オーバーロード ワン・モア・デイ (0kcal)
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Dysmnesia

――――目の前には闇が広がっていた。

 

 

 種族特性により真の闇であっても見通せる自分の目の前に闇が広がっている、ならば原因は一つしかない。いつのまにか目を瞑っていたようだ。

 なぜかはわからないが頭蓋骨にしか見えない頭でも、眼球も瞼もないのに目を瞑るという行為は可能でその場合視界は塞がれる。

 

 奇妙にも無い筈の瞼が重いような感覚があるが、アインズ・ウール・ゴウンは目を開ける。

 うっすらと目に入ってきた風景はナザリック地下大墳墓・玉座の間。

 

「……ん?」

 

 なぜ自分は玉座の間にいる?……そう考えたが思いだせない。頭が重くぼうっとする、体もけだるい。まるで先程までまどろんでいたように、と考えたところで瞼の重さに負け再び目を瞑りつつ軽く苦笑する。アインズはアンデッド死の支配者(オーバーロード)である。睡眠は不要……というより睡眠をとることはできない。

 

「……?」

 

 違和感を覚えた。ならばなぜ自分は目を瞑り玉座の間に座していたのか。なぜ玉座の間にいる理由を思い出せないのか。

 これが人間ならば、あるいは睡眠を必要とする種族ならば、寝ぼけているという事もあるだろう。あるいは酒や薬によって酩酊し記憶を失うということもあるだろう、だが自分はアンデッド、酒は飲めず薬は効かず睡眠は不可能なのだ。

 

「……どういうことだ……?」

 

 未だに靄のかかったような頭と重い瞼、けだるい体を煩わしく思いながら考えるがここにいる理由は思い出せない。ならば最後の記憶は……と働かない頭を叱咤し記憶をたどる。

  

 

 アインズ・ウール・ゴウンのギルド長であったアインズ……そのころはまだプレイヤーネームのモモンガであったが……はユグドラシルのサービス終了日、原因不明の現象によりアインズ・ウール・ゴウンの本拠地ナザリックごとこの世界に転移してきた。

 

 まず異世界の調査と実験のため、襲撃を受けていたナザリックに最も近い集落カルネ村で村娘のエンリ・エモットやネム・エモット、生き残っていた村人を凶刃より救った。

 そして駆けつけてきたリ・エスティーゼ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフとその部下の一団と出会い、スレイン法国・陽光聖典の罠にかかった彼とその部下をも救った。

 

 その後アインズは周辺調査の一環として、エ・ランテルで「モモン」と名乗り冒険者として様々な事件を解決しつつ情報収集を重ね、この世界最高の冒険者の称号であるアダマンタイト級にまで上り詰めた。ついには腹心のNPCである守護者統括アルベド・ナザリック最高の頭脳デミウルゴスの立てた計画によりモモンはエ・ランテルのみならず“漆黒”と呼ばれる王国の英雄となったのだ。

 

 途中、大小の不快な出来事……冒険者としてともに旅をし、名声を高める道具として見込んでいた冒険者チーム“漆黒の剣”が役目を果たす前に殺されたり、情報収集のために王国に潜入していたセバスが漆黒の剣の一員であったニニャの姉・ツアレニーニャを独断で救い、何となく……いや確実にいい関係になっていたり……違う、これは不快な話ではない。セバスの中にたっち・みーさんの信念が宿る事を喜んだ、ニニャへの借りも返せた、不快なわけはない……ない。

 嫉妬マスクを持ってなかったかつてのギルドメンバー(勝ち組)たちの事が頭に浮かび、そのことを知った時の感情が胸をよぎったが、気を取り直し再び記憶をたどる。

 

 無論、最も不快な事件は親友ペロロンチーノの創造したNPCシャルティア・ブラッドフォールンがおそらくはワールドアイテムの力により精神支配を受け、その回復のためにこの手でシャルティアを一度滅ぼさなければならなかったことである。犯人は未だわからぬままだが、必ず自身の存在を後悔するほどの報いを受けさせることは固く誓っている。

 

 そしてアルベド・デミウルゴスが提唱した“ナザリックを国家として樹立させ表舞台に立つ”計画に従い、バハルス帝国の宮廷主席魔術師フールーダ・パラダインを奸計で取り込み、同帝国皇帝ジルクニフを……今考えると済まない事をしたが罠にはめ、ナザリック魔導国建国の協力者とし何度となく行われていた帝国と王国の戦争に参戦した、そして……

 

「王国との闘いにおいて勝利をおさめ、ナザリック周辺からエ・ランテル近郊、カッツェ平野に至るまでをわが領土とし統治を始めた……筈だ」

 

 モモンという虚構の英雄を魔導国人間種の代表として据えることで反乱の機運を抑え、その間に民衆の生活を豊かにし安全を保障することで魔道国は平和かつ豊かに暮らせる国家でありアインズは優れた統治者として民衆から支持されるようになるだろうとアインズは判断していた。

 

 これにはアルベド達もほぼ同意見であり、アインズ様に統治されることは至上の幸福、本来ムシケラにはあまりある恩恵ではあるが愚かな人間種はそれを理解できないでしょう、この無知は本来は死で償うべき罪であるが、アインズ様の大いなる慈愛の心により下等生物にそれを理解する方法を我々が与えてやることとしましょう。獣程度である人間共は獣と同じく我々が絶対なる上位者であり、従っていれば日々の糧や身の安寧が得られると躾を行えば自ずと頭を垂れ尻尾を振るようになりましょう、という表現ではあったが。

 

 そもそも、ある意味では一般民衆と支配者層である貴族王族は、同じ空間に生息している別種族のようなものだ。互いに互いを個の人間としては見ていないだろう。

 それにこの世界では竜や獣人などが支配者の方が普通であるともいえる、ならばアンデッドである自分も善政を敷けば支配者として割とすぐ受け入れられるのではないかと思っていた。そのために自分はエ・ランテルとナザリックを忙しく行き来しながら政務に励み、ある用件で帝都を訪れていたところ、なぜだか帝国皇帝ジルクニフから属国宣言をされ慌ててドワーフの国へと出立した筈だ。

 

 思考が王国との戦いに及んだ時にかつて救ったガゼフを部下にすべく戦場で勧誘したが、断られた上に一騎打ちを挑まれ結果として殺すはめになったことを思い出し軽い悔恨の念を覚える。だが今はそんなことは些細な問題でしかない。

 

「私はいつ、どうやってドワーフの国よりナザリックに戻ってきた?」

 

 そう、アインズの最後の記憶はドワーフの国へと出立したその途中で唐突に途切れてしまっていたのだ。だがそんなわけはない。ナザリック・玉座の間に座しているのであれば転移門(ゲート)を起動する、ナザリック内部で転移を行うなどの記憶が無ければおかしいのだ。

 

「一体何が……?」

 

 これは異常事態だ。アンデッドである自分が記憶操作や精神支配を受ける筈はない、仮にシャルティアを支配したワールドアイテムであったとしても自身も常にワールドアイテム――かつてギルドメンバーの一人がモモンガ玉などと呼んだ自身の中央で光る紅玉――を装備している以上ありえない。だが実際に自身の記憶に空白の時間があるのだ。

 そして気が付く。バッドステータスが無い筈の自身の頭が徐々に晴れてきているとはいえ、いまだぼうっとしている等ということもあり得ないことに。ざわり、とわずかな恐怖とそれに反発するように怒りの感情が湧き上がる。

 

「くっ…………どういうことだ……何が起こった!」

 

 わずかな恐怖と怒りが混じり合った感情の発露としてアインズは眼を見開き声を荒げ、玉座に拳を叩きつける。玉座からガンッと軽い音があがり静寂に包まれていた玉座の間に響きわたる。

 

 

「――どうかなさいましたか、モモンガ様?」

「――!?」

 

 アインズは視界を下げる。そこにはこちらを心配そうな顔で見上げるアルベドと少し離れてひざまずいたまま顔を上げた執事長のセバス、そして同じ姿勢の戦闘メイドプレアデスの6人。

 アインズはさらに混乱する。先程まで玉座の間は間違いなく物音ひとつない静寂に包まれていた。なので今玉座の間にいるのは自分一人だとばかり思っていたのだ。

 

「アルベド……セバス……何をしている……?」

 

 その言葉を聞いたアルベドとセバスにわずかに困惑の表情が浮かぶ。だが、すぐに元の表情に戻ると少し思案するそぶりを見せアルベドとセバスが続けて口を開いた。

 

「モモンガ様、私はモモンガ様が玉座の間に来られる前から守護者統括の責務として玉座の間に控えておりました」

「我々はモモンガ様の命を受け、先程モモンガ様に付き従い玉座の間に入りここに控えております」

 

 アルベドとセバスの返答を聞いてアインズの混乱に拍車がかかる。ずっとそばに居たにもかかわらず沈黙していたと?いやそれよりも聴き間違いでなければ自分の事をモモンガと呼ばなかったか?

 

 アインズはあらためてアルベドとセバス、プレアデスを順に視界に納める。アルベドの頬が少し赤らみ翼が震えるが微笑みを浮かべたままだ。セバスはまるで彫像のように身じろぎもせず同じ姿勢でこちらを凝視している。プレアデス達はエントマとシズを除きやはりわずかに困惑した表情を浮かべている。

 エントマとシズは表情が変わらないので困惑していないかどうかを表情で察することはできないのだが……

 

 そしてアインズは雷に打たれたかのような衝撃を受ける。

 

 ――――この光景を俺は知っている。忘れる筈がない、この光景は…… ユグドラシルからこの世界にやってきたあの時の……あの時の光景だ!

 

 

 

 

 

 

 

 



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Check

「……ありえん……」

 

 アインズは衝撃のままに呻くように呟く。そんな筈がない、と脳内で叫ぶ。自身がユグドラシルより転移してから約1年ほどの月日が経っている、もし今がユグドラシルから転移してきた直後だとするとあの日々は何であったのか、夢あるいは幻だったのか、それともやはり自分は何らかの魔法やワールドアイテムの影響下にあってこの光景を見せられているのかいや、もしかしたら最初からこの世界そのものがアインズ、いや鈴木悟の――――――――――――――

 

「何か問題がございましたか?モモンガ様……失礼いたします」

 

 アインズの動揺を察したのかアルベドが先程の問いを繰り返しつつ、アインズのそばに寄る。そのアルベドの行動で思考のループに陥りかかっていたアインズは我に返る。

 

「何かございましたか?」

 

 今度はアルベドが顔を寄せて問いかけてくる。あの時と同じくふわっと良い香りが漂う…そういえば転移直後もどんどんと距離を詰めてきて近い近いと思ったものだ……そう考えてる間にアインズに冷静さが戻ってくる。

 

「アルベドよ、しばしそこに控えよ」

「かしこまりました」

 

 アインズが片手を上げて命ずると、アルベドは再び元の姿勢に戻る。それを見届けアインズは現状を整理しはじめる。まずアルベド及びセバスは間違いなく自分の事をモモンガと呼んでいる。これにより先程のユグドラシルの転移直後ではないかという考えが補強されるが確認のためにいくつか質問を行う必要がある。

 

「セバスよ、お前にいくつか聞きたいことがある……答えよ」

「何なりと」

 

 セバスは真剣な面持ちで頭を上げ、射貫くような眼でこちらを見ている。思えば転移直後はこの視線が怖かったな、そう思いつつ問いを口にする。

 

「このナザリック大墳墓におけるお前の役割は何か」

「この身は至高の御方々よりナザリック大墳墓のメイド及び使用人を束ねる家令を任じられております」

 

「このナザリック大墳墓より外に出たことはあるか?」

「大墳墓内の家令を申し付かっておりますれば、至高の御方々の命なくばナザリック大墳墓の外に出ることはございません、外に出る命を賜ったことはないかと」

 

「外の情報で知っていることは?」

「ナザリック大墳墓の周辺は沼地であり周辺には野生のモンスターが存在すること、外には至高の御方々と同格の敵対するものが存在することくらいしか外の世界のことは存じません」

 

「ふむ……」

 

 これで現状が転移直後と同様の状況であることはほぼ間違いなくなった。あるいは遥か時の流れの果てに自身が記憶を失ってしまいたまたま状況が合致しただけで自身の認識より未来である可能性も考えたがその可能性はなくなったわけだ。そう思いつつ視線をアルベドの方に向ける。

 

「アルベドよ、現在ナザリック大墳墓に何か異常はないか?」

「はっモモンガ様……ナザリック大墳墓内に異常は見られません、すべて正常かと思われます」

 

 声をかけられたアルベドが一瞬歓喜の表情を浮かべ翼を震わせ、一瞬瞑目した後、真剣な表情で報告を行う。転移直後は混乱もあって気が付かなかったが今見てみるとこのころのアルベドは感情表現を自身の立場をわきまえているのか、かなり抑えていたのだなと考える。アインズの認識上の最後とはえらい違いである、どうしてああなった……あーやめておこう、今はもっと考えるべきこと、やるべきことがある。まずは色々な意味で確認作業を進める必要がある。セバス・アルベドとの会話により普段の調子を取り戻したアインズは言葉を続ける。

 

「うむ……アルベド、セバス、プレアデス達よ聞け、我々のナザリック大墳墓は今現在原因不明かつ不測の異常事態に巻き込まれている」

 

 アルベドとセバスの顔に驚愕と苦悶の表情が一瞬あらわれるが、プレアデスは真剣な表情のまま続くアインズの言葉を待っている。

 

「ゆえに――セバスはナザリック大墳墓を出て周辺の情報を1……いや2時間の間収集せよ、範囲はナザリック大墳墓より半径1㎞に限定。知的生命体と遭遇した場合、情報収集のため交渉を第一とし戦闘行為は極力避けよ。」

「はっ」

 

「セバスの補佐としてソリュシャン、エントマは同行しセバスの指示に従え、もし戦闘に入った場合ソリュシャンはナザリック大墳墓に即時帰還。エントマは戦闘に突入した場合、手段はまかせるがソリュシャンの戦闘離脱を支援しつつ戦闘に入ったことをナザリックに報告せよ……ではゆけ」

「「ははっ」」

 

 すさまじく真剣な表情のセバスとソリュシャン、エントマが立ち上がって一礼し即座に行動を開始する。もし、今が本当に転移直後と同じ状態であるならばナザリック大墳墓周辺には草原が広がっているはずだが、まだそうとは限らない。またあの時はあくまで万が一の際に情報を持ち帰らせるためにプレアデスを1人同行せよと命じたが、プレアデスの特性を把握している今は情報収集能力と帰還時の逃走・隠密能力を保有するソリュシャンと蟲、幻術と戦闘離脱時のかく乱及び支援能力を保有するエントマの同行を指示する。

 

「ユリ、ルプスレギナ、ナーベラル、シズの4人は第9階層に上がり、第8階層以上より侵入者が来ないかどうか警戒にあたれ……ゆけ」

「「「「はっ」」」」

 

 残るプレアデスも命を受けるとともに一斉に立ち上がり、一礼すると玉座の間より出て行った。それを見送りアルベドに視線を移す。

 

「アルベドは各守護者・しもべにナザリック内部に異常がないか確認するように指示を出せ。各階層守護者は守護階層の情報を整理し2時間後に第6階層アンフィテアトルムに集結するように伝えよ。アウラ、マーレには私が赴き直接用件を伝える。第4階層、第8階層に関してはアルベド、お前が情報を整理するのだ。よいな」

「畏まりました。復唱いたします。6階層守護者の2人を除き各守護者に内部の情報を収集し2時間後に第6階層アンティフィアトルムに集結するように伝えます。第4・第8階層に関しては私が守護者に代わり情報を整理いたします。」

 

「よし、ゆけ」

「はっ……先程の失態を払拭すべく誠心誠意努力し行動いたします」

 

「え?」

 

 アルベドの言葉の意味が呑み込めず、変な声を出してしまったが悲痛な雰囲気をまとったアルベドは聞こえていないのか足早に玉座の間を後にする。失態?何が?と考えるがアルベドがなにが失態と感じたのか思い当たらずいったんその問題を棚上げする。なにせやること考えることはあの時と同じだけあるのだ。

 

「それにしても……」

 

 肺も喉もないがアインズの口から重いため息が漏れる。そしてしばし玉座の間を焦点を定まらずに眺めていながらぽつぽつと呟き始める

 

「あの日々が……アルベド、シャルティア、アウラ、マーレ……デミウルゴス、コキュートス……ヴィクティム……お前たちと過ごした日々が……」

 

 守護者たちだけではない、セバスやプレアデス――ユリ・アルファ、ルプスレギナ・ベータ、ナーベラル・ガンマ、ソリュシャン・イプシロン、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ、シズ・デルタ――ペスト―ニャや41人のメイド達、奴……を含む他のNPC達との記憶がアインズの脳裏によみがえる。それはまるでかつての友との日々のようにまばゆく輝いていた。

 

「いつの間にか……お前たちとの日々がこんなに大切な……彼らとの日々に勝るとも劣らぬ宝石になっていたのだな……なのに……」

 

 言葉を切ったアインズは怒りの炎を目に宿し先程の時とは比べ物にならぬほどの力を込めて、アインズは玉座に拳を叩きつける。玉座が破壊されたのではないか、それほどの音が玉座の間に響き渡った。そのまま拳を震わせアインズは呪詛の声を上げる。

 

「今は……今はまだわからないが……もしもこれが……」

 

 この状況に自分を追いやったのが、NPC達との日々を奪ったのが誰かの悪意だったのならば――――

 

「この世界に存在するすべての苦痛を永遠に与え、未来永劫自らの行為の愚かさを思い知らせてやる……」

 

 

 

 




サブタイを変更しました。


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Loony

アルベドは玉座の間から出ると、すぐに扉を閉め足早に歩き――ださず体を震わせその場に立ち尽くす。その眼には涙と共に自身への怒りがあった。

 

「なんたる失態……」

 

 ギチリギチリとアルベドのどこかより音が鳴る。扉の向こうにモモンガ様がいなければ、ここがナザリックでなければ、と思う程の破壊衝動をともなう慚愧の念が全身を蝕む。

 

 かつてナザリック大墳墓に君臨していた支配者にして創造主、至高の41人。だが至高の御方々はある時から次々とナザリックを去っていった。なぜ至高の御方々が去ったのかアルベドには知るすべはなかったが“りある”と呼称される世界に旅立ち、二度と戻らないということだけは玉座の間での至高の御方々の会話から読み取れた。その事実はアルベドに大きな悲しみを与えた。

 

 これは他の守護者、いやナザリックに存在するすべてのNPCがそうであったろう。アルベドは至高の御方々がこれ以上旅立たない事を祈り続けたが1人、また1人と至高の41人はナザリックを旅立っていった。

 

 そしてついに自らの創造主タブラ・スマラグディナがナザリックを去ったと悟った時、アルベドの心は途方もない喪失感に襲われた。嘆きと哀しみ、絶望を味わい……そして恐怖した。他の至高の御方々がナザリックを去った時とは比べ物にならない程の感情の迸りを受け、アルベドは今まで他の者たちがどれほどの恐怖を覚えていたのか想像し、狂気へと続く思考の渦へと飲み込まれた。

 

 自身の創造主でさえもナザリックを去った……自分を、ナザリックを捨てた。このまま至高の御方々全てがナザリックを去ってしまったら……至高の御方々に仕え奉仕するためにのみ生まれたモノである自分達は、存在する意味を失った自分達はどうするのだろう?どうなるのだろう?

 

 だが他の守護者同様、アルベドも狂気に堕ちることなく存在し続けた。最後にナザリック大墳墓に残った至高の41人の統率者であるモモンガの存在によって。

 

 ナザリック大墳墓内に於いて、全ての守護者を含むNPCは距離による強弱はあるもののその至高の存在を感じ取れる。ほぼ同じ周期でモモンガはナザリックを訪れていたため、その存在を感じとることでNPC達は永い時を乗り切れたのである。極稀にモモンガが周期通りに訪れない時もあり、その際はNPC達は不安や恐怖等の負の感情にさいなまれはしたが、モモンガの気配が再びナザリックに現れることでその負の感情は完全に消滅し、それに倍する喜びを得ていたのだ。

 

 そう、ナザリックに存在する全てのNPCはモモンガに感謝と崇拝と尊敬と忠誠を誓い続け、来訪を祈って日々を過ごしていたのである。

 

 アルベドの脳裏に走馬灯のようにその日々の記憶が流れ、今日という日にたどり着く。日付が変わり今日という日が始まった時、まるで自身の足元が薄氷になったかのような不安を覚え、守護者統括としてわからないが何かをしたほうが良いのではないか、と考えては授けられた役目を思い出し玉座の間に控え続け、焦燥の中でモモンガの気配を待っていた一日。

 

 待ち望んだモモンガの気配がいつもの通りナザリックに現れたその後、驚愕すべきことに永きにわたりナザリックを離れていた――記憶にある限りでは最後に去られた――幾人かの至高の御方々がナザリックに再臨した。

 

 最初に思ったことはなぜ今さら、という一言。自分たちがどれだけの悲しみや恐怖を味わったのか知っているのかと怒り、それから他の守護者、NPC達の得たであろう感情を思い、モモンガの他の至高の御方々への気持ちを想い、そしてそれらによる歓喜の念が勝って……アルベドは僅かに微笑み喜んだ。

 

 しかしモモンガ以外の至高の御方々の気配はほぼ時を置かず、ナザリック内のどこにも移動せず、再びナザリックを去った。先程の驚愕とかすかな喜びの分、いや遥かに大きい悲しみにアルベドは襲われた。御方々は……奴らはモモンガ様を旅立った先である“りある”より連れ去りに来たのでは? そんな考えが頭をよぎり、このままモモンガが万が一続けてナザリックを去ってしまったらと、憤怒と恐怖に身を焼かれた。

 

「でも……そうはならなかったわ」

 

 そう、モモンガ様は奴らに続いてナザリックを離れはしなかった。その後の光景を反芻しはじめる。この玉座の間にナザリック大墳墓の主である証“スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”をその手に携え、セバス達を引き連れたモモンガ様が諸王の玉座に身を預け自分の情報を閲覧し……その時は訪れた。未来永劫記憶し記念し称えられるべき自身の生涯における最高の瞬間。

モモンガ様がこの自分に”モモンガ様への愛”を授けてくださったのである!

 

「うへへ……」

 

 アルベドの顔が先ほどとはうって変わってこれ以上ないほどに崩れる。涎が口からこぼれているほどだ。他にも色々こぼれてるかもしれない。殺気と怒気の渦はきれいに霧散し、緩み切った雰囲気が漂う。アルベドは気が付かない。人ではありえないほど大きく開かれた虚ろな目でうへへと笑いつつ無意識に何か呟き、色々垂らしてぷるぷる、びくん!と震え息を荒げる姿はどこからどう見てもアブナイ○○であり、様々なアルベドを記憶しているアインズですらドン引きであることに。

 その破壊力はもしアインズに見られれば私室エリアへの出禁、あるいは今後半径10mまで接近を許さないまである。そしてアインズは扉の向こうの玉座の間にいるのだ。もし、アインズが玉座の間から出てきてしまったら?アルベドは本人の自覚は全くなしに最大の危機に瀕していた。

 

 だがその誰にも見せられないような痴態も1分程でおさまり、再びその面が後悔の念でこわばると、髪がうねり体躯が膨らみ、角が伸びたかと思うと全身ををどす黒いオーラが包み込んだ。光る眼だけが外部からはっきりと確認できるそれは、割れ鐘のような声で絞り出すようにつぶやいた。

 

「それほどの恩寵を、モモンガ様から与えられたのに私はっ……」

 

 先程モモンガ様はナザリックに異常はないかと守護者統括としてナザリックを管理している自分に尋ねた。すぐさま情報を集積し異常なしと答えた時、愛する方に任ぜられた職務を全うしている喜びに包まれていた。だがモモンガ様はその報告を聞くと自分を見つめ、考え込み何かを振り払うような気配を漂わせ……そしてあの威厳のある御声でナザリック大墳墓が異常事態に陥っていることを自分たちに伝えたのだ。

 

「あれは信愛を与えて頂いたにも拘わらず、失態を演じた私に失望……されていたのね」

 

 思い返せば異常事態に気が付いて当然の情報を、無数に偉大なる御方は自分に与えていてくれていた。悠然と玉座にかけていたモモンガ様が突然大声を発し――心から浮かれていた自分はその言葉を聞き逃してしまったのだが――玉座に拳をたたきつけた音で、ようやくモモンガ様の様子がおかしい事に気が付いた。その時、モモンガ様は自分とセバスを見て「何をしている」と問いかけられたことを思い返す。思えばあれは“この異常事態にお前たちはいったい何をしているのだ”という意味であったのに違いない。自分とセバスの能力を高く評価してくださっていたからこそ、そのお言葉を発せられたのだろう。

 

 無論、自分もセバスも至高なる御方々には及ばぬ存在である。至高の御方々の統率者であるモモンガ様とは比べるべくもないだろう。だが自分とセバスには異常が感じ取れているだろうとモモンガ様は判断されており――それは100LVNPCである自分たちの能力を信頼してくださっていたことに起因すると思うと再び破壊衝動が湧き起こるが――確認のためにお声をかけてくださったのだ。

 だが自分とセバスの返答を聞き、モモンガ様は異常に気が付いてない事を悟られ「ありえぬ」とおっしゃったのだろう。この時点で万死に値する無能さである。デミウルゴスなどがこの光景を見ていたら守護者統括の地位をはく奪することを進言しただろう。

 

 しかし慈愛に溢れたモモンガ様は、愚かな自分たちに気が付かせぬようもう一度慈悲を与えてくださった。セバスに本来なら至高の御方ならばすでに把握している情報の問いを投げかけたのは、セバスに異常を感じ取れるだけの能力はあっても権限や情報を持っていないことにモモンガ様が思い当たり、その後に伝える異常事態をセバスが気づけなくとも仕方がない、と理解させるための質問であったのだろう。当然、セバスはその慈悲を理解しつつも強い悔恨の念に襲われただろうが……自分の失態はその比ではない。

 

 そう、その後守護者統括である自分に「ナザリックに異常はないか?」とモモンガ様は問いかけられた。ナザリックを管理している自分にそう問えば、守護者統括の地位を持ち情報を集積することが可能な自分には、ナザリック大墳墓に起こった異常を察知できると考えられたからだ。そして守護者統括である自身の言葉でもってセバスとプレアデスにナザリックに異常事態が起きていることを伝えるつもりだったに違いない。

 偉大なるモモンガ様は自身の言葉で伝えるのは簡単だが、守護者統括である自分の顔を部下であるセバス、プレアデスの前であることを配慮し、立ててくれようとしていたのだ。それなのに自分は得意げに無能をさらけ出してしまった。偉大なる御方、愛しいモモンガ様の失望いかばかりか。自分が答えた後のあの目、あの気配、その後の沈黙、偉大なる御方に似つかわしくない逡巡の意が籠ったお言葉……どれか一つでも思い出すだけで、己自身を呪詛で消滅させたくなる。

 

 だが、それは許されない。愚かで無能であってもこの身は至高の御方に守護者統括として生み出され任ぜられたもの、至高の御方への愛を与えられたもの。無能の烙印を返上し失態を払拭せねば自身の命を断つという願いを考えることさえ不遜である。

 そう思考をまとめ、何とか立ち直ったアルベドは悲壮な決意を貌にして歩き出した。しかしその時、背後の扉より大音響が響き渡りアルベドの足は再び止まる。

 

「やはり……」

 

 今の音はモモンガ様が先程玉座に拳を打ち付けた時と全く同質の、だが遥かに大音量の拳撃の音。おそらく数倍の力をもって打ち付けられたのだろう。自身……愚かな守護者統括への失望のあまりに。

 

 深い哀しみと己への怒りと共に、瞳に滂沱の涙をあふれさせつつアルベドは走り始める。己が守護し、今、愛しい御方が存在する最も尊き筈のその階層から逃げるように。

 




感想を投稿してくださった皆様、ありがとうございます。感想を頂けると思っていなかったのでびっくりしています。
この話を投稿する前にご指摘を頂いた部分は全て修正いたしました……タブン
今後ともよろしくお願いいたします。


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Unleash

「トブの大森林からカルネ村、こっちにエ・ランテル、そして帝都。うんうん、風景や主要な建物も変わらないな」

 

 記憶にあるレメゲトンの悪魔をはじめとする諸諸の仕掛けを確認し、自身の命令のみを受け付ける設定等、アンフィテアトルム移動前のチェックを行ったアインズは遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)でナザリック周辺と主要都市の場所を確認しその結果に満足していた。記憶にある場所が全て同じ位置にあることが確認できた意義は大きい。

 

「これはもう同じ世界で間違いないな、さて次は」

 

 実は更に違う世界に移動してないだろうな?という懸念を払拭できたアインズは、インベントリと無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)の中身をあらため始める。

 

「うーん、ありえるかもと予想はしていたが……数が戻ってるな」

 

 以前使用した3本の最下級ポーション、カルネ村の姉妹に使用した分、そして宿屋でがさつな女冒険者に渡した分、ンフィーレア・バレアレに譲渡した分は補充していないにもかかわらず、記憶にある数に戻っていた。他の使用や譲渡したアイテム、課金アイテムやゴブリン将軍の角笛などもである。だが記憶違いである可能性もある、とアインズはあるアイテムを取り出した。

 

「しかし、これだ」

 

 シューティングスター(流れ星の指輪)をしげしげと眺める。そこには3つの流れ星を模した意匠が輝きを宿していた。

 

「1回使用したにもかかわらず、輝く流れ星は3つのまま……つまりこの指輪は未使用ということになる」

 

 アインズは今の状況にいくつかの仮説を立てていたが、その中で最も自分では確率が高いと思っていたのはタイムトラベル、つまり時間を超える転移門――そんな存在は知らないが――を通った等の原因で未来の自分が過去に来てしまったのでは?というものだったが、自身のアイテムの状態は転移直後のまま、となるとその説は否定される。

 

「まあ、そもそもユグドラシルからなぜここに来たのかも全然わからないままだったんだけどな」

 

 長らくその問題は放置してしまっていた。最初こそ追求しようとしていたが日々やることは多く、手がかりも見つからずかつ考えても仕方のないことは後回しになりがちなのだ。今回はそうならないように努めないと、と決意しつつ次の仮説の検証に入る。

 

「蘇生って可能性もあるけど……どうだろうな」

 

 次に考えたのは自分が何らかの事態で死んでしまい蘇生したのではないか、というものだった。これはシャルティアが復活した時に記憶の一部を失っているということと未だプレイヤーの自分の死を体験したことが無かったから充分考えられる。ぞっとしない話ではあるが、可能性を論ずる時点では否定できない。だがアイテムの確認を進めるうち、その可能性はほぼ無いだろうと判断していた。

 

「蘇生アイテムで一番重要な蘇生の指輪はあるし、他も全て揃っている。LVやステータスの低下も無し。やっぱ蘇生じゃなさそうだ」

 

 元々この考えは否定できないだけで、確率は低いだろうと思っていた。おそらくプレイヤーであった伝説の存在、八欲王の伝承によれば八欲王は倒すたびに弱体化していったとある。これはプレイヤーの蘇生がユグドラシル同様LVダウンとステータスの減少を伴うことを示していると考えられる。またその推測から次の仮説もハズレだろうな、と思いつつ一応考えてみる。

 

「ロールバックってことは……ないだろうなあ」

 

 遥か昔、MMOをはじめとするネット上で提供されるゲームが生まれてより存在し続ける予想外のバグ、システム上の抜け道を利用したチート、違法改造による不正プレイ等々の深刻な問題に対する運営の最後の切り札であり、ユーザーにとっては最悪の解決方法としてロールバック(巻き戻し)という手法がある。諸諸の問題が確認された日付以前の状態にゲーム内データを強制的に巻き戻してしまうのだ。当然その間にユーザーが手に入れた全ての成果はなかったことになる。多少のお詫びが配られることが一般的だが、それはユーザーに対し一律の事が多く、レアドロップを得ていたユーザーなどがそれで納得することは少ない。ある日、ユグドラシル以外のゲームもしている仲間達がロールバックを喰らったらしく「レアドロップが!経験値が!レコードがあぁ!」と別ゲームの運営への罵詈雑言を垂れ流し、たっち・みーさんに軽く怒られていた。ペロロンチーノは茶釜さんにガチ折檻されていた。

 

「ふふふ……」

 

 記憶の中の懐かしい風景に笑みがこぼれる。なお幸いと言っていいかどうかはわからないが、ユグドラシルの運営はたとえ致命的なバグがあろうと数々の不正行為があろうと、その切り札をきることなく垢BAN――該当プレイヤーのアカウント削除――によるゲームからの追放やアップデートによるパッチ当てで対応していた。ユグドラシルは糞運営だがそこだけは評価する、と彼らが言った言葉には悔しさが籠っていた。

 

「ロールバックだとこの世界に糞運営がいることになるしな、それは勘弁だ」

 

 あらゆる可能性は0ではない。神と呼ばれる存在がこの世界を運営していることだってあるかもしれないからだ。しかし六大神や八欲王がプレイヤーであり、それ以前にいたかもしれないこの世界にやってきた最初のプレイヤーがいるなら、そこまで巻き戻されるのが当然ではないか?そも自分の転移してきた時間に巻き戻るというのもおかしな話ではないか。自分は唯一のプレイヤーではないのだ。確かに可能性は0ではない、だが限りなく低いと考えておいていいだろう。

 

「さてと」

 

 これ以上の仮説の検証は無意味だろう。次は現実問題を処理する時だ、とアインズは次の行動に移ろうと考え……少し陰鬱な気分となる。

 

「ううう、やっぱり気は進まないなぁ、でもなぁ」

 

 

 

 

「ゅおうこそおいでくださいました、私の創造主たるモモンガさっまっ!」

「ぉおう……きっつ……いや……うむ、お前も元気そうだなパンドラズ・アクターよ」

 

 アインズは宝物殿に転移しここ霊廟までやってきたのだが、早くも精神の安定化が働くことに辟易する。目の前には宝物殿の守護者であり、欧州アーコロジー戦争・ネオナチ親衛隊風の制服に身を包んだ二重の影(ドッペルゲンガー)、自身が作り出した100LVNPCであるパンドラズ・アクターが無駄なイケメンボイスで挨拶している。その声、その行動は“もう以前と比べてずいぶん慣れた筈だし大丈夫だろう”と言うアインズの甘い考えを打ち砕く程“こうかはばつぐん”で、適当なことを言って今すぐにでもこの場を去りたい衝動に強くかられる。

 

「はい!元気にやらせていただいております!ところで今回はー」

「世界級(ワールド)アイテムの確認をしにきた、以前と同じく最奥に揃っているか?」

 

 若気の至りが喋って動く、という耐え難い精神ダメージと時間制限があることもあり、途中で台詞を遮って用件を伝える。調査の時間をあの時の1時間から2時間に増やしたが、つまりあの時と違う行動に費やせる時間はそれだけなのだ。

 

「当然でございます!……と報告したいところではありますが」

「なに?」

 

 まさか、方法はわからないが自分自身が世界級アイテム、おそらくはナザリックが保有する世界級アイテムを以てして今の状況を作り上げたという説が正しかったのか? かなり確率が低いと踏んでいたのだが、と思っているうちにその考えは否定される。

 

「真なる無(ギンヌンガガプ)は至高の御方であるタブラ・スマラグディナ様の御手により最奥より解き放たれております」

 

「あ?」

 

「真なる無(ギンヌンガガプ)は至高の御方であるタブラ・スマラグディナ様の御手により最奥より解き放たれております」

 

 アインズが声を聞き逃したと思ったのか、全く同じことを全く同じポーズで繰り返す目の前の卵頭にいらっとするが我慢して問いかける。

 

「……真なる無はアルベドが所持している、それ以外は全て揃っているな?」

「なんと、統括殿が!なあぁぁんとうらやま!……失礼、すべてそろっております」

 

「強欲と無欲、ヒュギエイアの杯、幾憶の刃、山河社稷図と二十が2つだが……間違いないか?」

「もぉちろんでございます」

 

「ふむ、やはり違ったか……この仮説もハズレか……」

「……」

 

 ならば、ここでやることは決まっている、まずは確認作業。その後はとても気は進まないが、これからのために目の前の卵頭にある命令を下すのだ。

 

「パンドラズ・アクターよ。お前は200あると言われる世界級アイテムの詳細をいくつ知っている?」

「申し訳ありません、私が知っているのは11個でございます、モモンガ様」

 

「では次に大事なことを聞こう。私はお前の創造主であり、お前の忠義を一身に受けていると考えている。そうだな?」

「その通りでございます、モモンガ様。私は貴方様によって創造されしもの。たとえ他の守護者、いえ至高の方々に戦いを挑めと言われても迷いなく実行するでしょぉう!」

 

 これも変わらない、確認作業はこれで終了。ならば次にやるべきことは決まっている、考えた末の布石を打つのだ、自身の苦手意識なんか横に置いて決断しなければ。そう思うが宝物殿に来てからの発光回数は既に2桁に達しており、精神的な疲労は鈴木悟換算で他人の失敗フォローのための残業10時間クラスで貯まった自覚がある。やはりやめようか、と魂が弱音を吐いた。思えば、あの時もパンドラズ・アクターを大事にしてるというよりは、自分が接触したくないがために宝物殿外部で活用していなかったのは間違いない。活用法にしても自分の身代わりであるとか、アンデッドの作成とか自分がなるべく顔を合わせずに済むような方法を選択していた。

 

(だがそれも仕方がなくないか)

 

 恥ずかしい、という感情を克服できる事は少ない。自分では克服したと勘違いしても、ふとした拍子に過去から自分に襲い掛かりいつまでもいつまでも苛むのだ。それが記憶ならともかく目の前で喋り、動いているのだ。しかもこれから下す命令は、その恥の結晶との接触を大幅に増やすことになる。他の方法を考えるべきでは。

 

(だけど)

 

 アインズの脳裏に様々な後悔と悔恨の記憶が渦巻いた。シャルティアの事件は身を千切られたような哀しみと怒りがあったじゃないか。あんなことがまた起こってもいいのか。恥などという自分のちっぽけな感情が、あの悲劇よりも大きいなんてことは絶対にない。今回の事がなぜ起こったかはわからないが、時が戻ったというならば、よりよい未来を彼らとともに歩むことを選択しなければ。考える限りの最善と、自分の疲労や感情を天秤に乗せるなんてことはしちゃいけない。

 

(よし)

 

アインズが自らの生きる黒歴史に対して命令を下す覚悟を決めたその時、黒歴史が動いた。

 

「恐れながらモモンガ様」

「なな、なんだ?」

 

 己の思考に埋没しており、話しかけられるとは露程も思っていなかったアインズはどもりながら答えてしまう。それで発言の許可を得られたと思ったのか生きる黒歴史は言葉をつづけた。

 

「今までなさらなかった世界級アイテムの確認をされるという事は、このナザリック大墳墓に世界級アイテムが必要なほどの脅威が迫っている……あるいは!不測の事態が起きているという事……でしょうか?」

「!」

 

 予想してなかった言葉とあるいは!以降の一連の動作に衝撃を受け、アインズは当然のように発光した。だが考えてみればパンドラズ・アクターはナザリックでトップクラスの頭脳と知略をもつと設定されたNPC、つまり今までの質問内容や態度によって、アルベドやデミウルゴス同様その程度の推測は容易なのだ。そして、だからこそ自分はこの手を打つことにしたのだという事を思い出す。

 

「流石だなパンドラズ・アクター……私が説明せずとも事態に気づいたか」

「無論!我が創造主の意を汲めずして、この身が存在する意味があるでしょうか」

 

「で……では私がなぜここに1人で来たかもわかっているな?」

「ははっ、私の力をナザリック大墳墓の……いえ! モモンガ様のために振う時が来たということ! そして……今のところ、守護者様方にはこの私の働きを内密にされたいという事ではないでしょうか」

 

「お、おう……その通りだ」

 

 かつての自分がカッコイイと思っていたポーズを連続で極められ発光体と化したものの、それはまさにアインズが求めていた返答である。そう、あの時は苦手意識が先に立って活用しきれていなかったのは間違いない。だがデミウルゴスやアルベドと同等の頭脳を持ち、装備や条件次第ではあるがシャルティアやコキュートス、セバスに匹敵する戦闘能力、はては自分とほぼ同じレベル、あるいはそれ以上の特殊役(ワイルド)をこなすことも可能なNPCをこのような状況に於いて温存するのは悪手だ。そう思いここに来た。自分の考えは間違っていない。パンドラズ・アクターを動かすことに賭けの要素はあるが、必要なリスクと割り切るべきだ。

 

「素晴らしいぞパンドラズ・アクター、お前にはこれより私の密命を遂行する任についてもらおうと思っている」

「謹んで拝命いたします……至高の統率者、モモンガ様の密命を実行する任……特務として必ずやお役に立ってみせます」

 

「特務、うむ、そうだな特務…部隊 そう特務部隊の指揮を任せよう、期待しているぞ」

「ははっ」

 

(役職としてなんていえばいいのかわからなかったけど特務部隊か、うん……いい響きだ、悪くない。確か困難かつ表立ってできない作戦を実行する部隊のことだったかな)

 アインズの脳裏に、昔娯楽映像で見た最新装備に身を固め作戦行動をとる精鋭部隊の姿が浮かぶ。

 

 

「してモモンガ様、部隊ということであれば部下のシモベの選抜は私の方で行ってよろしいでしょうか?」

「ん?……そうだな」

 

 パンドラズ・アクターの問いかけで、特務部隊という響きに思考を持ってかれていたアインズは我に返る。これからパンドラズ・アクターにやってもらおうと考えていることは、これからの予定と大きくかかわってくる。基本的にアインズは今後はある行動指針に沿って活動しようと考えていた。その事を踏まえると、今ナザリックに存在するシモベをパンドラズ・アクターの指揮下に入れることは好ましくない。

 

「いや……お前にこれから遂行してもらう任務はナザリックにおいても私と、お前のみが知る性質のものだ。僅かでも情報が漏れる可能性は下げたい。ゆえにお前の部下は私自らが新たに与える者たちとお前自身がスキルによって創造したもの、任務において召喚する者のみとする」

「了解いたしました」

 

「守護者はもちろんのこと統括であるアルベド、ナザリックの頭脳ともいえるデミウルゴスにも気づかれてはならない……できるか」

「……Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みとあらば)」

 

 パンドラズ・アクターがわずかな沈黙の後、いつものオーバーアクションではなく静かで流れるように美しい所作、セバスの如き重々しい口調で返答したことで自分がいかに無茶なことを言っているか自覚させられる。

 

(アルベドとデミウルゴス、他の守護者にも気が付かれないようにって難易度高すぎるよな……少なくとも俺には絶対無理だ)

 

 自分ができない仕事を平気で部下に投げつける上司などというものは、最低の上司であることは間違いない。本来なら自分もそんなことは命じたくないのだが、今後のためには絶対に必要な命令だと自分を納得させる。

 

「困難な任務であろうがお前にしかできぬと考えている。必要であれば宝物殿に納められている全てのアイテムの使用も許可しよう、ただし世界級アイテム及び化身(アヴァターラ)の装備に関してはその都度私の判断を仰げ。必要なシモベの召喚に関しても可能な限り叶えよう、そのほかに我が力が必要であれば遠慮なく言うが良い」

「おお!この身に余る御温情、確かに賜りました」

 

「今は時間が無い故この話はここまでとする……お前にこれを渡しておこう」

 

 インベントリよりリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを3つ取り出しパンドラズ・アクターに手渡す。

 

「これは……リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウゥン!所持する能力はっ」

 

 語りだそうとするのを慌てて片手を上げて制する。非常に残念そうだが……前にもこれやったな……今は黙殺する。

 

「予備だ。1つはお前専用、残り2つは部下を宝物殿から出入りさせる場合につかうがいい。ただし、当面宝物殿を出る際には私の許可を必要とすることとする。また言うまでもないがナザリック外への持ち出しは禁止だ。他の守護者やお前の部下以外のシモベに預けることは出来ぬ故、2体同時に転移し1体を外に出したのち、もう1体が指輪を回収し宝物殿に戻るという形をとれ。専用の転移場所も設ける。他に良い案があれば進言せよ……期待しているぞ」

「畏まりました!」

 

 カカァ!と言うオノマトペが立体で幻視出来るほどの迫力でパンドラズ・アクターはカツン!と音を出して踵を揃え、指の先までピンと伸ばし敬礼をする。当然アインズは光る。

 

「うおぅ……」

 

 あの時と完全に同じ流れだよこれ……あの時より慣れていたからから随分マシだろうと思ってたけどやっぱきっついなー、他のNPCがいなくてよかったと肩を落としつつ、アインズは宝物殿を後にした。

 

 アインズが宝物殿を去るその瞬間、敬礼をしていたパンドラズ・アクターがキランと目を光らせた。仕方のない事ではあるが、パンドラズアクターを直視することを無意識に避けていたアインズは不幸にもそれに気が付かなかった。

 




精神の安定化はアニメの表現が好きなので、アインズ様はお光になられます。ただ、光が見えるのはアインズ様ご本人のみです。

多数のご感想やお気に入り登録、ありがとうございます、嬉しいのですがガクブルもしています。


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Fear

「えーと守護者が揃ってからセバスの報告を聞いて、守護者に自分の事をどう思うか確認、退出。ああそうだ、絶望のオーラとかうっかり使ってたっけ・・・これ必要かなあ」

 

 宝物殿を後にしたアインズは第6階層に転移する前の最終チェックをしていた。疲れてはいたが、僅かな時間休むより作業に没頭したほうが良いという判断だ。

 

「……でも何がどう影響してるかわからない以上、覚えてる限りのことはやらなくっちゃな」

 

 さまざまなチェックを終え、アインズは今の自分を取り巻く状況が最初の転移直後と全く変わらないとほぼ確信していた。あの時と違うのは自分に完全ではないがこの世界ですごした記憶があると言うだけで、原因はわからずとも時が無常に過ぎていくのも一緒だ。

 

 となれば同様にある程度割り切って自分がどう活動して行くかは決めねばならない。ここまでは記憶の通りに行動すれば、記憶の通りの反応が返ってきていることから考えて自分の記憶に沿って行動すれば、おそらく記憶どおりに物事が進んでいくのだろう。

 

「でも、それじゃダメだ。あの時と同じことが起こって、同じ結果になるだけ……物事の流れが大きく変わらない形で修正を加えていくしかない」

 

 自分に記憶があることで、これから起こることがわかっている忌まわしい事件の数々を未然に防ぎきるのは容易だ。極端な話シャルティアをナザリックから出さなければ、あの事件は起きない。だがそれではシャルティアを洗脳した犯人を捕縛や殺害すること、未知の敵の情報を得る可能性もなくなる。

 

 では護衛になるシモベを多数連れて行かせる、シャルティアに感知魔法による監視をつけ、即応可能にする等対策をとった場合はどうか?これも疑問が残る。もしまだ見ぬ敵の世界級アイテム、ないし能力が同時に複数の対象を洗脳できるとしたら、被害はより甚大なものになるし、多数の護衛を連れていくことで敵がシャルティアに対して行動を起こさない可能性がある。これは感知魔法による監視も同様だ。反感知魔法の防壁が起動すれば、感知魔法を使用されたことに気が付いた敵は行動を起こさない可能性が高い。それは非常に困る。

 

「しかもその場合、俺の全く分からない形で事件が起きるだろうしな……まさに最悪の展開だ」

 

 アインズが恐れているのは新たな展開によって、より悪い事件が発生するかもしれぬという事。自分やNPC達があの時とあまりにも違う振る舞いや行動をすれば、物事も全く違うように推移するから当然発生する事件も変わる。そうなってしまえば自分の記憶は知識部分しか役に立たない。未来を予知しているに等しいこのアドバンテージは、なるべく長い間維持しておきたい。そのためには自分とNPCの行動を可能な限り記憶通りに展開させなければいけないのだ。少なくとも表面的・対外的には同じ行動をとっていく必要があるだろう。

 

「無論完遂はさせないけどな。でも未然に防ぐのではなく、対応可能なぎりぎりまでは進行させなければいけないってのは本当に難しい」

 

 失われた記憶の先で起こった事の原因を探る必要もある。未知の情報を得るために、事件は起こってもらわなければ困るのだ。そしてこの転移直後に記憶が残ったまま戻る現象、ロールバック――アインズには良い名称が結局思い浮かばなかったための仮称だが――の原因が何かわからない以上、再び転移直後に戻ることもあるかもしれない。その可能性も考慮し未知の情報を集めておく必要がある。自分の今現在保持している記憶の範囲である、ここから約1年の間になるべく多く。

 

「とはいっても守護者達には相談はできないし、そもそも記憶と大きく違う行動はさせられないってのは厳しいな……難しい事厳しいことだらけだ全く」

 

 それらの理由によってアインズは既にNPC達には自分に過去の、いや未来の記憶があることは秘密にすることに決めていた。この情報をNPC達に開示した場合、彼らの行動の予測が全くつかなくなるためだ。とはいえ自分だけで新たな発見や修正は不可能ではないが大変困難だ。自分自身の行動も制限されるのだから。

 

 そこで白羽の矢を立てたのが対外的に活動をしていない期間が他の守護者と比べて長く、しかも自分や他の守護者との接触が魔導国建国までは殆ど無いパンドラズ・アクターだった。それまでの仕事はナザリックで宝物殿の管理、特定の時期の外部に出た守護者の監視、エクスチェンジボックスでの現地資材のユグドラシル金貨変換、アンデッド作成と見事にぼっち仕事だったはずだ。

 

 デミウルゴスと同等の万能型100LVNPCとして仕事量を比べた場合、何もさせてないに等しい。だが、それが今は逆にプラスの要素として働く。対外的には何もしていない、他のNPCとの接触もないということは、以前と違う行動をひそかに行わせる場合は適任と考えられるし、かつその能力も申し分ない。

 

「やはり新たな情報収集や修正作戦を実行させるのは奴が適任だが……だが真実を話すわけにはいかない以上、俺が作戦案は全部作らないといけないなあ」

 

 自分自身で作戦案を練り、しかも実行のためにパンドラズ・アクターと打ち合わせ、場合によっては一緒に作戦行動。何という苦難の道のり。考えただけで光りそうだ、光った。

 

 そこまで考えたアインズは脳裏に何か引っかかるものを感じ……やがてアインズの脳裏にあるNPCの姿が浮かび上がった。

 

「……もう1人適任と言えば適任がいたな。能力もある……が……」

 

 もう時間がない、そうやって思考を打ち切ったアインズはリング・オブ・アインズウールゴウンを起動させた。

 

 第6階層アンフィテアトルムに転移したアインズはアウラの「ぶいっ」やマーレのスカート押さえ飛び降りを見て喪った日々の記憶を刺激され、無性に悲しい気持ちになりぺかーと光ったり

 「せっかくだから別のを呼び出してみよう」と根源の星霊を呼び出したら、思ったよりアウラとマーレがアインズから見た限りでは苦戦しているように見えてやってしまったか?とハラハラしてぺカーと光ったり、到着した守護者たちのやり取りをみて涙腺が(無いけども)決壊しそうになりペカーと光ったりした。

 また、直前に確認したにもかかわらず絶望のオーラの発動をぎりぎりまで忘れており、転移前にペカーと光りつつ絶望のオーラを放つわずかな時間のために「ではお前たちの働きに期待するぞ!我が守護者達よ!」と台詞を追加するなど、散々な有様ではあったが何とか終えることができた。

 

 

 そして今、ナザリック第5階層氷結牢獄。アンフィテアトルムから転移したアインズはその奥、巨大なフレスコ画の書かれた扉の前に立っていた。

 

「……行くか」

 

 その手には先程、壁の手から受け取った歪んだ赤子の人形がある。精神的に疲労している現状、見ているとそれだけで気持ち悪くなりそうでアインズは視線を外すと扉を押し開けた。

 

「……あれ?」

 

 がらんとした、部屋の中央にゆりかごがあるだけの部屋だ。だが扉を開けたら無数の赤ん坊の声が響き渡る筈なのに、部屋は静寂に満ちていた。ゆりかごの側にたたずむ筈のNPCの姿もない。

 アインズは不思議に思いながら中に進む。

 

(はて……休憩や睡眠が必要なNPCだったか?)

 

 しばし立ち尽くしていたが、何も起こらないのでゆりかごの方に向かって歩み始める。精神が疲れてはいるが、明日……というか休憩後に回すとなかなか来なさそうなので魂に鞭を打ってやってきたのだ。無駄足は避けたい。

 

 

 

 

 

 

 ――キィ……パタン

 

 

 

 

 

 

 何か音がした。

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 背後を振り返ると入ってきた扉が閉まっている……アインズは訝しみ、扉に戻ろうと踵を返す。

 

 

 

 

 

 

 ――ずるり

 

 

 

 

 

 

 また何か音がした。アインズは思わずその方向を見る、だが何もいない。

 

「腐肉赤子(キャリオンベイビー)……だよな?」

 

 問いかけに、しかし答える声はない。アインズの声だけが部屋に響いて、消えた。

 

 

 

 

 

 

 チ……ゥ……ヮ……

 

 

 

 

 

 

 今度は微かに声がする。だがアインズの能力を以てしてもどこから声がしたのかわからない。

 背後から?いや全方位から聞こえたようでもある。

 

「ニグレド?」

 

 アインズの声だけが響き――再び部屋に静寂が満ちた。アインズは周囲を見回すが何もいない。

 この部屋にあるのは自分と、手にもった赤子の人形のみ。

 

 

 

 

 

 

 ――ずるり

 

 

 

 

 

 

 再び音がする。振り返っても、やはり何もいない。目が手に持った人形に引き寄せられる。

 

 

 只の赤子のカリカチュア人形だ。なんの効果もない、なんの魔法もかかってはいない筈だ。

 

 

 だがアインズには――その赤子のカリカチュア人形がニヤリ、と笑ったように見えた。

 

 

 無い筈のうなじの毛が逆立つ感触。アインズの精神が警報を鳴らす。

 

 

 まずい、なにがかはわからないが、まずい。

 

 

 今度こそアインズは扉に向かって走り出した、その時

 

 

 

 

 ガシャアアアアァァァァン

 

 

 

 

 アインズの目の前に、突如赤子の人形が現れ――床の上で砕け散った。

 

「ひぃっ!?」

 

 アインズは反射的に飛びのき赤子の人形が現れた先、上を見たその瞬間

 

 

 

 

 

 

 「「「「「「「「「 オギャアァアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!!!!!!! 」」」」」」」」」」」」」

 

 

 

 

 

 

 ――部屋に無数の赤子の声が響き渡る。そしてアインズは見た。

 

 

 

 

 

 

「おまえおまえおまえぇェェェ!!こどもをこどもをこどもをさらったなあああぁっァァァァ!!」

 

 

 

 

 

 

 ――天井から髪を振り乱し 大鋏を構えて落下してくる 顔のない 女を

 

 

 

 

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはモモンガ様、ごきげんよう」

「久方ぶりだな……ニグレド……」

 

 思いっきり悲鳴を上げてしまった……精神安定化が発動し、光りながら「お前の子供はここら!」と人形を掲げられたからよかったものの、そうでなければ確実に殺られていた。

 いや、ニグレドが全力で攻撃をしても自分が死ぬほどのダメージは到底出せないが、殺される事を覚悟するだけの恐怖を味わった。疲れ切ったアインズは率直に用件を切り出す。

 

「ニグレド、詳しい説明は省かせてもらうがナザリック大墳墓が見知らぬ場所に移動したようだ。お前にはナザリック周辺に感知魔法による警戒網を構築してもらいたい。」

「ナザリック大墳墓が?了解いたしました。すぐに警戒網を構築いたします」

 

「それともう一つ、今後お前の能力を警戒網以外に使用する際は、必ず私の許可をとれ」

「了解いたしました……私のかわいい妹からの要請でも、ですか?」

 

「そうだ」

 

 これがここに来た目的だ。ニグレドの警戒網はいずれ運用されるので、こちらはついでのようなものだ。パンドラズ・アクターにはああいったが実際に動いた場合アルベド・デミウルゴスが何か気が付く可能性は高い。その際にニグレドを活用して自分を探されたりした場合、思惑が色々破綻する。いっそパンドラズ・アクターとニグレドを連携させることも考えたが、それは実際に連携させる必要に迫られるまでは腹案に留めておくべきだろう。

 疲労感から喋るのも億劫になってきたアインズは用事は以上だ、とニグレドに伝えて扉に向かって歩き出し、立ち止まる。

 

「ニグレドよ……後一つだけ用件があった。さっきのあれはなんだ?」

 

「あれは、タブラ・スマラグディナ様が私に命じられた”至高の41人がこの部屋に1人で来た時用の隠しイベント”ですわ、モモンガ様。「お約束やベタは大事だけどマンネリは駄目」だそうです」

 

 

「タブラさ――――――ん!?」

 

 

 

 

 

 尚、守護者たちの反応は「モモンガ様マジ至高の支配者」「「「「禿同」」」」「濡れるっ!!!」であり全く変わらなかったことを付け加えておく。




多数の感想とお気に入り登録、誤字報告ありがとうございます。
ご指摘を受けた部分は修正できてると思います。

今回、原作とほぼ変わらない部分を省略してみました。カルネ村が遠い。すっとばした箇所は後日別視点で書くかもしれません。



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Carelessly

「疲れる・・・」

 

 転移より約2日。心配性な性分が祟っての一通りの再確認作業に加え、記憶の確認とそれらに基づいた様々な修正作業を行うアインズはまさに多忙を極めていた。

 

(前に負担だったことは平気になってるのに、うまくいかないものだな)

 

 転移直後に精神をすり減らしていた“お供がどこまでもついてくる”“メイドが部屋にいて身の回りのお世話をしてくる”“支配者として威厳のある態度をとり続ける”は1年間にも及ぶ経験の力によって大幅に軽減されていた。また守護者達の造反、周辺が化物だらけなんじゃないの? 等の今となっては無用の心配事だった、と断言できる懸念材料が無くなっているのは精神的に非常に楽だ。

 

 ちらと横目で部屋に待機するメイド、ナーベラル・ガンマを確認する。ナーベラルはモモンの時に同じ部屋にいることに慣れ切っていて居ても緊張しないという理由から、表向きはプレアデスにローテーションを組ませてはいるものの、なるべく彼女が警護役兼メイドを担当している時間に自室にいるようにしていた。これも効果が大きい。

 

(だが、それ以上に精神的負担が増えるなんて考えもしなかったよ)

 

 最初の混乱が収まると、自分には以前の経験と知識があるのだからあの時――この言い方も今後はややこしくなるので修正して前回としよう――前回より楽だろう「ちょっと違うが強くてニューゲームという奴だ」などと思っていたが、これは今後の自分の予定が記憶の限り、つまり1年先までぎっちりと詰まっているようなものである。これが予想よりはるかにきつい。ToDoが1年先までびっしりと残っているなどと考えるだけで、陰鬱な気分にならざるを得ない。

 そしてこれも予想外だったが、一度落ち着いてしまうと再確認作業は1回作った書類をミスで消してしまい最初からやり直してる時のような徒労感を覚える作業になり――確認せずにはいられないのだが――また疲れる。

 

 修正作業に至っては記憶を必死に掘り起こしつつ、先々に大きな影響を与えないか検討をした上での実行となるのだが、この過程がいかに負担となることか。やったことのあるものにしかわからないだろう、超疲れる。

 更にそれらによって生じた変化、主にNPCの行動に翻弄され精神的抑圧が起こるのが一番の疲労の原因というのはもうどうにかしてもらいたい。これらが折り重なって、前回と比べても自分がはるかに疲労しているのをアインズは感じていた。小声で欲求を呟いてしまうのも仕方のない事だろう。

 

「風呂に入りたいなあ、入りすぎかもしれないけど……疲れをとるにはやはりあれが一番だ」

 

 無論、アインズとて疲労に対する対策を怠っていたわけではない。既に自らの体を洗浄する蒼玉の粘体(サファイア・スライム)三吉君は例のリラックスバスルームに召喚済みで、その入り口には高レベルの警備のシモベを複数、中の脱衣所前の扉及び浴槽前の扉には自分以外は問答無用で叩き出せと命令したヒヒイロノカネゴーレムを配備してある。自分が入浴中も入浴前後も安心だ。

 今回は他の浴槽に<負の光線/レイ・オブ・ネガティブエナジー>を使用可能なシモベを配備、入浴中の全身に照射させることで負の光線浴という新しい境地も切り開いている。骨の身であるのに、体の中から温まるような感覚を得られるのは実にいい。よし、やはり一回入ろう。そう思い、アインズが立ち上がろうとするとアラームが鳴り響いた。

 

「あー……しまった、もうそんな時間か」

 

 転移直後は作業の合間合間に時間を確認していたのが功を奏し、大体のスケジュールは把握できている。しかし作業に没頭すると時間を忘れるという、自身の欠点を自覚していたアインズは時計のアラームを思い出す限りセットしていた。

 茶釜さんに貰った時計だと「時間だよ!モモンガお兄ちゃん!」「お昼だよ!今日は何を食べようか、モモンガお兄ちゃん!」「朝だよ!今日も……ふふっ、元気だね!モモンガお兄ちゃん!」と、いちいちロリ声を出している茶釜さんの声が結構な音量で鳴り響くので、部屋には別の時計を置いて使用していた。万が一にでもプレアデスたちに、自分の知る……もしくは知らない隠しアラームなど聞かれた日にはどうなってしまうことやら。

 

 それはそれとしてアラームが鳴ったという事はイベント消化、仕事の時間である。

 

「ナーベラルよ、私は今から内密の用件で1人で部屋を出る。留守を頼んだぞ」

「承知いたしました、モモンガ様」

 

 事前にナーベラルには内密の用件で1人で出たいという場合は理由がある故、詮索も報告も無用と言い含めていたためスムーズに事が運んだ。

 

「<クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造>」

 

 漆黒の鎧にその体を包んだアインズは、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを起動する。これが終わったら風呂に直行だ、と固く誓って。

 

 

 そしてアインズは星の海へと舞い上がった。

 

(あらためて見ても……やはり美しい)

 

 アインズは再び感動していた。月と星の光が大地を照らし、照らされた大地は光を受けて輝く。思えば、前回はこの時以外では高高度に飛行するという事をしていなかったのだ、なんともったいない……今回はリフレッシュのためにも時折飛行すべきだな、と圧倒的な自然の美を堪能していたアインズの耳にバサリ、と異音が入ってくる。

 

(おっといかんいかん……さて、何を言っていたか)

 

 なるべく記憶の通りに行動しようと決めたアインズは、可能な限り早く手を打った方がよいと判断した事に関しては修正しつつも、概ね記憶の通りに過ごしていた。その中で最も困ったのは、いくら記憶を探ろうとも、細かい手順や自分が具体的に何を言ったのかまで事前に思い出すのは不可能だという事実である。過去に行った旅行などの大きなイベントの大まかな流れは思い出しても、当時の写真や土産の品等の手掛かりがなければ細かいことまではなかなか思い出せない、と言えばわかるだろうか。最初は大層焦り、時間ぎりぎりまで、いや現場に赴いても思い出そうとしていた。

 

 だが、悲壮な覚悟を決めてアンフィテアトルムに赴き守護者達を前にし、話し始めたアインズは驚愕した。次々と細かい記憶がよみがえってくるのだ。これは昔やったゲームや見た映画を再プレイ・再視聴していると色々思い出すのと同じやつだ、と気が付いたアインズはこの経験から大きな流れを何回か確認する中で思い出せないことは、現場で思い出すだろうと楽観視することにした。それに、このイベントは後半のマーレとアルベドにリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを授ける部分が重要事項。今回はデミウルゴスにもここで渡してしまおうと考えているため修正を加える必要があるが、さして難しいとも思ってなかった。とりあえず、思い出せなくとも黙ったままだと記憶も蘇ってこないので自分が言いそうなことを呟いてみる。

 

「この世界は美しいな……まるで宝石の海が広がっているようだ」

 

「まさにモモン――ブラックナイト様のおっしゃられる通り、この世界は美しき宝石でできているのでしょう。至高の御身を飾るにふさわしい価値があるかと」

 

 ダークウォリア―は前回の記憶からやめたものの、他にいい名前が思いつかず悩んだ末に安直だがブラックナイトに変更した……が変更した意味はなかったな、やはり連呼されると恥ずかしい。などと思う間にデミウルゴスの言葉に記憶が刺激され、自分がどんなことを言っていたのかおぼろげに思い出す。後はこれを足掛かりに発言すればいい。

 

「ふっ……確かにそうかもしれないな、私が――」

 

 

 

 

 

 ――その時、アインズに電流走る……!

 

 

 

 

 

 アインズの脳裏に走馬灯のようにかつての記憶が高速で再生され始める。

 

 

 ――宝石箱を手にするためやも知れないか――お望みとあらばこの宝石箱を全て――ちっぽけな存在かもしれぬぞ――

 

 

 そして、運命の場面にたどり着いた。

 

 

 ――世界征服なんて……面白いかもしれないな

 

 

 

「ここじゃ!」

「?」

 

 

 アインズは思わず声をあげ、慌てて手を口で塞ぎここじゃん! の言葉を途中で飲み込む。全身から汗が噴き出て、地面がなくなったかのような感覚に襲われる。ここは空の上で自分の身が骨である以上どちらもあり得ないのだが、これはまずい。なぜ事前に思い出せなかったのか、と営業先で資料を忘れてきたのに気が付いたような猛烈な焦燥が押し寄せ――アインズは光り輝いた。冷静さが戻ってくるが、状況は変わらない。

 

(デミウルゴスが言っていたあの時ってここか!……なんだよ、俺自分ではっきり世界征服宣言してるじゃないか……)

 

 デミウルゴスの深読みしすぎの結果なんだろうなあ、と思ってた自分を恥じ心の中で謝罪する。だがそれは状況を何ら変えるものではない。アインズは顔をぐっと上に向け、月を睨む。もちろん意味はない、さんざん練習した時間稼ぎポーズの一つ“天を仰ぐ”である。わずかだがこれで沈黙の時間が稼げるだろう。だがどうする? 前回の言葉を全て破棄して風景を褒め称えてお茶を濁すか。

 

(いや、それは不味い)

 

 あれだけの長期にわたり、デミウルゴスが行動の指針としてきたのがここでの世界征服という発言なら、せめてそれに類する指針を与えなければデミウルゴス……いやあの時の守護者やシモベの反応から考えて、ナザリックに存在する全ての者の行動が大きく狂ってしまう恐れがある。だが、世界征服そのものずばりは好ましくない。自分自身にそのつもりはないのだから記憶の先の未来に禍根を残すとしか思えない。ここで修正せねば、と頭から煙が出るほど高速で考えるが上手い言葉が見つからない、ポーズによって稼げる想定時間はもうとっくに過ぎている。不審がられる前に何か言わなくては。ままよ、とアインズは意を決して言葉を紡ぎ始める。

 

「……私がこの世界にやってきたのは、この地をより美しく輝かせるためやもしれぬ」

 

 自分でも何を言っているのかはわからないが、記憶にある言葉をぼかして発言しているだけなので仕方がない。

 

「……まさに至高の御方にふさわしき御言葉。この世界がモモンガ様の御威光によって遍く照らされた暁には、この世界はより美しく光り輝くことでありましょう。その偉業のために我らナザリックの者達をお使いいただけるのであれば、この上ない喜びでございます」

 

 流石デミウルゴス。発言した本人が何を言ってるのかわからなくとも、デミウルゴス自身が何を感じたのかこちらにわかるように的確に返してくれる。流れとしては間違っていないようだ。記憶の言葉をたどって時間を稼ぎつつ、落としどころを探る。

 

「ここは未知の世界。我々を上回る強大な存在が跋扈する恐るべき世界の可能性だってあるのだぞ?だが……そうだな」

 

 大地を睥睨し、またわずかな時間を稼ぐ。世界征服は駄目だとするとどこまでなら?前回の記憶の最後、魔導国建国が頭に浮かんだ。これだ、とマントを片手で跳ね上げる。

 

「この地に我らが国を築くのも悪くはないかもしれないな……我が友たちからも見える輝きを放つような国を」

 

 よし、おそらくうまくいった、とアインズは確信するというか思い込むことにする。国家を樹立するのは記憶通りだし、この後のアインズ・ウール・ゴウンの名を響かせよ宣言とも矛盾しない。悪くない落としどころと言える。最後の台詞は自分でも意図していないまま自然に出てきたので、本心なのだろう。前回1年もの間プレイヤーの影や匂いはこの世界から多数感じ取れたが、ギルドメンバーの手掛かりは全くつかめなかった。だがこの世界は広く、王国や帝国も大陸の端の国であり東にはまだ多くの国々が存在すると言われていると知っている。アインズ・ウール・ゴウンの名をその国々まで響かせたい。

 

 そこまで思考が走った時点で現状を思い出し、査定結果を確認する心境でデミウルゴスの反応を見るため視線を動かそうとした――その時、眼下のナザリック大墳墓周辺で異変が生じる。そのため、アインズは再びデミウルゴスの表情を見逃した。突如、大地が鳴動したかと思うと地面から次々と植物が湧き出すように現れ、そして大木が1本天に向かって突き出すとその周辺にも次々と大木が出現し、森へと成長していく。

 

「クラススキルに加え範囲拡大のスキルを併用しているな、見事なものだ。先程まであの場所が草原だったとは思えぬ。マーレは作業を順調にこなしているようだな」

 

「はい、マーレ以外にもドルイド系のクラスを保持しているもの達を動員して作業を進めておりましたが、残念ですがあれ程の規模となるとマーレ以外では難しい上に効率が悪く……現在はマーレに魔力を渡す役割に徹しております。この場合クレリック系のクラスを保持するものも動員できますので結果、作業効率は数割上昇したかと」

 

 なるほどとアインズは満足げに頷いた。これは前回からアインズが修正した結果の1つである。ナザリック大墳墓に土をかけて隠すという隠蔽作業が土を大規模に動かす、動かした土を不自然にならぬように整える、むき出しになった大地に植物を生やす、ナザリックだけが盛り上がってると目立つので他にも同様の手順で丘を作るという膨大な作業量になってしまったのを反省し、周辺を深い森にすることでナザリックを隠蔽せよ、つまり植物を生やすだけに簡略化しようという修正だった。

 

 これはマーレの提案である土をかけ、植物を生やすという部分から守護者たちには明らかに不評であった部分を取り除き、マーレの提案を却下するでもなく作業量を大幅に軽減できる良い修正だと自画自賛していたが、こうやって結果を目にすると苦労して考えた労力や疲労も報われるというものだ。アインズは先程までの焦燥も忘れ、誰が聞いても機嫌がよいと感じられる声を発した。

 

「さて、ではマーレの陣中見舞いに行くとしよう」

 

 

 無事にマーレ、アルベド、デミウルゴスにリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを渡して、うまく仕事を終えられたと上機嫌なアインズは、転移によって第9階層に戻り自室に向かって歩を進めていた。一旦戻ったら、その後はリラックスバスルームであることも足取りを軽くする。

 

(デミウルゴスにリングを渡した時、アルベドがあからさまに落胆してたけど……マーレにも渡してあるのだし問題ないだろ)

 

 そういえば転移時に変な声がしたっけ、と思いだし耳を澄ませていたがそんなことはなかった。やはり気のせいだったのだろうなどと考えつつ、アインズは自室の扉を開け――硬直し発光した。

 

「おかえりなさいませ、モモンガ様」

 

 鋼の様に芯の通った重々しい声で、セバスがこちらに向かって礼をしている。そして視界の端には涙目のナーベラル。アインズの脳裏に先程と同じく走馬灯のように前回の記憶が蘇り――全てが後の祭りだと悟った。セバスが口調はそのままに先程よりも重々しく、力のこもった声でこちらに問いかける。

 

「ところで……差し出がましいようですが、モモンガ様は供も連れられず御一人でどちらに?」

 

 ――この後めちゃくちゃ怒られた。

 

 

 

 

 セバスは今回も怖い。

 




4話に引き続き、多数の感想とお気に入り登録、誤字報告ありがとうございます。ご指摘を受けた部分は修正できてると思います。

カルネ村に行くために実は結構話が飛んでいます。
次回、ようやくカルネ村……だといいなあ


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Misunderstand

 アインズは前回行った様々な実験は最低限に留め、浮かせた時間で様々なことを指示する傍ら、秘密のノートに思い出せる限りの記憶を書き込んでいた。部屋にはナーベラルがいるが、待機場所として指示した位置から自分が何をしているかは見えないはずだ。これもエ・ランテルで一般メイドの眼を盗み続ける方法を模索していた賜物である。

 

「ううむ……やはり細かい時間経過と日付は全然思い出せないな……大丈夫なのか、これ」

 

 転移直後からシャルティアの事件収束あたりまでは経過日数などもわりと鮮明に思い出せるのだが、その後のモモンとして活動してた頃になるといつ、どこで、何をしていたかいまいち思い出せないのだ。これはアインズが睡眠不要のアンデッドであることが原因だろう。日付に関しての感覚がやや曖昧なのだ。その上、この頃は現地の文字が全く読めず――今でも数字やいくつかの単語しか覚えてないが――暦を意識できなかったこと。モモンとして活動していた期間、長い割には大きな事件がなかったことも原因だろう。

 

(ヘロヘロさんもINしなくなる少し前は今日は何曜日でしたっけ?あれ?じゃあ今日は何日?って毎回言ってたっけ…規則正しい生活って大事だなと思ったなあ。あー今回はもうちょっとこっちの文字も覚えないとな、日記をつけておく必要があるし)

 

 ゆえにこちらの暦や文字も併記して日記をつけておく必要がある、とアインズは考える。もし再び同じ状況に陥ったとすればその日記も消えてしまうのだが、活字として書きだす事で記憶が強化されるのは常識だ。もしロールバックで持ち越せるのが自分の記憶だけなのだとすれば、これは最重要課題の一つといえるだろう。鈴木悟も提出させられた日誌に日々書き込んだことはわりと覚えていたし、後で見返すことでその時は大したことのない情報と思ったことが後々役立つことがあったことを思い返す。

 

「途中からアルベドに丸投げしてたツケだなあ、これは」

 

 前回、転移直後こそ自分で情報を把握しようとしていたが、時間が経過するとともにアルベドが秘書のように対外的な予定の管理をしてくれるようになったので、ついつい任せていたのもよくなかったのかもしれない。対外的なスケジュールを把握しているものが自分以外にもいることは必要ではあるが、それに慣れ切って自分で自分のスケジュールを管理することを放棄していたことは反省しなければ。

 

(シャルティアに関してはこの作戦で大丈夫かな……いや、時間をおいてもう一度見直しだ。これは失敗できない、念には念を入れないと)

 

 一番時間を割いているであろう直近の難題に幾度目かの修正を加え、アインズはノートのページをめくる。

 

(そして魔樹で守護者の連携確認、これちょっと方法考えないとなあ、全員一斉にじゃなくて細かくチーム分けをするとか、誰かを指揮官にするとか。リザードマン……これはそのままでいいか? ハムスケの森を支配してた東の巨人と西の蛇を潰したのもこのあたりの筈だな。セバスが王国でツ、ツ、ツ……ニニャの姉さん拾って王国で大騒ぎになった件は……駄目だ、事件の規模が大きいしエントマの件もある、じっくり考えねばならない、これは後でもう一回時間をとろう)

 

 大きな事件は見開きでページを確保し、思い出したことがあったらその下に書き込んでいく。そうやって書き込みをつづけ、修正した方がいいと思える部分に修正案を書き込むという作業に没頭していたアインズは、アラームの音で手を止める。

 

「……さて」

 

 支度をしなければいけない。インベントリからあらかじめ用意して置いた仮面とガントレットを取り出す。その仮面は黒く、のっぺりとした表面には白字で眼のような文様が書かれていた。名称はマスク・オブ・ホルス。ガントレットもまた黒く、金の装飾が施されており指先が鋭く尖っている。名称はガントレット・オブ・イビル。これらはアインズがかつて、無自覚にとある人物の影響でとある病気を発病中のころ、悪い魔法使いロールプレイ用に自ら作りだしたマジックアイテムである。

 

(これはタブラさんに見せてもらった……ホルスの眼って模様だったか、あれ見て気に入っちゃって仮面のデザインにしたんだよなあ)

 

 出来上がった仮面を装備してタブラさんに見せにいったら「モモンガさん、ホルスの眼って片目のヒエログリフだから両方あるのはちょっと、あと定められた比率があってね、そもそも鳥の頭を持つ神だから仮面の形が」とダメ出しされ、それを聞いていた死獣天朱雀さんが「ホルスの眼は右眼と左眼にそれぞれ別名があり意味がある、ルーヴル美術館には両目が記された壁画が所蔵されているが知っているかねタブラくん」などと言い始めたものだからタブラさんと死獣天朱雀さんで珍しく言い合い、と言っても横から聞いてる分には互いの情報交換にしか見えないような喧嘩を始めたりしたっけ、とアインズは懐かしく思い出す。

 

 ちなみに他のギルドメンバーはおおむね微妙な反応だった。例外としては、ウルベルトさんが片目の方がよいと思うが、ならば逆に額に宝石を付けて……と真剣に検証してくれたのと、るし☆ふぁーとペロロンチーノが腹を抱えて笑いやがったことか。彼らの悪行をしかるべき人物達にリークしたのも、今となってはよい思い出である。

 

 なぜこんなものをアインズが用意したかと言えば、ひとえに前回アインズ・ウール・ゴウンとして対外的に被っていた嫉妬マスクが正直、嫌だったからだ。なぜ自分は毎度毎度、このある意味呪いの嫉妬マスクを用意してるんだろうと思ったことも何度かあるぐらい。そこで、今回は衣裳部屋から宝物殿まで自分の所持アイテムで目的にぴったりなものが無いか探しておいたのだ。ギルドメンバーの反応から一抹の不安はあったが、アインズは自分のセンスを信じることにした。

 

「まあ、こちらの人間は美的感覚がちょっと違うからな」

 

 不安からあらかじめ自分に保険を掛けたアインズは更にいくつかのアイテムを懐に入れ、遠見の鏡を設置。伝言を飛ばしいくつか指示を出すと、セバスに部屋に来るように伝えよとナーベラルに命じたのだった。

 

 

 

 

「なめないでよねっ!」

 

「ぐほぉ!」

 

 不意を打ってエンリ・エモットは眼前の騎士の顔面に、全力で握っていた石を叩き付けるように投げる。鈍く重い音が響き、騎士はたまらず大きくよろけて倒れこんだ。

 

「ぎ、ぎじゃまぁぁぁ!」

 

 後ろから怒声が飛ぶが気にしてはいられない、とにかく森に入って逃げ延びなければ、自分もネムも命はない。今ので稼げた時間は僅かだろう。だが金属鎧をきている騎士は軽装の自分たちより速く長くは走れないはずだし、森の中奥深くに入ってしまえば、土地勘もない相手はそうそう追っては来られないはずだ。

 

「あっ!」

 

 だがエンリの会心の一撃を無にするかのように妹、ネム・エモットが転倒した。急ぐあまり、ネムの走れる速度を大きく超えてしまっていたようだ。騎士が立ち上がってこちらに向かってくる。その騎士を助け起こしたらしい騎士も一緒だ。ざっと周りを見回すが都合よくさっきのような石も太枝すら落ちてはいない。

 

 間に合わない、せめて妹が逃げる時間を稼がなければ、そう思い、エンリは覚悟を決めて転んだ妹と追ってくる騎士達の間に立ち、騎士達をにらみつける。するとエンリの前で騎士達は突然、足を止めて自分を見ておびえるようなしぐさをした。自分にひるんだわけではないだろう、いったい何がー

 

「貴様!一体」

 

<マジック・アロー/魔法の矢>

 

「ごっがっひげぇ!」

 

<ライトニング/電撃>

 

「ほぎゃぁ!」

 

 後ろから声が響くと、直後に騎士達が悲鳴を上げる。1人は光弾で宙に跳ね上げられると、続けて着弾した光弾によって空中でダンスを踊り地面に落ちて動かなくなった。もう1人はものすごい音と光がしたと思ったら、煙を上げて倒れていた。髪をたき火で焼いてしまったような嫌な臭いが周囲に立ち込める。

 

 後ろに何かがいる……先程騎士に追われていた時の数倍の恐怖に襲われるが振り返らないわけにはいかない。エンリは後ろを振り向いた。

 

「怪我はないか……あー、そこの娘よ」

 

 そこには、両目の周辺に奇怪な文様が描かれた仮面をつけ、豪奢なローブを纏い、宝石で煌びやかに飾り付けられた大きな杖をもった、お話の中から抜け出たようなような魔法詠唱者(マジックキャスター)が自分と妹を交互に見ながら、遠慮がちにこちらに話しかけていた。そしてその声を聞いたエンリは助かった、と気が抜けてその場にへたり込んでしまったのだった。

 

 

「怪我をしているな、治してやろう」

「え?」

 

 止める間もなく、魔法詠唱者がネムの膝に水晶細工のような容器から赤い液体を振りかけると、ネムの膝にあった擦り傷があっという間に消えてなくなった。だが傷が瞬く間に治るという事は、魔法のポーションだ。魔法のポーションは大変高価なものだということを、エンリは知人から聞いて知っていた。それを子供の擦り傷などに気軽に使っていい物なのだろうか、とエンリがへたり込みながらさらに力が抜けていくのを他所に「痛くない!すごい!」「そうかそうか、よかったな」「ありがとうございます!変な仮面のおじちゃん!」「え……あ、うむ、そうか……変か……」と謎の魔法詠唱者とネムの会話が進んでいく。

 

 ……妙に魔法詠唱者が、初対面なのになれなれ……親し気にネムに話しかけてるような気がするが、気のせいだろうか?いやいや、もしかして子供が好きな方なのかもしれない。変なことを考える前に、まずは命の恩人にお礼を言わねば。

 

「あの、た、助けていただいてありがとうございます」

「気にすることはない、私は通りすがりの魔法詠唱者だ……魔法詠唱者は知っているな?」

 

 緊張から声がふるえたがちゃんと声は出た。質問の答えはイエスだ、たまに村にやって来る薬師のンフィー……ンフィーレア・バレアレとその祖母リィジー・バレアレが魔法詠唱者だ。あと昔の伝説や物語でもたびたび登場するので知っている。

 

「はい、たまに村を訪れる私の友人の薬師が魔法詠唱者です」

「うむ、ではえーと……これを渡しておこう」

 

 魔法詠唱者がこちらに何かを放って投げる。慌てて受け取ると小さなおもちゃのような角笛が2つ、掌の中におさまった。

 

「それは小鬼(ゴブリン)将軍の角笛というマジックアイテムだ。吹けばゴブリンの兵士が現れ、お前達を守ってくれる。何かあればそれで身を護るが良い……そうそう、護りの魔法もかけておいてやろう。安全になったと思うまで出ないことだ」

 

 よくはわからないが、これを吹くとゴブリンの兵隊さんがでてきて、自分たちを守ってくれるらしい。ぼおっと角笛を見つめていると、自分達の周りに半球状の光の壁が出現した。驚いて目を丸くしていると「なにこれ!すっごい!」「うむ、生き物……獣や魔物を通さない魔法だ、姉と共にここでおとなしくしていなさい(なでなで)」「はい!」驚いて目を丸くしていると魔法詠唱者が踵を返して歩き出したのを見て、エンリは慌てて声を上げる。

 

「ま、待って下さい!」

 

 魔法詠唱者が、慌てた素振りで振り向く。こんな小娘の言動を、そんなに気にかけてくれるのだろうか。血だまりに沈んだ自分の母の姿、ならず者の騎士にしがみついたまま刺される父の姿が浮かぶ。自分たちの村が襲われており、村を救ってほしいという事をこの魔法詠唱者に伝えなくては。

 

「旅の魔法詠唱者様、私たちだけでなく、私たちの村も襲われてるんです!どうか、どうか村を救ってください、お願いします!」

「お願いします!」

 

 自分の様子を見て妹も声をあげ、頭を下げた。祈るような気持ちで待っていると、頭上から先程と同じ……だが強く自信に満ちた声が響き渡った。

 

「よかろう!我が名はアインズ・ウール・ゴウン、この名に懸けてお前達の村を救ってやろう」

 

 エンリは魔法詠唱者が歩き出す気配を感じたが、頭は下げたまま上げなかった。その頬から大粒の涙が流れ、やがて森に嗚咽の声が聞こえ始める。

 

「お父さん……おかぁさぁぁん……」

 

 どのくらいそうしていたかはわからない。だが唐突に至近距離から鳴った金属音が耳を打ち、エンリははっと顔を上げ――森に悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

「うーむ、介入タイミングがかなり早かったか。わかってると、はやめはやめで行動しちゃうよなあ。まあ大怪我をしなかったわけだし、いいだろう……しかし姉の名前が咄嗟に出てこないとは」

 

 カルネ村とネムの名前はしっかり覚えていたため、予定を立てる際に姉の名前の確認が思考の死角になっていた。名前が出てこなかったことで焦りが生まれ、細かい記憶が思い出せずにさらに焦るという悪循環。そして幼い子供故の正直かつ肺腑を抉る感想……まさか光るとは思わなかった。アンデッドでなく眼球があれば泣いたかもしれない。何か手順を違えていないか、と歩きながら再確認をし始めたアインズは重要なことを思い出した。

 

 

「あ、デス・ナイト」

 

 

 デス・ナイトの召喚を思い出したアインズは思案する。騎士の死体からは少し離れてしまった。戻るのは3分とかかるまいが、今から姉妹のもとに戻るのは、なんか間抜けだし、おかしいしかっこ悪い。デス・ナイトは死体無しVerでいいか、と結論を出したアインズはスキルを使用する。

 

 

 ――中位アンデッド作成 死の騎士(デス・ナイト)――

 

 

 虚空から黒い靄が現れ、人型へと変化した。現れたのはアインズが好んで使う壁用アンデッド、デス・ナイトである。アインズは召喚モンスターとの精神の繋がりを使用して敵騎士たちの情報をデス・ナイトに送り、指示を与える。

 

「ゆけ、こいつらを逃がすな、逃げるものは殺せ」

 

「オアァアアアアア!」

 

 デス・ナイトの眼下に赤い光が宿り雄たけびを上げ、走り出そうとしたその時、アインズの後方――今歩いてきた森から絹を裂くような、女性の悲鳴が響き渡った。

 

「――アルベド!」

 

 即座に悲鳴の原因に思い当たったアインズはデス・ナイトに一歩近づき最速で魔法を発動する。

 

<グレーター・テレポーテーション!!/上位転移!!>

 

 

 

 

 

 アルベドは転移門をくぐり、眼前の状況を確認する。粗末な武装の下等生物(ムシケラ)の死骸が2つ、その前で不快な音を立てている雌の下等生物が2匹。察するに自分の仲間が潰されて、嘆いているというところだろうか。おそらくは、恐れ多くも至高の御方の手によって死を賜ったのだから歓喜するべきなのに……所詮は下等生物か、と呆れつつ生きている雌下等生物を観察する。

 どちらかが魔法詠唱者なのか、生意気にも防御魔法を展開しているようだが、自分から見れば問題にもならない低位の魔法だ。何の障害にもなりえない、そう考えてる間にも不快な音は流れ続けている。ソリュシャンなどはこの音を楽しげに聞くのだろうが、自分には下等生物の声を聴いて喜ぶ趣味はない。

 

(……煩いわね)

 

 潰してしまおうか、と手に持った3F――自らの得物であるバルディッシュ――を意識する。しかしこの場には至高の御方であるモモンガ様が先にいらっしゃってる筈、にもかかわらず下等生物が2匹も生き残っているという事は、戯れに見逃されたのだろうか。それとも何らかの意図をもって生かされているのか……いずれにせよ情報が足りない。

 

(まずはモモンガ様と合流しなくては)

 

 モモンガ様に伝言を、と魔法を発動させかけるが、シモベである自分が至高の御方を見つけられずに伝言で場所を尋ねるのは不敬ではないだろうか?という考えがよぎる。ただでさえモモンガ様には1回……いやそれ以上に無能をさらしているのだ、自身の行動は慎重を期すべきだろう。そう判断し、アルベドは下等生物に近づく。魔法の範囲外、至近距離まで近寄るが、相変わらず下等生物は不快な音を立てるばかりでこちらに気が付かない。感覚器官が余程鈍いのか、と苛立ちこのまま3Fを薙ぎ払いたくなるが我慢して一歩、音が鳴るように踏み出す。

 

 下等生物が身じろぎ、顔を上げてこちらを見て、不快な騒音――悲鳴――を上げた。いやぁいやぁと鳴き声を上げつつも大きい方が、小さい方を引き寄せている。煩い、そして醜い。ここ数日燻っている苛立ちの感情が大いに逆撫でされる。

 

(殺さなければよいかしら、ね)

 

 モモンガ様がこの雌下等生物共を何らかの意図で生かして置いたのだとしても、黙らせるために足の1本を斬り落とすくらい、即座に治せば問題ないだろう。絶対に死なないように足を切り落とすことは容易だし、出血などによる継続ダメージを発生させないことも可能だ。

 

 アルベドはゆっくりと、対象に恐怖を与えるような動きでバルディッシュを構え、振り降ろした。

 

 

 

 

 

 

 エンリ・エモットは突如現れた黒い騎士を見て、自身の口から悲鳴が上がるのを抑えられなかった。それは生物として負の感情を放つ圧倒的上位者を前にしたがための反応だったのだが、そんなことは彼女にはわからない。自分の周囲に先程の魔法詠唱者の護りの魔法があると分かってても、抑えきれぬ恐怖が身を貫いたことで涙と鼻水をこぼし、嗚咽を上げながら妹を引き寄せるのが精いっぱいだったのだ。妹も涙を流し震えている。

 エンリは恐怖の中、自分が弱者であることを憎んだ。今日起こったことは全て自分が、自分たちが弱者で相手が強者だったからだと気が付いたのだ。だが、弱者がこの瞬間に強者になることはあり得ない。目の前の黒い騎士がゆっくりと武器を構え、振り下ろすのから目をそらさぬことだけが、彼女のできる抵抗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 転移してきたアインズはその光景を見た瞬間、自らの過ちを正すべく行動した。

 

「デス・ナイト!」

 

 アインズと精神の繋がりを持っていたデス・ナイトは主人の意を汲み、その声が発せられる前、転移とほぼ同時にアルベドに向かって彼の持つ固有スキル――あらゆる攻撃をその身に引き受ける――を発動させつつ、突進していた。自らを待ち受ける運命を知りつつ、身を投げうつ彼の体には主人の使命を果たせる喜びと誇りが漲っていた。

 

 

「オアアアアアアァァァァァ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「びえぇぇぇぇぇぇん!!」

 

 

 アインズの目の前に、ぺたん座りで泣き続ける全身鎧に身を固めたアルベドと、それをやはり地面の染みに座り込んだまま呆然と見つめるエンリ、怖いもの知らずにもアルベドに近づき「大丈夫?泣かない泣かない」と声をかけ始めたネムがいた。

 

 あの直後、デス・ナイトが発動した固有スキルによって、アルベドの攻撃は軌道を変え突進したデス・ナイトに突き刺さった。デス・ナイトはそのままの勢いでアルベドに衝突し、HPが当然の如く1しかなかったデス・ナイトは虚空に黒い靄をまき散らして消滅した。後に残されたのは何が起こったか全くわからないエモット姉妹、間に合った……と安堵するアインズ。そして自分の手元を見て、アインズを見て、消滅しつつある黒い靄を見て、自分が今何をしたのか理解してしまったアルベドだった。そして今はこの様である。

 

 

「――――――はぁ」

 

 アインズは思いっきりため息をつくと、疲れ切った声で投げやりにスキルを発動させる。

 

 ――中位アンデッド作成、です・ないと――

 

 騎士の死体に黒い靄がとりついてデス・ナイトが現れるが、誰もそれを見ておらず、気にしていない。そんな状況の中、新たに生み出されたデス・ナイトはどこか困ったように頭を動かした後、気まずそうに主人の命令を果たすべく村へと向かった。

 




多数のご感想、お気に入り登録及び誤字報告ありがとうございます。修正もできてると思います。今後ともよろしくお願いいたします。


ついに!カルネ村に……ついてませんね、これは。次回こそカルネ村です。


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Instability

 アインズはやって来たエイトエッジ・アサシンの部隊に、村の周辺に別行動の騎士たちを発見したら報告を、ただし数名ほどの少人数であれば捕縛しておけと指示をだす。

 

「はっ、承知いたしました」

 

 おそらく隊長格のエイトエッジ・アサシンなのだろう。一体が一歩前に出てこちらに礼をすると、頭をわずかに横に動かし――そのまま部隊を率いて出立した。

 

(さて……)

 

 アインズは、先程エイトエッジ・アサシンが頭をわずかに動かした先にある黒い塊を見て、どうしたものかと思い悩む。一見“黒曜石の突撃甲虫(オブシダント・アサルトビートル)”が威嚇しているようにも見えるそれは、土下座したまま動かないアルベドである。先程の隊長エイトエッジ・アサシンは当然気づいて一瞥したのだろうが、スルースキルを発動させることにしたのか全く触れずに出立した。よく出来ている、いっそ名前でも付けるか。

 

 ちなみに“黒曜石の突撃甲虫”は、ヘルヘイムのある洞窟ダンジョンにしか生息しないマイナーなモンスターだ。黒曜石の名を冠する魔法や装備の強化が可能なデータクリスタルという、非常にニッチなアイテムをドロップする。珍しい特性がありマイナー故そのことを知らなかったアインズ達はひどい目にあったのだが……まあそれは今思い出すことでもない。

 

 約束した手前、早急にカルネ村に向かわなければならないが、座り込んで泣いているアルベドを置いていく訳にもいかない。そこでアインズはエモット姉妹に先程のデス・ナイトは自分の使役モンスターであることとアルベドが自分の従者であることを伝え、姉妹を攻撃したのが誤解であるが、と前置きした上で詫びた後、アルベドを立ち上がらせ「黙るのだアルベド、ここを離れるぞ」と耳打ちし、沈黙したアルベドの手を引いて行動を促した。その後はとぼとぼと後をついてくるのを確認しつつ、カルネ村まであと少しの場所に来たわけなのだが……

 

(ここまで来たら、突然土下座して“モモンガ様のお慈悲をもって私の首をお刎ね下さい”だもの)

 

 本当はもっと長く何かを言っていたのだが、フルフェイスの兜をかぶって泣きながら喋っていたため、最後のその部分しか聞き取れなかった。無論、アインズにその言葉を聞き届ける気はない。

 

 自分がエモット姉妹を守ったことで、アルベドは保護対象を攻撃というミスをしたと思ってるのかもしれないが、それは段取りが狂って焦ってあの場を離れ、アルベドに情報を渡さなかったアインズが全部悪い。そもそもアルベドが、自分の開いた転移門から出てくることを思い出すだけでも防げた事故だ。

 

 しかしどう声をかけていいのか咄嗟に言葉が出ず困っていたところ、エイトエッジ・アサシンの部隊が到着したことで冷静さを取り戻したわけだが……と考えたところでアインズの頭にある場面が思い浮かんだ。この流れで進めてみよう。

 

「アルベド、頭を上げよ」

 

 僅かにピクン!と動いたが、やはりアルベドはその体勢を保持したままだ。アインズはアルベドに近づき、膝をついて肩に手を置きもう一度声をかける。

 

「……アルベドよ、頭を上げてくれぬか?」

 

 肩に手を置かれたことで、アルベドがようやく顔を上げる、と言ってもフルフェイスの兜をかぶっているためその表情を見ることはできない。

 

「ぼっぼぼんがざばぁ……」

 

 おそらくモモンガ様と言ったのだろうが未だ泣いていたのか、全く発音できていない。兜の隙間から液体……粘液が垂れているがかまわず、アインズは言葉をつづける。

 

「アルベド、先程の件は私の失態だ……些か不測の事態があったとはいえ、お前に情報を伝達することもせず転移門より離れて行動してしまった。全ては私の責。お前が気に病むようなことは何もない」

「ぞんな!モモンガ様に責など微塵もございません、わっ私が己の狭い見識で行動し………もっモモンガ様の創造なされたシモベに愚かにもこっ攻撃を……」

 

 え?そこ?とアインズは虚を突かれたが、この頃のアルベドを含むナザリックのほとんどの面々は、人間をゴミ虫とすら思っていなかったことを再認識する。前回の終盤では人間であっても、それなりの利用方法や価値があり人格を認めているように守護者達も変化していたため、失念していたようだ。

 

(己の記憶に残っていることは、細かい――くだらないことまで対策をとっていたというのに……糞、いまだに前回との認識ずれが修正できてないとはな)

 

「しっ……しかも私のせいでモモンガ様がム、下等生物にしゃっ謝罪されるなどと!……お願いいたします。私に存在する価値はありません、慈悲をもって断罪を……」

 

 アインズが自分の思考に意識を持っていかれていた間にも、アルベドの告解は続いている。自分の予想と謝罪内容はずいぶん違うが、先程考えた流れどおりに言葉を進めることにする。

 

「アルベド」

 

 なるべく重々しい口調でアルベドの名を呼ぶとはっ、とした雰囲気でアルベドがこちらを見た。

 

「ナザリック大墳墓の主、お前達の支配者たるこの私がお前に罪も責もないと、そう言ったのだ。アルベド、私の言葉ではお前の涙を止めることは出来ぬのか?」

 

「そんなことはございません!……勿体なき、本当に勿体なきお言葉です。ですが、モモンガ様のシモベを攻撃したという事は至高の御身に弓を引いたも同じ。そう思うと私はっ……」

 

 やはりか。アインズが先ほど思い出したのはシャルティアの一件。いくら自分が許すと言っても、失態を演じたと思っている守護者達は、自責をやめることはないのだ。ならばこう言うしかない。

 

「……ならばアルベドよ、お前に罰を与える。だがそれは今ではない」

 

 アルベドの眼をまっすぐに見て、肩に乗った手に力を籠め、少し引き寄せる。

 

「アルベド、状況を顧みるのだ。今、我々ナザリックは危急存亡の事態のただ中にある。この状況で、守護者統括であるお前をこんなことで――たとえお前が私のシモベでなく、私自身に傷を与えたのだとしても失うわけにはいかぬ。ナザリックには、私にはお前が必要なのだ。わかるな」

 

「……」

 

 アルベドが沈黙する。ひっくひっくという泣き声その他異音も聞こえなくなったので、平静を取り戻したのだと思うが……これはもう一押しが必要なのだろうか。

 

「私が……モモンガ様に……」

 

「そうだアルベド。私には、お前が、必要だ」

 

 言葉を切って、強調して話しかけると、アルベドの眼に光がともる。フルフェイスの兜越しに光が見えるのを、そう表現していいならではあるが。それを見て、アインズはアルベドが立ち直ったかな?と考え姿勢を正す。程なく何かを呟きつつアルベドも立ち上がり、アインズに礼をとった。

 

「醜態をさらしました。守護者統括としてあるまじき振舞、沙汰があるまでは職務の遂行によって汚名を雪がせていただきます」

 

 アインズはその言葉を聞き、自身のミスによって起こった不測の事態の収拾が出来たことで胸をなでおろす。その安堵の雰囲気がアルベドにも伝わったのか礼を解いた。兜によって見えないが、今は守護者統括として仕事をしているときの顔になっているだろう。

 

「さて……ではアインズ・ウール・ゴウンが悪逆非道のならず者から、無辜の民を救いに行くとしようか」

 

 アインズがカルネ村に向かって歩を進めようと踵を返したところで、角笛の音が村から聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「お前たちの内2人を残して……そうだな、お前とお前は動くな……二度とこの周辺に近づくな、さもなくば貴様たちの故郷に死を撒くと飼い主に伝えろ……ゆけ」

 

「はひぃ!わかりました!」

 

 ゆけ、と言われた生き残った騎士たちは命が助かった喜びを顔に浮かべたあと、一目散に走りだした。残された2人は今にも死にそうな顔をしているが知ったことではない。万が一、逃げだしたところを殺してしまわぬように2人の頭を掴むようデス・ナイトの命令を変更する。

 

(お前たちの方がおそらくはラッキーなんだぞ?今回はガゼフとある程度関係を強めないといけないし、手土産は多い方がいいだろうからな)

 

 前回逃がした騎士を今回2人残したのは、これからやってくるであろうガゼフ・ストロノーフに引き渡すためである。そして逃がした者どもは1~2人を残して捕縛するように指示は出してある、それに比べれば彼らは幸運であろう。前回と違い命令を殺せではなく逃がすな、にしたことで倍以上残っているからこそとれた手段だ。

 

 前回、ガゼフとは残念ながらああいった形で決別することになった。後々そしてここに来る前も考えていたが、やはり敗因は関係性の希薄さだったのではないかとアインズは考えたのだ。いくら命を救われたとはいえ、半年以上一回も会うことのなかった相手、しかも戦場で敵同士の脅迫めいた状況で“部下になって”といわれてYESと返答できるだろうか?答えは否であろう。

 自身の知識にもあった筈なのに、ヘッドハンティングの手順というものをすっ飛ばしすぎた。親交を深め、相手の現状の不満点や目指す目標をリサーチ、そして雇用条件であれ今後の展望であれ、相手にとって有益かつ魅力ある条件を提示し勧誘するのが基本。それまでの人材勧誘が拍子抜けするほど上手く行ってたがために、やや安易に考えていた部分があったことは否定できない。

 

(なので、まずはステップ1)

 

 まずは親交を深めるための手をうっていくことにする。ガゼフは村々の襲撃が法国の仕業であると看破していたし装備も持ち帰っていたから、今回生きている騎士を渡したところで王国の結論は変らないだろう。だがガゼフの手柄として考えた場合、大きく上昇するのは間違いない。こちらが売れる恩の量はそれに伴って上昇するだろう。前回騎士を全員逃がしたことで、村人から不満がでたこともある。アインズはこちらを呆然と見ている村人たちに向き直り、声をかける。

 

 

「さて、あなた方はもう安全だ、私はアインズ・ウール・ゴウン。通りがかった森で姉妹が暴漢に襲われていたのを助けたところ、この村も救ってほしいと依頼された魔法詠唱者だ……ところで、報酬はいかほど頂けるのかな?」

 

 

 騎士はデス・ナイトが頭を握った状態で武装解除及び拘束を施した。ただ、このままでは復讐心で村人が袋叩きにして殺しかねないので――人の心が失われかけていてもそれぐらいはわかる――村で拘留して役人に突き出すことを提案する。そうすれば村にもなにか役人から褒賞のようなものがもらえるかもしれないし、事件の原因が判明することで事件の再発が防げるかもしれないという説明を聞いて、少なくとも村長や大部分の村人は納得したようだ。拘留が長期になれば村人の誰かが何かのきっかけで復讐を行うかもしれないが、ガゼフがこの村を去るまでなら流石に持つであろう。

 

「デス・ナイト、そいつらを押さえておけ……逃げようとしたら潰してかまわん」

 

 ことさら聞こえるようにデス・ナイトに指示を出してから、村長たちの家であらためて自分が森の中で襲われていた姉妹に出会った事、村が襲われていると助けを求められたこと、自分は北の地で研究を続けていた永き時を経た魔法詠唱者で、現代の情勢に疎い為いろいろと教えてほしい事など前回同様の事を伝え、協力を求める。ただちょっと違うのは

 

「それでは報酬は銀貨50枚分と……残りは頂く情報、村の方々が私に関することを外部に話さない事、最後に私がこの村に居を構える、といっても実際に住むわけではありませんが……許可を頂けるということでよろしいでしょうか」

 

「ゴウン様はこの村の恩人でございます。お断りする筈がございません。この騒ぎで空き屋になる家もありますでしょうし、ご提供させていただきます。しかし、なぜ貴方様ほどの方がこんな、私が言うのもなんですが何もない村に?」

 

 まあ、そう思うよなあ、とアインズはあらかじめ用意しておいた答えを返す。

 

「先程お話しした通り私はここより北の地で研究を行っております、そして多少距離はあるとはいえこの村が一番近い人里です……今後自分が知らぬ街で旅をするにしても、そこで知己を作るにしても、何かを運んでもらうにしても連絡先としてこの村を使わせて頂く方が良いと思ったのですよ」

 

「なるほど……わかりました。村の恩人にご説明を求めて申し訳ありません」

 

「いえいえ」

 

 これもガゼフ関連の一手である。前回、自分は旅の魔法詠唱者と名乗りこの村もすぐに後にすると言ったために、彼は前回王都に来れば歓迎し出来る限りの御礼をすると言っていた。しかし結局王都には冒険者モモンとしてしか立ち寄れず、アインズとしてガゼフに会うことはなかったため、接点が無かった。

 

 だが自分がこの村を窓口にすると話せば、相互にアプローチがとりやすいだろうと考えたのだ。どうせカルネ村は今後ンフィーリア・リィジーを招きいれ、ナザリックの出張所と言ってもいい程様々な手を入れていた場所。自分と連絡をとるための窓口にするにはまさにうってつけと言える。念のため貨幣価値などの確認も行い、ついでに少々のお願い事をしつつも予定通りの手順を終えたアインズは葬儀にいく村長と共に家を出た。

 

 村人が葬儀を行ってるのを眺めてる間に、アルベドがこの村周辺は完全に包囲したことを伝えてきたので、それに伴い新たな指示をいくつか出していると村長がこちらにやってくるのが見えた。

 

「ゴウン様、やはり空き屋がいくつかでましたので案内いたします、お好きな場所をお使いください」

 

「わかりました」

 

 村長に連れられ、アルベドを引き連れて村の中を歩く。村の中は正に襲撃を受けた集落といった有様で死体は片づけられていたものの、地面や建物に血の跡が残る。蹴破られた扉や壊された窓がまた痛々しい。村長に案内された空き屋は多少損傷があるものの充分に住居として使用可能なものだったが、ある考えがあったアインズは適当に理由をつけて1つ2つと断っていく。やがてエモット家の近くまで来たところで村長に話しかけた。

 

「私が助けた姉妹の両親は亡くなられたと聞きましたが、彼女たちはどうなるのでしょうか」

 

「……生き残った村人は皆助け合って生きていかねばなりません、村の一員として必要な事をしてもらうでしょうな」

 

 すぐに返答がなかったことと、村長の言葉の曖昧な内容にアインズは自分の予想が正しかったと知る。あの角笛によってゴブリンを召喚したから、あの姉妹は村に置いてもらえていたのだろう。アインズは前回この世界にも奴隷制度があること、奴隷になる者の経緯を知った時にエモット姉妹の事がふと浮かんだのだ。もしゴブリンを呼び出さなければあの姉妹は王国……は奴隷制度を表向き廃止しているから、帝国などに売られていた可能性すらある。何もせずとも自分が村に居を構えると言った事、あの角笛がある限りは大丈夫だと思うが、念のため補強しておくこととしよう。

 

「こちらの家も空き屋になります、あとその向かいの家で最後でございます」

 

 村長がエモット家の隣の家と、更にその向かいに当たる家を示す。アインズは考えるそぶりを見せた後で口を開いた。

 

「先ほどお話しした通り、私は村に実際に住むわけではありません。下手をすれば年に数回立ち寄るだけとなるかも知れない。となれば私がいない間、家は誰かに管理をしてもらわなければならないでしょうな」

 

「それは……」

 

 村長はアインズの言いたいことをすぐに察したようだ。

 

「管理をして頂くわけですから、管理費として報酬はお支払いする事になるでしょう。村長、適当な誰かに管理をして頂けるようお願いできますか?」

 

「はい……ゴウン様、ありがとうございます」

 

 これでよし。村長とて生き残った姉妹をそのように扱うことは避けたいはずだが、村長という責任ある立場だと苦渋の決断をする必要もあると覚悟をしていたのだろう。ほぼ杞憂ではあるのだが村長には、いやアインズ以外の世界の誰にもそうとはわからないのだ。また、この3日間でさんざん身をもって知ったことではあるが、やはり自分では前回をなぞっていると思って行動していても、記憶の欠落――これは忘れているという意味だが――や修正の影響でやはり起こる出来事にズレが生じている。自分の関わった部分では、更に修正を加えて念を入れる必要がある。ところで、この村長の名は何と言ったか。

 

「では、こちらの家を使わせていただくことにしましょう。中を見ても?」

 

 エモット家の隣の家ではなく、その向かいの家を指定する。確かルプスレギナからのなぜか鼻息の荒かった報告では、この隣の家はバレアレ家予定地。それで何かが変わることもないだろうが、それこそ念のためだ。内見の許可をもらったあと、村長が他の用事のために去っていったのを見て、アインズは建物の中に入る。

 

「ふむ、まあ血の跡もないしきれいなものだな」

 

 ぐるり、と中を見回す。村長の家をワンランク落としたような印象の家だ。厳しい開拓村の家とあって調度品はなく、実用品も最低限しかないようだが実際に住むわけではない以上、気にすることでもない。アインズが地下倉庫の入り口を確認していたところで、立ち直ってから今まで必要最低限の事しか発言せず黙々と後をついてきていたアルベドから声をかけられる。

 

「モモンガ様、ご質問をお許しください……先程からモモンガ様はム……人間達にアインズ・ウール・ゴウンと名乗ってらっしゃいますが、如何なる意図を持っての事なのでしょうか」

 

 アルベドに発言の許可をしぐさで与え、内容を聞いたアインズは自身が再びアルベドに情報を与え損ねたことに気が付く。ムシケラを人間達と言い直しているのは村人に聞かれた場合面倒なことになるので、先程墓地で人間のいる場所では人間を下等生物と呼ぶなと指示したからだが、やはり思考や認識の死角というのはそこかしこに転がっているものらしい。

 

「まずは勝手にギルドの名を名乗ったことを詫びよう……私は今後アインズ・ウール・ゴウンと名乗ることにした。ある目的を達成するまではな」

 

 その瞬間剣呑な光が兜の隙間から漏れ出たが、戦士職をとっていないアインズは気が付かない。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様」

 

「アインズでよいぞ、アルベド」

 

 くふっと兜から感情の乗った音がする。今度はアインズは気が付き、前回の記憶がざらっと流れ出た。即座にこの後の展開を修正する。

 

「今後はナザリック全ての者より、アインズ・ウール・ゴウン、アインズと呼んでもらうこととする、これは私直々に皆を集めて発表することにしよう」

 

「……はい、アインズ様。もう一つご質問をして宜しいでしょうか」

 

 アインズは再び先を促すしぐさをする。しかし、先程と違ってアルベドが先を話そうとしない。手を口元に当て、なにか呟きつつ逡巡しているような空気を感じる。

 

「?……アルベド、質問とは何だ」

 

「は……はい、あの……その」

 

 アルベドが再び逡巡するような言動と態度をとったことに、アインズは苛立ちを感じた。が、その感情は続く質問によって吹き飛ばされる。

 

「あっアインズ様にとって、あの人間のこむしゅめ共は何なのでしょうか!!」

 

「はぁ?」

 

 アルベドが何を聞きたいのかよくわからないが、アインズは自分なりに質問の内容を検討して返答する。

 

「先ほどの件であれば村人に私が徳の高い……ちょっと違うか、情が厚く慈悲深い存在というのを印象付けるために行った事なのだが」

 

「そういう意味ではありません!」

 

「はひっ……ゴホン、ならばどういう意味なのだアルベド、わかるように説明せよ」

 

 アルベドの迫力にはひっ、といいつつアインズは輝いた。光ったため冷静さを即座に取り戻したアインズは、至極当然のことを問う。

 

「あの小娘共は、アインズ様にとって特別な存在なのでしょうか!その……対象として!」

 

「おいおいおい、まてまてまて」

 

 ようやくアルベドの言いたい事を吞み込めたアインズは、自身の潔白を証明するためにゆっくりとした口調で話しかける。こういう誤解を解くときに早口になってはいけない。

 

「いいか、よく聞くのだアルベド。あの姉妹はどうみても子供だ。しかもネムの方はどう見ても、アウラやマーレよりも年下だろう。そういう対象にはならん」

 

「……名前を!名前を憶えられてらっしゃるじゃないでしゅかあぁ!」

 

「あ」

 

 アインズは自分が豪快に地雷を踏みぬいたことを理解した。

 

 この後は理詰めで説得を試みたが「ですが!ペロロンチーノ様も日ごろ幼女最高!と!」とか「私は聞きました!タブラ・スマラグディナ様がかつて王族は10歳前後で結婚していたと!」とおもにギルドメンバーのせいで説得は難航した。

 最終的には「そんなことはあり得ぬ、これは我が名に懸けて真実だ」と場所が場所であるし説得を諦めて強引に上位者として黙らせたが、明らかに納得せずにいるのがまるわかりだったし、ぶつぶつと声が漏れ出てくるのがちょっと怖かった。カルネ村に来る前のあの殊勝な態度は何だったのだろう。

 

 また外に出たところで帰宅していたエンリと出会い、この家を使うこととなったと伝えた時にもエンリがなぜかネムをこちらからかばうような位置に立ったり、ちらちらとネムを時折見つつ、しっかりと手を握っているのに気が付いてがっつり疲れたりしたのだが、まあそれはどうでもいい話。

 

 アルベドがその間、ずっと黙っていたのもおそらくはどうでもいい話。




多数のご感想、お気に入り登録及び誤字報告ありがとうございます。修正もできてると思います。今後ともよろしくお願いいたします。厳しいご意見も頂いておりますが、それも糧として頑張りたいと思います。

ついたよカルネ村、そして次回ようやくガゼフさん。こんなに物語の進行が遅くていいのでしょうか。



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Calm

「来たな」

 

 遥か向こうより土埃が見える。既に周辺に展開したシモベより報告を受けているので、ガゼフ・ストロノーフ率いる戦士団に間違いない。

 

「ご、ゴウン様、先ほどの騎士たちの仲間でしょうか」

 

 村長と幾人かの村人が、怯えを見せた表情でこちらに問いかけてくる。杞憂なのだが、そう考えるのは当然だろう。

 

「先ほどのならず者どもと装備が違うようですので、そうではないと思います。そうであったとしても・・・・・・」

 

 片手を上げ2体の――森で呼んだのとは別の、新たに召喚した1体を含む――デス・ナイトを一歩前に出す。ある目的のために呼んだのだが、おそらくはそれまで持つはずだ。

 

「我がシモベ達を以て、あなた方を守りましょう。ご安心ください」

 

 

 

 

 

 

「この村を救っていただき、感謝の言葉も無い」

 

「いえいえ私も偶然通りがかり、彼らに雇われた身です。報酬も頂いておりますしね」

 

 目の前で頭を下げているのは、まぎれもなくガゼフ・ストロノーフ王国戦士長。前回と一字一句同じ言葉を発し、カルネ村へとおそらくは時間通りにやってきた。ここまで来ると、自分が関わらない部分では必ず同じことが起きる、と思っていていいだろう。

 

「雇われて報酬を受け取った、という事はゴウン殿は冒険者なのかな?」

 

「冒険者ではありません、隠遁していた魔法詠唱者ですよ。冒険者の事は存じておりますがね」

 

「ふむ、ならば私がゴウン殿の名を知らないのも当然か。すまぬが、村を襲った不逞の輩についてお話しいただきたい。あと申し訳ないが、その前にお尋ねしたいことがある」

 

 ガゼフ・ストロノーフの視線がデス・ナイトに向いたのを見て、そういえばそうだったかと記憶が流れ出す。

 

「そちらの戦士のようなモンスターは」

 

「これらは私の研究成果の一つ、私の使役モンスターです」

 

「では、ゴウン殿のその仮面は?」

 

「使役モンスターを操るための道具です。これが無ければ制御できないのでね」

 

 アインズは戦士長の厳しい面持ちを見ながらの会話に懐かしさを感じつつ、やはり欲しいなというコレクター魂、自らの感情を確認する。一度逃したからかもしれないが、以前より欲求が強いようだ。可能であればあの装備も込みで欲しい。あの剣も珍しいアイテムだった、王国の至宝とか言っていたか。

 

(王国は後々支配下に置く、とアルベドやデミウルゴスも前回話していた。ヘッドハンティングの他にガゼフを死なせぬように注意しつつ、王国併呑まで待つという方法もあるな)

 

 可能であればあの戦争前に引き抜きたいところだが、失敗した場合に備えてのプランBとしてそのくらいは考えておくべきだろう。その方法であっても親交を深めておくことはプラスに働くはずだ。そう考えつつガゼフの今日はこの村に泊りたい、という話を聞いていると戦士団の一人から声が上がった。

 

「戦士長!周囲に複数の影!村を包囲する形で接近しつつあります!」

 

 

 

 

 

「おそらくは法国の特殊部隊…うわさに聞く六色聖典」

 

「ほう……六色と名が付くからには、色でどの部隊かわかるのでしょうか」

 

 この状況でそこに喰いつくか、とガゼフ・ストロノーフは目の前の魔法詠唱者を見る。だがあれ程の使役モンスターと、明らかに強者である黒騎士を供につれているのだ。この程度の状況、この男にとっては危機ではないのかもしれない。

 

「私も直接対峙したことはない故、確実とは言えないが……白は法国の六大神では生の神を表す色、となれば白を基調とする装備の奴らは陽光聖典という事になるな」

 

 噂が真実だとすれば、たとえどの部隊であっても、今の自分達とは戦力差がありすぎる。おそらく無駄だと思いつつも、僅かな希望にすがるようにガゼフは目の前の魔法詠唱者に問いかけた。

 

「ゴウン殿、よければ雇われないか?報酬は望まれる額をお約束しよう」

 

「……ここの村人を守ってほしい、というご依頼であれば」

 

 ガゼフは驚きとともに目の前の仮面の男、アインズ・ウール・ゴウンを見つめてしまう。絶句していると訝しく思ったのか、仮面の男から声をかけられた。

 

「どうかされましたか?」

 

「いや、すまない。正直に申し上げるが、ゴウン殿には断られると思っていたのだ」

 

「ははは、それは見損なわれたものですな。今からお断りしてもよろしいか?」

 

 本気ではないと口調からは感じとれるが、こちらの物言いが大変失礼であったのも確か。ガゼフは謝罪と感謝の言葉を口にする。

 

「それは困る、失礼なことを口にした事は謝罪する、すまなかった……だが引き受けて頂けるのであれば本当にありがたい。暴虐より無辜の民を救って頂けたこと、今またこうして我が願いを聞き届け、彼らを守って頂けることに心から感謝する」

 

「村人は必ず守りましょう、我がアインズ・ウール・ゴウンの名にかけて」

 

「重ねて感謝する、ゴウン殿。貴方のその言葉で後顧の憂い無く、私は前に進むことができる……そうだ、しばし待ってくれ」

 

 ガゼフは腰袋より紙とペンを取り出し、ごく短い手紙をしたため目の前の仮面の男に差し出した。

 

「私に万が一のことがあった場合でも、この手紙を王都にある私の家にいる夫婦に渡せば、ゴウン殿に可能な限りの報奨を払うように書いておいた。望まれる額には届かぬかもしれぬが、依頼者としての誠意として受け取ってほしい」

 

 異様な仮面を被った魔法詠唱者が、自分の書いた手紙を受け取ったのを見つつガゼフは考える。こうして近くで見ると一層わかる。手紙を受け取った手にはめられたガントレットは言うに及ばす、その身を包む漆黒のローブ、身を飾る装飾品、そしてあの見ただけで冷や汗が流れるほどの使役モンスターを操るという仮面、いずれも尋常ではないマジックアイテムだ。自分自身には魔法の素養はない、だが王より貸し与えられる王国の至宝と同じ性質の圧力を感じるのだ。

 

(いったい何者なのだ……)

 

 彼を見ていてまず思い出すのは、王国最高の冒険者アダマンタイト級の二組の双璧”蒼の薔薇”のイビルアイ。彼女も仮面をつけ、強力なマジックアイテムを多数保持する魔法詠唱者だ。そのため、先程の手紙にはガゼフ自身に万が一のことがあった場合、彼女たちに彼を引き合わせるように指示してある。何かしら彼女と関係があれば、それによって彼が王国にととどまってくれる可能性があることを考えてだ。

 このまま死ぬつもりはないが――もし自分に何かあった場合には、王国にはより強い力が必要となる。通常、冒険者は国同士の諍いには一切関わらないのが常だが彼女たちはある理由により、その範疇に無いことをガゼフは知っていた。

 

「たしかに受け取りました、では私からはこれを」

 

 手紙と引き換えるように差し出されたのは小さな彫刻。特別なものには見えないが、あれほどの使役モンスターを操る魔法詠唱者が持つ品だ。なんらかのマジックアイテムだろう。

 

「君ほどのものからの品だ、ありがたく頂戴しよう。ではゴウン殿、私は行かせてもらう。互いに幸運があらんことを」

 

 

 

 

 

 ガゼフ・ストロノーフの背中が小さくなっていくのを、アインズは見送っていた。

 

(しかし、あの程度のやり取りの違いでも結果に違いが生じるとは)

 

 懐の手紙を確認する。ガゼフの依頼を条件付きとはいえ、即座に引き受けたのは心証をよくするためだったが、まさか手紙を渡されるとは思っていなかった。無論、自分の目的を考えれば良い結果と言えるのだが、あの短いやり取りの中で結果としては前回と同じ――依頼を受けたこともその内容も変わらないはず――なのに、その過程を少々変更しただけで成果がこうまで変わってしまったというのは無視できない。

 アインズは今までの自分が体験した出来事でズレが生じたのは、自身の修正やミスが幾重にも重なったか、大きなミスや修正によって影響が大きいからだと思っていたのだが、これは考えを改める必要がある。

 

「アルベド、周囲のシモベに伏兵の確認。発見した場合捕縛せよと命令を出せ」

 

「承知いたしました……ところで、なぜあの人間に尊きお名前を用いてまでお約束をしたか、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 

「あの男は王国戦士長と名乗った。この王国において高い地位にあることは間違いない。今後我々がこの世界を調査する上で、この村同様有用な足がかりとなろう」

 

「なるほど……理解いたしました。至高の御方にお時間をとらせたことお許しください」

 

 アインズは質問をしてきたアルベドに返した返答が、前回と何か異なる影響を与えないか試しに思案したが、やはりわからない。

 

(やはり無理だ、神様じゃないんだから、こんなことまで考えてわかるわけはない)

 

 注意深く行動する必要はある。だが、ここまで細かい変化がいかなる影響を与えるかその都度思案し、結果を見通すのは自身の能力をはるかに超えている。変化を考慮しつつも、必要以上に縛られるのは避けねばならないか。アインズはさらなる難題にやや陰鬱な気分になりかけた。が、既に習慣になりつつある今後の手順の復習を無意識に考え始め、その機嫌は急上昇する。

 

 なぜなら、これから始まるのはそんな変化の波紋を気にすることもなく、自分のやろうとしてることを好きなようにできるイベントだ。これはアインズの記憶の中でも、数少ない貴重な機会だった。

 

「ふふふ・・・・・・」

 

 アインズの口から、思わず機嫌のよい笑いが漏れる。アルベドがやや怪訝そうにアインズを見るが、笑いが漏れるのを止めることはできなかった。

 

(楽しみだ――ああ、本当に楽しみだなぁ)

 

 

 

 

「一体何者だ?」

 

 スレイン法国特殊工作部隊六色聖典が一、陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーインは、突如目の前に現れた二人組に困惑と警戒のつぶやきを漏らす。

 

 異様な仮面と豪奢な漆黒のローブ、金色に光る装飾の施されたガントレットを装備した魔法詠唱者然とした人物、そして見事な漆黒の全身鎧に身を固めた騎士。いずれも身に纏っているものが一級品のマジックアイテムであることが見て取れる。本作戦前、他聖典との情報交換ではこれほどの装備を持つ人物の情報は一切知らされていなかった。事前に目を通していた王国の知識をたどっても、かのフールーダ・パラダインのような注意すべき魔法詠唱者や騎士の記録は王国にはない。

 

 正確にはアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”“朱の雫”に注意すべき人物はいるが、目の前の2人は情報にある装備や体格、以前“蒼の薔薇”と対峙した時の記憶から考えても、2組のアダマンタイト級冒険者達のメンバーではありえない。可能性として仮面の魔法使いである“蒼の薔薇”メンバー、イビルアイの関係者かもしれないが、それならば自分に情報が上がってきていてしかるべきである。この威圧感と強者の風格は無名ではありえない筈だが、いずれにしても今は正体不明の魔法詠唱者と騎士として対処するしかない。

 

 周囲を注意深く見まわす。あと一歩で止めを刺すところまで追い詰めた瀕死のガゼフ・ストロノーフと、その部下たちの姿はきれいに消えている。地面にところどころある血の染みが無ければ幻だったのかと思うほどだ。おそらくは幻覚で覆い姿を隠してるのだと予想できるが、万が一転移魔法だとすると相当高位の魔法と推測される、油断はできない。

 ハンドサインで部下に天使を前衛に集結させ、視線を確保しつつ相手との射線に配置する陣形を組むよう指示を出す。部下たちも慣れたもので、天使たちが動くのと合わせて陣形を整える。こちらの陣形が整った、と思ったタイミングで魔法詠唱者が一歩前に出た。

 

 

「はじめまして、スレイン法国のみなさん……私はアインズ・ウール・ゴウン。アインズ、と呼んでくだされば幸いです」

 

 




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次回は、ついにニグンさん!


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Blunder

「後ろにいるのはアルベド。皆さんと少しお話がしたいので、お時間を頂けますか?」

 

 ニグンはこの申し出にのって情報収集をすべき、と判断し先を促すように合図する。だが初対面で名で呼んでほしいとは、この辺りの人間ではないのだろうか?

 

「お時間を頂けたこと、感謝いたします。先ずはあなた方に称賛の言葉を贈りましょう。召喚した炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を前衛に配備し、自分達は後衛として臨機応変に援護や支援をする。指揮官である貴方は監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を動かさず全体を強化しつつ指揮に専念する……見たところ最低限ではあるでしょうが、隊員の皆さんは戦士や野伏の職業も取得してるようだ」

 

 監視の権天使の特殊能力を知っている。その事実にニグンは警戒を強める。

 

 「魔法詠唱者は魔力を失うと、大きくその価値を損なう。その魔力の消費を抑えるため、そして部隊全体の汎用力を高めるための措置と見ました。おそらく各々が取得している魔法も専門分野を設定し、効率的に習得されているとお見受けします。また包囲も実に上手い。常に部隊員全体が、目標とほぼ等距離を保って陣形を保持している。流石は精鋭部隊です」

 

「お褒めに与り光栄だ、とでもいえばいいのかな魔法詠唱者、なにが言いたいっ!?」

 

 自身の言葉を受けて漆黒の騎士が一歩前に出たのを、魔法詠唱者が手を上げて止めるのが見えた。だがその間の一瞬、濃密な殺気、それも人が放つ類ではない強烈な殺気が放たれたのを感じてニグンは言葉を詰まらせる。

 見れば部下たちも、いや恐怖を知らぬ天使でさえも陣形を崩すほどに下がっている。本当にいったい何者なのだ?冷汗が頬を伝うが、今はまだ相手の出方がわからない。気力を集中させ平静を装う。

 

「まあ、待て……失礼、まだ続きがありましてね。称賛を贈るべき事はそれだけではありません、先程の戦いを拝見しましたが、天使達の運用が実に見事だ。一見無駄に飛んでいる天使が複数いましたが、あれらは回避行動をとりつつ、戦士たちの死角に入ろうと常に動いていた。重圧を与えるのには最適の手段……死角に入れた場合は的確に攻撃を行っていましたね。攻撃も実力差があるにも拘らず、手を抜いていない。空中からの一撃離脱という戦法を徹底して崩さず、同時に攻撃する場合にも常にタイミングを意図的にずらすなど、工夫が凝らされている。それでいて、ここぞというタイミングでは召喚モンスターであることを最大限に活用し、捨て身の攻撃を仕掛ける。この緩急をつけた攻撃パターンの構築と運用は相当な訓練と、実戦経験の賜物と感じましたよ。実に素晴らしい……さて、前置きはここまでです」

 

 アインズの言葉を聞いていたニグンはやはりただの魔法詠唱者ではない、と判断を下す。アインズの言う称賛の言葉とやらは、要は自分はお前たちの戦いを見ていて戦力と戦術は熟知したぞという宣言だ。一見で陽光聖典の戦術のポイントを全てではなくとも見抜いたのは、指揮官としての経験があると考えられる。

 だが法国以外で、魔法詠唱者を部隊長や指揮官に置いている人間国家など周辺にはない筈。ならば評議国の手のものか?全身を装備で覆っているのも、それならば頷ける。あの仮面や鎧の下が亜人である可能性も考慮せねばなるまい。そこまで考えていたところで再びアインズが話し始め、より多くの情報を得るためニグンは耳を凝らした。

 

「取引というのは、あなた方に少々実験に付き合って頂きたいのですよ。もうお分かりかとは思いますが、私は貴方達の戦いを見てなお、必勝を確信したから、ここにやってきて貴方達と話をしています。理由は言わずともお分かりになるでしょう?」

 

「はったりを――」

 

「はったりだと……本当にそう思いますか?」

 

 無礼な物言いに反射的に出た言葉をさえぎられたが、アインズの先程よりも力のこもった言葉と、隣の騎士からの重圧におもわず言葉を飲み込む。羞恥の念が浮かぶが、それ以上の威圧感から言葉を発することができない。それを撤回の意と感じたのかアインズは再び口を開いた。

 

「ご理解いただけたようで何より、実験の内容というのはね、擬戦、MvMとでもいいましょうか、ゲームですよ。今から私がモンスターを10……権天使に対応した隊長格モンスターを1体加えて11体召喚しましょう」

 

 何を言っているんだ、そんな雰囲気が部下たちに流れる。ニグンも同様の感想を抱いた。モンスターを同時に11匹召喚するだと?そんなことができる魔法詠唱者など聞いたことがない。

 

「そのモンスター達を指揮して、あなた方の天使を攻撃します。あなた方の権天使か、私の用意した隊長格モンスターのどちらかが撃破されるまで戦う、お互いに新たな召喚は無しでね。支援魔法による援護は許可しましょう、それ以外の行動をした場合は攻撃させてもらいますが。そうそう、私とアルベドは攻撃を受けぬ限り、指揮に専念し戦闘には参加いたしません。それであなた方がこのゲームに勝てば、あなた方の命は保障しましょう、どうですか?」

 

 ニグンは困惑した。目の前の魔法詠唱者が、なぜそんな取引を持ち掛けてきたのか全く理解できなかったからだ。本当にモンスターを10体以上召喚できる魔法詠唱者であれば、取れるべき手段は多い。

 アインズと名乗る魔法詠唱者が召喚術に特化した魔法詠唱者や、同時召喚などのタレント持ちだとしても事前に召喚してからこちらと対峙したほうが、交渉にしろ戦闘にしろ絶対的に有利。自身の懐の内にある水晶と同じくマジックアイテムでの召喚なのかもしれいないが、戦闘の際に自身が攻撃されない限り魔法を使わないというのはおかしな話だ。

 唯一納得できる予想があるとすれば、この交渉を含んだ今までの全てが援軍が来るまでの、あるいは別の何かのための時間稼ぎだという可能性だ。だとすれば不可解な言動や行動にも合点がいく。こちらを混乱させることで時間稼ぎという目的を隠蔽しているとすれば、これ以上付き合わずに狙いを看破したと宣言し行動に出るべきだ。ニグンはそう判断し、一歩前に出て威圧的に言葉を発する。

 

「なんだ、時間稼ぎか?そんな馬鹿な条件は」

 

<ファイアーボール/火球>

 

 突如、横合いより閃光と爆風がニグン達たちを襲い咄嗟に身をかばう。魔法詠唱者ーアインズがほぼ真横に向かって<ファイアーボール/火球>を放ったからだ。遠距離に着弾した筈の火球から未だに熱波が襲い、上空から爆発によって噴き上げられた砂や小石が降りかかってくる。即座に体制を整え直し自分も部下も臨戦態勢に入る。しかし、今のは本当に火球の魔法なのか?

 自分や部下も同じ魔法は修めている。あの威力は自分達の放つ火球の倍、いやもしかするとそれ以上の威力。つまり目の前の魔法詠唱者は、法国の精鋭部隊たる自分達よりも遥かに強大な魔力を持っていることになる。だがあるいは。

 

「……お前達は全員が魔法詠唱者なのだろう?ならばわかる筈だ。今の火球は<マキジマイズマジック/最強化>や<トリプレット/三重化>によって強化したものではない」

 

 ニグンの予想の一つが覆される。だとするとまずい、これ以上あの魔法詠唱者に言葉を紡がせてはいけない、そう思って声をあげようとするが間に合わない。

 

「ただの<ファイアーボール/火球>だ」

 

 言われてしまった、とニグンは視線で部下たちを見回す。部下たちが今の言葉に明らかにおびえているが、幸いにもまだ士気が崩壊するほどではない。

 

「まさか、ここまで教えてもまだ理解できぬわけではないよな?それとも、もっとわかりやすく、<マジック・アロー/魔法の矢>を唱えてやろうか?お前たちの誰かがその時点で死ぬだろうが」

 

 アインズの言葉に、脳裏をよぎった特定属性に特化したエレメンタリストの可能性すら否定される。<マジック・アロー/魔法の矢>は位階が高いものが唱えるほど矢の本数が増える、魔法詠唱者の実力を計るのに最も適した魔法。その魔法を使ってみせようかということは、つまりこの魔法詠唱者は純粋な魔力だけであの威力を出した、と言っているのだ。まさか第六位階では無いだろうが第五位階、英雄級の使い手の可能性は非常に高い。こちらの動揺をよそに、口調の変わった魔法詠唱者は言葉をつづける。

 

「これを最後の警告としよう」

 

 ニグンは、魔法詠唱者がいつのまにか禍々しくも美しい豪奢な杖を持ち、言葉と共に構えるのを見た。

 

「取引に応じるのか?それともこのまま私・・・・・・いや違うな、我らと戦うのか?はっきり言ってしまうが、お前たちではこの私、アインズ・ウール・ゴウンには絶対に勝てぬ。これだけ私が温情をかけているのはな、先程の称賛の言葉がすべて真実だからだよ、陽光聖典の諸君。私も永きにわたって訓練と研鑽を積んできたもの。以前の私は……私では気が付けなかっただろうが、お前たちのその練度に費やされた時間は、多少ではあるが敬意に値するだけのものと認めたのだ。だがその敬意もそろそろ尽きそうだ、返答せよ」

 

「わ、わかった!取引に応じよう。アインズ・ウール・ゴウン殿!」

 

 慌てて返答する。あの火球を今放たれた場合、炎に対する防御魔法をかけていない状態では全ての部下が、あるいは自分すら死なないまでも一撃で戦闘不能になる可能性が高い。しかも、今は戦闘用とおぼしきマジックアイテムの杖まで取り出されている。懐の切り札を切るにしても時間が必要だ。流石にあの魔法詠唱者でも、法国の至宝の知識や対抗策はあるまい。隙を見て、あるいは奴を偽って発動までこぎつけるかだが、今は他に選択肢はない。

 

「よかろう、ではルールの再確認だ。私の駒は召喚するモンスター11体、ゲーム中は私及びアルベドは指揮に専念し攻撃や魔法の対象にされぬ限り戦闘には参加しない。お前達の駒は今召喚している上位天使と権天使…41体か?お前たちは支援魔法での援護を許可する。だが攻撃魔法あるいはこちらの駒に影響のある魔法や武器・武技の使用をした場合、天使たち同様攻撃目標とさせてもらおう。お互いに新たな駒の召喚は禁止とし、相手の大将駒を撃破した方が勝者とする……ああそうそう」

 

 そんな筈はないが、口の無い仮面がにやりと笑ったような気がした。

 

「ひとつ言い忘れていたよ。この場から逃げようとする者は即座に殺す。復唱確認を要求する」

 

 邪悪な魔法使いの台詞にニグンは絶句したが、復唱確認をするしかなかった。

 

 

 

「ふふふ……」

 

 アインズは復唱をする陽光聖典隊長・ニグンを眺めながら笑いを漏らした。相手が完全に掌の上にあるというのは、それだけで何をやってても楽しい。ユグドラシル時代、PKKの目標が罠にかかり、完全に詰んでいるのに、そうであることに気が付かず威勢のいい事を言っているのを眺めている時と同じ愉悦を感じる。よし、やはり自分はSだな、とアインズは前回の羞恥プレイで揺らいだ属性への自信をとりもどした。

 

 先程の褒め言葉は真実ではあるが、それはきっかけであって理由ではない。真の理由は身も蓋も無い事を言えば娯楽、ストレス発散である。無論、アインズも方針決定前にはここで法国と関係を持つことも考えた。だが得るものも多いかもしれないが、前回の記憶があると言うアドバンテージを捨て去るほどではない、と判断し方針を決定したのだ。となれば前回の流れを踏襲する=陽光聖典全滅だ。未来への影響も、謎の能力や戦力もないとわかっているこのイベントを楽しまなくては、とアインズは仕事の合間合間に気分転換として、ここで何をするかをずっと考えていた。

 

 (天使1体1体を丹念に多種多様な魔法やスキルで打ちぬいていこうか、それともダークブラックナイト無双で素手で天使を破壊していくってのはどうだろう。飛行とスキルを使えば、あの程度の天使をキャッチするのは造作も無いし、天使をキャッチして天使にぶつける。これよさそうだな、候補候補)

 

 そして、カルネ村に来てからも考えていた。

 

(アイアムプレイヤー!宣言からの、でもお前らは死刑!という絶望遊戯も捨てがたいか?いや、それならいっそプレイヤー宣言から超位魔法展開して、これ発動する前に何とか出来ないと終了だよ!というTA(タイムアタック)させるのは?……よいぞよいぞ、よしこれだ)

 

 ――と直接的なストレス発散重視の遊びから、仄暗い陰湿ないじめにも似た事まで考えていたのだが、先程天使たちを見事に操る陽光聖典たちを見て“ああ、これはやってないな”とプランを変更したのだ。

 

 一つは、まず自分が召喚したモンスターをどれだけの数なら詳細に操れるかという実験がしたい。今まで2~3体は同時に操作したことはあるが、それ以上の数となると誰かに指揮権を譲渡したり、命令を下し、後はモンスターに自律行動を任せるという形をとってきた。ユグドラシルにおける傭兵モンスターの運用もその形だ。だが、この世界に来て召喚モンスターとは精神的なつながりを通じて、様々なことが可能となっている。それを以て何が出来て、何体まで操作できるのかに興味がわいたのだ。だが、自分が予定していた遊びを変更したのはもっと違う理由があったのかもしれない。

 

(あー、その場の思い付きで、やることを変えちゃえるってのはいいなあ!最高!)

 

 今の自分にとってこの開放感、解放感は何物にも替えがたい。これだけでも、かなりリフレッシュできた実感がある。だが、まだまだお楽しみはこれからだ。そう考えている間にニグンの復唱が終わった。

 

「・・・・・・ここから逃げようとした者は貴殿に攻撃される、これでよろしいか」

 

「ふっふ、よろしいよろしい。では私の準備をしようか」

 

 ――下位アンデッド創造 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)――

 

 ――下位アンデッド創造 骨の領主(スカル・ロード)――

 

 アインズは6匹のスケリトル・ドラゴンと4匹のスカル・ロードをスキルによって創造し、続けて自分の後ろに先ほどから佇んでいたデス・ナイトの不可視化魔法を解除する。陽光聖典から動揺の声が上がるが、アンデッドは天使には弱い。この程度であれば、上位天使40体と権天使で十分に対処可能だろう、戦力に差がありすぎては自分も面白くない。

 

「さあ、では始めようか」

 

「ま、待ってくれ、アインズ殿。部下達と戦術の相談をしたい、少々時間をくれないか」

 

「必要なのかね?」

 

「アインズ殿は我らの戦力を十分に見た、といった。我らは今、アインズ殿の戦力を初めて見たのだ、僅かでいいが、時間は欲しい」

 

 ふむ、と頷きアインズはニグンの提案を一考する。確かに正論だ。自分が逆の立場であっても同じ事を考え、提案するだろう。このゲームの内容いかんによっては、陽光聖典はナザリック外には出さないにしても、待遇を少々変更しようとも考えていたので、その判断材料としても十全に力を発揮してもらった方がいい。

 

「いいだろう、3分間待ってやる」

 

 

 

「円陣!」

 

 ニグンの言葉で部下たちが常よりもやや乱れつつも動き、円陣を組む。

 

「た、隊長、我々はどうすれば」

 

「それを、これから指示する」

 

 ニグンは冷や汗をかきつつも、強い口調で部下の動揺を引き締める。こうして心を強く持てるのも千載一遇のチャンスを神が与えてくださったおかげ、とニグンは心の中で神に感謝を捧げていた。あの忌々しい魔法詠唱者には、大きなミス――自分達に時間を与えた事を後悔させてやる。

 

「敵の召喚したモンスターはいずれも難度50強の強力なアンデッドだ。また、最後に召喚された正体不明のアンデッドに至っては、どれほどの力を有しているかわからない」

 

 ゴクリ、と誰かの喉がなる。あるいは自分の喉だったかも知れない。

 

 スケリトル・ドラゴンは難度50超えとも言われる、最上位に限りなく近い上位アンデッドだ。あらゆる魔法を無効化する脅威の能力を有し、斬撃や刺突への耐性も持つ難敵。竜の姿を模したその体躯は鋭い牙・爪、強靭な尾と強い膂力を誇る。当然飛行も可能だ。

 スカル・ロードも難度50を超える強力なアンデッドで、出現記録こそ少ないがスケルトン・メイジ等の上位種にあたる。下位のアンデッドを操る能力の他、3つの骸骨の頭それぞれに特殊能力を持ち、第3位階の魔法を操るとされている。エルダー・リッチ程ではないが、かなりの強敵――それが6体と4体。単体であればミスリル級パーティで討伐可能なアンデッドであっても、同時に出現すれば難度は跳ね上がる。そしてあの謎のアンデッド。アンデッドに有利な天使を操る自分たちの戦力でも、勝つには死力を尽くさねばならないだろう。

 

 それだけの戦力を召喚する、王国戦士長に与する魔法詠唱者など生かしておくわけにはいかない。ここで討伐しなければ法国の計画に重大な支障をきたすのは確実だ。

 

「隊長・・・・・・もしやと思いますが、あの方は13英雄が1人“死者使い”リグリット・ベルスー・カウラウ様に連なる者なのでは、だとしたら」

 

「言うな。私もその可能性は考えたが、事ここに至っては手遅れだ。それに我らは法国の剣、法国の利益にならぬもの、害になるものは排除せねばならん」

 

 懐の至宝に手をやり、ニグンは己を奮い立たせる。あれだけのモンスターを召喚したのだ。指揮に専念すると言うのも、魔力が尽きていることに対しての偽装に違いない。万が一、そうでなかったとしても、この至宝の前には13英雄に連なる者であろうと抗えるはずが無い。それに、自分たちをあれ程侮辱した相手を、どうして許すことが出来ようか。

 

「各員傾聴」

 

 部下たちの様子が一変し、先ほどまでの動揺する魔法詠唱者の群れではなく、訓練された法国の精鋭部隊・陽光聖典となる。

 

「これより万が一に備え、おのおの対火・対魔法のマジックアイテムの起動及び防御魔法発動の準備をせよ。天使は円陣を解くと同時に盾とする。私は――」

 

 ニグンは声をより小さく、だが皆に聞こえるように宣言する。

 

「最高位天使を召喚する」

 

 

 

 

(3分間って、意識すると結構長いな・・・・・・・)

 

 アインズは自分で3分間と言いつつも、すでに待ちくたびれていた。納得はしたが、直前でおあずけを食らった状態なのだ、長く感じるのも致し方ないかもしれない。横目で自らの召喚したアンデッドたちを見る。既にデス・ナイト及びスカル・ロードはスケリトル・ドラゴンに騎乗していた。残る1体は突撃させるつもりなのでそのままだ。前回のカッツェ平原での戦争では、結局騎乗したデスナイトを実際に戦わせる事は無かった。馬が少々弱いがソウル・イーターでは、あいつらには強すぎるので仕方が無い。時計を見ると2分43秒。ちょっと早いが、もういいだろう。

 

「時間だ!さあ、始めようか!」

 

 その声が聞こえたのか、陽光聖典が円陣を解くと同時に、炎の上位天使たちが陽光聖典を隠すようにざっと移動した。

 

(防御を固めた?だが、せっかくの模擬戦なのだから、こちらの声に答えるくらいはして欲しいな)

 

 アインズがアンデッドを操るべく、意識を集中して精神のパスを手繰ると11体の状態や位置が手に取るようにわかる、それぞれのパスが頭と、指先に繋がっているかのようだ。

 

(これは足の指も含めると、もう10体はいけるかな?なんてな)

 

 とりあえず、予定通りに無騎乗のスケリトル・ドラゴン1体を突撃させて、とアインズが考えたところで、その声が草原に響き渡った。

 

「見よ、最高位天使の尊き姿を!威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)!!」

 

 

 

 

(やった!)

 

 ニグンは勝利を確信していた。自らの後ろには権天使と、それよりも遥かに巨大な主天使の姿がある。周囲には清浄な気が満ち溢れ、既に日が落ちた時間だというのに、最高位天使の頭上より煌々と輝く光によって周囲はまるで夜が明けたかのようだ。天使の光を受けて、あの魔法詠唱者の呼び出したアンデッドが光を避けるように身じろぎをしており、それがまた心地いい。やはり不浄なるアンデッドは天使の威光には弱いと見える。それに引き換え、主天使の光を浴びて輝く自分たちの天使は美しい。まさにこれこそ神の軍勢だ。ニグンは自身がその軍勢を指揮していることを心から誇りに思った。

 

 あれほど巨大に、威圧感に満ちた存在に見えた魔法詠唱者共が、今はなんとちっぽけに見えることか。肩は丸くなり両手はだらんと下がり、杖は腕にぶら下がってるかのようだ。あの仮面の中の顔が間抜けにも口をぽかん、と空けているのは間違いあるまい。

 

「流石に貴様といえど、最高位天使の前では恐怖に打ち震えるしかないようだな。だが、この至宝を使わせた貴様には敬意を表しよう」

 

 魔法詠唱者が杖を持たないほうの手で仮面を押さえ、下を向き震え始めた。あまりの神々しき光に邪悪な魔法使いの目でも潰れたか、それとも絶望に泣いているのか。

 

「憐れだな……せめてもの情けだ。苦しまぬよう、一撃でその身を滅ぼしてやろう」

 

「糞が!」

 

 魔法詠唱者が突如怒鳴ったと思うと、周囲にすさまじい音とともに土煙が上がった。魔法詠唱者は続けて地団駄のような動作を繰り返し、その度に轟音が響く。

 

「どうして!そういう事を!するんだ!――許さぬぞ。報いを受けよ、愚か者め」

 

「な、なにを」

 

 魔法詠唱者の急激な変化と、恐ろしいほどの殺気にニグンは思わずうろたえる。だが、自分の背後には神の使いたる主天使が座しているのだ。恐れることはない、とニグンはすぐさま立ち直り、天使と部下に命令を下すべく手を振り上げた瞬間、世界が変容した。

 

 

 ――上位アンデッド創造・暗黒儀式習熟 不死の偉大なる黒魔竜(ブラック・グレーターワーム・ラヴナー)――

 

 

 周囲の温度が極寒の地のごとくに、氷点下まで落ちる。天使の頭上から降りていた光、いや星々の瞬きさえも瞬時に消え去り、空に真の闇が広がった。そこからゆっくりと、巨大な、何かが現れ出でる。主天使を遥かに凌駕する巨体。燐光を纏うその姿は、まさしく伝説の神竜。だがその肉体はすでに無く、その身は骨格とそれを支える光の力場で出来ていた。スケリトル・ドラゴンなど竜の紛い物だとはっきりわかる、本物の竜の気配。あまりにも格の違う存在の出現で、ニグンは自らの思考が停止したことにも気が付かない。

 

「目障りな天使共を排除せよ」

 

 魔法詠唱者が放った冷たい声に、ニグンは我に返る。光竜がこちらを見た。全身が震え、声がうまく出ないがこのままでは確実に死ぬ。ニグンは全身全霊を以て主天使に命令を下した。

 

「善なる極撃(ホーリースマイト)を放て!急げ!」

 

 指令を受けて主天使が善なる極撃を放ち、光竜に直撃するのをニグンは確かに見た。だが空に悠然と在る光竜は全く意に介さず、尾を一閃させる。主天使の上半身があっさりと消失し、そのまま砕け散った。光竜が口を開き、主天使が砕けた後の光の粒子が吸い込まれていく。続けざまに光竜の尾の位置が変わり、その度に天使が次々と光の粒子になって吸いこまれていく。派手な音も無く、動きもなく、ただただ一方的に喰われる天使達。その恐ろしい光景を、ニグンは呆然と見ていることしかできなかった。気が付けば権天使も光の粒子に分解されており、ニグンの視界には光竜を背後に従えた、殺気に包まれた邪悪な魔法使いが立っているのみとなっていた。

 

 ニグンが言葉も出せず死を覚悟したその時、空に陶器が割れたようなひびが発生し、乾いた音が鳴る。その音を聞いて魔法詠唱者からすっと殺気が抜けたように見えた。

 

「やれやれ、そうだったな……情報系魔法を使って、お前たちを監視しているものがいたようだ。まあ……碌な目には遭っていないだろうが」

 

 どこか楽しそうに言葉を紡ぎ始めた魔法詠唱者を見ながら、ニグンは心のどこかが砕ける音を聞いた。自分たちの監視をしている存在、それは本国に違いない。最後の気力も尽き、膝から地面へ崩れ落ちる。頬を涙が伝っていた。カチカチと言う音が自分の歯からなっているのに、ようやく気が付く。

 

「それにしても……舐めた真似をしてくれたな、ずいぶんといい度胸をしている」

 

 遠くから声が聞こえた。ニグンは顔を上げ、魔法詠唱者に命乞いをしようとしたが、歯の根が合わず、体に力が入らず、声が出ない。

 

「ああ……なるほど、恐怖のあまり声も出ないか、手間が省けたな」

 

 何の手間が省けたのだというのだろう。魔法詠唱者は漆黒の騎士を供に、こちらに話しかけながら歩いてくる。

 

「ふふふ……またこんなことを言うとは思わなかったが……確かこうだったな」

 

 眼前で邪悪な仮面の魔法使いと、漆黒の騎士が立ち止まって自分を見下ろした。

 

 

 

「憐れだな……せめてもの情けだ、苦しまぬよう一撃でその身を滅ぼしてやろう」

 




いつも多数のご感想、お気に入り登録及び誤字報告ありがとうございます。修正は反映させていただいてます。今後ともよろしくお願いいたします。

次回で原作1巻の内容が終わる筈です……どこかで加速させないと。


アインズ様激おこの表現を修正いたしました。本当に申し訳ありません。


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Oblivious

 意識を消失したニグンと、完全に戦意喪失している陽光聖典を一瞥しアインズは片手を上げる。周囲の空間が何ヶ所か歪み、ほぼ透明の武装した巨人と蜘蛛のような魔物が数体現れた。同時に地面から複数の影が立ち上がり人型をとり、盛り上がった土からは丸太のようなものが直立し身をくゆらせ始める。空中にも僅かな煌めきを放ち揺らめく何かが漂いはじめた。

 

「こやつらを連れていけ」

 

 影や地面に潜んでいたモノ、不可視のシモベ達が陽光聖典を無力化するのを眺めているアインズは、もはや彼らに興味を失っているようにも見える。だがその心中は諸諸の感情が渦巻いていた。

 

(ありえないよなあ……ゲーム開始直後にルール違反とか、やっちゃダメだろう、それは!何のために条件を復唱させたと思ってるんだ。その条件でいいって約束しただろう、ったく何のために戦力を調整したと……あーもー、スカル・ロードとスケリトル・ドラゴンだぞ?相性を考えればアークエンジェル・フレイム40体の方が有利だろうに、しかも自分たちはバフかけ放題。なんでああいう事するかなあ)

 

 天使はほぼ例外なく、神聖属性での攻撃が可能だ。しかも、アークエンジェル・フレイムは炎属性まで持っているアンデッド特効と言っていいモンスターだ。そこまで条件がそろってるにも拘わらずなんであんなことをしやがった、とアインズは先程から心の中でニグンと陽光聖典に悪態をついていた。

 

(そりゃゲームに負けるか、その直前になれば召喚するとは思ってたけどさあ……まだ何も動いてないじゃないか。あれはない、あれはないよなあ)

 

 抑制されないレベルの感情に苛立ちつつ心の中で悪態をついているアインズだが、自分の何が失敗を招いたかはわかっていた。決定的に視点がずれているのだ。陽光聖典たちが見ていたのは駒ではなく、自分。確かに客観的に駒の戦力を分析していた第三者がいれば、陽光聖典有利では?という判断を下すだろう。だが、彼らは駒ではなく駒の背後にいるアインズをずっと見ており、その脅威に怯えていたのは間違いない。

 そのことに気が付けなかったのも、別の視点のずれだ。結局、いまだにアインズから見たこの世界の人間は、一部の交流を持ったもの以外は虫が如き存在なのだ。

 

 だから、殺すことに罪悪感を覚えない。

 

 だから、何を考えているかなど思考の端にものぼらない。

 

 だから、数万人の命を容易に摘み取る魔法を発動させることができる。

 

(いかんな。自分は人間としての残滓もあり、モモンとして街で人間と接していたことで、修正できていると思っていたが……結局、種としての人間の見方は何ら変わってなかったという事か)

 

 思えばモモンとして街で人に接してはいたが、対等に交流を持っていたのは初期も初期だけだ。それ以降はアダマンタイト級冒険者、英雄モモンとして憧れや尊敬、崇拝を向けられる状態で交流していたに過ぎない。自分が明らかに上位の存在として交流を持っていた結果がこれなのだろう。

 

(……これは、何か対策を考えておかねばならないな)

 

 先の話ではあるが、やはり為政者として腕を振るうのであれば、統治者としての視線の他に民衆からの視線というものも理解しておかなければならないだろう。政策を決定する際に、民衆にどのような影響があるかは容易に判断できる。それが目的だからだ。だが民衆にどう思われるか、理解してもらうにはどうすればよいか、という部分に於いては民衆の視点という情報は大変重要だ。

 思考に没頭し、いつしか完全に冷静さを取り戻したアインズはそこである事に気が付く。視線を向けたのは自身の背後に在るブラック・グレーターワーム・ラヴナーだ。

 

「……なるほど、あの男や陽光聖典どもが動けなかったのは、そういう理由か」

 

 不死の偉大なる黒魔竜(ブラック・グレーターワーム・ラヴナー)は、膨大な時を経て強大な力を持つにいたった黒竜が長大だが有限である寿命による死を回避するため、自らをアンデッド化した存在だ。生前の黒竜としての能力は全て使用可能な上に種族特性も保持、そこにアンデッドの種族特性を獲得しステータスが上昇する。

 これだけでもかなり厄介かつ凶悪なモンスターだが、さらに頭のおかしい能力を獲得する。肉体は骨格を残して全て崩れ去り、その代わりに燐光の力場による体を得るのだが、この体がひどい。自身の周辺で死したものの魂を無尽蔵に吸収するのだ。ブラック・グレーターワーム・ラヴナーの本体は骨格部分であり、この光の体はいうなれば鎧に相当するのだが、いくらダメージを与えても周辺でPOPモンスター等が死んだ場合、その魂を吸収して回復してしまう。また、ソウル・イーターと似て非なる能力も保有しており、魂を吸収した時に回復の代わりに自らを強化することもできるのだ。最初その存在を知った時、つまり初遭遇した時だが「“ぼくのかんがえたさいきょうのもんすたー”かよ、糞運営!」とパーティ総出で激しく突っ込んだものだ。その後出会う事になるレイドボスや、ワールドエネミーがもっとひどかったのは言うまでもない。

 

 そのブラック・グレーターワーム・ラグナーは有名だが、殆どのプレイヤーには無意味なパッシブスキル、畏怖のオーラを保有していた。これは絶望のオーラ・レベル1(恐怖)を強化したスキルで、レベル差がある対象であれば精神無効の種族であっても強い恐怖を与えることができるというものだ。有名なのはその特性故で、無意味なのはレベル差がないと効果がないという点なのだが、陽光聖典には当然のように効いていたらしい。アインズはもちろん、通常のプレイヤーには全く効果がないので忘れていたのだが――

 

(だが、あの男……ニグンはブラック・グレーターワーム・ラヴナーに対して攻撃するよう、主天使に指示を出していたな)

 

 他の陽光聖典はあの時点で大部分が膝を折り、涙を流して震えていた。立っていたのはニグンと確かあと1人。アインズはその光景を思い出し一考する。

 

 

「……アルべド。捕らえた人間共に関しての処遇だが、先だって村や周囲にて捕獲した者どもはいうなれば捨て駒、特別なことはされていないだろう。情報を絞り出した後は実験に供するも――」

 

 アインズは視線をいまだ消えていないデスナイト、すなわち死体を使用したデスナイトに送る。

 

「――アンデッドの材料にするもよし……そうだな、デミウルゴスと相談し処理せよ」

 

「ははっ」

 

「だが、今捕らえたもの達に関しては何かしら魔法で処理をされている可能性がある。情報を絞り出す前にまず徹底的にその部分を洗え。まずは一番立場の低いものから始めよ。それが終わったら情報を引き出す様々な方法をためせ。拷問による自白、魔法による尋問、種族特性を生かした情報収集……マインドイーターや夢魔による記憶の閲覧、生前の記憶を保持するアンデッド化なども試すのだ」

 

 そこでアインズは一度言葉を切り、少し考えるそぶりを見せた後に言葉をつづける。

 

「隊長らしきあの男と、その横にいた者は最も確実な手段で情報を絞るため一番最後に回せ……いや、私の許可なく使用するな」

 

「了解いたしました。しかしアインズ様、恐れながら人間如きがそこまで知恵がまわるものでしょうか?」

 

 してるんだな、それが。とアインズは声に出さずに呟くと前回の事を思い出す。その辺りを考慮せずに情報を引き出そうとしたため、よりによってあのニグンという男を一番最初に尋問して法国の情報隠蔽の魔法――魔法により意識をコントロールされている状態で3回質問をされると死ぬ――で喪ってしまい、結果地位の高いものが持っているであろう情報はほとんど手に入らなかった。この頃のアルべドにしてみれば獣や虫がそこまで考えるかなあ?程度の感想なのだろうが、今回もはやめにその認識を正しておく必要がある。

 

「アルべドよ。人間は臆病で卑小ではあるがゆえに知恵を磨き、常に傷ついた獣の如く注意を払うモノもいるのだ。それに、あの陽光聖典というのは法国の特殊部隊という……そうだな、我々ナザリックに当てはめれば守護者や最低でもプレアデスが率いるシモベの部隊だ。それを自分たちと同等の者たちへの任務へと送るのであれば、私なら情報を引き出されぬように何らかの対策をとっておく。こやつらの首魁がかつて我がナザリックに攻め寄せた者たちと同格の人間種、プレイヤーである可能性もあるしな」

 

「塵芥の如き者たちではなく、至高の御方と同格の人間種のプレイヤー共ですか。たしかに彼奴等であれば……差し出がましい口を出して申し訳ありません」

 

「よいのだ。疑問を持ち、問いを投げかけるということは、我が言葉であってもお前が思考を放棄せず思慮を巡らしているという事。そのことを私は嬉しく思う。ただ重ねて言うがここは未知の世界、我々が知らぬことも数多くあり、まだ見ぬ強者知者もいるであろう。その可能性は常にある程度は考慮に入れるべきと考えよ」

 

「はっ、知恵のたらぬこの身に至高の英知をお授け下さったこと、感謝いたします」

 

「ではゆくか、村にいる者どもに知らせてやらねばな」

 

 そう言って、アインズは夜の草原を村に向かって歩き始める。続くアルベドは時折息を荒げつつ後をついていったのだが、前回も今回もアインズがその事に気が付く事はなかった。

 

 そしてもう一つ、アインズがニグン達陽光聖典に対して抱いた怒りは、彼らの行動を“ゲーム相手のルール違反による裏切り行為”とアインズが受け止めたことに起因しているもので、そんな受け止め方や感情は、相手を虫などと捉えていた場合決して抱く筈がないという事を――ついにアインズが気が付く事はなかった。

 

 

 

「ゴウン殿、世話になった。この村だけでなく私や部下たちが救われたのは全てあなたのおかげだ……だが夜だというのに本当に出立されるのか?」

 

「はい、私はここより北の地に住まうもの。今日ここに来たのは偶然のようなものです。遠出をする準備もそうといって出てきた訳でもないので、我が家に戻らせてもらおうかと思います。今日は予想外の事ばかり起こって、大層骨もおれましたしね」

 

 骨だけにな、などと万が一口に出してしまったら数年は思い出しては身悶えし、発光し続けそうなダジャレを目の前の人物が考えているとも知らず、ガゼフは言葉をつづける。

 

「ゴウン殿のような強者には不要の心配だろうが、夜は人の領域ではない。十分に気を付けてくれ。では褒賞はどうやってお渡しすればよいか?王都に来ていただければ一番良いのだが」

 

「……今後この村にはたまに訪問することになるでしょうし、出来ればここに送って頂ければありがたいのですが。無理であれば考えましょう」

 

 ガゼフは強大な魔法詠唱者であろう彼に王都に来てもらい、ある人物に会ってもらいたかったが、言外に今は王都に行く気はない、という意志が籠っているのを感じ取ってここは引き下がることとする。

 

「いや、了承した。私と王国の恩人であるゴウン殿にまずご足労頂こうとは、こちらが失礼であった。褒賞はここカルネ村にお送りするよう、手配しよう。だがもし王都に来られた時は、ぜひ私の屋敷に立ち寄って頂きたい。先程の文はその時のためにも持っていてくだされば幸いだ……ゴウン殿、捕虜をとるようにしたのも貴殿の案だと聞いた。これで此度の事件の黒幕が明らかになれば王国への策謀を未然に防げるだろう、重ね重ね感謝する」

 

「私が進言はしましたが、捕虜を引き渡したのはこの村の皆さんの判断です。戦士長殿が捕虜の確保に感謝されるというのであれば、この傷ついた村に何らかの支援を頂けるようお願い致します」

 

「了解した、どういう形になるかここでは確約できぬが、王国戦士長としてこの村への支援をお約束しよう」

 

「では失礼します。戦士長殿、褒賞の件でなくとも私に何か用件があればここ、カルネ村に連絡を」

 

 アインズ・ウール・ゴウンが踵を返し、従者である黒い騎士とアンデッドの戦士1体と森の方へと去っていくのをガゼフは村長達と共に見送った。彼らの姿が見えなくなって少しすると背後でガラン、と音が響く。そこにいた筈のアンデッドの戦士の姿はなく、ただ戦士が持っていた村を襲った帝国兵に扮した者達の剣が地面に落ちていた。それを見て村長が呟く。

 

「ゴウン様がおっしゃられていた通りですな」

 

「うむ……」

 

 村長から、このアンデッドの戦士はアインズ・ウール・ゴウンが村に来てから魔法で呼び出した戦士と聞いていた。彼が村を出立する際、この戦士は普通に召喚したものなので自分が遠く離れるか時間がたてば消えてしまいますから置いていきます、と言っていたが……果たしてあの言葉は真実なのか。たしかに召喚モンスターは時間がたつと消えてしまうと聞いたことがある。ならばあの男は召喚モンスターを永続的に留める研究をしていて、それを成し遂げたという事なのだろうか。このことは王国に戻り次第、自身の知識に間違いがないか確認せねばならない。

 

 自分の部下の誰よりも、あるいは自分よりも強いであろうアンデッドの戦士を召喚し永続的に使役する強大な魔法詠唱者。そのアンデッドの戦士をも上回りかねない強さを感じさせる、黒い騎士。法国の連中……陽光聖典を追い返したと言っていたが、おそらくは全滅させたであろうあの者たちが今後王国の力となってくれるように尽力せねばなるまい、と王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは決意を固めていた。

 

 

 

 

 ナザリック大墳墓、宝物殿。カルネ村より帰還したアインズはアルべドに守護者達への報告を命じた後、すぐさまここに転移した。通常であればブラッド・オブ・ヨルムンガンドの猛毒で汚染されている空気は清浄に保たれ、普段は霊廟前にいる筈のパンドラズ・アクターがアインズを出迎えている。

 

「お待ちしておりました!モモンガ様!・・・・・・いや」

 

 パンドラズ・アクターが一礼の後、大げさだが優雅な動きで失敗した!のポーズをとったかと思うと、すぐさま胸に手を当てパンドラズ・アクター曰く創造主を讃えるポーズをキメる。

 

「我が創造主!ん~~~~アインズ様!」

 

 宝物殿に転移しわずか30秒の間に2回光ったアインズは思わず頭を抱えかけるが、今後はここに来ることが増えるのだ、こんなことでいちいち頭を抱えて帰りたくなっていては何もできん、これも鍛錬だ、と考えぐっと動作を押さえ込む。

 

「・・・・・・パンドラズ・アクターよ、首尾は?」

 

「中の上、といったところでございます。こちらをご覧ください!」

 

 




いつも多数のご感想、お気に入り登録及び誤字報告ありがとうございます。修正は反映させていただいてます。今後ともよろしくお願いいたします。
前回投稿後、大変厳しい意見を多数いただきました。ある程度の修正を行うつもりです。ご不快に思った方は申し訳ありませんでした。

原作1巻の内容が終わると思ったが、そんなことはなかった。本当にもう少しペースを上げないと不味い気がしてきました。


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Debut

※旧12話を分割いたしました。こちらは前半部分となります。追記などはありません。


 スレイン法国・神都六大神殿の一つ、土神殿。その最奥にある、土神の眼と呼ばれる儀式の間。多くの円柱が立ち並ぶその場所で、女性のみで構成される麗しき土神殿衛兵達に見守られながら、今まさに大儀式が行われようとしていた。

 

 中央には両目を覆うように布が巻きつけられ、薄絹に身を包んだだけで殆ど裸体といっていい年若い少女が佇む。その頭には無数の宝石によって飾られたサークレット。サークレットの中心には大きな琥珀色の宝石が埋め込まれ、そこから何がしかの力が放射されているようであった。

 少女の身につけるこのサークレットこそ法国最秘宝の一つ、土の叡者の額冠。着用者の人格を奪い、外部から魔力を供給する事によって、人間を人類では発動させることのできぬ、神の領域である第七位階以上の魔法を発動可能なマジックアイテムへと変える、恐るべき秘宝だ。

 

 少女の周囲には、同じような格好をした女性たちが佇んでいる。違うことは目を覆う布が無いことと、その頭に秘宝がかぶせられていないことだ。土の巫女姫を中心として6人。ちょうど巫女姫を円形に囲むような形となる。その陣の前には高位神官の証を首より下げた老婆と、やはり女性の神官達が付き従っている。

 

「では始める。土の巫女姫に力を集めよ」

 

 老婆の声に従い土の巫女姫を囲む巫女達が、土神に捧げる祈りの言葉を唱え始めると、巫女姫の周辺の地面が鳴動し、巫女たちより土の巫女姫に向かって魔力が注がれる。周囲の巫女たちの顔色が僅かに白くなっていくと共に土の巫女姫の頬が染まり、上気してゆく。その口から淡い吐息が漏れ始めたのを見て、老婆は背後に控える者たちに指示を出した。

 

「第8位階魔法<プレイナーアイ/次元の目>を発動させる、補助せよ」

 

 これぞ法国に伝わる大儀式、集団の魔力を纏め上げ膨大な魔力を巫女姫の身に宿す秘術である。この儀式を経て叡者の額冠の装着者、巫女姫は人類の限界を超えた魔法の発動が可能となるのだ。

 

<オーバーマジック・プレイナーアイ/魔法上昇・次元の目>

 

 発動したのは第8位階魔法<プレイナーアイ/次元の目>遠く離れた場所であってもその場にいるかのような映像を映し出し、かつ映し出した対象を分析する、まさに神の御業といえる強大な感知魔法だ。対象は、現在リ・エスティーゼ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの抹殺任務に従事する陽光聖典。彼らは常日頃より、特殊な任務につく六色聖典をこうして感知魔法で確認していた。彼らが無事であるか、未知の危機に遭遇してはいないか“正常”であるかを把握するためである。

 

 土の巫女を通して魔法が発動し、いつものように巫女姫の頭上に魔法によって映像が現れる――筈だった。だが、そこに現れたのは数m程の黒い靄の塊。塊には中心部に不可思議な文字列が並んでいる。それと同時に、糸が切れたように巫女姫と周囲の巫女が崩れ落ちた。

 

「失敗じゃと!?」

 

 老婆はその光景を眼にした瞬間、かつて前任者より対象が感知魔法に対する強力な魔法的防御に守られている時は黒い映像が現れる、と申し送りをされた事を思い出した。その時は老婆――まだその時はそこまでの年齢ではなかったが――は神の御業たる第8位階魔法が防がれるなどということがあるのだろうかと疑問を覚えたが、目の前の光景はまさしくその状況に他ならない。老婆の台詞に周囲の神官や神殿衛兵がどよめくが、それも一瞬の事であった。

 

 この老婆は勘違いをしている。前任者が言い残したのは黒い映像。今、彼女たちの目の前にあるのは文字の浮かんだ黒い靄だ。その黒い靄より迅雷の如く、何かが無数に飛び出した。

 

 

「きゃあああ!」「くそ、放せ!」「ちょ、やめ、ああっ!」「な、なんなのこれは!」「ひいぃ!」

 

 

 周辺より、いや、意識の無い土の巫女姫達を除く全ての者から悲鳴、あるいは怒号が上がる。黒い靄より無数に現れた迅雷の正体は、子供の指から腕ほどの太さの触手だった。無数の触手は周辺の者の手足、胴に巻きついて次々に持ち上げ、靄に引きずり込んでいく。

 衛兵は空いている手で剣を抜き放ち触手に攻撃するが、彼女たちの持つミスリルの剣を以てしてもまるで歯がたたない。それどころか攻撃を加えた次の瞬間には、数倍の触手に絡まれ身動きを封じられる。神官も慌てて魔法を発動させようとするが、印を結び口を開く前に腕や顔に触手が巻きつき、魔法を発動させるどころではない。

 

 

「この、このぉ!ぐあっ」「んむー!んむー!」「やだ、いやだぁ!おぼぉっ!」「神よ!お助けくださあっ……」「まって! ほんとまって!いやあ!」

 

 

 建立から長きに渡り静謐を保っていた儀式の間はしばしの間、悲鳴によって占領され――やがて再び静謐を取り戻した。後に残るのは黒い靄とそこから生えたままの触手。触手は周辺を丹念に調べ神官が落とした聖印、衛兵が取り落とした剣、その他のこまごまとした物を拾い集めると黒い靄へと戻っていった。

 

 全ての触手が黒い靄に吸い込まれた直後、異変に気づいた儀式の間に続く通路の守護神殿騎士達数名が「失礼!」と口々に言いながら儀式の間になだれ込む。彼らは空中の黒い靄とその中心に浮かぶ不可思議な文字に驚き、警戒しつつも周囲を見回す。そうしている内にも文字は刻一刻と変わっていく。彼らは危険を承知で素早く儀式の間中央まで進み、円柱の影なども急ぎ確認するが巫女姫は愚か、人っ子一人いない。

 

「異常事態だ!神官長に――」

 

 彼らがもしも六大神の使用していた文字を修めていれば、あるいは黒い靄に浮かんでいた“数字”の意味がわかったかもしれない。

 

 “0”

 

 土神殿の大部分が爆炎と雷撃の渦に飲み込まれ、儀式の間より炎の柱が突き上がった。その炎の柱は神都のどこからでも見ることができるほど巨大であったと、法国の記録に残されたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 パンドラズ・アクターが物理的には転倒するであろう謎のポーズと共にパチン、と指を鳴らすとその背後の空間に30人弱の人間が現れた。アインズの眼を以ても見抜けなかったということは、ギルドメンバーのスキルを使用したのだろう。その内の1人、目隠しをされた少女だけがすぐ手前に浮かんでいる。よく見ると少女も、他の人間達も透明な液状の立方体の中にいるようだ。それよりも気になることは、この少女の恰好をアインズが知っているという事。

 

「叡者の額冠!?」

 

 アインズは目の前に浮かぶ少女の頭部に輝く叡者の額冠を見て、思わず声を上げる。間違いない、宝石の色こそ違うがンフィーレアが装着させられていた、ユグドラシルでは再現不可能な超レアな呪いのマジックアイテムだ。彼を助けるためやむなく破壊したが、あの時は惜しい事をした。

 だが、なぜここに叡者の額冠が?と考えるうちに視線が自然と下の方に動き、薄絹の向こう――というか、前は腰の辺りから完全にはだけている――を見てしまったアインズは慌てて叡者の額冠に視線を戻す。いかん、シャルティアの時といい何故自分の眼は勝手に、と僅かに発光し始めたアインズだったが、すぐそばから上がった大仰な声に精神平衡の効果が現れるまでも無く一気に冷静となる。

 

「おお、流石至高の御方!知の化身アァインズ様!既にこのマジックアイテムの事をご存知だったとは!」

 

 しまった。アインズは口を押さえかける己が手を意志の力で全力で押さえ込みつつ、パンドラズアクターの一連のアクションにより結局発光する。

 

「いや、私も噂で聞いた事があるのみだ。その姿と名だけをな……お前の反応からすると間違いないようだが」

 

「はい!こちらのマジックアイテムは間違いなく、叡者の額冠でございます。アインズ様!私の知識にない、私の力では作成不能のぉマジックアイテム!その効果は!」

 

<オール・アプレイザル・マジックアイテム/道具上位鑑定>

 

 アインズが鑑定の魔法を起動すると、パンドラズ・アクターがしゅーんと音が聞こえるかのように、あからさまにちぢんでいく。

 

「なるほど……これは確かに私でも作成は出来ぬな」

 

 アインズは全部知っているのだが、これ以上ぼろを出さぬためにあえて、鑑定の魔法を唱えた。決してパンドラズ・アクターの独演会を防ぐためではない。しかし困った事になった。

 

 この叡者の額冠は間違いなくこの世界由来のマジックアイテムであり、ユグドラシルのアイテム作成スキルでは再現が不可能だ。これを知っていた事をどう誤魔化すか……とアインズはふむふむと頷きつつ頭を回転させていると、目の前の巨大で透明な立方体に目を付けた。よし、これを利用して時間を稼ごう、あわよくばその流れで有耶無耶にできるやもしれない。

 

「パンドラズ・アクターよ、これはゼラチナス・キューブだな?これほど明るい場所で見るのは初めてだが……中に入っているものにもよるのだろうが、これは美しいな」

 

「!はっ、美しくも珍しいマジック・アイテムでしたので、披露に少々趣向を凝らしてみました!」

 

 かけられた言葉に、顔に縦線が入ったままうつむいていたパンドラズ・アクターが顔を上げ、がっちりと食いつく。ぱあぁ!と言う音をアインズは確かに聞いた。もしパンドラズ・アクターが何らかのスキルを用いて自分で言ってたら、あとでぶん殴ろう。だが、今それを実行するほどアインズも非道ではない。

 

 ゼラチナス・キューブはヘロヘロさんの種族・ウーズの一種で、迷宮に特化適応したスライムと言われている。その名の通り透明な立方体という非常に特異な外見をしており、触れた者を一瞬で自分の体内に引きずり込み、有機物なら何でも分解・吸収するという恐ろしいモンスターだ。さらには触れただけで強力な麻痺の効果があり、麻痺に対する完全耐性が無いものはその時点で死亡確定、といういやらしさからナザリックの迷宮内にも一部トラップとして配置されている筈。

 だが、こうして改めて十分な光量の下で見ると真水がそのまま固まったような不思議な美しさがあり、中に少女が浮かんでいる目の前のそれは、一級の芸術品と言っても過言ではない。アインズがそんな感想を抱いている間に、パンドラズ・アクターの説明が続く。

 

「ゼラチナス・キューブは無機物には一切ダメージを与えませんので、ここ宝物殿に納められているマジックアイテムの洗浄に試験的に使用しております!無論、至高の御方々の秘宝ではなく、積みあがっている低位の物に限りますが……微細な隙間、わずかな曇りも100%逃しません!」

 

「……ほう」

 

 アインズはスライムで洗浄をするという発想がパンドラズ・アクターと被ったことに、もやっとした何かを感じた。

 

(いやいやパンドラズ・アクターは俺が創造したNPC、たっちさんとセバス、ウルベルトさんとデミウルゴスのように考え方が似通るのはむしろ当然……なんだけど、何だろうこの気持ち)

 

 しかも、なんだ。もしかしなくとも、パンドラズ・アクターの方法の方が優れてないか?アインズは目の前のゼラチナス・キューブを見つめる。この中に自分が入ることを想像する……水の中に浮かんでいるようなものだし、命じれば頭だけ上に出すことや逆さまに浮かぶことも可能だろう。

 

(結構楽しいかもしれないな、体も綺麗になるし……今度こっそりと試してみよう、だが三吉君には知られないようにしなければな)

 

「ああ!申し訳ございません、アインズ様!」

 

「!?な、なんだ」

 

 なぜか恋人に内緒で合コンにいく男のような妙な心境で、ゼラチナス・キューブ風呂計画を練り始めていたアインズは、パンドラズ・アクターの唐突な謝罪の言葉に現実に引き戻される。

 

「わたくしとしたことが、入手したマジックアイテムに気をとられ、この者たちの報告を致しておりませんでした!遅くなりましたが、ただいまよりご説明させて頂きます」

 

「うむ、お前のその言葉を待っていたぞ、パンドラズ・アクター。だが、そうあれと創造したのは私だ。気に病むことはない」

 

 嘘である。アインズも完全に目の前のマジックアイテムやゼラチナス・キューブに気をとられていて、報告を求めるのを忘れていた。ツッコミ不在とはかくも恐ろしいものか……そして心の中に冷や汗が垂れる。パンドラズ・アクターの方がそのことに早く気が付くとは。大丈夫なのだろうか、自分。

 

「おお!慈悲深き我が創造主、アインズ様!では、報告させて頂きます……事前の御指示通り、対情報系魔法の攻性防壁を多重展開し御身のお傍に伏せておりましたので、あの場を目標にしたこの者たちの感知魔法を捕捉いたしました」

 

 パンドラズ・アクターがどこからかファイルのようなものを取り出し、報告を開始する。

 

「私の攻性防壁により〈フォース・アブショーブション/強制吸収〉が起動、これにより感知魔法発動者より吸収した魔力で<サモン・パック・オブ・ヴァイパーヴァイン/毒蛇蔓の群れの召喚>が起動。撃退されず周辺の生物・無生物の収集に成功。ゆえに犠牲による追加召喚は起動せず、ヴァイパー・ヴァイン召還後に広範囲・威力強化した<ファイア・ストーム/爆炎の嵐><ライトニング・ストーム/轟雷の嵐>が起動したことを、確認しております」

 

「…………続けよ」

 

「この者たちの素性ですが……スレイン法国・六大神殿の一つ、土神殿に所属する神官と神殿衛士でございます。叡者の額冠にて巫女姫と呼ばれる少女を高位魔法を行使するためのマジックアイテムに作り替え、感知魔法で六色聖典なる特殊部隊の国外活動を監視する任を負っていたようです。最低限の情報収集前に確認致しましたが、魔法による尋問防止措置などは施されておりません。現状はゼラチナス・キューブ内にて麻痺状態で生きたまま保管しております。この者たちの処遇ですが、いかがいたしましょう」

 

 アインズはパンドラズ・アクターの報告を聞き、しばし瞑目する。そう、実はカルネ村にはパンドラズ・アクターを呼んでおいたのだ。目的は2つ、絶対に来ると分かっている感知魔法を利用し、より一層の情報収集を図るため。かけてくるのがわかっている感知魔法などという、おいしい機会を逃すことはないと考えたのだが、見た限りでは予想以上の収穫が上がったようである。

 そしてもう一つはパンドラズ・アクターの能力試験のため。自分の近隣に潜ませていたパンドラズ・アクターは、アルベドや多数のシモベの目をかいくぐることができるか?というものだった。こちらもどうやら十分に成果が上がったと考えていいだろう、とアインズは判断する。

 

「その者たちは入手経緯の関係上、ニューロニストに尋問させるわけにも氷結牢獄に放り込むわけにもいかぬ。ここ宝物殿でお前の管理下に置いて情報を取集せよ。管理下にある限り、他の処遇や利用法はお前に任せよう、その経緯で破棄してもかまわん。だが、巫女姫に関しては重要研究対象とし、死亡させることの無いように努めよ」

 

「御命承りました。必ずやご満足いただける結果を御報告させて頂きます」

 

「……なあ、パンドラズ・アクター。ちょっと聞きたいんだが」

 

「何でございましょう?」

 

「んむ、そのな、さっきから報告をしている時、お前の口調がずいぶんと違うように思うんだが、私の気のせいか?」

 

 報告が開始されてからずっと気になっていた。おかげで最初の報告はかなり頭に入っていない。速度、滑舌、発声全てにおいて完璧で、聞きやすく報告されているにも拘らず、だ。ちなみに報告の間は一切オーバーアクションもない。当然アインズは全く光ってない。別に光りたいわけではないのだが、違和感が勝った。

 

「今の私はアインズ様に任ぜられた、特務として職務を全うしております。アインズ様に授けられた我が衝動!我が熱き想いは!!この身で確かに燃えておりますが!!!……詳細な報告を行う際には、私の常の口調では大変聞き取りにくい筈。ですので、職務に併せた口調にて報告させて頂きました」

 

 ああ、これだこれだ。と一光りしたアインズはパンドラズ・アクターの言葉に納得する。考えてみれば当たり前のことだ。いくらそうあれ、と創造されたからと言って隠密任務中に、あれを披露することなんてある筈がない。仕事とプライベート、TPOによって態度や口調を変えるのは至極当然。アルベドだってそこはわきまえてるくらいだ。ということは任務中のパンドラズ・アクターと行動するのは自分が思ってたよりは、あくまで自分が思ってたよりは、楽なんじゃないだろうか。そう思い、アインズは心持ち自分にかかってる重力の様なものが軽くなるのを感じた。わずかに肩の荷が下りたアインズは、機嫌よくパンドラズ・アクターに声をかける。

 

「パンドラズ・アクターよ。この度の働き、見事だった。敵味方……私の目すらも欺き隠しおおせたお前の能力、私の判断は間違っていなかったと確信したぞ」

 

「ありがたきお言葉!この身に宿る能力を授けてくださった至高の御方々、そしてアァインズ様に心より感謝の意を捧げます!」

 

「よし、では私はそろそろ準備をせねばならぬ。また後日ここには来るが、それまでにこの者たちより情報を集めておけ」

 

「はっ」

 

 機嫌が良かったせいか、はたまたちょっと慣れてきたのか光らずに済んだアインズは、転移にて宝物殿を後にする。残されたパンドラズ・アクターはしばし礼をとったままの姿勢を保持していたが、やがてその姿は歪んだ蛸の様な禍々しい姿に変わっていく。

 

「さて、では拷問官を演じましょうか!」

 




多数のご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。こちらは旧12話前半部分となります。本来、ここまでで1話の予定でした。


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Creak

※旧12話を分割いたしました。こちらは後半部分となります。加筆修正があります。


  

 

 宝物殿より戻ったアインズは、自室で玉座の間での演説の支度をしつつ、先程パンドラズ・アクターより得た情報に関して思考を巡らせていた。

 

「しかし、スレイン法国……プレイヤーの匂いがする危険な国だとは思っていたが」

 

 人類の守護者を名乗りながら、帝国兵に偽装した部隊をリ・エスティーゼ王国に送り込んで無関係の村々を焼き討ちし、そこに住まう村人を次々と斬殺。しかも、その目的が王国戦士長であるガゼフ・ストロノーフを暗殺するための罠だったというのだから、最初から印象は最悪だった。

 人類の団結による脅威への対抗を掲げているのに、同じ人類国家である帝国と王国を敵対させ弱体化を目論むとは全く筋が通っていない。暗殺対象の戦士長、ガゼフ・ストロノーフにしても人類の保有する戦力として最高峰であることはわかっているはずだ。個の強さが数を凌駕するこの世界に置いて彼を失うことが、どれだけ人類の戦力を低下させるのかも考えないのだろうか?

 

(エルフを目の敵にし、奴隷にしているというのも理解できん)

 

 エルフを奴隷にしているのは法国に限ったことではなく、バハルス帝国でもそうだったが、帝国と法国には決定的な違いがある。帝国はあくまで皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスを頂点とした、自分たちの利益を追求する人間国家だ。人類の守護者などと名乗っているわけではない。それにエルフだけでなく、人間も奴隷として売買されていることから、帝国で奴隷制度が敷かれているのは国家の政策方針であって、特定種族に対する弾圧ではないことがわかる。それに比べ人類の守り手を名乗りながら同じ人間種であるエルフと戦争をし、捕虜を奴隷にしている法国は実に矛盾に満ちた国家と言えよう。

 

 冒険者組合のアインザックは、人々の範疇にエルフやハーフエルフ、ドワーフを加えていたし、帝国には奴隷ではないエルフやハーフエルフも住んでいた。つまり所属する国家の方針はともかく、エルフ・ハーフエルフ・ドワーフは多くの者にとって人類であるはずなのだ。宗教国家である故か、とも考え調べたが王国・帝国で信仰されている四大神・法国で信仰される六大神のいずれの教えにも、人間のみを尊びエルフやハーフエルフを迫害するような選民的な教えはない。

 

「理想を唱え、それによって国家の秩序を保ち民衆を支配しているだけなのか……もしそうだとすると、法国の上層部は腐りきってる可能性が高いな」

 

 あまり詳しくはないが、歴史上に於いて国政に関わった宗教関係者が腐敗し、堕落するというのは珍しい事ではないと知っている。しかも法国はその宗教関係者が関わっているどころではなく、支配者層だ。腐っていたとしても全く驚かない。少なくとも今までアインズが知りえた法国の行動からの推測ではあるが、そう考えても仕方のない材料、状況証拠ばかりが揃っていく。

 

 

「……それに、まさか叡者の額冠が奴らの物だったとは」

 

 

 たしかに前回のエ・ランテルでの騒動で、ンフィーレアが装着させられた叡者の額冠とは宝石の色が違う。だが、こんな特殊なアイテムの製法が複数個所に伝えられているだろうか?前回、叡者の額冠の情報が手に入ったのはあの時だけであった。つまり、あの叡者の額冠もスレイン法国製である可能性が非常に高い。だとすると、あの騒動の黒幕は――

 

(ズーラーノーンとやらでなく、法国だったか?)

 

 法国が、王国と帝国双方の弱体化を画策していたとすれば――状況から見れば間違いないだろうが――あのエ・ランテルでの事件が法国の陰謀であってもおかしくない。それにもう一つ、それを補強する情報を自分は持っている。

 

 帝国のフールーダ・パラダインから、帝国がアンデッドを利用した様々な政策を検討・研究していたと聞いた時は流石ジルクニフだ、と感心した。偏見や思い込み、古い慣習などにとらわれず実利を追求して行動する、あの男は為政者として本当に優秀だ。なぜ急に属国になる等と言い出したのかは、未だにちょっとわからないが、何か理由があったに違いない。……思考が横にそれたが、問題は帝国のアンデッド研究を法国が察知し、証拠をつかんでいた場合だ。

 

 あの時エ・ランテルに自分たちがいなかった場合、事態は急速に悪化・拡大し、おそらくエ・ランテルは一晩のうちに滅びていただろう。エ・ランテルにはミスリル級までの冒険者しかおらず、警備の兵士は軟弱でものの役には立たない。そうなれば王国だけでなく、帝国や都市国家連合を含む周辺各国は世界の危機か、と大騒ぎになったに違いない。

 

 そこでもし、法国が“バハルス帝国は魔法省でアンデッドを使役する研究をしている”と発表したらどうなるだろうか?おそらく各国と神殿関係者は頭から信じはしないだろうが、帝国に確認はするし、独自に調査も行うだろう。ジルクニフであれば、その追及すらも見事にはねのけるかもしれないが、法国が追加の情報を発表・流布するような事となれば、周辺各国や民衆は帝国と距離を置き、敵対する国家や集団もでてくるだろう。また、帝国内部においてもジルクニフの権威が大きく失墜し、内部から崩壊するような事態も起こりかねない。なにせ、情報自体は真実なのだ。

 

(いや、待て待て、だとしても……ズーラーノーンが法国の一機関である、と考える方がしっくりくるな)

 

 ズーラーノーンはアンデッドを使役する魔法詠唱者集団だと聞いている。そして、その活動範囲は広範囲に及び王国や帝国、都市国家連合あたりでも不穏な事件を起こしていることが確認されているそうだ。他の国々と違いスレイン法国では元素を司るらしい四大神の他に、生と死の神を加えた六大神を信仰している。死の神を信仰している者達がアンデッドを使役するのは、当然とまではいかないが十分にありえることだ。だが他の国々ではアンデッド=悪。これは非常に誤解と偏見に満ち溢れている、と自分がアンデッドであるアインズは思うのだが、それは置いておいて。

 

(人類の守護者を標榜するスレイン法国が、他の人類国家で絶対悪とされているアンデッドを使役する一面があったとすれば、それを隠すためのアンダーカバーとしてズーラーノーンという組織を作り出した可能性は……あるな)

 

 陽光聖典は魔法詠唱者の部隊で天使を使役していた。と、すれば死の神の部隊が魔法詠唱者で構成されていて、アンデッドを使役しているというのはごく自然な考えではないだろうか。その活動目的が陽光聖典と同じく、周辺国家に対する不安定工作だとしたら……それはズーラーノーンという組織の性質に合致しないだろうか。憶測の域は出ないが、これは気に留めておくべき考えだろう。そして、アインズの脳裏にかつて自分と刃を交わした、ある女の姿がよぎった。

 

「ああ、簡単じゃないか」

 

 わからないことは、当事者に聞けばよいのだ。

 

 

 

 

 

 

「アインズ・ウール・ゴウンを不変の伝説とせよ!アインズ・ウール・ゴウンこそが最も偉大であると、世界に知らしめるのだ!」

 

 

 

 先程、この玉座の間に響き渡ったアインズ様の玉声がまだ耳に残っていることを、デミウルゴスは心地よく感じていた。至高の御方はこの玉座の間を去られたが、残っている自分を含む守護者、選ばれた幸運なシモベ達は未だ興奮と熱気のただなかにあった。

 

「皆、面を上げなさい。各員はアインズ様の勅命には謹んで従うように。では解散といたします」

 

 守護者統括、アルベドの静かな声が熱気に水を差すように響く。デミウルゴスはその声に二重に不快感を覚えた。確かに打ち合わせはしていないが、この場で皆に発表すべき事柄があるだろうに、なぜ解散を宣言するのか。そして――なぜ、そんなに冷たい声を出せるのか。

 

「守護者統括殿。私からこの場で皆に話しておかねばならぬ事がございます。ご許可を願います」

 

 だが、役職上は守護者統括であるアルベドが今この場における最上位の存在だ。アインズ様が居られるか、守護者だけであれば声を上げすぐさま発表するのだが――

 

「アインズ様は玉座の間を去られました。我々も解散し、玉座の間を去るべきではなくて?」

 

 この女……と先程に倍する不快感をデミウルゴスは覚え、いくつか考えていた展開の穏便な方から順番に破棄した。後で揉めるかもしれないが、ここは少々強引に話を進めることにする。

 

「アインズ様の御心に関して、皆に伝えたき事がございます。ご許可を」

 

 ざわ、と玉座の間にどよめきが上がる。

 

「アインズ様の御心、それは最重要事項でありんすね。デミウルゴス!早く聞かせてほしいでありんす」

 

 シャルティアが役職上の順列も礼儀も守らずに真っ先に喰いついてきたことに、内心苦笑するが今はありがたい。その一言で他の守護者達も口々にアルベド、ないし自分に許可や発言を要求し始める。

 

「……わかりました。デミウルゴス、皆に説明なさい」

 

「ありがとうございます」

 

 自分にしか見えない角度で、表情だけで殺せるスキルがあれば自分を殺せそうな顔を統括が向けてきたが、この際無視することにする。

 

「後ろまで声が響くよう、壇上に上がってもよろしいでしょうか?」

 

「……いいでしょう」

 

 アルベドの声を受けデミウルゴスは立ち上がり、壇上へと歩を進めると、振り返って玉座の間に並ぶ守護者とシモベを視界に納める。アルベドはこの状態では見ることはできないが。

 

「アインズ様が私を連れ夜空をご覧になられていた時に、この世界を見渡し「ここは!」とおっしゃられました。至高の御方でしか気が付けぬ、何かに気が付かれたご様子でした」

 

 玉座の間にいる全ての者達がデミウルゴスの言葉を聞き逃すまいと、真剣に耳を傾けている。

 

「そして、あの天空に浮かぶ月を見上げ、こう仰られました。『私がこの世界にやってきたのは、この地をより美しく輝かせるためやもしれぬ』と、そしてこう続けられました。『この地に我らが国を築くのも悪くはないかもしれないな』と。この世界を美しく輝かせること、これは月光の如く至高の御方のご威光で世界を照らすという事に他なりません。そして、この地というのは言うまでもなく世界そのもの。この世界に至高の御方のご威光を知らしめるべく、征服する。それこそがこの御言葉の意味するところです。そして最後に、アインズ様はこう仰いました」

 

 デミウルゴスの貌に歓喜の色が浮かぶ。

 

「『我が友たちからも見える輝きを放つような国を』と、つまりは……」

 

 デミウルゴスの視界に入る全ての者が、喜びの表情を浮かべているのが見える。

 

「この世界を支配する事で、ナザリックを去られた至高の御方々の御帰還の道標となる。それこそが、アインズ様の御望みです」

 

 玉座の間が先程、至高の御方の御言葉が響いた時と同様の熱気に包まれる、その熱気を受けてデミウルゴスは高らかに宣言した。

 

「至高の御方の御真意を受け止め、準備を行うことこそ我らが忠義の証であり、優秀な臣下の印。ナザリック地下大墳墓の最終的な目的はアインズ様にこの世界を献上し――至高の御方々の御帰還をお助けすることであると、皆心得るように」

 

 デミウルゴスは振り返り、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインの旗に最敬礼を行う。

 

 

「正統な支配者たるアインズ・ウール・ゴウン、至高の御方々にこの世界の全てを捧げましょう」

 




多数のご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

前回投稿で原作1巻の内容が終わりました。実はそこまでなんとか終わらせようと気が逸って2話分を1話にまとめたのですが、色々と抜けた部分も多かったため、分割させて頂きました。


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From Fear to Carelessly

※注意 五話と六話の間のお話です。


「……以上だ、では頼んだぞ。鍛冶長」

 

「はっ、至高の御方の統率者であるモモンガ様の為に我が槌を振るえること……真に光栄の極み。感謝いたします」「感謝イタシマス」

 

 頭を下げ平伏する鍛冶長と部下のサラマンダーの鍛冶士達を睥睨し、アインズは言葉をつむぐ。

 

「頭を上げよ、お前たちの言葉は嬉しく思う。だが武具作成はともかく、他の命はお前達の武具鍛冶師としての矜持を傷つけはしないか?私はそれを案じている」

 

「なんと、我らがごとき者共にそのようなもったいないお言葉を」

 

 鍛冶長、そして鍛冶士達の炎が歓喜の念を表すかの如く強く揺らめき輝いた。

 

「至高の御方に命じられた仕事、全て我らの誇りであり、栄光であります。これは我らが創造主、あまのまひとつ様に誓って真実の言葉……」

 

 更に深く平伏し、鍛冶長は言葉をつづける。

 

「なにとぞ我らがために、磨き上げられた神鋼の如き御心を曇らせませぬよう、伏してお願い申し上げます」「オ願イ申シ上ゲマス」

 アインズは未だ平伏したままの鍛冶長達に再び声をかける。先ほどよりもゆっくりとした重々しい口調で。

 

「頭を上げよ……いや、立つが良い」

 

 その言葉で鍛冶長たちが立ち上がる。アインズは鍛冶長に向けて一歩踏み出し肩に手を置く。

 

「お前達の忠義の心、確かに受け取った。改めて命じよう、我が力となれ。お前達の働きに期待している」

 

 「はっ!!我らが力、全て至高の支配者モモンガ様の為に!」

 

 炎を吹き上げ鍛冶長たちが敬礼する。アインズは満足そうにうなずくと、威風堂々とその場を後にした。後に残った鍛冶長たちはアインズの姿が見えなくなるまで敬礼し、炎を強く、大きく輝かせるのだった。

 

 

 

 

 

「ありえねえータブラさあぁん、あれはない、あれはないよー」

 

 自身の生み出したNPCと、かつての盟友に作り出されたNPCから多大な精神的負荷を受けつつ、必死にナザリック内部を駆け回り早急に打つべき手を打ち切ったアインズは“おりゃおりゃー”などと言いながらベッドの上に向けて、明らかに物理法則を無視した滞空時間で緩やかな弧を描きダイブ、枕を両腕に抱え込み“うわーうわー”と左右に転がった後“へあっ”とでんぐり返しを敢行、その後大の字になって“いいいいいやあああああぁー”と両手両足をばたばた動かすという自分史上最高の荒れっぷりを披露していた。

 無論、私室周辺に見張りのデス・ナイトを召喚し、その上で誰も自分の部屋に近寄らせるなと言明。外部への音遮断の魔法を2重にかけてからのご乱心モードである。

 

「……ふう」

 

 ひとしきり喚き、暴れ、ようやくある程度魂の疲労というかストレスを発散しベッドにごろん、とうつぶせになったアインズはふと気が付く。

 

「まだ、ベッドには香水がかかってないみたいだな」

 

 あの香りが漂っていればアロマテラピーではないが、もうちょっと落ち着くのは早かったんだろうか、と記憶にある慣れ親しんだベッドの香りを思い出す。やはり部屋にメイドが出入りするようになってからああいうことは考案・開始されるのだろう。エ・ランテルの部屋は仮の住まいとされていたせいか香水を振りかけることはついぞなかったが。

 

「しかしまいったな、奴とニグレドはともかく、守護者たちとの会見でもあそこまで精神に負担がかかるとは……」

 

 全ては自分に前回の記憶がある事に原因がある。自分には守護者たちと過ごした記憶があるのに、彼らにはその記憶が無い。それによって自分の認識と守護者の行動や発言に齟齬が生じる。それを目の当たりにすることが自分の精神を激しく揺さぶるのだ。頭ではわかっていても感情はついてこない、の典型である。もし自分がアンデッドでなく、精神安定化が働かない種族であったら耐えられなかっただろう。

 また、記憶がある事で生じる弊害として“失敗”がある。記憶の通りに振舞おうとしてその通りに振舞えなかった場合、アインズは失敗したと感じるわけだが、それにより慌てたり羞恥の感情を抱いたりすることでも精神の安定化が働くのだ。記憶が台本のようになってしまい、自身の行動だけでなく精神までも縛っているという状況だ。

 

「まだ初日なのに……これは、かなりしんどいかもしれないぞ……」

 

 精神安定化が働くと本当にわずかだがMPが減少した時のような感覚がある。それが鈴木悟の残滓、魂に負担がかかっている証左であることは前回からわかっていた。まあ、バランスを崩した体勢を無理矢理立て直すような行為なので負担がかかるのは当然だと思っていたが、こうまで多いとそれで済ませるわけにはいかない。早急に対策を講じる必要がある。だがおそらく事前に何をどう準備しても、脳内シミュレーションを幾度行ったとしても、これは避けられまい。

 となれば答えはひとつ。事前対策で発生を防げないのなら、アフターフォロー。魂の疲労を何らかの方法で癒す方向で対策を練るのだ。とりあえず、今は前回培った方法で貯まったストレスを発散しよう。

 

 眼窩に赤い光を輝かせ、黒いオーラを纏いつつ枕に深くうずめた顔をもっふもっふと動かしていたアインズはベッドから降りるとある場所に向かうのだった。その場所の名は

 

――第九階層“スパリゾートナザリック”

 

 

 

 

 

 

「まずは――最優先事項である、モモンガ様の警護に関してだけど」

 

 嫁論争などの騒ぎをひとしきり終え、セバスが去った後にアルベド及び守護者達がまず考えたのは至高の御方であられるモモンガ様の警護。他の事はそれからである。

 

「至高の御方は、守護者最強であるわらわが警護をするのが当然でありんすね」

 

「待テ、シャルティア。貴人ノ警護ヲ行ウハ、古クヨリ同性ノ武人ガ務メルノガ習イ。身分ノ尊キ御方ニハ体面トイウモノモアルノダ。ソレニ御身ノ盾トシテ用イラレルノデアレバ、常ニ防御ガ最大状態デアル私ガ適任ダロウ」

 

 シャルティアとコキュートスが自らの戦闘能力や特性を理由に立候補すれば

 

「今は緊急事態なんだからさあ、階層守護者不在の階層があるってのはまずいんじゃないの?しかも地上に近い階層の。だからさ、階層に守護者が二人いる第六階層のあたしと、マーレが交代でモモンガ様に付き従えばいいんじゃないかな?」

 

 と、さらっといい始めるアウラ。姉の言葉に深く頷き、後はただただじっとアルベドを見つめるマーレ。先の二人の主張を潰し、自分達にしかないアドバンテージを最大限活用する鋭い一手だ。

 だが愛しの君を守るのは自分でなければならない、とある理由により必死なアルベドはその主張を許さないし、通さない。アルベドは一気に勝負を決するため、自らの持つナザリックにおける最大の切り札を早々に切った。

 

「モモンガ様は、各階層守護者は守護階層の警備をチェックし強化せよ、とも仰っていたでしょう。至高の御方々より、ナザリック大墳墓の指揮権を与えられた守護者統括として皆に命じます。各階層守護者は己の守護階層に置ける警備の強化を最優先とし、新たな命あるまでは己の守護階層を離れぬように。モモンガ様が第九、十階層にいらっしゃる間は私が警護を勤めます」

 

「ちょっ、それは横暴ではありんせんか?」「ヌウ……」「ちぇーっ、ずっるー」「…………」

 

 不満の言葉と非難の視線が浴びせられるが、それで意見を変えるほどアルベドの面の皮は薄くはない。そして守護者達も不満を口にしてはいるが、役職上指揮権を持つアルベドに本気で逆うことはできない。至高の御方々が定められた役割と言うのはそれだけ重いのだ。アルベドの顔に勝った、と勝利のドヤ顔が浮かびかけた時―

 

「アルベド、ちょっとすまないが」

 

 沈黙を守っていたデミウルゴスが動いた。何を言おうとしているか察したアルベドの顔が、見る見るうちに曇る。

 

「緊急事態においての警備……と言うことならナザリック防衛に関する事項。つまり私に指揮権が移っている、とまでは言わないが私にも裁量権があるように思うんだがね?」

 

「!、確かにその通りでありんす!」「筋ハ通ッテイルナ」「そうだったね、防衛戦の指揮官はデミウルゴスだもんねえ」「……!」

 

 そう、平時のナザリックにおける守護者及びシモベの指揮権は確かにアルベドにある。だが、防衛戦に於いてはその指揮権はデミウルゴスに移る。これも至高の御方々が定められたことだ。気がはやるあまり、一気に勝負を決しようと切った切り札を逆手に取られたアルベドは、眼前のスーツ悪魔をギロリ、と眼力で威圧するが当のデミウルゴスは涼しい顔だ。さて、と前置きし悪魔は言葉をつむぎ始める。

 

「皆の意見を聞かせてもらったけれども、至高の御身をお守りするという大任につくモノに、相応の戦闘能力と格が必要だというのはもっともだと私も思うよ。あえて私が付け加えるなら品位、という言葉だね。だがそれはそれとして、階層守護者が守護階層を離れるというのは防衛責任者として許可しかねるね」

 

 守護者たちからやっぱりか、と諦めの息が漏れる。チラとデミウルゴスはアルベドに視線を送り

 

「当然、私と共に情報管理の責任者でもあり、これからナザリック内部の様々なチェックをしなければならない筈の統括殿が、至高の御方の警護に就かれるというのも防衛責任者としても、一守護者としても、容認はできかねる」

 

 ギラリ、とアルベドの視線がいっそう剣呑にデミウルゴスに注がれる。だが、全く効果は無いようだ。

 

「そこで、至高の御方の警護を誰が担うかですが……各守護者が親衛隊より警護の部隊を選抜し、交代で至高の御身をお守りするという方式を提案しよう。ただ今現在は異常事態。先ほどのモモンガ様の勅命によれば、第八階層は封鎖し私の第七階層と第九階層を繋ぐとの御言葉でした。それであれば、まずは私の階層のシモベが警護をすることが今の状況では最も適当だと、防衛責任者として判断いたします。いかがでしょう、統括殿」

 

 物腰と口調は丁寧だが、怒るアルベドの耳に聞こえるのは圧縮・超訳された「文句ねえな?」である。デミウルゴスの狙いはここで自身の提案により議論を終結させ、至高の御方の警護の責任者はアルベドではなくデミウルゴスであると決定付ける事である。それが解っているアルベドはこの事態を打開すべく、頭をめぐらすが状況は決定的に不利だ。ここでアルベドが再度強権を発動させようともデミウルゴスに封殺され、守護者達は自らの親衛隊が交代で警護に当たることができる、という部分でデミウルゴスを支持するのは間違いないだろう。顔真っ赤で考え込んでいたアルベドの頭上、左斜め前の当たりに電球のアイコンがともった……ように見えた。

 

「デミウルゴス。貴方の防衛責任者としての意見、確かにもっともだわ。デミウルゴスの意見を加味し、先程の指示を修正します」

 

 様子が明らかに変わったアルベドを、守護者達は怪訝な顔で観察する。

 

「各階層守護者はモモンガ様の警護をするシモベを早急に選出し、ここに集めるように。その後は新たな命あるまで守護階層に常駐し、警備状況のチェックと強化に専念すること。ここは変わりません。ですが、至高の御方を直接御守りするものはやはりモモンガ様に事前に謁見し、御近くに侍る御許可を頂く必要があると判断します。私は選出されたシモベがここに到着し次第、至高の御身を護るものとして相応しいか面接を行い、その者達を引き連れモモンガ様に謁見し警護のご許可を頂きます」

 

「……それは、我々が選抜するシモベが至高の御方を警護するのにふさわしくない可能性がある、という意味ですか?アルベド」

 

「違うわ、デミウルゴス。明確に定められてはいないけども守護者統括である私は実質第九、第十階層の階層守護者でもあるもの。で、あれば自身の守護階層の警備に入るシモベのチェックを行うのは当然でしょう?」

 

「ですが、貴女自身も仰られているとおり、それは至高の御方々に明確に定められているわけではありませんね?」

 

「だったらそれも含めて選抜されたシモベと一緒に第九階層に向かい、モモンガ様に判断して頂くわ……それでも何か問題があるかしら?」

 

「……いえ、モモンガ様にご判断いただけるのであれば何も問題はありません」

 

 議論の劣勢をじゃあ至高の御方の判断を仰ぐ、という禁じ手で脱したアルベドにデミウルゴスの表情が硬くなる。至高の御方の御指示に、守護者達だけでは判断が付きかねる部分があるので御判断を仰ぐ、という提案に対して反対はできない。ナザリック大墳墓で最終決定権があるのは、至高の御方々なのだから。

 だが、それは自分たちの存在意義を揺るがすことになりかねない行為でもある。御指示に対して結論を出した上で報告を行い、御許可を頂くのであれば問題はない。だが、結論をだせなかったという理由で御判断を仰ぐというのは無能がする事ではないだろうか。コキュートスもその懸念があるのか、黙り込んでいる。ぶんむくれているシャルティアとアウラはわかっていないようだ。マーレは目が怖い。

 ここでもう一手返す方法がデミウルゴスの脳裏に浮かんだ。だが所詮は嫌がらせにしかならない内容であったのと、心情的に選択したくない方法だったのでここで議論を終えることにする。そこでデミウルゴスは一つの疑問を持つ。なぜ、アルベドはそんな手段を選ぶほど余裕がないのかと。

 

「他の皆も反対意見は無いようね、では次の議題に移ります」

 

 

 

 

 

「これは統括殿、何事でしょうか」

 

「今後、第九階層にてモモンガ様を警護する者達を守護者達から預かってきたの。モモンガ様は今どちらにいらっしゃるかしら」

 

 アルベドは選ばれたシモベ達を引き連れて第九階層を進んでいたところで、セバスとその背後に付き従うプレアデスに遭遇した。アルベドの言葉にセバスとプレアデスの顔がわずかに強張る。すでに、セバスもプレアデスも第九階層に警護のシモベをいれるとは聞いていたが、この階層の警護は本来は自分たちの役目なのだ。至高の御方の判断とはいえ、やはり縄張りに侵入されたような不快感は生じる。プレアデス達の思いを受けて、セバスはせめて身の回りの警護は自分達にお願いできないかと、嘆願に行くところだったのだ。

 

「モモンガ様は先程自室に戻られた、と一般メイドより聞いております。我らも今お訪ねするところでございます」

 

「そう、でもセバス。今の事態を貴方達は理解しているけれどペストーニャやエクレア、一般メイドには周知したのかしら」

 

「……いえ、異常事態であることは伝達しましたが、先程のモモンガ様の御言葉や我々が外部にて得た情報に関してはまだ」

 

「でしたら、貴方は家令としてプレアデスだけでなく一般メイドたちの責任者でもあるのだから、まず部下への現状の伝達を優先なさい。そうね、食堂に一般メイドを早急に集め説明を。モモンガ様への謁見はその後とします」

 

「畏まりました」

 

 セバスの鋭い視線がアルベドを射抜いたが、表面上は滞りなく命令を受諾し、セバス達はその場にとどまってアルベド達を見送った。その表情はやはり強張ったままだった。

 

 

 

 

「あら?」

 

 アルベドは通路で1体のデス・ナイトを発見する。この気配は間違いなくナザリックに属するシモベだが アルベドの知る限りデス・ナイトはナザリック大墳墓、ましてや第九階層には配備されていない。だがデス・ナイトがここにいるということは……と近づいていくとデス・ナイトが通路に立ちふさがり低く唸り声をあげる。

 

「知っているわ、この先はモモンガ様のお部屋でしょう。え?誰も通してはならない?それに今モモンガ様はいらっしゃらないと?困ったわね」

 

 おそらく自分と同じく、警護に関する嘆願を行おうとしていたセバスとプレアデスをモモンガ様の私室より遠ざけたのにこれでは意味がない。あの真面目と堅物が執事服を着ているようなセバスが、まさか自分に嘘を言ったとは思わないので純粋に入れ違いなのだろうが、これは不味い。このままではセバスが先にモモンガ様に接触・嘆願し、セバスとプレアデスを自身の警護と決定してしまうかもしれない。一刻も早くモモンガ様を見つけ出さなければ。

 

「貴方、モモンガ様がどちらにいかれたかわかる?わからないですって?……歩いていった方向はこちらなのね。わかりました、貴方はこのままモモンガ様の命を遂行なさい」

 

 一般メイドを集めさせたのも裏目に出ている。これでは聞き込みを行うこともできない。

 

「はあ……モモンガ様をお探しします。各員、使用できる感知系能力を起動しなさい」

 

 やむを得ず、集めたシモベ達と共に第九階層を探索していたアルベドは、ついにその場に到達した。

 

 

 

 

「ふうううううううううぅうう」

 

 ジワジワと骨身に温かさがしみ込んでいく。やはり人間だったときの程の心地よさはないが、よほど疲労していたためか風呂に浸かっているという状況だけで心が弛緩していくのがわかった。湯に浸かってからいかほどの時間がたったか。

 

「あー、やはり風呂はいいな。だが、やはり体を洗うのは面倒だ。早いところ三吉くんを呼び出さないと」

 

 湯に浸かる前に持ってきたブラシで体を――気が逸った為少々おおざっぱではあるが――洗い流したが、それでもやはり時間はかかったし面倒だった。洗っている途中で、己の体洗浄の歴史と共に、自身の三助である蒼玉の粘体(サファイア・スライム)三吉君を何度も思い出した程だ。

 スポンジでの三十分以上の体洗いから始まり、洗剤風呂に入って回転洗浄。掃除用ブラシによる体擦りを経て、ついにたどり着いた三吉君スライム風呂。

 様々な騒動も起こった。一般メイドによるアインズ様のお体を綺麗にするのもメイドの仕事でございます!という労働争議。男性守護者達と共に風呂に入った時、マーレに体を洗わせたことをどこからか、というか間違いなくアウラが聞きだして女性守護者一同が再度嘆願に来るという事態、そして三吉君をめぐるあの事件……本当に様々なことがあった。自分の体を洗うだけの事なのに。

 その騒動のいずれも要約すると、アインズと一緒に風呂場に入り体を洗いたいということなのだが……冗談ではない。ここにコミュニケーションや慰労を兼ねて男性守護者と共に入った時が例外なのであって、アインズは本来風呂に入る時は一人で、静かに、豊かな気持ちで誰にも邪魔されず、自由に入るべきものだと思っているのだ。そうでなくては体はともかく、心の洗浄にはなりえない。そうでなくては、魂は救われない。

 

 そんなことを考えながら湯に浸かっていると、肋骨周りや背部をもうちょっとしっかりと洗い直すべきかとの考えが頭をもたげてくる。一度考え始めるとどの部分がちゃんと洗えてないかが朧げに浮かんでしまい、とても気になり始める。これはいかん。

 

「よし、もう一度洗うか」

 

 その後でまた別の湯に浸かるのもまたよし、チェレンコフ湯で〆るというのもありだ、とアインズは洗い場へと移動する。ブラシにたっぷりと液体洗剤を付け、手で泡立てながら面倒ではあるがこの方法は洗っている感があるんだよなあ、などと考えつつ体を洗い始める。だが、程なくアインズはこの方法の最大の難関に直面し、無い眉を顰めた。

 肩甲骨の裏。ここがこの洗浄方法、いや自分で体を洗う際の全てにおける最大の問題点である。肋骨内部は妙な気分にはなるが、みぞおち付近から中型のブラシ等を差し込んで磨くことでクリアできる。肋骨と肋骨の間などもスポンジやタオルを間に通し、擦ることで上下ともに洗浄可能だ。

 だが、肩甲骨の裏は肋骨が邪魔で内部から洗うこともできず、同じ理由で大きなブラシも差し込めず、スポンジやタオルを通して擦ろうにも手を届かせにくい場所にあることや、腕の可動域的に無理があって存分に擦ることができない。更には肩甲骨の裏側というのは、当然ながら曲面を描いている。この形が洗浄コンプの難易度を跳ね上げるのだ。仕方なく、歯ブラシのような小さいブラシでちまちまと手を回し擦るのだが、手間はかかるし充実感も爽快感もない上、中央部分に99%洗い残しが出来るという最悪の難所なのだ。何度取り外せないか試しに引っ張ったものか……無論取り外す事などできなかった。悪戦苦闘しつつも、アインズは目下最大の敵である、左側の肩甲骨の裏に挑み続ける。

 

「よっ、この……ぐぬぬ」

 

 あと少し、と小ブラシをつかんだ指先に全神経を集中させ左肩甲骨の裏側、中心部分を磨こうとするアインズ。しかし骨格の可動限界なのか、あとわずか1㎝程届かない。これ以上ブラシの柄を長くすると侵入角度が確保できないし、既に小ブラシは端っこぎりぎりを指先でつかんでいる状態にも関わらず、である。諦めて三吉君を呼び出してから改めて洗えばいいのだろうが、このわずかな距離に挑むのはコンプリート出来ない気持ち悪さと、意地からである。だが、届かない。我が死の支配者の力を以てしても、このわずかな距離を届かせることは出来ぬのか、何と無力な……と思わず支配者ロール口調で考え始めてしまうほどにアインズがその頂きの高さに戦慄していると、その時は訪れた。

 

 つい、と小ブラシが指先より離れる。アインズはしまった、ぎりぎりを持ちすぎて指先から滑り落ちたか、と己の敗北を覚悟したが……驚くことに小ブラシはついに肩甲骨の裏の中心部、その頂きに到達したではないか。予想しえない展開と、その心地よい感触に思わずアインズの声が上がる。

 

「おおっ、ふおう」

 

「ここでよろしかったでしょうか?」

 

「ああ、助かった!ありがと……う?」

 

 かゆいところに手が届いた恍惚感の中、かかった声にごく自然に返答をしたアインズは、途中でこの場で聞いてはならない声であることに気が付く。

 

「アルベド、一体ここで―――!?……アルベド、なぜお前がここにいる」

 

「はい、モモンガ様が湯あみをされているようでしたので、お背中を御流ししようと思いまして」

 

 振り向いて叱責しようとしたアインズは、全裸で前かがみになっているアルベドを思いっきり見てしまい、可能な限りの速度を以て慌てて正面を向く。その際に光ったのは言うまでもない。幸いなのかどうかわからないが、重力に引かれた二つの双丘によって視界がふさがれ、肝心な場所は見えなかった――いや、こんなことを考えている場合ではない。

 

「そんな恰好で、他に誰かが入ってきたらどうするのだ!」

 

「入り口は連れてきた第九階層警護候補たちによって封鎖してますので、その心配はございませんわ……右側もこうでよろしいでしょうか」

 

 違う、そうじゃない。と思いながらも、アインズは自分の手ではどれほどの時と幸運が必要なのかわからなかった、肩甲骨裏側の中心を擦られる感触にしばし沈黙する。そして動揺を悟られぬように正面を向いたまま重々しい口調で、この状況に警戒しつつ再度アルベドに問いかけた。

 

「アルベド……もう一度聞く。なぜここにいるのだ。確かに私は風呂に入っている。だがよもや、背中を流すだけが理由ではあるまい」

 

「申し訳ありません、モモンガ様。ここが第九階層の大浴場とはいえ、御身の警護がだれ一人いないようでしたので警護に参りました。そうしましたら……恐れながらご苦労なされているようでしたから、つい……ご迷惑でしたでしょうか?」

 

「いや、迷惑ではない、むしろ助かったが……」

 

「では、引き続きお背中を御流しします。ここは……こうでしょうか?」

 

「うむ、おお、そこはそう、もうちょっと突起の根元から擦りあげるように――」

 

 違う、そうじゃない。己の手が届かぬ場所が容易に洗われる快感に流されそうになっている自分を、アインズは叱咤する。この状況は前回の記憶から考えると非常に不味い。暴走事案が起こる前に、一刻も早くアルベドにここから去るように命じなくては。

 

「アルベド、お前の言い分はわかった。だが、ここは男湯。お前が本来立ち入ってはならぬ場所だ。警護のためというのであれば、今ここにいることは不問とする。即刻立ち去るのだ。心配であるならば入室を許可する故、警護候補という男性のシモベ達と交代せよ」

 

 己に負けぬため、やや気合を入れて一気に宣言する。だが、前回の様々な記憶がアインズにこれで終わりにはなるまい、更に強く意志を保たなくては、と覚悟を決めつつあった時

 

「承知いたしました。モモンガ様には御無礼を働いてしまい、申し訳ありません。この場より立ち去り、警護は交代いたします」

 

 アインズは、聞こえてきた言葉に耳を疑った。随分とあっさりしすぎている。これはいったい?

 

「ですがモモンガ様。それでも、あえてお願いいたします。私は今、モモンガ様の御背中を御流ししている最中でございます。御身の苦難をお助けするこの行いを、途中で放り出すことはしたくありません。終えましたら即刻浴場より退出いたしますので、御背中を流すことだけはご許可頂けないでしょうか」

 

 アルベドのやや事務的ともいえる口調の嘆願を受け、アインズは考える。先程から自分は思わぬ事態に動揺し、前回のアルベドの所業を思い出していたが、ちょっと警戒しすぎてはいないか。

 耳に荒い息は聞こえてこない。口調も守護者統括としての仕事をしている時と変わらず、冷静なものだ。考えてみれば今は転移初日、あれらの所業は転移から一か月たってからのこと。居合わせたアウラやマーレも、あれは異常事態にNPCのトップとして多忙に働いているが故のストレスだ、と言っていたような気もする。実際は、その時自分でそう考えただけであの二人がそう明言したわけでもないのだが、アインズはそこまで細かくは覚えていなかった。さてどうするか、とアインズは考え込む。

 

 もしその場に第三者がいればモモンガ様、お逃げ下さい!と必死で叫んだに違いない。アインズはアルベドの裸体を見ないようにしているため、正面を向いているし、鏡も視界にいれぬようにしていた。そのため気が付いていなかったが、アルベドの肌は桃色に染まり、汗だか何だかわからぬものを流しつつ湯気を上げていた。翼はビクビクと動き、目は金色に輝き、表情は見るに堪えない程の情欲に染まっている。両手や他の場所にも液体洗剤を塗りつけている様子などは、もし他の守護者が目撃すれば、即攻撃を躊躇しないであろう危険行為である。アルベドは己が持つ戦闘スキルである殺気・視線の感知妨害や動揺の隠蔽、己が戦闘動作を敵に読まれぬようにするスキル等を全力で展開していたのだ。

 

 普段であれば隠密系職業のものではない感知妨害スキルなど、アインズには通用しない。その身に宿る数々のマジックアイテムや、その眼に込められたパッシブスキルが打ち破っただろう。だがそのマジックアイテムは今は無く、視線にアルベドを入れることの無いアインズは、アルベドの捕食者モードに気が付かぬまま許可を出すべく、口を開いてしまった。その気配を敏感に感じ取り、捕食者は戦闘態勢に移行する。

 

「よか――何事だ!?」

 

 その時、遠くから轟音が響いた。まるで硬質で巨大な質量をもつ何かが、同質の物体に高速で激突したような重い金属音を含んでいる。そしてその発生源はアインズとアルベドの背後に、先程に倍する轟音をあげて降り立った。獅子の顔を持ち、見た目はアイアン・ゴーレムながらその装甲や中核の内部に希少金属を使用、魔力を蓄積することで驚異的な戦闘能力を誇る、アインズ・ウール・ゴウン随一のゴーレムクラフターの作品にしてお調子者のトラブルメーカ―、るし☆ふぁーのお茶目ないたずら心(本人談)の結晶が吠える。

 

「マナー知らずに風呂に入る資格はない!ましてや混浴など……万死に値する!これは誅殺である!」

 

 

 

 

 

「アルベド」

 

「あい」

 

「第九階層の警護体制に関しては、守護者で再度協議し決定せよ。だが、私の周辺警護に関しては私が検討し指示する。異論はないな?」

 

「あい」

 

 周辺のシモベが空気を読んで見ないようにしているが、アルベドは正座である。これはアインズが液体洗剤まみれのアルベドを目撃し、色々何かを悟ったためだ。よし、とアインズは呟くと自室に向かうべく、歩み始めた。その口から、ボヤキとも嘆きともつかない言葉が漏れたのは仕方がない事であろう。

 

「タブラさん、俺も悪いんだけど、もう色々勘弁してください……」

 

 タブラ・スマラグディナの創造した三姉妹の内、二人に振り回されたアインズの心から出た真実の言葉であった。




多数のご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

本日はこの話の投稿前に、旧12話後半の加筆修正を行っています。

今回のお話は、以前カルネ村スパートのため飛ばしたお話です。次回は原作二巻に当たる内容に移ります。


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Deceive

手違いで8/22に書きかけの文章をアップしてました、申し訳ありません。


「アインズ様、デミウルゴス様がまいられました」

 

「そうか、では通せ」

 

 執務室には今現在、アインズと自身の周辺警護を担当しているナーベラル・ガンマしかいない。セバスとアルベドには時間がかかる仕事を命じてあるので、しばらくの間はここに来られない筈だ。アインズは癖になりつつある、今の自身の判断が間違っていないかをもう一度確認しながら、扉を閉めるナーベラルと、執務室に入り優雅に礼をするデミウルゴスに対して視線を向ける。

 

「デミウルゴス、参上いたしました」

 

「うむ、デミウルゴスよ、お前の知恵を借りたい。この世界の情報をより多く、多面的に収集するために、お前達守護者に動いてもらうプランをいくつか考えてみた。聞いてみてくれ」

 

「至高の御方であらせられるアインズ様のお考えになられたプランであれば、私如きの知恵など不要かと思われますが……畏まりました」

 

 アインズは、ナザリック周辺国家でデミウルゴス、セバス、シャルティアにそれぞれ違う形での情報収集を命じるプランと、自身もナザリック外部での活動、すなわちエ・ランテルに身分を隠して出立し情報を収集する旨をデミウルゴスに伝える。特に、アインズ自身の眼で外部の情報を収集する必要性は入念に説明した。

 しかし、と言うべきかやはりと言うべきかはわからないが、デミウルゴスの表情が自身がナザリックの外で活動するという部分で非常に強張ったのを見て、視線を外しやや急ぐように言葉をつづける。その時、ナーベラル・ガンマは見た。デミウルゴスの尻尾の一番先、左右に刺が生えている部分よりさらに先端部分がわずかだがピコン、と上に上がったのだ。

 

「他の守護者だが、アルベドはナザリック大墳墓統括としてナザリック内部と周辺の指揮を任せ、アウラ及びマーレはナザリック周辺の探索と隠蔽作業を共同で続行させる。そしてコキュートスはお前の代理として暫定的にナザリックの防衛責任者とする……これらを含めての意見を聞きたい」

 

「まず、私めに大任を与えて下さった事に深く感謝致します。実に素晴らしいお考えかと……このデミウルゴス、アインズ様の御期待に恥じぬ働きをいたす所存です」

 

「うむ、これだけ大規模かつ現場での判断が重要な任務はお前にしか任せられぬ。期待しているぞ、デミウルゴス。他の件のことはどう思うか」

 

 再びデミウルゴスの尻尾の本当に先の部分だけがピコピコとわずか……数mm程度だが左右一回動いたのをナーベラルは見てしまった。これは目の錯覚や気のせいではない。

 

「はっ、ありがたき幸せ……セバスはニンゲン共の街での情報収集となればその性格から適任ではあるかと。ですが、それゆえニンゲンに接している内に情が移り、いらぬ騒ぎに巻き込まれるやもしれません。誰かを監視役として付けた方が良いかと」

 

「それは私も懸念していた。セバスには補佐としてソリュシャン・イプシロンを付けようかと思う。ソリュシャンであれば人間達に情が移るなどという事はあるまい」

 

「流石はアインズ様、ではシャルティアですが、彼女は血の狂乱を与えられておりますゆえ……」

 

 デミウルゴスの述べたシャルティアの血の狂乱に対しての懸念は情報収集及び目標の選抜はセバス達に任せ、あくまで狩人として働いてもらう事、念のためシャドウデーモンを1体つけることで対策とした。アルベド・アウラ・マーレに関してはデミウルゴスからは全面的に賛同の意を得られたので、ほっとする。

 ただ、アインズからすれば意外なことに、コキュートスを暫定的な防衛責任者とする件に関してはデミウルゴスから否定的な意見が出た。コキュートスは優秀な戦士であり高潔な武人であるが、それゆえに罠や仕掛け、シモベを利用して侵入者を撃退する任には向いていないと言う。

 

「謁見を許された守護者の中でコキュートスだけが新たな任を与えられないとはあまりに不憫、とお考えになられ慈悲をかけられたその御心は私も理解しておりますが……私もナザリック大墳墓の防衛責任者の任を与えられている以上、彼を代理として認めるわけにはまいりません」

 

「そうか、やはりお前には全て見ぬかれてしまったか、では誰に命じるべきと考える」

 

「至高の御身が慈悲に溢れた御方と知っていればこそ、私如きでも気が付く事が出来ただけでございます。やはりナザリック大墳墓の構造を熟知し、全体を差配できる能力に長けたアルベドが兼任するのが最も適当かと。コキュートスも御身がそれ程に己を案じて下さっていると知れば、異は唱えないでしょう」

 

 当然、そんなことはない。前回を思い出しつつ、それぞれの守護者に何を命じるかを当てはめていっただけなのだが正直にそう言えるわけもなく、言うのに慣れてしまったごまかしの台詞を吐いただけだ。前回から引き続きいつも思うのだが、デミウルゴスやアルベドの勘違いの角度は全く読めない。いつかはこの勘違いを正せる日は来るのだろうか。

 

「それで、最後の私自身が人間の街に出る件だが」

 

「アインズ様の深きお考えにはこのデミウルゴス、驚嘆するばかりでございます」

 

「え?うむ、わかってくれて嬉しいぞデミウルゴス。だが、そうだな、何か気になる部分……懸念はないか」

 

 デミウルゴスの称賛の言葉のみの発言にアインズは焦る。今、デミウルゴスをあえて呼び出したのは前回、自身も出立すると守護者達に表明した時に守護者一同……特にセバスとアルベドが猛反対したからである。セバスは“私も、人間というものを知っておく必要があると思うのだ”という己の弁だけで納得させた記憶があるが、アルベドはデミウルゴスが耳打ちするまで強硬な態度を崩そうとはしなかった。

 あの延々と平行線をたどる終わりなきやり取りは、わかってて挑むには少々辛すぎる。なので、事前にデミウルゴスだけに相談することでアルベドの説得方法を聞き出す、もしくは考えさせておくためにこの場を設けたのだ。

 

「では……畏れながら正直に心の内を申し上げれば、我々の力不足により至高の御身に未知の世界の探索及び情報収取などという雑務をして頂かなくてはならないことは、我が身を恥じ入るばかりでございます。ですが、それも至高の御方でなければ成し遂げられぬ真の目的を考えれば致し方なきことかと。ただ、現状収集した情報ではアインズ様が向かわれる予定の王国には至高の御身を害する程の力を持つ者は存在しない、と判断できますが絶対ではございません。御身を守る盾として、我ら守護者もしくはセバスをお連れになって頂きたいところでございます」

 

(聞きたいのはそこじゃないんだよなあ、あと真の目的ってなんだ)

 

 だがその部分を問い返すことはできない。おそらくは後々モモンという存在を利用してエ・ランテルを統治したあの話なのだろうが、この時点からそんなことまで考えていたのだとすると、デミウルゴスの思考っていったいどうなってるのか……想像もつかなくてちょっと怖い。とりあえず、何とかアルベド説得の手掛かりをつかむべく話を続ける。

 

「お前の意見はよくわかった。だが、先程述べた通り各守護者及びセバスには新たな任を与えるゆえ、供として連れてはゆけぬ。そこで我が供となるものは……ナーベラル・ガンマ!」

 

「はひ!」

 

 アインズから言葉をかけられたことで、わずかに動くデミウルゴスの尻尾先端部分に気をとられていたナーベラルは、全く予期しない状態で自身の名を呼ばれ盛大に噛んでしまう。咄嗟に礼をとり、返事をしたものの既に涙目だ。執務室に静寂と微妙な空気が流れるのを感じ、ナーベラルはまるで判決を待つ罪人のような心境に陥るがすぐにその空気は払拭された。

 

「ゴホン、私の周辺警護はプレアデスであると先に定めた。ゆえに引き続きお前たちにその任を任せる。とはいえ、今回は途中で交代するという事は任務の性格上不可能だ。ナーベラル・ガンマ、お前に我が供としてナザリック外に同行する任を命じる」

 

 至高の御方が無かった事として話を進めたという事は、ナーベラルの今の失態は無かったことになる。デミウルゴスはそれをすぐに理解し、その身から噴出していた不信感を収めた。

 

「はっ、こっ、この身に余る光栄、至高の御身の警護の任、確かに受け賜わりました。この身を盾として御身をお守りいたします!」

 

 ナーベラルがもう一回噛んだ。顔が真っ赤なのが手に取るようにわかる。デミウルゴスの眉がちょっと寄るのを見て、微妙な空気が再び流れるのが嫌なアインズは急ぎ話を続ける。

 

「とはいえ、ナーベラルだけではお前も他の守護者達も不安が残るであろう。そこで不可視化及び隠密能力が高いシモベの部隊をナーベラルの部下として連れてゆく。デミウルゴス、これでお前と他の守護者達は納得してくれるかな?」

 

 ようやく本題である。期待からアインズはやや前傾姿勢でデミウルゴスの言葉を待つ……がすぐに返答が返ってこない。こんな事は前回にもなかったが、それ程難しい話なのだろうか。ちなみにナーベラルからは、デミウルゴスの尻尾の先端が艶を失いへにょっ、となってるように見えた。

 

「……失礼致しました、アインズ様。私を含め、他の守護者達は賛同の意を述べると思われます。ですが、セバスとアルベドは納得しますまい。決定事項として命じられる方がよろしいかと」

 

「デミウルゴス、どうしても必要であれば命じよう。だが、私はお前達守護者には出来る限り我が意を理解し、納得してもらいたいと考えている。セバスに関しては私も理由はわかる、ゆえに説得もできるであろう。だがアルベドはなぜ納得せぬと考えた、その理由を聞きたい」

 

「はっ……ですが、あくまで私の推測でございます。大変不敬な……アインズ様にとってご不快な話かもしれませぬ」

 

「かまわぬ、どれほど不快な話であろうとも全て許す。お前のその推測を聞かせてほしい」

 

 デミウルゴスのこんなに歯切れの悪い言葉を聞いたことがあっただろうか、とアインズは不安になる。どんなに時間がかかり、神経がすり減ったとしてもやはり前回の通り守護者を集め、表明するべきだっただろうか。デミウルゴスの尻尾先端が、空中に1mmほどの“の”の字を書いていることに気が付いたナーベラルが自身の発見に驚愕する。やがて尻尾の先端がピン!と伸び、元の輝きを取り戻した。

 

「では、畏れながら私の推論を述べさせていただきます。アルベドは不敬にも至高の御方々であらせられるぶくぶく茶釜様、餡ころもっちもち様、やまいこ様の御帰還により、アインズ様が正妃として御三方の内どなたかを迎えられることを、恐れているのだと推測しております」

 

「はぁ!?」

 

 デミウルゴスの説明はこうだ。異変直後よりアルベドはアインズ様の側にいることに並々ならぬ執念を燃やしており、手段を選んでいないように感じると。デミウルゴスも最初はアインズ以外の至高の41人がナザリックにいない今、アインズの后としてアルベドやシャルティアが納まり、お世継ぎが誕生すれば――ここでものすごく長い謝罪を受けた――と思っていたが、それにしてもアルベドの行動は目に余る。決定的にアルベドがおかしいと思ったのは至高の御方々の話をすることに対し、アルベドが拒否反応を示したからだという。

 

「ですが、我々ナザリック大墳墓に属する者が、創造主であり主人である至高の御方々に否定的な感情を抱く筈はございません。そこで、アルベドの言動より先程の推論に行きついた次第でございます。この考えよりアインズ様がナザリック外部に赴く事、すなわち至高の御方々の探索とアルベドが思い込み、反対する事はほぼ間違いないでしょう。己の弱き心からこのような不敬な考えを抱いていた事、如何様なる罰を受けても拭えるものではありませんが……」

 

「待て、デミウルゴス。お前が詫びることなど何もない」

 

 自らの言葉を遮ってアインズが言葉を発したのを聞き、デミウルゴスは反射的に顔を上げる。

 

「なぜならば、お前のその気持ちは私にはよくわかるからだ。我が友達……自分の創造主がナザリックを去るのをお前達がどう見ていたか、考えるだに胸が痛む。だからこそ、私もこのナザリックを去るかもしれないという不安を抱くのは自然であり、ナザリック大墳墓の未来を一番の知恵者であるお前が憂い、考えるのも当然と思う。だが、今ここで約束しよう、私は、アインズ・ウール・ゴウンは、お前達とナザリック大墳墓にいつまでも共に在ると」

 

「おお……」

 

 デミウルゴス、そしてナーベラルは目の端に涙が溢れ出るのを感じた。アインズの寛大さ、そして慈悲に甚く感動をして。アインズの言葉通り、彼らの多くの創造主達はナザリックより去った。しかし、今眼前に最後までナザリックに残り、今また共にいるとおっしゃって下さった至高の御方がいるのだ。デミウルゴスとナーベラルは、御言葉を己が耳で聞くことができた幸せな存在であると自覚し身震いする。デミウルゴスの尻尾先端部も感動にうち震えているが、今のナーベラルにそれを見る余裕はない。

 

 二人が忠誠心ゲージと幸福ゲージをMAXにしている中、アインズは焦っていた。デミウルゴスの推論が間違ってると思える部分が何もなく、しかも完全に自分の設定書き換えのせいで起こっている問題だからだ。前回のアルベドの行動をすべて把握しているわけではないが、おそらくこの問題は前回から燻っていたのだろう。楽観的に考えていた自分がちょっと嫌になる。

 しかし、一つ疑問が舞い降りる。ならばなぜ、前回アルベドは他の40人の探索を申し出たのだろうか。今のデミウルゴスの推論が的を射ているとすれば、アルベドが自分の后になれると確信したという事になるが……アインズの脳裏にアルベドの様々な行動の数々が浮かび上がる。アインズ視点ではとてもそうは思えないが、アルベドにしてみればどこかで決定的な勝利を確信した瞬間があったのだろうか、わからん。だが、それはそれとして今はアルベドの説得方法を探らなければならない、と考えタイミングを計って口を開く。

 

「さて、アルベドが納得せぬだろうという理由は理解した。だが……その思い込みによるものをどう納得させればよい?」

 

 その言葉に感極まっていたデミウルゴスの体がびくり、と震えその頬に冷や汗が一つ流れる。ナーベラルは、反射的に視線をデミウルゴスの尻尾先端に向け、しおしおと力強さが失われるのを見た。

 

「先程に続き大変無礼な発言ではありますが、おそらくは直近のアルベドの様子から判断しますと……アインズ様より確かな御寵愛の証を受けぬ限りは、納得しないかと」

 

「……えー……」

 

(確かな御寵愛の証ってなんだよ……もういっそぶっちゃけて俺は何をすればいいのか教えろと命じるか?……いや、でもそれを俺が、今ここでデミウルゴスに聞いていいのか?ナーベラルもいるのに?)

 

 デミウルゴスが、あえて言葉を濁しているのか判断はつかないが、そう命じてデミウルゴスより生々しい話が飛び出してきた場合、色々な意味でアインズは困る。

 ぶっちゃけるとしても、もうちょっと違う部分だろう。

 

「ゴホン、デミウルゴスよ。私はナザリック大墳墓の主として、我が友達が創造したお前たち全てを等しく大事に想っている。アルベドのみに特別な物を与えるというのは、うむ、難しいことだ。デミウルゴスよ、お前からアルベドを説得することは出来ぬのか?」

 

 提案を却下しつつ、アインズはぶっちゃける。デミウルゴスに不審に思われないかひやひやするが、杞憂だったようでデミウルゴスは渋い顔のまま問いに答えた。

 

「アルベドが正常であれば……いえ、失礼致しました。平時であればアルベドの説得は容易く可能です。ですが、今現在私はアルベドに敵視されておりますので、私の言葉は彼女には届かないかと……私も早計だったと反省しておりますが、先の至高の御方々の話の際に強硬に対応してしまい、アルベドと衝突いたしました」

 

 何をしてくれてるんだ、とアインズは思ったが、自身が見聞きしたアルベドの言動や情報からから考えて、デミウルゴスに落ち度はないだろうと言葉をのんだ。

 

「他の守護者の手を借りての説得は可能か?」

 

「難しいでしょう。アルベドはこの件に関してシャルティア、アウラにも同性として対抗心を持っております。コキュートスは私と近しいと警戒されてるでしょうし、マーレも指輪をお与えになった際の様子を思い返すと期待できません。ナーベラル、すまないがセバスはどうなってるかね?」

 

 デミウルゴスの言葉に落胆しつつ、最後のナーベラルへの問いかけに希望を持ってアインズはナーベラルを見た、がその困り顔を見て駄目なんだな、とわかってしまう。

 

「見たままを申し上げますと、セバス様とアルベド様はつい先日、回廊にて睨み合っておりました……かと……」

 

「なんだと……」

 

 徐々に語尾が小さくなっていくナーベラルの言葉を聞いて、アインズはアルベドの思っていた以上の全方位やらかしっぷりに思わず呻き、頭を抱えたくなった。前回も自身が知りえなかっただけで、これ程の軋轢があったのかと考えるとエ・ランテルに出立することをとりやめた方がいいのではないかとさえ思える。

 だが、それは自身が立ててきた計画をすべて放棄することになる。それだけはできない。アインズが懊悩していると、デミウルゴスが遠慮がちに言葉を発する。

 

「アインズ様、アルベドの説得が不可能なわけではございません。少々時を頂く事にはなってしまいますが、このデミウルゴス、必ずやアルベドを説得して御覧に入れます」

 

 それでは間に合わない。発言するデミウルゴスも、自身の提案が自らの主人の意に沿えぬものとわかっているのだろう、その面持ちは固く、暗い。だからこそ、アインズはその提案を受け入れるよりなかった。

 

「そうか、ではデミウルゴスよ。アルベドの説得の手立てを考えよ。私も知恵を絞るとしよう」

 

「はっ」

 

 

 

 

 

「……というわけなのだが」

 

 アインズは散々悩んだ末、かなり投げやりな気分でここ、宝物殿にやってきていた。心境としては溺れる者は何とやらである。宝物殿にはゼラチナス・キューブが複数置かれており、纏められていた法国の人間が分類分けされているようだ。

 目立つ場所に巫女姫の浮かんだゼラチナス・キューブがなぜかライトアップされた状態で鎮座しているが、今のアインズにそれらを鑑賞する余裕はない。

 

「なんと、統括殿がそんなことになっておられるとは!」

 

 パンドラズ・アクターが早速、嘆きのポーズをとっているがアインズはそれを見ても光ることは疎か、感情の波も大して動かなかった。アルベドの説得が難しいというか無理という事実と、前回そんな状態であることに気がつかず、己がナザリックを飛び出してしまっていたことの自責の念が、アインズの感情を抑制していたのだ。深刻な悩みがある時は、何をしても楽しくないとかああいう状態である。

 

「この事に関してお前に何か考えはないか、何でもいい」

 

「はっ!アインズ様から放たれる輝きに心を奪われるのは致し方なき事!御身に宿る偉大なる御力、ナザリックの、いや!全ての者がひれ伏すであろうその――!」

 

「そういうのはよい、アルベドを何とか説得する考えだ」

 

 自分でもちょっと吃驚するほど平坦な声が出て、パンドラズ・アクターが予想よりも凹んだが、今はこの卵頭の大仰な台詞を聞いてやれるような精神状態ではないのだ。そう思っていると軍服装備黒歴史が居住まいをただした。特務モードに入ったようだ。

 

「でしたら、デミウルゴス様のご提案通り、御寵愛の証を示せばよろしいのではないでしょうか」

 

「それは出来ん、特に称賛すべき働きをしたわけでもないのに、アルベドだけを特別扱いすることは他の守護者に対しても示しがつくまい」

 

 パンドラズ・アクターが演技がかったものではなく、僅かに考え込むようなそぶりを見せた。

 

「アインズ様、デミウルゴス様の御提案であれば、その御心配はないかと思います」

 

「む?どういうことだ?」

 

「はい、おそらくですが……」

 

 

 

 

 

「アインズ様、デミウルゴス様がまいられました」

 

「そうか、では通せ」

 

 執務室には今現在、アインズと自身の周辺警護を担当しているナーベラル・ガンマしかいない。セバスとアルベドは先程の指示と出立表明の後に、それらの準備を命じたためしばらくの間はここには来ない。扉を閉めるナーベラルと、執務室に入り優雅に礼をするデミウルゴスに対して視線を向ける。

 

「デミウルゴス、参上いたしました」

 

「うむ、デミウルゴスよ。今回の事では私の考えが至らぬ故、お前にずいぶん心労をかけた、許してほしい」

 

「勿体なきお言葉……それに私の提案だけでは不完全であったかと。至高の智によって昇華された結果と思っております」

 

 パンドラズ・アクターによってデミウルゴス案の真意を知ったアインズは、先程各守護者を執務室に集め指示と自らの出立を表明した。当然起こったセバスからの反対意見をかわしてから、供を誰にするかの部分は曖昧なまま、アルベドだけ残るように指示し解散した。

 それから、これまた当然自分が供だと思っているアルベドに、ナザリックに残るように指示し、反論を言い始める前にかぶせるように宝物殿で考えた、というかパンドラズ・アクターの作戦をそのまま実行したのだ。

 

 その内容は、アルベドに「アルベド、私が出ている間は、お前にこれを預っていてほしい」と自らのリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを見せて「私が帰ってきた時は、お前からこれを受け取ろう」と言うだけの簡単なお仕事である。

 

 パンドラズ・アクター曰く“デミウルゴス様の提案は、統括殿がアインズ様から特別な存在だと思われていると感じる御言葉や、任務を与えれば良いという事です”とのことであり、ぶっちゃければアインズにその意図がなくとも、アルベドがそう受け取れば何でもいいというのだ。アルベドを騙すようなことは……と渋るアインズにパンドラズ・アクターは、アインズ様が信頼できるものでなくてはできない仕事を任せるのですから、騙してなどおりません!統括殿がその仕事を与えられたことをどう解釈するかは、統括殿の内心の自由でございます!と熱演とポーズを交えて説明してきた。

 

 そうかな?と納得しかかったアインズは、であればナザリック大墳墓の留守番というのはまさにピッタリじゃないかと考えたが、それではいけないのだという。地位と共に与えられた主たる役目に属する仕事ではなく、あくまでアインズ様が統括殿個人を見込んで!と統括殿が“思われる”仕事が最適解なのです、と踊る黒歴史に熱弁された。だが、そこまで言われても実際にどんな仕事を与えればよいのかアインズにはさっぱりわからなかったため、パンドラズ・アクターに、たとえばどんな仕事なら良いのだ?と質問し、卵頭に提示された案をなるほど、と言いつつそのまま丸パクったのだ。なお、これらのやり取りの終盤の頃には希望が見えたせいか、アインズは光るようになっていた。

 

 結論を言えばこうかはばつぐんで、アルベドは反論をするべく開けた口をパクパク動かした後、周辺にキラキラとエフェクトをまき散らしつつ赤くなって下を向き、小さな声で承知致しました、お気をつけていってらっしゃいませ、と答えた後はもじもじくねくねしっぱなしだった。アルベドのその行動に不穏の前兆を感じ取ったアインズは、アルベドにいくつか任務を与え執務室から退室させたのだが、その足取りは軽く、浮いているかのようだった。実際に浮いていた可能性もある。

 

「少々浮かれすぎのようにも見えましたが、先程すれ違った私や、通りかかったセバスにも実に上機嫌で挨拶をしてきました。このわずかな間に我々の不手際による確執も解消されてしまうとは、流石でございます」

 

「そ、そうか、良い結果が出たようで何よりだ。私にも不確定と思っていた部分があったからな」

 

「ご謙遜を……このデミウルゴス、アインズ様の至高の英知にひれ伏すばかりです」

 

 前回もリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンはナザリック外への持ち出しを禁じていたし、シャルティアやパンドラズ・アクターに預けることもあった。その仕事をアルベドに任せることで説得ができるのであれば何の問題もないだろう、と考えたのであるが……説得には成功したものの、アインズは何か大きな地雷を踏んだような気になっていた。それが何故なのかはわからないが、教えてくれるものは誰もいない。

 

「さて、デミウルゴスよ。お前に再び来てもらったのは他でもない」

 

 不安は残るが予定通りの行動に移れることを喜び、前に進むとしよう。これから待ち受ける事件に比べれば、こんなことは些事でしかないのだ。

 

 

 

 

 

 おもちゃの劇場で男の人形が、己の指より指輪を外して女の人形に渡し、袖に隠れる。女の人形も己の指より指輪を外し、男の人形より受け取った指輪をその指に付けて、カタカタと揺れた。再び袖から現れた男の人形に、女の人形は自分の外した指輪を渡す。男の人形が受け取った指輪をはめるのを見て、女の人形は体をまた小刻みにカタカタと揺らす。

 

 その人形たちを見つめるパンドラズ・アクター。彼はため息をつくような動作をすると、指を一振りする。男女の人形はその場に崩れ落ち、動かなくなった。パンドラズ・アクターは宝物殿の管理者としてリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに限らず、全く同じマジックアイテムであっても見分けることが可能である。だから、アインズが外よりナザリックに戻ってきた後、その指に輝く至宝を見ればわかってしまう。この劇が、彼女の妄想のままでいるのはいつまでなのかが。

 

「さて、統括殿はどこまでおかしくなっておられるやら……初回からというのは勘弁して頂きたいものですが」

 




多数のご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

前書きの通り、手違いで書きかけの物を投稿してしまっておりました。原因は投稿日付設定の入力間違いです。災害によって苦労して帰ってきて、愕然としました。

今後は恥ずかしいですし十分に注意いたします……


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Determination

前回の話を8/22に間違えた状態で、8/23に正しい物をアップしております。ご注意下さい。





 アインズは間近に迫った出立のために急ぎ準備を進めつつ、自室で各報告書に目を通していた。

 

 前回入手した既知となっている情報と、新たに明らかになった情報を見分けられるのはアインズしかいない上、アルベドやデミウルゴス達の前ではどんなぼろを出すかわからないからだ。知らないはずの情報を既にアインズが知っていることに気がつけば、あの二人の頭脳によってどのような結論が導かれ、そしてどれ程の事件が起こってしまうのか。想像できないだけに怖い。

 返って何もかもうまくいくのかもしれないが、既知の情報と選択肢があるのに、それを捨て去るというのは幾度考えても博打にすぎる。

 

 主に目を通しているのはパンドラズ・アクターから上がってきた報告書だ。やはり収集対象が違うためか、目新しい情報が多い。アルベドの報告書は前回よりも捕縛人数が多少多いため、情報量は増えていたが、同じ部隊に属する者である以上所持している情報も似通っている。増えた情報も9割は既にアインズが知っている情報、残り1割もその補足程度のものばかりだ。

 

「ふむ、法国は神殿勢力を影響下に置いているだけでなく、各国の貴族にも通じているのか……厄介だな」

 

 目新しい情報の中で注意すべきことは、法国の周辺国家に対する影響力の大きさだ。各国の神殿が、冒険者組合のように国家権力から独立採算制をとっているのは知っていたが、その理由の一つが法国の出先機関的な存在であるからだというのだ。少なくとも、情報収集の拠点等として活用している法国側はそう認識している。

 王国や帝国を見たところ、この世界の魔法抜きでの医療技術はお世辞にも高いとは言えない。魔法が存在し、各国の神殿が金銭と引き換えではあるが民や兵の怪我や病気を癒している以上、応急処置以上の医療技術の発達は抑制されてきたのだろう。つまり、神殿勢力は医療を独占している組織ということ。それらが国家から独立した存在であるというのも問題だが、他国である法国の影響下にあるというのは危機的状況と言っていい。

 

(確か、帝国に関する報告書では魔力系魔法詠唱者の育成を魔法学院で行っていただけでなく、神殿に属しない信仰系魔法詠唱者を集めていたとあった筈……流石ジルクニフ、この問題にも既に気がついていたのだろうな)

 

 また、法国の手は十重二十重に周辺各国に伸びており、現地に根を下ろし情報収集にあたる者から、行商人やそれらの護衛をする傭兵などの旅人に身をやつして情報収集を行う部隊が存在し、その部隊や公の外交で構築した交友など、様々な手段を用いて各国貴族の一部と通じているという。

 見習うべき点ではある、情報収集は何より大切だ。だがこれほど執拗にとなると、隣国に対しての備えというよりは、やはり……とアインズが考えていると、周辺警護を行っているエントマ・ヴァシリッサ・ゼータより声がかかる。

 

「アインズ様、シャルティア様がお目通りを願いたいと執務室にお越しのようです」

 

「わかった、すぐに行くと伝えよ……いや待て」

 

 執務室では、アルベドが仕事をしている筈。これからシャルティアと話す内容を聞かれるのは、些か都合が悪い。

 

「私はまだ作業中ゆえ、シャルティアにここに来るよう伝えよ……あー、あとアルベドに追加の指示を。執務室にてデミウルゴスと防衛戦シミュレーションを行い、防衛時の金貨消費量低減案、及びナザリック周辺警備による脅威度の低い侵入者に対する撃退案を策定せよ。シャルティアの謁見が終わったら、私も執務室に向かう。念のため、デミウルゴスにも急ぎ執務室に向かうよう指示を飛ばせ」

 

「畏まりました」

 

 エントマが一礼して、退出する。スクロール等の消費型マジックアイテムの節約を命じているため、回廊に控えさせている“伝言係”のもとまでいくのだろう。アインズはインベントリより秘密のノートを取り出すと、既に完璧に記憶しているにも拘らず、確認のためページをめくるのだった。

 

 

 

 

 そのころ執務室では

 

「ふっ」

 

 伝言を受け取って、勝ち誇った笑みを浮かべるシャルティアと

 

「ぐぬぬ……」

 

 シャルティアの態度と自身が受けた伝言の内容から、歯ぎしりをするアルベドの姿があった。

 

「さぁて、では妾は失礼するでありんす。愛しの君に御寵愛を受けに参らねばならないので」

 

「……何を勘違いしているのかしら。アインズ様は自室で作業中だから、貴女をお呼びになったに過ぎないわ」

 

「嫌でありんすねえ。高貴な御方がそんな事を、あからさまに仰るはずがないでありんしょう」

 

 先程まで、アルベドにうざいくらいに左手の指輪をちらっちらっと見せられていたシャルティアは、ここぞとばかりに鬱憤晴らしを行う。この様子からすると、大口ゴリラはまだアインズ様の私室に入ったことはないらしい。

 

「でも、自室に御呼びになられるってことは普通は……ねえ?ああ、賞味期限が切れるまで食べられたことの無いおばさんには、わからないかもしれないでありんすねー」

 

「ぶっ殺すぞ!蝋人形!」

 

「はあぁ!?アニマルゴーレムが何か喋ったかぁ?」

 

 アインズの自室には周辺警護として、必ずプレアデスの誰かが待機しているためそんな事になるわけはないのだが、二人の頭からは完全に抜け落ちていた。そもそも自室に呼ばれることがその事とイコールであるならば、プレアデス全員に先を越されてることになるのだが。

 結局、数分後にデミウルゴスが到着するまでに、執務室が中破する羽目になった。止める者がいないとはかくも恐ろしい事である。

 

 

 

 

 

「アインズ様、シャルティア様がお見えになられました」

 

「よかろう、通せ」

 

 執務室からと考えるとちょっと……いや、ずいぶん時間がかかったような気がするが、何かあったのだろうか?アインズの脳裏に、アルベドとシャルティアの、眼前で幾度か繰り返された鞘当ての記憶が浮かび上がってくる。その内に扉が開き、シャルティアが優雅な動作で入ってきた。

 彼女が一礼すると、それに併せて影よりシャドウ・デーモンが現れ一礼し、再び影に戻る。

 

「アインズ様、ご機嫌麗しゅう存じんす」

 

「……うむ、シャルティア、その姿がお前の選んだ“外の姿”か」

 

「はい。これより君命に従いセバスと合流いたしんすが、出立する前に一度アインズ様に見て頂いたほうがいいかと思いまして、御挨拶を兼ねて参上いたしんした。いかかでありんしょうか」

 

 入室してきたシャルティアは普段と全く異なる装いをしていた。白蝋のような肌、赤い眼はそのままだが、長い銀色の髪は金髪に染まっている。そこまではいい。

 

「そうだな、うむ……お前によく似合ってはいるが、些か肌の露出が多いのではないか?」

 

「そうでありんしょうか?」

 

 シャルティアがその場でくるり、と一回転する。シャルティアの装いは、ぶっちゃければレオタード、ボンテージファッションと呼ばれる類のものだ。胸には赤い髑髏のペンダントが輝きを放っており、そこから同色のリボンがたなびいている。裏地が赤の黒いマントを羽織り、腕には袖口に赤いラインの入った、ガントレットのような黒長手袋。脚には血のように赤いブーツを履き、白のオーバーニーに黒のブーツカバー、赤いガーターベルトを装備している。

 

 いずれもマジックアイテムなのだろう、シャルティアの体にぴったりとフィットしている。主に黒と赤で構成されたある意味吸血鬼らしい装いではあるし、確かに言うほど肌の露出が多いわけではない。体にフィットした装備であることと、露出しているのが肩から二の腕、太ももなどのやや煽情的な部分なので、普段と比べるとそう見えるのかもしれない。ちょっと目のやり場に困る。

 

「すまぬな、普段のお前から考えると、という意味だ……だが、その装いは私が指示した“外の姿”の条件を満たしていないのではないか?」

 

 

 

 アインズは今回、外部で活動する守護者達のうち、悪名が発生する可能性が高いデミウルゴス、及びシャルティアに普段と全く異なる“外の姿”を創り出し、変装をして行動するように指示した。その理由は前回のある事件に起因する――かつて、王都でデミウルゴスと偶然対峙した時にアインズは思ったのだ。

 

 

 (デミウルゴスまるだしじゃないか!)

 

 

  あの時は状況に流されて半ばうやむやの内に容認……いや黙認してしまったが、思い返せばあれは非常に不味い。いくつか理由はあるが、その中で大きなものを挙げるとすれば、ナザリックに属する守護者デミウルゴスと、魔王ヤルダバオトに多くの外見的共通点が生まれてしまう事、つまりナザリックが非道な行いに手を染めているという推察の元になってしまうことだ。殆どの者は気がつかないだろう。だが、例えばジルクニフなら?様々な情報を集積している法国は?何より未だ姿を見せぬプレイヤー……そして、かつてのアインズ・ウール・ゴウンの友達なら?

 

 最もアインズが恐れているのは、最後の件だ。かつての友達ならば、おそらくは自分がちゃんと話せれば納得してくれると信じてはいる。だが、その状況を作り出すまでに、全く被害や確執が発生しないとは思えない。それはアインズにとって最も避けたいことだ。プレイヤーの件もそうだ。自分たちが悪役、プレイヤーが英雄という図式はなんとか避けようと自分なりに苦心してきた。

 

(直接の目撃者は蒼の薔薇だけだったとは思うが……プレアデスも仮面をつけてただけでいつもの格好だったよな……)

 

 それでもデミウルゴスであれば、何か考えがあるのかもしれない。だが、ジルクニフとナザリックで会った時、デミウルゴスは半魔形態ではあったが、いつものスーツ姿ではなかっただろうか。あの時は正直言っていっぱいいっぱいだったので、そんなことに気を回している余裕はなかったが、考えてみれば危険である。ジルクニフがヤルダバオトの情報を手に入れた時に、デミウルゴスと結びつける可能性は十分にあった。記憶をたどると、ジルクニフがやたらとデミウルゴスを警戒していたようにも思えてくるから不思議だ。流石に被害妄想の類だとは思うが。

 

 また、悪名問題の別の側面だが、アインズはナザリックのNPC達を表舞台に出せなくなる事も懸念していた。シャルティアは前回あっさりと外見情報を持ち帰られてしまったため、人類国家にシャルティアを連れていくことはほぼ不可能になった。外見的に人間に近い者が少ないナザリックでは、これも充分痛手である。それに、アインズは魔導国建国の後、功労者であるデミウルゴス達を影の存在にするのも嫌だったのである。

 

(式典などの際に外見を変えさせるだけでも良いのかもしれないが……あの姿は皆が定めた彼らの一張羅だものなあ、晴れ舞台に別の姿というのも不憫だ)

 

 以上の考えからアインズは今回、外部で行動する二人は念のため偽名を用い、かつ変装をして行動するべきとしたのだ。条件としては、伝聞情報では同一人物と推測されることの無い衣装であること。そして顔の大部分を隠しておく事だ。更にシャルティアには、血の狂乱を発動する事も考慮するよう言い含めた。指示を行った際にデミウルゴスが「なるほど……流石はアインズ様」と言っていたので間違った指示ではない筈。

 ちなみにセバスやソリュシャンに関しては多少悩んだが、悪名を得るような活動ではないし、変装は役柄に応じた装いだけで済ませた、つまり前回と同じである。アインズ的には後にモモンやナーベ同様、魔導国で召抱えたという形にすれば問題はないという判断だ。

 

 

 

「アインズ様、御心配には及びんせん。御身の前に出るのに顔を隠しているのは非礼と考えたまでで、こなたの通り用意してございんす、失礼して……」

 

 シャルティアが、空間より覆面を取り出し被る。口元から顎の部分、また頭部が大きく開いており、頭の左右に角が出ているような……蝙蝠や燕を連想するようなデザインだ。被った際に何らかの魔法的効果が発動したのを感じるが、アインズにはそれが何かはわからなかった。

 

「ふむ……確かにその姿から、ナザリックの階層守護者であるシャルティア・ブラッドフォールンを連想することはないと言っていいだろう。ところで、今何か魔法が発動した気配があったのだが、効果は何だ?」

 

「はい。アインズ様には効果がない程度ですが、永続化された<ディスガイズ・セルフ/変装>が発動しておりんす。またこれらはシリーズ装備のようで、外装統一効果が発動していんす。シモベに見せたところ身長が少々小さく、髪は金色で目の色は青く、肌もエルフのようと……全体的に幼く見える外見になっていると言っておりんした。私の所持する装備や衣装でこのような効果がある物は珍しいのでありんすが、今回の御指示には適していると考え、着ていくことにしんした」

 

<ディスガイズ・セルフ/変装>は低位階の幻覚系魔法で、自身の見た目を変化させる魔法だ。たとえば骸骨やゴムマスクでも人間の顔に見せることができる、便利な魔法である……シャルティアの持ち物という事は、ペロロンチーノが作成したものに間違いはないし、無数と言えるほど彼女の衣装を作っていたことは知っていたが、なぜシャルティアの外見を変えてしまうような装備を作成したのか全くわからない。わかる点と言えば外見が幼くなる部分だけだ。彼がロリを意味する単語を口にしない日はなかったのだから。

 

「声に関しては<ヴォーカル・オルタレーション/変声>のマジックアイテムを持っていくつもりでありんすぇ。こちらは永続化のかかったものが無いので、都度発動させる必要がありんすが……後、デミウルゴスに協力してもらい、呪いをかけてもらいんした。この髪の色は、私の姿がどうあろうと解呪するまでこのままでありんすぇ」

 

「なるほど、呪いであれば幻覚や魔法による変身を見破る能力を持ったものでも、見抜くことは困難だな。見事だ」

 

「お褒めに与り光栄の至り……では名残惜しくはありんすが、出立いたしんす」

 

 シャルティアが優雅に礼をして退出の意を示すが、アインズは許可の言葉でなく、片手を上げてそれを制する。

 

「待て、シャルティア……出立の前に私よりお前に授ける物がある」

 

「ええっ!」

 

 シャルティアの反応と、椅子に座っていたエントマがガタッ、と音を立てて前傾姿勢になったのが気になるが、アインズは椅子から立ち上がり、シャルティアに近づいていく。

 シャルティアの眼が、自分と奥の扉を交互に行き来するのはなんでなのか。覆面のせいでわかりにくいが、顔をやや赤くしたシャルティアの眼の前に立ったアインズは、インベントリよりあらかじめ準備して置いた箱を取り出すと、シャルティアの前に差し出した。

 

「これを持ってゆけ」

 

「は!?は、はい。ありがとうございます……こちらの箱は一体何でしょうか」

 

 どこか気の抜けた様子で、いつもの口調が完全に抜け落ちたシャルティアに、アインズは何といったものか考える。

 

「これは……御守り……そうだな、御守りのようなものだ。今は開けて中身を見ること、調べることは許可できないが、お前のインベントリに厳重に保管せよ。お前が使命を果たし無事に帰還した時、封印を解き開けることを許そう」

 

「か、畏まりました」

 

 恭しく箱を両手で受け取ったシャルティアが、愛おしそうに箱を撫でた後にインベントリに保管するのをアインズは見届け、口を開いた。

 

「シャルティア、本来であれば階層守護者であるお前に、外部の調査などさせるべきではないのかもしれぬ。だがここは未知の世界。すまないが、守護者最強であるお前には、危険な任務に就いてもらわねばならない」

 

「勿体なきお言葉。階層守護者の名を汚さぬよう、必ずや使命を果たし戻ってまいりんす」

 

 シャルティアが再び優雅に礼をする。アインズの胸中に前回、シャルティアをこの後に襲った未知の事件に対する怒りと、事件が起こるとわかっていながら、彼女を送り出さなければならない罪悪感、そして哀しみが去来する。対策は取った、アインズ自身も動く。それでも本当に送り出していいのか、という声が己の中より大きく湧き上がる。が、自分はナザリック大墳墓の支配者としてそれを押し殺さねばならない。

 

「苦労を掛けるが、よろしく頼む……無事に、無事に帰ってきてくれ。シャルティア」

 

「ああああ、アインズ様!?」

 

 話しているうちに気が昂ぶったアインズは、気がつけばシャルティアを抱きしめていた。身長差があるので、アインズが前屈みになり、胸にシャルティアの頭が押し付けられるような格好になる。

 慌てたシャルティアがパタパタと動かしていた手から力が抜けたころ、アインズはそっとシャルティアより離れた。アインズはコホン、とわざとらしい咳をした後で声をかける。

 

「すまなかったな、シャルティア」

 

「いい、いえ……」

 

(いかん、感極まって自分でも思いがけない行動に出てしまった。なぜこういう時に限って、精神の平衡が働かないのだ)

 

 もはやシャルティアの顔は、覆面越しでもわかるほど真っ赤だ。エントマは前傾どころか身を乗り出しているし、髪からこちらに触角のようなものを伸ばしている。アインズはもう一度わざとらしい咳をすると、自身の未練と部屋に流れる雰囲気を断ち切るように、威厳ある声色で強く言葉を発した。

 

「シャルティア・ブラッドフォールン!」

 

「はっ!」

 

 アインズの声に、シャルティアが姿勢を正した。エントマも元の姿勢に慌てて戻っている。

 

「あらためてお前に命じる!油断せず務めを果たし、無事に戻ってくるのだ……では行くがよい、シャルティア」

 

「畏まりんした、アインズ様!」

 

 シャルティアと再び現れたシャドウ・デーモンが一礼し、扉の向こうへと消える。アインズはその姿を見届けると、エントマの方に顔を向けた。

 

「エントマよ。言うまでもないが、以前より命じてある通り私室の中で――」

 

 アインズの言葉の途中で、扉の向こうより「いやったあああああぁ―!!」という雄叫びが聞こえてきた。厚い扉の向こうだというのに、はっきり聞こえた程だ。この分では回廊中に響いたかもしれない。アインズは片手で頭を押さえて言葉を続ける。

 

「――私室の中で見た事、聞いた事は他言無用だ……スクロールの使用を許可する、シャルティアと供に付けたシャドウ・デーモンに同じ内容を今すぐに伝えよ、急げ」

 

「畏まりましたぁ」

 

<メッセージ/伝言>を起動するエントマを横目に、アインズは自身の机の引き出しを開け、そこに収められた、ある箇所で開かれたままの秘密のノートを見ながら決意をあらたに願った。

 

 

(ペロロンチーノ。シャルティアを、お前の娘を、今度こそ私は守ってみせる。だから、お前の力を貸してくれ)

 




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相変わらず話の進行が遅いのですが、気長に御付き合い頂ければ幸いです。


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Jealousy

 二本の角と煌びやかな装飾が目立つ兜。黒を基調とし、金と朱の装甲や装飾が施された全身鎧。その背には二本の大剣と、鎧と同じ工匠が作ったとおぼしき立派な盾、腰には見事な装飾が施された長剣の鞘を差している。赤いマントをたなびかせ、悠々と歩くその姿は伝説に於いて英雄と呼ばれる者の風格を備えている。通りに歩く者達は皆、その見事な装備の戦士と、その少し後ろを歩く美しい女性に目を奪われていた。

 

 だがもしも、かつてユグドラシルでギルド・アインズ・ウール・ゴウンに所属していたメンバーが彼の姿を見れば、ニュアンスは多少違えどこう言ったに違いない。

 

「闇堕ちたっちさん?」

 

 前回、アインズは仮の姿であるモモンをいち冒険者として設定したことと、この世界の装備に関しての知識が乏しかったこともあり、外装は無難だと思われる全身鎧の戦士を使用した。だが、今はこの世界にもなかなかおかしなデザインの鎧があることを、アインズは知っている。蒼の薔薇のリーダーの鎧などがそうだ。なのでモモンが大英雄と呼ばれる存在になるのならば、アインズ自身の英雄である、たっち・みーの姿を模してみようと思ったのだ。

 

 たっち・みーの外装データは残っているので、最初アインズはいずれ漆黒と呼ばれることを考慮して、たっち・みーの外装を黒に色置換してみた。だが、その姿を見ているうちに何かが胸の奥からこみあげてきて、そのままの姿を使う案を放棄した。そこで装飾を追加したりしてるうちに、あることを思い出したのだ。

 

 たっち・みー。公式チートと称されたワールド・チャンピオンというクラスに就く、アインズ・ウール・ゴウン最強の戦士。いや、戦士職だけでなく魔法職を含めても最強であった彼は、アインズ・ウール・ゴウン最強の男と呼んだ方がいいのかもしれない。しかもリアルでは奥さんと愛する子供を持ち、遥か昔の子供向け娯楽映像をこよなく愛する、ありていに言えば、勝ち組リア充系イケメンオタクである。

 

 ワールドチャンピオンにのみ装備することを許された純白の鎧と、鎧に匹敵する装備に身を固めた彼は本当に強く、アインズの憧れだった。だが、そんな彼にも悪癖はあった。たっち・みーと衝突することが多く、彼に対する悪態をギルメンが集合していても吐ける男、アインズ・ウール・ゴウン最強の魔法詠唱者であるワールド・ディザスター、ウルベルト・アレイン・オードルの言葉を借りればこういう事である。

 

 

「あいつ、変身ヒーローの話になると早口になって気持ち悪いよな」

 

 

 かつてアインズはたっち・みーに「モモンガさん。ユグドラシルやヘルヘイム、オーバーロードという単語が出てくる作品もあるんだが、よければ今度一緒に見てみないかい」と誘われたことがあった。たっち・みーに強烈な恩義と共に憧れを持っていたアインズは、彼との距離が縮むことを望んで、その誘いを受けてしまったのだ。伝言や身振りでギルメンの幾人かが、絶対にやめたほうがいい!と忠告してくれたにもかかわらずだ――その結果、アインズは己の判断をいたく後悔することになる。

 

 考えてみてほしい。己の趣味ではない作品を二十分程のムービーと言っても四十七本、視聴を複数回に分けたとしても、延べ十五時間四十分以上もの間、百年以上昔の、現在と比べて大変稚拙で画像の荒い平面映像を見せられるというのは、たとえ憧れの人が好む作品だとしても、苦行ではないだろうか。しかも自分はその相手に嫌われたくないし、不快にもなってほしくないのだ。更に一本見終わるごとに、たっち・みーがとても熱く解説してくれるのだが、興味の持てない人間にとって これは とても 辛い。

 

 いつしか、取引先接待中の営業マンの心境でたっち・みーに接するアインズが、そこにはいた。それでもやっと終わったと思った時に、すかさず劇場版という長編のデータをセットされた時は、叫びそうになった。ウルベルトは後日「かわいそうだったが、あれでモモンガさんのあいつに対する崇拝が憧れ程度になったように見えたから、結果としては良かったのかもしれない」と語ったという。

 

 そのムービーの内容はあまり覚えていないのだが、オーバーロードと呼ばれる――アインズとは全く違う外見だった――の1人がたっち・みーとちょっと似ていたことは、かすかに覚えていた。そこで、アインズはたっち・みーからもらった劇場版入りと記された記録映像データを再確認したのだが、記憶にあるよりは似ていたため、その記録映像から外装データを起こしたのだ。なお、そのままではあまりにも赤い部分が多かったので、大部分を黒に置換している。たっち・みーが見たら怒るかもしれないが……できれば怒られる日が来て欲しい、とアインズは願いながら外装データを仕上げたのだった。

 

 

 

 

「――以上が、今後の行動方針だ。何か疑問があれば今聞くがいい」

 

(……自分から自分の声じゃない言葉がでるってのは、やはり気持ちが悪いな。通りのいい声ではあるんだけども)

 

 記憶によると数回ほどしか泊っていない場末の宿屋の2階で、アインズはナーベラル・ガンマと打ち合わせをしていた。自分の声が変に聞こえるのは口唇蟲であるヌルヌル君を使用しているからだが、それにしても……

 

「アインズ様」

 

「ナーベ、何度も言わせるな。この姿で行動している間は念のため、私の事は常にモモンと呼べ、お前の事もナーベと呼んでいるだろう」

 

「はっ、申し訳ありません!畏まりました、モモン様」

 

 床に膝をついた姿勢のナーベラルを見ていると、彼女が今後起こす様々なトラブルが思い出されてくる。こめかみのあたりが痛くなるような気がしてくるのは、あながち気のせいともいえないだろう。ユリ・アルファやルプスレギナ・ベータに供を代えたならその懸念は解決するのだろうな、などと考えても仕方のないことを自然と考えてしまう。これは今のアインズの癖のようなものだ。ナーベラルからあの2人のどちらかに代えたことで発生する未知のトラブルが予測不可能なため、それはできないのだが。前回の流れに沿って行動するという大前提を踏まえれば仕方がない事なのだ。

 

(そういえば、ルプスレギナもカルネ村で……だめだだめだ、今はそんなことを考えても仕方がない。それにしても本当に面倒なことだ)

 

 アインズは自分で決めたこととはいえ、これからエ・ランテルで行動することに倦怠感を憶えていた。前回のナーベラルとのポンコツなやり取りをするのが億劫なので、呼び方をモモン様で良しとしてしまう程だ。モモンは失われた国の王族であるとか、周辺国家の身分を隠した貴人だのと盛んに噂が立っていたので、そう影響はないはずだと己に言い訳する。前回は冒険への期待や未知への楽しみがあったが、今回はそれが全くないことも関係あるのだろう。他にも自身の負担を軽減する策を打ってはいるが、これも今まで通り、プラマイゼロどころかマイナスに振れる公算が高い。それでもやらないよりましだ。

 

「それでモモン様、あの不快なタカラダニはいかがいたしましょう?」

 

「……あの女の持ち物を破壊したのはこちらの落ち度だ、捨ておけ。私は周辺の地理を確認するため外に出てくる。お前はここで侵入者への警戒と定時連絡を行うのだ、よいな」

 

「はっ」

 

  先程階下の酒場でやはり前回同様絡まれたため、アインズは予定通り女が眺めていたポーションを破壊し、補償としてユグドラシルのポーションを手渡した。ただ前回は偶然の破壊だったが、今回は確実に破壊せねばならぬため、投擲強化のマジックアイテムをいくつか装備した上で狙ってぶん投げたのだ。そのため男の怪我は少々ひどくなっているはずだが、まあ自業自得だろう。ナーベラルに周辺の地理を調べてくると言い残し廊下へと出たアインズはぼそぼそと何事かを呟くと、薄暗い屋内にしてはやたらと濃い影を伸ばしつつ階下への階段を下りていった。

 

 

 

 

「おお!こんな素晴らしい品物を扱っておられるとは……特にこのミスリルの短剣、正に芸術品……いや、大貴族の家宝と言われても不思議ではない。うーむこれは美しい、うーむ」

 

 バルド・ロフーレは、エ・ランテルの己が懇意にしてる武器商人の店で、本日数度目の驚きと賞賛の声を上げていた。

 

「お褒めに与り光栄です……こちらをご紹介頂きましたことですし、よろしければバルド様にお譲り致しましょうか」

 

「本当ですか!いやありがたい。すまんな、ルレントロ。これは私が引き取らせてもらうよ。あいつには内緒にしておいてくれ」

 

 武器商人の店を任されている男、ルレントロに声をかけ、上機嫌で目の前の白髪の執事セバスと名乗る男に笑みを返す。目の前にあるミスリル製の短剣は、柄に施された精緻な文様と宝石だけで超一級品の工芸品と言えるほど見事なものだ。鞘にも同様の装飾が施されており、実に美しい。しかも、先程のルレントロの言葉によればオリハルコンが刀身にコーティングされており、武具としても最高の品であるという。持っているだけで箔がつく一品であることは間違いない。

 

 帝国から来た大商人の息女とお付の執事がエ・ランテルで一番の宿“黄金の輝き亭”に宿泊しているという情報を聞き、足を運んだのは数日前だ。非常に美しい、だがまるで貴族のわがまま娘のような態度の息女には眉を顰めたものの、目の前の老執事の完璧な立ち居振る舞い、そして彼らが纏う衣装や装飾品、使う金額からこれは是が非でも繋がりを持っておきたいと思ったのだ。

 そしてそのチャンスは先程訪れた。黄金の輝き亭の店主から、この執事がエ・ランテルで信用のおける武器や工芸品を扱う商人を探していると聞いたのだ。そこで、この武器商を紹介するために執事に名乗り出て同行したのだが……彼が取り出した品物には目を剥いた。大貴族や王族でなければ生涯お目にかかることもないような、素晴らしい品々ばかりなのだ。商人である己が私的な欲望を抑えられず、つい欲してしまった程に。これは大当たりだ。

 

「私は今まで帝国の工芸品や武器も数多く目にしてきたが、セバスさんの品物はどれも実に素晴らしい!ぜひ今後も懇意にさせて頂きたいものだね」

 

「こちらこそよろしくお願い致します。エ・ランテル、いや王国でも有数の大商人であるバルト様にそういって頂けた事、ご主人様も大層お喜びになられるでしょう」

 

 セバス・チャンは心の中で自らの主人、至高の御方に称賛の言葉を送った。自分達が出立する際、資金調達を兼ねた人脈の構築などに使うが良い、とナザリック内で新たに作成されたという、ミスリルやオリハルコンで作られた武具や装飾品の数々を授かったのだが、御言葉の通りこの世界ではミスリル程度の金属の価値が非常に高い。ミスリルの武具などセバスに限らず守護者にとっては玩具のようなものなのだが、この世界では最高級品に当たるのだというのだから驚く他はない。確認されている最硬の金属がアダマンタイトという事も聞いているので、理解はできるのだが。

 

 収集された情報により、ミスリルやオリハルコンはこの世界でも再入手可能と確認できている。そのため調達も指示されているが、入手したミスリルやオリハルコンそのものの価格と比較すると、自分が提示された物品の買取金額は破格である。これはナザリックの鍛冶師たちの技術が評価されているという事だろうが、この分ではナザリックの低位金属備蓄量は大幅に増えていくことになるだろう。実際ここ数日で使用した金銭等、先程のミスリルの短剣一本の価格を考えれば端金である。

 それに目の前の男、バルドはエ・ランテルで食料取引を実質支配していると言われる程の大商人であり、有力者だ。この地位にある人物とこうして容易に関係構築を進められているのも、全ては授かった知識と品々のおかげであることは間違いない。

 

(たとえ未知の世界であっても、至高の御方の英知は我々を正しく導いてくださる)

 

 アインズに対する忠誠心を燃え上がらせつつ、セバスは己に与えられた使命を果たすべく目の前の男と談笑するのだった。

 

 

 

「私が「漆黒の剣」リーダーのペテル・モークです。あちらが野伏(レンジャー)のルクルット・ボルブ」

 

 明朝、再び冒険者組合を訪れたアインズは記憶通りに受付嬢とのやり取りを終え、声をかけられた漆黒の剣の面々と面談をしていた。アインズはそんな名前だったかな、と思いながらチームメイトを紹介するペテルを眺めていた。正直なところ漆黒の剣というチーム名はよーく覚えていたが、この2人の名前はここに来るまで、ついぞ思い出せなかったのだ。酷い話かもしれないが、それだけ前回思い返すことが少なかったのだろう。

 

「こちらが魔法詠唱者のニニャ“術師”(ザ・スペルキャスター)」

 

「よろしくお願いします。二つ名を持っているということは、ニニャさんは高名な魔法詠唱者なのですか?」

 

「ああ、こいつはタレント持ちで天才って呼ばれているんだぜ」

 

 ひとしきり蘇ってきた記憶と大差ない自己紹介が進む。ニニャには前回、転移直後の何もわからない時に、広範な知識を教えてもらった。その上、タレント保有者であることと日記やツアレの件もあって、よく覚えている。ペテルと話している彼女を見て、ふとその最後を思い出してアインズは少し嫌な気分になった。

 実のところ、彼女をどうするかという事に関して、まだはっきりと決めてはいなかった。タレント持ちであることや様々な情報をもたらしてくれた存在である彼女は、後のツアレの事まで考えると助けてもいいかという気はする。だが、ならば他の漆黒の剣の面々はどうするのか。助けたことで起きる影響は全く未知だ。ンフィーレア同様、監視下に置けるのであればいいが彼らは冒険者だし、前回は名声を高めてくれる存在とする予定だったが、彼らがいなくなってもモモンの名声はあっという間に最高まで駆け上がることとなる。いなくても支障はないのだ。

 

(うーん、やはり難しいな……カルネ村に留め置くようなことはできないだろうし、ナザリックの存在を明かすのも危険だ。助けたところで未知の危険性が増すだけで、銀級冒険者チームにそれ程価値があるとも思えない)

 

 そもそも彼女に価値を見出していれば、アインズは蘇生魔法によってすぐさま蘇生させたのだ。つまり蘇生させるほどの価値はなかったという事。いずれセバスやツアレからの嘆願があった場合、どうしたかはわからないが……だが現状、彼女はまだ死んではいない。蘇生させる価値はなくとも、助ける価値くらいはあるだろうか。アインズがそんな恐ろしいことを考えつつ会話しているとは知らず、漆黒の剣の面々との話は続く。彼女より強いタレント持ちとしてンフィーレアの次に蒼の薔薇のリーダー、ラキュースの名が上がったところでアインズは心の中でこの問題を棚上げし、ンフィーレアのタレントの内容から続けて質問した。

 

「先程の蒼の薔薇というのは王国のアダマンタイト級冒険者チームですね。そのリーダーの方のタレントというのは、どのようなものなのでしょうか?」

 

「あくまで噂だけど、特定の魔法をかける時に全体化することができるタレントだって話だ。本当かどうか確認は出来ねえけどな」

 

「ほう……それは魔法詠唱者であれば随分と便利そうなタレントですね」

 

「流石はアダマンタイト級冒険者チームのリーダーということであるな!私はダイン・ウッドワンダ―、森司祭(ドルイド)である!よろしくお願いするのである!」

 

 名前が思い出せず、心の中であるあるドルイドなどという仮名で呼んでいたダインが最後に自己紹介をして、周辺のモンスター討伐話へと移り、質問が出尽くしたところでアインズはこの退屈なやりとりの中で、ちょっとだけ楽しみにしていた行動をとることにする。

 

「大体まとまったようですね。では、共に仕事をするのですし……顔を見せておきましょう」

 

 アインズはそういうとヘルムを外し、顔をさらした。無論幻影魔法で覆ってはいるのだが。その顔を見た面々から驚きと――記憶と同じようで違った反応が返ってくる。

 

「黒眼黒髪……やはりナーベさんと同郷でこの辺りの方ではないのですね」

 

「ちっくしょう、美男美女の組み合わせかよ……あーでも年いってるんだな、おっさんだな、おっさん」

 

「ルクルット、負け惜しみはみっともないですよ。第三位階の使い手と互角の戦士なら、あの位の年齢で当然でしょう」

 

「ナーベ女史が優秀なのであるな!」

 

(えー……表情と言い、かけられる言葉と言い……こんなに違うの)

 

 ペテルの顔は引き締まり、ルクルットの顔は対照的に歪んだ。ニニャの頬が少し赤い気がする。表情も言葉も変わらないのはあるあるドルイドぐらいだ。ナーベラルがドヤ顔になってるのはなんでなんだ。今のアインズの幻影は外装にあわせて、たっち・みーのリアルでの顔を使用している。この世界は美形の割合がとても高い。鈴木悟の自称三枚目顔が五枚目になってしまう程に……しかし、二枚目はどこの世界でも二枚目であって、三枚目以下に落ちることはないようだ。わかってはいたが、こうやってはっきり裁定が出てしまうとちょっと……いや正直に言うと、とても辛い。アインズは自分の悪戯心を後悔した。

 

(醜い嫉妬心だってわかってるよ。でもさモモンガさん、ちょっとは思わない?金持ちに生まれてイケメンで幼馴染の美人と結婚ってさあ、素でずるいって。ペロロンもこないだのたうち回って、納得いかねえって泣いて殴られてたし。俺じゃなくても、ああいう奴は嫌いだって人は多いと思うよー)

 

 かつてオフ会の後、ユグドラシルで会話したウルベルトの言葉が蘇る。確かにこれは……わかってはいても気持ち的にちょっと納得いかない。その後はンフィーレア・バレアレからの指名の依頼の報告が階下の受付嬢からもたらされ、そのままンフィーレアを迎えて話が続くこととなった。

 依頼内容、面倒ではあるが何故自分を知っているのかの確認を行い出発することとなったが、アインズの声が終始硬かったのは、仕方がない事なのである。

 




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ハムスケをもふもふしたい。


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Tenacity

 空が赤く染まるより前に野営の準備に取り掛かったため、一行は日没のころには食事の時間を迎えることとなった。空腹だった漆黒の剣の面々が勢いよく食べていく中で、アインズは面頬を動かして露わになった口元に、ゆっくりとスープやちぎったパンを運んでいる。

 

「そんなにでっかい体してんのに、ずいぶんちまちま食べるんだな。猫舌なのか?あと飯の最中はヘルムぐらい外してもいいんじゃねえの?」

 

「おい、そこの……」

 

「いえ、そういうわけではないのですが、食事をとるのが遅いとはよく言われます。鎧兜は本当に安全な場所でしか脱がないようにしているので……申し訳ない」 

 

「いいんですよ、モモンさん。ルクルット、別にそれくらいいじゃないですか」

 

「枕戈寝甲、常に備えを怠らぬという事であるな。流石、大戦士は心構えからして違うのである」

 

「彼に悪気はないんです……すみません。モモンさん、ナーベさん」

 

 ルクルットの軽口に反応するナーベをしぐさで制しつつ、謝罪の言葉を口にするアインズにニニャとダインが味方をし、ペテルが小声で謝罪の言葉を口にする。この旅が始まってから、多少の流れの違いはあれど何度か繰り返された光景だ。

 

(前回とほぼ変わらないな。多少あの男からの風当たりが強い気もするが……しかし良かれと思って対策はしたけど、下手に口に入れてる分、虚しさが募るなあ)

 

 アンデッドであるアインズが食事ができている絡繰は舌骨の上に乗っかり、底が抜けている下顎骨を覆うように広がっているイド・ウーズのベロベロくんである。最初はペロペロ君と命名したのだが、某鳥友人の顔が浮かんだので訂正した。顎の下にスライムがくっ付いていると言えばわかりやすいだろうか。

 ベロベロ君の上にスプーンですくったスープや、ちぎったパンを乗っけるように落としていけばあっという間に溶けて無くなってしまうという寸法だ。ただし、いっぺんに大量の食物を口に入れたり流し込んだりすると、ベロベロ君の処理能力を超えてしまい最悪口内から溢れることになる。まだ加減がよくわからないので、少量ずつゆっくりと運んでいるのだ。

 

(ヌルヌル君のように、舌の代わりになってくれて味がわかるようになるモンスターがいれば良かったんだけどなあ)

 

 食べているのはベロベロ君なので、当然アインズには味がわからない。ちなみに、のどの奥にまで食べ物が行ってしまうと、変声器の代わりをしている口唇蟲のヌルヌル君が火傷したり溺れてしまうかもしれないので、食事の際はちゃんとベロベロ君にガードさせている。ヌルヌル君も食べ物を食べられないわけではないのだが、新鮮な植物と人間の声帯以外を食べさせるのは良くないそうだ。モンスターの食生活はよくわからない。

 ヌルヌル君の選定ついでに、舌の代わりになるモンスターをエントマに期待しつつ確認したが、舌槍蟲っていう~生き物の口内に住みついて口から飛び出して敵を刺し貫く子ならいますけどぉ、と返答が返ってきた。かなり固い外皮でも余裕で貫通するらしいが、当然味はわからないらしい、がっかりだ。

 

 記憶に従いチーム名である漆黒の剣の由来などを尋ねつつ、ンフィーレアと彼らの会話から自身が忘れている情報や今ならば価値があると分かる情報はないか確認していくが、特に目新しい情報はないようだ。

 

(しかし全く記憶の通りに物事が進んでゆく……慎重を期してはいるものの、多少の変化は生じている筈なのだがな)

 

 エ・ランテルよりカルネ村へと出立し、この野営の準備まで記憶の通りに物事が進んでいった。カルネ村に進むルートは北上後に森の周辺を進むルートであるし、途中でちゃんとオーガとゴブリンの集団にも襲われた。この中でアインズは記憶から外れた行為を多少行っていたが、それで何かが変わることはなかった。まず、ニニャへの質問はすでに入手した知識により広範なものへと変わっていたし、戦闘でも実験的なことを行った。野営の準備の際には鳴子設置の仕事を割り当てられたのだが、自身は戦闘後なので武具の手入れを行いたい、とあえて断ってみたりもした。しかしいずれも漆黒の剣やンフィーレアの態度にこれまで変化はなし。強いて言うなら最後の断りを入れた時にナーベが当然です、という顔をしたぐらい。

 ナーベラルと言えば、ルクルットに囃されてアルベドの名を口に出す失態は防がずに置いた。あのやりとりで前回のナーベラルが何かを自覚・獲得していた場合を考えられるし、ンフィーレアに正体を看破された際に言い訳として使うのだから防ぐことはマイナスにしかならない。

 

 眼の前で展開される、全く同じ流れの会話のやり取りを聞いていると、ここ数日のちょっとした事でやたらと前回と異なった結果が生じていたほうがおかしいと思える。だが、これは彼ら一行との関係が仕事を通じてだからなのだろうとアインズは判断していた。彼らは冒険者の常識として、仕事の上の関係としてこちらと節度ある距離を保っている。ナザリックの面々はアインズ自身に対する様々な感情が、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの場合はこれから死地に赴くという特殊な状況があったために、わずかな違いでも変化が生じたのだろう。

 

「――チームの目標がしっかりとありますからね」

 

 ペテルの声に、アインズは前回の記憶が呼び覚まされる。かつての仲間の事を口にしたい欲求が湧き起こったが、その結果はどうなるかは既にわかっている。わかっていても、自分はあの言葉に不快な感情を抑えることはできないだろう。展開に大差がないならば、わざわざ雰囲気を悪くすることもないとアインズはその欲求を抑えこんだ――ところで頭にある考えが浮かび、検討し、口を開いた。

 

「そうでしょうね、皆の意志が一つの方向を向いていると全然違いますからね」

 

 

 

 

 

 

 

 満天の星の下、見張りのために起きている二人が、たき火を境にして向き合って座っている。その内の一人であるニニャはちらりと、眼の前に座る人物に目をやった。そこにはたき火に煌々と照らされた、豪華かつ異形の、おそらくは魔法の鎧を纏った大戦士――モモンさんが腰かけている。今は口の部分もきっちりと閉じているので、炎の輝きを反射する恐ろし気な兜が、まるで伝説に出てくる魔神のようにも見える。

 

 周囲に鳴子や<アラート/警報>による警戒網を作ってはいても、野営の際に見張りを置かないなんてことはあり得ない。依頼主であるンフィーレア・バレアレ氏はともかく、護衛である自分達漆黒の剣とモモンさん、ナーベさんが見張りに立つのは当然のことだ。ただ、ニニャはこういったチーム混合の依頼においては、同じチームの者が見張り番の組になるのが当たり前だと思っていた。何度か交流があったり、依頼が長期にわたる場合は別なのかもしれないが。

 

 先程、ペテルが見張りの順番を伝えに来た時は何かの間違いだと思った。食事の際に自分が発してしまった迂闊な一言、その言葉で明らかにモモンさんは気分を害していた。食事をあまり食べると何かあった時に体が鈍りますので失礼、とは言っていたが誰もがそれは口実だと分かっていた。あの見事な体躯が、あの程度の量の食事で維持できるとは思えない。

 

(何を言ったらいいのかわからない……でも黙ってるのも耐えられない、どうしよう)

 

 あの後で、この組み合わせは針の筵だ。自分だってモモンさんと仲直りしたい気持ちは当然あるが、早すぎる。遠回しに断ったのだけど、ペテルはこのままの空気では不味いと思ったのだろう。なんとか仲直りをしてくれないか、と頼み込まれた。その際にナーベさんの方をちらっと見たので、もしかしたらナーベさんから申し出があったのかもしれない。

 

(……彼女の態度から考えると、そうは思えないけど)

 

 結局見張りは自分とモモンさん、ペテルとナーベさん、ルクルットとダインの3組で朝まで交代で行うことになった。ルクルットは文句を言っていたけれど、魔法詠唱者を分けたという説明と、ナーベさんのジンガサハムシと一緒はいやです、という容赦ない一言によって撃退されていた……彼女の口にする名前は聞いたことの無い物ばかりだ。交代の際、上手く行ったらペテルに合図を送ることにはなってるけども、見張りが始まってから数分とはいえ、未だお互いに一言も発していない有様だ。果たしてその合図を送ることができるのだろうか。

 

 カラン、と乾いた音が響いた。モモンさんがたき火に枯れ枝を投げ入れたようだった。気がつかなかったが、火の勢いが弱まっていたようだ。これでは見張り失格だ。枯れ枝に火が移り、パチパチと音を上げる。そのたき火の向こうで、角が生えた見事な兜が下がった。

 

「先程は、申し訳ありませんでした」

 

 たき火に照らされていたモモンさんからの突然の謝罪に、ひどく恐縮した気分になった。心無い言葉を発したのは自分なのに。そう思ったがいなや、自身でも気がつかぬうちに立ち上がって頭を下げていた。

 

「モモンさんが謝ることなんてありません!……謝らなければいけないのは私の方です、何があったのかもわからないのにあんな軽率な……親しい人が奪われる哀しみはよくわかっていた筈なのに……本当にすみませんでした!」

 

「いえ、もう気にしておりません。ニニャさん、頭を上げてください。私も、ずいぶん大人げない態度をとってしまった事を後悔しているんです。そう頭を下げられたままだと困ってしまいます」

 

 その声には暗いものや、あの時感じた敵意のような響きは全く感じられない。その言葉を受けて顔を上げ……自身を見ていたモモンさんと目が合った。兜をかぶっているので、確かにとは言い切れないが視線を感じる。そのまま、モモンさんと見つめ合う形になる。兜の下の顔を思い出して頬が熱くなるのを感じたが、自分のそんな想いとは関係なく、かけられた言葉は先程よりもずっと重々しい響きを伴っていた。

 

「……ニニャさん、一つお伺いしたいことがあります」

 

「なんでしょう?」

 

 彼の声の響きに何らかの決意と真剣さを感じたニニャは、気を引き締め多少身構えつつ返答する。

 

「冒険者が、過去の詮索をするのはご法度と知ってはいます。ですが、今日お会いした時からたびたびニニャさんは貴族に対する……憤りや恨みを初対面の私たちの前でも口にされていました。何があったのですか」

 

 頭と心がすっと冷える。確かに心情を吐露していたのは自分だし、疑問にも思うのも当然だけど、なぜ今ここで。

 

「……なぜ、そんなことを聞くんですか」

 

「ニニャさんの言葉には、先程の私のような暗いものというか、すみません、うまく言えませんが……危うさを感じました。私はそれを放っておく事が、とてもよくない事のように思えたのです。なのでニニャさんにお尋ねすることにしました。お話ししたくないことでしたら無理にとは言いませんし、今後もこれ以上詮索するようなことはいたしません」

 

 モモンさんの言葉に、嘘はないように思える。当然だ、嘘をつく必要なんてないのだから。

 

「……かまいません。漆黒の剣の皆は知ってることですし、どこにでもあるような話ですから」

 

 ニニャはたき火の前に腰掛けて、自分に何があったか全てを――ある一つの事を除いて――語った。かつての自分の村での生活を、優しかった姉を襲った悲惨な運命を、誰も助けてくれなくて、自身で姉を助ける力を得るために冒険者となったことを。その時ニニャ自身は気がついていなかったが、語っているその顔は、泣きながら笑っているような自暴自棄とも見える表情をしていた。

 

「それだけの話、この国ではよくある話ですよ」

 

 たき火に照らされた空間に沈黙のとばりが降りる。その雰囲気に、皆に初めてこの話をした時の事を思い出した。あの時も野営をしていた時だったっけ。そんなことを思っていると、静かに声をかけられた。

 

「それで、ニニャさんはもしお姉さんを見つけることができたら、どうされるつもりなんですか」

 

「助け出します」

 

 即答する、迷う余地なんてない。

 

「王国の貴族ではなくもっと厄介な……外国の大貴族や犯罪組織の下にいるかもしれません」

 

「そんなことは関係ありません。必ず助け出してみせます」

 

 当然の事だ。自分はその力を得るために魔法を学び、冒険者になったのだから。

 

 

「それが仲間の……漆黒の剣の皆さんの身を危うくするとしても、ですか」

 

 

 言葉に詰まる。ニニャは己の眉が顰められたのがわかった。だが、確かに自分が漆黒の剣の一員のまま貴族に逆らった場合、露見すれば皆が危険にさらされるのは間違いない。それに、その答えなら以前にも出している。

 

「……それは……その時は、私はチームを抜けます。私個人のために皆を危険にさらすことはできませんから」

 

「ニニャさん一人の力では、貴族には到底かなわないとわかっている筈です、それでもですか?」

 

(そんなことはわかってる!) 

 

 反射的に声を荒げそうになったが、顔を俯かせ、拳を握りしめることで何とか抑え込む。魔法を学ぶ際に、己の感情を制御する修業をして無ければ心の声のままに怒鳴りつけただろう。

 

(……なぜモモンさんは私にこんなことを言ってくるのだろう、そんな事はわかってるのに)

 

 先程の意趣返しか、と邪推してしまう。だが彼が言ってることは正しい、正しいから腹が立つ。自分の力では貴族には太刀打ちできない。たとえ、このまま冒険者を続けて第三位階、いやタレントの力で第四位階の魔法を修めることができたとしても、その程度の力では貴族に抗うことはできない。

 

(奴らに逆らうことは、国家に逆らうことだから)

 

 個人の力で国家という巨大な組織に抗うには、伝説に謳われる英雄と呼ばれる程の力が必要だ。誰が見てもそうとわかる巨大な力、そう、今自分の前にいる大戦士のような。自分は英雄じゃない、よくわかっている。でもそれを理由に諦める事なんて、できるわけがない。あの想い、あの無念、周囲への恨みと世界への絶望。この心の奥にどろどろと澱みながら熱を発するこの怒りが、己に姉を救えと命じるのだ。ニニャは顔を上げ、目の前にいる戦士を仇のように睨みつけながら、己が己に課した使命に従い言葉を叩きつける。

 

「……だとしても!それから何年かかろうとも、どんな手段を使っても、姉は助け出します。私の全てを賭けて、必ず」

 

 眼に涙を浮かべ、拳を爪が皮膚を破りかねない程に固く握りしめて、はっきりと宣言する。その言葉の間、ニニャは眼前の相手を真直ぐに見ていた。兜をかぶっている戦士の瞳を見ることはできないが、自身に向けられた強い視線の力を感じていたのだ。ここで眼を逸らせば、自身の言葉が嘘になってしまうとでもいうように、兜の向こうの眼を睨み続ける。そして長い――実際はわずかな――時が過ぎた。先に言葉を発したのはモモンだった。

 

「そうですか……わかりました。ニニャさんが己の全てを賭けるというのであれば……お姉さんが見つかった時は、私が協力致しましょう」

 

「えっ」

 

 発せられた意外な言葉とその真摯な口調に驚き、慌てるが、絶句する自分をよそにモモンさんが言葉を続けていく。

 

「私とナーベであれば、余程の相手であっても――」

 

「ま、待って下さい、なぜ、なぜそんなことを」

 

 慌てていたため、相手の言葉を途中で遮ってしまう。大変失礼なことをしたとは思うが、それでも聞かないわけにはいかない。モモンさんは気分を害した様子もなく、横にある枯れ枝を一本掴み、たき火に放り投げた。カラン、という音が響く。

 

「親しい人を取り戻したいという願いは……渇望は私にもよくわかりますから」

 

「モモンさん……」

 

「私と同じ想いを持つ人が、事を成せずに無駄に死んでいくのを放っておくことはできません」

 

 深い実感を伴ったその言葉に、ニニャは衝撃を受けた。そして先程までの自分の態度に羞恥を覚える。先程までの問いは、自分の決意や覚悟を確認していたのだろう。考えてみれば、彼はニニャを放っておくことができないと言っていたではないか。つまり、彼は最初から自分の力になろうと表明していた。彼のおそらく古傷を抉った、失礼で軽率なニニャの力になると。にもかかわらず、自分は頭に血が上って、まるで仇のように睨みつけてしまった。

 

「ですから、お姉さんを見つけた時には私に連絡を取ってください。いいですね」

 

「……はい」

 

 諭すような優しげな声をかけられるが、羞恥からか細い声しか出ない。いや、モモンさんはずっと同じ声と口調で話しかけてきていた。自分が勝手に怒りを覚え、声に込められた感情に気がつかなかっただけだ。人間としての懐の広さ、器の違いを感じてさらなる羞恥が襲う。再び沈黙と微妙な空気がたき火の周辺に流れるが、今までとは違う意味で何を言ったらいいのかわからない。その空気を打ち破ってくれたのは、やはりモモンさんだった。ルクルットがたまにそうするように、軽い口調で笑いながら話しかけてくれた。

 

「ああ、無論上手く行った際には、ニニャさんから報酬を頂きますよ」

 

「えっ…あっ、モモンさんとナーベさんに支払えるほどの報酬が私に用意できるでしょうか」

 

「ははは、私達は銅級冒険者ですよ?」

 

「あ、そういえばそうでしたね……あまりにもモモンさん達がすごいので、忘れていました。でもその時はモモンさん達はオリハルコン……いえ、アダマンタイト級になってるかもしれませんね」

 

 これはニニャの本心だ。皆も言っていた、モモンさん達はいずれ英雄と謳われるだろうと。自分たちはそれの始まりに立ち会えてラッキーだったとも。

 

 

「それは買いかぶりすぎですよ。でも、もしそうなっていた場合でも特別に……分割でお支払いをお受けしましょう」

 

「アダマンタイト級への報酬なんて、一生かかっても私じゃ払いきれませんよ!そこは報酬を安くするところじゃないんですか」

 

「じゃあ、ニニャさんには一生かけて私に報酬を払って頂きましょう。完済まで逃がしませんよ?」

 

「えっ」

 

「えっ?」

 

 

 軽口を叩きあう、にこやかな雰囲気のままに時は流れてゆき、交代の時間となった。ニニャがすれ違いざまペテルの背中をポン、と叩く。それ受けてペテルの顔が見る見る内に明るくなり、同じく交代したナーベラルに向けてサムズアップした。当然ナーベラルは返さないわけだが……見る見るうちに顔が曇って所在なさげになった彼の姿に、アインズは心の中で軽く頭を下げた。そのまま自身の寝床……とされている場所に横になる。空にはどこまでも美しい星々が続いている。それを見上げつつ、アインズは先程の対話を思い出していた。

 

(日記を見ているから、姉を救いたい気持ちがある事は知っていたが……やはり文字と面と向かっての言葉では違う)

 

 アインズは先だって明日の難題を前に些細な刺のようなものとはいえ、ニニャをどうするのかという問題を片付けることを思いついた。重要な案件に挑む前は、たとえ小さな仕事であっても雑念が入るような事案を片付けておくことが、成功率のアップに繋がることをアインズは経験からよく知っていたからだ。

 

(だが、意外な収穫があったな)

 

 アインズは、今になっても明日に待ち受ける未知との不安と戦っていた。当然だろう、何が起きたかはその時が来るまでわからないのだ。なのに失敗は許されない。このことに強いストレスを感じるのはごく自然と言える。それにより対抗策を考える思考は幾度となくループし、鈴木悟の残滓は痛めつけられていた。ふとしたことでその状態に陥るアインズに、気の休まる時は無かったと言ってもいい。限界を超えた時に、奇行に走ることで多少回復はしていたが。

 

(それが、こんなことで吹っ切れるとはな)

 

 ニニャとの対話にアインズはガゼフ・ストロノーフとはまた違う、強い人の意志を感じたのだ。それはまぶしいものでも憧れを感じるものでもないが、アインズにはよくわかる感情だった。暗い感情、だが己の身を捨てても物事を成し遂げるという不屈の決意、そこに不安はない。いやあったとしても、それらを全て抑え込む程強い、不撓の執念。それに触れて、アインズの心は驚くべきことに平穏を取り戻したのだ。

 

(ありていに言えば、腹を括ったという事になるんだろう)

 

 精神論と言えばそれまでだが、何かをなすべき時に覚悟を決めることは成功率を格段にあげる。すでに対抗策は練った。己の経験と知識に基づいた、最も成功率が高いと思っているプランだ。その実行前の準備に於いて不備はない。ならば、たとえその場で何が起こっても、何としてでもやり遂げるのだ。己の全てを賭ける程の強い決意を持って。そのためには、己が心身の状態をベストまでもっていくことも大事ではないか。

 

(人事を尽くして天命を待つ、か)

 

 その言葉を教えてくれたのは、誰だっただろうか。かつての自分がよく使っていた諺を呟くと、アインズは僅かな間、穏やかな心で星々を見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 翌日アインズはニニャと朝の挨拶をかわしあい、昨日の続きとばかりに様々な質問をしていた。その様子を見てルクルットとダインが、ほっとした表情を見せ、ペテルやンフィーレアと微笑み合う。安堵感から自然と会話が盛り上がり、調子に乗ったルクルットに話しかけられているナーベラルが不満そうな表情を見せている以外は、和やかな朝食の風景だ。そのままの雰囲気を保ったまま一行はカルネ村への道をたどり、何事もなく到着した。

 

 たどり着いたカルネ村は前回同様、呼び出されたゴブリンの指導の下で武装をしていたが、異なる点もいくつか見受けられた。もっともわかりやすいのは、ネムの姉であるエンリ・エモットが帯剣していた事だろう。帝国兵に偽装していた法国兵士が持っていた物のようだ。微弱とはいえ魔法が掛かっていた武器だからだろう、手に取ったら扱いやすいサイズになった、とンフィーレアに語っているのを耳にした。外敵への備えがやや優先されているが、その他に関しては報告通り大差ないようで、それらの様子を自身の眼で確認できたアインズは安堵する。

 

 程なくアインズはネムに使ったポーションの瓶を発見したンフィーレアに“予定通り”正体を看破され、薬草採取のために大森林へと向かった。ハムスケは手早く初手から恐怖のオーラLV1で屈服させた。ひっくり返ったその姿を見て、没案のダイフクという単語が頭をよぎったが、呼び間違えると面倒なのでハムスケのままだ。薬草を数多く採取してカルネ村に戻り、明日は早朝に出発するという事で昨晩よりもはやめの夕食を食べ終えたアインズは、借り受けた空き屋に入ったところで“伝言係”からの伝言を受け取ることとなる。

 

「アインズ様。よろしいでしょうか」

 

 アインズは片手で周辺偽装警戒の合図を送る。防音の魔法と幻惑のマジックアイテムが起動され、ナーベラルが頭に兎耳を生やし頷いたのを見て、アインズは伝言に返答する。

 

「周囲には誰もおらぬ、続けよ」

 

「はい、ではご連絡いたします。セバス様、ソリュシャン様、シャルティア様がこれより三時間後に人間どもの街、エ・ランテルを出立されるとのことです」

 

「……わかった、引き続き任務を続行せよ、出立後に再度伝言を送れ」

 

 伝言を切ったアインズはゆっくりとその手をおろすと、身に纏っていたモモンの外装を解除し、己が右手を見た。その手には、あの時の感触がいまだ残っているような気さえする。

 

(さて……来たか、ついにこの時が)

 

 アインズの全身に怒りの感情が漲る。烈火の如く吹き出す怒りではなく、溶岩のような暗く澱んだ怒りだ。

 

(もしも今のこの状態が、俺自身の願いによるものだとすれば――)

 

 拳を握り、あらためて思い出す。己のこの不完全な記憶に於いて、最も忌まわしい事件。

 

(――この時のために私は戻ってきたはずだ)

 

 アインズ・ウール・ゴウンに置いて最も親しかったと言ってもいい友人、ペロロンチーノ。その彼の娘ともいえるNPC、階層守護者シャルティア・ブラッドフォールン。

 

(これだけは、たとえ未来にどのような影響を及ぼそうとも変える、変えねばならぬ)

 

 彼女をアインズ・ウール・ゴウンの力で弑する運命から、アインズ・ウール・ゴウンの力で救うために。

 

(ゆくぞシャルティア、今お前のもとに!)

 




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あれ……ハムスケ……あれ?

次回はブレインさんが出てくるはず


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Ache

 月光に照らされて、夜闇の街道を大型の馬車が走ってゆく。御者こそ貧相な男だが、その豪華な車内にはセバス・チャンの他、シャルティア・ブラッドフォールン、ソリュシャン・イプシロンとそのシモベ達。先程出立してきたエ・ランテル程度なら、一夜で滅ぼせる面々が乗車していた。

 

「うふふふふ、うふふふっふっふっふ」

 

「……」「……」

 

 車内は含み笑いをしつつ己の体を抱いて体をくねらせるシャルティアただ一人を除いて、セバスを含む誰もが困惑した表情と共にどこか疲れたような雰囲気を纏って沈黙していた。その中には忠実なシモベである筈の吸血鬼の花嫁二人も含まれている、むしろこの二人が一番疲労の色が濃かったかもしれない。なぜなら、これはナザリックを出発して以来馬車で続いてきた光景なのである。

 

 肉体的疲労を覚えないアンデッドであっても、ずっと馬車にいる二人の精神的疲労は相当なものに違いない。セバスは、自身の部下ではないが今回の任務が無事に終わった暁にはこの二人にも何かねぎらいの言葉をかけるべきと心に留めつつ、あらためて自分の世界に入り込んだままのシャルティアを見た。

 

(……よもや、本当にずっとこの調子だとは思いたくなかったのですが)

 

「んん~あの感触……ああ……じゅるり」

 

「……」「……」

 

 周辺の様子に全く頓着してないシャルティアの眼は、明らかにここではないどこかを見ている。吸血鬼の花嫁たちはそんな主人を心配しつつも声をかけることで何が起きるかを想像し、恐怖し、向かいに座るセバス達に視線で助けを求めた。今までであれば、それを受けてセバスとソリュシャンは目を伏せ、ゆっくりと首を左右に振ってきた。これがナザリックを出てからエ・ランテルに到着するまで幾度となく繰り返された光景だった。

 

 だが、今は至高の御方より与えられた任務の直前である。最低限の打ち合わせや情報共有、また部下であるソリュシャンの望みも伝えなければならない。セバスはこれまでの経験からタイミングを計り、意を決してシャルティアに声をかけた。

 

「……ふぅ」

 

「……シャルティア様、申し訳ありませんが」

 

「お待ちなさい、セバス」

 

 眼に光が戻ったシャルティアが先程までと別人のように澄んだ声で返答し、いつの間にか取り出した骸骨を象った煙管をセバスに突き付けていた。

 

「今、私の名前はマーカラです。至高の御方より借り受けた名前を間違えないでほしいであり……ます」

 

「失礼いたしました、マーカラ様」

 

「それで?なんの話ですか」

 

 自身に煙管を突き付けた際の迅雷の動きを見て、セバスはシャルティアが身体的には完全な状態であると判断する。ならば確認すべきはそうでない部分だ。

 

「先程お伝えした情報と再合流までの手順の再確認を。後少々お願いしたい事がございますが……その前にお聞きしたいことが」

 

「なんでしょう?」

 

「マーカラ様はこの任務の当初より……そうですな、ずいぶんと上機嫌でしたが……何か良い事でもあったのですか?」

 

 その言葉を聞いたシャルティアの顔がニンマリ、あるいはニヤァリという擬音が似合う笑みの形に歪んだ。エ・ランテル出発前のソリュシャンの笑顔によく似ている。

 

「聞きたいでありんすかぇ?んふぅ、アインズ様の御部屋でわらわはこの身を……むぐっ!むぐぐぐぅ!!」

 

「……申し訳ありませんでした、マーカラ様」

 

 背後から飛び出すように現れたシャドウ・デーモンに口を塞がれるシャルティアを見て、セバスは自身の質問が自分の主人の意に添わぬものだったと理解し、わずかに発せられた内容を胸の内にしまう事とした。まぁ、と声を発し口に手を当てて目を光らせているソリュシャンを一瞥しておく。

 

「まあ、いいであり……ます。それで?獲物は釣り針に引っかかったのですか?」

 

 

 

 

 

 かつて、と言っても己の記憶の中でだが、シャルティアと戦った場所を見下ろせるある丘の上でアインズは完全装備で物憂げにその場所を見下ろしていた。前回はアウラとマーレの二人を連れてきていたが、今のアインズの供は違う。

 

「アァインズ様!我々を魔法的手段、あるいは物理的手段で捕捉している強く賢き者は……残念ながら確認できないようです」

 

「……パンドラズ・アクター。今は隠密行動中だ」

 

 踊る黒歴史、パンドラズ・アクター。かの卵頭から雰囲気にそぐわない口調でかけられた声に、アインズは即座に発光したが振り返りもせずに声に応える。

 

「御心配には及びませんアインズ様!<ミラーワールド/鏡の世界>に加えて、必須の防御魔法は余さず全て展開致しました。我々の姿・声・気配・存在を感知できる者は、この三千大千世界には至高の御方々以外存在しないでしょう!」

 

「い・い・か・ら!その口調をやめろ!……よいか、任務中は相応しい口調と、行動を心掛けよ。これは命令だ」

 

 再度かけられた声に再度発光したアインズはたまらず振り返り、命令する。振り返ってからも一回発光した。

 

「かしこまりました」

 

 眼の前の存在が胸に手を当てて深々とお辞儀するのを見て、再び己の体が光り輝くのをアインズは知覚した。両目部分を手で押さえ、やや呻くように口を開く。

 

「……あと、その敬礼とかお辞儀も控えてくれ。というかな、その姿の時は余裕ある……違うな、我が友の姿を降ろしている間は威厳ある体勢を維持せよ」

 

「……承知いたしました」

 

 敬語までは無理か、とアインズは諦めつつ両目を覆っていた手を外し、その存在を直視する。

 

(ぬーぼーさん……)

 

 ぬーぼー。アインズ・ウール・ゴウンの眼と言われた、探知系特化のギルドメンバーの姿となったパンドラズ・アクターを。

 

 

 予想していなかったわけではなかった。ゆえにアインズは宝物殿で幾度か訓練と称し、パンドラズ・アクターに外装を変更させた状態で作業をさせたり会話をしたりしていたのだ。その間、アインズは外見はともかく中身はパンドラズ・アクターなのだと常に己に言い聞かせていた。

 

 実に苦行だった。

 

 だがその甲斐あって、発光回数は減ってゆき、最後には光ることなく作業を見ていること、会話を行う事が出来た。それでアインズは自身の心を抑えられるまでに慣れたと、そう思っていた。

 しかし先程、パンドラズ・アクターと共にこの場所にやってきて、陣地の構築のために魔法を使わせた際、己の認識が甘すぎたことを痛感した。

 

(見えてしまったんだ……あの日々が……)

 

 パンドラズ・アクターが友の姿と声で魔法を唱えるその光景は、ユグドラシルでの記憶と重なってアインズを激しく動揺させた。事前の訓練で心に作った堰はその衝撃の前には余りにも低く、余りにも脆かった。その時の感情を余人にどう説明したらよいのだろう。幸福な過去の夢を見ていて目を覚ました時に感じる哀しさと虚しさに数倍すると言えばいいのだろうか、アインズは己が流れる筈のない涙を流したのを確かに感じた。

 

 そして精神の平衡が連続で働いてもなお自身の心が、鈴木悟の魂が、嵐の海に浮かぶ小舟のように激しく揺さぶられるのに耐えかねたアインズは、なんとパンドラズ・アクターに周辺偵察を命じて追い払ってしまったのだ。

 

(この近辺にはシャルティアを洗脳した敵がいるというのに、俺はなんて愚かなことを……)

 

 いくら自身を見失う程動揺していたとしても、考えうる限り最悪の判断だった。幸いにも<鏡の世界>に護られたアインズも、ギルドメンバーのスキルをフル活用したパンドラズ・アクターも捕捉されなかったようだが、それはただ幸運と偶然が合わさった結果だろう。

 自身の弱さのために全てを破綻させるところだったと自覚した時には、身体の中心に冷えた金属が差し込まれたかのような猛烈な不快感と嫌悪感が走り、アインズは膝から崩れ落ちそうになった。

 だが、それでいくばくか冷静さを取り戻すことができたのは不幸中の幸いだったかもしれない。

 

「すまなかったなパンドラズ・アクター。未知の世界で私も感情が昂ぶっていたようだ……許せ」

 

「滅相もございません、私が浅慮でありました。宝物殿での御指示から、至高の御方々の御姿であっても常に普段のように振舞うべきと誤った判断を……どうぞこの身に罰をお与えください」

 

 アインズはパンドラズ・アクターの言葉で、なぜ隠密行動中にもかかわらず普段の口調で話していたのかを理解した。宝物殿で外装を変化させて出した指示は、普段通りに行動せよ、であったのだから。今も先程の指示を意識しているのか、軽く頭を下げるのみに留めている。全てはアインズの指示に忠実に従っていたまでの事であり、これはつまり全面的に自分が悪い。

 

「……いや、お前の判断は間違っていない。ゆえにお前を罰するいわれはない。この件はこれで終わりとし、任務に集中せよ」

 

「はっ……であれば、アインズ様にお伺いしたい儀がございます。よろしいでしょうか」

 

「構わん」

 

「今回の任務は“守護者の外部活動適性を査定する、ゆえに対象には秘密”との事でしたが、それであれば統括殿やニグレド様の御協力を得たほうが良いのではないでしょうか」

 

「……それは出来ん。アルベドにもいずれナザリック外での任務を行わせる、つまり今後の対象者だからな。ニグレドはそうではないが、姉妹だからかアルベドに対しては気が緩むようだし甘い。我が命に従わぬという事はないだろうが、自覚無しにアルベドになにがしかの情報を与えてしまうかもしれん。アルベドであれば、それで全てを察したとしてもおかしくはない……それに、それが可能であればわざわざお前を宝物殿から出したりはせん」

 

 パンドラズ・アクターの言葉の通り、今回の任務は守護者達のナザリック外での外部活動適性を計る事、守護者の手に負えない強者、あるいはユグドラシル由来の者と遭遇した際のバックアップを兼ねていると説明してある。全てを話すことはできないため守護者達に秘密にすること、アインズ自身が行う必要性、持ち出す装備やアイテムの理由付けなどを一生懸命考えた言い訳の任務だ。

 

 思いついた時はともかく、今考えると穴だらけのかなり苦しい理由づけかとアインズは不安だったが、パンドラズ・アクターは他の守護者同様、アインズにとって非常に都合のよい解釈をしてくれた。ちなみに既にエ・ランテルにおいてセバスとソリュシャンの任務の様子を見守り、合格ラインに達していると太鼓判を押した。

 

「なるほど、差し出がましい事を申し上げました。己の愚かさを重ねてお詫び致します」

 

「よい。アルベドにも言った事だが、お前達が我が言を鵜呑みにせず考えることは喜ばしい事だ。ところで、周辺の警戒網の様子はどうだ。変化はないか?」

 

「はっ、まず陣地周辺警戒網ですが、我が感覚も集眼の屍(アイボール・コープス)も異常を感知しておりません。次に広域警戒網ですが……召喚した魔物、動物達は何も異常を感じていないようです。広域感知魔法を展開すれば確実ではありますが」

 

「だめだ。シャルティアはともかくこの世界の者に未知の手段で逆感知される可能性がある。引き続き現状の警戒網にて事に当たれ」

 

 自分たちの潜む<鏡の世界>にはパンドラズ・アクターに召喚させたアイボールコープスを二体配備している。<鏡の世界>を主軸に置いた陣地はユグドラシル時代でも見破られたことが無いのだが、この世界には<タレント/生まれながらの異能><ワイルド・マジック/始原の魔法>があるため念のために周辺を警戒させているのだ。

 

 そして広域警戒網は、感知魔法に頼らず周辺に生息する魔物・動物をこれまたパンドラズ・アクターが召喚したもので構築させている。これはシャルティアを洗脳した未知の敵がプレイヤーであってもそうでなくとも、アインズの知らない反感知魔法を備えてる可能性があることと、この森に自然に生息している生物以外の姿を捉えられ、警戒されてしまう事を考慮し、敵の正体がわからない中でアインズが悩みつつ考えた方法だ。

 ユグドラシルでナザリック大墳墓襲撃を事前に察知した時に、パープルワーム・グレンベラやツヴェークを召喚し襲撃者を監視、絶好のタイミングで嗾けることでMPKを発生させる戦法などの応用である。

 

(しかし、こんな方法がとれるのも全てはこいつの能力あってだな……前回は本当にもったいない事をしていた)

 

 ギルドメンバーの能力の殆どを使用可能なパンドラズ・アクターを活用することで、アインズはユグドラシルで使用していた様々な戦法が使用可能となる。わかってはいたことだが、こうして目の当たりにするとひどく損をしていた気分になった。そんなことを考えているアインズの側で、ぬーぼーの姿のパンドラズ・アクターが、片手を耳に当てた。

 

「愚かな襲撃者共を殲滅し、セバス様方とシャルティア様が別れられるようです」

 

「記録は録ってあるな?では死体を回収し、護衛団はセバス達を引き続き追跡。シャルティアに同行する戦力はいかほどか」

 

「シャルティア様のシモベである吸血鬼の花嫁とシャドウ・デーモンがそれぞれ二体、また花嫁達に襲撃者より下位吸血鬼を作らせ、道案内にするようです」

 

「ほう、情報を持つ者を眷属化するのは良い手だ……だが感知系に長けたシモベの召喚はしなかったか」

 

 前回から感じている事だが、守護者は己の能力を過信し、この世界の者というかナザリックに属しないものの力を侮る傾向がある。夜という状況に於いて、夜の王と称される真祖吸血鬼であるシャルティアが慢心するのは仕方がないことかもしれないが、己の不得手な部分すなわち弱点に対する備えを怠ったことは後で指摘しておくべきだろう。

 

(だが、それも今夜を無事に乗り切ってからだ)

 

 以前精査した情報を整理すればシャルティアはこの後に盗賊団のアジトを襲撃、冒険者と遭遇し――この時点で血の狂乱が発動済み――でエ・ランテルに情報を持ち帰ったレンジャーと捕らえられていた女性数人を除き全員殺害。その後、あの忌まわしい場所で何かと遭遇しワールドアイテムによる精神支配を受けたという事になる。

 何か、の正体はわからないがワールドアイテムを所有する一番高い可能性はユグドラシルプレイヤー。最も危険な相手だが、その場合不可解な点がいくつか生じる。

 

(なぜシャルティアを完全に支配しなかったのか、あるいは出来なかったのかということ)

 

 シャルティアのあの状態は精神支配を受けたが、何の命令も受けていない状態だった。この場合考えられることは二つ、命令を与えられずに放置されたか、あるいは相打ちになったかだ。これは前回既にたどり着いた結論だったが、放置だとしても相打ちだとしても整合性のとれる説明が難しい。

 

 放置したのならば、シャルティアを放置した狙いは何か。

 なぜここから1年もの間何の接触もないのか。

 

 相打ちならばシャルティアがゴッズアイテムを持ち出した程の、しかもワールドアイテムを持ったプレイヤーがシャルティアによって倒されたという事になる。あり得ない事ではないが、死体はどこにいったのか。蘇生したとしたら、シャルティアに命令を与えに来なかったのはなぜなのか。

 

 なぜここから1年もの間何の接触もないのか。

 

 あえて言えば、こちらから逃げ隠れしている可能性が一番高いだろうか。アインズ・ウール・ゴウンの情報はユグドラシルプレイヤーにある程度以上広く知られている。シャルティアの外見情報もその一つだ。

 

 かつてナザリック大墳墓にアライアンスを組んで押し寄せたプレイヤー達は、ご丁寧にもナザリック大墳墓内部や戦闘の様子をムービーで保存し流しやがった。よってシャルティアと遭遇したのがプレイヤーであれば、その時点でアインズ・ウール・ゴウンの存在を知っただろうし、そうでなくても前回の魔導国建国までにはその名を耳にしているだろう。

 自惚れではなく、アインズ・ウール・ゴウンの悪名はユグドラシルのプレイヤーであれば間違いなく知られていたのだから。だがその場合、今夜を逃したら見つけ出すことは非常に困難だ。それこそ世界を征服しても見つけ出せるかどうかわからない程に。

 

「アインズ様、シャルティア様方が盗人どもの根城にたどり着いたようです。映像を投影なさいますか?」

 

 その言葉に、思考の海に吞まれかけていたアインズは我に返る。

 

(悪い癖だな、ここまで来てあれこれ考えてどうするのだ。集中しろ)

 

「そうだな、複数の映像の投影も可能だな?映せ」

 

 複数の<クリスタル・モニター/水晶の画面>が展開し、パンドラズ・アクターが召喚した周辺の魔物や動物の視界が映像として浮かび上がった。

 

「これは木の上、こちらは上空にいるものからか、残りはすでに洞穴の中に入っているのか……む?」

 

 どこかで見た事のあるような男が、ランタンの光に照らされながら刀を磨いている。アインズが注目したことを察したのか、男に向かっていくように映像が動いていき、その姿がより鮮明となった。髪はぼさぼさで無精ひげが生え、まさに賊という雰囲気であり記憶とは悪い意味で見違えるような姿だったが、確かにその顔に見覚えがあった。

 

(そうだ、ガゼフと一緒にいた男だ、なぜこんな場所にいる?)

 

「この者が何か?……確かにこの世界で見た者の中では三指に入る強者ではありますが」

 

(三指?ああ、そういえばドッペルゲンガーの指は三本だったな……こいつが見た中で三指という事は、ガゼフ・ストロノーフとニグンの次くらいには強いという事か?)

 

 アインズは考えてみたが、強者とはいえエ・ランテル近郊の盗賊風情と、あの高潔な王国戦士長ガゼフ・ストロノーフがどうやっても結びつかない。これから知り合うのだろうか?だが、この男はどうやってシャルティアの手から逃れたのか。未知の敵と関係がある可能性、ガゼフの情報収集に役立つ可能性の双方を加味しアインズは指示を出す。

 

「この男少々気になる、一匹つけておけ」

 

「畏まりました……アインズ様、ただいま広域探知網に反応がありましたので映像を出します」

 

 その言葉に、アインズはわずかに己の身が固くなるのを感じた。緊張の中、映像が切り替わった<水晶の画面>に森の中を注意深く歩く複数の男女が映し出される。

 

(随分とみすぼらしい装備、これはエ・ランテルの冒険者だな)

 

「シャルティア様が入られた洞窟方向に向かっております。始末いたしますか?」

 

 安堵から肩の力が抜けていたアインズは、パンドラズ・アクターの言葉に少々慌てる。この冒険者たちは間違いなくエ・ランテルに情報を持ち帰った者を含んでいる、シャルティアに会う前にも後にも始末させるわけにはいかない。

 

「いや、見たところ大した実力の者達ではないな。ならばシャルティアの適性を計るのに良い材料となろう、こちらも監視を続行せよ」

 

 

 

 

 

 ブレイン・アングラウスは必死に逃げていた、背後からいつあの化物の姿が現れるかわからない。何故かつての英雄が倒せたならば、自分も可能なのだとなぜ思ってしまったのか。

 

(俺は大馬鹿だ、あれは御伽話だ。人間が自分たちの弱さを慰めるために作った、でたらめの話なんだ。それを俺は真に受けて信じて……)

 

 ブレインは魔法効果のあるポーションを飲み、己が持つマジックアイテムを起動して能力を増強させ、万全の態勢で挑んだにもかかわらず、マーカラと名乗ったあの覆面を被った子供吸血鬼に完膚なきまでに己をへし折られた。

 必殺の技“虎落笛”は二本の指で白刃取りをされ、刀を弄ばれた。逃げるために放った足元への<神閃>はやすやすと避けられて懐に入りこまれ、顔に煙を吹きかけられた。屈辱と絶望の中で振るった連撃は、全て二指に挟まれた煙管――しかも吸口に口につけながら――によって弾かれた。そしてブレインは悟ったのだ。人間とは生物としての格が違いすぎることを、人の身でかの国堕としを倒せたはずはないのだと。

 

 もうなにもかもどうでもいい、ただあの恐怖から、化物から逃げるのだ。知りたくもない事実を大人に突き付けられた子供のように嗚咽を上げながら、ブレインは抜け道を外へと走る。今の彼にはすぐ後ろで一時とはいえ仲間だったもの達を贄に血の饗宴が巻き起こってることを、何かが密かに己の後をついてきていることを、気にすることも気がつく余裕もなかった。やがて抜け道から外に出たその姿は、夜の森の中へと消えていった。

 

 

 

 

「ご、ごべんなざいぃ!げぼぉ!」

 

「ちくしょう!ちくしょう!死ねよ化けもん!」

 

「ひいっ!どけよ!そこを、ぎゃあっ!」

 

「あはぁはっはぁぁあ!おおぉおいぃぃいぃしいいいぃい!きぃいもぉおちぃいぃぃ!」

 

 シャルティアは両手と口にそれぞれに男達をつかんだまま飛び跳ね、血液をすすりながら両手のまだ生きている者達を玩具のようにただ振り回す。それだけで両手を含めて五人の半壊した死体が出来上がった。着地した地点は、逃げようとした男の肩の上だ。くわえていた干物を横に放り投げると「ばびぃ!」と声を上げて攻撃してきていた男と干物が混ざり合った。

 脚の下でもがいている逃げようとした男に向かって針のような歯がぞろり、と並んだ口を大きく開き頭にぶすぶすぶすぶすと音を立てて突き刺していく。口から悲鳴なのか泣き声なのかわからぬ声を漏らしながら、男はガクガクと痙攣する。

 

 そんな光景が展開する<水晶の画面>を見つめるアインズは、正直言って少し引いていた。

 

(うっわー……そういえば真祖ってあんな姿だったっけ。神祖がああだったんだから、不思議じゃないけども。しかしまさか……)

 

 前回<ブラッド・プール/鮮血の貯蔵庫>のスキルを有するシャルティアが、冒険者と会う前に血の狂乱を発動させていたのは、せまい洞窟の中での戦闘で不慮の事態で返り血を浴びた結果なのではないかとアインズもデミウルゴスも予想していた。よもや血の狂乱を自分で発動させたとは、流石のデミウルゴスにも予見できなかったということか。

 

(……血の狂乱を自分から発動させたのは論外として)

 

 二枚の<水晶の画面>が、ホラー系スプラッタームービーそのままに暴れまわるシャルティアと、殺される賊の姿を映し出していた。ブラッドバスってのはこういう状態をいうんだったかな、等とホラームービーマニアの言葉を思い出しつつ、アインズはその映像を観察する。あの姿になると装備が外れてしまうのか、呪いで金髪になった髪以外の変装は全て剥がれ落ちてしまっていた。横の映像に目をやると、ブレインと名乗った男はその間に根城の外に逃げ出してしまっている。あ、転んだ。

 

(一味を眷属にして情報を得ること、吸血鬼の花嫁を一体外に配備したまでは良かったが……それで出入り口を一か所と断定した事はともかく、吸血鬼の花嫁の感知能力が低い事を突入直前に目にしてわかっていたのに、シモベや眷属を追加で召喚しなかったのは明らかにシャルティアの落ち度だな、マイナス一点だ)

 

 言い訳任務の筈だったのに、いざこうやって行動を見守っていると真面目に査定をしてしまうのは、ギルドマスターモモンガの、あるいはサラリーマン鈴木悟時代のさがなのか。

 

「アインズ様」

 

 先程と変わらぬ声色でパンドラズ・アクターより声があがる。だが、アインズにはその声に緊張と高揚が含まれているのがわかった。自然と己の心身が引き締まる。

 

「広域警戒網に再び反応がありました。私がこの世界で眼にしたもの達の中で、間違いなく一番の強者がおります。人数は十二、映像を出します」

 




ご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

あれ……ブレインさん……あれ?

漆黒聖典の明日はどっちだ。


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Departure

※この話は10巻までの知識で書かれています。また軽度の残虐表現があります。ご了承下さい。


 複数の<水晶の画面>に十二人の男女からなる一団が映し出される。その映像を見たアインズは、己の予想を超えた光景に驚愕した。

 

(ほぼ全員がユグドラシルの装備を纏っているだと……これは不味い、想定を超えている)

 

 映像に移る男女が纏う装備に、アインズは見覚えがあった。その中にこの世界で間違いなく見た事の無い、ユグドラシルで販売されていたと確信できる外装を見つけ、己の記憶違いや被害妄想でない事を確認する。

 

(テンプル部分があるフレームの眼鏡、そして女子学生の制服がこの世界のものである可能性は……殆どないな。それに、あれには確かに見覚えがある)

 

 教師であるやまいこが、リアルを思い出させるんじゃない!と珍しく運営を個人的に罵ってた件を思い出す。ユグドラシルでマジックアイテムを作る際の基本的な作成手段はドロップやイベント報酬、課金で手に入れた外装にデータクリスタルを投入するというやり方だ。

 課金によって外装をいじることも可能ではあるし、一からデザインすることも出来ないわけではないが、大抵は気に入った外装をそのまま使う。つまり人気のある、優秀な外装は何度も目にすることになる。あれらの外装は間違いなくその類だ。それを見たアインズの心に焦りが生まれる。

 

 優秀な外装は入手難易度や価格とあいまって、そのプレイヤーのレベルや所属するギルドの規模を大まかに把握する手段となる。中後期ではレベルを表す意味は殆どなくなっていったが、それはプレイヤーの大半が100LVに達したからだ。更に言えば、彼らは先程見たエ・ランテルの冒険者と違い、森の中とは思えない速度で移動している。これはアインズと同質のマジックアイテムを所持していることを意味し、自身の推測を補強する。

 

(あの中にNPCや傭兵モンスター、現地人が居たとして……いや、楽観的な考えは捨てろ。十二人全てがプレイヤーだと想定した場合、あの奇襲プランでも二割……いや一割勝てるかどうかだ。糞、戦力分析を見誤ったか)

 

 シャルティアがワールドアイテムによる精神支配を受けながらも命令されていなかったことで、アインズは遭遇した未知の敵の戦力をそれでも過大に計算しプレイヤー三~四人程と考えていた。誰か一人が致命傷を負えばこの世界での蘇生がどうなるかわかっていない状態では、間違いなく撤退するだろうことも計算に入れてだ。だが眼の前の映像に移る人数は十二人。アインズが想定していた最悪の状態を容易く超える。

 

(……撤退か?)

 

 アインズ、パンドラズ・アクター、場合によってはシャルティア。敵戦力によってこの布陣で挑むつもりだったが、四倍の同格プレイヤーに奇襲をかけても勝てる見込みは非常に低い。少数で多人数を奇襲で屠る戦術をアインズは持っているが、それはかつての友達の中でも飛びぬけた力を有する幾人かがいた場合だ。

 たとえば、アインズの他にワールドチャンピオンであるたっち・みーがいれば勝率を99%、ワールド・ディザスターであるウルベルトがいれば勝率を7割ほどまで上げることができる。

 

 だが、パンドラズ・アクターはワールドを冠するクラスの能力を再現することはできない。

 

 ならば憤怒の感情を抑え、屈辱ではあるがここは撤退するしかない。ギリッ、とアインズの口元から音が響いた。大きく響いた音で、アインズは自身がすさまじい力で歯を食いしばっていることに初めて気がつく。その音に反応したのか、アインズと共に映像を凝視していたパンドラズ・アクターがこちらを向いた。

 

「アインズ様、この者達がそれ程までに目障りなのであれば、私が始末してまいりましょうか?」

 

(なんだと!?)

 

 アインズは発光すると共に、信じられぬ言葉を発したパンドラズ・アクターを思わず凝視する。

 

(まさか、こいつ相手に純粋な驚きで発光する日が来るとは思わなかったが……今はありがたい)

 

「……パンドラズ・アクター、この者達を単独で殲滅することは可能か」

 

「はい、こちらの……」

 

 冷静さを取り戻したアインズの言葉に、パンドラズ・アクターが映像内の長髪の男性を指さす。

 

「この者は、あり得ぬ程突出した存在なので興味は引かれますが、それでも所詮は80程度です。私でなくとも守護者様方の敵ではないでしょう。プレアデスのお嬢様方では荷が重いでしょうが」

 

(なん……だと……)

 

 80というのはLVの事だよな?とアインズが続けて驚愕しているのに気付いているのかいないのか、パンドラズアクターの説明は続く。

 

「他の者達に至っては、確かに三指を入れ替えるには値しましたが平均でおおよそ35程度です。プレアデスのお嬢様方のどなたか一人で全滅させることも可能でしょう。身に着けている装備の嘆きの声が聞こえるようです」

 

「装備?」

 

「はぁい!――失礼しました。ざっと見たところですが、装備に明らかに伝説級レベルの物が散見されます。外装統一効果が働いているようなので、映像越しではこれ以上の事はわかりかねますが……ああ、もったいない!至高の御方々の御言葉をお借りするならば、正に猫に小判というものです」

 

 パンドラズ・アクターの、マジックアイテムがその価値に見合わない者達に装備されていることへの嘆きを聞きながら、アインズは映像を凝視し考えていた。

 アインズは敵の強さやマジックアイテムの等級を見ただけで察知するスキルやクラスを所持していないためにわからなかったが、パンドラズ・アクターには指揮官系のクラスと、生産職のクラスを上限まで取得させている。しかも、重度のマジックアイテム・フェチ設定だ。そのパンドラズ・アクターの見立てが間違っていることはほぼあり得ない。

 

(だとすれば……仮に全員がプレイヤーとしたら、デス・ペナルティによるLVダウンだとしても弱すぎる。この長髪の男のみがプレイヤーで、残りは……まあ上限でNPCだと考えるべきか)

 

 アインズの心身に漲っていた力が、明らかに抜ける。抜いてはいけないことはわかっていても、100LVのプレイヤー十二人と思った敵が、最大レベル80程度が一人で、残りの十一人が平均で35となれば気が抜けてしまう。それとともに、アインズの心に沸き上がる想いがあった。

 

(なんだ……なんだそれは。その程度の相手に、俺はあれ程悩まされ、警戒させられ、苦悩の日々を送らされたのか……ふざけるなよ)

 

 力が抜けた後に前回からの記憶がざらり、と蘇り己の内に怒りがこみあげてくる。まだシャルティアと接触していないからこいつらが犯人だと決まった訳ではないが、この状況からすればほぼクロだ。眼窩の赤い光を輝かせつつ、静かに激昂しているアインズに、再びパンドラズ・アクターから声がかかった。

 

「アインズ様、この者達の正体を概ね把握いたしました」

 

「何?こいつらは何者だ」

 

「はい、私が先だって入手した情報で、この老婆と幾人かに合致する情報がございます。おそらくはこの老婆の名はカイレ。スレイン法国最高執行機関に準ずる地位を持つ者で、長老の一人と言ってもいい存在です。残りの幾人かはスレイン法国特殊部隊六色聖典が一、漆黒聖典の構成員と目される者と特徴が合致します」

 

「……また、スレイン法国か……」

 

 転移当初から聞くたびに散々不快な想いをしてきた国名をまたここで聞く事となり、アインズは最悪な気分になった。しかも漆黒聖典といえば、報告書で見た時に眉をひそめた特殊部隊の名だ。モモンの、自身の通り名となっていた文字が使われていた事が少々腹立たしく思えたのだ。だが、続くパンドラズ・アクターの言葉にアインズは最悪の気分にさらに下があることを思い知る。

 

「進行方向は、まっすぐに北を目指しているようです。シャルティア様、及び我々と接触する可能性があるルートではありません」

 

 それを聞いてアインズはかなり動揺し、また動揺した事実にわずかに驚いた。ここはエ・ランテルから見て既に北方だ、ここから更に北に向かった場合そこにあるのは。

 

「アインズ様から頂いた情報を元に考えた場合、カルネ村と呼ばれる場所を目指しているものと思われます。陽光聖典と呼ばれる者達の捜索か、あるいはその原因を探る目的と思われます」

 

「……だろうな」

 

 前回、及びつい数日前にカルネ村で見た光景を思い出す。見知らぬ人間が死ぬことに対しては、アインズは何も思わないし、感じることはない。だが、カルネ村はナザリックの庇護下に置いた地であり、そこにいる者達はナザリックの最初の民と言っていい存在だ。偽装した法国の兵士と陽光聖典が何をしたか、何をしようとしていたかを思い出す。

 

「もしこいつらがカルネ村に向かっているのならば……彼らは既に我が民のようなものだ、見過ごすことはできないな」

 

(まあ、元々見過ごすつもりなどないがな)

 

 ここからシャルティアとどう接触するかはわからないが、たとえずれが生じてそうならなかったとしても、あの場所で襲撃することを内心決定する。

 

「監視を続行せよ。状況によってはこの者達への対処を優先する。指示した装備は持ってきているな?狐狩りでいく、準備をしておけ」

 

「了解致しました」

 

 最悪の想定であれば全員殺すプランしかなかったが、戦力分析の結果を考慮して初手で無力化出来たものは捕縛すべきだな、と考えつつ指示を出す。と同時に、怒りの感情が抑制され冷静になったアインズは、先程までの己の内心の醜態を思い出し急激にいたたまれない気持ちになった。

 

(いかんな、未知に対して怯えすぎている……シャルティアに対して偉そうにマイナス一点!などと、今考えると恥ずかしいな……パンドラズ・アクターが先に発言してなかったら、洒落にならなかった。他人の間違いを指摘するだけなら簡単だものなあ……昔の上司と同じことをしていたとは……反省だ。すまん、シャルティア)

 

 心の中でシャルティアに詫びの言葉を入れ、気持ちを切り替える。そういえば特に報告が上がってこないので状況が動いていないのだろうが、シャルティアはまだ暴れまわっているのだろうか。

 

「……シャルティアの方はどうなっている?」

 

「エ・ランテルの冒険者と思われる者達を迎撃するために、洞穴の入口へと向かわれて居ります。間も無く接敵かと」

 

 

 

「推定!ヴァンパイア!銀武器か魔法武器のみ有効!勝てない!撤退戦!目を見るな!」

 

 魔法詠唱者と目される男が大声を上げると同時に、かなり離れた場所で身を伏せていた野伏が素早く動き出し、元来た道を駆けていく。集団で移動している時とは比べ物にならない速さだ。その様を見てアインズは心から感心する。

 

(ふむ……やはりこういった経験から来る備えは侮れないな。強者であることに驕り、こういった備えとその対策を怠っていては必ず足元をすくわれる時が来る)

 

「例の漆黒聖典はどうしている?声に反応した様子は?」

 

「いえ、我々を挟んでシャルティア様とほぼ逆方向に位置するためか、地形の関係かは不明ですが声は届いていないようです。進行速度方位ともに変化有りません」

 

(……これが原因ではないという事か?……あ、先程の野伏か?)

 

「野伏が逃げた方角は?」

 

「南へと方向を変えました。街道との中点に待機したもう一組に合流するのではなく、都市に直接戻るつもりのようです。もう一組も移動を開始しております」

 

 ほう、とアインズの口からさらなる感嘆の声が漏れる。異変を一刻も早く都市に伝えることを優先したのだろう。だが、これで野伏も原因ではないことになる。シャルティアと漆黒聖典がなぜ、どうして接触したかがわからない。もしかしたら、あり得ないことだが他に原因があるのかもしれない。駄目だ、さっぱりわからん。

 漆黒聖典との接触説が揺らぎ始めたアインズは、ひとまず映像に目をやることにする。映像では冒険者が陣形を組み直し、撤退ではなく迎撃の構えをとって後衛が前衛に支援魔法をかけ始めた。

 

(先程からの臨機応変な対処はデス・ナイトなどのアンデッドにはできないことだ。冒険者には未知の探求に専念してもらいたかったが、今まで通りの生活を望んでいた者もいた……少し心に留め置いたほうがいいかもしれん)

 

 多少気が緩んでいるアインズが、本人にとってはつい数日前だが現状では遥か未来の事に想いを馳せている間も、映像の中ではシャルティアが暴れまわっていた。 下位吸血鬼を創り出して戦士と戦わせている間に神官、魔法詠唱者を縊り殺している。

 もう一人の女戦士にはなぜか無防備に自分自身を攻撃させているのに気がつき、アインズはその光景に目を顰めた。ダメージがない事はわかっていても、見ていてあまり愉快な……いや、はっきり言えば不快な光景だ。その己の考えに何か引っかかりを感じ、アインズが何だったかな、と記憶を探り始めた時にそれは起こった。

 

 女が袋より何かを取り出し、シャルティアに向かって投げた。くるくると回転しつつシャルティアに向かっていく、つい昨日も目にした瓶をシャルティアが払いのけ、中身の液体――マイナー・ヒーリングポーション――がその肌にかかるのを、アインズは信じられないものを見るような眼で見ていた。

 

(馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な!信じられん、なぜあの女がここにいる!つい昨日見た女の顔を忘れているなど、間抜けにもほどがある。ああ、そんなことはどうでもいい。たった今、あの女は何をした、あのポーションで何を!)

 

 すぐさま精神の平衡が働きアインズの体が発光したが、次々と押し寄せる感情の波に追いつかないのか、連続して発光が続く。憤怒を抑えきれず、パンドラズ・アクターに背を向けたアインズは一歩踏み出した。轟音とともに地面が数㎝陥没し、それとほぼ同時に結界内に感情の動きを感じさせない、妙に平坦な声が響く。

 

「アインズ様、現状の任務は中止になさいますか?」

 

「あぁ?」

 

 その不自然な口調が癇に障り、振り返ったアインズは不機嫌な声とともに赤く輝く眼で発言者を睨みつけ――発光する。だが、睨みつけられた者は涼しい顔だ。少なくとも表面上は。

 

「そうであれば、ここを引き払い別の御姿へと変じますが」

 

 映像を操作しつつ、パンドラズ・アクターが変わらぬ口調で話を続けてくる。映像ではシャルティアが女戦士を捕まえて尋問しているようだ。まだ、シャルティアに何があったのか、あるいは漆黒聖典と接触したかは、わかっていない。いまだ怒りと苛立ちが燻ってはいるが、ほぼ冷静さを取り戻した頭で考えれば動くべきではない。

 

「……いや、まだだ。引き続き監視を行え」

 

「畏まりました」

 

 アインズは苛立ちを抑えつつ、呪詛にしか聞こえない言葉を吐いた。

 

「あの女は後で殺す……いや、それではすまさん。必ず回収せよ、どうするかは時間をかけて考え決定する」

 

「御身の御心のままに」 

 

 

 

 

「眷属よ!」

 

 シャルティアの足元の影がうごめき、そこからまさしく影のような黒い狼が、複数姿を見せる。シャルティアのスキル“眷属招来”で使役可能な七レベルモンスター、吸血鬼の狼(ヴァンパイア・ウルフ)だ。

 

「追え!この森にいる人間を食い殺せ!」

 

 狼達は命令に従い、森の中へと消えてゆく。それを見てアインズはほぼ全てを理解し、それとともに脳裏に蘇った記憶が再生される。

 

 ――シャルティアとの出会いが、たまたまの遭遇だったとしたらどうでしょう?もしくは別目的の通りすがりだったなど、まるで関係ない第三者的な立場です――たまたまの出会いはありえないだろう、デミウルゴス、どんな運だ――

 

「流石だな、デミウルゴス……」

 

 小声で呟きアインズは心の中で信じられん、と声を上げてしまう。映像から読み取った位置関係でいえば、シャルティアの最も近くにいる人間はあの漆黒聖典どもだ。逃亡したブレイン・アングラウスと野伏、もう一組の冒険者は既に森より脱している。ほどなく吸血鬼の狼が命令に従い漆黒聖典を捕捉し、接敵するだろう。

 

(なんて確率だ……だがしかし、そうか。そうなると前回シャルティアは結果的にカルネ村を、その先にあるナザリックを守ったことになるのだな……)

 

 その結果、前回は不幸にもシャルティアはその身を自身の手で散らせることになった。だが今回はこの場所、この時に自分がいる。ならば、自分が全てを守ることができる。いよいよだ。すでに周辺の地理も把握している。あの程度の戦力に負ける要素は無い。

 

「パンドラズ・アクター」

 

「はっ」

 

「状況が変わった。接敵してもシャルティアが敗北することなどないだろうが、万が一を考え対処を行う。虎だった場合、私が狩ることとする。煙幕を頼むぞ……どうした?」

 

 パンドラズ・アクターの返答がない事を訝しみ、アインズが声をかける。

 

「……アインズ様、先程も申し上げましたが、ご不快であれば私があの者達を始末して参ります。至高の御身が手を下す程の者どもとは思えません」

 

「いや、私自身で対処を行う。確認したいことがあるのでな……だが、お前の懸念は理解している。心配であれば近くに控えていればよい」

 

 

 

 

 

「撃破確認。吸血鬼の狼、難度21。結界を展開。続けて周辺を感知開始」

 

 “隊長”はたった今自身が撃破した魔物の名称と難度を“占星千里”が詠み上げ、周辺に警戒魔法を張り巡らしていくのを確認する。この状況であれば不可視化した魔物でも感知可能だ。

 

「四方陣を組む、周辺警戒。“巨盾万壁”、カイレ様の守護を頼む」

 

 “巨盾万壁”が深く頷き、その両手に字名の由来である大盾を構えて老婆の前に立つ。少し下がった左右に“占星千里”と“神聖呪歌”さらに四人を囲む形で、自身を含む前衛職四人が角となるように陣が組まれる。上空から見た場合、四角形の中に四人がいる形となる陣形だ。陣形が組みあがったところで“時間乱流”から呆れたような声が上がる。

 

「命令だから動いたけどさぁ、そんな必要があるのかい?“隊長”」

 

「念のためさ。この森に入ってから幾度か嫌な気配を感じていた。何も異常が発見できないので勘違いかと思っていたが、これだよ。警戒しておくに越したことはないだろう」

 

 残りの幾人から賛同の声が上がり“時間乱流”が肩をすくめる。

 

「吸血鬼の狼という事は、周辺に高位吸血鬼が潜んでおりますなあ。これは破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)ではなく、吸血の竜王(ヴァンピリック・ドラゴンロード)が復活したという可能性も考えた方がいいのではないですかなあ?」

 

「やめて下さい、予言が示したのはあくまで破滅の竜王です。彼女の能力を疑うのですか?」

 

 “人間最強”が周辺の雰囲気にそぐわない軽口を叩いたのを、“一人師団”が諫める。部隊内に不和を招きかねない発言は慎んでほしい、という事だろう。彼の性格は全員が把握しているので問題にはならないだろうが。

 

「可能性、あくまで可能性の話ではないですかあ。そんな事を言っていてはですなあ……」

 

「神の教え、言霊をお忘れではないですか。不用意な発言は災いを……」

 

「そこまでじゃ、今の状況を考えよ」

 

「はっ」「はっ」

 

 流石カイレ様。一言で二人を黙らせ、場を納めた。“隊長”自身は皆が己を侮っている訳ではないことをよく知っているが、年齢が年齢のためか部隊内の空気が緩むことが多かった。そうなると性格的に合わないあの二人のように、衝突するものを出てくる。自分は神人として卓越した戦闘能力は保有しているが、指揮官としては未熟に過ぎる。それに戦闘能力であれば、己を遥かに超える存在が法国には居るのだ。

 

(もっと精進しなければ……ん?)

 

 先程から時折感じた嫌な気配――に似て異なるこれは。

 

「皆、」

 

 “隊長”が発することができた言葉は、そこまでだった。

 

 

 

 

 もしも、彼らの中に不可視化ではなく不可知化を見破る術を持つ者がいて、尚且つ夜闇を数km見通せる視界を持っていれば見ることができたかもしれない。

 

 金色に輝く化鳥の仮面、立ち昇る光の粒子。四枚の翼を力強く羽ばたかせ、天空を舞う死の鳥。

 

 “爆撃の翼王”と呼ばれたアインズ・ウール・ゴウン最強の射手が、銀の弓を引き絞るその姿を。

 

 

 

 

 “隊長”は神人が知覚できない速度で、四肢に煌めく何かが突き立った光景を信じられない面持ちで見つめていた。すぐさま激しい痛みが襲い、苦悶の声を上げたつもりだったが――声が出ない。さらに視界が黒く染まり、全ての音が喪われたが、それは一瞬の事で、再び世界に声と、光と、音が戻ってきた。その異様な感覚で、ある事実を理解する。

 

(状態、異常か?何者かの攻撃を受けている?いや、受けたのか?くそっ、これも……か)

 

 自分は隊員の中で最も神の加護を宿した武具や装備を身に着けており、彼の知る限りでは盲目・聴覚喪失・沈黙・麻痺・精神操作に対しての加護を得ている。意識の混乱と先程の感覚は、己を蝕んだ“状態異常”を加護が打ち払った時に起きる特有の現象に間違いない。だとすれば、不味い。他の隊員は自分よりも神の加護が少ない。

 

 左右に視界を動かす。隊員の殆どが地に伏しており、ある者はうつぶせでびくびくと痙攣し、ある者は目と鼻、口から体液を流したまま両膝をついている。“巨盾万壁”が真っ青な顔で両腕の盾を掲げ、カイレ様を守っている。カイレ様は無事だ。だが、立っているのは自分を含めわずか三人。

 

「セドラン、カイレ様だけはお守りせねばならない、撤退する!」

 

「それは困るな」

 

 セドランが震えつつ小さく頷いたその時、響いた声によってさらなる驚愕と絶望が彼らのもとに舞い降りた。結界の中にあって、なお知覚できなかった存在がすぐ側に居たのだ。

 

 

「吞みこめ、山河社稷図」

 

 

 パンドラズ・アクターが放った無慈悲の矢雨――かつてペロロンチーノが創り出した様々な状態異常を与える月女神の弓による範囲攻撃――にタイミングを合わせ、あらかじめチェックした地点に<グレーター・テレポーテーション/上位転移>で転移したアインズは、宝物殿より持ち出した世界級(ワールドアイテム)・山河社稷図を広げ、起動する。

 周辺の景色がぐにゃっと歪んだかと思うと、わずかな間先程までの夜の森と、ここではないどこかの昼の森の二重写しとなり……やがて昼の風景は陽炎のように揺らめき、消えた。漆黒聖典のほぼすべての人員と共に。

 元の風景に戻った時にその場所に残っていたものは三人。アインズ・ウール・ゴウンと“隊長”、そしてカイレと呼ばれる老婆のみだった。

 

「二人だと?全く、驚かせてくれる」

 

「サン・ガ・ササクズ!?これは何だ、一体何が――カイレ様!」

 

“ ”隊長”が叫ぶ。その言葉を受けてか己の判断かはわからないが、カイレが両腕を前に突き出す。それに呼応するかのようにチャイナドレス――世界級・傾城傾国――から光の竜が浮かび上がり、アインズに向けて咢を開いた。だが、次の瞬間、老婆と男の顔に驚愕の表情が、アインズの心に愉悦の感情が広がった。

 

「あ……あ……馬鹿、な」

 

「神々の至宝が通じない!?まさか!」

 

(世界級に対しての反撃に、世界級を使用した。つまりこいつらはプレイヤーではない!)

 

 世界級の脅威を世界級の守護によって打ち破った時、自身がどの世界級によって護られたかと、相手の世界級の情報を大まかにだが手に入れることができる。名称・効果の簡潔な説明などだ。

 例えば山河社稷図を諸王の玉座の守護で打ち破ったのであればコンソールに「諸王の玉座の守護により『山河社稷図(さんがしゃしょくず)効果:範囲内の相手を丸ごと隔離空間に閉じ込める』を打ち破りました」と表示される程度の情報だ。

 

(世界級所持者に世界級が通じないのは、ネットで流布されているプレイヤーの常識だ、そして)

 

 己の身に流れ込んできた情報によって、アインズは確信した。眼窩の赤い光が燃え立つように輝き、憤怒の感情がアインズの体からどす黒いオーラとなって噴出する。

 

 

「貴様だな……会いたかったぞ、この塵があぁあ!絶対に許さんぞ!!じわじわとなぶり殺しに、いいや!未来永劫の苦痛を与えてくれる!!!」

 

 

「何を言っている!?……くっ、大罪人か!カイレ様!お逃げ下さい!」

 

 憎き老婆に向かってアインズが怒りの声を上げ、猛然と駆けだした。だが、“隊長”が滑り込むように、アインズとカイレの間に入る。

 

「邪魔だ!<タイム・ストップ/時間停止>」

 

 第十位階魔法<時間停止>の効果が解き放たれ、周辺の全てが停止した時間の中で彫像と化す。アインズは“隊長”の横をすり抜けようと一歩踏み出そうとして――その場に留まった。”隊長”の体が小刻みに震えていたためだ。

 

「完全ではないが、時間対策を講じているとはな。まあLV80であれば当然なんだが」

 

「――おおおっ!」

 

 時間のくびきから解放された“隊長”が雄叫びを上げ、アインズに裂帛の気合と共に突撃を行う、早い。LVの高さとおそらくは武技を発動させているからだろうが、パンドラズ・アクターの攻撃を受けた上で、あの女と同等の速さというのは驚嘆に値する、しかし。

 

「!?そんな!神々の至宝を用いた、我が技も通じないとは!」

 

 本来であれば恐るべき威力を誇るであろう必殺の攻撃は、アインズの服に皺すら寄せることが出来ずに、ただ突き立っている。“隊長”は全身の力を込めて、槍を押し込もうとするがびくともしない。再び槍を構え猛然と振るうその姿に、憐れむような声色でアインズは呟いた。

 

「……無駄なことを……そうだな、冥土の土産に教えてやろう。停止した時間の中ではたとえ超位魔法であっても、世界級を用いたとしても相手を害する事は出来ん。停止した時間を利用して攻撃したい時にはな、こうするのだ」

 

<ディレイマジック・エクスプロード/魔法遅延化破裂>

 

 おそらくは呟きが届いていないであろう“隊長”の攻撃を受けつつ、アインズは魔法を唱えわずかな時を待った。

 

「――そして、時は動き出す、ということだ」

 

「がはっ……」

 

 鈍い音とともに全身より血を吹き出し、“隊長”の体は前のめりにくずおれた。その横をアインズは先程と違いゆっくりと、ことさらゆっくりとカイレのもとに向かって歩いていく。カイレは覚悟を決めたように拳を握りしめ、アインズを正面から見据えた。

 

「貴様……貴方様は神、いや“ぷれいやー”なのですか。なぜ、こんなことをなさる。伝承にある大罪人の同朋なのですか」

 

「ほう?……やはり法国はプレイヤーの存在を知っているのか。大罪人等とかいう奴らは知らん。だが……なぜこんなことをするのか、だと?お前達がこの近辺……王国でやってきたことを知らぬ訳ではあるまい。私がその行為に憤っている、そうは思わないのかね?」

 

 会話しつつ歩を進めるアインズと、カイレの距離は縮まっていく。カイレの顔の皺がより深くなり、苦悩の表情を浮かべた。

 

「……存じております。ですが、それも人間という弱い種をこの恐ろしき世界で生存させるために必要な事なのです。お願い致します、一度我らの話をお聞き下され」

 

「人間に必要な事?人間の要になりうる強者であり高潔な意志を持つ男や、ただただ日々を懸命に生きている、無辜の民を理不尽に虐殺することがか?」

 

 更に距離は縮り、もはや一言を交わせば両者は手の届く距離となった。

 

「罪を負っている事は、承知の上です。それでも我らは、」

 

「……もうよい」

 

 アインズは言葉とともに、カイレの肩に静かに右手を置いた。その優しげな声色に、老婆の顔に安堵とも困惑ともつかぬ表情が浮かんだ――が、次の瞬間には苦悶の表情へと変わり、老婆の口から悲鳴が上がる。アインズが、己の膂力を以て老婆の肩を握り潰したのだ。

 

「先程はああいったがな、私は自分の庇護下にない人間など、万の単位で死のうが、断絶しようが気にはならん、興味もない」

 

 アインズの右手が老婆の腕の方へと動き、上腕の辺りを再び握り潰す。老婆の口からさらに悲鳴が上がった。

 

「だが、お前達は……いいや、お前はぁ!私の宝ともいえる我が友の娘を、よっ、よりにもよって私のこの手で殺させたんだ!わかるか、俺のその時の気持ちが!その後の俺の心の痛みが!!!」

 

 アインズの左手がカイレの喉へと伸び、老婆を高く持ち上げる。老婆の顔には、耐え難い苦痛と共に困惑が浮かんでいた。

 

「な……なんの話……」

 

「……ああ、いい。どうせわかるまい。理解する必要もない」

 

 右手が動き、今度は前腕の辺りを握り潰す。先程よりも弱弱しい悲鳴が上がった。

 

「私にとって、他の全てが前回の事と水に流せたとしても、それだけは許せんと言うだけの話だ。理不尽かもしれんが……まあ、お前達が人間のためと称してやっている事と同じ、強者が振りかざす身勝手な論理だな」

 

<ライフ・エッセンス/生命の精髄>

 

 アインズは魔法を発動させると、空間より赤い液体の入った瓶を取り出して――カイレの手首ごと握りつぶした。右手より煙が上がりわずかにダメージが入るが、アインズは構わず同じ作業を、瓶と握り潰す場所を変えて繰り返していく。その度に既に握り潰された箇所が修復され、先程より大きな悲鳴が幾度も周辺に響き渡った。

 

「か……みがみの血ぃ……やはり貴方は……」

 

「黙れ。簡単に死んでもらっては、困るんでな。ああ、ルプスレギナには褒美を与えてもいいかもしれんな。これは……いい方法だ」

 

 その後も周辺には何かを握りつぶす音と、悲鳴が響き続けた。

 

 何度も何度も。

 

 何度も何度も。

 

 




ご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

この下に11巻のネタバレ要素があります。未読の方は見ないでください。
















 この話のプロットを知る遠方の知人より11巻にて山河社稷図が使われたけど、大丈夫?という優しさに溢れたネタバレを喰らいました。orz

 迷いましたが、11巻読了後に修正可能と判断できれば修正を、無理であればこのSSでは、そういう事と捏造設定のまま開き直って続けることにします。

ここから原作と大きく変わっていく予定です。よろしければ今後もお付き合いください。



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Cleanup

※このSSは10巻までの知識と、それに基づいた妄想設定で書かれています。あらかじめご了承下さい。


 全身が痛み、泥のように重い。朱に染まった視界によって“隊長”は自身が地に伏していることを知った。今も耳を打つ悲鳴により目を覚ませたようだが、意識が戻っただけで体はほぼ動かない。自らの状況を確認するのは必須だが、その間にも響く悲鳴が気を逸らせる。

 

(一刻も早く立ち上がらなくては……秘薬を用いればこの傷でも動ける筈)

 

 全神経、全力を以て秘薬――最高位ポーション――がある腰帯に近い左腕を動かすが、僅かずつしか動かない。まるで亀の歩みの様だ。それでも悲鳴が数度響く内に震える指が、腰帯にある秘薬の蓋にかかった。必死で急ぎ、しかし慎重に指を動かし場所を調整しつつ蓋を開ける。

 

(……よし) 

 

 狙い通り掌に流れ出た秘薬が自身の身体を回復させ、左腕の動きが戻る。続けざまに己の持つ残り二本の秘薬を開け、体力を回復させる。だが、未だ全身は痛みに蝕まれており、頭も手足も鉛のように重い。おそらく、神々の加護の及ばぬ何かに心身が蝕まれていることは間違いないだろう。急ぎ現状を確認せねばならない。神々の至宝を杖代わりにして上体を起こし、顔を上げた“隊長”は悲鳴の発生元を確認し、怒声をあげそうになった己の喉を押さえつけ、瞬時に頭に昇った血を沈めることに全力を尽くす。

 

(カイレ様!なんと……なんという……)

 

 悪魔の拷問としか言いようのない、おぞましき光景を目にした“隊長”の心にある決意が灯る。大罪人は邪悪な行為に没頭しているのか、こちらが意識を取り戻したことに気づいてはいない。

 

(ならば、勝機は今しかない……だが)

 

 思考が走り、自然と与えられし神々の至宝に目が落ちる。

 

(神々の至宝ケイセケコゥクが通じなかった、このルーンギンルゥスも奴を傷つけることはかなわなかった)

 

 この事実が示すことは、間違いなくあの存在は秘伝に記された“ぷれいやー”しかも、世界に害悪をもたらす大罪人であることはもはや疑うべくもない。神々に等しい存在を、この体で倒す術はただ一つ。己の命を神に捧げることで、如何なる存在であっても必滅させるという至宝の真の力を開放するのだ。

 最高執行機関に所属せし者と神人にのみ伝えられる秘伝によれば、真の力を解放した者は蘇生魔法でも復活することは叶わず、至宝は永遠に輝きを失い二度と神の力を発揮する事はないとされる。だが、このままでは神々の至宝が二つ人類から失われ、あの大罪人の手に渡ってしまうのだ。たとえ己の命と至宝の一つを失うことになろうとも、最悪の事態は避けねばならない。

 

「ぐっ」

 

 最高位の蘇生魔法であっても復活は叶わない、という意味が頭に浸透し長らく感じていなかった感情が蘇る。神人として生を受け、ただ一人以外は脅威とも感じたことはなく、常人であれば即死するような魔法も強大な魔物も、神の加護を得た自分自身を傷つけることはできなかった。漆黒聖典の“隊長”となった後もそれは変わらず、彼はまさに無敵であった。それゆえに、あの日以来彼が一度も抱くことの無かった感情――恐怖。

 

(情けない話だ……神の子とはいっても、私も所詮弱き人だったのだな。だが)

 

 そう考える間にも、自身の体から力が抜けていく。体表を液体が流れる感覚が煩わしい。秘薬を用いたにも拘らず怪我が塞がらず、出血が未だに止まらないのだ。彼に知る術はなかったが、月女神の弓が与え続けている効果は鈍足、出血、毒、疲労、衰弱、消耗、ステータス下降の呪いといずれも致命的ではない。しかし、重複した効果は彼のあらゆる能力、感覚を著しく低下させ、毒と出血は確実に死に向かわせていた。“隊長”は自身に残された時間が少ない事を悟り、あらためて決意する。

 

(神々が去りし後、漆黒聖典は人類を守る最後の守護者、敗北は許されない)

 

 かつて折られた神人としての誇りが、心の奥底より蘇る。かつては傲慢と共に在ったそれは今、人類の守護者たる覚悟と共に在った。

 

(そして、私が……俺こそが漆黒聖典。偉大なる神々よ、我が祖よ。俺に力を!)

 

 神に祈りを捧げ、全身から血を流しつつ人類の守護者たる漆黒聖典第一席次“隊長”は、必滅の槍を投じるべく立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

「あれは!?」

 

 真なる闇すら見通す眼を持ったシャルティアは進行方向、おそらくヴァンパイア・ウルフが消滅した地点に向けて一条の光が走ったのを見た。極一瞬の事だ、大半の者が知覚することはできず、驚異的な能力で知覚した者ですら流れ星、または見間違いと切って捨てるかもしれぬ程の刹那の光。だが、他の誰が間違えても、シャルティア・ブラッドフォールンだけは間違えない。

 

「ペロロンチーノ様の武具の煌めき……」

 

 感覚を集中するが、周辺に至高の御方々やナザリックの気配はない。シャルティアは先程己が見た光景を正確に思い出し、発射箇所の予測地点を即座に割り出した。その高度に該当する山などは周囲にはない、発射箇所は間違いなく天空。可能性が高まったことで、シャルティアの動いてない筈の心臓がはねる。

 

 もし、至高の創造主であらせられるペロロンチーノ様を発見したのであれば、何を置いても駆けつけなければいけない。だが自分は至高の御方であるアインズ様より受け賜った任務の遂行中、しかも多くの失策を重ね、その挽回のために翔けている立場だ。

 

「う……ああ、私はどうすれば……」

 

 立ち止まり、進行方向と己の眼に焼き付いた光の射線元を交互に何度も見る。どちらに向かうにせよ、卓越した感知能力がない自分は一刻も早く、目的の場所にたどり着かねばならない。

 

「そ、そうだ。上空から様子を窺えば……射線が通っているならばあの場所にも視界が通る……それに、アインズ様も至高の御方々の手掛かりは何より重要と判断される筈……」

 

 誰に聞かせるでもない言い訳を口にし、シャルティアは上空へと翔け上がった。彼女の持つ戦闘スキル、知覚強化が発動され、吸血鬼の持つ鋭敏な視覚や聴覚が更に強化される。だが、空中から地上まで周辺を走査しても、痕跡らしきものは何も発見できない。シャルティアは焦りと共に口をわずかに開き、己に与えられた力の一つ<エコーロケーション/反響定位>を使い発射箇所と予測した範囲をくまなく埋めるように飛翔する。

 

『ペロロンチーノ様、ペロロンチーノさまぁ!』

 

 反響定位は己の口から超音波を発し反射によって周辺の状況を把握する、状況によっては不可知化すら看破しうるスキルだが、出力を限界まで上げても数十メートルまでの範囲までしか知覚できない。だが、戦闘に特化したシャルティアには、これ以上の感知系能力はないのだ。大半の生物には知覚不可能な音域で創造主の名を呼びながら夜空を駆け巡る。だがやはり、不自然な個所は発見できない。

 

「ペロロンチーノ様……うう、ぐすっ」

 

 飛び回るうちに、やはり先程の光は自分の願望が見せた幻視なのかもしれないという思いが湧き起こり、シャルティアは空中で制止した。愛しき名を呼び続けるうちに目に貯まった涙をぬぐっていると、頬を風が撫でる。

 

(血の匂い?)

 

 吸血鬼としての血に対する鋭敏な嗅覚が、風によって運ばれてきた人間の血の匂いを捉える。流れてきた方向は、吸血鬼の狼が消滅した地点からだ。常ならば興奮や高揚を与えてくれるその匂いは、シャルティアに冷静さを与え自身が任務中であることを思い出させる。

 

「……不味い、ああ、でも」

 

 頭を抱え込み、己の内より湧き出す欲求を抑え込みつつ、必死に考える。たとえ、先刻ここにペロロンチーノ様が居られたとしても、自身の呼びかけに答えが無いという事は、余程遠くに行ってしまわれたか、何かの事情で姿をお見せになれないという事。後者の理由がシャルティア自身にあるのではないか、という恐怖が体の芯を貫くが、頭を振ってその考えを身より追い出す。

 

(どちらにせよ、私の能力ではこれ以上は……)

 

 痕跡すら見つけられなかった己の不甲斐なさに、再び涙が流れる。だが、だとすれば自身のするべきことは今目の前の任務を遂行し、一刻も早くこの情報をナザリック、いやアインズ様へと持ち帰ることだ。そう判断したシャルティアは目標地点に翔けようと体の向きを変え……もう一度だけ未練がましく周辺を見回した。だが、空は星々が静かに煌めき、木々は風に揺られるのみだ。落胆と共にしばし目を閉じ、見開くとシャルティアは当初の目的地へと翔けた。

 

 

 

 

 

 

「無駄なことはおやめなさい、もったいない」

 

「!?」

 

 槍を逆手に持ち替え、片腕を引き絞って投擲の構えをとりかけていた“隊長”は、突如、至近距離より発せられた声の主に対して、反射的に槍を振う。

 眼に映った黒い影を、槍の軌道が確かに捉えたと確信するが、手に衝撃が伝わってこないまま宙を切る。だが、黒い影――正体不明の何物かはその場に佇んだままだ、回避した気配もない。その姿をはっきりと捉えた“隊長”は知識から導かれたその正体と、至近に接近されていた驚愕により、敵の不意を突こうとしていたことも忘れ声を上げてしまう。

 

「イジャニーヤだと!?」

 

 覆面、黒装束、致命傷を防ぐためとおぼしきわずかな、だが強い力を感じる装具。伝え聞く暗殺集団イジャニーヤの特徴と合致する。だが、なぜここにイジャニーヤが、と考えた瞬間、敵は信じられないような行動をとり始めた。武器も抜かず、そのまま高らかに声を上げ踊り始めたのだ。

 

「イジャニーヤ?――ノン!この御姿は~~~ニンジャ!間違えないでいただきたい!」

 

「くっ!」

 

 敵が意味不明、かつ奇怪な動作を行った隙に飛びのき、距離をとろうと試みる。自身の動きと共に地面より上がった水音を耳が捉え、思わず舌打ちがでた。自分が考えるより、かなり多く出血しているようだ。

 これだけの動作でも全身に激痛が走ったが、なんとか体勢を整え槍を構え――られない。柄をつかむ筈の左手が空を切り、何百回、何千回と行ってきた構えを失敗する。

 

「な……」

 

「御探し物はこちらですか?」

 

 視界に飛び込んできた光景に信じられず、思わず眼を剥いた。ニンジャと名乗る敵の手に、己が手にあった筈の槍が現れ出たのだ。幻術かとも思ったが、すでに己の手足の延長と化していた強き気配を持つ神々の至宝を、自身が見間違えることはないと断言できる。余りの驚愕に、眼前に敵がいることも忘れ手元に視線を移し、再び信じられぬ光景を目の当たりにする。

 

「失礼、貴方が至高の御方に対して、あまりにも愚かな事をしようとしていたので――」

 

 槍を握っていた己の右手がすでになく、手首から血が流れ出ている事実に絶叫する。思わず手首を押さえるが、流れ出る血は止まらない。敵は手に持った槍をくるくると回転させつつ、この場にそぐわない口調で言葉を続ける。

 

「――声をかけると同時に手首を切り落とし、奪わせて頂きました。気がつきませんでしたか? ああ、流石は至高の御方々の御技!本来であれば――おっと」

 

「ぐうっ!<能力向上>、<能力超向上>!」

 

 痛みよりも焦燥感によって呻きをあげつつ、武技を発動させ、残る片手で小剣を抜き放ち、奇妙な動きを続ける敵に斬りかかる。だが、敵は転移魔法の如く、瞬時に位置を変えて此方の攻撃をすり抜けた。恐るべき身のこなし、ならば。

 

「<疾風加速>、<流水加速>!」

 

「<無想転生>、音もなく――背後から忍び寄り――」

 

 続けざまに身体速度を上昇させる武技を発動させ、疾風が如き斬撃を見舞う。だが敵も何らかの武技を発動させたのか、滑るような動きで残像を残しつつ、攻撃を躱し続ける。こちらの動き、間合いを完全に把握した神業と言える体術だ。だが、そこに活路がある。

 

「――己が死んだことも気づかせず、その命を絶つ――」

 

「<輝気刃>、<神技一閃>!!」

 

 刀身より魔を切り裂く光の刃が噴き出すように伸び、同時に発動させた武技にて剣速を爆発的に上昇させ、神速の秘剣を繰り出した。光刃が空間を断ち、残像を含む全ての敵影を切り裂く。間合いと速度、威力全てを瞬間的に向上させ、魔神をも屠ると言われる秘中の武技――<断空>――残光より一瞬遅れて生じた衝撃波と共に、全てが上下に分かたれた。

 

「やったか!?」

 

 だが、切り裂かれた筈の複数の残像は言葉を途切れさせることなく、間合いの外に寄り集まって一つとなり、煩わしそうな声を上げた。

 

「――ま・さ・に!無影瞬殺の神技!……相手が話している時は、最後まで聞くものですよ?」

 

 その様子には、こちらの秘技を破ったことを誇る態度も、嘲りも感じられない。今の攻防を何とも思っていないのだ。化物め、生涯で一度しか吐いたことの無い言葉が、感情と共に自然と湧き上がってくる。片手で剣を構え“隊長”は無駄と知りつつも、押し寄せる感情のままに怒声を上げた。

 

「その手にある槍を返せ!それは神々の至宝、人類を守られた神々が残せし希望だ!」

 

 血を吐くように上がった己の叫び、それを聞いたニンジャが覆面の下で嗤った――ように思えた。そして、我が意を得たりとばかりに先程よりも大仰な動きと共に、高らかに嬉しげな声をあげる。

 

「そぉうです、これは神の至宝!わかっているではないですか!ならば人の手などにあるのは間違い!神々である……いや!神を超える至高の御方のもとにあるのが、当然ではないですか!」

 

「くっ……」

 

 “隊長”は己の予想が、最悪の形で的中していたことに歯噛みする。神人である自分を凌ぐ体術、そして大罪人……“ぷれいやー”を神と呼んだとなれば、目の前の存在は最高位の魔神以外にありえない。己に残された力を振り絞った、六の武技を発動させる秘技が通じなかった以上、傷つき、神々の至宝を失った己にもはや勝機はない。心中に絶望の色が広がり始めたその時、“隊長”の脳裏にかつて自身を敗北させた、ただ一人の人物の姿がよぎった。

 

(……なぜ、こんな時にあの人の顔が浮かぶんでしょうね)

 

 思わず苦笑する。その様子を見ただろう魔神が訝し気にこちらを見ている気がするが、顔に浮かぶ笑みを止めることはできなかった。きっとあの人は、大罪人や目の前のニンジャの事を聞けば、目を輝かせ喰いついてくるだろう。そんな事を考えながら、微かに震え始めた手で“隊長”は剣を構え直す。それに応えるように眼前の影が陽炎のように揺らめき、その姿が多重の像を結んだ。先程と違うのは、その両手に二振りの小太刀が構えられている事だ。

 

「死の間際に笑うとは、興味深い……ですが、時間もないようですし、そろそろ終わりに致しましょうか」

 

「ああ」

 

 

(法国には、人類にはまだあの人が、“絶死絶命”がいる……すみません、後の事は頼みました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは小さくため息をつき、改めて目の前の老婆を見た。今の一撃に悲鳴を上げなかったのは、とうとう老婆が気を失ったからのようだ。

 

「むしろよくここまで持った、と考えるべきなのだろうな……ちっ、<ライオンズハート/獅子の心臓>が使えればな……」

 

 何か代わりになるアイテムはなかったかな、と空間を開こうと手を伸ばしかけるが、<不死の祝福>に高速で接近するアンデッド反応があることに気がつき、途中で止める。残念ながら時間切れの様だ。

 

「……ニューロニストの真似事をするには準備が足りなかったか。まあいい、後は奴に任せるとしよう」

 

「アインズ様!?」

 

 空間の一部が波紋のように歪み、そこからシャルティアが飛びだしてくる。いつのまにか、この周囲を何らかの魔法が囲んでいたようだ。アインズはその声に、シャルティアをついに救う事が出来たという実感と、それとともに湧き出る喜びの感情に支配されかかり――眩いほどに光り輝いた。

 

(……なんで、こういう時はすぐ抑制されるんだ……だが、よくやった……よくやったぞ、俺)

 

 強制的に精神を平衡させられたが、未だ心の内には暖かい喜びの感情がふつふつと湧いている。しかし、この感情を表に出すわけにはいかない。アインズは練習通り、ことさらつとめて威厳のある声を出して、堂々とした態度で振り返った。ローブを翻し、絶望のオーラを纏う事も忘れない。

 

「……シャルティアか」

 

「な、なぜアインズ様が?今まで全く御身の気配が、それにその人間は一体……いや、それよりもアインズ様!先程ペロロンチーノ様の!」

 

 うわ、見られたのか、何やってるんだあいつは、と心中で多少慌てつつも、アインズはゆっくりと片手をあげ、混乱の極みにあるシャルティアの言葉を止める。

 

「静かにせよ。周辺にまだ何者かが潜んでいないとも限らん」

 

「し、失礼いたしました。ですが、ペロロンチーノ様の」

 

 自身の言葉をもってしても止まらず、なお言い募るシャルティアを見て、アインズは心臓を掴まれたような痛みを覚えた。ペロロンチーノの姿をパンドラズ・アクターに使わせたのは、屋外に置いて“爆撃の翼王”と呼ばれた彼の物理的な観測手段に依る超々遠距離攻撃を事前に感知し、防ぐ術が殆どないからだ。事前にわかっているPvPならともかく、ペロロンチーノに全力で奇襲をされれば、アインズは必ず敗北すると言っても過言ではない。だからこそ、敵の正体や能力が不明である今回のプランは、彼がその身をもって恐ろしさを知り、最も信頼できるペロロンチーノの能力を主軸に据えたのだが……

 

(……万が一を考え、完全不可知化まで指示したのに、まさかシャルティアに目撃されるとは……しかしどうやって?)

 

「シャルティア、お前が何を見たのか私にはわかっている。だが、それは違うのだ。パンドラズ・アクター!」

 

 頭をよぎった疑問を横に置き、アインズは顔を横に向け、呼びかける。そこには血だまりに倒れ伏した“隊長”の側に忍者装束――弐式炎雷を模したパンドラズ・アクターが、手にした槍をじっと見つめ、静かに佇んでいた。

 

「に、弐式炎雷様!?」

 

「シャルティア。気持ちは痛い程わかるが、しばし待つのだ……パンドラズ・アクター?」

 

 反応がない事を怪訝に思ったアインズが、再度声をかける。ようやく気がついたのか、ゆっくりとこちらを向くとその姿がぐにゃりと崩れ、本来のパンドラズ・アクターの姿へと変わった。

 

「どっぺる、げんがー……」

 

 その姿を見て先程の言葉の意味を悟ったのか、呟きと共にシャルティアはへなへなと力が抜けた様に内股でへたり込んだ。その呆然とした表情を見て、シャルティアを救えた喜びも、復讐を達成した愉悦も吹き飛び、アインズの心は哀しみと罪悪感に包まれた。

 パンドラズ・アクターが姿を見られたことはアインズにとって誤算だったが、それが何の免罪符になろう。いくらシャルティアに目撃されぬよう対策を講じたとしても、シャルティアの心が傷ついたのは、今回のプランを立てたアインズの責だ。

 

「……辛い思いをさせてしまったようだな。すまないシャルティア、こいつは」

 

「あああああああああああいんずさまぁ!!」

 

「おわっ!?」

 

「ひっ!」

 

 突然、パンドラズ・アクターが全力ダッシュから小さく飛び上がって両膝で着地し、アインズの名を叫びながらそのままの勢いで地面をずさーっと音を立てて滑り込んできた。サッカーで言う、フィニッシュムーブという動きだ。如何なる能力によるものか、アインズの目の前で急停止する。その異様な動作にアインズは光り輝き、シャルティアは引きつりながら飛びのいた。

 

「こぉちらをご覧ください!」

 

 パンドラズ・アクターはその姿勢のまま、神に供物をささげる神官のように顔を下に向け、両手を掌を上にしてあげている。装飾の少ない、一見したところ普通の槍が両の掌の上で差し出されていた。

 

「パンドラズ・アクター、周辺に」

 

「大丈夫でございます!私が到着してす・ぐ・に!防音・幻影及び対感知の魔法を展開しております!それよりもこちらを!」

 

 それでシャルティアが飛び込んできた時、空間に波紋が広がったのかと妙な迫力に押されつつ、アインズが納得していると、言葉と共にパンドラズ・アクターは更にぐぐっと両手を持ち上げた。予想はついているが、確認はしなくてはならない。アインズは槍を手に取り、魔法を発動する。

 

<オール・アプレイザル・マジックアイテム/道具上位鑑定>

 

 果たして、流れ込んできた情報はアインズの予想した通りだった。

 

「世界級・聖者殺しの槍(ワールドアイテム・ロンギヌス)まさか、この地で手にするとはな」

 

「世界級!ほ、本当にそれが……至高の御方々が数多の世界を旅して追い求めていた?」

 

「そのとおおおおおぉりでございます!!」

 

「ひいいっ!」

 

 弾かれたようにパンドラズ・アクターが立ち上がり、ポーズを決める。槍を持ったまま再びアインズは光り輝き、シャルティアは脅えるように後ずさった。

 

「ワァァァァルドアイテム!世界を切り裂くぅ!強大な力!至高の御方々の偉大なる秘宝ぉ!」

 

「うわっ……アインズ様、こやつはなんなんでありんすか?」

 

 世界級を前にテンションが上がりきっているのか、特務モードが吹き飛んだパンドラズ・アクターにドン引きしたシャルティアが、心底嫌そうな口調で問いかけてくる。その言葉はアインズの羞恥心を爆発させ、さらに鋭い刃となって切り刻んだ。特に“うわっ”の部分が素だとわかってしまいダメージが倍加し、連鎖的に前回宝物殿の黒歴史との初遭遇を思い出して追加ダメージが入る。結果、アインズは実に数秒間もの間、秒間数回の勢いで発光するという今回に於いて最大のダメージを受けることとなった。

 

(うう……いっそこのまま光になって消えてしまいたい……)

 

 人に見られるのがこんなに恥ずかしいとは……いや、わかっていた。ただ、忘れてしまっていた、もしくは見ないふりをしていただけである。慣れとは恐ろしいものだ、とアインズは羞恥にまみれつつ戦慄した。

 

(下手に訓練なんかしてたせいで、こいつに対する感覚が麻痺していた。うわー、超はずかしい、死にそう)

 

 それでも自身はシャルティアと、パンドラズ・アクターの主人である。どんなに自身のトラウマが抉られていようとも、ふさわしい態度をとらねばならない。アインズは精神を平衡されてなお残る羞恥を必死に押し殺し、切れ切れながらなんとか声を発することに成功する。

 

「ぅぅ……こいつの名は、パンドラズ・アクター……私が、創造した、宝物殿の、領域守護者だ」

 

「アインズ様の!しっ、失礼いたしました!そ、そう言われてみればどことなく気品……が?」

 

(やめて!)

 

シャルティアのとってつけたような世辞が、更にアインズの心をズタズタにする。光りつつゴホン、と咳の真似をして仕切り直し、威厳のある声を出すように強く意識する。

 

「世辞はいい。うむ、それで先程の姿を見ればわかるだろうが……」

 

「……はい、先程ペロロンチーノ様の武具を使っていたのはこ奴……失礼、こなたでありんすね。ですが、なぜアインズ様とこなたはここにいるんでありんしょうか?」

 

「詳しくは私から説明しよう、シャルティア。だが、まずは一度ナザリックに帰還する」

 

 腕に巻いた時計を確認する。想定制限時間――かつて自分達が挑んだ山河社稷図TA(タイムアタック)最速記録――からするとまだまだどころでない時間があるし、もはや今夜はこれ以上何も起きないだろうが、念には念を入れて安全な場所へと退避したほうがいいだろう。

 

(……まあ、見立てが確かなら全身神器級(ゴッズアイテム)だったとしても、この中であいつらには万に一つも勝てぬがな)

 

 山河社稷図には不可知化したシモベを数体、漆黒聖典と同時に吞みこませてある。絵画の世界は一切外部に連絡を取る方法はない。伝言は通じず、召喚したアンデッドとの精神の繋がりも断たれてしまうが、命令を遂行し支障なく活動できることは実験済みだ。LV差を考えても既に捕縛は終了しているだろうが、想定制限時間内に安全な場所へと戻り、発動者――アインズ自ら絵画の世界に入り確認、場合によっては処理する時間も考慮しなければならない。そこまで考えたところで、ある事に気がついたアインズはパンドラズ・アクターを問いただす。

 

「あの男は、殺してしまったのか?」

 

「いえ、アインズ様の御考えをお聞きしてからと思いまして、意識を封じるに留めております。ただこのままでは……そうですな、出血と毒で2分で死亡致します」

 

 情報源としての価値は長老というあの老婆がいる以上、特殊部隊の隊長と言えど大幅に下がる。だが、LV80と言うのはこの世界では魔樹以来の高レベルの存在だ。もしかしたらプレイヤー本人ではなくとも、その子供という可能性もある。殺すには惜しいし、利用価値は大きいだろう。

 

「……解毒し保存せよ。保存方法はお前に任せる、言うまでもないが装備は全て剥ぎ取っておけ」

 

「畏まりました。では私がこの場の後始末を致しますので、アインズ様とシャルティアお嬢様は、ナザリックにお戻りになられてはどうでしょうか?」

 

「む、そうか?」

 

「お嬢様って……」

 

 アインズは少し考える。どちらにせよシャルティアは宝物殿には連れていけないし、他の守護者と接触をする前に説明、その時の判断によっては少しの間他の守護者やシモベ達と隔離しておく必要もある。そもそも自分は夜明け前にカルネ村に戻っていなければならない以上、使える時間は限られるのだ。

 

 ならば先に戻っていた方がいいだろう。そう考えていると<不死の祝福>にシャルティアよりはるかに遅いが、野生の獣のような速度で接近するアンデッドを感知する。吸血鬼の花嫁達だ、シャルティアも顔を向けたので間違いないだろう。

 

「ならばまかせよう、ではわたしはシャルティアとシモベ達を連れて戻ることとする。頼んだぞ」

 

「はっ、おまかせ下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深々と頭を下げていたパンドラズ・アクターが上体を起こす。周辺には血だまりとそこに沈んだままの人間、月光に照らされた夜の森の静寂があるばかりだ。少し考え込むようなしぐさを見せた後、パンドラズ・アクターの体が歪み始める。

 

「<ゲート/転移門>、<グレーター・ウーズ・ウェイブ/上位粘体の波>」

 

 姿を変え、魔法を続けざまに展開する。背後に転移門が開き、周辺により上位粘体の“知性ある粘体(イド・ウーズ)”の群れが召喚された。イド・ウーズは知性が高く、テレパシー能力を持ち高度な意思疎通が可能な上位粘体だ。パンドラズ・アクターはイド・ウーズを操って“隊長”を運びながら装備を剥がさせ、解毒を施し、出血を止めて生命を保護させる。その間に周辺に散らばった血飛沫も、戦いの余波で折れ飛んだ草木も、痕跡は全てイド・ウーズ達によって吞みこまれ消失させられていった。仕事を終えたイド・ウーズ達はそれらの血液や収集した草木を包み込んだまま、転移門へと飲み込まれてゆく。

 

「……<スピーク・ウィズ・プランツ/植物会話>、<プラント・グロウス/植物の驚異的成長>、<エクスペディシャス・エクスカベイション/迅速な開削>」

 

 再びパンドラズ・アクターの姿が歪んでトレントと呼ばれる種族へと変貌し、森司祭(ドルイド)の高位魔法を連続で唱える。途中で何度か頷きつつ、手をかざしていくと周辺の傷ついた木々が癒され、新たに草木が生えてくる。周辺の血だまりの跡や足跡が残った地面が蠢いて消えてゆき、森は瞬く間に戦闘前の状態に修復されていった。その作業の全ては、静寂の内に行われた。

 

 元の姿へと戻り、周辺をゆっくりと見まわし満足げに頷いたパンドラズ・アクターはある方向に向きなおり、手術前の執刀医の様に指先を上に向け両手を上げる。

 

「さて」

 

 言葉と共に手に銀色の弓と、瘴気を纏わりつかせた黒い矢が一本現れる。矢をつがえ、弓を引き絞る間にその姿は光の粒子を纏った鳥人、ペロロンチーノの姿へと変化した。 

 

「Agana belea……今宵はこれにて閉幕です」

 

 言葉と共に静かに矢が放たれた。黒き矢は絶対命中の効果を以て無数の木々の間をすり抜け、狙いを過たず獲物に命中する。黒矢は命中と同時に滅びの力を解放し、獲物と共に塵へと帰った。

 目標の破壊を確認したパンドラズ・アクターは元の姿に戻ると、大仰に一礼しそのままの姿勢で、転移門の中に吞みこまれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『プラチナム・ドラゴンロード』、ツァインドルクス=ヴァイシオンは、急激にもたらされた、大量の断片的な情報に身を震わせた。ゆっくりとその首を持ち上げ、ある方向を無言で見つめる。

 

「……何も見えないか」

 

 その現象が意味するのは、操作していた白銀の鎧が完全に破壊されたということ。

 

「気に入ってたんだけどな」

 

 彼をよく知る者、あるいは同種のドラゴンであればわかっただろうが、その軽い口調とは裏腹に表情は硬い。漆黒聖典の反応が完全に消える少し前に捉えた、凄まじい音を発して飛翔する強大な気配を持つ存在。あれ程の高音は自分達や、一部の魔物にしか聞こえないだろうが……とんでもない音量だった。まだ耳に痛みと残滓が残っている。

 

「それにしても“ぺろろんちーのさま”か。さま、という事は主人の名前なのだろうが、あれが主人と仰ぐ存在がいるってのは恐ろしいね」

 

 一目見て、最高位の魔神クラスとわかった吸血鬼王。流石の彼も警戒し、慎重に鎧を観測可能なぎりぎりの距離に置いて様子を窺っていたのだが、漆黒聖典の反応が消えた地点に到達したのを確認した後、おそらくは捕捉され破壊された。

 

「まさかあの距離で見つかっているとはね、おお怖い怖い。それにしても、ちょっと見ていただけでいきなり攻撃をしてくるなんて、ひどい話だよ、全く……」

 

 独り言が止まらないのは不安からだ。漆黒聖典を排除し、彼の鎧を感知し、超々遠距離より破壊する。そんな事が出来うる存在は、彼の知る限りただ一つ。最強の竜王、そう呼ばれる彼は知っている。自身が最強なのは、あくまでもこの世界に生きる者達の中でのことだ。遥かな昔に出会った六大神、世界を汚し、竜帝を含む真の竜王を殺し尽くした八欲王。ともに旅をした英雄の姿が走馬灯のように駆け巡る。

 

「百年の揺り返し。やはりまた来たのか“ぷれいやー”今度も世界の破壊者なのか。それとも……リーダーと同じくこの世界を愛する者なのか。そうであることを心から願うよ」

 

 

 

 

 

 




 ご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

 はい、無理でした。11巻で判明した山河社稷図の性能に併せて何とかしようと色々いじってたのですが、私にはうまく処理することができず、時間を浪費しただけで、何の成果も、得られませんでした。

 11巻はもう皆さん読まれてると思いますので、今後は前書きに必ず
 
 ※このSSは10巻までの知識と、それに基づいた妄想設定で書かれています。あらかじめご了承下さい。

 を付けることにします。タグに捏造設定ってありますけど一応念のため。

今後もお付き合いくだされば幸いです。

※八翼王→八欲王に修正いたしました。これは誤字ですが、天空城のギルドは天使だけだったという事なので、最初はこう言われていたかも?


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Apology

※このSSは10巻までの知識と、それに基づいた妄想設定で書かれています。あらかじめご了承下さい。


 アインズはシャルティアの住居――玄室で見た目は威風堂々と、内心は所在無さげに縮こまって、豪奢な椅子に腰掛けていた。

 

 シャルティアの住居は幾つもの玄室から構成されており、墳墓である第一階層から第三階層の間に満ちている暗闇や、死と腐敗の匂いは一切感じられない。室内の照明はやや暗めで、吊るされた薄絹にピンク色の魔法光が当たって僅かに輝いている。その幻想的と言える輝きが淫靡な雰囲気を醸し出しており、時折微かに聞こえる女性の笑い声や嬌声が拍車をかける。香を焚いているかのように濃密で甘ったるい香りの薄煙が部屋いっぱいに漂い、空気には色が付いているように見えた。

 

(ふむ……この感覚。状態異常効果が付与されているな) 

 

 纏わりついてくる煙、染み込んでくるような感覚を伴う香り。アインズは受けている感覚から、これらは何らかのエリアトラップだと推測する。おそらく状態異常効果がそれぞれ付与されており、耐性を持たない侵入者を無力化するのだろう。ギルドホームの金貨トラップが停止されているにもかかわらず発動しているという事は、これらはペロロンチーノによる課金組み込みの常時発動トラップと考えるべきだ。

 

(……しかし、この内装は……まあ、わかるんだけどさ)

 

 とてもいい顔をしたペロロンチーノの姿――といってもユグドラシルのアバターは表情が動かないが――が、アインズの脳裏でぐっとサムズアップする。はい、どう見てもハーレムか娼館です。

 

(なんだっけ、こんなエロゲにがっつりはまってた時期があったよな、それにしても)

 

 居室の持つ強大なピンク色のオーラの前に圧倒されていたアインズは、とんでもない居心地の悪さから逃れるため、トラップシステムやかつての友の思い出に逃避していたが、視覚情報と嗅覚から猛攻を受け撃沈寸前であった。

 アインズ、というか鈴木悟はリアルでこういう場所に行った事は無かったし、あまり行きたいとも思わなかった。実際、ここにいるだけでない筈の胃や心臓にストレスがかかってるようだ。

 

(アインザックに無理に連れていかれた、娼館を思い出すなここ。あの時も気まずかったなあ)

 

 当然シャルティアの玄室の方が、比べ物にならないレベルで調度や内装が豪奢なのだが、そういった場所は特有の空気を漂わせているものだ。シャルティアが着替えのために扉の向こうに消えてから、まだ数分も経っていない。だが、既に1時間は経過したような錯覚を覚える。チラリ、と向かいを見ればアインズの世話を命じられた吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)がガチガチに緊張した面持ちで直立している。

 

(あらためて見ると、吸血鬼の花嫁も結構とんでもない格好をして……おっといかんいかん)

 

 部屋の雰囲気が妖しすぎるせいか、妙な事を考えてしまったとアインズは反省する。性欲はない筈なのに、時折こういう事があるのはなんでなのだろうか。

 変に思われないように、さりげなく机に視線を動かすと真っ赤な液体の入った小杯が目に入った。そういえば杯を運んできたのは目の前の吸血鬼の花嫁だ。ベロベロ君を装備していないアインズに飲むことは出来ないため、当然手つかずである。吸血鬼の花嫁は皆白い陶器のような肌をしているが、アインズには目の前の吸血鬼の花嫁の顔は白すぎるように見えた。

 

(飲食不要のアンデッド、しかも自分達の主人の上司。それを待たせている間もてなすというのは、相当高難易度のクエストだな……)

 

 つい、かつての自分に置き換え同情心が湧き上がってくる。それにこの杯はナザリックに属し、シャルティアに仕える者が自分自身をもてなすために用意したもの。無下にするのも忍びないし、このまま緊張した空気が続くのは居心地が悪い。アインズは杯を手に取り、そっと顔を近づける。血の匂いが漂ってくる事を覚悟していたが、ふわりと果実香が漂ってきた。ワインか何かなのだろうか。

 

「……良い香りだ」

 

「こ、光栄の至りでございます」

 

 返答の声は緊張に満ちていたが、それでも吸血鬼の花嫁から強張りが少し取れたように見えた。自身の経験から考えて飲み物に手も付けない、沈黙してる来客の応対なんて最悪だろう。やはりアクションを起こして正解だった、とアインズは自身の判断が正しかった事を喜んだ。だが、沈黙が続けば再び緊張感が部屋を支配するだろう。ここはアインズから当たり障りのない事を話しかけるのが、お互いのためだ。

 

「血液ではないようだが、お前達やシャルティアは普通の……そう、血液以外の飲食が可能なのか?」

 

「はい。シャルティア様も私達も血液以外の飲食をすることは可能です」

 

「味や香りもわかるのか?」

 

「はい。感覚は生きている者達と多少異なってはいるようですが、問題なく」

 

「ふむ、考えてみれば血液の味や香りがわかるのだから、当然か」

 

 杯を軽く回しながら、吸血鬼にすればよかったかな、と意味のないことを考える。この身になってから空腹という感覚は全くないが、それでも飲食という行為を懐かしく思う事はあるし、どんな味だろうという好奇心はいつだってアインズを苛むのだ。この世界でみた様々な料理……緑の果実水と青いソースのかかった肉料理、野営の時のシチュー、帝国でナーベラルが飲んでいたマキャティアなどを思い出す。だが一番興味があるのは、ネムやンフィーレアをナザリックに招いた際に饗したナザリックの料理の数々だろう。あれらはどんな味をしていたのだろうか……とアインズが考えていると、ようやく扉が開きシャルティアの姿が現れた。

 

「アインズ様、お待たせして申し訳ありんせん」

 

「着替えを勧めたのは私だ、シャルティア。気にすることはない……お前もご苦労だった、シャルティアと内密の話がある故下がってよい」

 

 外の姿から、いつもの格好に戻ったシャルティアが優雅に一礼をする。髪だけは呪いによる変化のために金髪のままだが、そこ以外は見慣れたシャルティアだ。彼女が向いの椅子に腰かけると、吸血鬼の花嫁はアインズの言葉を受け、一礼して別の部屋へと下がっていく。

 

「あの者が、何かアインズ様に粗相をしたんでありんすか?」

 

「まてまて、あの者は誠心誠意私をもてなしていたし何も落ち度はなかった。私も、もてなしには満足している。下がらせたのは言葉通りの意味だ、他意はない」

 

 ごく微量だが敵意のこもった声に、アインズは慌ててフォローする。

 

「そうでありんしたか、失礼いたしんした」

 

「かまわん。上司として部下の行動を気に掛けるのは当然の事だ。そうだな、あの者も私を前にしてずいぶん緊張していたようだ。もしかしたら、なにか失態を演じたと思っているかもしれん。後でお前からねぎらいの言葉をかけ、緊張をほぐしてやるといいだろう」

 

「畏まりました、ではあれには後でねぎらいの言葉をかけて、よーくほぐしておきんす」

 

 

 アインズは会話に何かが引っかかるものを感じたが、時間に余裕があるわけではないのでそのまま本題に入る。

 

 

「さて、では私がなぜあの場所に居たのかを説明しよう。私が人間達の都市……エ・ランテル近郊にナーベラルと共に調査を行っている事は知っているな?」

 

「はい、出立前にお伺いしておりんす」

 

「先程の老婆、そしてパンドラズ・アクターが倒した戦士は調査中に発見した要注意人物だ。夜間に移動していたので、目的を探るために追跡していた」

 

 まるきり嘘と言うわけではないが、真実とも言い難い説明である。だがアインズはシャルティアを含む守護者やNPC、正確にはパンドラズ・アクター以外には“査定”の話をしないと決めていたため“調査”で押し通すことにしていた。

 

「えっ……で、ではもしや吸血鬼の狼があの人間達と接触したことで、アインズ様の御邪魔になりんしたのではありんせんか」

 

「ああ、私の説明が悪かったな。気にするな、あの時点ですでに奴らの目的がカルネ村襲撃と判明していたため、奇襲をかけるタイミングを窺っていたのだ。吸血鬼の狼が接触した事であの者達の足が止まったのは、むしろ良い機会だった」

 

 実際はそうではないのだが、シャルティアに対する罪悪感がアインズに擁護の言葉を紡がせる。

 

「それならばよいのでありんすが。カルネ村というのは、アインズ様が御慈悲をもって御救いになられたというあの人間達の集落でありんすか?」

 

「そうだ。私は自らの名を以てあの村を救った、つまりカルネ村に害をなすものは私の敵だ。シャルティア、お前も覚えておいてほしい。たとえ人間であってもナザリックの庇護下に入ったものは我が所有物と考えよ」

 

「承知いたしんした」

 

「簡潔だが、私があの場にいた理由は以上だ。何か他に聞きたいことがあれば答えよう」

 

 シャルティアは眉をひそめて考え込むしぐさのあと、少しの間をおいて声を上げる。

 

「……では僭越ながら……なぜ随員である筈のナーベラルでなく、パンドラズ・アクターをお連れになっていたのでありんすか?」

 

「……詳しくは省くが、私とナーベラルは調査の一環で人間の冒険者達と行動を共にしている。そこで私の不在を悟られぬよう、ナーベラルを残した。幻影だけでは不測の事態に対応できぬからな、だがそれよりも」

 

 前回、最も警戒していた世界級・傾城傾国は手中に収めた。だが、シャルティアの洗脳事件を未然に防いだ事によって、守護者達の警戒感が前回より低下することは避けねばならない。他に脅威となる世界級がある可能性が残っている以上、守護者達にはこの世界に対して強い警戒感を持ってもらう必要がある。

 

「最大の理由はナーベラルでは、あの者達と相対した時に危険だと判断したためだ。ゆえに、私が創造したパンドラズ・アクターを供とした」

 

「あのニンゲン共がそれ程の?こなたの世界には強者がいないものかと思っていんした」

 

「油断してはならん。まず、あの者達はユグドラシルの武具を装備していた。この時点で、プレイヤーである可能性と世界級を所持している可能性が生じる。実際に所持していたのは驚きだったがな」

 

 「世界級所持者はレベルや戦闘能力を超越した脅威であり、同じ世界級を持たぬ限り対抗できん。存在が確認できた以上、今後は対策を講じるが……それにパンドラズ・アクターが倒した戦士はプレイヤーではなかったがLV80だった。お前や守護者であればともかく、ナーベラルでは歯が立たなかっただろう。他に何かあるか」

 

 シャルティアは再び口元に手を当て、先程よりも眉を強くひそめ考え込み始めた。ほどなく眼は泳ぎ、頬に汗が流れ始める。その様子にアインズは、もしや自分が何かあるか?と問いかけたからシャルティアが必死に考えているのではないだろうか、という事に思い当たった。

 

「……あ、アインズ様が追跡していたニンゲンは何者なんでありんしょう 。私が見たニンゲンとは強さがあまりにも違いんす」

 

「今わかっていることは、あの者達はスレイン法国という国家に所属していることぐらいだが……私はあの国がプレイヤーによって造られた国ではないかと見ている。確証があるわけではないがな。まあ、今回の者達はカルネ村で捕縛した者より地位が高そうだし、より多くの情報が得られるだろう」

 

 アインズは今度は先程の轍を踏まぬよう、問いかけをせずにシャルティアの様子を窺うことにする。どことなく、ほっとした顔でシャルティアが一礼した。

 

「ありがとうございんした、アインズ様」

 

「うむ。ではシャルティア、今度はお前から報告を聞こう、今夜何があったかを」

 

 

 

 

 

 全て知ってはいるのではあるが、アインズはそれらの情報を知らないことになっているため、エ・ランテル出立より順を追って話を聞く。途中幾度かシャルティアの歯切れが悪くなることはあったが、血の狂乱を自分から発動させたこと、ブレインという剣士を逃がした事なども正直に報告されたことに安堵する。やがて報告は冒険者との遭遇戦からポーションの話に及んだところで、アインズは自分の罪に向き合うためシャルティアに声をかけた。

 

「……シャルティア、そのポーションは確かにマイナー・ヒーリングポーションだったのだな」

 

「はい、確かでございんす……アインズ様、もし私の行動がアインズ様の計画を台無しにしたのであれば、不足なれどこの身をもって」

 

「待て、シャルティア」

 

 椅子から降りて床に跪いだシャルティアに、慌てて声をかける。何を言わんとしているかはわかるが、この件は全面的に自身の失態であり、謝るべきはアインズの方だ。そんな状況でシャルティアに謝罪をさせるわけにはいかない。

 

「確かにこの世界の技術を調査する一環であの女にポーションを与えはしたが、既に目的は達成しあの女は用済みだった。にもかかわらず回収を後回しにし、お前が傷つくことになったのは全て私の落ち度だ……謝って済むことではないが、許して欲しい」

 

「アインズ様!」

 

 シャルティアが何か言うよりも先に、アインズは深々と頭を下げた。本来絶対支配者であるアインズがこのような行動をとってはいけないのだろうが、前回の事も含めて、それでもアインズはシャルティアに頭を下げて謝りたかったのだ。だが、アインズの私室や公務を行う場所では護衛や警備、守護者の誰かがいる以上、アインズはシャルティアに謝罪を行うことはできない。そのためシャルティアの住居にやってきたのだ。

 

「私が血の狂乱を発動させたりしなければ、ポーションによって傷つくこともありませんでした!アインズ様がそのような事をなされることはありません、御顔を、御顔をお上げください!」

 

 廓言葉も忘れたシャルティアの言葉にアインズは頭を上げる。シャルティアに謝罪をしたかったのであって、困らせるつもりはないのだ。

 

「シャルティア、お前の私に対する敬意は嬉しく思う。だが、聞いてくれ。お前はアインズ・ウール・ゴウンの友であるペロロンチーノが創造した存在、娘のようなものだ。ゆえにナザリック大墳墓の主人ではなく、ペロロンチーノの友としてお前に詫びさせてほしいのだ、本当にすまなかった」

 

「……そう言われては、お止めする事はできんせん。 謹んでお受けいたしんす」

 

「私の謝罪を受け入れてくれたことに感謝する」

 

「勿体ないお言葉でございんす ……では、報告を続けさせてもらいんす」

 

 目元をぬぐったシャルティアのその言葉で、アインズは報告を受けている途中だったことを思い出した。報告は女冒険者を捕縛し魅了の魔眼で尋問をしたところから再開し、野伏と別動隊を逃がしてしまったことも正直に報告された。しかしその後に続いた言葉に不意打ちを喰らう事となる。

 

「洞穴の中に数人の女がいたとビ……吸血鬼の花嫁より報告を受けたのでありんすが」

 

「なんだと?……いや、何でもない先を続けよ」

 

 シャルティアの報告から、己の知らない情報が出てきたアインズは思わず声を上げてしまう。だが、すぐにアインズ自身が吸血鬼の狼が放たれた直後に行動を開始したため知らないのは当然だと思い当たり、報告を中断して身を震わせたシャルティアに先を続けるよう促した。その女たちに関する報告を聞いているうちにアインズにある考えが浮かんだ。この情報は使えるかもしれない。

 その間に報告はペロロンチーノの武器の煌めきを見た事を経て、アインズと遭遇したところで終了した。知らない情報を得ていることになっているため、報告の内容を吟味するようにしばらく考え込むポーズをとってから口を開く。

 

「まず、お前の心に痛みを与えてしまった事を、先程同様詫びさせてほしい。私が迂闊であった、すまない」

 

「勿体なきお言葉」

 

 アインズが頭を下げ、シャルティアも目を閉じ頭を下げる。流石にもう一度同じ流れを蒸し返すことは、お互いにしない。

 

「では確認だが、逃がしたのはブレインという剣士、それと離れた場所に潜んでいた野伏、あとは別働隊の冒険者だな」

 

「はい、申し訳ございんせん。この失態はいかようにも」

 

 アインズは即座に片手をあげ、シャルティアの言葉を遮った。

 

「よすのだ、話が進まん。ふむ……だが顔を見られたのは剣士だけ、いや剣士とあの女だけだな?」

 

「はい、それは間違いないかと思いんす」

 

 再び考え込むポーズををとる。不安そうなシャルティアを見ているとこんな偽装をしている自分が嫌になるが、前回から守護者からの報告や提案に対してはあの手この手で時間を稼いでいるのだ。今だけ即断即決というのは余りにも不自然だ。

 

「まず剣士だが、その男には心当たりがある。追跡中に森の中を走る男を発見し、あの者達との関係を疑って尾行を命じてある。報告から考えるに、あの者達と関係はなさそうだが、その男に関しては調査結果を見た上で、私の方で処理することとしよう」

 

「畏まりんした」

 

「次に女だが……」

 

 そこでアインズはあることに気がついた。思い出したと言ってもいい。前回、エ・ランテルでは吸血鬼、つまりシャルティアの情報が持ち帰られていたが“銀髪で大口”までならレンジャーが持ち帰ることは遠視や暗視の手段があれば不可能ではない。だが“第三位階魔法<クリエイト・アンデッド/不死者創造>を使用した”はタイミング的にありえない。となると、その情報をエ・ランテルにもたらしたものは一人しかいない。

 

(ちと、まずいな……)

 

 あの女はパンドラズ・アクターに回収を命じてしまった。モモンがアダマンタイトに昇格した吸血鬼ホニョペニョコ退治の重要性は、エ・ランテルのアンデッド退治と双璧だ。そのホニョペニョコ……今回はデミウルゴスに名を考えさせたマーカラだが、その吸血鬼が強大な吸血鬼ではなく、普通の吸血鬼だと認識されてしまっては、アダマンタイト昇格は困難だ。そもそも、緊急事態でないならば新参のモモンに話が来るかどうかすら怪しくなってくる。

 

(回収は命じたが、どうするかは考えると伝えた筈。ならば<コントロール・アムネジア/記憶操作>でなんとかなる……か?回収の際に気絶してればいいのだが、意識があった場合は二人がかりでやるしかないか)

 

「アインズ様、やはり私の失敗が計画に何らかの支障をきたしてしまったのではありんしょうか」

 

 思索を始めたことによって、言葉の途中で黙り込んでしまったアインズに不安を覚えたのか、シャルティアから声をかけられた。仕方のない事なのだが、やはりシャルティアは失敗に対して尋常でない負い目を感じているようだ。

 

(このままだと話をするにも支障が出るし、シャルティアのためにもよくないな……一度、自分自身で整理させてみるか)

 

「シャルティア、確かにお前はいくつかの失敗をしている。だが、そのいずれも私の計画に影響を与えるものではない。無論失敗を反省し、繰り返さぬよう注意し努力する必要はあるが……お前は私の事を抜きにして自分がどんな失敗をし、今後どうすればよいのかはわかっているか?」

 

「はい、いくつかはわかっておりんす」

 

「では、それを述べてみよ」

 

「血の狂乱を自ら使用したことで、用心がおろそかになり結果ニンゲン共の逃亡を許しんした。今後はスポイトランスやブラッドプールを活用しコントロールすべきと心得ておりんす」

 

「そうだな、血の狂乱は与えられた能力だが、それを抑える能力もペロロンチーノはお前に与えている。その事に気がついたのは良い事だ」

 

「己の能力を過信していんした 。私には感知系能力が殆どありんせん 。せめて感知能力に長けたシモベを連れていくべきでありんした」

 

「そうだ、私にも言えることだが得手不得手は必ず存在する。我々が必ずPTを組んでいたのもそれが理由だ、私は魔法詠唱者だからな、前衛にいてもらわねば困る」

 

 シャルティアの発言がそこで止まったが、アインズはまだシャルティア自身で気がついて欲しい失敗があるため、それ以上は発言しない。部屋に不自然な沈黙が流れる。その時、シャルティアはアインズの態度からまだ自身の失敗が他にもあることを悟って、煙がでる程頭を回転させていた。特に自分が失敗したと感じた場面を一生懸命に思い出し、その時の自分自身の言葉や感情を掘りだして、ようやくあることに思い至った。

 

「……ニンゲン共を侮っていんした、たかが虫けらと思わずに、どのような備えをしているか考えるべきでありんした」

 

「おお!その通りだシャルティア!どんな弱い存在であっても実際に当たる前に侮ってはいかん。人間は臆病で卑小ではあるが、ゆえに知恵を磨き、常に傷ついた獣の如く注意を払う者もいる。他の種族であってもそうだ、弱者は強者から逃げ延び、足元を掬う術を心得ている、そう考えよ……よく気がついたなシャルティア、先程の繰り返しになるが、反省し同じ失敗を二度と繰り返さぬのであれば、それは私にとって喜ばしい事だ」

 

「勿体ないお言葉を今日は頂いてばかりでございんす、アインズ様」

 

 シャルティアが自身が望んでいた回答にたどり着いたことで、この部屋に来た目的はすべて達成できたと言っていい。であれば時間が限られている以上、あとはシャルティアの抱えている過剰な自責の念を払うだけだ。すでにその道筋は思いついている。

 

「わかってくれればよい……そういえばあの女のことが途中だったな。あの女に関しても私の方で処理しておく。後は洞穴にいた女たちの話だが、クズ共の慰み者になっていた、という事で間違いないな?」

 

「え?あ、はい、そうでありんす」

 

 さして重要でないと思っていた洞窟の女どもの事で念を押されたシャルティアは、やや面食らいながらアインズの問いに答えた。その答えを聞きアインズは満足そうに頷き、シャルティアに向かって話し始める。

 

「実はもう一つ懸念すべきことがある。それは私がお前の出立前に話して聞かせた、お前の正体が外部の者にばれることと、お前が人間達の常識に照らし合わせて非道な行いをしているという情報を知られた場合、ナザリックに不利益が生じるという事だったのだが覚えているか?」

 

「はい、忘れる筈がありんせん。偽名と“外の姿”を用いる理由としてお話しいただきんした」

 

 シャルティアの顔色がやや悪くなる。かなり慣れていないとわからないのだが、前回の記憶と経験があるアインズには判別は容易だ。

 

「そうだ。今回情報を持ち帰られたものの、偽名と“外の姿”によりお前の正体が外部の者にばれることはない、と断言してもよいだろう。しかし、ナザリックの情報を既に持っている者達に対してはこの限りではない。その場合懸念される一番の問題は、私と同格の存在である人間種のプレイヤー達に今回の件が伝わった場合、人間の常識で動くそいつらに大義名分を与えてしまう事だったのだが……その問題は解決された」

 

「……は?」

 

「シャルティア、お前はこの世界の情報を集めるために、セバス達と共に馬車に乗って街道を走っていたら盗賊どもに襲われた。身を守るためにやむなく反撃し生き残った盗人を捕まえたところ、盗賊共は日常的に馬車を襲撃しており、あろうことか幾人もの女を連れ去って慰みものにしているという情報を得た」

 

「アインズ様?」

 

 シャルティアから困惑した声が上がるが、アインズは構わず続ける。

 

「囚われた哀れな女達を助けに洞穴に赴き、悪逆非道の盗賊達を成敗したが、外に出ていた仲間とおぼしき者達が帰ってきて吸血鬼であるお前に問答無用で襲い掛かってきた。ゆえに街道とで襲われた時と同じく身を守るために反撃した……という事だな、シャルティア。この場合人間共の常識に照らして、お前は非道な行いをしているか?」

 

「いえ私の知る限りでは……何と言ったでありんすか、義侠心にかられた行いと、正当防衛という奴で……ありんしょう」

 

 アインズが何を言いたいか、何を伝えたいか理解したシャルティアは、微笑みながら返答した。

 

「うむ、つまりお前の報告による懸念は、すべて解消したというわけだ。さてシャルティア、改めてもう一度言おう。お前の失敗は私の計画に影響を与えるものではない。さらに言えば私も失態を演じている。ゆえに今夜の件に関しての事は全て不問としたい、どうか」

 

「ありがたい御言葉でございんすが、私が失態を演じたことは間違いありんせん。罰を頂かない事には、他の守護者達に顔向けできませぬ」

 

 ここまでの流れでシャルティアの気持ちを払拭できればと思ったが、やはりそう上手くはいかないようだ。仕方なくアインズは、考えていた対応策をとることとする。

 

「……そうか。では、お前に罰を与えることとする。出立前に渡した箱をこちらに」

 

「は、はい、少々お待ちください」

 

 シャルティアは自身のインベントリよりおずおずと箱をとり出し、名残惜しそうにアインズに差し出す。いかにもといった封印が施されているが、普通のアイテムボックスだ。

 

(さて、パスと手順を間違えると厄介だ、少し集中せねば)

 

 アインズが慎重になるのは理由がある。見た目は通常のアイテムボックスと変わらないが、これは課金アイテム“プロメテウスの黄金宝箱”通称、パンドラボックス。名前にちょっと引っ掛かりを覚えるが、最高位盗賊でも奪取や解錠を至難とする対盗賊用保管アイテムだ。その強固さは所有者であっても、パスや手順を間違えてしまうと、課金をしなければ開けることができなくなる。課金ができないこの世界では、中身が喪われるに等しい。

 

(もう何十回も使っているから間違えることはないんだが、やはり少しドキドキするな……よし)

 

 アインズは無事に箱の封印を解除すると、目的の中身を一つ取り出した。箱の中に入っていたアイテムは2つ、残っているのは蛇が巻き付いた金属杯だ。一見するとそうは見えないが、これこそが世界級(ワールドアイテム)ヒュイギイアの杯。万が一の保険としてシャルティアに持たせておいたが、幸いにも加護が使われることはなかった。

 

(保険は掛けている間は使う機会が無くて、掛けてない時に限って必要な事態に陥るもの、だったっけな)

 

 保険などという商品に縁のなかった自分がそんな言葉を知っているという事は、かつての友達の誰かに教えてもらったのに間違いはない。わずかな間思い出に浸った後、再び箱に封印を施し顔を上げる。

 

「シャルティア。私はこの箱を渡した際に「お前が使命を果たし無事に帰還した時、封印を解き開けることを許そう」といった。この箱には、任務の褒美として渡す筈のアイテムが入っていたのだが……御守りと言ったのを覚えているか?」

 

「はい、覚えておりんすが……え?そ、それは!」

 

「そうだ、これは百科事典(エンサイクロペディア)。我々が一人一冊持っているアイテムだな」

 

 アインズは分厚い百科事典を片手で掲げると回転させ、シャルティアから表紙が見えるようにする。そこに刻まれた名は――

 

「ペロロンチーノ様!ああ……」

 

 シャルティアの声は自身の創造主の名を見た喜びと、アインズの行動が意味する事を悟った哀しみへと流れるように変化した。それでも一縷の望みを持っているのか、不安に満ちた表情でアインズの言葉を待っている。

 

「……私はペロロンチーノがお前を守ってくれることを願い、これを持たせた。そして滞りなく使命を果たした暁には、褒美としてお前に贈るつもりだったのだよ、シャルティア。だがお前は罰を望んだ。この百科事典の存在を教え、与えぬ事で今回の罰とする」

 

「……はい……」

 

 絶望、そして押し寄せる後悔の念。一瞬見せたシャルティアの表情は、彼女の内心を如実に表していた。NPCにとって、自身の創造主由来のアイテムは一番の宝だ。下を向いた顔は、きっと泣きだす寸前であろう。

 

「――そしてシャルティア、これは私からの謝罪の印だ。受け取ってほしい」

 

「……え?」

 

 一拍置いた後、アインズは下を向いているシャルティアに見えるように、持っていた百科事典を差し出した。言葉の意味を理解したシャルティアは混乱し、反射的に慌てて拒絶の意を示す。

 

「いけません、アインズ様!それでは私は罰を受けた事に」

 

「いいやシャルティア、私は先程のお前に絶望を見た。それで罰は十分に受けたと思っている、それに――」

 

 シャルティアの言葉を遮り、アインズは意識して悪戯を楽しむような軽めの口調で話を続ける。威圧的な声や威厳のある声ではいけない。

 

「お前は私の謝罪を謹んで受けると、そう言ったのだぞ?シャルティア・ブラッドフォールンは、ナザリック大墳墓の支配者であるこの私に嘘をついたのかな?」

 

「いえ!至高の御方々に誓ってそのような事はありません!で、ですが……」

 

「では、証明のためにも謝罪の証を受け取ってもらわねばな、さあ」

 

 アインズは言葉と共にぐっ、と百科事典を少しだけ突き出した。シャルティアは未だ困惑した表情のまま差し出された百科事典、その表紙に刻まれた【Encyclopedia By Peroroncino】の文字とアインズの顔を交互に見た後に、震える両手でしっかりと受けとった。

 

「ペロロンチーノ様……」

 

 シャルティアは表紙に刻まれた自らの創造主の名を呟くと、感極まったのか膝を折り、百科事典を胸に掻き抱いて滂沱の涙を流した。胸の中に確かな熱を感じ、歓喜の涙を流したまま、アインズに心からの感謝の言葉を捧げる。

 

「ありがとうございます、アインズ様……」

 




※投稿約七時間経過後に書いています。

 ご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

 またやってしまいました。Deceive(15話)の時と同じ投稿ミスです。今回は最後の推敲を残すのみでしたが、よりによって作中で”同じミスをしないように”という内容を書いた時にやらなくても……と思いつつ反省しております。



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Frail

※このSSは10巻までの知識と、それに基づいた妄想設定で書かれています。なお、妄想設定はどんどん増えていきます。あらかじめご了承下さい。




「……わたくしができるのは、ここまでです」

 

 “神聖呪歌”が息を荒げつつ、宣言する。周囲には治療を受けた漆黒聖典の面々が、地面の上に座り込んでいた。

 

「ひっどい目にあった……ちょっと!血が止まってないじゃない。これどうにかしてよー」

 

「秘薬でも傷口が塞がらぬ。これは呪詛の類だな、厄介な。どこまでできるかわからんが後は儂がやろう、休んでおれい」

 

「おっと……秘薬もほぼ全て使ってしまいましたし、不味いですね」

 

 “巨神操演”の傷口を見た“聡明英知”のその言葉に、限界だったのか“神聖呪歌”がよろけ倒れる。慌てて“一人師団”がその体を支え、木にもたれかけるように座らせた。その様子を見つつ顔を拭いていた“天上天下”がぼやき始め、続いて残った面々からも思い思いの声が上がった。

 

「おう、揃ってみっともねえったらねえな。最悪だ!んで、ここはどこだ?“隊長”はどうした」

 

「……ば、カイレ様もいねえぞ」

 

「“隊長”と、カイレ様は、最後まで、立っていた。でも、気がついたら、俺だけ、ここに、いた。だから、“神聖呪歌”に秘薬、使った」

 

「じゃあさ、“隊長”は健在だったってことだよねぇ。ならあっちは大丈夫じゃないの?」

 

「我々がまとまっていたからといって、カイレ様と“隊長”が一緒に居るとは限らないのではないですかなあ」

 

 漂い始めた楽観的な空気を“人間最強”の一言が完膚なきまでに破砕し、沈黙が空間を支配した。やれやれと言った調子で“一人師団”が口を開く。

 

「……“人間最強”の言う通りですね。では、まずカイレ様との合流を試みましょう。“隊長”が一緒なら幸運という事で。“占星千里”カイレ様の居場所はどちらですか?」

 

「感知不能」 

 

「妨害されているのですか?」

 

「違う。範囲外」

 

 その言葉に全員が息をのんだ。“占星千里”の感知魔法は彼女が持つ神々の至宝により、その名が示す通り千里……無限ともいえる距離を感知する。更に彼女の口から無情にも聞きたくもない言葉が続く。

 

「“隊長”も範囲外」

 

「えっ!死んだって事?」

 

「……死んでいても、感知はできるだろ」

 

「やめい、感知不能な場所に飛ばされている可能性もある……限界だ、儂もしばらく役立たずよ」

 

 解呪を試みていた“聡明英知”がため息とともに座り込む。重い空気の中、しばし鳥の声だけが響く。沈黙に耐えきれなくなったのか“巨神操演”がわざとらしく話し始めた。

 

「ね、多人数を同時に転移させる魔法、誰か知らないの?」

 

「<ディメンジョナル・ムーブ/次元の移動>では不可能ですしね。第六位階<テレポーテーション/転移>を範囲拡大できれば、あるいは可能なのでしょうか」

 

「周辺の植生も違うようだし、同じ森どころか同じ地方でもないですなあ。テレポーテーションではそれほどの距離は不可能でしょう、それに空が真昼になっているではないですかあ。これは空間だけでなく、時間をも越えた可能性がありますなあ。つまるところ、これは転移魔法によるものでは、ないのではないですかなあ」

 

 “一人師団”が気を使って乗ったところに、いつもの事ではあるが“人間最強”の容赦のない言葉が降りかかる。彼がこういう人間だとは皆熟知しているが、平時であればともかく、今の状態では彼の物言いは少々鼻につく。案の定“一人師団”が食って掛かった。

 

「神の御業でもあるまいし、安易に時間を越えるなど……我々が長時間気を失っていたと考えるべきでは」

 

「わからないですかなあ、神の御業の可能性もあると小生は言っておるんですなあ。それに“巨盾万壁”は意識を保っていたと言ってるではないですかあ」

 

「……では、この所業は神の御業で、我々は神の怒りに触れたと?そうおっしゃるのですか」

 

「やめい!なぜお前達は口を開くと、そう喧嘩腰になるのだ。状況を考えろと先程言われておっただろう。少し黙れ、そして無事に帰れたら好きなだけやれい!」

 

 “聡明英知”の言葉は二人の言葉を止めることはできたが、内容は全員を沈鬱な気分に導くのは十分だった。“巨神操演”が再び周囲を見回し、声を上げるのに先程よりも長い時間を要した。

 

「あー、あー……“時間乱流”、時間ってことだけど、貴方に何か心当たりはないわよね」

 

「あるわけないじゃん……それに僕の知ってる至宝じゃ、こんなことはできないぜ」

 

「おう、じゃあよ。とりあえずは今どこにいるかを確認しようじゃねえか。場合によっては一度、本国に戻った方がいいだろ?」

 

「……確かにな。おっさ、“天上天下”の言う通りだ」

 

「おう“神領縛鎖”いまなんつった、ちょっとこっち来いや」

 

「じゃ!本国の位置と距離をお願い」

 

 ようやく、場の雰囲気がそれなりに戻ったのを感じた“巨神操演”は“占星千里”を急かして話を進めようとする。だが、それは叶わなかった。

 

「感知不能」 

 

「どういう意味?」

 

「本国も感知範囲外って意味」

 

「……冗談だろ?」

 

「感知妨害無し」

 

 その言葉にほぼ全員が空を見る。屋内ではない上、感知魔法が阻害されていないのであれば本国とこの空は繋がっているはずだ。

 

「世界の果てに飛ばされたとでも?大陸極東、あるいは別大陸……とか?」

 

「だとしても神々の至宝の御力により方位はわかる筈じゃ、そうだな?」

 

 “占星千里”が力なく頷く、見れば彼女の顔はここにいる誰よりも白い。死人のようにしか見えなかった。

 

「じゃあ!ここはどこだってのよ」

 

「死した者が旅立つ冥界、悪魔の済む魔界、神々のおわす世界、ぱっと思いつくのはこれぐらいですなあ」

 

「おう、やめてくれ。どれでも俺ら死んでるってことじゃねえか」

 

「身体に痛みがある以上それはないでしょう、それよりも感知魔法が無理ならカイレ様と“隊長”を捜索せねば」

 

「んだな、こうしててもしゃーねえ!動くしかねえな」

 

「待てい。何の手掛かりもなく動くは死の道を行くに等しい。それに我々は傷つき、弱っている。もう少し態勢を整えねばな、“占星千里”」

 

「了解」

 

 方針がようやく定まり始め、結界が展開される。不可視の者が範囲内に入れば浮かび上がる……筈だが、“巨盾万壁”の話では先程やすやすと突破されている。だが、やらないよりはましだ。

 

「では、私が魔獣を召喚し周辺を探らせましょう。カイレ様か“隊長”の痕跡、あるいはもっと安全な場所が確認できれば移動するということでよろしいですね?」

 

 全員が頷き“一人師団”が儀式を開始する。程なく空間に開いた黒い穴から大狼(ダイア・ウルフ)真紅の梟(クリムゾンオウル)が召喚された。

 

「ん!召喚が出来るってことは、地続きかな?だといいんだけど」

 

「ええ、正直ほっとしています」

 

「どうでしょうなあ。魔界から悪魔が呼べるのですから、魔界や冥界で魔獣も召喚できるのではないですかなあ」

 

 “人間最強”の言葉を“一人師団”を含む全員が黙殺する。間違った事を言っているわけではないが、士気に関わるのでいちいち水を差すのはやめてもらいたい。

 

「……念のため巨大蛇の王(ギガントバジリスク)も呼んでおきましょう。周囲を警戒させます」

 

「では、今のうちに各々状態の確認と所持品の確認を行えい。だが、警戒は怠るでないぞ」

 

「了解」

 

 全員が周辺を警戒しつつ、黙々と状態を残った所持品のチェックを行う中で“一人師団”の報告だけが響く。

 

「周辺は平野ではなく、山中のようです。見たところかなりの起伏があり、高い場所は岩山になっているようです」

 

「……川が確認できました。辿れば人里があるかもしれません、向かわせます」

 

 おっ、という声が誰ともなく上がる。任務遂行中は街に立ち寄ることは推奨されないが、目標となる場所があるのはありがたい。

 

「鳥や獣の声はしますが、未だ姿は見えません……!?ダイア・ウルフが何者かに倒されました、敵影が確認できません……二匹目が!?速い!こちらに向かってきている。ギガントバジリスクを進路上に向かわせます、方角は十時!戦闘態勢を!」

 

 “一人師団”の言葉に全員が素早く武器を装備し、立ち上がる。だが、態勢を整える前に続いた彼の言葉に全員の顔が強張った。 

 

「ギガントバジリスクが……倒されました」

 

「……まじかよ」

 

「来る。四秒」

 

 “占星千里”の言葉に全員が敵が来るであろう方角に向き直る。きっかり四秒後に結界に引っかかったのか火花が散り、数mはある大剣を持った鎧が現れた。

 

「おう、どうやってこんなバカでかいのが、森の中を抜けてきたんだ?」

 

「正体、難度不明。鎧巨人と呼称。“巨神操演”」

 

「……あいよ!いきなさい、まーちゃん!」

 

 “巨神操演”の声と同時に肩掛け鞄より黒い影が飛び出した。瞬く間に膨らんだそれは、四本腕の巨人―ゴーレムへと変じる。のっぺりとした外見、大きめの頭に大きな丸が二つついただけの簡単な造形だが、謎の鎧巨人よりも大きいその体躯は、頼もしさを感じさせる。

 

「ぶっ飛ばせ!」

 

「マッ」

 

 ゴーレムが大きく振りかぶった右二本の腕で、同時に鎧巨人に殴りかかる。だが、鎧巨人は素早く体勢を整え、手に持った大剣で二つの拳をガードした。耳が破れんばかりの金属音が鳴り響いたが、鎧巨人は微動だにしない。

 

「うっわ、やばいよ。あの動きはモンスターじゃない」

 

「嘘でしょ!?まーちゃんの攻撃が効かないなんて!でもこっちの方が腕は多いわ、なんとか押さえつけてやる!その隙に攻撃して!」

 

「鎧巨人二体目確認、後五秒」

 

 “占星千里”の言葉に一行に戦慄が走る。 “巨神操演”のゴーレムと互角以上のあの化物が二体となれば、被害無しには切り抜けることは困難を極めるだろう。

 

「こうなってはしかたないですなあ。“巨神操演”申し訳ないですが、古い方をしばらくそのまま。“神領縛鎖”は新しいのを結界に入ったと同時で、何とか抑えて欲しいですなあ」

 

「おう!動きが止まった瞬間に俺たちでぶちかましてやる、頼んだぜ」

 

「……おっさん共、無茶苦茶言うんじゃねえよ」

 

 話してる間に火花が散り、全く同じ鎧巨人が現れる。その周辺には既に神鎖の渦が展開していた。

 

「……おらよっ!」

 

 神鎖が生き物のように鎧巨人の腕や胴、腰に巻き付いた。その両端は周辺の木に巻き付いたり、地面にアンカーのように潜り込んで対象を固定する。“人間最強”、”天上天下”は既に大剣と大斧を振りかぶって駆けだしていた。狙うは超大型の亜人や魔獣と戦う時のセオリー通り、左右の脚部。

 

「ふっ!」「おらあっ!」  「あっ」

 

 しかし鎧巨人は縛られたまま、その場で棒立ちにはなっていなかった。神鎖を巻きつかせたまま、まるで何もされていないかのように大剣を横薙ぎに振う。固定のための木々や地面に刺さった部分があっさりと引っこ抜かれ、攻撃を行うために突っ込んできた二人を襲った。咄嗟にガードしたものの、二人は木っ端の様に吹き飛ばされる。その背後では、ゴーレムがパンチをかいくぐった鎧巨人のショルダータックルを受けて、木々に叩きつけられていた。

 

「いかん、状況は不利!“一人師団”、大型魔獣を召喚して盾にせい!囮にして撤退を……ぐおっ!」

 

「“聡明英知”!?」 

 

「うしろからてきが!」

 

 結界の中にも拘らず、朧げにしか姿の見えない敵が複数背後より迫っていた。見れば“聡明英知”は大型の四脚獣のような輪郭の魔物に噛みつかれ、木々の向こうへと引きずられていく。その獣との間には、やはり朧げにしか姿の見えない戦士。

 

「ああもう、みんなぁ!僕に近寄るなよ!……死ねよ」

 

 “時間乱流”が己の持つ力を解放する。周囲に波紋が広がり、波紋に触れた草木の揺れ、落ちる葉の速度がまるでスローモーションのようにゆっくりとなった。“時間乱流”は自身のタレントと至宝を組み合わせることで、周囲数メートル程の範囲だが時間の流れを数倍に加速・減速させることが可能となる。そして彼はその中で、全く影響を受けずに行動することができるのだ。この空間内では、彼は無敵と言ってもいい。“時間乱流”はわずかに輪郭が見えるだけの敵に対し飛びかかかり、必殺の刺突を叩きこむ。

 

「無駄ダ」

 

「え?」

 

 しかし、時間が数倍に遅くなった筈の空間内で彼がかけられた声は、通常と変わらないものだった。驚愕と共に、あっさりと手の武器をはじかれ、返す剣で足を切断され無様に地面に叩き落とされる。

 

「っぎゃっ!」

 

 叩きつけられた“時間乱流”に透明な獣が襲い掛かる。鎧巨人が再びゴーレムを吹き飛ばし、轟音が周囲に響いた。もう一体の鎧巨人も神鎖をものともせずに大剣を振り回し、周囲の木々を両断しつつ二人の戦士を圧倒している。“一人師団”が呼び出した大熊(ダイア・ベア)も透明な獣と戦っていたが、明らかに手傷が多い。もはや漆黒聖典の敗北は時間の問題と思われた。そこにダメ押しの、絶望的な声が響く。

 

「鎧巨人……三体目確認」

 

「おう、流石にねえだろこれは……」

 

「神よ……」

 

「……ちくしょう!どうすりゃいいんだ!」

 

 

 

 

 

 

 

「……ここまででよいか」

 

 アインズは呟くと、ムービーを停止する。周辺にはムービーに映っていた、漆黒聖典捕縛を為したシモベ達が揃って跪いている。

 

(連携がとれているようにも見えるが、個々が勝手に戦う中で幾人かが上手く合わせているだけだな。あのギルド……“連合”の連中に似ている。それに装備の力に頼りすぎだ、これなら陽光聖典の方が余程精鋭部隊らしい。本当の意味で自分達と互角以上の相手と戦ってこなかったのか、あの長髪の男に頼りっきりだったのかわからないが……それにしても何かが引っかかるな)

 

「はっ、ありがたき幸せ」

 

 ムービーの内容から漆黒聖典の評価を“何か気になるがとりあえず微妙”と結論付けたアインズの声に、一団の真ん中にいたエイトエッジ・アサシンが応える。部隊にはエイトエッジ・アサシンより高レベルのシモベが複数いるにも拘らずだ。その様子に何かを感じたアインズはもしや、と思い問いかけた。

 

「……お前はカルネ村でも、部隊を率いていたか?」

 

「なんと、至高の御方が私如きを覚えていて下さったとは……光栄の至りにございます」

 

(おお、あっていた。本当にちょっとだけど、こっちは課金モンスターやアンデッドにも個体差があるんだよなあ、外見じゃほぼわからないけど……そうだ)

 

 ある事を思いついたアインズはインベントリを開くと、勲章の形をしたアイテムを探し当てる。

 

「主人として、優れた働きをした部下には報いねばならん。これを授けよう」

 

 アインズがエイトエッジ・アサシンの肩に取り出したアイテムを触れさせると、そのままエイトエッジ・アサシンに入り込んだ。ユグドラシルには消耗品扱いとなるが、モンスターに使用可能な装備アイテムがいくつか存在する。この勲章の形をしたアイテム、准尉の証(インシィグニィア・オブ・ウォーラント・オフィサー)もその一つで、指揮能力付与に加えステータスも上昇する優秀な装備だ。しかし実装時期と、ある理由から一部の層を除いてあまり人気が無かった。

 

(しかし、なんで角が生えてしまうかなあ。今はそれが目的だからいいけど)

 

 アインズの考えている通り、エイトエッジ・アサシンの額には二本の角が生えていた。○○の証系統は装備すると人間種の場合は特定装備位置に○○に応じた紋章が浮かび上がり、異形種やモンスターは角が生えてしまう(元々角が生えている場合は立派になる)という強制効果があった。

 入手レベル帯から考えるとそこそこ優秀なアクセサリーなのだが、外装が変化してしまうためにアプデ前プレイヤーには不評で、もっぱら課金モンスター強化に使うアイテムとされていた。超大型アプデ“ヴァルキュリアの失墜”からの実装だったこと、下位なら初期から手に入ることなどから、新規プレイヤーのメリット、デメリットの入門を兼ねた救済アイテムだったのかもしれない。

 

 アプデ後に手に入れ、ギルドのみんなでどう外見変わるかな?と回して試着していたところ、アインズは予想通り二本の角が生えて鬼の骸骨みたいになった。「こっちの方がかっこいい」との感想が和風装備を好む一部から出て、自分でもちょっとかっこいいとその気になりかけたが「モモンガさんの最強装備に似合わなくない?」と言う意見で我に返ってやめることにした。

 結果としてはどの証であってもちゃんと種族別に違和感のない角が生え、上位の装備ほど立派な角が生える。そして頭部が人間種に近ければ近い程複数、そうでなければ一本角が生えやすいというあまり役に立たない情報を得て終わった。ちなみに仲良し姉弟は揃って一本角が生え、姉に生えた丸っこい短角を見た弟が何を言って、その後どうなったかはもはや語るまでもないだろう。

 

「合わせて、お前を正式にパンドラズ・アクターに貸し与えている不可視部隊長に任命する」

 

「……ありがたき幸せ。今後も不退転の決意で、至高の御方様にお仕え致します」

 

(本当は隊長格は簡単に見分けがついたほうが話しかけやすい、というだけの理由なんだけど……)

 

 感動に打ち震え全身に力を漲らせて礼をするエイトエッジ・アサシンと、その背後で羨望の眼差しを向けるシモベ達を見て、アインズはちょっとだけ罪悪感に襲われる。この部隊が更に手柄を上げた時は、隊員であるシモベにも褒賞を与えたほうがいいのだろうか、と悩み始めたアインズの背後より声がかかった。

 

「お待たせしました、アァインズ様!世界級の保管、及び捕縛した者達の処理を完了いたしました!」

 

 仰々しく礼をするパンドラズ・アクターの背後には、先程山河社稷図から取り出した漆黒聖典の面々が浮かんだゼラチナス・キューブが列をなしている。

 

「ご苦労……ふむ?」

 

 ゼラチナス・キューブに浮かぶ男女の姿をざっと見たアインズは、先程のムービーと同じ違和感が湧き上がってくるのを覚えた。

 

(一体何だ?喉に何か引っかかってる様なこの感じは……)

 

 絶対知っている筈の漢字をど忘れして、思い出せないような気持ち悪さだ。キューブの周りを歩きつつ口元に手を当てて考える。だが、やはりそれが何なのかはわからない。アインズはこのまま考えても思い出せないな、と自身の経験から先送りを決定する。

 

「……手間を掛けさせたな。ああ、お前にも伝えておかねばな、このエイトエッジ・アサシンをお前に貸し与えた部隊の隊長に任命した。以後はそのように扱え」

 

「畏まりました、以後はその者を部隊長と致します。では、早急にご報告したい事がございます。よろしいでしょうか」

 

 その言葉にアインズは宝物殿に来た際にパンドラズ・アクターがまず報告を、と言ったのを押しとどめて山河社稷図の処理にかかったこと、世界級の保管を指示したことを思い出す。思ったよりもシャルティアの部屋で時間を使ってしまったため万に一つもあり得ないとしながらも、ユグドラシルプレイヤーの性として、何よりもまず世界級の処理を優先したかったのだ。

 

(特に山河社稷図は脱出された場合は所有権が移ってしまうからな……そのための最速記録だが、余裕を持っておくのは当然だ)

 

 自分達が入手した経緯から想定攻略時間と秘匿された攻略方法を探る為に、ぷにっと萌えさんの提案により始まった山河社稷図TA(タイムアタック)数回の開催を経て、絵画の世界の内容を熟知しアインズを含む最適装備・最強PTで叩きだした最速記録はその後数回の開催でも破られることはなかったため、ある時を境にTAは開催されなくなった。

 TA終了以降も山河社稷図に入ったのは、ときおり絵画の世界の風景を見に行きたがったブループラネットさんくらいだ。彼の言によれば「通常のフィールドより遥かに作りこまれており、東アジアのかつての風景を再現しようと努力した跡がみられる」らしい。そもそも絵画の世界を統べるあれの存在がある以上、最低でも100LVプレイヤーか、かつて所有した事がある者がいなければ脱出は不可能と断言できるが、それでも気になってしまうものは仕方がない。

 

「そうだな、お前の報告を後回しにさせてすまなかった、はじめよ」

 

 アインズの言葉とほぼ同時に、パンドラズ・アクターがどこからかファイルのようなものを取り出し、報告を開始する。以前にも同じものを取り出していたが、必要なのだろうか。

 

「はっ、アインズ様とシャルティアお嬢様が御帰還され後処理をしていましたところ、あの場に接近する存在を感知しましたので“慈悲の矢”にて迎撃を行い消滅させました。おそらくは、この者達……漆黒聖典の監視者であったと思われます」

 

「なんだと?」

 

 自身が思っていたよりも、遥かに剣呑で重要な報告にアインズは動揺する。慈悲の矢はペロロンチーノのサブウェポンの一つ、月女神の弓が持つ切り札的な力だ。消耗品ではなく、一日に一回使用可能な武器スキルともいうべき力なので日を跨げば回復するのではあるが、使う必要がある程の敵が出現したとはにわかには信じがたい。今までこの世界で見た中では、あの魔樹と“隊長”という男以外はレジストの成否に関わらず滅ぼせる力だ。

 

「慈悲の矢を使用する程の敵であったのか?いや、その前になぜ監視者と判断した?」

 

「あの場は私が展開した魔法により外部から隠蔽された状態にも拘わらず、ほぼ直進ルートで接近してきたことから漆黒聖典の監視者と判断致しました。ここからは推測となりますが、スレイン法国の上層部は先日捕縛した土の巫女姫達が監視任務を失敗……破壊の嵐が起きたため魔法的な監視を断念し、物理的監視に切り替えたと考えるのが自然でありましょう」

 

「……続けよ」

 

「かなりの距離をとって追跡していたのは法国の監視は対象に秘密裏で行うゆえ、追跡の発覚を恐れてだと考えられます。おそらくは対象が森に残した痕跡を辿っていたのでしょう、そして異常を確認した場合あのエ・ランテルの冒険者と同様に即時撤退、報告に戻る任を受けていたものと思われます。現地の監視網はまだ生きておりますが、さらなる追跡者は確認しておりません」

 

 パンドラズ・アクターの報告と推測には、アインズが疑問を差し挟む余地はないと思えた。確かに陽光聖典の監視者に対してせっかくなので、と覗き見を後悔するレベルの魔法を〆に使うように指示したため、あれで感知魔法による監視を諦めた可能性は非常に高い。であれば、監視者を付けるのは確かに理にかなっている。だがそれでもいくつかの疑問は残る。

 

「なぜ捕縛ではなく攻撃を選択した?慈悲の矢を使う必要はあったのか?」

 

「追跡者が私の監視網同様、使い魔にされており何者かに視覚映像を見られている可能性を考慮しますと、捕縛の場合多くの情報を与えてしまう恐れがございます。泳がせることも考えましたが、より長時間の映像が残ってしまいこれもまた多くの情報を与えかねません。情報処理に長けた相手に映像を精査された場合、我が監視網の絡繰りを看破される可能性もございます。ゆえに、対処として不可視の超々遠距離狙撃により一瞬で処理するのが最適と判断致しました。慈悲の矢であれば痕跡は残りませんし、リンクを繋げた使役中の使い魔を突如弑された場合のペナルティ、主人にも少なからずダメージが入ることも期待致しました」

 

(えー……流石に考えすぎじゃないか?確かに自分達が出来る事は相手にも出来る、という考えは間違ってはいないが、あのレベルじゃなあ)

 

 慈悲の矢を使用した理由として挙げられた、パンドラズ・アクターの過剰とも思える用心を聞いたアインズは自分自身の心配性を完全に棚に上げ、やや呆れつつもパンドラズ・アクターが提示した可能性を考えてみる。

 

(使い魔を使役できる距離は、<伝言>などの魔法と同様に魔力の強さに比例する。今までの情報から、それ程の魔力を持つ存在がいるとはとても思えない。たかが第八魔法を行使するのにあれ程苦労しているわけだしな……それに、仮にプレイヤーがいたとしても、映像を精査して監視網を看破するとか……そこまでの事は出来ないだろう。そんな事が出来るのは、それこそデミウルゴスとか……)

 

 そこまで考えた時点でパンドラズ・アクターが考えている事。そして自身が見逃していた、あるいは当たり前すぎて意識していなかった点にアインズは思い当たった。

 

「スレイン法国にそれ程の者が……いやこういう言い方はやめよう。法国にプレイヤー、もしくはNPCがいるとお前は考えているのだな?」

 

「可能性は極僅かと思われますが、排除できる程ではありません。世界級、しかも“二十”をあの程度の者に持たせていた事から既にプレイヤーもNPCも存在せず、ニンゲン共が身の程知らずにも至高の宝を乱用している可能性が遥かに大きいとは思いますが、万が一という事もございます」

 

「ふむ」

 

 あの老婆達の言葉から、過去の法国にプレイヤーがいたのはもはや確定事項。そしてパンドラズ・アクターと同じ理由で今現在プレイヤーはいないのではないか、とアインズも考えていたのだが、NPCだけが残っている可能性は意識していなかった。プレイヤーとNPCはセットだという観念があったのだろう。

 

(この世界に伝えられている従属神の姿は、異形種が含まれてる事を明確に示している。盗みの神の“八本指”や、その兄弟神の“六腕”はまず人間種じゃない。法国の伝承によると、多くが魔神となったんだっけ?だとしても多く、ということは少数は魔神とならず存在している事を示唆している。それに異形種であれば寿命はない)

 

「今回捕縛した者達から情報を絞ればプレイヤー、NPCの存在を含め、より正確に法国の実態を知ることは出来ましょうが、あの場では存在すると考えたほうが後々の禍根を残さぬと判断致した次第でございます」

 

「……よかろう、他に報告すべき点はあるか?」

 

 あれこれと考えていたアインズはパンドラズ・アクターの言葉に、それもそうだなとこの話題を終了させる。パンドラズ・アクターの過剰な用心深さは、自分が創造主であることが原因かもしれないと、今さらながらに思い当たったということもあった。

 

「はっ。アインズ様に回収を指示されていた冒険者の女なのですが、回収前に追跡者を感知いたしましたので報告のため撤退を優先いたしました。監視はつけておりますので、報告後に周辺を警戒した上で回収に参ります」

 

 また意外な報告だった。しかし、これは先程とは違いアインズにとってありがたい内容だ。回収されていないのならば、放置させるだけで悩んでいた問題が全て解決する。

 

「いや、待て……回収は後日でよい。私に少し考えがある、監視は継続せよ。その時になったら再度指示を出す」

 

「……畏まりました」

 

 パンドラズ・アクターの声に僅かに感情が含まれたのを感じとり、アインズは心中で冷や汗を一粒流す。あれだけ怒りと呪詛に塗れた言葉で厳命したにも拘らず、回収を延期したのを不審に思わぬわけはない。

 

「では次に監視を付けた野盗ですが、エ・ランテルに向けて移動しております。こちらはいかが致しましょう」

 

 パンドラズ・アクターがすぐさま別の報告を始めたことで、アインズは深く安堵する。野盗というのはあの剣士、ブレインとかいう男の事だろう。シャルティアに処理を約束した以上どこかで捕えたいが、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフとの関係が判明するまでは泳がせたい。さてどうするか。

 

「そちらも監視を継続せよ。随分と順位は落ちてしまったが、この世界の強者であることは間違いないのだろう?何が目的で野盗などに入り込んでいたのか、些か気になるのでな」

 

 大して重要とも思えない案件だし、時間がなく情報が足りない時は先送りに限る。世界級の保管、漆黒聖典の処理、冒険者の女への対処と重要課題となる案件は全て片付いていたこともあって、アインズは何気なくそう口にした。

 

「なるほど……了解いたしました、報告は以上でございます」

 

「うむ、では私はカルネ村に戻る。考えがある故、今夜の事は少なくとも私が再度帰還するまでは秘匿せよ」

 

 パンドラズ・アクターが、目にもとまらぬほどの速さでファイルにチェックを入れ、深々と一礼する。

 

「御身の御心のままに」 




ご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。

漆黒聖典の通り名?が全員分出てないので妄想設定です。原作で判明した場合、通り名は直すつもりです。

次回はエ・ランテル、の予定

追記

わかりにくいと思われる部分を修正いたしました。

八本指 → 盗みの神の八本指

六腕  → その兄弟神の六腕


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Collect

※このSSは10巻までの知識と、それに基づいた妄想設定で書かれています。なお、妄想設定はどんどん増えていきます。あらかじめご了承下さい。


 日の出より間もない早朝の内に、アインズを含む一行はカルネ村より出立した。村の朝は早い、ということなのか多くの村人が既に作業にとりかかっている中での出発である。

 

(しかし……)

 

 一行の視界を塞いでしまうのを防ぐため、最後列でハムスケの背中に備えられた魔獣用の鞍に跨るアインズの脳裏に浮かぶのは、まだ夜明け前だというのにゴブリン達と戦闘訓練に励むエンリ・エモットの姿だ。

 前回カルネ村を出る時にも出会ってはいたのだが、その時は水汲みを行っていた筈。出発直前には姉の代わりなのか、ネムがゴブリンの一匹と水汲みを行っているのを見かねてつい、手伝ってしまった。モモンさんってなんかアインズ様に雰囲気が似てるー、と言われた時には心臓が飛び上った、無いけど。

 

(それはともかく、村の様子が私が見た範囲でも明らかに違う。防備も前回より堅牢だし……あの木を斜めに組み合わせた持ち運び可能な柵は騎馬用だよな? あれは前回は間違いなく無かった。他にも幾人かの男が長槍を作り訓練を受けていたが、こちらも弓の訓練だけだった筈だ。両方とも騎馬兵に対する備えということは、あいつ等のせいだろうが……)

 

 まだ数日だというのに、あまりにも多くの事がずれてしまってきている。この分では、前回の記憶が知識面でしか役に立たなくなるのは、アインズが思っていたよりも早いのかもしれない。

 

(前回と同じように、と努めて行動してこれだからな。昨晩のシャルティアの一件はどれほどの影響がでたものか)

 

 昨晩の一件は、アインズが知らぬ場所で今までより遥かに大きなズレを生むことになるだろう。だが、それがどう巡って自身に戻ってくるかは神ならぬアインズにはわからない。出来る事と言えばより多くの情報を得ることと、その情報に基づいた対策を立てることぐらいだ。

 

(で、その行動がまたズレを生むんだよなあ……でも、情報を得たのに対策を立てないなんて事はできないし……)

 

 アインズが答えの出ない考え事をしているうちにカルネ村は後方に姿を消し、前方より聞こえる会話はモモンやナーベ、森の賢王であるハムスケの話題を経て、カルネ村の事に及んでいた。

 

「しかし、ンフィーレアちゃんから聞いてたよりずいぶん逞しいというか、凛々しい子だったな、エンリちゃん」

 

「ゴブリン達の主人ってのも驚いたけど、訓練や防衛に関しての責任者ですものね。村の方々に比べても意気込みというか気迫が違いますよね……わかりますけど」

 

「カルネ村は王国でも珍しく安全で平和な場所でしたから。襲撃でご両親が亡くなった事に強いショックを受けたみたいで……早い内にもう一度来なきゃ……」

 

「その時は、また我々を護衛に雇って頂けるとありがたいですね」

 

「うむ、続けて雇って頂けるのであれば、我々も勉強するのである! お得意様は大事にしなければいかんのである!」

 

「はは、そうですね。お安くしていただけるのであれば助かります」

 

 ンフィーレアと漆黒の剣の面々の会話を聞いているうちに、アインズの胸にちょっとした疑問、あるいは懸念が去来する。

 

(まさかと思うが、エンリに生じた変化のせいでンフィーレアと上手く行かないなんてことは……ない……よな?)

 

 自分の行動で本来幸せになる若人の運命を捻じ曲げてしまうというのは、アインズが嫉妬マスク所持者であっても……いや、だからこそ寝覚めが悪い。それにンフィーレアにはポーション作成だけでなく、他にもやってもらいたいことがあるのだ。

 

(一段落したら、カルネ村の件も含めて考えねばな……)

 

 シャルティアの件が片付いた以上、記憶通りなら過密スケジュールは今日明日までだ。しかし、アインズはここ数日で得た様々な新情報をもう一度整理し対応する必要がある。それを思うと気が滅入ってくるが、頭を振ってその考えを吹き飛ばす。

 

(いかんいかん、私はアインズ・ウール・ゴウン。ナザリックの主人なのだ、ナザリックの利益のために労を惜しんではいけない)

 

「どうしましたか、モモンさん?」

 

「いえ、何でもありません。朝が早かったのでまだ少し眠気が残っているようです」

 

 いつの間にか最後列へと下がってきていたニニャに話しかけられ、アインズは少し驚きつつも普段通りに応対し、昨日までと変わらぬ会話を始める。思ったより深く考えに没頭していたようだ。そしてアインズは今さらながら、当たり前の事に思い当たった。

 

(そういえば、もう今夜か……はやいな)

 

 

 

 

 

 カルネ村からエ・ランテルへの帰路は前回同様に魔物や夜盗の襲撃もなく、平穏な道程だった。違う事と言えば、先頭を行くナーベラルが動物の像/戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル/ウォーホース)によって召喚された重装甲巨馬に騎乗している事だろうか。漆黒の剣の面々には以前手に入れたマジックアイテムの一つだが、一人しか騎乗出来ない事、荷を載せたり馬車を引かせたりすることができないため使っていなかったと説明した。ナーベラルを一瞥した後、アインズは自身と話すために、時折後ろに下がってくるニニャの背中を見る。

 

(さて、どうしたものか)

 

 カルネ村からの道すがら、たわいもない話をしながらもアインズの頭を悩ませていたのはどうやってニニャを助けるか、という御題であった。昨日の時点ではシャルティアの件が控えていたため、まあどうにかなるだろう程度にしか考えてなかったのだが、よくよく考えてみると、ニニャを助けるのはなかなかに難題である。

 

(シャルティアのように、今後に与える影響を考慮しないなら話は簡単なんだが……)

 

 いくら何でも、アインズはニニャにそこまでの価値は認めていない。今後に与える影響はなるべく軽微であるべきだ。ニニャをンフィーレアの店に理由をつけて同行させない場合、漆黒の剣の仇をとろうと行動することは明白で、些か都合が悪い。ではニニャを殺される直前で救い出す場合はどうかといえば、ンフィーレアの店であの連中と接触しなければならない。タイミングを見計らえばニニャだけを助けることは容易だろうが、ンフィーレアの身柄やリィジー・バレアレとの交渉はどうすればいいのかという問題が残る。あの時は上手く話が転がってくれたが、状況が変われば上手く行く保証はない。

 漆黒の剣全員と行動を共にして、全員を助けるのは論外だ。アインズは漆黒の剣の面々に価値を見出していない上、どのような展開になるか想像もつかない。更にニニャ一人なら管理下に置く事が可能だろうが、チームとなればそうはいかない。未来への影響を考えると、助けた上で管理下に置かないという選択肢はアインズには無かった。

 

(助けるからには、役に立ってもらわねばならないしな)

 

 ニニャを助ける理由はセバスの嫁……でいいのだろうか、ツアレの存在と自身の恩返し、ニニャ個人の強い意志に感嘆したから等いくつかあるが、それら全てを併せても少々微妙なラインだ。

 助ける対価として、アインズやナザリックのために役に立ってもらわねばならない。未だ何をさせるかの具体的な内容は決まっていないが、魔法詠唱者でありタレント保持者である彼女には、新しい魔法の研究辺りをさせるのがいいのだろう。

 

(それもこれも無事に助けてからなんだが。ちょっとした工夫で簡単に、とはいかないか……昨日の内にもう少し考えておけばよかったな)

 

 昨日はシャルティアの件があったので、考えるにしても大してまとまらなかったことはわかっていつつも、少し後悔する。そうこうしているうちに夕焼けの中、エ・ランテルの影が前方に現れていた。時間切れだ、とアインズは心の中でため息をつき、仕方なく最初に考え付いたが却下した方法を採用することにする。念のための保険として、マジックアイテムである動物の像を使わせておいたのは正しい判断だった。

 

(少し勿体ないような気もするし、失敗の可能性は残るが……その場合は前回と何も変わらない、というだけだ)

 

 ふと、アインズはニニャを除く漆黒の剣の三人、ペテル、ルクルット、ダインの背中を順に眺める。前回の彼らとの別れは突然だったが、今回の別れはこのすぐ後であることがわかっている。だが、やはりアインズの心が大きく波うつことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 彼女は全身が柔らかく、あたたかい靄のようなものに包まれていくのを感じていた。暗く冷たい闇の中から、彼女を引き上げようと手が差し伸べられている。しかし、彼女はその手を掴むのを躊躇した。何もかもがおぼろげな中で己を苛んだ暴力と苦痛、恐怖を思い出させる存在をその先に確かに感じたのだ。

 

 手がすぐ近くまで差し出されているのを感じつつ、時間だけが過ぎていく。実際にどれだけの時間がたったのかわからないが、どこかから姉の名が聞こえた。その名を聞いた彼女の胸に暗い炎が灯る。この手が何なのかはわからない、だが彼女は理解した。

 

(ここにいては、姉を助けることはできない)

 

 すぐ傍にはまだ手があった、その先におぞましい何かがいることは確かだ。だが、この手がたとえ伝説に聞く悪魔や魔神のものだとしても、掴むことで姉が救えるなら――あの豚共に復讐する事ができるのならば、この手を掴まない理由は彼女には無かった。

 

 確かな決意を持って、力強くその手を掴む。暴力的ともいえる力によって一気に己が闇より引き上げられ、光が広がっていった。

 

 

「ふむ、どうやら成功したようだな」

 

 蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)により蘇生魔法を行使した己の感触から、ニニャの蘇生が成功したことを確信する。ザリュースの時の事を思い出し、ツアレニーニャ――ニニャの実姉であるツアレの本名を持ち出して、助けたくはないのかと呼びかけたのが功を奏したようだ。大量にあるとはいえ補充の目途が立っていないアイテムを使ったのだ、無駄になるのは避けたい。

 

(そうか、この世界でのマジックアイテムの開発に従事してもらうという手もあるな。まあこれはニニャでなくとも構わないが)

 

 アインズはニニャの身体の状態をざっと確認する。殴打の痕は多少残っているが、柘榴のような顔の腫れは殆ど引いており、潰された左眼は再生したのか、閉じられた瞼は左右共に盛り上がっている。関節が全て逆に折り曲げられた指も、丹念に骨を砕かれていた指も元通りだ。すぐに意識を取り戻すため、流石に服の下までは確認しない。

 

(つくづく、魔法というのは便利なものだ……おっと)

 

 意識を取り戻したであろうニニャの体が僅かに震えるのを見て、すばやく手にしていた蘇生の短杖をしまい込み、逆の手で用意して置いた石を軽く握りつぶし、声をかける。

 

「……大丈夫ですか、ニニャさん。私の声が聞こえますか?」

 

「も、もん、さん」

 

 薄く目を開き、途切れ途切れにニニャが声を発する。表情が状況を理解できていない茫洋なものから、最後の記憶によるものか恐怖と混乱へと移り変わっていく。リザードマンのザリュース・シャシャ、ウォー・トロールである武王、ゴ・ギンに話は聞いていたのだが、異形の二人の表情はアインズにはよくわからないため、本当にそんな風になったのか?とわずかに疑問を抱いていた。だが、ニニャの表情の移り変わりから考えると話に聞いた通りのようだ。恐慌状態に陥らぬよう、意識して力強い声で端的に状況を説明する。

 

「賊はもうここには居ません。私の他にナーベラルも来ています、もう大丈夫です」

 

「わたしは、なぜいきて……みんな、は?」

 

 アインズは、片方の掌を開いてニニャに砕けた石を見せる。

 

「この……マジックアイテムでニニャさんを蘇生させました。ペテルさん達は残念ながら動死体(ゾンビ)にされていて助けられませんでしたが」

 

「そ、せい? え?」

 

 使い切りのマジックアイテムでニニャを蘇生させた、と勘違いさせるための偽装だが効果はあったようだ。当惑しているニニャの顔に徐々に理解の色が浮かぶ。その表情は歓喜ではなく、驚愕とより深い困惑によって形作られていた。

 

「な、なぜ、そんなきちょうなものをわたしに……」

 

「一昨日お話しした通りです。私と同じ想いを持つ人が、事を成せずに死んでいくのを見過ごすわけにはいきません。それだけです」

 

「ももん、さん……」

 

「後の事は私に任せて下さい、蘇生直後は動くこともままならない程、疲労していると聞きます。詳しい話は目が覚めた後で……リィジー!……さん、先程お願いした通り、ニニャさんをよろしくお願い致します。ナーベも手伝え」

 

「あ、ああ! 承知した」

 

「了解しました、モモンさ――ん」

 

 背後で目を丸くしていたリィジー・バレアレと、静かにたたずんでいたナーベラル・ガンマが、ニニャの体を左右から支えて別室へと連れていく。

 

(あの様子なら、モモンの指示で管理下に置くことは容易だな。念のため護衛もつけておくか)

 

「ニニャを監視せよ、何かあればその身を護れ」

 

 その言葉と同時にアインズの足元より影が飛び出し、床を滑り扉の向こうへと消えた。何も起きないとは思うが、せっかく手間を掛けたのだ、つまらない事が起こらぬよう用心するに越したことはない。しばらくして、ニニャを運んでいった二人が部屋へと戻ってきた。

 

「言われた通り、体力回復のポーションと眠り薬を飲ませたが……なぜあんなことを?」

 

「答える必要があるのか?……まあいい」

 

 万が一にでもニニャが墓地に来られないように眠らせただけなのだが、リィジーより質問が来ることは想定していたので、用意して置いた答えを返すことにする。

 

「眠らせたのは、起きていても何もできんからだ。蘇生直後は体を動かすことすら満足に出来ぬ。置いて行かれて無力感に苛まれるより、眠っている間に全てが解決したほうがまだましだろう……これでいいか? では、我々は墓地へと出発する。冒険者組合や衛兵などへの連絡を頼んだぞ」

 

「わかった、わかったわい……もはやアンデッドの軍勢をお主らがどうするのかなどとは問わん。孫を救ってくれ!」

 

 マントを翻し、扉へと向かいつつアインズはリィジーの言葉に応える。

 

「見ただろう、私は契約を違えない。お前の孫、ンフィーレア・バレアレも必ず助けるさ」

 

 

 

 

 エ・ランテル外周部の四分の一を占める巨大共同墓地。帝国との戦争で命を落としたものを含む者達の埋葬地だ。アンデッドの発生を防ぐため、死者はしかるべき手順によって埋葬されなければならない。四メートルの高さの壁で囲まれた墓地は、それでも頻繁に発生する低位のアンデッドを墓地から出さないため建造されたものだ。その長大な防壁の中で、激しい戦いが起こっていた。

 

 「ホーッホッホッホ!」

 

 中位アンデッド作成により召喚された内の一体、殺人道化(キラー・クラウン)が不気味な笑い声をあげながら、コミカルな動作と共に数体のアンデッドを不可視の力によって砕き、引き裂き、踏みつけ飛び回る。太い体にもかかわらず身軽なのは、やはりピエロだからだろうか。

 

 「…………」 

 

 頭に穴が一つ開いたズタ袋を被り、両手に斧とマチェットを持ったもう一体の中位アンデッド、不死の殺人鬼(インモータル・マーダラー)は黙々と武器を振い、数体の骸骨兵(スケルトン)やゾンビを破壊し、確実に数を減らしていく。アインズは二体の暴れまわる中位アンデッドを眺めた後、視線を別方向に向けた。

 

(ふむ……思いついて試しては見たが失敗だったか)

 

 そこには下位アンデッド作成により召喚された二体の骨の領主(スカル・ロード)が、固有能力によって支配した墓地のスケルトンやゾンビを指揮し、攻撃を繰り返していた。支配したスケルトンやゾンビが倒されても、再び能力によって他のアンデッドを支配するという方法は有効だと思われたのだが……

 

(弱すぎて効率が悪い。この世界では同レベルのアンデッドとアンデッドが戦うと、かなりの泥仕合になるのを忘れていたな……)

 

 ユグドラシルならHPが尽きれば消滅するし、この世界であってもこれが人間の兵士と人間の兵士であれば、頭部に一撃を受けただけで戦闘不能になるのだろうが、何せアンデッド。頭蓋に穴が開き、片腕が欠落しても戦うのをやめない。胴体が真っ二つにされても、腕を使って這いずりながら戦うのだ。そして疲労せず、恐怖しない。

 

「スカル・ロードの能力で支配できるという事は術者に支配はされていないか、余程弱い支配しか受けていないかだな。召喚して暴れるがままにさせている理由はなんだ? この世界のアンデッドであっても支配できたことは収穫ではあるが……もういいだろう。進むぞ、ナーベ。ハムスケをうまく操ってついてこい」

 

 実験のためにでっちあげた理由を声に出して説明し、指示を出す。思い付きで実験をするにも、支配者であるアインズはそれらしい理由を考えたり、誤魔化したりしなければいけない。前回からのことだが、やはり少し煩わしい。

 

「殿……やはり何というか地に足がついてないと不安でござるよ……」

 

「了解いたしました、モモンさ――ん……さっき教えた通り下を見ないで、前を見ていなさい下等生物。バランスが崩れるわ」

 

 上空からハムスケとナーベラルの声がする。魔獣用の鞍が付けられたハムスケの背にはナーベラルが手綱を握って跨っており、ハムスケの首に鳥の翼を象った予備のネックレスが煌めいている。ハムスケに<フライ/飛行>を使用させ、その制御を騎乗スキルを持つナーベラルに任せることで慣れさせる方法は上手く行っているようだが、空を飛ぶのが初めてのハムスケは不安のようだ。

 

「もう少し……そうだな、あの大木の辺りまでいったら木の上で待機しててよい。あそこまでは耐えろ」

 

「りょ、了解したでござる! ナーベ殿、もう少しお願いするでござる」

 

 ハムスケが焦っているのか、その体に比して短い四肢を動かして前に進もうとするのを微笑ましく眺めながら、アインズはこの先で待つイベントを思い浮かべ、やや気持ちを高揚させる。だが、つい最近の苦々しい記憶がアインズの感情にブレーキをかけた。

 

(いかんいかん、期待しすぎるとうまくいかなかった時に辛い……んだけど、これ程わかりやすい比較イベントはないし、記憶の通りならしばらく……いやかなりの間こんな機会はない筈だしなあ。もうちょっと今からの事が思い出せればいいんだけど)

 

 一年前、しかもわずかな間の記憶だから仕方がないのだが、細かいやり取りまではとても思い出せない。己が腰に差した長剣を見る。この時のためだけに、わざわざ選んで持ってきたこれが無駄になるのはちょっと癪だ。

 

(……まあ、この間とは違う。致命的な間違いさえしなければ、今度こそ大丈夫な筈……頼むぞ、今度こそ私を楽しませてくれよ)

 

 

 

 

 

 

 墓地の最奥、霊廟の前。アインズは途中でハムスケから降りたナーベラルを従えて、歩を進めていた。前方にはいつか見たぼろっちいローブの集団が円陣を組んでいる。

 

「カジット様、来ました」

 

(ああ、そういえばそんな名前だったな。しかしこいつらには大した用はない。さっさと進めよう)

 

「やあ、カジット。良い夜だな。私達は依頼である少年を探しているんだが知らないか? いや、はっきり言おう。ンフィーレア・バレアレを返せば、命だけは助けてやらんでもない。早く決断してくれ」

 

 一気に言い切ったアインズに多少鼻白みつつ、カジットがすぐ横の弟子を睨みつける。

 

「冒険者、しかも銅級だと?……どうやってあのアンデッドの群れを突破してきた」

 

「ああ、この剣で薙ぎ払いながら進んできたよ、トブの大森林を歩くよりは楽だったな」

 

 とんとん、と大剣の柄を指で叩きながらアインズが答えると、カジットが激昂した。こちらがまともに答えていないと思ったようだ。

 

「ふざけたことを! たかが銅級冒険者如きがあれを突破できるものか! 本隊はどこにいる!」

 

「貴様……言わせておけばフタツメゴミムシの分際で無礼な」

 

 ナーベラルが剣に手をかけ、抜刀の姿勢に入るのを軽く片手をあげて止める。これ以上やり取りしても大した情報が得られないのはわかっているし、こいつには大して興味はないのだ。用があるのはあくまでもう一人だし、話を進めたい。

 

「よせよせ……しかし困ったな。こちらは真実をただ正直に話しているんだが。信じてもらえないなら仕方がない。霊廟に一人隠れているな? 出てくるがいい」

 

「何を……ここには儂ら」

 

「なーんだ、バレちゃってるんなら仕方がないねー」

 

 カジットの言葉を遮るように声が上がり、霊廟の奥から女が姿を現した。その姿、その顔を見てアインズは約一日前……昨晩自身が感じていた違和感の正体を悟った。

 

「あっ!……ああ、成程成程。そうか、そういう事だったのか」

 

「なーによ、人の顔見てあっ!なんて驚くなんて失礼な奴ねー。いったい何者?お名前教えてくれないかなー」

 

(しまった! つい……不味い、このままでは前回の流れから外れてしまう)

 

 アインズが顔と共に名前を思い出した女――クレマンティーヌは軽い口調とは裏腹に、警戒感を露わにしている。その様子に、アインズは自身が先程考えていた致命的な間違いを犯してしまった可能性を感じとり、心中で冷や汗を流しつつフォローすべく口を開く。

 

「あ、ああ、すまない。私の名はモモン、こちらはナーベだ。驚いたのはその……腰の刺突剣だ。まさか、彼らを殺したのが女だとは思わなかったのでな。だが、それで彼女だけがいたぶられた理由も何となくわかったよ」

 

 逃走されても即座に捕縛する手段はあるが、それではイベントが潰れてしまうので可能な限り避けたい。慌てたアインズはそれらしく聞こえるだろう言い訳をなんとか口にすると、祈るような気持ちでクレマンティーヌの反応を見る。

 

「んー? よく見えたねえ。マントしてるから、そうそう見えないと思うんだけどなー」

 

 クレマンティーヌがマントを少しだけあげ、腰の刺突剣を見せながら不思議そうにこちらを見ている。しばしの間沈黙が周囲を支配し、アインズの胸が精神的重圧で苦しくなってきたころ、ようやくクレマンティーヌが言葉を続けた。

 

「――ま、いいか。私はクレマンティーヌ、よろしくね。でもモモンとナーベなんて名前は耳にしなかったなー、カジっちゃんは?」

 

(え? カジっちゃん?)

 

 場違いな呼び方にアインズは先程までの不安が雲散霧消し、カジットという男をまじまじと見てしまう。禿頭で痩せぎすの不健康なその風貌にあまりにも似合わない呼び名だ。思わず笑いがこみあげてくるが、先程のような事は避けたいので何とか抑え込む。

 

「その呼び方はよせ! だが、儂もモモンと言う名はこのエ・ランテルで聞いたことはない。本当に何者だ?」

 

「っ……この街に来て、まだ日が浅いのでね」

 

(カジっちゃん、なんて呼ばれた後に真剣な顔で”本当に何者だ?”とか言われてもなあ。やめろ、こっちを見るんじゃない)

 

「ふーん、じゃあますますわかんないなー。この街にきて日が浅いのに、ここが分かったってことでしょ。どうやったの? 地下水道ってメッセージもわっざわざ残したのに」

 

 カジットを見ると吹き出しそうになるので、アインズはクレマンティーヌの方に向き直り意識を集中する。

 

「本当はお前が一番よくわかっているんじゃないか? そのマントの下に彼らから持ち去ったものがあるだろう。何があるかはわかっている、見せてみろ」

 

「うっわー、ムッツリ変態えろすけべー……なーんてね、これの事ー? でもこれでどうやってわかるっていうのさ」

 

 ニヤァリ、という表現がぴったりくる笑みを浮かべたクレマンティーヌが、一度マントでわざとらしく体を覆ってから捲り上げる。そこには冒険者プレートで作られた鱗鎧(スケイルアーマー)が色とりどりの輝きを放っていた。

 

「後学のために教えておいてやろう。感知魔法やマジックアイテムには、触れた事がある品物の位置がわかるものもある、ということだ」

 

「へぇ……これからは気をつけることにするわ、ありがとー」

 

「ああ、これからなんてものがお前にあればな……なあクレマンティーヌ、戦士は戦士同士、あちらで戦わないか? ナーベ、お前はあの男達を相手にしろ……あの武器は持っているな? あと上空に注意しろ。そうそう、男達は死体が残るように殺せ。以上だ」

 

「畏まりました」

 

 逃走を防止するためにクレマンティーヌを軽く挑発し、後半は声を落としてナーベラルに指示を出す。アインズの視界はクレマンティーヌのこめかみに、薄く血管が浮き出したのを捉えていた。多少不味いところもあったが、ここからは予定通りに進むだろうと考え、アインズは歩き出した。予想通り、少し遅れてクレマンティーヌの足音がついてくる。

 

「……そーいやさー、彼ら、なんて他人行儀な呼び方してたけどー、もしかしてあのお店で殺したのってお仲間じゃなかった?」

 

「ご明察だ、彼らとはたまたま直近の仕事で一緒になったに過ぎない。付き合いはみ……いや、六日間に満たないな」

 

「なーんだ、つまんないなー。よくも仲間をー!って突っかかってくるのを返り討ちにするのが最っ高に笑える娯楽なのにー」

 

 クレマンティーヌがぼやきながら横に小石を蹴飛ばした後、しばし二人の足音だけが墓地に響く。元の場所からそれなりの距離をとった頃、アインズは周辺を見回して軽く頷き、クレマンティーヌに向き直る。

 

「それじゃあさー、あの魔法詠唱者の事を教えてあげよっか? 大爆笑だったよ、最後まで助けが来るって信じて泣いてたの。助けってあなたの事じゃないのかな? 女の子が最後まで自分の助けを待ってたってのは、男として何か思うところはないのー?」

 

「……お前が悪趣味だという以外の感想はないな」

 

 わざと不快感をにじませたアインズの言葉に、クレマンティーヌがニンマリと笑う。前回と会話の流れが多少違ってる気はするが、蘇って来ている朧げな記憶の通りであれば、挑発に乗れば前回のように話が進む筈だ。

 

「ふふっ、怒っちゃったー? そうそう、あのナーベちゃんって美人さんも早く助けに行かないと死んじゃうよー。あの娘、魔法詠唱者でしょー? だとすると、カジっちゃんにはまず勝てないわけよー。まぁ、私が相手でも同じことだけどねー?」

 

「……ん、ナーベでもお前程度には勝てると思うが?」

 

「あはははは!魔法詠唱者如きが、私レベルに勝てるわけないじゃん。スッといってドス! これで終わりー」

 

「ずいぶんな自信だな。お前がそこまでの戦士だと?」

 

「ええ、もちろん。この国で私に勝てる戦士なんていないわねー。そもそも、周辺国含めたって私に勝てる戦士なんて殆どいないよー」

 

「そうか、それなら一つ賭けをしないか。クレマンティーヌ」

 

「賭け? いいよー、どんなの?」

 

 注意深くクレマンティーヌの反応を見ながら、アインズはあらかじめ考えていた提案を持ちかける。アインズの予想――ズーラーノーンがやはり法国所属の組織であり、目の前の女戦士が漆黒聖典のあの魔獣使いと近縁者である――が正しいとすれば、もはやあまり意味のある事ではないが、確認の意味でもやはりクレマンティーヌから話を聞き出したい。

 

(この世界で、おそらく数える程しかいない強者同士の面影が似ているのだから、ほぼ間違いないだろうが……プレイヤー、あるいはNPCの血を引いている可能性も考えると、誤って殺してしまってはもったいない。先程のやり取りから考えるに、あのカジットとかいう男よりクレマンティーヌの方が組織での立場は上なのだろうし、情報を吐かせるために無事なまま捕えないとな、それに……)

 

「ありふれた内容だよ。勝者は敗者の全てを手に入れる……という奴だ。勝敗の条件はそちらにまかせよう。そうだな、相手の命を奪う以外で何か指定してくれ」

 

「あれれー? 今になって命が惜しくなっちゃったー? でも、そんな条件付けても手加減なんかしないし、命は助けてあげないよー?」

 

「自信が無いなら、賭けに乗らなければいい。命を奪わずに勝利するというのは、技量差がないと難しいしな」

 

 クレマンティーヌの眼が僅かだが細まった。やはりこの女は挑発に異様に弱い、とアインズはもう一押しする。

 

「わざわざ勝利条件をお前に決めてもらうのは、悪あがきをしてほしくないからだ。勝利の杯を手に入れる前に壊してしまうのでは、賭けの意味がないからな。正直に言えばお前には少々興味があるし、聞きたいこともある、なので殺したくはないのさ」

 

 その言葉にクレマンティーヌの表情が歪んだのを見て、アインズは自身が正しい道を選べていることを確信し、安堵する。

 

「ふーん……まあ、いいけどねー。負けを認めさせた上で、命乞いを聞きながら殺すってのも悪くないし。じゃあ、腕か足一本で勝敗決定ってのでどうかなー?」

 

「いいのか? 私は全身鎧だが?」

 

「その程度、何の問題にもならないわねー。この国、いやこの国周辺で私とまともに戦えるのは、風花の連中が集めた情報によると五人だけ。王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ。蒼の薔薇のガガーラン。朱の雫のルイセンベルグ・アルべリオン。あとは、ブレイン・アングラウスと引退したヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファン……でもさあ、こいつらだって私に勝てるわけないじゃん。たとえ、私が国から与えられていたマジックアイテムを全て捨てた後でもねー」

 

(風花……風花聖典の事だな。これでスレイン法国関係者、しかも中央部に近い人物なのは確定だが……少し話がおかしくないか?)

 

 アインズはクレマンティーヌの国から与えられていたマジックアイテムを全て捨てた、という発言の意味がわからず困惑する。目の前の女が法国所属だとしたら、なぜそんな事をする必要があるのか。だがそんなアインズの困惑を知ってか知らずか、クレマンティーヌは口が裂けたような歪んだ笑みを向けつつ、しゃべり続ける。

 

「わかったか? てめーのその妙なヘルムの下にどんなくそったれな顔があるのか知らねえが……この! 人外!――英雄の領域にあるクレマンティーヌ様に勝つことなんて、できるわけがねぇんだよぉ!!」

 

 激昂した様のクレマンティーヌに、困惑していたアインズは冷静さを取り戻し――低く笑った。その笑いを耳ざとく聞きつけたクレマンティーヌの顔がさらに歪む。

 

「いや……すまんな。どうやら私はお前と戦えることが、楽しくて仕方がないようだ」

 

「余裕じゃねえか……どうやら、痛い目見ないと私の強さがわかんないみたいだねぇ」

 

「それはこっちの台詞だ、クレマンティーヌ」

 

「ああ?」

 

 両腕の二本のグレートソードをゆっくりと構え、アインズは高揚する感情のままに見栄を切る。

 

「私が先程の五人……いや、お前よりも強者であるという事をその身を以ってわからせてやろう。さぁ、決死の覚悟でかかってこい!」

 

 




ご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。


次回はグッバイカジっちゃん


インタビューより

「何も問題なく進めば12巻が2017年の8月」
「13巻が12月を予定しています。エピソードが長くなってしまうと思うので上下巻構成になりそうです。」

  ( ゚д゚)  「何も問題なく進めば12巻が2017年の8月」

  ( ゚д゚ )




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Comparison

※このSSは10巻までの知識と、それに基づいた妄想設定で書かれています。なお、妄想設定はどんどん増えていきます。あらかじめご了承下さい。


「ぬぅん!」

 

 アインズが放った斬撃を、クレマンティーヌが後方へと飛び上って躱す。僅かな苛立ちがよぎることもあったが、その顔は終始余裕の表情だ。それも当然だろう、今の斬撃が数合目だがアインズの大剣――グレートソードはクレマンティーヌを一度も捉えていない。追撃を防ぐためか、更に距離をとったクレマンティーヌが肩をすくめつつ、口を開く。

 

「んー、言うだけの事はあるかなー。なんなの、その凄まじい身体能力。そりゃー、雑魚じゃ相手にならないだろうし、勘違いしちゃうのもわかるわー。でもね――」

 

 口が耳元まで裂けたと錯覚させるような、凶悪な笑みをクレマンティーヌが浮かべた。

 

「――真似事か、独学か知らねえが……お前が戦士なのはうわっつらの部分だけだ。単純な攻撃に稚拙なフェイント、荒い足運び……どれも洗練されていない。肉体能力でロスがカバーできてるから気がつかねえのかもしれねえが、両手剣なんて芸ができる領域には到底到達してないよ、お前」

 

「……手厳しいな、これでもかなり修練を積んだつもりなんだが」

 

 クレマンティーヌに対してアインズはあえて前回と同じ、両手にグレートソードを持つスタイルで戦いを挑んだ。それが己の戦士としての成長を比較するのに最も適した方法だと思ったからなのだが、結果は前回と同じくクレマンティーヌに防御すらさせることすらできなかった上、この評価である。

 

(うう、結構堪えるなあ。ある程度は覚悟していたが、予想以上に辛辣だ……だが、前回は確か棒を持った子供だったから、それに比べればマシな評価と喜ぶべきか?)

 

 うわっつらの戦士というわかりやすく、直球の厳しい査定にアインズが持っていた自信と心にひびが入る。前回のこの戦いから約一年、己に欠けている前衛戦闘能力を補うべく行ってきた様々な努力によって、アインズは自身の百レベル魔法詠唱者の能力値、すなわち専業戦士三十三レベル相当の技術は身に着けたと思っていたのだが、それはずいぶんと甘い評価だったようだ。アインズが落ち込んでいるのを察知したのか、態度に余裕が戻ったクレマンティーヌの言葉は続く。

 

「本当に今まで、誰にも言われなかったのー? 余程雑魚ばかり相手にしてきたんだねえ。じゃあおねーさんが教えてあげよっか。両手にそれぞれ武器を持ったとしても――」

 

「うまく使いこなせないなら、片手だけに持った方が賢い……だったか? ……っと」

 

 クレマンティーヌの言葉に記憶が刺激され、アインズはつい思い出した言葉を意図せず呟いてしまった。その声を聞きつけたクレマンティーヌの眦が凶悪に吊り上がる。

 

「……わかってんじゃねえか。誰に言われたのか知らねえが、それでも両手で武器振り回してるのは馬鹿と言うか……戦いを舐めてるとしかいいようがねえな」

 

(いかんな、気が緩んでるのかさっきから口が滑る……だが、思い出したぞ。時間もたっぷりあるわけじゃないし、そろそろ戦ってもらおうか、ええと)

 

「では、その程度の相手になぜ攻撃してこない? さっきから逃げてばかりじゃないか……自分に勝てる戦士はいない、という言葉はハッタリか?」

 

 グレートソードを突きつけつつ放ったアインズの言葉に、クレマンティーヌは目を細めると、腰につりさげた突剣――スティレットを一本取り出した。そのまま器用に先端で留め金を外し、身を覆っていたマントを脱ぎ棄てて武器を構える。クレマンティーヌの体の動きに合わせて、月光に照らされた素材の異なる冒険者プレートが輝き、互いにこすれあって軋んだ金属音をかき鳴らした。その様子を見て、アインズも迎撃の構えをとるべく武器を握り直す。

 

(よし、やはりチョロい。では次の段階に……いや、逸るな俺。最後にもう一回、もう一回だけ確かめてみようじゃないか。次はそれからだ……お?)

 

 アインズが視線を己の胸元よりクレマンティーヌへと戻した時、墓地に獣の咆哮が響き渡った。視線を動かすと、巨大な体躯を持った何かが空より地面へと降り立つ様子が見える。

 

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)か」

 

「へえ、よく知ってるねー。そう、魔法詠唱者の天敵。あれがいる限り、あの美人ちゃんに勝ち目なんかないわけよー。はーやく助けに向かった方が、いいんじゃなーい?」

 

 余裕を取り戻したクレマンティーヌが、嘲笑と共にスティレットをもて遊びつつ位置を変える。アインズがクレマンティーヌを正面に捕捉し続ければ、ナーベラル達の戦場が背後になる動きだ。

 

「やっぱ、気になるー? そーだよねー、魔法詠唱者じゃあ勝ち目はないもんねー。なんなら、今から助けに行ってもかまわないよー?」

 

「そうしたら、背後から襲い掛かるつもりだろ?」

 

 確かこんなやりとりはなかったな、と思いつつ視線をクレマンティーヌから外さぬように意識を集中する。自分ルールの中で話ではあるが、最後のチャンスをふいにしたくはない。

 

 

「あっははははは! まあねー。んじゃま、そろそろいっきまっすよー」

 

 

 

 

 

 

「なん…だと…」

 

 カジットは目の前の光景を理解できなかった。

 

 ナーベと呼ばれた魔法詠唱者が振り抜いたメイスの一撃で、頭部を失ったスケリトル・ドラゴンが崩壊しつつ倒れこんでゆく。そのまま地面に完全に倒れこむ前に、スケリトル・ドラゴンは完全に崩壊し、塵へと帰った。

 

「――ふう。全てを見通してらっしゃるとは、流石至高の御方……さて」

 

「ひっ!」

 

 たった今、自らが振るった武器を眺めて何事かを呟いた魔法詠唱者がこちらに向き直る。いや、あれは本当に魔法詠唱者なのか。

 

「シロコブゾウムシ、出し物は終わり?」

 

「――お、おぬしは何者だ……オリハルコン、いや、あの強さはまさか……クレマンティーヌを追ってきた漆黒聖典か! くっ、あの女め厄介事ばかり!」

 

 目の前の魔法詠唱者がスケリトル・ドラゴンの攻撃を掻い潜り、高く跳躍したのを目にした時は感心した。第三位階を操る魔法詠唱者があれ程の動きができるのは、カジットの予測の範疇外だったからだ。だが、その後の光景……淡い光を放つメイスがスケリトル・ドラゴンの頭部を一撃で破砕した瞬間、カジットの頭はまっ白になってしまった。そんな魔法詠唱者が存在することは、カジットの常識の範疇外だったのだ。

 しかし、恐怖によって現実に引き戻された頭で考えれば、第三位階の魔法を操った上に近接戦闘でスケリトル・ドラゴンを一撃で倒すような存在は、かつてクレマンティーヌが在籍していた法国特殊部隊、漆黒聖典以外にありえない。だが、こちらにゆっくりと歩いてくる魔法詠唱者は、漆黒聖典の名を聞いても眉を顰めただけだった。

 

「何を言っているかわからないわね……これだからチャタテムシと話すのは嫌なんだけど」

 

「ま、待て! 安易に正体を明かすことが出来ぬのはわかる。何が目的だ、あの女が持ち出した秘宝のありかか? 儂に出来る事であれば協力しよう、武器を降ろしてくれ!」

 

 カジットは後ずさって距離をとりつつ懇願する。この女と純粋な魔法詠唱者である自分が前衛も無しで戦うことは死を、己が目的の失敗を意味する事を悟ったのだ。死の力の備蓄量から考えればスケリトル・ドラゴンをさらに召喚することは可能だが、呼び出す前に己の命脈は尽きるだろう。

 数年を費やした準備と拠点、千載一遇のチャンスと叡者の額冠を失うのは身を切るように惜しいが、それで逃げる機会を得られるのならば、潔く諦めるべきだ。自分の命と、この手にある宝珠さえあればやり直しはできる。それに神殿の中には、自らの手駒となるアンデッドもいれば侵入者用の仕掛けもある、上手く誘導できればまだ勝機があるやも知れない。

 

「……そう? ならば協力してもらおうかしら。そのまま動かないで」

 

「お、おお、話を聞いてくれるか、ならば……ひっ、ぎゃぁ!」

 

 目の前の魔法詠唱者が、メイスを降ろしたことに安堵したその瞬間、カジットは冷たいものを感じて咄嗟にその身を横に動かした。しかし一瞬遅かったのか、右肩に灼熱感と痛みが走り、思わず口から悲鳴が上がる。

 

「……動くなと言ったでしょう? 少しは手間が省けると思ったのに……やはりエゾナガウンカの言葉なんか聞いたらだめね」

 

「がぁ! おぉ……な、なにを……がっ!」

 

 自分の右肩に黒い短剣を突き立てたまま魔法詠唱者が、やれやれと言った様子で呟きつつその手を捻る。ごりゅ、ぶちぶちという音と共に激痛が走り、カジットの手から宝珠が零れ落ちた。脂汗を流しながら、必死で左手の杖を振るおうと力を籠めるが、その前にメイスの下からの一撃が、カジットの左腕を吹き飛ばした。衝撃と熱、一瞬遅れて襲ってきた激痛に立っていられず、膝を折る。

 

「ひっ、ひっ、協力する、といっただろう、なぜ」

 

「だから言ったでしょう。動くな、と。その程度の事も出来ないの」

 

 痛みの中で、カジットは目の前の女と全く話がかみ合っていないことを理解し、恐怖する。あの性格破綻者――クレマンティーヌが可愛く見える程不気味な存在だった。

 

「く、狂っておるのか」

 

「トビムシにしてもその言い草は……いいでしょう、コナジラミにもわかるよう説明してあげる。私があの御方から賜った命は“お前達を死体が残るように殺せ”よ。だから私に協力するのならば、手間を掛けさせないように死ぬこと以外、キスゲフクレアブラムシに出来る事はないでしょう?」

 

 あまりにも理不尽な内容に脳が理解を拒否したのか、カジットは眼を見開いて目の前の人間の形をした何かを呆然と見つめた。しかし言葉の意味が脳に浸透して理解した時、痛みも恐怖を抑え込まれる程の怒りが爆発した。流れる血が膝を濡らし、血だまりを作る中でカジットは叫ぶ。

 

「そんな、そんな理由で儂の五年の努力を! 三十年の想いを、何も聞かず、何も知らぬまま全てを無にしようというのか!」

 

「そう、三十年もかけてあの方の踏み台を作ったのね。ならば労ってあげるわ、ご苦労様」

 

 己の血を吐くような叫びと対照的な、感情の全くこもっていない無い声が墓場に響く。風を切る音と共に、先程と同じ冷たいもの――殺気――を感じたが、もはやカジットに動く力はなかった。

 

 

 

 

 

「………」

 

 アインズは肩口を眺め、その場所に僅かなへこみがあることを確認する。装備している鎧は外見こそ違うが、前回同様アインズの<クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造>によって作り出した鎧。そのへこみは記憶にある場所に、全く同じ攻撃を受けた事を示している。

 

「今ので終わりー、と思ったのにかったいなー。まさかと思うけどその鎧、アダマンタイト?」

 

 クレマンティーヌが余裕綽々に問いかけてくるが、アインズの方はそれどころではなかった。

 

(……駄目だったか。これは……やはり職業レベルが取得できないからだな)

 

 先程、クレマンティーヌにアインズの攻撃がかすりもしなかったことは、回避に専念されたせいと考えることもできた。だが、アインズは前回の記憶によって内容を完全に把握している筈の、クレマンティーヌの攻撃を避けられなかった。この事実により、己が持っていた前衛としての自信の崩壊、及び一回の発光と引き換えに前回からの仮説に対する確信を得た。

 

(プレイヤースキルとしてどれだけ前衛技術を磨いたとしても、前衛系の職業レベルを取得しない限り、魔法職の限界を超えては反映されないと考えたほうがいいな……残念だ)

 

 DMMORPGにおいては、上位になればなるほどプレイヤー本人の経験やスキルが重要となっていく。ユグドラシル最強の戦士がリアルでも現役の格闘王だというのは有名な話だし、ワールドチャンピオンであるたっち・みーも、職業柄近接戦闘の心得があると語っていた。心得どころか、実際は達人レベルなんでしょ?とギルド全員が思っていたのは間違いないが。

 だからと言ってリアルの格闘家が百レベルの魔法職アバターでプレイして、上位の戦士職の近接攻撃を体捌きだけで避けることが可能かと言うとそれはあり得ない。リアルの体のイメージ通りには、アバターは動いてくれないのだ。アインズが剣を装備できないのと同様、これもゲーム的な制約なのだろう。

 

(あー、本当にわけがわからない。一体どこからどこまでが制約の対象なんだ……まあ、それは後回しだ。これで届かないなら、更に上乗せすればいい)

 

 武王の時もそうだったが、戦士換算で同レベル帯のステータスを持つ存在が<武技>を使用した攻撃をアインズは見切ることができない。ステータスに圧倒的な差がある相手……この世界で言えば白金冒険者あたりには何をされても問題はないのだろう。しかし、クレマンティーヌやガゼフ・ストロノーフ、武王に近い実力を持つアダマンタイト級冒険者……いや、あの薄汚いワーカー共の事を思い返せば、オリハルコン級戦士の<武技>に対してアインズが防御や回避を成功させるためには、魔法の使用かスキルの発動、マジックアイテムの存在が不可欠だ。

 

(やはり、俺を含めてレベルの取得ができない以上、ナザリックに属する存在はこれ以上能力的には強くはならない。つまり出来る事は職業やスキルに依らない部分――知識を蓄え、対策を練り、思考を鍛えること。様々なアイテムを集める事。そして、既に得ている能力を限界まで引き出せるように訓練することか……結局はユグドラシルと同じだな)

 

 <タイム・ストップ/時間停止>を習得している百レベルの魔力系魔法詠唱者であっても<時間停止>による遅延魔法コンボを使用できないプレイヤーは数多くいた。これはアインズも行った、膨大な時間を要するコンボの修練を積んでいないという事を意味する。つまり、習熟度の差だ。

 

「あっれー? どうしたのかな? もしかして、やあっと実力の差がわかってきたのかなー?」

 

 己の問いに沈黙したままのアインズを、今の攻防から戦士としての技量の差に絶望していると判断したクレマンティーヌが嗜虐的な笑みを浮かべ、スティレットをアインズに向けて突きつける。

 

「そうではないが……いや、私が自分の実力を見誤っていたのは確かなようだ。反省せねばな」

 

「んふふー、もう今さら遅いけどねー。いくらその鎧が固くたって、隙間を狙えば関係ないしー。次はぶすっと行くよー?」

 

 クレマンティーヌが先程と同じく、片手を地面につけたクラウチング・スタートに似た前傾姿勢をとった。この異様な構えから、後衛職とはいえ百レベルプレイヤーであるアインズの動体視力を凌駕する突進を繰り出してくるのだ。対してアインズは先程と同様、グレートソードを構え直す。

 

 クレマンティーヌの顔がニイッ、と歪み――次の瞬間にはアインズに肉薄していた。アインズはその場から動かず、接近のタイミングに合わせて左腕のグレートソードで斬り付ける。

 

 <不落要塞>

 

 牽制と言っても当たれば大型獣とて致命傷の一撃を、グレードソードの数分の一の細さしかないスティレットが見事に弾く。

 

 <武技>を予想していたアインズは、すぐさま踏み込んで右腕で斬撃を見舞うが、クレマンティーヌは蛇の様に軌道を変えて斬撃を掻い潜り、アインズの右側面に回り込んだ。

 

 右上段より左に向かってグレートソードを振っていたアインズは、そこから放たれた刺突攻撃に対応することはできない――筈だった。

 

 <――フライ/飛行>

 

「なっ!」

 

 アインズの小さな呟きにより首飾りに込められた魔法が発動し、巨躯が高速で真横に移動する。予想外の動きに、クレマンティーヌの刺突は空を切った。アインズはそのまま<飛行>をコントロールして、体を捻ってクレマンティーヌに向き直り反転、<飛行>で地面を滑るように移動しつつ斬りかかった。

 

「ちっ! <不落要塞>」

 

 驚きを押し殺し態勢を素早く整えたクレマンティーヌは、再び<武技>の発動で斬撃を弾いて、間髪入れず反撃を繰り出そうとする。しかし、そのわずかな間もアインズはそのまま高速で移動を続けており、クレマンティーヌの間合いより脱している。クレマンティーヌが歯噛みしていると、再びアインズは<飛行>の効果によって正面を向いたまま、ジグザグの軌道を描きつつクレマンティーヌに迫った。その奇怪な移動は、知る者が見れば帝国に居を構える、エルフを引き連れたあるワーカーを思い浮かべただろう。風切り音をあげて、高速移動の速度が乗ったグレートソードが、クレマンティーヌに向けて振るわれた。

 

 <流水加速>

 

 クレマンティーヌの<武技>の発動によって、アインズはかつて経験したように粘度の高い液体の中にいるような感覚に囚われる。即座にこのまま攻撃しても無意味と判断し、<飛行>を制御して己の体を一気に後方へと移動させた。剣を振るいつつ真後ろへとすっ飛んでいくという奇怪な動きに、再び反撃の機会を失ったクレマンティーヌが、吐き捨てるように声をあげる。

 

「……マジックアイテムかよ」

 

「その通り、よもや卑怯とは言うまいな?」

 

 <フライ/飛行>の呪文による高速移動を制御しつつ戦闘が可能なプレイヤーは、ユグドラシルでも一握りの超熟練者だけだった。かつてはアインズも大多数のプレイヤー同様、単純な動きをオート設定して戦闘を行っていたが、長年の修練によってその一握りのプレイヤーとなっている。しかも今行っているのは地面の上を滑る平面移動、三次元空間移動を行いつつ魔法の行使が可能な領域に達しているアインズにとっては、児戯に等しい。

 

(ふふふ、思ったよりも上手く行っているな。よーし、今の流れはあとでムービーで見てみよう。最後の仕上げとして、オーガ相手とはいえ実戦で試しておいた甲斐があった)

 

 ハムスケと戦ったワーカーの戦法を真似たものだが、こちらの方が自在に動けるし遥かに速い。そして実戦使用でわかったことは魔法に依る効果なのか、少々の起伏がある地面を滑るように移動しても躓く等の障害が起きない事、全身鎧のアインズが高速で動くだけで凶器であるという事だ。高速移動でオーガと戦っていたアインズにたまたま触れてしまったゴブリンの一体が、ばちゅっという音と共に肉片と化したのは驚いた。よく考えれば当然の事なのだが、<飛行>による高速移動でダメージを与えるなどと考えたこともないアインズには、意外な出来事だった。

 

(まだまだ、この世界では新たな発見がある) 

 

「まーさかー。確かにちょっと驚いたけど、切り札の一枚くらいは持ってて当然だよねえ」

 

「ふっ、これが切り札だと……なんだと?」

 

 台詞の途中、アインズは自らが<下位アンデッド作成>で生み出した死霊(レイス)との精神的な繋がりによってある情報を得た。漠然とした思念ではあるが、この情報があらわすところは……ナーベラル・ガンマの勝利。

 

(え、もう決着ついちゃったの? ちょっとはやくない?)

 

 アインズは今回、ナーベラルに”ナーベとして対応不能な場合の備え”という名目でいくつかのマジックアイテムを手渡してある。カルネ村でも使用した防音と幻惑の結界を張る箱や対象を追跡する使い魔を召喚する像、そして本命である低位の神聖属性を付与されたメイス。

 これがあればナーベラル・ガンマとしての正体を現すことなく、カジットが操るスケリトル・ドラゴンを排除できる。これは、アインズがこの後行う予定のちょっとした仕掛け用の保険だったのだが、思った以上の効果が出てしまったようだ。

 

(スケリトル・ドラゴン二体と法国の魔法詠唱者数人のPTだよな……うわー、ナーベの設定だと、もうちょっとかかると思ったんだが)

 

 漠然とした思念から得られる情報では、最初の魔法でカジット以外の魔法詠唱者が全滅している事や、スケリトル・ドラゴンが一撃で粉砕されカジットが戦意喪失した結果、戦闘が早々に終結したことはアインズにはわからない。しかし、ナーベラル側の戦闘が終わったという事は、程なくこちらにやって来てしまうだろう。

 

(いいところなんだけどなあ。うう……仕方がない)

 

「……どうやら思ったより時間がないようだ。名残惜しいがそろそろ決着をつけようか、クレマンティーヌ」

 

「んー? 本気で言ってんの? マジックアイテム使っても、攻撃はかすりもしてないんだよー。それで勝てるとでも思ってんの?」

 

「ああ、わかってるさ。だから……お遊びはここまでだ」

 

 クレマンティーヌが貌を歪めアインズを睨みつける中、前回と同じくこの戦いを終わらせる儀式を始める。両手に握った二本のグレートソードの柄を手の中で回転させ、刃を下にして大地に突き立てた。そして、ゆっくりとかつて尊敬の対象であった友から贈られた、腰の武器に手を添える。

 

「ここからは、本気で戦ってやろう」

 

 

 

 

 

「戯言も大概にしとけよ、てめー……武技もろくに使えねー、装備頼りの未熟者の分際でむかつくんだよ」

 

 抜刀の構えをとった目の前の異形の戦士、モモンを睨みつける。戦士としての技量はそれこそ冒険者プレート相応の銅や鉄、よくて銀レベルだが、その異常な身体能力はクレマンティーヌの知る人間の領域を超えている。おそらくは……いや、間違いなく先祖返りのアイツらと同じ神人だろう。

 

(それにあの鎧とマジックアイテム。本当に何者なのかな)

 

 オリハルコンコーティングを施されたスティレットの一撃を受けて、貫通できない鎧とマジックアイテム。更にこれだけの目立つ風体にも拘らず、今までにクレマンティーヌが漆黒聖典として得ていた、風花の情報のいずれにも当てはまらない人物。まあ、本当に人間なのかは確かに確認してないが……そう考えた時、クレマンティーヌの脳裏に座学で叩きこまれたある知識がよぎり、小さく呟きが漏れる。

 

「百年の波……まっさかねー」

 

 だが、一瞬でその考えは打ち消される。なぜならば、知識の通りならクレマンティーヌが生きている筈がないからだ。神人でさえ、ああまで異常なのだ。もし神と相対すれば自分は一秒とて生きていられないだろう。

 己の思考に入り込んだ雑念を振り払って目の前の敵に集中する。両手のグレートソードを手放し、腰に差していた剣を使うつもりのようだ。だとすれば先程のやり取りで指摘した通り、両手で武器を振り回されるよりも随分と厄介なことになる。モモンの得物の間合いを見ようと、動かずに観察をするが抜く気配はない。

 

(抜刀術かな。さっき見た鞘の長さで大体間合いは掴んでるし、無駄だけどね)

 

 南方から流れてくる刀という武器を用いた抜刀術は、クレマンティーヌもよく知っている。恐るべき剣速の一撃を放つ戦闘法だが、武器の間合いが分かってる状態では自分にはまず通用しない。他にもあらゆる攻撃パターンを推測するが、今まで得た情報からモモンに己の体術と武技で打ち破れない攻撃はない、と判断したクレマンティーヌは待つことをやめて攻撃準備に移る。ゆっくりと身をかがめ、構えをとりつつ武技を展開する。

 

<――能力向上>

 

 腰を落とし、上半身を傾ける。モモンのマジックアイテムによる移動は確かに厄介だが、速度は見た所第三階位魔法の<飛行>と変わらない。

 

<――能力超向上>

 

片手を地面につき、もう片方の手でスティレットを構える。法国には<飛行>が使える聖典所属者もいたので修練は積んでいるし、クレマンティーヌが戦った敵に<飛行>を使える魔法詠唱者もいたが、当然逃がした事はない。

 

<――超回避>

 

 腰をわずかにあげ、地面を蹴る態勢に入る。持続時間こそわずかな間だが、瞬間速度であればクレマンティーヌの突進速度は<飛行>を凌駕し、対象を刺し貫くのだ。

 

<――疾風走破!>

 

 大地を蹴り、クレマンティーヌは放たれた弾丸のように高速で突進する。しかし、同時にモモンが動いた。<飛行>ではなく、クレマンティーヌと同様、大地を蹴っての突進だ。見てから間に合うタイミングではない、今までの動きを観察しタイミングを計ったか。彼我の距離は一瞬で詰められ、モモンの腕が僅かに動いたのを驚異的な動体視力で捉える。

 

(抜刀し、そのままの勢いで突きか)

 

 モモンがこれからとる行動を、クレマンティーヌの戦士としての勘が告げた。長年の戦いによる経験により導き出されたその答えは、まず外れない。

 

「それは想定の範囲なーい!」

 

 クレマンティーヌは瞬時に、モモンの攻撃を弾く用意を整える。クレマンティーヌの右手に握られたスティレットが構えられ、モモンが抜刀する――そこから現れたのは、眩いばかりに輝く光を放つ刀身だった。

 

(<コンティニュアル・ライト/永続光>の魔法の武器!? また小細工を!)

 

 もしも無策であれば夜闇に慣れた眼がその光に焼かれ、致命的な隙を生み出したかもしれない。だが一定以上の実力を持つ戦士の多くがそうであるように、眼を保護するマジックアイテムに護られたクレマンティーヌの眼は、閃光であっても眩むことはない。クレマンティーヌは、己の右肩を狙って突き出される光の剣をはっきりと捉えていた。このまま<不落要塞>を発動させ、右手のスティレットで攻撃を弾き<流水加速>を用いてモモンの脚を刺し貫く、そして<マジックアキュムレート/魔法蓄積>で込められた<ファイアーボール/火球>を起動する――それで終わり。

 既にクレマンティーヌには自身の勝利の道筋がはっきりと見えており、その流れに沿って体を動かしてゆく。

 

「<不落要塞>――えっ」

 

 しかし<不落要塞>を発動させたその瞬間、あり得ないことにモモンの武器がスティレットをそのまま突き抜けた。

 

(これが本命の<武技>!? ちくしょう、ここで使ってくるか!)

 

 このギリギリの局面で、小細工をフェイクに致命的な<武技>を発動させたであろうモモンに対する僅かな感嘆と、激しい憎悪の感情が湧き上がる。だがクレマンティーヌも歴戦の、そして人類最強格の戦士。それらの感情と驚愕を刹那の内に抑え込み、モモンの攻撃を避けるべく連続で<武技>を発動させた。

 

 <流水加速>

 

 <流水加速>の効果により己の感覚を含んだ身体速度が一瞬だけだが一気に引き上げられ、雷光の如きモモンの動きが急速に鈍った。今まさに己の腕を刺し貫こうとしている光の剣も、亀の歩みのようだ。一瞬後には突き刺さるような距離だが、今の自分には回避可能。そう考え、クレマンティーヌが腕を捻って光の剣の切っ先をギリギリで回避しようとしたその時、全身が無数の針と刃に刺し貫かれた――少なくとも彼女の体はそう感じた。

 

(ひっ!? あっ、しまっ――ぐぅっ!?)

 

 その感覚――幻視はすぐさま消え失せたが、本能的に身体が硬直する。一瞬のことだったが、それがクレマンティーヌにとって致命的な隙となった。スティレットを握ったまま硬直した己の腕に光の剣は吸い込まれてゆき、骨ごと刺し貫かれた。肌と肉を切り裂かれる感触に続いて、焼けた金属が差し込まれたが如き熱さを感じて苦悶の声が口から洩れる。

 

「っぎいぃ!――死ぃねぇ! <流水加速!>」

 

 灼かれるような痛みが這い上がってくる中で、己を鼓舞するように吠える。クレマンティーヌの人生において身体を貫かれるのは、これが初めてではない。激痛を意志の力で遮断すると、眼前の敵を一瞬でも早く殺すべく、訓練によって最適化した行動をとった。すなわち<流水加速>を発動させて無事な腕でスティレットを抜き放ち、体を捻ってモモンの右眼に全ての力を込めてねじりこませたのだ。体を捻った際に刺し貫かれた右腕が切り裂かれ、肘から先が半ばぶら下がっているだけの状態になるが、構わず捻じ込んだ武器を捻って起動のための殺意を流し込む。

 

(殺っ……た!)

 

 短時間に連続で、しかも容量限界まで<武技>を使用した反動で頭と体が千切れそうに痛み、クレマンティーヌの意識が飛びかける。当然、賭けの事などすでに頭にはない。<火球>がモモンの兜の内部で起動し、ありとあらゆる隙間から赤い炎が噴き出した。その一瞬の光景を横目で見つつ、無茶な機動を行ったクレマンティーヌはバランスを崩したまま地表に激突する。反射的に体を回転させて受け身をとり、血をまき散らしながら転がって勢いを殺していくが止まらない。痛みに耐えつつ十メートル近く転がって、ようやく体が止まった。

 

「っ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 荒い息が意志と関係なく吐きだされ、喉が渇き、痛む。上半身を起こそうとするが、限界近くまで消耗したのか力が入らない。仕方なく、クレマンティーヌは仰向けになるように転がった。地面に体がめり込みそうに重い、気を抜いたらこのまま気絶してしまいそうだ。だが、ここから逃げなければならないクレマンティーヌは意識を集中させ息を整える。その間に眼に入ってきたのは夜空、耳に聞こえるのは静寂、己が感じるのは全身の痺れと、切り裂かれた右腕の脈打つ痛み。それらが示すことを噛みしめると、荒かった息は哄笑へと変わった。

 

「くっ、くはっ、あははははははは!!!! 勝った! 生き残った!」

 

 地面に寝転がったまま、笑い声を上げる。死ねばすべて終わり、クレマンティーヌはそう考えて、生き延びるためには何でもしてきた。泥を啜り、血路を開き、それでも己の力ではどうにもならなかった事もある。だが、それでも自分は生き残って来た。そして今も。

 

「あはははははは!!……ふう」

 

 笑うのをぴたりとやめ、夜空を見上げながら己の状況、これから何をすべきかを整理する。激痛に耐えつつ体力をわずかでも回復させ、霊廟に向かう。顔を横に向け、切り裂かれた右腕を見る。思ったより出血が少ないのは、焼き切られたような傷のせいか。不幸中の幸いか、あの武器にかかっていたのは<永続光>ではなく高熱を発する魔法だったようだ。

 

(止血の手間がはぶけたけど……よっと)

 

 右手の指を動かそうと試みると、激痛は走ったが僅かに動く、つまりまだ右腕は死んでいない。ならば癪だが、右腕が壊死する前にカジットか弟子に治癒魔法をかけてもらう他ないだろう。泥と鉛の混合物のように重い体をもう少し休めてから動きたいものだが、自分には時間がない。

 

「……よーし、じゃあそろそろいっきまっすかー……え?」

 

「――ひどいじゃないか」

 

 起き上がろうとしたその時、クレマンティーヌの顔に影がかかり、そのことを不思議と思う間もなく頭上より声がかけられる。絶対に聞こえてはいけない声が。

 

(!?)

 

 同時に、全身を不可視の針と刃が刺し貫くあの感覚がクレマンティーヌを襲った。一瞬で体が硬直し、汗が噴き出す。先程はすぐに消えた感覚は今度は消えることなく、心身を蝕み続ける。まずい。痙攣したように小刻みに震える体を必死で動かし、声の元へと視線を動かした。そこには――

 

「交わした契約を違えたな? クレマンティーヌ、ワンペナ……いやツーペナルティだ」

 

 二本の角と禍々しい装飾の異形の兜、黒い――おそらくアダマンタイトで作られている全身鎧。右眼に己が捻じ込んだスティレットを意にも介さず、月を背にしてマントをはためかせた悪魔が、残る左眼を紅に光らせながら悠然とクレマンティーヌの事を見降ろしていた。

 

「――――!!」

 

 信じられないことだが未だ敵は健在、戦闘続行中。その事実を認識したクレマンティーヌの身体が、バネ仕掛けの絡繰りのように跳ね上がった。先程まで上半身を起き上がらせることすら困難だったにもかかわらず、その動きに鈍さはない。無事な手でスティレットを抜き放ち、真っ赤に輝いた左眼を狙って攻撃を仕掛ける。

 もし目の前の敵が人ならざるモノであってもダメージを与えていけば死ぬし、逃げるにしても一撃を与えてからでなければ、と理性より先に身についた経験が判断したための行動だった。だが、その攻撃は空しく空を切った。

 

「遅い」

 

 モモンの姿が掻き消えた次の瞬間、胸部を殴打されたかのような衝撃を受け肺から息が絞り出される。何が起こったのか全く分からない。

 

「がはっ!!」

 

 視界には地面、口には血と土の味。

 

(地面に叩きつけられた? いつ? どうやって?)

 

 混乱しつつも追撃を避けるべく転がって移動し、立ち上がって敵の姿を確認する。そこには先程とは全く違う雰囲気を纏ったモモン。クレマンティーヌの頬に一条の汗が滴った。先程までは、身体能力が凄まじいだけの三流戦士だったはずだ。だが今のモモンから感じる圧力は、間違いなく一流の戦士が持つものだ。

 

「あの男といい……よくよく約束事を違える人間が多いものだ。これはお前で試すつもりはなかったんだが……考えてみれば本気で戦うと言ったのだったな。ならばいい機会なのだろう、いくぞ」

 

 再びグレートソードを持ったモモンが、何の意図なのか大上段に構えた。あの構えから何をするつもりなのか。クレマンティーヌは一挙手一投足も見逃さぬよう、目を凝らしていた。

 だが、まばたきもしていなかったにも拘わらず、突如としてクレマンティーヌの目の前にグレートソードを大上段に構えた紅眼の悪魔が出現する。悪魔は左眼をより強く輝かせ、言葉を発した。

 

「そら、受けねば死ぬぞ?」

 

「ひっ! ふ、<不落要塞>」

 

 声を掛けられたことで、爆音とともに己の肩に向かって振るわれた一撃に対して<武技>の発動がギリギリで間に合う。このまま攻撃を弾き、距離をとって全力で逃走するしかない。今のモモンの動きを全く見切れなかったクレマンティーヌはそう判断し、脚に力を籠める。

 

 そして、スティレットがグレートソードと接触し、いつものように高音をたて――

 

「ああああああ!!」

 

 そのまま押し込まれたグレートソードの威力がクレマンティーヌの手首を砕き、腕をひしゃげさせつつ、肩と、そして斬撃の直線上にあった脚――膝から下を切り飛ばした。

その過程で押し込まれたスティレットの先端が左脇腹を切り裂き、血が噴き出す。脳を激しくかき回す激痛の中、支えを失った身体が左へと倒れこんでゆくのがわかった。

 

「――おっと」

 

 素早く伸びてきた黒い手によって髪の毛を掴まれ、空中に吊り下げられる。ぶちぶちぶちと言う音が激痛と共に頭上から響いた。頭皮の一部が剥がれたのか、血がぬるりと顔に流れだす。

しかし、大量の血液と四肢の半分を失ったショックで、もはや悲鳴を上げることもかなわない。

 

「ひぃ、ひぃ」

 

「いかんな、やりすぎたか? まだ死ぬなよ?」

 

 目の前の悪魔の眼より、迸っていた紅い輝きが消失する。轟音と共に手に持っていたグレートソードを再び大地に刺し、懐より量が半分ほどの赤い瓶を取り出すと、残った瓶の中身をクレマンティーヌの傷口に振りかけてゆく。血が止まり、痛みがスーッと潮が引くように消えてゆくその効果と液体の色が、クレマンティーヌが一度捨てた考えを引き戻した。

 

「神々の、血」

 

 その言葉を聞きつけた悪魔の眼に先程よりは淡い、紅い光が灯った。異形の兜をかぶっていて表情はわからない筈なのに、クレマンティーヌには眼前の悪魔がニヤリ、と笑ったような気がした。

 

「ああ、やはり知っていたか。では、今度こそ約束を守ってもらうぞ、クレマンティーヌ……お前はもう私のものだ」

 

 己の知識により導かれた目の前の存在の正体とその言葉に、クレマンティーヌは己の魂が折れる音を確かに聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ご感想、お気に入り登録及び誤字報告をいつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいてます。


カルネ村も遠かったが、蜥蜴村も結構遠い……私だけでしょうか






劇場版の上映館数、少なすぎませんかねえ(´・ω・`)


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Grandiose

※このSSは10巻までの情報による妄想設定を基礎として書かれております。話が進むごとに妄想や捏造はどんどん増えます。予めご了承ください。



 リ・エスティーゼ王国王家直轄領。その最も東に位置する城塞都市、エ・ランテル。

 

 三重の城壁に守られたこの都市は城壁ごとに区画が三つに区切られており、最内周が行政区画、外周部は軍駐屯施設と共同墓地、そしてその間に住人が住むいわゆる街区が存在している。

 しかし城壁で区切られているとはいえ、壁一枚隔てた向こうがアンデッドが発生する共同墓地、という場所に住みたいと思う人間は圧倒的少数派だろう。そのため自然と共同墓地と接する西街区は、比較的貧しい者たちが暮らす場所となっていた。その西街区の大通りに面した冒険者専用宿の一つ「鉄兜亭」は、一人の冒険者がもたらした情報でにわかに騒がしくなっていた。

 

「間違いないのか?」「ああ、共同墓地でアンデッドがかなり発生している」

 

「いいねえ、ちょうど酒代が寂しくなって来たところだ。稼がせてもらうか」

 

「おいおい、寂しくない時があるのかよ?俺もいくぜ」「ちげえねえ」

 

 アンデッドであっても討伐部位さえあれば、組合の報奨金システムの対象となる。共同墓地に沸くアンデッドは殆どが骸骨(スケルトン)や動死体(ゾンビ)といった最下級のアンデッドだ。当然報奨金も最低額だが、銅・鉄級の冒険者でも対処法を知っていれば楽に倒せる相手なので、小銭稼ぎや初心者鍛錬として人気の討伐対象である。都市外に出ないため、いちいち通行税をとられないというのもいい。無論それらよりもかなり強いアンデッドが出現する事もあるが、その場合は対処不能案件として組合に連絡して銀級以上の連中に任せればいい。

 

 とはいえ、原則として共同墓地内のアンデッドは衛兵が対処するとされており、都市側から巡回駆除依頼をされている――戦争から大体半年程――期間以外は墓地で小遣い稼ぎはできない。しかし、生者全ての敵であるアンデッドに関することなので抜け道は多く、墓地の門外でアンデッドを発見した場合は対処すべしとされているし、墓地内であっても衛兵から要請があれば討伐が認められる。そのため、顔見知りの衛兵が巡回する日に合わせて”出待ち”する冒険者達もいる程だ。

 降ってわいた小銭稼ぎの機会に、宿内の半数以上の冒険者が動き出す。動いてないものは明朝からの仕事が入っている者達と、つい先程、宿の隅で向かい合って座った二人組だけだった。

 

 宿の主人兼酒場のマスターでもある男は、店の喧騒をよそに隅の席をじっと見ていた。二人組の一人は野伏の男でペール・オーリケ、もう一人が女軽戦士のブリタ。ペールの所属するパーティは経験を積んだ事で連携が上達しており、もうすぐ昇格試験を受けてここから出ていく予定だった。ブリタも時間はかかるだろうが、この宿屋で何年も燻っている飲んだくれ共と違って金級以上にはなるだろうと踏んでいた。だが昨晩、野盗の本拠地捜索の依頼遂行中に恐るべきモンスターに遭遇し、ペールはパーティの仲間を、ブリタは友人を失ったと聞いている。

 

(二人ともひでえ顔だった)

 

 宿に戻ってきた時、ペールは悔恨の念で押しつぶされそうになっていたし、ブリタは完全にモンスターに怯えていた。ペールは落ち着けばモンスター全般に対する復讐の念を胸に、別の仲間を見つけて冒険者を続けるかもしれない。だが、ブリタはおそらく近いうちに冒険者組合にプレートを返却し、冒険者をやめるとみている。他の連中もそれが分かっているからか、一度慰めの言葉をかけてからはブリタに声をかけようとはしない。

 

 十年以上もの間、冒険者専用の宿屋をやっていればよくあることなのだが、いつも思う。自分と違って才能があるにもかかわらず、運悪く実力以上のトラブルに遭遇してしまい命を落とす若者、生き残ったが仲間を失い心折れてしまう者のなんと多い事か。

 駆け出しの初心者が無謀な依頼を受けぬように、実力に見合わない者が高難度の依頼を受けぬように、組合は冒険者と依頼の格付けを行っている。

 自分のようにたまたま引退まで生き延びただけの男も、後輩達がちょっとでも生き残って大成できるようにこうして仲間を集め、情報を交換し、生活の基盤となる場所を組合の援助を受けて格安で提供している。それでも、彼ら冒険者を襲う〝事故”は少なくない確率で起こってしまうのだ。

 

「もうちっと、なんとかしてやりてえなあ」

 

 意識せず呟いてしまったが、引退冒険者の宿屋の親父にしてやれる事なんてたかが知れている。飲んだくれ共が飛び出して行ったらあの二人に酒を一杯ずつ奢って、自分もあいつらの手向けとして共に一杯飲むこととしよう。そう考え、給仕の男に一声かけた主人は普段はカウンターに置いていない自分用の酒を裏へと取りに行った。

 

 

 

 

 

 

「さて……」

 

 アインズは気を失ったクレマンティーヌを地面に寝かせ、やや急いで状態を確認する。先程振りかけたポーションの効果で出血は止まっているが、マイナーヒーリングポーションでは全量でも部位欠損は治癒出来ない。

 右腕は肘の辺りが大きく抉れて骨が露出し、その先はかろうじて千切れずにぶら下がっているだけだ。左腕は肩から完全に切断され、白とピンクそして赤で構成された鮮やかな断面をのぞかせている。出血がポーションの効果で綺麗に止まっているせいで、生々しい色合いの断面がはっきり見えて少々気持ち悪い。左足も膝から下が切飛ばされているために肩と同じ様に断面がのぞいているのだろうが、わざわざ覗き込んで違いを確認する程趣味は悪くない。

 <ライフ・エッセンス/生命の精髄>で確認するまでもなく、未だに瀕死と言っていい有様だ。HPが回復したとしても、四肢の内三本が使い物にならない状態で逃走するとは考えにくい。

 

(うーむ、あぶないあぶない。これは死んでいてもおかしくなかったかも)

 

 <パーフェクト・ウォリア―/完璧なる戦士>で戦士化したアインズの斬撃とはいえ、クレマンティーヌが武技を使用できるようにわざわざ声をかけてタイミングを遅らせ、かつ手加減した一撃の筈だった。 しかし<不落要塞>に対するアインズの見立てが過大であったのか、それとも自身の振う斬撃に対する評価が甘かったのか、もしくはその両方か。放った斬撃は何の手ごたえもなく、防御ごとクレマンティーヌを切り裂いてしまったのだ。

 

 クレマンティーヌが運悪く死んでも蘇生させるつもりではあった。だが、蘇生の短杖は既に一本消費しているし、アインズ以外が復活させるにしても金貨や資材の消費を伴うのだから安く上がるに越したことはない。確かに前回に比べれば金銭に対する不安や懸念は大きく減じているが、だからといって余計な出費をしてよいという事にはならない。念のためアインズはポーションを追加で一本取り出し、仰向けになっているクレマンティーヌの口に流し込む。これでもう死ぬ事はないだろう、と自身のミスに対処し気が抜けると、先程まで戦闘の高揚や焦りで鈍っていた嗅覚が盛大にアラートを鳴らした。

 

(ううっ、臭い。ゴムの焼けた匂いと言うのは、なんでこんなに鼻につくんだろう)

 

 先程のクレマンティーヌの所業によって、アインズが兜の下に被っていた<ディスガイズ・セルフ/変装>が掛かった変装用ゴムマスクが焼けてしまい、兜の中に耐え難い臭いが充満していた。瞬時に燃え尽きたためにアインズの顔に溶けたゴムがへばり付いているような事態には陥っていないが、臭いはそうはいかない。

 兜を消滅させて臭いを払ってしまいたいが、遮蔽物のないこの場所で万が一目撃されたら面倒なことになると考え、じっと耐える。魔法による監視も周辺に潜んでいる存在もいないのも確認済みだが、前回カジットやクレマンティーヌの死体を回収した連中はどこかにいる筈であり、そいつらがユグドラシルの魔法やスキルを欺く能力やタレント等を持っていないとも限らないのだ。

 

(せめて遮蔽物内で防音と幻惑の結界を展開させてからでなければ、素顔をさらすわけにはいかないな。それにしても舌が無くて味はわからないのに、鼻が無いのに匂いはわかるんだよな……おお、すまないがもう少し我慢してくれ)

 

 己の思考中に走ったノイズ――ベロベロ君からの思念にアインズは心から詫びつつ、先程の戦いを思い出していた。アインズがクレマンティーヌの右肘を貫いた時、あまりにも狙い通りに事が運んだため気が緩んでいたことは間違いない。無意識のうちにドヤ顔で「ふっ」と笑ったかもしれない程だ。骨なので表情は変わらないのだけれども。 その気の緩みをつかれてクレマンティーヌに、右眼にスティレットを捻じりこまれたのは間違いなくアインズの失態。いざ負けそうになれば、このような行動をとる女だと予想していたにも関わらずだ。

 アインズは次の瞬間起こることを知っていたがゆえに、瞬間的にヌルヌル君に心の中で頭を下げた。口唇蟲のヌルヌル君はモンスターと言えないほどに脆弱で、熱々のスープすら耐えられない。己の不注意でペットを死なせてしまった、と落ち込むかつての友の姿を幻視すらした。

 

 だがその時、<知性ある上位粘体/イド・ウーズ>のベロベロ君が咄嗟にヌルヌル君を包み込み、炎から守ったのだ。あらかじめヌルヌル君を守れと命令していたからではあろうが、スライム系で炎が弱点のベロベロ君が身を挺してヌルヌル君を守ったことにアインズは少し感動していた。シモベに対してはやや冷たい対応をとりがちなアインズだが、ペット的な愛着が沸いていたこともあって、血をまき散らしながら転がっていくクレマンティーヌの対応よりベロベロ君にポーションを垂らすことを優先させたのも仕方がない事と言えよう。

 

(我ながら色々迂闊だったな、もう少しでヌルヌル君が死んでしまう所だった……ベロベロ君には感謝せねばな、それにしても)

 

 アインズは考えながら、腰に下げた〝長剣に見えるよう鞘を偽装した”武器に手をかける。己が最大限警戒しているのは言うまでもなく世界級(ワールドアイテム)とプレイヤーだが、ユグドラシルにはないこの世界独自の能力もずっと警戒してきたつもりだ。<タレント/生まれながらの特殊能力>や<ワイルドマジック/始原の魔法>に比べれば重要度ランクはかなり下がるものの、この世界の独自の技術である<武技>を前回もアインズは警戒し調査してきた。しかし困ったことに、武技の中でもっともアインズに驚きを与えた<不落要塞>の使い手は手に入れる事が出来なかった。なので、そのための実験も行うべく用意してきたのだ。

 

(警戒するあまり、難しく考えすぎていたのかもしれん。回数制やクールタイムでなく、HPやMPを消費するタイプのスキルと考えれば情報を集めるだけで対策は十分にとれる。戦士化した俺の攻撃如きを防御しきれなかったという事は、あくまでもあの武技は武器受け能力を瞬間的に大幅上昇させるだけのスキルで、絶対防御ではない。そして属性ダメージ武器に対しても無力だった。それはつまり、魔法に対しても無力であるということだ)

 

 アインズは腰に下げた武器を抜き放ち、一振りする。ブォンと独特の音が周囲に響き、柄から明らかに鞘よりも長い光が伸びた。ペロロンチーノのメインウェポンと同じ属性武器であり、かつての友であるたっち・みーからギルド長就任とギルド結成初イベント成功祝い、そして迷惑をかけたお詫びと称して贈られた思い出の魔法の〝杖″だ。

 

(たっちさん、ついに頂いたこの杖を実戦で使いましたよ。まさかそんな日が来るとは思いませんでしたが)

 

 <ブリリアント・エナジー/輝きの力>と呼ばれる付与効果が施され、持ち手の部分以外が光の粒子に置き換わっている光の武器。この光は生命ある存在に属性ダメージを与え、それ以外の物質は透過するという恐るべき特性を持つ。そのためかなりの範囲の武器や防具、遮蔽物の効果を無視して攻撃を行うことができるのだ。そして何より、ある病気に罹患している人間にとっては――

 

「うむ、やはり……かっこいいな」

 

 生命を持たない存在であるゴーレム、偽りの生命で動いているとされるアンデッドにはダメージを与えられない等のデメリットもある。だが何よりその外見から、ユグドラシルでも長らく人気のある付与効果だった。当然、アインズも密かに入手を熱望する一人だったが、必要素材とデータクリスタルの希少度、作成の高難度、なにより自分が後衛の魔法職だったため入手を断念していた。そんな折にこの武器を贈られた時は本当に嬉しかった、と同時にかなり後ろめたくなったものだ。

 

(クレイヴ・ソリッシュを作った際の余りだから気にしないで下さい、とは言われたけど……属性ダメージ武器用の超希少素材、俺なんかのために使わせちゃったのは申し訳なかったなあ)

 

 武器の輝きに引き込まれるように懐かしい思い出に浸りかけた時、地面に巨大なモノが落ちた様な大きな音でアインズは我に返る。そして何か巨大なモノが地を翔けこちらに接近してくる気配、まず間違いなくハムスケだ。前回同様少し離れた木の上で待機させていたのだが、戦闘音が止んだので飛び降りて様子を見に来たのだろう。

 真の闇すら見通すアインズの眼が、走って来る姿を捉える。主人の身の安否を案じる不安な表情で駆けてきたハムスケは、幾度か立ち止まって周囲を見回し、アインズの姿を見ると喜色満面となってこちらに駆け寄ってきた。サイズさえ度外視すれば愛玩動物そのものの行動で、実にかわいい。

 

「おお!やはり殿が勝利されていたでござるか、流石でござる!」

 

「トラフカミキリ如きが至高の、モモンさ、-んに敵うわけなどないと言ったでしょう」

 

 ハムスケの到着とほぼ同時にふわり、とナーベラルがハムスケの横に降りたった。

 

「で、これが殿の倒した敵でござるか?」

 

 ハムスケが鼻面をグイッとクレマンティーヌに寄せて、フンフンと臭いをかぎはじめる。先程の行動と言い、こういった仕草を見るとアインズにはでかいジャンガリアンハムスターにしか見えず、この世界の人間にとっては強大な魔獣に見えるというのが未だにちょっと理解できない。

 

「それで、そこの死にかけのジン……いや、シラホシテントウの処分はいかが致しますか?これ以上御手を汚さぬよう、私が雷撃で焼却いたしましょうか」

 

(ん?……いや何かこんなこともあったか)

 

 返答を待たず、魔法の行使準備に入ったナーベラルにアインズは多少の違和感を感じたが、次の瞬間に前回も似たような事があったような記憶が朧げに甦ったため、即座に忘れた。そのまま焼かれてはかなわないので、片手をあげてナーベラルの行動を制する。

 

「まて、詳しい経緯は省くがその女はそうだな、ハムスケの後輩になるのか?私の所有物に加えた。処分の必要は無い」

 

「!了解致しました」

 

「なんと某の後輩?では殿のため共に働くと言うことでござるか?んー、手足が何本か千切れてるようでござるが……役に立つのでござるか?」

 

「大丈夫だ、気にするな。だがまずは依頼を果たさねばな。先程の霊廟へ戻る。ハムスケ、その女を運べ。まあ大丈夫だと思うが充分に注意しろ」

 

「了解でござる!後輩を噛み千切らない様、充分注意してやさしーく運ぶでござるよ!」

 

 意識が戻った時に逃げ出さないように注意しろって意味だったんだが、とクレマンティーヌをはむっと咥えるハムスケから視線を外し、いくつかの指示を飛ばしたアインズは霊廟に向かって歩き出した。ハムスケが咥えるクレマンティ―ヌを睨み続ける、ナーベラル・ガンマを従えて。

 

 

 

 

「我が神、水神よ!不浄なりし者を退散させたまえ!」

「我が神、地神よ!不浄なりし者を退散させたまえ!」

「我が神、風神よ!不浄なりし者を退散させたまえ!」

 

 三方向から同時に発動した神官達のアンデッド退散能力により生じた波動によって、破られた門から溢れ出したゾンビやスケルトン、食屍鬼(グール)等の弱いアンデッド数十体が崩れ落ち消滅していく。

 その間に前衛の戦士たちは、消滅せずうめき声をあげる腐肉漁り(ガスト)、黄光の屍(ワイト)、動死体の戦士(ゾンビ・ウォリア―)そして百足状の骸骨(スケルトン・センチュピート)に攻撃を仕掛け、次々と倒していった。

 

「うおおおおお!<強殴>!」

「水神の慈悲を!<斬撃>!」

 

 スケルトン・センチュピートの頭に重戦士のメイスが叩き込まれ、ゾンビ・ウォリア―の首が聖騎士のバスタードソードによって宙を舞った。退散能力の効果が消え、狼狽えていたアンデッドが再び動き出したその瞬間、間髪入れず白金級魔法詠唱者より魔法が放たれる。

 

「押し返せ!<ファイアー・ボール/火球>」

 

 墓地内部より門に殺到するアンデッドの群れに火球が炸裂し、大半を吹き飛ばす。その隙に、前衛の戦士達が門を半円状にとり囲む陣形を組み直し、息つく間もなく門から這い出て来るアンデッドの群れに武器を振い始める。

 

 <リーンフォース・アーマー/鎧強化>

 <マジック・ウェポン/武器魔法化>

 <レジスタンス/抵抗力>

 

 

 負傷した者と交代して前に出た戦士に向け、範囲攻撃魔法を修めていない魔法詠唱者達が防御強化、攻撃の強化であると同時に死霊等にも攻撃可能となる魔力付与、そして効果は弱いが麻痺や毒、精神攻撃と広範に及ぶ抵抗力が上昇する支援魔法を飛ばす。この状況では下手な攻撃魔法より、前衛への支援魔法が効果的だと知っているためだ。

 一般的に、冒険者は複数のパーティで連携して戦うのはあまり得意ではない。しかし、ここエ・ランテルの冒険者たちは違う。金級以上はカッツェ平野での合同アンデッド掃討作戦での経験が豊富なパーティが殆どだ。ゆえに、連携して強力なアンデッドを含む群れと戦う事にも慣れている。

 

 だが戦っている冒険者達の表情はさえない。今の一連の連携も門が破られてから、これで数回目だからだ。

 

「やべえな、明らかにジリ貧だぞ」「壁越えを始末してる連中もこっちに回ってもらうか?」

 

「銀じゃここ支えるの無理だし!」「壁越えに強いの混じってたら、鉄だけじゃ不味いしな」

 

「城壁にも出張ってるわけだしな、俺らが頑張るしかねえよ」

 

「確かにそうだが、神官の退散能力もあと一回あるかどうかであろう。あやつの魔法も、もはや打ち止めと見た」

 

 金級リーダー達の声に、白金級チーム《アクシズ》のリーダーである聖騎士が芳しくない感想をもらす。敵の数が多過ぎるため、強力なアンデッドに前衛が手間取るとそれだけで群れが溢れだし、包囲陣形が崩される。そのたびに魔法詠唱者のリソースが大きく削られてしまっているのだ。先程交代した軽戦士も怪我を癒やして復帰してくる筈だが、その怪我を癒すのも魔法詠唱者だ。すでに金級チーム五組中三組の魔法詠唱者はリソースをほぼ使い切ってしまっている。

 

 もう一組の白金級冒険者チーム《スカーレット》リーダーは<ファイアー・ボール/火球>のみに絞って後方より指示を出していたが、五発もの火球を放った結果、今は杖に寄り掛かっているような状況だ。魔力の回復はこの短時間ではまず見込めない。その間にも墓地内から再び規模の大きい群れが向かってくるのが見えた。

 

「考えてる暇もないか」「一体どれだけ沸いたんだか」

 

 男たちは舌打ちと共に疲労回復のポーションを飲み干すと、武器を構え直しアンデッドの群れを迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

  カジット及びその徒弟のマジックアイテムを回収させたアインズは、最後に霊廟に入り石扉を閉めると懐からアイテムを取り出す。

 

「まだいささか時間に余裕があるな・・・・・ナーベ」

 

 手元のアイテムで時間を確認しつつ、ナーベラルに周辺偽装警戒の合図を送る。防音と幻惑を兼ねたマジックアイテム〝虚ろの幻燈”を起動させたことを確認し、クレマンティーヌを咥えたままのハムスケに声をかけた。

 

「ハムスケ、その女を降ろしてそこの壁に立てかけておけ……なんだ?」

 

「はっ!シミどもの持ち物に妙なアイテムが混じっておりまして、アインズ様に報告しておいた方がよろしいかと思いました。こちらでございます」

 

 いつのまにか跪いていたナーベラルが、アインズに拳大で表面に凹凸のある黒いオーブを差し出している。

 

「えっと、確かそれは……死の宝珠、だったか?」

 

(そういえばこんな物もあったな、一瞬本気で何かわからなかったぞ。やばいな俺、正直すっかり忘れてた、確かハムスケにここで与えて――あれ?それからどうした?)

 

 流石、至高の叡智を誇る御方……と呟くナーベラルから鷹揚に死の宝珠を受け取りつつアインズは一生懸命、前回死の宝珠をどうしたかを思い出そうと考えたが――何も思い出せない内に頭の中に声が響く。

 

 ――御許可を得ぬうちに発言する無礼をお許し下さい、偉大なる”死の王”よ

 

「む?いや、発言を許そう。だが、何故私をそう呼ぶ?」

 

 前回この宝珠を手にした時のアインズは明らかにアンデッドとわかる外見だった。しかし今は探知阻害の指輪をはめている上、全身鎧を纏ったモモン状態。であるにも関わらず死の宝珠が自分を”死の王”と呼んだことに疑問を投げかける。

 

 ――はっ、まずは感謝の意を偉大なる御方に。私は卑小な存在なれど御身の掌中にあって大いなる魔の力を、そして貴方様が絶対なる死の化身である事を悟りました。死に連なるモノの端くれとして、これ程濃密な死の気配を秘めた御方を”死の王”とお呼びするのは当然のことでございます

 

 ほう……とアインズは感心の声をあげ、少々の驚愕と共に死の宝珠の評価を上昇させる。アインズが手に持つまでは流石にわからなかったようだが、纏っている全身鎧が魔法によって存在している事と、アインズ自身が高位のアンデッドであることを見抜いたらしい。

 

(大したアイテムではないと思ったが、死の宝珠と言う名は伊達ではなかったという事か)

 

「……それに引き換え」

 

「?なんでござるか殿、拙者の顔に何かついてるでござるか?」

 

「いや、なんでもない」

 

(<インテリジェンスアイテム/知性あるアイテム>というのは、単純なレベルや能力だけでは測れない物なのかもしれないな。ユグドラシルにおいて同じ能力であっても、プレイヤースキルで全く強さが変わるように。ユグドラシルには無かったアイテムだし、これは色々と考えた方がいいかもしれないぞ)

 

 前回ハムスケに与えてから、一年以上何も起きなかった。アインズが存在を忘れてしまっていたので、ナザリックにも自由に出入りしていたにも関わらずだ。そもそもユグドラシルにはなかったというだけでもレアアイテムであり、尚且つこの世界でもこれ以降一度もお目にかからなかった事も考えればレア度はもう一段上がる。色々と思い出せば思い出す程死の宝珠の価値はアップしていき、アインズは頭の中に響く賞賛の言葉を聞き流しつつ以前とは全く違った結論を出した。

 

 ――貴方様に仕える事こそが、私の存在意義だと理解致しました。偉大なる”死の王”にお願い申し上げます。どうか、我が忠誠をお受け取り下さい。

 

 「よかろう、死の宝珠よ。私に仕えることを許そう。ではお前には――待て」

 

 強い魔力が収束することを感知したアインズは、言葉を切って手元を見る。それと同時にナーベラルがアインズの前へと動く。死の宝珠も魔力を感知、あるいは何かを察したのか沈黙した。頭の上に?マークを浮かべたハムスケだけが、怪訝な表情をしている。やがて霊廟に半球状の黒い渦巻き――<ゲート/転移門>が現れた。

 

「な、なななな何事でござるか?」

 

「静かにせよ、ハムスケ……それで?状況はどうなっている?」

 

 

 

 

 

 

「だめだ、崩される!」「ふんばれ!後がないんだぞ!」

 

 骸骨の兵士(スケルトン・ソルジャー)数体を含む群れの突撃を受け、再び陣形が崩されかかっている。しかし、もはや立て直す為に必要な魔法詠唱者のリソースは尽きているのだ。突破されれば駐屯地と街区にアンデッドの群れが押し寄せる事になるが、退かなければ自分達もアンデッドの群れに飲み込まれてしまう。決断の時は迫っていた。

 

「ぐあっ、くそ、離せ!」

 

 戦士の一人がスケルトンとゾンビに群がられて引き倒され、それを助けるために前に出た野伏や盗賊にグールとワイトが襲い掛かる。さっと見回せば周辺で似たような光景が見えた。

 

「くっ、ここまでか!」

 

 その場にいる誰もが撤退を決断したその時、大音声が響き渡った。

 

我が神、火神よ!御加護によりこの地に祝福を与えたまえ!<コンセクレイト/聖別/>!!」

「<跳躍>!」

 

 門を中心とした範囲に神聖な力の波動が放射され、戦士に群がっていた、あるいは囲みを突破しようとしたアンデッド達から煙が上がり、苦悶の声をあげる。ほぼ同時にアンデッドの群れの中央、すなわち門の前に一人の戦士が大きく跳躍し、飛び込んだ。

 

「<旋風>!」

 

 戦士の体が旋風の如く回転し、多くのアンデッドと共に五体のスケルトン・ソルジャーを葬り去った。戦士は両の手に持った二本のメイスを構え、次のアンデッドの群れに立ちはだかる。

 

 胸に輝く、エ・ランテル最高位冒険者である証のプレート。

 カッツェ平野で常に先頭に立ち、アンデッドと戦う冒険者チームのリーダー。

 己の故郷をアンデッドから守るため、冒険者になったと言われる漢。

 

「《虹》のモックナック!よく来てくれた!」

「モックナックさん!」「ありがとう、助かった!」

 

 窮地を救われた冒険者たちの声に、モックナックは振り返らず答える。

 

「遅くなってすまん!だが、俺が来たからには、ここからアンデッドは一体も通さん。悪いが皆、もう少し頑張ってくれ。俺たちの街を守るぞ!!」

 

「「「おう!!」」」

 




 ご無沙汰しております。
 前回投稿から、至高の原作者様暦でも一年程が経っており驚愕しています。
 すでに当時読んで頂いていた皆様はいらっしゃらないかもしれませんが、言い訳の後書きです。


 投稿が停止してしまったのは様々な理由はありますが、はっきり言えば
全く書けなくなってしまったからです。

 正確には書いても書いても動くイメージがわかないというか、頭の中のアインズ様達が急に沈黙してしまったというか……表現が難しいですね。

 今話はつい先日アニメ2期の視聴と3期の発表に加え、最新刊を読了した興奮から再度筆をとった所、なんとか書けたので投稿させて頂きました。

 次話以降も書けたならば投稿させて頂きたいと思っています。過度な期待はせずにお読みください。


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Dealing

※このSSは10巻までの情報による妄想設定を基礎として書かれております。話が進むごとに妄想や捏造はどんどん増えます。予めご了承ください。


  西街区中央通りの三階建ての酒場兼宿屋「鉄兜亭」は、エ・ランテルに三つある冒険者専用宿の中で最もランクの低い、初心者から半人前のねぐらである。宿代と飯代――ただし酒は除く――は冒険者組合からの援助によって、同程度の宿泊施設よりも安い。

 ちなみに宿としての評価は”飯が一食つく分、最底よりちっとはまし”と言われる程で、金に余裕がある冒険者にはまず選ばれず余裕ができ次第出てかれるような場末の宿屋である。

 

 その「鉄兜亭」の半分以上の宿泊客、すなわち準備のできた冒険者達が墓地へと向かったために妙に広く感じる酒場の隅の席で、ブリタは顔なじみであり直近の仕事を共に受けたパーティの野伏(レンジャー)でもある、ペール・オーリケと向かい合って黙り込んでいた。

 

(気まずい……)

 

 彼が離脱した後何があったかは、冒険者組合での聞き取り後に組合で話した。当然組合から口止めされた事項には触れないように。

 だが、組合からの帰り道にもう少し詳しくと請われ、自分だけ生き残った後ろめたさに断り切れずに隅の席で声を潜めて、周辺の様子を窺いながら先程まで説明していた。

 暗黙の了解で聞かれたくない話をする時に使われている席のため、声をかけたり耳をそばだてたりする常連はいない、筈だ。だが、冒険者組合で口止めをされた内容に触れずには出来ない話なのだから注意するのは当然だ。

 

 ペールは仲間の末路を聞いた後に、口止めされた吸血鬼(ヴァンパイア)の情報を強く希望した。やはり断れなかったが、やめるべきだった。

 そう思ったのは下位吸血鬼(レッサーヴァンパイア)を魔法で生み出したこと、銀の武器が効かなかった事、他に吸血鬼が二体潜んでいた事等を話した後に、なぜ君だけが助かったのか……わかるだろうか、と聞かれたからだ。

 

 辛かった。表情や声の調子からブリタに気を使っている事もわかったし、その声に責めるような響きはなかったが、それがまた苦しかった。

 

 自分を”デザート”と呼んだこと、逃げ出すまで攻撃してこなかったこと、魔法で捕縛され夜盗の本拠地に囚われていた女性達と共に置き去りにされた事、夜が明けても吸血鬼が戻ってこなかったので必死に逃げ出した事まで、なるべく細部を思い出さない様に話した。

 それでも冒険者組合で念を押して半ば……いや、明らかな脅迫で口止めされた”ポーション”の事だけは話していない。

 

 これで全部、とブリタが話を切り上げた時、ペールは哀しそうな表情を見せた後で礼を述べ……それから沈黙が続いている。それなりに長い付き合いである彼には、自分が隠し事をしている事が分かってしまったのかもしれない。

 

(あたしが黙ってても、おやっさんやあいつらに聞けばすぐわかっちゃうよね……)

 

 沈黙に耐えきれなくなり、楽になるための逃げ道を考え始めた途端、冒険者組合で殺気を放ちつつ、口止めをしてきた組合員の姿が浮かび震え上がる。

 しかし、話をした後で彼に聞き込みをしてもらい、口裏を合わせてもらえば自分が話したとわからないかもしれない。彼も組合から口止めをされているのはわかっている筈で、情報と引き換えにその位は引き受けるだろう。

 それに明日になれば冒険者をやめるのだし、あてが出来たらこの都市からも離れるつもりなのだから、数日間ばれなければ……そこまで考え意を決して、ブリタが口を開こうとしたその時、宿の扉が大きな音を立てて開く。

 

「主人、いるか!……これだけか?」

 

 声をあげながら飛び込んできた男は、顔だけはブリタも知っている。冒険者組合の使者をやっている男だ。いつもの半分も冒険者がいない酒場内を見まわし、困惑した様子を見せている。しかし、これは店に残っていた者も同じだ。この鉄兜亭に冒険者組合の使者が来るなんてことは、まずありえない。そんな様子を意に介さず、おやっさんがいつもの調子で使者に答えた。

 

「久しぶりだな。ここに居ない飲んだくれ共なら、共同墓地に沸いてるっていうアンデッド狩りに出かけたぜ。なんだ?」

 

「その件だ!先に動いてくれていたのはありがたいが、今残ってる全員も参加してもらう!これはエ・ランテル冒険者組合からの緊急救援要請だ」

 

 その言葉に、ブリタは反射的に顔を伏せる。そんな事をしても意味がないのは頭ではわかっているのに、そうするしかなかった。墓場で発生した大量のアンデッド、その中心にはあの吸血鬼がいるのではないか?逃がした獲物を見つけて襲い掛かって来るのではないか?先程まで考えまいとしていたことが、急に現実の問題として襲い掛かって来た事に耐えられなかったのだ。

 

(緊急救援要請って……なんで!なんで今夜!明日にはプレートが返せるのに!)

 

 緊急救援要請。エ・ランテル冒険者組合の歴史でも数回しか記録は無いが、モンスターにより多くの人間の命が失われる危機にある、と組合が判断した時に出される断れば罰則の適用がある最上級要請だ。これはエ・ランテル冒険者組合独自の制度で、都市の特異性及び立地が大きく影響している。

 

 まず、敵対国家である帝国と接する最前線であるため、都市内部に儲けられた総面積一割強の巨大墓地を内包している。その巨大さゆえに、丁寧に埋葬しているにも拘らず、アンデッドが頻繁に沸く墓地と言うのがいかに危険かは言うまでもない。

 そして北にはドラゴンやジャイアントが生息するといわれるアゼルリシア山脈と、都市近郊部まで広がるトブの大森林。さらに南西には多数の亜人が生息するアベリオン丘陵の東端山脈と荒野、南東にはアンデッドの跋扈するカッツェ平野が広がっている。いずれも人間から見れば危険なモンスターを腹に納めた土地ばかりだ。

 事実、過去には大森林より亜人やモンスターの群れが、山脈方面からは亜人の一部族が、カッツェ平野からはアンデッドの群れが押し寄せた記録がある。エ・ランテルは帝国と法国という人類国家との最前線都市であり、複数の人類以外との最前線都市でもあるのだ。

 

 とはいえ、最後に要請が出たのは現役冒険者で要請を受けたことがある者はいない程昔の事で、形骸化した制度だと皆が思っていた。

 

「モンスターが多いのに、エ・ランテルにオリハルコン級以上の冒険者がいないのはどういうことだ?」

「緊急救援要請があるからさ。誰だって、金があったらささやかな支援と引き換えで強制なんかされたくない」「ちがいない」

 

 なんて冗談の種として使われてきた程だ。たった今要請を聞くまでは。

 

 だが、聞いた話では一人前と目される銀級以上ならともかく、初心者と半人前扱いの銅・鉄の冒険者にまで要請が出たことはない筈だ。衛兵では対処不能なモンスターに対処することを期待されているのだから、民兵より強くとも衛兵と大差ない鉄、それ以下の銅に要請する意味はないからだ。それなのに要請が出ているのは何故か。残っていた数組の冒険者達もざわめき始めている。

 おやっさんが、眦を釣り上げて皆を代弁するように使者に問いかけた。

 

「……こいつらまで、駆り出さなきゃいけねえ状況なのか?」

 

「人手が足りないんだ!墓地西門と南門に強力なアンデッドが率いる群れが押し寄せている。金級以上で何とか対応しているが、それで精いっぱいだ。墓地の壁を乗り越えるアンデッドも出てきていて、残りの連中と衛兵で何とか阻止しているんだ。このままでは城壁を越えられて街区に入り込まれかねない。いや、もしかしたらもう入り込まれてるかもしれん。急ぎ墓地へと向かって欲しい!」

 

 街区にモンスターが入り込むような状況と聞き、残った冒険者達も弾かれた様に装備や道具を整え始めた。向かいに座るペールも立ち上がったのが気配でわかるが、ブリタは下を向き続けた。

 その間も、おやっさんと使者のやり取りは続く。

 

「待て、正門方面は大丈夫なのか?」

 

「正門周辺には今現在、アンデッドの群れは押し寄せてはいない」

 

 使者の言葉に、酒場に響いていた音が少し小さくなる。

 

「……正門は西門と南門の間だ、なのにそこは平穏無事だってのか?」

 

「正確には出現した。だが颯爽と現れた、二本の大剣を振う御方に全て倒され、助けられた……と衛兵側から報告が入っている」

 

「……おい、何を言っている?」

 

「煌めく炎から創られたが如き、見事な鎧を纏ったその御方はそのまま墓地に突入し、その後アンデッドの群れは押し寄せていない……そうだ。今は衛兵達で封鎖し警戒に当たっていると聞いた」

 

 今までの使者の話と隔絶した言葉に驚き、吸血鬼の幻影が霧散したことで、自然に顔が上がった。使者の言葉を信じるのならば、その人物は大規模なアンデッドの群れをほぼ単独で掃討し、そのまま大量のアンデッドが跳梁跋扈するであろう死地に突入していった事になる。現実とは思えない、まるで伝説の英雄譚、おとぎ話の類だ。そんな鎧を着た人物は、このエ・ランテルで一人しか見た事がない。他にいる筈もない。

 

「なんだと、それはまさか・・・・・手を止めんな!行くならさっさとしろ!」

 

 気がつけば、用意をしていた冒険者達も思わず手を止め、自分と同じくおやっさんと使者の話に耳をそばだてていたようだ。それに気がついた様子のおやっさんが大きな声を上げ、冒険者達が再び動き始めたのを確認し、先程よりも小さい声で再び使者と会話し始める。

 

「状況は分かった。だが全員動けってのは無茶だ。お前だって知ってるだろう?」

 

「知っている。だが、まだ彼らは冒険者だ。緊急救援要請である以上、従ってもらう」

 

「無理に動かしても、碌な事にはなんねえ」

 

 声に込められた怒気と会話の内容に再び驚き、ついそちらを見てしまった。ちょうど使者の目が隅にいた自分達に向き、慌てて顔をそらす。おやっさんが自分達を庇ってくれている時に褒められた態度ではないが、それは後で謝るしかない。

 

「言いたいことはわかる、だがな……」

 

「おやっさん、気を使わせてすまない。だが俺は大丈夫だ」

 

 (なにいいだしてんの!やめてよ!)

 

 ペールの言葉に裏切られたような気持ちが瞬間的に沸き起こり、口から罵声が飛び出しそうになるが、なんとか心の内で収める。冒険者としては彼の反応が正しいし、その事を非難すれば使者の心象が悪くなるだけってことも、いくら今の自分だってわかる。だが、せめておやっさんが使者と話している間は黙っていてほしかった。 

 

「だがおめえ……」

 

「いいんだ。こんな状況で凹んでて動かなかったら、それこそあいつらに笑われちまう」

 

「そうか、なら行ってこい。だが変に気負うんじゃねえぞ」

 

「ああ、行ってくる……出来れば上手く取り計らってやってくれ」

 

 ペールはこちらをちらっと見て装備を担ぎ、外へと飛び出していく。最後のおやっさんへの言葉だけはありがたいが、これで今、酒場に残っている冒険者はもう自分だけになってしまった。視線が痛い。再び吸血鬼の姿が頭にちらつき始め、とにかく断りの意志を口にしないと、との思いだけで震える口を開いた。

 

「あ、あたしは……」

 

「駄目だ。先程も言ったが、まだ君が冒険者である以上要請は受けてもらう。拒否するなら、最低でも規定通りの罰金を払ってもらう事になるぞ」

 

 有無を言わせぬ口調で懇願が切り捨てられ、涙が出そうになる。だがそれも向こうの立場を考えれば当然の事だ、と考える冷静な自分もいた。

 冒険者は冒険者組合によって、少なからず守られている。依頼の事前調査などがそれだ。その代わりに、所属組合規則を遵守することが義務付けられており、違反すれば罰則がある。主な罰則はランクダウンと罰金だが、違反を抑止する目的ゆえに一ランク上でも痛手になる額が設定されているのが通例だ。

 

 しかも、エ・ランテル冒険者組合は緊急救援要請等の設定、冒険者への依存度が高い等の理由で、専用宿への支援や薬草使用ポーションの廉価販売、果ては神殿治療代の助成すら行っているのだ。それゆえに罰金額も高く、要請拒否の罰金ともなれば手持ちの装備を全て売り払っても今のブリタが支払える金額ではない。

 一括で払えなくとも、冒険者を続けるならば報酬から割合で天引きされる形で払うことも可能だ。だが、罰金を払い終わるまで昇格試験を受けることはできないし、なにより一番の問題は冒険者をやめることが出来ない。

 罰金を払わずに逃げた場合、各地の冒険者ギルドに手配書が回ってお尋ね者になるとか、暗殺者が差し向けられるという噂も聞いている。恐怖の板挟みで頭が混乱して、何か言おうとするが言葉にならない。

 

「……なあ、さっきもう街区に入り込んでるのもいるかもしれん、と言ってたな?」

 

 軽くため息をついたおやっさんが使者に話しかけてくれた御蔭で、視線が外れ少しほっとする。出来れば、このまま自分には話しかけないでほしい。

 

「ああ、だがあくまで推測だ」

 

「じゃあ街区に入り込んでるのがいるかどうか、見回る奴もちっとは必要じゃねえのか?全員で墓地に向かって、見逃したのが街区で暴れたら事だぞ」

 

「それは衛兵が……いや、今は衛兵も……なるほど一理あるな。それを彼女にやらせると?」

 

「一人だけじゃ逆に危ねえだろが。俺がこいつと一緒に見回る、報酬なんかは……まあ、こいつらと同じでいい。それで勘弁してもらえねえか」

 

「おやっさん!」

 

「大丈夫だ、引退したロートルだが元金級だぞ?まだお前ら程度にゃ負けねえよ」

 

 使者を説得してほしいとは祈っていたが、おやっさんの言葉は余りにも意外だった。確かに、その悪人然とした風貌に似合わない善人であることは知っていたが、ここまでお人よしだとは思っていなかった。 

 

「それより勝手に話進めちまって悪かったが・・・・・墓地に行くよかあ、ましだろ?」

 

「わかったわかった、では私も一緒に見回ろう」

 

 おやっさんに返答する前に、更に意外な言葉が使者から飛び出した。先程とは違う混乱が襲ってくる。

 

「城壁や墓地で姿を見なかったと言われた時、私が証言できる。それに、アンデッドが相手では戦士二人では対処できない場合もあるだろう」

 

「んだよ、折れるならさっさと折れとけよ、めんどくせえ。俺がかっこつけたのが霞むだろうが」

 

 やれやれといった様子の使者とおやっさんに、慌てて立ち上がり深く頭を下げる。床に涙がこぼれたが、これはさっき眼にたまった涙ではなく、安堵と感謝からくる涙だ。

 

「すみません、すみません、本当にすみません」

 

「ああ、ああ、あまり気にしないでくれ、これも仕事だから……それに大きな声では言えないが、特例を作って見逃す方が後が大変なんだ。それよりはどんな形であれ要請を受けてもらった、という形の方がいい。わかってくれたか?では急いで支度をしてきてくれ」

 

 

 

 

 急いで装備をとって来たブリタが外に出ると、短い杖を腰に差した使者が待っていた。すぐに、給仕の男に留守番を頼んだおやっさんが外に出てきた。

 

「待たせたな、どっからいけばいい?」 

 

「では街区を見回るとしよう、大通りから内側は見なくてもよいだろう。もし居れば大騒ぎになっている」

 

「城壁に面した区画もだな。流石にそこをうろついてるのは、城壁にいる奴らが気がつくだろう。となると貧民窟(スラム)の中を回ることになるな……それでいいか?」

 

 ブリタがこの中では一番経験に乏しいのに、意思確認をするのは自分が現役の冒険者だからだろうか。だが、自分は所詮鉄級。経験が豊富なおやっさんの指示に従ったほうがいい。

 

「おやっさんの指示に従うから、いちいち確認しなくていいよ」

 

「そうか、じゃあ俺が先頭で進む、次はお前だ。最後尾のそいつも元冒険者だが、魔法詠唱者だからな、腕っぷしは期待できねえ。急に物盗りかなんかが襲ってきたら、お前が守れ」

 

 おやっさんの言葉に使者が少しむっとした表情になるが、焼けてもいない筋肉が碌についていない細腕では、自分にも力で勝てないだろう事は明白だ。

 

「わかったよ、えーと……」

 

「オロフ・バーリマンだ、よろしくブリタ」

 

「バーリマン、……さん、よろしく」

 

 一行は静まった夜の西街区を、ゆっくりと進んでいく。裕福な家や施設が多い東街区ではこの時間でも家々に灯りが灯っているものだが、貧しい者たちが暮らす西街区ではあまり明かりが灯った家がない。

 空の西側、つまり城壁の方がいつもより明るいのは、篝火を余計に焚いているのだろうか。裏通りを少し歩いたところで、後ろから声がかけられた。

 

「……ところで、あいつの名前は知ってるのか?」

 

「おやっさんの名前?」

 

「その様子じゃ、知らないみたいだな」

 

 バーリマンの声には面白がるような響きがあった。その声を聞き、先頭を歩いていたおやっさんが振り返る。

 

「おい……何、人の事こそこそ喋ってやがる」

 

「いいじゃないか、臨時とはいえパーティなんだから。名前位互いに知っておくべきだろ。なあ、クリステル・ゲッダ・フリードリン殿?」

 

「……クリステル?あれ?」

 

 名前と姓だけではないという事は、平民じゃない。立ち止まってこちらを見ているおやっさん――クリステル・ゲッダ・フリードリンは、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。ランタンの明かりに照らされた禿頭、顔にある複数の刀傷、いかつい容貌は貴族というより、世闇に紛れて商人を襲う賊の親分にしか見えない。

 

「……おやっさん、いや、ええと、フリードリン、さんは貴族なんですか」

 

「称号ねえんだから、気がつけよお前も。ランクが上がれば、いずれ貴族と話す時が来るんだぞ……貴族出身ってだけだ。やめろ、その呼び方。気持ちわりい。今まで通り、おやっさんと呼べ……オロフ、手前後で覚えとけよ」

 

「専用宿なんて任されるのは、ある程度はって話だな。若者と話すとっかかりがないんだよ、黙ってるのが苦手なのはお前も知ってるだろう」

 

「状況わきまえろや、これだから魔法詠唱者は……」

 

「わきまえてるよ。危険地帯に入る前にコミュニケーションをとって、過度な緊張をほぐすのも大事なことだ」

 

「え?」

 

「ちっ……もう少し先からスラムだ、静かにしろよ」

 

 もしかして、自分の事を気遣って話しかけてくれたのだろうか。スラムに入ると辺りを警戒しつつ、静かに歩く。治安の悪いスラムでは可能性は低いとはいえ、最初に言われた通り集団の物盗りや、潜伏してる賊の集団に襲われないとも限らないからだ。

 先頭を歩くおやっさんを見れば賊の方が逃げ出すか、挨拶をしてきそうな気もするけど・・・・・と考えていると、そのおやっさんが立ち止まった。

 

「……よし聞け。今、白い靄があそこの路地を曲がった。幽霊(ゴースト)だと思うんだが、死霊(レイス)って事もあり得る」

 

「見間違いってことは?城壁にも神官様はいるんでしょ?」

 

「いや、ゴーストやレイスであれば十分にあり得る。どちらも空を飛べるし、音も出さない。闇に紛れるように姿を消すこともある厄介なアンデッドだからな」

 

「そいつのいう通りだ、見間違いじゃねえよ、何度も戦った。それでだ、どちらであっても普通の武器じゃ対抗できねえし、精神か負の攻撃が来る。それに、ここはスラムと言っても街区だ。騒ぎにして、飛び出してきた住民を巻き込みたくはねえ。武器への付与魔法と抵抗、あと消音を頼めるか?」

 

「出来るが、多人数に同時にかけることはできない……む?」

 

 バーリマンが何かに気がついたように言葉を切った。なんとなくその視線を追ってみるが、特に何もない。

 

「なにかいた?」

 

「いや、すまない。あー、それにだな、私自身には消音はかけられない。魔法が使えなくなってしまう。私は<フォースト・クワイエット/強制静音>でいいな?」

 

 <フォースト・クワイエット/強制静音>は音を完全に消し去るのではなく、抑制するだけの魔法と説明される。

 

「すまん。その辺はまかせる。それよりも、見失わねえうちに先行して追跡するから、まず俺にかけてくれ。″燐光液”を垂らしておくから、お前たちは後から追って来い」

 

 燐光液は空気に触れると蒸発するまでの間、微かな光を発する錬金液体だ。垂らす量によって発光時間を調整でき、調合により色を変えることもできるので愛用者も多い。ただし光量は本当にわずかなので、夜間の目印に使われるのが主だ。

 

 

「<マジック・ウェポン/武器魔法化><レジスタンス/抵抗力>、<サイレンス/消音>」

 

 

 支援魔法を受けたおやっさんがスルリ、と戦士らしからぬ動きで路地の先へと進んでいく。消音の効果がなくとも、音が殆ど出ないと思われる動きだ。

 

「おやっさん、戦士じゃなかったんだ……」

 

「あいつは戦士だ……が、野伏の技術も修めてるんだ。さ、魔法をかけるぞ、気を楽にしてくれ」

 

 

 

 

 ほぼ一定間隔で垂らされた燐光液をたどって、ブリタとバーリマンは静まり返った深夜のスラムを進んでいく。目立たぬ様にランタンのシャッターを降したため、月明りと燐光液だけが頼りだ。バーリマンの速度に合わせているためか、結構進んだのに先を行くおやっさんの姿はまだ見えない。このままじゃ、もしかすると……。

 

「戦闘になるまでに、追いつけないかもしれないか……よし、先に行ってくれ。支援魔法が切れては元も子もない」

 

 バーリマンも同じ事を考えていたようだ。振り向いて賛同の意を示すため大きく頷き、勢いよく駆けだす。消音の効果で、走っているのに自分の足音も息づかいも感じられないのが、少し変な気分だ。無音の路地を進み、二つ目の角を曲がったところで、先の曲がり角を曲がるおやっさんらしき影が見えた。やっと追いついた、足に力を込めて走って角を曲がる。

 

(あれ?……行き止まり?)

 

 角を曲がると、少し先は袋小路だった。こちらに背を向けたおやっさんが、壁の少し手前で周囲を警戒するように見回している。アンデッドを見失ったのだろうか。

 

「~~~~~?」

 

(おやっさん?……あ、声は出ないんだっけ)

 

 つい声をかけようとして、まだ魔法の効果が残っている事に気が付く。近付いて肩をたたこうとも思ったが、叩く方向や位置を決めていない。たまに聞く事故の様に警戒してるおやっさんに不用意に近付き、触って反射的に攻撃されてはかなわない。軽く音を立てようにも、魔法の効果で息の音もしない。こういう時は、どうすればいいのだろうか。

 

(仕方ない、か)

 

 間合いを十分に取って周囲を見回し、なるべく小さな石を拾い、おやっさんにむけて軽く放る。ちょっと怒られるかもしれないが、他に思いつかないのだから許してもらおう。

 

 

 小石が当たり、おやっさんが振り向いた。

 

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」

 

 

 ブリタの口から、音にならない悲鳴が上がる。

 

 振りむいたおやっさんの顔は――鼻も、眉毛も、眼球も、唇も、歯も、舌も無い。ただ、三つの黒い穴が開いているだけだったのだ。

 

 

 

 

 

 

(なに?なんでおやっさんが化け物に?アンデッドに憑りつかれた?)

 

 向かってくるおやっさん――らしきものから慌てて逃げ出したが、様々なことが混乱した頭の中を駆け巡っていく。顔以外は全て先刻までと変わらぬおやっさんだった、間違いない、気持ち悪い。

 走ったまま後ろを振り返れば、角を曲がってあの化け物が姿を見せた。

 

(ひっ!)

 

 やはり見間違いではない。服も装備もおやっさんなのに、顔は黒い穴が三つ開いているだけだ。殆どが見知った人と同じなのに、決定的に異様な部分があることが、背筋を毛虫が這ったような怖気が襲ってくる。

 

 自分にはあれが何なのか、どうしたらいいのかわからない。とにかく逃げ、逃げないといけない。まだ道に燐光液が残っている、これをたどれば途中までは何とか――

 

 

「うおっ!?」

 

「うぁっ!?」

 

 

 突然衝撃に襲われて、視界が急転し、また強い衝撃に襲われる。夜空と路地の壁が目に入ったかと思うと手にべちゃり、と液体がついた感覚。角を曲がった所で、何かにぶつかって跳ね飛ばされたのだと遅れて理解するが、頭がくらくらする。

 

「おい、大丈夫か?なにがあった?」

 

 声の方を見上げれば、バーリマンがこちらをのぞき込んで手を伸ばしている。のろのろと手を伸ばすと、腕を掴まれてぐいっと引き上げられた。腕が痛い。

 

「おい、聞こえてるか?」

 

 痛みと声で、思考が覚醒する。と同時に、自分の置かれていた状況が蘇った。急いで逃げようと体を動かすが、腕を掴まれていて走れない。

 

「お、おやっさんが、化け物に!早く逃げないと!」

 

「おい、何を言ってるんだ?ちゃんと説明しろ!あいつに何があった!」

 

 何でわからないのか、自分の後ろには化け物が来ているのに。だが腕を振りほどこうとしても全く振りほどけない。

 

「化け物が追ってきてる!離して!逃げないと!」

 

「……何もいないようだが?」

 

「えっ?」

 

 バーリマンの声に後ろを振り向く。そこには燐光液が点々と光る路地があるだけで、あの気持ちの悪い化け物の姿はなかった。

 

(バーリマン、さんを見て、逃げた?)

 

「何もいないな?さ、何があったか説明しろ」

 

「は、はい。ええと、あの角を曲がったところにおやっさんがいて、それで、おやっさんが振り向いたら、憑りつかれたのか、化け物になってたんです」

 

 自分が上手く説明ができない事にいらだったのか、バーリマンが眉を顰める。

 

「化け物というのは、あいつのことか?」

 

「そうです、顔が無くなってて、なんて言ったらいいか、目も、鼻も、口も無くなってて穴が三つ空いてるような」

 

「なんだと!それは、まさか……」

 

 バーリマンの眼が、驚きで大きく見開かれる。これは何かを知っている反応だ。だとすれば、何とかなるのかもしれない。

 

 

 

 

「――こんな顔ではないか?」

 

 グニャリ、とバーリマンの顔が崩れ、”あの顔”があらわれた。

 

 

 

 

 悲鳴を上げる前に背後から長い、節くれだった指を持つ化け物の掌がブリタの顔を掴んだ。

 凄い力で口が塞がれ、声が出せない。目を動かして背後の何者かを見れば、それはやはりあの化け物だった。

  

(嫌だ!なに、一体なんなの!おやっさんもバーリマンもどうなっちゃったの!)

 

「死にました」

 

 目の前の化け物からでも、背後からでもない、ブリタの視界外から声が響いた。

 

(嘘!だって、さっきまで……)

 

「本当です。こんな出来では彼らも浮かばれないでしょうが……さて、そろそろ閉幕です。しかし、貴女は運がいい」

 

 ブリタの思考を読んでいるかのような謎の声、その言葉は意味の分からない部分ばかりだが、真実なのだろう。

 いつの間にか目の前の化け物は人間ですらない、何か違う化け物の姿になっており、空いた方の手には細身の剣が握られている。体に力が入らない、まるで命そのものを吸われているようだ。

 

 

「あれだけの事をしながら、この程度の罰で永遠の苦痛を自覚せずに済むのですから」

 

 

 やはり言葉の意味は分からなかった。涙が溢れ、視界が閉ざされる。

 

 

 あたしは何をしたんだろう。あたしの何が悪かったんだろう。 

 

 

 風を切る音がブリタの耳を打つ。

 それが、ブリタの最後の感覚となった。

 

 

 路地裏に、虚空から再び声が響く。

 

「貴女は運が悪かった。ただ、それだけです。世界の終わりまで……安らかにお眠りなさい」

 




 アインズ様の出番が全くない話を投稿するとか、不遜すぎてびっくりするーっ!

 前回に引き続き言い訳の後書きです。
 まさかのアインズ様出番なしに戦慄し、いっそのこと外伝か何かにしてしまおうかと一度はBOXに放り込んだのですが、気になって続きが書けないので投稿してしまいました。


3期のPVが昨日公開されたのでテンションは上がっています。
3期も10日から放映されますし、楽しみですね。
次話はもう少し早く書けると信じて……過度な期待はせずにお待ちください。


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Preparation

※このSSは10巻までの情報による妄想設定を基礎として書かれております。話が進むごとに妄想や捏造はどんどん増えます。予めご了承ください。


「はい、全てアァインズ様の御指示通りに。この都市に生きる者全ての耳に入る様、情報を伝達した上で適当に被害を出しております」

 

 <ゲート/転移門>より軍服を纏った二重の影(ドッペルゲンガー)パンドラズ・アクターの姿が現れ、あくまでも普段を知るアインズから見れば控えめの抑揚とアクションで一礼する。

 メリハリの効いた完璧な動作なのだが、劇役者然とした仕草と”アァインズ”という発音に関して後で一言、言っておかねばならない。発光する手前のレベルで恥ずかしかったこともあって、牽制の意味を込めて軽く睨むが全く通じていないようだ。この後の事を考えると陰鬱な気分になるが、あと少しと己を奮い立たせる。

 

「……よかろう、ではとりあえずあの者達のパスを渡す。活用せよ」

 

「確かに承りました」

 

「それで、例の人間は?」

 

「はっ、こちらでございます」

 

 パンドラズ・アクターがさっと手を振ると、白い布で覆われた人間大の包みが出現する。

 だが人間だとすると形がおかしい。頭に当たる部分が膨らんでいないのだ。しかし、それを見たアインズは満足そうに頷いた。

 

「恐怖は十分に与えたか?」

 

「それは間違いなく。……即興故、少々仕上がりに不満はありましたが」

 

「ふむ?まあよい。一応確認するが殺してはいないな?」

 

「はい、首から上は生かしております。お持ちいたしましょうか?」

 

「いらん、見るのも不快だ。あくまでも実験の一環、生きてさえいればどうなっていても構わん。お前に任せる」

 

 一時は怒りにより、精神と肉体を回復させつつ永遠に苦痛を与えてやろうと考えていた。だが、リソースを割いてそんなオブジェを二体も維持するより、有効活用したほうがいい。

 己の眼で見た場合、再び沸き上がるであろう怒りと不快感で衝動的に潰しかねないので、今後もパンドラズ・アクターに管理させるつもりではあるが。

 

「さて、後どの程度かかる?」

 

「動きが鈍く、まだ少々時間を要するかと。無理にでも動かしましょうか」

 

「不要だ。だが、その間の時間は有効に使うべきだな……んんっ、ナーベラルよ、どうした?」

 

 再び優雅な動きで一礼したパンドラズ・アクターにもノーリアクションのナーベラル・ガンマに対し、アインズは平静を装って問いかける。

 が、その心中は態度と裏腹に、予防注射の前の幼子の如く乱れていた。

 

(昨日、心をスタズタにされたばかりなんだから、お手柔らかにお願いしたい、お願いします……くっ!<ライオンズハート/獅子の心臓>が使えれば!)

 

 仮に使用できたとしても自身には効果がない魔法だが、つい願ってしまう。

 同時にアインズは現実的な対処として、予想される絶対零度の声色に備えて心を強く持つべく、気合を入れた。経験上全くの徒労ではあるが、これは心構えの問題である。

 

「アインズ様、此方の御方はどなたなのでしょうか?ナザリックに属する者であるのは気配でわかるのですが……」

 

(ん?)

 

 聞こえてきたナーベラルの声色は冷たくはあるが、決して絶対零度やブリザードの類ではない。アインズの聞き間違いでなければ、普段から出している声となんらトーンは変わらないと思える。

 

(……もしや、俺の動揺を見抜いて……いやいや、ないないない)

 

 全NPCの中でアインズが最も共にした時間が長いと言えるのがナーベラル・ガンマだ。不本意ながらものすごい勢いでパンドラズ・アクターが追い上げているが、前回からの積み重ねは未だに圧倒的な差を見せている。

 そんな事が出来るタイプでもないことも、アインズの想像をちょっと超えるレベルでポンコツであることも知識ではなく経験で理解している。

 だが、表情が見えないとやはり不安だ。アインズはナーベラルの顔が見える位置になるべく自然に、いかにもパンドラズ・アクターを紹介するため、という態を装って移動する。

 

「ナーベラル・ガンマ、お前が会うのは初めてだったな。これは、パンドラズ・アクター、私が、んっ……創造した、領域守護者だ」

 

「なんと、まさかアインズ様自らが創造された御方とは……失礼致しました」

 

 トラウマに対する衝撃に備えてナーベラルの表情をちらちらと観察しつつ、パンドラズアクターを紹介する。ナーベラルの表情は驚き――ここで耐ショック体勢――の後に、アインズの見間違えか幻術でなければ、己に敬意を払っている時と同じ表情でその場に跪いた。

 

「殿、ちょっと某よくわからなかったのでござるが、こちらの御仁はナーベラル殿の同僚でいいでござるか?」

 

「愚か者。パンドラズ・アクター様は、私などより遥かに上位の御方です。また少し尻尾を焼いてあげましょうか」

 

「ひい!あれは勘弁してほしいでござる!」

 

 ハムスケへの態度や表情も観察するが、完全に前回の漫才状態で不自然な部分はない。

 何故だ?と疑問を持ったその時、アインズはようやくナーベラルがパンドラズ・アクターと同じドッペルゲンガー種である事に思い当たった。

 

 ナーベラルに手を差し伸べ、芝居がかった台詞回しで立ち上がる様に促すパンドラズ・アクターを見て光りつつ、アインズは考える。

 

 (今までの恐怖体験から、ただショックを受けることに怯えていたけど……同種族ってことは)

 

 よくよく考えなくとも同種族のナーベラルからパンドラズ・アクターを見た場合、卵頭の外見と芝居がかった動作のギャップは生じない。ならばナーベラル・ガンマは他の誰よりもパンドラズ・アクターを受け入れやすいのかもしれない。これは所詮仮説だが、今現在のナーベラル・ガンマの反応を見るにこの仮説が正しい確率はかなり高い。

 

 最終的にアインズは、己の心がズタズタにされる事態は生じない、と結論づけた。

 

(……っ、ふうううぅ、助かったー)

 

 己の想定で本日最大の難関を突破したアインズは、心の中で盛大に安堵のため息をもらした。

 

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテル墓地正門。効果範囲内を長時間の間正のエネルギーで満たしアンデッドを弱らせる<コンセクトレイト/聖別>の効果によって、門周辺に弱いアンデッドは近寄れなくなっている。

 門を抜けてくるのは一定以上の強さを持つアンデッドのみ。それらも群れの中に混じっているならばともかく、個々であれば金級の冒険者パーティが余裕を持って倒せるアンデッドだ。

 その結果、交代で休息をとりつつ戦線を維持する体制を構築可能となった。

 

 壁を乗り越えてくるアンデッドの数は多少増えたが、墓地内で足場にされて潰れ、壁を越えた後に地面に激突し弱ったアンデッドが増えた所で狩るのは容易だ。

 さらに《虹》の参戦とその活躍が伝わって士気が向上したこと、駐屯地にある物資を使用する決断を衛兵長達が下したこと、他の地区の衛兵も最低限を残して応援に駆けつけたこと、事態を重く見た神殿からの応援等々、他の状況も防衛側有利に傾いてきている。

 

 今も門から少し離れた場所に設置された仮設の陣地で、《虹》と《アクシズ》が物資の補充と、わずかな間の休息を行っていた。

 

「モックナック殿。この分なら何とか保ちそうですな」

 

「油断は禁物だ。アンデッドの数もだが、強力なアンデッドの比率は下がっていない・・・・・いや、むしろ上がってきている気さえする」

 

「……確かに。墓地の内部、おそらく中央の霊廟に行けば何かしらわかるのでしょうが……悔しいですな」

 

 聖騎士とのやり取りの通り、墓地から未だ尽きぬ泉の様にアンデッドの群れが湧き出している。その原因を突き止めるためには、墓地内部に突入する必要がある。

 わかっているのだが、現状ではそれは難しい。多少余裕が出来てきているとはいえ、アンデッドの街区への侵入を防ぐのに手いっぱいである上、アンデッドの数が未知数であり、そしてなによりミスリル級が抜ける穴が大きすぎるのだ。

 

 モックナックがリーダーの《虹》はもちろん、他の場所で戦っている<天狼><クラウグラ>が防衛から抜ければ、防衛有利の現状が覆りかねない。さらに言えば、その危険を冒して墓地内部に突入したとしても、戦闘になれば数百、数千、下手すれば”万”という数の暴力を受けることになる。

 隠れ進むにしても、生者の気配に敏感なアンデッドがひしめく墓地を踏破するのは、ミスリル級冒険者と言えど困難を極める。その上中央部にたどり着いたとしてもその場に事態を打開する方法がなかった場合、そのまま全滅しかねない。頭ではわかっているが、実に歯がゆい。

 

 上空から飛行で突入する案も出たが、観測でかなりの数の浮遊・飛行するアンデッドと思しき影が墓地に漂っているのが確認され、断念した。

 それらのアンデッドの一部は、今も街区方面に向かって飛び立っている。魔法詠唱者や神殿所属の神官が奮闘しているのか、時折魔法の光が城壁の上で炸裂するのがここからも見えるのだ。

 

 結局、大量発生の原因は未だ不明、どうすれば発生が止まるのかも不明のまま。

 過去の記録や、神殿からの助言”アンデッドは太陽の光を嫌う””過去の発生も朝には収まった。夜が明ければ今回も収まる可能性が非常に高い””原因究明のため突入するにしても日中”等々から出た冒険者組合の結論は”夜が明けるまで防衛に徹する”だ。

 しかし果たして過去に例のない大発生である今回の事件にも当てはまるのだろうか。手に負えなくなる前に危険を推してでも突入すべきではないのか。この場にいる誰もがよぎっているだろう。

 

「とはいえ、組合の判断もわかる。今は目の前のことに注力しよう」

 

「おっしゃる通りです。では……おや?」

 

 門の方から大きなざわめきが聞こえ怒号が響いた。頷き合った二人はすぐさま走り出し、その後にそれぞれのパーティーメンバーが続く。

 外には予想はしたものの、当たってほしくない光景が広がっていた。門から《虹》が到着した時と同様、アンデッドの群れが溢れだし冒険者達が慌てて対処している。

 

 「馬鹿な!」

 

 《虹》の神官が叫んだのも無理はない。聖別は位階と魔力の消費に比して効果そのものはかなり弱いが、数時間もの間維持されるという特徴を持つからだ。モックナックの知識でも、まだ半分も時間は立っていない。だが、現実に効果が消えている以上は、受け入れて対処せねばならない。

 

 「もう一度、聖別を!皆は金級のフォローに入れ!」

 

 モックナックは愛用の二本のメイスを構え、指示を出すと強力なアンデッドの位置確認、そして使用する武技の選択に入る。

 

 「むっ、あまり固まっていないか・・・・・ならば!」

 

 「<コンセクトレイト/聖別>!」

 「<疾走>!」

 

 門を中心とした範囲に、再び神聖な力の波動が放射される。門を抜け冒険者に襲い掛かっていたアンデッドの群れから煙と、苦悶の声があがった。

 同時に駆けだしたモックナックの速度が、武技によって大幅に上昇する。

 

 「<爆進>!」

 

 モックナックは武技を発動し、突出していた食人鬼の骸骨(オーガ・スケルトン)に突撃する。突進を受けたオーガ・スケルトンが轟音と共に砕かれ、吹き飛んだ。そのままアンデッドの群れを砕き、撥ね飛ばし、砂煙をあげて停止する。

 

 「よし!次は……」

 

 

 「「<ディセクレイト/冒涜>」」

 

 

 「何!?」

 

 墓地内から複数の声を僅かにずらした様な不快な声が響きわたり、正のエネルギーの力場が消滅する。驚愕の声と共にその場にいた冒険者の大半が、声の発生源に視線を向けた。

 

 三つの髑髏で構成された頭部には古ぼけたサークレット。薄汚れているが高級品であろう装飾の入ったブレスト・プレートを装備し、背にはボロボロのマントをたなびかせている。

 身長程もある、黒い靄を纏わりつかせた杖をこちらに突きつけるように構えている、それは。

 

 「骨の領主(スカル・ロード)!」

 

 討伐難度五十超。複数の特殊能力と第三位階魔法を操り下位のアンデッドを率いる、白金級冒険者パーティでも勝つのは容易ではない真に強力なアンデッドの出現だった。

 

 

 

 

 

   

 

(時間があるのなら、今のうちにクレマンティーヌの件を片付けてしまうかな)

 

 想定された本日最大の危機を脱したアインズは、空いた時間を有効に活用すべく動き始める。

 

「パンドラズ・アクター、その女は私の所有物となった。拘束を施し、気絶から回復させよ」

 

「……はっ」

 

 パンドラズ・アクターの返答が一瞬遅れたことに、アインズは内心眉を顰める。

 

(もしや、こいつも人間にはあまりよい感情を持っていない?クレマンティーヌを起こす前に釘を刺しておいた方がよいかもしれないな)

 

「その後一旦お前に預けるが、保管場所はナザリックと関係のない場所にせよ、少し様子を見る。詳しい尋問等は後日行う事としよう」

 

 今はまだ、クレマンティーヌにアインズ達ナザリックの情報を与える気はない。その前にやってもらわねばならない事がある。

 

「了解致しました。この都市に拠点を確保してありますので、そこでお待ち致します」

 

「拠点?ならば場所は影の悪魔(シャドウデーモン)に伝達せよ。それと……その女が目覚めた後で暴言に類する言葉を吐くかもしれないが、聞き流せ」

 

「はっ」

 

  パンドラズ・アクターに誰の姿をとるか指示をせず、能力や目的だけを伝えるのはアインズの知識にギルドメンバー全員の能力が完璧にインプットされているわけではないからだ。

 特に直接戦闘に関わらないメンバーの能力に関しては、穴が多い。しかしパンドラズ・アクターは種族特性のためか、外装登録されたギルドメンバー全員の能力を完璧に把握している。

 そのためあまり詳細な指示を出さず、能力の選択等はパンドラズ・アクターに任せているというか丸投げにしているのだ。

 

(この部分だけ見れば正直楽だし、便利なんだけどな。しかし、拠点の設置なんて指示したか?)

 

 アインズの目の前で敬意のポーズを極めたままパンドラズ・アクターの身体がぐにゃり、と樹人(トレント)と呼ばれる種族に変化する。樹の枝が絡まり合った腕と、根が束ねられた脚を持ち、顔に当たる部分には洞がある植物系種族だ。

 

「うへえ、気持ちが悪いでござる・・・・・」

 

 呟きに反応したナーベラルが即座にチョップを叩き込んだ直後、変身したパンドラズ・アクターの姿に目を見開き、ハムスケの頭に手刀をめり込ませたまま固まった。

 

 (そういえばパンドラズ・アクターの能力に関して何も説明していなかった、ような……うん、後の祭りだな。手間が省けたと考えよう)

 

 トレント――ブルー・プラネットの姿に変じたパンドラズ・アクターが、石壁にもたれかかったクレマンティーヌの側へと近づいて青々と葉が繁った指先をその額に当てると、何かを噴射した。

 

「!ぐはっ!げほっ、げほっ」

 

「おはよう、クレマンティーヌ」

 

「あ?……ひっ!」

 

 反応はすぐに表れた。先程までハムスケに咥えられ、運ばれても起きなかったクレマンティーヌが咳き込みながら目を開ける。

 アインズ、ナーベラルの順に視線を動かした後、ハムスケとパンドラズ・アクターが視界に入ったのか小さく悲鳴を上げて、頭を大きく動かした。だが、いかなる効果なのか首から下はピクリとも動いていない。その事実に気がつき、クレマンティーヌは呆然と己の体を見回し始める。

 

「とはいってもまだ夜は明けてないが。状況は把握しているか?」

 

「あ!……え?・・・・・こ・・・・・」

 

 アインズの言葉にビクンと頭を振わせ、クレマンティ―ヌの口がもごもごと動いたが、上手く言葉が出てこないようだ。視線が定まらない様子から、まだ混乱しているか怯えているかのどちらかだろうが、これでは訓練を受けた戦士というよりただの一般人だ。

 

「そう怯えるな、決着はついた。大人しく従う限りは命だけは保証しよう……確かに少々やりすぎたが、それはお互い様だろう。念のため確認しておくが、私の勝ちでいいな?」

 

 クレマンティーヌがコクコク、と何度も頷いた。その必死な姿に、アインズは少々失望する。

 別にガゼフ・ストロノーフの様な高潔さを求めていたわけではないが、あれだけ戦士である事を誇っていたのだから、矜持の一つも見せて欲しいと思っていたのかもしれない。

 

(私がプレイヤーだと理解して怯えているにしてもどうなんだ?……同じ法国のあの長髪の男は、分かっていてそれで私に向かってきたのだがな)

 

「ふぅ……あまり時間もない。詳しい話はあとで聞くが、少し質問に答えてもらおう。そうだな、まずは」

 

「お待ちを、我が主」

 

「パンドラズ・アクター様!ナザリックの支配者たるアインズ様の御言葉を遮るなど!」

 

 アインズの言葉をパンドラズ・アクターが途中で遮るという行為にナーベラルが驚き、パンドラズ・アクターとナザリック、アインズの名が結界内に響きわたる。

 

「ナーベ……」

「ナーベ嬢……」

 

 偶然だが、アインズとパンドラズ・アクターが同時に顔半分を片手で押さえ、ナーベラルを呼んだ声が綺麗にハモった。当の本人はその言葉で失態に気がついたのか、口を押えて涙目になっているのだが、その様子を見るまでもなくアインズは怒る気力を喪失していた。

 すぐに己の失敗である事に気が付いたからだ。アインズはクレマンティーヌにナザリックの情報を与えるつもりはなかった。だが、その事をナーベラルに説明していない。パンドラズ・アクターとの会話では説明をかなり端折っても通じるので、正直油断していた。

 

(凡ミスすぎる。これでナーベラルを責めるのは筋違いだ、けど……うーむ……)

 

「今の発言は許そう。だが、同じ失敗を繰り返した事は深く反省せよ、ナーベラル・ガンマ。次は無い」

 

「も、申し訳ございません」

 

 他の目がある所で、アインズが己の失態を認めるわけにはいかない。青ざめた顔のまま跪いたナーベラルに罪悪感を抱きつつ、パンドラズ・アクターに向き直る。

 

「それで?一体なんだ」

 

「はっ、この場で尋問をされるのであれば、その女の拘束を緩める必要がございます」

 

「……何?」 

 

「行動を封じるため首から下の運動系を麻痺させた他、魔法やスキルの使用、マジックアイテムの起動を封じるべく集中及び発声を阻害しております。なお――」

 

 

 一瞬、パンドラズ・アクターが何を言っているのか呑み込めなかったアインズは言葉の意味を反芻する。

 

 

(麻痺は拘束しろと言ったからとして……集中の阻害?ってことは何か精神的な状態異常を引き起こしたのか。で、その上で発声の阻害って……うん、それは焦るわ)

 

 

 クレマンティーヌの先程の様子が、大体パンドラズ・アクターのせいだと理解する間にもパンドラズ・アクターの説明は続いている。

 

「――その上で精神的、および魔力的パスが確認できませんので使い魔として情報を送ってる可能性は皆無であると判断し、視覚・聴覚・嗅覚に関しては阻害しておりません。ですが拘束を緩めるのであれば、視覚と嗅覚は遮断させて頂きたいかと――」

 

「……その女は純戦士だ。使い魔になっていないならそこまでする必要は無いと思うが、心配ならマジックアイテムを全て外せ」

 

 パンドラズ・アクターの言葉を遮って指示を出したアインズは、再び顔を片手で押さえた。

 パンドラズ・アクターは確かに優秀だ。しかしこの病的な用心深さ、ついでに諸諸の動作と発音とドイツ語はどうにかならないのか。歯車がずれた時に面倒すぎる。

 

(ならないよなあ、俺が設定したテキストと……認めたくはないが俺自身の影響なんだろうし)

 

 なんとかしたくとも、転移前の様にギルド管理メニューのコンソールからNPC設定を書き換えることができなくなっているのは前回の時点で確認済みだ。

 

(世界級(ワールドアイテム)であれば不可能ではないけど、流石にそれはできない。この世界で変容した<ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを>なら可能かもしれないが、発動時には最大経験値を要求されるだろうし、経験値を大量に稼ぐ手段がない今だと試すのはちょっとなあ。俺の手持ちの魔法でテキストや設定を書き換えられればいいんだが、無理だろうし……いや、そう判断するのは早計か?もしかしたら……)

 

「アインズ様」

 

 思考に埋没しそうになったその時、パンドラズ・アクターから声がかかったことで現実へと引き戻される。

 

「終わったか?」

 

「いえ、現場に贄が到着致しました。いかが致しましょうか」

 

「……では質問をすぐに済まそう」

 

「この女の回復には、もう少々時間がかかりますが」

 

(なんだそれ)

 

 馬鹿なやり取りをしている間に時間が無くなった上、クレマンティーヌの回復に時間を要すると聞いたアインズは、わずかな苛立ちと共にため息をつく。

 

「はぁ、もういい。クレマンティーヌ、喋れるか?意識は明瞭か?」

 

「なん、とか、喋れ、る、……ます、よ」

 

 姿勢は相変わらずで声もとぎれとぎれだが、視線は定まっており表情も落ち着いている。これならば質問しても問題ないだろう。

 

「最低限の確認事項だけ聞く、即答しろ。お前はズーラーノーンで上位に属する者だな?」

 

「……はい」

 

「では、お前に血縁者はいるか?巨大蛇の王(ギガントバジリスク)や真紅の梟(クリムゾンオウル)を召喚出来る男だ」

 

「なぜ、それ、を!いえ、確かに、います」

 

 アインズは己の予想通りの返答に満足する。戦闘前の会話で少し疑念が生じていたが、この世界でそうそうあのレベルの召喚士がいるとは思えない。

 クレマンティ―ヌが法国の人間で、ズーラーノーンが法国の組織である事はもはや間違いないだろう。あとは明日の作業が終わった後、詳しい情報を絞り出すだけだ。

 

「よし、繰り返すがお前は私の所有物。故に、従っている限りは命……と身体の安全は保障する事を約束しよう。さて……」

 

 今から行う実験は数多くの魔法を使用する必要がある。当然今のアインズ――モモンの姿では行えない。クレマンティーヌにこれ以上情報を与えないつもりなら、運び出す必要があるのだが……

 

(あー、面倒だな・・・・・)

 

 先程からのやり取りを思い出すと、少々うんざりした気分になる。ちょっと今パンドラズ・アクターに話しかけるのは最低限に留めたい。

 

(<コントロール・アムネジア/記憶操作>で範囲的に記憶を消してしまえばどうにでもなるし、このまま……ん、待てよ?)

 

 当初のアインズの予定ではクレマンティ―ヌは情報を絞り出した後、しばらくは法国に対する餌としてナザリックの情報を与えずに監視付きで外で使うつもりだった。

 だが、本命であるあの愚者とついでに最精鋭らしい漆黒聖典はすでに確保した。ここからかかるのは、風花聖典だとかいう雑魚ばかりだろう。

 

(となると……いっそンフィーレアとニニャの記憶を操作して、クレマンティーヌをカルネ村に置いてしまう、とかでもいいか?)

 

 前回との相違点である二人を同じ場所に置いて置ければ変化の影響を抑えられるし、記憶操作による隠蔽が精神的外傷をも上回るのか実験もできる。

 これは良いアイデアかもしれない、とアインズは己の思い付きを自画自賛する。

 

(……いやいや、よく考えろ俺。ンフィーレアの記憶を操作して失敗した場合、面倒なことにならないか?ただでさえ色々変わってきてるのに)

 

 シャルティアを救うという大きな目標を達成したために、気が緩み過ぎているのかもしれない。この件に関しては情報を絞り出した後、落ち着いて考えた方がいい。

 

 「待たせたな、では始めるとしよう」

 

 「……よろしいのですか?」

 

 「かまわん」

 

 モルモットで鍛えた記憶操作の技術をアインズが振えば、ここでの記憶は完全に消すのも可能。もう欠片とはいえ情報を与えてしまった以上、記憶を一部書き換えるより遥かに手間も消費魔力も少なく済むし、使い道が決まった時点で考えればいい。

 

「クレマンティーヌ。命令に従った褒美という訳ではないが、お前に新しい主人の顔を見せておくことにしよう。意識をしっかり保てよ?」

 

 鎧の下には昨日から変わらず、アインズの一張羅であるフル神器級装備を纏ったままだ。

 クレマンティーヌにマジックアイテムを見る目があるならこれで十分だろうが、せっかくなので兼ねてより演出として考えていた、黒の後光と絶望のオーラ(弱)を展開しておく。

 

(ここまでやればエルダーリッチと呼ばれることも無いだろ。俺自身は気にしないけど、NPCが聞いた場合激昂する可能性があるからなあ)

 

 それでも念のため、パンドラズ・アクターとナーベラルを視界に納められる位置まで下がると、アインズはわざとらしくマントを翻しポーズを極めて鎧を解除する。

 

「さあ、見るがよい!」

 

 ただでさえ大き目のクレマンティーヌの眼が、さらに大きく見開かれる。

 アインズの全身を見回し、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン(複製)に目を止める。もう一度確かめるように視線を動かし、泣きだす寸前の様な表情を見せ、笑いかけ、そしてその貌から表情が抜け落ちた――直後、クレマンティーヌは勢いよく石畳に額を打ち付けた。

 

(!?)

 

 全く予想外の行動をとられ、アインズの動きが完全に停止した。

 

(え?なんだ今の?え、何?自殺?)

 

 石畳に額を打ち付けたままの体勢でピクリとも動かないクレマンティ-ヌの姿に、嫌な想像が入り込んでくる。がんっ、という音が鳴ったところを見ると、かなり強く打ち付けたに違いない。

 

 

 霊廟に嫌な感じの静寂が満ちる。

 

 

 その静寂を破ったのは額を石畳に打ち付けたまま、クレマンティーヌから発せられた震える声だった。

 

「我が神、闇神よ。汝の、愚かなる僕の罪を、赦したまえ……」

 

 

 

 

 

 

 「ぐっ!!」

 

 スカル・ロードが振った金属杖をかろうじて防いだが、食人鬼(オーガ)の一撃の様に重い。

 モックナックの腕が痺れ、衝撃で体勢が崩された。

 

「いかん!<スコーチング・レイ/灼熱の光線>!」

「「<レジストエナジー・ファイア/炎属性抵抗>」」

 

 仲間から炎の属性魔法が放たれるが、スカル・ロードの右頭が即座に防御魔法を唱えてほぼ無効化される。

 

「糞、あのタイミングでもダメか」

 

「だが御蔭で助かった」

 

 魔法に気をとられた隙に距離をとって体勢を立て直したが、未だに腕に痺れが残っている。この痺れは知っている、決して衝撃によるものだけではない。

 

「やはりあの杖に纏わりついているのは負のエネルギーだ」

「そんな能力まであるのか、いや魔法かもしれんが。情報が少ないってのは厳しいな」

 

 スカル・ロードは実に珍しく、そして厄介なアンデッドである。遭遇例は組合の記録でも片手で足りる程度だろう。そのためその能力には不明な点も多い。

 わかっているのは魔法や特殊能力を操りつつ、ロードの名を冠するだけあって近接戦もそれなりに対応してくるということ。

 そして最も厄介な点は頭だという事。三つの頭はそれぞれ独立しており同時に三種類の魔法が飛んでくることすらある、という記録も身をもって真実だと理解した。単体に見えるが三体のモンスターを相手にしているに等しい。

 先程も周辺のアンデッドを範囲魔法で吹き飛ばし、モックナックが武技を使用して肉薄したのだが、左頭の唱えた<サウンド・バースト/音響炸裂>により動きを止められ逆に窮地に陥る羽目になった。

 

「それにしても強すぎる。以前戦った時はここまでプレッシャーは感じなかったが」

「俺たちが戦ったのがたまたま弱い個体だったか、あれが強い個体なのか。あるいは両方だな」

 

(いや、それだけではない……あのスカル・ロードからはただのアンデッドやモンスターとは違う気配を感じる)

 

 《虹》はかつて一度だけ、カッツェ平原でスカル・ロードに遭遇したことがある。珍しいアンデッドだったので、報告書に特別報酬が出たのでよく覚えている。確かに厄介で強力なアンデッドだった。

 だが、その時と比べても目の前のスカル・ロードは異様だ。魔法の乱発もせず、前に出てこちらに襲い掛かってくることも無い。聖別を冒涜で打ち消した後は、悠然と周囲のアンデッドとこちらの戦いを観察してるように視線を動かすだけだ。実際に観察しているのかもしれない。

 それでいてこちらが機を見て襲い掛かった時は、獲物を待ち構えていた獣の如く対処し深追いもしてこない。これはモンスターの個体差で片づけてよい差なのだろうか。

 

「あれを基準にするなら、スカル・ロードの難度は六十を超えるかもしれんな」

 

「だが、アレを何とかしなければ聖別は唱えられぬ」

 

 聖別を展開できなければ、夜明けを待たずに墓地から湧き出てくるアンデッドへの対処は限界を迎えるだろう。

 

「一応確認するが、あと一回が限界なんだな?」

 

「左様。いや、死力を尽くせば二回唱えられるかもしれぬが、それは神のご加護次第」

 

 この状況では時間は増え続けるアンデッド共の味方だ。それにもし、あの化け物が態度を変えて押し寄せるアンデッドの中心となれば一気に押し切られるのは間違いない。

 ここは決断すべきだろう。そして、それはリーダーである自分の役目だ。モックナックは己の愛用の武器、一対の赤いメイスを強く握りこんだ。

 

「すまないが死力を尽くしてくれ、もう一度仕掛けるぞ。逆回しに一手加えて奴の札を使い切らせ、こちらの切り札を切る」

「承知した」「まかせろ、ちゃんと防がせて見せる」「もう一手は俺だな、まかせてくれ」

 

「よし、では……」

 

 《虹》が再度の突撃を決意したその時、何の前触れもなく”それ”は唐突に起こった。

 門から溢れだし、冒険者と衛兵達に襲い掛かっていたアンデッドの群れが叫び声をあげつつ崩れ始めたのだ。そこかしこから驚きの声が上がった。

 

「アンデッド共が消えていく……?」 

「見ろ!門の外だけじゃない!門の中のアンデッドもだ!」

「まだ夜明けではない、何が起こった?」

 

 その光景は当然スカル・ロードと対峙するモックナックと《虹》の面々も目撃している。

 だが、スカル・ロードだけは自身の周りに侍っていた己の従僕であろう、アンデッド達が崩れていく中でも平然と佇んでいた。

 

(一体何が起こった?いや、しかしこれは)

 

「……仕掛けるぞ!」

「応!」

 

 モックナックの声に、迷いのない仲間の声が応える。

 今何が起こったかはわからない。だが、スカル・ロードはこの機会を逃さず倒しておくべきだ。万が一、あんな強力なアンデッドを逃がしてしまったら、後々大きな禍根になるのは火を見るより明らかなのだから。

 

「我が神、火神よ!御加護によりこの地に祝福を与えたまえ!<コンセクレイト/聖別/>!!」

「<大跳躍>!」

 

 神官が聖別を唱え、同時にモックナックが<跳躍>よりも遥かに高く飛び上る武技を使用する。

 

「「<ディセクレイト/冒涜>」」

「くらえ!<スコーチング・レイ/灼熱の光線>!」

 

 スカル・ロードの右頭が聖別を無効化したその時、魔法詠唱者が灼熱の光線を繰り出した。

 

「「<レジストエナジー・ファイア/炎属性抵抗>」」

「もらったぁ!!!」

 

 左頭が防御魔法を唱えて動きが止まった所に、ことさら大きな声をあげつつ野伏が矢を放つ。

 頭は三つでも体は一つ。魔法や特殊能力を使う際にスカル・ロードの歩みが止まるのは先程までの戦闘でわかっていた。当然、放ったのは殴打属性ダメージを与える特製の矢だ。

 

「「<ウィンド・ウォール/風の壁>」」

 

 中央の頭が魔法を唱え、小竜巻の様な強風の壁を出現させる。野伏は杖で迎撃されることも想定してタイミングをずらし、二本の矢を放っていたが風には抗えず吹き飛ばされる。

 

「マジかよ!魔法で防がれるとは思わなかった、だが・・・・・」

 

「それでいい!<乱打>!!」

 

 頭は三つでも体は一つ、そして首も一つ。スカル・ロードもおそらくは、飛びあがったモックナックに注意を払いたかっただろう。だが仲間のタイミングを合わせた足止めが、それを不可能とした。    

 一発一発の威力、命中率は大きく下がるが凄まじい速さの連続攻撃がスカル・ロードに襲い掛かる。

 だが、スカル・ロードも咄嗟に金属杖を両腕で構え防御姿勢をとっている。金属杖と鎧の前に、速いが軽い攻撃の殆どがはじき返された様に見えた。しかし――

 

「「!!」」

 

 スカル・ロードの左頭がひび割れ、砕け散った。大きなダメージを与えている何よりの証拠だ。

 

 モックナックの振う二本のメイスの先端は今、仄かな赤白い炎に包まれている。

 これぞモックナックが持つ切り札、アンデッド殺しの聖なる武器。一日一回、しかも短時間ではあるが先端に埋め込まれた聖石が聖なる炎を灯し、アンデッドに対し最も有効な炎と聖属性の両方のダメージを与えることが可能となるのだ。

 これによって一撃一撃に属性ダメージが乗り、鎧に弾かれても聖なる炎のダメージはスカル・ロードに侵透する。右頭もひび割れ、砕け散った。

 

(これで決める!)

 

「<搗上>!」

 

 メイスが地面を舐めるような軌道を描き、金属杖を跳ね上げる。スカル・ロードの上半身が大きく仰け反り、胴体ががら空きとなった。

 

「<爆裂双強打>!」

 

 聖なる炎を纏った二本のメイスが、スカル・ロードに吸い込まれていく。

 

「「ミゴトダ」」

 

(――!?)

 

 爆音、そして衝撃。スカル・ロードのブレストプレートがひしゃげ、その体は吹き飛ばされながら崩れていった。

 

 

 

 

 

 

 隠蔽工作を終えたパンドラズ・アクターが転移門で去るのを見届け、ナーベラル・ガンマは立ち上がる。

 

(アインズ様自ら創造された領域守護者、パンドラズ・アクター様と作業中に語らい悩みを聞いて頂けたのは幸運だった……自分もあの方の様に常に冷静さを保ち、微笑みを絶やさず至高の御方に仕えられる様、精進しなければ)

 

 パンドラズ・アクターにかけられた言葉を思い出し、ぐっと小さく拳を握り決意を新たにする。デキる僕として主に命じられた作業が終わった以上、急ぎ移動を開始しなければ。

 だが、その前に己に課せられた使命も遂行せねばならない。賜った”虚ろの幻燈”の起動を確認し<メッセージ/伝言>を発動させる。

 

「アルベド様」

 

『んんっ……ナーベラル・ガンマ?どうしたの、定時連絡の時間ではないと思うのだけど』

 

「時間がありませんので要点のみお伝えします。パターンFが発生しました、回数は二回です」

 

 

 

『……なんですって?』 

 

 

 

 

 

 

 部屋に入りひとしきりナーベラルにバレアレ家やニニャ、クレマンティーヌの処遇を説明したアインズは、胸元に輝くオリハルコンのプレートを上機嫌で持て遊ぶ。

 

 (ふふふ、事件の規模を大きくした甲斐があったというものだ)

 

 前回の冒険者組合評価、つまりミスリルだった事には少し不満が残っていた。事件を知る者の少なさと所詮伝聞情報での判断だった事はわかっているが、その時の溜飲を下げるという意味でも実利でもオリハルコンのプレートを得たことは喜ばしい。

 

 (この時点でオリハルコンプレートを得た、これは前回より組合からの評価を多く稼いだと判断しても良いな……これでこの先のくっだらない上に名声の足しにもならない、ストレスがたまるナーベラル目当ての貴族や商人の依頼を断れるぞ)

 

 金銭に関する問題もある程度はクリアしている筈なので、引き受けるのはどうせやらなければならない希少薬草の採取と、大きな名声に繋がったギガントバジリスクを倒した依頼等の数件に絞れる。ギガントバジリスクの依頼はナーベラル目当ての貴族の一人だった気はするが、顔を見れば思い出せる筈だ。多分。

 

(さて、浮いた時間をどう使おうか。昨日の実験は上手くいったが、もう一度位検証をやっておくべきかなあ。あとアレはどう対応すべきか)

 

 実際は浮いた時間でアインズがすべき事は、更なる情報収集と己自身の為した変化へのフォローであるため大幅に楽になるわけではない。だが、それでもやりたくない、やる意味がなかった仕事をしなくていい事実は実に喜ばしい。

 ちなみにわざわざ前回同様この宿屋を訪れたのは”もしオリハルコンプレートであったらどんな反応だったのか”という疑問を解決するためだ。ただでさえストレスが溜まっているのだから、本来ならば検証不可能な過去の疑問解消という、ささやかな楽しみを逃す手はない。

 

(残念なことに宿の主人の姿はなかったが……)

 

 酒場の冒険者達は前回と異なり、口々に自分達の行動を讃え感謝の言葉を述べに来た。些か酒場にいた人数は少なかったが、それは事件の規模を大きくして都市中の冒険者を墓地まで誘導させたのだから仕方がない。

 まだやる事は残っているのだから軽い息抜きはここまでにして、ナザリックに一度帰還すべきだろう。

  

「さて――」

 

 口を開きかけたアインズは<メッセージ/伝言>が届いた感覚に口を閉ざす。

 

(なんだ?この嫌な感じは……)

 

 何故かはわからないが、嫌な予感に襲われたアインズは伝言を繋げる事無く沈黙した。

 なにげなく部屋を見回し、その原因に思い当たる。前回アインズはこの場所、このタイミングでアルベドに伝言を送り、シャルティアを襲った事態を知ったのだ。

 

(前回の記憶が無意識化で呼び起こされただけか……な?)

 

 己の予感に一応の理屈をつけたアインズは己にまとわりつく予感を切って捨て、伝言を繋げる。

 

「私だ。反応が遅くなった」

 

『アインズ様、ご都合が悪ければ改めますが』

 

 パンドラズ・アクターの声が響く。先刻の注意の結果なのか、かなり平坦な口調だ。

 

「いや、かまわん。話せ」

 

『では、ご報告致します。あのニンゲンの死体が消失致しました』

 

 

 

 

「……なんだと?」

 




ご感想、誤字報告いつもありがとうございます。修正は随時反映させていただいております。

3期、今の所2話の「だからどれだよ!」が最高です。



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