バイオハザード インクリボンがゴミと化した世界で (エネボル)
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01 かゆうまとか笑い事じゃない

 幼少の頃。ラクーンシティーに転勤するという親父の話を聞いた俺は、その際になんとも言えない妙な忌避を覚えた。
 虫の知らせの様な――
 あるいは“予兆”という奴だったのかもしれない。


 ☆


 ジョー・ナガトの手記 その1

 9月23日

 最近、“暴動事件”という言葉を紙面でよく目にする。
 その度に思うのだが、やけに数が多いんじゃないだろうか?
 加えてよく耳にするのは“人が人を食う”という奇怪な噂だ。
 確か、こっちの噂が流れ始めたのは夏ごろだったような――
 まぁ、それは別にどうでもいいか。

 ラクーンシティで多発する幾つかの事件についてだが、最近はどこかのインテリが偉そうなコメントを紙面に載せている。
 曰く、『荒んだ心が事件を引き起こすのだ――』と、の事。
 正直言って俺は、ぶっちゃけそれだけ(・・・・)ではないような気がする。
 俺の見解では当初、実際に起こった事件を元にして作った一過性の作り話――いわゆるロズウェルの円盤(UFO)的な、新聞社の作った大衆向けの流行オカルトだと思っていた。
 だから気にも留めてすらいなかったが、最近になり、どうにもただの作り話にしては、皆の様子がどこかおかしい(・・・・)と感じるようになった。
 外を歩く際に妙な緊張を強いられるし、街全体の雰囲気もやけに陰鬱というか不穏。はっきり言ってしまうと皆、何かに怖がっている――そんな風な印象を受けた。
 俺も日記だからこそ素直に此処で本音を書くが、正直な所、現状を不安に感じている内の一人だ。
 特にここ数日間は体調の悪さも手伝い、その所為で余計に気分が滅入っているのか、ひどくそう感じるようになった。
 
 有事に対する備えと戸締りを確認して、今日はもう寝る事にする。
 どうにも熱っぽい。
 加えて、頭が痛い……。


 9月24日

 父子家庭且つ親父が警察官。そんなよくあるとは言い難い特殊な家庭環境の所為か、独りで夜を明かす事にもすっかりと慣れてしまった。
 ちなみに最近の街の様子だが、こっちはかなり不穏である。
 昨日くらいから親父になにかしらの意見を聞こうと思って待っているのだが、どうにも向こう(警察)はかなり忙しく、まともに家に帰れない状況のようだ。
 しかもそれを裏付けるように、街に“非常事態宣言”という知らせが出されている。
 また昨日の夕方の時点では、付近の学校が緊急閉鎖されたらしい。そんな連絡が今朝、友人から届いた。
 何かがおかしいと、特に今日はそれを強く感じた。
 しかし、あえて俺は家の外に出る事にした。
 『用のない外出は控え、戸締りは厳重に――』という知らせを警察と市の両方から受けたが、どうにも独りで家に篭るのは想像している以上に気分が滅入ったからだ。
 とはいえ出かけたのは近所にあるバイト先の“ロバート・ケンドの銃砲店”だが……とりあえず、今日はそこに行く事にした。

 街に漂う空気の所為か、店は銃を求める客の活気で満ちており、あまりお目にかかった事がないほどに繁盛していた。
 正直、珍しい光景だ。
 普段は常連か、その手の趣味か仕事の人間しか訪れ無いのに……。
 まぁでも、利益が増えるなら結構な事だ。
 少しおだてれば来月の支給には多少色をつけてくれそうな気がしたので、俺は早速、媚を売る形でヘルプに入った。
 しかし未だかつてない活気に店主のロバートは忙しいと嬉しそうな悲鳴を上げていたが、それも最初だけ。飛ぶように売れていく銃を見て気分良さそうに笑っていたロバートも、次第に事態が武器を必要とする程に緊迫していると考えた所為か、終盤ごろには街に対する不安を吐露しだした。
 俺も、本当にこのまま何事も無ければ良いとは思う。
 だがそんな風に思っていた矢先に家に戻ると、留守番電話に親父からのメッセージが入っていた。『出かける時は必ず銃を携帯しろ』、『必要とあれば親父の私物のいくつかを拝借しても良い』という言伝と、『新たに発生した暴動事件の対応で、取り押さえようとした暴徒に腕の一部を噛み千切られた』という報告がそこにはあった。 

 噛み付かれたとは流石に穏やかじゃないが、マジで大丈夫だろうか?


 9月25日

 《日本語で書かれている》

 聊か精神的なショックが大き過ぎる。
 一度、冷静になりたい……。
 とりあえず、今日(・・)、俺の身に起こった出来事を大まかにだが、書き殴る。

 まず連日の暴動事件で人々を襲っていた存在についてだが、これは公的に食人鬼(ゾンビ)と呼称されるようになった。
 冗談のような話だが、理由はそれ以外に呼称のしようがないからだ。“蘇った死体が人を食う”などロメロの作った『ゾンビ』でしかありえない。が、しかし相手はまさにそう言った怪物であり、それ以外に呼びようがないとの事。
 窓の外から聞えてくる悲鳴と呻き声はそいつらが原因であり、ついでに言うと連日の暴動事件の犯人もそれだ。 
 この期に及んで俺は、明日には街に平穏が戻るなんて妄想はしていない。
 此処より先にあるのは“地獄”だけ。少なくとも、()だけは確実にそれを知っていた。

 ――――思えば、予兆は既にあったのだ。

 “ラクーンシティー”と“アンブレラコーポレーション”の名前を聞いた際に俺は、確実にそれらに対する強い忌避感を感じていたのだ。
 どうしてもっと早くに気づかなかった? と、過去の自分を思わず殴りつけたくなる。
 そんな衝動に駆られる程、俺《・》はこの瞬間に起きている“出来事”の正体を知っていた。
 連日続いた熱が少し下がった際にふと気づいたという感じだったか?  それとも別の何かかはわからない。
 だが結果として俺は、今の俺が、まだ今の俺ではなかった頃の記憶を思いだした。
 『前世』とかそういう荒唐無稽な表現での説明しか出来ない“謎の記憶”だ。
 ――それが俺の中にある。
 理由はまったくもって不明。だが確信を持ってそれがあるという風に俺だけに断言できる事が存在した。
 ――正直こんな話を書き出した俺の事を、周囲は狂ったかように思うだろうな。
 俺自身がそうなのだから当然だ。
 しかし事実なのだから仕方がない。
 体感としては数十年前のモノだろうか? それ程の時間が経過しても尚、色あせずに記憶に残る程、この状況を描いたビデオゲーム『バイオハザード』の事は印象的だ。アメリカだと『レジデントイーヴィル』という名前だった筈……。まぁ、それはいい。重要な事じゃない。
 重要なのはこれから――否、既にゾンビ映画さながらの地獄が始まっているという事。
 そして生き残る為には、かなり本格的に行動しなければならないという事だ。

 記憶の件に前後してだが、俺の身に起こった出来事がもう一つある。
 今日、俺は初めて人に銃を向けた。
 否、向けるどころか引き金を引いて、4発もぶっ放した。
 保存食とミネラルウォーターを買いに出かけた帰りの事だ。俺はそこで初めてゾンビと相対した。
 親父に言われた通り護身武器は携行していたので咄嗟の対処に事欠きはしなかったが、それでも現実離れした出来事だった。正直、未だショックが抜けきらないくらいだ。
 ――だが精神的な部分では、ある意味で吹っ切る事が出来たかもしれない。
 足に1発、心臓に2発、頭部に1発撃ちこんでもまだ動こうとする存在が人間であってたまるか。あれは人間じゃあない。文字通りの怪物だ。だから次に会った時は確実に頭を撃ち抜けるだろう。今度は余計な警告も無しだ。それだけは確実に出来るようになった気がする……。

 ====== 

 ――――長々と書いたが、要するに俺には前世でこの状況を描いたバイオハザードというゲームで遊んだ記憶があるという事。そして生きる為には本気でこの状況を攻略する以外に無いと言う事だ。
 その意味では、前世の記憶とやらは、これからの地獄を生き残る為に必要な情報の宝庫だと間違いなく言える。
 とはいえ、喜ぶのとは別なような気がして若干憂鬱ではある。思い出すなら思い出すで、もっと早い段階でそれに気づきたかった。それが本音だ。ふとした拍子にそればかりを考える。

 現在の状況的に、“バイオ2”、“バイオ3”、“アウトブレイク”の時代である事は想像できた。寧ろそれ以外にないだろう。
 確かバイオ2は警察署。バイオ3とアウトブレイクは、街全体が舞台となった筈。
 印象深い部分を除き、ゲーム本編のシナリオやギミックの詳細についての記憶が薄い事が難点だ。
 特にアウトブレイク関連の記憶がほとんど無い。
 人伝にゲームの内容を噂程度に聞いて知っているくらいで、例えば酒場のウェイトレスのような民間人を主人公にしたゲームだったと、そのくらいの事しか覚えていない。この記憶の虫食いが切っ掛けで今後致命的な事に遭遇しないと良いが、こればかりは祈るしかないだろう。
 覚えているのはゾンビをなるべくヘッドショットする事。リッカーは足音を立てずに殺す事。植物や昆虫系のクリーチャーは炎を使って殺す事や、インクリボンとタイプライターを使ってセーブする事くらいだ。
 ――セーブなんて都合のいい代物がこの現実にあるとは到底思えないが、な。
 体感で十年以上も前の記憶なのだから、頼ろうにも結構な虫食いが存在している。こうしてあれこれと日記にそれっぽい言葉を書き連ねて、使えそうな情報を記憶からサルベージ出来るだけありがたいとは思っているが、どうにも歯がゆい感じは否めない。
 まぁ、簡単に思い出す事が出来るのなら、この世に試験で苦労する学生等存在しないだろうが――。
 まったくもってこの世は地獄だ。

 ゾンビに食われて死ぬなんて、例え死んでもゴメンな最期。
 俺は生きたい。
 生き延びたい。
 特に将来の夢や展望があるわけじゃあないが、それでも死ぬよりはなるべく生きていたいとは強く思っている。
 もっとも、この世界が『バイオハザード』なら、俺の願いはこの世で一番贅沢かもしれないが。
 だが、俺はそれでも強く願いたい。
 英雄でなくて良いから、ひたすら平穏に生きて穏やかに死にたい。

 ====== 

 先程から親父の勤める警察署のオフィスに電話を掛けいるが電話は繋がらなかった。
 回線が込み合っているらしい。
 あまり思い出したくないが、昨日の電話で親父は暴徒に噛まれたと言った。この場合の暴徒とは十中八九、ゾンビの事だろう。
 ――不安だ。だが同時に、“最悪”を想定しておく以外にもはや手は無いのだろう。
 正直、このまま家に引き篭もりたいとさえ思う。
 だがその選択が死に直結する事を判りきっているのが辛い。
 生きる為には行動するしかない。
 武器は家にあるモノとロバートの店で幾らか手に入る。後は食料と救急キットを初めとする幾つかの道具だ。
 しかし今、集めるにしても夜に動くのは得策ではない気がする。
 行動を起すなら朝一番だ。
 今夜出来る準備を可能な限りやり遂げたら、後は物音を立てないように夜を明かす。

 そして今、俺は不安に苛まれながらこの手記を書いている。
 今夜ばかりは愛用のベレッタが頼もしい。 
 それにしても独りは不安だ。
 怖い――。

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 9月26日

 親父から電話が掛かってきた。
 二日酔いで苦しんでいる時の方が快調に思えるような酷い声だった。
 親父は「街から逃げろ。自力での脱出が難しいのなら、警察署まで来い」と言った。
 俺は体調を懸念して思わず「大丈夫か?」と尋ねたが、それに対する親父は大丈夫だという軽口だった。
 
 ――――ただし、その際の受け答えの中に、『身体が痒くて熱い』や『やけに腹が減る』という台詞があった。

 どう聞いても、あの有名な“かゆうま”の症状だと思った。
 親父は――もしも俺の勘が正しいのなら――『ゾンビ』になりかけていた。
 親父に訪れるこの先の運命に気づいた俺に出来る事はなんだろう、か?
 思い出したばかりのバイオの知識に、“かゆうま”から人を救う方法はない。
 唯一、判るのは、親父が“T”に対する抗体を持たなかった事。そして感染した人間はほぼ間違いなく殺すしかない事だけだった。

 ――――親父は、死ぬんだろうな。

 で、それで一体俺はどうしたら良い?
 生きろってか?
 簡単に言う……だったら教えてくれ。
 俺は、どうしたらいい?
 どうしたら生きれる?

 ちくしょう

 《字が滲んでいて読めない》

 《ページが破れている》


 ☆


 ラクーン警察から全市民に向けての指示が出された。安易に家から外に出ないように――という警報に近い内容だ。
 しかし警察の言葉に大人しく従う者の方が現状は少なく、人々は己の意思で街の外への脱出を開始した。
 そんな人の動きが切っ掛けとなったのか、それとも遂に警察でも収拾が付かなくなったのか――。
 程なくして発せられたラジオからの指示は、“街から脱出しろ”の一点張りに変わった。

 ジョー・ナガトの下に一本の電話が届いたのは、まさにその時である。

『――ジョー・ナガト! 無事か!?』

 緊張を解すように深い呼吸を一つとったジョーは、意を決して受話器をとった。
 電話の相手はジョーの父親――ジョージ・ナガトの同僚である警官――マービン・ブラナーであった。
 受話器の向こうでは多くの警察職員の怒号に近い悲鳴や、多くの騒音が聞こえた。

『今、何処に居る?』
「――自宅です。一度ケンドの銃砲店に寄って、それから街からの脱出の為に警察に行こうって所です。そっちはどうですか?」
『聞いての通り死ぬほど忙しい。それこそ猫の手も借りたいぐらいにな――』

 マービンは受話器の奥で溜息交じりの苦笑を浮かべた。

『――それはそうと、それなら話は早い。今、総力を挙げて俺達はゾンビ共に対抗中だ。君もその隙に早く街から脱出しろ。ちなみにこれは俺だけじゃなく、ジョージ・ナガトからの言伝でもある』
「それは昨日の夜に既に聞いますよ。――それよりマービン。親父の具合を教えてくれ。昨日の夜には確か――――」
『――その件に関してだが、俺はお前に一つ謝らなければならない』
「――――――と、言うと?」

 声のトーンを落として言いよどむマービンの只ならぬ様子を、ジョーは如実に感じ取った。
 半ば予想している答えを沈黙で待つと、程なく――

『――ジョージは、死んだ』

 と、マービンは絞り出すような声で告げた。
 それを聞いてジョーは思わず天井を仰いだ。

「――そう、ですか」

 絞り出した声は平坦な物であった。
 しかし、知っていたと平然として受け止めるには、聊かに酷な台詞であった。
 所謂、前世の記憶と言う代物に目覚め、そこから状況を推察し、現実を受け止める心の準備をしていたとはいえ、他人の口から宣告された肉親の死にジョーの心は軋みを上げた。
 だが、それを頑なに隠すよう勤め、ジョーは電話越しにマービンの台詞を――その先の用件を促した。唯一、握り締めたジョーの拳は内心の動揺を表現するようにギリリと軋んだ。
 
『いいか、ジョー。よく聞いてくれ。この街の状況は非常に深刻だ』

 ジョーの心情を察してか、マービンはそれ以上話題を堀下げる事無く、勤めて事務的に言った。

『現状、ゾンビに襲われて死んだ者もゾンビとなり、その数はもはや計測出来ない域に達している。我々もバリケードを設置して奴らを食い止め、その間に生存者の避難を急がせてはいるが、その防御もいつ破られてもおかしくない。それが現状だ。――厳しい事を言うようで悪いが、現在、君一人の為にこちらからの救援を回す余裕はない。銃の撃ち方はジョージやバリーから習ったな? 脱出の車両は警察で用意する。直ぐに行動するんだ』
「――――了解」
 
 ジョーは感情を押し殺して返答した。
 そして肩に吊るした護身用の拳銃と、昨晩の内に準備した脱出用の荷物をチラリと確認する。

『――無理を承知で言うがこの状況だ。余裕があれば要救助者になるべく手を貸してやってくれ』
「判った。ひとまず警察署を目指す。そこで会おう」
『幸運を!』

 己の無力をかみ殺すように言うマービンとは対照的に、ジョーは最後まで己の感情を殺した。
 短く平坦な声での返答を最後に受話器を降ろし、ジョーはそこで一つ、黙祷を捧げるように深く息を吐く。
 そして、

「――――死んでたまるか!」

 父の死に黙祷を捧げたジョーはその鋭い双眸を見開き、己に宣言した。

 ジョー・ナガトという少年は、ある意味では多くの幸運に恵まれていたとも言える。と、言うのも、主観的に見ると彼の人生には聊かの不幸が目立つが、それでも地獄を生き残る才能と、それを育む環境には恵まれていたからだ。
 幼き頃、母の死に泣いたジョー・ナガトに対して、その父のジョージ・ナガトは彼に人生の困難に立ち向かう術と戦う為の技術を授けた。また、その父の傍らには、ジョーに教えを施せる有能な友人も多数存在した。ロバート・ケンド、バリー・バートン、マービン・ブラナー、ケビン・ライマン――それら稀有な才能を持つ多くの者からの教導を受けて、ジョー・ナガトという少年は今日を迎えていた。
 図らずもこの十数年と言う期間に受けた多くは、ジョーを覚悟を決めて立ち向かえる人間へと開花させた。

 マービンとの電話の後、ジョーは父の部屋に置かれたトランクを持ちだして、その厳重に封印されたロックを解除した。
 トランクの中には父の私物である“大型リボルバー”が一丁と、その専用の銃弾が封印されていた。
 44マグナム――それは護身用としては聊か過ぎる火力を持ち、普段使いで携行するには少々過剰な代物。しかしこの時、地獄と化した街で生き残る上では、非常に心強い性能を誇ってくれる怪物であった。
 ジョーは武器の封印を解くように、予め用意されていた専用の銃弾を一発ずつシリンダーに装填した。
 そして手早く、身支度を整えた。
 ポケットの多い黒のワークパンツと生地の厚い長袖の上着を纏い、水と食料と予備の銃弾と常備薬類を詰め込んだナップザックを背負った。

「――きゃぁああああ」
「っ!?」

 父の私物のコンバットナイフとマグナムを腰のポーチに装備した時、アパートの階下で管理人の女性が悲鳴を上げた。
 ジョーは部屋の戸を蹴り破って豪快に外に踊り出ると、直ぐに階下で起こる騒乱の中に駆けつけた。
 アパート一階の玄関口が破られ、一階のホールは大量のゾンビで溢れかえっていた。

「全員、逃げろ!」

 ジョーは住人達に襲い掛かろうとするゾンビの頭を次々と愛用の拳銃ベレッタで狙い撃った。
 ヘッドショットで手早く三体。
 ゆったりとした動きに惑わされる事無く、ジョーは冷静な射撃で次々と脅威を沈めて行く――。
 ――が、それ以上の数がアパートの一階部分を埋め尽くさんと迫った。

「――くっ」


 銃声に反応したゾンビの群れの意識がジョーの方へと向いた。
 その数は両手両足の数を超える程。
 その余りの数を見たジョーは直ぐに応戦を辞めて、一歩、距離をとる――

「助けっ! 助けて――」

 チラリと視線を向けると、亡者の群れに飲み込まれた顔見知りが、血まみれの手をジョーに伸ばしていた。
 しかし直ぐにその手は力無く地面に落ちた。

「――多勢に無勢か!」

 無数のゾンビが人を食らう為に群がってゆく様はまさに地獄絵図。
 目の前で死んだ者達に哀悼の意を捧げる余裕すら無く――。
 ジョーはゾンビの群れが埋め尽くす玄関からの脱出を断念し、直ぐに踵を返して近くの部屋のドアを蹴り破った。
 蹴り破った部屋の先に居た住人は、銃を構えたジョーを見るなり、鋭く悲鳴を上げた。

「なんで扉を壊すんだ! 奴らが入ってくるじゃないか!」
「どのみち此処に居たら死ぬ。死にたくないならアンタも逃げろ。此処に居ても助からないぞ!」
「――そんな! 嘘だろ!」

 部屋の男性は恐怖に慄きながらジョーを見上げた。
 男は恐怖に竦みあがり蒼白になった顔で逆上するが、ジョーはそれを淡々と切り捨てた。
 震えながら命乞いをしても助からない。既に死に絶えた虚ろな目で無心に生きた人間を貪るゾンビ達に命乞いは通じない。ジョーはそれだけは強くを確信していた。

「――生き残りたいなら自分で動くしかない。行くぞ!」
「っ!? お、おい! アンタ――――」

 ジョーは部屋に居た男を先導する様に、唯一外に繋がるベランダの戸を開けた。そして二階部分から地上の路地裏へと続く高さを、軽々と飛び降りて見せた。

「警察に行けば脱出用の車両があるはずだ! アンタも早く来い!」

 と、ジョーは男を促した。
 しかしそんなジョーを見て、男は青い顔で言った。

「――そんな、無理だ! 俺は飛べない!」
「飛べよ」
「だから飛べないんだって!」
「あ? なんで!?」

 ジョーは苛立ちを込めて男を急かすが、それでも男は頑なにベランダの手すりにしがみ付き、決して飛ぼうとはしなかった。
 男は二階から飛び降りるという恐怖を前に、足を竦ませていたのだ。
 ――無常にも、そんな男の背後に多くのうめき声が迫った。

「お、おい! 奴らが来た! おい、アンタ! 銃を持ってるんだろ! 助けてくれよぉ!」
「ここからじゃ狙えない! いいから早く飛び降りろ! この程度の高さで死ぬか!」
「だから出来ないんだって! くっそ! 俺は高所恐怖症なんだ!」
「知るか、クソッたれ! 早く飛び降りろ! 死にたいのか!?」
「~~~っ!?」

 ジョーが根気強く強く促し続けた事で、男性は漸く腹を決めベランダに足をかけた。
 ――――しかしその決断は余りにも遅過ぎた。
 背後から伸びた無数の手によって男は脱出の為に背を向けた筈の己の部屋に深く引きずり込まれた。
 そして直後、

「うああぁああ助けてくれぁああああ!!」

 無数の呻き声が響く中で一際大きな悲鳴が周囲にこだました。
 死への怒り、恐怖への許しを幾つも幾つも口走りながら、男は生きながらに亡者に喰われて逝った。
 その余りにも無残に過ぎる“死”を目撃したジョーは思わず顔を顰めた。
 
「――すまん」

 ジョーは反射的に日本語での謝罪を口にした。
 昨日の段階でもしやと思ったが、どうやら前世のジョーは日本人だったようだ。
 もしも状況が状況ならば、余りにも呆気なく日本語に堪能になった事を素直に喜べた。
 しかしそんな楽観的な考えに浸れるような日常は、既にこの街の何処にも存在しなかった。




 路地をうろつく数体のゾンビを撃ち、動きが怯んだ隙を肩からの体当たりで蹴散らしながら、ジョーは遂に大通りへと辿りついた。
 そこには凄惨な光景が広がっていた。
 そこには穏やかな日常の面影は一切無い。
 車で脱出を試みた者が事故を起していた。その影響で破壊された給水ポンプから水流が溢れ、石造りの路面をひどく水浸しにしていた。路面には汚泥の他に多数の流血と死者の臓物が溢れ返っており、その死肉を無数のカラスが汚らしく食い散らかしている。
 唯一動くモノがあるとすれば、それこそ無数のゾンビである。その中にほんの僅かだが、生きてゾンビに応戦する街の住民の姿が見えた。しかしゾンビの圧倒的な数の暴力を前に、彼らはあまりにも微力な抵抗しか出来ていないのが現状。
 ――そんな見知った街の変わり果てた様子を前に、ジョーは己に出来る最低限を実行した。

「――生きてる奴は警察署を目指せ! そこに行けば街から脱出できるぞ!」

 愛銃のベレッタを構え、生き残った街の住人達に襲い掛かるゾンビを蹴散らしながらジョーは残る生存者に力強く脱出を促した。
 それは正義感に端を発した慈善活動と言うより、寧ろ憂さ晴らしに近い現実逃避と呼ぶ方が自然に見えた。
 実際にそれは正しく、ジョーは目の前の現実をまともに受け入れる事を拒み、拒んだが故にマービンからの頼みを心の支えとして動いていた。
 ――しかし結果として、その行動で救えた者は確かに存在した。

「――――誰か助けて!」
「っ!?」

 突如、背中に掛けられた声にジョーは振り返る。
 するとその先には、白いドレスを着た金髪少女と、少女を筆頭にした数人の生存者が走ってくる様子が見えた。
 生存者達は強い恐怖の貼り付け、縋るようにジョーに助けを求めた。
 しかしジョーは、それら生存者の様子を確認するより先に、その背後に迫る無数のゾンビと赤い眼を爛々と光らせる大量のカラスの姿を目撃して、それに注意を向けていた。

「お願い! 私達もつれて行って!」
「――うるせぇ、下がってろ!」

 先頭に居た少女――否、美女が言った。
 その美女の事はジョーもよく知っていた。度々紙面に登場するラクーンシティの市長マイケル・ウォーレンの娘である。
 が、そんなある種、有名な美人の懇願に対するジョーの返事は辛辣であった。
 ジョーは助けを求める言葉を端的に遮り、殆ど反射的に生存者全員を背後に隠した。そして背後を追って迫るゾンビとカラスの群れをベレッタで迎え撃った。
 銃声が響くが、直ぐに多勢に無勢であることは明らかだと気づいた。

(――どうする!?)

 状況を打開する為に必要な解。そうした思考が反射的にジョーの脳裏を駆け巡った。
 しかしそれに費やした時間は一瞬であった。
 ジョーの視界に破損して乗り捨てられた一台の事故車両が映ったのだ。
 事故車を見てから“使える”と判断してからの“行動”は、目にも留まらぬ速さであった。
 左手で44マグナムを取り出したジョーは、次の瞬間には、既にガソリンを零した事故車の給油口に向けて引き金を引いていた。
 燃料タンクが鋭く撃ち貫かれ、その際に飛び散った火花が零れたガソリンに引火。次の瞬間には事故車がゾンビとカラスを巻き込んでの盛大な爆発を起した。
 
(――マグナムの威力は申し分無しだが、いかんせん銃弾の希少さが問題だな。後、手首痛ぇ……)

 一先ず危機を乗り越えたジョーは痛む左手首を軽く振りながら匿った生存者達を振り返る。
 生存者一同の表情には、目の間で起きた大爆発に対する驚きが浮かんでいた。

「此処から一端離れるけど、走れるか?」
「え、あ……はい!」

 ジョーは手近に居た呆気に取られた表情を浮かべる少女の肩を叩き、足早にその場からの離脱を一同に提案した。
 最終的な行き先は警察署である。
 その為にもまずは――と、ジョーが最初に目指したのはその道中にあるケンドの銃砲店だった。


 ☆


 最初の事件発生からおよそ一週間が経った現在。確認できる亡者の数は凡そ数千体と言ったところ。状況はもはや警察のみでは対応できず、警察職員は街の至る所にバリケードを展開して、事態の鎮圧より街の住人を避難させる事を優先し動いていた。
 しかしバリケードを展開したとはいえ、ゾンビの圧倒的な数の前にはそれらは焼け石に水。もはや警察の防衛能力ですらも、陰りがある。
 防衛力の低下の最たる原因は他ならぬゾンビだが、それと同じくらいに警察職員の手を焼かせていたのは、この事件の混乱に乗じて暴徒と化したラクーンシティーの住人そのものであった。
 生存者を喰らおうとするゾンビよりも、恐怖と混乱で正気を失った住人の行動の方が予測困難で、警察職員は時に住人の混乱を増長させる無法者を見せしめに射殺する事を迫られた。
 その際に、自らの手で処刑を実行した警官は命を賭けて死地に立つようになった。
 死地に立つ者の心にあるのは、『殺した以上、救わねば――』という脅迫概念である。
 その思考が結果的に、状況に対応可能な人材の不足に拍車を掛けるという悪循環を作り出してしまっていた。
 しかし数を削られつつも、職員らの心はまだ折れてはいなかった。

「――避難民移送車両は後何台残っている?」
「4台と、言いたいけど、さっき出発したから3台に減ったわ。先発した車両が戻ってこれるならその限り出は無いけど――」
「わかった。リタ、悪いが引き続き通信を頼む。それと現場付近に車を持っている住人が居たらなるべく手を貸すようにもと頼む。車両はこの際、警察の専用車両でなくても良い。スクールバスでも民間車でも……使えるものなら何でも良い。署に居る避難者の脱出の為にも回してくれと」
「えぇ。わかったわ」

 マービンをはじめとする現場のラクーン警察職員は、懸命に住人の脱出作戦に動いていた。
 皆、連日の昼夜問わずの激務の所為で顔に強い疲労を浮かべていたが、それでも誰一人として休もうとはしない。
 傍らで副官のように動くリタに指示を出したマービンは、チラリと此処に逃げ込んだ市民の顔を盗み見た。
 皆、強い恐怖を顔に貼り付けており、敬虔な者の手には例外なく十字架が握られ必死に主に己の許しを乞うている。
 市民課、交通課、強行犯係、窃盗犯係、丸暴担当、鑑識問わず――。普段なら対応する案件も処理する仕事の内容すらも違う様々な警察職員が一斉に力を合わせているのは、そうした市民の存在が己の背中にあると自覚しているからだ。
 だからこそマービンも決して己から弱音を口にはしない。
 己が折れた時に死ぬのは己だけでは無いと考えるからだ。
 ――しかし現状は余り過酷であった。

「――避難者の数に対して車両の数が少なすぎる」

 マービンは歯がゆさを吐露した。
 元々は美術館であったと言うラクーン警察署の建物は並みの施設よりも広大であり、同時に堅牢にも造られている。故に防衛の観点から見て住民の避難場所として使うにはうってつけではある。――が、しかし所詮は時間稼ぎに過ぎない。最初の事件の発生から今日に至るまでのゾンビの増加傾向を見れば、立てこもりがそう何日も成立するとはとても思えなかった。

「――とはいえ、時間が稼げるだけマシ、か」

 この時ばかりはマービンもこの奇妙なラクーン警察署本舎と、この建物を頑なに使い続けた署長の“悪趣味”を素直に褒めた。
 しかし、それはそれ。
 既にマービンは署長のブライアンを見限っていた。
 こうしてマービンを初めとする警察職員が力を合わせているにも拘らず、署長の姿は何処にも無い。 
 だが、居なければ居ないでそれに越したことはないと、マービンは思った。

 事件の発生から程なくブライアン署長はその姿を何処かに隠していた。しかしふらりと戻って来るなり、彼は署内の武器の一極集中管理に対する強いダメ出しを行った。そして勝手気ままに弾薬と銃本体の位置を滅茶苦茶に変えた。
 それは非常時における迅速な対応の“邪魔”と言う意味では、舌を巻くほどに有能であった。
 しかも結果的にが職員の対応はまず、武器と弾薬をそれぞれ探す事から始まった程で、更にはマービン自身はかけがえの無い同僚を一人、失うハメになった。

「――おい、受け入れた避難民の中にジョージの息子はいるか?」
「いえ、現状ではまだ確認できていません」
「っ――そうか!」

 新たに避難者を受け入れたという部下からの報告を受けたマービンは、真っ先にジョー・ナガトの安否を尋ねた。しかしそれに対する返答はマービンの望みとは異なるものであった為に、思わずその眉間に皺を寄せた。
 同僚のジョージ・ナガトの息子――ジョー・ナガトに電話で脱出を促してから直に2時間が経つ。
 幼少の頃からその成長を見守ってきた大人の一人として、マービンはジョー・ナガトが生きて街から脱出する事を強く望んでいた。
 マービンはチラリと、デスクに置かれた拳銃に視線を移した。
 ゾンビに噛まれゾンビと化したジョージ・ナガトを射殺した銃である。

(――あの時、なけなしの勇気さえ出していれば!)

 マービンは強い後悔にさいなまれた。
 脳裏に過ぎるのは、数ヶ月前に起こったある事件。今年七月にアークレイ山地で起こった猟奇殺人事件の調査に赴いたS.T.A.R.Sの一件である。
 同部隊は山中の洋館で凄惨な現場を発見。調査の結果、洋館の地下には製薬企業アンブレラ・コーポレーションの生物兵器の製造プラントが存在し、内部で開発されたウィルスが流出した事によって周囲一帯が酷く汚染されているという報告を行った。また、それらアンブレラによるウィルス研究の証拠を多数回収し、辛くも生き残る事に成功した部隊のメンバーは、その報告の中で街で発生する奇怪な猟奇殺人の原因が、全て洋館で発生した生物災害による“余波”であるという報告を突きつけた。
 既に山中にあったという洋館は消滅しており、現在に至っては再調査の目処も立っていない。しかしたった一度の奇跡によって、数多くのおぞましい生物兵器研究の証拠をS.T.A.R.Sのメンバーは持ち帰った。
 しかし結果的に彼らの活躍によってアンブレラを糾弾されることはなかった。
 事件の証拠と報告のもみ消しの工作に走ったのは署長のブライアンだという噂もあるが、実際にはラクーンシティーそのものがそれを望まなかったと言うのが正解である。
 ラクーンシティーはアンブレラ社の利益で成り立つ街であり、皆、その巨大な組織への反抗を恐れたのだ。
 ――――そして当時のマービンも、その内の一人であった。
 
「――主よ」

 生き残ったS.T.A.R.Sのメンバーの内、最後までアンブレラの糾弾を強く望んだクリスとジルを、引き止めた事さえあった。今更になって思えば、それこそが全ての誤りであったのかもしれないと、マービンは強い後悔を掻き抱く。
 マービンは不意に天を仰ぎ主に祈った。
 懸命に人を救う為に動いた者が悉くゾンビとなった。それだけでは余りに救いがないではないか。せめて友人が、ジョージ・ナガトがその末期の瞬間までその身を案じていた彼の一人息子(ジョー・ナガト)の命だけでも救ってくれ、と――。

 その後、マービンは自ら電話を取って部下に幾つかの指示を出した。
 動かせる部下を街に送り、少しでもジョーの生存の可能性を上げた。
 たった1人の為に10数名の生存者を見捨てるわけにはいかないが、それでも何とかしてやりたいと思っての行動だった。
 街からの脱出に使える車両の数は徐々に減り、ジョーが到着するまでの時間をなるべく引き伸ばしてはいるものの、それでも限界は近い――。

「――――ダメだな」

 マービンは焦りばかりを産み出す頭を振った。
 平静さを取り戻すべく、マービンは気分転換にと紛失物の管理帳簿を開いた。
 ふと、デスクの脇を見ると歓迎会用のクラッカーと幾つかのアイテムがおかれていた。
 それはら近く着任する予定の、実に不幸な新人を迎える為に用意した小物だった。

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02 悔い改めます。

 道中で数人の生存者を発見した後、ジョーは一同を引き連れて一先ずゾンビの手を逃れる為に近所の教会へと立て篭った。

「――ねぇ、警察に行けば街から脱出できるって本当なの?」

 ゾンビの追跡を逃れた一同は、そこで初めて互いの顔を見合わせた。
 ジョーを筆頭に礼拝堂で顔を合わせる生存者の内一人は、ラクーンシティーの市長令嬢オルガ・ウォーレンである。
 オルガの恐々とした質問に対し、ジョーは予備の弾薬を装填しながら言葉少なく、「あぁ。多分」と応えてみせた。
 するとその返事が気に入らなかったのか、ラクーンTVでカメラマンとして働くマックスが声を荒げた。

「おい、何だよ多分って! はっきり言えよ」
「よしなさいよ、マックス」
「だけど、テリ!」
「大人気無いって言ってるの!」
「――っ!」

 マックスを諌めるように同テレビ局のニュースキャスターのテリが、その場に唯一居る“小さな生存者”を顎で示した。
 俯いた様子で不安そうに立っている少女は、間違いなく生存者の中で最も歳若い。恐らくだが、今年で16になったジョーよりも更に4つほど歳下に見える小学生であった。
 彼女は道中でオルガと同じ方向から逃げてきた為か、自然とオルガが相手をしていた。

「――――貴方は大丈夫?」
「――うん」
「そう。それでお名前は? 私はオルガ。オルガ・ウォーレン」
「――シェリー・バーキン」
「そう。それでシェリーは一人で逃げてきたの?」
「ううん。ママが警察に保護してもらいなさいって――――」

 シェリーと名乗る少女はあの地獄のような世界を見ても尚、泣きも喚きもせずにはっきりとした声でオルガの質問に答えていく。 

「――ほら見なさい。あの子のほうがしっかりしてるじゃない?」

 そうしたシェリーの様子を見て、テリは意地悪い顔で先ほど声を荒げたばかりの同僚マックスを嘲笑した。
 するとマックスは小さく舌打ちして、改めて大人としての振舞いを心がけたように口を開いた。

「あー、さっきは怒鳴って悪かった少年。助けてくれた事には礼を言うよ」
「別に気にしてねェさ。こっちも色々と気が立ってたからな。悪かったよ。俺はジョー・ナガト。おたくは?」
「俺はマックス・コービィ。しがないラクーンテレビの平カメラマンさ」
 
 ジョーは仲直りの印にと差し出されたマックスの握手を受け取る。
 するとその様子を見て、
 
「――ついでに私も自己紹介をしておくわ。テリ・モラレスよ。と言っても一度ぐらいは皆もテレビで見た事があるんじゃない?」

 と、テリも握手の手を伸ばした。

「あぁ、よく知ってるよ。こう言う時じゃなかったらサインの一つでも強請ってやりたいところだ」
「ふふん。ありがと」

 ジョーは苦笑いを浮かべてテリからの握手も受け取った。
 テレビカメラマンのマックス。
 ニュースキャスターのテリ。
 ゲーム本編で警察署長に剥製にされてしまう市長の令嬢オルガ。
 そしてゲームの主要キャラクターの一人である女児シェリー・バーキン。
 目の前にそろった面子の大半が意外な有名人ばかりであった事に気づき、ジョーは内心で「――別にこんな形の幸運は欲しくなかった」と密かに溜息を吐く。

「――とりあえず、今後について話し合おうか。まずはこの後どうするか、だけど――」

 メンバーの中で唯一火器を所持しているのがジョー。加えて最も生き残る為に必要な知恵を有しているのもジョー・ナガトという雰囲気が自然と伝わったのか、必然的に一同の音頭を取る役目はジョーに移された。
 ジョーは一同に向けて、まずはマービンから受けた指示と、警察で把握している限りでの街の状況を口頭で端的に伝えた。
 その上で今後は警察所に向かう事を前提に、他の生存者と合流しながらラクーンシティを脱出すると言うプランを提案した。

「警察署に行くルートの途中に知り合いの店がある。そこに一度寄ってからってのを考えているけど、どうよ?」
「最終目標は脱出で良いと思うけど、その必要はあるのかしら?」
「――と、言うと?」

 まずはケンドの銃砲店へ、そして警察署へというジョーの脱出プランに対して、テリが待ったを掛けた。

「昨日の夜の段階で新しく情報が入ったの。なんでも市はすでに事態の解決を州軍に依頼してるらしいわ。加えてアンブレラも独自の部隊を展開して暴動鎮圧に動いてるみたい。だから態々危険を冒して外を歩くより、此処で大人しく助けを待つのも悪い手ではないんじゃない?」
「あぁ、そうだな。幸いにしてこの教会の近所にはいくつか便利な店がある。保存の利く食料なんかをそこから補充して、窓や扉に釘を打ってバリケードを敷けばそれなりの期間は篭城出来ると思うぜ?」

 テリの意見にはマックスも追従する。
 二人は平静を保ちながら言ったつもりだったが、その内心にある外に対する強い恐怖までは隠し切れていなかった。
 安寧を与えてくれる教会を出る事に関してひどく懐疑的な意見を零した二人に対して、ジョーは口を開く。

「――外に出たくないって気持ちは判らなくも無いけど、それは助けのアテがある場合に限るだろ?」
「それは、そうだけど――。ねぇ、そっちの2人はどう思う?」

 テリは礼拝堂の椅子に並んで座るオルガとシェリーに意見を求めた。
 二人共に金髪なので、並んで手を繋いで座る様は一見すると姉妹のようでもある。
 
「わ、私達ですか?」
「そうよ。他に誰が居るのよ?」
「――ママが警察に行きなさいって言ってたの。だから多分、ママも警察署に来ると思う」

 テリの問いにオルガは動揺し、シェリーは小さくもはっきりとした口調で答えた。
 するとテリは、「じゃあ、コレで警察署に行くが2票、ここで助けを待つが2票ね」と、オルガを見た。

「――わ、私が決めるんですか!?」
「別に決めろとは言ってないわよ。ただ意見を頂戴って言ってるの。市長令嬢さん」
「――――――っ」

 テリの気の強い言葉に対し、オルガは顔を伏せて沈黙する。

「おい、テリ。少し落ち着けよ」
「何よ、マックス? 私は――――」
「そう喧嘩腰になるなっての」
「――っ?!」

 先程の意趣返しを含め、場の空気の悪さにいち早く気づいたマックスが早々にテリを諌めた。
 知り合ってから間もない程だが、その間にジョーはテリとオルガという二人の女性の性格を何となく察する事が出来た。
 テリは第一線で働く女として生き、対照的にオルガは模範的な箱入りのお嬢様。
 マックスの介入で二人の間に険悪な対立こそ生まれなかったが、ひどく対照的な女性二人の構図は一同の空気を少し剣呑なものに変えた。
 しかし直ぐにその懸念はより強い不安によってかき消された。
 ガタリッという不審な物音が響いたのだ。

「――今のは!?」

 一同の視線が、反射的に物音の響いた礼拝堂の扉の奥に向いた。
 教会内部に繋がる扉である。

「――何かあったみたいだな。ちょっと見てくる」

 意を決して、ジョーはベレッタを抜いてゆっくりと立ち上がった。
 物音の方に足を立てずに近づき、音の先にある扉をゆっくりと開く――
 扉の先には廊下があり、不審な物音はその更に奥にある部屋から響いたようだ。

「ちょっとぉ! 幾ら銃を持ってるからって危険よ!」

 テリが小声で叫ぶように言った。

「どのみち此処に立てこもるなら、安全の確認は必要だろうが?」
「だけど――――」
「おい、ジョー! 二つあるなら1丁寄越せ。そっちのリボルバーでいいから」

 女性陣を背中に庇いながら最前面に立つジョーの後を追って、マックスが提案した。
 及び腰だったが心強いマックスの提案にジョーは思わず腰の拳銃に手を掛ける――が、脳裏に一つの懸念がよぎった。

「――おたく、銃を撃った経験は?」
「いや、その、少しだけ――――」
「本当か? ゾンビとはいえ人間の形をしているぞ? パニック起さずにちゃんと撃てるんだな?」
「…………………」

 するとマックスは沈黙した。
 ジョーが念を押して尋ねた意図の中にマックスに対する嘲笑などは欠片も含まれてはいない。単純に、先日の段階で初めてゾンビを撃った時、ジョー自身が体感した出来事への衝撃を懸念しての、重要な問いであった。
 そして沈黙によって返された事で、ジョーは察した。
 
「――つまり初心者なんだな?」
「悪いかよ! だけど教えてくれりゃ俺だって――――」

 追求の末に初心者だったことが判明したマックスは恥ずかしそうに顔を赤らめた。しかしジョーは一切、それを笑わなかった。寧ろマックスの提案をありがたく思ったほどだ。
 しかし初心者に拳銃を――ましてや弾薬が希少で扱いも難しいマグナムを貸す事に対して悩んだ。
 ベレッタを貸すべきかとも一瞬考えたが、結局的には銃弾の希少性が違うだけだと思い、ジョーは苦肉の策として自宅から持ち出した大降りのコンバットナイフを貸す事にした。

「――悪いがこいつで我慢してくれ。銃の方は予備を手に入れたら直ぐにそっちに回す。撃ち方もその時に教える」
「あぁ、わかった。約束だからな?」
「皆を頼む」
「おう」
 
 マックスは部屋の隅に女性陣を追いやり、ナイフを構えてその背中に庇った。
 ジョーは視線でマックスに合図を送り、礼拝堂から物音のする部屋の方へと足を進めた。
 やり取りを見て、「――これじゃどっちが年上何だか」とテリが小さくぼやいた。





 英雄さながらにたった一人で危険に立ち向かうという構図になってしまった現状に対して、ジョーは思わず自嘲を浮かべた。
 ガラじゃない。これじゃまるでバイオの主人公だ。ホラー作品に登場する人物を見ては常々、単独行動をするキャラクターに対して視聴者として苦言を呈してきたのに、どうして一人で行動するんだ馬鹿野郎と常々思っていたのに、いざ自分がその場所に立つとそれを行っている。

「――馬鹿だな」
 
 ジョーの口から不意に独り言が漏れた。
 恐怖と不安に汚染された現実味を感じない風景を前に、ジョーは自分の中にある大切な螺子のいくつかを、どこかに落とした様な気分であった。
 状況を俯瞰で考えてみると、非戦闘要員をぞろぞろ引き連れて狭い通路を歩く方がリスクが高い様な気もする。大勢引き連れて安堵を感じる途中で襲撃を受け、結果道中で大勢を見捨てる事になり最終的には一人の状況に落ち着く事を考えると、最初から一人の方が機敏に動ける分だけマシかもしれない。
 礼拝堂を出て直ぐの廊下には二階に続く階段と二つの部屋があった。それを行く最中。状況に対する恐怖と不安の所為か、ジョーは己の思考があちらこちらへと飛び散る妙な気分であった。
 緊張の中で何故か笑みが浮かんでしまったり、もしくは茶化すようなふざけた思考に浸れるのは、ある種、心の防衛本能だ。
 事実、「――怖い」と口にするジョーの顔には、何故か笑みが浮かんでいた。
 廊下の途中にある扉のひとつは階段裏に位置しており、開けずとも物置であると判った。
 すると必然的に物音がしたのはもう一つの扉であると推察できる。

「――行くか」

 出発した以上は進む以外に無いと、ジョーは意を決して廊下の一番奥にある部屋の扉を開いた。
 扉を開けた先には食堂が広がっていた。
 銀の燭台と食器、椅子の数から推察して、そこそこの数の聖職者がこの教会で生活をしていたのだろう。
 そう考えると、恐らく二階は聖職者達のタコ部屋か――

「っ!?」

 ――と、思考するよりも早くにジョーの鼻が異臭を捕らえた。
 異臭の原因が死体である事は直ぐに判った。
 臭いの先には教会のシスターだったと思われる三体のゾンビが居た。
 ゾンビはグチャグチャと汚らしい音を立て、司祭と思われる老人の死肉を貪っていた。

「――やっぱり居やがったな!」

 ジョーは込み上げる吐き気をかみ殺し、機敏に構えたベレッタでゾンビの頭を撃ちながら後退した。
 呻き声を上げて迫るゾンビの頭が石榴のように弾け飛んだ。
 三体のゾンビを無力化するまでに掛かった時間は一分にも満たないが、全身に感じた疲労は対照的にひどく大きいモノであった。
 ジョーは安堵を込めた小声で「……クリア」と呟き、ゆっくり息を吐いた。

 悪人も聖職者も区別無くゾンビになる。その原因をジョーは己の中に蘇った記憶で知っていた。
 原因は“T-ウィルス”。死者の細胞を活性化させるそのウィルスがアークレイ山中の秘密研究所から流出し、それが時間を経て麓のにある街全体に広がったのだ。
 感染源は地下下水道に潜む鼠であると推察されている。
 その感染が下水道に住むホームレスへと伝播し、地上に出てパンデミックを起した。

「――そして住民達はこの地獄と化した街から生きて脱出するのが本編の目的ですってか? 願わくば映画世界のバイオじゃない事を祈るぜ、まったく――」

 映画の世界か、ゲームの世界か――
 本音はどちらもゴメン被りたいが、できればゲームの世界の方であって欲しいと不意にジョーは思った。
 ジョーの中に蘇った記憶によると、うろ覚えだが、映画の方では最終的に世界が滅ぶ事になる。
 ――もしもこの先の未来がディストピアに変わるのなら、今此処で自決する事が一番幸せかもしれない。
 ジョーは右手に持った拳銃に視線を落とした。
 ――例え知識があったとて、それがどのくらい役に立つのか。
 そう考えるジョーの目の前には、食堂の片隅でふと見つけたタイプライターとインクリボンの束があった。
 騒乱の最中に飛び散った血糊が付着するインクリボンを見て、コンナモノに命を預けられる世界はない事を、ジョーは改めて見せ付けられた様な気がした。
 聖職者のゾンビを射殺した後、ジョーは手早く食堂の付近を散策した。
 ゲームさながらに周囲を散策するジョーは既に事切れた司祭の手の中に銀色の鍵束があるのを発見した。
 気が引ける思いだったが、ジョーは仕方なく食い荒らされて冷えきった老司祭の死体に手を伸ばした。

「うわぁ……」

 冷え切った死体に触れると、全身に鳥肌が立つほどの強い忌避感を感じた。
 それでも気合を入れて鍵を入手したジョーは、食堂の裏手にある厨房から武器になりそうな数本の果物ナイフを拝借した上で、そそくさとその場を辞去した。
 手に入れた鍵束には幾つか種類があり、内一つの使い道を察して、その足で階段下の物置を調べた。
 すると案の定、鍵のひとつが物置の鍵穴にぴたりと嵌った。

「――――この分だと、その内ボウガンだとかグレネードランチャーも拾えるかもしれねェな」

 扉を開くと農具や掃除道具に紛れて古いショットガンと弾を発見した。
 迷う事無くそれらを拝借したジョーは思わずぼやき、笑みを浮かべる。
 ゲーム的に考えると初期装備でマグナムを入手しているのが現状である。しかしそれらの装備が難易度的にベリーイージーだからなのか、ルート的に凄まじい困難が待ち受けるからなのかは一切不明である。
 願わくばこの先が是非ベリーイージーであって欲しいと祈りながら、ジョーは皆の待つ礼拝堂に戻った。





 ジョーが礼拝堂に戻るとナイフを構えて周囲を警戒していたマックスが声を上げた。

「大丈夫か!? 銃声が聞こえたからもしかしてと思ったんだが――――」 
「あぁ。司祭とシスターがゾンビになってた。立てこもるつもりなら、一応他の部屋も調べた方がいいだろうな。――――後、階段下の倉庫でコイツを見つけた」
「これは、確かショットガンって奴か?」
「あぁ。レミントンのM1100だな」
「へぇ――」

 ジョーは先程入手したショットガンを、約束通りマックスに手渡した。
 レミントンM1100とはセミオートショットガンの一種で、見た目は散弾銃といえばまさにコレという感じの狩猟銃である。
 ジョーは手に入れたばかりのショットガンの扱いに戸惑うマックスに向けて、早速その遣い方をレクチャーした。

「――今更だけど、どうしてそんなに銃に詳しいの? まだ学生でしょう?」

 使い方を説明している途中で、ふと興味深そうにオルガが尋ねた。

「この先の通りにあるケンドの銃砲店って所で働いてるんだ。後は、親父が警官だからかな?」
「へぇ、そうなんだ。警察官の息子さんなのね」
「まぁ、な。――ところで折角の機会だ。アンタも使い方を覚えてみるか? マックスに何かあった時に、備えて」
「おい、縁起でも無い事言うなよ!」

 ジョーのふとした提案の動機を聞いたマックスが呻くように言った。
 その様子が滑稽な物に見えたのか、オルガは可憐に笑いながら、「えぇ、折角だからお願いするわ」と、頷いて返した。

「なら、構えてみてくれ」
「え? えぇ――」

 ジョーはマックスに説明した内容と同じモノを繰り返しながら、オルガの手にショットガンを持たせ、その撃ち方と弾の込め方をレクチャーした。
 その説明を一通り終えた所で、オルガは改めてジョーに向き直る。

「――ねぇ、さっきの物音は何だったの?」
「言わずもがな。バケモノだよ。何処から奴ら(ゾンビ)が進入してくるかは分からない。もし礼拝堂に立てこもるつもりなら、入り口も窓も全部塞いだ方が良いだろうな」
「そう――――」

 不安がらせるつもりは毛頭無い。無いが、それでも命に関わる以上は情報は精確に伝えておくべきだと思い、ジョーは立てこもる際の注意点を思いつく限りで聞かせた。
 するとオルガは思案するように顔を伏せた。

「さっきの質問だけどもし私達が此処に残ることを選んだら貴方はどうするの?」
「ぁん?」
「このメンバーの中で唯一、銃の扱いに長けているのは貴方よ。幾ら武器を手に入れても貴方の有無が私達の今後を大きく左右するとは思わない?」
「――――つまり?」
「私は貴方の判断に任せたいわ――――」

 オルガは不安そうに眼を伏せながら言った。
 その様子を見てジョーは思わず考え込むように首筋を掻いた。
 年齢だけならばオルガはジョーよりも3つほど年上の大学生である。
 実際はそうした実年齢よりも遥かに幼く見えたからだ。 

「――――改めて言うけど俺は警察署に行きたい。理由は確実に脱出のルートがあるからだ」
 
 ジョーはオルガを含め、その場に居る全員に聞えるような声で、改めて己の意思を明確にした。

「この先にある銃砲店に居る友人で上司のロバートにも脱出するように言わなきゃだし、なにより立てこもったところで状況は好転しない……と、思う。隠れてるだけじゃ最終的に全員死ぬ。俺は、そう考えている。だから――――」
「だったら、警察署に行きましょう」
 
 ジョーの台詞に被せるようにして、顔を上げたオルガは言った。

「シェリーのお母さんも警察署を目指してるというし、それにラクーンシティーにはS.T.A.R.Sっていう優秀な特殊部隊があるってパパから聞いたわ。危険かもだけど、辿り着いてしまえば、きっと此処より安全のはずよ」
「――その警察が幾つもの路地を封鎖しているのよ? 言うほど簡単に脱出できるとは到底思えないけど?」
「じゃあ、テリは此処に残るの?」
「そうは言ってないじゃない――」
「じゃあ行くのよね?」
「――っ!」

 皮肉るように口を挟んだテリに向けて、オルガは挑発するように返した。するとテリは歯がゆそうに押し黙った。
 テリはチラリとマックスを見た。
 マックスはショットガンを手にした所為か、先ほどに比べるとかなり落ち着いた様子である。
 マックスはテリの視線に気づくと、「大丈夫だ、テリ。こうして武器も手に入ったんだ。それに途中で銃砲店に寄るんだろ? 休憩する場所も途中にあるんだから何とかなるだろう」と笑みを見せる。

「撃つ前からコンバットハイなの? 勘弁してよ」

 マックスの台詞を聞いてテリは徐に溜息を吐いた。
 その傍らでジョーは膝を曲げて最年少のシェリーに尋ねていた。

「――シェリーはどうする?」
「ん?」
「また怖い思いをすると思うが、それでも警察署に行くか?」
「………………」

 この場に居る唯一の子供という事もある。
 ジョーも流石にシェリーには気を使った。
 内心でシェリー・バーキンという存在はどうあっても生き残るような気がするというある種の勘が囁いてはいるものの、それでも確実な事は言えない。現状の惨劇を描いたシリーズに登場する重要なキャラクターの一人なのだから大丈夫と考え、もしも簡単に死なれたら――
 そんな未来を思うと、ジョーも聊か雑にはなれなかった。
 仮にもこの先を生き残るつもりがあるなら、最低でもジョーが知っている形のバイオでありたい。
 そんな考えがふと脳裏を過ぎり、まるでシェリーをゲームの駒のように考える自分に嫌気が差した。
 しかしシェリーはそうしたジョーの内心を知らず、質問に少し戸惑った様子を見せるが、しっかりと決意した表情で「うん」と頷いてみせた。
 
「決まり、だな。よし、移動するなら出発する準備をしよう」

 シェリーの決意を聞いた直後、マックスが音頭を取った。
 武器を持って気分が大きくなったのか、その声には覇気があった。
 そんなマックスの様子にテリは呆れた表情を浮かべ、オルガとシェリーは顔を見合わせて小さく笑みを浮かべた。

「なぁ、ジョー? 一応残りの部屋を調べてみないか? 他にも武器か何か、いざという時に使える食料とか薬とか役に立ちそうなモンもあるかも知れないし?」
「――そう言えばさっき鍵束を入手したな」

 マックスの提案を受け、ジョーはふと、先程手に入れた鍵束の存在を思い出す。
 ゲーム的に考えると、施錠されている部屋ともなれば、それなりに役立つアイテムが置いてあるのが常。そんな考えが脳裏を過ぎった。

「調べに行くなら、今度は俺にも手伝わせてくれよ?」
「勇むのは良いけど、弾は貴重だって事、忘れるなよ? ま、とりあえず二階だな。一階はザッと見渡してきた限りだけど、何も無さそうだし――――」
「ちょっと、そこの二人! 戦力2人が動くのなら私達はどうなるのよ! 勝手に決めないで!」

 テリがオルガとシェリーを引きつれ、マックスとジョーに怒鳴った。





「一階には一応だけど多分、もう動かない死体が4つ転がってる。二階を調査するのは良いけど、現状どうなってるのかは一切不明だ。もしかすればもっと酷いのを見るかもしれない。なるべくそういうのを見たくないなら、此処に残って俺達が戻ってくるのを待つって手もあるが、どうする?」

 出発にさしあたり、一応二階部分の探索を進める事に決めたジョーの台詞に、テリもオルガもシェリーもそろって露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
 一階の食堂に散乱する死体は既に動かないとジョーは思っている。とはいえ、一度死んだ人間がもう一度動くという奇妙な光景が周囲には広がっている為、それを前提に一階で待つという恐怖に耐えかねた女性陣は、揃って二階の調査に同行する事を決めた。
 フロント部分をジョーが、その間にオルガ、シェリー、テリの順で並び、殿をマックスが務める形で、一同はゆっくりと二階に上がる。
 二階部分はジョーの予想した通り、教会に勤める者達の生活空間となっていた。
 階段を登って直ぐの通路には、左右にそれぞれ3つの扉と、最奥に一つの計7部屋分の扉がある。

「――このハーブは役に立つかも。確か前に学校で習ったわ」
「そうなの?」

 手に入れた鍵束を使って部屋の一つ一つを調べていき、その途中で一同は観賞用の三色ハーブと応急用の道具を発見した。
 その中で大学の医学部に通う友人との話を覚えていたオルガは、鉢植えにある三種類のハーブの葉をそれぞれ少しずつ採取して言った。

「緑の葉を煎じて飲めば、疲労回復やリラックスしたい時に使えるみたい。あと、市販の傷薬なんかもこのハーブの成分を抽出して作られてるらしいわ。原始的な方法だけど、いくつか採取してペースト状にして簡易的な塗り薬にしておくといいかも。止血効果も高いし――――」
「へぇ。だったら出発前に作っておいたほうが良さそうね。三種類とも採取する?」
「えぇ。万一に備えて。シェリーもお願いできる?」
「うん!」
「それじゃ、私はこっちの赤いのを集めるわ。シェリーは緑のをお願いね」
「はーい」

 オルガの知識に感心した声を漏らしテリは早速レッドハーブの鉢植えからはを回収した。その傍らでシェリーはグリーンハーブを集め、オルガはブルーハーブの葉をそれぞれ回収し始める。
 そんな女性陣の様子を見ていたジョーはふと、「流石に食っての回復は現実的じゃないか……」とゲーム本編でのハーブの扱いを思い出した。
 ゲーム内では重要な回復アイテムだった各種ハーブ。しかしその使い方は実際の所、不明であった。
 その結果、ユーザーの一部が探索中にハーブを毟って食べていると考えた事も無きにしも非ず――
 そんな考えがふとした拍子に脳裏を過ぎり、ジョーは思わず噴出しそうになった。

「ん? どうした。ジョー?」
「――いや、なんでもない。ちょっと、下らない事を思い出しただけだ。で、どうしたマックス?」
「あぁ。ついでだから背負える鞄か何かを探してみようと思ってさ。持ち運ぶって言うなら必要だろ? あと思ったんだけど、止血帯代わりにシーツやカーテンって使えるんじゃないか?」
「あー使えるとは思うけど、加工しないと流石に無理だろ? ハンカチとかタオルを探した方がいいんじゃないか?」
「――なるほど」

 ふと、マックスはにやりと笑みを浮かべる。
 その様子を見て、ジョーは思わず首をかしげた。

「――タオルとかハンカチを探すなら、衣装ダンスをあけるしかないよな?」と、マックスは言う。
「まぁ、そうだな。――――で、それがどうしたよ?」
「いや、別に――」
「――――ぁん?」

 心なしかマックスは楽しそうな雰囲気であった。
 その理由についてジョーはふと考え込んだ。
 部屋の主は間違い無くシスターである。そしてシスターといえば女性である。常識的に考えると、女性の衣装棚を男が勝手に開けるという事自体、なかなかに罪深い行いである。
 そこまで思考を走らせると、そこでようやく、ジョーはマックスの笑みの理由に気づいた。
 教会ー―つまり神の膝元で、神に使えるシスターのクローゼットを開くのだ。しかもこちらは生きる為にという免罪符を掲げてどうどうそれを行うの大儀があるのだから、むしろそれを恥らう必要すら無い。――例え探索の途中で貞淑なシスターの下着を見つけたとしても、それはまったくもって仕方なき事。恥ずべき事では無いのだ。

「――――あいつ、馬鹿だろ」

 マックスの意図を察したジョーは徐に溜息を吐いた。
 直後。案の定、嬉しそうな表情をマックスは、ジョーに向けて口笛を吹き一枚の丸めた布切れを投げ渡した。

「ヘイ! おすそ分けだ」

 投げて寄越されたのはシスターの私物であろう女性物のショーツであった。しかも紫色。

「おい、真面目にやれ」

 それを投げて寄越したマックスに向けて、ジョーは露骨な舌打ちを打った。
 と、同時に何となくポケットにそのショーツは仕舞った。

 しかしそれを目ざとく見ていたテリが、

「――あんたも真面目にやんなさいよ!」

 と露骨な舌打ちをジョーに向けた。





 高い薬効を持つ三色のハーブは、素人が適当に磨り潰して使うだけでもそれなりの治療効果を望める代物だった。
 緑は止血と治癒、青は解毒と殺菌、赤は他二色のハーブの薬効を高めるという効果をそれぞれ持ち、飲料水を使ってそれらを調合したオルガは、完成したハーブペーストをそれぞれを小さな小瓶に詰めて一同に分配した。

「――――意外なところに衛生兵(メディック)が居たな?」
「だったら私は通信兵(ラジオマン)? 生憎機材はないけど?」
「いつも持ち歩いてる小型のカメラは?」
「それがこんな所でなんの役に立つのよ……」
「――――今更だがゾンビ共は音に寄って来るからな? さっきも言ったが、全員なるべく静かにしてくれよ?」
「了解」
「了解よ」

 武器を手にした精神的な余裕を、意外にスムーズに出発の準備が整った事。それら二つの要素所為か、出会った当初に比べて互いに軽口を向け合う程度にはテリもマックスは落ち着いていた。
 廊下の最奥にある部屋を残して二階全ての部屋の探索が完了し、最終的に背中に背負うタイプのリュックサック、マッチ、各種ハーブ、止血帯代わりの布、救急スプレーを一同は発見した。
 回復アイテムをはじめとする今後の行動を手助けしてくれるであろうアイテム類を入手した事は、それなり以上の収穫だった。
 しかしこの状況でモノを言うのは、やはり武器と弾薬類である。
 流石に教会でそれらを満足に入手するのは難しく、ショットガンとショットシェルのいくつかを入手できたのは一種の奇跡。やはり銃弾に関しては、これから向う予定のケンドの銃砲店で入手するしかないとジョーは密かに思った。

「一応だが、こっちの部屋も確認するか?」

 ジョーは後方のメンバーに注意を促しつつ、廊下の最奥にある部屋のノブに手を伸ばした。
 この状況でゲーム脳も甚だしいとは思いつつ、ジョーは何かしらのイベントが起きそうな予感をこの二階の最も大きな部屋から感じていた。
 それは直感とも言い換えられる野生の勘であり、故に、探索を一番最後に見送っていた。

「どうせ鍵を使えば開くんだから、さっさと調べましょうよ?」
「そうだな。開けちまえよ」

 テリとマックスの後押しもあり、ジョーは鍵束を使って施錠された扉をゆっくりと開いた。
 すると部屋には一人の生存者が居た。

「―――っ!?」
「来るな!」
「待て! 撃つな!」

 部屋に居たのは修道服を纏った老婆だった。
 拳銃を突きつけて震える様を見てジョーは強く焦ったが咄嗟に呼びかけた静止の言葉と、その後のアイコンタクトでお互いに相手が生存者だと判り、老婆も安堵した様子で銃を降ろした。

「よかった。よかった! もう私しか生き残りは居ないと思って――――」

 老婆は安堵からか泣き崩れた。
 泣き崩れた老婆にオルガが駆け寄った。

「この教会で生き残ってるシスターはアンタだけか?」
「えぇ、他の者達は皆、天に召されました。――もっとも、未だ死ぬことも許されず、あのように彷徨う姿になってしまった者達に救いがあるとは思えませんが」
「宗教問答は兎も角、とりあえず場所を移そう。動けるか?」
「えぇ――――」

 足が弱いのかオルガに続いてテリも老婆に肩を貸した。
 ――その直後である。
 老婆の背後にあった窓が音を立てて盛大に割れた。

「――――かはっ!?」

 窓を突き破り部屋の外から一本の触手が伸びた。
 それは立ち上がろうとした老シスターの胸を貫通した。
 テリとオルガは手を貸した老婆が突然血を吐き、悲鳴を上げた事に驚いて床に強く尻餅をついた。

「うぁああああ!」

 胸を貫いた槍のような触手はイカの触腕にも似ていた。
 串刺しにされた老婆は触手の持つ強靭な膂力で持ち上げられた後、宙を舞うように二、三回空中を振り回された上で、窓の外に連れ去られた。
 床には老婆の持っていた拳銃がゴトリと落ちた。
 程なく、窓の外から断末魔の絶叫が響いた。

 ――――その直後に訪れた静寂の中、マックスは震えながらジョーに問う。

「な、なんだありゃ――――」
「………………」

 ジョーは沈黙で返した。沈黙が“正解”だと察したからだ。
 シュルシュルと音を立てながら触手が窓の外に揺れた。同時に特徴的なヒタヒタという足音が鼓膜を打った。
 一秒、二秒、三秒――と、沈黙が続き、それは遂に姿をあらわにした。
 カエルのような這う姿勢を保ったそれは、ゆっくりと窓から顔を覗かせて哂う――
 
「ひ――――っ」

 女性陣から息を詰まらせるような悲鳴が上がった。
 そこに居た怪物はそれ程までに醜悪な姿をしていた。
 全身の皮を剥ぎ取られたような赤い怪物――醜悪な面貌には目は無く、むき出しの牙が並ぶ大きな顎の奥から長大な“舌”が垂らされている。
 その舌が老シスターを貫いた長い長い“触手”の正体だった。

(――――リッカー(舐める者))

 ジョーは吐息に混ぜるようにして、その醜悪な怪物の名を呟いた。
 ジョーはその正体をゲームという形で良く知っていた。知っていたからこそ、外で蠢くゾンビ以上に警戒した。
 醜悪で、非常に厄介な怪物だ。

「――うあぁああああ!」

 静寂を打ち壊したのはマックスは恐慌である。
 マックスは驚愕と恐怖を顔に貼り付け、撃ち方を習ったばかりのショットガンの引き金をリッカーに向けて引いた。
 ジョーも反射的にベレッタを抜き、窓の外のリッカーに向けて鋭く発砲した。
 しかしそれより一瞬早くに、リッカーはするりと窓の外に姿を消した。
 直後、トトト――――と、教会の外壁と屋根を走る音が響き、その振動で天井に積もった埃の一部が床に零れ落ちた。

「……に、逃げたの?」
「違う!」

 テリが恐る恐るジョーに尋ねた。対しジョーは強い心臓の鼓動を感じながら、小声で怒鳴るように言葉を返した。
 ジョーの直感は正しかった。
 案の定、扉を開いた先で厄介な事が起こった。しかしそれを今更嘆いても、既に遅い――

「全員窓から離れろ。絶対に物音を立てるな! 奴は音に反応する!」

 その時、階段の近くにあった窓が音を立てて割れた。
 ジョーは咄嗟にマグナムを抜いて振り返った。
 全員の居る廊下の最奥の部屋がある二階の唯一の出口である階段――それを塞ぐように、リッカーは舌を垂らしてジョー達の前に立った。

「絶対に音を立てるなよ……!」

 変質者さながらの不気味な呼吸音と、嫌悪感を煽るようなゆったりとした歩み。
 ゆっくりと一歩ずつ迫る怪異を前に、マックスはどうするんだという視線をジョーに向けた。
 それはテリも、オルガも、シェリーも同じだった。
 全員が青ざめながらジョーを頼りにする様な視線を向けていた。
 その視線を自覚し、そしてこの瞬間に唯一対抗できる火気を所持する事を自覚するジョーは思わず“主”を呪った。

「――――恨むぜ、神様」

 ジョーは前に一歩を踏み出し、マグナムを構えた。

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03 現実の恐ろしさを前に 前篇

 ロバート・ケンドの手記

 9月25日

 『ケンドの銃砲店』はじまって以来の大繁盛。飛ぶように武器が売れやがる。
 しかし武器を求める顧客の多くに共通するのが、コレまでの人生でまともに銃を扱った事の無い手をしている事だ。
 この景気には絶対に何か裏があると思う。
 素人が安易に武器を求めてくる時は、大体が良くない事が起こっている。
 そんな風に身構えていたら案の定だクソッたれ!
 かなりやばい事が起きていやがった。

 奇跡的に早い段階で気づけたのは、我が友バリー・バートンの鳴らした警鐘のお蔭だろう。
 きっかけはバリーと近所の狩猟仲間達と共に、近所のJ's BARで飲んでいた時。バリーの奴は『アークレイ山地で起きた猟奇殺人の犯人はゾンビだ』と言った。その時は余りにも馬鹿馬鹿しくて思わず仲間と一緒に酒を噴出したんだが、さっきのフットボールの試合中に起こった暴動を見て笑っていられるほど俺も馬鹿じゃあない。
 
 警備員が暴徒に対して何発も9ミリ弾を撃ち込んでいた。俺も銃を扱う稼業だからこそ判るが、普通なら致命傷となる位置にアレほどの数の鉛玉を喰らってまともに動けるわけが無い。しかし奴等はそれでも動きやがった。
 あれはバリーの言った通り、“ゾンビ”って奴だ。

 ――そして今、まさにそんなゾンビが街全体に溢れかえっているらしい。
 どうにも先月頃から街の様子がおかしいとは思っていたが、こうなるとは予想外だ。
 しかしそう驚いてばかりもいられない。
 少しでも対策を練らないと不味いと思い、俺も警察と協力してツテの限りを尽くして爆薬や武器をかき集める事にした。
 まったく長い夜になりそうだ。
 そしてふと思い出した事だが、ジョーの奴は無事に家に戻れたんだろうか?
 昼頃に一度店を訪れて接客の手伝いをしてくれたが、まだ病みあがりなのか少し調子が悪そうだった。
 カスタムしてやったベレッタを携行していたから大丈夫だとは思うが、正直心配だ。
 一応、明日連絡してみるか……。


 9月26日

 一夜明けて多少マシになったかと思えば、事態は昨日よりも深刻だ。
 昨晩のスタジアムでの暴動を皮切りに、街のあちこちにゾンビが現れるようになった。
 ゾンビ映画宛ら――仲間を増やす為にゾンビは生きた人間を狙って食いやがる。
 もう商売なんて言ってる場合じゃない。
 近所に住んでる知り合いの内、銃でドンパチやるのが得意な連中を根こそぎかき集める事にした。
 退役軍人、元警察官、警備職員、消防官――中にはベトナム帰りで今は失業保険で暮しているという輩も居る。
 こういう場合にモノを言うのはやはり金よりも人脈だとつくづく思った。どいつも若いとは言い難いものの、行動力に溢れる正義感を持った奴ばかりで、俺の提案に快く応じてくれたからだ。
 集めた連中を含む武器を求める客達に在庫の火器を無料で配った。そして現在、俺も警察と協力して市民の避難誘導を行っている。
 まったくこの騒ぎで店は大赤字だ。需要はあっても金を受け取る意味が無いなんてとんだ地獄だぜ、クソッたれ!
 それに加えて、俺も早くラクーンシティを引き払う準備を進めたほうがいいだろうな。
 一応だが避難の優先順位に女子供病人とある。その意味で言うなら俺にも一応だがその資格があるが、まぁ資格があるとはいえ、それを使う気はない。
 俺よりも先に逃がしておきたい奴がいるからな。
 まったくアイツは何処にいるのか……。
 まさかもう喰われて死んでいるなんて事はないよな?
 それを確かめる意味でもまだ逃げるわけには行かない。
 さっきもマービンからジョーの安否を確かめる連絡があった。
 話によれば今朝の段階で脱出を始めたらしく現在は警察署に向っているらしい。
 と、なると必然的に俺の店にも顔を見せる事になる。

 一応こっちからもジョーの家に電話を掛けてみたが連絡はつかなかった。
 死ぬなよ、ジョー。


《ページが破れている》





「――――手を貸してくれ! こっちだ!」
 
 R.P.D.のバッジを身につけた制服警官は付近にいる民間協力者の男達に呼びかけた。
 ゾンビの数は増加の一途を辿っており、この地域周辺の路上封鎖も間もなく終了する頃。
 
「奴らを近づけるな!」

 バリケード構築に動く警察官らを援護するようにして、ロバートも周囲と連携してゾンビにショットガンを構えた。
 各自武器を持ちより民兵として立ち上がった者達。その面子は白人、黒人、ヒスパニック、チャイニーズと様々。一見すると人種も年齢も共通する事の無い烏合の衆だが、彼らの心には共通してラクーンシティに対する強い愛郷心があった。故に彼らは非常事態においても積極的な姿勢を保ち、警察と協力して非難活動の援助に尽力した。

「押すぞ!」
「良し!」

 路地の奥に迫るゾンビの牽制を市民兵達に任せ、大柄な体躯を持つ警官が二人掛りで警察車両を押した。
 ゆっくりと車両が動き、路地のひとつが封鎖されると、彼らは一先ずの安堵を漏らす。
 
「これで一先ずは良し、だな」
「あぁ」

 ゾンビにはバリケードを乗り越えてくるほどの知能が無く、封鎖された路地の奥で生存者達に向けて吐瀉物を吐きかけて呻くばかり。
 だが「まだ安心はできない――」と、安堵もつかの間。警察官らの表情は直ぐに緊張に包まれた。

「――ジリ貧だな」

 ショットガンのバレルに弾を込めながら、ロバートは小さくぼやいた。するとその呟きを聞き留めた一人の男が「まったくだ」と吐息交じりに返した。
 返事を返したのはロバートの顧客の一人である警察官のケビン・ライマン。顔立ちの整った31歳の男で、普段はだらしなく軽薄な雰囲気を持つ不良警官として有名な男だ。
 しかし今日に限ってケビンの顔には普段の軽薄さはなく、寧ろ勤労による明確な疲れの色が見てとれた。
 ロバートは内心で無理も無いと思った。街の状況は“あの”不良警官をして真面目にならざるを得ない程なのだから。
 
「少し休んだらどうだ?」
「――ん?」
「いつもと違って真面目に過ぎる。慣れない事はするもんじゃ無いだろう?」

 と、ロバートは冗談めかして言った。
 するとケビンは「偶には悪くないさ」と不適に笑みを返し、

「俺は空気を読んでサボる男なんでね。サボるタイミングは、()じゃあない」

 と吐息交じりに返した。

 ケビンの笑みは『勤務態度に難有り』という理由でS.T.A.R.S.の選抜試験に二度も落ちた男とは思えぬ勤勉さを含んでいた。
 それは問い投げたロバートが思わず苦笑を漏らす程だ。

「――普段からその勤務態度だったら、今頃S.T.A.R.S.の看板を背負ってただろうな」
「それとまったく同じ台詞を今朝リタにも言われたぜ……」

 ロバートの皮肉にケビンは鬱陶しげな様子で言葉を返すと、鋭い視線でカスタムされた拳銃を両手で構えた。
 次の瞬間、ケビンが独特な構えから放った拳銃狙撃が50ヤードも離れた先に居たゾンビの頭を撃ち抜いた。

「どんなもんよ?」

 ケビンは毎年開かれる署内の射撃大会で、一位、二位を争う程の腕前だ。唯一勝てなかったのはS.T.A.R.S.のクリス・レッドフィールドで、拳銃狙撃だけなら同部隊の隊長のアルバート・ウェスカーも凌ぐ程。
 その神掛った狙撃を傍で見ていた者は思わず「ピュゥ♪」と口笛を吹き、ロバートも思わず流石だと苦笑を浮かべた。 
 ケビンは周囲からの賛辞を受けて、己の腕前を誇示するように軽く腕を振り上げた。

 しかしそうした高いテンションで誤魔化しても、ケビンを初めとする多くの警察官が現時点で強い疲労を抱えている様子は隠せなかった。
 またそれに気づく者は確かに居ても、それを指摘する事は出来なかった。
 警察官の多くは昨夜起こったラクーンスタジアムの暴動から引き続いて現在の状況に対応している。彼らが頑なに疲れを周囲に見せようとしないのは、民間人に不安を感じさせまいとする一種のプロ意識。それを察した以上、余計な気遣いはむしろ無粋だという風に考えたのだ。
 現在警察はゾンビの動きを牽制しつつ街に取り残された住民の避難活動を支援すると同時に、地下下水道にC4を設置して直上に位置する区画を一掃する計画を立てていた。
 ラクーンシティーという巨大な街で発生したゾンビパニックに対し、その一撃がどれほどの効果を齎すかは未知数だ。
 もしかすれば雀の涙ほどの成果しか上げられないかもしれない。
 しかし今は、その作戦の成功だけが多くにとっての希望となっていた。
 作戦の決行は午後6時。
 逆算すると4時間後となる。 

「――まだ、見つからないか」
 
 ロバートは率先して住人の避難活動に尽力する傍ら、己の店で従業員として働く青年ジョー・ナガトの姿を探し続けた。
 時に無線を手にする警察職員の好意を借りて警察署の方面にも情報の問い合わせを行ったが、未だに避難所に逃げ延びた者の中にジョー・ナガトの姿は無いと知らされた。

「警察による爆破作戦が一つの目安だな……」

 作戦の成否に問わず大人数を投入しての救助作戦はそこで一つ区切りがつくだろう。逆に言えばそれ以降の個人の安否確認はより困難になると。ロバートは思った。

「――――うあぁあああ!」
「っ!?」

 思考の海に沈みかけたロバートの耳に甲高い悲鳴が飛びこんだ。
 悲鳴の方に視線を向けると無数のゾンビの姿が見えた。
 別の区画から進入してきた群れだった。
 しかもその群れから逃れるように大群の先頭には数人の生存者の姿もある。

「まったく忙しいな、おい!」

 悲鳴に呼応してか、先程作ったバリケードの奥に群がる無数のゾンビも慌しくなった。
 糖分補給にと口にしたフルーツドロップのフレーバーによって、ロバートは一時的に街に漂う死臭を忘却した。
 そして走り出す警察官達を援護するようにショットガンを持って立ち上がった。

「いくぞ!」

 荒々しく音頭を取る現場警察官の動きに続いて、ロバート以外の血気盛んな市民の多くも自ら危険の中に身を投じていった。強い興奮が一時的に胸中にある不安をかき消すと、彼らは無意識にも知っていたからだ。





 時を同じくして、ジョー・ナガトも意図せず大きな危険と対峙する事になった。
 彼らの前に立ちはだかったのは赤い怪物である。
 赤い怪物を前にジョーは反射的にそれをリッカーと口走った。
 その理由はゲームで戦った記憶があっての事。
 だが、その姿はまさしく“舐める者(リッカー)”に呼ぶに相応しくおぞましく、誰もそれを疑問には思わなかった。
 肥大化した脳みそによって鼻や目と言ったパーツの殆どを押しつぶされた面貌には、唯一むき出しの牙が並ぶ巨大な顎が存在し、その顎の中には老シスターの身体を易々と貫いた凶器の舌がだらりと伸びる。――しかもその舌の全長が本体を軽く越すほどに長い。

「――――――」

 ジョーの構えたマグナムの銃口からは、むせ返るように強い硝煙の臭いが漂っていた。
 先程(・・)までの騒乱具合とは打って変わり、周囲には不気味な静寂が広がっている。

「――――死んだの、それ?」

 恐々と尋ねるテリの問いに、ジョーは不安を滲ませた声色で短く「多分……」と答えた。
 まだ四肢の末端がピクリと動いている所為か、今にも動き出しそうな雰囲気を持っていたからだ。
 しかし、流石に絶命したと信じたいと、ジョーは不安げな表情のままで深く溜息を吐いた。
 マックスの撃ったショットガンが運良くリッカーの身体を跳ね上げて吹き飛ばした。その際に偶然床の上に仰向けに倒れたリッカーのむき出しの心臓を、ジョーがマグナムを使って二度、撃ち抜いた。
 口頭で説明するだけならたった二行で済む短い時間の出来事だが、その勝利が偶然によって支えられた薄氷の上にあった事は明白。ジョーは欠片もリッカーと戦いそれから勝ちを拾ったという結果を誇る気にはなれなかった。

「――行くぞ」
「え?」
「もうこんな場所に長居したくないだろう?」
 
 ジョーは不安な表情を浮かべる一同を背に庇いながら、顎と視線のみで退路を示した。
 冷静になれば恐怖がぶり返す上、現状は可能な限り安全な場所に移るべきだという仕草を受け、一同は機敏な動きでリッカーの死体の脇を通り過ぎ、階段を下りた。
 隊列はショットガンを持つマックスが先頭に、その間をオルガ、シェリー、テリの順で続く――
 その殿に立ったジョーは安全確認の意味を込めて、去り際、マグナムの代わりにベレッタを抜いて、銃弾をもう一発リッカーの頭部へと撃ちこんだ。
 放たれた銃撃でリッカーの頭部は跳ね上がったが、それ以外(・・・・)の反応はなかった。

「――――――」

 死亡確認の為だけに銃弾を一発使う事を、高いと見るか安いと見るか――
 少なくとも、ジョーはそれを安いと見た。
 銃弾一発でリッカーが再び起き上がる可能性を低いと見て、ジョーも階段を下りる事にした。
 しかしジョーの表情は未だ険しかった。

 ――――左腕に受けた傷がズキリと痛んだ所為だ。





「――ねぇ。皆、怪我は無い?」

 ゾンビとも違う異形の怪物と初めて遭遇した一同の心は、短時間とはいえひどく疲弊した。礼拝堂に戻ってもしばらくは御互いに口を開かず。しかし場の沈黙が五分も続くと、その重圧な空気に耐えかねたテリが全員に尋ねた。
 テリの表情には未だにリッカーに対する強い恐怖の色があり、またその声も震えていた。だが気丈に振舞おうとする強い意思も僅かにだが垣間見えた。

「えぇ。大丈夫。シェリーは?」
「私も無事」

 テリの問いにオルガは正気を持ち直すように頭を振りながら答えた。それにシェリーも続いた。

「俺も大丈夫だ。びびったけど――」

 マックスも己の健全を伝えた。

「そう。で、ジョーは怪我してない? かなり危ない場面もあったみたいだけど?」
「俺は――――」

 その中で唯一、ジョーは答えあぐねた。
 最前線でリッカーと相対していたのは他ならぬジョーである。それを知る一同はジョーの答えあぐねる様子にふと、怪訝な表情を浮かべた。

「――残念ながらちょっと掠ったな」

 と、ジョーは観念した様子で一つ溜息を吐いてから言った。
 詳細な返事の代わりにと袖をめくって見せた左腕には、小さな出血がある。

「なによ。だったら早く言いなさいよ、まったく。ほら、オルガ。出番よ」
「えぇ」

 言いよどむジョーが見せたのは小さな擦り傷で、何事かと身構えたテリは肩透かしを食らったように呆れの溜息を吐く。
 しかしそのやり取りが一種の緊張状態にあった一同の精神を程よく解し、一時的に場に笑みが生まれた。

「ちょっと痛むかもしれないけど、我慢してね?」
「――あぁ」

 オルガは先程作ったハーブペーストの瓶を持ち寄り、ジョーの受けた傷の手当を始めた。
 その際にオルガはやけに静かで言葉少ないジョーの様子に小さな不信感を抱き、

「――ねぇ、どうかしたの?」
「ん?」
「なにか、あったの?」
 
 と、心配そうな表情を浮かべてジョーの顔を覗き込んだ。
 ジョーはオルガの視線から眼を逸らして首を振って「大丈夫だ」と平静だと返した。
 
「――不安があるなら直ぐに言ってね? 力に成れるかは判らないけど。言い方はアレだけど貴方が倒れたら私達も危険だし」

 オルガは強い追求はせずに年上として優しく言った。

「不安、か」
「やっぱり、何かあるの?」
「いや――」

 ジョーの心に湧いたある種の不安をオルガは明確では無いにせよ的確には見抜いていた。
 小さく心情を吐露するように息を吐くと、オルガは直ぐにその様子に反応した。
 ジョーはそれ(・・)を言うべきかどうかを迷った。





 察しの良さとは往々にして人生の分岐を左右する。
 そして時に、思いもよらぬ地点へと人を導いてしまう。
 人が『思いもよらぬ』と口にする時、大抵が希望とは呼べない散々な結果を迎えており、そしてそのジンクスはジョー・ナガトの身にも十分に当て嵌ることであった。

 一同はジョーが持ち寄った携帯食で栄養補給を行い、短い休憩の後でようやく教会を出発した。
 目指す先はケンドの銃砲店とその先にある警察署である。
 しかし普段ならまだしも、現状は道中に散乱する無数の事故車やバリケードの影響で、目的地には辿り着くにはいくつか道を迂回する必要があった。

 とはいえ、一同にとって幸いだったのはゾンビの数は予想よりも少なかった事だ。
 ジョーはそれを「恐らくは先程遭遇したリッカーがその大半を捕食したのだろう――」と、ゲームをプレイした時の知識から推測した。
 リッカーとは潤沢な食料を食べ続けたゾンビの成れの果て――つまり元々はゾンビなのだ。
 そして元がゾンビならば当然、その攻撃には新たな感染者を産み出す“T-ウィルス”が含まれている――と、周囲の様子とゾンビの少なさに思考を割いた時にふと気づいてしまった。

「――危ない!」
「――――っ!」

 いち早く気づいたテリが叫んだ。路地の暗がりに蹲って潜んでいたゾンビが、ジョーに組み付こうと襲い掛かった直後の事だ。
 飛び掛ったゾンビは少女の姿をしており元の姿はジョーと同じぐらいの年頃だった。生前はそれなりにモテたであろう肉感的な肢体を持っていた筈だが、今の姿にはその面影が影すらもない。

「――くっ!」
 
 ジョーは咄嗟の判断で身を捩り、掴みかかろうとしたゾンビの足を素早く払って路上に転ばせ、そして間髪入れずにその頭をブーツの靴底で叩きつけるように踏みつけた。
 ゴキャリ――と、骨が砕ける音が響き、ゾンビの頭部はアスファルトの上で石榴のようにはじけた。

「だ、大丈夫か?」
「あぁ。すまん。悪い――」

 不安げなマックスに返事を返すと同時。
 ジョーは注意力散漫な自分自身に強く舌打ちをした。
 己が下手をこけば、後ろに続く他4人の生存者も危険に晒す事になり、だからこそ――と、ジョーはオルガが手当てした“左手の傷”の事を忘れようと努めた。
 しかし脳裏には焼きついた不安は広がり続けた。

 リッカーとの戦闘の最中に受けた傷は一見すると小さな物である。振り回された長大な舌が僅かに掠めた程度のもので、気にしなければ忘れてしまう程小さく、普段であればまともな治療すらもしないレベルの代物。
 しかし現状に限っては別で、特に真相の一端を知っている形のジョーにとっては生死を左右する凶悪な呪いにも思えた。傷を受けた事で“感染”し、己も他の多くの市民と同じゾンビに成り果てるという未来が訪れる可能性に気づいてしまったからだ。
 バイオハザードと言うゲームに登場した人物は、皆、“ゲーム”だからこそ生存し、最後は生き残って未来を生きるというエンディングを迎えている。しかしこの世はゲームではなく“現実”だ。感染=ゾンビ化という方程式が存在している中、ただの一般市民でしかないジョーも他の多くと住民と同じような結末を辿る可能性は十分に考えられた。
 
 ベレッタを構えて再び歩みを開始するジョーの脳裏には、思わず吐きたくなるような様々な悪い考えが渦巻いた。
 心のどこかで自分だけはゾンビにならないと言う楽観がなかったか?
 楽観どころか考えもしなかったか?
 リッカーから傷を受けて初めて現実的に自分が死ぬ事に気づいたか?
 生きる為にはどうすればいいのか?
 どうすればいいのか?
 どうしたら助かるのか?
 どうしたら? どうしたら? どうしたら――――

「おい、ジョー? お前本当に大丈夫か? なんかさっきから顔色悪いぞ?」
「――っ?」

 渦を巻くように様々な思考が脳裏を走った。
 マックスの声に思考の海からガバリと顔を上げたジョーは「大丈夫だ」と、返した。
 
「だけど――」
「大丈夫だっつってんだろ」
「――っ?!」 

 引き止め気遣うマックスの放った言葉に対しての返答は、ジョーが想定していた以上に剣呑な雰囲気を秘めていた。その並々ならぬ怒気を秘めた声にシェリーはビクリと身を竦ませる程。

「――っ、悪い……」
「謝るよりも先に事情説明をしてくれない? はっきり言うけど、アンタの不調は私達全員のピンチに直結するんだから」

 謝罪の言葉を紡いだジョーにテリは尋問する様な視線を向けて言った。
 オルガもそんなテリに同調する様に、「さっきの怪物との戦闘で一体何があったの?」と明確に不調の理由を尋ねた。
 
「――――――」

 ジョーは一瞬、沈黙した。
 だがその様子が逆に“何かがあった――”という答えとなって全員に伝わり、遂に、「――判った」と、シェリーを含む一同の探るような目に耐え切れず口を開いた。

「アークレイ山地で起きた猟奇事件の事は知ってるか?」
「ん? えぇ、知っているけど――」
「なら話は早い。実はあの事件で既にゾンビが発生していたらしい。――と、言うよりあの事件が今起こっている騒ぎの全ての発端だ」
「――発端?」
「あぁ。調査に赴いたのは俺の働いてる銃砲店の顧客。個人の名前は伏せるが、警察の特殊部隊S.T.A.R.T.のメンバーだ。まぁ、俺もそのメンバーの一人から話半分で聞いただけで、実際の所を詳しく知ってるわけじゃあない。で、そいつからアンブレラ社がこの災害――ゾンビを産み出すウィルスを作ったって言う話を聞かされた」
「――はぁっ!?」

 ジョーの齎した情報に一同は絶句した。

「ちょっとちょっと冗談はやめてよ。その話だと、よりにもよってアンブレラが街をこんな風にしたって言うの? 陰謀論も甚だしいわ。普通に考えてみなさいよ。この街はアンブレラで潤ってる箱庭みたいな土地よ? それを自分から滅茶苦茶にするなんて――――」
「――そう思うなら、それでもいいさ」
「――え?」

 真っ先に反応したテリの常識的な解釈を、ジョーは否定も肯定もしなかった。
 代わりに、「重要なのはゾンビが“ウィルス”で作られたって言う部分さ」と、この一連の騒動の重要な論点を指し示した。

「人間がゾンビになるなんてありえないだろ? だが、現実にはそれが起こってる。そして俺は、ウィルス感染によって人間がゾンビになるっていう話を聞かされた――」
「感染って……まさか、お前!?」
「――――――」

 するとマックスが青ざめた。
 肯定するようにジョーは沈黙した。
 その瞬間、テリが、シェリーが、そしてジョーの傷を手当したオルガも気づいた。

「そんな――――」

 オルガは息を呑んだ。
 一同の視線がジョーの包帯の巻かれた左腕に向けられた。
 その視線に対して溜息で返すようにジョーは言う。

「実際に俺がゾンビになるウィルスに感染したかどうかは判らない。だけど可能性を考えたら――不安になった。とりあえず、なるべく怪我はするなよ?」

 ジョーの明かした胸中の不安は、一同を絶句させた。

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04 現実の恐ろしさを前に 後篇

 オルガ・ウォーレンの手記 その1

 時間の流れが不思議に思える不気味な数時間だ。
 そして気づけばもう夕方。空に夜の帳が訪れている。
 私達がジョーと合流してから教会に逃げこみ、長い舌のバケモノと遭遇したのがつい三時間程前。
 体感ではつい先ほどの出来事のように思えるけど……。

 私達は教会から脱出し、現在はジョーが働くという“ケンドの銃砲店”に向う途中。
 周囲にはゾンビやお化けの鴉といった怪物が群れを成して、私達生きた人間を虎視眈々と狙っている。
 シェリーが居るからこそ、私はまだ自分の足で立っていられる。
 だけどもし皆とまだ会ってなかったら今頃どうなっていただろう? そんな怖い想像がふとした拍子に頭を掠めて涙がこぼれそうになる。
 強がっているけどテリもマックスもきっと同じ。そんな私達を此処まで引っ張ってくれたのがジョー・ナガトと言う日系人の男の子だ。
 たぶん年頃は17歳ぐらいで、明らかに私よりも年下かな?
 それを言うとシェリーは私より5つも年下だけど――
 そんな彼のおかげで私達は此処まで生きてこられた。
 彼が最前線で武器を構え、戦ってくれたからこそ、私達はまだ何とか希望を捨てずにいられた。
 だけどそのジョーが少し前から変だ。
 正確には教会であの化物と戦った時から。
 確かにあの戦闘でジョーは傷を受けた。だけど骨が折れたわけでもないし、傷自体はそんなに大きなモノじゃない。でもあの傷の事をジョーはひどく気にしていた。
 だから理由を尋ねてみた。
 そうしたらはっきりと分かった。そして同時に、聞いた私は強く後悔する事になった。
 パパが市長という家柄の所為か、私もアンブレラの重役とはパーティーの席で幾度か話した事がある。だからアンブレラ社についてはそれなりに知っていたつもりだった。だけどジョーの言ったそれは私の予想を遥かに超える話だった。
 アンブレラの人達が実は裏で人間をゾンビに変える恐ろしいウィルスを製造していたなんて――実際にアンブレラ社の重役らと面識があった私にはその話が到底信じられなかった。
 だけどジョーの言ったそれには何処と無く頷けてしまう妙な信憑性があり、加えてジョーは自分もそんな恐ろしいウィルスに感染したかもしれないと言った。
 正直、なにかの悪い冗談だと思いたいけど、アレは恐らくだけど本音のように思えた。
 ジョーはニヒルに笑って「怪我をするなよ」と皆に忠告したけど、その声にどこか強がりがあるような印象を受けたから。
 
 今、私達は街からの脱出を目指して行動している。
 その中でジョーは相変わらず――と、いうより寧ろより最前線に立って私達の為に戦ってくれています。
 主よ、私の言葉が届きますでしょうか?
 もしも届くのでしたらお願いします。
 ジョーを、私達を、このラクーンシティの皆の命を御救い下さい。

 アーメン





 ガレキとバリケードと死体に埋もれた道を幾つも経て、一同はようやく見知った場所へとたどり着いた。

「――今後は鎖対策にプライヤーも持ち歩いたほうが良さそうだな」
「賛成。ついでにバールとチェーンソーもリストに加えてくれ」

 ジョーがぼやくと、マックスもそれに便乗するように溜息を吐いた。
 狭い路地の多くはゾンビの侵入を恐れた市民達によって、鎖や縄で扉ごと封鎖されている事が多かった。
 鍵を掛けただけの扉なら破壊すれば良い。しかし鎖等で開け閉めを物理的に封印された出入り口は流石に迂回するしかなく、その所為で目的地への移動には想像以上の時間が掛かった。

「ジョー!」
「っ!? ――――銃声?」

 この数時間ですっかり散弾銃の扱いになれたマックスがショットガンでゾンビを蹴散らした。
 それに重なるようにジョー達が放ったモノとは別の銃声が周囲に響いた。
 直後、向こう(・・・)もこちらの銃声を聞きつけ、ジョー達の歩く路地に面した建物の二階から顔を覗かせた。

「おい! ジョー・ナガトか!?」

 相手はジョーを知っている様子だった。
 二階の窓からチラリと見えた顔にデジャヴュを感じたが、ジョーは咄嗟に相手の名を思い出せなかった。

「誰だ!?」

 ジョーは反射的に声の主に尋ねた。
 すると件の建物から再び銃声が響き、ジョーの立つ路地に面した二階の窓から見知った顔がもう一度大きく顕になった。

「俺だ! ケビン・ライマン!」
「ケビンか!?」

 相手はケンドの銃砲店の顧客で、ラクーン警察に勤める不良警官のケビンだった。
 知り合いとの遭遇にジョーは思わず声を弾ませるが、連続して響くケビンの銃声を聞いて彼が戦闘の真っ只中にある事を察した。

「無事か!」
「まさか! 暇なら手を貸してくれ!」
「っ!? 判った!」
「――ねぇ、知り合いなの?」
「あぁ、R.P.D.きっての優秀な不良警官さ。行くぞ!」

 救援を求めるケビンの声を受けてジョーはテリの問いに短く返しながら、ケビン達の居る建物の入り口へと向った。
 しかし突入しようにも入り口の扉には内側から当て木の補強がされており、蹴り破ろうとするもジョーの体格では破壊できなかった。

「クソ!」

 扉を前でジョーは思わず歯噛みする。
 しかし直後、「どいてろ!」と、マックスがショットガンを構えてジョーを押しのけた。

「マックス?」
「任せろ……」

 日系人のジョーに比べてマックスの体躯はアメリカ人らしく大柄だ。そのマックスがジョーの変わりに扉の前に立った。
 マックスは扉にショットガンを二発打ち込み外から補強用の当て木に皹を入れると、手にした銃をテリに預けて、己は助走をつける為に扉の前から更に三歩程下がった。
 そして「ウォラァ――ッ!」と、扉に向って豪快な体当たりをかました。

「――すげェな」

 粉砕された扉を見てジョーは思わずといった感嘆の吐息を漏らした。
 するとマックスは得意げに言った。

「これでも大学時代はフットボール部だ。まぁ、ポジションはタイトエンドで――まぁ、レギュラーは取れなかったけど――――」
「いや、それでも凄いわよ!」
「えぇ」

 やり遂げた笑みを浮かべるマックスに向けて、女性陣も感心したような言葉を送った。
 だが一人。
 シェリーだけは“タイトエンド”の言葉自体に疑問を浮かべていたが――

「――とにかく、だ。これで先に進めるぞ。助けるんだろ、ジョー?」

 マックスは促すようにジョーに視線を送った。それを受けてジョーも短く頷いた。

「それじゃ迎えに行って来る。皆を頼む!」
「おう任せな!」

 ジョーはその場をマックスに任せて単身、建物内部に進入した。
 二階での銃撃の音は激しくなっていた。そうした騒音に呼応してか、室内で横たわっている無数の死体がゾンビとしてゆっくりと起き上がり始めた。

「寝てろ!」

 ジョーは階段を塞ぐ様に立ち上がったゾンビの膝を撃ち、再び床に転倒させた。そして頭を階段の段差に叩きつけるようにブーツで蹴り潰した。
 厚いブーツの靴底と段差の角に頭を挟まれ、ゾンビの首は梃子の原理でボキリと折られた。
 ジョーはその勢いのまま階段を駆け上がり、遂に二階に居るケビンの下にたどり着いた。
 するとそこにケビンの他、三名の生存者が居る事に気づいた。

「ケビン!」
「見ての通りだ! 援護してくれ!」

 ジョーは了承の変わりにベレッタを構え、ケビンらに迫るゾンビの群れの一体に向けて引き金を引いた。
 膝の皿を撃ち抜かれた先頭のゾンビが転倒し、後続群れもドミノの様に倒れる。
 ――その隙を狙ってゾンビの先頭集団に居る三体をケビンが的確にヘッドショットで射殺した。

「無事か!?」
「えぇ!」

 隙を突いてケビンの救助した3人の民間人がジョーの下に駆けた。
 その内一人は胸を押さえて顔に強い苦悶を浮かべ、別の一人に肩を支えられていた。

「怪我人がいるのか?」

 ジョーが問うと、3人の生存者の内、唯一の女性が困惑した様子で頷いた。彼女はJ's Barのウェイトレスの衣装に身を包み、胸に“シンディー”と言う名札をつけていた。

「えぇ。だけど怪我とは違うみたいだけど――」
 と、シンディーは怪訝な様子で言った。
 すると不調を抱える男の隣で、その肩を支えていた黒人の男性が鋭く言った。

「細かい事はいい。発作が起きたんだ。とにかく、出口まで援護してくれ!」
「マーク……」
「喋るな、ボブ!」
「判った。こっちだ!」

 恐らく同じ民間警備会社に勤めている同僚なのだろう。胸を押さえて苦しそうな白髪の初老ボブを支える恰幅の良い初老の黒人マーク。その2人を援護するように立つと同時、ジョーは二人に退路を顎で促した。
 
「すまん、シンディ。ボブを頼む」
「えぇ、判ったわ。無理しないで」

 マークはシンディーにボブを預け、自身は拳銃を取り出してケビンとジョーを援護する様に立ち上がった。
 ケビン、マーク、ジョーの3人でゾンビを牽制し、その間にシンディーがボブを支えながら階段を下りた。
 一階の廊下を抜けて一同が出入り口付近に辿りつくと、外に繋がる扉の前でマックスが懸命にショットガンを駆使して退路の確保に勤しんでいる様子が見えた。

「ジョー! 早くしろ!」
「判ってる、今行く!」

 ボブに迫ったゾンビを見た瞬間、ジョーは咄嗟にベレッタを連射した。
 肩、首、側頭部を撃ち抜かれたゾンビはそのまま倒れた。
 ――同時にジョーの持つベレッタの残弾が尽きた。

「ケビン、行くぞ!」
「OK!」

 ベレッタを仕舞と同時に代わりに虎の子のマグナムを構えながらジョーは叫んだ。
 ジョーは狭い室内から建物の外へと脱出したボブとシンディーに続き、足を引き摺るように歩くマークの肩を無理やり引っ張った。
 そして外に出た後、ケビンの脱出を援護する為に両手で構えたマグナムの引き金を引いた。
 追いすがるゾンビの群れから確実な距離をとったケビンは、その去り際に一発、廊下に備え付けられていた消火器を撃ち抜いた。
 建物の一階部分が消化剤の白い爆発に包まれたところで、全員が無事に脱出できた事をに安堵出来た。

「怪我は?」
「なんて事ねぇよ」

 ケビンはふぅとこれ見よがしな態度で銃口から立ち上る硝煙を吹き消した。

「――ねぇ、とりあえず此処から離れましょうよ。なんかヤバイ感じよ」
「ぁん?」

 残弾の尽きたベレッタのマガジンを最後のモノに交換した矢先、 テリが指差しで一同の視線を路地の奥へと向けさせた。
 この戦闘での騒ぎを聞きつけた無数のゾンビが、路地の奥から次々と手を伸ばしながら迫っていた。

「自己紹介は進みながらでも良いな?」
「あぁ!」

 マックスが促しケビンもそれに応じ、そして場に会す一同もその提案に賛成するように機敏に動いた。
 テリとシンディーが発作を起して胸を押さえるボブに肩を貸し、オルガとシェリーがマークの歩みを支える。そしてケビンとジョーとマックスは集団の外周を囲むような隊列でそれぞれ銃を構えた。





 生存と言う目的が一致する以上、合流した面々は互いに初対面であっても互いを信頼し連携した。
 しかし結果として一同に現実を叩きつける事になった。

「――ボブ! しっかりしろ! もう少しだ!」
「っ……うぅ――――」

 それは路地の向こうに他の生存者の声が聞えた時。後少しで警察の展開する地点に到着するといった頃に起こった。
 ジョー達と合流した生存者の一人、苦しげに胸を押さえていたボブが遂に膝をついたのだ。

「ボブ!」

 ボブと同じ民間警備会社の制服を纏ったマークは直ぐに叱咤する様にボブの肩を掴んだ。
 ジョー達はボブとマークとは知り合って数分の仲だ。だがそれでも、ボブが並々ならぬ深刻な状態である事は察しが付いた。

「お、おい! 大丈夫なのか!? ―――っ!? テリ?」
「………………」

 マックスはボブの様子を見るなり、思わずといった様子で言葉を掛ける。がしかしそのマックスの肩をテリが悲痛な表情で引き止めるように叩いた。
 周囲の空気は、まるで余命幾ばくも無い癌患者を看取るような雰囲気に変わった。

「ボブ……」

 シンディーが顔を伏せた。

「ほら、見せもんじゃねぇよ」

 と、ケビンがオルガとシェリーをさり気なくボブから遠ざけようと肩を引いた。
 しかしその行動が逆にオルガとシェリーにボブの最期を悟らせた事が皮肉であった。

「………………っ」

 ジョーは左手に受けた傷の痛みをかき消すように強く拳を握りこんだ。
 全員の視線がボブとマークに注がれる中、マークの必死な声とボブの力無い小さな声だけが響いた。

「ボブ!」
「ダメなんだ、マーク。もうこれ以上、足手纏いにはなりたくない……」
「何を言ってるんだ、立て! 立て、行くぞ!」
「違うんだ。奴らと同じなんだ……俺は、お前の肉を食いちぎりたいと思ってしまっている……」
「――ボブ」

 その時、ボブはマークの懐から拳銃を掠め取った。

「っ!? 何を――」
「すまん、マーク。もう俺の事は放っておいてくれ……」
「ダメだ、ボブ!」

 ボブは銃を取り上げようとするマークに向けて、一度だけ銃口を向けた。その顔からは涙がポロポロと溢れていた。

「ダメだ――――」

 マークは引き止める様に声を荒げた。
 が、それをかき消すように銃声が一発響いた。
 カラリと薬莢が地面に転がり落ち、そして程なく己を撃ち殺したボブの身体が屍として地面に崩れ落ちた。

「ボブ!」

 自決を選んだ友人の屍に縋りついたマークの慟哭がこだました。
 続くように小さくマークの嗚咽が響いた。
 しかし、
 
「――――行こう」

 ボブの死に悲痛な涙を流すマークの肩を、マックスとケビンが無理やり引っ張り上げた。
 それが余りに無粋極まりない行いだという自覚はそれぞれにあったが、背後に迫るゾンビの群から逃れ、生き残る為には必要な行いだった。故にマークも、マックスとケビンに感情をぶつけなかった。

「――――――」

 一同の歩みが再開した時。
 ジョーはふと振り返り、ボブの遺骸に視線を向けて足を止めた。

「ジョー?」
「っ?」
「どうしたの?」
「いや――――」

 立ち止まったジョーに気づいたシェリーが、疑問を浮かべた様子でジョーの袖を引いた。

「――なんでもない。行こう」

 シェリーの肩叩き、ジョーは殿として歩みを再開した。
 一同が路地を抜けて警察がバリケードを展開する大通りに着いたのは、それから間も無くの事であった。





 赤と青のパトランプを点けた大型の車両と、制服姿の警察官達。普段ならありがたみを感じる機会こそ少ないが、この時ばかりは彼ら警察の存在に強い安堵を感じる者は多かった。それは口にこそ出さなかったが、ジョーも同じである。

「――――生存者だ! こっちだ!」

 ケビンの案内を頼りにジョー達が路地を抜けると、その先には多数の警察官の姿があった。
 ジョー達の存在に気づいた警察職員は、路地を抜けてきた一同を援護するように、その背後に後に迫るゾンビの群に無数の銃口を向けた。またその中には警察以外の武器を持った民間人の姿も多くあった。
 その中で特にジョーが驚いたのは、最初の目的地として目指していた銃砲店の店主――ロバート・ケンドの姿もそこにあった事である。

「ジョー!?」
「店長!? なんで此処に――」
「お前を探してたんだ、馬鹿! 無事だったか!」
「あぁ!」

 警察に協力する市民の一人として参加していたロバートは、ジョーの姿を見つけるなり安堵した様子で怒りながら笑った。



チャプター1 終了


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05 死中に活を……

チャプター2


 掃討作戦指令書

 内容:中央通り及び下水道へのC4爆弾の設置、バリケードの敷設
 時間:本日午後6時
 作戦人員:20名
 補足1:基本的には人命救助を優先するが、対象が呼びかけに呼応しない場合は殺傷を目的とした発砲を許可する。
 補足2:爆薬敷設後は作戦区画から直ちに撤退し、本部からの指令を待て。





「――爆破20秒前!」
 
 血肉を求める無数の唸り声が、合唱、輪唱となって周囲一帯に響く中、警察の作戦によって大通りを抜けた先の広場には、数千体のゾンビがおびき寄せられた。
 その光景は正気であれば思わず発狂し理性を失う程におぞましきモノだったが、件の“作戦”に尽力する多くは、それらを前にしても決して使命を忘れなかった。

「カウント開始! 10、9、8、7――――」

 レシーバーを構えた警察職員が作戦開始の合図を取り、カウントダウンが始まると同時に最後の調整を終えた作業員達がパトカーで作ったバリケードの奥へと撤退した。

「っぅあ!?」

 その時、亡者を隔てていた檻の一角が崩れた。
 その光景を前に思わず、起爆スイッチを手にする職員の男が上擦った悲鳴を上げた。
 亡者の群れが白濁した目で朽ちた手を伸ばし、腐った吐息を吐きながら迫る中、強い嫌悪と恐怖に苛まれながらも、起爆装置を握る男は、決して手にした希望を落とさなかった。
 そして――

「――起爆!」

 男は震えながらも勇気を振り絞り、合図と共に己の役目を果した。

 ――そして地獄の釜が開かれた。

 巨大な焔が地面から吹き上がる同時、起爆地点から距離をとった多くの者がその身を焼かれるような強い熱量を感じた。
 広場に集められた亡者の群れは等しく焼き払われ、夜の帳が訪れたラクーンシティの空を明るく照し、無数のゾンビは天に還り、後には巨大なクレーターと紅蓮の炎と立ち上る巨大な黒煙が狼煙のように残った。
 それを眼にした警察官らは大きな勝鬨を上げた。
 
 それは後に悪夢として語られるラクーンシティーの惨劇の中で、唯一ラクーンシティー警察(R.P.D.)が悪夢に勝利した奇跡の瞬間であった。





 ジョー・ナガトの手記 その2
 
 そしてつい三十分ほど前だが、警察による大規模な反攻作戦が決行された。
 大通りを挟んで少し先の広場では鈍重な鉄のフェンスがいくも設置され、その人為的に作られた檻の中に警察と民兵の協力によって誘導された無数のゾンビの群れが詰め込まれた。
 それなりの距離からも呻き声の大合唱が聞こえてくる程の数だ。
 ちらりと確認したが、正直数えるのも馬鹿らしくなるほどの大群がそこには居た。
 はっきり言うがゾッとした。
 もしもフェンスが決壊すればそれこそ津波のような勢いで、奴らは生き残った生存者を嬉々として飲み込むだろう。
 こんな作戦を考える奴もそうだが、実行する奴も大概頭がおかしいと思った。
 ――が、ありがたい事に作戦は成功してくれた。
 署長はクソ中のクソだが、やはり現場の人間は尊敬出来る。ケビンの様な一部の素行不良も、この時ばかりは人命優先で最前線に立つ気概を持っている。親父も警察官だから多少贔屓は入っているが、恐らくこの事件がなかったら俺も警察官を目指したかもしれないな。――まぁ、それは良い。
 問題はこの後だ。
 この後、俺自身がこの街からどうやって生き残るか、だ。

 思えば、自宅から見知った大通りへと脱出するまでに壮絶な体験をした。
 たった一日で街を歩く難易度は急激に上がった。昨日に比べると雲泥の差だ。どんなクソゲーだ。
 こんな事なら昨日の内にさっさと街を出るべきだったと、今更ながらそれを強く後悔している。
 幸いと言えるのは、他の生存者と合流できた事くらいか。少しは俺も役に立っただろうか? マービンには悪いが、俺にはコレが精一杯。これ以上の事を期待されても正直困る……。
 まぁ、それは兎も角、つい先程俺達は何とか警察官らと合流する事に成功した。
 警察が封鎖するという警察署近辺の中央ブロックから見て、南側に位置するダウンタウン。そこに程近いフラワー通りの近辺では、ロバートを初めとする多くの顔見知りが独自に防衛網を展開していた。
 ありがたい事にロバート以外の知り合いも、皆、俺の事を探していてくれたらしい。その気持ちははっきり言って嬉しいし、こうして互いに無事が確認できて本当に良かったと思う。
 だけど正直、さっさと逃げろよ――とも思った。どいつもこいつも格好つけやがって。死んでも知らねぇぞ。

 また、その際に聞けた話によれば、どうやら皆、状況的に昨日スタジアムで行われたフットボールの試合が大まかな原因だと睨んでいる様子だ。曰く、スタジアムの観客席に暴徒が現れ、そしてその暴徒こそが感染者。その感染者から爆発的なゾンビ感染が広がった、との事。そして一夜明けてこの騒ぎとなった以上、明日にはもっと状況はひどくなるだろう、と――多くは思っているらしい。
 まったく俺もその通りだと思う。俺の持っている記憶――否、この場合は知識と呼んだ方が正しいソレの中にも、街に感染が広がった理由はおぼろげにしかない。しかし状況が今以上にひどくなり、最終的にラクーンシティーが核ミサイルで街ごと吹っ飛ぶ事だけは判る。滅菌処理と称して街ごと消すくらいなのだから、どう考えても状況が好転するとは思えない。
 こうして一先ずの安心に身を委ねてはいるが、いち早く脱出する目処を立てないとやばいのは確実だ。
 俺の知識の中でこの地獄から生還した人物に出会う事、もしくは彼らの使った脱出ルートにたどり着けるか、否か――。
 今後の問題はそれともう一つ。俺にTの抗体が在るか否かを確かめないといけない

 ――リッカーから受けた傷が微妙に痒い気がする。
 
 コレを何とかしない事には、脱出できない。
 否、するべきじゃないんだろうな。
 クソが……。





 “爆破作戦”の成功と共に現場からの撤収作業が始まった。それに伴いオルガ達生存者の多くは、警察のトラックに乗って一時的に警察署に避難する事になった。
 警察と消防は一度生存者を堅牢なラクーン警察署の中に集め、その後、陸路と空路の両面で市民を街の外にピストン輸送するというプランを立てた。

「――――脱出ルートは大きく分けて2つある。一つは市外に唯一繋がるハイウェイを車で行くルート。もう一つはヘリで脱出するかのルートだ。ヘリでの脱出を選ぶ場合は一端、陸路で市内を移動し、東西南北に走る路面電車の車両集積ターミナルに向かってもらう。そして4時間ごとに離着陸するヘリを待ってからの移動になるが――――」

 多くの生存者と一緒に警察職員からの説明を受けたジョーは、内心で「どちらも一長一短で容易にとは行かないな」と小さく溜息を吐いた。
 警察の提示したモノ以外のルートとなると、アークレイ山地を徒歩横断するか、もしくは市内を流れる二本の川を生身で下るかの二つしかなく、またジョーの知識の中にはアンブレラ社が秘密裏に作った地下研究所の脱出路線を行くというルートもあるが、それを選ぶのも中々に過酷な道。

(――ゾンビを避けながら長い陸路を地道に行くか、もしくは墜落しそうな(カプコン)ヘリに乗るかの二択。もしくは“山地横断ウルトラクイズ”か“川下り”の四択。それも嫌なら隠しルートの秘密基地潜入、か。――――命が幾つあっても足りる気がしねぇ。究極の選択過ぎる)

 警察という市民の味方との合流を果した生存者の多くは、説明された脱出の当てに強い希望を見出していた。それは当然、ジョーと決死の道中を共に生き延びてきたオルガ達も同じであった。
 オルガ達の安堵の顔を見て、ジョーはとてもではないが、彼ら彼女らの心をへし折るような台詞を吐く気にはなれなかった。
 ジョーに言わせれば目の前に提示されたモノは希望ではなく、差し詰め次の地獄への招待状。

(――どうする?)

 と、ジョーはひどく浮かない表情のまま、小さく自問した。
 脱出の当てもそうだが、それとは別に差し迫った別の不安があったからだ。
 つい先程、ジョー場ボブという一人の生存者の壮絶な最期を真近で見てしまった。
 あれこそが感染者の末路なのだとジョーは思い知らされていた。
 人間としての尊厳を保つならば自決、一択。いよいよともなれば、彼の様に覚悟を決めるしかない。
 現状はゲームの様に感染深度がどの程度かを把握する事もできず、またボブの言った様な『人を食いたい』という自覚症状もない。しかし現実問題としてジョーの腕にはリッカーから受けた傷が存在する。こればかりは無視できなかった。

 ジョーは撤収作業を尻目に、自宅から持ち出したミネラルウォーターを一口に含んだ。
 視界の先にはオルガ達の乗った警察のトラックの後姿があり、ふいにガラス越しに、ジョーを見つめるシェリーとオルガとの視線が交錯した。
 最後となるだろうと言葉を交わしたのが先程の事。
 ジョーは皆から一方的に取り付けられた“約束”の台詞を思い出す。

『――早く来い、先に行って待ってるからな?』

 警察のトラックに乗ったオルガが、テリが、シェリーが、マックスが、それぞれの言葉でそうジョーに言った。
 危険の中をジョーと共に歩いた面々は、最後まで全員の先頭を歩いたジョーの身を案じていた。それだけの信頼と恩を皆、感じていたからだ。
 しかしジョーの口からゾンビ感染の可能性とそれによる危険を説かれ、その上での残留の意思を受けて、安易にそれを引き止める事も出来なかった。
 ――――だからこそ皆、言葉少なく端的に言ったのだろう。

 『待つ』と告げられたジョーは思わず、「待たずに早く逃げろよ」と、苦笑を込めて返した。
 しかしテリは、「いよいよとなったら嫌でもそうするわよ」とふてぶてしく言い、マックスもこれ見よがしに使い方を覚えたショットガンを持ち上げて見せた。
 移動用のトラックにテリと一緒に乗り込む際に、マックスは真剣な眼で「信じてるぞ」とジョーの肩を叩いた。
 そして、

「――ジョー、コレ持って行って」

 シェリーは出発の間際に教会で調合したハーブペーストの小瓶をジョーに渡した。
 その際の伏せた顔が強く印象に焼きついた。
 またシェリーと同じトラックに乗ったオルガも去り際に一言「ありがとう」と告げ、そしてシェリーと同じく、ジョーの手を取り「待ってるから――」と教会で作ったハーブペーストの小瓶を渡した。

「オルガ」

 ジョーはふとこの後、オルガが本性を顕にした警察署長に狙われる事を思い出した。脳裏に蘇った磨耗しきったバイオ記憶という根も葉もない情報だが、それを知りつつ何もせずにいるというのは後味が悪いと思った。
 故にジョーは最後のマガジンを装填した愛用のベレッタを、去り行くオルガに手渡した。

「持ってけ、護身用だ」
「え?」
「ハーブペーストの礼だ。丸腰でいるには、ずっとマシだろ?」


 周囲に多数の警察官と生存者が居る中では、流石に直接の手出しはできない筈。そうは思いつつも万が一に備えて、ジョーはオルガが死なぬようにとその生存率を上げる為の布石を打った。
 困惑するオルガの手を取りジョーは簡単にベレッタの使い方を説明した。

「これがハンマー。で、こっちの横の摘みが安全装置だ。撃つ時は安全装置の摘みをはずしてから、音がするまで目一杯スライドを引く。そしてハンマーが倒れたら、狙いをつけて引き金を引く。簡単だろう? オートマチックだから一発撃ったらそのまま連射できるが、残り7発しかないからな。本当にピンチの時にだけ使ってくれ」
「――――あ、ありがとう」
「まぁ、警察署に行けばベレッタのマガジンの予備くらい探せばあるだろう。もしも警察署でマービンって言う黒人の制服警官に出会ったら、迷わず頼れ。きっと力になってくれるだろうよ。じゃ、元気で。――生きろよ」
「ジョー!」

 トラックの荷台の扉を閉め、ジョーは軽く手を上げた。

 



「――――どうした? お前は警察署には行かないのか?」 
「あぁ」
「なんでまた?」

 去っていくトラックから、オルガの「――待ってるから!」という慟哭が聞こえた様な気がした。
 それから程なく、撤収作業が終わり未だに現場に残っているジョーに気づいたロバートが尋ねた。
 ジョーは無言で手当てした左腕の傷をロバートに見せて言った。
 
「――バリーの言った事、覚えてるだろ? 話が本当なら、俺も――まぁ、そう言うことさ」
「っ!?」

 ジョーの言わんとする事を察し、ロバートは悔しそうに顔をしかめた。

「本当にどうしようもないのか?」
「さぁ、こればっかりは――ー―」
「バカヤロウ! もっと真剣に考えろ! 何か手があるはずだ!」

 ロバートは思わずジョーの胸倉を掴んで叫んだ。
 普段声を荒げるのも珍しい男がだ。そんなロバートにジョーはされるままに葎を掴まれたが、その際に逆に何とか出来るなら教えて欲しいと無性に腹が立ち、遂に舌打ち交じりで逆に問うた。

「じゃあ、俺にどうしろって言うんだよ? 大体、店長はなんで残ってるんだ? 早く逃げないとやばいのは一緒だろうが!」
「――っ 俺は良いんだよ……」
「――――はぁ?」

 ふいにロバートは腕に篭る力が緩んだ。
 その様子に思わずジョーも困惑した。
 ロバートはその場に残る同じ民間の生存者達の姿をチラリと一瞥し、

「――持病があるんだよ。脱出した所でその先があるとは思えない。此処に残ってる連中の大半がそうさ。俺達は脱出よりも救援を待つ事にしてる」
「おい、聞いてないぞ。そんな話――」
「まぁ、秘密にしてたからさ。おい、とりあえず場所を移すぞ」

 ロバートは言い難そうに肩を落とすと、カラリと糖分補給用の飴を口に含んで言った。

 ラクーンシティーの中心にある警察署。その南側は通称ダウンタウンと呼ばれている。その区画に位置するフラワー通りの少し先に、ケンドの銃砲店は存在した。
 ゾンビパニックの発生によって街のあちこちで人々がゾンビに食われ、同時に多くがゾンビと化した。だがフラワー通り近辺は警察署の防衛能力とロバート・ケンドを初めとする多くの市民の抵抗によって、街の中でも随一の安全が確保されていた。ケンドの銃砲店の近辺にある商業設備には、少なくない明かりが灯っており、この地獄の中でもまだ営みがある。
 しかしその明かりの下にいる者達の精神は殺伐としており、皆、銃を手に、息を潜め、祈りながら救済される日を待っていた。

「――少し見ない間に随分とこざっぱりしたな?」

 ケンドの銃砲店のすっかり変わり果てた様を見て、ジョーは思わず吐息を漏らした。
 普段は所狭しと銃が飾られている店内には現在、殆ど武器と呼べる代物が無く、もはや何を売りにしていた店なのか皆目見当もつかないくらいだ。

「必要としてる連中に配ってたら、あっという間にこうなったんだよ」

 と、ロバートは溜息混じりに言った。

「稼げただろ?」
「まさか。この状況で金に意味があると思うか?」
「違いない――」

 ゾンビパニックが発生して直ぐにロバートは無償で市民に武器を配っていた。もとよりそうした要所要所での心根が好かれて、ロバートは多くの信頼できる友人を持つ男である。
 ジョーとロバートはゾンビ対策にと店のシャッターを閉め、窓や出入り口の全てに厳重に鍵を掛けて篭城すると、生活空間として使っている二階リビングの椅子に腰を下して同時に盛大な安堵の吐息を吐いた。

「――腹減ったな。何か食うか?」
「あぁ」
 
 一服の後、二人は簡易キッチンで買い置きのパスタを大量に茹でた。そして缶詰の豆とミートソースで味をつけて、大皿に盛って二人で均等にそれを分けて食べた。
 外はすっかりと地獄に変わり果てたが、この瞬間の営みはジョーにとって当たり前の日常を想起させた。
 その久しぶりに感じた安堵に、ジョーはふと泣きたい気持ちが抑えられなくなった。
 しかし気丈にも涙は堪えた。
 
 その様子を見ないようにと気を利かせてか、ロバートは天井を見上げながら唐突に尋ねた。

「――なぁ、ジョー。お前、本当にバリーの言ってやがったゾンビ菌に感染したのか?」
「さぁ、わからねぇ。俺もまだ半信半疑なんだ。だけど噛まれたり、引っかかれたりした奴がそうなるんだろ? 舌に抉られて負った傷でそうじゃないって言えるか?」
「舌に抉られた? おいおいそんなゾンビもいるのかよ……」
「ゾンビじゃねぇよ。やたらと舌の長い気持ち悪いバケモノさ」
「そんな奴が――?」
「――あぁ」

 食事の後、ジョーは自宅を出てから遭遇した苦難を吐露するように、事の顛末をロバートに説明した。
 生存者に会い、教会に逃げ、リッカーと戦い、ゾンビと戦い、生存者を見つけ、そして一人の人間の自決を見た。
 
「――よく頑張ったな!」

 顔を伏せて話すジョーの説明を聞くと、ロバートは身を乗り出してジョーの肩を叩いた。
 その言葉に堪えていた涙が溢れそうになったが、ジョーは腕で強引に拭い、「慰めはいらねぇ。失敗してるから残ってるんだぜ、俺は?」と、皮肉った。
 だがロバートは「それとコレとは別だ。お前は良くやったんだ! それは俺が認めてやる!」と、強引に今度は背中を叩いた。

「よしてくれ――」

 ジョーは照れくささと不意にこぼれそうになった涙を見せまいと顔を背けた。

「――ところで、店長はどうなんだ? さっき持病がどうだとか言っていたけど、脱出が出来ないって程じゃあないんだろう?」

 ジョーは無理やり話題を変え、同時にオルガの作ったハーブペーストを瓶から爪の先程取り出しペロリとそれを舐めた。
 強烈な苦味と辛味が舌の上で爆発し、そして強い風味が鼻を貫いた。ウィルス感染に少しでも対抗したいと思っての行動だったが、やった後に少し後悔した。
 想像以上のハーブの不味さにジョーの表情は思わす苦悶に歪んだ。

「実は――」

 ロバートは腰に巻いたポーチからペンの様な針のついた器具と薬を取りだした。ジョーがそれをインスリンの注射器であると気づくまでに、それ程多くの時間は必要としなかった。

「インスリンって事は――」
「まぁ、な。新しいの取りに行こうにもこの騒ぎだ。主治医もどこかに逃げてるはずさ。それに何処の病院も飽和状態で機能を停止してるらしい。――仮に俺が上手く脱出をしても、この先インスリンが尽きれば死ぬだろうな」
「そんな――」

 ロバートの諦観の混じった言葉にジョーは絶句した。
 しかしそれを尻目にロバートは飄々と「ハリケーンの被災地に水を送るのだって容易な事じゃない。ましてや薬だぜ? 脱出してからその先も上手くいくとは思えねェ。だったら此処で一人でも多くを逃がしてやろうと思ってな。だから、そういう意味でも俺は武器を配ったんだよ」と、言った。

「――死ぬ気なのか? 此処で?」 
「まさか。でもまぁ、俺よりも若くて生き残る可能性が在りそうな奴に優先権を譲ってやりたいと思ったのは本当さ」
「店長――」
 
 ロバートの言葉が、ジョーにはとてつもない強がりのように聞えた。

「まぁ、とりあえず、お前も疲れているだろう? この部屋は貸してやるから今日はゆっくり休め」

 その後、どちらとも無く会話が途絶え、ロバートは食器を片付けてから店舗のある一階へと降りて行った。
 部屋に一人残されたジョーの耳に、彼方から聞える犬の遠吠えと、無数の亡者の呻き声が聞えた。





 息を押し殺して夜を過ごす多くの生存者と同じように、その日、ジョーも膝を抱えて壁を背に身体を休めた。
 しかし心には筆舌にし難いもどかしさと、強い無力感、そして憤りにも似た感情が芽生えて、中々寝付けなかった。

「――――本当にどうしようもねェのかな」

 薄明かりの中でジョーは自問した。死を覚悟して受け入れると言えば聞こえが良いが、自決したボブや持病のあるロバートとは違い、ジョーには避けられない死が目の前にあるとは言い難い。まだ“可能性”の段階なのだ。

(意識はハッキリしている。飯を食ってを空腹は満たされた。“かゆうま”にはまだ程遠い、俺はまだゾンビじゃない。まだゾンビじゃないだろうが!)
 
 本当に感染を治す方法が無いのかと、ロバートを初めオルガ達にも幾度と無く質問をされた。それと同じ問いを再びジョーは己に問うた。
 そしてウィルス感染を治す方法について考えた時、やはり唯一可能性がありそうなモノに、己の中に蘇った“バイオ”の記憶であると気づいた。
 記憶の中でかのビデオゲームを遊んだのはもう数十年前になる。加えてそんな遠く彼方にある磨耗しきった記憶には多数の虫食いがあった。その上で適切な記憶を搾り出すのは容易でなく、しかしそれ以外に希望は無く――。
 ジョーはふと身を起し、学校で習ったブレインストーミングの要領で、持っていた手記に関連しそうなワードを乱雑に羅列し始めた。

「――バイオ1で登場した“かゆうま日記”。その著者は、数日掛けて狂っていった。正式には“かゆい、うま”。それ程に意識が混濁したのなら、もう諦めるさ。だが、俺はまだ正気だ。何かあるはずだ、何か――――」

 現在の状況は時系列的にバイオ2だと推測できる。しかし舞台となる正式な日時は判らない。だが恐らくケンドの銃砲店にレオンとクレアの主人公達は訪れる。その事は覚えていたが、問題はそこではない――と、様々な方向に思考が飛び跳ねる中、ジョーは懸命に記憶を手繰った。
 そしてふと、シリーズ上の次作『バイオハザード3』も現在と同じ時間軸を描いていると思い出した。
 バイオ2が警察署内部の出来事ならば、バイオ3はラクーンシティーそのものが舞台。そして同時に、バイオ3のシナリオの中で、主人公のジル・バレンタインが、追跡者ネメシスとの戦闘で傷を負い昏睡した描写を思い出した。

「っ!? そうか――。で、その後に病院に行ったのか。それでワクチンを作って治療したんだとしたら、その後は――――」

 治療薬が病院にあるかもしれない。しかしこのバイオと似た世界にも、ゲームと同じく治療薬が存在しているかは不明である。
 ――――が、それでもジョーは一つの希望を見出す事が出来た。

「――問題は何処の病院にあるか、だな」

 バイオ3のジルの足跡を辿るように、ジョーは記憶にあるバイオ3のシナリオをOPから順に覚えている範囲で脳裏に描いた。
 まずジルはアパートから脱出した。次にジルはゾンビを太ももで挟んで撃退した。その後警察署でブラッドが死ぬと同時にネメシスと戦闘になった。警察署の中で――その後、銅像の裏でなぜかバッテリーが見つかる記憶が、ジョーの脳裏を過ぎった。

「――っ!」

 やはり記憶には大きく虫食いがあり、途切れ途切れでしか覚えていない事柄が余りにも多かった。
 バイオ3のギミックで特に特徴的な銅像の裏にあったバッテリーの存在に、ジョーはほか多くの記憶が塗りつぶされていくのを感じた。

「――あれはどこだ。どの銅像だ?」

 銅像。そのワードから、不意に“市庁舎”とその扉に付いた菱形のカラフルな石の存在を思い出した。
 カラフルな石のついた扉ついては、この世界のラクーンシティで生きるジョーにも見覚えがあった。
 それは間違いなく市庁舎の扉であった。
 そして同時に、ジョーは銅像も市庁舎に飾られたモノだと確信した上で、その近辺にあるモノでと枝葉を広げていくと、

「その後で路面電車か!」

 と、バイオ3の劇中でジルが路面電車を動かした事を思い出した。
 路面電車に乗ってジルは何処かへと向かった。しかしジョーに把握できたのはそこまでだった。ラクーンシティーには市民の足として地下鉄と路線バスの他、街の東西南北を路面電車が走っており、その所為もあってバイオ3の劇中でジルが動かした路面電車が、どの路線を走っていた車両かまでは流石に把握できなかったからだ。

「――――クソッ!」
 
 バイオ3のジルが何処でネメシスと戦闘したのか――
 そして何処の病院の設備からワクチンを手に入れたのか――
 一番重要な部分が如何しても思い出せない事に苛立ちを覚えてジョーは思わず拳を握りテーブルを叩いた。

「――――分からないなら、探すしかない、か」

 幾ばくかの沈黙の末、ジョーはふとそう吐露した。
 ボブは最期まで人であろうとした。ロバートは死を悟りながら救いに奔走した。道中を駆けた多くの仲間がジョーの無事を祈った。
 ならば己も、最期まで抵抗してやろうと腹を決めるしかない。
 ――――死にたくないと願うならば尚更だ。

 手がかりは市庁舎の扉。まずはそこへ行き、そして最寄の路面電車の線路を探す。その周辺でバイオ3のジルの足跡を追う事が現時点で可能な最善の抵抗だと思ったジョーは遂に立ち上がった。

「――――ん? どうした。寝ないのか?」
「あぁ」

 店の地下には武器保管庫の小さな作業場がある。その部屋の明かりはまだ点いており、ロバートが作業場で犠牲者から拾い集めた様々な規格の銃弾を分解し、残った武器の口径に合うように銃弾を作り変えていた。
 そこへ現れたジョーは、意を決した様子で端的に言った。

「悪い、ちょっと出かけてくる」
「――なに?」

 ジョーは地下保管庫に残った数少ない武器に眼をやり早速使えそうな火器の選定を始めた。
 しかしそんなジョーの様子と唐突な提案を見て、当然ロバートも真剣な形相で睨み事情を尋ねた。

「おい、何をする気だ?」
「時間が足りない。いくつか武器を持ち出したいんだが、いいか?」
「――おい、答えろ! 何を、する気だ!?」
「………………」

 ロバートの真剣な形相を受け、ジョーは幾ばくかの沈黙を置いてから再び端的に言った。

「治療の当てを思いついた。もしかすれば、これで上手く行くかもしれない」
「なに?」

 ロバートは怪訝な表情で首をかしげた。

「治療の当てって、そんなモノが――――」
「もしかしたら、さ。悪いが本当に時間が無い。すまん! 生きる為に必要だと思ってやる事なんだ! 何も言わずに力を貸してくれ!」
「………………」

 伊達や酔狂とは違うジョーの真剣な世数に、ロバートは思わず苦悩するように眉間を押さえた。





 報告書 9月26日
 
 本日午前10時頃、署内に逃げ込んだ42歳男性(飲食店経営)が、同月24日盗難にあった市庁舎の宝石のひとつを所持しているのが死体検査で判明した。
 尚、男性は逃げ込んできた数十分後にゾンビ化した為、射殺。
 本件は箝口令が敷かれている為調査を保留とするが、証拠品である宝石はしばらく署内で保管する事とした。

 報告者 マービン・ブラナー

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06 壷毒の巣窟へ 前篇

 あちこちで亡者の呻き声と無数の足音がした。
 その中には骨を砕き肉を噛み締め血を啜る音もある。
 音が鳴り止む気配を見せず、また悪夢は今も尚更なる広がりを続けている。
 その中を一人の青年がひたすらに前進し続けた。
 青年――ジョー・ナガトは、「今なら光に集まる蛾の気持ちが良く判る」と、暗い夜道を転々と照らす街灯の一つにたどり着き、そう自嘲気味な吐息を小さく吐き出した。
 希望を探して銃砲店を出発したジョーにとって幸いだったのは、街の送電設備がまだ(・・)生きている事だった。夜の闇を払いきるには余りに小さな灯りだが、光の零れる場所に辿り着く度に、内から安堵の吐息が漏れるのを感じた。特にコレまでの間に、幾つも憂鬱な光景を目の当たりにした為、明かりが齎す安心感にはひどく救われた思いがした。

「―――――っ?」

 ふと、ジョーの視線の先でゾンビ同士が共食いを始めた。
 損壊が激しく自力で動けない同胞を間引くような、リンチにも似た捕食の様子を見せつけられる形になったジョーは思わず顔をしかめた。
 雑食で共食いを厭わない光景を見て、不意に“ザリガニ”という生き物の生態を思い出す。
 
「――ザリガニの方が遥かにマシだな」

 恐らく奴らはそうまで(・・・・)しないと己の身体を維持できないのだろう。
 ジョーはゾンビの生態をについて内心でそう結論を出した。
 共食いのおかげでやり過ごせる隙が出来たがとてもそれを喜ぶ気にはなれなず、またアレ(・・)が元は人間だったと決して思いたくなかった。ましてや、自分もその中に参加するなど真っ平だと、ジョーは強い忌避をかみ殺す様に街灯の下で力強く葉を広げたハーブの鉢植えから葉の数枚を乱雑に千切り取り、それを噛みタバコのように歯で噛み潰した。

(不ッ味――)

 強烈なハッカのフレーバーと辛さ苦さという不愉快さが舌の上で爆発した。
 日本人であった頃の記憶が、『良薬、口に苦し』という言葉を思い起こさせた。
 だが同時に、その不味さが、体内に入り込んだTウィルスを抑制するという三食ハーブの意外な設定(・・)を強く肯定してくれたように思えた。

「――まぁ、“気付け”には丁度良いか」

 ジョーの再び気合を入れなおして歩みを再開した。





 得物の先に取り付けたフラッシュライトで闇を照らしながらの単独行軍。
 その目的地として目指した市庁舎の扉の前に辿り着いたジョーは、その特徴的な扉の飾り石が、ゲームと同じ様に二つ程欠けている事を知り、まだ“希望”はあるという風に強く確信した。

「――問題は、此処からだ」

 次第に熱っぽさが増してくる身体を叱咤しながら、ジョーは恐怖を押し殺すように無理やりに笑みを浮かべた。

「っ!?」

 ゲーム『バイオハザード3』における主人公ジル・バレンタインの足跡を探る為に市庁舎の周囲を注意深く探ったジョーは、その途中の路地で大柄な体躯のゾンビが小柄なゾンビを捕食している場面に遭遇した。
 呻き声を上げながらゆらりと振り向く巨躯のゾンビに対し、ジョーは無言で散弾銃モスバーグM500を向けた。それは銃身の先にロバートの改造によって銃剣とフラッシュライトの両方が取り付けられている代物。希望を探しに行く――というジョーの意思を汲み取り、それに答えたロバートが見事に用意してのけた得物である。
 そんな特製のショットガンを構えたジョーは、まず緩慢な動きで手を伸ばし迫る巨躯のゾンビの太腿を銃剣で刺して前進を止め、その上で流れる様に薬室にショットシェルを送り込み、引き金を引いた。
 銃声と共に巨躯のゾンビの膝から下が千切れ飛んだ瞬間。
 ジョーの脳裏にふと、出発の際に交わしたロバートとの会話が過ぎった。

『フルオートのショットガンって奴が80年代頃に米軍で少し話題に上がったんだ。だがそれっきりで、結局使い物にならないって軍は判断したそうだ。実は俺もその内の一人でな。だがこんな事態になるって予想できたのなら、仕入れとけばよかったぜ』
あの(・・)クソ重くて、射程も無くて、装弾数も少ないっていう噂のアレか? まぁ、アレは兎も角、この事件が終息する頃には何処の国も真面目にフルオートショットガンってのを考えるだろうぜ? 仕入れるならその時のほうが良いと思うが――』
『ま、その時まで御互いに生きてりゃあ、な』
『――――生きてるさ。必ず生きてやる。店長もだ。インスリンも見つけてやるから、絶対に死ぬなんて言うなよ?』
『わかってるさ。それとついでだ。俺からも一つ、生きる為の知恵って奴を授けてやる』
『知恵?』
『俺たち小柄な日系人が身体のデカいアメリカ人と喧嘩して勝つ方法さ――』

 アメリカの銃は貫通力よりも大口径と低弾速による高い停止能力が求められる事が多い。その理由は様々あるが、思うに肥満が社会問題になるほどの国であるが故。巨躯のアメリカンは時に放たれた銃弾すらもその筋肉と脂肪で阻む事があると、ジョーは不意にそんなロバートと交わした雑談の一つを思い出した。

「――喧嘩にしろ何にしろ。デカイ奴はまず膝を狙え、だったな」

 ジョーはロバートの教えを活かして、まずは巨躯のゾンビの右膝から下をショットガンで吹き飛ばす事で行動力を簒奪した。すると自重を支えきれずに巨躯のゾンビは崩れるように地面に倒れた。
 また同時に捕食されていた方の小柄なゾンビの頭部も、放たれ拡散したショットシェルに巻き込まれる形で欠ける様に吹き飛ばされた。
 ジョーは倒れた巨躯のゾンビの襟足にナイフを突き下し、更に差し込んだナイフの柄をブーツの靴底で踏みつける事で入念に止めを刺す。
 そしてホッと一息吐いた。
 しかし安堵するよりも先に済ませることがあると、直ぐに休息を打ち切りその場から移動を開始した。
 銃声によって周囲にゾンビが集まるよりも早くに路地を抜けると、その先に路面電車の停留所が見えた。

「――此処か」

 ジョーの思い出したキーワードの中に“路面電車”の存在があり、そしてそのキーワードの更に先にあるモノこそが、ジョーが探し求めるウィルス感染を抑制するワクチンの手掛かりだ。
 しかし辿り着いた停留所には路面電車の姿は無く、代わりに存在するのは食い荒らされて損壊した無数の死体のみ。電車自体はどこかの路面で緊急停止しているのかもしれないが、バイオ3の劇中での描写にも、路上に緊急停止した車両を無理やり動かしていたという記憶しかない。
 重要なのはそこから先の記憶である。そこから先の記憶こそが、ジョーの求める希望である。
 ケンドの銃砲店を出発して無数のゾンビを時に排除、時にやり過ごしてようやく一つの手掛かりに辿り着いたジョーは、ふとフラッシュライト灯りを頼りに停留所の路面図を見た。
 図に描かれた路線図によるとやはりジョーの予想通りで、列車は市の東西南北を縦横に走っていた。
 
「――どれだ?」

 ゲームの中のジルは路面電車を動かしてそれに乗ったのは確実だが、それがどの路線のどの車両かまでは流石に判らない、
 路線図に書かれた各停留所の名称は、この『市庁舎前』の他、『ラクーン大学前』や『動物園前』とある。元のネタのゲームという視点で考察すると、どれも怪しく見える名前ばかりだ。

「っ!?」

 と、その時ジョーの耳が上空を飛ぶヘリのローター音を捕らえた。
 顔を上げて思わず上空を睨むと、かなり高度を上げて飛んでいる一機のヘリの姿が見えた。
 ジョーは視線は自然とそのヘリの行く先へと誘導された。

 ――その先に、紅蓮に燃える街の夜景と、巨大な時計台(・・・)を見た。

(セント)ミカエル時計台?」

 ヘリと時計塔。その二つの要素が合わさりジョーの中に秘められたゲーム時代の記憶が呼び起こされた。

 バイオ3の中でジルはかの時計台で救助のヘリを呼んだ。だがそこで物語りの幕は下りず、その直後に追跡者ネメシスとの戦闘になった。そして高濃度のTウィルスに感染した。その時にジルと同行していた一人の傭兵が、その治療の為にワクチンを探して、単身で“病院”に赴く。そして目覚めたジルと共に街からの脱出を再開するのだ。

「っ!?」

 ジョーは遂に思い出した。そしてゲームの展開から推察してワクチンのある病院《希望》の正体についに辿り着いた。
 街全体を見ても時計台から最も近い位置にある病院と言えば一つしかない。
 即ち、“ラクーン総合病院”である。
 ジョーは捜し求めた答えにたどり着き、思わず笑みを浮かべた。





 ラクーン総合病院 医院長の手記

 今日もまた発病者が運ばれてきた。まだ症状は軽いようだが、恐らくは――
 幾日も睡眠をとっていないが、辛いとは口が裂けても言う気にはなれない。患者が恐ろしい怪物になるのをこれ以上見過ごす訳にはいかないからだ。
 私は傍観者ではない。人を治す医者なのだ。
 ――だが、そうは言い聞かせていても、そろそろ自分の限界が近い事が判ってしまうのは皮肉だ。

 私が倒れても、私の残したカルテがきっと役に立つ筈。そう信じたい。
 この病気の核心が必ず見つかると。
  私には、力も時間も足りなかった。
  
 職員や医師 の大半を発病した患者との戦いで失い、この病院を 維持することは すでに不可能だ。

 私にはちから 足りなか た。
  ウィルスに 原因あるとわかってから 対処が後手 なって し ま た。

 そ ろそれ辛い わたしの意しき も もたな い


  か るて み る

 たの 

    む  


 《血で汚れていて読めない》





 病院という単語から連想される候補には、実はもう一つある。ジョーが子供の頃に通ったアークレイ山地近郊に立てられた病院である。
 だが件の病院はもう五年も前に閉鎖されている上、病人(ジル)を単独で放置して、わざわざ時計台から遠い場所にある病院で薬を探すという非効率なマネをするとも思えない。
 そうした現実的な思考を下に、ジョーは名前をド忘れてしたバイオ3に登場する傭兵の判断を信じて、紅蓮の先に見える聖ミカエル時計台とその先にあるラクーン総合病院を目指した。
 しかし希望が見えたと同時に、ジョーの脳裏にはこの状況では決して思い出したくもない屈強なB.O.W.(生物兵器)の存在が過ぎった。
 そしてまたそれを証明するかのようにラクーン総合病院の近辺には不気味な静寂が広がっていた。

「なんだ、こりゃ――」

 ラクーン総合病院の建物を目の当たりにして最初に気づいた異常はゾンビの少なさであった。市庁舎前の停留所からコレまでの道中には大量のゾンビがいた。だがその存在を表す呻き声が、不思議と病院の方からは聞えては来なかった。それが最初に感じた第一の不穏。 
 そして次に感じたのは周囲に散乱する大きく損壊した死骸であった。まるで尋常な剛力を駆使して無理やりねじり切って破壊された様な、奇怪なゾンビの成れの果てが幾つも道中に転がっていた。
 そうした二つの不穏な様子から、ジョーの脳裏には“とある怪物”の存在が過ぎった。
 一説によると“皮を剥いだゴリラ”、もしくは“屈強なカエル”と称された狩人(ハンター)と呼ばれる存在だ。

「――――っ」

 ジョーは自然とショットガンを構え直した。同時にケンドの銃砲店から持ち出した3種のサイドアームの位置を再確認した。
 オルガに託した愛用のベレッタと同じモデルの92Fを右足に、父からの遺品となった44マグナムは左足に、そしてロバート・ケンドのとっておきである単発式ピストル型グレネードランチャー。通称モスカート・ブルーバーを腰に――。
 そうした三種それぞれの位置と装弾数を確認した後、ジョーは防弾チョッキと手を覆うグローブの具合を確かめ、遂に病院の内部へと足を踏み入れた。
 予備電源が生きているのか、院内は妙に明るかった。しかしその反面、不気味な程の静寂が満ちている。
 響くのは砕かれたガラス片を砕くようにサナトリウムの床を歩く、ジョーのコツコツとした足音のみ。

「一体、何があったんだ。此処は――」

 ジョーは囁くように院内の異常に対してそう感想を吐露した。
 院内に転がる死体も外と同様に異様だ。首をねじ切られた死体が幾つも転がり、しかしその反面、床や壁に飛び散った血痕が異常なほど少ない。良く見れば死体の多くがミイラの様に干からびて(・・・・・)いる。
 院内の案内を確認して、一階の待合を抜けてナースステーションへ、更にその奥にある院長室へと、ジョーは足を進めた。
 院長室の机には壮年の白衣を纏った医師の死体が転がっていた。良く見ればその死体のこめかみには小さな銃創があった。
 恐らく自決したのだろう――と、ジョーは結論を出すが、しかしその死体もよく見れば奇妙である。
 ――――その死体にも血が無いのだ。

「――――――」

 ふとジョーは院長室の奥にあるエレベータに視線を向けた。
 確認すると電源は生きている様子だが、起動するには音声入力式のロックを解除する必要があった。
 表記を見るに、エレベータは四階、そして地下三階へと通じている。
 その事実にジョーはふと首をかしげた。

「構造的に四階は屋上か。なら、地下三階は――」

 入り口付近にあった案内板には、病院の地下施設に関する表記は無かった。
 そしてこの局面で役に立つであろうバイオの記憶にしても、流石に病院内の細かな間取りとワクチンの位置までは思い出せない。

「まぁ、メタ的に考えれば、重要なアイテムは大抵が地下深くって所か――」

 この世界の事をジョーだけがバイオハザードであると知っている。それ故の御約束とも呼べる暴論から導き出した推測だ。
 しかし他に頼る情報もない為、ジョーは目的地を自然と地下に決めた。

 ――――その時にジョーはふと背後に気配を感じた。
 
 静寂に包まれた院内に蛇の威嚇ような独特な呼吸音(・・・)が響いたのだ。

「――っ!?」

 鼓膜を叩いた音の正体を確かめるよりも早く、ジョーは振り返りショットガンを構えた。
 そこには全身の皮を剥がされた醜悪な赤い獣がいた。
 それはゲームの中で、ハンターと呼ばれていた怪物であった。
 砕かれた廊下の窓から侵入してナースステーションを飛び越えて疾駆するハンターは、不測の事態に備えてあえて開け放っていた院長室の扉を外から潜って部屋の内部に侵入。尋常でない脚力を持って一目散にジョーへと迫る。

「――――っ!?」

 目が合ったのは一瞬。だがその刹那の時間が命運を分けた。
 ジョーは声にならない悲鳴を上げ、殆ど反射的にショットガンの引き金を引いた。
 それが偶然、奇襲に対してのカウンターとなり、扇状に飛び散ったショットシェルが飛び掛ろうとしたハンターを飛び掛った空中で迎撃。その巨躯を後ろに大きく吹き飛ばす事に成功した。
 至近距離での銃撃はハンターの胸の肉を大きく剥がしていた。
 その肉片の一部が天井、壁、床と言った部屋の四方に飛び散り、濃密な血の臭いが室内に満ちた。
 しかし鼻を貫く不快な臭いなど関係ないとばかりに、ジョーは咄嗟に退路を確保する為にと、ハンターとその脇にある唯一の出入り口に素早く視線を走らせた。
 ハンターはゆらりと身を起した。そして再度、ジョーに対して強襲をかける様子で前傾に姿勢を低くした。
 ゴリラのような体躯に詰まった高密度の筋肉が大きくたわみ、サルともカエルとも似つかぬ巨大な顎が威嚇するように開かれた。
 ジョーはハンターの持つ剛力を宿した強靭な腕に、無数の血と肉片と髪の毛が纏わりついているのを見た。
 ――恐らく狩人の名に相応しく、()はゾンビも生存者も関係ないとばかりに狩りと称して遊び殺したのだろう。ハンターという怪物の直接目の当たりにしたジョーは直感的にそれを悟った。

「――くっ!」

 二度目の銃撃は直撃とはならず。直撃の寸前で回避される結果に終る。しかし扇状に広がるショットシェルは一部、ハンターの身を貫き傷を負わせた。――が、決して致命傷にはならなかった。
 間髪入れずにハンターによる三度目の強襲がジョーに迫った。
 ジョーは飛び込むように地を転がって強襲を回避し、銃身に再度シェルを装填する。
 自然とジョーとハンターの立ち位置が入れ替わるが、しかし次の瞬間。リロードの甲斐なく、銃口を向ける隙さえ与えられず、ジョーは壁を蹴って放たれた四度目の飛び掛り攻撃を受ける事になった。
 鋭い爪の撃は咄嗟に振り上げたショットガンの銃身で受けとめられ、結果的に致命傷を避けたが、それでもジョーの身体に加わった強襲の圧力は尋常なモノではない。
 剛腕を受け止めたショットガンの砲身は大きく“く”の字に曲がり、サナトリウムの床に転がった。。そしてジョー自身は院長室から大きく吹き飛ばされ、その先にあるナースステーションの机に背中から叩きつけられる事になった。。
 
「かは――――っ」
 
 衝撃によってジョーは呼吸を強制的に止められた。
 図らずも院長室という小さな部屋から外にはじき出された形になったが、ジョーはその状況を前にとても好転したとは呼べる気分ですらない。
 ――止まったら死ぬ。と、呼吸も整わぬ状態でジョーは唯一、それを思った。

「っぐぅぁ――!!」

 声にならない叫びを上げてジョーは失ったショットガンの代わりにマグナムを抜き、それを両手で構えて引き金を引いた。
 しかしその一撃もまた跳躍を伴う回避行動によって直撃を外された。
 対するジョーは続けざまに二発目を放つ。
 が、それも腕の厚い表皮を弾くに終った。
 
 しかし大きく穴の開いたハンターの腕からは、四方に血が飛び散った。
 ――――それが図らずも第三勢力を呼び出すきっかけとなった。
  
「っ!?」

 不意にぞわり――と、いう音が聞えた。
 その音を聞きつけたのはジョーと、他ならぬ対峙したハンター自身である。
 続いてべたり――と何かが落ちる音がした。
 ダクトからコブシほどの巨大なぬめり(・・・)のあるナニカが湧き出たのだ。
 湧き出たそれは床の上で顫動した後、まるで蚤のような動きでハンターの流した血痕に飛び掛った。
 さらにその直後。
 天井に張り巡らされたダクトから濁流のようにそれ(・・)は現れた。

「な―――っ!?」
 
 ジョーは思わず声にならない悲鳴を上げた。
 ダクトの中から濁流のように現れたのはコブシほどもある巨大なヒルの、数百、数千という大群だったからだ。
 そしてヒルは院長室に飛び散った大量の血と肉片を求めていた。
 図らずもヒル達の餌を提供する形となった手負いのハンターに、彼らは群れを成して一斉に飛び掛った。



ピストルグレネードのモスカートはバイオ的なゲーム銃扱いでお願いします。


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07 壷毒の巣窟へ 中篇

 病院に満ちた異様な静けさの理由を、ジョーは無理やりな形で理解させられた。
 ゾンビの殆どが首をねじ切られるように破壊されていた理由は、目の前の実戦投入されたB.O.W.のハンター。そしてハンターの作った残骸から徹底して“血”だけを抜き取っていた犯人こそがまさに、目の前のアレ(・・)だ。
 排気ダクトの入り口から大量に躍り出てきた無数のヒル(リーチ)である。
 ヒルの大群は血を流して佇むハンターを餌と見定め、そしてその血肉を貪る様に四方八方からハンターに向って飛び掛った。ハンターにしてもヒルの大群との遭遇は想定外だったらしく、ハンターはヒルに組み付かれるなり、大きく咆哮して床を転げまわった。
 もはやハンターの眼中にジョーの存在は無かった。
 苦痛と生理的な嫌悪を同時に払いのけようと、ハンターは滅茶苦茶に狭い院長室の中で暴れまわった。
 そしてジョー自身は、そのおぞましい光景を目の当たりにして声にならない悲鳴をあげた。

「―――――っ!」

 ジョーは恥も外聞もかなぐり捨てて床を這うように後退した。
 ハンターが腕を振って暴れる度、壁や床に拳ほどの大きさのヒルが四方に飛び散るからだ。同時に、ヒルが纏う糸を引く粘液の一部がジョーの身体に降りかかった。
 ウゾウゾ――ウゾウゾウゾ―――
 降り注ぐ無数のヒルが身体を上ってくる感覚を鋭敏に察知して、ジョーは慌てて身体からヒルを払い落とす。ヒルが手に触れた一瞬。ジョーは豆腐のような冷たさと、不快なぬめりを感じ取った。
 反射的に背筋を駆け上がる強烈な忌避感に意識が途切れそうになったジョーは、無心で腰に装備したモスカート(グレネードランチャー)を抜いた。

「死ねよやあぁッ!」

 ジョーはヒルの大群とハンターを同時に焼き払う為にグレネード弾を院長室に撃ち込んだ。
 パシュン――という独特の発砲音の直後。耳を劈く爆音と衝撃がジョーの全身を襲った。
 グレネードの爆風を喰らいジョーは滑るように床を転がる。
 直後。
 ジリリリリ――と、院内の火災警報器が鳴り響いた。

 半狂乱状態でも淀みなく行われる排莢と再装填。無意識でもそれを可能にするだけの訓練を友人らから受けていた事。それがジョーにとっての幸運だった。
 しかしその幸運を、ジョー本人が冷静に自覚する瞬間は皮肉にも訪れなかった。
 続けざまに白煙の中にもう一発。ジョーは院長室に向けて再度、グレネードを撃ち込んだ。
 それは戦時中に新兵が絶命した敵兵に向けて銃を乱射する様に良く似ていた。
 もうもうと立ち込める塵埃を一瞥して、ジョーは一目散に院長室とナースステーションから距離をとるように走った。
 ジョーが走り去った後、ゾワリ――っと白煙の中で巨躯(・・)の影が蠢いた。





「はぁ……はぁ……」

 逃げ延びたジョーは何処とも知れぬ診察室の一室に篭り、肩で息をしながら無理やり休息を取った。しかし多少の休息で直ぐに平静に――とは流石に言い難い状態にある事を強く自覚していた。
 一歩間違えればハンターに殺されていた。
 そうでなくとも無数のヒルに食い殺されていた。
 もしも一歩間違えれば――
 と、冷静になった脳みそがそうしたもしも(・・・)の可能性を刻むように示唆し続ける。
 心を塗りつぶすように広がる大きな恐怖に、ジョーは手が震えているのを感じた。

「――――っおぇ!」

 震えの止まらない拳を無理やり握りこみ、込み上げる強烈な吐き気のままに床に吐瀉物を撒き散らす。
 数時間前にケンドの銃砲店でロバートと一緒に食べたパスタと豆の缶詰。気付けにと道中で口に入れた各色のハーブの欠片が恐怖と共に盛大に吐き出されて床を汚した。

「はぁ――」

 盛大に吐くと幾ばくか気分が楽になった。
 ジョーはスキットルの中に入れたミネラルウォーターで口を洗い、口元を拭う為にポケットの中の布切れを無意識に使った。しかしふと、気づいた。
 それはハンカチではなく女性モノのショーツであった。
 数時間前に教会で同行したマックスが探索の際に冗談で投げて寄越した物だ。

「ったく――」

 紫のショーツを床に叩きつけてジョーは盛大に溜息を吐いた。
 図らずもパンツで口を拭ったという馬鹿らしさが、恐怖で硬直しかけた心と身体の緊張を解すきっかけとなった。
 ジョーは窓際にあるベッドの一つに腰を下した。

「一体、なんなんだよ。あのヒルの大群は――」

 窓から降り注ぐ月明かりを眺めながら、先程遭遇した無数のヒルについて、暴風のような恐怖を感じた後の凪にも似た疲れきった脳みそで考えた。
 ジョーの知る限りだがヒルに相当するクリーチャーはバイオハザード2、バイオハザード3のタイトルの中に登場した覚えがなかった。
 変わりにヒルを連想させるナンバリングタイトルにはバイオハザードの“0”がある。

「――たしかバイオ0のラスボスだったか」

 0の時系列的に考えると現実時間の今からして、約数ヶ月前も前に相当するシナリオであった。
 しかし逆に考えるとゲームとして0のシナリオが存在するのならば、この世界は実写映画に連なるモノでは無いとも思えた。
 即ち、世界が滅ぶ類のエンディングでは無さそうだという解釈にも繋がった。
 思わず、喜んでいいんだろうか? と、ジョーは苦笑いを浮かべた。
 確信を持つにはやや薄い根拠であった。だがジョーからすれば、それはもしかしたら――と思えた。
 脱出のルートについてもそうだ。ゲームに登場するキャラクターと遭遇して、その行動を共にする様な形にすれば、何とかなるかもしれない。
 そんな希望を感じた。
 ――故にこの先で祈るべきは、入れ違い(・・・・)にならない事であるとも感じた。

「頼むから今夜(・・)じゃないでくれよ?」

 バイオハザード2の序盤では、その主人公のどちらかが『ケンドの銃砲店』に立ち寄る描写がある。それをジョーは克明に覚えていた。
 問題はその展開が事件発生の何日目の夜であるのか、という点だ。
 ゲームとしてバイオをプレイした記憶があるとて、細かい数字のようなものまでは流石に覚えてはいない。何よりゲームが基準の世界だとして、その全てがゲームの通りであるわけが無い。実際にこの世界に生きている人間にとっては此処が現実であり、それはジョーにとっても同じ――
 故にジョーは、「結局出来る事は、何も変わらねぇ、か……」と溜息を吐いた。
 僅かな希望を胸に秘め、祈りながら恐怖と戦い生き延びる事。
 それだけが唯一確実な悪夢への対処方法である、
 ジョーはそう、改めて理解した。

「ダメだな――」

 休息を挟むと憂鬱な考えと不安に心が押しつぶされそうになる事を自覚し、ジョーは頭を振った。
 皮肉にも悪夢から心を護る方法は、無心でがむしゃらに生きる為に戦い、行動する事である。
 ジョーは腰を下したベッドから徐に立ち上がった。

「――とりあえずワクチンとロバートのインスリンだな。探せばあるだろう。インスリンぐらいは流石に……」

 ジョーは道中で毟り採った赤と緑のハーブの葉を一枚ずつ口に含むと、失ったショットガンの代わりにベレッタを抜いて構えた。
 ヒルと遭遇した際にこそ、ショットガンの性能が役に立つ。だがハンターに壊されたモノを今更嘆いても仕方が無い。だがせめて、ショットガンの代わりにヒルを防ぐ武器でもあれば――と、ジョーは視線を周囲に向けた。
 散乱した備品の中に掃除用の箒を見つけた。
 振り回すには柄が少々長いものの、加工して長さを調整すればテニスラケットのように飛び掛ったヒルを払いのける事ができる筈。
 ジョーは思い立ったが吉日だと、ナイフを抜いて箒の柄の加工を始めた。





 ゾンビパニックの発生初期からこの異常な事態に対応していた医師らは、早々にこの事件をウィルスのような“病”であると判断した。
 そう解釈に至った理由は、症状が狂犬病に似ているからだ。
 そしてウィルス感染が原因であるならば、そのワクチンも作れる筈――
 と、医師らはそうした院長の音頭によって、病院地下の実験施設でワクチンの研究に取り組み始めた。
 しかし増え続ける感染者と、突如現れた奇妙な怪物の強襲によって遂に断念。
 病院側の者の多くはウィルスの研究資料を脱出可能であった健常な生存者達に託し、この悪夢が晴れる日を願いながら死の床に伏した。
 
 ジョーは緊急待避所として使った診察室を探索し、Tウィルスワクチンの手掛かりとロバートが使っているモノと同じインスリンの注射薬を探した。その途中、医師や看護師のメモや走り書きのような手記を発見し、ジョーはその内容を統合して、院内で起きた惨劇の一端とそれに立ち向かう医師らの戦いの一部を垣間見た。
 
「地下、か――」

 予想通り、重要な研究施設などは入り口から離れた秘した場所にあった。
 自分以外の生存者が病院の中で錯綜した痕跡を発見したジョーは、改めて地下に行く事を決めた。
 しかし地下に行く為のエレベーターの一基は、つい先ほどハンターと無数のヒルに埋もれた院長室の先である。
 他のルートを探して廊下に出たジョーは右手にベレッタを、左手に柄を短く加工した掃除用の箒を手に、足音を立てぬように地下に向うルートの探索を始めた。
 それからしばらく――
 同じ階の近くの部屋で窓ガラスの割れる音が響いた。

「――っ!?」

 ジョーは咄嗟にベレッタを構え、音の方角にある廊下の角に向けて警戒した。
 ハンターか?
 脳裏にハンターの姿を思い出し、ジョーはいつでも動けるように両足に力を込めながら、腰のモスカートをいつでも引き抜けるようにと、その位置をベルト越しの感触で確認した。
 しかし次の瞬間訪れたのはジョーの意図しない音であった。
 連続したフルオートの銃声だった。
 銃撃が止み、耳に残る不快な泣き声が響いた。
 そして間もなく――
 コツコツとした足音がジョーの立つ方へと近づき、遂に曲がり角から姿を見せた。

「――っ!」
「撃つな!」
「…………人間か?」

 同じ階でナニカに向けて銃撃を放った()に、ジョーは人間である事を示した。
 相手の男は冷徹な視線でジョーを見据えた。
 銀髪が特徴的なロシア人だった。

ロシア人(イワン)……?」
「そっちはチャイニーズか?」
「――日系と言ってくれ」

 ジョーは相手が生きた人間であった事に思わず強い吐息を漏らした。
 しかし不思議と、目の前の男からは温かみの様なモノは一切感じなかった。
 銀髪の男は冷たい視線でジョーを見据え、アサルトライフルの銃口を向けたままの姿勢で問うた。

「貴様は誰だ? ここで何をしている?」
「――とりあえず、そいつを下してくれないか?」
「それはキミしだいだ。先に下ろせ……」
「――っ!」

 対するジョーの方もベレッタを向けたままの姿勢であった。
 それを男は指摘し、先に拳銃を下ろすようにと強い口調で言った。
 ジョーは場合によっては直ぐに脇の部屋に逃げ込める事を視線で確認して、ゆっくりとベレッタを下ろした。

「――俺はジョー・ナガト。薬を探していた」
「薬?」
「――それよりこっちは下ろしたぜ? おたくも下げろよ」
「………………何の、薬だ?」

 男はジョーの提案を無視して、質問を続行した。
 
「インスリンを探している。何処にあるか知ってるか?」

 先に銃を下ろした事を内心で強く歯噛みしながら、ジョーは仕方なく答えた。
 インスリンを探している事は一応事実。だがこの怪しげな銀髪のロシア人に“ワクチン”を探していたとは一切言う気になれなかった。
 銀髪の男は促すように銃を構え直した。
 
「――質問しているのはこちら(・・・)だ、ボーイ。なぜ、わざわざ“この”病院に薬を取りに来たのかね? それに探しているのは本当に“インスリン”か?」
「そうだっつってんだろうが。ダチが糖尿病なんだよ。脱出するにしても薬の量が絶対的に足りない。それとも何か? アンタは俺にダチを見殺せとでも言う気か?」
「………………」
「………………」

 銀髪の男は思案するように沈黙した。
 対するジョーも銀髪の男の衣装から、その正体を看破しようと注視した。

 ジョーが見る限りでの男の装備は、鉛色の都市迷彩を描いた戦闘服。肩から下げるマガジンポーチの形状と、それを使うアサルトライフルの形状から、得物がAK系列だとは直ぐに判った。
 サイドアームの存在は不明。しかし間違いなく一級品の戦闘装備で全身を固めているであろう事は明白。
 正規兵の様な品格の良さがあるようには思えず。言葉の訛りと面構えからロシア人である事は間違いない。故に、そこから導き出される答えは一つしかなかった。

「貴様は民間人か?」
「そうだ。――そっちは傭兵だな?」
「――そんなところだ」

 断言する様な問い方によってだが、初めて銀髪の男はジョーの質問に肯定の返事を返した。
 銀髪の男はジョーの右手にあるベレッタと、左足のマグナムを見てせせら笑う。

「民間人にしては、過ぎた武装だな?」
「銃砲店勤務だ。ケンドの銃砲店。知らないって事はアンタ。やっぱり見た目どおりのよそ者(・・・)だな。いい加減、名前くらいは聞かせてくれてもいいんじゃないか?」
「――ニコライ。階級は軍曹。所属はU.B.C.S.」
「U.B.C.S.?」
「普通の民間人なら知る事も無いゴロツキの傭兵団さ――」

 ニコライと名乗った銀髪の男はついに所属を明かした。
 U.B.C.S.という単語にジョーは、聞いた事のある様な無い様なという奇妙な感覚を覚えた。
 ニコライはようやくアサルトライフルを下ろした。

「最後の質問だが、この近辺でこの女を見かけた事は?」

 ジョーに歩み寄り、ニコライはポケットから一枚の写真を取り出した。

「――っ!」
「その反応を見る限り、知っているようだな?」

 ニコライの取り出した写真を見て、ジョーは思わず眼を見開いた。
 件の写真はジル・バレンタインの履歴書の証明写真のコピーだった。

「――銃砲店勤務だからな。お得意さんだ」
「………………」

 ジョーの危機管理能力が最大の警鐘を鳴らしていた。
 
「――最後に見かけた場所はどこだ?」
「さて、な。この数日のゾンビ騒ぎもあるし、ジル以外のS.T.A.R.S.のメンバーも数ヶ月前からさっぱりだ。何処にいるのか、寧ろこっちが知りたいくらいだぜ」
「………………」

 バイオの主人公的な意味で――という内心は口にせず。
 ジョーはニコライを剣呑な視線で睨んだ。
 “ニコライ”という名の傭兵について、ようやくに一つの核心に至ったからだ。
 
「で、質問ばかりのアンタは一体なんなんだ? ジルのファンには見えないが?」
「仕事の都合で、少々――と、いったところだ」
「ふ~ん」

 ジョーはそれ以上の追求をやめた。そしてニコライはジロリとジョーの出で立ちを一瞥し、笑った。

「戦闘服足りえぬ市販の洋服に雑多な火器。まるで民族解放中のゲリラだな?」
「このクソみたいな状況で生きる為に必要だと思った事を突き詰めた結果だ。笑われる筋合いはない」
「ほぅ。それはすまなかった」

 ニコライはジョーが左手に持つ柄の短い箒を一瞥してからふっと笑い、脇を通り過ぎて去って行った。

「――インスリンならばこのフロアの薬品保管室で見かけた覚えがある。精々、気をつける事だ」





 その後。ニコライの零した情報が、癪ではあったが実際に正しいものであるとジョーは知る事になった。
 一階を探索して見つけた薬品保管室の冷凍棚から、ジョーはロバートが使っている注射薬と同じインスリンを見つけ出したのだ。
 その事に対してジョーはニコライに内心で感謝を述べたが、それもつかの間――
 ジョーはそれの場所を教えて去って行った“ニコライ・ジノビエフ”という名の傭兵の今後の動向に対して、強い警戒心を抱いた。

「――確か、病院を爆破するのがアイツだったな」

 細かなキャラクターの背景についての記憶は無い。だが“敵”として、プレイヤーの前に立ちはだかった存在である事は覚えていた。
 U.B.C.S. ニコライ・ジノビエフ軍曹。
 アンブレラ社によって集められた傭兵部隊の人間が、このラクーンシティの中で何を目的としているのか――
 ジョーはニコライの登場によって、自身が探して求めているTウィルスのワクチンが、高確率でこの病院内で作られる可能性に辿り着いた。


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08 壷毒の巣窟へ 後編

 薬品保管室を出て直ぐの位置には無数のバリケードが存在した。しかしゲーム中では迂回する必要がある部分も、現実だからこそ無理やり突破する事が出来た。
 障害を踏み越えたジョーは程なくして地下へ向かうエレベーターを発見した。
 パネルを確認すると電源はまだ生きている様子で、ジョーは早速ボタンを押し、拳銃を構えて扉が開く瞬間を待った。
 演出的に考えるとエレベーターの中から飛び出すゾンビというのは余りにもベタ(・・)。しかし警戒するに越した事は無いとジョーは待ち構えた。すると数分後。案の定と言わんばかりに、予想通りの展開が訪れた。
 扉が開くと同時にナース服を着たゾンビが胃酸を吐き散らしながら飛び出した。
 ジョーは軽く一歩下がりつつ、両手で構えたベレッタで的確に眉間を撃ちぬき沈黙させた。
 無数のヒルの大群や、縦横を跳ね回る屈強なハンターに比べると、ゾンビは拍子抜けするほどに脆く倒しやすい。少なくとも一対一で相対する場合はもはや、取り乱す事なく落ち着いて対処する事が出来るようになった。
 人間は状況に応じて慣れてゆく生き物である。そんな風に昔、店の顧客の一人である元軍人がジョーに言った。
 もはや人型を撃つ事に何の感慨も抱かないジョーは、その通りだと素直に思った。

「はぁ……」

 ジョーはナースの遺骸をフロアの床に蹴り転がしてエレベーターに乗り込んだ。
 
「ぁん?」

 しかしパネルを見て困惑した。
 地下施設は三層構造になっている筈だがパネルの表記を見ると、移動できる部分が地下一階と地下二階のみに限定されていた。
 面倒くさい――
 ジョーは思わず舌打ちした。
 目的の地下三階へ行く為には、此処とは別のエレベーターを使う必要がある。
 ふと、ジョーの脳裏には無数のヒルとハンターの姿が過ぎった。目的の“ワクチン”に最も近いであろう地下三階への移動は、院長室の近くにある鍵付きのエレベーターを使う必要があると考えてしまった。
 
「――っ、仕方ねぇ」

 ジョーは思わず憂鬱さを溜息に混ぜて吐いた。そして地下二階のボタンを押した。
 地下二階から階段を探すか、他のエレベータを探そう。そう考えた。
 扉が閉じて密室となった個室の中は、先程までそこに居座っていたゾンビの腐敗臭に満ちていた。
 ジョーは思わず顔をしかめて、ポケットからハーブの葉を取り出し噛み潰した。

 ハーブを口に含んでという用法は殆どジョーの我流であった。それは食べるというより噛みタバコを嗜むに近い感覚だ。噛みタバコと同様に葉を細かく噛み潰した後、頬の内側の粘膜にペーストを舌で押し当てる。唯一、噛みタバコと違う点は、滲み出た汁を唾と一緒に外に吐き捨てる必要が無い事。
 始めたきっかけは、ふとした思い付きだった。
 Tウィルスの感染に対して各色のハーブの成分が有効であるなら、成分を粘膜から浸透させる事は間違いでない筈。そして傷を受けた患部の他、脳に近い口の中での粘膜からハーブの成分を摂取し続けていれば、多少は脳みそがTウィルスに侵される時間を遅らせられるだろう――そんな思いつきである。
 実際。ゲームとしてこの状況を遊んでいた際。プレイヤーキャラクターは回復アイテムのハーブを「食べて使っている」と冗談めかして言った記憶がある。
 だがこの状況に陥り、冷静に考えてみると、「ハーブを口に含んで使うのは意外に有効かもしれない――」と、ジョーは改めて思い始めていた。
 閑話休題。
 程なくしてエレベーターが地下二階へと辿り着いた。
 扉が開いた直後に周囲を確認するが、エレベーターの付近にゾンビやそれ以外の怪物の影は見えなかった。
 一階部分と同じく周囲には不気味な静寂が満ちていた。しかし光源が多い一階の地表部分とは打って変わって、地下は打ちっぱなしのコンクリート壁が目立つ息苦しく陰鬱な空間だった。
 通路自体も狭く、視界確保の点でも地上の一階部分の方が格段に優れている。

「うわぁ……」

 ふと視線を上げると、天井を走る無数のパイプとダクトがあった。
 ダクトを見ると反射的に先程遭遇した無数のヒルの事を思い出してしまい、ジョーは思わず顔をしかめた。
 狭く長い廊下には点々と非常灯の赤い光が差しており、それがまた空間の不気味さに拍車を掛けていた。余り長居したいとは思えぬ雰囲気に、ジョーは改めて警戒心を強めてベレッタを握り、歩みを開始した。
 曲がり角に差し掛かる度。ジョーは拙いながらも、ケンドの銃砲店に顧客として訪れた知り合いの警察官達から聞きかじった警戒行動を意識した。
 そうして数分――。
 周囲への警戒を強めて長い道のりを歩いて行くと、遂に耳に不審な物音を捉えた。

「っ!?」

 ガサリとナニカが動く音だった。
 そしてその音の方角には無骨で頑丈な扉があった。
 扉の表記は『実験室』となっており、その近くにはジョーが乗ったものとは別のエレベーターが存在した。
 ゾンビなら、まだマシだな――
 ジョーは自分でも感覚が狂っていると思える判断をした。
 扉を開けた先に大群がいるならばコレで――と、ベレッタでは対処しきれぬ数を相手にする為に、腰のモスカート(グレネードランチャー)の位置も確認した。
 ジョーは箒を持った左手で、実験室のノブに手を掛けた。

「――っ!?」
「止めろっ!?」

 実験室の扉は開いていた。扉をけたたましく押し開けて素早く内部に向けてベレッタを向けると、そこには人影があった。
 人間だった。

「――人間?」
「あぁ、そうだ。人間だ! ゾンビじゃない!」
「…………よかった」

 薄汚れたスーツを纏った若い男だった。
 男はジョーが人間であると知ると、安堵するように大きく息を吐き、構えていた鉄パイプを下ろした。

「なにやってんだ、こんな所で?」
「それはこっちの台詞だよ。キミこそなぜ此処に? と、こんな状況でそれを聞くのは野暮か……」
「――この病院に残ってるのは死体だけかと思ってたぜ」
「もちろん。好きで残ってる訳じゃない。こっちも色々と事情があってね」

 汚れたスーツの男は、町医者の“ジョージ・ハミルトン”と名乗った。





 ハミルトンが立て篭もっていた地下二階の実験室には、異様な光景が広がっていた。
 既に絶命したハンターの死骸や、活動を停止したゾンビ。もはや生前の面影が微塵も無い“焼死体”などが、雑多な寝台等に寝かされていた。
 そしてジョーはハミルトンから、実験室の奥にある“常温実験室”という奇怪な部屋で、一階で遭遇したヒルの一部が、焼け焦げた状態で床にこびり付いている様を見せつけられた。
 そこにある人型の影を見て、ジョーは実験室に安置されていた焼死体は此処にあったものだと解釈した。

「コイツは――」
「便宜上ではリーチマン(ヒル人間)と名付けた怪物だ。私を含めた生き残りと力を合わせて、この部屋に誘い込んで倒したんだ。ヒルならば熱に弱いと思ってね。現にそれを示す手掛かりも見つけた」
「っ?」

 ハミルトンは病院の職員が生前に書き残した手記の一部をジョーに投げ渡した。そこに書かれていたのは、下水道で発見し、捕獲した新種の“ヒル”についての記述であった。また記述の中身には、ヒルについての他に“マーカス”という人物を示唆する単語や、手記の持ち主が裏でアンブレラと繋がっている事を記した文の羅列も存在した。

「Tウィルス……」

 ジョーは手記の中に堂々と書かれた元凶の名を見て思わず、怒りの篭った吐息を漏らした。
 ハミルトンは汚れたジャケットを脱ぎ、カッターシャツの腕をまくり、実験室に残った器具を駆使してジョーが来る以前から続けている作業を再開した。

「この騒ぎについて私の友人が手掛かりを残してくれてね。メールを受け取った時は意味が判らなかったが、今なら理解できる」
「手掛かり?」
「“Tウィルス”とやらのワクチンさ――」
「――っ!?」

 ジョーはハミルトンの零した言葉に思わず眼を見開いた。

「作れるのか!?」
「まだ、なんとも言えない。友人やこの病院のスタッフが命がけで情報を集めてくれたが、それでも机上の空論。臨床実験も何も出来ないんだから――」
「それなら俺がやってやるよ」
「……なに?」

 ハミルトンは訝しげな様子でジョーを振り返った。

「俺はそのワクチンを探す為に此処に来たんだ」

 ジョーは傷を受けた腕を見せた。

「――キミは一体何者なんだ?」
「少し長くなるが、良いか?」
「あぁ」

 ジョーはハミルトンにコレまでの経緯を話した。
 ケンドの銃砲店に勤務している事。顧客であるS.T.A.R.S.の隊員から、数ヶ月前の猟奇殺人事件の真実を聞いた事。その時点でゾンビが存在した事。それがアンブレラの作ったTウィルスによって作られた事。それから街でゾンビパニックが発生し、脱出の途中で傷を受けた事。そして感染を治療する目的で病院に訪れた事――

「――なるほど」

 ハミルトンは作業の傍ら、ジョーの話を吟味して小さく頷いた。
 ジョーは手慰みに装備の再確認と実験室に残された手記の探索を始めた。

「――人と話せるのがこれ程、気分が良いとは思わなかった」
「私もだよ。殺伐とした話題なのはこの際仕方が無いとは言え、こうして何気ない会話を続ける事はやはり人間には必要だ。時に煩わしいが、こういう状況ではそのありがたみがひどく実感できる」
「医者っぽい意見だ」
「現に、私は医者だよ」

 実験室に残された他の多くの手記の解読を始めると、ジョーは記述の中に一つに奇妙な情報を発見した。

「――地下下水道?」
「あぁ。その記述か」

 ジョーの漏らした言葉にハミルトンは溜息を吐いた。

「残念ながらそのルートは使えないよ」
「……なぜ?」

 ジョーは思わず首をかしげた。
 アンブレラに連なる病院の関係者が残した手記には、地下下水道を経由しての秘密研究施設の存在が仄めかされていた。現に、手記を書いた本人はそのルートでの脱出を目論んでいたらしく、部下に地下を行く為のボートを用意させていたという。
 するとハミルトンは作業の手を止め、感情を押し殺すような声で言った。

「――地下には巨大なヒルの化け物が潜んでいる。此処から脱出しようとした仲間は、全員そいつにやられた」
「っ!?」
「命からがら病院に逃げ込んで、そこで希望を信じて地下に逃げた。結果は全滅。私が生き残ったのは偶然だった」
「――――――」

 ジョーはふと、ハミルトンの衣装に視線を向けた。
 それなりに値が張りそうなスーツは、薄灯りの中でもひどく汚れていた。
  
「地下下水道からの脱出は確かに出来るのだろう。実際にボートもあった。だが結局は脱出は出来なかった。そしてこの場所に逃げ戻り、現実逃避をするように治療薬の研究をしている存在。それが私だ」

 ハミルトンは世を儚み、全てを諦観するような調子でそうぼやいた。
 その言葉にジョーは一瞬、掛けるべき言葉に迷った。
 だが葛藤は一瞬だ。

「――諦めないでくれ」
「ん?」
「ワクチンを作るって言うアンタの存在は、俺にとって最後の希望なんだ。露払いなら俺がまとめて全部引き受けてやる。だから、頼むから心を折らないでくれ」
「――――――」

 ジョーは心の底から願うように言った。
 するとハミルトンは呆気にとられた後、ふっと小さく苦笑いを浮かべた。

「そうだな。キミが此処に来たという事が、恐らく私にとっては最後のチャンスなんだろう。希望というなら御互いがそうなんだろうな――」
「あぁ」

 ジョーは短く頷いた。





 ジョー・ナガトの手記 その3


 ジョージ・ハミルトンという男は恐らく、俺が知る限り一番の天才だ。
 親父と同じ“ジョージ”と言う名前だが、頭の良さは雲泥の差だ。
 そう書くと流石に親父に悪いか……。

 Tウィルスという未知の存在に対して、病院のスタッフが残したカルテと、メールで友人が寄越したというワクチンの簡略な概要。それを読み解いただけでハミルトンは、ほぼ独力でのワクチンの完成へと漕ぎ付けた。
 その間の俺の仕事は彼の身辺警護と、血を提供した事くらいだろう。
 唯一、ワクチンの製作に必要だったTウィルスに感染した新鮮な血液。
 それを俺は提供する事が出来た。
 だが提供しておいてこう言うのもなんだが、実際に俺の血がワクチンの材料に適しているかは不明だ。しかし死後何時間経過したかも判らぬ不衛生なゾンビや、元の形状が不明な異形の生物――例えばハンターや例のヒルから採取した血液を使うよりは遥かにマシだと思いたい。
 これ以上は祈るしかない。
 それと血を提供した際にふと思った事だが、俺は本当にTウィルスに感染しているのだろうか?
 腕の傷は確かに痒い。痒いがしかし、これが傷が治癒しているからこその痒さなのか“かゆうま”的な痒さなのかは不明だし、例のヒルに遭遇した後で盛大に吐いた所為か腹も微妙に減っているが別に人間を食いたいとは思わない。
 加えて感染者に多く見られると言う意識の混濁が俺には無い。ハーブを喰いまくった所為なのか、妙にスッキリしているくらいだ。しかし身体の方は他の感染者の初期症状と同じく、熱っぽく微妙にだるいという矛盾がある。
 コレをハミルトンに相談すると「異常な状態で精神的に高ぶっているからだ」と返された。
 身体は疲れているのに脳が興奮している所為で眠れないという不眠に良くある症状。もしくは耐性があるのかもしれないと、ハミルトンは言った。

 確かに精神的に少しおかしくなっているという自覚はあった。
 ゾンビとはいえ人間の形をしたモノを殺戮する事に対しての忌避感がもはや無い上に、身体の疲れに反して眠りたいという衝動をまるで感じない。
 寧ろ、暴れたい。
 ――と、言うかベレッタを握っている時が一番落ち着くと言う具合だ。
 
 この先、俺はどうなるんだろう……。
 
 もしも運よく生き延びても、その後に平穏の中に暮らしていると言うイメージがまるで浮かばない。
 それ以前に、俺は生きていられるのだろうか?
 俺にTウィルスに対する抗体が有るのかは不明だ。そしてハミルトンの手腕を信じたいが、そのワクチンがちゃんと機能するかについても、ゲームのように簡単に判別できるわけでも無い。
 もしも、かも知れない、たぶん――書いてて嫌になるほど、ひどく曖昧な事ばかりだ。
 
 アンブレラ滅べ。
 消えてなくなれクソ企業。
 政治やら証拠やらと細かい都合なんざ、どうでもいい。
 反対する奴らは全部撃ち殺してやる。
 出来るなら俺がこの手で本社を空爆してやりたい。


 《ページが破れている》




「――どうだ?」
「反応は良好。ほぼ“完成”と言ってもいいだろう。だが問題は混合液を作るための設備だな。この実験室の設備ではこれ以上無理だ」
「と、なると地下三階、か――」

 時間にして一時間ほど。
 ハミルトンは遂にワクチンの完成一歩手前へとこぎつけた。
 コレより先の作業ではそれなりの機材が必要であり、それがあると予想されるのは地下三階の大型実験室であった。

「準備は良いか?」
「あぁ」

 ジョーのナップザックの中にワクチンの研究資料と混合前の薬品を詰め込み、ハミルトンは薄汚れたスーツを捨てて、比較的まだ清潔だった死者の白衣を剥ぎ取り、それを身につけた。そしてその手には、ジョーの作った柄の短い箒と、鉄パイプがそれぞれ握られた。

「いくぞ」
「了解」

 ジョーが前衛に立ち、ハミルトンが背後を警戒する様に進む。
 近辺を歩いた際に地下へ向かう非常階段を見つけていたジョーは、迷う事無くそこへ進んだ。
 しかし途中。ダクトの中でナニカが動く音がした。

「っ!?」
「……急ぐぞ」

 人一人が這い回るには聊か狭く、ハミルトンが遭遇したという“リーチマン(ヒル男)”と呼ぶ怪物が現れる前触れの騒音に比べると、聊か音の質が軽い気がした。
 二人は足早に目的の非常階段へと移動した。
 ――が、その時の物音が引き金となった。
 バコンッ! と、ダクトの金網が吹き飛んだ。
 ぬらりと髪を振り乱す赤い異形が姿を現した。

「うわぁあ!」

 ハミルトンはそのおぞましさに溜まらず声を荒げた。
 その声に反応して、天井のダクトからぶら下がったそれは醜悪な顔をジョー達の方へと晒した。
 ジョーは反射的にベレッタの引き金を引いた。
 それはリッカーに似た舌の長い女性型の怪物で、僅かに身に纏う布切れから生前がナースである事が判った。
 長い舌を鞭のように振る攻撃に対し、ジョーは咄嗟に身をかがめる。

「――下がれ!」
「っ!」

 姿勢を低くした態勢でジョーはベレッタを乱射した。
 脳部に5発もの銃弾を受けた女性型リッカーは、ボトリと床に落下した。
 その隙を突いてハミルトンが前に躍り出た。

「うあぁああ!」

 ハミルトンは声を荒げながら、その頭蓋を叩き割るように両手で握った鉄パイプを幾度も振り下ろした。

「――はぁ、はぁ、はぁ」
「おつかれ」
「いや、そっちこそ」

 カエルのように床に伏した女性型リッカーに視線を落し、ハミルトンは肩で息を吐く。

「こんな怪物もいるのか……」
コレ(・・)だけじゃないさ」

 ハミルトンの言葉に、ジョーもまた盛大に溜息を吐いた。
 それから程なくして地下三階へとたどり着いた二人は、際奥の実験室の扉を開いた。
 そこには数体の“ハンター”の亡骸が、標本のように安置されていた。

「どこでこんなに捕まえたんだよ――」
「決死の覚悟で挑んだそうだ。手記にはそう(・・)ある」
「…………………」

 病院スタッフの結晶。
 その執念とも言い換えられる決死の覚悟の結果を見せ付けられて、ジョーは思わず唸る。
 その間にハミルトンは目的の機材を見つけていた。機材には忌々しくも、アンブレラ製を示す赤と白の傘のロゴが付いていた。
 
「――これだ」
「使い方はわかるのか?」
「ラクーン大学にも同じモノがあるからね」
「――だったら早くやろう」

 ジョーはナップザックからハミルトンの作った数種類の薬品を取り出し、託した。

 最下層の実験室には数種のハーブがあった。恐らくワクチンの研究に有効だとして持ち込まれたもので、ジョーはそこから葉の数枚を拝借した。
 その傍ら、安置されたハンターの死骸を注視した。

「――動くんじゃねぇだろうな」

 脳裏に嫌な予感が過ぎった。
 実際、バイオ3の中ではこの場所で数体のハンターが動き出すという覚えがあったからだ。
 
「…………………」

 ジョーはベレッタの変わりにモスカートを抜き、そして視界の端にちらりと見えた破砕用の斧を手にした。そして実験室の最寄りのエレベーターを呼び、いつでも逃げ駆け込めるようにと扉の隙間に斧を挟んで固定した。

「コレでいける筈だ――」

 ハミルトンが数種の薬品を混合させる為に機材を動かした。
 大規模な電力が必要になる所為か、それ以外の設備――無数のハンターの浮かぶ水槽の電源が落ちた。ライトアップされていたハンターの影が暗闇に消え、その中でゴボゴボと水槽の水が抜かれていく音が不気味に響いた。
 決死の思いでジョーはハミルトンを待った。
 その間の視線は鋭くハンターの浮かんでいた水槽に向っていた。
 ハミルトンが起動させた大型機材の奏でる駆動音が収まるまでに数分――

「出来た!」

 ハミルトンは遂にワクチンを完成させた。

「早くこっちへ!」
「あぁ!」

 完成したアンプルを数本持ち寄り、ハミルトンは即座にエレベーターに向って走った。
 ジョーはモスカートを構え、いつでもハンターが動き出しても対応できるように身を固くした。

 ――――が、その懸念は無意味に終った。

 無事にハミルトンがエレベーターの中に入った事を確認し、ジョーは斧を外して扉を閉め、内部のボタンで開閉を手動に切り替えた。
 
「ふぅ……」

 狭いエレベーターという安全地帯となった密室中で、ジョーとハミルトンはどちらとも無く盛大に溜息を吐いた。この瞬間に至るまでに感じた緊張はそれ程のものだった。





 調合を終えて完成した試作のワクチンは計三本。その内の一本を、ジョーは地下二階の研究室から持ち出したアンプルシューターで早速投与する事にした。

「繰り返し言うがどんな副作用があるかは判らないぞ?」
「いいさ、別に。やってくれ」
「……エタノールも持ち出しておくんだったな」

 針の先端をライターの火で炙っただけという余りに御粗末な雑菌対策を施し、ハミルトンは慣れた手付きでジョーの静脈にワクチンを注射した。

「――気分は?」
「気分的にはだいぶ良くなった気がする」
「そうか……」

 エレベーターの壁に背を預け、ジョーは息を吐いた。
 ハミルトンは医者としてやはり不安なのか、眉間に皺を寄せていた。

「噛むか?」
「ん?」
「ハーブ」

 ジョーはポケットから先程採取したハーブをハミルトンに渡した。
 ひどい味なのは折り紙つきだが、気付けと薬効成分については保証できる。
 ハミルトンは一つ溜息を吐き、ジョーを真似て噛みタバコの様にハーブを噛み締めた。

「ひどい味だな……」
「ジェリービーンズよりはマシだろ?」
「違いない――」

 死線を潜り抜けて大仕事を達成した事が不思議と奇妙な友情を感じさせた。
 エレベーターの中で幾ばくかの休息をとった後、二人は病院の脱出に向けて行動を開始する。

「この後はどうするつもりだい?」
「このエレベーターが何処に繋がってるかは判らないけど、もしも院長室の最寄の奴だったら避けた方がいいかもしれない」
「理由は?」
「大量のヒルと、さっきの部屋の水槽に浮いてた化け物と遭遇した」
「………………」

 パネルを見ると地上一階と地上四階へと繋がっていた。
 一度屋上に出てから安全確認をしつつゆっくりと外に出るか、危険を冒して最短距離を走るか――
 どちらも一長一短であるのは間違いない。
 それを察したハミルトンも顎に手を当てて悩んだ。

「――病院を脱出した後の当ては?」
「俺が働いてるケンドの銃砲店へ、かな? インスリンを届けなきゃならないし、気休めかもだが警察署も近い」
「………………」

 今もまだ警察署が機能しているか否か――
 それはあまり考えたくは無かったが、少なくともこの化け物がうろつく病院で立て篭もるよりは遥かにマシに思えた。
 それはハミルトンにしても同じだったらしく、ふぅと盛大に溜息を吐くと、ハミルトンはポケットから硬貨を取り出した。


「銃弾は希少だ。此処から路地を抜けて銃砲店に向うまでにも、それなりに必要になるだろう。だが君の言う通り、一階に直接下りるのも危険が伴うだろうから、どちらか選べない――」
「で、ソレで決めると?」

 ジョーはハミルトンの取り出したコインを顎で指した。
 するとハミルトンは小さく苦笑した。

「決められないなら委ねてみるのも悪くない。表が出れば一階。裏が出れば四階。どうだろう?」
「――――判った」

 ハミルトンはコインを弾いた。





 エレベーターはゆっくりと階層を登り始めた。
 そして地上に差し掛かると微かに銃声が聞えた。

「――――誰か、戦ってるのか?」
「みたいだな……」

 ジョーは警戒心を強めた。
 一階部分での戦闘行動という点に、心当たりがありすぎたからだ。
 ジョーはハンドサインで、ハミルトンに扉の影に身を隠すように指示を出した。そしてベレッタとは逆の手でモスカートを抜いた。
 弾倉を見て、ジョーは装填されている弾薬が激しい燃焼を伴う“火炎弾”である事を再度確認する。
 持ち込んだ特殊弾はこの火炎弾の他、液体窒素を封入した冷凍弾がある。とはいえ数はそれぞれ一発ずつしかない。その虎の子の一つをジョーは使う事を決めた。
 ヒルは熱に弱い。それはTウィルスで変異したとて変わらない性質だ。現にアークレイ山地にもヒルは自生しており、山歩きで噛まれた際は叩き落とさずに、ライターの火を近づける等して処理をするべきだとバリーから教わった。その知識を披露する瞬間を、ジョーは息を殺して待った。

「………………」 

 エレベーターが停止する一瞬の浮遊感が身体を襲った。と、同時に銃撃が止んだ。
 恐らく戦闘が終わったのだろう。願わくば人間側の勝利であって欲しいとジョーは思った。
 ポンッと目的の階層に付いた事を示す音の合図と共に、扉はゆっくりと開かれた。
 ジョーはゆっくりと扉の外を見た。
 そこには予想通り、ジョーが戦闘した院長室とナースステーションの近くであった。
 グレネードの爆発の余波が残り、ふと床を見ると吹き飛ばされたヒルの遺骸が転がっていた。

「――大丈夫そうだな」
「あぁ」

 ジョーは大小二つの銃口を構えて周囲への警戒を顕にしながら、ゆっくりとエレベーターを降りた。
 その時、黒い影が視界の端をよぎった。

「撃つな――――」

 叫ぶ声がした。銃声が響いた。
 物陰から姿を現した“集団”が人間のそれだと気づき、それに対して人間だと叫ぶよりも早くに、ハミルトンの“白衣”が鮮血に染まった。
 同時にジョーも胸に複数の強い衝撃を受けた。

「な……ぜ…………」

 ハミルトンは肺を撃ち抜かれていた。言葉を発しようにも血が喉から吹き出し、空気の抜けるような呼吸音が響いた。
 間もなく複数の銃撃が一階に響いた。
 ジョーは朦朧とする意識の中で“黒の衣装で身を固めたガスマスクをつけた集団”と“ニコライと同じような衣装を着た複数の兵士ら”との撃ち合いを見た。



死因 ジムじゃなかった事。研究者っぽく白衣を着てしまった事。『巣窟』だった事。


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09 メメント・モリ

 ウィルスの拡散は未だに続いており、未だ予断を許さない状況にある。
 アンブレラ社は事態の収拾と社員の救出の為に契約した傭兵による武装集団U.B.C.S.を街に投入した。
 しかし街に展開したU.B.C.S.は過酷な状況の中で人員の約半数を瞬く間に失い、投入から僅か数時間と言う短い時間の間に事実上の“壊滅”へと追い込まれていた。
 そうした現場の報告により事態の収拾が容易でないと判断したアンブレラの上層部は発想を転換。ラクーンシティに試作型B.O.W.の実践投入を決定する。
 目的は戦闘データの収集と証拠の隠滅。及び情報拡散の阻止を目的とした“生存者”の抹殺である。
 ――作戦名『ラクーンシティ』
 アンブレラ社が今後も社会で権力を保持するには、街での出来事を必要以上に語られるわけにはいかない。
 作戦はそうした考えの末に下された非情な決断であった。
 そしてこの作戦を冷徹に遂行するように求められたメンバーこそ、九月某日の秘密作戦に失敗し、パンデミックの決定的な引き金を引いたとされる同社の特殊部隊――U.S.S.の生き残りであった。

 九月某日。
 ラクーンシティに秘密裏に派遣されたU.S.S.は、同社の主任研究員ウィリアム・バーキンの抹殺と、バーキンの開発した新型ウィルス“G”の回収作戦を社の上層部より命じられた。しかしバーキンの抹殺が成功したと思われた直後、バーキンは自身に注入したGによって暴走変異。その結果彼らはUSSを率いた隊長ハンクを行方不明(MIA)と言う形で失い、そして秘密作戦自体も事実上の失敗に終った。
 アンブレラ上層部は施設から辛くも脱出に成功した残存するU.S.S.隊員に失態の責任を追求する形で『ラクーンシティ作戦』のサポートを厳命する。

『――生存者の中にはアンブレラにとって不利益な情報を持つ者が存在するかもしれない。よってこれ以上の生存者を街から出すわけにはいかない。しかし全員を抹殺している時間は無い。通信を断つ為に発電所を破壊しろ』

 本部から送られた命令を遂行する為、U.S.S.の残存勢力デルタチームは発電所の停止に必要な電磁パルス(EMP)発生装置の回収の為にラクーン総合病院へと進撃する。
 感染者、そして互いに任務を妨害しあう形となったアンブレラの傭兵部隊U.B.C.S.との戦いの中。非道な作戦を冷酷に遂行するU.S.S.デルタの進路の前に、運悪く立ちはだかってしまった二人の民間人が居た。

 そして必然的に彼らはU.S.S.の放った凶弾に倒れた。

「――っ」

 胸を突いた激しい衝撃。
 混濁する意識の中でジョーは傍らに同じ様にハミルトンが倒れている事を知った。
 耳に反響する無数の銃声と複数の断末魔。それらを無視してジョーはハミルトンを見た。素人目に見てもハミルトンは重症だった。薄汚れた背広の代わりに身につけた白い白衣が鮮血に染まり、ジクジクと穿たれた穴から血があふれ出していた。
 ――どうしてだ?
 息も絶え絶えなハミルトンの口から漏れる言葉は唯一、それであった。
 ジョーは視線の先に己とハミルトンを撃ったガスマスクの集団を見た。
 彼らは高価なコンバットスーツに身を包む機械の様に統制された戦闘集団で、瞬く間に敵対する勢力を打ち倒していた。
 彼らに対しジョーは酷く冷たい氷のような印象を受けた。
 その時、嘲笑のような笑い声が一階に響いた。
 “ニコライ”の声であった。

「――ハハハ、おやおや可哀想に」
「もう弾除けは無いぞ、ニコライ!」
「弾除けか。そう言えば先程君達に撃たれた二人の内、そっちの彼(ジョー)は私の友人(・・)でね。動けない別の友人の為に態々単身でインスリンを探しに来たそうだ。まったく可哀想に――」
「そう。――で、その程度の事でまさか心を痛めるとでも?」
「いや、まさか。君達U.S.S.の事は良く知っている。だからふと思った事がある」
「……なにかしら?」

 一階のホールでU.S.S.とニコライとの“銃撃戦”が再び始まった。
 ニコライに応じて言葉を返したのは女性の声だ。
 蚊帳の外からニコライの嘲笑とU.S.S.のやり取りを聞いたジョーは、床に倒れて天井を見上げたままの姿勢で状況を理解して行く――

「――もう一人の方も恐らくは、この病院での唯一の生き残りだろう。そんな彼ら一般市民を命令とあらば無情に殺してのける貴様達“U.S.S.”と、金を目的に動く俺との間に一体どれほどの差があるのかと思ってね。――寧ろ、お前達の方がより邪悪(・・)なんじゃあないか? アンブレラの猟犬」
「……貴様よりマシだ」
「クハハハハハ!!」

 ニコライの所属するU.B.C.S。ハミルトンとジョーを撃ったU.S.S.。
 そのどちらもがアンブレラの傘下にある。
 ウィルスを作ったのもアンブレラ。
 それを流出させて大量の死者を作ったのもアンブレラ。
 ニコライの嘲笑を聞いて、ジョーは思わず拳を握りこみ、砕けるほど強く奥歯を噛み締めた。

「――私と貴様達との一体何が違う? 善人を気取るつもりか?」
「意図して仲間を餌にする程、外道になった覚えはないわね」
「ほぅ、それは――」
「――っ!?」

 ニコライの投げ込んだグレネードが床に落ちる音がした。
 爆風から身を守る為にジョーは咄嗟に身をよじった。
 姿勢を低くしたまま院内の備品に身を隠し、そこでジョーはようやく己の状態に気づいた。
 胸の位置に打ち込まれた三発の銃弾はケンドの銃砲店を出発する際に着込んでいた防弾チョッキと、胸のポケットに入れたステンレス製のスキットルが防いでいた。
 しかし胸骨に走る鈍い痛みから、皹が入っているであろう事が判った。
 ――朦朧とした意識が急速に覚醒(・・)を始め、ジョーは己の生存を自覚した。

「――おい、ジョージ!」

 床を這うようにジョーはハミルトンに寄り添った。
 ハミルトンに既に視力は無くジョーの声の方に顔を向けて、血を吐きながら囁く声で言った。

「――ワクチ、ン……の、資料……持って脱出しろ……」
「っ!?」

 末期の瞬間。ハミルトンは最後の力を振り絞ってジョーの腕を掴み、懐の手記の位置を教えるように示した。ジョーが懐の手記を手にしたと同時にハミルトンは息絶えた。

「………………」

 周囲に“ぞわり”という無数の気配が集まり始めた。
 新鮮な血液が床にばら撒かれた事に奴ら(・・)が気づいたのだ。
 そして奴らを身に纏う怪物も――
 酷く冷静な頭で状況を察すると同時。ジョーの脳裏には激しい怒りがその発露の先を求めて渦巻いた。
 ジョーは無言のまま、視界の端にチラリと見えたU.B.C.S.の死骸からAK(アサルトライフル)とマガジンを毟り取った。





 一階のホールから階段の方へと移動しつつあるニコライとU.S.S.デルタの銃撃戦が、強い混乱の感情が伴う生存を賭けた戦いに変質するのは間もなくであった。
 彼らは銃声をかき消すような“咆哮”を横殴りに受けた。
 無数のヒル(リーチ)に全身を侵食され、既に生物兵器の使命すらも忘れたハンターの成れの果て。
 それが壁を破砕しながら戦渦の渦中に飛び込んだ。

「おいおい、これは――」
「ちょっと……なによ、コレ!?」
「醜悪な……」

 ハミルトンを含む病院の生存者が便宜上リーチマンと名付けた怪物。その亜種とも言える“ハンター”を捕食して侵食した異形の名は、差し詰めハンターリーチ(狩人蛭)と言ったところか。
 U.S.S.デルタのメンバーは、ニコライとの銃撃戦の最中に飛び込んできたゾンビとも違う怪物に強く動揺した。
 彼らの脳裏を過ぎったのは先日の秘密作戦でウィリアム・バーキンが変異した異形のそれであった。
 しかしバーキンの変異体とも明らかに姿が違う。
 共通するのはどちらも醜悪だという点のみだ。
 
「くっ!」
 
 ハンターリーチの突進の想像以上の速さに隊員の一人が思わずショットガンの引き金を引いた。しかし弾け飛ぶのはハンターリーチの表皮を覆う無数のヒルのみであった。
 飛び掛り、同時に振りかぶられた両腕の端から覗く鋭い爪が、男のタクティカルアーマーとショットガンを切り裂いた。
 吹き飛ばされて背中から床に倒された巨躯の男――ベルトウェイに覆いかぶさろうとするハンターリーチ。
 それを咄嗟に横から蹴りつけるU.S.S.の衛生兵バーサ。
 ――しかし体重が足りず、バーサがハンターリーチをベルトウェイの身体から蹴り剥がす事は出来なかった。
 ベルトウェイの上半身に無数のヒルがボトボトと降りかかると同時。ニコライのレーザーサイトがベルトウェイの足を狙った。
 
「――っぁ!」

 銃声が響きベルトウェイのふくらはぎから鮮血が飛び散った。
 ハンターリーチが引き連れるおびただしい数の吸血ヒルが、噴出したベルトウェイの血液に歓喜するように一斉に身を震わせた。そして瞬く間にベルトウェイの右足に群がった。

「――まずは一人、だな」
「くっ!」

 ニコライが悠々と後退する中。隊長のルポがU.S.S.デルタで一番の巨躯を誇るベルトウェイの後退を指示するか否かを迷った一瞬。
 ――U.S.S.デルタの背後からフルオートの銃声が響いた。

「――ぐぁ!?」

 咄嗟に遮蔽物に身を隠したデルタのメンバーの内、背面から肩を撃たれたベクターが出血した。出血によりハンターリーチの矛先がベクターに向いた。

「――――――」

 位置的にニコライが最も早くに銃撃を放った“第四勢力”の正体を看破できた。
 それはニコライにとっては数時間前に出会った間柄。先程までの膠着した状況(・・)に、態々隙を作ってくれた間抜けな友人のジョー・ナガトであった。
 遠巻きからでもニコライにはジョーの内に渦巻く感情が手に取るように理解出来た。
 強い怒りと激しい憎悪だ。それはニコライが傭兵稼業を続ける中で、同業者から自然と向けられる類の感情を秘めた瞳であった。

「………………ふっ」

 ニコライは口元に笑みを浮かべて撤退の足を止め、そしてAKを構えた。
 それは図らずもジョーを援護する形となった。
 U.S.S.の存在はニコライの目的にとって酷く邪魔な存在である。故にそれを排除しようと目論むジョーの復讐者さながらの眼を見て、ニコライはそんなジョーを目的のために利用してやる事を決めたのだ。
 ――もっともジョーの側も、そんなニコライの立てた皮算用を成立させてやるつもりなど毛頭無かった。
 ジョーにとってU.S.S.もニコライも同じ穴の狢である。目的も意思も判らないが、信用できる類の人間ではない。何よりハミルトンを殺した“傘の印”を身につける存在に対して抱く感情は、“怒り”の一言に尽きる。

「まとめて死にやがれ、クソ野郎共!」

 ジョーのニコライに対する認識は確かに正解ではあった。
 ニコライの目的とは己以外の生存者を排し、ラクーンシティに存在するデータを含むあらゆる情報をアンブレラに高額で売る事である。
 その意味ではジョーもまたU.S.S.と同じくニコライにとっては排するべき存在であったからだ。
 しかし「所詮は民間人。いずれ死ぬ――」と、ニコライはこの瞬間でもジョーを侮っていた。
 加えて彼我の物理的な距離が、互いの攻撃を阻んでいた。
 ジョーの銃撃はニコライにも確かに向けられていたが、直ぐに攻撃が難しいと判断し、ニコライへと向わせるべき憤りの分も纏めてハンターリーチとU.S.S.に向けた。
 傭兵の死体から拝借したAKを構えて年若い顔に強い憤怒と憎悪を貼り付けたジョーが願うのは、ニコライとU.S.S.の両方の死。またニコライが願うのはU.S.S.とジョーを含む全ての生存者の死。そしてハンターリーチに意思があると仮定しても、恐らくそれが望むのは恐らくこの場の全員の死である。
 ――ならばU.S.S.はどうか?
 彼らU.S.S.デルタの全員の脳裏にあるのは、互いの死を願い合う戦渦の渦中でも微塵も薄れる事の無い徹底した任務遂行への意思であった。そもそもラクーン総合病院はU.S.S.に下された任務の中の通過点に過ぎない。彼らの本来の目的は屋上にて装備を受け取り、通信設備を破壊する為に発電所を襲撃する事なのだ。
 しかしそれを阻むジョー、ニコライ、ハンターリーチの三つの勢力――

「くっ――」

 縦横に飛び回るハンターリーチの攻撃と、それを援護するかのようなジョーとニコライの攻勢によって生まれた膠着状態に、U.S.S.の一同は遮蔽物に身を隠しながら強く歯噛みした。引くも押すも出来ない戦渦の中で、無為に消耗するという悪夢。特に負傷したベルトウェイとベクターの内に秘めた不安と苛立ちは酷く大きなモノとなる。

「クハハハハハ!」
「死にさらせ、アンブレラ!」

 狂ったように笑うニコライと、憎悪を込めたジョーの慟哭。
 ジョーは収拾がつかないごちゃ混ぜの感情を発露するように引き金を引いた。――――が、均衡が崩れたのはそこからだった。
 
「っ! 弾が――――」
「今だ!」

 マガジンの装弾数を見誤った初歩的なミス。
 リロードの一瞬の隙を見てベクターがジョーを牽制するように銃撃を放った。
 ジョーは咄嗟に身を隠した。
 同時にニコライは膠着状態が途切れた瞬間を見計らい、嘲笑を残して早々にジョーを見限り冷静に撤退を開始した。
 砲火の中で最も銃撃に身を晒されていたハンターリーチが膝をついた。更にそれを押し込むようにU.S.S.はチーム三人で牽制し、残る二人――ベルトウェイとベクターが負傷を省みずにジョーに発砲。そして隊長ルポが撤退するニコライの背後を狙う。
 が、ニコライは窓を突き破っての脱出に成功した。
 それと同時にジョーも遮蔽物に身を隠しながらモスカートを抜き、そしてU.S.S.とハンターリーチを纏めて葬るがごとく、装填された火炎弾を撃った。

「――くっ!」

 ジョーの撃った火炎弾から爆炎が発生した。
 飛び散った可燃液によって大きく吹き上がった猛火がU.S.S.とジョーとの間の通路を塞ぎ、天井を舐め上げるように空間に広がった。

「――――――ッ!!」

 急速に広がった炎に対し最も大きなリアクションを見せたのはハンターリーチだった。
 ハンターリーチは炎を見た瞬間。足早にその場を離脱した。
 その様子を見てベルトウェイとベクターが傷口に群がるヒルの対処法を思いついたが、直後に炎の壁に遮られた奥からグレネードが投げ込まれた。

「カバー!」

 一拍置いた後に耳を劈く轟音が響き、その衝撃で天井が崩落した。

「――逃げられたか」
「……あのガキも傭兵か?」
「――――っ!?」

 もうもうと塵埃が舞う中。
 先程までの喧騒が嘘の様な静寂の中で、U.S.S.の一同は規則的な電子音を耳にした。
 ――それが時限タイマーであると気づくと同時。“ニコライ”の仕掛けた罠が、病院の一階部分を大きく吹き飛ばした。

 



「――――――」

 脱出の最中に身体を掠めた銃弾と突き破った窓のガラス片によって受けた顔の傷。
 強く湧き上がる怒りがそれらの痛みをジョーに感じさせなかった。
 病院を脱したジョーはやり場の無い怒りに身任せて滅茶苦茶に走った。
 出発した頃にあったゾンビや暗闇に対する恐怖など、もはや微塵も無く、無心に怒りを叩きつけるサンドバックを欲するように、視界に映ったゾンビをAKで片端から撃ち殺した。

「クソが――」

 銃や拳足。時にはその場で拾った角材等でゾンビの群れを一掃した。
 そして後に残ったのは、やはりやり場の無い感情であった。

「――――すまん」

 ハミルトンに贈るべき言葉が上手く思いつかず。
 ジョーは何を謝るべきかも理解できぬまま、ただ心に浮かんだ言葉をポツリと口にした。
 病院を出た時よりも重い足を引き摺りながらフラワー通りを目指すジョーの背中には、ハミルトンの託した抗ウィルス剤と、彼の残した治療薬完成までの記録を書き記した手記が入っていた。
 ハミルトンが作った抗ウィルス剤は試作品で、それが本当に効くのかという疑問は、本人も口にしていた。
 今後の感染を防げるのか?
 ふたたび傷を受けた際はどうなのか?
 疑問は尽きなかったが、もはやジョーにはそれらを含めて、どうでも良いとすら思えた。
 出来るだけの事はやったのだ。コレでダメなら、もはやどうでもいい。
 目的を果した達成感など微塵も無く。また感染を治癒した安堵も無い。
 身体に残ったのは傷と抗い難い強い疲労と眠気。そして強い怒り――――

「――チクショウ!」

 ジョーはまぶたに焼きついたハミルトンの最期を思い出し、幾度も怒りを吐露した。
 ハミルトンが生き残れる可能性は確かに存在した。
 しかしゾンビに襲われたのならまだしも、同じ人間の手によって殺害されたのだ。
 これ程の非道を前にして、それに対し怒りを覚えずに居られるほど、ジョーは温厚な人間ではなかった。

「アンブレラ……」

 何もかもが彼の企業の仕業であると知るが故に、向けるべき矛先は直ぐに見つかった。
 しかし、あらゆる意味で手が届かない。
 そんな苛立ちを紛らわすように赤、青、緑の三種類の葉を纏めて乱暴に口に含むと、ひどく苦い味と強烈な歯磨き粉のような辛さが舌の上で爆発した。
 その不快さを以てしてもアンブレラに対する怒りは微塵も薄れなかった。

「っ――」

 不意に複数の足音を耳にした。
 暗闇の中に複数の荒い息遣いが聞えてから程なく。ジョーの前にゾンビと化した三体の“犬の群れ”が現れた。
 感染して死す事で野生が目覚めたのだろう。
 獲物を狙う獣としての本能を取り戻したゾンビの犬達が獲物として見据えたジョーを取り囲み、グルグルと唸り声を上げた。

「………………クソ犬が」

 唸り声が徐々に大きくなる。
 その口から垂れる酸の混じった涎の強い臭気がジョーの鼻にも届く。
 ジョーは惜しげもなくマグナムに手を掛けた。
 が、直後。ジョーが放つよりも早くに連続した銃声が響いた。

「っ!?」

 病院での嫌な記憶が脳裏を過ぎり、ジョーは咄嗟に乱入者に向けてマグナムの銃口を向けた。

「下がりなさい!」
「っ!?」

 ――聞えた声には聞き覚えがあった。
 そして直後に、懐かしい声だと素直に思った。
 三体のゾンビ犬を蹴散らしたのは青いチューブトップを身に纏う軽装の女傑であった。

「……ジル?」

 ケンドの銃砲店で調整した自動拳銃――サムライエッジを構えた女傑の名を、ジョーは思わず呟いた。



 チャプター2 終了

 ジョージ・ハミルトンが生存するルートは、病院地下の下水道から巨大ヒルをしっかり倒しての脱出しかないかも。
 USSが屋上でEMPを受け取る予定なので、エレベーターで一階か四階かを選んでも確実に戦闘に巻き込まれます。

 そして1対1対6対1+α(数百匹のヒル)の大混戦を一応全員生存したUSSの皆さんですが、恐らくコレで出番は終了かと思います。


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10 祈り、生存を求める者 前篇

 ジル・バレンタインのメモ

 9月27日。
 最後の9月が終ろうとしている。
 アンブレラに対し、人々が立ち向かう勇気を持つ事が出来ていたとしたら、未来は変わっていただろうか?
 あの日、私達は洋館という名の地獄の中で真実を知った。故にその時の真実をこの街の人々も知る権利と義務がある。
 そして全てを知った上で立ち上がるべきだった。
 許しを請うには全てが遅すぎて、運命が流れ始めた時には既に、人々にそれを押しとどめることは出来ない。
 日に日に感染者は増加し、今もその数を増やし続けている。
 数少ない生存者達は建物の深くに身を潜め、更に奥の暗渠の中で息を殺して明日を待っている。
 生きるか死ぬかの状況で、未だに平静を保っていられる私はきっと変わってしまったのかもしれない。
 だけど生き延びる為にはきっと必要な事だ。
 明日を待つだけでは何も変わらない。
 それをあの日に私は思い知った。
 だからこのメモを見ている貴方(・・)に書き残せる言葉は一つだけしかない。
 
 自分を救えるのは自分だけ。





 薄明かりの点いたとある食品倉庫の管理室。
 普段は店舗の管理作業員が業務で使用するタイプライターを駆使して、ラクーンシティーの警察官ジル・バレンタインは何気なしにそんな走り書きを残した。
 メモに書き残したのはジルの胸中にある偽らざる本音であった。
 Tウィルスの拡散から数日が経ち、爆発的に数を増やした感染者。それによって多くのラクーンシティー住民が亡者と化し、現時点で悪夢から逃げ延びた生存者達は自然と一所に集まった。それがこの場所である。
 息を殺してひたすらに救済を待つ行動を否とは言えず――しかし同時に無意味だとも感じてしまうジル。曲がりなりにも警察官として生きた彼女の経験と生来の人間性は、この状況における圧倒的弱者である彼ら市民を冷徹に捨て置く事を良しとせず、結果、なし崩しな形で避難者の盾としてこの場に足止めを喰らうハメになった。それを「馬鹿らしい」と口が裂けても言うつもりこそないが、それでも疲労の混ざった吐息が思わず漏れる。

「――はぁ」

 ふと、ジルは管理室の外にある光景を見やるように、視線をドアに向けた。
 管理室の奥に広がる大型の食品管理倉庫には、人種も年齢も職業も様々な多くの生存者が息を殺していた。彼らの顔には共通して強い疲労と不安と恐怖が貼り付けられており、皆、眠る事もままならず、縋るように燃料ランタンの明かりを中心に囲んでいた。
 小さく身を寄せ合って息を潜める陰鬱な空気に耐えかね、この立てこもった食品管理倉庫周辺の安全確認に出たのがつい先程の事である。
 そこで偶然、ジルは()と遭遇した。

「――確か、ジョー・ナガト、だったかしら?」

 ジルはチラリと管理室の応接用のソファに視線を移した。
 安っぽい合成革のソファに深く身を落として眠りに就く少年の名は、ジョー・ナガトと言った。
 彼はジルが装備のメンテナンスで幾度か利用した“ケンドの銃砲店”の若い従業員だ。
 ジルとは顔見知りではあるが、良く話す仲かと問われると、意外にそうでも無い。
 間柄はよく言えば知人どまりで、ジルの同僚のバリーを挟んで友人の友人ぐらいの位置が妥当の仲。つまり一対一で話した事は愚か、互いに相手の名前と顔ぐらいを知っている程度の縁しかなかった。
 しかしこの時ばかりはそうもいかない。
 ジルはジョーから直接問いただしたい事柄が幾つも存在したからだ。
 その最たるものが、ジョーが眠りに就く直前にジルに手渡した資料である。

「一体、何処でこんなモノを――――」

 血に濡れた“ジョージ・ハミルトン”と言う男の書き残した手記。そして件の男が作り上げたというTウィルスワクチンのサンプルと、その製造法を書き記したとされる研究資料――
 ジョー・ナガトはそれらジルにとって値千金な多くを固く身に帯びていたからだ。
 ジルにとってそれらの情報は、例え己の命が失せようとも確実に街の外へと持ち出さなくてはならない重要な代物である。真実を知った上で、それでも戦うと決めたジルとその仲間にとって尚更――。故に、ジルはまるで監視する様に、深く寝入るジョーの傍らに待機していた。

「――これは、銃創?」

 ジルはふと、ジョーの纏う衣服に視線を向けた。
 ジャケットの胸の位置には不自然に丸く穿たれた穴があり、同時に全体的に焼かれたような煤の痕跡が随所に見られた。
 地獄と化したラクーンシティーの中で、彼が何を見たのかを問う機会はまだ得られていない。がしかし、ある程度は察することが出来る。
 ジョーの身体に纏わりついた汚れは、それら苦難をひたすらに退けた証拠に思えた。
 恐らく自身が洋館の中で体験した地獄に比肩するモノを体験したのだろう――
 ジルはそんなジョーの身体に毛布を掛け直し、ジョーの脇に置かれた彼のナップサックに、ワクチンの資料とそのサンプルを詰め直し、ジョーが眠る直前に食い散らかした保存食の空き缶を片付けてから管理室を後にした。

 管理室のドアを開けると、この場を一時的な避難場所に選んだ幾人かの生存者が反射的に顔を上げた。
 生存者の多くは不安そうな視線を、ジルと管理室の奥で眠るジョーに向けた。
 ――奴は大丈夫だろうな? と、ジルは暗に問われていた。

「――――まったく」

 ジルは訝しげな視線を全て無視した。
 この時点で生き残っている者は皆、感染者(ゾンビ)に噛まれた者は例外なく感染者(ゾンビ)になると、言葉以上の形で理解しており、投げかけられる視線の中にある不安をある程度は仕方が無いとは理解しつつも、同時にひどく鬱陶しいと思ったからだ。
 しかし直後に怒号が飛んだ。

「おい、奴を一人残して何処に行く気だ! アンタが居ない間にゾンビになったらどうする!」

 ジルは歩みを止めて振り返った。
 ジョーを助けてジルが食品倉庫に戻った際、先んじて倉庫に集まっていた生存者の一部がジョーの感染を疑い、その身柄を受け入れる事を拒否する一件があった。
 彼はその内の一人であった。
 赤ら顔が特徴的なその男の名はダリオ・ロッソと言い、彼はこの場所に逃げ延びた直後からくりかえし現状を強く嘆いていた。
 その際にジルをはじめとする避難者の多くが、彼の身に起きた不幸を幾度と無く聞かされた。家族でフットボールの試合を見に来た旅行者であり、出身は別の州である事。そして今回の事件で娘を失った事。
 それらには確かに同情の余地はある。がしかし、彼は嘆くばかりで、必要な作業にはまるで手を貸さない人間だった。
 そんなダリオの過ぎた被害者然とした態度にはジルも内心で辟易としており、半ばウンザリと言った吐息を吐く。
 そして極めて事務的に職務を果そうとする警察官らしい(・・・)落ち着いた様子で、ジルはダリオに向き直った。

「大丈夫よ。変異の兆候は見られないから」

 不安がる住人の暴走からジョーを“護る”為。またジョーが変異した際の“処理”を迅速に行う為に、ジルは管理室で眠るジョーの傍に控えるようにと頼まれていた。頼んだのは言うまでも無く、ダリオを初めとする生存者達である。
 そのダリオが言った。

「そんな事、判るもんか! 実際、アンタの判断がどうして正しいって言えるんだ!? 俺はゾンビに娘を食い殺されたんだ! 此処に居る連中だって同じだ。危機感が足りないんじゃないか!」
「それは――――」

 カチンとくる物言いだったが、それを飲み込みジルは沈黙した。
 ダリオの問いに対する答えを“勘”だと答える他なかったからだ。
 その勘は洋館事件での経験と、その際の探索で見つけた資料に基づく知識からのモノ。しかしそれを言った所でダリオは納得しないだろうと感じたが故に。
 しかしダリオを初めとする集団は、そうしたジルの沈黙を一種の降参宣言だと感じ取ったのか、再びジョーを避難所に受け入れたジルの判断に文句を言い始めた。

「いい加減に――」

 不安から来るストレスの捌け口にと、口撃の槍玉に挙げられたジルもまた声を荒げそうになった。
 ――しかしそれより先に横から凛とした声が上がった。

「貴方達、いい加減にしなさいよ。声を荒げると“バケモノ”を呼び寄せる事になるってわからないの?」
「――っ!?」

 ビビットのきいたマゼンタカラーのライダースを纏った女子大生であった。勝気で行動力の溢れる若い魅力がある少女で、彼女はこの悪夢の中、率先して要救助者に手を貸していた人物だ。
 その積み重ねの結果なのか、少女の周囲には彼女に同調する多くの女性と老人達の姿が見えた。

「吠えるよりもやるべき事があるでしょう? 毛布と燃料が足りないの。喚く元気があるなら運んできてくれないかしら? このフロアに長居するのが不安なら、尚更丁度いいでしょう?」
「――――っ」

 ダリオと同調してジルを糾弾していた者達は、今度は逆に口を閉ざす番になった。ジルを囲むダリオの集団よりも、声を上げた少女に同調する者の方が多かったからだ。
 それから程なく。場の空気に耐えかねてダリオ達は逃げるようにフロアの隅へと引き下がっていった。

「――ありがとう。助かったわ」

 ジルは声を上げた女子大生に礼を言った。
 
「いいわよ、別に。それに警察に協力するのは市民の義務でしょう?」
「あら、警察だって名乗ったかしら? 私がそうだってよく気づいたわね?」
「身内に一人居るから雰囲気で大体、ね。クレア・レッドフィールドよ」
「レッドフィールド?」
「えぇ」

 クレアと名乗る少女からの握手を受け取りつつ、ジルは“レッドフィールド”という名に一人の同僚の事を思い出した。

「私はジル・バレンタイン。もしかして貴女――クリスの妹さん?」
「えぇ。その様子だと貴女は兄を……?」
「えぇ。知っているわ」
「そう。――なら、丁度よかったわ」
「――――丁度良い?」

 強く安堵するようなクレアの反応を受け、ジルは思わず首をかしげた。

「実は私は兄を探しにこの街に来たの」
「――そうだったの」

 数ヶ月前に失踪した兄クリス・レッドフィールドを探す為にラクーンシティを訪れたと言うクレアの話を聞いて、ジルは話すべきかと少し悩んだ。
 
「――残念だけど、クリスは既にこの街にはいないわ」
「え?」
「何処から説明するべきかしらね……」

 ジルは少し悩んだが、結局は同僚の妹にその兄の無事と現在の所在地を簡潔に説明する事にした。
 洋館事件以降。ジル、クリスをはじめとする元S.T.A.R.S.のメンバーは、アンブレラを告発する為に独自の行動をとっていた。
 しかしアンブレラという組織は一介の警察官が立ち向かうには余りに強大で、結果として彼ら洋館事件から生き残ったメンバーは皆、警察官としての資格を剥奪されて、秘密裏に抹殺される程の身の危険に晒されていた。
 アンブレラから家族を護る為、同僚のバリーは家族と共にカナダへと亡命した。そしてクリスもそれに近い判断で、クレアに何も打ち明ける事無く身を隠す事を選んだ。
 そしてそんなクリスの行動が、結果的にクレアをラクーンシティで起きた悪夢に巻き込んでしまった。
 皮肉な現状にジルは思わず苦笑を浮かべ、同時にクレアもまた護らねばならぬ存在だと強く認識した。

「――無鉄砲で行動力に溢れる所はクリスにそっくりね」
「それは……少し心外かも」

 ジルはクレアという少女にクリスの面影を見て、小さく笑った。

「現状で伝えられる事はそれだけよ。クリスに代わって謝罪するわ。不安にさせてごめんなさい」
「いえ、安否の確認が取れただけでも幸いだったわ。ありがとう」

 眼に余る地獄さながらの状況を作り出した外道を知り、それを許さぬと憤る正義感。身内としてのクリスを知るクレアは、ジルから聞かされたクリス失踪の理由を知った後、その行動を責めなかった。
 ただ一言、「――兄さんらしいわ」とクレアは零した。

「――そういうところは昔と何も変わってない」

 クレアは遠い眼をして諦観混じりに小さく微笑んだ。





 多くの生存者が露骨に嫌な顔を見せる。
 彼らは一様に「感染していないだろうな?」と、暗に問う視線を俺に投げかけた。
 ――俺はゾンビじゃない。
 鍵付きの管理室へと案内され、その部屋の中で俺は毛布を被り、蝋燭と倉庫奥の薄明かりの中で現実を嘆く生存者達から隠れていた。
 辛気臭い雰囲気と露骨に不審な視線をぶつけられる状況から一歩離れ、眼を閉じ、疲労感に身を任せてソファに身体を預けると、直後に耳障りな音が管理室の扉の奥から響いた。

 ――カリカリ――カリカリ――――

 何かを引っかくような音だ。
 眼を開け、自然と姿勢を低く保ち、傍らの拳銃を握った。

 ――カリカリ――カリカリ――カリカリ――――
 
 扉の外から響く音がどんどんと強くなり、俺は直感的にそれを()だと思った。
 そして扉越しに敵のシルエットを思い描き、その眉間に照門を定めて引き金を引いた。
 しかし引き金が中ほどで止まった。敵を目前にした致命的な動作不良(ジャム)が起きたのだと理解した瞬間。俺の全身から、焦りと恐怖を混ぜこぜにした冷たい汗が大量に噴出した。
 ――――そして扉が開いた。
 




「――――っ!?」

 ジョーの全身がソファから跳ね上がった。
 直後にパシンという、強く肉を叩いた音が管理室に響いた。
 ジョーは全身から汗が噴出しているのを感じた。銃が握られている筈の右手には、実は何も握られていなかったのだと気づいた。反射的に握り込んで繰り出されたその拳は、丁度扉を開いて現れたジルの両手で受け止められていた。

「――夢、か?」

 ジョーはそこで初めて“夢”を見ていたのだと自覚した。

「悪い」
 
 寝ぼけていたとはいえ、咄嗟に殴り掛かった事をジョーは謝罪した。しかしジルは気にしないとばかりに、ジョーの拳に打たれた掌の痛みを払うようにひらひらと振り、「大丈夫?」と、声を掛けた。

「死ぬかと思った……」

 ジョーは全身の筋肉を弛緩させるように、だらりと四肢を投げ出してソファに深く身を沈めた。

「気持ちはわかるわ。私も洋館事件の後はしばらくそう(・・)だったもの」
「……そうか」
 
 眠りにつこうと横になるが直ぐに目が覚める。身体が深い眠りにつく事を拒んでいるような感覚。それらの症状にはジルも覚えがある。だからこそジルは「気休めかもしれないけど、その内、慣れるわ」と強く言い切った。

「……慣れろってかよ」

 余りに強かな物言いに、ジョーは思わず苦笑を浮かべた。そして同時に、ジルと言う存在(・・)に対して流石だと思った。

「――それより、起きたのなら丁度良いわ。いくつか聞きたい事があるのだけどいいかしら?」
「ぁん?」

 ジルはジョーのナップサックから“ハミルトンの資料”を取り出し、ジョーの座るソファの対面に腰を下した。

「私と合流する前に、何を見たのか詳しく話を聞かせて。特にこのサンプル(・・・・)に関する事は出来るだけ細かく」
「………………寝て起きて早々にやらせる事が取調べか」
「茶化さないで。それだけ重要な事なのよ」
「……そうかい」

 ジルの焦りはなんとなくだが理解出来た。それだけ重要な情報を持ち込んだと言う自覚があるジョーは、眼を閉じて、病院で起こった悪夢の光景を思い出した。

「――話してやっても良いけど、せめてカツ丼とか無いか? すげぇ腹減ったんだけど」

 ジョーは情報の代わりに、寝起き早々の強い空腹感を埋めるために冗談めかして食べ物を要求した。

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11 祈り、生存を求める者 後篇

 ラクーンシティにおける日用品の需要を一手に引き受けるスーパーの管理倉庫に逃げ延びた住人の数は、およそ60人と言ったところ。
 往々にして人が集まると、自然とそこで気の合う者や知り合い同士で更に小さく纏まりだし、そして一種の派閥を形成する様になる。
 例に漏れず、この食品管理倉庫に集まった生存者達も、やがて己の考えに近い者同士で自然と纏まりだした。

「――とにかく冷静になろう。パニックを起こすことが一番危険なんだ」
「そうだな……」
「あぁ」

 生存者の一人。ラクーン大学で教鞭をとる黒人男性のダニエルを中心に生まれた派閥は、ダニエルと同じく論理的合理的な考えを持っていた。ある意味で彼らは、この場所に集まった生存者の中でも有数の、真摯に事態からの脱却を考える集団だと言えるだろう。そんな彼らは時折、己を啓発する様に別の集団――主に敬虔なキリスト教信者を中心とし、無為に祈りの言葉を呟くだけ(・・)の集団を見ていた。
 まるで反面教師にするかのように自分以外の集団を見ては、彼らは「自分達だけでもしっかりせねば――」と強く自己を戒めていた。
 そんな空気の中でダニエルが音頭をとった。

「――まずはなにより外の情報が必要だ。皆、なにか事態の打開に良い意見はないだろうか?」
「ラジオもテレビもほとんど機能していないからな。情報と言ってもそう簡単に手に入らないよ」
「しかしこの災害(・・)の対処に州軍はもう動いているじゃろう。ひたすら待つより、こちらからもビーコンかもしくは狼煙を上げた方が良い。捜索の手間を省く意味でもな」
「おいおい爺さん。州軍が動いてるってなぜそんな事が言えるんだ?」
「――なぜってそんなの此処がアンブレラを抱える街だからさ」

 と、ダニエルの傍らに立つ年若い男。倉庫を管理するスーパーの従業員であるマリオが議論に口を挟んだ。
 曰く、ラクーンシティーは天下のアンブレラの御膝元。国際企業を抱える街の未曾有の危機に対し、政府が何もしない事の方が考え難い。故に州軍や合衆国政府は既に事態鎮圧の為に動いている。と、そんな推論を堂々、断言するような物言いで語った。
 
「――だとしたら、当面の問題は、我々避難民がパニックを起さずに貴重な食料や水を無駄に消費しない事になるな」

 マリオの言葉に一理あると、集団は皆、無言で頷き、そしてダニエルが纏めるような結論を出す。

「救助が何れ来るとはいえ、それがいつになるかは流石に想像がつかないしな」
「ざっと計算してみたが食料は兎も角、水が絶対的に足りないよ。もって精々二週間ってところだね」
「二週間、か……」

 マリオが言い切る二週間と言う期限が、この場合にどれほど精確であるかは重要ではない。自称“論理行動派”の彼らにとって重要なのは、それが自分達派閥の出した答えである事。そしてその答えこそが唯一正しいと周囲から肯定される事だからだ。
 彼ら一同は、状況に対して最も前向きにプランを考えているという強い自覚が在った。故に別の派閥が出した意見には拒絶反応が出る。
 慎重にして冷静な行動を良しとする姿勢を彼らは尊ぶが、その実、寛容さは薄い。
 理由は他ならぬ彼ら自身が、己こそが見識者でありそれなりに頭が良いという風に考える所為だ。

「女、子供や老人、病人を除いて、動ける者はなるべく自力での脱出を考えた方が良いだろう。確か警察から街の外にヘリで脱出するルートを指示されたと思うが、覚えているか?」
「あぁ。確か動物園の向こうにある車両集積ターミナルと時計台とその周辺がそうだった筈じゃ。まぁ、警察のアナウンスが正しければの話だが、な」
「――なら、決まりだな」

 ダニエル一同が脱出のあてにするヘリコプターは、この瞬間にも編隊を組んでラクーンシティーの上空を飛んでいた。しかしそのヘリ自体が、民間人の救出用に用意された代物ではないと、彼らは気づかなかった。
 彼らの不幸はそこにあった。
 街で起きた未曾有の危機の原因が信頼に足る企業アンブレラである事を想像出来ない。理由は“ありえない”からだ。数ヶ月前の洋館事件でその生存者が声高に真実を叫んだ際、それを一蹴した理由もまた、“ありえない”からだ。
 彼らはどうしようもなく冷静に模範的で在ろうとするが故に、己の常識から離れた位置にある真実に気づかない。――否、知ろうとはしない。
 だからこそ、彼らの中に『アンブレラが生存者の全滅を望んでおり、上空に待機するヘリのほとんどが軍事作戦の為に用意された戦力である』という考えを持つ者は、一人として存在し得なかった。
 
「――そう言えば、少し前に私服警官が連れて来た少年なんだが武器を持っていたぞ? ありゃたぶんロシアのAKだったと思う」
「本当か?」
「あぁ。脱出にしても武器が必要だ。話を聞いてみた方が良いだろう」

 彼らの視線は自然と管理室の方に向いた。
 事態に対して率先して行動力を発揮する人々の心にあるのは、いつだって強い不安である。
 不安をかき消す為に彼らは行動する事を良しとする。
 それが救いに繋がるかどうかは別として、彼らは彼らなりに必死に生き残る為の行動を開始するのだ。




 寝起き早々に説明を要求するジルに、ジョーは覚えている範囲の出来事を事細かに説明した。
 ロバートが必要とするインスリンを回収する為に病院に向かった事。病院の地下で知り合ったジョージ・ハミルトンという町医者の事。その二つをジョーは重点的に話した。
 質疑応答の中でジルは、ジョージ・ハミルトンという男がどのような伝からTウィルスワクチンの研究情報を得たのかを知りたがった。曰く、一介の町医者が企業の最高機密に近い情報を得た事がそもそも怪しいとの事。
 ジルは聞かされた状況から、ハミルトンがアンブレラの秘密職員ではないかという疑念を抱いた。

「――それだけは絶対にねぇよ」
「なぜそう言い切れるの?」
「―――――」

 疑いを持つジルの意見は冷静になった今の段階で改めて考えてみると、確かに怪しく見えた。その点についてはジョーも同意である。――だがしかし、ジョーは頑なにハミルトンの潔白を信じた。

「ハミルトンが何らかの想いを受けて研究を行っていた事は事実だろうよ。本人は現実逃避だって自嘲してたし、今思えばそれ自体は確かに怪しいかもしれない。だけど地獄と化した病院の地下でたった一人になってもそれをやり遂げた勇気は賞賛されるべきだろう? ――死んだ奴を今更、疑って意味が有るのか? ハミルトンは立派だった。ソレでいいじゃねェか」
「――そうね。ごめんなさい」

 露骨に不機嫌な表情を見せたジョーに、ジルは素直に謝罪した。
 怪しくは在るがハミルトンと言う男が見せた勇気は事実である。そして本当の意味で憤怒を覚えるべき相手は、ハミルトンを撃ったUの頭文字を持つ戦闘集団とその飼い主である。他ならぬジル・バレンタインが、その論点を見誤る事は無い。
 互いに稀有な情報を知る者同士。その不和を避ける意味でも、ジルはそれ以降、ハミルトンについての追求をやめた。
 ジョーは改めて、その後病院内部で起きた銃撃戦の事を話した。

「――U.S.S.?」
「あぁ。戦闘中の会話だから連中が何を目的にしてるかまでは分からない。ただ、ハミルトンを撃ったのはそいつらだって言える。それとその場所には同じ様なU.B.C.S.っていう戦闘集団も居た。似たような名前でもあんまり双方の仲はよさそうには見えなかったな」
「どちらもアンブレラの兵隊よ。片方は傭兵。もう片方は子飼いの戦闘集団。共通しているのはどちらも碌な存在じゃないって事だけね」
「――――――」

 ジルは静かにその拳を握りこんだ。
 幾ばくかの沈黙の末にジルは結論と共に口を開く――

「――白衣を見た瞬間に射殺したという話が本当なら、アンブレラはもう見切りをつけたのだと思う。恐らく街ごと切り捨てるつもりだわ」
「かもな……」
 
 ジョーは短くそれを肯定した。
 そんな冷静な納得の態度を受け、ジルは意外そうな顔を浮かべた。

「――なに?」
「いえ、こういう話をすると考え過ぎだとか、大げさだとか、って言う人ばかりだから少しね――」
「人間だ! 撃つな! っていうアピールを無視してハミルトンを撃ちやがったのを脇で見たからな。この期に及んでアンブレラを信用出来るほど寝ぼけてねーよ」

 と、ジョーは吐き捨てるように言った。

「――そう言えばそのU.B.C.S.のニコライって言うロシア人が、アンタの事を探してたぜ? ファンって言う感じでもなかったから適当に誤魔化したけど、気をつけた方がいい」

 ジョーは思い出したようにニコライの情報を付け加えた。ニコライがゲームと同じような存在であるならば、ジルにとっては確実に敵と言えるからだ。

「忠告として受け取るわ。ありがとう」
「―――っ」

 一見して怜悧で冷たい印象を受けるジルだが、この時にジョーに向けられた感謝の笑みはとても温かいものであった。不安と恐怖に満ちた不穏な空気の中で、一際輝いて見える人情的な笑みを受け、ジョーは思わず眼を伏せる。
 するとそんなジョーの反応を見て、ジルは少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「あら、照れてるの?」
「うるせぇ。今はそういうのはいいから。とりあえずハミルトンの資料をどうするのか(・・・・・・)さっさと決めてくれ。そいつは俺が持ってるより、おたくらの方が上手く使えるんだろう?」

 ジョーは話を逸らすようにハミルトンの残した手記とワクチンの研究資料を顎で差した。
 洋館事件と現在のラクーンシティーの惨劇。その二つの渦中にあるジルにとって、ジョーの持ち込んだ情報は値千金の価値がある。なんとしても外に持ち出す必要があり、決して消失させてはならない代物。
 その扱いをどうするのかという提案を受け、ジルは茶化すような表情を一変させて、直ぐに真剣な面持ちで顎に手を添える。

「そうね。これらの資料は最悪、脱出の優先度を下げてでも外に出すべきだわ。方法として確実なのは、警察署のオフィスにあったFAXだけど――――」
「なら話は早い。俺も店長にインスリンを届けなきゃならないし、その後は警察署にも行くつもりなんだ。直に夜も明けるし、夜明けと同時に――――」

 ジルも警察署に行くつもりなら、ジョーにとってもそれはひどく都合が良い。しかし夜明けと同時に一緒に出発する(・・・・・・・)という提案を、半ば程まで口にしたジョーの脳裏に、ふと、かの有名な追跡者(ネメシス)の存在が過ぎった。
 ジルを含めた残存するS.T.A.R.S.を抹殺する為に送り込まれた恐るべきアンブレラのターミネーターだ。
 彼の存在を思い出したジョーは思わず途中で言葉を切り、同時に中途半端な形で硬直した。 
 ――――が、そんなジョーに対して当然訝しげな表情を浮かべて当たり前な筈のジルは、まるで別の事を考えているような表情を浮かべていた。

「どうした?」

 ジルの様子にジョーは思わず尋ねた。

「いえ。私が此処を動くと言ったら反対する人がどれだけ出るのかと思ってね。警察官というだけで、あれこれと面倒を言う人が多いのよ」

 ジルは疲れたような吐息を漏らした。
 その時、扉から控えめなノックが響いた。

「――すまない。少し良いだろうか?」
「どうしたの? 何か問題が?」
「いや、問題と言うより提案なんだが――」

 ジョーは扉が開かれるより早くに、ナップザックの中にハミルトンの資料を仕舞った。対するジルの方はソファを立ち、管理室やって来た男――ダニエルに応対する。しかし訪れたダニエルの視線は、応対するジルを通り過ぎ、ジョーの方へと向けられた。





 銃大国アメリカと言えど、民間人がどんな銃でも入手できるかと言えば、実はそうではない。
 戦闘に用いられる火器は大抵が購入と所持に関して専用のライセンスを必要とするし、州によっては民間への販売自体を許さない場合もある。
 ゾンビパニックを描いたゲームや映画に登場する民間人が、共通して使う武器にハンドガンやショットガンが多いのは、恐らくはそれが理由だと考えられる。
 ジョーが病院内部で回収し、現在の避難場所に持ち込んだAK-47――否、アサルトライフルと言う代物は、戦闘用の火器であり、それを所持出来るのは基本的に軍人のみだとされている。一応、警察の特殊部隊にも支給されている場合はあれ、普通の警察もやはりメインで使う武器は基本ハンドガンであり、大捕物と言った場合において時々ショットガンが利用されるくらい。――――つまり明らかに民間人であるジョー・ナガトが持ち込んだアサルトライフル(AK-47)という代物は、非常に異様な存在なのだ。
 それこそ、この悪夢からなんとしても生還しようと足掻く集団の目を引く程に――

 アサルトライフルを何処で手に入れたのか? 他の人にも渡る数が手に入るのか? 管理室のジョーを訪ねたダニエルと言う男の目的は、端的に言えばそれである。
 ダニエルを中心に集まった一部の集団は、無為に避難所に立てこもるだけを良しとせず、自力でラクーンシティーからの脱出を考えており、それに先立ち、ダニエルは脱出に必要な武器の情報と、可能であればジョーに自身らの護衛を求めた。

「――危険は承知の上だ。しかし君の話だと病院は既に爆破されたのだろう? 君の言うヒルの化け物もそれに巻き込まれて死んでいる可能性の方が高い。そうは考えられないだろうか?」
「何、言ってるんだか――」

 ジョーはダニエルの余りに楽観的な言葉に、思わず溜息を吐いた。
 ジョーが持ち込んだアサルトライフルの入手先はラクーン総合病院。そしてダニエルが目指す脱出のルートは、その病院の裏手にあるセントミカエル時計台。
 病院での光景を未だ色濃く覚えているジョーは、病院での出来事を話す事で、やんわりとダニエル達の無謀を引き止めに掛かった。

「――あの(・・)ヒルがそう簡単にくたばるわけないだろう? 第一、アンブレラの特殊部隊同士が殺し合ってる場所だ。のこのこ出て行っても死ぬだけ。悪い事はいわない。あそこに行くのだけは絶対にやめておけ」
「常識的に考えてみれば分かると思うが、ヒルは熱に弱い。それに、別に私達は病院内部を探索するわけじゃあない。落ちている武器を拾うだけだ。それにヘリでの脱出ポートはその裏の時計台にある。もとより病院に長居するつもりは無いさ」
「ヒルだけに気をつけていれば良いってわけじゃあない。もしアンブレラの連中に見つかってみろ。あんた等全員死ぬぞ? コレはたちの悪い冗談の類じゃあない」
「――それに関してなんだが私にはどうにもそれが信じがたい」
「――――ぁ゛?」

 ジョーは突如、背後から殴られたに等しい理解し難い衝撃を受けた。思わず漏れた声は、そのままジョーの抱いた強い戸惑いを示していた。

(――――やっぱり。これが多くの人が持つ認識なのね)
 
 ジョーとダニエルのやり取りを一歩引いた位置で見守るジルは思った。
 これがラクーンシティに住む多くの住人の意見なのだと。彼らは決して、アンブレラが黒幕だと思うことは無い。刷り込みのように長い時間を掛けて生まれた、アンブレラと言う企業に対するクリーンなイメージは、そう簡単には覆せ無いのだと。
 ジルはこの瞬間にジョーが抱いた歯がゆさを、手に取るように理解した。ジルも今のジョーと同じ道を通り、同じ歯がゆさを感じた事があるからだ。
 そんなジルと困惑したジョーを尻目に、ダニエルは淡々と常識的な事を言った。

「撃たれたと君は言うが、それは一種の誤りなのではないのか? 君の知人の身に起きた事は確かに不幸な事だとは思う。が、しかし単純に視界が悪くてゾンビだと誤認されたのだとは考えられないだろうか? この状況で民間人を態々狙って撃つ意味など何処にある? きちんとこちらから存在をアピールしていけば、誤射される事は――――」
「――ふざけんな、この野郎ッ!!」

 ラクーン大学に勤めるダニエルの、無知な若者に諭すような上からの物言いに、ジョーは思わず怒鳴った。そして反射的にダニエルの胸倉を掴んで立ち上がった。

「落ち着け!」
「落ち着いて、ジョー!」

 ジョーの激昂にジルが慌てて止めに入った。そうしなければこの瞬間にもジョーは、ダニエルを殴りそうだったからだ。

「おい、感情的になるな! 私は極めて客観的且つ常識的な話をしているだけだ! 不快に思ったのならば謝る!」
「くっ――――」

 突然の暴力に怯んだダニエルは謝罪を口にした。ジョーは利き腕をジルに捕られた事もあり、そのまま乱暴な形でダニエルを掴んだ腕を振り払った。
 ジョーは大きく息を吐き、吐き捨てるように言った。

「――周りを見てみろよ。今のこの街のどこにアンタの言う“常識”って奴が転がってるんだ? もう病院だろうと時計台だろうと勝手に行けよ。欲しがってるAKはそこにゴロゴロ転がってるだろうぜ」
「――――あぁ、情報に感謝する。私も言葉が過ぎたようだ。別に君と喧嘩をしたいわけじゃない。それだけは分かってくれ」
「―――――」

 ダニエルは皺のついた胸元を正し、乱れた吐息を整えるように一拍程置いてから席を立った。
 その去り際。ジョーを睨むダニエルの目には極めて不愉快だと言う感情が滲み出ていた。


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12 選択を迫る産声

 ジョー・ナガトの手記 その5

 何が正解で、不正解なのかは誰にも分からない。
 俺も自分の判断が絶対に正しいなんて口が裂けても言うつもりはない。
 だが、他の連中よりは持っている手札の数が多いと思う。それだけは確かだ。
 アパートを脱出してからオルガ達と合流し、教会を抜けてから店長と再会した。
 その後、単独で病院を目指そうと判断したのは、少なくともそんな手札のおかげだ。
 だからと言って俺の意見に従え――と、周囲に傲慢な事を言うつもりはもちろん無い。
 しかし俺の持っている情報で、多少は避けられる死があると思うのも事実だ。
 とはいえ、俺の判断で本当に生き残れるかはそれも運しだいだ。
 そこに一々文句をつけられても責任は取れないし、だから結局、俺もぼかしぼかしにしか物を言えない事の方が多い。
 まぁ、要するに、万人を救えるようなご大層な英雄なんかには絶対になれないと言う話だ。とはいえ、実際にそんなもんになるのはこっちから願い下げだが――

 それと、先程話したダニエルという男についてだが、冷静になってみると奴の言い分もそれ自体が間違っているとは思えない自分に気づいた。
 ハミルトンが死んだ理由をアクシデントだと言い切りやがった事については、今後も徹底して正していくつもりだが、それを一先ず脇においても一考の価値がある話し合いだと思える。
 思うに、ダニエルの様にアンブレラの裏の顔を知らないのであれば、恐らくは彼のような考え方が一般的なのだ。今でこそ俺は真実を知っている身の上だが、どんな因果でこうなったのか未だに不明である。もしも此処がバイオの世界だと知らないままなら、俺もダニエルと同じ様な判断を下した可能性が、決して無いとは言い切れない。
 だから一応、あの場は俺の方が短慮だったと反省する事にする。
 
 その事に関係してふと思い出すのは、バリーが洋館事件の事を周囲に話している際、その途中でよく茶々が入って不機嫌な顔をする様子だ。
 今ならその理由が分かる。
 今の俺も、良く言えば当時のバリーと似たような立場だからだ。
 実際なってみると分かるが、物凄く歯がゆい。
 コレばっかりは絶対に正しいと断言できる話を誰にも信じてもらえないという無力感と言うか、憤りと言うか――
 筐体を殴るチンピラのように、思わず手近な物に当たり散らしたくなる衝動に駆られる。
 
 まぁ、実際に俺の場合は、既にダニエルを殴りそうになってはいるが――
 
 兎も角、冷静に振舞っているジルやバリーはよくやっていると素直に尊敬する。尊敬ついでに、ジル達と同じスターズで、店の常連だったクリスの場合はどうだろうかと少し考えてみたが、俺の知る限りでのクリスの性格なら、ぶち切れて暴れて警察を辞職してる気がした。
 それなりの学歴を持つインテリだが、ぶっちゃけ微妙にゴリラっぽい所があったし……
 それともう一つ。ゴリラ(クリス)繋がりでの話になるが、この避難所でゴリラの――じゃなくてクリスの妹のクレア・レッドフィールドを発見した。
 この出会いは我ながら非常に幸運だと思った。
 クリスが初代、ジルがバイオ3の主人公ならば、クレアはバイオ2の主人公的存在である。
 だが、俺の記憶が正しければ、ゲームのクレア編の冒頭は、彼女が街の外からバイクで来る演出で始まった気がする。
 冒頭でゾンビの襲撃に遭い、もう一人の主人公レオンと出会い、それから街を脱出するといったシナリオの中に存在するのが当然と考えていたので、余計にクレアの存在が不自然であり、不気味だと思えた。
 考えてもみれば、クレアは偶然街に寄ったというより、元々クリスを探す為にラクーンシティを目指していたという描写があった気がする。
 だから考えようによっては単純に街に到着しているタイミングが早いだけとも考えられる。
 ――だが“正史”と呼べる流れから大きく食い違うこの状況を見て、流石に楽観出来るほど、俺は図太くは無かった。
 生き残りそうなキャラクターの後ろに追従して、金魚の糞のように脱出に便乗すれば良いという楽観は、徹底的に殺したほうが良いかもしれない。
 もとよりそんな楽観は持ち合わせていないが、此処へ来て改めてそれを理解させられた様な気がする。

 此処はインクリボンを使えば簡単にセーブできる世界じゃない。
 一度死んだら終わりの真っ当な現実だ。
 今までの行動を見直す意味でも、俺は今後を、もっと危機感を持って動くべきだろう……。



 
 
「――ねぇ、さっきの事だけど」
「ぁん?」

 ジルの取調べ、その後のダニエルとの一件の後、ジョーは管理室を出た。
 それはスーパーの管理倉庫と言うくらいだから、失った物資の補給が多少はできると思っての行動だった。
 ジョー・ナガトがクレア・レッドフィールドに出会ったのは、まさにその矢先である。

「彼に何を言われたのかは分からないけど、きっと彼にも悪気は無いはずよ。だからあんまり誤解しないであげて」
「………………あぁ」
「それより調子はどう? 一部の人は貴方をゾンビになるって恐れてるけど、そう言った兆候はある?」
「いや――」

 クレアの言葉には相手に対する強い気遣いが見え隠れした。
 それに当然気づくと同時に、ジョーはクレア・レッドフィールドという人物とこの場所で出会った事に対しての強い驚きを感じた。その衝撃はジルと出会った時よりも更に大きいものだ。
 結果としてこの出会いが無意識に抱いていた“ゲームの世界”という認識を大きく変える事となる。

 クレアと交わした言葉は実際にはとても短いものであった。
 互いに名乗り、そして世間話のいくつかとジョーに対する生存者達の認識について軽く触れたくらい。
 とはいえ結果としてその多くはジョーの今後を左右する要となった。

「監視、か」

 クレア曰く、管理室でダニエルに向けて怒鳴った声は外に居る幾人かの生存者の耳にも届いていた。また此処に訪れた時から既に、ジョーは感染の疑いのある人間と言う扱いでジルに監視されていた。
 監視の件に付いてはジョーも初耳だったが、ジル自身はジョーの感染を否定しており、その判断をクレアも信じている様子。しかしそれ以外の多くはそうではないらしく、感情的にダニエルに怒鳴った件が悪い意味で拡散した事もあり、ジョーを見る生存者の目は恐々としたものになっていると、クレアは忠告を残した。

「――嫌な感じだな」

 ジョーは思わずぼやいた。

 年齢も人種もそれぞれ違う生存者達だが、時間の経過と共に烏合の衆から自然と派閥を形成するようになった。
 ダニエルを初めとする自ら救助地点を目指す集団。通称――ダニエル派。
 ダリオ・ロッソを初めとする頑なに避難所に立てこもる集団。通称――ダリオ派。
 管理倉庫に逃げ込んだ生存者は大まかに分けてその二つに分けられるが、心情的にダニエル派、ダリオ派のどちらにも相容れない者も数多く存在する。
 そうした者達の受け皿となっているのが、ジルとクレアであった。
 ダニエル派と同じく自力での脱出を是とするものの、ダニエル派の性質や彼らが取るであろう進路に追従する事は否と考える者達。それらは自然と、夜明けと共に警察署に向う予定の警察官ジル・バレンタインを中心に集まった。
 またダリオ・ロッソ派のように救助を待つ事を是とする考えの中には、率先して中長期的な避難生活の為に、ある程度の危険を冒して周囲の安全確保をするべきだと唱える者も居る。その意見は老境に差し掛かった者に程多く、彼らは常に周囲への配慮と手助けに尽力するクレア・レッドフィールドを中心に集まり始めた。
 何もかもが見通せぬ不安の中。自らで選ぶ事をあえて放棄し、強くリーダーシップを取る人間に己の進退を委ねると言う者は多い。ダニエル、ダリオ、クレア、ジルの4つの派閥のいずれかに身を寄せる者達の心情の大部分がそれだ。
 とはいえ、あえて派閥には属さず独自の直感を信じ、折を見て勝手に行動する事を是とする者も少なくは存在した。
 ジョーは図らずも、その数少ない独自路線を貫く一派の筆頭と言う風に周囲に認識された。

「こんな状況で政治ごっこか。よくやるよ、本当に――」

 個人と言う単位であるならジルもダニエルも互いに歩調を合わせて歩くだろう。しかし現状はそれぞれに多くの支持者がついている。望んで派閥を率いた者など初めからいないだろう。単純に縋る者を切り捨てて行けない性根がそれを作ったのだ。
 はっきり言えば、目的を見つけて積極的に動こうとする足を引っ張る枷の様に思えた。

 倉庫の中央に集まった各派閥の中心人物は話し合いを始めた。
 いつまでもこの場に留まる事は出来ない。夜明けと共に出発する。だから皆、此処で選べ――。
 出発の賛同する者はそれで良し。もしも思うところがあるなら残る。
 一見すると実に単純な選択肢だが、中心人物4人の話し合いは、選択を委ねた他多くの避難民に悲鳴を上げさせた。
 一部の者は考えを改めるように叫ぶ。一部の者は周囲を盗み見る。
 幾条もの目配せの視線が飛び交う中、ジョーは淡々と己に必要だと思える行動を勝手に開始した。

 ――そんなジョーの背を、ジョーと同じく独自路線を貫く一人の男がジッと見ていた。





 
 ジョーは夜明けを前に、管理倉庫のコンテナにあるダンボールの蓋を開けて、不足した食料や消耗品の補給を行った。そして倉庫に繋がるスーパー店舗部分にある陳列棚から、適当なパン、レトルト食品、プロテイン等を集め、それを片端から口に入れて消耗したカロリーの補給を行った。
 眠る前に軽い食事を行ったにも関わらず、寝覚めの悪さと悪夢の所為かジョーの身体は強い空腹を感じていた。
 それが感染の所為か、薬の副作用か――そのどちらもがありえそうだと言う感想を抱きながら、ジョーはXLサイズのポテトチップスやコーラ等の炭酸といった種類を選ばず、とにかくカロリーの高いモノからどんどん口にした。
 その気になればBBQ用のブロック肉とてそのまま生で食べられそうな予感がする。それ程までに身体はカロリーを欲していた事が、はっきり言えば恐怖であった。
 食事を続けていると不意に身体が熱くなり、奥から汗が噴出してくる感覚がした。
 汗腺から噴出す老廃物が垢となり妙な痒みが全身に起こり、ジョーは思わず、燻製肉(ベーコン)の塊を噛み千切りながらリッカーにつけられた傷跡を確認した。

(流石に出血はないか。痒みはあれど頭はスッキリしてるし、日記もちゃんと文章になってる。仮に感染してるなら12時間以上も発症しないままって事は流石に――――)

 ゲームであれば、ステータス画面で感染か否かを瞬時に判別できる。
 自身の身体にTの抗体があったのか、それともハミルトンの作ったワクチンが正しく機能したのか。健康については未だに多くの謎が残るが、結局は己で勝手に大丈夫だと強く認識する以外に対処法が無い。
 最悪の場合は自決する。そう覚悟を決める他に方法が無い。
 脳裏にふと、ある一人の男の死に様が過ぎった。

「――っ」

 陰鬱な気分を振り払うようにジョーはさっさと燻製肉の塊を丸ごと口に含んで噛み潰した。
 思考を変え、今後の己がやるべき行動の目標を立てる。
 優先するべきはインスリンを届ける事と脱出ルートの確保だ。
 ジョーはマービンの言伝を信頼して、無心に警察署に向う事を考えていた。『ロバート・ケンドの銃砲店』を経由するルートの先には丁度警察署が存在する上、マービンの言う警察の脱出車両が使えなくとも、ゲームの知識として警察署の下水道を経由した先にはアンブレラの地下研究所が存在する。そこの脱出用の列車を駆使すれば、バイオ2のエンディングがそうであった様に、一応街からの脱出は可能だという風にジョーは考えたからだ。
 ゲームと同じ(・・)脱出ルートが、確実に存在するとはもはや言い切れない。クレアとの予期せぬ出会いによって、ジョーはゲームとしての情報を信頼し過ぎる危険に直面した。
 しかし何も思いつかなかった。
 街の端まで必死に行軍するという方法で本当に助かるのか? 出たとこ勝負で地下のアンブレラ研究所を探し、そこに在ると思われる(・・・・)プラットフォームを探して本当に大丈夫だろうか? 
 ふと、病院のエレベーターでハミルトンと共に降りる階層を悩んだ時の事を思い出す。あの時の賭けの失敗が今更になって尾を引いていると、ジョーは思わず苦い表情を浮かべた。
 図らずもジョーからハミルトンの資料を入手したジルは、その情報を外部に送る為に警察署を目指すと言う。少し前のジョーなら、そんなジルと示し合わせる形で夜明けを待って同行を選んだ筈だ。
 しかしジョーはこの時点で、追跡者(ネメシス)の事を思い出していた。
 追跡者とジルの邂逅は、よりにもよって警察署から始まる。そこへジルの仲間として同行すれば、それこそバイオ3の劇中と同じくブラッド・ビッカーズの二の舞である。ジョーは死んでもそれだけは避けたかった。
 ちなみにだが、もう一人のバイオの主人公であるクレアと行動を共にする場合だと、その際のクレア自身の選択にもよるが、ロバートにインスリンを届ける事が更に遅くなる可能性があった。
 そもそもジョーが単身で病院に潜り込んだ理由の半分が、友人であり上司のロバート・ケンドの為である。その彼の命に関わる薬品の到着を遅らせるという事はそのまま彼を見捨てるにも等しい行いに思えて、可能な限りは最短のルートを取りたいと思っていた。

「理想的なのはロバートに薬を届けて、また此処に戻るって辺りか? とはいえ、クレアと一緒に居たら安全ってわけでもねぇか……」

 考えれば考える程に纏まらず――
 どんどんどつぼに嵌っていく様な陰鬱な思考に、ジョーは大きく溜息を吐いた。
 結局満足いく答えは出なかった。
 出来たのは一先ず目的であった空腹を満たす作業が終了した事ぐらいである。
 ジョーは全身から噴出した汗と垢と汚れを洗い流そうと、ナップザックからスポーツタオルを取り出して、従業員用のトイレへと向った。
 洗面所の水でタオルを濡らし、上着とシャツを脱いだ。
 その際にジョーは、鏡に映った自身の身体に数日前には確実に存在しなかった不自然な変化がある事を目の当たりにした。

「おい、ちょっと、待て――――」

 一際目に付いたのはやけに発達した筋肉である。人並み程度に鍛えてあるとはいえ、多少の脂肪はついていた筈。
 それらの殆どが身体からそぎ落とされ、変わりにアスリートのように発達した筋肉が搭載されていた。
 しかも変化は腕や胸や腹のみに留まらず、顔や背中といった部分にも満遍なくである。
 垢と汚れをすり落とすようにタオルで拭うと、そこに在る発達した筋繊維の束は、決して見せかけだけのものではないと知ってしまった。

「――――っ!」

 あまりに不自然な肉体の変化。
 それを強く実感したジョーの脳裏には、直ぐにTウィルスという悪魔の存在が過ぎった。

「――落ち着け」

 思わず洗面台に手を付いた。
 駆け上がる不安と恐怖に、思わず目が見開かれた。
 そして此処がトイレだという事を忘れて、ジョーは深く深呼吸を――否、過呼吸を繰り返した。

「――落ち着け」
 
 己に言い聞かせるようにジョーは繰り返し言った。 

「――俺は正常だ。俺は人間。俺は人間……大丈夫。まだ生きてる、まだ生きてるッ!」

 まだ死んでいないという想いを込めて振りぬいた右の拳は、洗面台の鏡を砕きその奥の壁を陥没させた。
 拳に幾つかの傷が生まれた。
 ジョーは痛みを正しく認識出来た事に深く安堵した。
 痛みを感じる己はしっかり生きていると信じて、ジョーは顔を伏せて呟いた。

「――――信じるぞ、ハミルトン」

 零された呟きを聞き届ける者は誰もいない。
 深い孤独の中、ジョーは呼吸を整えるようにしばらくその場に無言で佇んだ。
 しかし無粋な悪意によって、その時間は唐突に終わりを告げた。
 突如、ジョーの周囲から“全て”の明かりが消えたのだ。





 残存するU.S.S.デルタの敢行した発電所襲撃作戦は成功を収め、それにより発電所からラクーンシティの全域に送られる電力が突如途絶えた。
 夜明けを目前にする街全域から唐突に明かりが消失すると同時。デルタからの任務完了の合図を受け、街の上空に待機する三機のヘリから巨大なシリンダーを内包する大型コンテナの三つが投下された。

『――“オペレーションラクーンシティ”始動。各自、状況を開始せよ』

 各地に投下されたコンテナが展開し内部のシリンダーが開くと、そこに搭載された巨大な人型(・・)がゆっくりと起動を始めた。

「……スタァァズ!」

 3体の追跡者は特徴的な産声をあげ、夜明けの迫るラクーンシティーの闇に轟臨した。

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13 最後の逃避行

 突然の停電は隠れ潜む市民の様子を一変させた。
 その混乱の様子を見たとある冷徹なアンブレラに所属する男は、「まるでライオンに遭遇したインパラの群れだ」と端的な感想を漏らし、小さく冷笑を浮かべた。
 混乱に喘ぐ人々の()を聞きつけた無数のゾンビがゆったりと騒乱の渦中に矛先を向け、そのゾンビの動きから状況を観察、精査するようにと命令を受けた無数のB.O.W.も行動を開始する。
 そうした一連の連鎖(・・)が、ラクーンシティーに点在する多くの避難所で同様に見受けられた。
 オペレーション・ラクーンシティの第一段階である“送電機能の停止”は、まさにアンブレラ上層部が望んだ通りの結果を見せたと言えるだろう。
 隠れ潜む街の生存者は、まるで害虫を暗渠から燻り出して駆除する様に、苛烈なまでに屠殺されていった。
 作戦の開始から凡そ30分の間に、延べ500名に近い生存者が命を落とした。
 そしてその頃になってからようやく街に朝日が昇った。
 しかし、闇は未だ晴れぬ。
 人々はそれを知っている。
 ――知っているからこそ彼らは強い絶望を感じて嘆き続けた。





「――皆、落ち着いて!」
「落ち着け! 落ち着くんだ!」

 状況の変化を敏感に察知した者が悲鳴を上げ、その悲鳴を発端とした恐怖と周囲に伝播する。動揺が避難所の全体に広がるまでにそう多くの時間は必要とせず。行き着いた先はまさに阿鼻叫喚とした混沌そのもの――
 各所で上がる悲鳴に対し、比較的に冷静さを維持する者はこぞって言葉を張り上げた。
 だがその声も一変した状況の前には余りにも微力で、
 
「――もう嫌よ! こんな所に居られないわ!」

 と、恐怖に折った避難者の心を繋ぎとめる楔にすらなりえなかった。

「誰か!」

 狂乱した一人の老女が外の薄明かりが漏れる避難所の分厚い鋼鉄のシャッターに飛びついた。そして狂ったように拳を握り、ガンガンとそれを叩き始めた。
 外をうろつくゾンビの進入を防ぐ為に封鎖されたシャッター。それを動かすにはまさに今、供給を奪われた電力が必要となる。人力で動かす方法は無きにしも非ずだが、所詮は外来の一般市民でしかない彼女がそれを知るはずもなく――

「誰か! 誰か、助けて!」

 老女は己を閉じ込めていると錯覚した分厚い鉄の扉を大きく打ち鳴らし、ひたすらにヒステリックな声を張り上げた。

「婆さん正気か!?」

 老女の行動がどれほどの危険を孕んでいるのか。それに気づいた一部が周囲から伝播する恐怖を撥ね付け、本来の冷静さを取り戻した。しかしその顔は壮絶に青ざめたものだ。
 その内の一人であるダニエルは口汚く「ファック!」と吐き捨て、シャッターの前に縋りつく老女を羽交い絞めにした。

「落ち着け!」
「邪魔をしないでよ!」
「冷静になれ!」
「冷静よ! 助けを呼ぶのよ! 放して!」
「っ!?」

 狂乱する老女が振り回した固い肘がダニエルの鼻先に当たり、その衝撃でダニエルは大きく呻いた。
 鼻血が噴出した顔を抑えながら、ダニエルは堪らず老女から距離を置く。

「くっそ! 誰か手を貸してくれ、彼女を止めるんだ!」

 ダニエルは素早く周囲に視線を走らせ声を張り上げた。
 周囲の注目がシャッターの付近に集まり始めた。
 ダニエルと老女がそれぞれ言う“手を貸せ”という台詞の意味はまるで対照的なモノ。しかしそれを冷静に判別出来る程に落ち着いた者はさほど多くはない。
 ――――結果、混沌が芽吹いた。





 少し遅れて周囲の状況を目の当たりにしたジョーは思わず「滅茶苦茶だ……」と眉をしかめた。しかしその顔には、先程までの恐怖や不安といった感情の色はなかった。理由は単純で、恐怖で足を止めるには聊か状況が酷に過ぎたからだ。
 危険の中に身を埋めている時は無駄な思考を挟む必要がない。そうしたある種の防衛本能により、ジョーの心は今現在、一時的に麻酔が掛かったように軽くなっていた。
 それが良いかどうかの思考は一先ず脇に捨て、ジョーはとにかく、目の前の状況に対してどう対処するべきかと極めてシンプルにモノを考えていた。

「――どういう状況なんだ?」

 ベレッタとペンライトを構えて倉庫区画に戻ったジョーは早速、直ぐ近くで佇んでいた作業服の男に尋ねた。
 腕を組んで一人佇む男の印象は、端的に言えば粗野。
 無精ひげの目立つ30代半ば頃の精悍な顔立ちに、血糊の付着した無数の工具が釣り下がるベルト。血と泥汚れでくすんだ現場作業服を纏う無骨な出で立ちのどれをとっても、一般市民というカテゴリーからひどく浮いているような印象を受ける。

「……見ての通り、電力が途絶えたらしい」

 男はジョーの質問に対して、まるで機材の性能を調査するかに近い冷淡な視線をに向けて言った。
 視線はジョーの手にするベレッタ、マグナム、モスカートの位置を順に確認するように動き、言葉はその確認のついで(・・・)に付け加えたという感じである。

「……なるほど。ご丁寧にどうも」

 ジョーはそう短く礼を言って踵を返した。内心では密かに、話しかける相手を間違えたと小さな溜息を吐いていた。
 しかしそうした思考で去ろうとしたジョーに向け、男はもう一つだけ短い言葉を付け加えた。

「……余り銃を過信するな」

 ジョーは思わず足を止めた。

「……銃弾は希少だ。考えて使え……」

 男の台詞は今度こそ打ち切られた。
 言葉少なく警告を送りつけた男は、得物(・・)である鉄パイプとコンクリ片から自作した無骨な“戦槌”を担ぎ上げ、煌々と足元照らす頑丈な懐中電灯を拾い去っていった。

「………………」

 なんとも形容し難い印象を受ける男だった。
 名も知らぬその作業服の背を見送ったジョーは、不意に己の現在の膂力を確かめるように拳を握りこんだ。

(――傭兵か?)

 去り行く男の背を見て、ふと抱いた疑問をその背中に投げかける。
 その手の職種(・・・・・・)の人間に近い何か。言い換えるならば、陰鬱な鉄火場で染み付いた火薬の臭い。不意に作業服の男が持つ独特の気配が、数時間前に病院で相対したU.B.C.S.のニコライと似ているという風に思えた。

「ジョー!」
「っ!?」
「良かった。突然見えなくなったから何処に行ったのか探してたのよ?」

 その時、ジョーの肩をジルが叩いた。

「あぁ、悪い。ちょっと、な――」
「――? どうかしたの?」
「いや、なんでもない」
「そう……」

 ジルは避難者が使っていたランタンの一つを手にし、ジョーの顔を照らすように腕を上げた。

「――顔色はさっきより良さそうね?」
「あれこれと余計な事を考える暇が無くなった所為かもな」
「無理は禁物、と言いたいところだけど、それで冷静さを保てるならありがたいわ。……皆、そうは行かないもの」
「………………」

 ジルは周囲の混沌とする様子を見渡して眉を顰め、ジョーも彼女が言わんとする事を察した。
 ラクーンシティー全域の明かりが消失した事は決して小さな問題ではない。時刻は既に朝とも呼べる時間帯だが、朝が来ればもう一度夜が来るのがこの世の摂理。先程まで冷静さを保っていられた者程その事実に気づき始め、周囲の焦りと同調し、次第に冷静さを持つ者が消えて行く。そうした不穏がどんどんと空気に混ざっていく様な、陰鬱な状況だった。

「――潮時かもな」

 もはやこの場に安寧があると考える者は存在しない。そう察したジョーはジルに向けて端的に言った。

「周りに付き合い過ぎると死ぬぞ?」
「………………そうね」

 ジルは一つ溜息を吐いた。
 平時であれば鼻につく傲慢な意見だが、この瞬間における考え方としては的を射ている。
 目的、考え方、認識、信頼を共通とする人間と協力しても、死ぬ時は死ぬ。
 その厳しさを骨身に染みて理解する者同士、それ以上の問答は必要なかった。
 奇しくも、見ようによっては周囲の感情が脱出の側の意見で纏まっている。何らかの音頭を取るなら今しかないと、ジルは意を決したようだ。
 その時、ジルの直ぐ後ろを一人の男が駆けていった。

「ちくしょう! もうこんなところになんか、居られるか! ちくしょう……クソッ! 呪ってやる!」
「――っ!」

 暗がりの所為か背中にぶつかられたジルは姿勢を崩して強くたたらを踏んだ。

「どこみてやがる、クソッたれ!」

 ジルにぶつかった男――ダリオ・ロッソは、泣きじゃくるような声を張り上げた。

「ぶつかっといてそれはねぇだろ?」

 ジョーは転んだジルに手を貸しながら思わずダリオの物言いに舌打ちした。
 するとダリオの視線がジョーに向いた。そしてその表情が見る見るうちに恐怖と強い怒りに染まっていった。

「うるさいゾンビ野郎!」
「――ぁ?」
「全部テメェの所為だ、クソったれ!」

 ダリオは鋭くジョーに指を刺しながら吼えた。

「いいか、俺が死んだらお前らの所為だからな! 絶対に呪ってやる!」
「………………」

 狂乱するダリオとは、まともな会話が成り立たたなかった。
 ジョーは無言でそれを見送り、ダリオはそのまま何かに急かされるような足取りで倉庫片隅のコンテナの中に閉じこもった。
 コンテナの扉が内側から閉ざされる寸前。ダリオはジョーを睨みつけて「開けたら殺してやる!」と吼えた。

「――確かに潮時ね」

 ダリオの奇怪な行動を同じ様に見ていたジルがぼやいた。

「ゾンビ野郎、か……」
「狂人の戯言よ。気にする必要ないわ」
「………………」

 ジルは言うが、それに対してのジョーの返答は自嘲であった。
 開き直りと憤りの混じった心で手にしたベレッタを握りこむと、グリップがミシリッという鈍い音を立てた。
 ――しかしその音を聞き取った者はいなかった。混乱を一喝するように直後、一発の銃声(・・)が周囲に響いたからだ。

「――っ!?」

 ジョーとジルは突然の銃声に対して反射的に姿勢を低くとった。
 銃声はジョーの持つベレッタの様なオートマチックの音ではなかった。オートマチックの拳銃ならば薬莢の跳音が微かに銃声の残響に混ざるからだ。
 それがリボルバーの発砲音だと気づいたのは、ジョーのような商いとして銃を扱う人間と、実際にそれを使用する人間くらいだろう。そうした一部の人間の思考は、反射的に相手の残弾を5発もしくは4発という方面に移り、彼らは一様に第二射に対しての強い警戒心を顕にした。
 ふと、ジョーの視界の端に先程の作業服の男が映った。
 作業服の男も突然の銃声に警戒の姿勢をとっていた。
 その警戒の様子があまりにも堂に入っていた為、ジョーは作業服の男をもはや平凡な一般市民だという風には思わなかった。

(――もしアンブレラの雇われならぶっ殺す)

 ジョーの思考は殺伐とした感情で埋まり始めたが、直後に聞えた「――人殺し!」という甲高い悲鳴によって、その思考はかき消された。



 

 シャッターの周囲に群がる人々の一角でそれは起こった。
 銃声の先には一人の歳若い青年がいた。
 彼はトムの愛称で、周囲から慕われる気のいい青年だ。
 しかしこの時のトムの様子はまさしく異常である。
 普段の愛想のいいマスクなどまるで存在せず、彼は蒼白な顔で肩を震わせていた。

「俺が、悪いんじゃない……俺の所為じゃない! こいつが――――」

 床には硝煙を燻らせるバレルの短い護身用のリボルバーが一丁転がっていた。またその傍らには、腹を撃たれた一人の老女が血を流して倒れている。
 原因は老女が(・・・)取り出した銃にある。老女は狂乱の余り、身に帯びていた護身用の銃で周囲を恫喝してまでシャッターの外に逃れようとした。それを止めようとした複数人の内、トムが伸ばした手が誤って銃を暴発させた。
 それが一連の出来事である。
 ――――とはいえ冷静に状況を分析して、それを事故だと納得のゆく説明ができる程の人間はもはや存在しなかった。

「お、俺の所為じゃない!」
「――落ち着け!」
「俺の所為じゃないんだ。そんな眼で見るな!」

 トムは床のリボルバーを拾い上げた。
 度重なる恐怖と殺人の自責にトムの精神は壊れかけていた。
 周囲を囲う恐々とした視線が責め立てるような視線に見えたのか、トムは周囲に銃口を向けて逃げるようにシャッターの壁を背にした。

「銃を降ろすんだ。誰も君を責めたりしない!」
「そうだ、事故なんだよ。だから――――」
「そんなわけあるか! 俺を外に放り出す気だろ! そうだろ!」

 トムの脳裏にあるのは殺人を責められ、集団の外に単独ではじき出される恐怖だった。
 事実、トムを擁護する意見を口にした者以外の数名は、確実にそれを望んでいる様子だった。
 
「……か……かふっ……」

 床に倒れた老女は血を吹きながらもがいた。
 その様子にまだ意識があると気づいた医療経験を持つ数人が手を伸ばした。
 痛ましい様子に多くが沈痛な顔を見せ、同時に狂乱するトムを見る。

「なんだよ……」

 しかし、この瞬間に最も手を差し伸べるべきは他ならぬ彼であった。
 理由は何でも良い。
 とにかく手を差し伸べるべきであった。
 
『――止せ(ダメ)!』

 ジルが、クレアが、ダニエルが、ジョーが――
 目ざとく意図に気づいた者達は反射的に揃って声を張り上げた。
 しかし一足遅く――
 続いて響いた銃声は、自責の念に耐え切れなかったトム自身の頭を吹き飛ばした。
 再び甲高い悲鳴が響き、余りにも凄惨な人間の死を見る事になった避難者の多くが膝をついた。

「……もう嫌ぁ」

 誰かが力無く零した嘆きを皮切りに周囲に嗚咽が広がった。

「トーマス……」

 自害したトムの傍に居たにも関わらず、その自殺を止められなかった事を特に強く悔やむ男がいた。ダニエルである。
 もしも老女を撃った暴発の原因がトムの働いた無茶にあるとすれば、その無茶の原因を作ったのはダニエルにあるのかもしれない。
 最初期の段階でダニエル自身が単独で老女の狂乱を止めていればこんな事にはならなかったと、ダニエルも自責の念を抱く。
 ダニエルは横たわるトムの遺骸の瞼を閉じ、無言で十字を切り、その右手から二人の人間を殺した凶器(リボルバー)を外した。

「――彼女の様子は?」
「ダメ、血が止まらない!」

 老女の傍へと真っ先に駆け寄った女性がダニエルの問いに答えた。
 ダニエルは鼻先を肘で殴りつけられたとはいえ、撃たれた老女の苦しむ様子には流石に同情を禁じえなかった。
 ダニエルは横たわる老女の痛みを和らげるように、その肩にそっと触れた。



 ――――ジョーの脳裏に嫌な予感が走ったのは、まさにその時であった。

「そこから離れろっ!」

 ジョーは思わず声を張り上げ、走った。
 ジョーの傍らに居たジルも直ぐにそれの意図するところを察して後に続いた。
 周囲の視線を完全に無視したジョーの突発的な行動と、老女の白濁とした眼がギョロりとダニエルの首筋を見据えたのはまさに同じ瞬間であった。

「ガァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛――――」

 出血に喘ぐ老女が突如豹変した。
 老女は手近な肉――ダニエルに手を伸ばした。
 ジョーの只ならぬ様子にダニエルが首をかしげた時、既に老女ゾンビの顎はダニエルの喉下に届いていた。

「くっそ!」
「皆、逃げて!」

 ジョーが思わず舌打ち、ジルが叫ぶ。
 その意味を問う者は居ない。
 まさに今、老女がゾンビと化してダニエルを喰い始めたからだ。
 
「やめろぉああ――――!!」

 ダニエルの断末魔がこだました。
 それを皮切りに鬱屈した避難所に蔓延した恐怖と不安が、遂にパニックとなって大爆発を起した。
 その規模は停電の時の比ではない。もはや誰もが生き延びる事に必死になり、狂乱し、我先にと出口を探して蜘蛛の子のように散った。

「この――っ」

 ジョーは全力でダニエルの下に駆け寄り、渾身の力でダニエルの血肉を啜る老女の下顎を蹴り上げた。
 ゴキリッという破砕音が響き、老女の首がサッカーボールの様に真上に跳ね上がる。
 そこでようやく老女は絶命し動きを止めたが、既にダニエルも事切れていた。
 ――否、人間を辞めていた。

「ダメか……」
「彼は?」
「――――死んだ!」

 怒気の混ざった声でジョーは鬱陶しげに言った。
 逃げ惑う人の波に阻まれて一歩出遅れたジルが見たのは、喉を食い破られて死んだダニエルが白痴の様な声を上げてゆらりと立ち上がる瞬間だった。

「アァアアアア―――」

 もはやそこに冷静さと常識的な思考を語った生前の面影はない。
 手を伸ばしてジョーを喰らわんと手を伸ばすダニエルに向けて、ジルは素早くベレッタ92F(サムライエッジ)を抜いた。
 鋭い発砲音が響いた。
 ジルの撃った一発が肩を穿ち、ダニエルは後方によろめいた。

「………………」

 ジョーは不意に、床に落ちている護身用のリボルバーを見つけた。
 それはダニエルがトムの手から回収し、襲われた際に床に落としたモノだった。
 ジョーは己のベレッタの代わりに冷静に(・・・)それを拾い上げて、片手で構えた

「――ジル。もういい」
「え?」

 ジルの撃った一発ではまだ死に切れないともがくダニエルに、今度はジョーが引き金を引いた。
 止めを代わりたかったのか、それともジルに無駄弾を撃たせたく無かったのか――
 なんとも表現し難い泥のような感情を込めてジョーが今度こそ引導を渡した。
 シリンダーがグルリと周り、至近距離で放たれた3発の銃弾が顔に3つの風穴を穿つと、そこでようやくダニエルは動きを止めた。

「………………」

 撃ち抜かれ横たわるダニエルの遺骸を前にジョーは小さく溜息を吐いた。

 ――程なく、裏口の方面から無数の悲鳴が聞えた。

 それは余りの恐怖に先に外へと逃げだした者達の叫び声であった。更にその悲鳴の中には、おぞましい怪物の咆哮も存在した。
 並々ならぬ危険な()を聞き取ったジョーは短く、「行くか?」と周囲に問うた。
 パニックを起さずにその場に留まった生存者の数は、片手で数えられる程となり、そしてジョー自身はもはや、彼らが何をどう選ぼうと好きにさせるつもりであった。



忙殺と苦悩を天秤に掛けて考える事を止めた主人公。
久しぶりなので書き方とか色々おかしいかもしれません。
折を見て直します。
そして次回も未定です。すいませぬ


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