揺れていない。でも、僕を中心に空気が、空間が、どくんどくんと脈をうっている。室内がねっとりとした透明な液体に沈んでいるような息苦しさ。僕以外の三人は呼吸が苦しそうだ。

 

「…先生」

 

「ん、おそらく事実だよ。当時のあの研究所の酷さは、重要な関係資料や建物が全て処分されたことからもわかる。ただ…そこまで酷かったとはね」

 

僕のありえない告白に深雪さんが八雲さんに尋ねる。達也くんは無表情のままだけれど、深雪さんを僕からかばう位置からは動いていない。でもその目には、同情とは違う…境遇の共通点、共感に近いものがある。

 

「でも、弟や妹たちが実験動物にされたのは許せないよ。弟たちは『本当に』三歳以下の幼児だったんだよ。緊迫した時代だったら幼児を実験の材料にしてもいいの?

その弟たちが実験動物にされていたことに気づかなかった自分も許せない!気がついた後も、はむかうことすら出来ないほど洗脳されていた自分が許せないよ!弟たちが失敗の烙印を押されて、敵に特攻攻撃して全員自爆死させられたことも許せない。この国を守るために死んだのに、この国はその後も同じ研究を続けた!そのことも悲しい。嫌いなのにこの国を守りたいって考えてしまう。僕たちが命をかけて守ったんだから。それも嫌いだ」

 

僕は何を言っているのかな。

 

「烈くんが何をしようとしているかはわからない。でも私利私欲じゃないことは、僕にはよくわかる。結果的にこの国の『魔法師』のためになるって考えているんだと思う。

高校生が狙われたから怒る。怒るよそりゃ。怒っても、怒るだけじゃ、弟たちは誰も助からなかったよ」

 

僕の声は涙声だ。自分で何を言っているのか良くわからない。

 

「僕には力があるけれど、万能じゃない。偏っている。能力も精神も偏っている。7年間毎日痛い目にあって、精神が歪まなかったら人間じゃないよね。

僕は人間じゃないのかも知れないから、もともと狂っているのかも。でも、神様じゃない。お賽銭積まれたって、出来ない事の方が多いよ。

友人を守る。できればそうしたい。でも、テロリスト、犯罪組織、外国、十師族、魔法師、いろんな人たちがそれぞれの思惑で動いているよ。そのたびに巻き込まれる皆を守れるほど僕は優秀じゃない。

僕は頭だってよくないから、事前にどんな組織が動いているかとか全くわかんない。僕に出来ることは、自分と『家族』を守ることだけ。もしくは、僕や『家族』に手を出したら只じゃすまないってアピールし続けることだよ」

 

部屋に満ちていた圧迫感は消えている。僕は膝頭をぎゅっと掴んでうつむいている。

それはただ不安におびえる子供の姿だ。

 

「その『家族』すら守る自信がない…僕は偏っている。偏りすぎで、侮られて狙われて、まわりに迷惑をかけて…力を持っていてもままならなくて、情けなくて…」

 

この世界に、僕の存在は本当にイレギュラーだ。山の中で一人暮らせばいいんだろうけれど、僕は引きこもりの癖に寂しがりやだし。本当にイビツでチグハグだ…

 

僕はふぅって息を吐いた。何だか溜まっていたものを一気に吐き出した感じだ。少しすっきりしたけれど…うっ、うう…涙が…いや、だめだ、泣かないぞ。自分のした事の責任は自分で取らなきゃいけないんだ。正義なんてないけれど、それも自分で証明しなくちゃいけないんだ。

 

僕は黒曜石の瞳に涙を浮かべて、俯いていた視線を上げる。達也くんと深雪さん。八雲さんもさっきまでのだらしない雰囲気はなくなっている。

僕は壁に走る無数の亀裂を見ながら、

 

「八雲さん、情報は交換するってこの前会った時に僕が言ったよね」

 

「もちろん、覚えているよ。教えてくれるのかい」

 

僕はリニアの個室での会話を思い出す。えぇと、

 

「命をかけた情報だよ…響子さんと澪さんのスリーサイズは…」

 

八雲さんがものすごい勢いで立ち上がった。顔が、綺麗に剃りあげた頭まで真っ赤になっている。

 

「あぁああああ!ちっ違うでしょ!多治見君!そっちじゃなくて『P兵器』についてのほうでっ!!」

 

大汗かいて、がに股で両手をぶんぶん振って、ひどく漫画チックな動きだ。この部屋の空気をかえようとしてくれているんだね。八雲さんは大人だなぁ。

 

「えぇとそうだったっけ?リニアで最後にそう言ったような…」

 

僕は色々と間違っているなぁ、反省。

さっきまでの悲痛な空気が部屋から完全に払拭された。

あれ?達也くんと深雪さんの鋭い視線が八雲さんを貫いている。二人の八雲さんに対する評価が一気に土砂崩れしたみたいだ。どうしたんだろう。

八雲さんは兄妹の非難の針のむしろになっている。逆に、場の空気が漂白したけれど、

 

「『精神支配』は絶対だ…」

 

僕の低い呟きに、一転、場の空気は張り詰めた。僕の声も、いつもとは違う。低く沈痛な、聞く者の哀れを誘う声。僕の心からの声だ。

 

「『精神支配』の暗示は消えない。たとえ何十年かかっても…『精神』は開放されない」

 

僕の言葉の意味を達也くんと深雪さんは理解できなかったみたいだけれど、八雲さんからは術者の妖気みたいなものがあふれ出した。これまでの飄々とした雰囲気は消えている。本性を現したような、不気味な貫禄だ。

『パラサイト』も僕も『高位次元体』だ。僕は自分のことを語っている。

 

「絶対服従の暗示は全てを上回る…消すことはできない…けれど」

 

「若い今なら…狂わすことは出来る、と。なるほど」

 

僕は頷いた。僕の絶対服従は7年かけて毎日行われた。もう、精神の一部になってしまって消すことはできない。でも、生まれたてに近い『パラサイト』なら上書きすることで惑わすことができるかも。そして狂化することも。狂化した『パラサイト』がどれだけ強くなるかはわからないけれど…

 

ふぅ、僕はもう一度息をはいて、僕の告白を聞いて蒼白になっている深雪さんと、警戒感は薄れたけれど深雪さんを庇う体勢のままの達也くんに目を向けた。

 

「ねぇ、達也くん、深雪さん」

 

「なんだ?」

 

「僕は、ものすごく不安定だ。いつか崩壊するかもしれない。もし、僕の精神が崩壊したら、ためらわずに殺して欲しいんだ。二人の『魔法』なら、僕を殺せる。二人にしか僕は殺せない…」

 

「…」

 

達也くんは返事をしない。深雪さんは達也くんに寄り添ったままだ。

 

「殺人を肯定しておいて自分が殺されるのを拒否するのはエゴだよね。でも、僕が狂ったら最初に僕が殺すのは『家族』になると思う…それだけは、恐ろしい」

 

『家族』を守りたいと思う僕が『家族』を殺す…考えるだけで、精神が崩壊しそうだ。

二人のあの神のごとき光を放つ『魔法』、『人が作りし神』の一撃は僕を消滅させられる。

 

「今、この場で殺してくれても構わないよ。僕は今だって壊れているから」

 

「…」

 

達也くんの返事はない…か。

 

僕は不器用に立ち上がると、

 

「今日は変なこと口走っちゃってごめんなさい。じゃぁ、深雪さん教室で。達也くんも氷倒しの練習で。実はこっそり特訓してきた技をついに教えられるかと思うとどきどきしちゃうんだけれどね」

 

にっこりと兄妹に笑いかける。八雲さんにも頭を下げる。そして、

 

「ああ、こざさの羊羹はここで食べずに持って帰りますから、お土産分も含めて、ください」

 

「あっ、うん、やっぱり覚えていたんだね」

 

僕は美味しい物のことは絶対に忘れない。僕が立ち上がったとき「よし」って表情していたのを僕は見過ごさなかったよ。僕の動体視力は凄いんだから。

 

「こざさの羊羹?」

 

「あぁ、早朝限定の行列のできるってお店の」

 

達也くんは知らないみたいだけれど、深雪さんはぽんっと手を叩いて、興味を持ったみたいだ。

 

「八雲さん、深雪さんにも出してあげてください。八雲さんが自分用に確保しているであろう分を」

 

「うぐっ!なっ、なぜそれを…わかったよ」

 

八雲さんの身体ががっくり一回り縮んだ気がした。

僕はもう一度頭をさげると、いつも通りとてとて歩き出す。無作法だからそのままふすまを開けて廊下に出ようとする。その僕の背中にむかって、

 

「久、永続的な『魔法』はない。『精神支配』も、だ」

 

達也くんがはっきりと言ってくれた。僕は一度足をとめて、

 

「うん、ありがとう」

 

振り返らずに、とてとてと歩き出す。廊下がぎしぎし音をたてる。

羊羹二本を玄関で受け取って、手提げかばんに入れる。

僕の『精神支配』は『魔法』じゃない。『魔法』が未熟だった時代の催眠術を応用した脳への記憶の刷り込みだ。僕は一度覚えたことは忘れない。僕の脳に記憶があるかぎり刷り込みは残る。

 

でも、そうか『現代魔法』を使った『精神支配』は永続はしないんだ。

 

僕の『精神支配』は『家族』への思慕や奉仕の思いにもつながっている。もはや僕の一部だ。

狂ったりしないで欲しい。でも、達也くんに殺されると考えると、妙なぞくぞく感が湧き上がってくる。我ながら精神は壊れていると実感する。

 

境内では、お弟子さんたちが地震後の片付けをしていた。

僕は不ぞろいの石段を転げ落ちないよう慎重に降りていく。

今日も、学校頑張ろう。

学校に通うことが僕の望みのひとつだったんだから。

 

 




久の過去を知っている登場人物はこれまで烈しかいませんでした。
八雲も、当時戦場で噂になっていた『紫色の目の少年』の話を先代から聞いているだけです。
この話のあと、達也は久に共感に似た感情を抱きます。
あまり関わりのなかった二人が行動を共にする機会が増えるきっかけになる…はずですが、
単独行動を好む達也と引きこもりの久。なかなか一緒に暗躍できないんですよね。
久は達也の能力を全く知りません。横浜の騒動のときも、パラサイトのときも、達也が本気で闘っている姿を見ていません。これは意図的にタイミングをずらしています。
物質を消滅させる魔法を使う現場は二回見ていますが、似たような『能力』は自分にもあるのであまり疑問に思っていません。
それよりも、神々しいサイオンをまとった姿に『神』を見ています。
『神』である達也が誰かに負けるなんて、まったく思っていません。
P兵器も達也にどうせ返り討ちにあうんだろうなぁと、漠然と考えています。
深雪は『精神を凍らせる魔法』は恐怖ですが、それ以外は優秀な魔法師くらいに考えています。ただ、深雪は達也の一部、意識のつながった同じ存在と考えて尊敬しています。

久が達也の真の能力を知るのは、もっと先、具体的には二年生の12月31日、大晦日。
これはこのSS連載前から考えていたことなのです。
先は長いなぁ…がんばります。
お読みいただきありがとうございました。





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治癒魔法

うんうん、青春だねぇ。


試験が終わって、本格的に九校戦の練習が始まった。

 

僕は最初は男子ペアを相手に氷倒しをしていたんだけれど、はっきり言って練習にならなかった。

相手ペアは慣れていない上に、競技開始一秒未満で僕が相手の12本を破壊してしまうからだ。ペアの連携も向上しないし、そもそも僕とはレベルが違いすぎて、ペアの先輩たちのモチベーションも下がっている。

状況は女子氷倒しも同じだったらしく、達也くんの提案で氷倒しは男子女子ペア、ソロ同士で練習することに。僕の相手は、当然深雪さんだ。ペアの方は技術や連携が習熟していっているみたいだ。男子ペアは負け続けだけれど…

僕と深雪さんの一騎打ちは、僕の方が有利だ。僕の方が魔法の発動速度が早い上に魔法も単純なスピード特化した戦術を選んでいる。去年よりもスピード重視だ。なにしろ僕の決勝の相手は一条選手なんだ。

深雪さんの魔法は『インフェルノ』。氷倒しには向いているけれど、200度の炎では氷の柱は一瞬では融けない。真正面からなら僕は一方的に攻撃していれば勝ててしまう。

でもそれだけでは一条選手に勝てない可能性がある。『真夜お母様』の言っていた十師族の圧力だ。だから僕は苦手な『防御魔法』を深雪さん相手に練習している。

僕が防御の練習をするときは、深雪さんとは五分五分になっている。やはり特化型でもCADの操作は僕には難しい。それでも、去年に比べれば格段の進歩だ。

深雪さんは練習のかたわら、24本の氷つくりも担当している。僕も時々協力している。

僕が氷をつくるときは完全思考型CADを使うけれど、深雪さんのように鏡面加工したかのような氷の表面にはならなかった。それでも十分なんだけれど。

 

氷倒しの練習も僕と深雪さん以外がへばってしまい、休憩することになった。

今、達也くんはシールド・ダウンの方にいるから深雪さんはそちらに行くって。僕は…そうだなレオくんの応援に一緒についていくことにする。

 

シールド・ダウンの練習場は同じ場所に二つ。四角い舞台が少し高く作られている。盾を壊すか、3メートル以外に弾くか、選手が舞台から落ちたら負けなんだって。なんだか『天下一武道会』みたいだ。

男子は沢木先輩、桐原先輩、十三束くんに、レオくんが練習相手で、盾をガシガシぶつけ合っていた。

女子の舞台には水波ちゃんに、こちらの練習相手にはエリカさんがいた。狭い舞台を体勢を崩すことなく動き回っている。見た目にもワイルドで迫力がある。

 

僕と深雪さんは達也くんのとなりに並んだ。達也くんはエンジニアとともに全体の参謀でもある。はんぞー先輩は人を見る目があるから適材適所がばっちり決まっているね。そのかわり達也くんは、あっちこっち走り回って忙しい。深雪さんもいつもより構ってもらえず、ここぞとばかりにくっついた。めずらしく、ほのかさんがいないけれど、ほのかさんは今は雫さんのところにいる。二人の並ぶ姿に、僕は陶然とする。ほのかさんには悪いけれど、やっぱりこれがあるべき姿だよなぁ。

 

「氷倒しの練習は…あぁ、他のメンバーの魔法力が切れたのか」

 

「うん。しばらく休憩」

 

「お兄様のお手伝いをしにまいりました」

 

「手伝いと言っても、俺は選手じゃないから汗もかかないしな」

 

「いいえっ!お兄様が参謀としてエンジニアとして重要なポジションにいらっしゃる事を深雪は存じております。今日は暑いですね。お兄様、汗を拭いて差し上げますわ」

 

達也くんが苦笑いしている。深雪さんにだけ向ける笑顔だ。観客の男子生徒の、達也くんを呪う声がきこえてくる…

 

「僕も何かお手伝いできればいいんだけれど…」

 

僕は不器用だし、みんなの為にできることなんてないけれど…って続けようとしたら、

 

「多治見君じゃないか、ちょうどいい、俺たちの練習相手を務めてくれないか」

 

マジックアーツのユニフォーム姿の沢木先輩が舞台の上から、『ジョジョ立ち』しながら勝負を挑んできた。すごくカッコイイ!ゴゴゴッ!

他のメンバーは少しうんざりしているけれど、沢木先輩は4月の模擬戦の結果を学校中に流布できないのがもどかしいみたいだ。僕に対する蔑みの目が気に入らないらしく、僕が実力者だって事を知らしめるために、衆目のあるところで、僕に実力を発揮させたいみたい。

 

「でも、僕が競技用のCAD使って勝てるとは思えないけれど…」

 

「そこは自前のCADを使ってくれて構わないよ、もちろん競技ルール内の『魔法』で頼むけどね」

 

「じゃぁ一対一でなら…」

 

達也くんも、同じ相手ばかりでは戦術が偏るからと了承した。

沢木先輩は以前のように三対一をしたかったみたいだけれど、それこそルール違反だ。

僕は達也くんにアドバイスを貰う。レオくんがふぅって汗をぬぐいながら応援してくれている。女子も練習をやめて、水波ちゃんやエリカさんもこちらを見ている。

レオくんがシールドを渡してくれたけれど…おっ重い。持ち上がらない!

 

「ちょっ、レオくん、これ何キロあるの!」

 

「ん?10キロしかないぜ。こんなの軽い軽い」

 

と、片手で筋トレよろしくひょいひょい持ち上げてみせる。

 

「軽いって、僕の体重は30キロしかないんだよ!自重の三分の一の物なんて持ち上げられるわけないでしょ」

 

ちなみに沢木先輩の握力は100キロあるんだって。僕は10キロもないよ…比較対象が悪いにしても自分の非力が情けない。

 

「『魔法』で持ち上げればいいだろ、それはルールでもOKなんだからさ」

 

「そうか」

 

レオくんの男らしい笑顔に、見送られて、僕はシールドをひょいっと『重力制御』で持ち上げた。ギャラリーから軽い感嘆の声が上がった。シールドは僕の身体より大きいから、一見すると僕が物凄い力持ちになったみたいだ。

 

舞台には十三束くんが立っていた。その目には闘志が溢れている。

 

「よろしく、多治見君」

 

「よろしくお願いします…」

 

4月の雪辱に燃えているみたいだ。達也くんの開始の合図と共に、自己加速魔法で僕に一気に詰め寄ってきた。猛烈な勢いと体重を乗せた一撃をシールドにこめている。僕を弾き飛ばす気だ。

シールド同士がぶつかる瞬間、僕は左足を軸にくるっと身体を一回転させる。『位置固定』に『自己加速』、『重力制御』。

十三束くんはぶつかるはずのシールドが視界からなくなって、一瞬たたらを踏んで、上体が前のめりになった。

くるって一回転した僕は十三束くんの背中に立っている。無防備な前かがみの背中だ。

シールドダウンのルールではシールドはシールドにしかぶつけられないので、僕は背後から十三束くんのシールドの裏側に僕のシールドの先をちょんって当てて押した。

それだけで、十三束くんが自分とシールドの重さに引っ張られて、舞台の上から飛び出してしまった。十三束くんは怪我防止のクッションの上にすたっと着地した。

観客がどよめく。僕は試合開始の位置から最低限の動きで、十三束くんを場外に弾き飛ばした。

 

「十三束は自分のスピードに頼りすぎで猪突猛進になるきらいがある。もう少し左右のフェイントを考えた方が良いな」

 

達也くんのアドバイスに十三束くんが頭をかいている。

 

「いや、つい以前のお返しをって頭に血が上ってしまって。でも、あの反転の速度は流石だね、目にも止まらなかったよ」

 

十三束くんは飛び道具がないから、盾をぶつけるしかない。その瞬間に体の位置を入れ替えろって、達也くんに試合前に言われていたんだ。

派手な魔法はいらない。ごく初歩的な『魔法』でも勝利基準がはっきりしているシールドダウンでは有効だ…

 

「次は俺だな!」

 

桐原先輩が獰猛に笑う。一人の女子生徒が大きな声で応援していた。何回か見たことのある生徒だ。桐原先輩の恋人かな。お似合いだなぁ…おっと集中集中。

 

達也くんの試合開始の合図に、桐原先輩が魔法を発動した。高周波の振動が耳障りな音をたてている。桐原先輩は十三束くんの反省を生かして、フェイントを入れながら僕に向かってくる。

あのシールドをぶつけて僕のシールドを破壊する。桐原先輩は『高周波ブレード』が得意なんだって。でも、あのシールドをぶつけられれば、シールドが破壊される前に、持っている僕の手が持たないよ。

普通ならこっちも『硬化魔法』で対抗するところだけれど…僕はシールドの表面の抵抗を限りなくなくす魔法『鏡面』と『移動』をマルチキャスト。

桐原先輩のシールドが、つるんっ!って僕のシールドを滑った。

 

「なぁ!?」

 

十三束くんと同様に上半身のバランスが崩れる。でも流石に上級生、そのまま場外に押し出されたりはしないで、ぎりぎり踏ん張った。

体勢を立て直すところに僕も振動系魔法『高周波』をシールドにかけて、桐原先輩のシールドに叩き付けた。

桐原先輩のシールドは自身の『高周波ブレード』の振動に僕の『高周波』を上乗せされて盾を持っていられないほど激しく揺れた。軸のぶれた体勢では、そのままシールドを持っていられない。

 

「くぅあぉ!」

 

桐原先輩は溜まらずシールドを手放す。

 

がしっ!

 

僕がその宙に浮いた、『魔法』の効力が切れたシールドを3メートル以上弾き飛ばして、僕の勝利が決まった。

桐原先輩が自分の得意魔法を逆手に取られて、呆然としているところ、

 

「桐原先輩は『高周波ブレード』に頼りすぎです。もっと別の『魔法』を組み合わせないと、相手に簡単に対応されてしまいます」

 

達也くんが手厳しいアドバイスをしている。たしかに、いくら得意だからって、そればかり使っていては攻撃が一辺倒になってしまう。もっとフェイクを入れて、動きに幅をつけないと。

 

「なっなるほど、たしかにそうだな。ありがとうな多治見」

 

「いえ、こちらこそ。『高周波』ってちゃんと防御しないといけないんですね」

 

今、僕の耳はキンキンと変な痛みが襲っている。『高周波』で鼓膜が揺れてしまったんだ。みると、ギャラリーの数人が耳をふさいでいた。

 

「んっ、ああ俺はだいぶ慣れたからあまり気にならないんだがな…」

 

耳が凄く痛い。モスキート音ってやつだ。ちょっと気分も悪いけれど、我慢できないほどじゃない。集中しなくちゃ、だって次は、

 

「じゃぁ多治見君、次は俺の相手をお願いするよ。俺は二人のように簡単には負けないよ」

 

握力100キロの沢木先輩が舞台に上がってきた。観客の注目も高まっている。沢木先輩はサイキックアーツの達人として他校にも名が知られている。しかも、体育会系の武闘派。その存在感は舞台に立っただけで、僕を圧倒している。負けないよって、ずいぶんと慎重だ。その慎重さは観客にも伝わっていて、緊張感が漂った。

生半可な覚悟じゃ瞬殺されるけれど、僕の集中力はさっきの『高周波』のせいで弱まっていた。

試合開始直前、ギャラリーの中を深雪さんに向かって駆けている泉美さんが視界に入った。泉美さんも新人戦の練習中だったはずだけれど、休憩になったのかな。

だとすると、香澄さんもこの場所に来ているのかな…僕は無意識に観客を探してしまった。

あっ、いた。運動服の香澄さんが、達也くんたちとは別の観客にまぎれて立っていた。泉美さんといつも一緒にいるイメージがあるけれど、新人戦の競技が違うから今日は別行動なんだね。どうやら、僕の試合を最初から見ていたみたいだ。泉美さんは深雪さんをうっとり見ているけれど、香澄さんは僕の方を真剣にじっと見上げている。

値踏みをするような、僕が代表選手二人を倒して嬉しげな、でも物凄く不安そうな、いろんな感情が混じった目だ。

少し前までの憎しみのこもった視線はなくなったけれど、相変わらず僕たちの間はギクシャクしていた。

また、香澄さんの前で無様な姿をさらすのはいやだなぁ…

 

「はじめ!」

 

達也くんの声に、僕は現実に戻る。しまった、ひとつに意識が向かうと集中が欠けるのが僕の悪い癖だ。でも、その一瞬の遅滞は結果に決定的な差を作ることになる。

『空気砲』の雨あられが僕のシールドを襲った。沢木先輩の姿が消える。『光学迷彩』。模擬戦で僕が使った魔法。先輩はあの日の模擬戦をかなり意識しているようだ。

僕は身長差を逆に生かすべく、その場に伏せた。背中を暴風が吹いた。僕の黒髪が激しく揺れる。伏せた体勢のまま僕は、シールドをボディボードかわりにするとシールドを『鏡面』、舞台との抵抗をなくして、するっと滑りながら暴風の風上に移動する。

背の高い沢木先輩にとって、背の低い僕は物凄く闘いにくいはずだ。でも距離を開けてはその有利は意味がない。僕は見えない沢木先輩の起こす空気の揺れを感知しようとする。

あれ?空気の揺れがない。空気の振動を緩和する魔法を使っている!先輩の居場所がまったくわからない。だったら、

 

「これなら!」

 

僕は、シールドを思いっきり左右に振った。シールドのエッジで空気を斬る!舞台上の空気が上下に『断層』を作った。先輩のいるところを除いて。

見つけた!

僕は先輩に向かって『加速』『移動』『加重』『硬化』。僕自身と盾の重さをひとつにして弾丸のように飛ぼうと魔法をくみ上げる。

でも、魔法がくみあがるより早く、シールドに物凄い衝撃があった。なにか重たくて硬いものがぶつかった衝撃。まるでトラックにでも撥ねられたみたいだった。

視界の想定外の位置に先輩が立っていた。あの空気の断層の中にいた先輩は偽者だったんだ!

シールドは『重力制御』していたけれど、その衝撃に僕の貧弱な身体は耐えられなかった。数字落ちに暴行を受けたときとは比べ物にならない衝撃だ。首がぐきって音がした。シールドを持っていた左手首に激痛が走る。

 

「うっがぁ!」

 

僕は自分のシールドに押しつぶされるように宙に弾き飛ばされた。

 

「しまった!」

 

沢木先輩の声がしたけれど、僕のちいさな身体は本当に車に撥ねられたようにきりもみしながら、怪我防止のクッションを超えて、観客にまで吹っ飛んだ。

シールドはとっくに落としていて、舞台の上でくるくる回っている。首と左手が痛い…僕はとっさに『サイキック』で身体を浮かそうと思ったけれど、それより先にふわっと、僕の小さな身体が浮くように減速した。

 

「あれ?」

 

疑問に思う間もなく、僕は観客の一人にぶつかった。その人の『魔法』で減速していたからスピードは落ちていたけれど、その人はCADを操作していたせいで、僕を避けられなかったんだ。

僕たちはもつれ合うように地面に転がったけれど、その人が庇うように下になってくれたおかげで、僕は柔らかい胸のクッションで身体をうつことはなかった…

…ん?やわらかい胸のクッション?

 

「いててて、久先輩、大丈夫ですか?」

 

「え?」

 

僕は香澄さんに圧し掛かっていた。僕を助けてくれたのは香澄さんだったんだ。

でも、以前の制服のときとはちがって、僕たちは互いに体操服だ。香澄さんは完全に足が開いてしまっている。またしてもエッチな格好だ。それを衆目にさらしている。僕が両手をついて上体を起こすとますますお互いのお腹が密着した。

香澄さんが顔を真っ赤にして怒ろうとしたとき、

 

「くぅっ」

 

僕が左手首の激痛に顔をゆがめた。

 

「ひびが入ってるな…これ」

 

僕の呟きに、怒るのをやめた香澄さんは、ゆっくりと足を抜いて、そのまま地面に足をそろえて可愛らしく座った。僕もその前に同じように座る。あっしまった。香澄さんは僕が女の子ぽいしぐさや頼りない態度をすると機嫌が悪くなるみたいなんだ。僕と香澄さんの視線があう。いつもならここで怒られるんだけれど…あれ?

 

「多治見君、大丈夫かい!七草さんも。まさかあそこまで直撃するとは思っていなかったよ!」

 

沢木先輩が舞台からとうっと飛び降りるや謝ってきた。

 

「いえ…大丈夫です」

 

本当は泣きたいくらい痛いけれど、我慢する。

達也くんと深雪さん、水波ちゃんも僕たちに駆け寄ってきた。泉美ちゃんもいたけれど、なぜかニヤニヤしている。達也くんが分析をはじめた。

 

「…たしかに最後の攻撃は過剰になってしまいましたが、そもそも、今回の試合は久の集中力不足から始まっています」

 

「そうだね、試合開始から対応が後手になっていた。やはり三連戦はきつかったかな」

 

「それもあるでしょうが、久の集中力はあまり長続きしないのも原因のようです。試合前に何を見ていたんだ久?」

 

「え?」

 

試合開始のことを思いだす。視線をすっと横に動かすと、何故か香澄さんの顔が真っ赤になっていた。えっと、どうしたの?

 

「多治見君、怪我はないか?」

 

「あっうん、平気です。どこも痛くないです!香澄さんが受け止めてくれたからです!ありがとう」

 

僕は香澄さんにきちんと頭をさげる。達也くんが、僕をじっと見つめた。あっ、これは僕が怪我してるのばれてる。左手首の亀裂骨折に首の軽度の挫傷…結構痛い。香澄さんにも気づかれているけれど、僕のやせ我慢に付き合ってくれている。そもそも僕が余所見をしていたのが悪いんだから。

達也くんの態度はいつもと変わらないようだけれど、深雪さんはすぐ気がついたみたいだ。その綺麗な瞳が大丈夫?って聞いてくるから、平気ってアイコンタクトを送る。

 

「沢木先輩に関しては、特に問題ないと思われます。今回の過剰な攻撃も久が小さいからで普通の選手なら場外に落ちる程度でしょう」

 

「そうだね。では多治見君。また相手をしてくれよ。本気の君を倒すのが、俺の目標なんだからね」

 

沢木先輩がぐっと拳を僕に向ける。僕も右拳をくいって向けた。

 

「俺も次は勝つぞ。まったく、後輩に何度も負けてちゃ、男として…かの…じ…ょに恥ずかしいからな」

 

うん、桐原先輩の醸し出す雰囲気が恥ずかしいです。のろけは向こうでやれって、誰かの声が聞こえた。

 

「多治見君、勝ち逃げは許さないからね」

 

十三束くんはさわやかだな。沢木先輩たちの男らしい言葉に、香澄さんが戸惑って…あれ?なんだか嬉しそうだけれど…

香澄さんが僕の怪我していないほうの手を握ると、ぐいっと持ち上げて一緒に立ち上がった。いくら僕が軽いからってすごい力だ。

 

「司波先輩、沢木先輩。久先輩を保健室で診てもらいますね。試合前ですし念のために、です」

 

「そうだな」

 

「お願いするよ七草さん」

 

あっ、沢木先輩がすこし難しい顔をする。やっぱり沢木先輩も僕の怪我に気がついて、そりゃ当事者だから気づくよね。僕の意地っ張りな部分も、好感を持ったみたいだ。

香澄さんは二人にお辞儀すると、僕をぐいぐい引っ張っていく。香澄さんの握力は僕よりあるな…それに、手がすごく熱いよ。

振りかえると、深雪さんが僕たちを微笑ましげに見つめていた。これでお兄様に恋する女子が確実に減ったわ…うふふ。え?なに今の声。怖い。僕は『テレパシー』は使えないはずなのに。

 

九校戦の練習期間中は部活動は禁止のせいか、校舎に近づくにつれて、生徒は少なくなっていった。それでも時々擦れ違う生徒は、手をつないで歩く僕たちをちらちら横目で見ながら、なにかにんまりしている。香澄さんは手を放してくれない。まっすぐ前を見ながらずんずん歩いている。

校舎前、中庭に来たところで、僕の思考が復活した。

 

「香澄さん、待って。僕は保健室は駄目なんだ」

 

「そんな子供じゃないんだから怖がらなくてもいいんですよ!」

 

「違うんだ、僕は薬とか効かない体質なんだ」

 

「効かない?」

 

同じようなやり取りを亜夜子さんともしたけれど、僕は薬も痛み止めも効かない。香澄さんが足を止めて、振り返った。手は握ったままだ。

 

「体質だから、基本的に自力で『回復』させなくちゃ駄目なんだ」

 

「だから、数字落ちに襲われた後も自宅で療養していたんですか…」

 

「うん。入院しても、お医者さんは何もできないんだ」

 

「でも『回復魔法』は効きますよね」

 

保健室に安宿先生の姿がなかった。養護教諭は医者じゃないはずだけれど、九校戦の模擬戦であちこちけが人が出ているのかな。

僕を寝台に座らせると、香澄さんは棚を物色しはじめた。

二人きりの保健室、窓からは色々な声が遠くから聞こえる。7月中旬まだ夏の暑さはないなって思ったけれど、寒冷化の影響で夏でもそんなに暑くならないんだった。

香澄さんが立ったまま『回復魔法』をかけてくれた。

 

「怪我は左手首だけですか?」

 

「えぇと、首も少し挫傷して、いわゆるムチ打ちしているみたい」

 

「首…?首は流石に怖いかな…」

 

人体にかける魔法は難しい。それが急所となればいくら優秀でも『魔法師の卵』には荷が重い。左手首の痛みがすこし和らいだけれど、さすがに自宅の美女二人ほどには上手くいかないみたいだ。

 

「ん、首は平気、軽い寝違いみたいなものだから」

 

棚から取り出したバンテージで手際よく固定してくれる香澄さんの頭をみながら僕が言う。

 

「これで、二日もすれば骨はつながる…はずです。よっよければ明日も私が『治療』します」

 

なぜか顔を赤くして俯くけれど、すぐに顔を上げて僕をまっすぐ見る。『治療魔法』はかけ続けないといけない。

 

「うん、ありがとう。香澄さんは打ち身とかなかった?」

 

「平気です。ちょうど下が芝生でしたし、久先輩は軽いから…」

 

「うん…僕は30キロしかないから…」

 

「さっ、それはちょっと軽すぎですよ!」

 

香澄さんがちょっと乱暴に僕の隣に座った。寝台がぎしって音をたてる。

その後、何故か会話が途切れた。沈黙が支配するけれど、いつものギスギス感がそこにはなかった。

外から、セミの鳴き声が聞こえる。まだ練習不足の鳴き声がじれったい。

寝台に体操服で腰掛ける二人の足は白い。二人とも体のラインが出ている。香澄さんの太ももは健康的で張りがあるなぁ。その、いつも活発な香澄さんが珍しく大人しく僕の隣で座っている。ちょっと温かい雰囲気がそこにあった。

仲直りできたのかな?わからない。そもそも喧嘩していたわけじゃないけれど。

 

「久先輩」

 

「ん?」

 

僕は名前を呼ばれて、香澄さんの顔を見る。すっと香澄さんの手が伸びて、僕の頬をむにゅって摘んだ。

 

「もにゅぁ?」

 

僕が変な声を上げる。ええと何?どうしたの?香澄さんは僕の戸惑う顔に、にっこりと笑うと、

 

「久先輩、九校戦、かっこいいところ見せてくださいよ!」

 

僕の頬を開放すると、「それじゃぁ、また明日」って、僕みたいに頭をきちんと下げると、元気にぱたぱたと保健室を後にした。

保健室の扉が閉まるまで、僕はぼぅっとしていたけれど、やがて。

 

「うん、がんばるよ」

 

氷倒しで全力を、そして、その後、それ以上を出すよって、寝台に寝転がりながら呟いた。

 

香澄さんが巻いてくれたバンテージを見る。澪さんと響子さんの『治癒魔法』は僕の『回復』を完全に上回っていたけれど、香澄さんのはそれほどじゃないみたいだ。『回復』で少し熱っぽい。

永続する『魔法』はない。『治癒魔法』もかけ続けることで治癒が早くなる。

じゃぁ、『精神支配』はどうだろう。『精神支配』もかけ続けることで、効果が続くのかな?

まぁ『精神支配』をかけ続けるのも難しい。人は動き回る生き物だから。

でも『P兵器』は必ずラボに戻るから、『絶対忠誠』の『魔法』をかけ続けることができる。

クロスカントリーで使用される『P兵器』か。

2月の『パラサイト』レベルなら達也くんが負けるとは思わないけれど、無傷とは行かないかもしれないな。

達也くんは、僕みたいに『回復』はないから、怪我をしたら深雪さんが悲しむ…

僕はどうしたらいいのかな…

 

数日後、今学期の試験の結果が発表された。

僕の友人たちはあいかわらず上位を独占している。レオくん以外は。

まぁ僕もレオくんと同じでランキングなんて縁がないし。相変わらず魔法実技は真ん中あたりだし。

ペーパーテストだって11位だったんだから、全然大したことがない…ん?あれ?11位?

おかしい、この結果は絶対おかしい。だって、僕全然勉強していないよ。僕の集中力のなさは達也くんの折り紙つきだ。111位だったら、僕は納得する。レオくんも裏切り者呼ばわりはしないよ。

え?いきなり学力が向上するって、そんな事ありえる?僕の成績向上に誰もが驚いているけれど、一番驚いているのは成績を残した僕自身だった。

うぅん、ミステリーだ。

でも、これで、赤点や夏休みに特別講習とかを心配しないで、九校戦に集中できる。

香澄さんの言葉じゃないけれど、頑張ろう!

 




二年生九校戦が遠い。
1年生はさくさく進めた反動ですかねぇ。

たとえ1週間ぐったりでも、強制睡眠学習が出来ると良いですよねぇ。
でも四葉の強制睡眠学習は洗脳にそのまま使えるので、危険です。
久は四葉家に行く予定はないので洗脳はされないはずですが、一高の八王子から距離的には凄く近いんですよね四葉家は。

お読みいただきありがとうございました。


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市原鈴音

夏休みに入って、九校戦の練習は佳境になっていた。

 

氷倒しは午前中、二時間集中して練習する。他の生徒の魔法力はそれが限界だ。

僕と深雪さんは練習に加えて氷柱造りも担当しているけれど、それでも深雪さんは平然としている。深雪さんの魔法力がいかに凄いかがわかる。僕も凄いんだけれど僕は『高位』から常にエネルギーを補充しているようなものだから比較としては違うと思う…

深雪さんは副生徒会長だから氷倒しにかかりっきりってわけにもいかない。だから午後は自由だ。自主練習するのもいいし、他の競技の見学でもいい。

僕と深雪さん以外の選手も練習をしたければするけれど、氷柱は自分たちで作らなくちゃいけないから、結局、午前で氷倒しの練習はおしまいってことで落ち着いた。逆に熱中しすぎるのも疲弊するし。ただ、本戦男子ペアは釈迦力に練習していた。女子ペアにも新人戦女子ペアにも連敗しているからだけれど、大丈夫かな。

僕の氷倒しは深雪さんと、時には1年生のソロも交えて練習をしていたけれど、ほとんど僕のダントツ勝利が続いていた。これも参謀の達也くんのアイデアとエンジニアとしての腕が光っているからだ。

途中から、僕は氷造り専門になるほど練習試合をしなくなっていた。

僕の場合はCADの操作の自主練習とイメージトレーニングをメインでするように達也くんに指示されているからだ。去年みたいに達也くんが担当した選手で唯一優勝できなかったなんて言われたくはないから自主練習もがんばらなくちゃだけれど…

 

僕の怪我は『回復』で4日ほどで完治した。その間、香澄さんが『治癒魔法』をかけてくれていたけれど、香澄さんはあまり『治癒魔法』は得意じゃない。

『治癒魔法』でも通常は完治に1週間はかかるから、僕の怪我の治り具合を自分の『魔法』のおかげだと勘違いさせてしまった。

それでも、以前のようなギクシャクもなくなって、香澄さんは気分も体調も乗ってきたみたいだ。

ロアー・アンド・ガンナー新人戦ペアに出場するから応援してくださいよってお願いされて、もちろん、全員ちゃんと応援するよって答えたら、少し不機嫌になっていたけれど…

 

僕は、学校にいる時間以外はほとんど自宅にこもっている。

氷倒しの練習の後も、友人たちは時間がばらばらだから、僕はさっさと帰宅する。

一緒に買い物やお出かけなんかもしない。僕の友人たちは学校以外でも色々と忙しい人が多いから…ハブになっているわけではない。

一高から自宅まではキャビネットを乗り換えこみで40分そこそこの距離だ。お昼に戻ると、澪さんとご飯を食べて、その後はのんびりしている。

今年は成績もよかったから追加の課題も出されていない。専業引きこもりの澪さんの部屋で、畳ラグに二人して寝転がりながらのアニメコミック三昧、夢の生活!

夜、響子さんが帰ってきたときもずっとその状態だ。夏休みも、専業引きこもりでもない響子さんの雷が落ちるのも、いつもの光景だ。ただ、響子さんは…まだ元気がない。響子さんは軍属だし、帰宅しない日も多い。先週も西の方に出張していたみたいだから、仕事で気分がまぎれればいいんだけれど…

首と肩を揉んであげようとしたんだけれど、握力10キロ以下の僕の揉みじゃぁどうにもならなかった。逆に僕が全身を揉まれて、くすぐったくて悶える姿にころころ笑っていた。澪さんまで参加して僕を揉みまくる。あぅ、あぁあん、やめっ、あぁあああっ!

響子さんの心からの笑顔を久しぶりに見られて嬉しい。いっあぁああああ!

高校生が新兵器の実験台になることくらい、響子さんが全然気にすることじゃないのに…

 

九校戦までの一週間は、だいたいこんな感じで過ぎていくんだろう。でも、せっかくの夏休みだし、九校戦以降どこかに出かける?って澪さんに尋ねたら、

 

「久君はどこか行きたい所はある?」

 

って逆に質問されて、僕は一秒も考えずに、

 

「どこもないな…澪さんとこうやっている方が楽しいし…あっ、一度は生駒に泊まりで行きたいな。光宣くんがその時、体調が良いと嬉しいけれど」

 

九校戦で再会しようって別れた光宣くんは、九校戦の新人戦を辞退している。どの競技に出ても優勝確実だけれど、いつ体調不良になるかわからないからって。

観客として来ないのか電話で聞いたら、研究所で手伝いをしているから、来られないって。研究所…『P兵器』のことか。

『P兵器』に関しては、僕も動きにくい。どうして僕がその情報を知っているのか説明しにくいからなんだけれど、でも、九校戦の会場には烈くんは毎年来ているそうだから、そこで聞いてみようと思う。

 

「久君が行きたい所ないなら、私もない…かな」

 

うぅむ、引きこもり同士の結論はこうなるよね。僕も澪さんも食っちゃねしていても太らない奇跡の体質だから運動もしないし、お金は十分ある…いいんだろうか。いいよね。

 

「澪さん、今、何巻読んでる?」「7巻よ」「僕もうすぐ6巻読み終わるよ」「ちょっと待って今良いところで…」「はやくぅ」

 

澪さんは『戦略魔法師』の警備の関係で、遠距離出かけるときは1週間前には計画をたてなくてはいけないんだそうだ。大変だなって、引きこもり生活だから大変そうじゃないのは救いだね。

 

そんな生活をしていた、その日の午後。僕の携帯端末が鳴った。澪さんの部屋で寝そべりながら腕だけ伸ばして携帯をとる。ディスプレイを確認してみると、真由美さんだった。魔法大学も夏休みだと思うけれど、どうしたのかな?

 

「もしもし、真由美さんですか?」

 

真由美さんって僕の言葉に、澪さんがぴくって反応した。6月の事件以降、澪さんは七草家にちょっと隔たりを感じているみたいなんだ。家同士のお付き合いも断絶しているって。可能性は限りなく低いけれど、義妹になるかもしれない真由美さんにその態度は…

 

「あっ久ちゃん?お久しぶり。って言っても泉美…香澄からよく話は聞いているけれど、九校戦の練習は順調みたいね」

 

「はい、がんばっています」

 

どうして香澄さんって言い直したのかな。泉美さんは氷倒しの新人戦ペアに出場するから、練習の事は泉美さんの方が詳しいと思うけれど。やはり一高三連覇の立役者、後輩の状況は気になるみたいだ。

 

「今は…自宅よね?」

 

澪さんの部屋のアナログ掛け時計は14時少しを差している。僕と澪さんのまったりコミックスタイムだ。

 

「はい」

 

「ちょっと出られるかな。私たちは今、魔法大学に居るんだけれど、少しお話があって…」

 

真由美さんの声が、少し低くなった。周りにはばかることみたいだ。

 

「ん?私たち?」

 

「あぁ、鈴ちゃんが隣に居るの。久ちゃんは鈴ちゃんとは卒業以来会っていないわよね」

 

「真由美さんの卒業パーティーで会ったのが最後です」

 

市原先輩が一緒なのか。市原先輩には一高時代のお礼をきちんと言っていなかったな。

 

「大学前の喫茶店で待っているけれど…来れる?」

 

「わかりました、今から出かけます。30分くらいで着きますから、待っていてください」

 

「うん、突然だけれど、お願いね」

 

 

「真由美さん?」

 

澪さんはいぶかしげだ。今日、このタイミングで高校の卒業生が後輩に呼び出しをする理由なんて思い浮かばない。当然、七草家関係の話ってことは想像がつく。

 

「うん、何か話したいことがあるから大学前に来て欲しいって」

 

「家に来ないで久君を呼び出す…?」

 

「ん?」

 

真由美さんは僕の家には何度も来ている。一度も遊びではなかったけれど。なるほど、澪さんには聞かせたくない内容なんだな…そのことは澪さんもすぐ気がついた。

 

「とにかく行って来るよ。大学まではすぐだから…澪さんも一緒に来る?」

 

念のため聞いてみる。別に一人で来てって言われていないし。でも澪さんはぷいって横を向いて拒否した。少しすねている。可愛い。

 

「どうしたの澪さん…僕変なこと言った?」

 

「久君が鈍感なんです!胸に手を当てて聞いて見なさい!」

 

って言うから、僕は澪さんの胸に両手をそっとあてた。柔らか…くない…膨らみのあまりない胸だ。澪さんはいつものジャージ上下で、その容姿は成熟していない。中学生か高校入学したての女の子みたい。逆に言うと、物凄く若く見える。僕と同じだ。

 

「なっ!?ちょっ久君、私のじゃありません!自分の…」

 

僕はそのまま顔を横に向けて、胸の谷間…両手の間に自分の耳をつける。どくんどくんって鼓動が聞こえる。

 

「澪さんの心臓の音が聞こえる…よ。すごく早い。どくんどくんって澪さんの音だ。それに澪さんの香りがするよ。ずっとこうしていたいって思う、澪さんの香り」

 

「もっもう、久君だってドキドキしていますよ!」

 

澪さんが僕の頭に軽く手を回して、自分の頬を僕の頭に載せた。頬は柔らかい…温かい。

すごく落ち着く。ずっとこうしていたいけれど、出かけなきゃ。僕の耳が離れると澪さんが一瞬寂しそうな顔をして、でも、すぐ心配顔になって、

 

「…気をつけてね」

 

って言ってくるところが、また可愛い。僕は事件に巻きこまれ体質だから心配なんだ。

 

「…うん?」

 

心配顔の澪さんの目が真剣でちょっと怖かった。真由美さんは小悪魔だって澪さんは知っているから、僕がいぢられると心配しているんだ。でも、大人小悪魔と生活しているから平気だよ。大人小悪魔は勿論、澪さんじゃない。谷間がある方の美女、おっと出かけなきゃ。

 

僕の自宅から、魔法大学へはほとんど一本道だ。キャビネットに乗ると、30分もかからないで到着する。この距離だけれど、魔法大学には行った事がなかった。一高とは正反対の方角だし。僕も一高を卒業したら通うのかな…卒業できたらだけれど。

魔法大学は、かつての朝霞駐屯地にある。防衛大学も隣だから、緑が多くて高い塀に囲まれている。とにかく広い。正門は練馬区の一番北側にある。敷地のほとんどは埼玉なんだ。一高も広いけれど、一番の違いは、ちゃんと警備が常駐しているところかな。国の重要な施設なら一高も警備を置こうよ。警備くらい学校で雇えば良いのに。駅前からの通学路にも配備した方が良いと思う。魔法師排斥運動なんて馬鹿げたやからもいるんだから。事件が起きてからじゃ遅いよ。僕だって個人的にお願いしているって言うのに…

夏休み期間なので学生と思しき人たちは、正門前にはあまりいなかった。僕はいつものユニセックスな姿で、一見すると女の子だ。でも魔法関係者には知られているので、警備の人もキャビネットから降りた僕を見て、おやって思ったみたいだ。

僕の小さい姿は、意外と目立つ。遠くからでもチグハグな雰囲気が伝わるんだろうな。

大学前の喫茶店…あっ、いた。校門の前の道路を挟んで、洒落た洋風の喫茶店、木製の格子の窓ガラスの向こう、座ったままぶんぶん手を振っている真由美さんの姿が見える。

向かいに座る市原先輩は慣れているから無表情だ。あはは、一高時代のまんまだね。僕は喫茶店に向かってとてとて走る。からころんってドアベルが鳴る。

店員さんの案内の前に真由美さんが、

 

「久ちゃん、こっちこっちっ!」

 

って上半身だけひょいって席から出して、手を振っていた。すごく子供っぽいけれど、それがまた似合う、なんて言うと怒るからいわないけれどね。

店員さんの苦笑いに一礼して、僕は席に向かう。

 

「こんにちは真由美さん、市原先輩。お待たせしました」

 

「いえ、急な呼び出しでしたから。こんにちは多治見君。四ヶ月ぶりですね」

 

「ちょっと鈴ちゃん、そういう時は私たちも今来たところって言うのよ」

 

「それは無理です。電話で呼び出しているんですから」

 

「市原先輩、お久しぶりです。私服の先輩を見るのは初めてなので、ちょっとどきどきしちゃいます」

 

市原先輩はVネックのシックで少しスカートがタイトなワンピース。大人の容姿にぴったりと合っている。いかにも市原先輩だ。

 

「そうですか、ありがとう」

 

無表情だけれど、照れを隠しているのはすぐわかった。

 

「久ちゃん、私には?」

 

フレンチスリーブの半そでシャツにチェックのスカート姿の真由美さん。

 

「大人可愛いです」

 

「あら、そう?」

 

大人って言われて喜んでいる。さて、二人は四人がけテーブル席に向かい合って座っている。僕はどこに座れば良いんだろう?テーブルの上って選択肢はないね…

二人が、ほぼ同時にスカートの腰をかるく押さえながら、奥側に移動して、僕をじっと見た。真由美さんは小悪魔的表情、市原先輩は無表情だけれど、その仮面の下は真由美さんと同じだ。

うっ、これは面倒な展開だ、と思春期の男子なら思うところだ。残念ながら、僕は思春期じゃない。迷わず、市原先輩の隣に腰をかける。

真由美さんが、ぶすぅってふくれた。市原先輩は、無表情だけれど、すこし勝ち誇っているような…女同士って怖い。僕は市原先輩の静かなところが落ち着くし、そもそも真由美さんに呼び出されたんだから正面に座る。決して、真由美さんが隙あらば僕をいじろうとするのを避けるためでは…いやそれも理由のひとつか。

軽い雑談の後、注文が来るのを待つ。僕はアイスコーヒーを頼んで、添えられているシロップやクリームを入れないで、そのままストローに口をつける。透明な氷がからんって音をたてた。その僕の姿をふたりはじっと見ている…

 

「久ちゃんは、ブラック派だった?」

 

「うぅん、コーヒーはコーヒーゼリー以外はあまり得意じゃないです」

 

四葉家の葉山さんの淹れてくれたコーヒーは美味しかったな。ミロの味がしたけれど。

 

「ではどうして、シロップも入れずに飲んでいるのですか?」

 

「大学生のお二人の前で、ちょっと背伸びをしてみたんです。これでも、僕は17歳なんですから」

 

僕の年齢を聞いて微妙な表情になる真由美さん。二学年しか違わないんだから。注文の理由は二人が同じモノを飲んでいるからなんだけれど、シロップを入れないのは、添加物が何か入っているかわからないからだ。僕は添加物が苦手なんだ。

 

「大人…ね」

 

真由美さんのアイスコーヒーは甘そうだ。グラスの横にガムシロップが二つ開けられて転がっている。

 

「今日は渡辺先輩はご一緒じゃないんですか?」

 

「防衛大はカリキュラムが過密だから夏休みもあってないようなものだし、今日のお話はあまり聞かせたくない類の内容なのよ」

 

市原先輩ならいいのかな?市原先輩は、少しだけ僕に顔を向けると、

 

「真由美さんから話を聞いて、少し気にかかっていたんです。多治見君、私の『市原』と言う苗字は、もとは『一花』でした」

 

いきなり、そう言った。

僕は、唐突な市原先輩の告白にびくって反応して、真由美さんを見た。真由美さんも小さく頷いている。つまり市原先輩の家は『数字落ち』。6月の事件の男と同じ…

 

「私の家系は、人体に直接影響を与える魔法を遺伝的に得意としています。私も『系統外魔法』が得意です。しかも、CADを使わずとも『系統外魔法』を使えます」

 

この告白に僕は驚く。『系統外魔法』。つまり『精神支配』…市原先輩は何を言いたいんだろう。僕はその端正な横顔をじっと見つめる。

 

「『数字落ち』の家系は能力はもちろん突出した物があります。ただ、精神に少し難がある人物が多いのです」

 

ん?何が言いたいんだろう。

 

「かく言う私も、性格に、精神に難があります」

 

「え?」

 

なんだか、市原先輩は僕と同じようなことを言っている。僕も自分が色々と壊れていることを実感しているけれど…疑問符だらけの告白だ。さりげなく毒を吐くのは知っているけれど、違うみたいだ。すこし、僕たちの間の空気が重くなる。

 

「えぇとね、鈴ちゃんは難っていうか、少し奔放なところがあって。高校時代も男性と付き合って、アバンチュールを気取りながら、いざ事が起きそうになると、日和って雰囲気が足りないって男性にちょっと『眠ってもらって』逃げてきた…なんて事を時々…その」

 

よくわからない発言だけれど、『眠ってもらう』ってことは…

 

「本来、医療行為以外では使用が厳しく規制されている『系統外魔法』を、一般人相手に試したことがあると言うことです」

 

「…それは」

 

「まぎれもない犯罪行為ですね」

 

冷静にきっぱりと言う。反省は、していないようだ。

 

「そっその、まぁ乙女の危機は、立派な正当防衛よ、うん」

 

「自分から誘っておいて、しかも一度ならずとなれば別ですけれどね」

 

自分から誘うって話も良くわからない。僕は恋愛や性的な話が苦手だ。わからないといった方がいいかも。子供だから、精神が子供だからなのか、これも『弊害』のひとつなのかは、まだわからない。

 

「えぇと、つまり市原先輩は何が言いたいんですか?僕は察しはよくないから…」

 

「つまり、『数字落ち』する家系の人物は精神を病んでいるのです。ですから先月、多治見君を襲撃した犯人も精神が病んでいたのです」

 

たしかに、あの男は、兄だって言う社長も、精神がイビツだった。けれど、市原先輩の告白はちょっと違う気がする。僕が首をひねると、

 

「ですから先月の事件は七草弘一氏…に多少の不手際があったとは言え、七草家、いえ、真由美さんは、悪くはないということです。すべては『数字落ち』した人物の責任なのです」

 

「ちょっ、鈴ちゃん!」

 

真由美さんが立ち上がった。テーブルががたんって音をたてる。店内は大学が夏休みだったから他に客はいなかったけれど、店員さんが一瞬視線をこちらに向けた。真由美さんが座りなおすと、店員さんはカウンターで作業を続ける。

 

「ですから、真由美さんを、七草家を嫌いにならないで欲しいのです」

 

「えっ?」

 

「え?」

 

僕と真由美さんが同時に声をあげた。

 

「私の家は『数字落ち』です。そのせいで私はこの国の魔法師界に帰属意識が持てませんでした。でも、一高に入学して、真由美さんにそのきっかけを貰って大変な恩義を感じています。一高は卒業しましたが、大学を卒業した後は七草家の…いえ、真由美さんの恩義に報いたいと思っています」

 

真由美さんもこの告白には驚いているけれど、僕にはよくわかる。『依存性』。『精神』の存在に近い僕の性質と市原先輩も同じモノを持っている。

魔法による『精神支配』とは違う。自分の強い想いから自分を縛る『精神支配』だ。これは深く、破れない。

 

「多治見君は、稀有な『魔法』の才能を持っています。今後、さらに注目を浴びるでしょう。九校戦ともなればなおさらです。七草家の御当主の弘一氏は陰謀をめぐらせる性癖をお持ちです。今後も『数字落ち』のような存在に襲撃されることもあるでしょう。ですが、そのたびに七草の、真由美さんに隔意を持たないで欲しいのです。」

 

隔意…わだかまり。さっき澪さんが見せた感情だ。

真由美さんが困った顔になっている。思いがけない告白の連続だし、普段は自分で悪口を言っている父親でも、たとえ友人でも他人に言われると困惑してしまうのだろう。

 

「今後も弘一氏の陰謀に多治見君が巻き込まれても、真由美さんには罪はないと…」

 

「そんなのあたり前じゃないですか」

 

僕は市原先輩の告白に、さも不思議なモノを見たかのような感じがして、軽く言った。当たり前すぎて、拍子抜けしてしまった。市原先輩が、身体ごと僕に顔を向ける。その顔は冷静な市原先輩だ。でも耳はしっかり僕の言葉を逃すまいとしている。

 

「弘一さんが策謀をめぐらせても、僕は全然気にしていません」

 

「え?」

 

真由美さんが不思議そうに声を漏らした。

 

「前にも真由美さんには言ったと思うけれど、狙われる僕が悪いんです。狙われて対処できなかった僕が悪かったんです。弘一さんを恨むことは全然ありません。勿論、何度も巻き込まれるのは面倒だけれど、巻き込まれないよう、手出しを出来ないよう実力を相手に見せ付けてやればいいんです。市原先輩が言っているように、僕にはその『力』があるんだから」

 

僕は不安定な精神性のせいか、その時々で気分に偏りが生まれる。物凄い『力』を持っているのに、自信なさげな態度を見せて香澄さんをイライラさせていたのはそのせいだ。でもここのところは少し違う。だから香澄さんも僕をみても態度をかえなくなったんだと思う。

 

「まったくの見ず知らずなら、さっさと殺せば良い。背後組織があるなら徹底的に破壊する。『家族』に手を出すなら、皆殺しにだってする。でも、知り合いや、先輩の肉親となるとそうもいかない。試しに殺すわけにもいかないから。だから、手出しできないよう実力を見せ付けるんだ!僕や『家族』に手を出したらただじゃすまないって!」

 

僕は市原先輩の目をしっかり見て言った。乱暴な考えだけれど、相手はもっと乱暴なことをためらわずしてくる。剣呑な言葉だけれど、この2人は戦場を乗り越えてきている。市原先輩は目を逸らさない。

 

「実力を見せ付ける?そうですか…九校戦で」

 

僕は、ゆっくりと、でもしっかりと頷いた。

 

「そう、ですか」

 

僕が真由美さんどころか、七草家、弘一さんすら恨んでいない事に、市原先輩は驚きつつも納得してくれたようだ。

 

「すみませんでした…私の独り相撲だったようです。驚きました。多治見君がここまで『大人』だったとは」

 

「どうせ私は子供ですよぅ」

 

真由美さんが高校時代みたいに、漫画チックな動作で肩を揺らした。

 

「でも、鈴ちゃんがこんな告白するなんて考えてもいなかったから、少しびっくりしたわ」

 

喉を潤そうと、アイスコーヒーのグラスに手を伸ばす。でもコーヒーはもう空になっていた。真由美さんの視線がすぅと僕の手に向かう。あ…っと思う間もなく、僕のアイスコーヒーは奪われた。ストローごと。

関節キスですよ、それ。真由美さんは構わず、飲み干してしまった。でもご令嬢だから音はたてないのが、ちょっとおかしい。

 

「このコーヒーは、苦いわね」

 

その声に、すこし照れ隠しが入っている。

 

「うぅ、ところで、用件はこの話だったんですか?」

 

「違うわ、鈴ちゃんが久ちゃんに話があるって言っていたから、同席してもらったんだけれど、まさかの告白だったわ」

 

「じゃぁ」

 

「ええとね、先月、父が情報を流したせいで久ちゃんに多大な迷惑をかけてしまって、あらためてごめんなさい。それで、罪滅ぼしってわけじゃないんだけれど、父が、七草家が九校戦に関してあまりよくない情報を入手したの。だから父が、久ちゃんにお伝えしてくれって…」

 

よくない情報?もしかして『P兵器』のことかな…

 

「情報?どうして僕に?生徒会役員とか達也くんにじゃなく?」

 

「もちろん関係はあるけれど、どちらかといえば、久ちゃんに関係があるのよね」

 

真由美さんが良いにくそうだ。僕に関係?何だろう…僕は少し考える。真由美さんが言葉を切って、続きを話さないからだ。こういうところは響子さんに似ている。相手の器量を測る、値踏みするところが、だ。

 

「あ!?ひょっとして、自宅じゃなくて、ここに呼ばれた理由?」

 

真由美さんがにんまりした。正解だったみたい。

 

これなら義弟にしてもいいわ…

 

ん?なにか今、変な心の声が聞こえたような…気のせいだよね。

 

「ええ、五輪澪さんについてなの」

 

「澪さん?」

 

真由美さんと市原先輩が目を合わせると、少しテーブルの中央に顔を寄せた。僕もつられて顔を寄せる。美女二人の顔が目の前で、目の得だ。でも、はたから見ると、密談と言うより、女の子同士の悪巧みみたいだ。僕は男の子だけれど。

 

「今年の九校戦が、全体的に軍事寄りな競技が多いことには気がついていますね」

 

「うん。達也くんもレオくんもそう言っていたよ」

 

「九校戦の競技に口を出して来たのは、軍のとある派閥なんだけれど。その派閥はいわゆる『強硬派』といわれているの」

 

「『強硬派』?何を強行するの?」

 

「大亜連合との戦争を願っている一派よ」

 

「大亜連合が弱体化している現在、先制攻撃をするべきと唱える一派です。今なら勝てると思っているのでしょうが、安易です。世界はこの国と大亜連合だけではないのに…去年の11月にもそのようなことがあったでしょう?」

 

「大亜連合、戦争、開戦、出征…『戦略魔法師』…あっ!」

 

「そうよ、去年の11月、海軍を集結させて、五輪澪さんを戦場に送ろうとした一派があったの。それが『強硬派』なのよ」

 

あの時は、烈くんが口利きして澪さんの出征を止めてくれた。そうか、烈くんは『強硬派』とは敵対する派閥なんだ。今回の軍事色の強い九校戦が成功したら、『強硬派』は力を増す。開戦が近づいて、『戦略魔法師』の澪さんが再び出征する可能性が高まる。

九校戦の失敗ってなんだろう。けが人が多数出る?ちがうな、毎年出てるし。死人が出る?それもありだけれど、生徒個人のミスなら大会自体の失敗じゃない。運営委員のクビが切られるだけだ。

でも、軍が秘密兵器を開発運用するために生徒を利用したって事が露見したら、兵器を準備した烈くんは非難されるけれど、当然『強硬派』もただじゃすまない。反対組織がただじゃ済まさないだろう。『強硬派』は少なくとも勢力を弱めるし、澪さんが戦場に行くこともなくなる。

成功したらしたで『P兵器』開発の立役者である九島家は軍で発言力が増すことになる。『魔法師』の軍人以外の道が増えることになる。

なるほど、どっちに転んでも烈くんは利を得るわけなのか。自分への非難はどこ吹く風で。流石に図太くて細かいな。

あとは『P兵器』がどれくらいの性能を発揮するか、だけれど、こればかりは僕にはわからない。

 

僕が『P兵器』に倒される。今の評価のままの僕だと、『P兵器』の性能は判断できない。僕が『P兵器』を倒しても、同じだ。

 

僕が氷倒しで、行おうとしている『魔法』は白兵戦向きじゃないから、氷倒し以降の僕でも駄目だ。

 

軍部でも有名な白兵戦の強い『魔法師』が『P兵器』を倒すか倒されないといけないんだ。その『魔法師』に選ばれたのが、達也くんなんだ。

烈くんは達也くんのことを、そう評価しているんだ。きっと過去になにか大きな事件があったんだと思う。達也くんが関わっている大事件が。

なんだか色々とつながった気がする。もちろん、これは頭の悪い僕の憶測だから正解は不明だけれど。

 

僕は…どうすればいいんだろう。

 

「僕は…どうすればいいんだろう」

 

思わず、口に出してしまった。

 

「そうね、澪さんの身に何か起きるとは考えにくいけれど、『強硬派』が澪さんを無理矢理協力させる…とか」

 

「『戦略魔法師』を『洗脳』はできないでしょう。一番危険なのは、まわりの人物、つまり多治見君、あなたです」

 

「僕を誘拐して、澪さんに協力を強制させる…?」

 

市原先輩が頷いた。

なるほど、それは考えられる。僕は誘拐されやすい体質だから。でも。

 

「ありがとうございます。真由美さん。市原先輩。気をつけます。でも、たぶん大丈夫だと思います」

 

「どうして?」

 

「アイス・ピラーズ・ブレイク決勝の後、『強硬派』が澪さんを利用する事はなくなります。僕と澪さんの関係を知っているならなおさらです」

 

僕の断言に二人が顔を合わせる。

 

「僕はこれまで、少しだけためらいがあったんだけれど、二人のおかげで決心がつきました」

 

「あっあんまり無茶なことはしちゃ駄目よ…」

 

真由美さんが不安がるけれど、もう僕の火に油は注がれてしまった。

 

一週間後の九校戦、氷倒しの男子ソロの決勝は僕にとって重要な一日になる。

 

 

 




久のやる気スイッチを真由美が押してしまいました。

横浜騒乱後の澪の出征と烈の口利き。この伏線がやっと生かせる。永かった。

このタイミングで市原鈴音が登場するなんて、なかなか珍しいSSだと思いませんか?
大学生の真由美は事が起きると、防衛大の摩利をわざわざ呼んで相談しています。
そのせいで同じキャンパスにいるはずの市原鈴音はまったく影も形もなくなってしまいました。あんなに真由美に恩義を感じていたのに…なので、かなり前から鈴音と久に関わりを持たせていました。久の『意識認識』でも鈴音を感じています。

原作第5巻の夏休み明けの生徒会室。
真由美が生徒会長だったときの、『ひと夏の経験』話は魔法科高校の中でも奇妙なシーンでした。あの変な台詞は真由美やあーちゃんではなく、彼氏持ちの摩利でもなく、ましてや深雪ではない。と言う事は市原鈴音と言う事ですが、「白けたので眠ってもらいました」ってさらっと言っているけれど、自衛以外の魔法は重罪ですよ。しかも人体に直接影響を与える魔法は…なるほど数字落ちしてもおかしくない人格なんだなぁと、鈴音のイメージはそこで確定しました。


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前夜祭

少し煩雑な内容で、恐縮です。


8月3日。今日から九校戦だ。一高の選手団は8時30分に一高に集合してバスで移動する。

澪さんも例年通り、五輪家のリムジンで選手宿舎になっている軍のホテルの最上階VIPルームに向かう。

響子さんの所属部隊も九校戦に協力するから富士演習場に行くことになるって。宿舎で会えるかどうかはわからないけれど、時間が出来たら澪さんの部屋に来るって。

 

前日の夜、僕は自宅で簡単なパーティーを開いた。僕が機嫌よく鼻歌交じりに夕方から準備をして、澪さんと響子さんは何のパーティーか最初は不思議がっていた。

ダイニングキッチンのテーブルに料理を並べて、僕たちは向かい合って座る。二人の手にはシャンパン、僕はフレッシュジュースを手に言った。

 

「響子さんと澪さん。二人に出会って、今日で一年になるんだ」

 

「ああっ」

 

「そうね」

 

二人は得心して同時に頷いた。こういう記念日的な催しは女性の方が敏感だと思うけれど、僕にとっては、物凄く重要な日なんだ。

チンってグラスを重ねて乾杯をする。二人がシャンパンを飲み終わって、僕は手にしていたグラスを置くと、二人をじっと見つめた。

 

「響子さん、澪さん、有難う」

 

いきなりの感謝の言葉に二人が一瞬とまどった。僕は構わず続ける。

 

「二人に会えて、その後一緒に住むようになって、僕は物凄く感謝しているんだよ。気づいていると思うけれど、僕は偏りがある。いろいろと不器用だからまともな生活もできていなかったと思う。二人に出会っていなかったら、どこかで壊れてしまってたぶん僕は今ここにいない…」

 

僕はたびたび犯罪に巻き込まれている。相手を殺すしか方法を知らないから、殺伐とした一年になっていたはずだ。

 

「いつも一緒にいてくれて、帰る家があって、僕みたいな子供に優しく接してくれて、色々と気を使ってくれて、本当に、本当に感謝しているんだよ」

 

専属引きこもりの澪さんがいつも家にいてくれているのは問題だけれど、すごくありがたい。二人してだべって、それを響子さんが引き締めてくれるのもありがたい。

 

「明日から九校戦だからあんまり盛大には出来ないけれど、『家族』としてお祝いをしたいんだ。

二人に恩を返したいって考えているんだけれど、どうすれば良いかわからなくて、でも、まずは感謝の言葉だけでも…澪さん、響子さん、有難う」

 

僕は二人にきちんと頭をさげてお礼を言う。二人は恐縮していたけれど、

 

「僕にとっては一生の記念日だから、しんみりしないで、明るく過ごそうよ。二人に出会えたことに乾杯!」

 

もう一度、グラスを重ねて、この一年あった楽しいことだけを話題に盛り上がる。楽しいことだけ覚えていられると幸せだけれど、辛いことも思い出だよね。

食事の合間、響子さんがふっと不安げな表情を見せていたけれど、これも九校戦が終われば解決するよね。

『P兵器』に関しては、僕もどうすればいいか、まだわからないけれど…

 

そんな事を思い出しながら、僕は達也くんの反対側の斜め後ろの席に座っている。

今年はエンジニアの達也くんも同じバスで、深雪さんはご機嫌だ。花音先輩も婚約者の五十里先輩が一緒だからラブラブな雰囲気を振りまいている。周りの無言のヒンシュクもガン無視している。

バスに次々と生徒が乗って来て、適当な席に座る。50名近くの生徒が乗り込んでも、大型バスにはまだ空席があった。座椅子も去年よりグレードが高い。深雪さんが選んだんだけれど…

深雪さんにお近づきになりたい男子生徒が虎視眈々話しかけようとしているけれど、達也くんの眼光に勝てる生徒はいない、次々追い払われていく。先頭の席にあーちゃん先輩が友人と座っている。去年は十文字先輩が巌のように君臨していたから、バスの中には妙な緊張感があったけれど、今年はまったくない。修学旅行のバスみたいに騒がしい。これもあーちゃん生徒会長の人徳だね。

最後に、乗り遅れた泉美さんと呼びに行った雫さん、そして、機嫌の悪い香澄さんがバスに乗った。

 

泉美さんは深雪さんの隣を狙っていたみたいだけれど、そこは達也くんの指定席だ。達也くんの通路を挟んだ反対の隣はほのかさんに雫さん。水波ちゃんは深雪さんの後ろに競技のペアの子と並んでいる。香澄さんは氷倒しペアの生徒が死守した深雪さんの前の席に座った。香澄さんは達也くんと相性が悪いから、達也くんの近くは嫌みたいだ。

ふっと僕と目が会った。

 

「久先輩、隣いいですか?」

 

「うん?いいけれど」

 

空いている窓側の席に香澄さんが座って、僕が通路側、達也くんの斜め後ろ。達也くんとは距離をあけるなら他にも空席があるけれど、どうして僕の隣なんだろう。達也くんは苦手だけれど、泉美さんの近くに出来るだけいたいって言うことなのかな?

 

「ひょっとして真由美さんに、何か言われたの?去年、僕がバスでちょっとおかしかったって」

 

「ええっと、はい、それもあるんですが…」

 

香澄さんにしてははっきりしない態度だ。

 

「有難う。でも平気だよ。去年とは違って僕は一人じゃないから」

 

僕にはもう『家族』がいるんだ。一人じゃない。

 

香澄さんは不思議そうな顔をした。バスの中は高校生らしく騒がしかったけれど、達也くんの周辺は比較的静かだ。香澄さんも静かにしていた。僕が騒がしいのが苦手なことを真由美さんに教えられたのかな?

元気な香澄さんが大人しくなんて無理していない?ちらっと見ると、目がばっちり合ってしまった。香澄さんは顔を赤くして俯く。以前のぎこちなさはなくなったけれど、僕と目が合うと必ず一度目を逸らすんだよな…香澄さんは俯いた自分に腹が立ったのか、唐突に話を始めた。これもいつもの展開だ。

 

「久先輩は一人部屋なんですか?」

 

「うん、備品とか資材が同居人なんだけれど…」

 

選手は普通相部屋だけれど、僕は男子生徒から同室を嫌がられる。女子生徒と同室になるわけにはいかないから、僕の部屋は備品置き場も兼ねることになっている。

でも女子生徒、とくに僕を知らない一年生は、横浜の時の行動を聞き知って僕を恐れているから、部屋に入りにくいって、あーちゃん生徒会長に相談があったんだって。

 

「ちょっと悲しいけれど、どうせ僕は一人じゃ眠れないから、大会期間中は澪さんの部屋に引きこもっていようかと…」

 

軍の施設なのに九校戦期間中は澪さん専用の部屋がある。さすがは『戦略魔法師』だ。

 

「一人で眠れないって子供ですか?ん?じゃあ、ひょっとしていつも五輪澪さんと寝ているんですか!?同じベッドでっ!?そういえばベッドはキングサイズで…」

 

香澄さんは僕の寝室に入ったことがあるから、そのことを思い出したみたいだ。

大人しかった香澄さんの不機嫌メーターが上昇しはじめている。赤かった顔がますます赤くなった。

 

「僕は一人で眠ると、いつもひどい悪夢を見るんだ」

 

「悪夢…?それは…去年の九校戦の帰りも?」

 

香澄さんの不機嫌メーターが止まる。

 

「うん、そのせいで一人暮らしのころは殆ど寝ずに、ずっと起きていたんだ」

 

「起きてたって、それじゃ身体がもたないですよ!」

 

「体質であまり寝なくてもいいんだけれど、さすがに1週間起き続けていると神経が疲弊して、一年生の一学期の頃は何度か倒れてたよ…」

 

一人暮らしの時は曜日に無頓着だったからなぁ。今は響子さんが厳しいから曜日の感覚がそれなりにしっかりしている。

 

「久先輩は…入学したてのころは体調不良だったって姉から聞きましたが…」

 

「それだけが理由じゃないけどね。でも、澪さんが手を握ってくれるようになってからは、僕も寝られるようになったんだ」

 

響子さんもいるけれど、響子さんの同居のことは関係者以外は知らない。とくに秘密ってわけじゃないけど、響子さんにふさわしい男性が現れた時、僕と同居していたことは知られないほうがいいよね。

澪さんとの同居は意外と知られている。さすがに一緒に寝ているとは誰も知らないけれど、でも、僕は澪さんにあまり異性を感じていない。体型的にも性格的にも澪さんは未成熟だから、抱き合うように一緒のベッドで寝ていてもあまりドキドキしない。逆に、響子さんは肉体も性格も成熟しているから、ちょっと困る。響子さんと二人きりになることは殆ど無いけれど、響子さんもそれに気づいているから、時々きわどい悪戯をしてくる。そうすると澪さんも対抗して女性的な雰囲気を醸し出す。そうなるとさすがに木石ではない僕も困ってしまう。もちろん、これは澪さんには秘密だ。さすがに一緒にお風呂とかは恥ずかしいけれど、僕にとっての澪さんはまさに『家族』なんだ。

だから澪さんと一緒に寝ることは全然平気だし、響子さんは…響子さんは柔らかいし、えぇともちろん嫌じゃないよ。響子さんも『家族』なんだから。

 

澪さんと同居するようになって、僕と澪さんの体質も改善した。理由は不明だけれど、どうも僕と一緒にいる人は体調が良くなるみたいだ。光宣くんの時もそうだし、響子さんも同居を始めてから肌の張りが良いって。

 

「今もちょっと眠いけれど…今寝ると、去年みたいに悪夢をみるから我慢しているんだ」

 

僕は熱っぽい息を吐く。昨夜も、寝ていない。二人と一緒に寝ると『回復』が止まって、僕は成長するみたいだから極力起きている。一緒に寝られるのは僕が子供だからで、成長したら倫理的に問題が出るから、18禁タグは押させないぞ!

 

「じゃっ、じゃあ、今は、私が、手を握っていますから!久先輩は安心して寝てくださいよ!」

 

香澄さんは乱暴に僕の左手を握った。香澄さんの右手は物凄く熱い。そう言えば練習中に保健室に連れて行かれたときも、すごく熱かったな。体温が高いのかな?顔が真っ赤だよ。

香澄さんはときどき僕を子ども扱いするよね。たしかに見た目は子供だけど…

 

「有難う、香澄さん。香澄さんと泉美さんに会ったのも去年の九校戦だったから、知り合ってちょうど一年になるんだね」

 

「そうですね、なんだかすごく昔な気がするけれど…」

 

あの時は香澄さんも僕に男の子みたいな口調で話していたなぁ。一高に入学してからは香澄さんは僕に対してなぜか余所行きの口調なんだよね。先輩だからなのかな?

 

「そうだ、香澄さんも澪さんの部屋に遊びに来てよ。本当は駄目なんだけれど、香澄さんは十師族だからVIPルームにも入れると思うし、VIPルームは景色もいいし、食事も美味しぃ…か…ら…あうぅ?」

 

澪さんは七草家に隔意があるから、仲良くなってくれると嬉しいんだけれど…ん?香澄さんの握力がすごいことになってる…

 

「うぅ痛いよ香澄さん?」

 

「ふん!」

 

ぷいって窓の外に目を向けてしまった。バスは高速道路を快調に走行している。香澄さんは流れる景色をじっと見ている。

しばらくして、僕はうとうと船をこぎ始めて、知らないうちに寝てしまっていた。

その間、香澄さんの肩に寄りかかっていたみたいだけれど、香澄さんは僕を起こさないように会場に着くまで、ぎゅっと手を握っていてくれた…

嫌な夢は、見なかった。

 

バスが会場について、達也くんと一緒に学校の備品を僕の部屋に運ぶ。

ほかにも生徒がいたから『P兵器』については話題に出来なかった。達也くんが何を考えているのかも、その無表情からは不明だった。

作業トラックには『ピクシー』がいた。『ピクシー』は本来のヘルパーロボットとして会場につれて来られている。

『P兵器』が2月の『パラサイト』なら『ピクシー』もその存在を感じ取れるはずだ。今は起動停止中だから、夜にでも話を聞くとするか…

前夜祭パーティーは夕方からなので、僕はホテルの受付で、身体情報の登録とVIPルーム直通エレベーターの専用IDカードを貰う。

エレベーターでVIPルームのある最上階につくと、廊下に配備されていた軍の警備員が僕に一斉に視線を向ける。

僕はIDカードを首に下げて彼らに見えるようにする。

澪さんの部屋の入り口ドアに立哨している警備員は、いつも澪さんの警備をしている、僕とも知り合いの警備員だ。それでも、自宅のときは省略されている身体検査を機械と手で行われた。

ここは公式の場なのでマニュアルに従ってもらいますって警備員さんに謝られたけれど、むしろ当然ですって答えて率先してチェックを受けた。

公式の場では僕は一高のただの生徒でしかない。全身を触られる行為は気分が悪いけれど、僕は実験動物時代の経験から慣れている。害意があるならともかく、これは澪さんのためなんだから。

僕の態度は警備員の人たちの心証を良くした。次回からは機械だけでOKですって言ってくれた。

去年はここまで厳しくなかったけれど…あぁ去年は烈くんがいたからか。VIPルームの出入りは烈くんの口利きだったから、僕のセキュリティーチェックは省かれていたんだ。

立哨の警備員に一高の友人、公式の場では七草家の娘をこの部屋に呼んだ場合もチェックをするのか尋ねたら、十師族の場合は基本的にチェックはしないって。

 

やっぱり十師族はいろいろと優遇されている。

 

澪さんの部屋は去年と同じで、富士山が正面に見える大きな窓が印象的だ。澪さんの私物に僕の私物も運び込んでもらっている。

澪さんとは朝別れてから7時間ほどしか経っていないから、宿舎での再会と言うより帰宅したみたいだった。

自分が寝泊りする部屋に出入りするのにいちいちチェックされるのもめんどくさいな…って澪さんにこぼしたら、驚いていた。

 

「立哨は自宅の警備と同じ人だったと思うけれど…?」

 

「自宅はいいけれど、ここは軍の施設だからマニュアルに従わなくちゃだって」

 

「去年はそんな事されていなかったわよね?」

 

「去年は烈くんの口利きでチェックはまったくなかったよ。警備の人は軍属だし、僕は基本的に一般人だからね」

 

「それは…そうだけれど、わずらわしいわよね」

 

って、澪さんが警備の人と話をつけて、チェックなしにしてくれた。

警備員はマニュアルですからって最初は断ったんだけれど、「久君が私に敵意を持つわけがないでしょう!」って怒っていた。こういうところは澪さんはお嬢様だし、基本的に僕に甘い。

僕は無言でごめんなさいって頭をさげた。

『戦略魔法師』で知り合いでも澪さんはあくまで警備対象、烈くんのように軍に影響力があるわけじゃない。普段意識しないけれど、十師族に国防軍。本当にいろいろと複雑で面倒だ。

何となく外に出づらくなってしまった。でも、僕たちは引きこもりだから、九校戦の試合中以外は、結局この階にいるんだよなぁ。

 

とは言え、今日はこの後、前夜祭のパーティーがある。僕はあまり参加したくはないんだけれど、澪さんが学生生活は大切にした方がいいですよ、って言ってくれたので大人しく参加することに。

着替えるのも面倒なので、少し早いけれど、会場に向かうことにする。作業車に寄って達也くんの作業のお手伝いをしようかな。

僕は澪さんにそう話して、VIPルームを後にした。立哨の警備員さんに一言お詫びをしてから、エレベーターに乗る。

 

そういえば『P兵器』は敷地内の人工林に配備されるんだったよね。もう配備されているのかな、クロスカントリーは12日後だけれど。

僕は一度、その森を見ておこうと思った。見たところで何をするのか…

エレベーター内の館内施設案内をみると、一般宿舎の屋上展望フロアから森が見渡せるみたいだ。宿舎内なら迷子になることもない…パーティまでは時間もあるし、一階でエレベーターを一般用に乗り換えて、屋上に向かった。

 

展望フロアからは、宿舎のすぐ近くから広大な森が富士山まで続いているのが良く見えた。

これは相当奥深い森だ。展望フロアからだと緑の切れ目は全く見えない。昼なお暗いという慣用句がぴったりの森…どこまでが人工林なのかはわからないけれど、クロスカントリーは3キロなので、これは、僕には無理だな…僕は舗装された道だって3キロも歩けないよ。遭難するのがオチだよ!

はぁ、この森に『P兵器』を配備するのか…当然、緑しか見えないけれど…

僕は手すりに持たれながら、富士山を見るような視線で、『意識認識』をしてみる。

一見すると、雄大な富士山に魅了されている少年…うん少年に見えると思う。

まずは濃密に、この森に僕の『意識』を広げる。すぐ近くに澪さんがいる。達也くん深雪さん。新しい…あれ?これは香澄さんだ。『ピクシー』は今は停止中だけれど感じられる。

そういえば、以前、誰のものかわからなかった『意識』は…近くにはいないな。

森の中には何も感じられない。『意識』を浅く世界を覆うように広げる。『真夜お母様』が会場から少し離れて、山梨の四葉家にいる。四葉家に…ん?ぼんやりと何か別の物もいるような気がするけれど…

意識を西の方に向ける。具体的には生駒の九島家だ。すぐに見つかる。光宣くん、烈くん。それと分かたれた『パラサイト』が、数えると16個。強烈な意識だ。

すごいな、以前の『パラサイト』は弱弱しかったけれど、光宣くんの術で存在が強くされたんだろうか。『ピクシー』よりも攻撃的な『意識』だ。凶暴化させられているのかな。

軍の兵器なら好戦的な方がいいだろうけれど。『精神支配』はここからでも感じられる。これなら命令がない限り一般生徒が怪我をするようなことはない、と思う。

 

 

「何か感じられたかい?」

 

背後から声をかけられた。いつも唐突に現れるなぁ。軍の施設に堂々と入り込んでいるし。

 

「僕は探知系が駄目なことは知っているでしょう、九重八雲さん」

 

僕は富士山を見ながら答えて、振り向いた。作務衣をちょっとだらしなく着こなす八雲さんが立っていた。僕が振り向いたのを確認してから、ゆっくりと歩いて近づいてくる。頭をつるっと撫ぜて、

 

「そうなんだけれど、ねぇ」

 

僕の言葉を信じていないようだ。もしかして八雲さんは僕を買いかぶっているんじゃないだろうか。

 

「八雲さんは、僕のことをどこまで知っているんですか?」

 

「じつは、ほとんど知らないんだ。僕の師匠の世代、つまり70年前の群発戦争時代の術者の間では、救国の英雄『紫色の瞳の少年』の噂は結構有名だったけれど、ほとんど情報はなかった。なにせ混乱した時代だったからね。誰もが生きるので必死だったし、軍の力は今より強固だったから。僕も先代から、『パープルアイズ』はどうやら『多治見研究所』と関わりがあった、研究所は『サイキック』開発をしていた、程度しか聞かされていないんだ」

 

つまり、八雲さんは僕と『パラサイト』の関係は知らないんだ。そうだよね、僕が『高位次元体』だってことは僕だって証明できないんだから。

 

「以前、僕の『価値』について何かわかっているようでしたけれど?」

 

「それは君にはじめて出会った後、色々と調べてみたんだ。でも何も情報が残されていなかったから、ほとんど僕の想像なんだけれどね、妄想かもしれないけれど」

 

「…それは?」

 

「うぅん、そうだなぁ。以前、情報は交換って言っていたよね。何か、僕が納得するような情報を教えてくれたら…」

 

つまり、僕の正体を知りたいんだ。ただの『サイキック』が80年も少年の姿でいられるわけがないのだから。それは秘密じゃないけれど、八雲さんは全面的には信用できないし…情報か。

 

「『P兵器』はまだ、会場には配備されていません。烈くんと生駒にいます。これじゃ足りませんか?」

 

「そうだねぇ、足りないねぇ。そうそう、『P兵器』は正式には『パラサイドール』って名前なんだよ」

 

八雲さんは楽しそうだ。その細い目が笑っている。

 

「八雲さんは『パラサイドール』と達也くんが戦うところを見たいんですよね」

 

僕が抱いていた疑問を素直にぶつけてみた。

 

「うん、良くわかっているね。君は、本当は賢いんじゃないかって、無能を装っているんじゃないかって考えてしまうよ。多治見君の事は何もわからない。でも、達也君のことも噂でしかその実力を知らないんだ」

 

どうやら買いかぶられているようだ…

 

「僕も達也くんが直接戦っている姿を見たことがないんですけど、大丈夫なんですか?もし達也くんになにかあったら、深雪さんも生きてはいないですよ…」

 

「多治見君は達也君が負けると思うかい?」

 

「ちっとも思いません。根拠は全然ないんですけど」

 

『神』が低位の『パラサイト』に負けるわけがない。横浜でみた『光』は今でも思い出すだけで震えが走る。

 

「僕はもう少し達也君の事を知っている。だから『パラサイドール』ごときでは、結果的にかすり傷ひとつ残せないと断言できるよ」

 

結果的に?変な言い回しだ。八雲さんも烈くんと同じで、達也くんが昔関わった事件や、横浜での活躍を知っているんだ。

 

「そうですか。じゃあ僕が実験前に『パラサイドール』を全部破壊したら、どうします?」

 

「それは自由になった『パラサイト』が誰かにとり憑いて2月の事件の再来になるよ」

 

「僕がそんな中途半端なことすると思いますか?」

 

「そうだねぇ、そうなると最初から『パラサイドール』はいなかった、誰もが幻想と踊っていたことになるね。案外それが一番丸く収まるのかもしれないけれど、多治見君が失うものは大きいかもしれないよ」

 

「そう…かもしれないな、そんな事できるのは僕だけだから烈くんはすぐ気付くし」

 

そうなると計画に関わっている光宣くんとの関係、響子さん、その後ドミノ式に今の生活が崩れていくかもしれない。『家族』を失う。それは嫌だ…

八雲さんは達也くんの味方じゃないけれど、今現在は明確な敵ではない。第三者として、忍びとして情報収集の対象なんだ。今は八雲さんの言葉を信じた方がいいのかも知れない。

 

「『パラサイドール』がまだ会場に配備されていないって情報は、僕が達也君に知らせてもいいかな?あの森は意外と警備が厳しくてね。僕でも中々忍び込めなかったんだ」

 

「構いませんよ、むしろお願いします。僕の名前は出さなくていいですから」

 

「それじゃ僕の功績みたいになってしまうけれど?」

 

「クロスカントリーまで10日以上もあるし、今日会場に『パラサイドール』がいない事なんて大した情報じゃないですよ。新兵器なんだからギリギリまで研究所で調整するのが普通でしょう?」

 

「そうなんだけどねぇ。これ以上達也君に尊敬されるのも面映いんだよなぁ」

 

頭をつるりと撫でる八雲さん。

 

「それは大丈夫だと思いますよ。達也くんも深雪さんも、八雲さんをあんまり尊敬してないですから」

 

「うっ!?」

 

真実は人を傷つける。僕はひとつ賢くなった。

 

 

前夜祭のパーティーでは、人ごみが苦手な僕はいつも通り、壁際で時間をつぶしていた。一高は去年と同じテーブルに集まっている。その白い塊に、赤い塊が近づいてきた。三高の一条選手と吉祥寺選手だ。女子生徒をぞろぞろ引き連れていたけれど、深雪さんの前に立った女子生徒はいなかった。達也くんが一条選手と話をしている。達也くんと比べると一条選手は高校生っぽい。感情がすぐに顔にでている。なるほど、これは達也くんの戦術は間違いなさそうだ。

ん?あれ?見覚えのある顔、髪型…亜夜子さん!?それに、文弥くんがいる!四高の制服だ。二人は四高に入学していたんだ。フリルスカートや黒じゃない、文弥くんは…本当に男の子だったんだ。僕と違って男子制服を着ていると、ちゃんと男の子に見える…

四高の先輩の紹介で達也くんに話しかけているけれど、まるで初対面みたいな雰囲気だ。深雪さんは達也くんの後ろで一切会話に加わっていない。

亜夜子さんは達也くんと会話を終えると、一高の集団から一人離れている僕に視線を向けて、ニコリと微笑んだ。指をすっと廊下の方に向ける。話があるってことか。

パーティーはこの後、招待客の『お言葉』の時間だ。でも、烈くんは今年は生駒にいるから、僕は興味がない。

僕は静かにパーティー会場を後にする。適当に、トイレにでも向かっている雰囲気で、廊下を極力ひと気のない方に向かって歩く。

 

「こんばんは久様」

 

行き止まりの廊下に亜夜子さんが立っていた。僕がそこに現れるのを確信していたみたい。会場にいたときとは雰囲気が違う、ちょっと演技が入ったいつもの澄ました表情。

 

「こんばんは、亜夜子さん。文弥くんは…会場なの?」

 

「二人ともいなくなると注目を浴びますからね」

 

「亜夜子さんは可愛いから、制服姿でもすごく目立っていたよ」

 

「うっ、まぁ目立つのが今回のお仕事ですもの…」

 

僕が可愛いって言ったから少し動揺している。可愛い。

 

「達也くんとは初対面みたいな雰囲気だったけれど?」

 

「久様からもそう見えましたか?なら成功ですわね。ご当主様からそう指示をされていましたの」

 

「『真夜お母様』から?」

 

「ええ、私たちは九校戦で極力目立つように言われていますの。でも達也さんと深雪さんとは無関係と言う立場で、です」

 

理由はわからないけれど、『真夜お母様』が言うんだから問題はない。

 

「久様も、できるだけ目立っていただけますと、ご当主は喜んでいただけますわ」

 

「ん、それは僕も『真夜お母様』に言われているから。がんばるよ」

 

僕が目立って誰が得をするんだろう。うぅん、同じ様なことを4月の模擬戦以降考えたな…

 

「そうですか。ではご活躍期待していますわ」

 

亜夜子さんはそう笑うと、廊下の照明の当たらない暗闇に溶けるように気配を消した。まさに『ヨル』だ。

パーティー会場にこっそり戻ると、お偉いさんの演説はまだ続いていた。会場を抜け出していた僕に気がついた深雪さんが、ちょっと睨んできた。機嫌が悪そうだ…

隣の達也くんはいつも通りの無表情で演説を聞いている、ふりをしている。その意識は深雪さんに向いている。いつだって二人はつながっているんだ。

僕は一番後ろの壁際に移動した。香澄さんが、うんざりした顔で立っていた。僕が隣に立つと、ちょっとため息をついて、

 

「今日は九島閣下はお休みなんだって」

 

って教えてくれた。もちろん、知っているけれど、そうなんだって頷いて、偉い人のつまらない訓示じみた話を並んで聞いていた。

早く終わらないかな…

適当なテーブルのグラスに手を伸ばして、ちょろっとジュースを舐めてみる。

甘味料が多くて、やっぱり美味しくなかった。

 




原作では、九校戦最初の夜、達也と黒羽の双子がクロスカントリーの森を調べようとして出来ませんでした。
現れた八雲に、「コースに入られたのですか?」と亜夜子が驚いて尋ねますが、
八雲は「入った」とは一言も言いません。
当たり障りのないどうとでも入手可能な地形や障害物の情報しか語りませんでした。
なので八雲は久からパラサイドールの情報を聴いて、それをそのまま伝えただけだった、と言う事にしました。
原作はともかく、このSSでは八雲も達也がドールと戦って欲しいので、達也をミスリードしまくっています。
久がドールを先に破壊しては原作無視になるので、それなりの理由をつけて回避しました。
次からやっと競技です。
一年のときが駆け足だったのに、時間がかかった…


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挑戦状

連載が長くなってきたので、少し読み返してみたんですが、
明らかに一話ごとの文章が長くなってきていますね(笑)。
それだけ久も語りたい事が多くなっていると言う事でしょうか。
忘れている伏線もあるような気がしますが…今後ともよろしくお付き合いください。


九校戦の会場入りして二日目、今日は準備や休憩の日だ。競技は明日から、僕と深雪さんの氷倒し男女ソロは予選が五日目午前に、決勝が六日目午前に行われる。

応援のレオくんたちがお昼前に宿舎に着くから、僕も合流しようと一高の制服に着替えて一階ロビーに向かった。

途中、烈くんに電話をかけてみたけれど、留守電になっていた…通常なら僕から烈くんに電話をするタイミングじゃない。これまでだって去年の警備をお願いする電話の一度しかしていないし…メッセージは残さずに電話を切る。光宣くんは…やめておこう。氷倒しの決勝が終われば向こうから嫌でもかけてくることになるだろうし。

VIPルームの階からの直通エレベーターに乗る。エレベーターはセキュリティーの関係で風景は見えない密室だ。もともと軍の施設だから機能重視なんだけれど、エレベーターの扉が開いて、僕は一瞬立ち止まってしまった。

ロビーは私服の若者でごった返していた。どうやら各校の応援の生徒を乗せたバスが到着して、ロビーで再集合したみたいだ。

九校戦は試合期間は応援も制服着用だけれど、会場入りは私服でも問題がない。去年もエリカさんたちは夏らしい露出の多い服を着ていたし。

バスは交通トラブルで到着が遅れたらしく、生徒たちは文句を言っていた。人間主義のデモがどうの言っている。閉じ込められていたバスからの開放感からか、とにかく騒がしい。床に直接座ったり、荷物を無造作に置いて、ロビーは疲労して気分が荒れた、粗野な雰囲気に包まれていた。

僕は教育をまともに受けていない一般人以下だ。でも、地べたに座るなんて無作法はしない。マナーは難しいけれど、友人や『家族』が恥ずかしい思いをしないよう心がけている。

これが深雪さんなら笑顔の仮面に眉をしかめるところだ。

僕は他人の行動ははっきり言ってどうでもいいけれど、とにかく歩きにくいな。生徒たちを避けながらふらふらと進む。

僕の姿は、奇妙に目立つ。腰まで伸ばした黒髪に人形のような、ややもすると冷たい容姿。折れそうに華奢な身体。歩き方も頼りない。それに、今の僕は一高の制服を着ている。

私服の集団の中で、一高の白い制服は、黒い羊の群れに放たれた白い羊だ。ロビーの真ん中あたりまでなんとか進んだところで、

 

「きゅあー何あの子、すごい可愛い、ちっちゃーい」

 

一人の女子生徒が僕を指差して大きな声を上げた。僕はぎょっと立ち止まった。

ロビーにいた生徒の視線が一斉に僕に集まった。騒がしかった生徒たちが静かになった。

 

「あっ、この子知ってる、一高の多治見久君だ!」

 

「去年、新人戦で氷倒しに出ていた男の娘!?」

 

きゃあぁきゃぁと、女子生徒たちが僕を囲みだした。小さな僕は生徒たちに埋もれるようになって、前にも後ろにも進めない。アイドルを見つけた女の子たちの狂騒…違うな、校庭に迷い込んできた子犬に群がる生徒かな。

一高ではこういうことはもう起きない。人を殺しても平然としている横浜での奇行や色々な残念ぶりが知れ渡っているから。でも他校の生徒にとっては、テレビで放送されたワンピースの似合う男の娘でしかない。

登下校で女子中学生にファンですって囲まれたことがあったけれど、それに比べて、『魔法師の卵』という同族意識なのか、すごく厚かましいし遠慮がない。

一般の生徒は、もちろん僕もそうだけれど、ごく普通の家庭で育って、マナーもへったくれもない人もいる。最初は一定の距離があったけれど、段々と距離が縮まってくる。

 

「すごーい髪の毛綺麗」

 

いきなり髪の毛を触られて、ぞわりとした。一人が触ると他の生徒も勝手に触りだした。

 

「ほんと、何このストレート、何のトリートメント使ってるの!?」

 

「ちょっ、やめて…」

 

僕の髪は、澪さんか響子さんが整えてくれている。僕は本当は短い方がいいんだけれど。何しろ手間がかかる。お風呂後、ドライヤーじゃなく『魔法』で乾かしてくれるのも二人が卓越した『魔法師』だからだけれど、おかげで髪は痛まない。シャンプーも、二人はお嬢様だから良いものを使っている。今朝も澪さんがくしけずってくれた。人前に出るときにはちゃんと身だしなみを整える…これも面倒だけれど、基本なんだ。

 

「せっかく澪さんが整えてくれたのに、乱れるから、やめて…」

 

「えーそうなの?ミオさん?誰?それ、髪を整えるって、ほんとに女の子みたいだねぇ」

 

以前、七草家のパーティーでも政治家の偉い人たちにべたべた触られて、僕は立ち尽くしていたけれど、こういう人たちは段々エスカレートしてくる。

 

「ほんとに男子なの?肩とか細すぎじゃない?」

 

見ず知らずの人に身体を触られるのは、誰だって気分が悪いだろうに、いきなり肩を触られて、僕はおびえる。

女子生徒たちは道端の子犬を触るような感覚なんだろう。子犬が迷惑がろうと気にしない。

押しのけて逃げようにも、次々手が伸びてくる。変なところを触りそうだし、僕はそもそも非力なんだ。こういう時は、しばらくすると熱気も冷める。僕のつまらない反応に飽きればどいてくれるはずだ。

急に女子生徒の動きが止まった。僕は解放される?と思ったんだけれど…

ずいっと、女子生徒をかき分けて、数人の男子生徒が目の前に立ちはだかった。背の大きい、太い腕を誇るようにぴっちりしたシャツを着ている。全員レスラーみたいな生徒たちだ。

女子生徒がおびえて数歩下がった。でも僕は生徒たちの輪に囲まれて逃げ場はなかった。

 

「こいつが、多治見久かよ」

 

「ああ、俺知ってるぜ、去年一条選手に負けたくせに、『戦略魔法師』の五輪澪さんのお気に入りだってヤツだ」

 

「見た目は人形みたいだからな、さぞかし可愛がられているんだろうぜ」

 

確かに、澪さんは僕を可愛がってくれるけれど、ちょっと意味が違いそうだ。

男子生徒は『魔法』より腕っ節に自信がありそうだ。威圧感をむやみに誇示してくる。

僕は十文字先輩の黙っていてもあふれ出すあの存在感に慣れているから、男子生徒たちに全く動じない。女子生徒たちの触り攻撃の方が困っていた。

こういう態度がチグハグな印象を周囲に感じさせて苛立たせることに、香澄さんとのこれまでのやり取りで気がついている。

 

「いいよなぁ、実力がなくても見てくれで優遇されるんだから、あやかりたいぜ」

 

ますます絡まれる。

でも、男子生徒の言うことは正しい。僕は公式の場で何も功績を残していない。努力はしているけれど、現実はそうなんだ。澪さんや烈くんの庇護下にあるだけで、僕自身は一生徒のひ弱な子供だ。

『魔法師の卵』というエリート意識は、自分より実力が劣る他者を見下す意識につながる。

森崎くんや七宝琢磨くんもそうだったけれど、二人は見下しながらも、自分自身も見下されるという焦燥感があった。

この男子生徒たちは、僕を見下している。彼らがどれだけの実力者かは知らないけれど、僕を見下すに足りるだけの、努力と実力を持っているんだと思う。

僕は、無駄に沸点が高い。性的な感情には耐えられないけれど、僕自身を蔑むのは、それほど僕の感情に波を立てない。

他校の生徒たちにとって、僕の存在なんてそんなものなんだな。やっぱり、尊敬や敬意は、自らの手で掴まなくちゃいけないんだって教えられた気がして、すごくありがたく感じる。他人にあまり悪意を抱けないのも、僕の奇妙な精神性だ。

 

「五輪澪さんも良い趣味してるよなぁ。しかも、こいつ九島烈閣下のお気に入りでもあるんだってさ!」

 

「閣下の?閣下もいい歳してお稚児さんを囲っているのかよ、幻滅だぜ」

 

お稚児?良く意味がわからないな。確か剃髪していない少年僧のことだよね。僕はお坊さんじゃないよ。九重八雲さんみたいに将来頭を剃ったりしないから。

 

「見た目だけで、お偉いさんに取り入って恥ずかしくないのか!?」

 

「なんだか人形っぽすぎて、俺には気色が悪いぜ…」

 

お偉いさん…えっと、ああ、烈くんの事か。

僕にとっては魔法師界の重鎮・九島烈閣下も、70年前、唯一僕を名前で呼んで友人として接してくれた、アニメやコミックス好きの10代後半の大人になりきれていない容姿の『烈くん』だ。

『烈くん』と今でも呼んでいるけれど、本人がそう呼んでくれって、去年再会したときに言ってくれたんだ。

ただ、奇妙なことに烈くんは『友人』で、『家族』とは思えない。僕の『家族』への想いは『依存性』に関わっている。烈くんには『依存』したいと感じない。

烈くんは70年来の『友人』だ。厳しい辛い記憶ばかりだけれど、同じ時代を生きた存在、同じ時間を生きている唯一の存在だから『友人』と思うんだろう。

 

僕は、生徒たちの悪意に囲まれながらも、暴風が去るのを待っていた。

以前のパーティーでエリカさんにこういう時はしっかりしなくちゃ駄目だって言われているのを思い出した。

僕は色々と偏りがあるから、自信に溢れた僕、というのも想像できないけれど…

 

「お話は終わりましたか?」

 

「何?」

 

「終わったんなら、僕は行きますね」

 

彼らの悪態をぶった切るように、僕は宣言する。乱れた髪を手で整えて、生徒の壁の隙間を探す。僕の態度は男子生徒には気に食わなかったようだ。

 

「あぁ、じゃあ行くなら俺の股をくぐっていけよ」

 

男子生徒が足を開いて妙な事を言い出した。僕の態度が気に入らないにしても、なんでそんな子供みたいな遊びをいきなり?

 

「ちょっと、やりすぎでしょ!」

 

「やめなよ!」

 

女子生徒たちが騒ぎ出したけれど、男子生徒が凄むと、半歩後ずさる。男子生徒はにやにやして僕を見下ろす。

僕を囲んでいた生徒の壁にちょうど良い隙間ができたな。

 

「許してくださいって、謝れば許してやる…ぜ…え?」

 

なんで謝らなくちゃいけないのかさっぱりわからない。

僕は、すいっと、その男子生徒の足の隙間を潜り抜けて、壁の外に出た。背が低いからちょっと中腰で通過できた。

 

「なっ?」

 

「え?」

 

僕は男子生徒を振り返って、

 

「これでいい?じゃ、僕は待ち合わせがあるから行くね」

 

飄々と、なんの屈辱感もない笑顔で言う。

その場にいた生徒たちは、ぽかーんと間抜けな顔をしている。変なの。僕は、ロビーの外に向けてとてとて歩き出した。

レオくんたちはどこかな。まだ来ないかな。レオくんたちのバスも遅れているみたいだ。そうだ、作業車に行けば達也くんがいるから、一緒に待てば良いや。

一つに意識が向くと他を忘れるのは僕の悪癖だけれど、僕はさっきロビーであったことなんてすっかり忘れて、作業トラックのある宿舎のバックヤードに向かう。

 

氷倒しの決勝の翌日、僕がロビーに現れると、さっきの生徒たちが集団で必死に謝ってきたんだけれど、なんで謝られたのか良くわからなかった。

 

翌日、競技が始まった。参謀とエンジニアを兼任している達也くんは忙しそうだ。

試合まで暇な僕は、何か手伝いでもと思うけれど、機械音痴なのでソフトでもハードでも何も出来ない。

だから僕の得意なことは…料理だ。忙しいみんなの為に、簡単につまめるサンドイッチを澪さんと作る。澪さんも観戦以外は基本的に暇人なので、喜んで手伝ってくれた。

競技中、一高の本部になるテントと、試合後の一高の作業車に軽食を差し入れする。『戦略魔法師』手ずからの料理に最初は恐縮していた皆も、次第に喜んでくれた。現役最高魔法師の差し入れは特に裏方のモチベーションアップにつながったみたいだ。

夕方、作業車の横は達也くんを中心としたいつものメンバーがくつろいでいた。宿舎にもカフェがあるけれど、なにしろ利用者が多い。

僕が差し入れたお菓子を食べながら、作業車はキャンピングカーでもあるから『ピクシー』がキッチンで本来のヘルパーロボの役目を勤めて、メンバーに飲み物を用意していた。

『ピクシー』は達也くんに従属しているけれど、僕に対しても恐れと敬意をいだいている。僕にコーヒーを淹れてくれる時、ロボット以上の感情を作り物の顔に見せていた。

いつものメンバーにレオくんとエリカさんがいない。かわりに一年生のケントくんがいる。

ケントくんは達也くんの助手兼エンジニアで、達也くんの向かいの席でニコニコしながら達也くんを見つめている。なんだか僕がもう一人いるみたいだ。

そのケントくんが「西城先輩はローゼン日本支社長に話しかけられていましたよ。なんだか迷惑そうでした」って達也くんに嬉しそうに話しかけていた。

ローゼンか…

実は僕はローゼンとはちょっとした因縁があった。もう昔の話だ。今のローゼンとは無関係だし、昔の僕と今では容貌が違うから、たとえ過去の記録があっても、今の僕と結びつけることは不可能だ。

遅れてレオくんが作業車に来て、しばらくは僕も雑談に参加していたけれど、日が暮れたあたりで僕は先に部屋に戻ることにした。皆は夜までいるそうだ。

僕は去り際、コーヒーのカップを自分で作業車のキッチンに持っていった。

キッチンに『ピクシー』が静かに立っている。

 

「達也くんは『パラサイドール』に勝てるよね」

 

カップを洗い場に置きながら呟くように聞いたけれど、返事はなかった。『ピクシー』にだってわからないよね。

僕は、作業中の達也くんとくつろいでいる友人たちに「おやすみ」って挨拶をすると、宿舎に向かう。九校戦の最中、ここはみんなのたまり場になるんだろうなぁ。

少し皆から離れた僕の頭の中に『ピクシー』の『声』が聞こえた。

 

マスターに敗北はありません。

 

なるほど、『ピクシー』は僕と違って達也くんの戦っている姿を見たことがある。

絶対の勝利を信じている。その『意識』が伝わってくる。

僕は思わず、くすって笑うと、澪さんの待つVIPルームに向かって歩き出した。

 

 

2日後、氷倒しの男子ソロの予選が行われた。

アイス・ピラーズ・ブレイクは、9校を3チームに分けて予選をする。各予選で一位の選手三人が決勝リーグに出られる。つまり予選リーグでは一位にならなくちゃいけない。

僕は試合の日まで、澪さんと一緒に観戦をしていた。特に練習はしていない。一度覚えると、僕は忘れない。それは、CADの操作もおおむね同じだ。出来ない事は出来ないけれど、緊張も全くしないから、練習どおり、淡々と予選に向かう。

氷倒しはファッションショーみたいな風潮がある。それぞれの選手が一番気合の入る格好をする。去年は深雪さんが衣装を用意してくれた。今年は、僕は、本気だ。『真夜お母様』の期待もある。達也くんにも『真夜お母様』の懸念は説明しているし、『真夜お母様』本人からも聞かされていたみたいだ。

『十師族の横槍』は、達也くんを通じて一高の首脳陣にも伝えてある。今年の一高は二、三年生に十師族はいない。三高には、いる。ナンバーズである花音先輩はそんな事起きないって怒っていたけれど、冷静な五十里先輩は真剣に考えてくれていた。考えたところで、僕たちには手の届かない所なんだけれど…

深雪さんは『真夜お母様』がからむと、異常なほどに萎縮する。あんな優しい『お母様』を恐れるなんて変だなって思うけれど、水波ちゃんもそうだから四葉家の家風なのかもしれない。

『お母様』が期待しているって言ったら、僕の衣装に関して、今年は何も提案してこなかった。

僕にとって一番気合の入る衣装は、一高の制服だ。今の制服は、澪さんと響子さんがプレゼントしてくれた。この制服で闘えば、二人が一緒だって思える。

響子さんは会場では再会できていない。まだ土浦にいるみたいだ。九校戦の終盤には会場に来るってメールがあった。僕の試合を直接見てもらえないのは寂しいけれど、テレビでは観てくれるって。

恥ずかしくない試合をしないと、僕は気合を入れなおす。

 

予選リーグは三高とは別だ。一条選手と試合するには、まず予選リーグで2勝しないと。

 

試合会場の舞台に上がる。24本の氷の柱に、相手選手の舞台、満員の観客席。去年と同じだ。

招待客用の観客席に澪さんがいるのが見えた。手をぶんぶん振っている。僕は緊張はしないけれど、澪さんの姿によりリラックスする。澪さんは僕の精神安定剤だよなぁ。

寒冷化時代の弱い太陽が降り注いで、氷の表面を溶かしている。冷気がもやっと立ちのぼる。

僕の最初の相手は四高の生徒だった。亜夜子さんの学校の先輩だね。その生徒もガンマンみたいなコスプレをしている。無駄にカッコイイな。24本の氷柱を挟んでも、がちがちに緊張しているのがわかる。対戦相手の僕は準優勝候補だし、対戦相手は少なくとも一秒以内で氷を倒さなくては勝ち目はないからね。

四高は毎年、最下位争いをしている弱小なんだって。どうして亜夜子さんと文弥くんは一高に入学しなかったのかな…

僕の一高の制服姿に、去年の男の娘みたいな姿を期待していた観客から落胆の声があがった。僕は、そんな事は気にしない。達也くんもコスプレの風潮は嫌っていたし。そのくせ深雪さんのコスプレには…あぅ、背中に鋭い視線が刺さる…うん、なんでもないよ達也くん。試合に集中だね。

僕は一高の制服の右ふとともに、レッグホルスターを巻いている。特化型CADは去年と同じ僕の小さな手にあわせたデリンジャーだ。去年と同じで、『魔法』は一つしか入れていない。

 

試合開始のブザーが鳴った。四高の生徒はショットガン型のCADを派手に抜いた。西部劇みたいで、マントがイカしている。でも、男子生徒が引き金を引くより早く、

 

四高の十二本の氷柱は木っ端微塵に爆発した。

 

氷の煙がキラキラと舞っている。男子生徒はCADを構えたまま硬直していた。『魔法』を発動どころか、CADにサイオンを流しきることすら出来なかった。観客が歓声を上げる間もなく、試合終了のブザーが鳴る。

 

僕はデリンジャーをホルスターから少しだけ抜いている。でも、抜ききっていない。握っているだけ、と言ってもいい。特化型CADは照準補助システムが組み込まれているから銃口を標的に向けなくてはいけないのに、僕は棒立ちで、視線だけは正面にしっかり向けている。

 

「ドロウレスっ!?」

 

観客から声が上がった。一瞬の静寂後、感嘆と歓声が会場を包んだ。

僕は一礼する。澪さんにウィンクを送って、歓声を背中に聞きながら、舞台を後にする。

一高の控え室に戻ると、無表情の達也くんに、笑顔の深雪さん。驚き顔のあーちゃん生徒会長。感心のため息のはんぞー先輩、得心顔の沢木先輩。一高の首脳や選手が色々な顔を見せる。

 

「やっぱり、圧勝過ぎて、試合になりませんでしたね」

 

深雪さんが嬉しそうだけれど、呆れ顔で言った。

 

「当然。深雪でも勝てないんだから」

 

氷倒し女子ペアの雫さんが頷いている。

僕の、この戦術の僕に一高の選手は手も足も出なかった。深雪さんの魔法力もすごいけれど『インフェルノ』でも全ての氷を破壊するのに一分かかる。それでも普通は圧倒的なんだけれど…

 

「私の『地雷源』も一瞬で氷を破壊できれば、久君に一泡吹かせられたんだけれどな」

 

同じ防御無視攻撃特化の花音先輩がそう言いながら五十里先輩に腕を絡めた。

 

「しかし、『ドロウレス』か。森崎も驚いただろうな」

 

はんぞー先輩は、ここにいない僕のクラスメイトの名前を挙げる。

 

「僕の警護をしてくれている人にコツを教わりながら、4月ごろから密かに練習していたんです」

 

『ドロウレス』。高速化された特化型CADを抜かずに、さらに高速で『魔法』を発動する技術。

ホルスターに入れたままの特化型CADを自分の魔法力で照準を合わせる、森崎くんの得意なテクニックだ。

僕は『ドロウレス』を、僕の警備担当の二人から教わっていた。僕の警備をしてくれている二人は、もともと森崎くんの警備会社で働いていた。『パラサイト』事件以降、すっかり仲良くなって森崎くんの学校以外での活躍や『ドロウレス』のことを聞いていた。だから僕は選手に選ばれる前からこっそり練習をしていたんだ。四葉家で『真夜お母様』にもこの事は言っていたし、伏線もちゃんとはっていたよ。

 

「しかし、多治見君の魔法力は桁が違うね。ただの『デイン』が『ギガデイン』を遥かに超える威力になるんだから」

 

沢木先輩が、僕以外意味のわからない感心の仕方をしている。でも僕は勇者じゃないから『デイン』は使えないよ。

 

「沢木先輩、それを言うなら『サンダー』が『サンガー』になると言ったほうが適切でしょう」

 

ぬおっFF12!達也くんが珍しく突っ込みを入れた!!そして、その突っ込みは僕と沢木先輩しかわからないから、首脳陣は意味もわからず感心していた(笑)。

 

今回の僕と達也くんが考えた戦術は、至極、簡単だ。

 

『電撃』

 

『魔法師』が使う『魔法』でも、もっともポピュラーな『魔法』だ。『電撃』は発動と共にタイムラグなしに発生する、スピードの『魔法』だ。

『電撃』そのものの破壊力は小さい。でも、僕の『魔法力』で『電撃』を起こすと、『稲妻』クラスの威力になる。稲妻。『雷電』ともいう、雷鳴と雷光をともなう、都市ひとつを揺るがす天災。

1メートル程度の『稲妻』を12本、それぞれ氷柱の中心に発生させる。『稲妻』は一瞬で消える。でも、『稲妻』の周辺は局地的に2万度になる。

この熱は氷を溶かし、蒸発、分子はプラズマ化、空気は一気に膨張する。水蒸気爆発と音速の雷鳴で氷は爆発する。

 

その光景は、まるで『爆裂』。

 

『爆裂』は氷そのものを爆発させる。僕は『稲妻』を使うから、ひとつ余分な工程が入る。そのための『ドロウレス』。

一条選手は特化型CADを抜いて構えて撃つ。僕は抜かず構えず撃つ。

『魔法力』は僕の方が上だから、工程の段階で僕が勝っている。

去年の『擬似瞬間移動』は移動させて壁にぶつけるという無駄があった。去年、僕は『魔法師』として経験不足で、過剰にならないよう『魔法力』をかなり抑えていた。

達也くんが『擬似瞬間移動』を選んだのは、僕が得意だったからだし、僕の事を何も知らなかったからだ。

それでも全試合12本の氷柱を破壊するのに1秒以下で、決勝でも0.5秒。一条選手が全試合0.5秒以内で勝利したことが想定外だった。

僕の『稲妻』は『ドロウレス』を併用して、0.3秒以下だ。もはや機械による判定差はほとんどない。氷破壊の基準をどこにおくか、映像を解析する審判の判定にかかっている。

このまま僕と一条選手が勝負すれば、すべては審判の胸三寸で決まる。

でも、あえて僕たちは、この戦術を選んでいる。

 

僕の『稲妻』は一見、『爆裂』に見える。

 

これは僕と達也くんの、一条選手への挑戦状だ。去年、一条選手がモノリスコードで達也くんに真正面から挑めって挑戦状を叩き付けた事へのお返しだ。

 

僕よりも早く『爆裂』を使って氷柱を破壊して見せろ!

 

一条選手の性格から、必ずこれを受ける。受けざるを得ない。自分が去年やったことなんだから。

そして、僕と達也くんは、一条選手と違って、人が悪い。挑戦状を送られたと一条選手が勝手に思い込んだ時点で、僕たちの勝利だ。

 

もちろん、僕と達也くんの考えは、さらに先を行っている。

そして、『真夜お母様』の懸念が現実になった時の『魔法』も…

 

予選の第二試合も、僕は瞬殺した。

相手選手がトラウマで『魔法力』を失うんじゃないかってあーちゃん生徒会長は優しいから心配していたけれど、それは僕には興味がない…

とにかく二連勝。これでリーグ戦を勝ち抜けになった。去年は決勝は一人が辞退したので僕と一条選手の一騎打ちになったけれど、今年は辞退していないから、三つ巴戦だ。

深雪さんも予選を余裕で突破して、氷倒しはソロの男女が共に明日の決勝リーグに出場する。

 

僕にとっては、運命の決勝だ。

 

 

 




なんだかハードル自分で上げていますよね…
久の成長と共に文章や内容も充実できれば良いのですが、文才は乏しいので…
それでも頑張ります。
今後とも応援していただけると、嬉しいです。
お読みいただき有難うございました。


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赤い太陽



久の魔法科高校生活のハイライト!?


 

 

 

朝、まだ日は昇っていない。僕は二時間くらい眠って目を覚ますと、澪さんの寝顔を見ていた。

 

『戦略級魔法師』。この国に『公式』に認められているただ一人の存在。

澪さんの戦略魔法『アビス』は実際に戦争で使用したことはないけれど、海上で使用すれば敵の艦隊は壊滅、多くの敵兵の命を奪う、『魔法師』なら知らないものはいない、『魔法』を知らない一般人にも認知されている有名な『魔法』だ。

この国の数千万の国民は澪さんがいれば、敵国は艦隊で侵攻できないと漠然と知っている。普段は優しい、僕には甘いお姉さんだけれど、その未成熟の細い身体には多くの国民の命が圧し掛かっている。

澪さんが『戦略級魔法師』として公表されたのは高校生のときだ。それからは虚弱体質のせいで大学にはまともに通えなくなった。生まれついての体質だったんだろうけれど、『戦略級魔法師』としての重圧もその一端だったと思う。今はそんな不安はまったく感じさせないけれど。

澪さんだって、昔から引きこもりだったわけではない…はずだよね。

 

僕は澪さんの手を握る。僕と同じくらいの小さな手だ。澪さんが目を覚ました。

 

「どうかしたの?」

 

澪さんは、いつもはとぼけたお姉さんだ。今も上下ジャージで、どうみても高校生になりたての少女にしか見えないけれど、流石に感覚は鋭い。僕の何気ない行動に、いつもと違う何かを感じている。

澪さんは『十師族』だ。五輪の直系として、この国に尽くす、この国を守る義務を子供の頃から教えこまれている。だからって澪さん一人に背負わせるには、この握っている手はあまりにも小さい。

この国にはもう一人、非公認だけれど『戦略級魔法師』がいる。去年の10月31日、大陸の艦隊を壊滅させた『魔法師』。

彼の存在が公表されていないのには理由があるはずだけれど、彼も重圧と戦っているんだろうか…

 

…ん?

 

どうして僕は『彼』って思ったんだろう。非公式の『戦略級魔法師』の性別を、僕は知らないのに。

 

「この前、真由美さんに大学前の喫茶店で会った日のことなんだけれど」

 

「ん?」

 

唐突な話に澪さんが戸惑っている。戸惑っている表情も可愛いな。

 

「九校戦が終わったら、皆で海に行かないかって誘われたんだ。真由美さんと妹たち、一高の市原先輩と渡辺先輩も来るって。渡辺先輩は彼氏同伴とかなんとか…」

 

「…?」

 

「澪さんも一緒に行こうよ」

 

「えぇと、私は…」

 

「澪さんの行動が自由じゃないのはわかっているけれど、引きこもりなのも、まぁ僕も引きこもりだけど、学生のうちは学生生活を楽しめって澪さん言ってくれたよね」

 

「ええ」

 

「僕が大学に入れるかわからないけれど、学生のうちに出来ることはしておきたいんだ。もちろん、響子さんも誘うよ。お仕事の都合があるから難しいかもだけれど」

 

九校戦が終わって、響子さんも憂鬱から開放されているといいけれど。そうでなくても気分転換になるし。

 

「………」

 

澪さんは僕の真意を量っている。

 

「私は、水着は…その」

 

さっき僕が名前をあげた女性陣はまだ少女の双子はともかく、スタイル抜群な人たちばかりだ。『魔法師』は容姿もスタイルも優れている。澪さんが気後れする気持ちも良くわかる。

僕も十文字先輩やレオくんみたいな逞しい身体は憧れるし。

 

「『戦略級魔法師』だって年に一度くらい海に行ったって怒られないよね。水着がいやなら散策だけでもいいじゃない。せっかく元気になったんだし。でも、僕は澪さんの水着姿も見てみたいな…」

 

澪さんは僕には甘い。僕のお願いは大概聞いてくれる。お願いなんてめったにしないけれど。澪さんはちょっと頬を赤く染めて、

 

「久君が、その、見たいなら…うん」

 

照れてる。可愛い。

 

「やったー」

 

僕は澪さんの細い腕を抱きしめながら、うとうと、もう一度まどろみ始めた…

 

 

 

今日は曇り空だった。上空に少しの晴れ間も見えない曇天。

 

「今日は絶好の天気だね」

 

一高のテントに入った僕が、達也くんに言った。

 

「そうだな」

 

僕たちの会話に首をひねっている一高の首脳に選手たち。曇り空はミラージバットでは喜ばれるけれど、氷倒しとは関係がないはずだからだ。

 

「本当に良い天気だ」

 

僕は、もういちど呟いた。

 

 

アイス・ピラーズ・ブレイクの試合会場は二つあるけれど、男女ソロ決勝は同じ会場で9時から30分置きに交互に行われる。6試合でちょうど正午になる。

まず、一条選手ともう一人が試合。その後、深雪さんの試合。そして、僕と一条選手の試合の順だ。僕の最初の試合は事実上の決勝だ。

一高の控え室には巫女姿の深雪さん。達也くん、あーちゃん生徒会長、はんぞー先輩。そして、僕がいる。

その他の首脳や選手は一高のテントに全員いる。ただの決勝とは違う緊張感が漂っていた。

 

「二人とも、調子はよさそうだな」

 

達也くんはいつもの無表情だけれど、深雪さんを見る目は優しい。

 

「もちろんです、お兄様」

 

「僕も絶好調」

 

深雪さんは落ち着いている。氷倒し女子ソロには強敵はいないけれど、達也くんに恥ずかしいところは見せられないと、集中を高めている。

 

会場から沢山の拍手が聞こえてきた。ブザーの音に、爆発音。どっと歓声があがる。

 

「一条が勝ったな」

 

はんぞー先輩がモニターを見て言った。モニターにタイムは表示されないけれど、一高が調べた一条選手の予選の記録は0.5秒以下だった。僕の試合とは、目測ではわからない差だ。

深雪さんも少し不安そうな顔になるけれど、

 

「まずは、深雪。自分の試合に集中だ」

 

達也くんのアドバイスを聞くまでもなく、すぐに気合の入った表情になる。

会場の氷柱の撤去に配置は重機と『魔法』を使って30分以内に行われる。試合は長くても数分なので、設営の方が時間がかかるから、観客を飽きさせないように手際よく行われる。

深雪さんの『魔法』は高難易度魔法『氷炎地獄(インフェルノ)』。攻守一体のこの『魔法』を発動させてしまっては、普通に優秀な『魔法師の卵』では勝利は難しい。

一分とたたずに、相手の氷柱は解けてなくなり、自陣の氷は試合前よりかっちんこっちんになっている。

深雪さんは、決勝リーグ第一戦、他人の感情がはいる余地のないおごそかな態度を終始貫いていた。圧勝して、会場を虜にして、一礼。控え室に戻ってきた。

 

「よくやったな」

 

達也くんが深雪さんの頭をなぜている。なんだかごろごろと猫みたいな声が聞こえてきそうだ。

 

会場では清掃と氷柱の交換を行っている。その映像をモニターで見る僕の顔は無表情だ。控え室の姿見に映る僕の顔は人形のように生気が乏しい。この顔で唇だけ微笑むと、動かないはずの人形が笑ったみたいだ。

控え室は無言だ。設営の音と観客のざわめきが、外から小さく聞こえてくる。深雪さんの魔力はまだ会場を支配しているみたいだ。

試合開始十分前、僕は立ち上がると、皆を見る。

 

「それじゃぁ行ってくるね」

 

緊張感のない普通の台詞だ。皆は僕が緊張しない事を良く知っている。普段頼りないのに、こういう時は逆に落ち着いている。いかにもチグハグな僕らしい。

皆は特に何も言わない。あーちゃん生徒会長は何か言いたそうだけれど、言葉が出てこない。はんぞー先輩は難しい顔だ。深雪さんも憂い顔。達也くんは、

 

「練習どおりだ」

 

短く言う。練習どおりにやれば、僕の勝ちは当然だって。

 

「うん」

 

 

僕と一条選手の試合は、瞬きが許されない。深雪さんの試合が幽玄の世界なら、僕たちは刹那の世界だ。

向かいの舞台に立つ一条選手は赤いライダースーツ。去年とは違うスーツだ。よっぽどライダースーツと赤が好きなんだね。僕と同じで、右太ももにホルスターをつけて、赤い拳銃型CAD。

僕は一高の制服。右太もものホルスターにデリンジャー。入っている『魔法』は予選と同じ『稲妻』。それと、『もう一つ』。

一条選手の『爆裂』は彼と彼の『家』を象徴する『魔法』だ。負けは許されないし、習熟しているから、もはや第二の本能とも言うべき速度だ。

『ドロウレス』の僕の方が『魔法』の発動は速いけれど、集中を高めた一条選手の魔法発動速度は通常を上回る…

 

試合開始3秒前の表示がされ、会場がしんと静まる。一条選手が少し腰を落として、右手を拳銃型CADに近づけ、大きな手のひらを開く。もう子供の頃から何万回と繰り返している動きや型なんだろう。

その表情は緊張しているけれど、冷静だ。でも…

僕の立ち姿は全くの自然体だ。棒立ち。試合開始前で身構えたりもしない。人形のように突っ立って、ぼぅっと24本の氷柱を見下ろしている。

 

試合開始のブザーが鳴った。

 

抜く手も見せず、拳銃型CADを構えた一条選手が、銃を水平からやや下に向けて、引き金をしぼった。

『暗夜に霜が降るごとく』。引き金をしぼる時の昔からの慣用句だ。CADは反動も弾丸も出ないけれど、一条選手の一連の動きは、美しい。洗練された形式美がある。

棒立ちの僕とは、存在感からして違う。

 

そして、銃を構えた一条選手の表情が、戸惑いに染まった。

24本の氷柱は、試合開始前そのまま、立っている。一条選手は引き金を引いた。でも、氷は、『爆裂』していない!

 

「領域干渉!?」

 

一条選手が叫んだ。僕は最初から『防御』に徹していた。

 

僕たちは昨日『挑戦状』を送りつけた。送りつけられた、と一条選手は考えたはずだ。彼の性格ならそう考える。でも、僕と達也くんは『人が悪い』。そんな目に見えない『挑戦状』にはなっから付き合う気はない。

早撃ち勝負なんて、最初からする気は、ない。卑怯?ペテン?違うよ、引っかかる方が悪いんだ。

 

『領域干渉』は一定範囲を『魔法師』の干渉力のみを持たせた魔法式で覆って、相手の『魔法』の事象改変を阻止する対抗魔法だ。

一条選手が僕の陣地に『爆裂』を発動しようとする際に、僕の魔法力でエリアを覆って干渉力に相克を起こす。このエリア内での魔法発動が阻害される。

僕の魔法力は過去最高。一条選手の魔法力よりも上。一条選手が僕のエリアで『爆裂』を起こすには僕よりも干渉力で上回らなくてはならない。

深雪さんを相手に練習して、深雪さんですら手も足も出なかった僕の『領域干渉』が一条選手に敗れるはずがない。

そして…

 

「汎用型CAD!?」

 

僕は一人で勝負しているわけではない。僕のエンジニアは達也くんなんだ。九校戦は選手とエンジニアの闘いなんだ。

僕の決勝のCADは汎用型。この汎用型には二つ『魔法式』をいれてある。『領域干渉』そして『稲妻』。

 

一条選手の特徴を、以前、達也くんは一高帰りのたまり場である喫茶店で語ってくれた。

 

魔法師としては一流。でも、とっさの対応力に欠けている。

去年のモノリスコード、達也くんの奇襲に過剰な威力で攻撃、過剰な威力で攻撃したにも関わらず達也くんが倒れず動揺、耳元に指を近づけられても棒立ち、指を鳴らすなんて無駄な動きの音による攻撃も直撃。

自分が一流にたる才能と努力をしているだけに、自分の想定を超えられたとき、一瞬、動きが遅れる。

しかも、『早撃ち』勝負だと思い込んでいる一条選手は、攻撃一辺倒。自陣の防御は、何一つない。

『ドロウレス』を使うまでもない。僕は一見緩慢に拳銃型の汎用型CADを抜いて、構える。使う『魔法』は当然、『稲妻』。

僕は自他共に認める機械音痴だけれど、達也くんのCADをただ構えて、引き金を引くだけだ。

引き金を絞ると、瞬きの時間で一条選手の氷柱は爆発した。12本全部、木っ端微塵になって、キラキラと冷気の煙があがる。

お互いが早撃ちすると、その差は殆ど無い。映像での判定も出来ない。審判の胸三寸で決まる。

僕のエリアの氷柱は12本、まるまる残っている。12対0。誰の目にも明らかな勝負。どんな思惑も跳ね返す、完璧な勝利だ。

 

もっとも、僕も達也くんも『人が悪い』。かなり、悪い。

僕はCADをホルスターに戻す。相変わらずの棒立ちで、その顔は笑っていない。一条選手は銃をゆるく構えたまま動揺している。

 

 

僕は、自分の勝利を一ミリも確信していない。

 

 

ブザーが鳴った。でもそのブザーは試合終了のではなかった。試合中断のブザーだった。

会場がざわめいた。僕の勝利は、明らかだ。でも、

 

「只今の試合、一高・多治見選手のフライングにより、再試合といたします」

 

場内アナウンスの女性の声が、会場に流れる。一瞬の沈黙の後、会場から怒号やブーイングが起きる。僕も観客も『魔法師』。なら、誰だってわかる。ましてや卓越した『魔法師』の一条選手なら、断言すらできる。

僕がフライングしていないことは、『魔法師』なら、誰でもわかることだった。

このアナウンスに一番動揺しているのは一条選手だ。

僕は、試合前と態度は変わらない。人形のように無表情で一礼すると、舞台をゆっくり降りていく。一条選手の方がこんどは棒立ちになっていた。

 

一高の控え室に戻る。さっきと同じメンバーだ。達也くん、深雪さん、あーちゃん生徒会長、はんぞー先輩。

四人とも、落ち着いているけれど、あーちゃん生徒会長は少し困っていて、はんぞー先輩は怒りを押し殺している。深雪さんも、ぎゅっと手を握っていた。

 

「予想通りだったな」

 

「うん」

 

達也くんの冷静な言葉に、僕も淡々と頷く。

やっぱり、こうなったか。『真夜お母様』のご懸念は的中した。『十師族の横槍』は、起きた。すごいな『真夜お母様』は…

僕の『十師族』に向ける感情はより複雑になっていた。個人としては信頼できるけれど、どこまで信用していいのかはわからない。

もっとも、利用するなら利用される方が悪いと考える僕の行動は、これまでとたぶん変わらない。

ただ、四葉家への想いが強くなっただけだ…

達也くんと深雪さん、水波ちゃん、黒羽の双子に『真夜お母様』のいる四葉家への想いは深く、より強くなっている。

 

フライングは二回すると、失格になる。同じ戦術は当然、使えない。

あーちゃん生徒会長が正式に抗議をしようかと達也くんに聞いていたけれど、「無駄です」とにべもなく言っている。

再試合は女子ソロが終わってからと通知があった。僕と一条選手の再試合後、僕ともう一校の試合の順だ。

深雪さんは、怒りを抑えつつ、女子ソロで圧勝。競技時間は一分もかからなかった。

会場の、僕たちの試合結果の不満を深雪さんが洗い流してくれていた。

 

 

再試合の控え室。デバイスチェックを受けた『特化型CAD』を達也くんから受け取る。

 

「本当にいいのか?」

 

「うん、どうやっても勝たせてくれないなら、見せ付けるしかないもんね」

 

僕の言葉にあーちゃん生徒会長が不安になって聞いてきた。

 

「どういう意味ですか?この状況を想定して練習では別の『魔法』を使っていましたが…」

 

「あぁ、確かに派手で革新的な魔法だったが、見せ付けるって程の…まさか」

 

はんぞー先輩がふと気づく。僕の魔法力を注ぎ込めば、普通の威力じゃすまない事に。

 

「ちょっと本気を出すだけですよ」

 

僕はにっこりと微笑んだ。ちょっと本気。

僕の『能力』の全力だと文明にいちじるしく壊滅的な被害があるけれど、『魔法師』として、『魔法』でちょっと本気を出すだけだ。

 

 

再試合の会場は異様なムードだ。一条選手には責任はないけれど、完全に会場は僕の味方になっている。これはさっきの深雪さんの余韻も上乗せされている。

完全アウェーの一条選手は、それでも気丈に、さっきと同じ態度で舞台に立っていた。

僕も同じで棒立ち。でも、そのCADはさっきとは違う。昨日まで使っていた特化型CADだ。ただ『魔法』は違う。

 

試合開始のブザーが鳴って、一条選手が銃を構えた。そして、『領域干渉』。今度は一条選手も防御をする。一時間でCADを準備して、それを使いこなす一条選手はさすがだ。

会場も、それがわかるから、怒号が減って感心の声が上がった。

 

でも、僕はまだ『魔法』を発動していない。あれほどスピードにこだわっていた僕なのに。一条選手と観客が疑問の表情になる。

 

僕は、右腿のホルスターから、デリンジャーをゆっくり抜くと、水平を通り越して、曇り空に銃を向ける。

分厚い雲が空を覆っている。雲の切れ間はまったくない曇天。

僕は正面を見つめている。氷か一条選手か、会場か…ただ前を見ている。そして、引き金をしっかりと引いた。

 

CADを天空に向けて。

 

上空3千メートルの雲の海に小さな穴が開いたと思う間もなく、穴はさぁっと円形に広がった。いきなり現れた太陽が会場照らす。観客が手で目を覆い、一条選手も空を見上げた目を細めた。

青く円形に切り開かれた空の色が一瞬で変化した。

 

空が赤く染まる!

 

雲に出来た円形の赤い穴は、空気を密集屈曲させて造ったレンズだ。レンズはどんどん大きくなる。別に数十メートルで問題はないけれど、今回はインパクトが重要だ。

去年の魔法は地味でみんなの記憶に残っていないから。

レンズの大きさを直系30キロにまで広げる。上空、雲の海に浮かぶ、30キロのレンズはキラキラと輝いて、それだけで雄大で幻想的だ。

会場だけでなく、周囲が夕焼けのように赤くなった。会場も、樹海も、日本の象徴の富士山までが赤く染まる。

時刻は12時に近い。再試合のおかげで、より理想的な太陽の位置。寒冷化時代とは言え、真夏の正午の太陽だ。

レンズ越しに太陽が見える。

 

赤い太陽。

 

太陽光がレンズに吸い込まれていく。『光共振』でレンズの中に鏡面を作り光を閉じ込める。鏡面間に光を往復させて光の数を増やす。

レンズの中に満ちた圧縮空気の触媒で『誘導放出』、光の波長を同じにして、威力を増幅、さらに往復させて、その光をレンズの中心の一点に集約する。

ここまで一秒もかかっていない。あっという間の出来事。でも一条くんには僕が何をしようとしているか理解できた。

 

「ルビーレーザー!?」

 

流石に良く知っているけれど、ちょっと違う。本来なら無色透明だ。でもそれだと、だれにもレンズが見えない。それじゃぁ意味がない。今回はインパクトが大事なんだからわざと色をつけている。レンズはまるで最高峰のルビー、ピジョン・ブラッドのように澄んだ血の色をしている。

太陽光のレーザー化は21世紀前半には実用化できなかった技術。太陽の膨大な熱がレーザー化を邪魔するからだ。でもこの『魔法』はその熱そのものを利用する。当然だ。これは『戦略魔法』なのだから。

上空の雲に直系30キロの赤い円形のレンズ。僕はレンズの中で光を反射していたミラーの地面側の中心を透明化にする。発射口だ。

発射口から光が溢れ始める。光がスタールビーのようにレンズの中心から六条の線を描く。

 

レーザーが発射された。

一条くんが『領域干渉』を強めて対抗しようとしたけれど、光の速さに人間は対応できない。そもそも、レーザーは『魔法』で起こした『結果』で、『術式解体』でも防げない。対応できても6000度の光の剣は、『ファランクス』でもなければ止められない。

 

ばりばりばりっ!

 

空気を引き裂く轟音。レーザーが一瞬で空気を加熱。瞬間的に熱された空気が、音速を超えて一気に膨張する。雷鳴と同じ原理だ。ただ温度は雷ほど高くないので空気の膨張は小さい。

一番近くにいる一条くんは風圧と轟音で一瞬身体がぐらつき、観客の髪や衣服がばたばたとなびく。一条くんの鼓膜は…大丈夫だった様だ。2年連続で鼓膜を破られたら、それはそれで僕は構わないけど。

 

レーザーは本来は無色。でも僕は見ている人の目を守るためにと、レーザーがわかるように赤い色をつけている。

深雪さんの『インフェルノ』の炎は200℃。

でも、太陽の光を巨大レンズで収束すると、その温度は太陽の表面温度6000度まで一瞬で上げられる。これは小学校で紙を焼く実験の延長線。まだ、子供の遊びの威力…

 

『魔法レンズ』で収縮すれば物理的には温度に上限はない。

 

つまり、僕はこれでも威力を最低に抑えているんだ。

今回はそこまでする必要はない。レーザーの温度も太陽の表面温度6000℃でとどめてある。プラズマの方が温度は高いけれど一瞬だ。でも、レーザーの大きさは12メートル四方!

その破壊力は大地をも、溶かす!

 

一条くんの陣に赤いレーザーの剣が突き刺さった。会場が真っ赤に染まる。12本の氷柱は水蒸気爆発と共に一瞬で消滅する。

 

雲を切り裂き天空を覆うルビーレンズ、赤い太陽、技術的に難しい太陽光によるレーザー。空気を焼く6000℃の熱。五体に伝わる轟音。

そして赤く染められた世界、富士山。人形じみた容姿の僕、白い制服、熱風に煽られる黒髪…

 

見る者の、目、耳、肌、そして幻想的な色が記憶に刻み込まれる。破壊的な『戦略魔法』。

 

氷柱を消滅させるだけなら一瞬の時間でいい。水蒸気になった水分すら消滅している。でもわざと数秒撃ちつづける。それ以上はフィールドに一番近くに立っている一条くんが危険だ。

空気そのものが一条くんを守る壁になってくれているけれど、熱は少しずつ伝わるから、一条くんが火傷をしてしまう。今だって一条くんの身体は焼けるように熱いはずだ。

 

レーザーの柱が音もなく消える…赤く染められていた世界が、白く、太陽の元の色に戻った。青空が真円に切り取られている。

 

 

一条選手側の12本の氷の柱はチリ一つ残らず焼き尽くされていた。氷だけじゃない。フィールドは壁も床も焼きただれている。床はどろどろに溶けたコンクリートが溜まり、焼けて一部が溶岩になった地面がむき出しになっていた。

これが僕にとって氷倒し最終試合だから構わずフィールドごと焼いた。ぶすぶすと所々コンクリートが融点を超えて崩れ落ちていく。僕のフィールドの氷柱も溶けている。熱と暴風で倒れている。でも、全部じゃない。僕の前に4本、融け残った柱が壁に張り付いていた。4対0。僕の勝ち…

夏の風が、焦げ臭い匂いを会場に広める。観客はしわぶきひとつたてられない。

一条くんの手から拳銃型のCADが落ちる。静寂の試合会場に金属と床のぶつかる甲高い音が響いた。

 

壊滅的な被害をもたらすレーザーを一ミリのぶれもなく制御した『魔法力』。しかも、『魔法師』なら気づくはずだ。この会場にいるほとんどが『魔法師』と卵たち。誰もが気づいていた。

 

この魔法は、威力を落としてあることに。

 

僕が本気を出せば、太陽の下、無限に供給できるエネルギーであらゆるものを焼き尽くすことができる。バラージすれば広範囲を同時に攻撃、都市は壊滅、岩石の融点を軽く超えるレーザーは、地下シェルターすら貫通する。

 

もし、これが太陽光じゃなくて、電化をおわせた粒子にすれば、僕は『荷電粒子砲』を撃つことができる。

しかも僕の得意の『真空チューブ』を併用すれば粒子は空気減衰することも無くなって、大気中でも射程は無限だ。

 

陽は全世界に昇る。逃げ場はない。射程は澪さんの『アビス』と同じ数十キロ。澪さんが海面なら、僕は天空。対となる『魔法』だ!

見た目のインパクトは去年に比べれば絶大。これは僕が『戦略級魔法師』として世界に初めて認知された瞬間だった。

勝者を告げるブザーが鳴った。

僕の陣の氷の柱は4本残っている。一条選手の陣には1本もない。

 

勝者は…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝者は、一条選手だった。

 

 

会場アナウンスが、僕の『魔法』がフィールドからはみ出した、反則と告げている。

氷倒しはフィールドから『魔法』をはみ出してはいけないルールだ。

二度の反則により僕の負け、3位が確定と発表がされた。

もちろん、僕は次の試合をする気なんてはじめからなかった。だから容赦なく会場を焼いた。

会場のどよめきの中、無言で立ち尽くす一条くん。

人形じみた顔で口だけで笑おうとした僕は…

 

「あぁ今年も負けちゃったか…」

 

僕の声をマイクが拾った。試合の内容や『魔法』の威力をふいに忘れさせるような、明るいあっけらかんとした声だった。

僕はにっこりと笑う。深雪さんを思い出して、僕のできる範囲で、会場を魅了する笑顔を作る。人形のような僕がどこまで出来たかはわからないけれど、そして、

 

「来年頑張ります!」

 

勢い良く、頭をさげる。黒髪が僕の細い肩からするりと落ちる。腰を90度まで曲げて、数秒そのままでいた。会場から拍手がパチパチと鳴った。やがて、会場が割れんばかりの歓声になった。

その歓声に僕は感動して、ちょっと涙目になっている。決してこれは悔し涙じゃない。

 

だって、僕はわざとルールを破った。僕は、わざと負けたんだ。『十師族』の顔を立てるために!

 

優勝は『十師族』の一条選手だ。『十師族』の思惑が勝敗に影響する以上、僕は絶対に勝てない。これは『真夜お母様』の忠告どおりだった。

だから僕は、試合では負けたが、勝負には勝った。そして、僕が個人で『十師族』に匹敵、いや、それ以上の『魔法師』であることを世界に証明してみせた。

目的は達した。これで僕をバカにする人はいなくなる。人形のような子供を囲っているって澪さんをバカにする人も減ると思う。

澪さんを出征させようと考えている『強硬派』も、もう僕の存在を脅しの材料には使えない。僕自身が『戦略級魔法師』なのだから。

 

『戦略級魔法師』。新たなる十三使途の誕生。僕は、澪さんと肩を並べられる存在になれた。

 

負けたことは、正直悔しいけれど、今はそれで満足しなくちゃ。

それに、後で一条選手には謝らなくちゃいけない。僕の一方的な考えに彼を巻き込んでしまった。一発殴られるくらいで許してくれるかな…

一条選手は深雪さんに興味があるみたいだったから、深雪さんのサインで許してくれるかな。いや、自分の行動は自分で責任をとらなくちゃ。でも一応、深雪さんに頼んでみよう。

 

 





この回は、このSSを書きはじめて、書きたいと思っていた話の一つです。
正直、疲れました…汗。
太陽光レーザーは現在は研究中で実用化されていない技術です。
久は温度をそのままレーザーにしていますが、実際はこの温度のせいで実用化が難しいそうです。そうネットに書いてありました。
レーザーの原理は、まぁそれっぽくで、自分にはよくわかりません…汗。
これで、久は戦略級魔法師として一目置かれる存在になりますが、そう単純ではありません。
澪が虚弱だったように、久も弱点だらけなので。
むやみに襲撃はされなくなりましたが、今後は相手もそれなりの組織になるだけなのです。
パラサイドールを達也に任せても、そう簡単にはいかないのです。
少なくとも学生の間は自由ですが、卒業したら大変です。頑張って大学に入りなよ。
ちなみに久の学業はこの後、右肩下がり、定位置に戻ります。四葉家の強制睡眠学習は一学期までなので…まぁたぶん推薦入学になるでしょうが…一定上の学力は求められるはずですから。


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夏の夜の闇

将輝のフォローをしないとね。


 

 

僕の『戦略級魔法』は瞬く間に会場に知れ渡った。

『戦略級魔法師』の定義は特にないらしい。公式に認められているのは世界に13人。国が非公式にしている存在が50人程度なんだそう。基本的に『戦略級の魔法』を使うことが最低条件だけれど、どこからが『戦略級』なのかは、国や『師族会議』の判断だ。

 

試合後、一高の控え室に戻ると、誰もいなかった。

いまさらだけれど、九校戦は団体戦だ。氷倒しは、僕が我を通したせいで三位になってしまった。『十師族の横槍』を気にしないでいたならば、二位は確実だったから、皆には迷惑をかけてしまったな…全員がホームランを狙っていては団体戦は勝てない。送りバントをする選手も必要だ。もっとも僕は不器用だからそんな事は出来ないけれど…

所持品は達也くんに預けてあるし、テントに戻って受け取らないと。しょんぼりと全員のいるテントに向かう。

テントでは、一高の皆が整列するように並んで僕を待っていた。達也くんやあーちゃん生徒会長、はんぞー先輩や沢木先輩、五十里先輩に花音さん。一高の首脳陣と雑務のメンバーも立ち上がって、全員、無言。

怒っているのかな?

僕は、皆に向かって、深々と頭を下げた。

 

「ごめんなさい!今年も負けちゃいました」

 

あーちゃん生徒会長が慌てる。

 

「ひっ久君は一生懸命やりましたよ!それに今回は勝敗は試合前から決められていましたし、その『戦略級魔法』には驚きましたけれど、すごかったですし、あの、そのぉ…とにかくすごかったですぅ!」

 

「中条、落ち着け」

 

あーちゃん生徒会長はしどろもどろだ。はんぞー先輩が落ち着かせようとするけれど、そのはんぞー先輩も少し興奮している。息が荒い。

気のせいかテントの中が暑い。みんな興奮で言葉を失って、テント内の温度まで熱気で上がっているんだ。

深雪さんも、気持ちが高ぶって、白い顔を紅潮させている。その中で達也くんだけが一人冷静だ。

 

「とっとにかく、多治見は実力を見せ付けた。見せ付けすぎだとは思うが、それよりも、これからが大変だ」

 

「えぇと、どう言うこと?服部君」

 

あーちゃん生徒会長は僕に似ていて、いつも自信なさげだけれど、同級生のはんぞー先輩相手だと口ごもったりしない。なんとなくだけれど、お似合いの二人だ。

 

「多治見が『戦略級魔法』を使ったことは全世界にライブで配信された。これは稀有なことだ。『戦略級魔法』の映像なんて、ほとんど誰も見たことがないんだぞ!」

 

はんぞー先輩は冷静になろうと頑張っているけれど、握った拳が震えている。

色々な『戦略級魔法』が公表されているけれど、実際の使用中の『魔法』を見たことのある人なんて、ほとんどいないんだ。

 

「あぅ、今頃、政府も魔法協会も大変でしょうねぇ」

 

あーちゃん生徒会長が他人事のように言う。興奮の坩堝だった一高テントの熱気が少し収まった。

はんぞー先輩がわざとらしく咳払いをひとつして僕を、そして達也くんに視線を向けた。

 

「大丈夫です、中条先輩。学校や魔法協会から質問が来たら、すべて九島閣下にお聞きくださいといえば良いんです」

 

達也くんがぶっきらぼうに言う。怒っている…というよりストレスが溜まっている感じだ。珍しいな。確かに達也くんは八面六臂の活躍だからな。ちょっとした烈くんへの嫌がらせ、意趣返しかな。深雪さんが、少し憂い顔になっている。

達也くんの疲労の一端は僕にあるから、僕も憂い顔のお付き合い。

アレだけの『魔法』を使っておいて、この態度だから、いつも香澄さんがいらいらするんだよね。

僕が九島烈の庇護下にいることは魔法師界では既知の事実なので、あーちゃん生徒会長も納得した。今回の『戦略級魔法』に関しては烈くんに確認は一切していない。基本的に烈くんは僕のことを放任していてくれる。響子さんも光宣くんもいるから、忙しい烈くんの邪魔をしたくないし。

『パラサイドール』について聞いてみようかと、先日電話をかけたけれど、あの時、僕はどうしたかったんだろう…でも、流石に今回は自分から連絡をしてくれるよね…。

 

「とりあえず九校戦の間は騒ぎにはならないでしょうが、新学期からは色々と対策が必要でしょうね」

 

「対策ですか?」

 

あーちゃん生徒会長は達也くんの前では、小動物みたいだ。首を捻るしぐさは、リスみたいで可愛い。

ここは軍の施設だから、一般人の立ち入りはできない。つまりマスコミ関係は近づけない。

僕の自宅住所は公表されていないから、九校戦後、新学期からは一高前での出待ちや取材申し込みの対応が必要になる。興味本位の不審者も学校に現れるかもしれない。これを契機に一高前駅からの通学路に警備を配置してくれると生徒も安心できるんじゃないだろうか。

基地周辺にも魔法師反対運動が出没しているのだから…でも、あの校長に期待するだけ無駄かもな…事件が起きてからじゃ遅いって。遅いんだよ!大事なことだから二回言ったよ!

 

「九校戦後に『師族会議』が開かれるでしょう。久は高校生なので『師族会議』を通じて各方面に働きかけがあるはずです。良識のあるマスコミは問題ないでしょう」

 

つまりゴシップやルール破りのパパラッチの対策だ。

 

「そっそれは校長先生とも相談が必要になっちゃいますね」

 

「あーちゃん生徒会長なら問題ないです」

 

僕はあーちゃん生徒会長は人として信頼している。わかりました、とあーちゃん生徒会長は鼻息も荒く頷いた。でも、人柄だけでは生徒の安全は守れない。一高の教職員は、もっとあてにならない。結局はこれまでどおり自分の身は自分で守らないといけないんだ。

 

競技用CADを達也くんに渡して、預けておいた自分のCADを指にはめる。『真夜お母様』の指輪だ。デバイスを首からかけて、携帯端末を受け取る。

僕は友人が少ないから、メールはそんなに来ていない。一応確認してみると、真由美さんや一高の卒業生。十文字先輩からも来ている。観客席にいるであろう料理部の部員や森崎くん。光宣くんと響子さん。烈くんからは来ていない。

メールの内容は後にするとして、まずは、澪さんに電話をかける。「部屋で待ってるから」と一言言うと、「もう向かっている」って返ってきた。澪さんは今日も招待客用の観客席にいたけれど、流石にわかっている。

携帯を切って、達也くんを見ると、

 

「早く行ったほうがいい」

 

一高のテント前が騒がしくなる前に、とりあえず避難しなくては。会場には生徒以外にも、軍関係者や企業関係者がいる。

 

「じゃぁ、人が来る前に、ホテルに戻っているね。夜、作業車で。後はよろしくお願いします、あーちゃん生徒会長!沢木先輩、試合、圧勝してくださいね!」

 

「なっ中条生徒会長ですぅ!」

 

「おう、多治見君に負けていられないからな!」

 

あーちゃん生徒会長の頬が膨れる。くすっ、可愛い。この後はシールドダウンの個人戦だ。沢木先輩の優勝は、澪さんの部屋で観ることになる。

テントの入り口で香澄さんとぶつかりそうになった。香澄さんの隣には泉美さん。観客席で観戦していたはずだけれど。

 

「ひっ久先輩!」

 

「あっ香澄さん、どうしたのそんなに慌てて?」

 

僕は急ブレーキして、香澄さんの顔に顔がぶつかる寸前で止まった。

つい先日のぎこちない僕たちの関係だったときなら、このシチュエーションはお互いもつれ合って転ぶことになったと思う。不思議なことに、関係が改善されると変なハプニングがなくなった。

そのかわり香澄さんは僕と会うときは、顔を真っ赤にする。今もそうだけれど、鼻と鼻が重なるような距離で、香澄さんがため息をついた。くすぐったいよ。

 

「何言っているんですか!慌てて当たり前でしょう」

 

「うん?夕方、作業車に行くから、話があるならそこでね」

 

なんで香澄さんが慌てるんだろう。香澄さんの新人戦は明日だから、何かトラブルでもあったのかな。僕は今、宿舎に戻ることで頭がいっぱいだから、察しが悪い。

 

「たんに鈍感なだけなのではないでしょうか?」

 

泉美さんがジト目で呟いた。ん?僕の心の声が聞こえたの?顔に書いてある?鈍感?確かに僕は痛みに強いし変なプライドもないけれど?

 

テントを出て、ホテルに向かう途中、僕に気がついた生徒が指を差してくる。

僕の姿は奇妙に目立つからな…このとてとて走りも目立つ要因なんだろうけれど、変に視線をよそに向けると、足元のおぼつかない僕はすっ転ぶ可能性があるので、余所見はできるだけしないで、走る。とてとて。

 

ここでメタな事をふと思う。試合は反則負け。原作には氷倒し本戦は一条選手優勝、一高は3位ってあったから。予定通り、原作通りだよ。原作通りだと、クロスカントリーは全員参加だから、僕も…出場しなくちゃいけないんだよね。制限時間過ぎたら救出隊が来るよね。ね。

 

ホテルに着くと、軍の関係者っぽい人がいた。受付のお姉さんと何やら話している。無視して直通エレベーターに駆け込む。その人は僕に気がついたけれど、さっさとエレベーターの扉をしめて、VIPルームの階に向かう。指紋認証とIDカードがないとこのエレベーターは使えないんだ。

VIPルームの階につくと、警備の人たちが一斉に僕に視線を向けた。でも、朝までの態度とは微妙に違う。敬意と尊敬の目。ここにももう情報は伝わっている。

僕はいつもとかわらずIDをちゃんと見えるように首から下げて、ここからは澪さんの部屋に歩いて向かう。

 

扉の立哨の前に立つと両手をあげて、ボディチェックの準備をする。澪さんが警備員に言ってくれたけれど、僕は機械のチェックだけは受けるようにしていた。

警備員は恐縮そうに、でもマニュアルどおりにチェックする。

そのほうが僕が安心する事に、この数日で気がついているからだ。

警備員は「そっ、その有難うございました」って何故か恐縮する。

 

「いえ、こちらこそ、お勤めお疲れ様です」

 

しっかり頭を下げて、警備員さんが開けてくれようとするのを制して、自分で扉を開ける。

広いVIPルームに入ると、解放的なリビングだ。澪さんが慌てて椅子から立ち上がった。嬉しさや戸惑いのまじった複雑な表情だ。澪さんは、歳相応に落ち着いたワンピースを着ている。地味すぎなんじゃないかと思うけれど、生地や細やかな刺繍は凝っていて、実は値が張っている。上下ジャージじゃない澪さんは、けっこう珍しい。澪さんが慌てるのは、僕がなにかやらかした時だ。響子さんだと、驚いていても演技で隠そうとするし、そもそもあまり驚かない。流石は軍属だ。澪さんは、『戦略級魔法師』でも、基本的に一般人。特別な訓練なんて受けていない。精神力は常人を超越しているから、僕よりはやっぱり大人なんだけれど、どう行動すればいいのか迷っているみたいだ。

僕はとてとて駆け出すと澪さんにひしっと抱きついた。

 

「ひっ久君?」

 

僕の唐突の行動に、澪さんの声が少し裏返る。僕は抱きついたまま顔を上げて、澪さんの顔を間近で見上げる。僕は、にかって笑う。

 

「久君、凄かったですよ!世界が真っ赤に夕焼けみたいに染まって、上空のレンズは『光の紅玉』みたいでしたよ」

 

僕の『魔法』を思い出して、澪さんが興奮し始めた。澪さんの『アビス』は見たことはないけれど、射程が数十キロ、数十メートルから数キロにわたって水面を円形に窪ませる。僕の空気の密度を操作する『光の紅玉』より質量のある海水を押しのけるから大変だ。水深1千メートルにいる潜水艦すら水面で攻撃できるし、水面が回復するとき、海中は物凄い荒れるから、もっと深いところに逃げても、まず助からない。

僕の『光の紅玉』は点や線で攻撃する。海中は無理だけれど、陸上と地中の構造物は防ぎようがない、まさに戦略上重大な『魔法』だ。『光の紅玉』か、カッコイイ名前だね。

 

「これで、澪さんの負担も減るかな?」

 

「え?」

 

僕の唐突の言葉に、澪さんがとまどった。

 

「澪さんは普段は感じさせないけれど、『戦略級魔法師』のプレッシャーは相当だよね」

 

「それはそうだけれど」

 

いくら精神力が卓越していても、圧し掛かるのは数千万の命だ。軽いわけがない。

 

「僕が『戦略級魔法師』になれば、澪さんだけに負担はかからなくなる。負担が分散される」

 

澪さんが、目を見開いた。

 

「そっそんな事を考えていたの?」

 

「うん、でもこれで、僕も澪さんに並び立てる。澪さんにふさわしい男になれたんだよ」

 

僕と澪さん、それに響子さんの三人がいれば、誰も手出しをしようとは思わないだろう。それに、僕は人殺しを禁忌と考えない精神破綻者だ。敵対するのは自殺行為だ。

響子さんは僕の『戦略級魔法』を見てどう思ったんだろう。

 

澪さんは、僕の言葉をじっくり考えて、急に頬を朱色に染めた。あっ可愛い。

 

「(なんだかプロポーズみたい)。重圧すごいし、自由がなくなりますよ…」

 

ん?何かいま別の台詞が聞こえたような?

 

「平気だよ、僕は男の子だもん」

 

澪さんは感動している。僕をぎゅっと抱きしめてきた。柔らか…くない胸に、僕は顔を埋め…られないけれど。僕もしっかり抱きしめ返す。自由って言っても、僕は基本引きこもりだからな…

 

「ただ、『戦略級魔法師』として、十師族の五輪澪として、久くんが学生のうちは自由に振舞えるように働きかけていきますね。普通の学生時代を奪われるのは私だけで十分です」

 

澪さんからすごいプレッシャーを感じる。ヤル気みたいだ。

 

 

少し落ち着いて、僕はパジャマに着替えた。澪さんもジャージ姿になる。自宅にいるみたいで気分が落ち着く。二人して、くすりって笑う。

メールの確認をしてみると、その殆どが驚きと賞賛だった。光宣くんの「さすが久さんです!」は、光宣くんの口癖になっているね。文章から興奮が伝わってくる。

響子さんは、最終日前日に会場入りするから、その時に、って内容だった。

最終日はクロスカントリーと閉会式。閉会式の手伝いってわけはないだろうから、クロスカントリーの障害物に響子さんのいる部隊がなるのかな?お化け屋敷のきぐるみお化けになるの?でも、人手不足だから『パラサイドール』を配置するって話だったよね。うーん、響子さんの部隊は何の協力をしているんだろう…

烈くんからのメールや連絡は、来なかった。

 

それから、一切の面会は謝絶ですって、澪さんが宣言をして、VIPルームに閉じこもった。

ホテルは軍の施設だけれど、VIPルームにはなかなか立ち入りはできない。烈くんの関係者の部屋ともなればなおさらだ。澪さんの携帯端末がひっきりなしに鳴っている。五輪家からみたいだ。澪さんは簡単にメールを返信すると、電源を落としてしまった。『十師族』は大慌てなんだろうな。

 

それにしても、僕と一条選手の氷倒し決勝に『横槍』を入れてきたのはどこの家なんだろう。四葉家以外。『真夜お母様』以外だから…まぁ過ぎたことだし、いっか。

 

午後はシールド・ダウンの男女ソロの試合を部屋のテレビで見ていた。VIP観戦室は分厚い壁にモニター観戦だから、ある意味同じだ。人目がない分くつろげる。

シールド・ダウンは沢木先輩の圧勝だった。初戦からやる気が満々だった。僕が世間に認められて一番喜んでいる在校生は、もしかしたら沢木先輩かも。

女子のソロも優勝していたから、僕の敗戦は影響ないみたいだ。良かった。

明日からの新人戦、香澄さんのロア・ガンは絶対観るって約束をしている。観ないとこっぴどく怒られるから、観客席に行かなくちゃ。僕だけだと大変だから、レオくんとエリカさんに協力してもらわないと。

皆は夕方から作業車に集まっているはずだから、時刻を確認して、僕はバックヤードの作業車に向かった。制服は…目立つから、上着だけパーカーを羽織って、顔を隠すことにする。

 

ロビーには沢山の人がいた。色とりどりの魔法科高校の制服。

僕の姿を見かけると、皆が近づいてくる。えっ?なんで僕だってわかるの?パーカーで顔を隠しているんだよ!VIPルーム直通のエレベーターから現れる子供は…あぁ僕だけだよね。

ちょっと怖いし、うぅ、これは面倒だな…引き返そうか、と思ったんだけれど…

人垣から赤い制服の一条くんが現れた。まるで大勢の人なんていないかのような足捌きで、滑るように僕の前に立つ。

僕は当然、一条くんを見上げることになる。優れた遺伝子を持つ『魔法師』の典型の容姿だ。

 

「ちょっといいか」

 

一条くんの態度は、普通だった。怒るでも悲しむでもない。他の生徒たちが、顔を見合わせると、僕たちから少し離れた。一条くんの提案で、僕たちはロビーにある休憩用のソファで向かい合って座った。ほかの生徒は遠巻きに僕らを見ている。ちらちらじゃなく、ガン見だ。興味津々なのが全身からわかる。

 

「決勝ではごめんなさい」

 

まず僕は、頭を下げて謝った。一条くんを僕たちの都合に巻き込んでしまった。一条くんは、ちょっと不思議そうな顔だ。

 

「どうして謝るんだ?こちらこそ、謝りに来たんだぞ。最初の試合はお前の勝ちだった。『魔法師』としてもエンジニアの技量も戦術も完敗だった。フライングという判定は、何か作為的なものを感じる。だが、その後の『戦略級魔法』は準備が良すぎる」

 

一条くんが、端整な男らしい目でじっと僕を見つめる。睨みつけるのではなく、疑問はそのままに出来ない性格なんだなって思わせる目だ。

話しても…いいのかな?

 

「去年、『十師族』の干渉があったんだ。モノリスコードの決勝で、十文字先輩が完全勝利したんだけれど…」

 

「あれは、確かに鬼気迫っていたが…まさか、俺が、『一条』が司波に負けたから、『十師族』の力を見せ付けるために?」

 

僕はこくんって頷いて、

 

「実は今年も氷倒しで干渉があるって事前に情報を仕入れていたんだ。僕と一条くんの勝負は審判の意思に左右されるから…それと、今回の九校戦は色々と裏で動きがあるみたいなんだ…」

 

「俺が『一条』だからか…多治見は司波達也と親しいのか?だったら『強硬派』のことを司波から聞いたのか?」

 

『強硬派』の事は真由美さんから聴いた情報だ。一条くんと達也くんで何かやり取りがあったみたいだ。二人の仲が良い…とは前夜祭では思えなかったけれど。

 

「ん?それは知らない…『強硬派』は大亜連合との開戦に澪さんを利用しようとしているみたいなんだ」

 

「澪さん…?あぁ多治見の後見には『戦略級魔法師』の五輪澪殿がいるんだったな」

 

「澪さんを無理でも引っ張り出すために、僕も狙われる可能性があって…」

 

「五輪殿に協力させるために…そうか!」

 

「僕が澪さんに匹敵する『魔法師』だって証明すれば、僕自身に価値が生まれる。澪さんの負担や重圧も減らせるって考えて…どうせ優勝できないならって、一条くんとの試合を利用しちゃったんだ。

だから、ごめんなさい」

 

もう一度頭をさげる。一条くんは少し考えて、

 

「『戦略級魔法師』に匹敵するということは、今後、個人の自由を失う可能性があるぞ。お前にとって五輪殿はそれほどの存在なのか?」

 

「うん。僕にとって一番大事な女性だよ!だから、利用してごめんなさい」

 

僕は間髪を入れず即答する。僕にとって澪さんはすごく大切な女性なんだ。一条くんは僕の態度に感心している。個人の自由を失うなんて、思春期の高校生には耐えられないことだ。もっとも僕は、思春期じゃないし、それほど深く考えているわけじゃない。そもそも僕は引きこもりだし、今の澪さんの生活を見ていると、緊張感はかけらもない…十分すぎる貯金、崩れない体格、趣味はアニメとコミックス…専業引きこもりの澪さん。もちろん、そんな事は普通の人は知らないからかごの鳥みたいに思われているのかも。

 

「そうか…見た目は女の子みたいだが、多治見は男なんだな」

 

なんだか、物凄く感心、感動されているな…

 

「久でいいよ。多治見って苗字はあまり好きじゃないんだ」

 

「…そうか?じゃぁ俺のことも将輝でいい。『魔法』を手加減したのは、試合だからだよな。俺を侮ってじゃないよな」

 

真剣に尋ねてくる。

 

「うん。これは殺し合いじゃないもの。あの『魔法』はいち…将輝くんが相手だから使ったんだし。他の『魔法師』相手にはそもそも考えもしないよね」

 

「『戦略級魔法』を使うに足りる相手、か」

 

将輝くんはまんざらでもなさそうだ。

 

「それに、最初の結果で一番混乱していたのは将輝くんだよ。それなのに数十分で『領域干渉』を準備して、ぶっつけで完璧に成功させている…すごいや。僕は何ヶ月も前から準備して三つしか覚えられなかったんだよ」

 

『ドロウレス』は3月から秘密特訓、氷倒し用の『魔法』も四葉家から帰った日から達也くんと相談していたんだ。本格的な練習は7月に入ってから。一ヶ月の時間は達也くんに言わせれば破格の早さなんだけれど、睡眠がほぼ不要な僕は、その期間中、達也くんに言われたイメージトレーニングをずっとしていたんだ。もし、定期試験の結果がひどかったら、そこまで時間は取れなかっただろうな…

僕の賛辞に、将輝くんは素直に嬉しそうだ。僕の周りにはあまりいない素直な性格だな…達也くんと関わると、ろくな目にあわない性格、とも言えるけれど…

 

「それに、あの『魔法式』は達也くんしか造れないから、僕のいつものCADには入りきらないし…」

 

僕の『魔法力』と達也くんの『魔法式』があれば、なんでも『戦略級魔法』になっちゃうんだよね、ぶっちゃけ。ただ、基本的な『魔法』は実用的だけれど、インパクトに欠ける。本当の戦争ならインパクトよりも実用性だけれど、『戦略級魔法』は抑止力でもあるから、見た目やケレンは重要な要素になる。

 

「司波か…」

 

将輝くんが一瞬、苦い顔になったけれど、すぐ気分を切り替えて、

 

「いや、すっきりした。勝敗の内容もそうだが、やはり『魔法師』の世界は一筋縄ではいかないって事がわかった。俺も今回の試合で思うところがある。どうも俺はとっさの判断力が不足しているようだ」

 

からっとした笑顔になった。笑うと、いかにも高校生だ。

 

「うん、今回はそこを突かせてもらったから…ごめんね」

 

「謝るなよ。俺も、訓練は十分積んでいると思っていたが、まだまだ『魔法師の卵』だったんだな。それを気づかせてくれた事に感謝するよ」

 

将輝くんはこれを機に成長するはずだ。もともと優秀なんだから。でも、達也くんには敵わないと思うよ、とは口が裂けても言えない。

将輝くんが立ち上がるとすっと右手を差し伸べてきた。僕も立ち上がると右手を出して、硬く握り合った。

ロビーにいた生徒たちが、僕たちをみて拍手を送ってきた。将輝くんは照れている。

その生徒たちのなかに、一人、奇妙な大人がいた。生徒たちの後ろ、僕の視線から隠れるように、通りすがりでたまたま興味が湧いたみたいにちらっと、でもしっかりと僕を睨んでいた。

日本人じゃない。僕に気づかれたことに、気づいていないようだ。険しい顔で、そそくさと柱の向こうに消えた。

 

「ん?あの外国人が気になるのか?」

 

将輝くんが、僕の視線から何を見ていたか察知した。あの生徒たちの中から区別できるんだから、すごいな。

 

「良くわからないけれど、僕を一瞬、すごい目で睨んでいたよ」

 

僕の動体視力は人間を超えている。その分集中力がないけれど。将輝くんは少し考えて、

 

「あの男は…たしかローゼンの日本支社長だったな。」

 

「ローゼン…?」

 

なんでそんな人が…そう言えばレオくんが絡まれていたって。あの人が?

 

「ああ、日本に新しい『戦略級魔法師』が生まれることが気に入らないのか、自社の商品を売りつけようと考えているのか…」

 

ローゼンか。今の僕には関わりがない。CADは僕の指にはめられている。

 

「それより、将輝くん。僕と友達になってよ」

 

唐突だけど僕は、一高入学初日、達也くんに同じ事を言ったのを思いだす。僕は『家族』や友人に飢えている。なかなか増えないのは、僕に問題がある。

 

「あぁ、こちらこそよろしくだ」

 

僕に新しい友達ができた。

 

 

その後、作業車で達也くんたちと合流して雑談をする。達也くんはケントくんとエンジニアの仕事をしながらだけれど、数日前より、どこか吹っ切れた感があった。僕はレオくんに明日の観戦の付き添いをお願いする。こういうとき、レオくんはすっきりと快諾してくれる。ローゼンの事は、もう忘れていた。エリカさんはチャチャを入れて、幹比古くんが巻き添えになり、美月さんが仲裁に入り、ほのかさんは達也くんしか見ていなく、雫さんは無表情でお茶を飲み、深雪さんは鉄壁の笑顔。水波ちゃんは上級生に囲まれて居心地が悪そう。二年生の女子生徒、エイミィさんやスバルさんもいる。

『ピクシー』は無表情で給仕をしている…

僕が『戦略級魔法』を使っても、いつもと変わらず接してくれる人たちだ。

でも、作業車に香澄さんは来なかった。僕との仲は改善したけれど、達也くんとは相変わらず相性が悪いから…明日の試合に向けて集中しなきゃだしね。

 

20時頃、レオくんにエレベーター前まで送ってもらって、僕は澪さんの部屋に戻った。

 

真夜中の2時。僕と澪さんは同じベッドで寝ている。いつもの子供同士のお泊り会みたいな二人だ。間違いなんておきないぞ!

澪さんの規則的な寝息が聞こえる。僕はいつも通り、目だけ瞑って起きている。

ベッドの中で『意識認識』してみた。『意識』を分厚く広げる。澪さん、達也くんと深雪さん。香澄さんに…ん?この『意識』は以前も感じたけれど、誰だろう。淡い『意識』はどこか懐かしい…

あっ、いる。森の中に…いる。16体に分かたれた『パラサイドール』が。

そして、同じ宿舎に烈くんも。

 

僕がベッドからふらっと半身を起こす。ベッドのスプリングがきしむ。澪さんが寝ぼけまなこで「どうしたの?」って聞いてきたから、

 

「ちょっと、トイレ。喉も渇いたから台所」

 

「…ん、そう…むにゃむにゃ」

 

うぉ!なんてデフォルト!もう、澪さん可愛すぎだよ。

VIPルームにはトイレも台所もある。僕は照明はつけないで、台所に行く。裸足でぺたぺたと歩く。トイレは…入りっぱなしはどうかなって思うから、僕は冷蔵庫の前で『空間認識』をする。『飛ぶ』先の空間に問題はない。烈くんは、VIP用宿舎の屋上にいる。僕は『飛んだ』。

 

中空に現れた僕の裸足が、屋上展望台の床に降りて、ぺちゃり、って音をたてた。

夜風が涼しい。

 

「久か」

 

すぐさま、声をかけられた。

展望台は照明がついていなかった。烈くんは夏の夜の闇に包まれていた。その表情はわからないけれど、いつもとかわらない立ち姿だ。

 

「驚いたよ、まさか九校戦で『戦略級魔法』とはね」

 

驚いたと言っているわりに、どこか嬉しそうな声だ。八雲さんは、烈くんが狂っているって考えているみたいだけれど、僕はそうは思わない。烈くんはそんなに単純じゃない。

 

「僕は、間違ってたかな?」

 

「ん?何を言っているんだい。もともと久は70年前、人類で初めて『戦略級魔法』を使った、最初の『戦略級魔法師』なんだよ」

 

「『魔法』っていうか『サイキック』だけれどね」

 

「現代魔法では同じモノなんだよ」

 

優しい先生みたいに語る烈くん。暗闇で表情は、わからない。でも…

 

「僕だけじゃ、足りないんだよね」

 

「ああ。久は国よりも個人をとるだろう?『魔法師』を戦争の道具にする。これはますます進むだろう。『戦略級魔法師』の存在は、逆に『魔法』への依存を生むんだよ」

 

「そのための『パラサイドール』なの?」

 

「どこでその情報を?光宣…違うね。司波君からか。そう、司波達也君はこの国の魔法師開発のひとつの最終到達点。彼と互角に渡り合えるだけで、いい」

 

すごいな、烈くんが絶賛している。烈くんは八雲さんより達也くんの事を詳しいみたいだ。

 

「殺す気なの?」

 

僕の不安を素直に尋ねる。

 

「殺せないよ。彼を殺せるモノは、いない。だからこそ『魔法師』は戦争に刈り出される事になる…」

 

『魔法師』を倒すのは『魔法師』か。僕は戦うなら銃器を使ったほうが効率がいいと思うけれど、世間はそうじゃないんだ。『魔法師』同士の戦いなんて、物語の中みたいなのに。

 

「せめて戦争が起きないようにって、僕は『戦略級魔法師』になろうとしたんだけれどね」

 

「『戦略級魔法師』は抑止力、か。それも正しいな。いや、正解なんて、そもそもないが…」

 

「その言い方は、昔のままだね。皆、少しずつ、間違っている?」

 

「間違わない人間なんて、いない。だろう」

 

烈くんは生存率10%の強化措置を生き残った。彼の周りには多くの失敗した者たちが墓標もなく埋まっている。僕の7年間の人体実験にはそれに続く多くの失敗の烙印を押された弟たちがいて、摂取された情報や遺伝子はこの国の『魔法師開発』の原点になっている。

僕たちは、夜の闇よりも深い闇から這い上がってきている。

多少の犠牲はやむを得ない、と言う使い古された考えは嫌だけれど、違和感を感じない。ましてや死人が出ない実験なんて、ただの科学観測だ。なるほど、間違っているなぁ…

でも、絶対安全な実験はない。

 

「僕は『家族』を守りたいだけなんだけれど」

 

『家族』だけを守りたい。

 

「それは、正しいことだと私は思うよ」

 

「うん」

 

僕たちの会話は、段々短くなって、やがて無言になった。

 

夏の夜の闇が烈くんを覆っている。でも、僕にはその闇は深く感じられない。

狂ってはいない。でも、焦ってはいる…

 

70年は、一言では語れない時間だ。それは八雲さんにも達也くんにも、僕にもわからない。

 

「おやすみ、烈くん」

 

「ああ、おやすみ」

 

暗闇の中の烈くんは、僕を見ていないけれど、おそらく笑顔だ。歳相応の笑顔…

僕は頷くと再び『飛んだ』。『家族』のいる部屋に。

 

 






九島烈は90歳に近い。その焦りは誰にも理解できません。
今回のパラサイドールは、その焦りから来ている…のでは、と。
17歳の達也には、わからない…

久も実年齢は80近いですが、過去に自殺的テレポートをした後、空間の狭間で非物質化していました。再物質化までは凄く短い時間でしたが、地上では70年経っていたのです。ウラシマです。なので、久は実質11歳のまま。烈の気持ちは完全にはわかりません。

次は、ずっと伏線を入れておいて引っ張っておいたローゼンです。
久がなぜ日常英語を会話できたのか…?
お読みいただき有難うございました。


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死への恐怖



周囲に認められて、久は順風満帆?そんな事はこのSSではありえないのです。

今回は、響子さんのフォローと…


 

 

九校戦は新人戦が始まった。

 

ロア&ガンで優勝した香澄さんは試合中は程よい緊張交じりの表情だった。七草家の人は『マルチキャスト』が得意なんだって。ロア&ガンは香澄さんに向いている競技なんだね。

香澄さんが表彰式で誇らしげに手を上げているとき、観客席の僕と一瞬目が合った。

九校戦前から観客席で応援する約束をしていたから、僕はぶんぶん手を振って声援を送ったんだけれど、表彰台の香澄さんが、ついっと視線を逸らした。奇妙な行動だ。僕の大げさな応援が恥ずかしかったのかな?確かに周囲の視線を集めていたけれど…

香澄さんも泉美さんも新人戦で優勝したから、社交的な七草家では絶対にパーティーが催されるな。七草家当主の弘一さんは策謀家として知られている。下手の横好き感が否めないけれど、家族、特に三人の娘を溺愛していることは有名だ。弘一さんの趣味(?)はともかく、家族に向ける愛情は、僕には好印象だ。

パーティーは僕も呼ばれるんだろうな。参加しないと真由美さんにいじられるし、海に行く約束もある。そういえば九校戦後、お食事の約束もあったな。七草家とは何かと縁がある。

 

水波ちゃんもシールドダウンで圧勝。腕力あるなぁ…亜夜子さんに文弥くんも優勝していたけれど、友人の中で優勝できていないのは、今年も僕だけだ…

香澄さんの試合中は、レオくんたちが壁になってくれて観客からの好奇の目を防いでくれていた。

レオくんは兄貴体質で面倒見が良い。僕もついつい頼ってしまう。

将輝くんはアドレス交換もして、ジョージくんも紹介してくれた。いつも一緒なんだねって言ったら、かなり慌てていたけれど。

金沢に遊びに来いよって誘ってくれたから、夏休み中に行くって約束をした。僕は生駒以外、旅行なんてしたことがないから楽しみだ。引きこもってばかりもいられないしね。

 

そして、明日は九校戦最終日。問題のクロスカントリーの日だ。

夜21時頃、立哨から来客を告げる知らせがあった。インターフォンで確認すると、響子さんが軍のデスクワーク用の制服で立っていた。軍のお仕事を今までしていたのかな。

僕が扉を開けると、響子さんは中に入らずに、

 

「来ちゃった。今夜は、泊まっていってもいいかしら?」

 

って、澪さんと良く観ている大人の恋愛ドラマみたいな台詞を言うけれど、ちょっとキレがない。少し、気だるそうだ。酔いから醒めた直後みたい…

 

「当たり前でしょう!」

 

僕が響子さんの腕を引っ張って、室内に招き入れた。

 

「お帰りなさい、響子さん」

 

読書中の澪さんが顔を上げた。お帰りなさい。なんてすばらしい挨拶なんだろう。澪さんはいつものジャージ姿だ。二人がそろう。それだけで、僕は凄く嬉しい。響子さんに会うのは、約二週間ぶりだ。一緒に住むようになって、こんなに会わなかったのは初めてだ…

響子さんは、手荷物一つ持っていない。それでも、VIPルームの警備は物凄く厳重になっていたそうで、

 

「ここに来るまでに二回もチェックされたわ」

 

軍属で『藤林』で烈くんの孫なのに、機械のチェックを二回されたって。

うぅ、僕の行動は周囲の人を巻き込んでいるな。きっと友人たちにも余計な気苦労をさせてしまっている。いずれきちんとお礼したい。

 

「いまさらだけれど、久君の『魔法力』は超越していたのね。目の前に、凄い光景があるわ」

 

響子さんは腕を胸の下で組んでうんうん頷いている。強調された胸もうんうん揺れている…ごほん。

無理に演技っぽい態度をつくっているのが良くわかる。

僕と澪さんが並んでいる。『戦略級魔法師』が、パジャマと上下ジャージ姿で。なんとも頼りない雰囲気の二人だ。

 

「軍の評判はどうでしたか?」

 

澪さんが探るように尋ねる。

 

「そりゃもう、大騒ぎ。これで我が国は安泰とか、どこと戦争しても勝てるとか、無責任な意見が多かったけれど、おおむね好評、大好評ね。

『公式』な『戦略級魔法師』は約10年ぶりに登場したんだから」

 

『非公式』の『戦略級魔法師』は去年のハロウィンで全世界に知れ渡った。軍属の響子さんはその正体を知っているのかな…それより、僕には気になることがある。

 

「戦争…『強硬派』は開戦したがっているんだろうな…」

 

「ん?それは…大丈夫ね。今は九校戦に…いえ」

 

僕が『強硬派』って言ったことに、ちょっと首を傾げながら、響子さんが口ごもる。僕は…

 

「『パラサイドール』の実験に『強硬派』は関わっているから、クロスカントリーが終わって、結果がはっきりするまでは、大丈夫って事?」

 

「え?」

 

澪さんが聞きなれないワードに首を捻った。響子さんは僕の台詞に衝撃を受ける。

 

「どうしてそれを知っているの?」

 

「かなり前から知っていたよ。数日前に烈くんからも実験の事は聞いたしね」

 

「なっ!?」

 

さらに驚く響子さん。烈くんと気軽に話せる人物は僕だけだ。烈くんは寂しく感じたりしないのかな。長く生きるってそういう事なんだろうけれど…

僕たちの意味不明な会話に置いてけぼりの澪さんに、『パラサイドール』とスティープルチェース・クロスカントリーで行われる実験について簡単に説明する。僕の説明に澪さんはびっくりしているけれど、僕があまりにも詳しいので、響子さんは動揺していた。

響子さんはついさっき、達也くんがいるところで八雲さんから『パラサイドール』の秘密を教えられたって。その八雲さんの話を正確に教えてもらう…なるほど、ここでも八雲さんはミスリードしようとしている。

 

澪さんは、衝撃の情報に最初はびっくりしていたけれど、僕たちの会話を、奇妙なほど落ち着いて聞いていた。

 

「澪さんは、今の話を聞いて、どう思う?」

 

「九校戦で高校生を相手に実験と言うのは、たしかに非常識だけれど、『魔法師の卵』なら乗り越えないと。今はそういう時代なのだから…」

 

澪さんは興味事以外は無関心に近い。積極的に他人とは交流しないし、そもそもどこか冷めた部分がある。『戦略級魔法師』なんて格好良くいうけれど、実質は大量殺戮者だ。自らの意思と覚悟で殺戮を行う。

常人とは異なった精神構造をしていて当然だし、澪さんはあまり自覚していないけれど、時々放たれるプレッシャーはあの黒羽の双子だっておびえさせるんだ。

澪さんの精神もどこかが壊れているんだ…僕は唐突に澪さんを理解した。僕が澪さんと異常なほど波長が合うのはそのせいかも知れない。

 

『戦略級魔法師』と日常を共に過ごすのは常人には難しい。

 

「だからって九校戦を実験の舞台にするのは間違っているわ…」

 

響子さんは、こだわっている。高校生が実験対象というより、九校戦がその舞台になっていることに。

 

「響子さんは九校戦への思い入れが僕たちより強いんだ。澪さんはどちらかと言えば観客側だけど、響子さんは選手目線なんだ」

 

以前、テレビで九校戦の特集を放送していた。あれは四葉家から帰宅した日だった。

響子さんは九校戦のアイドル的存在だったって。三年生のときには二高の総合優勝の立役者になったってテレビでも放送していた。

青春時代のその想いを利用されている。

光宣くんは『九島』にどっぷり浸かっているけれど、響子さんは『藤林』だし、烈くんとは距離をおこうとしているから中途半端になっている。

響子さんの演技っぽい態度は、精神の脆い部分を守ろうと、隠そうとしている現れなんだ。

 

「それは…そうかもしれないけど」

 

「烈くんは『ちょっと』常識のK点を超えているだけなんだよ」

 

「高校生にいきなり閣下の設定したジャンプに挑ませるのは酷だわ…」

 

烈くんの『ちょっと』が非常識なのは過酷な時代を生き抜いてきたからだし、それを非常識と感じるところは響子さんが『九島』に染まっていない証拠だ。

 

「僕も澪さんも非常識だよ。響子さんだってそうだよ」

 

でも、響子さんは自覚が薄い。自分がたった一人で数千万の命を左右できる存在だって事に。なるほど、『魔法師』が戦争の道具になるわけだ。

明日、『パラサイドール』の相手をする達也くんも、非常識なんだと思う。

僕が不安に感じるのは達也くんの真の実力を知らない事だけで、九校戦や高校生が実験対象ってことには何も思わない。

なるほど、八雲さんも、不安なんだ。余りにも色々な事を知りすぎて、逆に知らないことが、不安なんだね。僕は知らないことだらけだから、八雲さんの気持ちはわからない。

 

「それに八雲さんが言っていた、『クロスカントリーに参加する強く純粋な想念でパラサイドールが暴走する』っていう話は、嘘だ」

 

僕は断言する。『パラサイト』が強く純粋な想念に引かれて次元に穿たれた小さな穴から現れた?あれはただのブラックホール実験だよ。

この次元は、『魔法』を使うたびに『高位』からエネルギーを奪っている。『次元の壁』は強固なようで、時に緩い。

『パラサイト』程度の精神だけの『高位次元体』なんて、世界中にいくらでもいるはずなんだ。

僕みたいに『物質化』するのとはレベルが違う…僕みたいなのがごろごろいたら世界はパニックだ。

 

「その程度の漠然とした想念で暴走するなら、とっくに暴走している。研究員の、烈くんの、光宣くんの、軍人の、『強硬派』の、さまざまな『意識』にさらされているんだから。

それに『パラサイト』の『精神支配』は、ドールから開放されてもすぐにはなくならない。生徒を襲わないという安全装置は少なくとも九校戦期間中は切れない」

 

僕の断言に、響子さんの目に光が宿った。思考が正常に戻っていくのが見た目にもわかる。八雲さんの幻惑から脱したみたいだ。

 

「でも、どうして九重八雲さんはそんな事を?」

 

「八雲さんは『パラサイドール』と達也くんが戦う所を、『パラサイト』の封じ方を、どうしても間近でみたいんだ。だから響子さんの部隊に邪魔をしてもらいたくないんだよ」

 

『パラサイドール』はここ数日クロスカントリーのコースに設置されたままだ。

響子さんの部隊は優秀な『魔法師』がいるだろうし、生徒がいないクロスカントリーの前に回収か破壊するのは比較的簡単だ。回収はそんなに難しいことじゃないのに、困難だって思い込まされている。八雲さんにミスリードされている。

 

「どうして?八雲さんは…達也くんの武術の先生なのよ」

 

「八雲さんは独立した存在だ。忍びだ。なんだって嗅ぎまわる。僕の周りもだよ。僕の預金口座まで調べてたよ!そもそも、八雲さんは、味方じゃない」

 

他人の預金口座を勝手に調べるような人が味方なわけない。凄くわかりやすい。澪さんが、僕の言葉に怒っていた。うぅプレッシャーが…

そのプレッシャーのおかげで響子さんは、八雲さんへの認識を改めたみたいだ。そして複雑な表情になった。響子さんも、ネットで色々と調べていたりいなかったりしているんだっけ…

響子さんは八雲さんのことを何となく味方だと思い込んでいたんだ。

 

「達也くんだって八雲さんに踊らされていることに気づいていると思う。だって達也くんは八雲さんのこと敬意は払いつつも信用はしていなかった。物凄く警戒していたよ」

 

尊敬はひとかけらもしてなかったよ。あの胡散臭い風貌を信用する人なんていないと思うけれど。

 

「ねぇ、響子さん。以前、烈くんと横浜までお食事に行ったとき、車の中で僕が言ったよね。『パラサイト』を使った『サイキック兵器』の可能性を」

 

響子さんは少し考えて、頷いた。半年前の、僕の何気ない呟きも優れた『魔法師』はちゃんと覚えている。澪さんも頷いた。

 

「僕程度でもそれを思いつくんだ。烈くん以外にも、同じような事を考える人は沢山いる。世の中頭が良くて悪知恵の働く人が多いからね。

そのたびにいちいち利用されたって怒っていたりふさぎ込んでいたら身が持たないよ。今の時代は、利用されないよう力を見せ付けないとすぐに付け込まれる。これまでの僕みたいに足元をすくわれる…」

 

「だから、久君はこのタイミングで『魔法力』を見せ付けたのね」

 

僕の言葉に、響子さんがふぅっと息を吐いた。肩の力が、というより全身から力が抜けたみたいだ。

 

「私も踊らされていたのね、『九島』や八雲さんに…」

 

大人は、自分が独立した存在だって過信している。そのせいで簡単な誘導にあっけないほど引っかかる場合があるみたいだ。

 

「僕だってそうだよ。もし、達也くんが『パラサイト』を封じられないって心配するなら、僕が消滅させるよ。

そのかわり周りの被害が『ちょっと』大きくなるかもしれないけれど。たとえば樹海ごと丸々消し去っ…」

 

「ええと、達也くんに全部任せることにするわ!」

 

僕に皆まで言わせず、響子さんはわかってくれたみたいだ。僕の『ちょっと』も非常識だ。やっぱり同じ時代を生きているとボーダーラインが違うね…って僕と烈くんが例外なのか。

 

「まったく…達也君もそうだけど、久君も澪さんも規格外すぎるわよね」

 

あっ!さりげなく自分を除外した!どんなデータにもアクセス可能な現代の魔女が、ネット社会でどれだけ危険か自覚…していてやっているんだったね。

だったらもう少し覚悟が必要だけれど、それが響子さんなんだよね。完璧なんていない。

 

「僕には『力』があるよ」

 

九重寺で達也くんに告白した時と同じで、僕のこの言葉には、『言霊』のような迫力が宿っている。響子さんも澪さんも少し背筋を伸ばした。

 

「僕には『力』がある。破格の『力』。でも、万能じゃないから、僕は『家族』を守るだけで手一杯だ。僕は偏っているから、上手にはできないと思うけれど、澪さんと響子さんは僕が守る」

 

僕が『高位次元体』だって言う証拠は『ピクシー』の証言だけだ。でも、もうひとつ方法があるかもしれない。僕は『回復』を利用して成長を止めている。実質、『不老』だ。でも、きちんと睡眠をとれば『回復』は止まって成長するはずだ。もし、数十年たっても、僕が『不老』のままなら、『高位次元体』の証明になるかもしれない。『不老』は『現代魔法』では開発されていないのだから。一人で眠ると悪夢でまともに寝られないから、誰かと一緒に寝る必要がある。利用するみたいで心苦しいけれど、僕と一緒にいると、どうもその人にも『回復』の恩恵があるみたいだから…二人がいない世界なんて想像したくないし、もしかしたら…

僕は、澪さんと響子さんをしっかり見つめて、

 

「一人で進むには長すぎる道のりだけれど…いつまでも僕と一緒にいて欲しい!」

 

「っ!?」

 

「えぇ!?」

 

二人は電撃でも直撃したようにびくっと震えている…ん?

 

「もちろん、二人に良い人が見つかるまで…あれ?二人とも…どうしたの?…僕、言葉を間違えたかな…共に生きようだったかな…違うな…黙って俺について来い?うぅん、適切な言葉が浮かばないや…」

 

二人の目が、ちょっと怖い。全身で考えるけれど、なにか全部間違っているような…僕は、所詮子供なんだよ。適切な難しい漢字とか表現は知らないもん。

 

「…久君。これはもう子供扱いできないわ」

 

「…久君。これはもうプロポーズですよね」

 

えぇと?二人とも顔が赤い。大人の赤面は、高校生のそれとは雰囲気が違う。

 

流石に僕も『不死』ではないだろうから、『不死』の実験は…さすがに怖い。

『パラサイト』にとっては生存本能が、生きることが一番の目的なのだとしたら、僕も同じなのかもしれない…

 

何となく部屋の空気がゆるんだ。響子さんが「シャワーを浴びるわ」って浴室に向かう。

僕がタオルや石鹸の準備をいそいそと始める。僕はこう言うとき実に甲斐甲斐しい。

「背中を洗ってもらおうかしら」「えぇと響子さんがして欲しいなら…」「駄目です!自分で洗ってください!」ごごごっ!さっそく子供扱いされているよぉ。

響子さんがお風呂に入っている間、澪さんとテレビを観ていたんだけれど、浴室の中から、

 

「あっ着替えも下着も持って来てないわ!」

 

妙に大きな声が聞こえた。ぶっ!そういえば身一つでこの部屋に来ていたな。自宅にいる気分になっていたから気がつかなかった。浴室のドアが開いて、ぺたぺたと足音が聞こえる。

澪さんが慌てて、浴室に向かう。

 

「私の貸します!そのままで出てこないでくださいね!」

 

「澪さんのじゃサイズが合わないわ」

 

がーん!

あっ、澪さんの心が折れた!『戦略級魔法師』を響子さんが一撃で倒した。すごい。

響子さんはバスタオル一枚でリビングに現れた。自宅では澪さんと響子さんは自分のシャンプーを使う。響子さんから澪さんのシャンプーの香りがする。ほかほかって火照っている…

 

「響子さん、僕のシャツ着て…」

 

僕のTシャツを響子さんに渡そうとするけれど、

 

「…丈が短いわねこれ、ぴちぴちになっちゃうし」

 

それは!余計えっちだぁ!

 

「仕方ないから裸で寝るわ」

 

ちょっと!

 

「じゃあ私も!裸で!」

 

澪さんが復活した。えっちょっ!

 

「澪さん対抗しないで、今夜は僕ソファで寝るから…」

 

「「駄目よ明日試合でしょ!」」

 

なんでこういうときはツーカーなんだろう。いつも僕は殆ど寝ないんだけれど、今夜は本当に寝られないよ。でも、響子さんがいつもの大人小悪魔に戻って、あはは、いつものドタバタも戻ってきた。

結局、僕はその夜熟睡した。起きている方が、危険だった。何がって?何がだろう。

 

 

翌日のクロスカントリーは女子が午前で、男子は午後2時からだ。

人造の森の中、障害物を越えながら、3キロメートルの距離を走ることになる。

達也くんは早朝から深雪さんや僕、担当する選手のCADを調整した後、競技中は基本的にすることがないから部屋で休憩してくるって、ホテルに戻っていった。

その背中を見る深雪さんの目は少し潤んでいたけれど、自分の活躍を見てもらえないって悲しんでいるわけではなさそうだ。

そういえば、『パラサイドール』はどのタイミングで動き出すんだろう。『魔法師』は性差が少ないから、午前の女子の部で運用する可能性が高いか。問題が起きなければ午後からも使えるし。と言う事は、達也くんは休憩じゃなく、これから森に向かうんだ。問題を起こしに。

 

クロスカントリーに参加する一高男子生徒は、一高のテントで思い思いの格好で準備をしていた。もう競技用のユニフォームに着替えてストレッチをしている生徒もいれば、僕みたいにまだ制服のまま、大人しくモニターを見ている生徒もいる。

一高の選手は1年生も含めてテントに集まっていた。観客席でも大型モニターで観戦できるけれど、テントだと位置情報の確認も同時にできるからだ。小さなモニターの周囲に皆が集まっている。熱狂を共にしたいんだと思う。僕だってそうだ。

でも、僕は女子競技の間、『パラサイドール』と戦っている達也くんのトレースをしようかと思っていた。僕の『意識認識』で達也くんの動きはだいたいわかるからだ。

僕は女子の競技開始時刻、皆から少し離れて、静かに目を閉じてパイプ椅子に座っていた。一見すると寝ているか集中力を高めているようだ。

競技開始のブザーが鳴って、僕は『意識認識』をしようと集中した。その時だ、

 

ぶっわぁあああああああっ!がばぁぁばばばばぁ!!

 

例の『パラサイト』の『声』が、大波となって僕の精神に響き渡った。

 

「ぐっあっ!」

 

あまりにも唐突な奔流に、僕はたまらず悲鳴を上げそうになったけれど、無理やり両手で口を押さえ込んだ。テントにはクロスカントリーに参加している女子生徒と達也くん以外の選手やスタッフが集まっている。いきなり悲鳴を上げては怪しまれるし、説明のしようがない。

狂わされた16体の『声』は声になっていない。もともと声としては聞こえず、羽音みたいな小さな音だったんだけれど、この声は…気持ち悪い。

耳元に壊れた電気シェーバーを何十個も押し付けられているような、猛烈な不快感。

溜まらず耳をふさぐけれど、この『声』は僕の『精神』や『意識』に直接響いてくる。『声』が大きすぎてどんな感情なのかは良くわからないけれど、なるほど狂わされている。高熱で意識が混濁しながらも攻撃的な、暴力的な部分だけが強烈に増幅されていた。それでも『忠誠』は『意識』の核になって残っている。その『意識』が16体!全身をかきむしる!僕の『意識』に爪をたてる!引っ掻かれている!『精神』が直接引っ掻かれている!これは辛い…涙が浮かんでくる。

僕は目立たないよう、小さな身体を、さらに小さくしている。さいわい、生徒たちはクロスカントリーの映像に集中しているから、僕の異常に気がつかない。

それにもうひとつ澄んだ、敵意のない純粋な『意識』を感じる。これは…『ピクシー』だ。達也くんと『会話』をしているみたいだ。『ピクシー』にも『パラサイドール』の狂乱が伝わっているのかはわからない。でも、僕の方が『パラサイドール』の『意識』に敏感だ。

達也くんとの戦闘が始まったみたいだ。

羽音のような『声』に、『パラサイドール』のわめき声みたいなモノが混じる。電気シェーバーのような音に金切り声が混じる。うっぇあ、気分が悪い…とにかく悪い。吐きそうだ…

 

『パラサイドール』の一体が達也くんに封じられた。消し去られてはいない。休眠状態になったみたいだ。でも、僕には達也くんの『魔法?』で『ドール』にとりついた『パラサイト』が休眠状態にされたと結果がわかるから落ち着いていられるけれど、『パラサイト』にはわからない。睡眠に落ちるのも、『意識』を失うのも区別がつかないからだ。封じられる瞬間、『パラサイト』が恐怖の悲鳴をあげる。

 

生存本能が強い『パラサイト』の死への恐怖…

 

『声』にはならない、磨りガラスをきいきいこするような、とにかく耳障りな音だった。

僕の『精神』は、達也くんが『パラサイドール』を封じるたびに、表現のしようがない不快な『声』にさいなまれていた。

一体、また一体と『パラサイドール』は封じられていく。そのたびに『パラサイト』の恐怖が僕に伝わってくる。

『精神』の存在に近い僕に、その恐怖は全身で感じられた。恐怖による『精神攻撃』。

とにかく、早く、終わって。狂う、苦しい、また『死んだ』、声を飲み込む。狂いそうだ…

達也くんは、今、文字通り必死に戦っている。僕が『パラサイト』の断末魔のような『声』に襲われているなんて想像できるわけがないけれど、とにかく、早く、終わって…

 

僕は歓声や熱狂で沸く一高のテントの片隅で、ただ一人、がくがく震えていた。

凍えそうだ…『精神』が凍てつく…

一際大きな『声』が聞こえた。4体。4体いる。これは、最初の、生駒の九島家の研究所にいた最初の4体だ。あのときの弱弱しさはなくなっている。鍛えられた戦士、鋼の『精神』が強力な『サイキック』を使うたびに、僕の耳の中で狂った大声をあげている。

だめだ…座っていられない…倒れる…

 

「どうしたんですか?久先輩」

 

倒れる寸前の僕の前に、香澄さんが立っていた。香澄さんは、僕が『戦略級魔法』を使ってから、少しよそよそしくなっていた。最初は感激で興奮してけれど、徐々にその重圧に気がついて、僕への態度をどうすれば良いかわからなくなっていた。もともと僕の本質に気がついていた香澄さんは、殺戮者への恐怖を本能的に覚えたんだろう。寂しいけれど、『戦略級魔法』の存在は常人の『精神』じゃ耐えられない重圧だ。

その香澄さんが、僕の前に立って、不思議そうに僕を見下ろしている。僕は、自分を抱きしめながら必死に震えと声を押さえ込もうとする。

 

「震えていますよ…顔色もひどい…」

 

「だい…じょうぶ…だよ」

 

喉がひりひりする。声が上手く出せない。全身をかきむしられている…

僕の奇妙な態度に、香澄さんは、

 

「え?まさか、去年の九校戦の帰りのバスで錯乱しそうになった…のと同じですか!?」

 

香澄さんは、去年の僕の狂態を真由美さんから聞いている。そのことを思い出したみたいだ。すこし違うけれど、錯乱寸前なのは、同じだ。

 

「あっ、中条先輩を呼んで…」

 

去年、僕はあーちゃん生徒会長の特殊な『魔法』で精神を落ち着けた。僕の対処法も真由美さんから聞いていたんだ。でも、これは違う、この『精神攻撃』は時間が過ぎれば収まる。

あーちゃん生徒会長はモニターの前にいる。他の生徒と一緒にクロスカントリーの応援をしている。

香澄さんがあーちゃん生徒会長を呼びに行こうと、身体の向きをかえようとする。

僕は思わず、香澄さんの制服の腰の辺りを掴んだ。

 

「えぁ?」

 

僕の乱暴な行動に、香澄さんが一瞬ひるんだ。

 

「まっ、まって」

 

僕は小さな声を振り絞って、訴える。

 

「大丈夫…だから、そう少し、一時間もすれば、収まるから…あーちゃん生徒会長は呼ばないで…気がつかれたくない…から、皆一生懸命応援してるから、邪魔したくないから…」

 

クロスカントリーは3キロの距離がある。早い選手は一時間もあればゴールできるし、手間取ってもあまり差はないだろう。選手はみんな優秀な『魔法師の卵』たちだ。達也くんの戦闘もその時間内に終わるだろうし、ここまで数十分、残りは4体。もうすぐ。でもそのもうすぐが長い…これまでの『パラサイト』の何倍も密度が濃い感じ…それだけ『恐怖』も強くなるはずだ。

苦しい…俯いて、全身汗がふき出して、よだれが垂れて、涙がぼろぼろ落ちる。『死』が怖い。でも、時間が過ぎれば、確実に収まる。僕は、震えを、声を、嗚咽を、とにかく耐える。

すっと、香澄さんの両手が僕の後頭部にまわった。

 

「え?」

 

少し顔をあげると、香澄さんと目があった。香澄さんはまっすぐ僕を見つめている。おどおどとした態度はまったくない、強い女性の表情だ。そのまま、僕を抱きしめてくれた。

僕の顔が、汗と涙で濡れた顔が、香澄さんのお腹と重なる。

 

「こうしていれば…少しは楽になりますか?」

 

「わからない…でも、制服が濡れちゃうよ…」

 

「そんなことは、いいですから。こうしています。一時間こうしています。皆はモニターに集中しているから、気がつかれないですから、このままこうしています」

 

香澄さんの声が少し震えている。僕の震えが伝わったのかな…

香澄さんに抱いてもらっても、『声』は当然聞こえる。気持ち悪さは変わらない。何体もの『死』が迫ってくる。

僕は香澄さんの制服を握り締めて、顔をお腹に埋めて、ただただ震えていた。

 

モニターで深雪さんが一位でゴール地点に到着した映像が流された。テント内の興奮が高まる。次々と一高生が入賞している。これで一高の総合優勝は決まった。途中苦戦していただけに、テントの一高生徒の歓喜の声が大きい。

 

そんな中、僕と香澄さんだけが、別の世界にいるようだった。

 

達也くんと『パラサイドール』の戦いがどのようなモノだったかは、僕にはわからない。

でも、その戦闘をどこかで、にんまりと見つめていた目の細い破壊坊主がいたはずだ。

達也くんの情報を知ることが出来て、さぞやご満悦だろう。

 

やがて、16体全てが休眠状態になった。『意識』は感じられるけれど、攻撃的な意思は、もう感じられない…眠っている。安らかな眠りなのかは、僕にはわからない。

香澄さんは、そのあいだずっと僕を抱いていてくれた…

 

でも、と僕は思う。

『パラサイドール』は破壊できない。ドールを破壊すると、開放された『パラサイト』が誰かに憑依して、2月の事件の繰り返しになる。

深雪さんの例の『精神を凍りつかせる魔法』を使わないと、『パラサイト』は消滅させられない。

16体の『パラサイドール』はこの後、どうなるのだろう。実験が一度だけ、何てわけがない。兵器の開発で、一度の戦闘データだけでは、まったく足りない。

達也くんと戦わせるって目的は果たした。負けても問題はない。これは実験なんだ。負けたって言うデータがとれた。性能的には疑いようのない高性能だ。有象無象の『魔法師』の何倍も強い。しかも、『忠誠』は絶対だ。

次は単体の性能の向上か、軍隊としての組織的運用の研究、悪条件での性能実験、優秀な『魔法師』との魔法戦…

『サイキックドール』

まだ全然始まったばかりじゃないかな…

 

 

 

 







今回の久は、『再成』中の達也の気持ちが、一端だけでも理解できています。

九校戦往路のバスの中、香澄との去年のバスであったことの会話は、ここにつながります。
あの会話はシーン単体だとテンポの邪魔になっていたのですが、あれも伏線のひとつでした。
『戦略級魔法師』は名前や存在はカッコイイですが、久の本質になんとなく気がついている香澄は久を本能的に恐れています。
自分の前にいる久は年上の癖に女の子みたい、簡単に折れそうな肉体、脆い精神、とても大量虐殺者には見えない…怖いけれど…ボクが守らなくちゃ…みたいな感じに…複雑です。
澪さんは同じ『戦略級魔法師』として、ちょっと精神が壊れています。
響子さんは九島家と軍、電脳世界、大人の付き合いに過去の婚約者と、背負いすぎて中途半端です。
タイプの全然異なるこの三人。
しかーし、久は基本的に恋愛感覚が皆無なので、このSSの筆者の目が黒いうちはラブコメにはさせないぞ!
久と関わると、香澄ちゃん、苦労するぞ!


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スティープルチェース・ハイキング

ちょっと長いです。


13時、僕はクロスカントリーのユニフォームに着替えて、一高テントのパイプ椅子にぼけっと座っていた。

半狂乱だった僕はもうすっかり落ち着いている。香澄さんには心配と迷惑をかけてしまったな…

テントの天井を見上げながら何かお礼はできないかなって考える。クリスマスの時、少し高価な贈り物を達也くんたちにしたら逆に恐縮されてしまったので、学生相手のプレゼントは中々難しい。どうしようかな。

 

達也くんと制服に着替えた深雪さん、水波ちゃんがテントに現れた。達也くんは、いつも通り背筋をぴんと伸ばして、無表情。深雪さんはクロスカントリー優勝を達也くんに褒めてもらったんだろう、それはもう嬉しそうだ。水波ちゃんはむっつりしている。

深雪さんにクロスカントリー優勝おめでとうって言おうとして、はたと気づく。達也くんは、さっきまで死闘を繰り広げていたはずなのに…

 

「達也くん怪我はっ?…なさそうだね」

 

「見た通りだが?」

 

何を的外れな質問をしている?ってその無表情が言っている。『パラサイドール』について語ることはなさそうだ。

それにしても、すっかり失念していたけれど、本当にかすり傷一つない。

制服の下がどうなっているかはわからない。ひょっとしたら骨折している…ようには全然見えない。『パラサイドール』の『サイキック』はかなりの威力があった筈なんだけれど、ナマクラだったのかな。

もしくは精度が低すぎて的外れな方向に攻撃していた…?狂わされすぎていたとか?

だったら意外と『パラサイドール』の能力は低いのかも知れない。達也くんだって怪我を二~三時間で治せるわけないし。

うーん、と全身で考える僕。その姿に深雪さんが不安になったみたいだ。

 

「それよりも久、クロスカントリーは大丈夫なの?」

 

深雪さんがクロスカントリー経験者兼副会長の立場で聞いてきたから、

 

「うん、最初から最後まで、一生懸命、歩くよ」

 

僕は、断言して、白い歯をきらんっと輝かせる最高の笑顔を作った。つもりだ。ふっ。

 

「スティープルチェース・ハイキングじゃないぞ?」

 

女子クロスカントリーの映像は、さっき一高テントのモニターでリプレイを観た。

選手の状態は時折テレビに映される映像だけが頼りで、全ての地形やトラップが映っているわけじゃないけれど、参加していた選手の表情は、どこか楽しそうだった。

なんだか試合というより運動会のノリだ。

花音先輩が盛大に泥沼に落っこちて酷い目にあったシーンでは、一高テント内が大爆笑。五十里先輩もひかえめにくすくすと笑っている。全体的に微笑ましい。

真剣勝負が多い九校戦では珍しい雰囲気だった。競技の裏で死闘が繰り広げられていた、僕が錯乱していたなんてウソみたいだ。これこそ等身大の高校生の大会だ。

僕は、その映像を、笑えない。だって、1時間後の自分の運命かもしれないんだから…笑えないけれど、ぷぷ、花音さんのあの格好…面白っ。

だから僕はもう開き直って、歩きやすい場所を選んで、のんびり歩くことにしている。どうせ入賞は無理だし。

勿論、『自己加速魔法』と関節を守る『硬化魔法』は、左手首のブレスレッド型CADに入っている。でも、僕の肉体は長時間の『自己加速魔法』に耐えられないし、『硬化魔法』も肉体にかけるのはそもそも難しい。

人造の森でも登山じゃない。時速3キロメートル、一時間かけて、本当にのんびり散歩。森林浴、ハイキング、森の中でリフレッシュ…勝負は優勝候補の幹比古くんとはんぞー先輩にまかせる!

 

「そのほうが、無難だろうな」

 

「諦念…ですね」

 

「…」

 

三人の視線が生暖かい。

諦念。1、 道理をさとる心。真理を諦観する心。2、 あきらめの気持ち。ってGOO辞書に書いてあった。

悟りの境地か、なんとなくカッコイイ。

 

スタート30分前。スタート地点にユニフォームに着替えた生徒たちが集まった。約100人の男子生徒はそれぞれ高校ごとに島を作っている。

いつもの制服と違って、みんな同じユニフォームに簡易ヘルメットとゴーグル姿だから、一見誰が誰かわからないけれど、何となく一高選手の集まりは目立っていた。

高校の大会というより、全員カーキ色で地味だ。軍隊みたいだな。軍服は個性を失わせるけれど、全ての生徒の中で、僕は一番小さい。一人だけ子供が混じっているみたいだ。僕の姿を見つけると、他校の生徒は競技前なのに色々と話し始める。流石に指を差したりしてこないところは、育ちが良い生徒ばかりなんだろう。

将輝くんはジョージくんと並んで先頭に立っていた。その姿は颯爽としていて優勝する気満々なのが良くわかる。総合優勝は一高に持っていかれたけれど、最後に一矢報いる気でいるね。

僕に気がつくと「勝ちは譲らないぞ」と目で語ってきたから、「僕は最下位狙いさ!」と涼しげな視線で返した。「負けないぞ」と勘違いした将輝くんのヤル気は上昇した。

 

いつもの長い黒髪は運動の邪魔になるので、テントを出るときに深雪さんがリボンで結んでくれた。可愛いピンクのリボン…『真夜お母様』に遠慮していた深雪さんも、いつもの調子が戻っているみたいだ。でも、軍隊色にピンクのリボンはおかしいコントラストだ。

一高の生徒は、運動能力に長けた人が多いし、体格も立派だ。僕の隣に立つ幹比古くんは、線は細いけれど、過酷な修行を重ねている。とくに古式の修行で山駆けをよくするから、この競技の優勝候補だ。

九校戦開始前から、チームで参加するモノリスコードよりも、個人で参加するクロスカントリーの方が自信があったみたいで、気合が入っている。

女子の試合は観客席でレオくんたちと見ていたって。森の中もいつも修行している山に比べたら簡単だけれど、油断は全然していない。慎重な幹比古くんらしい。

僕は、幹比古くんの緊張をほぐそうと、幹比古くんの袖を掴む。

 

「吉田隊長!僕の事は放っておいて先に行ってください!」

 

「戦場ごっこをしなくても、勿論、最初っから置いていくよ!」

 

「えええっ!」

 

ニベニモナイ。そりゃそうだ。優勝候補に最下位候補。これは競技なんだから。袖を握った僕の手は簡単に振り払われた。

僕が運動音痴なのは他校の生徒には知られていない。でも、卓越した『魔法師』の『魔法力』と体力は別物、体力はなくても別に蔑まれたりはしない。去年までの澪さんが良い例だ。

だから(?)僕は安心して最下位狙いだ。

14時。試合開始のブザーが鳴って、生徒たちは一斉にCADを操作して、駆け出す。午前の女子レースで情報が集まっているから、皆、猛ダッシュだ。弾丸のように、野生動物のように、肩をぶつけあいながら駆け出す選手たち。

将輝くんもジョージくんも一瞬で、優勝候補の幹比古くんもあっという間に森の中に消えていく。みんなすごいなぁ…あっあれ!?スタート地点には僕しかいない!

うっ、僕も頑張らないと。CADの操作はしないでのんびりと歩き出す。

一人だけ、違う競技(?)で僕は闘っている。『完歩』にむかって、全力で、ゆっくり歩く!

 

 

森は木々の生えている間隔が意外に広くて、広葉樹林なのに堆積した落ち葉も少ない。普段から演習で地面は踏み固められているようだ。

ここ数日、雨も降っていないからぬかるんでもいない。もともと富士山の周辺の土地だからごつごつと岩が突起していることを気をつければそれほどきつくはなかった。

小学生並みの僕の体力でも大丈夫そうだ。完走目的じゃなく、完歩しか考えていない僕は、のんびり歩く。

バイザーに自分の位置とゴール地点は表示されているから、迷うこともない。歩きやすそうな地形を選んでのんびりと、ハイキング。

20分経過して、一キロも進んでいない。

 

「水筒とお茶を持ってこれば良かった」

 

森の中に一時間ともなれば喉だって渇く。でも、CAD以外は持ち込み禁止だったっけ。のどかだな。3時間ほど前、この森で達也くんが闘っていたなんて思えない。

『パラサイドール』はもう回収されているから、その辺に転がっていることはない。特に罠にはまるでもなく、比較的木々の間の広い場所を選んで歩く。

バイザーは自分の位置は表示するけれど、他の生徒の位置は表示しない。とは言え、こんなあたりに他の生徒がいるわけはない。

 

だから、その三人が目の前に現れた時、ちょっと驚いた。僕の前に、明確な意思で立ちふさがった。待ち構えていた…のか。だったら…

生徒のユニフォームは簡易ヘルメットに顔の上半分を覆うバイザーがあるけれど、表情はちゃんと見える。その三人はフルフェイスのヘルメットだった。表情は見えない。それに、全体が黒く、腰周りに色々と装備がある。金属製、機械式、防弾…腰にあるのはごつい拳銃、あれはサバイバルナイフか…どう見ても生徒じゃない。軍人?特殊工作兵だ。この時点で、一般兵か『魔法師』かは不明。体格は、日本人離れした長身だけれど…

 

「ヘル、タジミ…ですね」

 

中央の、ヘルメットをしているからわからないけれど、たぶん中央の男が言った。多治見の発音はぎこちなかったけれど、ヘルはネイティブだった。

声はヘルメット内のマイクを通して外に出しているようだ。ヘルメットとスーツにつなぎ目が全くないんだ。

減る?経る?ヘル…ああ、ドイツ語だ。ドイツ語でミスターは、ヘルだ。

 

「ドイツの方ですか?えぇと、ばーむくーへんっ!」

 

僕は英語の日常会話は少しだけできるけれど、ドイツ語はさっぱりだ。だから、

 

「べんつ、あでぃだず、にゅるぶるくりんく、アルベルト・ハインリヒ、ブロッケンJr、エーリカ・ハルトマン、ラウラ・ボーデヴィッヒ…」

 

「そこまでにしていただけますか」

 

お堅いドイツ人の三人は気分を害されたようだ。ごめんなさい。冗談の通じない人たちか。004ことアルベルトはカッコイイし、ラウラは可愛いのに。

 

「何か御用ですか?僕は今、競技中なんです。そうは見えないでしょうが…」

 

のんびり歩いているし、こんな大男たちが正面に立つまで、全然その存在にも気がつかない緊張感のなさだし。

 

「少々、お話がありましてね、なに、お時間はとらせません」

 

男は丁寧だけれど、ウソに決まっている。白々しすぎて凄くチープだ。ただのお話をこの森の中の競技中にするわけがない。ドイツ人…

 

「ひょっとして、ローゼンの社員さんですか?」

 

「ほう?どうしてそう思われたのです?」

 

「だって、この前、ロビーでローゼンの支社長に物凄く睨まれたもん。本人は気がつかれていないと思っていたみたいだけれど、将輝くんも気がついたよ」

 

僕を包囲する男たちの雰囲気が、少し殺伐としたものに変わった。僕へのではなく、支社長に向けてのイライラみたいだ。

 

「あぁ、あの人は『魔法師』としては三流だからな、それも仕方がないだろう。でしたら、話は早い。我々は貴方を勧誘にきま…」

 

「お断りします。じゃぁ僕は行きますね」

 

即、拒否した。勧誘理由なんて、聞かなくても大体わかる。僕は『戦略級魔法』を氷倒しで使ったけれど、まだ正式に『戦略級魔法師』と認定されているわけじゃない。

その決定は九校戦後、『師族会議』で話し合われるそうだ。その前に、勧誘…いや、もちろんそれだけじゃない。

中央の男は僕の進路を塞いで、残りの二人が僕の左右斜め後ろにそれぞれ立っている。

男たちは、さすがにゲルマン民族だけあって、いかつい。戦闘スーツを着ていても、その筋肉が分厚いのがわかる。スーツはオーダーメイドみたいだ。それぞれサイズが微妙に違うけれど、三人ともフライパンなんて簡単に曲げられそうな太い腕だ。三人に囲まれた僕は、相変わらず弱弱しい。

目の前の男がふふんっと鼻で笑いながら言う。

 

「確かに貴方は、優秀な『魔法師』です。しかし、多くの欠陥を抱えてもいますね。学力は平凡、貧弱な肉体。機械操作が不得手。とくに、その競技用のCADではまともな『魔法』が使えない」

 

「手料理が上手って情報が抜けていますよ」

 

「…」

 

黙殺されたけれど、よく調べている。これがこれまでの僕の一高内の一般的な評価だ。確かに、『真夜お母様』にいただいた完全思考型CADのデバイスと指輪があれば卓越した『魔法師』だけれど、この競技用CADじゃ僕は並みの『魔法師』以下だ。

さっき支社長を『三流』ってバカにした所をみると、この三人は『魔法師』として一流なんだ。でも、こいつらも、バカだ。三人は、間抜けに姿をさらしている。この時点で、こいつらに勝ち目は一ミリもない。

僕はこいつらが現れた瞬間に、すでに『能力』を使っている。こいつらがどんなに優秀な『魔法師』だろうと、僕の『能力』には気づけない。

 

今、バイザーに隠れた僕の瞳は光沢のある薄紫色をしている。

 

これが達也くんなら前口上なんてしないだろうし、八雲さんや幹比古くん、たぶん周公謹さんなら僕の死角に隠れて絶対に姿を見せない。僕が探知系がからっきしなのを知っているから。

つまり、こいつらはニワカだ。僕が『戦略級魔法』を使って、慌てて調査した。どうやら僕の過去とはなんの関わりもない。

わざわざ姿を晒して、無防備に勝ち誇って、僕を見下ろしている。自分たちの勝利を確信。この小さなウサギをどう追い立てるか考えてほくそ笑んでいる。『魔法力』が卓越しただけの『戦略級魔法師』を肉体的に圧倒する。それは肉体に自信があればあるほど、興奮するシチュエーションだろう。

ヘルメットで見えない口がサディスティックな笑みに歪んでいるのが見えるようだ。

僕が大男三人に囲まれて、全く怯えていないことを疑問に思わないんだろうか?

 

「ヘル・タジミ。交渉の余地は、ありませんか?」

 

「はじめから交渉する気なんてないでしょう?」

 

このタイミングで武装した男たちを送り込む時点でそうとしか考えられない。九校戦の会場は軍の施設だ。去年も大陸の強化兵の潜入を許していたから、人的な警備はザルだけれど、センサー類の設備はそれなりにあるし、僕は目立つから、人前での交渉は難しい。

そして、次にくる台詞はお決まりだ。

 

「我々に従わない場合は、貴方の大事な人たちが無事ではすみませんよ」

 

僕の『家族』を人質に持ち出した時点で、彼らも退路を自ら絶った。僕が『家族』を守るために、彼らの『家族』を殺そうと、文句は言えない。そして、僕は人殺しに何のためらいもない、精神破綻者だ。絶対に殺す。それも残酷に。もう少し、相手を調べた方が良かったね。

なるほど、ニワカだ。僕が脅しに対して、どう対応するか、まったく想像していない。

 

「体力的に、純粋な格闘能力は、貴方はただの子供です。我々は旧式とは言え、貴方のご友人西城レオンハルトよりは優秀ですよ」

 

レオンハルトの発音がカッコイイ。レオくんはお祖父さんがドイツ人なんだって。だからあんなハンサムなんだ。

 

「貴方たちの事は知りませんが、レオくんは僕より頭はよくないよ。あぁ…一学期の成績だけはね。それまではどっこいどっこいだから、僕程度の頭脳を誇られても、恥ずかしいだけですよ」

 

僕とレオくんの学業成績レベルと比べられても困るなぁ。達也くんなんて古今無双の天才なんだし、僕の友人はみんな頭が良いんだよ。

 

「いえ、頭脳レベルではなく、肉体レベルが、です。なるほど、たしかに貴方は頭はよろしくないですね」

 

「そんなに褒めなくてもいいですよ」

 

「褒めていない。今すぐ我々と来ていただこう。拒否しても、無理矢理連れて行きますが」

 

微妙に僕との会話がかみ合っていないことに、男はイラつき始めた。ほんとに、バカだね。最初から不意を突いて拉致しておけば良いのに。

旧式、の意味は良くわからない。旧式と言うからには新式があるんだろう。まぁ、彼らが『白式』か『百式』だったら、そりゃぁもう僕は華麗に突っ込みを入れたところだけれど。

 

「カメラにばっちり撮られますよ」

 

クロスカントリー会場の森は中継用のカメラが沢山ある。この前、八雲さんも潜入は難しいって言っていたから、ここまで気がつかれず進入で来たのはすでに競技中だからだろう。

 

「そんな間抜けなことはしない!」

 

カメラに撮られずに僕を抱えて逃げる自信があるんだ。すごいな。僕には絶対に無理だ。

目の前の男は何の前触れもなく『加速』した。完全思考型CAD!ローゼンも完全思考型CADを販売しているってこれまでも会話に何度か出ていた。

デバイスが大きすぎて使いにくいって事だったけれど、この男たちの戦闘スーツに組み込まれているのか。どこにCADのデバイスがあるのかはわからなかった。あれから数ヶ月が経つから小型化に成功したのかな?

やっぱり、この三人は『魔法師』だった。

その巨体にしては驚く速さ。10メートルの距離を一歩で、一瞬でつめる。男が大きな手を僕の肩に向けて伸ばしてくる。あれに本気で握られたら僕の鎖骨は簡単に折れるだろう。

でも、確かに速いけれど、達也くんやエリカさんほどじゃない。力に任せた動きで洗練もされていない。猪突猛進。直線的すぎて面白みがない。錬度が低いのか、それとも慢心からくる侮り?こいつらの性能がイマイチなのか。もしかしたら、新式の方に会社の人材が集まっているのかもしれないな。

そんなことを考えていられるほど、遅い。僕の動体視力の前ではスローモーションだ。もちろん、動体視力と僕の身体がそれに対応して動けるかは、別の問題。CADの操作はこのブレスレッド型では僕には無理だから、『魔法師』としては何も出来ない。けれど…

 

がしっ!

 

男の豪腕を『掴む』ことは容易い。僕は男の手首を『念力』とともに無造作に握った。

男のスーツを含めると100キロはあるだろう体重。僕は30キロしかない。通常では受け止めることは不可能だ。三倍の体重差に、『魔法』で加速された動きが加わればなおさらだ。男も僕の手は無視して、そのまま肩を掴もうと手のひらを開いて、もう半歩踏み込む。体重をかけて、僕の肩に、男の手が…届かない。

僕は棒立ちのまま、男の右手首を握っている。男の動きが瞬間的に止まる。前にも後ろにも動けない。ヘルメットで顔は見えないけれど、男は動揺している。僕の華奢な腕が男の豪腕を捕まえて、微動だにさせていないことが、にわかに信じられないんだ。押しても引いても、一ミリも動かない。

後ろの二人も僕との距離を縮めていたけれど、『見えない壁』に激突して、思わず立ちどまった。仲間の動きが止められた理由も、『見えない壁』の存在にも気がつけなかった。

 

そのまま、僕は男の手首を『握りつぶす』。

 

「ぐっああああああ!!」

 

僕の身体には少しも力が入っていない。力こぶなんてまったくできない。それでも、

 

めきょめきょめきょ!

 

男の手首は骨ごと『握り潰される』。金属製のそのスーツはかなり丈夫みたいだ。でも、中の肉体は、スーツほど丈夫じゃない。僕の『サイキック』はそんな薄い金属では防げない。『空間』そのものを捻じ曲げているのだから。

男が手首を押さえながら、一歩後退した。僕は男の向うずねを爪先で蹴った。軽く触れた程度の蹴り。本来なら痛くも痒くもないはずの、子供の蹴り。なのに男のすねは簡単に折れた。男は溜まらず前かがみになる。男の頭が下がったところで、僕は乱暴にヘルメット頭頂部を踏みつける。物凄い音がして、男の頭頂部は地面にめり込んだ。

 

「なっ!?」

 

背後の二人が絶句している。信じられない光景だろう。子供が素手で、『魔法』を使わずに強化スーツの大男を翻弄しているんだから。僕は、一瞬頭で逆立ち状態になった男の背中を、思い切り蹴飛ばしす。めきゅよ!という奇妙な音がして、男の巨体が倒れる。今度は背骨がへし折られた。頭は地面に埋まったまま、首が変な方向に曲がっている。

本当は蹴りなんて無駄な動きは必要ない。念じるだけで、相手の身体は簡単に壊れる。でも、動きを入れたほうが、偽装にもなるし、何より相手に与えるインパクトが違う。達也くんの格闘を見て僕もそうするようにしている。

強化スーツに僕の蹴った跡は残っていない。ずいぶん頑丈なスーツだ。でも、中の人間まではそうじゃない。男はぴくぴくとケイレンしている。

今度は、僕が倒れた男を見下ろしていた。でたらめな『力』だ、と我ながら思う。

その間、後ろの二人も黙っていたわけじゃない。僕を攻撃しようと身構え、魔法を発動しようとしていた。

でも、出来なかった。僕は二人を電話ボックスくらいの『空間の檻』に閉じ込めている。男たちは見えない壁に『魔法』を放ち、武装された拳でどんどん叩いたり、銃弾を打ち込んだりしている。物凄い破壊力を持つ弾丸が空気の壁にぶつかってつぶれている。

 

「なっ何をした」

 

後ろの一人がうめき声をあげた。さっきの男ほど日本語はうまくなかった。僕はその質問には答えない。

 

「丈夫なスーツだね。どれくらい丈夫なのかな…?」

 

倒れている男の力なく伸びた片足を右手で掴む。そのまま、ずるずると男の巨体を引きずる。埋まっていた頭が抜けて、万歳したまま、男は動かない。ずるっずるっと強化スーツが地面を削る…

僕の身体は弱弱しい。強化スーツの男たちと比べるまでもなく、非力だ。でも幼い子供がぬいぐるみを引きずって歩くみたいに、簡単にずるずると、まだ絶命していない男をその場所まで移動させる。

この森は人造でも地形は、富士山の溶岩が冷えて固まってできたものだ。特徴的なごつごつとしたむき出しの岩場があちこちにある。粒状で黒い斑点のある、硬い硬い岩。

閉じ込められた二人は僕の意図を理解したようだ。なにか叫んでいるけれど、ドイツ語じゃわからない。だから無視する。僕は片手で男の足首を掴んだまま、100キロはある巨体を大岩に向けて勢い良く振った。

 

ごがっ!

 

金属製の戦闘スーツと岩がぶつかる。鈍くするどい音。溶岩が固まった岩は、風化してぎざぎざして素手で触るとそれだけで、手が怪我をしそうなほど角が尖っている。強化スーツはその程度ではへこみもしない。ちょっと布で拭くとなくなるくらいの汚れがついただけだ。

僕は軽々と片手で、男の巨体を、何度も何度も、岩にぶつけた。重力を無視して、何度も…

 

がっご、がごっ、がっご!がごっ!がごっ!ばきゃっ!

 

それは、子供がぬいぐるみに八つ当たりしているみたいな、奇妙な光景だった。男を、何度も岩に叩きつける姿は、狂気と稚気を孕んでいる。

岩にひびが入ったけれど、強化スーツはびくともしない。黒々と金属の光沢を放ったままだ。もちろん、外のスーツはだ。中の男が生きているわけがない。強化スーツを振るたびに、たぷんたぷん、液体が揺れる音がする。液体は、当然、血液とつぶれた内臓だろう。大型ミキサーでかき回されているのと同じなんだから。

その音を聞きながら、ほんと、水筒にお茶を入れて持ってこれたらよかったのに…と平然と思う僕は、異常だ。執拗に、何度も、何度も、岩にぶつける。檻の男たちに、見せ付ける。

狂っている…誰もがそう感じる光景だ…何十回とぶつけて、それでもスーツはへこみもしない。

 

「凄く丈夫な服だなぁ、流石に飽きちゃった」

 

僕は感情の消えた声で呟く。もちろん疲れてなんていない。息一つ乱れていない。僕は、『空間の檻』に閉じ込めたままの二人に向けて、その男を放り投げた。男たちの足元に、黒い壊れた人形が転がる。がっちりと組み上げられたスーツは、それでも中の液体を漏らさない。

二人は見えない檻に閉じ込められて、なにかドイツ語でわめいている。

だから、日本語で言ってくれないとわからないよ。

男がヘルメットを操作している、無線で仲間を呼ぼうとしている。でも、そんなものが通じるわけがない。

僕は敵対するものを容赦するよう、教えられていないんだ。

 

「仲間なんて、だれも来ないよ、自力で切り抜けないと」

 

僕の台詞は、僕自身にも向けている。

 

「まっまってくれ、なんでも言う、支社長のことも、ローゼンの秘密も…」

 

ぎこちない日本語で言う。企業の社員だから忠誠心はそんなに高くはないんだろう。でも、

 

「そんなの興味ないです。たとえ教えてくれても、関係なく殺します。殺す一択しか結末はないですから」

 

「俺には故郷に家族がいるんだ」

 

妙なことを口走り始めた。

 

「そうですか、じゃあ貴方の家族も全員殺しに行きます。大丈夫ですよ、どうせ貴方は今、ここで、死ぬんですから、死んだ後、家族の心配なんてしなくていいでしょう?」

 

「なっ!?」

 

他人に家族を人質に脅しをかけておいて、自分の家族は無事でいられるなんて傲慢だよね。自分の言葉には大人だったら責任をとらないと。僕だって自分の責任は果たそうと頑張っているんだよ。

 

「死後の世界なんてないですから、あの世で家族に謝る必要もないですよ。だから安心して死んでください」

 

「くそっ!ローゼンを舐めるなよ。ローゼンの力は…」

 

「自分が死んだ後の僕の心配をしてくれるんですか。それはありがとうございます。じゃぁ、ローゼンを皆殺しにします。僕はもともとローゼンには良いイメージがないからちょうど良いや」

 

遠い昔の、たった一日の関係だったけれど。

こういうときの僕は能面のように無表情だ。簡易ヘルメットにバイザー越しでも、人形じみた相貌は見るものに狂気を感じさせる。

見えない壁をどんどんと叩いていた男の手が止まった。最後の哀願をするつもりなのか、ヘルメットをはずそうとしている。でも、スーツと一体になっているヘルメットはなかなかはずせない。

どうやって殺そうか。あんまり時間がないんだよな。今は競技中なんだ。もういいや。

 

ぼふっ!

 

奇妙な、くぐもった爆発音がした。二人の頭は、ヘルメットの中で木っ端微塵になっている。それでもヘルメットは頑丈だ。外見になんの変化もない。男たちは垂直に崩れ落ちる。

 

「…」

 

三人の強化スーツの死体を足元に転がして、僕は、さて、この死体をどうしようかな、一瞬悩んだ。

このまま放置していても、強化スーツは丈夫だ。中身が腐っても、そのままだろうけれど、ローゼンか、国防軍が見つけると面倒だ。

 

「地下千メートルに『飛ばして』埋めれば、ボーリングでもしないと見つけられないかな…」

 

こんなところを地中調査する奇特な人はいないだろう。数万年後、剥き出しの地層にあの三人が化石みたいに見つかるかな。

 

「そいつらの始末は、僕に任せてくれるかい?」

 

のんびりとした、男性の声がかけられた。森の中、落ち葉や枝があるにも関わらず、足音一つしないで近づいてくる男性。柿色の忍び装束。まるで時代劇みたいな服装だ。

 

「やっぱりまだいたんですか、八雲さん」

 

「ん?やっぱりってどういうことだい?」

 

九重八雲さんは僕に聞きながら、三人の黒い死体を見つめている。

 

「知りたがりの八雲さんが達也くんだけで満足するとは思いません。なにしろ今日この森にいた『魔法師の卵』は数年後、この国でも有数の『魔法師』になるでしょう?」

 

「本当に多治見君は成績が悪いのかい?察しが良すぎだよ。うんまぁ、データだけなのと、実際にその人物をみるのとでは全然違うからねぇ」

 

知りたがり、なのをもはや否定しない。自覚している。でも、成績と察しのよさは別だよ。頭が悪くてもクイズが得意みたいなものだよ。ちなみに僕はどっちもだめだ…

そもそも、八雲さんは九校戦の施設に楽々侵入している。それは今年だけとは思えない気楽さだ。九校戦には毎年、全国から選りすぐりの『魔法師の卵』が集まるんだから。情報収集には持ってこいの場所だ。

 

「こいつらの始末は、お礼ですか?お詫びですか?」

 

横たわる三体の特殊兵に視線を向ける。

 

「どっちもだよ、達也くんに『パラサイドール』を任せてくれたこと、藤林響子さんに術をかけてミスリードを助長したこと…まぁ、このスーツにも興味はあるけれど」

 

「それじゃぁ交換には足りませんよ。こいつらの始末は一瞬でできますから」

 

達也くんの戦闘情報はさぞ貴重だっただろう。

 

「じゃぁ、ローゼンが今後、多治見君にちょっかいを出してこないように、日本支社長にちょっと『ミスリード』をするっていうのはどうかな。皆殺しも悪くはないけれど、余計な敵を作らないのも方法だろう?」

 

それは社長が交代したら意味がない提案だ。

 

「あと、『パラサイドール』を狂わす術式を組んだ大陸の術者がいたんだけれど、その術者を送り込んだのは横浜中華街の周公謹と言う人物だ」

 

周さんが?自衛のためなら手段は選ばないって言っていたけど、『パラサイドール』とどう繋がるんだろう。これは、僕の頭脳レベルではわからない図式だ。本人に聞いてみるか。どうせ、九校戦後に横浜の魔法協会ビルに行かなくちゃ行けないんだから。その時にでも。警備の二人にも『ドロウレス』のお礼をしなくちゃいけないし。

降りかかる火の粉ははらう。敵対するなら容赦なく殺すけれど、毎回毎回じゃぁ面倒だ。そこまで後始末してくれるなら、こんなスーツ、僕には興味がないし。僕は同意して頷いた。

 

「八雲さんは、僕には意外と親切ですね。何か意図があるんですか?」

 

「たしかに、僕は忍びで無料の奉仕なんてしない。興味があれば別だけれど…」

 

八雲さんは少し照れた感じになる。忍者服の頭巾のまま頭を撫ぜた。ちょっと珍しい雰囲気だ。

 

「多治見君はね、かつてこの国を救った英雄『紫色の瞳の少年』だ。僕はね、先代にその話を聞いたときに、物凄く憧れを抱いたんだ。素直にカッコイイってね」

 

その先代はどれだけ僕を美化…偶像視して八雲さんに語ったんだろう。大量殺戮者にカッコイイもないと思うけれど…

 

「そりゃ、今の僕にあの頃の純粋さはかけらもない。情報収集のために協力したり裏切ったり…裏の世界の住人、常ならぬ身だ。利用できるならなんでもする」

 

「達也くんは、気がついていると思いますよ」

 

「ん、僕もそう思う。でもね、僕は君がその『パープルアイズ』だって知っている。その事を知っている存命者は殆どいない。僕はその知っているうちの一人として恩返しをしたいと思っている。九島烈が君の行動をある程度放任しているのも、同じ感情があるんだと僕は思うよ」

 

「烈くんはそんな単純じゃないですよ。狂っているように見えても、八雲さんも…うんまぁ、ここはお任せします。あまりここに立ち止まっているのも怪しまれるし」

 

僕の位置情報はモニターされているから、あまり同じ場所にいるのも問題だ。今頃、一高のテントではあーちゃん生徒会長がおろおろして、深雪さんも香澄さんも心配しているだろうから。

八雲さんは以前、僕のことをほとんど知らないって言っていたけれど、あれも多分ウソだ。八雲さんはブラックホール実験のことも、『パラサイト』のことも詳しかった。

『パラサイト』の依存性の情報はどこから仕入れたんだろう。本当に知りすぎている。僕のことを詳しく知って何かさせたいことがあるのかもしれないけれど、僕の利用価値なんて大量殺戮くらいだ。

 

「そうだね、もうこの森の中に残っているのは、多治見くんだけみたいだからね」

 

「別に初めからそのつもりだったので。みんな優秀だなぁ。僕もみんなみたいに軽やかに飛び回りたいや」

 

「いや…極め付けに優秀なのは多治見君だろう…まぁ、この偏りもいかにも『魔法師』だけれどね」

 

万能な『魔法師』なんて、いないからねぇ。八雲さんは、僕の背中に向けて、ぼそっと呟いた。万能。達也くんのことかな、万能って何だろうね。『不死』とか?まさか、ね。

 

 

僕は八雲さんと別れた後も、のんびり歩いていた。バイザーのモニターが、ゴールまで200メートルって表示している。

視線を遠くに向けると、ゴール地点に、一高の男子生徒と将輝くんにジョージくんがいた。

僕の姿を見つけると、手を振って激励の声をかけてくれた。

時間は、1時間15分かかっている。まぁ、途中問題もあったけれど、遭難しなくてすんだのは良かったな。

皆が全身で応援してくれている。ちょっと気恥ずかしい。僕も手を振って、少しだけ早足になった。

でも手を振りながら、足元の不確かな森の地面を小走りするのには、僕の足腰は頼りない。

ゴール前の最後の坂道を登る。ゆっくりとは言え、一時間森の中を歩いていた僕の足は疲れている。普段なら当たらない高さの木の根に、つんっと、爪先が当たってバランスを崩す。すこしたたらを踏んで、手近な木の幹に手をついた。ちょうど坂を上りきって、手を着きやすい位置の幹。

 

かちっ!

 

ゴール地点から「あー!」って悲鳴が聞こえてきた。

 

「ん?」

 

そのままゴール地点に向かう僕の足元が、いきなり陥没したかと思うと、ばふっ!と湿った土が舞い上がった。土砂の雨が周囲に降る。

参加している生徒も何人か同じ罠にかかっているのだろう。ゴール前の一瞬の油断を突く罠。

僕の場合は油断よりも体力のなさだけれど、とにかく、土の雨が降り止むと、僕は全身泥まみれになっていた。

ユニフォームもヘルメットも、黒髪もピンクのリボンもドロドロだ。

ポカーンとする僕。その姿は当然、会場中のモニターにも全国にも放送されている。たぶん会場でエリカさんが爆笑している。レオくんも美月さんも遠慮がちに笑っているだろうな。

さいわい、目はバイザーで汚れなかったから、泥まみれのまま、最後は、慎重にゴールに向かう。

 

そして、ゴール。競技終了のブザーと共に、今年の九校戦は、全試合が終了した。

 

僕にとって、1年生のときよりも中身の濃い、すごく長い九校戦だった。

 




これにて、第三章「二年生」は完結です。
思ったより長くなってしまいましたが、基本全部オリジナルなので、毎回色々と考えながら書いています。
大変なんですけれど、文章を書くのは楽しいです。
次回から、原作はほとんど達也の暗躍になりますので、魔法科高校の世界観を壊さないように久は久で別の戦いをしながら、十師族に関わります。
原作は、九校戦から一気に9月下旬に飛びますが、久は色々と大変です。
これまで同様、つたないですが、原作に沿いながらオリジナルな展開が続きますので、お付き合いよろしくお願いいたします。


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狂気
師族会議


ここまでエタらずに頑張れております!
今後ともお付き合いよろしくお願いします。


去年の九校戦最終日に行われた後夜祭。

『戦略級魔法師』の澪さんがサプライズゲストに現れて、僕と幼稚で、でも愉快なダンスを踊り、一躍ヒロインになった深雪さんが大会関係者や企業関係、そればかりでなく芸能関係者にまで囲まれて、達也くんの機嫌を損ねていたことは記憶に新しい。

 

今年のサプライズは僕の『戦略級魔法』だ。

去年の深雪さんの騒ぎは個人的なものだったけれど、僕の問題はそうは行かない。国家の、場合によっては国際問題になる大事件だ。ナンバーズではない、出自も謎、去年の九校戦に出場するまで全くの無名。見た目は人形じみた黒髪の子供。

その子供が『戦略級魔法』を使った。ハロウィンの事件はほとんど報道がなくなっていたから、世間の興味はハロウィンの謎の『戦略級魔法師』から僕へとシフトした。センセーショナルな話題に飢えていたマスコミに僕の存在はそれはもう美味しい。ハロウィン『戦略級魔法師』の存在を世間から忘れさせるほどに…会場にはマスコミ関係者が大量に押しかけているらしい。あーちゃん生徒会長によると、一高駅前や一高校門にも翌日のバス到着を待ち構える報道陣がすでにちらほら集まり始めているそうだ。

さいわい軍関係者は烈くんや澪さん、魔法協会の働きかけでむやみな接触は控えるように通達があったそうだ。でも、会場はどんなツテで入場したのか、さまざまな人たちでごった返しているんだって。あまりルールを守らない無秩序な人たちで収拾がつかない状態。

そんな中に僕が現れたらせっかくの生徒のためのパーティーが台無しだ。

本来なら、別室で記者会見でも開かなくちゃいけないところだけれど、それは僕以前に軍が拒否した。

軍関係者の僕への対応は腫れ物を扱う感じだ。まだ軍のシステムに組み込まれていない段階で、僕にへそをまげられたら、今後の戦術戦略に影響は計り知れない。もちろん、僕は外国に引っ越す気は少しもないけど。

二日後、師族会議が開かれて、その後、魔法協会からの声明と言う形で公式発表されるので、マスコミ対応はそれに任せることにする。

横浜魔法協会ビルでの師族会議には、僕も出席しなくちゃいけない。これまでとは違う面倒があるけれど、澪さんがアドバイスしてくれるので僕個人は特にかまわない。

 

一高の作戦会議室に一高首脳陣、あーちゃん生徒会長、はんぞー先輩、沢木先輩、五十里先輩と一緒に花音さん、達也くんと深雪さん、ほのかさんと雫さんが集まっていた。

その全員と相談して、僕は後夜祭とその後のダンスパーティーを辞退する事にした。

高潔なはんぞー先輩がマスコミを会場に入れた大会運営に憤っていたけれど、僕はもともと人ごみが苦手だし、みんなの優勝パーティーを邪魔したくもない。

僕自身の個人の成績は一高に貢献できていない。氷倒しは三位でクロスカントリーは最下位。この部屋にいる生徒は全員優勝者とその担当エンジニアだ。

一ヶ月以上を練習や準備に費やして結果を残した生徒たちが、僕のせいで最後のパーティーを楽しめないなんて嫌だし…

 

明日は、澪さんのリムジンで一緒に帰宅することにした。もともと往路は全員バスだけれど、帰りは自由だ。去年もそうだったし。

一高前のマスコミの対応はあーちゃん生徒会長にお任せする。

あーちゃん生徒会長はおどおどしつつも、ぽよんっと胸を叩いて「お任せあれ」って生徒会長の威厳を発揮してくれていた。どこか演技っぽいけれど、可愛い。

だから一高の選手たちとは、ここでお別れすることになる。「じゃあ新学期にお会いしましょう」としっかり挨拶して会議室からでる。

 

会議室から出る僕が目に見えてしょんぼりしている事に、僕自身が気がついていなかった。会議室にいる全員が戸惑っている。

 

廊下に、レオくん、エリカさん、美月さん、幹比古くん、香澄さん、泉美さん、水波ちゃんがそろっていた。

僕がパーティーに出ないことを告げると、みんなそれぞれ怒ってくれたけれど、僕が人ごみが苦手なのは皆知っているし、「優勝には貢献してないし…」って言うとレオくんも少し複雑な表情になった。

今日は8月15日。夏休みは後15日だ。その間のスケジュールは、師族会議の横浜、七草家のお食事会、真由美さんとの約束の海、将輝くんの住む金沢、生駒の九島家に行くことが決まっている。

事前に決まっていたスケジュールに横浜と金沢行きが追加されてかなりタイトだ。海には澪さんも響子さんも参加できる。澪さんの警護も同伴だから、大所帯での移動になる。

七草家のプライベートビーチまでは、家庭用に改造した七草家所有の大型ヘリを使うって。どんだけお金持ちなんだろうか。ビーチの具体的な場所は警備の関係で秘密だ。

その海のスケジュールの確認を香澄さんとしていると、エリカさんが「海か…」って呟いて、少し物思いにふける。去年、達也くんたちと行った南国の島のことを思い出したみたいだ。

今年は達也くんが物凄く忙しいみたいで皆一緒に出かけられないから、夏休み前にエリカさんたちも誘ったんだけれど、苦い顔をして断られた。

エリカさんは真由美さんと相性が悪いし、レオくんたちもそれほど親しくない卒業生の中に混じるのは普通は気まずいよね。それに、達也くんが参加しないならエリカさんは参加しないよな…って思う。

 

将輝くんにもパーティー不参加のメールを送る。事情はわかっているから、金沢に来たら大歓迎してくれるって返信があった。美味しいものならなんでもばっち来いだよとハードルをあげておく。

僕の薬や添加物が駄目って体質も事前に伝えてある。僕は食事に関してはちょっとめんどくさい体質だけれど、美味しいものさえ食べられれば僕は大概幸せなんだ。

 

それから少し経って、今は後夜祭の時間だ。会場には企業関係の人もいる。あのローゼンの支社長もいるのかな…まぁそれは僕には関係がない。僕は澪さんの部屋でパジャマで大人しくしている。澪さんも隣でいつものジャージ姿。僕にはパーティーよりもこの方が落ち着くな…

ディナーは、すっかり肩の力が抜けた響子さんと共に、澪さんの部屋でとる。一高の優勝に、二高卒業の響子さんにちょっぴり遠慮しつつ、祝杯をあげた。僕はレモン水だったけれど、二人はシャンパンだ。

自宅で簡単に済ませた、出会って一周年記念パーティーの続きも兼ねている。むしろこっちがメインだ。

烈くんにも連絡をいれたんだけれど、忙しくて参加できないって。まったく、働きすぎだよね。焦りか…。でも、働いている方が烈くんらしい。

料理はホテルに準備してもらった。軍の施設だけれど味はお墨付きだ。自宅と同じ雰囲気で、『家族』で、あまりマナーも気にしないで味わう。

 

「一高の優勝と、二人に出会えたことに、乾杯」

 

 

翌朝、澪さんのリムジンで自宅に向かう。マスコミの追跡も気になったけれど、現『戦略級魔法師』の乗る車に不用意に近づけば、下手をすれば国家反逆罪だ。

不安定な国際情勢で、もし反逆の汚名を着せられたら、マスコミ生命どころか人生の破滅につながりかねない。そもそも警護の黒い車二台に挟まれたリムジンは誰だって近づいたりしないよね。

おかげで僕は去年のような悪い夢を見ることもなく無事、練馬の自宅に帰宅した。やっぱり自宅はいいなぁ。でも、セキュリティ以外の設備は全部きってあるから、二週間分の埃がたまっている。

僕は家事は全部自分の手でするから、動きやすい格好に着替えると、掃除機をとりだして、いきなり部屋掃除を始める。帰宅して、10分もたっていない。

 

「澪さん、洗濯物はかごに入れておいてね。分別は僕がやるから、そのまま放り込んでおいてよ」

 

僕は女性物の下着にあまり抵抗はない。ただの布キレに欲情はしないって『アインズ様』もブルーレイの特典書き下ろし小説で言っていたよ。

 

「ちょっ、久君!帰ってきたばかりですよ!少しは休んで!」

 

澪さんの反応は正しい。でも、僕は家事が好きだし、誰かに尽くしたいと無意識に考えてしまう。澪さんも響子さんも料理は手伝ってくれるけれど、それ以外の家事は駄目なんだ。

 

「あっ、冷蔵庫は空だから、買い物に行かないと。夜は何が良いかな、響子さんは19時には帰ってくるし、澪さん何食べたい?僕作るから。そうだ、今のうちにお布団も洗って天日干ししよう。やっぱお日様の香りの布団はいいよね。喉は渇いていない?麦茶淹れようか、僕は冷えたのより、少し炙ってから淹れたての熱いのも好きなんだよなぁ」

 

なんとも甲斐甲斐しい。見事な主夫だ。澪さんはいつもの事とは言え、ちょっと呆れている。

 

「久君、食材は私が注文して配達してもらうから。家事も大切だけれど、それよりも、久君!大事なことを忘れていますよ」

 

「なに?お風呂掃除?そうだよね、やっぱ洗い立ての綺麗なお風呂が良いよね。澪さん一番風呂に入ってよ、その間僕は…」

 

「久君、九校戦が終わって、夏休みも半分以下です。今年は出かける予定も多いですから…」

 

「あっ旅行の準備?澪さんの水着楽しみだな、響子さんも一緒に行けて、嬉しいなぁ」

 

「わかっていてごまかさないの!去年みたいに最終日に宿題を一気にやる気ですか!?」

 

宿題。あぁ、夏休みってどうして宿題があるんだろう。九校戦に参加する生徒も参加しない生徒も宿題の量は同じなんだ。補習分の課題がないから今年は楽だけれど、この後スケジュールが厳しい。

でもせっかくの夏休みなんだし…一日中引きこもっていられるんだよ…ん?ごごごごっ!あっあああ!澪さんのプレッシャーが…

 

「はい、やります。宿題がんばります」

 

『戦略級魔法師』のプレッシャーの使い道を間違えているよね…はい、宿題します。

掃除を一通り終わらせて、軽くランチを食べた後、リビングで宿題をする。夏休みの宿題は一学期の復習が殆どだから、自分でも信じられないほど、さくさくと回答を埋められる。おかしいなぁ僕はこんなに頭は良くない筈なのに…

わからないところは澪さんに聞いて、二時間ほど続けるけれど、僕は集中力がないから…ちょっとの休憩が妙に長かったりする…

 

 

翌日13時、僕は横浜の魔法協会ビルに来ていた。これで、このビルに来るのは四度目かな。ビルまではいつもの警備の二人と運転手一人の電動カーで向かった。警備の人員を増やす話もあったけれど、それは今後の打ち合わせで。

車中、まずは『ドロウレス』のお礼を何度も言う。二人は恐縮しきりだけれど、僕が氷倒し決勝までいけたのも、将輝くんの初撃のスピードに対抗できたのも二人のアドバイスのおかげなんだ。

『師族会議』の後、横浜ではまた中華街で周さんのお店に寄る予定だ。別のレストランでも希望があればって聞いたら、あまりマナーを気にしなくて良いあのお店が良いって。二人は大人だし『魔法師』としても優秀だ。でも、食事は肩肘張らずに食べたいって。僕もその気持ちは良くわかるし、そもそも周さんのお店(だったかどうかは不明だけれど)の料理は多様で美味しかったしね。

 

僕は今日も一高の制服だ。その僕を魔法協会ビルの係りの女性は、物凄く丁寧に対応してくれた。前回、来たときの対応は普通だったけれど…

師族会議の部屋に通される前に、控えの部屋に行く。自分でドアを開けようとするけれど、係りの女性が全部やってしまう。係りというかメイドみたいだ。

部屋には十文字先輩が、いつものように腕を組んで泰然自若、ソファに腰掛けていた。十文字先輩の服装はフォーマルスーツで、ちょっと動くとはちきれそうだ。でも、どんな服を着ていても、十文字先輩は十文字先輩だなぁ。服に着られることがない。たとえ女装しても十文字先輩だって気がする。絶対にしないと思うけれど。

テーブルの水差しから自分でコップにそそぐ。十文字先輩のコップは満杯のままだ。

十文字先輩は前置きなんてしない。

 

「午前中、『師族会議』があった。この後、久も参加して再開する。午前中は、久のこれまでの経歴についてだったんだが…」

 

僕の経歴…

十文字先輩がぐっと僕を見つめた。

 

「高校入学前の久の記録が、なにひとつない。見事なほどに、ない。戸籍も…改ざんは困難なので、年齢は間違いないのだろうが…これは一人の『魔法師』としては難しい」

 

僕は黙って聞いている。僕の記録なんて何もない。70年前の記録も何一つ残っていない。ある意味、今の僕は去年の2月から始まっている。戸籍は烈くんが一から作ってくれた。やっぱり17歳は無理があるよなぁ。

 

「しかし、久の後見人は、九島烈閣下だ。一高への入学手続きや練馬の自宅の手配も閣下が自ら行っている。これはこの国の『魔法師』としては戸籍以上に個人の証明になる。自宅は毎月、使用料が貯金から引き下ろされているな」

 

…え?僕はあの家に家賃を払っていたのか。全然気にしたことがなかったけれど、確かに無償だと贈与税とか面倒が起きるよね。

 

「莫大な貯金…これも出所は問題ない。いつか、遺産があると言っていたが、きちんと相続税も払われている。その人物はすでに亡くなっていて、記録にも間違いはない」

 

あのお金は『僕の遺産』と言う事で烈くんから貰った。金額は多すぎる。あの額を遺産に残せる人物は…誰なんだろう。たぶん誰でもない、改ざんでどうとでもなる人物だ。

 

「一高入学後の人となりに関しては、俺も五輪殿も七草殿も保障できるだろう。九島殿はあまりわからないようだが…」

 

「現当主とはあまり会話したことはないんです。僕は烈くんや光宣くんと個人的な付き合いはあるけれど、九島家そのものにはあまり関係がありません。それは澪さんの五輪家も同じです」

 

「そのようだな。一番重要なことはこの国への忠誠だが…これも九島閣下から太鼓判を押されている。『多治見久よりこの国への忠誠を発揮した者はいない』とまでおっしゃっていたそうだ」

 

結果的に、それはそうだろう。僕の思いはともかく、命と引き換えに敵を国ごと道連れにして、この国の危機を救ったのだから。

 

「詳しい意味は不明だが、久もこの国に敵対する意思はないな?」

 

「僕は友人や『家族』を守りたいだけです」

 

この会話の間、十文字先輩は瞬き一つしない。その威圧感は澪さんとは違うけれど、常人なら耐えられないほどのプレッシャーだ。僕は、ごく普通に十文字先輩の目を見返している。

男と男の子に、これ以上言葉はいらない…って、このフレーズ久しぶりだな。

十文字先輩が目を瞑る。室内に満ちていた、なんともいえない圧力が消えた。二人とも同時にコップに手を伸ばす。同時に水を飲んで、同時にテーブルにコップを置いた。

 

「ふっ」

 

十文字先輩が小さく微笑んだ。ここからは『十文字』じゃなく、一高の卒業生モードみたいだ。

 

「九校戦優勝、見事だったな」

 

「僕は何も貢献できていないですよ。氷倒しは三位だったし、クロスカントリーは論外でしたし…」

 

九校戦の最終日、あの会議室で皆に言ったのと同じ事を呟く。声が段々と小さくなっていた。

でも十文字先輩は僕の呟きをはっきりと否定した。

 

「それは違うぞ久。あの『戦略級魔法』以降、一高生徒の表情は、それ以前とはまったく違った」

 

…え?

 

「自分たちの学校に『戦略級魔法師』がいるということは未熟な『魔法師の卵』にとって、どれだけ精神的支柱になるか計り知れない。選手たちのモチベーションは段違いだった」

 

「…そう、ですか?」

 

俯いていた顔を上げる。

 

「久の『戦略級魔法』以降、一高の成績は上昇した。それに、クロスカントリーに参加している一高選手たちは実に楽しそうだったぞ。余裕、が生まれたんだな。テレビで観ていて、うらやましいと思ったくらい…ん?どうした久」

 

僕は十文字先輩の話を聞いて、涙をぼろぼろ流していた。

もともと情緒は不安定だけれどこれは…

以前、市原先輩が一高へのこだわりについて語ってくれたことを思い出した。

昔、誘拐事件の後、制服を着て、一高が僕の帰る場所だって思った。でも、澪さんと響子さんと住むようになって、一高への思いはあまり考えなくなっていた。『家族』しか、僕は興味がもてないと思っていたし、事実そうなんだけれど、それでも、一高優勝に貢献できたと十文字先輩に指摘されて、すごく嬉しいってことは、やっぱり僕も『学生』なんだ。

烈くんとの約束で、学校に通う。べつに学校ならどこでも良いって入学前は考えていたけれど、もう一高以外は考えられなくなっている。

僕も、市原先輩や響子さんと同じで、魔法科高校に、一高にこだわりがあるんだ。

九校戦の最終日、僕が目に見えてしょんぼりして、帰宅後も空元気みたいな態度だったのは、一生徒として優勝に貢献できていないことに、後夜祭に参加できなかったことに、自分で考えていたよりも落ち込んでいたんだ。

そっか…僕はこぼれる涙をハンカチで拭いて、十文字先輩に頭を下げる。

 

「ありがとうございます、なんだかやっと九校戦が終わった気がします」

 

「なにも礼を言われるような事は言っていないが?それより、『師族会議』は平気なのか」

 

「はい、澪さんからも聞いていますし、僕は緊張とかしないんです」

 

僕はあまり想像力もないから、起きてもいない事を心配するのは時間の無駄だ。

 

「そうか、では行くか」

 

十文字先輩が立ち上がった。こういうぶっきらぼうなところは達也くんに似ているなぁと思いながら、僕も続く。

 

 

「国立魔法大学付属第一高校2年A組、多治見久です」

 

本日はお手柔らかに…と続けそうになって言葉を飲み込む。

『師族会議』のテーブルは本来、円形で誰が上座でもないようになっているそうだ。今回は僕への質問があるので、逆U字型のテーブルになっていた。下座に僕が座り、入り口まで一緒だった十文字先輩が自分の席に座る。テーブルには一から九まで順番に各家の当主が並んでいた。その殆どと僕は面識がある。澪さんの凱旋パーティーの時、十師族の当主は五輪家と十文字家以外出席していたからだ。あの時、僕は澪さんのおまけで、挨拶程度しかしていないけれど。

左から、

一条剛毅さん。赤銅の肌を持つ海の男。将輝くんのお父さんだ。

二木舞衣さん。すこし神経質そうな小母さんだ。

三矢元さん。物凄くエネルギッシュな眉毛の持ち主。

四葉真夜さん。僕の『お母様』だ。今日もすごく綺麗だなぁ。うっとり。

そう言えば、僕は五輪家当主勇海さんに初めて会った。東京での公式行事は五輪洋史さんが代理で出席しているからだ。勇海さんも洋史さんと同じで、この濃い面子の中では影が薄い…なるほど『戦略級魔法師』はたとえ家族でも精神に圧迫感を与えるんだ。洋史さんがどこか腰が落ち着かないのもそのせいなのかもしれない。

六塚温子さん。ショートヘアでちょっと男装っぽいスーツのお姉さんだ。

七草弘一さん。今日もサングラスで表情はわかりにくい。

八代雷蔵さん。あごひげが素敵なお兄さん。

九島真言さん。烈くんの息子にして、光宣くんのお父さん…似てないなぁ。相変わらず不機嫌そうなしかめ面だ…

そして、おなじみの十文字克人先輩は十文字家代表代行。現当主の和樹さんはご病気なんだそうだ。

 

十師族に序列はないけれど、年長者の九島真言さんが代表して質問をしてくる。

真言さんとこんなに会話をしたのは初めてだ。

『師族会議』からの質問は、さっきの控え室で十文字先輩がしてきたのと殆ど同じだった。

十文字先輩は気使いとは無縁の性格だけれど、相変わらず僕には、先輩として気を使ってくれている。さっきと同じように対応をして、次に当主が個別に質問を始めた。

 

「私が気になったのは、何故あのタイミング、具体的には九校戦のアイスピラーズブレイクの決勝で披露する気になったのか、と言う事です」

 

八代さんが若くハリのある声で尋ねてきた。

どう説明しよう、十師族の横槍があるから気をつけろって『真夜お母様』から忠告を受けていたなんて、本人たちの前で言えない。あの時の審判は大会役員からは更迭されたって…

 

「それについては私が」

 

一条剛毅さんが手を上げた。日焼けした逞しい手だ。

 

「皆さんは『強硬派』が五輪澪殿を担ぎ上げて、大亜連合との開戦を画策していたことをご存知でしょう。

これは氷倒し決勝で多治見君と対戦した愚息から聞いたことですが、多治見君は自分の後見をしてくれている五輪澪殿を戦場に行かせたくない、『戦略級魔法師』の負担や重圧を少しでも分かち合いたいと考えたそうなのです」

 

昨日、九校戦宿舎で会話したことを父親に伝えても良いか?って将輝くんからメールが来ていたから、僕は構わないよって返信していた。ちゃんと確認のメールをくれる所が将輝くんらしいまじめさだね。

 

「『戦略級魔法師』ともなれば国家の方針に従うのは当然だが…『強硬派』か、あれらは拙速にすぎるからな」

 

三矢さんはどこかパワフルだ。とくに眉毛と話し方が

 

「だが全世界に中継されている場面で『戦略級魔法』とは、非常識だ」

 

九島真言さんは、なんとなく僕の方から視線をはずしている。

 

「インパクトはすごかったですね。ライブ中継では疑問の抱きようがないですから。我々全員をここに集めるほどのインパクトですよ。一堂に会することは四年に一度しかないんですから」

 

六塚さんは、僕を見る目が楽しそう。なんだか可愛い人形か犬でも見ているようだ。

 

「氷倒し決勝後、多治見君は愚息に『決勝を利用してごめんなさい』と頭を下げたそうだ。なんとも男らしい潔さだ」

 

「これは難しく考えなくてもよろしいのでは?皆さん。多治見君は五輪澪殿の負担を減らしたいと考えていたのでしょう?たしかにあの場面での『戦略級魔法』は過剰でしょう。

でも大好きな女性と苦労を分かちあいたいなんて、高校生の男子の決意は並々ならぬものがあると思いますの」

 

『真夜お母様』が妖艶に笑って、僕をちらりと見た。

僕は、顔を真っ赤にしてしまう。自分で言うのは良いけれど、『真夜お母様』に面と向かって言われると、すごく恥ずかしい。僕は両手のひらを腿の間に挟んでもじもじと俯いた。それまで緊張もせずふてぶてしいまでに無表情だったから、会議室の空気がいきなりほんわかした。

『真夜お母様』の発言と僕の態度は、女性陣に好印象を与えたようだ。五輪家当主も娘を想う少年の気持ちには当然動かされる。

 

「多治見君もすごいが、これはこの『起動式』を組み上げたエンジニアも凄いのではないでしょうか」

 

七草弘一さんが言う。まったくだ。達也くんは凄すぎるよ。

 

「司波達也君だったね。彼の九校戦での活躍は表には出にくいが、だからこそ凄みを感じる。この『起動式』も簡潔で一見誰でも使えるのではと錯覚してしまうほどだ。だが、『光の紅玉(スタールビー)』は、多治見君の膨大な魔法力、サイオン量、演算領域があってこそ使える、彼しか使える者はいない。しかも、九校戦では威力を落としている。

専門家の意見では本気を出せば『荷電粒子』すら撃てるそうだよ」

 

三矢さんは兵器ブローカーなんだそう。ディスプレイに表示された『起動式』を確認しながら『魔法』の威力について発言する姿は、兵器の売込みをする武器商人みたいで生々しい。

それに、いつのまにか『光の紅玉』で定着している。名付け親は澪さんだ。

 

「なっ!?」

 

大人たちはど肝を抜かれる。十文字先輩も表情が動いた。

僕はこくりと頷いた。荷電粒子砲は威力が大きすぎるから使い道は、戦争でしか、ない。『デスザウラー』は荷電粒子砲で古代ゾイド人を滅ぼしたんだよ!

 

「『荷電粒子』これは公表できない秘匿情報ですね…」

 

「戦略級…それ以上かも知れません。古今類を見ない『魔法』…これは決まりですね」

 

一般に公表できない秘密を共有、独占することは権力者にとっては喜悦だ。

一条、四葉、七草、九島、十文字以外の当主がにんまりと頷いていた。

一条剛毅さんはむっつりしているし、『真夜お母様』は微笑をたたえ、七草弘一さんは表情がわからない。九島真言さんは不機嫌そうで、十文字先輩はいつも通りだ。

 

それはともかく、僕が『戦略級魔法師』として『公式』に認められた瞬間だった。

 

それまで黙っていた五輪さんが手を上げて発言を求めた。

 

「これは娘…『戦略級魔法師』である五輪澪からの提案…希望なのですが、多治見君はまだ高校生です。正式な『戦略級魔法師』の認定は高校、もしくは大学卒業後にして欲しいと」

 

「そうですわね。一番多感な時期の少年に国家の命運を押し付けても、悪い方向に向かうかもしれませんね。五輪澪さんの体調不良もそれが一因だったかもしれませんし」

 

二木さんが、当時のことを思い出しながらなのか、反省している。

 

「では、多治見久君は『戦略級魔法師』として発表するが、高校を卒業するまでは学業を優先。大学卒業か、もしくは成人になった時点で『戦略級魔法師』としての公務を始めてもらう。で問題ないかな」

 

異議はあがらなかった。基本的に20歳までは『戦略級魔法師(仮)』ということだ。もちろん、戦争が始まれば別だろうけれど、海の『アビス』、天地の『ルビー』に真正面から挑むのは道連れ自殺志願者だ。

 

 

「ところで、多治見君は来年で18歳だ。法的に結婚が可能な年齢になるわけだが…」

 

唐突に七草弘一さんが発言を始めた。他の当主たちは、一瞬怪訝な顔をして、ああと頷いた。

僕が見た目がどうしても、10歳の少女だから、その問題と年齢が一致しなかったみたいだ。

 

「『魔法師』は早婚を求められます。多治見君ほどの優秀な『魔法師』はいません。これまでも、大企業や政治家の先生から見合い写真が沢山送られていたそうですよ」

 

全員の視線が僕に集まる。僕はげんなりとした表情になった。

十文字先輩がすっと手を上げた。あっ、何となくまずい流れな気がする。

 

「その事に関しては、多治見殿から、一高の先輩として、『十文字』として相談をうけていました。元日に『九島家の会』に出席してから頻繁になったと」

 

公式の場では『殿』って呼ぶのか…すごい違和感だな。

 

「『九島家の会』に?それは九島殿?」

 

「うっうむ、多治見殿は父の秘蔵っ子でしてね、入学前から何くれとなく世話をしているのですが…」

 

「九島殿、ここで正式に発表してはいかがでしょう、多治見殿と藤林響子殿が一年前から婚約していることを」

 

爆弾発言に、ええっ!?と会議場がどよめいた。当主たちの視線が九島真言さんに集まる。真言さんは相変わらず不機嫌そうだ。父である烈くんへの対抗心から僕に素直に向かい合えない。

この婚約(仮)の事を知っているのは、九島、四葉、十文字。ん?七草弘一さんも落ち着いている。僕と響子さんの婚約(仮)は去年の九校戦のとき烈くんの肝いりで決まっている。

響子さんは世界的にも有名な『魔法師』だ。『十師族』で知らない人はいない。

 

「そう、去年の九校戦のときに。藤林響子殿は…たしか26歳でしたね…多治見殿とは約10歳離れていますが…なるほど流石は九島閣下ですね…これほどの逸材を無名時代から…」

 

これは六塚温子さんだ。六塚さんは現在29歳。自分とほぼ同世代の有名人の女性が10歳年下の男の子と婚約となれば、複雑な気持ちになるだろうだろうなぁ。しかもその少年はどう見ても女の子だし。

 

「多治見殿が成人するまで婚約の発表は控えていると聞いていますが、そうですよね九島殿」

 

「あっああ、そうなりますな」

 

そんな話は聞いていないって顔に書いてある。僕も言っていない。以前、十文字先輩と会ったときに、勝手に思い込んで結論付けていたな…

 

「そのような事情ですから、当主の皆さんも、懇意にしている企業や政治家、ナンバーズからの見合いの働きかけはお控えください。多治見殿の高校生活の邪魔にならないようお願いいたします」

 

あの時の約束をここでも律儀に守ってくれる十文字先輩は天然だ。

僕はいずれ響子さんにはふさわしい男性が現れると思っているんだけれど…もう手遅れかな?

 

「いや、しかし、多治見君ほどの『魔法師』…いや『戦略級魔法師』が『十師族』に連なることになるのですから、それはめでたい事ではないでしょうか」

 

五輪さんが、なんだか動揺しているな…大丈夫かな。七草弘一さんの口元が、にやりと歪んだ気がする。『真夜お母様』は、ただ妖艶に微笑んでいた。

 

 

僕の概略と『戦略級魔法』は夕方、正式に発表された。

『戦略級魔法師』、多治見久。国立魔法大学付属第一高校在学。17歳。男。

『戦略級魔法・光の紅玉(スタールビー)』。太陽光を利用した不可視レーザーによる振動系の系統魔法。射程は50キロ、レーザーの温度は6000度以上、レーザーの幅は10~100メートル。バラージ掃射可能。魔法の展開時間は数秒から、一時間程度。一日に複数回使用可能。

『戦略級魔法師』としての正式な公務は成人後から勤めること。

報道関係には僕が未成年であるうちは、過度な接触や取材は自粛することを要請する。

僕の過去は未公表、『荷電粒子』の事は未公表。藤林響子さんとの婚約は未公表、住所は未公表、『戦略級魔法師・五輪澪』との同居も未公表、一高の成績は公表しないでください。

 

つまり、九校戦で中継された映像以上の情報は、何も追加されていない。『戦略級魔法師』の情報をそのまま公表するわけはないけれど…

 

これからどうなるかはわからないけれど、高校在学中は、今までとかわらない生活をおくれそうだ。大学に入れるかはまだわからない。僕の成績があまり秀でていないことは公表されていない…しないで欲しいです。

とりあえず、安易に僕や『家族』に手出しをする個人や組織はいなくなるはずだ。僕を嘲ったりする生徒も減るし、澪さんを揶揄する人も減ると思う。

ただ、それを気にしない組織もある。たとえばローゼンとか大亜連合とか、スターズとか…まぁ、気にしすぎだよね。

 

 

魔法協会ビルを後にした僕は、警備の二人と中華街に向かった。一高の制服は目立つから、私服に着替える。

前回と同じで周さんに連絡は入れていない。というか、そもそも電話番号を知らないんだけれど。

中華街の入り口に、当たり前のように周さんが立っていた。やっぱり、僕たちが来る事を最初から知っていたみたいだ。ただ、周さんは、少し体調がすぐれないのか、顔色が悪い。

影が薄い、と言うと変だけれど、気配が希薄だ。『方位』を狂わせているのか。僕たち相手ではなく、別の誰かに対して…

『パラサイドール』を狂わせる術者を送り込んだのは周さんだって、九重八雲さんは教えてくれたけれど、僕への態度は敬意に溢れている。質問しにくい雰囲気だ…

 

「無理をしないでくださいね」

 

「ありがとうございます。多治見様へのもてなしは何よりも優先されますから。これも尸解仙へ至る、重要な一歩です」

 

難しい事を言う。

周さんは、その後、僕たちを精一杯もてなしてくれた。警備の二人も満足してくれたみたいだ。

お店から出るとき、街は騒がしかったけれど、周さんはますます存在が希薄になっていた。

ふと振り向くと、街の鈍い明かりが作った闇に沈むように、周さんの姿は消えていった…

 

 




この日の前夜、周公謹は黒羽の襲撃を受けています。達也たちが来る前に逃げますが、逃げると見せかけてまだ中華街に潜んでいました。
久の姿を、『高位次元体』の『王』の姿を確認して、周公謹は尸解仙にいたる西へと向かいます。


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ピンク

ラブコメにしても良いとのご意見がありましたので、今回はラブコメです。


 

僕が『戦略級魔法師』に認定されたことは当然、瞬く間に世界中に知れ渡った。

『戦略級魔法師』の認定は僕の想像以上に重大な事件だと思うんだけれど、夏休み期間中とあってか一高からは何も言ってこない。大丈夫なんだろうか。新学期が始まるまで放置?

校長先生は一高に国会議員が訪問したときも出張で不在だった。今も出張しているのかな?大事な時にいないとか、学校の経費で旅行でもしているんじゃないだろうか。ファーストクラスで…80年前のどっかの辞めた都知事みたいに。

魔法協会には、マスコミからの取材要請が殺到して、通常業務に支障が出るほどなんだって。国や軍への対応も魔法協会と『師族会議』がほとんどしてくれている。

正確には僕はまだ第一高校の学生で『魔法技能師』の免許を持っていない、いわゆる『魔法師の卵』だ。魔法協会に所属をしているわけじゃない。でも、『戦略級魔法師』として特例で魔法協会に所属することが決まっている。これが特例と認められないなら、認められる特例なんてないと思う。

今後の僕のする事は高校を卒業して、魔法大学か防衛大に入学することだ。大学は推薦がほぼ確定しているけれど、高校留年や落第は保障してくれない。とにかく勉強すること、勉強に集中しろと言う事だ…

 

学力に問題のある僕は勉強しなくちゃいけないんだけれど、夏休みの残り約二週間は宿題と格闘しながらあちこち出かけることになっている。

まずは真由美さんたちと海に行く約束だ。今回は澪さんといつも仕事が忙しい響子さんと一緒。二人とお出かけなんてほとんど初めてで、僕はテンションが上がりまくっていた。

前夜から楽しみで眠れない。いや、いつも眠らないけれど…ベッドで左右にごろごろ。お弁当は…いらないか…おやつは500円って言うよね…でも自作ならその金額に含まれないかな…

なんだか遠足前の小学生みたいで、これも初めての気分だ。魔法科高校は高校らしいイベントが全然ないから、こんなちょっとした事でハイテンションになる僕の情緒はやっぱり不安定だ。

 

海へは一泊の予定で、場所はセキュリティーの関係で不明だ。ただ、澪さんの警護は国策でもあるから、沢山の警備員はすでに七草家のプライベートビーチに配備されているって。

澪さんの行動は、基本一週間前には決まっていないと自宅から出かけることができない。僕の警護は当面はこれまでどおりだ。

『戦略級魔法師』の心得みたいなものは、本来ならしかるべき機関できちんと学ばなくちゃいけないんだろうけれど、それは澪さんが教えてくれることになっている。澪さんとほとんど一緒にいるからね。ちょっとしたきっかけで『魔法師』は力を失う。未成年ならなおさらだ。だから新しい『戦略級魔法師』の教育は時間をかけてゆっくりと行うんだって。

『戦略級魔法師』の生活は色々と大変だから、たまには澪さんも開放感を味わえるといいな。

まぁ自宅に引きこもっている澪さんはいつも幸せそうだけれど。僕も将来同じ道をたどりそうだ…

 

早朝、七草家に澪さんのリムジンで向かう。それにしても、どうして十師族はリムジンがデフォルトなんだろう。狭い日本の道路にはとても向かない車なのに。

僕はいつものデニムパンツにリネンシャツ、一見すると性別が不明だ。僕は魔法師界では比較的知られた容姿をしている。派手な一高の制服を着ていると、一般人でもすぐ気がつく。この服装だと、とても高校生には見られないという利点がある。貧弱な身体の利点なんて嬉しくないけれど。

澪さんと響子さんも夏らしい涼しげなワンピースだ。これにストローハットをかぶれば、完璧な避暑地に赴くお嬢様だ。二人とも素敵だ。

七草家は朝から緊張に包まれていた。何しろ世界に14人しか公式に認められていない『戦略級魔法師』を二人も招くのだから。わざわざ七草家当主の弘一さんが三姉妹と玄関先まで迎えに出てくれていた。『戦略級魔法師』はフランクな友人と言う扱いが出来ないんだ…

とは言え、今回は公式行事ではないから、簡単に挨拶をすませて、真由美さんの案内で控え室に向かう。

控え室といっても、かなり広いけれど、室内には市原先輩、渡辺先輩に、見知らぬ男性が一人いた。僕たちが部屋に入ると、すっと立ち上がって頭をさげた。

男性は、うわぁ、美青年だ。光宣くんとは違う大人の美丈夫。背が高くて細身だけれど、鍛えられた日本刀のような雰囲気がある。

渡辺先輩がずっと寄り添っていて、一高在学時には見せなかった表情をしている。

 

「はじめまして、五輪澪さん、藤林響子さん、多治見久君。千葉修次です」

 

僕と澪さんと響子さんも簡単に挨拶をする。

真由美さんが控え室のドアを閉める。お手伝いさんも廊下に閉め出して、ふうっと一息をつく。ここからは、友人たちの時間だ。堅苦しい態度もこれまで、と言う事になる。

 

「多治見君が来てくれてよかったよ。男が僕一人だけだと、ちょっと居心地が悪いからね」

 

今回の海水浴は女性ばかりだ。千葉修次さんは、それほど居心地が悪いようには見えないけれど。

修次さんは初対面の僕を女の子あつかいしない…この人は、絶対に良い人だ!

 

「それにしても、『戦略級魔法師』二人に『電子の魔女』の組み合わせって、冗談抜きで世界征服できるわよね…」

 

僕が澪さん響子さんと並ぶ姿を見て、真由美さんが冗談でもつまらない事をいう。世界を征服しったって何の意味もないよね。支配する事は支配されるという事でもあるし。

僕が『戦略級魔法師』に認定されてから先輩方とは初めて会うけれど、僕への態度は以前と変わらない。修次さんは剣術家らしく、このくらいで落ち着きをなくしたりはしないみたいだ。

香澄さんと泉美さんは僕たち、というか澪さんに少し萎縮しているみたいだ。

七草姉妹と響子さんは以前からの知り合いだけれど、それほど深い付き合いではない。師族同士の一定の距離感がある。

 

「ところで、久先輩と響子さんは、どういうご関係なんですか?澪さんは同居しているけれど…」

 

香澄さんが聞いてくる。余所行きの態度なのに少しジト目だ。ちょっと不機嫌みたいだ…

『師族会議』で七草弘一さんは僕と響子さんの関係を知ったはずだけれど、未公開の情報はたとえ家族でも話していないのか。そのあたりはちゃんとしているんだなぁ。

響子さんとは婚約者(仮)だけれど、未公表の情報だから秘密でいいよね!

早く響子さんの前に、修次さんみたいな男性が現れると良いな。響子さんの演技がちで相手を計るような性格を受け入れられる男性はなかなか居ないと思うから、響子さんも少し変われれば人生楽になるんだけれど、大人がそう簡単に変われるわけがない。

澪さんは、出会いは難しいだろうなぁ…

響子さんは、僕が東京で暮らすに当たって九島家や烈くんにかわって色々と面倒を見てもらっているというような説明を曖昧にしておく…

七草姉妹はそれで納得してくれたけれど、市原先輩は無表情で疑っている…気がする。

修次さんは防衛大の学生だけれど軍属でもあって、世界的に有名な近接格闘魔法師なんだって。なるほど、渡辺先輩が魔法大学に進学しなかった理由はそれでか。でも、『千葉』ってことは…

 

「じゃぁええと、エリカさんのお兄さん?」

 

「うん。よく似てないって言われるけれどそうだよ」

 

顔の造作は似ている。でも最大の違いは、エリカさんはいつも不機嫌そうで、修次さんはすごく丁寧で落ち着きのある人ってところだ。

 

「エリカさんは、僕の事を頼りない子供だと思っているんです」

 

「そうなのかな?エリカとはあまり学校の事は話さないんだけれど」

 

ん?エリカさんは家族仲があまり良くないのかな…?こんな優しそうな、理想的なお兄さんなのに。千葉寿和さんとはずいぶん雰囲気が違う。寿和さんはパーティー会場のでれっとした雰囲気のイメージが強い。

 

「じゃぁ…千葉寿和さんはお兄さん?」

 

「うーん、全然似てないって言われるけれどそうだよ…」

 

兄と妹でずいぶんとニュアンスのちがう返事だな…。修次さんと渡辺先輩は恋人同士なんだ。渡辺先輩が高校時代からのお付き合いだって。

 

「じゃぁ、修次さんが渡辺先輩と結婚したら、渡辺先輩はエリカさんのお義姉さんになるんだ」

 

「ちょっ、こら多治見いきなり何を言う…」

 

僕の唐突な発言に渡辺先輩は顔を真っ赤にしている。でもマンザラデモナイみたいだ。

 

「そうねぇ、結婚したらそうなるわねぇ」

 

「そうなりますね。あまり妹仲は上手くいくとは思えませんが」

 

恋人同士は苦笑い、真由美さんはにやにや、市原先輩は無表情で毒を吐く。双子は視線を泳がせる。ナンバーズは色々と複雑みたいだ。

 

 

朝食は各自すませて来ているから、七草家のヘリポートに向かう。この人数に警護の人員もいるから、ヘリは中型で一般家庭にはそぐわない汎用型…十師族ともなれば防御も重要だ。つまり分隊を運用できる軍用ヘリを改装したものだ。ブラックホーク…ごつい。

これは飛行中はローター音がすごくて会話なんて出来ないなって思っていたけれど、真由美さんがちょいちょいっとブレスレット型CADを操作して騒音をヘリ内に入れないようにしている。

自衛以外の魔法使用は厳しいのでは…と言う突っ込みは無駄だね。座席は三人がけでゆったりとしている。シートベルト必須だから座りっぱなしだけど、七草家のプライベートビーチには数十分で到着した。

正確な場所は不明だけれど、太平洋側なのは間違いない。プライベートビーチは小さな入り江で、海には七草家の別荘からしか行けない。他の海岸からは隔離されていて死角になっているから、他人の目はまったく気にしなくても言い。もっとも人家も離れていて、ビーチの周辺は警護の人達が囲んでいるから一般人は近づけない。海には巡視艇もいるから、海側からの襲撃も難しい。『戦略級魔法師』の警護は大変だ。澪さんが遠慮して引きこもるのも無理もない。

十師族のプライベートもいろいろと大変だと僕は思うけれど、真由美さんたちはそれが当たり前の人生なので、全然気にしていない。

このメンバーで一般市民は僕と市原先輩だけだ。でも、市原先輩もすっかり慣れている…諦めている?

 

弓形に弧を描くビーチは綺麗で、ゴミ一つ落ちていない。きちんと手入れされている。静かな夏の海を独り占めって感じだ。一般の海水浴場を貸切にしたのとは趣が違う。海の家がないのは残念だ。

21世紀前半の真夏なら、あっという間に日焼けして大変なことになるけれど、寒冷化時代の太陽は、真昼でもちょうど良いくらいだ。

僕たちはさっそく水着に着替えてビーチに向かう。

僕は修次さんと同室で着替えたけれど、修次さんは僕の女の子みたいな華奢な体型に少しも動じない。修次さんは細マッチョだ。剣術家だから身体は鍛えている。怪我のあとが見当たらないのは、卓越した実力の証明なんだと思う。

僕はショートパンツなんだけれど、響子さんが選んでくれたコレは女性用なんじゃ…それに、上に水着用のタンクトップを着る。去年、雫さんの別荘に行った時は上にパーカーを着させられていたけれど、あれじゃ泳げないし。

ショートパンツだけでいいと思うけれど…男なんだから…

…そういえば、去年、僕は南の島で結局泳がなかった。泳ぐってどうすればいいの?

 

響子さんは赤のビキニ。ブラジルビキニって言うんだって。ストラップは細くて、ボトムはハイレグカットなのにローライズ。体型に自信がないと着られない。大人の水着だ。

束ねた髪にサングラス。堂々としていて、なんだかセレブかモデルだ。

真由美さんが、めずらしく萎縮しているな…真由美さんはトランジスタグラマーで、同じくビキニなんだけれど、少し背の低い事を気にしている。この日のためにわざわざショッピングセンターで試着までして水着を新調したそうだけれど(原作13巻135ページの挿絵をご参照あれ)、小悪魔対決は響子さんの圧勝のようだ。

澪さんはチューブトップビキニ。青と黄色が鮮やかでボトムはやっぱりハイレグカットでローライズ。お尻が半分見えちゃっているよ…恥ずかしそうだ。もじもじしている。

未成熟な体型にまっすぐな黒髪とあいまって、奇妙に大人っぽい。

渡辺先輩は動きやすいスポーツタイプのビキニだ。鍛えているから、ウエストがすごく細い。

市原先輩はワンピースだけれど、背中はほとんど肌だけのタイプだ。背も高くて、スタイルいいなぁ…

こうしてみると、香澄さんと泉美さんは、同じビキニでもなるほど高校一年生なんだなって思う。子供っぽいって思う真由美さんもやっぱり大人なんだね。

僕はどうみても子供、それも女の子みたいだけれど。

寒冷化の影響で、肌を露出しない服装が一般的なこの時代。でも、どうして女性陣の水着は布が少ないのだろう。海で開放的な気持ちとは言え、男だっているのに。

男…修次さんは…渡辺先輩しかみていないな…渡辺先輩も…あぁもうこのラブラブカップルは…五十里先輩&花音さんのカップルとは違う熱い空気を周囲に撒き散らしている。

真由美さんの機嫌が目に見えて悪くなっていく…

こういうとき、真由美さんのとる行動はひとつだ。周囲の男子をからかって憂さ晴らしをする。一高時代ならはんぞー先輩か達也くん。修次さんは年上だからからかえない。

つまり標的は僕しかいない。

 

「久ちゃーん、お姉さんに日焼け止め塗ってくれる?」

 

ビーチパラソルの下にシートを広げて、うふふふふっと小悪魔は僕を呼び寄せる。トップのヒモを解いてうつ伏せになる。大きな胸がむにゅっとなっている。ライトノベル的展開だ。普通の男子ならここはドキドキしてしどろもどろになるはずだ。でも…

 

「いいですよ」

 

僕は、普通に返事をして、オイルのビンを受け取ると、自分の手のひらに広げて少し温める。

 

「うつ伏せのままリラックスしてくださいね。お尻はどうします?僕が塗ってもいいですか?」

 

真由美さんの横に座って、平然とオイルを塗り始める。その手つきは強くなく弱くなく、僕の柔らかい手で丁寧に、ムラなく塗っていく。

 

「えっ?ちょっと久ちゃん…上手…え?あっふゃぁん」

 

と、逆襲を受けた真由美さんが可愛い声を上げる。うん、めちゃくちゃ可愛い声だ。

残念ながら真由美さんの悪巧みは僕には通用しない。僕は大人小悪魔と一緒に住んでいるんだよ。

響子さんは時々…いや頻繁に僕をからかう。よっぽど、仕事場でストレスがあるんだろうね。手をかえ品をかえて僕で遊ぶんだよ。響子さんは基本的に僕を子供か弟と見ている。

僕が子供だからできることだけれど、髪を洗わせられたり、背中を…いや前もだけれど、洗わせられたりは良くあるんだ。しかも、スポンジじゃなくて素手で洗わされるんだ。『暦お兄ちゃんと月火ちゃんのお風呂シーン』みたいに丹念に…その間僕は目を瞑っているから、わざと身じろぎして妙なトコを触らせて僕をからかうんだ。だから女性の身体の触り方も、それはもう上手になって…

響子さんを洗わせられると、セットで澪さんも洗うことになるから、裸は見慣れて…いや見てないよ、見てない、うん。

『家族』だから一緒にお風呂に入っても問題ない!

だから逆に水着姿の方がどきどきする…響子さんはセクシーだし、澪さんも可愛いな。まだらに日焼けなんて出来たら綺麗な肌がかわいそうだよ。響子さんと澪さんにも言われなくても日焼け止めを塗る。ちゃんと自分用のを持ってきているあたり僕に塗らせる気満々だったね響子さんは。

市原先輩にも。市原先輩は真由美さんに恩を感じているけれど、こういうときは容赦なく真由美さんをいじる。

 

「有難う多治見君。でも私は真由美さんのように肌は白くないから、オイルを塗ってもあまりかわらないですし、自分でしますから」

 

「だめだよ、市原先輩は手足がすらっとしてるけど、それでも背中には手は届かないよ。ちゃんと塗らないとムラになっちゃう」

 

「別に誰に見せるわけでもありませんが」

 

「市原先輩は素敵だよ、背も高くて、頭も良いし肌もすべすべだし。綺麗な髪にオイルがつかないように塗らないと…」

 

言わされている。褒めさせられている。誘導されている。市原先輩はこう言う誘導がやたらと上手だ。男性と付き合って、いざとなると違法な魔法を使うとか…なるほどキケンジンブツだ。

僕に褒めさせるたびに、真由美さんにさりげなく視線を送り、ふふん、と軽く笑う。二人の仲が良いからできることだけれど、本当に恩を感じているのだろうか?ただ、市原先輩には一高へのこだわりという僕との共通点があるから、気持ち真由美さんより丁寧に塗る…ぬりぬり。

真由美さんと澪さんの機嫌が少し斜めになっている…うぅ美女二人からのプレッシャーが…

こういうとき、僕の依存性が発揮されて、妙に甲斐甲斐しくなるから、中途半端に終わらせられない。お尻からつま先までしっかりと塗る。いやらしさは微塵もない。ない!それに一見すると女の子がお姉さんたちにオイルを塗っているようにしか見えないんだけれどね。

さすがに香澄さんと泉美さんには断られた。香澄さんは興味があったみたいだけれど…渡辺先輩は修次さんとラブラブ塗りあっている。

で、その後、僕は女性陣にオイルを塗りたくられるんだけれど…あっいや、そこは、あっやめ、ああああぁ!もう、全身テカテカだ。

 

テカテカにされた後、ビーチバレーやスイカ割りなんてお約束の遊びを満喫する。スイカ割りは僕が割る担当で、目隠しをしてぐるぐる回されて、みんなの誘導でふらふら棒を構えながら歩く。

 

「久君、そのまま真っ直ぐ、少し右」

 

これは澪さんだ。素直で、一生懸命応援してくれている。

 

「久君、全然方向が違うわよ、もっと左、そのまま波に飲まれると完璧よ」

 

響子さん。僕に何を求めているの!僕は身体を張ってウケを狙うキャラじゃないよ!

 

「多治見、達也君なら真っ二つだぞ」

 

渡辺先輩は達也くんが好きだよね絶対。たしかに達也くんなら一瞬の迷いなく真っ二つにしそうだ。

 

「久先輩、わた…ボクはここだよ!もう鈍感!」

 

香澄さん…よく意味がわからない誘導だけど…鈍感なのは事実だ。痛みに強いのは良いことなのか悪いことなのか…

 

「目隠しするとほんと小さな深雪先輩ですわ…」

 

泉美さんは、僕とは微妙にかみ合わない。深雪さんしか見てないもんね。

 

「多治見君、55センチの歩幅で6歩、太陽の方角に、23度左です」

 

市原先輩!そんな細かく言われても無理ですよ!

 

「久ちゃん、きちんと割れなかったら罰ゲームだからねっ!」

 

あっ、真由美さんが不機嫌だ。罰ゲームはなんだろう。不安だ。

 

「多治見君、心の目で見るんだ。」

 

修次さん!心眼なんて、いきなり出来ません!

 

「えいっ!」

 

ぽかりっ!

 

みんなのでたらめな誘導に、僕はスイカを見事に真っ二つ…とは行かなかった。スイカに棒は見事に当たったけれど、非力な僕の一撃はスイカの厚い皮に弾き返されたのだった。

罰ゲーム決定?

 

二時間もすると年長者三人は学生のテンションに着いていけずに、ビーチチェアに寝そべってほとんど日光浴状態だ。年長者は、僕と澪さんと響子さんだ。僕なんて、超後期高齢者だ。

女子学生のテンションは、ほんとすごいなぁ。えんえんと笑い声が絶えない。市原先輩のあんな楽しそうな笑顔は初めて見る。修次さんもタフだなぁ。

澪さんは以前の虚弱体質からは回復したけれど、そもそも引きこもっているから、長時間の直射日光は肌に悪そうだ。パラソルの影で日差しをまぶしそうにしている。

 

「澪さん、なにか飲み物いらない?響子さんも。僕、貰ってくるよ。タオル新しいのにかえて…」

 

別荘にはお手伝いの女性が数人いる。チェアの無線でお願いすれば飲み物や必要なものは届けてくれるけれど、僕は自分で何かをしたいんだ。

 

「久君も、のんびりしてください。こんなところにまできて主夫業をしなくてもいいんですよ」

 

と、たしなめられる。だって、僕は二人に尽くしたいって無意識に考えてしまうから…

そんな僕のもとに渚で遊んでいた香澄さんが近づいてきた。玉の汗を弾く若い肌が瑞々しい。

香澄さんもスポーツタイプのビキニだ。活動的な香澄さんにぴったりだけれど、渡辺先輩のよりはデザイン的に凝っている。良く似合って可愛い。数時間前までの大人二人への遠慮は、夏のテンションが駆逐していた。

 

「久先輩は泳がないんですか?」

 

「うぅん、実は僕、泳いだことがなくって。去年南の島に行った時も、波打ち際で戯れていただけで…」

 

浮き輪に乗って浮いていただけだったな…

 

「じゃぁ、わた…ボクが教えてあげるよ」

 

それはありがたい。『戦略級魔法師』が泳げないなんて、何となくだけれど情けないし。

 

「澪さん、響子さんも、何かあったら呼んでね、すぐ来るか…あっちょっと香澄さん!」

 

台詞を言い終わる前に、ぐっと手を握られて、ぐいぐい引っ張られていく僕。

香澄さんに手を引かれて、海におそるおそる入る。お風呂のお湯と違って、ちょっと粘っこい、まとわりつく水だ。

皆から離れて、少し淵になっているところに向かう。まだ足がつくけれど、まずは肩まで海水にひたる…うぅ、ここの淵は少し日陰で意外と水が冷たい。

まずは香澄さんの手を握って、バタ足の練習。香澄さんの両手はすごく熱い。

海水に顔をつけるけれど、水中で目は開けられない。髪は邪魔にならないように後頭部で纏めてあるけれど、一本二本が顔にまとわりついてわずらわしい。スイムキャップを持ってくればよかったな。

正直言って、結構怖い。海水は目にしみるから僕はずっと目を瞑っている。暗闇の世界で、香澄さんの声と両手だけが頼りだ。うぅん、僕の貧弱な身体はあまり水に浮かないみたいだ。

香澄さんの誘導で、息継ぎの練習をする。筋力不足の僕のバタ足は、ばしゃばしゃと水しぶきが跳ね上がるだけで、なんとも無様だ。全然推進力になっていない。とても泳げそうにない。

数分、バタ足をしただけでかなり苦しい。香澄さんが手を握っていてくれるからかろうじて浮いている状態だ。もし香澄さんが握っている手を放したら…

 

「じゃぁ久先輩、手を離しますから、自力で泳いでみてください」

 

香澄さんが握っていた手を離した。

えぇ!?

途端、僕の身体は安定を失って海中に沈みだす。なんとかバタ足を続けるけれど、それはほとんどもがいているだけだ。段々と浮力を失って、肩から、顔が沈んで…

 

「もがっぶはぁ」

 

それはただパニックで暴れる子供だ。僕は、どうやらカナヅチのようだ。脂肪が全然ないから、垂直になると、もう沈む一辺倒。あぶっあっぼば!

相変わらず目は瞑ったままだから、何も見えない。香澄さんどこ!?

 

「ちょっ久先輩!」

 

パニックの人間が何をするか。とにかく目の前のモノにしがみつく。掴む、抱きつく!

 

「久先輩、落ち着いて、足がつきます、きゃぁああ!」

 

僕は、香澄さんの水着を掴んで、引き寄せて、めくり上げて、必死にしがみつく。

勿論、パニックの僕は何も見えていない。海水と水しぶきと白い肌に柔らかい胸…

じたばたと、全身で香澄さんにしがみつく。柔らかい胸に顔を埋めて、もう涙目だ。

やがて、足を滑らせた香澄さんは、盛大に転んで、水柱があがった。

 

僕たち二人は修次さんと渡辺先輩に抱え上げられるまで、何度もしがみついて倒れるを繰り返していた…

浜辺に引き上げられた僕たちは、ぐったりしていた。僕は溺れて、香澄さんは羞恥で。

目をこすって、なんとか目を開ける。目の前に水着の上がなくなっていた香澄さんが顔を真っ赤にして震えていた。寒いのかな…日差しはまださんさんと降り注いでいるけれど…

香澄さんの柔らかな胸のラインが両腕からこぼれて…

 

「久せんぱ…見…た…」

 

香澄さんが茹でタコに…あっと!

僕は慌ててタンクトップを脱ぐと、香澄さんに手渡す。

 

「香澄さん、とりあえず、これを着て…」

 

「えっ?ちょ、久先輩、上脱いだら…見える!」

 

ん?上を脱いだら、裸だよ。でも僕は男の子だから、そもそもタンクトップなんて必要ない…

僕の上半身の裸を見て、女性陣(澪さんと響子さん以外)が黄色い悲鳴を上げた。修次さんがなぜか目を逸らす。

えぇと僕は男なんだけれど…

香澄さんは僕のタンクトップを着ると、顔を真っ赤にして俯いていた。真由美さんが声をかけたけれど、僕のタンクトップをひっしっと掴んで、自分を抱きしめるように黙っていた。

少し前のぎこちない二人の関係みたいな雰囲気だ。香澄さんの涙目なんて悲しくて見ていられない。

暴れたせいで髪は中途半端にほどけている。濡れネズミの僕は、夏の日差しに、早く髪を洗いたいなってぼうっと埒もない事を考えていた…

 

ちょっと気まずい二人と、少し不機嫌な澪さん。それをにやにや見守る女性陣。

修次さんが動じない態度で、てきぱきとバーベキューの準備をする。肉の焼ける音と香りが食欲をそそる。僕は体型に似合わず、良く食べる。

 

「香澄さん、これ美味しいよ、取り分けるから、あっそれ僕の食べ止しだよ!澪さん、このオレンジ瑞々しいよ、皮をむくから、はいあーんして」

 

僕はいつもの甲斐甲斐しさを発揮して、二人の機嫌をとりながら料理を勧める。こういう細々した動きが香澄さんの機嫌をそこねる元になるのは経験で知っているけれど、直しようがないから。

香澄さんは一つため息をつくと気分を切り替えた。

 

「今度、買い物に付き合ってください。荷物持ちをしてくれたら、見たことは許してあげます」

 

見たこと?何を見たんだっけ?ピンク…ん?

荷物持ちか…僕は非力だから役には立たないと思うけどなぁ。

ちゃんと約束をして、香澄さんは機嫌を直してくれた。また出かける用事が出来たな…勉強しなくちゃなんだけれど…

 

夜はパーティールームで全員参加のカード大会だ。

七並べはコツを覚えると燃えるね!デジタルなこの時代で、あえてアナログのゲームは楽しい。澪さんも響子さんも童心に帰って、修学旅行のノリになっていた。

カードは、ババ抜きやポーカーみたいに表情を隠すゲームは僕は強い。ポーカーフェイスどころか人形みたいな無表情だ。この表情から感情を読み取るのはすぐれた剣士でも難しい。

逆に、スピードや技術が必要なゲームは不器用な僕が負けまくっていた。一対一で僕に勝ちまくりの真由美さんのご機嫌が上昇して行っている。すごく子供っぽい。

結局、カードは僕が通算で最下位。スイカ割りのと同時に罰ゲームを僕がすることになった。

 

修学旅行(?)の夜といえば、付き物なのが、告白タイム…なんだそうだ。

真由美さん曰く、拒否は許されない、だって…

 

「久ちゃん、この中の女性で一番誰が好き?」

 

そんな物騒な質問は…ううん。

澪さん、響子さん、真由美さん、渡辺先輩、市原先輩、香澄さん、泉美さん。もちろん、全員…

 

「全員好きって言うのは却下よ!」

 

この小悪魔は、にっこり笑いながら人の退路を絶った。僕は少し考えて、

 

「えぇと、じゃぁ真由美さん以外の全員が好き、です」

 

「ええええっ!?」

 

真由美さんの驚きは演技っぽい。でも可愛い。

 

「そんな意地悪な質問をしていては本当に嫌われますよ。じゃぁ多治見君この中で、一番誰を愛していますか?」

 

市原先輩が微妙なフォローをする。フォローになっていないけれど…

僕は、その質問に、きょとんとする。僕の態度に、全員が黙った。

 

「…愛?は、わからない…何でだろう…僕が子供だからかな。愛って何かな」

 

ためらわない事さ~♪。それは『ギャバン』だ。

うーん、真剣に考えるけれど、わからない。雰囲気が少し重くなった。その空気をかえるべく、恋愛経験の豊富(?)な響子さんが、

 

「久君、恋は落ちるもので、愛は溺れるものなのよ!」

 

とウィンクしながら上手い事を言う。そりゃあ、海では溺れたけれど…僕と香澄さんの間に愛はないよ。見ちゃったけど…

それで全員が納得したり笑ったりしているけれど、愛は僕にはわからない。

昔の僕は他人から愛されたことがない。愛を知らないからなのか、『高位次元体』だからなのか、7年間実験動物をしていたせいで精神が壊れているからなのかはわからない。

 

強がるだけじゃ、誰も守れないから、僕は『戦略級魔法師』になったけれど、自分自身のことは何もわからない。

 

本当に、わからない事だらけだ。それでも夜は更けていく…

 




強がるだけじゃ守れない。
魔法科高校アニメのOPの歌詞です。
今回のラブコメ。いやぁ難産でした。人数が多いし余分をカットしまくって。
時間がかかって…そんなに時間があるわけじゃないのに。
ラブコメと格闘シーンと魔法は難しい…ってそれじゃ魔法科高校のSSは書けないですね…汗。
それでも楽しんでいただけたなら幸いです。
お読みいただき有難うございました。








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フロッグマン

七草家の別荘は少し高台の崖の上に建っていて、三方は森に囲まれている。海側だけは眺望が開けていて、屋上庭園には大きな露天風呂もある。もともとリゾートホテルだった施設を買収して、改装したんだって。一年に一度利用するかどうかの別荘に…と言う考えは所詮庶民なんだ。お金持ちはそもそも価値基準が違う。

 

「久ちゃんは女の子なんだから、一緒にお風呂に入りましょう」

 

と言う真由美さんのお誘いは…

 

「うん、僕は湯着とか苦手だから裸で入るけど…いいですか?」

 

「うぇっ!?あっその、やっぱり、男女別に入りましょうっ!妹たちもいるし、ね!」

 

真由美さんは人をからかうけれど、自分がからかわれるのには慣れていない。昼のオイルの件もそうだ。こうやって逆襲されると、しどろもどろになって声のキーが上がる。可愛い。自分がからかわれると、とたん不機嫌になるエリカさんとは、何となく相性が悪いのがわかる。

人前に肌をさらす事を厭うこの時代(そのわりに水着の露出は…?)、共同浴場なんかでは湯着を着る。以前、四葉家で『真夜お母様』と一緒に入ったときも…あれ?あの時の事は、よく思い出せないな…

僕は、『撮影のためタオルを巻いています』とテレビの温泉シーンでテロップが出る時代の人間なので、お風呂には素っ裸で入る。羞恥心が少し欠けているのは自覚している。

男女別に時間を分けて、女性陣の長風呂のあと、千葉修次さんと入浴する。

ビーチでタンクトップを脱いだとき、思わず目を逸らした修次さんも、ちゃんと意識を切り替えると、僕を女の子扱いしない。

子供が無邪気にお風呂に浸かる姿を微笑ましげに眺めていた。妹はいるけれど、弟はいないから、そんな気分を味わっているんだって。

 

「本当は渡辺先輩と入りたかったんじゃないですか」

 

「そうだね、翌朝、時間があったら朝日でも見ながら入らせてもらおうかな」

 

僕のからかいも、大人の余裕で返されてしまった。真由美さんとは落ち着きが違う。

太平洋を一望できる眺めは、それはもう素敵だった。いくら僕が子供でも泳いだりはしない。泳げないからじゃなくて、マナーはしっかり守らないとね。

風呂上り、いつも通り澪さんに髪を乾かしてもらう。鏡に映る風呂上りの自分の姿に、いい加減切りたいなって思うけれど…

 

別荘の寝室は二人部屋で、居間が完全に独立していないジュニアスイートと言われるタイプだ。ホテルなら一泊数万円とかするクラス…

二人部屋…澪さんと響子さん、真由美さんと市原先輩、渡辺先輩と修次さん、香澄さんと泉美さん。結婚前、婚約もしていないカップルの二人部屋は問題なのではという考えは、九校戦のとき、五十里先輩&花音さんのケースがあるから深く突っ込みは入れない。達也くん&深雪さんは兄妹だから問題なしだ。

僕は一人と言う事になる。澪さんと、僕が一人では寝られない事を知っている香澄さんが何か言いたそうだった。九校戦の大荷物が同室と言う事もないので、僕は二人部屋を広々と使うことになる。広々としすぎて落ち着かないし、寂しい。

もっとも、僕は一人じゃ寝られないし、一人で寝室にいるのもめったにない。普段、目を瞑ったままベッドで朝まで横になっているより気分は楽だ。

一年前の南の島の時のように、部屋の照明もつけず、ベランダに出て静かに波の音を聞いていた。風はなくて、潮の香りもあまりしない。真夏の夜は冬よりも明るいから、星はそんなに見られない。月はまぶしいくらいに明るい。昼間遊んだビーチから月光にきらきら輝く海を水平線まで、ぼうっと眺めている。

沖には巡視艇が停泊している。僕たちが寝ている間も、警護は休めない。それが仕事だし、澪さんの外出も年に数回だから文句を言う人もいないと思う。

静かだな。僕は騒がしい街中よりも、こう言った静かな場所が好きだから、いつまでもこうしていられる。なんだかんだで、僕は人間が苦手なんだ。

時刻はすでに3時。皆は昼間の疲れもあるから熟睡していると思う。日の出までは2時間近くある。

 

ふと、ビーチで何かが光った。まぶしい月光に何かが反射したみたいだ。あそこは、昼間、僕と香澄さんが泳ぎの練習をした淵のあたりだ。

また、きらりと光った。海中の何かが月明かりに反射したんだ。

そう言えば、僕が脱がしてしまった香澄さんの水着は、海に放置したまんまだった。今もどこかに漂っているのかな。あの時は意識が回らなかったけれど、あの水着は香澄さんのお気に入りかもしれない。

なくしたままじゃ可愛そうだよね。

どうせ朝までする事はないし、月光も明るいから、ビーチに行けば見つけられるかもしれないな。僕は裸足にパジャマだけれど、皆は寝ているし、別に『能力』を使っても気にすることもない。

僕は軽い気持ちで『空間認識』をして、ビーチに『飛んだ』。

 

海岸に『瞬間移動』した僕は、大き目の岩の頂上に音もなく着地した。

ここは別荘からは少し死角になっている…

 

ん?

 

昼間、僕たちが溺れかけた淵の岩場にダイビングスーツを着た5人の男がいた。全員濡れそぼっている。今まで潜っていたみたいだ。

こんな時間に?日の出までには時間があるし、月明かりがあるけれど、海中は真っ暗だ。夜行性の魚を観賞してきたのか…ここはダイビングスポットだったのかな?

それにしては無口で陰鬱な雰囲気だ。長時間もぐっていたせいか、かなり息が荒い。

ダイビングスーツは、僕がイメージしている一般の物よりも凹凸が少ない。酸素ボンベやベルトも身体に密着して、金属同士がぶつかってちゃがちゃと音が出ないようになっている。さっき光ったのは、どうやら水中眼鏡のレンズ部分のようだ。それ以外はゴムか金属かわからない素材で出来ている。九校戦のローゼンの刺客が着ていたスーツを連想させる。

男たちは手際よくボンベや太いチューブをはずしている。

九校戦のときローゼンの社員さんは目に見えて筋骨隆々だったけれど、男たちは全身スーツをまとっていても中肉中背の日本人かアジア系の体型だ。『魔法師』に体型は関係ないから用心は必要だけれど、一見するだけでは判別できない。

男たち以外にも大きな荷物が置いてある。頑丈そうな2メートルくらいのサーフボード型の大きな黒い箱。人間なら4~5人入れそうな大きさ…何が入っているのかな。

男の一人が厳重に閉じられた箱を開けると、中には丁寧に折りたたまれたゴム製のボートと、鈍い色の掌より少し大きめのモノが沢山入っていた。

 

あれ?あの黒い箱の先端に布みたいなものが引っかかっているぞ。

あの色には見覚えが…あっ、香澄さんの水着のトップだ。あんなところにあったんだ。なぁんだ良かった。

 

「こんな時間にダイビングですか?」

 

僕はご近所さんに挨拶でもするように、のんびりと尋ねた。

 

男たちは僕の声に面白いぐらいに驚いていた。ビクッて擬音が見えるかと思ったほどに。

男が何かをわめいたけれど、日本語じゃなかったからわからない。

男たちはいきなりその場に現れた僕に動揺しながらも、それぞれが黒い箱に手を突っ込んで鈍い色の何かを握った。僕に殺気のまじった視線と、手に握ったそれを向ける。

僕はまるで無警戒で、岩の上に突っ立っている。

男たちが構えたモノは…コンバットナイフだ。魚を捌くにしては、少々剣呑だ。それに、ナイフには何か刻印がされている。見たことがあるような…ああ、武装一体型CADの刻印だ。強度や切れ味を増す為の『刻印魔法』。

ナイフの構え方は、どっしりとして落ち着いている。さっきの動揺が冗談みたいな豹変ぶりだ。真ん中の男がナイフを構えて僕を牽制している間、他の四人はさらに箱から拳銃を取り出した。

拳銃には銃口がない。特化型CADだ。と言う事は、この人たちは確実に『魔法師』だ。僕の用心はもう一段上がった。

 

「…多治見久!」

 

男が僕の名前をぎこちなく言った。僕の事を知っている。パジャマ姿でも僕だってわかっている…

四人が僕に向けて銃を構えた。『魔法』を使う気だ。引き金を乱暴に引く。

僕は茫漠と無警戒に立っている。男たちがどんな『魔法』を使おうと、容易く生け捕りでも殺害でもできる。誰だってそう思う状況。

 

でも、男たちの『魔法』は発動…しなかった。

 

サイオンを流し込んで引き金を引くけれど『魔法』は発動しない。余剰サイオンで男たちの身体が鈍く輝いた。また引き金を引く。『魔法』はまったく発動しない。

 

『魔法師』が『魔法』を使えない。この事実がどれくらい恐怖に感じるのか、僕は経験で知っている…

 

男たちの動揺は、目の前に僕がいるのにも関わらず物凄かった。やけになって何度も引き金を引く、CADを振る、叩く。精密機械を叩いちゃ駄目だよ、真空管テレビじゃないんだから。

拳銃型CADは僕が『空間の壁』で包んでいるから、仕込まれている感応石にサイオンは届かないよ。

僕にナイフを向けていた男が鋭く何か叫んだ。四人は、弾かれたように落ち着きを取り戻すと命令一下、銃型CADを砂浜に捨てて再びナイフを構えた。思い切りが良い。素人の動きじゃない…軍人。特殊工作員…潜入工作員か。

でも僕と男たちの距離は一息では届かない。男は、岩の上の僕をどう攻撃しようか一瞬迷ったみたいだ。

男たちは一般人じゃない。明らかな殺意を僕に向けた。だったら、ためらうことはないけれど、殺すのは情報を手に入れてからだな。

 

僕は、男たちの血液を『飛ばす』。

 

どさりっ!

急激に血液を失った男たちが、酸欠で一斉に倒れる。僕にとっては手馴れた無力化攻撃だ。

そのまま僕は一分くらい周囲を警戒していた。僕は探知系が全く駄目だから、こういう時は用心しないと…伏兵や先行していた兵は…いないみたいだ。

岩から降りて、男たちに向かう。岩を避けながら、ざっざっと裸足が砂を踏む。

男たちは動かない。完全に気を失っている…

僕は警戒を緩めて、男たちが運んできた箱に近づく。正確には、ボード状の箱の先端にぶら下がっているビキニに向かって。あの箱の中にはまだ何か入っているのかな…まぁ別にいいけど、それよりビキニだ。特殊工作兵にビキニのブラ…なんかチグハグで可笑しい。

一つに意識が向かうと他に目が行かなくなるのは僕の悪癖だ…

 

倒れた男たちは、長時間の潜水に特化した訓練を長期間していたみたいだ。低酸素状態に慣れている。気絶していたのは一瞬だった。すぐに覚醒して状況を把握する。

僕が無用心に近づいていく。

男たちは、倒れたままじっとしていた…

僕が男たちの中央に間抜けに立った時、5人の男たちの上半身が動いた。

 

シュインッ!!

 

うつ伏せのまま斬りつけて来たナイフは、同士討ちを気にしない捨て身の攻撃だ。

サイオンは流し込まず、普通にナイフとして斬りかけてくる。

空気を切り裂く鋭い音!スピード重視、サイオンで僕に攻撃を気がつかせない攻撃。

僕はその攻撃に、致命的なまでに無反応。ブラを拾おうと腰を曲げる…五本のナイフが、僕の両足を切り裂くっ!

 

ずざあああっ!

 

「ぐあぁ!」

 

「ぎゃぁああ!」

 

でも、悲鳴を上げたのは、僕じゃなかった。

 

「えっ!?」

 

男たちの悲鳴と、骨のへし折れる音に僕は飛び退った。

五人の男たちのゴムスーツに包まれていた腕や身体が、見えない『刃』にへし折られていた。

 

「多治見っ!」

 

「多治見君大丈夫かっ!?」

 

男女の鋭い声に、僕は男たちを倒しきれていなかった事にやっと気がついた。男たちはナイフを落として、折れた腕を掴んで悶絶している。

僕はこんな状況なのに、ちょっと感動していた。救援が、事がすむ前に現れたのは、初めての経験だ!いつもは僕一人だけれど、ここには卓越した『魔法師』が一緒にいるんだ…

僕は用心のため、男たちの頭を『念力』で叩いた。それなりに手加減しているから死にはしない、筈だ。ゴツンっとすごい音がして、男たちは今度こそ昏倒する。

 

「ん?今のは…『魔法』じゃない?」

 

渡辺先輩と修次さんが周囲を警戒しながら、僕に向かって歩いてきた。修次さんが、僕の攻撃に首を捻る。

二人はパジャマ姿に警棒型のCADを構えていた。二人の構えはすごく似ている。エリカさんとも。やっぱり同門だなって感じる。

 

「修、それよりも他には…」

 

渡辺先輩は一高時代、テロリスト襲撃の時の映像で僕の謎の『能力』を見ているから、特に何も言わなかった。逆に修次さんの意識を警戒に向ける。

 

「大丈夫…だよ、少なくとも周囲100メートル以内に不審な気配はない」

 

再度確認をして断言をする。海中もわかるんだ…それでも警棒の構えは解かない。流石は一流剣士だ。僕は二人にお礼を言った後、

 

「二人とも、どうしてここに?」

 

まだ起きる時間には早いから聞いてみる。もしかして、昨夜言っていた早朝ラブラブ温泉に入る予定だったのかな?

 

「あれだけ無作為にサイオンが乱れ飛んでいたら、少なくとも、別荘に宿泊している『魔法師』で気がつかないヤツはいないぞ」

 

渡辺先輩は呆れ顔だ。男たちが銃にサイオンを流し込んでいたときのことだ。

 

「久君!」

 

「久ちゃん!」

 

パジャマに上着を羽織った澪さんと真由美さんが砂浜に下りて来た。続いて響子さんに市原先輩、香澄さんに泉美さん。

全員パジャマに一枚羽織っているだけの姿だった。相当慌てていたみたい。

 

「久君、大丈夫!?」

 

澪さんが人目も気にしないですごい勢いで抱きついて来た。思わず倒れそうになるのをこらえる。

 

「大丈夫…澪さん痛いよ…」

 

僕の訴えも無視してきつく抱きしめてくる。

 

「警備の人たちは?」

 

真由美さんに視線を向ける。

 

「勿論、気がついているわ。今、別荘や周囲の警戒をしているところ」

 

別荘を見ると明かりがついて、騒々しくなっている。沖の巡視艇から海面に向けてサーチライトが灯された。ぐりぐりと黒い海面に丸い光が走っている。

 

「部屋に久君がいなかったから、もしかしたらって思ったけれど…この男たちと交戦していたの?」

 

響子さんが男たちの確認をしながら、冷静に尋ねてくる。

 

「うん、ベランダで外を見ていたら、海岸で何か光るものが動いていたからなんだろうって思って…」

 

ブラを探しに来ていた…とは言えない。

 

「どうやってここまで?CADは持っていないみたいだし、部屋のドアには鍵がかかってたし」

 

澪さんは僕をがっちりホールドしたままだ。ちょっと腕が痛い。その剣幕に、つい…

 

「あぁっと、ちょっと『飛んで』きたんだ…」

 

あっ、しまった。

 

「飛んで?『飛行魔法』は久君の指輪にも入っていなかったわよね?」

 

「ええと、人は誰しも心に自由と言う名の羽を持っていて…」

 

「久君!」

 

澪さんにじっと見つめられて、得意のボケにキレが足りない。うぅ、そうだね、そろそろ澪さんと響子さんには僕の『能力』を説明しなくちゃね。

 

「この男たちは…海から来たようだが…巡視艇がいるのに警戒網を抜いてきたのか?」

 

足元に転がる5人の男たちを憎憎しげに見下ろす渡辺先輩の疑問に、

 

「巡視艇よりも沖から潜行してきたようですね。このスーツも『魔法』を使用することで長時間の水圧に耐える特殊なモノのようです」

 

市原先輩が分析する。

 

「この箱の中のゴム製ボートはエンジンがないね。退却時は『魔法』で堂々と逃げるつもりだったみたいだな」

 

修次さんが、箱の中を慎重に物色している。ナイフとCAD以外に凶器はないみたいだ。

 

「ゴムを『硬化魔法』で強化して、拉致した僕たちを乗せるわけですか…」

 

「この箱は数人押し込められそうですしね」

 

市原先輩がいつもより冷たい目をしている。箱に拉致した数人を入れて、ボートで引っ張って行く、もしくは箱をボートその物にして逃げるのか。ずいぶんと荒っぽいけれど、人質がいれば下手に攻撃はできないからね。

推進力に『魔法』を使えば、大きなエンジンは要らないのか…色々と考えるなぁ。

 

「そうね…ちょっと待って」

 

真由美さんが左手を軽くこめかみに当てて、沖のほうを凝視した。じっと、海を、でも海じゃない何かを見ている。

 

「…いるわ…沖に5キロほど行った…深さは300メートルの深海に、小型の…潜水艦みたいなものが」

 

その距離を見える…マルチスコープだ!すごい!

潜水艦が男たちを送り出した後、沖に離れたにしても、数キロをフロッグマンしてきたなんて、この男たちも相当鍛えられている。

潜水艦はそのままの位置で逃げる気配がないって。

 

「『魔法師』の誘拐…大亜連合ですか?」

 

市原先輩が横浜の事件を思い出しながら言う。

小規模戦力の投入による誘拐、拉致。他国での活動では仕方がないとは言え、少人数の逐次投入は大亜連合の戦術の癖みたいだ。今回は、澪さんの護衛もいて、巡視艇まで出動している中での作戦は成功率はかなり低い。それでも強行したんだ。

 

「こうなると、1~2週間程度の計画じゃ無理な襲撃ね。規模や人種からして大陸の某国の可能性が高いわね。太平洋側まで回りこんでくるなんて…国防軍は…何人かのクビが飛ぶわね」

 

響子さんが慎重に言う。お偉いさんが責任をとるとは思えないから、現場の指揮官が更迭されるということだ。長期的な計画だから、誘拐は中止に出来なかったのか…どこの軍も上層部は使えない人が多いみたいだ。

 

「久ちゃんたちがこの別荘に来るのが決まったのが九校戦の途中だったから、この男たちの目的は、私たち七草家と鈴ちゃんと…」

 

真由美さんの視線が寄り添う男女に向かう。

 

「僕たちか。たしかに彼らとは色々と因縁があるからね」

 

修次さんと渡辺先輩が納得している。横浜での一連の事件で真由美さんたちは大亜連合の工作兵と真正面から戦っている。真由美さんたちがこの別荘を利用する情報が漏れていたんだ。まったく、どこにいても安全なんてない…

 

「それで?その潜水艦はどうするの?逃げられちゃうよ」

 

「この距離を攻撃できる『魔法』はないわよ」

 

『優秀な魔法師』じゃ無理な距離だ。真由美さんの諦めの言葉に、でも…

 

「僕がするよ」

 

「えっ?でも…うっ」

 

僕の怒りに真由美さんが息を呑んで一歩さがった。目の前にいるのはただの小さな男の子じゃない…

僕は物凄く怒っている。怒りのオーラが身体からあふれ出るかと思うくらいだ。

友人を…『家族』を狙う者は、絶対に許さない。逃がしたりは、しない。

周囲を物凄いプレッシャーが覆う。

常人では耐えられない、濃い油の中にでも沈められたように、呼吸すら困難に思えるプレッシャーだ。

双子が寄り添い、市原先輩は無表情のままだけれど、修次さんが顔に汗を浮かべて渡辺先輩の前に庇うように立った。

響子さんですら身を硬くする。

このプレッシャーに耐えられるのは、同じ『戦略級魔法師』だけだ。

 

「久君、私がするわ」

 

澪さんがゆっくりと僕の前に進んでくる。ざっざっと、確かな足取りで砂浜を歩く。

 

「澪さん?」

 

「久君が私のために『戦略級魔法師』になってくれたんですもの、私だって守られるだけの女じゃないって所をみせないと」

 

「深海にいる潜水艦を攻撃…まさか『アビス』!?」

 

僕の言葉に全員が動揺する。『深淵(アビス)』。魔法師なら知らない者はいない『戦略級魔法』。

 

「そこまでしなくても十分破壊できるわよ。真由美さん、潜水艦の位置を教えてください」

 

澪さんが携帯型CADを左手で操作しながら、真由美さんのナビで、右手を海に向ける。細い人差し指を指揮棒のように小さく振った。

余剰サイオンなんて発生させず、精緻で綺麗な、そして膨大な魔法力が使われた。

『アビス』は沈み込ませた水面の急坂で船舶を滑らせて操船を失わせる。船同士が衝突する上に、水面が自然に元に戻ることで大波も発生。艦隊に壊滅的な打撃を与える。範囲は数十キロにもなる。

沈み込ませる範囲を一キロにしたとき、海面には直径一キロの半球の穴が空く。潜水艦すら逃げ場はない。その時の海水の重量と水圧は想像を絶する。あの大海原を澪さんの小さな身体が苦も無く操る…つまり、澪さんは水圧を操作することが出来るんだ。世界で澪さんだけが使える『魔法』。

『アビス』だと、その後、大波が周囲を襲う事になるから、海岸近くでは使えない。巡視艇を巻き込むし、海岸線も被害が出る。

でも、5キロ先の深海にいる潜水艦の周囲の水圧を操るだけなら、澪さんには容易い。なにしろ『アビス』の射程距離は30キロメートルなんだから。

 

『超圧壊』

 

澪さんが小さく呟いた。僕たちは海に目を向ける。特に何も起きていない。海は夜明け前の月を反射しているだけだ。

『超圧壊』。海中の一定範囲に深海8千メートルと同じ水圧をかける加重系系統魔法。潜水艦の圧壊限界を遥かに超えている。日本海溝最深部に匹敵するこの水圧に耐えられる人工物は、一部の有人潜水調査船や無人潜水機など極僅かだ。

今は波の音しか聞こえない。でも、僕には潜水艦が潰れる音が聞こえてくるよう…

フロッグマンの親玉は、それこそカエルのように押し潰されたわけだ。

 

「…確認したわ…潜水艦…だったモノは、水圧に押しつぶされて、そのまま沈んでいる…生存者は…」

 

「真由美さん、そこまでで良いですよ」

 

生存者がいるわけがない。

 

「…そうね」

 

『魔法』を使って人殺しをした澪さんは、でも、いつもとあまり変わらない。勿論、後悔や懺悔の気持ちはない。

香澄さんと泉美さんが身じろぎしたのは、夜明け前の涼しさだけじゃないのはわかるけれど、『魔法師』として生きる覚悟が、学生とは違うんだ。いつもはのほほんとしている澪さんも『魔法師』、それも頂の極みにいる。

潜水艦は沈んでしまったけれど、物証はここに五人転がっている。

 

「また大亜連合か…『強硬派』が黙っていないんだろうな…」

 

「それは大丈夫ね。ここだけの話だけれど…『強硬派』は九校戦での違法な行為でそのほとんどが処罰されているから…」

 

響子さんの情報は、軍内の抗争の暴露だから、オフレコってことで。

警備担当ががやがやと海岸に下りて来た。全てが終わってから来るところはメタなお約束だ。

 

修次さんと響子さんと澪さんが、警備の担当者を交えて相談を始めた。ここからは大人の役目だ。

僕たち学生は、説明を大人にまかせて別荘に戻って、軽く朝食をとる事になる。

その前に、部屋で着替える…しまった鍵がかかったままだ。係りの人に頼んで開けてもらわなくちゃ。

僕や荒事に慣れている大学生たちは、普通に食事をする。ごくごく普通の朝食。焼き海苔と卵焼きが美味しい。香澄さんと泉美さんは無口だったけれど、警備担当が人員を増やして警戒を強化していると告げると、緊張が和らいだみたいだ。

やがて澪さんたちも食堂に集まって軽食をとった。僕がいつもの癖で給仕をしようとして、澪さんに怒られる…

食後、全員集まったリビングでお茶を淹れて、人心地つくと、

 

「それで、久君。どうやってあそこまで行ったのかしら?」

 

澪さんが遠慮がちに尋ねてきた。

 

「もちろん、言いたくないならいいんだけれど…」

 

リビングには全員いる。『魔法師』の『魔法』は詮索しないのが礼儀だけれど、特に秘密ってわけでもない。ただ、『瞬間移動』と『空間の支配』は黙っている。それは『現代魔法』から逸脱しすぎているからだ。

 

「実を言うと、僕は『魔法師』じゃないんだ」

 

「えぇ?」

 

真由美さんが変な声をあげた。何を言っているのこの娘は、って顔をしている。僕は男だって!

 

「僕は『サイキック』なんだ。CADを使わなくても色々なことが出来る。もちろんCADを使えば『魔法』も使えたんだけれど、携帯型のCADを初めて使ったのは、去年の2月からだったんだ」

 

今、僕は完全思考デバイスも指輪型CADもつけていない。右手をテーブルに向ける。角砂糖を入れた箱が音も無く浮いた。1メートル宙に浮かんで、静かにテーブルに戻す。

ごくごく初歩的な4行程の『移動系系統魔法』。もちろんCADを使えば、だ。

 

「『サイキック』って言っても『現代魔法』と本質的に同じだって、烈くんも言っていたから、そんなに珍しいことでもないんだけれど」

 

ただ、その規模が破格なだけでね…この言葉は続けない。

 

「そうですね。『サイキック』は俗人的なもので、いわゆる『BS魔法』の一種です。『サイキック』は世界にも沢山いますし、その多くがCADを使う『魔法師』です」

 

市原先輩が冷静に言う。これは『魔法師』なら最初に学ぶことだから、ここにいる全員がすとんと納得したみたいだ。

 

「いわゆる超能力だけれど、『サイキック』に完全に偏っていて、『透視』や『テレパシー』『読心』とかはまったく出来ないんだ」

 

だから僕は『エスパー』ではない。

 

「探知系が苦手って、いつも言っていた物ね。でも、テロの時のアレも『サイキック』…?」

 

真由美さんが少し首を捻った。『サイキック』で何百発もの銃弾をどう消したのか…ただ、礼儀として詮索はしてこないで、

 

「…どうしてこれまで黙っていたの?」

 

そう尋ねてきた。生徒会長時代みたいだ。

 

「僕は魔法科高校に入学したんだ。魔法科高校は『魔法師』になる人が入学する学校でしょ。だから僕は『サイキック』は非常時にしか使わないことにしているんだ」

 

「多治見がCADの操作が苦手なのも、『魔法』の知識がまったくなかったのもそのせいか」

 

渡辺先輩は一高のテロ事件の時、僕を尋問した一人だ。ふぅとため息をつく。

CADの操作が苦手なのは、機械音痴だからだけど…

 

「特に秘密ってわけじゃなかったんだけれど、言う機会もなくて。僕が『サイキック』だって知っているのは、達也くん、深雪さん、れつ…九島烈閣下、九重八雲さん、くらいかな」

 

周公謹さんはどう思っているのかな…人間以外なら『ピクシー』が一番僕の事を知っているけれど。

 

「司波君が知っているのは…そうですね、九校戦の担当エンジニアですから、彼が気がつかないわけがありませんね」

 

市原先輩は達也くんを正当に評価している一人だ。

 

「後見の九島閣下は当然知っているだろうが、九重八雲殿は何故?」

 

八雲さんの名前は、僕があげた名前の中で、一人だけ異質だ。渡辺先輩が疑問を抱いた。

 

「忍びは何でも知らなくちゃ、だってさ。知りたがり病なんだよ八雲さんは」

 

 

この日の事件は、表沙汰にはならなかった。公表されると、影響が広範囲すぎるからだ。

それでも魔法協会から軍に抗議があって、軍の高官のポストの配置転換や更迭があったって響子さんがこっそり教えてくれた。

『魔法』を使った進入計画の阻止には『魔法』が必須。

 

「『魔法師』と『十師族』の、軍への影響力がますます強まるから大変だわ…」

 

って、自身も代表的な『魔法師』の響子さんのストレスが溜まる。

 

今夜も、僕は色々といじられるんだろうなぁ…嫌じゃないけど…

そう言えば、香澄さんの水着はあの騒ぎで忘れてきてしまった。今度買い物に行くときにプレゼントしようかな。

男子と水着を買うのは思春期の女の子には恥ずかしいかもしれないけれど。

僕はあんまり恥ずかしくないな…やっぱり僕は羞恥心が少し欠けている。健全とは程遠いなぁ。

 




五輪澪はこの国の魔法師の頂点なのです。
澪が活躍する場面をいつか作らなくちゃと考えていたのが、この回です。
久の異常性に正面から向き合えるのは達也と澪さんなのです。
そのくせ、このSSでは達也の影が薄い…タイトルの『神』は達也のことなのに…
千葉修次をせっかく登場させたので、出番を増やしました。
久が戦闘中他人に助けられたのは初めてです(笑)。

このSSは最初に思いついたアイデアや台詞を適当に箇条書きにして、
その後、文章を追加、肉付けしていくので、同じ表現が重複する場合があります。
アップ前に何度も読み返しているのですが…
久の10歳の文章という体で書いているので、物事の表現が細かくありません。同じような言い回しが多いです。
別荘の造りや海岸の美しさ、スキューバのスーツとか細かい説明は久には興味がないのです…汗
言い訳です、はい。
今後も精進して参ります。


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歪んだ木

ひと夏の思い出は痛かった(笑)。
少しわかりにくかったので、ちょっと追加しました。


夏休みは残り10日だ。今後の予定は生駒にある九島家を訪ねて一泊、そのまま金沢に寄ってさらに一泊、七草家でお食事会に、香澄さんの買い物の荷物持ち…宿題は…?

生駒へは実家への帰省か、お盆に田舎のお祖父ちゃんの家に行くみたいだ。田舎の家にしては九島家は大きいけれど、どこか古臭くて雑然としているところは都会では感じられない雰囲気だ。光宣くんは夏休みに再会する親戚の同世代の男の子、と言ったポジションかな。

 

九島家までの行程はこれまでどおりで、奈良駅前まで光宣くんが九島家のリムジンと警備と共に迎えに来てくれた。今回は僕一人だ。響子さんはお仕事、澪さんは『九島家』にいきなり訪問するのは、遠慮がある。ナンバーズではない僕はそのあたり気楽だ。

9時頃に生駒に到着。『戦略級魔法師』の訪問は本来なら『家』を上げての歓待になるんだけれど、烈くんもご当主も不在だったし、堅苦しいのは嫌だから、九島家ではこれまで通り扱ってもらう。

九島家のお手伝いさんと光宣くんは、あいかわらず微妙に距離があるから、僕ともそれほど馴れ合ったりはしないけれど。

 

九島家では特に用事はない。帰省ってそういうものだよね。

午前中は雑談をしながら光宣くんの部屋で、僕はベッドに寝転がりながら、光宣くんは姿勢良く椅子に座ってコミックスを読んでいた。出かけるなら午後からだけれど、行きたい所とかはないし、こうやって無駄話をする機会って中々ないから、物凄く楽しい。子供同士らしい、どうでもいい雑談がメインで、コミックスの内容は話の接ぎ穂になっている。

僕は光宣くんのベッドで、うつ伏せになって、足をぱたぱたしている。すごく行儀が悪いけれど、光宣くんは僕がこうやってだらしなくしている方が、むしろ喜んでくれる。

気の置けない友人同士みたいで嬉しいんだって。『九島』の直系じゃぁ対等な友人関係は難しいもんね。

その点僕は『十師族』や『ナンバーズ』に対して、特に思い入れがないから緊張はしない。しかも、一高に在学していた『ナンバーズ』は学校ではあまり気取らない人たちが多かったから。

まぁ、十文字先輩に気圧されないで普通に会話できる僕も、ちょっとアレだけれど…

 

雑談は『戦略級魔法師』の話題は特にしないで、学校であった面白いことが話題の中心だ。魔法科高校は各校で校風が違うし、濃い生徒ばかりだから話題は尽きない。

光宣くんは、でも、魔法科の高校生の共通の話題と言えば九校戦だけれど、その話になると少し乗り気じゃなくなる。九校戦に出られなかった事を気にしているのか…

話を変えてみるか。

 

「そうだ、FLTから完全思考型デバイスが昨日発売されたけれど…」

 

「はいっ!早速手に入れました!」

 

「うっおっ!」

 

早っ!返事も入手も。

急にご機嫌な光宣くんはチェーンを手繰って、メダル型の補助デバイスを胸元から取り出す。

 

「まだ、使い始めなので慣れていませんが、すごいですよ、なんの問題もなく『魔法』が使えます」

 

両腕にブレスレット型CADをはめて、部屋の中でも出来る幾つか簡単な『魔法』を披露してくれた。僕の思考型デバイスは指輪専用のプロトタイプで、製品版は慣れたCADをそのまま使える優れものだ。指輪のデータは7月いっぱいまで毎週、達也くんが回収してFLTに届けてくれていた。このCADのデータが役に立ったんなら僕も嬉しい。

九島家の敷地は広いから、自由に練習する広場もある。昨日は一日中自主錬習してたって。

自習は一人でできるけれど…

 

「ただ…僕は友人が、気軽に練習に付き合ってくれる友人がいないので…」

 

「じゃぁ、僕が相手をするよ。魔法科高校お約束の『模擬戦』だね」

 

「本当ですか!」

 

それは花のような笑顔だった。

 

九島家の敷地には庭からつながった造成地のような広々とした場所があった。手入れされたウバメガシの垣根で覆われていて、外からは中をうかがう事が出来ない。地面はそれほど固められていなくて、風が吹くと少し埃っぽい。夏の雑草が所々生命力を発揮している。ここは臨時の駐車場として普段利用する場所だって。

 

そんな場所に僕たちは向かい合っていた。僕はデニムに長袖のシャツ。長い黒髪を青色のシュシュでまとめている。いつもの格好だ。光宣くんはスラックスにドレスシャツ。光宣くんは美少年だけれど、立ち姿は全然なよなよしていない。むしろ、立ち姿こそが、光宣くんの一番美しい姿って感じる。

真夏の太陽が真上から僕たちを照らしている。暑いけれど、汗をかくほどじゃない。

一方、光宣くんはかなり緊張している…違うな、すごく意気込んでいる、といった感じだ。

僕の視線を真っ直ぐ見返している…

僕は、『戦略級魔法師』として、一応世間に認められた存在だ。

光宣くんは、世間的にはまったく無名。その卓越した魔法力を知るものは家族と一握りの友人たちだけだ。当然、僕はその実力を知っている。

完全思考型CADを使った光宣くんとの模擬戦は、将輝くんとの氷倒しに匹敵するか、それに迫る速さで『魔法』が使われる、と考えていた。

強くプレッシャーをかけると萎縮してしまうかも知れないから、僕はリラックスしたんだけれど…

 

僕の考えは、甘かった。

 

審判はいないから、僕が適当な小石を拾う。

「これが地面に落ちたらスタートね」と、白い小石をぽんっと宙に放った。

ぽすっと、乾いた音に埃をたてて、石が落ちた。

 

刹那、いきなり凄まじい『電撃』。『FF』なら『サンダー』じゃなくて『サンダジャ』だ。

光宣くんは九校戦での僕の氷倒しの試合を明らかに意識している。『電撃』は別に光宣くんの得意『魔法』じゃないからだ。もちろん苦手なんてないんだけれど。僕との模擬戦で、自分の実力を測ろうとしている。

 

それにしても…速いっ!しかも、食らえば即死クラスの威力!

 

これは…オーバーアタックだ!

光宣くんは完全思考型デバイスを使いこなせていない。模擬戦にしては威力が過剰すぎる。

リーナさんのプラズマを思い出す。あれに匹敵するかそれ以上…リーナさんのプラズマは高温と数だったけれど、光宣くんの『電撃』は速度と正確性だ。

『電撃』は完全に発動しきっていた。確実に僕に落雷するっ!避けられない…

僕はとっさに服の通電率を上げる。CADをはめていない左腕を突き出して『電撃』を袖口に誘導する。『電撃』を僕の服に通して地面に逃がすけれど、左半身にムチを打たれたような激痛が走った。『電撃』が通った服がびりびりに裂けて、繊維が焦げ付く。爪先が焼けるように痛い。

 

「くっあぁ!」

 

『電撃』そのものは逃がしたけれど、熱と膨張した空気の衝撃波まで対処できなくて、僕の身体は後ろにごろごろ転がった。

長い髪と埃を身体に巻き込みながら、視線を光宣くんに向ける。『電撃』がさらに発動している!

一度かわされた『魔法』を続けるのか…たしかに威力は凄まじいし、かすっただけで五体はまともじゃいられないから正解でもあるけれど…光宣くんらしくない力押しだ。

全力の『魔法戦』に興奮しているのか。光宣くんが全力を出す機会なんて殆ど無いだろうから。でも、模擬戦の前にルールを決めておくべきだったよ!光宣くんの魔法力の恐ろしさにぞっとする。

これまで命がけの戦いをした『魔法師』の中で一番、強い。声をかけて停止する余裕がない!声をかけても発動された『電撃』はリセットできない!今はただただ光宣くんの優秀さが恨めしい!

服はぼろぼろだから同じ方法で逃げ切れない!身を隠す場所なんて、まったくない!

僕は地面に身を投げる。転がりながら、右手で適当な雑草の葉をちぎる。その葉を宙に捨てる。今度は葉っぱの周囲の空気の通電率を上げて、『電撃』が葉っぱに落ちるように誘導する『避雷針』。

これは以前、周公謹さんとの模擬戦の経験が役に立つ。何もない空間より、雷が落ちる目標があったほうが『電撃』は誘導しやすい。

どごん!どごん!と近くに落雷の音が響く。見当違いの落雷があった場所は、焦げてえぐれている。即死の『電撃』の連続…容赦ない…めまいがする…左半身が軽く麻痺している僕は転がって避ける。

僕は最初の数秒で、薄汚いボロ雑巾のようになっていた。命ががりがりと削られていくようだ…

光宣くんは最初の場所から動いていない。綺麗な、濁りの全くない薄い笑顔…

いつもの優しい光宣くんとは別人だ。今は『魔法師』として、僕を追い詰めていることに酔っている。

『魔法師』の戦いでは常に動き続けないとだめだ。『魔法』には座標が重要だからだ。光宣くんは実践も実戦の経験も不足している…でも。でもだ。

 

僕は髪を束ねていたシュシュを髪から抜くと、光宣くんに向けてひょいっと投げた。

シュシュは深雪さんがくれた物だ。リボンとかシュシュとかの小物類は、深雪さんが教室で僕を『可愛がる』時の必須アイテムだ。

単純な『移動系魔法』で放物線を描くように飛ばした可愛いシュシュは、それ自体に警戒心を抱かせない。デバイスでも武器でもない。しかも、シュシュは光宣くんに届かない。

光宣くんが不審の表情を浮かべた。この状況で、あきらかに無駄な行動だ。『攻撃魔法』を放ったほうが速いのになぜ?と、光宣くんの美麗な顔が言っている。

青いシュシュが一見、緩慢な動きで落下していく…

 

そのシュシュが僕と光宣くんの視線と一直線になった時点で、ぴたりと止まった。

 

僕はそう計算して、シュシュを飛ばした。光宣くんの視界から僕が消えているはずだ。『魔法』の戦いで相手を見失うのは致命的だ。光宣くんもすぐ気がついた。でも、落ち着いている。

…これは、やっぱりそうか!光宣くんは移動しなくてもいいんだ。

以前、古式の術者の道場を襲撃した時、敵の攻撃が光宣くんの身体を全部すり抜けていった。

米軍の『仮面魔法師』も同じような『魔法』を使っていた。

探知系の苦手な僕には、本物の光宣くんの位置はわからない。…でも。

光宣くんが悠然と一歩、足を前に進めた。僕に止めを刺すような、冷たい目だ。

その光宣くんの足が、ずるっとすべる。

 

「えっ?」

 

光宣くんの意識が完全に青いシュシュに向いている間に、僕は気が付かれないように、この辺り一体の地面に『魔法』をかけていた。『摩擦軽減』。靴と地面の抵抗を限りなくゼロにしている。

光宣くんの正確な場所はわからないけれど、『魔法』発動の場所から本体がそれほど遠くにいるはずがない。

この手のケレンは、むしろ烈くん的だけれど、実戦不足の光宣くんには有効だった。

見えている光宣くんの2メートルほど横、何もいないはずの地面に靴が滑った跡が出来る。

光宣くん本体は人の目をごまかし、騙す事が出来ても、地面にまでは出来ていない!

 

僕は間髪を入れずに『擬似瞬間移動』。

何もないはずの空間、光宣くんの顔があるあたりに、手を伸ばして、

 

ぱんっ!

 

と、ただの猫だましを、うつ。

発動中の『魔法』は動揺や簡単な意識の遮断で効力を失う。

偽者の光宣くんがすっと消えて、僕の目の前に現れた本物の光宣くんは物凄く驚いていた。そんな表情も見蕩れるほどだから美少年は得だ。

 

「『パレード』が破られたっ!?」

 

足を滑らせた光宣くんがバランスを崩す。尻餅をつくのを止めようと両手を掴むけれど、僕の軽い体重では支えきれず、僕も一緒に倒れた。

 

「きゃふんっ!」

 

自分でも可愛い声を上げて光宣くんの上に重なって倒れる。乾いた埃が舞う。その体勢のまま、光宣くんの胸板をばんばん叩く。埃がさらに舞う。

 

「ちょっと光宣くん!やりすぎだよ!僕、死ぬところだったよ!!」

 

「でも、すべて避けられました。流石は久さんだって、僕も負けないように全力を出したんですが…」

 

すごく悔しそうに言う。ちょっと、これは模擬戦で殺し合いじゃないんだよ!

 

「避けきれてないよ!」

 

「えっ!?」

 

僕はぺたんと腰を下ろして、女の子座りをする。実際、腰が少し抜けている。服もパンツもぼろぼろだ。破れた服を乱暴に脱ぐと、左手首から腕、肩、胸、おなかにかけて、酷いミミズ腫れが出来ていた。皮膚も広い範囲が真っ赤になっていた。軽い火傷だ。左腕から肩口にかけては紫色になっている。肌が白いだけに、物凄く目立つ。はっきり言って、物凄く痛い。

 

「でも、全然痛そうにはしてなくて、すばやく動かれてましたよ…」

 

「僕は痛みに強いんだ。これくらいなら顔色ひとつ変えないよ」

 

光宣くんが息を呑んだ。すばやく?僕は這いつくばって転がっていただけだよ…

 

「服の表面に『電撃』を通すつもりだったけど間に合わなくて、裏面に通したんだ。『電撃』も熱も完全に防ぎきれなくて、今僕の左半身は軽く麻痺してるよ…僕が完全思考型デバイスでCADを使っていなかったら、死んでたよ…」

 

「それは…まさか、久さんほどの『魔法師』が?最初に対峙したときの久さんの圧力は心臓が握られたみたいだったですよ!」

 

え?最初に向き合った時、じっと光宣くんを見つめて…その時、光宣くんの表情はすごく硬かったけれど…

僕は光宣くんの手を火傷している左手で乱暴に掴むと、露になった左胸に当てる。

 

むにゅっ、って音はしない。僕の胸は脂肪どころか筋肉だってあまりついていない…

 

光宣くんが少し顔を赤らめた。

僕の胸は火傷のせいもあって、かなり熱くなっている。それ以上に、僕の心臓は早鐘をうって、激しく鼓動している。どっくんどっくんって、僕の薄い胸を裂かんばかりに物凄く強く。

光宣くんの掌にも僕の鼓動は伝わった。

僕は涙目だ。紙一重で死を免れたんだから当然だ。

 

「ほらね!すごく…怖かったよ、あんな『電撃』、普通死ぬよ!」

 

苦痛に強い僕も、死となると、恐怖の本能で震える。死を恐れない人なんて完全に『精神支配』されていた昔の僕くらいなものだろうけれど…

 

「すっすみません…久さんなら僕の『魔法』は軽く捌けると思ってしまって…」

 

光宣くんは、僕の事を過剰に評価しているけれど、今回は力も入りすぎていた。

 

「完全思考型のデバイスは…想像していたより速く『魔法』を発動できるけれど、敏感でもあるよ…」

 

電動アシスト自転車に初めて乗ると、力の加減がわからなくて、物凄いスピードがいきなり出て戸惑うけれど、それと同じだ。

完全思考型デバイスの性能が良すぎるんだ。アクセルとブレーキの微妙な操作が難しい。

光宣くんは顔から血の色を失わせて、うめく様に言葉をつむぎ出した。

 

「僕は、すごく危ない事をしてしまいました…国の大事でもある『戦略級魔法師』の久さんを傷つけてしまいました…」

 

一歩間違えたら、僕は死んでいた。

光宣くんは、今になって、その意味を理解できたようだ。がっくりしている。

 

「やはり昨日一日でこのデバイスを使いこなせるようになったと思ったのは傲慢だったようです」

 

なるほど、その自信を今回の模擬戦で証明したかったんだ。

光宣くんは自身の魔法力に絶大な自信を持っているから、九校戦に出場できなかったことで、少し情緒が不安定になっているのかもしれない。

自己嫌悪に陥る前に元気付けないと。

 

「光宣くんは、僕がこれまで会って来た『魔法師』の中でもトップクラスだよ。これでも僕は沢山の『魔法師』を見てきている。その中でも頭一つ抜けてるよ」

 

「え!?」

 

僕は光宣くんの腕を涙で濡らしている。死から免れた安堵もあるけれど、ぼろぼろ涙が溢れる。情緒が不安定なのは、僕も同じ…いや数倍だ。僕は少し声を荒げる。

 

「光宣くん!自分がすごい『魔法師』だってことを自覚してよ!体調不良なのは光宣くんのせいじゃない。慌てないで、活躍する機会はいくらでもあるよ」

 

合わせていた視線を少し逸らす光宣くん。

 

「久さんもお祖父様と同じ事を言いますね。でも、僕は、今、活躍したいんです」

 

病弱な光宣くんの焦燥が伝わってくる。思春期の男子だ。同学年の生徒たちの活躍は、自分の実力の方が上だとわかっているだけに、口惜しいんだ。

 

「魔法科高校なんて通過点だよ」

 

「え?」

 

「九校戦も論文コンペも魔法協会が主催だ。魔法科高校は魔法大学に学生を送り込むだけの組織で、学校らしいイベントは何一つない」

 

「そう…ですね、魔法科高校は、普通の高校なら当たり前のイベントが一つもない」

 

「魔法科高校は決められた人数を大学に送り込めれば、それで任務完了だ。だから学校側はドロップアウトしたり犯罪に巻き込まれた生徒も、全部放置している。二学期が始まっても『戦略級魔法師』の存在は、無視か、むしろ邪魔だと思われるだろうね」

 

このあたり、僕は魔法科高校の教師たちに冷めている。僕は何度か犯罪に巻き込まれているけれど、一度も教師が心配してくれたことがない。いつも対応は生徒会、真由美さんや十文字先輩がしてくれていた。市原先輩と違って、僕の思い入れは学園生活そのものなんだと思う。

もちろん一高への思い入れはあるけれど、これは片思いでしかない。

 

「だから生徒は部活に一生懸命なんだけれど…高校生活は、大事だし、記憶の中で輝かしい青春の1ページになる。でも、『魔法師』としてはむしろ魔法大学に入ってからだと思うよ」

 

魔法科高校はいろいろと規制が厳しい。生徒は主体的に何もできない。一高ではあまり守られていないような気がするけれど、本来はそうなんだ。

 

「思考型デバイスで『魔法』を使う光宣くんは、僕よりも『速い』。使いこなせば、僕じゃ太刀打ちできなくなる…あとは習熟と経験だよ。病弱の気持ちは僕には良くわかるし、これからも同じように焦りが起きると思うけれど…」

 

僕も去年は一ヶ月以上半分寝たきりだったし。

ぐずっ!泣いたままの僕は、あっ鼻水が垂れてきちゃった…火傷していないほうの腕で涙と鼻を拭おうとしてやめる。ビリビリに破れた服を拾って、ちーん!ハンカチ代わりにした。

あっしまった、これじゃ、この服着れないや…

僕は裸の上半身を夏の陽に晒している。凹凸の全然ない、弱弱しい身体だ。

 

「光宣くんは病弱なのを気にしているけれど、僕だって自分の貧弱な身体が嫌で気になってしょうがないよ…」

 

「完璧な人はいないって、事ですか?」

 

「それは僕が言う台詞だよ…僕だって、十文字先輩みたいな体格に憧れてるし…」

 

「それは、想像できないですね、十文字克人さんみたいな体格の久さんは…あ…その腕を放してもらっても良いですか?」

 

おっと、光宣くんの掌を僕の胸に重ねたままだった。服で鼻をかんでいるときも手は放さなかった。

それはどう見ても、上半身裸の女の子の胸を揉んでいるみたいな…うわぁ恥ずかしい。

 

「あっ、ごめん」

 

「いっいえ、こちらこそ」

 

二人して顔を赤くして俯く。変な光景だ。二人とも男の子なんだよ。でも、何となくだけれど、夏休みの思い出…みたいな光景だとも思う。

降り注ぐ陽の光が眩しい。どこかでセミが鳴いている。

広場に風が吹いた。風が夏の空気に涼をもたらしてくれる。二人の髪がさらさらと揺れた。二人とも埃まみれの髪だ。

急に緑と土の匂いを感じる。緊張が解けたんだ。

僕は、ゆっくりと起き上がった。でも、軽い麻痺は治っていなくて、幽鬼のようにふらふらしている。膝が笑って、崩れ落ちそうになる。

はしっと光宣くんが上半身を起こして、僕を支えてくれた。

 

「いたたっ」

 

少し人心地ついたけれど、火傷がひりひりとする。光宣くんが慌てて『治癒魔法』をかけてくれた。見た目はあまり変わらないけれど、痛みは少しだけ減った。

でも、光宣くんの焦りは減っていない…

 

「ねぇ、光宣くん。僕に何かできることはない?前にみたいに子供同士の悪巧みでもいいからさ」

 

僕は光宣くんに物凄く恩義を感じている。僕の最初の年下の友人で『家族』だ。

一高に入学出来たのも勉強や『魔法』を教えてくれたおかげだし。僕はこれでも、実戦経験は豊富だ。その僕が思うのは、光宣くんは前線よりも参謀向きだなってことだ。黒幕とかラスボスもありだ。

僕は頭もよくないから、最前線での制圧向き。

光宣くんには『魔法師』として真っ直ぐ伸びて欲しいな。僕や烈くんみたいに歪んだ木は、地面に落とす影すら歪んでしまう。もっとも、『九島』で烈くんの孫の光宣くんは、初めから歪んでいるけれど…

歪んでいるからこそ、僕ともまともに付き合える。

子供同士の悪巧みで人殺しをするのは、虫を殺すのとは違うのに、稚気が甚だしい…

 

「…そう、ですね。最近、また『古式魔法師』の動きが活発になっています」

 

「それは、僕たちが襲撃したあの一件のせい?」

 

「その可能性は低いですが、実は…『パラサイドール』という兵器を久さんは知っていますか?」

 

「うん。九校戦のとき烈くんから聞いてるよ」

 

少し、ウソだ。九校戦以前から、僕はその存在を知っていた。でも説明はわずらわしいので、発案者本人から聞いたことにする。

 

「『ドール』とその開発計画はほぼ成功しました。今は、軍が主体となって開発を続けています。『九島家』も当然、協力しているわけですが…」

 

『パラサイドール』の九校戦での実験は、烈くんの基準で言えば、ほぼ完璧に成功している。

ただ、僕には『パラサイドール』の強さがわからない。達也くんにかすり傷ひとつ負わせられなかったのだから。

開発のノウハウは『九島家』が持っているんだから、今後も主体は『九島』になるんだろう。今は研究所にはいないみたいだけれど…

 

「『ドール』の術式の開発を大陸からの亡命者に協力させたのですが、亡命者は同時に術式を狂わせて、九校戦で選手を襲わせようとしたのです。もともと選手は襲わないリミッターがあったのです」

 

「そんな重要な実験に身元の不明な術者を協力させたの?」

 

「そうですね…それは父の独断だったのですが…」

 

真言さんが…あの人は烈くんに対抗心があるみたいだから、独自に何か付け加えたかったのかな。そこでややこしくなったのか…

 

「まぁ烈くんも、わかっていて『パラサイドール』を運用したんだね」

 

狂わせた結果、弱くなったのかな…?『パラサイト』の狂った『声』だとそうは感じられなかったけれど…クロスカントリーの森の中の暗闘は当人たちにしかわからないからなぁ。

 

「その術者が研究所から逃亡したのです。術者は京都周辺の『古式魔法師』の組織がかくまっていますが、重要なのはその逃亡を手助けした者がいるのです」

 

「『九島』を出し抜くなんて、相当な実力者か、組織だね」

 

「はい。今、その術者を『九島』は追っています。どうやら、関東に向かったそうなので…」

 

関東といっても範囲が広いけれど、奈良がホームの『九島家』では発見は難しいかもしれない。

 

「関東…僕は探知系はからっきしだから、僕の出番は、そいつを見つけてからだね」

 

「ええ。そのときはよろしくお願いします」

 

僕たちは、埃まみれで、くすくすと笑いあう。人殺しをお互いなんとも思っていない。

 

なるほど、僕たちは、歪んでいる。

 

 




パラサイドールを狂わせた術者の逃亡を手助けしたのは、当然、周公謹です。
逃亡は九校戦のクロスカントリーの前日で、関東に戻ったところを黒羽父に襲撃を受けます。
なので、逃亡を手助けした周公謹は、またぞろ京都に向かっています。
九島烈と周公謹を探す達也との共闘はすんなり行く…みたいな流れです。

本当は今回、前半を生駒、後半を金沢にする予定でしたが、
光宣の活躍を増やしたおかげで将輝の出番がなくなりました…汗。
光宣はこの後、完全思考型CADの操作になれて、達也たちが生駒に来る頃には習熟しているのです。
将輝の活躍(?)は次回で。
お読みいただき有難うございました。


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一条家

久の二年生の夏休みは、長いけれど、宿題しなさいよ!


夏休みも残り1週間ほどになって、今、僕は生駒の九島家に居る。田舎に帰省中って考えると、ちょっと嬉しい。

光宣くんとの模擬戦で僕の左半身は火傷とミミズ腫れがひどいことになっている。

一高で沢木先輩に誘われてマジックアーツ部の部活を見学したことがあるけれど、練習試合のたびに十三束くんも打ち身やスリ傷だらけになっていたから、『魔法師』の試合に怪我は付き物なんだ。

ただ部活で死に至る威力の『魔法』は普通使わないけれど…

僕の怪我は薬では治せないので、光宣くんの『治療魔法』後は、『回復』に任せて、光宣くんに心配をかけないよう、痛みなんて感じていないように明るくしていた。

服さえ着替えれば、傷は、一見わからない。骨や関節まで怪我が及ばなかったのも幸いだった。こう言う時は痛みに強い、というか慣れている自分の身体と経験に感謝しないと。

模擬戦後、午後は光宣くんの案内で奈良の街を散策した。この国の歴史を全く知らない僕は、大仏の存在も仁王門も、写真ですら見た事がないから、面白いぐらいに喜んでいた。怪我なんて忘れるほどに。

ひとつに集中すると他に意識が回らなくなる悪癖も、いい方に働いている。

 

夜は光宣くんの部屋でわいわい騒ぎながら夜更かし。光宣くんが眠りに落ちた暗闇の中、僕は『回復』に専念、つまり一晩起きている。

翌朝、怪我は完治はしていないけれど、僕の顔色はすこぶる良好で、光宣くんも安心していた。

ご飯を食べて、九島邸周辺の生駒山を散歩した後、9時ごろ奈良駅までリムジンで送ってもらった。

ここから金沢の将輝くんの家に向かう。奈良から金沢まではリニアが通じているから、方向音痴の僕でも迷う事はない。

金沢駅の到着時刻を将輝くんにメールする。

光宣くんは改札入り口までついてきてくれた。

 

「次はいつ会えるかわからないけれど、いつでも連絡してね」

 

「10月の論文コンペは、今年は京都なので来られませんか?」

 

論文コンペは横浜と京都で交互に開催される。

 

「僕は一料理部員でしかないから、参加はしないと思うよ」

 

お互い笑いあって再会を約束する。交通が発達したこの時代、東京~奈良の距離は気軽に移動できるから、しんみりする事もないんだけれど。

僕は改札を通って、リニアに向かう。光宣くんは僕が視線から消えるまで見送ってくれていた。

 

僕が『戦略級魔法師』として正式公表されてから5日ほどしか経っていない。

この5日、僕の九校戦での映像はネットやテレビでも連日報道されているけれど、僕自身の情報は『一高の二年生男子』程度の、魔法協会が発表した以上の情報はない。

九校戦中継の、僕の長い黒髪の人形じみた女の子みたいな容姿は、とても高校二年生には見えないけれど、奇妙なほどに世間から好評だ。そりゃぁ、むくつけきゴリラみたいなオッサンよりは、世間受けするだろうし、深雪さんみたいに相手を萎縮させる神々しさもない。

それに、僕は自分の顔が能面みたいに無表情だと思っていたけれど、映像で見る僕は、表情がころころ変わる。嬉しそうな表情は、本当に嬉しそうだし、涙目ウルウルの顔は子犬みたいだ。

クロスカントリーの最後の泥まみれのシーンも、九島家で初めて見た。面白いほどキョトンとした雰囲気が全身から伝わってきている。光宣くんも思わず笑いをかみ殺すほどに可笑しい姿だ。

 

僕自身は全然意識していないけれど、世間は続報を期待している。

 

僕は、十文字先輩みたいな圧倒的な存在感はない。一高の制服を着ているならともかく、今の、ユニセックスな服装にキャップをかぶると、普通の小さな女の子…男の子にしか見えない。

誰も僕が『戦略級魔法師・多治見久』だなんて思わない。

奈良では九島家の護衛と感覚の鋭い光宣くんが居た。僕が、単身で金沢に行く、なんて情報は誰も知りようがない。それにリニアみたいな公共の交通機関で襲撃される可能性も低い。

僕は安心して、リニアの個室で車窓を楽しんでいた。以前みたいに九重八雲さんが現れることもなく、事故も事件も起きず、金沢駅へは一時間ほどで到着した。

 

金沢駅は、想像以上に大きかった…

ガラス張りの吹き抜けのドームは、天井アーチから夏の陽を美しく取り込んでいた。駅前の巨大なオブジェのような門は三代目で、金沢駅の象徴のように観光客を迎えていた。

その門で、将輝くんと待ち合わせをする事になっていたんだけれど、改札を出て、構内案内を確認していると、

 

「失礼します、多治見久さんではありませんか?」

 

背後からいきなり声をかけられた。

僕の進路をふさぐように女性が前に回りこんでくる。

女性は40代前半くらいの、おしゃれよりも動きやすさを重視したこざっぱりとした服装。靴もかかとの低いパンプス。女性は僕の後、改札から現れた。これにカメラを持っていれば観光客だと思うけれど、その手には大き目のノート型携帯端末にマイクのようなものを持っていた。当然、僕よりも背が高い。僕の進路から退こうとはしない。

勿論、知らない人だ。迎えは将輝くん本人が来るって言っていたから、『一条家』の使いでもなさそうだ。

僕は人見知りがちで、他人が苦手だ。見知らぬ人にいきなり声をかけられても、どう対応すれば良いか、一瞬考える。とにかく、面倒ごとはゴメンだ。

 

「多治見久さん、ですよね」

 

今度は、断定の口調。にこやかな表情だけれど、押しの強さが感じられる。

 

「違います。僕の名前は、『戦場ヶヶ原ひたぎ』です」

 

「はぁ?」

 

女性は、間抜けな声をあげた。

 

「すみません、噛みました。『戦場ヶゲ原ひたぎ』です」

 

「『ゲ』?は噛まないでしょう、わざと間違えてる?」

 

「すみません、『噛みまみた』」

 

女性は、むっとする。

 

「あなたが『戦略級魔法師』に先週認定された多治見久さんだって事は分かっているのよ」

 

女性は、魔法関係の雑誌社の記者を名乗った。名前は…覚えてない。

 

僕の住所は公表されていないし、公務でもないから行動は発表されない。成人までは基本そういう扱いだ。

公表はされていないけれど、調べることは出来る。僕の住所は一部の政治家や『ナンバーズ』は知っている。ただ自宅の周りは澪さんの護衛、国家直属の『魔法師』たちが守っていて、不用意に近づこうものなら、容赦なく尋問、拘束される。だから、自宅周辺はうろつけない。あの警備の中、僕に対話を求めてきた周公謹さんがいかに実力者かわかる。

僕に近づくなら、一高の通学路、特にキャビネットの乗換えをする駅が一番簡単だ。ただ、今は夏休みだから利用しない。

僕が『九島烈』の庇護下に居ることは多くの人が知っている。『七草家』みたいに社交的なら、魔法師に好意的な雑誌も反魔法師のメディア関係も、堂々と招かれて取材も出来る。

あまり開放的ではない『九島家』、というより『十師族』の家の周辺には色々な人物がうろついている。諜報部員、企業スパイやマスコミ。

だから『十師族』は警備をしっかりするけれど、『九島家』の関係者が奈良駅を利用する事は、駅前で張っていればすぐわかる。なにしろリムジンは目立つ。

リムジンから降りる、性別不明の子供。『十師族』の家族構成は、『四葉家』以外は、基本的に公表されている。

キャビネットみたいな個人が利用する乗り物は尾行は難しいけれど、リニアみたいな不特定多数が利用する場合は、同じ列車にさえ乗りさえすれば、尾行は容易だ。

僕は探知系はダメダメだし、尾行なんて毛ほどにも考えていない。襲ってくるなら反撃するし、容赦なく殺すけれど、一般人、マスコミ関係となると、対処のしようがわからない。

マスコミには取材は控えるように魔法協会から通達されているけれど、どこにだってそんな事お構いなしの大人はいる。

 

「金沢にはどんな用事で?一条将輝君の関係?『一条家』を訪ねてきたの?」

 

すごく、馴れ馴れしい。いや、厚かましい。

ぽつんと立ち尽くす僕に、圧し掛かるように質問をぶつけてくる女性。

駅前で、奇妙な光景だけれど、誰も気にしない。女性が熱くなるほど、僕は冷めていく。

僕は身ひとつで何も持っていない。近所を散策か買い物でもしに来た様な格好だ。周囲からは観光客が地元民に道でも尋ねているように見えているのかもしれない。

記者とは言え、一般市民だ。『魔法師』が手を出せないし、相手もそれを心得ているから図に乗る。

 

「金沢には『こよこよ』を探しに来ました。あいつは僕の所有物でありながら童女探しの旅に出てしまったんです。どこかで犯罪すれすれな事をしているんじゃないかと心配です」

 

記者の女性は、僕の言っていることがさっぱり分からない。だめだなぁ、これが九重八雲さんなら、ボケと突っ込みの軽妙なトークが繰り広げられるのに。

僕だけボケても、ボケを理解できていない人には、自分がからかわれているようにしか感じられない。二人の間に、微妙な空気が漂う。

 

「ふざけないで、私たちには知る権利があるのよ!」

 

記者はお約束のロジックを展開してくる。でも、残念ながら、『知る権利』はあっても、必ず知る事はできない。

 

「僕の名前は、『戦場ヶハラハラひたぎ』ですよ」

 

僕はこっちに近づいてくる彼に視線を向けながら、能面のような無表情で答える。

『噛みまみた』。

記者は、イライラを強めているけれど、彼に気がつかなかった。

 

 

「俺の友人に何をしているんです!」

 

ライダースーツ。赤い、ライダースーツの将輝くんのその声は、迫力と胆力があった。赤が好きなんだねぇ。

記者は、びくっと弾かれたように振り向くと、一歩後退した。将輝くんの声は、周囲の視線を集めている。

将輝くんは、十文字先輩ほどじゃないけれど、背は高く存在感がある。『魔法師』らしい優れた容姿は、それだけで相手を圧倒する。

でも記者の後退は一歩だけだった。今、僕を逃すのは、クリスマスの朝にプレゼントのお預けされるようにしょんぼりだし、お金の匂いが伴っているから、記者はしつこくまとわりつく。

 

「貴方は…一条将輝君ね。九校戦で多治見久君と勝負した。目の前で『戦略級魔法』を使われた気持ちを聞かせて欲しいんだけれど」

 

記者はわざと将輝くんの気分を害しようとしているのか、変な質問と共にマイクを向ける。

将輝くんの目が、一瞬、ぴくって動いた。ここで感情を荒げて言い返せば、記者の思う壺だ。

でも、将輝くんは、記者の質問を完全に黙殺、無視して、

 

「遅れてすまなかったな、行こうか」

 

って、僕の手を掴むと、さっさと歩き出した。片手に、フルフェイスのヘルメットを持っている。それも赤い。

ヘルメットを片手でかぶると、道路に止められていた大きなバイクの前に立つ。シートボックスから予備の、少し小さめのヘルメットを取り出した。

 

「ここは駐車禁止なんでな、すぐに出すからかぶってくれ」

 

「うん」

 

背後から記者の「待ってよ」って声が聞こえる。

僕はキャップを将輝くんに手渡す。キャップを、それでも丁寧にボックスの中に入れると、颯爽とバイクにまたがる将輝くん。

僕もヘルメットをかぶって、将輝くんの肩を駆りながら、タンデムシートに腰を下ろす。ステップにちゃんと足を置いたけれど、身体が安定しない。

 

「俺の腰を掴むか、シートのグラブバーを握ると安定するぞ、飛ばすから、腰を掴んだ方がいいな」

 

「こう?」

 

僕は将輝くんの逞しい身体を抱きしめるように自分の腕を回して、スーツの横っ腹をぐって握る。怪我が少し痛いけれど、我慢。

僕が安定したのを背中で判断して「出すぞ」って声をかける。

 

「俺の動きに合わせて、身体を傾けろよ、最初は戸惑うだろうが、すぐ慣れる」

 

スタートボタンを押すとブンブンと大きなエンジン音がしてちょっと驚いた。ゆっくり動き出したバイクは、すぐにぐんっと加速をした。

 

「おおぉ!」

 

意外なパワーに、心が躍る。バイクはあっという間に、もちろん法定速度を守りながら、金沢駅を遠くにした。

 

「バイクって初めて乗るけど、楽しいね。車とは全然違う」

 

将輝くんのスーツは身体に密着している。僕のシャツは風圧でばたばたと音をたてている。顔はフルフェイスのヘルメットだから風は感じられないけれど、髪が後ろに引っ張られる。

 

「ヘルメットは安全面重視だ。通気性が悪いのは…我慢だな」

 

カーブを曲がるときのバイクの傾き、重力と遠心力も楽しい。遊園地の遊具ってこんな感じなのかな?

僕はさっきの記者の事なんてすっかり忘れて楽しんでいた。

 

「久、左手の力が弱いが…怪我でもしているのか?」

 

将輝くんは前を向いたまま、すぐに気がついた。

僕は光宣くんとの模擬戦で怪我をしているから、左腕には力が入らない。右手の方に力がこもっている。

 

「うん、でも平気。それよりも二人乗りはいつもしているの?」

 

「いや、他人を乗せたのは初めてだな」

 

「他人?ジョージくんは乗らないの?」

 

「おいおい、男二人が寄り添うってのは勘弁だぞ」

 

ん?僕も男の子なんだけれど。

 

「将輝くんはもてるよね。彼女とか、女の子は…」

 

「…女の子を乗せたことは…ある!(妹だが)」

 

ん?最後のほうは風とエンジン音でよく聞こえなかった。将輝くんがバイクを加速する。僕は身体に速度と風を感じながら、将輝くんの身体をしっかりと掴んでいた。

バイクは郊外を走っていた。何となく見覚えのある建物群があった。僕の視線がそっちに向いたことに気づいて、

 

「あれは三高だ」

 

と、将輝が短く言った。説明は不要、と言う事だ。同じ国策の高校で生徒数も同じだから、規模も作りも似ている。一高は裏が人工の雑木林だけれど、三高は小さな山になっていた。

一条邸は、三高から2キロくらいの場所にあって、登校は毎日徒歩だって。

近くて良いねって言ったら、雪の日は大変だがなって。そうか、今年の東京は降らなかったけれど、北陸は雪が降るんだ。

今は夏休みだから、付近に三高生はいない。でも、将輝くんの赤いバイクは目立つ。私服の若者がちらちらと視線を向けて来るけれど、視線に慣れているのか将輝くんは気にしていない。

 

その後、夏休み期間中に将輝くんが女の子とツーリングしていたって言う噂が、三高に流れるんだけれど、勿論、僕のあずかり知るところではない。

 

一条邸は七草家に比べると、普通の大きなお家だった。僕の自宅より少し大きいくらい。でも庭があるから、その分敷地は広い。

将輝くんが少し、バイクの速度を落とした。フルフェイスで隠れた視線を雑木林に向ける。雑木林に人影があった。将輝くんが頷くと、人影も頷いたみたいだ。

 

「警備の人?」

 

「ああ、北陸は海岸線が広いからな。大陸の工作員がいつ侵入してくるか分からない。俺や親父は、構わないんだが、妹や母の身は護らないとな」

 

4年前、佐渡島で外国の軍隊と戦闘があった。その時の活躍で将輝くんは、魔法師界に広く名前が知られるようになったんだって。

 

「うん、大事な人は自分たちの力で護らないといけないからね」

 

「そうだな」

 

戦場を経験している二人を乗せたバイクは、ゆっくりと一条邸の玄関に向かう。

 

一条家の家風は、質実剛健、合理性を求めて、自分で出来ることは自分でする、だそうだ。

だから、一条邸にはお手伝いさんは一切いなくて人が必要な時には、地元の協力で人を集めるんだって。なるほど、海の男の剛毅さんらしい。

お母さんの美登里さんが世話焼きと言う事も一因だそうだけれど、その剛毅さんはお仕事で、夕方に帰ってくるって。

広い玄関に美登里さんと、将輝くんの妹さん二人、中学1年生の茜さんに、小学4年生の瑠璃さん。その後ろに、遠慮がちにジョージくんがいた。私服のジョージくんは初めてだ。

そういえば、将輝くんのライダースーツは氷倒しの時のと同じスーツだ…勝負服?

 

玄関で僕は靴を履いたまま、土間に立って丁寧に頭を下げる。

 

「こんにちは、多治見久です。久と呼んでください。本日はよろしくお願いします」

 

今日は『戦略級魔法師・多治見久』ではなく、将輝くんの友人と言う立場でお邪魔しているから、それほど堅苦しい挨拶は抜きだ。

美登里さんは、見るからに温かな雰囲気の持ち主だ。

茜さんは中一で、魔法師の世界への入り口に立とうとしている年齢だから、僕の事は知っている。

でも妹の瑠璃さんは、幼いからまだ良くわからない年齢だ。だから、

 

「えぇと、たじ…久さんは、本当に男の人?」

 

と長い黒髪の僕に尋ねてくる。

 

「おっおい、瑠璃っ!」

 

将輝くんが慌てるけれど、僕は女男扱いに慣れているから気にしない。ちょっとしゃがんで瑠璃さんの視線の高さにあわせて、

 

「はじめまして、瑠璃さん。僕はこれでも男の子なんだ。お兄さんと同じ高校二年生なんだよ」

 

にっこりと笑う。瑠璃さんがぼーっと僕を見つめ返してくる。

 

「お兄ちゃんより、素敵だ…」

 

「ん?そう?僕は将輝くんみたいに男らしい方がいいけどなぁ」

 

これくらいの女の子は男らしさよりも、王子様的な中性が好みなのかもしれないけれど、

 

「あたしも兄さんより、久さんの方がお兄さんに欲しい!」

 

急に茜さんも言い出す。中学一年生の女の子には高校生男子は近づきにくいのかも。そのわりに茜さんはジョージくんの側に立っている。私服のジョージくんは、ちょっと中学生みたいだ。

 

「何っ!?茜、お前の兄は俺一人居れば十分だろう!」

 

「将輝くんは…慕われてないの?」

 

がーんって音が将輝くんの頭の中から聞こえて来た気がする。

 

「まぁまぁ、久君、まずは上がってちょうだい。荷物は…あら?キャップだけ?」

 

「あ、はい、キャップと、このシュシュくらいです。将輝くんが身一つで来て構わないって言っていたので…」

 

くるりと四人に背を向けると、黒髪を束ねる可愛い青い色のシュシュが左右に揺れる。妹二人は可愛いーって喜んでくれる。

 

「本当に身一つで来るとは思わなかったが…」

 

僕は完全思考型デバイスを、首にかけてシャツの下に、指輪型CADを右手薬指に、財布がわりの携帯端末をポケットに入れて、それくらいしか荷物がない。

 

「寝巻きや下着類はお客様用のがあるから大丈夫。下着は…女性物?」

 

「男性物で、お願いします」

 

「二人とも麦茶が冷えているわよ」って、くすっと笑う美登里さん。なんだかこの玄関でのやり取りだけで、この家の明るさと賑やかさが伝わってくる。これまで会った『十師族』の中で、ここまで家庭的な家は初めてだ。

 

 

将輝くんの部屋は六畳間の洋室だった。ベッドやクローゼットは壁に収納されていて、勉強机と本棚だけの部屋だけれど、『十師族』の時期当主の部屋にしては、恐ろしく狭い。僕の勉強部屋と同じ広さだ。

僕とジョージくんは小柄だけれど、三人いると、かなり窮屈だ。三人の距離が妙に近い。将輝くんは手早く私服に着替えている。

 

「将輝くん、さっきは有難うね。マスコミの人に声をかけられるなんて想定していなくて…」

 

「まぁ、そりゃそうだ。俺だって、地元のテレビ局の取材だって受けたことない」

 

将輝くんは2年連続、氷倒しで優勝しているのに。『魔法師』の世界は、世間から少し距離がある。

怪訝な表情のジョージくんに、将輝くんがさっき金沢駅であった事を説明してくれる。

 

「『戦略級魔法師』の取材は自粛要請が出ているけれど、多治見君は時の人だからね…まぁ気持ちは分かるけどね」

 

「僕の事を知っても、たいして面白くはないけどなぁ」

 

「面白いというか、報道的にはアイドル扱いだがな」

 

少なくとも、見た目は美少女…いや、男の娘だ。…うぅ。

 

「魔法協会も、『魔法師』のイメージアップに役立つと考えているのかもね」

 

「冗談じゃないよ、ただでさえ僕は人見知りだし、引きこもりなんだから。学校と家の往復しか普段はしないし、金沢も初めて来るんだよ」

 

「あぁ、それなんだ、少し迎えが遅れたのは。久を観光地に案内しようかと思っていたんだが、俺は定番で良いと思うんだが、妹たちがお洒落なところに連れて行けって、迎えに行く前に言い争いになってな」

 

「多治見君は、東京に住んでいるんだから、お洒落なところには興味がないと僕も思うけれど」

 

「お洒落も何も、一高のある八王子と自宅の練馬の往復以外で出かけた事は…深雪さんに誘われて行った買い物…くらいで、後はネットで買っているし…」

 

『深雪さん』のワードに将輝くんが反応した。少し身を乗り出す。

 

「そういえば、久は司波深雪さんと同じクラスなんだよな」

 

「うん、一年も二年も、隣の席だよ」

 

「そっそれは、なんとも羨ましいな…学校での司波さんは、どんな感じなんだ?」

 

将輝くんは深雪さんに好意を寄せているんだよね。まぁ深雪さんに好意を寄せない男子はいないと思うけれど。僕にとっては深雪さんは達也くんの一部、同じ意識を持つ存在。好意よりは敬意を向ける対象かな。

深雪さんは、クラスではいい意味でも悪い意味でも、孤高だ。いつも絶やさない微笑は、仮面だってことに僕は気がついている。それは雫さんやほのかさんに向けても同じだ。

真に打ち解けて会話のできる人物が、深雪さんにはいない。達也くんにさえ言えない何かを秘めているみたいだけれど…

深雪さんの僕に向ける感情も、なかなか難しい。僕が『真夜お母様』と親しいとわかった去年の四葉家での出会い以降、少し遠慮がある。とくに僕が『真夜お母様』の話をすると、水波ちゃんともども目に見えて萎縮する。

まぁ、そんな事は将輝くんには言えないから、凛として、授業中の姿勢はすごく綺麗なんだよって、無難な話をする。

 

「そういえば、多治見君は司波深雪さんに似ているね」

 

ジョージくんの何気ない一言に、将輝くんは過剰に反応した。

 

「そうなんだよ!だから俺は、普段誰も乗せないバイクの後ろに久を乗せてバーチャル…あっいやなんでもない」

 

「『魔法師』は遺伝的に容姿が似通う場合があるみたいだよ…僕は深雪さんみたいに人を引きつけるような神々しさは欠片もないけれどね」

 

僕の遺伝子がこの国の『魔法師』開発の原点とも言えない。

 

「しっ、司波さんは、たしかに、天女の化身…ごほん。そんな司波さんには言い寄ってくる男は多いんだろうな?」

 

窺うような、呟くような将輝くんの質問に、

 

「声をかけようとする男子は多いけれど、実際に声をかける人はあまりいないね。綺麗すぎて萎縮しちゃうみたいなんだ」

 

「それは、僕にもわかるなぁ。高嶺の花すぎて、僕だって声はかけられないよ」

 

「それに、達也くんと言うラスボスが門番しているから、そもそも近づけないよ」

 

「司波か…」

 

将輝くんが渋い顔になる。

 

「司波君といえば『戦略級魔法・光の紅玉』の魔法式を見たけれど、あれはすごいね。あんな簡単な魔法式でアレだけの『魔法』を発動できるんだから」

 

「あれでも、かなり無駄があるんだけれどね。無駄と言うより、インパクトを重視してあるから、本当の『光の紅玉』はもっとシンプルで威力もあるし」

 

「公表されている魔法式は…そうだね、九校戦仕様なのか。抑止力としての『戦略級魔法』は視覚が重要だから」

 

「実際の戦場では、赤い色をつける意味はないからな」

 

『戦略級魔法』と言えば…

 

「そうだ、将輝くん、改めてゴメンね」

 

僕は将輝くんに頭を下げる。

 

「僕が将輝くん相手に『光の紅玉(ルビー)』を使ったせいで、さっきの記者みたいな人が意地悪な質問してくるし…」

 

「俺は気にしていないから、久も気にするな。それよりも、どこに出かける?久はリクエストはあるか?」

 

時刻はまだお昼前。金沢観光に出かけるにはそろそろ行かないと。

 

「僕は観光地とか知らなくて、石川県と言えば、甘エビかノドグロかズワイカニ…」

 

僕は料理部だから、食材の事はそれなりに詳しい。食い意地がはっている事は自覚している。

 

「食べ物ばかりだな。しかも高いのばかり。だがそれは全部、旬は冬だぞ」

 

「えぇ!?」

 

がーん!今度は僕の脳内で音がした。もう、どこにでも連れて行って。

お昼ごはんは適当にすませたけれど、夕食は美登里さんが手料理を準備してくれるって。

僕も手伝おうとする、例の癖が出そうになるのを、お客さんだからとやんわりと断られた…

午後、将輝くんとジョージくんとコミューターで金沢の街を移動する。

とは言え、奈良の大仏に大興奮するような僕は、お城でもお庭でもいちいち喜ぶ。あまりの喜び具合に地元民が照れるくらいに。

 

夏の長い陽が沈む頃、剛毅さんも僕たちも一条邸に帰宅した。五人家族にジョージくんと僕で、団欒のお食事をする。

しょうゆをとってくれとか、好き嫌いするんじゃありませんとか、すごく楽しい、普通の食卓だった。

僕も微笑みが絶えない。ただ、ジョージくんはちょっと居心地が悪そうだった。

食後、将輝くんの部屋でくつろいでいて、将輝くんがお手洗いにと席を外して、ジョージくんと二人になった時、ふとその事を尋ねてみると、恩義や家族への羨望なんかの複雑な感情を簡単に語ってくれた。

 

「僕も、その気持ちはわかる…かな」

 

「多治見君が?」

 

上辺だけの言葉じゃ許さないよって、鈍い視線が向けられる。

僕の今の環境は、かなり恵まれている。超越している魔法力、後見に『九島』と『五輪』、将来は『戦略級魔法師』として経済的にはなんの心配もない。

 

「僕は、孤児なんだ」

 

「え?」

 

「僕には本当の家族がいない。名前だって便宜上つけられた適当な名前だ。三歳以前の記憶はないし、それ以降もまともじゃなかった。だから将輝くんの幸せな家庭は憧れるな」

 

ジョージくんは姿勢を正して、僕の話を聞いている。

 

「憧れるけれど、羨ましくはないかな。今の僕はこれまでの僕の選択で出来た結果だもの。達也くんや澪さんたちに出会えたのも、今の自分だからね」

 

「多治見君は…強いんだね」

 

「わかんないよ」

 

ジョージくんはそこまで割り切れないようだ。ちょっとしんみりする二人。

 

廊下から、剛毅さんと将輝くんの声が聞こえてくる。少し言い争いをしている。ジョージくんを見ると、「またか」って呟いている。

ちょっと乱暴なノックのあと、親子が入ってくる。

剛毅さんは、ほろ酔いな雰囲気だ。夕食後、晩酌でもしたのかな?

 

「多治見君は、麻雀はできるかな?」

 

唐突な質問に、とまどう。将輝くんとジョージくんは深いため息をついていた。

 

「麻雀はやったことはないんです。でも興味はあるんですよ、麻雀のコミックスは沢山読みましたし、ルールだけは知っています。一高に麻雀部がなかったから、僕は料理部に入部したんですよ」

 

僕の名前のモデルは清澄高校麻雀部の人たらし部長・竹井久からとられているし。

 

「じゃぁ、やってみないかい?男子が四人いたら、麻雀だぞぅ。大学に入学したらこれで人生を狂わすヤツが出るくらいだ」

 

将輝くんとジョージくんが、頼むから断ってくれって、物凄い眼力でメッセージを送ってくる。

 

「本当ですか、お願いします!」

 

麻雀に興味はあったけれど、一高ではする機会が全くなかった。剛毅さんは、もうご機嫌だ。

将輝くんが「なんで了承したんだ、親父の麻雀は無敵な上に徹夜になるんだぞ!」と文句を言ってくるけれど、どうせ僕は眠らないから、ばっち来いだ。

 

徹夜の麻雀は、最初僕は負けまくっていた。牌に触るのも初めてだったから。

将輝くんとジョージくんは文句を言いつつも勝負となると真剣だ。なにしろ二人とも頭が良い。僕が安易に捨てる牌で三人はどんどんロンする。断トツの最下位。

でも、僕には悪待ち『久』の名前と、『清澄の悪魔』と同じ方向音痴のスキル(?)を持っている。

このSSで五輪澪さんのビジュアルは人外プロ生涯無敗『小鍛治健夜・すこやん』の姿を借りている。あの『阿知賀のレジェンド』に10年ものトラウマを与えた人物と生活を共にしているのだ。

天使は努力する者に微笑む。しかし、悪魔が微笑むのは、面白い方だ。

 

空が白み始める頃、ラス親の僕はだいぶ負けを取り返していた。点数差は絶望的に負けていた。

僕はトップ独走の剛毅さんの捨てた八索を…

 

「槓っ!」

 

「ん?」

 

「槓っ!」

 

「何っ?」

 

「もいっこ、槓っ!」

 

「馬鹿なっ!」

 

「ツモ。緑一色、四槓子。親のダブル役満で96、000点です」

 

嶺上牌ツモ。剛毅さんの責任払いで、勝負は、僕の大逆転勝ちだった。一高の黒い悪魔誕生の瞬間だった。

何の役にも立たないスキルだけれど、少なくとも大学で人生を狂わすことはないかな。

 




このSSのアニメネタは『物語シリーズ』と『咲』が多いですね。
今月も物語シリーズを録画保存していない2期以外のテレビ全話を見直しちゃいました。
『咲』は地方大会のキャラデザインが好きです。全国編も好きです。
ただ、このSSの作者は麻雀の役は覚えきれないお馬鹿さんです。
最後の麻雀のシーンは間違ってるかも知れません…『咲』にはダブル役満はないし…
そんなオカルトあり得ません!!


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パパラッチ

カーチェイスは難しい。


徹夜の麻雀大会は僕の大逆転勝利で終わり、四角い宇宙を囲む剛毅さんと将輝くん、ジョージくんは燃え尽きていた…

時刻は、朝の五時。三人は全自動卓の座椅子に腰掛けたまま、寝息を立てている。

いくら夏だからってそのままだと風邪を引いちゃうよ。何かタオルケットでもと思うけれど、ここは一条家なので、どこにあるか分からない。

麻雀卓のある遊戯スペースには、ビリヤード台や折りたたまれた卓球台なんかがある。タオルになるようなものがどこかの収納にあるかな…

 

僕は一人ダイニングに向かった。麻雀中は飲み物はあったけれど、今はすっかり飲み干している。お水でもいただこうか…ん?台所から炊事の音が聞こえる。こんな早い時間に?

 

「おはようございます、美登里さん」

 

「あら、久君おはよう」

 

エプロン姿の美登里さんが、朝食の準備をしていた。

僕が事情を説明すると、美登里さんはあらあらっと言いながら、将輝くんたちを寝室に移動させるために叩き起こして来るって。

 

「えっでも、寝てるのを起こすのは…」

 

「いつものことだから、久君は何か飲み物でも飲んでゆっくりしていて。お腹空いたでしょう、ごめんなさいね徹夜でつき合わせちゃって…って久君は眠くないの?」

 

「はい、僕はあまり寝なくても良い体質なんです」

 

「…そう」

 

美登里さんは複雑な表情になる。

魔法師の体質はいろいろある事を、美登里さんは当然知っている。

 

徹夜の麻雀は楽しかったな。麻雀がというより、みんなの人柄が楽しかったんだなと思う。

一高のいつもの友人たちは、全員それぞれ事情を抱えているせいか、心を許すということがない。どこか壁がある。一番高い壁は達也くんと深雪さんだ。四葉家の一族と言う事を隠している。四葉家が、一族が誘拐や事件に巻き込まれる事をひどく警戒している事は理解できるけれど。まぁ誰だって秘密を抱えている。僕だってそうだ。

そんな事をぼぅと考えながら僕は、ダイニングの椅子に腰掛けて、美登里さんが冷蔵庫から出してくれた冷えた麦茶を飲んでいた。

不意に、デニムのポケットに入れていた携帯端末が、メールの着信を知らせるメロディを奏でた。こんな早朝に、誰だろうとディスプレイを確認する。

意外な人物からだった。内容を確認する。麦茶をごくりと飲む。

 

リビングのドアが開いて、まだ眠気まなこの将輝くんが入ってきた。

 

「ふぁ、親父と麻雀をすると、いつもこうなるんだ。久も金沢まで来て、悪かったな朝までつき合わせてしまって」

 

携帯から視線を上げる。本当に申し訳なさそうな表情をしている。

 

「うぅん、僕からお願いしたんだし、すごく楽しかったよ」

 

「親父も歳を考えろって言いたいぜ。ジョージはあのままベッドに直行だが、久は…平気そうだな」

 

「うん、僕は体力はないけれど、徹夜は全然平気なんだ」

 

「…そうか。ん?誰かと電話をしていたのか?」

 

僕の手にある携帯端末がオンになっていることに目ざとく気がついた。まだ朝の5時半だ。電話をするにはまだ早い。

 

「うん、メールが来ていてね。実は、昨日のあの記者から僕が金沢にいる情報が広まったみたいで、他のメディアが金沢駅に集まってきているんだって」

 

「あの女が?自粛要請を守る気はないみたいだな」

 

「将輝くんと一緒にいたから、一条邸の周りにも記者たちが来るかも…」

 

一条邸は公表されている。

 

「昨日、いつも僕の警備をしてくれている会社に連絡を入れておいたんだ。車の準備をしておいてって。そうしたら、電車だと混乱が起きるから、迎えの車をここの近くまで寄越しているって、メールがあったんだ」

 

「手早いな、東京からだろう?」

 

「うん、すごく頼りになるんだ。僕に『ドロウレス』を教えてくれた二人なんだよ」

 

「…それは、確かに優秀だな」

 

苦笑いの将輝くん。九校戦の氷倒しで、僕が将輝くんに先んじたのは『ドロウレス』のおかげだ。僕はディスプレイを地図モードにすると、待ち合わせに指定された座標を将輝くんに見せる。

 

「そこなら、すぐ北陸道に入れるな。飛騨、松本、甲府を通過して、東京か…5時間はかかるな」

 

甲府?地図を確認すると、中央道に小淵沢インターチェンジがあった。小淵沢。四葉家に行ったとき利用した駅のある場所だ。

 

「今すぐ出るのか?」

 

将輝くんの眠気と身体は一気に覚めたようだ。気力が充溢してくる。

 

「うん、皆には挨拶できないけれど、記者にこの家の周りをうろつかれるのも迷惑だしね」

 

「そうだな、家の敷地内には入ってこないだろうが、警備と一悶着ありそうだ」

 

僕は荷物はないので、将輝くんが部屋で着替えている間、剛毅さんや茜さんたちは寝たままで挨拶は出来ないから、美登里さんに簡単に事情を説明をしておく。

慌しい出発になったけれど、再訪を約束して、ヘルメットをかぶると将輝くんのバイクのタンデムシートに飛び乗った。

 

一条邸から二人乗りの赤いバイクが軽快なエンジン音をたてて走っていく。朝の静けさに、ちょっと迷惑なエンジン音だ。

 

「ああっ!」

 

一条邸に向かう道の建物の影に、隠れるように立っていた女性が、大きな声を上げた。バイクは女性を無視して、一気に加速する。振り向くと、携帯端末で何かやり取りしている。

 

「今の、昨日の記者の人だったよね」

 

「ああ、どうやら一晩張り込みしていたみたいだな」

 

「芸能レポーターみたいだね」

 

「ある意味、今の久は国民的アイドルだからな。それも謎のアイドルだ」

 

「プライバシーをなくす事はある程度覚悟していたから良いけれど…アイドル扱い?珍獣の間違いじゃないの?」

 

僕の情報は『魔法科高校二年、男子』しか発表されていない。人となりも不明だ。マスコミ的にはどんな情報でも良い、それが『戦略級魔法師』の醜聞なら、なお良い。反魔法師のメディアには絶好のネタになるし、魔法界全体の汚点にもなると思う。『戦略級魔法師』は『魔法師』の象徴だからめったなことはできない。引きこもり…まぁそうなるよね。

 

「皆、そんなに僕の事を知りたいのかなぁ?」

 

「ハロウィンの『戦略級魔法師』の情報が、その後まったくないからな。マスコミ的には久の情報は喉から手が出るほど欲しいだろう。自粛要請は出ているが、今後も気をつけろよ」

 

自宅周辺は安全だけれど、遠出している今の状況は、マスコミ的にも千載一遇のチャンスだ。

バイクは狭い県道を快調に走行している。僕も二度目だし、左手も治りつつあるから、将輝くんを掴む手にも力が入っている。それにしても朝っぱらから…

 

「あははっ」

 

「どうした急に?」

 

「なんだか追っ手からの逃避行なんて、映画かドラマのワンシーンみたいだ。僕が女の子なら将輝くんはヒーローだね」

 

「そうだな、久が司波さんなら俺も…おっと」

 

深雪さんなら確かにヒロインだ。でもその時、バイクの運転をしているのは100パーセント達也くんだ。

 

「ん?あれか?」

 

田舎の道路には不似合いな、黒い大きなリムジンが停まっていた。

 

「うん、あれだ…ね」

 

僕は思わずヘルメットの中で苦笑する。リムジンは、確かに防御力が高いから『十師族』御用達の車種だけれど、あのバランスを欠いた寸胴のボディは田舎道にはすごい違和感だ。

将輝くんがリムジンの後ろにバイクを止めて、僕はゆっくりと降りる。ヘルメットを脱いで、手渡す。将輝くんもヘルメットを脱いだ。

 

「ありがとう将輝くん、なんだか慌しかったけれど、すごく楽しかった」

 

「そうか?俺としては、家族がみんな馬鹿で恥ずかしかっただけだぞ」

 

自分の素の家族を友人に見られれば、思春期の男子には恥ずかしい限りだ。

 

「あはは、皆によろしくね。ジョージくんにも。また来ても良い?」

 

「ああ、いつでも来い」

 

「じゃぁ、次は冬に来て、エビとノドグロとカニを将輝くんにご馳走してもらうよ」

 

「俺の小遣いの範囲で頼むぜ…」

 

ちょっと情けない顔の将輝くんのライダーグローブのままの手とがっしり握手をする。手を放すと、リムジンの後部ドアが音もなく開いた。内側から開いたみたい。

 

「じゃぁ、またね将輝くん」

 

僕は車内をちらっと確認する。黒いフリフリの服を着た女の子(?)が二人姿勢正しく座っている。不審人物じゃないけれど、怪しい二人ではあるなぁ。

 

僕を乗せたリムジンが走り出す。

黒塗りの窓からは確認できないけれど、僕が去るのを確認して、ヘルメットをかぶり直した将輝くんは、バイクを再スタートさせる。

その姿は颯爽としていて、すごく格好が良い、はずだ。タンデムシートに深雪さんを乗せる妄想は、妄想の中だけにしておいた方が無難だよ。

 

 

「お久しぶりですわね、久様。いえ、『戦略級魔法師・多治見久様』とお呼びした方がよろしいかしら」

 

リムジンの柔らかい座席に、僕が身を沈めると、隣に座る黒羽亜夜子さんは、いつもの演技がかった口調で話しかけてきた。なんだか、小憎らしいな…

 

「うーん、僕の事はこれまでどおり『空条承太郎』って呼んでくれて良いんだよ」

 

「誰が『ジョジョ』ですか、オラオララッシュで殴りますよ!」

 

うぉ!亜夜子さんがツッコミをしてきた!

 

「やれやれですわ…こほん。九校戦以来ですわね、久様」

 

「お久しぶりです久様。久様は九校戦以降、周囲が慌しいですね」

 

文弥くんは、今日は喋りが男の子だ。服装は、女の子だけれど…やっぱり僕と違って女の子の格好をしていても男の子だなって思う。もう1~2年もしたら筋肉もついて女装なんて無理になりそうだ。

 

「うん、有難う二人とも。正直、マスコミってどう対処すればいいか分からなくて、困っていたんだ」

 

「いずれは、マスコミ対応もしなくてはいけないでしょうが、それは成人してからと言うお話でしたものね」

 

「『ルール無用の悪党に正義のパンチをぶちかます』、訳にはいかないものねぇ」

 

…あれ?無反応だ。『タイガーマスク』のOPは…うぅむ、双子には意味不明か…

僕にメールを送信して来たのは、将輝くんには警備の人って説明したけれど、黒羽亜夜子さんと文弥くんだった。双子が来たって事は、

 

「これは『真夜お母様』が寄越してくれたの?」

 

「はい、御当主からの命令です。僕たちも、このあたりで任務にあたっていて、報告に戻るところでしたので、ついで、と言っては失礼ですが」

 

任務…何だろうって思ったけれど、それは二人の領分で答えられないだろうから聞かないでいる。二人は高校生なのに、大変だな。九校戦が終わって間もないのに…宿題はちゃんとやっているのだろうか。

 

人の事を心配している場合ではない。

 

今、僕の脳内で『キートン山田』さんのナレーションが聞こえた。ごもっともです。

 

「じゃぁ、四葉家に僕も行って良いの?」

 

「はい、御当主もお待ちしているそうです」

 

『真夜お母様』に会える、と考えると、僕の気分は高揚した。けっして徹夜マージャンでハイになっているわけではない。

 

将輝くんの指摘どおり、甲府までは有料道路と一般道を使って、5時間はかかるって。

それまでどうやって時間を潰そうかな…と考えていたら、二人は携帯端末で、もくもくと宿題を始めた。

 

「えっ?宿題しているの?」

 

「はい、何かと遠出する機会が多いので、移動中は宿題や勉強をしているんです」

 

なんて真面目なんだ。僕は感心する。でも、二人とももっとトークを楽しもうよ…めったに会えないんだから。僕だけ宿題やっていないなんて、恥ずかしいよ。

窓も真っ黒で外が見えないし…暇だ。

あぁもう、亜夜子さんをずっと見ていよう。隣の座席の亜夜子さんは真剣に勉強している。真剣な顔も可愛いな。僕は座席にゆったり腰掛けて、首だけを横に向けて、じーっと亜夜子さんの横顔をみつめる。じー。

亜夜子さんは僕の視線に気がついたけれど、あえて無視を決め込んでいた。でも、僕の眼力に5分と耐えられなかった。可愛い顔に汗がにじむ…ぷはーっと息を吐くと、

 

「ちょっと、久様…久様がそうやって見つめてくると、物凄い圧力がかかるんですの…やめてくださるかしら…」

 

苦情を申し立ててくる。

 

「ごめんなさい。だって、暇なんだもの…」

 

「私を暇潰しの相手にしないでください。暇なら、寝ていれば良いんですよ」

 

「じゃぁ手をつないでいてくれる?」

 

「はあぁ?」

 

「僕はひとりじゃ眠れないし…」

 

「子供ですか!残念ながら両手は塞がっていますの」

 

左手にタブレットを持ち右手をちょいちょい動かして、塞がりアピールをする亜夜子さん。

 

「じゃぁ膝枕して」

 

「はっあああ?馬鹿じゃないんですか!」

 

「でも、四葉家に行ったとき『真夜お母様』は膝枕も添い寝もしてくれたよ」

 

「そっそれとこれとは、別ですわっ!」

 

「じゃぁ文弥くんに膝まくr…」

 

「断ります!」

 

「ふえーん、亜夜子さぁん、文弥くんがつれないよぉ」

 

「こっこら抱きついてこないでくださるっ!わっ馬鹿、馬鹿馬鹿っ!そんな子犬みたいな目をしても…うぅ…だめですよ!」

 

亜夜子さんが僕の頭をぐりぐり押し返してくる。文弥くんも勉強をやめて笑っていた。

あはは、楽しい。そんなじゃれ合いをしながら、3時間ほど経過した。車はうねうねとした山道の一般道から、ふたたび高速道路に入った。振動が減って、いかにもリムジンが安定して走っている。亜夜子さんとの死闘に勝った僕は、亜夜子さんの太ももを無事ゲットしていた。

亜夜子さんも騒がれるよりは、この方が大人しくなると考えて、静かに宿題をしていたけれど、本来柔らかいはずの太ももは、かちこちに硬直していた。

僕が身じろぎするたびに、びくっとする。宿題に集中できていない。

 

「ちょっと、久様!ごそごそ動かないでください!あっちを向いてください!」

 

左腕は、まだ完治していないから、仰向けか、右に向きたいんだけれど、右は亜夜子さんのお腹になる。

 

「あっ、ごめんね。左腕はちょっと怪我していて…」

 

「怪我って、またですか、どれだけ怪我率が高いんですの!」

 

子供相手に張り合うのも無駄だと悟った亜夜子さんの太ももから力が抜けた。僕は仰向けに静かに眼を瞑っている。そのまま、うとうととまどろみ始める。

 

「まったく、本当に子供ですわね!歳相応に落ち着いてください…上級生には見えませんが」

 

「でも、そうやって黙っていると、深雪さんを膝枕しているみたいだね」

 

「深雪さんが、こんな行儀の悪いこと…あっでも達也さんと…むぅ」

 

ん?また少し、枕が硬くなったような…

 

 

ポーン!

 

リムジンの車内にドライバーからの連絡を知らせるフォーンが鳴った。

その音は、非常時に使われるものでもあったのか、双子の雰囲気が、ぴりっと締まった。僕も、ぱっと眼が覚める。

文弥くんがサイドボードのパネルを操作する。

 

「ヨル様、ヤミ様、不審なトレーラーが近づいてきます」

 

「不審?」

 

ドライバーの警告に、今度は亜夜子さんが別のパネルを操作する。遮光フィルターで黒かった窓が、ぱっと透明になった。高速道路の防音壁と中央分離帯、遠くに山々と言う景色がはっきりと見えるようになる。

リムジンの後方から、大型のトレーラーが近づいてくる。

平ボディー型で海上コンテナを載せたタイプの、どうと言う事のない、普通のトレーラーに見えるけれど…

 

「あのコンテナは…まさか」

 

「直江津港にあったのと同じ色だ。ローゼンが秘密裏に入港させたコンテナかも」

 

ローゼン?秘密裏?何の話だろう。二人は何を調べていたのかな。

文弥くんが端末を操作する。

 

「やっぱり、反応があるよ。あれはローゼンのコンテナだ」

 

そのコンテナには発信機が取り付けられているみたいだ。

 

「追手!?まさか…私の『極散』が通用しなかったの?」

 

『極散』がどう言う『魔法』かは僕にはわからないけれど、それは隠密や潜入に有利な、亜夜子さんの得意の『魔法』なんだろう。かなり動揺している。二人を追ってきた?

いや…違うな…目的は…

 

「目的は、僕だ」

 

「え?」

 

「どういう事ですの?」

 

高速道路は二車線の緩やかな下り坂で、やや左にカーブしている。リムジンは左側を、トレーラーは右車線を物凄い速度で走っている。右車線は追い越し車線だから、特に問題はないはずだけれど、異様なのはそのスピードだ。法定速度をオーバーしている。

自動運転や物流が発達したこの時代に暴走するようなスピードは、確かに不審だ。

二台の距離はどんどんと狭まる。そのトレーラーには何の広告も社名も書かれていない。トレーラーの運転席には二人、男がいる。ん?西洋人かな。助手席の男が手に何か持っている。

金属製の…鈍い光を放つ…拳銃のようなモノ。

 

「CADだっ!」

 

「CADですわっ!」

 

文弥くんと亜夜子さんが同時に叫んだ。トレーラーの男は助手席の窓を開けると、ぬっと手を出して拳銃型CADをこちらに向ける。CADに障害物は関係ないから、わざわざ銃を外で構える必要は全くない。助手席の男は、西洋人特有の東洋人への嘲りを持っているのかな?見下す笑顔がここからでも見えそうだ。なんだか、昔の映画のカーアクションみたい。

双子が携帯電話型CADを操作しようとする。

 

「待って、二人とも!」

 

「えっ!?」

 

僕は男に向けて、すっと右手を向けた。本来なら意味のない行動だけれど、双子に僕の動きを見せるためでもある。右薬指には『真夜お母様』からいただいた『指輪』がはめられている。

勿論、ドアから手を出すことはしない。

CADをこちらに向けていた男の右腕が、スパンと斬れた。CADを構えた右手の肘から先が、ごろごろとアスファルトを転がって、防音壁にぶつかる。腕を切断された男は、窓から血を噴出しながら、助手席に蹲った。

 

「『加重系魔法』?」

 

男の上腕に10トンの上向きの『加重』、下腕に同じく10トンの下向きの『加重』をほぼ隙間なくかけた。『断裂』。ようするに見えない巨大なハサミで斬ったんだ。

人体に『魔法』を使用する場合は『直接干渉』になってかなり難しい。でも、僕の魔法力なら簡単だ。

 

「二人とも、まだ終わっていないよ」

 

トレーラーはそのままリムジンと並走する位置になった。ぶつけてくる?と思ったけれど、速度をあわせたままだった。

 

「何を…あっ!」

 

文弥くんの疑問は、驚きに変わった。

コンテナの側面が左右に開くと、横長の障害物除去用の重機が現れた。右手に油圧カッター、鉄骨を切断する巨大なハサミだ。左手に油圧グラップル…これは鋭い三個の鉤爪で重量物を掴む金属の手だ。それだけなら、建設現場用の重機だけれど、重機にはないはずの重火器や多連装ロケット砲が搭載されている。実弾が装填されているかは分からない。横浜で見た機動ロボット兵器に酷似している。

機動ロボットは高速で走行するトレーラーの上でもバランスを失うことなく、アタッチメントを展開した。優秀な制御システムが組み込まれている…無骨な、殺人兵器が起動した。

 

「ローゼンの機動ロボット!?あのコンテナの中身は機動ロボットだったのか」

 

「ローゼン!?」

 

双子はコンテナまでは近づけたけれど、中身までは確認できていなかったようだ。

コンテナから、意外なすばやい動きで、別のアームが伸びて来た。リムジンが減速、そして加速して避けようとする。トレーラーが幅寄せをしてくる。アームがリムジンの前後を挟んだ。がしっと衝撃があった。アーム、トレーラーと防音壁に挟まれるようになって、リムジンは完全に身動きを奪われた。

タイヤからのキキキッて旋回時に発生するスキール音がして、車内に縦Gがかかった。アームに一トン以上もあるリムジンが持ち上げられた!こんな高速で走る自動車を、かなりの無茶をする…

 

「姉さんっ!」

 

「くぅ、私たちの『魔法』じゃあの装甲は破れない!」

 

機動ロボットのコックピットは僕たちからは死角になっていて見えない。かと言って、下手にトレーラーを攻撃しては、リムジンを巻き込んでしまう。トレーラーとリムジンは100キロ以上の速度で並走している。山間部を貫く高速道路は緩やかなカーブの連続だ。僕たちの身体は左右に揺さぶられている。双子の表情から血の気が失せていた。

機動ロボットは蟹のように、残りの機械の腕を広げた。

防弾のボンネットも、あの巨大なカッターの前には紙も同然だ…ぐわっと伸びた油圧カッターと破砕機がリムジンの屋根に突き刺さる…

 

瞬間、機動ロボットが、トレーラーが、消えた。コンテナもドーリーも運転席も運転手も、丸ごと、消えた。

 

ドスン、っとリムジンがアスファルトに落ちた。高性能のサスペンションのおかげで、衝撃は小さかった。リムジンが、一瞬左右に揺れるけれど、ドライバーが必死に安定を取り戻して、やや減速するも、何事もなかったかのように走り続けた。

 

「ヨル様!ヤミ様!何が起きたんです!」

 

運転席から怒号のような声があがっていた。

 

「何って…うっ!」

 

薄紫色の眼光が、亜夜子さんをするどく射抜いていた。さっきまでのじゃれあっていた子供の気配とは違う。亜夜子さんは、僕の怒りの気配に触れて一瞬仰け反りそうになっていた。

 

「今のは…『雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)』!?」

 

ドアウィンドウから遠ざかって行く現場に目を向けていた文弥くんが、まさかって呟く。

 

「みすとでぃすぱーじょん?」

 

僕は、首を捻る。僕は怒りの圧力を消し去った。亜夜子さんが、空気を求めるように呼吸をする。

 

「殺傷性ランクA相当に分類される『分解魔法』ですわ。起動式は軍事秘密に指定されていて、物質の構造情報に干渉することにより、物質を元素レベルの分子に分解する…

現代魔法において最高難度の『魔法』とされていますわ。まさか久様は…」

 

「軍事機密の起動式を僕が知っているわけないよ。僕の使う『魔法』は基本的に授業で習った4系統8種の『系統魔法』のマルチキャストだから」

 

「じゃぁ…どうやって」

 

「うん?ちょっと『飛ばした』だけだよ」

 

「『飛ばした』?どこにも、トレーラーの痕跡はありませんが…」

 

高速道路で派手に破壊しては目立ってしまう。映像記録はごまかせても、現場の残骸となったトレーラーと機動ロボットは、良い訳できない。

とっさに『異空間』に飛ばしてしまったけれど、どう説明しようか…『瞬間移動』は現代魔法では不可能のひとつだ。

 

僕が考えていると、ぷるるっとポケットの携帯端末が着信を知らせてきた。ポケットから携帯を取り出して、ディスプレイを確認する。相手は…

 

「『真夜お母様』?」

 

僕の台詞に、双子が物凄く緊張をしていた。どうして四葉家の関係者は達也くん以外『真夜お母様』に萎縮するんだろう。

僕はスピーカーモードにして、双子にも会話を聞こえるようにする。

 

「手短に用件だけ伝えるわよ。ローゼンの機動兵器の襲撃を受けていたわね」

 

「はい」

 

「貴方たちの上空にローゼンの無人偵察機が飛行しています」

 

『真夜お母様』の言葉に、文弥くんがサイドボードのパネルを操作した。リムジンの屋根の一部が透明化して、サンルーフになった。ついでに無色になっていたドアウィンドウに遮光フィルターをかける。

サンルーフに切り取られた四角い夏の青空。どこまでも澄んでいる高い空に、黒いカナードを持った固定翼機が飛んでいた。一見、鳥かとも思うけれど、羽ばたきはいっさいしない。夏の陽を反射しない素材なんだろうけれど、青い空に妙にくっきりと見える。

高度は2千メートル。

 

「あれで、僕を追跡していたんですね」

 

「金沢の一条家から追跡していたみたいね。流石に衛星を使うほどじゃないにしても、かなり力が入っているわね」

 

「狙いは『戦略級魔法師』の僕ですか?」

 

「どうやら、そのようね」

 

「破壊しても、構わないですか?」

 

「いいわよ、飛行許可なんてとっていないですもの。ローゼンにとって新しい『戦略級魔法師』は目障りみたいだから」

 

僕は、右掌を上空2千メートルの高さを飛行している無人偵察機に向ける。掌をぎゅっと握ると、閃光が走った。『稲妻』が偵察機を直撃する。爆発して、粉々になった無人機の破片を執拗に『稲妻』で打ち抜く。そのたびに打ち上げ花火みたいな音がリムジンの中にまで聞こえてきた。

やがて、偵察機は、金属の灰になって、夏の空に消えていった。

 

「他に追跡してくる車はありますか?」

 

電話の向こうの『真夜お母様』に尋ねる。『真夜お母様』はどうやってこの光景を見ているんだろう。偵察衛星?『四葉』はそんな国家並みの能力や組織力があるのかな…

 

「ないわ。直江津港には同じコンテナが5個あったそうね。もちろん、それが全部、機動ロボットかは不明だけれど、ローゼンも流石に全戦力を集中させる時間的余裕はないみたいね」

 

「僕を襲うなら、都心に入る前に終わらせないと。直江津港から高速道路で僕たちを追ってきたのか…いや、追われたのは僕だけで、二人は巻き込まれたんだ…亜夜子さん、文弥くん、ごめんなさい」

 

遠出中の僕に関心を示すのはマスコミだけじゃない。

僕は、車内なのでやむなく座席に腰掛けたまま、地面と上半身が水平になるまで頭を下げた。

車内は修羅場を潜り抜けた後の虚脱感に満ちていた。

二人はお互いの顔を見合わせると、

 

「久様は襲われる理由があるのですか?」

 

「心当たりがあるんじゃなくて、久?」

 

亜夜子さんと『真夜お母様』が尋ねてくる。

 

「あっ…はい、九校戦のクロスカントリーの時に…」

 

クロスカントリーの森の中でローゼンの戦闘員に襲われた事を説明する。戦闘員は殺害後、九重八雲さんに後始末を任せたこと。戦闘員は旧式だったらしいけど、特殊なスーツを着ていたこと。

証拠はいっさい残さなかったけれど、僕が戦闘員を消したことは状況から確かだから、ローゼンは僕に目をつけているはずだ。

『戦略級魔法師』の存在は、他国からしてみたら、脅威でしかない。この時代、日本とヨーロッパは敵対はしていないけれど、友好国でもない。

 

高速道路で起きたことは『真夜お母様』が記録の抹消をしてくれるそうだ。無人偵察機の映像も。これで、この黒いリムジンと僕との関係も不明になったわけだ。一体どうやってやるんだろう。家電以上携帯以下の僕にはさっぱりだ。『真夜お母様』は、本当にすごいなぁ。

 

「それにしてもローゼンか…ちょっと滅ぼしてこようかな…」

 

庭先の雑草でも摘もうか、みたいな口調で僕が言う。

 

「その必要はないわ、FLTが3日前に発売した完全思考型デバイスの成功で、ローゼンの企業価値は少なくとも日本国内では低下の一途、世界的に見ても右肩下がりね」

 

完全思考型デバイス開発はローゼンが先行していたけれど、後発のFLTとの性能差は、ソフト面ハード面のどちらも、FLTの方が優れている。機械音痴の僕から見ても、その差は歴然だ。デバイスのシェアはFLTが奪ったわけだ。でもローゼンはデバイスだけじゃない、今みたいな兵器も扱うコングロマリットだ。日本国内においてはCADじゃなく、武器の売り込みの方に重点を置くようにしたのかな。それにしても、完全思考型デバイスとCADか。

 

「僕がデバイスのモニターをした事が、役に立ったのかな…」

 

薬指のCADを見つめる。『真夜お母様』から頂いて、達也くんが調整してくれている、この指輪を。

 

「ええ、久のデータがFLTの製品化に貢献した事は確かよ。それで、FLTから久に贈り物があったの」

 

 

その後、リムジンは何事もなく四葉家にたどり着いた。高速道路から四葉家までは以前の送迎車と同じだった。トンネルを抜けると、四葉の防衛圏内。双子の肩から力が抜けたのが、よくわかった。

そして、四葉家の書斎で僕は、『真夜お母様』から、新しいCADを頂いた。

 

『戦略級魔法・光の紅玉』専用のデリンジャー型CAD。

 

九校戦の時のは、競技用で飾り気のないCADだったけれど、これにはグリップに綺麗なエングレーブが施されていて、銃身には誇らしげにトーラスシルバーの刻印があった。芸術品そのものの精密機械。小さな僕の手に収まる、小さな、世界に僕だけのCAD。

 

「そのCADを使う機会は、高校生活ではないと思うけれど、定期的な調整は達也さんの自宅でしていただきなさい」

 

僕の『魔法』なのに右薬指の指輪型CADには、起動式が大きすぎて入っていなかったんだ。

『戦略級魔法』は抑止力だ。デモンストレーション以外で使う時は、戦争中だ。そんな事態にならないでほしいけれど…

このデリンジャーはジュラルミンの宝石箱に入ったまま、僕の勉強部屋に飾られることになる。

 

『真夜お母様』も亜夜子さんも文弥くんも、僕がトレーラーを機動ロボットごと消し去った『能力』については尋ねてこなかった。

『魔法師』に『魔法』を詮索するのはマナー違反だって言うけれど、いつかこの秘密を知らせる時が来るだろうか。

 

でも、『真夜お母様』の僕を見る、微笑をたたえた静かな目は、まるで僕の全てを知っているかのような、どこか狂気を孕んでいるような不思議な目をしていた…

 

 




外堀は、確実に埋められています。
将輝は、一高メンバーに比べると、物凄く普通の高校生ですね。
将輝と比べると一高メンバーのふてぶてしさがわかります。
しかし、原作で日記を衆目に晒した将輝は、もう穴を掘って埋まりたいでしょうねぇ。


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二学期

今回、物凄く難産でして…


 

 

僕は夏休み後半を、師族会議、九島家、一条家、四葉家を訪問して、帰宅後、七草家の食事会に参加と、怒涛の勢いで駆け抜けた。

世界でも有数の魔法師一族のハシゴ…世間的に見れば物凄い事なんだけれど、僕にとっては友人や『家族』の家を訪問しているだけだ。

ただ、そのせいで夏休みの宿題はたんまり残っている…夏休みは残り4日。僕は澪さんに怒られながら宿題を片付ける。

 

「助けて!ミオえもん」

 

「だれがミオえもんですか!」

 

と、文句を言いつつも、僕に甘い澪さんは宿題を手伝って…二年目は、くれなかった。

 

「宿題強制電撃椅子ぅ!この椅子は、宿題をしないで余所見をすると、『電撃』が身体に流れるという画期的な椅子ですよ」

 

澪さんが四次元ではないポケットから携帯型CADを取り出した。

 

「それは、澪さんが宿題をサボる僕の後ろから『魔法』をかけるだけなのでは…」

 

「チョイデイン!」

 

澪はチョイデインを唱えた。久の身体に静電気がばちっと来る。

 

「きゃん!澪さん地味に痛い!きゃん!わかったから、ふえーん、澪さんの鬼!ラムちゃん!きゃぅん!」

 

なんてコントを間に入れながら、最速のギアで全ての宿題を終わらせたのであった。

これが『戦略級魔法師』の現実なのだった。きゃうん!

おかげで、最終日の午後はのんびりとすることが出来た…明日から二学期だ。

去年は魔法師として未熟でもあったから、僕はひたすら受身だった。今年は、僕なりに能動的に活動したから、夏休みは長かった。本当に長かったな。

 

感慨にふける僕の携帯端末に学校からの連絡があった。校内連絡用のメールだ。翌朝8時に校長室に来るように、との教頭からのメールだった。

校長室なのにメールの差出人は教頭、というのも変だけれど、学校から連絡なんて初めてだったので、ちょっと驚いた。流石に『戦略級魔法師』を無関心と言うわけには行かないようだ。

金沢でのマスコミの行動は、すぐに魔法協会に知られた。一条剛毅さんがダブル役満直撃のショックからすぐに立ち直って動いてくれたんだそうだ。次回、金沢に行くときはオカルトに頼らない麻雀で勝負したいな。トリプル役満…?いやいや。

マスコミへの取材自粛要請は、強制にかわった。おかげで、僕の周辺からマスコミは姿を消した、らしい。僕は自宅に引きこもっているから、実際のところはわからない。

ただ、自宅周辺の警備は、当然増強されて、自宅最寄のコミューター乗り場や駅には警察と連携した警備の詰め所が出来ていた。

このあたりは魔法協会の働きかけで、いっさいの遅滞はない。

僕の住むあたりは、高級とは言わないまでも、それなりに富裕層の住む区域だ。あまり徹底すると地域住民からヒンシュクを買う事になるんじゃないだろうかと心配になるけれど…

一高駅前からの通学路は、これまでどおりだ。一高が監視を強化したり、警護人をぞろぞろ連れ立っての登校も出来ない。一高は『魔法師の卵』を守る意思は全くない。

本当に奇妙な高校だ。魔法協会からの警備も拒絶したらしい。同じ国策の魔法科高校に通うのは貴重な人材、宝の山なのに、こうなると通学路で事件をわざと起こそうとしているんじゃないかと邪推してしまう。

一高の校長は、今の魔法科高校制度を一から作り上げたような人物なので、意固地になっていると言うか、老害になっている。自身の領域が他者に侵害されるのがいやなんだ。烈くんや僕よりも年下なんだけれど。事件が起きてからじゃ遅いんだよ、魔法師排斥運動なんてのが数巻後に起きるんだよ!僕は予知能力はないけどね!

 

朝、僕の身だしなみは澪さんと響子さんがしてくれている。その点では僕は無頓着なので、女性陣の意見に素直に従うことにしている。

今朝は特に入念に髪をくしけずってくれた。髪をしっとりカラスの濡れ羽色にする謎の『魔法』をかけてくれたり…マニキュア?プリキュアの間違いだよね?いやコスプレはしないけれど。口紅はしないよ!響子さん!香水はいらないって!ローズエッセンス?あっ良い香りだね、まぁ制服に軽く吹きかける位なら…

 

この日は、僕が『戦略級魔法師』と公式に認められてから最初の登校になる。九校戦以降、僕は初めて衆目に晒されるわけだ。

正直、僕は人見知りだし他人が苦手だ。同じように人目を集める深雪さんがいつも身だしなみをしっかりしている理由がよくわかる。深雪さんの場合は達也くんにみっともない姿を、髪の毛一本乱れた姿でも見せたくないからなんだけれど、鏡に映る僕の容姿は、本当に深雪さんに似ている。

僕は男だから達也くんに似ているかと言うと、全然似ていない。

深雪さんと達也くんの容姿は似ていない。でも、『意識』は常に繋がっている。

 

最寄り駅では一般市民からちらちらと見られていた。これは『戦略級魔法師』だからというより、一高の制服が目立つからで、以前からの光景だ。

平日の出勤途中にコスプレ少年が現れたら誰だってチラ見するよね。

あれが噂の『戦略級魔法師』?と疑問には思うけれど、『魔法』の知識に乏しい一般市民には、僕の小さな身体からはイメージが湧きにくいらしい。『戦略級魔法師』が大量殺戮者である事に…

 

一高駅前に着いて、キャビネットからその小さな身体が現れると、周囲にいた一高生徒や利用客が一斉に僕を見た。今度は制服のせいじゃない。ざわざわとざわめきが広がっていく。ここは『魔法師』に関わりが深い駅だ。僕の事を知らない人はいない。

僕は一高生徒の殆どと交流が無いし、横浜での工作兵の殺害シーンを多くの生徒に見られているから、その事を知っている生徒はまず近づいてこない。達也くんも同じだけれど、去年の生徒会長選挙の時、達也くんに多くの票が投じられていたから、達也くんが一高生徒に恐れられつつも頼られている事がわかる。

そう言えば、今年も新生徒会長を決める投票日が近い。今年は深雪さんが順当に生徒会長になるはずだ。達也くんが生徒会長というのも面白いけれど、達也くんは補佐や黒幕の方がしっくり来る。

生徒達は僕に視線を向けるけれど、遠巻きに珍獣でも見るような雰囲気だ。

それまでの僕への嘲りの視線が尊敬や畏怖に、見下す態度は腫れ物に触れるような態度に変わったようだ。むしろ本能的な畏怖の方が強くなっている。

珍獣でも、一皮向けば凶暴な肉食獣だったって事を理解したんだ。おかげで心配していたような混乱は起きなかった。

『戦略級魔法師』と変わらず接する事ができる生徒達なんて…あっ、いた。キャビネット乗り場に達也くんたちが一塊になっていた。

登校時はいつもこうやって集まるわけじゃない。昨夜、念のために達也くんに少し早めに登校するってメールは出しておいた。達也くんは副生徒会長だから、余計な混乱があったときのためでもあった。

僕はみんなの所にとてとて向かう。

 

「みんな、おはよう。全員…いるんだね」

 

僕はみんなに挨拶して、最後に達也くんの顔を見る。相変わらずの無表情だけれど、ちょっと戸惑っている気配がする。

 

「どうかしたの?」

 

「いや、今朝は身だしなみに気合が入っているな…一瞬、昔の深雪かと思ったくらいだ」

 

「そう…なの?深雪さん」

 

「私には…わからないわね。でも、今朝の久は…本当に可愛いわね」

 

深雪さんに似ている僕が可愛いと言うことは、深雪さんが可愛いと言うことだな、うん。深雪さんは機嫌が良い。達也くんが常に自分の事を考えてくれていることが嬉しいんだ。僕は、可愛いと言われてもなぁ…

泉美さんが小さな深雪さんである僕の写真を撮ろうかどうか葛藤している。

香澄さんが呆れつつもその行動を止めている。公共の場での僕の撮影は色々と問題が起きるかもしれないので、他の生徒も無作法に僕を撮影しようとはしない。

今のところ、一高前駅にマスコミはいないみたいだ。

 

「それにしても、どうして皆いるの?」

 

達也くんを見上げる。

 

「いや、昨夜のメールは皆には教えていない。皆、偶然集まったんだ」

 

「久が一高生たちにもみくちゃにされているんじゃないかって心配してたんだぜ」

 

「それは無いってレオくん。僕は人望がないからね!」

 

えっへん!

 

「威張ることじゃない」

 

雫さんが呆れる。まったくだ。剣呑な集団に護られる様に、ゆっくりと一高に向かう。僕は達也くんの背中を見ながら、香澄さんの隣を歩く。

相変わらず達也くんは僕の歩く速度にあわせてくれる。

『戦略級魔法師』の話題はあがらず、夏休みにあった事の情報交換と言う名の雑談をしている。友人同士でも、夏休みに皆で遊ぶ、という気安さがどこか欠けている集団でもある。

 

僕は教室には寄らず、校長室に直接向かった。指定の時間より早いけれど、面倒はさっさと済ませるに限る。

分厚いドアをノックすると、教頭の入室許可の声がスピーカーから聞こえた。どこかにカメラがあるみたいだ。

重厚な、ある意味古臭い部屋に、校長と教頭がいた。

二人に関しては特に語ることはない。校長は口をきかず、教頭が淡々と「『戦略級魔法師』として特別扱いはしない。高校生らしく勉学に励むように」と説教臭く語っただけだ。

僕は素直に頷いて、ただ、一高の通学路に警備の配備をお願いした。

「検討して置こう」と、校長が仏頂面で一言。あぁ、これは駄目だ。この人は、生徒が事件に巻き込まれても、何もアクションを起こさない…

一高の教師陣に対する、僕の感情は…もうどうでもいいや。

生徒会に権力が集中するのも良くわかる。自分の身は自分で護らなくちゃならない。

 

校長室から退室すると、廊下には多くの生徒が僕を遠巻きに見ていた。そうしているのは交流のない生徒ばかりだから、視線は無視して、2-Aの教室にとてとて向かう。

同級生達の教室での僕への態度も今までと変わらない。これまでも、男子生徒で僕と会話があるのは森崎くんくらいだし…

森崎くんと会うのも一学期の最終日以来だ。始業時刻まで九校戦での僕の『ドロウレス』の話題で盛り上がる。森崎くんも最初はぎこちなかったけれど、僕が今までとまったく変わらないので、安心したようだ。

二学期初日でも、魔法科高校に始業式はない。いきなり午後一杯まで授業だ。

お昼は食堂でレオくんたちと同席して、放課後は料理部で部活。生徒達の視線は常に付きまとっていたけれど、一学期までと変わらない一日だった。翌日からも、同じような毎日が続く。

 

 

そんなある日の放課後、達也くんに無人の廊下で呼び止められた。その場では僕達は目立つから、達也くんが副生徒会長の権限で空き教室を確保して、二人きりになった。

達也くんは無駄な前置きは基本的にしない。前置きがある時は、探りを入れている。そこが天然の十文字先輩との違いだ。

 

「九島閣下に協力を仰ぎたいことがある。久から連絡はつくか?」

 

僕をじっと見つめる達也くん。すごく真剣だ。

烈くんと達也くんは九校戦で問題が起きている。達也くんが被害者だから、文句のひとつでも言いに行くのだろうか?協力?なんだろう…うぅん、でも…

 

「烈くんは僕の事を放任してくれているんだ。入学してから、僕から連絡をしたのは二回だけ。一回目は警備のこと、二回目は今年の九校戦の会場でだったけれど、連絡は着かなかったな…」

 

「久は閣下とは接点は少ないのか?」

 

「烈くんは忙しいから…何か用がある時は向こうから唐突に現れるよ。人を驚かして喜ぶなんて子供っぽいよね。烈くんに連絡を取りたいなら、響子さんにお願いするといいよ」

 

「藤林さんに?」

 

「烈くんは、あれで孫には甘いからね。響子さんのプライベートナンバーにかければ、すぐに対応してくれると思うよ」

 

「そうか」

 

達也くんなら響子さんの電話番号くらい知っているよね。

 

「そうだ、夏休みに『真夜お母様』から『光の紅玉』専用のCADを頂いたんだけれど、調整は達也くんの家でしてもらいなさいって言われたんだ。でも『戦略級魔法』を使う機会なんてまずないから、調整はどうしよう」

 

「あぁ、FLTが完全思考型デバイスのモニターの謝礼として久専用に造ったCADか」

 

「謝礼って言っても、むしろ僕のほうがお礼を言いたいくらいなんだけれどね」

 

あのデリンジャーは僕の自宅の勉強机にジュラルミンの箱ごと置いている。『真夜お母様』から頂いた宝物だ。勉強中、時々見つめていたりする…何十分も…集中の方向が間違っている。

完全思考型デバイスは『魔法師』としての僕を高めてくれた。モニターとかテスターとか関係なく、FLTには感謝している。デバイスの調整やデータの回収をしてFLTに届けてくれた達也くんにも大感謝だ。

 

「久の膨大な魔法力でのテストは、黄金のように貴重なデータだ。完全思考型デバイスの開発に久のデータは大いに役立った。そのくらいの礼では足りないくらいだぞ」

 

まるで、達也くんが開発担当者みたいな発言だ。

 

「調整は、そうだな、魔法力は成長と共に変化するものだが、久の魔法力は安定している。数ヶ月…半年に一度でも問題ないだろう」

 

うぅ…それは、僕がこれ以上成長しないと言う意味かな?僕の魔法力は『三次元化』した時から、増えも減りもしていない。生まれ出でた瞬間からパワーアップはしない、ラスボスみたいな体質だ。いずれ成長した勇者に倒される、みたいだけれど、そもそものスペックが三次元を突き抜けている…

 

それから三週間ほどが経つと、僕の『戦略級魔法師』と言う肩書きを気にする生徒は殆どいなくなった。

そんな事を気にしていられるほど、魔法科高校の勉強は簡単じゃない。

僕も毎日二時間自宅でも勉強しているんだけれど、一学期の終盤、あれほどすらすらと出来ていた座学が、それ以前の僕に戻っていた。『戦略級魔法師』だろうと、僕の頭が良くなったわけじゃない。一学期の定期試験がたまたま出来が良かっただけなんだ。

澪さんの『強制電撃椅子』のお世話にならないように、頑張って勉強しないと…そう思っていたんだけれど、この国に公式に認められた二人目の『戦略級魔法師』と言う肩書きは僕を落ち着かせてくれない。

 

 

「香澄さん、機嫌直してようぅ」

 

「知りません」

 

この日、深雪さんが生徒会長に選出された。対立候補はいなかったし、副会長から会長になることは規定路線なので、僕としてはそんな物なんだと思っているんだけれど、友人達は違うようだ。

通学路のお馴染みの喫茶店で深雪さんのお祝いの会が開かれていた。

泉美さんが副会長をお願いされて、幸せの絶頂になっている。その隣の香澄さんは不機嫌だ。

香澄さんは達也くんとは相性が悪いし、僕とのお買い物の約束も延期になっている。

延期の理由をちゃんと説明しようとして、最初に「今はそれどころじゃなくて」と言ったら、とたんに不機嫌になってしまって、説明を聞いてくれなくなってしまった。

「それどころ」と言う断り方で膨れる所は、真由美さんに似ているな。

でも、買い物でそんなに荷物持ちが必要なんだろうか…だったらレオくんに協力してもらったほうが良いよ。僕は非力だし。

 

喫茶店での謎の(?)祝賀会は続いている。

 

「それで、久にも生徒会に入って欲しいんだけれど」

 

遠慮がちに深雪さんが、でもしっかりとお願いしてくる。え?僕が?どうして?

 

「僕が生徒会で出来る事なんてないよ。機械音痴だし、むしろ皆の足を引っ張るだけだから、無理だよ。勉強だけで手一杯だよ…」

 

「『戦略級魔法師』は『魔法師』の象徴でもあるから、生徒会に入ってもらわないと、色々と面倒なの」

 

「そうかも知れないけど、今はそれどころじゃなくて…」

 

香澄さんに言った言葉を再び呟く。

 

「一高での『戦略級魔法師』への態度はすっかり落ち着いたし、何かあったの?」

 

ほのかさんが、あいかわらず達也くんに胸を押し付けながら聞いてくる。勿論、達也くんは鉄壁の無表情だ。

 

「えぇと、これはオフレコなんだけれど、週末に皇室の晩餐会に招待されてて…その日、午前中に簡単な記者会見を開かなくちゃいけなくて…」

 

「皇室!?」

 

これには達也くんも香澄さんも、とにかくこの場にいる全員が、マスターまでもが驚いていた。

『戦略級魔法師』はどの国にとっても重要な存在だ。僕はまだ公務につくわけじゃないから給料はもらえない。そのかわり一時金やら報奨金を貰っている。結構な金額で、拒否は許されない、そうだ。晩餐会もその一環なんだろう。外堀から埋められていく感じがするけれど、澪さんも最初は大変だったって。澪さんは国民栄誉賞を貰っているそうな…

 

「以前、澪さんの凱旋パーティーが皇室主催で開かれた事があったけれど、僕は成人するまでは公式のパーティーは無縁でいたかったんだ。国防軍主催のパーティーは断れたんだけれど、でも、流石に今回は断るわけにもいかなくて」

 

「それは…確かに何にも手がつかないな」

 

豪胆なレオくんも怯む。

 

「記者会見は横浜の魔法協会で開くし、出席する記者も質問も前もって決まっているから、僕は覚えた原稿をそのまま読むだけで良いんだけど、その原稿の量が意外と多い上に回りくどくて、覚えるのが大変なんだ。記者も100人くらい来るって」

 

「それは緊張しますね」

 

美月さんが想像できないって顔をしながら、素直に言う。

 

「緊張はしないけれど…基本的に当たり障りのないお決まりの回答だから」

 

ただ、僕は記憶力に難がある…

 

「最後に『ミナサマノゴキタイニコタエラレルヨウショウジンシテマイリマス』をにこやかに付け足すだけだし」

 

「物凄い棒読みだね」

 

幹比古くんが呆れている。だって、この台詞を何度も言うことになるんだよ。

 

「晩餐会も、特に質問があるわけじゃなくて、僕はにこにこ笑っていれば良いだけなんだけれど、粗相をして同席する澪さんや烈くんに恥をかかす訳にいかないから。見よう見真似で覚えたマナーを一から直しているところなんだ」

 

晩餐会は僕の後見人である澪さんと烈くんが同席する。それだけでもすごい事だ。警備は大変だろうなぁと他人事のように思う。

 

「記者会見は想定外の質問をぶつけてくる記者がいるかもよ」

 

エリカさんが心配なのか意地悪なのか、ちょっとニヤつきながら言う。

 

「それは、大丈夫。会見には澪さんと十文字先輩が付き添ってくれるから。二人のプレッシャーに打ち勝てる記者なんていないと思うよ」

 

「それは、皆無だろうな」

 

達也くんが頷いた。それに続いて、全員が頷く。あの二人の圧力は、僕だって耐えかねる。

 

「だから、香澄さんとのお買い物の約束もまた後回しになっちゃって…」

 

「それはもう気にしていません。ぷいっ!」

 

物凄く気にしているよ!

 

「それは…ますます生徒会に入ってもらわないと、対外的に問題があるわね…」

 

すでに生徒会長の顔の深雪さんが呟く。

生徒会?僕には料理部があるし、庶務とか会計とか無理だよねぇ、と同意してもらおうと達也くんに視線を向ける。

達也くんの目が、またもや真剣だ。

達也くんが、深雪さんの悩み事を放置しておくわけがない。うぅ、ここでも外堀、いや、いきなり内堀か本丸を埋められる気がする…

 

 

 

 

 

 





久が生徒会に入らないと、今後の展開がやりにくいのですが、逆に原作に近づくと久自身が動きにくくもなるので、悩みどころです。


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久が生徒会役員になってくれないんです。






「見ろよ久、昨日の会見がまた放送されてるぜ」

 

昼休みの食堂、レオくんが壁面ディスプレイの動画ニュースを指差した。

 

はぁ、と僕はため息交じりで、うんざりした。昨日の記者会見は苦行だったよ。回答原稿を覚えるために要した一週間の勉強の遅れを返して欲しい。いや、ここ一ヶ月ほど遅れているような気がするけれど…

 

日曜日、『戦略級魔法師・多治見久』が初めて公式の場に登場し、多くの記者から質問を受け、その後、皇室主催の晩餐会に出席して、終始にこやかに談笑した…と言う報道はトップニュースになっていた。

晩餐会は、迎賓館のような大仰な会場ではなかった。そもそも参加する人数が少ないので皇居内の、格式は高いけれど小規模な部屋で行われた。食事の前後に一言二言お声をかけていただいて、お腹が一杯になる前に胸が一杯になるような、堅苦しい会だった。

記者会見は、その午前中に行われた。

 

僕の70年前の記録は一切残っていない。

残っていないものは調べようが無く、たとえ世界のどんな情報も盗み取れるスーパーコンピューターでも、『電子の魔女』でも僕の過去はわからない。

僕の事を調べると、去年の2月、唐突に生駒の九島家に湧き出るように現れる。それ以前の足跡は全くの不明。戸籍はあるけれど、これは烈くんが偽造したものだ(どうやったかは僕にはわからないけれど)。戸籍は、間違いないものとして記録されている。

容姿が10歳そこそこの女の子、それも超絶美少女にしか見えない少年が、『超能力』すら『科学技術』で再現できてしまうデジタルの世界で、何の記録も残さず成長するなんて不可能だ。誕生から一高入学までの約15年間、どこに居て何をしていたのかは、当然誰だって知りたいはずだ。記者もナンバーズも軍人も敵対組織も、まぁ僕もだけど。

でも、その質問は出来ない事になっている。記者会見での質問は、事前に審査をうけている。よっぽどイレギュラーな質問は、会見に同席した澪さんと十文字先輩の圧力を突破できる者だけが許される。そんな人物がいるだろうか?いや、いないよね。

だから、記者会見の質問は、文章が違うだけで、内容は殆ど同じ。僕も同じような回答を繰り返す、だけだった。これなら記者は100人もいらないよな…1人が代表で質問すれば、時間も労力も無駄にしなくてすんだのに。要するに、茶番。ガス抜きだ。

 

僕の回答は、実に優等生で、いかにも丸暗記の原稿を読んでいるだけ、なのが誰にでもわかった。それでも、小さな身体で一生懸命しゃべる子供の姿は、どことなく微笑ましい。

九校戦の映像を見た時も思ったけれど、僕って努めて無表情をしていない時は、ころころと表情がかわるな…映像で見ると何だか恥ずかしい。

僕は、難しい言い回しとか漢字とかわからない時があるから、経験豊かな記者のちょっとひねくれた質問は、同席してくれた澪さんと十文字先輩が答えてくれた。澪さんは意外と如才なく、十文字先輩は鉈で切るように役割を分けて…たぶん分けて質問を受けていた。

想定外の、と言っても当たり障りのない質問もいくつかあった。『多治見君は高校生だけれど、好きな女子生徒はいるの?』と言うティーン向け雑誌の女性記者の質問とか。

さすがにその質問に両隣の『魔法師』は答えられず無言で僕を見た。澪さんの奇妙なプレッシャーが僕に向けられたけれど、僕は恋愛とか良くわからなくて…

 

「僕は恋愛とか良くわからなくて…」

 

僕は考えている事を時々口にしてしまう。その時も澪さんの圧力に身を縮めながら消え入るような声で呟いていた。自分で言うのもなんだけれど、可愛い『声』だ。

動画ニュースの、その時の僕の姿は、頬を赤らめてうつむいて、もじもじしていて、何とも可愛い、ように見える。現実は謎圧力と戦っていたんだけれど、動画の中の僕は、自分じゃないみたいだ。でもその回答は、好きな女子がいるみたいだし、いないみたいだし、どっちともとれる回答に図らずともなっていた…

事実は言葉通り、色々と壊れている僕に、恋愛はわからない。

 

僕の会見は、ここのところ大きな事件がなかったから、昨日からずっと動画ニュースに流れていた。レオくんがディスプレイを指差しても、食堂で同席している、エリカさん、美月さん、幹比古くんは特に画面を見なかった。

ただ、僕がその報道をじぃっと見つめていたので、ちょっと気になったみたいだ。

 

「どうかしたのかい?」

 

幹比古くんが食事の手を止めて尋ねてくる。口に物を入れたまま、と言う事はない。

同じ学校の有名人がいる、と言う事で、食堂の他の生徒の意識は僕に集まっていた。幹比古くんの質問の声に、すわとばかりに食堂中の耳がこちらに向けられた。

美月さんはちょっと恥ずかしそうで、その雰囲気を感じているのか幹比古くんも少し居心地が悪そう。エリカさんは、不機嫌を押し隠している。今日は達也くんは生徒会室だから、エリカさんはますます機嫌が悪い。なんだかレオくんとセットに見られるのが嫌なんだそうだけれど、でもそう言いつつもいつも一緒にいるよなぁ。

 

「僕って…あんなに深雪さんに似てたかな…って思って」

 

映像の僕は一高の制服姿だ。当然、これまで以上にお手入れをして会見に臨んでいる。僕の容姿は本当に小さな深雪さんだ。自分で言うのもなんだけれど、可愛い。深雪さんにある大人の色気や侵しがたい気品、神々しさをすぱんと切り取ると僕になる。

この容姿なら、金沢でジョージくんが言っていた通り、『魔法師』のイメージアップに少しはなったと思う。今朝、駅のキャビネット乗り場では、ニュースを観た一般市民が沢山いた。朝なので、それほどの騒ぎにはならなかったけれど、これが帰宅時ならどうなるだろう…

 

「ん?久君はこれまでも、深雪さんに似ているって言われていたよね」

 

「自分の容姿なんて鏡で毎日見ているけれど…」

 

「鏡に映った顔は左右が逆転しているから…でも、深雪も久も顔は左右対称だから、映像でも同じじゃない?」

 

エリカさんがつまらなそうに言う。

左右対称?そうなの?考えたことがなかったな。アニメや挿絵の皆の顔も左右対称だよ、とメタな事は言わないけれど、エリカさんが深雪さんをそう見ていた事は、何となく意外だ。

 

「久君が深雪さんに似ているのは、優れた遺伝子は容姿も同様に似る…と言う事なんでしょうか」

 

美月さんが、これまで漠然と考えていた事を呟いた、みたいだ。

優れた遺伝子?僕の遺伝子が優れているとは思えないけれど…深雪さんの遺伝子が僕と似ているという事?

僕の遺伝子は、言うなれば野生だ。なんの調整も受けていない。『ピクシー』の証言だと、僕は『三次元化』で肉体を得ている。『精神・幽体・意識』や『魔法力』は、『高位次元体』『次元の壁』に依存しているけれど、ただ単にスペックが破格なだけで、あまり複雑な事はできない。

逆に『能力』以外の遺伝子に無駄なものが何もない。だから虚弱ではないけれど、人間としての最低限度の肉体、と言う感じがする。

この国の『魔法師』は僕の遺伝子情報を基にしている。烈くんに言わせると達也くんは『現在の魔法師開発の最高到達点』なんだそうだ。当然、遺伝子は操作されているはずだ。

その妹の深雪さんも、遺伝子は精巧に慎重に、『魔法』を利用して完璧なまでに操作されているはずだ。

僕の遺伝子のデータが使われているなら、深雪さんと似るのも当然なのかな。

70年前の僕と、今の僕では容姿がだいぶ違う。昔の僕はもう少し男の子ぽかったけれど。『精子採取』のおぞましい記憶が、僕をより女性的にしたのかも知れない。二度目の『肉体化』で、より無駄を省いたのか、大人になりたくないと言う思いが無意識に働いたのか…

達也くんは本人も言うように『魔法師』として欠陥を抱えている。

その『魔法師開発』の失敗が、僕の遺伝情報を利用した深雪さんの誕生に繋がったとして、達也くんと深雪さんは、どうして『精神』が繋がっているんだろう。

 

 

横浜での神々しいまでの達也くんが、本当の達也くんだとしたら、深雪さんの存在は別の意味を持っている…?

 

 

「最近の久が深雪さんに似ているって言うのは、何となくだけれど、わかる気がするぜ」

 

レオくんの言葉に、僕の思考は現実に引き戻された。

 

「どういう事?」

 

「久は以前は受身だったからな。積極性に欠けていたし、何処か自信もなさげだったよな」

 

「そうね、完全思考型デバイスとCADを使い始めたあたりから、久の雰囲気は変わったわよね」

 

たしかに、あの頃、僕はちょっと自分でも浮ついていると感じていた。脇の甘さは相変わらずで痛い目にあったりもしたけれど、『魔法師』として余裕が出来たことは事実だ。成績に余裕はないけど。

 

「九校戦の『戦略級魔法』からは、別人とは言わないまでも、かなり変わったぜ。正面を真っ直ぐ見る雰囲気、生気に溢れているって感じだ」

 

「時々、攻撃的な、ものすごいプレッシャーを感じるけどね」

 

二学期になって、僕は登下校中はそれなりに警戒していた。一高前駅から一高までは誰かが一緒の場合が多いから警戒を緩めているけれど、予想外の事が起きると、とっさに視線を走らせる。もっとも、僕の集中力は長続きしないから、最近は警戒も緩くなっている。

 

二学期初日、達也くんが戸惑うほど、僕は深雪さんに似ていたそうだ。

深雪さんは日本の古典的にな美少女だけれど、生気に満ちている。弱弱しさは無縁だ。同じ美貌の光宣くんも同じだ。病弱なのに、肉体そのものは優れているし、存在感は抜群だ。

僕は自分の事を人形じみていて生気に乏しいと思っていた。それは特に目的もなく、漠然と学校に通うだけだったから。

完全思考型CADを手にして、特にあの数字落ちに襲撃されてからは、僕は自分の力で自分と『家族』を護ると決心した。目的が生まれたことは、僕に生命力を与えた、と言う事なんだろうか。

人形に、命が宿った?

 

「そう…かも知れないな。有難う。何となくだけど、納得したよ」

 

「何となくなのに納得したのか?」

 

「それは納得した事になるのかなぁ?」

 

「うん、納得した」

 

僕は、笑った。破顔一笑。

食堂の空気が、ざわりと変わった。それは、深雪さんの笑顔を見せられた時のクラスの光景に似ていた。

ただ、それも一瞬だ。深雪さんは年齢的に大人と少女の中間の容姿をしている。大人にも見えるし、少女にも見える。老若男女、両性が魅了される。僕は、やはり見た目が子供だから、深雪さんほどの存在には及ばない。

僕の容姿に強烈に魅了されるのは、男の娘が好きな女性か、イビツな嗜好を持つ一部の男だ。人形や愛玩動物としては、最高の姿かたちをしている。間違っても恋愛の対象にはならない、と思う。事実、モテテナイシ。

粘つくような視線は去年の九校戦以降あったけれど、今日はそんな視線が登校時からまとわりついてくる。この食堂でもだ。一高の生徒は『魔法師』として、僕の危険さを知っているから、この程度で済んでいる。

動画の中の僕は、ほとんど完璧に見える。容姿も実力も経済的にも恵まれた、トップアイドル。現実の僕は、欠陥だらけの劣等生だけれど、映像にそんなものは映らない。

この動画は全世界に配信されている。歪んだ性欲は、僕が一番苦手なものだ。そんなものは感じたくないけれど、一般人の視線は防ぎようがない。視線だけでとりあえず殺すわけにもいかないしなぁ…

 

その粘着質の視線に美月さんが、ちょっと居心地が悪そうだ。その気配に幹比古くんも落ち着かないし、そうなるとエリカさんはますます機嫌が悪くなって、レオくんがしばかれる。

この場に達也くんがいれば、そんな視線は集中しないけれど…

うぅん、空気がささくれ立っている。明日もこうだとお弁当も美味しくない。皆に悪いし、ほとぼりが冷めるまではどこか別の所でお弁当を食べようか。どこが良いかな…屋上か、部室がいいかな。

でも、食堂には無料のお茶があって便利なんだけれどなぁ…

 

 

 

2-Aの教室に戻ると、端末で次の授業の準備をしていた深雪さんが、鉄壁の笑顔に少し憂いを含ませて尋ねてきた。

 

「食堂での皆の雰囲気はどうだった?」

 

「それなんだけれど」

 

人目を集める僕のとばっちりで、レオくんたちが息苦しそうになっていることを話す。

深雪さんはアゴに指を当てて、ちょっと考えると、

 

「じゃぁ、明日は生徒会室にいらっしゃい。飲み物もあるし、お兄様と水波ちゃん、雫にほのかもいるわ。久は料理上手ですもの、お弁当のおかずの交換もしましょう」

 

にっこり笑った。教室の雰囲気が、ほわーんとする。森崎くんの顔が土砂崩れしている。男子も女子も、もう1年以上同じクラスなのに、それでも毎回魅了されている。僕とは大違いだな。

それにしても、生徒会室での昼食は、男子は達也くんだけか…思春期の男子には中々居心地が悪そうだけれど、達也くんは動じなさそうだ。

生徒会室でなら他の生徒の視線はない。でも、深雪さんの生徒会役員勧誘の罠が待っているに決まっている。閉鎖された空間で達也くんと深雪さん、水波ちゃんの三国同盟に囲まれたら、逃げ場はない。

 

「魅力的なお誘いだけれど…深雪さんの愛情弁当は達也くんに食べさせてあげてよ。愛情…違うな、愛妻弁当かな…」

 

「あああああ、あいあいあさぁ?」

 

Aye, aye, sir?

 

「ひっ久!貴女はなんて、可愛いんでしょう!今度、家にいらっしゃい!最高に着飾って、お兄様にご披露して、可愛がってあげるわ!!」

 

あっ、深雪さんが身悶えながら、妙な事を口走っている。クラスの雰囲気がハチミツ漬けみたいになっている。僕の容姿は10歳の深雪さんだ。その僕を着飾って達也くんに見せるという行動は、10歳の自分を達也くんに見せる事になる?このラブラブ兄妹は7年前だってラブラブだっただろうから、無意味だと思うけれど。それと、僕は貴女じゃないよ。

 

「僕よりも、今の深雪さんが着飾った方が達也くんは喜ぶよ。達也くん一人の為のファッションショーでも開いた方が…」

 

「ひぃい!久!あっ明日は腕によりをかけてお弁当を作ってくるわ!秀衡塗りの三段重にご馳走を用意してくるから、必ず生徒会室に来るのよ!!」

 

じゅるり。

 

「…じゃあ行く」

 

過呼吸気味の深雪さんは、瞳孔が開きそうでちょっと怖い。でも、深雪さんの手料理だし、お重なんて遠足か運動会みたいで楽しみだな。

食べ物に釣られる僕は、ちょっとお馬鹿さんだ…

 

 

夕方、校門前に皆で集まって下校する。駅までの緩い坂を集団でゆっくり歩く…

 

「あぁ、すげぇ居るな」

 

レオくんが額に手をかざしながら、面白そうに言う。ちっとも面白くないよ…

少し離れていてもわかる。一高前駅のキャビネット乗り場に、登校時にはまばらだった見物客が、今は100人以上の人だかりになっていた。子供から大人まで…地元の警察官が人員整理をしている。

物見高い群衆は、僕の姿を見つけると、物凄い騒ぎになった。昨年の九校戦で一躍ヒロインとなった深雪さんの時だって、こんな騒ぎじゃなかったのに。

『魔法師』は一般人からは恐れられる存在だ。日常から『魔法』と言う武器を持っているし、普通の人間とは異なっていると思われている。動画ニュースの中の僕はどう見ても人畜無害の子供だったから、恐れの薄い市民が珍獣の見物をしに、大挙して押し寄せてきたというわけか。動物園と違って入場料はかからないし。

一般市民は、取材を規制されているマスメディアと違って、個人のマナーに任せるしかない。紳士淑女の教育を受けていない市民が無遠慮に僕にカメラを向けてきた。

僕は一瞬ひるんだけれど、こういう場合は、むしろ背筋を伸ばして、凛とした姿勢を見せるように魔法協会から言われている。僕は群集に向かって、精一杯魅了できる笑顔を作って軽く会釈をした。女の子達からきゃあきゃあ声が上がる。なるほど、珍獣が愛想を振りまいた所を撮影できたわけだ。

僕の隣にいる深雪さんは、達也くんと水波ちゃんが群集から、その姿を隠すように護っている。達也くんの視線には隙がないけれど、今は深雪さんに興味を持つ人はいない。これは珍しい。あの深雪さんが視線を集めないなんて。本来なら、『魔法師』のイメージアップの為なら、芸能事務所のスカウトもあった深雪さんがこの立場になったほうが良いと思う。僕にはない魅力に溢れているし、男の娘より超絶美少女の方が良いに決まっている。

まぁ達也くんが、深雪さんをそんな一般人の欲望の目に晒すような事を許すわけないか。深雪さんは達也くんだけの存在だから、そんな事は絶対しないよね。

 

「深雪さんは達也くんだけのモノだから…」

 

「おひぃ!お兄様だけのモノ!?」

 

あっ、しまった。また声に出している。

深雪さんは…あっ地に足がついていない。『飛行魔法』?

 

「久、また明日」

 

達也くんが、ふわふわ浮いている深雪さんをキャビネットに押し込んだ。もちろん、物凄く優しく丁寧に。水波ちゃんが周囲の警戒をして、同じキャビネットに乗り込んだ。

その三人の事は誰も見ていない。まるで僕が防波堤、身代わりになっているな。気のせいかな、誰かの掌で踊らされている気分だ…

流石に群集は、警官の整理もあったし、珍獣でも凶暴な牙を持つ『魔法師』に近づいたりはしなかった。野生動物に餌を与えるのは厳禁だよね。

ギャラリーからの視線には粘つくような、歪んだ性的な視線も混じっているはずだ。僕は探知系はさっぱりなので、この人数からだと察知はできない。ただ、少し背筋が薄ら寒く感じる。

慌てず怯えず、静かにキャビネットの順番を待つ。早くキャビネット来ないかな…

 




初期の構想で、久は古都内乱編に関わりを持たせるために簡単に生徒会に入る予定でした。
しかし、光宣とは十分かかわっているし、戦略級魔法師として動きにくくなっている(もともと動きにくい設定ですが)。
久が生徒会入りに物凄く抵抗するんで困っています…汗。
これまでの言動から、久が生徒会に入る理由がない…

達也「久、生徒会に入ると深雪の手作り弁当を毎日食べられるぞ」
久「深雪さんの愛妻弁当は達也くんだけのものだよ!」
深雪「ひぅい!愛妻ぃっ!!」

達也「生徒会入りしたら、深雪の秘蔵写真集をやろう」
久「それは達也くんが独占するべきだよ!他の男に見せたりしたら僕が深雪さんにかわって怒るよ!」
深雪「ひっ久、何て良い娘なの!ところでお兄様、私の秘蔵写真をいつお撮りに?」

達也「生徒会入りしたら、深雪が膝枕してくれるぞ」
久「深雪さんを景品みたいに扱うのはやめてよ!深雪さんは達也くんだけのモノなんだよ!」
深雪「ひっひいいっ久、この娘は私専用ガラスケースに飾りたい…あ、じゃぁお兄様に膝枕していただくのは?」
久「あっ、それなら、いいかも…」
達也「それは断る」
深雪「そっそうですね、そこは私専用で…ぶつぶつ」



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呪詛

このSSでは珍しい、幹比古の見せ場?


 

体調が…悪い、気がする。

今朝は、何故か一高に近づくにつれて気分が悪くなる。自宅を出た時には『回復』のおかげで体調は、すこぶる良好だった。最初に違和感を覚えたのはキャビネットに乗る時だった。

自宅最寄のキャビネット乗り場には僕を見ようとする一般市民が数十人いた。そこで、僕の身体に、まとわりつくような何かを感じた。特に頭の周りに違和感を感じる。

最初は遅れてきた夏の虫かと思って片手で払いのけようとした。一般市民が僕が手を振ったと思ったのか、数人、特に女の子が手を振り返してきた。僕は、軽い偏頭痛を我慢しながら、微笑を作ってそれに答えた。

その違和感はキャビネットの中でも続いていた。段々酷くなる。体調は悪くはない筈なんだけれど…

 

一高前駅でキャビネットを降りると、通勤通学時間にも関わらず、物見高い人たちが200人以上集まっていた。警官と魔法協会に雇われた人達が警備と誘導をしてくれている。

昨日の喧騒とは違って、カメラを向けてくる人は少ない。昨日の夜、響子さんにお願いして大手掲示板サイトに『国策である戦略級魔法師を無断で撮影するのは不敬じゃない?』と、ちょっと犯罪性を強調してして書き込みして貰った。具体的な損害賠償の金額や禁錮の年数とか。過去、行き過ぎたマスコミの末路とか。その効果があったみたいだ。

でも、キャビネットに乗る前より粘つくような違和感は強くなった。僕は探知系はからっきしなのに、はっきりと感じられるこの違和感は何だろう。偏頭痛が強くなる。思考が鈍化する。複数のではなく個人の強烈な歪んだ情念を含んだ視線?

何て言うか、体調が悪いんじゃなく、気分が悪い…

 

残念ながら僕は、一部の特殊な趣味を持つ人にとっては極めて情欲をそそる容姿をしている。

これは、その類の違和感なのかな?だったら、一高に登校すれば、その手の視線も薄れる。それにしては、不快感がどんどん増しているのは何故だろう…

群集の前で不機嫌な表情をするわけにもいかず、僕は深雪さんのように微笑みをたたえながら軽く会釈をする。若い女性が甲高い声をあげる。『戦略級魔法師』どころか『魔法師』とも関わりが薄い人たちにとって、僕は珍しい小動物扱いだ。魔法協会の要請だから、せいぜい愛想を振りまく事にする。日本人は飽きっぽいから、こんな騒ぎも一ヶ月程度だそうだ。にこにこ。

今朝は友人達は駅前にはいなかったから僕は一人で歩き出した。いつものとてとて歩きじゃなくて、ふらふらと。肩に、いつもの筆記用具に小さめのお弁当を入れたかばんをかけている。お昼は深雪さんの三段重が待っている。荷物は軽いのに、足が重いな。自宅を出た時はここまで酷くなかったけれど…

群集の視線の圧力を背中に感じる。例の情念は後ろからじゃなく前から、一高側からまとわりついてくる様な気がする…視線じゃないのかな。

一高への緩やかな坂をいつもよりゆっくりと歩く。一高生が何人も僕を追い抜いていく。僕に話しかけてくる生徒はいない。『魔法師の卵』にとっての僕は小動物ではない。凶暴な牙を隠し持つ野獣。

 

「久先輩、大丈夫ですか?」

 

「え?」

 

背後から、挨拶代わりに、心配げな声がかけられた。

振り向くよりも早く、双子が僕の前方にまわった。それほど僕の動作は緩慢になっていた。

香澄さんと泉美さん。ボーイッシュな香澄さんも一高の制服姿だと、物凄く女性的に見える。魔法科高校の女性用制服が奇妙にボディラインがわかる作りになっているせいだと思うけれど、女の子っぽい泉美さんより女性的に見えるのは…何でだろう?

 

「体調がお悪いんですか?」

 

泉美さんが聞いてくる。

 

「うぅん、自宅を出る時は、元気だったんだけれど…」

 

こういう時の僕は、ただの病弱な子供だ。折れそうで、頼りない。『戦略級魔法師』とはにわかに信じがたい弱弱しさ。気分の悪さは増してきているけれど、我慢する。

 

「さすがにオンブをする訳にはいかないか…」

 

「えっ?」

 

香澄さんがすっと僕の手を握った。そのまま体調不良の僕の手を引いてくれる。

何だか、去年の誘拐事件後の真由美さんみたいだ。あの時の真由美さんは半分…いやそれ以上に僕をからかいながら(女子制服を着たままだったし)手を引いて一緒に登校してくれた。

生徒会長としてと言うより、真由美さん本人の責任感で僕に気を使ってくれていた。それは、十文字先輩や、あーちゃん先輩、はんぞー先輩、市原先輩も同様だ。生徒会役員や部活連幹部として以上に、本人達の優しさだった。

思い返すととても嬉しいけれど、僕が他の生徒に同じ事を出来るかと自分に問うと、それはノーだ。僕は恋愛感情がわからない上に、その他の感情もかなり欠けている。他人への優しさやいたわりの心は、あまりない。

九校戦で魔法科高校の生徒達が実験台になっても、何とも思わなかった。冷血漢、とも違う。そのような感情がそもそもないみたいだ。ただ『家族』への想いだけがある。

 

「ありがとう」

 

香澄さんの熱い手に、手を引かれながら、そんな事を考えていた。でも、不快感は、一歩一歩強くなっている。

 

保健室に行く事を拒んで双子と別れると、僕は2-Aの教室に向かう。不快感は、もはや苦痛になっていた。それは、教室にたどり着くと、極め付けに酷くなった。泥濘に足が沈んでいくようだ。

教室は、授業前の弛緩した雰囲気の生徒達がそれぞれ雑談している。

彼らに朝の挨拶をする余裕がない。たまらずドアにもたれる。おかしいな…これは…でも、覚えがある。

『精神』に…『意識』に直接まとわりつくような…

 

これは、『精神支配』だ。

 

僕は机に手をつきながら、教室の後ろ側の自分の席に向かう。一歩ごとに、苦痛と不快感が増す。もはや不快感の原因が目に見えるほどだ。タールのような淀みの中を歩く。

僕の席が、毒ガスの発生源みたいだ…頭が割れるように痛い…

 

「…久?顔色が悪いわよ!」

 

隣の席の深雪さんが声をかけてくる。雫さんとほのかさんもいる。

僕の病弱な体質は2-Aの誰もが知っているけれど、学校では久しぶりだ。深雪さんの表情が曇る。

僕はふらふらと、自分の席にたどり着く。僕の体調不良は、誰の目にもあきらかだ。机に両手をつく。

 

「ひっ久君、とりあえず、席に座りなよ!」

 

ほのかさんが慌てて僕の席を引く。ぐぅ…それだけで、えずきそうになる。

 

「待って…その椅子、何か仕掛けられている…」

 

「え?」

 

三人が一瞬、僕の座席から離れるけれど、何もない。一見ただの椅子。三人には何も感じられない。僕は気持ち悪いのを我慢して、椅子をひっくり返した。

 

ガタンッ。

 

力が入らず、椅子は音をたてて倒れた。

教室にいた生徒の視線が集まる。最初にそれに気がついたのは深雪さんだった。

座面の裏に、何かが貼り付けられていた。血の様な赤字と黒い太い文字の、神社のご朱印のような、お札のような…

文字は達筆すぎて僕には読めなかった。でも、一番大きな文字、墨痕鮮やかな太い文字は『久』と書いてあるように見える。そのお札を見た瞬間、僕の膝から力が抜けた。崩れ落ちそうになるのを、深雪さんが意外な力で抱きとめてくれた。

僕の表情は死人のようだったみたいだ。お札の文字が、僕の脳髄に焼き付けられるような『痛み』。お札から目を放せない…僕の脳内に人の影が浮かぶ。男性…一高の制服を着ている?どこか淀んだ目つき。僕を性的な、気持ち悪い、性欲の対象として見る目。去年、誘拐された時に感じたのと同じ、本能的な恐怖が全身を這いずり回る。

 

「くぅぁ頭が…焼ける…割れる…」

 

苦しい。『精神支配』の、脳を蝕む痛み。目に見えない男の赤い舌が、僕の全身を嘗め回しているかのような不快感…うあっうあぁああ…嫌だぁ…

 

「久…貴方…何か身体にまとわりついて…これは!雫!吉田君を、すぐに連れてきて!」

 

僕の身体、特に頭部にまとわりつく『何か』とお札から、これが『古式魔法』と気がついて深雪さんが鋭く言う。

 

「わかった!」

 

返事も短く、雫さんが教室を駆け出る。ほのかさんは立ち尽くしたままだ。他の生徒も、異変に気がついて身構えていた。知覚に敏感な生徒が僕ほどではないにしても、何か感じ取ったみたいだ。

僕の意識は混濁していて、その後何が起こったか良くわからなかった。

幹比古くんが教室に駆け込んでくると、そのお札にすぐ気がついた。そして、僕の症状と見比べて、

 

「スライム?いや、『精霊』だっ!」

 

僕の身体を這いずり回る舌のようなスライムのような『精霊』に気がついて息を呑んだ。

一瞬、首を捻りそうになるのをやめて、お札をじっくりと見つめる。観察者、術者の目だ。

『霊的』な何か…それはもともと幹比古くんのような『古式魔法師』の得意分野だ。

 

「修験道の…四峰神社の恋守りの亜種だ。かなり攻撃的にアレンジされている」

 

「恋守り?」

 

「それって、恋愛成就のお守りって事?」

 

雫さんとほのかさんが尋ねる。僕の異常事態にも関わらず、意外なワードの登場に戸惑ったみたいだ。

 

「正確なことは不明だけれど…そうだね。あまり正統じゃない、むしろ聞きかじりの知識で、強い眷属の力を無理矢理捻じ曲げている。これは…」

 

「吉田君、まずはそのお札の効果を消せますか?」

 

説明モードに入っていた幹比古くんの台詞を、深雪さんがばっさりと切った。今の僕は、呼吸すらか細い。深雪さんに抱きかかえられた人形のようだった。

 

「あっ、はい」

 

幹比古くんは深雪さんの前では、出会った頃のちょっと頼りない雰囲気を醸し出す時がある。でも、それも少しの時間だ。制服のポケットから筆ペンを取り出す。

幹比古くんの身体から強い気が発せられた。サイオンともちょっと違う、『霊力』みたいな気だ。お札の『久』の文字を、筆ペンで力強くぐっと塗りつぶした。

ただ、それだけで、僕にまとわりついていた粘着質な不快感と苦痛が消えた。僕の身体を這っていたスライム状の『精霊』がざっと離れていったんだ。全身に力が戻って、自分の両足で立つことが出来た。

 

「げほっげほっ!」

 

僕は、足りない空気を欲して、一気に肺に空気を取り込んでしまった。たまらず咳き込むけれど、体調不良は霧散している。

 

「大丈夫?久」

 

僕の小さな身体は深雪さんの腕の中のままだった。氷の女王なんて言われているけれど、深雪さんの体温は温かい。むにっ。ちゃんと胸がある…おっと、げほんげほん!深雪さんが背中を擦ってくれる。

 

「うっうん。平気…さっきまでの不快感がウソみたいになくなってる…ありがとう深雪さん」

 

僕は深雪さんの胸…いや腕の中から離れる。

咳が止まると、深雪さんにお礼を言って、僕は丸まっていた背中を真っ直ぐ伸ばした。

 

「劇的に体調が回復したよ…有難う幹比古くん、そのお札みたいなのは何?」

 

「これは霊験あらたかな神の力を借りた呪いの類…今回で言うと、強い力を持つ秩父連山の神、『眷属』の力を使った恋愛成就のお呪いだね」

 

「恋愛成就のお呪い?お守りを買ったり、神社でおみくじを引くようなもの?」

 

僕はオマジナイと言われてもぴんとこない。その手の知識はからっきしだ。

 

「そう。ただ、これは術体系がしっかりしたものではなくて、呪詛に近いね」

 

「呪詛?陰陽道?」

 

ほのかさんが尋ねる。

 

「いや、修験道だね。もちろん陰陽道と修験道は切っても切れない関係だけれど、今回の場合は呪詛。呪詛は呪詛と言うカテゴリーで修験道とも違うけれど、術と札は修験道のを借りている。術者のレベルは高い…いや、資質が高いと言った方がいいのかな。技術は未熟だと思う」

 

「丑の刻参りやプラシーボ効果と言った類の日本古来からある呪術って事?」

 

雫さんが指をあごに当てて考え込む。皆は頭が良いな、色々な知識がある。

 

「呪詛。現代魔法的に言えば『洗脳』だね。ただ、永続的な『魔法』はないから一時的な作用しかない。今回の術だと効果は数時間かな…」

 

「つまり、一高の生徒の誰か…」

 

深雪さんの小さな声は僕達にしか聞こえず、消え入った。幹比古くんが頷く。一高の教室に入り込める『未熟な魔法師』なんて、生徒以外考えられない。

 

「資質が強いと言うより、情念が強いと言ったほうが良さそうだよ」

 

僕が強い不快感を込めて言う。その意味を理解した女性陣が身を震わせた。性的な、情念。思春期の女性が一番嫌悪する感情だ。深雪さんは日ごろから、同様の視線に晒されている。ただ、それは男から女性に向ける性欲だ。僕の脳裏に浮かんだのは、たしかに男だった。

 

「人を呪えば穴二つ。今頃、これを使った術者は体調を崩しているだろうね…」

 

幹比古くんも小さく呟いた。そして、僕のぐったりした姿をみて、

 

「ただ、普通はここまでかからないはずなんだけれど。術者の力量は未熟だし…情念はかなり強いみたいだけれど…」

 

さっき一瞬、首を捻りかけたのは、その疑問からだったようだ。

幹比古くんは座面からお札をゆっくりはがすと、綺麗にはがされたお札の文面をよく読んでいる。

 

「これは…男が、男に向ける情念の…」

 

そう言いかけて、幹比古くんはやめた。ここは教室だ。他の生徒もいる。幹比古くんはお札を丁寧に折りたたんで、制服のポケットにしまった。お札は幹比古くんが始末してくれるって。

そして、今度はしっかりと首を捻った。ただの恋愛成就のお守りでも、素質を持つ『魔法師』が使えば、それだけで強力な呪詛の道具となる。でも、僕の魔法力を考えると、これほどの体調不良を引き起こす事は考えにくいって。僕の『領域干渉』は深雪さんより高いんだから。

幹比古くんは僕が探知系が苦手な事は知っているけれど、『系統外魔法』に弱い事は知らなかった。今回の事で、幹比古くんは僕の弱点に気がついたはずだ。

僕は『系統外魔法』に弱い。極端に弱い。

そして、恋愛がわからない僕の『精神』に恋愛感情を増幅されて刻まれても、苦痛しか与えられない。

 

「ありがとう、幹比古くん。今日はちょっと体調が悪かったから、そのせいで酷くなったのかも。ここの所、慣れない事が続いたから」

 

『戦略級魔法師』、記者会見、晩餐会、物見高い群集の好奇の目。ほんの一ヶ月の出来事だ。勿論、ウソだ。僕の壊れた精神はそんな事で波立たない。

 

「そっそうだね、僕なら今頃お腹を壊して寝込んでいるかもしれない気苦労が、久君は続いていたからね」

 

僕のウソに幹比古くんは、納得したふりをする。繊細な幹比古が納得した。その雰囲気と僕の体調が回復した事で早朝の騒ぎは、落ち着いた。この事件は大事にしたくないからクラスに居合わせた生徒には口止めをお願いする。

『戦略級魔法師』への攻撃ともとれるこの行為は、あまり関わりたくない事案だ。生徒会長の深雪さんのお願いでもあるし、皆、納得して了承してくれた。

学校側にも黙っている。どうせ報告しても、何もしてくれない。

僕は倒れていた椅子を起こすと、ゆっくり座った。さっきまで呪詛がこめられていた椅子でも、今はいつもと変わらないただの椅子だ。別に薄気味悪くも、むず痒かったりしない。一時間目の授業の準備を平然と始める僕の常と変わらぬ態度に、生徒達は鼻白んだ。こういう行動が僕と他の生徒達との壁になっている。

 

術者が、このタイミングで僕に『恋の呪詛』なんてかけたのは、僕がメディアに露出する機会が増えて、恋のライバルが増えると思ったのか。これまで、すぐ近くからこっそり情欲にまみれた目で僕を見ていたんだ…そう考えると流石に気持ち悪い。『術』以外の恋愛成就の方法は…ひとつもないって!考えたくもない!

こっこの術者は、とりあえず判明しだい、殺す。一高生だからって関係ない。予想より過剰に効いてしまったなんて言い訳も聞かない。目には目、歯には歯なんてのは知らない。僕にはとって敵は、目にも死、歯にも死だ。殺す!どうやって殺そうか…そんな事を考えていたら、もう、お昼だ。時間が経つのは早いなぁ。

勉強は…うぅ、人殺しよりも先に、勉強だよね!

午前中の2-Aの空気は、教室後方から放たれる殺気で、過去最高に重かったらしい…

 

数日後、三年生の二科生の男子生徒が一人自主退学をした。その生徒が歪んだ性癖の持ち主だったのかは、僕にはわからない。結局、僕には犯人がわからなかった。

 

体調はすっかり回復してお昼休み、僕は深雪さんの招待(?)で生徒会室でお昼ご飯を食べた。

漆塗りのお重に詰め込まれた料理は、ほんとに昨日から準備したの?と疑問に思うほどの質と量だった。ただ、味付けは僕よりも達也くんの好みだった(笑)。

健啖家の僕は、がっつかないように、慎重に、でも遠慮なく食べる。食い意地がはっている事は自覚しているけれど…

 

「ところで久、生徒会に入ってくれないかしら?久には副生徒会長になって欲しいのだけれど」

 

食後のお茶の最中、深雪さんが言う。もはや最近のルーチンワークと化している台詞だ。

魔法科高校の生徒会は生徒会長は一名だけれど、それ以外の副会長、会計、書記は複数名いても問題ない。すでに副会長には泉美さんが就任している。僕が副会長?

深雪さんは鉄壁の笑顔だけれど、その目は涼しげで笑っていない。僕には絶対にできない表情だ。うぅ、深雪さんのこの『精神攻撃』は、連日続いている。

『ちりもつもればやまとなでしこ』、略して『ちりつもやまとなでこ』だよね。僕は、『撫子』ちゃんじゃないけれど、すでに徳俵まで寄り切られている気分だ。

 

これも、ある意味、『呪詛』だ。頭が痛い…

 

生徒会室に深雪さんの手料理につられてノコノコと現れた僕を、達也くん、深雪さん、水波ちゃん、『ピクシー』が囲んでいた。雫さんとほのかさん、香澄さんと泉美さんは、今日は食堂を利用してもらっているそうだ。『ピクシー』は生徒会室でメイドのような雑事をこなしている。

深雪さんの笑顔は、たとえ全世界の男性を蕩かす笑顔でも、今の僕には、ただの脅迫でしかないよ…ぶるる。氷の微笑。

 

「九校戦のとき、魔法科高校の生徒達が、新兵器の実験に利用される事を是とした僕が、生徒の代表の一員になる事は滑稽でしかないよ?」

 

一高の教師陣は、何の役に立たない。

一高がテロリストに襲われたのはほんの一年前だ。生徒達は、生徒会や部活連の役員が護ることになる。僕に、その気は毛ほどにもない。

 

「別に生徒を護る必要はない。自分の身は自分で護る。護れなかった時、生徒会が責任を負ういわれはない」

 

達也くんにとって護るべき存在は深雪さんだけだ。友人達が被害にあえば深雪さんが悲しむから、護るだけ。一高の生徒たちが殺されようと僕には興味がないけれど、その後の学園生活に支障があることは面倒だな…

 

「久は一高がまた襲われる事を前提に考えているけれど、魔法科高校の歴史の中であんな襲撃は一度だけなのよ?」

 

襲われるに決まっている。だって、去年のテロリストは半分は生徒で素人だった。それでも重要な施設にあっさりと侵入を許している。その後も学校側は警備の増強を行っていない。

一高の警備の杜撰さは世界中に知れ渡っているわけだ。まるで一高側は、襲ってくれと言わんばかりだ。まぁ、襲ってくれないと、学園魔法ラブコメディになっちゃう…って、去年、九重八雲さんが言っていたなぁ。

 

「副生徒会長と言っても、久は特に何をするってわけでもないの。次期生徒会長は泉美ちゃんがなるから、久は肩書きだけなのよ」

 

「僕には生徒会のノウハウが何もないし、機械音痴だから、どの道なにも出来ないよ?」

 

今朝の香澄さんとの登校を思い出す。生徒会役員や部活連の先輩にはお世話になった。

肩書きだけ、形だけでも、かつて真由美さんたちが僕を気にかけてくれた事への恩返し、と言う意味でならなってもいいかも…あぁ深雪さんの『呪詛』が効いているな…同じ言葉を何十、何百と繰り返し聞かせる。それは過去の僕の洗脳方法だった。

 

「久は自分の身を護っていれば良い。むしろ俺の目の届く位置にいてくれた方が、俺としても動きやすい。今朝のような事があればなおさらだ。幹比古に聞いたが、久は『古式魔法』以外にも『系統外魔法』とも相性が悪い。それは俺や深雪、風紀委員長の幹比古が得意な分野だ」

 

「自分の身は自分で護るけれど…それで殺されたなら、それこそ僕の責任だよ」

 

「久にはすごい『能力』があるわ。でも『万能』じゃないのよ、その小さな身体が傷つけられたり、ましてや久が殺されるのを黙って見過ごせるほど私は冷たくはないわよ」

 

深雪さんが本気で怒っている…

深雪さんは、僕の弱弱しい身体の方に目が行きがちだ。達也くんは、目に見えるものだけで惑わされない。僕が『化け物』だって一高で一番知っている。『能力』をまだ隠している事も、恐らく気がついている。野放しよりは手元に繋いで置くほうが安心なんだろうな…

 

「達也くんの本音は?」

 

僕が殺されても達也くんは、深雪さんほど心を動かされないんじゃないかな。僕と同じで、達也くんは心に欠落がある、ような気がする。根拠はないけれど…

僕は正面の達也くんを見上げた。達也くんが本音を言うとは思えない。でも、僕の顔は、5年前の深雪さんだ。さすがの達也くんも平静ではいられない…

 

「正直に言う。『戦略級魔法師』は一生徒とはその価値が違う。深雪が生徒会長の時に『戦略級魔法師』の身に何かあれば、深雪の評価が著しく下がる。それだけは、俺は許容できない。その為に少しでも久を目の届く範囲に置く事が必要になる」

 

やっぱり深雪さんのためかぁ。去年のテロリストの襲撃で生徒会長だった真由美さんの評価は変わらなかった。一生徒の生死は本人の責任に帰するのが『魔法師』の常識だ。でもそれが『戦略級魔法師』となると、誰かが責任を負わされる。学校側は、責任なんて取らないから、現生徒会長の能力が疑われる。

 

「だが…久は、偏っていて危うい。放っておけないのも…まぁ確かだな」

 

「え?」

 

達也くんの目が誰もいない方に泳ぐ。その顔は相変わらず無表情だけれど…頬が赤い?

あっ、達也くんが、照れている。僕はちょっと驚いて、深雪さんは微笑んだ。水波ちゃんは仏頂面、『ピクシー』に変化はない。

 

僕が偏っていて危うい、か。八雲さんと同じ事を言うなぁ。

それにしても『万能』か。八雲さんは、九校戦の人工林の中で、達也くんの事をそうじゃないかとぼかしながらも言っていたな。『パラサイドール』と戦っても無傷だし、物質を消滅させる『魔法』も横浜と夜の都心で見ているし…ああ、そうか、『雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)』だ。

 

「…ああ、そうか、『雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)』だ」

 

僕の癖がつい出る。思った事を無意識で声に出している。

 

「何っ!?」

 

達也くんの態度が一変した。深雪さんと水波ちゃんも緊張する。とても攻撃的な視線が三方から注がれる。『ピクシー』に変化はない。達也くんの視線は、それだけで相手を殺せそうだけれど、僕は動じない。柳に風、ぬかに釘…鈍感なだけかもしれないけれど。

達也くんの殺気は、でも、すぐに納まった。深雪さんと水波ちゃんの息を吐く音が聞こえた。

 

「…そうだな、久の前で三度…いや二度『雲散霧消』を使っていたな。一度目はコンペ会場、二度目は4月に夜の都心で」

 

三度?僕の前では二度だから、もう一度は…あぁ、論文コンペ会場の控え室で、何もない壁に向かって拳銃型CADを構えて『魔法』を発動していたけれど、あの時の事かな。

 

「だが、何故、久が『雲散霧消』と言う魔法名を知っている?」

 

僕の知識は、基本的に学校の授業で習う事しか知らない。それも怪しいけれど、軍事的に秘匿事項に当たる特殊な『魔法』を僕が知っているわけがない。その事を九校戦で僕の担当エンジニアだった達也くんは良くわかっている。

 

「あーえぇと、夏休み、ローゼンの機動兵器に襲われた時に、僕が使った『能力』を見て黒羽亜夜子さんと文弥くんが勘違いしたんだ…四葉家に向かう途中のリムジンの中での事なんだけれど…」

 

「?」

 

「ローゼンの機動兵器?黒羽のリムジン?どう言う事?」

 

達也くんの疑問符に、深雪さんの問い。

 

「あれ?二人は聞いていなかった?」

 

僕は視線を水波ちゃんに向けた。水波ちゃんは無言で首を左右に振った。

その事を全て語るには、九校戦での襲撃から始まる長い話になる。流石に昼休みの残り時間で全部を語るのは無理だ。その事は、いずれ『光の紅玉』専用CADの調整をしに司波家を訪れた際にでも…

 

「それにしても、久がそんな危険な目にあっていたなんて…これ以上、目を離す訳にはいかないわ。久には副生徒会長になってもらいます!朝の登校もこれからは一緒にしましょう!」

 

一緒に登校と言っても、駅前から学校までの短い距離の事だけれど…僕は相変わらず三人と一体に囲まれている。逃げ場は…なさそうだ。

生徒会副会長。僕は結局、深雪さんに10日掛かりで寄りきられてしまった。今後は生徒会役員として、学生生活をすごす事となる。現実は肩書きだけなんだけれど、登校から下校まで殆ど一緒、一日の約半分を、達也くんたち『四葉』と居ると言う事だ。そう考えると、ちょっと奇妙な喜悦に身体が震える。

 

生徒会役員は、通常、校内では預けなくてはいけないCADを常に携行できる。

 

これまでも僕の胸には『真夜お母様』から頂いた、完全思考型デバイスがかかっていた。学校にいる間はただのペンダントと化していて意識することはあまり無かったけれど、CAD携行制限解除のこれからは、常に僕の右薬指には指輪型CADがはめられることになる。

僕は、指輪型CADを見るたびに『真夜お母様』の姿を脳裏に浮かべる。艶然と微笑む黒いドレスの女性。これからは自宅以外では、殆ど一緒にいる…

 

 

 

これも、まるで『呪詛』みたいだ。

 

 




久は自分が世間からアイドル扱いされているとは微塵も思っていません。
深雪も一般市民から同様の扱いを受けているはずですが、四葉の操作でそれほど騒がれませんでした。久は、達也と深雪を目立たなくするための存在でもあるので、四葉の情報操作で適度に騒がれています。

指輪型CAD自体はただのCADで、何の術もかけられていません。
久が勝手に真夜と結び付けて想っているだけですが、それこそが完璧な『呪詛』なのです。
永続する魔法はない。でも、久の精神に少しずつ刻み込まれていく。
久の『回復』も精神には及ばないのです。
真夜の精神支配にどっぷり浸かっている久。本人はその事にまったく気がついていない…

四峰神社の恋守りは創作です。関東最強と呼び声高い三峰神社と四葉をあわせただけです。

『四』は確実に久の周りを囲っている。まさに四面楚歌!恐ろしや…


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香り

『現代魔法』はれっきとした科学技術、それも高等科学だ。

だからファンタジーのように「ちちんぷいぷい」や「ちんからほい」「ぴぴるまぴぴるまぷりりんぱぱぱれほぱぱれほどりみんぱ 」とミンキータッチで呪文を唱えても変身は出来たりしない。

だから、勉強は、とっても大切だ。

僕は勉強は苦手で、でも赤点を回避するだけの学力はある。義務教育すら受けていない子供が、高校の勉強に曲がりなりにも着いていけているのだから、勉強が苦手と言うより、集中力不足で覚えられないと言うのが正解なんだけれど、とにかく留年するほど頭は悪くない。

 

本来、生徒会役員は成績上位者がなる…

 

僕は名前だけの副生徒会長になった。名前だけって話だったんだけれど…

 

「仮にもお兄様と同じ生徒会役員が成績不振なんて許されません」

 

って、生徒会長様がノタマウ。ドユコト?話が違いませんか?

大体、魔法科なんだから、魔法大学のように『魔法』に関する授業だけすれば良いのに、なんで一般教科なんてあるのだろう。高校卒業の資格に国が決めた必須履修教科があるのは理解しているけれど、物理や数学は、『魔法』に通ずるから良くないけど良いとして、英語の文法とか習っても意味無いよ。僕は英語は日常会話なら出来るよ。

数学だって「さいんこさいんたんじぇんと」って何の呪文?極めると変身できるの?

こんなの習って将来何の役に立つの?と普通の高校生が良く考える現実逃避を、僕も同様に虚空に向かって訴える!

 

でもまぁ、一般科目は端末を使った、実質自習みたいなものなので、集中力のない僕は数十分もすると別の思考、つまり今考えていた呪文について考え始める。魔法少女モノの場合は呪文よりも魔法のステッキの方が重要だよなぁ。アレが無いと変身出来ないって事は、あのステッキはCADなのかな?「ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ~」「ぴりかぴりららぽぽりなぺぺると…

 

ごごごごっ

 

僕の手が止まって思考があさっての方向にずれ始めて数秒後、右隣の席から生徒会長の氷のプレッシャーが放たれた。

いっいえ考えていません。魔法の呪文なんて考えていません。授業に集中しています。

『現代魔法』は科学技術のはずなのに、冷たい視線を物理的に感じられるのはオカルトなのでは…オカルトと言えば…あっはい、授業中にレポート提出できるようにがんばります。

ふえーん。

 

深雪さんの10日がかりの説得で生徒会入りした僕が、副会長として初めて生徒会室に入ったのはこの日、10月6日土曜日の放課後だった。

午前中、僕にプレッシャーをかけ続けた(いや、僕の集中力がないのが悪いんだけれど)深雪さんは、達也くんと水波ちゃんと合流してから来るって、僕を先に生徒会室に向かわせた。

半日授業なのに、恐ろしく疲れた…深雪さんの『精神攻撃』は僕の天敵だとあらためて実感したよ…

 

生徒会室には副会長の泉美さん、会計のほのかさん、入り浸っている風紀委員の裏番長・雫さんがいた。今月28日には京都で論文コンペが開催されるけれど、九校戦ほどは生徒会は忙しくはないから全員のんびりしている。少なくとも、猫よりまし程度の僕の事務処理能力に頼るような状況にはまったくない。

 

生徒会室は、紅茶の香りがしていた。とても落ち着く香り…

『ピクシー』が淹れたのかな?『ピクシー』は人形のように命じられたままの行動をして、用のない時は部屋の隅でじっとしてる。基本的に達也くんの命令しか聞かないけれど、お茶を淹れるくらいは生徒会メンバーの指示に従うそうだ。僕の分も淹れてくれる。紅茶は雫さん持込のとても高級な茶葉だ。『ピクシー』は丁寧に、手順を守って、僕にお茶を運んでくる。

機械の身体の『ピクシー』に表情はない。でも、僕に向ける視線は敬意に溢れている。周公瑾さんと同じ目だな…

 

達也くん達が来るまでの間、ほのかさんが生徒会の事務の方法やワークステーションの使い方を教えてくれた。

 

「試しに、これをタイプしてみて」

 

「上上下下左右左右BA…」

 

ほのかさんに言われるまま試しに挑戦したけれど、上上下下左右左右B…ビー、ビー!ビープ音。こんな簡単なコナミコマンドも入力できないとは…しょんぼり。

ほのかさんは励ましてくれるけれど、機械音痴の僕は、みんなの足を引っ張るだけだな。

端末のレクチャー中、ほのかさんは僕にぴったり寄り添っていた。でも、豊かな胸を押し付けてくる事はなかった。いつも喫茶店や帰り道で、達也くんにむにむに押し付けているあの動作は、意図的なものなんだな…なんて事を考えるから、またしてもビープ音。くすん。

泉美さんのジト目が背中に痛い。その目は、同じ副会長として、選任してくれた深雪さんの期待を裏切るなんて冒涜ですわっ!って言っている。視線が槍になって背中に刺さる!うぅ、ごめんなさい。

槍衾になる前に撤収しよう。このままだと足を引っ張るどころか仕事を増やすことになる…後は料理部の部活をするつもりだ。僕が座席から腰を浮かしかけた時、

 

「みんなそろっている?」

 

生徒会長の深雪さん、書記長の達也くん、書記の水波ちゃんが一緒に生徒会室に現れた。書記長が何の役職なのか不明だけれど、旧ソ連では最高指導者を意味する役職だから、多分生徒会の裏番長なんだと思う。

深雪さんが部屋にいるだけで、空気が変わる。部屋にいた女性陣の色々な感情が室内に渦巻く。同時に、達也くんにもほのかさんの強烈な感情が向けられる。深雪さん、雫さん、水波ちゃん、泉美さんの態度がそれぞれ微妙になる。毎日こんな雰囲気なのかな、この生徒会は…

その達也くんが、深雪さん、水波ちゃんと共に私用の為に今日は早退すると告げた後、雫さんに、

 

「雫、ほのかをしばらく泊めてやってくれないか?」

 

唐突に言う。相変わらず前置きがない。でも、能面のような無表情に、心配の気配を感じる。

 

「ええっ!?」

 

ほのかさんが、目に見えて動揺する。ほのかさんは感情の幅が広い。その中でも恐怖に対しては敏感だ。

 

「実は昨日、駅を降りたところで何者かに襲われた」

 

達也くんの言葉に生徒会室が色めき立った。僕以外は、だけれど。

 

「そんなっ!お怪我はありませんでしたかっ!?」

 

泉美さんが大きな声を出して、視線を深雪さんに向けた。勿論、深雪さんに怪我があるわけがない。達也くんが側に居たんだから。

襲ってきたのは『古式魔法師』で現在は警察が取り調べているそうだ。問題は、個人が狙われたのか一高生徒が狙われたのか不明と言うこと、らしい。

ほのかさんの表情から血の気が失せる。寄り添う雫さんも眉をひそめる。二人は、基本的に荒事には耐性が低い。日常の学生生活ならなおさらだ。それにしても、理由と原因を後から付け足す言い回し。達也くんはわざと前置きをしないのかもしれない。ほのかさんは、達也くんに依存しているから説得に手こずると、ちょっと面倒だ。先に結論を言ってしまって、反論を許さない状況に追い込んでいるのかもしれないな。達也くんも、ほのかさんの存在には戸惑いがある。

泉美さんは『七草』としては、落ち着いている。その点は次期生徒会長にふさわしいけれど、関心の殆どが深雪さんに向いているから、深雪さんに関わるとちょっとポンコツになる。

そんなやり取りを横で聞いていた僕は…

 

達也くんは、嘘をついている。達也くんたちが狙われたに決まっている。

 

最初から、そう心の中で思っていた。一高生徒の誰でも良いのに、達也くんたちを狙うなんて、一番やっちゃいけない選択だ。どんな馬鹿でも、一高生徒の情報は少しは調べてから襲うだろう。

一般生徒で一番標的になりやすいのは、前生徒会長のあーちゃん先輩だ。あーちゃん先輩は『魔法師』としては優秀だけれど、戦闘能力はない。一高の情報を現生徒会長の深雪さんより熟知しているし、なんと言ってもナンバーズじゃない。

現生徒会役員を狙うのなら、ほのかさんが格好の獲物だ。雫さんがいつも一緒だけれど、雫さんと違って自宅には警備の者はいない。アパートに一人暮らしをしているそうだから。

泉美さんは一高前駅以降は護衛が付くし香澄さんもいる。そもそも『七草』を狙うなんて、相手はかなりの組織か相当の恨みを持つ人物になる。そうなると『七草』の情報網にすぐにかかるから、襲撃そのものが起きない。

名前だけでも副会長の僕も、一応は標的の一人かもしれない。でも、僕を狙うのは、計画そのものが間違っている。僕の周りは警護の目だらけだ。今は世間の目もある。下手をすると魔法協会どころか国が動くし、国民全員を敵にするかもしれない。おかげでSS的に物凄く動かしにくくなっている。結構、困っている(誰が?)。一高と自宅の往復だけの生活では事件は起きないのだ。

そう言えば、今日は響子さんが休暇で、生駒の九島家に帰省している。冠婚葬祭でもないのに唐突の帰省だ。以前、達也くんに烈くんへの繋ぎを依頼されて、響子さんに頼るようにアドバイスしたことがあった。もしかしたら達也くんたちは、これから奈良に向かうのかもしれない。

響子さんも達也くんも、僕に事情を話そうとはしなかった。だからこれは僕が立ち入らない方が事が上手く行く類の案件なんだ、と思う。もちろん、協力を請われればなんだってするけれど、僕の出来ることなんて破壊か殺人くらいだ。それも被害が大きくなる。現場が混乱する。今回の案件は、混乱を避けることが重要なんだろう。『戦略級魔法師』として、世間に認知されている僕は暗躍には向かない。『戦略級魔法』はそもそも抑止力だ。

 

まぁ、『魔法師』じゃない方の僕なら、暗躍、特に暗殺は得意だ。無関係の殺人も全くためらわない。

 

達也くんが、幹比古くんにも、同じ警告をしに行って来るって、泉美さんに告げて、生徒会室を後にした。風紀委員長の幹比古くんは講堂で論文コンペの主宰である五十里先輩の警護をしている。

達也くんが標的なら、親しい友人であるレオくん、エリカさん、美月さん、幹比古くんが危険だし、論文コンペ代表者が標的なら五十里先輩と、特にあーちゃん先輩の警備の増強が必要だ。

深雪さんと水波ちゃんも達也くんの後を追う。僕も生徒会室にいても邪魔になるので泉美さんに一言お詫びをして廊下に出た。ほのかさんの留守番の子犬みたいなウル目が印象的だった…

 

「あれ?」

 

深雪さんと水波ちゃんが、何故か達也くんに着いて行かず、生徒会室の前に立っていた。

生徒会室の扉を閉めて、部活に向かおうとする僕をじっと見つめている。

 

「久にも話があるの」

 

生徒会室じゃ言えない話なのか。生徒会長の深雪さんではなく、『四葉』の深雪さんの話し、かな?僕は無言で頷いて、深雪さんの後ろをとてとて歩く。水波ちゃんは、相変わらず僕と並んで歩こうとはしない。

僕と深雪さんは、人気のない、中庭のベンチに腰掛けた。ここは、僕が初めて達也くんに会った場所だ。部活動の時間、ここを利用する生徒はまれだ。

水波ちゃんはどう説得しても座ろうとしないで、微妙に深雪さんを周囲の視線から隠す位置に立った。

 

「久も気をつけてね」

 

「どうして?」

 

僕は巻き込まれ体質だけれど、『戦略級魔法師』を襲う組織がそんなにいるとも思えない。

 

「昨日の襲撃者は、どうも九島家と敵対する『古式魔法師』だったらしいの…」

 

「九島家の?それがどうして深雪さん達を狙う…あぁ、ひょっとして烈くんに何か協力をお願いしようとしているから?」

 

「お兄様から聞いているの?」

 

「内容までは知らないけれど…九島と敵対する…『伝統派』とか言う『古式魔法師』の組織が幾つかあるらしいね。僕も春に奈良で襲われたことがあったよ」

 

「え!?」

 

「正確には、僕は巻き添えだけれど…東京と違って、奈良は街頭センサーがあまり無いから、古いお寺や道場の『魔法師』同士のいざこざは結構あるんだって。九島家は、結構憎まれているみたい。そのせいなのかな、深雪さん達が狙われたのは?」

 

「…わからないわ」

 

少し、考えて、言いよどんだ。これは、僕には言えない事情があるのか…達也くんが許可しない限り、僕を巻き込まないようにとの配慮かな?

生駒に行くなら光宣くんとも会うことになる。深雪さんと光宣くん。この二人の邂逅はぜひとも立ち会いたいけれど、これから奈良に行くなら、今夜は奈良泊まりになるな。

明日、奈良で何か事件が起きるのかも…でも僕が立ち入って良いことなんだろうか。僕の協力が必要なら、達也くんは正面から言ってくるだろう。

あっ、そうだ。光宣くんが『パラサイドール』の術式を狂わせた大陸の術者の逃亡を手引きした人物の捜索をしているって言っていたな。

光宣くんに電話してみようか。僕にも何かできるかも。

 

「レベルは低かったから、深雪さんの敵じゃないと思うけれど、『伝統派』は個々人の思惑でばらばらに動くみたいだから、深雪さんも気をつけてね」

 

僕は深雪さんに警戒を促す。まぁ達也くんがいるから心配はないと思うけれど…

 

「ええ、気をつけるわね」

 

深雪さんが立ち上がって、水波ちゃんが丁寧に頭を下げて去っていった。深雪さんはちょっと早足だ。少しでも達也くんと一緒に居たいんだろうけれど、ちょっと過剰だよなぁ。二人の『意識』はつながっているんだから、距離なんて関係ないのに。それが恋心なのかもなぁ…僕にはわからない感情だ。ん?妹だから恋も変だな。乙女心?それも違うな。だって深雪さんは乙女じゃなくて淑女なんだもの(達也くん言)。

 

中庭はすっかり秋の気配だ。流石に紅葉には早すぎるけれど、空気は乾燥していて空が高い。

一高の白い制服が秋の日差しに温められて心地良いな。

初秋の風の香り…香りか…昔は香りだの匂いだのは嫌いだったな。

多治見研究所での回復力テストで、電話ボックスくらいの密閉された小部屋に入れられて、呼吸マスクから細菌やらウィルスやら毒ガスを吸わされた事があった。毒ガスは臭くて、即症状が出たけれど、病原菌はじわりじわりと効果が現れて苦しかった。僕の悶える姿を研究員は笑って見ていたっけ…あの実験でいくつかの抗生物質が開発されたとか、人類に貢献したとか言われたけれど、僕の身体で作られた薬は僕自身には効かない…馬鹿な話だな。

ふと、右手の薬指の指輪を見る。そっと左手で指輪を撫ぜる。今の僕は、幸せだな…

一人ベンチに残った僕は、うとうとし始める。部活に行かないとだし、このままだと嫌な夢を見る。多分、ガス室の夢だから起きてないと…

澪さんと響子さんと一緒に住むようになったおかげで嫌な夢を見ることはほとんどなくなっている。まぁ、同じベッドで横になっていても僕は目を瞑っているだけだけれど、そういえば以前ちゃんと眠ったのはいつだったかな。ここの所、いろいろあったから生活のリズムが狂っている。いくら眠らなくても平気な体質でも、1週間睡眠をとらないと精神が参ってしまう体質でもある。本当に中途半端で、へなちょこだな…

校内だからって警戒を緩めてはいけないけど、でも…眠いや。今、誰か隣に座られても、いきなり鼻でもつままれないかぎり、気がつかないかも。ベンチに座ったまま、船をこいでいた僕の上半身が次第に傾いて、やがて、ずるるっと横に倒れた。

頭をベンチに打つかなぁと思ったんだけれど、意外な柔らかいモノに頭が乗った。何だか頭の収まりが良い。それに、花の香りがする。良い香りだ。この香りに包まれてなら眠っても嫌な夢を見なくても良さそうだな…

でも、上半身だけ横になっていると、ちょっとお腹が苦しいから僕はその柔らかいモノによじ登るようにしがみつく。

 

「あっん」

 

ん?何の音だろう…一高指定の靴は重いな。靴脱ぎたいな…両足をぎこちなく硬いベンチに横たえる。僕は余分な肉が無いから、硬いベンチと足の骨がごつごつあたって痛い。

気だるい…柔らかいモノに顔を埋めたまま、少しでも心地良い体勢になろうと、うごめく。花の香りは鼻腔一杯に広がっている。それ以外の香りもするな…何だろう。

 

「ちょっ、久せんぱぁっあ!」

 

ん?柔らかいモノがもぞもぞと逃げるように動く。僕は動く枕を逃すまいと、両手をまわして抱きしめた。

 

むにゅ。

 

「ひゃっうん!」

 

むにゅむにゅ。

 

「らめっ…んぁああ」

 

むにゅむにゅむにゅ…寝心地良いな…でも、この枕は時々びくんって跳ねる。

低反発素材にしては、温かいし…おかしいな。

うぅん、この感触には覚えがある。僕はぼーっとした意識で考える。あっそうか、お馴染みの感触だ。少女と女性の中間の体型の澪さんの胸…いや太ももの感触。でも、澪さんとは香りが違う。ちなみに響子さん枕はすごく柔らかい…

 

「あっ…れ?」

 

僕は柔らかいモノを抱きしめたまま、顔だけ上に向ける。寝ぼけ眼の視界に、僕を覗き込む、真っ赤な顔があった。

 

「ぁ…香澄さん?」

 

「おはっおははぁ、おはようございます、久先輩っ!」

 

香澄さんの胸と顔が物凄く近い。吐息がかかるくらい、近い…目の前の香澄さんのまつ毛まで数えられる。香澄さんの瞳の中に僕の寝ぼけた顔が映っている。

 

「香澄さんの…」

 

「え?」

 

「香澄さんのまつ毛…長いなぁ…すごく綺麗な瞳だ…」

 

「ふっえええええ?」

 

香澄さんの耳が、目に見えて赤い。熱そうだ。僕は抱きしめていた両腕を離して、仰向けになった。あっ、体勢がすごく安定した。僕の後頭部が香澄さんの太ももの隙間にすっぽり収まる。

 

「香澄さん、耳、赤いよ、ぷにぷに」

 

半分寝ている僕は、腕を上げると、香澄さんのグミみたいな耳たぶをぷにぷにした。

 

「ひゃはわぁわぁわああぁ」

 

香澄さんの言語が崩壊している。ボーイッシュな香澄さんの髪型は短くて、表情がはっきりとわかる。真っ赤で、泣きそうで、でも、どこかにやけ気味な…表現の難しい表情だ。

花よりも甘い香りが、周囲に広がっている…気がする。甘い甘い、ハチミツのような、幸せな香り…

 

「あ…れ?香澄さん…膝枕…?」

 

ああ、この香りは香澄さんだったのか。やっと気がついた。名前と違って、少し生々しい、でも落ち着く香りだ。

 

「はっい、風紀委員で見回りしてたら、ひさっ久先輩がうとうとしていたので、このままだと悪夢を見られるから、可愛そうだって、思って、思ったから、起こすのも駄目だし、『戦略級魔法師』として重圧があるんじゃないかって思うし、そのまま休まれたらいいって…」

 

しどろもどろだけれど、言わんとしている事は半覚醒状態の僕の頭でもわかった。

秋の日差しに、僕はすこし汗ばんでいた。香澄さんも。香澄さんと違って、僕の髪の毛は長いから、数本が顔にまとわりついて邪魔だ。

香澄さんが、僕の顔にかかる長い髪の毛をそっと除いてくれた。眠い…でも…仰向けだと、日差しが少し眩しい…

 

「眩しいですか?」

 

今日の香澄さんは、男の子っぽい口調じゃない。すごく女の子だ。素の女の子。香澄さんが上半身をかがめる。僕の顔に香澄さんの影がかかった。日差しが遮られる。

お互いの顔が、物凄く近い。香澄さんの赤い顔から熱を感じる。僕の顔に乗った香澄さんの胸から、激しい鼓動も感じられる。どくんどくんって。

秋の日差しよりも、暖かいな。睡魔が、そのまま眠れって囁いて来る。

 

「香澄さん…眠たい…」

 

「良いですよ、このまま寝ててください」

 

「ありが…と…」

 

柔らかい太ももに頭を乗せて行儀良く寝ていたけれど、身体をちょっとだけ動かすと髪の毛がはらはらと顔にかかる。香澄さんはそのたびに髪の毛を払ってくれた。

 

「ぷにぷに。えへへ」

 

僕の耳たぶを、香澄さんがぷにぷにしている…すごく、気分が良い。僕は夢も見ず、深い眠りに落ちていた。

 

僕が目を覚ました時には、日が暮れ始めていた。ざっと4時間は眠っていた事になる。その間、香澄さんは膝枕の体勢を保ち続けてくれたんだ。

僕は身体を起こして、香澄さんの隣に座りなおした。秋の夕暮れ、空気が冷たいけれど、身体は温かかった。ひょっとして、香澄さんは僕を抱きしめていてくれたのかな…

 

「すっかり眠っちゃった…ありがとう香澄さん。すごく熟睡できた」

 

「うん、顔色もいいですよ」

 

顔色が悪く見えたのは、午前中の授業の疲れだと思うけれど、もう下校の時刻だ。香澄さん、見回りさぼっちゃったね。あ、口調が男の子モードに戻っている。

 

「香澄さんには迷惑かけっぱなしだな…お買い物の約束も果たせてないし」

 

「買い物は、駅前の見物騒ぎが収まる頃でいいです」

 

「その時は、お礼とお詫びを兼ねて、僕が全額支払いをするね」

 

「良いんですか?遠慮しないですよ」

 

にんまり笑う香澄さん。

 

「実は明日、ボクたちの九校戦新人戦優勝の祝賀パーティーが開かれるんですが…」

 

「えっ?初耳だよ、どうして言ってくれなかったの?」

 

「久先輩はここのところ、忙しかったので…」

 

「言ってくれれば行くに決まってるでしょ!行くよ!あっ、でも今からじゃ警備の手配とか間に合わないか…」

 

「それは平気です。十師族の方もいらっしゃるので、もともと警備は厳重ですし、名倉さんにもお願いしておきますから」

 

「じゃぁ、行く」

 

七草家のパーティー料理は、美味しいんだ。それに、七草家でのパーティーなら真由美さんや卒業生も参加するだろうし。

 

「そう言えば、このベンチの場所、僕が入学した時に真由美さんと初めて会った場所なんだ」

 

雑談をしながら泉美さんが合流するのを待った。

達也くんたちは早退しているので、今日は七草の双子と一緒に駅まで下校する。この三人だけの下校は初めてだな。

駅前には土曜日の夕方とあって、僕を見物に来た人たちが大勢いた。僕に気がついて群集がきゃあきゃあ騒ぐけれど、僕もだいぶ慣れてきた。警戒心が抜けてきた、とも言えるけれど、群集ににっこりと笑顔を向けて愛想を振りまく。この騒ぎももうしばらくの辛抱だ。21世紀初頭、上野のパンダ来園の時も大混雑は最初だけで、数ヵ月後にはガラガラになっていた、らしいし。

香澄さんと泉美さんも、この1週間で慣れているから、努めて意識しなくても、自然にやり過ごせるようになっていた。

キャビネット乗り場には七草家のボディーガードが待っている。

以前は真由美さんの警護をしていた男性で、初老までは行かないけれど、50代の紳士、いかにも鍛えられていて、『魔法師』としても優秀なのが、全身から伝わってくる。

名前は名倉さん。僕とも面識がある。

 

「こんにちは、多治見様」

 

名倉さんが簡単に挨拶をしてくる。すごく自然な態度だけど、その間も、群集から警戒を緩めない。長いことこの世界に居る、ベテランの余裕。カッコイイ。

名倉さんとは数度、言葉を交わしている。去年の九校戦、双子が大陸の強化兵に襲われた時、名倉さんも強化兵の一人と戦っていて、双子と分断されてしまった。

双子の相手は偶然居合わせた僕が無力化したんだけれど、名倉さんは一人で強化兵を倒したんだそうだ。その時のお礼とお詫びもちゃんと言われている。

 

「名倉さん、明日のパーティー、久先輩も来てくれるって」

 

香澄さんの声が、ちょっと浮かれている?何も衆目があるここで言わなくても良いのに。

 

「わかりました。では、そのように手配いたします」

 

名倉さんは苦笑いも見せず、隙がない。九重八雲さんと同世代のはずだけれど、だいぶ雰囲気が違う。何だろう…香澄さんは、花の香りで…

 

そっか、八雲さんは生臭坊主だからな。生臭いに決まっているし、なおかつ胡散臭い!

 

くすくすっ。

僕は一人で納得しながら、双子と名倉さんがキャビネットに乗る姿をぼぅと見つめていた。

 

その名倉さんの訃報が、翌週12日金曜夕方の地方配信ニュースで報道された。僕が知ったのは、香澄さんに教えられた翌土曜日の事だった。他殺体、それも死体の損壊が激しい事から魔法戦での死体だったそうだ。

やはり、あちらは街頭センサーの監視が緩いな…おかげで、僕も光宣くんも、暗躍しやすいんだけれど。

 

血生臭い話は、後日。




魔法科高校最新刊は、まだ導入部分しか読んでいませんが、
29歳なのに12歳くらいにしか見えない練達の魔法師の女性?
そんなのありえないだろうぅぅぅ!

久「…」
烈「…」
八雲「…」


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古都内乱

瞬間移動って便利だね!


月曜夜、興奮気味の光宣くんから携帯に連絡があった。光宣くんの声が高い。喜び溢れる光宣くんの声は、『櫻井孝宏』さんに似ている、と僕は脳内設定している。すごくしっくり来るぞ!

昨日、達也くんと深雪さん、水波ちゃん達と奈良一帯を『伝統派』の探索がてら観光したこと、『伝統派』の術者の襲撃を受けて、撃退、三人の卓越した『魔法』に改めて感動したことを熱く語ってくれる。光宣くんの語り口は、丁寧でその情景が浮かんでくる。原作14巻183ページの挿絵の光宣くんは等身が高くて、超絶美男子だなぁ。

 

「思考型デバイスを自分の物にした今の光宣くんは、正面からでも僕に勝てるよ」

 

って言ったら、通話口から聞こえる声が、それはもう嬉しそうだった。

その電話を僕は、自宅の勉強部屋でしていた。今は、勉強時間なんだけれども、嬉しそうな光宣くんとの会話の方が優先だ。うん。

でも、これは長電話になりそうだ。僕は携帯をスピーカーモードにして、くつろぎながら光宣くんの語りを聞いていた。光宣くんは達也くん達の事は九校戦のテレビ放送で見ているし、僕との雑談で何度も話題に出ているから物凄く親近感があったそうだ。

同世代の友人に飢えている、と言うのもテンションの高さの原因でもある。そのテンションのわりに、どうして昨夜電話をしてこなかったんだろう?

 

「久さんは副生徒会長になられたんですってね。僕も今月から二高の副会長になったんですよ」

 

同じですね、って笑う光宣くん。名ばかりの僕と違って、光宣くんは次期生徒会長だけれどね。

 

「京都の論文コンペには、これで久さんも来られるのですか?」

 

「どうかな、僕が参加すると警備が面倒だから、お留守番じゃないかな」

 

「警備は問題ないと思いますよ、生徒にはナンバーズも多くいますし、魔法協会主催ですから…」

 

「参加は僕が決めることじゃないから何ともいえないなぁ。光宣くんは論文発表メンバーの一人なの?」

 

光宣くんの明晰な頭脳なら主筆かもしれないな。

 

「はい、これは内緒ですが、『パラサイト』の研究成果を僕なりにまとめた内容になっています」

 

「…それは、大胆だなぁ、『系統外魔法』って原理とか全く不明なんだよね」

 

目に見えないだけでなく、計測できない『精神』についての論文となると、これは一大センセーションだ。観測できない感覚的な物を文章にするのは大変そうだ。

『パラサイト』の培養方法、一体一体の強化、『精神支配』をより容易く行うこと。実用的な部分はかなり際どいから、多分理論重視の論文になるんだろうね。

どのみち、僕の知能では理解できないけれど…僕にとっても『系統外魔法』はあまり心穏やかではいられない、ちょっとお尻がムズムズする話題だけれど、永続できない『現代魔法』の『精神支配』はかけ続けないと意味がないから、僕も少しは落ち着いて光宣くんの話を聞いていられる。

実験動物時代の僕の『精神支配』は『魔法』じゃなくて、催眠暗示による刷り込みだ。同じ言葉を来る日も来る日も、何度も何度も聞かせる。時間はかかるけれど、効果を消すのは難しい。

何しろ、70年経っても、僕はその支配から抜け出せない。そう考えると、やっぱり落ち着かなくなる。

こう言う時は『真夜お母様』に頂いた指輪に触れていると落ち着くけれど、自宅にいるときはデバイスのペンダントと一緒にリビングに置いてある。

その代わりに、勉強机にある『光の紅玉』専用CADを収めたジュラルミンの小箱をじっと見つめる…

 

「あっ、申し訳ありません、ちょっと専門的な話を一方的に語ってしまって…退屈でしたよね」

 

生返事をしていた僕が少しダンマリしたので、自身の論文の内容を熱く語っていた光宣くんの滑らかな舌が止まった。光宣くんの語る内容は全くわからなかったから、僕の耳を左から右に通過しているだけだったけれど。

 

「うぅん、嬉しそうな光宣くんの声を聞けて僕も嬉しいから。そう言えば、その春日山遊歩道で倒した敵は、その後どうなったの?」

 

僕の話題変更と言う名の疑問に、光宣くんが返事に困っていた。襲撃者は死者はいなかったけれど全員現場に放置してきたそうだ。時間が無かったとは言え、達也くんや光宣くんにしては乱暴な処置だ。九島家に監禁すれば色々と情報を得られただろうに、『伝統派』に戻られては二度手間だ…まぁ、達也くんたちと少しでも一緒に居たいと言う気持ちは、よくわかるけれどね。

 

「襲撃者は、地元の警察が回収しました」

 

「回収?逮捕じゃなくて?それじゃぁ光宣くんたちは事情聴取を受けなくちゃいけないんじゃない?」

 

正当防衛とは言え、『魔法』の無断使用は、れっきとした犯罪行為だ。アニメ第一話から散々言われていることだけれど、もう誰も気にしていないよね、これ。

 

「いえ、街頭センサーや監視カメラはなかった場所なので、僕たちの事は知られていないはずです」

 

いくら田舎だからって、観光地なのに…

奈良や京都では、『古式魔法師』同士のいざこざで、けが人や人死には日常茶飯事なんだそうだ。その際、死体は身内で処分して、表沙汰にならない様にする不文律もあるそうだ。古都においては『古式』の争いは1000年以上続いているからだけれど、法によらない復讐劇なんて、ほとんどヤクザの世界だ。

まぁ、この世界の公権力は、正直、無能だからなぁ。

 

「複数の重症人が発見されたんならニュースになるよね?なっているの?」

 

「いえ、まったく報道はありませんでした。念のため、僕も警戒していたんですが、その後、襲撃者達の身柄は国防軍の施設に移されました。軍は最初から襲撃者の事をマークしていたようです。勿論、僕たちの戦闘も把握しているでしょう。

管轄が警察から軍に移行したせいか、僕が『九島』だからなのか、何も言ってこないのです。どうやら、軍も表沙汰にはしたくないようですね。まぁ、あれから1日しか経っていないので、事情聴取は後日かもしれませんが」

 

「…『魔法犯罪』にいきなり軍が動くのがおかしいね」

 

「はい、『魔法違法使用』は警察の管轄のはずです。なのに…軍、それも、どうやら情報部が動いているようなのです」

 

情報部?

いくつか理由が考えられる。襲撃者に軍の関係者、もしくは脱走者がいた…『伝統派』がかくまっている人物『周公瑾』を軍も探している…

『パラサイト』を狂わせた術式を施した大陸の魔法師の派遣と逃亡は、周公謹さんが実行したそうだ。周公謹さんは、『四葉』と『九島』が追っていて、今は奈良か京都の『伝統派』がかくまっている。達也くんたちの九島家訪問も周公瑾さんの確保、もしくは殺害の協力要請だったんだって。

これは、周公瑾さんにとっては、かなり厳しい状況だ。でも、『仙人』になるためにより強者との戦いを求める術者の彼にとっては、ある意味望むべき状況でもあるわけだ…

でも、情報部か…もしかしたら、周さんは『伝統派』の軍人がかくまっているのか、『パラサイドール』の事件の流れから粛清をまぬがれた『強硬派』の一派がいて、情報部はそれを探している、もしくは両方かな?

それに、もうひとつ、情報部は達也くんの事も調べようとしているのかも。達也くんは軍属でもあるけれど、『四葉』であることは隠しているし、軍内の派閥や十師族との関係も、色々と面倒だ。

 

「うぅん、わかんないや!どのみち、軍が動いたんじゃ何も出来ないね」

 

「そうでもありません、『伝統派』は僕だとはっきり認識して襲撃してきました。これまでのこそこそと影から嫌がらせをするのと違って、『九島』に正面から挑んできたのです」

 

「それは全面戦争になるって事?」

 

「それは無いと思います。『伝統派』は一枚岩ではありません。京都と奈良でも思惑が違うようですし、周公瑾に指嗾されているのかも知れませんので…」

 

指嗾…難しい言葉を知っているなぁ光宣くんは。

指嗾。しそう。[名]人に指図して、悪事などを行うように仕向けること。指図してそそのかすこと。ってGOO辞書にある。

 

「ただ、今回の襲撃は奈良の『伝統派』の最大派閥が動いていました。最大と言っても『九島』と正面から戦える戦力はありませんが」

 

「つまり、近々『伝統派』同士の会合があるわけだね」

 

「ふふふ、察しがいいですね、久さん。それは、あさって水曜日、16時ごろに行われるようです。それも、九島家への恨みが、まぁ逆恨みですが、強い派閥が集まります」

 

「なるほどぉ、その情報を今日一日かけて集めていたから電話が今夜になったんだ。いつも思うけれど、そう言った情報はどこから手に入れてくるんだろう?」

 

「色々ありますが、今回に限って言えば、お祖父様が協力してくれました。僕が襲撃された事でお怒りになられて…ご心配をかけてしまいました」

 

孫可愛がりだからなぁ烈くんは。でもそこに父親である現当主の名前が出てこないのは…まぁここも色々ある。光宣くんとの会話では響子さんは出てくるけれど、実の兄たちの話は殆ど出てこない。

 

「九島家の手ごまは使って良いそうです。ただ、現場の指揮と計画は僕が立案します。で、『伝統派』は大胆にも奈良市内で会合を開くそうです。遅れてきた夏の虫のような連中ですが…」

 

慌てていて、集まりやすい場所を優先したのかなぁ。町の真ん中じゃ、常識では襲いにくいけれど、情報が駄々漏れなのは奈良の『伝統派』は組織として自信があるのか、旧態依然としているのか、自慢の隠密行動が加齢で鈍っているのか。それとも周さんに唆されているのか…

 

「まとめて駆除しちゃうの?」

 

「はい、煩わしい虫どもはこのさい駆除してしまおうと…ただ、昔ほど『伝統派』は勢いが無いので、水曜日に会合に集うメンバーは案外少ないそうです」

 

『伝統派』も高齢化の波には逆らえない。以前、襲撃してきた術者も、老い先短い人生の最後の暴走だった。憎しみを長年保ち続けることは、普通の精神では出来ない。『伝統派』はもともと執念深いモノ達の集まりなんだ。そのエネルギーをもっと生産的な…まぁいいか。

 

「どれくらいいるの?」

 

「代表者10名だそうです。護衛や腹心を含めると20名程だとか」

 

「思ったより少ないね。急の会合だから都合が悪かったのかな…で、皆殺し?」

 

「生け捕りの方が望ましいですが、『伝統派』の術者に見るべき人物はいませんし、抵抗されれば殺害も止むを得ません…ね」

 

「僕も加わって良い?僕がいると混乱が広がるから、光宣くんが指示してくれるとスムーズに事を運べるけれど?」

 

「もちろん、久さんもいてくれると心強いですが、でも、『戦略級魔法師』と言う国の宝を危険に晒すのも気が引けるのです…」

 

「気にしないで。『本気の僕』を傷付けられる者は、いないよ」

 

「そう、ですね、くすくす」

 

薄く、怪しく、優雅に笑う光宣くん。いつか勝負してみたいって、心の中では思っているなぁ。

尊敬する烈くんのお膳立てと、僕という最強戦力。采配の振るいがいがある。張り切りつつも、今回は、襲撃計画二度目だから余裕が感じられる。

 

「じゃぁ、当日は『一高から直接待ち合わせ現場に行く』から、僕の事は好きに使ってよ。何千人でも殺して見せるよ」

 

「そこまでの規模じゃないですって」

 

それじゃ内乱じゃなくて、戦争だね。いや、一方的な蹂躙かな?

子供同士の悪巧みに、今回は大人が、それも酸いも甘いも知り尽くした烈くんが協力、後始末をしてくれる。緊張感以前に人としてのモラルに欠けている、何とも度し難い、始末の悪い子供達だ。

 

 

水曜日、16時10分。僕は一高に『戻ってきた』。

『伝統派』襲撃に関しては、語ることはあまり無い。襲撃は、前回の経験から、ごく簡単に終了した。

 

一高での授業後、僕はまず料理部の部活に向かった。今の僕は料理部と生徒会の二足のわらじをはいている。水波ちゃんも同じだけれど、水波ちゃんは生徒会に出ずっぱりで、僕は深雪さんにお願いされたら生徒会に出るようにしている。

今週から、達也くんが論文コンペの援軍に借り出されたので、警護の関係で生徒会室に人が足りなくなっている。僕でも電話番程度はできるから、今週から放課後の半分は生徒会室に詰めている。

深雪さんには料理部の仕込があるから一時間弱遅れる事を了承してもらう。僕は料理部に関してはこだわりがあるから極力参加したいんだ。食い意地がはっているだけなんだけれど、料理部は文科系部室棟の調理室で活動をする。

調理室に移動した僕は、深雪さんにもらったエプロンを身につける。他の部員がまばらに部室に現れる中、手際よく鶏肉をさばいて、開いた肉にローズマリー、エストラゴン、オレガノ、白ワインと刻んだたまねぎをつめる。にんにくも入れたいところだけれど、匂いを気にする女性陣が多いので遠慮する。部活的には20分も浸けておけば良いんだけれど、一晩置いた方が肉に香草の香りが移って美味しくなる。今週は時間がない事は部員に知らせてあるので、処理した肉を真空パックに入れて、冷蔵庫に一晩置いておく。ここまで30分とかかっていない。この手際のよさを機械操作につなげられないのは謎だ。

僕は手を綺麗に洗って、部長に一言ことわりを入れて、部員全員に挨拶する。料理部は比較的自由度が高いけれど、僕だけ別メニューだから、ごめんなさいって。生徒会役員なのに意地でも料理部に出ようとする僕の事を、料理部の部員達は好意的にとらえてくれている。明日完成する料理は量は多いから、部員に振舞うことで、ご機嫌をとっていたりする。

料理部は部室棟の一番端っこで、部室錬には美月さんの所属する美術部もあるけれど、どちらかと言えば女子生徒が多い。料理部も男子は僕一人。だから、最寄の男子トイレを利用するのは、僕だけだ。

調理室を出ると、廊下を確認する。誰もいない。靴洗浄システムが進んだ現代では、一高は校舎内でも指定の外履きだから靴を履き替える必要はない。僕は男子トイレの個室に入る。ポケットから、ハンカチで大事に包んだ指輪型CADを取り出して、右手薬指にはめる。完全防水ではないから部活中は外して、慎重にポケットにしまっているんだ。生徒会役員の僕はCADの所持が許されているから、事務室に寄る必要もない。

端末で、指定の合流場所をチェックして、『意識』を集中する。位置情報の記録される端末は、念のためトイレの個室に残しておいて、『空間認識』。

場所は、奈良中心市街地東南部に位置する、歴史的町並みが残る地域、いわゆる、ならまち。

 

僕は、『飛んだ』。

 

九島家のリムジンの近くに現れた僕は、光宣くんと合流した。時刻は15時55分。

 

「天気が良くて、良かったね」

 

僕の最初の挨拶はそれだった。見上げると薄い青色の空、ご近所同士の挨拶みたいな気軽さだ。リムジンの中には光宣くんと烈くんがいた。光宣くんはやや緊張気味で、烈くんはまるで居眠りでもしているかのようなリラックスした態度だ。

光宣くんは動きやすい服装だけれど、僕は一高の制服のまま。荒事には向かないけれど、リムジンで座ったままだから問題ない。

 

ならまちは、狭い街路に江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ歴史的町並みが残る地域で、地元市民の暮らしの場で、観光地でもある。その中の大きなお屋敷が奈良の『伝統派』の会合の場だ。平日の市民の暮らしの中、『古式魔法師』の剣呑な会合が開かれるにはそぐわない場所だ。

会合が行われる町屋はお屋敷だけれど、間口が狭く奥行きの長い、うなぎの寝床のような構造をしている。集団での襲撃は難しい。そのあたりは『伝統派』も『九島』の襲撃を警戒している。

ただ、警戒のレベルが中途半端だ。正面から戦いを挑んできたのだから、命がけの警戒をしなくちゃいけない。一人の卓越した『魔法師』の存在は、集団を遥かにしのぐ。それが、『現代魔法』の共通認識なんだから。

僕たちを乗せたリムジンは音も無く玄関に横付けされる。柿渋色の町並みに、寸胴で不恰好なリムジン。物凄い違和感だけれど、通行人は誰も気にしない。烈くんによる『認識阻害』だ。そもそも、通行人や観光客はこの場に近づけないよう『伝統派』が結界をはっている。ただし、喉元まで敵に入り込まれては、それも逆効果だ。

町屋の玄関がすっと開いて、警護兼案内役の男が二人現れた。遅れてきた、もしくは後から参加した『古式魔法師』の誰かと思い込んでいる。光宣くんの『系統外魔法』でそう思わされている。

玄関は一見、御影石の踏み台のある木製の格子戸だけれど、その実は頑丈な金属製だ。厳つい鍵がかかっている。男達は無警戒で鍵を開ける…

それを合図に、烈くんの手ごまの隠密性にすぐれた『魔法師』が、周囲を警戒していた敵の『古式魔法師』を背後から襲っている。玄関を開けた男たちが、意識を刈られ音も無く倒れる頃には、ならまち一帯は『九島』の『魔法師』に完全に制圧されていた。やはり、以前僕たち主導で行った襲撃の時よりも『魔法師』のレベルが高い。

烈くんは長い足を組んで、眠っているように座っている。光宣くんは完全思考型デバイスによるCADの操作を完全にモノにしていた。

その光宣くんの、お願いします、って視線を受けて、僕は『魔法』を発動する。

今回の襲撃は以前の反省から、僕がメインだ。光宣くんときちんと打ち合わせをして、計画にズレが生まれないようにしている。襲撃計画は単純な方が良い。僕の光宣くんへのアドバイスはこれだけだった。

『魔法』は簡単だ。以前、夜の都心で達也くんを襲撃しようとした不審者達を無力化した『酸素分圧』。ただ、今回は人数が正確には不明なので、人そのものにでなく、町屋全体にかける。

地図で確認して『移動系魔法』で町屋全体を立体的な座標に指定する。その座標内に『気圧流動変化』『気密防壁』『収束』『圧縮』『移動』のマルチキャストで、指定空間内の気圧を低下、酸素の濃度を上げる。超高分圧の酸素を吸った空間内にいる人間は、思考が鈍る中、疑問を抱くことなく一人、また一人と眠りに落ちるように意識を失っていく。

あまり酷い『酸素酔い』は命を落とすことになる。高齢者の多い『伝統派』の指導者は、肉体そのものは常人より鍛えている。加減は難しいけれど、数人死んでいたって構わない。生き残って、『九島』の手に落ちたその後の運命は、たぶん楽しい物じゃないから、どちらが良いかは…僕には興味がない。

 

命を奪う攻撃をしてきた以上、どんな命の奪われ方をされようと、文句は言えない。言わせない。

 

「終わったよ」

 

リムジンが玄関に横付けされて5分、僕は『魔法』を発動し終えた。拍子抜けするほど、静かな襲撃だった。

 

「これだけの広い空間に『領域干渉力場』を発動させつつ、町屋全体を座標にマルチキャストで『魔法』攻撃…逃げも隠れも出来ない。しかも、その間、まったく余剰サイオンを出さないなんて、流石は久さんです…」

 

非常時なのに、目の前に座る光宣くんは身を乗り出すように、感動の目で僕を見ている。

僕は念のため他の『魔法師』からの攻撃を想定して、リムジンと町屋を『領域干渉力場』で覆っていた。『魔法』は3分ほど発動していたけれど、その間、僕は自宅のリビングでくつろいでいるような態度だった。

 

「準備した『魔法』を使うだけだから大したことはないよ、僕は基本しか使えないし」

 

想定された範囲に、基本の『魔法』を予定通り使う。破壊力や規模は違っても、『光の紅玉』もそれは同じだ。まぁ、僕の魔法力なら、奈良市市街地そのものを『領域干渉力場』で包むことは容易だけれど、無意味なことはしない。

 

「そもそも規模が違いすぎる…人間の枠を超越…『戦略級魔法師』は、やはりすごいです」

 

「『系統外魔法』すら物にしつつある光宣くんに勝つのは、『戦略級魔法師』でもかなり難しいよ?」

 

「お互いを褒めあうのも構わないが、それは後にしなさい」

 

烈くんが、襲撃開始直前から初めて声を発した。リムジン内の烈くんは、全てを光宣くんに任せきっているようだったし、嬉しそうでもあり、孫をフォローしようとうずうずしてるようでもあった。

 

「では、後は手はずどおりに」

 

苦笑する光宣くん。そんな表情すら華の様。

会合場所の周辺に潜ませていた九島家の戦闘員が、整然と町家の格子戸の中に消えていく。それらの指示は光宣くんが行うことになっている。屋内から騒動は聞こえない。どうやら敵は全員無力化出来ているようだ。ご愁傷様。

リムジンからすばやく降りる光宣くんに、視線で挨拶を送る。光宣くんが不敵な笑顔で頷いた。

 

光宣くんを降ろしたリムジンはゆっくりとその場を離れた。かわって、目立たないバンタイプの電動カーが、町家の玄関前にとまる。その後の『伝統派』指導者たちがどうなったかは、どうでもいい。

 

古い町並みの狭い道路を静かに走るリムジン。烈くんと僕の二人が車内には残されている。光宣くんという大輪の華がいなくなっただけで、同じ車内とは思えない寂しい雰囲気になった。僕は光宣くんの出て行ったドアを見たままで、烈くんの態度はいつも通りだ。

 

「光宣くんは、本当に良い子だなぁ。僕たちと違って真っ直ぐ伸びてくれると良いんだけれど」

 

僕の呟きは、はっきり言ってもう手遅れ、愚痴に近かった。光宣くんは『九島』なんだから。

 

「自慢の孫だね。羨ましいよ」

 

「有難う、素直に嬉しいよ」

 

本当に嬉しそうだ。その姿は、孫を褒められた祖父。どこにでもある普通の家族の情景でも、その祖父は『魔法師』の過去の象徴、向かいに座る僕は、イビツながらも現在の象徴、光宣くんは近い将来の頂になる…

ただ、光宣くんには健康不安がある。その原因は、僕にはわからない。僕の『遺伝子情報』が光宣くんの体質に悪影響を与えているのかも、と言う僕の懸念はいつも、心の澱となって残っている。同様の深雪さんが健康体なのだから、違うとは思いつつも、でも、気になる。恐らく烈くんは、光宣くんの健康不安の原因を知っている。僕が質問すれば、烈くんはちゃんと答えてくれる。それが昔からの僕と烈くんの関係だ。

答えを聞いたところで、僕は何もできないか…複雑な家庭の事情も孕んでいるだろうし。

そんな感傷も、数秒だった。僕はいつまでもここにいちゃいけない。早く一高の『トイレ』に帰らなきゃ。

 

「じゃあ、烈くん、また」

 

「ふむ、気をつけてお帰り」

 

気をつけてお帰り、か。ちょっと変だね。僕たちはくすくす笑いあう。

こんな笑い、昔もあったな。70年前の戦場、火薬の匂いと爆音に包まれた破壊された都市の光景が脳裏に浮かぶ。あれはどこの町だったかな、沢山殺して、沢山破壊して、乾いた風に死臭が混じっていて…多すぎてわからないな。昔、僕が帰る場所は、非人道的な研究所の独房のような個室だったけど…大昔の事だ。僕は、今を生きている。

 

僕は烈くんの目の前から消えた。風の一吹きも起こさず。

 

 

一高のトイレに戻った僕は、端末で時間を確認した。奈良にいたのは10分そこそこだ。トイレの個室にこもるにはちょっと長いけれど、奈良までの往復には不可能な時間だ。

トイレにも廊下にも誰もいない。校庭から部活中の生徒の声や金属音が聞こえる。放課後、部活の時間。料理部の調理室からは部員達の楽しそうな雑談が漏れてくる。

スイッチを切り替えるよりも劇的な、環境と風景の変化だ。常人なら、頭の中が切り替えに着いていけないでパニックになるかも知れないな。

この変化に耐える精神力、脳のタフさを、僕は昔から持っている。単に壊れているだけか…

 

生徒会室には泉美さんが一人残っていた。一高の生徒会も、いよいよ論文コンペに向けて総動員となったわけだ。

 

「あっ、久先輩、ちょうど良かった。私、これから備品の搬入に来た業者さんとの打ち合わせがあって…」

 

学校の備品の管理を生徒会がするって、どれだけ教師陣は怠惰なんだろう…

 

「うん、お留守番しているから、早く行って来て」

 

「お願いしますね」

 

泉美さんがパタパタと、お行儀が悪くない許容範囲の慌てぶりで、生徒会室から出て行った。

僕は、生徒会では特に何もできない。だからお留守番、電話や各役員への連絡係だ。

広い生徒会室に、ぽつんと僕が一人…いや、部屋の隅に気配のまったくない『ピクシー』が立っている。

今は命令があるまでは半待機状態で、文字通り人形のように、物の様にそこにある。

でも、その目は開いている。人造の仮面に開けられた二つの穴にはめ込まれたガラスの瞳が、僕を見つめている。全く瞬きをしないそれは、怖気が走る、不気味なホラーだ。

放課後の、日暮れ前の生徒会室で見つめあう、人形のような顔の『高位次元体』二人…二体?

 

でも、『ピクシー』のその目には感情がこめられている。達也くんを見つめる時は、依存、奉仕、愛情。僕を見つめる時は、畏敬、尊敬、同胞を見る親近感、かな。

『ピクシー』と対面すると、僕は『高位次元体』なんだなって思う。二人の間に言葉は無い。『ピクシー』の羽音のような『声』は研究所の低周波のように僕の心に伝わってくる…

何を考えているのかは、僕には伝わらない。

 

「あれ?久先輩、一人ですか?」

 

「あ、香澄さん」

 

生徒会室は、風紀委員本部と直通階段で繋がっている。風紀委員の香澄さんは、双子の泉美さんが副会長だけれど、あまり気軽には利用しない。生徒会室には先輩が多いし、入り浸っている雫さんは裏番長だし、なにより達也くんが苦手で、一方的に相性が悪い。

今週になって、達也くんは忙しくて生徒会室にはあまりいないけれど、生徒会役員と裏番長の雫さんの全員が出払って、僕が一人でお留守番と言うのは、今日が初めてだった。

 

「風紀委員の見回りは終わったの?」

 

「はい、自分の担当は。何かお手伝いできることはないかなって思って」

 

香澄さんは卓越した『魔法師』だけれど、『七草』でもあるから、コンペメンバーの警護に当てるわけには行かない。泉美さんの警護担当とも言えるけれど、その点でちょっと不満そうだ。基本的に責任感があって真面目だから、学校…生徒会に貢献したいんだと思う。

どこかの半端な副生徒会長も見習うべきだ。

 

「お隣、座ってもいいですか?」

 

「うん、何か飲む?って言っても紅茶か緑茶しかないけれどね」

 

『ピクシー』にお茶を淹れてもらう。流石はメイドロボ(?)。何だか生き生きしているな。生きていないロボットが生き生きしているってのも変だけれど。

僕と香澄さんは並んで座っているけれど、特に会話は無かった。でも、不思議と気持ちが落ち着くのは香澄さんも同じみたい。香澄さんは普段活発なのに、僕の前では少し大人しいのは、僕が騒がしいのが苦手って知っているからだ、と思う。

二人は静かに、作法を守ってお茶を飲んでいた。秋の陽はあっという間に落ちて、外は薄暗くなりつつある。リノリウムの床が朱色に染まっている。

二人きりの静かな時間。香澄さんの顔も少し、赤いな。それにちょっともじもじして…?

 

「あっ、そうだ、さっき料理部で鶏肉の香草焼きの仕込をしたんだ。鶏肉は、一高と契約している畜産農家が自然に育てた肉だから、市販のよりちょっと歯ごたえがあるけれど、一晩浸けておくとすごく美味しくなるんだよ」

 

「それは、美味しそう…久先輩は、料理には手を抜きませんね」

 

「えへへ、すごく美味しくできると思うし、結構量があるから、明日、見回りのついでに料理部に立ち寄ってよ」

 

「そうですね、行きます。楽しみです」

 

香澄さんは機嫌が良いけれど、消化不良を抱えていると言った印象を与える表情だった。出会った頃のぎこちなさは、僕たちの間からすっかり消えうせているけれど、打ち明けたい事があるのに、今の関係も崩したくは無い、でも二人きりの今はチャンス!みたいな?

わからないけれど、僕は微笑をたたえて香澄さんを見返している。

 

半待機状態の『ピクシー』がそんな二人を無表情で見つめている。

 

 

今日、奈良周辺から『伝統派』の指導者は一掃された。これで、周さんは奈良には寄る辺がなくなって、京都から、少なくとも木津川から南には来られなくなったそうだ。

光宣くんの考えでは、京都市内に潜伏しているのでは、だって。

包囲網は狭まり、周さんはかなり追い込まれているはずだ。僕にとって周さんは、そう思い入れがある人物じゃない。達也くんや九島家、そもそも魔法界に迷惑をかけている人物だから、僕にとっても敵になる。なんだけれど、もともと術によって存在感を薄くしていた人物だ。思い出そうとすると、その端整な顔が朧にかすむ。存在感に現実味が無いって言った方が正確かな。状況によっては敵にも味方にもなるって考えの持ち主だった。周さんからすると、僕の行動は、後ろ足で砂をかけられた、と思うかな?けれど、肉体を捨てた永遠、『尸解仙』に至ることが究極の目的と言っていた周さんは、むしろ嬉々としているような気がする。

肉体をすてて『仙人』になる。『高位次元体』に昇華する…そんな事ができるのか、僕にはわからない。『魔法』すら『科学』で実現するこの世界、『精神』すらも思いのままに出来る時代が、来ないとは、僕には断言できない。

光宣くんの『論文』がその端緒になる…のかもしれない。

 




この襲撃で、九島烈は後始末に忙殺せざるを得なくなって、九島家そのものは身動きが取れなくなります。
烈としては、四葉に協力しつつ、長年の懸案を排除できたし、あとはお手並み拝見的な立場です。
光宣は個人の感情で達也に協力します。
周公瑾は光宣当人の事は、あまり知らないので侮っていますから、逃亡時前を塞がれた時は驚きますが、『尸解仙』に至る行程は、ほぼ思惑通りに事が進んでいます。ただ、達也に術を破られた事を除けばですが…


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白いふくろう



「真由美さん!結婚を前提に、達也くんにお付き合いを申し込みに一高まで来たって、本当ですか?」

「ぶぼっ!」

真由美さんが一高を訪れたその日、一高に流れまくっていた噂を、僕は廊下でばったり遭遇した本人に直接尋ねてみた。
可愛い声で変な息を吹き出した真由美さんは、相変わらず漫画チックな動作だ。咳き込みながら、でも、真由美さんの細い腕がにょきっと伸びてきて、

ぐわしっ!

「久ちゃん、ちょっとお話があるの…着いて来てくれる」

僕の顔をアイアンクローで捕まえておいて、着いて来ても無いものだ…
ひっえぁ!痛いです。意外と握力ある…ふえええ!

ひと気の無い階段の踊り場で正座させられた僕は、根拠の無いわけでもない噂の出所を、詳しく詰問されたのであった…僕が聞いたのは料理部の部長さんからだけれど、噂の出所は在校生の三分の二が容疑者だ。
わざわざ一高に来なくても、別の場所に呼び出せばよかったのに、わざと噂にしようと、火に薪をくべたのは真由美さんなのでは、と邪推して…あ痛たたたたた!

「久ちゃん、今度、私のお買い物でも荷物持ちをしてもらうわね!」

「…はい」

真由美さんのこめかみに漫画チックな青筋が…
えーと、姉妹そろってお仕置きが同じって、七草家の伝統なの?
ただ違いはある。真由美さんのお買い物には、僕の女装用コスが含まれているって事だ。その支払いも…はい、僕が払います…





 

先週の土曜日、達也くんや深雪さんは授業を公休扱いにして、京都まで論文コンペの下準備に行っていた。僕は、お留守番だった。

京都に行っていたメンバーは、色々とあったようだ。

詳しい話は、僕は聞いていない。事件は論文コンペそのものには、関係が無かったからだ。

一人蚊帳の外?ハブ?ちょっと違う。京都での探索は、そもそも体力不足の僕では足手まといだし、探知系がいちじるしく弱い僕の出番は、敵を見つけた後の殺戮や破壊にある。

 

京都で、達也くん達の案内役だった光宣くんは、翌日曜日に体調を崩して、響子さんに付き添われて生駒に戻ったそうだ。

論文コンペまでは大人しくして、体調を回復させないと、せっかくの晴れ舞台が台無しだって、メールがあった。京都であった事件は、光宣くんが回復したら、そうだな論文コンペの後にでもゆっくり聞かせてもらおう。

論文コンペでは聴衆は、光宣くんの美貌と論文内容に度肝を抜かれるだろうね。

残念ながら、今年の論文コンペの優勝は二高になりそうだ。

 

その論文コンペに参加する、五十里先輩を主筆とするメンバーおよびその護衛、生徒会役員はコンペの前日にバス移動をした。

九校戦の時に比べると生徒の数は少なかったし、お堅い文科系な発表会に参加するのは知的(?)なメンバーだったから、移動中のバス内は比較的静かだった。

五十里先輩と花音先輩のラブラブな雰囲気と、達也くんの世話を焼こうとする深雪さんの行動に、他の生徒がどう思っていたかは、まぁ人それぞれ。

僕は、東京から京都までの車窓を、無邪気に楽しんでいた。

コンペ代表者には一高の生徒が護衛についているけれど、『戦略級魔法師』である僕の護衛は当然、生徒はしない。一高生徒を乗せた大型バスの後方に目を向けると、護衛の車が二台ぴったりと着いて来ている。

護衛は面倒だし、手間だけれど、これはもう僕にはどうしようもない。ただ、一高生徒の宿泊するホテルはセキュリティーがしっかりしているし、『戦略級魔法師』の公務でもない。

正確には僕はまだ学生扱いだから公務はないんだけれど、護衛は九校戦の澪さんの部屋みたいに、ホテルで立哨まではしない。非常時の対応と、ホテルとコンペ会場の移動時の警戒を主に担当するそうだ。

今回は、他国の諜報員は暗躍しているけれど、戦闘行為に及ぶような工作員は、京都にはいないんだそうだ。だからって油断は出来ないけれどね。そのための護衛だ。

一高生徒の宿泊するホテルは、学生にしては少し高級で、深雪さんの画策?と思ったけれど、ホテルは昔から同じだって。一高の生徒にナンバーズが多いのは、昔からなんだね。ナンバーズはその多くが経済的に豊かで眼が肥えている。

ホテルでは相変わらず一人部屋だけれど、正直言って、論文コンペで僕はすることが無い。名ばかり副会長として参加するだけで、光宣くんが参加していなかったら自宅待機で構わなかった。

まぁ、主宰の魔法協会としては『戦略級魔法師』がコンペ会場入りする事が重要で、コンペに箔がつくらしいから、参加するようにやんわりと協会からお願いされたけれど。

 

一人では寝られない僕は、ちょっと豪華な一人部屋で、朝まで時間を潰さなくちゃいけない。学生の本分は…勉強だよね。せっかくの土曜の夜、コンペに無関係の生徒なら、翌日が日曜日で好きに遊べる時間を、勉強と言うのもアレだけれど、僕の成績はアレだから…

夕方、まだ日没には2時間以上ある。勉強は夜から朝にかけてするとして、夜までの時間は楽に過ごそうと、制服を脱いでデニムとパーカーに着替えた。

観光は興味がないし、レオくんたちは今回は京都に来ていないし、生徒会メンバーは翌日の準備があるから邪魔をしちゃ迷惑だろうから、部屋で大人しく端末にたっぷり入れてきた、アニメのアーカイブを堪能しよう。

アーカイブは、合計時間が…何十時間にもなるから、ちゃんと観る時間を決める。うん、夜からはしっかり勉強をするぞ!学生の本分!

 

…そう思っていたんだけれど。

 

携帯端末から着信のメロディが鳴った。相手は…達也くんか。同じホテルにいるのに?

 

「どうしたの達也くん、あっ晩御飯のお誘い?」

 

「残念だが、違う」

 

ん?いつもの声色じゃない。少し、怒っている。珍しいな…僕、怒られるようなことしたかな…?

 

「誰にも気がつかれずに、指定の場所まで来られるか?」

 

「ん?ホテルにいないの?」

 

送られて来た位置情報を携帯のディスプレイで確認すると、一高とは別のホテルの駐車場に、達也くんはいた。

すぐ行くって返事をするけれど、ホテルのエントランスには護衛の『魔法師』がいる。徒歩で見つけられずに向かうのは、僕には無理。だったら…

僕はドアノブに睡眠中のプレートをかけた。睡眠には早すぎる時間だし、たぶん外出は、それほど長い時間じゃないけれど、念のため。

荷物は…指輪型CADとデバイスのペンダントはいつも僕と一緒だ。今回は携帯端末をポケットに入れる。位置情報が記録されるけれど、これがないと達也くんと連絡がとれない。

そして、『意識』を集中する。すぐに達也くんの『意識』を感じられた。

『瞬間移動』は便利だけれど、達也くんは知らない。だから、少し時間をあけて、怪しまれないように、ちょっと離れた場所に『飛んだ』。建物の影になって、達也くんの死角になる場所に。

 

西の空が朱色に染まり始めていた。

指定のホテルは、特徴の無い平凡な、京都ならどこにでもあるような建物だった。

そのホテルの駐車場に、バイクに颯爽とまたがる達也くんがいた。黒いジャケットにがっしりとしたブーツ。分厚いグローブにフルフェイスのヘルメットを持っている。達也くんは思案にふけっているようだったけれど、でも、僕の現れた方向をじっと見つめていた。何かを『視られた』ような気がする…

達也くんは、護衛の眼をごまかしてどうやってここまで来たのか、と言う疑問、迷わず来られたのか、と言う安堵はおくびにも出さず、

 

「久は周公瑾を知っているな」

 

いつも通り、前置きなしに、きっぱりと言う。時間がないから手短に、だって。

あれ?僕は達也くんに周さんの事を話したことはなかったけれど?誰に聞いたんだろう。

 

「『ピクシー』が、『吸血鬼事件』の時、周公瑾が久に興味を持っていたと。その後、2回、周公瑾の横浜の店に行っていることは調べた」

 

周さんも僕の事を『マルテ』から聞いていたから、『ピクシー』もその知識を共有しているんだ。ただ、自宅前の模擬戦の事は流石に知らないか。

 

「うん、中華料理をご馳走になったよ。僕に興味…うん、周さんは僕に個人的に興味があったみたい。すごく丁寧な対応だったよ」

 

「どのような興味だ?」

 

「うーん、難しいな。周さんは『仙道』を極めようとする術者、道士で、強者との戦いを求めているって」

 

『高位次元体』については…説明がしにくい…僕にだってわからないんだから。

 

「『仙道』?仙人…道術…にわかには信じがたいが、強者か。たしかに久は強いが…『古式魔法師』である周公瑾とは相性は悪いな…将来の強敵と考えていたのか?」

 

「うん、周さんは方位を狂わすことが出来る。真正面からならともかく、隠形で攻撃されたら今の僕は手も足も出ないよ…」

 

達也くんは首を捻るけれど、今はそれは問題じゃないと思考を切り替えたみたいだ。

 

「今回、俺のターゲットが周公瑾だと言う事は、知っているな?」

 

「光宣くんから聞いているよ」

 

「これから、俺は周公瑾を捕縛、もしくは殺害に向かう」

 

「潜伏場所、やっとわかったんだ」

 

周さんは宇治の国防軍駐屯地に潜んでいるそうだ。

予想通り、『強硬派』か『伝統派』の術者の軍人が協力していたんだ。どうりで奈良での事件で国防軍の、それも情報部の動きが早かったわけだ。

 

「ああ、だが戦力が足りない。協力して欲しい」

 

達也くんが、僕に頼るなんて、初めてだ!嬉しい。たとえ周さんが知り合いでも、容赦なく打ち殺すぞ!くくくっ、ごめんね周さん。

僕の小さな身体から、物凄いヤル気…もとい、殺気があふれ出した。思わず達也くんが仰け反るほどの。

 

「いや、久は直接戦闘はしなくていい」

 

それは、残念だ。僕から、殺気がしゅんっと失せる…まぁ僕は隠密行動も苦手だし、被害が大きくなるだろうしね。

 

「それは、俺がする。あと…こちらに向かっているであろう一条を巻き込もうと考えている」

 

達也くんは、自分の手で、もしくは目の前で周公瑾さんを倒すことが目的みたいだ。八雲さんとの修行で鍛えていても、『鬼門遁甲』は、達也くんをもってしても厄介な術なんだ。僕が一緒だと足を引っ張る可能性がある。その点、将輝くんは達也くんにとっては動かしやすいようだ。

 

「将輝くんを?」

 

「とは言え、周公瑾は袋のネズミ、とまでは包囲できていない。想定される逃走経路は多い」

 

僕は『古式魔法師』と相性が悪い。周さんは、方位を狂わす術者だ。僕よりも幹比古くんのほうがこの役目には向いている。ただ、現状で『四葉家』の事情に幹比古くんを巻き込めないんだろう。

将輝くんは…十師族。周さんに対して隔意もあるそうだ。それに、達也くんに関わると、良いように使われる運命だって、九校戦のときに考えたっけ。合掌。

基地の北側から襲撃をかけて、周さんを南に追い込むんだそうだ。

周さんの予想逃走経路は駐屯地から基地正門近くの西に向かう隠元橋、高速道路の高架、南の宇治橋、宇治川上流の白虹橋。

僕の配置は、宇治川の上流の白虹橋。やや山あいで、人里で効力を発揮する『鬼門遁甲』を行使する周さんの逃走経路の可能性としては一番低いって。…なんだ、残念だ。

 

「じゃあ、僕はその橋で周さんを待ち構えて、包囲網を突破した周さんを足止めして、時間稼ぎをしながら達也くんが来るのを待てばいいんだね」

 

「久を危険な目に遭わすのは心苦しいが…今夜中に片をつけたい。いいかげん振り回されるのも面倒だからな」

 

達也くんはいつも通りの無表情で、あまり心苦しそうには見えないけど…違うな、やっぱり怒りを押し殺しているのか。何に対して怒っているのかまでは、僕にはわからない。

『優秀な魔法師』程度が相手なら、僕が何十人敵にしても勝てる事を、達也くんは知っているから、『魔法戦闘』そのものの心配はしていない。僕は『四葉』にも『九島』にもどっぷりだから、余計な説明も不要だし。もっと危険なお願いでも僕は引き受けるけれど、『戦略級魔法師』が、街中でドンパチ『魔法』を使っては、色々とやっかいだよね…

それに、既知の僕がいれば、『高位次元体』の僕がいれば、周さんは素通りはできない。

 

「僕でも時間稼ぎはできる…か。周さんを倒すことは僕には難しいけれど、周さんが僕を倒す事も、かなり難しいから」

 

周さんとは一度『模擬戦』をしている。その時の僕の『魔法』は一切当たらなかった。でも、『サイキック』としての僕は『鬼門遁甲』そのものを『空間』ごと閉じ込めることが出来る。

 

「周公瑾の『魔法』はつまびらかじゃない。周公瑾と対峙した時は、足止めだけで十分だ。俺たちも追っているからな。挟み撃ちだ。連絡が最優先だぞ」

 

今度は、ちゃんと心配してくれている。達也くんも僕の『能力』はつまびらかじゃないからだ。

 

「うん…でも、僕だけじゃ逃走経路は潰せないよね…」

 

「ん?双子も、黒羽の幻術使いも参加するが…」

 

達也くんは少し考えた。亜夜子さんと文弥くんもいるのか…でも、周さんは卓越した、それも相当の実力者。双子はともかく、黒羽の『優秀な魔法師』では太刀打ちできないかもしれない。横浜から京都まで、九島家と四葉家の追っ手から逃げ続けて、一ヶ月間潜伏先を掴ませなかっただけでも、その実力は窺える。

双子の配置は、駐屯地正門前の隠元橋、西への逃走を防ぎつつ、宇治川沿いを上流に向かって進み高速道路の高架下で待ち構える。

達也くんと巻き込まれる予定の将輝くんは駐屯地を襲撃後、すばやく宇治橋に移動して逃走経路をふさぐそうだ。

 

「それだと、周さんが駐屯地で戦闘しないで逃げをうったら、達也くんたちは宇治橋で追いつけないかもしれないね」

 

「襲撃計画は気づかれていないが?」

 

「でも、これまでも紙一重で逃げられてきたんでしょ?『勘』とか『虫の知らせ』なんてのが常人より働くのかも」

 

「『未来予知』か…『未来予知』は現代魔法では実現していない。ただ『直感』は『精神』、『系統外魔法』に繋がる。『精神干渉系魔法』に優れた一部の『魔法師』は、常人よりも直感的洞察力に優れている場合があった」

 

意外な詳しさに、僕は驚くけれど、達也くんの知能は僕からすれば『戦略級』だから、知っていてもあたりまえか。「あった」って過去形の表現は気になるけれど…

 

「じゃあ、もう一人巻き込もうよ。巻き込むって言うか、すでに関係者で、ここで協力をお願いしないと、ちょっとすねちゃうかも知れない…」

 

「光宣か!」

 

達也くんは、はっと気がついた。その考えはなかったみたい。

うん、と僕は頷く。光宣くんは生駒にいる。距離的にも、車で移動すれば、すぐだ。そして、光宣くん以上の『魔法師』を、僕は知らない。

 

「体調は戻っている…むしろ好調らしいから、それはもう、張り切って協力してくれると思うよ」

 

達也くんに了承を貰って、僕は光宣くんに電話をする。光宣くんはすぐに電話に出た。僕は携帯を達也くんに渡して、協力要請と説明を任せた。僕より、達也くんの方が簡潔に説明できる。これで、うてる手は、すべてうった。周公瑾さんは、今度こそ袋のネズミだ。

 

 

日没から、それほど時間は経っていない。今、達也くんと将輝くん、黒羽の一派が国防軍の駐屯地を襲撃しているはずだ。

周公瑾さん一人を捕まえるために、国防軍の基地を襲撃するなんて、達也くんは大胆すぎるなぁ。よっぽど怒っていたのかな。それに、駐屯地襲撃を表沙汰にしないで後始末できる組織力が、達也くんにはある。なんだかんだで達也くんも、『四葉』なんだ。

他にもっと利口な方法はありそうだけれど、僕にはその方法が浮かばない。対案がないなら、達也くんの大胆な作戦に従うまでだ。

 

僕のたたずむ白虹橋は、静かだった。宇治橋から上流に約二キロ、市街地とは異なって、低い山が両側に迫って谷になっていた。

上流側に水力発電用の天ヶ瀬ダムがある。橋から見るダムは迫力、と言うか圧迫感がある。今は夜だから、ダムは薄い暗闇に隠れて不気味だ…僕はダムに背を向けて、コンクリートの欄干にもたれていた。

宇治橋から白虹橋の間には、昔は小さなつり橋がかかっていたそうだけれど、今はない。

10月末だから、山は紅葉前だけれど、冷たい風が谷を走っていた。デニムにパーカー姿だとちょっと肌寒い。長い黒髪が秋の風にそよぐ。

時刻は17時30分を過ぎている。人口減少の時代の市街地から離れたこの橋に人影はまったくない。電動カーもまったく通過しない。街灯も心細い明るさで、むしろ山の暗さをより深くしている。

僕はポツンと立って、足元に転がっていたドングリを拾って、左手でころころ弄んでいた。

こんなひと気のない山間の、夜の薄暗い照明から隠れるように、うら寂しい橋のたもとに立つ僕は、本物の幽霊みたいだ。本物と言うのも変だけれど、人外の化生であることにかわりは無い。長い黒髪で人形のように無表情。通行人が見たら絶対に幽霊かと勘違いすると思う。

そんな冷たい表情で、下流の黒い水の流れを見下ろしていた。

宇治川は水量が豊かだけれど、それほど川幅があるわけじゃない。周さんならこれくらいの川幅は簡単に飛び越えられそうだし、水上を『魔法』で駆ける事も出来そうだけれど、周さんにも得手不得手があるのかな?周さんの美麗な顔を思い出す。記憶に朧にかすむ表情だけれど…

そうか、『爆裂』だ。僕は、唐突に理解した。

達也くんが将輝くんを戦力に加えたのは、将輝くんの『爆裂』で水面そのものを地雷原化して、確実に橋で待ち構える包囲網を構築したんだね。

 

僕は『仙人』は空を飛ぶってイメージがある。『飛仙』って言葉もある。『天仙・飛仙の類は誠に今の世の人及ぶべからず』、だ。

有名な『孫悟空』も『仙人』だ。アニメのじゃなくて、道教の神である『孫悟空』の方。『孫悟空』は十数年の旅と、十年の師匠についての修行で多くの変化の術と不老長寿の秘術を我が物にしたそうだ。

周公瑾さんに師匠がいるのかどうかはわからないけれど、たぶんいたんだろう。『術』、つまり『起動式』は『勘』では作れないから。

『仙人』となった『孫悟空』は無敵で、神々がついに『お釈迦様』にお願いして封じてもらうまで負けたことは無かった。

 

肉体を捨てて、『精神』だけの存在になること、か。

 

『健全な精神は健全な肉体に宿る』

 

けだし名言だ。本来は『肉体』と『精神』は一体で、分離できない。それを長年の修行と術で可能にするのが『仙道』なのか。『仙人』の格付けだと、肉体を保ったままの『天仙』、奥山で自然と共にあるのが『地仙』、肉体を失った存在が『尸解仙』の順になるんだって。順位はともかく、どれも人間をやめた事にはかわりがない。

『仙人』、肉体を保ったまま、自然、もしくは地球その物と一体化して『永遠』になる存在。地球の寿命は人間からすれば『永遠』に近い。

この世界にいる僕は、人間の時間感覚では『高位』と一体化した『永遠』だから、ある意味『仙人』と同じだ。別の言葉なら『神』。それも、『死をもたらす神』だ。

ただ、『高位』から降りてきているから『昇仙』の逆だ。『堕落』とはちょっと違う。『高位』が楽園かどうかは不明だけれど『失楽園』かな?

『ピクシー』は、『降臨』って言っていたけれど…ようは人間じゃないって意味だ。

 

『永続する魔法は無い』。これは『現代魔法』の最大の法則。聳え立つ壁であり、限界だ。僕も『高位』からエネルギーを補充し続けることで、ある意味『魔法』をかけ続けて『肉体』、『入れ物』を作っている。『精神』は単体だと、空気に溶けるようにその存在が薄まっていく。『パラサイト』がそうだったように。

『パラサイト』は『魔法』の法則からは、やや逸脱しているけれど、『三次元の法則』からは抜け出せない。『意識』だけでは存在を保てない。『入れ物』と『エネルギー』、つまり食事も必要だ。

『ピクシー』の栄養は、本体のホームメイドロボットの電源なのかな?電気は美味しくなさそうだ。

肉体を失った『尸解仙』はどうやって『意識』を保っていくのだろう。『パラサイト』と同じで、何か人型のモノ、もしくは人間そのものに宿る必要があるのか、『尸解仙』に入れ物は必要ないのか。『高位次元』から現れた『パラサイト』と、三次元から『高位』にたどり着こうとする『尸解仙』はやはり別な物なのかな…うぅん、わかんないや。わからない事だらけだ。これが知りたがりの八雲さんなら懊悩するところだろうけれど、僕はお馬鹿さんだから、そんなことにはならない。

はぁ、と息を吐く僕の小さな身体は、しぼんで行きそうだ。

ますます、儚げで、人間じゃない、狐狸妖怪のたぐい?やっぱり、幽霊に見えるかな?

幽霊は人の弱さが生み出す幻影、『幽霊の正体見たり枯れ尾花』。

 

僕は、暇な時間を、ドングリと無意味な思考で過ごしていた。

 

意識を下流に向けると、花火みたいな音がぽんぽんと聞こえてきた。隣町の花火大会を耳だけで聞いている気分だ。少しタイムラグがある。

一際大きな爆発音がして、谷で反響した。宇治橋で何かが爆発したのかな?宇治橋には光宣くんが詰めている。光宣くんは案外容赦ないから、派手に『魔法』を使っているのかな…

宇治の山が鳴動して、ネズミが一匹驚いて出てくる?

 

 

 

 

「私は、滅びない。たとえ死すとも、私は在り続ける!」

 

「一条、下がれ!」

 

「ハハハハハハハハハハハハ…」

 

火が消えた後には、骨も残っていなかった。

 

「周公瑾は本当に死んだのか?」

 

「逃げられてはいない。間違いなく、周公瑾はあの炎の中で燃え尽きた」

 

達也は将輝の顔を見ていなかった。彼の眼は、宇治川の上流に向けられていた。

 

 

 

 

しばらくして、爆発音から、ほんの数分だったけれど、白い、何かが、ふわりと風に乗るように、僕のほうに向かってくる事に気がついた。

羽音を一切たてずに飛ぶ、鳥がいる。

 

「ふくろう?」

 

そう思うと、白い何かは、ふくろうの形になった。少なくとも僕にはふくろうに見える。別の人がここにいたら、別の何かに見えているのかもしれない。

僕はちゃんとそれを見ようと、橋の中央に移動した。

それは周公瑾さんの『鬼門遁甲』のように、つかみどころのない、全体を把握しにくい、感覚を鈍らす、人外のモノだった。

 

その白いふくろうが下流から、狭まった谷あいを飛んでくる。

『吸血鬼事件』の時、一高裏の人工林で、肉体から抜け出した『パラサイト』を、『意識』だけになった存在を、僕は見ることが出来なかった。

あれを見ることができたのは、達也くんと、達也くんと繋がった深雪さんだけだった。

僕が見ているのは、何だろう。僕には『精神』は見えないのだから。これは『高位次元体』の力の残りかすなのかな…

あのモノが、『尸解仙』となった周さんだとしても、僕には判別がつかない。『ピクシー』ならわかるんだろうか?

ただ、『精神』を攻撃できる『魔法』は僕には無い。

『尸解仙』となった周さんは、もはや周さんじゃないとも言える。少なくとも人間じゃない。

『孫悟空』は『お釈迦様』の掌で踊っていた。僕が『神』なら、周公瑾さんも、僕の掌で踊ることになるのかな?僕の小さな手では無理だけれど。それとも『人が作りし神』である達也くんの掌の上かな?

僕は、ぼんやりと考えている。

暗い谷あいに、白い小さなモノが漂っている。それは、どこか哀れを誘う光景だ。

ふくろうは、僕に近づくと高度をさげて、僕の頭を掠めると、背後に飛びすぎていった。

ふくろうを追って、僕が上流に目を向けると、立ちふさがるようなダムの威容が視界に飛び込んでくる。コンクリートの無機質な圧迫感が落ち着かない。

ふくろうはダムを軽々と飛び越えて、やがて、夜の暗闇に融けるように消えていった。

 

ふくろう…違うな、あれはまるで『魂』…『人魂』だったのかも。

…幽霊?

幽霊に会ったのは、僕の方かな。

せせらぎと風の音。木々のこすれる音。ざわざわと、静かだった谷間が騒がしい。

それは、僕の鼓動なのかもしれない。

 

周さんの『昇仙』は、時間をかけて準備をしてきたんだと思う。1年や2年の準備じゃない。それこそ、これまでの人生をかけて行われてきた修行だ。20年?30年?もっと?

もし、僕が、今のこの肉体を失ったら、どうなるのかな?『精神』は霧散するか、入れ物を失った『高位』のエネルギーがこの世界にあふれ出てくるのかな?

あの頼りない白いふくろうは、まるで僕自身の姿のようだった。頼りなく、儚げで、寄る辺が無い…

 

秋の乾いた風に、髪をなびかせながら、奇妙な不安…いや、『予感』を僕は感じていた。僕に『予知能力』はないけれど…この不安感はなんだろう。

僕は、視線を星明りの瞬く夜空に向けた。

 

白いふくろうの行方を、僕は知らない。

 

 

 

 




今回、超難産で、どうやっても久が京都での達也やレオたちの戦闘に関わってくれなくて…
ならいっそ、京都の話は飛ばしてしまおうと切り替えました。
いつも通り、原作の行間で暗躍させようと、古都内乱下巻の殆どの部分を割愛!
まぁ、原作部分はすっ飛ばすのがこのSSだったと思い出しました。


原作中に橋の名前は出てきませんが、ヤフー地図をみると宇治には自衛隊の駐屯地がちゃんとあって、描写どおりに宇治川に橋がかかっています。
宇治橋で光宣が、周公謹の乗る車を爆発させます。光宣の登場は唐突で、それ以前に達也と打ち合わせをする描写はありません。
部下との会話だと、自分勝手な行動っぽいのですが、駐屯地襲撃の情報はどこから仕入れたんだろう?タイミングが良すぎる登場でした。
疑問に思ったので、久の提案で待ち伏せしてもらうことにしました。
帰宅ラッシュ時に宇治橋の車道に立って、『魔法』をいきなり使う光宣。クワバラクワバラ。

そして、久にとっては、運命の四葉継承編です。
遣り残した宿題をこなしつつ、真夜の狂気に晒され、ついに12月31日に…

今後はちょっと時間がかかると思いますが、エタったりはしないで頑張ります。


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壬生紗耶香

エタってないですよ。


「くちゅん!」

 

論文コンペが行われた京都から帰宅した日曜日の夜。練馬の自宅でリビングのソファに座っていた僕は、

 

「くゅちゅっん!」

 

身体が熱っぽくて、くしゃみが止まらなくなっていた。自分でも思うけれど、可愛いくしゃみだ。

僕は起きているうちは『回復』で体調は改善されている。病気にかかったことはこれまでに一度も無かった。

でも、何と言うか、気力が抜けたとでも言うのだろうか、『病は気から』とも言うし、要するに…

 

「風邪をひいたのね」

 

ジャージ姿の澪さんが僕の額に手を当てる。澪さんの手は冷たくて気持ち良い。

 

「あら、澪さん、それじゃぁ熱は測れないわよ」

 

「え?」

 

響子さんが小悪魔的笑顔で、澪さんを押しのけると、風呂上りの、良い香りのする身体を少しかがめた。薄いシャツから谷間が見える。ドキッ!

 

「くすっ」

 

響子さんの笑顔が僕の呼吸がかかる距離にまで接近する。

左手で自分の、右手で僕の額の髪の毛をそっと上げると、響子さんの額が、僕の額にぴったりくっついた。額だけじゃなくって、鼻の頭もくっついている。

 

「きょっ響子さん?」

 

「動かないのじっとして」

 

響子さんの眼から、視線を外せない。知性と稚気が混じった瞳に吸い込まれる…

鼻の頭以外に、柔らかい胸もむにむに当たっているよ。もしかして、下着つけてないの!あっボタンが外れて、シャツが肩からずり落ちて…うん、わざとやっている。

ますます熱が上がりそう。ドキドキ。

そんな僕の態度に、響子さんはにんまりする。ああ、ストレスが溜まっているんだね。

 

響子さんの帰宅も、僕と同じで日付がかわる頃だった。デスクワークが基本の響子さんは土浦の基地からでも、いつもは19時には帰ってくる。

周公瑾さんの逃亡を手助けしていたのが、宇治駐屯地の軍人だったこと、

昨夜駐屯地と周辺で爆発騒動が起きて(報道では単なる事故で済まされていたけれど)、国防軍が蜂の巣を突いたような事態になっているだろうから、響子さんも表情は少し暗い。

そりゃ、自分と同じ部隊に所属する達也くんが駐屯地を襲撃した張本人なんだから、ストレスも溜まるはずだ。

しかも、弟のような光宣くんが宇治橋のど真ん中で『魔法』をぶっ放して、周さんが逃走用に乗っていた自動車を爆破しているし…これくらいのいじわるは…我慢だ。ドキドキ。

僕はと言えば、その時、宇治川の上流で、晩秋の冷たい風に一人吹かれていた。

寒冷化時代の晩秋だ、デニムにパーカー姿の僕は、身体は頑丈ではないし、白いふくろうの姿は儚げで幽霊のようで、僕の魂も少し持っていかれたような気分になった。

土曜の夜は、一高定宿のホテルで寝ないで勉強とアーカイブを見ていたし、コンペ後の帰りのバスではうとうとしていたけれど、嫌な夢は見なかったから、その頃から調子が悪くなっていたんだ。

そういえば、帰りのバスの中は静かだったな。優勝を逃した五十里先輩が落ち込んで、花音先輩が大人しかったからなんだけれど…

 

「響子さん!いじわるはそれくらいで。うぅん、38度3分…久君は平熱が低いから、普通よりは高熱ね」

 

僕が発熱しているのは、一高の保健医の安宿先生でなくとも簡単にわかる。

澪さんが念のため体温計で熱を測ってくれた。僕の平熱は36度ない。人間、体温が2℃も上昇すると結構きつい。でも『回復』のおかげかそれほど身体は辛くない。

まぁ僕だって、たまには風邪くらいひくよね。何だか、普通の人間ぽくって、奇妙な気分だ。体調が悪いのに、ちょっと嬉しい。

 

「ん、平気だよ、たいして辛くないから、明日は学校に行けるよ」

 

「「休みなさい!」」

 

二人の声が綺麗にハモる。はい、お休みします。

美女二人が、甲斐甲斐しく看病してくれたし、『回復』もあって風邪は一日ベッドで横になっていたらすぐ治ったけれど、こう言う時の澪さんは僕にすごく甘いから、もう一日お休みをする。火曜日は二人してただの引きこもりだった。その間、家事をさせてもらえなくて、落ち着かなくて、普段しない場所の掃除をし始めて澪さんに怒られるのも、毎度の光景だ。

 

水曜日、すっかり体調も良くなった僕は、足取りも軽く一高に向かう。

コミューターで最寄り駅まで向かって、キャビネットに乗り換えるんだけれど、

 

「あれ?」

 

先週まで沢山いた、珍獣(僕だ)見物のギャラリーが全然いない。キャビネットの順番待ちの列に並ぶ僕に視線を向けてくる市民はちらほらといるし、魔法協会が雇った警備と警察官は、緊張感を持って鋭い視線を周囲に向けているけれど…何があったのかな。別に芸を見せるわけでもないし、一ヶ月程度の騒ぎだって言われていたから、まぁ、珍獣見物も飽きたんだと思う。

自分の番になってキャビネットに乗る。一高前駅までの往復のICカードをキャビネットの読み取り部に水平にかざすと、ウィンドウの隅に行き先が表示された。一高前駅。キャビネットは静かに発進する。キャビネット内は一応、安全だ。僕もなけなしの警戒感を解く。

 

流れて行くいつもの風景をぼうっと見つめていたら携帯電話が鳴った。

僕が名ばかり副会長になってからは一高前駅で達也くんや深雪さん、水波ちゃんとは待ち合わせをしている。今日は病気も治ったから登校することは昨夜メールで知らせてある。その待ち合わせの事かなって、端末のディスプレイを確認すると…

 

「あっ、『真夜お母様』からだ!」

 

電話の相手は『真夜お母様』だった。もしもしと、僕は元気良く電話にでて、朝の挨拶をかわす。『真夜お母様』のお声は、今日も素敵だ。どこで、どんなお姿で電話してくれているんだろう。僕は右手薬指の指輪を見つめながら、『真夜お母様』の事を想像する。

 

「今回は達也さんのお手伝いをしてくれたそうね。ご苦労様」

 

「ううん、僕は橋の上でぼうっと立っていただけで、何もしていません」

 

もっと、達也くんや『四葉』のお手伝いをしたいけれど、僕の立場では簡単じゃない。僕は『九島』側の立ち位置だ。今回は利害が一致したけれど、『四葉』のお仕事に僕は深入りできない。同じ十師族として『四葉』と『九島』が仲良くなればって思う。僕の存在が橋渡し、鎹になれれば…

 

「でもそのせいで風邪をひいたんでしょう?」

 

風邪で休んだことも知っているのか、さすがは『お母様』だ。いや、『お母様』なら子供の体調を知っているのは当然だ。

 

「季節の変わり目だったから、たまたまですよ」

 

「そう?ウチの経営するスパで療養なんていうのもいいけれど?」

 

「あっ、行きたいです。『真夜お母様』にもお会いしたいし…」

 

「夏に会っているけれど、そうね冬休みにでも五輪澪さんと一緒に来るといいわ」

 

「いいんですか!?」

 

「ええ、この国を護る『戦略級魔法師』お二人の緊張をほぐすのも『十師族』…、いえ久の『お母様』として当然ですもの。澪さんには清里の温泉に行くって誘いなさい」

 

『四葉家』の場所は秘密にされている。他の『十師族』も具体的な場所は知らないそうだ。もっとも烈くんや『電子の魔女』は知っていると思うけれど。清里は『四葉家』の本拠地のすぐ近く、勢力範囲内だ。

『四葉家』はさまざまな収入源があるそうで、清里にある高級リゾートスパもそのひとつ、大きなホテルじゃなくて一日数組限定の隠れ里みたいな宿だって。

僕としては、『真夜お母様』のお家の温泉に行きたいけれど。

 

「響子さんも誘って良いですか?」

 

「いいわよ、でも藤林さんは、お仕事で来られないでしょうね」

 

今の時代、年末年始に休日というのは公的機関、とくに防衛省や国防軍にはないんだそうだ。世界は動乱期だし、社会人は大変だなぁ。

その点、澪さんは自由業(ひきこもり)だから、スケジュールさえ事前に決めておけば、日曜も平日も関係ない。

『戦略級魔法師』として重圧に耐えている(そうは見えないけれど)澪さんに温泉宿でリラックスしてもらうのも国策に適っているよね。

入浴以外は、持ち込んだアーカイブを見て部屋に引きこもると思うけれど。

大きなテレビのある部屋だといいなぁって、澪さんの泊まる部屋は大概超スィートルームだからその心配は無用だ。

ただ、冬休みまでは二ヶ月もある。

 

「そうねぇ、それじゃ、お礼とお詫びを兼ねて良いものをプレゼントするわ」

 

メールの着信音。添付ファイルがある。携帯端末のディスプレイに、今度の日曜夜、都心にある遠月レストランのディナーのペアチケットが表示された。

 

「これは?」

 

「『彼女』とのデートに使うと良いわ」

 

彼女って何のことだろう…誰のこと、かな?

 

「『真夜お母様』と行きたいです」

 

「あら?私が良いの?でも、その日は用事があって行けないの。好きな娘と行って来なさい…」

 

「好きな子はいないけれど…?」

 

あっ、でも、これまでいろいろあって果たせていなかった香澄さんとのお買い物の約束があった。香澄さんには迷惑をかけているから、このお食事は香澄さんと行こう。

 

「ありがとうございます、『お母様』!」

 

「楽しんでいらっしゃい」

 

その時、『真夜お母様』がどんな表情をしていたのかは、当然、僕にはわからない。

 

 

一高前駅でキャビネットから降りる。ここで達也くんたちと待ち合わせをする。

何十人もの一高生徒が次々とキャビネットから現れて、一高に向かっている。顔見知りは…

あっ、香澄さんと泉美さんがいる!双子も僕に気がついた。つい数週間前なら、物陰に双子を警護する名倉さんがいた。でも今は別の警護がいる。顔見知り(双子に紹介された)だけれど、一応の警戒として、今頃、僕の存在に注意を向けているはずだ。

 

「香澄さん、泉美さん、おはようございます」

 

僕の声が、意外と大きくキャビネット乗り場に響いた。

二人にむかってとてとて歩く僕は、ふと、駅前の風景がこれまでと違うことに気がついた。

先週まで警察の手を煩わせていた、僕を見物する数百人のギャラリーの姿がなくなっていた。いなくなったわけじゃないな。今朝は20人程度が、こちらを遠慮気味に窺っている程度に激減していた。土曜まで、4日前との劇的な違いに、きょとんとする。二日学校を休んだだけで、いなくなるものかな?

 

「おはようございます、久先輩」

 

「おはようございます、久先輩。体調は…よろしいみたいですね。どうしたんです?」

 

香澄さんが僕の挙動に不審を抱いた。

 

「うん、あんなにいた観客が今日は全然いないなって思って」

 

「ああ、月曜日から来なくなりましたね」

 

「ひょっとして、寂しいんですか?」

 

香澄さんが、ジト目で、少し不機嫌になった。

 

「違うよ、むしろ、ほっとしているよ。これで衆目を気にしなくて…まぁ僕は引きこもり…あっそうだ、だったらちょうどいい」

 

僕は香澄さんに、延び延びになっていたお買い物の約束の話をする。さらに、ディナーの招待の話をすると、こちらも劇的に機嫌が良くなった。

じゃあ日曜日買い物に、と素直には決まらないのが、僕達の立場だ。香澄さんと約束をとりつけると、僕も香澄さんも関係各所に連絡をすることになる。

香澄さんは『七草家』御令嬢として、僕は『戦略級魔法師』として、いろいろと手配が必要だ。普通の高校生ならプライバシーの問題で悩むところだけれど、香澄さんは、それが日常だ。

香澄さんは、名倉さんの事件以降、少し考えがちになっていた。またぞろ、父親が画策していたんじゃないかって。

ただ、土曜日、犯人が『逮捕』されたって真由美さんに教えられて、泉美さんともども落ち着きを取り戻していた。香澄さん的にも僕とのお買い物は気分転換になるんじゃないかな。

僕は、荷物持ちには頼りないけれど、香澄さんのその機嫌の良さは、達也くんと合流してもかわらなかった。地に足がついていない。そんなに遠月のディナーが楽しみなのかな。僕もディナー楽しみだ。僕は色気より食い気だ。

 

今朝は達也くんと深雪さん、水波ちゃんに、双子に僕のメンバーで一高までの通学路を歩いていた。達也くんに観衆の話をすると、

 

「論文コンペでの光宣のデビューが鮮烈だったからな、世間の注目は今は光宣に向いている」

 

なるほど。論文コンペでのプレゼンは、当然、全国にも中継されているし、情報端末でもいつでも映像は見ることが出来る。

魔法師の歴史においても光宣くんの論文は画期的で、しかも『系統外魔法』は世間からすればオカルトの類で関心が高い。

本来ならコンペは九校戦よりも関心が低い、というより殆ど関心をもたれない。

同じように論文で有名になったジョージくんが『重力系』で玄人受けするのに対して、一般受けする論文の、神秘的で、目に見えないものを見えるようにする内容は、光宣くんの容姿とあいまって、今、世間の話題を集めているそうだ。

なるほど、見た目が男の娘の僕よりも、絶世の美少年の方が人気が出るしね。所詮、世間は『戦略級魔法師』という存在意義ではなく、肩書きや上っ面しか見ていない。むしろ、この距離感が通常で、世間の『魔法師』への誤解や不安に繋がっている。

今頃、二高の通学路には、黄色い悲鳴が上がりまくっているんだろうな。

僕に対する世間の興味なんて、秋の団扇のように、簡単に忘れられる程度の興味だった。おかげで僕は通常の学生生活に戻れるわけだ。

だからと言って油断は禁物だけれど。自分の身は、大切な人は、自力で護らなくてはいけない。

 

 

魔法科高校は、入学式、卒業式、九校戦と論文コンペしか行事が無い。だけれど、部活動がある以上、当然、対外試合や大会がある。魔法系も非魔法系の部活もだ。

11月にはさまざまな部活動の大会が行われていた。秋…いや、初冬のこの時期は、三年生が引退して、二年生と一年生が主力になる大会だ。

魔法科高校の生徒は部活動に熱心だから全国大会ともなると、その力の入れようはかなりのもので、放課後の部活時間中、校内のあちこちから怒号じみた歓声や『魔法』による爆発音が起きていた。

大会の結果は、部費に反映されるから、みんな必死だ。ちなみに、料理部に試合は…ない。でも、料理部は所属人数が多いから(半分は幽霊だけれど)、部費は潤沢だ。

試合会場への移動は、個人でなら公共交通機関を利用するけれど、団体での場合はクラブからの要請で、生徒会がバスの手配をする。引率の教師は、当然、いない。

情報のやり取りは、基本、校内端末で行う。

他の情報と混線なんて事はまずないけれど、人的なミス、入力ミス、勘違いの類はあるから、どう考えてもおかしな要請は生徒会からクラブまで人をやって確認を取る必要がある。

特に、秋から初冬の大会は三年生が引退をして、後を引き継いだ不慣れな部員が入力をするのでミスが多いんだそうだ。

 

一高の剣術部は団体で東京都代表として全国大会に出場が決まっている。魔法競技の剣術は競技人口が少ないから、高校生以下の大会は、大概魔法科高校の部活が県の代表になるそうだ。

大会会場は九段下の武道館に併設された体育館で、武道系の『魔法』競技の全国大会は多くがここで開催される。

荷物もあるので試合当日の朝、一高に集合してからバスでの移動になるそうだけれども、要望のバスの座席数を確認すると、部員数よりあきらかに多い。

引退した三年生が応援で一緒に会場入りするのは問題ないけれど、こちらは自由参加だから、それを考慮に入れても数が合わない。

 

「三年生も全員、一高に集合してからバスで移動する事にしたのかなぁ?」

 

生徒会室でバスの手配を担当していたほのかさんが疑問の声をあげる。

 

「これは、現役の剣道部員も数に入っているのかもしれないな」

 

「剣道部も…当日試合はありますが…全国大会に出場した選手は壬生先輩が引退した後は…ああ、応援ですか」

 

深雪さんが頷く。剣術は『魔法』と剣道を足したスポーツで人口当たりの競技人数は当然、剣道よりも少ないけれど、『魔法師』には人気の競技だ。剣術の術は術式の術なんだそうだ。

大学や警察では必須の技能だから、成績上位者ともなると卒業後の進路にも影響がある。

剣道は『魔法』を使えない一般人も出来る競技だから、全国的には競技人口は剣術より多いけれど、『魔法』が使える魔法科高校ではそれほど盛んじゃない。

壬生先輩…あぁ桐原先輩の恋人だ。九校戦のシールドダウンの練習中、桐原先輩を一生懸命応援していたし、コンペの時も警護担当だった。

僕との接点はあまりなかったけれど、剣道部員だったんだ。剣道部と剣術部の関係は去年の一時期までは険悪だったそうだけれど、部長同士が恋人だから、今ではすっかり仲が良いそうだ。

そんな事をぶつぶつ考えていると、達也くんが立ち上がった。

 

「俺が闘技場に行って確認してこよう」

 

端末で確認すれば良いのではと思うけれど、口頭でやり取りした方が、新しく部活の幹部になった生徒の錬度も上がるかもしれない。

京都でのコンペが終わって、生徒会も余裕が出来ていた。

足手まといの僕が生徒会室にいるのは、月曜と火曜日の放課後に生徒会室で行われたコンペの反省会に参加していなかったから、そのレポートを読まされていたんだ。反省会は、五十里先輩とあーちゃん先輩がそれはもう落ち込みまくっていてお通夜みたいだったそうだ。参加しなくてよかった…そもそも光宣くんと正面からぶつかって勝てるわけがない。理論も『魔法』もだ。

僕が光宣くんの参戦を黙っていた…のは仕方がないよね。

ちなみにレポートを僕が読んだ所で…と言う意見は、深雪さんの視線に封殺された。

 

達也くんが携帯端末を片手に立つと、「では、私も…」と深雪さんが着いて行きたそうな表情をする。留守番の子犬みたいだ。

深雪さんは、いつも一緒なのにちょっと離れるだけでもこんな表情になる。ちょっと過敏すぎるのではと思うけれど…ん?その表情は、これまでよりもどこか憂いが深い、気がする。

僕は深雪さんの表情を読むことに関しては、達也くんレベルかそれ以上だと勝手に自負している。深雪さんは、なにか悩み事があるのかも。それも人に言えない類の悩み。

達也くんは、そんな深雪さんを一瞬見つめた。達也くんも、当然ながら深雪さんの変化に気がついている。

奇妙な空気が生徒会室に満ちる。またか、と僕も小さな身体をさらに小さくしてレポートに集中、空気に巻き込まれないように避難する。

この生徒会室はいつもこんな感じだ。思春期の男女が狭い部屋に集まっているのだから、色々な感情が湧き上がるんだろうけれど…

副生徒会長の泉美さんの肩が少し落ちる。泉美さんは深雪さんの信奉者だけれど、この雰囲気だけは許容できないみたいだ。

水波ちゃんは、その雰囲気を極力無視して、自分の作業をしているし、ほのかさんは「だったら私がついていく…チャンスかも」とか考えて、椅子から腰が浮きそうになっている。雫さんは、現在校内の見回り中だ。『ピクシー』は壁際で、無表情。低周波のような羽音が、僕の『精神』に時折響くけれど、何を思っているかはわからない。

恋愛感情は理解できないし、思春期でもない僕は、何とかこの雰囲気から脱出する手段はないかと考える。

達也くんの視線が、すぅと僕に向けられた。

 

「久も一緒に来てくれないか」

 

「ん?僕?」

 

その僕の逃亡の手助け…を達也くんがしてくれるわけが無い。こう言う時の達也くんは非情なのだ。いつもなら僕はこの場に残されて、深雪さんのストレス発散人形になる…

僕は生徒会役員らしい仕事は免除されている。僕の一番の役割は、深雪さんのストレス対策だ。達也くんは無駄なことはしない。僕を連れ出したいわけがあるんだ。

深雪さんも、すぐにそれを察する。深雪さんが恋する(?)妹から、生徒会長モードに切り替わった。それだけで、生徒会の雰囲気が一変した。

光宣くんもそうだけれど、存在感のある人物は周囲への影響が強すぎる。その点、普段牙を隠している僕は、存在感が微妙にない。

 

「ん、わかった。じゃあ、僕はそのまま料理部に戻るね」

 

端末のディスプレイを消して、達也くんに続く。

 

「久」

 

「何?深雪さん」

 

「そのレポートは、ちゃんと全部、目を通すのよ。明日も、生徒会室に来るのよ」

 

重要なレポートは生徒会室の端末から外に持ち出すことができない。僕が、レポートを全く読んでいなかった事を、深雪さんはこれまでの経験から気付いている。

この雰囲気の生徒会室は、遠慮したいんだけれどなぁ。風紀委員長の幹比古くんが、雫さんと違って近寄らないのはこのせいだ。

 

生徒会で名ばかり副会長の僕は、達也くんの後ろについて剣術部のある第二小体育館に向かう。

達也くんは背が高いから、後ろを歩く僕の視線には大きな背中しか見えない。相変わらず背筋を伸ばして、前をしっかり見ながら歩くなぁ。

でも、僕の歩く速度にあわせてくれる気遣いは、いつものことだけれど、嬉しい。

達也くんは僕から話しかけないと、基本無口になる。その灰色の脳細胞で色々な事を思考しているんだ。僕のポンコツ脳とはレベルが違う。

ふと、ひと気がなくなった渡り廊下の入り口で、達也くんが立ち止まった。僕も立ち止まる。振り返って僕を見下ろす達也くんの表情はいつも通り、無い。

 

「久は、どうしていつも俺の後ろを歩くんだ?隣を歩けばいいだろう」

 

「え?だってそこは深雪さんの居場所だよ。僕のじゃないよ」

 

深雪さんが聞いたら悶えるような台詞だけれど、僕はいつもそう考えているから、すっと言葉になる。

 

「そうか…」

 

達也くんは、少し考えた。さっきの深雪さんの態度についてだと思うけれど、そんな達也くんの顔を、僕はじっと見ている。

僕は人と会話するとき、決して視線を逸らさない。じっと、相手の目を見つめている。相手の表情を読もうとする実験動物時代からの癖だ。

これが香澄さんや水波ちゃんなら視線を先に逸らすけれど、達也くんはじっと僕を見つめている。僕も瞬きひとつしないで負けじと見つめ返す。

放課後の高校の、渡り廊下で見つめあう二人…変なシチュエーションだ。でも僕は達也くんの言葉をじっと待っている。

 

「論文コンペが終わって、ここの所、俺にも余裕が出来た。久専用にFLTが贈った『光の紅玉』用CADの調整をしようと思う」

 

一息に言った。それだけの事を、わざわざこのタイミングで?って疑問はあるけれど。

 

「うん、あのCADは達也くんに調整してもらいなさいって『真夜お母様』にも言われているけれど…学校でするの?」

 

「いや、俺の自宅でするから、明日、CADを持って俺の家に来てくれるか?」

 

調整を達也くんのお家で?達也くんのお家は一度行ったことがあるけれど、玄関と広いリビングにしか入っていない。

やたらと大きなテレビがあったけれど、『真夜お母様』が招待してくれる清里の宿にも、あれくらい大きなテレビがあるといいな。

 

「ん?それだと放課後、家に一度帰ってからCADを持ってきたほうがいいかな、学校に『ルビー』を持ってくるのは、問題だよね」

 

『戦略級魔法』を使える、危険なCADを学校に持ってくるのは、さすがに問題だし、保管場所にも困る。

 

「そうなるな。では明日、来られるか?」

 

「うん、深雪さんのお邪魔をするのは悪いけれど、お邪魔するね」

 

「それは…まぁいい」

 

明日、達也くんの家に行く事になった。達也くんのお家も、僕の自宅くらい大きかったけれど、CADの調整はどうやるんだろう?

 

小体育館の闘技場からは、小気味いい軽快な音と、生徒達の気迫のこもった声が聞こえてきた。僕は達也くんにくっついて闘技場まで来ていた。別に生徒会の仕事は達也くんに任せればいいんだけれど、何となく深雪さんに怒られそうだったから…

闘技場は板張りで、靴のままあがってもいいんだけれど、達也くんはきちんと靴下まで脱いで裸足になって入ったから、僕もそれにならう。

闘技場には防具をつけた生徒が沢山いた。現代科学の頂点にある魔法科高校で、剣道の防具は妙にアナログだ。その中に桐原先輩と、並んでポニーテールの壬生先輩もいた。桐原先輩は面は外して、木刀を杖のように両手でついて、鋭い眼光で道場を睨みつけている。壬生先輩は胴着姿で防具はつけていなかった。

 

「おっ、司波に、多治見じゃねぇか。司波はともかく、多治見は道場に来るのは初めてじゃねぇか?」

 

「桐原先輩は引退したはずですが…練習相手ですか?」

 

「まぁな、俺を相手に練習するのが一番だからな。まぁ俺も受験勉強の息抜きだ」

 

受験勉強…嫌な言葉だなぁ。勉強って、『勉めを強いる』って書くんだよ。

 

「壬生先輩も?」

 

「ええ、剣道部は全国は逃したけれど…」

 

「練習相手には全国でも屈指の実力者の壬生先輩はうってつけですからね」

 

二人一緒にいたいんですね、と言う言葉を僕は飲み込んだ。コンペに向かうバスの中でも隣同士だったし。多分、受験勉強も一緒なんだろうな。

僕が闘技場に来たのは初めてだ。魔法科高校の劣等生のSSで壬生先輩がここまで全く出てこなかった作品も珍しいよね。

達也くんは端末を片手に桐原先輩に確認を取り始めた。達也くんの指摘どおり、剣道部の部員も応援でバスに同乗する予定なんだそうだ。ただ、その説明が全く無かったので、桐原先輩が新部長を呼び出した。新部長は達也くんを前にちょっと萎縮している。達也くんと自然に会話できる生徒は、少ない。とても同い年に見えないし、その声にも迫力があるからだ。桐原先輩が苦笑交じりに間に入って打ち合わせを始めた。

その間、僕は壬生先輩と並んで闘技場を見学していた。

剣道は、身体と技と精神力を鍛える競技で、勝ち負けも重要だけれど、礼儀をより重んじるんだそうだ。

試合に勝ったからって、ガッツポーズなんてすると勝利を取り消されたりするんだそう。

剣道部は竹刀で、剣術部は木刀と『魔法』を使うけれど、両部合同で練習する時は『魔法』は封印して、足運びや間合い、呼吸の確認をしているって、壬生先輩が説明してくれる。

壬生先輩は説明の間、僕の視線に合わせて腰をかがめてくれている。あまり僕の周りにはいないタイプの、『魔法師』というよりも、年相応の部活少女みたいな雰囲気だ。

その壬生先輩の持つ竹刀に目を向ける。木刀は当たると痛いけれど、これも竹の棒だから当たると結構痛そうだ。何でも歴史上の達人は、この竹刀で分厚い板どころか兜も断ち割ったとか。

 

「壬生先輩も相手の防具を突き破ったりするんですか?」

 

「まさか私の腕はそこまでじゃないわ。でも、剣道でも突き技は危険だから中学生以下は禁止されているのよ」

 

「『六三四の剣』で六三四のお父さんは剣道の試合中の突きが原因で亡くなりましたからね」

 

『六三四の剣』。剣道漫画の名作中の名作だ。裸足のソルジャーボーイだ。

 

「えぇと、ごめんなさい。良くわからないけれど…」

 

こちらこそ、ごめんなさい。これが八雲さんならファミコンソフトから青年編にいたるまで『六三四の剣』について熱いネタを交わせるのだけれど。僕が物珍しそうに竹刀を見ていたものだから、

 

「多治見君は剣道はやったことはないの?中学の授業とか…」

 

「僕は学校は魔法科高校が初めてだから。竹刀も木刀も持ったことはないです」

 

「そっそう?じゃぁ持ってみる?」

 

ちょっと返答に困った壬生先輩が、手にしている竹刀を僕に貸してくれた。教えてくれたとおりに握る。思ったより軽い。

 

「試合の終盤になると、疲労で軽い竹刀もだんだんと重く感じられるのよ。防具の籠手もあるからね」

 

なるほど…でも、筋力の足りない、いや身長の低い僕にはこの竹刀はバランスが悪いな。

竹刀の規定は高校生は117cm以内、重さ480g以上と決まっているから長さは身長にあわせたサイズを選んで良いそうだ。壬生先輩が、僕の身長にあったサイズを何振りかある竹刀の中から貸してくれた。重量は壬生先輩の竹刀よりほんのちょっとだけ軽い。壬生先輩の横に並んで動きに合わせて試しに振ってみるけれど、慣れていないからぎこちない。

壬生先輩は丁寧に教えてくれた。

 

「竹刀の振りかぶりは基本的に上段の構え、振り下ろしは膝の高さまで振り下ろすの。振りかぶる時に剣先が下がらないところで止めるのが重要ポイントよ」

 

体重移動をしながら、前後に素振りをする。すこし慣れてきて、

 

「結構楽しい。空気を切るような音は流石に出ないし、形だけだけれど」

 

「多治見君、筋がいいわよ。何度素振りしても同じ軌道で最初と最後の竹刀の位置がぶれないもの」

 

「そう…なんですか?竹刀を振るの初めてだから、教えられたままに振っているだけですよ」

 

その後、基本的な素振りを幾つか実演してもらって見よう見まねで竹刀を振るう。でも、すぐに素振りの速度が落ちてきた。基本的に筋肉がないし、握力も不足だ。なるほど、竹刀が重く感じられてきた。僕の鈍くなる動きに気がついた壬生先輩が、

 

「基本の素振りは覚えた?じゃあ、すこし私に向かって打ちかかってみて」

 

素振りばかりだと飽きると考えたのか、軽い気持ちで言ってきた。

 

「え?でも当たったら痛いですよ」

 

「鍛えてるし、慣れてるから平気よ。それに、多治見君の剣速なら避けるのも難しくはないから」

 

壬生先輩が竹刀を中段に構えた。剣先を僕の目に向ける正眼の構えと言うんだそうだ。両足を前後に広げて、後ろ足にすこし体重をかけて、重心を中心に、すり足でゆったりと構えている。流石に慣れた立ち姿で、一幅の絵のように綺麗な姿勢だ。

ただ、その目に警戒感は、まったくない。言葉通り、素人の僕の打ち込みは、容易く避ける自信があるんだ。事実、素の僕の動きなんて、ベタ足で、板張りの床をぺたぺた歩いている。

 

「お!多治見、剣道に興味が湧いたのか?」

 

達也くんとの打ち合わせを終えた桐原先輩が、壬生先輩と対峙する僕に気がついて声をかけてきた。壬生先輩と同じで、僕が剣道に興味を持ったことが嬉しそうだ。

 

「だが、多治見は剣術の方があっているんじゃないか?マジックアーツであんなに強かったんだ。『魔法』を使えば、今すぐにでも俺と互角以上に勝負が出来ると思うんだが」

 

「え!?多治見君は『戦略級魔法師』だけれど、そこまで強いの?」

 

多くの『魔法師』が、僕が中長距離戦闘が得意だと思い込んでいる。『戦略級魔法・光の紅玉』のイメージが強烈だから、僕と近接戦闘が結び付かないみたいだ。まぁ、この体型だからってのが一番の理由だけれど。

 

「壬生も九校戦のシールドダウンの練習試合を見ただろ。多治見は『魔法師』としては遥かに高みにいるからな。司波もそう思うだろ?」

 

「そうですね。純粋に技を競う剣道では久は難しいですね。動体視力に身体がついていけませんし。もちろん、剣の腕も素人以下ですが、そもそも体力と筋力が平均以下です」

 

大酷評だ。

 

「『魔法』を使った剣術では…久は強いですね。完全思考型CADがあれば、ですが」

 

お約束だ。

4月、マジックアーツで三人がかりでも秒殺された桐原先輩が頷いている。

その姿に好奇心と警戒心が湧いたのか、壬生先輩の表情が剣道家のモノにかわった。それでも、まだどこか油断がある。これまで蓄積してきた技術への自信…

 

「じゃ、多治見君。いつでもいいわよ」

 

「おっおい、壬生!」

 

「本格的な試合じゃなくて、剣道に少しでも興味を持ってもらえたら嬉しいから」

 

ええと…僕は剣道も剣術もたいして興味はないんだけれど。僕の貧弱な身体にスポーツは無理だ。実戦としての剣も、『魔法』や拳銃があるこの時代には無駄だと思うし。そもそも、剣なんて重くて目立つ物は、普段CAD以上に持ち運び出来ないよね。

にこにこと微笑む壬生先輩には悪いけれど、ここは適当に…

 

「やってみたらどうだ?久」

 

「えっ?」

 

これは、これまでもあった流れだ。こう言う時、何故か達也くんは僕の背中を押す。

まぁ、やってみるか。

ただ、僕の腕は、数分繰り返した素振りだけで痛い。竹刀が重く感じられる。

つと見ると、壬生先輩の身体がびくって反応した。意外と緊張しているようだ。無駄なところに力が、要するに力んでいる。意識して呼吸をしている。吸って、はいて、吸って…

僕は緊張はしない。恐怖心もない。剣への思いもない。じっと人外の動体視力で壬生先輩の呼吸を見ている。

いつでも良いって事だから別に避けられてもいいや、と言う軽い気持ちで、竹刀を右手にだらんと持った。特に竹刀を構えるでなく柄をやんわりと握る。闘技場のほかの生徒みたいに気合と共に打ち込むなんて事もできないし、壬生先輩が、息を吸う瞬間、鼻歌でも歌うように気軽に、するするっと歩いた。殺気も気迫も感じられない、朧のような気配で。

 

「え?」

 

「なっ?」

 

「………」

 

僕の無造作な動きは、壬生先輩の虚をついたみたいだ。壬生先輩と桐原先輩が声を上げた時には、僕はもう一足一刀の間境を越えていた。僕に間合いに入られるまで、壬生先輩は考え事でもしていたかのように無反応だった。壬生先輩の呼吸が止まる。

僕は引きずるようにぶら下げていた竹刀を、すいっと持ち上げる。力はまったく込められていない。壬生先輩のよりも短い僕の竹刀の剣先が、とんっと、壬生先輩の左手首にあたった。勢いもない、痛みも感じない、ただ触れた程度の接触だ。

 

「あっ、当たった」

 

僕は無造作に言ったけれど、見上げて窺った壬生先輩の顔が、真っ青になっていた。

さっきまでの笑顔は消えて、僕を見るその眼は、恐怖に揺れていた。




ここの所やることが多すぎて、続きが書けずにしょんぼりしていました。二週間ぶりに文章を書くと、タイプミスだらけでブランクを感じてしまいます。
やっぱり文章を書くのは楽しいです。それが下手の横好きでも(笑)。
原作は論文コンペから一気に冬休みまで飛びますが、
久にはたまっている宿題がいくつかあるのです。
運命の日までは、まだ永い。

お読みいただき有難うございました。


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視られた…

何を視られたんでしょう…


『サイキック』は『現代魔法師』から見れば、属人的で原始のパワー、つまり個人の生命力や精神力で荒い魔法式を構築して、『念動力(サイコキネシス)』を『魔法』にしている。発動スピードは極めて速く、『能力』は偏るけれども、その規模は『現代魔法』に比べるとかなり大きい。アナログの力だ。

逆に『現代魔法』はデジタルな科学技術で、緻密な計算のうえに成り立っている。CADに記録された起動式が一文字間違っているだけで『魔法』は発動しない。そのかわり多様性に富んでいる。理想の『魔法師』は極論すれば、起動式を自らのサイオンと結び付けて魔法演算領域で魔法式に変換できれば、何でも出来る。

僕にとって『現代魔法』は『サイキック』の余技でしかない。

僕の『能力』を数値化してグラフを作ると、星型のようにイビツな図形を作ることになる。出来ない事は全く出来ない。どうやら記憶とともに『高位次元』に『能力』の使い方を忘れてきてしまったようだ。

ただ、グラフのてっぺんの部分は常識を超えた数値で、常人とは桁が異なる。

動体視力も、突き抜けた数値のひとつだ。

 

 

僕の持つ竹刀の剣先が、壬生の左手首にちょんと当たった。痛くはまったくないはずだけれど、壬生先輩の驚きぶりはすごかった。剣道のど素人、それも竹刀をついさっき初めて持った僕の一撃は弱いながらも、壬生先輩には衝撃だったようだ。

 

「どうした壬生、多治見のベタ足に棒立ちだったが、わざと打たせたのか?」

 

「………」

 

桐原先輩は首を捻っている。達也くんはじっと無言で考えている。二人から見た僕の動きは、特別に見えなかったはずだ。

 

「うぅん、気がついたら、間合いに入られていたの…」

 

壬生先輩が数歩後ずさって、僕の間合いから逃れた。僕の竹刀をだらしなくぶら下げている姿を見て、ほっと息をはいた。今度は無意識だ。

 

「今の動きは…」

 

壬生先輩は動揺しながら、それでも、僕から視線を外さなかった。

 

「壬生先輩が瞬きをする瞬間に動きました」

 

「え?」

 

「それに、壬生先輩は息を吸う瞬間に、瞬きをしました」

 

壬生先輩が、「あっ」と小さく声を上げた。

 

世界王者に上り詰めるレベルのボクサーは、試合中ほとんど瞬きをしない。剣道家もそうだけれど、今回は試合じゃないから、壬生先輩の集中力は高まりきっていなかった。

 

僕は睡眠をとらない体質なので、夜、ベッドで目を瞑って横になっている時、漠然とだけれど色々と考えている。土曜日の夜、周公瑾さん最後の日、谷間に飛ぶ白いふくろうを見てから僕は『古式魔法師』について考えていた。

僕は死角からの攻撃はまず対処できない。でもそれは誰だって、達也くんだって、あの十文字先輩だって同じだ。全身が目じゃない限り、銃でも『魔法』でも、不意をつかれれば誰だって攻撃を受ける。

全身に目…仏教の帝釈天は千眼天とも言われている。全身に千の目がある。仙人の奥さんに手を出して、のろいをかけられた後、仏道修行に励んで千の目を得るにいたった。

帝釈天はヒンドゥー教ではインドラとも言う。ヒンドゥー教と言えば、リグ・ヴェーダ。アニメやコミックでもお馴染みのモチーフだ。リグ・ヴェーダと言えば、シヴァ神。シヴァ…破壊神。創造と破壊の神。シヴァ…しば…司波、司波達也。破壊神、『THE DESTROYE』。仙人と達也くん…ぶつぶつ。

おっと、僕の集中力が、完全に切れている。切り替えて…

僕がこれまで関わってきた『古式魔法』を使う『魔法師』は烈くん、光宣くん、周公瑾さん、八雲さん、幹比古くん。それに2月の赤髪の仮面少女も『古式魔法師』のような動きだった。『現代魔法』を教育する一高に通いながら、意外に多い。それも実力者ばかりだ。達也くんも体術は『古式魔法師』の八雲さんに稽古をつけてもらっている。

風邪で休んでいる間、僕は周公瑾さんとの模擬戦を何度も思い返していた。

『古式魔法師』の『魔法』はわからないけれど、身体の運び、動かし方は、みんなに共通点がある。

重要なのは『呼吸』だ。

さっき壬生先輩も練習で呼吸の確認って言っていたけれど、スポーツでも何でもリズムが重要だ。呼吸も剣道独自の動きも、リズムだ。

今日の僕は、夏休みの生駒家で行った光宣くんとの模擬戦と違って、相手を威圧するようなプレッシャーは発していない。むしろ、気迫や闘志を一切出さずにいた。厳しい試合に慣れている壬生先輩にとって僕は、まったく手ごたえがない相手だったはずだ。逆に、壬生先輩は遊びと自分から言いながらも、緊張していた。無駄な力が入っている。その時点で、ある意味、『術』にかかっている。

しかも壬生先輩はどこか僕を侮っていた。疑っていた、と言う方が正しいのかな。

 

格闘技は呼吸の仕方が下手だと攻撃のタイミングがすぐわかる。自分が息を吐く、かつ相手が息を吸う瞬間打つ。これが基本だ。剣道は声を出して打つから、肺に空気を溜める必要がある。壬生先輩は全国でもトップクラスの実力者だから、普段は相手に呼吸のタイミングをわからせないよう、腹式呼吸をする。頭が上下しないように鋭く吸い込み、細く長く息をはく。理想は羽毛すら揺らさない細い息を会得することだ。周公瑾さんの呼吸はそうだった。あれが『仙道』の『呼吸』なんだ。それを無意識レベルにまですること。

今回、壬生先輩は意識して呼吸をしていた。意識するということは、僕へ向ける意識がやや疎かになっている。壬生先輩は空気を鼻ですっと吸って、口でゆっくりはいていた。

そして、対峙する相手が間合いすれすれにいる状況で視界をふさぐことは即、敗北につながる。記憶の中の周公瑾さんは瞬きをしなかった。

壬生先輩が瞬きと息を吐ききるタイミングを、僕は人外の動体視力で見ていた。僕は人と会話をする時、眼をじっと見る。だから、その瞬間はすぐにわかる。

壬生先輩が文字通り、瞬きの間、視界を失っている。眼を開いた時、僕がいるはずの場所にいない、驚きで空気を吸うタイミングがずれる。身体のリズムが、動きが一瞬止まる。その隙を僕はついた。

別に剣の天才とかそういうんじゃない。ふと、僕でも『古式魔法師』と同じような動きが出来るかなって、周公瑾さんの動きを、真似しただけだ。ただ、それだけ。

ここまで解説が長いな…

 

「久の今の動きは、相手の『呼吸』と間合いを外して『虚を突く』、『古式魔法師』の『八卦掌』の動きに近いですね」

 

さすが達也くん。解説がたった一行。僕の動きが周公瑾さんのそれに似ていた事も、たぶん気がついた。

 

「驚いた…剣道の動きやリズムとは違うから、反応が遅れたのね。うん、これまでも似たような『呼吸』の試合相手もいたけれど、やりにくかった…あの選手は『古式魔法師』だったのね」

 

壬生先輩が、僕が未知の攻撃法をしたわけじゃないと理解してほっとしている。

 

「俺からは、多治見の動きは平凡に見えたんだが、これも『呼吸』と『間合い』、駆け引きのひとつなんだな。力押し以外でも、やるな多治見」

 

桐原先輩がしきりに感心しているけれど、僕の身体能力と集中力を考えれば、今回は色々噛み合っただけで出来すぎだ。二度はできない。

 

「一瞬、瞬間移動かと思ったわ…」

 

相手が壬生先輩だったから上手くできた、とは言えない。これがたとえば達也くんや十文字先輩、真由美さんや澪さんが相手なら、遊びでも無理だ。たとえる相手が悪いけれど。

 

「そうですね、『瞬間移動(テレポーテーション)』は久の得意な『魔法』です」

 

ん?達也くんが妙な事を言った。

達也くんはインデックスに掲載されている『魔法』を全て覚えているのではと噂されるほど(噂の発生源は真由美さんだ)、『魔法』の知識がある。僕が『擬似瞬間移動』が得意なのは、去年の九校戦の戦術を一緒に考えた達也くんが一番知っている。

達也くんの説明は丁寧で、むしろ『魔法オタク』的で説明が長かったりする。そのさい『魔法名』を省略したりはしない。そのあたりは技術者としてすごいこだわる。しつこいとも言える。

呪文のような、僕なら絶対に噛む、難しい『魔法名』だってすらすら連呼するのに?

達也くんは起動式を『視る』能力がある。アニメ第二話…もとい、入学直後の『森崎くん告白事件』で達也くん本人が言っていた。

やっぱり、京都で『視られた』な。

 

「不意をついただけですよ。これは壬生先輩が言っていたように遊びだし、正式な試合なら一本にならないし、僕は手も足も出ないです」

 

たぶん、一方的に打たれまくる。そもそも剣道の実力が違う。

 

「でも、これが真剣だったら、私の手は斬られていたわ…」

 

壬生先輩が綺麗な左手首を擦っている。

 

「その仮定も、意味がないですよ?だって、竹刀だから僕でも使えたんだもの。真剣みたいな重い武器を同じ速度で振るえたりはしないです。

真剣での勝負なら、壬生先輩はもっと集中していたはずだから…そうですよね桐原先輩?」

 

今のは勝ち負けのない遊びだった。

 

「おっおう、そうだな、そうだ、うん」

 

「そうね…そうだったかも、ちょっと恥ずかしいな」

 

恋人同士が、共通の記憶を思い出したのか、挙動不審になった。魔法科高校第一巻、二人の勝負シーンの挿絵の桐原先輩はどう見てみも悪役面でしたよね。

そんな二人の放つ幸せ雰囲気は、青春だね。年寄りじみた感慨で、僕はうんうんと頷いている。

 

「ん?」

 

視線を、感じる?

ふっと横を見ると、隣に立つ達也くんが、もの問いたげな目で僕を見つめていた。

僕は、深雪さんの考えていることは、何となくだけれどわかるけれど、達也くんのいつもの無表情から思考を読むことができない。達也くんは瞬きをしない。

 

『視られている』。僕は、そう思った。

 

 

翌日、生徒会と料理部をハシゴした僕はいったん帰宅した。軽く食事を取って、シャワーを浴びる。いつも通り澪さんが僕の黒髪を櫛で梳いてくれて、きちんと身づくろいをする。失礼があってはいけないものね。ちょっとウキウキしている。何だか恋人の家を訪ねる女の子みたいだ…シャンプーの良い香りが漂っている。

司波家でのCADの調整は服を脱ぐそうなので、脱ぎやすいスキニーなパンツにカットソー、ジャケットを羽織る。達也くんの家まではいつもの警護の二人の運転する車で向かう。今回は私用なので、魔法協会が警護を派遣したりはしない。時刻は19時。外はすっかり暗い。司波家と僕の自宅は車で20分もかからない距離にある。達也くんの家には長時間滞在するわけじゃないので、警護の二人には警戒をお願いして、車で付近を周回しながら待っていてもらう。

僕は『光の紅玉』専用CADの入った金属の宝箱を大事に抱えて達也くんの家の門をくぐった。

 

玄関にワンピース姿の深雪さんとメイド服の水波ちゃんが立っている。深雪さんは薄着だな。半そでから覗く腕が白い。水波ちゃんは、いつも通りかちんこちん。

司波家を訪問するのは二度目だけれど、今回も『真夜お母様』のお言いつけにしたがっての訪問だ。二人とも、すこし…かなり緊張している。

達也くんはリビングで端末に目を通していた。特に調べることがあるわけでもなく、ネットの情報を目で追っていただけだったそうだ。達也くんは深雪さんの事以外では動揺したりしない。

 

「じゃあ久、ついてきてくれ」

 

挨拶もそこそこにCADの調整を始めるって。まぁ、さっきまで学校で一緒だったしね。CADの調整は本来ならライセンスをもった魔工技師が行うんだけれど、達也くん以上の技術者はいない、と言うのが一高内での評判だ。

一高にもCADを調整する機器がそろっていて、生徒の多くが学校の施設で調整をしている。一高の施設はヘッドセットに掌をパネルに置いて計測するタイプだった。僕も達也くん立会いで完全思考型デバイスと指輪の調整を月に一回行っている。調整は普通のCADなら半自動で行われるけれど、僕の指輪型のCADは調整機に接続するデバイスがないので、達也くんが手動で調整をしてくれていた。

そんな事を考えながら達也くんの背中についていく。司波家の玄関とリビング以外の場所に来るのは初めてだ。他人の家の匂いがするなぁ。

 

廊下のごく普通のドアの前で立ち止まった達也くんが、

 

「これから見る事は、四葉家の関係者以外は誰にも秘密だ。いいな」

 

あまり強くない口調で、でもはっきりと言う。四葉家は秘密が多いから、家族を護るための警戒感。僕は、四葉家の関係者に入るみたいだ。

 

「うん、誰にも言わないよ」

 

達也くんの家にCADの調整に来ていることは、澪さんと響子さんは知っている。同じ部隊に所属する響子さんはともかく、澪さんは司波家の設備がどうなっているのか疑問に思ったみたいだった。一般家庭でCADの調整なんて普通出来ないからだ。

達也くんが廊下のドアを開くと、地下に続く階段が現れた。地下室に調整室はあるんだ。

卓越したエンジニアの達也くんの家なんだから、まぁそういう設備もあるだろうって、僕も澪さんも、ごく狭い個人医院の診療所かバイクのガレージみたいな雑然とした場所を想像していたんだけれど…階下にも扉があった。こちらの扉は金属製で分厚く重かった。達也くんが、ロックを解く。

 

「わおっ」

 

照明が、広い、近未来的な室内を照らした。

司波家の地下室には、学校の調整室よりも最新の計測機械や謎の観測機、フルスキャンが出来る調整用の寝台があった。僕は思わず感嘆の声をあげた。良くわからない機械だらけだけれど、凹凸の少ない、洗練された機能美にあふれた作業室だった。

血や薬品の匂いだらけだった多治見研究所とは比べ物にならないくらいの清潔感に、僕は、ちょっと安心をする。達也くんが、自宅ではマッドサイエンティストだったりしたらどうしようとか昨夜はベッドで考えていたんだよね…

 

「すごいね…性能は、僕にはわからないけれど、学校のより洗練されている」

 

「そうか?そうだな、深雪も使うからな」

 

なるほど。深雪さんが不安になるような雰囲気にはしたくないものね。

この施設は相当の資金がつぎ込まれている。ただの優秀な高校生には過剰だけれど、達也くんはただの優秀なレベルじゃないからなと、奇妙に納得する。

暖房が程よく効いている。僕が来る前から環境を整えていてくれたことがわかる。

 

「着ている物を脱いで、そのかごに入れてくれ」

 

達也くんがラタン製の脱衣バスケットを指差した。

僕は頷いて、両手で大事に持っていたジュラルミンの小箱と、ペンダント型デバイス、指輪を達也くんに渡す。

達也くんは作業デスクに指輪とデバイスを丁寧に置くと、小箱からデリンジャー型のCADを取り出した。銃身にトーラス・シルバーと誇らしげに刻印された、僕専用のCADをじっくりと眺めている。その顔はちょっと誇らしげに見える。あのトーラス・シルバー謹製のCADを調整できるんだから、感慨もひとしおなのかなって思うけれど、司波兄妹のCADも同じトーラス・シルバー製なんだから、四葉家の『魔法師』はよっぽどこの技術者のCADが好きなんだね。『真夜お母様』のCADもそうなのかな?

達也くんがCADを調整機に接続して、端末を操作している。僕は、その間に、さっさと服を脱いで、下着も躊躇することなく下ろして、最後に靴下を不器用に脱ぐ。金属製の床が、ちょっと冷たい。

 

「全部脱いだよ」

 

僕の声に、達也くんが頭だけ振り向いた。ちょっと苦笑して、全身で振り向く。

 

「…下着は履いていてかまわないんだぞ」

 

達也くんが珍しく呆れている。僕は全裸で、特に隠すでもなく、腰掛けている達也くんと向き合っている。

 

「だって以前、全ての物質にサイオンが宿るから、CADの調整の時は全裸が一番良いって達也くん言っていたよ」

 

「言ったが…」

 

僕が恥ずかしがりもせず、堂々としているから、達也くんも平然としている。

僕は実験動物時代の経験から裸を見られることには慣れている。ここは実験室じゃないけど、まな板の上の鯉みたいな気分にはなる。それでも、羞恥心が少々欠落しているのは否めない。

達也くんも少年嗜好の持ち主じゃないから、僕の骨の浮くような薄い身体を見ても少しも情欲をそそられたりはしない、はずだ。少なくとも情欲にまみれた目はしていない。いつも通りの無表情だ。部屋は暖房がしっかり効いているから寒くないし、僕は全裸で達也くんの視線を受け止めていた。

でも、ぱっと見、すごく奇妙な状況だよね。この光景を深雪さんが見たら、どう思うかな…

深雪さんもここで調整しているってことは、やっぱり裸なのかな?達也くんのどえっち。

そんな裸の僕を、達也くんは数秒、上から下まで視線で観察した。

 

「まぁいい、そのまま横になってくれ」

 

僕を観察し終わって、さっさと済ませるほうが早いと達也くんも切り替えたみたいだ。

計測用の寝台は、ちょっと硬くて背中とお尻が冷たかった。

達也くんが背もたれの無い椅子に姿勢正しく腰掛けて、慣れた手つきで計測器を操作しはじめた。

診察台に行儀良く横たわる僕を円形の計測器がスキャンしていく。特に何も感じられずにスキャンはすぐ終わった。

観測結果が早速端末に表示されたみたいだ。

 

「やはり、サイオン波特性は九校戦の時…いや、去年の九校戦の時とかわらないな」

 

サイオンは思考や意思を形にする粒子と言われ、肉体の成長や老衰、その日の体調で変化する。使用者の特徴に合わせたチューニングをするのが、CADの調整、魔工技師の仕事だ。

でも、僕のサイオン波特性は、成長期である高校生のくせに極めて安定している。恐らくだけれど、『高位』から流れてくるエネルギー量はいつも同じで、『三次元化』した今の僕では制御できないんだ。制御できたら、ぐっすりと眠れるし、悪い夢を見なくてすむのになぁ。

 

「それ以外の数値も、『普通の魔法師』と同じ…か」

 

達也くんが指をあごに当てて考えている。

これだけの最新鋭の計測器でのフルスキャンでも、サイオンや魔法力以外の僕の基本的な数値は『普通の魔法師』とほぼ同じ結果だったようだ。一高での簡易スキャンも同様だった。どうして破格の『能力』が行使できるのか、70年前と同じで最新機械でもやはりわからないようだ。

観測結果が変わらないので、『光の紅玉』用の特化型CADも完全思考型デバイスと指輪の調整の時と同様に、ちょっとした『ゴミ掃除』程度で終わった。

 

服を着て、計測用の寝台に腰掛ける。両足をぷらぷらしながら、達也くんの後姿をぼうっと見ている。

調整を終えた達也くんがデリンジャーを清潔な布で軽く拭う。CADを小箱に丁寧に戻すと、ぱちんとロックをかけた。

技術者としての達也くんの仕事は、そこで終わったわけだ。ふうとひとつ息をはくと、背もたれのない椅子に座ったまま、振り向いて僕と向かい合った。

 

「いくつか質問がある。答えられる範囲でかまわないが…」

 

「ん、何?」

 

地下室の作業室には二人っきりだ。ここでなら、何を話しても外には漏れない。

 

「夏休み、ローゼンの機動兵器に襲われたと言っていたな」

 

「ああ、あのこと?そう言えば話を出来ていなかったね。あの時は…」

 

夏休みの出来事を、生駒の九島家に行くところから、一条家、マスコミの対応。たまたま北陸でお仕事中だった黒羽の双子を『真夜お母様』が寄越してくれたこと、九校戦の時のクロスカントリーでローゼンの工作員三人に襲われて撃退、再びローゼンの機動兵器に高速道路で襲われたこと。

その時、機動兵器を『飛ばして』、亜夜子さんに『雲散霧消』と勘違いされたこと。四葉家で『光の紅玉』専用CADを頂いたこと…

できるだけ理路整然と、わかりやすいように…結構時間がかかったけれど、頑張って説明をする。

達也くんは余分なことは言わず、じっと無表情で聞いていた。

 

「久の昨日の闘技場での動きは、周公瑾の動きを真似したものだな」

 

「うん、周公瑾さんとは一度だけ『模擬戦』をしたことがあったんだ」

 

「それはいつのことだ?」

 

「達也くんから完全思考型デバイスと指輪型CADを渡された日の帰りだよ」

 

あの日の事は良く覚えている。

 

「横浜の中華料理店以外でも会っていたのか」

 

「一度だけね。何でも周さんは『仙人』になるためにはより強い『魔法師』と戦って自らを高めなくてはいけないんだって。ただ、僕との『模擬戦』はお互い本気じゃなかったよ」

 

「『仙人』か。童話の類だが…」

 

「『仙人』は肉体を捨てて、永遠の存在なることだって周さんは言っていたよ」

 

「なるほど、『肉体』と『精神』『幽体』の分離か…周公瑾が『パラサイト』に興味を抱き協力したのはそのためか。大陸の『古式魔法師』にとって『仙人』は御伽噺ではないということか…」

 

達也くんがすこし考えている。

 

「ところで、宇治での夜。久は、何か見たか?」

 

瞬きしない目でじっと見つめてくる。何かって…達也くんも、あの夜、何かを見たのかな?

 

「白いふくろうが飛んでいったよ」

 

「ふくろう?」

 

「僕にはそう見えた。他の人なら別の物に見えたのかも。僕には『精神』は見えないし、何となく夢の中の漠然とした出来事みたいだった…」

 

僕はある程度の時間、肌に直接触れた人物の『意識』を感じることができる。

周さんはいつも手袋をしていたし、肌に触れたことは無いから、あのふくろうが『精神』、もしくは『意識』や『幽体』と呼ばれるものだったとしても、その正体は不明だ。

 

「そのふくろうは、どこに向かっていった?」

 

「宇治川の上流。東の方角」

 

「それが周公瑾の『精神』だったのだとしたら、準備しておいた依り代…『ピクシー』や『パラサイドール』のような人型の器、もしくは人そのものに取り付いているのかもしれないな…」

 

達也くんにとっては解決した案件だけれど、僕にとって周公瑾さんの一件と『パラサイト』は、まだ結末を見ていない。

 

「久、お前はさっきローゼンの機動兵器を『飛ばした』といったが、おまえ自身も『瞬間移動(テレポーテーション)』を使えるな」

 

「うん。京都で達也くんは『視ていた』んだよね。僕をあの駐車場に呼び出しておいて」

 

周さん捜索にかこつけて、僕の『能力』もしっかり『視ていた』んだ。うん、抜け目ないなぁ。

 

「ああ、久も知ってのとおり、俺は起動式を『視る』ことが出来る。『魔法師』はCADの起動式をイデアにアクセスしエイドスに魔法式として投射する。これは全ての『魔法師』の大原則だ」

 

「うん。『サイキック』も『念力』を使うと魔法式が展開されるんだよね。僕にはわからないけれど」

 

「そう。『サイキック』の魔法式は、『現代魔法』の起動式を基にした魔法式と比べると酷く荒い。穴だらけの式を当人の魔法力で埋めている状態だ」

 

「じゃぁ、達也くんは僕の『瞬間移動』の魔法式を『視て』覚えたから、『瞬間移動』の起動式を再現できるの?」

 

達也くんが、苦い笑いを口に浮かべた。

 

「俺も、初めはそう考えていた。技術者として、不可能といわれる『魔法』を編み出す。それは捨てがたい欲求だ。しかし…無理だ」

 

「どうして?」

 

「久が『サイキック』を使うと、足元に魔方陣のように魔法式が広がる。だが、物を浮かせたり、空間を捻じ曲げる程度の力だと、ほんの1ミリの魔法陣も現れない。久の『サイキック』がセンサーに引っかからないのはこのせいだと考えられる。

 

だが、『瞬間移動』の魔法式は、あの時一高生徒の宿泊するホテルから俺のいた駐車場までは約2キロあったが、その2キロの範囲に半球状の、太陽が地表に顕現したかのような強力な魔法陣が膨れ上がっていた。

刹那の瞬間現れた魔法陣を俺は今でもはっきりと思い出すことができるが、『サイキック』の時と同様、荒く穴だらけの…むしろ穴の方が多い魔法陣だった。

あの大きく空いた穴を一つ一つ式で埋めて『現代魔法』の起動式にするのは、正解の無いジグソーパズルをしながら欠けたピースを想像しながら自作していくような物で、膨大な時間がかかる。

久の魔法力でなければ、あの魔法式の穴を埋めることは出来ない…つまり『瞬間移動』は俗人的なもの、『現代魔法』で言うところの『BS魔法師の異能』だな」

 

達也くんが一度、説明を切って、言葉を溜める。

 

「『瞬間移動』の移動限界距離は、どれくらいだ?」

 

「…」

 

「その、魔法力は、どこから来るのか…」

 

「…」

 

「久の、身体は常人と何も変わらない。最新の計測器でも結果は同じだった。だが、俺が『視た』久には『精神』か…『幽体』か不明だが、無尽蔵のサイオンの中に小さな穴のようなモノがある」

 

「穴?」

 

「正確には、そこだけ『視えない』。『視えない』がゆえに穴のように黒く『視える』何かがある…久、お前は何者だ?」

 

やんわりと、尋ねてくる。詰問でも尋問でもない、通行人に道を尋ねるような雰囲気だった。

 

「自分のことなんて僕にもわからないけれど…それを知ってどうするの?」

 

「どうもしない。俺と…いや、深雪に害になる存在でなければ、だが…」

 

「いつか…そう、去年、南の島の…あの朝の砂浜で僕は達也くんに言ったよ。『僕は敵じゃない。疑うなら僕は死んでもいい』って」

 

「…」

 

「僕は人間じゃないかもしれない。でも、不死じゃない。達也くんと深雪さんの『魔法』なら僕を殺すことが出来ると思う」

 

「それは、久が『精神』に近い存在…『ピクシー』や『パラサイト』と同質の存在…別の次元から現れた…」

 

「うん。『ピクシー』は僕の事を『超人』、『高位次元体の王』とも言った。周公瑾さんは『超越者』だって言った」

 

「『高位』…いわゆる四次元や別の次元から現れた久の『精神』には器、人型の入れ物が必要…膨大なサイオンは肉体の回復…『回復』は、『精神』の入れ物である『肉体』を常に作り続けている、と言う事か」

 

「『ピクシー』はそう言ったけれど、僕には『高位次元体』としての記憶がまったくない。達也くんはそれを証明できる?やっぱり僕も狐狸妖怪の仲間なのかな?」

 

「いや、機械での観測結果、久は常人と何も変わらない。現代の観測機でも『精神』は調べることが出来ないからな。『高位』は『三次元』からは観測できない、だから俺には『視えない』んだろう。(『精神』…そうか、それで叔母上は久に興味を持ったのか)」

 

ん?最後の方は聞き取れなかったけれど?

 

「結局、僕はこれまで通りで良いって事だよね?」

 

「そうなるな」

 

これまで通り、一高に通って、引きこもって、遊んで、ゲームして、アニメを観て…

 

「勉強もしろ。冬休み前に試験があるぞ」

 

うぐぅ、達也くんがいじめる…

 

でも、僕の存在は、危うい。八雲さんの言葉じゃないけれど、自分でもそう思う。

白いふくろうを見たときに感じた『予感』のような不安は、まだ心の隅にある。

 

CADの調整はあっという間だったけれど、その後のおしゃべりは長かった。

リビングに戻ると、ソファに腰掛けていた深雪さんがさっと立ち上がった。

水波ちゃんは、壁際で静かに立っている。もしかして、ずっと立っていたの?

時計を見ると21時だ。意外と長い時間、二人きりでいたんだ。

水波ちゃんが飲み物を用意しようとするのを、僕はことわった。

 

「もう時間も遅いし、このままお暇するね。深雪さん、長い時間、達也くんをお借りしてごめんなさい。お返しします」

 

丁寧に頭をさげる。

 

「俺はモノじゃないぞ」

 

「CADの調整の御礼はいずれするから」

 

両手に大事に抱えた小箱。『真夜お母様』にもお礼を言わないと。冬休みにお会いできるから、その時に…

 

「それは構わないけれど、調整室はどうだった?とても個人宅にあるような施設じゃなくて驚いたでしょ?私も最初はびっくりしたもの。お兄様相手に、すこし期待…いっいえ、警戒してしまうところだったわ」

 

期待?何を?

僕の容姿は、5年程前の深雪さんに酷似しているそうだ。その当時の深雪さんの身体はすでに第二次性徴を迎えているから、僕の10歳程度の少年の貧弱な身体とは似ていないと思うけれど、達也くんは一糸まとわぬ僕に深雪さんの当時の姿を重ねたりは…していないよね。

あの施設がいつからあるのか僕は知らない。と言うより、僕は兄妹の事を、実は何も知らないんだよな。どう考えても幼い頃からラブラブだったと思うんだけれど。

今の深雪さんは、大人だ。生態的に子供を産める年齢。法律的にも在学中に結婚できる年齢になる。深雪さんの結婚相手は達也くん以外に考えられないな。でも、法律的には、不可能な話だ。いくら達也くんが『魔法師』として『万能』でも…

思春期の女性が地下の密室で、いくら敬愛する兄だからって男の前で、二人きりで、裸になるのは恥ずかしくはないのかな?うーん、深雪さんは、恥じらいながらも躊躇しなさそうだ…

 

「僕も、達也くんに全裸を見られちゃったし」

 

躊躇しなかったのは同じか。

 

「え?」

 

「達也くんが服を脱げって言うから、下着まで全部脱いだんだけれど、そのまま全裸で立たされて…じっくりと刺さるように鋭い視線で、頭の上から爪先まで時間をかけて全身を見つめられて、そのまま計測器に横になって…」

 

僕はありのままの事を語っている。一言も間違っていない。うん。

 

「おっおい、久!お前何を言って」

 

ごごご。

 

「久、それから?」

 

今夜の深雪さんの笑顔も素敵だね。

 

「僕、達也くんなら見られてもいいから、特に隠したりもしないで…僕の細いこの身体じゃぁ達也くんは満足できないと思ったけれど、求められるのなら…それに答えないと…もじもじ」

 

言われたとおり、ちゃんと計測できるよう、素直にベッドに横になっていただけだけれど。

 

「あっ、でも靴下は履いたままのほうが、達也くんの好みだったかも…」

 

金属の床は、裸足には冷たかった。

 

「寝台は冷たかったけれど、達也くんがしっかり温めてくれたから」

 

暖房で、室温をね。

 

「久、誤解を招くような表現をするんじゃない…」

 

「お兄様?誤解とはどういう意味ですか?」

 

「僕って5年程前の深雪さんに似ているそうだから、裸も似ていたのかな…達也くんも『視たかった』…ちがうか、見たかったのかな…」

 

あっ、しまった。いつもの癖で、考え事をつい口に出してしまっていた。

 

「はっふぅっ!?」

 

深雪さんが変な声を出した。

 

ごごごごごごごご。

 

「………」

 

水波ちゃんが数歩、壁際で後ずさった。視線が、痛い。うん、逃げよう…いや、帰ろう。

 

「それじゃ、達也くん、深雪さん、水波ちゃん、また明日学校で。達也くん有難う」

 

「待て、久っ!」

 

「いえ、お引止めいただかなくてもいいです。僕帰りますから、あでぅー」

 

脱兎!

 

ごごごごごごごごごごごごご。

 

司波家の外に出たとき、屋内から物凄く大きな音が聞こえたけれど…なんだか11月にしては、寒いな…ん?雪の結晶?錯覚かな?

僕は星空に雪の結晶を探しながら、警護に電話をかけた。

はく息が白い。もう、冬になるんだね。早く冬休み来ないかな…




最新刊、読み終えました。
達也はもうなんでもありですよね。
それにしても独立魔装大隊は緊張感がないですねぇ…

剣道の呼吸の話は、深く突っ込まないでください。
次回は、ラブコメ回です(笑)。
お読みいただき有難うございました。


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お買い物、前日。

今回は、短いです。プロローグみたいな感じです。


 

 

「あれ?香澄さん、一人?」

 

「お疲れ様です、久先輩…私は香澄ちゃんじゃなくて、泉美ですわよ」

 

土曜日の放課後、料理部にいた僕は、携帯端末の校内連絡用回線に生徒会役員直通メール「ただちに生徒会室に出頭せよ」を受けた。

論文コンペが終了したこの時期の生徒会は、特にイベントもないから暇だ。僕は料理部の活動に専念していたんだけれど、何か非常事態?押っ取り刀で生徒会室に顔を出した…

それなのに、生徒会室はがらんとしていた。情報端末の座席はすべて無人。『ピクシー』もいない。存在感のある兄妹がいないと、いつもと同じ生徒会室でも妙に広く感じられる。

その生徒会室のミーティング用のテーブルに一人、香澄さんがおしとやかに座っていた。達也くんに一方的に噛み付いている香澄さんが生徒会室にいる事は珍しい。それにしても、他の生徒会のメンバーはどこに行ったんだろう。

僕も、香澄さんの隣、いつもの定位置にすわる。このテーブルは会議以外では飲食に使われる。生徒会役員はそれぞれの情報端末に腰掛ける。端末付近では基本的に飲食は禁止なんだ。

名ばかり生徒会副会長の僕は戦略級の機械音痴だ。入力端末には触らせてもらえない生徒会副会長って何なんだろうね。

 

「香澄さん、明日はお昼どうする?僕は、食事とかは外食だと不都合があるから、お弁当作っていくよ。何かリクエストはない?」

 

明日のお買い物の相談を、隣に座る香澄さんとする。

僕は食事に関しては、ちょっと面倒だ。

ディナーを予約している赤坂の遠月レストランには僕の体質の事は知らせてある。

遠月レストランに電話で、

 

「日曜日予約をしている者ですが、料理についてお願いをしたいんです」

 

って、電話口の担当者に最初お願いした時、何言ってんだ?この子供、ウチの料理にケチをつける気?みたいな雰囲気が確かにあった。音声オンリーの電話だったから。

けれど、僕が名乗って暫くしたら担当者がいきなりかわって、レストランのオーナーが電話口に現れた。それはもう緊張していて、くどいほど謝って来た。何かほかにご希望は?と言われたけれど、

 

「僕は出された料理を文句を言わずにきちんと残さず食べますよ。皇室の晩餐会の時は、時間が足りなくて食べ切れなかったのが残念だったけれど…」

 

「こぉしつの晩餐かひぃ?」

 

オーナーさんの声が裏返っていたけれど、どうしたんだろう。マナーだの作法だの粗相をして同席の烈くんや澪さんに恥をかかせては…と考えながら食べていたんだけれど、あの晩餐会は皿を下げるのが早かったんだ。まだ残っているのにもったいない。

 

「横浜と京都の遠月ホテルで食べた料理は美味しかったですし、お任せします」

 

「横浜と京都っ!」

 

横浜と京都の遠月ホテルはグループの最高峰でよっぽどのVIPでもなかなか予約がとれないんだって。烈くんはいろいろとツテがあるそうだ。また『家族』で行きたいな。

添加物を一切含まない食材や調理は、大変だろうから「楽しみにしていますね」って、丁寧にお願いをしたら、オーナーさん自身が料理家人生をかけて調理してくれるそうだ。

ただの高校生相手に、そこまで張り切らなくても…と思うけれど?まぁうん、楽しみだ。

それはともかく、お弁当の話だ。僕は、食い意地がはっている…

 

「久先輩、それは明日一緒にお買い物に出かける香澄ちゃんと相談してください。私は、泉美ですわ。いくら双子だからって別人ですから、間違えないでください」

 

香澄さんが変な事を言う。ボーイッシュな香澄さんは活動的で生き生きしている。おしとやかな泉美さんとは髪型や制服も好みも違う。

そりゃあ二人は一卵性双生児だから遺伝子や血液型も同じで、顔は区別がつかないくらい瓜二つだけど、今、僕の隣に腰掛けている香澄さんは、何故かヘアウィッグをかぶっている。

肩に届く長さの、眉毛の高さで前髪を切りそろえた泉美さんと同じ髪型のウィッグに、リボンのカチューシャ。制服も、泉美さんのキャミソールタイプの半透明のレースを着ている。泉に群生するアヤメの花がデザインされたレースだ。毎日のように見ているから間違いはない。

香澄さんは制服にレースはつけていないから、

 

「香澄さん、泉美さんの制服と交換したの?よく似合っているね。何だかすごく、新鮮」

 

「わっ、わたく…しは、香澄ちゃんではなくて、泉美ですわよ、間違えないで…くださるかしら?」

 

声が震えている。何だか、感動で泣きそうな声だ。どうしたんだろう。

 

「ん?もしかして、香澄さん、双子の泉美さんと入れ替わって、お互いが苦手な授業を受けるって言う、コミックスのお約束プレイをしているの?二人とも苦手な科目なんてあった?泉美さんも体育は苦手じゃないし…それに、放課後までその姿って…うーん」

 

「久先輩は、どうして私が香澄ちゃんだって断言するんですか!お父さまだってお姉さまだって、子供の頃いたずらで入れ替わった時、気がつかなかったのに!」

 

香澄さん、泉美さんの口調じゃなくなっているよ。

 

「え?どうしてって言われても、どう見ても香澄さんは香澄さんだし」

 

何故か香澄さんは意固地になっている。香澄さんの瞳をじっと見つめながら、僕は念のため『意識認識』をしてみる。僕の深い『意識の海』が生徒会室に広がっていく。

目の前にいるのは、香澄さんの『意識』だ。それに、階段で繋がっている階下の風紀委員会本部にいる達也くんと深雪さんの『意識』も感じられる。

水波ちゃんの『意識』もわずかに感じる。何度か手をつないで料理部まで一緒に行っていたからか。残念ながら泉美さんはわからない。

もう少し、『意識』を浅く広げてみた。

ん?以前にも認識できた、謎の人物の『意識』がある。消えそうな、かすかな、残り香のような『意識』だけれど、校舎裏の人工林を動き回っている。これは、山岳部のアスレチック…?

僕は『意識認識』をしながら、香澄さんの瞳を、瞬きもせず見つめていた。香澄さんも負けじと見つめ返してくるけれど、その間、呼吸を忘れていたみたいだ。

可愛い顔が、見る見る真っ赤になる。香澄さんの顔から熱を感じるほど、僕達は近距離だ。

 

「ふっはぁ!」

 

数秒後、香澄さんが思い出したように息を吸って、視線を逸らした。僕も『意識認識』をやめて、香澄さんの横顔を見つめる。耳が真っ赤だ。ウィッグの隙間から見える首筋までほんのり赤い。まぁ、自分で息を止めていたんだから、そうなるよね?

 

「子供の頃のいたずら…あぁ、香澄さんは泉美さんと入れ替わって、僕を驚かそうとしたんだ」

 

やっと理解できた。

 

「そっそうです。なのに、久先輩はまったく騙されなくて!生徒会の皆さんは全員、見分けがつかなかったのに」

 

「達也くんも?」

 

「しっ司波先輩は…何も言いませんでした!あの表情は、呆れている表情だったと思います。私の事を子供だって思っていた…」

 

実に子供っぽく怒っている。真由美さんとは姉妹なんだなぁって思う。

 

「ん?でも、子供っぽい香澄さんも可愛いよ」

 

「かわぁ!?」

 

「僕が香澄さんを間違えるわけないじゃない」

 

「ふはぁああ!?」

 

香澄さんが理解不能な言葉を発した。俯きながら全身でもじもじしている。おトイレ行きたいのかな?

僕の周りには大人びた人たちばかりだから、これも新鮮だ。

僕は一度覚えたことは忘れない。双子と言っても、体型は微妙に違う。香澄さんは鹿のように綺麗な筋肉で、泉美さんより顔の輪郭がわずかにシャープだ。

泉美さんはインドアだから、少しだけ女性的な柔らかい体つきをしている。魔法科高校の女子用制服は身体のラインが出るから良くわかる。

別に香澄さんだけでなく、これが泉美さんでも、友人達でも、たとえ変装していても体型でわかるんだけれど…今日の香澄さんの態度はおかしいな。

僕が首を捻っていると、風紀委員会本部に繋がる階段から、生徒会役員共と幹比古くん、雫さんがどやどやと現れた。僕達ふたりの会話を盗み聞きしていたのかな?何の為かわからないけれど、いたずらの共犯者、もしくは首謀者たちなのは間違いない。

 

「これは、脈ありなんじゃない!」

 

ほのかさんが溌剌と香澄さんに駆け寄り、まるで自分のことのように喜んでいる。首謀者は…ほのかさんか。

ほのかさんと泉美さん(香澄さんの制服を着ている)が女子高生らしくわいわいとカシマシイ。雫さんもかなり乗り気な表情。水波ちゃんはむすっとしてるし、深雪さんは笑顔の仮面…かなり複雑な感情を秘めた笑顔だ。幹比古くんは「ごめん」と手を合わせている。

脈?僕は、生きているから脈はあるよ。きょとんとしている僕は、無表情の達也くんに尋ねてみる。

 

「ええと、これは…いじわる?いじめ?ゆとり教育の弊害?」

 

魔法科高校にゆとりなんてないけれど…ちなみに僕の成績もゆとりがない。えっへん。

 

「いや…ちょっとしたお返しのつもりではあったが…そうか、久は恋愛感情はわからないと記者会見で言っていたが、本当なんだな。子供だから『精神』が未成熟ではなさそうだが…」

 

お返し?木曜日の司波家での僕の全裸ガン見事件の?あの後、達也くんは大変だったんだね。翌日、深雪さんが物凄く機嫌が良かったから、デートの約束でもしたのかな?

僕は、恋愛感情はわからない。達也くんもかなり鈍そうだけれど、まったくないわけじゃなさそうだ。それに、達也くんは僕と違ってモテルシ。

僕みたいな化け物を好きになるのは、同じように『精神』が壊れている人物だと思う。達也くんは僕に同情に近い感情を抱いている。同病相哀れむ、とは違う感情。二人とも病気じゃないし、哀れんではいないし、かと言って突き放しもしない…それでも、僕には丁寧に接してくれている。

あと、僕は子供じゃないよ、戸籍上は17歳だし、実際は12歳だけれど10歳で成長を止めてて、『物質化』してからは82年経っているから…えーと?

 

生徒会役員共と風紀委員共がわいわいと騒いでいる。皆、年相応だ。

そんな皆を見渡して、僕は『予知能力』はないけれど、明日は大変そうだと、何故かそう思った。

 

 






姉妹そろって子供っぽい。生徒会は暇。デートの約束でもしたのかな?謎の『意識』の人物。
変装していても、一度覚えた人物は体型でわかるんですよ。
日曜日は大変そうだよ、久。


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試着室

何だかすることが多くて…


香澄さんとの約束の日曜日の朝を迎えた。

時計を見ると、5時。外はまだ暗いけれど、この時刻なら起きてもおかしくは無い。僕は閉じていたまぶたを開くと、むくっと上半身を起こす。僕の左右では響子さんと澪さんが規則的な寝息を立てている。二人を起こさないように、温かい布団からもそもそと抜け出す。

寝室は軽く加湿と暖房が効いているから、布団から出ても寒くないけれど、一枚上にカーディガンを羽織って、二人だけになったキングサイズのベッドを僕は見つめた。二人は世界でも屈指の『魔法師』だけれど、その寝姿は無防備だ。風邪をひかないようにと、二人の肩まで布団をかけなおして、静かに台所に向かう。朝食とお弁当を作らなくちゃ。

 

今日の買い物には男の子っぽい格好で来てくださいねって香澄さんに言われている。そんなにお買い物の荷物が多いのかな。

ディナーではフォーマルな服に着替えるけれど、買い物中は動きやすい格好…ガテン系?軍手とか持って行く?って澪さんと響子さんに尋ねたら、おもいっきり呆れられた。

 

「デートにそのチョイスは…駄目に決まっているでしょ!」

 

「ん?デートじゃないよ、荷物持ちだよ。二人とも夏休みの時のいきさつを見てるでしょ」

 

今回のお買い物は、七草家のプライベートビーチで香澄さんの『ピンク』を見てしまったことのペナルティだ。

 

「久君は、鈍感すぎますよ。ラノベ主人公体質すぎます。人の好意に鈍感なのに、フラグは立てていく…ぶつぶつ」

 

フラグに詳しい澪さんがぶつぶつ呟いている。不機嫌なのか違うのか、良くわからない。

好意?これまでの高校生活を思い返してみても、香澄さんが僕に好意を抱く機会なんて、まったくない。どう考えても迷惑ばかりかけている。

僕のほうが圧倒的に年上だけれど、手のかかる弟とか思われているんじゃないだろうか。

台所でドイツパンのサンドイッチを作りながら、そんなやり取りを思い出す。

ちなみにその二人の美女は、今日はどこにも出かけず、自宅にいるって。たぶんだけれど、二人して響子さんの電脳部屋にいる。

『電子の魔女』の危険スキルを駆使して、街頭モニターで僕と香澄さんのお買い物を覗き…監視…見物…しているのではと邪推している。

 

お買い物は、新宿だ。近頃は、渋谷副都心が人気のスポットなので、そこでと思っていたんだけれど、香澄さんは夏休み直前にそこのショッピングビルでちょっと嫌なことがあったんだって。

渋谷は昔は若者の町だったけれど、今の時代はちょっとお金持ちがお買い物をする場所だ。

『魔法師』は裕福な家庭が多いので、渋谷副都心を利用することが多いそう。香澄さんも真由美さん泉美さんとよくお買い物に来ていたそうだ。

渋谷は知り合いに遭遇する確立が高くて落ち着かないんだって。買い物は殆どネットの僕にはわからない心理だ。

いつもの護衛の運転で新宿駅の近くまで来て、車から降りる。護衛のひとりに「頑張ってください」って言われたけれど、何を頑張るのだろう?二人の大人はにやにやしているけれど…

お弁当は、警護の二人の分も作ったから、結構な量だ。かさばるので車で保存していてもらう。

買い物中でも大体の行き先は前もって予定されている。これは警備の都合上仕方がない事だ。

警備と言っても、SPのようにつかず離れず弾除けになるわけじゃなく、僕達の周囲で不審人物がいないかどうか目を配る事がお仕事だ。ただの休日の買い物で事件に巻き込まれるほど、この国の治安は悪くない…はずだ。

二人は僕達の視界にはむやみに入らないよう、絶妙な距離で警護してくれる。そのあたりは熟練しているので、七草家のガードとも打ち合わせは出来ている。

それに『魔法師』は武器を持っているから、いざとなれば僕達で対処する。でも、警備担当にしてみれば、僕達が『魔法』を使うような事態なった時点で、負けだ。警備の網は緩いようでしっかりしている。その分プライバシーはなくなる。まぁ守秘義務があるので何があっても他言はしないけれど。

 

僕は、待ち合わせ場所の、駅前のテラスにあるへんてこな石のモニュメントの前に立っている。

人口が減少しているこの時代でも、流石に都心なので人出は多い。目の前を行きかう人たちは、ぽつんと立つ僕が『戦略級魔法師・多治見久』だと気付くことは無い。私服でも際立って目立つ深雪さんと違って、一高の制服を着ていない僕は、ただの女の子…もとい、男の子にしか見えない。

モニュメントの前に到着したのは、10時20分前。つまり9時40分。

これがデートなのかはともかく、待ち合わせは、男が先に来て、女の子が後から来る。「待った?」「うぅん、僕も今来たところだから」と言う儀式をしなくてはいけないんだそうだ。

待ち合わせ時刻は決まっているんだから、時計を見れば、そんなやり取り不要だと思うけれど、真由美さんが昨夜、わざわざメールでそう伝えてきたから、そうした方がいいんだろう。

「待ち合わせ場所に20分以上早く来てそわそわしながら待つ」んだそうだ。

そわそわしていたら挙動不審だ。僕は、身じろぎしないでじっと立って、いつものように周囲を目だけで警戒する。僕に意識を向けている人物はいない…と思う。僕は探知系は苦手だけれど、視界に入っている人物なら、まず見逃さない。逆に視界の外からの攻撃はどうしようもない。まぁそれは誰だって同じだけれど。

駅前に暦どおりの涼しい風が吹いている。空は雲ひとつ無い。お昼頃には小春日和になりそうだ。

公園の芝生でシートを広げてお弁当を食べるのもハイキングみたいで楽しそうだな。

絶好のお出かけ日和…あっ、電動カーが一台、近くの交差点で止まった。助手席から現れた男性が、後部座席のドアを開けると、香澄さんがゆっくりと車外に現れた。すぐに僕に気がついて目で挨拶してくる。何だかそわそわしている。挙動不審だ。

香澄さんは男性と一言確認すると、少し小走りで僕に向かってくる。

目の前の駅前ロータリーまで直接車を着ければ良いのに、もしかしたら儀式はもう始まっているのかもしれない…

 

「おっ、お待たせしました」

 

「うぅん、僕も今来たところだから」

 

香澄さんが僕の目の前に立つや、すぐさま儀式を行う。実際、今来たところだし、香澄さんもほぼ同時刻に来たから、この儀式は謎でしかない。まぁ儀式とはそんなものか。

僕の服装は澪さんたちに無難にまとめてもらった。刺繍の入ったブルゾンに黒のスキニーパンツ。

動きやすさと男の子っぽさを優先しているけれど、クリップでまとめた腰まである黒髪のせいで、男装をしている女の子にしか見えない。

でも、一高入学当時、制服とパジャマくらいしか衣服を持っていなかった事を考えると、僕の生活も選択肢が増えたんだなぁって感慨深い。

香澄さんは、ミドルゲージロングカーディガンに白のブラウス、ハイウエストロールアップショーツにスニーカー。首もとのリボンチョーカーとベレー帽が可愛い。

最初に、褒める事が大事なんだそう。これは響子さんの受け売りだ。

 

「香澄さん、すごく可愛いよ。リボンチョーカーがお洒落だね。パンツがハイウエストだから脚がすごく綺麗だよ。あっカーディガンの刺繍が僕と似てる、おそろいだね」

 

服装に無頓着な僕だけれど、女性物の服装に関しては、実は詳しい。

だって去年、深雪さんと雫さんとほのかさんに買い物に誘われて、ひたすら女性物の服を着させられたし、響子さんも隙あらば着せてからかってくるから、悲しい防衛知識なのだ。それに真由美さんともお買い物の約束をしているから、知識を溜めて防衛力を高めているのだ。そうしないと言われるまま着てしまう。僕は基本、疑う事を知らない。

女性の服装に疎いライトノベルの鈍感主人公とは、僕は違うのだ。

 

「あっ、ありがとうございます」

 

あまりに詳しく褒められて、香澄さんが驚いている。正直、向き出しの足がちょっと寒そうだけれど、香澄さんは熱でもあるかのように、頬を赤らめている。それと…

 

「あっ、香澄さん、ルージュ引いてる」

 

「えっと…はい」

 

一高では化粧なんてしてない。ティーンの肌に化粧なんていらないと思うけれど、女の子のお洒落に文句を言ってはいけない。それに、似合っているから、

 

「淡いピンク。ぷるぷるしててすごく柔らかそう」

 

顔を近づけて、まじまじと見つめる。うん、可愛い。

 

「あああっ、有難うございます」

 

「美味しそう」

 

「ふぇ!?おいし…そう?」

 

香澄さんの唇は、艶やかで瑞々しい。今朝、お弁当で調理した脂の乗ったサーモンを連想させた。僕は、色気より食い気だ。

 

「だっ、だったら、食べても良い…で…す…(待ち合わせでいきなりっ!?)」

 

香澄さんが真っ赤だ。まっかっかだ。大丈夫かな…早く風の当たらない室内に移動した方がいいね。唇は食べられないよ?

僕は香澄さんの手をすっと握った。

 

「あっ」

 

香澄さんの手は相変わらず熱い。これは僕の体温が低いからそう感じるんだと思う。寝る時も、響子さんと澪さんの体温で布団が温かいし。

 

「本当は男の僕がリードしなくちゃなんだけれど(これも真由美さんのメールにあった)、僕は方向音痴だから、迷子にならないように、今日は一日手を繋いでいても良い?」

 

「あっいきなり第一関門突破っ!?あっいえ、こちらの事です。良いですよ、手をずっと握っていましょう!はい!」

 

声が上ずっている。本当は迷惑なんじゃないかな…香澄さんは僕の手を強く握って、無言でずんずん歩き出した。引っ張られる。何だかリードに繋がれた散歩中の子犬みたいだ。

香澄さんのルージュをかすかにひいた唇がにやけているような気がしたけれど、多分、気のせいだ。

 

お買い物は駅近くのデパート。と言うより大型商業施設かな。複数のビルで構成されていて食料品から生活雑貨、小物やブランド物と、何でも売っている。

映画館に美術館、博物館に水族館、アミューズメント施設も充実している。要するに、21世紀初頭にあったサンシャインシティみたいな感じだ。

流石に『魔法師』に必要な道具は売っていない。ここは、むしろ一般人向けの施設だ。もちろん、『魔法師』が利用してはいけないわけじゃない。

ただ、『魔法師』の世界は、一般社会からは近いようで遠い。

今日のスケジュールは午前中はお買い物、それから施設内の温水プールで泳ぎを教えて貰う事になっている。

夏休みに僕のせいで海に流れてしまった香澄さんの水着も一緒に選ぶことになっていて、僕も男物の水着を…え?駄目…香澄さんと一緒の女性物コーナーで無難な物を選ぼう。

夏に着た水着は一回しか使っていないから、それを着れば良いのにと思うけれど、一緒に選んで買うことが重要なのだと、響子さんにこんこんと説明された。もったいないお化けが出るぞ!

プールの後に、噴水のある緑地広場でお弁当を食べて、後は商業施設を散策がてらウィンドウショッピング。広い公園で休憩でのんびりするのも良いな。

その後、車で移動して、赤坂でディナーだ。

荷物持ちの僕の体力が持つのか心配だ。

 

香澄さんは、情報端末でデパートの案内図を確認して、今の流行や各階の情報と照らし合わせている。僕達は手をつないだままだ。片手で起用に端末を操るのは、機械音痴の僕には難しい芸当だ。

 

「久先輩は何か見に行きたい所はありますか?」

 

尋ねられて、香澄さんの端末を覗き込む。僕達は手をつないでいるからゼロ距離だ。端末を覗くとお互いのほっぺたがくっつくくらい近くなる。

香澄さんは、本当に熱でもあるんじゃないかと心配になるほど、頬が熱いな。

僕は物欲が全然無い。嗜好品よりも生活必需品の方に目が行く。

 

「うーん…生活雑貨のコーナーかな。欧州の食器とかデザインが可愛いし」

 

「セーブルやマイセン、ジノリ…ミントンは…ないですね」

 

流石は七草のお嬢様。高級ブランドがすらすらと出て来る。

 

「そうだね。でも、そこまで高級な食器は要らないかな。家はお客様を招いてのパーティーとかしないから、日用品が欲しいな」

 

どうも僕の周りの女性はお嬢様ばかりだ。澪さんも、金銭感覚は少し世間からずれている。五輪家の関連会社から輸入ブランド品は、通常より格安で手に入れられるというのもある。

僕も少しその感覚に染まってきているから、ブランドもそれなりに詳しくなってきている。世間から見れば、僕はお金持ちだ。『戦略級魔法師』としても、人に会うときはそれなりの服装をしなくてはならないから、ブランドには詳しい。今は公式の場は一高の制服で問題ないけれど、卒業後は色々と気を使わなくてはならない。それは卒業してから考えるとして、

 

「とりあえず、上から順番に見ていきましょう」

 

「うん、お任せします」

 

僕が十代の女の子のお買い物のリードを出来るわけが無い。

僕達は、手をつないだまま、豪華な外装のエレベーターに乗った。

 

最初はティーン向けの小物や雑貨の売り場をわいわいと物色する。

香澄さんがいつも髪に飾りをつけているのは、双子の泉美さんとの差別化をはかる為でもあるけれど、そもそもリボンと言った小物が好きなんだよね。僕にはどれも同じようなデザインに思えるアクセサリーも、ひとつひとつ細かく比べながら選んでいた。

売り場には沢山のティーンの女の子がいて、男は僕だけだったけれど、誰も僕が男だとは思わないのは、お約束だ。ちなみに、今日の支払いは全て僕が払うことになっている。

僕もお洒落な西洋雑貨を幾つか購入した。荷物になるから、全て配送の手続きをした。ん?お買い物は全部配送してもらえば僕みたいな非力な荷物持ちは不要なんじゃ、と今更ながらおもうけれど、これはペナルティーだものね。

そして、水着売り場にやってきた。初冬のこの時期だから水着売り場は縮小されているけれど、ここは温水プールに併設された売り場だ。ここで水着を買うと、入場料が無料になる。

売り場の水着は殆どが女性物だった。男性用の水着は、売り場のすみっこに追いやられている。

泳ぎの練習をするのだから、スポーツタイプがいいかなと思っていたのだけれど、その手の水着はスポーツショップにあるんだろう、デザイン重視の水着ばかりだ。

それに、肌の露出を嫌うこの時代、その設定なのに、ハンガーにかけられた水着はどうして露出が多いんだろうね。

香澄さんも気になる水着を何着もハンガーごと僕に渡しながら、そんな水着を物色している。やっと荷物持ちらしい事をしている。

 

「どの水着が似合うと思いますか?」

 

なんでも似合うよ…は、厳禁だって響子さんに言われている。

 

「…うーん、数が多いから…」

 

「そっ、そうですよね、着た姿を見てもらわないとわからないですよね」

 

「うん」

 

たしかに水着だけでは判断ができない。僕は、きっぱりと頷いた。

 

「…うぅ」

 

顔の赤い香澄さんが何か良いたそうだったけれど、選んだ水着を僕の腕からひったくると、水着売り場の試着室に逃げるように入っていった。

試着室の扉が閉められると、当然中をうかがうことはできない。ただ、密閉性はそれほど高くない。着替えの音がごそごそと聞こえてくる。初冬のこの時期に、泳ごう何て思う人は少ないから、水着売り場は静かだ。ジッパーをおろす音なんかも聞こえてくる。

この薄い扉の向こうに、全裸の香澄さんがいる。水着の試着だから仕方がないけれど、自宅以外で全裸になるのは、変な感じがするなぁ。

着替えは、意外と時間がかかった。男の僕ならぱぱっと着替えるところだけれど、女の子の着替えはそれなりに時間がかかるみたいだ。僕は待つことはあまり気にしないので、閉じられた扉をじーっと見つめながら待っている。

待つこと、10分。ゆっくりと、試着室の扉が開いて、僕はちょっとほっとした。

ネービーにブルーとピンクのラインの入ったハイネックのブラ、ハーフパンツの香澄さんが現れた。水着と言うよりランニングウェアみたいで露出が少ない。いかにも、スポーティーな香澄さんらしい。

 

「うん、香澄さんらしいね。ブルーとピンクのラインが地味にならなくて、身体のラインもしっかり出て、お洒落可愛い。僕もこれにしよう」

 

本当は男モノのハーフパンツが良いんだけれど…

 

「そっそうですか?でも、いつもこんな感じのデザインが多いから、ほっ他のも見立ててくださいますか?」

 

自分の好みなら、それが一番だと思うよ。でも、僕は素直に頷いた。

 

「こっこれはどうですか?」

 

扉はすぐに開いた。水着は上下別デザインのビキニで、ブラは花柄のフレアデザイン。パンツの立体的な花の装飾が、

 

「すごく可愛いよ。でも、明るい花柄はすごく夏っぽいね。今の時期には合わないかな…温水プールに夏も冬もないか…な?」

 

「そっ、そうですね、じゃぁ次を!」

 

次は、フルレースの黒いビキニだった。ローライズで一見すると下着みたいなデザインだ。

 

「レースが繊細で素敵だね。なんだかショーツみたいだけれど、透けないように作られているんだね」

 

僕は失礼にならない程度に香澄さんの全身をまじまじと見つめる。うん、下着姿にしか見えない。

 

「ひっ久先輩はショーツを見ても、恥ずかしくないんですか?」

 

「え?うん。いつも洗濯しているからね」

 

それに、響子さんの下着はもっと透けている部分が多くて…パタン。あ、扉が閉まった。

なんだか、着替えるたびに布の量が減っている気がするな…

白いビキニの香澄さんが姿を現した。身体を隠す布の範囲が異常に少ない。パンツのサイドがストリングスになっていて自分で結ぶタイプだ。香澄さんも、すごく恥ずかしがっている。

ぎこちなく一回転すると、お尻が半分見えている。

香澄さんのビキニは、可愛いけれど、さすがに色気が欠けている。精一杯背伸びをしている感じだ。これから泳ぎを教えてもらうんだから、スポーティーな方が良いと思う。

 

「すごく似合っているよ。でも、それで泳ぎを教えてもらうのは頼りないかな…また僕がしがみついて脱げちゃうかもしれない。二人きりなら良いかもしれないけれど」

 

七草家のプライベートビーチじゃなくて、他人のいるプールで、それは大事件だ。香澄さんも、自覚があるのか、

 

「そっそうですね。これはお姉様向けでしたね」

 

次を試着するためにばたんと扉がしまった。そうか、あのビキニは夏休み、真由美さんが着ていたビキニに似ていたな。

真由美さんは、背の低い事を気にしているけれど、いわゆるトランジスタグラマーだ。胸の谷間がしっかりと出来る。

香澄さんは、真由美さんのスタイルを意識しているのだろうか。

僕は、胸が大きい女性が好きなわけじゃない。美月さんやほのかさんを見ても、とくに何とも思わない。ただ、大人の女性は胸が大きい方がいいなって、何となく思う。

『真夜お母様』も大きかった…よね?一緒に温泉に入った時に…うーん、あの日の事はやっぱり良く思い出せない。

 

(ああああぁ、恥ずかしい!やっぱりこれはやりすぎ!なっなんで久先輩はあんな冷静に、女の子の水着姿に感想を言えるのよ!)

 

香澄さんが何か言っているけれど、試着室は密閉されていて良く聞こえなかった。

その後しばらく、試着室からは物音ひとつしなかった。

ん?どうしたんだろう。香澄さんは待ち合わせの時から熱っぽかったし、まさか体調を悪くして倒れてしまった?でも、倒れるような音は聞こえなかったし。

僕は薄い扉の向こうの香澄さんを『意識認識』して確認してみた。

香澄さんの意識は、何だかうずくまってぷるぷる震えているようだった。何をしているんだろう。

僕は『意識認識』をやめて、香澄さんに声をかけようとしたけれど、広げた『意識』の中に、香澄さん以外の『意識』を感知した。すぐ後ろ、5メートルくらい後ろ。それも二つ。

 

 

「順調に行っているみたいね」

 

「そうですか?どうみても中の良い女の子同士のショッピングにしか見えませんが?」

 

「どうして、私まで…」

 

「あまり顔を覗かせると気がつかれますよ」

 

「平気よ、久ちゃんは探知系はからっきしだもの」

 

「尾行や監視をするとき、顔だけ出すのは逆に目立つぞ」

 

「他にお客はいないし、あぁ…あの人は久ちゃんの警護の男性ね」

 

「呆れられている…いや苦笑しているな」

 

「どう見ても、私達が不審者ですからね」

 

 

その二つの『意識』は既知の人物。僕にはある程度、肌の直接の接触があった人物しか『意識』は感じられないから、すぐにわかった。

僕は試着室の扉をコンコンと叩いた。

ゆっくりと扉が数センチ開かれて、香澄さんの顔半分だけが現れた。

 

「どっどうしました?」

 

「真由美さんと市原先輩、それと多分だけれど、渡辺先輩が水着売り場の、後ろの柱の影に隠れてる」

 

「えっ?お姉様がっ!」

 

驚いていたけれど、思い当たる節は…あるようだ。

 

「うぅうぅ…」

 

可愛い顔で渋面を作って、少し考えている香澄さん。

 

「久先輩!ちょっと、中に入ってください!」

 

扉の隙間から、白い腕がにゅっと伸びてきて、僕の手を掴んだ。すごい力で僕を試着室に引きずり込むと、扉の鍵をかけた。

 

「香澄さん?ちょっと待って、靴はいたままだ…あ…」

 

「…あ」

 

着衣室内の香澄さんは左手に水着のブラ、右手に僕の手を握って、その間の細い身体は…何もつけていない。全裸だった。

一瞬の間だったけれど、僕の超人的な動体視力は、香澄さんの丸く綺麗に整えられた爪先から、ふともも、お腹、胸を見てしまった。それはもう、ばっちりと。

 

ひしっ!

 

香澄さんが僕の視界から逃げるように、自らの裸身を僕に密着させた。狭い試着室でダンスでも踊るように抱き合う僕達。

今は身体が密着しているから香澄さんの裸身は見えないけれど、僕の目の前に香澄さんの潤んだ両目がある。僕は香澄さんの目を見つめている。お互いの熱も呼吸も感じられる距離だ。香澄さんは、羞恥でそのまま硬直しているようだ。

目を見つめたままだと、香澄さんの硬直は解けそうにない。視線を香澄さんの後方に移動させた。

 

「…あ」

 

移動させた僕の視線の先には、香澄さんの全裸の後姿を映す大きな鏡があった。香澄さんの程よく鍛えられた太ももとお尻のラインが僕の目に飛び込んでくる。

僕の視線に、鏡と、鏡に映っている自分の後姿をイメージしたのか、香澄さんは身体をぶるっと震わせた。硬直が解けたようだけれど、そのさい、お尻と胸がぷるんっと揺れたのがわかった。

 

「香澄さん、とりあえず、僕は後ろを向いているから、落ち着いて服を着てね」

 

僕は目を瞑って、香澄さんに背を向けようとした。でも、香澄さんは僕の手を握ったまま離してくれなくて、方向転換が出来ない。香澄さんのほうが力が強いから無理に後ろを向けない。

 

「香澄さん?」

 

「ひっ久先輩は、どうしてそんなに落ち着いていられるんですか!女の子の裸を見てしまったんですよ!普通は、もっと動揺して…」

 

女性の裸は見慣れている…なんて事はないけれど、まったく見たことがないわけじゃない。自宅のお風呂では澪さんたちは湯着なんて着ないしね。

 

「ずっずるいです。ボクばかり、恥ずかしい思いをして…」

 

ふるふる震える全裸の香澄さん。潤んだ瞳から、涙がこぼれそうだ。僕はブルゾンのポケットから清潔なハンカチを取り出すと、香澄さんの目じりにそっと当てる。

 

「ごめんなさい。でも、まずは落ち着いてね。見てしまったことは謝るから…」

 

「見たって!?どこまで見たんですか!」

 

「全部。僕の動体視力は…」

 

「…全部って…ぜんぶ…見たんですか…ずるいです。だったら、久先輩も脱いでください。ボク…わっ私も、久先輩の裸を見ますから!それであいこです!」

 

香澄さんが、テンパって奇妙な事を言い出した。僕が服を脱いで、何の解決になるんだろう。

でも、狭い部屋に自分だけ裸って言うシチュエーションは確かに変かも。僕も数日前、達也くんの家で同じような経験をしている。

僕も達也くんもその状態で比較的冷静、無感動で、お返しに達也くんの裸を見たいとは思わなかったけれど、女の子の感覚では、見られた仕返しに、見てやろうと思う物なんだろうか。

女心は、僕には当然わからないから、香澄さんの言うことが正解なんだろう。

 

「うん、わかったよ。僕も脱ぐから、手を放してくれる?」

 

「え?」

 

自分で言っておいて怪訝な声を上げた香澄さんが手を放した。自由になった僕は、するすると服を脱いでいく。

 

「あっ、その、え?あ?ちょっ」

 

香澄さんの言葉にならない声を無視して、僕は脱いだ服を丁寧にたたみながら、あっという間に下着も脱いで、全裸になった。そして、一歩下がって、香澄さんに僕の裸を良く見えるようにする。

香澄さんは、腕で大事な部分を隠しているけれど、羞恥心が欠けている僕は特に隠さない。だいたい、僕のような貧弱な子供の身体を見たところで、嬉しくはないだろう。

僕の身体は、肉が薄いし、肋骨が浮いている。向かい合う香澄さんは、真っ赤な顔で猛烈に照れているけれど、視線を逸らしたりはまったくしないで、僕の身体を凝視していた。

 

「おぉおぉぉ、お父様とは…違う…ね」

 

え?うん。男性的な魅力は皆無だよ。

僕達は、お互いの裸を(香澄さんは隠しているけれど)見詰め合っていた。

それは奇妙な時間だった。短い時間なんだけれど、ものすごく長く感じられる。香澄さん、ちゃんと隠さないと、ちらちら見えているよ。何がって?何がでしょう。

僕の裸身を凝視していた香澄さんがふらふらっと、いや、ふわふわっとした足取りで、僕に一歩近づいた。

ん?どうしたんだろう。熱にうかされているような表情だ。香澄さんの潤んだ瞳が近づいてくる。大事なところを隠していた両腕から力が抜けて、僕の細い身体に伸びてくる。

ピンクは見ちゃいけないよね…そう思った僕は、両目を塞いだ。香澄さんも、両目を塞いだのが、気配でわかった。それくらいお互いの距離は、ゼロだ。

香澄さんが少し腰をかがめた。僕のほうが背が低い。

心臓の鼓動が、聞こえてくる。香澄さんのルージュをひいた唇が、僕の唇に重なりそうなほど近くなって…

 

ドクン、ドクン。

 

ドクン、ドクン…

 

 

ドンドンドン…ドンドンドンッ!ドンドンドンドンっ!!

 

ん?

 

「ちょっと!香澄ちゃん!久ちゃん、試着室に二人して閉じこもって出て来ないけれど!何をしているの!」

 

「ナニじゃないでしょうか」

 

「おっおい、いくらなんでも二人は高校生だぞ。私も修とは初デートの時はそんな事まで…」

 

 

ドンドンドン!

 

 

外から乱暴に扉を叩く音が試着室内に響く。それは小さな試着室が揺れるほどだ。

香澄さんの唇が、僕の唇に触れる直前、香澄さんが、驚くほどの勢いで、後ろに飛び退った。すさまじく狼狽している。『魔法師』は冷静さが大事なんだよ。

 

「ひっ、久先輩、あっあの!」

 

「ああ、うん。まずは服を着ようか」

 

僕は冷静に言う。香澄さんが慌てて下着を着け始めた。僕たちは狭い着衣室でお互いの身体をぶつけながら、服を着る。

その間、ドアを叩く音は止まなかった。

 

「早く開けなさい!」

 

いやいや、僕達が服を着終わるまで、その扉は天岩戸です。

 

 

 

 




一ヶ月ぶりです。
この期間中に飛び飛びで書いていました。
余分が多かったので削ったりしたのですが、なんだかまとまりが無い話になってしまいました。
ラブコメは難しい。ラブコメは勢いだと思います。
エタってないですが、中々気力が足りないです。
でも、今後も頑張ります。

今回の話、達也の家で久が全裸を見られる話の対になる話です(笑)。
久は大人の成熟した女性の身体にはどきどきしますが、
香澄くらいの体型の裸にはあまり動揺しない変な子です。


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狙撃

ご無沙汰しておりました。
家の事情で気分的に余裕がなくて、しばらく続きを書けていませんでした。
エタってはいないのですが、久しぶりに書いたので文章がおかしいかもしれません…
家の事情はすっかり片付いたので、新年ですし、気分も新たに再始動。

前話がラブコメで幸せだったので、予定通りその反動が久を襲います。


読み返して、自分でもややこしくなって来たので、少々追加しました。
しかし余計ややこしくなったような…


 

 

国家間の条約締結は複雑で難しい。双方が余力を残している状況での交渉は、なおさら難しい。

横浜事変からの大亜連合との講和は大枠では定まっていたけれど、表向きは戦力の低下を公表していない大陸の大国は細かな部分で交渉を引き延ばしていた。

でも、九校戦後の8月、僕と澪さんが沈めた潜水艦に反講和派の大物が乗艦していたらしい。

あの日以降、反講和派は大亜連合の中枢から外されて、講和交渉は日本が領土割譲を迫らなかったこともあって、比較的停滞しないで進められたそうだ。

 

今日は12月25日、二学期の最終日だ。魔法科高校にセレモニーはないから午前中は普通に授業があった。成績は授業終了の鐘と共に各自が端末で確認する。

2-A の教室から色々な声があがっている。僕も恐る恐る一般教科を含めた総合教科の評価にアクセスするけれど、実はアクセス前に自分の成績はわかっている。

『戦略級魔法師』の僕は『魔法師』の象徴でもあるから、理想としては、僕の隣の席でいつもと変わらず微笑を浮かべている深雪さんのように総合成績一位になれればいいのだけれど、残念ながら『魔法』以外の僕の知能は所詮は…ああ暗くなるからこの話は終わりにしよう。

保護者呼び出しとまではいかないで、とりあえず、ちょっと及ばない成績は冬休み中のレポートで許してもらうことになった。うーん、この場合の保護者は誰になるのかな。烈くんか澪さん…どちらにしても超絶恥ずかしい。

補習で冬休み中に登校しなくても良いというのは、オンラインが進んだこの時代のおかげだ。

 

放課後は料理部で部活をして、下校時刻近くに生徒会室に顔を出した。名ばかり副会長の僕がする事は何もないというのは情けないけれど、それは二学期の高校生活が平穏に過ぎた証拠でもある。

日も沈んで、いつもの喫茶店に集まった僕たちはエリカさんの音頭でクリスマスのささやかなパーティーを開始した。喫茶店に集まったのは二年生だけで、水波ちゃんたち一年生は別の集まりに参加していた。放課後、水波ちゃんが深雪さんと一緒にいないというのも実は珍しい。

無神論者で無宗教で、『高位次元体の王』とかでもある僕がクリスマスを祝うのはおかしな話だ。勿論、そんな興を削ぐような意見は言わないけどね。

本当は昨日パーティーを開ければよかったのだけれど、喫茶店に集まった友人達はいろいろと家の事情があるから、普通の学生のようにイブを祝うことは出来ない。

僕も昨夜は、澪さんと響子さんの三人でパーティーを行っていた。腕によりをかけて盛大に料理を作ってパーティーを、と考えていたのだけれど…

実は、大亜連合との交渉の一環で、捕虜の交換が26日に秘密裏に行われる。

それは4年前の沖縄事変から8月のフロッグマン事件に至るまで国防軍が捕虜にした敵兵と、

敵軍に捕縛された国防軍の工作員や『魔法師』との交換で、表ざたには出来ないけれど、その人数は双方共にかなりの数になるそうだ。

響子さんの所属する部隊も、警戒の為に25日から出動、『戦略級魔法師』の澪さんも不測の事態に備えるために25日から3日間、都内の五輪家に詰めていることになっている。

何故、僕の自宅でなく五輪家で待機するのかは良くわからない。僕の家からでもあまり変わらないと思うのだけれど、僕が考えているより深刻な交渉なのかな?

澪さんが戦場に…?

不安を顔にすると、今回の五輪家での待機は年末の五輪家の事業との兼ね合いがあったそうだ。時々忘れるけれど、五輪家は多くの会社を傘下に治めていて、澪さんも経営責任者の一人なんだ。

僕みたいに学校以外は引きこもっているわけには、特に体調が回復した現在では、いかないのだ。澪さんだって社会人なのだ。

捕虜の交換はシステマチックに進められるそうで、響子さんも心配要らないと、大きな胸をぽよんと叩きながら言ってくれた。

それでも状況が状況なのでホームパーティーは簡単に済ませることになった。

それよりも終業日の25日から3日間、自宅は僕一人になる。

寂しがり屋の僕が3日も一人なんてションボリだ。なので、以前の約束どおり将輝くんに連絡して、冬休み早々金沢にグルメを堪能しに行くことにした。

本当は25日から金沢に向かいたかったけれど、流石に今日だと金沢に着くのが夜遅くなる。将輝くんは気にするなと言っていたけれど、世間的に遠慮しないと、僕も一応、良家の一員なのだから。

 

喫茶店でのパーティーは今年起きた事件を振り返りながら、他愛も無い雑談をかわしていた。喫茶店は貸切だったから、多少騒がしくても大丈夫だ。

 

「今年は平和だったね」

 

エリカさんが冗談を言う。

 

「そうかなぁ、結構大変だったと思うけれど」

 

幹比古くんの意見は、実に正しい。

 

「比較対象が去年だから平和と感じるけれど、十分物騒な1年だったよ」

 

ここにいるメンバーは荒事に慣れて、ちょっと一般的な感覚からはずれているよね。事件を欲している?血に飢えている…特にエリカさんは。おっと、エリカさんが睨んでくる…くわばらくわばら。

 

「横浜事変みたいな騒動に巻き込まれなかったからな」

 

そんなレオくんも、もっとトラブルよ起これ、積極的に巻き込まれたいなぁ、と考えているに違いない。

 

「あんなことが毎年起こってたまるか」

 

達也くんが苦笑しながら反論。場に笑いが満ちる。

僕個人としては、激動の1年だった。友人達とは別の場所で色々と巻き込まれている。それもあと5日で今年も終りだ。

論文コンペ以降、僕は奇妙な不安に捕らわれている。僕は『予知能力者』ではないから、その不安は杞憂と言うヤツだと思うけれど、流石にもう何も起きない…と思う。思いたい。

 

 

「達也さん、来年も初詣に行きませんか?」

 

パーティーが終わって、喫茶店からすっかり暗くなった外に出た時、ほのかさんが、いつものように感情が先走ってやや高い声で達也くんに言った。

すでに周りには根回しがすんでいるらしく、雫さんもエリカさんも参加することになっているそうだ。

 

「すまない、今度の正月は俺と深雪はどうしても外せない用事が入っているんだ」

 

周りからかためて達也くんの返事を待つほのかさんは、まさか断られるとは考えていなかったようで、過剰にショックを受けていた。

達也くんに寄り添う深雪さんの表情が何故か強張っていた。気分でも悪いのかな。顔色を失っている。初詣の件にしてはこちらも過剰だ。

深雪さんは僕なんかよりよっぽど健康だから、その顔色は周囲を不安にさせるけれど、深雪さんの変調に一番敏感なはずの達也くんの態度がかわらないのは、大丈夫だとわかっているからなのかな。

雫さんが深雪さんの体調を気づかい、エリカさんが微妙なフォローを入れて、場の空気がもっと微妙になった。

年末の寒い空気がますます寒い。

ほのかさんの視線が、あちこち泳いで、僕の前で止まった。

 

「そっそうだ、久くんも初詣に来ない?」

 

何だろう、このついで感は…肩の力が抜けそうになる。

エリカさんの口がへの字になって、雫さんがため息をこらえる。レオくんが上空の星を探している。深雪さんの吐く息が、白い。

達也くんをめぐる男女の感情は、この集まりの中で微妙な人間関係を構築している。それも、かなり不安定だ。

僕の友人達の中で、ほのかさんと美月さんは感覚が一般人に近い。

僕みたいな化け物と平然と付き合えるほうが異常なんだけれど、達也くんの異能も化け物クラスで、その存在感はとても高校生とは思えない。

その存在感が逞しさになって、ほのかさんの恋心と依存心が重なって、達也くんに近づきたいと言う想いになっているんだろうけれど、思春期の男女の機微は、僕は恋愛感情はまったくわからないから、友人達の人間関係を一歩引いた距離から見る事にしている。

それでも、危ういなぁ、と僕でも思う。達也くんが一言はっきりと拒絶すればすむんだけどなぁ。

僕とほのかさんは同じクラスだけれど、実はあまり直接の会話が無い。僕が無意識に放つ『戦略級魔法師』の気迫に時々気圧されているみたいなんだ。

僕とほのかさんの会話には必ず深雪さんが間にいる。その殆どが達也くんの話題だけれど、二学期後半、特にこの二週間ほどは深雪さんが何となく元気がなかったから、会話は少なかったな。

初詣のお誘いは僕にはなかった。別に仲間外れではなくて、何となくだけれど、みんなは来年も僕が九島家の元日の会に参加する物だと、漠然と思っていたみたいだ。

だから、僕は気分を害するようなことはなく、

 

「ごめんなさい、僕もお正月は澪さんと温泉に保養しに行く予定なんだ。それに冬休みは色々と用事が多くて…」

 

僕は『戦略級魔法師』としては学生なので公務にはつかなくても良い立場だけれど、年末年始は『魔法協会』の広告塔として、いくつかの会に参加しなくちゃいけない。面倒だけれど、自分で決めたことだからこなさないと。最初の『師族会議』での決定とはずいぶん違う気がするのは、大人の事情だよね。

 

「そっそっか、そうだよね久くんは『戦略級魔法師』だものね」

 

助けにつかんだ藁がつかみどころがなくて、ほのかさんの視線がますます泳ぐけれど、僕たちは話題をそれまでにして駅に向かって歩き出そうとした。

 

「五輪澪さんと温泉ですか、良いですね。どちらの温泉に行かれるのですか?」

 

美月さんが何の気なしに、尋ねてきた。別に深い意図があったわけじゃないのは誰もがわかっているけれど、ほのかさんと美月さん以外の、その場にいた友人達が一瞬ぎょっとして、足が止まった。

 

「ごめんなさい、場所までは言えないんだ。皆を信用していないわけじゃなくて、何かあった時、疑われたら迷惑になっちゃうから」

 

『戦略級魔法師・五輪澪』の居場所は厳重に管理されている。公式行事でないかぎり公表はされない。今回の温泉行きも数週間前から慎重に警備が配備されている。

僕自身には警備は、基本つけられていない。おかげで、比較的自由に行動できるけれど、どのみち引きこもりだから、澪さんの警備と同じ体制に組み込まれている。

そのあたりは微妙な問題なんだけれど、『魔法師』不足の現状では、僕が成人するまでは何となくこの体制で行くことになっている。

澪さんが不在の今夜は、僕の自宅は最低限の警備しかいない。コミューター乗り場の詰め所に数人、『魔法師』が待機している程度だ。警護の範囲とプライベートの境目も、微妙な問題だ。

 

だから、その間隙をついて事件が起きた。

 

 

20時過ぎに自宅につくと、玄関の人感センサーに反応する自動照明が点灯した。オレンジの淡い光に魔法科高校の制服姿の僕が照らされる。

玄関の鍵はノブを握ればオートで指紋と網膜を認証してロックが解除される。

今夜は「おかえりさない」と言ってくれる澪さんがいないので、少し猫背でノブに右手を伸ばした。

 

どんっ!

 

唐突に、左肩に衝撃を受けた。

最初は、誰かに叩かれたと思った。僕は探知系はからっきしだから、八雲さんが冗談で左肩を叩いたのかなって思った。八雲さんはいつも予想しない時に現れるから。

でも、八雲さんは酷薄な所があるけれど、過剰な悪戯はしない、はずだ。敵対しているなら別だけれど、今は敵ではない。おかしいな…

ん?玄関ドアの横の壁に、くもの巣状のヒビが走っている。ついさっきまでなかったヒビ。そして、壁は真っ赤に染まっていた。大量の赤い液体がヒビにそって流れている。

緩慢に、自分の左肩を見つめると、白い魔法科高校の制服が、真っ赤に染まっている。いや、僕の左肩の一部が制服の布地ごとなくなっている。

正確には肩甲骨と鎖骨と上腕骨、それらを繋ぐ関節の一部が、薄い筋肉と共にむき出しになっていた。

赤く染まった壁に、僕の失われた肉と骨がこびりついている。

そうか、あの赤い液体は、僕の血液なんだな、と理解した瞬間、もう一度、今度は左胸に背中からものすごい衝撃を受けた。まるで焼けたハンマーに殴られたような、強烈な一撃だった。

その衝撃で、僕は壁に身体ごと叩きつけられた。身体が壁に跳ね返されて、後ろを振り向く。

振り向く瞬間、壁に新たなヒビが出来ていることに気がついた。ヒビの中心に丸い親指くらいの金属が刺さっている。これは…弾痕…銃弾?

ああ、僕は、銃で撃たれた、と急激に悟った。僕の薄い胸板をライフルの弾が貫いたんだ。

銃声が聞こえなかったということは、長距離からの狙撃。もしくは『魔法』で音を消している。

この辺りはそれなりの高級住宅街で一軒一軒の敷地は広くて建物は大きい。

狙撃できるような建物は住宅街にはない。そもそも高層ビルは建築禁止になっている。僕の自宅の玄関は南向きだから、最寄り駅は反対側で、駅周辺の高層ビルからは建物が壁になって狙えないようになっている。

僕は振り向きざま、視線を遠くに向ける。

常緑樹の生垣の一部の枝が折れて小さな隙間が出来ていた。気にしなければ、気がつかない程の小さな、でも弾丸の衝撃で人工的に刈られた隙間だった。その隙間の向こうは隣家の屋根。その屋根の向こうは、冬の夜空。

星空の中に人工の光がある…自宅から真南に2キロほど離れた場所に高層マンションがあった。

普段はまったく意識していなかったけれど、生垣の隙間から、そのマンションの高層階の明かりが見える。屋上の航空障害灯が点滅している。

夜でもあるし、普通なら見えるはずの無い距離だけれど、僕の人外の動体視力は、月明かりに照らされた屋上にいる人物の動きを捕らえていた。

僕は『能力』で空間を圧縮した。空間そのものをレンズにして、その男を拡大して捉える。性別は、そう男だ。手にしているあれは、ライフルか。

自身の身長より長いライフルをリロードする動作に迷いが無い。CADと一体になったスナイパーライフルか…。男は、『魔法師』だ。月明かりのもと『魔法』を使って、この長距離での精密射撃に成功している。これほどの距離だと空気抵抗以外にも地球の自転すら射撃の邪魔になるはずだから『魔法』とは本当にすごい。

男が、高倍率のスコープを覗き込んだのがわかる。とどめの一撃を放つべく、引き金を引き絞る。

ゆがめた空間を挟んで僕と男の目が合った。

僕は、第三の射撃が行われる前にためらいもなく、その男を空間ごと消した。一瞬、70年前の僕の最後を思いだした。あの時のように周囲ごと消さないように、男のいる空間だけを異空間に弾き飛ばす。後には何も残らない。風すら起きない。当然、男の断末魔の声は聞こえない。

でも、ライフルは証拠として残しておけばよかったかな…屋上に薬きょうが残っているかな。僕の身体を打ち抜いた弾丸が家の壁に二つあるけど…

狙撃犯は単独のようで、屋上に別の影はない。

僕は「はぁ」と息を吐こうとして、できなかった。壁にもたれたまま、倒れないように足に力を入れる。

あの男がどの組織かと考える。当然、最初に浮かぶのは大亜連合の名前だ。今、僕が襲撃を受ければ、和平交渉は破談する。

襲撃されて、かすり傷程度だったとしても、表ざたになれば大問題だ。

響子さんも澪さんも戦場に赴くことになり、日常生活は尋常一様ではいられない。

狙われたのが澪さんじゃなくて僕でよかったな。

警戒が疎かだったことは事実だけれど、これほどの長距離からの狙撃ではどうしようもない。狙撃手の技量、『魔法』が卓越していたんだ。

卓越していたけれど、超越はしていなかった。その証拠に第1射は致命傷ではなかった。この程度の『魔法師』なら、世界にはいくらでもいるだろうから…本当に大亜連合なのかな?チラッと疑問が浮かぶけれど、今はそれを考えている場合じゃない。

なにしろ、僕は今、瀕死の怪我を負っている。

ロックを外したドアを『念力』で開けると、ゆっくりと隙間から身体を滑り込ませた。

玄関先は僕の血と肉片で汚れている。このままだと、誰だって変事に気がつくな…壁の汚れを『蒸発』で消す。去年、横浜のコンペ会場で深雪さんが使ったのと同じ『魔法』だ。

弾丸とヒビは消す余裕がない。でも、怪我の程度のわりに出血が少ないな…

ドアが閉まる。とりあえずは、安心だ。ノートやお弁当箱の入った手提げかばんを適当に放る。

 

「げっぼっ」

 

呼吸が苦しい…気管が血液で詰まっている。激しく咳き込んで、気管の血液を吐き出す。

左肺に血液がたまっているな。かろうじて右肺で呼吸をするけれど、気管に血液がすぐたまって、息が続けられない。

鼻と口からごぼごぼとあわ立った血液が溢れてくる。

痛い。失った左肩と、撃ち抜かれた左胸がとにかく痛い。激痛で大声を上げようとするけれど、気道が血で塞がれて声すらでない。

呼吸困難は苦しいけれど、『多治見研究所』の非人道的な実験で何度も経験しているから、僕は落ち着いていた。

それよりも、これ以上の出血は、血圧低下と酸素不足、思考の低下、心臓の停止に繋がる。だから、痛みに耐えつつ、『念力』でそぎ落とされた左肩と胸の大穴を塞いで、血液がこれ以上失われないようにする。

この段階で、最初の狙撃から30秒と経過していない。

こうして意識があるのも怪我の大きさの割りに出血が少ないからだ。僕は、まだ二本の足で立っている。重症だけれどこの程度の怪我なら…ん?

そこで、僕は気がついた。心臓の左心房と左心室が動いていない。二度目の射撃で、心臓を打ち抜かれていたんだ。だから出血が少な…

そう気がついた僕は、思い出したように床に崩れ落ちた。

床に頭をぶつけたけれど、その痛みを感じることがすでに出来ない。一瞬、意識が途切れた。『念力』が切れて、床に大量の血液が溜まり、すぐに池のようになった。

僕の『回復』は『意識』がないと働かない。そして、時間がかかる。治るまでは、とにかく痛い。

 

「がっはっぶ」

 

生ぬるい血の池に顔を浸けながら、『意識』をとり戻した僕は、右心房も停止するのを感じた。これはちょっとまずい…70年前の実験や戦場でも、心臓が止まったことはない。

僕の心臓は確かに、鼓動を打つのをやめている。

でも、硬い床や、生暖かい血、生臭い匂いが感じられる。心臓は止まっているけれど、脳はまだ死んではいない。『意識』はある。

『意識』があれば、時間はかかるけれど『回復』はできる。

僕は『念力』で心臓を動かした。心臓マッサージよりも確実で、これなら通常とかわらなく動かせる。体内に血液が流れるのがわかる。脳に血液が、酸素が送られてくる。

でも、心臓が動くと、傷口から大量の血液がシャワーのように溢れてきた。

これは、加減が難しいな…僕は、まるで他人事のように冷静に心臓の動き弱め、傷口を『念力』で塞いだ。

自分の心臓を『念力』で揉むのは流石に初めての経験だ。まぁ、そうそう経験することじゃないけれど、このままゆっくりと、時間をかければ、少しずつ『回復』する。でも、これほどの重症だと、簡単には治らない。

常人なら即死しているほどの大怪我なんだから当たり前だけれど、これまでの経験から、完治までには一ヶ月はかかると思う。その間、まったく身動きが取れない…

あぁ、だめだ、明日には将輝くんの家に行くことになっているし、3日後には澪さんも響子さんも帰宅する。

…心配かけちゃうな。

玄関を開けたら血みどろの僕が倒れていたら、澪さんは卒倒しちゃうだろうし…

どうする…?

僕の身体は『高位次元』からエネルギーを奪ってサイオンに変換して、肉体の『三次元化』をしている、らしい。

エネルギーは無限にある。そのエネルギーを利用した僕の『魔法力』はこの世界では破格の威力だ。単純な『魔法』でも『戦略級』の威力まで自在に操れる。なのに同じエネルギーを利用しているはずの『三次元化』は強めることも弱めることも僕の意思では出来ない。

やはり『肉体の三次元化』は、この世界の物理法則から逸脱した能力なんだろう。『肉体の三次元化』も一瞬ではできない。僕が三歳までの記憶がないのは最初の『三次元化』に3年かかったからかも知れない…

『高位次元』から流れてくるエネルギーは常に一定で、『回復』は『三次元化』した肉体を維持する能力で『三次元化』の一部なんだけれど、『多治見研究所』で訓練をして高めた結果でもある。

当時は常時投与されていた薬物のせいで『回復』は衰えていたからより強く『回復』しなくちゃとの第二の本能になるまで訓練をして高めた。今思えば高めすぎてバランスが悪くなってしまった。

『回復』が起きていないと使えないのは、『三次元化』のエネルギー(サイオン)を『念力』で奪っているからだけれど、肉体が健康な時は『精神の三次元化』に勝ってしまって、僕の成長を止めてしまう程になってしまった。

成長が止まった僕の小さな身体に『高位』のエネルギーは強すぎて、眠って『回復』が止まるとエネルギー過多になってしまい、睡眠中の脳を攻撃してしてしまう。

『高位次元体の王』だった頃の僕はもっと上手くその力を制御できていたのかもしれない。

 

『三次元化』の余剰エネルギーは肌が触れている人物に分け与えることが出来るみたいだ。その人物はその恩恵で体調がよくなる。澪さんや光宣くんがそうだし、響子さんの肌つやもとても良い。

そうなると熟睡できて『回復』も止まり『三次元化』のエネルギーも程よくなって、僕は成長するみたいなんだけれど…なんだかややこしいな…自分でも良くわかんないや。

子供のままなのがいけないのかな…大人の身体になれば『肉体』と『精神』のバランスがとれるのかな…

半死半生でぼぅっとした意識の中で考えても上手くまとまらない。そもそも、僕は頭があまりよくない…

『回復』は身体全体に働く力で怪我をした部分だけを治す『能力』じゃないけれど、訓練で高めた『能力』でもあるから、左肩に集中させることはできないだろうか。

さらに細胞の働きを『念力』で活性化すれば怪我の治療を優先できるかもしれない。

出来るできないじゃなくとにかく集中してやってみよう。長時間集中する事は苦手なんだけど…

とりあえずは左肺を治したい。呼吸が出来ないって、それはもう苦しいんだ…

 

 

 

 

 

 

 

「ぼっふ…」

 

あっ、ちょっと『意識』を失っていた。僕は一瞬、死んでいたな…

やり直しだ。心臓を『念力』で動かして…

それにしても、痛い。滅茶苦茶、痛いし、肩が熱い。そのくせ真冬の寒気のせいで肌は寒い。涙は溢れるし、肺から泡立った血液が鼻や口から流れ出る。

身体が半分死んでいるような状態で力が入らないから、おしっこも漏らしている。

汚いし、匂う。僕自身の匂いだけれど、臭い。臭いを感じられるほど『回復』しているのかと思うけれど、時々気絶をするから、何度もやり直しだ。

苦行のような『回復』を繰り返しながら、何度も心臓が止まっている。でも、脳が死ぬ前に『意識』を取り戻す。

ああ、やっぱり『意識』は脳にあるんだなぁ、と鈍い思考で考える。

健全な精神は健全な肉体に宿る、だよなぁ。『精神』は『意識』と同じ物…

あれ?こんな会話をいつかしたような…いやいや、今は『回復』に集中しないと。

それにしても、玄関は寒いな…床はもっと冷たいし、溜まった血は生臭くて…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「げほっ」

 

自分の声で『意識』が戻った。あれからどれくらい時間が経過しただろう。

さいわい、心臓は鼓動を自らうちはじめた。傷は気を失っている間も『念力』で塞いでいたから失血はしていない。ただでさえ僕の身体は小さいんだ、血の量だって少ない。これ以上はもったいない!

 

身体が冷たい。両手両足の感覚が無い。なんだか頭と左肩と心臓だけに身体がなった気分だ。『回復』を左肩に集中しているせいなのかな。

それでも、僕はまだ生きている。

何だか猛烈に眠い。普段、僕は眠らないのに、こんな時に眠くなるなんて、これは低体温の症状だ。血が足りていない。激痛と眠気の戦いは、眠気の方が優勢で…

 

眠っちゃだめだ。僕は身体を動かそうと、右手に力を入れた。自由に動かない…でも、池のように溜まっている血がぱちゃりと小さく音をたてた。

これだけ出血していれば、血は足りないよなぁ。

もう少し右手に力を入れると、薬指の指輪が床とこすれたのがわかった。

 

「あっ、指輪」

 

『真夜お母様』からいただいた指輪型CADは完全防水じゃない。長時間、僕の血液に沈んでいたとしたら…

僕はペンダントになっているデバイスにサイオンを送り込んでみる。胸のデバイスもどっぷり血を浴びているから…

ああ、デバイスも指輪も反応が無い。やはり壊れてしまったようだ。

『真夜お母様』と達也くんに謝らなくちゃいけないな。謝るには、まずはこの怪我を治さないと。

CADとしての機能は壊れたけれど、指輪そのものは僕に指にはまっている。

一人じゃない。そう、自分に言い聞かせながら『回復』を続ける。

 

 

 

「ふぅはぁ…」

 

少し余裕が出来た。痛みはすごいし苦しいけれど、慣れた。『多治見研究所』での実験の経験が役に立つなんて、まったく…

『回復』以外に出来る事を考える。

まずは、玄関と廊下の空調だ。全身が氷のように冷えている。ホームオートメーションのコントロールパネルは台所だけれど、『念力』でパネルを操作して、廊下の温度を上限に設定する。

うーん、流石に文明の利器。すぐに室温が上がって、肌に触れる空気が暖かくなる。

次は…と考えた時、制服のポケットに入れていた携帯端末が鳴った。

誰かが電話をして来たんだ。

四肢はまだ動かせないから『念力』で携帯端末を顔の前まで持ってくる。宙を音もなく飛んでくる携帯端末も血に濡れていたけれど、これは完全防水だから壊れていなかった。

ディスプレイを確認すると、将輝くんからだった。時刻を確認すると、朝の7時。昨夜の狙撃から10時間以上が経過したことになる。

その間、玄関に横たわったまま生死を行ったり来たりしていたわけか…まだ何とか生きている。

 

「久か?朝早くにすまないな、今日は何時ごろに金沢駅に着くんだ?バイクで迎えに行くから到着時刻を教えてくれ」

 

将輝くんの声は、いつも通りだ。なんだかすごく安心する。血の池に浮かぶ芋虫以下の状態の僕は、涙が出てきた。

 

「まさっげっほっげほっ」

 

やっぱり、まだ口を動かすのも辛い。返事をしようとして、口内に残っていた血と唾液の混じった液体を吐いてしまった。

 

「どっどうした久?」

 

玄関で半死人状態なんだ、とは言えない。

 

「あっ、ごめん…ちょっと体調を崩しちゃって…」

 

「体調?まさか腹を出して寝ていたんじゃないだろうな?」

 

冗談っぽく言っているけれど、その声は真剣だった。

 

「よくわかったね…ここの所、東京も寒かったから、学校が終わってちょっと気を抜いたらこのざまだよ…」

 

僕の体力が子供並みと言う事は、『魔法師』の間ではそれなりに有名だ。実はそれほど虚弱ではない事を、将輝くんは良く知っているけれど、電話越しの僕の声は、確実に病人の物だ。

 

「大丈夫なのか?ああ、五輪澪殿がいるから平気だったな、だが病気は『魔法』では治せないからな…」

 

心の底から心配してくれていることがよくわかる。嬉しいな。

 

「ごっごめんね。だから、今回は金沢に行けそうも無いよ…ドタキャンみたいでゴメンね…ジョージくんや美登里さん達に会うの楽しみにしてた…げほっ」

 

うつ伏せに横たわったまま頭だけ横に向けて会話をするのって、意外ときついな。まぁそれ以前に瀕死なんだけれど…

 

「いや、金沢にはいつでも来られるからな、冬休みは難しいから春休みに来ると良い」

 

「うん、ありがとう。みんなによろしくね…」

 

涙が止まらない。

 

 

ぐぅー。

それから、数時間が経過して痛みも苦しさもまだまだ酷かったけれど、急激に空腹に襲われた。異様なほど、大きな音でお腹が鳴った。

瀕死のこの状態で空腹を感じるなんて、僕はどれだけ食いしん坊なんだろう…

それだけ『回復』した…いや、僕の左肩は正視に耐えないままだ。まったく動けないし。

身体の一部分だけ『回復』させることは、なかなか難しい。

一瞬で怪我を治す『魔法』の話を第一話のプロローグ、去年の2月に生駒で烈くんとしたっけな…

 

「お腹すいたな」

 

あれ?声が綺麗だ。すうっと息を吸ってみる。

ああ、呼吸が楽になっている。肺と気道は『回復』したようだ。過去に無い『回復』速度だ。やはり『回復』はある程度は意図的に操れるんだ。

栄養を取れば、『回復』の助けになる。でも、食べるにしても、固形物はきついな…

あっそうだ、魔法科高校に入学した当時、購入していたエネルギージェルが台所の床収納に大量にある。賞味期限には全然余裕があるし、持て余していたんだよな。

でも、アレを飲むためには台所に移動しなくちゃいけない。

歩くどころか這うことも出来ないけれど、『念力』を使えば移動は容易い。僕は『念力』で自分自身を持ち上げて、台所に向かう。

真っ赤に染まっている制服からぼたぼたと血が垂れて廊下を汚していく。血液は一晩じゃぁ乾かないんだ…制服がべたついて気持ち悪い。気持ち悪いと思えるほどには『回復』しているみたいだ。

靴も履いたままだ。廊下をふわふわと移動する僕は、まるで幽霊だな。左肩が大きく削げているから幽霊よりはゾンビだけれど。

そういえば、冷蔵庫にはプリンもあったな…全身血まみれの半死人が台所でプリンを貪り食うって、シュールだなぁ。それにしても、僕は掃除は機械を使わないから…

 

「床、汚しちゃった…掃除しなくちゃいけないな」

 

僕はくっくっと笑った。瀕死なのに心配するところがおかしい。

僕は、間違いなく、おかしいや。

 








今回の話は、実はこのSSを構想したときに最初に考えていたエピソードのひとつでした。
一年生の初期に大量購入していたエネルギージェルはその微妙な伏線だったのです(笑)。
最初の構想ではこの事件は2年生の1月3日に起きる事件でした。
しかし、澪と響子が同居しているので一人で悶絶する状況にできなくて、
原作20巻の捕虜交換のエピソードからヒントを得て、12月25日に移動しました。
久はこの怪我のせいで、一条家のグルメ旅行にも七草家の年忘れパーティーにも軍部のお偉いさんとのパーティーにも、新年の帰省(九島家)もできなくなります。
心身ともに疲弊して、年末年始は山梨の清里の、四葉家のほとんどお隣の温泉旅館に澪さんと行くのです。
久の予感じみた不安は、的中するのか…
そして年が明けると、十師族との交流は疎遠になります。
とある二つの家と個人的な付き合い以外は、ですが。

久の『肉体の三次元化』と『回復』は自分でもややこしくなってしまいました…汗。
『肉体の三次元化』は久の意思に関係なく自動的に行われます。これはもともと『高位』からエネルギーを奪うためです。
『回復』は久の傷ついた身体を修復する力で、本来は怪我をした時にだけ働く力でした。
しかし、『多治見研究所』での薬物投与で『回復』はほぼ常時発動するようになり、薬物が増えるにしたがって『回復』も強くなりました。
もはや第二の本能となる程で、起きている間は無意識に『回復』してしまうようになりました。
肉体が健康になった今でも『多治見研究所』の呪縛からは抜けられず『回復』をし続けてしまってしまい『三次元化』による成長も止めてしまっています。
『回復』は全身に働く能力で、身体全体の治癒力を高める能力です。一部分だけをピンポイントに治す能力ではありませんが、時間をかければ欠損した部位も治ります。
今回は、それを『念力』で無理矢理一部分の治療に力を集中しています。
しかし、『肉体化』も『回復』も、達也と違って時間がかかります。
これは達也との差別化をはかるためで、久はスペックは破格ですが主人公の達也ほど万能ではない…というこのSSの基本コンセプトなのです。





今後も更新はゆっくりだと思いますが、お付き合いくださいね。


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往路

 

 

25日夜に狙撃されて瀕死の重傷を負った僕は、30時間以上をかけて撃たれた心臓と左肩を『回復』させた。少なくとも外傷は消えて、白い肌が戻っている。

左肩の失われた部位まで元通りに出来たのだから『回復』は常人のそれを凌駕している。

痛みもなくなったし、もう命の心配はしなくてもいいけれど、ぐっと体内のエネルギーを使い尽くした感じだ。体調が戻るまでは一ヶ月はかかりそうだ。激痛が2日で済んだのだから良しとしないとだけど、無理矢理に『回復』しても完全回復まで結局は同じ時間が必要なんだから、ままならないなぁ。

今は、ただ苦しい…キッチンの床にぐったりと横たわっているしかない。怪我人から病人になったわけだ…去年の二月ごろ、生駒の九島家に現れた時の体調に逆戻りだ。本当にままならない。

それにしても『回復』を意図的に使えるとは驚きだ。

自分の事なのに、本当に何もわからない。

 

狙撃した組織が、大亜連合の講和反対グループだとしたら、僕が五体満足な姿でいるところを早めに衆目に晒さないといけないなぁ。体調不良で引きこもっていたら悪い方に利用されるだろうし。

大亜連合。面倒な国が隣にある。まぁ何千年も昔から周囲にけんかを売ってる国だけれど…ちょっと滅ぼしてこようかな。

でも以前、市原先輩が言っていた。世界は大亜連合だけじゃないって。もっと面倒な国や組織が敵に回るかも…そう考えると、国防軍の開戦派も犯人候補になるな。国防軍がこの国の最大戦力の僕を狙うとは思えないけれど、どこにだって狂人はいる。僕だって狂人だし。

『戦略級魔法師』という肩書きだけじゃ不可侵の存在にはなれないのか。

じゃあどうすればいいのかな…

僕はどの派閥、思想組織にも組み込まれていない。魔法師の世界では僕は九島家の一員と認識されているけれど、現当主は僕の事をガン無視してるから、あえて言えば魔法科高校かな。あぁ、魔法科高校は組織として何の役にも立たないんだった。

強力な力を持つ個人よりも組織の方が恐れられるけれど、そうなると自分の主義や立場をはっきりとしなくちゃいけない。難しい言葉で言うと『旗幟を鮮明にする』だ。

僕の主義主張…『家族だけ』を護りたい。

そんな個人的な主張を受け入れてくれる組織なんてあるかな?

誰もが認める強大な力があって、家族を大事に想い、裏社会でも幅が効く。経済的にも豊かで、手を出したらただじゃすまないなんて噂があって、恐れられて…

ん?そんな組織…身近にあった気がする。まぁそんな組織も内側は別の思惑が渦巻いているんだろうけど。

ちょっと疲れたな…流石に…眠…い…

 

 

浅い眠りの中、血や尿で汚れた魔法科高校の制服が気持ち悪くて脱ごうとしたんだけれど、濡れている上に破れている制服を横たわったまま脱ぐのは難しくて、しかたなく『念力』で引きちぎった。

ただ、中途半端に引きちぎったせいで、破れた制服で縛られているみたいになって、しかも長い黒髪が体中にまとわりついて、妙に耽美でなまめかしい半裸になっている。

僕の細い身体の周りには空になったエネルギージェルとプリンのビンが散乱しているし、食べ残しがこぼれている。何とも奇妙で猟奇的な光景になっている。

半裸で寒いから室温を空調でガンガンあげているせいで、屋内は猛烈な臭気が満ちていた…

今、何時かな…

 

「澪さんと響子さんが帰ってくる前に掃除をしなくちゃ…」

 

僕が狙撃された事は秘密にしておかないと心配をかけちゃう。

まずはこの悪臭だよな。換気して空気の入れ替えをしないと。ええと換気システムはどのコントロールパネルだったかな。

人間の鼻は臭いに慣れるけれど、僕でさえ臭いと感じるんだから…

 

「こっこれはっ!?」

 

「久君っ!!」

 

勢い良く玄関ドアが開く音がして、直後、響子さんと澪さんの悲鳴がキッチンまで聞こえてきた。

あぁ二人とも帰ってきちゃった。二人一緒に帰ってくるなんてすごい偶然だけれど、新鮮な外気を吸っていた二人にしてみたら、この臭気はとても耐えられないだろうな。

でも、玄関から廊下、キッチンに撒き散らされた僕の血はかなり乾いているから、怪我の程度はわからない筈だ。

二人が靴を履いたまま廊下を走ってくる。澪さんの半狂乱の声が聞こえる。その声を聞いて、僕は逆に安心してしまった。大亜連合との捕虜交換は何事もなく済んで、二人とも無事に帰って来られたんだ…

靴…僕は靴を履いていないな…どこで脱いだんだっけ…キッチンの床を見ながら考えていると、扉が開いて二人の足が現れた。

 

「澪さん、響子さん、お帰りなさい」

 

僕は足に向かって話しかける。

 

「うっ」

 

「あぁっ!」

 

ぐったりと半裸で横たわる僕とキッチンの惨状に、二人の美女は絶句した。

 

その後は、もう大変だった。

澪さんは大粒の涙を流しながら取り乱すし、響子さんもいつもの冷静な職業軍人ではいられなかった。大事な人を失う苦しさを、思い出したのかもしれない。

澪さんに抱き起こされた僕は、にっこりと笑う。殆ど死人のような顔だけれど、笑ったつもりだ。

 

「澪さん…服が汚れちゃうよ」

 

「そんな事!怪我はっ!あの出血は…え?どこも怪我はしていない…?」

 

澪さんが僕の肌の露出した部分を隅々まで調べたけれど、外傷がまったくない。そのかわり僕の顔色はなく、全身が薄汚れて体温も異常に低下して冷たくなっていた。

ぺたぺたと僕の肌に触れる澪さんの手は温かいな。

 

「怪我はしていないよ」

 

「ライフル弾の弾痕がふたつあったけれど…」

 

響子さんが水道水で濡らしたハンカチで僕の顔を拭ってくれた。

屋内の掃除をして狙撃の隠蔽をしようと思っていたけれど、弾丸の事は失念していた…二人が玄関の弾痕を見過ごすわけがない。

 

「うん、狙撃されたんだ」

 

素直に白状する。

 

「なっ!?」

 

「ああ、犯人は『消した』から大丈夫。それに、あんまり腕もよくなかったね。二発ともかすり傷だったし。二キロ先からだったからそんな簡単には当たらないよ。いくら『魔法』を使ってもね」

 

僕は狙撃犯の事を簡単に説明した。

 

「かすり傷って…対魔法師用のスナイパーライフルはかすっただけでも肉をえぐられる威力のはずよ。表には血痕はなかったけれど?」

 

「うん、『蒸発』で血も肉片も消したから…あっ」

 

「くっ!」

 

二人が飲み込むように悲鳴を上げた。しまった…響子さんに誘導されて余計なことまで自白してしまった。やっぱり思考が鈍っている…

 

「玄関の血はかなり乾いていたけれど、量からして致命傷…」

 

ああ、それで二人とも慌てていたのか。

 

「平気。なんとか自力で治せる程度の傷だったから」

 

響子さんが僕の白い身体を疑わしげに見つめている。少なくとも外傷は全くない。尋問は続く。

 

「久君は『治癒魔法』は使えなかったはずよね」

 

「うん、しかもCADは壊れちゃったから、『念力』で細胞の働きを活性化して、怪我を治したんだ」

 

「『サイキック』ってそんな事までできるの…?」

 

「時間がかかったし体力も消耗したけれど、平気。お腹がすいて冷蔵庫のプリンを食べるくらい元気だよ」

 

プリンは食べ散らかされて、辺りにこぼれている。

 

「狙撃されたのはいつなの?」

 

「25日の20時過ぎ、学校から帰ってきたとき…」

 

「それから丸二日、ここで横たわっていたの?予定通り金沢に行っていると思ってたのに…」

 

「うん、将輝くんにはちゃんと携帯で連絡しているよ。体調不良で金沢に行けなくなってごめんって。それくらいの余裕があったから大丈夫」

 

だから騒ぎにならなかったんだけど、二人が苦悶に満ちた表情になる。心配かけないよう僕が強がっている事は二人にはお見通しだ。かすり傷ならこんな姿と場所で二日も倒れているわけが無い。

 

「それより、ごめんなさい、家の中汚しちゃった」

 

「それはどうでもいいから。まずは久君の身体を綺麗にしないと。澪さんお願いできる?」

 

澪さんは響子さんの尋問の最中、僕の小さな身体を黙って抱きしめてくれていた。ワンピースが汚れちゃった…澪さんがポケットから携帯型のCADをとりだすけれど、

 

「あっ、『魔法』よりも、僕、お風呂に入りたい。汚れもそうだけれど、全身が冷え切っちゃって…」

 

暖房はかけたけれど、手足が冷たくて、痛い。ただでさえ僕の平熱は低いのに、爪先なんて凍っているみたいだ。

響子さんが僕の小さな身体を軽々とお姫様抱っこして浴室に連れて行ってくれた。意外に力持ちだ。

バスルームの冷えた空気は澪さんが『魔法』で一瞬で暖かくしてくれた。その間に響子さんがまとわりついた制服と、血と尿で汚れた下着を脱がす。

全裸になったけれど、僕は特に恥ずかしがらず、響子さんにささえられてバスチェアにぐったりと座る。鏡に映った僕の裸体は、たったの2日でがりがりになっていた。人形じみた顔は人形そのもののように生気が無い。

僕はぐらぐらと不安定に座っていたから響子さんがずっと身体を支えていてくれいる。澪さんがシャワーで身体についた汚れを流す。血の混じった雫が二人の服を濡らしている。

 

「二人とも服が濡れてるよ…あ、汚れは、僕が洗濯するからいつものカゴとは別の…」

 

「「いいから、大人しくしてないさい!」」

 

涙目で怒られた。ボディーソープを泡立てたスポンジで身体を洗ってくれるのは良いんだけれど…

 

「ひゃぅん。あっ、そこは自分で洗うから…」

 

「だめです!」

 

澪さん!ちょっ、響子さんもここぞとばかり僕を羽交い絞めに…こんな時にいつもみたいに僕をからかって遊ぶ…いや、目が真剣だ。

 

「あぁらめぇぇぇぇ、はうぅぅ」

 

何とも可愛い声を出しながら身体の隅々まで洗われてしまった。

 

ぐったりとした僕が、湯船で温いお湯に肩まで浸かっている間に、二人は家の中の汚れを『魔法』で隈なく綺麗にしてしまった。あっという間で、外で警備している『魔法師』にも気がつかれなかった。

これで玄関の弾痕と病人状態の僕以外、狙撃の証拠はなくなったわけだ。

今回の事は二人の胸の内にしまっておいてもらう。もし表沙汰になったら、下手をすると戦争の引き金になるかもしれないし。

唯一の物証のライフル弾は響子さんが回収して、調査してくれる事になった。

『電子の魔女』が調べるのだから武器の出所はいずれ知れるだろうけれど、犯人と結びつくかはわからない。

自宅の防備も一考しないと。生垣は環境には優しいけれど、防御力はないからね。

 

夜、寝室のキングサイズのベッドでいつものように川の字になって眠る。ベッドは柔らかいなぁ。当たり前だけれどキッチンや玄関の床とは別次元の心地よさだ。

いつもより二人の距離が近くて、石鹸とシャンプーの香り、二人の甘い体臭とぬくもりにつつまれる。ベッドよりも柔らかいや。

二人の体温のおかげで、『意識』とか『回復』とか、そんな自分でもわからない思考からやっと開放された。

考えるのが億劫になって来たともいえるけれど、そうなると、本能的な感情が首をもたげて来た。

 

九校戦で『パラサイドール』が凍結させられる時の恐怖の感情は、僕の『精神』をがりがりと削って錯乱一歩手前にまでなったけれど、今回は自分自身に起きた事だ。

呼吸が止まり、心臓が止まって、脳も止まって自分自身の存在が過去に置き去りにされる。

積み重ねてきた経験や知識を失い、『意識』が霧散して、消滅してしまう…

『ピクシー』は『パラサイト』は生存本能が強いと言っていた。

僕もそれなりに生存本能があるけれど、それは『精神支配』より弱い。だから70年前、特攻を命じられても拒否できなかった。

これまでも達也くんに敵対するなら自殺するなんて言って来たけれど…

温かい布団に包まれているのに、ぞわぞわと太ももからお腹にかけて這い上がって来る形容できない感覚…これが自分自身の『死』の恐怖なのか。

殺戮兵器の自分が死を恐れるなんて滑稽だ。

昔の僕に比べると大事な物が多くなった。昔はそんな物がなかったから簡単に死ねたけれど、今は失う物が多くなって怖くなっているんだろうな。

僕の左右で静かに眠る澪さんと響子さん。達也くんに深雪さん。光宣くん、『家族』、友人、『真夜お母様』。

でも、もし、その『家族』が僕の死を望んだとしたら…僕はどうするのかな。

うぅん、こんな仮定の思考は停止しよう。体調不良で弱気になっているんだ。

両隣の二人は、僕の身体を抱き枕にして眠っている。抱き枕にしては骨ばっているけど、護ってくれているんだよね。嬉しいな。本当に嬉しい。

僕も二人を抱きしめるように眠る…ん?澪さん、少し胸が大きくなったような…もぞもぞ、ん、気のせいだね!

 

今夜の僕は熟睡できそうだ…

 

 

翌日、12月28日は寝室で大人しく寝ていた。やっぱり『吸血鬼』事件の時と違って一晩では元気になれなかった。

響子さんもお休みで、澪さんと二人で僕の看病をしてくれたんだけれど、気のせいか澪さんの態度に違和感がある。

僕への態度じゃなく、響子さんに対して少しぎこちない…二人は一歳違いの同世代だから共通の話題も豊富だけれど、今日の澪さんは口数が少ないな。喧嘩とは違う、どこか気まずいみたいな感じだ。響子さんは澪さんのその態度に、僕の病状が心配で気分が落ち込んでいると思ったみたいだ。

ベッドでぐったり寝ていても僕は食いしん坊だから、三食とおやつはガッツリ食べる。その事は二人ともこれまでの生活で知っているから、病人食じゃないちゃんとしたご飯を作ってくれた。

キッチンからあまり弾まない会話が聞こえてくる。

 

「久君は大丈夫よ。ゆっくり温泉で養生してきて。あー私も行きたかった。年末年始くらい軍務を忘れたいわ」

 

「ええ、ありがとう」

 

僕の怪我の事とは違うみたいだし、五輪家で何かあったのかな?

 

実は今夜は七草家のパーティーと言う名の忘年会に招待されていたんだけれど、この状態では参加は無理なので、昨夜のうちに不参加のメールを送っている。

真由美さんから了解のメールと共に「お腹を出して寝てちゃ駄目よ!」と追記があった。将輝くんもそうだけれど、どうしてみんな僕がお腹を出して寝ていると思うんだろう。まぁ実際はお腹どころか半裸でキッチンの床で寝ていたんだけれど…

 

僕の血に濡れて壊れていたデバイスと指輪型CADは、血が乾いた後に澪さんの『魔法』でクリーニングをしたら使えるようになった。こう言った繊細な『魔法』は敵わないなぁ。それに流石はトーラスシルバー謹製のCAD、耐久性も一流だ。

でも念のために、冬休みが明けたら達也くんに調整してもらわないといけないな。

うっかり水に落としてしまったとか、そんなウソが達也くんに通用するかな…

 

翌29日、僕と澪さんは、澪さんちのリムジンで山梨の清里に予定通り向かった。温泉での保養が湯治になっちゃった。

響子さんは今日から年末年始関係なく軍務だって。労働基準法は守られているのだろうか。

澪さんの憂いのような違和感はこの日も残っていた。響子さんもそれに気がついた。何かあった事は確実だけれど、澪さんがいつも通りを貫いているから、僕も聞かないでいる。

 

正午ごろ、僕達を乗せて練馬を出発したリムジンは、前後に護衛の車両、上空にはヘリという陣容で、ゆっくりと山梨に向かっていた。

僕は澪さんの太ももに頭を乗せて横になっていたし、澪さんも僕の手をしっかり握っていてくれた。誰かがすぐ隣にいるって物凄い安心感がある。それが澪さんなら僕は全身全霊をゆだねることが出来る。

リムジンは振動を感じさせず、高速道路を走っていた。

僕の体調はあまりよくない。胸が締め付けられて呼吸が苦しい状態が続いている。『回復』で治ったのは見た目だけで内臓はまだ完治には程遠い。

「はぁはぁ」と呼吸音が静かな車内に響く。決して澪さんの香りで興奮して息が荒くなっているわけではない。でも良い香り…

 

今日の移動は国が派遣した『魔法師』に護られているから、僕の出番はないはずだけれど、僕を狙撃した組織が不明な現在では、油断は禁物だ。澪さんも緊張感を持っているし、僕もなけなしの警戒を周囲に向けていた。

 

「ん?」

 

高速道路を走るリムジンが山梨の甲府に入ったあたりで、僕は閉じていた目をすっと開いた。

 

「どうしたの?」

 

澪さんが敏感に反応した。

 

「うぅん、なんでもないよ。僕の頭、重くない?」

 

僕は笑顔を作って、澪さんの顔を見上げる。

 

「まだ目的地までは時間がかかるから寝てて良いですよ」

 

「うん」

 

僕は再び目を閉じた。澪さんは狙撃事件のこともあって、いつにもまして優しい。心配をかけちゃいけない。

でも、純粋な『魔法師』の澪さんでは感じられなかったみたいだけれど、『サイキック』の僕はその異変に気がついた。不均質で粗雑な『能力』の波動…

北西に10キロほど行ったあたりで誰かが、いや複数人の『サイキック』が戦闘をしている。一人一人の能力は悲しいくらい低い。『魔法師』ではない。純粋な『サイキック』だ。

おかしいな。僕は自他共に認めるほど探知系は不得手だ。『サイキック』も『魔法』も視界に入っていないと気がつけない。横浜事変ではそれで『発火能力者』に苦しめられた。

この『サイキック』は僕の『能力』に似ている。感覚としては奇妙な物だけれど、『能力』を使っている時だけその存在を感じられる。でも、『サイキック』の効果範囲が異常に狭いみたいだ。自身の身体と周囲数十センチ程度…

そこではたと気がついた。この『サイキック』は『人造サイキック』だ。

群発戦争時代、『多治見研究所』でのサイキック実験の結果から開発され乱造された欠陥兵器。

それも僕と同じ施設にいた『弟たち』のように手探りで造られた『サイキック』じゃない。僕の遺伝子情報を用いて画一的に生産された、最後期のシリーズのようだ。

烈くんによると『人造サイキック計画』は、血縁による魔法師開発で『十師族』やナンバーズが生まれたことによって規模は縮小。その後も細々と続いていたけれど、それも40年前に打ち切られた。

計画凍結後、『人造サイキック』は処分される所を烈くんの口利きで施設軟禁という事になった。生存していれば今は60歳前後になる、僕の『弟』たち。

その『サイキック』たちが誰かと戦っている。どうやら不利のようだ。『能力』が発動しても鉈で切られるように、一人また一人と倒されている。

何故この時期に?集団で収容施設を脱走したのだろうか?

脱走しても逃げ場所なんて無い。たとえ逃げ延びても、人知れず静かに生活なんて事はまず無理だ。脱走兵としていずれ国防軍に狩られるだけ。自分達が『魔法師』と比較して劣っている事は理解しているはずなのに?

疑問符だらけだ。でも、僕は『サイキック』たちを助けようとは思わなかった。『サイキック』たちが同じ施設にいた『弟たち』だったなら何を置いても助けに行ったけれど、あの子達はもういない。

『人造サイキック』とは言え、何十年も施設に軟禁されていたのは、能力を危険視されただけじゃなく人間的にどこか問題があるからだろう。強化人間は精神がイビツになるし数十年も閉じ込められていてはなおさらだ。

ひょっとして兵器として最後の機会を与えられたのかな?兵器だから戦いの中で死にたいと思ったのかな?

いや逆かな。『人造サイキック』の存在を疎ましく思う誰かが、年末の大掃除をしようとしたのかも。世界は『灼熱のハロウィン』から混迷の一途、過去の遺物は今後の『魔法師』全盛の時代には無用の長物だ…田舎とは言え人目もある街中でって疑問はあるけれど…うぅん、どこの組織にも組していない僕には状況も思惑もわからない。

そんな事を考えている間に、戦闘は数分で終了した。『パラサイト』の時と違って断末魔の悲鳴が聞こえなかったから、勝敗も生死もわからない。彼らのその後も。

冷たいようだけれど自分の運命は自分で何とかしてもらうしかない。僕だって自分の事で手一杯だし、そもそも今は身体が不自由だ。思考も鈍っている。

僕は『サイキック』の声にならない声から耳をふさぐように寝返りをうって、澪さんのお腹に顔を埋めた。殺伐とした戦闘より、澪さんの膝枕でいつまでも寝ていたい。

 

それにしても、このタイミングで僕の『過去』にニアミスするなんて…

 

 

リムジンはその後、高速から一般道に降りて田舎のうねった道を進み、何の問題もなく、清里に到着した。警護のヘリは近くの国防軍北富士駐屯地で待機、『魔法師』も宿の周囲を僕達の目に付かない位置で警戒に当たってくれてる。

宿は昔ながらの懐かしさを感じさせながらも、古民家を現代建築で再生した温泉宿だった。

一日一組限定で囲炉裏やカウンターもある。広い露天風呂も小さな檜風呂もあって、当然、大きなテレビもある。セキュリティーも万全で防弾ガラスからの眺望は雪を冠したアルプスの山々で、他の建築物は一切視界に入らない。静かに聞こえてくるせせらぎは、宿の横に人工的に作られた小川だって。

宿泊客よりも従業員の数が圧倒的に多いけれど、接客は二人程度で隠れ家的な雰囲気も作り出している。広すぎず狭すぎず計算された空間…はっきり言って超高級な宿だ。ここは『四葉』の系列の宿なんだけれど、その事は秘密になっている。

僕にはちょっと贅沢すぎて気後れしちゃいそう。

澪さんは平然としている。五輪家は七草家に匹敵するお金持ちだ。こんな宿を二人で貸切なのだから、いつもなら「夫婦水入らず」とか「しっぽり濡れて…」とか言って僕が突っ込むのがお約束の筈だけれど…

澪さんはどこか元気が無い。響子さんへの態度と言い、何かを隠しているみたいだ。

 

「なんにしても、まずは温泉だよね。美味しい物を食べて、のんびりしようよ澪さん」

 

僕は努めて元気な声を出す。

 

「ええ」

 

澪さんも静かに頷く。

こんな空気の美味しい綺麗な場所に保養に来たけれど、体調不良で立っているのも辛いから散策も観光もレジャーもできない。まぁ、どうせ僕達は引きこもりだ。たとえ元気だったとしても食事と温泉以外は大きなテレビの前から動かないんだよなぁ…汗。

とりあえず僕は美味しい物さえ食べられれば幸せだ。澪さんもいるしね。

 

 

 

体調不良に『過去』との遭遇、澪さんの態度、京都での論文コンペから続いている僕の不安感。

囲炉裏に薪がくべられて室内は暖かい。窓の外は鈍い色の空からちらちらと小さな白い粒が降って来ていた。冬の山々は、澄んだ空気の中すごく綺麗だった。でも僕は、雪を頂く峰に圧迫感を感じずにはいられない。

僕は『予知能力者』じゃないけれど…2096年もあと2日で終わる。

 

 




初期の構想では、達也が警察の介入で倒し損ねた『人造サイキック』を比較的元気な久が倒す予定でした。
「僕に殺されるのが一番の供養かもね。まぁ倒されるほうにしてみればフザケンナだけど」とか言いながら。
しかし、狙撃事件を1月3日から12月25日に移動させたことで、現在の久は肉体的にも精神的にも弱っています。
一方的な殺戮と澪さんの膝枕どちらが良いか。当然、膝枕を選びますよね!
そして、運命の31日がやってきます。
不安感を煽りまくられ、肉体的にも弱らせられた久の運命は!

すべては真夜の掌の上なのですが、次話は書くのは難儀しそうです。

そして4月現在、とても難儀しています…汗。



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狂気

お久しぶりです。


淡い良い香りがする。

芳香剤とは違う、自然の香り。この宿の建材に使われている紫檀の香りだ。紫檀は東南アジア原産で、極楽の香りだと言われているそうだ。勿論、僕がそんな知識を持っているわけがなく、この宿の仲居さん、コンシェルジュが教えてくれた事だ。

でも、何処か懐かしい、記憶の隅に残っている香りだ。

以前、四葉本家に訪れた時にも嗅いだ記憶がある。時間をかけて、肺の奥までじっくりと染み込んでくる香り…

 

ぱちり。

 

豪華なマントルピースに囲まれた暖炉から、薪の爆ぜる音がした。

 

「静かだな…」

 

僕の呟きも、暖炉の炎の揺らめきに融けて行きそうなほど、静かだ。大きなガラス窓の外は、深々と雪が降っている。広い室内は暖炉の熱で暑いくらい温められている。

今日は12月31日。大晦日を清里の高級温泉宿で過ごしている。今は、澪さんはいない。僕だけが一人、暖炉のある、やや都会的なインテリアのあるリビングのロッキングチェアにゆっくりと腰掛けている。

膝には毛布をかけて、健康な澪さんなら暑すぎるけれど、ただでさえ体温が低い僕は、今はまごう事無く病人だ。暑過ぎるくらいの室温がちょうど良い。

ぱちぱちとミズナラの薪がゆっくりと燃えている。その炎をぼうっと見つめながら僕は『念力』で新しい薪を暖炉にくべた。いつもの僕なら、『念力』に頼らないのだけれど、残念ながら今は腕を動かすのも億劫だ。

澪さんが隣にいるときはその『念力』で身体を動かして、努めて元気のふりをしていた。澪さんが他出している今は、ぐったりとロッキングチェアに横たわっている。

 

時刻は16時、夕食前のまったりとした時間だ。時間は贅沢に流れているけれど、正直僕自身は体調不良であまり贅沢を味わえない。本当は、魔法科高校の課題を済ませなくてはいけないのだけれど…肉体も気分も落ち込んでいる。

これは、去年の2月、僕が生駒の九島家に現れた頃と同じような体調だ。あの頃はそれでも一生懸命勉強して、魔法科高校に入学したよな…あの頃は光宣くんが隣にいてくれた。現在は『戦略級魔法師』の澪さんと響子さんがいつも隣にいてくれる。これはすごく心強い。今の僕は、あの頃みたいに不確かな身分じゃない。『魔法師』の世界では超有名人。非魔法師にも知られた存在で、立場的には将来はそれなりに約束されている。まぁ、その分、自由はなくなるけれど、それは大学を卒業してからの話。その前に高校を卒業出来たらの話だ…

澪さんは昨日、宿に到着してから僕の側から離れようとはしなかった。自宅にいる時もそうなんだけれど、それ以上にお風呂に入る時も寝る時も一緒(僕は素っ裸だけれど、澪さんは湯着を着ていたよ、勿論)。

その澪さんは今、エステに行っている。この宿のプランの一つで、コンシェルジュのお勧めだった。これが響子さんなら真っ先に食いつきそうなプランだけれど、仲居さんの説明に、澪さんが興味を示したのはちょっと意外だった。

澪さんは世間一般から見ても美女で、どちらかと言えば…いやどう見ても高校生程度の容姿だから、美少女なんだけれど、普段の生活が生活なので、日頃はあまり化粧っけがない。

化粧なんていらないほど肌も若々しい。それこそ十代の肌なので、エステとかには興味なんてないと思ったのだけれど、やっぱり女性なんだな。

澪さんが綺麗になるなら僕も嬉しい。その間は、僕は本来の病人に、力を抜いて戻れるわけだ…

 

 

プルルルー♪

 

ん?電話だ…

うとうとと船を漕ぎ始めていた僕をテーブルに置いていた携帯が起こした。高級宿の静かな部屋にはそぐわない、日常的なコール音。

携帯は手を伸ばせば届く距離においてあるけれど、僕は『念力』で携帯をとった。宙に浮いた携帯の画面を確認する。

相手を確認すると、携帯を左手に握り耳に当てる。携帯電話は左耳じゃないと何処か落ち着かない。機械音痴の僕もずいぶんと慣れた事だ。

 

「こんにちは、『真夜お母様』」

 

「こんにちは、久。宿の居心地はいかがかしら?」

 

電話の相手は『真夜お母様』だった。

 

「はい、静かで落ち着きます。温泉も食べ物も素晴らしいです。今回はご招待いただき有難うございました」

 

僕は携帯に向かってお辞儀をする。携帯は音声モードだから、僕の姿は『真夜お母様』には見えないけれど。

 

「なら良かったわ。おくつろぎの所悪いのだけれど、今すぐこちらに来てくれる?」

 

「はい、『四葉家』に向かえば良いんですか?」

 

『真夜お母様』は僕の体調の事は知らない。宿のお礼をしなくちゃと思っていたからちょうど良いや。

 

「私の居る書斎に」

 

ん?妙に限定的だな。

 

「ええと、以前のように運転手さんがお迎えに来られて、その車に乗れば?」

 

「いいえ、今すぐ私の前に来てちょうだいな。大事なお話があるの。ちょっと時間がかかるけれど、五輪澪さんの事なら心配は要らないわ。エステの後も色々と身づくろいの予定があるから」

 

澪さんのエステは宿のコースだから『真夜お母様』もご存知なんだ。身づくろいの事はよくわからない。それも宿のプランなんだろう。

 

「今すぐ…人目についてはいけないって事ですね」

 

宿の周りは国が手配した『魔法師』たちが十重二十重に僕と澪さんを警護している。

 

「貴方の『能力』なら一瞬でしょう?」

 

「わかりました」

 

返事をし終わるより早く、僕は暖炉の前から書斎へ『瞬間移動』していた。風格のある木製の机や本棚に囲まれた部屋、ソファにドレス姿の『真夜お母様』。その斜め後ろに、当然の様に葉山さんが立っている。葉山さんはいつものように背筋をぴんと伸ばしていたけれど、それほど広くも無い書斎に何の前触れもなく僕が現れて、流石に驚いたみたいだ。

『真夜お母様』に変化は無い。

 

「こんにちは『真夜お母様』、葉山さん」

 

僕は携帯端末をパジャマのポケットに入れてから挨拶をする。

僕が『瞬間移動』出来る事を『真夜お母様』は知っていたんだ。達也くんから聞いたのかな。

 

「こんにちは久。私の居場所が良くわかったわね。書斎とは言ったけれど、どこのとまでは言っていなかったのに。貴方の『能力』で私の居場所がわかるのね。誰の『意識』も感じられるの?」

 

そこまで知っているんだ。さすが『真夜お母様』だ。

 

「いいえ、『真夜お母様』の他には、澪さん、響子さん、達也くん、深雪さん、真由美さん、市原先輩に香澄ちゃん、光宣くんに…十文字先輩、烈くん…かな」

 

指折り考えながら『意識認識』できる人物の名前を言う。『パラサイト』は数に入れなくても良いか。

 

「くすっ、女性が多いわね」

 

多いとは思わないけれど、『真夜お母様』は僕の女性関係に興味があるみたいなんだ。まぁ『お母様』だからって言っていたし。

僕は書斎を失礼にならない程度に見回した。黒に近い深紅のドレス姿の『真夜お母様』にスーツ姿の葉山さん。だらしなくパジャマ姿の僕は、この部屋の雰囲気に合わないな。

 

「あ、着替えてから『飛んで』くればよかったです」

 

「あら良いのよ、くつろいでいるところを呼び出したのだし。でも、そうね、葉山さん。久の着替えを持って来てくれるかしら」

 

葉山さんは執事だけれど、そんな雑事をするような立場じゃない。でも文句一つ言わず書斎を後にする。

 

「こちらにいらっしゃい」

 

椅子に座ったままの『真夜お母様』が軽く両腕を広げたので、僕は吸い込まれるように『真夜お母様』の腕に抱かれる。

『真夜お母様』から良い香りがする。

 

「少し痩せたかしら?」

 

この香りは香水なのかな。それとも『真夜お母様』の香りかな。『真夜お母様』が僕の頭を撫ぜてくれる。葉山さんはすぐに戻って来た。手に四角い漆器の盆を持っている。盆には丁寧に折りたたまれた衣装。

ん?何だかフリルやリボンが沢山ある服だな…ん?この流れは、女装させられる?深雪さんとは近い親戚だものなぁと考える。

ただ、何だか僕は『真夜お母様』の香りに包まれて、ぼうっとして来ていた。

 

「さあ、立って。私が着替えさせてあげる」

 

「…はい」

 

『真夜お母様』が僕のパジャマのボタンをひとつひとつ外していく。書斎は暖房が効いていて肌をさらしても寒くはなかった。『真夜お母様』は何故か僕の下着まで脱がす。

脱いだ服は葉山さんが受け取って丁寧にたたんでいる。

完全思考型CADのペンダント型のデバイスと指輪だけの全裸になった僕を『真夜お母様』が見つめる。肉が薄くて骨が浮いている僕の身体は、いつにも増して弱弱しい。

『真夜お母様』の手が僕の左肩に触れた。狙撃されて失われたけれど無理やり『回復』させた部分。『真夜お母様』はじっとその箇所を見ている。『真夜お母様』の掌が熱い。

一緒に温泉に入った事もあるから裸を見られても別に恥ずかしくないけれど、『真夜お母様』の視線が僕の全身を見回したあと、僕の股間で止まって、

 

「まだ子供ね」

 

と言われた時は、どう反応すれば良いかわからなかった。まぁ子供だけれど…

 

「やはりまだ早かったかしら。でも、戸籍上はあと三ヶ月で18歳だし…」

 

なんの意味だろう。

『真夜お母様』が着させてくれた服は、3段フリルのノースリーブタイプのワンピースだった。ヘッドドレスのリボンのレースが物凄く綺麗でとてつもなく可愛い。

胸元と背中が大胆に開いている、どう見ても女の子の服だ。さすがにブラはなかったけれど、穿かされた下着は女性物だった。

僕に女装をさせる時の深雪さんは意地悪ですごく楽しそうだけれど、『真夜お母様』も全く同じだ。着替えさせられた僕を満足げに見つめて、

 

「すごく似合っていると思わない?葉山さん」

 

「はい、とても男性とは思えないほど、幼き日の深雪様に瓜二つです」

 

「そうね、このまま大人になったら、さぞ綺麗な娘になるでしょうね」

 

いや、男なんですけれど。

 

「久の遺伝子情報を研究し尽くして生まれたのが深雪さんなのだから、似ていて当然だけれども…」

 

ん?『真夜お母様』の呟きは、衣擦れの音に隠れてよく聞こえなかった。尋ねようとした僕を『真夜お母様』が後ろから抱きしめてくれた。柔らかい胸が僕の肩甲骨にあたる。温かい。そのまま椅子に座って、僕を自分の太ももに座らせる。

小さな僕の頭の上に『真夜お母様』のアゴがのった。包まれるように抱きしめられる僕は、少し前から『意識』が混濁している…

香りが強くなった。

『真夜お母様』がヘッドドレスが崩れないように僕の頭を撫ぜている。何だか『真夜お母様』の愛玩人形になった気分。いや、実際そうとしか見えない光景だろう。ただでさえ僕は人形じみた容姿をしている。

全身から力が抜ける。もともと今の僕は病人だからかな。『真夜お母様』に身も心も委ねられて物凄くリラックスできている。

うとうと…眠い。もう半分眠っているようだ。そのまま一時間以上も『真夜お母様』は僕を抱きしめていてくれた。子供をあやす母親みたいに…ああ、なんて優しいんだろう。

 

 

「奥様、夕食の準備が整いました」

 

葉山さんが腕時計で時刻を確認しながら言った。

 

「あら、もうそんな時刻?」

 

『真夜お母様』が僕を後ろ抱きにしたまま立ち上がった。お姫様抱っこされた僕は、部屋の隅の一人がけのソファにそっと座らされた。

 

「ねぇ、久。しばらくお人形さんのようにじっとしていてくれるかしら」

 

『真夜お母様』のお顔が目の前にある。

 

「…はい」

 

「良い子ね。ご褒美をあげる」

 

そう悪戯に笑うと、僕の唇に赤い唇を合わせてきた。汁気の多い果物でもしゃぶるようなじゅるじゅるとした音が聞こえる。

『真夜お母様』にキスをされている。

僕は性的な事は苦手だし、ちょっと嫌悪感もあるけれど、『お母様』が『子供』にするキスなんだから、妙な意味なんて無い。愛情表現のひとつだ。僕には愛情がわからないけれど…

甘い香りが全身を貫く。

口づけは僕の呼吸が止まるほど長かった。まるで、獲物に毒を流し込む蛇のようだ…なんて変な事を考えながら、僕はまどろんでいる…

 

「大人しくしているのよ」

 

「…は…い」

 

僕が恍惚としている間に、『真夜お母様』と葉山さんは書斎を出て行った。明かりは消されていたけれど、僕はそんな事気にもならなかった。

僕の口の周りにべったりと『真夜お母様』の口紅がついているのがわかる。

大人しくしているって言ったけれど、さっき『真夜お母様』にまじまじと見られた僕の『子供』がムズムズする…背中が落ち着かない。

恍惚ってこんな気持ちになる事を言うのかな。僕は書斎で一人、人形になっていた。

 

 

どれくらい時間が経過しただろう。書斎に『真夜お母様』と葉山さんが戻ってきた。一緒に達也くんも。葉山さんがドアを閉めた。

書斎に入るなり、達也くんは僕に気がついた。ちょっと驚いているけれど、それ以上の衝撃をすでに受けているみたいだ。

 

「叔母上、あれは?」

 

「あれは気にしなくても良いわ。このお部屋の、私の『お人形さん』よ」

 

僕は『真夜お母様』のお人形さんだ。

 

「『人形』…あまり良い趣味とは言えませんね。かなり弱っているようですが」

 

それきり達也くんの注意は『真夜お母様』に向けられた。

僕は部屋の一部になって三人の会話を聞いている。その後の『真夜お母様』と達也くんの会話は紅茶とコーヒーの香りの中で行われた。当事者じゃない僕には難しい話だったけれど…

 

「何故あのような嘘をついたのです?」

 

「嘘?」

 

「深雪が俺の妹ではない、と言う嘘です」

 

この書斎は完全なオフラインである事は別にどうでも良い情報だとして、深雪さんが達也くんの妹ではないと告げられ、深雪さんが次期当主になって、達也くんと婚約をしたそうだ。でも、物質の構成要素に対する異能者である達也くんは『真夜お母様』が嘘をついていると見抜いていた。

達也くんの能力が『魔法』じゃなくて『分解』だって事は、なるほど、納得できる。でも達也くんは深雪さんとの婚約と結婚は、納得できていないようだった。

僕的には喜ばしい事だ。多分、深雪さんも喜んでいる。

深雪さんが達也くんの為に生まれた存在ならなおさらだ。「もう結婚しちゃいなよ」って、深雪さんに何度か言ったけれど、実現するんだなぁ。

深雪さんは達也くんの能力を抑えるために遺伝子を調整されて生まれた『完全調整体』なんだって。

光宣くんも同様の存在なんだそうだけれど、『九島家』では失敗したんだって…何がいけなかったんだろう。

 

その後、『真夜お母様』の説明は炎を帯びていて、その熱に僕の狂気も焦がされていた。

『真夜お母様』は自分の世界への復讐心が達也くんを生み出したと言っている。『精神干渉魔法』が使えない『真夜お母様』にそんな事は出来ないと達也くんは考えている。そこに二人の考えの相違があるけれど、『真夜お母様』の狂気は達也くんの疑問を受け入れない。

達也くんが『破壊神』で『人類の鏖殺者』。

なるほど、初めて達也くんに会った時に、『僕とどこか似ている』と感じたのは錯覚じゃなかったんだ…

僕も簡単に世界を破壊できる。もちろん、そんな無意味な事はしないけれど…でも。

『真夜お母様』の告白は続いている。お姉さんへの複雑な感情、達也くんの感情が乏しいのはそのお姉さんの『魔法』と深雪さんのせいだと。

 

「何て素敵なことなのかしら。何て素敵な私の息子。貴方は私の復讐を成し遂げてくれる。十二歳で死んでしまった『四葉真夜』の仇をとってくれる」

 

「叔母上。貴女は狂っている」

 

本来、『真夜お母様』のこの告白は去年行われる予定だったけれど、達也くんが『魔法』で派手な事件を起こして、その後も事件が続いたからだそうだ。派手な事件…?

 

追加のコーヒーを断って、達也くんは書斎を後にした。その際、僕をちらっと見たけれど、僕は『人形』だから目はあわせなかった。

 

達也くんが書斎を出て行った後、部屋には『真夜お母様』と葉山さん、僕が残された。コーヒーや紅茶の香りはもうしない。でも、『真夜お母様』の狂気の余熱は残っていた。

『真夜お母様』は達也くんの出て行った扉を見つめていたけれど、ソファに深くもたれかかると、すうっと視線だけ僕に向けた。

僕も吸い寄せられるように『真夜お母様』を見つめる。『真夜お母様』の後ろに佇立する葉山さんの存在は『意識』の外になっている。

達也くんは『真夜お母様』を狂っていると言ったけれど、その狂気は普段、知性で押さえられている。

深雪さんや水波ちゃんが『真夜お母様』を恐れるのは、四葉家の内情が関係しているんだと思う。『十師族』や『魔法師』の世界は表も裏も剣呑だから。四葉家の裏を僕は知らない。

でも、僕は全然、『真夜お母様』を狂っているとは思わない。

狂気と言う分野においては、僕は誰よりも距離を重ねている。戦争の時代、戦場や研究所の非人間性の渦中にいて、僕は狂気に麻痺している。磨耗しているのか、鈍感なだけなのかも知れないけれど。

 

達也くんと深雪さんが兄妹じゃなくて実は従兄妹で、将来結婚する間柄になった。達也くんは少し思うところがあるようだけれど、すごく嬉しい。

『意識』の繋がった二人が、いつまでも共にいられるなんて、僕が昔抱いた理想の存在だ。

対外的に達也くんの真のお母さんが『真夜お母様』と言う事は、深雪さんとは一卵性双生児の姉妹を親に持つ、ずいぶんと近い遺伝子の従兄妹だ。

でも、僕はそれも別に気にしない。近親婚は時代によって考え方が違う。

この国の草創期、皇室では兄妹婚が当たり前だった。古代エジプトだって王家の継承権が女性にあったから兄妹や親子での結婚もあった。ハプスブルク家もそうだ。

現代の法律的に問題がないなら、何も気にすることが無い。この辺りの感覚も僕は磨耗している。

 

第一、『真夜お母様』のすることに間違いなんてないんだし。

 

『真夜お母様』は自身の狂気に晒されて、熱っぽい頬が赤みを帯びている。自分の言動を思い出してちょっと照れているのかな。

でも、微笑を浮かべた唇に稚気を感じるのは気のせいだろうか。

『真夜お母様』の深いお考えは僕にはわからない。達也くんの存在は『真夜お母様』のつっかえ棒みたいになっている。ただ、達也くんはちょっと迷惑そうだったな。

 

『真夜お母様』は、こんなプライベートな現場に僕を同伴させたんだから、真意はわからないけれど、何かをさせたいんだ。

何だろう。

いつも素晴らしいモノを頂くばかりで何かお返しをしなくちゃいけない、もしくは僕にも何か出来ないかなって、鈍い思考で考える。

 

「僕に出来ることはないですか?『真夜お母様』の為なら何でもします」

 

目と口しか動かせないから、人形がしゃべっているみたいで、とても強い決意が込められた声じゃないな。僕の弱弱しい声は『真夜お母様』に届いているだろうか。

 

「…そう、何でも」

 

『真夜お母様』は、ちょっと考えている。僕の真意を疑っているのか、言葉を捜しているようだ。

 

「何でも、ねぇ」

 

上品に腕を組んで、指をあごに当てて呟いている。何だか忠誠を誓う騎士の前に立つ女王みたいな気配だ。何でもは言い過ぎたかな。でも、

 

「『真夜お母様』の為なら何でもします」

 

もう一度、はっきり言う。

 

「そう…じゃあ、こちら側に来なさい」

 

『真夜お母様』は、僕の薄紫色の両目を覗きながら、そうはっきり言った。『真夜お母様』の側に行く?おそばに行けば良いのだろうか。僕は座っていたソファからゆっくり立ち上がる。

足に力が入らないけれど、自力で1歩進む。その足取りは酩酊しているみたいに頼りない。視界がふらふらしている。

『真夜お母様』の表情が、わずかに曇る。自分の真意が伝わっていないと思っているみたいだ。

 

「私の為に、死んでくれる?」

 

『真夜お母様』の熱が狭い書斎に満ち満ちてくる。極楽の香りがする。

 

死ぬ?死んで欲しい?僕に?

 

『真夜お母様』の熱を宿した双眸は、僕を見ているようで見ていない。

なんだか目の奥の、別の『次元』を覗いているみたいだ。

 

「この世界で貴方は異物よ」

 

まったく、その通りだ。『真夜お母様』は、正しい。確固たる肉体ですら曖昧な僕。

 

「あなたは危険。破壊神は達也さんだけでいい。あの子には深雪さんがいる。あの二人は繋がっている。でも、貴方には誰もいない」

 

まったくもって正しい。僕の想いは、所詮は独りよがりだ。

 

「私の為に何でもするなら、私のために、死んでちょうだい。貴方が世界を滅ぼす前に」

 

 

弱っているところを説得する。過去のファシストの言葉ね。

貴方は『高位次元体』。死を厭う本能は常人より強固。他人の、借り物の恐怖とは違う。

強烈な死への恐怖を味わわされれば、目覚めさせることは容易い…

貴方は死を選べない。

その完全に『三次元化』できなかった未熟な『肉体』を私に開放なさい。

私の存在を、貴方の『精神』に刻みなさい。死よりも、私を選びなさい。

私なら、貴方を制御できる。

私の狂気を達也が叶えてくれるように、貴方の不安定は私が包み込んであげる。

私が導いてあげる。これまでもそうだった様に。

貴方の『意識』は私が開放してあげる。

そして、見せてちょうだい、『異次元への扉の鍵』を!

『高位』を!

『意識』を!

『精神』の深淵を。私が深淵を覗くとき、貴方も私の深淵を覗くことができる。

人でない狂気の貴方なら、誰よりも深く私と繋がることが出来るわ!

貴方は一人じゃない。さあ、私と共に在りなさい!

私と共に生き、私と共に死になさい!

 

『真夜お母様』が語っている。その口唇から、激しい音楽のような言葉が紡がれている。妖艶な笑みを浮かべながら難しい語彙がとめどなく僕を襲っている。

なんだか愛の告白みたいだ。

 

でも、僕には恋愛は微塵もわからない。

 

考えてみると、僕の最初の『三次元化』は3年かかっている。僕の『精神年齢』はもっと幼いのかも。

混濁した『意識』の僕に『真夜お母様』の言葉の意味は半分も理解できない。夢の中の出来事みたいに、すぐに消えて行ってしまう。

今の『真夜お母様』のイメージする僕は、現実の僕よりも高尚な存在のようだ。まるで『ピクシー』が語るときの『高位次元体の王』の敬意や畏怖が、感じられる。

『高位次元体』の『記憶』が戻れば、『真夜お母様』が知りたかった何かを僕が答えられると考えているのかな。

でも、現実の僕はただの『サイキック』だ。肉体に『意識』が縛られている。『意識』だけの存在だった『パラサイト』は『高位』での記憶を保っていた。

『意識』だけの存在になれば記憶が戻るのかな?

周公瑾さんのように『意識』と肉体を分かつ方法が僕には無い。

肉体を破壊しても『三次元化』でいずれ元に戻るから、周公瑾さんと同じ方法では『意識』の分離が出来ないかも。

『三次元化』は『高位次元』側のシステムだから、僕にはコントロールできないし。

『精神』が肉体に宿る以上、『真夜お母様』の質問には答えられない。

 

早く死ななくちゃ。

 

『真夜お母様』は僕が死を選択出来ないと思っている。

僕はこれまで何度か言及してきた。僕だって脳を破壊すれば死ぬだろう、と。

そして、70年前、僕は死を選択した。

…人の『死』はどこからなんだろう。『意識』が肉体にも宿るなら、脳が死んでも、肉体には『意識』が残るはずだ。やがて『意識』は虚空に解けて消えていくだろうけれど、常人なら刹那の時間でも、僕ならもう少し在り続けることが出来るのかもれない。

答えを知るために、そのわずかな時間を『真夜お母様』は欲しているのかな。

良くわかんないな。達也くんみたいに頭が良いとわかるのか。

『真夜お母様』には達也くんがいるのだし…破壊しか出来ない僕はいらないんだ。

 

『真夜お母様』のために僕が出来ることは、早く死ぬことだけなんだ。

 

脳内の誰かがそうしろと言っている。『真夜お母様』は『共に生き、死んでくれる?』と言ったけれど、その言葉が脳内で独り歩きしている。強くなってくる。『共に生き』の部分は何故か消えてしまった。やがて『死』しか考えられなくなる。

『真夜お母様』の言葉は、究極の選択に直結しているのに、悲しさが湧いてこない。

この感覚は覚えがある。

 

これは『精神支配』だ。

 

でも『真夜お母様』がそんな事をするわけがない。『精神支配』はかけ続けなくちゃ効果が無い。僕と『真夜お母様』は数えるほどしかお会いできていない。

これまでも、僕に無償で色々としてくれた。この指輪だって。

右手薬指の指輪を見る。まるで、首輪のようだって、変な事を考える。飼いならされる?違う。

生への執着が強いと言う『高位次元体』の僕が、8月の富士の樹海の『パラサイト』のような恐怖を感じないのだから、『真夜お母様』は、絶対的に正しい。

 

ぼうっと『真夜お母様』を見つめ返す。微笑を湛えた妖艶な口唇には、僕には表現できない情熱への歪んだ悦びが浮かんでいるようだ。

容易く世界を滅ぼせる僕を自分の物にできれば、世界の命運を握ったも同然で、人によっては、特に権力を持つ人たちには愉悦だろう。でも、『真夜お母様』は権力には興味がない。

『四葉家』は『家族』を護るためにある。

今感じる、『真夜お母様』の不安定さは、欠落した記憶と過去に捕らわれているからだ。

僕は今しか興味がないから、僕と『真夜お母様』の稚気と狂気は似ているようで全然違う。

書斎には葉山さんも同室しているけれど、僕の風景は『真夜お母様』しかいない。静かだな。自分の心音すら聞こえない。

死への、消失への恐怖は今まではあった。でも『真夜お母様』が望むのなら、そうしなくちゃいけないって思いのほうが強い。

今日は大晦日。大掃除は年がかわる前に終わらせなくちゃいけないから、たぶん、今日のこの場所は、死ぬには良いタイミングだ。

 

死ぬには良い日だよ。

 

僕の中の誰かがそう言い続けている。これは『精神支配』…70年前の最後の日のような…

いや、これまでの『真夜お母様』に間違いはひとつもなかった。だから間違っているのは僕のほうだ。

焦燥が胸の奥の奥で揺れているけれど…早く『真夜お母様』の為に死ななくちゃいけない。

老猫は誰も目に付かないところで死ぬって言うけど、僕は猫よりは犬だ。『真夜お母様』の前で確実に、死ななくちゃ。どうやって死ねば『真夜お母様』は悦んでくれるかな。

 

『真夜お母様』が悦んでくれるなら何でもするよ。

 

僕は、もう一度指輪を見る。この世界で僕は『魔法科高校』に通っている。僕は『魔法師』だ。だったら『サイキック』じゃなくて『魔法』で死のう。

『真夜お母様』の目の前で死ぬ。あっ、でも、派手に頭を潰すと、お部屋を汚しちゃう。先日、狙撃された時みたいに、床が僕の血と肉片で汚れてしまう。

あの時の床は澪さんと響子さんが『魔法』で綺麗にしてくれたけれど、迷惑かけちゃいけないよな。

『真夜お母様』が自ら掃除をするとは思わないけれど…死のうとしているのに、変な事を考えている。これは、稚気だな。

 

うん、床を汚さないように死のう。

 

『真夜お母様』が不思議そうに腕を組んで、指を唇に当てた。稚気と言うより演技っぽいな。でも、可愛らしい。

僕の考えている姿はためらっているように見えたかも。失望させたくない。

そもそも、今の僕は人形そのものだ。人形に表情なんてない。『真夜お母様』の表情が曇る。僕の沈黙に戸惑っているのかもしれないけれど…失望させちゃいけない。

 

「はい、『真夜お母様』のために死にます」

 

僕は、完全思考型CADの指輪をはめた右手を銃の形にすると、人差し指の先端をこめかみにあてた。特に、覚悟なんかもしない。

 

「『真夜お母様』、お元気で」

 

「えっ!?」

 

『真夜お母様』が目を見開いた。初めて見る表情で、僕が見る最後の光景だ。

僕は笑顔を作ろうとしたけれど、上手く作れただろうか。

ふっと一瞬、書斎に風が吹いた。CADから余剰サイオンが溢れるような下手はしないから、衝撃で僕の頭部が動いたから生まれた風だ。だから、風を感じられたのは僕だけかな?

胸のデバイスにサイオンを流し込む。使う『魔法』は『稲妻』。小指の先ほどのプラズマを、僕の脳内に出現させる。

小さな、本当に小さな『稲妻』だけれど、その温度は数万度。それ以上大きいと、頭蓋骨まで破壊してしまうからその程度だ。

瞬きよりも短い時間、膨れ上がった空気と水蒸気爆発で、僕の脳は一片のかけらも残さず蒸発した。

自身を殺す『魔法』をここまで上手にコントロールできるなんて、『魔法師』としての僕は中々優秀だな。『真夜お母様』にいただいて、達也くんが調整してくれた指輪型CADのおかげか。

でも、鼻腔と鼓膜が破壊の圧力に耐えられずに破れた。ああ、頭蓋骨の事しか考えてなかった…脳は蒸発させたけれど、破れた部分から鮮血がだらりと垂れてくる。

僕の淡く薄紫色に光る両目からも、鮮血が溢れた。なるほど、目は脳の一部だって説は正しいな。血が、まるで涙みたい…

自分の身体が朽木のように倒れたのがわかる。からっぽの頭が床を打った。当然、痛くは無い。書斎は暖房が効いていたけれど、床が温かいかどうかはわかんない。

血が飛び散る。ちょっと床が血で汚れちゃったな。

『真夜お母様』が今どのような表情をしているかはわからない。何となく悲鳴のような声をあげたような気がするけれど確かめようが無い。

良い香りがする…気のせいのはずだ。脳がなければ香りもわからない筈なのに、脳を破壊してから床に倒れるまで僕の『意識』は確実にあった。あぁ、やっぱり『意識』は脳以外にもあるんだな。

『意識』と『精神』は同じ物。この事を『真夜お母様』にお教えしないと…ん?どうやって?

中世ヨーロッパで行われたギロチン実験では瞬きをして『意識』の証明をしたそうだけれど、脳がない今の僕は『サイキック』でも『エスパー』でもない。ただの肉の器、人形だ。

一つに集中すると他に気が回らなくなるのは僕の悪い癖だ。もどかしいな。

『意識』は、常人よりももったのかな?比較対象がわからないんだからこれもわからないや。

最後の最後まで僕は馬鹿だなぁ。

でも、『真夜お母様』のために死ねたんだから、まぁいいや。『意識』が消えていく。

僕のいた時間は過去になるわけだ。過去は黒なのか白色なのか…香りはもうしない。

 

どうやら、極楽はないみたいだな。

 

 

 

 

 

 





いやー大難産でした。
今回の話は、このSSの最初の構想の時から考えていたんですが、
同時に自分の能力では表現できないとも思っていました。
三ヶ月のあいだ、思いついた事を順不同で書いたので同じような表現があって、
とても読みにくいと思います。
難産でも、一気に書いたほうがいいんだなぁと猛省しております。
真夜と達也の会話シーンは原作で補完していただくとして、
なんとかココまで形にできました。
しかし、このSS開始から約1年、この程度の表現しかできないのは無念であります。
可能でしたら、読者の方で加筆修正をお願いいたします(笑)。
ぜひとも、遠慮なく加筆修正してくださいませ。

この話のラスト時点で、久は絶賛死亡進行中です。
久は真夜と達也の会話に同席していましたが、それでも達也の『再生』の事は知りません。
意図的に達也の能力の事は久に知らせなかったのはこの回のためです。
次回は、久に春が来ます(笑)。そのかわり四葉家とずぶずぶになります。
いまでもそうですけれど。
では、また次回。


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春が来た

叔母上は久が『瞬間移動』出来る事を知っていたのですね。

 

過去の行動の分析だけれど、とても便利な『魔法』よね。

 

久本人しか使えない『能力』ですが。俺以上の危険な『能力』でもありますよ。

 

使い道はいくらでもあるでしょう?それより達也さん、久とその『能力』について一切報告がなかったわね。

 

俺の役目は深雪の警護であって、久の監視は任務外ですから。久の監視役は他にいたのでしょう?捕獲した『パラサイト』からも『ピクシー』と同じ情報を聴きだしていたでしょうし。

 

『パラサイト』『高位次元体』は生存本能が強い。死への恐れと、肉体と心が弱っている所を突いて、より深く支配する。単純だけど効果的な方法よね。ただ、『精神支配』の方が恐怖を上回るなんてね。

 

『パラサイト』が知っているのは、久が『肉体の三次元化』によってこの世に顕現した所までです。現実の久の『精神』は10歳そこそこで未熟です。相手を量るような遠まわしな物言いは伝わらない場合があります。集中力も足りませんし。

 

思わせぶり、言葉が足らなかった事は認めるわ。

 

そうですね。四葉には察しの良い人物が溢れていますし、叔母上も言葉で遊ぶ癖があります。

 

耳が痛いわね。でも、いきなり自分の脳を破壊するなんて、ね。

 

70年前、久に何があったかまでは不明です。その記録は残っていない。その頃の経験が、久を創り上げている。今とは違う、戦争の時代。『魔法師』も戦争の一道具だった時代です。九島烈と久、それと八雲師匠くらいでしょうね、詳細を知っているのは。

 

九重八雲…知りたがり屋さんは久の周りをうろついていたわね。

 

永続する『魔法』はない。久の『精神支配』も、極論すれば『思い込み』です。『高位次元体』の依存性の強さも影響していますが、俺が『視た』久の脳に異常はなかった。

久は自分自身の長い時間をかけた『思い込み』に縛られています。『呪い』と言っても良いですが、脳を破壊して、リセットしたと思い込ませれば、ヒナの刷り込みと同じように、叔母上にだけ従う最狂の『魔法師』を作り出すことが出来るでしょう。

 

私が、それを狙っていたと勘ぐっているの?

 

久の自殺後、まったく考えていなかったとは思えませんが?

 

…久の過去の『精神支配』を駆逐する事もできるわね。

 

ええ。久は自分の命を軽く考えています。天涯孤独の身で誰も自分の死を悲しまないと。

 

久の行動を軽く受け取ってはいないわ。私にとって大事なのは久の過去ではなく、今、そして未来なのは真実よ。

 

後は叔母上次第ですが…他の十師族が黙っていないのでは?

 

それは平気よ。根回しもしているし。

 

現当主と久は疎遠らしいですね。九島烈も後見役とは言え久の行動に一切の掣肘は加えていませんし。

 

煮え切らない九島家が悪いのよ。まぁ、親が偉大だと子供は大変でしょうけれど、『高位次元体』以前に、久は『十四使徒』の一人なのだから。逃がした魚が大きすぎる事に後悔しても遅いわ。

 

藤林さんは…いえ、何でもないです。

 

達也さんは本当に察しが良いわね。久もそれほど愚かではないはずだけれど。

 

久は、恋愛感情に関しては俺以上にわからないんですよ。

 

そうね、達也さんはわかっていても切り離せるけれど、久ははなっから理解できていない。あんな美女二人と寝食を共にしているのに…

 

子供ですから。

 

そうね、子供だわ。本当に…子供だわ。

 

 

 

 

 

ひ…さ、ひさ、久。

 

名前を呼ばれている。脳は破壊したし、鼓膜も破れているんだから音が聞こえるわけがないんだけれど…

床に仰向けに寝かされていて、首と背中に熱を感じる。誰かが僕を膝枕してくれているんだ。その人が僕の顔にかかった髪を整えてくれている。

背中に熱を感じるのは、着ている衣装が可愛いけれど背中が大きく開いているからで、熱は人肌のぬくもり…

 

「久?」

 

ぬくもり?

身体が重い。全身の感覚が戻ってきている。指が動く。衣擦れの音が聞こえる。淡い良い香りがする。

まぶたを開く。目の前にふたつの膨らみ、谷間、おっぱ…、『真夜お母様』の顔。

憂い顔で、少し涙目だ。

横たわったまま頭を動かす。『真夜お母様』の太ももに僕の頭が乗っている。格子状の天井、紙の本が一杯詰まった高い本棚。葉山さんがドアの前に姿勢よく立っている。

『真夜お母様』の書斎だ。

 

「…くっぅ」

 

誰かの呻きが聞こえた。この声は…達也くんだ。

重厚な両袖机の前で、達也くんが片膝をついて苦悶の表情を浮かべている。その左手には銀色の拳銃型CAD。

達也くんと目が合った。

 

「おかしいな」

 

「…何がだ?」

 

「『魔法』は確実に発動した。発動した以上、僕は確実に死んだのに、何故、今、この時代で生きているんだろう」

 

「正確には死にかけていた、だが」

 

「どれくらい?」

 

「脳を破壊してから4分26秒だ」

 

「常人なら即死のはずだけれど…」

 

復活が早すぎるな。『肉体の三次元化』で復活したわけじゃない。『意識』がないから『回復』でもない。達也くんの表情、CAD、4分26秒って妙に正確な時間。

体調が悪いのは相変わらずだけれど、頭の中はすっきりしている、気がする。逆に、達也くんの方が苦しそうだ。

さっきまでは何の問題もなさそうだったし、この短時間、達也くんがこの部屋を後にしてから戻って来るまで、全力で運動をしていない限り、あんな疲れた態度は見せないだろう。そもそも、着ている服がさっきと同じスーツだ。

 

「ああ、そうか。『物質の構成要素に対する異能者』だ」

 

ぴんと来る。

 

「?」

 

さっきの二人の会話を思い出した。

 

「達也くんは、物質の構成要素を視るだけじゃなくて、絶対記憶を使って再構築する『異能者』なんだ。九校戦で将輝くんのオーバーアタックの時もこれで治した…バックアップで上書きしたんだ。過去から、記憶から数値化した情報を呼び出して…」

 

この部屋にいる、僕以外の三人が気配でもわかるほど驚いていた。

 

「…察しが良いな。恋愛感情以外は恐ろしく、察しが良い。まさにライトノベル主人公体質だ」

 

達也くんが舌を巻く。

 

「ライトノベル主人公体質は達也くんも…あぁ、達也くんはわかっていて切り離しているんだった」

 

「まったく…察しが良い」

 

「でも、その上書きも時間制限があるんだね。だから『真夜お母様』の傷は治せなかったし、『現代魔法』はデジタルで緻密だから達也くんの負担も大きいんだ。ひょっとして、対象者の痛みや恐怖も感じちゃうの?」

 

「…ふぅ」

 

達也くんが息を吐いた。僕の察しの良さに脱帽しているみたいだ。その察しの良さをどうして勉強に向けられないのか…ぶつぶつ。ん?変な呟きが聞こえたような。勉強は記憶力と集中力と向上心が重要で、勘働きは別の能力だよ。

 

「俺が『再成』出来るのは24時間までだ。勿論、一律ではないが…久は死への恐怖は全く感じていなかった。脳がなかった以上、久は感じられなかっただろうが痛みはあった。床に倒れた時に打った頭の怪我も地味に痛かったな」

 

「ごめんなさい。ああ、そうだ『真夜お母様』」

 

僕は視線を達也くんから『真夜お母様』に向ける。お顔を真下から見上げる格好だけれど、『真夜お母様』はどの方向から見ても綺麗だな。

 

「脳を破壊した後も、僕には『意識』がありました。やっぱり『意識』や『精神』は脳以外にも宿っているようです。『意識』が残っていたから即死にはならなかったんだと思います。もっとも、僕じゃ特殊すぎてサンプルにはならないかもしれないですが」

 

「それは…そう、貴重な情報ね。でも、久の命と交換にはできないわ」

 

「『真夜お母様』の為に死ななくちゃ…死ねなかったけれど…あれ?なんで僕は死のうとしたんだろう。優しい『真夜お母様』がそんな事言うわけがないのに。でも、死に直すなら、今度は確実に死ぬ方法をとらないと」

 

「久っ!」

 

『真夜お母様』が僕の指輪型CADをはめている右手をぎゅっと握った。

 

「本当にごめんなさい、久。達也さんがいなかったら取り返しのつかない事態になっていたわ」

 

『真夜お母様』の目から涙がこぼれた。僕の顔にぽつぽつと降り注ぐ。温かい雨だ。

 

「言葉が足りなかった事は、私の至らなさだけれど、それより、どこまで覚えているの?」

 

『真夜お母様』が探るように聞いてくる。

 

「ええと」

 

『真夜お母様』からの連絡で、書斎に『瞬間移動』して、女装させられて…そこから…『真夜お母様』がキスしてくれて、達也くんが書斎に入ってきて、難しい会話をしていて…

うーん、そこからの記憶が曖昧だな…思い出そうとしても、夢の中の出来事のようで、どんどん失われていく。

こんな事以前にもあったな。『真夜お母様』と一緒に温泉に入った時の…

 

「達也くんが部屋から出て行ってからは途切れ途切れ…あれ?思い出せないな…うーん」

 

「そう」

 

『真夜お母様』が少しほっとした。

 

「久、私が『共に生き、共に死んで』と言った事は思い出せる?」

 

「えぇと、はい」

 

奇妙だけれど、『真夜お母様』が言われた部分は、急に靄が晴れたみたいに見通しが良くなって思い出せる。

 

「それはね、言葉が足らなくて…いえ、少し演技がかっていたのは反省するけれど、久に私と本当の『親子』にならないかって言う提案の前ふりだったのよ」

 

今日は『真夜お母様』の色々な表情が見られるな。今度は照れているようだ。でも、

 

「『オヤコ』?」

 

僕は、ぽかーんとしている。オヤコ。えーと、何語だろう。

 

「ああ、恋愛感情や自分の事は良くわからなかったのよね。これまで久には『お母様』と呼ばせていたけれど、形だけでなく、正式に、本当の『お母様』と『息子』の関係になって欲しいのよ」

 

 

「四葉の次期当主は深雪さんに決まって、そのパートナーも達也さんに決まった。私も憂い無く後継者に席を譲れて、余裕ができるの。これまでの中途半端な関係を正式な物に、久には私の養子になって欲しいの」

 

!?

 

「養子と言っても、四葉の継承権は、他の親族の手前あげられないけれど」

 

「ぁ…あう」

 

僕の喉から変な音が漏れた。胸が、身体が熱い。熱い塊が込み上げてくる。

 

「久?」

 

僕はもともと情緒が不安定で、些細なことで感動したり共感したり、逆に無感動で無慈悲だったりするけれど、ここは、この場は泣いても良い場面だ。

僕の涙がぼろぼろ落ちて、『真夜お母様』のドレスを濡らしている。

 

「あぅ、嬉しい、嬉しいです。こんな嬉しい事は他にないです。『家族』、僕が、欲しくて堪らなかったモノ。今は恵まれているから望んではいなかったけれど…本当に欲しかったのは、勝手な思い込みじゃなくて本物の…」

 

「養子となれば、公式の場で見知らぬふりをしなくてもいいし、『戦略級魔法師・多治見久』を四葉家で護る事もできるわ」

 

「うぁ」

 

僕はもう感動で言葉を失っている。お母様の柔らかい胸に抱きついて、泣きじゃくっている。

過剰なほど、感情が爆発している。

『孤児』。生まれた瞬間から一人。誰とも繋がりの無い存在。『孤児』と言う言葉を思うだけで、背筋に冷たいものが走る。これはいかに聡い達也くんでも、家族の中で生きてきた人には理解できない感情だろう。

孤独は僕の人生の一部だったから、乾いた心になっていた70年前は逆に超然としていられたけれど、色々な物を手に入れてしまった今の僕は、この温もりの中にいつまでも浸っていたいと考えてしまう。僕は所詮、子供なんだ。

自分の感情の表現には自信がないし、それ以上に他人の感情はわからない。

お母様、達也くん、葉山さんが、それぞれどのような表情をしているかはわからないけれど、祝福していてくれると嬉しい。

 

やがて、お母様の胸から、もう少し温もりを感じていたいけれど、顔を放す。お母様の顔を真正面から見つめて、はっきりと返答する。

 

「僕、お母様の息子になります」

 

 

落ち着いた僕はソファに腰掛け、お母様も隣に座った。達也くんはCADを胸のホルスターにしまって、静かに立っている。相変わらず無表情だけれど、まだ苦しそうだ。

 

「葉山さん、では、早速ですけれど、そのように手続きをお願いしますね」

 

「はい」

 

年末年始で役所は閉まっているのでは、と言う心配はデジタル化が進んだこの時代には不要なんだろう。

 

「久、事後承諾のようだけれど、九島先生に許可を得なくても構わないの?」

 

僕はティッシュで鼻をかんで、涙をしっかり拭いた。口の周りも拭く。赤い口紅がまだ少し残っていた。お母様の質問にちょっと考えて、

 

「烈くんは僕に自由にして良いって言ってくれているし、養子になっても烈くんが僕の後見人である事にはかわりがないですよね」

 

「そうね。でも九島家とは疎遠になるわよ」

 

「もともと僕と烈くんは個人的な知り合いで、九島家そのものとは関わりはないんです。光宣くんと響子さんは別ですけれど…」

 

響子さんと光宣くんは姉弟みたいで…

 

「あっそうだ、僕がお母様の養子になるって事は、僕は達也くんのお義兄さんになるわけだ」

 

「そうね」

 

「達也くん、これからは僕の事を『久お兄ちゃん』って呼んでも良いよ」

 

「ひ…断る」

 

今、言いかけたな。

 

「ああっ、僕、急に目が見えなくなってきた…もう…だめだ…達也く…ど…こ?」

 

「達也さん、最後に『お兄ちゃん』と言ってあげなさい」

 

お母様も乗ってきた。

 

「断ります。敵だった父親キャラの死亡シーンを再現とかやめてくれ。元気じゃないか」

 

いや、全然元気ではないけれど、笑う余裕はある。

 

「達也くんが深雪さんと結婚したら、僕は深雪さんのお義兄さんにもなるわけだ」

 

「そうよ」

 

すばらっ!

 

「達也くん!深雪さんと早く結婚しなよ、今すぐにでも!いやむしろ、今、この場でっ!」

 

「それは、無理だ。俺も深雪もまだ結婚可能な年齢になっていない」

 

「まだ達也さんには覚悟が決まっていないようなのね。だから久」

 

「うん!お義兄さんとして、深雪さんが18歳の誕生日を迎える日まで、毎日、二人の結婚を催促するよ!これからは『もう結婚しちゃいなよ』が『結婚式の日取りはいつ?』になるわけだ。何なら達也くんの寝室に『瞬間移動』して、毎夜、耳元に囁き続けるのも良いかも。僕は1週間は寝なくても平気だし!」

 

「流石に起きる。俺と深雪も久ほど単純ではない。それに、それは『精神支配』だ」

 

久を養子に迎えたのは、それが目的ですか…達也くんがお母様をじろりと睨んだ。

 

 

ぐー

 

お腹がなった。

時刻は21時過ぎ、そう言えば夕飯を食べていない。

 

「あらあら、お招きしておいてお食事も出さずにごめんなさい。何か用意を…」

 

「いえ、宿に戻ってから食事します。澪さんも待たせているだろうし」

 

「そう、そうね。澪さんを一人にしてはいけないわね。『家族』なんですもの」

 

『家族』にいやに力が入っていたけれど?

 

「はい」

 

「その衣装は着て行って良いのよ」

 

「いきなり僕が女装してたら、澪さんは驚いちゃいます」

 

澪さんは僕を女装させようとしない数少ない女性なんだ。

僕は着させられていたお人形さんの衣装を、お母様、達也くん、葉山さんが同室しているけれど構わず丁寧に脱いでいく。脱いだ衣装を葉山さんがたたもうとするけれど、ことわって自分でする。このあたり僕は相変わらず主夫だ。たたみながら、衣装に僕の血がついていない事を確認する。

達也くんの『異能』は、その事象をなかった事に、過去に戻す事が出来るんだな。

僕は確実に死んでいた。『肉体の三次元化』で復活するとしても、数年、もしくは何十年もかかっていただろう。

それを、達也くんが救ってくれた。今、この時代で生きていけるように『異能』を使ってくれた。

達也くんは、まだ苦しそうな表情だ。4分と言う時間は、それ以上に達也くんに負担をかけるんだろう…

 

達也くんは、僕の命の恩人だ。僕に、再び命を与えてくれた。

お母様は僕に本物の『家族』をくれた。

この人たちの為ならなんでもしなくちゃ。

パジャマに着替え終わった僕は、たぶん、物凄くキラキラした目で二人の『家族』を見つめている。

 

「では、お母様、達也くん、葉山さん、今年はとってもお世話になりました。良いお年を」

 

「良いお年を」

 

お母様と葉山さんは四葉家の行事の準備で忙しいだろうし、達也くんは深雪さんとしっぽり?

今の僕はお邪魔にしかならないから年末の挨拶を終わらせると、早々に僕は『飛んだ』。

 

 

宿のリビングは十分すぎるほど温められていたけれど、暖炉は炎が小さくなっていた。お母様の書斎に『瞬間移動』してから4時間が経っている。

澪さんはまだ戻ってきていないな。

僕はロッキングチェアに腰掛ける。ポケットの携帯端末を机に置いて、手すりにかけておいた毛布を太ももに広げた。『念力』で薪を暖炉にくべて、炎が大きくなるのを確認する。

めらめら、ぱちぱちと赤い炎が踊っている。

ふう、と息を吐くと椅子に横になる。

 

「お腹すいたな」

 

呟きながら天井を見つめる。相変わらず、リビングは静かだ。

 

「…」

 

ぶるっと、震えが来た。部屋は寒くない。炎は力強く立ち上がっている。

けれど…

 

さっきまで僕は死んでいたんだ。

 

そう思い出した。

嫌な事を思い出したな…

形容しがたい怖気がお腹の下のほうから、ぞわぞわと湧き上がってきた。

恐怖心や安堵感、幸福感、興奮、多幸感、色々な感情が膨れ上がる。

四葉家の書斎で起こった事は全部は思い出せない。幸せなはずだけれど…

呼吸が苦しいな。色々な事が同時に起きて、過呼吸になっている。炎で温められた空気が肺の中に一杯になる。熱い。

一人の部屋で、一人で、孤独で、いや、僕はもう一人じゃない!

一人で思い悩んで、まるで馬鹿みたいだよな。悩んでいたってお腹はすくんだ。

そうだよ、お腹がすいているから嫌な事を考えようとするんだよ。

何か食べ物…自宅じゃないからおやつはない。体調は相変わらず絶不調で、自ら調理する気持ちにもならない。

晩御飯の前に何か軽食でも…ぞわぞわと沸き起こるお腹の中の不安を食べ物で追い出してやる。

僕はお腹が一杯になれれば、それだけで幸せなんだ。

 

僕は、仲居さんを呼ぼうと、テーブルのコールチャイムを『念力』で押そうとした。

そこに。

 

コンコン。

 

遠慮がちなノックがドアを叩いた。『意識』がドアに向かう。澪さんだ。

 

「久君、入るわよ」

 

「うん?うん、どう…ぞ…?」

 

華やかな衣装がリビングに入ってきた。

室内の照明と暖炉の炎に映える、赤よりは落ち着いた色の着物。金糸で彩られて、鞠や花が縫い取られている。黒髪にかんざしがしゃらしゃらと揺れていた。

室内だから足袋はだしだ。しずしずとすり足で、僕を熱っぽく見つめながら歩いてくる。

華があるのにしっとりとしているな。

いつもの中学生を思わせる容姿とは全く異なる、たおやかな大人の女性が、僕のすぐ前に立った。公式の場に出席する時、澪さんはきちんと身なりを整えて、その時は大人の女性に変身するんだけれど、今回は、特に気合が入っている。

去年は、僕は九島家に行っていたし、澪さんの晴れ着姿を見るのは初めてだ。ああ、お正月になるんだな。

 

「どっどうしたの?黙っちゃって」

 

僕はチェアから上半身を起こしたまま、しばらく固まっていた。

空腹も恐怖も虚空に吹っ飛ぶくらい、澪さんの立ち姿は綺麗で…

 

「澪さん、綺麗、素敵、大好き!」

 

何だか、妙なテンションで、感情が爆発してしまった。

 

「おっ、お待たせしてしまったわね。お腹すいたでしょう、ここのスタイリストさんが物凄く気合を入れて着付けをしてくれて、時間がかかってしまって」

 

澪さんも褒められて嬉しいんだろう、それはもう衣装に負けない、いや、それ以上に華のある笑顔になった。なるほど、お母様が行っていた『身づくろい』はこのことだったんだ。

 

「私も久君に見せびらかしたかったので、空腹を我慢して座ってたんですよ」

 

あはは、澪さんも子供っぽい。

澪さんの後ろから二人の仲居さんが室内に入って来た。仲居さんは、澪さんの圧倒的存在の後ろで、完全に黒子になって、僕の隣に澪さん用の椅子を用意する。澪さんが椅子に座る。しゃんと背筋を伸ばして、胸を張る。身体のラインがわかる。盛っているわけじゃないから、やっぱり澪さん少し胸が大きくなったな。

澪さんは『戦略級魔法師』としての重圧や体質のせいで、虚弱で色気どころか生命力も欠けていたんだけれど、僕と生活するようになって、常人の、いやそれ以上に遅れて春が来た。桜の花が咲いているみたい。幸せの、華やかな香りがする!

 

「一幅の絵みたいに、綺麗だ。それも美人画だ」

 

「あっ、その、褒めすぎです」

 

「僕はお世辞とか言えないから、本心だよ。うっとりだ。もう、一生見つめていたい」

 

「そっそれは、ぷろぽーず…ぶつぶつ」

 

もじもじしながら呟いている。あはは、いつもの澪さんが戻って来ている。

仲居さんがテーブルにディナーを用意している。和食、天ぷら、お蕎麦。

 

「あっ、年越し蕎麦だ」

 

思い出したように僕のお腹がぐーってなった。仲居さんが椅子を引いてくれて、僕と澪さんは席に着いた。

ディナーはかなり豪華で洗練されている。それに、ちょっと量が多い。僕が食いしん坊なのを宿側は知ってくれている。

澪さんも行儀は良いけれど、空腹なんだね、箸が止まらない。

着物姿でお食事は面倒そうだなぁと考えていると、

 

「本当は久君とこの着物姿で二年参りに行きたいのだけれど、久君はその体調だから、リビングで、久君だけに見せたかったの」

 

「うん、澪さん可愛い」

 

「…ぽっ」

 

顔を真っ赤にして、本当に澪さんは可愛いな。

 

「このヒラメの龍飛巻きも美味しいよ」

 

ご飯は美味しい、澪さんは綺麗で素敵で、部屋は暖かくて、僕は、幸せだな。

 

お腹が満たされて、僕はすぐに眠ってしまった。

元日も、まったりと宿で過ごして、これは寝正月だなぁ。

澪さんも、僕と一緒にパジャマ姿でのんびりと、持ち込んだコミックスを熱中して読んでいた。いつも通りの、引きこもりの二人だ。

平和だ。僕は体調不良も忘れて、澪さんと暖炉の炎を見つめていた…

 

 

 

 

 

 

西暦2097年1月2日。四葉家から魔法協会を通じて十師族、師補十八家、百家数字付きなどの有力魔法師に対し通知が出された。

 

司波深雪を四葉家次期当主に指名したこと。

 

司波達也を四葉真夜の息子として認知すること。ただし姓名は司波達也のままとすること。

 

司波深雪と司波達也が婚約したこと。

 

魔法大学付属第一高校2年A組、戦略級魔法師・多治見久を四葉真夜の養子に迎えること。これ以降、多治見久は四葉久と名乗ること。ただし、四葉家の継承権は一切持たないこと。

 

戦略級魔法師・五輪澪と四葉久が『正式』に婚約したこと。

 

四葉久が18歳になる4月1日に五輪澪と結婚をすること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…ん?

 




このSSを書きはじめて構想した時、この四葉家の1月2日の発表の部分まで話を考えました。
ちょうど、発売されていた原作がそこまでだったんです。
久はついに本当の家族を得ました。
久と澪は相性ばっちりですが、その他の人物の思惑はいろいろとあります。
宿題も残っていますしね。
第四章はここでおしまいです。
では、第五章『四葉久』でお会いしましょう。


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四葉久
メール


新章、スタートです。
これからは久による、痛快チート炸裂SSになる…?


ゴーン。

行く年の鐘が撞かれて、最後の108回目の鐘をご住職が撞いた。鐘の音は暗闇の中に長い余韻を残して消えて行った。

2097年の元日を迎えた。

国営放送のアナウンサーが落ち着いて新年の挨拶をしている。全国のお寺や正月風景が中継される。

僕と澪さんは清里の温泉宿のリビングで、大きな画面のテレビを見ながら新年を迎えた。

お互い、丁寧に新年の挨拶をしていると、テーブルに置いた二人の携帯端末がメール着信の音楽を鳴らした。いわゆる『あけおめメール』が着信したんだ。

僕も登録してあるアドレスには自動で挨拶のメールを送るように設定してある。ちなみに設定してくれたのは響子さんだ。機械音痴な僕が全員にメールなんて送っていたら、三箇日が終わってしまう。

年始のメールは定型文だけれど、冬休みの予定を体調不良のせいで不義理にしてしまった将輝くんや真由美さんと香澄さん(泉美さんには必要ない)、光宣くんには別のメールを送信しておいた。

それと、烈くんにも確認のメールを送った。四葉真夜さんの養子になったけれど、問題なかった?って。

返事は短かった。

[久の好きにしなさい。後見役の立場はそのままで、自宅やその他の手続きも大学を卒業するまでは引き続きする。私の事は意識しなくても良いが、ただ、光宣の事は気にかけてやって欲しい]とあった。

[そんな事頼まれなくてもするよ]って返信する。

響子さんにも自分の体調を報告して、元日の朝、達也くんと深雪さんにも[早く結婚しなよ]とメールを送った。

達也くんからすぐに返事が来た。[今度会った時、ぐーで殴る]

深雪さんからも[今度会ったら、なでなでしてあげる]とメールが来た。

僕の頭部は大変な事になりそうだ。

そんなコントを交えつつ、元日はまったりと寝正月を決め込んだ。

澪さんも晴れ着は脱いでパジャマ姿でリラックス。過去のアーカイブを観ながら、真剣に意見を交換し合った。

 

2日も、のんびりしていたんだけれど、17時を過ぎて、僕と澪さんの携帯が殆ど同時に鳴った。僕の方はすぐに止んだけれど、澪さんの方は携帯が壊れたんじゃないかと思うくらい鳴り続けていた。

澪さんは携帯画面を確認すると、「久君、私、少し電話してくるわね」と、リビングを後にした。

別にここで電話をしても気にしないんだけれど?

僕も自分の端末を確認すると、十文字先輩、響子さん、光宣くんの3人だった。ん?3人とも新年の挨拶メールは来ていたけれど、何だろう。

携帯を操作してメールボックスを開こうとした時、今度はメールじゃなくて、電話のコール音がした。

電話の相手は、将輝くんだった。

澪さんが外に出ているので、元気なふりをするのをやめて、スピーカーフォンに設定をする。携帯をテーブルに置いたまま、

 

「あけましておめでとう将輝くん。去年は、急病で金沢に行けなくてごめんね」

 

「あけましておめでとう。それは構わないが、体調はどうだ?」

 

「実はかなり悪くて、このままだと新学期までには回復出来そうもないよ」

 

「そっそうか、そんなところに電話して悪かったな」

 

「うぅん、暇だったから。寝ていても辛いんだけれど、宿題と課題をしているより将輝くんとお話していた方が楽しいもん」

 

「宿題はした方が良いが、それはともかく今日、一時間ほど前、魔法協会を通じて有力魔法師に通達があったんだ。それによると…

司波さんが四葉の縁者で次期当主に指名されて、司波が四葉真夜さんの実の息子で、しかも二人は従兄妹で婚約をしたと。それに久も四葉真夜さんの養子になって四葉久と名乗る事になった、と。間違いないんだな?」

 

一息で長台詞を言い切った。気持ちが急いているな。

 

「え?公表されてたんだ。携帯のメールはチェックしていたけれど、魔法協会のは気づかなかった」

 

僕は体調不良も手伝って、のんびりと答える。

 

「おいおい、戦略級魔法師だろ、魔法協会の通達はちゃんと確認が必要だろう」

 

「うん、緊急の時は専用のダイヤルがあるから。それに、体調不良だから雑事が億劫で…」

 

澪さんが隣にいる時は元気を装っているけれど、今みたいに離れている時は、半死人状態なんだよな…

 

「それは…すまなかったな…だが、すでに電話をしてしまったから話を…聞きたいんだが、久は、司波と司波さんが『四葉』の縁者だって事は知っていたんだろ」

 

「うん。ごめんね、内緒にしてて」

 

「それは秘密主義の四葉だから仕方がないが…いつから司波達の事を知っていたんだ?」

 

「達也くんと深雪さんが四葉家の一族だったって事?それは去年…もう一昨年か、横浜事変のあった年の11月6日。四葉家にお招きを受けたんだけれど、その時偶然鉢合わせたんだ」

 

「四葉家に招かれた?久は以前から四葉家と何か関係があったのか?」

 

「ううん、全然ないよ。僕は孤児だし、魔法師の世界の事なんて、それこそ第一高校に入学してから知ったんだよ。達也くんと初めて会ったのも入学式の日だ」

 

「四葉の本拠地は公開されていないが…どうして屋敷に?いや、九校戦での俺との試合で久は一躍有名になったな、有力師族からの勧誘もあっただろう。スカウトの一環にしては屋敷に招くのは性急だが…」

 

「その話は長くなるんだけれど、入学したばかりの頃、僕は犯罪組織に誘拐されてね」

 

「なに!?」

 

「そのスカウトの魔法師にも襲われて…」

 

その時の事を、話せない事は省略して説明する。お母様が僕に同情してくれた事を知ると、将輝くんはすぐに納得してくれた。お母様の誘拐事件は魔法師の世界ではあまりにも有名だからだ。嫌な記憶だけれど、黄門様の印籠並みに便利でもある。

 

「司波と司波さんが実は従兄妹だった、と言うのは、知っていたのか?」

 

「全然。達也くんと深雪さんの事、僕は実はあんまり知らなくて、ご自宅には2回行ったけれど、それもCAD関係の用事だったし。ずっと仲の良い兄妹だって思ってた」

 

「そう、そうだな、友人と言うだけでは、四葉の内内の事までは立ち入りようがないな。(しかし、あの二人は仲が良すぎたな…くそぉ!)」

 

あー将輝くん、心の声が聞こえてるよ。呼吸が荒い。変な妄想をしているんじゃ?

ふーっと深呼吸をして、少し冷静になったようだ。

 

「そうだ、婚約おめでとう」

 

「ありがとう。達也くんに伝えておくよ」

 

「ん?俺は久のお祝いを言っているんだぞ」

 

「僕の?お母様の養子になれた事はすごく嬉しいけれど…?」

 

「久の婚約は驚いたが、しかし、さもありなんとも思ったぞ。久が戦略級魔法師になったのも五輪澪殿の為だったんだからな。早婚が求められる魔法師同士、これほど似合いの結婚は他にないだろう」

 

「ええと、何の話をしているの?」

 

「だから久と五輪澪殿との婚約と結婚の話だ」

 

ん?聞き間違いかな?

 

「澪さんが誰と?婚約?結婚?」

 

「四葉久殿と五輪澪殿の婚約と4月1日の婚礼の話だ」

 

「四葉久…え?それって僕の事だよね。は?」

 

「実は親父は久の婚約についても怒っていたんだ。俺は最初、戦略級魔法師同士の結婚はこの国の為にも望ましいし、四葉の養子になったのは、同じ十師族相手につりあう様政治的なやり取りがあったんだとばかり…」

 

「それは僕も驚いた」

 

「まさか、知らなかったのか?」

 

「うん、初耳。養子の話も大晦日に決まったばかりだし」

 

「…それは、まさか政略結婚みたいな、無理矢理なのか?」

 

「違うよ!僕は澪さんが大好きだし、澪さんも多分僕の事を好きなんだと思う。歳は離れているけれど(僕の方が50歳以上年上だ)僕は子供みたいなものだし、でも、いずれ澪さんには相応しい男性との出会いが…出会いは…ない…ないな」

 

澪さんは超引きこもりだ。

剛毅さんが怒っていたのは、去年8月の師族会議で、僕と藤林響子さんが婚約していると十文字先輩が発言したのを現場で聞いていたからだ。

十文字先輩の発言を九島真言さんは肯定しなかったけれど、烈くんの口利きと言うのは、本来ならものすごい重みがある。それは僕みたいな得体も正体もしれない子供が魔法師の世界にすんなりと受け入れられた事からもわかる。

それに僕の成人と共に正式に公表するつもりだなって十文字先輩も思っていたから、他の十師族の当主もそう考えていたんだろう。

その前に澪さんとの婚約を公表してしまえば、響子さんとの話は反故になる。いや、そもそも『正式』な婚約じゃない。

僕と響子さんの婚約は、婚約(仮)で、烈くんのお願いを冗談半分で受けた、あくまで口約束だ。僕も何度も婚約(仮)って言ってきたし、響子さん本人もわかっている。

婚約(仮)の立場を利用して、一族のお見合いの勧めをかわして、自由にやっていた。

でも、それは僕達しか知らない事情で、性格が真っ直ぐな剛毅さんは四葉家と五輪家が横槍を入れたと考えたんだ。それは、怒るよな…

 

 

 

 

僕はお母様に、[お話があります]とメールを送信した。

返事は時間をおかず返って来た。

[サンルームにいますから、すぐに『飛んで』来なさい]

僕は『意識認識』をしてお母様の居場所を確認すると『空間認識』して、障害物がない事を確認。『瞬間移動』で、一瞬より短い時間でリビングから四葉家のサンルームに移動した。

 

暖房の良く効いたサンルームにお母様と、黒羽の双子がいた。亜夜子さんと文弥くんが一緒とは思っていなかったから、僕も驚いたけれど、それ以上に双子は、突然の僕の出現に度肝を抜かれている。流石にお母様の目の前で驚きの声を上げるような事はしなかった。

でも、大声を思いっきり飲み込もうとした亜夜子さんは、可愛かった。

テーブルには紅茶とお茶菓子。文弥くんは片手にお菓子を持ったまま、突然現れた僕を見つめて口が半開きだ。

お母様は堂々と…いや、双子を見て、悪戯が成功した悪戯っ子の表情をしている。

双子の存在は、今はどうでも良い。

外はすっかり暗くなって、天井から冬の星空が見えている。

二重ガラスだから寒気は遮られているけれど、こんな時刻にサンルーム?

いつもお母様の後ろにいるはずの葉山さんがいない。今は、プライベートな時間なんだ。お屋敷には他にもお客さんがいるようだし、ここしか場所がなかったんだろう。

 

 

お母様と双子に新年の挨拶を簡単に済ませる。

お母様が椅子を薦めてくれたので、お母様の隣、亜夜子さんの向かいに腰掛ける。立ちっぱなしは、ちょっと辛い。

三人はカジュアルな服装をしている。僕だけパジャマだ。

お母様はゆったりと椅子に腰掛けて、柔らかな笑みを浮かべていた。

僕が質問しようとすると、質問を想定していたようだ。

 

「五輪澪さんとの婚約の件ね?」

 

僕はこくりと頷く。

 

「澪さんの事、好きでしょう?」

 

「この感情がそうなら、はい、好きです」

 

「藤林響子さんの事は?」

 

「好きです」

 

「結婚したい?」

 

「ええと、よくわかりません」

 

「残念ながらこの国の法律では伴侶は一人しか持てないわ。お付き合いするなら、奥さん以外の女性は、愛人ってことになるわよ?」

 

「それは、響子さん次第なのでは。響子さんが愛人でも良いって言うなら、僕も構わないですけど。結婚しなきゃ、本妻も愛人もないですよね」

 

文弥くんが固まっている。

亜夜子さんが、このガキは可愛い顔してなんて事を言ってんだっ!!で睨んでくる。

 

「残念だけれど、私達は隔離された山奥に住んでいるわけじゃないのよ」

 

「響子さんが愛人なんて立場に納まるとは思えないですが。そもそも一人でも持て余しそうなのに、二人は無理なんじゃ」

 

響子さんには、いずれ素敵な男性とめぐり合う機会はいくらでもある、筈だ。

あの、男性の器量を測るような言動さえ何とかすれば、すぐにでも素敵な恋人が出来る、筈。

職場の同僚の男性陣に恵まれていないと愚痴っていた。その男性陣の一人が達也くんなんだけれど、少なくとも澪さんよりは機会が多い…よね。

仕事が終わると、真っ直ぐ練馬の自宅に帰宅するけれど…実は、お友達がいない?

 

「七草香澄さんは好き?」

 

「ん?どうしてそこで香澄さんの名前が?」

 

「でも、デートしたでしょう?」

 

お母様は機嫌が良い。物凄く悪戯っ子の顔をしている。

 

「あれは荷持持ちですよ」

 

「真由美さんは?」

 

「真由美さんは、別に好きじゃないですよ」

 

「あら、贅沢ね。では、深雪さんは?」

 

「好きですけど、深雪さんは達也くんのモノです」

 

「その、達也さんは?」

 

「大好き!」

 

なっ!視界の隅の亜夜子さんが絶句している。

 

「さすがは、男の娘ね。では、私の事はどう思ってる?」

 

ちょっと考える。お母様に向ける僕の感情は、他の人のそれとは何処か違う。わからないけれど…多分、

 

「…愛しています」

 

「あらっ、嬉しい事を言ってくれるわね。それは母親として?女として?」

 

「それは…わからないです」

 

「久、澪さんと結婚なさい。貴方の人にあらざる狂気を受け止める事が出来る女性は、澪さんと私しかいない。でも、残念ながら私は女性として問題を抱えているわ。藤林響子さんは魔法師としては優秀よ。でも、常人。何百万人もの人を殺しても平然としていられる戦略級魔法師なんて存在、常人には受け入れられない。それは澪さんの五輪家を見てきた久なら良く理解できているはずよ。

澪さんはもともと虚弱で、女としてどころか、人並みの生活すら危ぶまれていた。それを救ったのは久、貴方でしょう。澪さんは貴方の物なのよ」

 

「僕と肌を長時間触れ合っていると、その人の身体が『回復』するんです。澪さんも光宣くんもそうだった」

 

「でも、その『回復』は触れ続けていなくてはいけないのでしょう?九島光宣君は貴方が一高に入学してから体調不良で休学を繰り返しているわ」

 

「…そう…ですね」

 

「貴方が『回復』してあげないと、澪さんは元の自立歩行も出来ない身体に戻って、数年後に衰弱死してしまうわよ」

 

いつも隣にいることが当たり前になっていたから、それは、考えたことがなかった。

 

「良いじゃないの、相思相愛、お似合いのカップルよ。久、澪さんと結婚なさい」

 

「だったら、僕はお母様を救えるかもしれない。僕は達也くんと違って、24時間以上、それよりも昔の傷も、失われた箇所も『回復』できるから』

 

「あら?久には婚約者がいるのよ、早速、浮気?」

 

「お母様は、お母様です」

 

「誰も本気で好きになれない、誰も本気で愛せるかもわからない、そもそも自分自身がわからない。でも来る者は拒まずって事?それって、ものすごく男として都合が良すぎよね」

 

「響子さんと婚約(仮)をした同じ日に、僕は澪さんと一緒のベッドで寝てたし、それでも全然平気だったし!恋愛感情がわからないし!子供だし!!そもそも僕は浮気者なんです!!」

 

開き直ったよコイツ!双子の刺さるような視線は、無視。

 

「僕の自宅は、僕一人で住むには大きいんです。部屋も余っているんです。最初っからそう言う設定なんです」

 

メタな事も付け加える。

 

「達也さんと深雪さんのお父さんは、姉と結婚している間も、別の女を囲っていた。姉が亡くなるとその女と半年もしないうちに再婚したわ。それはどう思う?」

 

んー?考えるけれど、やはり恋愛はわからない。僕は人の表情から考えを読むことは得意だけれど、見えないものは対処できない。これも探知系が全く駄目なことと関係しているのかな。

もういちど、よく考えて、

 

「それは、そのお父さんは一途に一人の女性を想い続けたって事、ですか?」

 

はぁ?っと双子がぼーぜんとしている。

 

「ふっ、あはははははっ」

 

お母様が、高らかにお笑いになった。これほど上品かつ大笑いするお母様を見るのは、当然初めてで、多分双子も同じなんだろう。目が点になっている。

 

「なるほど、そう言う解釈も成り立つわね」

 

笑いすぎで目に浮かぶ涙を拭いながら、お母様は感心してくれた。

 

「お姉さんは、お姉さんも恋愛がわからなかったのかも」

 

お母様の笑いが、止んだ。少し、室内の雰囲気が変化した。双子の緊張感が高まる。

 

「そう、そうね。司波龍郎さんは、種馬にしかすぎなかったし、小説のキャラクター紹介にも名前すら載っていない」

 

外伝で一章しか登場していないキャラが顔入りで紹介されているのに、その龍郎さんは名前すら紹介されていない。どんな漢字だったかネットで調べてしまった。アニメでは声は子安武人さんだったのに。おっと、脱線。

 

「久、龍郎さんの感想は深雪さんには言わない方が無難よ。普通、高校生の女の子なら嫌悪感を抱く問題だから…」

 

今度はお母様が、少し考える。

 

「久のその理屈だと、久は大人になれないわね。戸籍上の問題ではなく、肉体的に」

 

「僕は子供ですから」

 

都合の良いときにだけ子供をひけらかしてるわ…亜夜子さんが何か言いたそう。

 

「そう、子供ね。私も貴方の家に一緒に住もうかしら」

 

「それは、嬉しいです」

 

「残念だけれど、大人は色々とお仕事があるから…そうね亜夜子さんも久のお家に住まわせていただいたら?」

 

「ご遠慮いたします」

 

「文弥さん…は?」

 

「ご当主の命令だとしても、断固拒否します!」

 

「家から四高に通うのは遠すぎますよ。それでも家に住むなら毎日お弁当作るけれど」

 

僕もフォローする。

 

「…」「…」「くすっ」

 

「常人とは精神構造からして違う、常軌を逸している。本当に似たもの親子ね。そうね、親子なんだもの、これからは四葉家の屋敷に頻繁に遊びに来なさい。貴方なら一瞬で来られるのだから」

 

「一緒にお風呂に入ったり眠ったりしてくれますか?」

 

「甘えん坊ね。子供だから、当然よね。それと、勉強も教えてあげますよ。私の息子が高校留年なんて、恥ずかしいもの、ねぇ」

 

お母様が、双子をちらりと見た。双子が、一歩後ずさった。まさか、あれを…あれは精神にきついんだよ…

 

「以前、勉強を教えていただいた後の成績は抜群に良かったんです。ぜひとも、勉強も教えてください」

 

およしになったほうが…いや、姉さん、成績不振で留年するよりあれの方がましかも…

 

何をぶつぶつ言っているのやら。

 

 

 

何だか説得されに行っただけだったな…

四葉家には数分しか滞在しなかったから、澪さんはまだリビングに戻っていなかった。

宿に戻って、ロッキングチェアに横になりながらテーブルに置きっぱなしだった携帯を取って、メールの確認をする。

出かけている間に追加のメールはなかった。まずは、

 

十文字先輩・[久、いや、四葉久殿、ご婚約お祝い申し上げる。もし、もしだが、相談したい事があれば、相談に乗る。いつでも連絡してくれて良い]

 

十文字先輩は、気遣いの人じゃないけれど、僕には十文字先輩なりの気配りと心配をしてくれている。少し、天然なのがあれだけれど。

十文字家の当主代理として、今回の発表にきな臭いものを感じているようだ。

 

響子さん・[婚約おめでとう。色々と報告と今後の話しもあるから、帰宅したら『家族会議』を開きましょう]

 

やけにあっさりとしているな。響子さんは当事者なのに。

 

光宣くん・[体調は大丈夫ですか?僕はここの所、元気です。って、いつも通りお互いの体調の確認をしてみました。発表は驚きました。ご婚約おめでとうございます。

響子姉さんとの婚約が破談になったのは残念ですが、久さんが達也さんと深雪さんとご兄弟になられると聞いて、それはとても羨ましくもあります。

今後も、これまで通り、友人として接してくれると嬉しいです。僕は、その友達が少ないもので…]

 

光宣くんは相変わらず考えすぎだな。光宣くんにだけは返信をしておこう。

 

久・[体調が回復したら、真っ先に生駒に行くから。また悪巧みをしようね。光宣くんは僕の初めての友人なんだよ、僕の方こそこれまで通り接して欲しいな]

 

 

また静かな時間が戻って来て、うつらうつらと舟を漕いでいた。

椅子を動かす音で、ふっと目が覚めた。

澪さんが椅子を自分で移動させて、僕の左手側に座った。

 

「ごめんなさい、起こしてしまった?」

 

「ちょっと寝てた。澪さん、電話長かったね」

 

「ええ、知り合いから祝福の電話が鳴り止まなくて」

 

そう言ってから、視線を暖炉に向けた。僕もつられて、赤い炎を見つめる。

 

「大晦日にね、エステと着付けで4時間ほどリビングにいなかったでしょう?実はあの時間に響子さんと電話をしていたの。本当は自宅にいる時にお話できれば良かったのだけれど、久君の状態が状態だったから、タイミングがつかめなくて」

 

「澪さんは僕との婚約の事を知っていたんだ」

 

「五輪家に帰った時に父から話をされてね。嬉しかったのだけれど、同時に、響子さんに申し訳もなくて…今の関係も楽しくて、でもいつまでも中途半端ではいられない。私も響子さんも大人だから」

 

響子さんへの態度の微妙な変化はそれだったんだ。

 

「結婚の日取りは、父が私の、その、年齢を考えて、少しでも早くって決めてしまって。結婚してもね、別に夫婦生活とかは、これまで通りで、そういう事は、久君がもっと大きくなってから、久君が嫌じゃなかったらだけれど、

だから、その…私をお嫁にもらってください!」

 

澪さんが僕に身体を向けると、俯くように頭を下げた。

かっ、可愛い。愛おしい。これが、恋なのか、愛なのか。やっぱりわからない。僕の『精神』は人間になりそこなっている。

でも、お母様が言っていた。澪さんは、僕がいないと死んでしまう。僕も、寂しがり屋でいつもそばにいてくれる澪さんは、とても大事な女性なんだ。一緒にいてくれるなら誰でも良いのか?違う。

 

「僕が、今、この時代に生まれたのは澪さんに出会うためだったんだ」

 

澪さんが降ろしていた頭を上げる。

 

「僕の方こそ、お婿さんに貰ってください。僕は、良い主夫になるよ」

 

澪さんが笑う。

 

「知ってますよ、『家族』なんですから」

 

澪さんが僕の手に手を重ねた。

 

その後、恋愛ドラマなら二人の夜は暖炉の炎のように燃え上がるんだろうけれど、残念ながら僕は子供だ。そんなロマンスは起きず、静かに時間が過ぎて行った。

 

 

 

二日後の1月4日早朝。

 

ん?

メールが来てる。誰だろう。

 

七草香澄・[久先輩、お話があります。新学期、学校で]

 

 




この回から、久の語る文章から『』が殆ど消えました。
これはこのSS初期にはなくて、久の『精神支配』が進むにつれて多くなっていきました。
しかし、前回、頭の中をリセットしました。
意識を失っている間、真夜と達也の会話を覚えていないけれど、漠然と聞いていて、
自分の過去の精神支配は駆逐されたんだ、と考えました。
久の精神支配は思い込みなので、それも達也の言葉だし、すとんと憑き物が落ちてしまいました。
本人はまだ気がついていません。
文章も読みにくくなっていたので、ここでリセット。
久は世間が抱く四葉の不気味さをまったく感じていません。
四葉への噂や誹謗中傷も、全然気になりません。
この国の魔法師開発で酷い事を、どの家もやっていると知っています。
そもそも、自分自身が証明なのだから。
久は真夜の事を、ちょっと意地悪だけれど、優しい大人の女性だと信じています。
深雪と水波の真夜への恐れっぷりが不思議で不思議でしょうがない程に…



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火花

過去に書いた伏線の幾つかを、今回やっと回収できました。


 

 

2日に魔法協会から出された四葉家の相続に関する通達は、瞬く間に魔法師の狭い世界に広がった。

驚いたのは翌3日に一条・七草の連名で、達也くんと深雪さんの婚約と、僕の四葉家への養子入りについて異議が申し立てられた事だ。

僕と響子さんの婚約(仮)の破談についての異議は行われなかった。

それは意外でも何でもなく、達也くんと深雪さんの婚約は四葉家の問題だけれど、僕と澪さんの婚約は、魔法師世界のみならず、国家の問題だからだ。

澪さんは国民栄誉賞も貰っている、皇室の覚えもめでたく、この国の防衛の要で、一般人がもっとも良く知る魔法師の一人だ。それに、澪さんの五輪家はこの国有数の大企業で一般社会に対する影響力は四葉よりも大きいし、その影響範囲は僕には想像もつかない。

2日の魔法協会からの通達は16時だった。一般人には縁のない通達だけれど、マスコミは当然チェックしている。19時の国営放送のニュース、冒頭のトップニュースとして僕と澪さんの婚約は、全国、いや全世界に報道されてしまった。内容は澪さんが中心で、情報の少ない僕の報道は、学生だからと言う事を考慮して小さめだった。意図的なのか無作為なのか、そのおかげで、一般人には僕が『四葉』の養子と言う事は意識されなかった。

街頭でアナウンサーが通行人に感想を求める映像が流れる。通行人も、実は五輪澪さんが何者か良くわかっていないけれど、戦略級魔法師の結婚と言う事で、無責任な喜びの声を発している。

夜には民放やネットニュースでも、大々的に取り上げられて、関係者やら有識者、お友達代表(澪さんの学生時代の同級生とかなんとか)が内容があるようでない好意的な発言を繰り返していた。面白いのは、報道に魔法師がまったく登場しなかった事だ。余計な言質をとられては困ると言うことなんだろう。

三箇日の、しかも夜だから、一般市民もどことなく浮ついた気分に乗せられている。

もしこれが平日だったら、一高の通学路にマスコミが押し寄せた事だろう。

僕への取材規制は続いているはずだけれど、新学期の事を考えると、少しうんざりする。まぁ、新学期までに体調は戻りそうもないけど。

 

こんな大盛り上がりに水を差すような、下手をすると、国中の非難の的になってしまう状況で、僕と澪さんの婚約に異議を唱える猛者はいるだろうか。直情な剛毅さんならともかく、あの利に聡い七草弘一さんは、そんな火中の栗を拾うようなことはしない。

マスコミの対応が早過ぎる気もするけれど…

僕と澪さんの婚約は、色々な思惑はともかく、後戻りできないところまで来てしまった。別に、後戻りする気はないんだけれど、あと3ヶ月、4月1日の僕の誕生日の結婚式はほぼ確定したわけだ。これは下手をするとテレビ中継なんかもされる…五輪家はお金持ちだ。豪勢な結婚式とか計画していないだろうか、僕は人が沢山いる場所は苦手なんだけれど。でも、

 

よっぽど大事件、たとえば戦争とか災害とか、テロでも起きない限り、僕達の結婚は行われる。

 

報道を見た友人や関係者が次々メールしてくる。僕は友人が少ないから、すぐ落ち着いたけれど、戦略級魔法師で五輪家のご令嬢の澪さんは大変そうだ。

 

3日の夜には真由美さんからメールが来た。

 

真由美さん・[ご婚約おめでとう。お姉さんは感涙にむせび泣いているわ。詳しいお話はまたお会いした時に。実はお姉さん激怒(げきおこ)よ]

 

ずいぶんと子供っぽい絵文字入りのメールだった。真由美さんは七草の一員として、裏があると感じつつも、本気で怒っているようだ。何に怒っているのか。達也くんの件も含めて、気がつかなかった自分自身にかな?

真由美さんは達也くんのことが、多分好きなんだけれど、一高の先輩として達也くんを弟扱いしようとしている。無駄なのになぁと思うけれど、今後はそんな関係から七草家の娘と四葉家の長子となる。これまでのような気安い関係ではいられない。

そのかわり、達也くんには聞けないことも僕には遠慮なく聞ける。僕も四葉だけれど、あくまで養子だ。達也くんよりは気安い。絵文字だらけのメールがその証拠だ。達也くんは弟扱いだけれど、僕は子供扱いだ。

勿論、十師族として境界線はわきまえている。わきまえているけれど、僕でストレスの発散はやめて欲しい。

そう言えば、お買い物に付き合う約束は果たしていないな…

 

1月4日早朝には、香澄さんからもメールが来ていた。短く、

 

七草香澄・[久先輩、お話があります。新学期、学校で]

 

お話?何だろう。

 

1月5日になって、僕と澪さんは清里の宿を後にして、練馬の自宅に帰宅した。

温泉にゆったり浸かって、美味しい物を食べてのんびりすると回復が早まる…わけでは僕の体質はないけれど、体調は10日前よりはかなり良くなっている。

5日になると、世間の僕達への興味はもう冷めている。報道も下世話な女性誌以外は、完全に下火になっていた。魔法師の世界は、色々と騒がしいみたいだけれど…

万全の警護で自宅に戻る。リムジンが自宅に近づくにつれて、澪さんの表情が少し引き締まった。僕はあまり変わらないけれど、今日は、響子さんもお休みで、家にいる。

 

幸いと言うか、響子さんと澪さんは昼メロみたいに泥沼の争いをしたりはしなかった。

もともと響子さんがそんな態度をとるとは思っていなかったけれど、澪さんとの大晦日の電話で、しっかりと話し合いが出来ていたみたいだ。二人とも、僕と違って大人なんだ。

帰宅後、響子さんがお茶を入れてくれて、リビングでのんびりと話を始めた。

ただ、食卓に並ぶ位置は、これまで二人が並んで、僕が向かいに座る構図だったけれど、今日は僕の隣に澪さんがいる。

 

「まずは、久君の回復が順調で安心したわ」

 

「うん、ここ二日はだいぶ良くて、宿題と課題を頑張って解いていたんだ」

 

「良かった。で、まずは、報告なんだけれど」

 

響子さんが真剣な表情で、ポータブルの折りたたみ端末を開いた。携帯より少し大きくて、何の変哲もないノート型端末だけれど、『電子の魔女』が使う、とても危険な戦略兵器だ。

 

「久君を狙撃した犯人が使用していた武器は、弾丸と薬きょうからローゼン製の物だってすぐわかった。そこからハイパーライフルの出所を探ると、直江津の倉庫から搬出と搬入で数があわない商品があったわ。品名はスライドアーム。小型のウィンチと組み合わせて荷揚げをする金属部品」

 

アームの形をイメージする。

 

「大きさが…」

 

「ちょうどライフルと同じくらいね。ライフル弾は比較的入手が容易だけれど、魔法師用のライフルとなると簡単じゃないわ」

 

「それはローゼンが黒幕って事じゃないですよね」

 

「ええ、持ち込んだのはローゼンだけれど、狙撃した犯人までがローゼンとは限らない。盗難の可能性もあるし、まぁ被害届はでていないから、黒だとは思うわ。ローゼンは管理ミスだって言い張るでしょうけれど」

 

「そうなると犯人特定は難しいですね」

 

「当日の、付近の防犯カメラ、特に狙撃に使用したビルの防犯ビデオに、狙撃犯の映像はいくつも残っていた。ただ、男なのは間違いないけれど、国籍や別の情報はコートとニットキャップのせいで無理ね」

 

やっぱり、全身を『飛ばした』のはまずかったか。でもあの時は余裕がなかったからな。

 

「2キロの長距離で、二発も命中させる魔法師は優秀だけれど、世界的に見ればいくらでもいる。地方の、管理の行き届いていない港から密入国したら、お手上げね」

 

「単独犯ではないでしょうね」

 

「ええ、現場までの足と、ライフルの入手方法、または受け取り場所を考えるとね」

 

「また襲われる可能性がある、と」

 

ローゼンか…70年前から、縁がある。悪縁だな。お母様はその必要はないと言っていたけれど、いずれ、皆殺しにしてやる。

 

「東京も物騒だわ。関東、特に東京は七草家と十文字家が監視しているけれど、ここ数年事件が頻発している」

 

「それだけ犯罪者側も組織が大きいのでしょうね」

 

…三人そろって、新年早々暗い気分になる。

響子さんが足をつかめない犯人なら、家電以上携帯以下の僕では突き止めようがない。お母様の四葉家に…いや、僕の傷の事は内緒にしているから、心配をかけたくない。

 

 

 

今度は澪さんがお茶を淹れ直した。オータムナルの紅茶らしい強い香りがとても落ち着く。

響子さんがカップに一口つけると、

 

「遅くなったけれど、久君、澪さん、婚約おめでとう」

 

笑顔で僕達を改めて祝福してくれた。僕達は素直に頭を下げてお礼を言う。

 

「それで、今後の事なんだけれど、流石の私も、新婚夫婦の愛の巣にいつまでもお邪魔はできないわ」

 

響子さんがいなくなるのは残念だけれど、常識的に考えればそうなってしまう。僕としてはいつまでもいて欲しいけれど、親類でもない、しかも若くて魅力的な独身女性の響子さんが、新婚家庭に同居する事は社会通念的によろしくない。響子さんの今後の経歴にも影響する。

かと言って、今すぐ出て行けとは言えない。せめて、新居が決まるまでは、いて欲しいと思う。

そう、言おうとしたんだけれど、

 

「でも、保護者として、この家に残る事にしたわ」

 

小悪魔が微笑んだ。

 

「「は?」」

 

「法的に、私は無関係だけれど、でも、九島烈が久君の後見役であることはこれまでとかわりがない。それは大学卒業まで続くわ。久君も了承したって、お祖父様から聞いているけれど?」

 

え?あのメールは、光宣くんの後事を託すって意味だけじゃなかったの?さすがトリックスター、策士だ。こんな形で九島家と響子さんをねじ込んでくるなんて!

 

「久君の後見、事務や住環境は、私に一任されているの」

 

「でっでも、それは別にこの家でなくても出来る事じゃ」

 

澪さんが当然の疑問を呈するけれど、

 

「私もここでの生活に慣れてしまったし、軍務で忙しいから、引越し先を探す時間もないし、私の電脳部屋はそう簡単に再構築できないから、暫くは私もここに住まわせてもらうわ」

 

「暫くって、いつまで?」

 

「久君が大学を卒業するまでね」

 

は?いや、それは、僕は響子さんと一緒にいられて嬉しいけれど、はっ!

 

「それって、これから5年間ってことじゃないですか?」

 

澪さんがテーブルに手をついて立ち上がった。

 

「あら?久君は留年しないで卒業できる自信はある?」

 

小悪魔は、僕に優しく問いかけた。

僕は顔を左右に、ぶるんぶるんとして、

 

「まったくないです」

 

えっへん。

 

「もし、久君が大学院にでも通ったら?」

 

「もっと長い期間?ちょっと、響子さん!それは、いくらなんでも!?」

 

二人の美女から物凄いプレッシャーが沸きあがった。見えないはずだけれど、なぜか二人の間に、ばちばちと火花、いやプラズマが散っているのが見える。

戦略級魔法師に負けないプレッシャー!?響子さんは常人じゃなかったの?

…すごい

 

「それは、流石にお邪魔です!」

 

「あら?私と久君の婚約は、解消されているわけじゃないのよ」

 

「婚約(仮)だったでしょう?私達の婚約は正式なものなんですよ。その時点で解消のはずです」

 

「でも、誰も解消と発表したわけじゃないわ。お祖父様の発言は、とても重い物なのよ。久君が魔法師の世界に受け入れられたのは、その影響力があったからでしょう?」

 

「久君は自ら戦略級魔法師として、その立場を得たんですよ」

 

「久君は、魔法師としても男性としても、他の誰よりも素晴らしいと思うでしょう?」

 

「当然です!」

 

「これを逃したら二度と出会えないかけがえのない男性だと、思うでしょう?」

 

「当たり前です。絶対に逃しません!」

 

「私も、そう思うわよ!」

 

澪さん、響子さんに遊ばれていますよ!澪さんがヒートアップすればするほど、小悪魔は喜ぶんですよ。響子さんは、僕を憎からず思っていることは間違いない。でも、男性としては全く見ていない。完全に弟扱いだもの。

普段の澪さんなら気がつくけれど、今は嫁と小姑の喧嘩みたいになっている。

 

「あー僕、体調が悪いから、先にお風呂に入って、寝ているね」

 

ここは二人だけにして、僕は避難…もとい、場を外して、二人で納得するまで話し合ってもらおう。

しかし、小悪魔は、獲物を簡単に逃さない。

にんまり。

あっ今、にんまりって聞こえた!

 

「あら、じゃぁ、久君、一緒に入りましょう。私も汗かいちゃった」

 

と、響子さんは白いブラウスを脱ぎ始め、澪さんにはない胸の谷間を僕にアピールしてくる。

 

「だっだめです!久君は私の婚約者なんですよ」

 

「私が婚約者だった時も、澪さん、お風呂に入ってきたわよね」

 

「うっぐぅ!」

 

澪さんの過去の自分の行動がブーメランとなって返ってきた。

 

その後、お風呂で二人の美女に徹底的に洗われた僕は、体調不良よりもぐったりとして、ベッドに横たわった。

苦しい。いや、体調不良じゃなくて、澪さんと響子さんが左右から僕を羽交い絞め…柔らかい身体が僕を完全にホールドしている。

二人の息が荒い。からかい半分だったはずの響子さんの本気の割合が上昇している気がする。

暑い…うぅん、熱い。部屋の空調は睡眠を妨げない程度の温度に設定されているはずなのに。

掛け布団はすでに何処かに行ってしまった。二人の羞恥心と共に…

僕の顔が響子さんの豊かな胸に埋まる。澪さんも対抗して胸を押し付けてくる。あっ、やっぱり澪さん、胸が大きくなっている!柔らかい感触と香りと、寝技…いや締め技の応酬に、僕はいつの間にか眠りについていた…いや、意識を失っていた。

 

しっ死ぬ…

 

 

 

翌朝、お弁当の準備をしようとして二人に怒られるという、お約束の風景の後、響子さんは実に機嫌よくお仕事に出かけていった。小悪魔め…

でも、僕は響子さんとも一緒にいられて嬉しいんだ。浮気者め…

澪さんは数日分あけていた部屋のお掃除と、お昼の準備をするために寝室を後にした。

僕も午前中はベッドで横になりながら、課題をこなす予定だ。

時々、室外から澪さんの携帯が鳴る音が聞こえる。祝福の連絡はまだまだ来るみたい。

僕は静かに、課題用の端末に指を走らせていたんだけれど…

ベッドテーブルに置いてあった僕の携帯端末からもメールの着信を知らせる音楽が鳴った。

せっかく課題のペースが乗ってきたのに…ぶつぶつ。

携帯のディスプレイを確認すると、メールの送信相手は、非通知だった。

迷惑メールは響子さん謹製セキュリティが完全にシャットアウトするから、非通知なんてありえないし、間違いメールかなとも思ったけれど、念のためメールボックスを開く。

 

[体調不良のところすまないけれど、今すぐ僧坊に『飛んで』来てもらえるかな。ちょっとお話があるんだ]

 

『飛んで』、か。わざわざ非通知で連絡してくるとか、思わせぶりにも程がある。でも、無視をすると余計面倒な事をしそうだよな、あの生臭坊主は。

 

[お茶菓子は用意してありますよね]

 

メール返信。

 

[もちろん、朝から並んで限定羊羹を手に入れておいたよ]

 

じゅるり。食い意地がはっているのは僕の最大の弱点だ。わかっているけれど…

澪さんは祝福の連絡の対応に追われているようだし、暫くは大丈夫だろう。僕は携帯と課題用の端末をテーブルに置いて、『空間認識』。

 

 

 

「パジャマ姿ですみませんね、八雲さん」

 

前回訪れた時と同じ僧坊に僕は『瞬間移動』した。相変わらず密閉度の高いうす暗闇の部屋。

蝋燭の香油の香りが、ここが一応俗社会とは違う場所だと知らせてくるようだ。

 

「君のその『能力』、すごく便利だね」

 

「乱用はしないんですけどね。僕は横着じゃないんで、遅刻しそうでもちゃんと自分の足で歩いて行きますよ」

 

「遅刻しそうなら、走るんじゃないかい?」

 

「僕の『瞬間移動』知っていたんですね」

 

「そりゃ、伝説のサイキック『パープルアイズ』は僕達の世代ではヒーローだからね」

 

肯定したようなしていないような返事だ。これは、失敗したかな。もう遅いけれど。

 

「ここの結界は、古式の達人でも、あの達也君でも入り込めないんだけれど、こうもあっさりと…やはり『次元』が違うね」

 

つるっと頭をなでる。

八雲さんは、いつも通り作務衣に似た服を着ている。きちんと着ているのに、何処かだらしなく感じるのは、その胡散臭い容姿の為せる業だろう。それも、ワザとやっているんだろうけれど。

僕は八雲さんの前に置かれた座布団に、ちょこんと正座をする。八雲さんは胡坐だ。楽にして良いよと言われたけれど、あまり女の子座りをする雰囲気じゃない。

 

「まずは婚約おめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

素直に頭を下げる。そんな事を言うためだけにわざわざ呼んだわけがないから、僕は続きを無言で促した。

 

「五輪澪さんと婚約したのは、その鞘に収まるだろうなとは思っていたけれど、久君は本当に澪さんが好きなのかい?」

 

八雲さんの僕の呼び方が『多治見君』から『久君』にかわっている。流石に『四葉君』とは呼びにくいんだろう。

 

「どういう意味ですか?僕達は相思相愛のラブラブ、人も羨むベストカップルですよ」

 

ちょっと、むっとする。

 

「機嫌を損ねたのなら、謝るけれど、君が本気で人を好きになれるのかな、と思ってね」

 

…まったく。この生臭坊主は、鋭い。僕は恋愛は、本当にわからないんだ。先日、四葉家でお母様に澪さんや響子さん、自分のことをどう思うかと尋ねられた。僕は、好きです、愛している、とか言ったけれど、本当は、本当にわからないんだ。

澪さんやお母様を想うと、憎悪とは異なる感情が湧いてくる。だから多分、この感覚は好きと言う感覚なんだろうって、考えて答えていた。

僕は、人間になり損ねている。

 

「君は賢い。でも、こと恋愛関係に関しては小さな子供程度の理解力しか発揮できない。君の精神年齢は10歳、下手をするともっと低いのかもね」

 

「なにせ、研究所での実験動物生活が長くて、人並みの感情を育む機会がなかったので…」

 

「それだと殆ど赤子だね。だからなのかな、君は女性が相手だとまったく疑わない。簡単に騙されて、女装されたり女装されたり女装されたりする」

 

「三度も言わなくて良いですよ、それで?」

 

「四葉真夜さんは、久君が考えているよりも複雑だよ」

 

八雲さんは、胡散臭さはそのままに、嫌な事を言った。

 

「僕には優しいお母様です」

 

「君に対しては、ね。以前、僕は言ったよね。『君は、危うい。自分の価値に気がついていない』と」

 

ずいぶん昔の、話だ。

 

「僕の価値?驚異的な魔法力、破格の魔法師、世界で公認された14人目の戦略級魔法師だけで十分でしょう?」

 

「もちろん、それもあるけれど、70年前の君に関する記録は残っていない。これは君の記録や多治見研の記録が研究所内では完全クローズ、研究所外には非デジタル、すべて書面でやり取りされていたからなんだけれど、多治見研の目的が何だったか、君は知っているかい?」

 

「知るわけがないですが、最強の魔法師開発でしょう」

 

「そう。それと同時に、君の存在には、もう一つ計画があった。まぁ戦局の悪化で、それどころじゃなくなったんだけれど」

 

「まだ何かあったんですか?敵国を丸ごと消滅させる計画でしょう?」

 

「当時、全面核戦争の可能性はかなり高かった。まだ、魔法師の能力は世界戦略を覆すほどじゃなかったからね」

 

「それが?」

 

「久君の『瞬間移動』、これは現代魔法では決して再現できない」

 

「?」

 

話があっちこっち飛ぶな。八雲さんは僕の思考を揺さぶろうとしている。

 

「誰かと一緒に、人間と『瞬間移動』したことはあるよね」

 

「実験では何度か、動物や品物でも数え切れない程しましたよ。研究所以外では、一度だけ。とある人物の亡命を助けるために、南米に作戦で参加した事があります」

 

「それは、西城レオンハルト君のお祖父さん、ゲオルグ=オストブルグのことだね」

 

「そうです。せっかく勉強した英語が全く通じなくて苦労しましたよ」

 

僕は、レオくんの『意識』を何故か少しだけ感じる事ができる。一高で『意識認識』した時、たびたび校舎裏のアスレチックでレオくんの『意識』が動き回っているのを感じ取れた。レオくんの素肌に触れた事はないから、原因はわからないけれど、『意識』は魔法師の能力と共に遺伝するのかもしれない、そう思っていた。

 

「久君。君の『瞬間移動』の限界距離はどれくらいだい?」

 

「それは、以前、達也くんにも尋ねられましたよ」

 

「ふーん、なるほど。達也くんが今取り組んでいる計画の名前はそこから取られたのかも知れないいね」

 

「計画?」

 

「『恒星炉による太平洋沿岸地域の海中資源抽出及び海中有害物質除去』。通称ESCAPES(エスケイプス)、このプロジェクト名は『脱出手段』と言う意味も持っている」

 

「脱出?」

 

「勿論、このプロジェクトは達也君の目指す、魔法師の戦争利用以外の選択肢を創るため、だけれど。もし、70年前、全面核戦争が勃発して、地球に人類が住めなくなるような事態が起きていたら…」

 

「僕の『瞬間移動』で、選ばれた、恐らく軍の上層部や政治家、選民された有力者を居住可能な別の惑星に脱出させようとしていたと?」

 

「そう。まぁ計画だけで、実現には物資の調達なんかの準備期間にとてつもなく時間がかかるから、難しいけれど」

 

「もう、過去の話でしょう?」

 

「全面核戦争はもう起きないだろうね。でも、世界を破壊しうる人物は、現代にいるだろう」

 

「達也くんと、僕ですか」

 

「僕はね、四葉真夜さんは、君が考えているよりもっと詳しい事を知っていると思う。もし、この惑星が滅んだとしても、君は在り続けるだろう。そして、その隣には、四葉真夜さんがいると邪推しているんだけれど…」

 

「僕が最終的に、澪さんでも響子さんでもなく、お母様を選ぶと」

 

「まぁ、あくまで僕の想像だけれど。君の隣に立っているのは四葉真夜さん、だと僕は思っているよ」

 

「妄想の間違いじゃないですか?」

 

「かもね。でも、君の『依存性』は、女性を疑う事ができない。精神の幼さと、おそらく『高位』で何かあったんだろうけれど、それは知りようがないからね」

 

八雲さんが、お母様の事を油断ならないと考えている事はわかる。

でも、僕はまったくそう思えない。僕には優しいお母様だ。

お母様が隣に立っている…そう考えると、形容できない、感情が沸き起こってくる。この感情が何なのか、僕には表現できない。出来ないけれど…その事を考えると下半身がぞわぞわする。

 

「僕が、子供だから、かな」

 

「そうだね、子供は、母親に依存する。どうも、過去の『精神支配』からは脱却できたみたいだけれど」

 

「そうなんですか?」

 

まったく気がつかなかった。どうしてだろう?

 

「過去の話をされても、まったく動じなかったからね。でも、僕はね、久君に、早く大人になって欲しいと願うんだ。法的にではなく、精神的に、肉体的に」

 

「僕の身体は、複雑で…」

 

「久君の『三次元化』は、おそらく成人すれば安定するんだと思う。起きている間に『回復』してしまって成長を止めてしまっているけれど、寝ている間は『回復』がなくなって成長する。でも、『高位』から流れてくるエネルギーは強すぎて久君は悪夢を見る。ぐっすり眠るためには肌を重ねて誰かと一緒に寝なくてはならない…」

 

「詳しいですね」

 

どこで知ったんだか。この知りたがりの破戒坊主は…

 

「睨まないで。君のプレッシャーは怖いんだから。『高位』からのエネルギーは強すぎて一緒に寝ている人も、いずれ許容範囲を超えて苦しむんじゃないかな」

 

ふと、思い当たる。今朝、僕の頬に当たってた柔らかい物。

 

「…澪さんの胸が大きくなった」

 

「それは、栄養過多かもしれないからわからないけれど…多分、澪さんや響子さん二人じゃ、足りないんじゃないかな」

 

「二人…三人…四人?」

 

「人数はわからないよ、流石に。でも、澪さんを救い、四葉真夜さんも救おうとするならば、多いにこしたことはないだろうね」

 

「一緒に居続けなければいいのでは?適度に距離をとっていれば」

 

「それは無理だろう?だって、君と澪さんは結婚するんだし、立場的に離婚は難しい。家庭内離婚もあるけれど、まぁ澪さんは君にぞっこんだから離婚も別居も、無理だろうね」

 

「澪さんと結婚しているのに?僕にハーレムを築けと言うんですか?」

 

「表現はどうとでも。久君は好きにすれば良い。なにせ、最後に残るのは君だ。現在の法解釈なんて、未来にはかわっているだろうから、お嫁さんが何人いても構わない時代まで生き残れば良いんじゃないかな?」

 

「八雲さん、僕をけしかけて楽しんでいるでしょう」

 

「まあ、否定はしないけれど、以前、これも言ったよね。君はこの国を救うために命を捨てた。その事実を僕は知っている。だから、君には幸せになってもらいたい」

 

「お坊さんが、重婚を勧めるなんて、末法ですね」

 

「僕は坊主である前に、忍びだ。忍びは、人間の心を持っていないのさ」

 

忍び。まったく得体の知れない便利な存在だ。

 

「『高位』にいた頃の僕は、よっぽど女好きだったんですかね。重婚とか浮気とか、全然嫌悪感を感じません」

 

「何しろ『王』だったんだろう?正室だの后、夫人や妾、情婦、お手つき、二号さん三号さん、他にも沢山いたのかもね。もしかしたら、女性関係に疲れて、『こっち』に逃げてきたのかも」

 

「それは、ちょっと嫌ですね」

 

そんな理由で次元の壁を超えて来たなんて…いや、『高位次元』って所は、争いの絶えない享楽的なところなのか…

 

ハーレム?

 

澪さん、響子さん、お母様…

深雪さんは達也くんの物だ。

真由美さんは…まあ、置いといて、他の女性の顔を思い浮かべる…あー

 

まったく、この色欲坊主は、余計な事を教えてくれた。

それでも、罪悪感が浮かんでこない僕は、やっぱり浮気者なんだろうか。

僕と共に在れば長寿と美貌が保てると知れば、近づいてくる女性は増えるだろう。もっとも、僕みたいな狂人と共にいられる精神の持ち主なんて、世間にそんなにいない。

いない筈だ。

いないよね…?

何だか、顔が赤くなる。新学期から学校でどんな顔をすれば良いのやら。

 

 

 




レオの祖父、ゲオルグの亡命事件は原作では50年前になっています。
このSSを構想した時、レオのお祖父さんの詳細は原作には書かれていなかったのです。
お祖父さんは群発戦争前期にドイツから亡命、久も関係して、SS内でレオとローゼンとの関わりを深めるオリジナルな設定を考えていたのです。
久が英語を日常会話だけ出来たのは、軍が、外国の魔法師を亡命させる作戦に久を従事させるためでした。
このSSではゲオルグは50年前ではなく、70年前、南米でローゼンから逃げて、
久が『瞬間移動』で北米西海岸まで護送した事になっています。
久が軍の亡命作戦に参加したのは一度きりで、その頃の久は薬漬けで能力が低下していたのと、戦局の悪化のために、久は再び前線に送られて、すぐ精通を迎えたからです。
設定したはいいけれど、レオとエリカは九校戦の時に勝手に解決してしまい、
その時、久はそれどころじゃなかったので、設定を生かせませんでした…汗。
ローゼンとの関わりだけは残りましたが…

では、また。


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北風

このSSを書き始めて、ちょうど1年です。
これまでお付き合いいただきありがとうございます。
今後とも宜しくお願いいたします!


 

 

 

戸籍上、僕はあと3ヶ月で18歳を迎える。現実の僕は子供で、恋愛感情は全くわからない。

でも、木仏金仏石仏じゃぁない。木石じゃないんだ。

5日の夜、6日の夜と、澪さんと響子さん、2人の美女による過剰な抱擁で、僕が何も感じないかと言えば、何も感じないわけがない。

2日連続で気絶するように眠りについた僕は、夢を見た。…悪夢。

柔らかい肌と重なる夢。生々しい、色や香りもはっきりとした夢だ。3人の女性が僕に絡みついていた。3人の顔は…

 

僕はまぶたを開くと、ゆっくりと上半身を起こした。

カーテンの隙間から朝の光が、まだ薄暗い寝室に差し込んでいる。適度に暖房と加湿された寝室。この世で一番安心できる場所。

 

…3人の顔。

 

夢の内容を思い出して、僕の顔が、ぼっと火がついたように熱くなった。あっ、あんないやらしい夢、初めて見た。息苦しくて、切なくて、体調不良とは違う気だるさ。

 

「はふぅ」

 

僕は、熱っぽいため息を吐いた。もう一度、空気で肺を一杯にして、深呼吸。

その空気に2人の体臭が混じる。石鹸と、汗の香り。

澪さんと響子さんは、少し寝乱れて、パジャマの胸元から柔らかい谷間が見え…

 

…うっ。

 

ドキドキ。

いやらしい夢に出てきた3人の女性の裸体を、お風呂場と試着室で、僕は見ている。だから、夢の中の3人の身体は、物凄くリアルだった。

3人の中に、お母様がいなかったのは、一緒にお風呂に入ったけれど、お母様は湯着を身に着けていたし、あの時の記憶が曖昧だから、だと思う。

お母様は性欲の対象ではないってことなんだろう。あの夢は…いや、いやいやいや。

 

「ふぅ」

 

僕はもう一度息を吐く。

喉が渇いたな。汗でパジャマが湿っている。肌触りが良いはずのシルク生地が煩わしい。

…着替えよう。

 

「…あ、久君、起きたの?」

 

僕がもぞもぞとベッドから動き出すと、2人もすぐに眼を開いた。

 

「少し、うなされていたけれど、また嫌な夢を見たの?」

 

起きて早々、僕の事を心配してくれる。嬉しいけれど、夢の中の2人の姿が重なって…

 

「顔が赤いけれど、お熱?」

 

「うぅん、大丈夫。ちょっと水を飲んでくる」

 

「水ならここにあるわよ」

 

ベッドテーブルにはコップと水差しが置いてある。

 

「ん、少し冷たいのが飲みたくて」

 

「水の温度なら下げられるわよ」

 

同じくベッドテーブルには携帯端末型のCADがふたつ。2人とも、超がつく優秀な魔法師だけれど…今は、その優秀さが恨めしい。

 

「いいよ、寝ていて。ついでにトイレにも行くから」

 

「体調は、どう?」

 

掛け布団は床に落ちてしまっている。2人の寝姿は、綺麗で…あっいや、僕は、ちょっとでも早く寝室から出たい気分なんだ。

 

「体調は…まだ少し悪いけど、寝たままってのも辛いから」

 

「一人で平気?」

 

「トイレくらい流石に、そこまで僕は子供じゃないよ」

 

「そうね、あの時は死にそうな顔だったけれど、あれから2週間でかなり回復したみたい」

 

僕の顔は、ちょっと赤い。2人にはうす暗闇の中、血色が良くなったように見えたみたい。ある意味、好都合だ。

あの時は死にそうで、実際、何度も死にかけていた。そして、大晦日のあの日、僕は完全に死んでいたんだけれど、そうか、あの狙撃から2週間か。

あさっての火曜日から新学期だ。うーん、冬休みがなくなっちゃったな。おかげで宿題も課題も全部片付いたんだけれど。

 

「2人とも、まだ早いよ。今日は日曜日だし、響子さん、ゆっくり寝ていてよ。澪さんも」

 

「うん、ありがと」

 

寝起きで半覚醒の2人は、素直に頷いて、僕がかけてあげた布団を奪い合うように眠りについた。

 

僕が向かったのは、台所でもトイレでもなく、お風呂場。正確には脱衣所だ。

湿ったパジャマを脱ぐ。脱いだパジャマは籠に入れて、下着を脱ぐところで、僕の手が止まった。

起きた時から気がついていたけれど、汗と石鹸以外の、生臭い臭いが漂ってきた。下着が、ぐっしょり濡れている。

もちろん、お漏らしをするほど僕は幼くない。幼くない…むしろ、真逆だ。

今の僕は、全裸で突っ立っている。首からは完全思考型CADのペンダント型デバイスを下げて、右薬指には指輪型CAD。

僕はデバイスにサイオンを送り込む。極々微量の、寝室の2人には気が付かれない程度の『魔法』を使う。

鏡に映る僕の両目が、淡くうす紫色に光った。

『蒸発』で、濡れていた下着は、さらさらになった。余分な汚れも綺麗サッパリ落ちているはずだ。脱衣所に残った臭いも消す。

新品同然の下着を、僕は洗濯機に放り込んで、洗剤をちょっと多めに入れて、スイッチを入れた。…静穏モード。

洗濯機は、静かに動き出して、気にしないと動いているかどうかもわからない、高性能の洗濯機だけれど、洗い終わるまでの数分、僕は洗濯機の前に立っていた。

姿見に映る僕の身体は、いつも通り痩せていて、簡単に折れそうなほど弱弱しい。無表情になると、とても人間とは思えない容姿だ。

白い、子供の身体。

 

洗い終りを告げる電子音を慌てて、『空間の遮断』。今度は、『魔法』じゃなく、僕本来の力。

洗濯し終わった下着は、洗濯洗剤の香りに包まれている。乾燥もされていて、ほかほか温かい。下着をくまなくチェック、香りも確かめて…大丈夫。

洗い終わった綺麗な下着を、僕は洗濯籠に入れた。念のため、脱いだパジャマの下に、ごそごそ隠す。何だか、こっそり悪い事をしているみたい。

洗濯籠は一杯で、2人の衣類も一緒だ。

僕の指に、レースの肌触りの良い布が触れた。響子さんの下着だ。

 

 

かぁっと、僕の顔が赤くなる。あっ、あれ?見慣れている下着だけれど、さっき見た夢が、再び僕の意識に浮かんでくる。

 

「あっ、あああ、もう、ちゃんと分別しないと、洗濯で痛んじゃうんだよ」

 

洗濯籠の、下着類をネットに分別。ちょっとためらったけれど、自分の下着もネットに入れて、そのまま洗濯機に入れた。今度は適量の洗剤を入れて、スイッチオン。

素っ裸の僕は、完全防水じゃないデバイスと指輪を洗面台に置いて、お風呂に入った。

シャワーは水のままだったけれど、寒くはない。僕の身体に残った汗やこびりつく塊がどんどん流れて、排水溝に消えていく。

 

顔が熱い。

 

「はぅ」

 

もう一度、息を吐く。これは、ため息だ。

 

『肉体の三次元化』から82年。偽りの戸籍上17歳と9ヶ月。成長を止めた肉体の年齢は12歳、精神年齢は10歳以下。実にややこしい、僕の肉体。

 

「はふう。これは、まずい。18禁タグを押さなくちゃいけなくなる」

 

俯きながら、シャワーを浴びながら、ひとり、自分を揶揄するように呟く。あー、

 

西暦2097年、時はまさに世紀末を迎えようとしている。その前に、

 

 

僕は、二度目の精通を迎えた。

 

 

 

体調は8割回復って所かな。完治にはもう2~3日…新学期はあさってからだから、休校はギリギリしないで済みそうだ。

僕は本来は病弱じゃない。でも、休校日数はかさんでいて、これ以上休むと、成績不振の前に、出席数不足で留年になってしまう。

完治にはもっと時間がかかるかと思っていたけれど、僕の身体が少し大人に近づいたからかもしれない。2人の手厚い看護があったからでもあるし、お礼しなくちゃ。

今日は日曜日。響子さんは軍人だから曜日は関係ないけれど、今日はお休みだ。だけれど、何処かに出かけたりはしない。2人が食事を用意してくれて、僕も今回からはリビングで椅子に座って、病人食とは思えない量の朝食を食べる。

その後、響子さんは電脳部屋に篭り、僕と澪さんは、澪さんの部屋でコミックスを読んでいた。僕は寝そべって、澪さんは行儀良くクッションに座っている。

響子さんは僕達の嗜好にはついてこられないけれど、自分も休みの日は電脳部屋に終日篭っているから、まぁ同類みたいなものだよなぁ。

婚約とか、婚約(仮)とか、結婚とか関係なく、いつも通りの生活が戻ってきた。

2人とも、僕の事をまだ子供だと考えている。

だから僕も、まだ子供だ。子供でいたほうが、今の生活は安定する。安定する、筈だ。18禁タグは…あーもう、このことは忘れよう。

 

それでも、僕が以前より、女性を女性として意識し始めたことは、否定できない。

 

1月6日、火曜日。今日から三学期が始まる。魔法科高校は始業式なんてものはないから、いきなり6時間授業だ。

全快には程遠い。うーん、でもまぁ日常生活は問題はなさそうで、心配してくれる2人の声を背中で聞きながら、早起きしてお弁当をつくる。

今年最初の登校。気分も一新して、東京の冬らしい乾燥した快晴を期待したんだけれど、残念ながら、どんよりとした低い雲が冬空を覆っていた。

風がひゅーひゅー吹いている。

 

2学期、毎日の登校で達也くんと深雪さん、水波ちゃんが一高前駅で僕を待っていてくれた。

今日からは義兄妹で登校だと期待していたんだけれど、前夜、達也くんからメールが来た。30分早く登校して、校長室に出頭しなくちゃいけないそうだ。四葉の件、実は従兄妹だった件、それが虚偽ではなかった釈明。そして、節度を守る様にと説教をされに行くのだろう。

僕には校長室への出頭命令は来なかった。学生の有力師族への養子入りは、優秀な魔法師を欲するナンバーズの間では時々ある。僕の場合、それが四葉だっただけだ。僕がお母様の養子になったのは個人的な問題で、澪さんとの婚約も同様だ。婚約と結婚も、法律的にも同義的にも何の問題もない。

婚約者と言えば、一高には五十里先輩&花音先輩と言う、誰もが認める、校内一のいちゃいちゃカップルがいる。あの2人が校内でまかり通っているのに、すでに大人で学校とは無関係の澪さんと成人した僕が結婚しようが、学校側はどうでもいいんだ。

養子の件は、達也くんがついでに説明してくれるだろう。

 

最寄り駅でキャビネット待ちをしている間、僕には多くの好奇の目が向けられていた。

僕は非魔法師にも戦略級魔法師として知られているし、婚約発表後、初めて人前に出るんだから当然注目を集めてしまう。

マスコミ関係者らしい人物もちらほら見えるけれど、駅前広場の警察官や警備関係者が露骨な取材と撮影を防いでくれている。警察官や警備の魔法師は、僕とは顔見知りだ。僕が軽くお辞儀をして御礼をすると、それぞれが出来る範囲で返事をしてくれる。

女子中学生だろうか、数人の集団が、「婚約おめでとうございまーす」と大きな声をあげた。

通勤通学中の市民の多くがその声で僕に気がついた。一斉に視線が集中する。

 

「ありがとう」

 

丁寧に、良家の子女らしく、お辞儀をする。良家の子女か…僕はこれまでは曖昧な立場だった。今の僕は四葉久として振舞わなくちゃ。お母様に恥をかかせるわけにはいかないもの。

テレビ画面の向こうにいる僕は、人畜無害の男の娘…男の子にしか見えない。そのイメージ通りに、にこにこと愛想を振りまく。これは、魔法協会から頼まれている、一般人への魔法師のイメージアップにも繋がる。

僕は大人しくキャビネットの順番待ちをする。その静かなたたずまいは、礼儀正しく庶民的なイメージを周囲に与えた。駅前の市民が次々と祝福の声をあげる。

僕もにこやかに手を振ったりして、僕と澪さんの婚約が、世間では好意的に迎えられている事を喜んだ。

 

でも、八王子の一高前駅は、さっきまでとは雰囲気が違った。

ここは魔法師の世界に詳しい人が多い。一高関係者のみならず、住民もだ。ここでは、僕と澪さんの婚約よりも、僕が四葉の養子になった事の方がインパクトが強い。

僕に向けられる視線は好奇心と警戒心がない交ぜになっていた。

以前から、友人以外の一高生徒の僕への態度はよそよそしかったから、異質な物を見るような視線には慣れている。恐れを抱いている生徒も多い。横浜事変での奇行は2~3年生には知れ渡っているし、僕が時折放つ相手を威圧するプレッシャーは、決して常人では耐えられない。僕の殺気は、闇に生きるあの八雲さんでさえ身を強張らせる。ただの高校生が心穏やかでいられるわけがない。

駅前からの短い通学路。一高はあいかわらずここに警備を置いていない。ここが一番危険な場所だ。あの狙撃の首謀者が特定出来ていない状況では、警戒感を弛緩させるわけには行かない。

僕は探知系は全く駄目だけれど、視界にさえ入っていれば、人外の動体視力で不審者をすぐに見つけられる。

キャビネットから降りて、警戒しながら駅前を見回した数秒、その場にいた生徒達は、まるで自分が睨まれたように硬直した。

僕は友人達はいないかなと探す。いないな。まぁ、特に待ち合わせをしているわけじゃない。僕は歩く速度が遅い。一高に向かっている間に誰か声をかけてくるだろうと、とてとて歩みだした。

生徒たちはしばらく立ち止まっていたけれど、数秒後、それぞれ思い出したように一高に向かって歩き出した。

 

校門までの緩い坂を歩いていると、

 

「おはよー久。久しぶり」

 

明るい声がかけられて振り向く。エリカさんと、その数歩後ろに、

 

「よう久。おはよーさん」

 

レオくんの気負いを感じさせない、いつもの明るい笑顔があった。

 

「おはよう、エリカさん、レオくん」

 

エリカさんがちらっと後ろを向いて、レオくんを睨んだ。

 

「あ、私たち別に一緒に登校してきたわけじゃないからね」

 

そんな事聞いてないけれど?でも、いつも一緒にいるよね。

 

「それよりも、久。驚いたわよ、婚約おめでとう」

 

「同学年の生徒が婚約ってのは、何か不思議だよな」

 

2人とも屈託がない。僕も素直にお礼を言う。3人そろって、ゆっくりと歩き出した。

何気なく耳をそばだてている周囲の生徒が、2人の『婚約』って台詞に反応したけれど、

 

「それに四葉家の養子になったんだってな」

 

続くレオくんの言葉に、歩く速度を速めて、僕達との距離をあけた。

レオくんの変に遠慮もなく、親しげな態度。人柄のよさと懐の深さがわかる。

 

「四葉久か。これからは四葉君って呼べば良い?」

 

エリカさんは、それがどうしたみたいな反抗心が少し感じられる。

 

「これまで通り、久でいいよ。僕はお母様の養子になったけれど、四葉家自体とはまったく縁がないから」

 

これまでの九島家との関係と似ている。

いや、あの頃より、色々な人物が関わって、すごく複雑になっている。

 

「達也と兄弟になるんだろ?」

 

「うん、もちろん、僕がお兄さんだからね」

 

「達也くんが久の事をお兄さんって呼ぶ姿が想像出来ないわね」

 

「実は呼んでくれなくてね」

 

「深雪さんが、久の事をお兄さんって呼ぶ姿も想像出来ないな。私のお兄様は達也だけって」

 

「まぁ、でも2人は従兄妹で婚約者になったんだから、お兄様ってのも変じゃない?」

 

2人は、達也くんたちの事を特にこだわりもなく受け入れているようだ。

 

「深雪さんとはクリスマスの日以来会っていないけれど、今日は2人とも校長室に呼び出しを受けて30分早く登校しているよ」

 

「だから久一人だったのか」

 

「それより久、あんた、少し足の運びが悪いけれど?」

 

エリカさんが話題を変えた。あまり他人の家の事情に深く口出ししたくないみたいだ。みんな色々と事情をかかえている。

それにしても、流石に鋭い。

 

「うん、この冬休みの間、ずっと体調不良でね。出かける予定が全部キャンセルになっちゃった」

 

「うわーせっかくの冬休みが」

 

「もったいねー」

 

「まだ全快じゃないけれど、出席日数がね…」

 

「あー、高校4年生はまじ洒落にならねーもんな」

 

「あんたも、危ないんじゃない、成績は久よりも低いでしょ」

 

「うるせー、たまたまヤマが外れたからなんだよ!」

 

「ヤマに頼るんじゃ、先行きは暗いわよ」

 

いつもの夫婦漫才が始まる。本当に仲が良い。あはは、高校生らしい、これまで通りの登校風景だった。

 

2人と分かれて、2-Aの教室に向かう。そこは、通学路とは打って変わって息詰まるような空気の重さだった。

僕の小さな身体が教室に入ったとたん、教室の楽しげなざわめきが止んだ。クラスメイト全員の顔が僕に向けられた。みんな、黙っている。でも、何か言いたい。何か聞きたい。すべての表情が、複雑な感情に溢れている。

僕はこのクラスで、浮いている。恐れられつつも頼られている達也くんと違って、僕は人望がない。腫れ物に触る…違うな、触らぬ神にたたりなし的な立ち位置かな。

誰に向けるでもなく、「おはよう」と元気に言ったけれど、クラスの返事は何だかごにょごにょと声にならない声だった。

その中に森崎くんもいる。僕の数少ない友人なんだけれど…

 

「森崎くん、おはよう」

 

森崎くんはぎょっとした。あるいは、びくっとした、かな。

 

「あっああ、おはよう、四葉君」

 

身体が僕に正対しない奇妙な角度で硬直して、頭だけ僕の方を見るようで見ていない。

四葉君、だって。これまで多治見って呼び捨てだったのに。

僕はクラス全員の視線を集めながら、自分の席に移動した。隣の深雪さんはまだ教室に現れていない。

 

「雫さん、ほのかさん、おはよう」

 

「おはよう、久」

 

深雪さんの席とは反対側の席に、雫さんが座り、ほのかさんが寄り添うように立っていた。定位置なんだけれど…

雫さんは、いつもどおり、無表情で返事をした。

 

「おっおはよう!ひしゃ君!」

 

ほのかさんは、どうしようもなく声が上ずっていた。

クラス2-Aは、魔法科高校の中でもエリートで、魔法師の世界にもっとも詳しい一群だ。

僕と澪さんの婚約は、重大ニュースだ。でも、僕が四葉の養子になった事の方が気になるようだ。

どうしてみんな四葉の事を恐れるのだろう。それは、深雪さんも水波ちゃんも、四葉を、お母様を恐れたけれど…あんなに優しいお母様を恐れるなんて、みんな変だなぁ。

 

「ねえ、久」

 

「ん?何、雫さん」

 

雫さんは感情の少ない表情をしている。でも、その瞳には熱がこもっていた。

 

「久は、達也さんが『四葉』だってことは知っていたんでしょう?」

 

雫さんの抑揚を欠いた声に、クラス全員が反応した。

 

「うん、黙っていてゴメンね。でも、僕も知ったのは1年生の11月だったんだよ」

 

「達也さんと深雪が従兄妹だってことは、知ってた?」

 

クラスの意識が暑苦しいほど集まって来た。ほのかさんの視線がふらふらしている。

 

「うぅん、僕も大晦日に初めて知ったんだよ」

 

雫さんが、じっと僕を見つめてくる。僕も雫さんの目をしっかり見つめ返す。

ほのかさんの表情に翳りが差す。

雫さんは僕の言葉を待っているようだけれど、僕は特に言う事がない。

 

「…そう」

 

短く、搾り出すようにそう言うと、僕から視線を逸らした。

奇妙な吐息が教室のあちこちから起きた。

 

「ああそうだ、久、婚約おめでとう」

 

「うん、ありがとう」

 

僕は素直に笑った。

クラスの緊張が解けて、ぼそぼそと呟くような会話があちこちから聞こえる。それでも耳目は僕に向けられている。誰かが僕に話しかけるのを待っているみたいだ。

それを無視して僕はお弁当と筆記用具を机の中に入れて、端末を起動する。

常人なら、それよりも普通の高校生なら居心地の悪さを感じるシチュエーションだ。

でも、僕は常人じゃない。クラス全員の好奇に晒されても、たとえ悪意や憎悪に晒されても、びくともしない。

何だか、また入学当時のクラスの雰囲気に戻ったみたいだ。

でも、あの当時は、僕の隣に花よりも艶やかな存在がいて、クラスを魅了していた。クラスの意識は深雪さんに向かっていて、僕は置物か人形、もしくはお邪魔虫扱いだった。

その深雪さんが、教室に入ってきた。華やかだけれど、儚げで、氷のように触ると融けてしまうような美貌。

 

「おはようございます」

 

鈴のような挨拶に、クラスの生徒全員が硬直した。何ていうか、すごい違和感だ。これまでの深雪さんの圧倒的存在感が、すべて否定されるような、拒絶の空気。

無言の返事に、深雪さんは、それでも胸を張って、自分の席に歩んでくる。誰もが視線を合わせようとしない。

僕以外は。

 

「深雪さん、おはよう。メールではやり取りしていたけれど、お久しぶり。今年も宜しくね」

 

「久?おはよう。体調はもう良いの?お兄様から久の体調がかなり悪かったって聞いていたのだけれど」

 

僕の笑顔に、深雪さんは少し影があるけれど、華の笑顔で答えた。

今現在、達也くんと深雪さんの新しい関係を手放しで喜んでいるのは、おそらく僕だけだ。

 

「うん、まだ少し気だるいけれど、平気。それより、達也くんのこと、まだお兄様って呼んでいるの?」

 

「ええ、長年の習慣はなかなか変えられないわ」

 

「僕の事はお兄さんって呼んでも良いんだよ」

 

「私にとってお兄様は一人よ。久は…そうね、弟か、妹って感じね」

 

「むー妹はないよぉ」

 

「そうね、女性じゃ、五輪澪さんと結婚できないものね。久、婚約、おめでとう」

 

「深雪さんも婚約おめでとう」

 

「ありがとう」

 

その笑顔は、少し寂しげだ。

クラスの雰囲気が悪いからじゃない。別の憂いが感じられる。僕は深雪さんの考えていることは何となくだけれど、わかる。深雪さんの表情を読むのも得意だ。

でも、ひょっとしたら遺伝子が近いからなのかも…

深雪さんが自分の席につく時、雫さんとほのかさんをじっと見つめて、

 

「おはよう、雫、ほのか」

 

と言ったんだけれど、挨拶をかけられた2人は、

 

「えっ、あ、うん」

 

「おはよう」

 

しどろもどろと、短い返事。

深雪さんは寂しそうに、席に座って、端末を開いた。

クラスの空気が、どんより重い。教師が入って来た。他の生徒も、自分の席について、授業が始まった。

いつもよりも静かな、それでいて妙な緊張感のある授業だった。

 

授業が終わって、次は実技棟に移動だ。

僕は椅子から何の気なしに立ち上がったんだけれど、ふっと、立ちくらみで机に両手をついた。しまった体調不良だった。僕は一つに集中すると他の事を忘れる。

 

「大丈夫?久。酷いようなら保健室に行く?」

 

深雪さんが声をかけてくれる。いつもなら、雫さんとほのかさんも心配してくれるところだけれど、今日は、距離がある。

そのことに深雪さんも気がついて、僕に苦い笑いを見せた。

 

「平気。あんまり休んでいると、出席日数が足りなくなるから」

 

深雪さんは、僕の出席日数を頭の中で計算して、

 

「そうね、10日以上は余裕があるけれど、今後、またお休みしないともかぎらないわ」

 

僕は襲われ体質だ。

教室移動の時は、深雪さんが手を引いてくれた。本当に入学した当時のようだ。クラスと、他の廊下で擦れ違う生徒も、じろじろとは見ないけれど、興味ありげな目を向けてくる。

深雪さんは他人の視線に慣れているから、気にしていないようだ。少なくとも気にしていないように振舞っている。

僕も、義兄になるんだし、しっかりしないと。

 

お昼休み、深雪さんは静かに教室から出て行った。教室の居心地の悪さから逃げるというより、雫さんとほのかさんの態度を慮っての行動のようだ。

僕には目で挨拶をしてくれた。多分、達也くんのところに行くんだ。お弁当は、水波ちゃんが持ってきていると思う。恋人同士の逢瀬を邪魔するほど、僕は野暮じゃない。

実は、深雪さんと僕だけじゃなく、ほのかさんもクラスの興味の対象になっていた。ほのかさんが達也くんに好意を抱いていることは、二年生の女子なら大概知っている。

ほのかさんは僕達ほど精神力が強いわけじゃないから、雫さんに抱えられるように教室を後にした。お弁当は生徒会室でとるんだろう。

僕は、食堂に行こうかな。あそこなら、水とお茶が無料で提供されているし、レオくんたちもいるだろう。

 

今度は立ちくらみしないようゆっくり立ち上がろうとした。

クラスの数人の女子が僕の方に近づいてくる。ん?

 

「ねっねぇ、たじ…あ、四葉君。こっ婚約おめでとう」

 

代表の生徒が恐る恐る僕に声をかけてくる。相当、勇気を振り絞ったみたいだ。

 

「うん、ありがとう」

 

僕は笑顔で答える。

 

「四葉君は、戦略級魔法師の五輪澪さんとは、昔から仲が良かったのよね。ほら、1年の時の九校戦でも一緒にダンスを踊っていたし」

 

この女子生徒は…ああ、あーちゃん先輩の補佐で技術担当の生徒だったな。

 

「うん」

 

「五輪澪さんは、たしか、27歳だったよね。とてもそうは見えないけれど」

 

女子生徒の口調が滑らかになってきた。僕が触れても噛み付かないことに安心したようだ。

 

「うん」

 

とても、27歳には見えない。17歳と言っても、もっと若く見られる。

 

「物凄い、年の差婚だけれど…四葉君は、五輪澪さんの事が、その、好きなの?」

 

たしかに、物凄い年の差だ。澪さんは僕よりも50歳も年下だ。

 

「うん、大好き」

 

僕は、恋愛感情はわからないけれど、この感情は好きって感情なんだと思う。だから、僕はにっこりと笑って、答えた。

僕の答えに、女子生徒たちは、黄色い悲鳴をあげた。

僕は、ちょっと驚く。

 

「そっその、政略結婚とか、家同士の閨閥作りとかじゃなくて、五輪澪さんも、四葉君の事が…」

 

別の女子生徒が尋ねてくる。そんなこと聞いてどうするんだろう。

 

「うん、好きだって」

 

今度はクラス全員の女子から、きゃーきゃー声が上がる。

 

「すごーい、素敵、ロマンスよね」

 

変な感想が聞こえてきた。何かと思ったけれど、女子高生の歳相応の恋愛への興味が、四葉への不安を駆逐したみたいだ。

 

「じゃあさ、プロポーズとかはあったの?どっちが先?」

 

あれがプロポーズかどうかわからないな。

 

「澪さんが、私をお嫁に貰ってくださいって…」

 

きゃー。きゃー。

 

「それで、四葉君は何て答えたの?」

 

矢継ぎ早に次の質問。

 

「僕は良い主夫になるよって」

 

きゃーきゃーきゃー。

 

「そっそうだよね、多治見…四葉君、料理とか上手だものね」

 

これまで、クラスの女子生徒は、僕の事を恐れてあまり近づいて来なかった。

澪さんとの婚約で、クラスの女子の僕への好感度が、いきなり急上昇していた。

魔法師共通の、澪さんのイメージは、自分たち魔法師の頂点で、大富豪の令嬢。でも、強力な魔法力の弊害で成熟できず、2年前まで病弱で外出すらもままならない、女の幸せを半ば諦めていた女性だ。

そんな澪さんと、子供のような僕との婚約。魔法師でなくたって、関心の的だ。興味がそそられる対象になるだろう。

ただ、女子からの好感度は上がったけれど、その分、男子からの好感度は急降下しているようだ。んー、もともと高くはないか。

クラスメイトの男子に、婚約者が出来て、それが誰もが羨む素晴らしい女性となれば、年頃の男子は穏やかではいられないだろう。下世話な、妄想も働くだろうし。戦略級魔法師の重圧は、みんな魔法師の卵だから理解出来ているけれど、理解と感情は別だ。桁が違うと諦めるか、激しく嫉妬するかだ。

男子生徒の数人が女子に囲まれた僕を睨んでいる。でも、その程度の視線じゃ、僕は殺せないよ。

年頃女子の質問攻めは続く。

恋愛はわからないけれど、答えられる範囲でがんばって答える。

迂闊に答えられない事も多いから、考え考え答える。その態度が、ウブに見えるらしく、女子生徒はますます盛り上がる。カシマシイ。お弁当食べる時間がなくなっちゃうな。

 

結局お弁当は、女子生徒から解放された後、教室で食べた。誰かがお茶をくれたけれど誰だったかな…すぐに午後の授業が始まるから、お弁当を味わう余裕はなかった。

それでも行儀良く食べる。

深雪さんは、始業ぎりぎりになって教室に戻ってきた。雫さんとほのかさんも同様だった。3人は、会話がない。少なくとも雫さんとほのかさんからは話しかけようとはしない。

僕を間において、変な距離感だ…

 

 

「久、今日は生徒会は特に用はないけれど、料理部に行くの?」

 

放課後、席を立った深雪さんが尋ねてくる。

僕は、名ばかり生徒会副会長だ。繁忙期以外は、生徒会室には行かなくても良い。

空になった弁当箱と筆記用具を肩掛けかばんに入れながら答える。

 

「うぅん、体調がまだ戻らないから、今日はまっすぐ家に帰るよ」

 

「一人で平気?」

 

「うん、大丈夫」

 

そう会話している間に、雫さんとほのかさんは教室からいなくなっていた。まるで逃げるみたいだ。

 

 

校舎の外は、空気が良いな。物理的にではなくて、気持ち的に。

立場がかわったとたん、生徒達の態度もかわる。事情があることはわかっているだろうけれど、感情はままならない。みんな、大人の一歩手前だ。

1月の空気が冷たい。北風が強い。氷が張りそうだ。

氷は、時間が経てば融けるだろうけど。

 

僕は、校門に向かわず、中庭に向かった。

中庭には常緑樹に囲まれていて、周囲からは死角になっているベンチがある。この寒風のさなか、生徒は近寄らない。

そのベンチに腰掛ける。ベンチが冷たい。ズボン越しにお尻が冷える。

僕は生徒会役員だからCADは常備しているけれど、校内では『魔法』の使用は制限されている。風が僕の長い髪を乱れさせる。

 

「さすがに寒いな」

 

僕は『念力』で周りの空間に壁を作った。風が止んで、真冬の太陽が弱い光で僕を温める。簡易サンルームの完成だ。

そうやって、僕はその人を待った。

待ち時間は短く、すぐに靴のヒールがこつこつと音をたてながら近づいて来た。

僕の前に女の子が立った。

今日は風紀委員で、校内を巡回していて、中庭を担当しているそうだ。

実は、前夜のメールは達也くんからだけじゃなかった。

 

[明日の放課後、中庭のベンチに来てください]

 

そんなメールも受信していた。

 

 

「こんにちは、久先輩」

 

女の子は、ベンチに腰掛ける僕に、挨拶をする。

 

「こんにちは、香澄さん。お久しぶり」

 

校舎と実技錬とを渡す廊下の間に強い迷い風が吹きつけて、もがり笛の音が高く響く。

庭木と魔法科高校の女子制服のスカート、香澄さんの髪留めのリボンが激しく揺れた。

リボンは、去年、新宿の雑貨店で一緒に選んだリボンだった。

 

風が強い。

 

 

 

 




ついに久が色気づきました(笑)。
これまで、久と澪と響子の関係は、ルコアさんと翔太君みたいな感じでした。
今後は色恋沙汰に苦労する…?
実は、このSS、最初の構想では久と響子さんが正式に婚約する予定でした。
しかし、澪さんの存在が大きくなり、比翼連理の仲に発展してしまいました。
その後、香澄も予想よりも出番が増えて、今回のラストのような状況にまでなりました。
どうなるんでしょう…自分でもあまり深く考えていなかったり…汗。


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ファーストキス。僕は、どうやら方法を間違えたようだ。

このSSの香澄は、原作よりも恋愛脳をしていますね(笑)。


 

 

真冬の高校の中庭。強風に煽られた庭木。弱い光を受けて影が重なった葉叢は、触ったら切れそうなほど鋭く見える。

ベンチに腰をかけた僕の前に立つ香澄さんは、強風に背中を押されている。

魔法科高校の女子は少しヒールが高い靴を履いている。そんな靴でも、しっかりと大地を踏みしめて微動だにしない。体幹が優れているんだ。僕なら風に煽られてふらつきそうだ。

 

「香澄さん、隣に座りなよ。寒いでしょ?」

 

「?」

 

香澄さんは一瞬、怪訝な顔をした。この寒風の中だ。立っていようと座っていようと寒いに決まっている。でもすぐに、僕の髪も服も風に吹かれていない事に気がついた。

一歩、前に身体を運ぶ。そこはもう、僕の『空間』の内側だ。風がなくなって、温められた柔らかい空気に満ちている。

 

「これは…『魔法』?」

 

「うぅん、校内で正当な理由がないのに『魔法』を使うのは問題があるでしょ。僕は一応副会長だし。これは『念力』で外と内側で少しだけ空間をずらしたんだ」

 

「空間をずらす!?」

 

香澄さんは僕が『サイキック』だってことを知っている。

 

「空間と空間の隙間に、紙よりも薄い隙間を作るイメージかな。『魔法』だと起動式が何行程も必要だけれど、『念力』は漠然としたイメージで発動する。

今はベンチを中心に2メートル四方を囲っている。もちろん、香澄さんが入る時は『開いた』けれど…デジタルな『魔法』と違って、万人にわかる説明はちょっと難しいかな」

 

『サイキック』は、ぶっちゃけ、使えるんだから使えるとしか言いようがない。

 

「この程度なら、校内のセンサーには感知されないから…」

 

「悪用し放題ですね」

 

香澄さんが悪戯っぽく笑う。

 

「悪用してたら、僕の筆記試験の順位は上位に入ってるよ。空気を屈折させればカンニングだって簡単だもん。でも、今は流石に寒くて、これくらいのズルは…ズルなのかな?まぁ良いでしょ」

 

「そうですね。ボク…いえ、私も今日がここまで寒いとは考えていなかったので」

 

ふと、香澄さんは思いついたみたいだ。

 

「じゃあ、話し声も洩れないように出来ますよね」

 

この強風だと、中庭には誰も来ないだろうし、声なんてかき消されると思うけれど、

 

「うん。じゃぁ、声も洩れないように『閉鎖』するね」

 

「お願いします」

 

ベンチは強風のせいで、薄く砂が積もっていた。僕は砂を手で払うと、綺麗にアイロンがけをされたハンカチをポケットから取り出して、ベンチの僕のすぐ横に広げた。

古いフランス映画の主人公みたいに気障な行為に、

 

「え?」

 

香澄さんがとまどう。

 

「香澄さんの制服汚れちゃうといけないから」

 

「久先輩は、自分の座っている場所には?」

 

「ん?何も敷いていないよ。僕は、後で軽くはたけば良いやって思っていたから」

 

「久先輩は、妙なところで気が利きすぎますね」

 

香澄さんが呆れている。

 

「僕は…そのぉ、依存性があってね。誰かに尽くしたいって本能的に考えてしまう時があるんだ。

特に家族…親しい人にはそれが強くて。逆にそれ以外の人には全く関心を向けられないんだ」

 

「久先輩が、学校で一部の友人以外とは壁を作っているのはそのせいですか?」

 

「それは違うよ、僕の放つプレッシャーが他人を寄せ付けないだけだよ。

胆力の強い人は友人じゃなくても普通に接してくれたし。十文字先輩とか真由美さんとか渡辺先輩とか市原先輩とかはんぞー先輩とか…」

 

「それは…選りすぐりなメンバーですね」

 

たしかに、次世代を代表する魔法師の卵達ばかりだ。

まぁ、登下校を一緒にする友人達の中でも、美月さんとほのかさんは、積極的に僕に声をかけては来ない。実は、幹比古くんも、少しその傾向がある。幹比古くんは深雪さんにも遠慮があるし、性格的に繊細なんだよなぁ。

 

香澄さんは恐縮しつつ、洗って返しますね、と言ってハンカチの上に腰掛けた。洗わなくてもいいよ、僕は家事が好きだし。

 

「それで、お話って何?」

 

僕は少しお尻を横にずらして、香澄さんの方を向く。香澄さんも身体を僕の方に向ける。僕の左ひざと香澄さんの右ひざが触れる。

 

「その前に、久先輩、ご婚約おめでとうございます」

 

「うん、ありがとう」

 

「久先輩、何だか、嬉しそうですね」

 

「え?そう見える?そうかな…そうだね。僕にも本当の家族が出来たから、かな」

 

「本当の、ですか?」

 

「香澄さんも知っていると思うけれど、僕は孤児だ。両親も親類もいない。天涯孤独の身。魔法科高校に入学する前は、唯一の知り合いは烈くん…九島烈、だけだった」

 

「それが不思議なんですけれど、その縁で養子に入るなら九島家じゃないんですか?」

 

「現当主の真言さんは僕が嫌い、正確には烈くんが後ろ盾になった僕が嫌いだったから。真言さんも還暦を過ぎた立派な魔法師なのにね」

 

「1月2日の魔法協会を通じた四葉家の発表に対して、一条家と七草家の連名で抗議があったのは知っていますよね?」

 

「うん」

 

「その後、司波達也先輩と婚約した司波深雪さんに対して、一条家から、一条将輝さんとの婚約の申し出があったことはご存知ですか?」

 

「…は?」

 

公的に発表された達也くんと深雪さんの婚約に、後から横槍?

僕は、剛毅さんと将輝くんを知っている。二人は剛直で、情熱的だ。絡め手や、ケレンは使わないし、ましてや嫌がらせみたいなことはまずしない。

打算よりも直情で動く。

 

「従兄妹同士の結婚、それも2人の母親が一卵性双生児で、遺伝的に近親すぎるって懸念をしたんだ。剛毅さんは、十師族として国家への責任と忠誠を考えたんだね」

 

「正式に発表された婚約に?十師族の一条家が、そんな横紙破りをするなんて無茶です!」

 

「それは多分だけれど、将輝くんの深雪さんへの恋心を知った剛毅さんが、家のことより息子の願いを叶えてやりたいって考えた、親心だと思う…」

 

「久先輩は四葉家のご養子になりましたが、四葉家の事はお詳しいのですか?」

 

「うぅん、僕は四葉家の養子になったんじゃなくて、四葉真夜お母様の養子になったんだ。四葉家の事は、殆ど知らない」

 

お母様と僕の関係を簡単に説明する。誘拐事件の時、僕を病院まで迎えに来てくれたのは十文字先輩と真由美さんだった。その後、お母様が僕の事を気にかけてくれていたことを話す。

 

「事件の概要は真由美さんに聞いてみるといいよ」

 

あの頃の僕は一人で、身体同様小さく見えたはずだ。真由美さんや市原先輩がそんな僕の登校に付き添ってくれていた。

もっとも、真由美さんはあの誘拐事件の真相と結末を知らない。八雲さんが組織を突き止めて、僕が構成員を皆殺しにしたことを。

 

「お姉様…実は、一条将輝さんの婚約申し出を知った父が、一条家と同じような事を私達に相談したんです。四葉家の長子になった司波先輩に、お姉様を婚約者にって」

 

「それは、絶対に反対だよ!」

 

「私だって大反対です!お姉様と司波先輩なんて、絶対に嫌です」

 

反対理由がちょっと違うな。僕は達也くんと深雪さんの仲を裂くようなことは許せない。香澄さんは真由美さんが大好きで、達也くんが苦手、嫌いだ。真由美さんを盗られると思っている。でも、僕の反応に疑問を抱いた。

 

「久先輩、一条さんの時は反駁しなかったのに、お姉様の場合は即座に反対したのは何故ですか?同じ後出しじゃんけんでしょう?」

 

「だって、将輝くんの場合は、もう公表されているから。それに、誰にも相手にされない。はっきり言って、将輝くんはアスクラウンだ」

 

「あすくら…うん?」

 

スラング。間抜けな道化って意味だ。

 

「剛毅さんの考えに打算はないと思う。でも、香澄さんの前で謝るけれど、七草弘一さんの考えは、尻馬に乗るみたいな物を感じる。これまでも、四葉に事あるごとに噛み付いて来た」

 

「父は…そうですね。陰謀好きと言う悪癖は、主に四葉真夜さんへの、子供みたいな嫌がらせの延長線みたいでした」

 

弘一さんの行動は、どこか軽率な感じがする。尻馬…剛毅さんの直情に乗っかって、利を得ようとしている。

 

「真由美さんが、それを望むとは思えないし。そもそも、真由美さんは澪さんの弟の五輪洋史さんとお付き合いをしているんじゃ…」

 

「いえ、お姉様と洋史さんの交際は、もう自然消滅しています。失礼ながら洋史さんは、お姉様の相手には、少し器量が、それこそ胆力が足りませんし」

 

うん、2人が並ぶ光景が想像できない。

 

「そっ、それと、もう一件。父は、四葉真夜さんの養子になった久先輩にも、ぼ…私を婚約者に、正式に交際を申し込もうと考えているのです」

 

香澄さんの発言が脳に染み渡るまで、ちょっと時間がかかった。婚約?香澄さんと?いや、僕は澪さんと婚約しているし。

 

「この話も、無茶だと思いました。現実的じゃないです。久先輩と五輪澪さんの婚約は、公的に認められただけじゃなく、広く国民にも知れ渡っています。今さら反故にはできません」

 

「そうだね」

 

「そっ、それでも、私は、嬉しかった心を隠すのに必死でした。その後の、泉美の言動にドン引きして、お父様に本心を隠し通せたのですが、私は…」

 

泉美さんがどんなドン引き発言をしたかは、プライベートだ。でも、あの弘一さんが香澄さんの気持ちをわからないはずがない。弘一さんは娘だって利用するだろう。

…香澄さんの気持ち。

 

「ん?嬉しかった心?」

 

「はい!」

 

香澄さんが、僕を真っ直ぐ見つめて。

 

 

「私は、久先輩の事が好きです」

 

 

そう言った。

 

「久先輩と結婚したいとか、五輪澪さんに取って代わりたいとか、そこまでは考えません。私も七草です。立場はわきまえています。でも、私の気持ちを知っておいて欲しかったんです」

 

その告白は、高校生の、思春期の女の子にとってはとても勇気が必要だったと思う。しかも、その相手が僕みたいな人間になり損ねた化け物なら、なおさらだ。

香澄さんは、感情的にならず、努めて冷静に告白をした。

 

「知ってもらって、どうしたいのか私にも良くわからないです。でも、私は、久先輩が好きです!」

 

香澄さんが、僕の事を好き?

これまでの僕たちの関係は、僕が迷惑ばかりかけてきた。初めて出会った日からそうだ。僕に好意を抱く理由が思い浮かばない。

香澄さんが、きゅっと唇を結ぶ。柔らかそうな…くちび…

僕が好き?僕に?え?

良く考えようとした瞬間、今朝見た夢がフラッシュバックした。澪さん、響子さん、香澄さん。裸の3人のうちの1人。

あれは、ただの夢だ。僕は予知はできない。でも、魔法師の見る夢は、ただの夢と切り捨てる事ができない。

八雲さんの言葉も思い出す。2人、3人、4人…僕が望むのならば、現代のルールなんて、感情を無視すれば、どうとでも、なる…

 

「…あ」

 

かあっー

 

「え?」

 

香澄さんが驚くほど、僕の顔が、顔だけじゃなく、耳まで真っ赤になった。それこそ、火がついたみたいに。

以前、横浜での師族会議の前、十文字先輩にお嫁候補にご自身の妹か七草の双子、つまり香澄さんか泉美さんを薦められたことがあった。

あの時は、特に何も感じなかった。

試着室で二人きりになって、お互いの裸を見た時も、特に何も思わなかったのに…

僕は、少し脳乱気味になっている。好きって感情は、やはりわからない。わからないから、1人呟くように考える。

 

「弘一さんは、僕と響子さんの関係を知っている。澪さんとの婚約が、烈くんの口約束を反故にするものだったことを知っている。

でも、僕と響子さんの婚約は正式のものじゃない。書面に残されていない。師族会議までの話で終わっていた。九島家の公認も得ていないし。

お母様は、澪さんの恋心を知って行動してくれた。剛毅さんと同じ事だ。弘一さんの尻馬…お母様が打算なんて持つわけがない…僕の事を考えて家族になってくれた。

僕は恋愛がわからない。でも、これは好きって感情なんだと思う。好きなら良くて、打算があれば駄目なの?」

 

それは、本当なのかな…本当に決まっている。お母様は、いつも正しかった。

お母様のなさった事は剛毅さんと同じだ。でも、剛毅さんと弘一さんに向ける違和感や戸惑いに似た感情や疑問が、お母様に対しては湧きあがってこない。何でだろう。疑問も疑惑も、浮かぶ前に消えていく。

お母様は…

 

僕は、頭の中の考えを、つい、口にしてしまう癖もある。

 

「久先輩?響子さんとの関係って何ですか?響子さんって、藤林響子さんですよね。去年の夏、ご一緒に家に来られて、後見役だって。それにしては仲がお宜しいって思っていて…同じ?」

 

あ…お母様は、僕には、お母様だ。頂いた指輪を見つめていると、気分が落ち着いていく…

 

「公式?師族会議…もしかして、久先輩!」

 

「えっ、何?」

 

僕の顔からはもう熱は冷めていた。そのかわり、冷静だった香澄さんの感情に火がついていた。

 

「もしかして、九島烈閣下は久先輩の後見と引き換えに、孫でいまだ独身の藤林響子さんとの結婚を強要されていたんですか!?」

 

「はっ?いいや違うよ。僕と響子さんの婚約は、戦争で失った婚約者の記憶が薄れるまで響子さんの防波堤になるって、形だけのもので」

 

「九島閣下の発言は、軽々しいものじゃないですよね。久先輩は、戦略級魔法師になられるほど優秀な魔法師でした。その素質を知っていた閣下が、久先輩を取り込もうとするのは当然でしょう」

 

「僕と烈くんの関係は、そう簡単じゃなくて。そりゃ、烈くんは一筋縄じゃいかないけれど…」

 

「その非公認の婚約は師族会議にまで知られていたってことは、殆ど公認されたも同然ですよね」

 

「でも、書面にされたわけじゃなくて、公式に発表もされていなくて。だから、響子さんの経歴にも傷はつかなかった」

 

何だか、僕の言動は、恋人に浮気を追及される浮気男みたいになっている。僕は、浮気者だって、お母様に言った…

 

「じゃあ、私が、久先輩に婚約を申し込んでも、非公式だったら、私も傷つかないですよね」

 

ええっ!?どうして、その結論に達したの?経歴は傷つかないけれど、口さがない人たちからの誹謗は避けられない。

 

「理屈ではそうなるけれど」

 

「恋愛は、理屈じゃなくて、感情でしょう?」

 

香澄さんは、完全に頭に血が上っている。それに、恋愛を語られると、僕には反論の武器がない。

そうか、僕が混乱したのは、こんな純粋な感情を、面と向かって言われた事がないからだ。

澪さんは大人だから、僕にこうもはっきりとは告白しなかった。

光宣くんは、歪んでいた。九島家の思考にどっぷり浸かっていた。響子さんも、そうだ。

でも、香澄さんは、まだ真っ直ぐなんだ。七草弘一さんの思考に染まっていない。歪んでいない。

 

だから僕は、

 

「香澄さん!」

 

「えっ!?」

 

僕は、香澄さんに冷静になってもらおうと、ぐっと握る両拳を、僕の掌で挟んだ。熱い。

僕の体温は低いから氷嚢みたいだ。

僕の掌に香澄さんの熱が伝わってくる。

僕の冷たい肌を感じながら、香澄さんが硬直している。

恋愛感情は、僕には理解できないし、香澄さんを理解させる事も出来ない。

 

「…僕はね、人間として欠落した部分がある」

 

「え?」

 

だから僕は、考える。香澄さんを、こちら側に連れて来てはいけない。

狂気は、伝染する。

 

「僕は3歳から10歳まで、とある研究所で飼われていた」

 

「研究所?」

 

「その間、実験動物として人間的な対応や教育はまったくされなかった」

 

「入学前は施設にいたって…施設はサナトリウムじゃなくて、魔法師開発の研究所…?」

 

「毎日、酷い実験ばかり。痛くって怖くって、でも自分で選択した事だから、心を殺して…だから、人が当たり前のように持っている、感情、とくに恋愛感情がまったくわからない」

 

「わからない?」

 

「感情を育む環境になかった。でも、そもそも理解できない精神性だった可能性も高い。僕は、5歳の時に初めて人を殺した」

 

「5歳!?」

 

「相手は死刑囚だって言われたけれど、人を殺しても何も感じなかった。何人も絞首台がわりに殺した。その後、紛争地域で何十万人と殺している。当時の僕は、精神を侵されていたから、何も感じなかったのか…違う、僕はもともと歪んでいるんだ」

 

香澄さんは絶句している。最後は数百万を道連れに自殺した事は…黙っている。

 

「歪んだ木は歪んだ影しか映さない。僕は、人間じゃない」

 

「自然分娩で産まれていない、創られた試験管ベビーって意味…ですか?」

 

香澄さんの思考では、それが限界だ。常人の、思考。僕は人形じみているから、人造人間って、物凄く説得力がある。否定も肯定もしない。人でなしの『高位次元体』なんて存在、僕にだってわからない。

 

「僕は狂っている。澪さんも、ある意味、同じ世界にいる。響子さんも、たぶん、常軌を逸している。現代では『電子の魔女』は戦略級魔法師よりも脅威の存在だ。人の存在をただの数字にしてしまう」

 

「…」

 

「澪さんも響子さんも、僕と一年半以上一緒に暮らしていても、精神が変調しない」

 

「え?澪さんとだけじゃなく、響子さんとも、あの家で一緒に暮らしているんですか!?」

 

「五輪洋史さんや五輪勇海さんが、胆力に欠けているのは、澪さんの異常性に長年晒されて疲弊しているからだ。僕と共に在るには、まともな精神性では無理だ」

 

「私の気持ちは久先輩に届かない…ですか?」

 

「恋愛や愛情はわからないんだ」

 

「でも、久先輩は、五輪澪さんのことが、好きなんですよね」

 

「好きだよ。好きだって思い込もうとしている。怒りや憎悪はわかるのに、僕にはこの心の中に湧き上がる感情を言葉に出来ない。心にぽっかり穴があいている。僕にとって思い込みは重要だ。思い込むことによって真実に感じられる」

 

心に穴…以前、達也くんが僕を『視た』時、『視えないがゆえに、そこにない事が感じられる』と言っていたな。僕が恋愛を理解できないのは、『異次元の扉の鍵』が精神の恋愛を司る部分にあるのかも。そうなると、『肉体の三次元化』がコントロールできない以上、僕は一生恋愛はわからないことになる。

 

「久先輩の行動が、ちょっと、少し情緒不安定だったりするのは、そのせいですか?」

 

「僕の感情は、思い込み、形態反射だ」

 

僕たちの顔は、鼻と鼻がくっつくほど近づいている。僕は一生懸命、説明する。

 

「でも、魔法科高校に入学してこの2年間で、僕の感情は豊かになった。自由になった。昔は、笑うことさえなかったもの。僕はもっと大人になれば、恋愛感情も理解できるようになるかも知れないって最近考え始めたんだ。今は自分自身の『能力』で成長をとめているから、僕は子供だ。身体も精神も子供だ」

 

「成長を止めている?自分を虐げてきた大人に…非人間的な感情のまま大人になったら、研究所の大人たちと同じような人間になると危惧しているんですか?だから久先輩の身体は幼いんですか?」

 

「そうなの…かも」

 

70年前にあった事をすべて香澄さんに話すのはためらわれる。70年前、精通をした後のおぞましさは吐き気を催すほどだ。それこそ、大人の汚い世界の話だ。

八雲さんは、僕が過去の精神支配から解放されていると言った。

普通は、子供じゃいられないから、大人になるんだけれど、僕は『回復』で子供のままでいようとしていた。

 

もう、過去の事か…いつまでも引きずってはいられない。前を向かないと。

 

だからと言って、僕が狂気の存在であることにはかわりがない。

香澄さんが狂気に染まる前に、突き放した方が良い。

世界は、混乱の方向に向かっている。

 

達也くんは、優しい。ほのかさんを突き放す事が出来ないでいる。ほのかさんの立ち位置は、物凄く宙ぶらりんだ。達也くんが一言言えば、解決する。本来の達也くんは深雪さん以外に興味がない。ほのかさんが傷つこうと気にしないはずなのに、突き放せない。

ほのかさんは深雪さんに勝てない。それを知っているから、深雪さんに出来ない方法でアタックしてくる。達也くんも深雪さんも、問題を先延ばしにしている。いずれ持て余す。

今回の、四葉家の発表で、ほのかさんが自ら離れてくれるといいけれど、ほのかさんの依存性がそれを許すだろうか…ほのかさんは魔法師の世界のしがらみに忖度して気を配る立場にない。

 

香澄さんは性格的に、ほのかさんのような行動はとらないと思う。

香澄さんは真っ直ぐな女の子だ。でも十師族の直系としての責任も自覚している。

 

「香澄さんの気持ちは嬉しい。香澄さんは、素晴らしい女の子だ。性格的にも陽性で、必要なら静かにしている事も出来る。僕は、あんまり騒がしいのは苦手だからね。べたべたしないし、好き嫌いをはっきり言える。だから、こちら側には来ちゃいけない」

 

こちら側…この言葉は、誰かが言っていたな。誰だったかな。僕と同じ側にいる…女性…

 

香澄さんは、揺れる目でしばらく僕を見つめた。僕は会話するときは相手の目をじっと見るから逸らす事はない。

香澄さんは、僕を見つめながら、言った。

 

「その話は、五輪澪さんや藤林響子さんにもした事がありますか?」

 

僕は首を振る。

 

「言っていないけれど…いつかは伝えなくちゃと思ってる」

 

二人とも僕が尋常な人生を送っていないことには薄々気がついている。

 

僕は、大人になる事を拒んでいる。でも、今は…少し、違う。僕の立場は、複雑だ。

僕の悩みは極端だ。でも、大同小異、思春期の高校生なら多くが悩むよくある心情だ。

誰だって、いつか大人になる。子供のままじゃいられない。

僕が肉体的に大人になるには…八雲さんが言っていた…ハーレム?いや、いやいやいや。

それは、感情的に許せる。許せる心もどうかと思うけれど、現代の法律的には許されない。

 

「そうですか…私だけには教えてくれたんですね」

 

…あれ?

 

「久先輩、私達が出会ったのも、一昨年の九校戦会場でした」

 

…うん?

 

3人の出会いの時期は、ほぼ同時だ。でも、一緒に過ごした時間は、澪さんと響子さんのほうが圧倒的に多い。

 

「足りない時間は、これから追加すれば良いんです」

 

「?」

 

香澄さんが、僕の両頬を、掌で挟んだ。

優しく、熱い、女の子の手。

香澄さんの瞳が、熱で潤む。

 

「私は、本気なんです!」

 

僕は、どうやら方法を間違えたようだ。

香澄さんの瞳に宿る熱情は、戦略級魔法師・四葉久を圧倒する力を持っていた。

 

僕の隣に立つには、狂気が必要だ。

 

人の感情は、僕にはわからない。

僕の過去の告白は、香澄さんを遠ざけるどころか、逆に油を注いだ結果になってしまった。

 

香澄さんの顔が近づく。もともと触れるような距離だったけれど、もっと近くに…

香澄さんの唇が、僕の唇に重なった。

 

ちゅっ、って可愛い音がした。

 

「ぁえ?」

 

それはすごく短い、触れる程度の口づけだった。

 

でも、僕の背中を鈍い疼きが走った。

胸の奥が、切なくて、苦しい。お腹の下のほうがもやもやする。何だろう、この感情は…?

唇を離した香澄さんの顔は、トマトみたいに真っ赤だ。たぶん、僕の顔も、香澄さんと同じくらい赤くなっている。

目の前の香澄さんが、笑った。

 

「久先輩、ゆっくり大人になればいいんですよ。私達は、まだ高校生なんだから」

 

「高校生」

 

「まだ、これからなんです」

 

「…これから」

 

もやもやした感情の僕は、香澄さんの言葉を鸚鵡返しするだけで、精一杯だった。

香澄さんは、何を考えているんだろう。何をしようとしているのか…

香澄さんが、小さく笑った。

何処か見覚えのある、笑み。

 

「久先輩。私…その、これがファーストキスなんです」

 

「え?」

 

「久先輩は、どうですか?」

 

その揺れる瞳に、奇妙な力が宿っている。香澄さんは、真由美さんの妹で、真由美さんは…

 

ああ、この笑みは、小悪魔の笑みだ。

 

「僕は…セカンドキス…かな」

 

「セカンドっ!?そっ、それはやはり五輪澪さんですか?それとも藤林響子さん?」

 

「うぅん、真夜お母様」

 

「お母様…四葉真夜お母様、義母…それは、親子の挨拶で、キスの数に入らないんじゃないですか?」

 

「え?そうなの?じゃあ、僕のファーストキスは、香澄さんだね」

 

「そっ、そうですね。2人だけの思い出。高校生の、1月の中庭。北風の強い日の、二人だけの秘密」

 

女の子にとってキスは大事だろうけれど…

そんなに念を押してこなくても、僕は覚えた事は忘れない。だから、一生覚えている。

 

「ボク…私の心を奪った…責任をとってもらおうかな」

 

 

僕の隣に立つには、狂気が必要だ。

 

狂気は、伝染する。

僕たちはお互いの熱を感じられるほど、顔が近い。僕の薄紫色の瞳には香澄さんしか映っていない。

香澄さんの瞳には僕しか映っていない。僕は狂気そのものだ。香澄さんの瞳に、狂気がすでに宿っている。僕という狂気が…

 

暮れなずむ中庭は、相変わらず強風が吹き荒れている。誰も、中庭に近づこうとはしない。

僕は体調不良も忘れて、香澄さんの瞳を見つめる。

 

僕は、香澄さんの瞳に、何を見たんだろう…

 

 

 






ハーレムルート突入です(笑)。
真夜と澪。実は響子さんも狂気の人物です。
『電子の魔女』は、自宅の電脳部屋から文明を崩壊させる事ができます。
電脳部屋にこもって何をしているんでしょね。
その狂気のお宅に、香澄も足を踏み入れようとしています。
久は恋愛はわかりませんが、甘えさせてくれる女性には依存してしまいます。
誰も本気で愛せないかわりに、平等に好きになれちゃいます。
このラノベ主人公体質め!
さて、精神的にも肉体的にも、法律的にも未成年の香澄が、
どうやって久の自宅に入り込むのか…
ちゃんと考えていますよ。


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宿題

 

 

夕食後の20時から22時の間を、僕は勉強の時間に当てている。

魔法師の象徴たるべき戦略級魔法師は、その成績も模範たるべきなんだけれど、残念ながら魔法協会の期待には少々添えていない。それでも義務教育さえ受けていない僕が、偏差値の高い一高で総合成績で100位以内には入っているのだから、頑張っている方だ、と自分を慰める。

一高入学からずっと同じ言い訳をしている…汗顔の至り。

本当はもっと集中して勉強できればいいんだけれど、集中力の持続は苦手だし、自宅には集中力を奪うアイテムが沢山ある。

いつもは澪さんか響子さん、あるいは同時に家庭教師をして貰っている。でも三学期初日の今日、2人の美女はリビングで、毎週楽しみにしている大人向け恋愛ドラマの新年スペシャルに夢中になっていた。

なんとか集中力を保ちつつ鉛筆を走らせていたのは、一時間ほどで、今、僕は真夜お母様とお電話をしていた。

お母様の養子になってからは毎日、その日にあった事をお話している。

今日からは学校も始まったので話せることが多くなっていた。

 

「深雪さんは、教室では居心地が悪そうでした」

 

「そう、久はどうだったの?」

 

「僕は、澪さんとの事をクラスの女子生徒に質問攻めにされました」

 

「養子の事は聞かれなかったの?」

 

「僕がお母様の養子になったけれど、四葉家の事はよく知らないって答えたら、あっさり納得してくれたみたいです」

 

「養子縁組はナンバーズでは度々ありますからね。それで、達也さんはどうでした?」

 

「今日は、達也くんとは会えなかったんです。放課後、香澄さんと中庭でお話していたので」

 

「あら?今日は物凄い暴風が吹いていたけれど、何のお話?」

 

香澄さんにしてみれば、告白のことを他人に知られるのは恥ずかしいと思うはずだ。なのに、お母様には隠し事はしちゃいけないって思う…

 

「香澄さんから、僕が好きだって告白されました」

 

「あら、あらあら、青春しているわね、久」

 

「でも、僕には澪さんがいるし、気持ちは嬉しいけれど、僕みたいな狂人の側に居ちゃいけないって答えたんですが…火に油を注いだ結果になってしまって。

このままだと、達也くんと深雪さんとほのかさん達のような宙ぶらりんの関係になってしまうから、明日、きっぱりと拒絶、お断りしようと考えているんです」

 

「…そう…そうですね、七草香澄さんは未成年ですもの。藤林響子さんのようには、いかないわね」

 

さすがはお母様。理性的に物事を考えられる。響子さんは大人だから、基本自己責任。

 

「響子さんにも素敵な男性が現れればいいんだけれど…それはそれで寂しいな」

 

僕の今年の抱負は、前向きに生きていこう、だ。

でも、響子さんがいなくなると考えると寂しいどころじゃない…僕はまだ子供だな。

都合の良いときに子供をひけらかすって亜夜子さんが呆れていたけれど…

お母様との電話は長くなりそうだ。

 

 

 

翌朝、一高前駅で達也くんと深雪さん、水波ちゃんが僕の登校を待っていてくれた。

他の友人たちは、キャビネット乗り場を見回すけれど、いない。

謎の四葉家の、それも中枢にいる3人と、水波ちゃんの側には、一高生徒は全く近寄ってこない。避けるように通り過ぎ、生徒会長の深雪さんに挨拶する生徒もいない。2学期にはなかった光景だ。

 

「深雪さんおはよう。達也くんと水波ちゃん、おはよう、それとお久しぶり。今年もよろしくね」

 

達也くんと深雪さんは、普通に返事をくれた。

 

「おはっおはようございます!ひっ久様!」

 

水波ちゃんの緊張振りは、二学期よりもひどくなっている。

 

僕は達也くんの右隣に、真ん中に達也くん、その左に深雪さん、深雪さんの斜め後ろに水波ちゃんと言う並び順で、短い通学路を歩いていた。

他の生徒は同じ方向に歩きながら遠巻きに、でもこちらに興味ありげな目を向けてくる。達也くんは正面を見て無表情だけれど、鋭敏な意識は全方向に注意を注いでいる。

深雪さんは興味の視線には慣れているから、平然と姿勢良く歩いている。水波ちゃんは小さくなっている。

 

 

数分も歩かず、唐突に僕が立ち止まった。

 

3人も同時に立ち止まる。達也くんがいぶかしげに身体を僕に向けた。

 

「どうした久」

 

僕はちょっと考えて、

 

「ねえ、達也くん、去年の12月29日、四葉家の近く、たぶん小淵沢駅の近くで複数のサイキックが誰かと争っていたんだ」

 

「?」

 

達也くんだけじゃなく、深雪さんと水波ちゃんの表情が厳しくなった。

雰囲気を察したのか、後ろを歩いていた生徒たちが、僕らから距離を空けてそそくさと追い抜いていった。

 

「僕は清里の宿に向かう車の中にいたから、くわしい状況はわからないんだけれど…サイキックが戦っていた相手は魔法師…たぶん魔法師だったと思うんだ」

 

「久は探知系は不得手だったはずだが」

 

達也くんの長身を見上げる。

 

「うん。でもサイキックの力は感じられた。僕もサイキックだからね」

 

達也くんがわずかに首を捻った。至近距離ならともかく、離れた場所にいるサイキックに僕が気がつけるわけがない。達也くんは違和感を感じたみたいだ。それは努めて無視して、僕は続けた。

 

「戦っていた魔法師の詳細はまったくわからないけど、サイキックたちが容赦なく鉈でぶった切られるように倒されていった事は感じられた。サイキックはひとりひとりは悲しいくらい弱くて、でも人数はいたからそれなりの戦闘力はあったと思うんだ。四葉家も近かったし…もしかして、あの時戦っていた魔法師は、達也くん?…と深雪さん達かな?」

 

「どうして、そう思ったんだ?」

 

「大した理由はないよ。襲撃の理由まではわからないけれど、場所が場所だけに、サイキックの標的が四葉家だと思ったんだ。

僕は四葉家の戦力は全く知らない。まさかお母様が戦うわけないし、葉山さんが最強執事なんて面白設定はないだろうし、そもそもお母様の側を離れるとは…

黒羽の双子かなとも思ったけど、双子があの日現場近くにいたかどうかわからない。

達也くんは大晦日、お母様のお部屋にいたから、その日も現場にいたのかなって、考えただけなんだけれど…おかしいかな」

 

「いや」

 

達也くんが短く返事する。

 

「久は叔母様のご養子になったけれど、四葉家の事はどこまで知っているの?」

 

深雪さんが、話の腰を折るのを承知で質問して来た。少し探りを入れるような表情だった。

 

「全然。四葉家の関係者は、お母様、葉山さん、達也くん、深雪さん、水波ちゃん、亜夜子さん、文弥くん、しか知らないから」

 

「なるほど、選択肢が少ないな…正解だ。あの日、サイキックと戦っていたのは俺たちだ」

 

「やっぱり」

 

「サイキックは、肉体を強化されていた。サイキック以外にも一般人も混じっていたがな」

 

肉体の強化…人造サイキックに間違いない。

 

「あのサイキックたちは四葉家を襲撃しようとしていたの?四葉家の場所は秘密なのに、どうやって知ったんだろう?」

 

「その詳細は不明だ。敵を尋問している時間的余裕がなかったからな」

 

達也くんはもっと事情を知っていそうだけれど、あいかわらず無表情だ。その無表情からは何の情報も読み取れない。

 

「あの時、達也くんは全員倒しきれなかったよね」

 

「警察が駆けつけてきたからな」

 

「サイキックたちは、四葉家に恨みを持っているのかな」

 

「サイキックたちが襲ってきた理由は不明だが…十師族の四葉に対して何らかの恨み、もしくは害意を持つのは間違いないだろうな。隔離施設での生活はどのようなものだったか想像するしかないが」

 

「まぁ、何十年も監禁されていたんだから恨み骨髄だろうね」

 

僕の返答に、達也くんの眉がぴくっと動いた。深雪さんも、おやって表情になった。水波ちゃんに変化はない。

あれ?僕何か変な事言ったかな。それよりも、

 

「じゃぁ、狙いは、僕か」

 

「?」

 

「さっき、一高裏の人工森林のさらに奥、山地の方から小淵沢と同じサイキックが力を使ったのが感じられた。山の中にセンサーの類はないって考えたのか、ふいに使ってしまったのか。肉体を強化していても…弱っているのかな。まだ逃亡中なのか…」

 

秩父山地の東縁に位置する山は植物の採取、鳥類の捕獲などが禁止された、古くからの修験道の霊山として知られている。

3人の視線が、一高の向こう、有名なお寺もある山に向けられた。

それを機に僕たちは歩き始めた。いつまでも立ち止まっていると怪しまれる。もちろん、生徒たちにだ。

 

「俺が倒し損ねたサイキックが警察の追跡を逃れて、一高裏の山地に潜んでいるのか」

 

「たぶん。警察の捜査能力は、頼りないからね。一般人はともかくサイキックは取り逃がしたんだと思うよ。公表は…していないのかな」

 

「そのようなニュースはなかったな。だが、なぜ久が狙われると?」

 

「達也くんたちはサイキックたちに顔が割れている?」

 

「いや、軍用のサングラスで人相は隠していた。俺たちの詳細は知られていないだろう」

 

「『四葉久』の婚約のニュースは、連日色々な媒体で報道されているから、僕の顔や一高生徒だってことは簡単に、誰だって知る事ができる。

達也くんと深雪さんの件は、魔法協会からの通達に触れられる立場の人しか知りえないし。

関係者から聞いたかもしれないけれど、山の中を逃走しているのに、そんな情報をどこから仕入れるのかなって思って。四葉家は警戒を強めているだろうから四葉家への襲撃は、人数が激減した時点で選択外」

 

「俺に撃退されたサイキックたちが、再び四葉家の関係者を襲うなら、そうだな、俺たちより久を狙う方が可能性が高い」

 

「前回の襲撃から10日も経っているのに、まだこの辺りに潜んでいたのも、僕が登校してくるのを待っていたのかと思って」

 

水波ちゃんが携帯端末を開いた。全国の重大ニュースじゃなくて、ローカルのニュースサイトを調べている。

 

「ここ数日、八王子の民家から盗難届けが複数あります。盗難品目は食料や衣料品が殆どです」

 

「真冬のこの時期に、山中に潜んでいた…盗難と言う事は、協力者、もしくは首謀者の協力は得られていない。久の婚約は2日の夜には報道されていた。ばらばらに逃げていた襲撃者達が、その報道を見て再集結した?」

 

「でもお兄様、一高、もしくは一高への通学路で襲撃しても、その後の逃走は困難では?去年の襲撃場所とは違って、この辺りはセンサーや街頭カメラが多く設置されています」

 

深雪さんは、達也くんの事をいまだに『お兄様』って呼ぶんだな…そんな事を思いつつ、

 

「…逃げる気は、ないんじゃないかな。脱走兵なんだから捕まれば、収容所…処刑は免れないでしょ。自爆攻撃だ」

 

人造サイキックの居場所は収容施設だけだ。

 

「自爆…脱走兵?どうして久はそのサイキックが脱走兵だって知っているの?」

 

深雪さんの瞳に不信が宿っていた。あ、しまった。人造サイキックの事情を3人が知っている事を前提に会話していた。

 

「だって、強化サイキックの集団なんて軍以外に考えられないじゃない。軍が協力していないから窃盗をしていたんだろうし。どこかの兵器会社が製造したとも考えられるけれど…ローゼンとか。でも、現在は魔法師開発の方が主流だし…『パラサイドール』の件があるから、十師族だって容疑者の候補に入るけれど…」

 

僕は無表情で、ぶつぶつ考える。ただ、脱走兵と断言できる理由が思い浮かばない。

 

「ああ、そう言えば、烈くんが強化サイキックの話をしていたな。強制収容所に監禁されているって…あれは国防軍の暗部だったって…」

 

理由にたどり着いた。深雪さんの視線が優しくなった。不信は晴れたみたいだ。ドキドキ。

 

「九島閣下から聞いていたのか。そうだな、軍が関係していると考えた方が無理がないな。長野に強化サイキックの収容施設があったはずだ」

 

そんな施設まで知ってるなんて、達也くんはすごいな。でも、その眼差しは鋭いままだ。

 

「でも、なんで昨日じゃなくて、今日なんだろう。昨日でも良かったのに」

 

「良くはないが…今日になって逃亡兵が再集結出来た可能性もあるな」

 

「襲撃してくるとしたら…放課後の、この通学路かな」

 

「四葉だけを狙うなら、一高を襲撃するのは無駄だ。しかし、久はサイキックは弱かったと感じたようだが、強化兵は少なくとも学生よりは危険な存在だ」

 

「ん?ああ、そうか、相手が達也くんだったから弱く感じられたんだ…まさか授業中に一高を襲うと?」

 

「やつらの考えがわからない以上、最悪を考慮すべきだが…その可能性は低いだろうな」

 

「じゃぁ、早いほうが良いね。これから僕がちょっと殺して来る。深雪さん、この荷物教室の僕の机に置いておいて」

 

深雪さんに、筆記用具とお弁当の入った肩掛けかばんをわたす。

 

「トイレにでも行くふりをして、片付けてくるよ。予鈴まで30分あるから余裕かな」

 

いつもの、庭の草でも刈るような人命を軽視する発言。深雪さんの表情が少し白くなる。

 

「久…俺の尻拭いをさせるようですまないが、可能なら尋問したい。殺さず無力化できるか」

 

「出来るけど、全員?人数は何人だろう…」

 

達也くんが、一高裏の山々に目を向けた。風景を見ているようで見ていない。

 

「いるな、小淵沢で逃したサイキックが4人。高尾山の原生林…打ち捨てられた寺の納屋か…」

 

どうやら『視て』いるみたいだ。

達也くんに具体的な場所を端末の地図で表示してもらって、

 

「じゃぁ、ちょっと行って来る」

 

と、とてとて走り出した。

 

「気をつけるのよ、久」

 

「油断はするな」

 

水波ちゃんは軽く頭を下げた。

 

「うん」

 

そのまま校舎に入ると、近くの男子トイレに向かう。

男子トイレの個室から、『空間認識』をして、達也くんの指摘した小屋の少し離れた木の影に『瞬間移動』。

 

 

山は背の高い古木に覆われていた。頂は青空と重い雲を冠して、森の中はしんと静まり返っている。一高の辺りよりも標高が高いから、とにかく寒い。

この山は古くから信仰の場所だった。樹木の伐採は禁じられているから、一高周辺の人工林と違って野生で雑然としていて、でも真冬だから緑が少なくて、どこか荒涼としている。

かつてはハイカーの通り道だったのか、溢れる雨水の流れ道なのか、枯れた草に獣道のような跡がある。

獣道の先、冬の弱い日差しに照らされた、壊れかけた建物があった。

達也くんの特定した、お寺の物置き小屋だ。

サイキックたちは全員中にいるのかな?探知系が駄目な僕は、相手が力を使ってくれないと居場所がわからない。

 

実は、僕は今、少し浮かれている。

これまで、達也くんと共闘する機会はほとんどなかった。

去年の4月、真夜中の都心で、達也くんが飛行船から落ちて来て、敵の捕縛を手伝った時と、『パラサイト』との戦いは、偶然その場に居合わせただけだし、宇治で周公瑾さん捕縛の協力をしたことはあったけれど、あの時は逃走経路の一番確率の低い候補の橋で、黒い川面を見つめているだけだった。

達也くんと深雪さんに学校以外で関わる機会も少なかった。

四葉の一員になって、四葉の事情に深く関われる。達也くんの完遂できなかった任務。達也くんは完遂に拘ってないみたいだから、敵の全滅が目的じゃなく撃退できればよかったんだろう。小物の後始末でも、僕は嬉しい。

サイキックが『弟たち』でも容赦はしない。彼らは四葉を、お母様を狙ったのだから。

 

時間もないし、一気に行くか。

 

『酸素減圧』で建物内の酸素濃度を低下させる。僕お得意の無力化攻撃だ。『酸素減圧』は、通常は数分で効果がある。あまり時間をかけると相手は重篤な後遺症に悩むことになるから。ただ、今回は強化サイキックの肉体を考慮して、長めの10分。

5分ほどで、建物の中から何かが倒れる音が四つ続いた。

どうやら全員建物の中にいたようだ。

 

無力化したはいいけれど、達也くんが尋問するのは放課後だ。7時間以上、気を失ったままでいてくれるだろうか。あまりやりすぎると死んでしまうし…

とりあえずは無力化出来たか確認しないと。

朽ち果てかけた木造の建物。ドアを開くと錆付いた蝶番が嫌な音をたてる。

僕は暗い室内を、ひょいと覗いた。

 

しゅいん!

 

油断していた事は否めない。

電流を帯びた白いナイフが暗闇の中で光った。空気が断ち切られる音。常人では視認出来ない速度の斬撃が僕を襲った。

僕は、驚いていた。ナイフによるサイキックの攻撃にじゃなく、『酸素減圧』に耐えた肉体の強度に。これほどの肉体なら、軍はもっと使いどこがあっただろうに、彼らはよっぽど人格に問題があるに違いない。

ただ、残念ながら、彼らの攻撃は僕の動体視力で余裕でつかめていた。

それに、サイキックを使った時点で、僕にはすぐわかる。

ナイフの白刃が僕の首に届く前に、『念力』で男の右腕を砕いた。

悲鳴を上げる男を無視して、残りのサイキックが僕に物凄い速度で襲い掛かってきた。

とっさにドアを閉じて、屋外に出る。

朽ちかけ始めたドアがあっけなく吹き飛んだ。ナイフを構えた3人に続いて、右腕を砕かれた男も左手でナイフを構えて外に飛び出した。

折れた右腕は激痛だろうに、腰をどっしりと落として、ナックルガード付きの軍用ナイフを切っ先を斜め下に向けて構えていた。基本的な格闘術を組み合わせたナイフを滑らせて斬る構え…確実に軍隊経験がある。

男達はばらばらの服装だった。なるほど、民家から盗んだ服を着ているんだ。軍人とは思えないカジュアルなダウンやコート。ちょっと動きにくそうだ。

その容姿は誰もが痩身で、頬がこけている。栄養不足なんだな。でも、弱弱しさはない。

人造サイキック計画の被験者なら60歳以上のはず。収容施設に監禁されている間、どのような檻だったかは知らないけれど、衣食は足りていただろうし、少なくとも真冬の山林よりは快適だろう。

サイキックたちは50歳前後にしか見えない。年齢の割には肉体そのものが若く見える。

男たちの荒い呼吸音が、意外に響く。

 

四人は、制服姿の僕を見てかなり驚いていた。

 

「四葉久っ!?」

 

「どうしてここがわかった!?」

 

うん、達也くんのアレは反則だよね。

 

「やっぱり僕を狙ってたんだ」

 

「十師族、四葉の血縁の者は、殺す!」

 

僕は『自己加速』で後方に下がった。4人から距離を空ける。

一見、無警戒に突っ立っている。

現実は僕の周囲には、誰にも突破できない『空間の壁』が作られている。

時間をかけるつもりはないけど、『酸素減圧』でも無力化できなかったから、どれくらいの攻撃までサイキックたちは耐えられるだろう、と考える。

そう考える僕の両目は、薄紫色の輝きを放っていた。

 

「…?」

 

「紫色の…目」

 

「まさか、パープルアイズ!?いや、そんなはずは…」

 

僕の事を知っているのか。まぁ、彼らは僕の研究結果から生み出された『弟たち』だ。僕の事を知っていてもおかしくない。

ただ、過去の僕と、今の僕を結びつける事は不可能。

とは言え、これから授業だし、彼らは『弟たち』だ。いつものように無残に痛めつける気にはならない。

 

僕は『念力』で全てのナイフを圧し折る。

 

クロームを含んだ硬い鋼材のナイフが、何の抵抗もなく砕け散る。

ぎょっとした男達は、慌てたけれど折れたナイフを捨てずに構えなおした。ナックルガードをナックルダスターとして使う気のようだ。

僕とサイキックの間は10メートルは離れている。

光源が少ない森の中でも、緊張が伝わってくる。吐く息が白く霧になっている。

サイキックたちが呼吸を合わせて、木の根っこでがたがたした大地を蹴った。僕との間合いを一気に縮めようと『自己加速』をかけた。

なるほど、サイキックたちの肉体は常人とは比較にならないほど強化されている。拳銃でもあれば、彼らの戦闘能力は跳ね上がるはずだし、連携も得意のようだ。けれど、人造サイキックの力の有効範囲は、手の届く距離程度だ。間合いに入らないとほとんど無力。

サイキックたちのスピードは驚くべきものだった。達也くんやエリカさんよりも、少なくとも直線的な動きは速かった。

でも、『魔法』よりも遅い。僕は胸のペンダント型デバイスにサイオンを流し込む。一瞬で右薬指のCADが『魔法』を構築した。

中空に出現した『電撃』が、発生と同時に空気を裂いて、

 

「ぐあぁああ!」

 

サイキックたちは5歩も進めず、『電撃』の直撃を受けた。『電撃』がサイキックたちの脳天から体内を通過して足に抜ける。6歩目の足に力は入らず、『自己加速』の勢いのまま地面に転がった。

『電撃』は、僕にしてみればダウングレードな『魔法』だ。

でも、サイキックたちの肉体は、意外なほど頑丈だった。だから、少し、ほんの少しだけ『電撃』を強めに発動した。

繊維と肉の焼ける臭いが、静かになった森に漂う。

サイキックたちは、地に伏したまま動かない。僕は念のため『念力』で男たちの頭を小突いた。

 

「…」

 

サイキックたちは、まったく動かない…あ、あれ?

もう一度、今度は近づいて、自分の足で軽く蹴飛ばしてみた。

微動だにしない。

 

「もしもーし?」

 

返事がない、ただの死体のようだ。

念のため脈を調べるけれど…

 

「しまった、殺しちゃった」

 

僕は破壊は得意だけれど、生け捕りは専門じゃない。サイキックたちの肉体強化は加減が難しくて…あー、言い訳だ。殺しちゃった。

達也くんは可能なら尋問したいって言っていた。あまり執着はなさそうだったけれど…

さて、どうしよう。僕は焦げた四つの死体を見下ろしながらボーゼンとしていた。

 

「…はぁ」

 

ため息が白い。

 

「僕が引導を渡すことになるなんて、過去からは逃げられないなぁ」

 

前向きに生きていこうと考えたとたんコレだ。

遠くから一高のチャイムが聞こえて来た。端末で時間を確認すると、始業5分前の予鈴だった。

このままじゃ遅刻しちゃう。

僕は四つの死体を『念力』で小屋に放り込んだ。二つに割れたドアの大きい方を入り口に立てかける。強風で飛ぶかもしれないけれど、まぁ真冬の山中にわざわざ訪れる人はいないだろう。

もっとやり様があったかな…

白い息を残して、その場から『瞬間移動』。

 

一高の男子トイレに戻ると、ダッシュで2-Aの教室に向かう。

授業はもう始まっていた。

 

「多治見…いや四葉、遅刻だぞ」

 

神経質な教師が、教壇から注意してくる。

 

「ごめんなさい、ちょっと調子が悪くて」

 

僕が頑健な肉体でないことは、一高関係者なら誰だって知っている。とくに疑われもしないで、自分の席につく。僕のかばんは机の横にかけられていた。

 

「大丈夫?」

 

隣の席の深雪さんが心配そうに尋ねてきた。

 

「うん、僕は平気。ごめんなさい、失敗しちゃった」

 

後半は小声で答える。全員、殺しちゃった。口パクで深雪さんに告げる。

 

憂い顔で頷く深雪さん。とりあえずサイキックの脅威は去ったから落ち着いている。詳細は昼休みにでもすればいい、僕も授業の準備をしなくちゃ。

端末を起動しながら考える。

 

サイキックたちの目的は四葉久、僕だった。襲撃は未然に防げた。

でも、生け捕りにすると言う、達也くんの期待にこたえられなかった。

以前、光宣くんにも言ったけれど、僕はすぐ後ろで指示してくれる人がいないと駄目だな。

しょんぼり。

僕は小さい身体を、ますます小さくしてその日の授業を受けた。

昼休み、屋上で達也くんに戦闘経緯を報告。

達也くんと深雪さんは、そのまま屋上でお弁当を食べた。

僕は恋人同士の逢瀬を邪魔するほど野暮じゃないから、料理部の部室でひとりお弁当を食べた。ここならお茶が飲めるし。今は、食堂みたいに大勢のいる場所に行きたくなかった。

放課後、達也くんと山の小屋まで向かう。達也くんは『自己加速』で走って向かい、僕も達也くんの背中について走った。

山中の小屋の中には死体が四つ、ボロ雑巾のように転がっていた。

薄暗闇の中、達也くんが死体を調べている。僕はドアの前に立って、その様子を見ていた。

達也くんは遺体からでも、さまざまな情報を読み取れるようだ。でも、さすがに脳の中身までは無理だろう。

生け捕り出来なかったことを達也くんは「誰しも万能じゃない」って言ってくれた。

僕も、自分が制圧向きだってことは百も承知だけれど、気分は晴れなかった。

 

 

しょんぼりしたまま帰宅して…

あれ?そう言えば、僕は今日学校で用があったはず。

ひとつに集中すると他に意識が回らなくなるのが僕の悪い癖なんだけれど…

自室で一時間目の遅刻に対するペナルティの宿題をしている時…

 

あっ、香澄さん!

 

香澄さんに、きっぱりと『お断り』を告げないといけないんだ。

宿題を中断して、ぎこちなく携帯端末で文章を打つ。香澄さんにメールを送信。

 

[明日、放課後に中庭に来てください。お話があります]

 

………

 

……

 

 

香澄さんからの返信は、来なかった。

 

宿題しなくちゃ。

 




四葉継承編で、小淵沢で達也たちを襲った人造サイキック。
達也が全員倒す前に警察が現れました。
操られた襲撃の首謀者の国防軍仕官は原作中で始末される描写がありますが、
達也に倒されなかった実行犯のサイキックはどうなっただろう?
と言う疑問が今回の話です。
襲撃に利用された松本のサイキックは脅威度が比較的低いと原作にあります。
脅威度の高い人造サイキックもどこかにいるんでしょうね。
久にとっても人造サイキックは宿題です。

ちなみに香澄がメールに出なかったのは、
前日の自分の行動が七草家の娘、淑女の行動ではなかったと、
告白とチューを思い出して、今になって赤面パニックしているからです。

泉美「香澄ちゃん、メール。携帯鳴っていますわよ」

香澄「あっああ、久先輩っ!うわーうわー」

泉美「早く出なさいな」

香澄「今さら、出れないよぉ」

泉美「すでにデレてると思いますけど?」


では、また次回。


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魔法の時間(マジック・アワー)

のんびりのんびりと。


 

 

 

始業から3日目、一高内での僕たちの扱いに特段の変化はなかった。

もともと深雪さんは校内では神聖視されていた。女子生徒は、気後れからかあまり積極的に話しかけたりしなかったから、表面上、校内での生活はかわらない。

男子生徒は、何かと声をかけようとしていた。花に吸い寄せられる蝶みたいにふらふらと。

これまで、深雪さんは僕を壁にして男子生徒の媚びた目から逃れてきたんだけれど、四葉家という家の格が加わった今は、近づこうとする男子はいなくなった。

今日も2-Aでの深雪さんは自らの立場を理解して、孤高を恐れず淡々としていた。

お昼休み、僕に笑顔で、続けて雫さんとほのかさんに目礼すると、音もなくすぅっと教室を抜けていった。お昼は達也くんと2人でとるんだ。

 

僕は、香澄さんからメールの返信がなかったから、教室を直接尋ねようかと今朝までは考えてた。でも、水波ちゃんが、1-Cでは下世話な好奇心が渦巻いているって言っていたので、後日にするか…

今日はレオくんたちは食堂で昼食を食べるって聞いている。僕がいると周囲の耳目が僕達の会話を聞き漏らすまいと集中する。レオくんとエリカさんは気にしないだろうけれど、繊細な幹比古くんは居たたまれない思いをするだろうし、美月さんにも悪いし…こちらも遠慮するか。

そう言えば、新学期になって美月さんと幹比古くんと会っていないな。

 

新学期が始まって間もないのに、一高を照らす陽光すらも何処か余所余所しい。

 

 

今夜も、お母様にお電話をして、短く言葉を交わす。残念だけれど、単調な一日はあまり話すことがない。ただ、土日は四葉家を訪れることになっているから、お話はその時にまとめて出来ると良いな。

 

勉強を終えて、お風呂に入る。僕は、一人のときはカラスの行水だ。適当に全身を洗って、さっさとあがる。自室の澪さんに、「お風呂出たよ」と告げる。「ちゃんと洗いましたか?」って軽く説教をしながら、いつものように僕の髪を乾かして櫛で整えてくれる。

その後、澪さんがお風呂に向かう。

澪さんは、長風呂だ。お風呂にコミックスを持ち込んで、のんびり入浴する。ちゃんと水分補給のボトルも持参している。

コミックスは湯気でべこべこになるけれど、そこは戦略級魔法師。超絶魔法力の無駄使いで、部屋に戻って来る時は嵩高紙は切れそうなほど新品同然になっている…

 

リビングのソファに、仕事から帰宅した響子さんが、化粧をすっかり落として、楽な服に着替えてくつろいでいた。えんじ色のシャツから覗く肌は若々しく、陶器のように滑らかだ。

ソファに身を沈めながら、片手で携帯端末をいじっている。その指の動きたるや、一流のピアニストみたい。響子さんはちょっとネット中毒だ。

僕は扉を少しだけ開けて、リビングに半身を入れる。ジャンプーの香りに気がついた響子さんは、指はすいすい動かしたまま、顔だけを上げて、

 

「あら久君。澪さん、お風呂に入った?」

 

「うん」

 

響子さんはお仕事で帰宅が遅れる場合があるから、僕、澪さん、響子さんの順番でお風呂に入る。

 

「響子さんも何か飲む?」

 

テーブルには飲み物が置かれていなかった。

 

「そうね、いただくわ」

 

「僕と同じので良い?」

 

響子さんは頷いて、僕は台所に向かう。ミキサーでキャベツとキウイのミックスジュースを作る。僕の分は少し氷を入れてフローズンに。量はちょっと多め。

ガラスのコップに爽やかな黄緑色の液体を注いで、ストローを刺す。ちょっと行儀が悪いけれど、グラスを両手に持って、半開きの扉をお尻で開けて閉める。

リビングは適度に暖房が効いている。響子さんはシャツを、ちょっとだらしなく着ている。でもスタイルが良いから、その姿が様になる。胸元の谷間が艶かしい。

 

「あら、そんなにちゃんとした飲み物じゃなくても良かったのに」

 

「うぅん、自分のとついでだから」

 

テーブルにグラスを置いて、響子さんの隣に座る。

 

「ん、美味しいわ。久君の作る物は何でも美味しいわね、ありがとう」

 

響子さんは、やや酸味のある甘いジュースを一口飲んで、微笑んだ。

 

「それは、響子さんが細かな味を理解できるからだよ。僕は少し薄味だし」

 

「でも、私の味覚に合わせて調整してくれているんでしょ?」

 

僕は、ちょっと甲斐甲斐しいくらいに主夫なので、自分よりも響子さんの味覚に合わせて作ってしまう。

軽く頷いて、僕も自分のグラスを手に取る。クラッシュドアイスが手に冷たい。

一瞬、会話が途切れて、リビングが静かになった。遠くから、澪さんのお風呂の音が聞こえてきた。

両足をぷらぷらさせながら、僕は響子さんの横顔を見つめた。

響子さんの喉が上下に動く。唇からストローが離れる。少し跳ねた髪、整えられた眉、長いまつ毛、挑戦的で悪戯な目元。

機械式の置時計がコチコチと小さく時を刻んでいる。

 

「ねえ、響子さん」

 

「なあに?」

 

響子さんの顔が、端末から僕に向く。見上げる響子さんの顔は、深雪さんや香澄さんとは明らかに違う。大人の女性だ。

響子さんは自然体だ。でも、どこか緊張感がある。一本背中にぶれない筋がある。僕に対してまったく気負いがない澪さんとは、前々から異なる部分がある。

軍属の響子さんは、基本的に一般人の僕たちに言えない、踏み込ませない部分があるんだけれど…

 

「ねぇ、響子さん。響子さんは、僕のことを、どこまで知っているの?」

 

僕は少し思いつめた様子で呟くように尋ねた。

 

響子さんが怪訝な表情を見せる。相手を量るような、目。その目が、周りの男性陣を遠ざけていることに本人は気付いていない。

 

「…」

 

響子さんがグラスと携帯端末を、テーブルに置いた。

いつも溌剌とした、怜悧で悪戯な、どこか抜け目ない響子さんの印象が、がらりと入れ替わった。

隠していた牙をむき出しにした?違うな、猛烈な生気…

透徹したガラス細工のような澪さんの精神とは違う、生々しさ。貪欲な、好奇心の塊。

僕も襟を正して、響子さんを見つめる。

僕は会話の最中、相手の双眸をじっと見つめる。これは奥ゆかしい日本人にはあまりない習慣で、特に女性陣は耐えられないらしい。

長時間の会話で、目を一度も逸らさなかった女性は外国人のリーナさんと澪さんくらいだ。深雪さんですら、呼吸が苦しそうになる。

響子さんは真っ直ぐ僕を見つめ返す。瞳に、僕が映っている。

 

「いきなりどうしたの?」

 

「響子さんは『電子の魔女』だ。世間では知りえない情報にもアクセスできるし、痕跡を一切残さない。これまでも僕のことは調べていたと思う」

 

響子さんが軽く頷いて、続きを促した。

 

「おかしいなって思ったのは数日前、響子さんが『僕が大学を卒業するまで、この家に住む』って言った時だ」

 

「…?」

 

「いつも知的な響子さんにしては稚拙な理屈だなぁって」

 

「そう?私と澪さんの会話って、大概、冗談めかしてるわよ」

 

「うん。僕も最初はいつもみたいに澪さんをからかっているって思った。でも、僕の後見は確かに九島烈くんだけれど、僕は4月に18歳になる。2年後には20歳。公式に僕は戦略級魔法師になる。これは確定事項で、魔法師の、うぅん、世間的に見ても、僕は成人だ」

 

肩書きは多いけれど、建前上、今の僕は一学生でしかない。公の職務は成人後となっている。

 

「しかも、結婚後、僕の義理の親は四葉と五輪家」

 

現在最強の魔法師一族の四葉家と国内有数の資産家の五輪家。

 

「九島烈閣下の後見はもはや不必要ね。閣下はご高齢でもあるし」

 

「うん。烈くんの年齢はあまり考えたくはないけれど、そう遠くない未来に烈くんはいなくなる」

 

「九島家そのものとは疎遠の久君に、後見役代わりの私は不必要になるわね」

 

「…不必要じゃないけれど。立場的にはそうなる。烈くんの言質も効果を失う」

 

「ええ。だから、理屈じゃなくて、感情で、冗談で煙に巻くようにして、私はここに残ったのよ」

 

「どうして?」

 

「澪さんは、子供のまま大人になったところがあるわ」

 

僕は頷く。澪さんと僕の共通点はそこだ。人命を、無邪気に絶つ子供の精神性。

響子さんの涼しげな目に、知的な光が宿った。湖底から大きな生き物がゆらりと浮き上がってくるような気配。

僕が、この僕が一瞬、怯む。恐怖とかじゃなく、知的レベルの違いに…

 

「少し、長くなるけれど、良いかしら?」

 

「う…うん。僕でもわかるレベルで説明してくれると嬉しいんだけれど…」

 

 

同じお願いを以前、『ピクシー』にもしたな…僕は成長がない。

 

 

最初に、久君を調べたのは、二年前の九校戦。私たちが初めて出会った日よ。

お祖父様…あの、九島烈閣下と対等に会話する子供。

男の子なのに、濡れたような艶やかな黒髪、人間離れした美貌。どこか陰のある表情、相手を真っ直ぐ射抜く紫がかった黒い瞳。驚異的な魔法力。幼い精神性。学力の不足。時々放つ、周囲を威圧する狂気に満ちた圧力。社会的な常識、一般知識の欠如。命を鴻毛より軽く考える幼児性。折れそうで脆弱な身体…

あまりにもチグハグな男の子。しかも、それまで全くの無名。ナンバーズとは接点が皆無。

その男の子を婚約者にするなんて、興味が沸かないわけがないでしょう。

久君はどう見ても10歳そこそこ。魔法師の成長の弊害の可能性?いいえ、戸籍がでっち上げられた物だってことは、巧妙に隠されていたけれど、簡単に突き止められた。

巨額の資産も同じ。閣下の息がかかっているのだから、改ざんなんてお手の物よね。

 

久君は魔法科高校に入学するまでは、人里離れた山奥に居たって言っていた。

どこの山奥かはともかく、久君が最初に姿を確認された2年前の九島家のある生駒と、その場所とを繋ぐデータがまったくない。

このデジタル全盛の世界で、何のデータも残さずに10年以上も生活するのは難しい。偵察衛星は地球上の全ての地域をカバーしているから、何かしら映像も残るし…

偵察衛星にアクセス出来るのかって?それは、秘密よ。

それで、私の調査でも、久君のいた住所、生駒までの移動方法もつかめなかった。まるで『瞬間移動』ね。

ただ、私達の生活も、半分家族、半分ままごとみたいな物だったし。横浜事変以降、私も軍務が忙しくて、親戚からのお見合いの話がなくなったから、調査はやめて、気楽にそれに胡坐をかいていた。

 

 

「でも、去年の九校戦。久君に、『共に生きて欲しい』ってプロポーズされてから…」

 

「えぇ!?あっあれは、その、その場の雰囲気…勢い…僕が言葉を知らないから」

 

「あら?私は本気で受け止めたのよ。もう子ども扱いできないって」

 

そんな素振り、その後も見せなかったのに?この、小悪魔は…

 

 

その後、本気で調べたわ。

久君の過去の情報は、面白いくらい、ない。データを改ざん、消去した痕跡すらない。

一高入学までの約10年のデータ、いいえ20年間を見ても、久君の情報がない。砂漠のど真ん中にいたって何らかの情報はつかめるのに、それこそ2年前、当然、宙から生まれたように、久君の記録は始まっている。

九校戦後の師族会議で、久君の過去が問題になった。流石に戦略級魔法師ともなると、出生や経歴は徹底的に調査される。

でも、閣下の鶴の一声『多治見久よりこの国への忠誠を発揮した者はいない』で、その調査もなし崩しになった。

忠誠が何だったのか。それも記録にない。いくらなんでもおかしいわよね。閣下だけが知っている、過去の忠誠…

 

 

私はまず、見方をかえて久君の苗字から調べた。

中部地方に多治見って地名はあるけれど、苗字としてはかなり珍しい。久君は、自分は孤児で、苗字は嫌いだから名前で呼んでって、初対面の人には必ず言っていた。

苗字に意味があるんだろうって。地名と無関係か、まずはそこから開始したわ。

多治見に孤児院はなかった。過去100年まで遡ったけれど周辺を含めて孤児院は存在しなかったわ。

次に通常の保育園や幼稚園、託児所も調べたけれど該当はなかった。

群発戦争以降、人口が激減してその地域も過疎が進んでいたから、記録の散逸、人間関係の繋がりも薄く、地権者の不在になった建物、空白地、放棄地も多かった。

都会と田舎の中間の町。めぼしい記録は残されていなかった。

 

次に、調べたのは民間の地図会社。

地図のアーカイブは無料で公開されているから、すぐに手に入った。その中に、四方を山で囲まれて、上空からじゃないと見つけられない施設が写っていた地図があった。

当時の民間の衛星地図は、どの施設も地下にでも築かない限り丸写しだったものね。

その施設が何かはわからなかったけれど、建物そのもののデータは見つかった。

まず、その広大な土地を買ったのが個人だったのか団体だったのか、法治国家とは思えないけれど登記は不明。

でも、80年前から取り壊されるまでの約40年間、固定資産税は払われていなかった。つまり非課税の施設。国有地ってことよね。別件で割り増しの交付金が自治体に振り込まれていた。

 

その施設のコンピューターは施設内で完全クローズド。データの持ち出しは厳しく管理されていたようね。機密保持対策は最大レベルだった。

施設の取り壊しの時、データベースも物理的に破壊されていた。施設の研究そのものは完全に失われている。

でも、そこが研究施設なら外部とネットワークに繋がっていないと作業効率が悪すぎる。

光電子的に施設のデータとは完全に切り離されたネットワークを人間が橋渡しをしていたと考えるのが自然よね。最新の論文なんか、いちいち物理的に持ち込むのは手間だもの。

ところが、その手間な事を、その施設は馬鹿丁寧にやっていたの。

報告書はすべてアナログ、タイプで起こされていた。検索履歴は残っていなかった。機密保持にも程があるわ。

 

でも、電力と水道の料金は軍の機密費から払われていた。機密費の流れを調べると、施設のメンテナンスや拡張にも機密費が使われていた。

メンテナンス会社の記録も見つけたわ。研究装置のじゃなく、排水や空調の修理記録。

そこに正式名称か通称かは不明だけれど、『多治見研究所』って記述があった。

 

軍の秘密研究所。

 

過去の軍の施工を委託されている会社と、資材や納入物について調べたわ。

この施設に関係がありそうな軍の発注は巧妙に消されていた。軍に近い民間会社のデータも消されていた。薬品会社のデータも流石に古すぎて復旧できなかった。

でも、ほかの民間の会社、特に生活必需品関連はそこまで細かくデータの抹消はされていなかった。除菌スプレーとかトイレの芳香剤とか、そう言った日用品。

どこの施設でも絶対に必要な品物だから、大手の会社から軍がまとめて買って、施設ごとに分配される。

配送会社の配送データを見つけて、その日用品の中にベビー用品が含まれていたことがわかった。ベビーベッド、オシメや玩具、絵本、粉ミルク。

施設には託児所があった…と考えるのが普通だけれど、ベビー用品の発注は、初期の3年間だけだった。この施設のスタッフに幼い子供がいたのが3年間だけ?施設そのものは40年も稼働していたのに?

 

次に、この研究所で働いていたスタッフの情報を探したわ。

当時、軍の研究に携わっていた人物の中に、別の研究所の勤務記録があるのに、その研究室の消費電力が殆どゼロって言う研究員がいた。

その研究員は女性で、優秀な成績を収めた科学者だったわ。大学のデータベースもばっちり残っていた。専門は、遺伝子工学。

とある論文が軍内部だけに公開されていた。

 

『遺伝子操作による人造サイキックの可能性』

 

その施設は大きかったから他にもスタッフはいたでしょうね。その他の、軍の遺伝子関係の研究者の所在を調べると、所属が曖昧な研究員が複数いた。

清掃や管理担当などの雑務をこなす職員の方は、研究員ほどは秘匿されていなかった。中部方面隊でひとくくりにされてこの研究所に通っていたわ。

交通記録から職員を特定、家族構成もわかった。

その中に、子育て中の研究員、職員はいなかったわ。保育士の資格を持つ職員すらいなかった。

施設内の託児所…育児施設は、何だったのか。遺伝子組み換え、操作、試験管ベビー、魔法師開発…

初期の魔法師開発は手探りで、非人道的な実験も多かったって聞くけれど、群発戦争の切迫した時代とは言え、背筋が寒くなる想像をしてしまうわよね。

深く、底なしの沼を覗き込むような…

 

 

 

響子さんは何でもないように話しているけれど、不正アクセスは犯罪なんだよ…証拠はまったく残さないから立証できないんだけれど。

研究所の記録そのものはない。でも、響子さんは周辺の断片的な情報をひとつひとつパズルのように組み上げていった。

 

 

まったく、『電子使い』はどの『次元』にもいるんだな。

 

 

…ん?

僕は、響子さんの語りを聞きながら段々と、現在の年月や時刻、自分がどこに居るのか把握出来なくなって来ていた。

複雑な感情を胸に押し込むように、僕は黙って、響子さんの独白を聞いていた。

 

 

鍵は、九島烈閣下ね。

久君は閣下とは親しかった。それも、数年の付き合いなんて簡単なものじゃない、まるで戦場を共にしたような気さくさがあった。

久君の記録はなにもない。

でも、九島烈の記録は、書籍が出るくらい、溢れている。

行政機関の保有する情報の公開も幾度もされている。

軍は機密でも、それこそ弾丸一本にいたるまで厳重に記録が残されているから、民間のデータを調べるよりははるかにソースが多かったわ。

 

 

現役の軍人が、軍のデータベースに不法アクセス…良いんだろうか。良いわけない。

 

 

閣下は中年以降、魔法師として、魔法協会や十師族を纏め上げた。軍人としては作戦畑、現地での指揮官が多かった。

でも、無名の若い頃は現場の下士官として、最前線で戦っていた。その頃の記録は、あまり表に出ていない。それでも、所属の部隊、構成、任地はわかる。

一下士官の任務の詳細は不明だけれど、少尉だった20歳の頃、約半年ほど、単身で破壊工作に従事していたみたいね。

最前線での破壊工作は、戦局を戦術レベルで覆すほどに目覚しかった。敵軍の基地や軍港、軍事施設の被害は尋常じゃなかった。

でも、おかしいわよね。閣下は、搦め手、ケレンや相手の虚をつく魔法、対人戦闘が得意だもの。敵地で、敵の武器庫から爆薬を奪い続けたにしては、回数も多いし、破壊の範囲も規模も大きい。

施設の破壊は専門外。つまり、破壊専門の軍人が同行していた。

その軍人の記録が、一切ない。軍人か民間人かも不明。

『多治見研究所』の時と同じ臭いがするわよね。

この時代の魔法師はそれほど破壊力を持っていなかったわ。CADも大型だったし。

それにしても、どうして半年だけだったのか?

その半年の終り、戦争は激化の一方だったのに、2週間ほど閣下は前線から本国に帰還していた。

そして、敵国の首都が謎の大規模事故で消滅する大事件があった。

原因は不明だけれど、放射線や中性子が計測されなかったから、魔法師開発の失敗って説が大勢ね。

それも無理があると思うのだけれど、敵国の住人600万人が消滅、直径100キロの大地が更地になったことは事実。

今でも、衛星画像で見ると、その地域が円形に切り取られたような地形になっている。

その敵首都消滅事件で、敗色濃厚だったわが国は、群発戦争をぎりぎり乗り越えることが出来た。

複数の魔法師の魔法力の暴走…?

魔法師の魔法力で敵国首都を消滅させる…それは戦略級魔法よね。それも、桁違いな。

もし、それが1人の魔法師の『魔法』の暴走だとしたら、

 

私の身近に、人のレベルを超越した魔法師が二人いる。

1人は、絶対にありえない。その当時の技術では、彼の『魔法』は使えない。

でも、もう1人、この子の『能力』なら、CADは必要ない。彼にとって『魔法』は余技でしかない。

 

その事件から70年経っている。

70年のギャップは、不明だけれど、この時代にまるで宙から顕現したかのように現れた。

久君の容姿は、どう見ても10歳そこそこ。久君の肉体は出会ってから成長していない。

この前の狙撃事件で、久君は瀕死の重傷を『念力』で回復させたって言っていたわよね。

久君は、自分の肉体や成長をある程度コントロールできる。

それに、夜。

久君は殆ど眠らない。ベッドの中で、私と澪さんに挟まれて、朝まで目を閉じているだけ。

時間の感覚が常人とは少し異なるのかも。

澪さんの体調が改善したことも、不思議よね。私も、自分の身体が若返って来ている自覚があるわ。

 

久君は不思議だらけ。不思議すら超越している。

 

「我ながら変な感想だけれど、久君を想うと、胸がざわつくわ」

 

 

 

響子さんは、僕が『高位次元体』であることまでは知らないようだ。『ピクシー』たち『パラサイト』は情報伝達をコンピューターに一切頼らなかったからかな…

でも、

 

「…客観的な、証拠にはどれもならないよね?」

 

「去年の秋、論文コンペの季節。私は達也くんを閣下に引き合わせるために、生駒に帰省したわ。東京に戻る途中、ちょっと寄り道をしたの」

 

僕の問いを無視して、響子さんは言った。

 

「風が吹いていた。風になびいて葉擦れの音がしていた。穏やかな小鳥のさえずりが途切れ途切れ聞こえてきた。まばらな紅葉に、粉っぽい落葉が舞っていたわ」

 

僕は強い眼差しで響子さんを見つめた。何を言い出すのだろう。

 

「人里から離れた、かつて大きな施設のあった人工的に切り開かれた晩秋の野原に、野菊が咲き誇っていた。まるでどこか別の世界のような風景…」

 

…予感。僕は身じろぎをする。

 

「野菊の原と緑の際に、こぶし大の石がばらばらに転がっていた。何の変哲もない石だった。でも、道端に転がっているような石じゃなく、川原の角の取れた丸い石だったわ」

 

僕は、じわりと息を飲む。

 

「半分埋もれていた石の数は13個。石には引っ掻き傷で数字が刻まれていた。かなり古びていて汚れていたけれど、1、2、3、4から13まで」

 

13。不吉な数字。

 

「その中で、一つだけ他と大きさの違う石があったわ。普通考えるなら『1』が一番大きそうな物だけれど…一番大きかったのは『9』。どうして『9』が一番大きかったのかしら」

 

「それは、『9』が一番年上だったから」

 

「幾つだったのかしら」

 

「歯根完成の特徴から、推定3歳。他の子供は2歳から嬰児だった。みんな群発戦争の孤児。それも血縁のない、天涯孤独の孤児たち」

 

思い出が奔流となって浮かび上がる。

 

「………」

 

僕は、淡く微笑みながら、

 

「そっか。その石は僕たちのお墓なんだね。誰が置いてくれたんだろう。孤児院の関係者の誰かかな。院内では僕達は数字で呼ばれていたし。

兄弟の間では数字じゃなくって、愛称で呼び合ってて、僕はきゅーだから『久』って漢字を当てて、ヒサって呼ばれてた」

 

「去年の九校戦のとき、私はまだ、九島家には染まっていなかった。閣下…お祖父様や光宣くんの持つ狂気からは、一歩引いていたと思っていた」

 

「………」

 

「久君の過去は、常人には重すぎる。でも、その久君の隣に、私も居たいと思う」

 

熱気とも冷気とも違う、目の奥に宿る力…心拍数が上がる。

思い出が、泡となって膨らんで、弾ける。もう、過去の出来事だ。

響子さんと一緒に過ごした時間は決して短くない。狂気は、伝染する。

 

「私もすっかり久君に染まっている。それに、久君の狂気は澪さんだけじゃ耐えられないと思う。10年、20年ならともかく、もっと…」

 

「八雲さんが…」

 

響子さんが不信な面持ちで僕を見つめて、首をひねった。

 

「ん?」

 

うわぁ、美人はどんな仕草をしても美人なんだな。

 

「八雲さんも同じようなことを言っていたな…響子さんには、普通の生活を送って欲しいと思っていたんだけれど…」

 

「もちろん、私だって素敵な男性がいたらって思うわよ。でも、久君以上の男の子って、いるとも思えないし…」

 

響子さんが、少し口調をかえた。女豹のように身をよじった響子さんが、僕の耳元に顔を近づけた。

 

「最後に、久君の隣にいるのは果たして、誰なのかしらね」

 

近すぎて、響子さんの表情は読めない。でも、頬が赤くなっている。僕の頬に、体温が伝わってくる。

響子さんが、上体を起こす。怪しくも蠱惑的な谷間が目の前にある。視線を上げる。響子さんの呼吸が、僕の鼻をくすぐる。

響子さんの指が僕の首筋を撫ぜた。ぞわぞわって、言葉にしがたい痺れが全身を襲った。

ソファが、ぎしりって音をたてた…

お母様とも、澪さんとも、香澄さんとも違う、成熟した大人の色気に、僕は苦しくなる。

空気を求めるように、口をわずかに開く。キウイの甘い香り、むせ返るような甘い香り。響子さんの香りだ。

その、僕の唇に、響子さんの唇が…

 

 

 

ばたんっ!!

 

 

 

「うわぁっ!」

 

「………」

 

リビングのドアが、壊れそうな勢いで開いた。その音に、僕は弾き飛ばされる。仰け反るように響子さんから離れる。

対して、猫のように背中を反らして座る響子さんは、少し前かがみのまま、全然動じていなかった。その口元は、三日月型をしている。

 

「響子さん、何をしているんです…」

 

ごごご。

湯上りの澪さんがそこに仁王立ちしていた。いつも通りのジャージ姿。

黒髪からほくほくと立ち上がる湯気は、本当に湯気だろうか。可視化された怒りのオーラかもしれない。

過去にもこんな事があったな。2人が初めてこの家に来た日。

響子さんが、舌をペロッと出した。女豹…いや、小悪魔だ。タイミングを計っていたな…

 

「久君は私の婚約者なんですよ!」

 

「あら、私の婚約も別に解消されたわけじゃないのよ、澪さん」

 

「響子さんのは婚約(仮)でしたけど!」

 

「じゃあ、久君、私と澪さんどっちが好き?」

 

僕の置かれた立場的に、澪さんとの婚約は揺るがない。響子さんだって、わかっている。わかっていて言っている。

 

「僕はその…恋愛はわからなくて」

 

「久君、それは逃げよ!このままだと中途半端になって、誰もが傷つく結果になるわ」

 

「積極的に爪を立てているのは響子さんでしょう!」

 

「さあ、久君、選びなさい、私?澪さん?」

 

…う。

 

「去年の九校戦の時に言ったよね。共に居て欲しいって!澪さんと響子さん、どちらかがいなくなっちゃうなんて考えたくない。いつまでも一緒に居て欲しい。僕には2人が必要なんだっ!」

 

将来の風景は曖昧で儚い。昼と夜とが交じり合う『魔法の時間(マジック・アワー)』のように。

それでも、ずるいようだけれど、僕には時間がある。僕と共にいる女性にも。

 

「ひっ、久君。これってプロポーズよね。ぽっ」

 

「久君。今の言葉、ちゃんと録音しておいたから、忘れたなんて言わせないわよ」

 

響子さんがテーブルに置かれた携帯端末を、ちょいちょいっと指差した。

ディスプレイに、録音を表す赤いアイコンが点滅していた。

 

あっ、罠だ。そう思った。手玉に取られた。2人の、世界でも飛び切りの美女のくびきからは、僕は逃げられない、そんな予感がする。

本当に2人だけだろうか…僕の依存性は女性を拒めない…らしい。

混乱する世界で、一瞬の出会いでも、交錯したのは運命。必然。未来?

ここからが始まりなのかもしれない…

 

『魔法の時間』はいつまでも続くんだ。

 

 

 

 





パープルアイズ・人が作りし神。完結(仮)…ん?

実はこのSS、初期構想では、
多治見研究所に残された自分の墓の前に立つ久のシーンで完結する…予定でした。
パープルアイズのプロットを考えていた時、原作は師族会議編上巻まで発売されていました。
2097年1月2日、四葉家の養子として公表されて、響子さんと正式婚約。
翌日、グ・ジーに操られた強化サイキックに狙撃されて瀕死の重傷。
自分の過去と決着をつけるべく、弟達、強化サイキックと決戦。
戦いの後、始まりの場所、多治見研究所の跡地に立つと、そこには自分の墓が建てられていた…

ところが、原作厳守で、行間を縫うように話を進めて行って、当初の予定とはだいぶ異なる人物が活躍し始めました。
澪と光宣です。
本当は、響子と将輝がそのポジションにいるはずだったのですが、
この2人は原作でも重要人物で、原作遵守のこのSSではとても動かしにくいキャラでした。
その点、光宣は出番が少ないし、澪にいたってはほとんどオリキャラで動かしやすくて…汗。
でも、響子は響子でいてもらわないと今後も困るのです。
原作でも、達也の目的であった、四葉家からの独立は見事に失敗しています。
魔法科高校卒業まで話は続きますから、久もそれにお付き合いして、卒業まで話を続けていこうと。
原作がいつ完結するかは不明ですが…(笑)。いや、長く続いて欲しいのですけれど。
このSSもしぶとく続きますので、今後とも宜しくお願い良いたします。





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やはり僕の思春期ラブコメはまちがっている。

真夜、澪、響子、香澄。
4コーナーを囲まれ、リングの中央で右往左往する久。
ラブコメっす。


 

僕は恋愛がわからない。

僕の過去は極端なので、複雑な感情がわからない。

ただ、誰だってエスパーでもない限り、人の心なんて判りようがない、とも思う。

 

僕と澪さんは相性は抜群だ。好みや思考、幼児性と狂気に伴う非人間性、卓越した魔法力、戦略級魔法師、立場や家格、趣味に至るまで、どこから見ても天秤がつりあう。

年齢差は…こればかりは、どうしようもない。勿論、僕のほうが圧倒的に年上だ。

響子さんも、僕たちにない社会性に富んでいる以外は、僕たちのフィールドにいる。それも、ますます深みに嵌って来ている。這い出る気は、まったくないみたいだ。

その点、香澄さんは、まだ染まっていない。このまま僕の間近にいては、取り返しがつかないことになる。

勉強中の自室から、僕は前夜に引き続いて香澄さんにメールを送っていた。幸い、一晩が冷却の時間になったのか、香澄さんから返信はすぐに来た。

 

翌金曜日の放課後。僕は一昨日告白をされた中庭のベンチに腰掛けていた。

僕への生徒達の態度は昨日までと同じだった。深雪さんへの態度も、と言いたいところだけれど、僕と深雪さんとでは好奇の視線の種類が違う。

兄妹ではなく従兄妹同士だった、一つ屋根の下に2人きりで住む男女の存在は、同世代の学生にしてみれば下世話な想像をするなと言う方が難しいんだろう。

達也くんがクラスでどう見られているかは聞いていない。達也くんは質問すると、案外素直に答えてくれる。でも、登校時に僕にまでその話題に触れて欲しくないって深雪さんの表情は語っていた。

あまり良い状況ではないな。深雪さんの表情は、それ以外にも何か憂いがあるように感じるけれど…

 

今日は今冬一番の寒さになるそうだ。コバルト色の青空は恐ろしいまでに空気が澄み切っていて、秩父山地がくっきりと見える。真冬の寒気は爪先から染み込んでくるようだった。

僕はいつものズルで空間を遮断。空気に含まれる元素を少し加速。見えない小さな部屋の中がほんのり温まる。

そのまま、僕はじっと目を閉じて、香澄さんが来るのを待った。

僕は、のんびりと時間を過ごすことに苦痛を感じない。その気になれば、目を瞑ったまま数日静かにしていられる。

その間、無秩序な思考が脳内を駆け巡る。駆け巡るだけで具体的な形にならないのは、下手な考え休むに云々だ。

響子さんが、僕は時間の感覚が常人とは違うって言っていたけれど、そうなのかも知れないな。

 

香澄さんはそれほど時間をおかずに現れてくれた。

特におどおどするでなく、溌剌とした足取りで中庭の石畳を歩いてくる。前回同様、空間の壁があると思ったのか、僕の1メートルくらい前の何もない空間をコンコンとノックするまねをした。

僕は静かに目を開けて微笑む。

 

「お邪魔しても良いですか?」

 

「どうぞ、入ってください」

 

香澄さんが一歩前に進む。僕は立ち上がって迎え入れた。

 

「久先輩。一昨日はメールの返信をしなくて申し訳ありませんでした。その…ちょっと思い出して恥ずかしくて…」

 

香澄さんの頬が赤くなる。告白されたあの時と比べると、かなり落ち着いていた。

僕は安心する。

放課後の、他の生徒たちが訪れない静かな中庭で向かい合う僕と香澄さん。ロマンチックな想像が膨らむシチュエーションだ。

ただ、僕は間を置かずに切り出した。

 

「一昨日は告白してくれて有難う、香澄さん。本当に嬉しかった」

 

香澄さんは、ここに呼び出された時点で察していたのか、その表情はかたく無く、わずかに笑みさえ浮かべていた。

 

「でも、はっきりと言わなくちゃいけないと思って、今日はココに呼び出したんだ」

 

「はい」

 

「香澄さんの気持ちに応えられなくてごめんなさい」

 

僕は頭を下げる。

 

「僕は不器用で、はっきり言って人の気持ちは理解できない。恋愛感情はどうしてもわからない。でも、香澄さんが勇気を出して告白してくれたことはわかるよ」

 

「はい」

 

「立場とか色々とあるけれど、それとは関係なく…えぇと」

 

考え考え喋っているから、段々考えが追いついて来なくなった。

 

「…好きになってくれてありがとう。でも、ごめんなさい」

 

もう少し深く頭をさげる。

 

「久先輩、頭を上げてください。ボク…私も、この恋が横恋慕だって理解していたんです。この前は、その自分の気持ちに盛り上がってしまいましたが、冷静に一日考えて、気持ちを整理して、ここに来ました」

 

僕は、頭を上げて香澄さんを見つめる。香澄さんの方が背が高いから、やや見上げる構図だ。香澄さんの目を見つめる。香澄さんも目を逸らさず見つめ返す。

香澄さんが笑顔で、

 

「今なら、楽しい恋だったって、笑って諦められます」

 

それは屈託のない笑顔だった。僕は、ほっと白い息を吐いた。

 

「…香澄さん」

 

「明日からも、これまでのように仲の良い先輩後輩として接してくれると、嬉しいです」

 

「うん」

 

楽しい恋か。良かった。僕も笑顔になる。

 

「それに…これはあまり言いたくはないですが、光井先輩のように見られたくはないですし」

 

香澄さんの表情が苦い笑顔にかわった。

これは、達也くんとはどうにも相性が悪い香澄さんが、達也くんに対する時の典型的な態度のひとつだ。

香澄さんは、ほのかさんにはあまり良い印象がないみたいだ。登下校中くらいしか接点がないし、評価できるほど付き合いがないけれど、その登下校中のほのかさんの達也くんへの態度は、深雪さんへの当て付けじみていて、気に障る部分があったみたいだ。まぁ、それは僕や友人たちも同感なんだけれど…

ほのかさんみたいに勝ち目のない恋に破れて、うじうじと落ち込み、同世代に憐れみを覚えられるのは、恥じ入る思いがするのだろう。魔法師の狭い世界では、同級生は一生顔を合わせることになるし、そんな目で見られるのは、七草家の嫡流として以前に、性格的な部分で嫌なんだ。

ほのかさんは普通の家庭の出身だから、仕方がないけれど、もどかしくもある。

叶わない恋もあるって思い至れる香澄さんは、時々子供を振りかざす僕より大人なんだ。

 

ほのかさんが一高の生徒たちからどのような目を向けられているのかは…もともと独り相撲だったからな…深雪さんにない部分でアピールしようとして、達也くんにそれが通用しないことは誰の目にも明らかで空回りしていた。

問題を先送りしていた達也くんも悪いけれど、多分、達也くんは今の立場でもほのかさんを突き放せないだろうな。

もっとも、お母様は愛人を肯定する大物だ。結局は本人達の問題になる…その点、僕も人の事は言えない。

香澄さんは明るく笑ってくれている。

香澄さんは風紀委員の見回りに戻った。僕は香澄さんが視界から消えるまでその背中を見つめていた。こちら側に来ない様にって祈りを込めて。

明日からはこれまで通りの学校生活、関係。

 

人の感情が、簡単に再燃、さらに強く燃え上がることを、その時の僕は知らない。

 

 

 

土曜日の午後、帰宅後、僕は四葉家に向かう。

翌日曜日に四葉家の親族と顔合わせをする。これまでは書類上だけで養子になっていたけれど、今後は四葉家の一員として迎え入れられる。

四葉本家に現当主の四葉真夜、戦略級魔法師の僕、秘密にされている親族が一同に会する。と、魔法協会を通じて、魔法師の内外に通達してある。

 

15時、練馬の僕の自宅に、四葉家からの迎えのリムジンが到着した。

今日の警護は四葉家が責任を持って行う。リムジンの他に黒塗りのセダンが二台待機していた。僕のいつもの護衛役と国が派遣する魔法師は、断固拒否したそうだ。

四葉家の力だけで、警護する。この排他的な態度が、四葉家への隔意に繋がっているのだろう。

自宅警護の魔法師たちの視線が、少し余所余所しい。

そんな空気を敏感に読みつつも、今日はお留守番の澪さんが笑顔で送ってくれた。澪さんとお母様の面会は、後日、横浜の魔法協会の応接室で行われることになっている。戦略級魔法師は色々と手続きが面倒だ。

響子さんは、当然お仕事で出勤している。

僕を乗せたリムジンは前後をセダンに挟まれて出発をした。潜んでいるようで、奇妙に目立つ三台だった。

リムジンは、四葉家のある西ではなく、北に向かった。

自宅近くのインターから高速に乗り入れたリムジンは外環を北上、そのまま東北自動車道に入った。

探知系が苦手な僕が言うのもなんだけれど、このリムジンの周りにはさまざまな視線が集中していた。高速道路を走るリムジンの後方には、怪しげな車が何台も着いて来ているし、上空にも報道かどこかの組織かは不明だけれどヘリが3機飛行している。『魔法』的な監視も向けられているかもしれない。

 

ヘリからの追跡の映像は、ネットを通じて放送されていた。

 

その放送を僕は、山梨にある四葉家で見ていた。大きなテレビに、高速を北上するリムジンが映し出されている。

和洋折衷の客間は、年代物のインテリアや雑貨のせいで、ちょっと古臭く感じられる。大きなソファに座る僕の隣にはお母様が、お母様の斜め後ろには当然のごとく葉山さんが佇立していた。

部屋は紅茶の香りが満ちていた。

 

僕はリムジンに乗って数分後、『瞬間移動』で山梨の四葉家に移動していた。

 

つまり、マスコミたちは間抜けなことに、僕の乗っていないリムジンを追跡しているわけだ。

リムジンは北関東のとあるインターで一般道に下りて、それらしい山奥に向かう事になっている。そこで一度追跡を逸らした後、日曜夕方、練馬に向けて再びカメラの前に現れる。

マスコミの追跡映像は単調で、何とも面白みがない。

 

「ここの所、四葉をこそこそと調べようとする組織が多くてね。仕方がない事ですけれど」

 

隣のお母様が、さほど困っていないような表情で呟いた。

去年の九校戦以降、四葉家の情報を意図的に流したせいで、マスコミ関係がにわかに騒ぎ出したそうだ。

今年に入って、世間の耳目を驚かせる発表が行われて、謎の四葉家は多くの興味が集まっていた。

そこに、僕の四葉家訪問のニュースは露骨な誘惑だ。マスコミはお母様の目論見通り、まったく的外れな行動をとっていた。

 

「まぁ、この程度の罠に釣られるような組織に脅威は感じないけれど、足元をすくわれる可能性はゼロではないものね」

 

彼らの行動は間抜けだけれど、その間抜けに足元をすくわれては、それ以上の間抜けだ。

 

「ねぇお母様。四葉家にはそんなに敵が多いんですか?」

 

「別にこちらから仕掛けてはいないのだけれど、世間では謎は放っておいてくれないのよね」

 

お母様がテレビ中継を興味なさげに見つめていた。

 

「僕が明日は一族の人たちと顔合わせをするって発表でしたが、それはするんですか?」

 

「いいえ。今は師族会議前で色々と忙しいので、それは別の機会ね。ただ…そうね、四葉家はそもそも親族が少ないのよ。だから秘密が成り立つの」

 

お母様が、自らの身に起きた過去の事件を、他人事のように話してくれた。

お母様が救出された後、当時の四葉の大人たちは、その組織に復讐を果たす。襲撃した全員が亡くなったんだって。

その組織の名は、かつてあった大漢と言う国の魔法開発機関、崑崙方院。大陸のモンゴル地域にあった大きな国だ。その国を一つの一族の精鋭だけで結果的に滅亡させた。復讐は私闘で自己満足だ。でも、当時の大人たちはそれを為さずにはいられなかった。

復讐は連鎖するけれど、大漢と崑崙方院が滅びたこと、四葉の脅威と異常性が公になることで、そのジレンマに陥らなかった。

でも、出来る事なら、崑崙方院は残しておいて欲しかったな。

お母様は、今は、本当の家族だ。過去に復讐することは出来ないから、もし、崑崙方院の生き残りがいたなら、お母様の苦痛を何倍にもして返してやるのに。

簡単には殺さない。時間も天地も不明な脱出不可能な空間に閉じ込めて、狂うことも許さずに…ぶつぶつ。

僕の怒りの気迫は空間その物を圧迫する。お母様はかわりないけれど、葉山さんは呼吸が苦しそうだ。

 

「久が怒ってくれるのは嬉しいわ。でも、もう過去の事よ」

 

僕の怒りがふっと消える。隣のお母様のお顔を間近で見つめる。本当に綺麗な女性だ。どう見ても20代後半程度、響子さんと同い年と言っても誰も疑わない。

若さを保つ秘密があるのかな。その辺りの女性のケアは僕には不明だけれど…

過去の事。でも、お母様は、その事件から始まっている…

 

「お母様、少し嫌な質問ですけれど…崑崙方院がお母様に行った『魔法実験』って何だったんですか?お母様は当代一の魔法師だから、その魔法師にする実験って…」

 

「…詳細は不明ね。でも、『不老不死』の実験だったようね。崑崙方院の魔法師は『不老不死』を研究していたそうよ」

 

お母様は、過去のその事件のことは、相変わらず他人事のようにお話しする。

永続する『魔法』はない。

僕みたいに『高位』から延々とエネルギーを奪っているなら別だけれど、この次元の魔法師は『魔法』をかけ続けて延命は出来ても、いずれ魔法力は尽きる。

お母様の若さの秘密はその『魔法実験』の影響なのかな?

失われた記憶も、いずれ回復するのだろうか…なんて事を考えながら、僕はお母様を見つめていた。お母様も、目を逸らさない。

 

「ねぇ、久。四葉家には潜在的な敵が多いのだけれど、もし、達也さんが私に敵対したら、貴方はどうする?」

 

変な質問だ。こんな素敵なお母様に達也くんが敵対するとは思えない。

これは、退屈な映像に飽きたお母様の戯れ、『咲-Saki-』の衣ちゃんが言うところの『無聊をかこつ』なんだろう。

 

「もしその時は、お母様を連れて、達也くんが絶対に手を出せない『場所』に逃げます」

 

僕の返答に、お母様がころころと笑った。

 

「あら?澪さんや響子さんはどうするの?」

 

「2人が望むなら、一緒に逃げます」

 

「愛の逃避行?でも、身一つでは生活できないわよ?」

 

「じゃあ、財産もこの四葉家も、なんなら町を丸ごと…」

 

「久が達也さんに負けるとは思えないけれど?」

 

お母様は、楽しそうだ。

 

『サイキック』の最大の長所は威力と速度、逆に弱点は、相手を視認しないと正確な攻撃が出来ないことだ。

『魔法』では達也くんに気がつかれるから、遠距離からの『サイキック』での空間攻撃をする。僕は『意識認識』で達也くんの居場所がわかるから、先制さえ出来れば、僕の勝ちは揺るがない。どんなに遠くにいても、その空間ごと別次元に飛ばしてしまえば良い。

逆に先制されて、不意を突かれれば僕はあっけなく負ける。深雪さんの『魔法』がそれに加われば、お手上げだ。

基本的に、僕は得手不得手がはっきりしている。

 

「でも、達也くんがお母様と敵対するなんて思えないな…深雪さんが望むなら別だけれど…」

 

今の深雪さんがそれを望むとは思えない。将来においては…

 

「家族が争うなんて嫌だな」

 

僕の抱く家族のイメージと四葉家の内情に微妙なズレがあるのかな…後継者の深雪さんに不満を抱く人なんていないと思うから、達也くんの存在は複雑なんだろう。複雑じゃないなら、子供の頃から四葉を名乗っていただろうし。

僕は四葉家の事情を知らない。

でも、それで良いんだ。僕はお母様の息子ってだけで満足なんだから。

僕の能力が必要になったら、お母様が適切に僕を使ってくれる。その機会が早く来ると良いな。

 

映像の中のリムジンは、曇天に向かって静かに走っていた。

 

 

 

日曜夕方、都内に向かって走行中のリムジン内に『瞬間移動』した僕は、そのまま自宅に帰宅した。

リムジンを追跡していたマスコミや何かは徒労に終わっただけでなく、お母様に余分な情報を握られた結果になった。

自宅では、玄関で澪さんが、響子さんがリビングで迎えてくれた。

テレビに、自宅につけられたリムジンと二台のセダンが映っていた。響子さんがにやにやしている。響子さんには四葉家の場所は知られているから、今回の帰省(四葉家は僕の実家になる)はマスコミ対策だってばれていた。

 

「お帰りなさい」

 

「ただいま、澪さん響子さん。晩御飯は…あ、2人で作ってくれていたんだ」

 

台所から、美味しそうな香りがしてくる。この酸味はトマト…晩御飯はビーフシチューかな。圧力鍋と『魔法』を駆使すれば、本来時間がかかる料理もあっと言う間に完成する。

2人とも料理の腕が上がった事に嬉しくもあり、主夫として寂しくもある。

リビングで、澪さんが淹れてくれたコーヒーで人心地をつく。やっぱり自宅は落ち着くな。そうなると、二人を残して家を空けたことを考え出して…

 

「2人とも、洗濯物は…」

 

僕は椅子から腰を浮かす。

 

「こらっ!帰宅早々で主夫精神を発揮しないの!」

 

隣の響子さんに軽く小突かれた。

 

「そうよ、久君は大人しく腰掛けていなさい」

 

澪さんが僕の後ろに立って、肩に手を置いて僕を強引に座らせた。

 

「ん?久君がいつもと違う香り…」

 

澪さんが僕の後頭部に鼻を近づけた。

 

「四葉家は家とはシャンプーが違うでしょ」

 

「でも、とても良い香り。ちょっと新鮮」

 

「そうだね。これはお母様の香りかな」

 

「「え?」」

 

お母様はとても良い香りがするんだ。澪さんと響子さんも良い香りがする。これはシャンプーやボディソープの違いだけじゃない。僕は3人の香りに慣れている。すごく落ち着く。

 

「久君、四葉家では親族の方と顔合わせをしたの?」

 

「ううん、実はしなかった。顔合わせは別の機会にって」

 

「師族会議前で忙しいってことかしら。じゃぁ、真夜さんに会いに行っただけ?」

 

澪さんはマスコミの中継映像はあまり興味がなかったみたいだ。僕が無事ならそれで良いみたい。

 

「四葉家では何をしていたの?」

 

「何って、別に…お母様とお話して、お母様とお食事して、お母様と周囲を散策して、お母様に勉強を教わって、お母様とおやつを作って、お母様と温泉にも入って、お母様と一緒のベッドで眠って、お母様と朝のお風呂に入って髪を洗ってもらって…」

 

指折り思い出す。

 

「………」

 

「久君は、少し…いえ、かなりのマザーコンプレックスかも」

 

「え?でも、親子だもの、これくらい当たり前でしょう?」

 

「お風呂って…当然、真夜さんは湯着を着ていらっしゃったのよね」

 

「どうして?親子だよ、お互い裸だよ。お母様は、僕の身体も洗ってくれたし、僕もお母様のお背中を流して。僕の髪も乾かして櫛を入れてくれて、お母様の髪は係りのメイドさんが整えたのが残念だったな」

 

「「………」」

 

2人の反応がおかしいな。

やっぱり僕の抱く親子のイメージは世間とはギャップがあるのかな。

 

「お母様はすごく優しくて、寝ている時も一晩中抱きしめてくれていたよ」

 

「まさか、お互い裸だった、なんてことはないわよね?」

 

澪さんから、物凄いプレッシャーが放たれていた。

 

「え?うんパジャマを着ていたよ」

 

勿論ちゃんとパジャマを着ていた。でも、お互い段々寝乱れて来て、肌はかなり露出して密着していたな。

お母様は肌も柔らかで、僕は豊かな胸に顔を埋めて、まるで赤ちゃんになったみたいだった。

 

ただ…ぬくもりに包まれながらも、巨大な蜘蛛に絡みつかれたみたいな、奇妙な気分にもなったな…あれは何だったんだろう。

 

「いくら久君が幼く見えるからって、4月には18歳になるんですよ。その年頃の男の子はもう母親と一緒には寝ないし、ましてやお風呂には入らないのよ」

 

澪さんの言ったことが、一瞬理解できなかった。

澪さんは、怒っていた。いつもとはちょっと違う表情だ。これは…嫉妬かな?

いつもの、響子さんに向けるどこか遊びみたいな嫉妬とは、別種の熱量を孕んでいる。かなり真剣な怒りだった。

きょとん。たぶん、僕は物凄く間の抜けた表情をしていたに違いない。

 

「18歳…あっ、ああ…そうか久君は…」

 

「響子さん?久君の年齢が何か?」

 

響子さんはその質問に迷ったけれど、答えた。

 

「色々と調べたんだけれど…どうも久君の精神年齢と肉体は10歳程度で止まっているみたいなの」

 

「そっそれは、魔法師の遺伝子の弊害…?」

 

澪さんの声が小さくしぼんでいく。魔法師の遺伝子の弊害は、当事者の澪さんが一番良く知っている。

 

「それもあるのだろうけど、複雑な理由が重なっているようなの…自らの意思の影響もあるみたいだし。でも、大人になれないわけじゃないみたいね。精通も夢精もしていたし」

 

「それは…そうね。久君の時間は、ゆっくり流れているのかしら」

 

……

………えっ?

 

「えっ?えええっ?むむむっ夢精って、何のこと?」

 

僕は、焦った。めちゃくちゃ、焦る。

 

「あら気がつかないと思っていたの?昔、光宣も朝1人でこそこそと下着を洗濯籠の奥の方に隠していたわよ」

 

「洋史も、そんな事が思春期には何度もあったわね」

 

うわーうわー、気がつかれていた!

それに友人や知り合いのそんな生理現象なんて聞きたくなかったっ!

僕は顔だけじゃなく、全身を真っ赤にして、小さくなっていた。そんな僕を無視して二人の美女の話は続く。

 

「久君は孤児だったから、母性には飢えているわ」

 

「真夜さんは、私が見ても魅力的な女性だし…今は母性に強く引かれているけれど、性欲が上回ったら…男の子にとって、母親は初恋の相手だって言うし」

 

「それに、久君は依存性が強いと言うより、甘やかしてくれる女性に弱い感じよね」

 

「お菓子をくれるとほいほい着いて行きそうなのも危険だし」

 

「私が、久君を強く繋ぎ止めておかないと、真夜さんと間違いなんて…そっ、それはコミックスの中だけで許されることで…ぶつぶつ」

 

「今さら、私たちが倫理観をうたっても白々しいわよ…」

 

「私たちって、それは響子さんの場合だけでしょう?」

 

「澪さんと久君が結婚しても、私の婚約は解消されたわけじゃないのよね」

 

「それは屁理屈でしょう。だったら九島烈閣下にお願いして、その婚約は解消と断言していただくわ!」

 

「閣下はここのところ忙しくて、私でも連絡がつかないのよね…」

 

けんけんごうごう、かんかんがくがく…がくがく…

 

「何を言っているの二人とも、僕がお母様に欲情するわけないじゃない」

 

2人の剣幕に、僕はかなり戸惑っている。

 

「…それって、私たちには欲情するってこと?」

 

「え?」

 

かああああああー

僕の顔はまっかっかだ。耳なんてトマトより赤い。

これまで2人は僕のことを子供扱いしていたけれど、精通を知られた今は、えっと、その、あの…

うずうずと背中をむず痒い塊が這い上がってきてしまう。

何も考えないようにしなくちゃ!無心、虚無、明鏡止水…どきどき。

 

…僕は2人の裸体や寝顔を思い出してしまった。

 

目の前の2人の姿と、色々と重なる。

僕は椅子に座ったまま、妙に前かがみになって、身体を小さくする。

一部分が大きくなるのを頑張ってこらえる。どこがって?どこでしょう。

こっこのSSは15禁なんだ。18禁タグに抵触するような表現は避けなくちゃいけないんだ!

 

耳が痛いくらい熱い。トマト…トマト…

 

「あっああ、晩御飯、ビーフシチューなんだよね。生トマトをしっかり煮込んで…えぇと、僕…準備するから、ふたりはテーブルについていて…」

 

「こら逃げるな」

 

響子さんが、逃げようとする僕を捕まえると、むぎゅっと抱きしめた。響子さんの豊かな胸に僕の赤くなった顔が埋まる。

 

「こんなに熱くなっちゃって」

 

僕はこれ以上、赤くなりようがないくらい赤い。通常の3倍どころではない。

響子さんのクリンチから逃れようと両手を突き出した。

むぎゅ。

 

「あら、大胆ね」

 

「もがっ」

 

押し返した場所は、当然一番近い場所で、つまり胸で…うわぁー。

 

「ちょっと響子さん!久君が困っているでしょ」

 

澪さんが僕を強引に引っ張って、響子さんの胸から救ってくれて…もぎゅ、今度は澪さんのクリンチに取り込まれた。

 

「あっあら、久君、本当に熱いわね。汗もすごいし、ここまで動揺する久君を見るのは初めてね」

 

澪さんも僕と生活をするようになって体質も改善。最近は女性的な成長が著しくて、特に胸は以前よりも大きく…うわー。

 

「そう言えば、これまでも久君は私たちと一緒にお風呂を入るの嫌がっていたわよね」

 

「裸から目を逸らして、恥ずかしがっていたわ。真夜さんにはそれをしないってことは、完全に母親として見ているのね。第二次性徴が始まって、久君はこれから大人になるんだわ。思春期に入ったのよ」

 

第二次性徴は男子なら10歳前後で始まるから、僕は遅い方だ。

 

「そうかも知れないけど、思春期を飛び越すようなことは…」

 

「飛び越すって、何を?」

 

「何って…」

 

小悪魔がにやり。獲物を捕らえたって笑みだ。

 

「私達は3ヵ月後には入籍をするのだから、飛び越えても何も問題はないわよ」

 

何って…ナニですか!?

僕は、性的な感情は苦手だってこれまでも何回も言っている…言っているけれど、成長するって、前向きに生きて行くって、つまり、こういう事になる…

 

間違っていない。これは自然なことだ。

いや、二人の美女と婚約状態って自然じゃない。間違っている。

でも僕自身が選択したことなのだから、僕自身が責任を取らなくちゃ。責任…男の責任って!?

ナニの知識は、実はある。澪さんのアーカイブは、そのようなシチュエーションは豊富で…

やっていいことと、やっちゃいけないことが男女にはある。

でも、婚約状態なら、それは許される…それって、えーと、その…興味がないわけじゃないけど…

ふえーん。

 

僕は、悩乱しまくっていた。

その僕の姿を、にやにや見守る2人。

 

「身体が大人に近づいても、僕の精神はまだ子供なんだよ!」

 

「「はいはい、わかっているわよ」」

 

本当にわかっているのかな。わかっていながら僕をからかっているのは間違いない。

…うぅ、これまでのおままごとのような生活は、この日から遠い物になった、なんて回想をする日が来る様な予感がする。

 

これは、多分、平和なんだ。『無聊をかこつ』なんだ。

大きな揺り返しが来なければ良いけれど…

 

 




当然、揺り返しが来ますよ(笑)。
澪さんは似た物夫婦。響子さんは姉さん女房。真夜は優しいお母様。
では、香澄は?

今後の久の運命やいかに…


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アンロジカル

思春期ラブコメ後半?

動乱の序章編で紹介されていた戦略級魔法は…難しくてわかりません。
久の魔法は単純です。
でも深いツッコミはしないでください…汗。


公式の戦略級魔法師は、僕を含めて世界に14人しかいないと言われる。

13使徒の戦略級魔法は、魔法師の二つ名にもなっているから基本的には知られていて、『魔法』の名前以外、正確な破壊力や規模を完全に秘匿された戦略級魔法もある。

実は、僕は世界的には正式な戦略級魔法師の1人とは認められていない。

僕の戦略級魔法が高校の競技用だと言い張って、頑なに認めない国が幾つかあるんだって。

認めようと認めなかろうと、僕の戦略級魔法の破壊力に嘘はない。

正確には、嘘だらけなんだけれど…

僕の戦略級魔法は『光の紅玉(スタールビー)』。

まず名前からしておかしい。

宝石のルビーはダイヤモンドについで硬く、成分中にルチルの針状結晶が混ざっていて反射光が星状に見えるものをスタールビーと言う。本来なら『六方星の紅玉』が正しい。

僕が『光の紅玉』を使用している映像ははっきりと残っていて、全世界の誰でもいつでも見られるし、起動式も、世界の命運を左右する戦略級魔法でありながら資格がある人物や団体には制限なく公開されている。

CADの調整能力と、魔法師の魔法力、サイオン量、演算領域さえ一定レベルに達していれば、理論上は使用することが出来る。

『光の紅玉』は一般市民でも理解しやすい『魔法』だ。

太陽光を使用した熱レーザーは、小学生の虫眼鏡で紙を燃やす実験の延長線上にあり、ルビーレーザーは工業技術として100年も前から使用されている。

九校戦で『光の紅玉』を使用した後、多くの検証番組で解説され、子供向け番組でも何度も取り上げられた。

空気を『密集屈曲』させてレンズを作り、そのレンズで太陽光を屈折させて紙を燃やすことは一高の一科生なら殆どの生徒が可能。

ただ、レンズの中で太陽光を『光共振』、圧縮空気の触媒で『誘導放出』、光の波長を同じにして威力を増幅。さらに往復させて太陽の表面温度である6,000度まで上昇、その光をレンズの中心の一点に集約する、となるとかなり難しい。

普通の優秀な魔法師では、魔法力不足でそもそも起動できない。

卓越した、超がつく優秀な魔法師なら、たとえば、深雪さんや光宣くん程の魔法力なら発動自体は可能だ。澪さんも出来るし、リーナさんも発動できる。

 

『光の紅玉』の最大の弱点は日中にしか使えないこと、緯度の高い地域では使いにくいこと。

空気中では距離に反比例して威力が弱くなることで、そもそもの射程が短く、レーザーの直径が細いと標的に届く前に減衰してしまう。

標的を破壊させる威力に達するには、レンズの直径を最低でも1キロにしなくてはいけない…

 

 

「実は冬休みに、『光の紅玉』に挑戦してみたんです」

 

四葉家から帰宅した日曜の夜、勉強部屋で光宣くんと電話をしていた。

僕がお母様の養子に、四葉の一員になっても、僕と光宣くんの関係に変化はなかった。

光宣くんに気の置けない友人が少ないせいでもあるけれど、僕が四葉の直系ではなく、継承権すらない、名前だけの四葉だから、と言うことでもある。

僕が知っている四葉の秘密は、お母様の聖母の様な優しさ、黒羽の双子の存在とお屋敷の場所。達也くんの『分解』と『再成』、達也くんが真夜お母様の実子ではないこと、深雪さんが実妹ってこと…結構知っているな。

 

「どうだった?」

 

「実験は生駒の自宅で試みたんですが、レンズの大きさは10メートル、レーザーは地表に届きませんでした」

 

「光宣くんの魔法力ならもっと出来そうだけど、調子が悪かったの?」

 

電話の向こうの光宣くんの声は少し弱い。病床の孤独を紛らわすために僕に電話をかけてきたんだ。

 

「いえ、その時は調子は良かったのです。初めてだったこともありますが、生駒の上空に巨大な赤い円盤が現れたと周囲の住民を驚かせるわけにもいかなかったので」

 

「本気でやったら?」

 

「1キロのレンズは可能だと思います」

 

「持続時間は?」

 

「はい、『光の紅玉』を戦略級魔法の威力にするには継続時間が大切ですね。僕の魔法力では数分が限界です。これなら他の『魔法』の方が効率的です」

 

戦略級魔法の定義は、一度の『魔法』で都市、または艦隊を壊滅させること。1キロのレンズの数センチの熱レーザーでは地表を焦がす程度の被害しか与えられない。

 

『光の紅玉(スタールビー)』

太陽光を利用した不可視レーザーによる振動系の系統魔法。射程は50キロ、レーザーの温度は6000度以上。

レーザーの幅は10~100メートル。バラージ掃射可能。魔法の展開時間は数秒から、一時間程度。一日に複数回使用可能。

これは魔法協会を通じて公開された『光の紅玉』の規模と威力だ。

 

「公開された『光の紅玉』の起動式は制限と無駄がありますよね」

 

「うん。レンズを赤くする必要はないんだ。でも、光宣くんも言ったけれど、都市の上空に直径30キロのレンズが浮かぶってのは視覚的に物凄い圧迫感があるでしょ」

 

『光の紅玉』は世界を夕焼け色に染める。

 

「いえ、そちらではなく、久さんの魔法力ならもっと破壊力があるんじゃないか。そもそもレンズを高高度に作る必要もありませんよね」

 

「それは、秘密」

 

公開された起動式と映像ではレンズは30キロ。これは九校戦で使ったダウングレードの起動式で、澪さんの『アビス』の直径と同じにしてある。

水圧を操る『アビス』の方が難しい『魔法』なので、それと比較してもレンズの大きさ30キロ、レーザーの直径100メートルは世界的に、競技用と侮られる。

そもそも『光の紅玉』は都市よりも地下のシェルターや基地を破壊する『魔法』で、6千度の熱は周辺都市を焼きながら固い岩盤を溶岩と化す。

でも、現実の『光の紅玉』のレンズは100キロを超えて、レーザーの太さと破壊力はレンズの大きさに比例する。

しかも、魔法の発動時間は一時間どころじゃない。

レンズの位置は上下に移動可能で、成層圏にまで上昇させれば緯度は意味をなくすし、低高度で直径100キロの範囲に隙間無く6000℃の熱レーザーの雨を降らすことも出来る。

 

「レンズで太陽光ではなく、特定の粒子を加速させたら…」

 

「なんのことやら?」

 

まったく、頭の良い人は、すぐその結論にたどり着く。

そう。真実の『光の紅玉』は熱レーザーじゃなく荷電粒子砲だ。

荷電粒子は磁場により簡単に偏向するから地磁気の影響を受けやすく、地球上では直進しない。空気の壁も熱レーザーより影響を受ける。

『エヴァンゲリオン』では大量の電力を日本中から集めていた。僕の場合、それは僕の魔法力と熱エネルギーで代用、直進と減退の問題も『魔法』的に解決可能だ。

戦略級魔法『荷電粒子砲』の起動式は公開されていない。

自室の勉強机に大切に置いてある、小さなジュラルミンの箱。その中のデリンジャー型CADには、実は『光の紅玉』と『荷電粒子砲』の起動式が入っている。

戦略級魔法『荷電粒子砲』は僕以外に使う事はできない。その事実を知るのは、僕、達也くん、8月の師族会議に出席していた十師族の当主のみ。

荷電粒子砲のビームは無色透明で視認ができないけれど、空気を移動する時、空気イオンと反応して青白い軌跡を描く。

イオンジェットの青い光はビームその物より遅いから、狙われた側は青い光を視認する前に、消滅する。

僕の戦略級魔法は赤色と青色。『ルビー』と『サファイヤ』。『青の荷電粒子砲』、ブルーレールガンとかブルーサファイヤとか言うべきかな。

「ルビーとサファイヤは本来、同じ宝石」これは『咲-Saki-』の竹井久さんの言葉だ。うん、さすが僕の名前のモデル、含蓄がある。

九校戦の前、実験でごく小規模の『荷電粒子砲』を試したんだけれど、威力がありすぎて使用を断念したんだ。

理論上、全開の『荷電粒子砲』をぶっ放した日には、都市や大地どころかマントルすら容易く貫通してしまう。隕石の落下でもない限り、全力で使う機会はない。

 

 

「そもそも、戦略級魔法は抑止力。はったりだよ」

 

こちらが戦略級魔法を使えば、相手も躊躇わなくなる。泥沼のジレンマに陥る。

 

「それに、都市を破壊するなら、地上で『稲妻』を使えばそれだけで都市機能は崩壊するよ」

 

僕の唱えた『メラ』は、『メラゾーマ』になる。

全開の、900GWに達する『稲妻』を地表で使えば、2万℃にまで熱せられた空気は水蒸気爆発と衝撃波を生み、都市は木っ端微塵だ。

僕の戦略級魔法規模の『稲妻』を、達也くんは『雷神の鎚(トゥールハンマー)』と呼んだ。

『銀英伝』まで網羅しているとは、流石は達也くん。

『雷神の鎚(トゥールハンマー)』は構造物の有無で破壊にむらが出来る。

標的を消滅させてしまう『荷電粒子砲(ブルーサファイヤ)』より、『雷神の鎚(トゥールハンマー)』の方が被害者の救出やライフラインの復元に時間がかかる。

戦争で使用するなら『雷神の雷(トゥールハンマー)』の方が意地が悪いけれど、目に見える被害は、相手の憎しみがすさまじい物になる…

 

まぁ、どちらも使う機会はない、筈だ。

 

「それは久さんの魔法力が桁どころか、次元違いだからです…羨ましいです」

 

光宣くんはまた体調不良で気弱になっているな。光宣くんの魔法力も十分戦術級なんだけれど、残念ながら実戦経験に乏しい。

『高位』からほぼ無限のエネルギーを奪っている僕と比較する方が間違いなんだ。そのせいで僕の体質はややこしくなっているし。

 

「何度も言っているけれど、焦っちゃ駄目だよ。僕だって冬休みの殆どを寝たきりですごしていたから、気持ちはわかるし」

 

「僕も久さんみたいに、今、最前線で能力を最大限発揮したいです」

 

この鬱々とした愚痴は何度目だろうか。

 

「ある人が言ったんだ。僕の体質は大人になったら安定するんじゃないかって。光宣くんも、同じかも」

 

「せめて一高に通えていたらと思うと…久さんも響子姉さんに澪さんがいて、達也さんや深雪さんのような卓越した方と一緒に勉学に励めたらって」

 

二高には好敵手がいないのか。まぁ、あの周公瑾さんですら手ごたえがなくてつまらなかったって言ってるからなぁ…普通じゃないよ、まったく。

光宣くんは自身の魔法力に絶対の自信があるだけに、十全に生活すら出来ない体質に苛立ちを抱えている。誰かアドバイスか支えてくれる人物が身近にいないかな。僕は…駄目だな、光宣くんの不安を解消させる言葉が浮かんでこない。

 

「僕は、光宣くんが憧れるような存在じゃないよ」

 

「魔法師として、久さんはこの国の守護神なんですよ」

 

「うーん破壊神と紙一重なんだけれど…テレビの映像では僕の脅威度は一般市民には伝わらないんだよね」

 

「たしかに九校戦の、特に一昨年の九校戦の映像からは久さんの破格さは伝わらないでしょうね」

 

光宣くんが人の悪い笑い声を、控えめに上げた。

僕の出現は唐突だった。国家が秘匿する以前に僕の映像は、ネットに溢れかえっていた。

特に一昨年の九校戦の女装姿は、とても人格破綻の化け物には見えない。

繰り返し報道された去年の九校戦の映像は、逆に映画のワンシーンみたいで現実感に欠けるきらいがある。

『光の紅玉』の起動式を分け隔てなく公開したこと(誰も使えないし)や、魔法協会の宣伝活動もあって、僕の存在は、国民から忌避感を抱かれていない。

一部の市民に偶像視させられている所もあるし、魔法協会もそれを止めようとしない。

僕の社交性が高ければ、人が苦手でなければ、魔法師のイメージアップのために、もっと積極的にアイドル活動をさせられていたかも…それは、ゴメンこうむりたい。

 

「魔法師排斥の運動は、二高の周囲でも起こっています」

 

「魔法師排斥運動?馬鹿馬鹿しいね。社会への不満の捌け口に利用しないで欲しいな」

 

優れた魔法師は1人で1軍に匹敵する。それは、一般市民には脅威だ。でも、その魔法師のおかげで今の安定した生活があるのも事実だ。

 

「はい、もともと京都は排他的な地域なんですが、ここのところ二高の生徒が小さな嫌がらせを受けていて対応に苦慮しているんです。僕たちは魔法師の卵である以前に、学生なんですが…」

 

魔法師の存在を人類の敵と見る奇妙な集団がいる。二高の副会長の光宣くんの心配の種は尽きないな。僕も一応、副会長だけど。

 

「宗教だの思想集団なんて、所詮は就職活動か金儲けだよ。信者より貧乏な教祖様や指導者なんてこの世にいないでしょ」

 

「相変わらず手厳しいですね。でも、矮小な集団に真っ向から対抗できないことは事実です」

 

「魔法師でも自衛の『魔法』は認められているよ」

 

「付け入る隙にもなります。それに、久さんを映像でしか知らない輩は勘違いして手出ししてくるかもしれません」

 

僕の見た目は弱弱しい。腕なんか簡単に手折れそう。

 

「手を出してきたら、容赦なく殺すから安心して」

 

「安心する所が少し違いますが…立場を危うくする可能性は考慮してくださいね」

 

「証拠なんて残さないよ。街頭のセンサーなんて関係ないし、現場と死体が見つからなければ、立証できない」

 

「…しかし」

 

僕に危害を加えるなんて、この国に居場所をなくす事になるけれど、間抜けな人間に足元をすくわれるのは、間抜け以上だって、昨日、四葉家で思ったっけ…

去年、僕を狙撃した組織も不明だし。

 

「ん、わかった、用心するよ。心配してくれてありがとう。特に…そうだね、登下校中は気をつける」

 

僕がその気になればかすり傷さえ与える事は出来ない。集中力不足も、登下校中くらいは保てるはずだ。

光宣くんのほっとする気配が携帯越しからも伝わってきた。

 

「それより今は、もっと楽しい話をしようよ」

 

「そうですね」

 

光宣くんとの会話は楽しいな。達也くんやレオくんと違って、僕たちはお互いの弱弱しい姿を熟知しているから、遠慮がない。

僕にとって本当の親友は光宣くんなんだろうな。

少しずつ喋れないことが増えているのは、寂しいけれど…

 

 

 

深夜0時、ドアをノックする音がした。

 

「久君、そろそろ寝る時間よ。長電話もそろそろおしまいにしてね」

 

と、澪さんの声。

ずいぶん長電話をしてしまったな。光宣くんにお休みを言って、僕は携帯を切った。

 

一階の寝室に向かう途中、響子さんの部屋の前を通る。

響子さんの部屋は機械音痴の僕が恐怖する電脳部屋で、ドア越しにも謎の電子音やら低周波の振動が伝わってくる。健康に悪そうだ。

響子さんは、少しネット中毒だ。

僕の家の電気代の多くが響子さんの部屋で消費されている。響子さんの電脳部屋は、日々拡張されて、アナログな僕には理解も想像も出来ない世界が広がっている。

僕と澪さんは点で世界を破壊するけれど、響子さんは自室にいながら、面で世界を崩壊させられる。

デジタル全盛の現代では僕たちより、危険な存在。レッツワイヤードな世界だな。

 

一階の寝室。

キングサイズのベッドの定位置、左側に澪さんがいる。半身を起こして、自室から持ち込んだコミックスを集中して読んでいた。

行儀が悪い体勢なんだけれど、だらしなさを感じさせない。

僕は携帯を充電用のケーブルに繋げてベッドデスクに置いて、もぞもぞとベッドの真ん中にもぐりこむと、澪さんの右半身に寄りかかるように横になった。

 

「久君どうしたんです?」

 

僕の睡眠は7日間サイクルとイビツだ。今日は起きている夜で、いつも2人の睡眠の邪魔にならないよう、下手に寝返りをうつと、柔らかいふくらみにむにゅっとしてしまうから、基本的に真ん中で姿勢良くしている。

僕の突然の行動に、澪さんが驚いた。

 

「今夜から、ちゃんと睡眠をとることにしたんだ」

 

「?」

 

「僕は寝なくて良い体質で、無理に眠ると悪夢を見る。余計に眠れない。でも、誰かと肌を合わせていると熟睡できる…」

 

「それは知っているわよ」

 

「起きている間は能力が拮抗して成長できない」

 

「ええ、響子さんから聞いているわ」

 

「僕は成長したいんだ。魔法力だけでなく、肉体的にも精神的にも澪さんに並び立つ人間になりたい。そのかわり、僕と肌を合わせている人の生命力が強まって成長が止まっちゃう」

 

「それで私の体質が治ったのよね」

 

澪さんも似たような体質だった。15歳程度で成長が止まって、その後は弱っていく一方。治療法は今もない。

 

「うん。それでも、生命力?具体的にはサイオンを送り込むんだけど、送り続けないと澪さんの体質は元に戻っちゃう。逆に送り続けると、一人の身体では耐えられない」

 

「ええ」

 

澪さんはむしろ成長している。止まっていた時間が少しずつ進んでいるみたいだ。病人そのものだった体格が、女性的な、特に胸なんかC…

 

「澪さんは、響子さんが隣にいるって耐えられる?」

 

「耐えられるわよ」

 

澪さんは、見た目はローティーンなんだけれど、その精神力は、常人とは違う。

 

「結婚した後も、平気?」

 

「私は平気。むしろ、響子さんの精神状態が心配…」

 

実はそこが気になる部分なんだ。澪さんは僕の奥さんとして法的にも確固たる立場になる。響子さんの居場所はあやふやで、理屈抜きの感情に頼っている。響子さんは平気だって言うけれど…

 

「私は一緒の時間を過ごせるのだから、それで幸せよ」

 

「誰かと一緒でいないと眠れない体質って、大人になったら恥ずかしいな」

 

今の僕たちは三姉妹みたいだし…

本当は、裸で肌が触れている面積が増えれば増えるほど、『高位』から流れ込んでくるエネルギーが澪さんと響子さんに流れて、僕は熟睡できる。

 

「…大人になったら。それは、久君、むしろ恥ずかしくない…わよ」

 

えーと。三人が裸で眠る。つまり…うわーうわー、思春期を迎えた僕に、そのイメージは恥ずかしすぎる。興味がないわけじゃないけど…それは将来の話だ。

2人の美女を、色々な意味で満足させられる男になるためにも、熟睡しなくちゃ。

もじもじする僕を、くすくすと澪さんが笑っていた。

 

「もう、寝る!」

 

澪さんを抱き枕にして、澪さんも僕を抱きしめてくれる。依存性の強い僕は、すごく落ち着く。

 

「お休み、久君」

 

「お休みなさい」

 

抱きしめる腕に力を込める。こんな細くて小さな身体で、この国を護ってきたんだ。

人間主義とか反魔法主義とか妙な理屈を並び立てて攻撃してくる輩すら、澪さんを代表するこの国の魔法師が護って、貢献している。

主義者達はわかっているのに理解していないふりをして嫌がらせをしている。

こちらから攻撃させて被害者になる機会を得ようとしている。そのさい、多分下っ端は切り捨てられて、上層部の賢しい連中が利を得る。どの時代でも、こんな連中は一定数いる。

イライラするな…

 

でも、今はこの温もりに包まれていたい。寝よう。照明を消そうとリモコンに手を伸ばした時、響子さんが寝室に入ってきた。

響子さんは眠る時は普通のパジャマで、下は穿かない。微妙にサイズが小さくて、白い太ももが扇情的で、胸の谷間が僕を圧迫する。勿論、わざとだ。

 

ベッドで抱きしめあって横になっている僕たちを見て、響子さんが嫉妬の感情を見せるかと言うと、そういうことはあまりない。

響子さんはまとわりつくような愛憎をあまり持たない。

婚約者を失った経験から、失うことを恐れて、深くは入り込まないようにしているのか、もともとの性格なのか…人の感情は難しいな。

でも、そのおかげで僕たちはぎすぎすしないで、水のような関係でいられる。

 

得られたものを失う恐怖か。

僕や澪さんにもある。そして、ここの所感じる深雪さんと達也くんの微妙な距離感も、恐らく深雪さんの恐怖の発露、なのかも知れない。

 

 

寝室に入って来た響子さんは、ちょっと緊張を孕んでいた。

澪さんも僕も、感覚は敏感だ。響子さんのちょっとした変化に、すぐ気がついた。

 

「どうかしました?響子さん」

 

澪さんが静かに尋ねる。

響子さんが一瞬言葉を考えた。でも、直截な物言いの方が、僕に理解出来ると理解しているから、

 

「この数ヶ月で、世界的に幾つも事件が起きそう」

 

「?」

 

「事件?」

 

「ただの事件じゃなく、世界中の紛争地域、戦略級魔法師の活動が活発になって来ているわ…群発戦争は、終わっていないって説は、真実なのかも…」

 

「13使徒が動き出したってことですか?」

 

「僕の、九校戦での行動がきっかけなの?」

 

「それは否定できない。でも、久君の戦略級魔法は競技用って先入観があるわ。久君は現状、世界戦略で重要視されていない部分がある。

ただ、戦略級魔法師は高齢化が進んでいるから、久君の成長は、世界的に懸念事項ね。

二年前の『灼熱のハロウィン』以降、戦略級魔法師の有無が国力にダイレクトに繋がるようになった。2人とも、身の回りには注意してね」

 

他国と違って、僕と澪さんは基本的に民間人扱いで、軍の協力者だ。勿論、魔法師としての義務はある。他国だと、戦略級魔法師は首長クラスの扱いなんだって。

『灼熱のハロウィン』の戦略級魔法師は、どうなんだろう。

 

「それと、ここの所、家のネットワークに侵入しようとしている輩がいるわ」

 

何て無謀な挑戦を…僕と澪さんは同時に思っていた。『電子の魔女』のパソコンに忍び込めるハッカーがいるだろうか、いや、いない。

僕と澪さんのパソコンも自室にあるんだけれど、殆ど使っていない。二人とも携帯端末で十分で、どちらにも響子さん謹製のファイアウォールが組み込まれている。

 

「家のデータバンクに侵入はできないわ」

 

響子さんが断言する。僕たちも頷く。

 

「仮に侵入出来てもダミーに繋がって、私に履歴を暴かれるだけなのよね」

 

そんな相手よ来いって考えているな。

 

「ただ、しつこいハッカーがふたつあって、ひとつは四葉と十師族を探っていて、もう片方は戦略級魔法師と私の検索履歴、久君のことを探っているみたいなの」

 

「ふたつ?2人じゃなくて?」

 

響子さんの表情が、ちょっと曇った。でも、唇に不敵な笑みを浮かべている。

 

「ええ、どうもどちらも人間っぽくないのよね。同じシステムを利用しているみたいで…」

 

響子さんがぶつぶつ言っている。

 

 

世界的な事件?

僕が生駒の九島家に再出現した日、烈くんは「平和ではないが戦場ではない」と言っていた。

この2年で戦場は広がっている。

僕の住む街や第一高校に、広がるのも時間の問題なのかもしれない。

戦争の時代、か。

あまり楽しくない時代に、僕たちは向かっている。でも、僕は臆する事はなく進む。

 

「2人は、僕が護るよ」

 

「ええ」

 

「私たちも護られっぱなしじゃないわよ」

 

確かにそうだ。なにしろ真由美さん言によれば、僕たちは世界征服可能な3人なんだから。

振り返れば、達也くんに深雪さん、一高の友人に、光宣くんもいる。お母様も。

 

世界には武力に自信があるだけに、積極的にめんどくさいことを起こす輩がいる。

この国の周囲はそんな面倒な国しかいない。

まったく人類は成長しない。って、ラスボスの大魔王みたいなこと言ってるな。

僕は早く成長したい。

永遠の少年なんて、大魔王らしくない。いや、大魔王じゃない…ん……

僕は、まどろんでいる。

 

この温もりは、理屈じゃないな。

 

…う…ん、柔らかい。




2年生の新学期からは、初期構想では考えていない部分なので、
少しまとまりがない内容で、申し訳ありません。

次回からは師族会議。
良い訳の時間です。


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夜明け前

短めです。


 

 

 

魔法師の世界は階級社会だ。それも二等辺三角形の、かなり歪な縦長の世界。底辺は広く、頂点はたったの10家で構成される。

十師族は別に法で決められた立場でもなければ、魔法協会の部署でもない。魔法師の権利を護る組織で、警察組織が頼りないこの社会においては、実際、魔法師は自力で自分たちや家族、仲間を護らなければならない。曖昧な物はとことん曖昧なままのこの国の歴史の体現みたいな存在だ。

世界が魔法師だけで構成されていたなら、もっと単純だったんだろうけれど、それはそれで問題が生まれるはずだ。

 

ナンバーズは裕福な家が多いから家族も多い。十師族をどこまで名乗れるのか、良くわからない。

僕は四葉久になったけれど、僕自身が十師族かと言われると、疑問符が付く。

僕の今の立ち場は、あくまでお母様の存在で成り立っている。養子縁組を解消すると言われれば、その瞬間、四葉ではなくなる。

かつて達也くんと深雪さんが四葉の直系でありながら十師族を名乗れなかったように、立場は曖昧だ。

いや、達也くんの立場も、今でもお母様の意のまま…

達也くんと深雪さんが司波を名乗っていたのは、2人を護るためなんだから、お優しいお母様が、そんな底意地の悪いことを考えるわけがないよね、うん。

 

十文字先輩と真由美さんは十師族の直系として、誇りと義務を抱いている。光宣くんは義務までは抱いていないけれど、十師族の自分に誇りを持っている。

澪さんはこれまでの事情から、あまり拘りはない。洋史さんは頼りないけれど、澪さんの存在を最大限に利用しようとしている。

深雪さんも十師族の誇りを教育されているみたいだ。

達也くんは…どう考えているんだろう。

 

僕は国家にとっては戦略級魔法師だけれど、四葉家にとっては達也くんと深雪さんの、そしていずれ産まれて来る2人の子供の後見人の立場になる。

 

「つまり、そう言う認識で間違いないよね?」

 

「そうなるな」

 

翌月曜日、登校中に達也くんに尋ねると、ややそっけなく答えてくれた。

…いや、違うな。

 

「ふたっ、ふたっ2人の子供っ!」

 

深雪さんが身悶えしている。身をくねくねくねらせて、ちょっと扇情的だ。登校中の他の生徒の耳目が集中する。

水波ちゃんの目が、ジト目になっている。

達也くんは、深雪さんの反応を予想していたから、淑女にあるまじき行為を生徒たちから隠すように、半歩横に移動した。

婚約発表前まではぴったりくっついていた2人の距離なのに、新学期からは微妙に距離が開いていた。深雪さんの達也くんへの思慕が減っているわけがないのに…

 

「落ち着け、深雪。久も、あまり公衆の面前でその手の話題はするな。深雪が、完璧な淑女でなくなる」

 

言いつつも、達也くんの右手が深雪さんの肩にそっと置かれ、いつもを取り戻した深雪さんが達也くんを熱っぽく見つめ、深雪さんが照れ隠しに僕の頭を撫ぜ回し、水波ちゃんのジト目がジト顔になる。

完璧な淑女の教育は上手くいっていないな。でも、このような寸劇は新学期になって初めてだ。

僕たちの周りに登校中の友人たちはいないけれど、どこか雪解けを感じさせる一幕だ。

 

「2人とも、僕のことを『お兄様』と呼んでよ」

 

「断る」

 

「私にとってお兄様と呼べるのは一人よ」

 

深雪さんは婚約後、達也様と呼ぶようにしているけれど、こちらも上手くいっていない。

 

「じゃあ、早く結婚しちゃいなよ」

 

「深雪が18になるまで無理だと、何度も言っているが…」

 

うっ、達也くんの目が怖い。

 

「私達より、久の方が先でしょう。資産家の五輪家の婚礼ともなれば、それは壮大な式になるでしょう?」

 

「…うぐぅ。実はその打ち合わせを今夜、五輪家にしに行くんだ…」

 

澪さんは戦略級魔法師として行動は制限されているけれど、さすがに実家への行き来は融通が利く。

 

「五輪勇海さんと直接会話するのも、実は今日が初めてになるんだよね」

 

洋史さんとは何度も会っているけれど、五輪家現当主とは8月の師族会議会場で対面した一度きりだ。

 

「義理の父親になるのに、お会いした事が殆ど無いのね?」

 

「うん。婚約も突然決まったし」

 

そもそも、五輪家の人たちは、積極的に僕と会おうとしない。僕だけでなく、澪さんともだ。戦略級魔法師の放つ圧力は、長年五輪家家族の精神を削っているんだ。

そう深雪さんに返事すると、

 

「なるほど、そう言うことか…」

 

達也くんが、1人合点が行った顔で頷いていた。

 

「どうしたの?何か思いついたの?」

 

「ああ」

 

達也くんが説明を始めようとしたとき、複数の足音が早足で近づいてきた。達也くんが口を閉じる。僕や深雪さんは振り向いたけど、達也くんは気配で誰が近づいて来たかわかる。

 

「深雪先輩!おっおはようございます。登校中にお会いできるなんて光栄です!」

 

「泉美…落ち着きなよ。先輩方、おはようございます」

 

朝から妙なテンションの泉美さんと、それをなだめる香澄さん。

 

「おーい、達也、久っ」

 

続いて、快活で声量豊かな声があがった。レオくんだ。エリカさんは、一緒じゃないな。

 

「達也くん?」

 

「…いや、その説明は、今夜五輪殿から直接聞けるだろう」

 

説明は後回しになってしまった。まぁ、今夜わかるなら、達也くんの思いつきは特に秘密じゃないのか。双子とレオくんに朝の挨拶をしながら、そう考えていた。

 

「なぁ、久は先週、どこで昼食を食べていたんだ?」

 

先週は、色々と気を使って食堂は使わなかった。質問してきたレオくんやエリカさんは気にしないけれど、幹比古くんと美月さんは四葉を恐れていた。恐れる理由が僕にはわからない。

 

「僕?部活棟の調理室。料理部の部室を使わせてもらっていたよ」

 

「1人でか!?達也たちとは別だったのか?」

 

「うん?1人だよ。2人の逢瀬を邪魔するほど僕は無粋じゃないし、部室ならお茶も飲めるしね」

 

「…深雪様と逢瀬…くっ…ぅ」

 

泉美さんがこめかみに青筋立ててぶつぶつ言っている。

 

「それは…ちょっと寂しかったですね…ボクが一緒に…いえ、私は…」

 

先週、香澄さんは僕とはいろいろあったからね。

 

「俺が言うのも何だが、気を使わせて悪かったな。今日からは食堂で昼食をとれよ。もう構わないぜ」

 

「ん?」

 

「エリカが爆発してな」

 

なるほど、どうやらエリカさんが骨を折ったみたいだ。鬱屈を爆発させられて、身を小さくした幹比古くんの姿が目に浮かぶ。

 

「うん、わかった」

 

僕たちは気ままに談笑しながら短い通学路を歩いた。

雪解けか。

僕は前を歩く達也くんの背中を観察するように見つめる。僕の視線に達也くんは気がついているはずだ。

ほのかさんのことはどうするのだろう。ほのかさんたちから距離を置くなら、それはそれで良いのかも知れない。

 

達也くんと深雪さんの距離は、やはり微妙に開いたままだった。

 

 

 

帰宅後、東京の一等地にある五輪家の別宅を訪れた。五輪家は宇和島に本宅がある。別宅と言ってもこの国有数の資産家の住まいなのだから、無駄なくらい豪邸だ。

普段は洋史さんが数人のお手伝いさんと住んでいるそうで、僕の感覚では無駄遣いだと思うのだけれど、澪さんを含めて違和感を抱かないのは、生まれながらのお金持ちは感覚が違うなぁ。

五輪家の家族と僕が客間に集う。僕の隣には澪さん。向かいに当主の五輪勇海さん。大学生の洋史さんに当主のご夫人が座っている。

客間は洗練されていて、清潔で開放的で、この部屋にあるどの品も一級品。室内に漂う紅茶の香りまで最高級。

ところが、五輪勇海さんは、僕と一言二言挨拶をしただけだった。洋史さんも、相変わらず腰が落ち着かない態度。奥様も勇海さんの後ろに控えていただけだった。

この3人が僕の義理の家族になるのかと思うと、ちょっと…いや、澪さんの家族に失礼だよね。

僕は下品にならないよう気を使いながらお茶菓子をぽりぽり食べる。海運業を営む五輪家らしく、お菓子も舶来品。すごく、美味しい。建物も部屋も調度品も、そこにいる人たちも最高級なのに、何だろう、この乾いた空気は。

娘の、それも女性の幸せを半ば諦めていた娘の望む結婚なんだから、もっと全身で祝福してくれてもいいのに、向かいに座る3人の表情は、開放感を含んだ疲れた表情をしていた。

澪さんは、3人の態度に慣れているのか、いつも通りだった。

 

「澪をよろしく頼む」

 

ただ、勇海さんに、そう言われた。その言葉は、洋史さんからも以前言われたな…

五輪家ではディナーを食べて、特に会話も弾まず、早々に僕たちは帰宅した。結婚式は控えめでお願いしますとだけ伝えて。

娘の結婚、それも戦略級魔法師同士の世界的にもニュースになる結婚なのに、異常なほど他人事だ。そのくせ、僕たちを政治的に、具体的には十師族選定会議に利用するんだろう。

何だか拍子抜け、肩透かし感を味わっただけの五輪家訪問だった。

後日、横浜の魔法協会ビルの来賓室で、澪さんがお母様とお会いした時は、五輪家と違って家族的だった。何が家族的なのか、よくわからないけれど…

達也くんの合点したことも、うやむやになってしまっていた。

いずれわかることだろうから、僕は特に気にしないで、いつもの生活に戻る。

 

この日一高では、ほのかさんと雫さんが、深雪さんと和解(?)した。ほのかさんが深雪さんに恋の宣戦布告したんだけれど、敗北は絶対だ。人の感情は難しく、達也くんは機会を失ったな…

 

 

夜、お母様に今日の出来事を電話して、自室で勉強をしていた。僕にとっては結婚式よりも、その前の期末試験の方が重大事件だったりする。

師族会議も、僕はあまり関心がない。僕に関わりがある、一条、四葉、五輪、七草、九島、十文字は問題なく次の四年間も十師族だろうし。

勉強は積み重ねなので、地道に集中しなくっちゃ。

その集中を乱す電子音が静かな勉強部屋に響いた。

 

「ん?メールかな」

 

誰からだろう、携帯を起動してメールの相手を確認する。

僕はディスプレイに表示された情報に首を捻った。

メールはデータを圧縮した動画ファイルだった。差出人のアドレスと名前は…知らない。

 

「『K7』?ケーセブン?誰だろう」

 

僕のアドレスは知人にしか公開されていない。迷惑メールは響子さんのセキュリティーがすべて弾いてくれる。不正なアクセスは、実質不可能なはずだ。

八雲さんのいたずらかな?以前、八雲さんがメールしてきた時は差出人の部分が空白だった。あれは、不正アクセスじゃなくて、どうやってか僕のアドレスを調べていたんだ。まったく知りたがりの生臭坊主は…

ふと、思い出した。

響子さんが僕の家にアクセスしようとしているハッカーがいるって言っていたな…

このファイルは開いていいのだろうか…

 

 

師族会議は3週間後に、関東近郊の某所で開催される。

 




K7誰でしょう?
過去にちらっと登場しながらも、久自身とは直接の接触がない、
でも、久が『高位次元体』だと知っている人物です。


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不機嫌な暴露

人名?いやいや、フェイントです。


 

 

火曜日朝、いつも通り一高前の短い通学路を四葉家一同と登校して、それぞれの教室に向かう前、僕は達也くんを呼び止めた。

 

「少し、相談があるんだけれど」

 

今朝から僕は口数が少なめだった。深雪さんが五輪家での事を尋ねて来たけれど、五輪家が僕と澪さんを言祝ぐ雰囲気ではなかったこともあり、煮え切らない返事しかできなかった。

達也くんは僕の態度で察していたのか、

 

「重要な問題か?五輪家の件ではなさそうだが?」

 

「それがわからなくて…時間はかからないよ」

 

やはり僕は煮え切らない。

心配げに立ち止まった深雪さんに、達也くんが目で合図を送る。深雪さんは頷いて、2-Aへの階段を上がって行った。

予鈴まで15分ほどある。

僕と達也くんは、廊下で立ち話は目立つので、生徒会役員権限で適当な空き教室を確保した。

 

「昨夜、変なメールが来たんだ。動画みたいなんだけれど…」

 

「動画?みたい?内容が気になるのか?」

 

達也くんの無表情に素直な疑問が混じる。僕は首を左右に振った。

 

「差出人が不明で、しかもパスワードがかかっていて圧縮ファイルが解凍できないんだ」

 

「パスワード?」

 

僕は携帯端末ごと達也くんに渡す。

最初、響子さんに相談しようと思ったんだけれど、自分のセキュリティーを突破した人物がいると知ったら、どう反応するかわからなかったので、その前に達也くんに相談したかった。

このメールには奇妙な不安を感じる。予知や予感…ではないと思うけれど…

達也くんはディスプレイを数秒みつめて、

 

「差出人はK7…S7ではないのか…」

 

珍しく曖昧に呟いた。達也くんも本気で意味不明と思っているみたい。

 

「S?Sだと心当たりがあるの?」

 

「この、人を嘲弄するような雰囲気…舞台上を煽るような人物に心当たりはあるが…」

 

「どう考えても愉快犯だよね。響子さんのセキュリティーを破られる人物?」

 

「いや、これはセキュリティーを破っていない。通常のアクセスだ」

 

こちらは即答で断言した。

 

「どう言うこと?」

 

「不正アクセスを受けたのは久の端末ではなく、久のメールを受信した誰かの端末だ。

藤林さんのセキュリティーを破るのは困難だが、久のメールアドレスを登録してある別の端末ならそれほど困難ではないだろう?」

 

なるほど、先入観が過ぎて、不正アクセスだとばかり…

 

「じゃあ八雲さんが僕のアドレスを知っていたのも…」

 

「誰かの携帯端末に侵入したんだろうな」

 

「それって、犯罪だよね」

 

「犯罪だな。だが、証拠を残さなければ、立証はできない。恐らく、『K7』がヒントなんだろう。Kで始まる7文字の言葉だ」

 

外国語ではスペルが長い時、頭文字のアルファベットと数字で表現することがある。7文字はそれほど長くないじゃんと突っ込みたい!!

 

「意地が悪いな。それって無限にあるよね」

 

「英語と断定はできない」

 

「そんな無理ゲー」

 

試しに、『Kamille』と入れて見る。

 

『パスワードが違います』

 

「違った」

 

「なぜ、史上最高のニュータイプの名前がファーストチョイスなんだ?」

 

僕のぎこちない指の動きを不安そうに見守りながら達也くんが呆れていた。

 

「英語以外の7文字単語を他に思いつかなくて。人名ならいくつか。

『Kamille』ってオランダ語だけど、いわゆるカモミールで菊の事だし、僕は女の子って良く間違われるからカミーユの気持ちはわかるよ」

 

「妙な知識を持っているな…だが、方向は悪くないだろうな。何かしら久に関わりのある単語なのだろう…挑戦してみろと言うことか」

 

「そんなの、気になって勉強に集中出来なくなるよ」

 

「今は集中出来ているのか?」

 

「まったく出来てないよ」

 

えっへん!

 

「いばるな…もし、四葉久として、赤点を取ろうものなら、次期当主の深雪に恥をかかせたことになるが」

 

うぅ、達也くんが目から冷気を発する能力があるなんて…流石は『氷の女王』の兄、従兄妹、許婚。

 

「その前にお母様に恥をかかせるようなことはしないよぉ!」

 

 

とりあえず、授業は深雪さんの監視のもと、真面目に受ける。

教室の雰囲気が昨日までと違って穏やかになっていることに僕は気付く余裕がなかった。

帰宅してきちんと主夫業をこなす。カラスの行水後、自室にこもって解読作業に入る。

久しぶりに自室の卓上パソコンを起動。急かすように、ネット上の辞書ページを開く。

僕は英語は日常会話程度ならできるけれど、『掘った芋いじるな』的な音で覚えているから、英単語そのものは苦手だ。

差出人のメールアドレスには国別コードトップレベルドメインはなかった。

日本語にも自信がないのに、英語だけでなく、すべての外国語のKで始まる7文字なんて…

当てずっぽうや勘に頼っていては見逃す事が多いだろうし、かと言ってAから順番に入れていくのも、それが一番近道なんだろうけれど億劫な上に苦行だ。

とにかく、機械音痴の僕は、一本指打法でチマチマとタイプするしかない。

パソコンのディスプレイと携帯端末を交互に見ながら、一本指打法。スペルの間違いは繰り返すし、集中力は続かないし、気になって勉強が疎かになるし…

そもそもパスワードは本当にKで始まる7文字の単語なのだろうか…そう疑いだすと、徒労に思えてくる。そのくせ気になって…悪循環だ。

くぅ、このメールはテロだよ!

こんなことをして来る相手は絶対ひねくれているに違いない。

なけなしの勘をたよりに英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語…まさかバスク語とかカタランとかフラマンとかエスペラントとか…

いくつか試してみて該当はない。

もっとひねくれた…まさか、アルダの言語?アーヴ語とか?そんな辞書ない!

もしかしたら、これまでのパスワードでも入力ミスがあるかも…

泣きたい。

とりあえず落ち着こう。別に今すぐ見なくちゃいけない映像でもないだろう。だったらもっとヒントを寄越すだろうし…

これまで試してみた言語の一覧をパソコンのディスプレイに映す。

やはりこうなったら、一つずつ順番に試していくしかないな。

こういう場合、共通言語として一番多くの地域で使われている英語から始めるのがセオリーだろう。

ただ、僕のモチベーションは水面下にまで落ちている。何だかもう、めんどくさい。かと言って、正体不明のファイルが携帯端末にあるのも気持ちが悪い…もう削除しちゃおうか…

僕に関わりのある言葉?

単語そのものではなく、訳語の方に重点を置いたほうが良いのかな?英和辞典のKの行、意味ありげな日本語訳をやる気なく目だけで追っていく…

 

「ん?」

 

僕の黒曜石色の瞳が、その英単語に吸い寄せられるように止まった。日本語訳は、

 

『神格化された精神。アメリカインディアン部族の宗教的な儀式で、何らかの独特な精神を擬人化した仮面をつけたダンサーを意味する』

 

神、精神、宗教、儀式、擬人化、仮面、ダンサー?

背筋をぞわぞわと悪寒が走るワードが並んでいる。

僕は、その英単語をゆっくりと圧縮ファイルに入力してみた。

 

『KACHINA』

 

何となく予感があった。解凍ソフトは、そのパスワードを受け入れた。

でも、英語からこの方法で調べていけば数分でたどり着けたのに…嬉しさよりも、がっくりが先だった。

ファイルはそれほど大きなデータじゃないのに、解凍に嫌に時間がかかっている気がする。薬缶を見ているとお湯が中々沸かないと言うことなんだろうけれど…

解凍されたファイルはやはり動画だった。

解凍された時点で響子さん謹製セキュリティーに弾かれなかったから、ウィルスの類ではない。

 

動画のファイル名は日本語で、『狙撃』。

 

狙撃?

神格化された精神…擬人化?

少し、気分が冷たくなる。

このファイルを送ってきた人物、多分、人物は僕が精神の存在、『高位次元体』であること、響子さんでも辿り着けなかった去年の狙撃の真犯人を知っているぞ、と僕に伝えてきたのか。

僕が『高位次元体』だって知っている人物は直接的にも間接的にも極めて少ない。

最有力の候補は周公瑾さん。彼が尸解仙として復活した?

周公瑾さんが僕にこんな回りくどいことをするだろうか。しないはずだ。彼の究極の目的、道を究めて仙人にいたる道は半ばだ。

『ピクシー』のわけがないし、培養された『パラサイト』はそもそもそんな能力はないし、意識が薄弱化している…

九重八雲さん?八雲さんはいかにも怪しいけれど、映像を用意するなんて、回りくどさの種類が違う。

『ピクシー』から僕の過去を聞いた達也くんも候補になるかな?それこそ、そんな回りくどいことはしないだろう。

この容疑者たちは僕が去年、狙撃された事実を知らないのだから。

 

うーん、お手上げだ。

こうなると映像を見ないわけにはいかないのか。ディスプレイの動画再生ボタンを、人差し指で弾いた。

 

 

動画は、僕の狙撃を命じたのが四葉真夜だと暴露する内容だった。

 

僕を狙撃させた黒幕が、真夜お母様?

 

それは音声、効果音や雑音はまったくない、無音の動画だった。

画質はかなり鮮明で、その殆どが街頭か監視カメラの映像だった。デジタル技術で超ロングの映像すら、登場する人物の表情、髪の一本もはっきり映し出されている。

 

端末の強化ガラスのディスプレイで、生命や感情が感じられない人形たちが、冷淡で無機質なノンフィクションドラマを演じている。

 

狙撃犯の魔法師はイリーガルで、プロの刺客。入国の手続きや武器のスナイパーライフルの調達、ローゼンが関与しているかのような偽装。

狙撃の準備は数ヶ月前から行われていて、自宅の警備状況と住人3人のスケジュール、狙撃場所の調査、監視カメラの欺瞞、狙撃犯の衣食住の確保、狙撃後の逃走の手助け、出国、出国後の口封じの殺害方法。

報酬の半額の500万ドルが先払いで隠し口座に振り込まれていた。今の時代、金銭のやり取りは完全デジタルだ。現金や紙幣は収集アイテムでしかない。

報酬は複数のルートから振り込まれていて、四葉とは一見無関係の企業から迂回を繰り返されていた。地球を何周もするようなお金の流れを、映像ではしつこく追跡していた。

マネーロンダリングの大本の個人に辿り着く。どこの誰とも知らない、ダミーの人物。その人物の周辺を四葉家の関係者が出入りしている映像。

その関係者と四葉真夜が横浜の魔法協会ビルで会話している映像。関係者は、四葉家の執事の1人だ。

全てに、四葉家の諜報部員が関与している。四葉家では個人での暗躍は四葉真夜への反逆として処分される。四葉真夜の命令がすべて。

 

僕の狙撃を命じた真犯人が、四葉真夜であることが疑いない。100パーセント真犯人。敵ではないが、確実に味方ではない、と映像が無言で語っている。

 

室温が急低下するような、暴露の内容だ。

 

『KACHINA』

『神格化された精神。アメリカインディアン部族の宗教的な儀式で、何らかの独特な精神を擬人化した仮面をつけたダンサーを意味する』

 

僕は、この次元の人間から見れば、高位の神であり精神の存在。仙道を歩む周公瑾さんにとっては宗教や信仰に近い存在。三次元化で擬人化し、仮面のような容姿、四葉真夜の掌で踊らされている。

寓意的な、ほのめかしのワードにしては、あまりにも一致している。

告発の人物は、僕以上に僕のことを知っている。

だからこの10分足らずの映像もすべて真実だ、と語っているんだ…

 

 

「ふんっ」

 

くだらない。

僕は、鼻で嗤った。何度も言っているように、僕が『高位次元体』だと証明する方法は時間だけだ。

こんなでっちあげの動画を送りつけて、意味ありげなパスワードなんてつけて、興味をひかせる。僕とお母様の間に不和を生じさせること、もしくは疑念を植えつけて、将来仲たがいをさせることが目的なんだろう。

僕は、端末の圧縮ファイルと解凍した映像ファイルを消去。ウィルスソフトでもう一度消去。

 

「お母様を貶めるなんて、汚らわしい!」

 

映像がリアルで鮮明であればある程、いくらでも捏造も加工も出来る。

不正アクセスが可能な人物なら、映像の加工なんてお手の物の筈だ。僕は四葉家の執事は葉山さんしか知らないけれど、登場人物が四葉の関係者なのは事実だろう。お母様は十師族として横浜には頻繁に通っているから、魔法協会支部の監視カメラの映像なんて、いくらでも入手できる。

それは、お母様が真犯人だと言う証拠にはならない。

 

「あっ、でも、お母様の動画を僕は持っていないから、消さずにお母様の映像だけ残しておけばよかった!しまったな…」

 

あんなに僕の事を考えてくれるお母様が、僕に仇なすわけがない。そんなことして何の得があるのか。お母様は、僕が戦略級魔法師として世間に認められる前から僕に優しく接してくれていた。

告発者…いや、讒言者だ。この捏造者は、お母様の素晴らしさを一ミリも知らないんだ。

四葉真夜は、僕にとって唯一無二のお母様なんだ!

まったく時間の無駄だった。

僕はパソコンの電源を落とす。一世代前と違って、電源は一瞬で落ちる。不快な気分は、照明と共に消してしまいたい。

不機嫌なまま、寝室に移動して、ベッドの中央にダイブした。

本を読んでいた澪さんと、椅子に座って髪をまとめていた響子さんは僕のめずらしい行儀の悪さに驚いたけれど、僕は2人の手を握って、うつ伏せのまま不貞寝してしまった。

 

そのまま、朝になって目覚ましよりも早く起きて、朝食とお弁当の準備をする。

料理って精神安定剤になるよね。

 

一高前駅で、達也くんたちと待ち合わせ。今日は友人たちが全員いた。かなりの大所帯で、すごく目立つ。その中に、ほのかさんと雫さんがいた。事務的な件以外では、まともに会話すらしていなかった2人がいるってことは、達也くんと深雪さんと仲直り(?)出来たんだな。

僕は、達也くんに、パスワードは簡単にわかった。映像は卑猥で不潔な内容だったと、不機嫌を再発させながら告げた。

怪訝な表情の友人たちに、一方的に送信されて来た動画の話をする。

僕の容姿が、ある特定の嗜好の持ち主から異常なまでに持てはやされていることは、多くが知っている。勿論、友人たちも、僕が歪んだ性の話題が苦手なことも熟知している。

過去の僕の映像をコラージュした画像もネット上に多く出回っている。だから、友人たちは勘違いしてくれた。僕もわざわざお母様を中傷する人物の話題なんかしたくないから訂正はしない。

送信者に対する僕の嫌悪感は本物だ。

深雪さんや一高の友人の女性陣は、本人たちも似たような視線を向けられる機会が多いだけに、僕の嫌悪感を納得してくれた。

不快な映像を、不正アクセスしてまで送りつけてくるなんて、どう考えても変質者だ。

 

「そのような人物は行動がエスカレートする可能性が高い。用心したほうが良い」

 

達也くんが、アドバイスしてくれる。

 

「うん、気をつける」

 

あんな不埒な映像を送りつけてきた人物は不明のままだ。

また同様の映像を送りつけてくるかもしれないけれど、くだらない人物のくだらない誹謗中傷は、僕には届かない。

将来、お母様が僕をお嫌いになっても、僕がお母様を嫌いになることなんてない。たとえ、殺されようともだ。

実際、僕は一度死んでいる。

 

エスカレート?まったく、不機嫌になる。

 

「もし僕が期末試験で赤点とったら、こいつのせいだ」

 

「いや、赤点は関係ない」

 

振り向きもしないで断言したのは、僕の義弟だ。

以前と同じような雰囲気に、未来の義妹がくすりと笑った。

 

 

 

 

「ところで、Kで始まる7文字の単語って何だったんだ?」

 

ふと会話が途切れた時、何の気なしにレオくんが呟いた。

 

「ふぇ?」

 

「ラテン語系だとKで始まる単語は少ないし、ドイツ語か英語か…」

 

その出自がドイツ、ゲルマン系のレオくんは意外と語学に精通している。

 

「ちょっと、アンタ!何終わったこと蒸し返すのよ!」

 

「いや、だって気になるだろ」

 

エリカさんがレオくんの後頭部を小突く。2人の夫婦漫才が始まる。

レオくんはこのメンバーの中で一番の善人だ。だから深い理由はないんだろうけれど、終わったことだよ、うん。

 

「それで何だったんですか?久君」

 

ほのかさんが質問を引き継いだ。

達也くんの隣を歩いていても、微妙に会話のネタがなかったみたいで、目の前の藁を掴んだ…困ったな。

朝食の卵焼きにケチャップで下手な絵を描いたな…

 

「K…け…ケチャップ」

 

「ketchup?」

 

レオくんが妙にネイティブに発音する。

 

「なんでケチャップなんだ」

 

「ケチャップはアメリカ英語ですね。英国ではトマトソースと言うそうですよ」

 

美月さんが為になる事を教えてくれた。

 

あー

 

「送られてきた映像の中の僕は露出の多い服を着せられて、手足を拘束されて、全身をケチャップまみれにされて卑猥な…」

 

ケチャップまみれ?何じゃそりゃ…想像する…いやー

 

「「「きゃー!」」」

 

女性陣の黄色い悲鳴。恥ずかしがる割に、耳をふさぐ手には若干の隙間が…

達也くんの拳骨が頭頂部に落ちてきた。

 

「余計なことを深雪に聞かせるな。淑女でいられなくなる」

 

いや、でも興味ありげな様子だよ。あ、いたっ!痛い!達也くん!ぐりぐりはやめて。

 

「久に関わりのあるワードではなかったのか?」

 

達也くんが僕にだけ聞こえるように少し腰をかがめた。

 

「変質者の考えなんて僕にはわからないよ!」

 

「それも…そうだな」

 

納得しかねる表情だったけれど、達也くんだって自分の考えがいつも正解だって思うほど傲慢じゃない。

嘘をついちゃったな。

でも、お互い不機嫌になることもないよね。嘘も方便だ。

 

 

もっとも危険な『魔法』は、自分自身につく嘘、『古式魔法』で言う所の『呪』だ…

 




K7は人物名ではなく、暗号名でした。
S7でセイジ7、七賢人だと達也が気がついてしまうので、
人知れず久と真夜を仲違いさせるには、久にしかわからないメッセージを送る必要がありました。
レイモンドは、達也が真夜に面従腹背である事までは知りませんから。

KACHINA。
神格化された精神。アメリカインディアン部族の宗教的な儀式で、何らかの独特な精神を擬人化した仮面をつけたダンサーを意味する。
まさに、久のことですよね。

このままでは四葉は一歩どころか世界最強の魔法師集団になってしまいます。
真夜は世界最強の魔法師と言われていますし、
達也、久、澪と3人も戦略級魔法師が集ってしまいます。
それではつまらないと、レイモンドがちょっかいを出し始めました。
四葉への戦力集中を憂う人物は七草弘一を含めて大勢います。
もちろん、真夜もその懸念は心得ています。
達也が気がついたこと、五輪家の微妙な反応…
真夜の策とは一体!?

久狙撃の黒幕は、四葉真夜です。
久の高位次元体としての能力を試して、弱らせて、取り込みました。
久は真夜を疑う事が微塵もありません。


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「…」 「…」 「…」

お気に入りが1,000人を突破いたしました。
ありがとうございます。
他作品とのコラボでもなく、原作は厳守なので、主人公の久は原作の行間で活動する。
達也たち登場人物の出番は原作で確認してくださいと原作部分はばっさりカット。
原作の登場人物の活躍や台詞を奪わないようにしているので、
逆に原作シーンに久が登場すると、テンポが悪くなって書きにくいと言うジレンマに…
展開が早いのが取り柄ですが、原作の最新刊に近づいて来て、ここのところ展開がゆっくりに…
それでも、ここまで力尽きずに続けて来られたのはお読みいただいている皆様のおかげです。
評価が上がるとテンションもあがるし、下がるとしょんぼりしますが、今後も原作が続く限り、頑張って行きますので、宜しくお付き合いくださいませ。


 

先週まではいろいろあったけれど、始業から二週目の今週末は久しぶりにのんびりと過ごしている。逆に師族会議が近づいて、十師族、師補十八家、ナンバーズの関係者は落ち着かなくなっているようだ。一高でも生徒達は無関心ではいられない、関係の深浅に関わらずあちこちで話題になっている。

土曜日の今日は、特に問題も起きなかったので、僕は部活をこなして、暗くなる前に帰宅した。短い通学路を一緒に歩いた友人たちの雰囲気はかなり元通りになっていた。

 

夕食を食べて、お風呂が沸くまでの待ち時間を、響子さんと澪さんに挟まれて、リビングで恋愛ドラマを観ていた。

熱中する二人には悪いけれど、ドラマは大人の女性向けで僕には退屈な内容だった。

ちょっときわどいシーンがあると二人して僕の視界をふさぐのは、子ども扱いされているようでため息が出そう。

まぁ実際子供なんだけれど。

ただ、2人の体温を感じていると僕の精神は落ち着く。精神破綻者の僕がここまで安定していられるのは2人のおかげだ。温かいな。

 

温かい、と言えば、僕は自宅ではカラスの行水だけど、温泉では何故か長風呂だ。

七草家の別荘でも、お母様の家でも、清里の宿でも温泉は長風呂だった。

誰かと一緒に入るからかな…七草家の別荘では千葉修次さんと一緒だったから性別は関係ないのかな、それとも広いお風呂が好みに合うのか…

 

「清里の温泉では澪さんと入ったの?」

 

うん。あの時は身体の自由が利かなかったし、体温が低下していたから気持ちよかったな。

 

「家ではちゃんと身体は洗っている?」

 

適当だよ。めんどくさいもん。僕は不器用だから、背中とか上手に洗えないんだ。

頭を洗うと必ず泡が目に入るから、髪の毛もいい加減切りたいな…

 

「久君は体温低いんだからゆっくり入って身体を温めないと。それに、あそこはしっかり洗わないと汚れが溜まっちゃうわよ」

 

「あそこって…どこ…え…あ!?」

 

考えていることを無意識に口にしてしまうのは僕の癖だ。ふと顔を上げると、テレビ画面そっちのけな2人が僕の顔を左右から覗き込んでいる。

響子さんはにやにや、澪さんは顔が真っ赤だ。

 

「清里でのことは内緒にしておいて欲しかったのに…」

 

「今さら恥ずかしがらなくてもいいでしょ。久君のお風呂が短いのは1人で入るからなのね」

 

あっ、小悪魔に美味しいネタを提供してしまった。

 

「そうだけど、でも3人一緒に入るには流石に狭いよ」

 

「狭いお風呂に一緒に入るから良いんじゃない?」

 

「それじゃ、身体がくっついて手足が伸ばせないよ!」

 

「伸ばせば良いのよ」

 

「伸ばしたら、色んなところに触れるでしょ!」

 

「触れても良いわよ。それに、久君は寝ている間、おっぱい揉んで来るわよ」

 

「えっ嘘っ!?」

 

それは、衝撃の新事実だ。

 

「揉まれるわよね、澪さん」

 

「えっ…ええ。特に熟睡している時は…すごく。時々、その…吸われる…赤ちゃんみたいで可愛い…」

 

「実は久君はおっぱい星人なのよね」

 

星人?いや高位次元体だよ。

ウィンクしながらにんまりの響子さんと真っ赤で俯きつつもちらちらこちらを見る澪さん。

確かに、僕はラッキースケベよりは高い頻度で2人の胸に触っている…ような気がする。

一緒にお風呂に入っていてラッキーも何もないけど…肌と肌の接触部分が多いほど、高位からのエネルギーを相手に伝えられるから、無意識で肌を、つまり露出しやすい部分を触ってしまうんだ。

それで、2人の胸を毎晩揉んでいる?流石に、それは恥ずかしい。

恥ずかしさでいたたまれない!

うわー!

 

リビングにお風呂が沸いた事を告げるメロディーが流れた。

これ幸いにと、

 

「ぼっ、僕1人でお風呂に入るね。2人はテレビを観てなよ!ほら佳境だよ!わかんないけど、佳境っぽいよ!色々と佳境だよ!僕自身、すごくテンパってるよ!」

 

「テレビなんて、どうでも良いわ。録画してるし。こっちの方が断然面白い…いえ、大事よ。それにね久君、今の時代、許婚は一緒にお風呂に入るものよ」

 

響子さんがにやり。

 

「え、ほんと?でもこれまでは時間が合わなくてそこまで頻繁に入らなかったよね。本当に?澪さん」

 

「こら、どうして澪さんに確認するのよ」

 

「そっそうね、許婚だもの、これくらい当然よ。エコでもあるしね」

 

澪さんが目を逸らしながら言った。澪さんが言うなら間違いないな。

確かに寒冷化のこの時代、エネルギーは超重要問題だ。うん。

エコのために許婚は一緒にお風呂に入るんだ。

じゃあ達也くんと深雪さんも入っているのかな…あまりイメージがわかないけど…

 

僕は基本的に疑うことを知らない…

 

 

「さあ久君、服を脱ぎましょうねぇ」

 

「待って、子ども扱いしないで、服くらい自分で脱げるから」

 

響子さんにとって僕は面白い玩具と同じだ。

今日は特にしつこいから、職場で何かあったのかな。世界情勢が逼迫しているそうだし、響子さんはデスクワークが主だって言っていたけれど、国防軍は響子さんほどの優秀な魔法師を後方にとどめて置くだろうか。

僕は軍の協力者でも、基本的に未成年で一般人だから軍の動向は知らされない。響子さんの職務も独り言を漏れ聞くのがせいぜいだ。澪さんは五輪家から内々に知らされる場合があるから、軍の動きから響子さんのストレスを察しているのかも。

 

 

「はふー」

 

散々弄ばれてぐったりする僕を真ん中に挟みながら、湯船に身を沈める2人。前にも横にも動けない…身体は縮こまるけど、一部は大きく…それ以上は18禁タグだ。

そんな僕の姿を見て、2人は上機嫌だ。僕が2人を女性と意識していることが嬉しいみたい。

でも、このバスタブに3人は狭すぎるな。

お風呂のリフォームをしよう。もっと広く、出来れば5人くらい余裕で入れる浴槽を…って、

これって何かの伏線?

この狭さは僕の『男』が耐えられない…思春期の少年、少年じゃないけど、とにかくこれ以上は僕だって…

 

ピンポーン。

 

来客を告げるチャイムが鳴った。

お風呂場の3人の意識が玄関に向く。お風呂のコントロールパネルを見ると、時刻は20時過ぎ。

今日は来客の予定はないし、そもそも家に来客は殆ど来ない。ご近所付き合いもないから回覧板も回ってこない。

自宅周辺には警備の魔法師が沢山いるから、来客は不審者ではない。こんな時刻に誰だろう。

2人も同じことを考えている。いぶかしげに首を捻っていた。

柔らかい拘束から脱出する好機だ。

僕は浴槽から飛び出ると、そのまま脱衣所に逃げる。

 

「あっ、こら、逃げるな!」

 

「久君、身体ちゃんと拭かないと風邪引くわよ」

 

そんな心配している余裕はない。脱衣所でバスタオルを引っつかむと適当に腰に巻いてテレビドアホンのある廊下に駆け出す。

こちらの姿は向こうには見えない。片手でぎこちなく身体を拭きながらドアホンのタッチパネルを操作する。

玄関の広角カメラが、ドアの前に立つ人物をとらえた。

 

「あれ?真由美さん?」

 

「こんばんわ、久ちゃん。夜分に連絡もなく訪問してごめんなさい、実は大学の帰りに、ちょっと寄ってみたの…」

 

玄関で白色のライトを浴びて立っていたのは、七草真由美さんだった。

 

魔法大学は、僕の家から直線道路を北に3キロほど行った、かつて自衛隊の駐屯地があった広大な地域にある。コミューターを使えば20分もかからない距離だ。

真由美さんは七草の直系として、四葉の僕の家を訪問するのは色々と準備が要る。いきなり思い立ったからと言って訪れるわけには行かない。

でも、高校の後輩の家に、先輩として、友人として訪問するのなら、言い訳は立つ。本来強引な方法だけれど、何か重要な用件があるなら別だ。

実際、大学の帰りのようで、大学生らしいカジュアルな服装をしている。

ドアホンのディスプレイを操作して、別ウィンドウを開く。門の前に停車する七草家の車の映像を拡大する。リムジンではない普通のちょっと装甲が厚めのセダンで、エンジンがかかったままだ。突然の訪問を断られたら、そのまま回れ右して車に戻るつもりのようだ。

 

「お土産もあるわよ、大学近くの人気の洋菓子店でショートケーキを買って来たの」

 

カメラに向けて、手提げの白いケーキボックスを見せる。それは僕でも知っている人気のお店のロゴが入っていた。

やや非常識な訪問時刻だと、お互いわかっているけれど…

 

「今開けます」

 

僕は食い意地が張っている。ええい、策士め!

僕は玄関に向かって、ドアの鍵を直接外す。鍵は外側は指紋認証など厳重だけど、内側からは簡単に解錠される。

そのままたたきまでぺたぺたと裸足で下りて、真由美さんを迎え入れようとドアを開ける。

僕はひとつに意識が向くと、それ以外考えられない癖も持っているから…

 

「ちょっ!?久ちゃん!?その格好!!」

 

「え?ああ、お風呂に入っていたんだ」

 

僕は、バスタオル一枚だ。ちゃんと拭いてもいないから、全身からお湯が滴っている。

 

「いきなり訪問した私が悪いんだけど、せめて胸を隠しなさい!」

 

玄関のたたきに慌てて後ろ手にドアを閉めながら入ってくる真由美さん。おかしなことを言うなぁ、僕は男の子なんだから胸を隠す必要はないよ。

僕は自分の裸を見られても全然平気だ。上がりかまちにあがって平然としている僕より、真由美さんの動揺ぶりがすごい。

そんなに慌てるとケーキの箱、落としちゃうよ。

濡れた髪から雫がぼたぼた落ちて、顔を濡らす。うっとおしいな、だから長い髪は面倒なんだ。僕はタオルで髪をやや乱暴に拭く。

 

「ちょっと、久ちゃん!見えてっ、見えてるわよ!前っ隠して…こど…子供…うん、子供ね、うん」

 

騒いでいたかと思ったら、急に静かになっちゃって。僕はタオルで前が見えないけど、真由美さんは何を真剣に見つめているんだろう…

 

「久君、誰が来たの?」

 

「女性の声みたいだけれど…」

 

廊下の奥から、澪さんと響子さんが出てきた。

 

「えっ!?響子さん?」

 

真由美さんが驚きの声を上げた。

どうしたんだろう。真由美さんは2人とも面識がある…

 

「あっ!」

 

真由美さんは僕と澪さんが同居していることは知っていても、響子さんも一緒だってことは知らない。

2人ともきちんと服を着ている。澪さんはいつものジャージ姿で、響子さんはパジャマ姿。

ただ、髪はしっとりと濡れてほくほくと湯気と上げ、石鹸の香気をまとっている。手にはバスタオル…どう見ても直前までお風呂に入っていた姿だ。

それは僕も同様で。

 

「久ちゃん…これは?」

 

全身が硬直している真由美さんは目を白黒させながら、僕と澪さんと響子さんを同時に見つめている。

これは、これまでにないピンチだ。公式に婚約が発表されている澪さんはともかく、響子さんの存在は常識人には説明しにくい。倫理や道徳の問題やら何やら…

 

「えーと、どうしよう」

 

僕は頭を抱える。実際、抱えるしかないよね。

僕の手から、バスタオルがはらりと床に落ちた。

一同は動きを止めたまま、目の前の事態を見失った。真由美さんの手から、ケーキ箱がたたきに落ちる。

僕の家の玄関が、好奇やら疑念やら裸やら石鹸やら何だかごちゃまぜの喜劇の坩堝と化していた。

本当に、どうしよう。

 

 

真由美さんは紅茶フリークだ。

僕の家は、日本有数の富豪五輪家のおかげで良い茶葉がそろっている。僕が家で一番良い茶葉をマニュアルどおりに淹れて、真由美さんにお出しする。

リビングは紅茶の香りに包まれつつ、何とも表現しがたい空気に満ちていた。

 

「やっぱりケーキはいちごショートだよね…でも、どうして四つ?」

 

箱ごと床に落としたケーキは、無事だった。クリームに乗ったいちごが妙に赤い。

 

「久ちゃんは食いしん坊だから二人分食べると思ったのよ。まさかちょうど人数分になるとは…」

 

「この時間にこんなカロリーの高いケーキを食べるなんて危険よね」

 

響子さんがケーキにフォークを刺した。スポンジを貫通したフォークが皿に当たって、かちんと金属音がした。

響子さんはすらりと長い足を組んでソファに座っている。行儀が悪いのに、響子さんの都会的な雰囲気のせいか、すごくカッコイイ。

真由美さんがジロリとその姿をねめつける。真由美さんは身長の低さを気にしていて、響子さんのスタイルの良さと自身の体型を比較して、悩ましい顔つきになった。

勿論、響子さんはわざとやっている。実に危険な状態だ。

真由美さんの中で僕たちの評価が大暴落しているのは良くわかる。

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

無言で会話しないでよ。物凄く気まずい。でも、僕と澪さんは戦略級魔法師だ。この程度のプレッシャーでは動じない。

響子さんは真由美さんより一枚上手の小悪魔だ。この状況を楽しんでいる。

黙って一緒の空間にいると、むしろ真由美さんの方が居心地が悪くなる。なにしろ完全アウェーの状況だ。

真由美さんは紅茶に口をつけて、一息つくと、

 

「夜遅くにいきなりの訪問ごめんなさい。まずは、久ちゃんと澪さんのご婚約おめでとうございます」

 

丁寧にお辞儀をする。

 

「ありがとうございます」

 

僕と澪さんが頭を下げる。

 

「こんな時間に尋ねるなんて不謹慎だとわかっているの」

 

うん。

 

「まさか久ちゃんが不謹慎がことをしているとは思ってなかったけど…」

 

うっ…うん。

 

「どう言うこと何ですか?響子さんは、たしか久ちゃんの後見人代理だったはずですよね?」

 

どう説明した物やら…

 

「このような乱れた関係は…人の道を外れていると思いませんか?」

 

人の道は、そもそも僕の存在自体が外れている。2人を巻き込んでしまったけれど、2人のいない世界は僕にはもう考えられない。

真由美さんの詰問にどこ吹く風の僕たち。

 

「人としてどうなんです!?」

 

「修羅の道を往く覚悟は出来ているわ」

 

さらっと恐ろしいことを言いながら、ケーキをほお張る響子さん。すごい覚悟…いや、これは遊んでいる。小悪魔の貫禄は響子さんの方が上だ。

真由美さんは、ケーキは甘いのに苦虫を噛んだような表情だ。

真由美さんが噴火する直前、

 

「後見人代理は建前で、本当は私と久君は婚約しているの」

 

響子さんが真剣な表情に戻った。

 

「は?」

 

響子さんの言葉の緩急に、真由美さんが混乱している。

 

「私と久君の婚約は九島烈閣下の肝いりで2年前の8月に決まっていたわ。去年の臨時師族会議で十師族当主には周知されていたのよ」

 

「じゃあ澪さんと久ちゃんの婚約と結婚は…」

 

真由美さんも感情的な問題は棚上げして、すぐに気持ちを切り替えた。

 

「私にしてみれば強烈な後出しジャンケンね」

 

真由美さんは少し考えた。十師族の直系として、魔法師社会の主導権争いの臭いを敏感に感じとったみたいだ。

 

「…でも久ちゃんと澪さんとの婚約は全世界的に発表されているから、そちらの方が公式扱いになりますよね」

 

「そうね。でも、私と久君の婚約が破棄されたわけじゃないのよ」

 

真由美さんが真剣な表情になった。

 

「十師族の当主は知っている…父も…」

 

「当然、会議の場にいた七草弘一さんは師族会議で話された以上の内容を知っているわ」

 

「…そう…それで」

 

深刻な表情にかわった。

 

「皆さんは、父が久ちゃんの四葉への養子入りに異議を唱えていることはご存知ですよね」

 

僕たちは頷く。

 

「…それが?」

 

澪さんが先を促す。

 

「達也くんと深雪さんの婚約にも一条家と連合で異議を申し込んでいる事もご存知ですよね。一条将輝くんを深雪さんのお婿さん候補にしようとしていることも」

 

真由美さんが膝の上で手の指を重ねた。少し言いよどむ。

 

「…実は父が、私を達也くんの婚約者候補にしようと画策しているの」

 

は?

 

「それは無茶な」

 

「一卵性双生児の母を持つ遺伝的に近すぎる婚姻は危険だって名分があるのだけれど、はっきり言っていつもの嫌がらせ…だと思うわ」

 

弘一さんはいつも一方的にお母様に意地悪を吹っかけている。真由美さんも呆れ顔…ん?ちょっと違うな、何だか満更でもないような…

一高在学中の真由美さんは達也くんが好きだった。それが恋愛にまで発展したかは、僕にはわからない。

 

「十師族とは言え個人的な婚姻、法的にも問題なく、公式に発表された婚約への異議は無法ですよね」

 

「ええ。でも、久ちゃん、澪さん、響子さんの関係を父が知っていたなら、その横槍も別の意味が生まれるわ。少なくとも、四葉家、五輪家、九島家は積極的に反対できない」

 

「十師族としてはそうだけど、合法な婚姻に口出しは出来ません。個人の感情を表に出されては尚更でしょう?」

 

「非公式な婚約に公式で割り込まれた私達と、すでに公式な婚約に割り込むのは微妙に違うわよね」

 

「どちらも無法ではあるわ。実はこの話にはまだ続きがあって…」

 

真由美さんは溜めを一拍入れて、

 

「父は、久ちゃんの婚約者候補に、香澄を立てようとしているの」

 

「…は?」

 

香澄さんを?僕の婚約者に?

 

「それは、四葉への嫌がらせにしても程があるよ…」

 

「そうね。でも、父も私たちの感情を完全に無視するって程、無理強いはしていないのよ」

 

真由美さんの声が小さくなる。それは、弘一さんも策謀家の前に父親だから。

ん?でも、今の発言は真由美さんも達也くんのことが好きだって認めているんじゃ?

 

「父は、久ちゃんの婚約が重なっている曖昧な状況を知っていて、無理にねじ込もうとしているのではないかしら」

 

「それこそ無理でしょう」

 

達也くんと深雪さんの婚姻は魔法師の世界には重大事でも、あくまでも個人的な、十師族間の問題。世間の関心は低い。

でも、僕と澪さんは戦略級魔法師、世界的に注目を受けている。今さらなかったことには出来ない。

 

「結婚までは3ケ月近くあるわ。それまでに、響子さんのように既成事実を作ってしまおうと…今の時代にそぐわない方法よね」

 

今の時代、婚前性交はタブーとされている。でも、それは不文律で法律じゃない。

 

「既成事実って、僕と響子さんは、澪さんともだけど、いかがわしい事は何もしていないよ」

 

「一緒にお風呂に入っているのに?」

 

「そっそれは、僕が子供だから…」

 

「見た目はね。でも戸籍では久ちゃんはあと3ケ月で18歳なのよ。それに同じベッドで眠っているのよね」

 

「そっそれは、僕が1人じゃ眠れないから…」

 

「久ちゃん、香澄の裸を見たわよね」

 

急に話題が飛んだ。

 

「え?海に行った時のこと?あれは水着が脱げちゃって不可抗力」

 

「香澄とデートした時、狭い密室で、2人して全裸になって、しばらく閉じこもっていたわよね」

 

ちょっと真由美さん!爆弾を投下しないでっ!

 

「え!?」

 

「ええ!?」

 

いきなり風向きがかわった。

爆弾発言後、真由美VS.僕&澪&響子の構図が、真由美&澪&響子VS.僕の構図へと形勢逆転した。

 

「あっあれは香澄さんの水着を選んでいただけだよ」

 

「香澄の水着を選ぶのに、どうして久ちゃんまで全裸になるの?私が現れなかったら、あのままどうなっていたの?」

 

「どうにもなっていないよ!変なこと言わないでよ」

 

「変なことって何?久君?」

 

「意外と肉食系よね、久君」

 

「2人とも、今は落ち着こうよ、すごく難しい話を、真由美さんがわざわざ知らせに来てくれて…」

 

ただでさえ複雑な家庭環境なのに、そこに香澄さんも?

 

「香澄さんとは、ちゃんとお話して、解決しているんだよ」

 

「解決?」

 

「解決しなくちゃいけない、ナニかがあったの?」

 

「変な言い方しないでよ。香澄さんからは告白されたけど、きちんとお断りしたよ」

 

「え?じゃあ、婚約が重なっていることは、香澄に説明したの?久ちゃん」

 

「そんなこと言えるわけないよ!」

 

それはかえってトラブルの種を蒔くことになる。

 

「香澄さんとは、お互いに裸体を見せ合っただけで、他にはナニもしていないのよね、久君」

 

「ちょっと!澪さん!言い方が卑猥だよ、何もやましいことはな…」

 

ファーストキス。

あの風の強い、一高の中庭…

 

「…何か」

 

「あったみたいね」

 

「久ちゃん?」

 

うっ、浮気のばれた旦那みたいな言い訳をするなんて僕らしくない。

 

「香澄さんとはキスしただけだよ、ホントだよ!」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

3人がまたしても無言で会話している。エスパー?あれ?僕は何か間違えた?

おかしいな、空気が歪んで見えるぞ…空間が重い。空間を操る僕ですら制御できない圧力が…

 

「久君、少しお話しましょうか」

 

「そこに正座しなさい」

 

「久ちゃんと香澄がそんな…私なんてさっき摩利に指摘されて恋愛すら自覚が…ぶつぶつ」

 

正直者は損を見る…口は災いの元…お口の恋人…キス…えっあれ?

こんな道化芝居は犬だって食べないよ。

道化芝居は笑劇とも言ってフランス語ではファルス。ファルス料理と言えば肉を野菜に詰めた料理でピーマンの肉詰めとか、後、ギリシャ語では男性器を意味していて…

僕は思春期を迎えていて…おっぱ…うわー何考えているんだ僕は!佳境だよ、テンパっているよ!

香澄さんが婚約者候補?

今でも手に余りそうなのに、広いお風呂…5人くらい入れる、プールみたいなお風呂…

えぇ!これやっぱり伏線だったの!?

 

 




今回は、原作の師族会議編の150ページ目あたり、1月19日土曜日、
魔法大学の食堂で真由美が摩利に恋愛について突っ込まれた日の夜の出来事です。
ついに響子との同棲が真夜以外に知られました。
達也と深雪は響子が時々泊まりに来ている程度としか認識していません。
ついでに、久と香澄の関係も澪&響子に知られました。
香澄とのデートも実は伏線のひとつだったのですが、着々とハーレムへと向かっています。
もちろん、そう単純でもありません。

今回、久は澪たちとお風呂に入ることにかなり肯定的になっています。
しかし、この回を書き始めたときはすごく抵抗していたんです。
それだと冗長になりすぎて、読みにくくなってしまいました。
書いていては楽しかったですが、その辺りを修正して、
なおかつ余分な文章もカットしました。
----------から下がカットした部分です。

オマケとしてお読みいただければ、幸いです。

次回、やっと師族会議です。
久の一人称で進めているこのSSでどうやって非公開の師族会議を伝えられるのか…


-----------------------------
僕の集中力が欠けているのは、常に無秩序な思考が脳内を渦巻いているからだ。
他ごとをしている時でも、色々と考えるから、方向音痴や機械音痴になる。料理だけ得意なのは、僕が食いしん坊だからで、魔法師のくせに論理だって思考が出来ないのは、僕がサイキックだからか、子供だからか…
------------
「でも、一高の生徒…ほのかさんとか美月さんとかエリカさんにそんな目は向けたことないよ。澪さんと響子さんだから見ちゃうし意識しちゃうし…」

「えっ?」

「あっ」

2人の表情が劇的にかわった。可憐な花と華やかな花が咲き誇る。物凄く照れている。

「どっどうして、深雪さんや雫さんや香澄さんや泉美さんや水波さんの名前が上がらなかったの?」

響子さんの声がちょっと震えていた。珍しく動揺している。変なツッコミは照れ隠しみたいだ。
そりゃぁ深雪さんはスタイル良いけれど、じろじろ見ていたら達也くんに殺されるから…
いや、

「そんなのわかんないよ!」

「久君、やっぱり胸が大きい女性が好み?」

「澪さん、そんな答えのない質問はやめてよ」

第一、澪さんはここのところ成長著しくワンサイズ大きくなって、ちょうど良い揉み心地…
いやいや。

「僕は肌が触れていると熟睡できる体質だから、お風呂もそうなのかも」

「じゃあ誰でも良いの?千葉修次さんとか」

いやいやいや。

「良くはないよ、澪さんと響子さんは僕にとっては特別な女性だもの一緒にいられるならいつでも一緒に居たいよ」

僕もどんどん墓穴を掘って行っている。

「あら、素直ね。だったらそんなに恥ずかしがらなくても良いのに」

そっそりゃ、2人の身体に興味がないといえば…嘘になる。でも10歳そこそこの精神だから、女性から積極的に来られると、逆に興味よりも恥ずかしさの方が強くなる。
2人は僕が恥ずかしがると、行動がエスカレートしがちだし…柔らかい胸が…

「何を考えているの?」

「何ってお…何も考えてないよ。僕は何とか星人じゃないよ」

じりっと、澪さんが胸元を強調しながら迫って来る。

「あっ」
----------
一緒にお風呂に入るのは良いけれど、どうして2人は僕の身体を『阿良々木暦お兄ちゃん』みたいに手で洗うの?スポンジとかタオルとか使おうよ。
僕が恥ずかしがると、2人の行動はエスカレートする。
響子さんが暴走すると澪さんも対抗して、普段ならしないような行動をとる。
響子さん、背中に柔らかいのが…澪さん!前は自分で洗うからぁ!あっそこは…らめぇ、あっん、ああー




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たが、です。
久の箍が少しずつ外れています。


その世界で、僕は王と言われていた。僕は空間を操る能力を有していた。

その世界には他にも強大な能力を持つ存在がいて、中でも僕と同等の能力を持つ存在が2人いた。1人は質量や物質を操る王、もう1人は精神を操る王。

僕たちの能力に呪文も契約も不要、手を振るえば嵐が起こり、念ずれば空間が割れた。

僕は物質を操る王には強く、精神を操る王には弱かった。

物質を操る王は精神の王に強く、僕に弱い。三つ巴の戦いはきっかけはもはやおぼろで、長い間戦い続けていた。

僕たちの力は他の次元から奪う物だった。

荒れ狂うエネルギーは僕たちの世界を物理的に加熱していた。

膠着する戦況に飽きた僕は、加熱した世界を救う名目で別の次元に移動した。

僕たちは超人だったけれど、高次元には移動できない。だから下位次元に僕は移動した。

物質を操る王は世界を鎖で縛り付けて僕の行動を阻止しようとした。精神の王は僕を精神で支配して下位への逃亡を阻止しようとした。

でも、僕は下位次元、三次元世界に顕現することに成功した。

物質の王と精神の王の戦いは、物質の王の方が有利。戦いは物質の王の勝利で終わるか、にらみ合いの末に和解するか、ひょっとして群雄割拠の時代になったかもしれないけれど、僕がいなくなったのなら戦いの規模は縮小する。結果は知りようがない。

後は、熱せられた世界のエネルギーを僕が奪い続ければ良い。

どれほどの時間がかかるかは不明だけれど、あの世界での僕の戦いは終わったんだ。

 

空間を操る。それは重力と熱を操ることだ。重力を操るという事は時間を操ることでもある。時間を操れても、遅くする、進めることが出来るだけで、巻き戻すほどの力はない。

熱を操ると言うことは固体、液体、気体を自在にすることだ。

ただ、その次元においては当たり前の能力も、肉体に縛られる三次元では、意識を肉体に留めなくてはいけない。

肉体と言う狭い空間に縛られてしまっては、精神の世界の住人の僕は能力の殆どが使えなくなる。

物質化がこれほど難しいとは考えていなかった。

三次元に縛られた僕は、記憶すら失っていた。

今の僕はかつての数パーセントも力がない。でも、エネルギーを高次元から奪っているから、枯渇することは、ほぼ永遠にない。

本来の僕は、もっと色々なことが出来る。今、僕が使っている能力は、高位の力の残りかす。

『瞬間移動』はこの世界の物理法則を凌駕している。それだけに、もっと利口な使い方があるはずだ…

 

大晦日、脳を破壊した僕は、色々と箍がはずれているようだ。

それとも三次元化はまだ続いていて記憶や能力はこれから回復していくのか…

 

…ん?

僕は、今、何を考えていたんだろう…思い出せない…夢から覚めると、泡のように消えて行く記憶…

白昼夢?

 

 

師族会議を2日後に控えたその日、僕は自宅の間近に不審人物がいることに気がついた。

僕の自宅はキャビネット乗り場からコミューターに乗り換えて数分の場所にある。歩いても問題ない距離だけど、戦略級魔法師としては登下校は公共の乗り物を利用した方が警護しやすいそうだ。

自宅の周辺には多くの魔法師がいる。警護の魔法師はその人物に注意を…そもそも存在にすら気がついていない。

警護の魔法師は優秀だ。そんな彼らを欺ける人物は、限られる。また、あんなところで僕を驚かそうとして…

コミューターから降りて、周囲の警備や住人の目を確認した。唐突に立ち止まって、星空を見上げる。警護の魔法師たちの意識も空に向いた。

僕は自宅玄関の、監視カメラの死角に立つ人物の後方に『瞬間移動』した。

 

「こんにちは、九重八雲さん」

 

「うっおわっ!」

 

突然、背後から僕に声をかけられた八雲さんは弾ける様に、物凄い速度で振り向いた。

ここまで驚く八雲さんを見るのは初めてだな。隠形を解かなかったのは流石だ。

八雲さんの驚く姿は、それでも演技臭い。演技で動揺を誤魔化しているのか、声を出してしまった自分を恥じているのかな。

忍びの術の基本は、無音、無声、無臭だって時代小説に書いてあったことを思い出した。

 

「君の『能力』は心臓に悪いなぁ。発動の兆候が捉えられない」

 

八雲さんが、わざとらしく頭をつるんと撫ぜる。

サイキックの力の発動は、速度的にもサイオン的にも魔法師では捕らえられない。それは古式魔法師である八雲さんも同じだ。

僕は玄関前の照明の下に移動した。僕の姿を確認して、警護の魔法師たちの狼狽が収まっていくのが気配でわかる。それでも、魔法師たちは八雲さんに気がつけない。

ただ、玄関前で1人、所在なげにぶつぶつ呟いていては危ない人だ。

 

「ああ、彼らの意識は僕たちにはもう向けられていないよ」

 

八雲さんが僕の心配を察して何かしらの『術』を使った。

僕はちょっと不機嫌になる。八雲さんは目の前にいるけど、本気で『忍び』をやられたら、家の中にいる女性の危機にすら気がつけない。

 

「うっ、大丈夫だよ。君の大事な女性たちに危害を加えることは絶対にしないから…」

 

僕のプレッシャーは空間ごと圧迫する。それは魔法師では絶対に防げない。八雲さんの飄々とした顔に汗がにじむ。

 

「用があるなら連絡を貰えたら僕のほうからお寺に出向きましたよ」

 

「戦略級魔法師の久君にご足労いただくわけにはいかないよ」

 

どの口が言うかな…

 

「いっいやぁ、それにしても、どうやって僕に気がついたんだい?魔法師たちの意識を別に向けたのは…古式…周公瑾の『八卦掌』を真似たことまではわかったけれど…」

 

「秘密ですよ」

 

「僕の隠形は、完璧だったと思うのだけれど…」

 

「気配を消しても、無駄です」

 

「出来れば教えてくれないかな、忍びの僕にとってはこれはすごく落ち着かないんだ。以前は、そんな能力なかった…よね」

 

僕は薄く笑った。人形のように整った白い顔が玄関に照明に照らされて、濃い影を作っている。

 

「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ、僕は集中力に欠けていますから」

 

教えてあげない。

 

「…意識していないと使えない、と。それは答えになっていないなぁ…でも、そうだね、自分で考えるよ」

 

僕は探知系はからっきしだから、周囲への警戒となると超人的な動体視力に頼るしかなかった。

正面を見ながら視界の全てに気を配る。これは集中力が必要だし、後方は見られない。しかも、僕が警戒しているのが全身から伝わる。

以前も、そんな時の僕の放つ圧力に友人たちは震えてしまった。

半月ほど前、光宣くんに反魔法師団体の動きに気をつけてと言われた。

それから少し考えた。僕の『空間認識』は『瞬間移動』とワンセットで使っていたけれど、『空間認識』は物質が重ならないようにする最低限度のシステムだ。

『瞬間移動』の転移先の空間を調べるのではなく、自分を中心にした空間を調べれば『空間認識』の範囲内にある構造物や人間は簡単に把握できた。

しかも、魔法力も長期の集中力も必要ない。僕の本能や本質に基づく能力だ。

こんな簡単な『能力』の使い方に、どうして気がつけなかったんだろう。『意識認識』の時も、気がついたら容易く使えることが出来たから、気がつけないことに意味があるんだろう。

でも、その人間が何者なのか、どっちに視線を向けているか、害意を持つかまではわからない。

こうやって八雲さんの背後をとるには、もう一行程必要になる。八雲さんだと気付いたのも、他にこんなことをする人物が思いつかなかったからだ。

 

「以前にも忠告したけど、君はね、有為の奥山を越えた先から顕現した、この世界の法則からは逸脱した存在だ」

 

有為の山奥…古めかしい表現だ。古式魔法師の八雲さんは修験道にも通じているから、山の向こうは神の世界だと言う考えなんだろう。

 

「そうですか?『魔法』だって世界の物理法則には微妙に逆らっていますよ」

 

僕は空惚ける。八雲さんとは真正面に立って会話すると言葉で負けてしまう。

『魔法』は、それでも世界の法則とつじつまは合わせている。それは魔法科高校で習う基本だ。

 

「でも、容姿や言動もあいまって、世界は君を過小評価している」

 

「人間は人間の世界でしか生きられませんよ」

 

「人に合わせていると?久君は自分自身を過小評価している」

 

「残念ながら僕は破壊は出来ても再生は出来ませんから」

 

「…そうだね。達也君とはそこが違うところだ。まぁ破壊だけなら多くの魔法師が出来るし、大量破壊兵器もあるね」

 

規模が違うけど…お互いの腹の中で付け足す。

 

「僕からすれば、達也くんの方が『神』に相応しい」

 

「僕からすれば、制限のない『瞬間移動』も反則だよ。達也君はシヴァ神、君は…浮気者のゼウスってところかな」

 

人聞きの悪い!

 

「シヴァにも奥さんは沢山いますよ」

 

「七草真由美さんに藤林響子さんとの同棲がばれたんだろう?いや、別に覗いたわけじゃないよ、七草真由美さんが3週間ほど前、ここを訪問したって聞いてね」

 

どこからそんな情報を仕入れて来るんだか。あの日以降、僕は2人にご奉仕する機会が増えた。もちろん、性的な意味じゃない。

もともと家事全般は僕がしていたから、奉仕と言っても生活は殆どかわらず、2人の僕への要求がちょっと増えたくらいだ。どんな要求かは…今は関係がない。

 

「真冬に玄関先で立ち話なんて風邪を引いてしまいますよ」

 

僕は話題を露骨にかえた。実際、2月の武蔵野台地は寒さが厳しいんだ。

 

「この程度、僕はびくともしないよ。普段から鍛えているから」

 

わかって言っているよ、この坊主は…

 

「僕が、です。八雲さんは何しに来られたんです?師族会議に関係することなら、僕には何も出来ませんよ」

 

煙に巻いて話のペースを持って行くのは八雲さんの常套手段だ。

 

「まったく…察しが良いね。まぁこの時期の魔法師の関心なんてそれしかないけれど」

 

「古式魔法師もですか?」

 

「もちろん。十師族の意思は無視できない。僕自身は俗世に関わりたくないけれど…」

 

嘘つきが目の前にいる。

 

「よっぽどギャランティが良かったんですね」

 

今も昔も忍びはアルバイトだ。

 

「なにせ、寺の皆を食わせないといけないのでね。会議の内容を知りたがる人はとても多いんだ」

 

「八雲さんもでしょ?」

 

「否定はしないよ」

 

「別に当日知らなくても問題ないでしょう?」

 

「会議の内容は完全非公開なんだ」

 

それじゃあ八雲さんの知りたがりの虫がうずうずするわけだ。

 

「僕は忍びだからね。とは言え、流石の僕も現代を代表する魔法師の会議場に紛れ込むのは難しい。会場にはナンバーズの海千山千魔法師が控えているしね」

 

本当かなぁ。困難なほどやってみたいって、あの細目は言ってるよ。でも見つかったら色々と面倒ではあるか。八雲さんも十師族とは色々ありそうだし。

 

「僕に『瞬間移動』で会議室に連れて行けと?それは…お断りします。そもそも、その時間帯、僕は学校にいますから。期末試験前で勉強しないと」

 

「うん、そうだね。学生の本分は学業だからね」

 

「これ以上休むと出席日数が危険ですし…」

 

「それは『魔法』ではどうしようもないなぁ。残念だけど、断られると思っていたから、今回は、素直に諦めるよ」

 

全然残念そうじゃない。

 

「素直すぎですね…目的は別にあるんですか?」

 

「まあね。実は、師族会議の会場で何か事件が起きそうなんだ。事件その物はわからないけれど、首謀者はわかっている」

 

「じゃあ、阻止すれば良いじゃないですか」

 

「それは依頼に入っていないよ。僕はボランティアはしない」

 

「プロ、ですね」

 

「事件の情報を知っているのは僕だけじゃなくてね、誰だと思う?」

 

師族会議に関わる事件。僕はちょっと考えて…

 

「…響子さん…いや、真夜お母様ですね」

 

「鋭いなぁ…まぁこれまでの情報収集力を知っているなら、その答えは当然かな。その四葉真夜さんが犯人を泳がせているんだ」

 

「どうしてそれを僕に教えるんです?お母様がそうするなら僕も従うだけですよ」

 

「うん。ただ、狙いは四葉家みたいなんだ」

 

ぴくっと僕の眉が動いた。お母様を狙う敵がいるっ!!

 

「待って、敵の動きは四葉真夜さんも把握しているんだから、真夜さんは大丈夫だよ。彼女は当代一の魔法師なんだから」

 

「それでも、身体は普通のか弱い女性で…お母様の身に何かあったら…」

 

本気で心配する僕に、八雲さんが鼻白む。

 

「師族会議後、久君の怒りが爆発する可能性があった。そうならないように、落ち着いて対処して欲しいんだ」

 

師族会議の会場で事件が起きる。それはお母様を狙った、おそらくテロだ。お母様はそれを知っていて、あえて阻止しない。

すべてはお母様の掌の中なんだ。下手に僕が動くとお母様の計画の邪魔になってしまう。

 

「それを言いにわざわざ?」

 

「久君が派手に動くと、君を隠れ蓑に達也君が活躍しすぎてしまうんだよ」

 

「八雲さんは僕の心配じゃなくて、達也くんの心配をしているんですね。あんな理性的な達也くんの何を心配するんですか?」

 

「彼は、許婚のこととなると怒りの箍が外れてしまうからね。それに、久君、君は自分が十師族の1人だともっと自覚した方が良いよ。十師族の力は、君にとっては関心が薄いかもしれないけど、世界中の多くの魔法師や組織にとっては関心の的なんだよ」

 

「ナンバーズの直系から見れば、正体不明の僕は見下される存在ですから」

 

「卑下しちゃいけない。それは恐怖の裏返しだよ。四葉の養子で、五輪家の婿と言う立場、夫婦で戦略級魔法師、それだけで恐怖だ。だから、自覚を持って欲しい。君の行動は周囲を巻き込むことになる。

人一人殺すのに、都市ごと消滅されては…困るだろう?」

 

ん?

 

「それは僕に言っているんですか?それとも達也くんの…」

 

「これ以上は僕からは何も言えない」

 

否定しない。つまり、達也くんも都市を破壊するだけの能力があるってことか…不思議だな。達也くんは魔法師としては劣等生だ。彼の魔法力で都市を破壊するなんて…

達也くんはこれまでも、不足の箇所を技術で補って来ている。破壊の力を技術、つまりCADで補えば…

八雲さんが胡乱な気配をまとっている。

つまり、達也くんが暴走したら僕が止める。僕が暴走したら達也くんが止める…

 

「…そうですね。絶対に力を制御できるとは…言えませんからね。わざわざすみません。お礼を…お金は、記録が残るから難しいな」

 

「それは構わないよ、長時間こんなところに引き止めてしまったお詫びだよ。でも、まぁそのうち協力を仰ぐ場合があるかもしれないから、その時は宜しくお願いできるかな?」

 

「只より高い物はないって、まったく、迷惑な押し売りです」

 

「忍びにとって『瞬間移動』は喉から手が出るほど欲しい『魔法』だからね」

 

「泥棒の片棒を担がせようなんて、真っ当な大人のすることじゃないですよ」

 

「この世界の大人は一筋縄では行かないよ。久君も肝に銘じておいて欲しいな」

 

「ホントですね」

 

僕たちはお互いを、僕はジト目で、八雲さんは細目でにらみ合った。

 

 

夜、いつも通りお母様に電話をして、今日の出来事を雑談した。

八雲さんの訪問は、内緒だ。

お母様は師族会議の直前なのに、こうやって僕の為に時間を作ってくれている。

お疲れなのかいつもより声に張りがないな…心労が蓄積しているのかな。お母様の養子として、何かお手伝いできれば良いのに、学生は勉強が第一だと優しく諭されてしまった。

師族会議で事件が起きる。相談してくれれば良いのに、僕に心配させないためにお母様は黙っているんだ。もっとも、僕は制圧や蹂躙向けだから要人警護には向いていないし。

八雲さんはお母様は全てを把握しているから平気だって言うけれど、何も出来ない自分が不甲斐ない。

あまり時間をとってもお母様の睡眠を妨げることになるから、今夜の電話は短めに、と思っていた…

 

「久。明日は少し余裕がないので電話はできません」

 

「はい、あさってから師族会議ですからね」

 

「会議期間もお話しする余裕がないかもしれないわ」

 

「…はい」

 

僕の声は少し沈んでいる。

 

「それと、会議期間中、会場で小型携行爆弾を使用したテロが起きるわ」

 

はっ!

 

「テロ!?爆弾?」

 

八雲さんの言うとおり、お母様はご存知で、八雲さん以上に情報を掴んでいる。しかも、ここまではっきりと打ち明けてくれた!頼られているんだ。素直に、嬉しい。

 

「テロが起きるのは確実。でも、その方法と、首謀者の所在までは不明よ」

 

方法までは不明?首謀者も四葉から逃げおおせている?

八雲さんは首謀者を泳がせているって言っていたけど、地道な人探しは忍びの方が上手なんだ。

八雲さんの目には四葉が首謀者をわざと泳がせているように見えているのか…

でも実際はお母様でもすべては把握出来ていないんだ。不安が倍増する。

 

「テロリストの標的は…お母様なんですか?」

 

「ん?どうしてそう思ったの?」

 

八雲さんから話を聞いていたから…とは言えない。でも、そのおかげで、僕は落ち着いていられた。

 

「…僕がお母様のことしか考えていないから」

 

「あら、嬉しいわね。そのとおり、首謀者は四葉に恨みがあるようね。妄執と言った方が良いかしら」

 

やはりお母様が狙われている…怒りが湧きあがる。ゆっくりとマグマのように膨れ上がる。

八雲さんの話がなかったら、この時点で自分を見失っていたかも…

 

「僕がお母様の盾になります!爆弾程度簡単に防げます」

 

「たとえ久でも会場の場所を教えるわけにはいかないの。ましてや会議場には入れないから、警護は無理よ」

 

「会議場その物を僕の力で護ります!」

 

「有難う久。でも大丈夫よ、テロリストを会場に近づけるほどナンバーズも無能じゃないはずだから」

 

無能が多いとは考えているみたいだ。師族会議には十文字先輩も当主代理として出席するだろうから、防御は問題ない…

 

「つまり会場近くで一般市民が巻き込まれる、と?」

 

「むしろ、テロの首謀者はそれが目的のようね。現場にいながら一般市民を護らなかった魔法師を非難する…」

 

「未然に他のナンバーズに教えることは出来ないんですか?」

 

「噂は流しているわ」

 

「…情報網が表沙汰に出来ないルートなんですね」

 

「ふふっ」

 

お母様が満足げに微笑された。

テロを阻止することは不可能じゃないけれど、情報源を表に出せないのか…非合法なリーク。それもかなり特殊な組織からもたらされた。

そうなると、たとえ十師族と言えども、自分の身を護るのが優先になる。

それを、非難されても別に構わないとも考えられている。

独立不羈を精神にする四葉はもはや十師族のくくりからは突出しているから、他の十師族ほど痛痒を感じない。四葉家は一族を護るためにある。僕もそうだ。

 

「お母様が無事なら一般市民が何人死のうと構いませんよ」

 

非人道的な考えだけれど、お母様と同様の思考。

 

「そうね。でも、久。市民が巻き込まれても構わないなんて公言しては駄目よ」

 

八雲さんの考えよりも一歩踏み込んでいる!流石はお母様だ。

 

「だから、テロが起きても私は平気だから、久は落ち着いて勉強していなさい」

 

「う…はい」

 

お母様が狙われたと、何の知識もなく知ったら激昂のあまり、八雲さんの懸念どおり、僕は都市一つを破壊しかねなかった。澪さんと響子さんのおかげで安定している僕の精神は、そもそも狂気なのだから。

僕は肩の力を抜いた。

 

師族会議は2日後だ。

 




本来は人命を何とも思っていない久は、澪と響子と暮らすようになって精神が安定しています。
師族会議中、何も知らずに真夜がテロで襲われたと知ったら、
教室からいきなり瞬間移動して真夜を助けに行っちゃいます。
首謀者を見つけたら、場所ごと消しに行ってしまいます。
なので、今回はワンクッション。
ここ三週間ほど、澪と響子のおぱーいを揉みながら熟睡しているので(笑)、ちょっと成長しています。
見た目はかわりませんが…
実は、久の目覚めていない能力はここまでの文章の中でちらほらほのめかしていますが、
まず気がつかれることはないでしょう。
久だって気がついていないのですから(笑)。
たとえば、第一話で九島烈も指摘した、昔と容姿が全然違う…とか、
肉体のレベルは常人以下なのに動体視力は超越している、
要するに久には他人の動きがスローモーションに見えることがある…
まぁもうすでに人の枠から外れていますが、
久は世界的には、魔法力は超越しているけれど複雑なことは出来ないと思われています。

お読みいただき有難うございました。
次回こそ、師族会議が始まります。


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心ここにあらず

歳月は人を待たず…
前回のアップからあっという間に二ヶ月以上経ちました。
今回がこのSS100話目なので、気合を入れていくぞ、と考えていたのですが、
原作部分の表現をどうしようかとか、師族会議の内容が上手くまとまらず…
初心に帰って、原作部分はさくっと進めるのがこのSSだと思い直し、
やむを得ず前後半に分けることにしました。
悩んだくせにこの程度?と嗤ってください。


2096年2月6日。

今日から2日間、関東の某所で師族会議が開催される。

2日目には4年に1度の十師族選定会議が予定されていて、多くの魔法師や古式魔法師、特にナンバーズは他ごとが手につかないくらいの関心を、精神的にも物理的にも会議場に向けているそうだ。

 

その日の朝、駅前で鶏群の二鶴と待ち合わせをして、いつものように短い通学路を一緒に登校した。深雪さんの護衛である水波ちゃんも当然一緒だ。

第一高校のある八王子は都心からは離れているのにあまり自然を感じられない。数キロ先に原生林を湛えた高尾山があるのに、弱い冬の日差しに照らされた人工物の群れは白く、どこか余所余所しい。

関東地方特有の乾いた風が僕たちの髪を揺らす。埃っぽい空気に目が痛い。

そんな中、深雪さんは達也くんと水波ちゃんに囲まれている。風からも周囲の好奇の視線からも2人が護っているみたいだ。

師族会議の当日、十師族で最も力があると言われる四葉家の次期当主とその婚約者が同じ学校の生徒にいるのだから魔法師の卵として意識せざるを得ない。

僕も四葉だけど直系ではないこともあって、向けられる好奇の視線は弱い。

あ、でも水波ちゃんは決して鶏群じゃないよな。水波ちゃんの『障壁魔法』は十文字先輩に匹敵するそうだし…

 

ん?『鶏群の二鶴』?

自分の言葉にきょとんとする。知らない言葉だ…

おかしいな…僕はあまり語彙が豊富じゃない。義務教育を受けていない僕の文章力はせいぜい中学生レベルだ。何でそんな言葉知ってるんだろう?

歩きながら端末で調べると、『多くの凡人の中に、抜きん出て優れた人が混じっていることの例え』だって。

難しい漢字や表現は苦手な筈なんだけど…

ここ一ヶ月、僕は毎夜熟睡している。そのわりに成長しないのは、『三次元化』に限界があるのか、澪さんと響子さんとの距離が以前より近くなったからかな。2人の肌艶が最近すこぶる良いんだよなぁ。

個人として満ち足りて熟睡できるほど、幸せの絶頂期とも言える。

これは僕の長くて短い歪な人生の中では稀有なことだ。

地に足はついている。日常の平和はかなり不安定だ。僕は自分の幸せで自分自身を見失うほど平坦な道を歩いて来ていない。

そして、今日か明日にも関東近郊のホテルでテロが起きる。

お母様は心配要らないと言っていたけど、お母様の肉体は普通のか弱い女性のそれなんだ。一緒にお風呂に入った時やベッドで見たお母様の身体は…あっ、細かい描写はともかく、当主であるお母様が率先して戦う機会なんてなかった筈だし、実戦慣れしているとは考えにくい。

危険な現場にお母様が居るのは落ち着かないな。

無関係な人物、たとえばあの八雲さんですら会場に忍び込むのは難しい状況でのテロは、生還は不可能だろう。犯人は自殺的な攻撃…自爆テロをするしかない。

僕も過去に行った。嫌な言葉だ。

首謀者の狙いは、師族会議だけだろうか…

四葉が標的だとしたら、今ここ、魔法科高校の通学路に3人の関係者、いや、中枢の人物が3人が肩を並べて歩いている。テロは巻き込む人数が多いほど効果がある。一高の通学路には商店や民家が並んでいる。世界有数の魔法師が集結している会議場よりも魔法科高校の方が狙いやすいはずだ。

テロの首謀者がそれほど鉄砲玉を集められないから、襲撃は一箇所だけなんだろうけど、本当に事件は会議場だけで済むだろうか。

会場でテロが起きて端末に被災通知メールが送られても、第一高校で待機しているようにと、お母様に言われている。

必ず学校に残るようにと厳命されているのは、僕が戦略級魔法師で余計な警護で会場が混乱するからなんだけれど…

僕の不安を裏付ける何かが起きるのか?これまでとは違う何かを感じる。これは予感?

…予感。僕は予知能力はないし。

お母様を心配するあまり、僕の思考は、堂々巡りになり…

 

「何か気になることでもあるのか?」

 

ただでさえのろのろとしている僕が端末をいじりながら上の空で歩いていれば、歩調を合わせてくれていた3人の歩みも遅くなる。

達也くんが立ち止まって尋ねてきた。

その表情は今日が師族会議の日であっても、いつもと同じだけど、僕に向けられる視線は少し優しい。

 

「今朝は少しナーバスになっているみたいね久」

 

「久は師族会議にはあまり関心がなかったと思うが?」

 

おっと、いけない。無意識に周囲を圧迫してしまっていた。僕の空間を覆う殺気混じりの気配は、3人の背中をうずうずと落ち着かなくしていたようだ。

他の生徒が、僕たちと距離を開けていそいそと追い抜いて行く。

僕はふっと息を吐いて、

 

「ん?ごめん。特に問題はないよ。思い出した慣用句の意味がわからなかったから、つい気になって」

 

「慣用句?」

 

深雪さんが尋ねて来るから、

 

「何かの小説の一文だったかな?2人の背中を見ていたらつい、『天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん』って思い出したんだ」

 

「それは中国唐代の詩人白居易の『長恨歌』の中の有名な一節だな」

 

間髪おかず、さすがは達也くん博学だ。

 

「比翼連理の語源ね。男女間の情愛の、深く仲むつまじいことの例え…つまり私とお兄様のことを言っているのね」

 

深雪さんが冬の寒気を温めるほど顔を赤くし始めた。今朝はいつもより衆目を集めている。深雪さんの淑女らしからぬ態度に、達也くんが苦い表情になり、水波ちゃんが渋い表情になる。

ここの所、深雪さんと達也くんの間に微妙な距離がある。深雪さんは以前にもましてお淑やかだ。達也くんに嫌われる態度は少しでもしたくないと身構えている感じがする。

どう考えても杞憂だけど、手に入れたものを手放す怖さは、それを手に入れた瞬間から起きる葛藤なのは、僕にも良く理解できる。

それが僕にはじれったいから『取り返しが付かない関係になるまで』、毎朝のようにあの手この手で2人の仲を進展させようとしている。

今朝のこれも達也くんは僕のささやかな陰謀だと思ったみたいだ。

 

「久、何度も言っているが、俺たちは未成年だ」

 

もはや、お約束の切り返し。

こと恋愛、もっと言及すれば婚約者との関係は僕も他人事ではないけど、幸い、僕と響子さんの関係が今も続いていることを達也くんは知らないのだ。

達也くんは、それを知っても表情一つ変えないと思うけど、深雪さんはどう思うかな…水波ちゃんは、まぁ白い目で僕を見つつも『四葉』の僕に萎縮、お母様の意思でもあるから黙って納得するだろうな。

それを知っている真由美さんは、僕と婚約者2人の関係を黙っていてくれている。

脅しのネタが出来たとほくそ笑んでいるんだろうなぁ。

 

「はいはい、お義兄さんにはわかっていますよ、それより早くしないと遅刻だよ」

 

「お前が…いや、いい」

 

実際、今日の登校はやや遅めだ。僕が待ち合わせにちょっと遅れたせいだからなんだけれど、達也くんが深雪さんを促して、歩き始める。

待ち合わせに遅れた理由は、僕の左耳にはめられた小型のワイヤレスイヤホンが原因だ。

超小型で軽量、ノイズキャンセラー搭載でバッテリーも半日持つ。

僕の耳にフィットしていて多少の動きでは外れないし、髪の毛に隠れてイヤホンをつけていることは、他の人にはわからない優れ物。

 

「響子さんは意外と手先が器用だよな…パソコンを自作できるんだから、それくらいは当然かな」

 

朝、自宅を出る時に響子さんに呼び止められてそのイヤホンを渡されたんだ。

何でも、師族会議盗聴用のイヤホンを片手間で作ったんだって。

 

「これがあれば教室からでも会議内容がバッチリ聞こえるわよ」

 

こんな小さなイヤホンでどう言う仕組みかは機械音痴の僕にはわからないけれど、関東近郊の某所で開催される会議の内容を聞くことがバッチリ出来るんだって。

『ストライクウィッチーズ』のイヤホン並みに高性能だ。

流石は響子さん。

八雲さんが真剣に悩んだ会議場でのリアルタイムの盗聴が、こうも簡単に出来るんだから響子さんの能力は恐ろしい。

 

『電子使い』はどこの世界でも脅威だよ。

 

達也くんと水波ちゃんと別れて、2-Aの教室に入った僕たちを見て、それまで騒々しく会話をしていた生徒たちが黙り込んだ。

視線が僕たちに、特に深雪さんに集中した。

 

「深雪、久君!?何で学校に来ているの!?」

 

ほのかさんが悲鳴に近い声を上げて、それを合図に教室は再び騒がしくなった。

どうやら生徒たちは僕たちが師族会議の開催されるホテルに向かっていて、今日は休みだと思い込んでいたみたいだ。始業ぎりぎりに教室入りしたから、なおさらそう思われたみたい。

深雪さんが、ほのかさんと雫さんに、他の生徒にも聞こえるように、懇切丁寧に師族会議への不参加の説明をする。

次期当主と言えども、十師族の意思決定の場には居られないルールだって。

 

「久君も知らないの?」

 

ほのかさんが奇妙な声を上げた自分の羞恥を誤魔化すべく、僕に質問してきた。

他家はルールを守るけれど、四葉家は別なのではと先入観があるみたい。四葉が特殊?他の師族とは違う?四葉家は一族の団結心が強いだけなんだよ。あんなに優しいお母様を偏った知識で語られるのは…いや、落ち着こう。今日の僕は、確かにナーバスかも。

深雪さんの説明を聞いていたでしょ、とは突っ込まず、

 

「僕は四葉だけど意思決定とは無縁の立場だから、師族会議はあまり関係ないんだ。(いずれ達也くんと深雪さんの間に生まれる子供の後見人になるんだけどね)」

 

僕が四葉久となってひと月あまり経っているけど、僕は四葉家の人間としてよりも社会的には戦略級魔法師としての立場の方が強い。

十師族は魔法師の自衛組織。戦略級魔法師は国家の公式な戦争への抑止力で、ひとたび戦争が勃発すれば僕の意思は無関係で戦場暮らしだ。

その一方で、この国の戦略級魔法師は軍属ではなく、あくまでも軍の協力者で一般人。戦時でない今は、公式に国家に尽くすのは成人後からなので、後2年はちょっと曖昧な存在でもある。

魔法師の血統なんて数十年の厚みしかないのに、有力な魔法師の一族の優越感を育むには十分すぎる時間だし、実力差の多くが血縁と関係する。

この国の魔法師社会のシステムがその傾向を助長しているんだ。

僕が高位次元体なのかはともかく、現実に僕自身は孤児でしかなく、歴史や伝統の重み、名門の苦労は真にはわからない。

僕に関わりの深い家は魔法師として以前に、企業家として社会に影響力があるから何の問題なく次の4年間も十師族になるんだろう。

四葉家が『魔法』以外でどのような仕事をしているのか、そのあたり四葉家は秘密を徹底していて僕も殆ど知らないけど…

僕が四葉家の家業(?)に無関心なのは、僕の関心が特定の人物にしか向けられていないからだ。

他人がどうなろうと知ったことじゃないなんて、国から慰労金を貰っている立場としては、間違っても口に出来ない。間違えなくても出来ないけど。

 

僕の返事の後半の部分は、ほのかさんには聞かせられない、心の声だ。

 

「ふっ2人の…間のこっ、こど…も」

 

あっ、しまった無意識に呟いていた。幸いほのかさんには聞こえなかったけど、深雪さんの悶えっぷりは、達也くんには見せられない非淑女ぶりだ。

クラスの男女を問わず、くねくねと上気した深雪さんの表情に見蕩れている。

 

「ほら、深雪さん席について。授業が始まるよ」

 

深雪さんの細いけれど、けっして華奢ではない背中を押して席につかせる。

一見すると姉妹だけれど、こうやって深雪さんに触れられる異性は達也くん以外には僕だけだ。クラスの男子の嫉妬にまみれた視線が刺さる。

視線は痛くも痒くもない。

 

「お兄様との…子供…ぽっ」

 

まだ言っている…それに、呼び方がお兄様に戻ってるよ。

 

今日の授業はすべて教室での座学だ。魔法科高校の座学は殆ど自習みたいな物で、教室に居る教師は要所しか指導しない。座学内容はかなり専門的で難しいから、誰もが集中している。

隣の席の深雪さんも集中して脇目を振ったりはしない。

それを良いことに、僕が端末に向かいつつも手が完全に止まって目を瞑っていても、誰も気にしない。僕の意識は左耳に集中していた。

 

 

暫くして、イヤホンに意外な程のクリアな音が伝わってきた。会議場のドアの開く音、閉まる音。靴音、椅子を引く、座る、各自の挨拶など。

会議場の何処に盗聴マイクがあるのか不明だけど、当主たちが円形の机に番号の順番どおりに着席したことまでわかる。

会議室には11人の人物がいた。僕は全員と面識がある。おかげで声と顔のイメージが簡単に結びつく。

なるほど、去年の8月に臨時開催された師族会議は、僕が各当主の予備知識を得る今回の伏線だったのか。

その会議には居なかった一人が十文字和樹さんだ。和樹さんとは十文字家のパーティーで会って短い会話を交わしている。

8月の会議では十文字先輩が代理で会議に参加していたけど、その十文字先輩が和樹さんの後ろに立っているようだ。

十文字先輩だけ起立していると、対面側に座る気の弱い五輪勇海さんは気圧されそうだなぁ。

その姿を想像して苦笑しかけた僕とは関係なく、師族会議が開催された。

 

最初に、十文字和樹さんが魔法力減退を理由に、当主の座を十文字先輩に譲る一幕があった。

魔法師にとって魔法力を失うことは大変だ。魔法師はちょっとしたことで『魔法』を使えなくなるけど、和樹さんのそれは一族の問題だって。

一族の問題なら、いずれ十文字先輩も同じ道をたどるのかな…『魔法』を使えない十文字先輩は想像できないけど、そうなっても十文字先輩はかわらない気がする。

 

和樹さんが退出して、会議場が10人になると、各当主からそれぞれの担当地域の報告が行われた。

頼りない五輪勇海さんも宇和島を中心とした四国地域をしっかりと監視している。僕の前、いや、娘の澪さんの前でも腰が落ち着かない人だから、ちょっと不思議だ。

十師族は、国防軍が機能している北海道と沖縄以外での反政府活動や外国の組織の監視をしている。

国防軍の仕事が国内テロの監視でないにしても、国防軍の抑止力よりも十師族の力の及ぶ範囲が広い。なるほど、謎の権力が発生するわけだ。警察は何やってんだろうね。

逆に言えば、テロが発生すれば十師族の権威に傷がつく、と。各当主の報告によれば、各地で反魔法師、人間主義者の侵食が進んでいるんだって。

それに次いで、お母様から伊豆地方に北米経路で小型貨物船が停泊、USNA大使館の所有するクルーザーが沼津沖で不審な行動をとっているとの報告があった。

当主間の各地での状況の共有は、誰の声も熱がなく、やや事務的な報告と感じられた。

僕としてはお母様の声が聞けて嬉しいし、十文字先輩もかわらず堂々とした声色に思わず微笑を浮かべたり、九島真言さんの陰気臭い声にげんなりしたりもした。

師族会議なんて皆が注目するけど、一日目はこんな物なのかな。

それとも、ここまでは前哨戦、探り合いの類なのかな?

その後、七草弘一さんが、達也くんと深雪さんの婚約の件に抗議をした。

その抗議もお母様の落ち着いた反論と、他の当主の的確な指摘で、弘一さんは内心はともかく黙り込んだ。

 

でも、弘一さんが魔法協会を通じて申し込んでいた抗議はもうひとつある。

 

「司波達也君と深雪さんの婚約は四葉家の私事でも、戦略級魔法師、旧姓多治見久殿の四葉家への養子入りに関しては看過できない」

 

弘一さんがサングラス越しにお母様を見つめている姿が目に浮かぶ。

その目はサングラスに隠れて意思は読み取れないし、お母様は、おそらく優しく、皮肉げな笑みを湛えているだろう。

 

師族会議は始まったばかりだ。

 

 

 




飛び飛びで書きながら、二ヶ月ぶりにまとめたら、ただでさえ拙い文章がますます拙くなってしまいました。
猛省です。
今回で掲載100話目となりました。
2年生の正月までは最初から構成していたので比較的スムーズでしたが、
この辺りからは原作に沿いながらも行き当たりばったりです。
それでも、久が達也と敵対する事はありません。
たとえどれだけ世間から孤立しようとも、真夜と澪と響子がいれば気にしません。それと、押しかけの年下の女の子と。
どれだけ不倫な立場でも、見た目のおかげで非難し難いし、むしろ、戦略級魔法師である久の立場を慮って、魔法協会の方から隠蔽工作しなくちゃいけないんですけどね。
次回は師族会議後編と久無双…の予定です。
気長にお待ちくださいね。


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赤く濡れた大地に砂煙は起きない。

師族会議後半戦です。


 

 

「司波達也君と深雪さんの婚約は四葉家の私事でも、戦略級魔法師、旧姓多治見久殿の四葉家への養子入りに関しては看過できない」

 

七草弘一さんがしつこく攻撃をする。達也くんと深雪さんの婚約は、近親婚と言う攻撃理由があったけど、僕の場合は、多分に感情的な理由だ。

お母様と弘一さんの過去の確執を嫌と言うほど見ている他の当主たちから、ため息のような雰囲気が漂う。

お母様も冷ややかに対応をした。

 

「久のことは、皆様も独自に調査しておいででしょうから、一高入学以降の情報は詳しい筈です」

 

前回の師族会議の時に、僕のことは調査したはずだ。それは当然の行動で、十師族の調査となれば徹底している。

 

「久が一高入学後すぐ、犯罪組織に誘拐されたことはご存知でしょう」

 

皆が頷く。

 

「はい。その事件では私と当時生徒会長だった七草真由美殿が身元引受人として病院に迎えに参りましたから」

 

お母様が念を押すように十文字先輩の方を見たみたいだ。十文字先輩が代表して返事をする。

 

「その時の久はいかがでしたか?」

 

「…かなり衰弱していました。気持ち的にも肉体的にも…」

 

あの時の僕の姿は、十文字先輩の中の僕のイメージとして強く残っている。だから僕には優しいんだよね。

 

「九島烈先生は久の後見人でしたが、お忙しいのか久を放任しておりましたわよね」

 

「うっうむ。そのようですな」

 

九島真言さんが、やや呆然と返事をした。僕と烈くんの関係は、僕たち以外には絶対にわからない。

 

「久が誘拐された事件をきっかけに、久に関心を持ちました。最初に会えたのは九校戦の後でしたが、その時から久は私の事を母親と慕ってくれたのです」

 

お母様の過去の誘拐事件は、会場にいる当主たちは当事者でもあるから、誰よりも詳しく知っている。僕に同情以上の感情を抱くのは当然だとも考えている。

入学試験の結果が外部に流出した入学直後は非主流のナンバーズや企業、困った事に犯罪組織に目をつけられた。十師族が僕に注目したのは、九校戦での将輝くんとの試合以降だ。

 

「藤林響子さんとの婚約も、その九校戦の時、烈先生の肝いりで決まったそうですね」

 

「うっうむ」

 

再び真言さん。搾り出すような声だ。

 

「しかも、その婚約は、沖縄戦で婚約者を失って未だ傷心の癒えない藤林響子さんを、一族が無理に結婚させようとしていたのを止める為の狂言だったそうです。本来、響子さんとの婚約は一切表には出ない筈でした」

 

「ぬっ、では私の発言は早とちりだった、と。そう言えば、久殿はあの時、何か言いたげでした。私はてっきり恥ずかしがっているものだと」

 

十文字先輩が唸る。十文字先輩が天然だってことは、他の当主の皆さんはまだ知らない。

 

「その会場で久は五輪澪さんとも運命的な出会いを果たしたそうですね、五輪殿」

 

「はい」

 

五輪勇海さんが返事をする。その声は、いつもの自信なさげな雰囲気とは違った。お母様がそれとなく水を向けるのを待っていたみたいだ。

 

「当時の娘にとって九校戦は唯一とも言って良い外出の機会でした。久殿との出会いは偶然でしたが、年の差があるにも関わらず、すぐに意気投合。趣味も同じで初めから相性が良かったようです。九校戦後、娘は久殿の自宅に押しかけて一緒に住むようになりました」

 

他の当主は黙って聞いている。そのあたりの事情は既知のようだ。

 

「当時、己の余命すら数年と諦めていた娘は、親の目から見ても女としての魅力は失われていました」

 

そんなことなかったぞ!ぷんぷん!澪さんは最初から美少女だったぞ!どう見ても中高生だと最初に思ったのは秘密だけど。

 

「ましてや久殿からすれば、かなりの年上ですので、間違いも起こらないと…」

 

僕のほうが年上…

 

「久殿はその…容姿が、女の子にしか見えないせいもありまして、まるで姉妹のようで、娘もあれほど真剣にわがままを通したのも初めてのことでして、同居に関しては親としても反対しづらかった。娘の、最後のわがままかもしれないと考え、許可しました」

 

最後の、はひどいけど、本当かな…プレッシャーの元凶が家を出てくれて少しほっとしていたと思うけど。それは邪推だよね。

 

「久殿と同居するようになり、娘の精神が安定したのか、体質は改善しました。どの医者も匙を投げた娘の体質が改善したのです。娘が久殿への感謝や友情以上の感情に目覚めるのは当然でしょう。それだけ箱入りで初心だった訳ですが…娘の切なる願い、女として諦めていた幸せを叶えてあげたいを思うのは親心でしょう」

 

二木舞衣さんが頷いた。

 

「戦略級魔法師の婚姻は、本来ならば本人の自由意志とは無縁に行われるべきですが、澪殿の場合は事情が特殊ですからね」

 

六塚温子さんも援護射撃をした。

特殊な事情であろうと利を貫くのが組織だろうに、感情に左右されるのは十師族や師族会議が私設組織で、各家の事情にまでは立ち入れないし権限もないからだ。これは問題だけど、その問題の間隙を付いたのが僕や達也くんたちの婚約なんだから文句を言える立場ではない。

 

「久殿は藤林響子殿とすでに婚約していましたが、その婚約は九島烈閣下の一種のケレンで、公式に発表されなかったのは藤林家ならびに九島家では了承していなかったからだと調べてわかりました」

 

真言さんの渋い顔が目に浮かぶ。

 

「私は、少々策を弄しました。久殿は九島烈閣下の被後見人でしたが、久殿自身は血縁のいない孤児でした。そこで、私はわが五輪家につりあう家の協力を仰ぎました。そう、四葉殿です。四葉殿が久殿の援助をしていた事は存じておりましたので」

 

僕の完全思考型CADの件は、それほど情報を隠していなかったらしい。

 

「そこで恐縮ですが、四葉真夜殿に泥を被っていただくことにいたしました」

 

「私の養子となれば久の婚約は、四葉家と五輪家の問題になりますでしょう。久は孤児でした。それも十師族の皆さんが懸命に調査してもまったく情報のない人物。四葉家でも久の高校入学以前の情報は不明でした」

 

会場がどよめいた。四葉家でもわからなかった。多治見久は本当に何者なのか…

 

「本来なら、後見人である九島烈先生の九島家が久の養子先に選ばれるのが筋であり、道理ですが…九島家、特に現当主である真言殿と久は、まったくの疎遠であると聞いていました。

会話すらまともにしたことがないと久は言っていましたが?」

 

「うっ、うむ確かに、しかし、それは久殿と接点が少なかったからで。実際は久殿は息子の光宣とは親しかった…」

 

ここに来て真言さんの烈くんへの対抗心が裏目に出た結果になった。逃した魚は大きいのだ。

 

五輪勇海さんがお母様の言葉を引き継ぐ。

 

「久殿は九島閣下のお墨付きがあったとは言え、はっきり言えば得体の知れない人物です。そして、なにより、あの時々放つ世界を覆いつくすかと思うほどの魔法力、いえ、存在感、周囲にいる人間を圧する気配は常人には耐えられません。あれは戦略級魔法師の放つプレッシャーです。私の娘、戦略級魔法師五輪澪も幼き日にはあのような、人の生命を抉り取るようなプレッシャーをたびたび放っていました。わが一族にとっても娘の存在は脅威でした。

久殿は娘と同じ気配を持っています。そのような、言葉は悪いですが、危険な人物の親になってくれる、生命を削るプレッシャーに耐えられる人物は…と愚考しまして…」

 

勇海さんは遠慮がちにお母様を見た。

 

「気になさらないでください。それはおそらく事実ですから」

 

お母様が鷹揚に答える。

 

「しかし、戦略級魔法師を2人も手に入れるとなると、四葉家はひとつどころか、もはや十師族の枠組みから外れてしまうのでは…」

 

真言さんがぶつぶつと呟く。

 

「私は別に久の存在で有利になろうとは思っておりません。ですから、久は四葉家の相続権を一切持たないと発表したのですよ。それに、久を養子に迎えた後、五輪澪さんに差し上げるつもりでした」

 

「それは?」

 

三矢元さんが興味深そうに尋ねた。

 

「久を五輪家へ婿入りさせるつもりでいましたの」

 

会場が驚きに包まれた。

なんと。それではこの章のタイトルを五輪久にかえなくては。

戦略級魔法師をあっけなく手放す。それは、権力志向の強い当主なら思いも付かない、むしろ暴挙だ。

でも、五輪勇海さんは、一人違った発言をする。

 

「そっそれはありがたい申し出なのですが、澪は女性の幸せを諦めていたこともあり、結婚に関しては、色々と思うところがあるようでして。好きな男性の苗字を名乗りたい…そう申すのです。久殿に救われた命は、身体も名前も含めて久殿に貰って欲しいと…

公人である戦略級魔法師としてはやや問題ですが、一人の女性の想いを無碍に出来るほど、親として、親心を、その…」

 

しどろもどろだ。それは僕が知る勇海さんの姿だ。

なるほど、あの五輪家の面々の総意としては、命を蝋燭のようにガリガリ削る化け物はもういらない、耐えられないという事か。

 

「久は四葉久として五輪澪殿と結婚しますが、四葉本家の意思決定に従属しなくても構わない立場です。魔法師は国家に尽くすもの。戦略級魔法師ともなれば、それは最優先です。久は『四葉』を名乗りますが、独立した『四葉久』と言う個人であり当主です」

 

そうか。この前、五輪家を訪問した際、達也くんが一人納得して、いずれわかると言っていたのはこのことか。

今回の一連の出来事は、すべて五輪家主導で行われていて、お母様はそれに協力しただけ。四葉家の画策ではないのか。実際は裏で色々動いて、五輪家をそのような方向に操っていた…なんてことは、あの優しいお母様に限ってありえない。

僕みたいな人物を躊躇いも無く養子に迎えてくれたお母様への想いが高まる。

四葉家の強化だけを考えず、戦略級魔法師である僕の立場まで考えてくれている…僕は感動で目がウルウルする。

 

「それは、建前でしょう。戦略級魔法師が、さ…2人も。現実に四葉家は、世界でも飛びぬけた存在になった。十師族とはもはや別の何かだ」

 

沈黙が会場を覆う。弘一さんもしつこいな。

 

「お二方の理屈では、久殿の義父には私がなっても良いのでは?久殿は娘たちとも親しいですし、私も…」

 

「久の身にはたびたび災難が襲いました」

 

お母様が弘一さんの言葉を遮った。

 

「それには七草家とも関わりの深い人物が…」

 

思わせぶりな発言。そう。僕は七草家に関わる人物に襲われたことが2度もあり、その襲撃を弘一さんは把握していた。真由美さんと双子が僕の家に謝罪にまで来ている。

会場内に険悪な雰囲気が漂った。

 

「発言してもよろしいだろうか」

 

それまで沈黙を貫いていた剛毅さんが、唐突に発言をした。

 

「久殿は愚息の友人でもありまして、以前、我が家を訪問された際、久殿とは徹夜麻雀をしましてね」

 

…何を言い出すのか。

 

「ほう?徹夜麻雀!」

 

「それは興味深い」

 

なぜか八代雷蔵さんと三矢元さんがその話題に食いついた。

場の空気をかえたいと思ったんだろうし、大学時代に麻雀に嵌ると人生が狂うって『森見登美彦』の著作にたびたび書かれているけど、この2人は狂いかけた手合いだな。

 

「徹夜麻雀をすれば、その人物の気性や思考が詳しくわかります。久殿は初心者であるにも関わらず私と息子、それに吉祥寺真紅郎君に負け続けても、決して感情を高ぶらせるようなことはありませんでした」

 

「一晩中負け続けて?それは、すごい精神力と自制心ですね。私なら感情を爆発させて暴れていますよ」

 

体育会系の会話だな。女性陣が少し引いている気配が伝わる。

 

「それで、久殿は最後まで負け続けだったのですかな?」

 

「いえ、最後は三連続カンからのダブル役満直撃で私の大敗北に終わりました」

 

「なんと…それは凄まじい強運。『宮永咲ちゃん』も顔面蒼白の豪運…さすがは戦略級魔法師」

 

「話がそれましたが、久殿の人物は、私が見ても太鼓判を押せます。久殿なら無駄な権力争いに惑う事はないと確信できます」

 

「権力争いには興味がないから利では動かない。一つの家の為だけに動く事はないとおっしゃるのね?大好きな女性の負担を軽くするために、自ら不自由な生活を望んだ久殿は、確かにそうでしょうね」

 

これは六塚温子さん。

つまりは利ではなく、感情で動く人物ってことだ。それはそれで問題だと思うけど。

 

「将来はわかりませんがね」

 

これは、当然、七草弘一さんだ。

 

「七草殿、これはすでに発表されたことです。それも、公式に、国民のみならず、世界に発信されているのですよ」

 

今さら反故には出来ないと、二木舞衣さんが落ち着いて諭す。

普通、権力者にとって僕みたいな成り上がり者の存在は疎ましい。成り上がり者よりも魔法力が劣るとなれば、憎む者だっている筈なのに。

幸いにも、この国の魔法師の頂点に立つ彼らは、僕に好感を抱いているようだ。

 

「…そうですね」

 

味方がいないと悟った弘一さんは黙った。でも、まだ何か考えがあるみたいだ。

お母様も、途中からは薄く笑いながら静かに座っている。

確かに僕は、権力や利では動かない。

九校戦のあの夜、烈くんは僕が国よりも個人を選ぶと言った。

さすがに烈くんは僕のことを理解している。

僕にとっての最優先はお母様と澪さんと響子さん、そして達也くん深雪さん、光宣くんだ。

僕が五輪家に入籍しても、九島家に入っても、十師族のパワーバランスは大きく傾く。

なにせ2人の戦略級魔法師、それも世界的に高齢化が進んでいる戦略級魔法師が多い中、若い全盛期の戦略級魔法師が手に入ればどんな弱小師族でも、次の十師族の一席は決まりだ。

それに、ここにいるメンバーは十文字先輩も含めて、僕と響子さんの関係が切れていないことも当然知っている。

僕は四葉久で、五輪澪を妻に持ちつつも四葉家本家の魔法師ではない。九島家の紐付きで、一条家、七草家、十文字家とも関係が深いとなれば、その後の政治的な工作も監視も容易い。

どの立場に立とうとも僕が十師族であることに疑いがないのだから。だったら単独の家を興してくれた方が、バランスはとれると、多くが考え至ったようだ。

しばらくは僕も今の生活が続けられると、遠く離れた一高の教室でほっと一安心していた。

 

 

もっとも、七草弘一さんの考えまでは僕は見通せなかった。

 

 

 

翌日、お母様のおっしゃっていた通り、師族会議の会場のあるホテルでテロが発生した。

第一高校では二時限目と三時限目の間の休み時間だった。

僕は耳に嵌めたインカムでテロが起きたことをリアルタイムで知った。その瞬間インカムは停止、かわりに僕と深雪さんの端末が同時に鳴った。

珍しく動揺する深雪さんに、僕はお母様の指示があったからこのまま教室に残ると伝える。

達也くんと水波ちゃん。七草の双子は一高を後にするだろうから、生徒会役員がごっそりいなくなる。新たに十師族になった七宝家の琢磨くんも会場に向かうだろう。

いつ戻れるか不明なので、今日は副会長として行動してと深雪さんにお願いをされる。

すぐにお母様からメールで傷一つなく無事と知らされたし、現場には達也くんたちが向かっているから僕は3、4時限目の授業は普通に受けていた。

師族会議の会場でテロが起きたことは、すぐに一高内に噂で広まった。

会場にいたナンバーズの子弟が一高に通っている証左だな。昼食時間には、一高はその話で騒然となっていた。

そんな中、食堂で落ち着いてお弁当を食べている僕の姿に、多くの視線が集まっていた。

 

「久くんは…その会場に向かわなくても良いの?」

 

「テロが起きたのって本当なんだね」

 

美月さんと幹比古くんの質問に、

 

「うん。かなり大規模なテロで現場はひどい事になってるみたい。十師族の当主や会場にいたナンバーズ、魔法師は全員、無事。傷一つないって」

 

食堂中の目と、今度は耳まで僕に向けられるのがわかるから、僕は全員に聞こえるようにはっきりと答えた。

 

「僕が会場に向かわないのは、僕が戦略級魔法師だから。まだ犯人と目的が不明な段階では安易に向かうわけには行かないんだ。本当はすぐにでもお母様の近くに行きたいけれど、生徒会副会長として行動するよう深雪さんからもお願いされているしね」

 

「そうね。犯人の目的が久だったら、大変だものね」

 

「でも、久を狙うなら、そんなとこにおびき寄せるなんて迂遠すぎないか?」

 

「それもそうだけど、罠をしかけて一気にこの国の力を削ごうと…」

 

これはエリカさんとレオくん、次いで幹比古くん…その時、僕の端末のアラームが鳴った。

僕だけでなく、幹比古くんと雫さんの端末からも。これは学校からの生徒会役員と風紀委員向けの非常通知だ。

僕たちと食堂にいる全ての生徒に緊張が走った。

端末の画面を確認して、僕と風紀委員の2人は目配せをして頷く。

 

「どうしたの雫…?」

 

ほのかさんが不安も露に雫さんに尋ねる。

 

「校内に不審人物が入り込んだ。正確には校庭に、だけど」

 

「雫さん。他の風紀委員や部活連の生徒と協力して、一箇所に集まると危険が増すから実習教室に分散させて避難させて。移動できない生徒は教室で待機させるように。それと…」

 

「わかった」

 

僕の指示に雫さんが頷いて、

 

「服部先輩や桐原先輩には、勝手に行動するなって釘を刺しておく」

 

流石は影の番長。校内連絡網を駆使してすばやく対応する。この手の事務的な行動は僕には無理だ。

 

「幹比古くんは、僕と一緒に来て」

 

「校庭に向かうんだね」

 

「危険かもしれないけれど」

 

「僕は風紀委員長だよ。心配要らない」

 

力強いな。背中はまかせよう。

 

「私も行くわ」

 

「俺も!」

 

駆け出す僕と幹比古くんの後を、エリカさんとレオくんが着いて来る。役員でない二人はCADを常備していないけど、徒手空拳でも十分戦えるから、止めても無駄だろうな。その表情はどこか嬉々としている。

修羅場を求めているなんて、2人とも似たもの夫婦だよ、とは口が裂けても…おっと急がないと。

 

お昼休みとは言え、真冬の校庭に生徒はいない。

だから、校庭にまばらに立つその集団は異様だった。

 

「何だ、ありゃ…」

 

横に立つレオくんの疑問に僕は答えず、

 

「エリカさん、レオくん、幹比古くん」

 

「何?」

 

「絶対に動かないでね」

 

「え?どう言うこと?」

 

「絶対に普通じゃないわよアイツら」

 

「うん。あいつらは僕が対処する。だから、何があっても一歩も前に出ないで、黙って見ていて」

 

いや、見ていない方が精神衛生上は良いんだけど…

 

「久だけに相手をさせるわけには…」

 

反駁しようとする3人に僕は、

 

 

「一歩も動くな」

 

 

と、静かに言った。

 

瞬間、3人が硬直する。3人は手足も口もまったく動かせなくなる。顔面が蒼白になっている。

それは離れた教室の窓から覗き込む、多くの生徒達も同じだった。呼吸すら苦しくなるほどの圧迫感が一帯を覆う。

戦略級魔法師の気迫。

自分達とは別次元の存在。それは、死を支配する者が持つ圧倒的な気配。

まるで深海に引きずりこまれるような静かだけど、本物の恐怖。

絶対に触れていはいけない領域の存在…

一高生徒全員が唐突に思い出した。

簡単に手折れそうな細い腕の、女の子のような少年は、今、絶対の強者と化していた。

 

自分たちの通う学校に、同じ教室に、化け物がいる。

 

深い冬の、風だけが、校庭に砂埃と音を作っている。

その砂埃の中に10人。ふらふらと風に揺れるススキのような10人が立っている。

彼ら、彼女らには、僕のプレッシャーは風ほどの影響を与えていない。

 

全員が、年端も行かない、子供。

 

女の子はスカート、男の子はハーフパンツ。全員が服装は小奇麗なのに、顔色は年不相応に土気色だ。

砂埃が目や髪に入っても掃おうとはしない。

ただ、ゆらゆらとよろぼうように立っている。

その光の無い、20の瞳は僕と一高の校舎を見ている。感情の無い、暗い死んだ瞳。

 

やはり、襲撃は師族会議の会場だけではなかった。

僕に一高に残っているように指示した真夜お母様の懸念は当たった。

ただ、襲撃者が子供だとは考えもしなかった。レオくんたちの同行を許したのは間違いだったな。実戦を経験している3人でも、相手が子供となると非情にはなれないだろう。

学校が標的なら、襲撃犯は子供のほうが疑われず接近出来る。未熟な生徒なら、子供相手に躊躇いもするだろう。

なるほど、狙いは一高の生徒か。

自分の子供が魔法師として生まれれば、魔法力を持たない親や家族は複雑な感情を持っている。レオくんや美月さんの家庭はその例だ。

家族の愛情が深ければ深いほど、魔法師の子供を持つ親は困惑し、上手く折り合いをつけて生きていかなくてはならない。それは『魔法』とは無縁の家庭よりも、きっかけがあればより反発力が高まる可能性を孕んでいる。子供を失った親たちは、より身近な立場からナンバーズと十師族を攻撃するだろう。

十師族を、狭い魔法師の世界の内側からじりじりと焦がすには、代々の魔法師の家に生まれなかった、後天的に魔法力を得た人物を大量に襲えば良い。

魔法科高校にはナンバーズとは無関係の、一般家庭出身の生徒が大勢いる。副会長の僕としては、護らなくては。

 

テロは自爆攻撃だ。

この子たちは小さいけれど、過剰な殺傷力を秘めた、人間爆弾。

何故、自爆テロだと知っているのか3人に説明が出来ないから、僕は一人で、ゆっくりと、歩き出す。

子供たちが、僕に向けて走り出した。

その動きはまるで紐で上から操っているようで、かくかくとぎこちなかった。それなのに、異常な、子供では…いや人間では不可能な速さで迫って来る。

子供たちの誰もの首が定まっていない。歯ががちがちぶつかる音までする。嫌悪感を覚える、恐怖を煽る人間爆弾の挙動。生者に群がる亡者の群れ。まるでホラー映画だ。

ダッダッダっと、校庭にいくつも砂埃が立つ。

 

唐突に、風が止んだ。

 

子供の1人が、僕に向かってありえないほど高く飛んだ。僕の頭上に覆いかぶさる。

見上げる僕。

冬の太陽が子供の身体で隠れた瞬間、そのお腹が大きく膨れ上がって、一気に爆発した。

轟音が広い校庭に響き、熱と煙、爆発でばらばらになった身体の部位、内臓や筋肉や骨が僕を襲う。

僕はそれを冷静に観察していた。

爆発の瞬間に、子供は苦痛の表情を作らなかった。

操られている…恐怖心も痛覚も失っている…

 

違う、この子はすでに死んでいる。

 

この子たちは全員、すでに死んでいた。肉体が操られている。

人は死んで、精神を、『意識』を失えば、それはただの肉の入れ物だ。

 

 

人類が『意識』と『求心力』を理解できれば、あらゆる時空の自分を『意識』出来るようになり、自分のハードウェア、つまり肉体を自在に出来るだろう。今の僕が少女の容姿をしているように。

真の存在はひとつであり、今の肉体が全体存在の一部でしかないと理解する。

自分とは何者かと問う能力であり、それは他人とは何かと区別する能力だ。

『精神』を共有する。

それは『超人』と言えども困難な御業であり、それを為している達也くんと深雪さんは、やはり僕にとっては『神』だ。

 

 

…?

一瞬、時間が引き延ばされたような錯覚を覚えたけど…

 

人間爆弾は、爆弾と燃焼ガスと破片、そして己の身体で対象物を攻撃する。

爆弾が火薬なら、初速が音速をやや下回る。この距離だと減速する事無く爆弾の破片と共に肉と骨が突き刺さる。直撃すれば即死だ。

僕は、完全思考型CADのデバイスにサイオンを流し込み『障壁魔法』を構築した。

校庭の空間を二重に、一つは僕自身の周り、もう一つは破片で校舎に被害が出ないように校庭の外周に。音爆弾の可能性もあるから、音も遮断する。

次に僕に死の抱擁をせがんで来た子供は最初の子供の臓物ですでに赤く染まっていた。顔には骨が刺さっている。でも、人間爆弾は僕に飛び掛って爆発した。

もちろん、僕には爆発は髪の毛一本たりとも届かない。

それでも子供たちはインプットされたように、無言で僕を襲い、爆発する。僕は、ただ『壁』を挟んで、突っ立っていれば良い。

僕は、これが自爆攻撃だと知っている。

 

でも、その光景を見ている、他の生徒は、その事情を知らない。

 

生徒たちが見ているのは、襲い来る子供、それも年端の行かない小さな子供を容赦なく爆殺する僕の姿だ。

いくらなんでもやりすぎなのでは…彼の実力ならもっとやり様があるだろうに…そんな心の声が聞こえて来るようだ。

敵味方を問わず、生者の戦意を奪う将輝くんの使う『爆裂』はこんな感じなんだろうな。

残念だけど、敵は容赦をしない。死者の攻撃は鈍らない。

全てを救えるなんて傲慢だ。

子供の身体が花火のように爆発するたびに、血や肉、骨が校庭を汚す。爆風で肉片が焦げた地面に叩きつけられる。

僕をドーム状に覆う透明な『障壁』も瞬く間に黒ずんだ赤に染まっていく。

爆発音は『障壁魔法』で遮られ、校舎には聞こえない。惨劇は閉じられた空間の中だけで広がっていく。

一高の生徒たちは、現実離れした音の無い戦場を、傍観しているだけだった。

 

その爆発も数分で終わった。

中空に霧のように漂っていた血煙もやがて消え、残り火が地に落ちて、散らばった肉片と衣類を燃やしていた。

校庭に骨の破片がいくつも突き刺さっている。骨が突き刺さるほど爆弾の威力は凄まじく、これが自爆テロで、僕が『魔法』で殺したのではない証拠となるだろう。

『魔法』は基本的に同時には使えない。

僕が『障壁魔法』で自衛している間、攻撃の『魔法』は一切使用していない。

相手が勝手に自爆死したことは、遺留品や、校内監視カメラとサイオンセンサーの記録からすぐわかる。

僕は身を守っていただけなんだけれど、誤解は、先入観から生まれて、一人歩きし始める。

僕は『障壁』にべったりと火薬と共にこびりついた血肉を浴びないよう用心しながら『障壁』を消す。今までの僕ならこの時に集中力を切らして、頭から赤い肉片交じりのシャワーを浴びただろうな。僕も少しは成長している。

『障壁』の内側にこもっていた、火薬と表現しようのない濃密な死の臭いが一気に溢れる。

悪臭は毒ガスのように広がっていく。

静寂が一高を支配していた。

僕は、白い制服のまま、校舎に振り向いた。

そこには、エリカさんやレオくん、幹比古くんと、何百と言う生徒が僕と血に染まった大地を見つめていた。雫さんの避難誘導は…間に合わなかったみたいだ。はんぞー先輩や沢木先輩の姿も見える。

それまで現実感の欠けていた風景が、悪臭と共に一気に現実のものとなって生徒たちを襲う。何人もの生徒が吐き気を催しているのがわかる。実際、吐いている生徒も沢山いる。

僕は散乱した肉片を避けながら校舎に戻ろうとするけど、どうにも避けようがない。爆弾は腹部に仕掛けられていたから、四肢や頭部は比較的原型をとどめて赤く焦げた地面に転がっている。生首が僕を睨んでいる。あの黄色い柔らかそうなものは脳漿だろうか…

ぐちゃぐちゃとおぞましい塊を踏みながら、すぐに靴は変な色に染まった。

魔法科高校の靴洗浄設備は優秀だから気にしなくても良い。

 

それよりも、

 

「幹比古くん」

 

「なっ、なに!?」

 

3人の前に戻ったのに、3人とも死人みたいに硬直したままだった。

たった数分の出来事なのに、額と掌にびっしょりと脂汗を浮かべている。

幹比古くんの声は、震えていた。

 

「僕は職員室に行って説明してくるから、皆は先に食堂に戻っていてよ」

 

「え!?食堂?何で…」

 

幹比古くんの反応が鈍い。

 

「えっ、て。お昼ごはん途中だったでしょ」

 

幹比古くんが理解不能って顔になった。ふと見ると、エリカさんもレオくんも同じ顔だった。

 

「僕、何かおかしいこと言ったかな?ご飯は残さず食べないとお天道様の罰が当たるよ」

 

こんな時でも、僕は食い意地が張っている。僕はおかしくて笑った。

血の通わない人形のような顔の笑顔に、幹比古くんだけでなく、エリカさんもレオくんも言葉がない。

理解出来ないのは台詞の内容ではなく、僕その物だったようだ。

10人の子供の自爆攻撃に、眉一つ動かさない僕は、やはり化け物なんだろう。

 

風が再び吹いた。冬の乾いた風が校庭を舐める。

 

赤く濡れた大地に砂煙は起きない。

 

 

 

 

 




原作部分はさくっと飛ばすのがこのSSの基本コンセプトです。
久と澪の婚約は、実は五輪家から持ちかけたものでした。
長いこと五輪家の面々が疲れ切っていると伏線を張っていたのです。

師族会議の導入部分で悩んだおかげで、後半は出来はともかく、さくっと書けました。
久のタガもだいぶ緩んで来ています。
それでも、精神的な破綻は相変わらず。
久は基本的に守りたい人物は確定していますが、
だからと言って無慈悲でもありません。現場にいれば、それなりに対処します。
ただ以前、久が自分で言っていた様に、
誰かが後方で指示してくれないと敵は問答無用で殺しちゃいます。
犯人探しには不向きですが…さて。
お読みいただき有難うございました。


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ご褒美

その日の午後。


西暦2097年2月5日に東京八王子の魔法大学付属第一高校で起きた惨劇は、しかし、幸運でもあった。なぜなら、同日に箱根のホテルで起きたテロ事件と違って死者は、自爆テロの実行犯のみだったからだ。

事件直後、箱根から一高に戻った達也くんと深雪さんは、校庭の惨状に息を飲んだけれど、すぐに僕のフォローをしてくれた。

達也くんから、箱根のテロ現場で、お母様の無事を確認したと教えてもらい、改めて安心する。

一高の惨劇もテロである以上、これは警備警察、公安の事件だ。

警察にも魔法師に否定的な思考を持つ者がいる。そんな連中に、己の庭、己の城を土足で踏み入られることを忌避した百山校長は、自分の人脈、特に一高出身者の警察幹部に通報をした。

いつも凶事に無力で、生徒に丸投げな校長も、時にはそれくらいの骨を折って貰わないと。地元管轄を中心に一高に急行した警察は以上の理由で魔法師が多かった。

それでも、ばらばらに散らばって、頭蓋の数で実行犯の人数を特定しなくてはならない現場では、警察官は感情的に動揺、混乱が起きた。

僕は『サイキック』ではなく、『魔法』で防御した。だから、僕の『魔法』も校内のカメラとサイオンセンサーでリアルタイムで記録されている。目撃者も百人単位でいる…

『魔法』使用は厳しく制限されている。魔法科高校内で証拠もあり、身を守っただけだとしても通常なら学生でも、未成年でも、それが十師族の子弟だったとしても、供述調書作成に時間がかかっただろう。

襲撃者が子供だった、となれば警察も魔法師同士の親近感では済まされない。

でも、校庭でただ一人、自爆テロに身を晒した人物は、戦略級魔法師と言う唯一無二の肩書きを持っていた。

戦略級魔法師はこの国の防衛の要で切り札だ。殆どの警官が、僕を知っている。それも、報道の、女の子…いや、子供だけど見た目だけは完璧な僕をだ。

事情聴取は、校内の来賓室が使われ、僕と聴取する警視、立会いと記録担当の警部補だけが入室した。現場の捜査は叩き上げの警部さんがしている。警視さんはまだ若く、おそらくキャリア組。普通は、事情聴取なんてしない。警官の階級が高いのは僕に配慮があったんだろう。

僕は人見知りのところがあるから、見知らぬ他人に囲まれると気分が落ち着かない。革張りの椅子に、小さい身体をより小さくして座っている。その姿は、年相応かそれ以下に見える。それだからなのか、警視さんの態度はすごく丁寧で、聴取はすぐに終わった。これが魔法師に批判的な警官だったら、もっと長く拘束されていたんだろうな。

校庭には、実行犯の遺留品が沢山、沢山散らばっている。応援を要請したらしく、聴取前よりも人員が増えていた。

エリカさんやレオくん、幹比古くんの聴取は別の警部補が担当していた。

その警部補はエリカさんと顔見知りだったようで、エリカさんの厳しい視線を、僕以上に身を小さくして耐えていた。職務の邪魔にならなきゃいいけど。

季節が2月の一番寒い時期だったことも幸いした。これが真夏なら、悪臭で翌日は休校になっていただろう。

本来なら休校になっても当然の事件だけど、魔法協会や警察、一高と十師族の思惑で、大した事件ではなかった、と言う事になっている。『実行犯』についても厳しく緘口令がしかれた。

マスコミにも、一高がテロの標的なったものの、撃退に成功。生徒に怪我人が出なかった、と箱根のテロが現場の映像入りで報道される影で、小さく報道される程度にとどまった。

 

校庭は現場保持のためブルーシートで何箇所も覆われて、校庭からは現場が見られなくなった。校舎からは丸見えだけど、惨劇の場を見たがる生徒はいない。

実行犯は死人だったと、僕の聴取にあたった警視さんには伝えた。子供の小さな身体は爆弾で粉々になっていたから、司法解剖では死者だったかどうかは判別が難しい。でも、戦略級魔法師の僕の証言は、何よりの証拠だ。経験豊富な立会いの警部補さんが、その事実に驚いていた。

聴取後、生徒たちは一度教室に集合させられた。

校内放送で生徒会長の深雪さんが簡単に事情を説明、箱根での十師族を狙ったテロと、一高での事件は両方とも自爆テロの可能性が高いと、全校に通知された。

僕が子供たちを、無慈悲に殺したのではなかった。

それは、確実に一高生徒に伝わった。

…でも。

 

午後の授業は当然中止、生徒たちは、現場を動きまわる警察官を横目に見ながら帰途に着いた。

校門で帰宅する生徒たちを、生徒会役員と風紀委員長、影の番長、部活連会頭の五十嵐先輩、上級生代表で前期幹部のあーちゃん先輩、はんぞー先輩が見送りをした。

あーちゃん先輩は、達也くんが相手の時以外は、と但し書きがつくけど、いざ肝が据わると意外と冷静に対処できる。何より人を和ませる雰囲気は貴重な存在だ。

逆にほのかさんの顔が青白い。今にも倒れそうで、雫さんに支えられていた。七草の双子と琢磨くんは箱根の現場から戻らず、そのまま帰宅すると連絡があった。

こんな時でも見送りに教師がいないのは無責任だなと思いながら、僕も副会長として、生徒の見送りをしていた。

一高生徒の表情は、一様に動揺している。そして、僕を見る目は、複雑だった。

人間の感情は水と同じ。川や水道管のような整流効果がないとあちこちに向く。人は感情の集合体だ。個々の交通整理が出来てはじめて、集合体が一つの方向に動き出す。

生徒を代表して、たった一人で自爆テロと立ち向かった僕。幼い子供の死を前に、顔色一つかえずにいる僕。

憎むべきはテロの首謀者だけれど、犯人の正体が不明な現段階では、向ける怒りの矛先がいくらか僕に向けられていた。

僕の顔色はいつにもまして白い。それは失った命に哀悼の念を抱いていた…わけではなく、ただ単に寒かったからだ。戦闘中には止んでいた冷たい空っ風は暴風となって、小さな僕の背中を容赦なく叩いていた。頬が痛いくらい寒い。

もともと僕に好感情を持っていた生徒は、僕の表情が血の気を失っていると好意的に受け取ってくれた。逆に、能面がふてぶてしいと感じるのは男子生徒、特に同学年の男子が多いようだ。

上級生は年上の余裕があるし、下級生はあまり接点がないからかな。日ごろの僕の人望のなさが遠因でもあるけど、僕の体格が達也くんや十文字先輩みたいだったら、誰もそんな視線は向けないんだろうな。

けど、僕ひとりが損な役割を引き受けた現状に、同じく校門の近くに立つ、エリカさんやレオくんと幹比古くんは、何か言いたそうだった。

生徒の避難誘導が間に合わなかった雫さんも、帰宅する生徒が僕に目線をくれるたびに申し訳なさそうな表情になる。敵の攻撃があっという間だったから、雫さんは何も悪くない。

どうせ、敵が生きていようが子供だろうが、僕は容赦なく殲滅していた。

青臭い理屈は、理不尽の前には無力だ。

生徒たちの非難の視線は、冬の強風より冷たくない。

 

全生徒の帰宅を確認。

時刻は15時。これなら暗くなる前に帰宅できる。地面から伝わる冷気で爪先が痛い。

お昼ご飯が中途半端だったからお腹すいたなと、ぼんやり考えていた所、警視さんが近づいて来た。

天気予報で明日が雨なので、今夜中に現場検証を終えて撤収するけれど、実行犯の身元特定のため追加で話を聞く場合があると告げられた。実行犯の面通しは、事務的な理由からどうしても必要なんだって。

常人なら、つぎはぎの頭蓋を好んで見たくはない。警視さんも申し訳なさそうだ。良い大人が学生の僕に頭を下げる姿は、あまり気持ちの良いものではない。僕は死体は見慣れているから平気です…とは言わず、マニュアルですからねと了承する。

深雪さんが生徒会長として、警察の皆さんに、憂いを含みつつも至上の笑顔でねぎらいのお礼を言った。殺伐とした現場に、突如、花が咲いた。

捜査中の警官たちも、しばし手を止め、深雪さんの笑顔に魅了されていた。やはり、深雪さんの美貌は神懸かっている。

達也くんが目で、僕も挨拶をしろと言ってくるから、公式用に練習した、はにかみを含んだ可愛らしい笑顔で、頭を下げた。

そのおかげか警視さんが全力で捜査しますよと、真剣に答えてくれた。

警視さんは全体の責任者で、捜査は現場の警部さんの仕事じゃないかなと、ぼうっと考えながら、戦略級魔法師としての顔で笑顔で頷いた。

操られた10人の子供は、もともと死体だったのか、それともテロの首謀者が殺したのか、何処の誰なのか。それは、首謀者につながる糸口であり、警察にとっては、これからがお仕事の本番なのだ。

まあ、テロを未然に防ぐどころか、兆候すらつかめなかった警察は、テロ担当の公安部外事課を筆頭に、今頃大慌てなんだろう。だから本来は現場入りしないキャリアがここにいる。しかも頭まで下げている。

十師族の発言力が強くなるわけだ。

 

 

それにしても、笑みひとつで好意を引き出せる。僕はこのような細やかな配慮は思いつかないから、こうやって誰かが指示してくれないといけない。

 

「向き不向きは誰にでもある」

 

達也くんの台詞は、実に説得力がある。

 

「久、ごめんね、何もできなくてさ…」

 

友人だけになってエリカさんが僕に頭を下げた。

 

「気にしなくて良いよ。エリカさんCAD持ってなかったし、皆に子供の相手をさせるわけにはいかなかったしね」

 

「久だってこど…ううん、なんでもない」

 

キャビネット乗り場に向かう僕たちの口数は少ない。

僕は、一緒に歩く達也くんと深雪さん、水波ちゃん、友人たちに、

 

「実行犯は死人だった」

 

と告げた。

 

「やはり『僵尸術』だったのか」

 

幹比古くんが頷いた。

 

「そうね…あいつら動きが人間じゃなかったし」

 

エリカさんが不機嫌に呟く。

 

「でもよ、死体ってそんな簡単に操れるものなのか?」

 

人体に影響を与える『魔法』は困難。これは魔法師の共通認識のひとつ。

エリカさんとレオくんは、現場にいたけどCADを持っていなかったから、もし戦闘に参加していたら大変な事になっていた。

それでも何も出来なかった自分に苛立つのは、いつものエリカさんだ。わかっているレオくんは、エリカさんの利き手じゃない方を歩いていた。

 

「死体を操るだけならそれほど難しくはないね。遺体の、生前の魔法的能力も使えるようにして操るのは…『黄泉がえり』や『反魂』の類で、歴史的に見て、安部清明や空海クラスの力が必要だとされている」

 

「魂とか精神の問題か?」

 

「単純に死体を操るだけなら、それはゴーレムと同じだよ。あえて人間の死体を使うのは、敵への心理的な問題が主だ。それでも、『現代魔法』は技術で…」

 

「幹比古、その説明は後日で構わないか」

 

達也くんが説明モードに入りかけた幹比古くんを止めた。達也くん自身は続きが気になるようだけど、女性陣、特に美月さんとほのかさんがやや距離を開けていた。

美月さんの怯える表情に、幹比古くんも怯えた。そして、最後に僕の顔を見る。

 

「あ、うん、ごめん」

 

「別に気にしなくて良いよ」

 

僕は全然気にしていない。

 

「達也、ひとつ聞くけど、もしかして師族会議のテロも同じ?」

 

幹比古くんが考えながら聞く。

 

「ああ、俺は直接見たわけではないが、十文字先輩の見解では死体を使った自爆テロだ」

 

「その情報を生徒に知らせたら、久への理不尽な視線がなくなるか?」

 

これはレオくん。

 

「別の不安が校内に広まると考えると、あまり上手い手じゃないかな」

 

死体を操る集団が近隣に潜んでいるとなると、不安が増すだけだ。

 

「『僵尸術』自体は善でも悪でもない、『魔法』だ。魔法科高校の生徒なら不必要に怖がらず正面から向き合うべきなんだけど…」

 

「人は感情の生き物だよ、幹比古くん」

 

「吸血鬼騒ぎの時のように、オカルトレベルの噂を流す程度なら構わないかもしれないな…」

 

幹比古くんは、『死体制御』が『古式』の分野だっただけに、今回のテロを見ているだけだった自分にもどかしさを感じているようだ。

確かに、そうすれば僕への的外れの非難も減るかも。

正直、まるで僕が殺したと言いたげな生徒の視線は、どうでもいい。

ただ、明日、その視線を敏感に感じて、僕より不機嫌になるエリカさんの姿が浮かぶ。

レオくんが腹いせに小突かれ、幹比古くんがフォローして、また周囲の視線を集めて、美月さんが肩身を狭くする。

ほのかさんが、その豊かな胸を達也くんに押し付け、雫さんが何か言いたげな目をし、深雪さんが誰にもわからない程度に表情を曇らせる。

その表情に、僕と達也くんは気がつく…食堂の空気が、重くなる。

予知でもなんでもない、明日の食堂での現実だ。

明日は体調不良を理由に休もうか…いや、もう出席日数に余裕がない…明日は、生徒会室でお昼を食べるとするか。

 

練馬の自宅までの道のり、駅前や、ましてや自宅周辺の警備を担当している魔法師の表情は一様にかたい。

ぴりぴりした雰囲気が嫌でも伝わり、周辺住民の皆さんの歩く速度も早い。巻き込まれたくない、迷惑だ…とその背中が抗議してくる。

まったく、誰もが不機嫌。天気まで下り坂だ。冬の陰鬱な空気がまとわりついて来る。

 

帰宅して、ドアを開くと澪さんと響子さんが迎えてくれていた。

僕の無事はメールで知らせてあったけど。二人とも自分の目で確認するまでは、やはり落ち着けなかったようだ。

 

「ただいま、澪さん、響子さん」

 

「おかえり、久君」

 

短く挨拶を交わして、僕は2人に近づく。爪先立ちになって2人の頬に触れる程度のキスをした。

上手なキスは副交感神経が刺激されて免疫力が上がるそうだ。身長差もあるし、僕は不器用で上手にキスできないから、いつも2人は少し不満そう。

これは、2人が僕に与えた罰なのだ。

先月、真由美さんの訪問で、香澄さんとのデート(?)の内容を2人に知られた。この2人に囲まれて、デート内容やその後の関係について、厳しく尋問を受けた。

この2人のプレッシャーに耐えられる魔法師、いや人間がいるだろうか。先ほどの一高での警視さんとはレベルが違う、硬軟を織り交ぜた尋問に、どう思い返しても僕が恋愛対象になれるとは考えられないと、素直に香澄さんとの顛末を自白した。

学生同士の青い関係、とまでは僕自身の方がまったく意識がないことは、二人とも理解してくれた。

ラノベ主人公レベルの鈍感…と2人は思わない。僕に恋愛感情が理解できないことは、すでに熟知している。

ただし、キスしたことや密室(?)でお互い裸で向き合ったことは、処罰対象になった。

頬へのキスは、僕の過去への償いなのだ。

その償いは、でも、とっても素敵だよね。

 

澪さんには重要な情報は五輪家や魔法協会から端末に知らせが来る。響子さんに情報の壁はない。一高でのテロも、2人はすでに詳しく知っていた。

自爆テロを手段に使う犯人に嫌悪感を持ち、子供が利用されたことに心を痛めつつも、僕への心配の方が強い。

澪さんが、玄関でまだ靴すら脱いでいない僕を優しく抱きしめてくれる。

 

心配をかけてしまったけど、僕たちに多くの言葉はいらない。

澪さんが僕の頭に鼻を寄せて、

 

「久君、土と硝煙と…血の臭いが少しするね」

 

「それは無理もないよ。『障壁』で自爆攻撃は防いだけど、校庭には臭いが染み付いているからね」

 

明日は雨が降る予報なので、校庭の臭いは洗い流されるだろう。

 

「それに、身体が冷えてるわ」

 

「うん、校門で生徒の見送りをしていたからね」

 

響子さんは師族会議のこの2日間は有給を申請してお休みだった。軍属とは言え有給の消化は社会人の義務、未消化は自身と上司の評価基準を下げる。もちろん、スクランブルには対応しなくちゃだけど、

 

「響子さん、登営しなくて良いの?」

 

僕は抱きしめられたまま尋ねる。響子さんは軍属だから出勤とは言わない。

 

「国内テロの対応は警察のお仕事よ。私の所属は独立実験部隊の側面が強いから、通常の部隊とは違うの…あ、ここはオフレコね。ただ、被害が大きかったから明日からは私も基地泊まりになるわ」

 

響子さんが自身の所属部隊の話をするのは珍しいな。どうやら、響子さんも今回のテロを事前から把握していたようだ。まぁ響子さんが本気で調べたら、電子の世界に秘密はないからね。

とは言え、子供を使ったテロまでは想像できなかったようだ。僕と澪さんよりも動揺している。

 

その後、僕はお風呂で、2人に徹底的に洗われた。

家では身体は手で洗う。

海外では手で洗うのが普通だし、たっぷりの泡で丁寧に潤いを保つように洗うほうが身体に良いんだって。だから二人の肌はすべすべなんだ。

僕も人になり損ねた『三次元化』のせいなのか、肌が弱い。ナイロンタオルでごしごしすると、その部分が真っ赤に晴れ上がる。もちろん、すぐに『回復』するんだけど…でも手だと背中が洗えない。

 

むにゅっ。むにゅむにゅぅ。

 

手以外の柔らかい何かが触れる。見えなくてもどちらの身体なのかわかる…どっちかって?それは内緒だ。

前は自分で洗えるんだけど、僕が恥ずかしがると2人はかさに掛かって来る。2人に挟まれて、生まれたての鹿みたいにぷるぷる足が震えて、腰から力が抜けて、下腹と背中から太もも辺りがむず痒い。

完全に弄ばれている。嫌じゃないし、すごく気持ち良いから…あっいや何でもない。

逆に2人の背中は僕が洗うことになる。僕の肉の薄い手はあまり気持ちよくないだろうな…だから石鹸をしっかり泡立てて、気をつけて、丁寧に時間をかけて、ゆっくりと洗ってあげるんだ。

2人の身体は、大人の成熟した染み込んでいくような温かさがある。

いつも使っている石鹸のオリーブの香りも、これが僕の家の香りなんだって思う。

2人と入ると、すごく長風呂になる。

お風呂から出る頃には、僕の身体は、ほっかほっかだ。

僕の冷えた身体も、ちょっと沈んだ心も、2人のおかげで温かくなった。

2人の肌に触れていると、僕の精神はすごく安定する。

一高の、赤の他人の生徒たちの視線なんて、本当にどうだって良い気持ちになる。

はふー。

喉が渇いたよ。

 

政治的定見を持たない僕は、報道番組は第三者の主観が混じるから見ない。

一方的な報道で気分を害するなんて時間の無駄だし、興味もない。

今回も同じで、戦略級魔法師の僕や澪さんが動く事態にはなっていないから、お風呂から出た後は、澪さんの部屋でごろごろしながらコミックスを読む。勉強しろよ、と言う天の声は、うん、聞こえない。

響子さんは電脳部屋にこもっている。これはいつものことだから、世間での騒ぎをよそに、我が家では日常が戻っていた。

 

日もすっかり落ちて、夕食の支度をする時間、急に来客があった。

僕の家もそれなりに名家となっている。普段は突然の来客はない。あっても、警備の魔法師から確認を求められる。今回はそれがないから、身近な人物の訪問だ。

うーん、連絡なしに尋ねてくる人物に心当たりは…結構あるな。それでも、今日のこの時間に来る人物は、となると咄嗟に思いつかず、思いつかない場合はさっさと出迎えた方が良い。

先月の真由美さん訪問の時のような、ちょっとした失敗をしないよう、ちゃんと服、と言ってもパジャマだけど、を確認して、ドアホンを操作して、液晶画面に映された人物を見て…

 

「お母様!」

 

液晶画面に、柔らかな笑みを湛えたお母様が映し出された。黒を基調にした珍しいカジュアルな私服姿が、玄関の淡い照明に照らされている。

 

「どうして急に?」

 

「あら、息子に会うのに、理由がいるのかしら」

 

まったく、その通りだ。夜の女王の雰囲気はそこにはなく、普通に子供の家を訪ねる母親の姿だ。

自然と笑みが浮かぶ。

何の御用だろうと首を捻る間もなく、僕は玄関に向かった。

これは、最高のご褒美だ。

 

 

我が家に、お母様がやって来た!

 




ついに練馬の久の家に真夜が訪問しました。
真夜とめったに会えないので、久はご機嫌です。
この訪問は、久と響子と澪の関係が確立した頃から構想していた話の一つです。
いつもならメールかTV電話、もしくは黒羽の双子をメッセンジャーにするのに、
わざわざ本人が来た理由とは…
ただ単に横浜の魔法協会の帰りに寄っただけではありません。

ちなみに、久と澪と響子は、一線は越えていません。
18禁タグは押させないぞ!


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突然、炎の如く。

みつどもえ。


僕は、恋愛と言う感情が全く理解できない。だから澪さんと響子さんへの想いと、2人からの僕への想いが正確にはわからない。

感情そのものを理解できているかも、実はわからない。

肉体と言うハードが同じでも、精神と言うソフトが異なれば、理解なんて不可能だ。僕のハードがコンピューターだったとしたら、今頃はネットの世界を自由に泳ぎまわっていたかも。

言葉が通じなければ感情移入で行動するのが人間だ。僕はかろうじて言葉を理解できた。言葉でコミュニケーションをする。その言語能力も12歳程度でしかない。

多分、僕は2人を理解できなくて不安なんだ。人間なんて誰しも同じ、理解出来たなんて傲慢だ。この不安は取り越し苦労だって、心の隅ではわかっているけど…

言葉や形に出来ない感情を理解する方法は知っている。でも、僕は肉体的にも子供だ。

 

お母様に対する気持ちは、他の女性とは全く違う。僕の全身全霊を捧げたいと、無意識に考えてしまう。

でもこれは恋愛の愛情ではなく、子供が母親に抱く愛情だ、と思う。

澪さんと響子さんには恥ずかしいと思うことも、お母様相手だとすんなり受け入れてしまう。一緒にお風呂に入ったり、同じベッドで寝たりするのは、親子なら当然だからだ。

多分に、僕のイメージの中の親子像なんだけれど、お母様は、僕のイメージよりも、何倍も素晴らしいし、何倍も僕のことを想ってくれている。

親子は、肉体的にでなく、精神的に繋がっているから、僕はお母様に理解されているんだと安心できるんだろう。

お母様に、否定的な感情がまったく浮かばないのは、子供は親に依存するのが当たり前だからだ。どんなに虐待されても、子供は親に付く。

 

…まるで、『精神支配』みたいだ。

 

 

お母様の突然の自宅訪問に、僕の気分は異様に高揚していた。玄関に立つお母様に、たまらず頬ずりしそうになるのを押さえこむ。

 

「澪さん、響子さん、お母様がいらっしゃったよ」

 

お祭りではしゃぐ子供のようにお母様の手を引いてリビングに向かう。

澪さんと響子さんが、大慌てで身づくろいをする気配が伝わってきた。

お母様は、テロ発生後、箱根から横浜の魔法協会支部までヘリで移動、臨時の師族会議を開いて今後の対応を協議、横浜からは車で、山梨の隠れ里まで向かう途中に僕の家に立ち寄った。

いつも後ろに控えている葉山さんは車の中で待機している。

激動の一日に、お母様は、お疲れのようだ。

僕がかいがいしくお母様を接待している。お母様の脱がれたカシミアのコートを受け取りハンガーにかけ、天然毛のブラシでささっと埃を払う。

好みの室温に調整し、洗ったばかりのクッションカバーを用意。一人掛けのソファに腰掛けていただいて、ひざ掛けの要否を尋ねる。

お母様が腰を落ち着けると、澪さんと響子さんが押っ取り刀でリビングに現れた。

僕は2人に、ソファに座っているよう言って、ダイニングで4人分の紅茶を淹れる。

ロンネフェルトのアールグレイティーの優雅な香りがお母様にはお似合いかな、ラデュレのフレーバーティーのフルーツの香りの方が気分が落ち着くかな。

カップとティーポットはウェッジウッド。

沸かした100度手前の軟水を最適なタイミングでポットに注ぎ、茶葉をジャンピングさせ、蒸らし時間も計算し、完璧なタイミングでリビングに戻る。

戻ると言っても、ダイニングはキッチンカウンターを挟んで続いているんだけれど、そこには、僕にとって大事な女性が勢ぞろいしている。

これほど嬉しいことはない……うっ?

僕は息を飲んで、トレイを手にしたまま、一瞬立ち止まった。かちゃりと、磁器のぶつかる音がした。

 

世界最強の魔法師一族(達也くんと深雪さん、水波ちゃんに黒羽の双子)を支配し、智謀と財力を兼ね備え、当人も当代最強の魔法師と謳われる、夜の女王・四葉真夜。

 

水を自在に操り、海を支配する、全世界の海軍と艦隊からもっとも恐れられる、戦略級魔法師・五輪澪。

 

地球上どころか、衛星軌道上のネットワークまでも支配し、自室にいながら指先一つで、文明を一瞬で崩壊させる力を持つ、電子の魔女・藤林響子。

 

ごくり。

これは…息を飲むほど物騒な…もとい、

それぞれが異なった、危険な魅力を持つ美しい女性たちの共演は、一高の全生徒を気迫で震え上がらせたこの僕でさえ、戦慄を覚える光景だ。

 

お母様は妖艶な笑みの似合う大人、澪さんは魔法師の弊害でティーンの容姿のままの黒髪の女の子、響子さんは水のようにさらりとした都会的な女性。

三すくみ、は違うな。三国鼎立…三つ巴のこう着状態?何だろう、この奇妙な緊張感は。

3人とも、きっちりと化粧をし、髪も整え、澪さんにいたってはいつもの上下ジャージから、ややフォーマルなスーツを身にまとっている。やはり、義理の母親になる女性の前では、きっちりと大人の女性の片鱗(?)を見せていた。響子さんはブラウスシャツに9分丈パンツ。オフィスカジュアルを着慣れている、さすがは社会人。

僕が紅茶を用意している間、3人は最初の挨拶の後、何故か無言で、僕がご機嫌で紅茶を入れている姿を黙って見つめていた。

静かで、お湯のこぽこぽ沸く音と、誰かの身じろぎの、ソファの軋む音だけが聞こえていた。

 

家は来客がめったにないので、ソファは3人掛けのロータイプでテレビを見るための配置になっている。

来客の際は、ソファを追加する。お母様にくつろいで頂こうと食卓ではなく、ソファに腰掛けていただいた。

作り置きしておいた甘さを控えたシフォンケーキとティーセットを並べながら、僕は終始にこやかだ。

それにしても、3人ともどうして黙っているのか。澪さんと響子さんの機嫌が少し悪い?3人とも、僕の一挙手一投足をじーっと見つめている。

お母様の隣に座りたかったけど、ソファは1人掛けだから、僕は定位置の澪さんと響子さんの間に、お母様とはテーブルを挟んで向かい合って座っていた。

 

僕が、澪さんと響子さんの間に座ると、2人にいきなり両手を握られた。これじゃお茶が飲めないよと抗議を…

 

「くすくす、大丈夫よ、久を盗ったりしないわ」

 

お母様が片手を頬に当てて、艶やかに笑った。心理学的には頬に手を当てるのは好意の表れなんだって。

 

「いえ…久君があまりに真夜さんにべったりで、新妻みたいだったので、つい」

 

澪さんが変な事を言う。僕は男の子だって。

 

「羨ましいくらい仲が良くて、少し嫉妬してしまいました」

 

これは響子さん。響子さんが素直に心情を吐露するのは珍しい。

お母様がカップに口をつけて、一呼吸置く。

 

「2人は距離が近すぎてすっかり慣れてしまっているようね。あなたたちも毎日同じような奉仕をされているのでしょう?」

 

確かに、僕がお母様にしているような奉仕は、2人にも毎日している。料理に洗濯、掃除もきっちりこなす。お風呂では背中を流すし、肩も揉むから、むしろそれ以上だ。

 

「そっ、そうですね…」

 

響子さんが、息を吐きながら答えた。

 

「久は主夫としては理想的よね。世の男性はそこまではしてくれないわよ。2人は幸せね」

 

いつも度が過ぎるほど奉仕する僕を思い出して、左右の女性が、頬を赤くした。2人ともすごく、可愛い。

2人がお母様と会った機会は、精々パーティーで数回、言葉を交わしたことも殆ど無い。個人的な交流は皆無だった。

澪さんは、さすがに動じていないけど、響子さんは夜の女王を前に、少し萎縮していた。

どう見ても中高生の澪さんが泰然自若、大人の響子さんが緊張している姿と言うのも、事情を知らない人が見たら奇妙に思われるだろうな。

 

「くすっ、3人は仲が良いのね」

 

お母様が僕の両手をチラッと見た。2人の手が、僕から離れた。手が自由になった僕は、カップに手を伸ばした。左右の2人の手も同時にカップに伸び、同じタイミングで紅茶を飲んだ。

その様子を、お母様はじっと見ている。その目元に、ちょっとした悪戯っ子の雰囲気がある。

奇妙な緊張感は、まだ続いている。

僕たちは義母、養子、婚約者、元婚約者の関係で、誰一人として、血のつながりがない。

婚約も養子縁組も紙切れ一枚、お母様の気まぐれで、簡単に瓦解する関係だ。勿論、精神的なつながりはある。でも、それは目に見えなく、僕には理解が及ばない。

特に、響子さんの立場は微妙だ。澪さんと違って。ちゃんとした社会人で、僕たち以外との生活がある。響子さんは軍閥には深い関わりがないはずだけど、軍と四葉家との関係は複雑で、九島家ともだ…

しかも、同じ部屋にいる自分以外は世界でも屈指の実戦魔法師だ。黙っているだけでも、その存在感に圧倒されてしまう。

響子さんが再び僕の手を握ろうとして、躊躇った。ここまで落ち着かない響子さんを見るのは初めてだ。

僕の中に、じわじわと言葉にしにくい感情が湧いてくる。これは、愛おしさだ。僕は響子さんの手をそっと握った。響子さんも握り返してくる。

澪さんも姿勢正しく、じっとお母様を見つめていた。

お母様は楽しそうだけど、僕の左右の2人は、さまざまな意味で強力なライバルが出現したって目をしている。

そんなに身構えなくても良いのに…僕はそう思うのだけど、2人にとっては今回の訪問は唐突で、お母様が何か決定的な知らせを告げに来たのかと、戦々恐々とまでは行かないまでも、色々な思考と感情が脳内を駆け巡っているようだ。

横浜での師族会議で何か決まったのだろうか…

 

お母様はそんな不安に、当然ながら気が付いている。じらして焦燥を煽るようなことは、しない。

 

「大丈夫よ、あなたたちの仲はもはや公認も同様だから」

 

お母様が、僕たちを順番に見ながら言った。

ん?

僕たちは3人そろって首を捻った。しかも、ほぼ同じ動作だったから、お母様はくすくすっと可愛く笑った。

 

「二つのテロ事件の後、横浜の魔法協会支部で開催された臨時の師族会議でいくつか方針が決まったわ。その殆どが、あなたたちにも関わる決定ね」

 

お母様が手に持ったカップをソーサーに置く。姿勢を正して、頭を下げた。

 

「まずは今回の件を謝らせてもらうわ。まさか敵が子供をテロの道具に使うとまでは想定していなかった」

 

やはり、一高で事件が起きることは想定いていて、僕に残るよう厳命したんだ。

敵の手段までは、僕はともかく、響子さんですら察知できなかったんだから、お母様は悪くない。

 

「災い転じて、とは不謹慎のそしりを受けるでしょうが、幼い子供の自爆テロは、死体が操られていたにしても、未熟な学生にとってはとても厳しい事件ね」

 

動じないのは、人非人の僕くらいだ。

 

「魔法師はちょっとしたことで『魔法』を失う。それは、精神的な理由が主。今回の事件で、一高から退学者が増えるでしょうね」

 

3月15日、一高は卒業式だから卒業する三年生はともかく、在校生は、厳しい魔法師の世界の現実と高校生活を秤にかけなくてはいけない。

 

「それは、戦略級魔法師である四葉久にとっても同様。ましてや、多くの生徒のいる中でたった一人、その身を晒して、文字通り手の届く距離で、自爆を見せ付けられた。

久を、この国にとって、もっとも重要な戦力を失うわけにはいかない。久の精神のケアはとても大事。一高テロを知った師族会議でも、真っ先に議題に上がったわ」

 

箱根の会議のように、権勢を争っている場合じゃない。

 

「久の精神が、澪さんと響子さんと同居を始めてから、物凄く安定していることは、他の十師族の方々も承知していた」

 

僕の一高入学からの生活態度は詳しく調べられている。

1人暮らしの時は、滅茶苦茶な生活習慣だったし、2人と同居する直前、僕は九校戦の帰りのバスで錯乱しそうになった。その時の僕を、新たな当主となった十文字先輩は良く知っている。

魔法力はともかく、肉体的精神的にはまだ子供だと、師族会議で十文字先輩が発言したって。

 

「久と澪さんの入籍に関わらず、響子さんがこの家を出て行くのは、今のタイミングでは危険と判断されました。ではいつまでか、それは今後のあなたたちと世界情勢しだいね」

 

「あくまでも師族会議の判断では、ですよね」

 

それは法的根拠はなく、僕たちの関係は一般社会では勿論、不貞のそしりは免れない。ただ、僕は戦略級魔法師だ。多少の融通…わがままは通る。

 

「お母様!僕は2人がいないと、錯乱とか、かんしゃく起こして、ちょっと『光の紅玉』をぶっ放しちゃうかもしれません。もしかしたら都心の方角に!」

 

「それは困ったわ。魔法師の精神はガラス細工のように脆いものね」

 

演技っぽく掛け合う母子。この辺りは良く似ている。ガラスはガラスでも、僕のは防弾ガラスだ。

ひょっとして、お母様は、こうなる事を想定していた?子供の死体を使ったテロも想定済みで、僕を一高に残らせた…なんてことはないよね。

 

「カトリックの国では入籍しないパートナーが多いそうよ。籍の有無は気にしなくても良いわよ」

 

宗教的に一度結婚をしてしまうと離婚が出来ない厳格なカトリック国では、未婚のパートナーが多いそうだ。

 

「そんな屁理屈、我が国では通用しないと思いますが…」

 

響子さんは慎重だ。

普段目を背けている問題だけに、面と向かって言われると、逆に心が冷えてしまう。

その理屈だと、ハーレムもありになる。もっとも、ハーレムはパートナーを平等に愛さなくてはならず、感情の生き物である人間では難しい。

では、恋愛のわからない僕は…いやいや。

 

「もちろん、これは公認ではなく黙認。だけれど、今回のテロの犠牲者の数が数なので、4月1日の久と澪さんの結婚式、ならびに披露宴は中止が決まりました」

 

「え?」

 

僕たちの結婚式は、有力者や著名人の出席が多く予定されていたから、招待状は婚約発表と同時に各方面に送られていた。大資産家五輪家の威信にかけた、盛大な結婚式が予定されていたんだ。

不謹慎、自粛、魔法師への逆風。中止は当然なのか。

とっさに横を見ると、あれ?澪さんは意外と落ち着いている。五輪勇海さんから知らされてはいないようだけど、

 

「ああ、中止は式とその後の披露宴だけであって、入籍自体は行います。世間の非難にならない程度の、内々の宴は開きます。でも、予定されていた、テレビ中継などは当然なくなったわ」

 

なるほど、澪さんの落ち着きは中止は式だけだってすぐに理解できたからか。

 

「晴れの場を中止にさせられて、落ち込む澪さんを、これも同じ女性である響子さんがフォローする」

 

確かに、僕たちの相手を任されるのは、響子さんが適任だと師族会議でも考えたのだろう。

披露宴は、五輪家の財力で、それはもう盛大な計画が練られていた。僕も澪さんも、ゴンドラに乗ったりするのはいやだったから、披露宴の中止はむしろありがたい。

僕たちの結婚は世間から祝福されていたから、多くの同情も得られるだろう。

 

「久への、一高生徒の悪感情も、放置できない問題よ」

 

おや?そこまで師族会議で話されたんだ。

 

「彼らは子供でも、彼らの背後にいる大人たちは無視できない。それに将来、彼らが久の、四葉家の障害になる可能性もある。

悪感情が凝り固まって、足を引っ張るだけならまだしも、いきなり後ろから撃たれたのではたまったものではないものね」

 

確かにそうだ。愚者に足をすくわれるのは、それ以上の愚者だ。

 

「警察とは別に、十師族からもテロリスト探索のチームが作られました。久もその一員に加わってもらいます」

 

「それは?久君は戦略級魔法師で抑止力、そのような地道な探索にはそもそも不向きでは?」

 

澪さんの意見は正しい。

 

「利用された幼い子供たちを不本意ながら倒した久は、義憤にかられて、自らも犯人捜索に名乗り出た。となれば、不満を持つ学生への牽制にもなる。

澪さんの幸せに水を差されて、年齢相応に感情的になっても、許される状況よ。放課後、久は犯人捜索のため、学校生活を犠牲にする…もちろん、実際に捜査する訳ではありませんけどね」

 

なるほど、あからさまに非難できなくなる。それに、放課後、微妙に居場所に困る僕の逃げ道にもなる。

 

「怒りの矛先を、首謀者に向ける、と言ったら、師族会議でも反対は起きなかった」

 

それだけ僕の存在は、ジョーカーであり、腫れ物でもある。

犯人の地道な捜索は、各家の専門家が行い、僕たちの出番は、首謀者の発見後の逮捕、もしくは抹殺か。学生が、と言う理由はいまさらだ。

 

「探索は関東が主になるので十文字家と七草家を中心にチームを組みます。久は、新たに当主となった十文字克人さんの下で、達也さんと一条将輝くんと行動を共にしてもらいます」

 

十文字先輩の件は僕も響子さんも知っているから、澪さんだけがちょっと驚いていた。

将輝くんも捜索に?その間、東京で暮らすのかな。でも、少し想像するけど、達也くんと将輝くんは微妙にかみ合わない。性格的にも、深雪さんを巡る立場的にも。

十文字先輩が2人の仲をとりもったりは…出来ないだろうから、両者の親しい友人である僕がいれば潤滑油がわりになる。

 

「その探索チームは四葉家の比率が高くなりませんか?」

 

響子さんが尋ねる。

 

「十師族として、久は四葉だけど、実情は独立した師族、と言う立場よ。戦争の非常時や100年前なら新しい苗字も作れたけど、現行法では臣籍降下以外での創氏は認められていない。

久の存在は十師族としても魔法協会としてもワイルドカード、これからはもう少し表に出てもらうことになるわ」

 

成人してからの公務が、少々早まったわけか。

 

「主にマスコミ対応、ね」

 

「えっ!それはイヤです」

 

僕は、中身はともかく、見た目は、特に若い女の子には人気が高い。真面目なマスコミもいるけど、化粧や、可愛い服を着させられて、笑顔を振りまく、近い未来が幻視できる…

それだけはイヤだ。お母様に泣き言を言うなら、今しかない。

 

「お…」

 

「今回の師族会議で十師族間の軋轢が広がったわ」

 

お母様が、声を落とした。

 

「特に、四葉家と七草家の関係は、修復できないレベルにまで悪化した」

 

お母様は内容までは言わなかったから、事情を知らない澪さんは少し考えた。

今回の師族会議で、九島家がはずれ七宝家が新たに十師族に選ばれたことや、七草弘一さんとお母様のこれまでの確執。達也くんと僕への抗議文などを思えば、悪化の理由は想像できた。

 

「ここで、まさかのウルトラCを弘一さんが提案した。流石の私も想定外の一手だったわ」

 

弘一さんは謀略好きだって真由美さんも香澄さんも言っていた。その謀略は、お母様への嫌がらせが主で、ちょっと計画として他が見えなくなる傾向がある。

以前も香澄さんが、

 

「七草香澄さんを、私、四葉真夜の養女に差し出すと、師族会議で、正式に申し込んで来られたわ」

 

その、香澄さんが…は?え?

 

「えっ?香澄さん?」

 

「それは、まるで人質じゃないですか!?」

 

響子さんは、僕たちの中では一番の常識人でもあるし、十師族でもないから、非難の声を上げた。

 

「あら、人聞きの悪い。閨閥作り…いえ、久と同じ、『猶子』ね。『なほ子のごとし』よ」

 

お母様が、人の悪い笑顔を見せる。

猶子は養子ほど明確な縁組ではなく、有力な一族との結びつきを強めたり、戦国時代などでは人質の意味合いもあった。

戸籍には入らず、羽柴秀吉が関白になるために近衛前久の猶子となり、家康が息子の秀康を秀吉の猶子に、人質として差し出した件が有名だ。

どちらにしても、歴史の、昔の制度、風習だ。

 

「当然、お断りしたのですよね」

 

お母様が、そんな提案を飲むわけがない。十師族として、他家より出色している現状では、メリットは少ないように思われる。

 

「いいえ、了承したわ。私が久にしたことと同じだと言われては、尚更断れないわね」

 

一瞬、脳に染み込む時間を置いて、

 

「はぁ?でも!」

 

澪さんがスットンキョウな声を上げた。いや、僕も響子さんも気持ちは同じだ。

 

「七草香澄さんは、久と同様、私の養女として迎え入れる事にしました。他の十師族の反対もありませんでした。この社会情勢で、仲たがいは不利益でしかありませんから」

 

一致団結、実に耳心地の良い、中身の伴わない言葉だ。

 

「とは言え、香澄さんをいきなり我が家に迎える、と言うわけにもいきません。学校生活もありますからね」

 

お母様の視線が、僕で止まった。

…?

いやな予感。

 

「久、香澄さんはあなたの義妹となるのだから、あなたがこの家で面倒を見なさい」

 

「「「はぁ?」」」

 

今度は、3人の声がそろった。確かに仲が良い3人だ。

お母様がリビングを見渡す。このリビングだけでも20畳ある。ダイニングを含めればもっと広く、我が家は空き部屋が幾つもあって…

 

「この家は広いわ。1人や2人増えても問題ないでしょう?香澄さんは四葉の籍に入るけれど、大学卒業までは七草を名乗ることになるわ。幸い、この家は魔法大学も近いものね」

 

「いや、しかし、未成年の女の子を家に住まわせるのは…それに、1人の女の子の将来を家庭の事情で決めるのは…」

 

自身も未成年みたいな澪さんが呟いて、そして沈黙した。

魔法師の子女、それも十師族の子女となれば、自らの自由意志だけでは、自身の将来は決められない。僕と、澪さんと響子さんはさまざまな事情と偶然が重なった稀有な例なのだ。

 

「法律的にも道徳的にも何の問題もないわ。妹と一緒に住むだけでしょ。たとえ、お互いキスしたり、裸を見せ合ったりするほど仲の良い兄妹でも、それは兄妹ですもの」

 

「ちょっ、お母様、解決した問題を蒸し返さないで!」

 

何で、裸の件まで詳しく知っているんです?

 

「3人とも、良い香りがするわね。3人で仲良くお風呂に入っていたのでしょう?いまさら不貞も不道徳もないわ。もう1人くらい一緒にお風呂に入っても構わないと思うのだけど?」

 

不倫を肯定するお母様は大人物だ。

左右から、物凄いプレッシャーが湧き上がる。これは、嫉妬と言う名の感情だろうか。僕には、わからない、わかりたくないよぉ!

 

「もし将来、一線を越えるような事態になっても、表沙汰になる事はないわ」

 

うぎゃぁ!お母様、爆弾を投下しないでっ!

一線って、なんですか?一線って!それって、いんこーですよ、都の青少年の健全な育成に関する条例に抵触しますよ!

 

「久、澪さん、響子さん」

 

お母様が、急に真剣な表情になった。これまでの笑みを湛えた余裕のある表情とは違う。知識と知恵に裏打ちされた、賢者の表情。人によっては、悪魔の表情かも知れないけれど、僕には聖母だ。

僕も2人もつい引き込まれる。

 

「久の体質は底が知れない。2人だけでは、いずれ持たなくなるわ」

 

それは、僕も気がかりで…

 

「でも…香澄さんを僕の事情に巻き込むわけには…」

 

香澄さんは、僕に好意を抱いてくれた。それは学生として、香澄さんの楽しい思い出として、すでに過去になった、つまり解決した話で、

 

「だったら私が3人目になって、一緒に住もうかしら。私も、母親の前に、女として、一人寝が寂しい夜もあるし…」

 

お母様が、今日一番の爆弾を投下した。

お母様と澪さんと響子さんと一緒に住む。それは想像しただけで、天にも昇る気分になった。

 

「ん、それは良い考え…」

 

「それは!」

 

「絶対に駄目です!」

 

2人の美女が、必死に、遠慮も我も忘れて、大声を上げた。

確かに、2人には遠慮することも、お母様には遠慮しなくていい。香澄さんが同居するより、お母様と一緒の方が、僕は嬉しい。毎日ご一緒できれば、毎日、甘えられる。

 

繰り返すけど、僕たち4人に、血の繋がりは、無い。法律的にはともかく、人として、生物として、時間はたっぷりある。

 

「お母様と一緒のほ…」

 

「香澄さんの件、了解いたしました」

 

「色々と問題はあるでしょうが、私たちがしっかり監視…いえ、監督いたします!」

 

2人が拳を握りながら、熱血監督のごとく立ち上がった。

急展開に、僕は呆然としている。

えーと、香澄さん本人の意思はどうなるの?

それに、香澄さんが義妹になると言うことは、真由美さんが義姉になることで、達也くんと深雪さんと僕と真由美さんと香澄さんと泉美さんが、義兄弟、義兄妹、義姉妹で義姉弟…

はじめて真由美さんに一高で会ったとき、「真由美お姉さん」と呼んで良いわよって言われた…あれは、未来予知だったのか!?

香澄さんが、僕の妹に!?

ええっ?

えええっ?

明日は…休校では、ない。

大混乱の僕たちをよそにお母様は、不思議な笑みを浮かべていた。

 

もっとくつろいでいって欲しかったけど、お母様は雑談も短く、帰ることになった。

玄関でお見送りをする僕たち。玄関ドアの外では、葉山さんがお土産に渡した小箱を運んでいた。お土産は我が家で使っているボディケアセットだ。僕たちの香りをお母様が気に入られてたので、ストックを差し上げた。家の石鹸は澪さんの会社が輸入している舶来品だから、必要なら定期的に僕が渡しに行く。これで、お母様も僕たちと同じ香り、家族の香りになる。

些細なことだけど、すごく嬉しい。

明日からの行動は、達也くんに従うようにと、最後に指示を受けて、別れ際、僕はお母様の頬にキスをした。

 

「お別れのキスです」

 

「あら、小粋なことをするのね、でも」

 

お母様は妖艶に笑うと、僕の両頬を掌で挟んだ。顔をすくっと持ち上げられ、お母様の美しい顔が目の前に近づいて…

 

紅唇が僕の唇を塞いだ。

 

咄嗟のことで、息が止まる。そのキスは、1分以上続いた。僕の体内の空気を全部吸い取るような、熱くて長いキス。鼻で呼吸をするのも忘れて、僕は陶然と、恍惚となる。

 

唇が離れる。

 

「…あ」

 

僕の口には、お母様の口紅がべったりと残っていた。

その時の僕の表情は、恋をしている乙女のそれだった。僕は名残を惜しんであごを突き出そうとするけど、腰に力が入らず、その場にへたり込みそうになった。全身の骨が抜かれたようだ。下腹部がもやもやして、切なくなる。

 

「もっ…と」

 

僕を見つめていたお母様の悪戯な目が逸れ、僕の後ろを見た。

掴めるんじゃないかと思うほどの濃厚なオーラが背後から沸き起こった。

背中が、焼けるほど熱いオーラ。

おかしいな、2人は卓越した魔法師だけど、CAD使用を前提とした、創られた魔法師の末裔だ。超能力的な部分は切り捨てられている。無意識領域は無意識では使えず、無意識に魔法式は構築されない。気迫はプシオンでもサイオンでもない。物質に直接の影響を与えられるほどの魔法力、オーラは、何の事情干渉だろう。情動干渉系魔法?いや、激情干渉系魔法なんて聞いたことないな…

 

「あなたたち、もう遠慮することはないのよ」

 

お母様が火に薪をくべる。いや、火は2つあるから、炎だ。

 

「お邪魔虫が増える前に、ね。はやく、孫の顔が見たいわ」

 

炎に、可燃物をたっぷり投入して、お母様は台風のように去って行った。

…うぅ。

背中が熱い。

僕の身体も、お母様に火をつけられている。

僕は、精神に干渉する魔法は苦手で…えーと、振り向くのが、怖い。

火と炎が重なると、何になるんだろう。

火炎かな?

 

火力が強すぎて、火傷は確実だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




このSSは原作の行間でオリキャラの久がうろちょろしています。
原作の進行や登場人物の活躍を邪魔する事は、殆どありません。
しかし、師族会議編では、達也の行動は表に出ない話が殆どなので、久も四葉として行動します。
達也は久の事を信用していますが、久が真夜に盲目的に従っているので、
真夜関連、四葉の意思に関連する事情に関してだけは、久を頼りません。
しかし、深雪のガーディアンとしての達也は、いずれ久を頼らざるを得ない事に…

ながーい伏線を張って来ましたが、やっと香澄が久の家に住む流れになってきました。
現状、久にとって香澄は守るべき対象ではないのですが、甘やかされると久は弱いのです。
香澄には、澪と響子にはない学校生活と言うアドバンテージがあります。
これで、母親、姉、恋人、妹がそろいます。
この4人だけで済めば良いですが…


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おっ、お義兄さま

ムーバルスーツ姿が凛々しい達也の、
自衛隊東京地方協力本部の自衛官募集中のポスター、見ました?
まだの方は、画像を検索してみてください。
都内の銭湯の掲示板やパチスロの壁にまで貼られていました(笑)。
達也みたいな自衛官がいたら、この国は安泰…?
「深雪以外がどうなろうと構わない」
何てこと腹で考える達也に、全てを任せるのは、危険だ!


僕は長い夜を潜り抜け、常ならない7年の代償を、今、享受している。

その事実を知っているのは、同じ時間を過ごしている烈くんと知りたがりの八雲さん、自ら答えにたどり着いた響子さんだけだ。

世間の多くの人は、僕がただただ恵まれていると思っている。

僕のもっとも身近な存在の澪さんも、僕の全てを知っているわけではない。

師族会議、テロ、一高での自爆テロ、その夜のお母様の訪問、七草香澄さんの義妹入り…長い一日だ。

澪さんと響子さんは大人だから、五輪家と九島家の思惑もあるけど、自らの意志と責任でここにいる。七草弘一さんの考えは僕にはわからない。僕は頭は良くないし、複雑な考えも出来ない。人の思考なんて、わからない。

ただでさえ微妙な立場の響子さんと澪さんの関係に、そこに義妹?

何だかもう手一杯。こんな時は目の前の問題から一つずつ解決して行くにかぎる。

まず、お母様が嵐のごとく去っていた後、僕は澪さんに、高位次元体の件以外の僕の過去を洗いざらい告白した。

僕の過去を全部打ち明けたのは、澪さんが初めてだ。お母様にも告白していない。それも、かなり遅かったと悔やんでいる。タイミングがなかったとは言え、もっと早く、できれば婚約発表前に告白したかった。

勿論、澪さんが僕の告白で、僕への気持ちに変化があるとは、思っていない。澪さんは、僕と同じで狂気の側にいる。それでも、気持ちが離れて行ったなら、悲しいけど、それは僕の責任だ。

真夜中、響子さんも同席して、僕の不器用な告白を黙って聞いていた澪さんは、疑問が解決、たとえば僕の資産や烈くんとの関係、一高入学以前の記録のないことを理解。すとんと納得してくれた。

僕が澪さんにだけ自ら告白したこと、肉体的精神的に子供でも記録上(残ってないけど)は僕の方が年上だってことを知って、むしろ、これまでよりも僕への想いが強くなったって。

やっぱり、年齢のことは気にしていたんだな…

この告白後、僕たちの距離は、精神的にも物理的にも縮まった。災い転じて…かな。

 

そんな、色々な事件があった一日の僕の端末に、達也くんからメールが来ていた。

今日の早朝(もう日付はかわっている)、今後の打ち合わせのため、司波家に来るように、だって。

僕は返事と共に、警護会社に連絡を入れる。

達也くんの自宅は僕の自宅から5キロ程度の距離にある。歩くにも、『瞬間移動』にも微妙な距離で、自宅から直通のコミューターはない。

戦略級魔法師としての警護の関係もある。自転車で気楽に、とはいかないのだ。このあたりの不自由さは、仕方がない。

真夜中にもかかわらず、警護の車はすぐに手配できた。

今夜はどうせ寝られない。ベッドの中で澪さんと響子さんに抱き枕にされながら、久しぶりにずっと天井を見ていた。色々と感情が渦巻くし、思考はあいかわらずまとまらない。2人が熟睡したのを見計らって、僕はベッドから抜け出す。

あんな日の翌日でも、ちゃんと主夫業はこなす。朝食もお弁当も準備した。

それでも、外はまだ暗く、時計を見ると約束の時間には早い。

護衛の車も玄関で待機しているし、まだ眠っている2人におはようと行って来ますの挨拶を頬にしてから、足早に達也くんの家に向かった。

 

長い夜が明けて今朝は、昨日の刑事が言っていたように冷たい雨がしとしと降っていた。

二月の雨は、気分が陰鬱になるくらい寒くて、湿った土と植物の臭いが、鼻の奥で冷たい。

司波家の門扉の外で待つ間、警備の1人に傘を差してもらっている。早朝からお手数だけど、お馴染みの2人は嫌な顔一つしない。僕の傘は制服の内ポケットにたたまれている。

インターフォン越しに水波ちゃんから、玄関の鍵は開けましたと告げられ、僕は司波家の門扉を開いた。水たまりの浮いた前庭を抜けて、雨を避けるようにそそくさと玄関に入る。

警備の車はここで引き返してもらった。学校へは公共交通を使うことになる。

司波家では水波ちゃんが1人で迎えてくれた。玄関に立つその姿は、早朝にもかかわらずメイド姿で、緊張していた。

達也くんは今は八雲さんのお寺に朝稽古をしに外出しているって。やはり、ちょっと早すぎたか。

義妹とは言え、婚約者不在の女性の家に上がるのも問題だけど、これはお母様の指示でもあるから、許してもらう。

 

深雪さんは私服に白いエプロン姿で朝食とお弁当を作っていた。始めて見るエプロンで、いったい何枚エプロンを持っているのか。

水波ちゃんも、僕にお茶を出した後は台所でお手伝いをしている。

僕もお手伝いしたいところだけど、愛妻弁当の邪魔をしてはいけないから、ダイニングで大人しくしていた。

司波家のダイニングは住人の嗜好で、きちっと整頓されてあっさりしている。

無駄がない、のではなく機能的、テーブルの青い花瓶に飾られたアネモネとラケナリアは、まるで深雪さんみたいだ。

アネモネの花言葉は、「はかない恋」「薄れゆく希望」「恋の苦しみ」。

ラケナリアの花言葉は、「変化」「好奇心」「緊張感」。どちらも冬の代表的にな草花だから、深い意味はないと思うけど。

僕の家は、住人の好みが複数なので、少し雑多だ。澪さんも響子さんもお嬢様だから、こだわりの一品が高価だし。

 

しばらくして、いきなり深雪さんがパタパタと駆け出した。水波ちゃんもワンテンポ遅れて後ろを追う。

何だろうといぶかしむと、門を開ける音と、玄関ドアの開く音、深雪さんの達也くんを出迎える声が立て続けにした。

インターホンが鳴らなくても深雪さんには達也くんの帰宅がわかるんだ。流石、繋がっている。

達也くんは、運動着姿で、全身が雨に濡れていた。深雪さんから受け取ったタオルで髪を拭きながら僕に短く挨拶をする。

水波ちゃんの、ちょっと悔しそうな表情は、主夫業の鬼である僕には何となく気持ちがわかる。

 

達也くんはシャワーで汗を流すと、すばやく制服に着替えてリビングに戻ってきた。

どうせすぐ登校するのだから、制服を着る合理性は達也くんらしい。

そのまま僕の向かいのソファに腰掛け、私服の深雪さんは一瞬考えて、達也くんの隣に座った。2人の座る位置に、わずかな隙間があった。

深雪さんが、僕がその隙間に視線をやったことに目ざとく気が付いて、ちょっと寂しげに笑った。達也くんは、その笑顔に気配で気が付く。

二ヶ月前にはない光景だ。誰もが誰もに遠慮している状況はちょっと空気が気まずい。

 

水波ちゃんが、僕たちのお茶と、朝食のサンドイッチをテーブルに並べた。僕もご相伴にあずかる。その後、水波ちゃんは神妙な顔で壁際に控えている。

これが朝食だったら水波ちゃんも…と誘ったけど、恐縮しつつ断固、断られた。

水波ちゃんは婚約している男女の家に同居している。それは、水波ちゃんの立場を考えても、思春期の女の子には、居心地が悪いだろうな。

達也くんたちはどう思っているのかな?

僕の家も他人事でないから、経験者の考えはちょっと聞いてみたい。でも、まずは達也くんの用を済まさないと。

 

達也くんがお茶を一口飲んで、カップをくゆらせた。ダイニングに紅茶の香りが広がる。家の紅茶とは香りが違うな、時期的にダージリンのオータムナルかな。

甘みの強い香気に、僕も一息つく。

 

「さすがに久も昨日の今日では疲れが抜け切っていないようだな。朝早くから済まなかった」

 

達也くんは、僕の挙動から敏感に疲労を感じ取る。一睡もしない夜は一ヶ月ぶりで、身体のリズムがちょっと狂っている感じだ。

 

「ん?別に一高のテロのせいじゃないよ。まぁ、昨日…もう今夜だったけど…色々とあってね」

 

遠い目をする僕。司波家の天井は高いなぁ。

こういう雰囲気の時、僕の小さな身体はますます小さく見えるのは、いつものことだ。

 

「ひょっとして、昨日の生徒たちの反応を…いまだ気にしているの?」

 

深雪さんが心配そうに尋ねてくる。これはどう見ても、弟に向ける目だなぁ。

残念ながら僕の面の皮はそんなに薄くない。生徒たちの、僕に向ける複雑な視線、警戒、敵意、羨望、称揚、憧憬、羨望、嫉妬。そして、恐怖。

男なのにどう見ても女の子の容姿に対しても、憐れみや気持ち悪がる生徒もいる。

そんな視線は、この2年間絶えず受けている。彼らは路傍の石か…

 

「通りすがりの野良犬がどんなに吼えたって、僕は気にしない」

 

「久っ!生徒たちを野良犬呼ばわりはいけないわ」

 

深雪さんが白磁の如く滑らかな表情で気色ばむ。本気で怒っている。

深雪さんは常識人で、淑女だ。達也くんは、黙っていた。

 

「そうだね。犬の鳴き声には『魔』を払う力があるって言うし…」

 

犬の方が役に立つ場合もある…

ちょっと論点がずれている返事をして、はぐらかす。

 

「それに通りすがりって、同じ一高の生徒なのよ」

 

僕は学校生活には愛着はあるけど、

 

「悪意を向けてくる相手にわざわざ手を差し伸べるほど、僕は人が出来ていない…なんてことは思っても言わない」

 

「言っているわよ…でも、生徒の未熟性はこれまでもお兄様が…」

 

過去の、生徒たちの達也くんへの侮蔑の視線を思い出したのか、深雪さんが黙った。

 

「悪意や敵意までなら僕は何もしない。でも、害意を持ったときは容赦しない」

 

「久、有象無象のやることにいちいち目くじらを立てる必要はない。だが、馬鹿も案外、危険な存在だ。余計な刺激を与えるような言動は控えた方が良い」

 

達也くんも大概、辛らつ…いや、邪気のない澄んだ表情だ。

 

「勿論しないよ。影で悪口を言うようなやつらは、真正面から非難なんて出来ない。自分にリスクのない範囲で嫌がらせをするのがせいぜいだ」

 

僕が戦略級魔法師として認められる以前は、いろいろと嫌がらせがあった。入学したての頃、ノートを破られたりしたのは序の口だ。

 

「嫌がらせを…受けていたの?どうして言わなかったの!」

 

「犯人を見つけて糾弾しても、それは僕を嫌う生徒たちが、そいつを英雄扱いするだけ。僕は、僕なりに実力を示してきた。

一高では僕は強者だ。強者が弱者を責めれば、たいていの人間は気持ちよくない。僕への悪意が増すだけだ。だから、そんなやつらは無視するに限る」

 

「そうだな。たとえ久が正しくても、叩かれるのは久だ」

 

どろどろとした感情は、狭い学校の中では凝り固まって淀む。人間は自分の信じたい物を信じる生き物だ。僕がどれだけ善行を重ねても、性根の卑しいヤツには何も伝わらない。

達也くんも僕と同じで、生徒たちを護るのは、優先度が低い。自分の身は自分で護るのが、この世界の現実だ。

こう言う態度が生徒から嫌われる一因になっているんだけれど。

 

「とは言え、叔母上の懸念は、久にもわかるだろう」

 

「うん。いきなり逆恨みで背中を撃たれちゃ、こっちが馬鹿だ」

 

深雪さんは、何か良いたそうだけど、話が逸れて来ている。

四葉家の孤高も、世間からは孤立に近い。僕のせいで、四葉がつまはじきにされるのは、お母様に申し訳がない。

外は霧のような雨が降っている。世界は静かに、ただ、将来の不安を暗示するような湿気に包まれていた。

 

「時間もないので、用件をすまそう。今後、久も俺と共にテロ首謀者の捜索にあたってもらう。まずは今夜、捜索の責任者、十文字克人殿の自宅の打ち合わせに久も参加してもらう。

十文字殿…いや十文字先輩のご自宅は知っているな?」

 

「うん、パーティーにお招きされたことがある」

 

「放課後は俺も用事があるから、別行動になるが…」

 

「大丈夫、警備の車で行くから」

 

「この件は本来、戦略級魔法師である久には向かないが、基本的に久は打ち合わせに顔を出すだけで構わない。出番は、首謀者を発見した後だ」

 

捜索は数が物を言う。

 

「うん、わかってる…でも、それを伝えるためにわざわざ自宅に?その程度なら通学中でも伝えられるのに」

 

僕たちがテロの首謀者を捜索することは、別に秘密じゃない。むしろ、一高の生徒にも周知して広まった方が良いはずだ。

その件とは別に、僕に用があるのか。

 

「今回のテロの首謀者はグ・ジー。大漢方術士部隊の生き残りで、ブランシュやノーヘッドドラゴンの黒幕だ。二つの組織は壊滅したが、日本でその手引きをしていたのは周公瑾だ」

 

「じゃあ、周さんはそのグ・ジーの協力者だったの?」

 

僕は周さんの顔を思い出す。整った容姿なのに、はっきり思い出そうとすると夢のように霞んでしまう顔。

 

「確定ではないが、配下で間違いないだろう。周公瑾は大陸の鬼門遁甲を使った。グ・ジーも、同じ術を使う可能が高い。京都で俺は周公瑾の鬼門遁甲を俺自身の力では見破れなかった」

 

達也くんの能力を誰よりも知る深雪さんがはっと表情を固くした。

僕は達也くんがどうやって周さんを倒したかは知らない。でも、達也くんの『魔法』には偏りがあるから、それも無理はないと思う。

 

「ん?ひょっとして、今朝、雨なのに九重寺に稽古に行ってたのは、八雲さんにアドバイスを貰いに行っていたの?忍びは遁術とも言うものね…でも、あの八雲さんが教えてくれるかな。

自分の術を教えるなんて、自らの秘密を教えることになるし…」

 

八雲さんは知りたがり。情報は独り占めするから価値も意味もある。忍びなら尚更だ。

 

「俺は師匠に体術の稽古をつけてもらっているだけで、忍びでも弟子でもないから、当然秘術は教えられない。ただ、ヒントはいただいた。

かなり感覚的な、そうだな、原始的な『気』の流れ、扱い方を示唆された」

 

「CADを使わない古式魔法師の…超能力、内包されたパワーとか原始的な生命力みたいな感じ?」

 

「原始的な『術』は久の『瞬間移動』同様に、穴だらけの魔法式で理屈はわかっても、現代魔法師の俺では理解が100パーセント出来ない」

 

本当にそうだろうか?

 

「師匠のアドバイスだけではグ・ジーを取り逃がす可能性がある。グ・ジーが周公瑾よりも術者として優れているかは不明だ。だが、現時点でも関東近郊で十師族と四葉の手から逃げ続けている以上、対策を考える必要がある」

 

「方角を狂わす…周さんも…光宣くんも、そうだな…米軍のあの仮面の魔法師も似たような『魔法』を使ったな。僕の攻撃が当たらなかったもの」

 

「久の経験は役に立つ。何か気が付いたことはないか?」

 

「僕は探知系は苦手だから…」

 

ちょっと考える。僕は探知系はからっきしだけど、空間の把握に関しては使い手だ。周さんとの模擬戦はお互い本気じゃなかったにしても、僕の攻撃はそれほど見当違いな場所にずれなかった。

僕の能力が規格外だからそうなった…いや違うな。周さんとの模擬戦の時、僕は『魔法』だけを使っていた。『魔法』、すなわち、デジタルだ。

 

「方角を狂わされるのは、あくまでこちらの感覚で、実際には相手の場所は動いていない。幻術に近いけど、人間の本質に触れる、長い時間をかけて蓄積された術…」

 

僕の呟くような考えを聞いて、達也くんの視線が鋭くなった。冴えた鋼鉄のような視線だ。

 

「一番簡単なのは、周囲を丸ごと閉じ込めてしまえばいい。敵が確実にいる場所で都市丸ごとか、一キロ四方くらいの四角いブロックで空間ごと閉じ込めて、徐々に壁を狭めていけば逃げようがない。十文字先輩や水波ちゃんなら出来るよね」

 

「…十文字先輩は不明だが、水波は10メートル四方が限界だろう。どのみち水波は深雪の護衛で動けない」

 

壁の花になっている水波ちゃんが、可憐な顔を赤くして、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「方角を狂わす…つまり空間、三次元的な世界にいると、余計な情報で感覚が鈍る。自分の立ち位置、天地をしっかり定義して…地に足をつける?」

 

こういう説明は僕は苦手だから話が長くなる傾向になる。

 

「原始的な感覚…アナログの情報を遮断する、と言うのか?」

 

達也くんはすばやく僕の思考を読んで、短い語彙でまとめてくれる。

 

「感覚に頼らず、数値で、デジタルで考える。そのためには世界を鳥瞰して、平面、つまり二次元で見れば良い」

 

『咲ちゃん』がネット麻雀の経験からオカルトを遮断したようにね。

 

「なるほど、三次元に割いていた感覚を二次元に集中するのか。三次元的に、飛行や跳躍の『魔法』を使用されなければ、平面の動きは読める」

 

「周さんは、京都で追い詰められても、宇治川をわざわざ橋を使って渡ろうとした。あの程度の距離を飛び越えられないのはおかしいよね。水の上を走ったって良いのに」

 

達也くんは黙ったまま頷いた。僕の顔を、透徹した、観察するような、もっと言うと研究者みたいな目で見つめている。

 

「『仙術』は小手先の術に捕らわれると昇仙に差し障る。多様化した近代的な『魔法』、つまりCADは使えない。鬼門遁甲は地上の陣に、逆に捕らわれているんじゃないかな」

 

「原始的な術は、原始的であるがゆえに、地形、風水の理念や大地の息吹…霊脈が必須だということか」

 

そのあたりを断ち切ったのが、現代魔法だ。

 

「『禹歩』を使えれば、霊脈に乗って長距離を瞬時に移動できる。宇治川が霊脈を絶っていたのかも知れないけど…」

 

「周公瑾は霊脈を操れるほどの術者ではない。そんな大術者は、対処のしようがない。久、自分基準で考えるな」

 

達也くんが渋い口ぶりで唸る。うーん、『禹歩』も瞬間移動と同じか。

 

「ごめん…ただ…」

 

「どうした?」

 

「その、グ・ジーってヤツは、周さんほど身軽じゃないと思う。死体と小型爆弾を使った自爆テロとか、周さんとかなり毛色が違うよね。周さんは、仙人になるために、自身の『意識』を希薄にしていた。認識しにくいBS魔法師…もともと、対人間の術、忍びや遁甲術が得意だったんだ。

グ・ジーはかつて崑崙法院で不老不死の研究をしていたそうだから、研究者に近くて、死体制御はその研究の成果の一角なんじゃないかな」

 

「グ・ジー自身はそれほどの術者ではなく、逃走するたびに、手ごまを増やす必要がある…と言うことか」

 

「九校戦の時に会場にいた大亜連合の強化兵は、魔法師の人間的な部分をかなり消されていた中間の存在だった。あれも、同じ『術』だとしたら、それから数歩進んで、幹比古くんが言ってたみたいに魔法師を死体にして操った場合、その魔法師の『能力』まで使えるのかも。生き返らせるのではなく、殺す過程で『術』にかける」

 

自爆させられた子供たちは、常人だった。少なくとも自分から『魔法』は使わなかった。

 

「一高で自爆した死体は、もともと死体だったんじゃなく、グ・ジーかその一味に殺されて『術』を受けたんだ。箱根で自爆させられた実行犯の子供か、不法移民の家族とかかな」

 

この件は、時間をかければかけるほど犠牲者は増える。

 

「弘法大師クラスの法力の持ち主でなくても、技術が確立しているのかもしれない…か。仮定に仮定を重ねているが…」

 

やっかいだな。

達也くんの呟きに、深雪さんの顔が白くなる。

達也くんは、僕と同じで、他人がどれだけ犠牲になろうと気にしない。でも、深雪さんの憂いが深くなることに達也くんは我慢が出来ないだろう。

地道な捜索や、グ・ジーの犯行はどうしようもなく、今回の一件は僕にはやや他人事のように感じられて集中できない。

そもそも、僕の集中力はひとつに向くから、今は自分の問題で手一杯なんだよな…

 

「それにしても、久はこのごろ言動に変化が生まれたな」

 

新しく淹れた紅茶に口をつけながら、達也くんが言う。それまでの優しさを孕んだ目とはちょっと違う。僕の態度しだいで真剣の鯉口を切る構え…みたいな雰囲気だ。

深雪さんと水波ちゃんが、敏感に気配を察して緊張するのがわかる。

 

「そう?」

 

「古式に関する知識など授業では習わないはずだが?」

 

「『禹歩』とか霊脈とか?これは全部コミックスやアニメのアーカイブの受け売りだよ」

 

「…なに?」

 

達也くんの肩が、ずるっと下がった…錯覚を見た。室内に弛緩した空気が満ちる。

周公瑾さんの中の人は、『東京レイブンズ』の大友陣さんと同じなんだよ。陣さんはDから逃げる時、『禹歩』を二度使った。鏡さんや春虎くんも『禹歩』を使っている。

あの3人は陰陽師として超一流なんだよ。

 

「僕がそんな知識豊富なわけないじゃん。今学期の期末試験だって自信がないのに。えっへん!」

 

「威張るな」

 

はい、まったく、威張れません。

僕は変わっているようで、全然変わっていない。

達也くんはこのごろの僕の言動から、僕の立ち位置を確認したかったようだ。

僕はお母様の意思に素直に従うだけなのに、妙に警戒されていたな…

 

登校時刻になり、僕たちはそろって司波家を後にした。

冬の雨は相変わらず冷たく、靄のように町を、僕たちを包んでいた。

 

 

僕と澪さんの結婚披露宴中止のニュースは、朝から早々に報道された。

一高生徒の僕への態度は、男子生徒はこれまでと変わらず、女子生徒は僕に同情的だ。

昨日の惨劇からまだ時間が経過していないから仕方がないけど、これは昼食をとる食堂の空気は悪そうだ。とくにエリカさんの機嫌が。

僕は、皆に遠慮して生徒会室でお弁当を食べることにする。

深雪さんや雫さんも付き合ってくれるって言ったけど、1人で良いからと言い残して2-Aの教室を後にした。

廊下で擦れ違う生徒の視線を受け流し、僕はとぼとぼ歩く。傷心のていを演じるのも面倒だな。生徒会室には待機状態の『ピクシー』がいるから、厳密には1人じゃないけど…なんて考えながら生徒会室に入ると、そこには、

 

「こっこんにちは、お、おっ、お義兄さま…」

 

お弁当の包みを片手に、膠着したまま立ち尽くす、顔が真っ赤な香澄さんがいた。

どうやら下の風紀委員の部屋から、生徒会室にちょうど上がって来たところみたいだ。

待機状態で、充電やメンテナンスを兼ねた専用の椅子に静かに腰掛けている『ピクシー』の目が音もなく開いた。人形の眼球だけが動いて、僕と香澄さんの背中を見つめている。

いつもの羽音のような『声』が僕の脳内に響く。

嗤われているんじゃないだろうか。

 

外は、相変わらずしとしとと雨が降り続いていた。




今回は、前話までの騒動が一段落、台風一過の一日です。
現実でも、今日は台風一過で久しぶりの晴天。
久の今後も晴天かな?
今回、久を『視ていた』達也は、1年の九校戦で詳しく調べた時と
久の身体が変わっていないことに気付きます。
やや言動に変化の出た久、真夜にべったりな久を、達也は少々警戒しています。
今後は一緒に行動する機会が増えますし。
達也は相変わらず響子が久と同居している事を知りません。
香澄が真夜の養女となり、真由美と義理の姉弟になったことも…


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理解は距離を縮めない

今回は一度書いたのを、殆ど丸々書き直して時間がかかりました。


 

薄暮の時間になっても雨はしとしと降り続いている。

昨日、血にまみれた校庭はすっかり洗われ、警察が現場に残したチョークの白い線は、すでに人の形を崩していた。もともと人の形を成していなかったけれど。

僕は鈍色の空と校庭をぼうっと見つめる。

雨なので部活中の生徒はいない。帰宅する生徒は、テロの現場からできるだけ離れて歩いている。

僕も傘を開くと、濡れた校庭を歩き出した。その姿は、とても戦略級魔法師の迫力はない。

吐く息が白い。

僕はため息を飲み込んで、キャビネット乗り場に向かった。

 

自宅で、澪さんと簡単な食事を済ませた後、身づくろいをして十文字先輩の屋敷に向かった。移動は早朝と同じで、警備の運転する電動カーだ。

十文字家は作中では、達也くんの家からは20キロほど離れていると描写がある。

達也くんの家は武蔵野市あたりと推測されるから、十文字先輩の家は直線距離だと隅田川沿い、都心って描写はなかったので台東区か墨田区あたり。

僕の自宅からも同じくらいの距離で、車だと一時間弱程度の距離だ。

ちょっと急がないと指定時間に間に合わない。

十文字家は、七草家や五輪家、雫さんの家に比べれば、お庭の広いややお金持ちのお家程度。

そう考えると、僕の練馬の自宅が無駄に大きいのがわかる。広いダイニングで1人、栄養ジェルをすすっていた入学当時を思い出すと、僕の生活が澪さんと響子さんのおかげで華やかで温かい家庭になれていたと、改めて実感して、感激する。

澪さんと響子さんの存在は僕には奇跡であり、お母様もいる。これ以上を望むのは強欲と言うものだ。

指定の時間ぎりぎりで十文字家に到着する。電動カーはそのまま十文字家の駐車場に移動、警護の2人は、交互で十文字家の控え室と車の中で待機することになる。

僕が玄関の呼び鈴を鳴らすより早く、十文字先輩が自ら玄関ドアを開けてくれて迎えてくれた。

当主自ら出迎えるなんて、恐縮だ。僕が人見知りだってことも、先輩は心得ていてくれている。それに、十文字家は使用人はあまりいないようで、どこか一条家に似ている。

 

「お久しぶりです、十文字先輩」

 

「本日はご足労いただき…」

 

「いいですよ先輩。そんなに畏まらなくても」

 

今日の僕は、戦略級魔法師ではなく、四葉久として来ている。十文字家当主の先輩が僕に気を使うのは当然だ。

でも今日の僕は服装もカジュアルで、髪の毛も深雪さんに貰ったシュシュで後頭部をまとめていた。後輩の立場で訪問すれば、十文字家の方々も無駄に僕に気を使わなくてすむ。

 

「ん?そうか」

 

十文字先輩は気遣いとは無縁の人だけれど、僕には一高在校時からいろいろと気を使ってくれていた。

卒業後も、文章は短いながらも度々メールのやり取りをしている。

広い玄関のたたきに、きちんとそろえられたパンプスがあった。正装用ではない、シンプルなデザイン。十文字家の靴は下駄箱にしまわれているので妙に目立つ。誰か女性の来客でもあるのかな。

達也くんの靴は、まだないみたいだ。

 

「達也くんはまだ来ていないんですね」

 

「司波は、2時間後に来る。久とは、今回の犯人捜索以外で少々話がある」

 

先輩の背中を見ながらフローリングの廊下を歩く。大柄の先輩が僕の歩幅に合わせてくれる。こう言う所は達也くんに似ている。

用意されていたスリッパで、ふらふら歩く僕を、先輩がちらりと見る。身体が少し気だるい。

先輩がやや遠慮がちにドアを開いた。ん?っと疑問を抱くけど、理由はすぐにわかった。

応接室のソファに、

 

「あれ?真由美さん」

 

「こんばんわ、久ちゃん」

 

姿勢も正しく、真由美さんが座っていた。

僕は、真由美さんの存在に驚く。先輩2人は同級生だし友人だけど、十師族直系として、色々と遠慮をしなくてはいけない立場でもある。

気軽に異性の友人宅を尋ねる、と言うわけにはいかないから…

応接室はふうわりと暖房がかかっている。体温が低い僕には、ありがたいことこの上ない。真由美さんは片手に持っていたカップをテーブルのソーサーに置いた。

自宅とも司波家とも違う紅茶の香りと湯気が心地良い。

 

「こんな早い時間を指定してしまって、ごめんなさいね」

 

大学の時間割はわからないけど、十文字先輩に指定された時刻は、部活動や生徒会活動をこなす高校生にはやや性急な時間だった。

 

「いえ、どのみち、今は一高に居場所が…あー、いてもすることはないので、とっとと帰宅するだけでしたから」

 

真由美さんと十文字先輩が顔を見合わせた。

 

「それでも…久ちゃん、体調悪いの?少し気だるそうだけど」

 

「あぁ、昨夜は色々とあって寝られなかったので、ちょっと体のリズムが狂っているだけですよ」

 

今朝、達也くんにも指摘された。そんなに僕の体調は悪そうに見えるのかな。まぁ、昼休みになれない事をしたせいもあるかもだけど。

テロと師族会議、ほんの数日間の出来事なのに、やたらと時間が長く感じられるのは、このSSの作者のせいだ。決して気分が重いからではない、と思う。

 

「昨日と言い大変だったでしょ、お姉さんが慰めてあげるわ。ここに座って」

 

真由美さんが、自分の座るソファの隣をぽんぽんと叩いた。

にんまりと笑うあの笑顔は、僕を弄るときの表情だって、高校生活の経験から僕は知っている。

 

「いえ、僕は向かいの席に…」

 

「いいから座るの!」

 

真由美さんの猿臂が伸びて、回れ右する僕の腕を掴んだ。非力な僕は引っ張られるまま、真由美さんの隣に強制的に腰掛けさせられた。

 

「久ちゃん、眠かったらお姉さんの膝枕で眠ってもいいのよ」

 

「遠慮します」

 

ここで動揺すると、真由美さんの思う壺。きっぱり断るか、逆に攻勢に転じるのが真由美さんの対処法だ。

 

「遠慮しなくていいのよっ!」

 

真由美さんが僕の頭を両手で挟んで、力ずくで太ももに頭を押し付けられた。それは、瑞々しくて素晴らしい弾力なんだけれど、それにしても今日の真由美さんは、妙に機嫌が良い。

機嫌を通り越してハイテンションだ。

 

「七草、それくらいにしておけ」

 

流石に十文字先輩がたしなめる。

 

「良いじゃない、私、兄や妹はいるけど、弟が欲しかったのよね。以前、達也君を弟みたいだって思っていたけれど、達也君はどうみても年上っぽいし、久ちゃんは、間違いなく弟だもの」

 

真由美さんが変な事を口走っている。弟?僕の方が年上なのに。

もがもがと暴れているうちに、真由美さんのお腹に顔を埋めるような体勢になった。フレッシュフローラルの香水に混じって、既視感と共に確実に覚えのある香りを嗅ぐ。

これは、石鹸の香り…どこかで…ああ、香澄さんと同じ石鹸の香りだ、とすぐに思い出した。

香澄さんとは姉妹なのだし、同じ家に住んでいるのだから使っている石鹸も当然同じだろう。

お昼休み、あんなことを香澄さんにしたにもかかわらず、幾度も嗅いだ香りに、僕の意識は奇妙に安心を覚えた。全身から力が抜けて、抵抗をやめる。

そもそも、こう言う真由美さんに抵抗するのは無意味だ。ストレスの発散は十文字先輩で…ぬぅ、それは無理か。

 

「ふふっ、私の勝ちね」

 

何に勝ったのかは不明だけど、真由美さんが勝ち誇った笑顔になったのはわかる。

十文字先輩が、珍しくため息をついて、

 

「茶を用意する」

 

応接室から出て行こうとする。

 

「十文字君が?」

 

「そんな姿を他人に見せるわけにもいくまい」

 

「悪いわね、十文字君」

 

同い年の気安さか、特に悪びれるでもなく真由美さんが言う。十文字先輩がドアを開けて、静かに閉める音がした。

僕はその音を聞いて、2人は仲が良いな…と、ぼうっと考える。そして、真由美さんの香りに包まれながら、ふっと意識を失った。

今朝、達也くんが指摘したように、流石の僕も疲れていたんだろう。

ただ、僕を膝枕しているのは真由美さんなのに、僕の夢うつつの意識の中では真由美さんの姿が香澄さんと重なっていた。

真由美さんの太ももの方が柔らかいなぁって思いながら。

でも、再びドアの開く音で僕の意識は覚醒した。

ちょっと窮屈に折りたたんでいた上半身を起こす。今度は、真由美さんは邪魔をしなかった。

 

「えーと、僕、何分くらい寝てたかな」

 

「5分くらいよ、十文字君、もっとゆっくり準備してくれば良いのに。久ちゃん、起こしちゃったじゃない」

 

「無理を言うな」

 

5分にしては、僕の頭はすっきりとしている。なるほど、マイクロスリープと言うやつか。

十文字先輩がテーブルの反対側にお盆とお茶を置いた。僕も、真由美さんの魔手からするりと抜け出すと、テーブルを挟んだ反対側に席を移して座った。

真由美さんが軽く十文字先輩を睨み、十文字先輩は自分の湯飲みを手に、真由美さんの隣、と言っても1人分間隔を空けてソファに腰を降ろした。

湯のみに緑茶、小皿に和菓子も置かれている。職人の技も美しいこの季節の和菓子、雪間草だ。僕は黒文字で綺麗に切り分けてほお張る。自宅なら一口だけど、ここは良家の子女として、お上品に。

うーん、やっぱり餡子は漉し餡だなぁと、満面の笑顔になってしまう。

 

「久は、美味しそうに食べるな」

 

「はい、美味しいものを食べた時は素直に喜んだほうが人生楽しいです」

 

「我が家のなじみの店の品だが、喜んでくれたのなら幸いだ」

 

2人が、僕の挙措を値踏みするように、じっと見ている。

 

「むー、久ちゃんは膝枕とかされても全然動じないのね…」

 

「久は五輪澪殿、藤林響子殿と暮らしているから、その辺りは慣れているのだろう」

 

「ふーんだ、どうせ私は幼児体型で、子供ですよぉだ」

 

たしかに子供っぽい態度だ。

2人は、僕の家の事情をある程度知っている。

僕は和菓子を味わいながら、2人の座る位置が1人分開いているなぁと感じていた。今朝の達也くんと深雪さんとは全然違う。

向かいに並んで座る真由美さんと十文字先輩。一高の先輩でありながら、私服の2人が揃うと言うシチュエーションは、新鮮と共に、物凄い違和感があった。

それにしても、真由美さんは本当に機嫌が良い。

一ヶ月前、真由美さんは、僕と澪さんと響子さんに侮蔑の視線を向けて帰って行った。

あれからわずか一ヶ月、今日の一高での件もあるのに…何故だろう?

十文字先輩の態度はいつも通りだけど、あ、もしかして。

 

「ひょっとして…十文字先輩と真由美さんの婚約決定を僕に報告したかったんですか?」

 

真剣に、僕はそう考えた。

 

「はぁ?」

 

「…久、それは違うぞ」

 

2人の先輩の表情はそれぞれ微妙に違う。真由美さんは全否定、十文字先輩は表現が難しいな。真由美さんに全否定されてがっくりしているような気もする。

 

「だって、十文字先輩は十師族十文字家の新当主として、早々に身を固める必要があるから、お嫁さんの第一候補は、真由美さん…ですよね。

他の師族の家族構成を僕は知らないけど…将輝くんの妹はまだ適齢期じゃないし、香澄さんと泉美さんも高校生で、婚約だけでもって可能性もあるのかな…ぶつぶつ」

 

「七草がこの場にいる理由は、司波が到着してから改めて知らせる、それよりも、だ」

 

十文字先輩が真由美さんに目配せをした。2人が居住まいを正す。

 

「久ちゃん。昨日は一高を護ってくれて本当に有難う」

 

2人がそろって頭を下げた。

 

「それと、一高襲撃を事前に防げなかったことを、十師族として謝罪したい」

 

さらに深く頭を下げる2人。

 

「僕が1人で襲撃者と対峙したのは偶然ですよ」

 

実際は複雑な背景があるけど、それは説明できない。

 

「それでもだ。戦略級魔法師の久を危険に晒したことは、大事に至らなかったとは言え、痛恨の失態だ」

 

「戦闘はあっという間に終わったそうだけど、もし長引いていたら積極的に顔を突っ込む生徒が何人もいたでしょう?」

 

同級生の友人たちや、一ヶ月もしたら卒業なのに、卒業記念とばかりに暴れそうな上級生の顔が数人浮かぶ…

高校生なのに、修羅場に慣れているとか、殺伐とした時代だ。まったく。

 

「そして、被害も広がっていただろう。魔法師は、特に魔法師の卵である学生は、簡単なことで『魔法』を失う。襲撃者が死者で、しかも子供となれば、物理的にも精神的にもダメージを受けただろう」

 

一高の生徒は魔法師の卵であり、この国の財産だ。そのわりに退学者に手を差し伸べないのは、いつもの事だけど疑問だ。

それにしても、在学生よりも卒業生の先輩たちの方が一高と生徒を心配しているな。

 

「ありがとうございます。今回の件でお礼を言われたのは、先輩方が初めてです」

 

「達也君からも?」

 

「やはり皆、動揺していたんでしょうね。その後のテレビの報道も、あまり気分が良くないですしね」

 

僕の落ち着いた態度をじっと見ていた十文字先輩が、

 

「五輪澪殿との結婚式と披露宴が中止になったことも謝罪したい」

 

4月1日の式には、2人にも招待状が送られていた。

 

「社会情勢を考えれば仕方がないです。ただ、澪さんも僕も盛大な披露宴が中止になってほっとしているんですけどね」

 

「それとだ、去年の師族会議で、俺が余計なことを言ったせいで、久を十師族の余計な勢力争いに巻き込んでしまったことも、謝罪する」

 

「響子さんの件は、公式にならなくても、僕が抱えていた問題です。二重の婚約状態になってしまいましたが、倫理的に問題があるってわかっていても、僕には2人が必要なんです」

 

十文字先輩の視線を真正面から受け止めながら僕は言う。

 

「やはり、久はかわったな。以前なら、俺たちに礼を言われたら、涙をぼろぼろ流していただろう」

 

「そうですか?」

 

「四葉殿が言われていたように、五輪澪殿と藤林響子殿との同棲…同居は、久に精神的な安定をもたらしているようだな」

 

2人は、1人暮らしをしていた当時の僕のことをよく知っている。1年の九校戦の帰宅中、精神が錯乱しそうになったバスの中でも一緒だった。

 

「社会通俗的に、確かに不倫だが、久は戦略級魔法師だ。戦略級魔法師は一国の首相よりも立場が強い」

 

「まぁ、総理は替えが効くものね」

 

「多少の不倫理は、目を瞑るべきだろう。十師族的にも魔法協会も全力でもみ消す」

 

僕はこの国の防衛上、最重要人物だ。その立場を特に利用しようとは思わないけど否定もしない。使えるものは使う。それは僕が過去から勝ち取ってきた結果なのだから。

 

「正式な婚約者である五輪澪さんはともかく、響子さんとの同居は、実際のところどうなのかしら…久ちゃんの精神状態も心配だけれど、響子さんの方も、不安になるのだけれど」

 

真由美さんは同性として、響子さんの考えを知りたいと思うのかな?窺うように尋ねて来る。

 

「響子さんと僕たちの関係は、微妙なバランスの上に立っていると思います」

 

響子さんは澪さんと違って、僕との間に少し距離がある。響子さんの心の隅にはまだ戦死した婚約者が住んでいる。幼馴染で恋人で婚約者だった男性。

事務方から現場の軍人に転向したのも、沖縄戦以降のことだ。

響子さんの今の立場に深く深く関わっている男性を心から消すことは、おそらく不可能。

響子さんにとって僕は弟のような存在だったから、じゃれあうような関係を保てたのであって、僕がちゃんとした男性だったら、同居なんて行動はそもそもおこさなかっただろう。

恋人を失ったことで出来た心の隙間を、僕の存在が埋められたのなら、それは嬉しい。

澪さんは、戦略級魔法師と言う存在以前に、引きこもりで社会不適合者でもあるけど、響子さんはちゃんとした会社人だ。響子さんを支える男性に出会う可能性はゼロではない。

 

「もし、響子さんに素敵な男性が現れたのなら、僕は寂しいけど祝福を贈りたいといつも考えています。でも、最終的に僕の隣にいてくれると嬉しいな」

 

なんだかんだ言って、澪さんは最初は厳しくするけど、僕に甘い。響子さんがいなくなると、多分、家に引きこもったまま一歩も外に出ない駄目な戦略級魔法師コンビになるだろうなぁ…

僕の話を真剣に聞いていた真由美さんが、

 

「久ちゃん。今日、一高で香澄ちゃん…いえ、七草香澄の四葉家、四葉真夜さんへの養女入り、より正確に言えば、四葉久家への義妹の話をきっぱりと拒絶したようね」

 

なるほど、魔法師の世界的には、僕は四葉家ではなく、四葉久家と認識されているのか。

 

「僕は、達也くんを心から尊敬している。敬意や憧れも抱いています」

 

唐突な話の切り出しに、2人は少し戸惑うけど、黙って僕の話に耳を傾けた。

2人には言えないけど、僕にとって達也くんは『神』であり、深雪さんとの『意識』の繋がりは僕の理想そのものだ。

今は、澪さんと響子さん、お母様がいるから、死んでも良いとまでは思わないけど、1年生の夏までは、本気でそう考えていた。僕にとって、達也くんは特別だ。

 

「それでも、達也くんの、僕が唯一気に入らないことは、ほのかさんへの曖昧な態度です」

 

ほのかさんは、少女マンガ的に言えば、メインヒロインの好きな男子に横恋慕して、ヒロインの心に波風を立てるタイプの存在だ。メインヒロインにはない、身体的な特徴、つまり『胸』もある。

男性読者受けは良いけど、女性読者には徹底的に嫌われるキャラだ。

達也くんをめぐる、この勝負にほのかさんが勝利する確立はゼロ。ほのかさんが深雪さんに勝っている部分は、人当たりの良さだけど、その美点は達也くんには意味がない。

お母様は不倫を肯定するし、達也くんも多分気にしない。でも、深雪さんは違う。むしろ、マイナスの存在だ。

 

「ほのかさんの存在はほのかさん自身と、深雪さんをより深く傷つける。時間がかかればかかるほど、手間も傷も深くなる。それに、それは、遠くない未来に起きる」

 

僕は断言をした。

 

「司波も、兄妹の関係が長かった。まだ婚約に戸惑っているんだろう」

 

十文字先輩が箱根での達也くんとの会話を教えてくれた。

 

ほのかさんの恋に、勝ち目はない。ほのかさん自身もわかっているから、行動はエスカレートして行く。今でも目に余るのに、いたたまれないを通り越して痛々しくなる。

だから、早く、きっぱりと断ち切るべきだ。

ほのかさんは成績優秀だから間違いなく大学でも同学年になる。その後の学生生活でぎこちない関係は、それはほのかさんの気持ちの切り替えの問題だ。

達也くんはきっぱりとほのかさんを拒絶しなくちゃいけない、と僕は思う。

 

香澄さんは、僕にとって、ほのかさんの存在に近い。

ただ、ほのかさんと決定的に違うのは、香澄さんが十師族の直系で、それも有力な七草家の娘と言う立場だ。

幸い、香澄さんも、ほのかさんと達也くんの関係には良い感情を抱いていない。

香澄さんは自分の恋が終わっていると、きっぱりと切り替えている。いまさら焼けぼっくいに火をつけるようなまねは好まないはずだ。

今回の養女の話は、まだ法的に本決まりではない。取り返しが付く。

 

「養女なんて綺麗ごと言っても、実質は人質で、僕への色仕掛け。

弘一さんの思惑では、烈くんが響子さんを使って僕を九島家に取り込んだように、香澄さんで僕を七草家に引き入れたいんだ」

 

戦略級魔法師で、複数の十師族と関わりの深い僕の存在は、たとえ娘を利用しても、自陣に引き入れる価値がある。

烈くんの威光、光宣くんの友人、それに響子さんの存在が加われば、世間から見れば、僕は九島家にどっぷりに見える。少なくとも弘一さんからはそう見える。僕が女性に甘やかされると弱いことも、多分、弘一さんは気が付いている。

 

今日の昼休み、生徒会室で香澄さんが最初に僕を「お兄様」と呼んだのは、あくまでも冗談で、養女の話はきっぱりと断ると、僕に言った。

その発言に安心しつつ、今回は以前のような思わせぶりや気持ちを汲んでもらうなんて、冗長なことはしないで、僕も拒絶の態度をとった。

僕には、澪さんと響子さんがいる。僕の家に香澄さんの居場所はない。

元婚約者の響子さんとも、僕は同棲している。一緒のベッドで寝ているし、お風呂にだって一緒に入っていると、正直に告げた。

僕はまだ肉体的に子供だから、一線は越えていないけど、2人の裸体を見るたびに僕の下半身はうずうずする。

以前、香澄さんの裸を見たときは、そのような感情はまったく抱かなかった。

香澄さんを目の前にして、僕の話は、だんだんまとまりがなくなっていく。

2人は僕にとっては特別で、2人と寝ている間、僕は無意識に2人のおっぱいを揉んだり吸ったりしているそうだし。ベッドメイクや、家ではホームメイドを使わないので洗濯は僕が全部している。2人の下着も、型崩れしないよう僕が、一枚一枚きちんと手洗いしている、とか何とか。

話さなくても良い部分まで話しているような気がするけど、えーと、とにかく、僕は不倫で、不潔で、卑怯な立場だ。軽佻浮薄な人物として本来なら後ろ指を差されるのに、戦略級魔法師という特殊な存在を利用して、問題をうやむやにしている。

香澄さんは、僕の家には居場所はないんだ、ときっぱり拒絶した。

 

最初、理性的に耳を傾けていた香澄さんは、やがて、顔が青くなり、特に、香澄さんの裸を見ても何も感じなかったといった辺りからは、真っ赤になっていた。

僕の独白を、最後には俯いて震えながら聞いていた。多分、顔をまともに見られないくらい怒っていたんだ。

その後、香澄さんは無言で生徒会室を後にした。怒りのオーラが全身から発せられていたし、十代の潔癖さを思えば、僕をとことん軽蔑しただろう。

それで、良いんだ。昨日まで、僕に好意的だった香澄さんがいきなり僕を嫌いになるのは、自爆テロの翌日の、このタイミングはある意味絶妙だ。

そう思いつつも、慣れないことをしたせいか、僕の精神は、恐ろしく疲弊したんだ。

 

「弘一さんも、娘が本気で嫌がれば、むやみな策を弄する気も失せるよ。香澄さんを、僕の狂気に巻き込むわけにはいかない」

 

一ヶ月前、僕の自宅を訪問した真由美さんは、僕への評価を氷点下にまで落としたけど、妹の事を真剣に心配して、あえて嫌われてでも本気で対応した僕に、再び好感度が上昇したみたいだ。

でも、

 

「久ちゃん…残念だけど、久ちゃんの行動は、逆効果だったわ」

 

「え?」

 

「好意を持っていた男の子に婚約者以外の女性がいる。立場的に何の担保もない、ただ、久ちゃんの戦略級魔法師の立場に依存する存在よ。魔法師として、女性として響子さんは魅力的だけど、そんな女性より自分は劣っているのかって考えたら、香澄ちゃんだって怒るに決まっている」

 

「うん、物凄く怒っていた。僕を軽蔑して、嫌悪したはずだよ」

 

「怒っていたわ、響子さんよりも魅力がないなんて面と向かって言われては、女の子としては対抗心が湧き上がるもの」

 

「は?」

 

僕は真由美さんを、そして黙って聞いている十文字先輩を順番に見つめた。

 

「香澄ちゃんは十師族直系として、魔法師の卵として、厳しく自分を鍛えている自負を抱いているわ。女の子としても、姉の私が見ても魅力的よ」

 

真由美さんは何を言っているんだろう。脳の処理速度が追いついていない感じだ。

 

「負けたくないって考えるのは、正常な思考でしょう?響子さんが九島閣下の策にあえて乗っているように、香澄ちゃんも、今回の父の策にあえて乗る決心をしたわ」

 

「え、でも、女の子の一生を左右する決断ですよ。一時の感情で判断するなんて」

 

「人間は、感情の生き物よ」

 

感情。

それは、僕には理解できない!

人間になり損ねている僕は、真由美さんの発言が正しいのかわからない。

 

「軽く言わないでください」

 

ただ、そう突き放すだけだ。

 

「重く言っても同じでしょ」

 

十文字先輩も頷いていた。

おかしい…どう考えても、無茶な話なのに、誰もが当然と受け止めている。

 

 

僕の狂気は伝染する。

 

 

「でも、それほど深刻に受け止めなくても良いわよ。養女と言っても、形だけで、香澄ちゃんは一高卒業までは七草家に住まいます」

 

僕の脳は今、酸素不足だ。卒業まではってことは…

 

「それって、香澄さんの感情の冷却期間…」

 

僕は、ほっとする。香澄さんの一高卒業まで2年ある。それまでには冷静に、自分の将来を考えられるだろう。お母様の言っていた『猶子』と言う立場は、書類上は同じでも、『養子』よりは緩い。

 

「そうね。もちろん、卒業までに、久ちゃんの家にお泊りに行く機会は頻繫に設けるわ」

 

は?

 

「いきなり新居での生活は無理でしょう?久ちゃんの家に慣れなくちゃいけないし」

 

え?

 

「お泊り会には、私もご一緒させていただくわ。女子だけのパジャマパーティーが開けるわね」

 

「ほわっ?」

 

その女子に、僕も入れられている?

 

「久ちゃんの自宅は魔法大学に近いから、香澄ちゃんは大学進学後から同居することになります」

 

「ええっ?」

 

持ち上げては落とす、ジェットコースターのような真由美さんの話に、僕の脳はもう付いていけていない。

 

「久ちゃんが、義妹に手を出さないことはわかっているけど、姉として経過を観察…いえ、監視しなくちゃいけないもの」

 

「義妹に手を出すって何ですか!僕は、そんなことしないですよ!」

 

「でも、一緒にお風呂に入ったり、一緒に眠ったりするのよね」

 

「…いもうとと、そんなこと…しな…」

 

しない、自信はない。僕は、簡単に騙されるし、疑わないし、女性に甘やかされると弱い。

もし、香澄さんが澪さんと響子さんに当てられて過激な行動をとったら、僕は拒絶できるだろうか。

一度拒絶したことも引け目になるし、そもそも、香澄さんはとっぴな行動をする場合がある。

真由美さんも一緒に…?それは、それだけは防がないと、真由美さんは確実に過剰な行動をとって、僕を困らせる。

僕は、もう悩乱状態。反撃、反撃に転じねば、脳が溶けそうだ。

えーと、香澄さんが義妹になるなら、真由美さんは義姉になるわけだし、あーだから僕を弟って言っていたのか。僕が義弟になるなら…

 

「じゃっじゃあ、真由美さんと十文字先輩が結婚したら、十文字先輩が僕のお義兄さんになるってことですね!」

 

「だーかーらー、それはないって!」

 

間髪おかず、真由美さんが立ち上がって、力いっぱい否定をした。

十文字先輩が一回り小さくなったように感じたのは、果たして気のせいだっただろうか。

目の前で全力で否定されては、意地になるって言ったのは真由美さんだよ。

 

その後、達也くんも合流して、打ち合わせをしたんだけど、特に詰めた内容でもなかったせいか、僕は一切の発言をしないで、ただ座って、ぼーっとしていた。

 

窓から見た外は、雨も止み、月が雲間から顔を覗かせて下界を照らしていた。

まさにルナティック。

そんな僕の住む世界は、狂乱状態だ。

 

 





かなり強引な展開だと、猛省しております。
香澄と久の、生徒会室での会話は、ストーリー的に、
生徒会室シーン、帰宅後の澪への説明、十文字家での打ち合わせ、の3回説明する場面が必要で、余分だなって思いました。
どのシーンをメインにするかで悩み、最初は澪との会話も長々とありまして、
削って直して、結局最初から書き直しました。
意固地になったと言う香澄の感情は、表現がかなり難しい。
自分の表現力では無理だ、香澄は本当にそう思うか?って、これも悩みました。
難しいので、その生徒会室のシーンをすっ飛ばして、
読者の想像で補完してもらうと言う反則に落ち着いたのです…大汗。

原作の香澄は、真っ直ぐな女の子で潔癖です。
久の自宅に押しかけるには、多少強引なジャンプが必要だと考えた次第であります。
当初の予定にない真由美まで香澄にくっついて来る展開は、自分でも想像していませんでした。
まぁ、こうしないと真由美と久がストーリー上絡めないので、苦肉の策です。

香澄は基本、学校での久の癒しです。そこには澪と響子では立ち入れないので、香澄の1人勝ち。

…が、この養女の話は、いずれ破綻します。
このSSの基本コンセプト、えぐい話の前には明るい話の流れなのです。


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その日を摘め

5年使っていたパソコンの調子が悪く、新しいパソコンに買い替えたのです。
当然、登録していた言葉も消えてなくなり、
十師族は当然、光宣なんて変換は一からやり直し。
ついでに、キーボードまで挙動がおかしくなり、買い替える羽目に。
ウィン10にしたら、それまで使っていたソフトや周辺機器との相性も悪く…
ストレス溜まる状況で、今回は短いです…汗。



 

 

2月8日金曜日の朝、僕は一高前駅のキャビネット乗り場で達也くん達を待ちながら、足元をぼぅっと見つめていた。

雑草が滴の重さにわずかにうなだれていた。あの滴は朝露か、朝日に霜が解けたのか、昨日降っていた小雨なのかな。

一年で一番寒いこの時期、丸裸のとちの木も寒そうに揺れている。僕の黒髪も、北風にゆらゆらとなびいていた。

次々と到着するキャビネット。白い制服の生徒たちが次々と降りてくる。

その一台の、ドアがゆっくり開いた。

視線を向けて、香澄さんだったら、どうしようかと一瞬考えたけど、あのすらりとした立ち姿は間違いようがなく、達也くんだ。

前側のドアから水波ちゃんが降りて、達也くんが後部の反対側ドアを開く。

何気ない所作も優雅な深雪さんがキャビネットから降りる。

学生らしくも高級な小さな手提げ鞄を持つ手が遠目にも綺麗だ。その神々しさは、駅前にいる老若男女の視線を集める。一高の制服すら深雪さんを飾るドレスに見える。

僕は深雪さんの数年前の容姿に酷似しているけど、深雪さんが達也くんを意識してつねに完璧であろうとするのと違って、僕は自分自身のことは基本どうでもいい。

ある種捨て鉢な感覚が、存在感の違いに繋がるんだろうな。

僕も良家の子女の一員なので、最低限度の態度や姿勢を保っているから、猫背で俯き携帯端末を操りながら歩きはしないけど。

例の銃撃事件以来、僕は外出中は周囲を警戒している。犯人がわからないし、澪さんと響子さん以外には知られていない事件なので、自分で警戒するしかない。

だから、今の僕は常人でも感じられるほどの圧力を発している。テロの件もあるから、誰も僕に近づかない。

深雪さんは集中する視線に動ずる事無く、すぐに僕を見つけ、達也くんと隣り合って僕に向かって歩いてくる。

僕の家の事情、澪さんと響子さんと二重の婚約状態が続いて、2人と同居していることと、香澄さんの養女の件は、昨日の十文字家での打ち合わせで、達也くんに知られた。

僕が2人と1年の九校戦後から同居していることを聞いても、達也くんは特に何も言わなかった。達也くんにとって響子さんは年上の異性の友人程度の関心しかない。

ただ、その件を深雪さんにも教えて良いかと尋ねられたので、構わないと告げた。

香澄さんの養女の件は、僕が頑なに拒んでいることを知って、達也くんは少し不思議そうな表情だった。

僕の不貞な同棲生活を知った今朝の深雪さんは…特に変化はないみたいだ。水波ちゃんも、昨日までと同じ態度だ。

簡単に朝の挨拶を交わすと、

 

「深雪さんは、達也くんから僕の家の話を聞いて、何も感じなかったの?」

 

素直に尋ねてみた。

 

「…それは、叔母様の御意思なのでしょう?だったら私からは何も言うことはないわ」

 

深雪さんは心の底から、そう考えているようだ。

十師族の子女は、師族会議で決定した事項には、素直に従うように教育をされている。深雪さんも、真由美さんも、十文字先輩もそうで、だから香澄さんの養女の話も素直に受け入れている。

僕も十師族の一員になったけど、そんな教育は受けていないので…足元の雑草のように、しょんぼりしている。

やはり、達也くんが不思議そうな表情をした。

 

「久、まだ、香澄の養女の話に納得していないのか?」

 

「…うん」

 

「母上の命令でもか?」

 

達也くんもお母様のことを、人目のある場では母上と言う。お母様の『命令』と聞いて、深雪さんと水波ちゃんが身を硬くしたのがわかる。特に、水波ちゃんは緊張が顔に出ている。

命令じゃないよ。お母様は、僕に強制なんてしないもの。

 

「久は、母上の命令には従うと思っていたのだが…違うようだな」

 

達也くんがあごに指を当てながら呟いた。

 

「そんなわけないよ」

 

お母様が僕に無理を言うわけがない。

達也くんは僕を見つめながら、黙考している。多分、僕の知能レベルでは理解できないことだけど、あごから指を離した後の達也くんの目は、どこか柔和になっていた。

今年になって、正確には僕がお母様の養子になってから、達也くんの僕を見る目は、結構厳しかった。

敵を見る、とまでは行かないまでも、確実に味方を見る目ではなかったんだ。

それが、少し変化していた。

達也くんの僕への警戒が何なのか、それが和らいだのが何故なのかは、さっぱりわからない。

 

「香澄の件は、深刻に受け止めなくても問題ないだろう。久は、香澄の部屋を用意して、同居人として過ごせば良い」

 

水波ちゃんって言う範例が間近にあるから、達也くんの意見は真摯だ。

 

「じゃあ、真由美さんの件は?」

 

ただ、香澄さんには小姑が付いている。

 

「それは、久に任せる。そうすれば、先輩が俺に絡む機会が減るからな」

 

冗談なのか、本気なのか、達也くんが真顔で言う。深雪さんが複雑な目を達也くんに向けた。

なるほど、今回の香澄さんとの縁組は、真由美さんの恋心(?)を達也くんから反らすことが理由のひとつかもしれないな。

義理とは言え親戚になれば、恋人にはなりにくいし。

七草弘一さんが、僕を足掛かりに四葉に探りを入れようとしても、僕は基本何も知らないから、それこそ無駄足になるし、養子縁組はナンバーズの間では頻繁にある。

真意は不明だけど今回の縁組は、お母様が僕の為にしてくれたことなんだ。

世界を取り巻く現実が、じわじわと僕たちの周囲を蝕む前に、前向きに受け止めなくちゃ。

 

「『その日を摘め』、かな」

 

「どう言う意味?」

 

僕の呟きに、深雪さんが首を捻った。

 

「古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する語句だ。『今この瞬間を楽しめ』『今という時を大切に使え』『熱心に物事を行うべき』と言う程度の意味だが…」

 

さすがは達也くん。博識だ。

 

でも、香澄さんは、良く言えば裏表がなく、悪く言えば感情が先走るきらいがあるから、その点だけは気を付けていないと。

 

僕は、十師族の一員と言うより、戦略級魔法師・四葉久と言う、個人の能力で、一個の独立したナンバーズになっている。

今回の縁組で、僕は四葉でもあり、五輪でもあり、九島でもあり、七草でもありながら、どの家の意思決定にも関わらない、複雑でもあり、身軽な存在になった。

成人する二年後までは、僕は魔法科の学校に通う学生でしかない。

 

少なくとも、この国が戦争に巻き込まれない限りにおいては、の前提付きだけれど…




原作に追いつかないようにのんびり書いています。
最近の原作は、ちょっと理屈っぽいですね。
無理やり達也を孤立させようとしていますし。

しかし、原作における達也の諸問題や、のちの起きるであろう光宣の問題は、
久の存在があれば、すべて回避できます。
新入生が弱いながらもサイキックであったり、誘拐事件、戦略級魔法など、
このSSと被るネタも多いので、今後も続けて行けそうです。
今年の更新はこれが最後になりますが、力尽きることなく書き続けたいと思いますので
来年ものんびりとおつきあいくださいませ。


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新年あけましておめでとうございます。
今年もエタらず、魔法科高校の原作を愛しながら、このSSを書いていきますので、
のんびりおつきあいください。


師族会議は、魔法師の自衛組織で、法的な根拠、逮捕権も捜査権もないのに、それでも世論に気を使いテロの主犯を捕まえるべく動いている。

テロの犯人探しや逮捕は公安の仕事、つまり警察の領域なのに、何故か国防軍も動いている。

この世界の警察は、僕が実感できるほど無力で、だから魔法師、特にナンバーズは自衛の力を高めようとする。

実際、僕だって、僕と僕の大事な人を護るために、力をごく一部だけど世間に見えるように行使して来た。

政府の力が弱いせいか、魔法師、ナンバーズ、警察、国防軍がてんでばらばらに行動して、右手の行動を左手が知らない。むしろ足の引っ張り合いをしている。

そのナンバーズや師族会議も一枚岩でない上に、今回の捜査も十師族の全力ではない。

七草弘一さんの背信行為があったにしても、変則的な体制で捜査に当たっている。

持てる力をすべてつぎ込んだ方が、結局は近道で、労力も減ると考えるのは、僕が庶民で、思考が子供だからなんだろうか…

 

今夜も一高から帰宅した僕は、十文字先輩たちとの打ち合わせに参加していた。

今夜の集合場所は魔法大学のすぐ近くの一軒家。

魔法大学は自宅から4キロほど、交通渋滞とは無縁のこの世界だから、警護の運転する電動カーですぐ到着した。

端末に送られた住所を再度確認。

僕のような、あまり外食をしない種族には、ちょっと入りにくい隠れ家的佇まいで、おそらく一見お断りの小規模なレストラン。

ここを十文字先輩が選んだことがちょっと不思議だった。

今回の捜索は秘密ではないのだから、もっと表立って行動すればいいのに、何だかこそこそ隠れて捜査に当たっている。

今更、捜査権がないなどと気にするのがおかしい。これまでも、吸血鬼騒動の時なんかでも、都内のあちこちで騒動を起こして、十師族の力で不問にさせて来たのに…

 

時と場合で面子や体面を気にする十師族の考えは、ちょっとちぐはぐで、同じ魔法師内でも意志の統一ができていないこの状況は、師族会議も理解しているだろうけど、いずれ問題になる気がする。

 

僕はレストランと携帯端末の住所を見比べて、戸惑っている。方向音痴の僕でなく、警護のナビでここに来ているのだから間違いないんだけど…

レストランの玄関ドアが静かに開いて、十文字先輩が顔を出した。本来、気配りの人ではない十文字先輩は、僕には男の娘のように…いや、弟のように接してくれている。

 

「お待たせしました」

 

「まだ予定時刻には時間がある。司波と七草は…ぎりぎりか、少し遅れてくるだろうが…」

 

達也くんは真由美さんと待ち合わせをして、ここに案内される。

恐らく例の、「遅れました」「今来たところ」と言う、謎の儀式が行われているのだろう。

警護の2人が周囲を警戒する中、僕は十文字先輩の招きでレストランに入った。

十文字先輩が僕の後ろに立つ2人をちらりと見た。失礼のない程度に値踏みをしている。

4人の吐く白い息が、一瞬、己の存在を示して、温度を奪われて消えて行った。

十師族の若き当主の眼光にも2人はひるまない。視線が交錯して、難攻な要塞を前に油断なく、でも自然体で対峙する。

冬の冷たい曇天の下、ピンと空気が張り詰める。

そんな2人の態度に安心を覚えたのか、十文字先輩が先に視線をそらした。そのさい、2人に目でお辞儀をした。2人の緊張も抜ける。

 

「では、久君。我々は、車で待機しています」

 

「お願いします。帰りはメールで連絡します」

 

2人は、それでも油断なく、十文字先輩にも意識を向けながら、セダンに乗り込んだ。

レストランの周囲には十文字家、おそらく七草家の護衛もいるから、お互いの持ち場を守りつつ警戒に当たる。その辺りの距離感は、2人は心得ているから問題にならないだろう。

 

 

 

「あの警護の2人は、長いのか?」

 

案内されたレストランの2階には、小さな部屋に丸テーブル、椅子が四脚置かれていた。

僕にひとつを勧めると、十文字先輩は隣に腰かけた。つまり、向かいの席に達也くんと真由美さんが並んで座るのか…

十文字先輩にしては、細かい気配り…なのかな?真由美さんが達也くんにアタックする手伝いなんて、お先棒担ぎみたいで、十文字先輩らしくないけど。

 

「はい、一年の時から、誘拐事件以降ですが、烈…九島烈閣下にお願いして警護をしてもらっています」

 

僕は四葉の養子になったけど、卒業するまでは烈くんが後見人のままだ。自宅や学校のこまごまとした手続きもしてくれているし、警護料金を払っているのも烈くんだ。

その金額は高額で、僕が戦略級魔法師と認知されてからはさらに高額になっているはずだ。

自分で払うって言ったんだけど、僕はまだ学生で基本的に収入がない。

国から毎月補助金みたいな物をもらっているけど、その額はこの国の防衛を左右する存在に支払う金額にしては異様に安い。

いくら僕の貯金が個人としては巨額でも、魔法師の警護を継続的に雇うには足りない。

正式な戦略級魔法師ではまだないから、国から護衛は派遣されない。

このあたりの中途半端な対応は、魔法師の数が少ないと言い訳しながらも、政府や国会の力が弱く、国防軍と魔法師、特にナンバーズに権力が集中しているせいだ。

世界が戦争の只中にいる証左…なのかな。

 

「あまり聞き慣れない警護会社だが、九島家の関連会社なのか?」

 

「違います。九島家は本家の護衛は一族の魔法師があたっています」

 

「そうだな、俺も七草も、おそらく四葉家でも同様だろう」

 

「僕の護衛は、烈くんが個人的に贔屓にしている、ナンバーズとはあまり関係のない会社だって聞いています。とても優秀なんですよ」

 

その辺りの背景はあまり気にしていなかった。烈くんの口利きだから優秀だし、僕とも相性が良い。

 

「九島閣下の推薦なら間違いはないだろう。だが、それは一魔法師の護衛ならば、の話だ。十師族の、しかも戦略級魔法師の護衛ともなると荷が勝ちすぎるのではないか?」

 

「それは…そうかもしれないですが、僕は登下校以外はほとんど引きこもっているし、こうやって連夜で外出することのほうが珍しいので」

 

「一連のテロで、久や五輪澪殿は狙われていないが、この国の防衛力を削ぐなら、真っ先に狙われる存在だと言うことを失念してはいけない」

 

「はい」

 

「早い時期に、もっと大手の、たとえば森崎の家を選ぶのも考えておいたほうがいいだろう」

 

僕の心配をしてくれている十文字先輩は、入学当時の僕のイメージが抜け切れていない。

僕はこの世界では、破格の存在だ。でも、絶対の強者ではない。

不意を突かれれば怪我を負うし、そもそも肉体の強度は常人以下だ。

探知能力に著しく難があるし、『空間認識』は常時展開はできない。一瞬の集中が必要だし、多分に感覚的で漠然としている。人か物かの区別も難しい。

狙撃事件からもそれほど時間が経過していないから、僕は外出時はかなり気を張っている。

ただ、僕は集中力にも難があるし、そもそも、常時緊張なんて誰にだって無理だ。

車内では、完全に2人に身の安全は委ねている。警護の2人は卓越した魔法師だし、僕とも気心が知れている。

でも、しょせんは中小警備会社でしかない。いつも利用している電動カーのセダンも防弾には優れていても、十師族が利用するようなリムジンほどの防御性能はない。

お母様や烈くんの乗っていたリムジンは、恐らく違法なレベルで改造されている。あれほどの車となると、大企業でも維持が難しい。

十文字先輩は、狙撃のことは勿論知らないけど、戦略級魔法師がテロの標的になる確率は、高い。

 

「考えておきます」

 

「うむ」

 

ここで強制できないのが、十師族という各家が同列扱いな組織の問題点だろうな。

十師族の建前や確執、勢力争いが邪魔するから、依頼や懇願は、どうしても個人の繋がりに頼らざるを得ない。

四葉家は十師族の枠からは数段頭抜けているから、ますます問題だ。

十文字先輩と先輩後輩の関係で口を利くとか、達也くんとは難しいし、相性が悪い。

説明不足の十文字先輩が、わかってくれと無言で頼んでも、達也くんはわかっていながらつれなく拒否するシーンとか、目に浮かんでくる…

 

 

レストランの壁は南欧風でオフホワイト、木製サッシのお洒落な窓は、日も落ちているのでブラインドカーテンが閉められていた。

澪さんや響子さんがインテリアにはこだわるので、内装に興味があったから窓に目を向けていたんだけど、僕の人外の動体視力が、わずかな隙間から街灯に照らされた男女をはっきりと見つけた。

達也くんと真由美さんだ。

並んで歩く2人の肩の距離は近いけど、腕を組むほどじゃない。

達也くんに色仕掛けは通用しない。ほのかさんは極端としても、気のある相手は少し大胆な行動をとってしまう。

このようなシチュエーションでは、今までなら年上の小悪魔性を発揮して、達也くんを困らせようと腕を組んで歩くんだけど…真由美さんの戸惑いが伝わって来る。

達也くんも婚約者のいる男の距離としては問題だし、かと言って邪険にも扱えない。もどかしいし悩ましいな。

レストランに入って来た時、2人の距離はわずかに広がっていた。

人目がある場所とない場所で態度がかわるのも、もどかしい。さっさと告白して玉砕すればこの中途半端な関係は終わらせられるのに、真由美さんも煮え切らない。

2人が向かいに並んで座る。

空いている席に座っただけなんだけど、微妙な僕の表情に気が付いた達也くんが僕に一瞥をくれた。うぅ、ごめん。

 

「何か分かったことはないか」

 

4人がそろった所で、十文字先輩が早急に問いかけた。

真由美さんはテロリストの入国経路について語り、達也くんはテロの主犯グ・ジーについて報告をした。

僕はすでに知っていた情報だけど達也くんの報告を黙って聞いていた。先輩たちは驚いていた。

流石は四葉だ、と思っているみたい。

犯人の情報はアメリカからだってのは初耳だ。

 

「グ・ジーの映像がないので、この情報が捜索に役立つのかは不明ですが」

 

達也くんが言う。

映像がない?

監視カメラだらけの世の中、アメリカでどうやって生活していたんだろう。アメリカは日本ほど街頭カメラがないのか、よっぽど慎重に、隠れるように生活していたのかな。不思議だな。

ただ、僕は三人の会話を聞きながら、ふと考えていた。

 

「…グ・ジーに日本に協力者がいることは、当然だろうけれど…」

 

「久、何か気になることがあるのか?」

 

僕は思考をつい口にしてしまう癖がある。3人の会話の腰を折ってしまった。

僕は、会議に参加するだけの立場だから、黙って紅茶を飲んでいれば良いんだけれど、両掌で揉むように持っていたカップを皿に置く。

 

「箱根での自爆テロはグ・ジーの『僵尸術』で操られた死体が使われたんですよね。その死体は自立して、自分の意思で行動していたんですか?それとも遠隔操作?」

 

「ホテルの複雑な敷地をプログラムで行動させるのは難しいだろう。遠隔操作だったと、師族会議でも結論された」

 

十文字先輩が答える。

 

「どれくらいの距離からですか?」

 

「そのグ・ジーが想定外の能力を持っていないのならば半径十キロと、これも師族会議では話し合われた」

 

十文字先輩が、達也くんに視線を向けた。

 

「機械による魔法の増幅や補正も考えられますが、そこまで強固な組織力はないでしょう。自爆犯の数も多いことを考えても、その距離は妥当でしょう」

 

「じゃあ、一高での自爆テロは、別の術者が操っていたのか…グ・ジーの協力者も大陸系、もしくは末裔の古式魔法師」

 

古式魔法は現代魔法と違って、門外不出の秘術や独自の癖があるから、別系列の魔法師だとそもそも発動できなかったりする。

僕の呟きにも似た断定に、3人が僕の言わんとしている内容に気が付いた。

これは僕が鋭いのではなく、3人とも一高のテロでは当事者ではないから気づくのが遅れたようだ。

 

「そうね、箱根から八王子まで直線距離でも50キロ、車輛で移動するならば60キロ以上あるわ」

 

魔法で移動すれば丹沢の山々を直線で越えることも可能だけど、グ・ジーがそんな身軽なら今回のような回りくどいテロなんて起こさないで、もっと直接的に攻撃するだろう。

 

「箱根でテロを起こして車で移動、もしくは移動しながら死体を操っていた可能性もあるが…いや、箱根でのテロも断続的に続いていた、グ・ジーの狙いは師族会議よりも一般市民だった」

 

「移動しながら『術』を使うのは、発見される可能性が高くなります」

 

街中にサイオンセンサーやカメラが設置されているから、一か所に潜んでいた方が怪しまれない。

 

「自爆犯を作り上げたのはグ・ジーでしょう。死体の制御は難しい。その魔法師が『僵尸術』に精通していなくても、大陸の同系列の古式魔法師なら『術』を使える可能性が高いでしょう」

 

達也くんが、僕の呟きを追認した。

 

「協力者の方面からもグ・ジーを調べられるわね」

 

「それは現場検証した警察も気が付いて動いているでしょう。久を危険に曝したことで、公安は焦っているでしょうからね」

 

「それと、使用された爆弾だけれど、一高はともかく、箱根のホテルのセキュリティを突破できたんだから、ハンドメイドとかその辺の安価な爆弾じゃないわよね」

 

「爆弾は、どこかの組織から盗まれた…なるほど、グ・ジーがアメリカから海路で密入国した、とはそう言うことか」

 

十文字先輩が頷いた。

つまり、爆弾の出どころは、米軍だ。四葉の情報源も、その方面からなんだろうな。

 

「四葉家は米軍の上層部と関係があるんだ…」

 

またも、僕が呟く。

十文字先輩が、僕の顔をじっと見つめた。

男と男の娘の視線が交差する…って、このシチュエーションは懐かしいな。

 

「久は、四葉家の意思決定や中枢には、関りがないのか…?」

 

「え?…はい、僕がお母様の養子になったのは澪さんの五輪家と釣り合いを保つためですから」

 

僕がグ・ジーの情報や3人の会話を黙って神妙に聞いていたものだから、十文字先輩は僕が何も知らされていないと思ったようだ。

 

「久ちゃんは、戦略級魔法師として独立した存在だものね」

 

僕は四葉だけど、四葉の直系ではない。でも、現当主の養子なので、四葉のトップと気軽に話をできる立場でもある。

四葉家、お母様や、達也くん、次期当主の深雪さんに話しにくいことも、僕を通せば、比較的容易く意思疎通ができる。つまり、ハブとかパイプになる。

これは重要な気づきだ。十文字先輩が少し考える。つられて真由美さんも。達也くんは、そんな3人を静かに見つめている。

 

 

話が、逸れたな。軌道修正しないと。

 

「吸血鬼事件の時みたいに、また米軍が介入してくるのかな…」

 

4人とも吸血鬼事件には深くかかわっている。

 

「それは不明だが、捜索は急いだほうがいいだろう」

 

十文字先輩が言う。

時間をかければ、米軍が介入する隙が生まれる。もしかしたらすでに動いているのかもしれないな。米軍とは、僕も因縁があるし、あの仮面の魔法師レベルの敵が現れたら厄介だ。

 

「皆さん気を付けてくださいね。グ・ジーを捕まえる時は僕も参加しますから」

 

「…それは、戦略級魔法師の久ちゃんを危険にさらすわけにはいけないわよ」

 

「大丈夫です。本気の僕を、傷つけられる存在はいませんから」

 

僕は不意さえつかれなければ、ほぼ無敵だ。

僕の放つプレッシャーが先輩たちを圧迫する。真由美さんが息苦しそうだ。十文字先輩と達也くんは動じない。

 

「久の同行は最初から計画に入っている。グ・ジーの逃走を防ぐには久の『魔法』は有効だ」

 

達也くんは平然と、僕の参加を認めている。

 

「うん、まかせて。達也くんが指示してくれれば、むやみに殺さなくてすむし」

 

「殺してもいいが、遺体は無傷で殺してくれ」

 

「うん、わかった」

 

なにしろ僕は、烈くんや光宣くんみたいに後方で指示してくれる人がいないと、構わず惨殺する可能性が高い。

2人の四葉の、殺伐とした奇妙な呼吸に先輩たちは、無言になっていた。

 

 

 

帰宅の車中で、僕はレストランでの会話を反芻して、ふと別のことを考えていた。

グ・ジーの協力者。いや、かつての協力者、つまり周公瑾さんのことだ。

あの夜の宇治川で見た白いふくろうは、その後どうなったんだろう。

『パラサイト』と同様に、精神だけの存在は器に入っていないと、自然とその存在が薄れて行ってしまう。

僕のように、肉体そのものを作り上げるだけの力は周公瑾さんにはなかったから、時間とともに中空に拡散して、儚く消えてしまったのだろうか?

 

器となる肉体…

 

僵尸術。反魂。死体を操る。仙術、精神の器、子供の遺体を使った自爆テロ…

 

 

 

「不審な車が後方から急接近してきます!」

 

運転手の緊張した声に、僕の思考は断ち切られた。

車内の運転パネルに警告を報せるランプが点滅していた。

僕と隣に座る警護が、リアウィンドウの防弾ガラス越しに後方を振り返った。

後方を走っている黒い車は僕たちが乗っているような電動カーではなく、コミューターだった。直線道路を急加速して迫って来ている。

コミューターは交通管制システムに制御されている。交通状況にあわせて道を変更することはあっても、速度超過することはありえない。

キャビネットやコミューターのセキュリティは、響子さんでも侵入が難しいから、後方のキャビネットは管制システムをカットする違法改造か、故障の可能性がある。

日常生活の範囲でなら、常識的にこれはコミューターの故障と考えるけれど、テロが続いているこの状況、しかも、前を走っている車には戦略級魔法師が乗っている。

今回の、僕のレストラン会議への参加は特に秘密ではない。

僕も警護も、瞬時に『テロ』の二文字が頭に浮かんだ。

でも、誰もが落ち着いている。こう言った不測の事態へのマニュアルは、以前から構築されている。道路は魔法大学からキャビネット駅高架をくぐって自宅近くまで南北にほぼまっすぐ伸びている。

現在、車が走行している場所は駅近く。この手の自動車を使用したテロの場合、僕たちは決して止まらず走り続けなくてはいけない。

ただ、そのまままっすぐ進むと自宅近く、つまり、もう一人の戦略級魔法師・五輪澪が住む地域に達してしまう。それでは危険が増すので、セダンは途中の駅前広場に停車した。運転手がヘッドライトの色を赤にかえ点滅させる。

駅周辺には警察と国から派遣された護衛の魔法師が配備されている。その魔法師たちは、僕の乗っているセダンを知っている。僕たちの車のヘッドライトが赤い点滅を繰り返していたら、それは強盗や襲撃などの緊急事態発生の合図だ。

たとえ駅一帯を破壊する規模の爆薬がコミューターに仕掛けられていたとしても、問題なく対応できる魔法師が常駐している駅前は、ある意味、襲撃にはもっとも適さない場所だ。

駅前に他の車両が停まっていると巻き込まれる可能性があるけれど、駅周辺に何故か他のコミューターはいなかった。

箱根や一高でのテロの直後だ。駅周辺の魔法師の動きは速い。後方から迫る暴走コミューターに対して、干渉が起きないよう連携の取れた『魔法』を発動した。

運転手が僕たちの乗っている車を『遮断』で囲い、隣の護衛が不測の事態に対応すべくブレスレット型のCADに片手を添えている。僕は、自身の周囲を『遮断』に干渉しないよう空間そのものを遮断していた。自分だけを護るのも心苦しいけれど、これは危機対応のマニュアルだから素直に従う。

 

魔法師が『制動』を発動。タイヤの回転がゆっくりとなり、コミューターは静かに止まった。急停車させると反動で爆発する恐れがあるからだ。

停車したコミューターを2人の魔法師が、急発進を警戒して、左右に挟んで立った。

コミューターを囲う魔法師が、爆轟や爆燃の化学反応を防ぐ『無連鎖』と、発火装置の放電を防ぐ『絶縁』を使った。その他の魔法師が衝撃破や爆発の破片を防ぐ『障壁』、魔法力の劣る警察官が一般市民の誘導を行っている。その一般市民も、帰宅ラッシュの時間が過ぎているとは言え、少ない。

駅前の市民は一瞬騒然としたんだけれど、コミューターへの魔法師の対応は遅滞も停滞もなく、逆に危機感が感じられなかった。

僕の目から見ても優秀な魔法師たちだ。さすがに、戦略級魔法師の防衛にはこの国も、派遣魔法師の質においては手を抜いていないようだ。

ところが、『無連鎖』と『絶縁』を使った魔法師の表情が奇妙に歪んだ。挙動に戸惑いが表れていた。

あれ?『魔法』が効いていない?違うな、発動に失敗している。

『魔法』を無効化する罠がコミューターに仕掛けられている?

アンティナイトの反応は…ないみたいだけど?

緊張と戸惑いが続いて、10分ほど、時間が経過する。

爆発の可能性がないと判断した魔法師がコミュータのドアを慎重に開けた。コミューターは無人で、自動運転だった。

ボンネットを開いて、爆発物や危険物の有無を確認している。その後、もう一人の魔法師も確認して、現場の責任者と警察官に報告をしていた。警察も端末で責任者に何やら説明している。

その間も、僕たちは乗っている車を『遮断』で護っていた。やや時間がかかっているので、2人が交互に『遮断』を発動している。

責任者が自身のノート型の端末で交通管制の確認をして、僕たちの車に近づいてきた。

その気配は、緊張感は保ちつつも、やや弛緩している。それでも運転手は車の防弾ドアを開けず、外部マイクで警護と会話をする。

 

「修理中のコミューターが、修理業者の工場から間違って走行してしまっていたと、警察に届け出がありました。登録ナンバーも一致します」

 

「…?」

 

「交通管制システムも正常に働いています。本来なら交通警察から車と我々に通達があるはずなのですが、時間的に間に合わなかったようですね」

 

『魔法』が効かなかったのでは無く、座標と目標そのものがなかったので、魔法式が構築できなかったんだ。テロ事件の記憶も生々しいので、爆発物があることを前提に魔法師は行動してしまったのか。

この5分弱の間、事故を想定した管制システムに従って、他のコミューターは駅前に侵入して来ず、キャビネットも緊急のため駅を通過、隣の駅へと乗客を運んでいた。対向車も走っていなかったな。

なるほど、駅前に人が少なかったのはそのせいか。

運転手がパネルを操作すると、5分前に事故車両の通知が送られていた。緊急だったので、運転手は気が付けなかったわけだ。

つまりこれはテロではなく、ごくごく日常に起こりえる機械の故障で、僕たちは独り相撲をとっていたわけだ。

同乗の2人が、それでも一呼吸を置いて『魔法』を解いた。この間も罠かもしれないからだけど、やがて緊張がほぐれて、熱く息を吐く。

外から、だみ声の罵声が聞こえた。

魔法師たちの視線が停車したコミューターと市民を誘導する警察官向けられた。

突然の騒ぎに足止めさせられた市民が警察官に文句を言っている姿が見える。

一般市民にしてみれば迷惑な話だけれど、無事何事もなかったのだから、警察官も適度に謝罪しつつ事務的に対応していた。

 

 

そんな騒ぎの中、僕は別の人物に目を向けていた。

その人物は、眼鏡をかけた年端もいかぬ女の子だった。

シンプルなウールのダッフルコートを羽織った姿の、近所の子供がたまたま騒動に足を止めただけ、と言う感じの女の子が、駅前広場の隅に立っていた。

容姿や姿勢に特徴はなく、ただ、その女の子は、片手に風船の紐を持っていた。

鈍い街灯に照らされた風船は赤く、武蔵野の寒風に、ゆらゆらと揺らされていた。

紐を握る手は、異様な程に血の気が感じられない。冬の空気に触れる頬も磁器のようで、外気ほど冷たい感じがする。

女の子は、まっすぐ、僕の乗っている車の後部座席、つまり僕に視線を向けていた。

なんとなく、見覚えのある容姿…違うな、何かに似ている…記憶をたどる。

ああ、そうか、自爆テロに使われた子供たちに容姿や雰囲気が似ているんだ。

眼鏡の大きなレンズに街灯の光が当たって、その双眼は僕からはよく見えないけれど、間違いなく僕を見つめている。

赤い風船を片手に立つ女の子に視線を向ける者はいない。

市民の誘導をしている警官も、女の子のすぐ後ろを歩いているのに全く意識を向けない。

夜の駅前で、普通ならものすごく目立つし、こんな夜中に女の子がひとりで、と誰だって心配する筈だ。

その女の子に気が付いているのは僕だけだった。

僕も気が付いているんだけれど、意識をそらすと、急に見えなくなりそうな、不確かさ、存在感の無さを感じる。

コミューターの暴走は、タイミングや偶然が重なって一時騒然となったけれど、ひとつひとつは小さな事故で、事件性はなかった。魔法師も警官たちも、そう判断している。

でも、そうだろうか。ひとつひとつは小さな事故でも、小さいからこそ簡単に起こせる事故だ。

その結果は単なる嫌がらせ程度にしかならないけれど、この街に住む一般市民は戦略級魔法師がすぐ間近に存在している、テロの標的になる、危険が迫っているのではと疑心暗鬼になるかもしれない。

一度程度なら気にならなくても、これがたびたび続けば、魔法師への悪感情を助長するかもしれない…

事故そのものは警察が対処する問題だ。魔法師、非魔法師は関係ない。でも、だ。

女の子の存在感の無さからか、別のことをつい考えてしまうな。

考えながらも、僕は女の子を見つめている。

女の子が、ほんの少し頭を下げた。寒風に髪の毛があおられ、白い顔を覆う。

女の子の手から風船が、ふうわりと離れた。赤い涙状の塊が、あっという間に暗闇に消えて行く。

僕の意識が、その風船に一瞬向く。意識がそれたのは、ほんの刹那の時間なのに、気が付くと女の子はいない。

まるで最初からその場にはいなかったみたいに。

僕以外の人物には、その女の子は多分最初からいないと感じられていたのだと思う。

視界に入っていても意識されない強力な現代魔法の『認識阻害』ではなく、無意識に働きかける古式魔法の『鬼門遁甲』。

僕は、いまだに僕自身を包む『空間遮断』を解除していない。

今、あの女の子に攻撃をされても、指一本触れることすらできない。あの子が敵、もしくは自爆テロの器だとしても…

 

「器か」

 

「どうしました、久君?」

 

運転手が尋ねてくる。

僕は平気ですよと答え、『魔法』を解いた。いや、正確には『サイキック』だけれど、とっさの場合はついつい『サイキック』を使ってしまうな。

僕は魔法師なんだから『魔法』を使わないと。右手薬指の指輪型CADを撫ぜる。本当なら左手の薬指にも婚約指輪をはめるんだけれど、テロや学生生活も配慮して嵌めてない。

澪さんは、昔、クリスマスにプレゼントした指輪を今でも左薬指に嵌めている。

僕は警護の2人にお礼をして、2人と一緒にセダンから降りた。

曇天だった空から、小雪がちらほらと降り出していた。

周囲の視線が集まる中、僕は警察官や魔法師たちに丁寧に、あいさつとお礼を言って回った。わめいていた市民にも、丁寧にお詫びをする。市民たちは、僕の妖精的な容姿と雰囲気に呑まれてか、茫然としていた。

このような時はしっかりあいさつするよう達也くんから厳しく躾けられている。僕は年相応に怯えつつも、戦略級魔法師、四葉家の一員として、如才なく、かつ可愛らしく行動する。

そんな演技をこなしていると、あの女の子の顔が、頭の中から自然と消えて行く感覚を覚えた。

眼鏡をかけた、血の気のない顔の映像が、霞にかかって行く。

思い出そうとしても、思い出せない。この感覚は、以前にも感じたことがある。

あれは横浜の師族会議の帰りだったな。

 

 

…でも、最後に覚えていた少女の顔は、確かに微笑んでいた。

その笑顔に害意は一切なく、親しみ…違うな、懐かしみを感じる。

言葉にするなら「ご無沙汰しておりました」、かな。

 

赤い風船を持つワンピースの女の子なのに、僕がイメージした声は、男性の声だった。

 

その声も、どこか遠くに消えて行く。女の子の表情と、小雪と、風船とともに…

 

 




原作は達也と四葉を孤立させるべく、ちょっと無理のある展開になっていますが、
このSSは原作の行間を縫って進めていくので、問題ありません。
原作のトーラス・シルバーの件は、もう少し丁寧に進めて欲しかったな。
せっかく九校戦であーちゃん先輩が気が付いたんだから、
あーちゃん先輩を絡めて欲しかったです。
レリックとパラサイドールは原作ではどうなるのかな。
周公瑾の件も、周の最後の、達也の思わせぶりな視線は謎です。
その謎は原作ではわずか一行の文ですが、このSSでは重要な要素です。
一高のテロで使われた子供たちは、周公瑾が自身の器に使うために集めた遺体の残りを、
グ・ジーの協力者が発見して利用しました。
精神の器には相性があるので、候補を何人か集めていたのです。
赤い風船の少女のくだりは、以前の久と香澄のデート中に入れる予定でした。
香澄と一緒に公園でお弁当を食べているとき、青空に色とりどりの風船が飛んで行く。
ふと視界の隅に、赤い風船と、その紐を手に持つ、生気の薄い女の子が入った…
少女は瞬きもせず、久をじっと見つめていた…
みたいな流れでしたが、ラブコメ優先でカットされちゃいました。

さて、赤い風船を持つ女の子は何者なんでしょうかね?


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片手落ち

達也と久が初めての共同作業。
偶然や巻き込まれでなく、達也と久が最初から最後まで一緒に作戦をするのは初めてです。


 

 

コミューターの暴走事故も、時間にすれば10分程度の混乱で収まり、僕は警察への聴取もなく、そのまま警護の運転する車で帰宅した。

帰宅時刻は21時。

ちょっと遅めの晩御飯を澪さんと食べて、響子さんは今夜も軍のお仕事で不在。いつもならこれからの時間は、勉強したり光宣くんと電話をしたりするんだけど、今夜は食事中に達也くんから連絡があった。

 

「グ・ジーの居場所が判明した。翌朝、襲撃をする」

 

達也くんの声色は、特に緊張するでなく、近所のスーパーに買い物に行く程度の雰囲気だった。

おおー。早くもレストラン会議の結果が出たか。

あの会議は、毎日開催する必要性が疑問で、達也くんと真由美さんの会う機会を作る茶番だと思っていたから、師族同士の情報の疎通が思っていたより上手く行っていることに僕は素直に喜ぶ。決して仲が良いわけでない十師族同士の共闘が行われる。

達也くんと十文字先輩が一緒に戦う姿を間近で見られると言うのは、想像するだけで心が躍る。

 

「うん。現場までの足はどうするの?」

 

「バイクで向かう。久はタンデムシートに乗ってもらう。3時に久の自宅に迎えに行く」

 

「動きやすい格好で待ってるよ」

 

古式の魔法師であるグ・ジーは、その『魔法』の特徴から人家、住宅街に隠れている可能性が高い。住宅街をうろついていても問題のない姿でいないと、僕たちが警察に通報されてしまう。

その辺りの打ち合わせはできているから、僕は落ち着いて電話を切った。

電話はリビングでだった。

澪さんも同席してたけど、僕が慌ててないし、四葉家も達也くんもテロ主犯の捜索が切迫していないみたいな空気は、会話からも伝わった。

澪さんは『魔法』に関しては僕の心配はあまりしない。

体力や集中力、探知系に関しては難があるけど、達也くんや十文字先輩もいるわけだから、涙ながらになんてことにはならず、簡単な心得を注意をする程度で僕を送り出した。

 

翌朝、防寒をしっかりして、靴底の頑丈な靴を履いて、達也くんの運転する電動二輪の後ろ座席に腰かける。

バイクのタンデム走行は、将輝くんのバイクで経験済みだから、達也くんの運転に完全に身を委ねる。ただ、将輝くんの時よりも、しっかり達也くんの逞しい背中にしがみついていた。

バイクは重心が中心にあったほうが安定するから、それはもうしっかりと抱きしめる。

達也くんは一見、普通のバイクスーツを着ている。多分、四葉家謹製のスーツだろう。二の腕にホルスターに入った達也くんの拳銃型CADが感じられる。

僕の被るヘルメットは、バイクのシート下から取り出した達也くんとお揃いのデザインで、未使用品ではなかった。

 

「ひょっとして、このヘルメットは深雪さんの?僕が被ってもいいの?」

 

自分のヘルメットを、他人が被るのは深雪さんは抵抗を感じるんじゃ?達也くんだって、婚約者のヘルメットを他の男が被るのは嫌だろう。

 

「別に構わない。久は家族で、妹みたいなものだからな」

 

「僕はお義兄さんだよ」

 

えへへ、家族だって。

グ・ジーの居場所は鎌倉で、練馬からだと高速道路を利用しても2時間弱かかる。その時間ずっと達也くんにしがみついているのは嬉しいけど体力的にかなり辛い。

往路はともかく、帰りはきつそうだ。そもそも今日は土曜日で、普通に学校のある日だ。5時に襲撃するとしても、とんぼ返りしないと遅刻しちゃう。

達也くんの体温を感じながら、バイクは順調に鎌倉の西部、別荘が立ち並ぶ地域に到着した。

日の出まで二時間もあるし人気なんてなく、真冬のこの時間だ、吐く息すら凍りそうなほど寒かった。

防寒はしていても、走行中の背中が寒かった。もっと防寒着を着込んでくればよかったな。ちょうど、あの人みたいに…

イヌマキの垣根の影、誰かが隠れるように立っている。バイクのヘッドライトが一瞬、その人物を照らす。達也くんは、明らかにその人物にバイクを向けて進めていた。

その人物は体つきから、多分女性で、ぶかぶかの鳥打帽、シンプルなマフラーを普通に首に巻いている。羽織っているコートもファッション性は低く、この時間なのにレンズの大きなサングラスをつけていた。存在感が希薄なのに、奇妙に目立つ、変な人物だ。存在と行動と格好がちぐはぐなんだな。

達也くんが無言で身体を揺らしたので、僕はゆっくりとバイクから降りた。

その女性がサングラス越しに僕をちらっと見て、頭を少し下げた。挨拶って理解するのに時間がかかる。暗闇の中、もっさりとした雰囲気だ。

わざとなのか、無意識なのかこれから襲撃って時に会う人物とは思えなかった。

達也くんは、その女性の佇まいを特に気にするでなく、情報端末でやり取りをしている。両者は同時に頷いて、女性が先導して歩き始めた。達也くんがその場にバイクを置いて、その後ろを僕が続く。

その女性の説明はされなかった。僕も聞かない。必要があれば言ってくれるだろう。

別荘地は三方が緑に囲まれ、鎌倉の歴史的に道が狭く、古い洋館も目立つ。

女性が一軒家の別荘の前で足を止めた。周囲に人の気配はない。達也くんが周囲を目だけで見まわす。

僕もつられて周囲を見回すけど、朝の冷たい空気しか感じられない。

 

「あれ?」

 

「どうした?」

 

「十文字先輩や、七草家の人は?」

 

人気は感じなくても、周囲には四葉家の魔法師が潜んでいるはずだ。それに、この現場には当然、十文字先輩や七草家の魔法師もいると僕は考えていた。

昨夜の達也くんの連絡から6時間以上時間が経過している。時間は多くないけど、東京から戦闘魔法師を派遣するには十分な時間だ。

 

「我々だけだが?」

 

達也くんがヘルメット越しに、不思議そうに呟いた。

え?四葉家の戦闘員だけ?さっきまでの会議や十師族の協力体制の話はどこに行ったんだろう。

準備に手間取り、捕縛の動きをグ・ジーに察知されるほど、十文字家も七草家も手際は悪くないはずだ。

この周囲には他家に知られたくない部隊が詰めているのだろうか。達也くんの隣に立つ女性の存在を知られたくない、とか。

達也くんは、ハナッから四葉家だけで捕縛しようとする態度で、女性もそう考えているみたいだ。他家は信用できない、情報漏れを気にしているとしたら、師族会議で結成させた捜索部隊の意味がない。

僕には理解できない深い意味や意図があるのだろうか。ちょっと釈然としない。

全身で考え出す僕に、女性もやや戸惑っている。

そんな奇妙な雰囲気をかえようとしたのか、

 

「ここですか?番地が違うように思われますが」

 

「間違っていました」

 

達也くんが女性に質問して、女性も短く答えた。

その返事に、達也くんがいきなり両手で拳銃型CADを抜いて構えた。かちゃりと、静かな別荘地に、乾いた金属音がした。女性が別荘に意識を向ける。

 

「総員、耐熱、耐魔法防御!」

 

達也くんが別荘に向けて拳銃型CADの引き金を引いた。別荘内から発動した『魔法』が膨れ上がると同時に霧散した。

直後、別荘が燃え上がった。達也くんと女性が『跳躍』で後方に飛び退る。女性の方が大きく飛んで、それでもしっかりと身構えている。そして、僕が身動きしないで突っ立いていることに驚く。

炎に、僕の半身が照らされて赤くなっていた。

僕が動かないことに女性は一瞬、訝しむも、すぐに気が付いた。

 

「音がしない?」

 

「うん。僕の役目はグ・ジーの逃亡阻止だから」

 

達也くんが警告すると同時に、僕は別荘の敷地を『能力』で完全に囲っている。

『壁』の内側からは空気も音も漏れ出せない。当然、人間では脱出不可能だ。それも、他の『魔法』に干渉しないよう効果範囲を細かく計算している。

 

「…どうやって」

 

どうって?説明が難しい。

 

「『念力』で空間そのものを『ずらす』んだ。この世界の物理法則からは逸脱しているから、『魔法』や兵器で対処は不可能だよ」

 

僕の説明は、現代魔法では説明になっていない。僕にとって『サイキック』は、人によって足が速かったり、スピードボールを投げられる人が投げられるような感覚だ。そしてこの程度の『サイキック』は街頭のセンサーレベルでは検知できない。魔法師から見ると、僕は無防備に立っているだけに見える。

女性が茫然としているのがわかる。

 

「吉見さん、久の『能力』を常識で考えても無意味ですよ」

 

自身も非常識の塊の達也くんが言った。この女性は、多分女性は吉見さんと言うのか。

 

「…最強のサイキック」

 

吉見さんがもごもごと呟く。僕が『サイキック』であることは知識として知ってはいる。でも、路傍の石ころを浮かべる程度のレベルとは次元が違うことを理解したようだ。

 

「グ・ジーはいない。中にいるのは『ジェネレーター』が三体」

 

達也くんが周囲の戦闘員にも伝えるため、再び叫ぶ。

 

グ・ジーがいないのにジェネレーター?

警戒されていた…警戒は当然しているだろう。グ・ジーは十師族や公権力の捜索から逃げおおせているんだから。

でも、貴重な戦力であるジェネレーターを置き去り?罠?違うな。

これは、待ち伏せをされたんだ。

グ・ジーはとっくに逃げていて、襲撃の情報は、結局、漏れていたわけだ。

家電以上携帯以下の僕が情報戦を語る資格はないんだけど、他家に情報を報せなくても、こうなったのは…四葉家にしては何だかしっくりこない。

 

「三体とも死体を残してください」

 

吉見さんが達也くんに言う。

ジェネレーターは尋問が無意味なので、さっさと殺した方が早い。

死体を残す…吉見さんがわざわざそう伝えたのは、遺留品から情報を得ようと言う意味なんだろう。

 

「下がって。俺が一人でやります」

 

拳銃型CADを構えなおし、達也くんが言う。その姿は、凛々しくかっこいい。吉見さんは頷き数歩下がり、周囲を囲んでいた四葉家の戦闘員も足を止めた。

達也くんが僕に目を向け、僕は達也くんの通り道を開く。達也くんが駆け出すと、別荘を包む炎が一段大きくなった。

 

「…敵はサイキック…いや、強化型のサイキックか」

 

敵の『魔法』が起動式を使う現代魔法ではない、個人能力に拠った『サイキック』であることに僕はすぐに気が付いた。当然、達也くんも。

僕の『弟たち』は、まだいるんだ。全く、過去の軍はどれだけ『弟たち』を造ったんだ。グ・ジーはどこから彼らを調達しているのだろう。

僕が考えている間、達也くんが炎の中で機敏に動き回っている。三体の敵に達也くん一人をあてるのは、達也くんが一人で戦うことに特化しているからだ。下手に魔法師を戦闘に参加させると、レベル差で連携が難しくなる。

敵の発動する『発火』を次々と『分解』する達也くん。

そんな炎に照らされた後姿を見ながら、

 

「しまったな」

 

僕は呟いた。吉見さんがサングラス越しに僕に視線を向けた。

 

「達也くんでも、『魔法』の結果である炎は消せない。水をかけるとか空気を遮断するとかの『魔法』は出力の小さい達也くんでは難しい」

 

吉見さんは、黙って僕の呟きを聞いている。

 

「逃走を防ぐために『空間』を遮断したけど、この明るい炎は誰からでも目で見える。別荘地に住む人は火災には敏感だろうから…」

 

僕の言いたいことに吉見さんも気が付いた。炎の柱が三方の山を、朝の光とは違う色で染めていた。

 

「視界を覆う『幻術』を展開した方がよかったけど…同時に『魔法』は使えないし、そもそも手遅れか…」

 

いきなり建物が崩壊して火柱が消えた。達也くんが建物の柱を破壊して、瓦礫と炎に押しつぶされたジェネレーターが炎を消したんだ。

達也くんにしては雑な攻撃だ。音が漏れないってわかっているからかな。

瓦礫を弾いて飛び掛かる敵が放った『発火』を、達也くんはサイオンを放出することで魔法式その物を吹き飛ばす。

そのままCADをジェネレーターに向ける。

人体にかける『魔法』は難しいけれど、達也くんの『魔法』でジェネレーターを護ってた事象干渉力が簡単に崩れる。

引き金を引き、敵の胸がこぶし大に陥没し、もう一度引き金を引くと、三つの心臓が文字通り消し飛んだ。

心臓を失ったジェネレーターが瓦礫の中に倒れる。達也くんは油断なく銃を構えていた。

常人なら心臓を失えばアウトだけどジェネレーターは『僵尸術』の応用で、どこからが死亡になるのか不明だ。

遠くからサイレンの音が聞こえる。消防車のサイレンだ。付近の住人が通報したんだ。

その音を聞いた吉見さんが、死体を『視て』いた達也くんの合図を待たず動いた。

吉見さんがもっさりとした服装にしては機敏に動く。僕が解除した『壁』の一部から死体に駆け寄る。周囲の四葉家の戦闘員も、炎の明かりに身を晒していた。少し無防備だ。

達也くんは視線を死体から動かさない。『壁』のせいでサイレンが聞こえないから…いや、違う。

倒れていた死体がいきなり発光した。

遅延発動型、『ジェネレーター』の死亡を発動キーにした『魔法』。『僵尸術』だ!

映画のゾンビみたいに復活した死体が、ありえない動きで立ち上がった。

死体の一体に屈みこんでいた吉見さんに襲い掛かる。吉見さんが慌てて、転びそうになった。

達也くんは、冷静に拳銃型CADを死体に向けた。

使う魔法は、『術式解散』。例の、達也くんの『異能』、魔法式の分解だ。

三つの死体が、万歳しながら倒れ、焦げた木材に巨体が沈んだ。

 

「ありがとう…ございます」

 

「もう大丈夫でしょう」

 

吉見さんは震える声で言い、達也くんに、動揺と安堵、感謝を込めた礼をした。

達也くんがサイレンに気が付いた。

 

「後は、私たちがします」

 

吉見さんが再びもごもご呟く。達也くんは遅疑することなく、CADを両脇のホルスターにしまう。

 

「久、行くぞ」

 

「うん」

 

達也くんがバイクに向かって駆け出し、僕も続く。

走りながら振り向くと、四葉家の戦闘員が死体を運び出そうと動き出していた。

火事現場は血痕に複数の足跡など痕跡だらけだ。

消防隊員は、この現場が過失や事故でないことにすぐ気が付くだろう。

地元は、しばらく大騒ぎになる。

待ち伏せだったとは言え、達也くんも四葉もあまりスマートな対応ではなかった。それとも、グ・ジーの方が上手だったのかな。

 

 

「達也くん、ごめん」

 

「何故、謝る?」

 

バイクは高速道路を急いでいた。

タンデムシートに座り、往路のように達也くんにしがみ付きながら僕は、バイクの騒音に消されないように大声で言った。

 

「音だけじゃなく、炎が周辺から見えないように偽装すればよかった」

 

達也くんのバイクスーツから炎と煙、建築物の埃のにおいがする。十文字先輩がいないことに思考が寄ってしまい、対応が遅れてしまった。『遮断』ではなく、別荘の敷地のすべての空気を抜いてしまえば火事は防げた。さしものジェネレーターもほぼ真空では生命活動はできないだろう。

 

「久が気にすることじゃない。それよりも、情報の漏洩の方が気になる。四葉の通信を傍受・解読するだけの組織やスキルがあるとは思えないのだが…」

 

それきり達也くんは黙った。

四葉家の通信セキュリティーはしっかりしているだろうけれど、どれ程のレベルかまでは僕にはわからない。

響子さんなら容易くハッキングできるだろうなぁって考えながら、振り落とされないよう達也くんにしがみついていた。

 

帰宅は7時で、外は白々と明けている。

自宅前でバイクを降りると、どうせすぐ一高前駅で会うし、あいさつもそこそこに僕たちは分かれた。

達也くんも、颯爽とバイクで去って行く。

僕は軽くシャワーを浴びて汚れを落とすと、澪さんが用意してくれた朝食を食べる。食べながら澪さんが僕の身づくろいをしてくれて、襲撃の顛末を教えた。

今回の襲撃について四葉家は、他家には今朝になって報告したって。

四葉家単独で行動し、なおかつ失敗したって報告を、他の十師族はどう考えるのだろう。

 

「澪さんは、達也くんたちが単独で動いたことをどう思う?」

 

澪さんは、ちょっと考えて、

 

「秘密主義の四葉家は、やはり他家に戦力を見られたくはないのでしょうね」

 

「独断で動いたら、たとえ今回の襲撃が成功していても非難されていたよ」

 

「…非難を気にしないって、ことでしょうね」

 

四葉の独立自恃の精神は、他家には傲慢に感じるはずだ。

レストラン会議のぎこちなさや、師族会議の連携不足は四葉家のせいだって、他の十師族は考えるだろう。

今回のグ・ジー捜索隊は、十師族間の軋轢を浮き彫りにしている。

それは無意識なのか、自然の流れなのか、故意なのか…グ・ジーの捜索よりも、いずれ大きな問題の端緒になる気がする。

 

 

1時間後、一高前駅のキャビネット乗り場で達也くんたちと待ち合わせをする。

僕の心の中のもやもやは、何かを殴りたい気分にさせる。

勿論、殴ったところで僕の手が痛いだけだからしないけど、深雪さんの表情もやや暗い。

グ・ジーの確保失敗に深雪さんは少し落ち込んでいた。これは純粋に婚約者の身体を心配してだろう。

 

「久も、お疲れ様ね」

 

寒さに肩を窄めていた僕に深雪さんが優しく声をかけた。

 

「うぅん、僕は何もしてないよ。ほとんど往復のバイクで達也くんに抱き着いていただけだった」

 

「抱き…ついていた?」

 

深雪さん、今朝も笑顔が素敵だね。

 

「流石に4時間も抱きしめていたから、腕が疲れちゃった」

 

腕を揉む。

 

「達也くんの体温と香りが宿っているみたいだよ」

 

「4時間も」

 

今朝は冷えるな。小雪がちらついている。

 

「でも2人で高速道路を走りながら見た朝日は、綺麗だったな。夜明けのデートみたいで、雪を頂いた富士山もご褒美みたいだった」

 

「体温、香り…でーと」

 

「達也くんと一晩を過ごすのは初めてだったから…一生の思い出になったな。達也くんのぬくもりが忘れられないよ」

 

もやもやはあるけど、達也くんと最初から任務にあたるのは初めてだったから、襲撃も含めて、ちょっと楽しんでしまったことは否定できない。

 

「久、誤解を招く発言をするな」

 

ぽかっ!

 

「あー、達也くん、ぐーで殴った!深雪さーん」

 

僕は深雪さんの背中に隠れる。深雪さんの背中に手を触れているけど、深雪さんは気にしないで僕の黒髪を撫ぜてくれる。

 

「お兄様、久は私たちの可愛い妹ですよ、女の子に手を挙げるなんて非常識です」

 

「妹じゃないって、お義兄さんだよ」

 

水波ちゃんが、そんな四葉の兄妹のじゃれあいをジト目で見ている。

それは平和な日常の風景だった。

 

 

 

 




レストラン会議の翌朝、達也と吉見が四葉家単独で、鎌倉のグ・ジー潜伏先を襲撃します。
原作では、さらっと襲撃していますが、
これって、それまでの会議や十師族協力はどこに行ったんだ的な流れです。
二日後、将輝が一高に来る月曜日の会議までには、
克人と真由美に、襲撃の件は報告できる範囲で話しているって、こちらもさらっと書かれています。
四葉家が勝手に動いて、事後承諾することに、2人がどう思ったかは書かれていません。
これでは四葉は十文字と七草をまるっきり信用していない、もしくは戦力としてあてにしていないって思われます。
克人は、どう思ったでしょうね。

原作では四葉以外の組織は、独立魔装部隊以外はほとんど無能のように描写されているので、仕方がないのですが、
達也や四葉が失敗する時は、たとえばグ・ジー逮捕の失敗やなんかは、他の誰かが足を引っ張るからです。
八雲の介入とかエリカのバカ兄貴さんとか。
諸葛孔明が負けるときは、部下の誰かが失敗するみたいな雰囲気です。
黒羽の双子がもっと強ければ、次のグ・ジー襲撃も成功したはずですし。
このあたりから最新刊まで、原作中での達也と四葉の行動が『片手落ち』だと感じるのは、
達也が強すぎて、単独で動かしにくくなった結果、他とのバランスが難しい、
次期当主に決まった深雪がまったく動かせられない、
達也と深雪が共闘する場面がなくなったから、と思うのは自分だけでしょうか。

では、また次回。





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夜明け前が一番暗い

今回は、濡れ場(?)です。


 

「ところで久、もうすぐ期末試験だけれど、勉強は進んでいますか?」

 

グ・ジーの隠れ家を襲撃した翌日、日曜の今日は、年度末も近いこともあり、大企業五輪家の大株主でもある澪さんは都内の実家に帰省していて日中は不在だった。

今夜は久しぶりに響子さんも帰宅するから、気合を入れて主夫業、料理の仕込みに半日を費やそうかと考えていた所、朝の8時30分頃、お母様から電話があった。

 

「テロやグ・ジー捜索で忙しいでしょうけれど、久は私の養子になったのよ。四葉家の者として、私の息子として、平凡な成績で私に恥をかかせないくださいね」

 

以前、達也くんにも生徒会長の深雪に恥をかかすなと脅かされたなぁ。

 

「恥と言われますと、何位以内がお恥ではないでしょうか」

 

動揺して変な敬語になった。

 

「そうね、最低でも学年で10位以内ね」

 

成績上位者の顔を順に浮かべる。これはハードルが高い。

 

「久、あなたは学力が低いわけではないわ。入学当初は面白がって勉強していたそうね。それが最近は疎かになっている。澪さんと言う最高の家庭教師もいるのに、どうして?」

 

入学当時、僕は一生懸命勉強をしていた。あの当時は他に目的がなかったし、睡眠もとらなかった。授業で習う『魔法』のレベルが基礎の段階で比較的簡単だった。

今は、とにかく複雑で、高校の一般科目もすごく難しい。僕の学力の土台はひどく粗くて脆いから、ここまでは必殺の丸暗記で何とか対応してはいた。

去年まで澪さんは丁寧に家庭教師をしてくれた。時には厳しく勉強を教えてくれたけど、婚約が発表されてからは、無理に勉強を押し付けなくなった。

僕が落第や退学になって、無職になっても、戦略級魔法師であることにかわりはなく、澪さんは大金持ちだから僕がヒモ状態でも問題ない。今だって半分引きこもりだし、むしろ一緒にいられる時間が毎日になる…と考えている節がある。

響子さんは、自主性を重んじる性格だから、僕の学業については基本的に口出ししない。

 

「久、今日は、私が勉強を見てあげるわ。私の部屋に『飛んで』来なさい」

 

「え?良いんですか!」

 

お母様とはほぼ毎晩、電話でお話ししているけれど、直接顔を合わせる機会は少ないから素直に嬉しい。

破顔一笑の僕は、戸締りと火の元をしっかり確認した後、リラックスできる厚手のスウェット生地の上下、薄手のカーディガンに着替えて、『意識認識』をする。

自分の『意識』を浅く広く、世界に均等にあるように広めて行く。達也くんと深雪さん、澪さん、真由美さん、香澄さん、十文字先輩や市原先輩の『意識』も感じられる。

響子さんは、土浦にいるのかな、今の範囲じゃ感じられない。光宣くんは生駒だから、ちょっと遠いな。

お母様の存在を感じられる。そのまま、お母様の周囲を『空間認識』。漠然と感覚的に、お母様の周囲の構造物を感じられる。

瞬きの時間もかからず、僕の身体は練馬から山梨の四葉家本宅、お母様の部屋に『瞬間移動』した。

 

「あっ!?」

 

「あら、もう来たのね」

 

目の前に現れたお母様は(現れたのは僕だけど)、しどけない姿でベッドに腰かけていた。

時刻は9時前。お母様は少し御髪が乱れていて、まだ寝起きのよう。ちょっと気だるげだ。お母様は朝が弱いのかな。

 

「今朝…久が高校4年生になる夢を見たのよ」

 

それは、リアリティのある夢だ。魔法師の夢は、バカに出来ない。お母様は半覚醒状態みたいだ。でも、僕の夢を見てくれていたのかと思うと、嬉しくなる。

お母様の寝室は、四葉家の邸宅が和洋折衷で増築を繰り返しているせいか、少し雑然としていた。四葉家の当主にしてはやや狭く8畳ほど。

東向きの窓に長いカーテンと隣室に抜ける空間の抜けがあり、足付きのベッドのおかげで床が広く見えて、狭い寝室でも息苦しさを感じさせない。人に見せる部屋ではなく、まさにプライベートの空間だ。

お母様はラペルラのナイトガウンを着ている。

淡い朝日に照らされてオーガニックコットンの生地はなめらかに光沢を放ち、レースで隠された胸元が甘美な雰囲気でお母様の妖艶さを引き立てていた。

襟からこぼれる両胸、裾から伸びる踝が奇妙に白く感じられる。

僕は、ちょっとどきどきして、お母様の素肌を見つめてしまう。

 

「ごっ、ごめんなさいお母様、寝室だとは思っていなくて」

 

四葉家のレイアウトを僕は詳細には知らないから、てっきり書斎かと思っていた。

僕の『空間認識』はその程度の能力だ。

 

「別に慌てなくてもいいのよ、親子なのだもの。隠す必要なんてないでしょ、それより、おはようの挨拶はしてくれないの?」

 

親子!

お母様にそう言われると、僕の胸にえもいわれぬ感情が沸き上がる。これは、慕情なのかな。

吸い寄せられるように、お母様の頬にキスをする。そのまま、お母様のちょっとあらわになった胸に抱き着く。

 

「おはようございます、お母様」

 

「おはよう久」

 

人の感情が完全に理解できない僕は、無意識に人の温もりを求めてしまうようだ。

すぐ隣にあるのに手が届かない状態は、ひどく精神を消耗するから、直接に肌が触れていると、ものすごく落ち着く。

その理屈だと、肌に触れても特に何も感じなかった真由美さん、香澄さんは僕にとって大事な女性ではないことになる。

 

「朝食は食べた?私はこれからだけれど?」

 

「いただきます!」

 

出かける前の澪さんと朝食は済ませている。時間に余裕がなかったので、トーストとスクランブルエッグの簡単な朝食だった。

僕は、食いしん坊だ。

お母様がベッド脇のコントロールパネルを操作した。やや古めかしいブザーが鳴る。間髪おかず、小さなスピーカーから若い女性の返事があった。

 

「着替えの準備を。それと朝食は久の分を含めて用意してくださいな」

 

お母様は、使用人に対しても丁寧だ。

寝室のドアを遠慮がちにノックする音がした。お母様はベッドから立ち上がると、ナイトガウンのボタンを外し始める。ガウンがするりと肩から滑り落ちた。

若いメイドが2人寝室に入って来て、半裸のお母様と、ベッドにちょこんと座る僕に目を向けた。メイドたちは特に驚かず、僕に黙礼をして、お母様の着替えを始めた。

僕はお母様の襟足から肩甲骨、背中、髪をぼぅと見つめていた。

お母様が首だけを器用に曲げて、僕を見た。

 

「久、髪に櫛を入れてくれる?」

 

「あっ、はい」

 

僕はふらふらと立ち上がる。お母様は、本当に綺麗だなぁ。こんなに綺麗な女性が僕のお母様だなんて、今、僕は幸せの絶頂に至っている。

 

食後、僕たちは書斎に移動した。二人掛けのソファに並んで腰かける。

お母様は食後の紅茶を飲んで、お腹を休ませている。僕はその横で、お母様から借りた端末を不器用に操作していた。

魔法科高校のカリキュラムは外部からアクセスできないので、授業内容に近い設問を探していた。

この世界の『魔法』は複雑であればあるほど珍重されるような気風があって、達也くんが評価されなかったり、魔法力が強すぎて簡単な『魔法』すら戦略級にしてしまう僕が評価されないのはそのせいだ。

そんな世間の評価はどうだって良いけど、お母様に恥をかかせてはいけないから真剣に勉強しなきゃ。

 

書斎のドアをノックする音に、僕たちの視線はそろってドアに向かう。

お母様が許可をすると、葉山さんが非の打ちどころのない執事姿で入室してきた。

片手にノートサイズの端末を携えている。

 

「奥様。一昨日の、鎌倉の『ジェネレーター』に関して、ですが」

 

葉山さんが視線だけ僕に向けた。

 

「続けてください。久は私の息子ですよ。襲撃の当事者でもありますしね」

 

葉山さんが頷いた。僕も手を止めて葉山さんの話を聞く。

 

「『ジェネレーター』の素体となった強化魔法師は、座間基地の強制収容所から脱走した特殊戦術兵でした」

 

「座間…あそこは年末、達也さんたちを襲撃し、久が高尾山で倒した松本収容所の特殊兵よりも強化された魔法師が収容されていたわね」

 

「はい」

 

「現在、脱走兵の始末の依頼はなかったわね。国防軍でも把握できていない…どうやら、座間基地はグ・ジーの協力者、もしくは洗脳された者に侵食されていると見た方が妥当かしら」

 

「そのようです」

 

昨日の襲撃から24時間。たった一日で、ジェネレーターの出どころがわかるのは流石だな。それだけ情報の蓄積もあるのだろう。

僕が以前、倒した強化兵は『念動力』が強化されている程度だった。

『振動系魔法』である『加熱』『発火』を使える座間基地の特殊兵は、より深く強化されいる。技術の進歩か、資金や組織、人材を投入したのか。

適性を高めた分、人格を著しく損ない、社会に適応できなくなり、施設に軟禁される程に歪んだわけだ。

もともと歪んでいるから被験者に選ばれた、もしくは志願したのかもしれないけど。

それよりも国防軍のほころびの方は、看過できない問題だ。

 

「詳しい報告は後で聞きます。それと、同じ内容を達也さんに封書で伝えるよう手続きをしてください」

 

四葉の通信が敵組織に傍受されている状況では、多少手間でも手紙の方が安全だろう。

僕は2人の会話を聞いて、いくつか疑問が浮かんでいた。

強化兵が矯正施設に軟禁されていることは、生駒の九島家で烈くんと会話したから覚えている。このSSの第一話だ。

僕の実験データから開発された『弟たち』だけど、救いの手を差し伸べる気はない。強化兵を脱出させたところで行く場所なんてないからだ。

国防軍に追われ狩られるだけの末路なら、衣食住が保証されている施設から脱走するなんて意味がない。勿論、飼い殺しの軟禁生活を嫌になって脱走する兵はいるだろうけど、それにしては脱走する兵が多いな。

昔からなのか、強化兵の監禁に耐えられなくなった時期が重なっているのかな…

 

「お母様、お聞きしても良いですか?」

 

2人が会話を終えたところを見計らって、お母様に尋ねる。

 

「強化兵を隔離する施設がいくつかあるってことは、一か所に収容できない程、数がいるってことですよね。どれくらいいるんですか」

 

「過去、軍の魔法師開発で強化措置を受けた兵は約1万人。その多くが戦場、最前線に送り込まれて死亡している。

群発戦争時代の実験的な素体から、実戦に特化した強力な特殊兵は年齢に幅があるけれど、各地の矯正施設に30年以上軟禁されていたわ。現在も50歳以上70歳程度の強化兵が…」

 

お母様が葉山さんから受け取った情報端末を確認して、

 

「1,500人近く生存しているわ」

 

想像よりも多い。

烈くんは本来、殺処分になるところを収容所送りにとどめたって言っていた。当時は今ほど軍や魔法師の世界に影響力はなかったから色々と苦労を掛けたな。終戦時にはもっと生き残っていたのだし、烈くんには頭が上がらない。このお礼は、烈くんの希望通り、光宣くんに返すことにしよう。

ただ、強化兵は肉体も強化されていたけど、隔離施設で30年も生き残るのは想定外だっただろう。

 

「さっき、依頼っておっしゃっていましたが、脱走兵の始末は十師族…四葉家が請け負っているんですか?」

 

「ええ、四葉家の収入源のひとつになる程にね」

 

同国人殺し。それは四葉家が魔法師の世界から畏怖され忌避される遠因だろう。

 

「何故、国防軍が自ら処置をしないんですか?」

 

「米軍には脱走魔法師を処置する部署があるけれど、この国にはないの」

 

「軍の構成上、軍警察の存在は不可欠だと思いますが」

 

「それは、通常の兵士や魔法師に対する組織ね。強化兵の存在は一般には公にはなっていない」

 

「それでも外部に委託するなんて」

 

「臭いものには蓋、同国人同士で殺し合いをしたくない、過去の英雄を殺したくない、自らは手を汚したくない、と言ったところね」

 

「強化兵の監禁は難しいでしょうが、それにしては脱走が多すぎなんじゃ…昔からなんですか?軍が、警備を甘くして、わざと逃がしているんですか?」

 

「監禁もただではない。いえ、堅牢な施設を維持するのは、かなりの金額になるわ。外部、四葉家に脱走兵の始末を依頼する金額なんて比較にならない程にね」

 

お母様は、やんわりと肯定した。

 

「ただ、ここの所、依頼が多くなっている。施設の老朽化や、強化兵の精神の限界…」

 

「侵略者の手が伸びているってことですか?」

 

「ええ。テロや戦争の影が濃くなっている中、こうも脱走が敵に利用されては、各地に爆弾を抱える結果になっている。これからも頻発する、手間が増えると考えると…正直、面倒よね」

 

別に軍に感謝を求めているわけではないけど、この依頼が続けば、お互いに倦むし、嫌な感情も増しますからね、とお母様が疲れた表情をした。

その表情を間近で見て、僕は悲しくなる。

お母様の憂い顔を作っているのは、僕の研究結果から産まれた『弟たち』だ。

僕にとっても『弟たち』の存在は決着をつけなくてはいけない問題だけど、時間が確実に解決してくれる問題でもあったから、普段は目を背けていた。

お母様は、今、胸を痛めているんだ。

お母様の為にも僕がやらなくちゃ。

 

「お母様、僕がその特殊兵を全員、始末します。生きていたところで、良いことなんてないだろうし…」

 

下手な言い訳じみている。はっきり、言葉にしないと。

 

「敵は、僕が全員、殺します」

 

僕の思考は偏っているから、敵は殺す一択しかない。

お母様は数拍黙考した。

 

「強化兵を利用できると考えている国防軍の上層部もいるから、いきなり全員を始末しては政治的に問題が発生します」

 

「ばれなければ、問題はないですか?」

 

「『魔法』、もしくは薬物での殺害では難しいわよ。時間をかければ、なお難しくなる」

 

収容施設からの脱走が困難なら、侵入も困難だろう。

 

「依頼があって、特殊兵の人数を把握しているってことは、監禁施設のレイアウトも詳しくわかりますよね」

 

「すべてではないけれど、ある程度は。具体的には?」

 

「老衰させます。遺伝子的に寿命となれば、一斉に死んでも証拠が見つからなければ、むしろ一斉に死んだら、それは強化の限界だと思われるでしょう」

 

狂気の発言も、僕にとっては平然と語られる思い付きだ。

 

「強化兵の中には50歳程度の素体もいる…けれど、そうね、久の言うとおりね。でも、久にそんなことが可能なの?」

 

「『念力』で細胞の活動を活性化します。全身の細胞、遺伝子の時間を強制的に進めます」

 

細胞の活性化は、今年の初め、謎の敵に狙撃された僕が無理やり『回復』させた時に使った。僕のように別次元から無限のエネルギーを供給できない強化兵は、一気に老化するだろう。

人体に影響を与える『魔法』は難しいから、自分の時ほど簡単じゃないかもしれないけど、僕の『サイキック』を考えると大した問題じゃないだろう。

そして、『空間認識』を併用すれば遠距離の対象を『老衰』させることが可能になる。

僕の『空間認識』は、既知の場所じゃないと人間と構造物の区別がつかない。でも、詳細な間取りがわかれば、可能だ。

新たな『能力』の使い方を思い出した途端こうなる。現在は、過去の積み重ね、自分の決断が未来につながる。

 

「強化兵の体調は管理されていますか?」

 

「いいえ。病気にかかれば、軍としては好都合だから完全に飼い殺しよ…それで、その『老化』は距離はどれくらい必要?同時に何人屠れるのかしら」

 

「施設のレイアウトが完璧にわかれば、ここからでも。人数はやってみないと不明だけど、10人程度なら余裕だと思います」

 

『空間認識』は『瞬間移動』の距離とイコールだ。僕の『瞬間移動』の限界距離は…

 

「ではやってみましょう。松本の収容所の詳細はわかっています。松本の施設は、大量脱走の影響で現在は13人だけ、試すにはちょうど良い人数かしら」

 

「そうですね」

 

13…不吉な数字。

13人を手始めに、1,500人もの『弟たち』を僕が殺す。

それはお母様の為ではなく、僕の過去の抹殺だ。未来に向かう為にも僕がやらなくちゃ。

 

「久、ここに座りなさい」

 

お母様が、自分の太ももをぽんぽんと叩いた。

 

「久が力を使っている間、私が護ってあげるわ」

 

「ほんとですか!」

 

僕は散歩に連れていかれる前の子犬のように喜ぶ。しっぽがあればぶんぶん振っていたはずだ。

いつもならお母様の後ろに控えている葉山さんが、ドアの横に移動した。立哨するつもりのようだ。

当代最強と噂される魔法師が護ってくれるなら安心…いや、お母様が護ってくれるなら、僕は何もかも身を委ねられる。

僕はお母様に背中を向ける形で太ももに座る。瑞々しい、成熟した女性の柔らかさと温かさが僕のお尻に伝わってきた。

お母様が僕を後ろから包むように抱きしめてくれる。

お母様の体温が背中に直に伝わる。

僕は、ちょっともじもじしながらお尻を安定させて、両手で持ったノート型端末で、松本収容所の詳細な見取り図を確認する。

目を瞑り、『空間認識』をする為、『意識』を海のように広げていく…

 

間近に太陽のような『意識』が輝いている。お母様の『意識』だ。強烈すぎて他が霞みそうなる。少し感覚を切り替えて、全方位ではなく、松本の方向だけに集中した。

僕の『意識』はすぐに松本の施設にたどり着く。『瞬間移動』の場合は、出現地点だけわかれば良いけど、今回は施設そのものを『意識』する。

『空間認識』で見る世界は、説明が難しい。これは目で見て脳で映像化しているわけではないからだ。

白と黒と透明と空間だけの世界では、構造物と人間の区別が難しい。それに強化兵と施設職員との判別は全くできない。

強化兵は6畳程度の独居房に隔離されている。房には窓すらない。

ドアは分厚く特殊仕様であるうえ、施設職員のセキュリティICカード認証システムと指紋生体認証システム、物理的な施錠がされていて、内側からは開けられない仕様になっている。

床は板張りと二畳の畳、簡易ベッドにトイレ、洗面所が設置され、娯楽はテレビとラジオだけ。

希望すれば書籍も手に入るそうだけど、強化兵には身内がいない者が多いからそれ以外の娯楽、差し入れはないそうだ。

天井の角の監視カメラが、24時間独房を監視している。

こんなところに隔離されて30年か。人格に問題があるとは言え、これは精神がおかしくなるのもやむを得ない。運動不足や栄養不足で、少しずつ弱って行くのだろう。

独居房はすべて同じ間取り、配置なので、独房内の人間の存在はすぐにわかった。人の形のモノが13体。

何をしているか、何を考えているかわからないけれど、13人がそこにいた。

他にも施設の内外で動いている存在を感じられる。それは施設の職員か軍人だろう。

独居房の13人は弱っているのか、動きが少ない。

どうやら生きの良い強化兵から脱走させられて、四葉家が始末をつけていたのだろう。放置しておいても問題はない、問題を起こせるほどの力はないのかもしれない。でも、僕も四葉だ。

13人の存在を確信すると、僕は13人の肉体の時間を加速する。

僕は空間を支配する『サイキック』だ。空間は重力と時間と密接な関係がある。

多分に感覚的な力だけれど、僕は時間を進められる。細胞の活動を活性化、遺伝子そのものを加速させる。

加減は、初めてだからわからない。

ゆっくりと、確実に時間を進める。罪悪感は特にない。僕は、淡々と13人を殺して行く。

正確なところはわからないけど、13人の身体が熱を帯びた。42℃くらいまで上昇しただろうか、全身に熱を感じたけど、苦痛はなかったみたいだ。

暴れるでなく、その場で横になり、やがて動かなくなった。

時間は10分ほどかけた。

僕は『老化』をやめる。『空間認識』では生死は不明だけど、もはや自力では動けないだろう。これ以上は無用だ。

もともと加齢で弱っていたこともあり、職員は異常にまったく気が付いていなかった。施設に目立った動きはない。

松本収容所の職員は、不手際が続いているし、士気が下がって、規律が緩んでいるのかもしれないけど…

 

「くっあぁ」

 

僕は自分のうめき声で『意識』を身体に戻した。

頭が痛い。

頭の中で割れ鐘が打ち鳴らされているみたいだ。気持ちが悪い。ここまで酷い頭痛は初めてだ。

そう言えば、『認識』は通常はほぼ一瞬。今回のように10分も『空間認識』を、それも広範囲を『意識』したのは初めてだ。

『空間認識』と『意識認識』は僕の『意識』を世界に均等に広めるイメージで、それはこの世界の物理法則からは逸脱している『瞬間移動』と同様、穴だらけの魔法式を僕の『能力』で無理やり、力業で行っている。

僕の肉体は三次元に強固に囚われている。『認識』を長時間使うことは、ある意味、肉体と精神の分離につながる。

『三次元化』が『高位次元』側のシステムだから、周公瑾さんのように肉体と『意識』は簡単には分離できない、と言うことか。

周公瑾さんも『昇仙』には、長い時間と準備をかけているから、『認識』は僕が想像しているよりも僕の脳に負担をかけるようだ。

 

身体の感覚がはっきりしてくる。お母様の体温を背中に感じる。

 

「終わったの?」

 

お母様の声が、甘い吐息とともに僕の耳をくすぐる。

 

「…はい。確認はできませんが…13人は…死んだか、死の寸前にまで至っていると…思います」

 

僕は息も絶え絶えに答える。それでも、お母様に心配をかけたくないから、頑張って元気を装う。装えて…いないか。

 

「そう、その確認はこちらでするわ…辛そうね」

 

「いえ…は…い」

 

僕はお母様に全身を委ねる。正直、かなり辛い。お母様が抱きしめていてくれなければ、僕は床まで倒れていた。

脳が酸素不足で悲鳴を上げているようだ。

身体に異常はないけど、脳との接続が悪いのかうまく動かせられない。手に持っていた端末をお母様がそっとどかしてくれる。

 

「久、今回の『能力』は誰にも言ってはダメよ。遠距離から人間を無差別に老死させられるなんて、戦略級魔法師だからと言っても、確実に迫害されるわ」

 

この『能力』は暗殺に使用するには強力で、防ぐことは、ほぼ不可能。『術式解体』でかろうじて防ぐことができるかな。そもそも『老化』に気が付けるかどうか。

爆殺だろうが老死だろうが殺すことにはかわりがないのに、老化の方を恐れるのは人間の本能だ。

人が目の前でいきなり老衰したら、それはホラーだけど、今回のケースが特殊だっただけで、殺すだけなら銃弾一発ですむし、別の『魔法』がいくらでもある。使用するたびに僕の体調が悪くなるなら、条件が厳しく使い勝手が悪すぎる。

 

「この『能力』…そうね『終(つい)』と仮に名付けましょうか、『終』のことは、私と久だけの秘密にしておきましょう」

 

お母様と僕だけの秘密ってのも悪くはないな。葉山さんの存在は…都合よく忘れよう。

 

「それと『終』は、久の身体にも負担をかけるようだから封印しましょう。残りの1,500人は…別の方法を考えましょうか」

 

確かに、10人そこそこでこの状態だ。一人ずつなら大丈夫だと思うけれど、それでは時間がかかりすぎる。

何事も簡単にとは行かないな。

でも、お母様はそれほど残念がっていないようだ。完成された魔法師として見下す気持ちはないだろうから、強化兵に関してはそれほど重要視していないのかもしれないな。

 

「ご褒美をあげないとね」

 

ご褒美?別に、もうもらっているからいらない…そう考えながら、振り向く。

お母様の唇が奇妙に赤い。

お母様に飲み込まれる…そんなことを考えながら、僕は意識を失った。

 

 

僕は暗闇に浮かんでいる。平衡感覚がうまく働かない。暗闇に上下はなく、僕はどちらを向いているかわからない。

ただ、僕の身体は熱に包まれている。身に覚えのある、僕の大好きな温度だ。

身体を丸めようとして、何かが絡みついていることに気づく。

全身が締め上げられて、骨が軋む。疼痛が襲いかかってくる。

防御をしようとしても身体が非常に重い。体が丸められない。動かすのが難しい。身体そのものに異常はなかったはずだけれど…

でも、苦しみの中に、甘美な戦慄が伴っている。その戦慄が何か、理解できない。深く深く沈んで行く。

混濁した意識の中、お母様を想う。

想ったとたん、背中にさざ波が生まれ、やがてそれが大波となり、怒涛となって崩れた。僕は、暗闇の中、泡沫となってはじけた。

 

白い光が広がって来る。

 

お母様は、僕の光だ。

僕はゆっくり目を開く。頬を紅潮させたお母様の顔が目の前にあった。

僕はお母様と寝室のベッドで一緒に横になっていた。

寝室の窓が茜色に染まっている。あれから6時間ほど経過しているのか。

僕はお母様の豊かな双丘に顔をうずめていた。柔らかい。

 

「あらあら、大きな赤ちゃんね」

 

お母様は嫌悪感をあらわすことなく、僕を抱きしめてくれていた。お母様の汗ばんだ肌が、僕の身体を温めてくれていた。

以前、僕がお風呂で湯疲れしたときもこうやって一緒にいてくれたな…

頭痛はまだあるけど、何とか我慢できるほどには収まっていた。

逆に、全身から精力…生命力がかなり失われていた。脳の異常を僕の無尽蔵のサイオンが治してくれたのかな?

『回復』は起きていないと使えないはずなんだけど、こちらは頭痛ほどはひどくない。数日で元に戻るだろう。

お母様の体臭に、僕の家で使っている石鹸とシャンプーの香りが混じっている。練馬の自宅に尋ねられたとき、お土産で差し上げた石鹸を使ってくれているんだ。同じ香りが家族を思わせてくれて嬉しい。

奇妙な、言葉に出来ない疼きが、僕をお母様の身体に密着させる。

 

「うふふ、私の可愛い赤ちゃん」

 

お母様の言葉に、僕は陶然とした。僕は、お母様の赤ちゃんなんだ。

疑問が、お母様の体温に溶かされていく。

そう思いながらも、何故か大蛇に全身を締め上げられる感覚を覚えた。

甘美な香りに包まれながら、まったく身動きができない。お母様の熱い肌に溶かされるような、お母様と一体になるような感覚。

肌と肌が隙間なく重なって、ずぶずぶと沈み込んで行く。

僕はお母様の赤ちゃんなんだから、お腹の中に還らないと…

大蛇のイメージが、小虫を溶かす食虫植物にかわった。溶かされる小虫は…僕だ。

僕の身体が、甘く幸せな液体に、どろどろに溶かされて、お母様の一部、血肉になる。

恐ろしいまでの多好感に、昇天しそうだ。

緩慢にそう考えながら、僕の意識は再び暗闇に呑まれて行く。

 

夜の闇よりも暗い闇に…

 

 

 

 

 





能力としての『意識認識』『空間認識』、慣用句としての意識がごっちゃになって、読みにくくなったと反省です。

今回の真夜と久の『意識認識』のシーンは、
達也が深雪を抱きながらグ・ジーをエレメンタル・サイトで捜索した話と対になる話です。
達也と深雪のシーンには愛と恥じらいと初々しさとちょいエロ(読者サービス)があります。
達也が深雪の肌に触れていないと安心できなかったように、感情が理解できない久も肌の接触を無意識で求めます。
真夜は久への愛がありますが、同じ分量でマッドサイエンティストの顔があります。真夜は久が気を失っている間、色々としています。強制睡眠学習も施されています。
真夜は深雪と違ってアダルトなので、ためらいもありません。
久はこれまでも真夜にがっつり精神支配されていますが、支配はさらに進んでいます。久はもうすぐ澪と戸籍上結婚するけど、肉体も精神もほとんど真夜のモノなのです。
真夜は世界を滅亡させることのできる久を完全に支配して、黒い愉悦を満たしています。

久はしばらく、体調不良になってもらいます。
原作では、次のグ・ジーの潜伏場所の襲撃を、米軍の介入もあり、ぎりぎりで失敗しますが、
久が同行していると、グ・ジーは簡単に捕まってしまうのですよ…汗。

実は今回、真夜の朝食シーンも書いていたんです。
分量が増えて邪魔になったのでカットしました。以下、ボツにした真夜の献立です。
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お母様の朝食は、和食だった。
主夫の鬼の僕としては、別の家庭の献立はものすごく気になる。
圧力釜で炊いた玄米ご飯、鯵の開き、ノンフライヤー鶏肉のから上げ、海藻とジャガイモのみそ汁、納豆おろし大根、ほうれん草とゴマのお浸し、くるみ入の生野菜、アサイベリー入のヨーグルト。
手間もお金も時間もかけた、健康への意識も高い、ほぼ完璧の朝食に感動する。お母様の美貌は、こうやって保たれているんだな。
食事の最中も、僕はぼうっとお母様を見つめていた。

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では、また次回。



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遠い声

お久しぶりです。
PS4を買い、モンハンやらドラクエをしていたらあっという間に4か月以上たちました。
間が空いたので、驚くような話を書かなくては、と考えていたら、驚くようなネタが浮かばず、
素直に原作に沿って話を書こうと開き直り、戻ってきました。




 

 

 

「肉体は魂の牢獄である」

 

これは哲学者プラトンの言葉で、「イデア」「エイドス」など、現代魔法の用語もプラトンの思想からとられているから、魔法師なら馴染みの深い言葉でもある。

『精神』の存在である『高位次元体』が肉体を得る。

『三次元化』が『高位』のシステムなのだとしたら、この肉体から魂、精神、意識、などを分離することは難しいだろう。

僕の『意識認識』や『瞬間移動』は『高位次元体』の残りかす程度の能力で、『高位』での僕の力がいかに強かったかの証拠になる。逆に僕の肉体はこの次元に強固に縛られていて、『高位』に近づくような力の行使には『三次元化』のペナルティが課せられるのかもしれない。

つまりは、この頭痛だ。

普通の頭痛と違い血管の拡張などの異常がないので『回復魔法』が使えないし、やや収まったとは言え、思考が億劫になる程には辛い。

僕はこの世界において破格の存在で、『ピクシー』の言を借りるなら『超人』だけど、バランスをとるかのようにそもそもの肉体の強度が低い。

決して万能でも全能でもなく、狡知に長けた陰謀や目の届かない悪意にはひどく弱い。

常に自分より強い悪意に大事なものを奪われないかと、頭の片隅に不安を抱いている。弱者は奪われるだけだ。強くなければ…

それでも、この温もりは、お母様の愛情は本物だと、僕の全身が訴えてくる。

やはり『意識』や意思は肉体すべてに宿るようだ。

 

 

「ねえ久、あなたは無関心な存在をばっさりと切り捨てて興味を持たないわね」

 

山梨の四葉家、時刻は16時30分頃。帰宅しようと身支度をする僕を腕に抱いて、お母様が言われた。

 

「護る人物は少ないほうが良いと考えている」

 

その通りだ。弱点は少ないほうが良い。

ただ、僕の大事な人たちは、それぞれが世界でも屈指の人物で一方的に護られるだけの存在ではないから、その点は安心でもあり、誇りでもある。

 

「その考えは正しいわ。四葉家は、まさにそのように動いている」

 

四葉家は一族をとても大事に考えている。

 

「他の十師族から一歩も二歩も実力が抜きん出ている現在、四葉一族の、特に若い世代が性急な思考に囚われている。でも、その考えは四葉家を、いずれ孤立させる」

 

四葉家の一族を僕は知らない。その若い世代に達也くんと深雪さん、黒羽の双子が入っているのかな。達也くんは深雪さんのことで孤立しそうだ。

僕も四葉だけど…

 

「久は特殊な立ち位置でもある。四葉が魔法師の世界で孤立を深めて、取り返しのつかないような事態になった時、久は四葉と他の十師族、魔法師、一般市民との縁を繋げる懸け橋になれる」

 

僕は四葉でありながら、五輪でもあり九島であり、戦略級魔法師だ。僕の狂気を知らない国民は、僕がこの国最大の護り手だと信じて疑っていない。その影響力は、僕個人の存在だけで並みの十師族をも上回る。

僕だって自分の住む街や国が荒らされるのは嫌だけど、十師族として魔法師として、僕は子供で思考が熟成しておらず、所詮成り上がりものだ。

価値観は離散的なものではなく、連続した経験や体験が徐々に蓄積したものだ。

かつて疑うことのない弱者だった僕は、ナンバーズの子女なら当然教育されている強者が弱者を護らなくてはならないなんて考えがない。

 

「護るものが多ければ、それは弱点になるけれど、同時に豊かさにもなるわ」

 

「それは、香澄さんのこと…ですか?」

 

「人として成長するためにも、香澄さんと…真由美さんも重要ね。特に藤林響子さんと九島光宣くんとは仲良くするのですよ」

 

真由美さんは…まぁ僕には戸籍上義姉になる。響子さんと光宣くんは、言われるまでもない。

 

「そして、十文字克人さん、一条将輝さん、七宝琢磨さんとも友好を深めなさい」

 

本来なら、学閥の人脈作りは次期当主の婚約者である達也くんの役目なんだけど、達也くんと十文字先輩と将輝くんは微妙に相性が悪い。

幸い、僕と十師族の次代との関係は良好だ。お母様のご期待にそえるだろう。

 

「いつでも遊びに来なさい。ここはあなたの家でもあるのだから」

 

最後にお母様は、僕にしか見せないような優しい笑顔で、そう言われた。

 

 

 

『瞬間移動』は、空間を歪め、自分の『意識』を世界全体に薄く広く広げて、どこにでもある状態にする。

そして、転移したい一点に集中させて、その場に自分を再構築する、と言うイメージで行う。

本来の『意識』とは、自分の存在を拡散させないようにまとめる求心力のようなもので、『瞬間移動』とは真逆のものだ。

ただ、作用があれば反作用があるように『意識』を拡散させることは、困難だけど可能だ。僕はそれを『高位次元』から送られる無限のエネルギーで行っていて、周公瑾さんは術によってそれをなして『意識』を肉体から遊離させた。

僕の肉体は三次元に強固に囚われているけど、四葉本家のある清里から僕の自宅まで『瞬間移動』する場合、瞬きの時間も必要ない。

『意識』をどこまで広げられるかの実験はしてない。

70年前、敵国を道連れに自爆した時、僕は銀河の彼方へ転移するイメージで『能力』を行使した。その『能力』には失敗したけれど、膨大な余剰エネルギーは僕自身の肉体に変化を及ぼしたのかもしれない。

僕の容姿が、過去と全然違うのは、恐らくそのせいなんだろう。

 

 

 

四葉本家から帰宅した僕は、立ち眩みのように膝をついてあえいだ。

頭が割れるように痛い。またひどくなった。

帰宅直前、気分が少し楽になったのは真夜お母様の腕の中で嗅いだ、柔らかな花の香りに恍惚となったからだ。

お母様は僕に無償の安らぎを呉れる。

 

まるで麻薬のように。

 

 

リビングの壁掛け時計を見ると針は17時を指していた。

今夜は、澪さんも響子さんも帰宅は深夜になるし、安静にしていよう。

日曜日の今日も十文字先輩と真由美さん、達也くんを交えたレストラン会議は行われる。

会議は建前で、達也くんと真由美さんの会話の機会を増やそうとする七草弘一さんの意図が感じられる、毎日行う必要性があるのか疑問の会議だ。

そんな会議にすら参加が出来なくなるような体調不良がちょっと不甲斐ない。

とは言え、無断で欠席しては、十師族の一員として礼を著しく欠くので、十文字先輩に欠席の連絡をする。

 

「…久、ひどい声だが…大丈夫なのか?」

 

携帯で話す僕の声はそんなにひどかったのかな。

 

「大丈夫です…いつものことですから」

 

言い訳にもならない言い訳をしてごまかす。こうやって十文字先輩の中の僕のイメージは作られていくんだ。

送迎を行う警護会社にも断りのメールを入れて、パジャマに着替えてリビングのソファに沈むように座る。

体調不良には慣れているけど、今回のような激しい頭痛は初めてで思考が鈍化する。

僕には治療や薬は効かないので、時間だけが特効薬だ。澪さんたちが帰宅するまでに回復していると良いけど…

 

ぷるるるる♪

 

ん?携帯が鳴っている。画面を確認すると、一条将輝くんからだった。

将輝くんとはメールや電話でよくやり取りをしている。話の内容は基本的に雑談で、ところどころで深雪さんについて質問してくる。勝ち目は皆無なのに…

第一、僕から「深雪さんの使っていたハンカチは雪の結晶の刺繍の入った白いハンカチだったよ」と聞かされて、「ああ、清らかなあの人らしい」と過剰に感動したりするけど、そのハンカチは達也くんがプレゼントした物だけどね、って僕の心の声までは届かない。救われないなぁ。

でも、一高テロの矢面に立った僕を、一番心配して理解してくれたのは将輝くんだった。

将輝くんも横浜事変の時、同級生の目の前で『爆裂』を使った後、生徒たちの自分を見る目に恐怖が宿っていたそうだ。

僕と違って人望が厚いからすぐに嫌な雰囲気はなくなったそうだけど。

このタイミングで電話をしてくるのは、事情を知らないとは言え、微妙に空気を読めず空回りする、せっかちな少年らしい。

また深雪さんについての質問かな…そろそろ、本気で諦めさせた方がいいかも。

ヒロインに横恋慕するイケメンなんて、男性読者にもっとも嫌われる微妙な存在だし。

 

「久か、今、俺は東京に来ている」

 

「東京に?」

 

意外な言葉にちょっとびっくりする。北陸の守護を担当する一条家が勢力範囲外の関東で何ができるのだろう。将輝くんもグ・ジー捜索に加わるって聞いている。その役割は僕と同じで犯人発見後の逮捕、もしくは殺害が役目だと思っていた。

関東に潜伏していると想定されるグ・ジーの逮捕は、金沢からでは出遅れるだろうけど…

 

「今日から俺も十文字殿の指揮に加わるために東京の別宅で一人暮らしを始める」

 

「今日から?学校は?」

 

グ・ジー捜索は、目下のところ十師族の監視の網を潜り抜けられ、難航している。警察は、残念ながらあてにならない。2~3日の期間で終わるとも思えない。

 

「ああ、明日から一高の教室で端末を利用して、三高の座学に参加することになった。実習や実技は春休みに補習する予定だ」

 

「それは…」

 

「異例だが、これも周囲の骨折りがあったからな」

 

体調不良の僕は言葉が短い。十文字先輩は気が付いたけど、将輝くんはいつもよりテンションが高い。

そもそも高校生と大学生をテロリスト捜索にあてる事が非常識だ。

まぁ、原作も無理にそうしないと主人公が事件に関われないし、非常識が常識の世界だ。

いや、達也くんは裏では最前線で活躍しているようだし、とても高校生には見えないしなぁ。

 

「それとは別に、親父とお袋から久に土産を持たされたんだ。生ものはどうかと俺は思ったんだが、冬休み家に来られなかった時に金沢の名物を食べたがっていただろ」

 

「うん、カニとか甘エビとか寒ブリとかノドグロとかかぶら寿司とか金沢おでんとか…」

 

僕の食い意地は、体調不良なのに異常だ。でも、人間は食欲がなくなったらおしまいだ。

 

「おっ…おう、今から久の家に行ってもいいか?都合が悪ければ明日でもいいが」

 

「構わないよ、今夜は独りだから」

 

「ん?五輪澪殿はご不在か?」

 

将輝くんは、僕が澪さんと同居していることは知っている。響子さんのことは、当然秘密だ。

 

「今日は五輪家の用事で帰りは遅くなるから平気」

 

「そっそうか」

 

ちょっとほっとしている。

流石の将輝くんも戦略級魔法師五輪澪に私的にとは言え会うのは緊張するようだ。

年上の女性で、美人で、友人の婚約者と言うのも、思春期の男子にはハードルが高いしね。

だから、妙なテンションで僕の体調不良に気がつかなかったのか。

 

「ナビ通りならバイクで30分でつく」

 

「了解」

 

 

30分ほどして、予告通り将輝くんのバイクのエンジン音が近づいて来た。

自宅周辺の警護は、澪さん不在で少ないけれど、それでも厳重にガードをしている。

将輝くんも自宅のひとつ前の曲がり角で警護に質問をされているはずだ。もちろん、警護には将輝くんの来訪を知らせてある。

呼び出しチャイムが鳴る。

身体を動かすのがおっくうなので、ソファに腰かけたまま『念力』と『魔法』の『拡声』でインターフォンを操作、返事をする。

ドアの開く音に、廊下を歩く音。意外だけど、将輝くんの所作は丁寧で、間違ってもどたどたと騒音を立てない。流石はプリンス。

リビングに入って来た将輝くんは、おなじみの赤いバイクスーツに片手にヘルメット、背中に四角いクーラーボックスを背負っていた。

流石にクーラーボックスは赤くない。

 

「いや、驚いたよ、久の家はでかいのな。俺の家もそれなりだが。それに国から派遣された警護はやはり雰囲気が違うな…おっと久、元気…」

 

入ってくるなりまくしたてた将輝くんだったけど、ソファにぐったりと座るパジャマ姿の僕は、どう見ても病人だ。

暖房もガンガンにかけているから、将輝くんは戸惑っていた。

 

「将輝くんこんばんわ」

 

「ひょっとして体調が悪かったのか?すまない、電話では気が付かなかった」

 

「うん…でもいつものことだから気にしなくて良いよ」

 

まったく、自分が情けない。

 

「そっそうか、それでも悪いから手短に済ますな。まずは土産、親父とお袋からだ」

 

将輝くんが手早くクーラーボックスを開く。北陸の新鮮な海産物だ。

 

「ありがとう、澪さんといただくね」

 

そのまま冷蔵庫に移してくれる。

 

「冷蔵庫でかいな、食材も豊富で…料理が趣味って、本当だったんだな」

 

将輝くんとは電話でのやりとりがほとんどなので、僕が料理にだけは器用だって信じていなかったようだ。

 

「あと、妹たちがよろしくって。小中学生には久はアイドル以上に人気があるからな、また会いたがっていた」

 

テレビの中の僕は、魔法協会の思惑でより以上に美化されている。

 

「うん、今回の事件が片付いていたら、春休みに遊びに行くよ」

 

「それとだ、電話でも言ったが、俺は明日からは十文字殿のテロリスト捜索チームに加わる」

 

「ん」

 

「ただ…何分、俺は関東に土地勘がないから、久に協力を仰ごうかと考えてな」

 

お土産は建前で、それが本命だね。

四葉でありながら四葉とは独立した戦略級魔法師の僕の協力を得るようにとの一条剛毅さんの配慮が感じられる。

本人もわかっているから、照れ臭そうだ。

 

「勿論、僕もできるだけ協力するけど、僕は学校と一高の往復くらいしか外に出ないし、方向音痴だから頼りになるかどうか。

でも、僕の伝手で他のナンバーズに協力をお願いはできるよ。四葉家と五輪家と九島家の烈…閣下は、僕にとって家族だから。それと七草家と十文字家には親しい先輩がいるしね」

 

香澄さんは義理の妹になるけど、何だか実感がわかないな。一緒に住むようになればかわるのだろうか。

 

「その人脈は日本一だぞ」

 

将輝くんは呆れている。

 

「明日は、欠席するかもしれないから、その時は達也くんから詳しい話を聞いてくれる?」

 

「司波か…」

 

将輝くんの整った顔が渋面になる。

 

「出席日数がぎりぎりだから、極力、登校するつもりだけど」

 

「久の体調が回復するのを心から祈っているぞ。じゃぁ、明日からよろしくな」

 

お見舞いになってしまったなと、腰かけたソファが温まる間もなく将輝くんは、一条家の別宅に帰って行った。

 

暫く、ソファで安静にしていて、ふと時計を見ると20時過ぎ。

レストラン会議はもう終わっている。今日も真由美さんが達也くんに微妙な秋波を送ってたのかなって考えていたら、再び携帯が鳴った。

確認をすると、今度は光宣くんからだった。

光宣くんとも毎日のように電話をしている。特にここ最近は、僕たちのテロリスト捜索の進捗状況が気になって仕方がないようだった。

今日のレストラン会議を体調不良で欠席したって話すと、心配とともに、溜息をついていた。

能力に恵まれながら最前線で活躍できない光宣くんは、僕に己を重ねて、苛立ちや、連帯感を覚えるみたいだ。

焦らなくていいのにって何度も言っているのに。

 

 

携帯を持つ腕が重い。スピーカーフォンに切り替えるか…

 

「久さん、大丈夫ですか?」

 

「…え?」

 

「体調が優れないところ、電話をしてしまってすみません、僕は久さんしかこうやって話せる人がいなくて…」

 

それも何度も聞いている。

 

「良いよ、僕も光宣くんと会話するの、楽し…い…」

 

風景が右に左に傾く。

ああ、傾いているのは、僕の方か。

 

「くっあ…」

 

携帯端末が手から滑り落ちる。頭が割れるように痛い。とにかく痛い。思考が遠のく…

 

ゴトンッ!

 

ソファに座っていた僕は不自然に上半身をゆらゆらさせて、バランスを崩した。

人間の頭って重いんだなぁって考えたら、そのまま床におでこから落ちてしまった。

床は転んでも平気なようにと響子さんがコルクシートを敷いてくれたから痛くはなかったけど、いや、頭痛がひどいから、痛みなんてわからないな。

 

「久さんっ!久さんっ!?」

 

光宣くんの必死の声が遠くから聞こえる。

 

「あっ…がぁ…」

 

苦しい。

呼吸が不規則になる。

これは、ちょっとまずい…かも。

肉体と『意識』の乖離は、僕が思っているよりも、僕自身にペナルティを与えるのか…

 

「げっほっ」

 

酸素が足りない。

 

「久さんっ!!」

 

光宣くんの声が、ますます遠くになる。

全身が鉛のように重い。指一本動かせない。

 

僕の『意識』は肉体に囚われて、地上からは抜け出せないはず。

肉体が成長しない以上、僕は不老不死だ。いや、不死じゃない。これまでに3度は死んでいる。

意識も精神も魂も、サイオンや幽体も霊体も本質は同じ…で…

 

肉体は魂の牢獄である、筈だ…けど…

 

僕のすべての感覚が、粘着質の暗闇の中に沈んで行く。

 

この感覚は覚えがある。僕にとって身近な感覚。

 

死だ。

 

声が、遠い。




モンハンはハンターランク77まで行きましたが、
ガチ勢の「そんな装備で本番来るな」とか「足ひっぱるなら帰れ」の声に、
何だか疲れました。

しかし、4か月も間をあけると文章が浮かんできませんね。
やはり、下手でも書き続けることが重要ですね。
アップできなかった期間でも、感想をくれた方のおかげで戻って来られました。
今後は、もう少しペースを上げたいと思います。

が、いきなり久が死にそうです。
これは久に枷をはめないと、今後の原作の問題が一人で解決できてしまうからです。
まぁ、達也も一人で解決しようと無理をしそうですが。
原作では真夜は達也に九島光宣に気をつけろと言っています。
このSSでは久には逆のことを言っています。

久は深雪以外で、達也と共に歩き、絶対に裏切らない人物ですが、
真夜と澪と響子と光宣の事だけは譲れません。
さて、どうなるんでしょうね。

では、また次回。


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夜の雲

 

 

 

痛みや恐怖が急に遠のいて行く。

慣れた『死』とは言え、少し悲しく、悔しい感情は、胸の内にわだかまって…

 

ん?

 

視界が広がる。

月の周辺に鈍色の雲が浮いている。

その雲がゆっくりと、でもそうとはっきりわかる程の速度で動いている。

空に沢山の星が瞬いている。

この時代の空気は綺麗で、冬の夜空は都会なのに、まるでプラネタリウムのようだ。

見下ろすと、月と星の明かりが地上に雲の影を作っている。

地上の明かりも、星のようで、玄関の淡い照明が、夜の暗闇を深くしている。僕の家の狭い庭の植木が、闇にうずくまっている。

自宅周辺には国から派遣された魔法師が常駐している。道路の死角に立哨する魔法師が見える。他にも待機する家があり、僕と今夜は不在だけど同じ戦略級魔法師の澪さんを護衛している。テロ事件以降、魔法師が増員されていた。毎日お疲れ様です。

いつもと変わらない、普通の夜なのに、警護の魔法師は抜け目なく、自宅周囲を『魔法』的に警戒している。

その魔法師の動きがにわかに慌ただしくなった。2人の魔法師が音もなく駆け出すと、自宅玄関の電子ロックをカードキーで解除した。

自宅内に入ると土足のまま廊下を進み、リビングのドアを開く。

 

僕もその後ろをついていく。

 

リビングの床には、パジャマ姿の僕が横たわっていた。

警護の一人が、僕の呼吸と脈を調べている。彼は医師免許を持っていて、蘇生治療に長けている。

僕のあえかな身体はまるで死んでいるようだ。長い黒髪が乱れて首に絡まっている。

でも、片膝をついた警護が僕の身体を揺すると、赤い唇が小さく開いた。薄い呼吸で、胸が上下しているのが僕にもわかる。痛みや苦しみのない安らかな表情だ。

警護の2人が戸惑いと安堵の表情で、お互いの顔を見合わせた。

生きてはいるけど、生命活動が明らかに鈍い。

警護が携帯で響子さんと会話を始めた。

気を失った僕に驚いた光宣くんが響子さんに連絡を入れてくれて、響子さんが警護に急を告げたんだ。

 

「四葉久殿は呼吸、脈拍、体温ともに低下しています。いただいたデータよりも数値は低いですが、まるで眠っている…いえ、熟睡しているようです。命に別状は…ないかと思われます」

 

澪さんと響子さんが不在の時、僕の身に何か起きた時は、響子さんが警護に連絡、玄関のロックを遠隔操作で解除して、警護でも入れるように普段からマニュアルで決まっている。

僕の身体データ、脈や体温は常人のそれよりもかなり低く、その事実を知らないと、かなり戸惑う数値だ。

警護が僕を抱きかかえると、そのままソファに寝かせて、リビングの収納からタオルケットを出して僕にかけた。

警護が僕を病院に移送しようかと響子さんに尋ねている。

響子さんの電話越しの声は聞こえない。

僕の身体は時間でしか治らない。響子さんは帰宅途中で、すぐ戻って来るそうだ。警備が響子さんの指示にしたがって、室内の温度を上げた。

まるで夏のような室温になって、警備の2人は汗ばんでいる。それでも、2人の緊張が弛緩したことが目に見えて分かった。

2人は土足のままなのに気づいて、靴を玄関に戻した。外で待機する警護も、それぞれ待機場所に移動する。

夜の住宅街が、また静かになった。

 

その光景を僕は、リビングの青い天井から見下ろしていた。

僕の身体は一糸まとわぬ姿で、中空に浮いている。僕の裸体は、ひどく痩せていて、普段食いしん坊なのに、カロリーがどこに行っているのか疑問になる。

白い雪のような肌は、今は半透明で、見つめる手のひらを透かして、ソファに横になる僕の姿が見える。

僕の寝顔は本当に深雪さんにそっくりだ。子供らしい丸みがないので男の子には見えない。

綺麗に整えられた足の爪は澪さんが切ってくれた。人に裸を見られることに、特に抵抗がないけど、そのつま先が警護の顔の前をふらふらと左右に揺れていた。

現代魔法師の彼らは僕に気が付いていない。

これが幹比古くんや烈くん、八雲さんのような古式魔法師ならすぐ気が付いただろうし、勘の鋭い達也くんも、たぶん気が付いただろう。

 

僕は、今、いわゆる幽体離脱をしている。

 

『魔法』が科学として現実になったこの時代、『幽体』は精神と肉体をつなぐ霊質で作られた、肉体と同じ形をした情報体、と定義されている。

吸血鬼騒動の時、レオくんが『パラサイト』にこの『幽体』を奪われ一時入院をしていた。『幽体』は生気や生命力の塊だと幹比古くんが解説していた。

僕が今、素っ裸なのはそのせいだと思われる。

僕も『パラサイト』に体内のサイオンを吸い取られた。『幽体』は『魂』を包む膜、つまりは『精神』や『意識』と同じで、言葉や定義としては別のものだけど、サイオンやプシオンで構成されている以上、多くの部分で同一のものである。

『幽体』は、純粋な物質なのだから、見ることや思考することはできない。

僕が見ている景色は、『幽体』の一部が肉体とつながっていて、脳が夢として再構築しているんだ。

現代科学的で証明できるとなれば、僕の心も落ち着いてくる。

『老化魔法・終』を使用したことで、僕の肉体は、かなり不安定になっている。

幽体離脱した僕の『幽体』は、重力のくびきから解放されていて、文字通り身軽だけど、『幽体』が抜け出て、肉体の方は防御力と生命力が極端に低下している。

さっきまで感じていた魂を殴られるような頭痛は、『幽体』が抜け出て感じなくなっている。痛いのはいやだけど、早く戻らなくちゃ。

 

…ん?誰かが家を見ている。

 

視線を感じた。

僕の自宅は、警護だけでなく、響子さんのセキュリティで周囲を警戒しているし、八雲さんのテリトリーでもあるから不審な人物は、長期間滞在できない。

それでも、企業や各国の調査員がうろついているそうだ。魔法師のスパイは、逆に簡単に見つけられるそうで、ひょいひょい結界に入り込める八雲さんや周公瑾さんが異常な…

 

僕の家を見張っているのではなく、今の僕を見つめている。

そう、感じる。

 

視線の方に意識を向けると、『幽体』が容易く壁をすり抜けた。

低く差してくる月光に照らされた僕の薄い裸体は二フラムで簡単に消えそうだ。

このあたりは高級住宅街なので、夜はいつも静かだ。街灯や家屋から漏れる光を見下ろす。

視線が、僕の『幽体』を引き続き見つめて、追っている。

街灯の当たらないアセビとイチイの生垣に囲まれた信号のない交差点に、少女が立っていた。短い黒髪に月光が滑り、濡れたような光を放っている。

妖…魔性、夜の闇を呼吸している人にならざるモノの雰囲気。

路と路が交わる辻は、魔性の通り路だよって、あの八雲さんがいたら言いそうだ。

少女が上目遣いに僕の背後の月を…いや、確実に、夜の闇が凝った大きな瞳で、訴えかける様に僕を見つめている。

…あの子は、数日前、レストラン会議の帰り、駅前で僕を見つめていた赤い風船の女の子だ。

今夜は眼鏡をかけていない。黒く大きな瞳。でも、どこか生気がなく、ガラス玉のような瞳だ。

真冬にはそぐわないリボンボタンが可愛い白いチェックのワンピースを着ている。それよりも白い、さえざえとした手足が、ひんやりとした夜気に溶けそうだ。

暗い風が吹いて、少女の髪を揺らす。

僕はすうっと、その少女の前に移動した。月光の下、白い女の子と向かい合う。

少女は僕をじっと見ている。

 

「幽霊」

 

少女が呟いた。

僕が見えている。

確かに今の僕は幽霊みたいなものだけど、その少女も茫漠として存在感が薄い。

 

「裸の幽霊」

 

寒さで口が悴んでいるのか、少女は片言で話す。

声が聞こえるように感じるのは、相手の唇の動きを見て、僕の脳が再生しているせいだから、本当の声はわからない。

僕の方は、声どころか物音一つ出せない。

 

「幽霊のおちんちん」

 

どっ、どこを見ているか、あなたも元は男でしょうが!

 

少女の顔を見る。こんな顔だったかな?先日見た時の顔はよく思い出せない。

少女が左手のひらをすうっと僕に差し出した。闇の中から僕を誘っている。握り返したらいいのだろうか。

おいでおいでするようにひらひら白い手が揺れる。

君は本当に何者なのかと胸の内で尋ねる。その手を握った刹那、僕の『幽体』は肉体から引っこ抜かれるのでは?

そう逡巡した時、少女の背後から、電動カーのヘッドライトが、僕たちを貫いた。

少女の身体は、まるでいなかったように光に消えた。

道の向こうに目を凝らしても、濃い闇だけがあった。

『奇門遁甲』か…。

どうやら、彼…少女は僕との接触を試みようとしているけど、警備が厳重で近づけず、入れ物である肉体と昇仙した『意識』がまだ馴染んでいないのかもしれない。

電動カーは一瞬減速して、そのまま僕たちのいた場所を走りすぎた。法定速度ギリギリで走り去るあのセダンは響子さんの電脳マシンだ。

響子さんの運転姿をイメージした瞬間、僕の『幽体』は肉体に戻された。

急激に僕は重力に引きずり込まれる。身体が重たい。

忘れていた呼吸を思い出したように息を吸って、耐えられない不快感も思いだす。

頭が殴られているように痛む。

急に目覚めてせき込む僕に、警備の2人が慌て出した。

 

「だっ大丈夫です。ちょっと唾液を誤嚥してしまって…げほっ」

 

医師免許を持つ警護が僕の背中をさする。

玄関ドアが静かに開けられた。響子さんが帰宅したんだ。響子さんは、僕の咳を聞いて、小走りでリビングに入って来た。

 

「久君?」

 

「響子さん、おかえりなさい」

 

僕は努めて平気を装う。警護がほっと息を吐いた。

 

 

 

「ありがとうございました」

 

「いえ、大事に至らず、こちらも安心しました。おそらく、心労と過労が重なったものと思われますので、お大事にしてください。四葉久殿はこの国にとって大事な方ですから」

 

玄関で響子さんが護衛と話している。

 

警護の2人が出ていく。警護達は響子さんが僕の家に住んでいることに特に疑問を挟まない。十師族の複雑さは彼らも知っているし、余計な詮索は身の破滅になるからだ。なにしろ相手は四葉と五輪と九島に戦略級魔法師だ。

響子さんが廊下で、澪さんと光宣くんに電話をしていた。その話声を聞きながら僕は、ソファに身を沈めて、ぐったりしている。

僕の病状は、多くの人に不安を与えるから、他人の前では努めて元気を装う。

響子さんには今さら取り繕った僕を見せても意味がない。

頭痛と全身の気だるさは、まだ酷い。

僕の隣に座った響子さんが僕を抱きしめる。

 

「澪さんと光宣くんには、過労で倒れたって連絡しておいたわ」

 

響子さんの豊かな胸に顔を沈めて、お母様に抱かれた時の恍惚感とは違う、安心感に心が落ち着く。

澪さんと響子さんが不在な時、いつも体調を崩す。

やっぱり2人がいないと僕はダメなんだなぁ、って思う。それに、思い出すと、やはり恐怖が浮かんでくる。

 

「響子さん」

 

「ん」

 

響子さんは僕を抱きしめたまま、じっとしている。

 

「僕、一瞬、死んでたよ」

 

「そう」

 

細い背中がかすかに震えた。不安と脅えが体温とともに伝わって来る。

 

「赤い月に雲がかかってた。町の光や、暗闇や、女の子とか、変な夢を見ていた。記憶の混乱なのかよくわからないけど」

 

響子さんの上下の歯がかちかちと鳴っている。

響子さんの身体から汗の香りがする。室温のせいだけではない。

一人でいると、そのまま闇に落ちて戻って来られない気持ちになる。それは僕だけでなく、響子さんも同じ気持ちだ…と思う。

 

「響子さん、結婚式を挙げよう」

 

「ん」

 

「秘密の結婚式」

 

澪さんとは公私ともに認められた存在で、4月1日に結婚式も行われる。

雲はつねに形を変える。

人の心も風にひらひらと舞う鳥の羽のように、その時その時で色をかえるのだろうか。

響子さんとの関係は不確かで、不安定で…

 

「響子さんの存在を、僕の中でもっと確かにしたい。嫌ならやめるよ。響子さんを縛り付けたくないし」

 

「嫌じゃないわよ」

 

「今後、何が起きるかわからない。一日でも後悔したくない。響子さんが大好きだもの、他の誰にもとられたくない」

 

不安定な僕は、いつどうなるかわからない。僕はあまり欲望が強いほうじゃないから、きちんと言葉にする。

抱き合ったままだから、響子さんの表情はわからない。ひゅうって息が漏れてる。涙をこらえているみたいだ。

大事な人を失う痛みを響子さんは知っている。

こんな素敵な人をもう泣かせたくない。

 

「もう、この手を絶対離さないから」

 

強く抱きしめられる。

 

「プロポーズされちゃったわね」

 

「何度もしているよ?」

 

「私一人に対してははじめてよ」

 

でも、声は嬉しそうだ。

恋愛がわからない僕は、何度も言葉にしている。でも、どこかで、澪さんと響子さんを平等に扱わないとって思いがあるせいか、2人一緒にって言う時が多いんだ。

 

「そうだったかな。それで返事は?」

 

「イエスよ」

 

照れながらも、即答してくれた!

言葉は呪であり、呪は縛りだよって、やっぱりこれも八雲さんなら言いそうだけど、言葉にすることが大事だよね。

平和は戦争と戦争の間の準備期間で、テロの起きる日常が平和かはともかく、僕の知らない場所で何かしら次の事の準備が行われている。

後悔しないよう、その日を、2人と一緒の時間を大事にしないと。そして、響子さんの心の奥に眠る、亡くなった婚約者の影を僕が追い出すんだ!

夜道を行く心細さも、2人なら乗り越えられる。

長い時間を傍にいてくれる人がいるって素敵なことだよね。

 

そのあと、光宣くんにお礼とお詫びの電話をして、予定を変更して押っ取り刀で帰宅した澪さんと家族会議を開いた。

僕が倒れるのはいつも一人の時だから、これからは絶対に一人にしない事。

どうしても一人になる時は、真夜お母様の家に行くか、平日だとそれは難しいので、香澄さんに自宅に来てもらう、香澄さんには、僕から学校で話をする事になった。

香澄さんの同居がまた一歩確定に近づいてしまった。

実際は澪さんが不在な日はほとんどないので、これまで以上に動きにくくなった事は否定できない。

まぁ、僕は正義の味方じゃないので、自分から火中の栗を拾いに行く事なんてないんだけど。

 

明日は将輝くんが一高に通いだすし、僕の体調も明日までに回復するといいな。

これ以上勉強が遅れると、お母様に失望されちゃうし、四葉が軽く見られては、次期当主である深雪さんの評価にまで響いてしまう。

そうなったら達也くんに殺されちゃう。

もう死ぬのはかんべんだよ。

 

護るものは増え、色々なしがらみに囚われていく。

これこそが縛り、『呪』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





これで、澪と響子と真夜の立場が確定しました。
千葉長兄が傀儡になった遠因になった自分に罪悪感を抱く響子さんのフォローもばっちりです。
それにしても千葉長兄を含めた、魔法科高校の警察の役立たずぶりは半端ないですね。
役に立たないだけでなく、国防軍に踊らされ、テロの犯人には利用され…
千葉長兄は、エリカを本人にその気がなかったにせよいじめ、父と姉の態度にも気が付かず、
次兄より剣の腕が落ちると言われ、妹には嫌われ、部下の変化にも気が付かず、
響子とはほとんど無縁で終わりながらも、響子の心に後悔の気持ちを残す。
もっと、他人に敏感にならないといけません…手遅れですが。

原作も少し進みましたし、香澄と真由美の話を絡めつつ、
原作のストーリーに進めます。
ではまた、次回。




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壁の向こう

暑いですね。


翌月曜、僕の頭痛は拍子抜けするほど収まっていた。

『三次元化』システムの恩恵なのかもしれないけど、僕としては澪さんと響子さんの温もりのおかげだと思いたい。

2人と相談して、僕は登校することに決めた。それ程、出席日数の不足は深刻なのだ…高校四年生になるのは多方面に迷惑をかけるので、避けなくてはいけない。

そのかわり、登校は警護の運転する車でするよう、学校にも許可を貰った。

車は来客用の玄関につけてもらった。

警備の車は、七草家や九島家の利用するリムジンではなく、外見は普通のセダンなので目立つことなく裏門から校内に入れた。

来客用玄関では、達也くん、深雪さん、水波ちゃんが待っていてくれた。

深雪さんは素直に僕の体調を憂う顔、達也くんは硬質な視線にほんのり柔らかさがある。水波ちゃんは、僕がお母様の養子となってからは緊張しっぱなしで、逆に無表情になっていた。

登校前にメールで連絡していたけど、わざわざ待っていてくれたことがちょっと嬉しい。

一高では上履きに履き替える必要はなく、洗浄用のシートを通ればいい。

そのシートは数ミリの段差しかないのに、ふらふら歩く僕はつま先が越えられず、シートの段差につまづいてしまった。

まるで襖につまづくお年寄りみたいで情けない。今日は一日、『念力』で身体を支えてなくちゃ。

幸い、僕の『念力』は校内のセンサーには検知されない。

 

「久、危ない」

 

転びそうになる寸前、意外な素早さで深雪さんが抱きとめてくれた。

柔らかな胸に顔が埋まる。深雪さんは華奢なイメージだけど、魔法師として、肉体は強化されているから、僕の体重を受け止めてもびくともしない。

花の香りがする。

 

「ありがとう深雪さん、ごめんなさい達也くん」

 

「何故、俺に謝る?」

 

「だって、深雪さんに触れて良いのは達也くんただ一人だから」

 

何を当たり前のことを聞くんだろう。

深雪さんから離れようとしたら、逆に深雪さんに強く抱きしめられた。どうやら、照れ隠しみたいだ。

深雪さんは僕を完全に弟扱い。

 

「良いのよ、久は私たちの可愛い妹だもの」

 

いや、異性にすら見られていないようだ。

 

「身体に力が入らないみたい…このまま保健室に行く?」

 

「それじゃ無理して登校して来た意味がないよ。静かに座っている分には大丈夫。二年生も後一月だけど、休む可能性がないとは言えないから」

 

僕は『念力』で自分の身体を支えて立つ。

 

「ねえ、達也くん、僕の体調不良だけれど…どこが悪いのか『視て』くれないかな。過労にしては状態が悪いし」

 

「いいのか?」

 

達也くんの『異能』は、対象者のすべてを『視る』。それこそ裸を見られるようなものだ。

 

「達也くんに身も心も捧げてるから、平気だよ」

 

僕は達也くんに全裸を見られているし、別に今更隠すことなんてない。

達也くんにすべてを預ける僕の頭を深雪さんが優しく撫ぜてくれた。

 

「誤解を招くような発言は控えろ」

 

達也くんが研究者の顔になった。

今、僕は裸どころか、細胞や、DNA、肉体を構成するすべての要素を視られている。

校内のサイオンセンサーは反応しない。機械的な補助を使用しない『魔法』は実質、超能力だ。

でも、それも一瞬。達也くんが僕と視線を合わせた。

 

「どう?」

 

「体内のサイオンがかなり減っている。それでも、常人よりも圧倒的に多いのだが…」

 

僕の核の部分、高次元への門は達也くんでも視えない。

絶対記憶を持つ達也くんは、僕の身体データを暗記している。通常時、僕の身体データは一定だ。

達也くんにしては珍しく言いよどんでいるな。

 

「脳細胞が活発に動いている。シナプスにおける情報の伝達効率が上がっている。人の記憶はシナプスではなく、肉体内の細胞のネットワークに蓄えられると言うが…」

 

「お兄…達也様、説明は短くお願いできますか」

 

達也くんが解説モードに入りそうになったので、深雪さんがくぎを刺す。少し虚を突かれた達也くんが苦い笑みを唇に浮かべた。

 

「知識や情報を過剰に、『魔法』的に詰め込んだようだな…なるほど」

 

達也くんが頷いた。

 

「昨日、四葉本家に行ったのか?」

 

何故か水波ちゃんが身動ぎした。

 

「え?うん」

 

どうしてわかったのだろう。

そう言えば以前、お母様と一緒に温泉に入った時の湯疲れに似ている。

 

「あー」

 

と、奇妙な声を漏らしたのは水波ちゃんだ。

 

「そうか、期末試験は問題なさそうだな」

 

よくわからないけど、達也くんと水波ちゃんが得心の表情をしている。僕を支えてくれている深雪さんの表情は、わからない。

 

「体調は数日で改善するだろう」

 

達也くんが目に慈愛を込めて言ってくれた。

頭にクエスチョンマークが大量に浮かぶけど、達也くんが言うなら間違いないか。

 

 

達也くんと水波ちゃんと途中で分かれて、教室までの廊下は、深雪さんが手を引いてくれていた。僕の介添えの意味もあるけど、僕が傍にいると、男子が近づいて来ないって理由もある。

そのせいで教室に入るのが始業ぎりぎりになってしまった。

始業前の学生特有の騒がしさが教室から廊下に溢れていた。

深雪さんに支えられながら入室すると、いつもなら男子生徒の嫉妬の視線を浴びるんだけど、今朝はそれがなかった。

興味が別の方向に向けられている。先週、テロ組織の犯行声明をテレビ放映で聞いた時とは違う、浮ついた雰囲気だった。

深雪さんが違和感に首を捻る。

ほのかさんと雫さんに挨拶をして、僕はごとりと軋み音を立てて自分の席に腰かける。深雪さんは、隣の席に静かに座る。

喧噪の理由をほのかさんに尋ねようとしたら、校長の腰ぎんちゃくの教頭と、その後ろから一人の男子生徒が教室に入って来た。

生徒たちが自分の席に戻る。喧噪は、奇妙な熱になって教室に満ちていた。

 

「第三高校の一条将輝です。一か月の短い期間ですが宜しくお願いいたします」

 

その男子生徒は、いつにもまして背筋をピンと伸ばした、一条将輝くんだった。

思わぬ貴公子の登場に、女子生徒は静かな黄色い声を上げる。男子生徒も、熱のこもった非音楽的なうねり声をあげる。生徒たちの浮ついた雰囲気の原因は将輝くんだったのか。

深雪さんはと言うと、いつもの余所行きの表情だけど、ちょっと唖然としている。

将輝くんのことを知っていた僕は、教室の浮かれた雰囲気に小さく埋没していた。

教頭が事情を説明する。

僕はリーナさんが転校して来た時を思い出していた。

将輝くんの視線が、向かい合った生徒たちを、誰かを探すようにゆっくりと窓から廊下側に動いた。

僕の姿を見つけて一瞬笑みを浮かべる。僕も軽く頷いて返事を返す。

直後、僕の隣の麗人の姿を発見して…奇妙にマイルドな笑顔を作った。

(魔法科高校18巻巻頭カラーの将輝くんの笑顔を参照してください)

あんな表情は初めて見たな。何だか、自然に緩む口元と喜色を懸命に堪えているみたいだ。

自己紹介をする将輝くんの意識は完全に深雪さんに向けられていた。胸の奥で揺れている感情が込められている。

正直、将輝くんの感情は上っ面の、思春期の少年にある一時的な恋愛だと思う。

いくら深雪さんが美しく、世の男性の多くが恋心を抱くとしても、達也くんと深雪さんの歴史を考えれば、底が浅い憧れでしかない。

深雪さんが僕を異性として警戒しないのは、僕には決まった女性がいるし、深雪さんをそのような目で見ないからだ。

とは言え深雪さんは、そのような視線に慣れている。

その紅唇にほんのりと浮かぶかすかな笑み。でも、鈴蘭のような佇まいとは逆に、その瞳の奥は氷河期…いや、いかなる生命の存在も許さない真空だ。

決して叶うことのない夢が叶う直前になって、その夢に水を差してきたプリンスをフリージングコフィンして日本海に沈めたいと思っている(に違いない)。

接点が少ないけど、ひょっとしたら、真由美さんに対してもそう考えているのかも。

 

割り当てられた席に移動する将輝くん。君は氷の地雷原をふらふらと浮かれて歩いているんだよ。

 

 

休み時間、将輝くんは生徒たちに囲まれてしまい、意外な程に深雪さんとはあいさつ程度の会話しかしなかった。

お昼休みも男子生徒と昼食をとるみたいで、深雪さんには近づいて来なかった。

深雪さんは達也くんと食堂でお昼を食べる。雫さんとほのかさんも一緒だ。

僕は、生徒会室に向かう。残念ながら、生徒たちの僕を見る目は相変わらず厳しい。

深雪さんは誘ってくれたけど、僕のせいで達也くんと深雪さんまで白い目で見られるのは嫌だ。

今日の食堂はいつにもまして騒がしいだろうから丁寧に断った。僕はもともと騒がしいのは苦手だしね。

 

 

生徒会室には、階下の風紀委員の部屋から上がって来た香澄さんが待っていてくれた。

香澄さん的には僕と二人きりの昼食は、まるで逢引きみたいな状況だけど、生徒会室には『ピクシー』がいる。

香澄さんにとって『ピクシー』は、苦手な達也くんの所有物で、完全に物扱い、眼中にないけど、僕には一個の生命体と同じだ。

2人分のお茶を淹れてくれた後は、休止状態で生徒会室の隅で黙って座っている。その姿はまさに人形だ。

それでも、僕と香澄さんの会話の最中、羽音のようなざわめきが僕の『意識』に伝わって来る。

とても、義妹といちゃいちゃできるような状況じゃない。いや、いなくてもしないけど…

僕は昨夜、自宅で一人きりの時、倒れて意識を失ったことを話した。僕は虚弱ではないんだけど、自身の肉体の強度に自信がない。

香澄さんの同居は、香澄さんの大学入学後とされている。

それでも、自宅に誰もいない時は、可能なら家に来てくれるようお願いをした。

 

「おっ、同じ屋根の下、2人きりで、一晩を過ごす!?」

 

香澄さんは顔を真っ赤にしながら了承してくれた。

現実は、澪さんが不在の日なんてほどんどないので、その日が来る可能性は低いんだけど…

 

『流石は王。ハーレムですね』

 

『ピクシー』が無責任に呟いた。もちろん、僕にしか聞こえない『声』で。

 

 

今夜もレストラン会議は行われた。この日は将輝くんが初参加する。

放課後、2-Aの教室の前で達也くんに誘われていたけど、奇妙な態度だった。

深雪さんは生徒会室に、達也くんは早々に帰宅。僕も、体調不良なので今夜も不参加だ。

教室に戻って来た将輝くんは、帰宅準備をする僕の席の横に立った。

教室の騒動もやっと落ち着いて、僕と会話する時間的な余裕ができたようだ。

 

「ここが三高なら、一緒に行こうって誘われるところなんだが…」

 

一高だろうが三高だろうが、達也くんが将輝くんを誘うとは思えない。

 

「僕がレストランまで案内できればよかったんだけど」

 

「いや、気にしなくて良い。それに俺が来るから無理して登校してくれたんだろう。それだけでも感謝だ」

 

出席日数が心配だから、とは言えない。

 

「今夜は大人しく、将輝くんのお土産を澪さんたちといただくよ」

 

「たち?」

 

将輝くんは首を捻ったけど、僕にだって自宅に招く友人くらいいるだろうと特に追及はしなかった。

 

「それにしても、思ったより久は学内で孤立しているんだな」

 

「まあね」

 

「今日、俺は男子のグループと行動を共にしていたんだが、愚痴と言うか、ほとんど悪口、久とは付き合うなって忠告すらされた」

 

僕が同級生の男子に嫌われるのは、先日のテロや四葉への養子入り以前に、二年間の積み重ねだから、いまさら改善のしようがないし、する気もない。

 

「俺も、横浜事件の後、同じだったからわかるが、自分から歩み寄るのも大事だぞ」

 

嫌味のない笑顔とともに、将輝くんは善意からそう言ってくれる。一高の友人にはいないタイプの善意だな。

レオくんは掛け値なしの善人だけど、どこか屈折した部分があるから、こんな忠告はしてこない。

やはり十師族の長子としての立場や余裕がそう言わせるのかな。

 

「そうだね」

 

僕はあいまいに頷いて返事を濁した。

 

 

 

帰宅後、僕は澪さんたち、澪さんと響子さんと一緒に、北陸の幸に舌鼓を打った。

どれだけ体調不良でも、僕の食欲は衰えない。

 

 

翌2月12日は早朝から小雪がちらつく寒い日だった。

この日も僕は車で登校した。

将輝くんは2-Aのクラスに早くも馴染んでいた。

一時限目は実習で、課題は『魔法の終了条件定義』だった。

何度も言っているけど、永続する『魔法』はない。終了条件を定義しないで発動した『魔法』は効力を残したままになって、次の『魔法』に影響する。

それを防ぐには『魔法』の時間を定義する方法と結果を定義する方法のふたつがある。時間の定義は『飛行魔法』で証明された比較的新しい方法だ。

現在の主流は結果を定義する方法、より詳しく言えば、『魔法』の効果を失わせる方式だ。

『魔法の終了条件定義』は、基本中の基本にあたる。

実習内容は魔法式の作用を変数として自分で定義して、白いプラスチック球を赤、緑、青の順に、三十秒間に十回変化させる、と言うものだ。

今日は評価の日ではなく、練習日なので生徒は二人一組になって自習を行っていた。

僕はいつも実習でペアを組む時は深雪さんと組んでいた。

深雪さんの卓越した魔法力に釣り合う生徒が僕しかいなかったからだけど、実習中、クラスの男子生徒は誰もが僕の背中を睨んでいた。

でも、体調不良の僕は、実習室の隅で椅子に腰かけて大人しくしていた。

そのせいで深雪さんが1人ペアを組めず余る状態になっていた。

好機なのにクラスの男子生徒は深雪さんに声をかけられずにいた。

 

「司波さん、俺と組んでいただけませんか」

 

その間隙をついて、将輝くんが深雪さんに声をかけた。

他の男子生徒の怨嗟の声が起こる。

 

「ええ、喜んで」

 

深雪さんもクラスで一人は寂しかったのか、意外なほど嬉しそうに返事をした。

そんな笑顔を見せたら、将輝くんは…ああ、あの表情は、誤解とともに舞い上がっているなぁ。

実習『魔法の終了条件定義』は、魔法力よりも正確性を求められる僅か30秒の『魔法』だけど、

『現代魔法』は一瞬から数秒の事象変化が殆どなので30秒『魔法』を維持し続けるのは意外と難しい。

でも2-Aの生徒なら誰にでも簡単にできる…筈なんだけど、生徒の多くが手こずっていた。

ペアを組んだ2人は、まず深雪さんが先に実演した。

深雪さんは0.1秒の狂いもなく白いプラスチック球を赤、緑、青の順に変化させた。

それを目の前で見せられた将輝くんも、深雪さんのカウントダウンに助けられながら、

 

「余り0.7秒。一条さん、初めてとは思えないスコアですよ」

 

実習のクリア条件は1秒以内なので、一回目の実演で成功した。

深雪さんに笑顔を向けられているのに、将輝くんは不満そうだ。

すぐ隣でほのかさんも30秒ジャストでクリアしていたから、ますます不満そうだ。

将輝くんの視線がふと、僕に向けられた。

 

「三高ではどんな実習をしているの?」

 

三高の実習なら将輝くんはぶっちぎりで一番だろうから、僕は何気なく尋ねた。

 

「三高で最近実演したのは、壁の向こうに置かれた標的に対する『魔法』の発動だった」

 

深雪さんや他の生徒も興味深げに僕たちの会話に耳を傾けていた。

 

「遮蔽物に隠れた敵を攻撃する技術を磨く実習だな」

 

それを聞いていた生徒たちは、流石は実技の三高と唸っていたけど、僕は違う感想を抱いていた。

将輝くんの言う実習は、要するに実戦を想定している。

魔法科高校は、兵隊を育てる教育機関ではないはずだ。僕がこの時代に再出現して、生駒の九島家で烈くんと会話をした時、魔法師に選択肢が増えているって安心した。

僕の過去の魔法師は、兵器で消耗品だった。

緊迫した世界情勢でその授業。三高は兵隊を育てているのか…

勿論、三高の授業はそれだけじゃないだろうけど、僕は暗澹たる気持ちになる。

僕は、人と会話をする時は相手の顔をじっと見つめる。この時も、将輝くんの顔を無言で見つめていた。

この癖も僕が同世代の男子に嫌われる理由の一端だけど、短く言い様のない空気が教室に漂った。

将輝くんもちょっと戸惑ったようだ。

 

「久もやってみないか?昨日よりも顔色は良いから、大丈夫だろう?」

 

なるべく普段通りの口調で、将輝くんは話題をかえた。

 

「…うん」

 

気のない返事で立ち上がる。

 

「カウントダウンは必要?」

 

深雪さんが、やや不安そうに尋ねてくれた。

僕はそれを断って、丸いハイテーブルに置かれた白いプラスチック球に右手を向けた。

僕は背が低いから、白い球が目の前になる。

入試の時から僕は、こういった据え置きの決められた魔法式を使った『魔法』は得意だ。

あの時と違って、僕の右手の薬指にはお母様からいただいたトーラス・シルバー謹製CADのデバイスがある。

他の生徒たちも手を止めて、僕の実演を見ていた。

白、

赤、

緑、

青。

クラスの誰よりも鮮やかに発色したその光は、眩しいほどに実習室を照らした。

それを10セット。

 

30秒なんて、あっという間だ。

『魔法』を終えても、僕は白い球を見ていた。

 

「30秒ぴったり。流石は久ね」

 

時間を計っていた深雪さんが笑顔で言った。

 

「誤差はどれだけだった?」

 

ほのかさんが無邪気に尋ねる。

 

「えっと、誤差は、0.0001秒もなかったわ…それ以上は、ここの計器では計測できないわね」

 

ここで素直に喜べば、他の生徒から好感を得られるんだけど、

 

「うん」

 

僕は短く返事をしただけで、席に戻った。多分、僕の顔は人形のように無感情だっただろう。

だって、誤差が0.1秒でも0.0001秒でも、ぎりぎりの及第点でも、クリアにはかわりがない。むしろ、そこまでの精度にこだわるのは偏狂の類だ。

その辺り、僕はこだわりがない。

急げば道を外れることもある。人には人の速度があるんだ。

でも、圧倒的な実力差を見せつけられたクラスの雰囲気は、形容しがたい。

エリートを自称するクラスに、規格外の存在がいると言うのは、思春期の生徒にとっては複雑な感情を抱かせる。

それが十文字先輩や将輝くんみたいなエリート中のエリートならまだしも…

 

「流石は戦略級魔法師だね」

 

ほのかさんがやけに明るい声で、教室の空気をかえようとした。成功したとは思えないけど、生徒たちは気づかされたように自分の『魔法』に戻って、集中し始めた。

僕は待機状態の『ピクシー』のように壁際で大人しく座っていた。

深雪さんが僕の隣に立って、優しく肩を撫ぜてくれた。

 

「達也くんも僕と同じか、それ以上に正確な時計を刻んでいるだろうなぁ」

 

同じ課題は他のクラスでも行われている。達也くんの所属する魔工科でも同じだ。

達也くんは技術者として、偏狂的に追及する部分がある。

 

「お兄様なら、そうね」

 

深雪さんはまっすぐ前を見ながら同意した。

視線は、目の前の将輝くんではなく、その向こうの教室の壁に遮られた、見えないはずの達也くんを見つめていた。

深雪さんの視線上にいる将輝くんは、その視線に意識が何度も向けられていた。

深雪さんの視線には、達也くんしかいない。

 

将輝くんの実演は、その後もぎりぎり及第点だった。

でも、2人の間にある壁は、及第点の魔法では越えられそうにない。

 

 

 




将輝は、少女漫画ならヒロインに横恋慕して話をかき回す存在です。
エリート、貴公子、ハンサム、頭も良い。
男性読者に嫌われるタイプですね。
しかし、深雪の眼中にはまったくないので、道化です。
それでも一条家の長子として邪険に出来ないので、実に迷惑です。
味方になると達也に振り回され、敵に回ると面倒くさい。
まぁ、達也が完全無欠なので、ライバルにすらならないのが…合掌。
では、また次回。


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バレンタインデー

原作の行間を読んでみました。


2月13日、この日も刺すように寒い日だった。

 

「どうして僕を参加させてくれなかったの!」

 

一高の来客用玄関で待っていてくれた達也くんに、僕は朝の挨拶もなしに詰め寄った。

昨日、達也くんが早々に帰宅したのは、グ・ジーの潜伏現場である座間に向かったからだった。

襲撃には黒羽の双子と四葉家の戦闘魔法師も参加した大掛かりな物だった。

僕がその襲撃の情報を知ったのは、昨夜、真夜お母様から知らされたからで、それも捕縛失敗の情報だった。

グ・ジーの潜伏場所が住宅街、米軍基地の隣、しかも米軍の介入があったから達也くんでも捕縛に失敗したんだって。

 

「僕がいれば、グ・ジーを逃がすことなんて絶対になかったのに。介入して来た敵だって、皆殺し…全員倒したよ!」

 

来客用玄関には僕、達也くんと深雪さん、水波ちゃんしかいなかったけど、一応言葉を柔らかくする。柔らかくしても意味は同じだ。

 

「米軍の介入は想定外だった。それに捕縛、殺害も外交問題に発展する。お互いが非合法活動中だったからな」

 

十師族は法的に認められた組織ではない。表の仕事以外で、非合法でない活動があるのだろうか。

その疑問は脇に置いて、

 

「それでも、ちゃんと指示してくれれば、敵の無力化も出来たよ!」

 

僕は声を抑えながらも反論する。僕だって四葉なんだ。僕が捜索メンバーに参加しているのは、捕縛殺害が僕の役目だからだ。

僕は敵は容赦なく殺す。その考えは僕の身体と心に染み付いている。

でも、指揮官がきちんと僕を使ってくれれば、確実にその指示を果たす。

 

「久、落ち着いて。久は体調不良で普通に立っているのも辛かったでしょ。だからお兄様は…」

 

深雪さんが仲裁に入ろうとする。

 

「違うよ、僕が怒っているのは、僕に教えてくれなかったことだよ、達也くんも深雪さんも昨日の朝から、潜伏場所と襲撃計画を知らされていたんだよね」

 

昨日、『魔法の終了条件定義』の実技があった日、2人は朝からその計画を知っていた。当然、水波ちゃんもだろう。知っていて、いつも通り生活をしていたんだ。

僕は、今回の捜索では達也くんの指揮に従うようお母様に言われている。

 

「体調不良だから待機していろって言われれば、僕は従っていたのに…」

 

命令には忠実に従うのも僕の身に染み付いた習性だ。

急襲は、情報を知らない人が多いほど成功率が上がる。それは理解している。

僕は米軍とは因縁がある。横浜騒乱の時には米軍の工作員に襲われたし、吸血鬼事件では赤髪の仮面魔法師と戦った。

僕が米軍兵士と戦わなかったのは、埋火を再炎上させない結果になった。でもそれは運が良かっただけで、結果論だ。

信用されていない…わけではない。前回の襲撃で四葉家の戦闘員を間近で見ているから、今更、隠す意味がない。

それとも、僕に知られたくない政治的な理由があったのか。

戦略級魔法師の僕が捜索に参加していることは特に秘密でもない。

市街地での襲撃でも、特に問題はなかった。

僕の体調を慮ってくれたにしても、ひとり蚊帳の外は、悔しいな。

体調不良を理由に四葉の仕事、非合法活動に参加できなかったのは、光宣くんの焦燥が初めて理解できた気がする。

 

「僕は、達也くんの足手まといになったりはしないよ」

 

僕は頬を膨らませる。

10歳ころの深雪さんの顔をした僕が、上目遣いに涙を溜めて、恨みを込めて達也くんの顔を見つめる。

 

「…わかった。今後は久にも同行してもらう。情報もすべて公開する」

 

達也くんが頬に汗を流して動揺する姿は珍しい。

体調は万全ではないにしても、問題はない。

 

「うん。今後は達也くんにくっついて離れないから。捜索にもトイレにもお風呂にも一緒についていくから」

 

達也くんの制服の裾を指でつまむ。

僕は達也くんの居場所がどんなに離れていてもわかる。逃げることは不可能だ。達也くんもそれを知っている。

ちょっと意固地になっている自分を理解している。

 

「作戦の時だけだ」

 

「あっ、そうか、お風呂は深雪さんと入っているから、僕が入っちゃダメだよね」

 

「入ってない!」

 

ん?おかしいな。響子さんが婚約者はお風呂は一緒に入るって言っていたのに。

 

「今夜のミーティングで他のメンバーには詳細を省いて報告するが、久にはすべて教える。昼休みに使用されていない、この教室の使用許可を…」

 

「その教室に行けばいいんだね」

 

達也くんが端末で表示した教室を頭と端末にインプットする。

 

 

その夜のレストラン会議では、初めてメンバーが全員集合した。真由美さん、僕、達也くん。テーブルを挟んで十文字先輩と将輝くんの順に座った。

達也くんが昨夜のグ・ジー襲撃を詳細を省いて淡々と説明した。

十文字先輩と将輝くん、真由美さんの表情が苦い。

原作では、この場面は一行でさらっと済まされていた。

でも、だ。

四葉家はグ・ジーの隠れ家を2度発見している。他家、特に関東を本拠とする十文字家と七草家に先んじて捜索に成功している。

十文字先輩と真由美さんとしては、内心忸怩たる思いをしているだろう。

そして2度とも取り逃がしている。

隠れ家の襲撃は、一般には不審火として報道されているし、十師族には四葉家の襲撃による失火だと知られている。

十師族で協力、レストラン会議で情報の共有までしているはずなのに、四葉家が単独で動いてグ・ジーを逃がして、事後報告をしている。

グ・ジーの拠点を確実に潰しているとも言えるし、情報を独占して他家と連携できず、捜索場所が分散して網に隙間が出来ているとも言える。

十文字先輩の頬に、わずかながら不満の色が見える。

単身、東京に居を移している将輝くんも、自分が現場にいれば、もしくは襲撃に参加できれば、事態はかわっていたと考えている。

誰もがボタンの掛け違いのような、もどかしさを感じている。

 

「その後、捜索に進展はありません」

 

達也くんが事務的に語る。

 

「…そう」

 

無言の十文字先輩と将輝くんにかわって真由美さんが答えた。

 

 

 

ミーティングは微妙な空気のまま終わり、その後、メンバーを晩御飯に誘う十文字先輩。

達也くんは深雪さんが待っているからと帰宅。将輝くんも土地勘を増やすためにバイクで周囲を走ると退出した。

僕も澪さんたちが心配するから、食事を断って帰宅する予定だった。

結果、大学生の2人だけが残る。十文字先輩は内心では嬉しいかもしれない。でも、真由美さんは十文字先輩との2人っきりの食事は気まずいだろう。

そうなると真由美さんは小悪魔心を発揮して十文字先輩をいじる、十文字先輩は大きな体を小さくする。

2人の相性も、微妙にかみ合わないな。

2人は婚約の噂もあるんだけど…うぅむ、空気が重い。

このレストラン会議は、もともと真由美さんと達也くんの会う機会を増やす七草弘一さんの腹案だから、真由美さんと十文字先輩の距離感も微妙だ。

それぞれの家の事情と秘密が交錯して足を引っ張っている。

僕が腰を浮かせようとすると、真由美さんが僕の上着の裾をつまんだ。

 

「久ちゃん、『お義姉さん』として、少し話があるんだけど、良い?」

 

にんまり笑う。

良いも何も、裾をつまむ指は、かなりの力だ。

僕と七草家の問題だと判断した十文字先輩が先に席を外して、レストラン二階の個室に僕と真由美さんだけが残った。

玄関のドアベルが、からこんっと鳴るまで黙っていた真由美さんは、裾をつかむ指を放すと、

 

「はぁー」

 

盛大にため息をついて脱力。姿勢を崩して天井を見上げた。

 

「今日は久ちゃんが来てくれて、ほんっとーに良かったわ。一昨日、一条くんが初参加してくれた日のミーティングは、本当に疲れたのよ」

 

達也くんと十文字先輩、将輝くんが揃って、同世代でも皆、十師族の次期当主と配偶者。流石の真由美さんも気疲れする。

 

「昨日は昨日で3人だと交換する情報も話題もないし。関東がホームグラウンドの両家なのに、情けないわね」

 

ただでさえ将輝くんは出遅れていて、一人だけ三高だ。2年前の九校戦くらいしか話題はなさそうだ。将輝くんも負けた大会の話は汗顔してしまう。

男子3人に女子1人の構成も気まずい。十文字先輩の存在感だけで、部屋が狭くなる。年頃男子の会話は弾まなそうだ。

ここに渡辺先輩が参加していれば潤滑油にもなるし、市原先輩がいれば毒を吐きつつも話を上手に繋げてくれるだろう。なぜ会議を十師族限定にしたのか。

 

「久ちゃんがいてくれると、男3人に女2人でバランスもとれるし」

 

「僕は男だよぉ」

 

と、からかいの言葉も他の男子にはかけにくい。

将輝くんなんて、真由美さんの格好の玩具、からかいがいがありそうだけどね。

誰かをダシにして場を和ませるのは、高校時代の真由美さんの常套手段だったのに、相手が十師族ともなると出来ないか。

 

「久ちゃんの体調も、だいぶ良くなって、学校では香澄ともうまくやっているみたいだし、お義姉さん、安心したわ」

 

ん?何だか風向きがかわったな。

その後、真由美さんの愚痴を聞かされた。渡辺先輩が千葉修次さんとラブラブで腹が立つとか、基本的に当たり障りがない内容で、単なるストレス発散の相手にされただけだった。

 

この会議、僕が真由美さんと達也くんとの間の防波堤になる目的は果たされている。

 

 

 

翌2月14日。いわゆるバレンタインデー。

反魔法師運動やテロの影響で暗い社会情勢でも、この日は思春期の高校生にとっては大事なイベントだ。

去年は九校戦で有名になった僕にチョコレートを渡そうとした女の子たちが駅前で待ち構えて混乱があった。

今は戦略級魔法師となって一般市民にも僕の容姿は知られるようになった。

魔法協会が僕を魔法師のイメージアップに利用しようとしていることもあって、映像中の僕は、理想的な優等生、少なくとも見た目は完璧だ。意図的に美化されているわけでなく、映像には僕の狂気や残忍性は映らない。魔法協会も、僕が化け物だって知らないんだ。

僕の容姿が幼いこともあって、二十歳以下の、特に小中高女子生徒に好意的に受け入れられている、らしい。

魔法協会は去年にも増して駅前が混乱すること、混乱に乗じたテロ事件の続発を恐れた。チョコレートは横浜の本部ビルに送付するよう世間に通知をした。協会に送られたチョコは、中身を確認後、一部は寄付され、残りの多くが残念ながら焼却処分される。これは大手芸能事務所でも同様の対応をとっているそうで、衛生面を考えるとやむを得ない処置だ。通知には、このむねがきちんと表記されていた。

そのかわりチョコレートに添付されていた手紙やカードは内容をチェック後、僕に送られる予定だった。

ただ、一か月半後に入籍するので、それ程の数は送られてこないと思っていたのだけど、協会からのメールによると、かなりの数が送られてきて業務に支障が出ており、添付のカードも協会で処理することになっていた。

そんな愚痴を光宣くんに話したら、京都の魔法協会には論文コンペで有名になった光宣くんあてのチョコが大量に届けられているって、電話でこぼしていた。

一高前駅には、通知を知らない女性がかなりいたそうなんだけど、今日も僕は車で登校したので、去年みたいに香澄さんにジト目で見られるようなことは起きなかった。

2-Aの教室は、去年ほどではないにしても、そわそわした雰囲気が漂っていた。

教室に入ると、雫さんとほのかさんが軽い気持ちで、義理だよって言いながらチョコをくれた。

お礼を言いながら席に着く。

隣の席に座る深雪さんからは、来客用玄関で貰っている。

深雪さんが本命チョコを渡すのは達也くんだけなので、僕のは家族チョコだ。

ちらっと視線を将輝くんの席に向けると、将輝くんは教室の浮かれた雰囲気には背を向けて、やや沈鬱、焦燥な表情でどこを見るでなく考え込んでいる。

その態度は授業中も続いていたけど、昼休み、女子生徒からチョコを受け取って、初めて今日がバレンタインデーだと気が付いたみたいだ。

将輝くんも九校戦のパーティーでは周囲に女子生徒を侍らせていたし、三高では沢山貰っているはずだ。

それでも立て続けに、可愛くラッピングされた小箱七つを手渡され、ぽかんとしている。

確かに、会って数日の顔も名前もまともに覚えていないクラスメイトからチョコを渡されれば戸惑うだろうけど、それにしても今日の将輝くんは心ここにあらずだ。

 

「この分ですと、まだまだ増えそうですね」

 

深雪さんの何気ない一言に将輝くんがへこんでいた。

まったく異性として眼中にない発言だ。

 

 

 

今日のお昼も生徒会室で香澄さんと食べる。

食事後、香澄さんからやや手の込んだチョコを貰う。

 

「『お義兄様』、今日はいくつチョコレートを貰いました?」

 

にこり。

笑顔が可愛い。こういう表情をする時は真由美さんの妹だなって実感が深まる。

 

「全部、義理だよ」

 

「『お義兄様』には婚約者がおふたりもいますからね。それで、いくつ、貰ったんです?」

 

「えーと」

 

香澄さんの半目が近い。

 

 

料理部の部員からと深雪さんと…放課後までに、響子さんに持たされた紙袋二枚が満杯になっていた。

ただ誰もが、僕には特定の女性がいるから、チョコを手渡す時に義理だよってはっきりと言う。

それでもお返しはしっかりしたいので、チョコをくれた生徒はきちんと覚えておく。お返しは去年同様、手づくりのお菓子になる。

 

グ・ジー追跡のため達也くんは今日も深雪さんを学校に残して先に帰宅する。今日は基本的に、自宅待機だって。テロリストの新情報が入り次第、僕に連絡してくれるようお願いしてある。

将輝くんは、これ以上チョコを渡されないようにと考えたのか、僕と深雪さんに挨拶をすると、ずんずんと教室を出て行った。

僕もミーティングまでの間、自宅待機するため早々に帰宅しようと席を立ったところ…

 

「あっあの、四葉先輩…はいらっしゃいますか?」

 

やや不安げな声が教室の前ドアから聞こえて来た。

3人の女子生徒が、2-Aを覗き込んでいる。クラスに残った生徒たちの視線が集まる。

深雪さんはまだ司波を名乗っているので、このクラスで四葉と言えば僕だ。

 

「僕?」

 

とてとて近づく。お辞儀をした女子生徒たちは一年生で知らない顔だった。

終業直後に急いで2-Aまで来たようで、少し息が上がっていた。

先頭に立つ生徒が緊張の面持ちで一歩前に踏み出た。

 

「こっこれ、私たちからお礼です!」

 

緊張を吹っ切るように、ずいっと紙袋を押し付けて来た。

紙袋は僕でも知ってる高級デパートの未晒のクラフト紙。中にはリボンのついた小箱とカードが入っている。

 

「お礼?」

 

お礼を言われるようなことは…思いつかない。僕は昼休みの将輝くんみたいにきょとんとする。

 

「一高を襲ったテロリストから、私たちと学校を護ってくれてありがとうございました」

 

「四葉先輩がここの所、体調が優れないのは犯人捜索でお疲れだからですよね」

 

「私たちよりも華奢な身体で、頑張っているって…」

 

3人は畳みかけるようにしゃべった。

そんな話が校内に広まっていたのか。

あの程度で僕の精神が疲れるなんてありえない。

 

「ありがとうございました!」

 

女子生徒は後ろの2人と一緒に深々と頭を下げた。

僕は他人の感情を理解する自信がない。自分の行動の結果に、他人がどう思おうと嫌おうと、悪口を言われても気にしない。

テロの矢面に一人立ったけど、生徒を護る使命感なんて特になかった。

それでも面と向かって、朴訥で飾らないお礼を言われると困惑してしまう。

女子生徒は僕の言葉を待っている。

ふと、深雪さんの視線と目が合う。深雪さんがふっくらと笑った。

いつもの意識して作ったそれではなく、掛け値なしの笑顔だ。まるで色が付いているように、教室を彩る。

僕もつられて笑う。

僕の笑顔に、3人もほっと息を吐いた。

 

「ありがとう。みんなに怪我がなくて良かったよ。これは大事にいただくね」

 

この生徒たちは、上級生のクラスに来るだけでも緊張するのに、戦略級魔法師で四葉でもある僕に会うのは、色々な迷いや勇気が必要だっただろう。

普段、意識しないし、むしろ自分から遠ざけている校内の人間関係だけど、やはり繋がりはあるんだなって思う。

チョコレートは手づくりではなく、自分たちでも手が出せる金額の市販品なことも気遣いができている。

 

「犯人捜索、怪我をしないよう気を付けてください!」

 

「うん、ありがとう」

 

そう言うと、3人は再びお辞儀をして、元気よく駆け去って行った。

胸の中に、瑞々しい何かがほっと沸き上がった。

 

 

今夜のミーティングもメンバーが全員そろって情報の交換が行われた。

このミーティングも原作では数行で、さらっと書かれている。

けれど、だ。

グ・ジーを見失った座間を中心に、四葉家、七草家、十文字家が捜索したものの、手掛かりは見つけられなかったそうだ。そのほかの十師族、組織、警察からも新情報はない。

捜索は行き詰っている。

十文字先輩はいつも通りで、将輝くんは、今日一日焦燥感をにじませた表情のままだ。

二度の襲撃が失敗したからなのか、意外にも達也くんのモチベーションも低い。

テーブルのカップに手を付けず、コーヒーはすっかり温くなっていた。なんだかこの会議を象徴しているみたいだ。

 

「今夜はここまでにしましょう」

 

真由美さんが立ち上がった。

場の空気を和らげるためか、声のトーンが高い。

真由美さんが腰かける椅子の横のバッグケースに女子大生らしいタペストリー社製のバッグが置かれていた。

真由美さんがバッグから高級感のある小箱を三つ取り出した。

 

「十文字君、一条君、久ちゃん。はい、バレンタインのチョコレート」

 

十文字先輩は、うむとか、ふむとか言いながら、将輝くんは戸惑いながら、僕は素直にお礼を言いながら受け取った。

 

「達也君にもあげたいところなんだけれど、今の状況だと…ね。ごめんなさい」

 

ウィンクしながら手を合わせる。

 

「気になさらないでください」

 

達也くんは、ほっとしている。

真由美さんは、七草家の長女として今は誤解を招く行動はとりたくないようだ。

この会議は真由美さんを達也くんに近づける七草弘一さんの策略だ。

婚約の決まった男性にアタックをかけるのだし、グ・ジー問題が終われば、達也くんとの接点は細くなる。もっと積極的な行動、チョコレートくらい強引に渡さないとダメなんじゃないかな。

高校時代は、ここまで調和を重んじる性格ではなかった。まんざらでもないような気がしていたんだけど、深雪さんと恋のさや当てをするのは気が引けるだろうし、真由美さんは弘一さんが絡むと意外と冷静になる。

周囲が意識しているだけで、真由美さんはまったく乗り気ではないのかな。

昨夜のミーティングで色々と愚痴を言っていたのは、多分、達也くんにチョコを渡すかどうかで、さんざん周囲、特に渡辺先輩に意見をされたせいなんだろう。

真由美さんが、小箱を入れる紙袋を僕たちに渡しながら、

 

「お返しを期待しているわね」

 

100%義理チョコだとわかる笑顔は、悪戯好きな高校時代を思い出させる。ホワイトデーは三倍返しなんだっけ?

紙袋のロゴは有名な高級チョコレート会社のモノだった。

十文字先輩は、心なしか嬉しそうだな。

将輝くんは、真由美さんと同じ立場だ。深雪さんからチョコを貰えなかった意味を少し考えているようで、ちらりと達也くんを盗み見た。

達也くんは無表情。

三倍返しの金額の多寡はともかく、テロリスト追跡が終わっていたとしても、僕は真由美さんと義姉と義弟なのだから、今後も会う機会が多い。

今回のテロ事件は、逆に真由美さんを達也くんから遠ざけている気がする。

 

誰もが茫漠とした未来に落ち着かない。

 

 

 






今回は、原作でさらっと数行で済まされたふたつの場面を、想像を膨らませてみました。
原作でさらっと済まされたのは、その場面を書くと、
18巻・師族会議中編がミーティングのシーンだらけになって、構成とテンポが悪くなるからだと思います。


この時のバレンタイン。原作では、達也が真由美からチョコを貰わなかったと言っています。
克人と将輝が貰ったかどうかは不明です。
高校の時の真由美なら2人にも渡していたでしょう。
師族会議編の真由美は、ものすごく煮え切らないのですが、渡辺摩利にチョコは渡さないのか?とたきつけられたり、弘一にそれとなく確認されたり、妹たちに反対されたり、もやもやしていたりしたでしょう。
このSSの展開では、真由美は久にはチョコを渡すし、そうなるとミーティングを円滑に進めるために、接点の少ない将輝の緊張をほぐすために渡した、克人は真由美のことを可愛い所があると言うように、ちょっと気があるし、将輝は真由美が苦手なタイプでしょうから、どんな反応をするかなと思いながら書いてみました。


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首っ引き

今回は短いです。
本当はもう少し書く予定でしたが、ちょうどキリが良かったのです。


 

 

十師族は、政治に拠らず裏からこの国に影響を与えている。

表立って国政で権力を振るわない利点は色々とある。

『魔法』を理解できない国民の大多数は、魔法師は優遇されていると考えている。

優遇された魔法師が権力まで手に入れてしまえば、やっかみや嫉妬の感情が、いずれは憎悪、敵視になる。

あえて表に立たないことで、それを未然に防いでいる。

欠点は、魔法師が実質的に社会を、特に国防軍を支配しているのに、政治が国を動かせないので、国と国民と魔法師が歩調を合わせることが難しくなっている。

魔法師の所得面での優遇は、医者や弁護士などと同じで、取得の難しい国家資格を持ち、特殊な技能を有しているからで、ある程度の地位につけば、高給取りになるのは当然だ。

高給取りと言っても、外資系企業のトップが貰うほどの金額を貰っていない。

戦略級魔法師の澪さんが受け取る慰労金は、戦車一台よりも圧倒的に安い。公僕である政治家よりも安い。

そのあたり、この国はしみったれている。敵国からの引き抜きが活発になるわけだ。

 

 

バレンタインデーの翌日、魔法大学の正門前で、反魔法師団体によるデモ隊と警察が小競り合いになった。

公道でのデモ行為は警察への届け出が必要だから、警察も事前に人員を動員していた。

小競り合いは、デモ隊が魔法大学の敷地に入ろうとしたから起きた。

魔法大学に限らず、公共機関には関係者しか入れない。不法侵入は警察が阻止するのは当然だ。

揉み合いはプラカードを振り回したり投石したりする程度で規模としては小さい。

だけど、マスコミが一部を切り取って大げさに報道している。

都内では去年、反戦デモが時々行われ逮捕者も出しているけど、今回ほど大きく報道されていない。

デモ隊をクローズアップして、デモ側の主張を一方的に報道するメディアもある。

そのマスコミはデモ側が呼んだんだろう。過激なデモ隊がカメラを意識して大げさな行動をとっている。

 

僕はその映像を、お昼休みの生徒会室で昼食を食べながら、薄い関心で見ていた。

生徒会室には僕と香澄さん泉美さん、水波ちゃんと『ピクシー』がいる。

デモと警察の衝突は11時ごろに起きたので、お昼休みには一高はその話題で紛糾した。

深雪さんは達也くんと一緒に食堂で報道を見ている。将輝くんやレオくんたちも一緒だ。

僕も食堂に誘われたんだけど、僕への非難が達也くんたちにも向けられるのは嫌だ。一部生徒の僕への白眼視はいまだ続いている。

生徒会室でも僕はその報道を見る気はなかった。

この国の安定は、多くの魔法師の犠牲の上になりたっている。

群発戦争当時の魔法師は僕も含めて消耗品の道具以下の扱いだった。

歴史を勉強しろとか感謝しろとかは言わないけど、反魔法師運動は故意に歪んだ思想を広めていて、社会に不満を持つ一部の市民をあおっている。

反魔法師運動をする輩は、魔法師は生まれながら優遇されていると喧伝している。本気で反魔法師の社会を願うなら、国会や国防軍基地、警察関係の施設前で行えばいい。

市民が、それでも平和に暮らせているのは、もはや社会の一部になっている魔法師のおかげなんだから。

魔法大学の前でデモをしているのも、相手が反撃できないことを熟知しているからで、まったく、耳元で不愉快な雑音を聞かされる気分になる。

誰だって不平や不満、閉塞感や不平等を抱えている。批判されている魔法師だって、規制だらけで息苦しい。

対案のない一方的な反対なんて、いちゃもんの類だ。

僕の感覚からすれば、反魔法師運動なんて宗教と同じで金集めの手段のひとつだ。

この国で、教祖様や運動家のリーダーが、信者や末端の運動家よりも貧しかったことなんてまずない。

気分が荒れるので、静かにお弁当を食べていたかった。

僕は、おいしいご飯を食べていられれば、それだけで幸せなんだ。

 

ニュースは、報道を知って駆け付けて来た泉美さんがつけた。

水波ちゃんも普段は友人たちと食堂を利用するのに、今日はクラスメイトの香澄さんと一緒に生徒会室に入って来た。

僕たちは、近未来的な端末に囲まれた生徒会室には似合わない重厚な方卓の片側に、一列になって座っていた。

机に並ぶ3種類のお弁当はそれぞれが手づくりで、水波ちゃんのお弁当は深雪さんとの共同制作だ。香澄さんも段々と上手になっている。

泉美さんだけが生徒会室の自販機のレトルトだった。魅力に欠ける白いメラミン食器。レンジで温められたご飯が冷めていく。

生徒会室の大きなスクリーンに映し出された映像を、3人の下級生が昼食もそこそこに首っ引きで見つめていた。

興味が無くても、目の前の映像が視界に入って来る。

見慣れた魔法大学の正門。この程近くで毎日十文字先輩たちとミーティングしている。今日もミーティングがある。

まさか、この面倒なデモは夜まで続かないよね。

金曜の真昼間にデモとか、この人たちは仕事は平気なのだろうか。それとも営利目的の市民活動家なのかな。

リアルタイムの映像では、デモ騒動は落ち着いている。警戒しながら登校する大学生のなかに知り合いの顔はいないかなってふと画面を見る。

 

「ん?」

 

「どうしました、久先輩」

 

それまで黙っていた僕が声を漏らしたから、隣に座る香澄さんが訊ねた。

 

「知り合いの顔を見つけた」

 

報道の警察隊にエリカさんのお兄さん、千葉寿和さんがいた。パーティーで挨拶しただけだから知り合いと言う程の仲でもないけど、説明が手間なので省略した。

寿和さんは魔法犯罪を捜査する刑事で、警備は公安警察や交通部門の職分、担当ではないはずだ。何故いるのだろう。

人手不足で駆り出されたのかな。寿和さんは私服警官だし、安易に顔を報道されては今後の犯罪捜査に支障をきたすのではと、素人的には思う。

箱根テロ以外にもいくつも事件を抱えているだろうから、デモの中に犯罪に関わる人物や魔法師がいる情報でも持っているのかな。

デモもブームがある。去年は反戦、今は反魔法師だ。金になると考えれば、次は別のものを叩くだろう。

デモでは社会はかわらない。

問題は、反魔法師運動にテロリストが関わって、社会不安を煽っている場合だけど、ニュース画面からはわからない。

 

隣に座る香澄さんが、ニュース映像を見ながら唇を強く結んでいる。

『魔法』は、魔法科高校に通う魔法師の卵たちの感覚では、生まれ持った能力を約20年の研鑽と努力で伸ばし、大学在学中に資格を得ないと、卒業後仕事にもつけない大変な道だ。

魔法教育は国策で、魔法師の卵は貴重なはずなのにドロップアウトを一切救わない。資格を持たない魔法師は、それまでの努力が無駄になり、一般企業で通常の仕事をするか、ナンバーズの非合法活動員になるか、犯罪者になるかだ。

しかも、ちょっとした事故やきっかけで、『魔法』は使えなくなる。

魔法師の世界は、一般人が考えるより厳しく不確かだ。

十師族の香澄さんも泉美さん、四葉家の関係者である水波ちゃんは、一高の誰よりも、そのことを知っている。そして、デモの目の敵にされている当事者だけあって真剣に、深刻に、このデモ騒動を受け止めている。

僕は他人事のようにニュース画面を見つめた。

世界情勢が不安な今、いつ戦争が起きるかわからない。デモを起こしている市民は、戦争が起きれば魔法師に頼らず、自力で自分と自分の大事なものを護れるのか。

僕は戦略級魔法師として国民の生命と財産を護る義務がある。でも僕は、反魔法師デモをしている市民、心象の悪い人物を護る気はまったくない。少なくとも優先順位が低い。

十師族として教育を受けた十文字先輩や真由美さん、隣に座る香澄さんは、それでも市民を護る義務があると言うだろう。

自分の身は自分で護るしかない。弱者は奪われる。

それがこの時代の、この世界の現実だ。愚か者に足元をすくわれるのは、輪をかけて愚か者だ。

超人的な『力』を持つ僕ですら、自分と大事な人を護るだけで手いっぱいなんだ。

 

温くなったお茶を『ピクシー』が人数分いれ直してくれる。

僕は『ピクシー』がいれてくれた緑茶を行儀よく飲みながら、そんなことを考えていた。

本来のHARの機能を発揮している『ピクシー』は、ただの機械だ。

 

いつもより、お茶が苦いのは気のせいだろうか。




今回、生徒会室に集まった久、香澄、泉美、水波。
実はこの四人は偽装だったとは言え全員、義姉妹になります。
原作でも水波は一高入学時、達也と深雪の母方の従妹と言う偽装設定でした。
達也の母方の姉妹は真夜しかいないので、水波は真夜の娘にとなります。
久も水波が入学当時、妹が出来たと喜んでいましたし(笑)。

澪は戦略級魔法師ですが、基本的に民間人です。
なので、国から慰労金と言う名の給金を貰っていますが、民間人なのでその額は大した額ではありません。
戦闘機が100億、戦車が10億としても、ものすごいコストパフォーマンスです。
個人の魔法力で国と国のパワーバランスを崩せる世界なのに、
一般市民はそそのかされてデモなんてやっている場合ではないですね。
戦争が起きれば、文句を言いながら逃げ惑うだけになるでしょうし。

次回は久しぶりのアクション回、予定です。


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大切なものは目には見える

前回の話は、今回まで書く予定でした。


 

2月16日土曜日、この日も反魔法師団体のデモが都内で行われていた。

デモが行われた霞が関は中央官庁や国会があり、皇居も近いこともあって警備は厳重だ。

デモ団体は、魔法大学では暴徒化したのに、ここでは大声を出すこともなく、ただ行進するだけだった。

個人的願望や要望を、あたかも集団の総意として、発信力を強める為の行動は…いや、愚痴みたいになるから、もういいや。

 

今日も僕は達也くんにミーティングまでの間は自宅待機を指示されていた。

校門で達也くんと待ち合わせをして、一高駅前のキャビネット乗り場まで一緒に下校する約束をしている。

終業のチャイムが鳴って、深雪さんやほのかさんに下校の挨拶、将輝くんとミーティングの時間を確認をすると、僕は2-Aの教室を出た。

階段を転ばないようにゆっくりと降りて、一年生の教室の前を玄関に向けて歩いていた。

 

「四葉先輩」

 

一年生の教室前に、七宝琢磨くんが立っていた。

僕に気が付くと正対して、正面から呼び止められた。

彼は入学当時の才走った小生意気な雰囲気は今はもうなく、部活連の一員として、それなりの地歩を固めているそうだ。

一高は比較的女子生徒の方が発言力が強いので、琢磨くんはがんばっている。

放課後の慌ただしい時間、他の生徒たちも沢山いる。琢磨くんは十師族で一年生の総代だから、他の生徒よりも目立つ。周囲の視線と関心を集めている。

その視線を躱すように、一歩前に進み出た。

僕の事を待っていた?

 

「こんにちは、琢磨くん」

 

「こんにちは先輩、今日もテロ組織捜索のミーティングですか?」

 

バカ丁寧にお辞儀をした琢磨くんに頷きで答えると、窺うように聞いて来た。

 

「昨日は、魔法大学前のデモの話はしましたか?」

 

「うん。大学生も動揺していたけど、十文字先輩が、デモ団体は一般市民だから、基本的には警察に任せて生徒たちは静観しているしかないって」

 

「そうですか…犯人の捜索は進んでいますか?」

 

琢磨くんが声を小さくする。捜索状況は七宝家には伝えられているはずだ。形式的な報告よりも僕の所感を知りたいのかも。

 

「十文字家と七草家は関東一円に捜索範囲を広めているけど、12日以降の足取りは残念ながら掴めてないんだ」

 

「四葉家の方はどうですか?」

 

僕は首を左右に振る。

 

「四葉家も、今のところ行き詰っているみたい」

 

「四葉家でも、ですか?情報を秘匿している可能性は…すみません」

 

琢磨くんも、四葉家が他家とは違い、油断ならない実力を秘めていると思っている。それでも迂闊な発言を、即座に謝罪した。

入学当時にはない態度だ。

 

「達也くんですら、不機嫌気味だから、間違いないよ」

 

「司波先輩が?」

 

達也くんの実力を身に染みて知っている琢磨くんは少し考えこんだ。

 

「七宝家でも動けるところは動いて行きます。四葉先輩も体調に気を付けてくださいね」

 

琢磨くんは僕を引き留めたお詫びを言うと、踵を返して歩き出した。

この一言を言いたくて、僕に声をかけたのか。

七宝家は今回の師族会議で、九島家にかわって初めて十師族に選ばれた。七宝家は有力師族とまでは実力がない。

急に十師族に決まったこともあり、出来ないことの方が多い。

琢磨くんも焦燥感を抱いているようだ。

 

 

一高前駅で達也くんと別れてキャビネットに乗った。

僕の自宅のある練馬までは最寄り駅からコミューターに乗り換えて一時間。

自宅に着いたところ、澪さんから西宮の二高の生徒が、反魔法主義者に襲撃されたニュースを知らされた。

二高では、光宣くんが副会長に就任している。当事者の光宣くんは対応に忙しいだろうから、僕は達也くんに連絡をとった。

達也くんは帰宅中にそのニュースを知ったそうで、急遽、一高に戻っていた。

一高の生徒会室で二高生徒会から状況を聞くそうだ。

僕も仮とは言え副会長だ。一高に戻るかと達也くんに聞くと、僕が一高に着くまでに二高生徒会との話は終わっているから、自宅で待機、詳報は今夜のミーティングで知らせるとのことだった。

僕は自宅で、やや感情的な報道をじりじりと見て、時間まで待った。

 

19時ごろ、魔法大学近くのレストランにいつものメンバーが集まった。

二高副会長の光宣くんから聞いた情報を達也くんが報告する。

人間主義を唱えるデモ隊に囲まれた女子生徒一人が防犯ブザーを使用しようとして、デモ隊の男が女子生徒の腕を掴み、助けようとした男子生徒が全身を殴打され、さらに顔面を殴られ昏倒。

もう一人の女子生徒が防衛のため『電撃』を使ったものの、加減を誤りデモ隊の一人が不整脈となり、救急車を呼ぶ大騒動となった。

状況的に二高生徒の方が被害が大きく、正当防衛の範囲に収まる。

でも、デモ団体側からすれば鬼の首をとったかのように、自分たちの被害を喧伝するだろう。

要するに、二高生徒は挑発に乗ってしまったんだ。

光宣くんが副会長をしているにしては二高生徒の意識の低さが気になる。まぁ、光宣くんは休みがちだし、生徒会では意見がしにくいのかもしれない。

真由美さんが大学での反応を、将輝くんが三高の対応を話す。

幼稚園のように集団登校は、各地から登校する高校や大学の生徒は難しい。最寄り駅から学校までの通学路を学校側が警備する程度の防衛しか取れない。

しかし、一高の校長は、一高が実際にテロ組織に襲撃されて重傷者が出ても、まったく動かない偏屈な人物だ。

他校はそれなりに対処してくれるだろうけれど、一高では出来るだけ集団で行動すること、過剰防衛にならないことを周知するしかない。

 

その日のミーティングでは、デモ団体の対応で話が終始した。

それだけグ・ジー捜索は行き詰っている。

 

日曜夜、達也くんから電話があった。

月曜放課後に、グ・ジーが潜伏していた鎌倉に手掛かりを求めて向かうので、僕も同伴して欲しいって。

今更鎌倉の火事跡を見ても情報を得られるかは難しいけど、現場百回って言葉もあるし、達也くんなら常人では気が付かない手掛かりを見つけられるのかも。

僕を同伴させるのは、一緒に行動するって約束を守るのと同時に、僕の魔法師とは違う感覚で何か突破口が開けるかもと言う考えらしい。

 

「何だか、藁にも縋る気持ちみたい」

 

「…そうかもしれないな」

 

達也くんにしては珍しく煮え切らない返事だ。

 

「…」

 

達也くんが、沈黙した。

 

「何か不安があるの?」

 

言葉にしにくい、もどかしさを感じる。

 

「不安、とは?」

 

「達也くんの声がいつもより力がないもの」

 

それだけ、グ・ジー追跡や反魔法団体デモにストレスを感じているのか。

感情の起伏が薄い達也くんが抱く不安は、恐らく深雪さんの存在だけだ。

今は備えて待つ時なんだと思う。

テロリストの捜索や襲撃を、魔法師の資格を持たない学生にまかせる十師族の考えが、世間の常識から乖離している。

犯人捜索のせいで深雪さんと一緒にいられる時間が減って不満がたまっているのかな。

僕は逆に、帰宅時刻が早まって、澪さんといる時間が増えている。響子さんもここの所、僕に甘いし。

僕が第三者的な視点でいられるのは、僕の精神が安定している証拠なのかもしれないな。

 

 

月曜放課後。僕と達也くんは終業のチャイムが鳴ると早々に下校した。

今夜はミーティングは2人そろって欠席すると十文字先輩には伝えてある。鎌倉と座間のグ・ジー潜伏現場をもう一度捜索すると、素直に予定も報せている。

達也くんの『異能』は、24時間までなら情報をたどれるそうだけど、今さら襲撃現場を捜索して手掛かりが見つかる可能性はないと思う。それでも、それ以外に犯人につながる情報がない。

帰宅すると余分な時間がかかるので僕は達也くんの家に直接向かった。

達也くんの家で、バイクスーツに着替え、ヘルメットをかぶる。

黒を基調とした達也くんと同じデザインで、一見すると普通のスーツだけど、その実、ものすごい技術が組み込まれているそうだ。

達也くんは、法定速度ぎりぎりの速度で、バイクを走らせている。

ヘルメットには通信用のマイクとイヤホンがついているから会話は走行中でも可能だ。

達也くんの呼吸音が聞こえる。何か考えながら運転している。

達也くんにしては運転が荒い。

いつもなら基本に忠実にスローインファストアウト、まるで機械のように的確に運転するのに、何度かホイルスピンをして、アスファルトに黒い焦げ跡を残していた。

荒馬を乗りこなして喜ぶ将輝くんみたいな運転だ。

もともと雲をつかむような今回の行動なので、達也くんが珍しく迷って、心を乱しているのかな。

僕はテンダムシートに座って、伸ばした腕で達也くんの背中を必死に捕まっていた。

 

交差点の道路標識を見るとバイクは横浜市に入ったところだった。

いきなり加速が止まり、達也くんはバイクを路肩に寄せた。エンジンもきった。

グ・ジーが潜伏していた鎌倉の住宅地までは30キロ近くある。

 

「どうしたの?」

 

僕の質問に答えず、達也くんは西の方角をしばし見つめていた。ヘルメットのバイザーは調光シールドが貼られていて、冬の西日に照らされて真っ黒になっていた。

達也くんの表情は見えない。

それなのに、ひどく不安げな雰囲気を感じる。市街地の幹線道路なのに、奇妙な静寂が満ちた。

達也くんは目の前の雑居ビルを見るようで見ていない。焦点が虚空で定まっている。まるで陽炎でも見ているようだ。

『視て』いる。僕はそう思った。達也くんの視線の先には八王子の一高がある。一高には、

 

「深雪が危ない」

 

達也くんが呟いた。

それは確信じゃない。危機感をともなう予感。胸騒ぎ。

でも、魔法師の不確かな予感は、虫の知らせや第六感とは違う。未来予知とまでいかなくても、蓋然性は高い。

それに、達也くんの『意識』は深雪さんと繋がっている。深雪さんの魂が、達也くんを呼んでいる。

僕は、澪さん、響子さん、真夜お母様、香澄さんの『意識』を肌に触れるように感じられる。でも、僕に感じられるだけで、澪さんたちにはわからない一方通行な関係だ。僕が恋愛を理解できないこともあり、達也くんと深雪さんの関係は、理想であり至高だ。

その関係を壊す存在を僕は許せない。

 

「達也くん。一高の深雪さんのそばに『飛ぶ』よ!バイクを街頭カメラのない路地に入れて!」

 

達也くんが、ぎょっと驚く。背中の筋肉に緊張が走った。

達也くんの不安と、深雪さんの危機を僕は疑わない。

ここから一高のある八王子までは40キロはある。急いでも一時間はかかるだろう。

深雪さんは優秀な魔法師だし、そばには水波ちゃんもいるから、敵に襲われたとしても簡単には倒せない。

でも、深雪さんは魔法師以前に女性だ。間違いが、万に一つもあってはならない。

後悔につながる無為な時間を、僕が一瞬に縮める。

僕の、達也くんの不安をまったく疑わない言動に、達也くんも不安を確信にかえた。

 

「わかった」

 

達也くんが幹線道路を走行する他の車を一瞥した後、住宅街にある緑葉樹の茂る公園の死角にバイクを移動させた。

 

「やってくれ」

 

バイクをアイドリングさせたまま、達也くんが公園の周囲を確認。通行人もカメラもない。

力強く言いながらも、少し背中に緊張が走るのがわかった。

僕は『意識認識』をする。達也くんの『意識』が光のように輝いている。同じ光を遠くに感じる。

 

「深雪さんは今、一高の外にいる。登下校中の生徒や一般人の目があるから、通学路裏の雑木林の道路に『飛ぶ』よ!」

 

僕は達也くんをバイクごと『テレポーテーション』した。

 

視界が一瞬で切り替わる。常人なら脳の情報処理が混乱する瞬間だ。

達也くんも流石にちょっと戸惑ったけど、鋼の精神ですぐに気分を切り替える。

 

ここは一高の通学路から路地をふたつ入った場所で、今、深雪さんのいる場所まで約200メートル。

僕が深雪さんの居場所を指示するまでもない。

 

「むっ」

 

達也くんが唸った。

僕も達也くんと同じ違和感を脳内に感じた。

 

「このノイズには覚えがあるよ」

 

「ああ、アンティナイトのキャスト・ジャミングだ」

 

達也くんが断定した。

誰かがアンティナイトを使用している。戦術的に貴重な、魔法師を無力化すると言う道具。ただのデモ組織が手に入れられる道具ではない。

 

「行くぞ!」

 

達也くんの声に殺気がこもった。いや、殺気を通り越した、殺意だ。

 

「うん」

 

僕は再び達也くんにしがみ付く。達也くんの背中は、少し前までと違って、爆発寸前の殺意が熱となって燃え上がっている。

 

バイクが弾丸のように加速した。

 

 

 




十師族が全力でグ・ジー捜索をして失敗した時の外聞を憚ってグ・ジー捜索を無資格の学生に行わせるのは、どう考えても変ですよね。
十師族には魔法師の資格を持った社会人もいるのに…
真夜や十師族の感覚はちょっと変です。
まぁ、グ・ジー捜索に本来関心が薄い達也が主人公なので、原作としては無理でもそうしないと、達也が話に乗れないので仕方がありませんけど。

今回アクション回にしたかったのですが、ここもキリが良いのでここまでです。


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Mirror

 

一高通学路の路地に『瞬間移動』した僕は脳内に不快感を覚える。この不快感は記憶にある。

 

「アンティナイトのキャスト・ジャミングだ」

 

ヘルメット越しの表情は不明だけど、同じノイズを感じた達也くんが断定した。

指向性を高めたキャスト・ジャミングのノイズは、魔法師の脳内で思考を妨げるほどの騒音を発する。それ以外にも、全方向に微弱な波動を発ち、周囲の魔法師に影響を及ぼす。

ところが、そのキャスト・ジャミングの波動に、強力なサイオンの塊が覆い被さり始めたことに気が付いた。

騒音が、離れた森から漏れる蝉時雨みたいに遠く感じられる。

そもそもキャスト・ジャミングは『魔法』を封じるものではない。誰かが強力な魔法力で、事象干渉力を持たないキャスト・ジャミングの波動を妨害している。

このサイオンは…

 

「深雪さんだ」

 

「ああ、深雪がキャスト・ジャミングを妨害しつつ、水波の『魔法』に干渉しないようサイオンで自分たちを包んでいる」

 

達也くんが通学路を『視る』。

 

「深雪が…水波と泉美が暴漢15人に囲まれている」

 

達也くんの不安、予感が的中した。達也くんの身体が怒りで膨れ上がる。達也くんがここまで感情を露にするのを僕は初めて見た。

 

「待って!達也くん」

 

バイクの後部座席に座る僕は、達也くんのお腹に回した腕で引き留める。

『瞬間移動』でここまで飛んで来たことで、時間的な猶予が生まれている。

残念ながら僕と達也くんは連携の経験が少ない。敵陣に飛び込む前に、ちょっとした打ち合わせをする必要がある。

ほんの数秒だけど、必要な時間だ。

達也くんも感情はともかく、理性が理解した。

 

「久、お前ならキャスト・ジャミングをどう対処する?」

 

「使用者を殺せばいい」

 

アンティナイトのキャスト・ジャミングは、入学直後、一高がテロリストに襲われた時に経験している。

頭が痛くなるけど、僕の『サイキック』はその程度のジャミングでは無効化できない。

僕はこれまで、多くの場合、一人で戦ってきた。

今回の敵はアンティナイトを所持し使用している。普通のデモ組織とは明らかに異なるから、他にどのような武器を隠しているかわからない。無力化できるときに、躊躇なく殺す。

残念ながら僕はただの殺戮者で、戦士でも兵士でもない。

だから、戦闘となると、誰かに指示して貰わないと、僕は人殺しの機械になってしまう。

 

「殺すのは…最後の手だ」

 

達也くん自身が殺したそうな、強い念が込められた呟きだった。

 

「公衆の面前、今の社会情勢で、テロリストとは言え殺すのはまずい、敵の対処は俺がする。久は、深雪を護ってくれ」

 

つまり、人目がなければ自分が皆殺しする、と。

達也くんだって、手加減が命取りにつながる可能性を熟知している。

深雪さんは達也くんのすべてだ。その達也くんが僕に深雪さんの安全を委ねた。

これは期待に答えなくちゃいけない。

 

「わかった」

 

バイクが弾丸のように加速した。

 

僕と達也くんの乗ったバイクは、細い路地を一気に抜けた。

一高の通学路は二車線の緩やかな坂で、片側に商店が並んでいる。

商店の前の歩道に、深雪さんと水波ちゃん、泉美さんの3人と、3人を囲う男達が15人。遠巻きに足を止める市民と下校中の生徒たちがいた。

通学路の状況を一瞥した達也くんは、いきなりアンティナイトのキャスト・ジャミングを吹き飛ばした。

その場にいたすべての視線が、バイクのブレーキ音に反応して、僕たちに集中する。

『障壁』で深雪さんと泉美さんを護っていた水波ちゃんの顔色が良くなった。

キャスト・ジャミングを妨害された原因がわからない暴漢が激しく動揺している。

達也くんがヘルメットを脱いでバイクを降りた。野次馬と暴漢の人垣を達也くんが割って進む。僕もヘルメットを脱いで早足で続く。

 

「お兄様!」

 

深雪さんの姿は強く輝かしいサイオンを浴びて神々しい。もっとも、その姿を見られるのは魔法師だけだ。

アンティナイトを無効化した時点で、いや、達也くんの登場の瞬間から、深雪さんの身の危険は限りなく低くなった。それだけ達也くんの存在は圧倒的で、水波ちゃんがキャスト・ジャミングに耐えながら『魔法』を使い続けたおかげだ。3人を覆っていた、深雪さんのサイオンが、目に見えないきらめきを残して霧散した。

ここは深雪さんと泉美さんの無事を喜び、水波ちゃんの献身に素直に感嘆するところだ。

深雪さんの肌は大理石のように白く、結ばれた唇は赤い。ところが、その瞳には、暴漢に囲まれた少女の不安と恐怖が宿っていた。

その本能的な恐怖は、僕も経験している、どろっとした纏わりつくような恐怖だった。

その恐怖と、深雪さんが暴漢に囲まれている姿を目の当たりにして、さっきまで冷静だった達也くんの怒りの濃度が高まり、怒気が地を這って周囲を圧倒した。

達也くんの純粋な怒り、殺意は、大上段に構えた日本刀のように鋭く澄んでいた。

暴漢の足がすくむ。

殺意で人を殺せるんだなって、隣に立つ僕は思っていた。

 

「水波の『障壁』は完璧に機能している。深雪の身の安全はもう問題ないが…久、打ち合わせ通りに。敵は俺が格闘で無力化する」

 

怒りの塊のような達也くんは、それでも、敵を殺す気はないようだった。

通学路には街頭カメラが死角なしに設置されている。冷静に、過剰防衛にならない範囲で無力化していく気だ。

 

「うん」

 

敵がもう一度アンティナイトを使ったけど、半秒もしないで、達也くんに無効化されて、ややパニックになっている。

 

「水波、『障壁』を張ったまま移動できるか」

 

「はい」

 

達也くんの指示に水波ちゃんが力強く頷いた。

敵の標的だった深雪さんたちは、ゆっくりと一高の校門に向けて下がっていく。

水波ちゃんは『障壁』を展開したまま、ゆっくりと深雪さんと歩をともにしている。

僕は水波ちゃんの『障壁』を領域干渉しないよう、

 

「僕は戦略級魔法師の四葉久です。市民の皆さん、僕の『魔法』で護りますので、その場を動かないで下さい」

 

一高周辺に住む市民は魔法師の世界に詳しいけど、バイクスーツ姿の僕は、一見すると少女だ。はっきりと僕の存在をアピールする。

僕は、自分たちの安全だと思える距離から見物していた市民を『障壁』で囲む。

野次馬を助ける義理はないけど、犠牲者を出しては、また魔法師のイメージが悪くなる。野次馬は証人でもあるから、最後までしっかりと見届けてもらわないと。

本来『障壁』は無色透明だから、市民が不安に思わないよう、わざわざ青い色の壁を作って見せた。

通学路には帰宅中の一高生もいた。彼らもキャストジャミングの影響で体調が悪そうだ。彼らも、僕の『魔法』で護る。

 

「四葉久だと!?」

 

「下校したはずだ!」

 

「そいつには手を出すな」

 

暴漢にさらに激しい動揺が走る。

僕は戦略級魔法師だ。魔法師の存在を嫌悪する者であっても、僕がこの国の最大の護り手である事実を無視できない。

僕を攻撃すれば、国民すべてを敵に回す可能性が高い。

敵国の工作員ならともかく、その覚悟がこの暴漢たちにはないようだった。

その青い『障壁』を確認した達也くんが足を止め、人間主義者と言う名の無法者と対峙した。

 

「水波、『障壁』はもう解いていい。深雪、2人を連れて学校まで戻ってくれ」

 

「わかりました」

 

水波ちゃんは、かなり消耗している。

 

「久様、失礼いたします」

 

水波ちゃんの役目は深雪さんを護ること。僕と達也くんの身は自分で護る。

深雪さんが、達也くんに向けて奇妙なほど優雅にお辞儀をした。

 

「久、お兄様をお願い」

 

そして、小さな声で僕に言った。それは恋する乙女の声だった。そのまま、水波ちゃんと泉美さんの背中に手を当てながら立ち去る。躊躇のない逃げっぷりだ。

深雪さんの背中を確認して、僕は戦闘に意識を集中させた。

僕の『障壁』は水波ちゃんほど高度で緻密ではないけど、分厚さと強度、範囲の広さでは圧倒的に上だ。僕の『障壁』は、達也くんの怒りから皆を護るためのものみたいだった。

 

「同士たちよ、邪教の徒を逃すな!」

 

暴漢のリーダーが叫んだ。『魔法』は科学なのに、邪教とは誤った認識だ。

目の前に立つ達也くんでなく、あくまでも深雪さんを標的にしている。

でも、達也くんを無視して深雪さんを追えるわけがない。立て続けに5人の男がアスファルトの大地に転がった。

 

「貴様!そんな暴力が許されると思っているのか!」

 

リーダーがめちゃくちゃなことを言っている。

素手では太刀打ちできないと考えた一番前にいた男が警棒で殴りかかって来た。

僕の目で見ても素人の動きで、達也くんは躱しもしないで、男の警棒を持つ手だけを叩いた。警棒が吹っ飛ぶ。

深雪さんが避難したので、達也くんは防御に徹するようになっていた。

1人対15人なのに、達也くんの方が圧倒している。

地にしゃがみこんだ男に拳を突き付ける。

 

「これ以上攻撃を続けるなら、手加減はできない」

 

達也くんの警告を挑発と受け取った暴漢のリーダーが、

 

「この餓鬼ゃあぁ!」

 

と、奇声を上げた。原作に登場するキャラにしては、極端に下品で小物感溢れるセリフだ。

その男は50センチほどの棒を懐から取り出した。薄く撓る武器で、握りのボタンで電撃が走るように出来ていた。

スタンウィップと言う警察用の最新武器だって後で達也くんに教えてもらったけど、警察用の武器を何故このような暴漢が持っているのか。

この段階になっても警察は現れないし、警察用の武器までも奪われているのだとしたら、何度も言うけど、この世界の警察は役立たずの誹りどころか…いや、もういいや。

ところが、最新の武器を持っていても、使用する暴漢の技量が達也くんにまったく追いついていなかった。

男は気色ばんでアスファルトの道路を蹴立てて、スタンウィップの間合いの外で意味もなくぶんぶんと振り回している。身を躱すまでもなく、達也くんが苦笑する。

達也くんの苦笑を嘲弄と勘違いしたのか、男は息を切らしながらスタンウィップを捨てると、コートの内ポケットから拳銃を抜いた。

動く標的、人間に弾丸を命中させるのはとても難しい。日々の訓練とセンスが必要で、この男にそれがあるとはとても思えなかった。

拳銃は、抜いて、構えて、引き金を引く動作が必要だ。それに、この距離で拳銃を選択するのは愚行だ。

男が拳銃を抜いて構える前に、達也くんが拳銃を蹴り落し、そのまま男の前頭部も蹴っ飛ばした。

暴漢のリーダーが仰向けに倒れ、気絶をした。

黒光りする拳銃が、アスファルトを僕の足元まで滑って来た。僕のいる場所まで考えて拳銃を蹴り飛ばしたんだから、達也くんの格闘センスは磨き抜かれている。

銃は上下二連のバレルが特徴のダブルデリンジャーだった。僕は、拳銃を拾う。

デリンジャーにはトリガーガードが無いので、達也くんに蹴られた時に暴発しなくてよかった。

僕はバレルをオープンして、装填されていた二発の22口径LR弾を抜き取る。デリンジャーは至近距離、むしろ相手の身体に押し付けて撃つ殺傷力の高い拳銃だ。

あの素人な男にこの拳銃が使いこなせたかどうかは不明だけど、拳銃を見た野次馬が、いきなり自分たちが標的にされたかのように騒ぎ出した。

これまで、深雪さんたちを襲っていたアンティナイトは一般人には影響がない上に指輪型だったので、脅威度は高く感じられなかったのだろう。

拳銃と言うメジャーな武器に、自分たちも危険な場所にいるとやっと理解したみたいだ。

へたに動かれて、暴漢がそれに紛れて逃げるのも困る。

 

「皆さん、大丈夫です。僕が皆さんを護っています。慌てないでゆっくりと離れてください」

 

戦略級魔法師の僕の言葉に、野次馬の動揺が収まる。

不安がすべて収まったかと言えば、残念ながら僕の女の子みたいな体格では、それは無理で、これが十文字先輩のセリフだったら、野次馬も安心するのだろうけど。

動揺したのは、暴徒たちも同じだった。リーダーが拳銃を隠し持っているとは知らなかったようだ。

彼らのリーダーの行動は銃刀法違反に殺人未遂が加わった。

自分たちだって婦女暴行未遂の現行犯なのに、罪のレベルが違うとなると、戦意すら失うらしい。覚悟が足りなさすぎる。

達也くんも戦闘態勢を解いた。

 

「お兄様っ!」

 

一高まで退避しているはずの深雪さんが、近くの建物の角から警告の声をあげた。

深雪さんは1人で、水波ちゃんの姿がない。

戦闘が終了したと判断して、達也くんの身を案じて、つい近くまで来たのか。少し迂闊な行動だ。

達也くんが身構える。僕も咄嗟に、深雪さんを『障壁』で覆った。

深雪さんが、僕をちらっと見た。謝罪とお礼の眼差しに、僕も頷く。

 

がばっ!

 

気絶していたはずの暴漢のリーダーがゾンビのように起き上がった。

意識はないのに、操り人形を想像させる動きの男が差し出した両手に、淡い炎が沸き上がった。

『魔法』?

僕が疑問を抱く間もなく、達也くんが『術式解体』で炎を吹き飛ばす。

青い炎は掻き消えたけど、間髪おかず、また男の両手の上に青い炎が上がった。

 

「何っ!?」

 

達也くんが驚愕の声を上げた。

男の『魔法』の発動速度は、僕や深雪さん並みに早かった。達也くんが驚くのもおかしくない。

この男は格闘も素人で、言動も粗雑。人の上に立つような器量はない。そんな人物がCADも起動式も使わず『魔法』を発動させた。

この炎は、現代魔法とは違う。古式魔法、それも日本のではない大陸系の古い『術』だと僕は直感した。

人を殺すなら拳銃の方が早い。事実、この男はさっきそうだった。

なのに、このタイミングで『魔法』を選んだ理由は…古式魔法師に遠隔で操られているからだ。この男が粗雑で下品なのは、術者にとって操りやすい薄っぺらい人物だったからだろう。つまり、この男からは大した情報は得られない。

達也くんも同じ判断を下したみたいで、正面の男を警戒しつつ、操り手を探している。『視て』いるその姿は、やや無防備だった。

 

「魔、魔法使い!?」

 

「リーダーが邪教徒!?」

 

暴漢たちが、自分たちのリーダーの両手に浮かぶ青から紫色にかわった炎を見つめて愕然としていた。

魔法師を魔法使いって言うところは、こいつらの底が知れるけど、男たちにこの『魔法』が遠隔操作であることを理解できるわけもなかった。

男たちは、炎よりも青ざめた顔になって、こけつまろびつ逃げ出し始めた。ぎゃあぎゃあと意味不明な叫び声をあげている。

その時、淡い炎が破裂した。

炎の破片が周囲に散らばり、葉を散らした街路樹やアスファルトに粘着質の液体のようにこびり付いた。

達也くんも、男の操り手を探していたせいか、動きに遅滞があった。自分に降りかかる炎をぎりぎり『術式解体』で打ち抜く。

僕は逃げる男たちの捕縛と達也くんの護りの優先順位を一瞬考えて、達也くんの正面に『障壁』を展開した。青い炎が『障壁』にいくつもこびりつく。

 

「久、助かる!」

 

達也くんは僕にそう言うと、再び意識を操り手に向けたようだ。虚空に目を凝らす達也くん。

僕の魔法力と領域干渉は物理攻撃は言うに及ばず、どのような『魔法』でも弾き返す。

その場にいた市民、一高の生徒、深雪さんと達也くんは『障壁』に護られていたから安全だけど、まき散らされた炎は逃げ出した男たちに容赦なく降りかかった。

炎を浴びた男たちは、もんどりうって倒れた。炎ではない炎に焼かれた箇所が、枯れ木のようにミイラ化していた。

すさまじい悲鳴をあげる男たちに、野次馬も怯える。

あれは治療できないだろうな。他人事のように独り言ちる。助ける気は、微塵もない。

僕の前の『障壁』についた炎は何も起こさなかったから、あの『術』は生命体にだけミイラ化を起こすようだ。アスファルトは影響ないのに、街路樹は焦げている、その違いは何なんだろう。

植物は生命体と定義されているのかな。

この曖昧な感じも、いかにも古式魔法の特徴だ。

 

暴漢のリーダーを操る『術』の痕跡を『視て』いた達也くんが『魔法』を使った。CADは使っていないから、それは僕には理解できない、達也くんの『異能』だった。

男の両掌に、一瞬、刺青のような模様が浮かんで、消えた。

残りの紫色の炎が力なく飛ぶのを達也くんが撃ち落とす。

遠隔操作の切れた男が、どうと仰向けに倒れると、15人の暴漢たちは全員倒れていた。肉の焼ける匂いが充満している。

達也くんは身を護っただけなんだけど、悪臭の中心に立つ達也くんの姿は、まるで達也くんが男たちを焼いたみたいな光景だった。

 

「全員、動くなっ!」

 

間の悪いことに、このタイミングで警官が駆けつけて来た。

一高駅前に駐在する警官は魔法師で、一高卒業者だから『魔法』に対する理解が深いけど、これはすぐには帰れないだろうな…

達也くんが緊張を緩めるのを見て、僕も『障壁』を解いた。

『障壁』はガス対策で匂いも防いでいたから、肉を焼く異臭に、市民や下校中の生徒が顔をしかめていた。

達也くんは、虚空を見つめたまま、じっとしている。

 

「久」

 

深雪さんが僕の隣に移動して来ていた。水波ちゃんもすぐ後ろに控えている。泉美さんはいなかったから、一高にいるのだろう。

 

「深雪さん、警察が来たから、僕が話に行くね」

 

戦略級魔法師の僕の存在は、同じ魔法師である警察官にとって疎かに出来ない。この惨状に対する警察の心象を良くするためにも、まず最初に僕が声をかけるほうが良い。

 

「ええ、でも私も一緒に行くわ。襲われた当事者だし、生徒会長ですもの」

 

静かに微笑む深雪さん。

 

「お兄様の追跡の時間を稼がなくてはいけませんし」

 

あの男を遠隔操作していた術者の『魔法』の痕跡、繋げられた糸を手繰るように、達也くんは犯人を追っている。

一高の通学路は大騒ぎになっている。警察車両が、次々と到着する。

僕と深雪さん、水波ちゃんは、現場の一番階級の高い警官に向かって歩き出した。その警官とは顔見知りだ。僕が制服ではなく、バイクスーツなことにちょっと戸惑っていた。

警官は同じスーツを着る達也くんをちらっと見た。何か言いたそうだけれど、とりあえず僕たちの話を聞くつもりのようだ。

 

通学路は日没とともに、急激に暗くなっていた。警察車両の赤色灯がちらちらと薄闇を照らしている。

 

 

警察の事情聴取が終わったのは18時過ぎ。外はすっかり暗くなっていた。

僕がいたこともあって、警察での扱いは丁寧だった。証人も沢山いたし、なにより街頭カメラに一部始終が記録されていたことが大きかった。

警察署にいる間、僕は背筋を伸ばして良家の子女を演じていた。

警察も、僕と達也くんがテロリスト追跡の任に就いていることを知っている。

警察の仕事を差し置いてって反感を持つ刑事も多いだろうけど、聴取のほとんどは達也くんがしてくれて、僕にそのような感情を向ける刑事はいなかった。

 

「達也くんありがとう、説明を全部おしつけちゃって」

 

「深雪のついでだ」

 

そう言いながら、達也くんの目は優しい。

 

その後、八王子署は事件が大きくなったので擬態警邏車、いわゆる覆面パトカーで達也くんたちを自宅まで送ってくれた。僕の着替えは達也くんの家にあるから、僕も同乗している。

外はすっかり暗くなっていた。

覆面パトカーの助手席に水波ちゃん、後部座席に達也くんと深雪さん、膝に自分のヘルメットを抱く僕が座っている。

達也くんのバイクは交通課の警部さんが運転している。

深雪さんが達也くんの右腕にもたれるように座っている。流石に疲れの色が見えた。

婚約が発表されてから深雪さんと達也くんの距離感が以前とは違っていた。

でも、この時間は、兄であり婚約者の達也くんに素直に身を委ねている。

寄り添う身体、寄り添う心と心。僕は、そんな2人の『意識』を間近で感じながら、今日の出来事を振り返っていた。

 

達也くんは、やはり凄い。

肉体的な格闘技術、敵の魔法師を追跡する『異能』。

それらはもちろん感嘆すべきことだけど、僕が凄いと思うのは、達也くんが深雪さんの危機を予感、予知して、それが現実となっていたこと、そして大事な人の危機に、駆けつけたことだ。

僕の手助けが無くても、必ず間に合っていたはずだし、深雪さんも達也くんをまったく疑っていない。

迷いさえも拭い去るほど、いつも近くにいる。お互いにしか聞こえない声での会話。『意識』が繋がっているから、常人では至れない領域で、わかり合っている。

『意識』の存在であるはずの僕がたどり着けない場所に2人はいる。代わりのない2人だけの閉じられた、広大な世界。

恋愛がわからない僕が、どれだけ澪さんや響子さん、真夜お母様を想っても、絶対に2人にはなれない。

凄いし、すばらしい2人だ。

2人の間に割って入る気はない。入っちゃいけないとも思う。

でも、2人の信頼感の一部であれたら良いなとも思う。

僕は語彙が豊かじゃないし、感情を表現するのは苦手だ。2人の関係を言葉にするのは、もっと難しい。

だから僕は独り言を呟く。

 

「2人はいつだってひとつになれるんだ」

 

いつもの2人を結び付けようとする揶揄とは違う。

達也くんは口をつぐんでいる。

深雪さんは可憐な美貌を赤くしている。

いつもなら照れて、僕の頭を撫ぜたり抱きしめたりするけど、今は、達也くんの体温を静かに感じている。

助手席の水波ちゃんが、不思議な生き物でも見るような目で僕を見ている。

 

僕はリアガラスに映る2人と、その向こうの街の風景に視線を向けた。街の明かりがゆらゆらと流れていく。

達也くんの存在が起こす波に揺れているようだ。

僕もその大波に乗っている。

でも、その明かりは、どこか血のようで、不吉な光景だった。

 

 

 

 






Mirror
魔法科高校の劣等生EDの神曲です。
Mirrorの歌詞は、達也と深雪の関係を如実に表現していて心に染みます。

久は達也を尊敬、崇拝に近い感情を抱いていますが、
それは達也の明晰な頭脳や技術、異能より、深雪との関係に「神」を感じています。

「2人はいつだってひとつになれる」

このSSの『意識』へのアプローチは、まさにこの言葉に感化されたからなのです。
能力以上の無謀な試みをしていますね…汗。
これは久にとって、一つの理想です。
久は強大な魔法力、サイオンを有し、富や地位、名声を手にする代償として、
恋愛や感情が理解できず、肉体が成長しないので、大事な女性と心も体もひとつになることができません。
まぁ、本人が気が付いてないところで色々とあるんですけどね。真夜とか、真夜とか真夜とか。




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天地のあわい

「あわい」とは「間(あわい)」と漢字を書きます。
向かい合うものの間。二つのものの関係、と言う意味です。


 

 

深雪さんが暴漢に襲われた翌日から一高は休校になった。

校長の独断なんだけど、思い出したように表に登場する校長の判断基準が、僕にはわからない。

休校期間は一週間。

その間にグ・ジーを捕縛できれば理想的だ。

グ・ジー捜索において僕は基本、自宅待機なので、この一週間は休校明けの期末テストに向けて自習の日々になる、はずだった。

 

その翌日、あれだけ行き詰っていたグ・ジー捜索が急展開した。

四葉家が平塚に潜伏していたグ・ジーを発見したって達也くんから連絡があった。

平塚は、達也くんたちが襲撃した潜伏場所の北鎌倉と座間からは数キロの距離。

捜索が進展しなかったのは、まさかグ・ジーが狭い範囲を移動して潜伏しているとは思っておらず、見当違いの影を追いかけていたからだそうだ。

人の思い込みを利用するのも一種の呪術であり、遁甲術だから、まさにグ・ジーの思うつぼだったわけだ。

 

今夜、捕縛作戦が行われる。今回の作戦はこれまでの四葉家だけではなく、七草家と十文字家、将輝くんも加わっての初めての連携作戦になる。四葉家が他家と上手に連携が取れるのか、達也くんと将輝くん、十文字先輩の相性の問題もあるから不安だ。

さらに達也くんの要請で、真由美さんと七草家のコネを使って、警察も捕縛作戦に参加するって説明された。

警察が作戦に加わる?これまでさんざん十師族だけで好きに動いていたのに、このタイミングで警察と連携なんて絶対にうまくいかない気がする。十師族に逮捕権はないなんて、いまさらなのに。

ともかく、僕も達也くんに同行する。

 

16時ころ達也くんの家に到着した。

達也くんの家には黒羽の双子がいた。双子は達也くんが留守にしている間、深雪さんを護るために司波家を訪れているそうだ。

昨日の件もあるし、真夜お母様のご判断は正しい。

達也くんと行動を共にする僕を、文弥くんがうらやましそうに見つめていた。

 

「久、お兄様をお願い」

 

出発間際、達也くんのバイクの後部座席に座った僕に深雪さんが言った。

達也くんは傷を瞬時に治せる『異能』を持っている分、自身の安全がやや疎かだ。昨日の一高前でもそうだった。たとえすぐ治るにしても愛する男性が少しでも傷つくのはいやだろう。

それにしても、深雪さんの顔が赤い。首筋に匂うような色気がある。

昨夜、何かあったのだろうか。

愛する男女の一夜を詮索するのは無粋だろう。僕の意味ありげな視線に、達也くんはいつもの無表情で返事をした。

忍れど色に出りけりか。その横顔は、羞恥を含んでいた。

 

 

グ・ジーが潜伏しているのは平塚の市街地で、周公瑾さんもそうだったように、潜伏するなら人の多い街が最適だ。敵に気がつかれずに確保できれば理想だけど、これまでの経験から魔法戦となることは確実だった。

午後6時、僕と達也くん、将輝くんは平塚の西にある新港で、十文字家の戦闘魔法師とともに待機していた。

襲撃のタイミングは、七草智一さんと十文字先輩から無線で指示される。僕たちは包囲網の一部になり、グ・ジー逃走時には機動力で追跡にあたる部隊だ。

ところが不意打ちは、急襲直前にグ・ジーが逃走を始めたことでいきなり破綻した。

グ・ジーには協力者がいて、当人の乗る電動カー以外にも数台、護衛と思しき車と戦闘員が同行している。

どこから情報が洩れているのだろう。

市内で、いきなり爆発音があがった。暗いから被害は不明だ。ただ、あの音は榴弾の爆発音で、市街戦が始まったことを意味している。

敵は過剰な武装をしている。

達也くんと将輝くんが、はっと爆発のした方角を睨む。

すぐに十文字先輩から無線が届いた。

 

「司波、一条!標的が車で逃走を開始した。予測通り、新港に向かっている。逃走協力者はグレネード等で武装している。くれぐれも注意してくれ」

 

今のところは、想定内だ。十文字先輩の声は落ち着いていた。

 

「久も、無理をするなよ」

 

「はい」

 

十文字先輩は僕には細かい配慮をしてくれる。僕も素直に返事をする。

 

 

僕たちは息をひそめて、新港で敵を待ち伏せしていた。薄紙を透かしたような薄明りの中、僕たちは市街地の空に目を向けていた。

市街地から距離があるのにものすごい爆発音が響いてきた。

なんでも、敵が用意したバリケードの大型車に警察車両が突っ込んだんだって。十文字先輩は一番後ろの車に乗っていて無事だった。

人々が寝入る時間にはまだ早い。多くの市民が恐怖に、先日のテロや横浜事変を思い出しただろう。

達也くんは静かに立っている。

将輝くんはじりじりとしている。

 

「司波、グ・ジーの位置はわかるか」

 

将輝くんは、やる気で満ちていた。

 

「こちらに向かっている」

 

十文字先輩の予想通り、敵は待ち伏せの罠に向かって来る。

将輝くんはヘルメットをかぶっているから表情は暗くて不明だ。ただ、達也くんがグ・ジーの位置を迷いなく指摘することが不思議で仕方がないみたい。

僕は達也くんが『視て』いるのかと思ったけど、それならこれまでも追跡が出来たはずなので、昨日、グ・ジー追跡に有用な『魔法』の開発に成功したのかな、と考えていた。

ただ、予測は外れるものだ。

 

「グ・ジーが西へ進路を変えた!久、一条、追うぞ!」

 

達也くんが鋭く声を発して、僕は達也くんの後部座席に、将輝くんは自分の愛車に飛び乗った。

バイクを急発進させて、幹線道路に向かう。

法定速度を無視した達也くんのバイクの斜め後ろを、将輝くんが遅れじと続く。赤いレースレプリカのロードスポーツバイクが、月明かりに影を連れて走っている。

バイクの後ろには二台のセダンが続いている。セダンには十文字家の魔法師が乗っていた。

前方に、一台の電動カーが走っていた。達也くんの視線はその車に向けられている。バイクを加速して、前方の車に迫る。あの車に首謀者が乗っているようだ。

将輝くんが、達也くんに並ぼうとバイクを再加速させた時、

 

「久、飛べっ!」

 

達也くんがいきなり中腰になってバイクから飛び降りた。達也くんの突然の動きに僕は反応した。

街の光景が一変した。

月光がうねって、僕の小さな身体は、それまでバイクで走っていた速度のまま、宙に投げ出された。

将輝くんが急ブレーキをかけて、バイクを転倒させることなく止める。

無人になった達也くんのバイクが、真ん中から真っ二つに裂けて、アスファルトを火花を散らしながら滑って行く。

達也くんがよろめきもしないで着地した。

僕も地面に叩きつけられる直前、『念力』で身体を受け止めて、体操選手さながらの着地をする。

達也くんからは10メートルほど距離があいている。

僕と達也くんの間、天地のあわいに黒い幽鬼のような人物が立っている。片手に細い棒、日本刀のような刀をもっていた。

その人物が、達也くんのバイクを『魔法』の斬撃で破壊したのだ。

将輝くんの身体から闘気があふれた。やる気まんまんだ。

追いついて来たセダンも急停止して、乗っていた魔法師たちが外に出ようとした。

振り向くと、グ・ジーを乗せた車は法定速度を守りながら、減速することなく悠々と走り去っている。

あの非常識な攻撃をしてきた襲撃者はその車のサンルーフから飛び出して来ていた。

確実に、足止めの要員だ。

 

「ここは俺たちに任せろ、貴方がたも追跡を続行してください」

 

達也くんが、今にも戦闘に突入しそうな将輝くんに水をかける。目的はグ・ジーで、順序を間違えてはいけない。

 

「頼んだぞ」

 

達也くんが襲撃者を牽制している。

将輝くんと魔法師を乗せたセダン二台が追跡を再開して、遠ざかっていく。

その場に、達也くんと僕、襲撃者が残った。

凍えるような月の光が街を照らしている。僕の位置からは襲撃者の背中しか見えない。

達也くんが驚きの声を上げた。

 

「千葉寿和警部かっ!?」

 

千葉寿和警部?エリカさんと修次さんのお兄さん?

僕は、彼を数度見たことがある程度で、性格や人となりはわからない。

 

「百家、千葉家長男ともあろうものが、何故テロリストの味方をする!?」

 

達也くんの問いに、エリカさんのお兄さんは白刃で答えた。

月光に、白刃が光る。きら、きらっと闇の中に光る。

凛と、月が鳴っている。

相手が相手だけに、達也くんの動きが鈍い。珍しく戸惑いやためらいがある。寿和警部の攻撃は鋭い。それなのに、闘志や殺気が全くない。

 

「操られている」

 

10メートル離れた場所にいる僕は、それが『僵尸術』だとすぐにわかった。

一高での少年少女の死体を利用したテロと同じで、エリカさんのお兄さんはすでに死んでいる。

達也くんは『僵尸術』の死体に直接遭遇したことがないから、判断が付きかねているのか。

あれはもう千葉寿和さんではない。魂や幽体、サイオン、霊体、『意識』を失った、ただの入れ物だ。

あれは一高の少年少女と違い、危険な死体だ。生前の戦闘力を僕は知らないけど、少なくとも千葉家の次期当主だ。達也くんがかろうじて躱し、反撃のいとまを与えていない。

僕は寿和さんに特別な思い入れはない。すでに死んでいるなら、容赦の必要もない。

とは言え、達也くんを『魔法』に巻き込んだら、僕が深雪さんに殺されてしまう。威力を抑えめにしないと。

あれだけ激しく動いていても、この距離で『魔法』を外したりはしない。敵に近づく必要もない。

僕の右手薬指にはめられた完全思考型CADのデバイスが銀光を放った。

ばりばりと、地上で雷鳴が轟いた。

空気を引き裂いて『稲妻』が、死体の頭部に落雷した。

『稲妻』は発動と同時に、命中する。その速度は、達也くんでも対処できず『魔法』の過程ではなく結果なので、達也くんの『術式解体』でも防げない。

動く死体の頭部半分が陥没した。短い黒髪が焦げる。脳の半分は損傷したはずで、衝撃で首が曲がった。

生者なら即死の攻撃だ。

それなのに、エリカさんのお兄さんの死体は、よろめいただけで、地に倒れたりはしなかった。

折れ曲がった首のまま、達也くんを攻撃し続けている。

達也くんも目を見開いていた。

死体が、それまでにない攻撃速度で達也くんに斬りかかった。

達也くんが『術式解体』で死体のサイオンを吹き飛ばす。

一瞬、死体の動きが止まったものの、驚くほどの速度で再び死体にサイオンが満ちた。

それは昨日の暴漢と同じか、それ以上の起動式と魔法力だった。

達也くんが、大きく飛び退いた。腰からナックルガードつきのナイフを二振り抜いて、両手に構える。

死体と達也くんの距離があいた。

頭蓋を割られても『僵尸術』は破れなかった。敵の『術』は、脳ではなく全身に満ちた何かの力で身体を操っているようだ。身体の一部だけになっても、極端な話、肉片だけになっても、あの死体は活動を停止しない可能性がある。

このような敵、人間を制圧するのに最も効果的な『魔法』は、先日クラスメイトになった将輝くんの『爆裂』だ。

ただ、僕は『爆裂』の魔法式を知らない。だから選んだ『魔法』は『蒸発』。

電子レンジと同じ原理の水分を加熱する振動系魔法で、魔法師の卵が授業で学習する初歩的な『魔法』だ。

『魔法』は人体には影響しにくい。人間は誰しも強固な防壁、無意識な『意識』の膜で、自身を覆っている。普通、『魔法』で人間の温度を上昇させることは難しい。

でも、あれはすでにただの死体だ。ガスコンロでお湯を沸かすよりも簡単に沸騰させられる。

僕の魔法力は水分で構成されている細胞を一瞬で沸点に到達させ、水蒸気爆発が、人体を赤い霧にかえる。

寒風に、一片の細胞も残さず。あとは、衣服が残されるだけ。

 

「久、よせっ!」

 

『蒸発』に気がついた達也くんの静止を、僕は無視した。

すでに『魔法』は発動している。

ところが、

 

「え!?」

 

「なにっ!?」

 

死体の体内に展開した魔法式が消滅した。僕の事象干渉力を物ともしないで、自身の体内に影響を与える『蒸発』を無力化したっ!?

死体は目の前の達也くんを攻撃し続けている。

達也くんもナイフで敵の斬撃を受け止めながら驚愕していた。

 

「やめろ久!千葉警部の動きを止めるだけでいい!」

 

達也くんは後ろに飛び退って死体との距離を開けた。

 

「千葉警部はまだ死んではいない!」

 

この期に及んでも、達也くんにためらいが感じられた。

僕の目には、どうみても死体なんだけれど、達也くんには違うものが『視えて』いるのだろうか。

頭をつぶした時点で、もう助からないし、昨日みたいに不測の事態が起きる可能性もある。

とは言え、僕は達也くんに従うように真夜お母様に指示されているから、死体を『念力』で拘束した。

動きを止められた死体がもがく。

達也くんが正面に立って、死体を『視て』いた。達也くんの怒りの波動が高まっている。何を『視て』いるのだろうか。

達也くんは24時間以内なら、死体を生き返らせることができるそうだ。正確には24時間以内のバックアップを呼び出して、現在のエイドスに上書きする『異能』だ。

エリカさんのお兄さんが死んだのがいつなのか、24時間以内なのだろうか。

達也くんは何を考えているのかな。

 

唐突に、死体が銀色の光を放った。それは月光とは違う、非物理の光。

死体を拘束する僕の『念力』が消滅した。

 

「えっ!?」

 

僕と達也くんが同時に唸った。

 

「これは、『術式解体』!?」

 

死体が『術式解体』を使った。

あれは十三束くんと同じ接触型『術式解体』?僕は、単純にそう考えていた。

さっきの『蒸発』の魔法式を消したのも、千葉寿和さんが『術式解体』を使えるからだと、そう思っていた。

 

「いや、違う!!」

 

達也くんは、より複雑な、僕では理解できない深い考察をしているようだ。

『念力』を無効化された僕は、驚きつつも、殺意に全身が熱くなった。僕の黒曜石色の瞳が薄紫色にかわる。

もう容赦しない。後で達也くんに怒られようと、あの死体を粉みじんに消し飛ばそう。

達也くんは、死体が、エリカさんのお兄さんなので、ためらっている。僕にはそう見える。

達也くんは、僕よりも仲間想いで、優しい。エリカさんの心情を慮っているのかもしれない。

僕はエリカさんや修次さんに嫌われようと憎まれようと気にしない。消す。

そう決意した時、

 

「久君、危ない!」

 

第三者の叫び声が僕に危機を報せた。

発射音のないグレネードの榴弾が僕に向かって飛んできている。

視界の隅で声の人物が、街路樹に隠れたグレネードランチャーを放った男を拘束していた。

ただ、あの人の『術』では放たれた榴弾までは止められない。

 

「くっ!」

 

このままだと直撃する。

僕は達也くんに背を向ける。僕の『念力』は発動の時間がいらない程早いけれど、対象を視認しなくてはいけない弱点もある。

榴弾を『念力』の空間に閉じ込めて、圧縮する。透明な四角い箱の中で、榴弾が爆発。爆発音も爆炎もそのまま『別の空間』に弾き飛ばした。

 

その時、死体の千葉警部が疾った。より苛烈に達也くんに斬りかかる。

死体の攻撃はやや直線的で、洗練さがない。敵の『僵尸術』では剣術の大家、千葉家嫡男のすべての技量を発揮させることは難しいのかもしれない。

達也くんも、最初の動揺から立ち直って、敵の攻撃をすでに見切っていた。

 

「千葉寿和!意識はあるか!?言葉は理解できるか!?千葉寿和!これは、お前の名前だ、自分が何者か、それを示す名だ!」

 

斬撃を短いステップでかわしながら、達也くんはしぶとく問いかけていた。

その問いに死体は返事をしない。

これは達也くんの研究者としてのしぶとさ、こだわりなのだろうか。

死体に何を問いかけても無駄なのに。

それに、達也くんは優先順位を間違えている。達也くんの目的はテロリストの首魁グ・ジーの確保、もしくは殺害であって、千葉寿和警部だった死体の処理ではない。

この躊躇が貴重な時間の浪費につながる可能性は高い。

 

達也くんのナイフが太刀を寸断した。

わずかな風が、達也くんの前髪を揺らした。

半分になった太刀が、達也くんの脇腹を割いた。鮮血が散る。

達也くんの顔が苦痛に歪む。

くっ…深雪さんに『お願い』されていたのに、達也くんに傷を負わせてしまった。

消す!

さっきの榴弾のように、『別の空間』に消滅させてやる!

 

「待つんだ、久君」

 

九重八雲さんが、僕の肩に手を置いていた。

僕に危機を報せた人物は、このような場でも飄々として掴みどころがない。

はっと、僕の呼吸が微妙にずれる。この絶妙なタイミングは古式魔法の得意技だ。

僕は視線だけ振り向いた。どうしてここに、と言う疑問は、これまでの経験から浮かんでこない。知りたがりの八雲さんはどこにだって顔を出す。

 

「すでに僕の弟子たちが人払いの結界で囲んでいるから、ここは達也君に任せなさい」

 

僕たちがいるのは、普通の幹線道路の真ん中だ。戦闘が始まってまだ数分、運よく車は来なかったけど、普通に市民の目のある場所だ。

 

「あまり不用意に街中で『力』を使うものじゃないよ」

 

「それは僕に言っているのですか?」

 

八雲さんは、さあ、とだけ答えた。この忍びは、人を惑わし、はぐらかす。

 

結界の影響で、あたりが静かになった。

白刃が空気を斬る音、靴がアスファルトにこすれる音がやけにはっきりと聞こえる。

達也くんと千葉寿和であった死体の戦いは、僕の理解よりも深い部分が多い戦いだった。

心の洞察は出来ないけど、達也くんの怒りが、少しずつ膨らんでいる。何かの領域に思い至った表情をしていた。

冷たい夜気の中、生と死のあわいはどこにあるのか。

生者は一人だ。

最後に、達也くんの『異能』が、死体の胸を打ち抜いた。

千葉警部だった入れ物の胸に、大きな穴が開いた。血は飛ばなかった。死体に満ちていたサイオンが闇に溶けて消えて行った。

 

千葉警部の死体の膝が崩れ、アスファルトの地面にどうと倒れた。右手に太刀の束が握られたまま、死体はまったく動かなくなった。

達也くんが無表情に、死体を見下ろしている。

僕がすぐそばにいることなんて念頭から消え去っているようだった。

冴え冴えとした月の影が落ちている。

 

その瞳の悲しみの色は、夜の闇よりも濃かった。

 

 

 

 




千葉寿和は、原作では良い所がない残念なキャラです。
達也は戦闘中、生と死の境目について考えていました。
そのせいで戦闘が長引き、結局グ・ジーを捕縛することを失敗します。
残念ながら久はサイキックで、エスパーではないので、達也の考えはわかりません。
エリカの兄と言うことで、攻撃をためらっているようにしか見えませんでした。
千葉寿和にとどめをさしたのは達也ですが、致死の攻撃を久も二回行っています。
特に『稲妻』は達也の攻撃よりも外傷は隠せずひどく見えます。
それでも、エリカの八つ当たり的な感情は、達也に向かいますが、
エリカの性格を作ったのは千葉寿和なので、仕方がありませんね。


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海色

切れそうなほど冷たい月光が、達也くんと、かつて千葉寿和であった死体を照らしていた。

寿和さんは、いつまで寿和さんだったのか。

人の魂は、死んでも七日間地上を漂っていると言う。

胸に大穴を開けて倒れていても、いきなり跳ね上がって達也くんを襲うかもしれない。僕はすぐに対処できるよう離れた位置から達也くんを見ていた。

死体を見下ろす達也くんは、自分の使命を忘れて、茫然と突っ立っている。

白い息が夜気に溶ける。

あそこまで無防備で無警戒の達也くんを見るのは初めてだ。

 

「達也君」

 

僕の隣にいたはずの八雲さんが、いつのまにか達也くんの後ろに移動していた。

わざわざ背後から声をかけるなんて意地が悪い。

八雲さんに気がついていなかった達也くんがナイフを投げようとして、思いとどまっていた。

 

「驚かせるつもりは無かったんだけど、それより、傷を治した方が良いんじゃないか?」

 

八雲さんは両手を挙げて苦笑いで言う。

いや、わざわざ後ろから声をかけるなんて、絶対わざとだ。

敵意がない表情を作っていても、その心の内では、達也くんを抜け目なく観察しているに決まっている。

達也くんの傷と破れた衣服がビデオの巻き戻しを見ているかのようになくなった。

 

「師匠、どうしてここに?」

 

「今朝、言ったじゃないか。事件解決に手を貸すって」

 

「ありがとうございます。ではこの死体の処理をお願いします」

 

ぶっきらぼうに言う達也くんは、不機嫌そうだ。

本来の使命であるグ・ジー追跡を思い出して、達也くんは八雲さんに背を向けた。

僕と視線が合う。

 

「久、追うぞ」

 

僕が頷こうとすると、八雲さんが、

 

「ああ、待ってくれないか達也君。久君は僕に協力して欲しいんだ。直ぐに後を追うから、久君をお借りしてもいいかな?」

 

奇妙な提案をした。

達也くんが目だけ振り返って、無言で何故と問いかけたけど、説明を聞くには時間が惜しい。

 

「では、俺はグ・ジーを追います。久、師匠に協力してくれ」

 

達也くんは『自己加速魔法』で、ものすごい速度で走り去った。あっという間に見えなくなる。

加速装置みたいだなって、僕は愚にもつかないことを考える。

達也くんにあっさり置いてけぼりをくらって、しょんぼりもしている。

僕が達也くんの指示を無視して死体を攻撃した事を責めているのだろうか。

深雪さんのお願いも守れず、達也くんは怪我を負ってしまったし、『自己加速魔法』は僕の苦手な『魔法』のひとつで、僕の貧弱な肉体は長時間の運動に耐えきれない。

 

月明かりが急に曇った。月が雲に隠れ、夜の大気が闇に沈んで行く。

 

「加速装置みたいだねぇ」

 

暗闇が増した車道に立つ八雲さんが胡散臭い笑顔で言った。

僕も捨てられた子犬みたいに、茫然としているわけにもいかない。気分を切り替える。

 

「さて、死体の処理をしなくちゃね」

 

八雲さんが周囲に合図を送ると、街灯の作る暗闇の中から僧形の、八雲さんの弟子たちが湧いて出て来た。

 

「弔ってあげなさい」

 

弟子たちが寿和さんの遺体を担架に乗せて、路肩に止めていたワゴン車に運び込んだ。

 

「現場は保持しておかないと、警察が困るんじゃないんですか?そもそも、死因の特定や現場検証は警察のお仕事でしょう?」

 

今日の計画に、警察が協力していることを八雲さんは、当然知っているはずだ。

僕の指摘に、八雲さんが邪悪な笑みを浮かべたと感じたのは、夜の闇のせいだろうか。

 

「死体を操る『邪法』が、心臓を破壊されただけで破れると、久君は思うかい?」

 

「警察署でいきなり死体が起き上がったら、警察官が驚いてショック死するかもしれないから、八雲さんがかわりに調べるんですか?」

 

警察の領分を、知りたがりの八雲さんが善意で肩代わりするわけがない。

達也くんの手が届かない、達也くんの意識がグ・ジー捜索に向いているうちに、死体に込められた『邪法』を調べる気でいるんだな。

知るためなら、法を無視しても構わないとあからさまに考えている。

 

「僕は忍びだからね」

 

人外の化生である忍びにとっては『邪法』も己の一部なんだろう。

 

「それで、僕に何をさせる気なんです?」

 

誰しもが非合法だ。

 

「そんな警戒しないでよ。君たちがさっきまでいた新港に七草真由美さんが沿岸警備隊の巡視船で入港しているんだ。その船に便乗させてもらいたいんだけど、僕は彼女と面識がないからね」

 

真由美さんが巡視船に?

深雪さんが暴漢に襲われたこともあり、女性を荒事に参加させることを常識的に反対したのは十文字先輩だった。

今夜の作戦では、真由美さんは待機している予定だった。

 

「達也君の体術の師と言う立場だけでは、七草家の令嬢を説得できないからね。その点、君は彼女と仲が良い。義理の家族でもある」

 

確かに、八雲さんを初見で信用する人物はいないだろう。どう見ても生臭坊主だ。

 

「八雲さんはグ・ジーが海に逃げることを想定しているんですか?追跡には十文字先輩と将輝くんがいるのに、逃げおおせると?」

 

「千葉寿和警部の件もそうだけど、敵は一筋縄ではいかないからね」

 

「真由美さんに話をするのは問題ないですよ」

 

「じゃあ、続きは車の中で話そうか。時間も惜しいしね」

 

黒塗りのセダンが路肩に寄せられた。八雲さんがリアのドアを開けた。

運転手は八雲さんの弟子で、見覚えがあった。

八雲さんに続いて僕も乗り込み、三人掛けの後部座席に並んで座る。

 

「もうひとつ、お願いがあるんだけれど」

 

発車すると同時に、八雲さんが進行方向に目を向けながら言った。

お願いが多いな。

基本的に僕と八雲さんの関係はお互いの善意に頼るしか、物を頼めない。

 

「グ・ジーが海上に待機している船に逃げた場合だけれど、久君は手を出さずにいて欲しい」

 

「手を出さないわけがないでしょう。さっきだって達也くんの指示を無視してまでエリカさんのお兄さんを攻撃したのに」

 

「さっきの戦闘は、別に問題はないよ。夜だし、監視衛星はそこまでカバーしていなかったからね」

 

ただのテロリストに監視衛星がどう関わる…?

そう言えば、達也くんが座間でグ・ジーを襲撃した時、米軍の妨害にあったって言っていた。

 

「グ・ジーの背後に、USNA軍、米軍がいるんですか?」

 

正面を見ていた八雲さんが、僕に視線を向けた。

 

「正確には、テロで使われた爆弾が、米軍の倉庫から盗まれたもので、盗んだ協力者が軍のある程度の階級の人物で、どうやら『操られて』いたみたいなんだ」

 

海外の情報をどうやって知ったのだろう。不思議だなって、車の振動を腰で聞きながら思う。

 

「米軍は、隠ぺいをしたいんですね。そのわりに手こずっている。秘密裏にでも、国防軍に協力を仰げば上手く行っただろうに」

 

「米国とこの国は同盟国でありながら経済的にはライバルだからね。それに、米軍は十師族を警戒しているから日本国内では手を下したくないんだろう」

 

米国は国防軍は敵ではないと考えているのかな。

 

「グ・ジーの予想逃走経路の領海ぎりぎりに米軍の駆逐艦が停泊しているんだ」

 

「駆逐艦に逃げ込む前に、船ごと捕まえますよ」

 

「忘れているのかい?君は米軍に目をつけられているんだよ」

 

横浜事変で僕が倒した発火能力者は米軍の工作員だった。

吸血鬼事件の時には米軍の仮面魔法師と戦っている。あの時は、実際に米軍に襲われる危険があったのを、真夜お母様が尽力してくれたおかげで、僕の身は護られた。

 

「アンジェリーナ・クドウ・シールズさんとも親しかっただろう?」

 

何故そこでリーナさんの名前が出てくるのだろう。

僕はきょとんと八雲さんの顔を見た。

 

「米軍の駆逐艦と魔法師が近くにいる現場で、久君は『力』をむやみに使わない方が良い。

ただでさえ、久君は戦略級魔法師なんだ。今では四葉家の一員でもあるし、敵に無駄に情報を与えては、今後不利益だよ」

 

そもそも、このようなテロリストの捜索に戦略級魔法師が参加すること自体が、僕の使いかたを間違えているのはわかっている。これはあくまでも、一高生徒の僕への悪感情を緩和するためのお母様のご配慮なのだから。

 

「さっきも言ったけど、それは達也君も同様だよ。世界で最も強大な軍事力の監視の前で安易に『力』を行使しては、敵の目を集める結果になる」

 

「僕や、達也くんのまわりの大事な人にまで危険が及ぶって言いたいんですか?」

 

「まさしく、そうだよ」

 

僕は強大な『力』を持っている。

それは澪さんや響子さん、真夜お母様を護るために得た地位と権力を含めての『力』だ。

でも、より強大な組織、軍事力に奪われるのが、この時代、この世界の真理だ。

 

「ここは、さっき久君が言っていた通り、十文字克人君や一条将輝君に手柄を譲ってあげればいいんじゃないかい?」

 

本気でそう思っているのか…暗い車内で、八雲さんの真意は読めない。

まるで、今回の作戦を失敗させるよう、動いているようにも感じられる。

いつもなら飄々として、どこか楽しそうな八雲さんが、僕の視線に、ことさら武骨な表情を見せている。

八雲さんの懸念は、また別の悪い可能性に結び付くのではないだろうか。

 

「八雲さんは…」

 

素直に疑問を尋ねようとして、八雲さんが呟いた。

 

「ついたよ」

 

車が減速をする。僕たちを乗せたセダンが新港に到着した。

車から降りると、八雲さんは迷いなく歩き始めた。僕もそのあとに続く。いくつも係留している船のどれが真由美さんの乗る巡視船なのか僕にはわからない。

黒い雲が空を覆いつくすほど動いていた。

港の照明がその船を照らしていた。

その船は全通甲板を備えた長船首楼型で、ヘリコプターを搭載させた150メートル級の巡視船だった。

甲板に真由美さんがいた。海風に黒髪がなびいていた。

真由美さんが僕に気がついて、驚いている。

 

「久君、お願いするよ」

 

八雲さんがニンマリと笑った。いつも以上に胡乱な笑顔だった。

僕は真冬の潮風に顔をしかめつつ、真由美さんに近づいて行った。

 

 

曇天の海は、目を塞いだような闇夜だった。海と空の境目がわからない。この分厚い雲なら、八雲さんの言う米軍の監視衛星は役に立たないはずだ。

達也くんと将輝くんが海面を走って巡視船に合流する。十文字先輩は後始末のために陸に残った。

達也くんの誘導はもはや必要がない。

グ・ジーの乗る偽装された貨物船は領海の外に停止している駆逐艦に一目散に向かっている。

巡視船も追う。

貨物船から小型艇で特攻して来た敵は真由美さんと将輝くんが倒した。

海上では真由美さんや将輝くんの『魔法』は、ほぼ際限がない。巡視船の機関砲よりも確実な攻撃で圧倒する。

僕と達也くん、八雲さんの出番はなかった。

それよりも、真冬の海は強烈な寒さだった。なのに、女性の真由美さんは全然平気な顔をしている。

緊張から寒さを感じられないのもあるけれど、魔法師として肉体が常人よりも強化されているんだ。

僕は冷たい波しぶきや頬を切るような風に目を開けていられない。

巡視船が波に跳ねる。

長い髪が海水に濡れて気持ち悪い。

敵の動きに出遅れないよう注意しながら、『念力』で自分の身体を囲って、風と寒気から身を護る。

巡視船は船長の巧みな操船指示のおかげで、貨物船との距離を確実に詰めている。

巡視船が逃走する貨物船にもう少しで追いつくと言う時、領海外に停船していた米軍の駆逐艦が動き出した。

僕は駆逐艦がグ・ジーを救出するのかと思った。

ところが、駆逐艦は貨物船に衝突するコースを進む。貨物船は吸い込まれるように駆逐艦にまっすぐ進む。

貨物船と駆逐艦が衝突する。誰もがそう思った。

その時、米軍駆逐艦から大規模攻撃『魔法』がグ・ジーの乗っていた船に放たれた。

誰よりも早く敵魔法師の『魔法』を感知した達也くんが『異能』で阻止しようと手を貨物船に向けた。

その達也くんの突き出した手を八雲さんが掴んで妨害した。

僕ならあの大規模『魔法』からグ・ジーの船を護れたけど、車中で八雲さんに言われた通り静観していた。

『魔法』で海が割れる。

貨物船が、乗っていたグ・ジーごと深海に沈んで行った。

ひと際大きな波に、巡視船が揺れる。僕たちは身近な構造物にしがみ付いた。

 

「何…今の?」

 

「分子ディバイダーなのか」

 

真由美さんと将輝くんがさっきまで貨物船がいた海面を見つめながら唖然としている。

あの『魔法』は十文字先輩でないと防げないだろう。陸上での後始末に残った十文字先輩が、巡視船にいなかったことが致命的な失敗の原因に繋がっていた。

 

達也くんが鋭い目つきで八雲さんを睨みつけた。

八雲さんも同じ目で返す。

毒気を抜かれた達也くんが僕を見る。

僕は力なく頭を下げた。

今回の作戦で、僕は達也くんに何の貢献もしていない。

海の寒さが身に染みる。

 

巡視船の船長と駆逐艦の艦長が無線で言い争いをしている。

領海外であり、駆逐艦は米国の領土になるので捜査はできない。

グ・ジーの乗っていた船は海中に沈んで、船の破片すら浮かんで来ない。

海上でのグ・ジー捕縛、もしくは死体の確保は、失敗に終わった。

結局、米軍の手のひらで踊らされた結果になった。

米軍がいきなり介入して来て、事情を知らない真由美さんと将輝くんが戸惑っている。

2人とも悔しさから唇を噛んでいた。

十師族と僕たちの、箱根テロからの約10日ほどの労力も、文字通り水泡に帰した。

 

徒労感だけが残る後味の悪さは風に運ばれる海水のように辛く苦かった。

 

 

 





達也と寿和の戦闘後、八雲がしれっと千葉寿和の遺体を回収して運び去ります。
この翌日、千葉家に遺体を八雲と達也が届けます。
警察には届けなくて良いのか?
変死体の死因を調べるのが警察の仕事なのに、八雲たちは完全に無視しています。
千葉家当主も寿和の死因を、八雲の証言を疑わず鵜呑みにしています。
千葉家は警察に関りが深い家なのに、良いのか?

八雲が真由美の乗る巡視船に同乗しますが、見知らぬ他人、
しかも、見た目が胡散臭いおっさんを、真由美が信用するでしょうか。
八雲のお得意の『術』で真由美を信用させた可能性もありますが、
その後の真由美の態度は、いつも通り、達也に対してちょっと媚びるような口調ですから、
その可能性もないでしょう。
久が一緒にいれば、問題なく船に乗れる。で、今回のお話になりました。

原作は、このグ・ジー捕縛失敗から、話がぎこちなくなります。
グ・ジー捕縛失敗を、十師族当主は何故か他のナンバーズに知らせていません。
ナンバーズ若手会議のとき、問題になりました。
知らせない十師族当主が悪いのに、若手会議が微妙な雰囲気になっていましたよね。

若手会議で、学生である深雪を広告塔に使おうなんて言い出しますが、
これまでの克人なら絶対に言いません。
達也と克人を対立させるために、無理をしていると感じます。
皆様はどう思われました?
では、次回。




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千葉エリカ

車は多摩川沿いのぐねぐねした道を、朝日に向かって進んでいた。

 

「水泡種種にして水中に開く、たちまちに生じたちまちに滅して…か」

 

リアウィンドウに切り取られた、驚くほど透明な青い空を見上げながら、僕はぼうっと呟いていた。

 

「それは、誰の言葉だ?」

 

僕の隣に座る達也くんが聞いて来た。

後部座席に僕と達也くんは座っていた。それまで会話はなく、達也くんは瞑想するかのように目を瞑っていた。

 

「それは遍照金剛、いわゆる弘法大師の『詠十喩詠』に書かれた『如泡の喩を詠ず』の一節だね。久くんは昨日の、泡の海に沈む船を思い出していたのかい?」

 

助手席に座る八雲さんが僕にかわって解説してくれた。

 

「師匠は天台でしょう」

 

「叡山の僧だって空海くらい読むさ。それにしても久君は博学だね」

 

にやにやと笑いながら八雲さんが言う。

 

「たまたま読んでいる小説の一文を思い出しただけですよ」

 

僕の思考は色々な方向に飛ぶ。考えていたことをつい呟いてしまう。

車中の会話は続かなかった。

グ・ジー捕縛失敗の顛末に関しては、昨夜、帰宅中の車の中で話は終わっていた。

今と同じように前席に運転手と八雲さん。後部座席に僕と達也くんが座っていた。

駆逐艦に乗っていたのが米軍魔法師ナンバー2だったとか、達也くんが米軍の戦略級魔法師アンジー・シリウスと戦闘したことがあるとか、興味深い話だったけれど、達也くんは過ぎたことを蒸し返さないし、僕は役立たずの身を小さくしていただけだった。

今は、冬の青空の下、千葉寿和さんの遺体を乗せたワゴンとともに、千葉家に向かっていた。

今日の僕はビジネススーツを着ている。達也くんと八雲さんもダークなスーツを着ている。

今日は葬儀ではなく、遺体の引き渡しと、寿和さんの身に何があったのかの説明をしに行くので喪服ではない。

八雲さんは僧侶なので、略装の法衣かと思っていたけど、宗派の異なる千葉家に袈裟姿で向かうわけにもいかない。

 

「久君はいつもと変わらないけど、達也君は気が重そうだねぇ」

 

「エリカと会いたくないと考えているのは事実です」

 

「一発殴られるくらいの覚悟はしておいた方が良いかもね」

 

八雲さんは不謹慎なことを言う。

殴られるのは僕か、達也くんか、両方か?

 

車が千葉家に到着した。

千葉家は神奈川県との境、潮の香りがするほど海が近い場所にあった。

僕たちは無言で車を降りた。

時刻は朝の9時。朝の空気が頬に冷たい。

千葉家のお屋敷は大きな日本家屋だった。黒い瓦ぶきの屋根が朝日に鈍く光っている。

敷地内に道場や修行場、茶室などもあり、広い庭は黒松や楓、常盤木が植えられて、竹ぼうきで綺麗に掃き清められていた。

ワゴンから遺体を乗せた担架を、八雲さんの弟子たちが運び出した。弟子たちは、いつもの作務衣姿を着ている。

遺体を担架ごと千葉家の関係者が受け取った。

千葉家の玄関前には、突然の事態にもかかわらず沢山の人が集まっていた。千葉家の門弟たちで、そのほとんどが魔法師だ。

遺体には白い布がかけられている。一同の先頭に立つ男性が、布を少しめくって寿和さんの横顔を確認した。隣に立つ女性が嗚咽を漏らす。

 

僕と達也くん、八雲さんが一同の前に立った。

戦略級魔法師の僕の姿を見て、声にならないどよめきが起きる。

一同の先頭に立つのが千葉家当主の丈一郎さん。

その隣に黒い着物を着た若い女性はエリカさんのお姉さんの早苗さん。

当主と早苗さんは、ここにはいない修次さんも含めて、寿和さんとよく似た容姿をしている。

エリカさんは、喪服の一同の中、すみっこにポツンと隠れるように佇んでいた。一人だけ白い一高の制服を着ている。そのせいか、他の家族との容姿が際立って異なっている。

千葉家の事情がこの光景だけで垣間見える。

八雲さんが年長者として、代表してあいさつをする。

寿和さんの遺体は彼の私室のベッドに運ばれた。彼の家族だけが私室に入った。飾りっ気のない、独身男性の部屋だった。

丈一郎さんが遺体にかけられた白い布をすべてめくる。

僕の『稲妻』で半分陥没していた頭部は、八雲さんが形だけ戻してくれていた。それでも焦げた髪の匂いが鼻を突き、焼けた頭皮は遺体の表情をいびつに歪ませていた。

早苗さんが小さく悲鳴を上げた。

丈一郎さんも当たり前だけど、激しく動揺して、身体が小刻みに揺れていた。

部屋の後ろのドアの近くに立つエリカさんの表情は、わからない。

寿和さんの胸の大穴は服で隠れて見えない。

 

「この傷は?」

 

丈一郎さんが震える声で尋ねる。

 

「それは僕がやりました」

 

「昨夜はかなり特殊な状況でした。説明は私がまとめてします。」

 

僕の返事を八雲さんがかぶせて止めた。

丈一郎さんが僕をじっと見つめる。息子を殺した敵を見る目ではなかった。申し訳なさそうな、謝罪を込めた目だった。

 

「では応接間に…エリカ、案内しなさい」

 

エリカさんが、無言でうなずいた。

僕たちは部屋を出て、ドアを閉める。廊下を歩いていると、寿和さんの私室から早苗さんの呻くような鳴き声が聞こえて来た。

 

 

千葉家の応接間は畳敷きの和室だった。

座卓に薄い座布団が用意されている。僕たちはエリカさんに案内されて、それぞれ座布団に座る。

八雲さんと達也くんは正座だ。体幹が優れているので、決して猫背にならない。

僕は正座が苦手だ。背もたれ付きの座椅子は、この家にはないそうで、仕方なく僕は女の子座りをする。

千葉家の方針なのか、応接間なのに暖房がなかった。

僕以外の三人はまったく気にならないようだ。

質実剛健とは少し違う。突然の悲劇に、他人への配慮が行き届いていない感じだった。

『魔法』で室温を上げようかと考えていた時、応接間の襖が開いて丈一郎さんが入って来た。早苗さんは寿和さんに付き添って部屋に残っていた。

丈一郎さんが八雲さんの向かいの畳に正座した。エリカさんが達也くんの前に正座する。

エリカさんは僕を睨んでいた。深い愁いと恨みが込められている。

あの後、遺体の確認をしたのだろう。側頭部への『魔法』で首の骨が折れたことにも気がついている。

遺体の状態から僕が寿和さんを殺したと考えているみたいだ。

エリカさんが、達也くんをちらりと見た。

心臓ごとえぐれた胸の大穴も確認しているはずで、胸の傷は誰がつけたのか、達也くんがここにいる理由を、それに結び付けているようでもある。

丈一郎さんが深々と頭を下げた。エリカさんも両手を畳につけて頭を下げる。

 

「この度は誠にお手数をお掛けしました。改めてお詫びと御礼を申し上げます」

 

大の大人と友人が頭を下げる姿に、居心地の悪さを感じる。

 

「時間がかかりますし、座布団に座ってください」

 

2人が座布団に正座し直すと、八雲さんが説明を始める。

敵の手に落ち、命を奪われ、『魔法』で肉体を操られた。魔法師や警察が総出で捜索していた昨夜、テロ主犯の走狗となり果て、達也くんと僕、将輝くんや十文字家の魔法師を襲った。

死体が操られていたと聞いて、丈一郎さんが驚いている。

エリカさんは、一高のテロで、少年少女の『死体爆弾』を間近に見ているからか、それほど動揺はない。

僕の『魔法』を受けても、寿和さんの死体が達也くんを攻撃し続けたと聞いて、動揺は混乱にかわっていた。

剣で襲われていた達也くんは、必死に寿和さんに呼び掛けていたけど、攻撃はやまず、辛うじて達也くんが倒した。

八雲さんの話は長くなっている。生徒会室のようにホームサーバーやお茶の準備はこの応接間ではできないので、僕は八雲さんの喉が渇くんじゃないかって心配していた。

スーツ姿の八雲さんは、いつもの胡散臭さがない。卓越した忍び、術者としての胆力が、奇妙な説得力を与えていた。

寿和さんの遺体を回収して預かっていたのは、一晩駆けて解呪の儀式をしたとか恩着せがましいことを言っている。

実際には、『邪法』と死体を徹底的に調べて、自分の知識欲と『術』を高める贄にしたに決まっている。

寿和さんのそもそもの死因は毒か薬物なのか、『魔法』なら何なのか、八雲さんは言及していない。

それは警察が違法解剖して調べることで、今後、千葉家が法に従って司法解剖に出すことになるけど、死体を現場に残さず移動させたことは、明確な犯罪行為だ。一晩時間を空けたせいで死因の特定が難しくなる可能性もある。

でも、誰もそのことを指摘しない。魔法師と世間の常識とのギャップを感じる。

丈一郎さんは八雲さんの説明に、質問すらしないで、鵜呑みにしていた。無念から、噛み締めた奥歯がギリギリと鳴っていた。

敵にむざむざと操られ、敵対行動をとった息子に恥じ入る思いもあるだろうけど、僕には人の感情の機微はわからない。親子の感情となればなおさらだ。

ただ、とどめを刺したのが達也くんだったと聞いて、僕を睨んでいたエリカさんの敵意が、達也くんにすっと移った。

家庭の複雑な事情、達也くんへの淡い恋心が行き場を失って、瞳に深い闇を作っている。

僕に対しての視線よりも、屈折した感情が見て取れた。

エリカさんは痛いものにでも耐えているようだ。

泣き出す前の表情にも見える。

達也くんは、黙って無表情に座っていた。

 

丈一郎さんは説明を聞き終えると、静かに目を閉じて、再び開くと、取り返しのつかない結果を受け入れていた。

 

「愚息が、戦略級魔法師・四葉久殿と司波達也殿を害しなかっただけでも、幸いでした」

 

それは、精一杯を絞り出した言葉だったと思う。

現実には、寿和さんの失態は、グ・ジー捕縛を失敗させ、米軍の介入を許し、今後の取り返しのつかない未来に繋がっているのかもしれない…のだけれど、予知の出来ない僕には想像すらできない未来だ。

 

 

八雲さんの話が終わると、エリカさんが達也くんと僕を道場に連れ出た。

道場は屋根の低い小さな体育館くらいあって、板張りの床は綺麗に磨かれていた。

道場の独自の乾いた匂いがした。

当然、道場にも暖房はない。応接室よりも寒くて、床の冷たさがつま先からしみ込んでくる。

その足は、長時間の女の子座りでしびれていた。畳に座る習慣がないから、座布団があったとは言え、ふらふらと歩く。

そんな僕の姿をエリカさんはじっと見ている。

僕の態度は、要するにいつもと変わらない。寿和さんを即死の『魔法』で攻撃しておきながら、心になんの波風も立たせていない。

一高でのテロの後の僕の態度に、多くの生徒がいら立った。あの時と似た感情にエリカさんは苦しみ悩んでいる、と思う。

苛立ちを、一撃にしてぶつけたいと考えている。

 

エリカさんが道場の中央に正座した。

達也くんが対面に正座した。僕も悩んだけど、達也くんの隣にぎこちない正座をする。

エリカさんが達也くんに詰問のような質問する。

さっき八雲さんが説明した内容とほぼ同じだ。再確認したいんじゃなく、達也くんの口から直接聞きたかったのだろう。

 

「久の『魔法』で、バカ兄貴の頭のあの傷は出来たのよね」

 

「うん」

 

「すでに死体だったって、わかっていたのよね」

 

僕は顎を引いて頷く。

 

「うん。それでも倒れなかったから、水蒸気爆発させようと『蒸発』で追撃した」

 

応接間で八雲さんは細かい『魔法』の説明まではしていなかった。

エリカさんの目に、肉食獣のような殺気に満ちた。

『蒸発』が人体で発動すれば、どんな結果になるか、エリカさんも熟知している。

その視線を僕は正面から受け止める。

 

「でも、効かなかった。『術式解体』に似た術で『魔法』は打ち消された。寿和さんは『術式解体』を?」

 

「使えるわけないでしょ。そんなの達也君しか使えないわよ」

 

「敵の『術』は正確にはわからない」

 

達也くんはそう言うけど、本当はある程度は見当がついているはずだ。その観察のために戦闘が長引いたのだから。

 

「『蒸発』は、寿和さんが生きていたとしても使ったよ。達也くんは止めたんだ。僕は達也くんの指示を無視して攻撃した。敵は、殺す」

 

「久の魔法力なら、無力化することも出来たと思うけど」

 

エリカさんの怒りが高まっている。

逆に、道場の空気がより冷たく感じられる。

 

「殺してしまえば、人間はただの物で、僕を殺せない」

 

エリカさんの目を見つめながら、僕は続ける。

 

「殺しても死なない人間をどうすればいいか、僕にはわからない」

 

僕の言い訳…違うな、僕の言い分を、エリカさんは理解した。あるいは理解しようとした。エリカさんだって、動く死体をどうすればいいかわからないのだろうから。

 

「戦略級魔法師の『魔法』を防いだんだから、バカ兄貴もたいしたものよ…ね。そう、じゃあ、止めを刺したのは、達也くんなんだ」

 

乾いた声で、視線を達也くんに向けた。

 

「そうなるな」

 

達也くんも、そう考えているみたいだ。

 

「達也くんの『魔法』で、何とかならなかったの?」

 

「死者を生き返らせることはできない」

 

淡々と答える。

僕は時間を進めることができる。

達也くんは24時間以内なら時間を巻き戻せる。それは『神』ですら不可能な御業だ。

達也くんはことさら無表情になっている。背筋をピンと伸ばして座る姿すらも、鋼鉄のようにエリカさんの視線をはじき返している。

当人にもわからない心の淵は誰にでもある。

達也くんとエリカさんの間に緊張が走る。

エリカさんの達也くんに対するたまりにたまった2年間の感情の鬱屈が、ここで爆発した!

 

「司波達也!あたしと立ち会え!」

 

エリカさんが、床を蹴立てて片足立ちになる。一高のぴったりした制服でよく動けるなって感心する。

僕の視線の隅で、達也くんがバネの様に跳ねた。いきなり、エリカさんのお腹を回し蹴りして、壁際まで吹き飛ばした。

普通の女の子、いや、人間なら骨折では済まない威力だ。

僕だったら昏倒している一撃を、エリカさんは床を軋ませて踏ん張って耐えた。

壁に掛けられた木刀をひっつかむと、達也くんに向かって正眼に構える。

達也くんが静かに歩を進める。

エリカさんの気合を込めた大上段からの一撃を、達也くんは素手で受け止めた。そのまま木刀ごとエリカさんをぶん回す。

エリカさんは、やはり制服では動きにくそうだ。靴下を履いたままなので洗練さから程遠く、どこかばたばたしていて、直情的にやり場のない怒りや、僕へのもどかしさを、まとめて達也くんにぶつけている。要するに達也くんに甘えているんだ。

エリカさんの八つ当たりを、達也くんは真正面から跳ね返していた。

そして、立ち合いは、あっけなくエリカさんが負けを宣言して終わった。

そのまま両手をついて鳴き声をあげる。

いつもの偽悪的な態度とは違う、肩の力の抜けた年齢相応の泣き声だった。

床にぽたぽたと雫が落ちる。

泣き止むまで、僕と達也くんは黙っている。

泣き止んだエリカさんの雰囲気はがらりと変わっていた。

 

「…女の子が泣いているんだから、ハンカチくらい出しなさいよ」

 

僕に先んじて、達也くんがスーツのポケットからハンカチを出した。

受け取ったハンカチで涙を拭き、鼻までかんでいる。

あぁ、あれは深雪さんが選んで、アイロンがけまでしたハンカチなんだけど…

 

「返さなくていいぞ」

 

そりゃそうだ。

 

「そりゃどうも!」

 

エリカさんがいつもの口調に戻っている。

 

「エリカさん、達也くんに蹴られた場所、大丈夫?痛くない?達也くんもあざとかついたらどうするの」

 

「まったくよね」

 

「あざにならないよう蹴った」

 

「あの瞬間にそんな配慮までしているとか、達也くんは、もう言葉もないよ」

 

「ほんと、可愛げのかけらもないわ」

 

エリカさんが憎まれ口を言いながらすくっと立ち上がった。

寿和さんや家族への感情が、この瞬間から別のものに、そしてエリカさんの淡い恋が、この瞬間に終わったんだ。

僕への想いはないから、これまで通り…いや、僕への恨みが熾火の様に残っていたら、今後、ねちねちといじられそうだ。

 

「ええと、エリカさん、僕とも立ち会う?」

 

道場の空気が弛緩したところで、僕は尋ねた。

 

「…久とは、土俵が違いすぎて勝負しにくいわよ」

 

魔法力では僕が、体力や体術ではエリカさんが圧倒的に有利だ…とエリカさんは考えている。

事実は、僕の人外の動体視力に、『念力』で身体を操る『サイキックアーツ』を駆使すれば、エリカさんとも互角以上に勝負ができる。

不意打ちや闇討ちなら手も足も出ないけど、エリカさんは手合わせでそんなことはしない。

まぁ、面倒なので黙っていよう。

 

「だったら休み明けの期末考査の結果で勝負したらどうだ?」

 

圧倒的な学力の達也くんが余計な提案をした。

 

「それ、いいわね。久、負けた方が『アイネブリーゼ』でケーキセットをおごるってことで」

 

「うっうん」

 

エリカさんのペーパーテストの順位はいつも10位以内だ。

一高通学路にある喫茶店のケーキセットは大した金額じゃないけど、戦う前からすでに負けが決まっている勝負は公平なのだろうか。

 

「勝てる気がしない」

 

エリカさんがにんまりと笑った。

 

「久にはテスト結果で、達也君は…いつかぎゃふんと言わせてやる」

 

その呟きは僕にしか聞こえなかった。

エリカさんの涙はもう乾いていた。

 

 

 

 

 

 





今回で、師族会議編下巻は終了です。
本当は響子の話も入れたかったのですが、きりが良かったので。
このSSの響子は寿和に原作ほどの関心も好意もありません。
響子の寿和への好意は、過去に2~3回交流があったから、と原作にはあります。
響子は優秀すぎて男が気後れしてしまいます。
また本人も気がついていませんが、相手の器量を試すような言動をして、男を遠ざけています。
響子にとって恋人とは、かつての婚約者のように、響子を残して死んでしまう存在です。
寿和が死んで響子は自分の気持ちに気がつきますが、このSSでは寿和に出会うより前に、久に出会っています。
久は見た目は子供ですが、響子は久の正体を早くから気がついていました。
久は、響子を残して死ぬことはありません。
そして、このSSの響子は、久と澪と言う狂気の人物と同居しています。
狂気は伝染する。
寿和がグ・ジーの駒にされたのは寿和の落ち度だと原作も言っています。
多少の罪悪感はありますが、寿和を倒した久と達也に悪感情を抱いたりしません。
そしてなにより、このSSの響子は久、澪、達也に匹敵する戦略級魔法師なのです。
原作では、街頭カメラのデータをごまかす便利な魔法師程度の存在ですが、本当の『電子の魔女』は自宅に居ながらにして、米国のエシェロンⅢのセキュリティを突破もでき、クリック一つで世界を崩壊させる危険な存在なのです。

次回から、新章『戦略級魔法師』が始まります。
戦略級魔法師とは、久、澪、達也、響子、リーナ、13使徒です。
とりあえずは、久の結婚と進級、将輝と香澄、真由美、四葉とナンバーズとの関係、などがメインの予定です。

お読みいただき有難うございました。


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戦略級魔法師
あさぼらけ


プロローグです。


3月23日。今日は魔法科高校三学期の終業式の日だ。

2年生として最後に登校する日の早朝、僕は布団の中で澪さんと響子さんの寝息を聞きながら、いつものように色々なことを考えていた。

 

グ・ジー捕縛失敗のあの夜から1か月以上が経過した。

2月に起きたテロ事件の真犯人の死亡は、世間には知られていない。多くの魔法師や国民は、いまだに不安に日々を暮らしている。

グ・ジーの死亡を表ざたに出来ないのは、まったく証拠がないからだそうだ。

グ・ジーの映像は全く残されていないって達也くんがレストラン会議の時に言っていた。

だったら死体の確保をしても、本人かどうか特定することはできない。

今回のグ・ジー捜索は、達也くんの『異能』に依存しきりだった。

達也くんの発言が、警察や世間にたいして、どれ程証拠になるのか?

世間的には、達也くんは四葉家次期当主の婚約者で、魔法師の資格を持たない一高校生でしかない。

これまで、十師族やナンバーズは非合法的行動を行い、不都合な事実を様々な権力と方法で隠ぺいして来た。

だったら、適当な遺体を犯人にでっち上げて社会に公表すればいいのにと僕は思う。

その程度は簡単だし、その程度のねつ造で世間が落ち着くなら、妙手だと思う。

死体は、今回のテロ騒動でいくらでも用意できるだろう。

そう考えるのは僕が由緒もへったくれもない孤児で、精神のあさましい異常者だからなんだろうか。

十師族は起きたことを隠ぺいはするけど、全くないことをでっちあげる事には抵抗がある、らしい。酸いも甘いも噛分ける、真夜お母様でもだ。

十師族は違法な手段や非人道的な研究を積み重ねている集団なのに、どこか上品で甘い。

なんだかんだ言っても、十師族は平時の権力者たちで、お坊ちゃまだった。

でも、烈くんなら、烈くんや九島家が十師族の一員だったなら、ためらわずにそうしただろう。

この一か月、世間では魔法師排斥運動が相変わらず活発だった。社会不安がこの国の市民の心に覆い被さっている。

それでもまだ、この国は戦場になっていない。

戦場の殺伐さは、魔法師と非魔法師の差別なく、理不尽にすべてを奪う。

手遅れになる前に、十師族はもっとまとまった方が良い。と、誰もが漠然と感じ、考えているんだろうな。

問題は誰がその音頭をとるかだ。

同列同格と言う建前の十師族をまとめられる烈くんが十師族を外れたことで、対応が後手になっている。

 

 

ふと、視線を感じて僕は目を開けた。

僕の右隣で寝ていた響子さんが、僕を静かに見つめていた。お互いの息がかかる程、顔が近い。

 

「おはよう、響子さん」

 

「おはよう、久君」

 

響子さんの顔は、寝起きにも関わらず肌つやが綺麗だ。出会ったあの日より確実に、瑞々しい。

僕の『能力』は確実に響子さんの時間を止めている。

 

「今日からお仕事で暫く家に帰って来られないの」

 

「うん」

 

軍属の響子さんは基地泊まりの日がこれまでもあったから、いつものように僕は頷いた。

 

「詳しいことは言えないけど、最低でも10日は帰って来られないわ」

 

「え?」

 

考えていたよりも長期だ。

響子さんの所属は独立実験部隊だけど、基本的にデスクワークだって聞いている。同じ部隊には達也くんも所属している。

独立実験部隊がどのような部隊なのか、響子さんは軍や仕事のことは家では一切口にしないからわからない。

『魔法』や魔法師の軍利用を研究、実験をする部隊なのかな。

響子さんが軍の指令室で、液晶ディスプレイを弾く姿を想像してみる。様になっていてかっこいい。

響子さんは優秀な魔法師だけど、その肉体は歳相応の女性でしかない。

敵部隊に襲撃されたり、いざとなったら前線に出る機会もあるかもしれない。

横浜事件の後、澪さんが戦略級魔法師として前線に向かったとき、僕はかなり動揺した。

響子さんの身は心配だ。

それでも、あの時よりも僕の精神は落ち着いている。

僕はゆっくりと呼吸をして、心を落ち着ける。

それよりも、10日だ。

 

「それじゃあ、結婚式の日には帰って来られないんだ…」

 

1週間後の4月1日。僕の誕生日であり、僕と澪さんの結婚式の日だ。

 

「私と久君の結婚式は、私が帰ってきたら、ね」

 

僕と響子さんの関係は、法律的には何の裏付けもない。はっきり言って僕のわがままだ。

それでも、響子さんは僕の小さな身体と、そして何より、世界を破壊するかもしれない狂気を受け止めてくれている。

僕と響子さんの結婚式は、澪さんだけを立ち合いにして、3人だけで静かに行う予定だ。

 

「響子さんの指輪もちゃんと用意してあるから、無事に帰ってきてね」

 

「何だかそれ、死亡フラグみたいね」

 

ウインクしながら言う。

 

「不吉なこと言わないでよ」

 

響子さんは、くすりと笑った。

 

「響子さん、元気が戻って来たね」

 

「え?」

 

「ここ1か月、響子さんは少し元気がなかったから」

 

「気づいていたの?」

 

澪さんは気がつかなかったようだけど、響子さんの何気ない仕草に、どこか憂いが含まれていることを僕は見逃さなかった。

 

「僕は、世界で一番、響子さんを見ている」

 

響子さんの表情が締まる。

 

「誰よりも、響子さんが大事だから、誰よりも響子さんを想っている。好きだよ響子さん」

 

響子さんが真剣に僕を見返す。

 

「僕は恋愛がわからない。この胸にあるもやもやしたものがどんな感情なのか正確にはわからない。だから、何度でも言葉にする」

 

言葉は『言霊』。繰り返せば繰り返すほど、形になる。

そして言葉は、自分を縛り、相手を縛る『呪』になる。

 

「何度も言葉にして、響子さんを僕なしでは生きられなくしちゃうんだ」

 

響子さんの負担にならないよう、あまり重たくならないよう努めて軽く、子供の願望のような声で言った。

それでも、その言葉には確実に『呪』が込められている。

 

「僕が必ずそばにいる」

 

響子さんの瞳に、何かが宿った。それが愛情なのか、狂気なのかは、僕にはわからない。愛情だと嬉しいけど。

 

「だから、身に危険を感じたら迷わず僕を呼んで。響子さんがどこにいても、どんなに遠くにいても、必ず駆けつける」

 

僕には、その『力』がある。

 

「うん。ありがとう」

 

響子さんが僕を抱きしめる。大人の、身体と香り。響子さんの体温を感じる。シルクのパジャマの肌触りが心地いい。

 

「勿論、澪さんも同じだよ」

 

「ひゃっう?」

 

澪さんがしゃっくりみたいな声で驚いた。

しばらく前から目覚めていたことには、僕も響子さんも気がついていた。

僕たちの睦言のような会話を黙って、寝ているふりをして聞いていたんだ。

 

「なんだか、ついでみたいで癪です」

 

澪さんは、いつも通り、上下ジャージ姿で、どう見ても高校生になりたての中学生くらいの容姿だけど、時折、大人の表情を見せる。

 

「拗ねてる澪さんも、大好きだよ」

 

これも『呪』。でも、素敵な『呪』。

 

都会的な大人の美女である響子さん、ローティーンの容姿の澪さん、どう見ても10歳そこそこの女の子のような僕。

奇妙な3人だ。

でもこの3人は、文明を、世界を、何度でも破壊するだけの『能力』と狂気を、その身体に内包している、危険な3人でもあった。

 

4月1日。

僕は戸籍上、18歳になる。

 

それは、世界が戦略級魔法師に翻弄される時代の号砲が打ち上げられる日でもあった。




4月1日が誕生日だと学年が一つ上になる、
年度の切り替えは4月2日からだと、よく指摘を受けます。
このSSの世界では群発戦争の混乱後、年度や学制の変更が起こりました。
そう言う設定なのです。
最初からそう言う設定です。
4月1日が誕生日の方が字面的に見た目が良いから、ちょうどキリが良いから、
と言う程度の理由でしたが、
その設定のおかげで、久の誕生日、澪との結婚式の日の4月1日の幕開けは、
南米で戦略級魔法が使用された、と言う劇的なニュースから始まります。
久、澪、響子、達也を表徴する一日となったわけです。


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動乱の序章

久のイメージイラストを描いてみました。
以前も描いてアップしていたのですが、
何の反応もなかったので、不必要かなと思い削除していました。
今回、新たにラフではありますがカラーで描いたので、
感想などいただけたら嬉しく励みになります。

【挿絵表示】



終業式が終わると当日に、達也くんと深雪さんは四葉家の時期当主と伴侶として、戦没者慰霊祭や人工島完成イベントに参加するため沖縄へ向かった。当然、水波ちゃんも同行している。

三人を追うように、ほのかさんと雫さん、あーちゃん先輩やはんぞー先輩たちも卒業旅行で沖縄に行っている。

残念ながら戦略級魔法師である僕は、基本的に軍の中枢と魔法協会支部にすぐ帰れる距離にしか移動は出来ない。離島への旅行は不可能だった。

成人までは、行動は比較的自由だったはずだったけど、日々危機の増す国際情勢に、軍からの非公式の要請があったと魔法協会経由で連絡があった。

今の社会情勢では仕方がない。

自分で選んだことなので、別に文句はない。

 

とは言え、結婚式を一週間後に控えて、何かと忙しい。

終業式の翌日、僕と澪さんは、僕の後見人である烈くんに結婚前の挨拶をするため生駒の九島家に向かった。

烈くんは半隠居状態で、すこぶる元気そうだった。

逆に、光宣くんは二高の公式行事で疲れたのか、時々ぼうっと上の空になるのが気になった。

何か独り言をつぶやいている。

まさか中二病?

その翌日、やはり澪さんと共に横浜の魔法協会ビルで真夜お母様にご挨拶をした。

お母様は、花のような笑顔で僕たちを迎えてくれた。

午後は都内の五輪家に向かった。

五輪家の面々は、相変わらず生気にかけた表情をしていた。

 

去年のこの時期は、横浜事件後の戦勝ムードも重なって、世間はどこか浮かれムードだった。

卒入学する十師族の子弟も多かったので、社交的なナンバーズがあちこちでパーティーを行っていて、僕もいくつか参加している。

今年は、2月のテロ事件以降、魔法師の世界では自粛が相次いでいる。世間的にはテロ事件は解決していないからだ。一高の卒業式も、今年は静かだった。

僕たちの結婚式も、身内だけの地味な式になる。

日本有数の富豪である五輪家の結婚式の地味が、どの程度のレベルかは僕にはわからない。当初は五輪家所有の豪華客船を丸々貸し切って式を行う予定だったし。

僕は四葉家の意思決定や相続に関係がなく、ナンバーズの感覚だと、僕は四葉ではない。

後継者に指名される前の深雪さんと達也くんと同じ立場だ。

でも、僕は戦略級魔法師だ。個人で、十師族に匹敵、もしくはそれ以上の力と知名度がある。

だから僕は、真夜お母様から、あまり社交的ではない四葉家の代理として、招待状の来た会には極力参加して、他家との交流を深めるように言われている。

 

翌日の3月28日、僕は十師族の三矢元さんの末娘、詩奈さんの中学卒業と一高入学記念パーティーに招待されていた。

今回は詩奈さんの友人や近しい人たちだけのパーティーで、出席者は多くが十代前半、中学生か高校生の、女の子たちがほとんどだそう。

そのためパーティーはお昼に開催される。

三矢家は神奈川県厚木市に本宅がある。

その三矢家に七草家の姉妹、真由美さんと香澄さん、泉美さんと向かう。

姉妹は詩奈さんとは同じ十師族として、歳も近く、昔からの友人だった。

僕の出席理由は、姉妹のエスコートと、一高の先輩としてのご挨拶。それは建前で、実際は兵器ブローカーの三矢元さんとの懇親がメインだ。

三矢家に向かうリムジンの車内は、何ともかまびすしい。お互いの学校の事や、話題のドラマや春休みの計画、ファッションについて、尽きることなく会話している。

真由美さんは、グ・ジー捜索の時、達也くんと仲を深めるよう七草弘一さんが色々と手を回したのに、結局は何の進展もなかった。それなのに以前と、少なくとも見た感じはかわりがなかった。達也くんのことはあきらめたのか、そもそも乗り気ではなかったのかな。

 

「ところで久ちゃん、この中で誰をエスコートしてくれるの?」

 

真由美さんがにやにやと笑いながら言う。

女性3人に男が1人。

真由美さんは、ことあるごとに年下の男子をからかおうとする。動揺すればするほど、真由美さんを喜ばす。

 

「香澄さん」

 

だから僕は即答した。

香澄さんは僕の義妹になるし、泉美さんは僕とは接点が少ない。そもそも、泉美さんは深雪さんにそっくりな僕を深雪さんのかわりと見ていて、異性とは見ていない。

 

「ひゃはい?」

 

香澄さんが、返事なのかしゃっくりなのか不明な声を上げた。とっても嬉しそうだ。

 

「やっぱり香澄ちゃんなのね。お姉さんがっかり」

 

いかにも演技っぽい態度の真由美さん。ここで怯むと、かさにかかって来るから、

 

「だって真由美さんには十文字先輩がいるもの。僕じゃ役不足ですよ」

 

反撃をする。

 

「ちょっ、私と十文字君はそんな関係じゃないって!」

 

真由美さんは防御が甘い。

 

「でも、大学の食堂では、いつも一緒に食事しているんですよね」

 

「誰から聞いたの!摩利?鈴ちゃん?」

 

双子が、姉の恋愛事情について食い入るように視線を向ける。その目は、姉の恋愛は反対だって言っている。

 

「誰からも聞いてませんよ。先月まで一緒に大学近くのレストランにいたから、そう思っただけです」

 

「あれは、テロリストの首魁捜索で打ち合わせがあった関係で、今はそもそも学部が違うから、お昼はめったに一緒にならないわよ」

 

「お姉ちゃん、めったにってことは、時々は克人さんとご一緒に昼食を食べているの?」

 

香澄さんが不満そうに言う。

 

「だって、十文字君は目立つもの!つい視線が合ったら、無視するわけにいかないでしょう!」

 

真由美さんは自分も目立つことに気がついていない。

車内は、真由美さんの呻きやら叫びのせいでがーがーと騒がしくなった。

 

「久先輩、エスコートはお姉様にしてくださいませ」

 

泉美さんがため息をついた。

 

「そうだね、年長者を優先しないとだね」

 

僕は4日後に澪さんを結婚式を挙げる。

真由美さんが僕の恋愛対象になることは絶対ない安心感からか、会場にいるであろう他の男に目を付けられないよう、双子は僕に真由美さんをエスコートさせる気になった。

真由美さんは、ひとり膨れ顔になっていた。可愛い。

 

三矢家にリムジンが到着した。運転手さんが、ドアを開けてくれる。姉妹がゆったりとした動作で降りて、僕が最後に降りる。

泉美さんのドレスはレースを多用した華やかなデザインで、無地のチュールにアクセサリーが映えていた。

香澄さんはシャンタン素材のやや本格的な社交ドレスだった。控えめな光沢にフレアーシルエットが、ちょっと大人の雰囲気を醸している。

真由美さんはトップスからボトムにかけて緩やかな曲線がスリムなシルエット。バッグまでばっちりコーディネートしている。背の低さを気にしているので、ヒールがやや高め。

3人とも、一高の制服姿とは違う、ほっそりとした首筋に匂うような色があった。

僕はオーダーメイドのダブルのスーツ。四人の中で一番背が低く、どう見ても男装した女の子にしか見えない。

 

「これは四葉久殿、娘のパーティーにご足労有難うございます」

 

三矢家の家族が玄関までお出迎えをしてくれていた。三矢元さんは去年の師族会議で僕の後押しをしてくれた、眉毛の濃いおじさんだ。

息子さんたちは母親に似たのかな、元さんほど眉、いや、キャラが濃くない。

 

「七草真由美さん、香澄さん、泉美さんも詩奈のために良く来てくださいました」

 

三矢家は兵器ブローカーが表の仕事、つまりは、死の商人だ。

そんなマイナスなイメージのある家庭なのに、どこか全体的にほんわかしている。

詩奈さんはおっとりとした雰囲気の背の低い女の子だった。

お辞儀をすると、綿毛のような髪の毛が跳ね、首掛け式のイヤーマフがちらりと露になった。

詩奈さんは魔法師の弊害として聴覚が鋭敏になっていると、リムジンの中で姉妹から説明を受けていた。

 

「よっ四葉久様!初めまして、三矢詩奈です。本日は私のパーティーにお越しいただき、ありがとうございます」

 

詩奈さんは緊張しまくっていた。

今回の僕は、いわゆるサプライズゲストだった。

僕の訪問を直前まで知らされていなかったそうだ。

僕がパーティー会場に現れると、お客たちの動きが止まって、ざわめきが起こった。今回は詩奈さんの友人や近しい人たちだけのパーティーで、出席者は多くが十代前半、中学生か高校生の、女の子たちがほとんどで、その多くが非魔法師だった。

それでも身に着けているドレスやアクセサリーからして、社会的地位の高い階級の住人なのがわかった。

三矢元さんが、僕たちをお客に紹介した。

七草姉妹の紹介に、お客は僅かな反応しか示さなかった。詩奈さんの友人でも、非魔法師のお客はあまり十師族と関わる機会がないからだろう。

でも、僕は連日報道で紹介されている。非魔法師でも戦略級魔法師の僕の事は誰もが知っている。

報道の中の僕は非の打ち所がない、魔法協会が美化した姿なので、高校生以下の女の子に人気があるそうだ。

僕が詩奈さんと会話をしていると、感嘆と羨望に満ちたお客たちの目が集中した。元さんがどこか誇らしげに胸を張る。

人見知りの僕は、他人の視線の集中砲火を浴びて落ち着かない。

それでも、努めて外向けの笑顔を作る。

詩奈さんは兄弟の中で年が離れていることもあり、穏やかであたたかな雰囲気を持っている。どこか、あーちゃん先輩を彷彿とさせる。

ぎこちない会話を繰り返すうちに詩奈さんが菓子作りが上手だって話になった。

僕も料理が得意で、料理部と生徒会副会長を兼任しているって話は、僕と詩奈さんの距離を一気に縮めた。

 

「詩奈ちゃんは今年の首席なんですよ」

 

泉美さんが教えてくれた。

つまり入学式の新入生代表挨拶や生徒会入りが確定しているのか。

去年の七宝琢磨くんも、今年の三矢詩奈さんも、十師族の子弟はみな優秀だ。僕は素直に感心する。

 

パーティーはその後、ダンスパーティーになった。

今日の主役である詩奈さんを皮切りに、七草の姉妹と踊り、詩奈さんのお姉さんとも踊った。

ダンスパーティーは、困ったことに男性客が少なかった。女の子の友人が集まってるのだから仕方がないにしても、お客の殆どが僕と踊りたがった。

最初、おずおずと僕にお誘いをして来た女の子に、深雪さん張りの笑顔で了承した。会場から黄色い悲鳴が上がった。

まるで動物園の珍獣になった気分だ。

僕は戦略級魔法師になってから、一通りのマナーやダンス、パーティーでの立ち振る舞いを澪さんから教えられている。

もともと、僕の教育は澪さんが担当だ。

僕は運動音痴なので、ダンスがあまり上手でない。背も低いので、どうにも女性は踊りにくそうだ。でも、それがお客の気持ち的なハードルを下げた。

かわるがわる、振り回されるように踊る僕の姿に、

 

「お兄様は人気者ですね!」

 

香澄さんが不機嫌になる。

冗談じゃないよ。

僕は少し、いやかなり足元がふらついていた。ダンスの相手でものすごく疲れた。

このままだと倒れこみそうだ。体力不足が情けない。

 

「久様、大丈夫ですか?」

 

詩奈さんが気遣ってくれる。

 

「おお、久殿はこの国の守護神。あまり無理をさせてはいけません」

 

元さんがやや大げさに反応した。

休憩室は一般の客も利用するので、元さんが母屋のティールームに案内してくれた。もう少し会場でお客の相手をしたら、僕と個人的に会話をしたいって言って元さんは、パーティー会場に戻って行った。

僕はお手伝いさんが用意してくれた紅茶に口をつける。

パーティー会場から笑い声が漏れ聞こえる。華やかな声を聞くともなく聞いている。

静かだし、太陽の光が注ぐ部屋は明るく清潔感もある。でも、広い部屋に一人でちょっと居心地が悪い。

良家の子女と交流を持ち、僕自身も地位や価値が高まっている。それでも、僕の感覚は庶民のままだった。

寒冷化が進んだこの時代、桜にはまだ早かった。

それでも僕は、部屋に差し込む陽の光を、もう春だなって、ぼうっと考えていた。

 

 

「失礼します」

 

突然、ティールームに女性が入って来た。

ビジネススーツをきっちりと着こなし、髪の短い、年齢は20代半ばだろうか、僕の返事を待つことなく入室して来た。

僕はちょっと面食らった。この世界の、今どきの魔法師は品位や慎みを重要視する。

十師族が違法行為をしながらもどこかお坊ちゃんなのもその常識のせいだ。

十師族の子女は社会的地位も高いので、教養やマナーは幼いころから叩き込まれている。

女性が断りもなく、僕のパーソナルスペースまで入って来たのは、彼女が魔法師やナンバーズではない証拠なのかな。それに、この女性はパーティー会場にいたかな?

そう考えていると女性は、ソファに腰かける僕の横に背筋を伸ばして立った。その姿は、達也くんや響子さんを思い起こす。

 

「はじめまして、戦略級魔法師、四葉久殿。私は国防陸軍情報部所属、遠山つかさ曹長と言います」

 

「国防軍、情報部?」

 

軍人さんだから姿勢が良いのか。

 

「少々お話をしてもよろしいでしょうか」

 

僕の疑問に、答えなかった。どうやら、せっかちな人らしい。

 

「何でしょう?」

 

遠山つかささんが、僕の対面のソファに腰かけた。

遠山さんは薄い笑みを浮かべているけど、その笑みは作り物じみていた。

 

「まずは、五輪澪殿とのご結婚おめでとうございます」

 

遠山さんの語り口はどこか熱が感じられない。

 

「ありがとうございます」

 

「これで、四葉久殿は後見人の九島家、四葉家、五輪家の後ろ盾を得ることになり、確固たる地歩を確立なされます」

 

「はい」

 

「しかし、四葉久殿の戦略級魔法師と認められる以前の経歴が一切不明です」

 

「…」

 

「四葉久殿の前歴は、我々国防軍情報部がどれだけ調べても不明でした。四葉久殿の立場は九島烈退役少将閣下の後見だけが唯一の拠り所でした」

 

僕は黙って聞いている。

 

「師族会議ではそれだけで済みましたが、情報部としては四葉久殿の前歴をうやむやに済ますわけにはまいりません」

 

僕は遠山さんの目を見返しながら聞いている。遠山さんは僕の視線を怯むことなく受け止めている。

 

「九島烈退役少将閣下が言われた、四葉久殿のこの国への貢献とは何なのかお教えいただけませんか?」

 

まさかこのタイミングで僕の出自を気にする人物が現れるとは意外だった。

 

「四葉久殿の、この国への忠誠心、愛国心がどれほどのものか、お聞かせ願いたいのです」

 

広い部屋で2人が向き合っている。

何だか居残りをさせられている生徒と教師みたいな感じだ。

 

「僕は愛国心がどのようなものかよくわかりません。ただ『家族』を護りたいと考えているだけです」

 

遠山さんは、最初と同じ笑顔を浮かべている。

 

「僕たち魔法師は、多くの犠牲の上に今、存在しています。その彼らの為にも、戦いたいと思っています」

 

僕が、生駒の九島家に現れた時、烈くんに言った。この国は嫌いだけど、僕の『弟たち』の犠牲で成り立っているこの国を護る、と。

それに、この国の文化、アニメやコミックスの文化を護ることは重要だ。

好きな作品の続きを観られないなんて、悪夢以外の何物でもない!

 

「出自に関しては、僕にもわかりません。僕は孤児ですから」

 

「ご両親は事故で?それとも戦争の犠牲に?」

 

ずけずけと聞いてくる。

 

「それもわかりません。詳しくは九島閣下にお聞きください。この国への貢献に関しても、同様です」

 

この女性は烈くんの派閥ではなさそうだ。

部屋の空気が、ティーカップの紅茶の様に冷えていた。

遠山さんは、相変わらずじっと僕を見つめている。僕の一挙手一投足から、情報を得ようとしている。

 

「僕からも尋ねて良いですか?」

 

「どうぞ」

 

「国防軍の情報部のお仕事は魔法師の国への忠誠を調べる事なんですか?」

 

「もちろんそれだけではありません」

 

遠山さんの返答はそっけない。

僕は、達也くんが、今、沖縄を訪問している理由を思い出す。

 

「5年前、沖縄と佐渡島が大陸軍に襲われて多数の死傷者が出ました。2年前も首都の目と鼻の先である横浜が敵軍に襲われました。九校戦では戦闘機械の実験が生徒相手に行われました。去年の冬、米軍の魔法師が都内で違法活動をしていました」

 

遠山さんは笑顔のままだ。

 

「秋には大陸の術者をかくまった兵士がいました。各地で幽閉されている調整魔法師がたびたび脱走して事件を起こしています。その調整魔法師が2月のテロリストに操られ市民に被害が出ました」

 

遠山さんの笑顔は、ややひきつっている。

 

「これらの事件、情報部は情報を得ていたのですか?得ていたのに何もできなかったのですか?」

 

僕は子供の様に、素直に疑問をぶつけている。

 

「世界情勢は緊迫しています。横浜事変で我が国は他国に対して戦略級魔法を使いました。戦略級魔法を使った以上、次は我が国が狙われても文句は言えません」

 

「貴方も使いましたよね」

 

「僕が九校戦で『ルビー』を使ったせいで、戦略級魔法使用に対する抵抗心が下がったことは責任を感じています。でも、世界は僕が魔法力がずば抜けて高いだけの魔法師だと侮っている。

遠山さんも、そう思っているから僕にこうやって話しかけてきたのでしょう?」

 

小さな動揺が遠山さんの口の端に現れた。

僕の入試成績は入学後、外部に流出した。そのさいの魔法力の数値はかなり抑えたものだったけど、それでも過去最高の数値だった。

ただ、その流出した成績には、ペーパーテストの結果も含まれている。

僕が、あまり頭が良くないことは、情報通なら知っている。

それこそ、警戒に足る知能レベルではないことは国防軍だけでなく、各国の情報部も知っているはずだ。

三学期のテスト結果も、学年10位だった。

お母様に恥をかかさないよう頑張って勉強したのに、この程度で、エリカさんに順位で負け、喫茶店で友人全員にケーキセットを御馳走したのはつい先日のことだった。

 

「ひょっとして、諸外国は我が国に戦略級魔法を使うべく準備しているかもしれません」

 

「戦略級魔法師の同行は、我々も注視しています」

 

遠山さんが強張っている。

僕の放つ圧力が、じわじわと彼女の身体を包んでいる。

1人では広いと感じたティールームが、一気に小さくなったと感じられるほどに。

 

「そうですか。戦争が起きないことを、一国民として願っていますよ」

 

皮肉でも何でもない、僕の希望だ。

国防軍が無能だなんて、悲劇でしかない。北海道と沖縄以外では、この国の護りは十師族が指導している。国防軍の力より法的根拠のない組織の力が強い。

それなのに、国内では魔法師排斥運動が活発化していて、国は何ら対策をしていない。おかしな話だ。

 

そして、いまや僕も十師族だ。

 

 

 

「十山さん!何故ここいるのですか!」

 

沈黙が支配したティールームに、三矢元さんが入って来た。

遠山さんの発音が、少し違っていた気がするのは気のせいかな。

 

「第三研に用があったので。お茶をいただこうとティールームに来ましたら、偶然、四葉久殿がいらしたので、少々お話をさせていただきました」

 

遠山さんは何も置かれていないテーブルを見つめながら言った。

第三研究所は今も稼働している魔法師開発研究所のひとつだ。第三研も、生駒の九島家の研究所と同じで本宅の隣に施設がある。

第三研はマルチキャストの研究をしていて、マルチキャストは現在の魔法技術の基本のひとつだ。

 

「戦略級魔法師である四葉久殿に失礼は許されません」

 

「別に私は失礼はしていませんよ」

 

軍務を果たしただけで、失礼とは考えていないようだった。せっかちな人でなく、事務的な人のようだ。

 

「今日は娘の晴れの日です。情報軍がらみの話題はなしにしていただきたい」

 

元さんは遠山さんを警戒している。忌避している、と言った方が正しそうだ。

 

「久殿、そろそろ会場に戻られませんか?今日のメインゲストが不在ですとパーティーも寂しいですから」

 

「そうですね。では、遠山さん、僕は戻りますね」

 

「はい、また別の機会にお話しできればうれしく思います」

 

僕はあいまいに頷くと、元さんについて行った。ティーカップの紅茶は、冷めてまだ残っていた。

遠山さんは、いつまでも僕の背中を見つめていた。

 

何だか、釈然としないもやもやとした気分にさせられたな。

やはり見知らぬ人に会うのは苦手だ。

かつて僕を実験した科学者は、一見すると善良で、社会的地位も資産もある大人だった。

笑顔で、僕の身体を切り刻み、非人道的な実験を行っていた。

人は慣らされ、慣れていく。

いくら善人に見えても、その心の奥底にどのような邪悪が潜んでいるかわからない。

 

僕の心にだって、怪物は潜んでいる。

怪物そのもの?

どうかな。

『家族』を護るためなら、怪物でも魔物にでもなる。

 




詩奈と遠山つかさの登場です。
詩奈は動乱の序章編以後は空気状態ですが、遠山つかさは達也にしつこく絡みます。
国防軍の情報部は、何をやっているのですかね。
この国の最大戦力に対して襲撃するとか、意味が分かりません。
達也の排除は、最大の利敵行為です。
遠山つかさは、久のことを書類と画像でしか知りません。
今回の対面で、久の容姿から、所詮子供だと思います。
子供なので素直に疑問をぶつけてくる。
五輪澪のこの国への忠誠は間違いないので、久の教育は問題ないと考えます。
そもそも、久の力を知りませんから警戒のしようがありません。

光宣が中二病のように独り言を呟いている。
今後の伏線ですが、このSSでは周公瑾は別のものに取り付いています。
予想通り周公瑾とパラサイドールは終わっていませんでした。
このあたりから原作とは微妙に違いが出てくる予定です。
では、光宣の独り言は何なのでしょう。
もちろん中二病ではありません。
では。


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結婚式

2097年4月1日。

この日は僕の戸籍上、18歳の誕生日だ。

この日を僕の誕生日にしたのは、烈くんのケレン味が溢れている。

僕の存在は、この世界には冗談の類だろう。

でも僕は、この世界の常識から外れないよう、ひっそりと暮らすように、これでも心がけている。たとえ遅刻しそうになっても『瞬間移動』は使わず、自分の足で歩くようにしているくらいには。

 

今日は僕と澪さんの結婚式が執り行われる。

正式に発表されてから多くの関係者を巻き込んで、途中テロが起き規模が縮小されたにしても、ついにこの日を迎えた。

僕と澪さんは、すでに同居しているから結婚のイメージが僕には湧かない。

でも、女性である澪さんには、とても大事な、一生の思い出になる日のはずだった。

 

その日の早朝、世界を驚かすニュースが一斉に報じられた。

南米でブラジル軍が、独立を標榜する武装組織を殲滅するために戦略級魔法を行使したのだ。

そのニュースを聞いて、僕が疑問に思ったのは、たかだか反政府組織を倒すために戦略級魔法を選択したブラジル軍の不可解さだった。

戦略級魔法は、抑止力だ。

自軍が行使すれば、敵軍の行使を否定できない。

南米の反政府軍が、戦略級魔法に対処できるほどの規模であるとは思えない。

それなのに、何故?

反政府軍のバックに他国、戦略級魔法師を抱えた国の存在があるのかもしれない。

でも、どうして今日、南米時間の3月31日。日本時間の4月1日なのか。

3月30日や4月2日ではいけなかったのか。

ブラジル軍の意思は、僕にはわからない。

僕と澪さんの結婚は、全世界に知られている。

高齢化が進んでいる14使徒の中で、正体不明な米軍の戦略級魔法師を除いて、若い僕と澪さんの戦略級魔法師同士の結婚は世界でも初の、稀有な出来事だった。

魔法師は世代が新しくなる程、強力になる。

もし、僕と澪さんに子供が生まれたら、ものすごい魔法師が生まれるかもしれない。

それは、世界の勢力図を書き換える個人の存在になるだろう。

この国は、魔法師の質量ともに世界から抜きんでている。

魔法の世界で、遅れをとる不安がブラジル軍を突き動かしたのか。

わからない。

でも、ブラジル軍の決断は、明らかに僕たちの結婚に対する反対、もしくは嫌がらせの意思が感じられる。

ブラジル軍が使用した戦略級魔法による犠牲者の数は、時間が進むにしたがって多くなっていた。

お昼の12時ころの最新の報道では、死者は一万人に達するとのことだった。

2月の、箱根のテロとは桁も規模も違う犠牲者の数。そのほとんどが非戦闘員、一般の住人だって情報も大々的に報道されている。

その中で、僕たちの結婚式を行えるほど、世間の感情は優しくない。

 

結婚式と披露宴は赤坂の高級ホテルで、夕方から行われるはずだった。

招待客は十師族、師補十八家、財界に政界の有力者だけでなく、皇族の方々の出席も予定されていた。

僕自身の価値ではなく、戦略級魔法師として、この国の防衛の要の澪さんの存在と貢献が、それだけの人を招待させていた。

 

お昼の12時、そのホテルの一室で、真夜お母様と五輪勇海さん、魔法協会会長の十三束翡翠さん、宮内庁の代表者が額を突き合わせて、このまま披露宴を開催しても問題ないかと議論をしていた。

真夜お母様は、開催を主張していたけど、他のメンバーは中止案を主張していた。

僕は同じ部屋にいて、窓際に座り、4人の会話を背中で聞きながら、ホテルの窓から見える皇居外堀の桜並木をぼうっと見ていた。

外堀に植えられた桜並木は、まだちらほらとしか咲いていない。

寒冷化が進んだこの時代、春の暖かさにはまだ遠かった。

魔法協会会長の十三束翡翠さんがこの場にいるのは、戦略級魔法師が十師族ではなく、政府と軍の指示で動くからで、魔法協会はその橋渡しをする存在だからだ。

十三束翡翠さんは一高の十三束くんのお母さんだ。人のよさそうな、悪く言えばあまり自分の意見を持たない人物のようだった。

南米での犠牲者の数が増えるにしたがって、翡翠さんも宮内庁の人も、五輪勇海さんも、結婚式と披露宴の中止を主張した。

魔法師に対する反発が強まっている昨今、戦略級魔法師同士の結婚は慶事であっても、世間に対して遠慮や配慮を必要とすると、3人は考えているようだった。

式が中止になっても、僕と澪さんの婚姻はすでに役所に正式な手続きをもって届けられている。僕たちは公式に夫婦になっていることにはかわりがない。

問題は、式を中止にするなら、早急に発表して、関係者に通知しないと混乱が起こること。

式の後、予定されていた魔法協会主催の僕たちの記者会見を、式が中止になっても行うかどうか、と言う相談だった。

翡翠さんの意見は式の中止は不可避だけど、記者会見は魔法師のイメージ回復の戦略もあり行う必要があるとのことだった。

このタイミングでの記者会見は、むしろマイナスになりかねないと僕には思えるけど…

 

 

 

結局、結婚披露宴は中止になった。

もともと2月のテロ事件以降、魔法師の世界では自粛が相次いでいたから、僕たちの式も当初の予定より縮小されていた。

それでも、式が中止なることは想定外だった。

他人が苦手な僕はともかく、澪さんはと言えば、思ったよりも落ち着いていた。

式が中止なっても、僕たちが正式に法律で認められた夫婦になっているから落ち着いていられるのだろう。

澪さんは、残念だけど仕方がないって笑顔で僕に言った。

その笑顔が作り物であることを、僕は気がついていた。

 

記者会見は行われることになった。

十三束翡翠さんが南米の戦略級魔法について、魔法協会の意見を述べることは問題ない。

問題なのは、その会見の場に、僕と澪さんが同席することだった。

真夜お母様は反対したのに同席が決まったのは、もともとこの記者会見が僕たちの結婚に対する物だったからだ。

そして、記者会見で今回の戦略級魔法に対する質問が想定されることを、十三束翡翠さんがひとり矢面に立つことを嫌がったからだ。

魔法協会代表として、僕たち魔法師を護る立場にいるはずなんだけど、人柄はともかく、能力的には頼りになりそうにない人物だった。

 

以前、僕が戦略級魔法師になった時の記者会見は、きっちりと計画と戦術を話し合い、記者とも打ち合わせを行った。

質問も、出席する記者も会社も、事前に選別されていた。あの時は、真夜お母様と十文字先輩が裏で動いてくれていた。

今回は世界的な事件の直後ということもあり、そのあたりのコントロールが出来なかった。

テロ事件の未解決や、この頃の魔法師排斥運動もあり、案の定、記者会見は荒れた。

特に、魔法師に対する非難や誹謗は、まるで僕たちが悪人であるかのような執拗さだった。

十三束翡翠さんは、しどろもどろになり、僕と澪さんは沈黙するしかなかった。

どうして、こんな非難を受けなくてはいけないのだろう。

僕に対する非難、九校戦で『ルビー』を使ったことで、世界的に戦略級魔法に対する心理的な抵抗が薄れたと言う非難は構わない。

でも、澪さんに対して、批判をする記者は許せない。

澪さんの存在が、これまでこの国を敵国からの侵略から護っていたのは、誰も文句を言えない事実だ。

澪さんがいなければ、敵国は大規模な艦艇で攻撃をしてきたはずで、5年前の沖縄と佐渡、2年前の横浜での戦闘はもっと大規模で悲惨な結果になっていたはずだ。

僕や澪さんの容姿があまりにも子供なことも、誹謗中傷の類ではあるけど、その記者の舌鋒を鋭くさせていた。

十三束翡翠さんはおろおろするだけで、会場はその記者に便乗した出席者の怒号であふれた。

勿論、魔法師に友好的な記者も多くいた。

それらの記者は、的外れな非難をする記者を白い目で見ていた。それでも、積極的に発言を遮るようなことはしなかった。

非難の雨を受けて、いつもの僕なら、一向に気にしないで、人形のような無表情で座っていただろう。

澪さんも、常人とは異なる強靭な精神を持っている。

時間が過ぎれば、その暴風も収まると思っていた。

 

 

 

僕は、自分でも気がつかないうちに、涙をぼろぼろ流していた。

 

「久君?」

 

最初に気がついたのは隣に座る澪さんだった。

立ち上がって非難の言葉をわめき散らしていた記者が、ぎょっと驚いて口をつぐんだ。

人形のような顔の子供が、声も出さず、小さく震えながら涙を流している。

会場が鎮まる。

視線がその記者に集中する。

この会見は、一部メディアで生中継されているから、視聴者の視線も集まっていただろう。

会場の光景は、いい年をした大人が、子供を、それも黙っていれば絶世の人形のような容姿の少年を、一方的になじる姿でしかなかった。

目の前に座っている魔法師は、戦略級魔法師である以前に、18歳になったばかりの、それよりも幼くしか見えない子供であることに今更気がついたみたいだった。

 

「どうして、僕たちを、澪さんを祝福してくれないの?

僕は、僕を非難するのは構わない。

僕は、現実は、何も成し遂げていない。僕の存在は、世界に悪影響を与えているかもしれない。

でも、澪さんは、一人で、この細い体で、この国の数千万の命を護って来たんです。

あなたは戦略級魔法師に恨みでもあるんですか?

核兵器以外の戦術兵器は、世界中でためらいなく使用されている。

群発戦争は、終わっていない。

この国が曲がりなりにも平和を保てているのは、多くの非魔法師と魔法師、国防軍や澪さんがその身を危険にさらして来たからです。

澪さんは強大すぎる魔法力のせいで、残り数年の命と言われるほど疲弊して、衰弱していました。

魔法師どころか、ひとりの女性としての幸せも犠牲にして、自身の命も削りながら、双肩に多くの責任を背負ってきたんです。

その澪さんの幸せの日に、唯一無二の日に、どうしてそんな非難を浴びせるんですか?

他国の魔法師が憎いから、この国の魔法師も憎むんですか?」

 

それは戦略級魔法師の呟きではなく、ただの子供の呟きだった。

僕が世界から侮られる所以の、幼さが前面に出ていた。

 

「ま、魔法師がいるから、戦争が起きるんでしょう!」

 

「魔法師がいないと、戦争は起きないんですか?」

 

「じっ事実、戦略級魔法で多くの人命が失われています」

 

「他国の軍の決断を、僕たちが責任をとらなくてはいけないのですか?」

 

僕と澪さんはこの国の魔法師の象徴であり、守護神、最強の護り手のはずだ。

敬意を持てとは言わない。

でも、自分の意見を国民の総論であるかのように一方的にぶつける権利がこの記者にはあるのだろうか。

70年前、群発戦争の末期、僕は敵国の首都で自爆的な『瞬間移動』を行い、この国を危機から救った。

深い洗脳を受けていたから疑問も持たず、僕は死んだ。

でも、こんな人たちを護るために、僕は命を捨てたのかと思うと、悲しくなる。

今の僕が『家族』にしか興味が持てないのは、多分、こういった意見の人が多いからだろう。

それでも、国民を護るべきだって、十文字先輩なら言うだろうな。

 

おかしな。僕はこの程度で涙を流すほど弱くないはず。

少なくとも、ここ一年の僕は。

ああそうか。響子さんがお仕事で家を留守にして10日が経過している。

澪さんと響子さんと同居を始めて、これほど会えなかったのは初めてだ。

一高入学直後、僕はちょっとしたことで泣いたり、錯乱したりと健康も精神も不安定だった。

2人と生活するようになって、まともな日常を得て精神が安定した。

僕がこうして、ここにいられるのも、2人のおかげだ。

 

澪さんが優しく、僕の身体を抱きしめてくれた。

澪さんの体温を感じて、胸の奥に温かい感情が浮かぶ。

恋愛が理解できない僕だけど、これが好きって感情なんだなって思う。

僕は澪さんが好きなんだ。それに、響子さんも。

 

僕は涙に濡れた黒紫の瞳で、その記者を見つめていた。

記者は、ぐっと黙った。

周囲からの非難の目も集中している。

記者会見の会場を沈黙が支配した。

その沈黙に耐えきれなくなったように、

 

「魔法師が、世界の核戦争による破滅を監視していることは、皆様もご存じだと思います。我々魔法師は、国民の皆様の…」

 

十三束翡翠さんが、魔法師の世界的な働きについて既知の事実を語り始めた。

記者会見は、もやもやしたまま所定の時間が経過して終了した。

 

 

3日後、響子さんが軍務から解放されて、練馬の自宅に帰宅した。

入学式に向けて、生徒会役員はいろいろと学校で活動しないといけないけど、僕は達也くんの指示でずっと自宅待機していた。

 

帰宅した響子さんの姿を見て、僕の精神は安定した。

澪さんに抱いたのと同じ感情が、心に満ちる。

やっぱり僕は、響子さんが好きなんだな。

 

響子さんに、最終の確認をして、僕と澪さん、響子さんは、3人で秘密の結婚式をあげた。

2人には以前、クリスマスのプレゼントで指輪をあげたけど、今日は、本物の結婚指輪を贈る。

2人の左手薬指に僕が指輪をはめ、2人が一緒に、僕の左手薬指に指輪をはめた。

 

道義的にも倫理的にも、世間から批判される関係でも、僕に『家族』が増えた記念の日だった。

 

3人がお互いの結婚指輪を見つめている。

 

 

 

 

 

 

 

僕の右手薬指には、もうひとつ指輪がはめられている。

真夜お母様からいただいた、完全思考型CADのデバイスだ。

澪さんと響子さんだけじゃない。

 

 

僕は真夜お母様とも繋がっているんだ。

 

 

 




ブラジルとオーストラリアは、各国がディーオーネー計画とエスケイプス計画のどちらにつくか発表しているのに、どちらにつくとも発表していないと、原作中にありました。
ブラジル軍が戦略級魔法を使用した理由は、結局不明です。
死者の多さから世界中から非難されているようなので、反乱組織の存在がよほど腹に据えかねたのでしょう。
そんな幼稚な国家なのです。
だから、4月1日の久たちの結婚式に、嫌がらせをしたのです。

さて、原作の発売ペースが速すぎです。
現在、25巻エスケープ編下巻までしか読んでいません。
26巻は未読なのに、暗殺計画が発売されて、27巻まで翌月に発売とは!
佐島神様、速すぎです。

原作厳守のこのSSでは、自分は原作を何度も読み返して、原作の行間や、気になった部分、伏線などを深読みしながら書いています。
何度も読み返すので、25巻までしか読んでいないのです。もちろん、26巻と暗殺計画は本棚に並んでいますし、27巻も予約済みです。
師族会議編は手垢で色が変わる程、読み返しています。
そんなに読んでこの程度の内容なのか、と言われると恐縮です。
なので、周公瑾が宇治で消滅しないで、達也が謎の視線を宇治川の上流に向けたことや、
真夜がパラサイトを回収したことやパラサイトの存在、精神や意識の問題をSS内で広げています。
光宣を烈と並んで重要人物にしたことも、このSSの特徴ですが、
このSSの構想を練った時、原作は師族会議編上巻までしか発売されていませんでした。
古都内乱編のあとがきで、最重要人物と言われている割に、それ以降が空気だった光宣の出番を増やしたのです。
しかし、まさか、光宣がラス〇ス扱いされるとは!
もともと光宣は自分が認めた人物以外には、態度が横柄でした。
烈と響子以外の家族や使用人に対する態度は、かなり見下すものでしたし、
お坊ちゃまなので、自分の意見を否定される経験があまりなかったので、あんな暴挙に出てしまっているのでしょう。
達也と光宣の戦闘シーンも、久と光宣の模擬戦にちょっと似ていてびっくりです。
久は何度も、光宣に急ぎすぎだって言ってきました。
光宣の体調不安も、自分の遺伝子のせいではないかと思っています。
周公瑾の知識を得た光宣は、久の正体、高位次元体であることを、当然知るでしょう。
久は人ではない。パラサイトと同じ、いや、それ以上の存在です。
ならば、自分も人であることをやめる理由のひとつ、と言うか最大の後押しになってしまいます!
さて、どうやってラ〇ボス光宣を救いましょう。
伏線ははっているのですが、難しいです。
でも、がんばります。

あと、アンティナイトが先史文明の遺物であるって原作の設定を生かせないかって考えていたのですが、
すでに詰め込みすぎなので断念しています…汗。


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夫婦のお勤め

ちょっと長くなってしまいました。


 

 

4月6日。未明、僕は唐突に目を覚ました。

香りがする。

甘やかな香り。

醗酵したような、いつもとは違う香りに、僕は目を開けた。

薄暗闇の寝室にその香りが満ちていた。

僕は深呼吸をするようにその香りをかぐ。鼻腔から肺に、その香りが満ちる。冷たい夜気が、その香りの分だけ温かく感じられた。

喉が渇いた。喉の渇きは、僕の体温が上がっているせいだ。

ベッドのサイドテーブルに置いてある水差しの水を飲もうかと、ちょっと身体を動かした。布団がこすれる音が意外に響いた。

僕の左右の、澪さんと響子さんがびくって、身体を揺らした。

2人とも起きている。

2人の体温がいつもより高い。

ああ、この香りは、2人の汗と石鹸、シャンプーや体臭の入り混じった、大人の香りだって理解した瞬間、僕の顔は2人の体温よりも熱くなった。

5日前、僕と澪さんは正式に結婚した。昨日、響子さんとも結婚式を挙げた。

僕たちは夫婦に、本物の『家族』になったんだ。

昨日は三人で、密やかなパーティーを開いて、心に温かなものを抱いて眠りについた。

それから数時間経って、感動が落ち着いて、2人は意識し始めたんだ。

僕は戸籍上18歳だし、肉体的には精通を迎えているから、その、愛の行為は出来る。

夫婦なのだから、何の問題もない。

正確には、響子さんは不倫の誹りをうける存在だけど、2人がいないと僕の精神が不安定になるのは、先日の記者会見でも証明された。

戦略級魔法師として、この国の最高の護りとして、多少の違法は許され、目を瞑り、曖昧な線引きを、無視して、甘んじて、いや、意図的に、その、ああ、僕も2人を意識し始め、下半身がもやもやと、どきどき。

そして、2人も僕の意識に気がついた。

3人の鼓動が高まる。

夫婦なんだから、何の問題もない。

唯一の問題は、このSSの18禁タグ。

それも、ワンクリックで済ませられる問題なので、問題などではない。

真夜お母様にも、早く孫の顔が見たいって以前言われている。

問題ない!

僕は、すっと、2人の手を握った。2人は一瞬驚いた後、すぐに握り返してくれた。汗ばんだ手のひらを、優しく包んでくれる。

2人は、世界最高の女性だけど、様々な事情が重なって恋愛には不慣れだ。

だっ、だから、僕が、男として、夫として、2人をリード、しなくちゃ、いけないんだっ!

緊張しないはずの僕が、色々と緊張している。特に、僕の男の子の部分が!

 

「澪さん、響子さん、僕とひとつに…」

 

ぷるぷるぷるぷるー♪

 

その、僕の言葉を遮るように、携帯端末が着信音を鳴らした。

このタイミングで無粋って感情はわかなかった。

着信音はふたつ。僕と澪さんの携帯端末からだった。

その着信音は、魔法協会から緊急の、それも緊急の度合いがかなり高い場合の着信音だった。

僕と澪さんは掛布団を弾き飛ばして跳ね起きた。

端末のディスプレイを確認する。エマージェンシー。ディスプレイが、不安な赤色を発している。

僕と澪さんは、それぞれ魔法協会の担当あてに、電話をかける。これは、あらゆる回線よりも優先させる、非常度の高い回線だった。

魔法協会の担当の女性が、事務的に、でも、緊張をはらんで言った。

 

「本日未明、日本海近海にて複数隻の不審船を発見。不審船は、佐渡島に向けて集結しつつあり。不審船の侵攻の可能性は大!」

 

「不審船?日本海?敵は新ソ連ですか?」

 

「不明。可能性は否定できません。戦略級魔法師・四葉久殿は、至急、市ヶ谷総司令部まで出頭してください。迎えの車は、練馬駐屯地から向かっています」

 

不審船?

海からの侵略?

澪さんの存在がある限り、大規模な艦隊の出撃はありえない。そもそも、艦隊規模になれば、数か月前から諜報や衛星画像でわかる。

ただ、小規模の巡視艇などを利用した襲撃でも、個人の魔法師が戦術兵器に匹敵するこの時代では、艦隊に匹敵か、それ以上の脅威だ。

練馬の僕の家から市ヶ谷の国防軍総司令部までは、緊急車両で30分。

端末を切ると、いつもはのんびりしている澪さんが、大人の、戦略級魔法師の表情で僕を見つめていた。

僕は無言で頷いた。

響子さんも、当然起きて、端末で情報を集めながら、自分の所属する部隊と連絡を取っていた。

 

「私も、自分の部隊に合流します。佐渡沖では、すでに北陸の義勇軍部隊を一条剛毅殿が率いて活動を開始しているそうよ」

 

剛毅さんが?

と言うことは、先月まで同じ教室で勉強していた将輝くんや、ジョージ君も参加しているはずだ。

義勇軍と言う、十師族がまとめる曖昧な部隊だけでなく、もちろん国防軍も動いているはずだ。

十師族が義勇軍を組織して率いるのは、国防軍の人員不足もあるけど、自分の国は、郷土は自分たちの手で護ると言う強い意思の表れだ。

その辺りの法律の曖昧な部分が、この国の国防軍と十師族、魔法師と非魔法師の国民との微妙な感覚の隙間を作っている。

はっきりと、魔法師がこの国を護っていると発表すればいいのに、魔法師がいるから敵が攻めてくるって、先日の記者も言っていたから、どの道、その隙間は亀裂となって修復できないところまで進んでいる。

いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。

迎えの車は、10分もすれば到着する。それまでに、最低限度の準備を整えないと。

僕たち夫婦は、目で会話をすると、ベッドから降りた。

これが、今夜が戦争の端緒になるのか?

いや、この前の記者会見で僕は言った。群発戦争は、終わっていない、と。

 

僕たちの新婚生活は、戦争で始まった。

 

 

佐渡沖の国籍不明船数隻は、日本の領海には侵入してこなかった。

それでも、呼びかけに無反応の不審船に、剛毅さん率いる義勇軍は攻撃を行った。

先んずれば人を制す、後るれば則ち人の制する所と為る。とは言え、何の権限も持たない義勇軍の攻撃は、乱暴で、違法で、海賊だ。

不審船は当然反撃してくる。

不審船の所属は不明な物の、出港した港から新ソ連所属と判断されていた。

領海内に入ってもいない大国の船に対して先制攻撃をするとは、21世紀前半のこの国の事情をわずかでも知っている僕にしては、かなり大胆に感じられる。

それだけ、5年前の佐渡侵攻での敵愾心、恐怖心が強かったのだろう。

国や軍隊が国民を守ってくれるなんて甘い考えは、一度戦争を経験したら吹っ飛んでしまう。

奪われないためには、自身と大切な人や物を護るには、強くなくてはならない。

一条家の率いた義勇軍は不審船から魔法攻撃を受け、剛毅さんが負傷するものの、不審船の撃退に成功。

生き残りの不審船は、50カイリ以上北上して、義勇軍から逃走した。

僕と澪さんは、市ヶ谷の国防軍総司令部で、事件の顛末を聞いた。

結果的に、僕たち戦略級魔法師の出番はなかった。

剛毅さんが怪我をした敵の『魔法』は現在分析中で、怪我の具合は、命に別条はないと聞いている。あるいは軍も知らないのだろう。

義勇軍の将輝くんやジョージくんには怪我はないそうだ。

この日は終日、司令部での待機となった。待機中、僕は初めて、陸海空軍のトップと会話をした。

顔見世の、あいさつ程度の会話だったけど、十師族と国防軍の連携が上手く行っているとはいいがたいし、国防軍のトップとの意思の疎通は重要だ。

彼らは、澪さんの健康の回復と僕たちの結婚を祝してくれた。そして、僕が映像と比べてあまりにも美少女だったので驚いていた。

その会話は司令部で一番の貴賓室でおこなわれた。

僕はともかく、澪さんはこれまでの功績があるし、国民栄誉賞ももらっていて皇室の覚えも良い。他国ならば首相以上の存在だ。

待機中は、上にも置かない扱いだったけど、僕たちは携帯端末とCADしか持ってきていない。

不審船が撃退された後は、それでも緊張しながらの待機で、アニメを見ている雰囲気でもない。

結局、僕は二年生までで覚えきれなかった座学を、澪さんに教えてもらいながら勉強していた。

夫婦水入らずではあったけど、どっと疲れた。

 

僕たちが帰宅したのは深夜だった。

佐渡島沖の不審船の脅威が下がったこともあったけど、そもそも、規模的には小競り合いな戦闘に、僕たちが呼び出されたことは、ずっと疑問だった。

その疑問の答えは、すぐにわかった。

新ソ連極東ワニノ軍港に、敵の戦闘舟艇が集結、出港の準備を整えていた。

敵船団に、偽装した一般の漁船が多数混じっていることが、見せられた監視衛星の映像に映し出されていた。

敵艦隊が軍艦だけなら、澪さんの『深淵』で容赦なく海底に沈められる。

健康を取り戻した澪さんなら、容易い。

しかし、敵はそれを想定している。民間漁船を沈めれば、難癖をつけられる。

『深淵』は、軍艦だけを狙って沈める『魔法』ではない。

それでも、新ソ連が北海道に攻め込むにしては艦艇の数が少ない。これは、国防軍が『深淵』使用をためらうぎりぎりの戦力だと、敵は考えているのだろう。

つまり、魔法師が多数、もしくは強力な魔法師が乗船している。

敵艦隊の出港は早くても10日、北海道海域接近は4月13日以降になると予想された。

念のため、澪さんは8日から、北海道の北部方面部隊の基地で待機することになった。

基本的に戦略級魔法師は抑止力なので、澪さんが普通の戦闘で『深淵』を使うことは想定されない。双方の艦艇、魔法師による戦いになる。

僕も同行を求めたけど、戦略級魔法師を戦闘中に同じ基地に待機させるわけにもいかないと言われ、僕は東京に残ることになった。

昔の澪さんと違い、今の澪さんは心身ともに充溢している。

過度な心配はしなくてもいいけど、『魔法』の技術が進んだこの時代、前線も後方もない。

 

「身の危険を感じたら、すぐに僕に知らせて。僕は、どんな遠くにいても一瞬で駆け付けるから」

 

先日、響子さんに言った言葉を澪さんにも告げる。

帰宅して、遅いご飯を食べていた時、僕の端末に響子さんから連絡が入った。

 

「8日早朝から、北海道に向かいます。帰宅がいつになるかはわからないわ。澪さんも気を付けて」

 

響子さんが自身の出動先を言うのは珍しい。僕たちがすでに新ソ連の北海道侵攻を知らされていると知っているんだ。

独立実験部隊の響子さんが北海道に向かうってことは、北海道は陽動で、敵の本命は佐渡島方面、あるいは両方と国防軍は考えている。

明日、4月8日から澪さんと響子さんの不在の日が、少なくとも一週間は続くと予想される。

そのまま敵の領海侵犯が、領土侵攻にかわり戦争が大規模になる可能性もある。僕たちが戦略級魔法を使う時は、状況が取り返しのつかないところまで進んでいる。

精神がどうのと言っている場合ではなくなる。

それでもまだ、戦争ではない。

1週間は、僕が睡眠をとらなくてもぎりぎり耐えられる期間だ。

響子さんが10日不在にしただけで不安定になった僕の精神が、2人が前線近くにいる状態で、1週間も耐えられるのか?

その間、真夜お母様のお家にと考えたけど、四葉家の場所は公表されていない。僕の所在は24時間、軍に知らせる義務がある。

1~2日ならともかく、一週間ともなると…ここの所、努めてその状況を語らないようにしていたのに!

澪さんと響子さんが不在の時は、義妹の香澄さんが、僕の練馬の自宅に寝泊まりする予定になっている。

 

「2人が不在の間、僕は1人で平気だから…」

 

「だめよ!久君、1人の時は必ず事件に巻き込まれるでしょう!」

 

それは、僕は引きこもりだから、たまの1人の時に事件を起こさないと、ただの学園ラブコメになっちゃうから。

香澄さんの件も事件、それも大事件だ。

ううぅ。

新婚早々、他の女の子と寝食を共にする。

響子さんと結婚式を挙げた、その2日後から、僕の家は、別の戦争が勃発するよ。

 

 

4月7日。今日は第一高校の入学式の日だ。

4月に入って、生徒会役員の皆は、入学式の準備に奔走していたけど、僕は結婚と戦略級魔法師の立場もあって一切かかわって来なかった。

マスコミやパパラッチじみた記者、市民の好奇から身を隠す意味もあった。

それでも、さすがに生徒会副会長(仮)の僕は、式に出席する必要がある。

新ソ連の侵攻の件はニュースでは報道されていない。誰にも言えないので、口をつぐんだまま、僕は入学式に参列する。

一高には警護の車で向かい、入学の前に生徒会と風紀委員のメンバー、それと新入生代表の三矢詩奈さんと挨拶をした。

全員が、記者会見での僕の醜態を気にかけてくれて、素直に結婚のお祝いを言ってくれた。

 

「新婚生活はどう?」

 

ほのかさんが、僕の結婚指輪をうっとりとした目で見つめながら、何の気なしに、尋ねて来た。

 

「幸せだよ。『家族』ができたんだもの」

 

僕が孤児だと知らない詩奈さんが怪訝な表情を浮かべる。

会話をしながら、僕はすこし落ち着かない。意識が、澪さんと響子さんの無事に向いている。

この場にいるメンバーで敵国の侵攻を知っているのは、達也くんと深雪さんだけだった。

講堂の舞台裏で、偶然、達也くんと2人になった時、

 

「達也くんは響子さんと同じ部隊に所属しているんだよね。でも、北海道に行っていないってことは、学生だから学業優先なの?」

 

周囲に聞こえないよう、小声で尋ねた。

 

「俺は四葉家の『仕事』が優先する。国防軍とはあくまで協力者、国防軍と四葉家の契約の下で動く」

 

本当は、もっと、僕にはわからない複雑な契約が結ばれている。それに、達也くんの最優先は、深雪さんだ。

 

「パートタイムなんだね。じゃあ、僕と同じような立場なんだ」

 

「給料は貰っていないがな」

 

僕は国から慰労金の名目でお金を貰っているけど、基本的に軍の命令系統の外にいる。

 

「達也くんが作戦に参加する時は、響子さんの部隊が危機的な状況の時?」

 

僕の不安に達也くんが気付く。

 

「落ち着け、久。藤林さんが戦闘に参加することはない」

 

「わかってるよ…でも」

 

軍だって適材適所は心得ているはずだ。

響子さんと澪さんの魔法師の実力を疑ったりしない。魔法師としての実力は、この国のトップに君臨している。その精神も、僕と同じ世界にいる。

でも、2人とも肉体的にはか弱い女性だ。特に澪さんは、戦い慣れていないお嬢様でもある。

 

「久と五輪…四葉澪殿の戦略級魔法は敵にも知られている。抑止力である『アビス』が使われるときは、本当の最終局面だ」

 

「じゃあ、横浜事変の時の謎の戦略級魔法師は、今の国防軍にとっては切り札なんだね」

 

「真の『光の紅玉』も、敵には知られていないジョーカーだ」

 

達也くんの声が、一段低くなった。

 

「『荷電粒子砲』は威力が強すぎるよ?まぁ、制御できるけど…」

 

僕は胸のホルスターを軽く撫ぜた。

今日の僕は、いつ、司令部に呼び出されても言い様に、胸のホルスターに『光の紅玉』専用デリンジャー型CADを入れている。

文明を破壊する、戦略兵器の引き金が、高校の日常に存在するなんて、危険な世界だ。

 

「僕が『魔法師』でいられるのは、トーラス・シルバーさんと達也くんのおかげだなぁ」

 

僕は右手薬指の指輪型デバイスと、左薬指の結婚指輪を同時に見つめた。

 

「久、四葉澪殿はこの国最強の魔法師だ。そう容易く危機には陥らない」

 

達也くんは敵国が侵攻しているのに冷静だ。多分、僕より戦況に詳しい。

それに、『四葉澪』だって。僕たちは結婚したんだな。新婚生活は、早くも別居状態だけど。

 

「そうだ…ね。護るものが増えるってこういう事なのかな」

 

「それが、人の心を豊かにするのだが…」

 

「その言葉、真夜お母様も言っていたよ。流石は親子だね」

 

達也くんが黙った。照れてる?

 

「敵国侵攻阻止は軍の仕事だ。それよりも、目の前の問題からだ。深雪が生徒会長を務める入学式で、不調法は許さない」

 

「うっ、はい」

 

照れを強引にごまかした!

義弟の視線が、ナイフの様に鋭い。

 

入学式の最中、僕たちは舞台袖に並んで立っている。

来賓や校長の挨拶、新入生代表の詩奈さんの答辞の最中も、会場のすべての視線は深雪さんと僕に集中している。

深雪さんは、その神がかった美貌と四葉の次期当主と言う立場ゆえに。僕は戦略級魔法師で先日、同じ戦略級魔法師の澪さんと結婚したばかりの、見た目が小さな深雪さんだから。

僕は、あるかなしかの笑みを浮かべながら、じっと達也くんの隣に立っていた。

式に出席している来賓の中には、新ソ連の北海道領海への侵攻を知っている人もいただろうけど、式は全体的に和やかに終わった。

 

式が終了して、達也くんの後について行こうとした僕を教頭先生が呼び止めた。

そのまま校長室に連れていかれる。校長室にはさっき講堂で堅苦しい話をしていた校長が、重厚なデスクの椅子に腰かけて待っていた。

腰ぎんちゃくの教頭先生は僕と校長の間に立った。

校長が、僕が学生の身でありながら結婚したことについて、「学生らしく勉学に勤めるように」と、ありがたい説教をしてくれた。

無表情で聞きながら、まったく、文句だけ言う人だな、と心の中で考えていたことは秘密だ。

 

校長室にいたのは二分にも満たなかった。

僕は、生徒会室に戻る。

達也くんは会場で片付けや清掃の手配を業者と打ち合わせをしていて不在だった。風紀委員のメンバーも、校内で仕事をして不在。

生徒会室には、深雪さん、水波ちゃん、泉美さん、ほのかさん、詩奈さん、『ピクシー』がいた。

何だか女子ばっかりだな。達也くんが自分の仕事が終わると、さっさと生徒会室からいなくなる理由が何となくわかる。

例年の恒例で、深雪さんが新入生代表の詩奈さんを生徒会に勧誘した。詩奈さんは、あっさりと了承。将来の生徒会長だ。

 

生徒会室では、その後、お茶会になっていた。水波ちゃんが全員分の紅茶を入れる。『ピクシー』は生徒会室の隅でサスペンドモードで座っていた。

詩奈さんと深雪さんは相性が良さそうだ。深雪さんの美貌と凛とした佇まいに魅了されている。

詩奈さんは僕にも友好的な態度、もっと言うと尊敬の念をたたえた目で僕を見る。

僕が戦略級魔法師だからではなく、歳の離れた澪さんと相思相愛の関係だってことが、詩奈さんの琴線に触れているようだった。

それに、詩奈さんは僕の異常性を目にしたことがない。もし、僕の狂気に触れた時、彼女はどのような反応を示すのかな。

ところが、親交を深めるべきお茶会は、詩奈さんの友人が無許可で『魔法』を使っていることが判明し、打ち切りになった。

深雪さんが達也くんと連絡を取り、僕たちも保健室に向かった。

詩奈さんが慌てて生徒会室を後にする。

その友人は、『魔法』の使用を見とがめられて、達也くんと幹比古くんから逃げる際抵抗した。

達也くんが取り押さえて、気絶をして、念のため保健室に運ばれたって。その友人は先日の、詩奈さんのパーティーにいない男子だった。

保健室内で、深雪さんと達也くん、詩奈さんが何やら会話をしている。友人の責任は自分がとるって詩奈さんが言っているのが、廊下にまで聞こえた。

『魔法』の自衛以外での使用は違法だって、何度も言われている。

そのルールが護られているのか疑問を抱くほど、一高内では『魔法』が飛び交っている。

結局は権力者、生徒会役員などにコネがあるかどうか…おっと、僕はそれ以上は踏み込まず、廊下に集まっている生徒会と風紀委員の中で、泉美さんと並んで立つ香澄さんに目を向けた。

香澄さんとは、登校してから話すタイミングがなかった。

香澄さんは、相変わらず達也くんが苦手で、入学式の前も後も幹比古くんや雫さんとは別行動をとっていた。

僕は大概、達也くんにくっついている。名ばかり副会長の僕に仕事がないから、達也くんの指示待ちをしているんだ。

その姿は、飼い主にじゃれ付こうとする子犬みたいで、香澄さんはあまり見たくないようだった。

保健室には騒ぎが落ち着いてから現れて、雫さんから事情を聞いていた。

今は、泉美さんと並んで雑談をしている。

保健室に運ばれた詩奈さんの友人、矢車侍郎くんは、もともと詩奈さんの護衛をしていて一高入学時に護衛の任を解かれたそうだ。

解任の理由は、詩奈さんが一科、侍郎くんが二科だって理由で察しがついた。

 

僕は香澄さんに近づいていく。

 

「香澄さん、お話と、お願いがあるんだけど、時間ある?」

 

「ここでは出来ない類の話ですか?」

 

僕の神妙な態度に、香澄さんが察する。

 

「そう…かな、そうだね。ちょっと聞かれちゃまずいかな」

 

「泉美にも?」

 

泉美さんは、香澄さんと会話しながらも保健室の中が気になってしょうがないみたいだ。泉美さんの深雪さんへの想いは、もはや信仰に近い。

 

「泉美さんは、構わないかな。でも、生徒たちには他言無用だよ。国防に関わる問題だから」

 

最後は声を小さくする。

泉美さんは僕の真剣な声に、少し考えて、頷いた。

 

一高の校庭、五分咲きの桜が春風に揺れていた。

 

 




この段階でも、久はトーラス・シルバーと、「灼熱のハロウィン」の戦略級魔法師の正体を知りません。

新ソ連が攻めてきているのに、魔法大学も魔法科高校も呑気に入学式を行っています。
この後、十師族の若手会議が開催されますが、何故か、北海道沖と日本海の戦いの話題が出ません。
日本海では一条家が、北海道では国防軍の魔法師が活躍しました。
それを素直にアピールすればいいだけなのに、
「反魔法師運動の対策に、真由美や深雪を広告塔にしては?」
なんて的外れの議論が始まります。
達也が「警察や消防、国防軍にも多くの魔法師がいて、その功績を横取りするのはどうかと思う」
と言って消極的に反対します。
克人と六塚温子が新ソ連の侵攻を知らないはずがないので、
若手会議が、いかに頓珍漢な議論をしているかわかりますね。


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つま先

最近の原作は、お色気が増えているような気がします。
一年生のころは、下着姿と水着程度。風呂に入る時も湯着を着ていたのに。
達也も深雪も、濡れ場。
今回は、そんな話です。


西暦2097年4月8日月曜。

魔法科高校は今日から新学期だ。

 

7日に入学式が行われ、勝手がわからず戸惑う新入生がいるものの、おおむね平静を保っていた。と原作には書かれている。

 

現在、日本海には一条家の義勇軍が撃退した、新ソ連の船舶の生き残りが遊弋しており、北海道沖にはかなりの戦闘艦艇が集結しつつある。

敵の規模から、魔法師と『魔法』による戦いが、早ければ10日にも開始されると予想されている。

澪さんは今朝、札幌の北部司令部へ向かい、響子さんも北海道に出動している。

僕も市ヶ谷の国防軍総司令部から、授業後は自宅待機を要請されていた。

生徒会や部活に参加しないで、早々に帰宅する学校生活は、グ・ジー捕縛失敗を秘匿している現在、もう二か月も続けている。

敵は新ソ連と言う、軍事大国。

我が国とは倫理観を異にしており、自国の軍事力に自信があり、軍事力を外交の最初の手段に選ぶ、テロリスト相手よりも、危険で深刻な敵だ。

結局、国と国の関係は、野蛮な暴力で決まる。

開戦ぎりぎりの現在、市民の混乱を避けるため、新ソ連の侵攻は報道されていない。

もし、報道規制が解かれれば、この国は蜂の巣をつついたような大騒動になる。

そして、敵国が北海道に上陸した場合、二年前の横浜騒乱よりも、多くの死者が出て、そのまま全面戦争になるかもしれない。

すでに佐渡島沖では戦闘が起きていて、一条剛毅さんが味方を護ってケガを負っている。

報道された時には、すでに手遅れな状況になっていないとも限らず、このような状況で新学期の授業を平静に受けるなんて、戦場の悲惨さを身に染みて知っている僕には難しい。

いっそのこと、敵国の中枢を消滅させてやろうかと考える。でも以前、市原先輩が敵は一国だけではないと言ったことを思い出す。

情けないけど、僕は浅慮な子供だ。

同じように敵の侵攻を知っている達也くんが平静なのは、世界情勢に詳しく、一番大事な人がすぐ隣にいるからだろう。

この国の国防軍への不信感も、僕の不安を助長していた。

先日、情報部の遠山さんと会話をして、その不信はますます膨らんでいた。

国の護りを、非合法な十師族の戦闘力に頼るとか、国防軍は本当に大丈夫なのだろうか。

達也くんは軍属でもあるから、僕よりは国防軍に信頼を置いている、ように僕には見える。

さっさと十師族を公式に認めれば、諸問題は解決するのに、と考えるのも、やはり僕の浅慮なのだろうか。

 

僕は登校前から不機嫌のオーラをまき散らしていた。

市民の目のある登校中は制御していた。

でも、3-Aの教室では、クラスメイトや森崎くんがへらへらと笑っていた。

いや、事情を知らないのだから、無事進級できた安堵感の笑顔のはずだ。

僕にそう見えるだけだ。

理不尽な怒りだってわかっている。

 

「久。今日は機嫌が悪いね」

 

一時限目の授業後、雫さんが恐る恐る尋ねて来た。

新婚早々の僕の不機嫌さに、教室の誰もが腫れ物に触るような態度だった。

 

「澪さんに会えないから」

 

戦争は、すでに始まっている。

 

「しっ新婚だし、いつでも一緒にいたいもの、しょうがないよね」

 

ほのかさんが言う。

女性の幸せをあきらめていた薄幸の美女と、美少女のような少年の恋は、一つのロマンスだ。

クラスの女子は、素直に僕と澪さんの結婚を祝ってくれている。

男子生徒は、ちょっと微妙な態度だ。

クラスメイトが世界最高の女性と相思相愛の上、結婚したとなれば、年頃の男子が素直にはなれないだろう。

次は教室移動だ。

僕はふらふらと立ち上がる。

 

「久。ちゃんと前を見て歩かないと転ぶわよ」

 

ひとつに意識が向かうと他が疎かになる僕の手を、深雪さんが握った。柔らかく温かい手だった。

ただでさえ、僕を妬む男子生徒たちが、憎々し気な目を向けて来た。

もし、達也くんが前線に向かったら、深雪さんも僕と同じように不安に落ちるだろう。

今日の深雪さんはいつにもまして僕に優しかった。

 

 

16時前、僕は早々に帰宅した。

適当に動きやすい服に着替えた僕は、エプロンをつけて晩御飯の仕込みを始めた。

今夜から、香澄さんが泊まりに来てくれる。泊まりのお客さんは、初めてだ。

僕的には1人で平気なんだけど、澪さんたちが心配するから、昨日の入学式の時に、香澄さんに事情を説明してお願いしていた。

急なお願いにもかかわらず、新ソ連の侵攻の話をすると、香澄さんも、一緒にいた泉美さんも、深刻な表情で了承してくれた。

香澄さんが僕の義妹に決まってから、自宅二階の空き部屋に一通り家具を整えた。

簡単な要望を聞いて、家具は香澄さん好みに揃えた。勉強机にテレビ、本棚に寝具もある。高校生の女の子の部屋にしてはやや広い。

ただ、七草家のお嬢様の感覚は僕にはわからない。足りないものは、本人に追加してもらう。

僕は料理をしているときは、余計な思考が中断されて、集中できる。

どんな料理が良いかな。

香澄さんはティーンだし、澪さんたちとは好みが違うだろうなってレシピを考えていると、

 

ピンポーン。

 

インターホンのチャイムが鳴った。

時計を見るとまだ17時前。香澄さんが来る時間には早い。

何だろうとインターフォンのディスプレイを見ると、郵便配達員だった。

家には、ご招待の手紙が良く来るので、その郵便配達員さんは馴染みの顔だった。

その顔が強張っている。

自宅周辺の、僕の警護に当たっている魔法師たちは、新ソ連の侵攻を知っているので、緊張からピリピリしていた。

その雰囲気を感じているのだろう。

封筒を受け取る。

ごく普通の高級感がある、でも、華美ではない封筒。パーティーの招待状ではなさそうだなって、封筒の裏を確認すると、差出人は十文字先輩だった。

手紙の内容は、反魔法師運動対策会議の招待状だった。

二十九家のナンバーズの30歳以下の若手を集めて、全国に広まっている反魔法師運動に対する意見の交換をするんだって。

二十九家?

たしかナンバーズの家系は二十八家だったはず。

新たな家系、つまり四葉久家がナンバーズに加わった。

四葉を名乗っていても、四葉本家の意思決定や後継に関係のない僕は、少なくとも十文字先輩の感覚では十師族ではない、と言う事か。

そのあたり、十文字先輩のこだわりを感じるな。

会議は14日、日曜日。横浜の魔法協会関東支部、か。

正直、新ソ連と戦争が始まるかもしれないこの状況で、そんな会議に参加する気分にはなれない。

会議が行われる日曜日には全面戦争になっているかもしれない。

十文字先輩は、新ソ連の侵攻を知らないのかな。それとも、かなり以前からこの会議を計画していたのか。

返答の期限は土曜必着。

僕が、このような会議に参加して、まともな発言ができるはずがない。

反魔法師運動をするような輩は自分の身は自分で護れとか、思っても人前では言えない。

でも、真夜お母様から、他家との交流を深めるように言われている。

困ったな。

 

19時過ぎ、香澄さんが我が家にやって来た。

一度七草家に帰って、普段着に着替えている。生活に必要な衣類や日用品を持参して我が家までは、いつものリムジンで来ていた。

宿泊の予定は一週間で、荷物の殆どが衣類と学校関連の私物、生活必需品は大概家にあるので、荷物はキャリーで一人で運べるくらいだった。

香澄さんに、我が家の案内をする。

これまで、僕は自宅は大きいって言ってきた。一人どころか、三人で住むにも広く、お金持ちの将輝くんですら驚いていたほどだ。

この家は、烈くんが僕の為に用意してくれた。地理的には魔法科高校と魔法大学の間の練馬高級住宅街にある。

うちっぱなしコンクリートのおしゃれなデザインで、外観と防犯、まさかの時の防備も兼ね備えている。

土地面積は900平米、建物面積も二階建て600平米以上ある。地下駐車には三台車を停められ、広い収納スペースはまるで隠れ基地みたいだった。

一階には30畳近くあるリビングキッチン、玄関、洋室が5部屋、納戸、浴室に洗面所、トイレ。響子さんが魔改造した駐車スペース。

一階の14畳の2部屋に、澪さんと響子さんが住み、20畳の部屋に僕たちの寝室がある。残りの部屋は澪さんの荷物(大量のコミックス)置き場だ。

二階にはベランダとテラスはなく、そのかわり大小10部屋、トイレと洗面所、生活スペースなのでクローゼットも多い。

二階の一番狭い部屋、6畳の部屋を僕は勉強部屋にしていた。

それ以外の部屋は、これまで全く使われていなかった。

香澄さんの部屋は、僕の部屋の隣の15畳の部屋。我が家で一番広く、日当たりのいい部屋だ。

この家はコンクリートなので、夏は暑く冬は寒い欠点がある。光熱費が高くなるのは仕方がない。もっとも寒冷化のこの時代、冷房はあまり必要にならなかった。

それに、我が家の電気代が高いのは響子さんの電脳部屋が24時間フル活動しているせいでもある。

コンクリートの分厚い壁に囲まれて、響子さんはなにをしているのか…

広いと言っても、お手伝いさんが何人もいる、宮殿のような七草家に比べたら、一般的な豪邸のレベルだ。

東京でこの広さの家だから、販売価格は数億にはなるだろう。

この家の所有者は九島烈くんで、僕は烈くんから賃貸して住んでいる。

賃貸価格は、僕が通帳の引き落としに気がつかなかったくらい安い。

最初、この家に住み始めた時、1人で住むにはあまりの広さに戸惑って、リビングキッチンのキッチン部分と二階の6畳の勉強部屋、トイレとお風呂しか使っていなかった。

あの当時は独房より広ければ何の問題もなかった。

これだけの広い家を、響子さんの部屋以外は、すべて僕が掃除している。

当然、香澄さんの部屋も、僕が隅々まで掃除をしている。

七草家の運転手は帰宅し、香澄さんの荷物の荷解きを雑談しながら2人でする。

 

「もしかしたら真由美さんも一緒に来るかと思ってた」

 

「お姉ちゃんも来たがったけど、流石に急だったので」

 

大学も新学期が始まっている。魔法科の勉学は高校も大学も大変だ。

 

「数日中には、偵察…いえ、遊びに来るって言っていました」

 

なにせ、魔法大学からは道路一本30分もかからない。

この家の生活に当たっての諸注意を言う。

冷暖房はしっかり使わないと暑いし寒い。響子さんの部屋には入らない事(セキュリティがすごいから入れないけど)、炊事洗濯掃除は僕がするので、洗い物は脱衣所の分別籠に入れる事。

 

「しっ、下着も久先輩…久お兄様が洗うんですかっ?」

 

「うん。澪さんたちのも僕が洗っているよ」

 

でも、さすがに年頃の女の子が異性に下着を見られるのは抵抗があるよね。

 

「僕に見られたくない洗濯ものがあったら、業者さんにお願いするよ」

 

香澄さんは、お金持ちのお嬢様なので、自分で洗濯なんてしないだろう。

 

「はっ、はい、そうします」

 

香澄さんは、いつもより緊張しているな。義兄妹でも、異性の家に寝泊まりするのは流石に戸惑いが生まれる。

それと、

 

「香澄さん、僕たちは兄妹なんだから、そんな敬語はいらないよ。学校ではともかく、家だったら遠慮はしないで」

 

「は…うん、そうするね」

 

「うん」

 

「呼び方は、兄がいるのでお兄様は実は抵抗があって、久君でいいですか?」

 

僕は微笑みながら頷く。

何だか、一気に兄妹になった気がする。

 

「それに、兄と言うより弟みたいな感覚なんですけどね」

 

まぁ、僕の方が背が低いし…

僕の『兄妹』のイメージは、身近では達也くんと深雪さんだ。2人が家でどのような態度かはわからない。

でも、僕の見たところ、達也くんは深雪さんを異性と言うより、完全に妹として見ている。

だから慈愛に満ちつつも、家族の安心感があり、卑猥な雰囲気が全くない。やや、距離感があり、淡白にも見える。

深雪さんを前にして、異性の本能が目覚めない達也くんは、超人か鉄人か木石か、とも思う。さっさとくっついちゃえば良いのに。

家庭を知らない僕にとって『家族』は、イメージの産物でシミュレートだ。

僕の香澄さんへの態度は、達也くんと深雪さんの真似なんだ。だから恋愛感情が、澪さんや響子さんへの想いのような感情が、まったく沸き上がって来ない。

香澄さんには告白をされ、拒絶し、突き放しもした。

香澄さんの、僕への恋愛は完結している。

今は、香澄さんの性格、負けず嫌いや思ったら行動する直線的な性格と、七草弘一さんの政略的な思惑に負けないようにする強気が混ざり合って、ここにいる。

どう考えても、僕が香澄さんの恋愛対象になる理由がわからない。

香澄さんには迷惑ばかりかけているし、このような状況になった今は、できるだけ香澄さんが快適に過ごせるよう、心配りをしたいと考えている。

 

真夜お母様は、ハーレムを肯定するけど…いやいや。

 

僕に妹が出来たんだ。素晴らしいことだよ。

 

2人で食事をした後、僕たちは一緒に食器洗いをした。

僕は食事後は2時間、自室で勉強をしている。実際には勉強に集中できている時間は、その半分の時間もないにしても、勉強をしている。

ただ、今日は忙しかったので、勉強時間は短縮する。香澄さんも優等生だから、僕と同じ時間、勉強をするって。早く自室に慣れたいってこともあるしね。

 

1時間後、21時頃、僕はお風呂を軽く洗って、お湯を入れた。

お風呂は、昨日のうちにぴっかぴかに洗ってある。

香澄さんの部屋に行き、香澄さんにお風呂が沸いたと伝える。

一番風呂だよって言ったら、なぜか遠慮された。

どうやら僕が後から同じ湯船につかるのが恥ずかしいようだった。

兄妹だから気にしなくても良いのに。でも、いきなりは難しいか。ゆっくりと時間をかけて兄妹になればいい。

僕が先にお風呂に入ることになった。

僕は1人でお風呂に入る時は烏の行水だ。

 

「5分もしないで上がるから。出たら呼びに来るね」

 

そう伝えて、僕はお風呂に入った。

 

適当に髪を洗い、適当に体を洗う。

肩まで浸かって、100を数える。これだけで、5分。

澪さんたちは長風呂だからなぁ。一人でお風呂に入るのは久しぶりだな。3人で入ると湯船は狭い。1人だと、足も伸ばせて意外と広いよな…と考える。

ふっと、お湯に入りながらうとうとする。

温かい熱が身体にしみ込んでくる。

ここの所、新ソ連の侵攻に対して気が張っていた。

僕は1人でいると、大概ろくな目に合わない。

澪さんたちが出動して半日なのに、香澄さんが家にいてくれている安心感からか、緊張感が抜けて行った。

もともと、僕の緊張や集中力は散漫で、風呂が短いのも、不器用で自分に無頓着だからだ。

でも今は良家の子女の一員として、きちんとした生活と態度を心がけて…

うとっ、うとっ、頭が前後に揺れた。

ちょっと眠いな。少し、眠ろうか。

いや、お風呂で眠るのはあぶない。

少しの間、目を瞑るだけにして…瞼の裏に、意識に暗闇よりも深い黒が広がった。

頭が重い。

あっ、これは、嫌な夢を見る前兆だ。

久しぶりだなって、そう考えながら、僕の意識は、夢の中に落ちて行った。

 

 

 

久しぶりに夢を見た。

悪夢だ。

敵国の侵攻で、街が焼かれ、一高も破壊されている。友人たちが大けがをして倒れている。

光宣くんが敵に倒された。

澪さんと響子さんも、真夜お母様も、敵の謎の戦略級魔法師になすすべなく殺されている。

その光景を、僕は見ているだけだった。まるで、テレビの映像を見ているような疎外感があった。

なるほど、これは夢だなって、奇妙に理解する。

僕が大事な人を攻撃されて黙っているわけがない。

これは、僕がいない世界みたいだ。

敵の戦略級魔法師が達也くんと対峙した。

達也くんが敵の戦略級魔法師を謎の『魔法』で倒す。その手には銀色の拳銃型CADが握られている。

達也くんがふいにCADを胸のホルスターにしまった。

鋭い視線がこちらに向けられた。

いないはずの僕に殺意と右手のひらを向ける。

僕が狙われている。

その世界にいなかったはずの僕は、達也くんに狙われて、微笑んだ。

達也くんの傍らに深雪さんが現れた。達也くんに寄り添い、達也くんの右腕に白い手を重ねた。

深雪さんの体温が達也くんに伝わる。

達也くんが無表情で、『異能』を使った。

僕の身体と『意識』が、2人の『魔法』でチリ一つ残さず消える。

僕が消えた世界に、達也くんと深雪さんが立っていた。

2人だけが残っていた。

 

これは過去に起きた事実ではない。

夢だってわかりながら見ているから、ある程度は落ち着いていられる。

今見た夢は、これまでの色々な事件のダイジェストを見せられている感じだった。

深雪さんの温もりは、今日の教室での出来事だ。

脳が、記憶の断片をつなぎ合わせて悪い物語を僕に見せている。

 

僕は風呂から出て、脱衣所で立ち尽くしながら、ぼうっとした頭で考えていた。

僕は夢のラストに満足している自分に気がついた。

大事な人がいない世界で、僕を殺すのが達也くんなら、むしろ嬉しいな。

この夢の世界が、本来あるべき姿なのではと、一瞬考えて、やめた。

魔法師の見る夢は予知夢の可能性がある。

まさか、僕は達也くんの敵なのだろうか。

 

 

「久君、ずいぶんと長風呂だけど、平気?」

 

脱衣所のドアが、開けられた。

香澄さん目と僕の目が合う。

悪い夢の余韻を、脱衣所で思い出していた僕は、全裸だった。

香澄さんは慌ててドアを閉めようとして、僕の鈍い動きに気がついた。

脱衣所は暖房が効いていて暖かい。髪は生乾きで、全身に汗を浮かべていた。

時計を見ると、僕は一時間近く風呂場にいた。どれくらいの時間立ち尽くしていたのだろう。

こういう時の僕は、歳よりも幼く、ひ弱に見える。力ない視線で香澄さんを見返す。

 

「どうしたんですか、風邪をひいてしまいますよ」

 

口調が、以前に戻っていた。

 

「あっ、うん。お風呂で寝ちゃって、変な夢を見ちゃった」

 

「すごく汗をかいてるし、水分をとらないと」

 

「飲み物なら、冷蔵庫があるよ」

 

脱衣所には長風呂の澪さんが設置した小さな冷蔵庫がある。

僕はペットボトルのミネラルウォーターを取り出して、ゆっくりと飲んだ。

冷たい硬水が喉に気持ちいい。

 

「大丈夫?」

 

「うん。湯冷めしないよう、脱衣所はいつも温度設定を高めにしてるから」

 

あの程度、うとうとしただけで悪夢を見ると言うことは、今の僕の肉体は気力も体調も万全なんだ。

もし香澄さんが来てくれていなければ、これからの一週間は、ずっと起きていなくちゃいけなかった。

 

「本当に、1人で寝ると悪夢を見ちゃうんだね」

 

去年の九校戦往路のバスの中でのやり取りを思い出したのか、香澄さんの表情が曇る。

 

「ごめんね、何だか便利に使っちゃって」

 

「良いんですよ、『兄』の身体を心配するのは『妹』の役目だから。それより、タオルか服で、前を隠してください」

 

僕は全裸のままだ。香澄さんが、会話の最中も顔を赤くしながら、ちらちらと僕の男の子の部分に目を向けていた。

僕は裸を見られても、特に恥ずかしく感じない。

 

「ちょっと汗かいちゃったから、軽くシャワーを浴びてから出るね」

 

「だったら、ボクも一緒に入るね」

 

「え?」

 

香澄さんが変なことを言う。顔が、真っ赤だ。

 

「久君、目を離すと何かありそうで不安なんです。昔から、そうだったんです!」

 

心音が聞こえそうなほど、鼓動が激しい。

香澄さんの僕へ向ける感情が今も恋愛なのかはわからない。

出来の悪い弟、いや、病弱な息子を気遣う母親みたいな感情なのだろうか。

香澄さんは思い込むと、一直線に突き進む。自分の発言で感情を昂らせる性格だ。

以前、一緒に水着を買いに行った時がそうだった。

今は茫然とする僕をしり目に、服をどんどん脱いでいく。

一瞬ためらって、下着も脱いでしまった。

下着はそっちの網籠のほうって告げる間もなく、香澄さんは自身の裸体を腕で隠しながら、もう片方の手で僕の腕を掴み、僕を浴室に連れ込んだ。

湯気が浴室に充満している。

香澄さんはやや乱暴にシャワーのバルブを捻った。手で温度を確認して、僕のお腹にざぁっとかけた。

 

「香澄さん、痛いよ」

 

湯量が強すぎる。

僕は、バルブを少し締める。シャワーが緩やかになった。

 

「あっ、ごめん」

 

香澄さんは短く謝ると、自分の身体と僕の身体の交互にお湯をかけた。

僕はこういう時、されるがままになってしまう。

香澄さんの小ぶりな胸にお湯の雫が跳ねる。

お腹から太もものラインをお湯が伝う。

そのお湯の雫を、ぼうっと見ている。

向かい合って立つ香澄さんは、怒っているようにむっつりしている。

女の子の裸を見ても、何の反応も示さない僕の男の子に怒っている?

香澄さんのボーイッシュな性格や人柄、どこか背伸びをしようとする雰囲気のせいかな、淫靡さは感じられない。

単に僕が鈍い?

いやいや。

僕たちは、兄妹なんだ。

 

浴槽に、2人並んで入った。胸の高さまでお湯に浸かる。

浴槽は並んで入るにはやや狭い。向かい合えばぎりぎり足を延ばして入れるけど、香澄さんが強引に並ばせた。

肩と腕、腰に太ももが重なる。お湯よりも香澄さんの方が体温が高い。大人になる前の未熟さを残した身体だ。僕の鎖骨があたって痛くないかな。

香澄さんは謝ってからは無言になっていた。

自分の突飛な行動を思い返し、冷静さを取り戻して来たみたいだ。やや俯いて、お湯か、その下の自分のお腹を見つめている。

照れていて、恥ずかしくて、でも楽しそうな横顔だ。可愛い。

僕の視線に、香澄さんは耳まで赤くして俯いている。

僕は額の雫をぬぐった。

香澄さんの肩がぴくって揺れた。

このままだと香澄さんが恥ずかし死にしてしまうな。

 

「香澄さんは、温かいな」

 

「ふぇ?」

 

「香澄さんの体温はすごく落ち着く。これまで、何度も僕を救ってくれた体温だ。今日は来てくれてありがとう」

 

僕は、香澄さんの肩に頭を乗せた。お互いがお互いの白い足を見ている。

 

「はい」

 

香澄さんが素直に頷いて、僕の手を握ってくれる。

温かい手だった。

 

 

さて、家のお風呂には体を洗うスポンジがない。

このままだとお互いの身体を洗い合うことになる。

香澄さんの呼吸は、まだ少し荒い。

僕は、いつものままだ。

視界の隅に、香澄さんの裸体がある。

『妹』の裸を見ても欲情したりはしない。

浴場で欲情か…なんて愚にもつかないことを考える。

どうやら僕も、香澄さんの熱が伝染して来ている。

 

「フローズンヨーグルト作って、冷凍庫に入れてあるけど、香澄さん食べる?」

 

「うん」

 

返事が短い。

 

「キウイフルーツが入っていてね」

 

「うん」

 

今夜は二人きりだ。

香澄さんのつま先が、ゆらゆらとお湯に揺れている。

 

 




今回は、原作の動乱の序章編上巻の、脱衣所で水波が達也の半裸を見たシーンと
エスケープ編で達也が深雪と背中合わせでお風呂に入ったシーンの対になる話です。
脱衣所の達也の時の水波は…。
達也は何だかんだ言っても良家のご子息ですから、きちんとマナーが仕込まれています。
無意識にも局部を隠していますが、久は由緒もへったくれもないので丸見えです。
今回、香澄が暴走気味ですが、『妹』と風呂に入ってもキスをしても何も感じないと、
『偽物語』の中で阿良々木暦お兄ちゃんがそう言っていたので、
久も『妹』と一緒に風呂に入っても、何も感じません。

それにしても、新ソ連の艦艇が領海に接近しているのに、原作の日本は危機感が足りません。
もし、現実にロシアの艦艇が北海道に侵攻してきたら、大騒動になるでしょう。
反魔法師運動も、戦争中だと言うのに、
いざとなったら魔法師に頼りまくる景色が浮かびますね。
あと、本文が長くなったのでカットした、
久が香澄のために作った晩御飯が以下になります。
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どんな料理が良いかな。香澄さんはティーンだし、澪さんたちとは好みが違うだろうなって、レシピを考えていると、不安な気持ちが和らいでいった。
イタリアンが良いかな。
アスパラと渡り蟹のパスタ、野菜のカポナータに香草のローストポーク。
バレンタインのチョコレートが残って持て余しているんだよな。
デザートはビターチョコレートを使ったショコラータにしよう。
食いしん坊と料理部と主夫魂を駆使して、食べてくれる人の喜ぶ顔を想像しながら、料理を作った。
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では次回。


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今宵天気晴朗ナレドモ浪高シ

 

4月13日土曜の未明。

北海道沖で国防軍と新ソ連戦闘艦艇団との戦いが始まった。

北海道沖の敵艦艇は、軍艦とは呼べない小型の舟艇で編成されていた。

国防軍の想定よりも開戦が遅れたのは、敵軍が澪さんの存在、戦略級魔法『アビス』を恐れ、民間船の動員に手間取ったからだった。

その分、舟艇には敵軍の魔法師が、我が国を圧倒するだけ乗船していた。

双方の魔法師が、北海道沖に集中していた。

 

そして、その時、僕は佐渡島の外海府海岸にいた。

 

外海府海岸は、新潟県の佐渡市の北部に位置する海岸で、海岸段丘の一部に国防軍の基地がある。

基地の海抜は120メートル。

基地監視台から、肉眼で見える水平線までの距離は、約44キロメートル。いわゆる接続水域だ。

海岸線からその外側12海里(約22km)の線までの海域が領海で、沿岸国の主権が及ぶ水域になる。

この領域内の他国船舶の無害通航ではない領海内通航を、領海侵犯と呼ぶ。

領海侵犯した船舶が停船命令に従わなかった場合は、臨検、もしくは攻撃をしても国際法上合法だ。

特に脅威度が高い軍艦ならば撃沈されても文句は言えない。

その佐渡沖の領海に、新ソ連の非可視化艦隊が侵犯していた。

『魔法』によって非可視化され、航跡も何らかの『魔法』で消している敵艦隊は、新ソ連のウラジオストック艦隊だった。

ミサイル巡洋艦2隻、ミサイル駆逐艦3隻、ヘリ搭載の強襲揚陸艦3隻、戦車揚陸艦3隻、救難艦1隻。

軽空母や潜水艦は含まれていないものの、先日の一条家の義勇軍が撃退した船舶とは、規模も脅威度も桁が違う。義勇軍や沿岸警備の巡視艇では対処できない暴力集団だ。

今回の新ソ連の侵攻は二重三重の罠だった。

まず小規模の佐渡沖侵攻で戦略級魔法を使用し国防軍の危機感を煽り、残存船舶を日本海に遊弋させ沿岸基地の目をそちらに向けさせる。

その後、北海道を小型舟艇で襲撃し、佐渡沖戦の戦略級魔法師の影をちらつかせ、澪さんと国防軍が秘匿する戦略級魔法師をひきつける。

民間船舶を巻き込む『アビス』の使用を躊躇う国防軍の反応を確認。

国防軍の航洋護衛艦を北海道沖に誘引。

手薄になった日本海から、『魔法』で非可視化したウラジオストック艦隊の艦対地ミサイルで基地と都市を攻撃し、歩兵を上陸させる。

どれだけ『魔法』で敵国を蹂躙しようとも、歩兵が自国の旗を敵国領土に立てなければ占領は出来ない。

歩兵の輸送には、大規模な艦艇が必須だ。輸送揚陸艦の数と規模から、敵上陸兵は少なく見積もっても3千人以上と予想された。

北海道沖の敵艦隊が、時間をかけて侵攻してきたのは、澪さんを北海道にくぎ付けにするためだったんだ。

個人が戦局を覆すこの世界の戦争は、真正面からの戦争ではなく、駆け引きとだまし合いの戦いだった。

勿論、敵兵が上陸しても、その後の補給がなければ占領は続けられない。国防軍の基地や、都市を蹂躙したのち撤退することになるだろう。

それとも多数の魔法師や、戦略級魔法師の力で、強引に占領を続けるのだろうか。

どちらにしろ、日本が火の海になることはかわらない。

国防軍の魔法師の配属には偏りがあるらしい。国防軍の主力に魔法師の数は足りていないそうだ。

魔法師と『魔法』が、世代が若くなるにしたがって、その能力を向上させているので、運用がまだ実験段階なんだって。

一週間前、佐渡沖で不審船による小規模襲撃のあった日、僕と澪さんは市ヶ谷の国防軍司令部で敵軍の動きを知らされた。

不可視化艦隊は出港前から、その動向が把握されていた。

国防軍は、13日未明にウラジオストック艦隊の攻撃が始まると予測した。

接続水域に入ってからは、国防軍のレーダーと監視衛星、魔法師の『眼』によって電子的にとらえられ、肉眼以上にしっかりと司令部のディスプレイに映し出されていた。

10日、澪さんと響子さんが北海道に向かった日から、僕は日中は市ヶ谷の司令部で待機していた。

学校は新学期早々休まなくちゃいけなくなったけど、公務なので公休扱いだった。

朝、国防軍の迎えの車両で市ヶ谷司令部に向かい、夕方帰宅する。

そのローテーションをこなし、敵軍スパイの目を慣れさせる。

12日になって、翌日未明の領海侵犯が断定され、戦略級魔法の使用が決断された。

12日の夕方、練馬に帰宅する車に僕は乗っていなかった。

スパイの目をかわし、僕は正午、国防軍の一般職員の電動カーで密かに国防空軍目黒基地に向かい、ヘリで佐渡島の外海府海岸基地に向かった。

 

新ソ連の侵攻は、いまだに一般には秘匿されている。

日本海で国防軍艦隊が正面から戦っては、すぐに一般に知られ、パニックが巻き起こるだろう。

それだけ敵国の脅威度が高く、戦場が近すぎた。

敵艦隊は、『魔法』で監視衛星や海上レーダーから巧妙に隠れている。

ならば、隠れたまま、その存在ごと消してしまえばいい。

この国には、それだけの個人の存在がある。

つまり、僕だ。

敵が使ったのだからこちらもと、今回の戦いは、戦略級魔法ありきの作戦がたてられていた。

ただ、『光の紅玉』を使うと、僕がここにいましたって大声で宣伝するようなものだ。

どのみち太陽光を利用する『光の紅玉』は、夜には不向きで、敵艦隊もそのように動いていた。

この日のあることを想定して、僕と国防軍では以前から話し合いがもたれていた。

国防軍は、当然、僕の『魔法』を詳しく研究していた。

国防軍が僕の『魔法』で注目したのは、同じ九校戦で使用した『稲妻』だった。

競技中は氷を破壊する程度の威力に抑えていた『稲妻』を、全力の魔法力を注ぎ込んで発動させたらどうなるか。

国防軍の質問に、以前、達也くんと会話した内容を伝えた。

『稲妻』は、基本的に自然現象と同じなので、『魔法』の痕跡が残りにくい。

本来、成層圏で起きる自然現象が、地表近くで起きるだけなのだから。

ただ、その威力は1.21ジゴワット、単純計算で長崎型原子爆弾の1/4、およそ20テラジュール以上のプラズマが、エネルギーの塊となって地表のすべてを破壊する。

戦略級魔法『雷神のハンマー(トールハンマー)』になる。

 

国防軍は、『雷神のハンマー』の使用を決断した。

 

外海府海岸基地の司令部。

嵌め殺しの防弾ガラスから、満点の星空と逆さまの三日月、黒い日本海が見える。

春の嵐とまでは行かず、低気圧か積乱雲があれば完璧だったけど、風が強く、波が高い。

周囲が制服の中、僕だけデニムにパーカー姿で、基地見学に来た子供のようだった。

僕の後ろには基地司令と国防軍の将星、制服組のしかめ面が並んでいた。

みんな、眉間のしわに苦悩がつまっているような表情をしている。

僕はヘッドマウントディスプレイを装着していた。

三次元処理された映像は、まるで映画みたいにクリアだった。

『魔法』は座標が重要なので、見えない敵を攻撃することは難しい。

もちろん、海面に向けて『魔法』を放つ方法もあるけど、国防軍は偵察衛星と基地レーダー、魔法師の観測をリンクしたシステムの使用を僕に依頼した。

国防軍の最新鋭の装備で、ご自慢のシステムのようだった。

制服組の責任者の鼻息が荒い。

僕は軍人ではない、民間人の協力者と言う立場で、命令に従う義務はないけど、その依頼を断る理由もない。

そのシステムは『魔法』照準の補助もしてくれる。システムが巨大なCADみたいなものだった。

僕が見ている映像は、指令室内の大型スクリーンにも投影されている。

敵艦隊の威容、搭載されているヘリや武器、人員の動きまではっきりと映し出される。

このシステムは、実験ではかなりの遠距離も映し出せたそうだ。

ただ、僕の火力に偏向した魔法力ではこの距離での処理が限界だ。

残念ながらいつも使用している完全思考型CADでは、全力の魔法力に耐えられないので、国防軍が用意した『雷神のハンマー』専用拳銃型CADを使う。

『光の紅玉』の専用デリンジャーと同じトーラス・シルバー謹製のCADで、僕の小さな手にぴったりと収まった。

オペレーターがカウントダウンの時間を読む。

静かな司令部にオペレーターの声だけが響く。

敵艦の動きが慌ただしくなり、艦対地ミサイルが外海府海岸基地に向けられて発射された瞬間、カウントがゼロになる。

僕は特に意気込むでもなく、ごく自然に、拳銃型CADに魔法力を流し込む。

ヘッドマウントディスプレイによってデジタルで可視化された敵艦隊の真ん中で、戦略級魔法が発動した。

発動直後、大気が稲妻に切り裂かれる。

雷周辺の空気が2万度を超え急速に膨張し、音速を超えた時の衝撃波が、敵艦隊を襲う。

発射されたミサイルが爆発、海面は沸騰し水蒸気爆発。一瞬で海上に入道雲が生まれる。敵の艦隊は積乱雲に飛び込んだように、立ち上る蒸気に包まれる。

もともと非可視化されている敵艦隊が、衛星カメラから完全に隠される。

それでもディスプレイの映像は、真っ白な蒸気をデジタルで排除して、敵艦の姿をボルトの一本までしっかりと映していた。

金属でできた船舶は水分がないので爆発はしない。

しかし、過大電流のジュール熱で発火、誘導雷で電子機器は破壊され、何百トンもある戦闘艇が雷に弾かれて、左右に、上下に軽々と何度も宙に舞う。

人間も、超高温にさらされて、まるで『爆裂』のように爆発していく。

幸い、その残酷な映像は可視化されなかった。

20キロ以上離れた海岸からは、ぴかぴか光っている水平線の入道雲だけが見える。

雷光は見えるけど、雷鳴はまったく聞こえない。

音がない、スペクタクルな映画をみているようだ。

司令部にいる軍人さんたちは黙って映像を見つめていた。

オペレーターのカウントアップの声が60を数えて『魔法』は発動を停止した。

一分にわたって、『雷神のハンマー(トールハンマー)』にさらされた敵艦隊は、跡形もなく海底に沈んでいた。

どれほどの艦隊であろうと。天災の前には無力だ。

蒸気が強風に払われた時には、元の荒れた海に戻っていた。

 

「敵全艦、撃沈しました」

 

オペレーターが淡々と事実を告げる。

敵の非可視化の『魔法』は切れている。沈みゆく鉄塊は軍のブロードバンドレーダーにはっきりととらえられていた。

海水の雨が雲一つない夜の海にばらばらと振る。

見えない敵を、デジタルで表示された敵を海に沈めたので、何だか現実感に欠ける。

国防軍の上層部からも、ため息なのか安堵なのかわからない息が吐かれていた。

新ソ連の艦隊と乗務員数千人の命は、僅か一分で消滅した。

僕の『魔法』が、殺した。

もちろん、その責任は命令を下した軍上層部と敵軍が負う。

でも、常人なら数千人の命を奪った『魔法』の重圧に潰されるだろう。

人ではない僕に、その重圧はない。

敵は、殺す。

強き者も、それ以上に強い存在に奪われるのが、この世界の絶対の法則なのだから。

 

司令部に、まばらな拍手が起き、やがて司令部にいる僕以外の全員が両手を打ち鳴らしていた。

基地司令官が僕にねぎらいの言葉をかけてくれる。

僕は、深雪さんの真似をして、決して敵を作らない、はにかみの笑顔を浮かべて頭を下げた。

 

 

朝日が、日本海を照らす。

僕は基地のVIPルームで、国防軍が用意してくれた朝食を食べながら、その朝日を見ていた。

巡視艇が沈んだ軍艦から浮かんで来た浮遊物を回収している光景が見える。

昨夜と違って風ひとつない、凪いだ、静かな朝だった。

春の日差しに、海面がきらきら光っている。

澪さんと響子さん、真夜お母様や香澄さんと一緒に見られたら綺麗な風景だって感動を共有できるかな。

正午過ぎ、北海道沖の新ソ連艦隊を国防軍が撃退したと言う報告を、基地司令官から知らされた。

澪さんは、結局戦闘に参加することなく、無事だと知らされ、僕は安堵した。

正体が秘匿されている、もう一人の戦略魔法師の『魔法』で、敵舟艇を怪我人を出すこともなく無力化したんだって。

凄いなと思いながらも、抑止力であるはずの戦略級魔法師を便利に使いすぎているのでは、と心配もする。

まぁ、最大の戦争犯罪は敗北なのだから、現段階では問題にはならないか。

目を瞑って『意識認識』をしてみる。

澪さんと響子さんの『意識』が感じられる。2人は、たしかに怪我なく無事なようだ。

その後、ヘリで新潟に移動し、新潟からは高速列車で東京に向かった。

東京駅から、密かに市ヶ谷の司令部に行き、昨日までと同じ時刻に、軍の送迎車で練馬の自宅に帰宅した。

 

今回の、敵軍の侵攻は珍しく国防軍内の連携が上手く行き、洋上で止めることに成功した。

国防軍にも派閥や利権、魔法師と非魔法師、ナンバーズや十師族とのつながりなど、様々な問題がある。

一番の問題は情報の共有だ。

特に事件後の、情報のすり合わせは、その後の円滑な組織運用には重要のはず。

このあたり、原作では各組織が情報を占有して、色々な問題を起こしている。

 

明日は、横浜の魔法協会支部でナンバーズ若手による、反魔法師運動対策会議が行われる。

会議に興味はない。

戦争中に、そんな悠長な会議に参加などしていられない。

今回は敵の侵攻を防げたけど、日本の都市が火の海に包まれていた可能性は高い。

僕は公務と学生であることを理由に出席を断った。

ただ同じ日に、今回の報告をしに魔法協会に出向かなくてはいけない。

光宣くんがお兄さんと上京するので、光宣くんに会いに行くって意味もある。

報告会は若手会議の前に行われる。

十師族の当主は可能なら出席し、無理だったら通信で参加する。

十文字先輩も当然出席するから会議への参加を要請されるかもしれないな。

何にしても、長距離の移動で僕は疲れているし、今晩はゆっくりと休んで、明日に備えよう。

 

おやすみなさい。

 

 






原作では、新ソ連の侵攻が北陸か北海道かで予測が割れている、とありました。
魔装大隊の佐伯少将の予測は北海道、多数派の国防軍の予測が北陸です。
ベゾブラゾフは今回の侵攻は本気の侵攻ではなく、日本に逆侵攻の力がないから、下級軍人のガス抜きだと言っています。
ガス抜きで他国を侵略すんなよ!と叫びたいですが、国防軍にも大亜連合にも、穏健派と急進派がいましたから、新ソ連にも急進派がいて、その中にウラジオストック艦隊を動かせる大物がいたと言う設定にしました。
最初の佐渡沖の戦いで、一船舶を攻撃するのにトゥーマンボンバを使用した理由はよくわかりません。
戦略級魔法の練習なら、広い国土を持つ新ソ連ならできるし、国防軍に余計な情報を与える可能性が高い。
実際、達也に警戒、研究されてしまっています。
国防軍と日本の魔法師を侮っている?
と言うのが、原作でさらっと書かれていた部分を膨らませた、今回の話です。
ウラジオ艦艇の規模や構成は、あまり突っ込まないでください。

魔装大隊の達也は北海道に向かい、国防軍の九島烈派閥にあたる久は北陸、佐渡島に向かいます。
両者は勢力争いをしていて連携をとっていないのですが、偶然うまく敵の侵攻をとめられました。
戦略級魔法師が三人いる状況は、原作よりも国防軍に余裕があります。
久の魔法力は、簡単な『魔法』も戦略級にしてしまいますが、達也と違って、精密遠距離魔法は使えません。
無差別な長距離魔法は使えますが、基本的に目視が必要です。
『光の紅玉』なら精密な攻撃は可能ですが、久の存在を喧伝するようなものなので、秘密の作戦には使えません。
もちろん、『サイキック』の久の力は人類を超越しています。
こちらは軍には秘密です。
『トールハンマー』の1.21ジゴワットは、某バックトゥザフューチャーからの引用です。
久が使用したシステムは、魔装大隊の『サードアイ』の劣化版で、国防軍が『サードアイ』の情報をもとに作ったものです。
軍の内部で派閥争いをしている場合じゃないぞ!
夜明けの日本海を見ながら、久が澪と響子、真夜と香澄のことを考えています。
これまでなら香澄の名前はまったく出てこないのですが、久の中で香澄の存在が大きくなっている証拠です。
2人の関係は破綻する予定だったのです。
四葉と七草が敵対するほど仲違いするのではと考えていたのです。
が、原作で四葉家と七草家が決定的に争っていないのでどうも上手く行っている感じです。
何かと首を突っ込んで来る真由美の存在のおかげ、かな?


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分岐点

お久しぶりです。
エタっていませんよ。
原作がたまるのを待っていたのです←言い訳。


 

 

4月14日、日曜の朝。青い空が都会を染めている。

僕は七草家のリムジンで横浜の魔法協会関東支部に向かっていた。

車内には、僕の隣に香澄さん、向かいに真由美さんと泉美さんが並んで座っている。

時刻はまだ6時過ぎ。朝も早いこともあって、いつもは姦しい姉妹が静かだった。

僕はリムジンの僅かな振動を感じながら、うとうととまどろんでいた。

昨日未明、新潟沖で新ソ連の侵攻艦隊を『戦略級魔法』で消滅させた後、警戒のため半日基地待機をして、夜、密かに市ヶ谷の国防軍本部に帰還した。

自宅に戻ったのは深夜だったにもかかわらず香澄さんは起きて待っていてくれた。

軽い食事をして、温かいお風呂に入る。

ただ、その後、ゆっくりと就寝する、と言うわけにはいかない事情もあった…

 

「それで、この一週間で何か進展はあったの?」

 

向かいに座る真由美さんが遠慮がちに、でもはっきりと妹に尋ねる。姉としての心配と好奇心が半分半分の質問だった。

 

「なっ、何もなかった…ほんとだよ」

 

香澄さんの反応は、何かあった、と言っているようなものだった。

 

「でも一週間も一緒のベッドで寝ていたのでしょう?何もなかったなんて誰も信じないわよ」

 

響子さんと澪さんが不在の一週間、僕と香澄さんは二人きりの夜を過ごしていた。

 

「ほんとだって!藤林響子さんと澪さんが最前線に向かって、久君は戦略級魔法師として、いつ緊急の連絡があるかもわからない状態で、久君が他の女の子、それも義妹に手を出すほど甲斐性…せっ、性欲が、欲情…いや、無責任だと思う?」

 

「そう…ねぇ」

 

香澄さんが家にいる間に真由美さんが遊びに来る予定だったのに、新ソ連との戦闘が始まり、訪問は取りやめになっていたから、2人の夜の生活を知らない。

高校時代の僕を思い出し、真由美さんは考え込んだ。

責任感は信じているけど、女性関係に関しては意見がありそうだった。まあ、否定はできない。

 

僕はこの一週間ほとんど寝ていない。

ずっと手を握っていてくれた香澄さんには悪いのだけれど、優秀な魔法師程度の香澄さんの身体が、眠ると無尽蔵に流れ込む僕のサイオンに耐えられるとは思わなかった。

香澄さんの寝息と体温を感じながら、昔みたいにぼうっと暗闇と天井を見つめていたんだ。

香澄さんは、初日は緊張して眠れなかったけど、翌日からは可愛い寝息を立てて、寝相良く眠ってくれた。

僕の不眠は一週間が限界なので、ぎりぎりだったな。

実は少し、精神の不安定を感じている。

身体が寝不足で熱っぽい。これから向かう会議場で、暴発しないか不安だ。

 

「年頃の、それも美少女と同衾していて、性欲が一切わかないことは、男以前に、人類としてどうかとも思うけど…」

 

真由美さんは余計なことを言う。

 

「それだけ久君が子供…使命感に篤かったんだって」

 

香澄さんは僕を好意的に考えてくれているけど、実際は、それだけ僕が香澄さんに興味がないと言う証拠でもある。

僕は見た目は子供だけど、法的にはすでに結婚もしている大人なんだから。

これだけ尽くしてくれているのに、男として答えてあげられないことは、やはり人類としてどうかとは僕も思う。

 

「香澄ちゃん、すごく疲れているみたいだし、気疲れ?」

 

泉美さんが双子の顔色を心配する。

 

「う…ん。久君が放つ戦略魔法師のプレッシャーって言うのかな、それが一昨日あたりからいつにも増して凄かったから」

 

「戦争中…なんですのよね。窓から見える風景からは想像もできませんのに…」

 

新ソ連による北海道沖と新潟沖の侵攻と、『戦略級魔法』使用の件は、世間には公表されていない。

姉妹は僕とのかかわりのせいで渦中にいた。

特に、横浜事変の経験者である真由美さんの心労は募っていたはずだ。

敵の撃退には成功したとは言え、敵は軍事力に偏向した大国。

戦争は続いている。

 

「それに、何だか好きな人と暮らすとかじゃなく、幼い弟か子供を世話するお母さんみたいな気持ちになって…」

 

香澄さんが続ける。

もともと、香澄さんの僕への感情はほっておけないとか母性本能みたいなのから来てる。

 

「恋愛以上に発展しなかったと…まぁ義兄妹でそれは問題…なんだけど、何処かずれている感覚よね。久ちゃんは結婚していて、奥さんが2人いて、でも容姿は女の子で子供だから」

 

それは僕の狂気が伝染している証拠だろう。

出来るなら香澄さんや真由美さんには、これ以上僕の世界に関りを持ってほしくないと考えている。

まだ2人は狂気の世界の外にいる、はずだ。

 

僕は昨夜、敵兵とは言え数千の人間を殺している。

なのに、罪の意識どころか、心に何の波も起こさない化生なんだから。

 

リムジンは、広い幹線道路を走っていた。

 

 

魔法協会関東支部には7時半に到着した。

魔法協会への報告会は8時から行われる。

普通、このような報告会が行われるにしては開始時間が早すぎるけど、これは報告会の後、若手会議が9時から行われる関係だった。

午後からでも良いのにと僕がこぼすと、

 

「ごめんなさい、父と兄がこの時間にこだわったの」

 

真由美さんが頭を下げる。

若手会議の主催は七草智一さんで、報告会を直前に推したのは父親の七草弘一さんだった。

報告会の後、十文字先輩や十師族当主、義理の兄から直々に会議出席を頼まれれば断ることは難しくなるからだ。

魔法協会は戦略級魔法師の責任を一部負ってくれている。報告会は、面倒でも義務だ。

義務を、政略に利用しないで欲しいな。

その真由美さんたちは、智一さんのお手伝いのために早朝から魔法協会に来ている。

 

「僕は光宣くんに会いに来たようなものだから、会議の最中、光宣くんが退屈しないよう話し相手になっていてください」

 

光宣くんは1人での時間の過ごし方が不得手だからな。

光宣くんがお兄さんの付き添いでこの会場に来ることは、昨夜のメールで聞いている。

僕はどんなに忙しくても、光宣くんとお母様への連絡は欠かさない。

 

魔法協会のエントランスは、ごく普通の企業のように作られている。少なくとも来るものを拒むような威圧感はない。

僕はそこで姉妹と別れる。

魔法協会のスタッフに師族会議用の別室へと案内される。

報告会は8時からとなっていたけど、会議室にはすでに魔法協会会長の十三束翡翠さん、十文字先輩、六塚温子さんが円卓に着席していた。

今回の報告会は、十師族当主の出席は任意になっていたものの、自分だけ情報の外にいる呑気な当主はいない。

それぞれの座る場所に各当主を映したディスプレイが置かれ、当主のバストアップの映像が映されていた。

僕はすばやく四葉家の、お母様の映像に目を向ける。早起きが苦手な真夜お母様が、眠気を堪えて薄い笑顔を作って、僕を見つめてくれていた。

モニター越しなのに、お母様の顔を見られただけで、僕の気持ちが昂る。

円卓の反対側に国防軍から陸上幕僚監部副官の飾緒を佩用した少佐が立って僕を待っていた。

彼は僕が市ヶ谷基地で待機している時、軍とのやり取りをする部署の代表者だ。

当然、魔法協会との対応も彼がしていて、お互いが旧知の間柄。

僕は彼に挨拶をして隣に座る。

 

「まず、この国の魔法師を代表して、また国民の代わりとして、昨日の四葉久殿の『貢献』に感謝の言葉を申し上げたい」

 

着席するや、この報告会の責任者であるはずの十三束翡翠さんを差し置いて、六塚温子さんが言った。

モニターの向こうの当主は現場に進行を任せているようだ。

十三束翡翠さんは特に文句はなさそうで、十文字先輩に遅れて僕に向けて頭を下げた。隣に座る少佐も頭を下げる。

大勢の大人に頭を下げられる光景は、やや落ち着かない。

昨日の顛末は少佐が事務的に報告してくれて、僕はただ座っているだけでよかった。

 

「敵の極東艦隊は壊滅した、と言う事ですか?」

 

十文字先輩が少佐に聞く。

 

「ウラジオストックの艦隊は壊滅しました。生存者はいません。ただ、ウラジオストックの艦隊は老朽艦が多く、最新鋭の戦闘艦はバルト海に展開しています」

 

少佐が小型のデバイスを開きながら説明する。

 

「ただ、乗員の多くが、西側で政府に敵対していた地域の危険思想を持った兵士だった、と情報部からの報告があります」

 

「つまり、敵は危険思想を持つ兵をあえて生還を期し難い戦場に送り込んだ?」

 

「上陸に成功すれば、罪一等を減ずる…と言う名目の部隊だったようです」

 

新ソ連も本気ではなかった。成功しても失敗しても問題ない編成だったのか。

人命を数字で計算するしたたかな軍事偏向国家。

 

「大量の武器や船舶、人員を浪費して、全く国力が低下しないと言うわけがないですわよね」

 

六塚温子さんが訊ねる。

 

「古い在庫と体制を一掃した。これからは魔法師による軍の再編が始まる、と言うことでしょう」

 

少佐がきっぱりと言った。確証と証拠があるようだ。

十師族当主が沈黙する。

今回の侵攻は一般兵と魔法師の混合だった。

次は、少数による精鋭の魔法師だけでの攻撃。もしくは遠距離魔法攻撃。

敵の『戦略級魔法師』の存在が際立って大きくなっている。

 

「今後も情報部では、戦略級魔法師イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフの所在、および動向を探ってまいります」

 

国防軍情報部と言えば、先日の遠山つかささんの慇懃無礼さを思い出す。

その能力がどれほどのものなのか、不安が高まる。

 

戦略級魔法師同士による戦いの幕開け。後方のない戦争。

そんな不吉な予感に、再び一同は沈黙した。

 

 

報告会は30分程度で終了した。

少佐は挨拶すると退席し、十三束翡翠さんも早々に会議室から出て行った。

僕が苦手、正確には、僕や十文字先輩の存在感が苦手なようだ。

モニター参加の各当主も退席し、会議室には僕と、六塚温子さんと十文字先輩が残った。

六塚温子さんが僕の前にさっそうと立った。

 

「四葉久殿、師族会議などで面識があるが、こうして直接話すのは初めてだったね。六塚温子だ。君の義母である四葉真夜殿には大変お世話になっている」

 

六塚温子さんは澪さんや響子さんとはほぼ同世代で、パンツスーツの似合う女性だ。

 

「君とは個人的に会話をしてみたかったんだ」

 

「宜しくお願いします」

 

手を差し伸べると、いきなり抱きしめられた。

 

「うんうん、真夜さんの義理の息子さんは可愛いなぁ。真夜さんに似ているし、本当の子供のようだ」

 

六塚温子さんは、真夜お母様を崇拝していることで有名だった。

僕は深雪さんに似ている。

深雪さんとお母様は近親で、遺伝子的にはほぼ親子なのだから、似ていて当然で、僕とお母様が似ていると言われ、僕も嬉しい。

 

「真夜さんとのなれそめ話を聞かせてくれると嬉しいな」

 

僕よりも真夜お母様のことが気になるようだ。僕もその気持ちはよくわかる。

あんな素晴らしいお母様はいないもの。

 

ドアが開き、痩身の男性が入室して来た。真由美さんたちのお兄さんの七草智一さんだった。

六塚温子さんが名残惜しそうに、僕を解放した。

智一さんは、まず今回の新潟沖での僕の活躍に過剰なまでにお礼を言ってきた。

これまで、パーティーや周公瑾さん追跡で顔を合わせたことはあったけど、会話をするのは初めてだった。

 

「四葉久殿は香澄の義兄になるのだから、私とも義兄弟の間柄になる。これからは気軽に交流できるとうれしいよ」

 

差し出された手を軽く握り返す。七草弘一さんから毒気を抜いたような人物だった。

 

「大役をこなされた翌日で大変恐縮なのですが、このあと開催される会議への出席をお願いできますでしょうか。十師族の一員として久殿にもぜひ参加して欲しいのです」

 

「僕は十師族じゃないですよ?」

 

「九島烈殿を後見に持ち、四葉真夜殿のご養子にして、妻は五輪澪殿で、自身も戦略級魔法師の四葉久殿が十師族でないなら、誰も十師族ではありませんよ?」

 

十文字先輩も頷いた。

昨日の時点で、僕は名ばかりの戦略級魔法師ではなくなった。この国の国防の要であり、切り札であり、頂点。

それまでの前歴の不明な孤児とは完全に立場を異にしている。

ただ、その情報は、この国でもトップ中のトップしか知らない。

 

「出席してくれるだけで構わないよ。真由美や香澄たちと一緒に帰るのなら、時間はあるだろうしね」

 

真由美さんが車で送迎してくれるのは、それが目的だった。戦略級魔法師の僕は移動にそれなりの手間がかかる。

十文字先輩には正式に書面で出席を断っているから、十文字先輩の目が済まなそうだ。

六塚温子さんは、どこか楽し気。

 

「お疲れでしょうが、是非」

 

外堀が埋まっている。内堀が埋まる前に帰る…わけにはいかない。

 

「会議には、参加します。ただ、僕は戦略級魔法師として、個人の発言は控えるよう魔法協会と国防軍から要請されているので…」

 

香澄さんの名前まで出されては断れない。僕は、会議には発言は一切しないと言う条件で出席することになった。

僕が発言しても場を混乱させるだけだ。

反魔法師運動をするような輩は皆殺しにすれば良い、なんて思っていても言いません。

 

 

六塚さんが達也くんと話をしたいからと先に会場に向かい、僕は十文字先輩の陰に隠れるように会場入りした。

時刻は9時少し前。

若手会議の会場は、テーブルが四角く配置され、座席は満席だった。

人数は先に席についていた六塚さんを含めて20人。十文字先輩のと智一さんを含めると22人。僕の席は…上座になる十文字先輩の隣。

僕の登場に、次世代の十師族当主たちから驚きの声が上がる。

出席者の中には、顔見知りがいる。達也くんと将輝くん、七宝琢磨くんは三人並んで座っていた。

澪さんの弟の五輪洋史さんに、三矢詩奈のお兄さんの元治さん、光宣くんのお兄さんの顔もあった。こう見ると、次世代当主とも知り合いが多いな。

僕はこの会議に出席しないって前日に言っていたから、達也くんが不信の目を僕に向けた。

着席するや、智一さんが今回の会議の趣旨について説明した。

出席者たちは今回の会議が十文字先輩ではなく、七草家主催だと実感した。

 

「それで、多治見…四葉久殿の出席は聞いていなかったのですが、四葉久殿も七草殿側の、この会議の主催側の立場なのですか?」

 

光宣くんの兄である九島蒼司さんが、不満げに質問してくる。

僕が十師族かどうか、その前提から気になるようだ。

 

「戦略級魔法師である四葉久殿は本来、この会議への出席の予定はありませんでした」

 

智一さんが答える。

 

「四葉久殿は戦略級魔法師として、世間に知名度が高く、とくに若い世代の学生に絶大な人気を持っています。ティーン向けの広告、犯罪防止啓発ポスターなどで、魔法協会のPR活動をしていただいています」

 

芸能人との対談や、一日警察署長とかの参加は、頑として断った。

それ以外にも魔法協会は僕を魔法師の好感度アップに活用しようと、水面下で動いていた。人見知りな僕にとっては迷惑な話だ。

 

「今回の会議の、ひとつのたたき台になるかと思いまして、別件で魔法協会に来られていた所を、無理を言ってオブザーバーとして参加していただきました」

 

オブザーバー。直訳すれば、傍観者。会議で議決する権利はないが参加できる人。

発言する権利は、そもそもない、智一さんの中で、僕の立場はそう思われている。穿ちすぎかな?

それにしても、大人の群れに紛れ込んだ子供のような居場所のなさだ。

さっきまでの現当主たちの態度とは全く違う。

僕は小さく次代に向けて頭を下げた。

達也くんの視線から敵意が消える。

隣の将輝くんが「お前も大変だな」って同情の苦笑が送られた。

琢磨くんは一番年下で居心地が悪そうだ。

 

会議は、テロ捜索の顛末や情報の共有などまじめな雰囲気で始まったものの、反魔法主義への対応は「魔法師による積極的な人気取りを行うべきだ」と言う方向で議論が進み始めた。

智一さんが僕をちらりと見た。

人気取りや魔法協会に広報部を作る、と言う意見はともかく、六塚温子さんが「テレビにでも出演して歌でも歌うのか?」と冗談を飛ばしたあたりから、会議の雰囲気が一気に乱れた。

次代たちは意外と積極的に発言した。他のメンバーに無能と判断されれば将来に響くからだろう。

でも、その発言はどこか軽い。中身も責任も、ましてや覚悟が伴っていない。

現十師族の当主たちなら自分の発言の及ぼす結果を考えて発言するのに、甘やかされた二代目臭がぷんぷんと漂ってくる。

真由美さんや深雪さんをテレビ映えするアイドルにする案はどうですか、なんて冗談は、冗談で済むわけがないことを、僕は知っている。

達也くんと会場全員との空気が、一気に険悪になる。

達也くんの発言は至極全うだったのに、まるで達也くんが悪いかのような構図になった。

僕は、いたたまれなくなった。

僕の存在を利用しようとした智一さんへの嫌悪感。無責任な冗談をとばす輩が、次の十師族当主なのだ。

場の雰囲気が、達也くん一人と他の次代との対峙の構図を作っている。

本来、潔癖な将輝くんが何故か沈黙している。ここで達也くんの味方をしないのは、将輝くんらしくない。

将輝くんも呆れて声すら出ないのだろうか。

琢磨くんに、この会議は荷が勝ちすぎる。

いつもの十文字先輩なら達也くんに理があると判断する筈なのに、渋い顔をしたままだ。

 

国民が一丸となって敵国に対しなくてはいけないこの時期に、もちろん、反魔法師運動への対応も重要だけど、十師族の次代が考える要件なのだろうか。

それは魔法協会がすでに行っている。

若手会議の参加メンバーが社会に与える影響力なんて、自分たちが思っているより少ない。

これまで何度も言っているけど、この世界は各組織が平行に乱立して、共闘していない。そこに若手会議が加わっても、複雑化するだけだ。

世間は魔法師のことなんてほとんど知らない。

だからこその一歩目の会議なんだけど、この体たらくだ。

若手会議なんてしている場合じゃないと僕は考える。

普段、僕に向けられる達也くんの目は、どこか温かみがある。僕の容姿が深雪さんにそっくりだからだし、達也くんが僕に奇妙な親近感を抱いてくれているからだ。

今の達也くんの目は、ただ冷たい他人を拒絶する目をしている。

 

僕だって、この会場にいる大人たちに言い放ちたい。

日本海の敵艦隊は僕が消滅させたけど、北海道では国防軍に死傷者が出ていた。

撃退に失敗し、敵軍の上陸を許していれば、今頃、二年前の横浜騒乱とは比較にならない戦闘が各地で行われていただろう。

その可能性は決して低くはなかった。

今現在も、澪さんと響子さんは北海道、最前線にいる。

戦争の真っただ中で、この大人たちは何を下らない会議をしているのだろう。

彼らは、僕よりも頭が良く、子供の頃から英才教育をされたエリートだ。

強力な閨閥も持っていて、2~30年後にはこのメンバーが十師族になる。

六塚温子さんも彼らの世代だ。無意識に勝利者で驕りがある。

そのエリートの英知の結集が、未成年の深雪さんをアイドル活動させることなのか。

戦争の悲惨さは僕は身をもって知っている。

僕は最大の戦争犯罪は、敗北そのものだと考えている。けど、後方の無知、それも未来のトップたちの無知は、犯罪そのものに感じられる。

僕が精神的に子供だから、こんな怒りを覚えるのか…うんざりする。

そして将来、もっとうんざりするだろう。

無責任な発言を繰り返す『次代』には、あるべき姿、存在理由が感じられない。

 

いや、違うな。彼らにしてみれば、僕の方が異質なんだ。

名家の子女として、厳しく躾けられながらも甘やかされた彼らは、血の混じった泥の味なんて知らないだろう。

 

残念ながら、僕は達也くんほど怒りを隠せる自信はない。

向けられる悪意の主を、無造作に、殺してしまいたくなる。

僕の俯いた目からは燐光のような薄紫色の光が漏れていた。

それは殺意の光だ。

怒りで、体が熱い。体内にこもる熱に、熱が加わる。

僕の殺気が、じわりじわりと会場に満ちる。出席者から無秩序な発言が途切れる。

どんよりとした空気が、達也くんの立場を余計悪くして行く。

このままでは深雪さんに、申し訳がない。

本当に殺してやろうか。無造作に、昨日の敵兵の様に。

 

達也くんが僕をちらりと見た。

僕の殺意に気がついた。

僕の精神が均衡を欠いていることにも気がついた。

達也くんだって、はらわたが煮えているけど、この程度の悪意に殺人で答えるのは過剰と、常識的に判断をしたようだ。

切れ長の目を、僕が入室したドアに向ける。

達也くんの表情から意思をくみ取るのは、普段なら難しい。

 

「すみません、十文字先輩…気分が悪いので退席させてもらえませんか」

 

僕は姿勢も正さず息を漏らすように言った。

会議での僕の発言はこれだけだった。

会場の雰囲気が、彼らだって、どこか無理のある会話内容だと、頭の隅で思っていただろうから、しらけモードになる。

 

 

「あんな体力不足な子供が戦略級魔法師なんて、大丈夫なのか?」

 

事情を何も知らない誰かの声が締まるドアの隙間から漏れて来た。

あの声は…光宣くんのお兄さんの声だった。父の九島真言さん同様、僕には含むところがあるようだ。

緊張の場所を間違えているあなたたちの方が…いや、僕は異端者だ。

僕は、ふらふらと会議室を後にした。

 

 

会議室の外は空気からして違った。

 

「光宣くんに会いに行かなきゃ」

 

携帯で連絡を取るのは億劫だな。『意識認識』して場所を調べるか。香澄さんも一緒にいるだろうから、すぐわかる。

『意識』を広げようとして、足元が疎かになる。

僕は絨毯の毛足につま先をめり込ませてしまい、たまらず転びそうになる。

 

「久さん、大丈夫ですか?」

 

逞しい胸が僕を抱きとめてくれた。見上げると、光宣くんだった。

太陽のように輝かしい『意識』を同時に感じる。

 

「光宣くん?どうしてここに?」

 

「予感、ですかね。久さんが苦しんでいるような気がして…真由美さんたちの話を聞いて、気になって。変ですね」

 

「ううん、変じゃないよ。光宣くんほどの魔法師なら未来予知のひとつやふたつやみっつによっつは簡単にできるって」

 

僕は心の底からそう思っている。

光宣くんが照れた。絶世のはにかみの笑顔を見せる。それだけで僕の殺伐とした精神が浄化された。

 

「『家族』の絆、ですかね」

 

光宣くんが笑う。

 

「ティールームを借りてます。真由美さんたちもそこにいますし、行きませんか」

 

「うん」

 

光宣くんが僕の手を引いてゆっくり歩きだした。

何だか、魔法科高校入学前、九島家の周辺を散策した日を思い出す。

 

おっと。『意識認識』をしたままだった。

すぐ隣にいるんだから、眩しいだけだ。

ん?

一瞬、光宣くんの『意識』に陰りを感じた。

群雲がかかる…いや、太陽の輝きに黒点が広がっていくような違和感。

これは…

 

視界の隅に、通路に設置された火災報知器が目に入る。LEDの赤い光が、通路の薄い闇に光っている。

 

「赤、か…」

 

なる程。

赤、だ。

ここが、運命の分かれ目だ。

これは未来視かな。

いや、『家族』の絆、だよね。

僕は、光宣くんの腕に寄り添いながら、歩を一緒にした。

 

 







お久しぶりです。
時間はあっという間に過ぎていきますね。
まさか半年も時間が空くとは…
他の趣味や、オバロのゲーム、ウマ娘を見た後、競馬に興味を持って、毎週末100円ずつ馬券を買っているから、執筆が遅れたんだろうと言う意見には、肯定します(笑)。
原作も進んでいますし、これからはもう少し定期的に書けるよう頑張ります。
最初、久は若手会議には参加しないで、光宣にも会わず、澪が市ヶ谷に帰還して、久も市ヶ谷の総司令部に向かう構想でした。
自宅、移動、報告会、若手会議、市ヶ谷基地と場面がころころ変わるのもテンポが悪い。
光宣との接点が減り、光宣の闇落ちを防げない…
何てこと考えていたら、半年経ってしまいました。
時間が経つのが早すぎる。ジャネーの法則ですかね。
ただこれまで、光宣のために張っていた伏線が、回収できそうな雰囲気です。
周公瑾の消滅を疑いまくっていたこと、精神のネタが、光宣の救済に役立ちます。
そして、あいかわず久は、澪、響子、真夜、光宣、達也、深雪以外に興味が薄いです。

ところで、若手会議の座席数。
左右下手に18、上座に5、出席者は23人と達也が言っているのに、上座の席に座るのは克人、温子、智一の3人で、座席と数が合いません。
残りのふたつの内、久が座れば4。それでも、残りひとつの上座には誰が座っていたのかな。
何て、原作の誰も気にしないような部分が気になってしまうのです。




以下、長くなってカットした文章です。
リムジンの中ではこんな会話があったのです。
-----------------------
「男女の関係…ってのはなかったけど、久君と一週間過ごしてみて気がついたことはあったかな」

香澄さんは仮眠している(狸寝入りだけど)僕の手のひらを握ってくれていた。

「久君は、人目のなくなる自宅では自分のことはとても無頓着だった。最初の日、久君はお風呂に入って、5分もしないで出てきて、髪も身体もずぶ濡れで、石鹸も残っていて、雫をまき散らしながらタオル一枚で廊下を歩いてたんだ」

真由美さんは思い当たる記憶があるので黙っている。
泉美さんは、あまり興味がなさそうで、それでも僕をじっと見ている。動かない僕は小さな深雪さんそのものだから、色々と想像を重ねているみたいだ。

「そのタオルが床に落ちているのに気がつかないで、濡れたまま部屋に戻って着替えて、それから床が濡れていることに気がついて、いきなり掃除をし始めたんだ。
長い髪も身体も服も濡れたままだから、掃除の途中ですっかり身体が冷え切って震えているのに、ボクがそれを指摘したら、『寒くない?暖房入れようか』ってボクの心配をしてくるんだ」

「目の前のことに意識が向いて、それ以外を考えられなくなるのは久ちゃんの癖だものね」

「それからは一緒にお風呂に入るようにしたんだけど…」

「一緒に!?」

「なっ何もなかったよ!そもそも、久君は女性の裸には慣れているし、私の裸を見ても、あそっ、あそこは変化なかった!ボクだけ、興奮して癪だったり、お互いの身体を洗い合ったり、ちょっと興味があって触ってみたりしたけど!ほんと!何もなかったから!」

自分の発言で興奮していくのが香澄さんの癖だ。言わなくても良いことまで言っている。
あそこ?
あそこって何処でしょう。

----------------

さて次回。
光宣の闇落ちを止める前の、原作での詩奈誘拐事件。
このSS開始から『誘拐』に誰よりも敏感な久が、詩奈誘拐を知ったら。
どうなるでしょうね。
ただ、血は免れません。
では。



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奇貨


前話の後半を追加しました。
ここが切所なので、丁寧にゆっくりと進めます。


 

 

 

若手会議の微妙な空気に気分を悪くした(殺意をむき出しにした)僕は、達也くんの無言の指示を受けて会議室を退室した。

足元のふらつく僕を支えてくれたのは光宣くんだった。

僕の手を引く光宣くんは、僕の小さな歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれる。

 

「久さん、手が少し熱いですね」

 

光宣くんは僕が体調不良だと、少し機嫌が良くなる。

同病相憐れみ、仲間だと実感できるのは、ちょっと悲しい精神だ。

 

「光宣くんに会えたら、元気が出て来たよ」

 

光宣くんは絶世の笑みを浮かべ、僕をカフェスペースに連れて行ってくれた。

 

 

「久ちゃん、大丈夫?」

 

植物と緑のソファが印象的なカフェスペースでは受付の役目を終えた七草三姉妹がくつろいでいた。

リムジンの中とは違い、ややフォーマルなドレス姿だった。お嬢様の三人は、そのような姿が良く似合う。

カフェスペースはソファ席、テーブル席、カウンター席などさまざまなタイプのシートが50席ほどが用意されている広々とした空間で、魔法協会のスタッフ用の喫茶スペースだった。

日曜の早い時間なので魔法協会職員の利用者はおらず貸し切り状態。

 

「体調じゃなくて、ちょっと気分が悪くなったから抜けて来たんです」

 

特権階級の驕りは、べったりと顔に泥を塗られるような気分にさせる。

 

「気分?会議の進行に問題があったの?」

 

会議はまだ続いている時間だった。

姉妹とテーブルを挟んで光宣くんの隣に腰かける。

お茶を淹れながら真由美さんが訊ねてくる。

紅茶の香りには心を落ち着かせる効果がある。

この香りは真由美さん好みのお茶だ。テーブルに用意された茶器は魔法協会のカフェスペースにしては高価なもので、どうやら真由美さんの私物のようだった。

このカフェスペースは基本的に魔法協会の職場環境を改善させるため施設だ。

いくら仲が良いとしてもカフェのスタッフにしてみれば七草のお嬢様の行動は横紙破りで困惑しているだろう。

そう言えば、真由美さんも十師族の次代。多少のわがままは許されると無意識に思っている。

テーブルには紅茶のほかにスコーンもあった。

美味しそうだけど、市販の食品を不用意に食べられない。

 

「真由美さんや深雪さんを人気取りのアイドルにしようとか、くだらない話題で盛り上がっていましたよ。達也くんは怒ってました。」

 

「…それは達也君も私も受け入れられないわね」

 

今も会議室は達也くんの怒気で圧迫されているだろう。

 

「あんなくだらない議論になるなんて、次代の十師族があの人たちかと思うと気分が悪いです」

 

会議の主催が兄の智一さんなので、姉妹が揃って苦い顔になる。

 

「でも、そのくだらない…浅はかな議論をする兄たちに失望された僕は輪をかけて情けないです」

 

光宣くんが紅茶の琥珀色を見つめながら言う。

光宣くんはお兄さんたちに、達也くんか深雪さんの伝手で四葉家と誼を結んで九島家の十師族返り咲きへの足掛かりを作るように言われ、会場に同行させられていた。

達也くんと光宣くんは友人と呼べるほど親しくないし、達也くんは話しにくい雰囲気の人物だ。

そもそも、光宣くんも社交的とはお世辞にも言えない。

 

「次期当主と言われているあの人たちは、今現在戦争中だってことすら知らないんだ。光宣くんの方が情報通、よっぽど十師族らしいよ」

 

「お祖父様と久さんに情報をいただいたからです。知っているだけですし、僕自身の力では…」

 

「それは光宣くんの実力だよ」

 

人脈や血筋、生まれも立派な武器だ。

 

「光宣くんは魔法師としては深雪さんや将輝くんと同じか上の戦術級、学力は全国トップクラスだ。特に『系統外魔法』の分野では先駆者だし、魔法師としては誰よりも優れているんだよ」

 

「戦略級魔法師の久さんや達也さんには負けますよ」

 

「得意分野が違うよ。僕は魔法力が強いだけ。達也くんは技術者としては世界一だけど魔法力そのものは弱いし。誰だって得意不得意があるでしょ」

 

この会話はこれまでも何度もしている。光宣くんは体調不良や気分が落ち込んでいる時には、思考がマイナスになる。

光宣くんは自身の体質のせいで自分自身を信じていない。暗い心の奥底にマグマのような不満がくすぶっている。

秀麗な外貌に、ちらちらと不完全燃焼の焦げた炎が上がっているのを僕は見た。

 

「光宣くんの実力はすでに個人で十師族以上なんだよ。真由美さんの前でこんなこと言うのも失礼だけど、あんな人たちとは比べ物にならないよ」

 

それでも光宣くんは納得が出来ていなかった。

 

「十師族なんて肩書にこだわらないで」

 

「十師族の組織を作り十師族の組織を護ろうとするお祖父様の意思に反することはできないですよ」

 

「烈くんやお兄さんに遠慮するなら、光宣くんが九島家から独立して九島光宣家を創設すればいいんだよ」

 

僕は光宣くんの手を強く握る。

 

「九島家は烈くんのカリスマがあっての十師族だったんだ。現当主とは別の組織と言っても良い。光宣くんが烈くんの後継者になればいい」

 

烈くんの人脈や作り上げた組織は、完全に烈くん個人のものだ。それを現九島家当主が受け継ぐイメージがわかない。

子供の頃から、いや、物心ついたころから光宣くんは、体調さえ常人並みなら世界最高の魔法師になれたのにと言われ続けている。

人は、家族も、光宣くんの前では言わないけど陰でこそこそ囁く。

それが光宣くんにはすべて聞こえてくる。聞こえると思い込んでいる。

光宣くんは家族を、烈くんと響子さん以外は見下しているから、その家族に護られることに反発を抱く。

だったら、独立すればいい。

経済的な問題は、烈くんの裏の資産を受け継げば解決するだろうし、孫可愛がりの烈くんがどうにかする。

それに、烈くんも喜ぶだろう。

 

「そう…ですね」

 

光宣くんは嬉しそうに笑ったけど、目は笑っていない。

言葉だけでは心に響かない。

年齢分の積み重ねがあるだけに、意固地だ。

人脈や生まれは武器だけど、己を縛る鎖でもある。

家から独立する。

名家のお坊ちゃんの光宣くんには、とっさに踏ん切りがつかない判断だ。

僕みたいな根無し草には根本的に理解できない鎖で、服の上からかゆい所をかくようなもどかしさを感じる。

 

最後に僕は、真剣な表情で、光宣くんに言う。

 

「光宣くんは、『僕が認めている』」

 

僕は口調を重々しく変えた。

姉妹がけげんな表情を浮かべる。

 

「それは戦略級魔法師の久ちゃんが認めているって意味?この国のトップの魔法師の発言ですもの、十分すぎる保証ね」

 

真由美さんの認識も正しい。もちろん、その意味も含まれている。

でも、光宣くんは近いうちに、己の中にいる存在と対峙する。

その時、電撃のように理解する筈だ。

 

『僕が認めている』

 

その意味は、すぐにわかる。

強く握ったままの手に熱がこもる。

 

 

 

達也くんとは縁が薄かったので、この後、光宣くんは真由美さんの誘いに乗り七草家に向かうことになった。

僕としても光宣くんと一緒の時間が増えて嬉しい。

 

「思ったんだけど、光宣は司波先輩に頼るより久君に頼んだ方が早くない?だって久君は四葉真夜さんの養子なんだから」

 

香澄さんが、思いついたように言う。

 

「え?」

 

僕はきょとんと香澄さんの顔を見返した。

どうして思いつかなかったのだろう。

光宣くんも虚を突かれている。

九島真言さんや次期当主は僕のことは意図的に眼中にないから、奇妙な空白が生まれている。

僕は、真夜お母様を利用するとか、まったく思いつきもしなかった。

利用、いや、単なるお願いなのに、おかしいな。

これまでも、お母様には頼ってばかり…ん?

僕から頼ったことなんてほとんどないな。いつもお母様が先手を打って対応してくれていた。その対応は神懸っているほど、情報が細かかった。

でも、今回の新ソ連侵攻に関してはまったく情報を報せてくれなかったような。

 

「光宣くん、来週の土日は空いている?」

 

「はい」

 

僕は素早く携帯を取り出し、手慣れた手つきで、お母様に電話をかけた。

 

「おはよう久。今朝はお疲れ様」

 

「お母様、おはようございます。さっきは会議でお話しできずに残念でした」

 

報告会でお母様は発言をしなかった。

国防軍の報告くらい既知だったのだろうに、真剣に聞き入っていた。

 

「今、お電話平気ですか?はい。それで、お母様、来週の日曜日は空いていますか?僕の親友を紹介したいんです」

 

社交的ではない光宣くんが入りやすい理由を考える。

 

「親友、九島光宣君?」

 

「はい、光宣くんです。僕の家で、日曜日に」

 

光宣くんを清里の四葉家本家に連れて行くわけにはいかない。

返事に数瞬間があった。スケジュールの確認をしているみたい。

 

「その日は都心に用があるわね。帰りに寄る形でいいかしら?」

 

日曜でも四葉家当主は忙しそうだ。

 

「はい!お待ちしています!ありがとうございます、お母様!」

 

僕はお母様の鈴の声を名残惜しみながら電話を切る。

 

「OKだって」

 

「はっ早いわね」

 

真由美さんが呆れている。

 

「母子関係は順調のようね」

 

「仲が良すぎて困惑するけど」

 

香澄さんがぶつぶつ。

泉美さんは興味がなさそうに、深雪さんの妄想をしている。

ぶっちゃけ七草家は、策謀好きの父、母の違う年の離れた兄たち、療養中と言う名の別居をしている生母、中の良い三姉妹と複雑で、家族仲は良好ではない。

 

「光宣くん土曜日から家に泊まりに来なよ。光宣くんの部屋を用意しておくから」

 

1人テンションが上がる。

 

「それは、はい。友人の家にお泊りってしたことがないので楽しみです」

 

光宣くんの気分も上昇した。

 

「そのまま家に住んでも良いんだよ」

 

光宣くんは気の置けない友人が地元にはいない。

二高にもナンバーズはいるけど、光宣くんと対等に会話できる人物はそうはいない。

魔法大学に入学すれば光宣くんも対等の友人が作れるだろうけど、上京は二年も先の話だ。

 

「さすがに二高の次期生徒会長として責任がありますから」

 

「僕の家は烈くんの持ち物なんだし、遠慮はいらないよ」

 

僕は光宣くんに横から抱き着いてゆさゆさと体を揺すった。

兄にねだる妹みたいな光景だった。

まぁ、僕の方が兄なんだけど。

 

「前みたいに一緒に夜更かしして悪だくみしようよ」

 

子供同士の無邪気で無慈悲な遊び。

光宣くんも、くすりと笑った。

 

 

「2人は、ちょっと仲が良すぎるんじゃないかな。何だか恋人同士みたい」

 

香澄さんが僕たちの距離感に顔を真っ赤にしていた。

泉美さんが、深雪様に恋人が…とか言って、妄想を膨らませていた。危ない人になってる。

 

「あら、香澄ちゃん悋気?」

 

真由美さんの顔もちょっと赤い。

 

「久君は、四葉真夜さん、響子さんとも澪さんとも仲が良すぎるのに、ライバルが増えるのは…」

 

「ライバルって、男同士で…でも超展開みたいな…」

 

消え入るような声で呟いて聞こえない。

姉妹して少女コミックスの読みすぎなのでは?

 

「香澄さんはどうする?」

 

「ふぇ?」

 

「香澄さんも僕の義妹なんだし、『家族』が揃うと僕はすごく嬉しいんだけど」

 

僕のテンションに、ちょっと引き気味の香澄さん。

 

「う…ん。どうしよう…そのメンバーは流石に豪華すぎて…気後れしちゃうな」

 

戦略級魔法師二人、『電子の魔女』、現役最強の魔法師、次代の戦術級魔法師。

 

「たしかに、世界を滅ぼせるメンバーよね」

 

真由美さんは以前も同じようなことを言っていたな。

 

 

子供同士の無邪気で無慈悲な遊びか。

遊びとは、余裕があるかどうかだろう。僕や烈くんの時代は…って老人の愚痴みたいだ。

光宣くんも『次代』、なんだよな。

現実に満たされているのに、自分だけ不幸だと思い込んだりする。

手を差し伸べてくれる人のいる幸運を思わなくてはいけない。

奇貨居くべし。

差し伸べられた手を握り返すタイミングを見誤らないようにしないとダメなんだ。

 

僕は、光宣くんの横顔を見た。

 





久と光宣の距離感がやたらと近いのは、
『高位次元』のエネルギーを光宣に少しでも注ぎ込もうとしているからです。
光宣の闇堕ちは、もう一つステップを踏んで防ぎます。


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風がふいている

 

月曜の朝。

澄んだ春日和。柔らかな風が、街路樹の桜を散らしていた。

花吹雪が、宙に鮮やかに踊っている。

いつも通り一高前駅で達也くんたちと待ち合わせをする。

深雪さんは水も滴るばかりの風姿で立ち、達也くんが衆目から護るように寄り添っている。

気品匂う2人の姿に、周囲からため息が漏れた。存在感が周囲を圧倒している。

この気品と生気が、深雪さんに似ていても僕にはない。

水波ちゃんが目で挨拶をする。

昨日の若手会議。本当なら僕も達也くんと同調して、十師族の次代に対しなくてはならなかった。

それなのに、殺気をまき散らして会議の空気を悪くしただけだった。

その件を頭を下げて謝ろうとすると、達也くんに手で制せられた。

ただでさえ目立つ達也くんたちに僕が合流してざわめきが起きている。特に制服を着慣れない新入生の目が僕たちに集中していた。

校門に続く緩やかな坂を並んで歩く。

達也くんは昨日の件は特に気にしていないようだ。

 

「でも、深雪さんをアイドルに仕立てて衆目に晒すとか、次代の結集があんな子供のような発想しかできないなんてばかばかしい…」

 

僕は達也くんと深雪さん、水波ちゃんと並んで歩きながら愚痴っぽく言う。

 

「深雪さんは達也くんだけのアイドルなのに…」

 

「お兄様だけのアイドル!」

 

心で思ったことをつい口に出してしまう。

 

「お兄様の前だけで歌ったり踊ったりしたらお兄様はお喜びに?はしたないと怒られるかしら…ぶつぶつ」

 

深雪さんが早朝から悶えている。

それまでの清華な姿から艶冶な色気をこぼす深雪さんに、生徒たちが息を飲む。

達也くんの表情が苦い。

水波ちゃんの達観した目が風に散った桜の花びらを追っている。

新ソ連との戦争中とは言え、僕にとっては日常に帰って来たと安堵する光景だった。

 

「久、今後の四葉家の方針について伝達事項がある。放課後、家に来られるか?」

 

達也くんが無表情で言う。校内で話せない内容なのか。

 

「うん。問題ないよ。じゃあ、謝罪の続きは達也くん家でするね。土下座でもアンコウ踊りでも何でもするから」

 

「そこまでしなくていい」

 

「一緒に帰ることになるね。帰宅時刻まで時間を潰さなきゃ」

 

達也くんたちは生徒会のお仕事がある。

名ばかり副会長の僕に生徒会で出来ることは、あまりない。

達也くんはちょっと考えた。

 

「新学期が始まって間もない。詩奈と共にこの機会に生徒会の仕事を覚えるのも悪くはないが?」

 

女子だらけの生徒会室に男子ひとりだけと言う状況は、達也くんでも居心地が悪いそうだ。

ほのかさんのもどかしい視線と泉美さんの歪んだ嫉妬の視線、深雪さんの熱い視線に、水波ちゃんのジト目。

しかも、待機状態の『ピクシー』が生徒会室の隅に座っている。

詩奈さんはこの雰囲気でも温かい日だまりのように笑顔を浮かべているそうな。

 

「あー、部にも顔を出さないと幽霊部員になってしまうから、料理部に行ってるね。用が出来たらいつでも呼んでね」

 

僕だってそんな生徒会室は居心地が悪い。

三十六計逃げるに如かず、君子危うきに、だ。

 

 

放課後、深雪さんとほのかさんが生徒会室に向かい、僕も手荷物をまとめて部活棟の家庭科室に向かう。

部にある食材だけだから、そんなに手間のかかるものは作れない。

自分の考えだけだと、料理のレパートリーが偏るし、他の部員の料理を手伝おうかな。

そんなことをぶつぶつ階段の踊り場で考えていたら、

 

「ん?」

 

微弱な『念力』を感じた。

放課後の魔法科高校なので、部活中の『魔法』は飛び交っている。

その中で感じた『念力』は『魔法』ではなく、僕と同じでCADを使わないアナログな力だったから感知能力が低い僕でも感じられた。

ただ、僕と違って悲しいくらい微弱な、吹けば飛ぶような『サイキック』のようだった。

これほど弱いと実戦では役に立たないかもな。

誰が使っているのかな。時間もあるし、見に行ってみるか。

その『サイキック』は第二小体育館、通称・闘技場から感じられた。

闘技場ってことは、剣術部か。

体育館に近づくと、気合の声や木刀がぶつかり合う音、どたどたと床を踏みつける音が聞こえてくる。

部活開始直後なのに、道場内は熱気と活気に溢れていた。

開いたドアから中を覗き込む。

多くの生徒の中で、赤い髪が弾んでいた。

鍛えられた体幹で、体操服の後姿も凛々しくすっきりしている。

 

エリカさんだ。

 

仲の良い壬生紗耶香さんは卒業したのに相変わらず剣術部に入り浸っている。

エリカさんは見知らぬ男子生徒と立ち会っていた。

どちらかと言えば、一方的に痛めつけて、男子生徒は悔しさにあふれた表情をしている。

『念力』は、あの男子生徒が使っている。

でも、エリカさんの動きの方が早く、役に立っていない。

弱すぎる上に、余計な一手が増えて『間』が悪く、エリカさんにそこを突かれている。

男子生徒の刃風がむなしく宙に鳴っている。

エリカさんの足運びは水際立っていた。

男子生徒の片手薙ぎを一寸の見切りでかわすと、石火の一撃が、男子生徒の左手甲に入った。

男子生徒の手から木刀が弾かれる。男子生徒はたまらず膝を折った。

うわぁ痛そうだな。

弾かれた木刀がくるくると僕の前にまで転がって来た。

 

「何見てんのよ、久」

 

声に険がある。

エリカさんは、振り向く前から、闘技場の入り口に立つ僕の存在に気がついていた。

ほのかに上気した頬が瑞々しい。

わざと僕の方に木刀を弾かせたのか。荒っぽいのに器用だな。

今日のエリカさんは、機嫌が悪い。

僕と達也くんは、エリカさんの感覚では、お兄さんである寿和さんの敵だ。

寿和さんの遺体を千葉家に運んだあの日、エリカさんは達也くんと立ち会って敗北した。

僕との勝負は、達也くんの提案で期末試験での順位になった。結果は、僕が一位差で負けた。

それで手打ちになったはずなのに、一位差しかなかったことにエリカさんは微妙な表情だった。

機嫌の悪いエリカさんはレオくんか幹比古くんで憂さを晴らすのがこれまでだったけど、新しい憂さ晴らしを見つけたようだった。

かわいそうに。

 

「久、一週間も休んでたけど、体調は大丈夫?」

 

エリカさんが僕に向かって歩いてくる。

 

「うん、むしろ好調かな」

 

この一週間、一般には僕は病気で休校したことになっている。

 

「じゃあ、ちょっと付き合ってくれない?侍郎が休んでいる間、相手をして」

 

侍郎くん?

男子生徒は両手を太ももにあてて肩を波立たせている。湯を浴びたような汗だ。

体力的に問題はなさそうなので、エリカさんの気迫に緊張していたようだ。

男子生徒は中途半端に長い髪を紐で結んでいて、気の強そうな顔つきだった。

ああ、彼が詩奈さんの会話にたびたび出てくる幼馴染の男の子か。

 

「僕とは、土俵が違いすぎて勝負しにくいんじゃなかった?」

 

先日の千葉家での会話を思い出す。

エリカさんが僕の前に転がる木刀を拾い上げ、

 

「紗耶香から聞いたのよね。紗耶香から一本取ったとか、マジックアーツ部の十三束君を倒したとかね。それも桐原先輩と沢木先輩を三人まとめて」

 

その木刀の柄を道場の外にいる僕に差し出した。

エリカさんの目が鋭い。瞬きすらしない。

侍郎くんが相手の時とは違う、感情を逆に殺した非情の目だった。

雰囲気に気がついたのか、剣術部の部員が手を止めざわついた。

あの『サイキックアーツ』による模擬戦のことは桐原先輩が壬生先輩に話したのかな?

余計なことをしてくれたなぁ。

僕が休んでいる間に壬生先輩から話を聞いて、実は同じ土俵で戦えることを僕が黙っていたことに腹を立てているのか。

寿和さんの件は、エリカさんの中で消化できていない。

兄妹でも、エリカさんの千葉家での立ち位置は複雑そうだし、性格なのか家庭環境のせいなのか、エリカさんはナンバーズの『次代』って雰囲気とは一線を画している。

野生の一歩手前、いや、野良猫かな。

不用意に手を差し出すと、それが善意であっても、爪で引っかかれる。

それだけじゃないよう気もするけど、興味は薄い。

闘技場の他の部員たちが、僕たちを見ている。

敵なら容赦なく殺す。けど、エリカさんを殺したら深雪さんが悲しむし、レオくんは激高するだろう。

僕は木刀の切っ先を鈍く見返した。

 

「ええと、このあと達也くんの家に行かなくちゃいけなくて、勝負は遠慮させてもらうよ」

 

エリカさんほど勝負にこだわりがない。

有体に言って、面倒くさい。

 

「達也君の家?」

 

それは四葉家の内内の話と言うことだ。エリカさんでも躊躇せざるを得ない。

 

「怪我とかして行きたくないから」

 

僕は首を伸ばして侍郎くんを見た。あんな風に叩かれたら、僕の骨は簡単に折れてしまう。

 

「寸止めくらいしてあげるわよ」

 

どうしてだろう。奇妙な程しつこい。

これまでなら、ここまで食い下がらなかったのに。

でも僕は、熱いお誘いを、鉄の心で拒絶する。

 

「断わ…」

 

「だったら、勝負は後日。一高以外の場所でもいいわよね」

 

ぐっ。

僕の返事を、後の先して封じた。

見事な呼吸だ。これも鍛えられた剣士の間合いなのかな。

って一高以外?

それって人目を気にしない真剣勝負?

 

「うっうん」

 

エリカさんの気迫に、思わず頷く。

しまった、言質を取られてしまった。

 

「久、じゃあ、日時はこっちが決めるから都合が悪かったら言って」

 

「都合は悪…」

 

「侍郎、休憩は終わりよ」

 

エリカさんは僕の返事を待たず荒々しく振り返る。

木刀をすり上げに、びゅっと振った。

 

「はっ、はい、お願いします。」

 

侍郎くんがちらりと僕を見た。

慇懃に一礼しつつも、値踏みして、僕の華奢な体型に不思議なものを見るような表情だった。

僕は、唐突な展開に、やや茫然と立っていた。

 

「はぁ」

 

エリカさんと別れて僕はため息をついた。

エリカさんの殺伐とした雰囲気にあてられて、あまり気分が良くない。まさに野良猫に引っかかれた気分だ。

剣の腕だけだったら、僕はエリカさんになすすべもなく敗北する。

未熟な僕にはエリカさんの構えにどれ程の技量が秘められているかすらわからないし、逆に、全力の僕にエリカさんが勝つには不意打ちか意外な業しかない。

エリカさんがしたいのは真正面からの勝負だから、道場内の試合、僕の視界に入っている時点でエリカさんに勝ち目は皆無だ。

正直、困ったな。

適当にお茶を濁せばエリカさんの機嫌はますます悪くなるし、徹底的に打ちのめしても同じだ。

部活に行く気分ではなくなってしまった。

とは言え、達也くんの帰宅時刻まで時間はつぶさなくてはいけない。

 

季節は、桜の花弁がまだちらほらと残る春。大きく呼吸をすると、春の香りがする。

学校の庭の整えられた春でも、気分が浮き立つ香りだ。

今日は快晴だし、春の日差しを一杯に浴びて、気分をかえたい。

中庭も良いけど、日当たりは屋上の方がいいかな。

校舎の屋上は庭園になっていて、生徒の利用は多い。

移動中、すれ違う2~3年生たちが僕の体調を気遣いながら挨拶をしてくる。

テロ事件直後の頃に比べて、生徒たちの僕への風当たりは弱まっていた。

どうやら、深雪さんや友人たちの影の行動もあったようだ。

新入生が遠巻きに僕に視線を向けてくる。

戦略級魔法師で四葉の僕に声をかける勇気はないけど、好奇の多くの視線が向けられ落ち着かない。

僕は足を速めた。

 

屋上は、利用する生徒はいなかった。

春の日差しは暖かいのに、遮るもののない屋上は風が吹いていた。

地上では温かいと感じたけど、頬に当たる風が冷たい。

ここの所、見知らぬ大人と接する機会が多かった。人が来ないならむしろありがたいな。

僕は柵の前に立ち、青空と流れていく雲を見るでもなく眺めていた。

 

「ん?」

 

神経に触れるものを感じて、頭をまわした。

視界に赤い物が入った。

いつ現れたのか、校門の外に赤い服を着た少女が立っていた。

フリルやレースを多用しているのに、肌の露出は顔だけの服。手袋までして、まるで春の日差しを拒否するかのような女の子だった。

距離は200メートル以上あるのに、あの少女は、僕を見ている。

人形のように整った容姿なのに、記憶に残らない奇妙な感覚。

下校中の生徒は全く気がつかないで少女の前を素通りしている。

その少女が、すっと何かを指さした。

校舎?…の向こう。校舎裏の雑木林か。

一年生の三学期、『パラサイト』と達也くんたちが戦っていた雑木林だ。

彼…少女はそのことを知っている。

一高の物理的な警備レベルは高くない。少女がその気になれば簡単に突破できるだろう。

ただ、魔法的な結界は、深雪さんが生徒会長になってからは幹比古くん協力のもと強化されている。

感覚の鋭い生徒も多いし、少女のような胡乱な存在は遁甲術を駆使していても、校内では怪しまれる。

演習場は、運動部の『魔法』が飛び交っている。結界なんて張ったら、警報が鳴りっぱなしになるので、結界は校舎のある敷地にだけ張られている。

広大な校舎裏の野外演習場はとくに柵はなく、誰でも侵入できる。

僕は軽く頷くと、雑木林に向かう。

 

校舎裏の雑木林は手入れされ、運動部の生徒に長年踏み固められているので、僕のような足弱でも歩きやすい。

春の陽光が、樹幹に遮られて、まばらに地面を照らしている。

今日は運動部の活動がないのか雑木林はひっそりとしていた。

目印になるものはないので、おおよそだけど僕はとりあえず『マルテ』と密会した場所に向かっている。

100メートルほど進んだだろうか。

僕は足を止めた。

人工的に作られた雑木林は色が乏しくどこも同じ風景だ。

右せんか左せんか、もっと奥まで行こうか迷い、あきらめた。

向こうが見つけてくれるだろうと、クヌギの幹に寄りかかって待つ。

 

やがて、雑木林の中をゆっくり少女が歩いてくる。

僕は少女と対峙した。

少女の青白い肌は陶磁器のようだ。

 

「こんにちは、四葉久さん」

 

ふと、陽が陰った。

気温が少し下がった気がする。

 

「この姿では初めまして、『超越者』殿。いえ、このような呼び方はお嫌いでしたね」

 

少女の声で、初めて会った時と同じ会話をした。

僕も続けた。 

 

「あなたは…誰ですか?」

 

少女は笑った。生気のない笑顔だった。

 

「私の名前は…」

 

赤い唇が、薄く開かれた。

 

ひと際強い風が吹いた。

春の光る風に、緑がざわざわと大きくうごめいた。

 

 

 




今回は、風姿、刃風、光る風とか、風にこだわってみました。

久と侍郎に接点を持たせる話です。
最初、エリカと闘わせていたのですが、
長くなるし、久は剣術に興味がないから剣術の勝負にならなくて、勝負は後日に。
もっとも、久と侍郎が絡むことはあまりないですが…

と言うわけで、やっと赤の少女と接触できました。
久は出歩かないので、2人が出会う機会がなかなかできませんでした。
赤い少女は何者なのか?(笑)。
光宣の中にいるモノとはどう違うのか。
このSSの最初から引っ張って来た、精神、昇仙、入れ物、ピクシーなどが、
やっと次回で解決する…はずですが、さて。
では、また次回。


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