かえでさんといっしょ (朝霞リョウマ)
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高垣楓と一緒
高垣楓に求婚する6月


我らが女神、高垣楓の誕生日を祝って。


 

 

 

 唐突ではあるが、346プロダクションのトップアイドルである高垣(たかがき)(かえで)は俺の恋人で、今日はそんな彼女の二十五歳の誕生日である。

 

 

 

 恋人の誕生日なのだからプレゼントは勿論のこと、一緒にデートやディナーへ……と言いたいところではあるが、そんな考えが通るほど我々の業界は甘くない。

 

 ファンの間では『にじゅーごさいのおたんじょうび』などと称されるバースデーイベントの他、ラジオやテレビなど各方面にいつも以上に引っ張りだこ。俺は俺で映画の撮影や取材で忙しく、今日は一回も顔を合わせるどころか電話の一つもする暇がなかった。

 

 さらに夜は楓の同僚のアイドルたちが誕生日パーティーを開くらしいので恋人と二人きりでのディナーも無し。世間一般には公表していないものの、事務所には俺たちのことを知っているアイドルもいるので「夜ぐらいは恋人を優先させてパーティーは後日にするとか気を利かせてくれよ」と声を大にして言いたい。

 

 しかしパーティーの主宰が川島(かわしま)瑞樹(みずき)片桐(かたぎり)早苗(さなえ)という面々であるところから察するに、要は独り身おねーさんたちの大人げないやっかみである。

 

 全く、そんなんだから二十八になるっていうのに浮いた話の一つも――。

 

 

 

 ――ピリリリリッ

 

 

 

「ん?」

 

 着信を告げるスマホを手に取る。画面に表記された名前は『kwsmさん』。

 

(……稀によくあるよな)

 

 完璧過ぎるタイミングの着信にワカルワーと内心ビビりながら、はてと首を傾げる。

 

 先ほども述べたように、彼女は今楓の誕生日パーティーの真っ最中のはずである。いや、既に夜の十時を回ろうとしているのでそろそろお開きになっているかもしれないが。

 

 そんな彼女が何故俺に電話を? っていうか楓は?

 

 そんな疑問を抱きつつ通話ボタンをタップする。

 

「今晩は、川島さん」

 

『今晩は、(あさひ)君』

 

 電話越しに聞こえてきた声は画面で表示された名前の通り、ほんの少し前まではアナウンサーとして聞いていた声で、最近ではアイドルとして聞くようになった声の川島さんだった。

 

『唐突だけど、さっき何か変なこと考えてなかった?』

 

「そういうサイキックなことはエスパーユッコちゃんに任せておきましょうよ」

 

 後輩の持ちネタを奪うのはいけないと思います。

 

『まあいいわ。それより二つほど質問したいんだけど、いいかしら?』

 

「唐突ですね」

 

『一つ、今時間大丈夫? 二つ、お酒飲んでない?』

 

「……質問の意図は分かりかねますが、とりあえず両方ともイエスですね」

 

 今日一日忙しかったとはいえ流石に夜の十時にまで長引くような仕事は無かったので、今は自宅に帰って来てリビングで次の撮影の台本を読んでいたところだった。

 

 そして大のお酒好きの楓の影響というわけではないが、俺もそこそこお酒は飲む。職業柄それなりに給料(サラリー)は貰っているので、いいお酒をわざわざ取り寄せて飲んだりしたりもする。けれど恋人の誕生日に一人酒は少々物悲しかったので今日はまだ一滴も口にしていなかった。

 

『そう、だったら丁度良かったわ』

 

 その旨を伝えると、川島さんは安心したような声を出した。

 

『実は楓ちゃんがすっかり酔っぱらっちゃって、旭君に迎えに来てもらいたいのよ』

 

「……別にそれはいいんですけど」

 

 酔った恋人を迎えに行くこと自体は別に不自然ではないのだが、川島さんが俺にそれを依頼してくることに違和感を覚えた。今までそういう場合は川島さんか三船(みふね)さん辺りが楓の自宅まで送っていってくれていたと思うのだが……。

 

『楓ちゃん、貴方の家に行くって言って聞かないのよ』

 

「え?」

 

 よくよく耳を澄ますと川島さんの声の向こうから微かに楓の声が聞こえてきた。川島さんの言う通り、俺の家に行くんだと言って他の人を困らせている様子で、酔うと笑い上戸になる楓にしては珍しい酔い方だった。

 

『やっぱり誕生日は恋人と一緒にいたくて寂しくなっちゃったのね、わかるわ』

 

「流石に白々しすぎやしませんかね」

 

 個人的なやっかみでその恋人同士を引き離したのは何処の誰だと強く言いたかったが、それよりも恋人が自分に会いたいと我儘を言っているということが凄く嬉しかった。

 

「とにかく、今から出ますね。いつものお店でいいですか?」

 

『えぇ、お願い。それまで私たちが――』

 

 

 

 ――キャーッ!? 楓ちゃんがオロッたー!?

 

 

 

『――……楓ちゃんを人前に出せる状態にしておくわ』

 

「……ご迷惑をおかけします……」

 

 先ほどまでの感情は吹き飛び、後に残ったのは申し訳なさだけだった。

 

 どうか楓の消えない粗相が思い出せない記憶になることを祈るばかりである。

 

 

 

 

 

 

「……んー……あれぇ……?」

 

「お、目ぇ覚めたか?」

 

 川島さんたちから楓を回収して後部座席に優しく放り込み、とりあえず俺のマンションへと向かう途中で後ろから声が聞こえてきた。バックミラーで確認すると、丁度楓が体を起こすところだった。先ほど少々粗相があったものの服は汚れておらず、熱いと言って少々肌蹴た胸元が大分セクシーな感じになっていた。

 

「……うふふふ……あーさーひーくーん」

 

 しかしまだ酔いは残っているらしい。赤信号で車が停車した途端、そんな風に笑って俺の名前を呼びながら後部座席から腕を伸ばしてくる。

 

「こら楓、ちょっと大人しくしてろって」

 

 ヘッドレスト越しに後ろから首に抱き付かれる形になり、今は停車中だが流石に運転中は危ないので注意する。頭がすぐ横にあり少々酒臭いが、割といつものことなのでもう慣れた。

 

「……ねぇ、プレゼントちょーだい?」

 

「俺の部屋に着いたら渡すよ。今日のためにいいお酒取り寄せたから」

 

 楓に対するプレゼント=お酒というのも少々安直なような気もしたが、なんだかんだ言って彼女も一番喜ぶし俺も一緒に飲めるのでこれがベストというのが俺の出した結論だった。

 

 故に今回もベタではあるが彼女の生まれた年に仕込んだというワインを購入しておいたのだが、楓は「んーん」と首を横に振った。

 

「そうじゃなくて」

 

「まぁもう今日は飲めないだろうし俺も飲ませるつもりはないから、大人しく後日――」

 

「そーいうことでもなくて」

 

 じゃあどういうことだろうと傾げる首は、次の楓の一言により中途半端な位置で止まることとなる。

 

 

 

「プレゼントは指輪じゃないの?」

 

 

 

「………………え?」

 

「前、前」

 

 信号が青に変わり、車を発進させつつ内心では心臓がバクバクしていた。

 

(な、なんでバレた……!?)

 

 実のところ、今回はお酒以外のプレゼントも用意してあった。

 

 それが楓の言う通り、指輪なのだ。

 

「この間、寝ている時に私の指を触ってたでしょ? あの時、指のサイズを測ってたんじゃないかなって思ったの」

 

 何その察しの良さ。アルコールが入ったことで推理力が上がったのか?

 

贈呈(ぞうてい)想定(そうてい)してたんじゃないの?」

 

「……お、おう」

 

 動揺しまくりで運転が怪しくなりそうだったが、楓のいつもので若干冷静になることが出来、なんとかマンションの駐車場に辿り着くことが出来た。

 

 未だに足元が若干怪しい楓を背負い、エレベーターで自室のある階へと昇っていく。

 

 背中の楓はそれ以降一言も発さず、しかし俺の胸中は穏やかではなかった。

 

 それは決して背中に楓の柔らかさと暖かさが広がっているからではなく、その指輪を用意した『理由』が『理由』だったからだ

 

 

 

 ――俺は楓に結婚を申し込もうと考えていた。

 

 

 

 今日の誕生日を境に、俺と楓は揃って二十五歳になる。付き合い始めて四年が経ち、そろそろお互いに結婚を考えてもいいのではないかと俺は思っていた。

 

 今後楓と別れるという選択肢は存在しないと断言できるし、結婚というものを考えた時にいつも隣にいるのは楓だった。

 

 だから楓の誕生日という節目にプロポーズをしようと考えていたのだが……。

 

(はぁ……運がねーよな、マジで)

 

 二人きりの時間が取れなかったばかりか、二人きりになったと思いきや当の楓は酔っている状態だ。流石にこのタイミングでプロポーズは間違っていると「女心が分かってない」と妹に叱られる俺にも分かる。

 

 とりあえず指輪自体はサプライズのプレゼントとして渡すとして、プロポーズはまた日を改めて……と考える一方で、まさかこのまま永遠にプロポーズが成功しないのではないかという一抹の不安が頭を過る。まだ一回しかタイミングを逃していないくせに、我ながら何ともまぁネガティブというかマイナス思考というか。

 

 そんなことを考えている内に、両者無言のまま俺の部屋まで辿り着いた。

 

「ほら、着いたぞ楓」

 

 楓を背負ったままではあるが何とか鍵を開け、部屋に入るとリビングのソファーの上に楓を降ろした。

 

「気持ち悪くないか? 今水持ってくる……って、楓?」

 

 そう言ってキッチンへと向かおうとしたのだが、そんな俺の服を楓が摘まむようにして引き止めた。

 

 そのままくいっと引っ張られ、そこまで強い力では無かったにも関わらず俺は引き寄せられるように楓の隣に腰を下ろした。

 

 そしてそのまま俺の肩に頭を乗せるようにもたれかかって来る楓。ほんのり赤い顔で目を伏せ、しかし寝ている様子では無かった。

 

 ふと視線を下に向けると、そこには恋人繋ぎをする自分と楓の手。こうやって隣に座るといつもこうして手を握っていたので、無意識的に握っていたらしい。

 

「……楓?」

 

 再度呼びかける。

 

「……寂しかった」

 

「え」

 

 それはか細い囁くような声。カチカチという時計の針の音にすらかき消されてしまいそうな、そんな声だった。

 

「今日は私の誕生日で……それなのに、一回も顔を合わせることも声を聞くことも無くて、寂しかった」

 

 拗ねるような声で、それでいて甘えるように、楓はクシクシと額を俺の肩に擦り付けてくる。

 

「だから、せめて日付が変わる前に……私の誕生日の最後の時間ぐらいは、貴方と一緒にいたかった」

 

「……そうか。ありがとな、誕生日の最後の瞬間を俺にくれて」

 

 そんないじらしいことを考えていてくれたことが素直に嬉しく、そして――。

 

 

 

「……でもね、本当はいつだってずっと貴方と一緒にいたい」

 

 

 

 ――楓のそんな一言に、呆気に取られてしまった。

 

「誕生日だけじゃなくて、明日も明後日も、ずっと、ずーっと貴方といたい」

 

「楓……」

 

「……あのね、私……」

 

「ス、ストップ」

 

 もうここまで言わせておいてストップも何もあったものじゃないが、それ以上は楓の口から……というか、楓から先に言わせるわけにはいかなかった。

 

 運が悪いとか、タイミングがないとか、既にそんなことどうでもよかった。

 

 女性の方から先にこれだけ言わせておいて、今更男の面目も何もあったものではないが。

 

 それでも、楓が俺と同じ想いでいてくれると知ってしまった以上、この言葉は『今』彼女に伝えずにはいられなかった。

 

「……楓」

 

「……はい」

 

 繋いでいた手を離し、少し体も離して楓と正面から向き直る。

 

 正面から改めて顔を見た楓の目は、優しい目でしっかりと俺を見ていた。

 

「……今から、超大事なこと言うぞ?」

 

「はい」

 

「……明日になって『酔ってたから覚えてません』とか無しだぞ?」

 

「そんなこと言わないわ」

 

 すーはーと二度三度深呼吸をし、しっかりと両手で楓の手を握りながら彼女の二色の瞳を覗き込む。

 

 

 

「……俺は、貴女を愛しています。これから先の人生も貴女と一緒に過ごしていきたい。……俺の人生を貴女に捧げます」

 

 

 

 ――だから、貴女の人生を俺に下さい。

 

 

 

「高垣楓さん……俺と結婚してくだ()()()

 

 

 

 

 

 

「「………………」」

 

 ……とりあえず、一つだけ言いたいことがある。

 

(……誰か俺を(ころ)せえええぇぇぇっ!!??)

 

 いやマジで。

 

 何だよこのタイミングで噛むってしかも俺俳優だよ芸歴で言えば十年だぜ割とベテランの癖して何この最悪な噛み方今までどんなに緊張した現場や舞台でも本番は一回も噛んだこと無いのにどうしてこんな時に限って噛むんだよマジありえないクッソ恥ずかしいアレだけカッコつけた台詞吐いておいて最後の最後になんて噛み方するんだよやっぱり今日はプロポーズが成功しない日じゃないか。

 

「……ふふふ」

 

 楓にも笑われてるよもう無理実家に帰って大人しく余生を過ごしてみくにゃんのファン辞めます……と、そこまでグルグルと回っていた思考は――。

 

「……へ?」

 

 ――目の前の彼女に抱きしめられることでようやく止まった。

 

「ふふ、貴方でも噛むことがあるのね? いつものドラマや映画での姿からは想像できなかったわ」

 

「マジで勘弁して……カッコ悪すぎてもう泣きてぇ……」

 

「でも……そういうカッコ悪いところも、これからは全部私に見せてね?」

 

「……え?」

 

 

 

「……プロポーズ、お受けいたしま()()

 

 

 

「……かえ、で……」

 

「私も噛んじゃったから、これでお揃いね」

 

「っ!」

 

 楓の身体を力一杯抱きしめる。力加減とか全然考えてなくて、きっと痛かっただろう。

 

 でも楓は何も言わず、ただただ俺の背中に手を回して抱きしめ返してくれた。

 

「絶対に、大切にするから! 幸せにしてみせるから!」

 

「……安心して」

 

 

 

 ――今この瞬間から、私はずっと幸せだから……。

 

 

 

「それで、指輪はくれないの?」

 

「……あっ。……ちょ、ちょいタンマ! 今持ってくるから!」

 

「ふふふ」

 

 

 

 

 

 

 六月十四日

 

 今日は私の誕生日で、人生最良の日となった。

 

 朝から事務所が企画してくれたバースデーイベントに参加。多くのファンの皆さんが私の誕生日を祝ってくれた。ファンの皆さんからのプレゼントの中にはお酒も沢山あったのだが、一度事務所が中身を確認してからでないと呑むことが出来ないらしい。森伊蔵とか飲みたかった……。

 

 事務所のイベントの他もラジオやテレビで私の誕生日を祝ってくれた。

 

 そして夜は事務所のみんなが私のために誕生日パーティーを開いてくれた。最初は事務所で、その後はいつものお店に場所を移してお酒を飲みながらのパーティーになった。

 

 ただ、いつものお店に着いてからの記憶が殆ど無い。少々酸っぱい匂いがした気がしたが、から揚げにかけるレモン汁でも溢したのだろうか。

 

 そして夜。私を迎えに来てくれた旭君に連れられ、彼の部屋へ。

 

 そこで私は、彼からプロポーズを受けた。

 

 肝心なところで噛んでしまうという、普段の彼からは想像できない可愛いミスもあったものの……それでも、凄く嬉しかった。

 

 それを私が拒む理由も無かった。

 

 まだ婚姻届けは出していないものの、彼と夫婦になると思うと心がポカポカする。余りにも幸せすぎて、夢なのではないかと思ってしまう。

 

 けれど今こうして日記を書いている後ろを振り返ると、幸せそうに眠る彼がいる。

 

 だからこれは夢ではなく、この幸せが明日からずっと続く。

 

 ずっとずっと……この幸せが続きますように。

 

 

 




・旭
主人公。名無し系主人公にしようとしたが無理だった。
主人公の詳細は徐々に明かされていく(てい)で。

・高垣楓
六月十四日に生まれた女神。
作者の力量の問題で駄洒落は少々控えめ。



 『楓さんメイン作品が増えないなら自分で増やせばいい』という電波を受信した。

 「出会い→プロポーズ」の過程ではなく「プロポーズ→挙式」の過程にすることでイチャラブ成分を増やし作者のモチベーションを保つ目論見。

 楓さんの誕生日にちなみ毎月14日を更新日とし、全十三話、来年の楓さんの誕生日完結を目標に書いていきます。

 なお更新ペースが遅いのはメイン更新の妨げにならないようにするためと、締め切りを設けてエタらないようにするため。

 一年という長いようで短い期間でありますが、どうぞお付き合いください。


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高垣楓とビールを飲む7月

お酒は二十歳を過ぎてから、飲まれ過ぎない程度に嗜みましょう。


 

 

 

『というわけで妹よ、兄は高垣楓と結婚するぞ』

 

『ちょっと待て』

 

『近いうちに挨拶には行くから、父さんと母さんによろしくな』

 

『だから待てって』

 

『なんだよ、待ては一回までだぞ? ちゃんと使いどころは考えろよ』

 

『間違いなくその一回の使いどころが今だよ。……え、何? 兄貴、楓さんと付き合ってたの!?』

 

『え、そこから? ……あ、そーいやまだ話してなかったっけ。一応事務所の一部の人間は知ってるんだけどな』

 

『何で妹のあたしがその一部に含まれてないんだよ……』

 

『というわけで妹よ、兄は高垣楓と結婚するぞ』

 

『何事もなく話を進めんなって。まだこっちは兄貴と楓さんが結婚するっていう事実を受け入れることで手一杯なんだよ』

 

『近いうちに挨拶には行くから、父さんと母さんによろしくな』

 

『ループでゴリ押ししようとすんな!』

 

 

 

 というのが先月に行われた実家住まいの妹との電話でのやり取りの一部である。

 

 楓の誕生日に求婚をし、恋人から婚約者へとグレードアップしてから早くも一ヶ月が経とうとしていた。

 

 この一ヶ月はお互いにアイドルや俳優としての仕事をこなしつつ、事務所に報告をしたり互いの両親に挨拶に行ったりとかなり多忙な毎日を過ごすことになった。

 

 ちなみに事務所は結婚に関して理解を示してくれた。いや、正確に言えばお互いのプロデューサーやその他上層部は結婚の報告をした際に一瞬顔をしかめたが、他事務所の人間よりはいいかと妥協した感じだった。どっちに転がっても346が話題になることには間違いないからな。

 

 ただ、世間に公表するのは現段階で『待った』がかかった。俺は俺で映画の主演が決まっており楓は楓で大きなライブを控えているので、せめて今年一杯は勘弁してくれとのこと。

 

 どのみち結婚式をもう少し後に想定していたので、俺と楓もこれに同意。婚姻届の提出も暫く見送ることとなった

 

 ついでなのでお互いの実家へ挨拶に行った話もしておこう。

 

 まず俺の実家は千葉なので仕事終わりにそのまま楓を連れて行った。予め妹を通して連れていく旨の話をしておいたので、妹が「兄貴が本当に楓さん連れてきた!?」と驚愕していたこと以外は特に問題はなかった。というか、信じてなかったのかお前は。

 

 一方の楓の実家は和歌山なので仕事終わりに足を伸ばせる距離ではなく、二人で何とか休みを合わせて時間を作ったオフを利用して帰省。無事に楓のご両親から結婚の承諾を貰うことが出来た。どうやらお二人とも俳優として俺のことを知っていたらしく、ついでと言わんばかりにサインを強請(ねだ)られてしまった。そんなご両親に楓は若干恥ずかしそうにしていたが、俺の両親も楓にサインを強請っていたからこれでお相子である。

 

 そんなわけでお互いの両親への挨拶は全く問題なく済ますことが出来た。

 

 結局それぐらいで、俺と楓の関係が上方修正された以外に大きな変化はない一ヶ月だった。

 

 

 

 ……少なくとも、俺はそう思っていた。

 

 

 

「……旭君……」

 

「……か、楓?」

 

 

 

 楓に押し倒されるその瞬間までは。

 

 

 

(オーケー、落ち着こう)

 

 ベッドに仰向けに寝転がる俺に覆い被さるようにして眼前まで迫ってきた楓のご尊顔から目を離せず「いやーやっぱり楓ってまつ毛長いなー」などと内心で現実逃避している場合ではない。

 

 問題は『仕事終わりに突然俺の部屋にやって来た楓が何も言わずに俺をベッドの上に押し倒したこと』だ。

 

 ……こうして改めて言葉にすると本当に意味が分からん。確かに突拍子もないことをすることもあるが、今回は何やら様子がおかしい。

 

 というのも、酔っていないのだ。顔も赤くないし、呼気からもアルコールの匂いはしない。酔ってテンションが上がった楓ならいざ知らず、お酒が入っていない状態でこれはまず考えられない。普段から手を繋いだり隣に座ったりと肉体的接触は少なくないが、ここまで大胆な行動に出たことは一度も無かった。

 

「楓、一体何が……」

 

 とりあえず直接そう問いかけると、楓は寂しそうに目を伏せながらポツリと呟いた。

 

 

 

「……最近、してないの」

 

 

 

(オーケー、もう一度落ち着こう)

 

 まさか楓の口からそんな言葉が出てくるとは全く予想していなかった。

 

 思い当たる節というか心当たりというか、確かに最近はシていない。お互い忙しくて中々タイミングが合わずにまとまった時間を取れていないのは間違いない。こういう時、同棲していないと不便というか何というか。

 

 いや、俺だって男なのだからスるのは全く吝かではないが、それを女性である楓の口から言わせてしまったこと自体が恥ずべきことである。

 

 幸い、楓の明日の予定は午前中がオフ。俺は朝から撮影があるが少々徹夜したところで問題はない。寧ろこのまま楓を満足させることが出来ない方が俳優として以前に(おとこ)としてあってはならないことだ。

 

 ……などと何だかんだ言ったが、先ほどから楓の柔らかい肢体に触れて昂ってしまい、結局俺もシたいのである。

 

「楓……」

 

 そっと楓の頬を撫でながらゆっくりと――。

 

 

 

「飲み会を、全然してないの……!」

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

 

 

 

「旭君、聞いてる?」

 

「聞いてるけどちょっと待って。今自己嫌悪がマッハ」

 

 正直罪悪感でマンションのベランダから身投げしたい衝動に駆られるが、未婚のまま楓を未亡人にするわけにはいかないと思い留まる。

 

 とりあえず昂っていたモノも鎮まったので、お互いベッドに座り直してから改めて事情聴取を行うことに。

 

「で? 飲み会だっけ?」

 

「えぇ……最近忙しかったでしょ? だからみんなと時間が合わなくて全然飲みに行けなくて……」

 

 我が婚約者ながら、何ともまぁ親父臭い悩みというか不満である。

 

「この間ビールフェスのお仕事があったでしょ?」

 

「あったな」

 

 ビールフェスの特集を取り扱った雑誌に掲載された写真に写る楓は、それはもう素晴らしくいい笑顔で大ジョッキを掲げていた。この美人が俺の嫁さんになるのかぁと自尊心を擽られつつ、しかしこの細腕でよく大ジョッキを片手持ち出来たなと若干慄いた。多分酒好きが成せる火事場ならぬ酒場の馬鹿力的なものなのだろう。

 

「あの時、次の仕事が押してるからってプロデューサーさんが一口も飲ませてくれなかったの……!」

 

 それは何とも……こ、酷? 社会人的には当たり前なんだろうが……無類の酒好きである楓にとっては死活問題だろう。寧ろよく止めれたなプロデューサー。やはり(ひいらぎ)志乃(しの)高橋(たかはし)礼子(れいこ)篠原(しのはら)(れい)、そして楓を入れたクール酒飲み四天王をまとめ上げる手腕は伊達ではなかったか……。

 

 ともあれ、これで大体事情が飲み込めた。

 

「最近飲み会が無くてフラストレーションが溜まっていたところに目の前のビールをお預けされて爆発した、と」

 

 楓的に言うならば「ビールを浴()()()ほど飲みたい」といったところか。

 

「だから飲みに行きましょう! 旭君、飲み会ですよっ! 飲み会っ!」

 

「765の天海春香の持ちネタを奪うのは止めてあげなさい。……で? いつものところか?」

 

 いつものところというのは、先月に楓が酔い潰れた行きつけの店のことを指すのだが、しかし楓は首を横に振った。

 

「もうそろそろ暑くなってきたから、ビアガーデンに行きたいの」

 

「ビアガーデンと来たか……」

 

 確かに暑い中、外で汗を流しながら飲むキンキンに冷えたビールは美味いが、正直芸能人が集まって飲めるビアガーデンがあるとは思えない。

 

「大丈夫、事務所関係者以外は入れない特別なビアガーデンがあるから」

 

「そんな都合のいいビアガーデンが――」

 

 

 

 

 

 

 『346プロダクション納涼祭』

 

「――なんであるんだよ……」

 

 翌日、通常業務を終えた夕暮れの事務所の中庭に掲げられた横断幕を見上げながら思わず唖然としてしまった。普段は所属するアイドルや俳優、スタッフが憩いの場として利用する中庭の芝生の上に折り畳みテーブルが何台も並べられ、何処からか搬入したらしいサーバーからジョッキに注がれたビールを美味そうに飲む事務所関係者たちの姿がそこにはあった。

 

「他所のお店で写真を撮られるぐらいなら、いっそ事務所内でお酒を飲めばいいじゃないって話になったらしくて」

 

「よくそんな無茶苦茶な話を専務が承認したな……」

 

「発案者は専務だそうよ」

 

「一体何があった専務」

 

 去年アイドル部門の大革新に乗り出して色々と輝いていたアンタは何処に行った。

 

 色々とツッコミたいところはあるが、しかし一応これで楓の望みであるビアガーデンが実現したわけだ。

 

「お、楓ちゃーん、旭くーん!」

 

「先に始めてるわよー!」

 

 声をかけられそちらを振り返ると、俺と楓に向かって手を振る川島さんと既に空となったジョッキを掲げる片桐さんの姿が……って、おいおい、クール酒飲み四天王どころか片桐早苗、兵藤(ひょうどう)レナ、姫川(ひめかわ)友紀(ゆき)の三人を合わせた346プロ酒飲み七英傑がそろい踏みなのだが。

 

 え、待って俺もあそこに混ざるの? あの大の男でも酔い潰される修羅の宴に?

 

「……その、なんだ、楓もアイドル仲間と一緒に気兼ねなく飲みたいだろ? 俺は俳優仲間と飲んでくるから……」

 

 ホラ、あっちで手招きしてる男連中と……って違ぇ!? あいつら爽やかに手ぇ振ってやがる! 寧ろこっちに来るなとシッシッと手ぇ払ってやがる!

 

 だったらせめてお前らもこっちに来い! アイドルとお酒が飲めるんだぞ!? 楓は譲れんが、美人揃いだぞ!?

 

「さ、旭君?」

 

 どうやってこの場を切り抜けようかと思案しているうちに、楓に腕を組まれてしまった。ニコニコ顔の楓の腕を振りほどくなんてことが出来るわけもなく、やたら楽しそうな声で「ドナドナドーナー」と歌う俳優仲間たちに青筋を浮かべながら俺は修羅の宴へと連れ込まれていく。

 

「久しぶりね、旭君」

 

「お、お久しぶりです川島さん」

 

 姫川以外は全員年上なので一人一人に頭を下げていく。芸歴で言えば俺が一番上になるはずなのだが、この人たちに逆らえない何かがあるのだ。

 

「さて、とりあえず旭君は駆けつけ三杯ね」

 

「ちょっと待って」

 

 「待たない」とバッサリと切り捨てられ、無慈悲にも俺の目の前に置かれる大ジョッキ三つ。飲めと? 大ジョッキ三つを一気に飲めと? わからないわ。

 

「安心していいわよ。向こうで清良さんがスタンバってるから」

 

 そう言う川島さんの指さす先を見ると、ニコニコと手を振っている元看護師の(やなぎ)清良(きよら)さんの姿が。違う、これは「飲み過ぎても大丈夫だよ」という優しさじゃない。「倒れるまで飲め」という俺に対する罰ゲームだ。現に一緒に遅れてきた楓には普通に中ジョッキ一つだし。

 

「とりあえずそれを飲んだら、その後でじ~っくりお姉さんたちとお話しましょ?」

 

「主に楓ちゃんとのこと……とかね?」

 

「………………」

 

 ……腹を括るしかないのか……!

 

 

 

 

 

 

 ……もう、マジ無理……。

 

「もう……皆さん、旭君に無茶させないでください」

 

「いや、あれは楓ちゃんが『旭君かっこいー』とか煽ったのも原因の一つだと思うけど……」

 

 案の定飲まされまくってダウンした俺は、現在長椅子に横たわりながら楓に膝枕されている状態である。意識はある程度あるものの、アルコールが回りきっているので身体が全く動かないし、そもそも動く気力も喋る気力も無い。

 

「それにしても……本当に楓ちゃんと旭君が結婚とはねぇ……どうせいつかはするんだろうなとは思ってたけど……」

 

「こうしていざ現実になると信じられないというか、信じたくないというか……」

 

 川島さんと早苗さんの二十八歳組がはぁ……と重い溜息を吐く。既に三十を超えた高橋さんと柊さんはある意味で吹っ切れているのだろうが、三十手前の彼女たちには結婚という現実が厳しくのしかかってきているのだろう。

 

「ねーねー楓さん! 結婚の決め手は何だったんですか? 『恋人にしたい俳優ランキング』四位の顔? 『男友達として付き合いたい俳優ランキング』一位の性格?」

 

 おいコラ姫川、お前のバラドルユニット仲間の輿水がどうなってもいいのか。

 

「そうねぇ……これといった決め手は無いわ」

 

「あら意外な答え」

 

「それはちょっと旭君が可愛そうなんじゃない?」

 

 そっと優しい手つきで俺の額を撫でる楓。目を瞑っている状態なので、楓が今どんな表情をしているのかは分からない。

 

 でも、きっと。

 

 

 

「旭君と出会ったその瞬間から……『私はこの人と結婚するんだ』って、ずっと想い続けていましたから」

 

 

 

 きっと、女神も裸足で逃げ出すような優しい微笑みを浮かべているのだろう。

 

 

 

「……かーっ!? やってられるかあぁぁぁ!?」

 

「ちょっとこっち追加早く持って来て! もういっその事サーバーごとでいいから!」

 

 極甘の惚気を聞いて自棄になったらしいお姉さま方の声を聞きつつ、意識がだんだんと沈んでいくのを感じた。そろそろ本当に限界のようだ。

 

 だからせめて最後の一言だけ、俺も彼女に伝えよう。

 

 

 

「……俺も同じだよ」

 

「……ふふっ、ありがとう、旭君」

 

 

 

 

 

 

 七月十四日

 

 今日は仕事終わりに旭君と事務所の納涼祭に参加した。

 

 事務所の中庭で飲むビールというのも少し不思議な感じがしたが、久しぶりにこうして大勢で飲むお酒だったのでとても楽しかった。

 

 しかし少々はしゃぎすぎてしまったらしく、瑞樹さんと早苗さんにお酒を沢山飲まされた旭君が途中でダウンしてしまった。私も一緒になってお酒を勧めてしまったので、少し罪悪感を覚えてしまう。

 

 旭君がダウンした後も瑞樹さんたちは何故か自棄になるかのように飲み続けていたので、私は旭君を休ませるために途中で抜け出すことにした。

 

 その後、先月とは逆にタクシーで私の部屋まで旭君を連れて帰ったのだが……その後は色々と大変だった。

 

 結果、次の日の朝は二人して寝坊をしてしまうのだが。

 

 ……シたかったのは私だけではなかったようで、少し恥ずかしいが嬉しかったとだけ書き残しておこう。

 

 

 




・今回明かされた旭の新情報
「実家は千葉」
「『恋人にしたい俳優ランキング』で四位」
「『男友達として付き合いたい俳優ランキング』で一位」

・旭の妹
ご察しの通り、デレマスキャラです。
名前はまだ明かしませんが、既に分かる人には分かると思う。



 R15タグ付けたから何も問題はありません(真顔)

 全く別の主人公の別のお話を同時に考えるのって結構辛いと思いつつ、いざ書き始めると凄まじい勢いで書ける辺り作者の『カエデスキーぢから』はまだ衰えていない模様。

 今回のように、今後もその時期にあったネタでお話を書いていきます。

 次回は海で水着だな(先発予告)


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高垣楓と避暑地へ赴く8月

 前回の後書きで「海で水着」と言ったな。あれは嘘だ。
(訳:暑中見舞い申し上げます)


 

 

 

 唐突ではあるが、八月といえば夏で、夏といえば八月である。

 

 学生的には夏期休暇真っ只中であり、一部の社会人にもお盆休みが存在するので『夏休み』のイメージが強いのは間違いないだろう。

 

 もっとも、そんな八月だろうとなんだろうと俺たちのような俳優にはほぼ関係ない。世間が休みだろうとなんだろうとドラマはあるし映画もあるし舞台もある。楓たちアイドルもライブはあるしイベントもあるしレコーディングもある。

 

 一応スケジュールを調整すれば纏まった休みを取ることも出来るが、それでも今の俺や楓には三日四日が限界。贅沢な悩みではあるが、各所から引っ張り凧というのも考えものだ。

 

 今回はそんな俺と楓のほんの僅かな『夏休み』のお話である。

 

 

 

 

 

 

 ふと見上げると青い空に浮かぶ白い雲と輝く太陽。真っ白な綿菓子と眩い宝石が描かれた真っ青なキャンバスとでも言えば詩的な表現になるだろうか。

 

 これが春や秋ならば気持ちがいいのだが、如何せん季節は夏。日向に出ようものならば真上からジリジリを通り越してメラメラと灼き付けてくる太陽が、さながらRPGゲームの毒沼の如く歩くだけでこちらの体力をゴリゴリと削り取っていく。

 

 そんな空から視線を下ろすと、そこに広がるのは空や雲と同じ色をした青い海と白い砂浜――。

 

 

 

 ――ではなく、深緑の木々。

 

 夏の代名詞たる『海』と並び立つ存在、『山』である。

 

 

 

 何故海ではなく山なのかと言うと、早い話が『事務所の保養所があるから』だ。

 

 俺や楓が在籍する346プロは芸能事務所ではあるが、当然ながら他の企業と同じように福利厚生というものが存在する。その一環として346プロは某県に保養所を有しており、従業員ならば誰でもそこを利用出来る。

 

 しかもこの保養所の辺り一帯が親元である美城財団の私有地となっているため、我々も部外者の目を気にせず羽を伸ばすことが出来るのだ。

 

 というわけで、涼を求めてその保養所へ向かう道中のサービスエリアで現在休憩中である。

 

「あっついなぁ……」

 

 などと呟いてはいるが実際には空調が効いた屋内なので実際には暑くない。しかし休憩スペースから見えるガラス一枚を隔てた向こう側のことを考えると億劫だった。

 

 慣れない長時間の運転も疲れたし、「クーラーが涼しいからここが避暑地ってことでいいんじゃないか」という気分になってくる。

 

「運転お疲れ様。あと少しだから頑張ってね」

 

「任せてくれ」

 

 しかし楓からそんなことを言われてしまっては頑張らざるを得ない。

 

 そもそもこれは楓と旅行が出来る数少ない機会なのだから、そんな下らないことを言っている場合ではなかった。

 

 二人揃って長期休暇を取れ、尚且つスキャンダルを気にせず楓とのんびり出来る機会なんて滅多に無いのだ。それなのにこんなサービスエリアの休憩スペースの一角で缶コーヒーを飲んで満足している場合ではない。

 

 

 

 まぁ残念ながら二人きりの旅行というわけではないのだが。

 

 

 

「お待たせしました、旭さん、楓さん」

 

 そんな声に楓と共に振り返れば、そこには夏の暑さにも負けないぐらい元気に賑やかしい三人の少女の姿が。

 

「すみませーん! 奈緒がご当地フルボッコちゃん見つけちゃってお土産売り場から離れなくて」

 

「はァ!? そ、そんなことしてねーって! 適当なことゆーなよ!」

 

「もう、二人とも……」

 

 渋谷(しぶや)(りん)北条(ほうじょう)加蓮(かれん)

 

 そして我が妹の神谷(かみや)奈緒(なお)

 

 

 

 我が346プロの美城専務が直々に率いる『Project Krone(プロジェクトクローネ)』の看板ユニット、『トライアドプリムス』の三人だった。

 

 

 

 というわけで、今回の旅行はトライアドプリムスと同伴である。

 

 なんでも奈緒たちも学校と仕事の休みを利用して保養所へ行く計画を建てていたらしいのだが、いくら事務所の施設とはいえ未成年のみでの宿泊はNG。そこで保護者兼運転手として奈緒の兄である俺に白羽の矢が立ったというわけである。

 

 婚約者との旅行に随分と大きな瘤が付いているが、そもそも保養所自体が他の従業員も利用するものなので貸し切りというわけではない。

 

 流石に部屋は俺たちとは別々だし楓も「旅行は大勢の方が楽しい」と喜んでいたので、今回はこうして五人での旅行と相成ったら訳だ。

 

「奈緒ちゃん、ご当地フルボッコちゃんってなぁに?」

 

「えっ! ……あ、その……」

 

 楓に問いかけられて言葉に迷う奈緒。何故か時折こちらに助けを求めるような視線を向けてくる。

 

「……旭さん、奈緒のこと助けなくていいんですか?」

 

 ススッとこちらに寄ってきてそんなことを聞いてくる凛ちゃん。

 

「わざわざ助けるようなことでもないだろ」

 

 奈緒はこの間実家に挨拶に行ったときから妙に楓に対して距離があったような気がした。これからは義理の姉妹になるわけだし、今回の旅行を機にもう少し仲良くなってもらいたいもんである。

 

「それにホラ」

 

 スッと凛ちゃんの視線を楓と奈緒に戻させる。

 

「『幽体離脱フルボッコちゃん』っていうアニメがあるんですけど、その主人公フルボッコちゃんの地域限定ストラップがあったんです」

 

「あら、それだったら聞いたことがあるわ。確か……ウチの事務所の小関(こせき)麗奈(れいな)ちゃんがモデルのキャラクターなのよね?」

 

「そーそーそれです! 奈緒ってばそのアニメがすっごい好きで、この間なんかそのオモチャを貰うためにわざわざファーストフード店でおまけ付きの子供セットを頼むぐらいで――」

 

「わーっ!? わーっ!? べ、別にいいだろそれぐらい!」

 

 楓さんの質問に加蓮ちゃんが代わりに答えており、奈緒が真っ赤になってそれに反論していた。好きなら好きで堂々としていればいいものを、ああやって中途半端に強がるから弄られるというのに。

 

「加蓮ちゃんがフォロー入れてくれてるみたいだし」

 

「……まぁ、旭さんがそれでいいって言うならいいですけど。多分、そーいうことじゃないと思いますよ」

 

「え、そーいうことじゃないって、じゃあどーいう……」

 

「旭さーん! 奈緒がご当地フルボッコちゃん買い占めない内に早く出ましょー!」

 

「誰が買い占めるかぁ! いい加減にしろ加蓮ー!」

 

 何やら凛ちゃんから白い目で見られていた気がしたが、加蓮ちゃんと奈緒に遮られてその言葉の意味を聞き逃してしまった。

 

「……んー……」

 

「旭君、どうかしたの?」

 

「あ、あぁ、何でもない」

 

 

 

 

 

 

 道中、奈緒の昔話を聞きたがった加蓮ちゃんと凛ちゃんのリクエストに応えて小学校の頃の話を二三披露したら後部座席から奈緒に頬を引っ張られたりしたが、それ以外は特に問題なく某県の山中にある保養所『美城荘』に到着した。

 

 この保養所はその名前に反し小さなホテルのようなもので、部屋数こそ三十部屋ぐらいだが、温泉があればカラオケもあるごく普通の宿泊施設である。

 

 ちなみに部屋数が少ないため、オンシーズンの宿泊の際は日にち指定の抽選となっている。346に所属する人間の多さも相まってその倍率は高い。流石に楓たち『シンデレラガールズ』のライブチケットほど高くはないが、それでもシーズン中に部屋が取れた俺たちは随分ラッキーである。

 

「あー……疲れた」

 

 普段は酔った楓の送迎や仕事や買い物の移動手段としてしか車の運転をせず、遠くても千葉の実家までなので長時間の運転が大層堪えた。加えて今日からの三連休のために遅くまで打ち合わせをしていたので、疲労が抜けきっていない。

 

「ふふふ、お疲れ様」

 

 部屋に入るなりベッドへ俯せに倒れ込む俺に、同じベッドに腰を下ろした楓から労いの言葉をかけられる。

 

 先程も少し触れたが、今回の部屋割りは俺と楓で一部屋、三人娘で一部屋となっている。俺と楓が結婚する話は事務所内では既に広まっており、関係者以外がいないこの保養所ならばこうして堂々と同室出来るようになった。

 

 世間への公表はもうしばらくかかりそうではあるが、事務所関係の場所でならこうして人目を気にしなくてよくなったことが、案外結婚を決めて大きく変わったことかもしれない。

 

 コンコン

 

「はーい」

 

 このままシャワーを浴びてから一眠りしたい衝動に駆られていると、部屋のドアがノックされた。

 

 ベッドから立ち上がった楓がドアを開けに行くと、ドアの向こうには三人娘が揃っていた。

 

「私たち、川遊びに行ってきます」

 

「だから旭さんと楓さんもお誘いに来ました!」

 

 凛ちゃんと加蓮ちゃんの口から飛び出してきたのは、そんな提案。

 

 ここから歩いて数分の場所に、流れの緩やかな川がある。川底も浅く水も綺麗なので川遊びには最適で、夏にこの保養所を利用する人の定番の納涼ポイントとなっていた。

 

「パス」

 

 だが今は疲れているから遠慮したい。舞台の稽古の方が疲れるはずなのだが、なんだろう、精神的に疲れたのだろうか。

 

「旭さんノリ悪いなぁ。今ならピチピチの女子高生三人の水着姿が見れるよー?」

 

「五年早い」

 

「微妙に現実的な年数……」

 

 若干心揺れたのは内緒だが、今の俺を動かしたければ楓を連れてくることだ。

 

「それじゃあ楓さん、一緒に行きましょー!」

 

「楽しそうね、是非ご一緒させてもらうわ」

 

「よしお前たち、十分後にロビーに集合な」

 

 流石に俺は水着に着替えないが、タオルとかその辺りを持っていくべきだろうと早速準備に取り掛かる。

 

「旭さん……」

 

「兄貴……」

 

「あははー! やっぱり旭さん面白ーい!」

 

「ふふふ」

 

 

 

 

 

 

「いっくぞー! それっ!」

 

「うわっ!?」

 

「私も負けないよ」

 

「わぷっ!? って、どーして二人揃ってあたしにばっかりかけてくるんだよ! ちょ、やめっ!?」

 

 保養所で貸し出していた大きな水鉄砲で水の掛け合いをする水着の女子高生の姿が、なんというか夏の陽射し以上に眩しかった。

 

 珍しく人がいなかった納涼スポットは、奇しくも俺たちの貸し切りとなった。上着の下に水着を着てきた三人は、到着するなり早速上着を放り投げて水の中へと突撃していってしまった。

 

 そんな三人の姿を、木陰に腰を下ろしながら見守る。

 

 うーむ、先ほどは五年早いなどと言ったものの、これはこれで目の保養になる。健康的な肢体の醸し出す色気というか、現役アイドルのプライベート水着姿を独占している優越感というか……。

 

「旭君」

 

「やっぱり楓の水着が一番だよ」

 

 クルリと振り返ると、そこにはプクーッと頬を膨らませて拗ねる楓の姿。黒のストラップレスビキニと同色のパレオを身に纏い真っ白な肌を存分に曝し出したその姿は、奈緒たちなんかでは到底太刀打ちできない大人の色気と美しさを醸し出している。その子供っぽい仕草とのギャップが尚それを際立たせていた。

 

「もう……あんまり他の女の子の()()()()()ちゃダメよ?」

 

「アッハイ」

 

 そんなことを言いつつ楓は俺が座っている小ぶりな岩の横に、寄り添うように腰を下ろした。二人が座るには小さすぎるため、体と体を密着させるようにしないと座れない。故にこちらは服越しとはいえ楓の素肌と触れ合う形になる。

 

「って、こっち座ってるけど、川には入らないのか?」

 

「えぇ、私はこっち」

 

「じゃあ何で水着に着替えたんだよ」

 

「ふふふ、分からない?」

 

「……ホント、ご馳走様です」

 

 どうやら楓の水着姿を期待していたことがお見通しだったようで、気恥ずかしい気もするけどその優しさが嬉しくて……。

 

「勿論、お酒を飲んでも暑くならないからよ」

 

「俺の感謝の気持ちを返してくれ」

 

 「はい旭君の分」と差し出された缶ビールを受け取りながら、なるほど確かにこちらの方が楓らしいと観念して二人で小さく乾杯をするのだった。

 

 

 

「旭さん」

 

 二人で二本目の缶ビールを飲んでいると、凛ちゃんと加蓮ちゃんがタオルを頭から被りながらこちらにやって来た。

 

「部屋に忘れ物しちゃったから、付いてきて貰っていいですか?」

 

「? あぁ、別にいいけど」

 

 何で俺が必要なのか疑問に思ったが、わざわざ断るようなことでもないので了承する。

 

「ありがとうございます!」

 

「すみません楓さん、旭さんお借りしますね」

 

「ふふふ、ちゃんと返してくれなきゃイヤよ?」

 

 水着の上からパーカーを羽織った凛ちゃん加蓮ちゃんと共に保養所へと足を向ける。

 

「あ、ちょ、ちょっと待って! あたしも一緒に……!」

 

「奈緒はここで楓さんと待ってて」

 

「すぐ戻ってくるからねー!」

 

「えぇ!? ちょ……!?」

 

 一緒に付いて来ようとした奈緒を軽く拒否った凛ちゃんと加蓮ちゃんに腕を引かれ、俺も何が何だか分からない内にその場から離れることになってしまった。

 

 

 

「……えっと、忘れ物ってのは嘘だよね?」

 

「はい、そうです」

 

「流石にそこには気付いてくれましたか」

 

 二人はあっさりと肯定した。

 

 多分、凛ちゃんと加蓮ちゃんも楓と奈緒が仲良くなる場を設けてくれたってことなんだろうけど……。

 

「わざわざ二人きりにする必要はあったのか?」

 

 そう尋ねると、二人は俺の顔をじっと見てから大きく溜息を吐いた。

 

「全く、旭さんはこれだから……」

 

「普段の気遣いがどーしてこう身内になると出来ないんだか、この人は……」

 

 え、俺は何で十歳近く年下の女の子に罵倒されてるの?

 

「とにかく! 奈緒と楓さんには二人きりで話す時間が必要なんです!」

 

「分かったら返事」

 

「……はい」

 

 何故か今の二人に頭が上がらず、すごすごと保養所までの道を歩くのだった。

 

 

 

 

 

 

 そして夜。夕飯も食べ終わり温泉(流石に男女別)も堪能し、後は寝るだけとなった俺と楓の部屋。

 

 夕飯の時も散々飲んでいたが、一日の最後に二人きりでと予め持って来ていたワインの栓を開ける。

 

「そういえば、結局昼間は奈緒と二人で何を話してたんだ?」

 

 あの後、適当に時間を潰してから川に戻ると、それまで楓と奈緒にあった余所余所しさや距離が殆ど無くなっていた。

 

「ダーメ。私と奈緒ちゃんだけの秘密」

 

 しかし楓は可笑しそうにクスクスと笑うだけで何も教えてくれなかった。

 

「……まぁ、二人が仲良くなってくれたからいいけどさ」

 

 クイッとグラスに注いだ白ワインを煽る。楓の好みに合わせて選んだので少し酸味が強かった。

 

「ふふふ、旭君、妬いちゃった?」

 

「何でだよ」

 

 いくら何でも婚約者が妹と仲良くなったぐらいで妬いたりしないぞ。

 

 すると昼間の時のように楓の頬がプクーッと膨れた。

 

「旭君は、私が奈緒ちゃんと浮気してもいいって言うの?」

 

「おまえはなにをいっているんだ」

 

「大体、旭君はもっと嫉妬したり私を束縛したりするべきなんです」

 

「ほんとうにおまえはなにをいっているんだ」

 

 さっきから楓の言動がオカシイ。

 

 ……あぁそうか、酔ってるのか。そりゃそうだ、なんだかんだ言って昼からずっと飲んでるんだからな。

 

「もういいです、奈緒ちゃんと浮気してきます。チューしちゃいます」

 

 そんなことを言いながらヨロヨロと立ち上がる楓。どうやら奈緒たちの部屋へ突貫するつもりらしい。

 

「はぁ……ほら、楓」

 

「何ですか、私は……んっ」

 

 楓の腕を軽く掴んで引き寄せると、そのままベッドに押し倒して唇を奪う。いやまぁ、今さら奪ったも何もないのだが。

 

 十秒ほど柔らかい唇を堪能してから離れると、楓はポンヤリと惚けた表情をしていた。

 

「束縛するつもりはない。でも俺だって嫉妬ぐらいはするかもしれない」

 

 

 

 ――だから楓、お前は俺のもんだ。

 

 

 

 こんな台詞がサラッと口から出てくる辺り、結局俺も酔っているのだろう。

 

 これ絶対後から思い出して恥ずかしくなって死にたくなるやつだが、酔っぱらいは後先なんて考えない。

 

「……ふ、ふふ、ふふふ、ふふふふ……」

 

 リアクション無いならもう一回しちゃおうかなーとか考えていると、惚けていた楓の表情がみるみる内に蕩けていった。

 

「私、本当に旭君のものになっちゃうんですね……」

 

「何を今さら」

 

 楓と付き合い始めたその瞬間から、手放すつもりなんて毛頭無かった。

 

 覆い被さる俺の首に、下から楓の腕が絡み付く。

 

「それじゃあ……もっとちゃんと、私を旭君のものにしてください」

 

 

 

 このあと滅茶苦茶楓を俺のものにした。

 

 

 

 

 

 

 八月十四日

 

 今日から旭君とトライアドプリムスの三人と一緒に某県の保養所『美城荘』へ二泊三日の旅行である。

 

 トライアドプリムスは旭君の妹の奈緒ちゃん、以前一緒にお仕事をした凛ちゃんが所属しているグループなので、これを機にもっと仲良くなりたい。勿論、加蓮ちゃんとも。

 

 保養所に着くと五人で近くの川へ遊びに行った。旭君が若い女の子の水着姿に目を奪われているのが少し気になったが、涼しげな河原で隣り合って飲むビールはとても美味しかった。

 

 その際、凛ちゃんと加蓮ちゃんが旭君を連れていってしまい、奈緒ちゃんと二人きりになる場面があった。以前旭君の実家に挨拶に行ったときから少し距離を感じていたので、しっかりとお話をする機会が欲しかった。

 

 どうやら……というよりは、やはり、奈緒ちゃんは寂しかったようだ。

 

 大好きなお兄ちゃんが遠くに行ってしまう気がして、その原因たる私とどう接していいか分からなかったそうだ。

 

 確かに私は旭君と結婚する。けれど奈緒ちゃんから『お兄ちゃん』を奪うわけではない。寧ろそんなことをしてしまえば妹が大好きな彼から怒られてしまう。だから私は、彼と奈緒ちゃんの『家族』という絆の末席に加えさせて欲しい。

 

  奈緒ちゃんはそれで納得してくれた。涙を浮かべながら「冷たい態度をとってゴメンナサイ」と謝られてしまった。

 

 これからも神谷旭という男性を『夫』として、もしくは『兄』として好きな者同士、奈緒ちゃんとは仲良くしていきたい。

 

 

 

 ……けれど、私の本心はもっと黒い。何せ奈緒ちゃんにすら嫉妬しそうになってしまったのだから。

 

 私だって旭君と一緒にいたい。これから先も彼を独占したい。

 

 そんな私の黒い感情は、旭君に簡単に掻き消されてしまった。

 

 俺のものにする。そんなことを言われてしまったらもう抗えなかった。彼を独占出来なくても、彼が私を独占してくれるのであれば、私は十分幸せだった。

 

 いつか家族が『三人』になるその日までは、私はずっと彼に独占され続けたい……なんてね。

 

 

 

 

 

 

「あれ、旭さんと楓さんは?」

 

「旭さんが二日酔いで、楓さんがその看病だって」

 

「何やってんだよ、兄貴……ね、義姉さんに迷惑かけて……」

 

「「……ん~?」」

 

「な、何だよその顔! 別にいいだろ!?」

 

 

 




・旭の妹
なんかもうバレバレだったのでこれ以上引っ張らずに素直に登場。
毎回、とは言いませんがこれからもちょくちょく登場予定。



 海より山の方がプライベート感があると思ったのでこうなりました。(偏見)

 次回は九月です。九月と言えば……あれ、なんだろ。



 余談ですがデレステで楓さんのSSRが復刻しますね。『書けば出る』という話を聞きましたので、月一更新とは言えメインの小説を連載で書いている身としては期待したいです。


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高垣楓と自室で過ごす9月

残暑見舞い申し上げます。


 

 

 

 ――俺と楓の休日がオヤジによって台無しになった。

 

 

 

 冒頭一文目から全く意味が分からないだろうが、ほんの少しだけ俺の言葉遊びに付き合ってもらいたい。

 

 さて、オヤジとは言ったものの別に俺の父親や楓のお義父さんではない。親戚のオジサンでもなければ、知り合いでもない。ましてやそこら辺にいた中年オヤジでもない。注釈の必要はないだろうが、楓の駄洒落という名のオヤジギャグで台無しになったわけでもない。

 

 『地震雷火事オヤジ』という言葉がある。

 

 これは昔から恐れられている四つの災害を表す言葉だが、地震・雷・火事と来て最後の一つがオヤジということに疑問を覚えた人は少なくないだろう。

 

 これは勿論そのままの意味で『親父』を表すのではなく、『大山風(おおやまじ)』もしくは『大風(おおやじ)』が縮まった言葉であり、要するに『台風』のことなのだ。

 

 ……と、以前カフェテラスでたまたま一緒になった(たちばな)ありすがタブレット片手に得意気に語ってくれた。仕事で一度一緒になったことがある程度の知り合いだったが、そんな俺を捕まえてその豆知識を披露してくれたところから察するに、よっぽどそれを誰かに披露したかったのだろう。

 

 さて、それを踏まえて冒頭の一文である。

 

 つまり俺と楓の休日が台風によって台無しにされたという意味であり――。

 

 

 

「……ぷくー」

 

 

 

 ――楓の機嫌が悪い理由だった。

 

 

 

 窓の外では昨日の晩から接近しつつある大型台風の影響で明け方から豪雨が続いていた。

 

 今日は久しぶりに俺と楓のオフ日が重なる日だったので、デートでもしようかという話になっていたのだがご覧の有り様。流石にこの雨の中、外出する気には到底なれず、敢えなく雨天中止と相成ってしまったのだ。

 

 リビングのソファーの上で体育座りをしながらわざとらしく頬を膨らませている楓。自分の口で「ぷくー」とか言っちゃうぐらいなので本格的に機嫌を損ねたわけではないだろうが、とりあえず露骨に『私は今、不機嫌です』アピールをしているのは分かった。

 

 年齢的に考えれば「年を考えろ」ぐらいは言われても仕方がない行為であるものの、それが似合ってしまう辺り流石である。

 

「……むすー」

 

 楓の口から発せられる擬音が変化した。多分構ってもらえないことで不機嫌さが一段階上昇したのだろう。膨らんでいた頬が萎み、今度は口を尖らせて拗ねたような目で俺を睨んでくる。美人なのでそれなりに迫力があるものの、如何せん恐くない。向井(むかい)拓海(たくみ)財前(ざいぜん)時子(ときこ)に睨まれた時に比べれば可愛いものである。

 

「……ぷいっ」

 

 ついにそっぽを向いてしまった。自分の膝に頬を当て、体はこちらを向いたまま顔を俺から背けている。ただチラチラと横目でこちらを見ているので、やっぱり構って欲しいのだろう。

 

 さて、そろそろ潮時だろうか。俺が全く構わないので段々と涙目になっていく様子が大変可愛らしいし、ホットパンツから覗く真っ白な御御足(おみあし)が大変素晴らしいが、これ以上このまま放置しておくのは可哀想か。

 

 丁度洗い物も終わったのでタオルで手を拭いてエプロンを外し、対面式のキッチンから楓の元へと向かう。

 

 ようやく構ってもらえるのだとちょっと嬉しそうにする楓だったが、不機嫌であるというスタンスを崩すつもりはないらしくそっぽを向いたままだった。

 

「機嫌直せって楓。こればっかりはどうしようもないから」

 

 楓の横に腰掛けて軽く引き寄せるように(うぐいす)色の髪を撫でると、彼女はそのままコテンと肩に頭を乗せるようにもたれ掛かってきた。

 

「だって……」

 

「いやまぁ楽しみにしていたのは知っているけどさ……いい大人が雨で遊園地に行けなくなったからって拗ねるなよ」

 

 尤も、楓のお目当ては遊園地そのものではなくその隣のアウトレットで行われる筈だった『世界の名酒博覧会』なる催しの方だろうが。

 

「楽しみにしていたのに……お酒ぇ……」

 

 美人だから許されるが、完全に思考と言動がオヤジである。というか下手するとアル中である。

 

「さて、今日はこれからどうするかな」

 

 なでなでが大層気に入ったらしく、いつの間にかニコニコとご機嫌になっていた楓にチョロ可愛いという感想を抱きながら、今日の予定に頭を悩ませる。

 

 本来であれば今日は昨日の晩から泊まりに来ていた楓と朝から遊園地で遊び、夕方から名酒博覧会でアルコールを楽しんで夜に帰宅するという流れだった。

 

 しかし前述したように朝目が覚めた時点で外は豪雨。台風が来ていることは分かっていたものの一縷の望みをかけて楓は早起きをしたらしいのだが、現実は非情という以前に当たり前の結果だった。

 

 ぶっちゃけこうなることを予想していた俺は初めから早起きするつもりは無く、ゆさゆさと俺の体を揺すりながら「旭君大変です、酷い天気です」と子供のように起こそうとしてくる楓を再びベッドに引きずり込んで強制的に二人で二度寝を敢行。

 

 つい先程起きてきて朝食兼昼食(ブランチ)を二人で食べて今に至る、というわけだ。

 

 何の気なしにテレビを見ると、情報番組に出演する我が346プロのバラドルユニットが台風の状況を教えてくれた。

 

 

 

『それでは外がどないな様子になっとるか、幸子はんが伝えてくれますえ』

 

『現場の幸子ちゃーん!』

 

《こ、ここコチラテレビ局前に来ていますカワイイボクこと輿水(こしみず)幸子(さちこ)……って、なな何でボクがこんなことしなくちゃいけないんですかっ!?》

 

『いやぁ、やっぱりKBYD(カワイイボクと野球どすえ)チームの体張る担当は幸子ちゃんだしー』

 

『幸子はん、外の様子はどないどすかぁ?』

 

《様子も何も見ての通りですよ!? トンデモナイ雨と風で、気を抜くと本当に飛んで行っちゃいそうなんですからね!?》

 

『あー、幸子ちゃん小さいもんねぇ』

 

《そうです! ボクは小さくてカワイ――うぎゃあああぁぁぁ!?》

 

『幸子はーん。また後で中継繋ぐから、その時もよろしゅうなぁ?』

 

『幸子ちゃんがちょっと気になるところだけど、カメラをスタジオに戻して次のコーナー行くよー!』

 

 

 

 おい待て輿水どうなった。今一瞬輿水の体が浮いてたぞ。

 

 流石にスタッフが何とかしたとは思うが、明日も輿水の元気な姿をお目にすることが出来ることを信じていよう。

 

 まぁいいや。そんなことより、やはり外出は出来る限り控えた方がよさそうである。というか出たくない。いくら車で移動するからとはいえ、こんな天気の中、わざわざ外出するような奴はいないだろう。

 

 すると必然的に部屋の中で出来ることに限られるのだが……。

 

「楓、今日何かしたいことあるか?」

 

「ん~……それじゃあ家デートをしてみましょう」

 

「……いや家デートも何も……」

 

 正直に言うと、そんなもの今更じゃなかろうか。

 

 今日のように楓は何度も俺の部屋に泊まりに来ているし、逆に楓の部屋に泊まったことも数知れない。お互いの部屋にもそれぞれの生活用品が置いてあるため、例え急に泊まることになったとしても不自由することは無い。

 

 そんな半同棲のような状況になっている俺たちが、今更家デートと言って何をするというのだろうか。

 

「見て旭君、あそこに先月保養所に行った時にトライアドプリムスの三人と一緒に撮った写真が飾ってあるわ」

 

「家デートってそういう意味じゃないと思うぞ」

 

 家の中を見て回っても絶対に楽しくない。というか三十分足らずで終了する。

 

 そもそも家デートってのは家の中でのんびりすることをデートと称しているのであって、結局家の中で何をするのかという根本的な部分に対する回答ではない。

 

「うーんと……それじゃあ、映画でも見ましょうか」

 

「映画か」

 

 なるほど家デートの定番である。

 

 しかし残念ながら俺の部屋にあるDVDには若干偏りがあり、基本的に自分が出演している映画か楓が出演しているライブのDVDなのだ。これらは既に何度も見たことがあるので、新鮮味が全く無い。

 

「こんなこともあろうかと!」

 

「どうした急に」

 

 ソファーの側に置いてあった自分のカバンの中を漁る楓。取り出したのは、何とレンタルショップの袋だった。

 

「実は事務所のみんなに、オススメの映画を聞いて色々借りてたの」

 

「おぉ、随分と用意周到だな」

 

 遊園地を楽しみにしつつ、こうなることを予期していたというのか。

 

「本当は昨日の晩や今日帰って来てから見ようと思ってたんだけど……昨日の晩は……ほら、ね?」

 

 その白い肌をほんのり赤く染め、テレテレと袋で顔の下半分を隠す楓。

 

 いや、あれは楓が「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」って若妻常套句を口にするから……と反論したかったけど結局俺の責任に代わりはなかったのでこの話題を掘り下げるのはこの辺で止めておこう。

 

「それで、どんな映画を借りてきたんだ?」

 

「えっと……」

 

 ゴソゴソと袋の中からDVDを取り出す楓の手元を覗き込む。

 

「まずはみくちゃんオススメの『ニャンニャン大冒険』」

 

「あの子もブレないなぁ」

 

 だがたまには童心に帰るのも悪くないだろう。

 

「輝子ちゃんオススメの『恐怖!キノコ男』」

 

「そっちはそっちでブレないなぁ!」

 

 というかサラッと糞映画薦めて来やがった。

 

「ヘレンさんオススメの『世界のすゝめ』」

 

「ヘーイ!」

 

 思わず世界レベルな返事をしてしまった。何だその映画。

 

「奈緒ちゃんオススメの『劇場版幽体離脱フルボッコちゃん~冥界ギリギリ!ぶっちぎりの凄い奴~』」

 

「妹よ……」

 

 いくら楓と仲良くなったからって色々と振り切れすぎてやしないか。

 

 正直事務所のメンバーの個性が強すぎてなかなかアレな映画ばかりである。

 

「菜々ちゃんオススメの『タイタニック』」

 

「……おぉ、普通に名作が来た」

 

 逆に拍子抜けしてしまったが、恋人以上の関係の二人で見るにはなかなか良いチョイスである。

 

 だから武士の情けとして映画の年代には触れないでおこう。名作だし、きっとテレビの洋画劇場とかで見たんだろう。

 

「菜々ちゃんが『映画館に見に行った時のことを思い出します』って」

 

「リバイバル放映とかリマスター版ということにしといてあげて」

 

 もう隠す気無いだろあのウサミン星人。

 

「まぁウサミンの自爆芸はこの際置いておいて、それじゃあこれにするか」

 

「えぇ」

 

 というわけでキッチンから飲み物や軽食を持ってくると、カーテンを閉め部屋の電気を消して雰囲気作り。元々外の天気が悪く薄暗かったので部屋はあっという間に暗くなり、僅かなテレビの明かりに照らされるだけとなった。

 

 再び楓の横に腰を下ろすと、今度は引き寄せるまでもなく楓の方からピッタリと身を寄せてきた。天候的にややジメッとしているが、楓の二の腕と肌で触れ合っても全く不快には感じなかった。

 

「よし、それじゃあ再生ー」

 

「わー」

 

 パチパチと楓の拍手と共に、小さな上映会は始まった。

 

 

 

 

 

 

 終わった。

 

「んー……!」

 

 長時間座りっぱなしの上に楓とくっついたままだったので動きが制限され、肩や首がこった。軽く座ったまま背伸びをしたり首を回すと軽くパキパキと音を立てた。

 

「………………」

 

「楓?」

 

 何故かエンドロールも終わった真っ暗な画面を見つめたままの楓に声をかけるが、楓は何でもないと首を振った。

 

「久しぶりに最初から最後までちゃんと見た気がするなぁって思ってたの」

 

「確かに」

 

 テレビで放送したりするけど途中から見たり逆に途中で見るの止めちゃったり、そもそも地上波用にカットしてたりするから。

 

「それにしても、やっぱり王道って感じだよなぁ」

 

 『身分の差を越えた悲劇なラブロマンス』というのはロミオとジュリエットに通ずるものを感じる。

 

「旭君、さっきのヤツやりましょう」

 

 まだ映画は残ってるがとりあえず休憩かなと考えていると、立ち上がった楓に腕を引かれた。

 

「さっきのヤツ?」

 

「船首で腕を広げるアレです」

 

「あぁ、アレか」

 

 鉄板ネタではあるだろうが、やるとしたら船の上とまでは言わないもののせめて水辺じゃなかろうか。

 

「外は大雨だから大丈夫」

 

 何が大丈夫なのかは分からないが、楓はスクッとソファーから立ち上がるとこちらに背を向けて腕を広げた。

 

「ったく、しょうがないな」

 

 などと言いながら案外俺も乗り気だったので、楓の背後に立ってその腰に腕を添えた。

 

(……相変わらず細ぇなぁ……)

 

 当然とまでは言わないものの楓のスリーサイズは把握しているが、こうして改めて触れてみるとそのウエストサイズに驚愕する。若干上も下もボリューム不足感が否めないが、こっちの方が俺好みだ。

 

「……ふふっ」

 

 思わずギュッと強く抱き締めたくなる衝動に駆られていると、急に楓は小さく笑った。

 

「くすぐったかったか?」

 

「ううん、そうじゃないの。ただ、こうしてるとあの時のことを思い出して……」

 

 楓はチラリとコチラを振り返ってから、そのまま静かに過去を振り返るように瞑目した。

 

 

 

 

 

 

「……あの時ってなぁに?」

 

「俺が聞きてーよ」

 

 過去回想が始まりそうだったがそんなものは無かった。

 

 生憎だがこのタイタニックポーズをしたのは今回初めてで、それにまつわるエピソードなんて持ち合わせていない。

 

「うふふふ、冗談よ」

 

 コロコロと笑う楓は、まるでアルコールが入った時のようにテンションが高く……。

 

「……楓」

 

「なぁに? 旭君」

 

「飲んでるな?」

 

「……うふふふ」

 

 机の上を見返してみる。観ている時は部屋が暗くて気付かなかったが、途中で離席した楓が追加の飲み物として持ってきた缶がソフトドリンクではなくチューハイのそれだった。通りで吐息が酒気帯びしてると思ったよ!

 

「真っ昼間から飲むお酒は格別なの」

 

「完全にオヤジの言い分じゃねぇか」

 

 オヤジネタをこんなところまで引っ張って来るんじゃない。

 

「えーい!」

 

「うわっと」

 

 急に楓が俺に向かって後ろ向きのまま体重をかけてきた。体を受け止めながら下がろうとした足がソファーに躓き、そのまま二人でソファーに倒れ込むように腰を下ろす。

 

 その結果、楓は俺の膝の上に腰を下ろすこととなった。

 

「コラ危ないだろ」

 

()()とは()()()です」

 

「意味が分からない上に反省の色無し。こーしてやる」

 

「やーんっ」

 

 楓を膝に乗せたまま後ろから抱き締めるように腕を回し、服の隙間から手を入れてサワサワとお腹を撫で回した。楓は身を捩りながらも楽しそうにしているのでそのままスベスベな肌を堪能する。

 

 

 

 数分ほど恋仲らしいイチャつきをしていると、楓は体を捻らせて俺に正面から抱き付いてきた。

 

「……私は」

 

「ん?」

 

「……私は、多分旭君の手を離してあげれない」

 

「手を……?」

 

 何の話かと思ったが、すぐに気が付いた。

 

 多分、タイタニックのラストシーンのことを言っているのだろう。

 

「例えこの命も尽きることになろうとも、私は貴方の手を離さない」

 

「……全く、何急にシリアスになってるんだよ」

 

 相変わらずお酒が入るとテンションの振れ幅が広がるなぁと苦笑しつつ、俺も楓の体を抱き締め返しながらその背中を軽くポンポンと叩く。

 

「こんなに可愛い嫁さん残して逝くつもりはないよ。だから、俺も楓の手を離してやんないからな」

 

 きっと繋いだこの手を離すのは、ベッドか畳の上で天寿を全うする時だけ。

 

 お酒も入っていて雰囲気もへったくれもないが。

 

 

 

 結婚式よりも早くこんな形で『永遠の愛』を誓うのが、きっと俺たちらしいのだろう。

 

 

 

「さて、晩飯前にもう一本映画見るか?」

 

「それじゃあ今度はこの『恐怖!キノコ男』を……」

 

「悪いこと言わないからそれだけは止めとこうぜ、な?」

 

 

 

 

 

 

 九月十四日

 

 今日は待ちに待った旭君と一緒に遊園地に行く日……だったのだが、残念ながら台風の影響による大雨になってしまった。

 

 流石にこの大雨の中を出かける気にもなれず、今日は旭君の部屋でのんびり家デートをして過ごした。

 

 しかしこれと言って特別なことをするわけでもなく、事務所のみんなから聞いてあったオススメの映画を見ることになった。

 

 その中でも菜々ちゃんからオススメされたタイタニックのラストシーンで、何故か主人公とヒロインを旭君と私に置き換えてしまった。同じような状況になっても、私は旭君の手を離せない。例え旭君から手を握ってくれなくても私はその手を離せそうになかった。

 

 お酒が入っていたこともあり若干感傷的になってしまっていたが、そんな私を旭君は優しく抱きしめてくれた。

 

 旭君も手を離さないと言ってくれただけで嬉しくなってしまった私は、相変わらず『チョロい』という奴なんだと思う。

 

 一日台風で天気は晴れなかったが、一日中隣に旭君がいてくれた今日はいつも以上に素晴らしい休日だった。

 

 

 




 今回はストーリー性が全く無い完全な日常回でした。

 こういうのんびりとしたイチャイチャが書きたかったので、ようやく目的の一部が達成できた感じです。

 正直アイ転の時のように後書きでネタ解説したいレベルで詰め込みましたが、こちらは一切ない方向でいきます。分からなかった人は是非調べてみてね。

 それではまた十月にお会いしましょう。


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高垣楓に悪戯される10月

あっという間に秋らしくなって朝と夜が割と寒くなりましたね。

季節の変わり目です。風邪には用心してください。


 

 

 

 夏の茹だるような暑さが陰り、ようやく秋という季節が見え始める十月。

 

「……うーん」

 

 そんなとある日の夜のこと。今日も一日特に大きな問題もなく撮影を終えてきた俺はリビングのソファーに座り頭を悩ませていた。

 

 明日の昼に何を食べようかなどという些細な悩みではなく、かと言って今後の俳優としての方向性などという深刻な悩みでもない。

 

 では何を悩んでいるのかというと、結婚式の招待客のリストである。

 

 俺たちは来年の楓の誕生日の挙式を予定しているので、今日で丁度八ヶ月前になる。未だに世間には公表していないものの、そろそろ式について現実的に考えていかなければならない。

 

 しかし招待客と言いつつもあくまでも目安である。具体的な招待客は式場を押さえて席順を決める段階になってからになるが、俺と楓は職業柄友人知人上司その他関係者が大勢いるので、その中での優先順位を決めておかなければならない。

 

 幸いなことに楓とは同じ事務所で仕事上の関係者は共通しているので、その辺りは割と人数が抑えられそうである。

 

「いっそのことライブ会場レベルの最大規模にしてカメラも入れるか……?」

 

 多分事務所やテレビ局的には喜ばしい企画になるとは思うが……以前そうやって大々的に結婚をした芸能人夫妻が盛大に離婚をしたばかりなので、正直縁起が悪い。

 

 逆に完全身内のみにして最小規模にするのも手だが、それはそれで味気ない。

 

「どうしたもんか……」

 

「旭君」

 

 そんな風に頭を悩ませていると、楓に名前を呼ばれた。

 

 振り返ると、先程少し用事があるからと言って自室へ向かった楓がリビングの入り口から顔だけを覗かせていた。

 

「何やってんの?」

 

「実は今度ハロウィンのお仕事で仮装をすることになったの」

 

「へぇ」

 

 ハロウィンと言えば今では冬のクリスマスに匹敵するレベルでメジャーなものになった秋のイベントだ。詳しい由来やらなんやらは取っ払って、とりあえず仮装をしてお菓子を食べるイベントになっている辺り実に日本的である。

 

「それで、その予行演習を兼ねてちょっと仮装をしてみました」

 

「ほう」

 

「つまり()()()()ということなの」

 

「そーいうのいいから」

 

 一体どんな仮装をしてきたのだろうか。

 

「じゃーん!」

 

 効果音を自分で発しながらピョコっと入り口から姿を現した楓の格好は、全身黒のフリル付きミニスカワンピースに赤いコサージュが付いた黒の三角帽子という、テンプレート的な魔女の格好だった。

 

「どう?」

 

「おお、すっごい似合ってる、んだけど……やけにスカートの丈が短くないか?」

 

 彼女のオッドアイが実に魔女らしく似合っているのだが、楓の真っ白な太ももが半分以上剥き出しになっており、よくよく見ると衣装そのもののサイズが明らかに小さい。

 

「うーん、やっぱりまゆちゃんと私じゃ身長差があったわねぇ……」

 

 俺が個人的に見る分にはいいがこれを他の男に見せるのはちょっと……などと独占欲的なことを考えていたが、その思考は楓のそんな一言に中断させられる。

 

「……え、それ佐久間の衣装なのか!?」

 

「今度のハロウィンイベントで着る予定らしいんだけど、可愛かったから借りてきちゃった」

 

「何やってんだよ!?」

 

「ちゃんと本人には許可貰ってるから安心して? 大好きな人に可愛い姿を見せたいって素直に話したら喜んで貸してくれたの」

 

「……お、おう、そうか……」

 

 その大好きな人っていう下りが地味に嬉しかったりする辺りなんか悔しい。

 

「というか佐久間と仲良かったんだな」

 

 何というか意外な組み合わせである。確かに『シンデレラガールズ』として一緒のステージに立ったことはあるらしいが、特別に仲が良かったという印象はあまりなかった。

 

「よく智絵里ちゃんやゆかりちゃんや響子ちゃんとお話しているところにご一緒させてもらうの」

 

 ……その組み合わせについては敢えて何も触れないが、楓がそちら方向に行かないことを切に願おう。

 

「それじゃあ、次の仮装に着替えてくるわね?」

 

「おう。……って、まだあるのか?」

 

「ちょっとだけ待っててねー」

 

「いや待て招待客リストを……」

 

「あ、その前に魔女らしいことを一つ」

 

「聞いて」

 

 ミニを超えるミニスカート状態で下着が見えてしまうというのに全く気にする素振りもなくその場でクルリと回った楓は「ちちんぷいぷい」と呟きながら俺の鼻先に人差し指を突き付けた。

 

「もっと私にメロメロになぁれ」

 

(……トゥンク)

 

 俺の嫁の可愛さに打ち震えている間に彼女はリビングから去っていった。

 

 

 

 

 

 

「お待たせしましたー」

 

「待ってましたー」

 

 再びリビングの入り口からひょっこりと顔を出した楓を拍手で迎える。

 

 多分今日の楓はたまに存在する『構って欲しい気分の日』なのだろう。こうなった楓はまるで子供か犬のようにトコトン構ってやらないと気が済まず、無視しようものなら構うまでスリスリとすり寄ってきて作業どころではなくなるので結局構わざるを得ない状況になるのだ。

 

 そんなわけで、別に急ぎじゃないから付き合ってやることにした。キッチンから持ってきた飲み物を片手にソファーに座り、完全に鑑賞モードに入る。

 

「続いてのテーマは、吸血鬼でーす」

 

 じゃーんと言いながらまた新しい衣装の楓がリビングに入ってきた。

 

 今度の衣装は赤と黒をベースにしたゴスロリ風ワンピース。中は白のブラウスで、胸元のコウモリ風ブローチと蜘蛛の巣柄のタイツが何ともハロウィンチックで――。

 

 

 

「――って、765プロさんの『マイディアヴァンパイア』じゃねーか!?」

 

 

 

 何処かで見たことがあると思ったら完全に他事務所の衣装だった。主にフェアリーズが『きゅんっ!ヴァンパイアガール』の際に着るアレである。

 

「元あった場所に返してきなさい!」

 

「心配しなくても大丈夫よ。この間雑誌の撮影で一緒になった時に仲良くなった四条さんから直々に借りたの」

 

「貴音ちゃんに?」

 

 うーん身長は近いのにちょっとだけサイズが合いませんねぇとその場でクルリと回っていた楓が、こちらに背を向けたところでピタリと止まった。

 

「……()()()()()?」

 

「あ、いや、なんでもないです」

 

 そのままグルリと首だけでこちらを振り返った楓の笑顔が少し怖かった。

 

 以前ドラマで共演した際にほんの少しだけ仲良くなったというだけで他意は全くないのだ。

 

「衣装の名前なんていうマニアックな知識がサラッと出てくるのね」

 

「タマタマ知ッテタダケダヨー」

 

 コッソリ貴音ちゃんの写真集を持っていたりその中のコラムで衣装の名前を知ったとかそんなことは全然無い。

 

「カプッ」

 

「痛っ……くない」

 

 ささやかな嫉妬の表れか、衣装の通り吸血鬼よろしく首筋に噛みつかれた。しかしハムハムと軽く歯を立てるだけの甘噛みだったのでくすぐったかった。

 

「というか楓、キスマークとかは付けてくれるなよ? 明日は撮影無いけど、取材とか舞台挨拶とかそういう仕事があるから……」

 

「……チュー」

 

「ってコラッ!?」

 

 首筋に吸い付かれる感覚に慌てて楓を引き離し、待機中のスマホの暗い画面の反射を利用して首元を確認する。

 

「……こ、これぐらいなら虫刺されで通せるか……?」

 

 指摘されなければキスマークとは分からないだろうが、はっきりと赤い跡がついてしまっていた。

 

 流石にこれは明日の仕事に行く際に隠さなければならない。時期的にタートルネックは早いから、絆創膏と襟があるシャツを着ればなんとかなるだろう。

 

「楓っ! こういう悪戯は止めろって前に……!」

 

 しかしお互いにメディアに出る身として、こうやって交際がバレるようなことはしないと取り決めていたはずだ。流石にこれは俺も怒らざるを得ないのだが。

 

「………………」

 

 何故か楓は何かを期待するような目でこちらに向かって腕を広げていた。

 

 ……ブラウスのボタンを開けて胸元を広げた状態で。

 

「さ、旭君もどうぞ?」

 

「……いやいや、百歩譲って首筋にキスマークはまだ分かるがいくらなんでもそこは――」

 

 

 

 

 

 

「――はっ!? 俺は一体何を……!?」

 

 我に返った時には既に二度目のお色直しをするためにリビングを出ていった上機嫌な楓を見送った後だった。

 

 ……何処にキスマークを付けてしまったのかは黙秘するが、あそこならバレる心配はないだろうから問題ないと無理矢理自分自身を納得させ、思考を次の楓の仮装に切り替える。

 

 最初がウチの事務所の佐久間の魔女で、次が765プロさんの貴音ちゃん……もとい四条さんの吸血鬼。……まさかこの流れで876プロや1054プロのアイドルの衣装を着てきたりしないだろうな……。

 

「お待たせしましたー」

 

 そんな俺の不安なんて知る由もない楓は、三度(みたび)リビングの入り口から顔だけを覗かせた。

 

「今度のテーマは、小悪魔でーす」

 

 何だかんだ言って結構楽しくなってきた俺は、果たして今度はどんな仮装をしてきたのだろうかと若干期待しながら楓の仮装に目を向ける。

 

 紺色のプリーツスカートに同色の大きな襟、赤色のリボンが白の上着によく合っていて、まるでセーラー服のような――。

 

 

 

「――って、本当にセーラー服じゃねーか!?」

 

 

 

 既にハロウィンイベントは一切関係なく、別の意味での仮装(コスプレ)になっていた。テーマの小悪魔が意味深すぎる。

 

「私はまだまだイケると思ったんだけど……似合ってなかった?」

 

「似合いすぎてるからマズいんだって」

 

 流石の童顔といったところか。しかし雰囲気はちゃんと大人のそれなのでなんかもう文字通りコスチュームプレイの匂いしかしなかった。

 

 何故だろうか。俺が楓に着てくれと頼んだわけでもないのに何かマズいことをしてしまったような罪悪感を覚える。

 

「制服が好きな旭君のために頑張ってみました」

 

「酷い言いがかりなんだが」

 

 どちらかというとブレザー派ゲフンゲフン酷い言いがかりである。

 

「……この間、カフェテリアで仲良くお話をしていた制服姿のトライアドプリムスとニュージェネレーションズの五人を眺めていたのは何処の誰かしら?」

 

「何で知ってんの!?」

 

 自爆というか語るに落ちた気がするが、そんなことよりそれを楓が知っていることに驚愕する。

 

「カフェテリアのテラス席に座ってコーヒー片手に雑誌を読む旦那様の姿をカッコいいなぁって見てたのに、チラチラと移る視線の先を追ってみれば学校帰りに事務所に来た五人がいるんだもの。あぁ、旭君は制服が好きなんだなぁって」

 

「流石にそれは飛躍しすぎてる気がするし、そもそもアレは妹が楽しそうに話してるのがちょっとだけ気になっただけで……」

 

「この際だから、旭君にはしっかりとお話しておきたいことがあります」

 

 ここに座ってください、とリビングのカーペットの上に正座をした楓がポンポンと目の前を叩いた。

 

 多分これもう何を言っても無駄なんだろうなぁと諦めて楓の目の前に正座をすると、セーラー服に身を包んだ二十五歳のアイドルと膝を突き合わせるというなんとも珍妙な光景が俺の部屋のリビングに広がることとなった。

 

「んぐっ……ぷはぁ。まず初めに、旭君の女性の好みについて言及させてもらいます」

 

「その『まず初めに』を始める前について俺は言及したいんだが」

 

 今こいつ極々自然な動作で何処からともなく日本酒の一升瓶を取り出してグラスに注いで飲んだぞ。余りにも自然な動作すぎて俺でなきゃ見逃してたね。

 

「というか飲むなら俺も欲しいんだけど」

 

「あ、どうぞ。お酌するわね」

 

 受け取ったグラスに楓が日本酒を注いでくれたのだが、セーラー服を着た成人女性がお酌をしてくれるとか完全にそういうお店のそういうプレイだった。

 

 ……正直悪くないと思ってしまったのは楓が大好きだからであって決して他意は無い。

 

「それで、女性の好みについてです」

 

 このままの流れで話が逸らせるかと思ったがそう甘くはなかった。

 

「旭君の部屋の本棚の私専用の段の中に巧妙に隠してあった四条さんと三浦さんの写真集から察するに、そういう女性が好みということでいいのかしら?」

 

「バレテーラ」

 

 楓なら自分が載ってる雑誌や写真集を手に取らないだろうと逆転の発想で堂々と本棚の中に紛れ込ませておいたのだが、見事にバレていた。

 

「やっぱり私よりも胸の大きな女性が好き?」

 

「あれだけヤることヤっておいて今更お前以外の女性が好きなんて言わないって」

 

「……それじゃあ、次は服ね」

 

 若干顔を赤くしながら露骨に話題を変えてきた。流石に今のは楓も恥ずかしかったらしい。

 

「結局旭君は制服フェチってことでいいの?」

 

「ついに言葉を選ばなくなってきたな」

 

「だって奈緒ちゃんたちのことを食い入るように見てたし……」

 

「食い入るようには見てねーって」

 

 あくまでも妹の友人たちだからなんとなく気になっただけであり、渋谷凛や島村卯月の制服がいいなぁなどと思っていたわけではない。

 

「写真集の中に四条さんと三浦さんの制服コレクションのブロマイドが挟まってたのに?」

 

「そーだよなそっちが見付かってんだからそっちもバレてるよなっ!」

 

 弁解の余地が何処にも無かった。

 

 あーあーそーですよ! どーせ俺は制服フェチですよ! 

 

「それで? 改めて俺の性癖を暴いたところで楓はどうしたいんだよ」

 

「私の招待客のリストを考え直します」

 

「……はぁ?」

 

 そこの繋がりが全く分からないというか、今更話がそこに戻るのか。

 

 会話の合間にグビグビと日本酒を呷っていた楓は、ぷはぁと五杯目を飲み干した。相変わらずペース早いなぁ。

 

「まず残念ですけど私の招待客の中から早苗さんや礼子さんなど胸の大きな方を外させてもらいます」

 

「おいおい」

 

 そうなると楓と事務所で仲が良いメンバーほとんどいなくなるじゃないか。

 

「次に申し訳ないけど制服で来る可能性がある学生の子たちも外します」

 

「確かに礼服としても使えるけど、仮にもアイドルなんだから流石に自分の洋服を着てくるだろ」

 

 いくらなんでも今時の女の子が結婚式に制服は着てこないはずだ。

 

「そして披露宴や二次会の余興で制服を着そうな瑞樹さんや着させられそうな美優さんも外します」

 

「……うわすげぇやりそう」

 

 ノリノリな川島さんと真っ赤になって恥ずかしがる三船さんが共にセーラー服を着てステージの上に登る姿が容易に想像出来た。

 

「というわけで私の招待客は、基本的に友紀ちゃんや留美さんや瞳子さんになります」

 

「悪意を感じる人選!」

 

 俺に対してじゃなくて名前が上がった三人に対しての悪意である。

 

「あとちひろさんも招待しましょう」

 

「流石に喧嘩を売る相手は選ぼうぜ!?」

 

 そのとばっちりはお前らのプロデューサーに行くんだからな!?

 

 しかし話は変わるが、あの人たち毎日バカみたいに栄養ドリンク飲んでるけど胃は大丈夫なのだろうか……?

 

 そもそも、千川さんは趣味がコスプレとか言って事務所に自前の衣装持ち込んでいるという話を聞いたから、余興でセーラー服ぐらい着る可能性があるのでは。

 

「そして旭君が事務所の男友達ばかりを呼べばオッケーです。これで招待客リストは完成しました。私の勝ちです、お風呂に入ってきます」

 

「色々と待て」

 

 もう何処から突っ込んでいいものやら。

 

「別にわざわざ招待客から外す必要は無いだろ。特に川島さんや片桐さんなんてプライベートでもお世話になってるんだから、呼ばないと失礼だ」

 

 いくらなんでも本気で言っているわけではないだろうが、楓は何故こんなことを言い出したのだろうか。

 

「……だって……」

 

 楓はツンと拗ねるように唇を尖らせながら視線を背けた。

 

 

 

「折角の結婚式に旭君の視線が別の女の人のところに行くなんてヤダもん」

 

 

 

(……あぁもう可愛いなぁ!)

 

 「もん」とか使う歳でも無いだろと言いたい場面ではあるが、セーラー服と相まって摩訶不思議な破壊力をもたらしていた。

 

 可愛らしく拗ねながら日本酒を呷る姿は可愛くないが、よいしょと立ち上がりそのまま楓の後ろに回る。そして後ろから抱き抱えるような形で腰を下ろした。

 

「そんな人生の大舞台で余所見をするような大根役者のつもりはねーよ」

 

「でも、瑞樹さんたちがみんな制服着て来たら見ちゃうでしょ?」

 

「そんな愉快な集団がいたら誰だって見るに決まってるだろ」

 

 しかもその集団、格好は学生でも普通に酒盛りしてるんだろ? そんなもん見ないわけがないじゃん。

 

「ってそーじゃなくて、そんな下らない心配するなんてバカだなぁ」

 

「っ! だって……!」

 

「本当にバ可愛いなぁ。まーだ俺がお前にメロメロだって信じてないのか?」

 

「……そんなことないけど……」

 

「安心しろ。っていうか、覚悟しろ」

 

 俯く楓を後ろから抱き締める。

 

 

 

「今から結婚式までの八ヶ月で、俺がどれだけ高垣楓のことを愛しているかを嫌ってぐらいに思い知らせてやるからな」

 

 

 

「……うん」

 

 ついに観念したらしい楓はグラスと一升瓶を机に置くと、もたれかかるように身を預けてくるのだった。

 

 

 

 その後、今度は俺が狼男になったとかそういうオチで今回はここで締めくくることにする。楓が制服姿のままだったから本当にご馳走様でした。

 

 

 

 

 

 

 十月十四日

 

 今日はお仕事から帰ってくると、旭君の前で一人仮装パーティをした。

 

 まゆちゃんや765プロの四条さんから借りた衣装に着替え、その度に旭君に見せると彼は大変喜んでくれた。その際、旭君の首筋にキスマークを付ける悪戯をしてしまったが、彼からお返しのキスマークを付けてもらえた。

 

 そのついでに昔から取ってあった学生服を着て、彼の趣味嗜好について少々お話をさせてもらった。

 

 旭君の本棚の中から他のアイドルの子の写真集が出てきた時は、やっぱりほんの少しショックだった。他の子を見るぐらいならもっと自分を見てくれと言いたかった。

 

 お酒も入った勢いで色々と言ってしまったが、結局は彼から愛していると言われるだけで許してしまうのは、私の惚れた弱みというやつなのだろう。

 

 しかし制服は今後も着ようと思えばいつでも着れるし、胸に関しても旭君と共に暮らしていくうちにきっと大きくなるだろうから、私一人で彼の趣味嗜好を完備できるようになればいいのだと気付いてしまった。

 

 現にこの日の夜もとても喜んでくれたし……たまにはこういうのもいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「さて、流石にバレちまったものをいつまでも楓の段に残しておくわけにはいかないから片付けるか……っておいコラ楓っ! 中に挟んでおいたブロマイドを常務の写真に入れ替えたな!?」

 

 

 




 作者の性癖や趣味嗜好が漏れ始めた五話目でした。

 今更ですが、今作は『高垣楓とオリ主がただひたすらイチャコラする』だけの小説なのでストーリーは有って無いようなものです。正直作者が一人でニヤニヤしながら書いて楽しんでいるだけの作品だということをご了承いただきます。

 しかしそんな独りよがりな小説を書いていたおかげで、作者は無事先日のデレフェス限定ガチャにて限定SSRの楓さんを無償石のみでお迎えすることが出来ました。やっぱり書けば出るんですね。

 ちなみに調子に乗ってその後の限定ままゆを引こうとして爆死しましたので、今回衣装だけ登場させて気を晴らしたという裏話です。

 それでは、今度は十一月にお会いしましょう。



※追記

 今回のお話に登場した楓さんを友人に描いてもらいました。

 『いかがわしいお店チックなセーラー服の楓さん』と依頼した結果、こうなりました。


【挿絵表示】


 ……これは色々といけませんわ。

 なお無着色なのは仕様です。


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高垣楓がドレスを着る11月

たまには甘さ控えめな感じに。


 

 

 

 結婚式前にやらなければならないことは多い。これは意外でも何でもなく、結婚と縁遠い人でも何となく予想出来るだろう。

 

 例えば式場の下見、費用の見積もり、結婚指輪の購入、衣装選び、招待客リストの作成と、今の半年以上前の現段階でもこれだけある。

 

 これに加えて招待状の作成、披露宴の司会依頼及びプログラム作成、料理や引き出物の選択等、まだまだやるべきことがありすぎて正直本当に六月までに全て間に合うのかどうか不安になってくるレベルである。

 

 特に俺と楓は共に多忙な身。二人の時間が合う時に少しずつ決めていかなければ間違いなく間に合わないのだ。

 

 だから何処かで式場の下見ぐらいは出来たらいいなぁ……などと考えていたところ、今月のお話である。

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「お帰りなさい」

 

 その日も仕事を終え帰宅すると、今日は俺よりも早く帰ってきていた楓が部屋の奥からパタパタと出迎えに来てくれた。

 

 プロポーズをしてから楓が俺の部屋に来ることや泊まっていくことが増え、今ではほとんど同棲のようになっていた。週刊誌が怖いところではあるが、互いに大きな仕事の目処が付き世間へのカミングアウトも秒読みなのでそれほど大きな問題でもないだろう。

 

「お疲れ様。いつも通り、先にご飯よね?」

 

「あぁ、ありがと」

 

 既に若奥様な楓がニコニコと俺のコートを受け取ってくれる。

 

 こういう時の定番である「食事にする? お風呂にする? それとも……」は以前の一件でやってくれなくなってしまったので少々残念だが、自業自得なので諦める。

 

「ん?」

 

 荷物を置くためリビングに入ると、机の上に式場のパンフレットが置いてあった。最近出来たばかりの新しい式場のものだった。

 

「なんだ、楓も貰ってきたのか」

 

 鞄を開けて全く同じパンフレットを中から取り出す。実は俺も貰ってきていた。

 

 独身の俳優がこんなものを貰ってきたら色々と勘繰られそうではあるが、これは我が妹に頼んで貰ってきてもらった。346のプロジェクトクローネを代表するユニットの一員である奈緒だが、流石に俺や楓ほど世間での認知度は高くないのだ。

 

 ちなみに顔を真っ赤にしながら「あ、あたしじゃなくて、兄貴が! 兄貴が結婚するので!」と何も言われていないのに式場のスタッフに言い訳をしながらパンフレットを貰っている姿を凛ちゃんと加蓮ちゃんが動画に撮って送ってきてくれたので、後で楓にも見せてやろう。

 

「えぇ、プロデューサーさんが持ってきてくれたの」

 

「へぇ」

 

 反対はされなかったもののあまりいい顔はしなかったあのプロデューサーさんがこうして楓にパンフレットを渡してくれるとは、それだけ俺たちのことを認めてくれたということか。

 

「それじゃあ今度行ってみるか」

 

 パンフレットを見た限りではなかなか良さそうな式場に感じたので、今度の休みに二人で下見に行ってもいいだろう。若干身バレが怖いが、そんなことを言っていては式の準備は遅々として進まないのだ。

 

「少し早めにウエディングドレスを着れるらしいから、楽しみだわ」

 

「へぇ、そんなのもあるのか」

 

 パンフレットにはウエディングドレスの試着は無かったと思ったが、そんなサービスがあるのか。もしかしたら式の体験とかそういうのかもしれない。

 

「まゆちゃんも将来のための予行練習だって楽しみにしてたわ」

 

「え、佐久間も来るの?」

 

 そんな楓の言葉に呆気に取られる。

 

「勿論、一緒に仕事をするんだから。……何か都合が悪かった?」

 

「いや、悪いわけじゃないけど……」

 

 一緒に仕事をする仲間とはいえ式場選びにまで同行するのは流石に予想外だった。……まぁ先程楓が言ったように、多分予行練習としてウエディングドレスを着てみたかったのだろう。

 

 あの子、担当プロデューサーのこと大好きだからなぁ。プロデューサーが帰宅しようと車に乗ったらいつの間にか後部座席に佐久間が座っていたという話は346の人間で知らない奴はいない。いじらしいという感想の前に恐怖が来る辺り少々アレだが。

 

「桃華ちゃんもいるし、一番お姉さんの私が頑張らないと」

 

「櫻井まで!?」

 

 櫻井(さくらい)桃華(ももか)までいるとか本当にもうどういうことだコレ。流石に十二歳の小学生は早すぎるんじゃなかろうか。

 

 そう言うと、楓は少し困ったように首を傾げた。

 

「でも、桃華ちゃんのプロデューサーからもよろしく頼まれちゃったし……」

 

「ダメだ日本にはロリコンが多すぎる……」

 

 プライベートで女子小学生にウエディングドレスを着せようとしている辺り割と事案なのではなかろうか。

 

 しかしこれじゃあまるで式場の下見というよりは、同じ仕事現場の引率役――。

 

「――ん?」

 

 あれ、これってもしかして……。

 

「なぁ楓、このパンフレットどうしてプロデューサーがくれたんだ?」

 

「? お仕事の前に少し予習をしておいてくれって」

 

「……そういうことか」

 

 道理で話が微妙に噛み合ってないと思った。俺は『プライベート』の、楓は『仕事』の話をしていたわけだ。

 

 つまり楓はこの新しく出来た式場での仕事をすることになり、その参考資料としてプロデューサーはこのパンフレットを渡したのだ。そして佐久間と櫻井も一緒にその仕事をする、と。

 

 ……いやまぁ、それでも櫻井にウエディングドレスの仕事を持ってくるのはどうかと思うことには変わらないが。

 

「旭君もそういう理由でパンフレットを貰ってきたんでしょ?」

 

「違う違う、俺のは個人的に奈緒に貰ってきてもらったやつだよ。俺は式場の仕事なんて入ってないしな」

 

「えっ」

 

「え?」

 

 何その反応。

 

「でもプロデューサーさん、旭君も一緒の仕事だって言ってたわよ?」

 

「おいコラマネージャー聞いてないぞ」

 

 マネージャーに電話をして確認を取ると「今日決まったことだったので明日説明するつもりでした」とのこと。すぐに言わんかい!

 

「ったく」

 

「ふふっ。でも久しぶりに一緒のお仕事ね」

 

「確かにそうだが……」

 

 正式に交際が始まる前、楓がアイドルではなくモデル時代に一度雑誌の撮影でたまたま一緒になった時以来になる。

 

「けど、何で上は俺にまでこんな仕事を寄越してきたんだ?」

 

 別に式場の仕事に対して不満があるわけではない。問題は()()()()()()()()()()がウエディング関係の仕事をすることだ。

 

 世間には公表していないとはいえ事務所の上の人間は全員俺と楓のことを知っているはずだ。そんな俺たちに何故こんな世間にバレるのが早まりそうな仕事を持ってきたのだろうか。

 

「逆にここで堂々と一緒にそういうお仕事をすることで『まさか』と思わせたいんじゃないかしら」

 

「……まぁ、誰もそんなこと考えんわな」

 

 逆転の発想、とでも言えばいいのだろうか。確かにまさか本当に結婚するなんて考える奴はいないだろう。

 

 もしくは『あの時の二人が本当に結婚!』という話題作りのためという線もあるが、その場合得するのは事務所ではなくどちらかというと式場側だろう。

 

 何にせよ、受けてしまった以上、仕事を断るほど三流でも仕事を必要以上に選ぶほど一流でもないので腹を括る。寧ろ仕事をしつつ楓と式場の下見が出来ると考えれば一石二鳥である。

 

 とりあえず公表前にバレないように気を付けることにしよう。

 

 

 

「……折角作った料理が()()たから慰()()て……」

 

「ご、ごめんって! 冷めても美味しいって!」

 

 

 

 

 

 

 あの後マネージャーから改めて仕事の内容を確認すると、どうやら式場のPRイベントで、主な内容としてはその宣伝写真と囲み取材らしい。346プロダクションのアイドル部門から楓と佐久間と櫻井が女性モデルとして、俳優部門から俺が男性モデルとして参加するとのこと。

 

 ……まぁ、ウエディング関係のイベントは基本的に女性メインだから男が俺一人でも別におかしくないが、なんかこう誰かの思惑めいたものを感じざるを得ない。

 

 そんなわけで写真撮影当日である。

 

「「今日はよろしくお願いします」」

 

「こちらこそよろしく」

 

 (くだん)の式場に用意された楽屋にて、一応先輩の俺に今日一緒に仕事をする佐久間と櫻井が挨拶に来た。二人の後ろでは保護者よろしく楓がニコニコと微笑んでいる。

 

 実際今日の楓は未成年二人の保護者兼引率役らしく、プロデューサーは来ていないとのこと。写真撮影だけとはいえ、我が事務所ながら放任主義すぎやしないだろうか。……まぁ、基本的にウチのアイドル部門は万年プロデューサー不足というか、プロデューサーが増える前にアイドルが増える事務所だからなぁ……。

 

「佐久間はこの間の『あいくるしい』の撮影以来だな」

 

「はい。あの時はお世話になりましたぁ」

 

 ついこの間クランクアップを迎えた特別ドラマ『あいくるしい』。346は元々映画部門で成功を納めた事務所なので、時たま事務所所属タレントのみのドラマや映画の撮影を行うのだ。今回はアイドル部門の佐久間・小早川・水本・三村・速水の五人がメインのドラマで、俺は端役として撮影に加わらせてもらった。

 

 妹と同年代のアイドルだらけの撮影現場で、基本的に『いい子』な彼女たちは休憩中のお茶に呼んでくれたりしたのだが、なんというかこう妹の友達が集まっているところに何故か一人紛れ込んだ兄みたいで若干居心地が悪かった。

 

 さらに速水の奴は此方が年上だとか先輩だとかそういうの関係無くキスを持ちかけてからかってくるのであしらうのが大変だった。

 

 ……まぁそんな中で何が一番大変だったかというと、そんな話をポロっと楓に漏らしてしまったことなのだが、今は置いておこう。

 

「櫻井はこうして顔を合わせるのは初めてだな。神谷旭、俳優部門所属の……って言うよりは、お前たちの場合は神谷奈緒の兄って言った方が分かりやすいか」

 

「はい。改めまして、櫻井桃華ですわ。お噂はかねがね」

 

 へぇ、例えば?

 

「奈緒さんからは意地悪だけどたまにいいことをする兄貴と、友紀さんからは三枚目と呼ばれる優秀な俳優さんだとお伺いしておりますわ!」

 

 奈緒はともかく姫川てめぇ。

 

「? チームの四番に繋ぐための大切な存在という意味だと仰っておりましたが、誉め言葉ではないんですの?」

 

「今度橘辺りに正しい意味を教えておいてもらってくれ」

 

 流石に自分で三枚目の説明はしたくなかったので、苺タブレット娘に丸投げる。あいつならきっと颯爽と調べて教えてくれるから。

 

「はい。それじゃあ二人とも、そろそろ時間だから準備しに行きましょう?」

 

「「はい!」」

 

 一通り挨拶を終えたところで楓が二人を準備に促した。仕事前に「私が一番お姉さんだから」と言った時には内心で「そのメンバーの中で一番子供っぽいのは楓だろなぁ」などと少々失礼なことを考えたが、成程こうしてみるとしっかりとお姉さんをしていると楓の新たな一面を見た気がする。

 

 ……いやまぁ二十五を十六や十二と並べれば当然というか、寧ろ周りの二十八や三十も含めて普段はともかくアルコールが入ったときが酷いというか……。

 

「それじゃあ神谷君、また後でね」

 

「おう………………ん?」

 

 失礼しますとこれまた礼儀正しく一礼した二人を連れて退出する楓の背中を見送り、数瞬置いてから首を傾げる。

 

 先程の「神谷君」は、楓が普段外で使う呼び名だ。一応は隠れて交際している身故、流石に外でも「楓」「旭君」呼びは不味いので「高垣」「神谷君」とそれぞれ呼んでいるだが……今部屋の外に式場スタッフでもいたのか?

 

「……まぁいいか」

 

 流石に女性陣よりは時間はかからないだろうが、準備に時間がかかりそうなのは俺も同じなのでそろそろ準備に取りかかるのだった。

 

 

 

 

 

 

「流石俳優さん! ビシッと決まってますね!」

 

「どーも」

 

 式場スタッフのお世辞を軽く流しつつ、姿見で全身を確認する。

 

 今回俺が着ることになったのはジャケットが膝まであるフロックコート、それよりやや丈が短いのでショートフロックと呼ばれるタキシードだった。色はシンプルに白で、どうやら新婦側のドレスに合わせたチョイスらしい。多分新婦側が着るドレスはスレンダーなドレスなのだろう。この辺りは仕事なので予習は済ませてきており、そもそも撮影の現場で何度も着たことがあるのである程度の知識はある。

 

 その新婦側についての補足が。先程スタッフから撮影は基本的にソロなのだが、俺と楓だけはペアでの撮影があるらしい。果たして事務所側からなのか式場側からなのか分からない要望ではあるが、正直交際云々を抜きにしても佐久間や櫻井とのペア撮影が無くてホッしている。流石にウエディングドレス着た高校生や小学生とペア撮影は洒落になってないって。

 

「お待たせしましたぁ」

 

「お待たせいたしましたわ」

 

 などと考えていると、そんな声が俺の耳に届く。どうやら佐久間と櫻井の準備は終わったらしい。

 

「うふふ、これをいつかあの人の隣で……」

 

 元々薄かった目のハイライトが更に消えてトリップしている佐久間のドレスは純白のAラインで、肩がむき出しのベアトップ。まさに正統派といった印象で、色々と一途な佐久間にはピッタリである。

 

「どうです? これでわたくしも大人のレディーですわっ」

 

 手の甲を頬に当てながらしなを作ってポーズを取る櫻井のドレスは薄いピンクのプリンセスラインで、こちらもベアトップ。薔薇のコサージュが全体的にあしらわれており、彼女の曲である『ラヴィアンローズ』のイメージに合わせたドレスだった。

 

「二人ともよく似合ってるぞ」

 

 流石我が事務所で一番勢いのあるアイドル部門のアイドルだけあって、まさか未成年かつ一人はランドセルを背負っている身でここまでウエディングドレスを着こなすとは思いもよらなかった。

 

(………………)

 

 この二人がここまでウエディングドレスを着こなすのだから、元モデルで現トップアイドルな楓はどれほどのものなのだろうかと期待に胸が膨らんでくる。やべぇ超楽しみ。

 

「うふふ。神谷さん、楓さんのことがそんなに気になります?」

 

「えっ」

 

 どうやら目に見えてソワソワしていたらしく、気付いた佐久間にクスクスと笑われてしまった。

 

「ふふ、そんなに気にしてますと、楓さんのことが好きなんだと誤解をされてしまいますわよ?」

 

「えっ」

 

「「え?」」

 

「……あぁいや、やっぱり高垣は美人さんだから期待せざるを得ないんだって」

 

 そう笑いながらヒラヒラと手を振って返すが、正直上手く演技出来ていた気がしない。多分プロが見たら口元がひくついていたことに気付かれただろう。

 

「あら、そうでしたの」

 

「楓さん、お綺麗ですものねぇ」

 

 しかし目の前の少女二人は誤魔化せたようだ。まだまだ演技の分野に関しては少々甘いようだった。

 

 ……それにしても。

 

(この二人、俺と楓のことを知らなかったのか……!)

 

 今や事務所内で俺達のことを知る人間は少なくない。しかし逆に言えばまだ知らない人間がいるのは当たり前のことなのだ。

 

 櫻井はともかく、先月の楓のコスプレ云々の話をしたときに佐久間の名前が出てきたので、彼女はてっきり知っているものだとばかり考えていた。

 

 いや、別に彼女たちにカミングアウトすること自体は問題ないのだが、周りに外部のスタッフがいる状態でのそれは不味いので咄嗟に誤魔化してしまった。

 

(さっきの『神谷君』はそれだったのかよ……)

 

 せめて一言欲しかったと思わないでもないが、今回は俺の注意不足なので自省することにする。最近では既に知っている人間の方が多かったので油断していた。今後は気を付けなければ。

 

「お待たせしました」

 

「っ!」

 

 自省するといった舌の根の乾かぬ内に目に見えて反応をしてしまい、また二人にクスクスと笑われるが、そんなことを気にしている暇はなかった。

 

 正直楽しみというか期待が強すぎてヤバい。周りのスタッフから感嘆の声が上がっているところから察するに、相当凄いことになっているのだろう。

 

 早く見たい、しかしそんな逸る気持ちとは裏腹に体は何故かすぐに振り返ることができなかった。

 

「神谷君、是非貴方の感想も聞かせて欲しいです」

 

 そんな楓の声を聞き、俺はようやく振り返ることが出来た。

 

 

 

「……どうかしら?」

 

 

 

 こういう時『まるで女神のような美しさだった』とか『この世のものとは思えないぐらい美しかった』とか、そういう表現をするべきなんだろう。

 

 しかし、何故かそういう表現は頭に浮かばなかった。

 

 そこにいたのは紛れもなく高垣楓で、純白でアメリカンスリーブのマーメイドラインに身を包んでミディアムのマリアベールを被った高垣楓で、俺が愛した高垣楓だった。

 

 そんな楓を見て俺は、喜ぶでもなく、幸せを噛みしめるのでもなく、彼女を褒めちぎるわけでもなく――。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 ――気が付けば、涙が流れていた。

 

 感激して涙が出てきたとかそういうわけではなく、本当にただただ涙が出てきたのだ。

 

 紛いなりにも俳優部門で若手最有力などと称される俺がここまで感情を揺さぶられて涙腺を制御できない事態になるとは思いもよらず、自分でも困惑してしまった。

 

 何だどうしたと周りのスタッフも俺の異変に気付いてざわつき始めるが、真っ先に動いたのは真正面から向かい合っていた楓だった。

 

 彼女は何も言わずに近づいてくるとポケットからハンカチを取り出して(最近のウエディングドレスにはポケットがついているものも多い)そっと俺の目元を拭った。

 

 

 

「……よろしくね、旭君」

 

 

 

 そしてただ一言、そう言いながら楓は微笑んだのだ。

 

 そこで俺の思考はようやく正常に戻った。

 

 ――そうか、俺はこんな素敵な女性と結婚できるのか。

 

 

 

 イベントの準備を進めていく過程でそれに対する意欲が加速度的に増していく経験が一度はあることだろう。きっとこれは、そういうことだった。

 

 こんな素敵な姿を見せられて、楓への想いが俺の心から溢れかえり、涙となって表に出てきたのだろう。

 

 

 

「……こちらこそよろしく、楓」

 

 

 

 ――本当に、俺は幸せ者だな。

 

 

 

 

 

 

 十一月十四日

 

 今回、旭君・まゆちゃん・桃華ちゃんと一緒に結婚式場のPRイベントのお仕事をすることになり、今日はその写真撮影があった。久しぶりに旭君と一緒に出来るお仕事だったので思わず張り切ってしまった。

 

 旭君はアイドル部門の子たちに『気さくなお兄さんのような俳優さん』として慕われていることが多いので、ほんのちょっぴり嫉妬の心が鎌首をもたげかけたが、流石にプロデューサー一筋のまゆちゃんと小学生の桃華ちゃんはないだろうと自制することが出来た。

 

 そして今回、旭君との結婚が決まってから初めてウエディングドレスを着ることが出来た。今まで忙しくて式場の下見やドレス選びが全く出来ていないので、今回のお仕事はそういう点でも本当に受けてよかった仕事だった。

 

 まゆちゃんがベアトップのAライン、桃華ちゃんがベアトップのプリンセスラインのドレスを着る中、私が着たのはアメリカンスリーブのマーメイドライン。正直、体型の起伏に自信がない私にはうってつけのドレスだった。

 

 そんな私のドレス姿の感想を旭君に貰おうとしたのだが、なんと彼は私の姿を見るなり涙を流し始めてしまった。

 

 本当は彼のタキシード姿に見惚れそうになったのに彼が泣いているのを見てこっちが呆気に取られてしまったが、その反応を見ることが出来ただけでも私は満足だった。

 

 他のスタッフやまゆちゃんたちはそんな旭君に不思議に思っていた様子だったが、撮影自体は問題なく終わった。

 

 願わくば、今日のような素敵なドレスを着て式に臨めますように。

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

「ふふふ、カメラマンさんって凄いのね。まさかあの瞬間を撮ってたなんて」

 

「……何が悲しくて花嫁にハンカチで涙を拭かれる新郎の姿を全国に曝さにゃならんのだ……」

 

 

 




・主人公裏設定
俳優陣の中では比較的年が若く実力もあるため上からのお達しでアイドル部門のドラマに度々出演しており、奈緒の兄ということもありアイドルたちからは気さくなお兄さんとして慕われている。
中には初恋だったりしなかったりするが、本作は楓さんの小説なので取り扱わない。



 今回のお話を書くために色々とウエディングドレスのことを調べた結果、自分が個人的に楓さんに来てもらいたいドレスをチョイスしてみました。楓さんは背が高くてスレンダーなのでふんわりとしたドレスよりもこちらの方が似合うと思いました。

 てなわけで友人に作画依頼出してきます。前回のコスプレ楓さんも依頼を出しており、もうそろそろ納品なので近々挿絵としてアップしたいと思います。

 それではまた来月。


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高垣楓と喧嘩をする12月

一足早いメリークリスマス。


 

 

 

 唐突ではあるが、俺は楓と喧嘩をしたことがなかった。

 

 喧嘩の原因となりそうな我儘も、楓のそれは若干アルコール臭いことが多いものの可愛らしいものだし、俺自身余りそういうことを楓に言った記憶は無い。

 

 定番の『仕事と私』という選択肢から始まる言い争いも、二人して似たような仕事をしているため話題にすら上がらない。一番愛しているのはお互いで、それと同じぐらいファンのことも大事なのだと理解している。そもそもお互いにアイドルとしての楓や俳優としての俺のファンでもあるのだからそんなことを尋ねる訳がなかった。

 

 子供っぽい理由で楓が拗ねたりすることはあるがそれは喧嘩とは到底カウント出来ないものばかり。そういう場合は大抵俺が折れるので喧嘩には発展しない。そういうところも可愛いのだ。

 

 だからこれは交際を始めてから四年と数ヵ月、一度も喧嘩をしたことが無かった俺と楓が初めて喧嘩をした話……なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

「旭君」

 

 とある日の昼下がり。撮影の時間まで少し体が空いたので事務所内のオープンテラスでコーヒーを飲んでいると、川島さんに声をかけられた。その表情と声は仕事の時と同じぐらい真剣なもので、隣に並ぶ片桐さんも同様だった。

 

「……どうもこんにちは、川島さん、片桐さん」

 

「こんにちは。……ご一緒していいかしら?」

 

「どうぞどうぞ」

 

 周りにはまだ空席は沢山あったが、何となく理由は分かっていたので席を勧める。二人は注文を取りに来た店員(ウサミン)に「コーヒー二つ」と注文してから席に座った。

 

 十二月真っ只中なので最近は完全に冬の装いだが、今日はよく晴れていて外はそれなりに暖かかった。

 

「……楓ちゃんと喧嘩してるらしいわね」

 

 そう切り出したのは片桐さんだった。

 

「……やっぱりそれですか」

 

 楓と仲が良い二人がこのタイミングで来たのでそうだろうとは思っていたが、やはり予想していた通りだった。

 

「そうですね。喧嘩してる……ってことでいいと思います」

 

「楓ちゃんの怒り方が『プンプン』って感じだから深刻そうじゃないとは思ったけど、それでもアナタたちが喧嘩しているところを初めて見たから心配なのよ」

 

 そう眉尻を下げる川島さん。

 

「楓は何か言ってましたか?」

 

「詳しい事情を聞く前に楓ちゃんが仕事に行っちゃったから、なんにも」

 

「ただ『私は絶対に譲りません』とだけ言ってたわ」

 

「……そうですか」

 

 はぁ、と思わず溜め息が出る。意外と頑固なところがあるとは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。

 

「……で? 結局何があったのよ」

 

「相談ぐらい乗るわよ」

 

 お姉さま二人がこちらに身を乗り出しながら尋ねてくる。片桐さんは若干俺を睨みながら、川島さんは変わらず心配そうな表情のまま。二人とも、楓のことを想ってくれているのだなと少し嬉しくなった。

 

「………………」

 

 ただ、俺の口は少し重かった。果たしてこの喧嘩の内容を二人に話していいものかどうか。

 

「まさか楓ちゃんの大切にとっておいたお酒を飲んじゃったとかじゃないでしょうね?」

 

「逆なら度々ありますけど、俺はしたことないですよ」

 

 まぁ俺が買っておくアルコール類は自分のためというよりは楓のためという意味合いの方が大きいので、別に飲まれる分には構わない。構わないのだが……正直、以前ちょっと目を離した隙に赤霧島を空にされたときは流石にイラッとした。

 

「……もしかして、プライベートなことなの?」

 

「プライベートと言うほどプライベートではないんですけど……相談しづらいことではあります」

 

 特にこの二人には。

 

「……もしかしてとは思うんだけど」

 

「はい?」

 

 

 

「……よ、夜の生活のことじゃないわよね?」

 

「「ぶっ!?」」

 

 

 

 そんな片桐さんの発言に川島さんと揃ってコーヒーを噴いてしまった。

 

「ごほっ……! か、片桐さん……?」

 

「さ、早苗ちゃん? アナタ一体何を……?」

 

 二人揃っておしぼりで口元を拭う。

 

 片桐さん本人はというと、顔を赤くしながらワタワタと無意味に手を動かしていた。

 

「ち、違うのよ!? 旭君が言いづらそうにしてたから相談しづらいことってそういうことなんじゃないかとちょっと思っちゃっただけで別に深い意味とかそういうのは無いのよ本当よ!?」

 

 何が違うのかは全く分からないが、あまりにも必死なのでこれ以上触れないでおいてあげよう。普段の態度や現在の年齢がアレだったとしても、この人も案外乙女な一面があるようだ。

 

「……で、どうなのよ?」

 

「そ、そうね。夫婦になるんだから、その辺も重要よね」

 

「流石にその思春期的反応は遅すぎやしませんかね」

 

 学生組ならともかく、何で既に成人を迎えて何年も経つアンタらが揃って興味深々なんだよ。

 

「とりあえず、そちらは良好とだけ答えておきます」

 

「良好なんだ」

 

「良好なのね」

 

 だから食いつかないで。

 

「とにかく、それは喧嘩の原因じゃないですよ。ただまぁ、相談するのが若干恥ずかしい的な意味では近いかも知れませんが」

 

「相談することが恥ずかしい……?」

 

「大の大人が何を恥ずかしがってるのよ」

 

「大の大人だからこそ恥ずかしいんですよ」

 

 そういうアンタも恥ずかしがってたでしょうにとは言わない。

 

「んーそうねぇ……新婚夫婦にありがちな喧嘩の原因で、他人に恥ずかしいことと言えば……」

 

 どうやら意地でも原因を特定したいらしい。

 

「……分かった、おはようのチューやいってきますのチューを忘れたんでしょ」

 

「一日一回『愛してる』って言い忘れたとか」

 

「だから何でさっきからそう無駄に乙女なんですか」

 

 それアンタらがまだ目の前に現れていない恋人にやってもらいたいこと言っているだけじゃなかろうか。

 

「あぁもう分かりました、話しますよ」

 

 結局俺が根負けすることになった。

 

「それじゃあ話しますけど……怒らないで下さいよ?」

 

「……は?」

 

「怒る……?」

 

 と言ったものの、怒られるんだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

 さて、今回の俺と楓の喧嘩は昨日の晩まで遡る。

 

 夕食を終えて一緒にお風呂に入っていた俺と楓なのだが――。

 

「「ストップ」」

 

 ――まぁ、うん。そんな気はしてた。

 

 

 

 

 

 

「何でしょうか」

 

 我ながら白々しいと思いながら初っぱなから話の腰を折ってきた二人に尋ねると、二人は苦虫を噛み締めて味わってしまったような顔をしていた。多分アイドルが見せていい表情ではない。

 

「えっと、そうね……とりあえず聞きたいことがあるわ」

 

「アンタたち、いつも一緒にお風呂に入ってるワケ?」

 

「んなわけないじゃないですか」

 

 俺も楓も割と忙しい身なのでどちらかの帰宅が遅くなることだってある。そうなるとお風呂どころか食事ですら一緒に出来ないことだってあるのだ。

 

「そ、そうよね、二人とも忙しいものね……」

 

「精々週に一・二回が限度です」

 

「「充分だよ!」」

 

 やっぱり怒られた。

 

「クッソゥ、結局やっぱり惚気じゃないのよ……」

 

「アイドルがクソとか言っちゃダメですよ」

 

「そのアイドルと一緒にお風呂に入ってるアナタに言われたくないわ」

 

 正直ぐうの音出ないぐらい正論だった。

 

 だが俺は謝らないし、後悔しないし反省しない。恋人と一緒にバスタイムぐらい普通だろう。

 

「話を続けていいですか?」

 

「こうなりゃ毒も皿まで食ってやろうじゃないの」

 

「毒って」

 

「独り身には恋人のノロケは劇薬なのよ」

 

「死因は糖分過多ね」

 

 糖分は劇薬だったのか……。

 

 三人ともコーヒーのお代わりを注文しつつ、今度は途中で口を挟まずに最後まで聞くと決めてからブラックのまま口を付ける二人に対し、サラサラと劇薬(さとう)を入れながら俺は過去回想を再開する。

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、旭君」

 

 お互いの背中と頭を洗い終え、後ろから楓を抱き抱えるように二人で湯船に浸かっていると、楓が後ろにもたれ掛かるように振り向いた。

 

「私と旭君は夫婦になるわけじゃない?」

 

「お前の気が変わらない限りはそうだな」

 

 そんなことあり得ないから意地悪な言い方しないで、と笑う楓。

 

「そんな私の旦那様になる旭君にお願いがあるの」

 

「お願い?」

 

 多分雰囲気的にアルコールの類いではないだろうが、それ以外で楓のお願いというのも珍しい。

 

「えっと……あのね」

 

 楓は珍しく恥ずかしそうにしながら両手の人差し指を合わせた。

 

 

 

「これから私は旭君のこと『ダーリン』って呼ぶから、旭君は私のこと『ハニー』って呼んで?」

 

「……んん?」

 

 

 

「それでダーリン、明日のレストランでのディナーの話なんだけど……」

 

「待て待て待て」

 

 平然と話を続けようとするんじゃない。

 

「なぁに? ダーリン」

 

 楓の頬がほんのりと赤いのは湯に浸かっているからなのか自分で言ってて照れているからなのか。

 

 そんな楓も可愛かったが、とりあえず今はそこじゃない。

 

「とりあえず、そこに至るまでの経緯を教えてくれ」

 

「はい、ダーリン」

 

 不味い、既に気に入り始めている。

 

 話を聞くに、何でもきっかけは765プロのアイドルである秋月(あきつき)律子(りつこ)星井(ほしい)美希(みき)。この二人は自身の楽曲中に度々『ダーリン』や『ハニー』という呼称を使っており、イベントなどでもたまにファンに向かってそう呼び掛けることがあるらしい。

 

 それを真似して俺のことを考えながら心の中で『ダーリン』って呼んでみたところ、予想以上にツボに入ってしまったとのことだ。

 

「私たちもあと半年で夫婦になるんだから、そういう新婚さんらしいことをしてもいいんじゃないかしら」

 

 まぁ、楓の言いたいことは分かる。

 

 ……しかし、である。

 

 

 

「……俺はあんまり、その呼び方はしたくねーな」

 

「……え」

 

 

 

 俺から『ハニー』と呼ばれることを期待していたと思われる楓の表情が曇る。

 

 楓にそんな表情をさせてしまったことに対する罪悪感が湧いてくるが、俺にも譲れないものがあった。

 

「悪い。でもそれ以外のことなら――」

 

「……いや」

 

 プイッとそっぽを向く楓。

 

「なぁ楓」

 

「ハニーって呼んでくれなきゃ返事してあげません」

 

「だから楓って」

 

「ハニーです」

 

「楓」

 

「ハニー」

 

 

 

 

 

 

「――んでそのまま風呂上がっても口を聞いてくれなくて、現在にまで至るわけです」

 

 これが俺と楓の喧嘩に至るまでの経緯である。一方的に楓が拗ねているだけのようにも見えるが、今回ばかりは俺も譲る気がないので喧嘩……というよりは冷戦が近いのかもしれない。

 

「……けるな」

 

「え?」

 

 

 

「「「ふざけるなぁぁぁ!?」」」

 

 

 

 アイドルとしてのボイストレーニングで底上げされた声量で怒鳴られた。

 

「喧嘩したからって心配して聞いてみたら、何よそのくだらない理由は!?」

 

「結局最後まで惚気話とかふざけんじゃないわよ!?」

 

「ナナたち独り身に喧嘩売ってるんですかぁ!?」

 

 川島さん片桐さんの両名だけでなく、耳をそばだてていた店員(ウサミン)にまで怒られた。仕事しろよ。ほらアチラコチラでコーヒー注文されてるぞ。

 

「それじゃあ、今日はいってきますのキスはして来なかったのかしら?」

 

「いや、俺も今日はお預けかなって思ったんだが出る前に強引にされた」

 

 襟元を付かんで引っ張られるという(楓が)男前な感じだった。

 

「あら残念。して来なかったのなら、私が代わりにしてあげようかと思ったのに」

 

「というか、いつからいた速水」

 

 気が付けばキス魔に背後を取られていた。こいつも聞いてたのか。

 

 まぁオープンテラスでこれだけ堂々と話してりゃ聞こうと思ってなくても自然と耳に入って来ただろうが。

 

「それで? 貴方はいつ謝りに行くの?」

 

「俺が謝ること前提かよ」

 

「そこは男の度量を見せてもらいたいわね」

 

 然り気無く肩に置かれていた速水の手をペシッと軽く叩き落とす。相変わらずボディタッチが過剰な奴である。

 

 しかし残念ながら楓は現在進行形で仕事中、俺もこの後は夜まで仕事なのだ。

 

 俺が謝るにせよ謝らないにせよ、時間が空くのは今日の夜なのだが……先程の回想の中でも少しだけ楓が触れていたが、今日は二人でディナーなのだ。

 

 何度も言うが共に多忙な俳優とアイドルである俺たちは、今月末に控えている恋人たちのビッグイベントたるクリスマスにもしっかりと仕事が入っている。そこで一足早く夜景の見えるレストランでのディナーを予定していた。

 

「問題は楓が来てくれるかどうか……」

 

「なら、私が代わりにエスコートされてあげようかしら?」

 

「城ヶ崎姉ーさっさとコイツ引き取ってくれー」

 

 先程から顔を赤くしてチラチラとこちらを見ながら話に聞き入っていたカリスマギャルを呼び出しつつ、目の前で三杯目のブラックコーヒーを煽る川島さんと片桐さんの姿を見ながら嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、楓は来てくれた。

 

 レストランが入っているホテルのロビーで待ち合わせだったので、持っているスーツの中でも一番良いものを着て一足先に待っていると、約束の時間数分前に髪を上げてシックな黒のドレスに着飾った楓がやって来た。

 

「………………」

 

 しかしいつもの優しい笑みではなく、子供が拗ねたようなツンとした表情のままだった。ほんの少し機嫌が直っていることを期待したが、流石にそれは虫が良すぎたようだ。

 

 当然、レストランのテーブルから見える夜景でも直る様子はなく、内心で再び嘆息する。

 

(流石にこんな状態で料理やワインを楽しめってのも無理があるよな)

 

 折角のディナーなのだからこんな冷戦状態は俺だって嫌だし、楓だって嫌なはずだ。

 

「すいません、ちょっとだけ料理待って貰えますか」

 

 食前酒を持ってきてくれたフロアスタッフにそう告げると、改めて対面の楓と向かい合った。

 

「楓。乾杯をする前に、ちょっと話を聞いてくれるか」

 

「……何」

 

 いつもの楓とは違う少し冷たい声に胸が痛いが、言葉を続ける。

 

「俺がお前をハニーって呼びたくない理由」

 

 本当は昨日の時点で話しておけば良かったのだが、変に意地を張ってしまったために口に出来なかった。

 

 けれどそんなちっぽけな意地なんかよりも楓の方が大切なんだと思い直した。

 

「『そんな下らない理由で』ってお前を余計に怒らせるかもしれないけど、それならそれで今度はしっかりとお前の怒りを受け止める」

 

 そうなった場合、今度こそ俺の全面降伏だ。素直に自分の非を認めることにしよう。

 

「俺は楓、お前のことを愛してるけど――」

 

 

 

 ――お前の『楓』っていう名前も大好きなんだよ。

 

 

 

「……えっ?」

 

 それまでずっと拗ねた表情をしていた楓が呆気に取られて表情を変えた。

 

「五年前……そろそろ六年前になるのか。事務所内のスタジオで、偶然一緒になったんだよな」

 

 それは俺と楓の馴れ初め。

 

『初めまして、俳優部門所属の神谷旭です』

 

『はい、初めまして。この度、モデル部門からアイドル部門に移籍しました――』

 

 

 

 ――高垣楓です。

 

 

 

 一目惚れだった。

 

 スラッとしたスタイルだとか、年齢にそぐわぬ童顔だとか、二色の瞳だとか、左目の泣きぼくろだとか、ふわふわとした鶯色の髪だとか、そういう見た目的な要素にも勿論目を引かれたのだが、心を惹かれたのはその名前だった。

 

 楓、つまり紅葉。雅やかで優しく温かいそんな植物の名を持つ女性を、俺は好きになった。

 

「『高垣楓の何処が好きか?』っていう質問をされたら、俺は迷わず全部って答える。その全部っていうのは、お前の『名前』も含まれてるんだよ」

 

 そのスラッとした身体を強く抱きしめたい。その顔をずっと見ていたい。その瞳で見つめられたい。その泣きぼくろに魅了されたい。その髪を撫でていたい。

 

 そういう楓への想いと同じように、俺は楓を『楓』と呼び続けたいのだ。

 

「……我儘だって分かってる」

 

 それでも。

 

「俺はずっと、お前のことを『楓』と呼び続けたいんだ」

 

 俺が愛する女性の、その名前を。

 

 

 

「……私も」

 

 黙って俺の話を聞いてくれていた楓が、ゆっくりと口を開いた。

 

「私も、貴方の名前が好きよ。文字通り太陽みたいに、傍によれば暖かくて、触れ合うと身も心も融けてしまうように熱い。私という存在を明るく照らしてくれるような名前」

 

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 

「そんな名前が、私も大好き」

 

 それでも、ようやく楓はいつもの笑顔を俺に見せてくれた。

 

「ごめんなさい。意地悪なことを言ってしまって」

 

「いや、俺もごめんな。たまにぐらいだったら、そういう呼び方もいいかもしれない」

 

 それに、と少し身を乗り出してハンカチで楓の涙を拭う。

 

「もうしばらくしたら、お互いに『パパ』『ママ』って呼び合うことになるかもしれないしな」

 

「……ええ、そうね」

 

 一瞬キョトンとした楓だったが、すぐにクスクスと先ほど以上の笑顔を見せてくれた。

 

「よし、それじゃあ改めて乾杯するか」

 

 先ほどから手を付けていなかった食前酒のグラスを持ち上げる。

 

 

 

 これが、俺と楓の初めての喧嘩の話。

 

 たった一日のささやかな、それでいてお互いに余すことなく愛し合っていると確認した、そんな甘い喧嘩の話。

 

 

 

「「――乾杯」」

 

 

 

 チンッ、とグラスが高い音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 十二月十四日

 

 昨日は日記を書くことを忘れてしまったため、ここにまとめて書いておこう。

 

 昨日、私と旭君は初めて喧嘩をした。きっかけは私が『お互いにダーリンとハニーと呼び合おう』という提案をして、それを旭君に拒否されてしまったから。……こうして冷静になってみると、酷い理由だった。

 

 そんな理由だがお互いに、というより私が日記を書くことも忘れてしまうぐらいムキになってしまった。

 

 一晩明けて怒りの火は治まっていたもののその熱は冷えておらず、事務所で川島さんや片桐さんに心配させてしまう始末。内心にモヤモヤとしたものを抱えたまま仕事をする羽目になってしまった。

 

 そして運悪く今日は旭君との一足早いクリスマスディナーでもあったのだが、そこで旭君は私の提案を拒否した理由を話してくれた。

 

 私の『楓』という名前が好きだから他の呼び方をしたくない、と。

 

 その瞬間、私の中に残っていた熱は急激に冷えていった。

 

 旭君は、私のことを余すことなく好きでいてくれた。それこそ名前一つを取っても、私を私として愛してくれていたのだ。

 

 私も、彼の暖かい太陽のような名前が大好きだったからその理由に納得してしまった。

 

 今回の喧嘩は、私が意地悪なことを言ってしまったことが原因ではあるものの旭君が意地を張ってしまったことで発展したということで、イーブンということにしてくれた。

 

 きっとこれからもこういう些細な喧嘩というものは増えていくのだろう。

 

 勿論それは考えるだけでも嫌なことだが、多分それが『夫婦になる』ということなのだと思う。

 

 喧嘩をして、仲直りをして、喧嘩をする前以上に仲良くなる。

 

 そんな夫婦に、私たちはなっていきたいと思った。

 

 

 

 

 

 

「ふふ、今日は二度も乾杯しちゃったわね」

 

「……あぁ、お互いに引き分け(ドロー)じゃなくて負け(ルーズ)。両者ともに()()ってか?」

 

「……(ぷくー)」

 

「膨れるな膨れるな」

 

 

 




 今までで一番楓さんの出番が少ないにも関わらず今までで一番甘い気がしますがきっと気のせいです(目そらし)

 今回は痴話喧嘩の原因を考えるのが一番大変でした。バカップルが喧嘩する理由なんてわかるはずないでしょ(半ギレ)

 というわけで、今回でつい折り返し地点を迎えました。この小説も残り六話です。

 これからもどうかよろしくお願いします。



 蛇足になりますが、先日友人に作画依頼を出した楓さんの絵を挿絵として追記しました。

 十月のページの後書きにありますので、もしよろしければどうぞ。


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高垣楓が風邪を引く1月

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

今年も『綺麗で可愛く美しく子供っぽくも大人の色気を醸し出すユーモア溢れるほろ酔い25歳児』こと高垣楓(とついでに朝霞リョウマ)をよろしくお願いします。


 

 

 

 年が明けて早くも二週間近くが経った。

 

 流石に新年特番で「あけましておめでとうございます」を言うのも聞くのも飽きてきた頃合いである。ふと気を抜くと既に何度も顔を合わせた人にすら「あけましておめでとうございます」を言ってしまいそうになるぐらいには言い飽きた。

 

 この年末年始は俺も楓もありがたいことにテレビやイベントに引っ張りだこで、正直息つく暇が無かった。普段ならばお互いのオフを重ねるように調整をするのだがこれだけ忙しいとその余裕すら無い。朝と晩しか顔を合わせられないなんてことはザラで、朝が早くなったり帰りが遅くなったりするとそれすら出来ない状態が続いた。

 

 そんな新年の忙しさが無くなり、ようやく二人揃って一日オフを作ることが出来たのだが――。

 

 

 

「……けほっ」

 

「……三十八度五分、か」

 

 

 

 ――そんな矢先、コレである。

 

 

 

 

 

 

 昨夜から調子悪そうにしていたのでまさかとは思ったのだが、一夜明けたら熱が出てしまっていた。本当に、なんともピンポイントに風邪を引いたものである。いやわざわざオフに風邪を引いて仕事関係で迷惑をかけない辺り、ある意味プロ根性なのかもしれない。

 

 時期が時期なので「すわインフルエンザか」とすぐさま病院へ連れていったが、先生の診断は疲労からくる風邪とのこと。まぁ年末年始働き詰めだったので納得である。

 

 病院で薬を貰って帰宅し、パジャマに着替えた楓は再びベッドの中へ。事務所に楓が体調不良で寝込んだ旨を連絡して、ようやく一息つくことが出来た。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 布団の中で息を荒げる楓。平熱が低めな彼女なので余計に辛いのだろう。元々色白なので発熱による肌の赤みが目立ち、額に手を当てると貼ってある冷えピタ越しにじんわりとした熱が伝わって来た。

 

「大丈夫か?」

 

「……()()で体調は、い()()よ……」

 

「ダメそうだな」

 

 いやギャグのキレは前からこんなものだが。

 

 とりあえず貰って来た薬を飲ませるために何かしらを胃に入れないといかん。

 

「何か食いたいものあるか?」

 

「……卵酒……」

 

「ブレねぇな」

 

 確かに風邪を引いた時の定番ではあるが。

 

 しかしそれだけだとアレだろうから一応お粥でも作ってやるか……と立ち上がり、はたと気付いてしまった。

 

「……そーいや冷蔵庫の中が空だったな」

 

 本当に何も入っていないわけではないが、ここ最近忙しくてまともに買い物へ行けていなかったので冷凍食品や調味料などしか残っていなかったことを思い出した。そもそも今日のオフにまとめて買いに行こうという予定だったのだ。

 

 最悪俺の晩飯は店屋物でもいいが、楓の飯がどうにもならない。今日は朝飯すら食っていないので、流石に三食全て素粥というのも文字通り味気がないだろう。そもそも楓に飲ませるスポーツドリンクとかその辺も全く無い。

 

「それじゃあ俺は買い物に行ってくるけど、何か他に欲しいものあるか? ゼリーとか、桃缶とか」

 

 楓の寝室イコール俺の寝室なので上着はベッドのすぐ側の壁にかけてある。その上着に手を伸ばそうとして――。

 

「……やーぁ」

 

 ――楓に服の裾を掴まれた。いつも以上に力無く弱々しいが、そんな些細な抵抗に俺の動きは止まる。

 

「……行かないでぇ……」

 

「……って言ってもなぁ」

 

「やだぁ……」

 

 熱のせいか幼児退行が著しい。二十五歳児が五歳児になりかけていた。川島さんもビックリのアンチエイジングである。

 

 病気で体が弱っている時は寂しくなるとか聞くが……仕方がない。

 

「買い物は奈緒に頼むか」

 

 スマホのメッセージアプリを起動して奈緒に『楓が風邪を引いたこと』『今俺が家を出れないこと』『買ってきて欲しいもの』を伝える。

 

 確か今日は土曜日だから学校も休みで、仕事も夕方からと言っていたはずだ。案の定、俺からのメッセージはすぐに既読状態になり返信が来た。

 

『分かった! 兄貴のためじゃなくて、義姉さんのためだからな!』

 

 そんなテンプレートなツンデレメッセージに思わずクスリとする。将来の義姉妹の仲は良好なようで何よりだ。

 

「さてと」

 

 買い物に出る必要が無くなり、再びベッドの縁に腰を下ろす。

 

 正直に言うと、俺もあまり今の楓から離れたくなかったからありがたかった。一応ただの風邪と診断されてはいるが、婚約者が病に伏せていて心配にならない奴はいないのだ。

 

 そっと頬に触れると楓の熱が伝わってくる。そんな俺の手が冷たくて気持ちいいらしく、楓はほんの少し表情を和らげると手に顔を擦り寄せてきた。

 

「他に何かして欲しいことはあるか? 今日のお前は病人(おひめさま)で俺はその看病(めしつかい)だから、それなりのお願いは聞いてやるぞ」

 

 尤もアルコール系統のお願いをされた場合は謀反も辞さないが。『スポーツドリンクが無いなら日本酒を飲めばいいじゃない』などと言い出すほど常識や思考回路がショートしていないと信じたい。

 

「………………」

 

「……楓?」

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 ……どうやら寝たらしい。少し寂しい気もしたが、病人にはそれが一番だ。

 

 いつの間にか俺の服の裾を掴んでいた手も離れていたので、今の内に掃除と洗濯をするとしよう。

 

「……あさひ、くん……」

 

 ……でもまぁ、ついさっきお願いを聞いてやると言った舌の根も乾かぬ内に「行かないで」というお願いを無視するわけにはいかないか。

 

 持ち上げかけた腰を再び下ろし、苦しそうに……それでも先程よりは穏やかな表情で眠る楓の手を握った。

 

 

 

 

 

 

「兄貴ー」

 

「ん?」

 

 左手で楓の手を握りながら反対の右手でスマホを弄っていると、部屋の外から奈緒の声が聞こえてきた。合鍵を預けてあるので、それで入って来たのだろう。

 

 楓を起こさないようにそっと手を離して部屋を出る。

 

「すまん奈緒、助かっ……ん?」

 

「どうも」

 

「お邪魔しまーす」

 

 玄関には予想通り買い物袋を携えた奈緒がいたのだが、その後ろには何故か凛ちゃんと……。

 

「……えっと、どちら様?」

 

「加蓮ですっ! あぁもうだから暑いって!」

 

 鬱陶しそうに分厚いコートとマフラーと帽子とマスクを取り払うと、中から出てきたのは加蓮ちゃんだった。余りにも重装備なので一瞬判別出来なかった。というか、コートの下はコートの下で大量のカイロが貼られていた。そりゃあいくらなんでも暑いだろう。

 

「いーや! 今日は一段と寒いんだから加蓮にはこれぐらいでちょうどいいんだ!」

 

「そうそう。本当は今日一緒にお見舞い来るのだって反対だったんだから」

 

「みんなして過保護すぎるの! 今の私はそんなに病弱じゃないって!」

 

 とにかく、二人は楓のお見舞いに来てくれたらしい。

 

「わざわざありがとうな。玄関じゃ寒いだろうから、中入ってくれ」

 

「その前に、ほい兄貴。頼まれてた買い物。ついでに色々と兄貴の分の食料品も買ってきといてやったぜ」

 

「サンキュー。金はまた後で渡す」

 

「これは私から。来る途中にウチに寄って持ってきたお花です」

 

「おぉ、ありがとう。花瓶出さんとな」

 

「私からはモクドナルドのフライドポテト!」

 

「最後待とうか」

 

 奈緒と凛ちゃんはともかく、加蓮ちゃんのそれは単純に自分が食べたいものを持ってきたようにしか思えなかった。病人にジャンクフードはアカンって。

 

「でもこれが私の入院中に一番食べたかったものですしー」

 

「微妙にコメントしづらいな!?」

 

 チョイスした理由に、無下に出来ないレベルの重さがあった。

 

「って、義姉さん!?」

 

「え?」

 

 突然の奈緒の叫びに振り返ると、ヨロヨロとした足取りで寝室から出てこようとする楓の姿があった。

 

「楓!? 何してるんだ、寝てろって!」

 

 調子が良くなったから起き上がった訳ではないことは一目で明らかだった。

 

 駆け寄って体を支えると楓はこちらに体重を預けつつ、何故か弱々しくもプクッと膨れながら睨まれた。

 

「楓? 一体どうした――」

 

 

 

「……行っちゃ嫌って言ったもん……」

 

 

 

「――おいお前ら見てくれこのカワイイ女性(ヒト)。これ、俺の奥さんになるんだぜ?」

 

「「「いいから早くベッドに連れていけこのバカ!」」」

 

 女子高生三人から罵倒される成人男性の姿がそこにはあった。マジすみません。

 

 

 

 楓を再び寝かしつけてから部屋を出ると、何やらジャージャーと炒め物をする音が聞こえてきた。

 

 ダイニングキッチンへと足を運ぶと、そこには「すみません、いただいてます」「楓さん寝ました?」とテーブルでコーヒーを飲んでいる凛ちゃんと加蓮ちゃん。そしてキッチンでフライパンを振っている奈緒の姿があった。フライパンの中は……チキンライスか?

 

「勝手に使わせてもらってるぞー」

 

「それはいいんだけど……何してんだ? いや、料理してるのは見て分かるんだが」

 

「……たまたまお昼にオムライスが食べたくなったから作ってるだけだ。私たちのついでに兄貴の分も作ってやるから感謝しろよ」

 

「なんて言ってますけど、奈緒ってば最初から旭さんに作ってあげるつもりだったんですよ」

 

「スーパーで買い物しながら『な、なぁ、今日は特別にアタシがお昼作ってやるよ! 兄貴の部屋でキッチン借りれるし……義姉さんの看病に専念させるために兄貴の分もついでに作ってやるか!』とか言っちゃって、すっごく可愛かったんですよー?」

 

「うわぁぁぁっ!? ち、ちが、言ってないからな!? そんなこと絶対に言ってないからな!?」

 

 真っ赤になりながら凛ちゃんと加蓮ちゃんの言葉を否定する奈緒。ウチの妹も楓に負けず劣らず可愛かった。あとどうでもいいが、加蓮ちゃんの物真似が地味に似てた。

 

「と、とにかく! 飯はついでにあたしが作ってやるから、コレ食べたら兄貴は義姉さんの傍にいてやれよ」

 

「それはありがたいんだけど、久しぶりのオフだから色々とやることがあるんだよ。掃除とか洗濯とか」

 

 先ほど楓の寝顔に釣られて出来なかった家事だが、他にやる人がいない以上俺がやるしかない。

 

「それぐらいなら、私がお手伝いしますよ」

 

「……え、加蓮ちゃん?」

 

 それは全く予想外の人物からの提案だった。

 

「洗濯は……まぁ、ちょっとだけ恥ずかしいから妹の奈緒に任せるとして、お掃除ぐらいなら私がやります」

 

「えっと、何で?」

 

 勿論その好意はありがたいのだが、正直加蓮ちゃんからその提案が出てくるとは思わなかったから疑問しか浮かばなかった。

 

「……楓さんの気持ちがよく分かるからですよ」

 

 手に持ったコーヒーカップの縁を指でなぞりながら加蓮ちゃんは苦笑に似た笑みを浮かべる。

 

「私も病気しがちでよく寝込んでましたから。一人ベッドで横になってると、やっぱり寂しくて、ちょっと不安で……誰かが傍にいて欲しいって思っちゃうんですよ。それが、大好きな人なら尚更です」

 

「加蓮ちゃん……」

 

「傍にいてあげてください、旭さん。それが、旭さんが今の楓さんにしてあげられる一番のことだと思います」

 

「……好きな人いたの?」

 

「そこですか!? そこに食い付きますか!?」

 

「そそそ、そうなのか加蓮!?」

 

「これは詳しい話を聞く必要があるね」

 

「奈緒と凛まで!? あれ私今結構イイハナシしてたよ!?」

 

 奈緒と凛ちゃんに詰め寄られ「例え話に決まってるでしょー!?」と狼狽する加蓮ちゃんの様子を眺めながら小さく笑う。

 

 そうだな。やっぱり今日は楓の『何処にも行かない』という約束を守ることに全てを費やすことにしよう。

 

 

 

 

 

 

「……あれ……?」

 

「ん、起きたか?」

 

 ぐっすりと眠っていた楓が目を覚ましたのは、夕方近くになって奈緒たちが帰ってからだった。やっぱり年末年始の疲れが溜まっていたのだろう。

 

「昼からずっとぐっすりだったぞ。気分はどうだ? 腹減ってないか?」

 

「……えぇ、大分楽になったし、お腹も減ったわ」

 

 そう答えた楓は、確かに今朝よりも幾分か顔色が良くなっていた。

 

「よし、それじゃあ待っててくれ。今お粥暖め直してくるから」

 

「あ、その前に汗を拭きたいの。手伝って?」

 

「ん、分かった。ちょっと待ってろ着替え出すから」

 

 先程も言ったがここは俺の寝室であると共に楓の寝室でもある。故にお互いの着替えの場所も分かっているので、タンスの中から替えのパジャマと体を拭くタオルを取り出す。

 

「ほい楓、着替えとタオル……ってオイ」

 

 振り返ると、そこには体を起こして既に上のパジャマを脱いだ楓の姿があった。

 

「? なぁに?」

 

「いや『なぁに?』じゃなくてだな」

 

 普段はパジャマの下に就寝用のパジャマブラという下着を付けるのだが、今は少しでも息苦しさを無くすためにそれを付けていない。

 

 つまりパジャマを脱いだ今の楓は、上半身裸なのだ。

 

 今さら恥ずかしがる間柄ではないし、何より風呂やベッドの上でも何度も見ている。しかし見慣れているのかと問われれば答えは否で、こうして不意討ち気味に見せられると今でも()()()()()のように緊張する。

 

「とりあえずお粥温めてくるから、その間に着替えておいてくれ」

 

 思わずじっと見惚れてしまいそうになったがツイッと視線を反らす。

 

「え、体を拭いてもらいたかったのに」

 

「手伝うってそっちかよ」

 

 着替えやタオルを取ってくれっていう意味じゃないのか。

 

「お願い、旭君。……今日の私はお姫様なんでしょ?」

 

「……聞こえてたのかよ」

 

「お願いね?」

 

「……はいはい」

 

 

 

「ふー、ふー……はい、あーん」

 

「あーんっ」

 

 タオルで汗を拭くだけでなく下着を含む全ての着替えを俺がするという、一体どちらに対しての羞恥プレイなのか分からないような楓の着替えも終わってお粥を温め直してきたのだが、次なるお姫様のご要望は「食べさせて欲しい」とのこと。というわけで、レンゲで掬ったお粥を雛鳥のように口を開けて待つ楓に食べさせていた。

 

「あむ……ん、美味しいわ、この卵粥」

 

「良かった。……つっても、これ奈緒が作ったやつだけどな」

 

「え、奈緒ちゃん来てたの?」

 

「そこは覚えてないのか……」

 

 奈緒は俺たちの昼食としてオムライスを作りつつ、並行して楓用のお粥も作っていたのだ。なんかここ最近になって奈緒が家事スキルを上げてきているんだが……何かあったのだろうか。

 

「奈緒に買い物を頼んだら、凛ちゃんと加蓮ちゃんもお見舞いに来てくれてな。加蓮ちゃんに『楓の傍にいてやれ』って言われて、三人がウチの家事全部やってくれたんだよ」

 

「そうだったの……三人には、またお礼を言わないといけないわね」

 

「ホントにな。……とはいえ、少し罪悪感というか何というか」

 

 確かに『楓の傍にいたい』というのは俺の望みでもあったが、全ての家事を年下の女の子たちに任せた上に楓のお粥まで作ってもらってしまったのだ。

 

 結局、俺は楓を病院に連れて行って着替えを手伝ったぐらいのことしかしていない。

 

 若干落ち込み気味の俺に、何故か楓はクスクスと笑った。それは未だに体調は万全ではないので力弱いものの、確かにいつもの楓のそれだった。

 

「おかしな旭君。旭君は()()()()()()()()()()()()()をしてくれたじゃない」

 

「え?」

 

 呆気に取られている隙に、楓は自身の右手の指を俺の左手の指に絡めてきた。

 

「こうやって、ずっと私の手を握っててくれた」

 

 それは、楓が寝ている間ずっと俺がしていた手の握り方だった。

 

「熱くて苦しくて、でも右手だけはずっと暖かくて心地よかった。意識はハッキリとしてなかったけど、旭君がそこにいるってことだけはハッキリと分かった」

 

 

 

 ――だからありがとう、旭君。

 

 

 

「……あぁ、どういたしまして――」

 

「でもまだ何かしてくれるって言うのなら……」

 

「――え?」

 

「……卵酒、お願いね? 召使いさん……いえ、()()()

 

「……いいぜ、とびっきりの奴作ってきてやるよ」

 

 

 

 

 

 

 一月十四日

 

 今日は年末年始からずっと無かった旭君と一緒のオフの日。

 

 にもかかわらず、連日の忙しさが祟ってか私は風邪を引いてしまった。

 

 熱で意識があまりハッキリとしていなかったが、ずっと旭君が傍にいて手を握ってくれていたことだけは覚えている。

 

 旭君の話によると、私が寝ている間に奈緒ちゃんと凛ちゃんと加蓮ちゃんの三人がお見舞いに来てくれて、私や旭君のご飯を作ってくれた上に全ての家事をやってくれたらしい。

 

 そのおかげで旭君はずっと私の傍にいてくれたのだから、三人にはまたお礼を言いに行こう。

 

 熱くて苦しくて、それでも旭君が一日中私の手を握ってくれていたと考えると、それはそれで幸せな一日だった。

 

 

 

 

 

 

「それで? 結局何でいきなり家事スキル上げようと思ったわけ?」

 

「べ、別に義姉さん見てたらお嫁さんに憧れたとかそんなわけないからな!?」

 

「……あぁうん。そうだな、そんなわけないな」

 

 

 




 直接描写しないとか健全な小説だなぁ(自画自賛)

 とりあえずまた友人に作画依頼……の前に、早くウエディングドレスの方を取り立てないと。おうドレス姿の次は肌蹴たパジャマ姿を書くんだよあくしろよ。

 さて、次は二月です。そしてこの小説の更新日は十四日です。

 ……この意味が分かりますね? ただひたすら甘さを目指します。



 PS

 ところで皆さん、先日のグルーヴイベント『命短し恋せよ乙女』はどうだったでしょうか? 作者は2000位どころか4000位の壁すら越えることが出来ませんでした。ガチ勢って怖い……。


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高垣楓と甘く蕩ける2月

朝霞リョウマのダブルバレンタインアタック!(作者が死ぬ)

同時更新の『アイドルの世界に転生したようです。』の方もよろしくお願いします。


 

 

 

 前置きとか前フリとか全てすっ飛ばすが、二月十四日はバレンタインである。

 

 起源元ネタ云々はこの際置いておくとして、日本では一般的に女性が好きな人や恋人にチョコレートやプレゼントを渡すイベントとなっている。ハロウィンの時と同様に企業の戦略的なものが見え隠れするが、遡れば土用の丑から続く日本の伝統みたいなものである。

 

 そんなバレンタイン。女性との関わりが少ない男性には少々縁遠いイベントだが、ありがたいことにこちらの業界で仕事をしていると共演者やスタッフの方からチョコレートを貰う機会が多い。当然、他の人たちにも大量に配られている義理チョコだが、それでもアイドルや女優から貰えるのだ。恋人がいる身でも嬉しいものは嬉しい。

 

 ……という話を以前同窓会の席で高校の友人にしてしまい、数年ぶりにコブラツイストをされたのは笑い話ということにしておこう。手加減が一切無い上に周囲もタップを認めてくれなかったので本気で骨を折られるかと思ったが、その辺も合わせて久しぶりに学生気分を味わえた。

 

 しかしながら、当然楓のことは話していないし、公表していないのだから話せない。

 

 だから今回語るのはそんな楓とのバレンタインの話。友人たちには話せない惚気話を存分にさせてもらおうと思う。

 

 

 

 

 

 

 ――明日を楽しみにしててね?

 

 昨日の晩、楓が告げたその言葉に、俺は「分かった」と頷きながら内心ではてと首を傾げた。

 

 毎年のこと故にバレンタインを忘れるようなことはないので、多分そのことを言っているのだろうと当たりは付けていた。しかし「楽しみに」というのはどういうことだろうか。

 

(……まぁいいか、どうせ明日になれば分かることだし)

 

 既に夕飯も入浴も終え、既にベッドの上。後は寝てしまえば否応なしに明日だ、すぐに分かるだろう。

 

 ピッタリと隙間なく体を寄せてくる楓の頬を一撫でしてから、俺も目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで翌朝、迎えたバレンタイン当日。

 

 

 

 俺は楓からのチョコの口移しで目を覚ました。

 

 

 

「……んっ……んん……」

 

 眼前には目を閉じた楓の顔があり、ミルクチョコレートと共に楓の舌が俺の口内に侵入していた。

 

「………………」

 

 寝起きであまり深いことを考えることが出来ない俺の頭は、チョコの甘さと粘膜を擽られる快感から本能的に楓と舌を絡ませていく。

 

 俺の口の中のチョコが楓の舌で転がされ、まるで自分の舌の代わりに楓の舌でチョコを溶かしているようだった。自分と楓の唾液で溶けたチョコを、乾いた喉を潤すようにコクリと嚥下する。

 

 そして自分の口内のチョコが無くなると、更なる甘みを求めてそのまま楓の舌を押し返して逆に彼女の口内へ侵入していった。

 

「んむっ……」

 

 より奥へと舌を伸ばそうと無意識的に背中と後頭部に腕を回してグッと引き寄せると、ぼんやりとした視界で目を瞑ったままの楓がピクリと震えるのが分かった。

 

 しかし残念ながらそこにチョコは残っていなかった。それでもほんのりと残る甘みと快感を求めて舌を這わせ――。

 

「んっ……おはよう、旭君」

 

「……おはよ」

 

 ――そこでようやく精神的に目が覚めた。

 

 楓は俺の体の上に覆い被さっており、二人の唇を繋ぐ銀色の糸は僅かにチョコの色が混ざっていた。

 

「うふふ、美味しかった?」

 

「……いやまぁ、美味しかったけど」

 

 チョコも楓も。

 

 ただ二十五年生きてきて一二を争うレベルで衝撃的な目覚めで、楓と初めて夜を共にした翌朝の衝撃に負けてなかった。

 

「とりあえず、一から説明してもらってもいいか?」

 

「その前に、もう一ついかが?」

 

「………………先に説明で」

 

 文字通り甘美な誘惑に負けそうになったが、正直歯止めが効かなくなりそうだったのでグッと我慢する。

 

「旭君、毎年色々な人からチョコレートを貰うじゃない?」

 

「……まぁ、こんな業界で、知り合いも多いしな」

 

 以前はそれほどでもなかったのだが、楓と知り合ってからはアイドル部門の知り合いが増えた。346のアイドル部門は全員女性なので、イコール女性の知り合いが増えたということだ。だからと言って貰えるチョコの数が比例的に増えるわけじゃないが、少なくとも減る要因は無いと思っている。

 

 去年で言えば川島さんや片桐さんなど楓の飲み会メンバーからはだいたい貰っているし、意外なところだと加蓮ちゃんからも貰っていたりする。

 

 割りと色々な人からチョコを貰い、ここまで来ると今度はホワイトデーのお返しが大変なのだが今は関係ないので置いておこう。

 

「特に去年はいつも以上に色んな人からチョコを貰ってたモテモテな旭君に――」

 

 微妙に棘があるなぁ……。

 

 

 

「――誰よりも先に私からの愛を伝えたかったの」

 

 

 

 ………………。

 

()()()っと早く()()()を渡せるのは朝から一緒にいる私だけの特権だから、『貴方のことを一番愛しているのは私なんだ』って……急にどうしたの?」

 

「何でもないことはないんだけど、何でもない」

 

 なんかもう色々と反則である。

 

 俺が色んな人からチョコを貰うことを咎めるのではなく、その中でも自分が一番なのだと行動で示そうとする楓が可愛すぎて思わず抱き締めてしまった。

 

 俺の楓可愛すぎ問題に一人うち震えるが、一つだけ疑問……というか、気になったことが。

 

「多分だけど、この口移し誰かの入れ知恵だろ?」

 

「えぇ、奏ちゃんよ」

 

「やっぱりかキス魔(はやみ)か……」

 

 案の定裏で手を引いている奴がいた。楓に余計なことを吹き込みよってからに。今度一度ガツンと「ありがとうございました!」って言ってやらんといかんな。

 

「ふふふ、それじゃあもう一つ」

 

 そう言うと楓はサイドテーブルに置いてあった小さな箱からチョコをつまみ上げ、あむっとその薄い唇にくわえた。

 

「あ、いや、魅力的なお誘いではあるんだが……」

 

 『寝起き』『チョコの口移し』『楓の柔らかい肢体』と三拍子揃ってしまっているので今は色々と昂ってマズイ。ぶっちゃけこのままではチョコだけですまなくなって……。

 

「んーっ……」

 

「………………」

 

 目を瞑り、文字通り甘いキスを待つ楓を前にして抗いがたきことこの上なく。

 

 

 

 とりあえず、遅刻はしなかったとだけ言っておく。

 

 

 

 

 

 

「……っていうのが、今朝の俺と楓のやり取りです」

 

「早苗ちゃん」

 

1310(ヒトサンヒトマル)、容疑者確保」

 

「ちょっと待って!?」

 

 能面のような表情の川島さんの指示により、同じく能面のような表情の片桐さんが俺の両手首にガチャンと手錠をかけた。当然本物ではなく小道具だろうが、自分の手首に手錠がかけられている光景なんて撮影の現場以外で一生見たくなかった。

 

「そっちが話せって言うから話したのにこの仕打ちは酷くないですかね!?」

 

 だから言ったじゃないか! 聞かない方がいいって!

 

「はぁ……やっぱり興味本意で聞くもんじゃなかったわね」

 

「これはアレよね、潰しちゃいけないって分かっててもニキビを潰したくなるアレに似てるわね」

 

「わかるわ」

 

「いいからさっさとこれ外して!」

 

 向こうで凄い良い笑顔を浮かべてる財前がこっちに来る前に早く!

 

 

 

 無事手錠を外され、財前がつまらなさそうな顔で離れていったことで危機は去った。

 

 ホッと安堵しつつ、割とお馴染みとなったカフェテリアのテーブルに二人と共に着く。

 

「酷い目にあった……」

 

「ごめんなさいね」

 

「ほら、お詫びのチョコよ」

 

「一応、ありがとうございますとは言っておきます」

 

 お詫び、というかここ数年貰っている義理チョコを二人から受け取る。別に文句があるわけではないが、二人ともお店で買った如何にも義理といったラッピングのチョコである。

 

「それにしても旭君、楓ちゃんのことを知らない人も割といるとはいえ結構な数のチョコもらうわよね」

 

「ほとんど義理ですけどね」

 

 こんな業界だから、繋がりが増えれば義理も増える。

 

 ついでに俺の予想ではあるが、アイドル部門の子たちはアイドルという職業故に『個人的に誰かにチョコレートを渡す』というシチュエーションがあまりないので、それに憧れて知り合い且つ手頃な男性である俺にチョコを渡しているのではないかと思っている。

 

 その証拠に十時や三村は「これは本当に義理なのか……?」と若干勘ぐってしまうレベルで気合の入ったチョコレートケーキを持ってきたりする。まぁこの二人の場合はお菓子作りが趣味らしいから義理でも力を抜けない性分なのだろう。

 

(……どう思う?)

 

(かな子ちゃんはともかく、愛梨ちゃんはちょっと怪しい気がするのよねぇ……)

 

(でも愛梨ちゃんも愛梨ちゃんでよく分かってないような気もするし……)

 

 何やらお姉さま方が目の前でヒソヒソと密談をしているが、女性の内緒話に首を突っ込んでも碌な目に合わないのは目に見えているので、大人しく店員(ウサミン)がバレンタインの義理チョコサービスと称して持ってきたホットチョコレートドリンクを飲みながら待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなわけで一日の仕事を終え、自室にて本日の戦果(貰ったチョコ)報告である。

 

「本当に沢山あるわねぇ……ふふっ、旦那様が人気者で私も嬉しいわ」

 

 俺が持って帰って来た紙袋の中身を覗きながら楓は笑う。今朝はそのことで若干嫉妬していたくせに、現金なものである。

 

「それじゃあ私からも。はい、旭君」

 

「あぁ、ありがとう、楓」

 

 ピンク色のハートのラッピングがされたチョコを手渡される。今朝食べたチョコがデパートで購入できる既製品だったのに対し、これは毎年貰っている楓の手作りチョコ。制作過程をみられるのが恥ずかしいからという理由でわざわざ三船さんの部屋にお邪魔して作らせてもらったらしい。

 

「それじゃあ俺からも。今年はヘネシーのXOだ」

 

「わーい!」

 

 帰ってくる途中に買ってきたブランデーボトルを取り出すと、まるでお土産にケーキを買ってきてもらった子供のように喜々としてキッチンへグラスを取りに行く楓。

 

 ここ最近は楓からバレンタインにチョコを貰い、それをつまみとして一緒にお酒を飲むというのが定番となっている。楓もそれを見越して摘まめるサイズのシンプルなものを作るようになった。「自分で作ったバレンタインのチョコを自分で食べるのか」と思わないでもないが、それが俺たちの楽しみ方なのである。

 

「はーい、お待たせ」

 

 チェイサー用も含めてグラス四つと水差しをお盆に乗せて持ってきた楓がソファーに座る俺の横に腰を下ろした。

 

 早速ブランデーの栓を開けてグラスに注ぐ。お互いに何も言わなくてもストレートだと分かっていた。

 

「「乾杯」」

 

 香りを楽しんでから一口味わい、改めて楓からのチョコを開く。どうやら今年はトリュフのようだ。

 

 早速一つ食べようかと手を伸ばすと、それに先んじて横から伸びてきた楓の指がチョコを摘まんだ。

 

「はい、旭君」

 

 右手の人差し指と親指でチョコを摘まみ、左手を下に添えながらこちらに差し出してくる楓。

 

「あ~ん」

 

「……あーん」

 

 指ごとチョコを咥え、指先についたココアパウダーを舐め取ると楓は擽ったそうに笑った。

 

「美味しい?」

 

「……手作りだけど、愛情は今朝のチョコの方が感じられたかな」

 

「ふふふ、えっち」

 

「失敬な」

 

 何を今さらと思いながら、チョコを口に咥えた楓の腰を抱き寄せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 楓が作ってきてくれたチョコは程好い甘さでブランデーとよく合った。旨いつまみがあるとお酒が進むのは当然のことであり。

 

「うふふふ~」

 

 楓がほにゃほにゃと酔っ払うのに時間はかからなかった。

 

「旭君~」

 

「はいはい」

 

 ベタベタとくっついてくる楓の頭を撫でながらもグラスを重ねる。

 

 それにしても、楓は俺と二人きりで飲むといつもより酔うスピードが早い気がする。川島さんたちの話だと割りと強い方らしいのだが。

 

「それはね、私が旭君に酔ってるからなの」

 

「いきなりどうした」

 

 唐突に真顔になってそんなことを(のたま)う楓。

 

「私はいつも旭君に酔ってるけど、こうして二人きりでいるとその分旭君が回るのが早くなっちゃうの」

 

「何そのアルコールみたいな扱い」

 

 全くこの酔っ払い、何を言い出すのかと思ったら……。

 

 

 

「俺の方が楓に酔ってるに決まってるだろ」

 

 俺も酔っ払いだった。

 

 

 

 何故か俺も同じように楓と二人きりで飲むと酔うスピードが速くなるのである。

 

「むっ、それは譲れないわ。私の方が旭君に酔ってメロメロよ」

 

「俺の方がメロメロでベタ惚れだっての」

 

「違いますー、私の方がベタ惚れですー。こうやって抱き締められると胸がキュンキュンしちゃう私の方が旭君のことが好きなんですー」

 

「いーや俺ですー。こうやって抱きしめて一ミリでも楓と近づいていたいぐらい俺の方が楓のことを好きなんですー」

 

「人当たりがよくて周りの女の子から割と人気があるのにそうやって私のことを一番に好きでいてくれる誠実なところが大好きなんですー!」

 

「俺だってお前のその普段は割と子供っぽい癖にお酒を飲みながら醸し出す色気を俺だけに見せてくれる可愛いところが大好きなんですー!」

 

「……え……そ、そう?」

 

「あぁもう可愛いなぁ!」

 

 酔っ払い同士とはいえ二人揃って頭の悪い会話をしているなぁと意識の片隅には冷静な自分がいるが、身体は楓を膝の上に乗せてケミカルクンカー娘(いちのせ)ばりに首元をハスハスしていた。俺は何をやっているんだとも思わないでもないが、そんな自分(カエデスキー)も嫌いではなかった。

 

「よし、それじゃあどっちか好きか決着をつけましょう」

 

「臨むところだ。俺がどれだけお前のことを愛してるか分からせてやる」

 

「……愛してる」

 

「あぁもう愛くるしいなぁ!」

 

 頬に手を当てて照れる楓の体をこれでもかとギュッと抱きしめる。

 

「……本当にありがとうな、楓」

 

「? 旭君?」

 

「朝目が覚めたら楓がいて、こうやって手の届く距離に楓がいて、俺を大好きだって言ってくれる楓がいる。それだけで俺は本当に幸せだ。チョコが無かったとしても、俺はお前からの愛を疑わないよ」

 

「……私も同じよ」

 

 楓の腕が俺の背中に回る。懸命に彼女も俺を強く抱きしめようとしてくれていることが分かって、それが猶更愛おしく感じる。

 

「朝目が覚めたら旭君がいて、こうやって手の届く距離に旭君がいて、私を大好きだって言ってくれる旭君がいる。……バレンタインのチョコだけじゃ、きっと私の愛は伝えきれない。だからこれからも何度だって貴方に伝え続けるわ」

 

 

 

「「……私はアナタを愛しています」」

 

 

 

 楓との口付けは、チョコなんか無くてもとても甘かった。

 

 

 

 その後、俺と楓の愛の三本勝負は一勝一敗一引き分けでドローとなったとだけ言っておく。

 

 

 

 

 

 

 二月十四日

 

 今日は旭君と恋人になってから四回目のバレンタインデーであり、旭君と一緒に暮らすようになってから初めてのバレンタインデー。

 

 朝一番に旭君に会うことが出来るという利点を生かし、奏ちゃんのアイディアを取り入れて寝起きの旭君にチョコの口移しを試みてみた。結果は遅刻寸前になってしまったものの大成功で、旭君はとても喜んでくれた。

 

 夜はいつもと同じように、私が作って来たチョコをおつまみにお酒を飲んだ。しかし旭君と二人きりで飲むお酒はとても美味しくてついつい飲みすぎてしまい、喋った内容が少々記憶から抜け落ちてしまった。

 

 それでも、旭君から「愛している」と言われたことだけはしっかりと覚えている。

 

 あぁ、本当に幸せだ。これからもずっとずっと、旭君を愛し、彼から愛される日々を過ごしていきたい。

 

 

 

 

 

 

「……っていうのが、昨日の俺と楓のやり取りで……あの、川島さん? 片桐さん?」

 

「構わん、やれ」

 

日本海式(ジャパニーズオーシャン)竜巻(サイクロン)原爆固め(スープレックスホールド)ォォォ!!」

 

「ちょ、まっ……ンゲボッ!?」

 

 

 




 「開幕ぶっぱは基本」って(エロ)い人が言ってた。

 何気に作者初のキス描写。ヤダ勉強不足が露呈してる!

 とりあえずイチャイチャさせておけばいいかとおもいました(小並感)

 ただし作者は自身でダメージを受けた模様。アイ転の方も合わせてダメージ二倍! さらにドン!

 来月までにダメージが抜ければいいなぁ……。



『どうでもいい小話』

 五年近く放置してたツイッター復帰しました。アカウントは作者ページにて。

 進行状況裏話小話余談各種サブカルその他諸々呟きたいと思います。どうぞよろしく。


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高垣楓との結婚を公にする3月

いよいよこの小説も佳境に入り始めました(内容は佳境に入るとは言っていない)


 

 

 

 報道関係の皆さまへ

 

 

 

 いつも皆様には大変お世話になっております。

 

 この度、私、神谷旭は同事務所に所属する高垣楓と結婚する運びとなりました。

 

 数年前よりお付き合いが続いていく中で、彼女は私の人生においてなくてはならない存在だということに気付き、彼女と家族になる決意をした次第です。

 

 まだまだ未熟な若輩者の身ではありますが、ファンの皆様、並びに関係者の皆様のご指導ご鞭撻をいただきながら、私は俳優として、彼女はアイドルとして精進していこうと思っております。

 

 今後も変わらず、与えられた仕事を一つ一つしっかりとこなし、皆様に最高の『神谷旭』と『高垣楓』をお見せできるように努力してまいりますので、これからもご支援賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

 また本日は346プロダクションにおきまして記者会見を開かせていただきます。そちらの方は別紙にてご案内させていただきます。

 

 

 

 三月十四日

 

 神谷旭

 高垣楓

 

 

 

 

 

 

「旭さん、結婚するんですかぁ!?」

 

「お、十時、ちょうど良かった。ほいコレ、バレンタインのお返し」

 

「あっ、ありがとうございます……じゃなくてぇ!」

 

 今日はホワイトデーということで事務所でお返しのクッキー(量が量なので作った方が安上がりだと判断して実家に帰り奈緒に手伝ってもらった)を配っていると、十時がひどく驚いた様子でこちらにやって来た。ちょうど良かったのでそのまま十時にもクッキーを渡す。

 

「か、楓さんと結婚するって本当なんですかぁ……!?」

 

「え、うん……あぁ、そうか。十時は『知らない組』だったっけ」

 

 基本的にはマネージャーやプロデューサーなど事務所の人間、そして俺と楓共通の知り合いである俳優やアイドルは俺たちの関係性を『知っている組』だが、一部例外の除いてそれ以外の人間は殆ど『知らない組』だ。ちなみにその一部例外というのは妹である奈緒、そのユニットメンバーでありプライベートでも仲がいい凛ちゃんと加蓮ちゃん。そして何故か速水である。……こいつは本当に何処から嗅ぎ付けたのだろうか。

 

 しかし、その『知っている組』と『知らない組』という括りは今日までである。

 

 つい今朝の話になるが、事務所のFAXから各報道機関に向けてとある文面を送信した。

 

 

 

 ――そう、俺と楓が結婚することについての報告である。

 

 

 

 今回これを報告することに至った理由は二つ。一つ目は今日がちょうど式及び入籍予定日である楓の誕生日の三ヵ月前だから。二つ目はつい先日俺の主演映画の公開が始まり、楓のソロライブが終わったから。楓や事務所の人間と話し合った結果であり、タイミングとしてはちょうど良かったと思っている。

 

 各報道機関は朝から早速お仕事をしてくれたらしく、芸能ニュースはその話題で持ちきりとなり、さらに今日の午後から予定している俺と楓の記者会見のために多くのテレビ局がお昼のワイドショーで予定を変更して生中継を行うそうだ。それだけ俺たちの結婚が世間の関心を引くと判断してくれたということなので、芸能人としては冥利に尽きる話だ。

 

 しかし、おかげで今朝から通話・メール・メッセージアプリの着信を告げるアラームでスマホが鳴りっぱなしとなった。事務所の知り合いはともかく、学生時代の友人や親戚にとっては寝耳に水の内容だろうから当然と言えば当然か。とりあえずうっとおしいので電源を切っているが、後で再起動したときが若干恐怖である。

 

 さて、それはともかくとして今は目の前の十時である。

 

 何故か十時は俺から受け取ったクッキーの小袋のリボンを指で弄びながら俯いている。時々顔を上げるものの、俺と目が合う度に逸らされた。

 

「……い、いつ頃からお付き合いされていたんですかぁ……?」

 

「んっと……そろそろ五年前ぐらいになるのか。悪い、その辺のことも多分今日の記者会見で話すと思うから、そっち聞いてもらえるか?」

 

 毎回人に会う度に色々と聞かれるので、正直そちらで纏めて聞いてもらいたいというのが本音である。基本的な質問は全部記者からされるだろうし。

 

「わ、分かりました。……え、えっと……旭さん」

 

「ん?」

 

「……や、やっぱり何でもないです! お返し、ありがとうございますね!」

 

 いつもよりも少し硬くなった笑顔でそう言い残し、クッキーの小包を胸に抱くようにしながら走り去ってしまった。いつもののほほんとした十時らしからぬ俊敏な動きで「そんな短いスカートで走るんじゃない」という忠告をする暇すら無かった。

 

「……何だったんだ?」

 

 まるで『好きな人が別の人と結婚すると知った時の反応』のようにも見えたが……。

 

「……いや、まさかな」

 

 楓のような素晴らしい人と結婚出来るからといって過度にうぬぼれるのは止めておこう。第一彼女から好かれる理由も無いし。

 

 仮にそうだったとしても、今の俺に出来ることは何もない。例え今彼女からそれを告白されたとしても俺は彼女の望む答えを返してあげることが出来ないのだから。

 

「旭くーん」

 

「楓」

 

 さて次は誰に渡すかとみんなに配る小包を収めた紙袋を片手に考えていると、聞こえてきたのは最愛の女性の声。勿論楓であり、彼女はニコニコと笑いながらこちらに歩いてくるとススッと腕が触れ合う距離にまで近付いてきた。

 

 以前まで不特定多数の人の前では「高垣」「神谷君」呼びだった俺たちだが、ようやくこうして公然とお互いの名前を呼べるようになり、更にこうして事務所内でも堂々とくっつくことが出来るようになった。もっとも周りから「見せつけるんじゃねぇよ」という視線を一身に浴びることになるのだが、この幸せに比べれば些細な問題である。

 

「プロデューサーさんが記者会見の打ち合わせをしたいからって呼んでいたわ」

 

「あぁ、分かった」

 

 まだお返しは配り切れていないが、どうやらタイムアップのようだ。今日中に配り切るのは流石に無理そうだが……まぁ、それぞれ部署のスタッフさんに預けておいて渡してもらうことにしよう。

 

「? ホワイトデーのお返し、配り切れなかったの?」

 

「まぁ割と多かったからな」

 

「なら、これからついでに配っちゃうのはどうかしら」

 

「……ん? いや、今から記者会見の打ち合わせなんだろ?」

 

「それがね――」

 

 

 

 

 

 

『それでは皆様、只今より神谷旭並びに高垣楓、両名の結婚記者会見を始めさせていただきます。司会進行はわたくし、346プロダクション所属アイドル、川島瑞樹が務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします』

 

 俺と楓が座るテーブルの横に設置されたマイクスタンドの前に立った川島さんが、とても綺麗なお辞儀をする。成程、元アナウンサーという経歴なだけあって中々堂に入っていた。

 

『それでは最初に神谷旭の方から一言、皆様にご挨拶が――』

 

「って、そうじゃなくて、川島さんストップストップ」

 

『はい、何かございましたでしょうか?』

 

「……何この状況」

 

『結婚記者会見でございますが』

 

「いや、そうじゃなくて――」

 

 こめかみを人差し指で抑えながら、周りを見渡す。

 

 

 

「――この記者じゃなくて()()()()()()()()()()()()()の状況がどういうことなのかを聞いてるんですよ」

 

 

 

 部屋は346プロ事務所内に設けられた多目的室であり、普段から記者会見でよく用いられる部屋である。

 

 しかしその部屋を埋め尽くすのは各報道機関のカメラマンや記者ではなく、346プロダクションのアイドル部門に所属するアイドルたちだった。楓の飲み仲間である片桐さんたちを始め、楓も所属する『シンデレラガールズ』、奈緒が所属するプロジェクトクローネ、さらに凛ちゃんが所属するシンデレラプロジェクトなどなど、アイドル部門を代表するそうそうたるメンバーが揃っていた。

 

「楓ちゃんも旭君も記者会見自体は慣れてるだろうけど、結婚記者会見の経験はないでしょ?」

 

「そりゃありませんよ」

 

 マイクのスイッチと共にアナウンサーモードのスイッチも切った川島さんからの質問に、当然だろうと返答する。俺も楓も未婚なわけだし、ドラマや映画でもそういうシーンは無かったので未経験である。

 

「だからこうして実際に記者会見の予行演習をしてみようっていう話になったのよ」

 

「どうしてプロデューサー陣が決めるべきことに川島さんが参加してるんですかねぇ……」

 

 入り口付近にたむろっていたプロデューサーたちをギロリと睨むと一斉に目を逸らされた。

 

「百歩譲って記者会見の予行演習は分かりました。でもなんでその報道陣席にアイドル部門の人間しかいないんですか」

 

「本当は貴方の知り合いの俳優部門の人たちも来る予定だったんだけど、アイドル部門の子たちの『代わってください!』っていうお願いを断れなかったみたいよ」

 

「何やってんだよアイツら……!?」

 

 仮にも大の男連中が何で押し切られてるんだよ!?

 

 しかし成程、これが先ほど楓がホワイトデーのお返しをついでに配っちゃえばいいと言っていた理由か。確かに全員はいないもののチョコを受け取った子たちが結構いるし、これが終わった後にでも配ることにしよう。

 

「というわけで、『旭君と楓ちゃんのことを知ってた人も知らなかった人も気になることをなんでも聞いちゃえ! 大質問大会』始めるわよー!」

 

『イエーイッ!!』

 

「ノリが軽い!」

 

 川島さんの掛け声に合わせて多目的室に響き渡った女の子たちの黄色い声を耳にし、ようやく『今回はこういう展開なのね』と若干諦めると共に、これが面倒くさい奴だということを認識するのだった。

 

 

 

『それでは質問タイムに移らせていただきます』

 

 再びアナウンサーモードに切り替わった川島さんがマイクに向かってそう告げると、多目的室に集まったアイドルの半数以上の手が挙がった。見るとコッソリ奈緒の奴まで手を挙げてやがる。

 

『はい、それでは島村卯月さん』

 

「はい! 島村卯月です!」

 

 川島さんに指名され、最近新たな『シンデレラガールズ』の顔になりつつある少女が元気よく立ち上がった。

 

「え、えっと、お二人はいつ頃からお付き合いされていたんですか?」

 

 先ほど十時からされた質問と同じであるが、まぁ定番の質問だな。

 

「えっと、五年前だな」

 

「撮影の現場で初めて会って以来何回か一緒に食事に行くようになって、五回目の食事の時に告白されたの。夜景の綺麗なレストランだったわ」

 

 そう楓からの補足説明が入る。女性を口説くなんてこと一度もしたこと無かったから、あの時は必死だったんだよなぁ。僅か五回目で告白してしまった俺も俺だけど、結局最初からお互いに一目惚れだったので初回で告白してもオッケーしていたと後に楓は語っていた。

 

『それでは次の質問を……はい、蘭子ちゃん』

 

「え、えっと、告白の……じゃ、じゃなくて……汝らが交わした誓いの言霊は如何なるものか!?」

 

 続いての質問者は、島村と同じく『シンデレラガールズ』の一員である邪気眼系厨二娘(かんざき)だった。一体何をテンパったのか一瞬素の言葉が出たが、すぐにいつもの調子に持ち直した。

 

『えっとつまり……プロポーズの言葉ってことでいいのかしら?』

 

 川島さんが先ほどの言葉の意味を問うと、神崎はコクコクと頷いて肯定した。

 

 しかしプロポーズの言葉か。多分この場合、付き合うきっかけの方じゃなくて結婚のプロポーズの方だよな。

 

「……えっと……『俺は、貴女を愛しています。これから先の人生も貴女と一緒に過ごしていきたい。俺の人生を貴女に捧げます。だから、貴女の人生を俺に下さい。高垣楓さん……俺と結婚してください』」

 

 流石に一世一代の大舞台で放ったセリフなので、一言一句覚えているのは役者以前に男としては当然である。

 

 キャーっと色めき立つアイドルたち(少女と呼べる年代多し)の様子に、若干恥ずかしいながらもこれで良かったと自分を納得させる。あぁこれでいいんだ。最後に噛んだところまで再現出来るわけないだろ!

 

 だからさっきから隣でニヤニヤと俺のことを見てくる楓のことは気付かないフリをする。

 

『次の質問に移ります。……はい、藍子ちゃん』

 

「はい。その、お二人は普段どのように呼び合っているのですか?」

 

 今度はゆるふわお散歩娘(たかもり)から、これまた結婚記者会見でお馴染みの質問である。

 

「今までは外だとお互いに名字で呼んでたけど……」

 

「普段は私が『旭君』って呼んで、旭君からは『楓』って呼ばれてるわ。本当は『ハニー』って呼んでもらいたくて私も『ダーリン』って呼んでたんだけど、旭君が『俺はお前の名前が好きだから名前で呼び続けたい』って言われちゃったの」

 

『キャーッ!』

 

 先ほどと同じように必要最低限の返答で済ませようとしていたら、楓の口から追加エピソードが語られてしまった。ニコニコと頬に手を当てながら話す楓に、再び色めき立つアイドルたち(少女と呼べない年代も含む)。

 

 そして今回のコレが結婚記者会見の予行演習にかこつけて楓とのエピソードを根掘り葉掘り聞かれる場だということを再認識する。

 

『それでは次は……はい、美波ちゃん』

 

「はい。今日はホワイトデーですが、楓さんは神谷さんからバレンタインのお返しは貰いましたか?」

 

 おぉ、定番ではないものの結婚記者会見っぽい。如何にも真面目な無自覚妖艶娘(にった)らしい質問だった。

 

 ……って、これってさっきの告白や名前呼びの質問よりもマズイやつじゃねーか!?

 

 

 

「朝一番に貰ったわ。『楓』っていう旭君の声に目を覚ましたら、そのままチョコレートを口移しされちゃった」

 

 

 

 どう誤魔化そうかと考える暇なく、楓によって流れるように暴露されてしまった。

 

『キャァァァッ!!』

 

 先ほどよりもより一層大きな黄色い声に包まれる多目的室。キャピキャピと学生のアイドルたちが騒ぐ一方で、片桐さんを筆頭に大人組は「こいつらは……」と渋面を浮かべていた。

 

 というかコレ、俺がバレンタインにされたことのお返しってことでやったけど、そっちのエピソードを知らない連中からしてみたら俺がトンデモナイコトをやったみたいになってるのではないだろうか。現に一部からは冷たい視線が飛んできている。

 

 よし、この話はこの辺で終わらせて、次の質問に……。

 

「うふふ、そこのところ、もう少し詳しく聞かせて欲しいわ」

 

 キス魔あああぁぁぁ!?

 

「えっと、初めはただチョコを口移ししてただけなんだけど、二個三個と食べていく内に旭君の舌が私の口の中に入ってきたの。あと別に抵抗する気は無かったんだけど、旭君に片手で私の両手を拘束されちゃって、もう片方の手で――」

 

「それ以上はいけない!」

 

『楓ちゃんストップ! 小さい子もいるのよ!?』

 

 完全に惚気モードとなった楓が暴走を始めたので、流石にこれは本当にマズイと川島さんと二人で止めに入る。

 

 余りにも楓の発言の刺激が強すぎたため、未成年のアイドルたち(例外として三船さんも含む)が顔を真っ赤にしていた。一応キグルミ娘(いちはら)を始めとした年少組は「これはマズイ」と感じ取った大人組の手によって耳が塞がれていたのでギリギリセーフである。

 

「というか旭君、貴方いつも朝から何やってるのよ!?」

 

「あぁもうなんかすみませんねぇ俺だって楓が大好きなんですよ!?」

 

 川島さんから真っ当なお叱りを受けるが、俺だって楓との朝の情事……じゃなくて事情をまさか楓本人から暴露されるとは思っていなかったのだから本当に勘弁してもらいたい。

 

 

 

 

 

 

『はい、それじゃあ次で最後の質問を……加蓮ちゃん』

 

「はーい」

 

 やや疲れた表情で川島さんが名前を呼ぶと、しれっと奈緒の隣で手を挙げていた加蓮ちゃんがその場で立ち上がる。

 

「旭さんが結婚を決意したきっかけを教えてくださーい」

 

 ニヤニヤとした悪戯っぽい笑顔が地味に腹立つ。

 

 しかしこう言ってはアレだが、質問自体は意外にも真面目なものだった。

 

 ……俺が結婚を決意したきっかけ、か。

 

 気が付けば、先ほどまで大騒ぎだった多目的室が再び静寂に包まれていた。聞こえるのは一人妄想に浸る極大妄想娘(きた)の「ムフフ」という声と、先ほどからろくでもない質問をしようとして清良さんに取り押さえられている胸部偏愛娘(むなかた)のくぐもった声だけである。

 

 チラリと隣を見ると、楓もやや期待した様子で俺を見ていた。そういえば楓にも話したことなかったか。

 

「……ドラマチックな話を期待すんなよ」

 

 そう予防線を張ってから、一年近く前のことを思い返す。

 

「恋人同士になってから楓は度々ウチに来てくれてな、料理や掃除とかそういう家事の類いをやってくれたんだ」

 

 こういう言い方をすると俺がまるで家事をしていなかったみたいだが、流石に一人暮らしも長いのでそれぐらいしっかりとやってきた。しかし楓は「私に任せてください。()()を良い()()にこなしてみせます」と言って譲らなかった。

 

「そんである日なんだが、楓が洗濯物を畳んでくれてるのを俺は後ろから見てたんだよ」

 

 カーペットの上に正座をして一枚一枚丁寧に畳む楓。俺の部屋なので俺の服は勿論のこと、その頃には当たり前のように楓の服も含まれていた。

 

「そんな楓を見て、結婚を決意したわけだ」

 

「……え、それだけ?」

 

 まさかそんなわけないだろうと言わんばかりに加蓮ちゃんがジト目になる。他の子たちも似たような感じだった。

 

「えー、何かインパクト弱い以前に全然きっかけになってないじゃないですかー?」

 

「期待すんなって言ったろーが。それに仕方ないだろ――」

 

 

 

 ――そんな楓の後ろ姿に、俺はこの女性(ひと)を嫁さんにしたいって思っちまったんだから。

 

 

 

 高垣楓というアイドルは、いつだって前を向いている。そういうポーズを撮影することもたまにはあるだろうが、メディアに映る楓はいつも前から写した姿だ。

 

 だからそんな楓の背中を見て、こんな無防備な背中を見せてくれる楓を見て。

 

 アイドルではない『高垣楓』を背中から抱き締められる存在になりたいと、思ってしまったのだ。

 

「そんだけだよ。悪かったな大したきっかけじゃなくて」

 

 やや自嘲気味なそんな言葉で締めくくる。

 

「………………」

 

「何だよ加蓮ちゃん、何か言おうぜ」

 

「……はっ!? あ、いや、その、あ、ありがとうゴザイマシタ……」

 

「?」

 

 体調でも悪くなったか?

 

 何故か片言になった加蓮ちゃんに首を傾げていると、クイクイッと隣に座る楓に袖を引っ張られた。

 

「どうした?」

 

「……私はその時にはもう旭君のお嫁さんになること以外考えてなかったから、私の勝ちね」

 

「……は?」

 

 一瞬、一体こいつは何を言っているのかと思ったが、「フンスッ」と得意げな楓の姿を見ていたらそんなことはどうでも良くなった。

 

「……あぁ、俺の負けだよ」

 

 惚れた俺の負けで、結婚に踏み切るのに時間がかかった俺の負けで、プロポーズの言葉を噛んでしまった俺の負けで。

 

 

 

 ――それでも最後に、俺は人生で最高の白星(かえで)を得たのだ。

 

 

 

 

 

 

 三月十四日

 

 今日はホワイトデーで、朝から旭君にチョコの口移しをされてしまった。なんでも先月のバレンタインのお返しらしい。いつも以上に積極的で情熱的な旭君に、思わず時間を忘れてしまうところだった。……これからも週に一回……いや、月に一回ぐらいならこういうのもありだと思う。

 

 そしてもう一つ大きな出来事としては、ついに私と旭君の結婚を世間に公表した。朝一番に旭君手書きのFAXを関係各所に送ったことで、今日は朝から色々なメディアの芸能ニュースで私たちのことを取り上げてもらった。

 

 私たちのことを知らなかった人は勿論、知っていた人からも大勢声をかけられ、事務所のみんなからは沢山祝福してもらった。

 

 午後からは私たちの結婚記者会見を開いたのだが、その前にアイドル部門のみんなに協力してもらって結婚記者会見の予行演習をした。

 

 みんなから色んな質問をされる中で、少しだけ喋りすぎてしまったため旭君だけでなく川島さんにも怒られてしまった。少し反省。

 

 ただそこで、初めて旭君が私との結婚を決意してくれたきっかけの話を聞いた。

 

 私もその時は、既に一人で旭君のお嫁さん気分で洗濯物を畳んでいたので、少しだけ気持ちが繋がっていたような気がして嬉しかった。

 

 これから私たちに対する世間の評価がどう変わるのか分からないが、それでも旭君と……旦那様と一緒ならば絶対に大丈夫だと、私は信じている。

 

 

 

 

 

 

「それで加蓮、さっきいきなりどうしたんだ?」

 

「少し顔が赤かった気がするけど、熱気味?」

 

「えっ!? あ、いや、その……ちょ、ちょっとだけそのシチュエーションが羨ましいなー……とか思っちゃったり思わなかったり……」

 

((可愛い))

 

 

 




 よし、甘さ控えめだな(先月との比較)

 次回からは二人の関係が世間に公表された状態でお話が進みます。しかし残念ながら作者はこの小説で重たい話を書くつもりがないので、別に楓さんの結婚に荒れ狂うファンとかそういう展開はありませんので悪しからず。へいわなせかい!

 残り三話。気合入れていきましょう。

 ……そろそろ次回作のことも考え始めないとなぁ。


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高垣楓と初心に帰る4月

第六回シンデレラガール総選挙!

高垣楓に清き一票をおおおぉぉぉ!!


 

 

 

【高垣楓】結婚発表からそろそろ一ヶ月経つわけなんだけど【神谷旭】

1:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

どうすればこの二人の子供に転生できると思う?

 

2:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

俺が知りたいわ

 

3:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

知ってたら言わずに実行してる

 

4:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

人が死んで生まれ変わるまでにかかる期間は四十九日(しじゅうくにち)

人が産まれてくるまでにかかる期間は十月十日(とつきとうか)

 

あとは分かるな?

 

5:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

つまり高垣楓と神谷旭が[ピー]した日を特定した後、出産予定日から逆算してその日を命日にすればいいわけだ

 

6:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

>>4 こいつ天才かよ

 

7:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

それなら俺にも出来るな

 

8:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

で? 肝心の高垣楓と神谷旭が[ピー]した日をどうやって特定するんだ?

 

9:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

……短い夢だったなぁ

 

10:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

最近3ch来てなかったから分からないんだけど、高垣楓と神谷旭の結婚はもう受け入れられてる感じなの?

発表当初は結構荒れてた気がするんだけど

 

11:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

まぁ最初は荒れてたな、主に高垣楓ファンが

 

でも年齢の話になって、最終的に「kwsmやktgrみたいに売れ残るぐらいなら……」っていう結論に至った

 

12:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

ちなみにそっちの話はこういう風に進展した

 ⇒ 【アラサー】結婚できない理由を議論するスレ 28スレ目【BBA】

 

13:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

そっちは完全にとばっちりだな……

 

14:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

しかしなんだって子供として生まれ変わりたいなんて発想に行きつくんだよ

 

15:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

バッカお前考えてみろよ、高垣楓と神谷旭の子供だぜ?

 

朝、高垣楓に「おはよう」と起こされ、神谷旭に「いってらっしゃい」と見送られ

 

夕方、家に帰ると高垣楓に「お帰りなさい」と言われ、帰宅した神谷旭に「ただいま」と言われ

 

夜、高垣楓と神谷旭の「おやすみ」で一日を終える

 

死んでいいね(断言)

 

16:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

文字通り死ぬ価値はあるな

 

17:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

最悪二人の日常会話を聞き続けられるならば家の壁とかでも構わん

 

18:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

そうか! 床に生まれ変われば、毎日二人に踏んでもらえるということか!?

 

19:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

>>18 天才かよ

 

20:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

>>18 猛者現る

 

21:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

>>18は高垣楓と神谷旭両方のファンか?

 

22:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

いや、高垣楓ファンだったんだが、彼女と結婚する相手ならば踏んでもらってもいいかなと

 

23:ふーん、アンタが774? まぁ悪くないかな

>>22 やべぇ、ガチで猛者だった

 

 

 

 

 

 

 俺と楓の結婚記者会見から一ヶ月が経った。

 

 現役のアイドルと俳優の結婚なのだから騒ぎにならないはずがなく、多少の炎上も覚悟していた。

 

 しかし予想外に世間の風当たりは優しく、反対派がすぐに鳴りを潜めてあっという間に祝福ムードになってしまったのだ。今では先ほどのようなややアレなスレの他にも俺と楓の子供の名前を勝手に考えるスレなんかが出来てしまっていた。

 

 ……いやまぁ、受け入れてもらえたこと自体は本当にありがたいんだが、どうしてこんなに……その、アレなアレばっかりなのだろうか。

 

「うーん……」

 

「旭君、どうかしたの?」

 

「……いや、何でもない」

 

 俺の手元のスマホを覗き込んできた楓に今の頭の悪いやりとりを見せるわけにはいかないので、手早く画面の電源を落とす。

 

「もう、折角のお花見なんだから、スマホばっかり見てちゃ、メッ!」

 

「悪い悪い」

 

 確かに見上げればこんなに満開の桜が咲き誇っているっていうのに、いつまでも下を向いてちゃ風情がないもんな。

 

「もっとちゃんとお酒を楽しまないと」

 

「花より団子の方がまだ可愛らしいな」

 

 お酌しまーすと俺の手のコップに一升瓶を傾ける楓に、まぁ今日はそういう席だしなと納得することにした。

 

 

 

 てなわけで、今日は花見である。

 

 春の麗らかな陽気の中、桜の下で346の人間が揃って料理やお酒を口にしながら会話に花を咲かせていた。

 

 きっと普通なら、これほど満開の桜の下でのんびりとするには会社命令で新社会人が徹夜で場所を確保して……なんてことをする必要があるだろうが、何を隠そう、ここは346プロ事務所の敷地内なのだ。

 

 相変わらず広大な事務所の敷地には桜の木々が点在しており、その下で花見をするのが我が事務所における毎年の恒例行事だった。

 

 先日雨で花が散ってしまうのではと危ぶまれたが、346の桜は見事堪えきってくれたので、今年も無事花見が開催されることとなった。

 

 

 

 ――はーい! 今から美優ちゃんと二人で『あんきら狂騒曲』歌いまーす!

 

 ――え……!? か、片桐さん……!?

 

 ――歌うわよ、美優ちゃん! 準備準備!

 

 ――こ、これひょっとしてもう始まってます……!?

 

 

 

 ……向こうから憐れにも片桐さんに巻き込まれた三船さんの恥ずかしげな「アンキモアンキモ……!」という声が聞こえてきた。まさかの三船さんが不労所得娘(ふたば)パートである。

 

「ふふ、向こうは楽しそうね」

 

 いや見てる分には楽しいけど、やってる本人的には羞恥以外の何物でもないだろうな。真っ赤になりながらもちゃんと歌って踊る辺り流石プロのアイドルだが、可哀想なことに佐藤さんがムービーを撮っていた。

 

「楓も向こう行ってもいいんだぞ?」

 

「ううん、今日は旭君と二人で飲みたい気分なの」

 

「……そうか」

 

 そっと楓の腰に左腕を回して抱き寄せると、楓は逆らわずにコテンと俺の肩に頭を乗せた。

 

 満開の桜の下、美人で可愛いお嫁さんを腕に抱きながら昼間からお酒を飲む。何とも贅沢の極みというか、正しく今が俺の人生の最盛期なのだろう。

 

「そんなあなたの幸せに一味スパイスを加えるオクスリがこちら~」

 

「……いつからそこにいたのか聞きたいところではあるが、その前に人の心を読むな一ノ瀬」

 

 一体何処からやって来たのか、いつの間にか俺たちが座るレジャーシートにチョコンとクンカー娘こと一ノ瀬志希がいた。相も変わらず白衣姿だが、周囲が割りと混沌とし始めたのでそれほど浮いていない。

 

「にゃはは、お邪魔してま~す! これ楓さんの手作りー? すっごいオイシー!」

 

「てめえ俺もまだ手を付けてなかった楓お手製のだし巻き玉子を……」

 

「ありがとう志希ちゃん。旭君も、まだあるから」

 

 しれっと勝手に楓が作ってくれた料理を摘まんでいた一ノ瀬に大人げなくイラッとしたが、楓に宥められた。

 

「それで、楓の料理をつまみ食いするために来たわけじゃないだろ?」

 

「うん! 桜のまろやかな匂いに混ざって甘酸っぱい春の匂いがしたから来てみたんだー。ちょーっとお二人に試してもらいたいオクスリがあってさー」

 

 そう言って一ノ瀬は胸元から一つの小さな小瓶を取り出した。それがさっき言ってた『幸せに一味スパイスを加えるオクスリ』ってやつか。

 

「怪しすぎるんだが……安全なんだろうな? いやそもそも飲むとも言ってねーけど」

 

「うん! それを実証するために飲んでもらうから!」

 

「要するにモルモット役じゃねーか!?」

 

 コイツが作ったというオクスリのせいで何度も騒ぎになっていることを俺は知っている。俺は実害にあっていないものの、主にプロデューサーたちが被害にあっていると聞く。

 

 そんな一ノ瀬が作った薬だ、警戒しないわけがない。しかも安全性が保障されていないときた。こんなもの絶対に飲まないし、飲みたくもない。

 

「それで志希ちゃん、これはどういうオクスリなの?」

 

「えっとねー、あたしの計算が正しければ『大好きな人に対していつも以上にドキドキ出来る』はずだよー」

 

「なんだその効果」

 

 一体何をどうすればそんな効果に……。

 

 

 

「ぐびっと」

 

「楓えええぇぇぇ!!??」

 

 

 

 一ノ瀬から小瓶を受け取ったかと思うと、楓は(おもむろ)に自分のコップのお酒に混ぜて一気に飲み干してしまった。

 

「ちょっとは躊躇(ためら)えよ!? ほら今すぐペッしなさいペッ!」

 

「あっ、意外と美味しいわね」

 

「子供でも飲めるようにいちご味にしてみたよー」

 

「安全性を保障できてないくせに子供も飲むことを前提とするんじゃない!」

 

 そんなことよりも今は楓だ。

 

「だ、大丈夫か? 何処か具合が悪くなったりしてないか?」

 

「うーん、ちょっとだけ身体が火照ってきたような……」

 

 それは単純にアルコールを摂取したからではなかろうか。

 

 とりあえずもっとよく楓の顔色を窺おうと顔を近付けて――。

 

 

 

「……ふぇ!?」

 

 

 

 ――何故か、そんな可愛い声を上げて楓が真っ赤になった。

 

「楓っ!? どうしたいきなり顔が赤くなったぞ!?」

 

「あ、いや、その……!?」

 

 もっとよく顔を覗き込もうとしたら何故か軽く手で押し返された。

 

 ……え、今俺拒否られた?

 

「うんうん、どうやら効き目はバッチリみたいだねー! しきちゃん大成功ー!」

 

「結局どういう薬なのかさっさと説明しろ一ノ瀬えええぇぇぇ!」

 

 事と次第によっては『対一ノ瀬専用兵器』ことシュールストレミング缶を取り寄せて……!

 

「これは名付けて『感情リセット薬』! 記憶をそのままに感情をリセットするオクスリなのだ!」

 

「……はぁ?」

 

「えっとねー詳しく説明すると……」

 

 一ノ瀬の言う詳しい説明というのは本当に詳しい説明であり、専門用語と計算式のオンパレードだったのでまるで頭の片隅にも残らなかった。

 

 とりあえず簡単に要約すると『これまで俺と楓が付き合ってきた記憶はそのままに、それまで培ってきた感情を一度リセットする』という効果があるらしい。

 

「……で、それがどうしてこんな状況になってるんだよ」

 

 先ほどから楓は顔を赤くして目を合わせてくれず、かといって離れることもなく俺の服の裾をそっと摘まんで離さなかった。正直凄い可愛い。人前じゃなかったら思いっきり抱きしめていた。

 

「今の楓さんは『今まで旭さんと一緒に過ごしてきた日々の記憶』があるにも関わらず『旭さんのことが好きという感情』が抜け落ちてる状態なわけ。逆に言うと『好きじゃない』のに『好きだ』という記憶がある。真っ白な感情に『旭さんのことを好きだ』という記憶が流れ込み――」

 

 

 

 ――今の楓さんは、旭さんに一目惚れした初恋状態なのだー!

 

 

 

「ナ、ナンダッテー!?」

 

 いやマジでなんだそれ!? 薬一つでどうこうなるもんじゃないだろ!?

 

「いやぁ、実験はせいこー! これで頼まれてた惚れ薬を作るのに必要なデータが一つ増えたよー! ありがとう!」

 

 効果は一時間ぐらいで切れるから心配しないでねー! と一ノ瀬はあっという間に去って行ってしまった。……今アイツ、サラッとトンデモナイこと言い残していかなかったか……?

 

 しかし今はそんなことがどうでいい、というかそっちを気にしている場合じゃない。

 

「……えっと、楓?」

 

「あ、ご、ごめんなさい……あ、旭、君……?」

 

「何で疑問符」

 

「……な、名前で呼ぶのも呼ばれるのも……は、恥ずかしくて……」

 

 ……何この女性(ヒト)超カワイイ!

 

 しかしいくら一目ぼれの初恋だからとはいえ、楓がこんな反応をするのだろう?

 

 ……そうか、初恋の状態から夫婦一歩手前の状態へ感情が跳ね上がろうとしているから、その急激な変化に戸惑っているのか。

 

「でも不思議……初めて旭君と出会ったときと同じぐらい……ううん、それ以上にドキドキしてる」

 

 心臓の上に両手を重ねてそっと目を瞑る楓。その仕草がなんとも神秘的に見えてしまい、思わず惚けてしまう。

 

「……ねぇ、旭君」

 

 だからとても緩慢な動作だったにも関わらず、楓が俺の右手を取って彼女の胸の上に持っていったことに咄嗟の反応が出来なかった。

 

 彼女の一番柔らかい優しさが手のひらに広がる。今までにも何度も触れたことがあるそれに、興奮するよりも先に思わず安らいでしまいそうになる。

 

「か、楓……!?」

 

「旭君にもしっかりと感じて欲しいの」

 

 一体何を、と問う前に気付く。

 

 彼女の左胸。服の下、下着の下、彼女の身体の奥底からドクンドクンという拍動が俺の手のひらに伝わってきた。

 

「分かる? 私が今凄くドキドキしてるの」

 

「……あぁ、分かる」

 

「……私、今凄く幸せ。こうして初めて貴方と会ったときの胸の高鳴りを、恋に落ちた瞬間をまたこうして感じることが出来るなんて」

 

「……そうか」

 

 今さらになって、一ノ瀬のオクスリを飲まなかったことを後悔し始めた。初めて楓と会った日の情熱を今一度体験出来るのであれば、怪しい薬を飲むことぐらいどうってことなかった。我ながら現金なものである。

 

「ふふ、実はまだちょっと残ってるのよ?」

 

「え」

 

 そう言う楓の手の中の小瓶を見ると、半分ほど中身が残っていた。さっきは半分しかコップに入れていなかったのか。

 

「はい、旭君」

 

「………………」

 

 なんか結局は一ノ瀬の思う壺のような気がしないでもないが、それでもその甘美な誘惑には抗えなかった。

 

 小瓶の蓋を開けると、そのまま中身を一気に飲み干した。

 

「……っ!?」

 

 効果はすぐに現れた。腕の中にいる楓に対する感情が全て消え去り、凄まじい喪失感に目の前が真っ暗になりそうになる。

 

 しかしそれも一瞬だった。頭の中から楓と出会ってから全ての記憶が走馬灯のように駆け巡り、目の前の女性に対する感情が次から次へと溢れ出てくる。

 

 初めて食事に行ったときのこと。初めてデートに行ったときのこと。恋人同士になって初めて迎えた夜のこと。そして去年の楓の誕生日のこと。

 

 きっとこれだけの思い出があるのだから、厳密に言えば一目ぼれの初恋ではないのだろう。

 

 それでも、この胸の高鳴りと全身から溢れ出そうになる感情の爆発は間違いなくそれに近かった。

 

 右手を胸に当てたまま、左手でグッと正面から彼女の身体を抱き寄せる。その際、指がふにっと彼女の柔らかさに沈み込むが不思議と疚しい感情にはならない。

 

「俺のも分かるか?」

 

「……えぇ、旭君も私と同じぐらいドキドキしてる」

 

 そっと俺の胸に耳を当てる楓。

 

 先ほどまでよく聞こえてきた花見の喧騒が遥か遠くなり、お互いの心音に耳を傾け続ける。ドクンドクンという鼓動が、次第に一つになっていくような感覚に陥った。

 

 ねぇ旭君、と腕の中の楓が顔を上げる。

 

「私は貴方に恋をしてしまいました。貴方のことが好きです」

 

 

 

 ――私と結婚してください。

 

 

 

「楓……」

 

「うふふ、やっと()()()言えた」

 

「……はは、まさか結婚する前から二回目のプロポーズとはな」

 

「むぅ、旭君、お返事は?」

 

「……決まってるだろ」

 

 拗ねた顔でペチペチと頬を叩いてくる楓の手首を掴むと、そのまま優しく背後に押し倒して唇を奪う。

 

「幸せになろう、楓」

 

「……はいっ!」

 

 再び目を閉じて唇を突き出してくる楓に、俺は再び顔を近付け――。

 

 

 

「ま、ままま、真昼間の屋外で何やってんだこの変態兄貴いいいぃぃぃ!!??」

 

 

 

 ゴスッという鈍い音と共に側頭部に強い衝撃を受け、俺の視界がブラックアウトしたところで今回のお話は終了である。

 

 

 

 

 

 

 四月十四日

 

 今日は毎年恒例行事である事務所内でのお花見の日。

 

 去年はまだ旭君との関係を公言していたわけではないので、知り合いとしての付き合いはあっても恋人同士としてお花見をしたことが無かった。なので今回はいつものメンバーではなく旭君と二人きりで楽しむことにした。

 

 ちょっぴりイチャイチャしながら二人でお酒を楽しんでいると、突然志希ちゃんが現れてとある薬を渡された。何でも『大好きな人に対していつも以上にドキドキ出来る』らしいので飲んでみると、なんと旭君に対する『好き』という感情が消えてしまったのだ。

 

 自分の全てを奪われたような感覚に陥るが、それも一瞬の事。次の瞬間には再び旭君に対する『好き』という感情が自分の心の奥底から湧き上がってきた。

 

 志希ちゃん曰く、これは『再び一目惚れと初恋』を体験することが出来るらしいのだ。

 

 言われてみれば、確かにその感覚は初めて旭君と出会ったときのものに似ていた。もしかするとそのとき以上にドキドキしていたかもしれない。

 

 初めは嫌がっていた旭君も一緒に飲み、二人で一目惚れをやり直すという稀有な体験をすることとなった。

 

 その際、少し心残りだった()()()()()()()()()もやり直すことが出来た。

 

 綺麗に咲いていた桜が少し霞んでしまったが、それでも最高の『春』を楽しむことが出来た一日だった。

 

 ……奈緒ちゃんに止められなかったら、外でシてしまっていたかもしれなかったという点だけは、本当に反省しておこうと思った。

 

 

 

 

 

 

(……面白いダジャレが思い浮かばなかった)

 

「だから公にしたからって少しは節度を持って……楓ちゃん聞いてるのっ!?」

 

「は、はい! 聞いてます!」

 

「ぐぅ(気絶中)」

 

 

 




 今回は甘いというか、書いてて背中が痒くなりました。

 掲示板ネタとしきにゃんのお薬ネタという二つの鉄板を利用した今回のお話、構想は早かったですが、どんな感じにすれば甘酸っぱいか考えてたら割と時間がかかりました。

 冒頭の掲示板のファンの反応は、以前話題に上がった某声優カップルに対するネットの声を参考にしました。まぁこんな感じのへいわなせかいということで一つ。

 残り二話です! 皆さんどうか最後までお付き合いください!


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高垣楓と温泉に浸かる5月

R-15タグは付いてるから、多少はね?


 

 

 

「温泉に行きましょう」

 

 

 

 それは夜に家でお酒を飲んでいるときの楓の言葉であり、温泉好きの彼女の口癖と言っても過言ではない言葉である。二人でいるとき、特にお酒を飲んでいるときや一緒にお風呂に入っているときにそれを言う頻度が高い。

 

 ちなみに正式に交際する前は「飲みに行きましょう」という言葉を聞く頻度が高かったが、家で二人飲みする機会が増えてからはめっきり聞かなくなった。

 

 俺も楓もアルコールが入るとボロが出やすいので関係がバレるリスクを減らしたいという理由での宅飲みだが、家でならば人目を気にせずにイチャつきながら飲めるからという理由が主だったりする。現に今も肩が触れ合うぐらいソファーに並んでお酒を飲みつつ、お互いに足をスリスリと擦り付けあっていた。

 

 さて話を戻そう。

 

「そうだな。行きたいな、温泉」

 

 カランカランと新しい氷をグラスに入れながら、楓の言葉に同意を示す。行けるのであれば俺だって行きたい。楓との温泉旅行なのだから二つ返事で了承したいに決まっている。美人の嫁さんとの温泉を拒む理由が何処にあろうか、いや無い。

 

 しかしそこはお互いに社会人であり芸能人の身。特に俺と楓はつい先日の結婚報告で図らずとも(上の人間からしたら狙い通り)注目度や話題性が上がっているため、仕事が増えて余計に時間や予定を合わせづらくなった。

 

 加えて今の楓は()()を控えており、そもそも結婚式を一ヶ月半後に控えているというのにノンビリと温泉に行っている暇などなかった。

 

「まぁ、式終わってしばらくして落ち着いてからだな」

 

 それぐらいが現実的だろう。

 

 しかし何故か楓はニコニコと笑っていた。

 

「旭君も行きたいんですよね?」

 

「そりゃあな」

 

()()()()人は()()()()()ですもんね」

 

 ……え、それが言いたかったわけじゃないよな?

 

「大丈夫ですよ、旭君」

 

「……何が?」

 

 

 

 ――夫婦になる前に、恋人として最後の温泉旅行に行きましょう。

 

 

 

 

 

 

 などと楓と話していたのが、ほんの半月ほど前。

 

 その日の仕事である新作映画の舞台挨拶と現在出演中の連続ドラマの撮影を終え、共演者やスタッフたちからの「飲みに行きましょう」という誘いを必殺の「嫁が待ってますんで」で切り抜け、現在俺は愛車で夕方の高速道路をひた走っていた。

 

 なおその際「お前のことが憎かったんだあああぁぁぁ!」と怨嗟の声で飛びかかってくる楓ファンの俳優仲間(独り身)と「ここは任せてお前は行け!」と言ってくれた同じく楓ファンの俳優仲間(妻帯者)とのバトルが繰り広げられていたが、関係無いので割愛しよう。

 

 最近陽が長くなってきたとはいえ、流石に薄暗くなってくる午後七時前。そんな時間に何処へ向かっているのかというと、半月前に楓が言った通り『恋人として最後の温泉旅行』である。

 

 しかし本来ならば楓が座っているはずの助手席は空席。当然彼女を乗せ忘れたわけでもなければ、後部座席に座っているというオチでもない。では楓は一体何処にいるのか?

 

 

 

 答えは『これから行く温泉宿で楓が旅番組の収録をしている』で、撮影終了後にそのまま二人で一泊する予定なのだ。

 

 

 

 ……いや、俺も最初楓からその提案を聞いた時は「マジかよ」って素で聞き返してしまった。しかし楓はその提案をしたときには既に『収録日翌日の午前中はお互いに予定が入ってないことを確認』『上の人間からの許可取得』『温泉宿の予約』を済ませていたのだ。近年稀に見る行動力の高さだった。

 

 勿論「何をやっているんだ」と思わないでもないが、それでも楓と温泉に行けることに間違いはないのでそれを断る理由は無く、こうして喜々として車を走らせている訳である。

 

 高速道路を走ること数時間。すっかりと日が暮れて夜の闇が空を覆った頃、ようやく某県某所の某温泉宿に到着した。

 

 既に撮影スタッフは撤収したらしく、温泉宿は郊外特有の静けさに包まれていた。……地味に今日の撮影の共演者でありウチの妹と同じ名前の横山(よこやま)奈緒(なお)ちゃんからサインを貰い、ウチの妹にもサインを貰って世界で一枚だけのダブル奈緒サイン色紙を作りたかったのだが残念である。

 

 受付に行き予約を確認すると、受付の若女将さんから「既に奥様は部屋でお待ちです」とにこやかに言われた。恐らく俺と楓の事を知っており、更に楓から何かしらを吹き込まれているのではないかと推測する。

 

 とりあえず、楓が待つ客室へと向かうことにしよう。

 

 

 

「お帰りなさいませ、旦那様」

 

 襖を開けて客室へ入ると、そこには二つの枕が置かれた一組の布団の上で三つ指を付いている浴衣姿の楓がいた。

 

「ベタだなオイ」

 

 ご丁寧に枕元にはティッシュまで置かれており、ベタというか一昔前の下ネタに近かった。

 

「お疲れ様、旭君。晩御飯は?」

 

「流石に腹が減ったから途中で食って来た」

 

 時間的にもう旅館で晩御飯は無理だろうと判断し、途中のサービスエリアで適当に済ませてきた。まぁ食べ損ねた分、明日の朝食に期待することにしよう。

 

「それで、そんな恰好をしてるってことはもう行って来たのか?」

 

「えぇ。と言っても、撮影で、だけれど。とてもいい温泉だったわ」

 

「そっか」

 

 温泉宿を紹介する旅番組なのだから、当然楓の入浴シーンも存在するわけだ。水着を着た上からバスタオルを巻いているだろうが、楓が他のスタッフたちの前で素肌を晒したという事実に気付き一瞬だけイラッとした。しかしそんな俺の考えをお見通しらしい楓が優しい目になったので、誤魔化すようにとりえあず羽織っていた上着を衣紋掛け(ハンガー)にかける。

 

「それじゃあ俺も温泉に行ってくるから、ちょっと待っててくれ」

 

「あら、まさか本当に一人で行くつもり?」

 

「……はいすみません、下らない見栄を張りました」

 

 まぁ元々()()を期待していたことを否定できないので、自分の欲求に素直になることにする。いい大人が下らないことで見栄を張るものじゃない。

 

「一緒に入らないか、楓」

 

「ふふっ、一緒に入りましょう、旭君」

 

 

 

 この温泉宿には混浴風呂というものは存在しないが、代わりに部屋によっては家族風呂が存在し、それは俺たちの部屋にもあった。

 

「っと」

 

 それなりに広めの脱衣所で着ていた服を脱ぐ。背後では同じように楓も脱衣中であるが、背中合わせの状態なのでお互いの姿は見えていない。お互いの裸ならば既に何度も見ているが、それでも相手に脱衣をまじまじと見られるのは気恥ずかしいものがあるのだ。

 

「先に入ってるぞー」

 

 入浴準備を先に終えたのは俺だった。一応手ぬぐいで前は隠しつつ、振り返り楓に一声かける。

 

「ちょっと待って、私もすぐに」

 

 ちょうど楓も最後の一枚であるショーツから足を抜いている最中だった。これで楓の肌を遮るものは一切無い生まれたままの姿となったのだが、彼女も手ぬぐいで前を隠した。これは恥ずかしいからとかではなく、一応自らの恥部を隠すのは他人と入浴する際のマナーである。

 

 しかしそこは所詮手ぬぐい。下半身のみを隠せばいい俺と違い、小さな手ぬぐい一枚では胸と下半身の両方を完全に隠し切れずにチラチラと楓の胸の頂が見え隠れしていた。更に手ぬぐいを持つ腕とは反対の右腕を俺の左腕に絡めてくるので、それが直接俺の肌に押し当てられている。モデル体型と称され彼女自身若干ボリュームが足りないなどと自嘲することもある彼女の身体だが、それでもその女性らしい膨らみは男の心を掻き乱す柔らかさだった。

 

「別にほんの数メートル歩くだけなのに腕組む必要ないだろ」

 

「ふふふっ、旭君、鼻の下が伸びてるわよ」

 

 男なんだから勘弁してくれ。

 

 カラカラと引き戸を開けると、モワッと湯気が脱衣所に流れ込んできた。家族風呂とは言えど、そこは流石に楓の出演する番組で紹介される温泉宿なだけあって立派なものだった。竹の柵で覆われており景色がいいとは言えないが、僅かに覗く夜空に浮かぶ月がなんとも風流だった。

 

「お背中流しまーす」

 

 まずは身体を洗うかと洗い場の椅子に座ると、その後ろに楓が膝立ちで腰を下ろした。

 

「悪い、頼むな」

 

「頼まれました」

 

 普段自宅で一緒に風呂に入る際もやっていることなので、楓のその提案に俺は二つ返事で頷く。

 

 自身の手ぬぐいで石鹸を泡立てて、楓はほんの少し力を入れつつも優しく俺の背中を擦り始めた。

 

「今日の撮影はどうだった?」

 

「んー、特に問題はなかったかな。NGは……まぁ、何回かあったが」

 

 芸歴が長くてもNGを出すときは出す。

 

「そうそう、今日久しぶりに撮影の現場で岡崎(おかざき)の奴にあったんだけどさ、あいつアイドル始めてからだいぶ自然に笑うようになったな」

 

 年齢は奈緒よりも年下だが芸歴でいえば俺とほぼ同期の少女なのだが、以前は周りの期待に応え大人の目を気にして不自然な笑顔だった。それがアイドル部門に転向してからは割といい笑顔を浮かべるようになった。少し気になっていたのだが、今の仕事が楽しそうだったので何よりだ。

 

「……旭君?」

 

「あ、ヤベ」

 

 本当に今日あったことを何も考えずに楓に話してしまったが、こういう恋人同士の時間に他の異性の話はNGというのが俺と楓の約束だった。

 

「ふーんだ。折角765プロの百瀬(ももせ)さんに教わった『胸で背中を流す』っていうのをやってあげようと思ったのに、約束を破った旭君にはやってあげませーん」

 

 一分前の俺の馬鹿野郎!

 

「はい、これでお終い。代わって旭君」

 

 どう謝ればその『胸で背中を流す』をやってもらえるのかを考えていたが、どうやら答えが出る前にタイムアップを迎えてしまったらしい。俺が座っていた椅子に今度は楓が座る。

 

「それじゃあお願い」

 

「はい、背中を流させていただきます」

 

 楓から手ぬぐいを受け取り、今度は俺が楓の背中を流す。

 

 ワシャワシャと再び泡立てた手ぬぐい越しに楓の背中に触れる。抜けるように白い肌の、俺がこの女性と結婚したいと決意するきっかけとなった愛おしい背中だった。

 

「楓の方はどうだったんだ、仕事」

 

「ふふ、楽しかったわよ。初めて奈緒ちゃんと一緒にお仕事したんだけど、面白い子だったわ。……あ、勿論横山奈緒ちゃんね?」

 

「分かってるよ」

 

 こうして名前を呼ぶとウチの妹と若干紛らわしいのが玉に瑕だなぁ。

 

「背中流し終わったぞ。今度は頭か?」

 

「いいえ、まだ身体が洗い終わってないわよ」

 

「身体っつっても、あとは……」

 

「これは約束を破った旭君への罰なんだから」

 

 などと言いつつ、その口調は楽しそうなもの。要するに揶揄(からか)われているというか、楓なりの悪戯だろう。

 

「……そっか、罰か。それじゃあ従わないとな」

 

 スッと先ほどよりも身体を楓に近付けると、そのまま背後から楓の前面へと腕を伸ばした。

 

「……んっ」

 

 まずはお腹と臍辺りに触れると、くすぐったかったらしく楓は身を捩じらせた。そのまま優しく撫でるように擦ると、そのまま腕の位置を上げていく。

 

「……えっち」

 

「何を今更」

 

 後ろから抱き着くような形でふにふにと掬い上げるように楓の胸に触る。手にしていた手ぬぐいは楓の膝の上に落ちており、既に身体を洗うという行為そのものが彼方へと消え去っていた。

 

「次は何処洗えばいい?」

 

「ここ」

 

 首だけ後ろに振り返った楓は、目を瞑って小さく舌を突き出してきた。

 

「デリケートなところだから、優しく洗わないとな」

 

 そっと自身の舌を絡ませると、甘美な楓の誘惑に身を任せるのだった。

 

 

 

 

 

 

「「……ふぅ」」

 

 お互いに身体を洗い終え、ようやくゆっくりと温泉に浸かる。当然のように寄り添うように並び、お湯の中ではお互いに指を絡ませあっていた。

 

「……それで、どうしたんだ?」

 

 しばらくのんびりと心地よい沈黙に身を委ねていたが、そろそろ聞いておくかと口を開く。

 

「まぁ、どうせ()()のことだろうけど」

 

「……やっぱり、分かってたんだ」

 

「そりゃあ、こんなタイミングだしな」

 

 アレとは、346プロアイドル部門の行事でありながら事務所を上げて行うビッグイベント――。

 

 

 

 ――『シンデレラガール総選挙』である。

 

 

 

 要するに346所属のアイドルたちの人気投票を行うイベントであり、過去には十時や凛ちゃんが一位に輝き『シンデレラガール』の称号を手にしている。

 

 そんな総選挙において、今まで二位や三位という順位に居続けて『無冠の女王』とも称されているのが楓なのだ。

 

「……愛梨ちゃんや凛ちゃんたちが一位になったことだって嬉しいのよ? 他の誰が一位になっても、私は心から嬉しいと思うし祝福も出来る」

 

 それでも……と楓は絡めていた指を放し、自身の膝を抱えて顔を伏せる。

 

「私は、応援してくれている沢山のファンのみんなの期待に応えることが出来なくて、ファンのみんなに申し訳なくて……それにほら、今回は……色々とあったでしょ?」

 

 色々というのはまぁ、間違いなく俺との結婚騒動だろうな。確かに、楓の順位が大きく変動する要因になりえるだろう。

 

「……もし今回も一位になれなかったら……もしいつも以上に大きく順位が落ちちゃったらって考えたら……その……」

 

 

 

「バーカ」

 

 

 

「……あ、旭君?」

 

「バーカバーカ、楓のバーカ」

 

「ちょ、ちょっと旭君……きゃっ」

 

 突然の罵倒に対して流石にイラッと来たらしく抗議の声を上げようとした楓の頭を抱きかかえるようにして抱きしめる。

 

「期待に応える? なんでお前はそんなもの()()()()()んだよ。それはお前の背中を()()()()()()ものだろ?」

 

「……あ」

 

「応援や期待に応えて頑張るんじゃねぇ、頑張った結果が応援や期待なんだよ。順番を間違えるな」

 

 結婚騒動に関しては俺が当事者というか容疑者というか、張本人であるためなんとも言えないところがあるが、今こうして横にいる楓と『高垣楓』は別人に近いのだということを分かってもらいたい。

 

 プライベートの楓は俺が貰う。けれど、アイドル『高垣楓』はいつまでもファン全員の『高垣楓』なのだ。

 

 ……尤も、俺がそれを言ったところで果たして何人が賛同してくれるか分からないが。

 

「お前はお前のままでいればいい。投票も終わって後は蓋を開けるだけの今の状況で、お前が気負ってどうするんだよ」

 

「旭君……」

 

「それに……俺の中では楓は永遠の一位だ。……それじゃ不満か?」

 

 

 

「今はそういうのいいかなって」

 

「テメエ」

 

 

 

 「冗談よ」とクスクスと楓は笑う。どうやら俺を揶揄うだけの余裕は出来たようだが、もし冗談じゃなかったら先ほど以上に無茶苦茶にしてやるところだった。

 

「……ありがとう、旭君」

 

 俺の胸に手を当ててしなだれかかってくる楓を、もう一度しっかりと抱きしめる。

 

「もし今回もダメだったら、ちょっと泣いちゃうかもしれないから……そのときは、慰めてね?」

 

「あぁ、任せろ」

 

「それでもし一位になれたら、欲しいものがあるの」

 

「何だ? やっぱりお酒か?」

 

 楓の欲しいものと言われて真っ先に思いつくものがそれだったが、楓は「ううん」と首を横に振った。

 

 それじゃあ一体何が欲しいのかと……と首を傾げていると、楓は口を耳元に寄せ――。

 

 

 

「……赤ちゃん」

 

 

 

 ――そんなトンデモナイコトを言われた。

 

「………………」

 

「……ダメ?」

 

 いや、ダメじゃないし俺だっていつかは欲しいが。

 

「……もう少し落ち着いてからな?」

 

「でも今シちゃえば生まれてきてくれるのは来年の三月ぐらいだし」

 

「逆算するんじゃねーよ!」

 

「ケチ」

 

「ケチじゃない」

 

「イケズ」

 

「イケズじゃない」

 

「大好き」

 

「俺も大好き」

 

 のんびりお湯に浸かりながら額を合わせる俺と楓を、ただただ月明りだけが照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 五月十四日

 

 今日のお仕事は765プロの横山奈緒ちゃんと一緒に旅番組の収録だった。義妹になる奈緒ちゃんと同じ名前なので少々戸惑ってしまうところもあったが、とても明るく一緒に仕事をしていて楽しい子だった。

 

 そして収録後はそのまま温泉宿に残り、仕事を終えてやって来た旭君と久しぶりに温泉旅行と相成った。

 

 一人で食べる夕食は少しだけ寂しかったが、その後二人で家族風呂に入ることが出来たのでとても嬉しかった。広いお風呂というのはやっぱりいいものだ。

 

 それだけで十分リフレッシュになったのだが、しかしどうやら旭君には私が総選挙のことを心配しているということを気付かれてしまった。いや、気付かれることを期待していた。

 

 「もしかして今回も」と思ったことは何度もあったし、前回もそうだった。

 

 けれど、一番聞きたかった旭君の「俺の中で永遠の一位」という言葉を聞いただけで、全部吹き飛んでしまった。我ながら単純なもので、こんなベタなセリフにも関わらず、好きな人の口から聞かされるそれは身悶えするぐらい嬉しかった。

 

 期待は背負うものじゃないけれど。それでもファンのために、旭君のために、そして何よりも旭君に誇れる私のために。

 

 願わくば――。

 

 

 

 

 

 

「あ、奈緒ちゃんお帰りー……って、どうしたの!?」

 

美奈子(みなこ)、私はもうダメや……駄洒落と惚気が多すぎてツッコミが追いつかへんかった……」

 

「し、しっかりして奈緒ちゃん!?」

 

 

 




 今回ばかりは自分で精製した砂糖でタヒるところだったゾ……。

 自分で書いてる癖に「もうやだこいつら」とか本気で思った。



 さてプロデューサーの皆様はご存知でしょうが、本日(5/14)の21:00に第六回シンデレラガール総選挙の結果発表です。

 その結果を受け、5/15 00:00に特別番外編の更新を予定しております。

 内容は「楓さんがシンデレラガールになれたか否か」により変化します。

 作者はただひたすら祈るだけです。

 それでは皆さん、またお会いしましょう。


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高垣楓が涙を流す夜

 

 

 

『さあ、シンデレラガール総選挙! いよいよトップテンの発表です!』

 

 

 

 

 

 

「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」

 

 テレビ局での撮影を終えてタクシーに飛び乗り武道館へとやって来た俺は、裏口から中に入り狭い通路を全力で走っていた。先ほどラジオで聞いていた生中継では、そろそろトップテンの発表をしている頃だった。

 

 本来ならば関係者以外立ち入り禁止となっているこの舞台裏だが、あらかじめアイドル部門重役の今西さんに頼んで関係者としてのスタッフタグを受け取っていたのですんなりと中に入ることが出来た。

 

 そして中に入れば、今こうして()()()が全力疾走している理由を察知してくれたスタッフたちが親切にも道を譲ってくれた。

 

 ありがとうございます! とスタッフたちの横をすり抜け、俺は舞台袖まで最短で走り抜けるのだった。

 

 

 

「……あっ、奈緒! 旭さん来た!」

 

「えっ!? 兄貴っ! 急げっ!」

 

「奈緒! 凛ちゃん!」

 

 舞台袖に飛び込むと先ほどまでステージの上にいたアイドルたちが大勢おり、その中に奈緒と凛ちゃんの姿があった。

 

「奈緒、凛ちゃん、二人とも、十五位と三十位おめでとうっ……!」

 

「今は私たちのことはいいからっ!」

 

「早くステージ見ろって!」

 

 舞台袖からもステージの上は見える。そこには、トップテン入りを果たしたドレス姿のアイドルたちが並んでいた。

 

 その中に、緑色のアイドルデビュー時のドレスを身に纏った楓の姿もあった。

 

『第八位! 北条加蓮さん!』

 

「よしっ!」

 

「やったぜ加蓮っ!」

 

 トライアドプリムス最後の一人の名前がついに呼ばれ、ハイタッチを決める奈緒と凛ちゃん。俺も小さく「おめでとう、加蓮ちゃん」と祝福する。

 

 けれど、俺の目にはただ一人、先ほどからずっと、楓の姿しか写っていなかった。

 

 気丈にもしっかりと前を向いている楓。

 

 けれどその内心では、ずっと震えているのがここからでも分かった。

 

 その後もトップテン入りしたアイドルの名前が挙げられるたびに、会場に詰めかけた大勢のファンたちの歓声で空気がビリビリと震える。346プロダクションを挙げての大イベントだけあって、ファンもスタッフも気合いの入れ方が違った。

 

『さて皆さま、長らくお待たせいたしました。……シンデレラガール総選挙、一位の発表です!』

 

 照明が暗転し、ドラムロールが流れ始める。

 

 この総選挙はあらかじめトップテン入りしたアイドルたちがステージに残るという形で発表され、そこから各アイドルたちの順位が発表されていく。

 

 たった今三位が発表され、残り二人となったところで一位の発表となる。

 

 一人は、凛ちゃんが所属するもう一つのユニット、シンデレラプロジェクトの『new generations』リーダー、本田未央。

 

 そしてもう一人は、『無冠の女王』と称され、この世界で俺が一番愛する女性である、高垣楓。

 

 

 

『栄えある第一位に輝き、シンデレラガールの称号に手に入れたのは――!』

 

 

 

 

 

 

『――高垣楓さんです!』

 

 

 

 

 

 

 スポットライトが楓を照らす。

 

 照らされた楓は呆けた顔となり、会場も静寂に包まれた。

 

 しかしそれは、ほんの一瞬の出来事だった。

 

 

 

『――――――っ!!!!!!!』

 

 

 

 それは歓声の爆発、音の濁流。机の上に置いてあったコップがビリビリと震えて動くほどの空気の振動。

 

 左右から奈緒と凛ちゃんが何かを言いながら腕を叩いてくるが、それも全く聞こえない。

 

 ステージの上の楓が司会からマイクを受け取り、涙目になりながらファンのみんなに向けて一言コメントを述べているが、それも俺の耳には届いていなかった。

 

 ただ楓が一位を取ったという事実だけが頭の中を駆け巡り。

 

 気付いたときには、ポロポロと涙が流れていた。

 

「かえで……!」

 

「ほら旭さん! 泣いてる場合じゃないって! 奈緒も!」

 

「う、うるざい! わだじは泣いでない!」

 

 凛ちゃんの声にハッとなった俺は、グシグシとハンカチで目を擦る奈緒と同じように自分の袖で涙を拭う。

 

 ステージの上では、一位となった楓が自身の持ち歌である『こいかぜ』を披露していた。若干涙声が混ざりつつも、その素晴らしい歌声は何度聞いても素晴らしいものだった。

 

「兄貴はこっち! 戻って来た楓さんを真っ先に迎えてあげられるところ!」

 

「すみません、ちょっと通してください!」

 

 奈緒と凛ちゃんに手を引かれてステージに近付く。

 

 その途中、川島さんや片桐さんなど、仲のいいアイドルのみんなからも「おめでとう!」と背中を叩かれた。

 

 楓が歌い終えると、またインタビューが入り、トップテンが全員揃った記念撮影も行われた。

 

「あぁもう! そういうのいいから! また後でいいから!」

 

「それも大事だって分かるけどさ……!」

 

「どうしてお前らが焦れてるんだよ……」

 

 奈緒と凛ちゃんがイライラしていることで、逆に自分が落ち着く余裕が出来た。

 

 やがてそれら全てを終え、ファンたちの歓声に包まれながら幕が落ちていく。

 

 何故かその幕が落ちるのが、やけにゆっくりに感じた。

 

 幕が落ち切るまで、あと少し、もう少し……!

 

 

 

「……楓っ!」

 

 

 

 幕が完全に落ち、照明が切り替わった瞬間、俺は思わず叫んでしまった。もしかして幕の向こうのファンたちに聞こえたかもしれないとか、そういうのは一切頭に浮かばなかった。

 

 ただただ、本当に彼女の名前を叫ばずにはいられなかったのだ。

 

「……旭、君……?」

 

 一瞬、楓は先ほどのような呆けた表情を見せた。

 

「……旭君っ!」

 

 そのまま楓はこちらに向かって駆け寄って来た。俺も楓に向かって駆け寄る。

 

「楓!」

 

「旭君!」

 

 ドレスや化粧のことなど一切躊躇せず、飛びついてきた楓の身体をしっかりと抱きしめる。

 

「旭君、やりました! 私、やりましたよ!」

 

「あぁ、見てたよ」

 

「私……本、当に……!」

 

 楓の声に涙が混じり始める。

 

「……うわあああぁぁぁん! あさひくん、わたし、わたし……!」

 

 先ほどまで、一位のインタビューにもいつものように駄洒落交じりに挨拶していた女性とは考えられないような変わりようだった。

 

 ただただ、俺の胸元に顔を埋めて大泣きする彼女の肩をより一層抱きしめる。

 

 おめでとう。そう彼女に告げようとし、首を振る。

 

 違う、俺が言うべき言葉は、俺が今一番彼女に言いたい言葉はそれじゃない。

 

 

 

「……ありがとう、楓」

 

 

 

 彼女との結婚発表。それは大きな波紋を呼び、騒動になり、もしかしたら今回の総選挙の結果に大きく影響を与えたかもしれない。

 

 けれど、彼女のファンは高垣楓のことを見捨ててなんかいなかった。

 

 そして彼女は、その栄光をついに掴み取った。掴み取ってくれた。

 

 だから俺は感謝する。感謝の思いを彼女に伝える。

 

 グスグスと涙を流す俺の愛おしい女性は――。

 

 

 

 ――栄光を掴んだ(シンデレラ)女の子(ガール)となったのだ。

 

 

 




 ついにこの瞬間を迎えることが出来ました。

 実は宮城二日目で先行発表がされたらしく、自分もツイッターで九時より前に知りました。一人静かにガッツポーズを決めて祝杯を挙げ、そして書き上げたこの短編です。

 他のPの方への配慮が足りないかもしれませんが、それでもこの場では声を大にして言わせていただきたい。

 高垣楓さん! 六代目シンデレラガールおめでとうございます!



 さて、いよいよ今度こそ本当に次の更新は六月十四日となります。

 去年の誕生日から書き続けてきたこの小説が、ついにまた楓さんの誕生日を祝うときが来たのです。長いようで短かったです。

 それでは皆さん、またお会いしましょう。


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高垣楓と結婚する6月

 ついにこの日を迎えました!

 ハッピーバースデー!


 

 

 

「………………」

 

 普段、撮影の現場でしか着ることがないタキシードに身を包み、俺は神父の前に立っている。チラリと視線だけを横に向けると、そこには純白のドレスに身を包み、真っ白なベールで顔を覆った楓が俺に寄り添うようにして立っていた。

 

 神父がスッと静かに右手を挙げ、俺に問いかけた。

 

「新郎旭。貴方は新婦楓を妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、愛を持って共に支えあうことを誓いますか?」

 

「……誓います」

 

 次に神父は楓に問いかける。

 

「新婦楓。貴女は新郎旭を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、愛を持って共に支えあうことを誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

 俺たちが誓うと宣言すると、神父はニッコリと微笑み頷いた。

 

「それでは、誓いのキスを」

 

 ゆっくりと楓と向き直る。

 

 緊張によって微妙に手のひらが震えていたので、一度ギュッと力一杯握り締める。それに気付いたらしい楓はベールの向こうでクスクスと笑っており、俺も釣られて頬が緩んだ。

 

「……ホント、まるで夢みたいだ」

 

 俺たちはこれから夫婦になろうとしている。

 

 信じられない、とは言わない。けれどまるで夢見心地のような気分だった。

 

 そんな俺に、ニッコリと楓は笑顔を浮かべた。

 

 

 

「でも残念。夢オチなの」

 

 

 

 

 

 

「………………はっ!?」

 

 目を開くと、そこは自分の寝室だった。日は既に昇っているらしく、薄いカーテン越しに差し込む日差しによって部屋は薄明かるくなっていた。おかげで壁時計が現在時刻を午前四時だと示しているのが見て取れた。

 

 カチカチと静かに響く時計の針の音を聞きながら、先ほどの夢の内容を思い出し、サッと全身の血の気が引いていくのを感じた。

 

 ――まさか、今までの全てが夢……!?

 

 ハッとなって横を見る。

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 そこには同じベッドの上で横になり、まだスヤスヤと寝息を立てる楓の姿があった。

 

「……っはぁぁぁ~……」

 

 安堵の息を溢すと、無意識に力を入れていたらしい全身の筋肉が弛緩する。

 

(勘弁してくれ……)

 

 幸福な夢だったにも関わらず、心臓に悪いという意味では紛れもなく悪夢だった。これまで楓と築き上げてきた全てが夢だったとか、悪い冗談にも程がある。

 

「………………」

 

「んっ……」

 

 目の前の楓の身体にギュッと抱き付いた。

 

 少し体の位置を下げながら彼女の乳房の間に顔をうずめる。昨日の晩からお互いに一糸纏わぬ姿なので、視界は楓の真っ白な肌に埋め尽くされた。そのまま目を瞑ってスゥッと息を深く吸い込むと彼女の優しい香りが鼻孔を擽る。

 

 ……我ながら少々アレな行動ではあるが、たまに楓も同じようなことをしてくるのでお互い様だろう。寝ている間のイタズラは恋人同士の特権である。

 

 とにかく今は、()()()()()()()()()()という実感が欲しかった。

 

「……旭君?」

 

 頭の上から楓の声が聞こえた。

 

「あ、悪い、楓。起こしちゃったな」

 

「……ううん、大丈夫」

 

 起きてしまったのならばこのイタズラタイムは終了である。

 

 しかし離れようとしたが逆に頭を抱え込まれてしまい、先ほどよりも深く楓の胸元に顔をうずめることになった。若干息苦しいもののフニフニとした感触が心地好い。

 

 今は時計が見えないが、多分目覚まし時計が鳴るまであと三十分ぐらいあるだろう。

 

「もうちょっとのんびりするか?」

 

「……起きましょうか」

 

「そうだな」

 

 何せ今日は忙しい一日になるんだから。ならば朝ぐらいはゆっくり余裕を持って行動することにしよう。

 

 名残惜しいが楓の胸元から離れて起き上がる。

 

 俺が身体を起こすとかかっていたシーツがハラリと落ち、互いの裸体が顕になった。

 

「おはよう、楓」

 

「おはよう、旭君」

 

 寝起きの口の中は雑菌だらけらしい。けれど愛する人の唇の誘惑には抗えず、覆い被さるように啄むようなキスをするのだった。

 

 

 

 

 

 

「っと」

 

 フライパンが温まったことを確認してからコンコンと縁で卵にひびを入れ、そのまま片手で割る。この辺りは独身時代(正確には今も独身なのだが)に培った技術だ。そのまま塩コショウを振りながら菜箸で炒めながらしっかりと火を通してスクランブルエッグを作る。

 

 しかし聞いたところによるとこれの料理名は炒り卵が正しいらしく、油やバターを溶かしたフライパンで半熟に炒めたものをスクランブルエッグというらしい。神谷家(わがや)ではずっとこれをスクランブルエッグと呼んでいたから、楓に指摘されるまで全く気付かなかった。

 

 最後に刻んだネギと紅生姜を入れて神谷流スクランブルエッグの完成。楓も気に入ってくれた我が家の味である。

 

 さほど時間もかからず出来上がり、お皿に移していると丁度トースターに入れてあったパンが焼きあがる。後は同時進行していた野菜スープを仕上げて……と考えていると、パタパタと廊下からスリッパの音が聞こえてきた。

 

「ふぅ……お風呂お先にありがとう、旭君」

 

 ダイニングキッチンに入って来たのは、お互いの汗などでベタついていた身体を洗うために朝風呂に入ってきた楓だ。後でもう一度着替えなければならないので、タンクトップに短パンというラフな格好である。

 

「もうすぐ朝飯出来るから、ちゃんと髪乾かして来いよ」

 

「乾かして欲しいなー?」

 

「自分でやりなさい」

 

 ちなみに俺はとりあえず濡れタオルで軽く拭いてから朝食作りを始めたので、まだ入っていない。朝食を食い終わって楓が洗い物をしてくれている間に俺が入る、というのがいつもの流れだ。

 

 コーヒーも淹れ終わり、二人揃って朝食を食べ始める。

 

 テレビを点けると、やっていたのはちょうど天気予報。どうやら今日は一日快晴らしい。

 

「暑くなりそうだな」

 

「半袖の方がいいかしら」

 

「んー……いや、どうせ日中は建物の中だろうし、朝晩はまだ涼しいだろうから長袖の方がいいだろ。日焼け対策にもなるし」

 

「それもそうね」

 

 ()()()()楓の口元に卵が少し付いていたので、ヒョイッと摘まんでそのまま自分の口に放り込む。楓の頬が少し赤くなったのは、食べカスを俺が食べたことに対してではなく食べカスが付いていたこと自体が恥ずかしかったのだろう。

 

 それからジッと俺の口を注視しているところを見るに、多分やり返そうとか考えているのだろうが、甘い甘い。例え付いたとしても、こうやってサッと舌で取ってしまえば……。

 

「んっ」

 

 ……どうやら直接口で取ろうとしたらしい楓に舌を咥えられてしまった。随分と変則的なキスである。

 

「ふふっ、舌を(ふぃふぁふぉ)食べちゃい(ふぁへふぁい)ました(ふぁふぃふぁ)

 

いいから(ふぃーふぁふぁ)離しなさい(ふぁふぁふぃふぁふぁい)

 

 人の舌を咥えたまま喋るんじゃない。

 

 

 

 朝食を食べ終わると残るのは洗い物。作るのは俺だったので、洗い物は楓の番である。その間に今度は俺が風呂に入るのだが。

 

「………………」

 

「フンフンフフーン、フンフフー」

 

 エプロンを着けてカチャカチャと洗い物をしている楓の後ろ姿を見ていたら、フツフツとイタズラ心が湧き上がってきた。

 

 具体的に言うと、無性にセクハラがしたくなった。

 

 お前は一体何を言っているのだと思われるだろうが、正直自分でも謎である。もしかしたら、()()だからこそ普段しないことをしたくなったのかもしれない。それだけ俺も()()という日に舞い上がっているのだろう。

 

 ……などという理由付けで正当化して、行動に移る。

 

「んじゃ、俺も汗流してくるわ」

 

「いってらっしゃーい」

 

 そう言いつつ、こちらに背を向けたままの楓の後ろへ静かに近寄る。

 

 そして後ろを通り過ぎながら、スルリと彼女のお尻を撫でた。

 

「フンフフー……ひゃうっ!?」

 

 薄手の短パン、そしてその下の下着に包まれた彼女の臀部は二枚の布越しとは思えないぐらい柔らかく、状況も相まって普段触れる機会がある彼女の身体とはまた違った感覚だった。

 

 お互いの身体ならば知らないところがないぐらいの仲ではあるものの、不意打ちにお尻を撫でるという初めての行為は流石に驚いたらしい。ビクッと身体が跳ね上がり、真っ赤になった顔で振り返りながら珍しくキッと睨まれた。

 

「あ、旭君!? 何をっ……どうしたの?」

 

「……待ってくれ、色々とズルい……!」

 

 ただ楓の「ひゃうっ!?」が可愛すぎたので、セクハラした俺の方がダメージを受けてその場に膝を突いてしまった。まさかこんなカウンターを喰らうとは思わなかった……。

 

「もうっ! そんなことしている暇があったら早くお風呂入ってきて!」

 

 羞恥と若干のお怒りから顔が赤い楓に叱られつつ、フラフラと浴室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

「全くもう……旭君のエッチ」

 

「ゴメンって。ちょっとイタズラしてみたくなったんだよ」

 

 俺は自分の身体を、楓は食器をそれぞれ洗い終え、寝室に戻って来た。勿論二度寝のためではなく、お互いに出かけるための着替えをするためだ。

 

 しかしデートのときのように気合いを入れた服装ではなく、あくまでも外出用。何しろ()()()()()()()のだから、今は簡単かつ外に出ても恥ずかしくない程度の服装でいいのだ。

 

「このことは、後で瑞樹さんと早苗さんに報告させていただきます」

 

「やめてください。流石に()()()()にまで手錠は勘弁です」

 

 そんな会話をしながらお互いに背中合わせで着替える。温泉のときにも言ったが、流石に脱衣をまじまじと見られるのは気恥ずかしい。それに、着替え終わるまで相手の姿が見えず、振り返ると先ほどまでとは違う相手がいるというのも中々楽しいものなのだ。

 

 もっとも、今日の着替えの()()()()()()()()が。

 

「よし、支度はオッケーだな。それじゃあ、出かける前の最終チェックするぞー」

 

「おー!」

 

「戸締り」

 

「オッケー!」

 

「ガスの元栓」

 

「オッケー!」

 

「財布と鍵」

 

「オッケー!」

 

 廊下を歩きながら、やり残したことがないか二人で確認する。玄関に辿り着く頃には全てのチェックが終わっていた。

 

 まず俺が先にスニーカーを履き、つま先をトントンとしている間に玄関に腰を下ろした楓がブーツを履き始める。パチパチと留め具をはめ終えた辺りで手を差し伸ばすと、その手をしっかりと掴んだ楓をそのまま引き上げた。

 

「……んっ」

 

 そしてそのままの勢いで顔を寄せ合い、行ってきますのキスを済ませる。一緒に出掛けるときもこれをしており、更にはお帰りなさいのキスもするため、最早条件反射的に玄関でキスをしてしまうぐらいだ。おかげで以前楓が川島さんたちを家に連れてきたときも、彼女たちの目の前でしてしまった。その後勿論怒られた。

 

「……ふふっ、今日はあと何回キスするのかしら」

 

「さあな。ちなみに今ので日付が変わってからもう二十三回目だぞ」

 

「……数えてたの?」

 

「冗談だよ」

 

 ただ大きく間違っている数字ではないと思う。朝起きて一回、食事中に一回、今の一回、そして日付が変わった直後の()()()に二十回ぐらいしているはずだ。

 

 という簡単な計算をしてみせると、楓は先ほどお尻を撫でたときよりも真っ赤になった。

 

「よし。……それじゃあ、行くか」

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 今日は、六月十四日。

 

 高垣楓の二十六の誕生日であり――。

 

 

 

 ――俺と楓が『夫婦』になる日でもあった。

 

 

 

 ちなみに誕生日のお祝いは日付が変わったと同時にこれでもかというぐらいにやった。「生まれてきてくれて、俺と出会ってくれてありがとう」と何度も唇を交わしたし、プレゼントとしてイヤリングも渡した。若干トリップ状態だった楓から別のものを要求されたりもしたが、それはまた別のお話。

 

 そんなわけで、今からこうして二人で向かう先は当然式場である。事前準備は万全に済ませてあるとはいえ、新郎新婦は準備が多い。次点で俺たちの家族も早めに来て色々と手伝ってくれるが、俺の両親と奈緒のところには迎えの車が行っているだろうし、昨日の内に和歌山から来てもらっている楓の両親は近くのホテルに泊まってもらったから迎えは不要だろう。

 

 今日は本当に忙しい一日になりそうだ。

 

「それじゃあ……って、楓?」

 

 そろそろ行くかとドアノブに手を乗せると、更にその上から楓の手のひらが重ねられた。

 

「……次にこのドアを潜ってこの部屋に戻ってくるときには、私たちはもう夫婦なのよね」

 

「……そうだな」

 

 式の後に市役所へ婚姻届を提出しに行くので、そのときには名実共に俺たちは『夫婦』になっているだろう。

 

「………………」

 

 俺の手を止めてまでそれを言いたかった楓が何を考えているのか、残念ながら俺には察することが出来なかった。

 

 でも、その気持ちは何となく分かるような気がした。

 

「……そうだ楓、出る前に誓いの言葉の練習しようか」

 

「誓いの言葉の練習……?」

 

 コテンと首を傾げる楓をよそに、彼女の両手を取ると真っ正面から向き直った。

 

 なんの変哲もない自宅の玄関。靴を履き、既に出る準備も済ませたこんな状況ではあるが。

 

 

 

 今この一瞬だけ、ここが俺たちの晴れ舞台。

 

 

 

「新婦楓。貴女は新郎旭を、病めるときも健やかなるときも、変わらず愛することを誓ってくれますか?」

 

 そう問いかけると楓はキョトンとした表情を見せ、次の瞬間にはパァッと顔を綻ばせた。

 

「……はい。私は、とってもカッコ良くて優しくて、ちょっとエッチなところもあるけど、いつも私の側にいてくれる太陽みたいに暖かな貴方を、愛すると誓います」

 

「エッチは余計だ」

 

 男として健全な証拠だ。

 

「新郎旭。貴方は新婦楓を、病めるときも健やかなるときも、変わらず愛することを誓ってくれますか?」

 

「はい。私は、とても綺麗で可愛くて、お酒と駄洒落が好きな残念なところもあるけど、いつも私の側にいてくれる新緑のような優しい貴女を、愛すると誓います」

 

「……残念は余計です」

 

「褒め言葉だよ」

 

 神様には式場で誓う。

 

 だから今は目の前の愛する人に、その人に誓う。

 

 

 

 そこから先は、言葉はいらない。

 

 これまでも何度もしてきて、これからも何度もしていく、愛の誓いを――。

 

 

 

「――……なぁ、楓」

 

「……んー」

 

「いや、ホントにストップ。真面目な話」

 

 目を瞑って文字通りキス待ち顔だった楓が不満そうに目を開ける。

 

「……なぁに」

 

「……その、だな……あの時計、秒針が動いてなくないか……?」

 

「……えっ」

 

 

 

 朝、二人同じベッドで目覚め、同じテーブルを共にし、手を繋いで玄関のドアを潜る。それは今までもしてきたことで、今日という特別な日でもそれは変わることなく、そしてこれから先も決して変わらないであろう俺と楓の日常の一片。

 

 

 

 これから先もずっと――。

 

 

 

「行くぞ楓!」

 

「うんっ!」

 

 

 

 ――愛する女性と共に(かえでさんといっしょ)

 

 

 

 

 

 

 六月十四日

 

 今日は私の二十六歳の誕生日であり、そして私と旭君の結婚式当日。

 

 式に遅れそうになったり、私が投げたブーケを意外な人が取ったり、披露宴での瑞樹さんたちの出し物が凄かったり、本当に色々あった一日。絶対に忘れることのない最高の一日。

 

 しかし今日一日に起きたことの詳細の書く前に、一つだけ書いておこう。

 

 今日は旭君にプロポーズされてちょうど一年という節目でもあった。

 

 今でもあのときのことは、瞼を閉じればすぐに思い出せる。私はお酒に酔っていたものの、それでも旭君と一緒にいたいという気持ちだけはハッキリとしていて……そしてその私の気持ちを言葉にしなくても旭君が分かってくれたことが嬉しかった。

 

 そんな旭君と、ついに夫婦になった。

 

 きっとこの喜びはどんなに言葉を書き連ねても、書き表せない。

 

 だから、一言だけ。本当に一言だけ。

 

 

 

 愛しているわ、旭君。

 

 

 

 

 

 

「……ん? 何コレ……って、もしかして母さんの日記!?」

 

 

 




『神谷旭』
 主人公。楓さんメインの小説を書くと決め、あえて「楓さん」ではなく「楓」と呼称させるために同い年という設定にした。
 俳優設定は『楓さんと同じ事務所で働く人間』かつ『アイドルと結婚しても不自然じゃない対等な立場』にしたかったので、この場合プロデューサーよりもこちらの方が適任ではないかと考えた。
 名前の由来は12月で楓さんが少し触れたが、太陽から。名前を決める際、楓さんの名前が五行思想的には木行じゃないかと考えて「楓さんはきっと夫を立てるキャラだろう」と『木生火』から火行の名前にした。
 名字は後付けで、奈緒を妹にしたかったから神谷に。第一話時点では誰を妹にするかは決めていなかったため、本当に名字無しだった。



 楓さん、誕生日おめでとうございます! またこうして貴女の誕生日をお祝いすることが出来て、本当に嬉しいです!

 しかし、それと同時にこの小説も最後のときを迎えることとなります。

 週一で更新している他の小説と同時並行するために月一と決め、そして楓さんの誕生日を節目と決めて書き始めたこの小説。本当に一年ってのは長いようで短かったです。

 本当に、こんなただの自己満足な小説に付き合っていただき、読んでくださっている方にも感謝しきれません。

 それではまたいつか、別の小説で……。



 ――()()()()()()()

 ――()()()()()()()()()()()()()()



 ……そんな馬鹿な話があるもんか!

 一年こうして書いてきましたが、たかだか十三話+α程度では作者はサティスファクション出来ませんでした。

 という訳でこれにて『本編』完結!

 来月から始まる『番外編』を、どうぞよろしくお願いします!


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神谷楓と一緒
旭と楓が結婚式を振り返る一日


ここからは二人が『夫婦』になってからのお話。


 

 

 

「………………」

 

 普段、撮影の現場でしか着ることがないタキシードに身を包み、俺は神父の前に立っている。チラリと視線だけを横に向けると、そこには純白のドレスに身を包み、真っ白なベールで顔を覆った楓が俺に寄り添うようにして立っていた。

 

 神父がスッと静かに右手を挙げ、俺に問いかけた。

 

「新郎旭。貴方は新婦楓を妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、愛を持って共に支えあうことを誓いますか?」

 

「……誓います」

 

 次に神父は楓に問いかける。

 

「新婦楓。貴女は新郎旭を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、愛を持って共に支えあうことを誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

 俺たちが誓うと宣言すると、神父はニッコリと微笑み頷いた。

 

「それでは、誓いのキスを」

 

 ゆっくりと楓と向き直る。

 

 緊張によって微妙に手のひらが震えていたので、一度ギュッと力一杯握り締める。それに気付いたらしい楓はベールの向こうでクスクスと笑っており、俺も釣られて頬が緩んだ。

 

「……ホント、まるで夢みたいだ」

 

 俺たちはこれから夫婦になろうとしている。

 

 信じられない、とは言わない。けれどまるで夢見心地のような気分だった。

 

 ……というか、今朝全く同じ夢を見たぞ。まさかこれもまた夢とかいうオチじゃないだろうな……。

 

 そんな俺に、ニッコリと楓は笑顔を浮かべた。

 

 

 

「夢じゃないわ。今から貴方は、私と結婚するの」

 

 

 

「……あぁ、そうだよな」

 

 今、俺がいるここは夢じゃない。

 

 今、目の前にいる女性は夢じゃない。

 

 今、俺が手を取った女性は夢じゃない。

 

 

 

 楓の顔にかかっているベールを持ち上げると、彼女はスッと瞳を閉じた。

 

 そっと顔を寄せると、そのまま彼女と唇を重ねた。

 

 

 

 今までに何度も繰り返したそれは、しかし今までで一番幸福な口付けだった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……んんっ……はぁ……」

 

 楓の荒い吐息が俺たちの寝室に静かに響く。身じろぎをすると身体にかかっていたシーツが足元にずり下がり、彼女の素肌を伝う汗がカーテンの隙間から差し込む日差しに照らされて光っていた。

 

 そんな楓をベッドの上で抱き寄せる俺も、まるで先ほどまで運動していたかのように息が荒い。こもった熱を体外に放出させようと、体が必死に空気の交換作業を続けていた。

 

「あさひくぅん……」

 

「かえで……」

 

 俺の腕の中から楓が俺を見上げてくる。トロンと虚ろな目は、彼女もこれ以上我慢できないんだと悟った。

 

 俺も無理だ、これ以上我慢できない。

 

 

 

「「……あっつい……」」

 

 

 

 梅雨明けの朝、俺と楓は暑さで目が覚めた。

 

 

 

 

 

 

「せめて窓を開けて寝ればよかったわね」

 

「いくら高層マンションだからって流石に不用心だからダメ。ここには『神谷楓』っていう他の何物にも代えがたい大切な人が暮らしてるんだから」

 

「ふふっ。そうね、『神谷旭』っていう大切な人も暮らしているものね」

 

 いつも通り、二人並んで朝食を食べながらそろそろクーラーの使用を検討していた。

 

「流石にこのままじゃくっついて寝るのが辛くなってくるからなぁ」

 

「熱中症も怖いし、無理せず付ければいいと思うの」

 

「んじゃ今晩から様子を見て付けるか」

 

 なおくっついて寝ないという選択肢が出ない辺り、我ながら新婚らしいような気がした。

 

 

 

 さて、楓との結婚式から早一ヶ月が経とうとしていた。

 

 しかし、生活面で大きく変化したことは特になかった。元々一緒に暮らしていたわけだし、楓の名字が正式に『高垣』から『神谷』になったぐらい。

 

 しいて挙げるとするならば、俺と楓の左手薬指に結婚指輪がはめられ、時折それを眺めながら楓がニヘラッと緩みきった笑みを浮かべるようになった。まぁ俺も結婚指輪を見るたびに『楓と結婚した』という事実を反芻してしまうので、似た者同士だ。

 

 仕事面ではというと、事務所が同じということもあり、色々なテレビやラジオに夫婦として呼ばれることが多くなった。つい先日もゆるふわお散歩娘(たかもり)が司会のトーク番組の収録をしてきた。

 

 世間の反応は概ね良好。楓は新たなシンデレラガールに選ばれたことも合わせて一躍時の人と言っても過言ではない。そんな楓と比べると俺は若干見劣りするものの、それでも『格差婚』などとは言われていないので一安心である。

 

 まぁ、先ほど触れたトーク番組で放った楓の()()()()()が大分波紋を呼んでいるのだが……それはまた別のお話、ということにしておこう。

 

 

 

 さて、そんな俺たちの今日の予定は一日オフ。買い物には午後から出かけるので、午前中は二人でノンビリと過ごす。

 

「そういえば、これが届いてたわ」

 

「ん? ……あぁ、式の写真か」

 

 キッチンでコーヒーを淹れて戻ってきた楓の小脇には一冊のアルバムが抱えられていた。写真屋に作成を依頼していた俺たちの結婚式及び結婚披露宴の写真が出来上がったらしい。

 

「……時間かかったな」

 

「製本するのが大変だったんじゃない?」

 

 まぁ細かいことは置いておこう。

 

 楓からコーヒーを受け取り、ソファーに二人並んで座ってからそのアルバムを開いた。

 

 まず初めに目に入ったのは、それぞれタキシードとウエディングドレスに身を包んだ俺と楓が並んでいる写真だった。十一月に式場での撮影の際に着たタキシードとウエディングドレスが気に入り、結局それと似たものを選んで採用という形になった。やはりあの仕事を受けて正解だったというわけだ。

 

「ふふ、このタキシードでビシッと決めている人、王子様みたいでカッコいいでしょ? この人、私の旦那様なのよ?」

 

「それを言うなら、その隣でウエディングドレスを可憐に着こなしてる人、お姫様みたいで綺麗だろ? その人、俺の嫁さんなんだぜ?」

 

 お互いがお互いを惚気ながら、お互いの足を擦り付けあう。この足を擦り付けあうというのが俺と楓のお気に入りで、気を抜くと外でもやりそうになってしまう。というか、以前やってしまって「自重しろ」と川島さんに怒られ済みである。

 

 

 

 パラリとページを捲る。次は俺たち二人にそれぞれの家族が加わった集合写真だった。

 

「奈緒ちゃん、緊張してるわねぇ」

 

「なんで俺たちより緊張してるんだろうな、コイツ」

 

 俺側、つまり新郎側の一番端に写っている奈緒の笑顔は、傍から見れば普通のそれだ。しかし分かる人にはそれが緊張で引き攣っているものなのだということが一目で見て取れた。いまや人気アイドルの一員で、人前に立つのにだって慣れてきているはずなのに、基本的に恥ずかしがりやなのは変わっていないようだ。

 

 ちなみに恥ずかしいと言えば、俺のファンらしい楓の両親と楓のファンである俺の両親がそれぞれ「こんな機会二度とない!」と個人的にツーショットを撮ることになり、二人して自分の両親が恥ずかしかった。

 

 さらに余談になるが、そんな両親たちに対して奈緒は「あ、あたしは、その……あ、兄貴と義姉さんの三人で……」なんて可愛いことを言ってくれたので、思わず楓と一緒に両側から抱きしめてしまった。俺だけ殴られた。

 

 

 

 パラリとページを捲る。次は俺と楓の挙式の様子の写真だった。

 

「……そーいや、このときのこと、その日の朝に夢で見たんだよ」

 

「そうなの?」

 

「あぁ。神父さんの言葉とか一言一句同じだし、それに対しての俺たちの言葉や行動や俺がそのとき考えてたことまで全部同じだった」

 

 その後、とてもいい笑顔で楓から夢オチ宣言されたときは本気で目の前が真っ暗になったのを覚えている。いやまぁ、起きる直前だったのだから目の前が真っ暗になるのは当たり前なのだが。

 

 あのときは本当にゾッとした……と一人戦々恐々としていると、何故か楓がクスクスと笑っていた。

 

「どうした?」

 

「うふふ、同じお布団の中にいると、夢も一緒に見ちゃうのね。夢の中まで旭君と一緒だなんて嬉しいわ」

 

 ということは……。

 

「……楓も見たのか、その夢」

 

 偶然ってすげぇ。

 

「とても幸せだけど、その分目が覚めたときはとても辛かったわ。だから目が覚めたらすぐ傍に旭君がいて、思わず抱きしめちゃった」

 

 あのときギュッとされたのはそういうことだったのか。

 

「で、でも旭君、あのときみたいに……その、強く噛むのはもうダメよ?」

 

「捏造は止めようぜ!?」

 

 それはまだお前が寝ぼけてただけだからな!?

 

 

 

 パラリとページを捲る。次はブーケトスの写真だった。

 

 受け取った人が次に結婚出来るという言い伝えがある結婚式お馴染みの行事なのだが……。

 

「……なんというか、凄かったな」

 

「みんな必死だったわね……」

 

 楓のアイドル仲間が多数参加していたので多少は予想していたが、何人かがガチでブーケを獲りに行こうとしていて若干緊迫した空気が流れていた。個人名を挙げると怒られそうなので控えるが、特に楓よりも年上組の気合の入りようといったらなかった。

 

 そして結婚式の最中とは思えない雰囲気の中、ついに楓の手からブーケが投げられた。

 

 何人かが雄叫び(そうとしか表現出来なかった)とともに宙を舞うブーケに殺到するが、屋外だったので突然の強風がブーケを流した。向かう先は幸運娘(たかふじ)で、これは彼女持ち前の幸運が働いたかと思いきや、彼女に用事があったのであろう不運娘(しらぎく)が近寄った途端に風向きが変わった。多分二人の運気が相殺されたのだろう。

 

 そうして最終的にブーケを手にしたのは――。

 

「……まさか、なぁ?」

 

「正直、奏ちゃんが取るとは思わなかったわ……」

 

 ――なんと、まさかのキス魔(はやみ)である。

 

 順当に川島さんや片桐さん、もしくは奈緒や年少組が取ったら面白いなぁとか考えてたところだったので、本当に意外過ぎる人物だった。

 

 少し離れた場所で傍観していたところに風に流されてきたのをたまたまキャッチしてしまっただけだったようで、本人も「あ、あら……?」と珍しく困惑顔だったのを覚えている。

 

「次に結婚するのは奏ちゃんってことよね?」

 

「逆説的に、速水が結婚するまで他の人は結婚出来ないってことになっちまったな」

 

 おかげでブーケトスに必死になっていたお姉さま方からのプレッシャーを一身に受けることになり、若干ビクッとしていた珍しいあの姿は忘れることがないだろう。

 

「まぁ、なんだかんだであいつも芸能人と電撃結婚とかしそうだけどな」

 

「……旭君、今ちょっと残念がらなかった?」

 

「なんでだよ」

 

「普段よく自分にちょっかいかけてきていた女の子だもの、気にならないわけないですよねー」

 

 何故かツーンとそっぽを向く楓。一体ウチのお姫様は何を拗ねているんだか。

 

「俺はお前のことが大好きで結婚した。もしかしたら他の女性から好意を持たれてたかもしれないけど、それに気付かないぐらいお前に夢中だった。それじゃ不満か?」

 

 そう問いかけると、楓はコテンと俺の肩に頭を乗せてきた。

 

「……ごめんなさい、変なこと言っちゃった」

 

「誠意が見えないなぁ」

 

 チョンチョンと楓の唇を指先で触れると、楓は「もう……」と頬を赤く染めながらソッと唇を寄せてきた。

 

 

 

 パラリとページを捲る。次は披露宴での新郎新婦入場の写真だった。

 

 お色直しで純白のウエディングドレスから着替えたのは、緑色のドレス。実はこれ、楓がアイドルとして一番最初に着た衣装をアレンジして作られた特注のドレスなのだ。

 

「感慨深いわ。『高垣楓』がアイドルとして一番最初に着た衣装が『高垣楓』として最後に着るドレスになったのよね」

 

「……そうだな」

 

 突然、楓はハッと何かを思い付いたように顔を挙げた。まぁ、大体予想着くけど。

 

「このドレス、どーです(ドーレス)か?」

 

「感想なら散々言っただろーに」

 

「旦那様からの褒め言葉は何回だって聞きたいの」

 

「……凄い綺麗だったぞ、楓」

 

「ありがとう、旭君。貴方もとても素敵だったわ」

 

 

 

 パラリとページを捲る。次は披露宴で俺や楓の友人の出し物の写真だった。

 

 俺の友人である俳優仲間の出し物は、所謂フラッシュモブというやつだった。突然音楽が鳴り始め、それに合わせて突然踊り出すアレなのだ。割と定番な出し物ではあるが、しかし侮ってはいけない。何故なら『俳優』たちが突然踊り出すのだから、まるで映画や舞台の一場面のような豪華さだった。

 

 豪華さで言えば楓の友人であるアイドル仲間も負けてはいなかった。なにせ川島さんと佐藤さんと三船さんと片桐さんとウサミンの五人、つまり楓の代わりに川島さんが加わった『宵乙女(よいおとめ)』がマイクの前に立ち、『命燃やして恋せよ乙女』でも歌うと思いきや、五人による楓の『こいかぜ』である。さらにその後はなんと楓以前の歴代シンデレラガール五人による、最近結婚式でよく歌われているユニット『Love Yell』の『With Love』だ。

 

 どんなコンサートや音源素材にもない特別版の二曲に、主に俺の俳優仲間たちのテンションが高く、正直主役である俺たちが食われていた感があるが、一番楽しんでいたのが他でもない楓だったので良しとしよう。

 

「何というか、ご祝儀というよりチケット代みたいな感じになってたよな」

 

「みんなしてサイリウムを振ってたから、ますますコンサートだったわね」

 

 出し物が始まる前にアイドル部門の数人で各テーブルに緑とオレンジのサイリウムを配っていたのでまさかとは思ったが、ここまでガッツリやるとは想像していなかった。

 

 苦笑する俺に対し、楓は楽しそうにニコニコと笑っていた。

 

 

 

 パラリとページを捲る。次は楓が両親への手紙を読んでいるところの写真だった。

 

「「………………」」

 

 このときのことを思い返し、思わず二人でしんみりとしてしまった。

 

「……お父さんとお母さんには、本当に何回お礼を言っても言い足りないわ」

 

 涙を流す楓と彼女の両親、その様子が写し出された写真に触れながら楓はポツリと呟く。

 

「特になんの目的もなく東京の短大への進学を許してくれた。卒業後も実家に帰らずにモデルを続けることや、アイドルになることを許してくれた。そして何より、旭君との結婚を心から喜んでくれた」

 

「……俺も同じだよ」

 

 写真に触れる楓の左手に自身の左手を添えると、お互いの薬指にはめた指輪が小さく音を立てて重なった。

 

「俳優なんてものを夢見て家を出た俺を、父さんたちは快く送り出してくれた。もしここで許されてなかったら、楓と出会えてなかったって考えるとゾッとする」

 

「私も、貴方と出会えていなかった未来なんて考えたくないわ」

 

 

 

 本当に両親には感謝しきれない。俳優になることを許してくれてありがとう。俺を育ててくれてありがとう。俺を産んでくれてありがとう。

 

 そのどれか一つでも欠けていたら、俺は楓と出会えなかったのだから。

 

 

 

「早く恩返ししないといけないわね」

 

「あぁ、そうだな」

 

「……一番の恩返しは、孫の顔を見せてあげることだと思わない?」

 

「………………」

 

 午後の買い物は、予定よりもほんの少しだけ遅くなった。

 

 

 

 

 

 

 七月○日

 

 今日は二人揃った休日。やるべき家事を早々に終え、午前中は旭君と部屋でのんびりとしながら、先日届いた結婚式の写真を眺めていた。

 

 勿論、旭君との結婚式ということで一番幸福な一日だったのは覚えているが、こうして思い返してみると『楽しかった』という一言が浮かんでくる一日だった。

 

 ブーケトスのときのことや披露宴での出し物のことは、絶対に忘れることがない。

 

 旭君と結婚してもこの人たちとの繋がりだけは絶対に無くしたくない、そう思えた。

 

 そして何より、例え私の姓が『高垣』から『神谷』に変わったとしても、私はお父さんとお母さんの娘であるということに感謝したい。私を産んでくれたこと、育ててくれたこと、その全てが旭君に出会うために必要なことなのだから。

 

 いつか私も、この人たちのような『親』になりたいと、心から思った。

 

 ……その日は遠くないかもしれないけれど。

 

 

 




 というわけで、今回からは番外編、本編終了後のお話になります。

 更新日は今までと変わりませんが、作中内時間の14日縛りを無くすため、もう少し時期ネタを拾いやすくしました。一応時系列順には並べるつもりですが、突然時間が飛んだりすることもありえます。ご了承ください。

 これからも六代目シンデレラガールこと高垣楓を、そしてついでに『かえでさんといっしょ』を、どうぞよろしくお願いします。


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旭と楓がテレビ出演した一日

今回は前回以前のお話となります。

※最後の楓さんの日記を追記。


 

 

 

 『アイドルはファンの恋人である』とは誰の言葉だったか。詳しくは知らないし別にそこまで知りたいわけでもないが、とりあえず「アイドルとはどうあるべきか」というものを語ったものなのだということは理解できる。同性のアイドルに対して抱く感情が『憧れ』ならば、異性のアイドルに対して抱く感情が疑似的な『恋愛』なのは容易に想像がつく。

 

 これも誰かの言葉だったが、『全国を飛び回るアイドルを追いかけることが出来るのは、恋人ではなくファンだけだ』という言葉も耳にしたことがある。確かに、全国ツアーをしているアイドルを追いかけて各公演に参加するファンはいれど、その行動力を自身の恋人の為に発揮できる人が何人いるだろうか。

 

 時には時間を、時には金銭を。それは目に見えぬ『愛』を分かりやすい形にした『求愛行動』と言っても過言ではないだろう。

 

 ()()()、というのは流石に傲慢かもしれないが。それだけ自身のことを想い行動してくれるファンの為に、アイドルは誠意を見せなければならない、ということらしい。

 

 

 

 ……ならば、自分自身の『恋愛』を選んだアイドルに、誠意は無いのだろうか?

 

 

 

 

 

 

「……うーん……」

 

「? どうかしたの、旭君?」

 

 壁にもたれかかって足を投げ出すように座り、その俺の足を枕にしながら横になっている楓が俺の顔を見上げてくる。最近暑くなってきたので、角度的に薄着の楓の胸元から谷間が見えた。そっちに手を伸ばしても良かったが、体勢的に無理があるので楓の首筋を撫でる。すると楓はまるで猫のように喉を鳴らし始めた。

 

 その仕草がたまらなく可愛くてしばらく続けていたが、本題からズレていたので話を戻す。

 

「いや、確かに世間に公表して改めて夫婦になったが……楽屋も一緒になるのが普通なのか?」

 

 今日は楓と共にとあるテレビ番組に出演するためにテレビ局へとやって来ているのだが、用意された楽屋が同じ部屋だったのだ。それも多人数が使用するタイプのものではなく、明らかに個室タイプ。取りようによっては一部屋に二人詰め込まれたようでもあるが、多分『夫婦だから』という気遣いなのだろう。

 

「別にいいじゃない。二つ用意されたところで、結局一緒にいるんだから」

 

「え? いや、二つ用意されてたら多分俺は自分の楽屋に――」

 

「………………」

 

「――いようと思ったけど、やっぱり楓が恋しくなっちゃうかなー」

 

「もう、旭君ったらっ!」

 

 あからさまなジト目になったので慌てて言葉を選び直すと、途端に楓はご機嫌になった。

 

(……まぁ夫婦だし、一緒の時間を過ごすのは当然か)

 

 今は別にそこまで一人の時間が欲しいわけじゃないし、欲しくなったらそのときに考えることにしよう。

 

 何より、今はこうして楓とイチャイチャすることが人生の楽しみだからな。

 

 コンコンッ

 

 しばらくかえにゃんと遊んでいると、楽屋のドアがノックされた

 

 ――神谷さん、高垣さん、そろそろお願いしまーす!

 

「「はーいっ」」

 

 同時に返事をすると、一度名残惜しそうに俺の手に頬を擦り付けてから楓は身体を起こした。

 

 ちなみにではあるが、当然現在の楓の本名は『神谷楓』となっているが、芸能界ではこれからも『高垣楓』として活動していくことになっている。

 

 いくら一緒の番組に出演とはいえ、そこは俺たちも芸能人としてプロだ。私情は持ち込まず、俳優『神谷旭』とアイドル『高垣楓』としてしっかりと仕事を……と言いたいところではあるが、今回ばかりは例外。

 

 今日は()()としての仕事である。

 

 

 

 

 

 

 テレビ局の一角、撮影スタジオの一つに組まれた、まるで部屋のようなセット。一人掛けと二人掛けのソファーが一つずつ、そしてその間に置かれた小さな丸テーブル。壁には窓の絵が描かれ、その向こうには青空と草原が広がっているように見えた。

 

「皆さん、こんにちは~! 本日も始まりました、『藍子の部屋』! なんと今日は、番組史上初の生放送スペシャルでお送りしま~す!」

 

 そんなセットの真ん中に立ち、観覧席側に向かって、そしてカメラに向かって挨拶をするゆるふわお散歩娘こと、アイドルの高森藍子が頭を下げる。

 

「ゲストも特別な方をお呼びしてますよ! 先日の第六回シンデレラガール総選挙において見事六代目シンデレラガールに選ばれたアイドル、そしてそんな女性の心を射止めた若きベテラン俳優! なんと十日前に入籍したばかりという新婚のお二人です!」

 

 パチンと手を叩いた高森は、楽しそうにフフッと微笑んだ。

 

「実は私、お二人とは事務所で仲良くさせてもらっているんです。ライブのときは勿論、ドラマの撮影現場でもお世話になってしまって……あ、披露宴にも呼んでいただいたんですよ? 私、披露宴というものに初めて出席させていただいたんですけど、ウエディングドレスがとても綺麗で、隣に立つ旦那様もとてもカッコよくて……え? あっ、ごめんなさい!? まだお呼びしてませんでしたね!?」

 

 いつもの調子でゆるふわとオープニングトークをしていた高森だったが、ADからのカンペで我に返った。これもこの番組のお約束であり、普段は放送時にカットされてブルーレイにおまけとしてノーカット版のオープニングトークが収録される。しかし今日は生放送なので、それやっていたら本当に時間が無くなってしまう。

 

「そ、それではゲストをお呼びしましょう! 高垣楓さん! そして神谷旭さんです!」

 

「お邪魔しまーす」

 

「どうもー」

 

 高森に呼ばれ、セットの扉から俺と楓が中に入ると、観覧席の観客からの黄色い声と拍手が俺たちを出迎えてくれた。

 

 というわけで、今日の俺たちの仕事はこの高森の番組への出演である。

 

「楓さん、旭さん、今日はよろしくお願いします」

 

「よろしくね、藍子ちゃん」

 

「よろしく」

 

「『藍子の部屋』始まって以来初めての生放送スペシャルに、お二人をお迎えできてうれしいです」

 

 挨拶もそこそこに高森は一人掛けのソファーに、俺と楓は二人掛けのソファーに座る。この番組のオープニングトークは普段ならゲストが登場してからもかなり長く続くのだが、やはり今回は生放送なのでそこも若干巻きである。

 

「改めまして……お二人とも、ご結婚おめでとうございます」

 

「ありがとうね、藍子ちゃん」

 

「それでなんですけど……結婚指輪、もう一度見せてもらってもいいですかぁ?」

 

 目を輝かせながら手のひらを合わせて『お願いポーズ』をする高森。やはりアイドルなだけあって、若干キャラじゃないような気もしたが流石に様になっていた。

 

 まぁ、楓の全力で媚びる「おねがぁい?」には敵わないけどな。あれは無理、断れない。「わざとらしい」と思う前に「可愛い」と思ってしまうので抗えない。しかも大体「最後にお酒をもう一杯」的な意味で使われるので、そのときの楓はトロンと酔っぱらった状態だから本当に無理。

 

「はい、これでーす」

 

 楓が薬指の指輪を見せるように左手を挙げるので、俺も一緒に左手を挙げる。手の甲を向けながら二人の左手を近付け、2カメ(下手側から二番目のカメラ)で写しやすいようにする。

 

 重鎮レベルの大御所俳優のようにウン百万するようなレベルではないが、それでもかなり値が張る指輪である。値段を聞いた楓が若干気後れしたほどだが、それでも楓を娶る男として(ついでに紛いなりにも芸能人として)譲れなかった。

 

「わぁ! とっても綺麗な指輪ですね!」

 

「ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいわ」

 

「トップアイドル高垣楓さんに贈る結婚指輪だからな、奮発しないと」

 

 下手に安物だとファンから怒られるかもしれない、というのもあるが。

 

「あら、私にとっては、人気俳優の神谷旭さんから贈られた指輪なら、どんな安物だって喜んだわよ?」

 

 ニッコリと微笑む楓からそう返され、照れくさくなり頬を掻く。観覧客からも「ふぅぅぅ!」とはやし立てる声が上がった。

 

「ふふっ、そんな仲良しなお二人ですが、私生活でもどれだけ仲良しなのか? 新婚生活真っ只中のお二人の私生活の様子を、ほんの少しだけ撮影してきていただきました」

 

 これはこの番組の定番企画の一つで、ゲストの自宅での様子をゲスト自らがビデオカメラで撮影してくるというものだ。生放送スペシャルの今回もその企画は健在で、既に我が家での撮影を終えてスタッフにテープを渡してある。

 

「それではVTR、お願いしまーす!」

 

 セットの影からササッと近付いてきたスタッフから受け取ったイヤホンをセットし、観覧席側に置かれた出演者用のモニターへと視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

「はい、おはようございます」

 

 スタッフから渡された手持ちタイプのカメラを自分に向けて、挨拶をする。

 

「えー、皆さん、まずカメラにアイドルの高垣楓ではなく神谷旭が映ったことに対して不満があると思いますが、ご安心を。今からお見せするのは、髙垣楓が朝食を作っている後姿です」

 

 ただの後姿と侮るなかれ。事務所の他のアイドルは割とお料理バトル的なバラエティー企画に参加したりしているようだが、何故か楓にはそれが無かった。なので『高垣楓が料理をしている姿』が地上波で放送されるのは初めてのことなのだ。

 

「ちなみにテレビスタッフからは寝起きドッキリ的なものを期待されましたが、事務所からNGが出てしまったので撮影できませんでした」

 

 流石にアイドルの寝起きはそこまで安くない。というか俺自身、まだ新婚生活始まったばかりの楓の寝姿を見られるのはかなり癪だったのでありがたかった。

 

「というわけで、キッチンに移動しまーす」

 

 自撮りをしていた廊下からリビングに入り、さらにその先のキッチンへと向かう。

 

「ふふふーん、ふふふーん」

 

 我が家のシステムキッチンに、後姿でも分かる美女が鼻歌交じりに料理をしていた。普段は余り上げることのない髪をポニーテールに結ぶことで晒されているうなじと、キャミソールとホットパンツという大変ラフな格好故に真っ白な二の腕と生足が大変眩しい美女。当然、俺の嫁こと楓である。

 

「今日は楓さんが朝食を作ってくれていまーす。後姿も大変お綺麗ですが、邪魔にならない程度にこちらに振り向いてもらいましょう」

 

 「楓さーん!」と呼びかけると、楓もノリノリで「は~い!」と答えながら振り返ってくれた。

 

 というわけで地上波初登場となる、エプロンを着た『新妻』高垣楓である。

 

 

 

『きゃあああぁぁぁ!?』『おおおぉぉぉ!?』

 

 そんな楓の珍しすぎる姿に、俺たちと共にVTRを見ている観覧客から歓声が上がった。MCである高森も小さくキャーキャー言いながら画面に釘付けになっている。

 

「ふふっ、こうして見ると少し恥ずかしいわね」

 

「俺は楓の魅力をまた一つ知ってもらえたような知られてしまったような、複雑な気分だ」

 

 

 

 場面は変わり、出来上がった朝食を二人で食べる様子を撮影する。

 

 いつも通り二人並んで座り、カメラを持つのは変わらず俺。

 

「はい、旭君。あーん」

 

「あーん」

 

 楓がスプーンで掬った野菜スープのニンジンをカメラ(こちら)に向かって差し出してくるので、そのままカメラを通り過ぎて俺の口へ。うん、今日も味が染みてて美味い。

 

「旭君、交代して」

 

「お、ちょっと待ってろ」

 

 今度は楓にカメラを渡し、俺が楓に食べさせることに。

 

「はい、楓。あーん」

 

「あーんっ!」

 

 楓があーんしている映像ほど需要は無いだろうが、紛いなりにも俺も俳優なので一部の層で需要があるだろうと思いつつ、楓にスプーンを向ける。……ってコイツ、カメラに写ってないからって口を開けつつチロッと舌を出しやがって……どうせそれ片桐さんの差し金だろ!? ありがとうございます!

 

「ん~、我ながら今日も上手に出来たわ」

 

「最近の朝はずっと楓が作ってるな。たまには変わるぞ?」

 

「ううん、いいの。将来、子供にはちゃんとお母さんの手料理を食べてもらいたいから、その予行演習」

 

 そんなことを言う楓に、カメラが回ったままだというのに抱きしめたくなり――。

 

「それに、お母さんの朝食が美味しくないって言われたら超ショック(朝食)だから」

 

「………………」

 

 ――あっという間に毒気が抜かれた気がした。

 

 

 

『………………』

 

 楓の『子供』や『お母さん』発言に湧き上がった観覧客が、あっという間に沈静化した。

 

「あら? やっぱり、たまにはお父さんにも作ってもらった方が子供は喜ぶかしら?」

 

「そこじゃねーんだよ楓……」

 

「ふ、普段からとっても仲良しなんですね!」

 

 いつもニコニコしている高森が珍しく愛想笑いしているのが印象的だった。

 

 

 

 

 

 

「さて、楽しかった時間も、そろそろお別れの時間となってしまいました」

 

 その後も俺たちの私生活を(問題がない程度ではあるが)赤裸々に明かし、俺たちにゆかりのある人物からのタレこみ(主に川島さんや片桐さん)を元にしたトークに花を咲かせたり、俺や楓が最近気になっているスイーツがスタジオに運び込まれたりと、番組は順調に進んだ。

 

「楓さん、旭さん、今日は本当にありがとうございました」

 

「いえ、こちらこそ」

 

「楽しかったよ」

 

 最後にゲストから一言ずつ、ということでまずは楓から。

 

「……私は、神谷旭さんと結婚をしました」

 

「楓……?」

 

 これからもよろしくお願いします、的な簡単に一言のはずだったが、楓の口から発せられたのは俺が知らない語り始めだった。

 

「でも、私がアイドルであることには変わりません。これからも、今まで通り、そして今まで以上に、アイドルとして輝く姿を皆さんにお見せ出来るように頑張っていきます」

 

 

 

 ――だけど、私もステージを降りればただの人なんです。

 

 

 

「皆さんにお見せしてしまったらきっと幻滅や失望してしまうようなことだって、一つや二つじゃありません。そんな私の、嫌なところを、汚いところを、面倒くさいところを、全て曝け出すことが出来るのが、旭さんなんです」

 

 

 

 ――きっと夫婦になるっていうのは、そういうことなんだと思います。

 

 

 

「ファンの皆様に対する裏切りと……そう思われる方もいるかもしれません。でも、私の中での『ファンの皆様を大切にする気持ち』と『神谷旭という男性を大切にする気持ち』は別の物なのだということを、どうかご理解いただきたいです」

 

 

 

 ――そんな私ではありますが、これからも()()()をよろしくお願いします。

 

 

 

『………………』

 

 楓が丁寧に頭を下げると、スタジオはシンと静まり返った。

 

 しかしそれも一瞬の事。

 

『――っ!!!』

 

 次の瞬間には、歓声と拍手の嵐がスタジオに響き渡った。

 

 それは、そんな高垣楓の想いを称賛する喝采。俺たち夫婦を肯定してくれる応援(エール)だった。

 

 今ネットを開けば楓の発言に対する賛否両論が飛び交っていることだろう。

 

 きっと、高垣楓は『アイドルの結婚』に対する世論に風穴を開けたのだ。

 

(……本当に、俺には出来すぎた嫁さんだよ……)

 

 

 

 この後一言を話す俺のハードルがトンデモなく跳ね上がってしまったが、今こうして寄り添ってニッコリと微笑みながら俺の顔を見上げる楓に免じて、許してあげることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 六月○日

 

 今日は藍子ちゃんの番組に旭君と二人で出演させてもらうことになった。夫婦になって初めてのお仕事なので、話が決まったときからずっと楽しみにしていた。

 

 まずはオープニングで藍子ちゃんに「指輪を見せて欲しい」と言われて二人で揃って見せると、藍子ちゃんは「綺麗な指輪ですね!」と褒めてくれた。旭君が宝石関係の仕事についている友人と一緒になって頭を捻って考えてくれたデザインの指輪だったので、それを褒められると嬉しいと一緒に少しだけ誇らしくなった。

 

 次に、先日撮影した自宅での様子をVTRとして全員で視聴することになった。確かにエプロン姿をテレビで見せたことがなかったので、何故か恥ずかしかった。お互いに食べさせ合うシーンも実は内心では凄く恥ずかしかったのだが、それでも『私は旭君と一緒に暮らして凄く幸せなんだ』ということを知ってもらいたい気持ちの方が大きかった。

 

 だからエンディングトークで、少しだけ予定外のことをしてしまった。

 

 私が思う、ファンへの想いと旭君への想い。

 

 ……なんて綺麗ごとを言ってしまったが。

 

 それでも……ほんの少しだけ、ファンのみんなより旭君の方が大切に想っているということを、私の心の中に秘めると同時にこの日記に書き残しておこう。

 

 こんな私のワルイところを見せるのも……きっと、旭君だけ。

 

 

 

 

 

 

「……うひゃー、楓さん言うねー……これは荒れそうだなぁ」

 

「………………」

 

「……で? 何で奈緒はさっきから突っ伏してるの?」

 

「多分、お兄さんとお義姉さんの甘々新婚生活を見せられて身内として恥ずかしくなったんじゃないかな」

 

 

 




 というわけで、ついに旭と楓の新婚生活が地上波に乗るテロが発生しましたとさ、というお話でした。

 アイドルとの結婚うんぬんのお話でいつも通りの独自理論が展開されておりますが、どうかふわっと流していただけると(ry



 あと余談ではありますが、SSAお疲れ様でした!


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旭と楓がカフェテリアでお茶をした一日

今までとはちょいと毛色が違うラブコメ風味。


 

 

 

「ふぅ……」

 

 346プロのカフェテリア。屋外に設けられたテーブルで、いつもと変わらぬ一杯のコーヒーを味わいながら一息つく。

 

 楓が淹れてくれたコーヒーには愛情という一点において大きく劣るものの、ここに所属するようになってから飲み続けているこの味はまた別の意味で特別なものだった。

 

 いい天気だなぁ……と空を仰ぎ見ていると、ブーッブーッとポケットの中のスマホが振動し、メッセージの着信を俺に告げる。

 

 優雅なコーヒーブレイクの一時を邪魔された……なんて崇高なことは言わない。今はたまたまポケットの中に入っていただけであり、スマホを弄りながらコーヒーを飲むことだって多々ある。

 

 もしかしたら急用かもしれないので、ポケットからスマホを取り出す。画面を点け、メッセージアプリを起動すると、そこに表示されていたのは我が妹の奈緒からの『その……大丈夫か?』という現在の俺の身を案ずる一言だった。

 

「………………」

 

 妹の優しさに少しジーンとしながら視線を横に向ける。

 

「「「………………」」」

 

 少し離れたところのテーブルに、奈緒とその友人である凛ちゃんと加蓮ちゃんが座っていた。奈緒はメッセージの内容通りに心配そうなハラハラとした表情でこちらを見ているのに対し、加蓮ちゃんはニヤニヤと面白そうな顔をしていた。凛ちゃんは真顔なので、どちらなのかは分からなかった。

 

 本音を言うと大丈夫ではないし、誰かに助けてもらいたい状況でもあった。

 

 しかし俺にも兄としての……男としての意地がある。故に、俺はこうメッセージを返した。

 

 

 

『たすけてください』

 

 

 

 違うんだ、本当はもうちょっとカッコよく『心配するな、お前の兄貴だぞ?』みたいなことを打つつもりだったのだが、指が勝手に動いたんだ。

 

「「「………………」」」

 

 そんな俺のSOSメッセージを受信した奈緒のスマホを覗き込む三人。

 

「「っ~!」」

 

 途端、顔を逸らしてプルプルと震えながら口元を抑える加蓮ちゃんと凛ちゃん。必死に声を抑えているようだが、あからさまに大爆笑していた。あいつら……! そんな二人と俺の間で視線を行き来させながらオロオロとしてる奈緒を見習えよ! あぁウチの妹は可愛いなぁ!

 

 いっその奈緒の昔の可愛いエピソードを思い出すことで現実逃避でもしてみようかと、再び青空を仰ぎ見る。

 

 そう、あれは確か奈緒が小学校に上がりたての頃だったかな。両親が泊りでいないからって調子に乗って夜遅くまでテレビを見ていたらたまたま心霊番組をやっていて、怖くなって眠れなくなった奈緒が……。

 

 

 

「旭君? さっきからどっちを向いているの?」

 

 

 

 しかし、愛しい女性の声を聞いてしまっては思い出に逃避することも出来なかった。

 

「いや、何でもないよ、楓」

 

 視線を戻すとすぐ隣に座って紅茶を飲んでいる楓がニッコリと笑っていた。あぁ相変わらず俺の嫁は美人さんだなぁ……。

 

 いや、俺だってただ楓と一緒にお茶をしているだけなら現実逃避なんかしないのだ。

 

 そう――。

 

 

 

「あら、女性と一緒にお茶をしているのにスマホを弄るなんて、イケない人。……ねぇ、愛梨?」

 

「え、えっと、私は、その……」

 

 

 

 ――速水と十時の二人が同席してなけりゃな……!

 

 

 

 

 

 

 どうしてこんな訳の分からない状況になっているのか。ここから過去回想に入って振り返りたいところではあるのだが、なんてことはない。

 

 ただ単に仕事の合間の時間がたまたま揃い、楓と一緒にお茶をしていたところに何故か速水が「あら、私もご一緒していいかしら?」とやって来て、さらにそれに便乗するように十時までも「わ、私もいいでしょうか!?」とやって来ただけの話だ。

 

 ……いや、やはり全くもって意味が分からない。確かに二人とはそれなりに仲が良いとは思っているが、とはいえ俺と楓が一緒にいるところにわざわざ同席を求めてくるのは川島さんや片桐さんぐらい。だから二人がこうしてやって来たことに対して面喰ってしまった。

 

 そしてとりあえず楓の反応を窺おうとした時には既に楓が「えぇ、いいわよ」と快諾。

 

 その結果、俺と楓、そして速水と十時という、今までにない珍しい四人で同席することと相成り、そんな俺たちの様子を興味深げに窺っている周囲の人間も増えていった。(奈緒たちもその一部)

 

 以上が、今の状況に至るまでの簡単なあらましである。

 

 

 

「楓さんもそう思わない?」

 

「奏ちゃん、私は別にスマートフォンを触るぐらいで旭君を咎めたりしないわ」

 

「あら」

 

「だって私は、()()()奥さんだから」

 

「……えぇ、そうね、楓さんは旭さんの奥さんだものね」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 

 この無言はなんだ……!? 何で二人は笑顔のまま見つめ合っているんだ……!?

 

 

 

「……やっぱりアレね。結婚してからより一層、楓さんに余裕が見えるような気がするわ」

 

「ふふ、そんなことないわよ」

 

「やっぱり夫婦として、多少のことには余裕を見せるべきよね」

 

「えぇ」

 

「例えば、私がこうして旭さんに少し近付いたぐらいじゃ……」

 

「それはダメよ」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 

 そして俺の両隣に座る二人のこのやり取りは一体なんなんだ……!?

 

 

 

 俺を挟んで行われる楓と速水のやり取りに何故か胃が痛い。いつもは心を落ち着けるコーヒーも、今はただ胃に優しくないだけである。

 

「あ、あの、旭さん」

 

「ん、何?」

 

 今から追加でミルクラテでも頼もうかとメニューを眺めていると、対面に座る十時が身を乗り出してきた。その際、彼女のチャームポイントと言うべき胸がテーブルの上に乗っかる形になったのはご愛敬。なるべくそちらに視線を向けないように、彼女の目……というか顔を見て話す。

 

 改めて思うが、十時は本当に童顔である。体系的に少々無理があるが、それでもパッと見で中学生か高校生ぐらいでも通用しそうである。

 

「………………」

 

「……十時?」

 

「あっ!? ご、ごめんなさい!」

 

 いや、別にいいんだけど、どうして顔が赤くなっていらっしゃるのでしょうか?

 

「え、えっとですねぇ……私、アップルパイを焼いてきたんです」

 

 そう言いつつ十時がゴソゴソと手提げバッグの中からケーキ箱を取り出すと、テーブルの上に置いて箱を開けた。途端に漂ってくるリンゴとシナモンの甘い香りに、無言でニコニコと笑っていた楓と速水の視線も奪われたようだ。

 

「おぉ、美味そうだな」

 

「どうぞ召し上がってくださぁい」

 

「いいのか?」

 

「はい。()()()()()()()焼いてきましたからぁ」

 

「「………………」」

 

「そ、そうか。それじゃあ、遠慮なく」

 

「あ、ごめんなさい、お二人もどうぞぉ」

 

「「……えぇ、いただくわ」」

 

 三人で一切れずつ手に取る。

 

 どうやらアップルパイの匂いが風に乗って奈緒たちのテーブルにまで漂ったらしく、三人とも羨ましそうな表情をしていた。

 

(羨ましいならこっち来たらどうだ?)

 

(((いえ、結構です)))

 

 アイコンタクトで尋ねてみたところ、三人揃って手のひらをこちらに向けて拒絶の姿勢を示した。ちっ……。

 

 とりあえずコーヒーで荒れた胃の痛みを和らげるべく、一口齧る。

 

「……んー、こう、リンゴの酸味がパイ生地のサクサクとした食感と合わさって……」

 

「旭君ってやっぱり食レポ下手よねぇ」

 

「余計なお世話だ」

 

 分かってはいたが、自分には味を言葉にして表現する才能が無いので、素直に簡単な言葉で伝えることにする。

 

「すげぇ美味い。ありがとうな、十時」

 

「……え、えへへ、喜んでもらえて嬉しいです……」

 

 ポッポッと頬を染めながらはにかむ十時。

 

「ホント、美味しいわぁ。ブランデーなんかが合いそうねぇ」

 

「流石、アイドル部門でも指折りのお菓子作り名人なだけあるわね」

 

 楓や速水からの評価も上々である。これを食べてイマイチの評価を下すのは、そうとうリンゴかシナモンが嫌いな人だけだろう。

 

 フフンどうだ羨ましかろう、と三人娘に見せびらかすと、三人揃って親指を下に向けられてしまった。

 

「しかしなんでまた急に? 俺のために作ってきてくれたのは嬉しいが、何かあったか?」

 

 とりあえず一切れ平らげ、指先に付いたカスを舐めとりながらそんな疑問を尋ねてみた。

 

 以前にも十時からお菓子やケーキの類いを貰うことがあったが、それはハロウィンだったりバレンタインだったり何かしらのイベントのときだった。もしかして俺が知らないだけで、若い女の子の間でまた何か新しいイベントでも流行っているのか?

 

「えっとぉ……その……」

 

 モジモジと両手の指を弄びながら、チラチラとこちらを見てくる十時。自身の胸を二の腕で挟み込む形になってしまっているので、そちらに吸い寄せられないよう必死に視線を十時の顔に固定しているのだが、目が合っては逸らされるというのを繰り返していた。

 

「理由というよりはぁ、目的はあったんですけどぉ……」

 

「目的?」

 

「……旭さんに『美味しい』って言ってもらうことです」

 

 エヘヘ目的達成です、と小さく笑う十時に、不覚にもドキリとすると同時にキュッと胃の痛みが強くなるのを感じた。

 

 ……いかん、これはミルクラテとか言ってる場合じゃない。白湯(さゆ)が欲しい。もしくは湯冷まし。

 

「……何だか一口でお腹一杯になっちゃったわ。ごめんなさいね、愛梨」

 

「あ、大丈夫だよぉ、無理しないで?」

 

「でも勿体無いから……そうね、貴方食べる?」

 

「は?」

 

 それまで黙っていた速水が、そんなことを言いながら極自然な動作で椅子を近付けてきた。

 

「はい、あーん」

 

 そしてそのままニッコリと笑いながら自身の食べかけのアップルパイを俺に差し出してくる。

 

 いや流石にそれは……とやや上体を反らして距離を離そうとするも、それでもなお迫ってくるので逆に逃げ場がなくなった。

 

(いかん、これ以上近付かれたら胸が……!?)

 

 食いかけを食べさせられるのと胸を押し付けられるの二択では当然後者……ではなく、前者を選んだ方が肉体的接触の無い分マシだろう。

 

 観念して口を開けると、より笑みを深めた速水が迫ってきて――。

 

「おわっ!?」

 

 ――俺の口の中に入る前に、後ろから襟元を掴まれ引っ張られた。

 

 元々仰け反っていたのでバランスが悪く、後ろに倒れて地面に……と思いきや、そのまま体を後ろから抱き止められた。

 

「か、楓?」

 

 ふにふにと後頭部に柔らかいものを感じながら見上げると、視界に逆さまになった楓の顔が映った。その表情は先ほどまでと同じ笑顔なのだが、今回は一目見て分かった。

 

 ……怒ってらっしゃる……!?

 

 一応助かった……と言おうと思ったが、そもそも今のは楓に引っ張られたから倒れそうになったわけで……まぁ、速水の魔の手から助けてもらったという意味では間違ってないか。

 

「あら楓さん、余裕のある奥さんじゃなかったのかしら?」

 

 そんな楓を挑発するような速水の発言に、そろそろいい加減にしろと注意しようと体を起こして……。

 

「……えぇ、ごめんなさいね、余裕なんて無かったわ」

 

 しかし、楓が俺の体を放さない。俺の肩口から手を伸ばして胸の前で手を交差している。先ほどからずっと楓の胸に頭を預けている形だ。

 

「だから、今から大人げないことをするわ」

 

 そんな楓の手の拘束が緩んだ。

 

 今の内に体を起こそうとしたが、すぐにまた捕まってしまう。今度は頭の上から俺の両頬を掌でガッチリとホールドされた。

 

 ……って、この体勢はまさか……!?

 

 

 

「ちょっ、待て楓! 少し冷静にふむぐっ!?」

 

 

 

 上から覆い被さるように、上下逆さまに唇を奪われた。男の俺が奪われたと称するのもおかしな話だが、そう表現する以外になかった。

 

「あむっ……れろっ……じゅるっ……」

 

 しかも舌をガッツリと入れてくる相当ディープな奴。抵抗しようにも未だに楓にもたれかかるようにして仰け反っている体勢なので力を入れることができない。というかぶっちゃけ口内が気持ちよくて力が入らない。

 

 周りから相当注目されていることを肌で感じながら、情けないことに今はただ楓に身を任せるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 楓からの熱いベーゼから解放されたのはそれから三分後だった。

 

「……ったく、少しは落ち着け」

 

「旭君にぶたれた……」

 

 とりあえず楓にはお仕置きをしておいた。俺が悪い部分もあるが、それでも公衆の面前でアレはやりすぎだ。

 

「「………………」」

 

 そんな俺たちのキスシーンを眼前でこれでもかと見せつけられることとなった十時と速水の顔は真っ赤に染まっている。キスの最中に横目で見えていたのだが、十時は「ひゃあ~っ!?」と手で顔を覆いながら指の隙間からこちらを見ていて、速水はただ顔を赤くして完全に硬直していた。散々キスがどうだのこうだの言っていた速水だが、案外初心なものである。

 

 ちなみに、相変わらず少し離れたテーブルに座っていた三人娘にもバッチリ見られており、今は三人でスマホを取り囲んで何かを見ながらキャーキャーと姦しかった。……おい、まさか録画してたわけじゃないよな? やめろよ? 流出だけはマジでやめろよ!? 結婚してるから大丈夫ってわけじゃないんだからなっ!?

 

「はぁ……それで? 二人とも一体どうしたんだよ。今日はちょっと様子が変だぞ」

 

 なんとか仕切り直すことが出来たので、ようやく()()を二人に尋ねることが出来た。

 

 生憎、俺は自惚れていないだけで鈍感というわけじゃない。だからここまでのやり取りで俺に対して二人が()()()()()()()()()()()ことぐらいは大体想像つく。

 

 分からないのは『何故俺と楓が結婚したこのタイミングで動いてきたのか』だ。

 

 恋愛経験の乏しさ故に実体験では語ることは出来ないが、物語ではこういう場合、結婚前にリアクションを起こすものではないだろうか。

 

「……私は、その」

 

 一番最初に口を開いたのは、十時だった。

 

「……本当に、旭さんに私の作ったアップルパイを食べて欲しかったんです。旭さんへの()()()()()()()()()お菓子を食べてもらうのが……きっとこれで最後ですから」

 

 えへへっと笑う十時。先ほどより明るく、それでいて先ほどよりも悲しい笑顔だった。

 

「もう二度と、旭さんへのお菓子に特別な愛情を入れてあげませんからねーっ!」

 

 ベーッと可愛らしく舌を出す十時に、それは残念だと首を振った。

 

「……私は、ただ知ってもらいたかっただけよ」

 

 次は速水だ。先ほどまでの余裕な笑みでも、いつものクールなすまし顔でもない、今までに見たこと無い自嘲気味の笑顔。

 

「『貴方が(なび)かなかったのは、こんなにいい女だったんだ』って。私のガラじゃない上に、失敗しちゃったみたいだけどね」

 

「………………」

 

 チラリと楓に視線を向け、目だけで先に謝っておく。

 

「まぁ、そうだな。楓と出会わず、それでいてあと二年ぐらい経ってたら靡いてたかもな」

 

「……ふふっ、俳優の癖に、慰め方が下手くそね」

 

「ほっとけ」

 

 どうせ碌に恋愛物の主演やったことないよ。

 

「でももう、吹っ切れたわ。貴方よりもいい男なんていくらでもいるだろうし。……そのときになって後悔しても、知らないんだから」

 

 速水が十時に視線を向けると、十時はコクリと頷いた。

 

 

 

「「……旭さん、楓さん。改めて、ご結婚おめでとうございます。どうか末永く、幸せに」」

 

 

 

「……あぁ」

 

「ありがとう、奏ちゃん、愛梨ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 ○月○日

 

 今日起きたことをどう纏めようかと悩んだが、とりあえず順番に書こうと思う。

 

 まず初めに、仕事の合間の時間が旭君と重なったので、二人で事務所のカフェテリアでお茶をした。お互いにまだ知り合って間もない頃は、このカフェテリアに二人で過ごす時間が長かったので、ある意味では思い出のカフェテリアでもあった。

 

 そこで二人でお茶をしていると、奏ちゃんと愛梨ちゃんがやって来て同席を求めてきた。この二人は、以前から少し旭君に対して好意的な行動をすることが多かったので、きっと何かあるのだろうと察し、四人で同席することとなった。

 

 思った通り、奏ちゃんは旭君に近付こうとするし、愛梨ちゃんは旭君のためのお菓子を作ってくるし……いや、お菓子は私もご相伴に預からせてもらったのだけど。

 

 そんな二人に嫉妬して、思わず旭君に深い口付けをしてしまい、怒られてしまったことは置いておいて。

 

 どうやら二人とも、今日は旭君に対する未練を払うためにやってきたらしい。

 

 もし私と出会うことがなかったら、旭君は二人の内のどちらかと……と、どうしても考えてしまう自分がいた。

 

 でも、不安になる以上に信頼してあげるのが、きっと夫婦なのだと思う。

 

 旭君が私を愛していると言ってくれたから、私も旭君を信じて愛し続けよう。

 

 ありがとう。そしてごめんなさい、奏ちゃん、愛梨ちゃん。

 

 

 

 

 

 

「おい奈緒、本当に動画撮ってないだろうな? 外部に漏れたら割とマズイんだぞ?」

 

「こここ、個人で楽しむ分には問題ないだろっ!?」

 

「まぁそれなら……おいちょっと待てそれはそれでどういう意味だっ!?」

 

 

 




 賛否両論あるでしょうが、今までフラグが立っていたとときんと奏のお話でした。なんかもう両者のPから凄い怒られそうで怖い。

 ただネタ切れ(切実)を防ぐために、今後も他のアイドルがちょいちょい出張ってくるお話が増えるかもしれません。基本的には楓さんとイチャイチャする話ではありますが、ご了承いただけるとありがたいです。



 ところで、デレステではこいかぜ実装&恒常SSR追加と、髙垣Pにとっては素晴らしい一週間でしたね……今月末には『白南風の淑女』フィギュアも発売になりますし、本当に楽しみです。


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旭と楓の部屋でお酒を飲む一日

ツイッターでの緊急アンケートの結果、今回は大人組が登場するお話です。


 

 

 

 神谷旭は既婚者である。

 

 今さら改めて言うことでもないと思うし、つい先日の速水や十時たちとの会話でもそれはしっかりと認識してもらえていると思う。

 

 ただしかし……そんな俺でも、例外はあるのだ。いや、例外という表現はきっと間違っている。

 

 現に、今俺は目の前の女性を深く愛そうとしている。

 

 

 

 ドンッと音を立てて壁に右手を付くと、俺はそのまま壁に背を預ける楓の目を覗き込んだ。

 

「……何度見ても、綺麗な目だ」

 

「………………」

 

 誉め言葉なんて聞き慣れているくせに、楓は頬を朱に染めて顔を逸らした。それが少し気に入らず、左手を彼女の顎に添えて少々乱暴にこちらを向かせる。

 

 真正面から、そして至近距離で向き合う俺と楓。楓の瞳は僅かだが涙に揺れていて、両腕で俺の体を押して距離を取ろうとしている。しかしその表情は嫌悪ではなく、俺を押し返す力も弱々しい。

 

「……期待してる?」

 

「そ、そんなこと……それに、私には夫が……んっ」

 

「だから何?」

 

 楓の股下に膝を差し込み、そのまま彼女を持ち上げるようにグッと踵を上げると、彼女はビクリと体を震わせた。

 

「そ、それに、貴方にも奥さんが……」

 

「だから何? って言ってるじゃないか」

 

「あっ……や、やめ……!」

 

 ユサユサと膝を揺する。先ほどまで距離を取ろうとしていた楓の腕は、今ではしがみつくように俺の服を強く握りしめていた。

 

「……ちゅっ」

 

「ぁん……!」

 

 首筋に顔を寄せて襟元から覗く首筋に舌を這わせると、楓の口から甘い声が漏れた。

 

「俺は昨日までのアイツよりも、今目の前にいるお前が欲しい」

 

「……わ、私は……」

 

「……お前も、昨日までの旦那よりも、今の俺の虜にしてやるよ」

 

「………………」

 

 コクリと小さく頷いた楓は、もう抵抗していなかった。

 

 ならば、まずは彼女は自分のものだと示すために、その薄く儚い唇を奪い――。

 

 

 

「……はっ!? す、ストオオオォォォップ!」

 

「そこまでやれとは言ってなあああぁぁぁい!」

 

「は、はわわわっ……!?」

 

 

 

 ――しかし、突如と飛来してきたテレビのリモコンが俺のこめかみに直撃したことでそれは中断されることとなった。

 

 

 

「バッカじゃないの!? 普通人前であそこまでするっ!?」

 

「見なさい美優ちゃんを! 刺激が強すぎて目を回してるじゃない!」

 

「は、はわわわっ……!?」

 

 並んで正座をする俺と楓の目の前で仁王立ちをする片桐さんと川島さん。そんな二人の後ろには、真っ赤になって目を回す三船さんの姿もあった。

 

「アンタらがやれって言ったんじゃないですか……」

 

 いやまぁ確かに酔った勢いでやりすぎた感は否めないが、そもそも『俺様系鬼畜風に全力で楓に迫る』というお題を出したのは片桐さんだったはずなのだが。

 

 さてさて、どうしてこんな状況に陥ったのかを説明するために、時間を四時間ぐらい前に遡ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

「えっと、何かあったかしら……?」

 

「楓、○○テレビのプロデューサーさんからお中元に貰ったハムがあったぞ」

 

「えー、それ今度個人的な肴にしようとしてたのにー」

 

「どうせお前も飲むんだから変わらんだろ」

 

 これはとあるオフの日の昼下がりのキッチンでの俺と楓の会話である。

 

 というのも、楓と二人で一日オフを堪能していたところに、同じく一日オフの片桐さんから突然『今から遊びに行くわ! お酒持ってくからねー!』という連絡があったのだ。それだけでも唐突なのだが、何の因果か同じく一日オフの川島さんや三船さんも一緒だというのだから驚く暇も無かった。

 

 真昼間から酒かよ……と個人的には若干遠慮したかったところだが、楓の方が乗り気になってしまったのでどうしようもない。仕方がないので、急いで酒の肴になりそうなものを準備している次第である。

 

「全く、いきなり『遊びに行くわよー!』って、今日日(きょうび)小学生でもやらないぞ……」

 

「まぁまぁ、いいじゃない。みんなでお酒を飲めるのはやっぱり楽しいわ」

 

「その『楽しい』って『みんなで』ってところじゃなくて『お酒を飲める』ってところだろ」

 

 てへぺろっと可愛く舌を出す楓。それで全て許してしまうのだから、これも惚れた弱みの一つなのだろう。

 

 とりあえず肴になりそうなものをいくらか見繕い、ただそれを出すだけっていうのも味気ないので何品か料理も作ることに。はぁ、折角午前中買い物に行って食料品を買い足してきたっていうのに……。

 

「それで旭君、お酒は早苗さんたちが持って来てくれるって言ってたけど、やっぱり私たちの方でもお酒は用意しておいた方がいいと思うの。だから……」

 

「わざわざ買いに行かなくてもいいぞ」

 

「えぇっ!?」

 

「そこまで驚かんでも……」

 

 そもそも我が家においては酒を切らすということはほぼありえない。自慢するようなことでもないが、寧ろ肴よりもアルコールの方が確実にあるぐらいだ。

 

 勿論、五人で飲めばすぐになくなってしまうぐらいの量ではあるが、片桐さんたちが持って来てくれるものを含めれば十分だろう。

 

「ほら、料理は俺が作っておいてやるから、楓は軽くリビングの片づけを……」

 

「ちゅっ」

 

「……一本だけな」

 

「わーい」

 

 いやホント、我ながら甘いなぁ……色々な意味で。

 

 

 

 ピンポーン

 

「ん? もう来たのか」

 

 楓がアルコールの追加購入に行って十数分経った頃に呼び鈴が鳴った。壁に設置されたドアホンのモニターを覗き込むと、両手に袋を携えた片桐さんと川島さん、そしてその後ろには三船さんの姿もあった。オートロックのマンションなので、三人がいるのは一階のロビーである。

 

『もしもーし、楓ちゃーん、旭くーん』

 

『遊びに来てあげたわよー!』

 

「お早い到着ですね。今開けます」

 

 ドアホンを操作し、ロビーの自動ドアを開けた。

 

 しかし、まだ料理途中なんだが……まぁいいか。

 

 数分の後、再び呼び鈴が鳴る。今度は部屋の前で直接鳴らされた呼び鈴だ。

 

「はーい」

 

 聞こえていないだろうとは思いつつもそう返事をし、エプロンで濡れた手を拭いながら玄関に向かう。

 

 一応覗き窓から外にいるのが川島さんたちだと確認してから、ドアを開けた。

 

「はぁい!」

 

「お邪魔しまーす!」

 

「す、すみません、突然押しかけてしまって……」

 

 ニッコリ笑顔の川島さんと片桐さん、その後ろで申し訳なさそうな表情をしている三船さん、三人のご来訪である。

 

「いえいえ、ようこそ三人とも。今スリッパを……」

 

「「「………………」」」

 

「……なんですか?」

 

 来客用のスリッパを用意していると、何故か三人から凝視されていることに気が付いた。

 

「別に旭君のことをどーこー思ってるわけじゃないだけど……なんかこう、エプロン姿の男の人に出迎えられるっていいわねっ!」

 

「わかるわっ! 別に旭君のことをどうこう思っているわけじゃないけど、このシチュエーション地味に憧れるのよねっ!」

 

 枕詞みたいに人の事を地味にディスらないでもらいたい。

 

「ねっ、ねっ、美優ちゃんもそう思うわよね?」

 

「え、わ、私ですか……!? その……は、はい……」

 

 川島さんに話を振られ、少々恥ずかしそうに頷く美優さん。何というか、年上なのに年下感が溢れていた。

 

 いつまでも玄関で話しているのもアレなので、とりあえず上がってもらうことに。

 

「あれ? そういえば楓ちゃんは?」

 

「追加で酒を買いに行きました」

 

「あら、沢山買ってきたから別に良かったのに」

 

 そうい言いつつ手にした袋を掲げてみせる川島さんと片桐さん。もしかして、それ全部酒ですか……!?

 

「料理の途中なんで、とりあえずくつろいでてください。お酒開けるのは楓が帰って来てからにしてくださいね。先に開けると、アイツ拗ねるので」

 

「分かってるわよー」

 

 そう言いつつ、今何でカシュっていうプルタブを開ける音が聞こえたんですかね?

 

「あの、旭さん……お料理、お手伝いします……」

 

 全くあの人は……と内心で嘆息しつつ再びキッチンへと戻ろうとすると、上着を一枚脱いだ三船さんがそんなことを申し出てきた。

 

「あぁいや、別に大丈夫ですよ? ここが俺と楓の部屋である以上、三船さんたちはお客様なわけですから。寧ろ片桐さんが今から飲みすぎないか見ててもらいたいです」

 

「瑞樹さんもいらっしゃいますし……大丈夫ですよ、きっと」

 

 あと少しだから本当に大丈夫なんだけど……まぁ、これ以上断わっても多分堂々巡りだな。

 

「それじゃあ、少しだけお願いします」

 

「はい……」

 

 流石にそのままの恰好で水場に立たせるわけにはいかないので、とりあえず俺のエプロンを……。

 

「……浮気ですか?」

 

「「浮気っ!?」」

 

 いつの間にか帰って来ていた楓が、何故かジト目で俺と三船さんのことを見ていた。その両手には一升瓶が抱えられており……。

 

「って一升瓶かよ……」

 

「だって旭君が一本だけだって」

 

 ワインとか洋酒とか、そういう大人しい感じのやつを買ってくるものだとばかり思っていた俺が間違っていた。なんだろう、子供に「お菓子を一つだけ買ってあげる」と言ったら業務用の大袋を持ってこられたような感覚。いや子供いないけど。

 

「って今はそれはいいんです」

 

「よくはないよ。川島さんたちが持って来てくれた分も合わせてどれだけ飲むつもりだよ」

 

「ほら、江戸っ子は『宵越しの酒は持たない』って言いますし」

 

「そんな言葉聞いたことないし、そもそも今この場に江戸っ子は一人もいないぞ」

 

 千葉と和歌山と大阪と新潟と岩手しかいないっての。

 

「って、またはぐらかされました。だから浮気はダメです。奥さんがいない間に、自宅のキッチンに女性を連れ込むなんて、旭君は一体何を考えているんですか?」

 

「寧ろお前が何を言っているんだ……」

 

 え、もしかしてもう酔ってるとかじゃないよな?

 

 とりあえず、楓は俺が三船さんと一緒にキッチンに立つことが嫌らしい。

 

「もう……あとは私が美優さんと一緒にやるから、旭君は先にリビングに行ってて」

 

「はいはい」

 

 別に意固地になるようなことでもないので、そのままエプロンを楓に渡して俺はキッチンから離脱することとなった。

 

「あら旭君」

 

「お先にいただいてるわよー」

 

 リビングでは案の定、片桐さんがカーペットの上で胡座をかきながらビールの缶を開けていた。何も手を付けていないどころか、買ってきたものを出して色々と準備をしている川島さんを少しぐらい見倣ってもらいたい。

 

「キッチンは?」

 

「なんか三船さんと並んでキッチンに立ってる絵面に嫉妬したらしい楓に追い出されました」

 

「んー……」

 

「川島さん、判定は?」

 

「……わかるわ!」

 

 わかっちゃったかー。

 

「いくらそれなりに交際期間が長いからって、貴方たちは新婚だってことを忘れちゃダメよ」

 

 その新婚家庭にアポ無しで転がり込んできたのは一体誰なんだという言葉を寸でのところで飲み込む。

 

「それにしても、今日はこの三人なんですね」

 

 いつものメンバーという点で言えば、柊さんとか、最近だと佐藤さんだとかが一緒なのだが。

 

「他のみんなはお仕事よ。私たちがオフだったのは本当にたまたま」

 

 まぁクール酒飲み四天王が揃った日には、我が家が地獄絵図になることは確定だ。そんな悲惨な未来が来なくて本当に良かった。

 

 そうこうしている内に残りの料理を完成させた楓と三船さんがリビングに戻って来た。

 

「それじゃあ、始めましょうか!」

 

 そう言いつつ二本目の缶ビールを開ける片桐さん。

 

 はぁ……こんな昼間っから飲み会か……と若干辟易していると三船さんと目が合った。どうやら同じことを考えていたようで、二人揃って苦笑する。

 

「旭君……今度は奥さんの目の前でアイコンタクトでのラブコールとはいい度胸ですね」

 

「してないっつーの」

 

 はいはいこれ飲んで機嫌を直しなさい、と楓の手にもプルタブを開けた缶ビールを持たせる。片桐さんたちが持ってきたものだが、第三の雑酒ではなくちゃんとしたビールだ。

 

 同じく川島さんと俺もビールの缶を、三船さんは酎ハイの缶を手にする。

 

「それじゃあ、カンパーイッ!」

 

「「「「カンパーイッ!」」」」

 

 

 

 ……とまぁ、ここまでは良かったんだ。基本的に楓の隣に座ってお酒を飲み、俺のグラスが空いていることに気付くと楓が甲斐甲斐しくお酌してくれる。何より高垣楓・川島瑞樹・片桐早苗・三船美優といった美人アイドルと一緒にお酒を飲んでいるこの状況は、ファンからしてみれば大金を積んででも叶えたい夢のような状況なのだろう。

 

 ……問題があるとすれば、片桐さんが悪ノリし始めたことでも、川島さんがそれに便乗し始めたことでも、三船さんがそれを止めきれなかったことでもなく……()()()が酔って若干自重できなくなり始めたこと、だろう。

 

 

 

 ――ちょっと旭くーん! 俺様系男子で楓ちゃんに迫ってみてよー! 鬼畜っぽくお願い!

 

 ――成程、了解しました。

 

 ――……えっ!?

 

 

 

 話の流れはハッキリと覚えていないが、確か少女漫画や昼ドラでのシチュエーションの話になって……っていう流れだったはず。それで確か「別の人に迫るならともかく、楓に迫るのなら夫婦だし別にいいか」みたいなノリで始めた結果が、冒頭のアレというわけだ。

 

「しかし、人に見られてる状況でよくあんなこと出来るわね……」

 

「これでも一応俳優やってますので、演技中は羞恥心を捨てるようにしてます」

 

「何その今ここで発揮する必要が皆無なプロ根性」

 

 じゃなきゃやってられないって。

 

「楓ちゃんもなんであんなにノリノリだったのよ」

 

「あぁいうプレイは初めてだったもので……」

 

「プレイっていうなっ!」

 

 ポッと頬を赤く染める楓に、片桐さんの叱責が飛ぶ。

 

「正直あのままおっぱじめるかと思ったわ……」

 

「そんな人前でするわけないじゃないですか。何言ってるんですか片桐さん」

 

 当然のことを言っただけなのに、何故か頭を叩かれた。わからないわ。

 

「酷いです早苗さん、旭君に乱暴しないでください」

 

 そんな俺の頭を、楓が胸に抱くように引き寄せる。やわっこい胸に顔を埋め、頭を撫でられるとあらゆることがどうでもよくなっていくような感覚にすらなった。

 

「楓ー」

 

「旭くーん」

 

 ギューッとお互いの身体を抱きしめる。

 

「ど、どういうことでしょうか……お二人とも、ここまでお酒に弱かったとは思わないのですが……?」

 

「……もしかしてなんだけど」

 

「どうかしたの? 瑞樹ちゃん」

 

「……普段この二人と飲むときって外のお店で、人目があるじゃない? だからそういう時は自重してるけど、こうして人目を気にする必要がない家飲みだからその辺のタガが外れちゃった……とか?」

 

「……成程、つまり()()がこの二人の素ってわけね」

 

「で、でも、今は私たちもいますけど……」

 

「私たちは二人の知り合いだから、人目としてカウントしてないんじゃないかしら」

 

「それか既に私たちのことが見えてないか」

 

「恋は盲目ってやつね。わかるわ」

 

「多分違うと思います……」

 

 何やら外野三人があーだこーだ話しているが、今そんなことはどうでもよかった。

 

 ふわふわした気分の中、すぐ傍には楓という愛する女性がいる。胸に顔を埋めたまま大きく息を吸い込むと、鼻孔一杯に楓の匂いが広がっていく。

 

「はぁ……幸せ」

 

「私も幸せ……ねぇ、旭君」

 

「んー?」

 

「これからもお互いに一番()()場所にいることを()()ましょう?」

 

「……当たり前だろ、そんなこと」

 

 そのまま楓を優しくカーペットの上に押し倒し――。

 

 

 

「おっとこいつら本当におっぱじめる雰囲気になってきたわよ」

 

「はぁ……とりあえず旭君の方を()()()()おけば止まるでしょ」

 

「オッケー」

 

「さ、早苗さん……! さ、流石に一升瓶は……!」

 

「せーの!」

 

 

 

 ――ゴッという鈍い音と共に視界がブラックアウトしたため、今回のお話はここまで。

 

 

 

 

 

 

 ▽月▽日

 

 今日は旭君と一緒に一日オフの予定だったのだが、急遽同じくオフだった早苗さん、瑞樹さん、美優さんの三人が遊びに来た。

 

 いつものお酒を飲むメンバーではあるが、よくよく考えたら自宅に招いて一緒にお酒を飲んだことはなかった。正確には私の部屋ではあるのだが、こうして旭君の部屋で暮らすようになってからは初めてだった。

 

 始まる前に旭君と美優さんが一緒にキッチンに立っている後姿が、まるで夫婦に見えてしまい嫉妬してしまったことを除けば、とても楽しい家飲みだったのだが……途中からあまり記憶がない。気が付いたら私はソファーで寝ていて、旭君はカーペットの上に倒れるように寝ていて、三人は『色々とごちそうさまでした』というメモを残して帰った後だった。

 

 何やら旭君にすごくドキドキさせられたことだけは覚えているのだが……忘れてしまったのは大変もったいない気がするので、また今度同じことをしてもらうようにお願いしておこう。

 

 あとついでに、三人にも何があったのかを教えてもらうことにしよう。

 

 

 

 

 

 

「ぐおぉ……頭が割れるように痛い……!?」

 

「二日酔い? 旭君にしては珍しいわね」

 

「いや、なんかこれ、本当に物理的に痛い気がするんだけど……!?」

 

 

 




 この状況までいっておっぱじめないとか、全くなんて健全な小説だ(熱い自画自賛)

 前書きでも触れたように、ツイッターで『瑞樹・早苗・美優の年上組』or『奈緒・凛・加蓮の年下組』というアンケートの結果を元に、今回は年上組です。その内年下組とのお話も書きます。

 そーいえば関係ないですが、『白南風の淑女』フィギュア発売日延長してたんですね……待ち遠しいなぁ。


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旭が楓を介抱する一日

とっても シンプル な おはなし だよ !


 

 

 

「……ふぅ……」

 

 一人食後のお茶を飲みつつ、一息つく。専らコーヒーばかりを飲む俺だが、たまには日本茶を飲みたくなることもある。

 

 いつも傍らにいる楓は不在で、今日は事務所のアイドルたちとの飲み会だそうだ。なので今日はこうして一人で晩飯を作り、一人で食事をしていたわけだ。

 

 別にこのシチュエーション自体は珍しいものじゃない。なんだかんだ言って、一年前はまだ同棲もしていなかったので夕飯を別々に取るということも多々あったし、今でも仕事の関係上どちらかが自宅で食事を出来なくなることもある。

 

 ……しかしまぁ、それでも嫁さんがいないというのは、それなりに寂しいものだ。

 

 さて、それじゃあ先に風呂にでも入って……。

 

 ――ピリリリリッ

 

「ん?」

 

 着信を告げるスマホを手に取る。画面に表記された名前は『kwsmさん』。

 

 ……何だろう、川島さんから連絡が来ることなんて多々あるというのに、言いようのない既視感のようなものを感じた。確か彼女も、楓と一緒に飲み会に参加しているはずなのだが……。

 

「今晩は、川島さん」

 

『……旭君、ホントゴメン』

 

 その開口一番の謝罪は、何故か心配よりも先に不安が湧いてくるものだった。

 

「何かあったんですか?」

 

『……とりあえず端的に説明すると、礼子さんたちにガッツリ飲まされた楓ちゃんが潰れたわ』

 

「……まぁ、そんな気はしてましたけど」

 

 川島さんの説明をまとめると、何でも楓を除いたクール酒飲み四天王の三人が突然「実は私たちも神谷旭のことが気になっていた(要約)」「神谷旭を守りたかったら私たちに飲み比べで勝ちなさい(要約)」などと訳の分からない発言をし、何故か楓がそれに乗ってしまったらしいのだ。

 

『おかげで、今までにないぐらい完全に酔い潰れちゃって……』

 

「人の嫁に何やってんすかアンタら」

 

『で、でも楓ちゃん、「旭君は私が絶対に守ります!」って、すっごく真剣だったのよ?』

 

 その方法が飲酒じゃなかったらもうちょっと素直に感動したんだけどなぁ……。

 

「とにかく、またいつもの店に迎えに行けばいいんですね?」

 

『ゴメン、お願いね』

 

「はい分かりましたよ……」

 

 通話を終わり、はぁっと溜息を一つ。

 

 そういえば、去年の楓の誕生日、俺が楓にプロポーズした日もこんな感じだったなぁなんてことを考えながら、俺は羽織るジャケットを取りに寝室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「……ほら楓、帰って来たぞ」

 

「………………」

 

 背負った楓から反応は無く、ただ意味もない小さなうめき声のようなものしか聞こえてこなかった。

 

 いつものお店から楓を回収してきたのだが、確かに完全に酔い潰れていた。正直、楓が外でお酒を飲んでここまで酔い潰れたことはだいぶ珍しかった。少なくとも、俺との交際が始まってからは殆ど無かったと思う。

 

 川島さん曰く「外で酔っぱらうと二人の関係をポロッとこぼしてしまう可能性があったから自重していたが、その心配がなくなったからタガが外れたのではないか」とのことだ。出来ればそのタガは関係を公にしてからも外さずに丁寧にハメておいてもらいたかった。

 

「よいしょ」

 

 とりあえず寝室まで楓を連れてきて、ベッドの上に寝かせる。

 

「って、おわっ」

 

 首に回された手が離れなかったため、楓に覆い被さる形で俺もベッドに倒れ込むことになってしまった。そのまま胸元に顔を埋めて、さらに枕か何かと勘違いして俺の頭を強く抱きしめられるところまでお約束ではあるが、シャツのボタンと下着のホックが鼻っ柱に当たって普通に痛い。そういうのはふんわり優しくやるのが楽しむコツである。

 

「よっと」

 

 少々強引に引き剥がす。ただ寝ているだけならばもう少し丁寧に扱うのだが、酔っぱらって寝ている状態は何をしても基本的に起きないので、多少乱雑に扱っても問題ない。

 

 そう、酔って寝ている場合は本当に雑に扱っても起きないのだコイツ。まぁその辺の色々は過去に何回か既に経験済みだが……以前それを逆手に取られて楓本人にカメラを隠されていたことがあるので、もう懲りた。

 

「さてと」

 

 こうして楓を連れ帰って来たわけだが、これで終わりではない。こんなだらしなく酔い潰れていたとしても、紛いなりにも楓はアイドル。流石にこのまま翌朝まで寝かせておくわけにはいかない。

 

 本当は無理矢理風呂に放り込みたいところではあるのだが、深酒直後の入浴はNG。どうせ明日の朝にもう一度入ることになるだろうが、いくら酔い潰れているとはいえ楓も汗臭いのは嫌だろうし、とりあえず濡れタオルで体を拭いて着替えさせることにする。

 

 あ、ただ別に俺は楓の汗の匂いとか全く気にしな(ry

 

 

 

 風呂場で桶にお湯を張り、タオルと共に寝室に持ってくると、ベッドの上の楓はそれまで羽織っていた薄い上着を脱ぎ捨てていた。どうやら暑くなって無意識的に脱いだらしい。ただ脱がせるものが少なくなったのはちょうどいい。

 

 ただ服を脱がせるその前に……。

 

「えっと……あったあった」

 

 寝室の楓の荷物を少々失敬して、化粧落としを見つけ出す。素のままで十分美人な楓だが、大人の身だしなみとして当然普段からメイクをする。まずはメイクを先に落とさないと。

 

「えっと、まずはポイントメイクを……」

 

 落としづらい目元口元のメイクから落とし始める。

 

 実は楓のメイクを落とすことは初めてじゃない。珍しいというだけであって楓が酔い潰れたことは過去にも何回かあったし、その度に俺がわざわざメイクを落としている。初めは電話で川島さんに指示されながらだったが、今では慣れてしまった。

 

 そもそも俺とて俳優の端くれで、ドラマばかりではなく舞台にだって度々出演する。そんな仕事を十年もやっていれば、簡単なメイクの仕方と落とし方ぐらい分かるし、実際一人でメイクをする機会だって何回かあるのだ。

 

「最後に軽く拭いてっと」

 

 やはり化粧をしているときも美人だが、個人的にはこうして化粧を落とした素の状態の楓の顔も大好きだ。そもそも天然でこのまつ毛の長さなのだから、まさしく生まれついての美人である。

 

 さて、着替えだ。

 

「ほら楓、服脱がせるぞ」

 

「……うぅん……あさひくんのえっち……」

 

「グヘヘー観念しろー抵抗しても無駄だぞー」

 

 適当に楓の寝言に相槌を打ちつつ、着ているシャツのボタンを上から外す。そーいえば女性物のボタンってのは男性物の逆だから、こういうとき外しやすいよなぁなどとどうでもいいことを考えながら全て外し終えると、薄緑色の下着に包まれた胸と何にも包まれていないお腹が露わになった。

 

「はい、身体起こせ。シャツ腕から抜くぞ」

 

 抱き寄せる形で楓の上半身を起こし、両腕からシャツを抜く。そしてついでに背後に手を伸ばして下着のホックを外し、そのまま下着も一緒に脱がせた。彼女の桜色の胸の頂を隠すものは何もなくなり、上半身裸となった。

 

 流石アイドルというだけあって、やはり身体のバランスは見事だと感心する。346プロにはやたらと胸の大きなアイドルが多いため少々見劣りしてしまうのは仕方ない。しかしそれでもこの腰のクビレのラインに関しては、誰にも負けていないと自信を持って言える。

 

「………………」

 

 ムニムニ

 

「……んっ……」

 

 いや、嫁さん以前に惚れた女性が上半身裸で横たわっているのだから、手を出さない方がおかしいと自分自身に言い聞かせる。やわっこいなぁ……。

 

 堪能したところで、本来の目的である楓の身体を拭くことにする。

 

 桶のお湯はちょうどいい温度になっていた。それでタオルを濡らし、適度に絞ってから身体を拭いていく。これは今年の正月明けに楓が風邪を引いた際に身体を拭いたときと同じ。ただ今回は楓の意識がなく、殆ど脱力している状態なので少し大変だ。

 

 両腕、肩、腋の下、胸、お腹、首と余すところなく拭いていく。胸の頂にタオルが触れて楓が「んっ……」と小さく声を漏らした際には、少々アレな気分になったことは否定しない。

 

 上半身を拭き終わったので次は下半身なのだが、いくら暖房を入れているとはいえ全裸は流石に寒いだろうから、とりあえず上を着せることにしよう。寝るときには下着を付けないので、代わりに肌着を着せてからパジャマを着せる。

 

 よし、今度こそ次は下だ。

 

「下も脱がせるぞー」

 

「……うぅん……あさひくんのすけべ……」

 

「ふひひーお前の身体は既に俺のものなのだー」

 

 一部例外を除きステージ衣装はスカートが多い楓だが、私服はパンツ系が多い。今日も例に漏れずショートパンツで、下に黒のストッキングを履いていた。

 

 まずはショートパンツを脱がせるためにベルトを抜き、ボタンとファスナーを外す。そのままベッドに寝かせた楓の腰を抱き上げるように浮かせ、徐々に見えてくる黒スト越しの下着にフェチシズムを感じつつショートパンツを脱がせていく。

 

 足からショートパンツを抜き、次はストッキングを伝線しないように丁寧に脱がせると楓の生足が徐々に剥き出しになった。

 

 やっぱり高垣楓という女性の魅力を語る上で、脚は外せない。全体的に肉付きがよくないので太腿の柔らかさは若干物足りなさを感じるが、逆にその細く長い脚はモデル高垣楓のスタイルの良さの象徴とも言える。

 

 見慣れていてもなお見惚れそうになるが、さっさと最後の一枚脱がせてしまおう。上とお揃いの薄緑色の下着は、布面積的にショートパンツやストッキングよりも簡単にスルリと脱がせることが出来た。

 

「……そーいえば、同じ色なんだよな……」

 

 目線を上げて楓の鶯色の髪を一瞥してから、こちらも濡れタオルで拭いていく。

 

 足先から股座まで。何度も身体を重ねてお互いを余すところなく知り合った仲ではあるが、こうして明るい中で見るのは少々気恥ずかしいものがあった。

 

 下着はどうせ明日の朝もう一度シャワーを浴びた際に変えるだろうから、とりあえず適当に俺が選んだ白色を履かせる。別に俺の趣味嗜好は一切入っていない。

 

 それから下もパジャマを履かせて、これで着替えは完了である。

 

 布団をかけて寝かせる体勢にしてから、一先ず脱いだ洗濯物とお湯の桶を持っていく。洗濯機はまた俺が風呂に入ってから回すので、とりあえず下着はネットに分けて全部洗濯機の中に入れておく。ショートパンツは……デニム生地だし、確かまだ今日しか履いていないはずだから、洗濯はなし。

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 お湯も捨てて再び寝室に戻ると、既に楓は静かに寝息を立てていた。全く、人がアレコレやってるっていうのに……。

 

 さて、仕上げのスキンケアだ。これも川島さんから教わった手順で、楓の化粧水を塗り込んでいく。

 

「ぷるぷるになーれ、つやつやになーれ、ぴちぴちになーれ」

 

 ついでに川島流アンチエイジングの呪文も一緒に唱えておこう。楓の童顔がこれ以上若返ったら、それこそ本当に中高生と間違われる可能性が出てくるが……今以上に綺麗になった楓を見たいという気持ちを抱くのは、俺だけじゃなくファンにみんなも同じだろう。

 

 軽く頬を摘まんで伸ばしたり、耳の中をくすぐったり、途中遊びながらもスキンケアを終える。

 

 これでようやく全行程終了だ。あぁ疲れた。

 

 

 

 

 

 

「ったく、一体どんだけ飲んだんだか」

 

 なんとなく楓の寝顔を肴に一杯やりたくなり、ウイスキーのロックを持って来てベッドの腰かけながらチビチビ舐めるように飲む。酔っているので当然楓の顔は赤いが、それ以外は問題なくスヤスヤと眠っている。

 

「……そういえば、元は俺を守るために飲んでくれたんだよな」

 

 いやまぁ、元々飲む口実さえあれば何でもいいのかもしれないが、それでも少しぐらいは俺の為に必死になってくれたのだろう。しかも相手は同じクール酒飲み四天王の三人だ。先ほど迎に行ったときに見たメンツから考えると、きっと片桐さんとか姫川とかその辺りも悪ノリしたことだろう。

 

 

 

 ――奏ちゃんも、愛梨ちゃんもそうでしたけど!

 

 ――旭君は未来永劫私のものです! 誰にだって譲ってあげません!

 

 

 

 そんなことを言っていたと、川島さんが教えてくれた。

 

「俺がお前から離れることがあるわけないだろ、このおバカ」

 

 しかしそう思って行動してくれたこと自体は、素直に嬉しかった。まさか守られるお姫様側の気分を体験する羽目になるとは思わなかった。

 

「……ありがとな、楓。でもこれからは、もう少しぐらい酒の量を減らす努力しような」

 

 寝ている楓と唇を合わせる。当然のことながら、随分とアルコール臭い口付けになってしまったが、それもまた楓らしいので嫌いではなかった。

 

 

 

 

 

 

 □月□日

 

 昨日は日記を書けなかったので、昨日の事もまとめて書くことにする。

 

 昨日はアイドル部門のみんなと一緒に飲み会があった。最近は家で旭君と飲む機会の方が増えたため、こうしてアイドル部門のみんなと一緒にお酒を飲むのは久しぶりだった。

 

 ただ初めは楽しく飲んでいたのだが、途中で礼子さんたちが「実は私たち、旭君のこと気になっていたのよねぇ」「ねぇ楓ちゃん、一度、旭君と二人きりでお酒を飲ませてくれない?」などとトンデモナイことを言い出した。

 

 今になって考えてみれば、それは礼子さんたちの冗談だったと思うのだが、アルコールも入っていた私がヒートアップしてしまい、そこから旭君を賭けて飲み比べが始まり……。

 

 気が付いたら、翌朝自宅のベッドの上だった。

 

 どうやって帰って来たのか一切記憶がなく、服から下着まで全て着替えが終わっており、さらにメイクまで落としてあった。どうやら旭君が全てやってくれたらしく、さらにスキンケアまでしてくれたというのだ。

 

 酔って迷惑をかけたばかりかそんなことまでしてもらい、ごめんなさいと謝ると旭君は「役得だったからへーきへーき。でもあんまり飲みすぎるなよ」と笑って許してくれた。

 

 ……旭君は意外と平然としていたが……私の方は、こうして日記を書いている今でも顔から火が出るくらい恥ずかしかった。

 

 確かに夫婦なのでお互いの身体なんて隅から隅まで見知った仲ではあるのだが、だからといって上下の着替えをさせられて身体中を拭かれたことに対して何も思わないわけではなく、何故か無性に恥ずかしかった。

 

 そしてそれと同時に、ほんの少しだけズルいという感情も湧き上がって来た。

 

 ……私も、一度でいいから酔い潰れた旭君を介抱してみたいと、そう思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

「旭君も()()潰れても()()んですよ?」

 

「今()は明日の()()があるからダメ」

 

「っ……!?」

 

「なんでそんなにショックを受けた顔してんだよ……」

 

 

 




 まず最初に、書かれそうな感想に先んじて返信するけど、R18版は書かないからな! というか書けないからな!(スキル不足)

 作者の読む量が少ないだけでもしかしたらあったかもしれないけど、泥酔した楓さんを着替えさせるだけのお話は初ではないかと自負している。……ないよね?

 ちなみに本文中の『以前それを逆手に取られて楓本人にカメラを隠されていたことがあるので』の詳しい詳細はツイッターで『#楓一緒 美味しいお酒の飲み方』を検索(露骨な宣伝)

 あとついでに、奏さんSSRお迎え祈願のIF奏ルートなるものも上げてますので、よろしかったらどうぞ(しつこい宣伝)


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旭と楓が旅をする一日・その1

なんと今回は三部作!


 

 

 

「「「新年明けましておめでとうございます!」」」

 

 寒い冬空の下、しっかりとコートとマフラーで防寒対策をした三人娘はカメラに向かって頭を下げた。

 

「トライアドプリムスの渋谷凛と」

 

「同じく、北条加蓮と!」

 

「同じく、神谷奈緒です」

 

 

 

 ――あぁ……暖まる……。

 

 ――いい足湯は、まさしく癒し(いーあし)(の)湯ですね。

 

 

 

「正直、まさか私たちに旅番組のオファーが来るとは思ってなかったよね」

 

「スタジオ収録の撮影ばっかりだったから、こうやって外で、しかも人前での撮影って殆どなかったから新鮮だよな」

 

「なんかこうしてると、本当に芸能人になったんだなぁって実感するよねー!」

 

 加蓮ちゃんが手を振ると、彼女たちを遠巻きに見ていた見物人たちから黄色い歓声が上がった。

 

 

 

 ――えいっ、えいっ。

 

 ――おいコラ、お湯を飛ばすな。

 

 

 

「という訳で私たちは今回、◯◯県は××にお邪魔しています」

 

「ここを出発点として今日一日、新年に是非行きたい、みんなにオススメの観光スポットを紹介するよ!」

 

「……い、いやぁ楽しみだよな!」

 

 凛ちゃんと加蓮ちゃんがごく自然に台本通りのトークをする中、奈緒だけ一人声が上擦っていた。

 

 

 

 

 ――旭君、あーんっ。

 

 ――ったく、溢すなよ?

 

 

 

「どうしたの奈緒?」

 

「……いや、無理だって、ホント……」

 

「……まぁ、気持ちは分からないでもないよ、うん」

 

 カメラを前に、何故か奈緒は恥ずかしそうに手で顔を覆う。そんな奈緒の肩に凛ちゃんが同情するように手を置いた。

 

 

 

 ――はい、旭君、お返し。

 

 ――あーん。

 

 

 

「……そろそろ触れる?」

 

「正直放置していきたいんだけど……」

 

「無理でしょ、角度的にバッチリカメラに映ってるし。あとお茶の間的にも気になって仕方がないだろうし」

 

 だよなぁ……とガックシと肩を落とす奈緒だったが、意を決したように顔を上げた。

 

 

 

 ――って楓、口許にカスが付いてるぞ。

 

 ――旭君が取って?

 

 

 

「っだあああぁぁぁ! さっきからいい加減にしろよこの新婚夫婦うううぅぅぅ!?」

 

 

 

 ついに爆発した奈緒がこちらに振り返った。どうやら、ようやく俺たちの出番のようである。

 

「やぁ三人とも。明けましておめでとう」

 

「おめでとうございます、奈緒ちゃん、凛ちゃん、加蓮ちゃん」

 

 先ほどから番組プロデューサーの指示に従って、奈緒たち三人の後ろで足湯に浸かっていた俺と楓。オープニングトークを三人に任せて俺たちは後ろでのんびりしてていいとのことだったので、温泉卵を食べつつ、まったりとさせてもらっていた。

 

「明けましておめでとうございます、旭さん、楓さん」

 

「明けましておめでとうございます。あんまり奈緒をいじめちゃダメですよー? そういうのは私たちの役目なんですから」

 

「明けましておめでとう……って加蓮それどういう意味だよ!?」

 

 相変わらず俺の妹はトライアドプリムスの中でも特に可愛がられているようである何よりだ。

 

 

 

「というわけで、明けましておめでとうございます。神谷旭です」

 

「明けましておめでとうございます。高垣楓です」

 

 足湯から上がり、改めてカメラの向こう側に挨拶をする俺と楓。

 

 というわけで今回のお仕事は、新年に放送予定の旅番組の収録。先ほどから明けましておめでとうと挨拶しているものの、実際にはまだ十二月だ。

 

 そして俺たちがここにいるのは、ただ足湯に浸かっているだけのエキストラではなく勿論番組出演者としてである。

 

「ホントなんなんだよこの組み合わせ……」

 

「ホントそれな」

 

 奈緒の呟きに同意する。

 

 『俺と楓』か『トライアドプリムス』のどちらかなら分かる。『楓とトライアドプリムス』でもまだ理解できる。それを何がどうしたら『俺と楓とトライアドプリムス』なんていうアクロバティックな組み合わせになるのだろうか。

 

 そんな俺たちの疑問に答えてくれたのは、今回の番組進行をしてくれる凛ちゃんだった。

 

「えっと、一応『夫婦』『友達グループ』『兄妹』っていうどんな組み合わせで来ても楽しめる旅っていうコンセプトらしいから」

 

「最後の一つの取って付けた感が凄いな」

 

 しかもそれだったら別撮りでもいいだろうに……。

 

「いいじゃない旭君、旅は大勢の方が楽しいですし」

 

「……まぁ、今更どうこう言ったところで変わらないか」

 

 味気ないし身も蓋もないが、それがお仕事なのである。

 

「それじゃあそういうわけで、今日は楽しみましょー!」

 

「「「「おー!」」」」

 

 そんなわけで、俺と楓とトライアドプリムスという変則的な組み合わせによる旅が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 さて、とりあえず出発するわけなのだが、今回の旅はロケバスや公共交通機関を使用しない。そうなるとどうやって移動するのかというと、レンタカーである。レンタカーである以上、誰かが運転しないといけないわけで……。

 

「まぁ、こういうことだよな」

 

 五人乗りのレンタカーの運転席に乗り込み、シートベルトを締める。既に車内にはCCDカメラが設置済みだ。

 

「ふふ、頑張ってね、旭君」

 

「「よろしくお願いしまーす!」」

 

「アイドル四人も乗せてるんだから、絶対に事故だけはすんなよ!」

 

「はいはい」

 

 しかし奈緒の言う通り、アイドルを四人も乗せた車内は色々な意味で凄いことになっていた。隣を見ると六代目シンデレラガールの高垣楓がニコニコと笑いながらこちらを見ており、バックミラーで後部座席を覗くとそこには今をときめく人気アイドルユニットであるトライアドプリムスの三人が並んで座っているのだ。恐らくテレビの前の諸兄は大変羨ましがっていることだろう。

 

「旭さん、行き先はナビに登録されてるので、それでお願いします」

 

「了解」

 

「それじゃあ出発ー!」

 

 

 

「そういえば、さっき珍しい組み合わせみたいな話が出てたけど、別にこの五人で旅行に行くのって初めてじゃないよね?」

 

 目的地に到着するまでも当然カメラは回っているので、旅番組恒例の車内トークが始まった。話題を振ったのは司会進行の凛ちゃんではなく加蓮ちゃん。

 

 ちなみに今回の旅は『アイドルたちの自然な旅の風景を撮影したい』というプロデューサーの意向により、オープニングトーク以外に台本が一切ない。知らされているのはおおまかな日程だけであり、それすら知っているのは司会進行の凛ちゃんとドライバー役の俺だけだ。本当にこんな番組構成で大丈夫なのだろうか……。

 

「この五人で旅行というと……あぁ、夏の」

 

「そうそう! 夏休みに346プロダクション所有の保養所へ行ったんだよね」

 

「トライアドの三人が未成年だけで使えないから、保護者兼ドライバーとして俺に白羽の矢が立ったんだよな」

 

 番組を見ている人たち向けに自然と説明口調になる。

 

「懐かしいわねぇ……まだ私と旭君が婚約して二ヶ月ぐらいのときになるのよね?」

 

「あ、そうかあのときってまだ旭さんたちって結婚してなかったんだっけ」

 

「基本的にずーっと変わらないから、そこら辺がちょっと曖昧なんだよね」

 

 そう顔を合わせる凛ちゃんと加蓮ちゃん。それは散々色々な人から言われてきたことで、早いうちから俺と楓のことを知っていた人からは「あれ? まだ結婚してなかったっけ?」と言われ、結婚してからも「え? 結婚式ってそんなに最近だったっけ?」と言われる始末。

 

「逆に結婚してから変わったことってなんですか?」

 

「変わったねぇ……」

 

「まず楓の戸籍が変わって、俺が世帯主になって、住民登録の手続きが色々と面倒で……」

 

「そういう結婚の現実的な話じゃなくて」

 

「あ、私の国民年金の登録も変わりましたよ」

 

「誰が将来性が現実的じゃない話をしろといいましたか」

 

「凛ちゃん、一体何処でそんなブラックな切り返し方を……」

 

 そうだなぁ……それ以外となると。

 

「私はありますよ」

 

 俺が思い付くよりも先に、楓が小さく手を挙げた。

 

「おっ! なんですか、楓さん!」

 

 

 

「結婚してから、旭君のことがもっと大好きになりました」

 

 

 

「「「……お、おう……」」」

 

 後部座席三人の声が完全に一致した瞬間だった。少なくとも君たちが出しちゃいけない声だぞ。

 

 

 

「いやホント、旭さんと楓さんが結婚するって話を聞いたときはビックリしたよ」

 

 話題は変わり、俺が楓と結婚を決めたときの話に。

 

 ねぇ? と隣の二人に同意を求める凛ちゃん。多分放映時には、ここら辺で『お二人は六月に婚約』とかテロップが挿入されていることだろう。

 

「奈緒は二人が結婚するって話を最初に聞いたときはどうだったの? やっぱり旭さんが楓さんをいきなり連れて帰って来たの?」

 

「あぁいや、最初は兄貴、あたしに電話してきたんだよ」

 

「いきなり連れて帰ったら驚かれると思ってね。一番最初に奈緒に連絡して、両親に伝えてもらったんだ」

 

「ということは、旭さんが結婚のことを報告した一番最初の人が奈緒ってこと?」

 

 ん? えっと、確か事務所にも連絡はしたはずだけど……いや、とりあえず先に家族に伝えるべきだって考えたんだっけ。

 

「そうなるな」

 

「わぁ! ねーねー、奈緒はその時どう思ったの!? やっぱり大好きなお兄ちゃんが結婚するって聞いてショックだった!?」

 

「大好きなって形容詞は余計だよ! ……そりゃあ、自分の兄貴があの高垣楓と結婚するっていきなり言い出したんだから驚きもするっての」

 

「そりゃそっかぁ」

 

「私たちも奈緒経由で旭さんのこと知ってたけど、私たちも正直信じられなかったもんね」

 

「一瞬、お仕事に疲れて変な妄想でもしてるのかと思ったもん」

 

「だからあのとき、加蓮ちゃんから『お仕事で疲れてるんですか?』っていうメールが来たのか……」

 

 わざわざ気を遣ってくれてありがとうとか思ってしまった俺の感謝の念を返してくれ。

 

「楓さんは? やっぱり両親が一番最初でした?」

 

「えぇ。母に『今晩旭君とコンニャクを食べます』って」

 

「「「「……ん?」」」」

 

 楓の言っていることの意味が分からず、四人揃って首を傾げる。

 

 

 

「うふふ……旭君とコンニャク(婚約)今夜食う(婚約)って……」

 

 

 

「「「「………………」」」」

 

 誰かが間違えて車の窓を全て全開にしたのかと錯覚してしまった。

 

 多分放映時はテロップやら編集やらが入っていい感じになっているのだろうが、生憎現場の空気は普通に寒かった。

 

「……きょ、今日も好調ですね、楓さん」

 

 なんとか一言を絞り出した凛ちゃん。

 

「まさか飲んでないだろうな……?」

 

「失礼ですね」

 

 しかし、ほろ酔いの楓で撮れ高を稼ごうとスタッフがこっそりダッシュボードの中にパック酒を忍ばせてるとか、ありそうで怖い。

 

 実際、ほろ酔いの楓は可愛い。いつもの涼やかな微笑みがほにゃほにゃと崩れる様は、それはもう何回見ても飽きないし、寧ろ見るたびに惚れ直すぐらいだ。きっと視聴率も鰻登り間違いなしで、裏で放送しているであろう765プロの『生っすかレボリューション新春スペシャル』にも負けないだろう。

 

「もう、旭君ってば。こうやって折角の旭君との旅行なんだから、私も流石に自重してるのよ?」

 

「普段そう言いながら飲んでる奴のセリフじゃねぇよ。それに、思いっきりカメラスタッフその他トライアドプリムス込みの仕事だけどな」

 

 

 

 ――おい兄貴今しれっとあたしたちをその他扱いしたな。

 

 ――まぁまぁ奈緒。

 

 ――ちょっと大人しく話聞いてよ?

 

 

 

「でも……結婚してから初めての旅行には変わりないでしょ?」

 

「……まぁな」

 

 今から丁度半年前に結婚した俺と楓だが、それからスケジュール的な問題で二人で遠出というのが出来ていなかった。最後に二人で遠出したのは結婚前に行った温泉宿で、要するに新婚旅行すらまだなのだ。

 

「お仕事だからしょうがない……とはいえ、それでもやっぱり新婚旅行は行きたかったわ」

 

「……俺だってそうだよ」

 

「だからこれは、私の中では新婚旅行の予行演習。お仕事だから、なんて言葉で済ませずに、目一杯楽しみましょう?」

 

「……そうだな。悪かったな、楓」

 

 

 

 ――もがーっ! もがーっ!

 

 ――奈緒落ち着いて!

 

 ――もうちょっとだけ! もうちょっとだけ!

 

 

 

「でもこれだけは言っておくわ」

 

 ひじ掛けに置いてあった俺の左手の甲に、楓の右手が乗せられた。

 

 運転中故に隣に座る楓の表情を窺うことが出来ないのがもどかしい。けれど、手のひらから伝わってくる温もりだけで、その感情は痛いぐらいに伝わって来た。

 

「私は、貴方の隣にいられるだけで、幸せだから」

 

「……ありがとう、楓」

 

 

 

「うがあああぁぁぁやってられるかあああぁぁぁ!?」

 

 

 

 番組開始早々だというのに、早速我が妹からのギブアップ宣言だ。いやまぁ、撮影している現在は年明けどころかクリスマスもまだなのだが。

 

 先ほどまで両側に座る凛ちゃんと加蓮ちゃんに動きを抑えられていた奈緒だったが、拘束を振りほどき髪を振り乱しながら頭を抱えている。

 

「奈緒、どーどー」

 

「ステイステイ」

 

 そんな妹の様子が面白いらしく、凛ちゃんと加蓮ちゃんの奈緒を宥める声にやる気が見えない。かくいう俺も妹の奇行が面白いので何も言わない。楓だけはそんな奈緒の豹変ぶりに困惑している様子だった。

 

「実の兄貴と義姉がイチャついてるところを目の前で見せつけられた上に、公共の電波で晒される(あたし)の身にもなってくれよ……!」

 

「当人たち以上に恥ずかしがってるところが実に奈緒らしいな」

 

 初心というかなんというか。

 

「これだから、この二人と一緒の番組に出るのは……!」

 

 

 

「あら……奈緒ちゃんは、私とのお仕事、嫌だった?」

 

 

 

「……はえ?」

 

 楓の寂しそうな声に、ヒートアップしていた奈緒が一気にクールダウンした。

 

 チラリと横目で楓を見ると、うっすらと目に涙を浮かべながら人差し指の第二関節で目元を抑えていた。ビックリするぐらいに名演であるが、楓の性格と話の流れ的にバレバレである。

 

「私は奈緒ちゃんと一緒のお仕事でもあるから、とても楽しみにしてたのに……」

 

「あっ!? いやっ!? ちがっ!?」

 

 しかしそれに気付かない奈緒は、初心というよりはただ単に純粋なのだろう。

 

「……えっと、その……あたしも、その……ほ、ホントは……楓さんと一緒の仕事、楽しみにしてたから……」

 

「……ホント?」

 

「ほ、ホントだって! 楓さんはあたしの義姉さんなんだから!」

 

「ふふっ、ありがとう、奈緒ちゃん」

 

「……うん」

 

 真っ赤になって俯く奈緒。

 

 ……いやぁ。

 

「奈緒の可愛いところも公共の電波に乗ったところで、そろそろ最初の目的地に到着するぞ」

 

「………………あ」

 

 今になってそれを思い出した奈緒。両隣の二人は、それはもう分かりやすくニヤニヤと口元を歪めており――。

 

 

 

 ――車内に、奈緒の声にならない悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 ◇月◇日

 

 今日は待ちに待った旭君とトライアドプリムスの四人と一緒に旅番組の収録日だ。

 

 勿論お仕事なので遊んでばかりはいられないと思うが、それでも旭君との久しぶりの旅行なのだ。トライアドプリムスの三人も一緒なのだから、より一層楽しみだった。

 

 まずはオープニングトークを三人に任せつつ、私たちは足湯でゆっくり。足湯とはいえ貸し切りだったので大きく足を延ばしながら入るお湯はとても気持ち良かったし、旭君と食べさせあいっこした温泉卵も美味しかった。

 

 その後はちゃんと三人と合流して、旭君の運転する車で最初の目的地へ。今回の旅は、司会進行の凛ちゃんと運転手の旭君以外、目的地を知らないので、少しワクワクした。

 

 ……本当は、私しか知らないこともあるのだけど。

 

 車内では、慌てる奈緒ちゃんが可愛くて少しだけ意地悪してしまった。勿論その後ちゃんと謝ったら、奈緒ちゃんはすぐに許してくれた。やっぱり奈緒ちゃんはとてもいい子だ。車を降りた後で旭君を蹴っていたが、アレはきっと兄妹のスキンシップだろう。私は一人っ子だったので、やっぱりその距離感が少しだけ羨ましかった。

 

 

 

 《続く》

 

 

 




 今回は、実際の時系列に沿っていた結婚前編では出来なかった長編です。時系列が大幅にズレると思われるでしょうが、そこはちょっと考えてあるので違和感ないかと。

 そして、一発目は寧ろ楓さんよりも奈緒メインのようになってしまいましたが……まぁ、ちゃんと二人もイチャついてたからダイジョウブダイジョウブ。

 というわけでこれが『かえでさんといっしょ』の今年最後の更新となります。次回は年明けになりますので……少し早いですが、皆さん良いお年を。

 ……クリスマス? ナンノコッタヨ。



 ……さて、楓さん(と未央とまゆ)のTulipヘビロテしなきゃ。


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旭と楓が旅をする一日・その2

遅ればせながら、みなさんあけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!


 

 

 

「イタタタ……おい奈緒、本気で蹴るのは無しだろ」

 

「うっさい! 自業自得だろ!」

 

 車を降りた途端、腰の入った奈緒のミドルキックが俺の左太腿に突き刺さった。『アイドルに蹴られるとか何そのご褒美』みたいな電波が頭を過ったが、アイドルである以前に妹だし、そもそも普通に痛いので勘弁してもらいたい。

 

 大人げなくまた後で仕返しをしてやることを心に決めつつ痛む太腿を擦っていると、ススッと近寄って来た楓がそこに自身の右手を当てた。

 

「いたいのいたいの~……とんでけ~!」

 

「わぁすごい! もう、いたくない!」

 

 完全に茶番だが、これで本当に痛くなくなった気がする辺り相当アレな夫婦である。

 

「……またやってるし……」

 

「本当に隙あらばイチャつくね、旭さんと楓さん」

 

「でも視聴者的にはこーいうのが見たいんだろうねー」

 

 俺が自分で言うのもなんだけど、多分今回はずっとこんな感じだろうから早い内に慣れてくれ、三人娘よ。

 

「ちなみに恥ずかしいとか、そういうのは思わないんですか?」

 

「んー、特にそういうのはないかな。俳優やってると割と恥ずかしい役どころを演技()ることもあるし。案外慣れるもんだよ」

 

「それは旭さんが恥知らずってだけじゃないの?」

 

「今日の凛ちゃんは遠慮がないなぁ」

 

 寧ろそれだけ気心を知れた仲なのだと前向きに捉えよう。

 

「それに、嫁さんとイチャつくことは恥ずかしいことじゃないだろ?」

 

「……うわ、凛、この人本気で言ってるよ」

 

「ずっと旭さんのこと、常識人だと思ってたのに……」

 

 やめてくれよ、そんな俺が常識外れみたいな言い方。

 

 いやまぁ、俺だってそれなりにアレなことを言っている自覚はあるけど。

 

「旭さんもそうだけど、私としては楓さんの変わりようにも驚きだなぁ」

 

「確かに。ちょっと子供っぽいところもあるけど、やっぱり大人の女性っていうイメージだったから」

 

「そこは俺も楓も()()だから、公表するまで自制してただけだよ。それに……」

 

 チラリと視線を楓に向けると、それに釣られて凛ちゃんと加蓮ちゃんもそちらに視線を向ける。

 

 

 

「うぅ……本当にあたしはこんな状況で、一日撮影を乗り切らなくちゃいけないのか……!?」

 

「頑張りましょう、奈緒ちゃん」

 

「うっ……!? か、楓さん……そ、その、出来ればもう少し兄貴とのイチャつきを、自重してもらえると……」

 

「あら……それじゃあ、奈緒ちゃんとイチャつこうかしら」

 

「なんでそうなるの!?」

 

「えいっ」

 

「わぷっ!? ちょ、いきなり抱き付くのは……!?」

 

「……私、奈緒ちゃんみたいな義妹が出来て、本当に嬉しいわ」

 

「……あたしも、その……楓さんみたいなお義姉ちゃんが出来て……嬉しいです……」

 

「ふふっ、ありがとう、奈緒ちゃん」

 

 

 

「身内に甘いんだよ、楓は」

 

「「なるほど」」

 

「それはそれとして、ウチの妹は相変わらずチョロ可愛いなぁ!」

 

「「確かに!」」

 

 

 

 ちなみに車から降りてすぐスタッフがカメラを回し始めているので楓と奈緒の様子はバッチリカメラに収めているのだが、もう蹴られたくないので黙っておこう。

 

 

 

 

 

 

「さて、最初の目的地に到着したしたわけだけど、ここは何処でしょう?」

 

 改めてカメラを回し始めてから撮影再開(先ほどのことは実際の放映時まで奈緒には内緒)

 

 後退るカメラに向かって五人並んだ歩きの絵を撮りながら、進行の凛ちゃんがそんな質問を投げかけてきた。

 

「んー、牧場みたいな雰囲気ではあるんだけど」

 

「グループで来て楽しめるってことだから、ふれあい牧場かしら?」

 

 加蓮ちゃんと楓が首を傾げる。ちなみに俺は知っているので黙っている。

 

「でも、次の干支は戌だろ? 丑年とかならまだ牧場でも分かるけど……」

 

「あっ、奈緒いい線いってる」

 

「え?」

 

 何気ない奈緒の呟きがかなり的を射ていた。

 

「……あっ! もしかして犬牧場!?」

 

「正解。というわけで、まず最初の目的地はこちら、○○犬牧場です」

 

 実は先ほどからチラチラと見えていた入り口の看板を指し示す凛ちゃん。見えていたにも関わらず黙っている辺り、実にテレビ的である。凛ちゃんたちもだいぶこういうのにも慣れてきたみたいだ。

 

「なるほど、今年の干支ピッタリの場所ってことですね」

 

 納得した様子で楓はポンッと手を叩いた。

 

「というわけで早速入場したいところなんだけど……旭さん」

 

「ん?」

 

「お願いします」

 

「何が……って、オイ」

 

 果たして凛ちゃんのお願いとは何なのかと首を傾げるよりも早く、カメラの外からササッと近付いてきたスタッフに財布を手渡された。

 

「私たちはまだ入場券を買っていません」

 

「これ渡された時点で何となく察した」

 

 何せコレ、マネージャーに預けておいた俺の私物の財布だからな。要するに全員分の入場券を俺の金で買ってこいということだろう。

 

「ありがとう、旭さん」

 

「ご馳走様でーす!」

 

「ついでに飲み物何か買ってきてくれー」

 

「了承してないのにこの有様だよ」

 

 奈緒に至っては完全に個人的なパシリにしようとしていた。

 

「旭君、私も出すわ」

 

「あーいいよ、これぐらい」

 

 寧ろこれぐらいでアイドル四人と旅行を出来るのであれば安いものだ。

 

 というわけで券売所へ、ごく自然に付いてきた楓と共に向かう。

 

「わっ、わっ、神谷旭と高垣楓!? 本物!?」

 

 すると受付の年若い女の子が俺たちを見てやや興奮気味に慌てていた。流石に完全にアポなしってことはないだろうから、俺たちがこうして直接入場券を買いに来ることを想定していなかったのだろう。

 

「あーすみません、大人五人お願いします」

 

「は、はいっ! えっと、三千五百円です!」

 

「俳優割引とかありませんか?」

 

「アイドル割引も、あればお願いしまーす」

 

「え、えっと……」

 

 突然の俺の無茶ぶりと楓の便乗に困惑した苦笑いを浮かべる女の子。そりゃまぁ、いくらなんでもいきなりノッてこれる人はそうそう……。

 

「それなら、握手していただければ代金の方は私が……」

 

「アカンでしょ」

 

 ノッてきちゃったよこの子。

 

 流石に彼女にお金を払わせるわけにはいかないので、当初の予定通り俺の財布から料金を払い、折角ノッてくれたのでそのお礼ということで俺と楓の二人で握手をする。

 

「あああありがとうございます! 私、お二人が結婚のニュースを見てからファンになったんです!」

 

「そこで?」

 

 何ともまぁ珍しいタイミングである。

 

「は、はい。その、テレビに映ってるお二人がとても幸せそうで、そんな風に私もなれたらなぁって……」

 

「あら、お相手がいるの?」

 

「えっと、付き合って五年になる彼が……」

 

 そういうことならばと、先ほどからそんなやり取りをちゃんと撮っているカメラに視線を向ける。

 

「ほら、これ見てるこの子の彼氏。そういう言葉はちゃんと男の方から言うもんだぞ」

 

「是非私たちみたいな幸せな夫婦になってね」

 

 

 

 ――その夫婦、案外地雷だからそうなっちゃダメだぞー!

 

 

 

 どうやら俺たちのやりとりが聞こえていたらしく、離れたところにいる奈緒からそんな失礼な発言が飛んできた。

 

「っと忘れるところだった」

 

 女の子から五人分の入場券を受け取る。これでようやく入場できる。

 

「それでは、楽しんできてください」

 

「ごめんね、長いこと付き合わせちゃって」

 

「彼とお幸せに~」

 

 果たしてどこまで使われるのか分からないが、そんな受付の女の子とのやり取りを終え、無事に入場券を(自腹で)購入した俺と楓はトライアド三人娘の所へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

「うわ、この子たち可愛い!」

 

「わっ、ちょ、舐めるなって!」

 

「この子、ハナコに似てる……」

 

 早速子犬たちと触れ合える『ふれあいコーナー』にやって来た俺たち。現役女子高生アイドルが子犬と戯れている姿がとても絵になっているため、スタッフたち一同は全力で奈緒たちの絵を撮りに行っている。

 

「ふふ、人懐っこいですね」

 

 とりあえず自由にしてていいということなので、俺と楓も子犬と遊ぶことに。俺が抱っこしている柴犬の子供の鼻先に楓が指を差し出すと、子犬はスンスンと匂いを嗅いでからペロリと舐めた。

 

「ウチでも飼ってみない?」

 

「犬かぁ」

 

 一応ペットオッケーのマンションなので、飼うこと自体は可能である。

 

「生き物を飼うっていうこと自体やったこと無いから、勝手が分からんというか想像が付かないんだよ。実家でも何も飼ってなかったし」

 

「でも奈緒ちゃんは犬っぽいわよね?」

 

「それには同意するが、話が繋がってないぞ」

 

 向こうの奈緒が「何か呼んだー?」と聞いてきたので「この間加蓮ちゃんから送られてきたお前のイヌミミ画像の話してたー」と返すと「カメラの前で何バラしてくれてんだバカ兄貴ー!?」という叫び声が。恐らく加蓮ちゃん辺りが空気を読んで、自身のスマホからその画像をカメラの前に出してくれることだろう。

 

「それに、小さい頃から一緒に育てると、情操教育にもなるって言うじゃない」

 

「……情操教育?」

 

「だから、その……」

 

 顔の前で指先を合わせ、恥ずかしそうに頬を赤くしながら目を泳がせる楓。

 

 

 

「……私と旭君の……赤ちゃんの」

 

 

 

「あ、赤ちゃん!?」

 

「「「赤ちゃん!?」」」

 

 思わず大声を出してしまい、それを耳にした三人娘、さらにはスタッフ一同までもが一斉にこちらを向いた。

 

「え、何っ!? 赤ちゃん!?」

 

「嘘っ!? いつの間に!?」

 

「ああああたしも聞いてないぞっ!? どーいうことだ兄貴!?」

 

「あー違う違う、前に加蓮ちゃんのスマホに送ったお前の赤ちゃんのときの写真のことを話してただけだから」

 

「な、なんだ……って、そっちはそっちで何してくれてんだよっ!?」

 

 再びカメラや他の人の意識が加蓮ちゃんのスマホに向いたところで、こっそりと溜息を吐く。いや、別に誤魔化す必要は何処にもなかったのだが、思わず誤魔化してしまった。あとで奈緒に怒られる案件が増えてしまったが、もうこの際そっちはいい。

 

「旭君は、その……ま、まだ早いと思う?」

 

 人差し指をツンツンと合わせながら唇を尖らせる楓。まるで年齢を感じさせないその幼い仕草がとても可愛い。

 

「……まぁ、ありきたりな言葉ではあるけど……赤ちゃんってのは、天からの授かりものだからな。早いとか遅いとか、そういうことじゃないと思う」

 

 勿論()()()()をしなければ出来ないのは当然だが、夫婦としてこの先の人生を共に生きていく中で、きっと自然と()()()が来る。だから結婚前に出来てしまった夫婦はただ()()()が早かっただけで、なかなか出来ずに悩む夫婦もまだ()()()が来ていないだけ……というのが、俺の考えである。

 

「まぁ精々二十六の若造の考えだから、アテになんかならないだろうけどな」

 

「……ううん、私もそう思うわ」

 

 アナタはどう? と再び俺が抱える子犬の頭を撫でる楓。きっと自分で話を振っておいて恥ずかしくなったのだろう。

 

 俺は自分が抱える子犬の頭を楓が撫でているこの状況で……子犬がもし自分たちの子供だったら、と妄想する。

 

「……可愛いだろうな、俺と楓の子供は」

 

「……そうね、楽しみよ」

 

 

 

 

 

 

「――はい、とりあえずここまで観てきたわけなんだけど……」

 

「色々ある言いたいことは、とりあえず奈緒に言ってもらおうかな」

 

「……あたしたちは何を見せつけられてるんだよおおおぉぉぉ!」

 

 ダンッと奈緒が拳を炬燵に叩き付けると、乗っていた人数分の湯呑が揺れた。

 

 既に年が明けて数日。ロケが終わった俺たちは炬燵に入ってそのときのVTRを観ていたわけなのだが、別にプライベートでくつろぎながらただ観ていたわけではない。

 

 実はこの旅番組、ロケ自体は収録なのだが放送自体はなんと生放送。こうしてそのときのVTRをスタジオの観客と一緒に観ながらコメントをしていくスタイルの番組なのだ。

 

 というわけで現在俺と楓、そして三人娘は民家の和室のようなセットに設けられた炬燵に入りながら、先ほどまで年末に収録したVTRを観ていたというわけだ。

 

「まさかここも撮られてたのか……」

 

「全部のカメラが奈緒ちゃんたちの方に行ったと思ってたわ」

 

「そんなわけないでしょ……」

 

 肩が触れるぐらい近くに並んでいる俺と楓に凛ちゃんが呆れたように溜息を吐くと、観客から小さく笑いが起きた。

 

 ちなみに観客席側から見て炬燵の左側に俺と楓、正面に凛ちゃん、右側に奈緒と加蓮ちゃんが入っている。当然背中を向けるわけにはいかないので、観客席側には誰も入っていない。

 

 さらにちなみにだが、お正月特番ということで俺は紋付き袴、楓と三人娘はそれぞれのイメージカラーの振袖を着用している。既婚者の楓も振袖と思われるかもしれないが、一応絶対にタブーというわけではないらしい。

 

「色々カットされてるからみんなは分かんないだろうけど、この二人ずっとあんな感じなんだからな!?」

 

「車内でカメラ回ってるっていうのに、いきなり楓さんが隣の旭さんの頬を指で突きだしたかと思ったら『ふふ、なんでもなーい』だよ? ……いやホント、後ろに乗ってる私たちが気まずかったよ」

 

「絶対適当にチャンネル回してたまたま観てた人がいたら、この番組のタイトル『神谷夫妻新婚旅行withトライアドプリムス』なんじゃないかって誤解してると思う」

 

 酷い言われようだ。

 

「でもほら、ちゃんと奈緒の可愛いところも映ってたから誤解はされないと思うぞ」

 

「それも含めてだよっ! ホント何してくれてんのさぁ!? 兄貴もスタッフもっ!」

 

 車を降りたときの楓とのやり取りや加蓮ちゃんのスマホに入っていた写真の(くだり)をノーカットでやった辺り、スタッフも奈緒の取り扱い方が大変よく分かっているようだ。

 

「さて、奈緒の不満が爆発しているところをあえて無視して先に進めていくんだけど……」

 

「おい!?」

 

 バッサリと切り捨てて番組を進行しようとする凛ちゃんだったが、やや不可解そうな表情でチラリとこちらを見た。

 

「一応こういう番組でも進行用に台本が用意されてるんだけど……なんか、最後の方が適当というか、何かを隠してる感じがしたんだよね」

 

「あ、それ私も思った!」

 

「あたしたち三人の台本は共通してそんな感じなんだよな」

 

 三人娘の視線が俺と楓に向けられるが、俺たちは素知らぬ顔でお茶をすする。

 

「ほら凛ちゃん、進めて進めて」

 

「……怪しいなぁ……」

 

 訝し気な三人の視線を受けつつ、俺たちは再びVTRへと意識を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ×月×日

 

 今日は以前ロケへ行った旅番組の収録日。

 

 既に年が明けてから何度も袖を通している振袖を再び着て、旭君や奈緒ちゃん・凛ちゃん・加蓮ちゃんと一緒に炬燵に入りながら番組の収録となった。まさかセットに炬燵が用意されているとは思わなかった。

 

 そこでロケのときのVTRを観たのだが、ほんの一ヶ月前のことなのに懐かしくて楽しかった。奈緒ちゃんとイチャイチャ出来たところをちゃんと観ることが出来て個人的にはとても嬉しかった。

 

 そう言えば、どうやら犬牧場の受付の女の子は無事に結婚することになったらしい。SNSで見かけたので、思わず祝福のコメントを残してきてしまった。おかげで予想以上に反響が出てしまって少しだけ申し訳ないが、それでも彼女たちも幸せになってくれると私も嬉しい。

 

 それにしても、奈緒ちゃんはどうして収録中あんなに苦虫を噛み潰したような顔をしていたのかしら……?

 

 

 

 《続く》

 

 

 




 前回からの続きです。生放送の収録イメージは、年末恒例のガキ使のあんな感じ。

 なんというか、奈緒が出てくると彼女を弄繰り回したくなる癖のようなものが出来てしまった……いやぁ奈緒は可愛いなぁ(思考停止)

 まぁそれと同じぐらい楓さんも可愛いんですけどね! ついに四種類目のフィギュアとなるプライズも手に入れてウキウキですよ!

 そして今月発売予定の『こいかぜ -彩-』を心待ちにしつつ、今回はここまで。

 次回、旅番組編のラストになります。


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旭と楓が旅をする一日 そして…

ハッピーバレンタイン!


 

 

 

 さて、夕方である。

 

「さて、これで本日の日程は以上となります」

 

「いやぁ遊んだ遊んだ!」

 

「本当にな」

 

「楽しかったわねぇ」

 

「もう疲れたぞ……」

 

 犬牧場を後にした俺たちは、その後も様々な観光スポットを巡り、様々な名物に舌鼓を打った。何回かミニゲームコーナーが設けられており、勝者のみ限定の名物を食べることが出来たり、逆に敗者は過去の写真を晒されたりとバラエティー色豊かに番組は進んだ。

 

 エアーホッケー対決で楓と奈緒のペアが相手なので負けないだろうと高をくくっていた凛ちゃんと加蓮ちゃんが負けて、昔の写真を晒されて真っ赤になっているのが印象的だった。もっとも、結局楓と奈緒の昔の写真も晒される羽目になって「勝負の意味はなんだったんだよー!?」と奈緒が吼えることになるのだが。

 

「というわけで今回の旅、私たち()ここまで」

 

「……私たち()?」

 

 凛ちゃんの発言に首を傾げる奈緒。

 

「私たちは明日トライアドプリムスとしての仕事があるから帰らないといけないんだけど、実はまだ一つ温泉宿の紹介が残ってます」

 

「……ってことは」

 

「そ。ここから先の司会進行は旭さんにバトンタッチ」

 

「承った」

 

 パチンと凛ちゃんと掌を合わせる。この流れは俺も聞かされていた。

 

「じゃあここから先は、本格的に『神谷夫妻の新婚旅行特番』になるわけだ」

 

 成程と頷く加蓮ちゃんに対し、奈緒はうわぁと露骨に顔をしかめた。

 

「見せつけられなくなるのを喜ぶべきか、この先自重がなくなりそうなことを危惧すべきか……」

 

「おいおい、これでもお前たちよりこっちの業界にいる先輩だぞ? 仕事なんだから、自重するに決まってるだろ」

 

「そーいうのは二人きりで温泉宿に行くって話が出たときからしてる楓さんとの恋人繋ぎをやめてから言え!」

 

 仕事とはいえ、楓と二人での温泉宿である。テンションが上がるのは仕方がなかった。

 

 三人をこの場に残し俺と楓が車で去っていく絵を撮ってから、そのまま最後の目的地となる温泉宿へと向かう。

 

「今回はそのままその宿に泊まる予定になってるから、飲酒オッケーも出てるからな」

 

 まぁ楓の場合、許可を出す前からカメラの回ってないところで日本酒辺りを用意することだろう。

 

「……えぇ、そうね」

 

「……ん?」

 

 何やら楓の返事に間があった。運転中故に首は動かせないので視線を動かしてルームミラー越しに楓の様子を窺うが、別に変なところはない。

 

「………………」

 

 何か引っかかるというか違和感のようなものを感じながら、車は温泉宿へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

「楓」

 

「……旭君」

 

「どうだ?」

 

 部屋の縁側(広縁と言うらしい)の椅子に座っていた楓に、女中さんに頼んで用意してもらった洋酒の瓶とグラス二つを掲げる。

 

 番組の撮影は一時間ほど前に全て終わっている。温泉宿自慢の懐石料理に舌鼓を打ち、露天風呂に二人で浸かり(勿論撮影なので両者ともにタオル着用)、俺と楓が寄り添うように夕日を見る絵をラストに今回の撮影の全工程が終了となった。

 

 撮影後は予定していたように、俺と楓の二人で一泊。スタッフは全員撤収したので、あとは夫婦水入らずで年末の温泉旅行である。もっとも年末どころかまだクリスマスも来ていないのだが、まぁどうせ去年に引き続き年末年始はお互いに忙しいだろうし、ちょうどいい慰安旅行だ。

 

 なので、二人でゆっくりとお酒を楽しもうというわけだ。旅館で洋酒というのもアレかと思ったが、そこはまぁいいだろう。

 

「………………」

 

 しかし楓は首を横に振った。

 

 先ほどの食事のときもそうだったが、よくよく考えたら今日の楓は一滴もお酒を口にしていなかった。

 

 いや、別にそれ自体は滅多にないだけで全くないわけではない。例えば重要なライブやコンサートの前はプロデューサーの方から禁酒を言い渡されることもある。しかしこうして楓が自主的にお酒を飲まなかったのは本当に珍しいことである。

 

 それだけでも十分気になることなのだが、もう一つ気になるのは番組スタッフ側からも楓に飲酒を勧めなかった点だ。

 

 贔屓目なしで見ても楓が飲酒している姿は、それはもう色っぽくて大変絵になる。こういう旅番組やグルメ番組ではほぼ間違いなく彼女の飲酒シーンを取り入れ、ファンはそれを待ち望んでいると言っても過言ではない。

 

 にも関わらず、何故か番組スタッフは楓の飲酒シーンを撮ろうとしなかった。普段ならばそれとなくお酒を飲むように誘導したり、そういうお店をスケジュールに組み込むはずなのにそれもなし。アイドル四人でとても華やかだったので撮れ高的には問題ないだろうが、それでも何故それを撮らなかったのか……。

 

「……もしかして、体調が悪いのか?」

 

 楓の向かい側の椅子に座りながら、彼女の顔を覗き込む。月明りに照らされた楓は化粧を落とした状態でも十二分に綺麗で、顔色が悪いということはなかった。

 

 ただ……何処か緊張しているような気がした。

 

「……旭君」

 

「ん?」

 

「私たちが出会って、もう七年も経つのよね」

 

「? あぁ、そうだな」

 

 突然そんなことを言い出した楓。話の意図はよく分からないが、とりあえず首肯する。

 

「前にも話したことがあると思うんだけど、旭君と出会ったその瞬間から、私は貴方と結婚するんだっていう予感があったの」

 

「……俺も一目惚れだったから、お互い様だな」

 

 そう返すと、楓は「嬉しい」と微笑んだ。

 

「長いようであっという間だった。初めは一目惚れした同僚で、恋人になって、夫婦になった。旭君が、女の子の憧れであるお嫁さんにしてくれた」

 

 何故か楓の視線が泳いでいる。落ち着かない様子で、チラチラとこちらを見ながら左手の薬指にはめた結婚指輪をしきりに触っていた。

 

「それだけでも幸せだった。だけど旭君はそれだけじゃなくて……もっともっと()()()()()にしてくれた」

 

「……()()()()()……?」

 

 何かが引っかかる。楓が何かを言おうとしている。

 

(……え)

 

 まさか。もしかして。

 

「か、楓……」

 

「旭君」

 

 真っ直ぐの目を見つめながら名前を呼ばれ、思わず閉口してしまった。その目は先ほどの迷ったものではなく、決意を決めた目。覚悟した目。ならば、自分はそれを聞かなければならない。

 

「……あのね――」

 

 

 

 

 

 

 ――赤ちゃんが、出来ました。

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 遠くからボーンッボーンッという時計の鐘の音が聞こえてきた。多分、ロビーに置かれている古い時計のものだろう。それが静かな館内を響き渡り、この客室まで届いていた。

 

「まだ二ヶ月だから、お腹は出てきてないけど……」

 

 そう言いながら楓は自身の下腹部にそっと手を添えた。

 

 もしかしてドッキリなのかもという考えは一切浮かばなかった。ただ楓が身ごもったという事実だけが、頭の中で反響していた。

 

「………………」

 

 俺は一言も発せなかった。口を開いても、楓にかけるべき言葉は喉の奥に引っかかったまま出てこようとしない。

 

 言わなきゃいけないことがある。言いたいことはそれ以上にある。

 

 これ以上黙ってちゃダメだ。楓が不安がる前に言わないと。

 

「か、かえ――」

 

「えいっ」

 

 しかし、ようやく絞り出せたその言葉は、いつも間にか立ち上がり目の前にまでやって来ていた楓によって遮られてしまった。真正面から抱きしめられ、胸と浴衣で口が塞がれる。

 

「無理しなくて大丈夫よ、旭君」

 

「……!」

 

 違う! そうじゃない! 俺は、お前に……!

 

 

 

「大丈夫……言葉にしてくれなくても、喜んでくれてるってことは分かってるから」

 

 

 

「………………」

 

「ありがとう、旭君」

 

 視界が滲む。情けない、楓にそれを言わせてしまった。けれど、これは情けなさのそれじゃない。

 

 本当に。純粋に。

 

 嬉しかったのだ。

 

「……あり、がとう……!」

 

 だから、これだけは口にする。なんとか絞り出す。

 

「ほんとうに、ありがとう……!」

 

 俺たちの子供を身ごもってくれて。

 

 俺を父親にしてくれて。

 

 

 

 ――本当に、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 『高垣楓、第一子妊娠!』などというニュースが流れて、早一ヶ月である。

 

 なんとあの楓の告白のときにカメラが隠してあったらしく、どうやら楓と事務所と番組スタッフが打ち合わせて用意したサプライズの場だったらしい。それを知らされたのは翌朝で、流石にガチ泣きしているところを撮られていたと知ったときは結構なダメージを受けたのを覚えている。

 

 そしてそのときの映像を新年特番の際に番組のサプライズとして流し、放送後に改めて関係各所に楓が妊娠した旨をFAXにて報告し、めでたく翌日の芸能ニュースで大々的に取り上げられることとなった。

 

 ちなみにその映像が流れたのが生放送の番組収録中でのことなので、当然観覧客もいれば一緒に炬燵に入っていた奈緒たち三人娘もいた。

 

 凛ちゃんは目を大きく見開いて驚き固まり、加蓮ちゃんはキャーキャーと黄色い声を上げながら俺の背中をバンバンと叩いてきた。

 

 そして奈緒は――。

 

 

 

「う゛わあああぁぁぁん! あ゛にぎいいいぃぃぃ! ね゛えざあああぁぁぁん! おめでとおおおぉぉぉ!」

 

 

 

 ――それはもう、俺以上に号泣しながら祝福してくれた。俺と楓の結婚披露宴のときと同じぐらいの号泣っぷりだった。改めて奈緒との血の繋がりを感じつつ、それに釣られて再び鼻の奥がツンとしてしまったのはナイショである。

 

 そうして関係各所への連絡、記者会見、お互いの両親への報告、様々なメディアからのインタビュー、さらに今後のアイドル活動についての話し合いなど、それはもう慌ただしく一ヶ月が経ったわけだ。

 

 

 

「お酒が飲みたい……」

 

 絶賛禁酒中の楓が、ソファーの上でグダッと脱力していた。

 

 旅番組収録前に妊娠が発覚していたために収録中に一滴も飲まなかったことが判明した楓だが、禁酒を始めてからまだ二ヶ月半ほどで既に辛そうだった。いや、寧ろ初めてまだ三ヵ月も経っていないような時期だからこそ、飲めないのが辛いのだろう。

 

 ちなみに俺も楓と一緒に禁酒中だ。楓が飲めないのに俺一人で飲む気になれず、そもそも家にアルコールを置いておいても意味がないので、家にあったアルコール類は全て周りの人間にあげたり実家に預けておくことになった。

 

「今から授乳期間が終わるまで、お酒はおろかコーヒーも飲めないなんて……」

 

 一応授乳前を避ければ絶対にダメというわけではないが、あまり飲まない方がいいことには変わりない。故に授乳期間が終わる一歳頃まではアルコールやカフェインの摂取は推奨されない。

 

 今から約二年。これまでの楓にとっては気が長くなるような禁酒期間だろう。

 

「大丈夫か?」

 

「……体調は悪くないわ。テンションが上がらないだけ」

 

 顔色を窺いながら楓の隣に腰を下ろすと、そのまま楓はコテンと横に倒れてきてそのまま俺の太ももに頭を乗せた。膝枕する形となったので、そのまま前髪を梳くように触れると楓はニコリと微笑んだ。

 

「でも不思議。私のお腹の中にいる赤ちゃんのためだって考えるだけで、どれだけだって頑張れる気になれるんだから」

 

「……俺も同じだよ。今だったら、楓と赤ちゃんのためになんだって出来る気がするよ」

 

 全能感というとまた何か違うが、何があっても楓とそのお腹の子供のことを考えるだけで体中からやる気が漲ってくる。これが父親になるということなのだろうか。

 

「そんな絶賛禁酒中で口寂しい楓のために、チョコレートを用意したわけなんだけど」

 

「ウイスキーボンボン?」

 

「おい」

 

()()()っとだけ冗談よ」

 

 今日は二月十四日。恋人だけでなく恋仲全ての男女のためのバレンタインデーである。

 

 今年も楓のモーニングチョコから始まったバレンタインだが、今回は趣向を変えて俺も楓のためにチョコレートを用意することにした。

 

「初めて湯煎とかやってみたけど、案外難しいんだな」

 

「そうよ。女の子はいつもそうやって大変な思いをしながら、大切な人のためのチョコレートを作るんだから」

 

「女の子?」

 

「オ・ン・ナ・ノ・コッ!」

 

 俺の太ももに頭を乗せたままウィンクをする楓。そろそろアラサーが見えてくる歳でありお腹の中に赤ちゃんがいる女性だというのに、その仕草がとても可愛らしく似合う辺り、アイドルという存在の凄さを思い知る。

 

「あーん」

 

 目を瞑り口を開ける楓。どうやらそのまま食べさせて欲しいということらしい。

 

 レシピを見ながら作ったピーナッツチョコを一つ摘み上げ、そのまま楓の口の中に入れた。ただ指ごと食べられるのは想定していたが、そのまま指を咥えたまま離さず噛まないようにチョコを咀嚼してくるとは思わなかった。

 

「……うん、美味しい。ありがとう、旭君」

 

「どういたしまして」

 

「……それじゃあ、今回も恒例のアレ、やっときましょう」

 

「恒例って」

 

 何が言いたいのかは、再び目を瞑り、今度は唇をそっと突き出す楓を見ればすぐに分かった。要するに今朝もやったアレである。

 

「今の私はお酒が飲めないから……存分に、旭君に酔わせて?」

 

「………………」

 

 まぁ、来年の今頃は既に赤ちゃんも生まれてきているだろうから、流石にここまでイチャつくことも出来ないだろう。

 

 ならば、二人きりの新婚生活を精一杯楽しもう。

 

 俺は自分で作ったチョコを摘み上げ、自分の口に咥えた。

 

 

 

 

 

 

 二月十四日

 

 今日はバレンタインデー。

 

 いつもならば旭君のために用意したチョコレートを食べながらお酒を飲むのだが、今年はお腹の子どものためにお酒を飲むことが出来ない。ある意味幸せな悩みではあるのだが、それでもやっぱり少しだけ物足りないものがあった。

 

 でも、来年の今頃にはきっと私と旭君の子どもがいて……まだチョコレートを食べさせるには早すぎるだろうが、それでもきっと今日以上に素敵なバレンタインになる気がした。

 

 ……本当に、今が幸せだ。これまでもことあるごとに日記に書いてきたが、それでもまだ書き足りない。

 

 私のお腹の中に旭君との子どもがいる。なんて幸せなことなんだろうか。

 

 こうして日記を一ページ書くたびに幸せが積もっていく。

 

 これからもずっと、旭君と幸せを……。

 

 

 

 

 

 

「そっか……」

 

「奈緒も、叔母さんになるんだね……」

 

「なんだその目は!? 言っとくけど、あたしは普通に嬉しいんだからな!?」

 

 

 




 ついにこの日が来てしまいました。

 第 一 子 誕 生 !

 この展開、人によってはあまり好きじゃないのかもしれませんが、ある意味この小説を書き始めたときからずっと書きたかったシーンです。

 軽く「出来ちゃった(はーと)」ぐらいのノリにする案もあったのですが、流石に軽すぎるか……とこちらになりました。

 さて、そんな子どもが出来た二人ですが、まだまだイチャつかせていく所存ですので、これからも変わらずよろしくお願いします!


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旭と楓がデートをする一日

ホワイトデーですが、今回はホワイトデーネタじゃないです。


 

 

 

「………………」

 

「旭君、そろそろ」

 

「……ん、分かった」

 

 ソファーに座る楓の前に膝まづき、お腹に当てていた耳をそっと離す。

 

 既に妊娠五ヶ月となり、楓のお腹は大きくなり始めていた。元々スレンダーな楓故に、余計に大きく見えるそんなお腹にこうして耳を当てるのが、俺の習慣になっていた。ほんの一ヶ月前までは無かった胎動が、今ではしっかりと聞こえるようになってきたのだ。

 

「旭君は本当にこれが大好きね」

 

「なんて言ったって、愛する(ひと)を抱きしめながら愛する我が子を感じることが出来るんだからな」

 

「私も、愛する(ひと)と一緒に愛する我が子と一緒のこの時間が大好きよ」

 

 本当に、幸せな時間だ。

 

 もう一度、今度は楓自身をギュッと抱きしめた。

 

 

 

 さて、今日は俺と楓がオフの日。といっても、妊娠五ヶ月となり産休に入る体勢になった楓には殆ど仕事が入っていないため、俺のオフの日が実質二人のオフの日だ。

 

 そんな休日。今日は天気がよかったので、二人でお出かけすることとなった。要するにデートである。車で街中までやって来てから、パーキングに止めて歩いて散策。妊娠中の適度な運動だ。

 

「最近、少し暖かくなってきたわね」

 

「でもまだ風が冷たいな」

 

 楓には薄手ではあるがちゃんとした上着を着てもらっている。身体を冷やすわけにはいかない。

 

 街中は平日故に休日ほど人はいないものの、そろそろ高校や大学は春休みに入り始めているので学生のような若い人たちがそれなりに多かった。

 

「さて、何処に行くかね」

 

「んー、いつもだったら春物が欲しいところなんだけど……しばらくは着れそうにないわ」

 

 見るだけでもいい? と尋ねられたので、勿論と頷く。確かに女性の買い物は長くて男にとっては暇なことが多いが、楓が楽しそうにしているのを見るのが楽しいし、楓がどんな服を着てくれるのかを考えるだけでも嬉しい。俺もまさかこんな考えが出来る人間になれるとは思っていなかった。

 

「ふふっ」

 

 手を恋人繋ぎにした上で自身の腕を俺の腕に絡めてくる楓が、突然クスクスと笑いだした。

 

「どうかしたか?」

 

「ううん、付き合い始めてから初めて旭君とデートしたときのことを思い出しただけ」

 

「……うわ懐かしいな……もうそろそろ六年も前になるのか……」

 

 確かあの日も、こうやって腕を組みながら街中を歩いてたっけ――。

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 神谷旭、二十一歳。職業、俳優。高校入学と同時に俳優として活動し始め、芸歴で言えば五年となる。若手とはいえ、そこら辺の同い年の俳優と比べるとそれなりの場数を踏んでいる俺ではあるが――。

 

 

 

「……ポンポンいたい」

 

 

 

 ――現在、吐きそうなぐらい緊張していた。

 

「……大丈夫、だよな? 俺の妄想とかじゃないよな……?」

 

 一週間経った今でもあの()()()()()()()()()()という事実が信じ切れていなかった。

 

 いや、確かに食事を重ねて、付き合ってくださいと告白して、お願いしますと返事を貰ったことは覚えている。それは確かだ。

 

 しかし、そこから恋人になったという事実を頭が受け入れようとしていなかった。

 

 なにせ、あの高垣楓だ。346プロのモデル部門の中でも指折りの美人で、今や売れっ子人気モデル。そんな彼女が俺の恋人になったなんて、今まで恋人がいなかった自分にとっては本当に信じられないような奇跡だった。

 

 いや、一時期は調子に乗って『俺は彼女と結婚する運命にある(キリッ)』みたいなことを考えたりもしたが、そんなわけないって! 何考えてんだよ俺!

 

 ヤバい、考えれば考えるほど、ドンドン不安になってきた。

 

 こうして恋人になって初めてのデートをするために、駅前のベンチに座って彼女を待っているのだが……く、来るよな? 本当に来るよな?

 

 これで多少なりとも女性経験があれば多少はマシだっただろうが、残念ながら生まれてこのかた女性と交際をしたことはない。妹や舞台での恋人役を女性経験と換算するつもりもない。

 

 結局、人生初の恋人にテンパっているだけなのだ。

 

 

 

 本格的に胃がキリキリと痛み始めた辺りで、それは聞こえてきた。

 

「ごめんなさい、お待たせしました」

 

「っ!?」

 

 思わずビクリと跳ねるように立ち上がる。

 

 それは最近聞き慣れた……いや、今後一生忘れることのない女性の声。

 

「だ、大丈夫、お気になさらず」

 

 そんな何処と無くぎこちない対応になりながらも振り返ると、そこにいたのは紛れもなく高垣楓だった。

 

 ピンクのキャミソールに同色の上着を羽織り、下は生足が眩しいショートパンツである。彼女がこうして足を出している姿はよく目にするが、今日はそれがいつも以上にグラリときてしまった。

 

「えっと、今日も相変わらずお美しく……」

 

「ふふっ、ありがとうございます。神谷さんもカッコいいですよ」

 

 お世辞だろうがなんだろうが、好きな女性にそんなことを言われて喜ばない男はいない。心の中で盛大にガッツポーズを決める。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

「あ、はい」

 

 お互いに向き合ったままここに立ち尽くしているのも時間が勿体無い。一先ず今日の最初の目的地である、昼食を取るためのパスタの店へ足を向けるのだった。

 

「………………」

 

 勢いでパッと手を握ることが出来れば良かったのだが、如何せんタイミングを逃してしまった。それでも大分近い距離を保ちながら、俺と高垣さんは並んで歩く。

 

「……あの、もしかして私、何かしてしまいましたか……?」

 

「……えっ!?」

 

 しばらく会話が無いまま歩いていると、突然高垣さんがそんなことを尋ねてきた。

 

「そ、そんなことありませんよ。どうしたんですか?」

 

「えっと、その……いつもと比べて、少しだけよそよそしい気がして……」

 

「ち、違います! その……高垣さんが自分の恋人になってくれたっていうことに実感が湧かなくて……緊張してるんです」

 

 わりとカッコ悪いことこの上ないが、高垣さんを不快にさせるぐらいならばと正直に打ち明けることにした。

 

「……そ、そうだったんですね」

 

 そんな情けない告白に笑われるかと思いきや、何故か高垣さんは視線を反らした。

 

「……高垣さん?」

 

「ご、ごめんなさい……そうですよね……私、神谷さんと恋人になれたんですよね……」

 

 私も緊張してきちゃいました、と笑う高垣さん。

 

 なんだこの可愛い人は……! と内心で身悶えする。

 

「でも、やっぱりお互いにこのままじゃ寂しいです」

 

「そうですよね……」

 

 既に高垣さんに気を使わせてしまった以上、今度はこちらから行動すべきだ。

 

 すぅはぁと深呼吸を何度か。まるで初めてテレビのドラマ出演で初セリフを言うときのような緊張感だった。

 

「……今日はよろしく、楓」

 

 どもることも噛むことも無く言えたことに、内心で安堵する。確かに、これから恋人同士としてやっていくのに、よそよそしい態度で居続けるのも少し寂しいし悲しい。

 

 だからまずは、俺から彼女へ歩み寄る。

 

「………………。っ!?」

 

 一瞬キョトンとした高垣さん……もとい楓は、次の瞬間、カッと耳まで赤くなった。

 

「か、楓?」

 

「ご、ごめんなさい! ちょっと待って……!」

 

 クルリと振り返り、こちらに背を向けながら両手で顔を押さえる楓。

 

 もしかして、何かやらかした……?

 

「だ、大丈夫です、ビックリしただけだから……」

 

 何度か深呼吸をしてから楓は再びこちらを向いた。まだ頬はわずかに赤かったが、それでも先ほどよりは落ち着いている様子だった。

 

「……今日()じゃなくて……今日()()、よろしくお願いします……旭君」

 

「っ! ……そうだな、今日()()、だな」

 

 告白をしたのはついこの間になるが……今この瞬間から、確かに俺と楓は恋人同士になれたような気がした。

 

「それじゃあ、改めて」

 

 先ほどは出せなかった左手が、今度はなんの躊躇いも無く差し出すことが出来た。

 

「……はい」

 

 そんな俺の左手に、楓は雑誌でも決して見せてくれないようなとびっきりの笑顔を浮かべながら右手を乗せてくれた。

 

 

 

 

 

 

(――うわぁ)

 

 当時のことを思い返しながら、内心で羞恥に悶える。

 

 なんというか、あの頃は本当にまだ付き合いたてで、ただの知人から恋人になった女性に対してどのように接していけばいいのか全く分かっていなかったのだ。

 

 二十一にもなった大の男が何やってるんだと思われるかもしれないが、本当にアレが初めてのことなので勘弁してもらいたい。

 

(……そーいえば)

 

 ふと思い返していて思ったのだが、あのとき楓が後ろを振り返った理由は何だったのだろうか。流石に『恋人に名前を呼ばれたことが嬉しかったから』なんて少女漫画チックな理由でもないだろうし……。

 

「なぁ、楓、ちょっと聞きたいんだけど」

 

「なぁに?」

 

 左腕に寄り添う楓に声をかけると、彼女はコチラの顔を覗き込むように首を傾けた。

 

「初めてのデートのときに、俺が初めて『楓』って呼んだら急に顔赤くして振り返ったけど……」

 

 もし差し支えなければ理由を知りたいと正直に尋ねると、楓はポッと頬を赤くしながら困ったように笑った。

 

「もう、今さらそんなこと聞くの?」

 

「いや、今そのときのことを思い出しててふと思ったんだよ。だからなんとなく」

 

 確かにもうそろそろ六年も前になるのだから、今さらと言えば今さらだ。ただ気になったので、単純にデート中の会話の種として話を振ってみたのだ。

 

「……その」

 

「うん」

 

「………………たから」

 

「うん?」

 

「……カッコよかったから」

 

「……うん!?」

 

「だ、だから……旭君が……凄くカッコよかったから……」

 

「………………」

 

 両者沈黙。

 

(なんだこれは……!?)

 

 付き合い始めてから六年、結婚してもうそろそろ二年になろうとしているというのに、どうして今さらこんなやり取りをしてお互いに恥ずかしい思いをせにゃならねばならんのだ……!?

 

「な、なんで旭君が恥ずかしがってるのよ!」

 

「それはお前が恥ずかしがりながら言うからだろ!? 最近は普段からそういうことお互いそれなりに言ってるんだから、慣れてるだろ!?」

 

「だ、だって、あの時の旭君、私がそのデート直前まで考えてた『理想のカッコイイ恋人』の想像通りだったから……!」

 

「はいヤメヤメ! もうヤメ!」

 

 どうしてこんな往来のど真ん中で羞恥プレイをせにゃならんのだ!

 

 結構周りからの注目を集めてしまったので、お互いに顔が赤いまま慌ててその場を後にするのだった。

 

 

 

「はぁ……」

 

「ようやく一息つけました……」

 

 慌てて駆け込んだそこは、偶然にも初デートの際に昼食を取るために選んだパスタの店だった。

 

「ちょうどいいし、少し早めの昼にでもするか」

 

「そうね」

 

 テーブルに備え付けられたメニューを「ランチにパスタは堪()()()ョイス~」と楽しそうに開く楓に、本当にあの頃のミステリアスな美人の印象から様変わりしたなぁ……としみじみに思う。

 

「いらっしゃいませ……って、あら?」

 

「お久しぶりです」

 

「ご無沙汰してます」

 

 俺たちのテーブルに水とおしぼりを持って来てくれたのは、知り合いの店員さんだった。この店は初デートのとき以来何度も贔屓にしている店なので、昔から働いている店員とは仲が良い。

 

「お久しぶりです~。遅ればせながら、妊娠おめでとうございます!」

 

「ありがとうございます」

 

 確か、最後にこの店に来たのが年末だったから……四ヵ月ぶりぐらいになるのか。

 

「お腹、少し大きくなってきました?」

 

「はい。もう五ヶ月になるので」

 

 確か店員さんも二児の母と言っていたので、楓にとっては先輩になるだろう。

 

 そんな彼女と話の花を咲かせている楓を見ながら、俺は自分の注文を決める。ここに来たらいつも頼んでいるメニューなので、選ぶのに時間はかからなかった。

 

「あっ、ごめんなさい、話しこんじゃって……ご注文は後の方がいい?」

 

「俺はいつものでいいけど」

 

「えっと、私もいつもので」

 

「いつもの二つね、分かりました。それじゃあ、ちょっと待っててね」

 

 向こうも慣れたもので、メモを取ることすらせずに引き上げていった。

 

 そしていつも通り、食前に飲み物が届けられるのだが……。

 

「……何ですかコレは」

 

「ふっふっふ~、妊娠祝いってことで、私から! 二人が初めてここに来て頼んだ奴よ!」

 

 何故か自信満々に店員さんが持ってきたそれは、所謂カップルジュースだった。

 

 いや、確かに昔は頼んだけどさ……! というか、あんなやり取りをした後でよくこんなの頼んだな当時の俺たち……って、ちげぇ!? 確かコレ、あのときもこの店員さんが「店からのサービスだ」って言って持ってきたやつだ!

 

「実は最近になってから『神谷旭と高垣楓が付き合い始めの頃に飲んでいた伝説のカップルジュース』っていう売り方し始めてから随分と注文が増えてねぇ」

 

「勝手に何やってんすか!?」

 

 それが捏造ならともかく、事実だから余計にタチが悪い。

 

「ふふっ」

 

 はぁと溜息を吐く俺に対し、楓はクスクスと笑っていた。

 

「それじゃあ折角だし……今日は、あの頃の気分で」

 

「……分かったよ」

 

 全くいい年した二人が何やってるんだかと思いつつ、グラスに差されたストローの片方を咥える。楓も反対のストローを咥え、自然と二人の顔は近付くことになる。

 

 すぐ目の前には、楓の綺麗な二色の瞳。

 

 あのときは、こんなに近づいた楓の顔に緊張して味なんか全く分からなかったが。

 

 

 

 二度目の初デートの味は、爽やかなレモンの味がした。

 

 

 

 

 

 

 ☆月☆日

 

 今日は旭君がオフだったので、デートをした。

 

 街中を歩きながら、何故か今日は初めて旭君とデートをしたときのことを思い出してしまった。

 

 あの時は、本当に旭君が自分の恋人になったことで舞い上がっていた。おかげで旭君に初めて「楓」と名前で呼ばれた時は、それはもう恥ずかしいぐらい嬉しくて、思わず背中を向けてしまったぐらいである。この辺りのことは、きっと当時の日記にも残っているだろう。

 

 その後、ランチは偶然にもその初デートの際に行ったパスタのお店になった。

 

 久しぶりに会った店員さんに妊娠中や出産後のお話を聞くことが出来たのだが、その後店員さんにサービスとして出されたのが、初デートのときにも飲んだカップルジュースだった。

 

 少しだけ恥ずかしかったが、それでもあのとき以上に大好きになった旭君と一緒に飲むカップルジュースは、思い出の中以上に美味しかった。

 

 ……子どもが生まれて、大きくなったらいつか、今度はその子とこのジュースを飲んでみたいと思った。

 

 

 

 

 

 

「へぇ、このパスタのお店、いい雰囲気だね……」

 

「……ん!? 奈緒、あそこ見て! 『神谷旭と高垣楓が付き合い始めの頃に飲んでいた伝説のカップルジュース』だって!」

 

「ぶっ!?」

 

 

 




久しぶりに甘く書けたと思うゾ(少なくとも作者はタヒんだ)

二十一や二十七同士のやり取りじゃねぇよ! と思われる方もいるかもしれませんが、これがお互いに初めての恋人同士だから問題ないです。……多分ないです。

さて、二周年まであと三回。まだまだ気合入れていきますよー!


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旭が楓を連れ帰った一日

第七回シンデレラガール総選挙!

今年も『綺麗で可愛く美しく子供っぽくも大人の色気を醸し出すユーモア溢れるほろ酔い25歳児』こと高垣楓に清き一票を! 今年も楓さんに総選挙楽曲を歌って貰いましょう!


 

 

 

 『ハーレム』という単語がある。

 

 元を辿ればトルコ語の後宮を意味する『ハレム』が日本語として訛ったもので、転じて一人に対して複数の異性が存在する状況を指す言葉になっている。

 

 さて、それがハーレムの定義とするならば、現在の俺の状況はハーレムと言っても過言ではないだろう。愛する妻がいる身としてはそうでもないが、世の男性諸君からすればそれは羨望に値する状況なのだろう。

 

 そんな諸君らに言いたい。

 

 

 

「それじゃあ、カンパーイ!」

 

『カンパーイ!』

 

 

 

 この酒豪として名を馳せる猛者(アイドル)たちにたった一人で囲まれている状況を、果たして羨ましいと思えるかな……!?

 

 

 

 

 

 

 居酒屋の座敷の大部屋二つをぶち抜いた広い部屋の中、思わず溜息を吐きそうになる。

 

 さて、どうしてこのような状況に陥ってしまったのか。簡潔に説明すると、今回の俺は楓の代理なのである。

 

 アイドル部門の大人の女性陣は定期的に飲み会を開いており、そこにはいつも楓も参加している。しかし楓は現在妊娠中で、飲酒どころかカフェインすら断っている状況だ。勿論そんな状況で飲み会なんて参加しても、周りが飲酒する中一人だけ飲めないのもストレスが溜まるだけである。

 

 そんな楓の代理として、今回こうして女性アイドルだらけの飲み会に招集されたというわけである。

 

 ……いや、わけである、じゃなくて。

 

「川島さん、もう一度伺いますが、どうして俺がここに呼ばれたんですかね」

 

「え? だから楓ちゃんの代わりだって言ってるじゃない」

 

「単純に楓が欠席するだけでいいでしょう。わざわざ俺がここに来る必要は……」

 

「そりゃあるわよ! なんてったって、旭君がブチ込んで撒き散らして孕ましたから楓ちゃんが来れなくなったわけでしょ!? つまり旭君に責任がある!」

 

「言い方ぁ!」

 

 片桐さんの言い方があんまりにもあんまりすぎた。え、何この人、まだカンパイした直後だっていうのに既に出来上がってるの?

 

「まぁまぁ。それに、一度楓ちゃん抜きで旭君と話してみたいとは思ってたのよ。旦那さんの貴方の目から見た楓ちゃんのこととか聞いてみたかったし」

 

「……それなら、まぁ」

 

 まだ理解できる。確かに、川島さんたちとはそれなりに飲む機会はあったが、それは全て楓も一緒だった。それなりに長い付き合いにはなるが、楓がいない状況での飲みは初めてである。彼女たちと楓抜きに飲むのなんて、それこそ楓が強制禁酒中の今以外には訪れない機会だろう。

 

 ちなみに楓からは「私の分まで楽しんできてね」と笑顔で送り出されている。本来ならば、妊娠中の妻を置いて飲み会に参加と言うのも心苦しいのだが……。

 

(出来るだけ早く帰ることにしよう)

 

「それじゃあ、とりあえず旭君は駆けつけ三杯ってことで……」

 

「駆けつけてねーよ!? 最初からいるよ!?」

 

 俺の訴えも虚しく、いつぞやのように目の前に並べられる大ジョッキ三つ。だからわからないわって言ってるでしょ!

 

「安心していいわよ。向こうで清良さんがスタンバってるから」

 

「ダウンする前に止めるという選択肢はないんですか!?」

 

 一言一句同じ文句に文句を言いたくなった。

 

 全員の視線がこちらを向いており、どうやら俺が飲まないと始まらない雰囲気になってしまった。

 

(……楓。俺、この飲み会が終わったらお土産買って帰るよ……! 終わる頃にはコンビニスイーツぐらいしか買えないだろうけど……二人で甘いもの食べような……!)

 

 心の中で妻に生還を誓い、俺は覚悟して一つ目のジョッキを持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

「……た、耐えたぞ……!」

 

 また以前のように潰されるかと思ったが、どうやら楓がいないということを考慮して、ある程度勘弁してくれたようだった。わーいうれしいなー。

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

 片桐さんとの一気飲み勝負から解放されて一息ついていると、三船さんが心配そうに俺の顔を覗き込んできていた。

 

「どうぞ、お水です……あと、もう少しおつまみも食べた方がいいですよ」

 

 そう言いながら三船さんは俺にお冷の入ったコップを差し出し、料理を大皿から小皿へと取ってくれた。

 

 なんとも甲斐甲斐しいその姿に、お酒の影響もあり思わずときめきそうになったが、はてと首を傾げる。ハッキリ言うと、そこまで三船さんと仲が良いわけでないのだが、一体今日はどうしたのだろうか。

 

「ありがとうございます。……えっと」

 

 お礼を言いながら小皿を受け取り、さて何と聞いたものやらと言葉を選んでいると、俺が何を悩んでいるのか気付いたらしい三船さんがふふっと微笑んだ。

 

「実は、楓さんから頼まれちゃったんです」

 

「え、楓から?」

 

「はい。『私の代わりに、旭君のお世話をしてくれませんか?』って……」

 

「楓……」

 

 俺を心配してくれる楓の優しさにグッときたので、口から出かかった「普段飲み会で世話するのは俺の方なんだけどな」という言葉は飲み込むことにする。いや、普通に嬉しい。

 

「楓さんからは、その……『膝枕までは許します』と言われてしまって……」

 

「ん?」

 

「えっと……い、今だけは、私が旭さんの奥さん……ですね」

 

「高橋さーん! 俺と一気飲み勝負しませんかー!?」

 

「旭さん!?」

 

 酔っているからかなんなのか知らないが三船さんの様子がおかしく、このままでは自分までおかしなことになりそうだったので、その場を緊急離脱することにした。

 

 

 

 

 

 

「……ま、まだ耐えられるぞ……」

 

 だいぶ俺の肝臓も鍛えられたらしく、昔と比べると随分アルコールに強くなったような気がする。

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

「大丈夫です……ご迷惑をおかけしました」

 

「いえ、そんな……」

 

 アルコールで身体は熱いが頭は冷えたので、再び三船さんのところに戻って来た。少々抵抗もあったが、これだけ飲まされた身としては誰かにお世話されるのは大変ありがたいので、今回は三船さんのご厚意に甘えることにしよう。……流石に膝枕はシャレにならないからやらないけどな!

 

「三船さんは、もうウーロン茶なんですね」

 

 再び三船さんから差し出されたお冷のコップを受けとりながら、彼女のコップが既にアルコールではなくウーロン茶になっていることに気が付いた。

 

「はい……元々、そんなにお酒に強い方ではないので……それに、旭さんのお世話をしなければいけないのに、私が酔っていてはいけませんから……」

 

「美優ちゃん、酔うとすげーからな☆」

 

「佐藤」

 

「はぁとって呼べっつってんだろ☆」

 

 いつの間にか近付いてきていた自称『しゅがーはぁと』こと佐藤(さとう)(しん)が赤ら顔で肩を組んできた。

 

 三船さんと同い年にも関わらず、大人しい妹感溢れる三船さんに対してわんぱくな妹感溢れる佐藤。反対の意味で年上とは思えない女性である。故にタメ語に呼び捨てだ。

 

「ほれほれ、はぁとのおっぱい堪能させてやっから、気軽にはぁとって呼べよ☆」

 

「やめろぉ!」

 

 肩を組んでいるため、プロフィール非公開だが結構大きい佐藤の胸がグイグイと肩甲骨辺りに押し付けられている。男として思わないところはないわけではないが、果たして誰から楓にチクられるか分からないこの状況ではありがた迷惑でしかなかった。

 

「三船さん、どうかこのことはご内密に……」

 

「は、はい……もう、心さんったら……」

 

「だからはぁとだっつーの☆」

 

 とりあえず離れてくれたので一安心。

 

「それじゃあ、酒のツマミに楓ちゃんとの面白いエピソードでも聞かせてもらおーか☆」

 

「面白いエピソード? ……少し大きくて独特の苦味や酸味が特徴の日本原産の柑橘類の話とか?」

 

「そんな傑作(はっさく)なエピソードは求めてねぇぞ☆」

 

 何やら嫌な予感がしたので逃げようとしたが、失敗したらしい。

 

「でも柑橘類みたいに甘酸っぱい話は聞きたいぞ☆」

 

「二十七の男に何を求めてるんだよ……」

 

 ついでに二十八の女が何を求めてるんだよ。

 

「そーだな―……よぉし☆ 初めて楓ちゃんがお前の前で酔っぱらったときの話、聞かせろよ☆」

 

「はぁ?」

 

「あー見えて楓ちゃん、心を許した人の前じゃないと酔わないからな☆ お前に気を許して初めてベロベロになったときの話が聞きたいぞ☆」

 

「……まぁ、それぐらいなら」

 

 多分、大丈夫だろう。いや、俺の心情的には全然大丈夫じゃないエピソードなのだが……俺も、酔って少々口が軽くなっていた。

 

 見ると三船さんもやや興味ありげにこちらを見ているし、何人かもこちらに聞き耳を立てている。

 

「分かった、話すよ」

 

「わぁい☆ はぁとドキドキするー☆」

 

「更年期障害か?」

 

「さっさと話せや」

 

「ウッス」

 

 

 

 

 

 

 俺と楓が付き合い初めてから、そろそろ二ヶ月が経とうとしていた。

 

 既に何回かデートを重ねており、そろそろ次の段階へ……なんて思ってしまう今日この頃。

 

(……まぁ、ゆっくりでいいか)

 

 今日も一緒に食事をする機会があったが、お互いの同僚と一緒の所謂食事会だった。まだ俺たちが付き合っていることは誰にも話してはいないので、ある程度親しげには話すが恋人らしくするわけにはいかないので少々骨だった。

 

 そんなわけで、今回はこのまま終わりだろう……そう考えていた。

 

 しかしそう考えていたのは、情けないことに俺だけだったらしい。

 

「……旭君」

 

「何?」

 

 

 

 ――今夜は、帰りたくないの。

 

 

 

「………………」

 

 飲み会が終わって他のみんなが帰路に着き、あとはタクシーを捕まえようとしている俺と楓のみの状況で、そんなことを言われてしまった。

 

「……あー、うん。そうだな」

 

 こういうシチュエーションを一切考えたことがないと言えば嘘になる。もしこんな美人の彼女に、そんなことを言われたら嬉しいだろうなぁと妄想したことぐらい、俺にだってあった。

 

 しかし心の準備が出来ていたかどうかは別問題だ。思わず変な声が出なかった自分を褒め称えたい。

 

 チラリと横目で楓の様子を窺う。

 

「………………」

 

 楓は耳まで真っ赤になって俯いていた。多分アルコールの影響ではないだろう。肩にかかったショルダーバッグの紐をギュッと握り締めている。

 

 きっと、彼女は彼女で勇気を振り絞ってくれたのだろう。その一方で自分の不甲斐なさを恥じるが、その反省は後回しだ。

 

「……じゃあ、俺の部屋に来るか? 楓の好みに合う酒があるかどうか分からないけど」

 

「……うん」

 

 俺のその提案に、楓はしっかりと頷いてくれた。

 

 

 

 そんなわけで、楓を連れて自宅へ……所謂()()()()()をしてしまったわけなのだが。

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 買ってあったお酒で二人きりの二次会を始めたのだが、一時間も経たない内に楓がカーペットの上で横になって寝てしまった。

 

「……はぁ」

 

 ホッとしたような、ガッカリしたような。複雑な気分である。

 

(……そういえば、楓が酔い潰れるのって初めて見たな)

 

 それまでも何度か飲む機会はあったが、楓はいつも完全に酔いきる一歩手前で留まっていた。

 

 そんな彼女が目の前で酔い潰れている。

 

 アルコールも入り、暑くなってきたと言って楓は上着を一枚脱いでいた。そろそろ暖かくなってきたこの季節なので、既にキャミソールだけという薄着姿だ。そんな薄い布に覆われた楓の胸が、彼女の呼吸に合わせて上下している。

 

「んんっ……」

 

 悩ましげな声と共に寝返りをうつ。ショートパンツから伸びる足が無防備に投げ出され、足の付け根の隙間からチラリと黒色の下着が見えてしまっていた。

 

「………………」

 

 思わず生唾を飲んでしまった。

 

 手を伸ばせば触れることが出来る距離に高垣楓(こいびと)がいる。

 

 「帰りたくない」と言って俺の部屋に来て、そこで酔って寝ている高垣楓(こいびと)がいる。

 

 ここで手を出したとしても、恐らく許してくれるであろう間柄になった高垣楓(こいびと)がいる。

 

「……楓」

 

 そんな恋人の名前を呼びつつ俺は楓の体を抱き上げた。スレンダーな見た目通りの軽さに少しだけ不安になりつつ、そのまま彼女を寝室まで連れていく。

 

 楓を抱き上げたままなので、肘を使ってなんとか寝室のドアを開ける。そして彼女の体をそっとベッドの上に下ろした。

 

「楓……」

 

 そしてもう一度、彼女の名前を呟きながら――。

 

 

 

「……おやすみ」

 

 

 

 ――彼女の体に布団をかけ、そのまま寝室を出るのだった。

 

 

 

「……っ、はあああぁぁぁ……」

 

 寝室のドアを閉め、そこに背中を預けながら肺の中に溜まっていた空気を一気に吐き出した。

 

 きっと、というか間違いなく、あれは所謂()()()というやつだったのだろう。楓も多分、それを覚悟してきてくれたやつだ。

 

 しかし、結局俺は『手を出さない』という選択肢を選んだ。手を出したとしても許される間柄だからこそ、今ここで手を出したくなかった。

 

 

 

 俺はまだ、彼女に「愛している」と伝えていないのだ。

 

 

 

 ロマンチストと嗤えばいい。根性無しと罵ればいい。

 

 彼女のことを大事にしたいからこそ、彼女への想いを伝えてから、俺は彼女を愛したかった。

 

 

 

「……あああぁぁぁでも胸ぐらい触っとけばよかったあああぁぁぁ……」

 

 まぁ、ここでDT臭さが滲み出てしまったところだけは、勘弁してもらいたい。

 

 

 

 

 

 

「……意気地なし……でも……そんなところも……」

 

 

 

 

 

 

「……ただいま」

 

「お帰りなさい、意外と早く……どうしたの?」

 

「いや……自分たちから話せって言ったくせに、話し終わったら何故かボコボコにされただけだから……」

 

 理不尽なことこの上ない。ただ三船さんの「え、えい!」という撫でるような平手だけは逆に癒された。

 

 ともあれ、それ以外には特に何事もなく飲み会は終わり、俺はこうして五体満足で楓の待つ自宅へと帰還した。

 

「シャワーは明日の朝入るのよね……お腹は大丈夫? よかったら、お夜食でも作りましょうか?」

 

 身重の身でありながら、甲斐甲斐しく俺の世話を焼こうとしてくれる楓。

 

「………………」

 

「……旭君?」

 

 そんな楓を、後ろから抱きしめた。

 

 愛を伝える。あの時あの瞬間に言えなかった言葉は、今では何度だって言える。

 

 けれど。

 

「……ただいま、楓」

 

「? ……おかえりなさい、旭君」

 

 

 

 『ただいま』と『おかえりなさい』。

 

 その言葉が、今の俺たちにとって何よりの『愛の言葉』だった。

 

 

 

 

 

 

 □月□日

 

 今日は346のアイドル部門のみんなでの飲み会の日。しかし当然今の私はアルコールを飲むことが出来ないので、代わりに旭君に参加してもらうことにした。

 

 別に誰かが参加しないといけないわけではないけれど、私に付き合って家で禁酒してくれている旭君に、たまには羽を伸ばしてもらいたかったのだ。

 

 そんなわけで、旭君たちが飲み会を楽しんでいるであろう時間に、私は家で一人お茶を飲んでいたのだが、何故か初めて旭君の部屋へと来たときのことを思い出した。

 

 そう、確かこのソファーを背もたれにしてカーペットに座りながらお酒を飲んでいて……気が付いたら、寝てしまっていた。すぐに意識は戻ったものの、旭君が私のことを覗き込んでいることに気が付いてそのまま寝たふりをしてしまった。

 

 元々そういうつもりで部屋に上がったので、期待半分不安半分でドキドキしながら待っていると、旭君は私を自分の寝室へと寝かせてそのまま出て行ってしまった。

 

 しなかったことに少しだけ不満にも思ったが……それだけ私の事を大事にしてくれているのだと分かると、それまで以上に旭君のことが愛おしくなってしまった。

 

 ならば、次はもっと相応しい状況で愛してもらおう……そう考えてしまうぐらいには。

 

 ……なんて、昔の日記にも、きっと書いてあることだろう。

 

 

 

 

 

 

「それで旭君、心ちゃんのおっぱいは気持ちよかった?」

 

「チクショウ! 誰だよチクったの!?」

 

 

 




 途中まで書いてて「あれ? みゆさんといっしょ……?」みたいになってました。まぁ美優さん可愛いし、仕方ないよね。

 え、そういうシーン? だから無いって(無慈悲)

 第二シーズンも残るところ二話! まだまだいくよー!(ただしネタに苦しむ)


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旭が楓を家族に紹介した一日

今回そんなに甘くないです(普段が甘すぎる説)


 

 

 

「はい旭君、あーん」

 

「あーん」

 

 楓が焼けたばかりのクッキーを摘み上げながら差し出して来たので俺は素直に口を開けて食べさせてもらう。

 

「どう?」

 

「うん、美味い」

 

「……ふふっ」

 

「ん?」

 

 モグモグとココア味のそれを咀嚼していると、エプロンを外しながら突然楓が笑い出した。

 

「昔の私からしたら、こうして普通にお菓子を作ってる姿は想像出来なかったんだろうなって思って」

 

「……確かに」

 

「……そこは旦那様として『そんなことないだろ』って言うべきじゃない?」

 

「いやだって」

 

 今でこそ禁酒しているが、それまでの楓からだったら正直酒の肴を作っているイメージしかない。学生の頃はどうか分からないが、見せてもらった昔の写真と基本的に物静かだったという情報から趣味でお菓子作りに勤しむなんて姿は想像出来なかった。

 

 勿論一人暮らしをしていたわけだから自炊はしっかりと出来る。それでもアイドル『高垣楓』の姿からは結び付きそうになかった。やはりモデルの仕事のときに凛として立っている姿か……もしくは酔っぱらって笑っている姿の方が容易に想像できた。

 

「……どーせ私は、愛梨ちゃんみたいにお菓子作りは似合いませんよー」

 

 ふんっとそっぽを向いてしまった楓。そこで十時の名前が出てきたのは……まぁそういう意味なんだろう。

 

 こちらに背を向けてしまった楓を後ろから抱きしめる。所謂あすなろ抱きというやつで、楓のお腹が大きくなってきてからは彼女を抱きしめるときは大体これだった。

 

「ごめんって。俺も、ほにゃほにゃに酔って可愛くなった楓を長らく見てないから、寂しくて意地悪言っちゃったんだ」

 

 段々と母親になっていく楓の姿もそれはそれで美しいのだが、やっぱり彼女のあらゆる姿に惚れた身としては、例えどんな一面であろうとも見れなくなるのは寂しいのだ。

 

 ごめんよーと言いつつそのまま楓のうなじに軽く唇を押し当てると、彼女はくすぐったそうに身を捩った。

 

「もう……許してあげる。でも、あんまり意地悪しちゃ嫌よ?」

 

「んーでもやっぱり拗ねてる楓も可愛いしなぁ。時々だったら、意地悪してもいい?」

 

「こーら」

 

 反省してないなーと鼻を摘ままれてしまった。

 

 

 

 ピンポーン

 

 しばらく二人でイチャコラしていると部屋の呼び鈴が鳴った。エントランスの呼び鈴ではなく部屋の前の呼び鈴が直接鳴らされたということは、どうやら本日の客人がやって来たようだ。

 

「私はお茶の用意しておくわね」

 

「ん」

 

 夫婦二人の時間は一旦お休みして、俺はキッチンから玄関へと向かうと、合鍵を渡してある彼女は既にドアを開け、二人の連れと共に玄関の中へと入って来ていた。

 

「よっす兄貴」

 

「「お邪魔しまーす!」」

 

「三人ともいらっしゃい」

 

 というわけで、本日の客人は奈緒と凛ちゃんと加蓮ちゃんの三人である。折角の休日に三人でオフなのだから何処かへ遊びに行けばいいのにとも思ったのだが、たまにはゆっくり俺たちと話したかったそうだ。……その対象は主に楓だろうが。

 

 楓が突然クッキーを焼き始めたのも、三人のためにお茶菓子を用意するためである。今はまだお腹の中にいる子どもにも手作りでお菓子を作ってあげたいそうなので、その練習も兼ねていた。

 

「ほい兄貴、お土産。ジャムの詰め合わせ」

 

「サンキュ。お茶に入れるか」

 

「私は、芸がないかもしれないけど……お花、持ってきました」

 

「おぉ、ありがとう。いいよ、やっぱり生花があるとそれだけで気分が落ち着くから」

 

「私からはモクドナルドのフライドポテト! ……と言いたいんですけど、二人に怒られたのでやめました……代わりにコレ、アロマです」

 

「よくぞ思い止まってくれた」

 

 三人からお土産を受け取り、共にリビングへ向かう。対面式キッチンの向こう側ではちょうど楓が上の棚からカフェインレスのハーブティーの茶葉を取り出そうとしていた。

 

「三人とも、いらっ――」

 

 

 

「何やってんだよ義姉さん!?」

 

 

 

「――しゃい……え?」

 

 楓の姿を見るなり、奈緒が突然大声を上げた。楓は何のことか分からず目を白黒させており、かく言う俺や凛ちゃんと加蓮ちゃんも呆気に取られている。

 

 奈緒はキッチンの向こう側へと走ると、楓に駆け寄って彼女の体を支えるようにガシッと肩を掴んだ。

 

「今の義姉さんの体は一人だけのものじゃないんだぞ!? もうちょっと気を付けてくれよ!」

 

「えっ……あ、うん、ありがとう奈緒ちゃん、心配してくれて。でもこれぐらいだったら、適度な運動にもなるし……」

 

「適度な運動と危険な行動は別物だよ! お茶だったらアタシが淹れるから、義姉さんは座っててくれ!」

 

「あぁいや、それなら俺が淹れるから――」

 

「兄貴は義姉さんの側にいて、何かあったら代わりにやるのが仕事っ!」

 

「――アッハイ」

 

 結局、楓のついでに俺までキッチンから放り出されてしまった。俺が一人暮らしをしている頃から何度も来ているので、勝手知ったるなんとやら。奈緒は手慣れた様子でお茶の準備をし始めた。

 

「……張り切ってるなぁ」

 

「奈緒ってば、楓さんが妊娠してからずっとあんな感じだもんね」

 

「そーそー。普段も、何かある度に楓さんや赤ちゃんのこと考えてるみたいなんですよ」

 

 凛ちゃんと加蓮ちゃんはそう言いつつクスクスと笑っていた。

 

 多少過剰ではあるものの、楓やお腹の中の子どものことを全力で案じてくれていることに対しては、とても感謝している。関心を持たれないよりずっとマシだ。

 

「なんというか……そう、一緒に飼われている大型犬を守ろうとして周りに向かって必死に威嚇している小型犬……みたいな?」

 

 加蓮ちゃんの例え話が的確すぎてぐうの音も出なかった。楓ワンコを背に必死にキャンキャン吠えている奈緒ワンコの姿が容易に想像できた。

 

「旭さんと楓さんが結婚するって知った直後は、ずっと余所余所しかったのにね」

 

「今では楓さん大好きを隠そうとしないもんね」

 

 そう言えばそうだったなぁ。確か……夏にこの五人で事務所の保養所に行って、そこで打ち解けたんだっけ? 結局二人でどんな話をしたのかは教えてもらっていないが、あの日を境に楓と奈緒の距離がグッと近付いたのは間違いない。

 

 ともあれ、奈緒がお茶を淹れてくれている間、俺たちはリビングのソファーに腰を下ろして大人しく待つことになった。

 

「……ねぇねぇ旭さん、奈緒が楓さんと初めて会ったときって、どんなでした?」

 

「ん? 奈緒と楓が初めて会ったとき? ……いや、それは俺も知らないけど」

 

「あ、えっとそうじゃなくて」

 

「加蓮が言いたいのは、多分楓さんを()()()()()()()()()()()奈緒に紹介したときのことだと思う」

 

「そう、それ!」

 

 あぁ、成程そっちか。

 

 確か……楓にプロポーズして、その二週間後ぐらいに楓を実家に連れて行った。そこが奈緒にとって『アイドルの先輩』としてではなく『兄の結婚相手』として楓に会った初めて会ったときのことになる。

 

「そうだな――」

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい、旭君。少しだけ撮影が押しちゃって」

 

「大丈夫、気にしてないよ」

 

 サングラスに帽子という定番の変装姿の女性が車の助手席に乗り込んでくる。彼女は勿論楓で、仕事終わりに駅前で待っていてもらい車で迎えに来た次第である。

 

「………………」

 

「……緊張してる?」

 

 そのまま車を走らせるのだが、隣の楓は窓の外を見つめながらずっと黙っていた。

 

「うん……旭君は平気?」

 

「まさか。すげぇ心臓バクバクいってる」

 

「本当だ」

 

「コラ運転中は止めろ」

 

 さわさわと俺の胸元に手を当ててくる楓を咎める。クスクスと笑っているので、それほど深刻に緊張しているわけではなさそうだが……それでも、その綺麗な二色の瞳から不安の色は拭いきれていなかった。

 

 ……無理もない。何せ、今日は初めて()()()()()()()のだから。

 

 勿論、その目的は結婚の報告である。

 

 お互いに芸能人という身の上なので、交際していたということは一部の人間を除いて隠されていた。その一部の人間というのはあくまでも事務所の人間や一番親しい仲間内のことを指すので、申し訳ないことにお互いの両親は含まれていなかった。なので、両親は俺と楓が交際しているという事実すら知らない状態なのだ。

 

「突然彼女を通り越して結婚相手を連れてきたんだから、二人とも驚くだろうな」

 

「……反対されたりしないかしら」

 

「寧ろ『よくこんな嫁さんを見つけてきた!』って褒められると思うけどな」

 

 俺だったら、自分の息子が結婚相手として高垣楓を連れてきたら、それはもう「でかした!」と全力で褒めちぎると思う。

 

「それだったら嬉しいけど」

 

「大丈夫。あの二人なら分かってくれるさ」

 

「……うん」

 

 

 

 東京から千葉にある実家まで車を走らせ、到着したのは夕方だった。

 

「……ここが、旭君の家なのね」

 

「あぁ。物心つく前からずっと住んでた……俺の家」

 

 勿論普通の民家であるが、それでも今までの人生の半分以上は住んでいた家なだけあって、俺にとっては特別の家だ。一応正月にも帰省しているが、それでも約半年ぶりだった。

 

「予定よりも少し早く着いたけど、まぁ大丈夫だろ」

 

 玄関の引き戸を開ける。

 

「ただいまー」

 

 多分いつものように奥から母さんがパタパタとスリッパを鳴らして走ってくると思ったのだが、今回は何の反応も無かった。

 

「……誰もいない?」

 

 いや、玄関の鍵は開いていたのでそれはないだろう。となる……。

 

「……お、お帰り」

 

 そんなことを考えていると、ひょっこりと廊下の影から顔を出した一人の少女の姿が。

 

「ただいま、奈緒」

 

 当然というか、この家の住人にして俺の妹、神谷奈緒だった。

 

「父さんと母さんは?」

 

「ちょっと用事で出かけてくるって。兄貴たちが帰ってくる前には帰るって言ってたけど……」

 

「俺たちが少し早く着きすぎたか」

 

 やっぱり二人とも不在で奈緒しかいなかったようだ。

 

「……で、兄貴。結婚相手を連れてくるって言ってたよな?」

 

「あぁ」

 

 元々奈緒を経由して両親に結婚相手を連れていくこととを伝えてもらっているので、勿論彼女もそれを知っている。

 

「……誰もいないじゃん」

 

「あれ!?」

 

 振り返ると、確かにそこには誰もいなかった。

 

 ビックリして外に出ると、何故か楓が入ることを躊躇していた。

 

「どうしたんだよ……」

 

「……や、やっぱり緊張しちゃって」

 

 苦笑しつつ人差し指を合わせる楓。普段の彼女からは想像できない珍しい姿だった。

 

「大丈夫だって。今ちょっと父さんと母さんいないみたいだから、奈緒しかいないから」

 

 背中を押しながら玄関に入る。

 

 楓の姿を見た途端、奈緒の目が徐々に大きく見開かれていった。

 

「お、お邪魔します」

 

「………………」

 

「……え、えっと」

 

「……あ、兄貴が本当に楓さん連れてきたあああぁぁぁ!?」

 

 ……信じてなかったのかよ、コイツ。

 

 

 

 さて、俺の家族という点では楓と奈緒を会わせることも当然目的と一つだったわけだが、当然主目的は両親に会わせることである。

 

 というわけで、一先ず楓と共に客間へと移動。どうやら母さんが用意をしておいてくれたらしく、既に座布団が五つ並べられていた。二つと三つが机を挟んで対面する形になっており、どうやら奈緒も同席することが前提となっているようだった。

 

「まさかこの客間に、客人側として座る日が来るとはなぁ」

 

 とりあえず二つ並んだ座布団の片方に腰を下ろすと、その隣に楓もスッと腰を下ろした。胡坐をかく俺に対し、楓は正座だった。いや、勿論両親が帰ってきたら俺も正座するけど。

 

「……お茶持ってきた」

 

 やや遅れてやって来た奈緒は、右手に急須と人数分の湯呑を乗せたお盆を乗せ、左手に電気ポットを持っていた。

 

「サンキュ」

 

「ありがとう、奈緒ちゃん」

 

「……いえ」

 

(……うーむ)

 

 奈緒は楓と何度か一緒に仕事をしたことがあるって聞いてたんだが……やっぱり、アイドルの先輩としてではなく実兄の結婚相手として会うのはわけが違うか。

 

 そこでムクリと悪戯心が沸き上がった。楓に対してではなく、弄ると愉快なことで大変定評のある我が妹に対しての悪戯心である。

 

「んじゃ、ちょっと俺は用足しに行ってくるから」

 

「いってらっしゃい」

 

「ちょっ……!?」

 

 見送ってくれる楓と、焦った様子でこちらに手を伸ばしくる奈緒。二人を客間に残したまま俺は廊下へと出て行った。勿論用足しは嘘であり、目的は俺がいない状況で、二人がどんな会話をするのかを聞くのが目的である。

 

(さてと)

 

 トイレへと向かうフリをして廊下の影に隠れる。中の様子は見えないが、それでもここからなら二人の声を聞き取ることが出来た。

 

 

 

 ――こうしてお話するのは久しぶりね。

 

 ――え!? そ、そうですね……。

 

 ――この前のライブ以来になるのかしら。

 

 ――はい。……その節はお世話になりました。

 

 ――ふふっ、どうしたの、改まって。

 

 ――あ、いや、その……。

 

 ――やっぱり、驚いたかしら。私が旭君と結婚するって聞いて。

 

 ――……はい。その……兄貴なんかが、あの楓さんと結婚するとは思わなくて。

 

 ――あら、とても素敵なお兄さんよ。一目惚れしちゃうぐらい。

 

 ――えっ!? か、楓さんの方からなんですか!?

 

 ――んー、どうかしらね。ハッキリとはしてないけど。

 

 ――アタシはてっきり、兄貴が何か奇跡でも起こしたのかと……。

 

 ――ふふっ、奇跡と言えば奇跡かもしれないわ。こうして出会えたこと自体が、奇跡。

 

 ――……本当に、兄貴と結婚するん……ですよね。

 

 ――……奈緒ちゃんは、反対?

 

 ――そ、そんなことありません! ……ありませんけど……。

 

 ――けど?

 

 ――……その……アタシにも、よく分からなくて。

 

 ――……ごめんなさい、変なこと聞いちゃったかしら。

 

 ――いえ、大丈夫です……。

 

 

 

「……うーむ」

 

 てっきり奈緒がテンパって何かしらをやらかすと思ってたのだが、意外とシリアス風味の会話になってしまった。というか、奇跡ってなんだよ。俺も同感だわ。

 

 ついでに二人きりにすることで、将来義姉妹になる二人の仲が少しでも良くなればいいなと思ったのだが……これはもう少し時間がかかるかなぁ。元々楓も奈緒も人見知りする性格だし。

 

 まぁなんとかなるかなとやや楽観的に考えながら、俺はトイレから戻って来たフリをしながら客間へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

「――っていう感じだったな」

 

「わぁ、やっぱり今と全然違うね」

 

「まさに借りてきた猫状態……ワンコが猫とはこれ如何に」

 

「兄貴アレ聞いてたのかよおおおぉぉぉ!?」

 

 キッチンから奈緒の叫び声が聞こえてきた。まぁリビングと繋がってるし、聞こえない方がおかしい。というか寧ろ聞かせるつもりの音量で喋ってたし。

 

「ふふっ、あのときのそわそわした奈緒ちゃんも可愛かったわよー?」

 

「義姉さあああぁぁぁん!?」

 

 楓にも裏切られてしまった奈緒。残念ながら、ここにいる全員『奈緒は弄ると可愛い』っていう共通認識だから。

 

「でも、今みたいに仲良くなったのは夏の旅行のときなんだよね」

 

「楓、結局あのとき何話したんだよ」

 

「これは私と奈緒ちゃんだけの秘密。はい、義姉妹(しまい)のお話はこれでお終い(しまい)。奈緒ちゃんもおいで~」

 

「くっそぉ……」

 

 顔を真っ赤にしながらお盆にハーブティーを淹れたポットとカップを乗せてキッチンからやってくる奈緒。お盆をテーブルに乗せると、そのまま自然に俺とは反対側の楓の隣に座った。

 

 ……まぁ、何はどうあれ。二人が仲良くなってくれてよかったよ。

 

 

 

「はい、それじゃあ……奈緒ちゃんが淹れてきてくれたお茶で、カンパ~イ!」

 

「違う違う」

 

 

 

 

 

 

 ○月○日

 

 今日は奈緒ちゃんと凛ちゃんと加蓮ちゃんが遊びに来てくれることになった。

 

 折角なので、三人と一緒に食べるためにクッキーを焼いてみることにした。元々お菓子作りは、バレンタインのチョコレート以外したことがなかったが、レシピ通りにやったので特に失敗することなく作ることが出来た。子どもが生まれて、大きくなったらこうして手作りのお菓子を作ってあげたい。

 

 ちょうど焼きあがった直後ぐらいに三人はやって来たのだが、その際少しだけ高いところに置いてあった茶葉を取ろうとしていたら、お腹の子どものために危ないことはしないでほしいと奈緒ちゃんに怒られてしまった。

 

 結局奈緒ちゃんがお茶を淹れてくれることになり、その間に話題は私が初めて神谷の実家に挨拶へと行ったときのものになった。

 

 あのときはまだ奈緒ちゃんは今のように『義姉さん』とは呼んでくれず、そもそもまだまだ他人行儀だった。当時の日記を振り返ってみると『本当に奈緒ちゃんと仲良くなれるのか、少しだけ不安になってしまった』みたいなことが書いてあった。

 

 大丈夫よ、昔の私。

 

 今ではちゃんと、奈緒ちゃんと仲良くなっているから。

 

 

 

 

 

 

「……ふふっ」

 

「ん? どうした楓」

 

「ううん、少し前の日記を読み返してただけだから……っ!?」

 

「……楓? ……楓っ!?」

 

 

 




 今回はツイッター上で行ったアンケートにて最も票が多かった『初めて実家に連れていった時の話』となっております。ちなみに他は『初めてシた翌朝の話』『付き合い初めの頃の話』でした。……まさかこれが一位になるとは思ってなかったゾ。

 いよいよ次回の更新は楓さんの誕生日となります。ついにこの小説も二年になります。節目となるお話ですので、気合を入れたいと思います。



 そして今日は第七回総選挙の結果発表の日です! 結果によっては短編をあげるかもしれませんので、もしよければツイッターのチェックをば。


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旭と楓が誕生を祝う一日

『かえでさんといっしょ』二周年!

そんなことより楓さん、お誕生日おめでとうございます!!


 

 

 

「ハッピバースデー、トゥーユー」

 

 照明が落とされた部屋の中、ケーキの上に立った蝋燭の光がかすかに揺れる。

 

「ハッピバースデー、トゥーユー」

 

 パチパチという手拍子に合わせて誕生日を祝う曲を歌うのは、楓ではなく俺。彼女たっての希望で、俺が歌うことになった。

 

「ハッピバースデー、ディア……楓」

 

 名前を歌詞に入れるところで、ほんの少しだけカッコつけてみた。おめでとうという気持ちを込めて、そして何よりもこれまでと変わらぬ愛を込めて。

 

「ハッピバースデー……トゥー……ユー……」

 

 歌い終わりスッと手で促すと、楓は小さく息を吸い込むと、ふぅっと勢いよく蝋燭の火を吹き消す。少々数が多いので一度に吹き消せるかどうか分からなかったが、今は一線を退いているもののそこは『世紀末歌姫』と称された彼女の肺活量である。見事一息で()()()()の蝋燭の火を吹き消した。

 

 途端に室内は真っ暗になるが、壁のスイッチのすぐ側で控えていたので、すぐに電気を点けて部屋を明るくした。

 

「おめでとう、楓」

 

「ありがとう、旭君。……ふふっ」

 

「ん?」

 

「旭君は相変わらず歌が上手くならないわね」

 

「ほっといてくれ」

 

 生憎俺の技能は殆ど演技方面に振られてしまっているらしく、お世辞にも歌が上手いとは言えない。そもそも高垣楓と比べてしまったら誰だって下手くそだ。

 

「でも私のためだけに歌ってくれたのよね。……それだけで、とても幸せ」

 

「……ったく、初めから素直にそれだけ言っておけっての」

 

 こいつめっと軽くコツンと額を小突く。それが何故か嬉しかったらしく、楓は額を抑えながらホニャッと笑った。

 

「よし、それじゃあケーキを切り分ける前に、プレゼントを――」

 

 

 

 ――うー……あー……!

 

 

 

 渡すために寝室へ紙袋を取りに行こうとした俺の背中を、そんな声が引き止めた。

 

「……ふふっ、アナタもお誕生日をお祝いしてくれるの?」

 

 楓の優しい声。

 

 振り返ると、そこには俺にとっての『幸せ』が具現化したと言っても過言ではない光景が広がっていた。既に何ヶ月も見続けているその光景だが、未だに見飽きることが無い。それどころか、毎日毎時間毎秒と変化し続けるそれに一生見飽きることはないだろう。

 

 

 

「ありがとう、(もみじ)ちゃん」

 

 

 

 腕の中に抱えた赤ん坊に微笑む楓。

 

 

 

 ――神谷椛。俺と楓の間に生まれた……生まれてきてくれた、愛娘である。

 

 

 

 

 

 

 それは去年の八月、暑い夜だった。ベッドに入る前に日課の日記を書き終わり、過去の日記を読み返しながらクスクスと笑っていた楓が、突然苦痛に顔を歪めたのだ。

 

 もしやと思い駆けよるとやはり陣痛が来たらしく、そのまま車に楓を乗せて行きつけの産婦人科へ。出来るだけ急ぎつつ、しかし楓とまだ見ぬ我が子が乗っているために人生で一番慎重な運転だったと思う。

 

 そしてそのまま分娩室……ではなく、陣痛室と呼ばれる部屋へ。陣痛が来てからすぐに産まれるというわけではなく、何度か陣痛の波が来るらしいので、本格的に産気づくまではここで待機するらしい。

 

「今はどうだ?」

 

「少し落ち着いたわ」

 

 それでも少しは痛むらしく、微笑む楓の額には脂汗が浮かんでいた。

 

「……ごめんな、立ち合い出来そうになくて」

 

「ううん、気にしないで」

 

 立ち合いをしたい気持ちもあったのだが、生憎翌日は映画の撮影が入っていて休むことが出来ないのだ。

 

「せめてギリギリまでここに居させてくれ」

 

「無理しちゃだめよ? 疲れてる状態で帰りの車を運転して事故に遭ったら……」

 

「任せろ。そういうギリギリを見極めるのは得意だ」

 

「自慢にならないわよ」

 

 もうっと怒ったような口調でクスクスと笑う楓。

 

 とりあえず楓に陣痛が来たことを色々な人に連絡を入れる必要があるので、陣痛室を後にして携帯電話使用可能区域まで移動する。

 

 真っ先に連絡を入れたのは楓の実家。夜分遅い時間ではあったが、電話を掛けるとお義母さんが出てくれた。突然の電話を謝罪した後、楓が産気づいて分娩室へと入ったことを伝える。お義母さんからは「長丁場になるだろから、貴方もしっかりと休みなさい」と、お義父さんからは「君に今出来ることは待つだけだ。でも無理だけはしないように」というお言葉を貰った。

 

 次に連絡を入れたのはウチの実家だ。家の電話にかけると奈緒が出てくれて、楓が産気づいたことを伝えると夜も遅いというのに「えぇっ!?」という驚きの叫び声が聞こえてきたと同時にゴトッという低い音が響いた。どうやら受話器を取り落としたらしい。なんともまぁ奈緒らしい反応に思わずクスリと笑ってしまった。その後「ががが頑張れって伝えてくれ! ……が、頑張るのは兄貴もだからな!?」という応援の言葉を貰った。ちなみに両親からの言葉は殆ど楓の両親からの言葉と同じだったので割愛する。

 

 お互いの肉親に連絡を済ませたところで、ようやく俺は346プロへと連絡を入れた。いくらアイドルとしての活動を休止しているからとはいえ、今でも楓は346プロに所属するアイドルなので、まずは彼女の担当プロデューサーに連絡をする。当然夜も遅い業務時間外だったが、彼女は短く「分かりました」「頑張ってください」と言ってくれた。

 

 そして次は俺の担当プロデューサー。勿論休むという連絡ではなく、楓が分娩室に入ったがしっかりと仕事へは向かうという旨をキチンと話しておく。彼は「分かりました」と答えた後、「……お休みにしてあげることが出来ず、申し訳ありません」と謝られてしまった。勿論気にしていないと返した。

 

 あと連絡を入れるべきところは……多分、川島さんや片桐さんたちぐらいか。彼女たちには電話ではなくメッセージアプリで「楓が産気づきました。今病院です」とグループメッセージを送ると、すぐに既読マークが付き、次々に彼女たちからの励ましのメッセージが送られてきた。

 

 

 

 ――ついに来たわね!

 

 ――頑張ってって伝えて!

 

 ――もーすぐパパとママだな☆

 

 ――楓さんもですけど、旭さんも頑張ってください。

 

 

 

 川島さん・片桐さん・佐藤・三船さんからのメッセージ。楓の友人であり、今では俺の友人でもある四人からのメッセージに、家族たちからの言葉とはまた違う励ましになった。

 

「こんなもんかな……」

 

 連絡をしておくべきところは思い付く限りしておいたから、これで大丈夫だろう。

 

「あっ! 神谷さん!」

 

「ん?」

 

 陣痛室へと戻ろうとすると、看護師さんがやや慌てた様子でやって来た。

 

「奥さんの陣痛が始まりました! 今から分娩室へと向かいます!」

 

「えっ!?」

 

 予想よりも早いそれに驚いてしまったが、こういうのは個人差もあるだろうから特別珍しいことでもないだろう。

 

 看護師さんの後に続いて陣痛室へと戻ると、ちょうど楓がストレッチャーに乗せられて分娩室へと移動する最中だった。

 

「楓っ」

 

「旭君……」

 

 苦痛に顔を歪める楓に、思わず自分も顔をしかめる。しかしここから先、俺に出来ることは何もない。

 

「………………」

 

 思わず口から出かかった「頑張れ」という言葉を飲み込む。勿論それが悪い言葉だとは思わない。それでも、今彼女に俺の口からかけるべき言葉はそれじゃないと思ったのだ。

 

 だから、楓の手を握り、一言だけ。

 

 

 

「いってらっしゃい」

 

 

 

「……いってきます。()()で帰ってくるから、待っててね」

 

「あぁ」

 

 

 

 

 

 

 ピンポーン

 

「ん?」

 

 椛が生まれた日のことを思い返していると、呼び鈴が鳴った。

 

 時間としてはそろそろ夜の九時に近い。やや遅い時間帯の来客に、一体誰が来たのだろうかと首を傾げながらドアホンのカメラを覗き込む。

 

「……成程ね」

 

「旭君、誰が来たの?」

 

「サプライズゲスト」

 

「?」

 

 

 

『お邪魔しまーす! お誕生日おめでとー!』

 

 やって来たのは、奈緒・凛ちゃん・加蓮ちゃん・川島さん・片桐さん・佐藤・三船さんの346プロのアイドルばかり七人という中々の大所帯だった。なんでも、仕事終わりにそのまま楓の誕生日をお祝いするために来てくれたらしい。

 

「こら、あんまり大きな声出さない」

 

「夜遅いですし……赤ちゃんもいますから……」

 

『あ、ごめんなさい……』

 

 なおリビングにやってくると同時にそれなりに大きな声でおめでとうを言う一堂を川島さんと三船さんが諫めてくれた。

 

「みんな……来てくれたんですね」

 

「そりゃ楓ちゃんの誕生日を祝わないわけにはいかないでしょ!」

 

 はいコレと大人組四人からの誕生日プレゼントであるワインボトルを、俺が代わりに片桐さんから受け取る。勿論授乳期間のため未だに禁酒中なので楓は飲むことが出来ないが、ワインなのでしばらく寝かして待つことにしよう。

 

「私たち三人からはこれを。これから暑くなりますけど、外に出て冷房で体が冷えるといけませんから」

 

 凛ちゃんたちからのプレゼントは、パステルグリーンのストールだった。男の俺には少々理解できないが、なんでも女性は夏でも冷え性に悩まされるらしい。

 

「凛ちゃんたちも、夜遅くにわざわざありがとう」

 

「いえ」

 

「それに、一番来たがってた人がいますからね~」

 

 こちらも楓の代わりに俺が受け取ると、加蓮ちゃんはニシシと笑って視線を横に逸らした。その視線を追っていくと――。

 

 

 

「……ふへへ~椛~、奈緒お姉ちゃんだぞ~」

 

 

 

 ――それはもうデレッデレに頬を緩ませた奈緒がいた。楓の腕の中の椛に向かって人差し指を差し出し、それを椛が握る様を見ながら幸せそうな笑みを浮かべていた。

 

「……なんというか、振り切れるところまで振り切っちゃってるよね、奈緒」

 

「早速叔母バカになってるなぁ」

 

「略したらオバカですね」

 

 いやまぁ、娘を可愛がってくれるので親としては喜ばしいことなんだけど、正直ここまでデレるとは思ってなかった。最初は凛ちゃんや加蓮ちゃんに揶揄われるのが嫌で普通に接していたんだけど、あるときを境にそれが完全に吹っ切れてこんなことになってしまった。

 

「最近だと何かある度にスマホ開いて『これ昨日の椛! 可愛いだろ!?』って写真見せながら自慢してくるんですよ」

 

「……あぁ、それ俺が送ってる奴だな」

 

「旭さんが原因じゃないですか」

 

「いや、だって可愛いだろ?」

 

「おっとこの人も普通に親バカだった……」

 

 親バカ上等。世界で一番愛している女性が産んでくれた、俺の子どもだ。可愛くないはずがないし、愛おしくないはずがない。

 

「きっと将来は、楓に似た美人になるぞ。……そうすると、俺は愛する楓と楓とよく似た愛する娘と共に日々を過ごすことになるのか……!」

 

「あ、親バカとかじゃなくてコイツただのバカだぞ☆」

 

「楓ちゃん、早速壊れてるあんな旦那を見て一言」

 

「可愛いですよね?」

 

「あ、既に楓ちゃんも手遅れだ……」

 

「これは若干抜けてる神谷の血に楓さんが染まったってことでいいのだろうか」

 

「割と最初から似たもの夫婦でしたよね、お二人は……」

 

「あうっ」

 

「「あ~椛は可愛いなぁ~……!」」

 

「この兄妹……」

 

「ふふっ」

 

 

 

 

 

 

「椛ちゃん見ててくれてありがとう、旭君」

 

「なんのなんの」

 

 風呂上がりで上気した肌の楓が髪に残った水分を拭き取りながら、ソファーに座る俺の横に腰を下ろした。そろそろ暑くなってきてタンクトップに短パンというラフな格好の楓は、相変わらずの童顔も相まってとても経産婦には見えない若々しさだ。

 

 椛は『赤ん坊は寝ることが仕事』という言葉を表すように、俺がゆっくりと動かし続けている揺り籠の中でくぅくぅと寝息を立てていた。

 

「今日はビックリしたけど、本当に嬉しかったわ……また何かみんなにお返ししないと」

 

「少なくとも、奈緒は椛を連れて実家に帰るだけで喜んでくれそうだな」

 

 楓の誕生日をサプライズでお祝いしてくれたアイドルの面々は、夜も更けて明日も仕事があるので先ほど帰路に着いた。その際、未成年組を車で送ろうかと思ったのだが「誕生日の奥さんを一人にするとは何事だ!」と怒られてしまった。どうやら大人組がお金を出してタクシーで帰ったらしい。

 

「……不思議だな……まだ結婚してから二年しか経ってないんだよなぁ」

 

 ついでに言うと、楓にプロポーズしてから今日でちょうど三年だ。プロポーズした日と結婚した日が楓の誕生日と同じなので、絶対に忘れることはない。

 

「あら、私はつい昨日のことのように思えるわ。……プロポーズの後に抱きしめてくれた旭君の暖かさ。結婚式で交わした旭君との誓いのキス。全部鮮明に覚えてる」

 

「むっ、俺だって覚えてるさ」

 

 なんだったらここでそのキスを再現してやろうか、と楓の顎を軽く持ち上げると、逆に楓から唇を奪われてしまった。

 

 眠っているとはいえ、目の前に娘がいる状況でのキスは少しだけ背徳感を覚えて背筋が震えた。それは楓も同じだったようで、彼女もビクリと体を震わせていた。

 

 少しだけ深いキスを十秒ほど堪能し、唇を離す。

 

「……こんなもん、神の御前でやったら怒られただろうな」

 

「あら、仲が良い証拠として褒めてくれないかしら?」

 

 クスクスと笑う楓の頭を「こいつめ」とやや乱暴に引き寄せる。彼女は抵抗することなく俺の肩にもたれかかるようにポスンと倒れ込んできた。

 

 

 

 

 

 

 『幸せ』という言葉を、果たして何度口にしてきたことだろうか。

 

 『幸せ』という言葉を、これから何度口にするのだろうか。

 

 勿論そんなもの覚えてないし、これからも数えるつもりはない。いや、最初からそんなものに意味なんてない。

 

 俺はこれまでもこれからも『幸せ』の中で生き続ける。楓が隣にいることが『幸せ』で、腕の中に椛がいることが『幸せ』で、二人が笑ってくれることが『幸せ』。覚える必要もなけば、数える必要もない。これから過ごす人生そのものが最初から『幸せ』に彩られた出来レースだ。

 

 勿論、決して『幸せ』とは言いづらいことがこの先起こらないとは断言できない。それでも、この二人がいてくれるだけで、俺の『幸せ』はそれを上回ることだろう。

 

 きっとこれが『幸せすぎて怖い』ってことだろう。

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、怖いわ」

 

「ん?」

 

 突然、楓がため息混じりにそんなことを呟いた。

 

「どうしたんだ?」

 

「……今日のケーキ、美味しかったわね」

 

「あぁ」

 

「……川島さんたちが買ってきてくれたケーキも、美味しかったわね」

 

「あぁ」

 

 楓の言いたいことの意図が掴めず、首を傾げる。

 

 一体何事だろうかと楓の顔を覗き込むと、彼女はやや恥ずかし気にツイッと視線を逸らした。

 

「……えっとね……椛ちゃんに授乳してると、私もお腹が空くの」

 

「まぁ、そうだろうな」

 

 簡単に言えば自分のエネルギーを赤ちゃんに渡してるわけだからな。

 

「それで、その……最近少し食べる量が増えて……」

 

 増える、と言っても昔の楓は小食だったし、寧ろ普通になったぐらいで――。

 

 

 

「……少しだけ、その……体重が……」

 

 

 

 ――ポツリと、呟いた。

 

「「………………」」

 

 コチコチと時計の進む針の音だけが部屋に響く。

 

「……ぷっ」

 

「っ!? あ、旭君笑った!? 笑ったわね!?」

 

「くくくっ、そうだな、怖いな。今までの楓はずっと痩せすぎてたから、少し肉が付くのが怖いな。ケーキだけに、体重計、気(けいき)になるな」

 

 寧ろ喜ばしいことじゃないかと笑っていると、揶揄われたこととお株を奪われたことで珍しく顔を真っ赤にした楓がポカポカと頭を殴って来た。

 

「い、今までは食べても太らなかったのっ! だからこれでもショックなのよっ!?」

 

「分かったから、ほら、椛が起きる」

 

「……ふんだっ」

 

 プイッと頬を膨らませてそっぽを向いてしまった楓を、後ろから抱きしめる。

 

「……楓」

 

「……何?」

 

 

 

「……幸せだな」

 

「……えぇ」

 

 

 

 

 

 

 六月十四日

 

 今日は私の二十八歳の誕生日。

 

 当然昼間は旭君は仕事でいなかったが、帰りにケーキを買ってきてくれたので、そのまま椛ちゃんと三人でささやかながら誕生日会を開いた。一昨年こそ結婚式があったので出来なかったが、それまでモデル仲間や瑞樹さんたちが誕生日会と称した飲み会を開いてくれていたので、こうしたささやかな誕生日会は初めてだった。

 

 ところが、なんと仕事終わりで瑞樹さん・早苗さん・心さん・美優さん、そして奈緒ちゃん・凛ちゃん・加蓮ちゃんたちがサプライズで遊びに来てくれた。プレゼントとしてワインやストールまで貰ってしまい、本当に嬉しかった。

 

 こうして仲の良い友人だけでなく、愛する旭君がいて、愛する椛ちゃんがいる。

 

 椛ちゃんが生まれて約十ヶ月、旭君と結婚して二年、旭君にプロポーズされてから三年。この三年間が、きっと今までの人生の中で最も幸せな期間だったと断言できる。

 

 そしてその幸せな期間は、今後もずっと延長していくことになるだろう。

 

 そう願うのではなく、そう断言する。

 

 だから改めて、ここでも貴方たちへの愛を綴ります。

 

 

 

 愛してるわ、旭君、椛ちゃん。

 

 

 

 

 

 

「……うわぁ……まさか日記の中までデレデレとは思わなかった……」

 

「椛ちゃん、どうしたの?」

 

「っ!? な、なんでもない!」

 

「?」

 

 

 




・神谷椛
名前を旭に寄せるか楓に寄せるか悩んだ結果、姓名判断サイトで中々よさそうな結果となったので椛を採用。
八月某日生まれ。八月の更新までには考えておきます。



 ついにこの小説内で楓さんの誕生日をお祝いするのは三回目になります。

 ホント、我ながら楓さんへの想い(あとノリと勢い)だけでよくここまでやってこれたものです。

 これで今度こそネタ切れ! ……と言いたいところなのですが、娘が生まれたことで更にネタが思い付いてしまったというね。



 というわけでまだ続きます! 三年目に突入です!



 次回からは新たな登場人物として椛ちゃんを加えて彼女の成長を描きつつ、これまでどうように旭と楓さんをイチャコラさせていきたいと思います。

 というわけで、また一年間よろしくお願いします。

 そして最後にもう一度改めて。


 楓さん、お誕生日おめでとうございます!


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神谷椛と一緒
神谷椛1歳と納涼祭に行く7月


新章スタート!


 

 

 

「………………」

 

 夜、喉の渇きを覚えて目を覚ます。いつの間にか梅雨が明け、日に日に暑くなっていく今日この頃ではあるが、我が家では早々にクーラーが仕事をしてくれているので寝苦しいということには無縁だった。

 

 昔はギリギリまでクーラーを使っていなかった我が家であるが、今年は……というか、去年からはそうも言ってられない。

 

 その理由は勿論――。

 

 

 

「……すぅ……すぅ……」

 

「……くぅ……くぅ……」

 

 

 

 ――俺の隣で眠る(つま)と、(まなむすめ)のためである。

 

 そろそろ一歳と十一ヶ月になる椛は、去年の夏から既にベビーベッドではなく俺たちと一緒のベッドで添い寝をしている。元々大きめのダブルベッドだったので、椛を挟んで川の字に寝てもまだまだ余裕があった。

 

 スピスピと寝息を立てる椛の鼻の頭をツンツンと触ると、彼女は小さく身じろぎをした。そして同じように楓の鼻の頭を触ると全く同じ反応をされた。これぞ親子の反応である。

 

 こんなことをしておいてあれだが、二人を起こすのも忍びないのでゆっくりとベッドから降り、喉の渇きを潤すために寝室を出てキッチンへと向かう。

 

 ヒタヒタと蒸し暑い廊下を歩く。キッチンの冷蔵庫を開けると作り置きの麦茶を取り出してグラスに注ぎ、そのまま一気に流し込む。これだけ蒸し暑いとビールが大変美味いのだろうが、流石に夜中に一人呑むような飲兵衛のつもりもなかった。

 

「……ん?」

 

 ふとリビングの壁にかけられたカレンダーに目が留まった。明日……というか、日付が変わった今日の日付のところに、赤い丸が付けられていた。

 

 使ったコップを流しで洗いながら、さてあれは何の印だったかと首を傾げる。仕事の予定は寝室のカレンダーにしているため、恐らく仕事の予定を示すものではない。となるとプライベートなものの予定のはずだが……。

 

「……あぁ」

 

 頭の中で今日の自分の予定を思い返すことで、それがなんの予定だったかを思い出すことが出来た。

 

 

 

「……事務所の納涼祭か」

 

 

 

 

 

 

 専務の粋な計らいによって四年前に始まった346プロダクションの納涼祭は、既にこの時期の定番となっている。最初こそビアガーデンを中心とした僅かな出店しかなかったが、今では多くの屋台が軒を連ねて未成年でも楽しむことが出来るようになった上に、関係者の家族も連れてきていい『夏祭り』となっていた。

 

「旭君、お仕事お疲れ様」

 

「楓もお疲れ様」

 

 夕方に仕事を終えて事務所の入り口近くで待っていると、楓が椛を連れてやって来た。既に育児休暇も終えてママドルとして芸能界に復帰した楓だが、仕事量は以前と比べるとだいぶ抑えており、今日も一足早く仕事を終えてから保育園に椛を迎えに行っていたのだ。

 

「ぱぱ」

 

「椛、今日も一杯遊んだか?」

 

「うん」

 

 テトテトと俺の元まで歩いてきた椛の体をひょいと抱き上げる。まだまだ小さい体だが、日に日に増していく体重が彼女の成長を実感させてくれた。

 

 右腕に座らせるように抱っこしながら左手で椛の頭を撫でる。鶯色の髪は楓譲りで、赤みがかった茶色の瞳は俺譲り。流石に楓のオッドアイまでは遺伝しなかったようであるが、保育園の他の子たちと比べるとやや大人しい性格は、昔の楓にそっくりだとお義母さんとお義父さんは言っていた。

 

 右腕は椛を抱っこしたまま左手は楓と繋いで納涼祭の会場となっている中庭へと向かうと、既に本日の仕事を終えたアイドル・俳優・スタッフで賑わっていた。屋台が立ち並び頭上に張り巡らされたロープから提灯が吊るされている様は、普通の夏祭りとなんら変わりが無かった。

 

「椛、何か食べたいものあるか?」

 

「たまご」

 

「卵かぁ……」

 

 食材を上げられると何を買っていいものか悩む。

 

「パパ、かえでちゃんはビールが飲みたい!」

 

「……まぁお祭りだし、別に……って既に買ってるじゃねぇかよ」

 

「あら、これはビックリ」

 

 気付けば楓の左手にはプラスチックカップに注がれた泡の出る麦ジュースが。授乳期間を終えてアルコールが解禁された楓は、すっかり以前の酒飲みに戻ってしまっていた。勿論、以前と比べると飲酒量は減っているが……現在進行形でグビグビとビールを飲んでいる姿を見ると何とも言えない気持ちになる。

 

「せめてテーブルに座るまで待てなかったのか?」

 

()()()()()由はないわ」

 

「そうですか……」

 

 このまま楓を歩き飲みさせるのも忍びないので、とりあえず俺たちも適当に食べ物を買って適当なテーブルを陣取ることにしよう。

 

 さて、何処かでテーブルは空いてないものか……。

 

「楓ちゃーん! 旭くーん!」

 

「椛ちゃーん!」

 

「ん?」

 

 名前を呼ばれたので振り返ると、そこにはテーブルに座りながらこちらに手を振る川島さんと片桐さんの姿があった。なんともデジャブな光景であるが、空いているテーブルを探す手間が省けた。

 

「こんばんは、川島さん、片桐さん」

 

「こんばんは。ほら、椛ちゃん」

 

「こんばんわ」

 

「はい、こんばんは、椛ちゃん」

 

「うんうん、ちゃんと挨拶出来て偉いわねー」

 

 椛を地面に降ろすと、彼女はペコリと頭を下げた。そんな椛の様子が可愛くて、川島さんと片桐さんはニコニコと笑顔になった。何度もウチに遊びに来てすっかり椛も二人にすっかり懐いてしまっている。

 

「って、楓ちゃんも既に飲んでるのね」

 

「いただいてまーす!」

 

 自分も飲んでいる川島さんだが、流石にここに来るまでの間に飲んでいるとは思わなかったらしく苦笑いを浮かべていた。

 

「まぁいいわ。食べ物なら沢山買ってきてあるから、旭君たちもどうぞ」

 

 テーブルの上には焼きそばやたこ焼きといった粉モノを始め、イカ焼きや焼き鳥といったお祭りの定番の食べ物が揃っていた。二人で食べる分には多すぎるような気がしたが、多分最初から俺たちの分を買っておいてくれたのだろう。お金は後で渡すとして、とりあえず今はご相伴に預かることにする。

 

「ありがとうございます」

 

「ござーます」

 

 お礼を言う俺の真似をする椛。そんな椛の仕草の一つ一つが可愛らしくて、その場にいる全員がメロメロだった。

 

「どーいたしまして! 椛ちゃんは、何が食べたいの?」

 

「たまご」

 

「卵……出汁巻き卵ならあるわよ」

 

 片桐さんが四角いスチロールのお皿の上に乗った卵焼きを差し出すと、椛は分かりやすく目を輝かせた。

 

「よーし椛ちゃん、こっちおいでー」

 

 片桐さんはひょいと椛を抱き上げて自分の膝の上に座らせると、爪楊枝で卵焼きを小さく切り分けるとその内の一つを椛の口元に持っていく。

 

「はい、あーん」

 

「あーん」

 

 言われるがままに口を開け、そのまま卵焼きを食べる椛。もむもむと美味しそうに咀嚼している辺り、どうやらお気に召したようだ。

 

「美味しい?」

 

「おいしー!」

 

「……やっぱり可愛いわぁ、椛ちゃん……はぁ」

 

 ニパーッと笑う椛に頬を緩ませたかと思うと、片桐さんは疲れたように溜息を吐いた。

 

「……何かあったんですか?」

 

 まだ暖かいたこ焼きを一つ頬張りながら尋ねてみる。折角なので自分もビールが飲みたいところだが、まぁ後で買いに行くことにしよう。

 

「別に……いつものよ」

 

「いつもの、と言われても……あぁ、そういうことですか」

 

 一体なんのことを言ってるのか分からなかったが、すぐに気付いた。多分、というか間違いなく、これは両親からの「いつ結婚するんだ」と言われているのだろう。

 

 現在片桐さんは三十二歳だ。俺は女性の結婚適齢期についてとやかく言うつもりはないが……彼女の両親からはずっと結婚のことについて聞かれ続けているらしい。あとこれは憶測だが、椛を見て自分も子どもが欲しくなったのではないかと思う。

 

 まぁ椛は特に可愛いからな! 仕方ないね!

 

 ちなみに片桐さんと同年代の川島さんは先ほどから視線を逸らしている。自分も片桐さんと同じ状況なので知らんぷりをしている……ように見える。

 

 しかし、実は最近年下の俳優との交際を始めたことを俺は知っている。というのも、その俳優というのが俺の後輩で、そいつから「アイドルと交際する上で気を付けなければいけないこと」のレクチャーを頼まれたことで二人の関係を知ることになった。

 

 そのことを知っているのは俺と楓、そして当人二人のプロデューサーだけと、俺たちのときよりも更に少なく、川島さんと仲の良い片桐さんも今は知らせれていないのだ。というか、今この状況でそれを打ち明けたら片桐さんがどれだけ荒れることやら……。

 

「ホント、溜息しかでないわよ……ねぇ、瑞樹ちゃん?」

 

「……そ、そうね、早苗ちゃん」

 

「ん? どうしたの? なんか、声が震えてるような……」

 

「な、なんでもないのよ!?」

 

 ……願わくば、川島さんがゴールインする前に片桐さんにも吉報が訪れますように。

 

 

 

「おっ、兄貴たちも来てたんだ」

 

「こんばんは」

 

 俺も買ってきたビールを飲みながら、小さくちぎったベビーカステラを川島さんが椛に餌付けしている様を眺めていると、奈緒と凛ちゃんが声をかけてきた。

 

「なお!」

 

「椛ぃぃぃ! 今日も可愛いなぁぉぉ!」

 

 椛に名前を覚えてもらってから奈緒の溺愛っぷりに拍車がかかったような気もするが、産まれた直後から割とこんな感じだったなと思い直す。

 

「二人ともお仕事お疲れ様。奈緒ちゃんもいかが?」

 

 こっちこっちと手招きをしながらビール(三杯目)を掲げる楓。去年の誕生日を境についに飲酒可能になった奈緒は、しかし楓からの誘いに苦笑いを浮かべた。

 

「あ、あたし、ビールはちょっと……」

 

 折角飲めるようになったのだから、と言ってウチに招いてお酒を振る舞ったことがあるが、どうやらビールはお気に召さなかったらしい。まぁ正直ビールは初心者向けの飲み物じゃないからなぁ。コーヒーと同じようにいつの間にか飲めるようになっているものだ。

 

「それに……今日のあたしたちは飲んでる場合じゃないから」

 

「? それは……」

 

 どういう意味なのかを尋ねる前に、すぐに理由を察することが出来た。

 

 

 

「奈緒~、凛~、置いてくなんて酷いぞ~!」

 

 

 

 それは聞いただけで酔っぱらっていると分かるあからさまに間延びした声。

 

「……こんばんは、加蓮ちゃん」

 

「あっ! 旭さんだ~! こんばんわ~!」

 

 ビールの入ったプラスチックカップを片手に、赤い顔の加蓮ちゃんはニヘラッと緩みきった笑みを浮かべた。

 

 この子も去年の誕生日を境に飲酒可能な二十歳アイドルとなったのだが……なんとこの子、意外なことに酒乱枠だった。本音を言うと奈緒の方がアルコールに弱いようなイメージだったが、こちらも意外なことにそれほど弱くなかった。何故か裏切られた気分である。ちなみに加蓮ちゃんは翌朝に亡者もかくやという状態になるのも、我が家での飲み会で確認済みだ。

 

「私たちもこっちで飲んでいいですか~?」

 

「もっちろん! 大歓迎よ!」

 

「ほら座って座って!」

 

「お邪魔しま~す!」

 

 同じく既に酔っ払いモードの突入している片桐さんと楓に手招きされ、喜々として俺たちのテーブルに着いた加蓮ちゃん。そんな姿を見てはぁ……と重い溜息を吐きく奈緒と凛ちゃんにも同席を進めると、二人とも頷いて座った。

 

「なんでこんなことになったのやら……」

 

「まさか加蓮の酒癖がこんなに悪かったとは……」

 

「人は見かけによらないものよ」

 

「楓だって普段はクールな美人だけど、酔うとこんなだろ?」

 

 川島さんのフォローの言葉に便乗して顎で酔っ払い組を指す。一体何が面白いのか、片桐さんと加蓮ちゃんは爆笑しており、楓も口を手で押さえながら肩を震わせていた。

 

 ちなみに椛は先ほどから川島さんの膝の上に避難済みだ。お腹が膨れて満足したのか、先ほどからウトウトと舟を漕いでいる。そんな様も可愛らしく、全員が笑顔になった。

 

 しかし椛がおネムならば、これ以上無理させるのも忍びない。それなりに飲んだことだし、そろそろ……。

 

 

 

「実は私、旭さんのこと好きだったんですよねー」

 

 

 

「「「「ぶっ!?」」」」

 

 突如として聞こえてきた加蓮ちゃんのその言葉に、俺と川島さんと奈緒と凛ちゃんは思わず口に含んでいた飲み物を吹き出してしまった。咄嗟のことではあるが、ちゃんと四人とも椛に吹きかけないように首を捻るファインプレーだ。

 

「……旭君?」

 

「兄貴?」

 

「旭さん?」

 

「何でそんな非難めいた目で見られなくちゃいけないんですかねぇ!?」

 

 流石に今回のこれは悪いことしてないと思うぞ!?

 

 一体何事かと思いつつ、加蓮ちゃんたちの会話に耳を傾ける。

 

「そうだったの!? 意外とモテるのねぇ、あの朴念仁」

 

「流石、私の旦那様ね~」

 

 驚いた様子を見せる片桐さんと何故か誇らしげな楓。……しかしよく見ると、楓のこめかみに青筋が浮かんでいるような気がした。

 

「初めはただの友達のお兄さんだったんですけどね~……一番身近なところにいる家族以外の男の人って、どうしてもカッコよく見えちゃうんですよ」

 

「「「「「へぇ……」」」」」

 

「………………」

 

 その目で一体何を言いたいのかが痛いほど分かってしまったので、俺は沈黙する。

 

「でも……結局ただの憧れでした。よくある話ですよ……ただ、それだけの……」

 

 加蓮ちゃんの声が徐々に小さくなっていき、それはいつの間にか寝息に変わっていった。どうやら寝オチしてしまったようだ。

 

「……加蓮ちゃんは、私と瑞樹ちゃんで送っていくわ。旭君と楓ちゃんは椛ちゃんを連れて先に帰りなさい」

 

「……はい」

 

 一人の()()の独白を聞いてしまい、何とも居た堪れない気持ちでその場はお開きとなってしまった。

 

 

 

「はぁ……」

 

「もう、溜息吐かないの」

 

「吐きたくなるよ」

 

 タクシーを降り、マンションのエレベーターで自宅の階まで上る。背中の椛はタクシーに乗った辺りからずっと夢の中だ。

 

「別に私は怒ってるわけじゃないのよ?」

 

「ホントかよ」

 

 突然チュッと頬にキスをされた。

 

「信じた?」

 

「……はぁ……信じた。なら、何で不機嫌だったんだよ」

 

「……しょうがないじゃない。例え結婚して、娘が生まれても……嫉妬はしちゃうもの」

 

 旭君はしてくれないの? と顔を覗き込んできた楓に口づけをする。

 

「するさ。嫉妬して、何度もして……その度に、もっと楓のことを好きになる」

 

「……私もよ、旭君」

 

 

 

 

 

 

 七月十四日

 

 今日は346プロの納涼祭。去年はまだ小さすぎて連れていくことが出来なかった椛ちゃんも、今回初参加だ。

 

 仕事終わりに椛ちゃんを保育園へと迎えに行き、旭君と合流していざ納涼祭へ。

 

 先にテーブルを確保してくれていた瑞樹さんと早苗さんと一緒にお酒を楽しんでいると、そこに奈緒ちゃんと凛ちゃんと加蓮ちゃんもやって来た。既に加蓮ちゃんも出来上がっていたので、私と早苗さんの輪の中に入れて一緒に飲むことになった。奈緒ちゃんはまだお酒が苦手みたいなので、いつかはこうして一緒に飲めるようになりたい。

 

 その途中で、加蓮ちゃんから「実は旭さんのことが好きだった」という衝撃的な発言を聞くこととなった。奏ちゃんといい愛梨ちゃんといい、本当にウチの旦那様はおモテになるようで……少しだけ誇らしいような気もするが、やっぱり嫉妬してしまった。

 

 でも、嫉妬する度に旭君のことが好きになる。子どもが産まれると夫婦の間の熱が冷めるという話も聞くが……どうやら、私と旭君の間の熱は当分冷めそうにない。

 

 

 

 

 

 

「当分どころか、現在進行形でアツアツだよ……っていうか、まさか加蓮さんまで父さんのことが好きだったなんて……アレ? この間、確か二人でお酒を飲みに行くって言ってたような……?」

 

 

 




椛(1歳11ヶ月)
・まだまだ危なっかしいが、一人でも随分歩けるようになる
・ママが歌ってくれる歌が好き
・パパが読んでくれる絵本も好き
・まま→ぱぱ→なおの順番に名前を覚える

 というわけで、椛がメインキャラに追加された新章です。

 既に一歳です。今後はこのように順々に歳を重ねていきます。要するに、次のお話は一年一ヶ月後のお話ということになります。

 今後も椛の成長のついでに、旭と楓をイチャつかせていきますので、これからもよろしくお願いします!


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神谷椛2歳とプール遊びをする8月

一応水着回!


 

 

 

 俺と楓は椛を連れてとある大型屋内プールへとやって来た。

 

 

 

 何とも雑な導入ではあるが、詳細を説明しよう。

 

 この屋内プールは現在346プロのアイドル部門とタイアップ企画を開催しており、アイドルたちが考案したオリジナルメニューが売店で売られていたり、プールの真ん中に作られた特設ステージでミニライブが開かれたりしている。勿論、結婚出産を経てなお346プロを代表するアイドルの一人として人気のある楓も、他の酒飲み仲間たちと共にオリジナルカクテルという形でこの企画に参加していた。

 

 そしてそんなタイアップ企画の宣材写真を撮影するために、プールを346プロで一日貸し切ってアイドルたちが自由に遊んでよいことになった。勿論部外者は参加出来ないのだが楓の要望&上層部の許可&他のアイドルたちの了承を得たことで、俺も椛と一緒に参加することが出来るようになったのだ。

 

 最初は、男の俺がそんな女性の園に参加してもよいものかと思ったのだが、みんなが言うには「いつも楓さんとラブラブしている人を今更警戒してもしょうがない」とのこと。……一応信頼されている、ということにしておこう。

 

 そんなわけで、今回はプール回ということだ。

 

 

 

「……パンフレットは見たけど、実際に見てみると本当に広いな」

 

 椛を連れて女性更衣室に入っていった楓と別れ、男性更衣室で水着に着替えた俺は一足先にプールサイドへとやって来た。そして眼前に広がるアミューズメント施設としての屋内プールの規模の大きさに驚いた。

 

 普通のプールは言わずもがな、流れるプールや波のプール、水深の深い飛び込み用や種類の豊富なスライダーまで。様々なプールに加えて人工砂浜での砂遊びやビーチバレーまで出来るので、水辺のレジャーはほぼ完備しているのではないかという多種多様っぷり。意外なところだと、なんと一角には釣り堀まであるという。これには海鮮娘(あさり)も思わずニッコリ。

 

「ぱぱー!」

 

 そしてそんな可愛らしい呼び声に俺も思わずニッコリ。この屋内プールにおいて『パパ』と呼称される人物は俺以外にいない。そしてそんな俺を『パパ』と呼ぶこの可愛らしい舌足らずな声を発する人物に、一人しか心当たりはなかった。

 

 振り返ると、ピンク色のワンピースタイプの水着に身を包んだ椛が、紫色のツーピースタイプの水着を着た女性と手を繋ぎながらこちらに歩いてくるのが見えた。

 

「おっ、可愛いぞ、椛」

 

「えへへ」

 

「だろ?」

 

 その場にしゃがんで目線を合わせながら褒めると、椛は恥ずかしがりながらも嬉しそうに笑い、そして何故か椛を連れてきてくれた女性がドヤ顔をしていた。

 

 というか、俺や楓の親バカと同レベルで叔母バカ街道まっしぐらな奈緒なわけだが。

 

「悪いな奈緒、椛連れてきてもらって」

 

「いいよ別に」

 

「というか、楓は?」

 

「ちょっと用事を済ませてから来るってさ」

 

 そう言って髪をかき上げながら反対の手をヒラヒラと振る奈緒。来月にはもう二十二歳となる彼女は、既に『少女』と称するには年齢も見た目もすっかりと大人びたものになっていた。妹相手に下世話な話をするのは若干憚られるが、それでも同年代のアイドルの中では負けず劣らずなプロポーションに成長したと言ってもいいだろう。

 

 ……それでもなお浮いた話が聞こえないのは、アイドルとして喜ぶべきか、妹として嘆くべきか……。

 

 そんな彼女もプールへと来ているのは、そもそもこの場が346プロのアイドルたちの写真撮影のためなのでなんら不自然ではない。勿論いつも通り、凛ちゃんや加蓮ちゃんも一緒。こうして一緒にいる理由としては、俺と楓が椛を連れてくると聞きつけた奈緒が付いてきたのだ。……本当にコイツは。

 

「っと、来たみたいだぞ」

 

 初めて見るプールに俺の足の影に隠れておっかなビックリしている椛の姿にホッコリとしていたところ、奈緒のそんな言葉に顔を上げる。

 

 そこには、既に三十を超えるというにも関わらず女神の如き肉体を惜しみなく晒す白いビキニを身に纏った楓が――。

 

 

 

「旭くーん! 椛ちゃーん!」

 

「おっまたせしましたー!」

 

 

 

 ――水色のビキニを着た加蓮ちゃんと腕を組みながら、カクテル片手に現れた。

 

「なんで二人して既に飲んでるんだよぉ!?」

 

 俺の代わりに奈緒が万感の思いを込めたツッコミを入れてくれた。

 

「だってお店の引き込みの人が『サービスする』ってPull(プール)してくるから~」

 

「だって楓さんが一緒に飲もうって言うから~」

 

 ね~? という笑顔がとてもアイドルらしい素晴らしいものだった。

 

 どうやら二人が持っているそれが、コラボ企画として作られた楓をモチーフにしたカクテルらしい。鮮やかなエメラルドグリーンのそれは正直に言うと俺も飲みたかったが、ここで俺まで飲んでしまったら収拾がつかないのでグッと我慢する。

 

「凛も、一緒にいたんなら止めてくれよ……」

 

「少し目を離した隙には、もう買って飲んでたんだよ……」

 

 そんな二人と一緒にやって来た凛ちゃん(黒ビキニ)も疲れた様子でため息を吐いていた。もっとも、目を離していなかったとしても結局は押し切られていたような気もするけど。

 

「ホント、どうして加蓮ちゃんはこんなことになっちゃったんだか……」

 

 二十歳を過ぎて飲酒が可能になってから酒飲みの才覚を見せていた加蓮ちゃんは、今ではすっかり346プロアイドル部門の酒飲みメンバーの一員になっていた。つい先日、飲み比べで鷹富士と共に高橋さんと篠原さんを打ち破り、新生クール酒飲み四天王となったらしいが正直どうでもいい。本当に昔は病弱だったのかと問い詰めたいぐらいだ。

 

「……半分ぐらいは、旭さんが原因な気がする」

 

「何故」

 

「半分は言い過ぎだって。兄貴の責任は三割ぐらいだろ」

 

「だから何故!?」

 

 謂れのない原因の擦り付けが俺を襲う。……いやまぁ、多分去年の夏祭りでの加蓮ちゃんのあの発言のことを言ってるんだろうけど……それと彼女がこれだけの酒飲みになったことは無関係だと主張したい。なお聞き入れてもらえない模様。

 

「まま!」

 

「ごめんね、椛ちゃん。お待たせ」

 

 やっとママが来てくれたことで喜色満面に飛び出してきた椛を、楓はカクテルのグラスを加蓮ちゃんに預けて抱き上げる。流石に椛を落とすほど酔ってはいないだろうが、一応念のためすぐにフォロー出来るようにすぐ傍に寄っておく。

 

(……やっぱりこうやって三人で並んでるところを見ると『芸能界一のオシドリ夫婦』って呼ばれるだけのことはあるよな)

 

(絵になってるよね)

 

(楓さん美人だし、旭さんカッコイイし、椛ちゃん可愛いし、妥当だよねー)

 

((………………))

 

(……何?)

 

 何やら三人娘がコソコソと話していた。

 

 さて、先ほどからずっと椛がプールに興味を示しているのでそろそろそちらに行くことにしよう。個人的には流れるプールでのんびりと……それこそカクテルでも飲みながら、というのも捨てがたい。しかし流石に椛を連れてそれは出来ないので、大人しく幼児も遊ぶことが出来る砂浜のプールへと向かう。

 

「奈緒たちはどうするんだ?」

 

「あたしは勿論付いていくぞ。椛と遊ぶために来たんだから」

 

「私もそっちに行きます。遊んでる椛ちゃん見ながらお酒飲んでた方が楽しそうですし!」

 

 奈緒と加蓮ちゃんはこちらに付いてくるらしい。

 

「私はちょっと離れるよ。向こうで久しぶりに『ニュージェネレーションズ』の三人で撮影の予定だから」

 

「「「「撮影?」」」」

 

「……なんで四人して今日ここに来てる目的を忘れてるのさ……」

 

 そういえば、今日は写真撮影が目的だったな。椛の可愛さと楓の美しさにすっかり頭から吹き飛んでいた。

 

「……本当は、このメンバーの中から良心役が抜けることに対して抵抗はあるんだけど」

 

「「「「心外だ」」」」

 

「全員『自分は違う』って思ってる最悪のパターンだよ……椛ちゃん、君だけが頼りだよ」

 

「? ……ばいばい」

 

「……うん、バイバイ」

 

 何度も心配そうに振り返りながら……そして椛から早々にバイバイされたことで少しだけ悲しそうにしながら、凛ちゃんはその場を離れていった。

 

 

 

 さて、というわけで椛のプール初体験だ。

 

「………………」

 

 砂浜のプールは所謂波のプールで、先ほどから俺たちが立っている砂浜に向かって何度も寄せては返る波に椛はおっかなビックリしている。

 

「……っ!」

 

 恐る恐る波打ち際に近付いていくが、足に波が触れた瞬間、まるで猫のように飛び上がった。そのままワタワタとこちらに逃げてきた椛は、恐ろしいものを見たかのように楓の足の影に隠れてしまった。

 

((((可愛い……!))))

 

 自分の子どもじゃない奈緒や加蓮ちゃんまでもがここまでメロメロになるのだから、親の俺と楓なんかもうたまったものじゃない。椛を撮るために購入したデジカメを使って、そんな彼女の姿を何枚も写真に収める。

 

「椛ー、怖くないぞー? 奈緒お姉ちゃんと一緒に行くか?」

 

「………………」

 

 身を屈めながら奈緒がそう尋ねるも、プルプルと首を横に振って拒絶する椛。

 

「それじゃあ椛ちゃん、ママと一緒に行こう? そうすれば怖くないよ?」

 

「……うん」

 

 しかし楓が尋ねると、しばらく考えたのちに頷いた。自分が尋ねても首を縦に振らなかった椛が、全く同じことを楓から尋ねられたら頷いたことに奈緒は若干ショックを受けている様子。いくら懐いているとはいえ、母親と比べられては勝ち目も無いだろう。

 

 クイッ

 

「ん?」

 

「ぱぱも……」

 

「………………」

 

 そしてそれは父親にも適用されるらしい。椛は上目遣いに俺が着ているパーカーの裾を引っ張ってきた。

 

「あぁ、一緒に行こうか」

 

 右手で楓と手を繋ぐ椛の左手と手を繋ぎ、デジカメは奈緒に預けておく。奈緒ならば俺が頼まずとも椛の写真を撮ってくれることだろう。

 

「ぐぬぬっ……!? やっぱり母親と父親には勝てないか……!」

 

「そんなに羨ましいなら、奈緒も自分の子どもを産めばいいのにー」

 

「じ、自分の子ども!? あああ、相手もいないのに、産めるわけないだろ!?」

 

「つまり相手がいれば、いつでも産む準備が出来てると……ヤダー奈緒ってばー!」

 

「かかか、加蓮んんん!?」

 

 顔を真っ赤にした奈緒と、そんな様子を見て楽しそうに笑う加蓮ちゃん。アイドルになった頃からずっと見てきた奈緒と加蓮ちゃんのやり取りだが、加蓮ちゃんが酒飲みになってからはより顕著になったような気がする。

 

 さて、そんな奈緒と加蓮ちゃんの二人を尻目に、楓と共に椛と手を繋いで波打ち際へと再び近付いていく。先ほどと同じようにビクビクしている椛だが、それでも両手を俺や楓と繋いでいるので少しだけ勇気を出して、ギュッと目を瞑りながら更に一歩を前に踏み出した。

 

 ザザッと小さな波に椛の足が飲み込まれる。ビクリと体を震わせて――。

 

「……ほぉー……!」

 

 ――その冷たくくすぐったい感触に、目を輝かせた。

 

「……っ! ……っ!」

 

 その感動をどうにか俺たちに伝えたいらしく、目を輝かせながら俺や楓の手をグイグイと引っ張る椛。

 

「ふふっ、気に入ってくれてよかった」

 

「気持ちいいだろ、椛」

 

「っ! っ!」

 

 言葉を発することなく、ブンブンと首を縦に振る椛。チラリと横目で見ると、ニヘーッとだらしない顔をした奈緒がデジカメのシャッターを切りまくっていた。そんな奈緒の様子に飽きれつつも、加蓮ちゃんも微笑ましいものをものを見える目でカクテルを飲んでいた。

 

「えい! えい!」

 

 楓がしゃがんで手のひらで水を掬って椛に軽くかけると、椛はキャッキャと笑ってそれから逃げる。……女神が天使と戯れているという神の如き光景がそこにはあった。

 

 そんな楽園から少しだけ離れ、未だにシャッターを切り続けている奈緒の下へ。

 

「カメラ代わるぞ。お前も行ってこい」

 

「……ありがとう兄貴! 椛ー! 奈緒お姉ちゃんとも遊ぼうぜー!」

 

 聞き返すことすらせず俺にデジカメを押し付けるようにして渡すと、奈緒は楓と椛の下へと飛び出していった。あまりの勢いの良さに一瞬ビックリした椛だったが、そのまま三人でキャッキャと楽しそうに水の掛け合いをしていた。

 

「……遊ぶ役割を奈緒に譲ってあげるなんて、旭さんやさしー」

 

 そんな光景をフレームに収めてパシャリと一枚撮っていると、クスクスと笑いながら俺のすぐ横に立つ加蓮ちゃん。彼女も奈緒と同様、すっかりと大人の女性といった風貌になっており、昔の彼女を知っている身としてはそのギャップに少しだけドキリとしてしまった。

 

「まぁ毎日顔を合わせる俺と比べると、会える頻度は少ないからな。少しだけサービスだよ」

 

「……それじゃあ、私も遊んでこようかなー?」

 

 そう言って「はいコレ」と手にした二つのカクテル……彼女の分と楓の分……を俺に押し付ける。

 

「左は楓さんの分ですから、飲んでもいいんじゃないです?」

 

「……全く……」

 

 まぁ、彼女も椛と遊びたいんだろう。デジカメによる撮影は一旦お休みし、彼女から受け取った楓の分のカクテルを一口飲んだ。

 

「……あれー? やっぱり左は私が飲んでた奴だっけなー?」

 

「ぶふっ」

 

 わざとらしいそんな加蓮ちゃんの言葉に、思わず吹き出してしまった。

 

「わっ、ぱぱきれい」

 

 そんなカクテルが霧状になって宙に漂う光景を見た椛が目を輝かせる。

 

「? 旭君、何やってるの?」

 

「い、いや、余りにも美味しいカクテルだったから思わず噴き出しただけだ」

 

「美味しくて吹き出すってどういうことだよ……」

 

 疑問符を浮かべる楓と奈緒に、何でもないと言って誤魔化す。

 

 そんな俺を見ながら、加蓮ちゃんは腹を抱えながら息を殺して笑っていた。

 

「くくくっ……! あー面白い! 旭さんってば焦りすぎー」

 

「君ねぇ……」

 

 こんな子持ちのおじさんを揶揄って何が楽しいんだか。

 

「そういうの、君のキャラじゃなかったと思うんだけど?」

 

「……そのキャラを変えたのは、一体誰だと思ってるのかな?」

 

 そう言ってベーと舌を突き出した加蓮ちゃんは、そのまま三人の下へと行ってしまった。

 

「……やれやれ」

 

 楓と奈緒と加蓮ちゃんが椛と波打ち際で楽しそうに遊ぶ姿を見ながら、俺はこの幸福な時間を噛みしめつつ小さく嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 

 八月十四日

 

 今日はプールへと遊びに行った。

 

 本当はプールを貸し切って346プロのアイドルのみんなで撮影をする予定だったのだが、特例で旭君と椛ちゃんも一緒に入れてもらって遊ぶことが出来た。

 

 景気づけに加蓮ちゃんとカクテルで一杯やった後、椛ちゃんを連れて砂浜のプールへ。

 

 初めてのプールに最初は怖がっていた椛ちゃんも、次第に慣れたようで私や奈緒ちゃんと一緒に水かけをして楽しんだ。途中で加蓮ちゃんも加わり、最終的に写真を撮っていた旭君も加わった。

 

 夏祭りと同じように、こういうプールも毎年の定番になればいいな……と思った。

 

 ちなみに撮影は、私たちが遊んでいる間にいつの間にか終わっていた。私たちが遊んでいる様子をしっかりと撮っていたらしく、家族向けの写真として使われるそうだ。

 

 

 

 

 

 

「写真も貼ってある……いや、普通こういうときって『うわー! みんな若い!』っていうリアクションを取るべきなんだろうけど……なんでみんな殆ど変わってないの……!? えっと……日付が私の三歳の誕生日のちょっと前だから……じゅ、十年前……!? 嘘でしょ……!?」

 

 

 




・現在のクール酒飲み四天王
柊志乃・高垣楓・北条加蓮・鷹富士茄子
※なお礼子さんと礼さんが負けた理由の一つとして、肝z(ry

 酒豪・加蓮爆誕。どうしてこうなった……。


奏「その役目」
愛梨「私たちじゃダメだったんですか……?」

 からかい上手の加蓮ちゃん。どうしてこうなった……。

 今回はちょっとイチャイチャ不足。次回こそは……。


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神谷椛4歳と奈緒の誕生日を祝う9月

新キャラ増えまーす。


 

 

 

 さて、今日九月十四日の二日後である九月十六日は我が妹、神谷奈緒の二十三歳の誕生日である。既に同期のアイドルの何人かが引退や女優業に転向している中で、七年アイドル一筋でやって来た彼女は、今や346プロダクションのアイドル部門を代表するトップアイドルだ。

 

 そんなトップアイドルの誕生日というのは、楓のときもそうだったがファンイベントなどに当てられたりする。なので夜まで自由にならず、俺も誕生日に楓と一緒の時間を作るのに苦労したものだ。

 

 しかし今回はなんと凛ちゃんや加蓮ちゃんも伴ってハワイで誕生日ロケを行うらしく、一ヶ月以上前からパスポートの申請をしたりとそれなりに忙しそうだった。そして明日の朝には日本を経ってハワイへ向かう飛行機に乗らなければならず、当然誕生日当日には奈緒は日本にいない。

 

 それに対して椛が異を唱えた。

 

 

 

「もみじも、なおちゃんのおたんじょうび、おめでとーする!」

 

 

 

 週に一度のペースでウチに遊びに来ていた奈緒がこれを聞き、膝から崩れ落ちて喜びに咽び泣いたのは想像に容易いことだろう。

 

 というわけで、我が家の小さなお姫様の意向により二日早い今日、奈緒の誕生日会が行われることになったのであった。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、ママと一緒に奈緒ちゃんのお誕生日をおめでとうするケーキを作るぞー!」

 

「おー!」

 

 キッチンでエプロン姿の楓と椛が右の拳を突き上げていた。

 

 奈緒たちは仕事があるので誕生日会は夜からになるので、それまでに誕生日ケーキを作ろうということになったのだ。

 

 楓はいつも使っている薄緑色のエプロンで、椛は今日のためにわざわざ購入した同色の子供用エプロンをつけている。最近より一層ママに似てきたので、サイズの違う楓が並んでいるようで、それだけで幸せな光景である。

 

 ちなみに俺はそんな二人の様子をビデオに収める役目。二人を手伝えよとも言われそうだが、他ならぬ奈緒が「椛の初めてのケーキ作り……ビデオ、分かってるよな?」と撮影要請を出したので、これもお誕生日様の意向である。

 

「それじゃあまずは……卵を割りましょうか」

 

「たまご!」

 

 卵好きの椛が目を輝かせる。

 

「優しく、ここにトントンってやるのよ」

 

「やさしく、トントン……」

 

 楓に言われ、そーっと卵をボールの縁に当てる椛。当然弱いので割れずにヒビも入らない。流石に四歳児が卵を割るのは難易度が高かったようだ。

 

「あっ!」

 

 そして大方の予想通り、強く叩きすぎた結果グシャッと割れてしまう卵。元々それを予想していて下にお皿を置いておいたので、殻が混ざっているものの卵の中身は無事だ。

 

「……うぅ……」

 

「大丈夫よ、椛ちゃん。ちゃんと卵さん割れてるよ。ありがとう」

 

「……! うん!」

 

 ぐしゃぐしゃになってしまった卵に一瞬クシャリと泣きそうな表情になった椛だったが、楓がお礼を言うとパァッと明るい表情に戻った。

 

 優しく椛の頭を撫でてから、楓は菜箸を使って卵の殻を綺麗に取り除いた。

 

「……それ、そのままにしておいた方が逆に奈緒は喜ばないか」

 

「さ、流石にそれはないんじゃないかしら……?」

 

 残りの卵を楓が片手に器用に割ってボールに入れると、そこに砂糖を加える。

 

「椛ちゃん、混ぜ混ぜしますよ。しっかり持って離さないでね」

 

「はい!」

 

 湯煎しつつ卵をホイッパーでかき混ぜる。結構振動が強いので、椛が両手でホイッパーを支え、その上から楓が手を添えて固定する。

 

 ピンポーン

 

「ん?」

 

 集中している椛の顔を撮影していると、来客を告げるインターホンが鳴った。

 

「……あ、来たみたい。旭君」

 

「あいよ」

 

 キッチンの中の二人の様子がしっかりと映るようにカメラを三脚で固定すると、来客を出迎えるためにインターホンへと向かう。

 

「はい」

 

『やっほー! 遊びに来てあげたわよー!』

 

「はいはい、今開けますよ」

 

 

 

「おじゃましまーす! 旭君!」

 

「いらっしゃい、早苗さん」

 

 来客は早苗さんだった。今日我が家で奈緒の誕生日会をするということは伝えてあったので、どうせ()()()()とウチに来ると言っていたのだ。

 

 来客用のスリッパを出し、早苗さんから荷物を受け取り……()()()()()()()()()()()()に挨拶をする。

 

 

 

「いらっしゃい、あずみちゃん」

 

 

 

 

 

 

 二年前の夏を思い出す。楓や俺と交流のあったアイドルのお姉様二人、瑞樹さんと早苗さん。先に恋人が出来たのは瑞樹さんで、夏祭りの頃はいつそのことが早苗さんにバレるかと内心冷や冷やしたものだ。

 

 しかしそんな矢先、全く予想しなかったことが起きた。その半年後に早苗さんが元同僚の警察官と電撃結婚、さらにその二ヶ月後には妊娠も発覚してそのまま電撃引退を果たしたのだ。

 

 まさか早苗さんが瑞樹さんを抜き去って逆転ゴールインを決めるとは誰もが予想していなかったため、世間どころか事務所内でもかなりの大騒ぎになったのが記憶に新しい。ただそれが()()()程度で済んだのは、ひとえに俺と楓という前例があったためである。是非とも感謝してもらいたいものだ。

 

 そんな早苗さんに触発されてか、年下の恋人とのんびりしていた瑞樹さんも数ヶ月後に結婚。彼女は引退こそしなかったもののアイドルとしては一線を退きタレントとして活動、そして現在は妊娠八ヶ月で産休真っ只中である。

 

 正直、彼女たちよりも早く楓が結婚&出産を済ませてしまったが故に申し訳なさがあったが、それともようやくおサラバ出来たわけだ。

 

 

 

「十ヶ月でしたよね?」

 

「そうよー。最近つかまり立ちしようとするんだから」

 

「もうそんなですか」

 

 椛もそれぐらいだったなーと思いつつ、早苗さんを連れてリビングへと向かう。

 

「おじゃましまーす!」

 

「っ! さなえちゃん、こんにちわー!」

 

 早苗さんが来たことに気付いた椛がキッチンからトタトタと走って来た。

 

「はい、こんにちわ。あずもこんにちわーって」

 

「あずちゃん、こんにちわ!」

 

 早苗さんがリビングのカーペットの上にあずみちゃんを座らせると、椛はあずみちゃんの正面に座り込んで挨拶をした。あうあうと言いながら手を伸ばすあずみちゃんに、椛はニコニコと笑いながら手を握り返した。

 

「もう……椛ちゃんったら、途中で投げ出しちゃって」

 

「あー、なんかゴメンね、楓ちゃん」

 

「あ、いえ、いいんですよ。いらっしゃい、早苗さん」

 

 エプロンで濡れた手を拭きながらキッチンから出てきた楓。あずみちゃんが気になってケーキ作りを途中で放り出してきてしまったらしい。とりあえずそちらは一旦休憩ということで、カメラの録画も停止しておこう。

 

「旦那さんは、今日もお仕事ですよね?」

 

「そうよー。休みが不定期なのは、アイドルも警察も同じね」

 

 あー疲れたーとソファーに座り込む早苗さんに冷たい麦茶を出す。

 

「ありがとう、旭君。……あービール飲みたい……」

 

「同じ麦なんですから、それで我慢してください」

 

 楓に引き続き、現在は早苗さんと瑞樹さんが授乳期間でアルコールやカフェインを断っている。

 

「授乳期間が終わるまでですから、もう少しですよ。頑張ってください」

 

「はーい、先輩」

 

 アイドルとしては後輩だった楓が、妊婦として早苗さんや瑞樹さんよりもほんの少し先輩になっているのが少しだけ不思議な感じだった。

 

「終わったら、存分に飲みましょう!」

 

「この家で飲めば、あずを旭君と椛ちゃんに預けられるから遠慮なく飲めるわね!」

 

「遠慮してください」

 

「もみじ、あずちゃんのおせわする!」

 

 禁酒の反動でとてつもなく飲みそうな早苗さんとそれに便乗する楓の未来の姿が容易に想像出来てしまったので早くも憂鬱だが、そんなことは関係ない椛は大好きなあずみちゃんと遊べることに目を輝かせていた。

 

 あと、しれっと旦那さんがいないこと前提だが、それでいいのか。

 

「椛ちゃん、ケーキ作り続けない?」

 

「あっ! そうだった! なおちゃんのケーキ!」

 

 楓に言われたことでようやく自分が何をしていたのか思い出した椛。あずみちゃんに向かって名残惜しそうにバイバイをしてから、ケーキ作りを再開すべくキッチンへと向かっていった。

 

「……パパとママが大好きで、奈緒ちゃんも大好きで。椛ちゃんは大好きな人たちに囲まれて幸せそうね」

 

「当然ですよ。幸せな夫婦の間に生まれてきてくれた子なんですから」

 

 あずみちゃんは違うんですか? と問うと、早苗さんは「確かにそうね」とあずみちゃんを抱き上げながら笑った。その笑顔はアイドル時代によく見せていた快活なそれではなく、優しい母親の笑みだった。

 

 

 

「それにしても、椛ちゃんが作ったケーキねぇ……奈緒ちゃん、喜ぶでしょうね」

 

「実はそれだけじゃないんですよ」

 

 

 

 

 

 

『奈緒ちゃん! お誕生日おめでとー!』

 

「あ、ありがと……」

 

 夜。収録を終えた奈緒が凛ちゃんと加蓮ちゃんを引き連れて我が家にやって来た。いくら椛にお祝いしてもらえるからとはいえ、流石に二十三になって盛大に誕生日を祝われるのは気恥ずかしいものがあったらしく、奈緒は少しだけ照れくさそうだった。

 

「あのね、なおちゃんのケーキね、もみじがママとつくったの!」

 

「ありがとう椛! 楓さんも!」

 

 感極まった表情で椛を抱きしめる奈緒。我が家では既に見慣れた光景なので、今更誰も気にしない。

 

「それにしても、本当に凄いね」

 

「うんうん。ママと一緒に作ったとはいえ、四歳がこのケーキは凄い」

 

 一方で凛ちゃんと加蓮ちゃんは、楓と椛が作ったイチゴのケーキに感心していた。上に乗っているイチゴは椛が乗せたもので少しズレているのはご愛敬だが、奈緒的にはそれがより一層嬉しいらしい。最近、こいつの叔母バカぶりが両親の俺たちを超えているような気がしてならない。

 

「あ、奈緒ちゃんコレ、あたしからのプレゼント。甘くて飲みやすいから、奈緒ちゃんでも飲めると思うわ」

 

「……え、早苗さん、もしかして……」

 

「心配しなくてもあたしは一滴たりとも飲んでないわよ。旦那に選んでもらったの。……あの人、ガタイはいい癖にこーいうのじゃないの飲めないって言うんだから」

 

「私たちからはこれ」

 

「奈緒が探してたアニメのBDボックス~。比奈さんに頼んで手に入れてもらったんだー」

 

「……いやまぁ、嬉しいよ、うん」

 

 早苗さんからワインを、凛ちゃんと加蓮ちゃんからはアニメのBDをそれぞれ貰う奈緒。ワインはともかく、BDにイマイチ喜びきれていない奈緒だったが……二人からの本当の誕生日プレゼントは、ハワイロケ中にサプライズで渡されることになるのは、当然黙っておく。

 

「俺と楓からは時計。こないだ使ってるやつが古くなってきたって言ってただろ」

 

「ありがと……うわ、これ結構いいやつじゃ……」

 

「これからも、椛をよろしくね、奈緒ちゃん」

 

「楓さん……勿論です!」

 

 そして最後の大トリは勿論、椛だ。

 

「なおちゃん、これ!」

 

 そう言って椛が差し出したのは、奈緒の似顔絵と『いつもあそんでくれて、ありがとう』と書かれた手作りのメダルだ。定番といえば定番ではあるのだが……親になって分かったが、これは本当に嬉しいのだ。俺と楓も初めて貰ったときは思わず涙ぐんでしまった。

 

 そして椛が大好きな奈緒も……。

 

「………………」

 

「な、奈緒?」

 

「……うぅ……ひっく……」

 

「ガチ泣きしてる……」

 

 大方の予想通りではあるが、実際に目の当たりにすると若干引いてしまった。なんで初めて似顔絵と手紙をもらった俺と楓以上のリアクションをとっているのだろうか。

 

「これは家宝にしよう……」

 

「お前の実家が俺の実家であることも忘れないように」

 

 お前がそれを神谷家の家宝として残した場合、いずれ家を出るであろうお前じゃなくてウチの家宝になるんだからな?

 

 「なおちゃん、どこかいたいのー?」と椛に頭を撫でられる奈緒の姿を見ていると、ススッと楓が寄って来た。

 

「ふふっ、やっぱりこうして見ると、奈緒ちゃんが椛ちゃんのお姉ちゃんみたいね」

 

「随分とデッカイ姉だなぁ」

 

 確かに妹可愛がりしているようにも見えるが、あれは最早自分の娘として可愛がっているような気もする。

 

 

 

「……姉妹って、いいわよね」

 

 

 

 そう言いつつ、楓はコテンと俺の肩に頭を乗せた。

 

「………………まぁ、いずれ」

 

「私はまだ何も言ってませんよ?」

 

「コイツ……」

 

「ママ! ケーキきって!」

 

「はーい。ふふっ、この話はお()()()

 

 

 

 

 

 

 九月十四日

 

 今日は誕生日当日にハワイのロケで日本にいない奈緒ちゃんを椛ちゃんがお祝いしたいと言うので、一足早い誕生日会を行った。

 

 誕生日会は夜からなので、それまで椛ちゃんと一緒にケーキ作りをした。娘と一緒にお菓子を作るのがひそかな夢だったので、それが叶ってとても嬉しかった。そして一生懸命混ぜたりイチゴを乗せたりしている椛ちゃんの姿がとても可愛かった。旭君がビデオを撮ってくれているので、また彼女が大きくなった時に見直したいと思う。

 

 そして夜、凛ちゃんと加蓮ちゃんと早苗さんとあずみちゃんもウチに来て誕生日会をした。椛ちゃんから似顔絵とメダルをプレゼントされて、奈緒ちゃんはとても嬉しそうだった。

 

 そんな奈緒ちゃんと椛ちゃんの姿が仲のいい姉妹のように見えて……椛ちゃんにも妹を作ってあげたいと、そう思ってしまった。

 

 今はまだちょっと時間が作れないけど……またいずれ……ね? 旭君?

 

 

 

 

 

 

「……こ、これがあのとき見せられたビデオの正体だったのか……!?」

 

「……ん? あれ、椛ねーちゃん?」

 

「お姉ちゃん、何読んでるの?」

 

「ん、あずちゃん、(ゆえ)

 

 

 




 前回、二人の名前が出てこなかったのは……既に二人とも結婚して苗字が変わっていた&早苗さんは妊娠中でプールに来れなかったからなのだよ!(ババーン

 ちなみに流れとしては
 二月 早苗結婚
 六月 瑞樹結婚
 八月 プール(前話)
 十一月 早苗出産

・あずみ
早苗さんの娘。早苗さんの中の人の名前をお借りした。

・月
唐突に登場したこの子の正体は……!?(バレバレ)


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神谷椛5歳となんでもない日常の10月

タイトル通り、日常回。


 

 

 

 6:00

 

 

 

「……ん」

 

「あ、ごめんなさい旭君」

 

 起こしちゃった? と俺の顔を覗き込んでくる楓。確かに同じベッドで寝ていた楓が体を起こしたことで俺も目が覚めてしまったが、別に不快ではなかった。

 

 朝起きて、真っ先に目に入るのが女神と見まごう美貌の妻なのだから、不快な筈がない。むしろ『今日はどんな寝癖が付いてるかな』『もしかしてまだ寝てるかな』などと毎朝起きるのが楽しみなぐらいだ。

 

 そんな今日の目覚めのワンシーンは、なんと着替えの真っ最中だった。結婚してから六年、交際を始めてから十一年経ち、お互いの身体の隅々までを知っているとはいえ、未だに愛する女性の下着姿は胸が高鳴る。

 

「………………」

 

「きゃっ」

 

 ベッドで横になったまま手を伸ばして楓の脇腹を撫でると、楓は小さく声を上げた。

 

「もう……旭君は起きる?」

 

 それなら朝御飯先に用意するけど、と着替え終わり再び顔を覗き込んでくる楓。ギシリとベッドの上に乗って覆い被さってきたので、そのまま彼女の首に腕を回して引き寄せてキスをする。

 

「んっ……」

 

 舌を楓の口内に這わせ、彼女の水分を奪い取るように喉の渇きを潤す。

 

 去年までは椛も同じベッドで寝ていたためこういう朝のやり取りを自重していたが、少し前から彼女は一人部屋で寝るようになった。「わたし、もう一人でねれるよ」と自信満々だったので、本人の意思を尊重してあげたのだが……まぁ早々に添い寝が無くなってしまった寂しさは、愛する人との触れ合いで埋めることにしよう。

 

「……ごちそーさま。もうちょっと寝るわ」

 

「全く……チュッ」

 

 困ったように笑いながら、もう一度俺の唇のキスを落としてから楓は寝室を後にした。

 

 そんな後姿を見送ってから、俺は再び瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 8:00

 

 

 

「ふわぁ……」

 

 欠伸を噛み殺しつつ、顔を洗って眠気を飛ばす。

 

 今日は日曜日で、世間的には休日。俳優という職業に定休日は存在しないが、今日はたまたまオフの日だった。楓もオフで、椛の保育園も休み。どうせなので何処かへ出かけるのもよかったが……スマホを使って調べた今日の天気は曇り時々雨。遠出には向かなさそうだ。

 

 歯も磨き終わり、服も着替えてからリビングに入ると、既に起きていた椛がテレビを見ていた。

 

「おはよう、椛」

 

「あっ、おはようパパ」

 

 俺が挨拶すると、振り返って挨拶を返してくれた椛。しかし挨拶もそこそこに、視線はテレビへと戻ってしまった。

 

 さて何に夢中になっているのかと思えば……なんてことはない、朝の情報番組だった。日曜日なのでいつも平日にやっているものではなく、どちらかというとバラエティー色が強いそれを、椛は食い入るように見ている。

 

 その理由は、すぐに分かった。

 

 

 

 ――トライアドプリムスが行く!

 

 ――温泉バスツアーの旅!

 

 ――九州編ー!

 

 

 

「なおちゃんたちだ……!」

 

 奈緒たち三人の姿に、椛は目を輝かせる。やっぱりこれが目的だったようだ。普段から頻繁に顔を合わせているのだから……と思わないでもないが、俺もテレビに楓が映っていると自然に目が向くから気持ちは分かる。むしろ俺に似た結果のような気もする。

 

 もっとも、椛の場合は――。

 

「椛ちゃーん。パパ、別のチャンネルに変えたいなー。奈緒たちのコーナー終わったら変えていいー?」

 

「このあと、ビートシューターが出てくるからヤダ」

 

 

 

 ――大の()()()()()()だからだ。

 

 

 

 別に俺や楓が何かしたわけでも、ましてや奈緒たちが何かしたわけでもない。それでも母親がアイドルで、叔母とその友人がアイドルで、ウチに遊びに来るママの友人が元アイドルなのだ。各々の現役時代の映像などは気軽に見ることが出来、なんならウチで実際に歌いだすこともしばしば。そして実際に椛を連れて346の事務所に顔を出し、現役のアイドルたちと接する機会も多かった。椛が『アイドル』という存在に興味を示すのは、自然な流れだったのだろう。

 

 ……別に、パパの職業に興味を示してくれなかったことに対してショックなんて受けてないし。俳優に興味を持つにはちょっと早かっただけだし。

 

「ふふっ、娘がチャンネル譲ってくれなくて、()()前に()()()()()?」

 

「ん、スランプか?」

 

「絶好調ですっ」

 

 テーブルに座ると、ふんだっと少し拗ねながら楓が朝食の乗ったトレイを置いてくれた。チーズを乗せて焼いたトーストにベーコンエッグと野菜スープが並んでいる。

 

「ごめんごめん」

 

「パパの意地悪」

 

 自分と俺の分のコーヒーを持って俺の隣の椅子に座る楓。ススッとさりげなく椅子を俺に近づけてくるところが大変いじらしい。

 

 

 

 ――熊本出身といえば、この人。

 

 ――あたしたちと同じ346プロ所属のアイドル、神崎蘭子ちゃんでーす!

 

 ――よろしくお願いします!

 

 ――蘭子ちゃん、闇に飲まれよ!

 

 ――……あの、加蓮さん、そろそろ勘弁していただけると……。

 

 ――やみのまー!

 

 ――やみのまー。

 

 ――奈緒さんと凛さんまでっ!?

 

 

 

 九州ということで、元祖邪気眼系厨二娘こと神崎も一緒にテレビに映っているが……彼女も今ではスッカリ黒歴史系アイドルである。流石に二十歳になってまであのキャラを貫き通すのは無理だったか……。

 

「ねぇパパ、ママ、『やみのま』ってなに?」

 

「あれは蘭子ちゃんが昔使ってた挨拶なの。また今度、動画見せてあげるわね?」

 

 こうして神崎の現役(ちゅうにびょう)時代のことを知らない世代の子どもにも、彼女の黒歴史は広まっていくこととなる。

 

 キャラで思い出した。346プロで一二を争うキャラの濃さを誇っていた永遠の十七歳『ウサミン』こと安部菜々だが、彼女に関して特筆すべきことは二つある。

 

 

 

 ――ナナは……私は、ウサミン星に帰ります!

 

 

 

 まず一つ目は、今年の七月七日のイベントを境についにアイドルを引退したということ。地下アイドル時代もあるらしいので詳しい芸歴は定かではないが、それでも相当な古株の引退に世間では大きなニュースとなった。今後は声優として活動していき、基本的にステージには立たないらしい。

 

 そして二つ目だが、なんと引退と同時に入籍したということ。お相手は彼女のプロデューサーで数年前から交際していたらしく、俺たちのように上層部で情報が秘匿されていたようだ。どうりで早苗さんと瑞樹さんの結婚報告ラッシュを聞いても全然焦る様子を見せなかったはずだよ。

 

 元三船さんや元佐藤も今ではアイドルを引退し地元に戻って落ち着いたみたいだし……二人とも、それぞれのいい人と一緒に幸せになっていることだろう。

 

「……どうしたの?」

 

「いや、なんでも」

 

 俺自身の幸せを隣に感じながら、いつも通りに愛情が込められた朝食を食べ進める。

 

 

 

 

 

 

 11:00

 

 

 

「パパ、ご本よんで」

 

「ん?」

 

 アイドルが出演する番組を一通り見終わって満足したらしい椛は、ソファーに座って次の舞台の台本を読んでいた俺のところに絵本を持ってきた。

 

「いいぞ。ほら、おいで」

 

 手招きをすると、椛は俺の横に腰を下ろして絵本を手渡してきた。

 

 基本的にお母さんっ子である椛だが、この絵本の朗読だけは俺に読んでもらうのがお気に入りらしかった。新しい絵本を買ってきても俺が読んでくれるまで決して開こうとせず、楓が代わりに読もうとしても「パパがいい」と言って譲らないらしい。たった一つのことでも、ママよりもパパの方がいいと言われるものがあるのは、本当に嬉しかった。

 

「ん、新しい絵本だな……って、森久保せんせーの新作か」

 

 今までに読んだことなかった本で、表紙をよく見てみるとそこには数年前から絵本作家としても活動している346のアイドルの名前が書かれていた。

 

「この間、事務所で会ったときに『うちの娘もファンなの』って言ったら、わざわざ送ってきてくれたのよ」

 

 そういうつもりじゃなかったんだけど……と、キッチンで昼食を作りながら困ったような笑顔を浮かべる楓。

 

「今度何かお礼しないとな」

 

「乃々ちゃんは『か、感想が聞ければ……それで、いいです……』って」

 

「謙虚だなぁ」

 

 ならば今度椛を連れて行って直接お礼を言わせてやろう。きっと作家という人間は、それが一番喜ぶことだろう。

 

「はやくよんでー」

 

「はいはい」

 

 椛にせがまれ、早速表紙を開く。どうやらシンプルにお姫様と森の動物のお話らしい。

 

「昔々、あるところに――」

 

 

 

 

 

 

 14:00

 

 

 

 天気が悪く遠出には向かないものの、一日中家の中にいるというのは元気が有り余っている五歳児には辛いだろう。丁度食材や日用品などの買い物があったので、近くのショッピングモールへとやって来た。

 

「ママ、アイスたべたい」

 

「買い物終わってからにしましょうね、椛ちゃん」

 

 髪の毛を首元で結んで目元のホクロをファンデーションで隠すという変装をした楓が、手を繋いだ椛にそう言い聞かせる。

 

 俺と楓は芸能人という立場上、当然変装は必須。俺も伊達メガネをかけた上に髪をアップにして普段との印象を変えている。時期的にそろそろマスクという変装手段もあるが、あれはあれで『いかにも』という雰囲気を醸し出してしまうのであまり付けたくはなかった。

 

 そう、丁度前から歩いてくる、見覚えのある黒髪の女性のように。

 

「あら、凛ちゃんこんにちは」

 

「っ!?」

 

 楓が話しかけると、マスクをつけたその女性はビクリと肩を震わせた。そして声をかけたのが楓だと気が付くと、安堵のため息を吐いた。

 

「ビックリした……こんにちは、楓さん、旭さん。……椛ちゃんも、こんにちは」

 

「こんにちわー!」

 

 知り合いでありアイドルでもある凛ちゃんと会えたことで椛のテンションがにわかに上がっていた。

 

「はぁ、やっぱりマスクはイマイチ頼りにならなかったか……」

 

「まぁ、俺たちは知り合いだったからってのはあるけどね」

 

 奈緒に紹介されてから、かれこれ十年近い付き合いの女性の顔に気付かないはずがなかった。

 

 ……そうか、女性、か。自分で言っておいてなんだが、少女だった凛ちゃんも既に女性なんだよなぁ。奈緒や加蓮ちゃんにも当然当てはまることなのだが……俺も年を取ったなぁと少々感傷にふけってしまう。

 

「それで、今日は一人? 奈緒ちゃんや加蓮ちゃんと一緒?」

 

 なんとなく話題の一つとして、楓がそんなことを尋ねた。

 

「っ」

 

 その瞬間、凛ちゃんは一瞬だけ眉を動かしたのを見逃さなかった。基本的にクールで表情をあまり変えない凛ちゃんがそれほど分かりやすく反応したのだ。

 

「……あら」

 

 そしてそれに気付いたのは楓も一緒だったが……どうやら彼女はさらにその先のことにまで気付いたらしい。

 

「ふふっ、お邪魔しちゃったみたいでごめんなさいね」

 

「……いえ、知り合いがいそうなところを選んじゃった私が迂闊だっただけですから。……それで、楓さん、その……このことは、奈緒と加蓮には」

 

「今は黙っておいてあげるわ。いずれ、ちゃんと自分の口から報告してあげてね?」

 

「……ありがとうございます」

 

 お礼を言い、そそくさと凛ちゃんは去って行ってしまった。椛も喜ぶし、どうせならそこら辺の喫茶店でお茶でもと思ったのだが……。

 

「どういうことだ?」

 

 バイバイと凛ちゃんの背中に手を振る椛の頭を撫でながら尋ねてみると、楓はクスクスと笑っていた。

 

「今の凛ちゃんね……昔、結婚する前に旭君とのデートの最中に知り合いと会ったときの私と似てたから」

 

「ということは……」

 

 つまり、今日の凛ちゃんは……。

 

「……そういうことね」

 

「あの三人の中で、一番乗りは凛ちゃんかもしれないわね」

 

「? どーいうこと?」

 

「何でもないぞ、椛。よし、そこでアイス買ってやろう」

 

「ホント!?」

 

「だから買い物してからって……もう、パパ!」

 

 

 

 

 

 

 21:00

 

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

「よっと」

 

 スヤスヤと眠る椛を子ども部屋のベッドに寝かせて布団をかける。今日は昼寝をしていなかったからか、夕飯を食べ終えた頃からウトウトとし始めていて、楓が引っ張り出してきた神崎のライブの動画を見ている間に寝落ちしてしまっていた。

 

「……やみにのまれよー……むにゃ……」

 

「すっかり気に入ったみたいだなぁ」

 

 これは是非神崎本人に合わせてやらなければ。こんな小さい子どもにも知られてしまったと知ったら一体どんな反応をするのかが楽しみだ。

 

 電気を消してから部屋を出てリビングに戻ると、楓がワインをグラスに注いで待っていてくれた。

 

「はい、旭君……ここからは夫婦の時間……ね?」

 

「そりゃもう、喜んで」

 

 ソファーに並んで腰かけると、楓はそのままコテンと肩にもたれかかって来た。

 

「乾杯」

 

「はい、乾杯」

 

 チンッと軽くグラスを合わせる。椛を寝かしつけてから一緒にお酒を飲むのはいつものことで、この時間は昔から変わらず楓と過ごす時間の一二を争うぐらいに大事なものだ。

 

「それにしても……凛ちゃんが、ねぇ」

 

「そうね……でも、凛ちゃんも可愛いもの。奈緒ちゃんだって加蓮ちゃんだって、男の人が放っておくわけないわ」

 

「それもそうだな」

 

 俺が楓と出会ったように、そして早苗さんや瑞樹さんたちのように、きっと彼女たちにも運命の出会いというものがあるのだろう。

 

「……んふふ~」

 

「おっと」

 

 突然笑い出した楓が真正面から抱き着いてきた。俺の肩に額をクシクシと擦り付けてくるので、ワインを零さないように注意する。

 

「みんなも相手を見つけてくれたから……私も我慢しなくてよくなったのねぇ」

 

「……何を? というか我慢してたの?」

 

「したのよ。……私ばっかり幸せになりすぎちゃって、ちょっとだけ申し訳なかったの」

 

 それは……少しだけ思ったことがある。自分は世界で一番幸せな人間なのだと、本気で考えたこともある。

 

「でも、もう我慢しなくていいものね」

 

 いつの間にかグラスをテーブルの上に置いていた楓が、そのまま俺の膝の上によじ登って来た。俺もグラスを置いて、彼女の腰に腕を回す。

 

 

 

「……愛してます、旭君」

 

「愛してるよ、楓」

 

 

 

 

 

 

 十月十四日

 

 今日は旭君と私は一日オフだった。保育園もお休みだったので、親子三人水入らずに過ごせた。

 

 昼にショッピングモールへと買い物に行ったのだが、そこで凛ちゃんに会った。マスクをした完全変装状態で逆に目立っていたが……なんとデート中だったらしい。ついに奈緒ちゃんたち三人の中から恋人持ちが生まれたことが、妙に嬉しかった。

 

 夜は夕食に椛ちゃんの要望のカレーライスを食べた後、過去のライブ映像を持ってきて三人で一緒に見た。椛ちゃんは昔の蘭子ちゃんを気に入ったようで、何度も「闇に飲まれよ!」「煩わしい太陽ね!」とポーズを取っていた。……旭君が「今度会わせてみよう」と言っていたが……申し訳ないけれども、私も面白そうだと思ってしまった。いずれ実現させよう。

 

 そして椛ちゃんが寝た後は、のんびりと夫婦の時間。久しぶりに旭君に愛してもらった。

 

 今日はとても平凡で……とても幸せな一日だった。

 

 

 

 

 

 

「子どもになんてもの読ませて……いや、勝手に読んでるのは私なんだけど……!」

 

「ねーねー椛ねーちゃん、遊ぼうよー」

 

「遊ぼうよー」

 

「あーちょっと待って二人とも……」

 

「あっ! 椛姉ちゃんと遊ぶのはオレだぞ!」

 

「げっ、アズマ」

 

「あーもう、喧嘩しないの……」

 

 

 




 イベントがないならイベントがない日を書けばいい。

 というわけで何事もない日常の話。何やら既に何人かアイドルが引退したり結婚したりしていますが、原作時間軸より七年経ってれば……ねぇ?

 さらに新キャラが増えてますが、多分次回にちゃんと登場します。


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神谷椛6歳と秋の保養所へ行く11月

唐突な○○さん回!


 

 

 

 気が付けば残暑が消え、すっかり秋らしい肌寒さに朝晩が辛い今日この頃。

 

「ホント、すっかり秋だよなぁ」

 

「紅葉がキレイね……紅葉……こうよう……」

 

「わざわざ悩んでまで言う必要はないんだぞ」

 

「……紅葉(こうよう)を見に、公用(こうよう)の施設に来ました……?」

 

「……あぁ、そうだな」

 

「その可哀そうなものを見る目はやめてください……」

 

 そんな会話をしながら、俺たちは赤と黄色に彩られた山道を歩いていた。

 

 

 

 さて、先ほど楓が言ったように俺たちは公用の施設……346プロダクションの保養所『美城荘』へとやって来ていた。

 

 俺と楓が結婚する前にトライアドプリムの三人と共に夏に利用したこともあったこの施設。これまでも度々利用していたのだが、時期的に紅葉狩りという名目である。

 

「椛、強く引っ張らないように気をつけろよ」

 

「うん」

 

 俺と楓より先を歩く椛に声をかける。少し厚めのコートを着込んだ彼女は、両手で同じように着込んでモコモコになっている女の子と男の子と手を繋いでいた。

 

「ありがとねー、椛ちゃん。あずの面倒見てくれて」

 

「アズマも一緒に、ありがとう」

 

「ううん、あずちゃんとアズくんといっしょにあそぶの好きだから」

 

 俺たちと一緒に並んで歩く早苗さんの言葉に椛は「ねー」と手を繋ぐ女の子に話しかけると、女の子も「ねー!」と言いながらニパーッと笑った。そして同じように「ねー」と男の子に話しかけると、男の子はコクリと頷いた。

 

 二人は三歳になった早苗さんの娘のあずみちゃんと、数日後に二歳になる瑞樹さんの息子のアズマ君。早苗さんと瑞樹さんが頻繁にウチへ遊びにやってくるため、順調に幼馴染として仲良くなっている三人だった。

 

「それにしても、旦那さんは残念でしたね」

 

「ふーんだ。あんな奴知らないわよ」

 

 楓に問いかけられ、プイッとそっぽを向く早苗さん。何やら旦那さんに別件があり今回の旅行に参加できなかったことに対して、夫婦間でひと悶着あったらしい。この夫婦の場合はこれがいつものことなので、それほど心配するようなことでもないだろう。

 

「アイツは夜に合流でしたっけ?」

 

「えぇ。這ってでも来るって言ってたわ」

 

 俺の後輩でもある瑞樹さんの旦那は本日撮影につき不在。ただ撮影が終わり次第こちらに向かうとは言っていたが……恐らく、夜遅くになるだろう。それでも明日の予定にはちゃんと参加できるだろう。

 

 というわけで、今回の旅行に参加しているのはこの三家族と――。

 

 

 

「………………」

 

「……美優さんは、寒くないですか?」

 

「え? ……はい、大丈夫です。ありがとうございます……楓さん」

 

 

 

 ――美優さんだった。

 

 アイドルを引退して事務所を辞め、実家である岩手に戻って結婚をした美優さん。まだまだ結婚二年目で新婚の彼女であるのだが……少々事情があり、今回の旅行への参加と相成った。

 

 三十四になるというのに、やや幼さを残す美貌はアイドル時代と比べても見劣りせず……しかし、今はその表情に陰りが見えた。アンニュイな美人と言えば聞こえは良いが、残念ながらそうも言っていられない事情があるのだ。

 

「……そろそろ戻りましょうか」

 

「……そうだな」

 

「おチビたちー! 戻るわよー!」

 

「おやつにしましょうね」

 

「「「はーい!」」」

 

 散歩を切り上げ、俺たちは保養所へと戻ることにした。子どもたちの三時のおやつの時間も近いし、丁度いい頃合いだろう。

 

「……ふふっ」

 

 素直に返事をして「おやつなにかなー?」と楽しそうな椛たちを微笑ましく見つめる美優さん。

 

 そんな美優さんに何か声をかけようとして……結局言葉が見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、パパ」

 

「ん?」

 

 おやつとして管理人さんが焼いておいてくれた焼き芋に全員で舌鼓を打った後、あずみちゃんとアズマ君はお昼寝の時間となった。女性陣は久しぶりに会った美優さんとの会話に花を咲かせているため、代わりに俺が全員まとめて寝かしつけることとなった。

 

 そんな中、既に半分夢の中に入りつつあるあずみちゃんとアズマ君を俺と一緒に見守っていた椛が話しかけてきた。

 

「みゆお姉さん、かなしそうだった」

 

「悲しそう?」

 

 うん、と椛はあずアズコンビの頭を撫でながら頷いた。

 

「わたしとあずちゃんとアズくんがお芋食べてるのを見ながらね、みゆお姉さん、かなしそうにしてたの」

 

 パパは気づかなかった? という問いかけに「気付かなかったなー」と返すものの、勿論それには気付いていた。

 

 

 

 ――……実は私……子どもができないんです……。

 

 

 

 それが、突然こちらに戻って来た美優さんからカミングアウトされたことだった。

 

 知り合いの紹介でお見合いをし、その相手と結婚した美優さん。最初は順調な夫婦生活を送っていたらしいのだが……どうやら美優さんは子どもを妊娠しづらい体質であることが判明したらしい。全く出来ないわけではなく、あくまでもしづらいだけではあるのらしいが……そのことを知った旦那と旦那側の親族が難色を示した。

 

 要するに、子どもが出来づらいと知るや否や態度を変えた旦那に少し嫌気がさして(いとま)を貰って来た、ということだ。貰って来たというよりも逃げてきたというのが正確な表現だろう。

 

 ハッキリと個人的な感想を述べさせてもらうのであれば、最悪の親族である。未だに『女性は子どもを産まないといけない』という考えが根付いた家があることに驚き、それ自体を否定することもしないが……その考え方を押し付けるのはいただけない。

 

 幸い、それを知った美優さんの両親も怒りを露にして今回の()()の手助けしてくれたので、しばらく東京(こちら)で様子を見て、場合によっては離婚も考えていくとのことだった。

 

「どーすれば、みゆお姉さん、元気になるかなー……?」

 

 そんな大人側の汚い事情を知る由もないし寧ろ知らないままでいてほしい椛は、優しい知り合いのお姉さんがどうすれば元気になるかを必死に悩んでいた。実際に顔を合わせた回数は赤ん坊の頃を含めても多くはないが、いつも優しい美優さんにすっかりと懐いている。

 

「……! ねぇパパ、お外出てもいい?」

 

「外? 遊ぶのか?」

 

 どうやら違うらしく椛は首を横に振った。最近、魔法少女系アイドルとしてしゅがはやウサミンの後継者とも呼ばれている、人気の横山(よこやま)千佳(ちか)を真似して縛っているツインテールがブンブンと揺れる。

 

「あのね、外におちてたはっぱとかドングリとかひろってきてね、ネックレスつくってあげるの! だから出てすぐのところにしかいかない」

 

「……分かった。それじゃあ、二人が寝たらパパと一緒に行こうな」

 

「うん!」

 

 とはいえ、既に半分夢見心地な二人が寝るのはすぐだろう。今の内に上着を羽織っておくように椛に言い、彼女が「よいしょよいしょ」と上着に袖を通している姿を見ながら俺も出る用意をするのだった。

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 夜。宿泊客の多くが寝静まり、保養所の中は静けさに包まれていた。子どもたちと夕食後の酒盛りで酔い潰れた母親たちも既に床に入っている。

 

 そんな保養所のロビーの一角、ソファーに腰を下ろして哀愁を漂われる美女が一人。言わずもが、美優さんである。

 

「こんばんわ」

 

「あっ、旭さん……」

 

 「こんばんわ」とペコリと頭を下げる美優さん。施設内は空調が効いているからとはいえこの季節に浴衣一枚は流石に涼しかったらしく、上に茶羽織をひっかけていた。

 

「どーぞ」

 

「……ありがとうございます」

 

 雰囲気的には合わないと思いつつ、先ほど自販機で買ってきた缶コーヒーを手渡す。

 

 そのまま美優さんの向かいのソファーに腰を下ろすと、彼女は自然な動作で居住まいを正した。その仕草が少々色っぽかったが「いやいや楓も負けてない」と謎の対抗心を燃やすことで変な考えを払拭する。

 

「何してたんですか?」

 

「……夫からのメールを見ていました」

 

 視線を落とすと、美優さんの手元にはスマホが握られていた。

 

 一体どんな内容のメールなのやらと思っていると、俺の視線に気付いた美優さんはスマホをこちらに差し出してきた。

 

「どうぞ……」

 

「いいんですか?」

 

 苦笑しつつ頷く美優さんからスマホを受け取り、その内容に目を走らせる。

 

「……うわぁ……」

 

 思わずそんな声が出てしまった。

 

 それは所謂『ロミオメール』と呼ばれる類いのものだった。あまりの酷さに直視出来ず斜め読みしたが、要するに「子どもが出来ないのは君のせいである」「責められるのは当然」「君はそれを受け入れなければならない」といった内容である。軽く話を聞いただけでぶちギレていた早苗さんがこれを見たら、一体どうなってしまうのか想像するだけで恐ろしい。

 

「本当にいるんですねこんな奴……っと、すみません」

 

 紛いなりにも美優さんの夫であることを思い出して謝罪すると、彼女は「気にしてません」と首を振った。

 

「……私、結婚というものに夢見てたのかもしれません」

 

 スマホを返すと、美優さんは画面の電源を落とし手に持ったまま自分の膝の上に置いた。

 

「楓さんと旭さんを見ていたら……結婚はこんなに素敵なものなんだって……結婚したら、こんな素敵な夫婦になれるって……」

 

 美優さんは「そんなはずないのに、バカですよね……」と悲しげに笑った。

 

「旭さんと楓さんは、()()()()()()()だから素敵な夫婦なんですから……」

 

「……なんか、すみません」

 

 今の話からすると、美優さんの現状の一因には俺と楓も関係がありそうだった。

 

 勿論、それを謝ったところでなんの意味もないことぐらい分かっている。

 

「そ、そんな……旭さん、謝らないでください……」

 

 案の定、逆に美優さんの方が申し訳なさそうな表情になってしまった。

 

「……私、きっと焦ってたんだと思います。こんな暗い女を好きになってくれる人なんていないって……」

 

 話を聞く限り、旦那も結婚してしばらくはいい人だったらしい。それが徐々に違和感を感じるようになり……今回の一件に至った、と。

 

「ダメですね……私……」

 

「……そうですね。失礼を承知で言わせてもらえば、男を見る目がないですね」

 

「うっ……」

 

「あと、自分を見る目もなさすぎる」

 

「……え?」

 

 (楓ゴメン)と心の中で愛する妻に謝罪をしてから、意を決して口を開く。

 

「美優さんは、素敵な女性です」

 

「……えっ!? そ、そんなこと……」

 

 ポッと頬を染める美優さんに、楓への罪悪感からキリキリと胃が痛む。

 

「自分で自分を卑下することで……悲しむ人がいることぐらい、元とはいえアイドルの美優さんならば、ご存じのはずですよ?」

 

「……あ」

 

 彼女はずっとそうしてきたはずだ。彼女だけじゃない、楓だって早苗さんだって瑞樹さんだって、アイドルは常に()()()()()()と共にステージに立っている。

 

「……椛が『美優お姉さんのために何かしてあげたい』って言ってました」

 

 アイドルを辞めた今でも、美優さんのために何かをしたいと思う()()()がいる。

 

「……そう、ですか」

 

 はぁっと溜息を吐く美優さん。それは今までのような重いものではなく、背負っていたものを吐き出すような、そんな溜息だった。

 

「それじゃあ……小さなファンのためにも……私、もう少しだけ自分を大切にしてみます」

 

「是非、お願いします」

 

 

 

 

 

 

「はぁー……」

 

 部屋に戻っていった美優さんと別れ、俺は一人露天風呂へとやって来た。入浴時間ギリギリのため誰もおらず、完全に貸し切り状態になっている。

 

 家では味わえない開放感を堪能しながら足や腕を伸ばす。

 

「……昔から『悪い男に捕まりそう』とはみんな冗談めかして言ってたけど……本当にそうなるとはなぁ……」

 

 しかし今回の場合は恋愛結婚じゃないだけ美優さんの非は減り、代わりに見合い相手を選び間違えた彼女の両親にも非があると思う。勿論、一番糾弾しなければいけないのは旦那とその家族なのだが。

 

 ともあれ、ここまで来たらこちらも美優さんの味方として徹底抗戦の構えだ。以前ドラマの撮影で一緒になり仲良くなった315プロのアイドル天道(てんどう)(てる)さんから知り合いの弁護士を紹介してもらったし、もし相手が強引な手段を選ぼうとしたら早苗さんとその旦那が黙っちゃいない。メディアに取り上げてもらい世論を味方につけるという手もあるが、それは美優さんの性格的に選ぶことはないだろう。

 

 楓の友人で……俺にとっても、大切な友人だ。黙ってなんかいられなかった。

 

「失礼しまーす」

 

「え?」

 

 突然、そんな声と共にカラカラと風呂場の戸が開いた。驚き振り返ると、そこにはバスタオルで体を隠した楓がいた。

 

「ここ男湯だぞ!?」

 

「ふふっ、管理人さんにお願いして特別に今だけ混浴にしてきてもらいましたー」

 

「わざわざ何してんだよ……」

 

 後で謝罪とお礼を言いに行こうと眉間をグニグニと揉んでいると、楓は「お隣失礼しまーす」と言って俺の隣に座りながら湯船に浸かった。当然タオルはお湯に漬けないのがマナーなので、楓も俺も何も身に着けていない状態である。

 

「はぁ……いいお湯よねぇ……」

 

「あぁ、そうだな」

 

 そう言ってコテンと俺の肩に頭を預けてくる楓。

 

 そんな楓に若干の違和感を覚え、尋ねてみる。

 

「……もしかして、さっきの聞いてたのか?」

 

「えぇ」

 

 やっぱり、先ほどの美優さんとの会話を聞いていらしい。

 

「旭君が未亡人になった美優さんを口説いてたから、思わず盗み聞きしちゃった」

 

「口説いてない口説いてない」

 

 そもそも、かろうじてまだ未亡人じゃないぞ。

 

「……私たちは、本当に幸せだったのね」

 

「……そうだな」

 

 それはきっと、美優さんのことを指して言っているのだろう。

 

 俺と楓も、きっとどこかで人生の歯車が狂っていたら、全く別の人間と結婚していたかもしれない。そうしたら、美優さんのような厄介なことに巻き込まれていたかもしれない。

 

 IFを考えると、それだけで恐ろしくなる。

 

 だから……今こうして、最愛の女性が俺の手を握ってくれている幸運を噛みしめよう。

 

 

 

 

 

 

 十一月十四日

 

 今日は早苗さんとあずみちゃん、瑞樹さんとアズマ君、そして美優さんも合わせた八人の大所帯で美城荘にお泊りに来た。

 

 すっかりと色付いた木々の間を散歩すると、子どもたちはとても楽しそうだった。

 

 そして夕食後のお酒の席で、今回美優さんがこちらに返って来た詳しい経緯を教えてもらった。なんでも美優さんが子どもをなかなか産めないことに対して、旦那さんが酷いことを言ったらしい。それを聞いた早苗さんと瑞樹さんはとても怒っていた。かくいう私も怒っている。旭君だって怒っていた。

 

 こんな素敵な女性をひどく言うその旦那さんが許せず、なんとかして離婚と慰謝料を要求できないかを私たちだけで盛り上がってしまい、美優さんを困らせてしまったことだけ反省しておこう。

 

 そして夜、みんなが寝静まった後で、ロビーの片隅での旭君と美優さんの会話を盗み聞きしてしまった。旭君に限って浮気は絶対にないと思いつつ耳を澄ませると、どうやら美優さんを励ましているようだった。少々もやっとしつつも、流石私の自慢の旦那さんだと誇らしくなった。

 

 その後、一人で露天風呂を楽しんでいた旭君と一緒に混浴した。久しぶりの夫婦水入らずのお風呂は、とても心地よい時間だった。

 

 

 

 

 

 

「「ぐぬぬぬっ……!」」

 

「お姉ちゃーん、二人がー」

 

「こーら、あずちゃん、アズ君、喧嘩しないの」

 

「だってアズマが!」

 

「だってあずみが!」

 

「全くもう……」

 

 

 




 というわけで、最近の作者がロミオメールまとめにはまったため、突然な美優さん回になった。

 勿論美優さんのことが嫌いなわけじゃないけど……なんというか、美優さんは将来的にこんな感じになりそうなイメージ。異論は認めます。

 そして前回登場したアズマは川島さんの息子でした。名前は川島さんの中の人の東山さんから拝借。

 次回はクリスマス直前なので、もうちょっとイチャイチャさせたい……。


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神谷椛7歳へのプレゼントを考える12月

ちょっと早いけどメリークリスマス。


 

 

 

「……さて、それでは始めましょうか」

 

 

 

「あ、待って旭君。ちょっと美優ちゃんに連絡入れさせて」

 

「あ、はい。分かりました」

 

「旭くーん、これ開けてもいいー?」

 

「ちょっ、早苗さんそれクリスマスに開けるつもりだったワイン……あぁもう開けてるし」

 

 というか、なにこの人は昼間っから飲もうとしているんだ。旦那に連絡を入れている瑞樹さんはともかく、早苗さんは自由すぎる……子どもが出来て少しは大人しくなったかとも思ったのだが、そんなことはなかった。

 

「旭君」

 

「なに、楓」

 

「私はこの子のおしめ代えてくるわね?」

 

「……いってらっしゃい」

 

 俺の最後の希望であり最愛の妻である楓もリビングから離脱してしまった。

 

 ……えぇい、こうなったら俺も飲んでやる! 早苗さん! 俺の分も!

 

 

 

「……はぁ、早速脱線してしまった」

 

「まぁいいじゃない。子どもたちが帰ってくるまで、まだ時間はあるんだから」

 

 ほーらお酌してあげるわよー! と早苗さんが注いでくれるワインをグラスで受ける。これ、そんなにグビグビ飲むようなワインじゃないんだけどなぁ……。

 

「確か一時からの公演でしたよね?」

 

「えぇ。765プロダクションの劇場ライブ、椛ちゃん、すごく観たがってたものね」

 

「昔は小さく細々とやってたみたいですけど、最近では全然チケットが取れなくなっちゃいましたからね」

 

 椛のアイドル好きは今なお成長し続け、最近では他の事務所のアイドルの公演をも観に行くようになった。……そんな椛だが、そろそろ本当にアイドル事務所に入るつもりでいるらしいのだが……まぁ、その話はまた今度にしよう。

 

「しかし、美優さん一人に子ども三人預けて大丈夫だったんですかね?」

 

 勿論美優さんを疑っているわけではなく、三人の面倒を見なければいけないという負担に対する心配だ。

 

「大丈夫でしょ。三人とも美優ちゃんのこと大好きだし」

 

「そもそもアズマもあずみちゃんも、椛お姉ちゃんの言うことは大体聞くから」

 

 早苗さんと瑞樹さんの言葉に、それもそうかと納得する。

 

 あれから結局無事に離婚することが出来た美優さんは、またこちらに戻ってタレントとして活動をし始めた。今なお変わらぬ美貌で未亡人系薄幸の美人として人気を博している彼女だが、度々子どもたちと遊んでくれているので三人ともすっかりと懐いていた。

 

 ……ただ「子どもたちと一緒にお出かけするときに便利ですから!」と言って免許を取ってくる辺り、なにか色々とこじらせているような気がしないでもないが……まぁ、美優さんに限ってそれはないだろう。うん、常識人枠のはずの美優さんまでそっちに行ってしまったら色々と俺が大変だから、その可能性は考えないでおこう。

 

 しかしつまみも無しにただワインを飲むだけというのも寂しいので、なんか簡単なツマミでも用意しようかとキッチンに立ったところで、楓が戻って来た。

 

「おかえり」

 

「ただいま。……あら、おツマミ? それだったら私が用意するわ」

 

「いや、これぐらい大丈夫……」

 

「いいから。旦那様は座ってて。はーい、()()()出しちゃいまーす」

 

 代わりにお願いね、と差し出された()()()()を優しく抱き受けると、楓と入れ替わる形でキッチンに立った。()()()()()()()というのに、こうしてわざわざツマミを作ってくれるとは……まさに良妻賢母。頭が上がらないよ。

 

「……ママは凄いな」

 

「……すぅ」

 

 

 

 九月に生まれたばかりの次女(ゆえ)は、俺の腕の中でスヤスヤと眠りこけていた。

 

 

 

 

 

 

「さて、そろそろ本題の戻りますよ」

 

 人生で二度目の授乳期間につきアルコールを断っている楓に悪いと思いながらも、昼間からのお酒を楽しみつつ話を元に戻す。

 

 

 

「というわけで『クリスマスプレゼント選考会』を始めたいと思います」

 

 

 

 これが今日こうして集まった理由である。

 

 椛は七歳、あずみちゃんが四歳、アズマ君が三歳になったわけだが、そろそろクリスマスプレゼントに何が欲しいかを真剣に検討しなければならないお年頃になってきた。

 

 椛は基本的に聞き分けがいいので何をあげても喜んでくれるが、しかし親としては当人が本当に喜ぶものを贈ってあげたいのだ。

 

 ちなみに346プロにはイヴ・サンタクロースという文字通り『サンタクロースタレント』という特殊すぎるジャンルで活動している元アイドルがおり、事務所関係者の子どもたちはみんな彼女からプレゼントを貰うという形になっている。勿論そのプレゼントは親が買って彼女に預けておいたものだ。彼女は「私、本物のサンタですから~ちゃんと私がプレゼント用意しますよ~?」と言ってくれるが、流石に彼女にお金を出させるわけにはいかない。

 

 そんな来たるクリスマスに向けて、子どもたちへのプレゼントを一緒に考えようというのが今日の主目的である。

 

「でも椛ちゃんは簡単じゃない? アイドルっていう分かりやすい好きなものがあるんだし」

 

「そうね。確か……283プロダクションだったかしら?」

 

「はい。最近だとアルストロメリアっていう三人がお気に入りみたいで」

 

「ただそのユニットのCDはもうテストで百点を取ったご褒美に買ってあげてるので……」

 

「応援グッズとか」

 

「それは自分でお小遣いを貯めて買ったみたいです」

 

「……ライブのチケットとか」

 

「誕生日プレゼントであげてます」

 

「「………………」」

 

 沈黙する瑞樹さんと早苗さん。

 

 最後のチケットはともかく、椛のアイドルに対する入れ込みようは若干執念に近い。CDを買ってもらうために学校のテストは常に百点。積極的に家事の手伝いをしてお小遣いを貯め、それを無駄遣いせずに全てアイドルグッズの購入資金に当てている。なんというか、親である俺たちですら本当に七歳なのかと疑ってしまいそうになるぐらいストイックだ。いや、アイドルに対する欲が強いから正確には禁欲的(ストイック)とはまた違うのだろうが。

 

「なんというか……本当にハイスペックよね、椛ちゃん」

 

「アナタたちのどっちの影響?」

 

「二人して心当たりがなかったので、隔世遺伝という結論に至りました」

 

 いや、子どもが優秀でとてもいい子なのだから手放しに喜んでいい場面のはずなのだが、流石にトンビからタカが生まれてきた感覚で戸惑ったり戸惑わなかったり。

 

「うーん、まさか椛ちゃんのプレゼントで悩むとは意外だったわね」

 

「『自分が欲しいものは、自分の力で手に入れたい』って言ってました」

 

「小学生のセリフじゃないわね……」

 

「その辺り、奈緒ちゃんの影響受けてない?」

 

「まぁ奈緒のことも大好きですからね……」

 

 じゃあ奈緒のグッズはどうなのかというと、これはもう本人から全部直接貰ってしまっている。下手すると本人よりも持っているんじゃないかという保有率で、同じように凛ちゃんと加蓮ちゃんのグッズも貰ってしまっている以上、この三人に関しては椛が持っていないものはないだろう。

 

「先にあずみちゃんとアズマ君へのプレゼントを考えますか?」

 

「……それじゃあ、そうしましょうか」

 

 時間がかかりそうだったので、一旦椛へのプレゼントは後回しにして、二人の子どもへのプレゼントを考えることにしよう。

 

 

 

 しかし椛と違い、二人のクリスマスプレゼントはとてもあっさりと決まった。二人ともお気に入りの変身ヒーローの変身ベルトで全会一致したのだ。

 

「……我が娘ながら、本当にこれでいいのかしら……」

 

 あずみちゃんが男の子向け変身ヒーローモノ好きなことに対して思うところがあったらしい早苗さんが頭を抱えていた。

 

 ジェンダーフリーが唱えられて長らく経つ昨今ではあるものの、それでも自分の娘が可愛らしく魔法少女モノの真似をするところを見たかったらしい。確かにあずみちゃん、遊ぶときはだいたいアズマ君と一緒になってヒーローごっこだからなぁ……。

 

 ちなみにウチの娘は囚われのヒロイン役で、やたらと堂に入った演技を見せてくれるようになって少し嬉しい。流石俳優とアイドルの娘である。

 

「ちなみに早苗ちゃん、貴女の子どもの頃は……?」

 

「………………」

 

 瑞樹さんからの質問に、早苗さんは無言のままワインを呷った。どうやらそういうことらしい。

 

 そういうわけでつつがなくあずみちゃんとアズマ君へのプレゼントが決まったところで、改めてウチの椛へのプレゼント決めに戻る。

 

「なんかスミマセン、結局ウチのプレゼント決めに付き合っていただく形になっちゃって」

 

「いいのよ。むしろウチの子たちが早く決まりすぎちゃったぐらいなんだから」

 

「プレゼントといえば~」

 

 気にしないでと手を振る瑞樹さんにお礼を言うと、大分アルコールが回ってきたらしい早苗さんに肩を組まれた。彼女の胸が肩口に当たるが、嫌な予感しかしないので別に嬉しくはない。

 

「去年のクリスマスは、楓ちゃんに素敵なプレゼントをあげたみたいじゃない?」

 

「? はぁ、今回は確かに欲しがってたブランドのコートをあげましたけど……」

 

 そんなに意味深に言うようなものかと首を傾げていると、「なに言ってんのよ!」とバシンと肩を叩かれた。

 

()()()っていう最高のプレゼントをあげてるじゃないのよっ!」

 

「……あっ、九月が誕生日ってそういう……」

 

「ヤメロォ!」

 

 いやまぁ確かにしたけど! 逆算すると多分その日なんだろうけど!

 

 チクショウ、いってきますのチューに憧れていた昔の瑞樹さんと早苗さんは一体どこへ行ってしまったのか……。

 

 そんな頭を抱える俺に対し、月を抱いたままの楓はニコニコと笑っていた。あの、夫婦の夜事情の話なんだから貴女ももう少し恥ずかしがったらどうなんですかね……。

 

「それでお返しに『楓ちゃんからの愛』を貰ったっていうんでしょ! あぁもう本当に万年新婚夫婦ねアンタたちは!」

 

 なにも言っていないのに勝手にヒートアップしていく早苗さん(酔っぱらい)。そろそろお酒を取り上げないと、旦那さんにもあずみちゃんにも悪い気がしてきた。

 

「……ん? あ、それいいんじゃない?」

 

「流石に椛に対するセクハラは許しませんよ」

 

 最悪出禁まである。

 

「そんなわけないじゃない。そっちじゃないわよ」

 

 苦笑しながらヒラヒラと手を横に振る瑞樹さん。まぁ、早苗さんよりは酔ってないだろうが……。

 

 

 

「椛ちゃんが大好きなアイドルは誰?」

 

 

 

「……奈緒?」

 

「『椛ちゃんのことが大好きなアイドル』っていう意味じゃないわよ。いやまぁ、間違ってないんだけど」

 

 よくもまぁそのテンションが保てるなぁと半ば感心してしまうほどの叔母バカを未だに発揮し続ける我が妹のことを言っているのかと思ったが、どうやら違ったらしい。

 

「椛ちゃんの『一番好きなアイドル』は誰ってことよ」

 

「……それは」

 

 齢七歳にしてアイドルオタクの片鱗を露にしている椛。アイドルならば基本的に雑食な彼女が、一番大好きだと公言しているアイドルは……。

 

 

 

「……えっ?」

 

 

 

 

 

 

 夜。大人気の765プロのアイドルたちを間近で見ることが出来て大興奮だった椛もベッドに入り、今ではすっかり夢の中。寝るのが仕事の赤ん坊である月は先ほどから大人しく寝てくれているので、今は夫婦の時間だ。

 

 とはいうものの、楓はお酒もコーヒーも飲めないので、二人並んでハーブティーを楽しむ。

 

「はぁ……今日は大変だった」

 

「早苗さん、ご機嫌だったわね」

 

 なんとあの人、気付いたら一人で三本ぐらいワイン開けていたのだ。そりゃああそこまでへべれけにもなるわな……旦那さんが申し訳なさそうに連れて帰っていったが、逆にあずみちゃんに対して申し訳なくなった。

 

「それにしても……本当に椛ちゃんへのクリスマスプレゼント、あれでいいのかしら」

 

 心配そうに呟く楓。

 

「いや、俺もあれがいいと思う」

 

 誕生日にあげるべきもののような気もするが……これを()()()()()()()()という名目にするにはピッタリのプレゼント――。

 

 

 

 ――椛が一番大好きなアイドル『高垣楓』、聖夜限りの復活である。

 

 

 

 子守歌などは歌って聞かせたことがあり、さらに現役時代の映像記録も何度も見せたことがあるが、椛は()()()として歌っている姿を一度も観たことがない。そんな彼女に、生でアイドル『高垣楓』が歌っている姿を見せてあげようというのが、瑞樹さんが提案したクリスマスプレゼントである。

 

「でももうクリスマスまで十日しかないのよ? それまで仕上げられるかどうか……」

 

 一応事務所のレッスン室を美城常務から借りる許可は貰うことが出来た。むしろ「箱を抑えるから是非」とかなりノリ気だったぐらいだ。

 

「出来るだろ? 楓なら」

 

「……もう、こんなおばさん捕まえて無理させないで」

 

「おばさんねぇ」

 

 年齢で言えば、確かに楓も三十四だ。そろそろおじさんおばさん呼びもおかしくない。しかし、こんな美人を捕まえておばさんと称していいのか甚だ疑問である。

 

「……そうね。椛ちゃんの……小さなファンのためにも、ちょっと頑張ってみるわ」

 

「全力でサポートするよ」

 

 フンスと気合いを入れる楓。二児の母親になってなお、こんな仕草がここまで様になっている辺り、やはりコイツはしばらく『老ける』という言葉とは縁遠いことだろう。

 

「それに、俺も楽しみだしな」

 

「え?」

 

「……俺だって『高垣楓』のファンだ。復活を心待ちにしてるのは、椛だけじゃないってこと」

 

 むしろファン歴で言うのであれば、椛にだって負けていない。

 

「……それじゃあ、もうちょっとだけ応援してくれる?」

 

「……喜んで」

 

 

 

 スッと目を閉じた楓の頬を撫でた。

 

 

 

 

 

 

 十二月十四日

 

 今日は瑞樹さんと早苗さんがウチに来て、みんなで子どもたちのクリスマスプレゼントを考えた。ちなみに子どもたちはみんな美優さんが引き受けてくれた。あとでまたお礼をしておかないと……。

 

 早苗さんが昼間っからワインを開けて酔っぱらってしまったことを除けば、何事もなくプレゼント選考会は終わったのだが……肝心の椛ちゃんへのプレゼントというのが、私のステージということになってしまった。

 

 未だにタレントとしては少しずつ人前に立たせてもらっているが、アイドルとしてマイクを持たなくなり数年経つ。そんな私が、果たして椛ちゃんを喜ばせるような歌が歌えるのか、少しだけ自信がない。

 

 けれど、旭君や他の人もサポートしてくれるというので、少しだけ頑張ってみようと思う。

 

 クリスマスまで十日。それまで現役と同じぐらいに……とまではいかなくても。

 

 それでも、椛ちゃんに『高垣楓』を少しだけ見せてあげたいと思った。

 

 親として、でもあるが……アイドルとして、譲れない。

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

「大体アズマは……って、椛ねーちゃん!?」

 

「うわ、なんで泣いてるの!?」

 

「どこかいたいの?」

 

「ぐすっ……ううん……ただの思い出し泣きだから……」

 

 

 




 クリスマスプレゼント考えるのが遅いって? キニシナーイ

 そしてちらっとですがシャニマス勢登場。この世界線ではこの時間軸のアイドルという設定で一つ。次世代アイドル考えてたら、全員オリキャラになっちゃうからね。

 そして改めて登場、妹の月ちゃん。「ゆえ」です。「ライト」ではないです。

 それでは皆さん、少し早いですがメリークリスマス。そして良いお年を。


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神谷椛8歳が将来を思い描く1月

あけましておめでとうございます。
今年も楓さんと椛ちゃんと月ちゃんと、ついでに旭のことをよろしくお願いします。


 

 

 

「うーん……」

 

 その日、朝起きてリビングへ行くと定位置でテレビにかじりついていた椛が何やら唸っていた。その膝の上には一歳三ヶ月になる月が座っており、一緒になってテレビを見ていた。間近に寄ってみるなんてこともせずに適切な距離を保っているので、特に注意などはしない。

 

「おはよう椛。朝からどうした?」

 

「お父さん、おはよう」

 

 最近は「ちょっと子供っぽいからヤダ」と言って『パパ』と呼んでくれなくなった椛がこちらを振り返る。今日の髪型ははつむじ辺りで結んだポニーテールで、おそらく283プロの『アンティーカ』に所属する白瀬(しらせ)咲耶(さくや)の真似だろう。

 

「えっとねー……私は将来、どんな大人になってるのかなーって思ったの」

 

「ん?」

 

 いきなりどうしたのだろうかと、一体何を観ていたのかとテレビを見てみる。椛が見ていたのだからそこに映っていたのはアイドルなのだが、その内容で合点がいった。

 

「なるほど、成人式ね」

 

 世間では今日は『成人の日』と呼ばれる休日である。地域により差異はあるが、基本的に新成人をお祝いする成人式が行われる日だ。

 

 椛が見ていたのは朝の情報番組で今日成人を迎える芸能人の特集をしており、そこに映っていたのが白瀬咲耶と同じく『アンティーカ』に所属する月岡(つきおか)恋鐘(こがね)三峰(みつみね)結華(ゆいか)だったのだ。

 

「恋鐘ちゃんと結華ちゃんは今日から大人になるんでしょ? っていうことは、昨日まで子どもだったんでしょ? 全然見た目は変わらないのに、大人になるってどういうことなのかなって思ったの」

 

「大人ねぇ」

 

 いやまぁ月岡恋鐘は身体的に子どもじゃないところが……。

 

「旭君、おはよう。朝ご飯取りに来ないと、下げちゃうわよ?」

 

「おはよう楓。今日も綺麗だよ」

 

「うふふ、ありがとう」

 

 ニッコリと笑う楓から朝食の乗ったプレートを受け取る。いやぁやっぱり美人は凄いなぁ……これが怖いぐらいの笑顔ってやつなのだろう。

 

「? お父さん、どうかしたの?」

 

「いや、何でもないぞ」

 

 俺の定位置のテーブルにプレートを置いて椅子に座ると、テレビの前から離れた椛がぴょこぴょことやって来て俺の対面に座った。一方でお姉ちゃんの膝の上から解放された月は、スイッチを押すと音が出るオモチャで一人遊びに興じていた。しばらくはあれで大人しいだろう。

 

「ねぇねぇ。お父さんは、私はどんな大人になると思う?」

 

「ん? 椛はアイドルになるんじゃないのか?」

 

 これだけアイドルが好きで、さらに母親が『高垣楓』で、一応ついでに父親が『神谷旭』なのだ。親の贔屓目を抜きにしても可愛く歌も上手い。芸能人の知り合いも多く、八歳にして目標のためにはトコトン努力することが出来るストイックさも持ち合わせている。たびたび事務所の関係者から「それで……君のところの娘はいつアイドル部門に来るんだい?」と聞かれるぐらいなのだから、正直すぐにでもアイドルデビュー出来るだろう。

 

「んー……」

 

 しかし当の本人は意外なことにそれほど乗り気じゃなさそうだった。

 

「確かにアイドルは好きだよ? みんな綺麗で可愛くてキラキラしてて、見てるだけで楽しくて幸せになるから。でも、それで自分がアイドルになるかどうかは別じゃないかなぁって思うの」

 

「でもアイドル好きのアイドルだっているだろ?」

 

 先ほども映っていた三峰結華もそうだが、少々昔のアイドルになるが765にいた松田(まつだ)亜利沙(ありさ)や、男だが315にいた渡辺(わたなべ)みのりも、アイドル好きを公言しているアイドルたちだった。椛ならば彼らにも負けないようなアイドル好きアイドルになりそうな気もする。

 

「勿論、結華ちゃんや亜里沙ちゃんやみのり君のことを否定するわけじゃないけど……それは何か違う気がするんだ」

 

「ふむ」

 

 きっと彼女なりに『アイドル』に対する複雑な想いがあるのだろう。

 

「椛ちゃんは、アイドルにならないの?」

 

 キッチンから話を聞いていた楓が俺と椛のマグカップを持ってこちらのテーブルへとやって来た。楓からコーヒーが入ったマグカップを受け取ると、彼女はそのまま俺の隣の椅子に腰を下ろした。その際、ごく自然に椅子を少しだけ俺に寄せてくるのはおそらく無意識だろう。

 

「ならないって決めたわけじゃないし、なりたくないわけでもないんだけど……」

 

 楓から受け取ったココアの入ったマグカップを両手で持ちながら、椛は「うーん……」と悩む。どうやら自分でもどう言葉にしていいのか迷っている様子だった。

 

「お母さん、椛ちゃんと一緒にステージに立ちたかったんだけどなぁ」

 

 残念そうにボヤく楓。

 

「うっ……それはそれで凄い興味あるけど……」

 

 憧れの『高垣楓』からの共演の要望に揺らぐ椛。しかしそれで即答しない辺り、相当悩んでいるということが分かった。

 

「……まぁ、椛はまだ八歳だ。十分に時間はあるんだから、存分に悩むといいさ」

 

「でも、もう八歳なんだよ? 千佳ちゃんや仁奈ちゃんも九歳でアイドルデビューしてるし……」

 

「目の前に十九歳でモデルからアイドルに転向した例がいるじゃないか」

 

 俺の言葉にニッコリと笑ってヒラヒラと手を振る楓。それ以外にも川島さんのように二十歳を超えて幾ばくかしてからアイドルになった事例なんて、346プロの中を探しただけでも結構多い。

 

「椛には時間がある。勉強も真面目に頑張ってる。焦らなくても、椛なら何にだってなれるさ」

 

「……うん」

 

 クシャクシャと頭を撫でてやると、椛は嬉しそうに目を細めた。

 

「………………」

 

 そして何故かそれを見ていた楓がツイッと自分の頭を差し出してきた。

 

「あ、インディヴィジュアルズが出演した歌番組録画してあるんだったー」

 

 そんな楓を見て空気を読んだ椛が退席した。なんというか、本当に出来た子であると嬉しく思うと同時に申し訳なさに胸が痛い。

 

「全く……」

 

 娘に気を使わせるんじゃないよ、と折檻を兼ねてグシャグシャと楓の髪型を崩すように荒っぽく撫でる。しかし楓は逆にそれがお気に召してしまったようで、満足そうな笑みを浮かべていた。

 

 そんな楓を可愛いと思いつつも少々イラッとしたので、今度は頬をつねる攻撃に移行したのだがこれも効果なし。両頬をいっぺんに引っ張られているにも関わらず、嬉しそうな顔をしている。

 

 ……まぁ、ちょっと俺も楽しくなってきてるから、その笑みも分からないでもない。

 

「……もーちょっと娘に気を使ってくれたら、完璧なお母さんとお父さんなんだけどな……」

 

「ねーねー、にゃー」

 

「そうだね月、猫さんの人形だねー」

 

 録画を見ながら妹の遊び相手をしてくれている椛。俺と楓のどちらに似れば、あぁもいい子に育つのだろうか……。

 

 さて、このまま楓とのスキンシップを楽しんだり、愛娘と一緒に過ごす祝日を満喫したいところではあるのだが、生憎今日は撮影が入っているため休日ではない。

 

 楓が作ってくれた愛情あふれる朝食を食べ終え、支度をするために自室へと向かう。

 

「そうだ、椛」

 

 その前に、ちょっと気になったことを椛に尋ねてみる。

 

「女優さんには興味ないか?」

 

 お母さんに憧れてアイドルを目指すという将来を考えているのであれば、お父さんに憧れて女優を目指すという将来もあっていいのじゃないかという、淡い期待からくる質問だった。

 

 

 

「……え?」

 

「えっ」

 

 

 

 

 

 

「それで? 椛ちゃんはなんて?」

 

「……『女優業はアイドルになっても出来るから、わざわざならなくても……』って」

 

「「うわぁ……」」

 

 テレビ局の楽屋に遊びに来た凛ちゃんと加蓮ちゃんが気の毒そうな声を出した。

 

 なんというか、本人にその気は全くないんだろうけど、娘に自分の職業の存在意義を否定されるのは辛いものがある。

 

「いやまぁ確かに、私たちもアイドル時代に散々女優としての活動もしてきたから、椛ちゃんの言いたいことも分かるよ」

 

「映画の撮影とか色々やったもんね。……懐かしいなぁ『シン選組ガールズ』」

 

 加蓮ちゃんが名前を出したそれは、確か当時346プロダクションで一番活躍していた『シンデレラプロジェクト』と『プロジェクトクローネ』の二つの部署が主体となって撮影した映画だったはずだ。新選組をアイドルたちでアレンジした時代劇で、凛ちゃんが土方歳三を、加蓮ちゃんが桂小五郎を演じて……奈緒は確か古高俊太郎だったか? 拷問に屈して自白する役だったが……我が妹ながらチョロすぎた……。

 

 そんな『好きな人をバラす』というあまりにもあんまりな拷問により自白するという役どころを演じたことのある奈緒はというと――。

 

「……椛……なんでだ……一緒にアイドル……」

 

 ――椛がアイドルにならないかもしれないという可能性に絶望して打ちひしがれて机に突っ伏していた。多分俺や楓以上に『椛はアイドルになる』と信じて疑っていなかったのだろう。ショックの受け方がガチだった。

 

「もしかしたら楓さん以上に『椛ちゃんと舞台上で共演する』つもりだったのかもしれないね、奈緒」

 

 いやまぁ可愛がってくれるのはありがたいんだけど。

 

「『自分の娘と』とかは思いつかないのな、お前は」

 

「「うっ……!?」」

 

 奈緒に向けて放った言葉だったが、加蓮ちゃんの胸にも突き刺さったようだ。

 

「瑞樹さんや早苗さんみたいな例が身近にあるとはいえ、兄としてはそろそろいい人を見付けてもらいたいものだが」

 

「私はその……あ、アイドルだし……」

 

 奈緒が何か言っていたので、そろそろ四年目になり結婚を考えていると公言している恋人がいる凛ちゃんをチョイチョイと指さすとそのまま押し黙ってしまった。

 

 ホント、俺と楓が交際していた頃では考えられないぐらい芸能人の恋愛が寛容な世の中になったものである。

 

「私も、いい人がいたら結婚したいとは思うんだけどなー」

 

 相変わらずファストフードのポテトが好きな加蓮ちゃんが、一つ摘まみながら嘆息する。その際、チラリとこちらを見たような気がしたが特に意味はないだろう。

 

「……ねぇ、旭さん。お願いしていーい?」

 

「……何をだよ」

 

「えっとね……」

 

 既に二十八となり、そろそろ大人の色気というものが出てきた加蓮ちゃんのクスリという笑みに一瞬ドキリとしてしまい――。

 

 

 

「将来、椛ちゃんか月ちゃんをお嫁さんにちょーだい?」

 

「ダメに決まってんだろうがあああぁぁぁ!!」

 

 

 

 ――そう怒鳴ったのは、俺じゃなくて奈緒だった。

 

「なんで奈緒が父親よりも早く反応してるのさ……」

 

「おかげで俺が怒鳴り損ねたんだが」

 

 俺と凛ちゃんが呆気に取られている一方で、先ほどまで沈み切っていた奈緒が急浮上して加蓮ちゃんに詰め寄っていた。

 

「何よー、別にいいじゃない。椛ちゃんも月ちゃんも可愛いんだし、奈緒だってお嫁さんにしたいと思うでしょ?」

 

「当り前だろう! でもあの天使二人は絶対に嫁になんか出さないからな!」

 

「おい叔母」

 

 勝手に人の娘を未婚のまま終わらせようとしないで。別に結婚しないといけないとは言わないが、俺にだって自分の孫が見たいという願望ぐらいあるのだ。

 

「……で? 旭さん的にはどうなの?」

 

「そりゃあいくら目に入れても痛くない愛娘とはいえ、いずれは誰かのお嫁さんになるっていうのも悪くないだろ」

 

「そっちじゃなくて。……いや、そういう意味ならあってるのかもしれないけど、椛ちゃんの将来の話」

 

 なんだそっちか。

 

「椛がなりたいものになればいいよ。アイドルになる才能と環境があるからって、アイドルにならないといけないわけじゃない。勿論アイドルになってから、やっぱり違う何かを見付けることがあるかもしれない」

 

 俺が愛し椛も敬愛する『高垣楓』だって、元々スカウトされるがままにモデルを始め、スカウトされるがままにアイドルになったのだから。

 

 まだまだ若い椛には、可能性とチャンスなんていくらでもあるんだから。

 

 

 

 

 

 

「椛ってば、今日は一日中悩んでたのよ?」

 

「そうか……」

 

 今日は遅くなってしまったので、帰宅すると既に娘二人は夢の中だった。椛の部屋のドアを少しだけ開け、中でスヤスヤと眠る彼女の顔をチラリと見てからそっと閉じる。

 

「将来、か……椛が二十歳になる頃には、俺もお前も四十七歳か」

 

「月ちゃんも二十歳なったら、五十四歳ね」

 

「……椛たちもそうだけど、俺たちもその頃はどうなってるんだろうな」

 

 まだ俺も楓も芸能人として活動しているのか。それとも何かあって引退しているか。

 

 ……隣に楓がいてくれるのか。

 

「……旭君」

 

 子どもが寝静まった二人の時間。いつものように二人で晩酌をしようとソファーに腰を下ろすと、すぐそばに腰を下ろした楓がそっと俺の腕に触れた。

 

 

 

「ずーっと一緒に、長生きしましょうね? 椛ちゃんの娘も、その孫も……二人で一緒に、可愛がれるように」

 

 

 

「……あぁ」

 

「うふふっ。それじゃあ、まだまだ長く続く私たちの人生に乾杯を……!」

 

「長生きしたいなら、深酒は()()にい()()()()だぞ」

 

「っ!?」

 

 

 

 

 

 

 一月十四日

 

 今日は成人の日で、祝日。生憎と旭君は仕事があったが、私と椛ちゃんはお休みだった。

 

 なので椛ちゃんと月ちゃんの三人で過ごしていたのだが……椛ちゃんがなにやら朝から悩んでいた。その内容というのが、将来自分が何になっているのか、というものだった。

 

 それまで椛ちゃんはてっきりアイドルになるものだとばかり思っていたので、少しだけショックといえばショックだが……やっぱり八歳とはいえ、色々と考えているということを感じた。それだけ考えているのであれば、私がそれを強要するわけにはいかない。

 

 勿論、アイドルになって欲しいという思いも本当だ。椛ちゃんと一緒にステージの上で『こいかぜ』を歌えたら……と考えたことは一度だけではない。でもそれは椛ちゃん自身が選んでくれなければ意味がない。

 

 だから私は、ただ夢見ていよう。彼女がその選択をしてくれるその日を。

 

 大丈夫、いつまでもずっと旭君が隣にいるならば、私はいつまでだって幸せなのだから。

 

 

 

 

 

「………………」

 

「お姉ちゃん? どうしたの?」

 

「……アズマが変なこと言い出すから、椛ねーちゃんが怒っちゃったじゃん」

 

「はぁ!? あずみのせいだろ!?」

 

「もう! 二人とも、ケンカしちゃダメだってばー!」

 

 

 




 椛ちゃん、まさかのアイドルにならないフラグ……!?

 大丈夫、この小説に暗い話とかないから(以前の美優さんのお話からは目を逸らす)

 そして順調に自身の恋愛を進める凛ちゃんに対して、やや以前の川島さんや早苗さんのようなポジションになりつつあるなおかれん……ドーシテコーナッタ。

 というわけで新年初投稿でした。

 第三章も残り五話ですが、今年も頑張って書きますので、よろしくお願いします!



 あ、そういえば楓さんの四枚目のSSR来ましたね。無事に引けましたよ、やはりこの小説を書いているご加護ですね。(なおかかった金額)(無料十連で二枚目も)


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神谷椛9歳からチョコレートを貰う2月

ハッピーバレンタイン!


 

 

 

「「……ふっふっふ……」」

 

「……なんかあそこで似たもの兄妹が気持ち悪い笑みを浮かべてるんだけど」

 

「いつものことじゃないかな……」

 

「ん? なんだ加蓮、気になるのか?」

 

「俺たちがこんなに上機嫌なことが、そんなに気になるのかい?」

 

((うわ、うっざい……))

 

 その日、俺と奈緒は上機嫌だった。というか毎年この日はだいたい上機嫌である。

 

 何せ、今日はバレンタイン。愛する妻からだけでなく、愛する娘からもチョコレートを貰うことが出来る日なのだから!

 

「椛からチョコを貰うのは、これで五回目になるわけだけど……貰うたびに『あぁ、父親になってよかった……』って心の底から実感する」

 

「椛ちゃんも、もうちょっと別の場所でそれを実感してもらいたかったと思うよ」

 

「優しい椛は毎年あたしにも用意してくれるんだぜ! いいだろ!」

 

「それも毎年聞いてるから……」

 

 はぁ……とため息を吐く凛ちゃんと加蓮ちゃん。

 

「というか毎年言ってると思うんだけど……旭さんはともかく、奈緒はチョコを貰う側で喜んでどうするのさ」

 

 ジト目で凛ちゃんに「恋人はどーした」と言われ、奈緒は「うっ……!?」と怯んだ。

 

「三十を手前にしてよーやく恋人が出来て変わったかと思ったら……結局お前は『叔馬鹿』のままなのな」

 

「っ、いいだろ別に! アイツだってそれでいいって言ってくれてるんだし!」

 

 「チョコだってもう贈ったんだぞ!」と奈緒はそっぽを向いてしまった。まぁ、こんな時期に限って恋人が一ヶ月ほどの出張に行く羽目になって寂しいのを紛らわしているっていうのもあるのかもしれないな。

 

 ……その恋人君から相談を受けたが、出張から帰ってきた彼からプロポーズされたら、果たしてこいつはどういう反応を示すのやら。ようやく妹に訪れた春の兆しに、家族として本当に喜ばしかった。

 

「……結局、残ったのは加蓮ちゃんだけになっちゃったな」

 

「何がですか?」

 

 後輩の女の子から貰っていたチョコレートを摘まんでいる加蓮ちゃんが首を傾げる。

 

「そのままの意味だよ」

 

「……あっ、私からのチョコをもらってないっていう意味ですか? やだなー拗ねないで下さいよー」

 

 ケラケラと笑いながら「もう、仕方ないなー」と自分の鞄を漁りだした加蓮ちゃん。

 

「はい、今年もどうぞ。本命ですよー」

 

「そういう冗談はいいから」

 

 チョコはありがたく受け取りながら、奈緒と同じぐらい妹のように思っている加蓮ちゃんが未だに独り身であることに、思わずため息を吐いてしまった。

 

 いや、年齢で言えば俺と楓が結婚した当時の瑞樹さんや早苗さんと同じぐらいなのだが……奈緒と凛ちゃんがこうして結婚まで秒読みとなった一方で、こうしておじさん相手に本命チョコだと冗談を言っている加蓮ちゃんの現状を少々不安に思ってしまった。

 

「……そうですよねぇ、どうせ『本命です!』って言ってもらえるなら、もっと若い子の方がいいですよねぇ」

 

「そういうことを言ってるんじゃないんだが」

 

「……若い子……」

 

 既に自分が『若い子』という表現を使う立場になってしまったということを改めて自覚らしたらしく、自分で言って自分でダメージを受けている加蓮ちゃんだった。ホント、昔の瑞樹さんたちを見ているようだ……。

 

 そろそろ結成十四年目が目前に迫っているトライアドプリムスのユニットメンバーに視線を向けてみると、二人とも「なるようにしかならない」とばかりに肩を竦めてしまった。

 

「……分かりました、旭さん。私、決めました」

 

「えっ」

 

 机に突っ伏していた加蓮ちゃんが顔を上げる。決意に満ちた表情でキッとこちらを向くと、ズイッと身を乗り出してきた。

 

「今日は私も旭さんの家にお邪魔します!」

 

「「「……はぁ?」」」

 

 全く予想しておらず、加えて全く意味の分からないその言葉に三人揃って呆気に取られてしまった。

 

「奈緒もこの後行くんでしょ? 私も付いていって、ついでに楓さんとお酒飲ませてもらいまーす。楓さんに、旭さんが若い女の子からチョコ貰ってデレデレしてたって言っちゃお~」

 

 などと言いながら、ルンルンと片づけを始めた加蓮ちゃん。

 

「……兄貴?」

 

「旭さん?」

 

「いやいや」

 

 君たちがトライアドプリムスで十三年頑張って来た以上に、こっちは楓一筋十八年だ。そんなやましいことなんて一つも身に覚えが……。

 

「相談に乗ってあげてから随分と懐かれてるみたいじゃないですか……夢見(ゆめみ)りあむちゃん」

 

「………………」

 

「……兄貴?」

 

「旭さん?」

 

「いやいやいや」

 

 やましいことは本当に何もないんだよ!

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「「おじゃましまーす!」」

 

 つい先日恋人から婚約者に昇格し既に同棲を始めているため、夕飯を作らなくちゃいけないからと若奥様な凛ちゃんと別れ、俺は奈緒と加蓮ちゃんを連れて帰宅した。

 

「おかえりなさい、旭君」

 

 パタパタと楓が玄関まで出迎えに来てくれた。靴を脱ぐと、まずは楓とハグ。これがずっと続いている俺と楓のお帰りの挨拶だ。昔は奈緒たちは「またイチャついてるよ……」と呆れた様子だったが、流石に何年も続けている内に彼女たちにとってもこれがごく自然のものとなり、今では全く反応しなくなっていた。

 

「そしていらっしゃい、奈緒ちゃん、加蓮ちゃん」

 

「すみません楓さん、加蓮がどうしても来るって言って聞かなくて……」

 

「楓さん、これお土産です」

 

「あらあらまあまあ」

 

 あらかじめ連絡は入れておいたものの突然来ることになった加蓮ちゃんに奈緒が恐縮そうな態度を取るが、張本人である加蓮ちゃんから来る前に酒屋で買ってきたウイスキーのボトルを受け取って楓は目を輝かせていた。ちなみに俺もブランデーをボトルで買ってきたが、これは毎年楓と一緒にチョコと共に楽しむ用のいつもの奴である。

 

 さて、それでは本日のメインイベントの一つである『椛からのチョコレート贈呈』へと参ろうじゃないか。椛とは朝も顔を合わせているが、帰宅してから貰うのが恒例だった。

 

「もう、旭君ったら……」

 

 ウキウキと廊下を進む俺に、楓が「私からのプレゼントも忘れちゃイヤよ?」とツンツンと背中を突いてきた。

 

「勿論、そっちだって大切だ」

 

 楓と椛、そして月。みんな大切な家族で、俺の愛する人たち。彼女たちから貰うチョコに優劣なんて付けれるはずがなかった。

 

「あとでちゃんといただくさ」

 

「うふふ」

 

「……あーダメだ、ハグは慣れたけどこっちは慣れない」

 

「奈緒はいいじゃん……こちとら独り身よ……」

 

 奈緒と加蓮ちゃんがお互いの背中を交互に掻いていた。季節外れの虫でもいたのかな?

 

 そんな二人を横目で見つつ、リビングに入る。そこでは去年までと同じように椛が待っていてくれて――。

 

 

 

「おかえり~パパッ! はいコレ、バレンタインのプ・レ・ゼ・ン・ト! だ~い好きなパパに、椛が甘ーいチョコレート、あげちゃうね?」

 

 

 

 ――否……天使が、いた。

 

 

 

「……というわけで、今回は往年の的場梨沙ちゃんをリスペクトしてみたんだけど、どうだった?」

 

「………………」

 

「あ、あれ? お父さん、流石にノーリアクションは辛いんだけど……あ、奈緒ちゃんいらっしゃい。奈緒ちゃんの分のチョコレートも用意して……」

 

「………………」

 

「鼻血!? 二人ともどうしたの!?」

 

「あははっ。今の椛ちゃんが可愛すぎて、二人にはちょっと刺激が強すぎたみたいだね」

 

「あっ、加蓮ちゃんいらっしゃい!」

 

「お邪魔してまーす!」

 

「……ぱぱ、うごかない」

 

「ホントねー月ちゃん。ほら旭君、いつまでも固まってないで……」

 

「………………」

 

「……あ、あら?」

 

「お母さん、どうしたの?」

 

 

 

「……い、息してない……」

 

 

 

「「……はあっ!!??」」

 

 

 

 

 

 

「娘が可愛すぎて死ぬかと思った……」

 

「一瞬本当に死んでたような……」

 

 気が付いたら楓と椛と加蓮ちゃんが慌ててたから何事かと思ったが、どうやら息が止まっていたらしい。しかし死因が娘の可愛さならば、それはそれで本望のような気もするが……。

 

「何言ってんだよ兄貴、やり残したことがあって死にきれないに決まってるだろ」

 

 キリッとそう言い切った奈緒だが、鼻にはティッシュが詰められていた。果たしてアイドルとしてこの絵面はいかがなものか……。

 

 だが確かに、今は椛から貰ったチョコを食べるまでは未練があって死にきれない。

 

「それはそれでお父さん、些細なことを未練にしすぎな気も……」

 

「たとえ些細なことでも、お前たちと出来事は全部大切だってことなんだよ」

 

 そう言って椛の頭を撫でると、椛は「えへへ」と照れたように笑った。

 

「それにしても、今年はチョコフォンデュときたか」

 

 テーブルの上にはカセットコンロにかけられた鍋が鎮座しており、溶けたチョコレートから発せられる甘い匂いがリビングに漂っていた。その側のお皿には様々なフルーツやお菓子が盛られていた。

 

「椛ちゃん発案なのよ?」

 

「うん。奈緒ちゃんも来るなら、みんなで食べれた方がいいかなって思ったの。加蓮ちゃんも来てくれたし、丁度良かった」

 

「ごめんねー椛ちゃん。ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 今度は加蓮ちゃんに頭を撫でられて「えへへ」と笑う椛。ホント、九歳にしてここまでの気配りが出来るとは……我が子ながら、本当に偉い子である。

 

「よーし! それじゃあバレンタインチョコパーティー! 始めよー!」

 

「「「「オーッ!」」」」

 

「おー」

 

「月ちゃんは、()()()っとだけよ?」

 

 

 

 

 

 

「すぅ……」

 

「くかー……」

 

「はぁ……加蓮ちゃんは、こんなところまで早苗さんに似なくても……」

 

「それ、早苗さんに聞かれたら怒られるわよ?」

 

 夜も更け、良い子の椛と月はとっくにベッドに入って夢の中。残った大人組でお酒を楽しんでいたのだが、酔った奈緒と加蓮ちゃんがソファーで寝てしまった。奈緒が座って寝ているのに対し、加蓮ちゃんはそんな奈緒の太ももを枕にして手足を放り出すように寝ていた。

 

 彼女たちに毛布をかけながら、思わずため息が出てしまう。

 

「……早く加蓮ちゃんにも、いい人が見つかるといいんだけど」

 

「ふふっ、椛ちゃんの心配をするより先に、加蓮ちゃんの方が心配なのね」

 

「奈緒の相手が見つかって肩の荷が下りたと思ったんだけどな……」

 

 俺が背負う必要のないものだとは分かっているものの……昔から彼女を見てきた身としては、やっぱり気になってしまうのだ。

 

 そんな俺の心配をよそに、楓は「大丈夫よ」とクスクス笑った。

 

「加蓮ちゃん、男の人を見る目はあるんだから」

 

「そうなのか?」

 

 加蓮ちゃんの好みのタイプとか聞いたことなかったから、興味が沸いた。

 

「どんな人がタイプだって?」

 

「………………」

 

 しかし尋ねても、楓は優しい目で俺を見るだけで何も……。

 

「……まさか」

 

 「俺とか言わないよな……?」という意味を込めて自分を指さすと、楓は微笑んだまま「えぇ」と頷いた。

 

「忘れちゃった? ずーっと前の納涼祭で」

 

「……えーっと」

 

 正直おぼろげだったが、何とか思い出した。確かにあのとき、それっぽいことを言っていたようないなかったような……。

 

「………………」

 

 嬉しいと言えば嬉しいのだが、それ以上に何故か罪悪感を覚えてしまった。

 

「……まぁ、もうしばらくは静観ということで……」

 

「ふふっ」

 

 この会話を続けづらくなってしまったので、無理やり切り上げる。

 

「それじゃあ、俺たちも寝るか」

 

 明日も仕事だし……と寝室へと向かおうとすると、楓が腕を絡めてきた。

 

「あら……旭君、何か忘れてないかしら?」

 

「え?」

 

「もう……ちゃんと『私からのプレゼントも忘れちゃイヤよ?』って言ったのに……」

 

「あっ」

 

 いや、その後の椛のインパクトが強すぎて全部トんだというか……。

 

「そ、それで楓は何を……」

 

「ちらっ」

 

 ウインクをしながら、楓は自分の胸元を少し広げた。

 

「……なるほどね。きっとチョコなんかよりもずっと甘いんだろうな」

 

「いかがかしら?」

 

「……いただくよ」

 

 

 

 

 

 

 二月十四日

 

 今日はバレンタインデー。毎年椛ちゃんと一緒に旭君にあげるためのチョコレートを作るのだが、椛ちゃんが「今年はチョコフォンデュをやってみたい!」と言い出した。確かにそれならば今日ウチに遊びに来る奈緒ちゃんも一緒に楽しめるということで、ネットを頼りに色々と準備をしてみた。

 

 そして旭君が奈緒ちゃんと加蓮ちゃんを連れて帰って来たところで、椛ちゃん渾身の『アイドルアピール』が炸裂。見事に旭君と奈緒ちゃんの二人をノックアウトしてしまった。……もっとも、旭君の呼吸が止まるのは流石に予想外だったが。

 

 みんなでチョコフォンデュを楽しんだ後は、大人組でお酒も楽しんだ。そのときも少し旭君が口にしていたが、どうやらトライアドプリムスの中で加蓮ちゃんだけ恋人がいないことを旭君は気にしているらしい。少し余計なお世話じゃないかとも思ったのだが、その気持ちは分からないでもなかった。彼女も私にとって、妹のような存在だから。

 

 でも加蓮ちゃんは旭君を好きになったことがあるぐらいなのだから、男の人を見る目はあるはずだ。申し訳ないことに旭君以上の男の人は少ないだろうが……それでも、いつか彼女の元にも素敵な人が現れますように。

 

 

 

 

 

 

「……ぐおおおぉぉぉ……け、結構恥ずかしいことを思い出してしまった……」

 

「さっきから、お姉ちゃん、へん……」

 

 

 




 ありきたりなサブタイトルから、なかなかインパクトのあるお話に仕上がったと思う(小並感)

 ちらっとデレマスの新アイドルの名前が出てきましたが、シャニマス勢と同じようにこの世界では新人アイドル組も次世代アイドルとして扱っていきます。まぁ、名前を使うだけでしょうけど。

 そしてついに……ついに奈緒にもお相手が……! どんな相手なのか、詳しく語られる日が来るかもしれません(予定)

 それではまた来月。


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神谷椛10歳が結婚について考える3月

ついに彼女が結婚するお話。


 

 

 

「はい、ホワイトデーのお返し」

 

「わー! 今年も市販のクッキーをありがとうございます! 市販の! 大量生産品の!」

 

「返せ」

 

「いやでーす!」

 

 あと半年で三十になる加蓮ちゃんであるが、ペロッと舌を出す姿がとても可愛らしい辺り流石アイドルである。しかしそろそろ本人的にも少し恥ずかしくなってきたらしく、少々頬が赤い。

 

「加蓮ちゃんも順調に瑞樹さんルートに進んでるなぁ」

 

「それは流石に失礼じゃないですか!?」

 

「そういう加蓮は瑞樹さんに失礼だよ」

 

 というか、この会話全てが瑞樹さんに失礼だった。

 

 そんなわけで今日はホワイトデー。今年のバレンタインも多くの人からチョコや贈り物を貰ってしまったので、そのお返しとしてクッキーを配っており、いつものように事務所のカフェテリアにいた加蓮ちゃんと凛ちゃんにも渡す。本当に何年経っても、トライアドプリムスは仲が良い。

 

「それで、奈緒は?」

 

 しかし、いつもの三人組の一人である我が妹の姿がなかった。

 

「「………………」」

 

 尋ねると、二人はお互いに顔を見合わせて肩を竦めた。

 

「『今日は一人になりたい』……ってさ」

 

「誘ったけど来なかった」

 

「そうか……」

 

 一言断ってから彼女たちのテーブルに俺も座らせてもらう。

 

「まぁ、()()()()()だから無理もない……のかな」

 

 奈緒が出張から帰って来た恋人にプロポーズされたのが去年の三月のこと。お互いの仕事の事情やらなんやらで一年の準備期間を経てついに奈緒は結婚式を挙げる……のだが。

 

「まさか奈緒がマリッジブルーになるとはね」

 

「ちょっと意外かなー」

 

「あぁ見えて、アイツもなかなか繊細だからな」

 

 というか、多分この二人よりは繊細だと思う……と心の中で考えたら、何かを察したらしい二人にテーブルの下で蹴飛ばされた。

 

「凛はあった? マリッジブルーとか、そういうの」

 

「んー……なかったって言うと、嘘になるかな」

 

 加蓮ちゃんからの質問に、凛ちゃんは左薬指の結婚指輪を人差し指で撫でながら「やっぱり不安はあったよ」と答える。

 

「なんていうのかな……結婚すると、私は『渋谷凛』じゃなくなるわけだからさ」

 

「……どーいうこと?」

 

「名字が変わるってこと」

 

 哲学的な意味かと思ったら、もっと単純な話だった。

 

「前に楓さんに『結婚したら何が変わるのか』って質問したことあったじゃん?」

 

「あったっけ?」

 

「ほら、お正月の旅番組で」

 

「あー」

 

 あの新年特番で、俺と楓とトライアドプリムスの五人でプチ旅行したときのアレか。確か車内でのトークだったっけ。

 

「『戸籍が変わる』とか『世帯主が変わる』とか色々言われて、そのときは『あーそういうもんなんだなー』ぐらいの感想しか持ってなかったんだけど……実際に私がその手続きをする時になったらさ……思っちゃったんだ」

 

 

 

 ――あぁ、私は今から()()じゃなくなるんだ、って……。

 

 

 

「勿論、お父さんとお母さんは変わらず私のお父さんとお母さんのままではあるんだけど……この瞬間から『私はこの二人の子どもという立場じゃなくなるんだ』って考えたら、ちょっとだけ怖くなったんだ」

 

 コーヒーカップを傾けながら凛ちゃんは苦笑する。

 

「凛、そんなこと考えてたんだ……」

 

「ちょっとだけね。すぐに旦那様との新婚生活が始まって、そーいうの薄れちゃった」

 

「あーはいはい、そーいえば今はこっちからも惚気が飛んでくるんだった……」

 

 フフッと柔らかい笑みを浮かべる凛ちゃんに当てられ、加蓮ちゃんがテーブルに突っ伏した。

 

「楓さんは、そういうこと言ってた?」

 

「楓かぁ……」

 

 やや曇っている空を見上げながら、結婚前はどうだったかと思い返す。

 

「いや、アイツの場合はどちらかというと、式を挙げる一ヶ月前に一大イベントを控えてたから、そっちの方でナイーブになってたな」

 

「「旭さんと楓さんの式の一ヶ月前というと……」」

 

 今度は凛ちゃんと加蓮ちゃんが空を見上げながら思い返す。

 

「「……あ、総選挙!」」

 

 そう、丁度式を挙げる直前の総選挙で、楓がシンデレラガールに選ばれたのだ。

 

「『ファンの期待に応えなくちゃ』ってことを考えて、寧ろ結婚に関しては何も気負ってなかったと思うぞ」

 

「まぁ旭さんと楓さんの場合は、式を挙げる前から同棲しててほとんど夫婦みたいなものだったから、そういうのもなかったんだろうね」

 

「私、未だにあのときの二人がまだ夫婦じゃなかったって言われても信じてないもん」

 

「何年前の話だと思ってるんだよ……」

 

 話はいささか逸れてしまったが、俺が奈緒の悩みを聞いてやることは出来ないだろう。女性の悩みは複雑で、男には分からない繊細なものなんだろうという想像だけは出来た。

 

「……でも、そうか」

 

 血のつながりは消えないものの。

 

 

 

 ――奈緒も、俺の妹じゃなくなるんだよな……。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、ほんっとうに椛はどんな髪型にしても似合うな~!」

 

「オイコラ」

 

 奈緒の分はまた今度改めて渡そうと思って帰ってきたら、何故か家に奈緒がいて椛の髪型を弄って遊んでいた。マリッジブルーも何処へやら、ニッコニコである。

 

「ちゃんと写真は撮ってるんだろうな!?」

 

「お父さん、怒るポイント間違えてない!?」

 

 今ぐらいは少しそっとしておいてやろうと思った矢先にこれなのだから、思わず脱力してしまう。

 

「なおちゃん、つぎ、ゆえも」

 

「おーいいぞ! 月もお姉ちゃんみたいに可愛くしてやるからな~」

 

 カーペットの上で正座をする椛の後ろで胡坐をかく奈緒の身体を月が揺する。

 

 最近は椛のものを欲しがったり真似をしたりと行動が活発になった月だが、案の定髪を弄って貰っているお姉ちゃんが羨ましくなったらしい。ここで歳が近い姉妹ならば喧嘩に発展する可能性もあるのだろうが、幸い椛と月の歳は七つも離れているのでそういうことにはならなかった。そもそも椛の性格上、快く月を優先してくれるだろう。

 

「ふぅ……奈緒ちゃん、いきなり来て私の髪で遊び始めるんだもん、ビックリしちゃった。あっ、おかえりお父さん」

 

「ただいま椛」

 

 今度は月の髪で遊び始めたことで奈緒から解放された椛がこちらにやって来た。奈緒は最後にしれっと若かりし頃の自分の髪型にしたらしく、普段はあまり見ない椛の姿にスマホを取り出して一枚撮る。

 

「わっ、お父さん、撮るなら先に言ってよ」

 

「そう言いつつちゃんとポーズ取れてるぞ」

 

 口では驚いているものの、撮った写真を確認すると画面の中の椛はしっかりと笑顔でポーズを取っていた。年々アイドルぢからが強まっている我が愛娘である。

 

 

 

「……あのね、お父さん」

 

 奈緒が月の髪で遊んでいる姿を見つつ楓が並べてくれた夕飯を食べていると、対面に座った椛が小声で話しかけてきた。多分奈緒に聞かれないように話しているつもりなのだろうが、奈緒と月はキャッキャと盛り上がっているので普通に話しても聞こえないだろう。

 

「奈緒ちゃんね、ウチに来たときちょっと落ち込んでたみたいなの」

 

「……ふむ」

 

 やっぱりアレは他のことで気を紛らわしているだけに過ぎないようだ。基本的に椛や月と遊んでいるとテンションが高い奈緒だが、あれは少々大げさすぎるような気がした。

 

 

 

「ぼくを、すこれよー」

 

「すこるぞー! そのアイドルのチョイスはやめた方がいいと思うけど、月だったらすこるぞー!」

 

 

 

 ……いや、元からあぁだった気がする。

 

「お父さんみたい」

 

「俺はあそこまで酷くないぞ」

 

「酷いよねー」

 

「ねー」

 

 反論したものの、キッチンから聞こえてきた楓の声にバッサリと切り捨てられてしまった。大変不本意ではあるが、それに同調する椛が可愛いから引き下がろう。

 

「もしかして、結婚っていいものじゃないの?」

 

 すると椛の口から意外な言葉が飛び出した。

 

「どうしてそう思うんだ?」

 

「だって、奈緒ちゃんが落ち込むぐらいだから……」

 

「ねぇ、椛ちゃん」

 

 お茶を淹れた急須をお盆に乗せて楓がキッチンからやって来た。

 

「椛ちゃんは、お母さんとお父さんが幸せそうに見えない?」

 

「……ううん、二人とも、いっつも楽しそう」

 

 フルフルと首を振る椛。

 

「結婚はね、自分の好きな人とずっと一緒に居ましょうっていう大切な約束なの。でもそれは今までの家族とは別の家族になるっていうことなの」

 

「……それまでの家族とは、家族じゃなくなっちゃうの?」

 

「ちょっと難しいけど、そういうことでもないの。今でも椛のおばあちゃんとおじいちゃんは、お母さんのお母さんとお父さんよ」

 

「……どーいうことか分かんない」

 

「まぁ、椛ちゃんにはまだちょっと難しかったかな」

 

 机に顎を乗せた椛の頭を楓が撫でる。同年代の他の子たちよりも少々大人びたいい子と評判の椛ではあるが、こういうところは年相応の子どもだった。

 

「椛ー! 月と一緒にお風呂行くぞー!」

 

「あ、はーい!」

 

「って、お前泊まってくのかよ」

 

 暗に「旦那はいいのか」と尋ねる。いくらまだ結婚していなくて同棲もしていなかったとはいえ、式を二日後に控えた花嫁がこんなところで油を売っていていいのか。

 

「ちゃんとオッケーは貰ってるよ!」

 

 しかしベーと舌を突き出した奈緒は、椛と月を連れだって浴室へと行ってしまった。

 

「ったく……」

 

「ふふっ、新()()()()()と『()()()()()の家に泊まる』って言ってあるなら大丈夫ね」

 

「………………」

 

 何か言葉を待っているような目で楓がこちらを見ているが、気付かないふりをして入れてくれたお茶を啜る。

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

「式を目前にして、風邪引くつもりかお前は」

 

「え」

 

 深夜。なんとなく予感がしたので奈緒がいつも寝室として使っている部屋を覗きに行くと、彼女は窓を全開にして夜空を見上げていた。最近日中はたまに暖かくなる日もあるが、夜はまだまだ冷え込んでいる。

 

「ほらよ」

 

「ありがと。おぉ、ホットミルク……って、これもしかしてお酒入ってる?」

 

「手っ取り早く暖まるからな」

 

 ブランデーを入れたホットミルクのマグカップを渡すと奈緒は呆れたようなジト目になったが、すぐに「ありがたく受け取ってやるよ」と笑って口を付けた。俺も自分の分のブランデー入りホットミルクを一口飲む。

 

「「………………」」

 

 そのままお互いに一言も発さずにホットミルクを飲む。

 

 俺は別に、奈緒と話がしたかったわけじゃない。昼間のときにも言ったが、生憎男の俺から彼女にかけるべき言葉は持ち合わせていなかった。

 

「……兄貴が楓さんと結婚したときさ」

 

 あと一口で飲み終わるというタイミングで、奈緒が口を開いた。

 

「あたし、『楓さんに兄貴を取られた』って思っちゃったんだ。……今までずっと家族だったのに、これからは別の人と家族になるって考えたら……寂しくなった」

 

 俯いてポツリポツリと語る奈緒の独白に、俺は相槌を打つこともなく黙って耳を傾ける。

 

「そして今度はあたしが結婚する番になってさ……こう思っちゃったんだよ」

 

 

 

 ――また少し、家族から遠ざかっちゃったなって。

 

 

 

「……勿論、アイツのことは大好きだよ。だから結婚すること自体に後悔はない。でも、だからって、これまでの家族との距離が離れることとはまた別の話だろ?」

 

 だからさ……と奈緒は顔を上げた。

 

「寂しくなったら、来てもいいか?」

 

「……ダメって言っても来るくせに、何言ってんだよお前は」

 

 一歩奈緒に近付き、腕を伸ばして彼女の頭を掴んでグイングインと揺する。

 

 

 

「ここは、お前の兄ちゃんと義姉ちゃんの家だ。旦那も連れて、子どもが出来たらその子も連れて……ずっとずっと、遊びに来い」

 

 

 

「……ありがとう、お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 三月十四日

 

 今日はホワイトデーということで、旭君は私と椛ちゃんと月ちゃんにお返しのクッキーを渡してくれた。流石に手作りというのは無理だったようだが、それでも毎年お返しを貰えるのが嬉しかった。

 

 そして夜、突然奈緒ちゃんが泊まりに来た。椛ちゃんと月ちゃんと楽しそうに遊んでいた奈緒ちゃんだったが、どうやら式を二日後に控えてマリッジブルーになってしまったようだった。

 

 あいにく私はそういうのにはならなかったので、奈緒ちゃんに対してアドバイスは出来そうにない。でもどうやらお兄ちゃんが相談に乗ってあげたようなので……多分大丈夫だろう。

 

 奈緒ちゃんは、旭君の妹であり、私の()だ。どうか幸せになって欲しい。

 

 ……きっと、奈緒ちゃんのウエディングドレスを見たら、泣いてしまうような気がする。

 

 

 

 

 

 

「お父さんもお母さんも、ボロ泣きだった記憶が……あ、次のページに写真挟まってる」

 

「あっ! 奈緒ちゃんの写真!」

 

「これってエリちゃんのお母さん? キレー!」

 

 

 




 というわけで、めでたく奈緒もゴールイン。トライアドプリムスで残されたのは、加蓮だけになりました……。

 楓さんとのイチャイチャも椛の可愛いところもほとんどなかったお話でしたが、たまにはこーいうのも……いや、残り話数少ないっていうのにそんなことしてる暇あるのかっていう話なんですが。

 『かえでさんといっしょ』第三部も残り三話です。正直ネタ切れ気味なところもありますが、頑張って完結させたいと思います。


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神谷椛11歳と遊園地へ行く4月

残り三話!


 

 

 

「おぉ、四月に入って、少しぐらい人が少ないかなぁとか思ったが……」

 

「そんなことなかったわねぇ」

 

「人いっぱいだぁ」

 

「いっぱいだぁ」

 

 春の休日。俺たちは国内最大規模を誇る遊園地『夢と魔法の王国』へとやって来た。つい先日はまでは春休みで学生が多いことを知っていたため避けていたが、新年度になろうともここはいつも通りの人の多さだった。

 

「まぁ、ここが空いてることなんてないって」

 

「そーそー」

 

 そして家族のお出かけに当たり前のようにいる奈緒と加蓮ちゃん。なんというかいつもの光景すぎて今更つっこむのもアレなのだが、一応聞いておこう。

 

「加蓮ちゃんはともかく……奈緒、お前本当に旦那は良かったのか?」

 

「快く送り出してくれたぞ?」

 

 曰く『家のことは俺がやっておくから』と言ってくれたらしいが……なんというかこっちが申し訳なくなってくる。今度何かいいお酒を……と思ったけど、飲まない人だったのでお菓子でも奈緒に持たせることにしよう。

 

「それより旭さん、私はともかくってどういうことですか」

 

「そういうことだよ」

 

 言わないことが俺の優しさだということに気付いてほしい。

 

「私は奈緒ちゃんと加蓮ちゃんと一緒の遊園地嬉しいよ!」

 

「わたしもー」

 

「ありがとうなぁ! 椛ー! 月ー!」

 

「後でお揃いの付け耳買おうねー」

 

 ……まぁ、椛と月が喜んでるからいいか。

 

 チケットはあらかじめ買ってあるので、チケット購入ブースを通り抜けて入場ゲートへと向かう。

 

「はい。二人の分も買っておいてやったぞ」

 

「あっ、ありがとう兄貴」

 

「えっと、お金を……」

 

「いくらお前たちが三十を越えてるからとはいえ、妹からチケット代なんて取らんよ。加蓮ちゃんも同じようなものだ」

 

 普段から色々と椛たちにプレゼントくれたり遊んでくれたりして貰っているから、そのお礼も兼ねている。これぐらいは軽いものだ。

 

「………………」

 

「どうした?」

 

 チケットを手渡すと、何故か加蓮ちゃんが「うーん」と唸っていた。

 

「いや……今更なんですけど、旭さんは未だに『加蓮ちゃん』なんだなぁって思って」

 

 何事かと思ったら、どうやら呼び方の話のようだ。

 

「まぁ確かに、そろそろ『加蓮ちゃん』っていう年齢ではないな」

 

「加蓮ちゃんパンチ!」

 

 結構本気のグーが俺の肩口に入った。普通に痛い。

 

「えー? 加蓮ちゃんは加蓮ちゃんだよねー?」

 

「かれんちゃんだよねー?」

 

 顔を見合わせる椛と月にほっこりとする。

 

 確かにずっと『加蓮ちゃん』と呼び続けているから、というのもあるが……世間一般に言っても彼女はまだアイドル『北条加蓮』なのだ。立場的なことは勿論なこと、見た目もまだまだ『加蓮ちゃん』で通用するので全く違和感がない。

 

「今更『加蓮』って呼ぶのもなんか違和感あるし」

 

 だから今後もこのままで……。

 

「………………」

 

「……加蓮ちゃん?」

 

 なんで君はちょっと恥ずかしそうに俯いてるの?

 

「……旭君?」

 

「これは俺の責任どこにもなくない!?」

 

 流石にこれを咎められるのは納得がいかない。

 

「……加蓮、お前まだ拗らせてるのかよ……」

 

「い、今のは仕方なくない!? 不意討ちだったんだし!?」

 

「仕方なくはないだろ……何年引き摺ってるんだよ……」

 

「……お姉ちゃん、パパたちはなんのお話してるの?」

 

「難しいお話だから、月は気にしなくていいよー」

 

 

 

 

 

 

 ゲート前でひと悶着あったが、ようやく入場する。

 

「それじゃあ、まずは……」

 

「「ミッピーだ!」」

 

 『夢と魔法の王国』は広く、どういう順番で回るのかあらかじめ大まかな予定を立てていたのだが、娘二人がマスコットキャラクターのネズミのキグルミを見付けて駆け寄っていってしまったことにより出鼻を挫かれることになった。

 

「……まぁ、これぐらいならいいか」

 

「ふふっ、()()を変更して()()()()きましょう」

 

 確かに記念写真も娘の成長を残す上で重要だ。普段から俺や奈緒が散々撮っていたりするが、それでもマスコットにはしゃぐ子どもらしい姿の写真は何枚あってもいいだろう。 

 

「………………」

 

「ん? もー奈緒までソワソワしちゃってー。マスコットにはしゃぐなんで、かわいいんだからー」

 

「は、はぁ!? はしゃいでないし!? 椛と月の方がかわいいし!?」

 

「……一瞬昔の奈緒が垣間見えたかと思ったんだけど、全然そんなことなかった……」

 

 ピョンピョンと飛び跳ねながら必死に手招きをしてくる椛と月に促され、俺たちもミッピーの元へ向かう。

 

「よければお撮りしましょうか?」

 

 スマホを出してカメラの用意をしていると、近くのスタッフのお姉さんが声をかけてきた。

 

「折角だから、お願いしましょう」

 

「それもそうだな」

 

 というわけで六人でミッピーと記念撮影をすることになったので、俺のスマホをお姉さんに預ける。

 

 ミッピーの前に椛と月が並び、その両脇に俺と楓がしゃがむ。その後ろに奈緒と加蓮ちゃんが立つというフォーメーションになった。

 

「それじゃあ、撮りま……えっ」

 

 スマホの画面越しにこちらを見ていたお姉さんが、何かに気付いたようでこちらに直接視線を向けてきた。これまでにも何度も見てきた反応で、どうやら俺たちが『神谷旭』と『高垣楓』と『神谷奈緒』と『北条加蓮』だということがバレたようだ。変装も軽いものなので、じっくりと見られた結果だろう。

 

『しーっ』

 

 椛と月も合わせて六人で人差し指を立てる。人気絶頂の芸能人のように取り囲まれることは流石にないだろうが、それでも騒ぎになって時間を取られることは避けたい。

 

「っ……は、はい。それじゃあ撮りまーす」

 

  遊園地のスタッフらしい笑顔に戻ったお姉さんが改めてスマホを構える。

 

「はい、ミッピー!」

 

 掛け声に続いてカシャリとシャッター音が聞こえてきた。

 

「はい、それでは確認をお願いします」

 

 俺にスマホを返すお姉さんは、少々視線が楓に流れていた。どうやら『高垣楓』のファンだったようだ。

 

「大丈夫です。ありがとうございます」

 

「ありがとうございます! ミッピーもありがとう!」

 

「ありがとー」

 

 お姉さんにお礼を言った後でミッピーにお礼のハグをする椛と月。微笑ましい光景に、手が自然に動いてパシャリと一枚撮っていた。

 

「いってらっしゃい。今日は一日楽しんでね」

 

 屈んで椛と月に手を振るお姉さんと別れ、俺たちはようやく『夢と魔法の王国』の奥へと足を進める。

 

「よし、それじゃあ改めて……今日は遊び尽くすぞー!」

 

「「「おーっ!」」」

 

「奈緒まではしゃいじゃって……」

 

「ふふっ」

 

 

 

 

 

 

「もうマジむり……」

 

「遊び尽くすんじゃなかったのかよ」

 

「お父さん! 次あっちー!」

 

「あっちー」

 

 グッタリとベンチに座り込む俺を呆れたような目で見てくる奈緒と、俺の体を揺する椛と月。普段はあまり子どもらしさを見せない椛の年相応の行動が大変微笑ましいが、残念ながらそれでも回復しないほどに体力が磨り減っていた。

 

「奈緒ちゃん、加蓮ちゃん、二人のことお願いしていい?」

 

「えっ」

 

「いいですけど……」

 

「椛ちゃん、月ちゃん。パパとママはここで休憩してるから、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんの二人と遊んでおいで」

 

 飲み物を買ってきてくれた楓が俺の隣に座りながら、四人にそんな提案をする。

 

「……うん、分かった。お父さんはしっかり休んでね」

 

「やすんでねー」

 

「ありがとう、椛、月。二人とも、任せた」

 

「あぁ、任された」

 

「行ってきまーす」

 

 手を繋いだ椛と奈緒、月と加蓮ちゃんを見送る。まだまだお昼を過ぎたばかりで減る気配を見せない人混みに中に、四人の姿はあっという間に消えていった。

 

「……ふぅ」

 

「本当にお疲れね」

 

「そりゃ、あれだけアトラクションに回ればな……」

 

 『夢と魔法の王国』のアトラクションは基本的に年齢や身長などの制限が緩く、椛は勿論のこと月も乗ることが出来るアトラクションばかりだった。そして二人ともジェットコースタータイプのアトラクションにハマってしまい、そういう系統のアトラクションばかりを回っていたのだ。

 

 途中でシアター系の座ってみるアトラクションも挟めればよかったのだが、奈緒の「人気のアトラクションは午前中に回れるだけ回っておく!」という熱い力説によりそれも叶わなかった。

 

「もしよかったら、膝枕でもしましょうか?」

 

「家ならお願いしたけど、流石に衆人環視の前では……」

 

 かろうじて羞恥心が楓の膝枕の誘惑に勝った。正直人前じゃなかったらお願いしていたと思う。

 

 楓と並んで彼女が買ってきてくれたアイスコーヒーを飲む。

 

「……そういえば、遊園地で二人きりっていうのも久しぶりだな」

 

「そういえばそうね……椛ちゃんが生まれてからはずっと一緒だったし、たまに二人きりになれても遊園地に遊びに来るような年齢でもなかったものね」

 

 そもそも楓とのデートで遊園地に行っても、目的はその隣でやっている『名酒博覧会』みたいな催しにばかりだった。こうやってまともに遊園地で遊んだことなんて一度もなかった気がする。

 

「そういう『恋人同士で来る遊園地』にも憧れてたんだけど……やっぱり私は、こういう『家族で来る遊園地』の方が楽しいわ」

 

「……まぁ、そうだな」

 

「不思議よね。二人きりの時間が減ってるのに、それがとても幸せなんだもの」

 

 確かに、恋人同士だった頃は二人きりが楽しかったし幸せだった。ガラにもなく『このまま二人だけの時間が続けばいいのに』なんて思ったことだって何度もある。

 

 それが今はこうして、二人きりになれない時間が幸せなのだ。

 

「勿論、二人きりだって幸せよ?」

 

「言わなくても分かってるさ」

 

 ベンチの上に置かれていた楓の右手に左手で触れると、彼女は「ふふっ」と笑って指を絡めてきた。

 

「それにそうだな……いずれは椛と月も結婚して家を出ていけば、嫌でもまた二人きりになるんだ。今は二人きりじゃない幸せを享受するときなんだよ」

 

「流石にそれは気が早いんじゃないかしら」

 

 クスクスと笑う楓だが、女の子の成長はあっという間だと俺や楓の両親は言っていた。

 

「二人とも楓によく似た美人になるだろうから、行き遅れる心配もないだろうし」

 

「でも、美人でも早く結婚できない例だって身近にあったわけじゃない?」

 

 楓の発言が一体誰を指してのそれだったのかとても気になるところだが、そこを掘り下げても誰も幸せにならないから止めておく。

 

「もし将来椛ちゃんが男の人を連れてきたら……旭君は、どうするの? 奈緒ちゃんみたいに『椛はやらん!』とか言う?」

 

「奈緒がそう言うことは確定なんだな……」

 

 いやまぁ確かに、以前加蓮ちゃんに「将来、椛ちゃんか月ちゃんをお嫁さんにちょーだい?」と言われた際に俺が反応するより早く「ダメに決まってんだろうがあああぁぁぁ!!」と絶叫した実績が残っているので、多分言うだろう。

 

 両親よりも両親らしいムーブをするって思われているアイツは本当になんなんだろうか……下瀬話と分かっていても「さっさと自分の娘を作ればいいのに」とも思ってしまう。

 

 しかしそうだな……。

 

「最初はそういうかもしれないけど……最終的にはその男の人の味方をすることになると思う」

 

「あら」

 

 意外そうな表情の楓。別に俺が奈緒よりも椛や月のことを思っていないということではない。断じて違う。

 

「結婚だけが幸せの全てじゃないとは言わないけど……それでも()()()()()()()()()()()()()()()って思うんだ」

 

 自惚れとかではなく、楓の幸せを知っているからこそそう思えるのだ。

 

「……えぇ、そうね。今の私の幸せを、椛ちゃんにも感じてもらいたいな」

 

 まぁよっぽど酷い男だったら、親として引っ叩いてでも目を覚まさせる責任があるとは思うが。

 

「そもそもアイツの場合、将来アイドルになって恋愛する暇なく歳をとってそうでな……」

 

「そういう前例が身近にあるものね」

 

 今日の楓は一体どうしたのだろうか。何故そんなに積極的に地雷を踏みに行こうとするのだろうか。

 

「まぁ、全部全部まだ十年近く先の話だ」

 

 来年のことを話すと鬼が笑うのであれば、今頃鬼は大爆笑だ。

 

「いずれ椛と月が何処かへ行くことになったとしても、そのときは――」

 

 

 

「えっ!? 私たちどこにも行かないよ!?」

 

「いかないよー?」

 

 

 

「――え?」

 

 何故か奈緒と加蓮ちゃんと遊びに行ったはずの椛と月の声が背後から聞こえてきた。まさか二人のことを考えすぎて幻聴が……と思ったが、振り返るとそこには確かに椛と月がいた。二人とも両手にコーンに乗ったアイスを一つずつ持っており、その後ろでは奈緒と加蓮ちゃんもアイスを手にしていた。

 

「どうしたんだ? アトラクションに行ったんじゃ……」

 

「えっとね、やっぱりお父さんとお母さんと一緒の方がもっと楽しいから……あっ! 別に奈緒ちゃんと加蓮ちゃんと一緒が楽しくないって言ってるわけじゃないよ!?」

 

「分かってるよ、椛」

 

「椛ちゃんは優しいねー」

 

 ニコニコと笑いながら二人がかりで椛の頭を撫でる奈緒と加蓮ちゃん。

 

「はい、ママ」

 

「あら」

 

「こっちはお父さんの」

 

「ありがとう」

 

 楓は月から、俺は椛からアイスを受け取る。

 

「これ食べて休憩してから、今度は座って観れるアトラクションに行こう。ミッピーのオーケストラっていうのがあったよ!」

 

「ミッピー……!」

 

 俺と楓が間を空けてやると、椛と月はひょいっとその間に座った。

 

「……あぁ、ありがとう。それじゃあちょっとだけ大人しいアトラクションに行ったら、またジェットコースター乗りに行くか」

 

「いいの!?」

 

「勿論。今日は夜までトコトン遊ぶぞ」

 

「「やったー!」」

 

 彼女たちが将来どうなるのか、運命の相手が見つかるのかどうか……それは今考えるべきことじゃないな。そういうことは未来の俺に任せることにしよう。

 

 

 

 何せ、今の彼女たちとの思い出を作ることは、今しかできないんだから。

 

 

 

 

 

 

 四月十四日

 

 今日は奈緒ちゃんと加蓮ちゃんも一緒に六人で『夢と魔法の王国』へと遊びに行った。あらかじめ話に聞いてはいたものの、人の多さに驚いてしまった。

 

 椛ちゃんも月ちゃんも年齢制限も身長制限もクリアしていたので、色々な絶叫系と呼ばれるアトラクションをはしごしていたのだが……お昼を過ぎたあたりで旭君が少しだけばててしまった。私も少し疲れていたので、二人でベンチで休憩している間に二人をも奈緒ちゃんと加蓮ちゃんが遊びに連れて行ってもらった。

 

 遊園地のベンチで旭君と二人で座っていると、少しだけ結婚前の恋人だった頃のことを思い出した。遊園地で遊んだこと自体はなかったものの……もっと早く、それこそ学生時代に出会っていれば、こういうデートもあったのではないかと考えてしまった。

 

 そこで少しだけ椛ちゃんと月ちゃんの将来の話をした。正直、旭君のことだから椛ちゃんが将来男性を連れてきたら「うちの椛はやらん!」みたいなことを言うと思っていたのだが……どうやら旭君も色々と思うところがあるようだ。

 

 私も結婚が全ての幸せとは言わないが……今の私の幸せを、椛ちゃんと月ちゃんにも知って欲しい。私もそう思った。

 

 

 

 

 

 

「二年前の遊園地か……月は覚えてる?」

 

「覚えてない」

 

「夜に『帰りたくない』って言って珍しくグズったんだよー?」

 

「……覚えてない」

 

「月ちゃん照れてる~」

 

 

 




 前話から続いて順調に加蓮が結婚するとか、そんなこと全くなかった(なかった)

 このとき、丁度加蓮は30歳です。なんか個人的にツボです。派生のお話を考えたくなるぐらい……一応アイデアだけは取っておこう。

 そして朝霞リョウマ作品だとおなじみの『夢と魔法の王国』の登場。勿論浦安のあれがモデル。

 残り二話です。ここしばらくネタ切れとの闘いになっていますが、頑張っていきますのでよろしくお願いします。


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神谷椛12歳がオーディションに挑む5月

アイドル椛誕生!


 

 

 

「……はぁ」

 

 さて、ゴールデンウィークも過ぎて初夏が迫ってきた今日この頃。最近は暖かくなったり寒くなったりと気候が落ち着かない中、そんな気候のように俺の胸中は落ち着いていなかった。

 

 今朝からずっと()()()()()が気がかりで、何をしていてもそのことが頭をチラついて離れない。全てをその責任にするつもりはないが、今日の撮影でのセリフのミスが多かったのはそれが一因だと言っても過言ではないだろう。

 

 監督から「集中しろ」とまるで学生のようなダメ出しを喰らい、共演者に「珍しいな」と笑われ、本日の撮影を終えて戻ってきた事務所のカフェテラスでこうしてコーヒーを飲んでも落ち着かない。

 

「……それで? 本当に今日はどうしたのよ」

 

 ここ数年でようやく醸し出す色気が肉体の年齢に追いついたともっぱらの噂である速水が、呆れた様子で俺の向かい側に座った。

 

「速水か……いや、何でもない」

 

 結婚して実姓は変わったものの芸名として名乗り続けている姓を呟きながら、そう言って首を振る。

 

「そういう分かりやすい取り繕いはいいから」

 

 しかし、アイドルから女優に転向し今ではよき同僚として長い付き合いになる速水には、それが嘘だということが簡単にばれてしまった。

 

「それで? 一体何があったのよ」

 

 貴方と私の仲でしょ? と俺の手に触れてくる速水。結婚しても尚、こうして人を勘違いさせるような行動をする悪癖は治ることなく、寧ろ「ヤキモキしている旦那様の顔が可愛いから」などと言って悪化する一方の速水の言動。最近だと若い世代のアイドルや俳優にも悪影響を及ぼさないかと一部で心配されているほどである。

 

 しかしそんな妖艶さが増した速水であるが、楓と結婚した上に今では愛する娘を二人も抱えている身ゆえ、今更それぐらいのことで動じることもなかった。

 

「……まぁ、お前にだったら言ってもいいか」

 

 俺の深刻そうな雰囲気を察したのか、小さく息を飲む速水。

 

 

 

「実はな……今日、椛が初めてオーディションを受けてるんだよ」

 

 

 

 来年の春に小学校を卒業するというこのタイミングではあるが、この春、ついに椛は346プロダクションのアイドル部門所属のアイドルとなった。

 

 兼ねてよりアイドル部門のプロデューサーから「アイドルにならないか」と勧誘をされていた椛だったが、ついに自ら事務所の戸を叩いたのだ。

これには勧誘していたプロデューサーは勿論のこと、俺や楓もそれを喜び、そして彼女が産まれたときから熱狂的なファン一号(俺と楓は肉親なので除く)である奈緒はこの報告をした一時間後にはお祝いのケーキを手に我が家へ突撃してきたほどである。

 

 椛はかつて奈緒たちがトライアドプリムスとして活動していた頃から長年アイドル部門の花形として続いている企画『シンデレラプロジェクト』の第十五期生として所属することになり、先日ついにアイドルとしてデビューを果たした。

 

 ちなみにしばらくは『神谷旭』と『高垣楓』の娘ということを隠してアイドルをしていくつもりらしいが、ウチの事務所には椛のことをよく知っている人が多く、そもそも楓によく似た美人なのでバレるのは時間の問題だろう。

 

「……それは、確かに一大事ね」

 

「……あれ」

 

「なによ、そんな呆気に取られたような顔して」

 

「いや、お話の流れ的にここは『深刻そうな表情をしてるから何事かと思ったら……』って呆れられるのが定石かなと」

 

「そんな定石知らないわよ。……これでも、私だって椛ちゃんを可愛がってるのよ? そんな子のことを軽視するつもりないわ」

 

「……あぁ、そうだったな。可愛がった結果、余計な知識まで色々と吹き込んでくれたもんな」

 

「女の子はいつだって早熟なのよ」

 

「やかましいわ」

 

 はぁ……と溢れそうになったため息をコーヒーで喉の奥に流し込む。

 

「でも、きっと椛ちゃんなら大丈夫じゃないかしら。あの子の()()()()()()()()()()()()()は、親の贔屓目を抜きにしても貴方の方がよく分かってると思うのだけど?」

 

「……そりゃあな」

 

 周りから「親バカ」だのどうだの言われ続けているが、これでも芸能界に二十年以上身を置き続けている。例え畑が違ったとしてもそれがどれほどのものか正しく判断するぐらいは出来るつもりだ。

 

 椛は歌も上手いしダンスも上手い。周りをよく見る目も持っているし、母親譲りの美人でもある。文字通り産まれたときからアイドルたちに囲まれ、アイドルたちの曲を子守唄に育った、まさしくアイドルになるべくしてなった子だろう。

 

「でも、()()()()()()()()ってことは、元アイドルであるお前の方がよく分かってるだろ?」

 

「………………」

 

 速水のその沈黙を、俺は肯定として捉える。

 

 この業界に『絶対に大丈夫』なんて甘い言葉は存在しない。それは気持ちを鼓舞するための言葉であり、成功を保証するものなんかではない。

 

「例えそうじゃなくても、親ってのはどんなときでも子どもに対して心配し続ける生き物なんだよ」

 

 子どもの頃は出かける度に親に「車に気を付けて」と言われ続け、家を出た今でも「体調を崩していないか」と聞かれ続ける。一体何故そんなに何度も何度も同じことを聞くのかと疑問に思い続けたが、俺も『親』という存在になってようやくそれを理解した。

 

「不思議なもんだよな。子どもの頃は自分のことしか考えてなくて、楓と出会ったら彼女のことしか考えなくなって……それが今では、子どものことしか考えられないんだから」

 

 きっとそれが『親になる』ということなのだろう。椛が生まれて早十二年が経ってなお、未だにそれを実感する。

 

「……なんだか羨ましいわ」

 

 突然速水がクスクスと笑い始めた。

 

「そうか?」

 

「えぇ。心配で堪らないって口で言ってるのに、今の貴方すっごく嬉しそうな表情をしてるんだもの」

 

 速水の言葉にカフェテラスの窓ガラスに視線を向けると、確かにそこに映る自分は、我ながら『優しい演技』の参考にしたくなるほどの笑顔を浮かべていた。

 

 そんな表情を自然と浮かべていた自分が少しだけ恥ずかしくなってガリガリと首筋を掻くと、そんな様子が面白かったらしい速水がさらにクスクスと可笑しそうに笑った。

 

「ふふっ、なんだか私も子どもが欲しくなっちゃったわ」

 

「お前の子どもか……」

 

「何? もしかして『自分の子どもにまで変なことを教え込むつもりか?』とか言うつもり?」

 

「自覚はあるのか」

 

 そして本当にそう思っていただけに、果たして分かりやすいのは俺なのかコイツなのか、出来れば後者であって欲しいと願いながら俺は二人分の伝票を持って立ち上がる。

 

「あら、御馳走さま」

 

「おじさんの愚痴を聞いてもらった礼だよ」

 

「私としては、椛ちゃんのその情報を聞けただけでも満足よ。……私からも応援してるって、彼女の負担にならないようなタイミングで伝えてあげて」

 

「……あぁ」

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 自宅に帰ると、まるでそこの主であるかのようにソファーに陣取って深刻そうな表情の奈緒がいた。

 

「……いやまぁ、そんな気はしてたけどよ」

 

 椛関連で何かしらのイベントが発生すると、大体こいつも我が家に発生するので、既に見慣れた光景である。俺もそれを見越してお土産のケーキを奈緒の分と、ついでに彼女の旦那のために持たせる分も一緒に買ってきておいた。

 

「椛のことを心配してくれるのはありがたいが、もうそろそろ()()()()()()()()の心配を優先したらどうだ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に視線を向ける。家に閉じこもっていろとは口が裂けても言わないが、それでもそのアグレッシブさをもうそろそろ控えた方がよいのではなかろうか。

 

「こっちの子と、椛や月は別腹なんだよ! 文字通り!」

 

 この『今自分上手いこと言った!』と言わんばかりのドヤ顔が腹立つ。

 

「それに、私にとっても椛は『本当の家族』だ。そんな家族の一大イベントなんだから……心配に決まってるだろ」

 

「奈緒……」

 

「なおちゃん、おなか、さわってもいい……?」

 

「いいぞ~月! 月が触ってくれると、中の赤ちゃんも喜んでくれるから!」

 

「おい」

 

 キリッとした表情で決めたかと思った次の瞬間、近付いてきた月に対してデレッと表情を崩す辺り、なんというかいつも通りの奈緒だった。

 

「全く……」

 

「ふふっ、奈緒ちゃんもきっと不安なのよ」

 

 お土産のケーキを冷蔵庫に入れてもらうために楓に渡すと、彼女は椛や月を見るときと同じような目で奈緒を見ていた。……まぁ、椛が生まれる前から奈緒は『神谷家の長女』であることに間違いないが。

 

 しかし、帰ってきて深刻そうな奈緒がいるのだから、一瞬つわりが酷いのかと思ってしまった俺の心配を返してくれ。

 

(いつわ)りのつわりでも優しくしてあげてね?」

 

「そい()()()()ぃな」

 

 そのときである。楓のスマホがメッセージの着信を告げ、楓は今までに見たことないような素早さでそれを持ち上げた。ちらっと見えた画面には椛の名前が表示されており、オーディションが終わってこちらに戻ってくる前に一度連絡をするということだったので、恐らくそれだろう。

 

 それにしても、どうやら顔には出ていなかっただけで楓も心配だったようだ。

 

「椛から連絡きたんですか!?」

 

 それに反応した奈緒も近づいてくる。

 

「なんて!?」

 

「……えっと」

 

 奈緒からの問いかけに言いよどむ楓。まさか……と思い、奈緒と共に楓のスマホを覗き込む。

 

 

 

 そこにはただ一言『今から帰ります』という椛からのメッセージが表示されていた。

 

 

 

「これ……」

 

「も、もしかして……!?」

 

 さぁっ……と顔を青褪める奈緒。俺も思わず手のひらを握り締める。速水にはあぁ言ったが……きっと俺はどこかで『そうは言っても大丈夫だろう』と楽観視していたのかもしれない。

 

 ……帰ってきた椛に、なんて声をかけたら……。

 

「……さぁ、もうすぐ椛ちゃん帰ってくるから、夕ご飯にしましょう」

 

 動揺する俺と奈緒を現実に引き戻したのは、スマホを自身のポケットに戻した楓のそんな一言だった。

 

 奈緒と一緒に楓を見ると、彼女はいつもと変わらない様子で笑っていた。

 

「奈緒ちゃんも食べていく?」

 

「え……あっ、アイツも仕事で遅くなるって言ってたから……その、いいのであれば……」