バイオハザード インクリボンがゴミと化した世界で (エネボル)
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01 かゆうまとか笑い事じゃない

 ジョー・ナガトの日記 その1

 9月23日

 予兆はもっと以前からあったのかもしれない。
 子供の頃に俺はラクーンシティーに転勤するという親父の話を聞いて蟲の知らせのような妙な忌避を覚えたからだ。
 それから数年が経ち、何時からか『人が人を食う』という奇怪な噂が街に流れ始めた。
 その辺りからだ。
 街で幾つかの暴動事件が発生し、その件数が日に日に増え始めたのは――
 そうした街に漂う不穏な空気に皆が怖がっている。そして日記だからこそ俺も素直に本音を書くが、正直な所不安に思っている一人だ。
 幸い親父が警察署に勤めているので、少しでも状況を知りたいと思う。
 だが親父に此処最近の事情を尋ねようにも、親父は数日前から家に帰ってこれない状況らしい。
 恐らくだが、件の事件の影響で仕事が増えたのだろう。
 それにしても――と、思う。まぁ、仕方が無いかも知れないが……。
 父子家庭且つ親父が警察官な子供の宿命故か、独りで夜を明かす事にもすっかり慣れてしまった。
 此処最近の街の様子には少なくない不安を感じているが、不安がってばかりいても仕方が無い。
 戸締りと有事への備えをしっかりと確認してから今日は寝る事にする。
 どうにもこの数日、体調が悪くて仕方が無い。
 微妙に熱っぽいし頭が痛い。


 9月24日
 
 微熱が続いている。
 だがこの程度、少し休んでいれば大丈夫だろう。
 それよりも問題は、昨日の時点で街には非常事態宣言が出された事だ。
 昨日の夕方の時点で付近の学校には緊急閉鎖の知らせが届いたらしい。
 熱が少し引いたので単位の為に久しぶりに授業に顔を出そうかと思ったのだが、早速出鼻を挫かれた。
 まぁ、それはいい。それならそれで安静にしておく事にする。
 それと用のない外出は控え戸締りは厳重にという知らせを市と警察の両方から受けた。
 なんとも物々しい事だ。
 独りで家に居るのもなんだか気分が滅入るので、今日は久しぶりにバイト先のロバートケンドの銃砲店に向う事にした。
 街に不穏な空気が流れている所為でか、店には未だかつてない程の活気が訪れていた。俺も少し手伝った。
 しかし店主のロバートも最初こそ飛ぶように売れていく様子を見て少しはしゃいでいたが、事態が武器を求める程に緊迫していると察したらしく、彼も遂には街に対する不安を吐露した。
 ――――正直俺も何事も無ければ良いと思う。
 しかしそうした俺達の祈りを余所に、家に帰ると留守番電話に親父からのメッセージが届いていた。
 『出かける時は必ず銃を携帯しろ』、『必要とあれば親父の私物のいくつかを拝借しても良い』という言伝。そしてもう一つ。連日の暴動事件の対応に掛かりきりで、取り押さえようとした暴徒に腕の一部を噛み千切られたという報告だ。
 噛み付かれたとは流石に穏やかじゃない。
 大丈夫だろうか?
 

 9月25日

 《日本語で書かれている》

 聊か精神的なショックが強すぎて一度冷静になりたい。
 今日、俺の身に起こった事を大まかにだが書き殴ろうと思う。
 まず連日の暴動事件で人を襲うようになった怪物を、公的に食人鬼(ゾンビ)と呼称するようになった。
 理由はまさにそれだからだ。
 死体が蘇り、人を襲う。窓の外から聞えてくる街の騒ぎの原因はそれだった。
 騒乱は徐々に大きくなり、至る所で人々の悲鳴と、ソレを追う亡者のうめき声に満ちている。
 この期に及んで俺は明日には街に平穏が戻るなんていう甘い期待はしていない。
 地獄が始まったんだと強く感じた。
 思えば予兆は既にあった。
 ラクーンシティーの名前とアンブレラ製薬。
 その二つの名前を聞いてから感じた強い忌避感だ。
 それをもっと早くから自覚しておけば良かったと本気で後悔した。
 ――――俺はこの瞬間に起きている事を知っていたからだ。
 
 『前世』とかそういう荒唐無稽な表現でしか説明出来ない記憶が俺の中にある。
 その結果俺はこの先に起こる惨劇をビデオゲームをプレイするという形で知っていた。
 熱が下がった際にふと、思い出すようにそれに気づいたのだ。
 聞けば誰もが熱で頭がおかしくなったと思うだろう。
 正直、俺自身がそうだ。
 しかし数十年経っても色あせずに記憶の隅に残る程に、この状況を描いた『バイオハザード』というビデオゲームは印象的だ。こっちだと『レジデントイーヴィル』という名前だったか? まぁ、それはいい。重要な事じゃない。
 問題はゾンビ映画さながらの地獄が、これからこの街ラクーンシティで始まる事だ。

 そして次の話題もコレに関係する重要な事だが、俺は今日初めて人を撃った。
 保存食とミネラルウォーターを買いに出かけた帰りの事だ。
 件のゾンビと、ソレに襲われている人々を発見してしまったからだ。
 ロバートの店に訪れた客が言ったとおり、まさにアレは“人が人を食っている”という以外に形容出来ない奇怪な様だ。
 幸い親父に言われたとおりに愛用のベレッタを携帯していたので、その際の武器には事かかなかったが、それでもゾンビ一体を完全に沈黙化するまでに俺は、銃弾を4発も使ってしまった。
 正直驚きが隠せない。
 だがそれが逆に精神的な部分で助けられたとさえ思う。
 足に1発、心臓に2発、頭部に1発撃ちこんでもまだ動こうとする人間が普通であってたまるか!
 こんなふざけた耐久力を感じたお陰で、俺は撃った後でゾンビをゾンビとして割り切る事が出来た。

 ====== 

 前世でプレイしたバイオハザードの記憶は、この地獄の中を生き残るには確かに役に立つ情報かもしれない。
 だがそこに一切のありがたみを感じる事は無かった。
 寧ろなんでもっと早い段階で気づかなかったのだと、自分を殴りたくなる衝動に駆られる程だ。
 俺の馬鹿、馬鹿野郎。
 ゲームとしてバイオハザードを遊んだ記憶は恐らく20年以上も前のものだ。そして思うに、この状況は間違いなくバイオ2、バイオ3、アウトブレイクのそれである。
 ぶっちゃけると俺は、“アウトブレイク”という作品の内容をあまり覚えていない。
 人伝に話を聞いたくらいで、ゲーム雑誌で動物園を歩き、酒場のウェイトレスのような民間人で遊べるゲームだというくらいだ。
 そして同じく“バイオハザード3”に関しても似たような感じである。
 唯一、ジルが主役でネメシスに追いかけられる話という点と、ヘリに乗ったら死ぬ、ブラッドが死ぬというくらい記憶がある。
 「スタァズ」と吼えるネメシスの声は、未だに思い出せる。
 この先、アレに出会う事になると思うと、正直勘弁してほしい。
 そしてこの状況の中で最も役に立ちそうな“バイオハザード2”に関してだが、これは一番遊んだ記憶はあれども流石にその詳細までは覚えていなかった。
 クランク、モンキーレンチ、オイルライターが要所で必要だった事?
 後はリッカーは吹っ飛ばして裏返してから心臓を撃つ事。※抜き足差し足、静粛に。
 そしてセーブはインクリボンとタイプライターを使う事だ。
 まだその際にアイテムボックス部屋のテーマを思い出したが、そこで同時に気づいた。
 インクリボンでセーブとか、アイテムボックスで持ち物管理なんていうゲーム的な代物が現実にあるわけねェじゃん、と――――
 またどの作品かは忘れたが、ガンパウダーのABCを集めて銃弾を作ると言っても、薬莢と弾頭が無ければ銃弾など作れるはずが無い。
 他にも下水道で巨大蜘蛛、巨大ワニと戦って勝てる気がまったくしない。
 生き残るには正直、拳銃どころか全ての状況をロケットランチャーで切り抜けるぐらいの火力が必要な気がした。

 正直な所、今日の一件で俺はゾンビの固さを思い知った。
 そして気づいた。
 ゲームの時よりも確実にハンドガンの残弾がヤバイと気づいた。
 ネメシスやタイラントなどのBOWを相手にするなど、まったくもって現実的じゃない。
 正直、まったく勝てる気がしない。
 それにゾンビにしても撃つにしても、基本は全てをヘッドショット狙いになるだろう。
 そんな状況で道端に適当に落ちてるハーブや銃弾を集めながら生き残るなど無理難題が過ぎる。
 ――――だが俺は如何しても死にたくない。
 ゾンビに食われて死ぬなんて、例え死んでもゴメンな最期だ。
 だからもう、俺は腹を決めるしかない。
 俺は生きたい。生き延びたい。何か夢があるわけじゃないが死ぬよりは生きていたいと強く思っている。
 この世界がバイオハザードの世界であるなら、俺の願いはこの世でもっとも贅沢な願いなのかもしれない。だが俺はそれでも願う。
 英雄でなくて良い。ひたすらに平穏に生きて、穏やかに死にたいと願う。

 ====== 

 親父と話がしたいと強く思った。
 だから俺はゾンビを撃って芽生えた色々な混乱から落ち着いた後、親父の勤める警察署のオフィスに電話を掛けた。
 が、電話は一向に繋がらなかった。
 どうやら回線が込み合っているようだ。
 あまり思い出したくないが昨日の電話で親父は“噛まれた”と言った。
 ――――不安だ。
 きっとそれを感じているのは俺だけではないだろう。恐らく今回の騒動で街の多くの人間が俺と同じ不安を感じていると思う。
 正直、このまま家に引き篭もりたい。
 だがその選択肢が死に直結する事を判りきっているのが辛い。
 生きる為には行動するしかないのだろう。
 逃げるにしても確実にそれなり以上の準備が必要だ。
 武器は家にあるモノとロバートの所で幾らか手に入るだろう。
 後は食料と救急キットを初めとする幾つかの道具だ。
 しかしそれを集めるにしても今夜動くのは得策ではない。
 朝一番にそれを集めに出かけようと思う。
 今夜出来る準備を可能な限りやり遂げたら、後は物音を立てないように夜を明かすだけだ。
 そして今、俺は不安に苛まれながらこの手記を書いている。
 今夜ばかりは愛用のベレッタが頼もしい。 
 それにしても独りは不安だ。
 ――――怖い。

 ====== 
 9月25日 26時
 9月26日 02時
 深夜に親父から電話が掛かってきた。
 二日酔いで苦しんでいる時の方が快調に思えるような酷い声だった。
 親父は途切れ途切れの声で「街から逃げろ。自力での脱出が難しいのなら、警察署まで来い」と言った。
 体調の悪さを懸念して思わず大丈夫かと尋ねてみたが、親父は身体が『やけに痒くて熱い』とか『やけに腹が減る』と言った。
 
 どう聞いても“かゆうま”の症状だ。
 
 ――――ゾンビになりかけてやがる!
 不幸な事に親父には抗体が無かったのだ。
 だから俺は親父に訪れる運命に気づいてしまった。
 俺は―――――《字が滲んでいて読めない》

 《ページが破れている》





 ラクーンシティー警察から全市民に対する警報が出された。
 『住民は家から出ないように』という指示だ。
 しかしそうした警察の言葉に大人しく従う者の方が少なかった。
 それが原因か、しばらくしてからラジオで出された警察の指示は『街から避難しろ』と言うモノに変わった。
 程なく――――
 緊張を解すように深呼吸して気持ちを整えるジョーの下に、一本の電話が届いた。

『――ジョー・ナガト! 無事か!?』
「マービンか?」

 電話の相手はジョーの父親の同僚警察官マービンであった。
 警察署内部もかなり緊迫した状況にあるらしく、受話器の向こうからは多くの職員の怒号と慌しく動く騒音が聞こえた。

『――今、何処に居る?』
「自宅だ。これからケンドの銃砲店に寄って脱出の為に警察に行こうって所だ」
『なら話が早い。今、総力を挙げて俺達はゾンビ共に対抗中だ』
「そうか――」
『それともう一つ。ジョージからの言伝を預かっている。キミと連絡が繋がったら「直ぐに街を脱出しろ」と伝えてくれと――――』
「それは昨日の夜に聞いたよ。……それより親父の具合は? 昨日の夜に確か――――」
『――その件に関して俺はお前に謝らなければならない』
「マービン?」
『――――――』

 声のトーンを落として言いよどむマービン。
 それから程なく、口を開いたマービンは悔しさを滲ませながら言った。

『――ジョージは、死んだ』

 マービンの言葉をジョーは静かに受け取った。

「そう、ですか――」

 知っていた。
 前世というモノに目覚めた所為かそれはジョーにとっては予想できた結果だった。
 しかし改めて聞かされると、心にズシンと錘が圧し掛かるような気がした。
 ジョーは無言で、静かに拳を握り締めた。

『いいか、ジョー。よく聞いてくれ――』

 マービンは精神を切り替え、それ以上話を掘り下げようとはせずに、厳しい口調で言った。

『この街の状況は非常に深刻だ。ゾンビに襲われ、そして死んだ連中もゾンビになり、数を鼠のように増やしているのが現状だ。我々は現在、バリケードを作って奴らを食い止め、その間に住民の避難を急がせている。脱出用の緊急車両でだ。厳しい事を言うが、今は君一人の為にこちらから救援に人を回せる余裕がない』
「あぁ」
『――銃の撃ち方はジョージやバリーから習ったな? ソレを使って直ぐに行動するんだ。急いだほうがいい』

 ジョーは肩に吊るした護身用の拳銃と、昨晩の内に準備した脱出用の荷物をチラリと確認する。

『無理を承知で言うがこの状況だ。余裕があれば要救助者になるべく手を貸してやってくれ』
「了解だ。警察署で会おう」
『――――幸運を』

 己の無力をかみ殺すように言うマービン。
 それに対しジョーは短く応えてから受話器をおいた。
 電話で応対したジョーの声は、込み上げる恐怖を押し殺すように平坦だった。
 深く息を吐く。
 バイオの記憶が死んだ親父がゾンビになった事を予想させていた。逆に言えば父の死に関しては、冷たいようだが昨晩の内に予期できていたのだ。そうでなければ受け入れ難い程の衝撃を受けていただろう。
 風に漂う凧にも似た気持ちでジョーは鋭い双眸を見開く――

「……死んでたまるか」

 ジョー・ナガトという少年はある意味で、他のラクーンシティーの住人よりも多くの幸運に恵まれていた。
 街に住む誰よりもこの先の展開を知り、気づいてから精神を持ち直す時間があり、加えて緊張と不安に押しつぶされて動きを鈍らせる住人が大半の中で、専門家のように状況に対して鋭敏に動ける天性の才と訓練を受けてきたからだ。
 きっかけは母親の死にある。
 母の死に泣いたジョーに、父のジョージ・ナガトは人生の困難に立ち向かう術と戦う技術を教えていたのだ。またそんな父の傍らには、後押しするロバート、バリー、マービン、ケビンと言う同僚の警察官や多くの友人の協力があり、彼らの知恵も受け継いでジョーは今日を迎えていた。
 図らずもこの十数年と言う期間の間に受けていた多くの経験が、覚悟を決めて立ち向かえる人間へとジョーを育てていたのだ。

「――よし!」

 ジョーは父の部屋に置かれたトランクを持ちだし、厳重に封印されたそのロックを解除した。
 トランクの中には父の私物の“大型リボルバー”が一丁と、専用の銃弾があった。
 44マグナム。
 その威力から護身用としては聊か過剰で、携行するのも戸惑われる程。
 しかしこの地獄と化した街で生き残るには非常に心強い性能だと言い切れる怪物拳銃だ。
 ジョーは武器の封印を解くように予め用意されていた専用の銃弾を一発ずつシリンダーに装填し、身支度を整えた。
 ポケットの多い黒のワークパンツ、生地が厚くて長袖の上着、予備の銃弾と常備薬、そして救急スプレーの等をつめたナップザック――

「――きゃぁああああ」

 父の私物であるコンバットナイフとマグナムを腰に巻いたポーチに装備した直後、アパートの階下で管理人の女性が悲鳴を上げた。
 ジョーはその声を受け、咄嗟に部屋の戸を蹴り破って直ぐに階下に駆けつけた。
 アパート一階の玄関口は破られ、一階のホールには大量のゾンビが溢れかえっていた。

「全員、逃げろ!」

 ジョーは一階の住人達に襲い掛かろうとするゾンビの頭を次々とベレッタで狙った。
 ゆったりとした動きのゾンビをヘッドショットで三体仕留めるが、それ以上の数がアパートの一階部分を埋め尽くさんと迫る。
 そして銃声に反応したゾンビの群れが、一斉にジョーの方を向いた。
 
「助けっ! 助けて――」
「くそっ!」

 亡者の群れに飲み込まれた顔見知り達が血まみれの手をジョーに伸ばした。
 しかし直ぐにその手は力無く地面に落ちた。
 無数のゾンビが人を食らう為に群がってゆく様はまさに地獄絵図だ。

「――多勢に無勢か!」

 目の前で死んだ者達に哀悼の意を捧げる余裕は無かった。
 状況を見て、ゾンビの群れが埋め尽くす玄関からの脱出を断念したジョーは直ぐに踵を返して近くの部屋のドアを蹴り破った。
 蹴り破った先に居た部屋の住人は、銃を構えて進入したジョーを見るなり悲鳴を上げた。

「なんで扉を壊すんだ! 奴らが入ってくるじゃないか!」
「やかましい! 死にたくないならアンタも逃げろ。此処に居ても助からないぞ!」
「そんな! 嘘だろ!」

 蹴り破った部屋の男性は恐怖に慄きながらジョーを見た。
 恐怖で蒼白になった顔で逆上する声をあげるが、それをジョーは怒号のような一言で切り捨てる。
 震えながら命乞いをしても助からない。既に死に絶えた虚ろな目で無心に生きた人間を貪るゾンビ達に命乞い等通じない。
 既にジョーはそれ強くを確信していたからだ。

「――生き残りたいなら自分で動くしかない。行くぞ!」
「っ!? お、おい! アンタ――――」

 恐れおののく男性を尻目に、ジョーは部屋のベランダの戸を開けて二階部分から路地裏へと飛び降りた。
 着地後。ジョーは叫んだ。

「警察署に行けば脱出できる筈だ! だからアンタも早く来い!」
「そんな、無理だ! 俺は飛べない!」
「知るかバカヤロウ! 早く飛べ!」
「だから飛べないんだって!」

 二階から飛び降りるという恐怖を前に男性は足を竦ませる。
 だが無常にも、その後ろから多くのうめき声が響いた。

「お、おい! 奴らが来た! おい、アンタ銃を持ってるんだろ! 助けてくれよぉ!」
「ここからじゃ狙えない! いいから早く飛び降りろ! この程度の高さで死ぬか!」
「だから出来ないんだって! 俺は高所恐怖症なんだ!」
「知るか、クソッたれ! 早く飛び降りろ! 死にたいのか!?」

 ジョーが根気強く強く促し続けた事で、男性は漸く腹を決めてベランダに足をかけた。
 ――――だがその直後に背後から伸びた無数の手によって、彼は部屋の中に引きずり込まれた。

「うああぁああ助けてくれぁああああ!!」

 無数の呻き声の中で一際大きな悲鳴がこだました。
 それが男の断末魔の叫びであると察したジョーは思わず顔を顰め、眼を伏せる。
 ジョーは電話口でマービンも感じていたであろう己の無力さに強く歯噛みした。

「――すまん!」

 ジョーは日本語で小さく謝った。
 前世のジョーは日本人だった。
 この状況でなければ日本語に堪能になった事を素直に喜んでいただろう。
 そんな楽観的になれる日常の中にもう一度帰りたいと強く祈りながら、ジョーは路地に入ってきた数体のゾンビを撃ち、怯んだ隙を体当たりで蹴散らしながら大通りへと歩み出た。





 車で脱出を試みた者が多数事故を起し、その影響で破壊された給水ポンプからとめどなく水が路面に溢れ出していた。
 また路面には汚泥の他、多数の流血と臓物が溢れかえり、その死肉に多くのカラスが群がっている。
 動くモノといえば無数のゾンビだ。その中には炎上した建物の火をその身に纏った異様な個体も居た。
 車を動かしてバリケードを作り、生きてゾンビに応戦する街の住民の姿もちらほらと見えたが、ゾンビの圧倒的な数の暴力にはあまりにも微力な抵抗しか出来ていない。
 見知った街の変わり果てた様子を前に、ジョーは己に出来る最低限を実行する。

「――――生きてる奴は警察署を目指せ! そこに行けば街から脱出できるぞ!」

 愛銃のベレッタを構えて生き残りの住人達に襲い掛かるゾンビを蹴散らしながら、ジョーは生存者達に脱出を促した。
 それは正義感からの行動と言うより、現実逃避に近い行動だった。
 ジョーは目の前の現実をまともに受け入れる事を拒んだ。
 拒んだが故に、マービンからの頼みを心の支えとしたのだ。

「――――誰か助けて!」
「っ!?」

 叫ばれた声に振り返ると白いドレスを着た金髪の少女を筆頭にして数人の生存者が走ってくる様が見えた。
 一同は悲痛な顔でジョーの下にたどり着く。が、同時にその背後に無数のゾンビと赤い眼を爛々と光らせる無数のカラスを引き連れていた。

「お願い! 私達もつれて行って!」

 先頭に居た少女――否、女性の事はジョーもよく知っていた。
 度々紙面に登場するラクーンシティの市長マイケル・ウォーレンの娘だった。

「下がれ!」
「っ!?」

 ジョーは助けを求めた生存者らの言葉を遮り彼らを背後に隠して、背後を追ってきたゾンビ達をベレッタで撃った。
 しかし多勢に無勢だった。
 その際、ジョーはふと視界に入った事故車に視線を向けた。
 使える――― 
 そう気づくや否や、左手でマグナムを取り出してガソリンを零した事故車に向けて銃弾を放つ。
 直後。燃料タンクを打ちぬかれた事故車はゾンビとカラスを巻き込んで大爆発を起した。

「――――手首が外れそうだぜ、まったく」

 ジョーは一つ舌打ちをした。
 マグナムの威力は申し分無しだが、いかんせん銃弾が希少で威力の過ぎる高さが問題だ。
 一先ず危機を乗り越えたジョーは、痛む左手首を軽く振りながら匿った生存者達に振り返る。
 
「とにかくここから一端離れるぞ。走れるか?」
「え、あ……はい!」
 
 生存者達を促し、足早にその場からの離脱を急ぐ。
 最終的な行き先は警察署。だが、その為にもまず、ジョーが最初に目指したのはその道中にあるケンドの銃砲店だ。





 最初の事件発生からおよそ一週間がたった。
 その期間でラクーンシティーに溢れかれる亡者の数は爆発的に増えた。
 警察職員はバリケードを展開してゾンビの侵攻を食い止めたが、もはや防衛能力にも陰りがあった。
 そうした防衛力の低下の最たる原因はゾンビに他ならない。
 だがそれと同じくらいに警察職員の手を焼かせていたのは、この事件の混乱に乗じて暴徒と化したラクーンシティーの住人の存在だ。生存者を喰らおうとするゾンビよりも、恐怖と混乱で正気を失った住人の行動の方が予測困難で、警察官らは時に住人の混乱を増長させる無法者を見せしめに射殺した。――――そしてその行動が原因となり、今度は処刑を行った警官が自ら命を賭けて死地に立ってしまうことが度々発生した。
 その結果、対応の人手不足に更なる拍車を掛ける悪循環となった。
 加えて警察の上層部。これが最も厄介な存在だ。

「――避難民移送車両は後何台残っている?」
「4台……いえ3台です!」
「そうか――――」

 マービンをはじめとする現場のラクーン警察職員は、懸命に住人の脱出作戦に動いていた。
 美術館を改築したラクーン警察署。その敷地は並みの施設よりも広大で、防衛の観点から見ても、正しく使えば住民の避難場所としてはうってつけだ。
 故にこの時ばかりはマービンも、この奇妙なラクーン警察署の本舎と、この場所を頑なに使い続けた署長の“悪趣味”を素直に褒めた。
 だがそれはそれ。既にマービンはブライアン署長を見限っていた。
 署長には証拠こそ無いものの街を牛耳る製薬企業アンブレラ社の重役や、市長との黒い噂が古くからあった。
 それで私腹を肥やし、警察署内に趣味の悪い美術品を幾つも展示する悪癖があった。
 加えて今回の事件の発生から、その後の対応に至るまでの全ての行動が余りにもお粗末だった。
 事態を楽観して初動対応を滞らせたばかりか、漸く行動したかと思えば署内の武器の一極集中管理体に口を挟み、弾薬と銃本体の位置を滅茶苦茶に変えてくれたのだ。
 それはこの非常時における迅速な対応の“邪魔”と言う意味では、舌を巻くほどに有能で、マービンはブライアンと同じ警察バッジを身につけた事がひどく恥ずかしいとさえ思った。
 故に現在。
 全職員に指示を出して陣頭で街からの脱出の指揮を取り仕切って居るのがマービンだった。
 もしも彼が有能でなかったら、生きてラクーンシティーからの脱出に成功した者はより少なくなっていただろう。
 しかし後の歴史にそれを知る者は非常に少ない。

「――受け入れた避難民の中にジョージの息子はいるか?」
「いえ、現状ではまだ確認できていません」
「っ――」

 部下からの返答を受けたマービンは思わず眉間に皺を寄せる。
 電話で同僚のジョージ・ナガトの息子ジョー・ナガトに脱出を促してから、もうじき2時間が経つ。
 幼少の頃からその成長を見守ってきた大人の一人として、マービンはジョーが生きて街から脱出する事を強く望んでいた。
 マービンはチラリと、デスクに置かれた自身の銃に視線を落とす。
 それはゾンビに噛まれ、ゾンビと化したジョージ・ナガトを“射殺”した銃だった。

(あの時、なけなしの勇気さえ出していれば――――)

 マービンは悔やんでも悔やみきれない強い後悔にさいなまれた。
 脳裏に過ぎるのは、数ヶ月前の出来事だ。
 今年七月。
 アークレイ山地で起こった猟奇殺人事件。
 その調査に赴き、内部で起きた凄惨な事件の渦中で生き残ったS.T.A.R.Sの隊員らがある報告書を纏めた。
 それは製薬企業アンブレラが生物兵器を作り、それが今日に続く全ての事件の元凶だったという内容であった。
 生き残ったS.T.A.R.Sのメンバーは、事件の真実を広めてアンブレラを強く糾弾しようとしたが、ラクーンシティーはアンブレラ社の影響力が強く、寧ろそれを叩こうとしたクリスやジル達を叱責した。――――そして当時、マービンもその一人だった。
 頑なにアンブレラを糾弾するというクリスやジルを引きとめもした。だが今になって思えば、クリスやジル達の方が正しいと、もはや疑う余地は無い。

「……神よ」

 マービンは天を仰ぎ主に祈った。
 懸命に人を救う為に動いた男がゾンビとなった。
 ソレでは余りに救いがないではないか。
 せめてジョージが末期の瞬間までその身を案じていた彼の一人息子(ジョー・ナガト)だけでも救ってくれ、と―――

 それから程なく、マービンは自ら電話を取り、部下に幾つかの指示を出した。
 脱出用の車両を用意し、動かせる部下を街に送り、少しでも生存の可能性を上げる。
 たった1人の為に10数名の生存者を見捨てるわけにはいかないが、それでも何とかしてやりたいと思っての行動だった。
 街からの脱出に使う車両も残りは3台となった。
 ジョーが到着するまでの時間をなるべく引き伸ばしてはいるものの、それでも限界は近い。
 
「――――ダメだな」

 マービンは不安に包まれそうになる頭を振った。
 平静さを取り戻すべく、あえていつもどおりの行動をとろうと、マービンは紛失物の管理帳簿を開いた。
 デスクの脇にある棚の上には、歓迎会用のクラッカーと幾つかのアイテムがおかれていた。
 それは3日後には着任するであろう実に不幸な新任警察官を迎える為に用意した歓迎の小物だった。

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02 悔い改めます。

 道中で数人の生存者を発見したジョーは、彼らを引き連れて一先ずゾンビの手を逃れる為に近所の教会へと立て篭った。

「――ねぇ、警察に行けば街から脱出できるって本当なの?」

 ゾンビの追跡を逃れた一同は、ジョーを筆頭に礼拝堂で顔を合わせた。
 一人はラクーンシティーの市長令嬢オルガ・ウォーレン。彼女の恐々とした質問にジョーは、予備の弾薬を装填しながら「あぁ。多分な」と短く応えた。
 するとその返事が気に入らなかったのかラクーンTVでカメラマンとして働くマックスが声を荒げた。

「おい、何だよ多分って! はっきり言えよ」
「よしなさいよ、マックス」
「だけど、テリ!」
「大人気無いって言ってるの!」
「――っ!?」

 マックスを諌めるように同テレビ局のニュースキャスターのテリが、その場に唯一居る“小さな生存者”を顎で示した。
 俯いた様子で不安そうに立っている少女は間違いなく生存者の中で最も歳若く、恐らく今年で16になったジョーよりも更に4つほど下に見える小学生だった。
 道中でオルガと同じ方向から逃げてきた為、自然とオルガが少女の相手をした。

「――――貴方は大丈夫?」
「――うん」
「そう。それでお名前は? 私はオルガ。オルガ・ウォーレン」
「――シェリー・バーキン」
「そう。それでシェリーは一人で逃げてきたの?」
「ううん。ママが警察に保護してもらいなさいって――――」

 シェリーと名乗る少女はこんな地獄のような世界で泣きも喚きもせず、はっきりとした声でオルガの質問に答えていった。

「ほら見なさい。あの子のほうがしっかりしてるじゃない?」

 テリは意地悪い顔で先ほど声を荒げたばかりの同僚を嘲笑した。
 するとマックスは小さく舌打ちした。

「あー、さっきは怒鳴って悪かった少年。助けてくれた事には礼を言うよ」
「別に気にしてねェさ。こっちも気が立ってたからな。悪かったよ。俺はジョー・ナガト。おたくは?」
「俺はマックス・コービィ。しがないラクーンテレビの平カメラマンさ」
 
 ジョーは仲直りの印にと差し出されたマックスの握手を受け取った。
 
「ついでに私も自己紹介をしておくわ。テリ・モラレスよ。と言っても一度ぐらいは皆もテレビで見た事があるんじゃない?」
「あぁ、よく知ってるよ。こう言う時じゃなかったらサインの一つでも強請ってやりたいところだ」
「ふふん。ありがと」

 ジョーは苦笑いを浮かべてテリからの握手も受け取った。

 テレビカメラマンのマックス。
 ニュースキャスターのテリ。
 ゲーム本編で変態警察所長に剥製にされる市長の令嬢オルガ。
 そしてゲームの主要キャラクターの一人シェリー・バーキン。
 そろった面子の大半が意外な有名人ばかりであった事にジョーは、「別にこんな形での幸運は欲しくなかった」と密かに思った。

「――とりあえず今後について話し合おう。まずはこの後どうするか、だ」

 メンバーの中で一番火力を持っているのがジョーだった。
 拳銃を所持している事に加えて、この状況で一番生き残る為の知恵を持っていると自負している。
 そんな雰囲気が伝わったのか自然とジョーが一同の音頭を取る事になった。
 ジョーは一同にまず、マービンから受けた指示と警察で把握している限りでの街の状況を口頭で伝えた。
 そしてその上で今後は、警察所に赴き他の生存者と合流しながら街から脱出すると言うプランを提案した。

「――最終目標は脱出で良いと思うけど、その必要はあるのかしら?」
「と、言うと?」

 ジョーのプランにテリが“待った”を掛けた。

「――知らないだろうけど、昨日の夜の段階で新しく情報が入ったの。なんでも市はすでに事態の解決を州軍に依頼してるらしいわ。加えてアンブレラも独自の私設部隊(USS)を展開して鎮圧に動いてるみたい。だから態々危険を冒して外を歩くよりも、此処で大人しく助けを待つのも悪くはないんじゃない?」
「あぁ、そうだな。幸いにしてこの教会の近所にはいくつか便利な店がある。保存の利く食料なんかをそこから補充して、此処の窓や扉に釘を打ってバリケードをしけばそれなりの期間は篭城出来ると思うぜ?」

 と、テリの意見にはマックスも追従した。
 二人は口にしなかったが、その内心には外に対する強い恐怖を抱えていた。
 故に安寧を与えてくれる教会を出る事に関して、ひどく懐疑的な意見を零した。

「――外に出たくないって気持ちは判らなくも無いけど、それは助けのアテがある場合に限るだろ?」
「それは、そうだけど――。ねぇ、そっちの2人はどう思う?」
「え――?」
「わ、私達ですか?」
「そうよ。他に誰が居るのよ?」

 テリは礼拝堂の椅子に並んで座るオルガとシェリーに意見を求めた。
 金髪同士が並んで手を繋いで座る様は、姉妹のようにも見える。
 
「――ママが警察に行きなさいって言ってたの。だから多分、ママも警察署に来ると思う」

 テリの問いにシェリーは小さくもはっきりとした口調でそう答えた。
 
「じゃあ、コレで警察署に行くが2票、ここで助けを待つが2票ね」
「わ、私が決めるんですか!?」
「別に決めろとは言ってないわよ。ただ意見を頂戴って言ってるの。市長令嬢さん」
「――――――」

 テリの気の強い言葉に対し、オルガは思わず顔を俯かせた。
 この短い時間の間にジョーはテリという女性の性格を何となく察した。
 第一線で働く女として生きるテリと、箱入りのお嬢さんであるオルガ。
 方や意見を口に出して責任を負いたくない日和見主義と、もう片方は自分の頭で最善と思えるプランを脳裏に描く行動派。
 ひどく対照的な2人の女性の対立構図は一同の空気を少し剣呑なものに変えた。

「――おい、テリ。 少し落ち着けよ」
「何よ、マックス? 私は――――」
「そう喧嘩腰になるなっての」
「――っ?!」

 ジョーと同じく場の空気の悪さに気づいたマックスが、同僚のテリを諌めた。
 ――――そしてその時、ガタリッという不審なもの音がした。

「今のは!?」

 一同の視線が礼拝堂の奥に向いた。
 その先には教会内部に繋がる扉があった。

「――何かあったみたいだな。ちょっと見てくる」

 ジョーはベレッタを抜いて立ち上がった。
 物音の方にゆっくりと近づき、音の先にある扉をゆっくりと開いた。
 不審な物音はその更に奥にある部屋から響いたようだ。

「ちょっと! 幾ら銃を持ってるからって危険よ!」
「――どのみち此処に立てこもるなら、安全の確認は必要だろうが」
「だけど――――」
「おい、ジョー! 二つあるなら1丁寄越せ。そっちのリボルバーでいいから」

 女性陣を背中に庇いつつフロントに立つジョーの後を追ってマックスが言った。
 及び腰だったが心強いマックスの提案にジョーは思わず腰の拳銃に手を掛ける。
 しかし脳裏に一つだけ懸念がよぎった。

「――おたく、銃を撃った経験は?」
「いや、その、少しだけ――――」
「本当か? ゾンビとはいえ人間の形してるぞ? パニック起さずに撃てるんだな?」
「――――――」
「――無いんだな?」
「悪いかよ! だけど教えてくれりゃ俺だって――――」

 追求すると実は初心者だったことが判明してマックスは顔を赤らめた。
 ジョーは気持ちこそ嬉しかったが初心者に拳銃を――しかも弾薬が希少で扱いも難しいマグナムを貸す事に対して少し悩んだ。
 ベレッタを貸すべきかとも悩んだが、結局は銃弾の希少性が違うだけだと思い、ジョーは苦肉の策としてコンバットナイフをマックスに渡した。

「悪いがこいつで我慢してくれ。銃の方は予備を手に入れたらそっちに回す。撃ち方もその時に教える」
「……わかった。約束だからな?」
「あぁ、皆を頼む」
「――これじゃどっちが年上何だか」

 ぼやきながらもマックスは部屋の隅に女性陣を追いやり、ナイフを構えてその背中に庇った。
 ジョーは視線でマックスに合図を送り、礼拝堂から物音のする部屋の方へと足を進めた。





「――ガラじゃねェな」

 英雄さながらにたった一人で危険に立ち向かう。そんな構図に意図せずなってしまった状況に対し、ジョーは思わず顔をしかめた。

「これじゃまるでバイオの主人公だ」

 ホラーな状況で単独行動をする多くの主人公に対し『どうして一人で行動するんだ馬鹿野郎!』と常々思っていた自分は何処に行ったのか? 
 ジョーは思わず自分を問い詰めたいという気持ちに駆られた。
 しかし冷静に状況を俯瞰して考えてみると、非戦闘要員をぞろぞろ引き連れて狭い通路を歩く方がリスクが高い様な気がした。
 大勢引き連れて安堵を感じる途中で襲撃を受ける、結果道中で多くを見捨てて、結局一人の状況に陥る。ならば最初から一人の方が機敏に動ける分だけマシだと、ジョーは無理やりそんな風に考える事にした。

 礼拝堂を出て直ぐの廊下には二階に続く階段と二つの部屋があった。
 片方は階段裏に位置している為、開けずとも物置であると判る。
 故にジョーは、廊下の一番奥にある部屋に向かった。
 扉を開けるとそこは食堂になっていた。
 銀の燭台や幾つかの皿。椅子の数から察してそこそこの数の聖職者が住んでいたのだろう。
 恐らく二階は聖職者達のタコ部屋か――――と、思考するジョーの鼻を異臭が突いた。
 食堂の戸を開けて直ぐに、それが死体の放つ臭いである事が判った。
 ゆっくりと奥へ進むと生前は教会のシスターだったと思われる三体のゾンビが居た。
 ゾンビは司祭と思われる老人の死肉を貪っていた。

「――やっぱり居やがったな!」

 ジョーは込み上げる吐き気をかみ殺し、機敏に構えたベレッタでゾンビの頭を撃ちながら後退した。
 呻き声を上げて迫るゾンビの頭が石榴のように弾け飛び、瞬く間に三体のゾンビを無力化したジョーは小声で「……クリア」と呟き、ゆっくり息を吐いた。

 悪人も聖職者も区別無くゾンビになる。
 その原因をジョーは己の中に蘇ったゲームの知識で知った。
 “T-ウィルス”
 死者の細胞を活性化させるそれが流出し、それがアークレイ山中の洋館と研究所だけには留まらず、街全体に広がったのだ。
 感染源は地下下水道に住む溝鼠。
 それが下水道に住むホームレスへと感染し、更にラクーンシティという地上に出てパンデミックを起したのだ。

「――そして住民達はこの地獄と化した街から生きて脱出するのが本編の目的ですってか? 願わくば映画世界のバイオじゃない事を祈るぜ」

 映画の世界か、ゲームの世界か。
 どちらもゴメン被りたいが、できればゲームの世界の方であって欲しいとジョーは思った。
 映画では最終的に世界が滅ぶ事になる。もしもこの先の未来がそう変わるのなら、此処で自決するのが吉だろうとジョーは右手に持った拳銃に視線を落として自嘲を浮かべた。
 例え知識があったとて、それがどのくらい役に立つのか?
 ジョーは食堂の片隅におかれているタイプライターとインクリボンの束を見て、ふと泣きたい気持ちに駆られた。

「………………マジかよ」

 ゲームさながらに周囲を散策するジョーは既に事切れた司祭の手の中に銀色の鍵束があるのを発見してしまった。
 正直なところかなり気が引ける思いだったが、ジョーは仕方なく食い荒らされて冷えきった老司祭の死体に手を伸ばした。

「うわぁ……気もちわりぃ――――」

 全身に鳥肌が立つほどの強い忌避感を感じながらも気合で鍵を入手した後、ジョーは食堂の裏手にある厨房から武器になりそうな数本の果物ナイフを拝借した上で、そそくさとその場を辞去した。
 
 手に入れた鍵束には幾つか種類があった。
 それを見て察したジョーはその足で階段下の物置を調べた。すると案の定、鍵のひとつが物置の鍵穴にぴたりと嵌った。
 戸を開くと幾つかの農具や掃除道具。そして古いショットガンと幾つかの弾があった。

「――――この分だとその内ボウガンとかグレネードランチャーも拾えるかもな」

 ショットガンと弾を拝借した後に、ジョーは思わずぼやいた。
 その一言は誰にも届く事は無かった。
 ゲーム的に考えると初期装備でマグナムを入手しているのがジョーの状況である。
 しかしそれが難易度的にベリーイージーだからこそのマグナム装備なのか、ルート的に凄まじい困難が待ち受けるからこその初期装備マグナムなのかは一切不明である。
 願わくばこの先がベリーイージーであって欲しいと神に祈りを捧げながら、ジョーは礼拝堂に戻った。

「――無事だったか!」
「あぁ……」

 礼拝堂に戻るとナイフを構えて周囲を警戒していたマックスが声を上げた。





「大丈夫か!? 銃声が聞こえたからもしかしてと思ったんだが――――」 
「あぁ。案の定、司祭とシスターがゾンビになってたぜ? それと立てこもるつもりなら一応、他の部屋も全部調べた方がいいだろうな。――――それとコイツを見つけた」
「コレは――――」

 ジョーは先程入手したショットガンをマックスに渡した。
 レミントンM1100
 セミオートショットガンで散弾銃といえばコレという見た目の狩猟銃である。
 扱いに戸惑うマックスにジョーは簡単にだがその遣い方をレクチャーした。

「――今更だけど、どうしてそんなに銃に詳しいの? まだ学生でしょう?」

 マックスにショットガンの使い方をレクチャーしている途中で興味深そうにオルガが尋ねてきた

「この先の通りにあるケンドの銃砲店って所で働いてるんだ。後は親父が警官だからかな?」
「へぇ――」
「――折角だから、アンタも覚えるか?」
「えぇ。折角だからお願いするわ」
「了解」

 ジョーはマックスに説明した内容と同じモノを繰り返しながら、オルガにもショットガンの撃ち方と弾の込め方をレクチャーした。
 
「――――さっきの物音は何だったの?」

 ショットガンの使い方について一通りの説明を終えた所で、オルガはジョーに向き直った。

「言わずもがな。バケモノだよ。何処から奴ら(ゾンビ)が進入してくるかも分からないから、礼拝堂に立てこもるつもりなら入り口も窓も全部塞いだ方が良いな」
「そう――――」

 不安がらせるつもりは毛頭無いが、それでも命に関わる以上、情報は精確に伝えておくべきだと思い、ジョーは立てこもる際の注意点を思いつく限りでオルガに話した。
 するとオルガはジョーに尋ねた。

「――――さっきの質問だけどもし私達が此処に残るを選んだら貴方はどうするの?」
「ぁん?」

 その瞬間、聞き耳を立てていた全員の視線がジョーの方を向いた。

「このメンバーの中で唯一、銃の扱いに長けているのは貴方よ。幾ら武器を手に入れても貴方の有無が私達の今後を大きく左右するとは思わない?」
「――――何が言いたい?」
「私は貴方の判断に任せたいわ――――」

 オルガは眼を伏せながら言った。
 年齢だけならジョーより3つほど上の大学生だが、しかし今はそんな実年齢よりも遥かに幼く見えた。

「――――もう一回言うけど俺は警察署に行きたい。理由は確実に脱出のルートがあるからだ」
 
 ジョーは改めて己の意思を明確にした。

「この先にある銃砲店に居る友人で上司のロバートにも脱出するように言わなきゃだし、なにより立てこもったところで状況は好転しない。最終的に皆死ぬ。俺は、そう思う―――」
「そう……」
「だから――――」
「――――だったら、警察署に行きましょう」

 ジョーの台詞に被せるようにして、顔を上げてオルガは言った。

「シェリーのお母さんも警察署を目指してるというし、それにラクーンシティーにはS.T.A.R.Sっていう優秀な特殊部隊があるってパパから聞いたわ。危険かもだけど辿り着いてしまえば、きっと此処より安全のはずよ」
「――――その警察が幾つもの路地を封鎖してるわよ? 言うほど簡単には辿りつけないと思うけど?」と、テリが皮肉るように言った。
「じゃあ、テリは此処に残る?」
「そうは言ってないじゃない……」

 オルガは不安を滲ませるテリを挑発するように言った。
 テリはチラリとマックスを見た。
 マックスはショットガンを手にした所為か、先ほどに比べるとかなり落ち着いた様子であった。

「大丈夫だ、テリ。こうして武器も手に入ったんだ。それに途中で銃砲店に寄るんだろ? 休憩する場所も途中にあるんだから何とかなるだろう」
「――――撃つ前からコンバットハイなの? まったく勘弁してよね……」

 マックスの台詞にテリは徐に溜息を吐いた。

「――シェリーはどうする? また怖い思いをすると思うがそれでも警察署に行くか?」

 ジョーはシェリーの高さに視線を落として尋ねた。
 この場に居る最年少の子供という事もあり、ジョーも気を使った。
 例え彼女がこの事件で主人公と巡り会い、彼女だけは確実に生き残るであろう主要のキャラクターであったとしても、後に変態した父親に追いかけられる物語の鍵を握る存在であっても、その扱いに差を設けるべきでは無いと思ったからだ。
 シェリーはジョーの質問に少し戸惑った様子を見せるが、しかししっかりと決意した表情で「うん」と頷いた。

「――――なら決まりだな。移動するなら出発する準備をしよう!」

 武器を手に入れて気が大きくなったのか、シェリーの決意を聞いた後、マックスが音頭を取った。
 その様子にテリは呆れた表情を浮かべ、オルガとシェリーは顔を見合わせて小さく笑みを浮かべた。

「なぁ、ジョー? 一応残りの部屋を調べてみないか? 他にも武器か何か――いざという時の食料や水、薬なんかの役に立ちそうなモンもあるだろうし?」
「――そう言えばさっき鍵束を入手したな」

 マックスの提案に、ジョーは先程手に入れた鍵束の存在を思い出した。
 ゲーム的に考えて施錠されている部屋ともなれば、それなりの御役立ちアイテムもあるだろうという考えが脳裏を過ぎった。

「調べに行くなら俺にも手伝わせてくれよ?」
「なら二階だな。一階はザッと見渡してきた限りだけど、何も無さそうだし――――」
「ちょっと、そこの二人! 戦力2人が動くのなら私達はどうなるのよ! 勝手に決めないで!」

 テリがオルガとシェリーを引きつれ、マックスとジョーに怒鳴った。





「一階には動かない死体が4つ転がってる。だけど二階にはそれが無いかも知れない。だが、もしかすればもっと酷いのを見るかもしれない。見たくないなら此処に残って、戻ってくるのを待つって手もあるが――――どうする?」

 ジョーの提案にテリもオルガもシェリーも露骨に嫌そうな顔をした。
 フロントをジョーが、その間にオルガ、シェリー、テリの順で並び、殿をマックスが務める形で、一同は二階に上がる。
 二階部分はジョーの予想したとおり、教会に勤める者達の生活空間のようだ。
 階段を登って直ぐの通路には左右に3つの扉と、最奥に一つの計7部屋のドアがあった。
 一同は手に入れた鍵束を使って部屋の一つ一つを調べていき、その途中で観賞用の三色ハーブや、応急用の道具発見した。

「――このハーブは役に立つかも。確か前に学校で習ったわ」

 大学の医学部に通う友人との話を覚えていたオルガが鉢植えにある三種類のハーブの葉をそれぞれ少しずつ採取して言った。

「使えるの?」
「えぇ。緑の葉を煎じて飲めば疲労回復やリラックス効果もあるし、市販の傷薬なんかもこのハーブの成分を抽出して作られてるらしいわ。原始的な方法だけどいくつか採取してペースト状にして簡易的な塗り薬にしておくといいかも。止血効果も高いし――――」
「へぇ。だったら出発前に作っておいたほうが良さそうね。三種類とも採取する?」
「えぇ。万一に備えて。シェリーもお願いできる?」
「うん!」
「それじゃ、私はこっちの赤いのを集めるわ。シェリーは緑のをお願い」
「はーい」

 オルガの知識に感心した声を漏らすテリはレッドハーブを、オルガはブルーハーブを、シェリーはグリーンハーブの採取をそれぞれ始めた。
 そしてゲーム内ではもっぱら傷薬的なアイテムだったグリーンハーブ、ブルーハーブ、レッドハーブの意外な事実に、ジョーも内心で舌を巻いた。
 しかし思った。

「――――流石に喰って回復は無理だろうな」
「ん? どうした。ジョー?」
「いや、なんでもない。そっちこそどうしたマックス?」
「あぁ。ついでだから背負える鞄か何かを探してみようと思ってな。持ち運ぶなら必要だろ? それと思ったんだが、止血帯代わりにシーツやカーテンって使えないか?」
「使えると思うけど加工しないと流石に無理だろ? せめてハンカチとかタオルにしないか?」
「――――だったら衣装ダンスをあけるしかないな」
「一応釘刺しとくけど、此処にはたぶん女物しかないと思うぜ?」
「OK、OK」
「――――本当にわかってんのか?」

 心なしかマックスは楽しそうな雰囲気であった。
 部屋の主は間違い無くシスターである。そして女性の衣装棚を勝手に開けるという事は、それは相手がシスターであってもなかなかに罪深い行いだ。それを教会――神の膝元で、生きる為にという免罪符を掲げて行うのだから、そこに感じる背徳感は如何ほどのモノか――――
 案の定、嬉しそうな顔でマックスはジョーに向けて口笛拭き、丸めた布切れを投げ渡した。

「ヘイ!」
「ぁん?」

 それはシスターの私物であろう女性モノの紫のショーツであった。
 それを投げて寄越したマックスにジョーは思わず溜息を吐いた。 

「――――真面目にやれ」

 ジョーはポケットにショーツを仕舞いながら、親指を下に向けた。





 高い薬効があるハーブは素人が磨り潰して使うだけでも強い治療効果を望める。緑は止血と治癒、青は解毒と殺菌、赤は他二色のハーブの薬効を高めるという効果を持つ。
 飲料としておかれている水差しの水で調合したハーブペーストを作ったオルガは、それぞれを小さな瓶に詰めて一堂に分配した。

「――――意外なところに衛生兵(メディック)が居たな?」
「だったら私は通信兵(ラジオマン)? 生憎機材はないけど?」
「いつも持ち歩いてる小型のカメラは?」
「それがこんな所でなんの役に立つのよ……」
「――――今更だがゾンビ共は音に寄って来るからな? さっきも言ったが、全員なるべく静かにしてくれよ?」
「了解」
「了解よ」
「………………」

 武器を手にした精神的な余裕と、意外にスムーズに舵手角準備が整った事。それら二つの要素で互いに軽口に冗談を言い合う程度には精神が回復したらしい。
 そんなマックスとテリの様子をジョーは少しだけ不安に思った。
 廊下の最奥にある部屋を残して二階全ての部屋を探索した一同は、最終的に背中に背負うタイプのリュックサック、マッチ、各種ハーブ、止血帯代わりの布、救急スプレーを発見した。回復アイテムをはじめ、今後の行動を手助けしてくれるアイテムを入手した事はそれなり以上の収穫だが、やはりこの状況でモノを言うのは武器と弾薬である。
 そればかりはこの先にあるロバートケンドの銃砲店で入手するしかないとジョーは密かに思った。

「一応だが、こっちの部屋も確認するか――――」

 ジョーは後方のメンバーに注意を促しつつ、廊下の最奥にある部屋のノブに手を伸ばした。
 この状況で己のゲーム脳も甚だしいとは思いつつも、ジョーは何かしらのイベントが起きそうな予感をこの二階の最も大きな部屋から感じていた。――――それは直感とも言い換えられる野生の勘だった。
 ジョーはゆっくりと扉を開いた。

「―――っ!? 来るな!」
「撃つな!」

 部屋には一人の生存者が居た。
 修道服を纏った老婆だった。
 拳銃を突きつけて震える様を見てジョーは焦ったが、咄嗟に呼びかけた静止の言葉と、その後のアイコンタクトでお互いに相手が生存者だと判ると老婆も銃を降ろした。

「よかった。よかった! もう私しか生き残りは居ないと思って――――」

 老婆は安堵からか泣き崩れた。
 泣き崩れた老婆にオルガが駆け寄った。

「――――この教会で生き残ってるシスターはアンタだけか?」
「えぇ、他の者達は皆、天に召されました。――――もっとも、あのような姿になってしまった者達の魂に救いがあるとは思えませんが」
「宗教問答は兎も角、とりあえず場所を移そう。動けるか?」
「えぇ――――」

 足が弱いのかオルガに続いてテリも老婆に肩を貸した。
 ―――――その直後。
 老婆の背後にあった窓が割れた。

「――――かはっ!?」

 窓を突き破り、部屋の外から一本の触手が伸びた。
 それが立ち上がろうとしたシスターの胸を貫通した。
 テリとオルガは突然血を吐いた老婆の様子に悲鳴を上げて尻餅をつく――――

「うぁああああ!」

 胸を貫いた槍のような触手はまるでイカの触腕にも似ていた。
 串刺しにされた老婆は触手の持つ強靭な膂力で持ち上げられた後、宙を舞うように二、三振り回された後で窓の外に連れ去られた。
 床には老婆の持っていた拳銃がゴトリ落ち、そして間もなく窓の外から断末魔の絶叫が響いた。
 ――――その直後に訪れた静寂の中で、マックスは震えながら問う。

「な、なんだありゃ――――」

 シュルシュルと音を立てながら触手が窓の外に揺れた。
 そしてヒタヒタという足音を立て、まるでカエルのように這うような形でそれは窓から顔を覗かせた。
 
「ひ――――っ」

 誰かが息を詰まらせたように悲鳴を上げた。
 そこには怪物がいた。
 全身の皮を剥ぎ取られたような赤い怪物だった。
 醜悪な面には目は無くむき出しの牙。その奥にある舌こそがシスターを貫いた長い長い“触手”の正体だ。

「――――リッカー(舐める者)

 ジョーは思わず呟いた。
 その正体をゲームという形で良く知っていたからだ。
 それは外で蠢くゾンビ以上に醜悪な厄介な怪物だった。

「――うあぁああああ!」

 マックスは恐慌状態でショットガンの引き金を引いた。
 ジョーも咄嗟にベレッタを抜いて窓の外のリッカーに向けて発砲した。
 それよりも早くリッカーは窓の外に消えた。
 しかし直後に

 トトト――――
 
 と、いう教会の外壁と屋根を走る音が響き、その振動で埃が天井から零れ落ちた。

「……に、逃げたの?」
「違う!」

 テリが恐る恐るジョーに尋ねる。
 ジョーは強い心臓の鼓動を感じながら怒鳴るように返した。
 ジョーの直感は正しかった。
 案の定、厄介な事になっていた。

「全員窓から離れろ。絶対に物音を立てるな! 奴は音に反応する!」

 ――――その瞬間、階段の近くにあった窓が割れた。
 ジョーはマグナムを抜いた。
 部屋の反対側にある階段の踊り場に奴は降り立った。
 全員の居る廊下の最奥の部屋と、二階の出口である階段を塞ぐようにして、リッカーはジョー達の前にその姿を顕にした。

「絶対に音を立てるなよ……!」

 変質者さながらの不気味な呼吸音とカエルのような歩み―――
 ゆっくりと一歩ずつ迫る怪異を前に、マックスは「どうするんだよ――」という視線をジョーに向けた。それはテリも、オルガも、シェリーも同じだった。
 その場に居るジョー以外の全員が、青ざめながらジョーを頼りにする様に視線を向けていた。

「――――恨むぜ、神様」

 ジョーは苦悶の表情で前に一歩踏み出し、マグナムを構えた。

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03 現実の恐ろしさを前に 前篇

 ロバート・ケンドの手記

 9月25日
 『ケンドの銃砲店』はじまって以来の大繁盛だ。飛ぶように武器が売れやがる。
 だが武器を求める顧客の多くに共通するのが、コレまでの人生でまともに武器を扱ったことも無さそうな手を持っているという事だ。
 この景気には絶対に何か裏がある。素人が安易に武器を求めてくる時は、大体決まって良くない事が起こってるってのが相場だ。
 そして身構えていたら案の定だ、クソッたれ。かなりやばい事が起きていた。
 奇跡的に早い段階で俺がソレに気づけたのは、我が友バリー・バートンの鳴らした警鐘のおかげだろう。
 バリーと近所の狩猟仲間達と共にJ's BARで飲んでいた際、アイツはアークレイ山地で起きた猟奇殺人の犯人はゾンビだと言った。
 その時は余りにも馬鹿馬鹿しくて思わず仲間と一緒に酒を噴出したんだが、さっきのアメフトの試合中に起こった暴動の様子を見て笑えるほど俺も馬鹿じゃあない。
 警備員が暴徒に対して何発も9ミリを叩き込んでいた。
 だが、それでもやつらは動きやがった。
 銃を扱う稼業の人間だからこそ俺にも判る。
 普通なら致命傷となる位置にアレほど鉛玉を喰らってまともに動けるわけが無い。
 あれはバリーの言ったとおりまさにゾンビだ。
 ――そしてそんな連中が街に溢れかえりやがった。
 どうにも先月頃から街の様子がどこかおかしいとは思っていたが、遂にはこうなるとはまったくの予想外だ。
 とにかく少しでも対策を練らないと不味いと思い、出来る事は少ないながらも警察と協力してツテの限りを尽くし、爆薬や武器をかき集める事にした。
 まったく長い夜になりそうだぜ。
 ――そう言えばアイツは無事に家に戻れたんだろうか?
 昼頃に一度店を訪れ接客を手伝ってくれたが、その時もまだ病みあがりか少し調子が悪そうだったが……。


 9月26日
 一夜明けて多少はマシになったかと思えばより事態は深刻な状況だ。
 昨晩のスタジアムでの暴動を皮切りに、街のあちこちにゾンビが現れるようになった。
 ゾンビ映画さながらに、ゾンビは仲間を増やす為に生きた人間を食いやがる。
 もう商売なんて言ってる場合じゃない。早速近所に住んでる知り合いの内、特に銃でドンパチやるのが得意な連中を根こそぎかき集めた。
 退役軍人、元警察官、警備職員、消防官――
 中には元ベトナム帰りの今は失業保険で暮しているという奴も居る。
 こういう場合にモノを言うのは金よりも人脈だ。どいつも若いとはいい難いが、行動力に溢れる正義感を持った奴ばかり。そうした連中を中心に店にある在庫の火器を一挙に配り、警察と協力して市民の避難誘導を行っている。
 まったくこの騒ぎで店は大赤字だ。
 需要はあっても金を受け取る意味が無いなんてとんだ地獄だ、まったく!
 俺も早いとこラクーンシティから脱出を急いだ方がいいだろう。
 避難の優先順位が女子供病人と言うなら、俺にも一応その資格があるからな。
 だがそれよりも先にアイツを探さなきゃあならん。
 さっきもマービンから奴の安否確認の連絡があった。
 それを受けてこっちからも奴の家に電話を掛けたが、連絡はつかなかった。
 マービンの話が本当なら奴も無事に家から脱出したようだが――――
 とにかく奴らを押さえ込まな
 
《ページが破れている》


「――――手を貸してくれ! こっちだ!」
 
 R.P.D.のバッジを身につけた制服警官が、男達に呼びかけた。
 ゾンビの数は増加の一途を辿っており、この地域周辺の路上封鎖も間もなく終了する頃だ。
 
「――奴らを近づけるな!」

 バリケード構築の為、警察官らの作業を援護するようにロバートはショットガンを構えた。
 続くように各自武器を持ちより民兵として立ち上がった白人、黒人、ヒスパニック、チャイニーズの多くのラクーン市民がそれを援護する。
 
「押すぞ!」
「良し!」

 路地の奥に迫るゾンビの牽制を民兵達に任せ、大柄な体躯の警官が二人掛りで警察車両を押した。
 
「――これで一先ずは良し、だな」
「あぁ」

 ありがたい事にゾンビにはバリケードを乗り越えてくるほどの知能が無いらしい。亡者は封鎖された路地の奥で生存者達に向けて吐瀉物を吐きかけて呻くばかりだ。
 だがそれでも安心はできない。
 数が多くなればパトカー二台のバリケード等、簡単に突破されてしまうだろう。

「――ジリ貧だな」
「まったくだ」

 ショットガンに弾を込めながらロバートがぼやいた。
 その呟きに一人の男が答えた。ロバートの顧客の一人である警察官――ケビン・ライマンだ。
 顔立ちの整った31歳の男で普段はだらしなく軽薄な雰囲気を持つ不良警官だ。
 しかしその顔には普段とは違い明確な疲れの色が見える。
 無理も無い。この不良警官をして真面目にならざるを得ない状況なのだ。
 ロバートはふと提案した。

「――少し休んだらどうだ? いつもと違ってやけに真面目じゃないか?」
「気持ちは嬉しいが俺は空気を読んでサボる男なんでね」

 ケビンは笑みを浮かべながら返した。
 勤務態度に難有りでS.T.A.R.S.の採用試験に二度も落ちた男とはまるで思えぬ勤勉な態度には、ロバートは思わず苦笑を漏らす。

「だが寝てないんだろう? 寝不足で扱えるほどヤワな代物じゃないぜ、その銃は?」
「それこそ腕の見せ所だろう?」
 
 ケビンはロバートが店でカスタムした拳銃を両手で構えた。
 そして独特な構えから放たれる拳銃狙撃で、50ヤードも離れた先のゾンビの頭を一発で撃ちぬいた。
 狙撃を傍で見ていた数人の民間人がピュゥ♪と口笛を吹いてその腕前に賛辞を送った。するとケビンは彼らに、己の腕前を誇示するように不敵な笑みを浮かべた。
 
 ケビンを初めとする多くの警察官が、現時点で強い疲労を抱えているのは隠せてはいなかった。
 ロバートは密かに小さく溜息を吐く。
 警察官の多くは昨日の夜に起こったスタジアムの暴動から引き続いて状況に対応しており、疲れを見せようとしないのは民間人に不安を感じさせまいとするプロ意識だろう。  
 警察はゾンビの動きを牽制しつつ街に取り残された住民の避難に動き、その救助作戦の一環で地下下水道にC4を設置して、その直上に位置する区画ごとゾンビを滅する作戦を立てている。
 ラクーンシティーという巨大な街で発生したゾンビパニックに対し、その一撃がどれほどの効果を齎すかは未知数だ。
 もしかすれば雀の涙ほどの成果しか上げられないかもしれない。
 だが今はその作戦の成功が皆の希望となっていた。
 作戦の決行は午後6時――
 つまりは4時間後となる。 

「………………」
 
 ロバートは率先して住人の避難活動に尽力する傍ら、店の従業員のジョー・ナガトの姿を探していた。
 時折、警察署にも問い合わせているが、現時点で救助された者の中にジョー・ナガトの名前は無い。

「――警察による爆破作戦が一つの目安だな」

 作戦の成否に問わず大人数を投入しての救助作戦はそこで一区切りがつくだろう。ロバートはそんな風に今後を予想した。
 逆に言えばそれ以降は安否確認が絶望的になるという事だ。

「うあぁあああ!」
「っ!?」

 その時、思考の海に沈みかけたロバートの耳に甲高い悲鳴が飛びこんできた。
 視線を向けた先には無数のゾンビがいた。
 別の区画から進入してきた群れで、その群れが追いかける先には生存者が居た。
 またその悲鳴に呼応して、先程作ったバリケード越しに群がる無数のゾンビも慌しくなる――
 ロバートは携帯しているフルーツドロップを口に含むと、警察や他多くの生き残り達と共に武器を構えた。

「生存者だ、行くぞ!」

 ケビンが荒々しく音頭を取る。
 それに続いて現場が慌しく動き始めた。

 危険を前にする興奮が一時的に胸中にある大きな不安をかき消した。
 だがそれは一時的に忘れているだけである。
 実は何の解決にもなっていない。
 それの事を誰も気づかない。

「――よし!」

 ロバートも愛用のショットガンを構えた。
 口の中に広がるフルーツドロップのフレーバーによって街に漂う死臭を誤魔化す様に、ロバートもまた、不安をかき消す興奮の中に身を投じた。





 その頃、ジョー・ナガトは意図せず対峙する事になった赤い怪物を前に、鋭く視線と銃口を向けていた。
 構えたマグナムの銃口からはむせ返るような強い硝煙の臭いが漂っている。
 先程までの騒乱とは打って変わり、周囲には不気味な静寂が広がった。

「――――死んだの、それ?」
「たぶんな」

 四肢の末端がピクリと動いている所為か、ソレは今にも動き出しそうな気配がある。
 しかしマックスの撃ったショットガンによって床にひっくり返され、むき出しの心臓をジョーの持つマグナムで二度も撃ち抜かれたのだ。
 流石に絶命していると思いたい――
 ジョーは不安な表情を浮かべる一同を背中に庇いながら視線で退路を示した。

「――――行くぞ」
「え?」
「もうこんな場所に長居したくないだろう?」
 
 マグナムの代わりにベレッタを取り出し、ジョーは端的に言った。
 冷静になれば恐怖がぶり返す――
 その前に可能な限り安全な場所に移動するべきだ――
 そんな風にジョーが暗に言わんとする言葉を察した一同は、直ぐに機敏な動きで二階からの撤退を開始した。
 ショットガンを持つマックスが一同の先頭に立ち、その間をオルガ、シェリー、テリの順で続く――
 去り際。
 殿に立ったジョーは安全確認の意味を込めて、もう一度ベレッタの銃弾をリッカーの頭部に撃ちこんだ。
 リッカーの頭部が銃撃で跳ね上がった。
 だがそれ以上の反応はなかった。
 コレでこの先も奴が起き上がる事はないだろう――
 ジョーは判断したが、しかしそうした良い結果を見てもその表情は未だに険しかった。

 赤い怪物を前にしてジョーは反射的にそれをリッカーと口走った。
 ゲームで戦った記憶もあっての事だが、その姿はまさしく“舐める者”の異名に相応しい姿であったからだ。
 肥大化した脳みそによって鼻や目と言ったパーツの殆どを押しつぶされた面貌――
 唯一むき出しの牙が並ぶ口には老シスターを軽々と貫いた凶器の舌がだらりと伸びる――
 その舌の全長は本体の身長を軽く越すほどに長いだろう――
 そんなゾンビとも違う異形の怪物と遭遇した一同の心は、ひどく疲弊していた。
 礼拝堂に戻ってもしばらくは御互いに口を開かなかった。

「――ねぇ。皆、怪我は無い?」

 沈黙の中でテリが全員に尋ねた。
 テリの表情には未だ強い恐怖の色があった。声も微かに震えていた。
 しかし気丈に振舞おうとする強い意思が垣間見えた。

「えぇ。大丈夫。シェリーは?」
「私も無事」

 テリの問いに呼応して、オルガも正気を保つように頭を振りながら答えた。シェリーも続いた。そしてマックスも「俺も無事だ」と、己の健全を伝えた。

「――ジョーは怪我してない? かなり危ない場面もあったみたいだけど?」

 一同の視線がジョーに移った。
 最前線でリッカーと相対していたのはジョーだったからだ。
 テリだけに留まらず、皆ジョーに対して不安な表情を見せた。
 そんな全員の視線を受け、ジョーは観念したように、返事の代わりに袖をめくって出血した左腕を見せた。

「残念ながらちょっとだけ掠った。ハーブペーストを使う必要があるな」
「――だったら早く言いなさいよ、まったく。オルガ、出番よ」
「わかったわ」

 ジョーがおどけた調子を見せ、テリは呆れの溜息を吐いた。
 だがそのやり取りが緊張状態にあった一同の精神を程よく解した。
 オルガは先程作ったハーブペーストの瓶を持ち寄り、ジョーの受けた傷の手当を始める。 
 その間ジョーは無言だった。
 しかしその視線だけはジッと傷口に注がれていた。

「――どうしたの?」
「いや――――」

 ふと、オルガが心配そうな顔で尋ねた。
 しかしジョーは首を振って平静だとそれに返した。
 だがオルガは引き下がらなかった。しかし強くは追求せず、年上として優しく言った。

「――不安があるなら直ぐに言ってね。力に成れるかは判らないけど、貴方が倒れたら私達全員が危険だから」
「………………」

 ジョーの心にふと湧いた強い不安をオルガは的確に見抜いていた。





 察しの良さとは往々にして人生の分岐を左右する。
 そして危機的状況における察しの良さとは、時に思いもよらぬ可能性へと人を導いてしまうモノだ。
 その際に生まれる可能性とは、大抵が人の心に希望を作らない。寧ろ絶望を作るケースの方が多いだろう。
 そしてこの瞬間に置けるジョー・ナガトにも、それは当てはまった。

「不安、か――――」

 一同はジョーが持ち寄った携帯食で栄養補給がてらの短い休憩を取った後、教会を脱出した。
 目指す先はケンドの銃砲店――そして警察署だ。
 しかし道中に散乱する無数の事故車やバリケードの影響で、いくつか道を迂回する必要があった。
 周囲にはゾンビの影がちらほらと見える。
 しかし何れもその動きは遅く、幸いにして十分やり過ごせる程だった。
 恐らく先程ジョー達を襲撃したリッカーがその大半を捕食したのだろう――
 ジョーはゲームをプレイした時の知識から、状況をそう推測した。

 リッカーとは潤沢な食料を食べ続けたゾンビの成れの果て――つまり元々はゾンビである。そして元がゾンビなので、その攻撃には新たな感染者を産み出すT-ウィルスが含まれていると推測できる――

「危ない!」
「――――っ!」

 いち早く気づいたテリが叫んだ。
 路地の暗がりに蹲って潜んでいたゾンビが、ジョーに組み付こうと襲い掛かった。
 飛び掛ったゾンビは少女の姿をしていた。元はジョーと同い年ぐらいで、生前はそれなりにモテたであろう肉感的な肢体を持っていた。――しかしその生前の美貌も、今では影すらない。

「――くっ!」
 
 ジョーは咄嗟の判断で身を捩り、掴みかかろうとしたゾンビの足を払って路上に転ばせた。そして頭をブーツの靴底で叩きつけるように踏みつけた。
 ゴキャリと言うアスファルトに潰され骨が砕ける音が響き、ゾンビの頭部が石榴のようにはじけた。

「……はぁ」
「だ、大丈夫か?」
「あぁ。悪い――――」

 不安げなマックスに返事を返しつつ、ジョーは内心で注意力散漫な自分自身に強く舌打ちした。
 此処で己が下手をこけば、後ろからついてくる他4人の生存者も危険に晒す事になるのだ。だからこそ――と、ジョーはオルガが手当てした己の左手につけられた傷の事を忘れようと努めた。
 それは戦闘の最中にリッカーの舌が掠めて受けた傷であった。
 転んで少し出血した程度の掠り傷で、気にしなければ忘れてしまうような小さな傷だ。
 しかしジョーはその際に思ってしまった。
 傷を受けた事がきっかけで、己にも他の多くの市民と同様に“感染”してゾンビに成り果てるという可能性がある事に気づいてしまった。
 
(仮に脱出に成功しても感染してたら――――)

 バイオハザードと言うゲームに登場した人物は、皆ゲームだからこそ生存し、最後は生き残り未来を生きるというエンディングを迎えていた。
 ――しかしこの世界はゲームではなく現実だ。
 感染=ゾンビ化という方程式が確かに存在する以上、主人公でも無いモブの一般市民であるジョーがそうなるという可能性も十分に考えられた。

「――行こう」

 ベレッタを構えて再び歩みを開始するジョーの頭には、思わず吐きたくなるほどの様々な悪い考えが渦巻いた。
 心のどこかで自分はゾンビにならないと言う楽観がなかったか?
 いや、あったどころか考えもしなかった――
 リッカーから傷を受けて初めて現実的に自分が死ぬ事に気づいたか?
 死にたくない――
 生きたい――
 どうすればいい?
 どうしたら助かる?
 どうしたら?
 どうしたら――――
 渦を巻くように様々な思考が脳裏を走った。
 
「――おい、ジョー? お前本当に大丈夫か? なんかさっきから顔色悪いぞ?」
「――大丈夫だ」
「だけど――――」
「大丈夫だっつってんだろ!」
「――っ?!」 

 先導して歩くジョーに追いつき引き止めるように気遣うマックスの放った一言に、ジョーは思わず声を荒げた。
 その怒号にシェリーはビクリと身を竦ませた。

「――――悪い」

 気づいたジョーは直ぐに謝罪した。

「――謝るよりも先に事情説明をしてくれない? はっきり言うけど、アンタの不調は私達全員のピンチに直結するんだから」

 するとテリが尋問する様な視線をジョーに向けて、腕を組みながら言った。
 オルガもそんなテリに同調した。

「――さっきの怪物との戦闘で一体何があったの?」
「………………」
 
 ジョーは沈黙するが、それが逆に何かあったという答えとなった。

「――判った」

 シェリーを含む一同の探るような目に耐え切れず、ジョーは仕方なく口を開いた。

「アークレイ山地で起きた猟奇事件の事は知ってるだろ? 実際はあの事件で既にゾンビが発生していたらしい。――と、いうよりあの事件が発端だそうだ」
「――発端?」
「あぁ。調査に赴いたのは俺の働いてる銃砲店の顧客。名前は伏せるが、警察の特殊部隊S.T.A.R.S.のメンバーだ。まぁ、俺もそのメンバーの一人から話半分で聞いただけで、実際の所を詳しく知ってるわけじゃない。そして俺は、そいつにアンブレラ製薬がこのゾンビを産み出すウィルスを作ったって話を聞かされた」
「――えっ!?」

 オルガがジョーの齎した情報に絶句した。

「――ちょっとちょっと冗談はやめてよ。その話だとよりにもよってアンブレラが街をこんな風にしたって言うの? 普通に考えなさいよ。この街はアンブレラで潤ってる箱庭みたいな土地よ。それを自分で滅茶苦茶にするなんて考えられないわ」
「そうか?」
「そうよ」
「ならそれでもいいさ。重要なのはアンブレラがどうとかって言う点じゃない。ゾンビがウィルスで作られたって言う部分だ」
「――――え?」

 テリの指摘する不可解で矛盾ある部分には肯定も否定もせずに、ジョーは重要な論点を示した。

「人間がゾンビになるなんてありえない。だが現実にそれが起こってる。そして俺はウィルス感染によって人間がゾンビになるっていう話を聞かされた」
「感染って――まさか、お前!?」
「………………」

 マックスは青ざめた。
 そしてその瞬間、テリが、シェリーが、そしてジョーの傷を手当したオルガも気づいた。

「そんな――――」

 一同の視線がジョーの包帯の巻かれた左腕に向けられた。

「実際に俺がゾンビになるウィルスに感染したかどうかは判らない。だけど可能性を考えたら――不安になった。とりあえずお前らは怪我するなよ?」

 その後の道中はまさに、掛ける言葉が見つからないという嫌な沈黙に包まれた。

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04 現実の恐ろしさを前に 後篇

 オルガ・ウォーレンの手記 その1

 時間の流れが不思議に思える不気味な数時間だ。
 そして気づけばもう夕方。空に夜の帳が訪れている。
 私達がジョーと合流してから教会に逃げこみ、長い舌のバケモノと遭遇したのがつい三時間程前。
 体感ではつい先ほどの出来事に思えるけど――――
 私達は教会から脱出し、今はジョーが働くという“ケンドの銃砲店”に向う途中だ。
 周囲にはゾンビやお化け鴉といった怪物が群れを成し、私達生きた人間を虎視眈々と狙っている。
 シェリーが居るからこそ、私はまだ自分の足で立っていられる。
 だけどもし皆とまだ会ってなかったら、今頃どうなっていただろう?
 そんな怖い想像がふとした拍子に脳裏をよぎり、思わず涙がこぼれそうになる。
 強がっているけどテリもマックスもきっと同じだろう。
 そんな私達を此処まで引っ張ってくれたのがジョー・ナガトと言う日系人の男の子だ。
 たぶん年頃は17歳ぐらい。明らかに私よりも年下かな?
 それを言うとシェリーは私より5つも年下だけど――
 まぁ、そんな彼のおかげで私達は此処まで生きてこられた。
 彼が最前線で武器を構え、戦ってくれたからこそ、私達はまだ何とか希望を捨てずにいられた。
 だけどそのジョーが少し前から変だ。
 正確には教会であの化物と戦った時から……。
 確かにあの戦闘でジョーは傷を受けた。
 だけど骨が折れたわけでもないし、傷自体はそんなに大きなモノじゃない。
 でもあの傷の事をジョーはひどく気にしていた。
 理由を尋ねてみると、それを聞いた私は強く後悔する事になった。
 パパが市長という家柄なので、私もアンブレラの重役とはパーティーの席で幾度か話した事がある。
 だからアンブレラ社についてはそれなりに知っていたつもりだった。
 だけどジョーの言ったそれは私の予想を遥かに超える話だった。
 アンブレラの人達が実は裏で人間をゾンビに変える恐ろしいウィルスを製造していたなんて――
 実際にアンブレラ社の重役らと面識があった私には、その話が到底信じられなかった。
 だけどジョーの言ったそれには何処と無く頷けてしまう妙な信憑性があった。
 加えてジョーは、自身がそんな恐ろしいウィルスに感染したかもしれないと言った。
 悪い冗談だと思いたい。
 だけどアレは恐らく本音だろうと私は思った。
 ジョーはニヒルに笑って「怪我をするなよ」と皆に忠告したが、たぶんあの言葉は強がりだろう。そんな印象を受けた。
 ―――正直、掛ける言葉が見つからない。
 
 今、私達は街からの脱出を目指して行動している。
 ジョーも変わらず、寧ろより最前線に立って私達の為に戦ってくれている。
 主よ、私の言葉が届きますでしょうか?
 もしも届くのでしたらお願いです。
 ジョーを、私達を、このラクーンシティの皆を御救い下さい。

 アーメン





 ガレキとバリケードと死体に埋もれた道を幾つも経て、ようやくジョーは見知った場所へとたどり着いた。

「――今後は鎖対策にプライヤーも持ち歩いたほうが良さそうだな」
「賛成だ。ついでにバールとチェーンソーもリストに加えてくれ」

 ジョーのぼやきにマックスも溜息混じりに応じる。
 狭い路地の多くはゾンビの侵入を恐れた市民達によって、鎖や縄で扉ごと封鎖されている事が多かった。
 鍵を掛けられただけの扉なら破壊すれば良い。しかし鎖等で開け閉めを物理的に封印された出入り口は流石に迂回するしかない。
 その所為で目的地への移動には想像以上の時間が掛かった。

「ジョー!」
「っ!? ――――銃声?」

 この数時間ですっかりと散弾銃の扱いになれたマックスがショットガンでゾンビを蹴散らした。
 それに重なるように、ジョー達のモノではない銃声が周囲に響いた。
 その直後――
 向こう(・・・)もこちらの銃声を聞きつけてか、ジョー達の歩く路地に面した建物の二階から顔を覗かせた。

「――おい! ジョー・ナガトか!?」

 相手はジョーを知っている様子だった。
 二階の窓からチラリと見えた顔にはデジャヴュを感じたが、ジョーは咄嗟に相手を思い出せなかった。

「誰だ!?」

 ジョーは反射的に声の主に問いかけた。
 すると件の建物から銃声が響き、ジョーの立つ路地に面した二階の窓から見知った顔が大きく顕になった。

「俺だ! ケビン・ライマン!」
「ケビンか!? 無事か!」
「――まさか! 暇なら手を貸してくれ!」
「っ!? 判った!」

 相手はケンドの銃砲店の顧客で、ラクーン警察に勤める不良警官のケビンだった。
 知り合いとの遭遇にジョーは思わず声を弾ませるが、連続して響くケビンの銃声を聞いて彼が戦闘の真っ只中にある事を察した。

「――知り合いなの?」
「あぁ、R.P.D.きっての優秀な不良警官だ。行くぞ!」

 救援を求めるケビンの声を受け、ジョーはテリの問いに短く返しながら件の建物の入り口へと向った。
 しかし入り口の扉は内側から当て木によるバリケードによって封鎖されていた。
 蹴り破ろうとするもジョーの体格では破壊できなかった。
 扉を前でジョーは歯噛みする。――が、そこに「どいてろ!」とマックスがショットガンを構えてジョーを押しのけ扉の前に立った。

「マックス?」
「――任せろ」

 日系人のジョーに比べると、マックスはアメリカ人らしい大柄な体躯だった。
 マックスは扉にショットガンを二発打ち込み、扉越しの外からバリケードの当て木に皹を入れると、手にした銃を一度テリに預けてから助走をつけるために扉から三歩程下がった。

「ウォラァ――ッ!」

 そして扉に向けて肩から豪快な体当たりかました。
 マックスの体当たりで粉砕された扉を見てジョーは思わず感嘆とした吐息を漏らす。

「すげェな……」

 マックスは得意げに言った。

「これでも大学時代はアメフト部だったんだ。ポジションはタイトエンドで……まぁ、レギュラーは取れなかったがな」

 やり遂げた笑みを浮かべるマックスに、「それでも凄いわよ」とオルガとテリも感心した言葉を送る。
 だが一人。シェリーだけは“タイトエンド”の言葉自体に疑問を浮かべていた。

「――とにかく、これで先に進めるぜ? 助けるんだろ?」
「あぁ。助かった。それじゃ迎えに行って来る。皆を頼むぞ!」
「任せな!」

 封鎖された扉を乗り越えジョーはその場をマックスに任せて単身、建物内部に進入した。
 二階での銃撃の音は激しくなっている。
 そうした騒音に呼応して室内で横たわっている無数の死体が、ゾンビとして呻き声を上げながらゆっくりと起き上がり始めた。

「――寝てろ!」

 ジョーは階段を塞ぐ様に立ち上がったゾンビの膝を撃ち、再び床に転倒させ、その頭を階段の段差に叩きつけるようにブーツで蹴り潰した。
 厚いブーツの靴底と段差の角に頭を挟まれたゾンビは、その首を梃子の原理でボキリと折られた。
 そのまま階段を駆け上がり二階に居るケビンの下に駆けると、そこにはケビンの他に3人の生存者が居た。

「――ケビン!」
「見ての通りだ! 援護してくれ!」

 ジョーは了承の変わりにベレッタを構えて、ケビンらに迫るゾンビの群れに向けて引き金を引いた。
 膝を撃ち抜かれたゾンビが転倒し、それに足を捕られて群れの多くがドミノの様に崩れ倒れた。
 その隙を狙ってゾンビの先頭集団に居る三体をケビンが的確にヘッドショットで射殺していく――

「――無事か!?」
「えぇ!」

 その隙にケビンの救助した3人の民間人がジョーの下に駆けてきた。
 その内一人は胸を押さえて顔に苦悶を浮かべ、もう一人に肩を支えられている。

「怪我人がいるのか?」

 3人の生存者の中で唯一の女性が困惑した様子で頷いた。女性はJ's Barのウェイトレスの衣装に身を包み、胸に“シンディー”と言う名札をつけていた。

「いや、怪我とは違うみたいだけど――――」
「発作が起きたらしい。出口まで援護してくれ!」

 すると男の肩を支えていた黒人男性が、その状況を端的に説明した。

「マーク……」
「喋るな、ボブ!」

 恐らく二人は同じ民間警備会社に勤めているのだろう。胸を押さえて苦しそうな白髪の同僚ボブを支えながら、恰幅の良い初老の男マークがジョーを顎で促した。
 そしてマークはシンディーにボブを預け、拳銃を取り出してケビンを援護する様に立った。
 ケビン、マーク、ジョーの3人でゾンビを牽制し、その間にシンディーがボブを支えながら階段を下りてゆく――
 一階の廊下に差し掛かり、出入り口付近に辿りつくと、マックスが懸命にショットガンを駆使して退路の確保に動いていた。

「――ジョー! 早くしろ!」
「判ってる、今行く!」

 ボブに迫ったゾンビを見て、ジョーは咄嗟にベレッタを連射した。
 肩、首、側頭部を撃ち抜かれたゾンビはそのまま倒れたが、同時にジョーの持つベレッタの残弾が尽きた。

「ケビン、行くぞ!」

 ベレッタを仕舞い、代わりに虎の子のマグナムを構えながらジョーは叫んだ。
 狭い室内から建物の外へと脱出したボブとシンディーに続き、足を引き摺るように歩くマークの肩を無理やり引っ張る。そしてケビンの脱出を援護する為に両手で構えたマグナムの引き金を引いた。
 追いすがるゾンビの群れから確実な距離をとったケビンは、その去り際に一発、廊下に備え付けられていた消火器を撃ち抜いて建物から脱出した。
 建物の一階部分が消化剤の白い爆発に包まれた。

「怪我は?」
「なんて事ねぇよ」

 ケビンはふぅとこれ見よがしな態度で銃口から立ち上る硝煙を吹き消した。
 ジョーも残弾の尽きたベレッタのマガジンを最後のモノに交換した。
 
「ねぇ、とりあえず此処から離れましょうよ。なんかヤバイ感じよ」

 と、テリが指差しで一同の視線を路地の奥へと向けさせた。
 この戦闘での騒ぎを聞きつけ、路地の奥からも無数のゾンビが手を伸ばしてこちらに迫っていた。

「違いない。自己紹介は進みながらでも良いな?」
「――あぁ」

 マックスが促しケビンもそれに応じた。
 そして一同もその提案に賛成するようにそれぞれが機敏に動いた。
 テリとシンディーが発作を起して胸を押さえるボブに肩を貸し、オルガとシェリーがマークの歩みを支えた。そしてケビンとジョーとマックスは集団の外周を囲むように銃を構えた。
 互いに初対面同士の集団だが、言葉を交わさずともそれぞれが“生存”と言う目的を共通する。

 ――――しかしその合流が図らずもジョー達に、一つの現実を叩きつける事になった。

「――ボブ! しっかりしろ! もう少しだ!」
「っ……うぅ――――」

 それは目と鼻の先で起こった。
 路地の向こうに生存者の声が聞えた頃。後少しで警察の展開する地点に到着するといった段階で、合流した生存者の一人ボブが膝をついた。

「ボブ!」

 ボブと同じ制服を着た民間警備会社のマークは、直ぐに叱咤する様ボブの肩を掴んだ。
 ボブ達とはまだ知り合って数分と言った仲。
 しかしそれでもジョー達には既に、ボブが並々ならぬ深刻な様子である事が察せた。

「お、おい! 大丈夫なのか!?」
「………………」

 マックスがマークに続いてボブに意識を保つよう問いかける。
 しかしその肩をテリが悲痛な顔で引き止めるように叩いた。
 周囲の空気が、まるで余命幾ばくも無い患者を看取るような――そんな静けさに変わった。
 シンディーが顔を伏せた。
 察したケビンがオルガとシェリーをさり気なく遠ざけようと肩を引いた。
 しかしその行動がオルガとシェリーにボブの最期を悟らせた。
 ジョーは左手に受けた傷がズキリと痛むような感覚を覚え、思わず拳を握りこんだ。
 全員の視線がボブとマークに注がれる中。
 マークの必死な声とボブの力ない声だけが響いた。

「――ボブ!」
「ダメなんだ、マーク。もうこれ以上、足手纏いにはなりたくない……」
「何を言ってるんだ、立て! 行くぞ!」
「違うんだ……奴らと同じなんだ……俺は、お前の肉を食いちぎりたいと思ってしまっている……」
「……ボブ」

 ボブはマークの懐から拳銃を掠め取った。

「もう俺の事は放っておいてくれ――」
「ダメだ、ボブ!」

 ボブは銃を取り上げようとするマークに、その銃口を向けた。
 その顔からは涙がポロポロと溢れていた。

「ダメだ――――」

 マークの引き止めをかき消すように一発の銃声が響いた。
 カラリと薬莢が地面に転がり落ち、そして程なく――
 己を撃ち殺したボブの身体が屍として地面に崩れ落ちた。

「ボブ!」

 マークの慟哭が悲しくこだました。
 
「――――行こう」

 それは誰が取った音頭だったかは判らない。
 しかしその言葉がきっかけとなり、一同の歩みは再会した。
 ボブの死に悲嘆にくれるマークの肩をマックスとケビンが無理やり引っ張り上げた。
 そしてジョーはチラリとボブの遺骸に視線を向けた。
 
「――ジョー?」
「――っ?」

 シェリーがジョーの袖を引いた。
 その少し先にはジョーの出発を待つ悲痛な顔を浮かべたオルガ、テリが居た。

「――あぁ。行こう」
 
 シェリーの肩を叩き、殿としてジョーも歩みを再開した。
 一同が路地を抜け、警察がバリケードを展開する大通りに着いたのは、それから間も無くの事であった。



 赤と青のパトランプを点けた大型の車両と、制服姿の警察官達。
 普段ならありがたみを感じない市民も多いが、この時ばかりは彼ら警察の存在に生存者達は強い安堵を感じた。
 それは口にこそ出さなかったが、ジョーがケビンと合流した際にも感じた安堵であった。

「――――生存者だ! こっちだ!」

 ジョー達が路地を抜けた先には多くの警察官が居た。
 彼らはジョーを初めとする生存者を援護するように動き、背後に迫るゾンビ達に銃口を向けた。
 そしてその中には警察以外の武器を持った民間人の姿も多くあった。

「――ジョー!?」
「店長!? なんで此処に――」
「お前を探してたんだよ。馬鹿!」

 そして警察に協力する一部の市民の中にジョーの顔見知りも居た。
 ロバート・ケンドだ。 
 ロバートはジョーの姿を見つけるなり駆け寄り、怒りながら笑った。



チャプター1 終了って感じです。


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05 死中に活を……

チャプター2


 掃討作戦指令書

 内容:中央通り及び下水道へのC4爆弾の設置、バリケードの敷設
 時間:本日午後6時
 作戦人員:20名
 補足1:基本的には人命救助を優先するが、対象が呼びかけに呼応しない場合は殺傷を目的とした発砲を許可する。
 補足2:爆薬敷設後は作戦区画から直ちに撤退し、本部からの指令を待て。


「――爆破20秒前!」
 
 血肉を求める無数の唸り声が、合唱、輪唱となって周囲一帯に響く――
 警察の作戦で大通りを抜けた先の広場には数千のゾンビが群れを成し、一区画におびき寄せられていた。
 目の前に広がるのはまさしく正気を害いそうになるおぞましい光景だったが、しかしそれを前にしても彼らは使命を忘れなかった。

「カウント10、9、8、7――――」

 レシーバーを構えた警察職員が作戦開始の合図を取る。
 カウントが始まると同時に、最後の調整を終えた作業員達がパトカーで作ったバリケードの奥へと撤退した。
 しかしその時、亡者を隔てていた檻の一角が崩れた。

「――っぁああ!」

 起爆スイッチを手にする職員が恐れから上擦った声を荒げた。
 亡者の群れが白濁した目で朽ちた手を伸ばし、腐った吐息を吐きながら迫る。
 強い嫌悪感と恐怖が起爆装置を握る男の身を包んだが、それでも彼は手にした希望を落とさずに、震えながらも勇気を振り絞って役目を果した。
 そして直後。地獄の釜が開いたように巨大な焔が地面から吹き上がった。
 起爆地点から距離をとった多くが、その身を焼かれるような強い熱を感じた。
 広場に集められた亡者の群れは等しく焼き払われ、夜の帳が訪れたラクーンシティの空を明るく照す。
 無数のゾンビは天に還り、目の前には巨大なクレーターと紅蓮の炎、そしてもうもうと立ち上る巨大な黒煙が狼煙のように上がった。

「成功だ!」

 紅蓮を前にした警察官らは強く勝鬨を上げた。
 それは後に悪夢と語られるラクーンシティーの惨劇の中で、唯一R.P.D.が悪夢に勝利した奇跡の瞬間である。





 ジョー・ナガトの手記 その2

 自宅から見知った大通りまで脱出するのに壮絶な体験をした。
 たった一日。昨日に比べて街を歩くのにこの様だ。
 こんな事なら、昨日の内にさっさと街を出るべきだったと強く後悔した。
 しかし他の生存者と合流できたのは幸いだ。少しは俺も役に立っただろうか……? だけどコレが精一杯。これ以上は正直、期待されても困る――――
 さて、そんな俺達だが、ついに何とか警察官らと合流する事ができた。
 警察が封鎖する警察署近辺の中央ブロック。その南側にある通称ダウンタウンに最も近いフラワー通り近辺では、ロバートを初めとする多くの顔見知りが独自に防衛網を展開していた。
 何れも知り合いで、ありがたい事に俺の事を探していてくれたらしい。
 互いに無事が確認できて本当に良かったと思う。
 ――だけど正直、さっさと逃げろと思った。
 またその際に状況を尋ねてみると、多くが『間違いなく昨日スタジアムで行われたフットボールの試合が原因だ』と言っていた。
 曰く、スタジアムの観客席に暴徒が現れたらしい。
 そしてその暴徒こそが感染者であり、その感染者から爆発的なゾンビ感染が広がった。
 そして一夜明けてこの騒ぎとなり、明日にはもっと状況はひどくなるだろう、と――

 最後の“明日はもっとひどい事になる”とは明言しなかった。だけど俺も感じた事だし、きっと他の多くも胸に秘めていた事だろう。しかし誰も口にしないなら俺も無闇に口にしない事にする。
 そんな憂鬱な話題の何が面白い?
 ――要するにそういう事だ。

 そしてつい三十分ほど前だが、警察による大規模な反抗作戦が決行された。
 大通りを挟んで少し先の広場では鈍重な鉄のフェンスがいくも設置され、その人為的に作られた檻の中に警察と民兵の協力によって誘導された無数のゾンビの群れが詰め込まれた。それなりの距離からも呻き声の大合唱が聞こえてくる程の数だ。
 ちらりと確認したが、正直数えるのも馬鹿らしくなるほどの大群がそこには居た。
 はっきり言うが、マジでゾッとした。
 もし決壊すればそれこそ津波のような勢いで、奴らは生き残った生存者を嬉々として飲み込むだろう。
 こんな作戦を考える奴も実行する奴も頭がおかしいと思ったが、だけどありがたい事にその作戦は成功してくれた。
 
 署長はクソ中のクソだけど、やはり現場の人間は尊敬出来る。
 一部の素行不良もこの時ばかりは人命優先で最前線に立つ気概を持っているからな。
 親父も警察官だから多少贔屓は入っているが、恐らくこの事件がなかったら俺も警察官を目指したかもしれない――まぁ、それは良い。
 問題はこの後だ。
 この後、俺自身がこの街からどうやって生き残るか、だ。

 ――――リッカーから受けた傷が微妙に痒い。





 “爆破作戦”の成功と共に現場からの撤収作業が始まった。
 それに伴いオルガ達生存者は警察のトラックに乗って一時的に警察署に避難する手はずとなる。
 そこから脱出ルートに向かって陸路でのピストン輸送を行うというのが、警察と消防の立てたプランである。
 脱出ルートは大きく分けて2つ。
 一つは市外に唯一繋がるハイウェイを車で行くルート。
 もう一つはヘリで脱出するかのルートだ。
 ヘリでの脱出を選ぶ場合は一端、陸路で市内を移動し、東西南北に走る路面電車の車両集積ターミナルに向かい、そして4時間ごとに離着陸するヘリを待ってからの移動になる。
 どちらも一長一短で容易にとは行かない脱出ルートだ。
 しかしそれ以外のルートとなると『壮絶!! アークレイ山地横断ウルトラクイズ』を徒歩でやるか、もしくは市内を流れる二本の川を『気合で泳げ!! 激流川下り』をするかの二つだ。
 ゲーム的なメタを言うとアンブレラが秘密裏に使った地下鉄路線を行くルートもある。しかしこれはアンブレラの関係者以外は容赦なく射殺するであろう殺気立った職員が多数居る様子なので、ジョー個人としては余りお勧めできないルートだ。

「――ゾンビを避けながら長い陸路を地道に行くか、もしくはカプコンヘリに乗るかの二択。もしくは“ウルトラクイズ”か“川下り”の四択。それも嫌なら隠しルートの秘密基地潜入、か。命が幾つあってもたりねぇよ。究極の選択過ぎる」

 ようやく一時的な安寧を得た生存者一行は、その場の警察官らに聞かされた脱出路に強い希望を見出している。そしてこの道中を決死の思いで生き延びてきたオルガ達生存者の安堵の顔を見て、ジョーはとてもじゃないが彼ら彼女らの心をへし折るような現実を突きつける台詞を吐く気にはなれなかった。
 ジョーに言わせれば、目の前に転がってるモノはとても希望とは呼べない。差し詰め皆は、次の地獄への招待状をもらったのだ。
 
「………………どうすればいい?」

 ジョーの顔はひどく浮かないままだった。
 加えてジョーには差し迫った不安があった。つい先程、ボブという一人の生存者の壮絶な最期を真近で見てしまったからだ。
 あれが感染者の末路なのだと、ジョーは思い知らされた。
 人間としての尊厳を保つならば自決、一択。いよいよともなれば、彼の様に覚悟を決めるしかないだろう。しかし今はまだ、何も決められない。感染深度がどの程度なのかも把握できず、ボブの言った様な『人を食いたい』という自覚症状もない。――しかし事実として、ジョーの腕にはリッカーから受けた傷が確実に存在した。

「―――――」

 ジョーは撤収作業を尻目に、自宅から持ち出したミネラルウォーターを口に含んで、一呼吸ついた。
 視界の先にはオルガ達の乗った警察のトラックの後姿がある。
 ガラス越しにこちらを見つめるシェリーとオルガと目が合ったような気がした。
 最後となるだろう言葉を交わしたのがつい先程。ジョーは皆から一方的に取り付けられた約束を思い出した。


 皆を警察のトラックに乗せた際。オルガが、テリが、シェリーが、マックスがジョーに言った。
 警察署で待っている、と――
 危険の中を共に歩いた一同は、最後まで一同の先頭を率いたジョーの身を案じていた。しかしジョーの口から聞かされたゾンビ感染の可能性とそれによる危険からの残留の意思を受け、一同は安易な言葉での気休めを吐けなかった。
 だからこそ言葉少なく端的に言ったのだろう。

「――――いや、待たずに先に脱出しろよ?」

 告げられた言葉にジョーは思わずそう切り返した。
 しかしテリは、「いよいよとなったら嫌でもそうするわよ」とふてぶてしく言った。
 マックスもこれ見よがしに使い方を覚えたショットガンを持ち上げる。そして移動用のトラックにテリと一緒に乗り込む際に、真剣な眼で「信じてるぞ」とジョーの肩を叩いた。

「ジョー、コレ持って行って」

 シェリーは出発の間際に教会で調合したハーブペーストの小瓶を渡してきた。その際の伏せた顔が強く印象に焼きついた。
 シェリーと同じトラックに乗ったオルガは一言、「ありがとう」と告げた。
 そしてジョーの手を取り「待ってるから――」と、シェリーと同じようにハーブペーストの小瓶をジョーに託した。

「――オルガ」
「なに?」

 ふと、ジョーはゲーム本編中でオルガは所長に狙われる事になる事を思い出した。
 磨耗しきったバイオ2での記憶だが、そうしたイベントの存在をふと思い出したジョーは、最後のマガジンを装填した愛用のベレッタをオルガに渡した。
 ――――それは気まぐれだった。

「――持ってけ、護身用だ」
「え――?」
「ハーブペーストの礼だよ」
「………………」

 これほど周囲に警察官と他の生存者がいれば、流石に手出しはできないはずだと思う。だが万が一に備え、バイオ2のイベントで折角助けたオルガが死なぬように、その生存率を上げる為の布石を打った。
 困惑するオルガの手を取りジョーは簡単に使い方を説明した。

「――これがハンマー。そしてこっちの横の摘みが安全装置。撃つ時はコレをはずしてから、音がするまで目一杯スライドを引く。そしてハンマーが倒れたら引き金を引く。オートマチックだから一発撃ったらそのまま連射できるが、残り7発しかないから本当にピンチの時にだけ使ってくれ」
「――――――」
「まぁ、警察署に行けばベレッタのマガジンの予備くらい探せばあるだろう。もし警察署でマービンって言う黒人の制服警官に出会ったら迷わず頼れ。きっと力になってくれるだろうよ。じゃ、元気で。――生きろよ」
「ジョー!」

 トラックの荷台の扉を閉めて、ジョーは軽く手を上げ、出発を見送った。
 去っていくトラックから「――待ってるから!」という慟哭が聞こえた。





「――どうした? お前は警察署には行かないのか?」 
「あぁ」
「なんでまた?」
「………………」

 撤収作業が終わりに近づき、未だ現場に残っているジョーに気づいたロバートが話しかけた。
 ジョーは無言で手当てした左腕の傷を見せた。
 
「――バリー達の言った事は覚えてるだろ? 話が本当なら俺も――まぁ、そう言うことさ」
「っ!?」

 ジョーの言わんとする事を察したロバートが悔しそうに顔をしかめた。

「――――本当にどうしようもないのか?」
「さぁ――」
「バカヤロウ! もっと真剣に考えろ! 何か手があるはずだ!」

 その瞬間、ロバートはジョーの胸倉を掴んで叫んだ。普段声を荒げるのも珍しい男が、だ。
 ジョーはされるままにロバートに持ち上げられたが、逆に何とか出来るなら教えてくれと無性に腹が立った。
 そして舌打ち交じりに逆に問うた。

「大体、店長はなんで残ってるんだよ? 早く逃げないとやばいのは一緒だろうが!?」
「――っ 俺は良いんだよ」
「――――はぁ?」

 と、ロバートは腕を解いた。
 思わずジョーも困惑した。
 ロバートはその場に残る同じ民間の生存者達の姿をチラリと一瞥した。

「――持病なんだ。脱出した所でその先があるとは思えない。此処に残ってる連中の大半がそうさ。俺達は脱出よりも救援を待つ事にしてる」
「ぁん? 聞いてないぞ、そんな話――――」
「――秘密にしてたからさ」

 ロバートは肩を落とし、カラリと口に糖分補給用の飴を含んだ。
 




 ラクーンシティーの中心にある警察署。その南側は通称ダウンタウンと呼ばれている。
 その区画に位置するフラワー通りの少し先に、ケンドの銃砲店は存在した。
 ゾンビパニックから数日。
 街のあちこちで人々がゾンビに食われ、ゾンビと化した。
 しかしフラワー通り近辺は警察署の防衛能力とロバート・ケンドを初めとする多くの市民の抵抗によって、この街の中でも一応の安全が確保された地域となっていた。
 ケンドの銃砲店の近辺にある商業設備には、少なくない明かりが灯っており、この地獄の中で唯一人の営みがあると言える。
 しかしその明かりの下にいる者達は殺伐としていた。
 皆、銃を手にして息を潜め、祈りながら救済される日を待っていた。

「――――少し見ない間に随分とこざっぱりしたな?」

 ケンドの銃砲店のすっかり変わり果てた様を見て、ジョーは思わず吐息を漏らした。
 普段は所狭しと銃が飾られている店には、殆ど武器といえるモノがない。
 もはや何を売り物にしていた店なのか、見当もつかないからだ。

「必要としてる連中に配ってたら、あっという間にこうなったんだ」
「稼げただろ?」
「まさか。この状況で金に意味があると思うか?」
「――違いない」

 ジョーの思ったとおり、ロバートは案の定、無償で武器を配ったらしい。
 そうした要所での心根が好かれ、彼は多くの信頼できる友人を持つ男だった。
 ジョーとロバートは直ぐにゾンビ対策に店のシャッターを閉め、窓や出入り口に鍵を掛けた。
 そして生活空間として使っている二階リビングの椅子に腰を下して、同時に盛大な安堵の溜息を吐いた。

「――腹減ったな。何か食うか?」
「あぁ」

 簡易キッチンで買い置きのパスタを大量に茹でた。そして缶詰の豆とミートソースで味をつけ、大皿に盛って二人で分けて食べた。
 外はすっかりと地獄に変わり果てたが、そこにある営みはジョーにとっては日常である。
 本当に久しぶりに感じた安堵に、ジョーはふと泣きたくなった。

「――本当にバリーの言ってやがったゾンビ菌に感染したのか?」
「わからねぇ。だけど噛まれたり、引っかかれたりした奴がそうなるんだ。舌に抉られて負った傷で、そうでないって言いきれるか?」
「舌に抉られた? そんなゾンビもいるのか?」
「ゾンビじゃねぇよ。やたらと舌の長い気持ち悪いバケモノさ」
「そんな奴が――」
「あぁ」

 自宅を出てからの出来事をロバートに吐露した。
 生存者に会い、教会に逃げ、リッカーと戦い、ゾンビと戦い、更に生存者を見つけて、そして一人の人間の自決を見た――――
 
「……よく頑張ったな!」
「慰めはいらねぇ。失敗してるから残ってるんだぜ、俺は?」
「それとコレとは別だ。お前は良くやったんだ! それは俺が認めてやる!」
「よしてくれ――」

 豪快に背中を叩かれ、ジョーは照れくささと、不意にこぼれそうになった涙を見せまいと顔を背けた。 

「――――ところで、店長はどうなんだ? さっき持病がどうだとか言っていたけど」

 ジョーは無理やり話題を変えた。
 同時にオルガの作ったハーブペーストを瓶から爪の先程取り出しペロリと舐めた。強烈な苦味と辛味が舌の上で爆発し、そして風味が鼻を貫いた。ウィルスに感染しているのなら少しでも何とかしたいという思いからの行動だが、少し後悔した。想像以上のハーブの不味さに思わす顔が苦悶に歪んだ。

「あぁ。実はな――」

 と、ロバートは腰に巻いたポーチからペンの様な針のついた器具と薬を取りだした。それがインスリンの注射器である事に気づくのに、それ程多くの時間は必要なかった。

「――新しいの取りに行こうにもこの騒ぎだ。主治医もどこかに逃げてるはずさ。それに何処の病院も飽和状態で機能を停止してるらしい。――仮に上手く脱出しても、この先インスリンが尽きれば俺は死ぬだろう」
「だけどそれは――――」
「ハリケーンの被災地に水を送るのだって容易な事じゃない。ましてや薬だ。脱出してからその先も上手くとは思えねェ。だったら此処で一人でも多くを逃がしてやろうと思ってな。だからそういう連中に俺は武器を配った」
「――――――」

 ロバートの諦観の混じった言葉にジョーは絶句した。

「――死ぬ気だったのか?」 
「まさか――。でも、俺より若くて生き残れそうな奴の為に、脱出の優先権を譲ってやりたいと思ったのは本当さ」

 ロバートは飄々と言った。
 だがジョーにはそれがとてつもない強がりのように思えた。





「――――とりあえず今日のところはゆっくり休め。この部屋は貸してやる」

 その後。どちらとも無く会話が途絶えた後。ロバートは食器を片付けて一階へと降りて行った。
 遠く彼方に遠吠えと無数の呻き声が微かに響いた。
 息を押し殺して夜を過ごす多くの生存者と同じく、ジョーも膝を抱えて壁を背に身体を休めた。
 しかしその心には筆舌にし難いもどかしさと強い無力感。そして憤りの感情が芽生えていた。

「――――本当にどうしようもねェのか、よ」

 薄明かりの中でジョーは自問した。
 死を覚悟して受け入れると言えば聞こえが良い。だが自決したボブや持病のあるロバートとは違い、ジョーには避けられない死が目の前にあるとは言い難かった。

(――意識はハッキリしている。食事を終えて空腹は満たされた。俺はまだゾンビじゃない。まだ死んでない!)
 
 本当に治す方法が無いのか? ロバートを初め、オルガ達にも幾度と無くそれを質問された。それを再び、ジョーは己に問うた。
 感染を治す方法について考え、唯一可能性がありそうな記憶の奥底に蘇った“バイオ”の知識をひねり出す。
 かのビデオゲームで遊んだのはもう数十年前になる。
 そんな遠く彼方にある磨耗しきった記憶を搾り出す様に、ジョーは己の手記に乱雑に関連ワードを羅列した。

(――――バイオ1で登場したかの“かゆうま日記”の著者は、数日掛けて狂っていった。正式には“かゆい、うま”。それ程意識が混濁したのならもう諦める。だが俺はまだ正気だ。何かあるはずだ、他の作品はどうだ?)

 現在の状況はバイオ2である。しかし舞台となる正式な日時は判らない。だが恐らくケンドの銃砲店にレオンとクレアが訪れる。それは覚えていた。問題はそこから先だ。
 ――と、その瞬間ジョーは同じ時間軸を描いたバイオ3の存在を思い出した。その記憶の中で、ネメシスとの戦闘で傷を負ったジルが昏睡した描写がある事を思い出した。

「――そうだ。病院に行ってワクチンを作って治療したんだ。それで、その後は――――」

 治療薬が病院にある。
 このバイオと同じ様な世界にそれが、ゲームと同じく実在している可能性は未知数である。
 が、ジョーはそこに希望を見出した。
 問題は何処の病院にあるか、だ。
 バイオ3でのジルの足跡――
 それを辿るように、ジョーは思い出せるOPから順に、覚えている範囲で脳内の映像を再生した。
 アパートから脱出し、ジルはゾンビを太ももで挟んで撃退した。その後、警察署でブラッドが死に、ネメシスと戦闘になる。警察署の中で――その後、銅像の裏でなぜかバッテリーが見つかる記憶が脳裏を過ぎる。

「っ!」

 思い出の中のシーンを順送りに再生するが、大きく途切れ途切れの記憶の方が多かった。
 バイオ3で一番ツッコミどころのあった仕掛けだろう、銅像の裏にあったバッテリーに印象がそれる。
 その印象が強すぎて他の記憶が大きく薄れていくのを感じた。

「――あれはどこだ。どの銅像だ!」

 その周辺のシーンでふと、路面電車と菱形のカラフルな石のついた扉の存在を思い出した。
 カラフルな石のついた扉――
 それについてはこの世界のラクーンシティでも覚えがあった。
 市庁舎の扉である。そして同時に、銅像も市庁舎に飾られたモノだと確信した。

「その後で路面電車か!」

 バイオ3のジルはその後、バッテリーを使って路面電車を動かした。
 それに乗り何処かへ向かったのだ。 ――しかし、ジョーに把握できたのはそこまでだった。
 ラクーンシティーには市民の足として地下鉄と路線バスの他、街の東西南北を路面電車が走っている。
 その為、バイオ3のジルが動かした路面電車が、どの路線のどのレールを走っていたのかまでは流石に把握できなかった。

「――――クソッ!」
 
 バイオ3のジルが何処でネメシスと戦闘したのか――
 そして何処の病院の設備からワクチンを手に入れたのか――
 一番重要な部分が如何しても思い出せない事に苛立ちを覚えて、ジョーは思わず拳を握った。

「――――分からないなら、探すしかないな」

 幾ばくかの沈黙の末に、ジョーは遂に結んだ決意を吐露した。
 ボブは最期まで人であろうとした。
 ロバートは死を悟りながら救いに奔走した。
 道中を駆けた多くの仲間がジョーの無事を祈った。
 ならば己も最期まで抵抗してやろうと腹を決めた。

 手がかりは市庁舎の扉である。まずはそこへ行き、そして最寄の路面電車の線路を探す。
 その周辺でバイオ3のジルの足跡を追う事が、現時点で可能なやるべき最善の抵抗だと思った。
 ジョーは立ち上がった。
 そして一目散に店の階下へと向かった。

「――――ん? どうした。寝ないのか?」
「あぁ」

 店の地下には武器保管庫がある。
 その部屋の明かりはまだ点いており、ロバートは作業場で犠牲者から拾い集めた様々な規格の銃弾を分解し、残った武器の口径に合うように銃弾を作り変えていた。

「――ちょっと出かけてくる」
「なに? 今からか?」
「あぁ。時間が足りないんだ。それでいくつか武器を持ち出したいんだが、いいか?」
「――――――」

 ジョーは地下保管庫に残った数少ない武装に眼をやり、ロバートに尋ねた。
 ロバートは当然の如く、ジョーのやろうとする無茶を察して、真剣な形相で睨んだ。

「――何をする気だ?」
「治療の当てを思い出した。もしかすれば上手く行くかもしれない」
「それは夜が明けてからじゃダメなのか?」
「時間が無いのは御互い知ってるだろ?」
「だけど――――」
「生きる為に必要だからやるんだ! 力を貸してくれ!」

 声を荒げ、負けじと睨み返すジョーを見て、ロバートは小さくため息を吐いた。





 報告書 9月26日
 
 本日午前10時頃、署内に逃げ込んだ42歳男性(飲食店経営)が、同月24日盗難にあった市庁舎の宝石のひとつを所持しているのが死体検査で判明した。
 尚、男性は逃げ込んできた数十分後にゾンビ化した為、射殺。
 本件は厳戒令の為調査を保留とするが、証拠品である宝石はしばらく署内で保管する事とした。

 報告者 マービン・ブラナー

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06 壷毒の巣窟へ 前篇

 あちこちで亡者の呻き声と無数の足音がした。その中には骨を砕き、肉を噛み締め、血を啜る音もある。
 その音が鳴り止む気配など未だ微塵も無く。
 悪夢は今も尚、更なる広がりを見せている。

「――今なら光に集まる蛾の気持ちが良く判るぜ」

 銃砲店を出発したジョーにとって幸いだったのは、街の送電設備がまだ(・・)生きている事だ。
 夜の闇を払いきるには余りに小さな灯りだが、それでも光の零れる場所に辿り着く度に、自然と安堵の吐息が腹の底から漏れた。

 ジョーはコレまでの間に幾つもの憂鬱になる光景を目の当たりにした。
 近くに生存者の気配が無いと知ると、ゾンビは自然と共食いを始めた。恐らく、そうまでしないと連中は身体が維持できないのだろう。
 損壊が激しく動けない同胞を壊すように捕食するゾンビの群れが、ジョーの視界の先にある一角に集まり始めていた。おかげでやり過ごせる隙が出来たが、とてもじゃないが喜ぶ気にはなれない。アレが元は人間だったとは思いたくもないし、ましてや自分もその中に参加するなど、真っ平ごめんだ。

 ジョーは街灯の下で力強く葉を広げたハーブの鉢植えから数枚を乱雑に千切り取り、その葉を噛みタバコのように無理やり口に押し込んで噛み潰した。
 強烈なハッカのフレーバーと辛さ苦さという不愉快さが舌の上で爆発した。
 かつて日本人であった記憶が、『良薬、口に苦し』という言葉を思い起こさせる。赤、緑、青。これらのハーブが体内に入り込んだTウィルスを抑制するという設定(・・)も、良く頷けるというひどい味に、思わず舌打ちがこぼれそうになる。
 だが“気付け”には丁度良かった。
 再び気合を入れなおしてジョーは歩みを再開し、その傍ら、生き残る為に独自にゾンビの習性を観察した。
 確信が持てたのは、ゾンビが物音に反応するという点であった。
 そもそもゾンビの進化の先がリッカーという盲目の怪物なのだから、その可能性は十分にあったが、フラッシュライトを駆使しての調査により、遂に確信が持てた。
 得物の先に取り付けたフラッシュライトで闇を照らしながら、遂に辿り着いた市庁舎の扉。
 それを前にしたジョーは、その特徴的な扉の飾り石が、ゲームと同じように二つ程、欠けている事を知った。
 それを見て、ジョーはまだ“希望”はあるという風に思えた。
 ジョーは次第に熱っぽさが増してくる身体を叱咤しながら、恐怖を押し殺すように無理やり顔に笑みを浮かべた。

 ゲーム『バイオハザード3』における主人公ジル・バレンタインの足跡。
 それを探る為に市庁舎の周囲を注意深く探ったジョーは、途中、路地の一角で大柄な体躯のゾンビが小柄なゾンビを捕食している場面に遭遇した。
 呻き声を上げながらゆらりと振り向く巨躯のゾンビに対し、ジョーは無言で散弾銃モスバーグM500を向けた。
 銃身の先にはロバートの改造によって、銃剣とフラッシュライトの両方が取り付けられていた。それは希望を探しに行くというジョーの意に答えたロバートが、見事に用意してのけた得物であった。
 ショットガンを構えたジョーは、まず緩慢な動きで手を伸ばし迫る巨躯のゾンビの太腿を銃剣で刺して止め、次に薬室にショットシェルを送り込み、引き金を引いた。
 銃声と共に巨躯のゾンビの膝から下が千切れ飛んだ。
 その瞬間、ジョーの脳裏には出発の際に交わしたロバートとの会話が過ぎった。

『――フルオートのショットガンって奴が80年代頃に米軍で少し話題に上がったんだ。だがそれっきりで、結局使い物にならないって軍は判断したそうだ。俺もその内の一人でな。だが、こんな事態になるって予想できたなら、仕入れとけばよかったぜ』
あの(・・)クソ重くて、射程も無くて、装弾数も少ないっていう噂のアレか? 要らねぇよ。それと多分、この事件が終息する頃には何処の国も真面目にフルオートショットガンってのを考えるだろう。仕入れるならその時のほうが絶対に良いと思うぜ?』
『――ま、その時まで御互いに生きてりゃあ、な』
『――生きてるさ。必ず生きてやる。店長もだ。インスリンも見つけてやるから、絶対に死ぬなんて言うなよ?』
『わかった。わかった。じゃあ、生きる為に知恵をひとつ授けてやる』
『ぁん?』
『俺たち小柄な日系人が、身体のデカいアメリカ人と喧嘩して負けない為の作法さ――――』

 印象として、アメリカの銃には貫通力よりも大口径と低弾速による、高い停止能力が求められる事が多かった。理由は様々だが、思うにアメリカとは肥満が社会問題になるほどの国であったが故――
 彼らは時に、銃弾すらもその筋肉と脂肪で阻むことがあるからだ。
 そして、『だから――』と、ロバートは続けた。

『――喧嘩にしろ何にしろ。デカイ奴はまず膝を狙え、だ。そして転がしたらコッチのもんだ』

 右足の膝から下をショットガンで吹き飛ばされた巨躯のゾンビは、崩れるように地面に倒れた。同時に捕食されていた小柄なゾンビの頭部も吹き飛んだ。
 ジョーは倒れた巨躯のゾンビの襟足にナイフを突き下し、更にナイフの柄をブーツの靴底で踏みつけて、入念に止めを刺した。
 ホッと一息つく。
 ――が、安堵するよりも先に済ませることがあると、直ぐにその場からの移動を開始した。
 銃声によって周囲にゾンビが集まるよりも早くに路地を抜けたジョーは、その先の路面電車の停留所へと辿り着いた。

「とりあえず此処で――」

 ジョーの脳裏には“路面電車”というキーワードがあった。そのキーワードの更に先にあるモノこそが、ジョーが探し求めるウィルス感染を抑制するワクチンに繋がっていた。
 しかし辿り着いた停留所には路面電車の姿は無く、代わりに存在するのは食い荒らされて損壊した無数の死体のみ。電車自体はどこかの路面で緊急停止しているのだろう。ゲームの中での描写も、路上に緊急停止した車両を無理やり動かしていたという記憶がある。
 重要なのはそこから先の記憶であり、そこから先の記憶こそが、ジョーの求める希望に繋がる唯一の光明。ケンドの銃砲店を出発し、無数のゾンビを時に排除し、時にやり過ごしてようやく一先ずの目的地に辿り着いたジョーは、灯りを頼りに停留所の路面図を見た。
 図に描かれた路線図によると、予想通り、ラクーンシティーの路面電車のラインは、市の東西南北を縦横に走っていた。
 
「――どれだ?」

 ゲームの中のジルは路面電車を動かしてそれに乗ったのは確実。だがそれが、どの路線のどの車両かまでは流石に判らなかった。
 路線図に書かれた各停留所の名称は、この『市庁舎前』の他、『ラクーン大学前』や『動物園前』というゲーム時代の記憶を頼りにすると、どれも怪しく見える名前ばかり。

「――っ!?」

 と、その時、ふいにジョーの耳がヘリのローター音を捕らえた。
 顔を上げて上空を睨むと、かなり高度を上げて飛んでいる一機のヘリの姿があった。自然と、その行く先へと視線が誘導された。
 ジョーはその先に、紅蓮に燃える街の夜景と、巨大な時計台(・・・)を見た。

「――(セント)ミカエル時計台?」

 ヘリと時計塔。その二つの要素が、薄れ、欠けていたジョーの中にあるゲームの記憶を呼び覚ました。
 バイオ3の中でジルは、かの時計台で救助のヘリを呼んだ。だがそこで物語りの幕は下りず、その直後に追跡者ネメシスとの戦闘になり、ウィルスに感染する。そしてジルと同行していた傭兵が、その治療のワクチンを探して単身で病院に赴き、脱出を再開するのだ。
 ジョーはそれを思い出した。
 そしてゲームの展開から推察して、確実と言えるだろう病院(希望)の答えについに辿り着いた。
 街全体を見ても、最も時計台から近い位置にある病院といえば一つしかない。
 即ち――

「――ラクーン総合病院か!」

 ジョーは確信を持って、その場所の名を口にした。





 ラクーン総合病院 医院長の手記

 今日もまた発病者が運ばれてきた。まだ症状は軽いようだが、恐らくは――
 幾日も睡眠をとっていないが、辛いとは口が裂けても言う気にはなれない。患者が恐ろしい怪物になるのをこれ以上見過ごす訳にはいかないからだ。
 私は傍観者ではない。人を治す医者なのだ。
 ――だが、そうは言い聞かせてても、そろそろ自分の限界が近い事が判ってしまうのは皮肉だ。

 私が倒れても、私の残したカルテがきっと役に立つ筈。そう信じたい。
 この病気の核心が必ず見つかると。
  私には、力も時間も足りなかった。
  
 職員や医師 の大半を発病した患者との戦いで失い、この病院を 維持することは すでに不可能だ。

 私にはちから 足りなか た。
  ウィルスに 原因あるとわかってから 対処が後手 なって し ま た。

 そ ろそれ辛い わたしの意しき も もたな い


  か るて み る

 たの 

    む  


 《血で汚れていて読めない》





 病院という単語から連想される候補には、もう一つあった。
 ジョーが子供の頃に通ったアークレイ山地近郊に立てられた病院がそれだ。だが件の病院はもう五年も前に閉鎖されている上に、病人を単独で放置してわざわざ遠い病院で薬を探すという非効率なマネをするとも思えない。
 名前を忘れてしまったバイオ3に登場する傭兵の判断を信じ、ジョーは紅蓮の先に見える聖ミカエル時計台と、その先にあるラクーン総合病院を目指して移動を開始した。

 だが希望が見えたと同時に、ジョーの脳裏にはこの状況では決して思い出したくもない屈強なB.O.W.(生物兵器)の存在が過ぎった。そしてまた、それを証明するかのようにラクーン総合病院の近辺には、不気味な静寂が満ちていた。

「――なんだこりゃ?」

 ラクーン総合病院の建物を目の当たりにして最初に気づいた異常は、ゾンビの少なさであった。
 市庁舎前の停留所からコレまでの道中には大量のゾンビがいた。だがその存在を表す呻き声が、不思議と病院の方からは聞えては来なかったのだ。それが先ず感じた第一の異常である。 
 次に感じたのは周囲に散乱する大きく損壊した死骸にある。まるで尋常でない剛力を駆使してねじり切り破壊された様な、奇怪なゾンビの成れの果てが幾つも転がっていたのだ。
 ジョーの脳裏にある怪物の姿が過ぎった。一説によると“皮を剥いだゴリラ”。もしくは“屈強なカエル”と称された狩人の存在だ。

「――――――」

 ジョーは自然とショットガンを構え直し、また同時にケンドの銃砲店から持ち寄った3種ものサイドアームの位置を確認した。
 オルガに託した愛用のベレッタと同じ92Fを右足に。父からの遺品となった44マグナムは左足に。そしてロバート・ケンドのとっておきである単発式のピストル型グレネードランチャー。通称モスカート・ブルーバーは腰に。
 それぞれの位置と装弾数を確認した後、防弾チョッキと手を覆おうグローブの具合を確かめたジョーは、ついに意を決して病院内へと足を踏み入れた。

 予備電源が生きているのか院内は妙に明るかった。しかしその反面、不気味な程に静か過ぎた。
 響くのは砕かれたガラス片の散乱するタイルを歩む、ジョーのコツコツとした足音のみ――

「一体、何があったんだよ、此処は――」

 ジョーは囁くように、院内の異状を目の当たりにして吐息を漏らした。
 院内に転がる死体も外と同様に異様だった。
 首をねじ切られた死体が幾つもあった。
 しかしその反面、床や壁に飛び散った血痕が異常なほど少なく、良く見れば死体の多くが干からびて(・・・・・)いた。
 院内の案内を確認し、一階の待合を抜けてナースステーションへ。更にその奥にある院長室へと、ジョーは足を進めた。
 院長室の机には、壮年の白衣を纏った医師の死体が転がっていた。良く見れば死体のこめかみには小さな銃創があった。恐らく彼は自決したのだろう。と、ジョーは確信した。
 が、しかしその死体も奇妙であった。
 ――血が、無いのだ。

「――――――」

 ふと、院長室の奥にはエレベータがそこにはあった。電源は生きている様子だったが、音声入力式のロックが掛かっていた。
 表記を見るに、エレベータは四階、そして地下三階へと通じていた。
 その事に、ふと、ジョーは首をかしげた。

「構造的に四階は屋上か? なら地下三階は――」

 入り口付近にあった案内板には、病院の地下施設に関する表記は無かった。
 そしてこの局面で重要なバイオの知識にしても、流石に病院内での細かな事までは覚えていなかった。

「――メタ的に考えれば重要なアイテムは大抵、地下深く」

 この世界の事をジョーだけがバイオハザードであると知っている。それ故の御約束とも呼べる暴論からの推測だった。しかし他に頼る情報もなく、故にジョーは目的地を自然と地下へと決めた。

 ――――その時、背後に気配を感じた。静寂に包まれた院内に、蛇が威嚇をするような独特な呼吸音(・・・)が響いたのだ。

「――っ!?」

 鼓膜を叩いた音の正体を確かめるよりも早くに、ジョーはショットガンを構えた。
 そこには全身の皮を剥がされた醜悪な赤い獣がいた。
 それはゲームの中で、ハンターと呼ばれていた怪物であった。
 砕かれた廊下の窓から侵入し、ナースステーションを飛び越えたハンターは、不測の事態に備えてあえて開け放っていた院長室の扉を外から潜り部屋の内部に侵入。尋常でない脚力を持って、一目散にジョーへと迫った。

「――――っ!?」

 目が合ったのは一瞬だった。
 その刹那の瞬間。ジョーは声にならない悲鳴を上げた。
 ジョーは殆ど反射的にショットガンの引き金を引く事になった。
 それが偶然。奇襲に対してのカウンターという形になり、扇状に飛び散ったショットシェルが飛び掛ろうとしたハンターを空中で吹き飛ばした。
 その一撃がハンターの胸の肉を大きく剥がした。その肉片の一部が天井、壁、床と言った部屋の四方に飛び散り、濃密な血の臭いが室内に満ちた。しかし鼻を貫く不快な臭いなど関係ないと、ジョーは咄嗟に退路を確保する為にハンターとその脇にある唯一の出入り口を見据えた。
 ハンターは身を起してから再度、ジョーに対して強襲をかける為に姿勢を低くした。
 ゴリラのような体躯に詰まった高密度の筋肉が大きくたわみ、サルともカエルとも似つかぬ巨大な顎が開かれる。その剛力を駆使する強靭な腕には無数の血と肉片。そして髪の毛が纏わりついていた。
 恐らくだが、狩人の名に相応しくゾンビも生存者も関係ないと、()は狩りと称して幾人も遊び殺したのだろう。
 ハンターという怪物を目の当たりにしたジョーは、直感でそれを悟った。

「――くっ!」

 二度目の銃撃は直撃とはならず、寸前で回避された。
 扇状に広がるショットシェルは再びハンターの身を貫き傷を負わせたが、それもまだ致命傷にはならなかった。
 間髪入れずにハンターによる三度目の強襲がジョーに迫ると、ジョーは飛び込むように地を転がって回避し、銃身にシェルを装填した。
 自然とジョーとハンターの立ち位置が入れ替わった。
 しかし次の瞬間。リロードの甲斐なく、銃口を向ける隙さえ与えられず――。ジョーは壁を蹴って放たれた四度目の飛び掛り攻撃を受けた。その一撃は咄嗟に振り上げたショットガンの銃身で致命傷は避けたが、その一撃がジョーの身体に齎す圧力は尋常なモノでなかった。
 剛腕を受け止めたショットガンの砲身は大きく“く”の字に曲がった。そしてジョー自身は院長室から大きく吹き飛ばされ、その先のナースステーションの机に背中から叩きつけられた。
 衝撃によってジョーは呼吸を強制的に止められた。

 図らずも院長室という小さな部屋から外にはじき出された形になったが、ジョーはその状況を好転したとはとても呼べなかった。
 止まったら死ぬ。
 呼吸もまだ整っていない状況でジョーが思ったのは、唯一、それのみ――

「っぐぅぁ――!!」

 声にならない叫びを上げ、ジョーは失ったショットガンの代わりにマグナムを抜き、両手で構えて撃った。
 しかしその一撃もまた跳躍を伴う回避行動によって直撃を外された。
 続けざまの二発目は腕の厚い表皮を弾くに終った。
 大きく穴の開いたハンターの腕から四方に血が飛び散った。

 ――――しかし図らずも、その結果が第三勢力の“呼び水”となった。
  
「っ!?」

 ぞわり――と、いう音がした。
 その音を聞きつけたのはジョーと、他ならぬ対峙したハンターであった。
 続いてべたり――と、いう音がした。ダクトからコブシほどの巨大なぬめり(・・・)のあるナニカが湧き出たのだ。
 それは一目散にハンターの流した血痕に飛び掛った。
 ――――直後、である。
 天井に張り巡らされたダクトから濁流のようにそれは現れた。
 コブシほどもある巨大なヒルであった。
 その数、およそ数百匹――

「な―――っ!?」
 
 ジョーは声にならない悲鳴を上げた。
 ヒルは院長室に飛び散った大量の血と肉片を求めていた。
 そして図らずも、そうした餌を提供する形となった手負いのハンターに対し、彼らは群れを成して飛び掛った。



ピストルグレネードのモスカートはバイオ的なゲーム銃扱いでお願いします。


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07 壷毒の巣窟へ 中篇

 病院に満ちた異様な静けさの理由を、ジョーは無理やりな形で理解させられた。
 ゾンビの殆どが首をねじ切られるように破壊されていた理由は、目の前の実戦投入されたB.O.W.のハンター。そしてハンターの作った残骸から徹底して“血”だけを抜き取っていた犯人こそがまさに、目の前のアレ(・・)だ。
 排気ダクトの入り口から大量に躍り出てきた無数のヒル(リーチ)である。
 ヒルの大群は血を流して佇むハンターを餌と見定め、そしてその血肉を貪る様に四方八方からハンターに向って飛び掛った。ハンターにしてもヒルの大群との遭遇は想定外だったらしく、ハンターはヒルに組み付かれるなり、大きく咆哮して床を転げまわった。
 もはやハンターの眼中にジョーの存在は無かった。
 苦痛と生理的な嫌悪を同時に払いのけようと、ハンターは滅茶苦茶に狭い院長室の中で暴れまわった。
 そしてジョー自身は、そのおぞましい光景を目の当たりにして声にならない悲鳴をあげた。

「―――――っ!」

 ジョーは恥も外聞もかなぐり捨てて床を這うように後退した。
 ハンターが腕を振って暴れる度、壁や床に拳ほどの大きさのヒルが四方に飛び散るからだ。同時に、ヒルが纏う糸を引く粘液の一部がジョーの身体に降りかかった。
 ウゾウゾ――ウゾウゾウゾ―――
 降り注ぐ無数のヒルが身体を上ってくる感覚を鋭敏に察知して、ジョーは慌てて身体からヒルを払い落とす。ヒルが手に触れた一瞬。ジョーは豆腐のような冷たさと、不快なぬめりを感じ取った。
 反射的に背筋を駆け上がる強烈な忌避感に意識が途切れそうになったジョーは、無心で腰に装備したモスカート(グレネードランチャー)を抜いた。

「死ねよやあぁッ!」

 ジョーはヒルの大群とハンターを同時に焼き払う等にグレネード弾を院長室に撃ち込んだ。
 パシュン――という独特の発砲音の直後。耳を劈く爆音と衝撃がジョーの全身を襲った。
 グレネードの爆風を喰らいジョーは滑るように床を転がる。
 直後。
 ジリリリリ――と、院内の火災警報器が鳴り響いた。

 半狂乱状態でも淀みなく行われる排莢と再装填。無意識でもそれを可能にするだけの訓練を友人らから受けていた事。それがジョーにとっての幸運だった。
 しかしその幸運を、ジョー本人が冷静に自覚する瞬間は皮肉にも訪れなかった。
 続けざまに白煙の中にもう一発。ジョーは院長室に向けて再度、グレネードを撃ち込んだ。
 それは戦時中に新兵が絶命した敵兵に向けて銃を乱射する様に良く似ていた。
 もうもうと立ち込める塵埃を一瞥して、ジョーは一目散に院長室とナースステーションから距離をとるように走った。
 ジョーが走り去った後、ゾワリ――っと白煙の中で巨躯(・・)の影が蠢いた。





「はぁ……はぁ……」

 逃げ延びたジョーは何処とも知れぬ診察室の一室に篭り、肩で息をしながら無理やり休息を取った。しかし多少の休息で即に平静に――とは流石に言い難い状態にある事を強く自覚していた。
 一歩間違えればハンターに殺されていた。
 そうでなくとも無数のヒルに食い殺されていた。
 もしも一歩間違えれば――
 と、冷静になった脳みそがそうしたもしも(・・・)の可能性を刻むように示唆し続ける。
 心を塗りつぶすように広がる大きな恐怖に、ジョーは手が震えているのを感じた。

「――――っおぇ!」

 震えの止まらない拳を無理やり握りこみ、込み上げる強烈な吐き気のままに床に吐瀉物を撒き散らす。
 数時間前にケンドの銃砲店でロバートと一緒に食べたパスタと豆の缶詰。気付けにと道中で口に入れた各色のハーブの欠片が恐怖と共に盛大に吐き出されて床を汚した。

「はぁ――」

 盛大に吐くと幾ばくか気分が楽になった。
 ジョーはスキットルの中に入れたミネラルウォーターで口を洗い、口元を拭う為にポケットの中の布切れを無意識に使った。しかしふと、気づいた。
 それはハンカチではなく女性モノのショーツであった。
 数時間前に教会で同行したマックスが探索の際に冗談で投げて寄越した物だ。

「ったく――」

 紫のショーツを床に叩きつけてジョーは盛大に溜息を吐いた。
 図らずもパンツで口を拭ったという馬鹿らしさが、恐怖で硬直しかけた心と身体の緊張を解すきっかけとなった。
 ジョーは窓際にあるベッドの一つに腰を下した。

「一体、なんなんだよ。あのヒルの大群は――」

 窓から降り注ぐ月明かりを眺めながら、先程遭遇した無数のヒルについて、暴風のような恐怖を感じた後の凪にも似た疲れきった脳みそで考えた。
 ジョーの知る限りだがヒルに相当するクリーチャーはバイオハザード2、バイオハザード3のタイトルの中に登場した覚えがなかった。
 変わりにヒルを連想させるナンバリングタイトルにはバイオハザードの“0”がある。

「――たしかバイオ0のラスボスだったか」

 0の時系列的に考えると現実時間の今からして、約数ヶ月前も前に相当するシナリオであった。
 しかし逆に考えるとゲームとして0のシナリオが存在するのならば、この世界は実写映画に連なるモノでは無いとも思えた。
 即ち、世界が滅ぶ類のエンディングでは無さそうだという解釈にも繋がった。
 思わず、喜んでいいんだろうか? と、ジョーは苦笑いを浮かべた。
 確信を持つにはやや薄い根拠であった。だがジョーからすれば、それはもしかしたら――と思えた。
 脱出のルートについてもそうだ。ゲームに登場するキャラクターと遭遇して、その行動を共にする様な形にすれば、何とかなるかもしれない。
 そんな希望を感じた。
 ――故にこの先で祈るべきは、入れ違い(・・・・)にならない事であるとも感じた。

「頼むから今夜(・・)じゃないでくれよ?」

 バイオハザード2の序盤では、その主人公のどちらかが『ケンドの銃砲店』に立ち寄る描写がある。それをジョーは克明に覚えていた。
 問題はその展開が事件発生の何日目の夜であるのか、という点だ。
 ゲームとしてバイオをプレイした記憶があるとて、細かい数字のようなものまでは流石に覚えてはいない。何よりゲームが基準の世界だとして、その全てがゲームの通りであるわけが無い。実際にこの世界に生きている人間にとっては此処が現実であり、それはジョーにとっても同じ――
 故にジョーは、「結局出来る事は、何も変わらねぇ、か……」と溜息を吐いた。
 僅かな希望を胸に秘め、祈りながら恐怖と戦い生き延びる事。
 それだけが唯一確実な悪夢への対処方法である、
 ジョーはそう、改めて理解した。

「ダメだな――」

 休息を挟むと憂鬱な考えと不安に心が押しつぶされそうになる事を自覚し、ジョーは頭を振った。
 皮肉にも悪夢から心を護る方法は、無心でがむしゃらに生きる為に戦い、行動する事である。
 ジョーは腰を下したベッドから徐に立ち上がった。

「――とりあえずワクチンとロバートのインスリンだな。探せばあるだろう。インスリンぐらいは流石に……」

 ジョーは道中で毟り採った赤と緑のハーブの葉を一枚ずつ口に含むと、失ったショットガンの代わりにベレッタを抜いて構えた。
 ヒルと遭遇した際にこそ、ショットガンの性能が役に立つ。だがハンターに壊されたモノを今更嘆いても仕方が無い。だがせめて、ショットガンの代わりにヒルを防ぐ武器でもあれば――と、ジョーは視線を周囲に向けた。
 散乱した備品の中に掃除用の箒を見つけた。
 振り回すには柄が少々長いものの、加工して長さを調整すればテニスラケットのように飛び掛ったヒルを払いのける事ができる筈。
 ジョーは思い立ったが吉日だと、ナイフを抜いて箒の柄の加工を始めた。





 ゾンビパニックの発生初期からこの異常な事態に対応していた医師らは、早々にこの事件をウィルスのような“病”であると判断した。
 そう解釈に至った理由は、症状が狂犬病に似ているからだ。
 そしてウィルス感染が原因であるならば、そのワクチンも作れる筈――
 と、医師らはそうした院長の音頭によって、病院地下の実験施設でワクチンの研究に取り組み始めた。
 しかし増え続ける感染者と、突如現れた奇妙な怪物の強襲によって遂に断念。
 病院側の者の多くはウィルスの研究資料を脱出可能であった健常な生存者達に託し、この悪夢が晴れる日を願いながら死の床に伏した。
 
 ジョーは緊急待避所として使った診察室の探索し、Tウィルスワクチンの手掛かりとロバートが使っているモノと同じインスリンの注射薬を探した。その途中、医師や看護師のメモや走り書きのような手記を発見し、ジョーはその内容を統合して、院内で起きた惨劇の一端とそれに立ち向かう医師らの戦いの一部を垣間見た。
 
「地下、か――」

 予想通り、重要な研究施設などは入り口から離れた秘した場所にあった。
 自分以外の生存者が病院の中で錯綜した痕跡を発見したジョーは、改めて地下に行く事を決めた。
 しかし地下に行く為のエレベーターの一基は、つい先ほどハンターと無数のヒルに埋もれた院長室の先である。
 他のルートを探して廊下に出たジョーは右手にベレッタを、左手に柄を短く加工した掃除用の箒を手に、足音を立てぬように地下に向うルートの探索を始めた。
 それからしばらく――
 同じ階の近くの部屋で窓ガラスの割れる音が響いた。

「――っ!?」

 ジョーは咄嗟にベレッタを構え、音の方角にある廊下の角に向けて警戒した。
 ハンターか?
 脳裏にハンターの姿を思い出し、ジョーはいつでも動けるように両足に力を込めながら、腰のモスカートをいつでも引き抜けるようにと、その位置をベルト越しの感触で確認した。
 しかし次の瞬間訪れたのはジョーの意図しない音であった。
 連続したフルオートの銃声だった。
 銃撃が止み、耳に残る不快な泣き声が響いた。
 そして間もなく――
 コツコツとした足音がジョーの立つ方へと近づき、遂に曲がり角から姿を見せた。

「――っ!」
「撃つな!」
「…………人間か?」

 同じ階でナニカに向けて銃撃を放った()に、ジョーは人間である事を示した。
 相手の男は冷徹な視線でジョーを見据えた。
 銀髪が特徴的なロシア人だった。

ロシア人(イワン)……?」
「そっちはチャイニーズか?」
「――日系と言ってくれ」

 ジョーは相手が生きた人間であった事に思わず強い吐息を漏らした。
 しかし不思議と、目の前の男からは温かみの様なモノは一切感じなかった。
 銀髪の男は冷たい視線でジョーを見据え、アサルトライフルの銃口を向けたままの姿勢で問うた。

「貴様は誰だ? ここで何をしている?」
「――とりあえず、そいつを下してくれないか?」
「それはキミしだいだ。先に下ろせ……」
「――っ!」

 対するジョーの方もベレッタを向けたままの姿勢であった。
 それを男は指摘し、先に拳銃を下ろすようにと強い口調で言った。
 ジョーは場合によっては直ぐに脇の部屋に逃げ込める事を視線で確認して、ゆっくりとベレッタを下ろした。

「――俺はジョー・ナガト。薬を探していた」
「薬?」
「――それよりこっちは下ろしたぜ? おたくも下げろよ」
「………………何の、薬だ?」

 男はジョーの提案を無視して、質問を続行した。
 
「インスリンを探している。何処にあるか知ってるか?」

 先に銃を下ろした事を内心で強く歯噛みしながら、ジョーは仕方なく答えた。
 インスリンを探している事は一応事実。だがこの怪しげな銀髪のロシア人に“ワクチン”を探していたとは一切言う気になれなかった。
 銀髪の男は促すように銃を構え直した。
 
「――質問しているのはこちら(・・・)だ、ボーイ。なぜ、わざわざ“この”病院に薬を取りに来たのかね? それに探しているのは本当に“インスリン”か?」
「そうだっつってんだろうが。ダチが糖尿病なんだよ。脱出するにしても薬の量が絶対的に足りない。それとも何か? アンタは俺にダチを見殺せとでも言う気か?」
「………………」
「………………」

 銀髪の男は思案するように沈黙した。
 対するジョーも銀髪の男の衣装から、その正体を看破しようと注視した。

 ジョーが見る限りでの男の装備は、鉛色の都市迷彩を描いた戦闘服。肩から下げるマガジンポーチの形状と、それを使うアサルトライフルの形状から、得物がAK系列だとは直ぐに判った。
 サイドアームの存在は不明。しかし間違いなく一級品の戦闘装備で全身の身を固めているであろう事は明白。
 正規兵の様な品格の良さがあるようには思えず。言葉の訛りと面構えからロシア人である事は間違いない。故に、そこから導き出される答えは一つしかなかった。

「貴様は民間人か?」
「そうだ。――そっちは傭兵だな?」
「――そんなところだ」

 断言する様な問い方によってだが、初めて銀髪の男はジョーの質問に肯定の返事を返した。
 銀髪の男はジョーの右手にあるベレッタと、左足のマグナムを見てせせら笑う。

「民間人にしては、過ぎた武装だな?」
「銃砲店勤務だ。ケンドの銃砲店。知らないって事はアンタ。やっぱり見た目どおりのよそ者(・・・)だな。いい加減、名前くらいは聞かせてくれてもいいんじゃないか?」
「――ニコライ。階級は軍曹。所属はU.B.C.S.」
「U.B.C.S.?」
「普通の民間人なら知る事も無いゴロツキの傭兵団さ――」

 ニコライと名乗った銀髪の男はついに所属を明かした。
 U.B.C.S.という単語にジョーは、聞いた事のある様な無い様なという奇妙な感覚を覚えた。
 ニコライはようやくアサルトライフルを下ろした。

「最後の質問だが、この近辺でこの女を見かけた事は?」

 ジョーに歩み寄り、ニコライはポケットから一枚の写真を取り出した。

「――っ!」
「その反応を見る限り、知っているようだな?」

 ニコライの取り出した写真を見て、ジョーは思わず眼を見開いた。
 件の写真はジル・バレンタインの履歴書の証明写真のコピーだった。

「――銃砲店勤務だからな。お得意さんだ」
「………………」

 ジョーの危機管理能力が最大の警鐘を鳴らしていた。
 
「――最後に見かけた場所はどこだ?」
「さて、な。この数日のゾンビ騒ぎもあるし、ジル以外のS.T.A.R.S.のメンバーも数ヶ月前からさっぱりだ。何処にいるのか、寧ろこっちが知りたいくらいだぜ」
「………………」

 バイオの主人公的な意味で――という内心は口にせず。
 ジョーはニコライを剣呑な視線で睨んだ。
 “ニコライ”という名の傭兵について、ようやくに一つの核心に至ったからだ。
 
「で、質問ばかりのアンタは一体なんなんだ? ジルのファンには見えないが?」
「仕事の都合で、少々――と、いったところだ」
「ふ~ん」

 ジョーはそれ以上の追求をやめた。そしてニコライはジロリとジョーの出で立ちを一瞥し、笑った。

「戦闘服足りえぬ市販の洋服に雑多な火器。まるで民族解放中のゲリラだな?」
「このクソみたいな状況で生きる為に必要だと思った事を突き詰めた結果だ。笑われる筋合いはない」
「ほぅ。それはすまなかった」

 ニコライはジョーが左手に持つ柄の短い箒を一瞥してからふっと笑い、脇を通り過ぎて去って行った。

「――インスリンならばこのフロアの薬品保管室で見かけた覚えがある。精々、気をつける事だ」





 その後。ニコライの零した情報が、癪ではあったが実際に正しいものであるとジョーは知る事になった。
 一階を探索して見つけた薬品保管室の冷凍棚から、ジョーはロバートが使っている注射薬と同じインスリンを見つけ出したのだ。
 その事に対してジョーはニコライに内心で感謝を述べたが、それもつかの間――
 ジョーはそれの場所を教えて去って行った“ニコライ・ジノビエフ”という名の傭兵の今後の動向に対して、強い警戒心を抱いた。

「――確か、病院を爆破するのがアイツだったな」

 細かなキャラクターの背景についての記憶は無い。だが“敵”として、プレイヤーの前に立ちはだかった存在である事は覚えていた。
 U.B.C.S. ニコライ・ジノビエフ軍曹。
 アンブレラ社によって集められた傭兵部隊の人間が、このラクーンシティの中で何を目的としているのか――
 ジョーはニコライの登場によって、自身が探して求めているTウィルスのワクチンが、高確率でこの病院内で作られる可能性に辿り着いた。


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08 壷毒の巣窟へ 後編

 薬品保管室を出て直ぐの位置には無数のバリケードが存在した。しかしゲーム中では迂回する必要がある部分も、現実だからこそ無理やり突破する事が出来た。
 障害を踏み越えたジョーは程なくして地下へ向かうエレベーターを発見した。
 パネルを確認すると電源はまだ生きている様子で、ジョーは早速ボタンを押し、拳銃を構えて扉を開く瞬間を待った。
 演出的に考えるとエレベーターの中から飛び出すゾンビというのは余りにもベタ(・・)。しかし警戒するに越した事は無いとジョーは待ち構えた。すると数分後。案の定と言わんばかりに、予想通りの展開が訪れた。
 扉が開くと同時にナース服を着たゾンビが胃酸を吐き散らしながら飛び出した。
 ジョーは軽く一歩下がりつつ、両手で構えたベレッタで的確に眉間を撃ちぬき沈黙させた。
 無数のヒルの大群や、縦横を跳ね回る屈強なハンターに比べると、ゾンビは拍子抜けするほどに脆く倒しやすい。少なくとも一対一で相対する場合はもはや、取り乱す事なく落ち着いて対処する事が出来るようになった。
 人間は状況に応じて慣れてゆく生き物である。そんな風に昔、店の顧客の一人である元軍人がジョーに言った。
 もはや人型を撃つ事に何の感慨も抱かないジョーは、その通りだと素直に思った。

「はぁ……」

 ジョーはナースの遺骸をフロアの床に蹴り転がしてエレベーターに乗り込んだ。
 
「ぁん?」

 しかしパネルを見て困惑した。
 地下施設は三層構造になっている筈だがパネルの表記を見ると、移動できる部分が地下一階と地下二階のみに限定されていた。
 面倒くさい――
 ジョーは思わず舌打ちした。
 目的の地下三階へ行く為には、此処とは別のエレベーターを使う必要がある。
 ふと、ジョーの脳裏には無数のヒルとハンターの姿が過ぎった。目的の“ワクチン”に最も近いであろう地下三階への移動は、院長室の近くにある鍵付きのエレベーターを使う必要があると考えてしまった。
 
「――っ、仕方ねぇ」

 ジョーは思わず憂鬱さを溜息に混ぜて吐いた。そして地下二階のボタンを押した。
 地下二階から階段を探すか、他のエレベータを探そう。そう考えた。
 扉が閉じて密室となった個室の中は、先程までそこに居座っていたゾンビの腐敗臭に満ちていた。
 ジョーは思わず顔をしかめて、ポケットからハーブの葉を取り出し噛み潰した。

 ハーブを口に含んでという用法は殆どジョーの我流であった。それは食べるというより噛みタバコを嗜むに近い感覚だ。噛みタバコと同様に葉を細かく噛み潰した後、頬の内側の粘膜にペーストを舌で押し当てる。唯一、噛みタバコと違う点は、滲み出た汁を唾と一緒に外に吐き捨てる必要が無い事。
 始めたきっかけは、ふとした思い付きだった。
 Tウィルスの感染に対して各色のハーブの成分が有効であるなら、成分を粘膜から浸透させる事は間違いでない筈。そして傷を受けた患部の他、脳に近い口の中での粘膜からハーブの成分を摂取し続けていれば、多少は脳みそがTウィルスに侵される時間を遅らせられるだろう――そんな思いつきである。
 実際。ゲームとしてこの状況を遊んでいた際。プレイヤーキャラクターは回復アイテムのハーブを「食べて使っている」と冗談めかして言った記憶がある。
 だがこの状況に陥り、冷静に考えてみると、「ハーブを口に含んで使うのは意外に有効かもしれない――」と、ジョーは改めて思い始めていた。
 閑話休題。
 程なくしてエレベーターが地下二階へと辿り着いた。
 扉が開いた直後に周囲を確認するが、エレベーターの付近にゾンビやそれ以外の怪物の影は見えなかった。
 一階部分と同じく周囲には不気味な静寂が満ちていた。しかし光源が多い一階の地表部分とは打って変わって、地下は打ちっぱなしのコンクリート壁が目立つ息苦しく陰鬱な空間だった。
 通路自体も狭く、視界確保の点でも地上の一階部分の方が格段に優れている。

「うわぁ……」

 ふと視線を上げると、天井を走る無数のパイプとダクトがあった。
 ダクトを見ると反射的に先程遭遇した無数のヒルの事を思い出してしまい、ジョーは思わず顔をしかめた。
 狭く長い廊下には点々と非常灯の赤い光が差しており、それがまた空間の不気味さに拍車を掛けていた。余り長居したいとは思えぬ雰囲気に、ジョーは改めて警戒心を強めてベレッタを握り、歩みを開始した。
 曲がり角に差し掛かる度。ジョーは拙いながらも、ケンドの銃砲店に顧客として訪れた知り合いの警察官達から聞きかじった警戒行動を意識した。
 そうして数分――。
 周囲への警戒を強めて長い道のりを歩いて行くと、遂に耳に不審な物音を捉えた。

「っ!?」

 ガサリとナニカが動く音だった。
 そしてその音の方角には無骨で頑丈な扉があった。
 扉の表記は『実験室』となっており、その近くにはジョーが乗ったものとは別のエレベーターが存在した。
 ゾンビなら、まだマシだな――
 ジョーは自分でも感覚が狂っていると思える判断をした。
 扉を開けた先に大群がいるならばコレで――と、ベレッタでは対処しきれぬ数を相手にする為に、腰のモスカート(グレネードランチャー)の位置も確認した。
 ジョーは箒を持った左手で、実験室のノブに手を掛けた。

「――っ!?」
「止めろっ!?」

 実験室の扉は開いていた。扉をけたたましく押し開けて素早く内部に向けてベレッタを向けると、そこには人影があった。
 人間だった。

「――人間?」
「あぁ、そうだ。人間だ! ゾンビじゃない!」
「…………よかった」

 薄汚れたスーツを纏った若い男だった。
 男はジョーが人間であると知ると、安堵するように大きく息を吐き、構えていた鉄パイプを下ろした。

「なにやってんだ、こんな所で?」
「それはこっちの台詞だよ。キミこそなぜ此処に? と、こんな状況でそれを聞くのは野暮か……」
「――この病院に残ってるのは死体だけかと思ってたぜ」
「もちろん。好きで残ってる訳じゃない。こっちも色々と事情があってね」

 汚れたスーツの男は、町医者の“ジョージ・ハミルトン”と名乗った。





 ハミルトンが立て篭もっていた地下二階の実験室には、異様な光景が広がっていた。
 既に絶命したハンターの死骸や、活動を停止したゾンビ。もはや生前の面影が微塵も無い“焼死体”などが、雑多な寝台等に寝かされていた。
 そしてジョーはハミルトンから、実験室の奥にある“常温実験室”という奇怪な部屋で、一階で遭遇したヒルの一部が、焼け焦げた状態で床にこびり付いている様を見せつけられた。
 そこにある人型の影を見て、ジョーは実験室に安置されていた焼死体は此処にあったものだと解釈した。

「コイツは――」
「便宜上ではリーチマン(ヒル人間)と名付けた怪物だ。私を含めた生き残りと力を合わせて、この部屋に誘い込んで倒したんだ。ヒルならば熱に弱いと思ってね。現にそれを示す手掛かりも見つけた」
「っ?」

 ハミルトンは病院の職員が生前に書き残した手記の一部をジョーに投げ渡した。そこに書かれていたのは、下水道で発見し、捕獲した新種の“ヒル”についての記述であった。また記述の中身には、ヒルについての他に“マーカス”という人物を示唆する単語や、手記の持ち主が裏でアンブレラとの繋がっている事を記した文の羅列も存在した。

「Tウィルス……」

 ジョーは手記の中に堂々と書かれた元凶の名を見て思わず、怒りの篭った吐息を漏らした。
 ハミルトンは汚れたジャケットを脱ぎ、カッターシャツの腕をまくり、実験室に残った器具を駆使してジョーが来る以前から続けている作業を再開した。

「この騒ぎについて私の友人が手掛かりを残してくれてね。メールを受け取った時は意味が判らなかったが、今なら理解できる」
「手掛かり?」
「“Tウィルス”とやらのワクチンさ――」
「――っ!?」

 ジョーはハミルトンの零した言葉に思わず眼を見開いた。

「作れるのか!?」
「まだ、なんとも言えない。友人やこの病院のスタッフが命がけで情報を集めてくれたが、それでも理論上の空論。臨床実験も何も出来ないんだから――」
「それなら俺がやってやるよ」
「……なに?」

 ハミルトンは訝しげな様子でジョーを振り返った。

「俺はそのワクチンを探す為に此処に来たんだ」

 ジョーは傷を受けた腕を見せた。

「――キミは一体何者なんだ?」
「少し長くなるが、良いか?」
「あぁ」

 ジョーはハミルトンにコレまで道のりを話した。
 ケンドの銃砲店に勤務している事。顧客であるS.T.A.R.S.の隊員から、数ヶ月前の猟奇殺人事件の真実を聞いた事。その時点でゾンビが存在した事。それがアンブレラの作ったTウィルスによって作られた事。それから街でゾンビパニックが発生し、脱出の途中で傷を受けた事。そして感染を治療する目的で病院に訪れた事――

「――なるほど」

 ハミルトンは作業の傍ら、ジョーの話を吟味して小さく頷いた。
 ジョーは手慰みに装備の再確認と実験室に残された手記の探索を始めた。

「――人と話せるのがこれ程、気分が良いとは思わなかった」
「私もだよ。殺伐とした話題なのはこの際仕方が無いとは言え、こうして何気ない会話を続ける事はやはり人間には必要だ。時に煩わしいが、こういう状況ではそのありがたみがひどく実感できる」
「医者っぽい意見だ」
「現に、私は医者だよ」

 実験室に残された他の多くの手記の解読を始めると、ジョーは記述の中に一つに奇妙な情報を発見した。

「――地下下水道?」
「あぁ。その記述か」

 ジョーの漏らした言葉にハミルトンは溜息を吐いた。

「残念ながらそのルートは使えないよ」
「……なぜ?」

 ジョーは思わず首をかしげた。
 アンブレラに連なる病院の関係者が残した手記には、地下下水道を経由しての秘密研究施設の存在が仄めかされていた。現に、手記を書いた本人はそのルートでの脱出を目論んでいたらしく、部下に地下を行く為のボートを用意させていたという。
 するとハミルトンは作業の手を止め、感情を押し殺すような声で言った。

「――地下には巨大なヒルの化け物が潜んでいる。此処から脱出しようとした仲間は、全員そいつにやられた」
「っ!?」
「命からがら病院に逃げ込んで、そこで希望を信じて地下に逃げた。結果は全滅。私が生き残ったのは偶然だった」
「――――――」

 ジョーはふと、ハミルトンの衣装に視線を向けた。
 それなりに値が張りそうなスーツは、薄灯りの中でもひどく汚れていた。
  
「地下下水道からの脱出は確かに出来るのだろう。実際にボートもあった。だが結局は脱出は出来なかった。そしてこの場所に逃げ戻り、現実逃避をするように治療薬の研究をしている存在。それが私だ」

 ハミルトンは世を儚み、全てを諦観するような調子でそうぼやいた。
 その言葉にジョーは一瞬、掛けるべき言葉に迷った。
 だが葛藤は一瞬だ。

「――諦めないでくれ」
「ん?」
「ワクチンを作るって言うアンタの存在は、俺にとって最後の希望なんだ。露払いなら俺がまとめて全部引き受けてやる。だから、頼むから心を折らないでくれ」
「――――――」

 ジョーは心の底から願うように言った。
 するとハミルトンは呆気にとられた後、ふっと小さく苦笑いを浮かべた。

「そうだな。キミが此処に来たという事が、恐らく私にとっては最後のチャンスなんだろう。希望というなら御互いがそうなんだろうな――」
「あぁ」

 ジョーは短く頷いた。





 ジョー・ナガトの手記 その3


 ジョージ・ハミルトンという男は恐らく、俺が知る限り一番の天才だ。
 親父と同じ“ジョージ”と言う名前だが、頭の良さは雲泥の差だ。
 そう書くと流石に親父に悪いか……。

 Tウィルスという未知の存在に対して、病院のスタッフが残したカルテと、メールで友人が寄越したというワクチンの簡略な概要。それを読み解いただけでハミルトンは、ほぼ独力でのワクチンの完成へと漕ぎ付けた。
 その間の俺の仕事は彼の身辺警護と、血を提供した事くらいだろう。
 唯一、ワクチンの製作に必要だったTウィルスに感染した新鮮な血液。
 それを俺は提供する事が出来た。
 だが提供しておいてこう言うのもなんだが、実際に俺の血がワクチンの材料に適しているかは不明だ。しかし死後何数時間経過したかも判らぬ不衛生なゾンビや、元の形状が不明な異形の生物――例えばハンターや例のヒルから採取した血液を使うよりは遥かにマシだと思いたい。
 これ以上は祈るしかない。
 それと血を提供した際にふと思った事だが、俺は本当にTウィルスに感染しているのだろうか?
 腕の傷は確かに痒い。痒いがしかし、これが傷が治癒しているからこその痒さなのか“かゆうま”的な痒さなのかは不明だし、例のヒルに遭遇した後で盛大に吐いた所為か腹も微妙に減っているが別に人間を食いたいとは思わない。
 加えて感染者に多く見られると言う意識の混濁が俺には無い。ハーブを喰いまくった所為なのか、妙にスッキリしているくらいだ。しかし身体の方は他の感染者の初期症状と同じく、熱っぽく微妙にだるいという矛盾がある。
 コレをハミルトンに相談すると「異常な状態で精神的に高ぶっているからだ」と返された。
 身体は疲れているのに脳が興奮している所為で眠れないという不眠に良くある症状。もしくは耐性があるのかもしれないと、ハミルトンは言った。

 確かに精神的に少しおかしくなっているという自覚はあった。
 ゾンビとはいえ人間の形をしたモノを殺戮する事に対しての忌避感がもはや無い上に、身体の疲れに反して眠りたいという衝動をまるで感じない。
 寧ろ、暴れたい。
 ――と、言うかベレッタを握っている時が一番落ち着くと言う具合だ。
 
 この先、俺はどうなるんだろう……。
 
 もしも運よく生き延びても、その後に平穏の中に暮らしていると言うイメージがまるで浮かばない。
 それ以前に、俺は生きていられるのだろうか?
 俺にTウィルスに対する抗体が有るのかは不明だ。そしてハミルトンの手腕を信じたいが、そのワクチンがちゃんと機能するかについても、ゲームのように簡単に判別できるわけでも無い。
 もしも、かも知れない、たぶん――書いてて嫌になるほど、ひどく曖昧な事ばかりだ。
 
 アンブレラ滅べ。
 消えてなくなれクソ企業。
 政治やら証拠やらと細かい都合なんざ、どうでもいい。
 反対する奴らは全部撃ち殺してやる。
 出来るなら俺がこの手で本社を空爆してやりたい。


 《ページが破れている》




「――どうだ?」
「反応は良好。ほぼ“完成”と言ってもいいだろう。だが問題は混合液を作るための設備だな。この実験室の設備ではこれ以上無理だ」
「と、なると地下三階、か――」

 時間にして一時間ほど。
 ハミルトンは遂にワクチンの完成一歩手前へとこぎつけた。
 コレより先の作業ではそれなりの機材が必要であり、それがあると予想されるのは地下三階の大型実験室であった。

「準備は良いか?」
「あぁ」

 ジョーのナップザックの中にワクチンの研究資料と混合前の薬品を詰め込み、ハミルトンは薄汚れたスーツを捨てて、比較的まだ清潔だった死者の白衣を剥ぎ取り、それを身につけた。そしてその手には、ジョーの作った柄の短い箒と、鉄パイプがそれぞれ握られた。

「いくぞ」
「了解」

 ジョーが前衛に立ち、ハミルトンが背後を警戒する様に進む。
 近辺を歩いた際に地下へ向かう非常階段を見つけていたジョーは、迷う事無くそこへ進んだ。
 しかし途中。ダクトの中でナニカが動く音がした。

「っ!?」
「……急ぐぞ」

 人一人が這い回るには聊か狭く、ハミルトンが遭遇したという“リーチマン(ヒル男)”と呼ぶ怪物が現れる前触れの騒音に比べると、聊か音の質が軽い気がした。
 二人は足早に目的の非常階段へと移動した。
 ――が、その時の物音が引き金となった。
 バコンッ! と、ダクトの金網が吹き飛んだ。
 ぬらりと髪を振り乱す赤い異形が姿を現した。

「うわぁあ!」

 ハミルトンはそのおぞましさに溜まらず声を荒げた。
 その声に反応して、天井のダクトからぶら下がったそれは醜悪な顔をジョー達の方へと晒した。
 ジョーは反射的にベレッタの引き金を引いた。
 それはリッカーに似た舌の長い女性型の怪物で、僅かに身に纏う布切れから生前がナースである事が判った。
 長い舌を鞭のように振る攻撃に対し、ジョーは咄嗟に身をかがめる。

「――下がれ!」
「っ!」

 姿勢を低くした姿勢でジョーはベレッタを乱射した。
 脳部に5発もの銃弾を受けた女性型リッカーは、ボトリと床に落下した。
 その隙を突いてハミルトンが前に躍り出た。

「うあぁああ!」

 ハミルトンは声を荒げながら、その頭蓋を叩き割るように両手で握った鉄パイプを幾度も振り下ろした。

「――はぁ、はぁ、はぁ」
「おつかれ」
「いや、そっちこそ」

 カエルのように床に伏した女性型リッカーに視線を落し、ハミルトンは肩で息を吐く。

「こんな怪物もいるのか……」
コレ(・・)だけじゃないさ」

 ハミルトンの言葉に、ジョーもまた盛大に溜息を吐いた。
 それから程なくして地下三階へとたどり着いた二人は、際奥の実験室の扉を開いた。
 そこには数体の“ハンター”の亡骸が、標本のように安置されていた。

「どこでこんなに捕まえたんだよ――」
「決死の覚悟で挑んだそうだ。手記にはそう(・・)ある」
「…………………」

 病院スタッフの結晶。
 その執念とも言い換えられる決死の覚悟の結果を見せ付けられて、ジョーは思わず唸る。
 その間にハミルトンは目的の機材を見つけていた。機材には忌々しくも、アンブレラ製を示す赤と白の傘のロゴが付いていた。
 
「――これだ」
「使い方はわかるのか?」
「ラクーン大学にも同じモノがあるからね」
「――だったら早くやろう」

 ジョーはナップザックからハミルトンの作った数種類の薬品を取り出し、託した。

 最下層の実験室には数種のハーブがあった。恐らくワクチンの研究に有効だとして持ち込まれたもので、ジョーはそこから葉の数枚を拝借した。
 その傍ら、安置されたハンターの死骸を注視した。

「――動くんじゃねぇだろうな」

 脳裏に嫌な予感が過ぎった。
 実際、バイオ3の中ではこの場所で数体のハンターが動き出すという覚えがあったからだ。
 
「…………………」

 ジョーはベレッタの変わりにモスカートを抜き、そして視界の端にちらりと見えた破砕用の斧を手にした。そして実験室の最寄りのエレベーターを呼び、いつでも逃げ駆け込めるようにと扉の隙間に斧を挟んで固定した。

「コレでいける筈だ――」

 ハミルトンが数種の薬品を混合させる為に機材を動かした。
 大規模な電力が必要になる所為か、それ以外の設備――無数のハンターの浮かぶ水槽の電源が落ちた。ライトアップされていたハンターの影が暗闇に消え、その中でゴボゴボと水槽の水が抜かれていく音が不気味に響いた。
 決死の思いでジョーはハミルトンを待った。
 その間の視線は鋭くハンターの浮かんでいた水槽に向っていた。
 ハミルトンが起動させた大型機材の奏でる駆動音が収まるまでに数分――

「出来た!」

 ハミルトンは遂にワクチンを完成させた。

「早くこっちへ!」
「あぁ!」

 完成したアンプルを数本持ち寄り、ハミルトンは即座にエレベーターに向って走った。
 ジョーはモスカートを構え、いつでもハンターが動き出しても対応できるように身を固くした。

 ――――が、その懸念は無意味に終った。

 無事にハミルトンがエスカレーターの中に戻った事を確認し、ジョーは斧を外して扉を閉め、内部のボタンで開閉を手動に切り替えた。
 
「ふぅ……」

 狭いエレベーターという安全地帯となった密室中で、ジョーとハミルトンはどちらとも無く盛大に溜息を吐いた。この瞬間に至るまでに感じた緊張はそれ程のものだった。





 調合を終えて完成した試作のワクチンは計三本。その内の一本を、ジョーは地下二階の研究室から持ち出したアンプルシューターで早速投与する事にした。

「繰り返し言うがどんな副作用があるかは判らないぞ?」
「いいさ、別に。やってくれ」
「……エタノールも持ち出しておくんだったな」

 針の先端をライターの火で炙っただけという余りに御粗末な雑菌対策を施し、ハミルトンは慣れた手付きでジョーの静脈にワクチンを注射した。

「――気分は?」
「気分的にはだいぶ良くなった気がする」
「そうか……」

 エレベーターの壁に背を預け、ジョーは息を吐いた。
 ハミルトンは医者としてやはり不安なのか、眉間に皺を寄せていた。

「噛むか?」
「ん?」
「ハーブ」

 ジョーはポケットから先程採取したハーブをハミルトンに渡した。
 ひどい味なのは折り紙つきだが、気付けと薬効成分については保証できる。
 ハミルトンは一つ溜息を吐き、ジョーを真似て噛みタバコの様にハーブを噛み締めた。

「ひどい味だな……」
「ジェリービーンズよりはマシだろ?」
「違いない――」

 死線を潜り抜けて大仕事を達成した事が不思議と奇妙な友情を感じさせた。
 エレベーターの中で幾ばくかの休息をとった後、二人は病院の脱出に向けて行動を開始する。

「この後はどうするつもりだい?」
「このエレベーターが何処に繋がってるかは判らないけど、もしも院長室の最寄の奴だったら避けた方がいいかもしれない」
「理由は?」
「大量のヒルと、さっきの部屋の水槽に浮いてた化け物と遭遇した」
「………………」

 パネルを見ると地上一階と地上四階へと繋がっていた。
 一度屋上に出てから安全確認をしつつゆっくりと外に出るか、危険を冒して最短距離を走るか――
 どちらも一長一短であるのは間違いない。
 それを察したハミルトンも顎に手を当てて悩んだ。

「――病院を脱出した後の当ては?」
「俺が働いてるケンドの銃砲店へ、かな? インスリンを届けなきゃならないし、気休めかもだが警察署も近い」
「………………」

 今もまだ警察署が機能しているか否か――
 それはあまり考えたくは無かったが、少なくともこの化け物がうろつく病院で立て篭もるよりは遥かにマシに思えた。
 それはハミルトンにしても同じだったらしく、ふぅと盛大に溜息を吐くと、ハミルトンはポケットから硬貨を取り出した。


「銃弾は希少だ。此処から路地を抜けて銃砲店に向うまでにも、それなりに必要になるだろう。だが君の言う通り、一階に直接下りるのも危険が伴うだろうから、どちらか選べない――」
「で、ソレで決めると?」

 ジョーはハミルトンの取り出したコインを顎で指した。
 するとハミルトンは小さく苦笑した。

「決められないなら委ねてみるのも悪くない。表が出れば一階。裏が出れば四階。どうだろう?」
「――――判った」

 ハミルトンはコインを弾いた。





 エレベーターはゆっくりと階層を登り始めた。
 そして地上に差し掛かると微かに銃声が聞えた。

「――――誰か、戦ってるのか?」
「みたいだな……」

 ジョーは警戒心を強めた。
 一階部分での戦闘行動という点に、心当たりがありすぎたからだ。
 ジョーはハンドサインで、ハミルトンに扉の影に身を隠すように指示を出した。そしてベレッタとは逆の手でモスカートを抜いた。
 弾倉を見て、ジョーは装填されている弾薬が激しい燃焼を伴う“火炎弾”である事を再度確認する。
 持ち込んだ特殊弾はこの火炎弾の他、液体窒素を封入した冷凍弾がある。とはいえ数はそれぞれ一発ずつしかない。その虎の子の一つをジョーは使う事を決めた。
 ヒルは熱に弱い。それはTウィルスで変異したとて変わらない性質だ。現にアークレイ山地にもヒルは自生しており、山歩きで噛まれた際は叩き落とすさずに、ライターの火を近づける等して処理をするべきだとバリーから教わった。その知識を披露する瞬間を、ジョーは息を殺して待った。

「………………」 

 エレベーターが停止する一瞬の浮遊感が身体を襲った。と、同時に銃撃が止んだ。
 恐らく戦闘が終わったのだろう。願わくば人間側の勝利であって欲しいとジョーは思った。
 ポンッと目的の階層に付いた事を示す音の合図と共に、扉はゆっくりと開かれた。
 ジョーはゆっくりと扉の外を見た。
 そこには予想通り、ジョーが戦闘した院長室とナースステーションの近くであった。
 グレネードの爆発の余波が残り、ふと床を見ると吹き飛ばされたヒルの遺骸が転がっていた。

「――大丈夫そうだな」
「あぁ」

 ジョーは大小二つの銃口を構えて周囲への警戒を顕にしながら、ゆっくりとエレベーターを降りた。
 その時、黒い影が視界の端をよぎった。

「撃つな――――」

 叫ぶ声がした。銃声が響いた。
 物陰から姿を現した“集団”が人間のそれだと気づき、それに対して人間だと叫ぶよりも早くに、ハミルトンの“白衣”が鮮血に染まった。
 同時にジョーも胸に複数の強い衝撃を受けた。

「な……ぜ…………」

 ハミルトンは肺を撃ち抜かれていた。言葉を発しようにも血が喉から吹き出し、空気の抜けるような呼吸音が響いた。
 間もなく複数の銃撃が一階に響いた。
 ジョーは朦朧とする意識の中で“黒の衣装で身を固めたガスマスクをつけた集団”と“ニコライと同じような衣装を着た複数の兵士ら”との撃ち合いを見た。



死因 ジムじゃなかった事。研究者っぽく白衣を着てしまった事。『巣窟』だった事。


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09 メメント・モリ

 ウィルスの拡散は未だに続いており、未だ予断を許さない状況にある。
 アンブレラ社は事態の収拾と社員の救出の為に契約した傭兵による武装集団U.B.C.S.を街に投入した。
 しかし街に展開したU.B.C.S.は過酷な状況の中で人員の約半数を瞬く間に失い、投入から僅か数時間と言う短い時間の間に事実上の“壊滅”へと追い込まれていた。
 そうした現場の報告により事態の収拾が容易でないと判断したアンブレラの上層部は発想を転換。ラクーンシティに試作型B.O.W.の実践投入を決定する。
 目的は戦闘データの収集と証拠の隠滅。及び情報拡散の阻止を目的とした“生存者”の抹殺である。
 ――作戦名『ラクーンシティ』
 アンブレラ社が今後も社会で権力を保持するには、街での出来事を必要以上に語られるわけにはいかない。
 作戦はそうした考えの末に下された非情な決断であった。
 そしてこの作戦を冷徹に遂行するように求められたメンバーこそ、九月某日の秘密作戦に失敗し、パンデミックの決定的な引き金を引いたとされる同社の特殊部隊――U.S.S.の生き残りであった。

 九月某日。
 ラクーンシティに秘密裏に派遣されたU.S.S.は、同社の主任研究員ウィリアム・バーキンの抹殺と、バーキンの開発した新型ウィルス“G”の回収作戦を社の上層部より命じられた。しかしバーキンの抹殺が成功したと思われた直後、バーキンは自身に注入したGによって暴走変異。その結果彼らはUSSを率いた隊長ハンクを行方不明(MIA)と言う形で失い、そして秘密作戦自体も事実上の失敗に終った。
 アンブレラ上層部は施設から辛くも脱出に成功した残存するU.S.S.隊員に失態の責任を追求する形で『ラクーンシティ作戦』のサポートを厳命する。

『――生存者の中にはアンブレラにとって不利益な情報を持つ者が存在するかもしれない。よってこれ以上の生存者を街から出すわけにはいかない。しかし全員を抹殺している時間は無い。通信を断つ為に発電所を破壊しろ』

 本部から送られた命令を遂行する為、U.S.S.の残存勢力デルタチームは発電所の停止に必要な電磁パルス(EMP)発生装置の回収の為にラクーン総合病院へと進撃する。
 感染者、そして互いに任務を妨害しあう形となったアンブレラの傭兵部隊U.B.C.S.との戦いの中。非道な作戦を冷酷に遂行するU.S.S.デルタの進路の前に、運悪く立ちはだかってしまった二人の民間人が居た。

 そして必然的に彼らはU.S.S.の放った凶弾に倒れた。

「――っ」

 胸を突いた激しい衝撃。
 混濁する意識の中でジョーは傍らに同じ様にハミルトンが倒れている事を知った。
 耳に反響する無数の銃声と複数の断末魔。それらを無視してジョーはハミルトンを見た。素人目に見てもハミルトンは重症だった。薄汚れた背広の代わりに身につけた白い白衣が鮮血に染まり、ジクジクと穿たれた穴から血があふれ出していた。
 ――どうしてだ?
 息も絶え絶えなハミルトンの口から漏れる言葉は唯一、それであった。
 ジョーは視線の先に己とハミルトンを撃ったガスマスクの集団を見た。
 彼らは高価なコンバットスーツに身を包む機械の様に統制された戦闘集団で、瞬く間に敵対する勢力を打ち倒していた。
 彼らに対しジョーは酷く冷たい氷のような印象を受けた。
 その時、嘲笑のような笑い声が一階に響いた。
 “ニコライ”の声であった。

「――ハハハ、おやおや可哀想に」
「もう弾除けは無いぞ、ニコライ!」
「弾除けか。そう言えば先程君達に撃たれた二人の内、そっちの彼(ジョー)は私の友人(・・)でね。動けない別の友人の為に態々単身でインスリンを探しに来たそうだ。まったく可哀想に――」
「そう。――で、その程度の事でまさか心を痛めるとでも?」
「いや、まさか。君達U.S.S.の事は良く知っている。だからふと思った事がある」
「……なにかしら?」

 一階のホールでU.S.S.とニコライとの“銃撃戦”が再び始まった。
 ニコライに応じて言葉を返したのは女性の声だ。
 蚊帳の外からニコライの嘲笑とU.S.S.のやり取りを聞いたジョーは、床に倒れて天井を見上げたままの姿勢で状況を理解して行く――

「――もう一人の方も恐らくは、この病院での唯一の生き残りだろう。そんな彼ら一般市民を命令とあらば無情に殺してのける貴様達“U.S.S.”と、金を目的に動く俺との間に一体どれほどの差があるのかと思ってね。――寧ろ、お前達の方がより邪悪(・・)なんじゃあないか? アンブレラの猟犬」
「……貴様よりマシだ」
「クハハハハハ!!」

 ニコライの所属するU.B.C.S。ハミルトンとジョーを撃ったU.S.S.。
 そのどちらもがアンブレラの傘下にある。
 ウィルスを作ったのもアンブレラ。
 それを流出させて大量の死者を作ったのもアンブレラ。
 ニコライの嘲笑を聞いて、ジョーは思わず拳を握りこみ、砕けるほど強く奥歯を噛み締めた。

「――私と貴様達との一体何が違う? 善人を気取るつもりか?」
「意図して仲間を餌にする程、外道になった覚えはないわね」
「ほぅ、それは――」
「――っ!?」

 ニコライの投げ込んだグレネードが床に落ちる音がした。
 爆風から身を守る為にジョーは咄嗟に身をよじった。
 姿勢を低くしたまま院内の備品に身を隠し、そこでジョーはようやく己の状態に気づいた。
 胸の位置に打ち込まれた三発の銃弾はケンドの銃砲店を出発する際に着込んでいた防弾チョッキと、胸のポケットに入れたステンレス製のスキットルが防いでいた。
 しかし胸骨に走る鈍い痛みから、皹が入っているであろう事が判った。
 ――朦朧とした意識が急速に覚醒(・・)を始め、ジョーは己の生存を自覚した。

「――おい、ジョージ!」

 床を這うようにジョーはハミルトンに寄り添った。
 ハミルトンに既に視力は無くジョーの声の方に顔を向けて、血を吐きながら囁く声で言った。

「――ワクチ、ン……の、資料……持って脱出しろ……」
「っ!?」

 末期の瞬間。ハミルトンは最後の力を振り絞ってジョーの腕を掴み、懐の手記の位置を教えるように示した。ジョーが懐の手記を手にしたと同時にハミルトンは息絶えた。

「………………」

 周囲に“ぞわり”という無数の気配が集まり始めた。
 新鮮な血液が床にばら撒かれた事に奴ら(・・)が気づいたのだ。
 そして奴らを身に纏う怪物も――
 酷く冷静な頭で状況を察すると同時。ジョーの脳裏には激しい怒りがその発露の先を求めて渦巻いた。
 ジョーは無言のまま、視界の端にチラリと見えたU.B.C.S.の死骸からAK(アサルトライフル)とマガジンを毟り取った。





 一階のホールから階段の方へと移動しつつあるニコライとU.S.S.デルタの銃撃戦が、強い混乱の感情が伴う生存を賭けた戦いに変質するのは間もなくであった。
 彼らは銃声をかき消すような“咆哮”を横殴りに受けた。
 無数のヒル(リーチ)に全身を侵食され、既に生物兵器の使命すらも忘れたハンターの成れの果て。
 それが壁を破砕しながら戦渦の渦中に飛び込んだ。

「おいおい、これは――」
「ちょっと……なによ、コレ!?」
「醜悪な……」

 ハミルトンを含む病院の生存者が便宜上リーチマンと名付けた怪物。その亜種とも言える“ハンター”を捕食して侵食した異形の名は、差し詰めハンターリーチ(狩人蛭)と言ったところか。
 U.S.S.デルタのメンバーは、ニコライとの銃撃戦の最中に飛び込んできたゾンビとも違う怪物に強く動揺した。
 彼らの脳裏を過ぎったのは先日の秘密作戦でウィリアム・バーキンが変異した異形のそれであった。
 しかしバーキンの変異体とも明らかに姿が違う。
 共通するのはどちらも醜悪だという点のみだ。
 
「くっ!」
 
 ハンターリーチの突進の想像以上の速さに隊員の一人が思わずショットガンの引き金を引いた。しかし弾け飛ぶのはハンターリーチの表皮を覆う無数のヒルのみであった。
 飛び掛り、同時に振りかぶられた両腕の端から覗く鋭い爪が、男のタクティカルアーマーとショットガンを切り裂いた。
 吹き飛ばされて背中から床に倒された巨躯の男――ベルトウェイに覆いかぶさろうとするハンターリーチ。
 それを咄嗟に横から蹴りつけるU.S.S.の衛生兵バーサ。
 ――しかし体重が足りず、バーサがハンターリーチをベルトウェイの身体から蹴り剥がす事は出来なかった。
 ベルトウェイの上半身に無数のヒルがボトボトと降りかかると同時。ニコライのレーザーサイトがベルトウェイの足を狙った。
 
「――っぁ!」

 銃声が響きベルトウェイのふくらはぎから鮮血が飛び散った。
 ハンターリーチが引き連れるおびただしい数の吸血ヒルが、噴出したベルトウェイの血液に歓喜するように一斉に身を震わせた。そして瞬く間にベルトウェイの右足に群がった。

「――まずは一人、だな」
「くっ!」

 ニコライが悠々と後退する中。隊長のルポがU.S.S.デルタで一番の巨躯を誇るベルトウェイの後退を指示するか否かを迷った一瞬。
 ――U.S.S.デルタの背後からフルオートの銃声が響いた。

「――ぐぁ!?」

 咄嗟に遮蔽物に身を隠したデルタのメンバーの内、背面から肩を撃たれたベクターが出血した。出血によりハンターリーチの矛先がベクターに向いた。

「――――――」

 位置的にニコライが最も早くに銃撃を放った“第四勢力”の正体を看破できた。
 それはニコライにとっては数時間前に出会った間柄。先程までの膠着した状況(・・)に、態々隙を作ってくれた間抜けな友人のジョー・ナガトであった。
 遠巻きからでもニコライにはジョーの内に渦巻く感情が手に取るように理解出来た。
 強い怒りと激しい憎悪だ。それはニコライが傭兵稼業を続ける中で、同業者から自然と向けられる類の感情を秘めた瞳であった。

「………………ふっ」

 ニコライは口元に笑みを浮かべて撤退の足を止め、そしてAKを構えた。
 それは図らずもジョーを援護する形となった。
 U.S.S.の存在はニコライの目的にとって酷く邪魔な存在である。故にそれを排除しようと目論むジョーの復讐者さながらの眼を見て、ニコライはそんなジョーを目的のために利用してやる事を決めたのだ。
 ――もっともジョーの側も、そんなニコライの立てた皮算用を成立させてやるつもりなど毛頭無かった。
 ジョーにとってU.S.S.もニコライも同じ穴の狢である。目的も意思も判らないが、信用できる類の人間ではない。何よりハミルトンを殺した“傘の印”を身につける存在に対して抱く感情は、“怒り”の一言に尽きる。

「まとめて死にやがれ、クソ野郎共!」

 ジョーのニコライに対する認識は確かに正解ではあった。
 ニコライの目的とは己以外の生存者を排し、ラクーンシティに存在するデータを含むあらゆる情報をアンブレラに高額で売る事である。
 その意味ではジョーもまたU.S.S.と同じくニコライにとっては排するべき存在であったからだ。
 しかし「所詮は民間人。いずれ死ぬ――」と、ニコライはこの瞬間でもジョーを侮っていた。
 加えて彼我の物理的な距離が、互いの攻撃を阻んでいた。
 ジョーの銃撃はニコライにも確かに向けられていたが、直ぐに攻撃が難しいと判断し、ニコライへと向わせるべき憤りの分も纏めてハンターリーチとU.S.S.に向けた。
 傭兵の死体から拝借したAKを構えて年若い顔に強い憤怒と憎悪を貼り付けたジョーが願うのは、ニコライとU.S.S.の両方の死。またニコライが願うのはU.S.S.とジョーを含む全ての生存者の死。そしてハンターリーチに意思があると仮定しても、恐らくそれが望むのは恐らくこの場の全員の死である。
 ――ならばU.S.S.はどうか?
 彼らU.S.S.デルタの全員の脳裏にあるのは、互いの死を願い合う戦渦の渦中でも微塵も薄れる事の無い徹底した任務遂行への意思であった。そもそもラクーン総合病院はU.S.S.に下された任務の中の通過点に過ぎない。彼らの本来の目的は屋上にて装備を受け取り、通信設備を破壊する為に発電所を襲撃する事なのだ。
 しかしそれを阻むジョー、ニコライ、ハンターリーチの三つの勢力――

「くっ――」

 縦横に飛び回るハンターリーチの攻撃と、それを援護するかのようなジョーとニコライの攻勢によって生まれた膠着状態に、U.S.S.の一同は遮蔽物に身を隠しながら強く歯噛みした。引くも押すも出来ない戦渦の中で、無為に消耗するという悪夢。特に負傷したベルトウェイとベクターの内に秘めた不安と苛立ちは酷く大きなモノとなる。

「クハハハハハ!」
「死にさらせ、アンブレラ!」

 狂ったように笑うニコライと、憎悪を込めたジョーの慟哭。
 ジョーは収拾がつかないごちゃ混ぜの感情を発露するように引き金を引いた。――――が、均衡が崩れたのはそこからだった。
 
「っ! 弾が――――」
「今だ!」

 マガジンの装弾数を見誤った初歩的なミス。
 リロードの一瞬の隙を見てベクターがジョーを牽制するように銃撃を放った。
 ジョーは咄嗟に身を隠した。
 同時にニコライは膠着状態が途切れた瞬間を見計らい、嘲笑を残して早々にジョーを見限り冷静に撤退を開始した。
 砲火の中で最も銃撃に身を晒されていたハンターリーチが膝をついた。更にそれを押し込むようにU.S.S.はチーム三人で牽制し、残る二人――ベルトウェイとベクターが負傷を省みずにジョーに発砲。そして隊長ルポが撤退するニコライの背後を狙う。
 が、ニコライは窓を突き破っての脱出に成功した。
 それと同時にジョーも遮蔽物に身を隠しながらモスカートを抜き、そしてU.S.S.とハンターリーチを纏めて葬るがごとく、装填された火炎弾を撃った。

「――くっ!」

 ジョーの撃った火炎弾から爆炎が発生した。
 飛び散った可燃液によって大きく吹き上がった猛火がU.S.S.とジョーとの間の通路を塞ぎ、天井を舐め上げるように空間に広がった。

「――――――ッ!!」

 急速に広がった炎に対し最も大きなリアクションを見せたのはハンターリーチだった。
 ハンターリーチは炎を見た瞬間。足早にその場を離脱した。
 その様子を見てベルトウェイとベクターが傷口に群がるヒルの対処法を思いついたが、直後に炎の壁に遮られた奥からグレネードが投げ込まれた。

「カバー!」

 一拍置いた後に耳を劈く轟音が響き、その衝撃で天井が崩落した。

「――逃げられたか」
「……あのガキも傭兵か?」
「――――っ!?」

 もうもうと塵埃が舞う中。
 先程までの喧騒が嘘の様な静寂の中で、U.S.S.の一同は規則的な電子音を耳にした。
 ――それが時限タイマーであると気づくと同時。“ニコライ”の仕掛けた罠が、病院の一階部分を大きく吹き飛ばした。

 



「――――――」

 脱出の最中に身体を掠めた銃弾と突き破った窓のガラス片によって受けた顔の傷。
 強く湧き上がる怒りがそれらの痛みをジョーに感じさせなかった。
 病院を脱したジョーはやり場の無い怒りに身任せて滅茶苦茶に走った。
 出発した頃にあったゾンビや暗闇に対する恐怖など、もはや微塵も無く、無心に怒りを叩きつけるサンドバックを欲するように、視界に映ったゾンビをAKで片端から撃ち殺した。

「クソが――」

 銃や拳足。時にはその場で拾った角材等でゾンビの群れを一掃した。
 そして後に残ったのは、やはりやり場の無い感情であった。

「――――すまん」

 ハミルトンに贈るべき言葉が上手く思いつかず。
 ジョーは何を謝るべきかも理解できぬまま、ただ心に浮かんだ言葉をポツリと口にした。
 病院を出た時よりも重い足を引き摺りながらフラワー通りを目指すジョーの背中には、ハミルトンの託した抗ウィルス剤と、彼の残した治療薬完成までの記録を書き記した手記が入っていた。
 ハミルトンが作った抗ウィルス剤は試作品で、それが本当に効くのかという疑問は、本人も口にしていた。
 今後の感染を防げるのか?
 ふたたび傷を受けた際はどうなのか?
 疑問は尽きなかったが、もはやジョーにはそれらを含めて、どうでも良いとすら思えた。
 出来るだけ事はやったのだ。コレでダメなら、もはやどうでもいい。
 目的を果した達成感など微塵も無く。また感染を治癒した安堵も無い。
 身体に残ったのは傷と抗い難い強い疲労と眠気。そして強い怒り――――

「――チクショウ!」

 ジョーはまぶたに焼きついたハミルトンの最期を思い出し、幾度も怒りを吐露した。
 ハミルトンが生き残れる可能性は確かに存在した。
 しかしゾンビに襲われたのならまだしも、同じ人間の手によって殺害されたのだ。
 これ程の非道を前にして、それに対し怒りを覚えずに居られるほど、ジョーは温厚な人間ではなかった。

「アンブレラ……」

 何もかもが彼の企業の仕業であると知るが故に、向けるべき矛先は直ぐに見つかった。
 しかし、あらゆる意味で手が届かない。
 そんな苛立ちを紛らわすように赤、青、緑の三種類の葉を纏めて乱暴に口に含むと、ひどく苦い味と強烈な歯磨き粉のような辛さが舌の上で爆発した。
 その不快さを持ってしてもアンブレラに対する怒りは微塵も薄れなかった。

「っ――」

 不意に複数の足音を耳にした。
 暗闇の中に複数の荒い息遣いが聞えてから程なく。ジョーの前にゾンビと化した三体の“犬の群れ”が現れた。
 感染して死す事で野生が目覚めたのだろう。
 獲物を狙う獣としての本能を取り戻したゾンビの犬達が獲物として見据えたジョーを取り囲み、グルグルと唸り声を上げた。

「………………クソ犬が」

 唸り声が徐々に大きくなる。
 その口から垂れる酸の混じった涎の強い臭気がジョーの鼻にも届く。
 ジョーは惜しげもなくマグナムに手を掛けた。
 が、直後。ジョーが放つよりも早くに連続した銃声が響いた。

「っ!?」

 病院での嫌な記憶が脳裏を過ぎり、ジョーは咄嗟に乱入者に向けてマグナムの銃口を向けた。

「下がりなさい!」
「っ!?」

 ――聞えた声には聞き覚えがあった。
 そして直後に、懐かしい声だと素直に思った。
 三体のゾンビ犬を蹴散らしたのは青いチューブトップを身に纏う軽装の女傑であった。

「……ジル?」

 ケンドの銃砲店で調整した自動拳銃――サムライエッジを構えた女傑の名を、ジョーは思わず呟いた。



 チャプター2 終了

 このお話をゲーム的に説明すると、恐らくジョージ・ハミルトンの生存ルートは、病院地下の下水道から巨大ヒルをしっかり倒しての脱出ルートのみです。
 USSが屋上でEMPを受け取る予定なので、エレベーターで一階か四階かを選んでも確実に戦闘に巻き込まれると言う……。

 そして1対1対6対1+α(数百匹のヒル)の大混戦を一応全員生存したUSSの皆さんですが、恐らくコレで出番は終了かと思います。ファンの皆様すいません。
 だけどニコライはもしかしたらあるかもしれませぬ。
 ――皆、ニコライの事汚いって言うけど、USSも大概だろ……って思うのは私だけでしょうか?
 ちなみに余談ですが、オペラクでニコライが病院を爆破してます。が、この爆発はカルロス関係ない爆発です。確かバイオ3での病院爆破は本編の10月に入ってからの事なので。――つまりニコライは病院を二回も爆破してるっぽいです。ニコライさん爆薬何処で調達してるんですか……。
 後、ジルとレオンとクレアの到着日時なんですが、無理があるだろ……と思うのでちょっと変えていこうかなと思ったりしてます。


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10 悪夢の生存者

 ジル・バレンタインのメモ

 9月27日。
 最後の9月が終ろうとしている。
 アンブレラに対し、人々が立ち向かう勇気を持つ事が出来ていたとしたら、未来は変わっていただろうか?
 あの日、私達は洋館という名の地獄の中で真実を知った。故にその時の真実をこの街の人々も知る権利と義務がある。
 そして全てを知った上で立ち上がるべきだった。
 許しを請うには全てが遅すぎて、運命が流れ始めた時には既に、人々にそれを押しとどめることは出来ない。
 日に日に感染者は増加し、今もその数を増やし続けている。
 数少ない生存者達は建物の深くに身を潜め、更に奥の暗渠の中で息を殺して明日を待っている。
 生きるか死ぬかの状況で、未だに平静を保っていられる私はきっと変わってしまったのかもしれない。
 だけど生き延びる為にはきっと必要な事だ。
 明日を待つだけでは何も変わらない。
 それをあの日に私は思い知った。
 だからこのメモを見ている貴方(・・)に書き残せる言葉は一つだけしかない。
 
 自分を救えるのは自分だけ。





 薄明かりの点いたとある食品倉庫の管理室。
 普段は店舗の管理作業員が業務で使用するタイプライターを駆使し、ジル・バレンタインは何気なしにそんな走り書きを残した。
 メモに書き残したのはジルの胸中にある偽らざる本音だ。
 Tウィルスの拡散から数日が経ち、爆発的に数を増やした感染者によって多くのラクーンシティー住民が亡者と化した。そして悪夢の中を逃げ延びた生存者は自然と一所に集まり、息を殺してひたすらに救済を待つ。その行動を否とは言えず、しかし同時に無意味だとも感じてしまうジル。
 しかし曲がりなりにもこの街で警察官として生きた経験と生来の人間性が、圧倒的弱者である彼ら彼女らを捨て置く事を許さなかった。

「はぁ……」

 疲労の混ざった深い溜息が思わずもれる。
 人種も年齢も職業も様々――しかし彼らの顔には共通して強い疲労と不安と恐怖が貼り付けられている。
 皆、眠る事もままならず、燃料ランタンの明かりを中心にして小さく身を寄せ合って息を潜めている。
 そんな陰鬱な空気に耐えかね、立てこもった倉庫周辺の安全確認に出たのが終先程の事だ。
 そこでジルは偶然、()と遭遇した。

「――ジョー・ナガト、だったかしら?」

 ジルはチラリと管理室にある応接用のソファに視線を移した。
 安っぽい合成革のソファに深く身を落として眠りに就く一人の少年の名はジョー・ナガト。彼は装備のメンテナンスでジルが幾度か訪れたケンドの銃砲店の従業員だ。しかし顔見知りと言うだけで、別に良く話す仲かと問われると意外にそうでも無い。間柄は彼と仲の良いジルの同僚のバリーを挟んで、友人の友人ぐらいだろう。
 よって一対一で話した事など殆ど無かった。
 しかしこの時ばかりはそうも言っていられない。ジルはジョーに対して、直接問いただしたい事柄が幾つも存在したからだ。
 
「一体、何処でこんなモノを――」

 眠りに就く前にジョーはジルにある資料を手渡した。
 血に濡れた“ジョージ・ハミルトン”と言う男の書き残した手記である。
 そして件の男が研究し、サンプルまで作り上げたというTウィルスのワクチン。その製造法を書き記したとされる研究資料の一部。それらをジョーはその身に帯びて此処にやって来た。
 ジルは深く寝入るジョーの衣服にふと視線を向けた。
 銃創や焼け焦げた痕跡が随所に見られ、その面貌は数ヶ月前に店で見た時に比べて、年齢に不相応な程に壮絶。
 この地獄の中で彼が何を見たのかを問う機会はまだ得られていないが、それでも察することは出来た。
 恐らく自身が洋館の中で体験した地獄に比肩するモノを体験したのだろう――ジルにはそう解釈する事が出来た。
 深い眠りとは言い難い浅い呼吸を繰り返し、休息とは程遠い眉間に刻まれた深い苦悶の表情。
 ジルはそんなジョーの身体に毛布を掛け直して、脇に置かれた彼のナップサックに資料と薬品のサンプルを詰め直し、ジョーが眠る直前に食い散らかした保存食の空き缶を片付ける為に管理室を後にした。
 管理室のドアを開けるとジルと同じくこの場を一時的な避難場所に選んだ幾人かの生存者が、その不安そうな視線でジルと管理室の奥で眠るジョーを見た。
 ――奴は大丈夫だろうな? と、それは暗に問うような視線であった。

「――――――ったく」

 ジルはそれら訝しげな生存者らの視線を全て無視した。
 この時点で生き残っている者は皆、感染者(ゾンビ)に噛まれた者はゾンビになると、言葉では無く実感として理解している。故に投げかけられる視線の中にある不安を、仕方が無いとは思いつつも、同時に鬱陶しく思った。
 事実、ジルがジョーを助けてこの食品倉庫に連れて来た際に、ジョーの感染を疑いその身柄を受け入れる事を拒否する者もそれなりに存在した。
 不安がる住人の暴走からジョーを“護る”為、またはジョー自身が変異した際の“処理”を行う為に、現状はジルが責任者としてジョーの監視を行っている。それが現状である。
 ジルは何も言わずにその場を去ろうとした。
 しかし直後に怒号が飛んだ。

「おい、奴を一人残して何処に行く気だ! アンタが居ない間にゾンビになったらどうする!」

 ジルは歩みを止めて振り返った。
 赤ら顔が特徴的な初老の生存者――ダリオ・ロッソという男だ。彼はこの場所に逃げ延びた直後から、うわ言の様にくりかえし現状を嘆いていた。その際にジルをはじめ多くが、彼が家族でフットボールの試合を見に来た別の州からの旅行者である事。そして今回の事件で脱出の折に娘を失った事を繰り返し聞かされた。
 同情の余地はあるものの嘆くばかりで必要な作業にまるで手を貸さないダリオの過ぎた被害者然とした態度には、ジルも内心で辟易としていた。
 だがそれでも平静に警察官としての職務を果そうと勤め、ジルは落ち着いた様子で口を開く。

「大丈夫よ。変異の兆候は見られないから」
「そんな事、判るもんか! 実際、アンタの判断がどうして正しいって言えるんだ!? 俺はゾンビに娘を食い殺されたんだ! 此処に居る連中だって同じだ。危機感が足りないんじゃないか!」

 どうして? と、尋ねられると、ジルにしても“勘”だと言う他ない。しかしその勘は洋館事件での経験とその際の探索で見つけた資料に基づく知識からのモノだ。
 だがそれを言った所でダリオをはじめ、多くは納得しないだろうと思い、ジルはダリオの言葉に沈黙した。
 するとダリオを初めとする一部の集団はその沈黙を材料に、ジョーを避難所に受け入れたジルの判断に再び文句を言い始めた。

「――声を荒げると“バケモノ”を呼び寄せる事になるわよ」

 ふいに傍でそのやり取りを見ていた別の生存者が凛とした声を上げた。
 ビビットのきいたマゼンタカラーのライダースを纏った女子大生であった。
 勝気で行動力の溢れる若い魅力がある。またこの悪夢の中でも率先して要救助者に手を貸していた少女だ。その積み重ねの結果か、彼女の周囲には彼女に同調する多くの女性や老人たちの姿が見えた。

「吠えるよりもやるべき事があるでしょう? 毛布と燃料が足りないわ。もし良かったら運んできてくれない? そんなに不安ならこのフロアに長居する理由も無いんだし?」
「――――っ」

 ダリオと同調してジルを糾弾していた者達は、逆に今度は口を閉ざす。
 そしていたたまれなくなったのか、逃げるようにフロアの隅に下がっていった。

「――ありがとう。助かったわ」

 ジルは声を上げた女子大生に礼を言った。
 
「いいわよ、別に。それに警察に協力するのは市民の義務でしょう?」
「あら警察だって名乗ってないのによく気づいたわね?」
「身内に一人居るから雰囲気で大体判るわ。私はクレア・レッドフィールド」
「レッドフィールド?」

 差し出されたクレアからの握手を受け取ったジルは、不意にクレアの名に同僚を思い出した。

「ジル・バレンタイン。もしかして貴女、クリスの妹さん?」
「えぇ。その様子だと兄を知っているの? 私は兄を探しにこの街に来たのだけど――――」
「残念だけど、クリスはもうこの街にはいないわよ」
「え?」
「何処から説明するべきかしら――――」

 ジルは少し悩んだが、クレアと名乗る同僚クリスの妹に、兄の無事と現在の所在地を簡単にだが説明する事にした。
 洋館事件以降。ジルをはじめとする元S.T.A.R.S.のメンバーはアンブレラを告発する為に独自に動いていた。だが結果的に事件の生き残りのメンバーは皆、警察官としての資格を剥奪され、アンブレラから秘密裏に抹殺指令を下される程の身の危険に晒されていた。
 アンブレラから家族を護るために同僚のバリーは家族と共にカナダに亡命し、クリスも恐らくそれに近い判断で、クレアに何も打ち明ける事無く身を隠す事を選んだのだろう。
 その結果が皮肉にもクレアを悪夢の渦中に呼んでしまった現状に、ジルは思わず苦笑を浮かべる。
 無鉄砲で行動力が溢れる所はクリスにそっくりね――
 ジルは内心でクレアという少女にクリスの面影を見た。

「――そうだったの」
「クリスに代わって謝罪するわ。不安にさせてごめんなさい」
「いいえ――」

 眼に余る地獄さながらの状況を作り出した外道を知り、それを許さぬと憤る正義感。身内としてクリスを知るクレアは、ジルから聞かされたクリス失踪の理由を知った後、その行動を責めなかった。そしてただ一言、「――兄さんらしいわ」と零した。

「――そういうところは昔と何も変わってない」

 クレアは遠い眼をして諦観混じりに小さく微笑んだ。





 多くの生存者が露骨に嫌な顔を見せた。それらは「感染していないだろうな?」と、暗に問う視線を投げかけた。
 ――俺はゾンビじゃない。
 鍵付きの管理室へと案内されたジョーは毛布を被り、蝋燭と倉庫奥の薄明かりの中で現実を嘆く生存者達から隠れた。
 辛気臭い雰囲気と露骨に不審な視線をぶつけられる状況から一歩離れ、ジョーは眼を閉じ、疲労感に身を任せてソファに身体を預けた。
 直後、耳障りな音が管理室の扉の奥から響いた。

 ――カリカリ――カリカリ――ー―

 何かを引っかくような音だ。
 眼を開け、自然と姿勢を低く保ち、ジョーは傍らの拳銃を握った。

 ――カリカリ――カリカリ――カリカリ――――
 
 どんどん音が大きくなる。
 直感的にそれを敵だと思った。
 扉越しに敵のシルエットを思い描き、その眉間に照門を定めた。
 ――引き金を引いた。
 しかし動作不良(ジャム)を起した。
 弾が出ない焦りが全身を駆け上がると同時に、扉が開いた。
 
「――っ!?」

 発作のようにジョーの全身がソファから跳ね上がり、直後にパシンと肉を叩く音が響く。
 全身から汗が噴出し銃が握られている筈の右手には何も無く、反射的に握り、繰り出された拳は、丁度扉を開いて現れたジルの両手で受け止められていた。
 ジョーはそこで自分が“夢”を見ていたのだと自覚する。

「――――悪い」

 ジョーはどさりとソファに身を預け、全身の筋肉を弛緩させるようにダラリと天井を睨んだ。
 ジルは拳に打たれた掌の痛みを払うようにひらひらと振る。

「大丈夫?」
「死ぬかと思った……」
「そう。――気持ちはわかるわ。洋館事件の後、私もそうだったもの」

 眠りにつこうと横になるが直ぐに目が覚める。身体が深い眠りにつく事を拒んでいるような感覚には、ジルにも覚えがある。

「――気休めかもしれないけど、その内、慣れるわ。それはそうと――」
「ぁん?」

 ジルはジョーのナップサックから“ハミルトンの資料”を手に取り、ジョーの座るソファの対面に腰を下した。

「何を見たのか、詳しく話を聞かせて」
「………………」

 ジョーは内心で「取調べか……」と小さくぼやいた。
 まぶたの裏に焼きついている病院での光景を思い出しつつ、ジョーは不意に思い出した空腹感から冗談めかしてジルに尋ねた。

「とりあえず、カツ丼を食いたい」



遅くなりました。
書く時間がなかなか取れなくてすいませぬ。
ちょっと次も未定です。


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