魔導王陛下、御嫡子誕生物語 ~『術師』の復活~ (空想病)
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序章 統一大陸の魔導王
第1話


 連載は初です。
 タグにもある通り、アインズ様ハーレムルートです。
 ハーレムが嫌という人は、ご注意下さい。

 時系列としては、異世界に転移してから数年後。
 ナザリックが大陸を侵略平定したくらいの時期だと思ってください。

 タイトルから分かるように、最終的にアインズ様が結婚します。結婚します。
 そういう恋愛要素が苦手な方は、ご注意ください。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこに座する者は「死」そのもの。

 生ある者はすべて、彼をそのように称することを躊躇(ためら)わない。

 宝石のように輝かんばかりの白磁の(かんばせ)。骨の総身を包み込むのは、闇から糸を紡いで編み込んだような漆黒のローブ。ひとつひとつが至宝と呼ぶべき装備物は、それひとつで国を(あがな)い、国を(ほろ)ぼすことも可能な魔法のアイテム。何より印象深いのは、魂を死の淵へ誘うかのごとく煌く、深紅よりも深い彩をたたえた熾火(おりび)の瞳。

 

 民草は、そこに座する「死」の名前を知っている。知っていなければならない。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王、統一大陸至高帝、陛下。

 この大陸世界に覇を唱える、偉大にして至高にして絶対にして超然なる不死者の王である。

 

 

 

 

 

 執務室で政務に没頭するアインズは、一枚の書類――ビーストマン、ミノタウロス、妖巨人(トロール)人馬(セントール)蠍人(パ・ピグ・サグ)、それぞれで創設させた冒険者組合から奏上された情報の集積一覧――に目を通しながら、傍らに立つ純白の悪魔に懸案事項のひとつを投げかけていた。

 

「“汚穢喰い(アティアグ)”の増産体制は?」

「問題ありません。すでに各都市に分配維持できる程度の数を確保してあります」

 

 汚穢喰い(アティアグ)は全長二・四メートルほどの巨大な口と三本の触手が特徴的なモンスターだ。彼らは人間の感覚でいうとかなりグロテスクな異形であるが、その性質は割と温和なもので、住処や縄張りを荒らされるようなことがなければ、相手が馬鹿みたいに弱い人間でも滅多に襲いかかることがないほどである。

 

「よろしい。未だ供給できていない各都市の衛生担当官のエルダーリッチに送っておくのだ」

「畏まりました。さっそく〈転移門(ゲート)〉で輸送させましょう」

「頼んだぞ、アルベド」

 

 アインズはこのモンスターのとある二つの能力に着目し、各都市へと供給する体制を整えさせた。

 それは、下水処理と汚物回収の能力。

 都市というのは言うまでもなく、大量の命が生を営む場所。そして生命というものは、どうしても生活していく上で無視できない事情を抱え込むもので……言葉を濁さずにはっきり言えば、糞尿や生活排水、さらに残飯やゴミクズなどの世話をどうするのか、という問題である。

 この世界では〈清潔(クリーン)〉などといった生活魔法が開発されることで、一定の階級以上の存在はそういった問題を殊更意識する必要のない生活を送ることができた。しかし、すべての存在が魔法の恩恵を受けられるわけではない為、農村などの僻地では、そういったものを集積する肥溜めを作成することで何とか事なきを得ている。糞尿や残飯も、然る手段を講じれば立派な肥料として再利用できるし、現代人的な思考からはあり得ないように思えるが、人間の尿は洗濯などに使用することもできるという。

 だが、交易の盛んな都市の場合、そういった肥溜めを作るメリットがまるでない。自分の尿で洗濯するというのも貧乏人気質な考え方と忌避されている。〈清潔〉の魔法を提供してくれるクリーニング店(ただし値段はお察し)や、錬金術の一環で開発された“洗剤”などが流行しているのだから当然とも言える。

 農作物は行商人が仕入れてくるものであって自分たちで作る苦労を負う必要はない。第一、そのための土地などもない。都市という人口密集地の土地相場を考えれば、公的な農耕地以外が存在すること自体ありえない。都市では様々な食糧――パンや肉、魚や果物など――が市場に並ぶ以上、麦粥や野菜だけの生活を送るものは少数だ。そんな生活を続けながら都市で生計を立てても意味がないと考えるのが普通だろう。

 で、そんな都市で、この世界に住まう人々はどのように下水処理と汚物回収をこなしていたのかというと、答えは単純だ。

 

 垂れ流しである。

 

 家に備え付けられた穴――トイレに相当する――に糞尿を垂れ流して蓋をする。その家の格によっては個室形式に仕切られたりもするが、大抵は大きな布や衝立で間仕切られ隠されているものだ。中世ヨーロッパのように窓から外へ放り投げることだけはしないため、都市の外観は、傍目には割と清潔なように感じるだろう。

 しかし、大量の水で洗い流すなどの処置がなされているわけでもないため不衛生なことこの上ないが、それが曲がりなりにも成立していた大きな理由というのが、先に述べた汚穢喰い(アティアグ)というモンスターの存在だ。他にも腐食蟲(キャリオン・クロウラー)大型鼠(ジャイアント・ラット)なども、その一助を担っている。

 彼らは意外かもしれないが、人間の都市の下水――地下水道に住み着くものが多い。その他の地域には、死体が溜まりやすい高レベルモンスターがとぐろを巻いている森や山、谷などに生息しているくらいか。彼らは時に人も襲うこともある凶悪なモンスターに違いはないのだが、彼らの領域に踏み込みさえしなければ、基本は人畜無害でいてくれる低級モンスターに過ぎない。何らかの理由で生活領域から溢れそうになったところを、冒険者などに依頼して討伐するということが稀にある程度の関係性である。率先して退治するようなことは全くしない。というより、完全にいなくなってしまっては逆に困るのだ。

 その理由は、彼らは地上で人間が垂れ流した糞尿や残飯などを主たる食糧とするモンスターだからだ。新鮮な人間の死体が目の前にあったとしても、わざわざ腐敗するのを待ってから食すという習性があり、それ故に彼らは滅多なことでは人間を殺そうとはしない。そんな効率の悪いことに力を使うくらいなら、上から垂れ流される御馳走にありつこうという魂胆なのである。

 しかしながら、地下水道という限られた領域内では、汚穢喰いは大した数には増えない。異形種としての寿命の長さのおかげで、子を大量に残す必然性が薄いからだ。しかし、それでは困る。

 

「ふふ――思い出すな。カルネ村を都市化する際には、本当に困ったものだ。いくら地表を整えたとしても、その下にあるものがなければ都市は十全に機能を発揮しないことが知れたのは、本当に良い経験だった」

 

 アインズはありし日のカルネ村を思い返す。

 5000人のゴブリン軍団は、食べる食事の量についてもそうだが、下から出てくる量もそれ相応のものになるのは想定して然るべき問題だった。たかだか100人程度の人口の村が用意した肥溜めは一日で機能不全を起こし、仕方なしに軍団は自分で自分たちの糞をブチ込む穴を掘る作業にかかりきりとなった。だが、それで作業は終わらない。5000人分の糞便が集積し乱立して何の処置もなされないというのは、衛生面において大変なマイナスだ。上位のモンスターなどであれば病気などを無効化することは出来るものだが、ただの村人たちにしてみれば病気の源が日々近場に集積され拡大され続けてはたまらない。軍団が保有する魔法詠唱者たちはユグドラシルの魔法には通暁していたが、この世界独自の生活魔法については素人同然。食糧問題と併せて、アインズはこの問題も解決しなければならなかった。

 そこで思いついたのが、ナザリックで飼われていた下水施設の元締め、汚穢喰いの女王(アティアグ・クイーン)というモンスターだ。

 女王は他の汚穢喰いの雄と番うことで、新たな汚穢喰いを大量に生み出せる特徴を持った存在である。アインズが手に入れた城塞都市エ・ランテルの下水道にいた雄を数匹捕縛して女王と番わせ、その雄たちを村の地下に置くことで、何とかカルネ村の当面のトイレ事情は解決の目を見ることができた。

 汚穢喰いは成長の早いモンスターではない。普通に番い、30日ほどで見た目は蛭のような子を儲けると、子は母親の血液を吸って成長し、一年たってようやく親離れをする。それでも、完全な成体になるにはまた数年が必要となるのだ。その点、女王は一度に何匹もの雄と番え、何匹もの子を産むことができ、さらに生まれてきた子は成長が著しく早熟で、通常よりも五倍早く成体になりうる。

 この教訓のおかげで、アインズは他の都市や国々を統治し整備する際に、かなり上質な汚穢喰いを各都市に供給することを可能にさせたのだ。そう思えば、この苦労は被るべくして被ったものであったと言えるかもしれない。

 エンリたちのことを思い浮かべて、アインズは個人的な懸念事項を思い出す。

 

「そういえば……エンリの出産祝いについては、どうなっている?」

「こちらも準備は進めております」

「うむ。彼女たちの功績は絶大だ。婚儀の時と同様に、いや、あの時以上に、派手に祝ってやらないとな」

 

 アインズは童心に返ったかのように心を浮き立たせる。アンデッド故、強力な感情は抑制されるので、今のような機嫌のいい小康状態を保っていられることは、彼にとっては最高潮の喜びを顕わにしているようなものである。これは祭り(イベント)の前の高揚感にも似ている気がした。

 人間と亜人、さらには異形種が手を取り合い生きていくことができるというモデルケースとして、カルネ村――今は城塞都市エモットと呼ばれ、さらにはナザリック地下大墳墓・外地領域のひとつになっている――は、一種の解答を提示してくれたのだ。

 彼女たちのおかげで、アインズの目指す理想郷は、完全に形作られていったといっても過言ではないだろう。

 

「しかし、何を贈ろうか未だに迷うな。宝石や飾り物は委縮させてしまうし、武器や防具は論外。結婚の時は婚礼調度一式でもびっくりさせてしまったから、今回こそ自重しておかないと……何か良い案はあるか、アルベド?」

「恐れながら。やはりここは、生まれてきた子供の服などがよろしいかと」

「服か……だが、ただの衣服を渡すというのは、褒美としては相応しくないだろう。華美にしたところであの二人が好むとも思えない。ならば華美にするのではなく、魔法的な加護もつけてやるか?〈病気無効化(イミュニティ・ディジーズ)〉か、あるいは〈呪詛無効化(イミュニティ・カース)〉がいいか? シクススはどんな加護があると良いと考える?」

 

 急に話をふられたアインズ当番は、大いに取り乱しながらも自分の意見を述べていく。

 

「え! えと、わ、私はその……僭越ながら〈幸運(ラック)〉の魔法などで十分ではないかと」

「ふむ。確かにそうだな。〈幸運(ラック)〉であれば一定の無効化に頼らず、己の力を頼みとする子に育つだろう。では〈上位幸運(グレーター・ラック)〉の魔法を、私の手で込めるとするか」

「アア、アイ、アインズ様御自身の手でございますか!?」

「何か問題でもあるのか、シクスス?」

「いいえ、そんな滅相もない! とても素晴らしい御配慮であると言わざるを得ません!」

「ありがとう、シクスス。そしてアルベド。おまえたちの提案のおかげで、私の心の憂いがひとつ払われたぞ。大儀である」

「感謝などもったいない!」

 

 昂揚し叫ぶシクスス、微笑みを深めるアルベドを見つめながら、アインズは心の内で拳を握る。

 支配者としての振る舞いも、だいぶ板についてきた。さすがに転移してから数年もの時間が経過すれば、演技もこなれてきたような気がするもの。

 書類整理と国璽の捺印を一通り済ませたアインズは、厳かで気品あふれる椅子から立ち上がった。

 

「そろそろ時間だな。少し外に出よう。シクスス、窓を開けてくれ」

 

 テラスに通じる大窓へ、メイドはそそくさと移動した。

 開け放たれた巨大な硝子窓の向こうには、庭園とも見紛う空間が広がっている。

 アンデッドの園丁(ガードナー)たちによって細かく手入れされた花園は、種々様々な(いろどり)で花壇が埋め尽くされ、その様はまるで点描画のような広大かつ精緻な芸術の中に迷い込んだ印象を受ける。鼻腔をくすぐる芳香も心地よい。

 その庭園は、都市の最上層――アインズ・ウール・ゴウン魔導王が政務に取り組む王城にある執務室と、彼が簡易住居として用意させた居住スペースのある隔離塔とを繋ぐ「天の橋」だ。アインズは橋の中間地点に設けられた展望台とも呼ばれる場所に赴き、眼下に広がる都市の偉容に思いを馳せる。

 そこから一望できるのは、魔導王の治める新たな魔法都市で、庭園の花々のように種々様々な存在が幸福な生を謳歌する光景。彼らが行き交う通りのすべてに掲げられているのは、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインを施された幕旗だ。人間種が、亜人種が、そして異形種たちが市街を往来し、市場や興業などがそこここで営まれている。警邏する死の騎士(デス・ナイト)を子供たちが(たわむ)れるように追いかけ回し、馬車を引く魂喰らい(ソウルイーター)の首を御者が労わるように撫でてやる。

 アインズは傍らに控える二人にも聞こえる声で、万感の思いを胸にしながら呟いていた。

 

「――素晴らしいな」

 

 此処から見える遥かな大地、大陸のすべては、アインズ・ウール・ゴウンのものとなったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第2話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不滅なる国、永遠の魔導国、ありとあらゆる幸福が約束された理想王国。

 生と死の垣根を取り払い、あらゆる種族と存在が共存する、奇跡のような統一国家。

 アインズ・ウール・ゴウンという絶対者にして最高支配者の偉大な力と知略、そしてカリスマによって確立された世界征服は、この大陸全土に、彼という素晴らしい存在を知らしめ尽くした。

 もはや、アインズ・ウール・ゴウンという名前を知らぬ者など存在しない。その名を軽んじる者など絶えて久しく、北は亡国の人形たち、南は和国の士族たちにまで、その名は崇められ尊ばれ、あるいは畏怖と恐懼(きょうく)の象徴として敬服されることになった。

 彼の王の麾下に加わることを拒絶した国々は、国としての体裁を保てなくなる程に蹂躙され殲滅され、魔導国の庇護を受ける以外の道は、残されはしなかった。

 彼の王と友誼を交わし、盟を結ぶことが出来た国や領地の種族は王の強大な魔法の矛先にさらされることはなく、やはりその庇護の下で安穏とした生活を保障されるに至った。

 こうして、ありとあらゆる種を、(うから)を、存在という存在を掌中に治めることになったアインズ・ウール・ゴウンであったが、ここまでの道筋は決して平坦なものではなかった。

 

 この異世界に転移してから、数年という月日が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ時間のはずだが……」

 

 アゼルリシア領域で製造された、ドワーフ製最高級懐中時計を確認する。

 天の橋の中央に位置する展望スペースで、アルベドとシクススを傍らに侍らせたアインズは、この時間を指定してきた守護者の到着を待つ。

 

「まぁ、あいつのことだから心配する必要もないだろう」

「アインズ様。よろしければお茶をご用意いたしましょうか?」

 

 アインズはアンデッドであるが故に、飲食は不要――というか不能――な体をしている。この世界に来た当初は、鈴木悟として存在していた元の世界では味わえなかった肉や魚、野菜や果物、様々な嗜好品とも言うべき食べ物や飲み物を味わえないことを残念に思っていたものだが。

 

「いや。今は、ヌルヌルくん三世がいないから遠慮しておこう。

 ――しかし、気遣いには感謝するぞ、アルベド」

「勿体ない御言葉」

 

 アインズが声帯を変えるために飼育している口唇蟲には、声を変える以外の機能があることが最近になって明らかとなった。

 それが「疑似飲食を可能にする」という能力だ。

 口唇蟲の主食はキャベツなどに代表される葉野菜であるが、人間の声帯を貪るという習性からもわかるように本性は雑食のモンスターだ。アインズはほんの気まぐれに、自分が口唇蟲を装備した状態で彼らに餌となる食料を与えられるか実験したところ、彼はアインズの口から運ばれてくる食材を難なく食せたのだ。

 しかも、その味覚を装備者であるアインズに共有させるというおまけ付きで。

 初めて味わった新鮮な野菜の味覚と歯ごたえに度肝を抜かれ、他にもいろいろと試行錯誤を重ねた結果、口唇蟲は装備した者の声を偽装するのみならず、食した物の味覚を伝播させる能力があることが判明した。これは口唇蟲の供給元であるエントマですら知りえなかった情報だったのは言うまでもない。

 しかしながら、口唇蟲による疑似飲食は、あくまで彼らが許容できる量に限定されるのが難点だった。これは食材や飲料を味わう本体というべき蟲のサイズを考慮すれば当然なことだ。しかし、それでもアインズにとっては、口唇蟲の価値が数段階上昇したのは言うまでもない。

 アルベドが提案したように、ほんの少量ではあるが、アインズはお茶という嗜好品を愉しめるゆとりがもてたのだ。これを喜ばないはずがないというもの。

 まだまだ、知らないことがたくさんあると痛感させられながら、展望台の腰掛けに座り、飽かず青空と都市の光景を見つめる。

 程なくして、地平線の向こうから、幾つかの影が姿を現す。

 天を高速で舞う、一対の皮膜が舞い降りてきた。

 一陣の風が、庭園の花々を僅か揺らす。

 蛙の頭が見る内に黒髪をオールバックにした眼鏡をかけた青年のそれに変貌し、背中から生えていた蝙蝠のような翼をスーツの内側に格納する。彼に付き従うように降りてきたのは、彼の副官たる魔将(イビルロード)の三人。

 降り立った悪魔たちは、その場で膝をついて臣下の礼を献上していた。

 アインズは先頭に控える第七階層守護者の名を呼ぶ。

 

「デミウルゴス」

 

 ナザリック地下大墳墓“空軍”を率いる「参謀」の職を新たに賜った悪魔が、(うやうや)しく(こうべ)を差し出す。

 アインズが大陸を平定するにあたり新たに設けた“空軍”とは、アインズの作成した“蒼褪めた乗り手”をはじめとした空中戦闘能力を獲得したシモベたちと、現地で徴用した航空騎乗獣の騎兵たちが属する空中治安維持部隊――その前身は強襲擲弾兵戦闘団――である。

 

「お久しぶりでございます、アインズ様」

「息災で何より。だが……おまえ自身が翼を用いてまで急を報せる事態というのは何だ?」

 

 アインズがこの時間に、展望台に赴いたのは気分転換のためというわけではない。

 いや、彼本人としては十分にそういう意味も含まれていたのだが、実際にはこのように、デミウルゴスとの対面を果たすために赴いたのが主な理由だ。

 ナザリックの存在は、ある程度の距離ならば〈伝言(メッセージ)〉の魔法で意思の疎通が可能だ。にも拘らず、デミウルゴスは魔法を使わない直接伝達にこだわり、多忙を極めるアインズの政務時間の合間を縫う形で、この魔法都市の王城にまで飛行してきたのだ。

 

「はい。詳細は、この書状にて」

 

 デミウルゴスは懐から取り出した書状を、アインズ当番のシクススに手渡そうとする。

 それをアインズは手で制した。

 

「構わん、デミウルゴス。おまえが直接渡すのだ。火急的用件となれば、寸刻を争う事態やもしれぬ」

 

 笑みを深めた悪魔は、シクススの代わりに、自分の手で書状を献上した。その手は、彼には似合わない震えの気配が纏わりついていたのをアインズは見逃さなかったが、今は気にしても仕方ない。

 羊皮紙の内容は当然日本語で書かれており、翻訳魔法の眼鏡をかける必要はない。仰々しいながらも簡潔な文章が、アインズの熾火のような瞳の奥に焼き付いた。

 

「こ……これは!」

「い、如何なさいましたか、アインズ様?」

 

 若干以上の不安を覚えたアルベドは、主人の裾を手にできるほどの至近に近づく。

 その白き顔に浮かぶは、驚天動地の様相。

 アインズは全身を雷に打たれたような衝撃を錯覚しさえした。

 思わず開いた口腔から、そこに書かれた内容を口走ってしまう。

 

「ツアレが、セバスの子を身籠った、だと?」

 

 アルベドは口元を掌で覆い、シクススは嬌声を上げて飛び跳ねかける。

 

「ど……どういうことだ、デミウルゴス?」

 

 アインズの疑問は必然であった。

 この世界に転移してから、デミウルゴスには様々な役目を与えてきた。

 聖王国での情報収集、巻物用の羊皮紙の確保と安定供給、種々様々な魔法的実験や検証。

 その途上で報告に上がっていた情報のひとつをアインズは思い出していく。

 

「確か、異種族との交配、特に人間と異形の間に子はなせないと、おまえ自らが教えてくれたはずだが?」

「――はい」

 

 重く、重く、悪魔は跪拝の姿勢を崩さない。見れば、彼に付き従う魔将たちもまた、主たるデミウルゴスと同様に不動の姿勢を保ち続けていた。

 その姿は以前にも見た――遥かな昔のようにも感じられるが、ほんの数年前、蜥蜴人の集団に敗退した第五階層守護者の――光景と酷似している。

 まるで親に罰せられる幼童、神から罰せられる信徒、運命という鎖に繋がれ打たれた虜囚を思わせる、陳謝の様相。

 

「では、何故だ? 竜人という異形種が、ただの人間との間に子をなすなど……何がどうしてそうなった?」

 

 二人が、セバスとツアレがそういう間柄であることはアインズも理解していた。ナザリックに属するもので、二人の関係を知らないものなどほぼ皆無だろう。ツアレはナザリックに招かれた、この世界ではじめての人間の女だ。その安全と生活は至高の御身の名の下に保障され、いかなる存在もツアレを害することはありえなかった。二人がそういう関係であることも、半ばアインズによって公認されていることから二人の愛情という繋がりを非難する声もなかった。

 しかし、愛情という、ただそれだけのものですべてが上手く回る道理などない。

 そうであるならば、この世界には最初から不幸や不和というものは存在しないはずだ。

 種の垣根は取り払えない。たとえどんなに愛し愛される関係であろうとも、生物として生きていく時間には誤差が生じるものであり、愛の結晶たる子を授かることは不可能だった。少なくとも、デミウルゴスが調査した段階では。

 しかし、その調査した(どのように調査したのかは語ることはなかったが)張本人たるデミウルゴスは、今その過去を、自分自身の口舌(くぜつ)で否定する。

 彼本人も信じられないという思いを込めて。

 

「それに関しましては、私が御身より賜っておりました世界級(ワールド)アイテム“ヒュギエイアの(さかずき)”の機能によるものかと推察しております」

 

 ヒュギエイアの杯。

 アインズは必死に頭の中に眠る記憶を探り、世界級アイテムの一覧を紐解いていく。元ネタは確か神話の医療の神の娘が持つ蛇の巻き付いた杯だったか。薬学、清潔、衛生、健康、婦人医学、繁栄などの象徴だとも言われていたはず。

 

「さ、(さかずき)の、機能、だと?」

「端的に申し上げますと、この世界級(ワールド)アイテムは、女性の妊娠を誘発するという隠された、あるいは新たな能力があることが判明したのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デミウルゴスは順を追って説明していく。

 まず最初に、ヒュギエイアの杯に注がれた水はたちどころに薬湯となり、飲んだ者の体力気力や状態異常を完全に回復させることが可能という、完全無限回復アイテムとしての効能しかユグドラシルには存在しなかった説明がなされた。

 次に、デミウルゴスは人間の都市へ派遣されたセバスとツアレの身に起こったことを、解りやすく口にしていく。

 アインズが魔導国の領地として勝ち取った人間の都市の統治は、至高の御方が創造されたシモベたち――死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)など――の働きによって円滑に行われ始めたのだが、如何せん、人間たちは不死者たちを忌み怖れ、遠巻きに見る程度の関係が続いた。いくら漆黒の英雄モモンの力添えがあったとしても、これではいつまでも人間と異形との融和は成り立たないと判断したアインズによって、執事とメイドである二人が都市に派遣されることになった。

 セバスはナザリックにおいては数少ない善属性のNPCであり、そのレベルは100を数える。大抵の強者や不穏な陰に敗退する可能性は薄い人選でありつつ、人間とまったく変わらない容姿というのが肝だ。さらに、アインズの邸宅となる屋敷で大量に雇い入れる人間のメイドたちの模範となるべきメイド長をナザリックから選抜した折に、白羽の矢が立ったのはツアレだった。彼女はセバスやユリ・アルファの鬼のような指導に耐え抜き、見事ナザリックの威を示すだけの所作と品格があると認められたのだ。この任務はユリの方が適任だと考えるものもいなくはなかったが、彼女は孤児院の経営と子どもらの教育という別の使命が与えられた為、候補からは最初から除外されている。

 そうして二人は意気揚々と人間の都市へと派遣され、人間たちとの融和政策もある程度の成果を挙げつつあった。

 だが、そんな完璧な人選に問題が――というより穴があった。

 都市で昼は人間メイドの長として働き、夜は竜人との愛の営みを続ける日々を送るツアレは、極度の疲労困憊に陥り、この世界で手に入る通常の水薬(ポーション)程度では満足に回復できない状態に陥ってしまったのだ。完全にツアレ自身の管理不行き届きと揶揄(やゆ)されても仕方のない事態であるが、セバスはこの件の責任の一端は自分にあると思い込み、だが至高の御身に都市の運営を任された手前、相談することはあまりに憚られた。セバスを弁明するとすれば、人間の女のツアレの体調管理ごときで、日々をナザリックの為に忙殺している至高の御身に対してお伺いを立てるというのは、ある点から見ればアインズを軽んじているような印象さえ抱くだろう、と。しかし、この話を聞いて「ほうれんそう、しっかりしろよ!」とアインズが心の中で嘆いたのは言うまでもない。

 そこでセバスは恥を忍んで知略に秀でた同輩たるデミウルゴスに相談し、その代価として、悪魔はひとつの素晴らしい実験を施したのだ。言外に口封じも兼てと言われては、セバスには否も応もなかった。

 デミウルゴスの施した治療と、実験。

 それは、ヒュギエイアの杯で作った薬湯を、ただの人間の女――この場合、ツアレ――が飲むとどうなるのか。

 勿論、至高の御身たちの尽力と叡智の化身ともいうべき世界級(ワールド)アイテムを、いくら貸し出されているとはいえ、シモベ風情が勝手に使用するのは本来であれば絶対に忌避していたはず。だが、ツアレは至高の御方の名において保護され、今ではナザリック地下大墳墓の人間メイドの主席として労を尽くす、限りなく同胞に近いもの。そんな彼女の不調は、ひいてはナザリックの不名誉と同列になり得る。そんなことは御免被る。たとえ相談してきた相手が仲のすこぶる悪い執事であろうと、ナザリックの同胞を見捨てるという選択肢は、デミウルゴスには存在しなかったのだ。

 ナザリックの下位治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)――これはデミウルゴスも個人でいくつか持っている――を使用するのは無意味だと、試したセバスから言われていた為、デミウルゴスはこの可能性に賭けることにしたのだ。

 結果を言えば、デミウルゴスは賭けに勝った。実験も成功と言えた。

 ツアレは完全に回復し、ポーションを口にする必要のない健康体に立ち戻ってくれた。その後の経過も、目を瞠るほどの精力だったという。

 しかし、どういうわけだか、次にセバスのもとを訪れた際には、今度はセバスの方が若干――ほんの若干だが、(やつ)れていたのだ。

 相手の言いたくない事柄を言葉巧みに聞き出すことは悪魔の得意とする業である。

 そうして、セバスはまんまとデミウルゴスに、自分とツアレの営みが度を超え始めていること……有体に言えば、彼女の精力もとい性力に、竜人の自分が追い抜かれ始めている事実を語って聞かせていた。

 これはデミウルゴスの溶岩の如く熱い心胆でさえ凍えさせた。

 何が彼女の情動を奮起させ、竜人の力を超越させ得たのか、答えはこっきりひとつだった。

 

 そうしてついに、ツアレはめでたく、愛する男との愛の結晶を勝ち得たのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ほんとに、……本当にそんなことで、ツアレは妊娠したと?」

「まず間違いございません」

 

 世界級(ワールド)アイテムで施された精力増強。

 確かに世界級(ワールド)アイテムであれば、それほどに法外な奇跡を実現させ得るだろう。

 しかし、アインズは未だに信じられなかった。

 

「その後の追加調査と実験で、このヒュギエイアの(さかずき)の薬湯を飲んだ女は、亜人や異形の垣根を超え、子を(はら)めることがすでに数十近く確認されております」

 

 言われた言葉に、アインズは再び眩暈にも似た感覚に襲われる。

 

「待て。待つのだ、デミウルゴス。調査、実験……子を、孕む? それはつまり、つまり……」

「異種交配実験にございます!」

 

 彼の口調はまさに、己の臓腑を吐き出さんばかりの慟哭であった。

 

「私は! ナザリックに敵対したものたちを集め、その者たちを使って、かようなる冒涜的な試みを遂行いたしました! 御身より与えられた至宝を(いたずら)に濫用し、その性能を計るというのは! あまりにも! 侮辱的な行為だったやも知れません!」

 

 無論、デミウルゴスの心情は今しがた述べたように、アインズに対して不忠を働き、至高の四十一人が集めた宝物を許可なく使い込んだことへの(おそ)れしかなかった。倫理的、道義的、生命的な冒涜行為を働いた事実については、寸毫ほどの後悔も抱いていない。人が狗の仔を孕むことをむしろ喜々として祝福する、彼はそういう人物なのである。

 では何故、彼はそういう行動に出てしまったのか。

 単純に自分の知的好奇心を満たしたいからでは当然、ない。同胞でありながらも犬猿の仲ともいうべきセバスに対して暗く浅はかな感情を抱いたからでは断じて、ない。

 

「このような形で報告することとなり、まことに申し訳ありません、アインズ様!」

 

 どうか厳正な裁きをと、首を差し出す悪魔の嘆願が周囲に響く。

 処刑場に連行される咎人でも、今の彼ほど従容とはしていないだろう。そう思えてしまうほど、彼の態度はひたむきであった。

 

「――面を上げよ、デミウルゴス」

 

 ややあってから発せられた声に、デミウルゴスは従うしかない。

 きっと自分は刑されるだろう。そう確信しきった悪魔が見たものは、御身の微笑みの相。

 骨の見た目であっても、シモベであれば彼の表情を見誤ることはない。であるなら、どうして彼の御方は微笑みを浮かべ、子を(さと)す父のような瞳を向けてくれるのか、デミウルゴスの叡智であっても、理解が追い付かない事態であった。

 

「――よくやった」

 

 その一言は、何物にも代えがたい救済を悪魔の身の上にもたらす。

 

「デミウルゴス。おまえの(しら)せは、我々に無限の可能性を示してくれた。私は、おまえが誇らしいぞ!」

「ア……アインズ、様?」

 

 最高の頭脳を持つはずのデミウルゴスですら、御方の発する賛辞の意味が理解できない。

 そんな混沌を抱く忠臣に対して、アインズは喜びを声に変えるように言葉を紡ぎ始めた。

 

「私は常々思っていたのだ。種の垣根を超えて、すべてのものが我が膝元に平伏(ひれふ)すには、どうすれば最もふさわしい形になれるのかを」

 

 人間。

 亜人。

 異形。

 これらは共にアインズを戴き、共にナザリックに仕え、共に幸福な生を謳歌できることは、各都市のありさまから十分に実証されている。

 だが、やはり種の壁というものは、厳然として存在しているのだ。

 都市で生きる各種族たちは平和的に暮らしている。暮らしているからこその弊害というものが生じつつあった。それは当初想定されていた文化や風土の違いや、食料や慣習、生態の絶対的な齟齬から生まれるものではなかった。

 種を超越した絆の在り方。セバスとツアレの間で生まれた愛という結びつきに似た例は、すでに各都市で確認されている。御伽噺の中でしか結ばれるはずのない人間と亜人と異形が手を結ぶことが出来るが故に、その種の壁というものは覆し難い。

 人とエルフが結ばれることがあっても、人とゴブリンが、人とトロールが、人とアンデッドが結ばれることは決してない。

 たとえどんなにも二人の間に存在する愛情や絆が強固なものであったとしても、その二人には愛の結晶たる子は、産まれはしないのだ。

 故に、二人の結びつきというものはそこで終わってしまう。

 人が死ぬ運命から逃れられぬように、アンデッドが死することがないために、その尊い繋がりというものは、儚くも潰え去る道理しかなかったのだ。

 ――これまでは。

 

「だが、今回の一件によって、セバスとツアレが子をなせることが判明したことで、我が国民たちは無限の可能性を知ることになるだろう。そして、私も、ナザリック地下大墳墓のシモベたちも、これは例外ではないのだ」

 

 御衣が汚れることも(いと)うことなく、アインズは小さくなるデミウルゴスと視線を合わせるように膝を屈する。

 至高の存在のまとめ役にして、シモベたちの神たる魔導王は、その可能性を見つけ出し、こうして知らせてくれたデミウルゴスたちに、感謝の念を惜しむことはなかった。

 

「おまえたちは今、この私に大いなる可能性を教えてくれた。ありがとう、デミウルゴス」

「も……勿体なき御言葉っ!」

 

 感涙に咽ぶ悪魔の肩を、骨の掌がそっと撫でる。

 

「よいのだ、デミウルゴス。おまえの忠勤は痛いほどに、この私を助けてくれている。

 改めて、礼を言うぞ」

「っ、ア、アインズ様っ……!」

 

 語尾が霞むほどの嗚咽をもらしつつ、目頭を押さえる悪魔は己の臆病を嘆いた。

 何故、もっと早く報せることができなかったのか。

 何故、もっと早くこれほどの不忠を咎めてもらおうと動かなかったのか。

 無論、デミウルゴスには怯えがあった。しかし、それは命を奪われることへの恐怖ではない。

 アインズに失望されることを何よりも恐れた。己が殺されることよりも、アインズを悲しませる結果をもたらすのではないかという不安が、知略に秀でる彼の行動を鈍化させた。

 しかし、もはや隠し通すわけにはいかなかった。

 これだけの重大な情報をアインズに秘したままでいることは許されない。

 自分が賜った杯は、御方の至宝にして、至高の四十一人の労苦によって勝ち取られた、栄光の象徴。

 それが想定以上の機能を隠し持っていた、あるいは発現してしまったという事実に直面し、それを隠匿してしまうことだけは、デミウルゴスの忠義が拒絶した。

 この行動は、御身の将来の為に必要だと信じた。

 世界級アイテムの性能を計り損なうなどという事態に、直面しない為にも。

 そして何より、アインズが君臨し支配するナザリック地下大墳墓の将来の為にも。

 デミウルゴスは実験と検証を重ね、確たる証左を握ったからこそ、今ここに馳せ参じることが出来たのだ。

 そうして、そんな自分の行動を、御身は咎めるどころか、祝福の言葉を授けてくれる。

 これではまるで、夢のようではないか。

 

「そういえば、セバスとツアレは今どこに?」

「二人であれば……エ・ランテルに留まっております。ツアレは既に臨月を迎えているため、セバスはその付き添いに」

「なるほどな。いや案ずるな、デミウルゴス。私はおまえを責めるつもりがないように、二人を責めるつもりは毛頭ない」

 

 むしろ何か褒美を授けたいくらいだと主張する御身の寛大さに、デミウルゴスはさらに両の眼を熱くする。

 傍に控える魔将たちや、アインズの傍に侍るアルベドとシクススまで貰い泣きするほどに、御方の慈悲深さは留まるところを知らない。

 報告を怠ったセバスの不出来を許し、そのセバスと睦み隠れ子を孕んだ人間の女を誉めそやすなど。

 そんな彼ら彼女らが目の当たりにしている主君の内実というのは、些か以上の誤差が生じていた。

 そして、そういった事実はアインズ自身もまた自覚していない。気づく素振りもない。これはいつものことではあるが、今回に限って言えば、アインズはそれほどまでに、デミウルゴスたちがもたらした可能性について熟考し、その意義深さに昂然としていたことが影響していた。

 

 そう。

 アインズは今更な可能性を見出したのだ。

 

 NPCが子を()し、子を残すことができるのであれば、その子供たちの力も加わり、ナザリックはさらなる力を手に入れることができるということ!

 これを言祝(ことほ)がない理由がまったくもって見当たらない。

 そう思う度に、デミウルゴスとセバス、そしてツアレの成した功績は計り知れない。

 ナザリックは、まだまだ強化する余地がある。残されている。

 これから訪れるだろう危難や災厄の為にも、ナザリックの強化は必須案件なのだ。

 いずれ(あい)(まみ)えることになるであろうユグドラシルプレイヤーや、この世界に存在し得る、ナザリック以上の強者の可能性を思えば、今という状態に甘んじていることは非常に危ういと言わざるを得ない。それは再三に渡りアインズが提唱してきた軍拡の発展形であり、セバスとツアレの契りは、その第一歩を、魔導国の歴史に刻み込んだとも言えるだろう。

 見渡す蒼穹(そうきゅう)と同じく、遥かに広がる未来を思い描きながら、アインズは心臓のない胸を躍らせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   【第一章に続く】

 

 

 

 

 

 







 ここまで読んでくれたあなたに、感謝の極み。

 この物語は、拙作の短編小説・プレアデス逢瀬シリーズなどとリンクしております。
 そちらを見ていないと話が判らないというわけではありません。
 ただ、見てたら作者のやりたいことが判る程度です。

 作中に登場するモンスター(汚穢喰いや、ヌルヌルくん三世)の描写は、原作では登場しておりません。
 こういった独自設定が、拙作には大いに盛り込まれております。
 ご注意ください。

 続く第一章“「術師」の復活”でお会いしましょう。

 それでは、また次回。          By空想病





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第一章 『術師』の復活
第1話


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セバスとツアレは、〈転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉を抜けて、現在アインズが滞在し、直接統治している魔法都市の王城を(おとず)れた。至高の御方はナザリックの最高支配者として、己が治める外地領域すべてに御心を砕いている。シモベたちに一任し、外の人材を使って代行させることも可能な業務であっても、なるべく自分の手で確かめることで、民らの不安の萌芽や反抗の種子を摘んでいく意図がそこには垣間見えた。

 ――実際には、各都市を巡ることで様々な種族が共存できている様にほくそ笑み、自分の理想となる国を眺めていたいというのが、アインズの本心であるのだが。

 

「大丈夫ですか?」

「は、はい」

 

 大きくなったお腹を(いた)わるように、気遣(きづか)うように、二人は足を運ぶ。

 もうすでにいつ生まれてもおかしくないと告げられている。足取りは自然と慎重さを増すというものだが、今回に限って言えば、別の要因が二人の歩調を重く滞らせていた。

 アインズからの、直接招集。

 二人にとってそれは、断罪の場へ、処刑場の断頭台へと進む思いを抱かせるに相応しい主命であった。

 セバスは、己の不手際を嘆く。

 デミウルゴスに委細を任せたが、彼からの〈伝言(メッセージ)〉はなく、いきなりアインズの勅命を賜ったアルベドから〈伝言(メッセージ)〉で招かれた時は、己の命の灯が、今度こそ確実に尽きることをセバスは覚悟した。何しろ、セバスはツアレの不調を隠し、彼女に乞われるまま夜を共にし、アインズの許可もなく彼女と契り、デミウルゴスに乗せられる形になったとはいえ、世界級アイテム“ヒュギエイアの杯”の薬湯の効能を試したのだ。その罪はあまりにも重い。万の死をもってしても(あがな)い切れるものではないだろう。

 それでも、ツアレだけは助命していただけないかと、身重のツアレはエ・ランテルに残したいとアルベドに申し出たが、すげなく却下された。アインズの勅命は、セバスとツアレの二人に対して。どちらか一方が欠けることを決して許されるはずもなく、二人は王城に設けられた転移の間――〈転移鏡〉をいくつも置いた都市間転移を可能にした城の一室――に辿り着いたのだ。

 

「行きましょう」

「はい」

 

 三歩後ろを歩く女性は、大きくなったお腹をよたよたと持ち上げるように歩き出す。

 いつものように介添えをしてやりたいところだが、今はそのように振る舞うのは躊躇われる。

 そこには、まるで幻想の世界に迷い込んだような、煌くように荘厳な、部屋の外へ通じる扉があった。

 これから訪れるだろう終わりの時を、セバスはその扉の向こう側から感じ取る。感じ取ってしまう。

 しかし、もはや後戻りはできない。

 だから、もう一度だけ問いかける。

 

「……大丈夫ですか?」

「大丈夫です、セバス様」

 

 眼鏡をかけた彼女の表情は実に穏やかであり、たおやかだ。

 セバスの目から見ても、少女はとても強い女性になったものだ。

 母になったことが影響しているのだろうか。否、これが彼女本来の在り方に近いのかもしれない。

 

 ある日突然、領地を治める貴族に問答無用で拉致され、たった一人の家族である幼い妹と引き離され、暴力の(しとね)(はな)を散らされ、凌辱の限りを尽くされ、虐待の日々を耐え、飽きた途端に娼館へと売られ、さらに凌辱と虐待と拷問を受け、薬漬けにされ、床に散る残飯を食べ、人としての尊厳も矜持も何もかも打ち砕かれ、夢も希望もわずかの奇跡すら望むべくもないゴミのような半生を送り、そうしてあの娼館からゴミのように放り出された少女は、その心の芯を折られるどころか、完全に芯を喪失してしまうほどに、すべてに対して絶望していた。恐怖していた。憎悪すらしていた。自分をここまで追い詰めたすべてを憎み、自分をここまで磨り潰した何もかもを怨んだ。

 けれど、少女はゴミでしかなかった。

 復讐の刃を研ぐ(すべ)も知らず、憎悪をブチ撒ける言葉も紡げず、呪詛を繰り操る方法も解らず、少女という塵芥(ちりあくた)は、箒で払われれば消えてしまうほどに小さく、そして脆かった。あの頃のツアレとは、要するに何者でもなかった。人の形を何とか保っていただけの、握れば潰れ、打てば砕け、何の意思も意志も遺志すら持たない、生きる屍というより、屍のなり損ないでしかなかった。

 そんな少女がセバスに拾われるという奇跡と巡り合い、至高の御方という「死」の名の下に保護されたというのは、実に皮肉のきいた話ではないだろうか。

 

 少女はやがて女となり、女はやがて恋人となり、そして遂に母となっていた。

 そのまっすぐな視線には、恐れも怨みも迷いもない。

 ピンと伸ばした背筋には、メイドとしての教練で磨かれた技量以上に、圧倒的な誇りが窺い知れる。

 彼の隣に――セバスの傍に、いられる。

 それだけが、ツアレにとって生涯最高の奇跡であり、彼の子を授かれたことは望外の幸福に他ならなかった。

 確かに、彼を失うことは己の命が尽きることよりも恐ろしい。彼の子を孕む身体を砕かれるのは、これまで経験したすべての悲劇をかき集めても届かないほどに悲しく、そして切ない。

 それでも、ツアレはセバスと共に生きると誓った。

 この命が尽きる瞬間というのが、この城の奥に辿り着いた時なのだろうという、ただそれだけのことなのである。

 

「大丈夫です」

 

 愛する者の憂いを払うかのように、ツアレは彼に向って愛嬌のある微笑みを頷かせる。

 セバスは、そんな愛する者の覚悟に打たれ、しかし抱きしめてやることは絶対に出来ない。

 主人に会う直前に、死ぬ前に今一度、女のぬくもりを確かめるなどという無粋を働くなど、ナザリック地下大墳墓の執事にして、家令(ハウススチュワード)の仕事を担う者として相応しくない。

 ……もっとも、主への連絡を怠り、彼女を勝手に孕ませた身の上では、だいぶ今更な言い訳にしか過ぎないと自覚しているのだが。

 それでも、最後くらい、アインズに仕える者として相応しいシモベであり続けたい。

 それがセバスの抱いた、嘘偽りのない真情であり信条であった。

 

「では……行きましょう」

 

 覚悟と共に扉を開ける。

 廊下で待っていた複数の気配のうち一つが、現れた二人を迎え入れた。

 

「ようこそ、セバス。そして、ツアレ」

 

 二人を歓待した意外な人物の声と姿を前に、セバスは数瞬だけ呆気にとられる。

 身に着けたものは三つ揃えであり、しっかりと締められたネクタイが着用者の人格を物語るかのよう。顔立ちは東洋系で、漆黒の髪を後ろにすべて流した様は、幾多もの角が乱立するような印象さえ窺える。邪悪な雰囲気を醸し出す人好き――というよりも人で遊ぶのが好き――な微笑みを絶やすことのない眼鏡をかけた紳士のいで立ちの中で、銀色に輝く棘生えた尻尾が揺らめくように宙を漂う。

 

「デ、デミウルゴス様!」

 

 何故と(いぶか)しむ執事に対し、ナザリックにおいて最高位に位置する悪魔は多くを語らない。だが、その朗らかで恍惚とした微笑みの様子を見ると、自分がまたしても謀られた印象を抱くのは当然の道筋ですらあった。

 

「二人とも、随分と早かったね? ツアレの体調を考えると、少し遅れるのではないかと思っていたが」

「アインズ様の命です。遅れることなどあってはなりません」

「そうだね、セバス。では、行こう。アインズ様がお待ちだ」

 

 彼の態度はセバスたちを刑場へ引き立てるのを愉しむような気安さが透けて見えた。

 それが解せない。

 自分が最後に会った――セバスとツアレの事情を説明し、杯の機能について奏上しに赴いた時の――彼の様子からは、だいぶ、かなり、というかまったく完全に違ってしまっている。

 良く言えば、出頭する罪人のごとき従容とした態度。悪く言えば、親に叱られると判っている幼子の面貌。それこそが、セバスが最後に会合していた時の彼の姿であったはず。だというのに、今の彼はまるで憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとした表情を浮かべ、至高の祝福を授けられた信徒のように朗々と言葉を紡いでいく。

 

「シクスス、フィース、ツアレの介添えを頼むよ」

「畏まりました」

 

 彼は傍に控えていた一般メイド二人に下知を与える。

 なるほど、主の下へ一刻も早く罪人を引き立てたいという思惑が見えてきたと、セバスはデミルゴスの行動から感じ取る。

 二人のメイドに付き添われながら、ツアレはよたよたと、しかしメイドとして歩行訓練を積みに積んだ脚力で、しっかりとした足取りで、先頭を行くデミウルゴスとセバスの後に続く。

 

「……これは一体、どういうことなのです?」

「何がだい、セバス?」

 

 あくまで紳士な彼は、とぼける姿勢を崩さない。

 

「何故、あなたが〈伝言(メッセージ)〉を寄こさなかったのです? アルベド様から〈伝言(メッセージ)〉を受けた際、私はてっきり、あなたが処断されてしまったのではと危惧(きぐ)しましたよ」

「心遣い痛み入るよ。だが、アインズ様の慈悲深さというのは、我々シモベの理解の底を遥かに超越するほどのものだということは、君もよく知っているだろう?」

 

 執事は悪魔の言に大きく頷いた。

 かつてセバスは、王都での潜伏任務中に救ったツアレを端緒とした「裏切り」の疑いを持たれた経歴の持ち主だ。しかしながら、至高の御身はセバスの真意を試し、彼の忠義に偽りなしと判断し、騒動の発端となった人間の少女共々、彼を許したことがある。御身から与えられた任務の遂行に弊害をもたらしかねない状況を執事自らが招き寄せたというのに、アインズはその慈悲の心でセバスたちを許し、さらなる忠勤に励むことを認めてくれた。それだけでなく、任務の遂行を果たしたセバスたちに褒賞まで与えるなど彼らの働きを労うまでしてくれたという事実は、ナザリックに属する全存在に、至高の御身の有する御心の深さ、度量の広さ、寛恕の大きさを、現在に至るまで物語ってくれている。

 一行はほどなくして、王城の最深部に位置する広間の大扉に至る。

 巨大な漆黒の鉱石を鋳固めて作られた扉は、現れたデミウルゴスたちを歓迎するかのように、自らの意思を持つかのごとくゆっくりとした動作で、左右に押し開かれていく。

 荘厳な空気が、一行を迎え入れた。

 広間は天井までの高さが十メートルにまで達するほどの吹き抜けがあり、謁見に訪れた者たちの度肝を抜く美麗なレリーフが所狭しと描きこまれている。吊り下げられたシャンデリアは数多の水晶の煌きを宿し謁見の間を隅まで明るくしているが、精霊を召喚するなどの罠は備えられていない。百人規模が入場しても尚余るほどに広大な面積は、総大理石の石畳。壁には至高の御身の忠実なシモベである死の騎士(デス・ナイト)のようなものが幾つも並び燭台を掲げているが、彼らは別に動像(ゴーレム)でもなければ普通の銅像でもない。アインズが生産している死の騎士(デス・ナイト)そのものだ。伝説のアンデッドたる死の騎士たちを、下男(げなん)警邏(けいら)どころか、燭台程度の用途に使い潰すほどの余剰戦力を顕著にした運用配置であり、それほどの大量の死――死の騎士(デス・ナイト)たちの核となる死体――を、魔導王が生み出したことを象徴する光景でもあった。

 ナザリックの神殿のごとき玉座に比べれば明らかに質は落ちるが、現地の存在に建立させたものとしては最高級の出来栄えである。造営にはドワーフたちの多くが関わり、彼ら職人の手によって築き上げられたものとしては当代最大規模の芸術的建造物のひとつに数えられるだろう。

 それもこれも、彼らを招致したアインズの偉業のなせるもの。

 そして、そのアインズ・ウール・ゴウンは、最奥の壁一面に魔導国の国旗(ギルドサイン)を掲げた紫水晶(アメジスト)の見事な――これも当然、ナザリックのものと比べてかなり簡素だが――玉座に、その骸骨の身を預け座している。

 まるで宗教画の世界に飛び込んでしまったかのような壮麗さが、遍く訪問者に対して死の顕現の偉大さを思い知らせて敬服させる威を、その空間は見事存分に発露していた。

 デミウルゴスとセバスは敬愛する主人への敬意をさらに深めるように、一歩、また一歩を踏みしめ歩く。ツアレとメイドたちもそのあとに続く。

 謁見するに十分な距離まで近づいた一行を、魔導王は黙したまま睥睨している。傍らには守護者統括の任から放免され、現在は新たに設けられた「宰相」の地位に(ほう)じられた純白の悪魔・アルベドが付き従っている。

 あまりにも堂に入った王者の貫禄を前に、謁見者たちは誰からともなく膝を折った。

 

「アインズ様、セバス並びにツアレの両名、ただいま馳せ参じてございます」

「うむ。案内ご苦労だった、デミウルゴス」

 

 もったいないお言葉と呟きつつ、主人の賛辞を受け入れた参謀から、さっそくアインズは今回の主賓たるシモベ二人に視線を移す。

 

「久しいな、セバス。そして――ツアレ」

「はっ!」

 

 主の前で謹直に膝を折る二人に声をかけたアインズだったが、

 

「ツアレよ、膝をつく姿勢はつらくないか? 何だったら椅子を用意させ、ここでの着席を許すが」

 

 その第一声の意外さに、呼びかけられた女性は純粋な驚愕を表情と声に滲ませる。

 

「も、もったいないお言葉です、アインズ様。――ですが、私はこのままで」

 

 主人の前で席に着くなど、あまりにも畏れ多い光景だ。ツアレはナザリックのNPCほどではないが、アインズに対する敬服と臣従の姿勢は大きく、何が主への不忠不敬な姿勢になるのかぐらいの教養は積んできている。でなければ、エ・ランテルの屋敷で人間たちの主席メイド長として働くことはできなかっただろう。

 

「そうか? だが、無理はするなよ? つらくなったら何時でも発言することを許可する」

「あ、ありがとう、ございます……」

 

 萎縮してしまう人間のメイド長から、アインズはナザリックの執事長にして家令たるNPCに視線を移す。

 

「さて、セバスよ」

 

 謹直に身を硬くしているのとは種類の違う硬直から、セバスは抜け出ることができていない。

 ツアレに対して慈悲深いまでの気遣いに感動すら覚えながら、御方の紡ぐ言葉を聞き漏らすことがないよう、全神経を聴覚に集約させていかねばならないのだ。

 

「おまえたちは、この私に対していうべきことがあるはずだな?」

「はっ! 真に申し訳ございません、アインズ様! 此度の責任のすべては、この私一人が負うべきもの! ツアレにはまったく罪科(つみとが)のない」

「――待て、セバス」

 

 謝罪を述べる執事に対し、主人は即座にその口を噤ませた。

 そして、問う。

 

「何を、言っているんだ?」

「……と、申しますと?」

「いや、その……ツアレは、その、おまえの子を身籠ったんだよ、な?」

「はっ! その件につきましてはデミウルゴス様から説明されたことと存じますが」

「いや、だから、な?」

 

 アインズは要領を得ない会話に僅かだがじれったさを感じる。

 なので、率直に訊ねていた。

 

「結婚したんだよな、おまえたち?」

「……は?」

 

 意外なことを質問されたことで、さすがのセバスも二の句が継げない。

 彼は完全に、アインズから叱責され罰を下されるものと思考していた。確信していたといってもいい。

 だが、セバスの主人は僅かだが混乱したように言葉を紡いでいく。

 

「いや、子を作るというのは、その、夫婦になったもの同士で行うべきことで」

「し、失礼ながら、アインズ様」

 

 主から語られる内容をセバスなりに理解し、その齟齬を認めて、セバスは自分の保有する情報との不一致を確認する必要に迫られた。主の言を一時的に遮ってでも、これは確認しておかなければならない。

 

「我々、ナザリックのシモベたちは『婚姻を結んでも良い』という達しを受けてはおりません。故に、結婚するというのは現状不可能な状況であるはずですが……どこか、私の認識に誤り、が?」

「……あ、……ああ……」

 

 セバスの語尾が消え入る理由を、アインズはようやくながら理解した。

 そういえば、そうだ。

 いくらこの世界に転移してから数年が経過しているにしても、NPCが結婚するなんて状況をまったく想定していなかった自分にようやく気付く。

 セバスの疑問はまさにそれだ。婚姻なんて結べないはずのNPCに婚姻の報告を期待するなど、考えてみればありえないことではないか。

 

「あー……いや、すまない。これは私の落ち度だったな。許せ、セバス」

「な、何を仰るのです、アインズ様!」

 

 (あるじ)如何(いか)ような落ち度があるものかと抗弁する部下の言を、アインズは手を振って制止する。

 

「良い、セバス。私は事実を言ったまでのこと。婚姻を結ぶこと自体を許可していないのに、婚姻を結んだか否かと問うのは、あまりにも破綻した論理だった。そうだな……そのあたりの調整、法整備も必要か? 婚姻制度、結婚、入籍……」

 

 何か深く考え込み、思考の深淵に揺蕩う主人は、その場にいる一同の視線が集約しつつある事実を察し、ひとつ咳払い――の真似事――をして、場の空気を一新する。

 

「いや、本当にすまなかった。気にすることはないぞ、セバス」

「し、しかし、アインズ様」

 

 セバスは食い下がらない。

 謝罪に赴き、断罪を覚悟していた彼の身に注がれたのは、御身の叱責でもなければ懲罰でもない。

 まさか謝辞を頂くことになろうとは、さすがのセバスであっても混乱を覚える事態であった。

 

「私どもが此の度、御身に対して行った不忠を思えば」

「んん? セバス――まさか、聞いていないのか?」

 

 アインズは微笑みさえ浮かべながらも、二人が身体を強張らせ、緊張と罪悪感に身を縮みこませている理由に気付く。

 

「私は今回の件について、おまえを、ツアレを、デミウルゴスたちを責めるつもりなどない」

 

 むしろ感謝すらしていると語って聞かせると、二人は目を丸くして、横に控えて忍び笑いを漏らす悪魔を見やる。相変わらずだなとアインズは思う。こいつらの仲の悪さは一貫している。だからこそ、かつてのギルメンたちの面影が覗き見られて苦笑を禁じ得ない。

 

「私はお前たちのすべてを許そう。セバス・チャン。ツアレニーニャ・ベイロン。

 おまえたちの働きにより、私ですら知悉していなかった世界級(ワールド)アイテム“ヒュギエイアの杯”の機能が判明したのだ。これを称賛しない理由が私には判らないな。おまえたちはこの私のために、働いてくれたのだろう? ならば、おまえたちを責め立てる理由など何処に存在する?」

「ア……アインズ、様」

「そして、此度のツアレ懐妊について、私から祝福を贈らせてほしい。望みがあれば叶えよう」

 

 あまりの急展開で、セバスは周囲を見やった。デミウルゴスは相変わらず笑みを噛み殺し、アインズの傍に控えるアルベドは、〈伝言(メッセージ)〉で聞かされた鋼の音色が何だったのか問いたいくらいに柔らかな微笑みを浮かべ、女神のごとく二人に祝福――と羨望――の眼差しを向けていた。一般メイド二人に関しては、振り返るまでもないだろう。

 自分は完全に、守護者二人に謀られたわけだと理解し、セバスは安堵感で肩を落としかけてしまう。

 

「さぁ、二人とも。何か私に願うことはあるか?」

 

 もちろん、主人であるアインズの目には、セバスは鋼鉄のように謹直な姿勢を崩すことはなかった。

 骨の掌を差し向け、アインズは二人の言葉を――望み願うものを、待つ。

 セバスはツアレの方をちらりと窺う。

 

「では――此度の私たちの怠慢を、連絡を怠り、至高の御身に多大なご迷惑とご心配をおかけしたことを、謝罪させてください」

「ふふ……まったく。相変わらずおまえは、欲のない男だ。どうせだったら、ツアレとの婚姻の許可でも願ったらどうだ?」

 

 無論、そんなこと願われるまでもなく認めるのだが。

「請け合おう」とアインズは堂々と宣した。

 セバスは感動に身を震わせながら、より一層ほど頭を低く沈める。

 陳謝と感謝の言葉を捧げる執事から、アインズは残る人間のメイドに向き直る。

 

「さぁ、ツアレよ。何か望みはあるか?」

 

 あまりの展開にまったく頭の中で状況が整理できていないツアレは、瞳をまん丸の形にしながら、何を言うべきなのか迷子になっている。

 セバスの方を見やるが、公認の伴侶ともいうべき竜人の背は何も語らない。

 アインズの言葉は、ツアレ個人に対して褒章を与えようという意思の表れ。

 それを反故にするつもりなどセバスには毛頭なかったし、自分の望みは既に叶えられている。彼女の代わりに何かを願い出るほど、彼は恥知らずなシモベではないのだ。

 故にこそ、ツアレは迷い、さらに迷い、もっともっと迷った末に、ひとつの決意を口にした。

 

「……妹」

 

 ここにいる一同が――アインズは別の感慨を込めて――押し黙るほどに細く、しかしはっきりとしたツアレの主張が、静謐な空間に響き渡る。

 

「妹に、会いたいです。会って、今の私が、とても幸せだということを――伝えたい、です」

 

 アインズは何かを思い出すように首を傾がせながら、人間のメイド長に訊ねた。

 

「過去を思い出すのは、つらいのではなかったか?」

 

 アインズはセバスからそれとなく、彼女が過去に対して忌避感を抱いていることを聞いて知っていた。

 彼女が受けた汚辱の過去を思えば、これは当然のことだと思われる。常人であれば精神に不調をきたしても余りあるほどの凌辱と拷問と虐待の日々。その発端とも言うべき貴族の手による拉致と、それに伴う妹との別離は、ゴミから人間への再生を果たしてから数年が経過した今でも、彼女の心の深層に暗く苦い記憶となって、刻み込まれたままとなっている。

 

「正直なところを申し上げると、やっぱりつらいです。それに、怖くもあります」

「……怖い?」

「妹はきっと、とても苦労したはずです。あんな幼い子が、たった一人で生きていくには、私の故郷はとてもいい場所とは言えませんでした……だから、あの子が背負った苦労や困難を思うと、どうしても怖いのです」

「……妹が、姉のおまえを恨みに思っていると?」

「そう思われても仕方ありません。いくら領主の貴族に無理やりに連れていかれたからとはいえ、あの子を置いて行ってしまったことには変わりありませんから」

 

 ツアレは想う。

 あの幼い女の子は、今どうしているのだろう。きっとかわいくいい子に育っているはずだ。

 故郷に留まっているのだろうか。家の畑を耕しているのだろうか。誰か良い人に巡り合えただろうか。幸せな生活を送れているだろうか。

 過去のことを思い出すのは、ひどく気持ちが悪い。あの最悪にして最低の記憶の底にしか見つけられないほどに、妹の記憶はひどく曖昧なものに成り下がっていた。

 

「でも、だからこそ、私は妹を探したい。あの子が苦労しているのなら、その苦労を和らげてあげたい。あの子が困難に陥っているのなら、その困難から救い出してあげたい。こんなことで、罪滅ぼしになんてならないことは判っているつもりですが、もう私は、自分の過去から、たった一人の家族から、目を背けて生きていくことはしたくありません。これから生まれてくる、この子のためにも――」

 

 家族に目を背けるものが、新たな家族に、自分の胎に抱く者に対して抱く情愛とはいかなるものか。

 アンデッドに成り果て、精神が変容してしまったアインズでも、その程度を理解するのは早かった。

 

「わかった。お前の妹は、私が責任をもって探し出し、必ずおまえに会わせてやるとも」

 

 ツアレは微笑みの朱色を、音もなく目からこぼれた雫で輝かせる。

 魔導王は決意を込めて、その母たる女の笑みに対し頷いてみせる。

 

 たとえ妹が、彼女が死んでいたとしても、死より蘇らせてでも、その願いを聞き届けよう。

 アインズは心の内で、彼女たちに誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セバスとツアレが謁見を終え、広間より一旦退出させた後、アインズは残ったアルベドに声をかけた。

 

「宝物殿のパンドラズ・アクターに連絡を」

 

 委細承知した様子で頷くアルベドは、主人が宝物殿に向かう意図を汲み取る。

 それでもアインズは、自らの宰相に、明確な命令を下すことを躊躇わない。

 

「保管しているニニャの棺を、奴に準備させておけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第2話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の英雄・モモンが伝説として人々の口の端にのみ吹聴されるようになった頃、彼の物語「漆黒の英雄譚」を、彼に対して恩義を感じる魔導王自らが編纂し、国民全員に――つまるところ、大陸全土に――配給した折に、ひとつの冒険者チームの存在が浮上した。

 彼ら“漆黒の剣”と呼ばれる、ただの銀級でしかない冒険者たちは、モモンが駆け出しの銅級冒険者であった頃に、ただ唯一の交流を持った、最初で最後のチームとされている。モモンが銅級(カッパー)だった頃の資料や情報は乏しく、モモンたちは破竹の勢いで前例のない昇格を果たしていった為、最初期のモモンについて、銅級時代の“漆黒”の英雄がどのような存在であったかについて、彼らの存在が失われたことで知るものはほとんど存在しなくなり、今となっては彼らの喪失はあまりにも惜しまれる。彼らは、かつて王国が健在だった頃に、エ・ランテルで勃発したアンデッド大量発生の企みに巻き込まれる形で、その若い命を散らし、不幸な末路を迎えた多くの冒険者チームと同様に、エ・ランテル都市内部の共同墓地に埋葬された。

 ……ことになっている。

 

 その“漆黒の剣”のチームの頭脳であり、若輩ながらも第二位階魔法の使い手であった少年、

 ニニャ――『術師(スペルキャスター)』の正体というのは、「漆黒の英雄譚」にも記載されてはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズはアルベドと共に、久方ぶりに訪れた宝物殿にて、創造主の到着を今か今かと待ちわびていた領域守護者、パンドラズ・アクターとの再会を果たした。

 卵頭に軍服の出で立ちは、両手を広げて主人たちを迎え入れる。

 

「お久しぶりでございます、父上!」

「……うむ。久しぶり、だな」

 

 アインズは微妙に精神を安定化させながらも、努めて冷静に、不肖の息子(?)に下した命令の進捗を問い質す。

 

「棺の準備についてはどうなっている?」

 

 宝物殿は広大な空間だ。ここの管理を任されているパンドラズ・アクターでもなければ、どこに何がどのように保管されているのか、把握するのにも骨が折れるだろう。

 

「あの人間の棺でしたら、すでにこちらに準備してございます」

 

 彼が指し示した空間には、透明で、尚且つ魔法的な防護を張り巡らせた、精緻な硝子模様を施された長方形の箱が安置されている。

 その魔法の棺に納められているのは、あの“漆黒の剣”の魔法詠唱者――ニニャの(むくろ)だ。彼女――()ではない――は外界からの干渉、腐敗や経年劣化を一切遮断する魔法に守られながら、眠るように横になっている。かつて、あのクレマンティーヌによって拷問の限りを尽くされボロボロだった死相は、ナザリックの手のものによって美しい死化粧を巧みに施されており、知らないものが見れば、ただ眠っているだけのようにしか思えないほど、その死体は綺麗で穏やかな表情のまま、安らいだ寝顔を棺の中に収めていた。その姿はまさに、物語に語られるような姫のごとしである。

 この死体は、エ・ランテルを統治した際に、共同墓地の死体をアンデッド作成に流用していた折に発見したもので、あの当時を思い出したアインズは、ほんの気まぐれとして、“漆黒の剣”の死体をアンデッド作成に使うことなく、魔法によって腐肉や壊れた体組織を再生させ、生前の頃と似たような装備や衣服(ナザリック基準で言えば大したことないが、現地基準だと法外な金額なもの)を纏わせて、この宝物殿に安置することを決定した。

 無論、彼女の書いた日記によってもたらされた情報に対する恩義や、ニニャの姉であるツアレに対しての配慮もあったが、実をいうと別の実験に使えないかという意図から、彼女らの死体をここに保管しておいただけというのが実情だ。

 この世界の存在――蜥蜴人(リザードマン)戦妖巨人(ウォー・トロール)に対して行った蘇生実験はおおむね成功していた。その後の実験においても、低位の蘇生では、低レベルな存在の蘇生は不可能という結論を得ることはできたが、いずれも、死亡から蘇生に至るまでの時間は一日以内というごく短いものであった。

 アインズは、長期間にわたり死亡状態だった存在、年単位で死亡状態にあった死体であっても、問題なく蘇生が可能なのかを実験したかったのである。

 そこで彼が目を付けたのが、自分が少なからず世話になった、銀級冒険者チームの死体である。

 いざ蘇らせても不都合がなく(身元不明の死体や犯罪者を蘇らせても仕方がない)、ある程度は自分と面識を持った存在であれば、蘇生させればかなりの確率で恩義を感じさせることができるだろうと考えて。死体を魔法で保存しているのは、他の死体との違いを検証する意味もあったが、何となく彼女たちを腐敗させたまま宝物殿に放置するのは気に喰わなかったという思いが強かった。彼らを哀れに思ったことはなく、あくまでこれはナザリックの為に必要な実験の一つにすぎないとしても、小動物に向ける程度の愛着は持ち合わせていた、ただそれだけなのである。

 そういった意味では、今回のツアレの願いは渡りに船というもの。

 ニニャは蘇生されただけでなく、長年にわたって探し求めてきた姉との再会を果たす。

 これを恩義に感じないはずがないことを、短い期間ながらも彼女との交流で確信していたアインズは、ニニャという『術師』の復活を、今日ここに決定したわけである。

 

「探し出してやるとは……我ながら馬鹿な発言をしたものだな」

「恐れながらアインズ様。ツアレの心情を顧みれば、妹の死をあの場で報せなかったことは、寛大かつ慈悲深い行為であったと言わざるを得ません」

 

 アルベドの発言はもっともだった。

 ツアレは確かに強くなった。肉体的な強さではなく、精神的な強さではあったが。

 しかし、それでも妹に起こった悲劇のすべてを知るには、相当な覚悟が必要になるだろうことは確実だ。

 アインズは自分のアイテムボックスに収納した、一冊の日記を――皮の装丁に綴り紐で綴られた雑な造り、ニニャが書き残したその原本を紐解く。

 翻訳させ日記から読み取れた彼女の半生は、姉を取り戻すための死に物狂いな努力と、王国の現状に対する不平不満――を通り越した、憎悪と復讐の念に(いろど)られたものであった。

 姉が連れ去られ村で生きていくことすら不可能となった幼少期、

 師匠という庇護者を得たことで始まった魔法詠唱者としての道筋、

 成長につれ理解を深めた王国の貴族社会の腐敗と退廃ぶりへの絶望、

 冒険者としてモンスター討伐を遂行する死の危険と隣り合わせな修練、

 種々様々な物語や英雄譚の武器に憧れ純粋な力を渇望しての若さ故の過ち、

 そうして、ペテル・モーク、ルクルット・ボルブ、ダイン・ウッドワンダーという“漆黒の剣”探求を目指した無二の仲間たちとの出会い、

 それから、モモン……アインズたちとの最初で最後となった冒険の記録――それが日記の終わりとなっていた。

 彼らが死んだ当時、蘇らせようとは毛ほども思わなかった。

 惜しいとは思った。不快とさえ考えた。しかし、それだけだ。

 彼らは旅の道連れであって、アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちではない。彼らを殺戮し、彼女を嬲り者にした女をじっくりと時間をかけて殺してやったことで、彼らへのせめてもの手向けとした。

 しかし、あの時から状況は変わった。

 アインズは大陸全土に覇を唱える魔導王としての地位を盤石のものにしたが、それでも、この世界において未知な部分というものは存在し続けている。口唇蟲の疑似飲食もそう。ヒュギエイアの杯の機能もそう。

 ひとつひとつ、丁寧に丹念に未知を既知に変える作業は続けねばならない。

 ツアーが語る100年ごとのプレイヤー出現に伴う、周期的な世界の擾乱(じょうらん)

 アインズ・ウール・ゴウンはそのためにも、この世界のすべてを知悉しておく義務があり、いずれ相(まみ)えることになるだろう脅威を払う事業として、これは必ずしも実験し立証しておかねばならない事柄なのだ。

 しかし、ニニャの復活は少し悩む。

 いざ復活させた後は、どうすべきなのだろうか。

 ナザリック内で飼い殺すのは心苦しいし、かと言ってただの人間を復活させて「自由に生きろ」というのは、かなりもったいない気がする。蘇生の魔法だってタダではできない。魔法を唱えるのはNPCだし、魔力だって一日もあれば完全回復できるが、それでもアインズの貧乏性――何かに利用できるものなら神でも竜でも何でも利用しようとする気概は健在だ。

 恩義を鎖として縛り上げるにしても、そうすることでナザリックの利益になるにはどうすべきか。

 

「……そういえば、確か魔法適性とかいう生まれ持っての異能(タレント)があったな?」

 

 数年前の僅かな記憶を、欠けたピースをパズルにはめ込むように繋ぎ合わせていく。

 ニニャは『術師(スペルキャスター)』という二つ名が意味するように、十代半ば程度でありながらも第二位階魔法を修めた優秀な魔法詠唱者だ。そうなった主な要因とは、彼女が保持する才能が大いに影響を及ぼしている。

 聞いた感じでは経験値倍増の特性とも言うべき希少な能力だ。この異能がどれほどの効果をもたらすものなのかというのは、純粋な好奇心以上に、アインズの興味を惹く。

 ひょっとすると、フールーダ並か、それ以上のレベルにも達するのかもしれない。

 それほどの逸材を自分の掌中に握ることができるとすれば、なかなか先行きが楽しみな印象を覚えてしまう。

 

「復活は明日にしよう。アルベドはツアレたちとペストーニャに連絡を。パンドラズ・アクターは、ニニャの棺を玉座の間に運んでおくように」

 

 承知の意を示す二人の声を聞きながら、アインズは眠り姫の死化粧を、見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。宵の口。

 ツアレは妹――その遺体――との邂逅を果たしながら、しかし即座に悲嘆にくれるような無様さは見せなかった。ツアレは自分の妹が棺の中に保管されていても驚きはなかった。至高の御方であるアインズが妹とわずかに面識を持っていたことはさすがにびっくりしてしまっていたが、御方の魔法であれば、遺体を数年も保存しておくなどということも不思議ではなかった。

 彼女も、妹の不幸な境涯ぐらい予想はしていたのだろう。ツアレが語る故郷というのはそういう場所なのだ。悪徳な貴族が幅を利かせる領地の住民は、貴族に阿諛(あゆ)追従(ついしょう)することを覚えた存在だ。そうしなければ自分たちの命すら危ぶまれる環境となれば否も応もないだろうし、少しでも逆鱗に触れて、自分どころか一家全員を処刑されるなんてこともザラだったとか。もちろん、そんな領主に憤懣を抱く者も少なくない数はいたが、彼らは反逆の咎を責められ、真っ当な裁きもなく処され殺されていけば、その気概は総減して然るべき事態と言えるだろう。

 

 

 そんな場所で姉と生き別れ放り出された幼い少女は、比較的、運がよかった。

 村の連中は両親のいない姉妹に手を差し伸べることはなかった――むしろ、自分たちの家族が豚の生贄にならずに済んで安堵すらした――が、それでも、残された妹を使い潰して犯すでもなく、口減らしに殺すでもなく、村から追い出しただけで済ませたのは、彼らの中に残っていた良識のなせる業であった。無論、そんなことなど追い出された当人たる妹にとっては関係のないことであったが、何かが狂っていたら、彼女は姉と似たような末路を辿っていたのかもわからない。ニニャの幼いながらも復讐心に燃える瞳は、村の者たちの手には余る災厄の種子を孕んでいた。彼女を匿うことは、領主へのいらぬ嫌疑を買うだろうことは、火を見るよりも明らかだったのだ。

 村から放逐された少女は、さらに幸運と巡り合えた。

 孤児を世話する物好きな魔法詠唱者――後の師匠――と道すがら出会い、その庇護下に加えられることになった。師にとってそれは、ガリガリに瘦せ細った少女をただ憐れんでの行動に過ぎなかったが、少女は師の庇護下で衣食住を供与され、一般学習の一環として教えていた魔法について、同世代の者たちとは一線を画す上達ぶりを発揮する。師匠は知り合いの鑑定士に少女を視てもらうと、彼女には“魔法適性”という生まれながらの異能(タレント)があることが判明したのだ。

 魔法詠唱者としての道を開かれた少女に、さらなる運気が巡ってきた。

 師の下を数年で卒業できるだけの力量を身に着けた少女は、早くも自活の道を歩み始めた。師の道楽――孤児の養育と保護――は、師個人の財力では成り立つような代物では決してない。孤児たちは育ち盛りな少年少女であるため、自立できるものは自立していく方が望ましい。恩を返すため、そして、自分の姉を妾という名の遊具としてかどわかした豚に復讐する力を得るため、少女は“冒険者”――モンスター退治などの依頼を遂行する傭兵――としての生き方を選択した。王国での魔法詠唱者の地位は低く、魔法の道で高額の金銭を得る手段というのがこれ一つだったこともそうだが、冒険者として高いランクの存在に昇格できれば、あるいは貴族社会に取り入る機会に恵まれるかもしれないと聞いた。元冒険者を専属の私兵として雇う貴族や、悪辣な非道を働く貴族の粛清に冒険者が動員されることもあるらしい。その途上で、姉を連れ去った豚を打擲(ちょうちゃく)する機会に恵まれるのでは……そういう淡い展望が、少なからず存在していた。

 そうして、そんなくだらない十代半ばの妄想癖にとりつかれていた少女は、性別を偽り、素晴らしい仲間たちと出会い、“漆黒の剣”というチームとして活動し、数々の冒険の旅を経て、そして、

 あっけなく死んだのだ。

 

 

 そんな妹との物言わぬ再会の場を設けられたツアレであったが、硝子の棺に収まる顔は、確かに自分のそれと面影がダブっていた。男のように短く切り揃えた茶色の髪は、妹の髪色に他ならない。思っていたよりも健康そうに成長していてくれたのだなと喜び思う反面、無念さが胸に込みあがってくる。

 やはり、死んでいたのか。

 ツアレはたった一人の家族だった妹の死を理解し、我慢していた嘆きの涙を溢れさせそうになった。

 

「案ずることはない、ツアレ」

 

 だが、妹の死を嘆くことはないと、アインズは高らかに宣した。

 

「私は交わした約束を違えることはしない。今回は特別に、おまえの妹を死から蘇らせてやろう」

 

 聞かされたツアレは驚き戸惑い、その破格な報酬に目を瞬かせた。

 

「おまえは我が配下であるセバスの子を授かってくれた。ならば私も、それ相応の礼を尽くすべきではないか」

 

 命をもたらしたものに、新たなる命をもたらす。

 アインズの決定は、悲嘆の代わりに感謝の念をツアレの瞳からあふれ出させた。

 傍にいた新たなる家族――夫のセバスに支えられながら、メイドはありえない奇跡をもたらしてくれる至高の御身に、深く、より深く、頭を下げて応えた。

 魔導王はツアレの感謝に応じるように、朗々とした声を玉座に響き渡らせる。

 

「では、これより復活の儀を執り行う――ペストーニャ」

 

 アインズの宣言と号令に従い、ツギハギ傷を負った犬の頭部を伏せていたナザリックのメイド長が前に進み出る。

 この復活の儀に際し、アインズは玉座の間にほぼ全ての階層守護者と戦闘メイド、そしてツアレの同輩にあたるメイド長と一般メイドたちを参加させていた。

 全員がアインズとペストーニャの挙動に視線を集中させる。

 メイド長が事前に命じられていた魔法は〈真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)〉という最高位の蘇生手段。

 これで復活させられない者はほとんどいない。

 ユグドラシルにおいては〈真なる死(トゥルー・デス)〉に代表される蘇生妨害をも超越する復活の輝き。信仰系魔法でも最高位階に位置する魔法の輝きが天より降り注がれ、清らかな光を棺の中に満たし尽くす。

 アインズの予測通り、ペストーニャの魔法は棺の中の死体を、数年という死の状態より復活させた。

 少女の顔色が見る内に血色を帯び、吐息が僅かに開いた唇から漏れ聞こえる。慎ましい胸の双丘が鼓動と呼吸に上下しながら、彼女は長い睫毛を動かし――瞼を開いた。

 数度の瞬きと共に、青い大空や海原のような宝石が、世界を見渡し彷徨っている。

 

「――成功だな」

 

 アインズの宣言に、一同は歓喜の声を挙げる。

 魔法の棺は自動的に、中に守護していた者を解放するように蓋を開ける。

 起き上がった少女は何が起こっているのか理解できていないまま、今まで見たこともない光景に視線を右往左往していた。

 どんな神殿よりも荘厳な、神話に出てくる宮殿。居並ぶ人ならざる者たちの造形。その中でも最前列でニニャの視線を浴びる強大で超然としたアンデッドの姿に対し――何故か、ニニャは恐れを抱くことはなかった。

 信じられない思考が少女の頭に沸き起こっていた。

 自分は、この人を――この存在を知っている……?

 

「久しぶりだな、ニニャ」

 

 (あやま)たず告げられた内容に、ニニャは混乱してしまう。

 低レベル存在の蘇生は、やはりどうあっても事態を読み込む力が衰えるらしいとアインズは状況を分析する。

 そんな思考に耽るアンデッドの脇へと目をやった少女は、白髪の執事に支えられるメイドを見て、呟いていた。

 

「ねえ……さん?」

 

 伸ばされた金髪が特徴的な女性。眼鏡の奥にある顔立ちは、鏡に映る自分と面影が重なる。

 普段は愛嬌溢れる表情が、今は感激の相を浮かべてめちゃくちゃになっている。

 二度と会えないとさえ思っていた顔が、二度と聞くことはないとも覚悟していた声が、妹の心に染み入りだす。

 妹の名を叫び、姉は死から蘇った少女へ駆け出した。大きくなったお腹ではうまく走れはしないが、それでも、今の自分に出せる全速力で、妹の身体を両腕の中にかき抱く。

 

「よかった……本当に、よかったぁ……!」

「ね、ねえさん、なに、どうなって? ここ、いったい……その、めいどの、かっこう……おなかは?」

「ツアレよ、ひとまず落ち着くのだ」

 

 姉妹の再会を邪魔する意図などアインズにはなかったが、それでも、復活したニニャへの状況説明は必須であった。

 ツアレが従容(しょうよう)退(しりぞ)くのを見送り、アインズは再び少女へ声をかける。

 

「久しぶりだな、ニニャ」

「お、おひさしぶりです……あれ?」

 

 少女はさらに混乱してしまう。

 久しぶりも何も、自分は、こんな人……アンデッドは知らない。

 だけど、知らないのに知っている気がするのは何故なのだろう?

 というか、こんな見たこともない強そうなアンデッドを前に、どうしてこんな平然としていられるのか? アンデッドは生者を殺そうと襲ってくる凶悪なモンスターであり、冒険者であれば警戒感を強めてたじろぐ姿勢くらいはとっても別におかしくはないのに?

 答えの見えない自問にとらわれる少女の様子に納得して、アインズはひとつの魔法を発動させ、今では懐かしい全身鎧(フルプレートメイル)の姿を見せつける。

 その漆黒に染まる見事な面頬付き兜(クローズド・ヘルム)、金と紫の紋様を描かれた絢爛華麗な鎧を、輝くように眩しい深紅のマントを羽織った姿を見た瞬間、二本のグレートソードを振り抜く屈強な英雄の背中を、ニニャは鮮明に思い出した。

 

「モ――モモンさん!?」

「そうだ。本当に久しぶりだな、ニニャ」

 

 鎧はすぐさま消え去り、まるで夢か幻のようにさえ思える。実際、幻術で姿形を変える魔法やアイテムというのは存在しているのだが、ニニャの魔法詠唱者としての直感が、これは紛れもない現実であることを彼女自身に告げていた。

 あの戦士と同じ声が、ニニャの胸を震わせてしまう。

 

「モモンさんは、ア、アンデッド……だったんですか?」

「そうだ。驚いたか?」

「なんというか、その……ちょっとだけ、なっとくです」

 

 ニニャは当時、アインズの力が常人の域を超越しすぎているという感慨を抱いていた。

 普通の人とは違うような気がしていた。

 人に在らざるような……そんな感じ。

 そんな魔法詠唱者の感想を聞いていたナザリックのシモベたちは、一様にニニャの評価を一段階上昇させた。

 御方の威光を、仮の姿のモモンの時から見抜き、そうして復活を果たした今、異形の姿を前に震え上がるでも恐慌するでもなく、起こった出来事を率直に呑み込む少女の度量は、なるほどナザリックに初めて加入した人間の女の妹というだけのことはあるらしい。

 

「モモンさん」

「ああ、すまない。モモンというのは仮の名だ。

 私の名は、アインズ・ウール・ゴウン。これからはアインズと呼んでくれて構わない」

 

 アインズは改めて名乗った後、ニニャに起こったこと、そして彼女の姉にこれまで起きたことを、かいつまんで説明する。

 ニニャの方も聞いていく内に、自分が惨たらしく殺されてしまった記憶を呼び起こされてしまったが、それにも勝る驚愕と感動によって、ニニャは棺から出た瞬間に膝をつき、魔導王へ(こうべ)を差し出す。それは従属の意志ではなく、ただの恩義に対する感謝の念がさせた行動に過ぎなかったが、ニニャ本人としては、これくらいの姿勢を取らないと礼を失すると思っての行動だった。

 

「ありがとうございます、モモ……アインズさん。ねえさんだけでなく、わたしまでたすけていただけるなんて」

「私こそ感謝だ。君のおかげで、私は随分と助けられてしまった」

 

 ありがとうと、アインズははっきりと告げる。

 自分の何が助けになったのかは知る由もないニニャであったが、ここは黙って謝辞を受け入れるしかなかった。

 そんな少女のささやかな疑問符にも気づかずに、魔導王は思案に耽る。

 長期の死亡状態からも難なく蘇生可能な事実を知ると共に、すべてが自分の思うとおりに事が運んでいることで、アインズは大いに相好を崩した。骨の顔なのでまったく微動だにすることはないのだが。

 今回の実験では、ニニャの復活を確実に行えるだろう魔法を試したが、次の実験ではより低位の魔法を試してみてもいいだろう。否、それよりもさらに年数の経過した――十年以上前の死体の蘇生実験も考慮すべきか。

 またひとつの未知が既知となり、そして新たな可能性の登場に、しかしアインズの前途は洋々として開かれていくような気さえした。

 

「さて、いまだたどたどしい感じだが、時間を置けば回復するだろう。復活の感想は後日としようか。それまでは姉と語らって……ツアレ?」

 

 アインズが振り返った先で、ツアレが膨れた腹を抱えて(うずくま)り始める。支えていたセバスの呼びかけに応じる余裕すらなく、ツアレは青褪めた表情で夫の胸に縋りついた。

 

「ツアレ、しっかりなさい!!」

「ど、どうしたのだ、ツアレ?!」

「ねえさん!?」

 

 セバスやアインズ、そしてニニャがあげる声に応える意図があったわけでもなく、苦しみの脂汗を額に滲ませながら、身重のメイドは重い口を開いた。

 

「う……」

「う?」

「う?」

「う?」

 

 三人と、声には出さないが玉座の間の全員が、彼女の言葉を問う。

 

 

 

「生ま、れる」

 

 

 

 呟かれた衝撃の一言。

 アインズが、セバスが、アルベドが、シャルティアが、コキュートスが、アウラが、マーレが、デミウルゴスが、ユリが、ルプスレギナが、ナーベラルが、シズが、ソリュシャンが、エントマが、ペストーニャが、一般メイドたちが、――そしてニニャが、一斉に声を張り上げる。

 あまりにも大きく唱和された驚愕の声が、玉座の間を覆い尽くした。

 

「ええええええええええっ!?」

 

 思わず叫んで、アインズの精神は安定化されてしまう。

 だが、驚愕と焦燥は一向に、彼の内側から消え去ってくれなかった。

 精神安定化の波状攻撃にさらされながら、為政者としての威厳も何もなく、アインズは周囲を見渡してしまう。

 

「う、うう、生まれるだとぉ! こ、このタイミングでっ! ど、どどど、どうすれば!」

「御心配には及びません、アインズ様」

 

 そう告げられたアインズは、声の主である宰相へ振り返る。

 アルベドは冷静にペストーニャやメイドたちに出産の準備を整える命令を発していき、出産の陣頭指揮を始める。

 向かう先は第九階層のメイドたちの居住エリア、ツアレに与えられた私室で、分娩の準備は着々と整えられていく。

 呆けるアインズや各守護者たち――そしてニニャを残して、アルべドはメイド数名と共にツアレを運び出していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、今日この日、

 ナザリックにおいてひとつの命が再生され、ひとつの命が――誕生した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第3話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツアレの出産は、母子ともに命に別状もなく、初産(ういざん)の割にはあっさりと終わってしまった。

 まったくもって魔法の力とは偉大なり――ということもあるにはあったが、これはひとえに、出産に立ち会ったナザリックの宰相、純白の悪魔、女神のごとき微笑みを携えた元守護者統括の力添えが多分に影響を及ぼしていた。魔法で行ったことは、母子の健康状態を把握した程度。それ以外は自然分娩にこだわったのだ。

 出産を終え、もろもろの後始末を済ませた後、アインズたちはようやくツアレの私室に通され、母子との初めての対面を果たした。

 

「元気な女の子です」

 

 赤ん坊を取り上げた純白の悪魔は、聖母のような微笑みを浮かべ生まれてきた命を祝福した。

 ナザリック内での出産というのは予定になかったことであったが、万一に備えて準備を整えていたアルベドの手腕は、はじめてお産に立ち会ったとは思えないほどの熟練ぶりであったと、はじめて補佐を務めたペストーニャは証言している。彼女の創造主であるタブラ・スマラグディナの書いた設定文に、助産婦としての経験なんてものが盛り込まれていたのかもしれない。

 

「何はともあれ、無事の出産。おめでとう、セバス、そしてツアレ」

 

 至高の御身からの祝辞に、謹直に背筋を伸ばす執事と、寝台で体を起こす白無垢に着替えた女性が同時に感謝を言葉と態度に表す。

 

「アルベドたちも、大儀である」

 

 寝台の脇に立ち、慣れぬ母親に手ほどきをしていた純白の悪魔は、薔薇色の頬を輝かせて腰を折る。

 アインズはアルベドの左に立ち、からかい半分に、隣に立つ少女に語り掛けてみた。

 

「どうだ、ニニャ? 姪っ子が生まれた感想は?」

「いえ、何というか、いきなりすぎて……ちょっと実感が」

 

 さもありなん。

 数年後に蘇生して、いきなり姉が子を孕み出産に至るなど、どんな奇跡のタイミングだというのか。

 しかし、姉が心の底から愛おしそうに赤ん坊の背を柔らかく叩く姿を前にした妹は、その青い瞳を一杯に潤ませるほどの感情が漏れ出してしまうのを憚れない。はにかむように笑う姿は、かつてともに旅をした時にも見せた表情。その美しい容貌の変化ぶりは、四季のようにはっきりとした情動が感じ取れる。

 

「おめでとう、ねえさん」

 

 アインズは視線を左に立つニニャから、妹に微笑むツアレの腕の中に移す。

 

「まぁるい子だな」

 

 赤ん坊というのは初めて見るわけではない――それこそモモン時代に健康と力を授かれますようにと、街の母親が乳飲み子を連れて行列を作ったこともある――が、本当に生まれたての赤子というのは初めて見る。

 赤子というだけのことはあって、肌の色は湯だっているかのように赤く、頭も体も指先まで、何もかもが丸いのだ。純白の産着(うぶぎ)にくるまれ、母の腕の中であやされる、ただそれだけの存在。力も知恵も不満足で、体も精神も未発達な、しかし確固として、ここにある存在。

 

「へぇ、これが人間の赤ん坊でありんすかえ?」

「うわ、すっごい小っちゃくて、かわいい~!」

 

 アインズの前に躍り出たシャルティアやアウラが競うように赤ん坊の頬や指に触れ戯れ、可愛いもの()きなメイドたちが興味津々に代わる代わる遠巻きにして眺め、さらに彼女らの様子をマーレやコキュートスなどの守護者やメイド長などが見守っている。

 思わぬイベントの発生に、アインズは頬骨が緩む錯覚を覚える。

 

「この私が……不死者である私が、まさか生命の誕生に立ち会えるとは、どんな皮肉だ?」

「御不快、でしたか?」

「いいや。むしろ痛快だな。愉快ですらあるな!」

 

 アルベドの声に出した不安を、瞬時に掻き消す口調で答えた。

 本当に素晴らしい体験だ。そして、この子に宿る可能性は、あまりにも巨大に過ぎた。

 

「探査の魔法によると、この赤ん坊は紛れもなく竜人と人間の混血種(ハーフ)のようでございます」

 

 デミウルゴスの報告は一貫して、人間(ツアレ)が紛れもなく異形(セバス)の――NPCの――子を生したことを結論付けた。

 当然ながら、ユグドラシルには竜人と人間の混血という、中途半端な種族は存在しない。

 この子は紛れもなく、世界で初めて誕生しただろう、人と異形の合いの子であるわけだ。

 それほどの存在の誕生に巡り合えたことは、アインズの空っぽな胸中に晴れやかな思いを灯すに相応しい感動を与えてくれていた。

 

「――そういえば、この子の名前はどうするんだ? もう考えてあるのか?」

 

 当たり前なことを口の端にして、アインズは赤ん坊の父に問いかける。

 振り返った先にいるセバスは、恭しく頭を下げて言った。

 

「よろしければ、アインズ様に、名付け親になっていただきたく思います」

「……私が、か?」

 

 アインズは意外そうな表情を浮かべそうになるが、セバスの言葉は、シモベとしては当然のものであるらしく、守護者やメイドたち、ツアレも一様に納得の表情を浮かべていた。

 ナザリックのシモベが生んだ新たな命。

 その名を授ける存在がいるとしたら、至高の御身たるアインズ・ウール・ゴウンの他にいるはずがない。

 

「そうだな……」

 

 アインズは黙考に耽る。

 名づけにはあまり自信がないのだが、さすがに他の誰かに託してよい雰囲気ではない。

 何かまともな命名にしないと。名前とは、適当に済ませてよい贈り物では決してないのだから。しかし、いざ頼まれると本当に悩む。というか、名付け親になるなんて考えたこともなかった。

 ここは率直な感じ――インスピレーションを大事にすべきか?

 あまり長ったらしいのも呼ぶのが大変だろうし、親同様三文字くらいがいいかも知れない。

 この子は丸い子……だから……

 

「マルコ……この子の名前は、マルコとしよう」

 

 マタイやヨハネなどの聖人の名前――このナザリックのギミックに使用されているコードに、彼らの福音書の一節が使われている――を思い浮かべ、ちょうどアインズの感じた印象に近いものを選び取る。

 ホニョペニョコのような意味不明な単語や、ダークウォリアーのようなべた過ぎて恥ずかしい自分のセンスの無さに比べれば、聖人の名前というのは良い感じを受けるはず。

 アインズは、視線を両親たる二人と、次いでシモベたちに巡らせた。

 御身の命名に、反対意見などあるわけもない。

 

 セバスとツアレの生した、娘。

 

 命名は――マルコ・チャンということに――相成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日が経った。

 ツアレは産後の肥立ちもよく順調に回復しており、赤ん坊の方も竜人との混血であるが故か、とても健やかで安らかな日々を送っている。そもそもにおいてナザリックに属するものなのだから、ちょっとやそっとの病気や事故など起こり得ない。二人にはペストーニャが付きっきりで世話に当たっているし、たとえ不幸にも死んでしまっても、この世界に最高位の蘇生魔法がある限り、寿命分はしっかりと生き続けることができるのだ。

 ニニャは再会を果たした姉と共に行動することが多い。家族水入らずといえば聞こえはいいが、実際には、ナザリック内には彼女たちと同じ純粋な人間はいないのだから当然か。しかし、ニニャの適応力であれば、存外にあっさりとナザリックの異形たちとも親交を深めることができるだろう。それはアンデッドであるアインズ本人の折り紙付きなのだから、当然の未来とも言えた。

 

「どうだ、ニニャ?」

「本当に……すごいところですね」

 

 そんなアインズは、復活した少女を伴い、ナザリックを第一階層から順に案内をしている真っ最中である。地表部の墳墓にあった金銀財宝よりも、少女は地下世界に眠る神話のありさまにこそ目を輝かせた。

 ニニャはもう何度目とも知れぬ感嘆を唇からこぼしながら、第三階層の地下聖堂を眺めている。その態度にはもはや、強大に過ぎるアンデッドの気配に(おのの)く気配は微塵も残っていない。普通に慣れ親しんだ知人に対するような感覚で、少女は骸骨姿の恩人に接することができていた。

 ちなみに、二人きりというわけではない。二人の他に、不可視化を行っている毎度おなじみな八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が幾人もついてきているが、ニニャは勿論そんなこと露ほども感知していない。

 アインズもまた、彼女が見上げるものを見る。ゲーム時代は演出としてそのように造られていただけの、不気味に朽ち果てた聖堂の佇まいは、見る者を畏怖させるというよりも、かつてそこにあったのだろう典雅さと荘厳さを想起させるものとなっており、実際こうして見上げている少女の胸には、栄光の残滓と巡り合えたことへの感動が渦巻いてしまっていた。

 

「本当にすごい……何度も聞いてしまって申し訳ないですけど……これが、本当に地下なんですか? 魔法か、何かの幻ということは?」

「ふふはは! 直接、触れて確かめてみるといいぞ?」

 

 言われたニニャは、おずおずと割れ砕けたステンドグラスに手を伸ばし、その硬さと脆さが危うい均衡で成り立っている様を肌に感じる。

 そして、つい力をこめすぎてしまったわけでもなく、朽ちた硝子の先端がポキリと折れてしまう。

 

「あ! ご、ごめんなさい!」

 

 思わず謝ってしまったニニャだが、もともとが壊れている設定の建物だ。それに何より、アインズは別の意味で気にすることはないと宣言してみせる。

 

「この程度の損傷であれば……ほら、もう直ったぞ?」

「え? あれ? ええ?」

 

 見れば、時が巻き戻ったかのようにステンドグラスの残骸は、ニニャが折る前の状態に直っていた。それ以上の状態――ステンドグラスの全容が判る形状には戻ることはなかったが、逆に言えば、そうするだけの何か重要な意味や意図があるのではとニニャは推察してしまう。

 ギルド拠点内部の建造物や備品は、侵入者に破壊されても、相応のユグドラシル金貨=ギルド運営経費で容易に修繕が可能だ。比較的侵入されやすい第一から第三までの階層は割と安価に修繕が可能なため、今ニニャが触っただけで折れた程度の損傷など、被害の内にも入らないレベルで元に戻ってしまう。

 

「こんなもの、魔法でも聞いたことがありません……すごいなぁ、どういう仕組みなんです?」

 

 魔法に造詣(ぞうけい)の深い少女だからこそ、魔法すら超越したようなギルド拠点の現象に驚きを禁じ得ない。そんな純粋なニニャの反応が、アインズにはたまらなかった。

 かつて、人間の幼い少女――ネムを第九階層内限定で案内した時と同等の、否、今回は第一から第十までの全階層を案内しているのだから、あの時以上の充足感をアインズは胸の内に抱いていた。子供にはおどろおどろしい情景であろうとも、ニニャほどの年齢にもなれば、その良さや奥深さというものは認識できる(無論、“死者の井戸”や“黒棺”、“真実の部屋”や“蟲毒の大穴”などのグロテスクなところは閉鎖または迂回している。ニニャがどれほどのグロ耐性があるかどうか判ってから、その時に改めて案内すればいい)。だからこそ、アインズは彼女が復活を果たしたナザリック地下大墳墓という素晴らしい場所を案内してやろうと思い立ったのだ。

 それも、自分自身で。

 

「この聖堂の中にある〈転移門〉で、次の第四階層に行こう」

「えと、次は地底湖、でしたっけ?」

「そうだ。あそこは素晴らしいぞ。今回は特別に、光エフェクトを起動した上、ガルガンチュアも起動させておいた」

 

 二人は談笑し、朽ちた天井から漏れる疑似太陽光の影を踏みながら、礼拝堂内の埃に塗れた壊れ果てた信徒席を通り抜け、門となっている祭壇にまで並んで歩いて行った。

 

「そういえば、アインズ……様」

「ニニャ……私はさん付けで構わないぞ?」

「すいません、でも姉さんが“アインズ様”って呼んでいるのに、自分だけさん付けするのは」

 

 まぁ、そうだろうな。

 この数日で、ニニャはアインズの魔導王としての社会的な立場――国どころか大陸内の頂点に位置する事実を、姉やセバスなどから聞かされて知っている。言うなれば、ニニャは国家元首に命を救われ、その住居を案内されているという状況に立たされているわけだ。これで慣れ慣れしく「さん付け」なんてするのは不敬なことだと遠慮するのも、仕方がないことなのかもしれない。

 ニニャは改めて質問を試みる。

 

「姉さんから聞いたんですけど、姉さんとセバスさんは、まだ結婚していないんですよね?」

「うむ。そのことについては、その、私の手違いというか……セバスをはじめ、私は部下たちが結婚することを考えたことがなくてな。それで、セバスは結婚することができない状況にあったわけだ」

 

 本当にすまないことをしたものだ。

 ツアレは未婚のまま、子の出産を果たしてしまったわけである。アインズとしては、もっとバックアップを整えてからと思っていたが、今回はそれが裏目に出てしまったようだ。

 

「安心していい。近日中に、セバスとツアレの婚姻は正式に認可される。アルベドとデミウルゴスにそのための法案作成や体制拡充などを任せている。ツアレたちの想いが本物であることは疑う余地もない上、私としても、二人には大いなる可能性を教えられたことから、その関係を祝福するのは(やぶさ)かではない」

「それを聞いて安心しました」

「しかし……何故、このタイミングでその話題が出たんだ?」

「ここって教会みたいですよね? もしかしたらここで、結婚式を挙げた人たちがいたんじゃないかなって思ったら、二人のことが頭に浮かんで」

 

 アインズは納得の首肯をニニャに向ける。

 

「なるほどな。だが生憎(あいにく)ここは、そういった祝い事で使われたことはないな」

「そうなんですか? すごく大きな聖堂なのに」

 

 もったいなさそうに周囲を見やるニニャに、アインズは思わず相好を崩してしまう。このナザリックの歴史を知るものにとってここは、紛うことなき戦場であり、侵入者迎撃のための装置でしかない。かつての仲間たちも、この地下聖堂が挙式に使われるなんてことは想像したこともないだろう。

 

「あの二人の結婚式は、私の名の下に盛大に祝ってやるつもりだ」

 

 無論、その時はニニャも出席させることも告げると、少女は青い瞳を輝かせて頷いてみせた。

 

「ありがとうございます、アインズ様」

 

 まるで自分自身が祝福されたかのように、少女は姉の式を夢想しながら、最前列の壊れていない長椅子の一つに腰掛ける。アインズはローブに埃が付着することも気にせず、その隣に座ってみた。ニニャの伏せた瞳には、ありありと、真っ赤な絨毯の上を歩む姉と執事の姿が見えているようだった。

 

「どうだ、二人の様子は?」

「すごく、幸せそうです」

 

 彼女は未来を見ていた。

 その未来はきっと、現実のものとなるだろう。

 

「アインズ様、もうひとつ質問してもいいですか?」

 

 断る理由もない。アインズは勿論という意味で頷いて見せた。

 

「どうして、あの子は“マルコ”なんです?」

「……ぇ?」

 

 思わず声が漏れかける。

 

「何か特別な意味でもあるんですか?」

「ああ……」

 

 まるい子だから――マルコ。

 なんて説明できるものではない。

 アインズは数日前の名づけの時に、脳裏を(よぎ)った聖人たちの、その詳細を光の速さで思い出す。

 

「わ……我がナザリックのギミックに使われている言葉でな。――人、その友のため命を捨てること、これより大いなる愛はない――この言葉を遺した人物の名が、マルコというそうだ」

「友のために……命を……」

 

 その言葉を受け止めたニニャは、胸を穿たれたような衝撃を表情に浮かべる。

 

「つまり、あの子にはこれから、大いなる愛に恵まれてほしいという、そういう希望を込めて、ということなのだが……ニニャ?」

「いえ、とても素晴らしい名前です」

 

 あれ?

 こんな説明でよかったの?

 

「本当に、姉さんは幸せものです。セバスさんのような人に巡り合えて、アインズ様にこうして守られて、本当に良かったです」

 

 はにかむ少女は、何か遠い出来事を思い出しているかのように、朽ち壊れた天井を眺め見る。

 

「なんだか今でも、まるで夢のような気分です」

 

 蘇生され、姉と再会し、その姉は家族をもって、幸せな日々を過ごしている。夢や幻だとしたら、とんでもなく素晴らしすぎる光景だろう。彼女の呟く声には、夢心地な響きがこもり始めた。

 

「今あるこれは、本当に現実なのでしょうか? 幻術とか、そういう類の精神系魔法とか……?」

 

 それはそれで凄いことだと呟くニニャに、アインズは鷹揚に頷いて答える。

 そうしなければならないという、どこか切迫したような思いを抱きながら。

 

「私の名において宣言しよう。

 君が見ている光景のすべては、紛れもない現実であることを」

 

 真摯に、真剣に、真実味を帯びた声の深さを耳にしながら、少女は微笑みを浮かべ頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 少女の柔らかな微笑みは、まるですべてを包み込むかのよう。

 アインズは、その微笑みに骨の掌を伸ばし、少女は彼の手を握り応えた。

 二人は立ち上がり、心優しい岩の巨兵が待つ第四階層への門へと向かう。

 彼らのナザリック巡りは、まだ三分の一も終わっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 至高の御身であり魔導国国主、大陸世界全土に覇を唱える至高帝、ナザリック地下大墳墓の最高支配者その人によるナザリック全階層案内という、ナザリックに属するものなら誰もが羨むような措置を、ただ復活させられただけの少女が被ることができたのは、当面の間、少女が暮らすことになる場所の説明は必須であるからというわけでは、ない。

 食客程度の扱いであれば、第九階層の宮殿の中だけでもてなすだけで済む話だし、何より、ナザリック地下大墳墓は普通の人間が暮らす上ではとんでもなく不向きな場所が数多く存在する。第一~第三階層の墳墓はデストラップやアンデッド軍団などの脅威が犇めき、第四階層は特別な事情でもない限り常時暗黒の世界に包まれ、第五階層は吐く息も凍てつく極寒世界、逆に第七階層は体中の水分すべてが蒸発しかねないほどの灼熱地獄であり、未だ前人未到の第八階層については、ほとんど封鎖された状態のまま放置されたままとなっている。広大なナザリック内で人間が安全に暮らせるだろう領域は、第六階層ジャングルに新たに設けられ拡充を続ける村――今ではほとんど街である――と、第九階層以下の宮殿、神の居城たる絶対的な神域のみである。少女の生活のために案内が必要になるとしたら、たった三階層程度で済む話のはずだ。

 では、何故アインズは、わざわざ外の世界の現地住人でしかないニニャに対して、これほどの厚遇をもたらしたのか?

 シモベたちの意見としては、アインズ・ウール・ゴウンの威を示すため、愚かしい人間にわかりやすくナザリックの偉大さを知らしめるため、姉のツアレが騙されているなどといった疑念や猜疑を打ち払うため、などなど物議を醸したものだが、実際のところは単純な話に過ぎない。

 

 第九階層のメイドたちの居住エリアの一室に、ニニャは帰還した。

 

「おかえりなさい」

「ただいま、姉さん。マルコも、ただいま」

 

 妹を迎え入れたツアレの腕の中にいる赤ん坊は、幸せそうに寝息を立てている。父親譲りの白い髪は、触れると絹のようにさらさらしていて心地よい。

 姉は帰ってきたニニャのために軽いティータイムを提案すると、ニニャは自分も手伝うことを条件にそれを受け入れた。時刻は既に夜半過ぎだが、二人とも夕食は済ませている。ちなみに、ここはメイドの私室であるが、各部屋はほぼ均一で1LK。風呂トイレも別となっており、備え付けの家具一式まで最高品質のものが取り揃えられているスイートルーム仕様となっている。

 マルコは新たに室内に置かれたベビーベッドに運ばれ、二人は姉妹らしく並んでキッチンに立ち、会話を楽しみ始める。

 当初こそ、会うのは総合して十年ぶりほどになるので多少ぎこちない遣り取りが続いた姉妹だったが、一日ほど共同生活を送り、小さな家族の世話にかかりきりになっていたら、自然とかつてのような仲睦まじい関係に立ち返ることができた。

 

「アインズ様に案内されて、どうだった?」

「本当にすごかった……世界にはこんな場所があったなんて、本当にびっくりしたよ」

 

 ニニャは姉から伝え聞いていた以上のものと、今日一日だけで三桁ほど出会った気分だ。

 表層の美しく整えられた墳墓、数えきれない金銀財宝、深い沈黙に包まれる迷路、深淵にかかる桟橋、自己修復する建造物、壮麗な地下鍾乳洞と湖、木漏れ日の輝きを灯す巨大ゴーレム、白銀に染まる氷河、御伽噺に登場する館、種々様々な魔獣の群れ、巨大な樹に住まうエルフのメイド、地下世界に囲われた街並み、そこで暮らす人間や亜人、知性をもって接してくる異形たち、溶岩が噴き出し流れる炎獄、そして神が住まう白亜の宮殿――今、こうして陶磁器に注がれた紅茶や、“しょーとけーき”と呼ばれるお茶菓子にしても、驚嘆に値する。

 自分は今、王族や貴族などよりも充実した生活を嗜んでいる。

 

「本当にすごかったなぁ」

 

 凄すぎてまるで理解が追いつけない状況だ。

 それでも、かろうじて理解できたことを述べるとすれば、自分はとんでもない人(?)に救われたのだなという、確かな事実だけであった。

 ナザリック地下大墳墓においての神、至高の四十一人のまとめ役を務めた超越者(オーバーロード)

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王。

 彼は宰相と参謀に作成を任せていた新たな体制の発布に関する最終調整の執務のため、ニニャとは第十階層で別れたきりだ。自分が蘇生を果たした際にはまるで気づかなかったのだが、あの玉座の間はこのナザリックの最奥と呼ばれるだけあって、言葉にできないほどに美しかった。

 すでにニニャは、ナザリック内の存在に悉く存在を認知されており、その身は姉のツアレと同様に、御方の名の下に守護することが厳命されている。ナザリック巡りのおかげで、第十階層から第九階層へ上がることも苦労はしなかったが、通りすがりに屈強そうなアンデッドや直立歩行する蟲戦士などと行き会った時は、一瞬だが焦ってしまった。どう考えても、自分では太刀打ちできそうにないモンスターばかりで、かつて冒険者だった経験から無意識のうちに逃げ出そうとする癖がついていたせいだ。

 

「うん。本当に、すごかったぁ」

「――そうしてると、なんだか小さい頃みたい」

「え、そう?」

「あなたってば、私が読み聞かせた十三英雄の話を聞いた時とか」

「うあーうあー、恥ずかしいから、その話題やめて?」

 

 相も変わらず可愛らしい反応に、しかし年相応の成長が見て取れたツアレは柔らかく微笑む。

 姉妹はくつくつと笑い合う。そうして、二人分の紅茶とお茶菓子を用意し、マルコの眠るベビーベッド脇のテーブルでささやかなお茶会を始めると、二人は明日の予定について語り始めた。

 

「明日だっけ。姉さんとセバスさんがエ・ランテルに戻るのは?」

「ええ。本当はあなたが蘇生した日に戻る予定だったんだけど」

 

 出産によって予定が少し狂ってしまった。屋敷の方はセバスとツアレの部下たちが上手くやってくれているはずだが、それでも、残してきた雑務を片づけない内に育児休暇など送れるはずがない。至高の御身はそれすらもお許しになって下さったのだが、セバスはそれに甘えることをよしとせず、ツアレもまた夫のそういう謹直さに従う姿勢を貫いた。今では彼女も、ナザリックに仕えるメイド長の一人に列せられる存在。御方に仕える者としての自覚は、この世界の人間種においてはトップクラスといっても過言にはならない。

 

「マルコも、健康面では問題ないというお墨付きを頂いたし、とりあえずは戻って、仕事を片付けないと」

 

 育児に専念するのはそれからだと、ツアレは誇りに満ちた表情と声音で宣していた。

 

「大変なんだねぇ、メイドさんって」

 

 姉の部屋のクローゼットには魔法のメイド服がずらりと並んでおり、それ一着だけで水薬(ポーション)数個分の金額になるだろう。その背筋の伸びた姿勢やカップを口に運ぶ所作に至るまで、すべてが(とうと)い者に仕える存在として完璧なものになっていた。長年、冒険者として魔法の修練にばかり時間を費やしてきた自分ではこうはいかない。自分がかつて着ていたものは冒険や戦闘に最低限必要な粗末なもので、男として生活してきたことから言動も野卑でぶっきらぼうな印象を拭いきれない。今でこそ、昔は袖を通したこともないような絹の肌触りを感じ取り、しかしかつての自分が着ていた衣服に似た服装に身を包んでいるが、結局のところ馬子にも衣裳な状態でしかない。

 正直なところ、アインズが国の最高君主と聞かされて、どうにか無礼にならぬよう改善を試みてはいる(そのひとつが「様付け」なのだ)が、やはり一朝一夕で体得できるようなものではなかった。

 何だか、自分だけ置いてけぼりをくらったような、そんな暗い思いが胸の中でわだかまってしまう。

 

「心配することなんてないわ」

 

 妹を案じる姉の言葉に、ニニャは伏せがちになっていた顔を上げる。

 金髪と眼鏡の奥にある表情は、かつて生き別れた時以上に輝く微笑み。

 

「アインズ様は、あなたにもきっと、私と同じ慈悲を与えてくださるから」

「……そうだと、いいけど」

 

 ニニャは、漠然とした不安感を抱いていた。

 死んで生き返ったことは、途方もなく幸運なことであることは疑う余地がない。蘇った瞬間に、長年に渡り探し求めていた姉と再会を果たすなど、ありえないような奇跡だ。こうして姉のいとし子の寝顔を眺め、暖かな香気を掌に収めていられる事実を、慈悲と呼ばずに何と呼ぶ。

 しかし、

 だからこそ、

 こんな幸福が続くものなのかという不安が、若い魔法詠唱者の奥で燻っていた。

 幼い頃の自分は、自分以上の幸せ者などいないと錯覚していた。父と母が死んでも、自分には大好きな姉がいてくれた。守ってくれるものが傍にいた。しかし、幸せは唐突に引き裂かれ、自分は村から追放され、復讐の道へと駆け出しはじめた。

 あの時と同じように、自分のこの幸せも、唐突に、当然に、終わりを迎える日が来るのではないか。

 そんなうすら寒い予感が、自分の背中に冷たい氷柱となって、幾つも突き立てられていく。こんな思い、アインズと会って、彼にナザリックを案内されていた時はついぞ感じたことはないのに。

 明日のニニャは、魔導王が統治する魔法都市などの案内を予定されている。

 一抹の不安を掻き消してくれる姉と赤子の表情を見つめながら、少女は暖かな紅茶を口に含む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





いいか? セバスとツアレの娘の名前の前に……“ちび”とか、付けちゃあダメだからな?

絶対だぞ?
絶対言うなよ?
絶対つけるなよ!?



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第4話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック内の執務室で、アインズは数日前よりアルベドとデミウルゴスに策定させていた新体制に関わる報告書を吟味していた。

 内容は一般人でしかないアインズには難解な文章が羅列されているのだが、必要最低限、自分の理解できる範囲で問題がないことを認め、書類の一番下に国璽を押し込む。ここ数年で、アインズもそれなりの政治的知識や法整備のノウハウは学んでいたが、それでも、この二人のそれと比べては子供の手習いも同然でしかない。

 

「ご苦労。ただちに法整備と関連部署の創設に取り掛からせるように」

 

 威厳に溢れる声で自分の不安感を押し隠す骸骨に対し、承知の声を挙げ副官に〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす二人に書類を渡し終えると、アインズはそこに居並ぶ者たちを見渡した。

 第一、第二、第三階層守護者、「元帥」シャルティア・ブラッドフォールン。第五階層守護者、「将軍」コキュートス。第六階層守護者、「総監」アウラ・ベラ・フィオーラと「導師」マーレ・ベロ・フィオーレ。第七階層守護者、「参謀」デミウルゴス。元守護者統括、「宰相」アルベド。

 魔導国の最高戦力にして、最高支配者の直下に位置する階層守護者もとい「六大君主」たちがこうして一堂に会する光景というのは、今となっては見る機会は非常に少なくなっている。それこそ国事行為や、何らかのイベント(エンリの結婚式やニニャの復活)の時ぐらいなものである。ちなみに、セバスはマルコの夜泣き番のため、早々に帰室させていた。

 

「待たせてすまなかった、守護者たちよ」

 

 六人分の声が唱和され、全員が改めて至高の御身への忠義を(あらわ)(ひざまず)く。

 

「まずは、全員が各々の政務の合間を縫って集合してくれたことに感謝しておく」

 

「感謝など勿体ない!」と声を張り上げる宰相に頷きをもって返したアインズは、言葉を飾ることなく、率直な言葉で守護者たちに語り掛けた。

 

「先日、ニニャの復活の際にはごたついてしまっていた為、聞くことが遅れてしまったことなのだが、率直な意見を聞かせてほしい。“あれ”を復活させたことを、おまえたちはどう思っている?」

 

 アインズのやることなすことには必ず何らかの意義があることを信仰している守護者たちにとって、その質問は少々奇怪に思えた。御身のやることには絶対服従。たとえその内容が己を自死させるものであろうとも、ここに集ったものは、ナザリックのシモベたちは、喜んでそれを実行するだろう。無論、御身を害したり、至高の四十一人の創造したナザリック地下大墳墓に瑕疵(かし)を与えない範囲においてだが。

 あれとよばれた人間の復活にしても、シモベたちにとっては特に思うところなどない……そう答えるべきだろう。

 しかし、そういった盲目的な従属の姿勢は、この数年でかなり是正されつつあった。

 守護者たちはそれぞれ考えることを覚えさせられた。ただ盲従して命令を遂行するのではなく、その命令や行動にはどのような意味があるのか。もっとほかの手段はないのか。より効率の良い方法は存在しないのか。叡智においてアインズという智謀の王に追随できることは不可能なことであると認めても、それに追いつこうとする努力を惜しまず、果敢にも茨の道を進むことを、彼らは決して躊躇いなどしない。

 ――もっとも、聞いた本人であるアインズにしてみれば、自分の行った行為が何か重大な欠陥があるのではないかという不安を(ぬぐ)いたいというだけの、ただの確認作業の延長に過ぎないのだが。

 アインズの意志は、守護者たちの率直な意見を知ること。

 故にこそ、その白蝋じみた肌に漆黒のドレスを纏った可憐な少女は、その口火を切った。

 

「恐れながら、アインズ様。ご質問をしても構いんせんかぇ?」

「許そう。どうした、シャルティア?」

 

 シャルティアは率直に、自分の内に湧き起こっていた疑義を御身に投げかけてみた。

 

「あの復活させた人間の小娘――如何様(いかよう)な理由があって、御身自らがナザリックの全階層をご案内したんでありんしょうかぇ?」

 

 全階層ではなく、第八階層は除外していたのだが、守護者たちの三人ほどが真祖の疑問に共感を抱いた。

 

「確カニ、真ニ不可思議ナ措置デゴザイマス」

「やっぱり、あの娘にアインズ様の偉大さを知らしめ畏服させるためだったんでしょうか?」

「お、お姉ちゃん。優しいアインズ様がそんなことするのかな? それに死者の井戸とかも一時的に閉鎖してたし、それだとナザリックの威を示すには不十分だったんじゃ?」

 

 今月、ナザリックの運用と防衛を務めていたマーレは、この場にいる誰よりも、今日のアインズが施したナザリックの拠点機構の一時的な封印処理などを知悉していた。氷河世界や溶岩地帯はダメージを与えるエフェクトを運営経費の都合上常々カットしていたが、アンデッドを恒常的に生み出す井戸の閉鎖については疑問だった。それこそ、アインズから命令された時には軽く異論を唱えたりもしたが、御身の強権には勝てるわけもない。

 守護者たち四人とは対照的に、脇に立つ宰相と参謀は黙しているのが怖いが、アインズはとりあえず四人の疑問に答えることにする。

 

「ナザリックの威を示すこと、アインズ・ウール・ゴウンが保有する戦力を知らしめること……これらは確かに肝要なことだが、それ以上に私が重要視していることが他にある」

「ナザリックやアインズ様以上に重要なことがあるというのでありんすか!?」

 

 シャルティアは血のように紅い瞳を見開いた。

 他の三人も驚きに満ちた表情を浮かべ互いを見やる。

 

「彼女には、我がナザリックの経験値大量確保作戦(パワーレベリング)に参加させるつもりでいる」

「パワーレベリング……ですか?」

「そ、それって、あの、ダンジョンを攻略させる、ということでしょうか?」

 

 アウラとマーレが思わず呟いた。

 アインズが語ったパワーレベリングとは、かつてエ・ランテル近郊に、マーレに命じて作らせたダンジョンで行われた、現地勢力の強化計画として実行されたものであり、今では主要な各都市でも似たような教育機関や訓練施設が創設されるようになっている。

 このシステムのおかげで、魔導国が抱え込む冒険者組合は、大陸世界の歴史上でも類を見ないほどの強者の集団――わかりやすく言うと、ほとんどの構成員が英雄クラスに匹敵する実力者たち――になれたわけである。無論、ナザリックの基準で言えば、Lv.30に届くか否かな集団など、大した戦力とは見做されないのだが、外の世界においては十分以上に脅威的にして驚異的と言える。

 ダークエルフの脳裏にニニャが単身でダンジョンを徘徊する様子が浮かび上がる前に、アインズはそれを否定する。

 

「いや。レベリングといっても、冒険者たちの育成ダンジョンを使うのではなく、この世界の方針に根差した、しかしナザリックなりの魔法詠唱者(マジックキャスター)の教練を与えるつもりだ。今回のナザリック巡りも、実はその一環に過ぎない」

「ソレハマタ、何故(ナニユエ)?」

 

 コキュートスの疑問に、アインズは頷いてみせる。

 

「ニニャは生まれながらの異能として“魔法適性”なる才能を持っている。これはおそらく、魔力系魔法の習熟において経験値が倍になるというものだ。習得に八年かかる魔法を四年で済むという言説を信じれば、これを利用しない手はないと思わないか?」

 

 アインズの意図を掴み損ねているように、四人は首を傾げてみせる。彼らにしてみれば、ニニャなど取るに足りない存在でしかないが、御方が言うのであればそれ以上の何かがあるのだろうという確信がある。だが、その正体が見えてこない。

 

「言うなれば彼女は、この世界でも指折りの魔法詠唱者(マジックキャスター)として大成し得る器を持っているということ。そして、彼女がこれより取得する魔法というものは、これよりナザリックの戦力と成り得るものになるだろうということを意味している」

 

 すでにニニャがアインズに対して、ツアレ同様に心服していることは、復活した初日の段階で守護者たちは理解していた。それを思えば、確かに彼女が戦力となることはあり得る未来なのだろう。

 あの帝国が属国と化し、バハルス領域と成り果てた現在、魔法学院を参考にした、新たな魔法詠唱者の教育体系の敷設と浸透により、魔法詠唱者にしてもより上質かつハイレベルな存在が量産されつつある。もっとも、あのフールーダのような第六位階以上の段階へ至れた例は皆無なため、ニニャの復活は、あるいはそれ以上の魔法詠唱者の登場に繋がるのかも知れない。そうなれば、彼女は人類史に名を遺す偉業を達成することになるだろう。

 人間も亜人も異形も、すべて平等に繁栄をもたらさんとする主人の慈悲深さを思い知り、四人は深々と頭を下げるしかなかった。

 ……なのだが、

 

「あの、アインズ様?」

「どうした、シャルティア?」

「はい。あの、ニニャという小娘が、アインズ様の期待されるほどの位階に到達できたとしんして……彼奴(きゃつ)が本当に、ナザリックの戦力に加わるものなんでありんしょうかぇ?」

「どういうことなの、シャルティア?」

「どうもこうも。あれは結局のところ外の人間でありんす。人間の低能な脳髄(おみそ)じゃあ、アインズ様への恩義を忘れ、忠節を果たさなくなる可能性は十分にありんすぇ?」

「…………」

 

 言われてみれば――確かに。

 いざとなったら人間など魅了なり支配なりできてしまうナザリックの陣営であるが、当然ながら高いレベルに位置する存在というのはそういった魔法への耐性や対抗策を準備できる。今はアインズに対して恩義を感じ、姉のツアレとの再会に感動しっぱなしの少女であるが、それも将来的にどう転ぶのか分かったものではない。恩義で縛り上げるというのはンフィーレアという前例もあるにはあるが、彼はそこまで高いレベルを保持しているわけでもないし……あれ、なんかミスった?

 

「もう、シャルティア。だからアインズ様は、御自分でナザリックを案内して、ナザリックに敵対しても無意味なんだよーって、今日のナザリック巡りで教え込んでたんじゃないの?」

「あら、アウラ。それだったら“死者の井戸”や“黒棺”を閉鎖していたら、ナザリックの本当の戦力を間違って教えることになるじゃないでありんすが?」

「あれ? そっか?」

「フム。シャルティアノ言ウコトモ、一理アルナ」

「えっと、どういうことなんでしょうか、アインズ様?」

「…………」

 

 どうしよう。

 そこまで考えていませんでした。

 なんて、言える、わけも、ない。

 

「……問題、ない。おまえたちの懸念は、すべて私の想定通りだ」

 

 アインズは練習していた通りの台詞を吐き出して、時間を稼ぐ。

 全員が納得という風に首を頷かせるが、疑問符が取り除かれたわけではない。

 ここを切り抜けるには、

 

「……デミウルゴス」

「はっ。申し訳ありません、アインズ様。彼らは未だに、御身の叡智には及ぶべくもないところ。どうか、お許しくださいっ」

「うむ。言われるまでもなく、私はおまえたちのすべてを許すとも」

「ありがとうございます!」

 

 そうじゃなくて、解答を示してほしかったのだが。

 ていうか、最近は守護者の皆の方が頭良くなってる気がするぐらいなんだけど。

 

「……アルベド」

「慈悲深きアインズ様の御心に触れられ、私どもは感謝の念に堪えません!」

 

 感涙して指先を目の端にあてがう宰相の姿は、どうしようもない既視感を覚える。

 何か、前にもあったぞ、この流れ。

 ええい、二人に頼ってばかりの俺ではないぞ。

 がんばれ、俺。がんばれ、アインズ・ウール・ゴウン!

 

「シャルティアよ」

「は、はっ!」

「お、おまえの指摘した通り、ニニャがこの世界でも類を見ない魔法詠唱者(マジックキャスター)になることで、我がナザリックの傘下に下らないという可能性を憂慮したのは、称賛に値する」

 

 目一杯の時間稼ぎを費やし、居並ぶ守護者たちに告げる。

 

「だが、シャルティア。忘れていることがあるのではないか?」

 

 アインズは自分自身に言い聞かせるような気持ちで、割と大きくなった声を室内に響かせてみせた。

 

「私という存在を、アインズ・ウール・ゴウンという力を、ただの人間の魔法詠唱者ごときで覆せるものなのか?」

 

 その宣告を受けた吸血鬼は、白い肌色をさらに青白くする恐怖に襲われる。

 

「も、申し訳ありません、アインズ様! 決して、御身を卑下して言ったつもりでは!」

「あ、ああ……わかっているとも、シャルティア。おまえは私の身を案じてくれたのだろう? ならば、優しいおまえに私が怒る理由がどこにある?」

 

 そう言い聞かせてやると、とろんとした熱っぽい視線が深紅に色づく瞳から放たれる。唇の端が紅をさしているかのように艶を帯びていくが……あれ、よだれとかじゃあないよね?

 

「ニニャが高レベルの存在になったところで、根本的な彼我の実力差は埋められないだろう。しかし、そういった可能性も考慮に入れて、レベリングは慎重に行うべきだとは思っていた」

 

 などと、今になって思いついた程度の対策を述べ立ててみる。

 あの人狼のような“アンデッドを封じることに特化した職”という例外もあり得るが、そこは適時的確に対処を施しておけばいいだろう。何より、ニニャは魔力系魔法詠唱者に限定した天才だ。信仰系魔法については素人も同然。アインズと完全敵対したところで、勝敗は覆らない――はずだ。

 

「さて。シャルティアのように、他に気付いたことがあるものは?」

 

 この流れも何だか経験があるぞと嫌な予感を覚えつつ、守護者たちを見渡す。

 案の定、全員がこれ以上の質疑など(はばか)る姿勢を保ったことで、こらえきれなくなったかのように、スーツ姿の悪魔は快活そうに笑声をもらし始める。

 

「くくくく……君たちは本当に、アインズ様がただそれだけのために、あの魔法詠唱者(マジックキャスター)を保護していると思っているのかね? しかも、ナザリック全階層巡礼という、破格の待遇をお与えにまでなったと?」

「くふふ」

「え?」

「え?」

「はあ?」

「ドウイウコトダ?」

「……ぇぇ?」

 

 アインズは自分の声が存外に長く漏れてしまいそうになったのを自覚したが、とりあえず全員の注意は参謀と宰相の笑みに向けられている。泰然と指を組んだ支配者の姿勢の影で、アインズは誰にも気づかれないよう、胸の中でため息をひとつ吐く。

 二人とも、ニニャの蘇生には賛同していたし、今日のナザリック巡りにだって賛成していた。

 ナザリック巡りは、魔法詠唱者の教練――世界への接続だの、契約した媒体だの、そういった小難しい理論展開や魔法の公式で行われるものとは違う“感覚の先鋭化”――に必須なものとして実行したものに過ぎない。

 哀願するような守護者たちの視線が痛い。

 御身の真意を理解したいと願う彼らの真摯さに、アインズは罪悪感に押しつぶされそうな面持ちを、まったく動かない骨の顔に浮かべてしまいそうになる。

 

「……デミウルゴス、皆に説明してあげなさい」

 

 いつものごとく、智謀の王は委細を把握しているだろう参謀と宰相に、答え合わせとしての説明を命じた。

 

「畏まりました」

 

 頷く悪魔は仲間たちへと語り始める。

 

「君たちの指摘したことは表面上に浮揚しているものに過ぎない。確かに、アインズ様の威を示すこと、ナザリックの偉大さを知悉させることも重要なことだが、それよりも、復活されたニニャの方にこそ注目する必要がある……何故だかわかるかね?」

「人間に、注目、でありんすか?」

「シャルティアの言う通り、人間の忠誠心というものは信頼がおけない。どれほどの恩義を感じていても、人間は自分かわいさに恩人を処刑台に連行するような愚物たちだ。あのガゼフ・ストロノーフのように、身命を賭すような輩というのは極少数派(マイノリティ)に過ぎない。だからこそ、アインズ様はあの魔法詠唱者を飼い馴らすための布石を、ナザリック巡りという特別なレベリングの中に組み込んでいるのだよ」

 

 いまいち理解していない守護者たち――とアインズ――に、デミウルゴスはわかりやすくニニャの現状について説明を加えた。こここそが、御方の智謀の肝であるという注釈を添えて。

 

「いいかね? ニニャは蘇生され、姉と再会し、アインズ様に保護されるという破格な待遇を受けることで、こう思っているだろう。『自分がこんなにも幸せでいていいのだろうか?』『自分のこの幸せが、突然に消失するようなことが起こり得ないだろうか?』――とね」

 

 アインズは参謀の語る内容に、それまで以上に聴覚を研ぎ澄ませてしまう。

 今日、見た感じの印象だと、全然そんな風には見えなかったんだけど、裏ではそう思ってたの? 全然気づかなかったんだけど?

 

「人間というものはそういう生き物だ。与えられる甘露(かんろ)に身を浸し続けるだけでは、堕落の(そし)りは免れない。特に、才能あふれる存在というのは、何らかの責任や義務を負うもの。ニニャは拝見した日記から察するに、修練と克己に燃える人格者――実にいじらしいものだが、それ故に、与えられた厚遇というものにはまったくといっていいほど免疫を持っていない。自分に降りかかる逆境や困難を、逆に力と勇気に変えていくことこそが、彼女の半生が紡いだ処世術だったのだよ。まぁ、それも圧倒的強者の前では風前の灯でしか――っと、話を戻しましょう。

 以上のことから、ニニャという魔法詠唱者(マジックキャスター)は、現状の幸福に満足を覚えれば覚えるほど、自分という存在に、今あるこの幸福に、不安を(いだ)いてしまう存在(もの)なのだよ」

 

 実に愉快気に話す悪魔であったが、聞いている守護者たちにはチンプンカンプンな印象しか与えられない。幸福をもたらされておきながら、その幸福によって不安をかきたてられるなど、馬鹿な人間の中でも馬鹿の極みのようにしか感じられない。

 

「そこでだ。

 アインズ様は、彼女が無事に安心を得られ、幸福を謳歌できるように、わざと、レベリングという務めをお与えになるのだよ。務めを与えられ、役目をこなしている限りにおいて、彼女はそういった不安から脱することができる。……君たちだって、わかるだろう? 与えられた務めを果たし、アインズ様にお仕えできることこそが、我ら全員の幸福なのだから」

 

 初めて守護者一同は「なるほど」と納得の笑みを浮かべた。

 勤めに励む時以上の幸福などあり得ない。休息など取らずに、四六時中御身に仕えることができれば至宝の喜び。ただ漫然と余暇を過ごすことよりも、至高の御方にお仕えできることの方が、万倍にも勝る多幸感を与えてくれるのだ。無論、余暇は余暇で素晴らしいアインズからの賜り物なので、無碍(むげ)にすることはありえないのだが。

 

「そういうことでありんしたか!」

「サスガハ、至高ノ御方!」

「すごいですね、アインズ様!」

「あの、ほ、本当に……す、すごいです、憧れちゃいます!」

 

 これまで訳知り顔のまま沈黙の笑みを浮かべていた純白の悪魔も語りだす。

 

「デミウルゴスの言う通り。アインズ様はあの娘、ニニャに対してまで御心を砕いておられるの。将来の戦力を懐柔するという以上に、今このナザリックで生きる存在が、心に沈鬱なものを抱えてしまっている事実をこそ、アインズ様は(うれ)えて下さっている……なんて慈悲深いことなんでしょう!」

 

 クネクネする宰相の(シメ)の言葉にすべてを持っていかれた参謀であったが、彼女の言はまさに彼の語りたい事実だったため苦笑するだけに留める。

 全員から憧憬と尊崇の視線を浴びるアインズは、鷹揚に頷いて肯定の意を示す。

 

「さ……さすがは我が参謀、そして我が宰相だ。私の真意をそこまで見抜くとは」

 

 相も変わらぬ深読みっぷりに、アインズは動揺を禁じ得なかったが、ここはこらえるしかない。

 

「いえ。アインズ様があのような御対応を取らねば、そこまで考えが及びませんでした」

「さすがは、至高の御方のまとめ役。ただの人間にすら、これほどの慈悲をおかけになるなんて」

「う……む」

 

 声が震えそうで何とも言えない。

 何度体験しても慣れないなぁ、この遣り取り。

 微妙ながら精神を安定化されそうになりながらも、アインズはとにかく、今後の方針――予定を口にしていく。

 

「明日はそのニニャと共に、魔法都市を散策するつもりだ。供回りは、アルベドと一般メイドに任せよう」

「畏まりました」

 

 魔導王の宰相にして、ナザリック最高の盾は、従容と頷いた。

 

「そういえば、今週の他の予定については?」

 

 ツアレの懐妊発覚から始まり、ニニャの復活に至るまで、アインズは本来の予定に大幅な修正が必要な事実を思い出した。

 アルベドは暗記している魔導王の今週の予定を(そら)んじていく。

 

「本来、明日予定しておりました二等冒険者チーム“重爆”からの献上品の査察は、デミウルゴスに委託させます。明後日は交易都市アーウィンタールにて外交官ヴァミリネンと都市長エル=ニクスを交えての都市運用の協議。それが済み次第、都市の散策もとい視察を予定しております」

「他には?」

「週末は、城塞都市エモットにて、領域守護者エンリ・バレアレの出産祝いの儀を予定しております」

「うむ。先延ばしにしていた贈り物の製作に取り掛からねば……皆、守護者たちは出席するのだろう?」

 

 勿論と頷く守護者たちの笑みにつられるように、アインズも微かに笑みをこぼした。

 

「セバスとツアレの出産祝いもかねて、あの二人の婚儀は盛大にやりたいな……いや、いっそのこと……」

 

 ナザリックの未来は明るい。

 それは確かな事実なのだと、アインズはそう思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第5話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 アインズ、アルベド、フォアイル、そしてニニャの四人は、アインズの転移によって、魔法都市の城を訪れた。

 ナザリックに比べれば大したことない城であるが、雇われた――人間や亜人の区別ない――外のメイドたちが日々磨き上げるそれは、人間の国の王族でも歩を進めることを躊躇うほどの輝きを、壁に床に天井に灯していた。

 

「どうした、ニニャ?」

 

 素知らぬ顔で居住地――三階分ぐらいぶち抜いた高さの伽藍(がらん)のような吹き抜けがあるが、断じてここはアインズの私室に他ならない――から外へ続く硝子扉へ向かっていた骸骨が振り返った。三人とも不思議そうに首を傾げているため、ニニャは勇気を振り絞って前へ。第九階層と第十階層で慣らされていなければ、ニニャは借りてきた猫よろしく、その場に縮こまっているだけに終わっていたかもしれない。

 こうして、四人は王城の隔離塔から、城へと通じる「天の橋」へと至る。

 

「ふわぁ……」

 

 そこに広がっていたのは、一面の花園だった。

 まるで天国のように澄んだ空気に、心地よい花の芳しい香りが馴染んでいる。

 生命を憎むはずのアンデッドたちが、生命の象徴たる花々の世話をしていた。

 

「ご苦労」

 

 主に声をかけられ敬服の姿勢を示す骸骨たちを横目に、アインズたちは城の方へ向かった。

 ニニャも僅かに遅れてそれに続くが、アンデッドたちは少女へいかなる関心も見せずに、再び花の世話を続けていく。

 ありえない光景だった。

 ナザリックで見た屈強なアンデッドよりも脆弱な、しかし並の人間なら簡単に殺し尽せるはずのモンスターが、ただの園丁(ガードナー)として、花園の管理に執心するなど。

 ニニャはさらに驚いた。

 橋の中間地点あたりで、ウッドテラスになっている展望台があるのだが、思わず、そこから広がる城下の様子に目を奪われる。

 

「なに、これ……」

 

 それは自分が知るいかなる都よりも、壮麗で精緻で、尚且つ機能的に整えられた都市の姿。

 依頼で赴いたことのある王都や、アイテム購入のため訪れた帝都などよりも、この聳える城は大きく、都市の成り立ちは堅固そのもの。都市内の街道どころか、そこから都市外へ伸びる道もすべて見たことのない黒い石畳――コンクリートの真似事――で覆い尽くされている。蟻のようにその上を行き来する馬車や人の数も、かなりの数になるだろう。

 自分の視力では眼下の様子がはっきりと見て取れるわけではないが、そこに広がる街のありさまは、日の光を浴びて燦然と、煌きを放っていた。

 

「あの、モモ……アインズ、様。この都市の場所って、た、大陸中央、なのでしょうか?」

「うん? いや、この土地は君も来たことがあるんじゃないか?」

 

 冒険者であったニニャなら、一度くらい来ていてもおかしくはない場所だと、魔導王は言い放つ。

 しかし、言われた少女は理解できない。王都よりも壮大で、帝都よりも秀逸な、こんな御伽噺の魔法の国でしか夢想したことがない都市になど、自分は訪れた記憶などない。

 アインズは立ち尽くすニニャに、静かに語り聞かせる。

 

「この魔法都市の名は、カッツェ。魔法都市・カッツェという」

 

 ニニャは心の底をブチ抜かれるほど驚いた。

 カッツェという響きが何を意味しているのか、過たず理解に至る。

 かつて霧が立ち込め、数多くのアンデッドが徘徊していた、冒険者御用達のモンスターの狩場。

 しかし、アインズが王国との戦争に勝利した後に領土として手中に収め、エ・ランテルに次ぐ都市として開発と造営を行わせた都市建造計画は、いまや、下手な現地勢力の都市などよりも数段優るものに成り代わっていた。

 カッツェ平野に、僅か数年の歳月をかけて建立された魔法都市の様は、その十倍の年月をかけなければ完成しないほどの規模で、ニニャの、魔法詠唱者の少女の目の前に、広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズたち一行は、城内の簡単な案内をニニャに対して済ませると、割と簡素な馬車――馬は魂喰らい(ソウルイーター)で、御者は死の騎兵(デス・キャバリエ)――に乗り込んだ。無論、魔導王であるアインズが乗るにはだいぶ大人しい装飾で、一見すると街を普通に行き交う乗り合い馬車程度にしか思えないが、こうでもしないと街を散策するということは不可能だ。魔導王専用の馬車が街を進むだけで、通りは水を打ったように静まり返り、全市民が平伏の姿勢をとってしまう光景など、アインズがニニャに見せたい光景からは乖離している。アルベドやフォアイルも、すでに主人の意図するところを理解し尽くしているので無駄な口出しはしない。

 アインズが奥の席に座り、アルベドはその隣。フォアイルが先を促したため、アインズの正面にニニャが座る位置になる。メイドは慣れた様子で出入口を閉じると、ニニャの隣に座った。

 

「確かめておくが全員、装備し終わったな? では、行こう」

 

 言われたニニャは、自分の首に飾られたアイテムを眺める。アルベドやフォアイルも似たようなネックレスを身に着けているが、自分の目の前の魔導王は驚くべきことに、自分が知るモモンの姿――鎧兜を脱いだ壮齢を迎えた普通の中年の顔になっていた。聞くところによると、これは幻術で作られた姿らしく、彼ほどの存在だとニニャたちがしているアイテムの恩恵だけでは、正体を隠匿し、市井を巡ることに不安が残るのだとか。彼の全身を覆っていたローブや装飾はすべて脱ぎ捨てられており、一見するとニニャが着ているものと同じ簡素な人間の身なりにとって変わっている。

 馬車内の三人が頷くのを確かめ、アインズは死の騎兵に出発を命じる。

 朽ちた弦楽器を思わせる耳障りな承知の声と共に、御者は手綱をぴしりと振るった。

 壮健な馬の(いなな)き、というよりも化け物の吠える声と共に、馬車は驚くほど衝撃を感じさせないまま、門外へと前進する。

 

「すごい……これってマジックアイテムの?」

「そうだな。我が国の馬車のほとんどは快適な車輪(コンフォータブル・ホイールズ)軽量積荷(ライト・カーゴ)、そして室温維持の魔法が施されている」

 

 アインズ専用のものになると、浮遊板(フローティング・ボート)を応用した浮遊四輪車(フローティング・キャリッジ)が使われ、黒と金でコーティングされ、色とりどりの宝玉や金細工を施された車体は、最高峰の魔法の防護を張り巡らされており、高位階の魔法でもない限り破壊するのは不可能な代物になっている。

 しかし、アインズは時たま、都市の流通や市井の治安把握のため(という名の息抜き)に、こういった庶民的な――数年前まで王侯貴族専用の――移動手段を大いに活用しているのだ。何の防御にもならない簡素な四人乗りの馬車に、至高の御身にして、今や大陸世界唯一の王者として君臨するようになった御方が乗り込むには些か以上に不安の残る馬車の使用を忌避したいアルベドや守護者などを一年以上もかけて説得して、魔導王となったアインズはようやくお出かけの自由を勝ち取ったのである。

 

「国のほとんどって……どれぐらいの数が?」

「この都市だけで、200以上だったか?」

「正確には252輌が運行されており、うち131輌が国営の乗合馬車に使われ、120輌が私営馬車に(おろ)されております。残る1輌が、我々が搭乗しているこちらのものになります」

 

 アルベドの正確無比なフォローに、アインズは大きく頷く。アルベドはさらに大型ものや超大型のもの、小型のものなどの存在も説明していくが、聞かされている少女はあまりの情報量の多さに耳が麻痺したような気分を覚えた。

 ニニャは自分が未だにこの国がどれほどのものであるのか、見誤っていた事実を痛感させられる。

 マジックアイテムというのは、言うまでもないことだが特別な手段や方法によって魔法を付与あるいは自発するようにされた道具のことであり、安いものでも金貨単位、高額の物になると王族や貴族でしか(あがな)うことのできないものが存在しており、今ニニャが座しているふわふわの絨毯と美麗な内装で覆われたそれらは、間違いなくそういった者たちにしか与えられないはずの最高級品であるはず。

 そんなものが、それだけのものが、このひとつの都市だけで252輌――?

 

「ああ。勘違いしなくていいぞ、ニニャ。この馬車の内装は私専用として、特別に造らせたもの。他の馬車については、これよりもかなり落ち着いた感じになる」

「は、はぁ……」

 

 そう言われても、開いた口は塞ぎようがない。

 一都市だけで200を優に超すマジックアイテムが、一般の交通手段として使われているという現実。

 こんなお話、物語の中にだって聞いたことがない。

 

「……見えてきたな」

 

 窓外の光景を眺めるアインズの言葉に吊られ、馬車の内装を観察していたニニャも硝子の向こうの世界を直視する。

 開いていた口が、さらに大きく広がってしまう。

 

「う、嘘でしょ?」

 

 城の長く幅広い堀を越えるための橋の太さ長さも驚くべきだが、ニニャは目抜き通りの両端に建てられたものに驚いた。彼女の知識だと、古色蒼然とした永遠の停滞とも言うべき王都や、理路整然とした新進気鋭の活気に溢れる帝都の、そのどちらにも該当するものがない。

 都市はまるで一個の芸術作品であるかのように、すべての建物がひとつの意志の下で建造されたと判るほどに規格が統一されており、尚且つ、そのどれもが巨大で、通りに面する側のほとんどは水晶のように輝く硝子だった。硝子でできた壁――窓――からは中を行き交う人の姿や、食事や休息を愉しむ者の姿も窺い知れる。建物にはすべて何らかの紋章――魔導国の印璽なのだろう――を金糸で施された赤い幕旗が風になびいており、水晶で築かれた都市の保有者が誰であるのかを明確に表してくれていた。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王によって建造された魔法都市・カッツェ。

 この世界でも類を見ない、魔導国ならではの新しい都市のありさまが、そこにはあった。

 一行は、アインズの勧めにより、城から南方へ行った都市の中央市場で行われているという朝市を目指した。

 市場は大きな通りが交差する円形広場で開かれており、馬車がロータリーのように舗装された道の上をぐるりと巡る直径一キロ近い空間の中心に、たくさんの品物が露店に並べられ、たくさんの金銭が遣り取りされ、たくさんの人々が声の限りに商いを行っている。

 アインズは適当なところで馬車を止めさせた。四人はそこで下車していく。役目を終えた馬車が一行を残して走り去っていくのにも気づかないまま、ニニャはその光景に圧倒されていた。

 防音性にも富んでいた馬車内から出た途端、一行は凄まじいまでの音の本流に包まれる。喧々囂々。騒音の坩堝とも言うべきそこは、魔法都市随一といわれる中央市場にふさわしい活気が、満ち満ちていた。

 

「バレアレ印の新水薬(ポーション)、大量入荷しました!」

「アゼルリシア産霜竜(フロストドラゴン)ステーキ肉だよ!」

「ルーン工房のマジックアイテム、今なら安いよ! 冒険者の方々ぁ必見!」

「ジャイアント・レインフルーツ、一個1銀貨っ! 早い者勝ちだっ!」

 

 声が()れることを(いと)うことなく、露天商たちは行き交う人々に商品の魅力を喧伝する。

 瑞々しい果実や野菜が山のように積まれ、肉の焼ける潤とした匂いが周囲に立ち込める。見たこともない宝石や装飾が棚に並べられ、不思議な光を放つ武器や防具が陳列されているのを、屈強な者たちがためつすがめつしている。右を見ても左を見ても、どれもこれもがニニャの関心を覚えるものばかりで、少女は小さな子供のように興奮を抑えきれないまま首を巡らし続けるしかなかった。

 

「すごい活気だぁ」

「そうかな?」

 

 これはまだ控えめな方だとアインズは教えてやる。

 

「今日は平日な上、もう昼に近い時間帯だ。休日の早朝になると、今の倍の露店が並び、客足も倍以上にはなる」

 

 今は人が行き交うのに不足のないほどのスペースが空いているのだが、アインズの言った時間帯になると、一歩を踏みしめるのも一苦労という人の波が、氾濫した川のように市場を埋め尽くすのだ。そのため、そういった者たちが将棋倒しなどの不幸に見舞われないように死の騎士(デス・ナイト)の誘導員が急派される。今もロータリーにて馬車の交通整理を行う傍ら、市場の治安維持に勤める彼らは、この中央広場に駐在する任を負った警邏部隊の一員であるわけだ。

 

「交易都市になると、ほぼ毎日がここ以上の賑わいを見せているな」

「こ、ここ以上なんてあるんですか?」

「世界は広いのだ、ニニャ」

 

 アインズは微笑みさえ浮かべ――今は人間の顔なので表情はニニャにも読める――、少女が興味を示した方向へと付いていく。その脇を、アルベドとフォアイルが付き従うのだ。

 ニニャは気づいていないが。

 アルベドと、一般メイドのフォアイルは、外の世界においては比類ない華を集積した絶世の美女の姿をしており、事情を知らない一般人たちはその姿を直視しただけで軽い恋心を抱くことも珍しくはない。しかし、そんな二人は純白のドレスやメイド服という都市の中では浮いてしまうだろう服装に身を包みながら、誰一人として、彼女たちに興味や好意を向けようとするものはいない。まるで、どこにでもいる通行人とすれ違っているかのよう。

 これは彼女たちのネックレス型のマジックアイテムの効果によるもの。

 このネックレスは高位階の看破魔法でも使わなければ無効化することのできない最上位の認識妨害魔法が込められており、アインズは供回りを務める彼女たちと、一応ニニャにも与えることで、周囲の人間から関心を持たれることがないように対策を施している。

 アインズたちは注目を浴びることに慣れていないわけではないが、それでは都市の日常を肌で感じることは難しい。行き交う人々全員から平伏されても困るし、妙な噂になってしまうのも遠慮したい。都市の視察と散策を行う上で、このマジックアイテムの装備は必要不可欠とも言えた。さらに言うと、このマジックアイテムは物理・魔法の攻撃にも恩恵をもたらしてくれるのである。不意な事故や襲撃への対策も万全というわけだ。

 そんなアイテムで守られているニニャは、人波に自分の見たことのない影が複数あることを認め、愕然となる。

 

「あれはひょっとして……蜥蜴人(リザードマン)?」

 

 トブの大森林の湖に棲息するという、蜥蜴と人の中間とも言うべき姿をした存在は、見事な鎧に身を包み、魔法の輝きを灯す大刀を背中の鞘に納めている。

 しかし、ニニャの知識ではその後ろに並ぶ者たちの正体はわからなかった。

 アインズは少女に教えてやる。

 

「後ろに並ぶのは、ビーストマンと人馬(セントール)だな。チームリーダーの人間の女は、君と同じ魔法詠唱者(マジックキャスター)かな?」

 

 杖を持ち、魔法のトンガリ帽子を被った青い髪の少女は、蜥蜴人の屈強な剣士と肩を並べ、ビーストマンの女槍戦士と人馬の少年神官を付き従えている。胸から下げたプレートは、アダマンタイトの漆黒の輝き。

 

「か……彼女たち、最高位の冒険者、なんですか?」

「ああ、君は知らないか。アダマンタイトは、今は下から数えた方が早い。銅や鉄、銀や金、白金(プラチナ)などはすべてシュレッダーに入れるか、貨幣などにするため廃止されているからな。上にはダマスカス、エレクトラム、ヒヒイロカネ、アポイタカラ、七色鉱などがある。最低位はミスリルを採用しているのだよ」

 

 ナナイロコウなど、まったく聞いたこともない鉱石の名を聞かされてもニニャにはよく判らなかったが、注意深く観察すると、オリハルコンやアダマンタイトの他に、緋色の金属や青色の金属のプレートを下げた冒険者の姿も見つけられた。自分が知る銅や銀の輝きなど、どこを探しても見当たらない。しかも、都市の人間は誰一人として、都市を行き交う大量の亜人たちに注目していない。まるで、そんなもの見慣れてしまっているかのようではないか。

 軽くウラシマ効果を味わう少女の様子を、アインズは満足そうに眺め、とある場所へと案内した。

 そこは広場の片隅に、しかしはっきりと自己主張するように建てられた金属でできた山のような六角錐のモニュメントで、戦士や剣士、神官や魔法詠唱者の出で立ちをした人々は、そのモニュメントにぽっかりと開いた入口を通って姿を消す。どうやら地下へと続く階段があるらしく、彼らはそこを目指しているらしい。

 

「あれは冒険者組合の作成した、人工のダンジョンだ」

「都市の中に、ダンジョン、ですか?」

「新米冒険者たちは全員、あそこでパワーレベリングを行うことが義務付けられているのだよ」

「ぱわー……れべりんぐ?」

 

 あのダンジョンで一定以上の戦績を上げられた=レベリングに成功した者にのみ、最低位のプレートであるミスリルが支給されるようになる。それからようやく、彼らは冒険者としての道を歩み始めることになるのだ。

 

 経験値大量確保による、大幅な戦力(レベル)増強。ナザリックの無限湧き(POP)モンスターを狩らせ、難解なトラップに挑み、悪所を切り抜ける胆力と性能を身に着けさせることで、ダンジョンに隠された財宝や魔法武器などを手中に収めるという、実にゲーム的な手法で、彼らはそれまでの苦労が何だったのかという速さで、力を身に着けていった。

 これはひとえに、この世界のモンスターが低レベル(獲得経験値はお察し)過ぎたこと、そんなモンスターでも傷を負い殺される(経験値はパァになる)こと、モンスターとの遭遇戦はあくまで消極的な動因に過ぎず、人類の生存圏にあぶれてきた少数を狩ることで依頼は達成されたことになっていたことなど、原因をあげていけばキリがないレベルで、彼らは本格的な戦闘訓練――もとい経験値稼ぎ――を行ってこなかったのだ。彼らが行ってきた訓練といえば、モンスターに見立てた案山子に木剣を振るうか、同じ級の冒険者同士で稽古を行う程度。それでも一応経験値というものは貯まるようなのだが、そんなことを続けていっても一日に1ポイントか2ポイント稼ぐのがやっとな状態だったのである。実戦形式でモンスターを効率よく狩ることができれば多少マシにはなるのだが、人間というのはあまりにも脆い。毒を受け、麻痺を受け、腕の一本でも不能になった時点で退却を余儀なくされ、運が悪ければあっけなく死んでしまう。ゲームとは違い、現実の世界でのモンスター討伐というのは、常に命の危険が迫る事柄であるのだから、当然と言えば当然と言うわけだ。

 しかし、作成したダンジョンには、外のモンスターよりも強壮な化け物・アンデッドが集い、しかも冒険者たちを無闇に殺さないよう手心まで加えてくれる。本物の戦士とも言うべき小鬼(ゴブリン)蜥蜴人(リザードマン)たちの教育や支援も手伝ってくれる上、不幸にもデストラップに嵌ってしまい致命的な傷を負ったり死んでしまっても、ある程度の資金を積むことで、容易に回復復活までさせてくれるのだ。これは、人間の神殿勢力ではまったく行えるはずのない、価格破壊とも言うべき大革命をもたらしたのは、言うまでもないだろう。

 

「冒険者志願者たちは、組合が用意した施設、まぁ寮なのだが、そこで寝泊まりをし、ああして定期的にダンジョン攻略を行うことで、組合から一定の収入を得られる。モンスターを討伐した数や発見した宝の質に応じて、給金が増減する完全歩合制になっている」

「発見した、宝?」

「ダンジョン攻略の、各階層ゴール地点にあるものだ。魔法の武器や希少なマジックアイテムで、志願者たちはそれを自分の強化に使うもよし、組合に返却提出して寮での暮らしを充実させるもよし、生命保険――自分が死んだときの蘇生費用のために組合で換金するもよし、他の志願者たちと交換して使うなどということも、よしとされている」

「あれだけの人数全員に行き渡るほどの数が、あそこに?」

「全員、には――行き渡らないだろうな。何人かは第一階層を突破できずに脱落していく。最初の内は慣れていないものだと軽い恐慌状態(パニック)に陥るものもいて、そういった連中をふるいにかけるのさ。第一階層で死者は出ない仕組みだが、それを越える度胸もなければ残る階層の踏破など不可能だからな。階層は全部で五つに規格が統一されているが、言うまでもなく、下に行けば行くほどモンスターは強くなり、トラップやフィールドエフェクトも悪辣になっていく」

「……ふぃーるど、えふぇくと?」

「そうだな。言うなれば、天候や気候が悪い状態と言おうか? 嵐とか、暗闇とか、夏の日照りのように熱いとか、逆に冬の凍った湖のように冷たいとか、そういう厳しい環境下に置かれても、モンスターとの戦闘を十全に行える体力気力、そして魔力を養っていかねば、今の冒険者は務まらないのだ」

 

 ニニャは納得の表情を浮かべ、入口で記名手続きを行う列を眺めた。

 驚くほど装備が充実している者が真剣な表情をしている横で、大した装備を持っていない者が笑っているのは、なるほどそういうことか。

 

「装備を盗まれたりする可能性は?」

「ほぼ、ないな。

 志願者の武装はすべて組合の管轄下にある。志願者の装備は個人で管理するのではなく、原則は組合に預け、ダンジョン攻略時に受け渡しを行うという方式になっている。他の志願者をダンジョン内で殺害して装備を奪うなどして、闇市に流し利益を得ようとする馬鹿もいなくもないが、高価なアイテムには認証タグ――魔法的な追尾性能があって、どれだけ遠方にあっても魔術師組合が探査可能だ。このシステムを採用してから、魔法武器やアイテムの盗難件数は三桁もいっていない。来年には一桁に収まるという試算もある」

 

 これは、摘発率が異常に高いからというよりも、そんなことをした者の末路を考えれば、自ずと件数総減の理由が判るだろう。

 ダンジョンにあったものはすべて、アインズ・ウール・ゴウンからの賜物だ。それだけの恩賜を、窃盗し横領するなど――そんなことをする愚物は、魔導王の名を軽んじる罪人として、どのような刑罰に処されるのか。情状酌量の余地などない。

 無論、そんなことまで説明してやることはない。必要がないことは、アインズは基本的にやらないのだ。

 

「興味があるか? 冒険者になることに?」

「……いえ」

 

 言葉とは裏腹に、興味深い眼差しで少女は志願者たちの列を眺めている。

 アインズは昨夜、宰相と参謀が語っていたことを思い返す。

 

「遠慮することはない。かつては君もまがりなりにも冒険者だったのだから、彼らがどれほどの強さなのか、どうやってミスリル以上の資格を勝ち得るのか――知りたいだろう?」

「……すいません。正直、気になります」

 

 正直なことはよいことだ。

 

「そんな君にぴったりの話があるのだが……どうだろう?」

 

 ニニャは少しだけ逡巡する間を持つと、しっかりとした意志を感じさせる瞳を向け、頷いた。

 アインズはニニャに対して、ナザリックでの経験値大量確保作戦(パワーレベリング)の概要を説明する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜もすっかり深まった都市の光景は、しかし昼にも匹敵するほどの輝きを溢れさせ、その活気が衰えることはない。通りを照らす永続光の街灯もそうだが、通りに面する酒屋や宿屋などからも光が溢れていた。勿論、ニニャの知識にも“黄金の輝き亭”のような最高級なそれであれば珍しくもない光の規模だが、街の通りのほとんどの店々のすべてが、最高級のみに限られていたはずの光を氾濫させているのはどういうわけか。考えるだけで凄まじすぎる。

 ニニャはアインズたちと共に都市巡りを終えると、城への帰還を果たした。

 今、彼女がいる場所は、城の最上層に近い、幾百もある部屋の中でも最高品質な規模と内装で整えられていた3LDKほどの客室である。下手をすると、国賓を招く時に使うような部屋なので、ニニャはあまり居心地がよくない。姉とマルコと寝泊まりしていた使用人室でも圧倒されていたのに、その二倍以上の広さを自分一人で使うなど、想像の範囲を超えて余りある。

 軽い舞踏会でも開けるのではないかという広いバルコニーの手すりにもたれながら、ニニャは眠らない都市の光景をしきりに眺めてしまう。

 

「今日は、すごかったなぁ」

 

 いや、今でも十分すごい光景を目の当たりにしているが、アインズたちとの都市巡りには本当に参った。自分が死んでたった数年で、世界はこんなにも変わるものなのか。これもひとえに、アインズ・ウール・ゴウンという稀代の魔法詠唱者(マジックキャスター)――魔導王の力と治世の賜物なのだと、都市を行き交う商人や市民は口々に語っていた。通りのそこここには、もはや馴染み深い骸骨姿の魔法詠唱者の立派な像が建てられており、人々は何かしらの恩恵や加護を授かろうと、そして、大陸に平和と繁栄をもたらした超越者への敬意と感謝とを示すことに迷いがなかった。その光景を直視することを彼は異様に忌避していたが、まさか恥ずかしいなんてこともないだろう。いや、意外とそれも可愛い気がするけど。

 

「――アインズ・ウール・ゴウン魔導王」

 

 遍く大陸世界を統治する、空前絶後の至高帝。

 広く深く、すべての生命に尊崇される神のごとき存在。

 かつては自分たち“漆黒の剣”と共に旅をしたこともある冒険者。

 死んだ自分を蘇らせ、探し求めていた姉との幸福な再会を果たしてくれた大恩人。

 

「本当に、すごいなぁ」

 

 少女は青い瞳の奥に、澄んだ憧憬と尊敬を抱きながら、夜の冷たい空気をほてった胸の内に入れる。

 

『ニニャ』

「は、はい! アインズ様!?」

 

 慌てて周囲を見回してしまった理由は、少女の格好を見れば明らかだ。

 純白のタオル地で覆われたバスローブ姿のニニャは、つい今しがた一風呂(ひとっぷろ)を終えたばかり。男性の前でさらすには貧相な体つきということも相まって、つい反射的に胸元の生地をきつく手繰り寄せてしまったわけだ。……もっとも、彼女が死んだ際、アインズがその膨らみを見ていたことなど、少女は知らないわけだが。

 

『慌てるな。ただの〈伝言(メッセージ)〉の魔法だ』

「あ、そう、でしたか」

 

 よかったです、なんてとても言えない。そんな口の中の言葉とは裏腹に、妙に悄然となる自分が少し解せない。

 

『すまないが、政務が立て込んでいてな。私には構わず、先に夕食にしてくれ』

「そんな、先になんて」

『まぁ、アンデッドなのだから食事など不要なのだが、最近は食事を愉しむことも覚えてな。ナザリックの料理長ほどではないが、あのビーストマンの女料理長も、なかなかのものだ。十分味わうと良い』

「はぁ……では、お言葉に甘えて」

 

 ニニャは観念して、アインズの厚意に甘えることにする。ナザリックでも味わっていた貴族が口にするようなコース料理は、最初こそ格式張ったものが重荷に感じられていたのだが、その旨を正直に伝えた後からは、ニニャにも馴染み深い、食堂で味わうような一品料理が増えた。聞くまでもなく、アインズが気を使ってくれたのだろう。本当に恐縮してしまう。

 

『では一時間後に会おう。レベリングの件については、その時に』

「はい。それでは」

 

 アインズとの〈伝言(メッセージ)〉を終えた途端、入室の許可を求めるメイドの声とノックが部屋に響いた。当然、ニニャはその声を室内に招き入れる。

 ワゴンに乗って運ばれてきたものは、焼き立てのパンに湯気の立つスープ、黒い鉄板に焼かれたドラゴンステーキに、ドリンクは甘い果実水。ニニャのお気に入り料理(メニュー)の一つである。

 だが、ニニャは驚きに目を瞠った。

 

「失礼いたします」

 

 そのメイドは、黒髪のポニーテールをピンと張り、切れ長な黒い瞳で賓客に声をかけた。

 

「ナ、ナーベさん!」

 

 ナーベラル・ガンマは、ニニャの驚きに凛然とした無表情でもって応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第6話

 序章第2話でお伝えしましたが、
 この物語は、拙作の短編小説・プレアデス逢瀬シリーズなどとリンクしております。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おいしい食事中、ニニャはナーベ改めナーベラル・ガンマと楽しいひと時を過ごす――なんてことはなかった。ナーベラルは“漆黒の英雄”モモンの従者的な存在として、ニニャたちと一度だけ冒険したことがあったが、その頃から相も変わらず怜悧かつ冷徹な態度は一貫している。

 二人はニニャ蘇生時にも一応顔を合わせていたのだが、あの時は蘇生直後ということでニニャは彼女を認識することはできず、ナーベラルの方も産気づいたツアレの運搬などに動員された為、二人は言葉を交わすことはできなかった。マルコ命名の時も、二人は互いを意識することすらなかったのである。

 しかし、ニニャはこの数日で落ち着きを取り戻し、ナーベラルのことを再認するだけの余裕を取り戻せた。言うまでもないことだが、二人がこうして対面を果たせたのは、ナーベラルの主人であるアインズの厚情に他ならない。

 他ならないのだが……

 

「あの、ナーベさん」

「なんでしょうか?」

「あの……この、スープ、お……おいしいです」

「そうですか」

 

 ナーベラルが短く答えると、会話はそこで途絶える。

 間が持たない。

 ニニャは一般メイドとそれなりに会話をすることもあったが、彼女たちは客人を遇する以上の感情をニニャに対して向けたことはない。その裏では、ニニャのことを本能的に避けようとしているような、そういう恐れにも似た暗い思いが根付いている気がしてならなかったが、ナーベラルの場合、徹頭徹尾にわたって無関心を貫かれている。

 ゴミやムシケラを見るようなものとは、とりあえず違う。

 まるで空気に話しかけられているように、ナーベラルは粛々と己の業務を行っているだけだ。

 相も変わらず他人に対して心を開くことのない女性であるが、逆にニニャにとってはありがたい気がするのも事実。自分が知っている存在が、自分が知っている姿のまま目の前に現れてくれたのだ。数年という時の隔たりに懊悩している少女にとっては、なるほどナーベラルを給仕に派遣するというのは理に適っている。

 ……適ってはいるのだが、如何せんナーベラル本人にとっては、そういった趣旨はいまいち伝わっていないのが、問題といえば問題であった。

 アインズからの勅命によってニニャの夕餉(ゆうげ)の支度や身辺の世話を仰せつかった黒髪の乙女は、少女を客人として遇してはいるが、親交のある存在としては扱っていない。ゴミ虫がようやく小動物――ペットに昇格されたのだなという認識しか、ナーベラルには存在していなかった。

 どうしようと思い悩むが、どうのしようもないため、ニニャは目の前に並べられた料理を、意外にも大きく響く食器とナイフとフォークとスプーンをカチャカチャ鳴らしながら味わう作業に没頭するしかない。だが、その作業もステーキの最後の一口を頬張り、スープの最後の一滴(ひとしずく)を飲み干してしまった時点で終わってしまう。

 誰か助けて。

 そんな切実な祈りが天に届いたのか、新たな訪問者を報せるノック音が扉を叩いた。

 

「失礼します」

 

 応じようとしたニニャを制して、ナーベラルが扉の方へ歩いていく。

 メイドは新たに運ばれてきたワゴンを受け取り、食卓へと戻ってきた。

 

「デザートが届きました。本日のデザートは、アルフヘイム産最高級栗をふんだんに使用したモンブランです」

「あ、はい」

 

 事務的に言葉を紡ぐ黒髪の乙女に、ニニャは頷くしかない。

 そして――また二人きりになってしまった。

 本当に、どうしよう。

 

「あ、あの、ナーベ、さん」

「はい――何でしょうか?」

「良ければ、一緒に食べません? この、もんぶらん? 一人で食べるには大き」

「ご遠慮させていただきます」

 

 ですよね。

 そんな気はしてた。

 ていうか、何だか敬語を使われるのが地味に堪えるな。共に冒険していた時はそこまで話をした仲ではなかったけど、ルクルットとかに向けていた慇懃無礼な言動が素だと判断すると、今のこの態度は完全に作られたものになるわけで。いや、お客さまを遇するメイドとしては、これが正しい姿なのだろうけども。

 モンブランの、口に溶けるような甘さがほろ苦い。

 こちらをじっと見つめる乙女の視線も鋭く肌に突き刺さるようだった。

 そうやって一人寂しくケーキをつつくニニャの耳に、新たな救いの音色が舞い込んでくる。

 再びドアの向こうからノックが響くと、ナーベラルは静かに、だが急ぐようにすばやく扉の方へ。

 

「アインズ様がお見えになりました」

 

 意外にも早い到着だった。アインズはニニャのために、仕事を早めに切り上げてきたのである。

 ニニャは自分の着ているものも忘れて、どうぞと入室を許してしまう。

 

「いやぁ、すまない。待たせてしまっ…………」

「どうかしましたか、アインズ様?」

「ニニャ、あの……その恰好は」

「え? ……あっ!」

 

 今更になって自分がとんでもない痴態をさらしていることに気が付いた。

 慌てて立ち上がったことでバスローブの前面が大きく開いているのみならず、足が太腿のあたりを露出してしまっている。下手をすると、その、下着の端も、見えていたかもしれない。

 

「す、すいません! うううっかり、わっ忘れてて!」

「いや……だいじょうぶ、大丈夫だとも。着替える時間ぐらい……ナーベラル、手伝ってやれ」

 

 粛々と頷くナーベラルに導かれるまま、ニニャは奥の部屋に数分こもった。

 

「あ、あの、ナーベさん、ちょっと、この服は」

「いいえ、アインズ様と対面を果たすに相応しい夜着として、これでも不足なくらいです」

「え、でも、だったらなんでバスローブの時から言ってくれなかったんです?」

「アインズ様の御許可なしに、アインズ様の与えた衣服を交換するなど――」

 

 なんて遣り取りが聞こえてくるのをアインズは努めて無視する。そうするしかない。

 そんな主人の様子を、アルベドとフォアイルはおもしろおかしそうに微笑みを浮かべ眺めていた。

 奥の部屋が静まり返り、メイドが扉を開け放った。

 

「お待たせしました、アインズ様」

「ああ、ご苦労、ナーベラ……ル」

 

 思わず、アインズは空虚な眼を奪われてしまった。

 黒髪の乙女に促され現れたのは、少女のイメージにぴったりの、(みどり)を基調としたドレス姿。

 

「綺麗だ」

 

 何の(てら)いもなく呟いた言葉を浴びて、ニニャは紅潮する頬をさらに真っ赤に染める。

 

「こ……こういうのは、私には似合わないです」

「はは。そんなことはないぞ! まるで見違えてしまったぞ、ニニャ!」

 

 魔導王の称賛に、少女はさらに萎縮してしまう。

 

「いいえ、そんな」

「普段からもそういう格好で過ごしてはどうだ? 何だったら、都市最高の仕立屋に頼んで、もっと質の良いものを特注させて」

「いえ! 本当に、結構です!」

 

 意外にも大きくなった声が部屋に満ちて響いた。

 少女は自分の失敗を自覚した。

 

「ニニャ……?」

 

 不遜にも言葉を遮られてしまった魔導王であったが、その理知的な瞳は一瞬で冷静な思考を紡ぎ出す。

 

「あ、あの……っ」

 

 対して。

 ニニャは声を詰まらせて謝罪の言葉を述べようとする。するが、舌がもつれてしまって仕様がない。

 

「気にするな」

 

 アインズは、ニニャへ――そして、場に控えるメイドや宰相にも――確かに語り掛ける。

 

「むしろ、そうやってはっきりと言ってくれる方が此方(こちら)も嬉しい。おまえは少し遠慮が過ぎる。かつての君の仲間たちのように……とはいかないだろうが、それでも、一度は同じ冒険の旅に出た仲であり、おまえの姉が私に示した未来を思えば、これでもまだ足りないくらいだ。思っていることは率直に言ってほしい。何がおまえの心の棘になっているのか。私はおまえを知りたい……知らねばならないのだ」

 

 アインズは真摯に、思うままをぶつけてくれる。

 それに対して、少女はどこまでも卑屈に過ぎた。

 あまりにも自分が恥ずかしい。

 こんなにも立派な衣服を与えられ、最高級のもてなしを受けながら、ニニャには何もない。

 彼が語ってくれた自分の“魔法適性”という異能だって、彼の期待する結果を生み出せるかどうか知れたものではない。

 ニニャは絶望の淵を歩んでいる己を自覚していた。断崖の端に立ち、そこから飛び降りようとする精神異常者。それが自分だ。

 

「ごめん、なさい」

 

 ニニャはそれ以上何も言えず、部屋を飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり難しいものだな。人間の心というのは」

 

 ニニャが部屋を出ていくのを、アインズは止めるでもなく見送った。

 アルベドやナーベラルは、無表情の鉄面皮の下で描写不能な表情を滾らせているが、アインズから制止の視線や手ぶりを向けられては何も言えない。だとしても――アインズの言葉を遮り、厚情を反故にし、あまつさえ与えられた部屋から逃げ出すなど。

 黒髪のメイドは、とりあえず己の感情を無視して、至高の御身の差配を伺う。

 

「アインズ様」

「ナーベラル、すまないがニニャを探してきてくれ。彼女の実力と装備だと、城内のギミックに四苦八苦するだろうからな。私はここに残る」

「探査の魔法を使いましょうか?」

「まぁ……それは最終手段だな。とりあえず、あのドレス姿は城内では目立つからな。あまり歩きやすい格好でもあるまい。戦闘メイドのおまえなら、見つけ出すのは容易いはずだろう? 見つけ次第〈伝言(メッセージ)〉を飛ばせ」

「かしこまりました」

 

 言って、ナーベラルはヒールの音も高く廊下へと姿を消す。扉を閉めていく姿も直角に近い腰の折り方であった。

 

「……アルベド。よくぞ耐えられたな」

「アインズ様の教えによって、日々鍛えられておりましたから」

 

 そう宣う純白の悪魔であったが、その裏ではどれほどの青筋が浮かんでいるのか想像できない。鳴るはずもない喉を鳴らし、流れるはずのない冷たい汗を額に感じながら、アインズはニニャがああした原因を考える。

 

「それにしても……ここまで深刻だったとはな」

 

 ニニャは男装を好む。

 アインズはニニャの蘇生前から一貫して、都市散策の際にも、彼女に女の格好をさせたことはなかった。

 彼女の日記から読み取れた、ニニャの男装の理由。

 これは、ニニャとしては冒険者チーム内に不和を持ち込まないという意図もあったが、別に本気で性別を変えたいという志向によるものではなく、彼女の半生――姉を性目的に奪われた現場を目の当たりにし、その挙句の果てに訪れるだろうたった一人の家族の破滅を思えば、答えは単純だ。ツアレは今でこそナザリックに保護され、真に愛するものと巡り合い、その一子を儲けることが叶ったが、セバスが拾った時には襤褸雑巾よりも使い古された状態だったと聞く。

 ニニャは、自分もそういう対象として、男に抱かれる女として、自分がそういうものになることを恐れたのだ。

 姉は、村一番の器量よしとして――ついでに家族が妹しかいないため都合がよいと――評判の娘だった。

 故にこそ、領主の貴族はツアレを無理やりに我が物とし、幼い家族から引き放して、放埓と虐待と性暴力を加え続け、娼館に売り飛ばしたことでさらなる暴虐の底へ沈め落した。

 多感な頃の少女にとって、性というものそれ自体に強い忌避感を植え付けるのに、これは十分すぎるほどに苛烈な経験であったことは言うまでもないだろう。

 だからこそ、先ほど彼女はアインズの申し出をきつく拒絶してしまったのだ。

 ドレスを着て、男性のアインズに喝采されるなど、たとえ大恩人であろうとも、許せるような戯れではなかったわけだ。

 

「おそれながら、アインズ様。あの娘・ニニャの処置は」

「言うな、アルベド。彼女は私にとっての恩人であり、我がナザリックに多大な可能性を示したツアレの唯一無二の妹だ。無下に扱うような真似は絶対に慎め」

「承知しております。ですが、ニニャの心に巣食う憂いを払うのは、生半(なまなか)な手法では不可能な御様子。いっそのこと記憶操作を施すことも、視野に入れてよろしいのでは?」

 

記憶操作(コントロール・アムネジア)〉は、魔力消費量が膨大である点に目を瞑れば、非常に有用な手段と言える。人の思い出したくない過去や忘れ去りたいトラウマを除去するのに、これ以上に的確な魔法は存在しない。

 しかし、アインズはその提案をすげなく棄却する。

 

「それは駄目だ。記憶操作は下手をすると現在の人格や自己形成にも影響を与えかねない。私は今のニニャの在り方を尊重したい」

 

 たとえば、ある姉妹の記憶を「自分たちを救ってくれた魔法詠唱者の姿を“骸骨”から“仮面”の姿に変える」程度なら、それほど重篤な影響を及ぼさない。だが、ニニャの悪しき記憶――幼少期に姉を連れ去られたことで、貴族どもへの復讐に焦がれた記憶というのは、彼女の根幹をなす重大な出来事だ。これを何とか悪影響を及ぼさない感じに改変しようとするのは、至難である以上に不可能なことである。アインズの一日分の全魔力を消費しても無理だろう。ニニャは姉を連れ去られたことから始まった不幸から、今の人生を、人格を構築していった。姉が連れ去られることなく、貴族への復讐も果たさない平民の道を進んでいたら、まず間違いなく魔法詠唱者としての才能を開花することはなかっただろうし、下手をするとモモン――アインズと冒険をした記憶まで忘失する疑いもある。否、そうならないほうがおかしいだろう。今、こうしてアインズ・ウール・ゴウンの庇護下にある現状との整合性も失われたら、確実に記憶が破綻する……それはそれで、良いサンプルにはなるのだろうが、そんな勿体ないことはできない。

 記憶操作は、それだけ難しい魔法なのだ。

 

「焦ることはない、アルベド。すべて、私に任せておけばよい」

 

 委細承知した宰相は腰を折ってアインズの言葉に従った。

 こういう問題は焦っても何にもならない。

 それぐらいの常識は、アインズも持ち合わせがあったのだ。

 その時、意外にも扉を叩く音が聞こえる。

 もうナーベラルが仕事を終えたのかと驚くアインズだったが、フォアイルが開け放った先にあったものは、あまりにも意外過ぎた。

 

「こちらでしたか、父上!」

「パ……パンドラズ・アクター!?」

 

 黄色い軍服を身に着けた卵頭の異形が、宝物殿に詰めているはずの領域守護者が、三人の前に現れたのだ。

 

「ど……どうして、ここに?」

「デミウルゴス殿のご要望により、とある実験に参加させていただいておりました。これよりナザリックへと帰還する前に、父上にご挨拶を申し上げたく、拝謁に参りました」

 

 かつて至高の四十一人――アインズのかつての仲間たち――の捜索チームに組み込まれ、アルベドの副官を務めたこともある経歴から、パンドラズ・アクターは必要に応じて宰相と参謀にある程度の助力を乞われれば受け入れるという体制が公認されていた。

 しかし、アインズは自分が聞いたフレーズが少しばかり気にかかって、鸚鵡のように唱え返す。

 

「じ、実験だと? ナザリックの、宝物殿で行えなかったのか?」

「父上――宝物殿は至高の御方々の集めた至宝が集う聖域。我らシモベの実験に使ってよい場所ではありません!」

 

 息子のような存在の殊勝な心掛けに、アインズはとりあえず「お、おう」と頷く。

 

「そ、それもそうだな。用が済んだのであれば、早々に宝物殿に戻れ。あそこを留守にしておくのは、おまえも心苦しいだろうからな」

「ありがとうございます! それでは!」

 

 おやすみなさいと部屋を辞していく自分の創ったNPCが立ち去る背中に、何か嫌な予感を覚えてしまう。

 ニニャとあれが遭遇したら――などという可能性に震えながら、アインズはとりあえず、ナーベラルからの報告を静かに待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニニャはアインズの予測通り、そんなに遠く離れたところには行っていなかった。

 たった五階分を駆けあがるだけでもドレスというものは重く、そして煩わしい。足に纏わりつく布がひたすら邪魔なのだ。これが普段身に着けているものであればマシなのにと思ってしまう自分が、ひどく薄情に思えてならない。これはアインズが厚意で用意し、ナーベラルが見繕って着せてくれた最高級のドレスなのに。それだけのものを、感謝こそすれ邪魔に感じるなんて。

 

「戻った方が、いいよね……やっぱり」

 

 それでも、こんな姿は誰にも見せたくはなかった。

 ニニャは自分が女であることを呪わしく思う。女であるから姉は連れ去られ、女であるから自分は姉を守ることができず、女であるからそういう対象として見られることは、とんでもなく苦痛だった。冒険者になる以前から、髪を短くし、男のフリを続けてきた。そうしなければならないというよりも、そうしておいた方が自分にも他人にも都合がよかったのだ。そういう意味では、男の冒険者として旅を続けていた時は、多少面倒ではあったが、充実感があった。真に胸襟を開いていたと言えばウソになるが、仲間たちは姉を攫われた自分の事情を理解し、貴族への愚痴もそれなりに受け入れてくれたのだから、感謝してもしきれない。

 ……もっとも、彼らは自分の目の前で殺され、死んだのだが。

 

「はぁ」

 

 戻らないと。

 嫌な光景を思い出す頭を振って、瞼の裏に浮かぶ死相を追い払う。

 せっかくのドレスだけど、やっぱり別なものに着替えよう。下手に動いて破いたり汚したりしたら、どう弁償してよいかわからない。

 いや、確か昼間、アインズがこの都市やナザリックなどでパワーレベリングを行うから、生活に必要な資金や物資は心配いらないと話していたっけ。恩人の提案ということ以上に、魔法詠唱者としての教練を積めるというのが魅力的だったので、二つ返事で了承してしまったのだった。

 何にせよ、人から借りたものはしっかり元の状態で返さないと、だ。

 とりあえず部屋に戻ろうと(きびす)を返そうとしたが、ニニャは奇妙な感覚に囚われる。

 

「あれ?」

 

 それは異様な光景だった。

 自分は廊下を歩いていた。しかし、今の自分がいるのは、どう見ても先ほどの廊下の内装とは違っている。幅もだいぶ大きくなっていた。四人分が並んで歩けるものが、十人が並べるだけのものとなったと言えばわかりやすいか。

 大きな城だとは思っていたが、さすがにこれは異常である。

 自分の感覚が馬鹿になってしまったのかと危惧したが、

 

「……幻術、かな?」

 

 ダンジョン探査などで、ごくまれに、マジックアイテムなどで奇妙な罠を張り巡らせたものがあることは、冒険者界隈では有名な話だ。当然、ニニャもそういう話は聞いていたし、実際に体験し体感したこともある。

 けれど、まさか都市の城の中にそういうトラップが張り巡らせてあるなんて言うのは聞いたことがない。昼前に簡単な説明を受けた時はとても信じられなかったが、実際に体験してしまうと何とも言えなくなる。

 これは魔導王の都市での居城すべてに言えることだが、城はナザリックほどではないが魔法的な防衛機構が敷設されており、万が一の襲撃などにも即応できるように常時発動されている。ニニャが体験したこれは、次元移動というよりも位置接続を応用した罠で、上階の廊下から下層階の廊下への転移を強制したものである。当然ながら、この罠というのはナザリックのシモベ基準だと抵抗・無効化するのも容易い部類のものに過ぎないため、専用の対策など無用である。例外である城内のメイドたちは罠から除外される効果を増設した魔法のメイド服を与えられているので、まったく問題はない。だが、ニニャはそういった加護を受けていない。というか、直前になって着替えてしまっていたので、そういう装備をつけ忘れてしまっただけなのだが。

 己の居城にまでこれほどの魔法を施してしまえる魔導王の実力に畏怖しつつも敬服してしまうニニャは、ここが何処なのか知りたくて、窓の外の小さなバルコニーを目指した。

 すると、誰かの声が聞こえてくる。

 

「ナーベさん?」

 

 バルコニーから下の中庭を覗き見ると、黒髪のメイドが黄色い衣服――軍服――に身を包んだ誰かと話し込んでいた。

 美しい噴水の前に佇む二人はとても仲睦まじく見える。少なくとも、月明かりの中でもわかるほどに頬を紅潮させた乙女を見るのは初めてのことだ。

 ナーベラルと対面している人物は、ここからだと帽子が影になっていて、その容貌を把握することはできない。コートから覗く手指が異様に長い気もするが、見間違いだろうか。彼――声の感じから男性――と話し込んでいる少女の様子はとても朗らかで、何の警戒も恐怖も抱いておらず、むしろ待ち侘びていた者との思わぬ邂逅に色めき立ってすらいた。その様は何故だろうか、(ツアレ)(セバス)と話している時の表情と重なってしまう。

 一目見て、理解(わか)った。

 

「ナーベさんの、いい人、かな?」

 

 アインズにアルベドがいるように、ナーベにも素晴らしいお相手がいたことに、ひそかな衝撃を受ける。ルクルットは玉砕(?)する前から勝ち目なしだったわけだ。かつての仲間が悔し涙を流す様子が目に浮かぶ。

 ナーベラルたちは最後に、互いの両手を握り合って別れの挨拶を交わす。

 陶然として、ピンと張り詰めていたポニーテールを柔らかくする少女の横顔に、ニニャはしばし見入ってしまった。

 そこにあったものは、恋する者のみに許された、とても幸せな表情(かんばせ)

 思わずうらやましくなってしまうほどに、乙女の表情は美しく、そして暖かだった。

 

「……いいなぁ」

 

 ニニャは自分が女として見られることを嫌っている。以上に、恐怖すらしている。

 けれども、ああして幸せそうな乙女の姿を間近に見ると、自分もそうなりたいなという衝動に、不意に襲われることがあるのは、至極当然な反応であった。

 ナーベラルのいい人は、颯爽とした身振りで乙女と別れ、何処かへと姿を消した。

 瞬間、ナーベラルの姿も消えた。

 

「探しましたよ、ニニャさん」

 

 降って湧いた声は、ニニャの眼下から消え去ったメイドのものに他ならない。

 転移魔法によって少女の背後に現れたナーベラルは、先ほどまでの昂揚とした様子が噓のように涼やかな表情を(あらわ)にしている。

 

「ナーベさん、すいません。覗いてしまって」

「別に……謝られる必要など、ありません」

 

 ナーベラルは怒ってなどいなかった。

 むしろ、少女が逃げだしてくれたことに感謝すら述べそうなほどに充実した表情で、ナーベラルはニニャに手を差し伸べた。

 はじめて――はじめて自分に向けられたナーベラルの微笑に、ニニャは数瞬の間だけ目を奪われた。

 

「部屋へ戻りましょう。アインズ様がお待ちです」

 

 恋する乙女(メイド)の表情はすぐさま硬く変質してしまったが、ニニャはナーベラルの意外な一面を見られ、安堵すらした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 ニニャはありえないほどに柔らかな寝台の上で、小鳥の鳴く声よりも先んじる時計塔の鐘の音で、目が覚めた。まるで交響楽のような美しい音色に意識が透き通っていくほどの覚醒を味わう。

 鐘の音が止み、体を起こした瞬間、寝室の扉を叩く音が耳に心地よい。

 

「お目覚めですか?」

「はい……大丈夫です」

 

 ニニャは一応、自分の着崩れた白い服――結局、ドレスからバスローブに着替え直した――を整えて、入室を許した。

 

「おはようございます」

「おはようございます、ナーベさん」

 

 現れた黒髪のメイドは部屋の窓のカーテンを開き、未だ太陽の昇りきらぬ朝の薄明りを室内に取り入れた。ナーベラルはやはり涼しげな表情で、ニニャの世話を務め始める。

 メイドに導かれダイニングに向かう。すでに用意されていた朝食のパンとサラダ、温かなビーフシチューを平らげ、食後のデザートとホットマキャティアを嗜む。どーなつという油で揚げた菓子の甘さは絶品だった。こんなおいしい食事を、しかも毎日のように用意できるアインズたちの台所事情は驚嘆しても驚嘆し尽くせないと思い知らされる。

 食後の一服に至るまで、ナーベラルはメイドらしく謹直な立ち姿を崩さない。ニニャは割と早い時間に起きたはずなのだが、彼女はそれ以前からこれらすべてを用意していたのかと思うと、本当に申し訳なく思う。ナーベラルに食事はいつ済ませたのかと問うと、驚くことに飲食は不要なのだとか。それもすべて、アインズから賜った装備のおかげなのだと聞かされると納得せざるを得ない。

 バスローブ姿から新たに用意された服は、着慣れた男装。ナーベラルの手でしっかりと袖を通されるのだが、こうして着替えまで世話をされると自分が小さい子供か着せ替え人形のようなものになってしまったような気がして面映ゆかった。着付けを担当しているナーベラルは真剣そのもので、余計な笑みやおしゃべりをこぼすのも憚られる。同性とは言え他人に裸にされるというのは、胸の奥がじりじりしてたまらなく苦手なのだ。

 身支度を整えたニニャを、ナーベラルは部屋の外へ導く。

 ナーベラルの主が、魔導王陛下が待っていると告げられれば、否も応もなかった。

 ニニャはナーベラルに先導されるまま、アインズの待つ地への道を進む。天の橋を渡り、アンデッドが世話する花園を通り、ウッドデッキのテーブルセットに腰掛けていた彼と再会する。

 

「おはよう、ニニャ」

「おはようございます、アインズ様。……昨夜は、すいませんでした」

「気にすることはないさ、ニニャ」

 

 アインズは傍に控えている一般メイドに、空になったコーヒーカップと小皿を下げさせる。

 

「食後すぐで申し訳ない。早速だが、はじめるとしようか。我が魔導国最新鋭となる、魔法の授業を」

 

 昨夜、ニニャたちが戻った折に確約していた事柄をアインズは遂行する。

 少女は僅かな緊張を額の汗として浮かべつつ、きっぱりと頷いてみせた。

 

 

 

 

 

 ニニャはアインズが魔法都市カッツェでの政務に没頭する傍ら、魔導王陛下その人から、魔法についての手ほどきを、パワーレベリングを、受けた。魔導王としての政務がある時は、彼女の小間使い(レディースメイド)兼護衛として派遣された、戦闘メイドの中でも最高位の魔法詠唱者であるナーベラル・ガンマに、ニニャの教練が任されている。

 もと(・・)“漆黒の英雄”たる魔法詠唱者二人から受けた魔法の授業は、この世界に広く伝わるそれとは些か以上に意義を異にするもので、かつて帝国の魔法学院や王国の個人塾で開かれていた座学とは違っていたが、ニニャはその才能のおかげか、割とすぐにその授業方法に馴染んだ。アインズたちは教官系職業を持ち合わせていない為、これはニニャ本人の能力“魔法適正”が大いに働いてくれたことは言うまでもない。

 そして、いかに本職の教官ほどのスキルは持ち合わせていないとしても、この世界においては超絶の力を持つ二人の魔法詠唱者が行う授業というのは、それだけで尋常でない魔法の知識をニニャに施し、破格の経験値を少女に供与するようになる。

 

 

 

 ×

 

 

 

 この(のち)、一度は死んだはずの冒険者『術師(スペルキャスター)』ニニャは、復活から僅か数ヶ月という期間で――未だ十代の年齢でありながらも――逸脱者の領域にほど近い、第五位階魔法を習得するまでに至るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               【第二章へ続く】

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでくれたあなたに、感謝の極み。

第一章”『術師』の復活”終幕です。

続く第二章”ナザリックの婚姻制度”にて、お会いしましょう。

それでは、また次回。       By空想病


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第二章 ナザリックの婚姻制度
第1話


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第九階層の使用人室の一室で、ニニャはベビーベッドの中で寝入る赤ん坊を見ていた。

 

「もうすぐお出かけだよー、楽しみだねー?」

 

 言葉にはしかし返答などない。

 代わりに赤子は、「叔母」である少女の人差し指を握る力を少し強める。

 そんな様子までもが愛らしく、ここに存在する命の尊さを強く想起させられた。

 マルコは実に活発な赤子だった。よく泣き、よく飲み、よく出し、そうして、よく眠るのだ。

 竜人と人間の合いの子は、今のところ普通の人間の赤子と遜色ない成長速度を維持している。ペストーニャなどの日常的な定期健診に加え、長年の異種交配実験に一筋の光明を見出したデミウルゴスも、その成長記録を残すことに対し、執念にも似た情熱を滾らせている。暇を見つけてはツアレとマルコ母子の観察と手伝いに励み、時間が経てば自分が統治を信託されている生産都市群に転移を用いて帰還するというのが日課になっていた。二人がマルコを授かる起因となった世界級アイテム“ヒュギエイアの杯”を貸与されている身の上ということもあって、その様態はほとんど主治医じみた気概が伴っている。

 マルコは、この世界でおそらく初めて誕生した、人と異形の混血だ。

 その価値はあまりにも莫大で、その意義深さは底が知れない。

 それほどの寵児を「姪」にもつことになった少女は、そこいらの都市で見かける赤子とまったく変わらないような――だがそれ故に、等しく大いなる将来の可能性を(しか)と宿した――存在を前に、甘ったるく頬を緩めっぱなしにしてしまう。

 ニニャは眠る赤子の髪を撫でる。

 極上の絹よりも柔らかい指通りが掌をくすぐった。未だ生え揃っていない白金髪(プラチナブロンド)に飾られた寝顔は、未来の花を容易に想像させるほどに凛々しく、そして清廉。身内贔屓と言われようと、それこそがニニャがマルコに抱いた、確かな可能性であった。

 

「お待たせ」

「おかえり、姉さん」

 

 ナザリックで産休し、マルコの養育に一身を賭す姉は、メイド服ではなく礼典用の私服に身を包み、赤子を抱くためのスリングを肩にしながら、家族たちの許へ。

 

「忘れ物はない?」

「おしゃぶりも、替えのおしめも、消毒用の使い捨て濡れ布巾(ウェットティッシュ)もバッチリ」

「粉みるくは?」

「哺乳瓶とポットと一緒に、バスケットの中」

「じゃあ、目を覚ます前に」

「ええ」

 

 二人は慎重に、繊細な赤子をスリングに包む。

 マルコはよく眠るが、当然ながらよく起きる子でもある。

 そうして起きたら、とんでもない勢いでぐずりだすのだ。

 まるで竜の咆哮のような大叫喚は、否が応でも彼女が竜人の血を受け継いでいることを理解させる。

 消音の魔法をかけた“おしゃぶり”をマルコに与えていないと、軽くめまいを覚える者もいるくらいといえば、その威力の程が知れるだろう。両親たる二人――母たるツアレには、さしたる脅威になっていないというのが不可思議と言えば不可思議である。デミウルゴスあたりはこの案件を要研究としている。

 何はともあれ、無事にお出かけの用意を整えた三人は、静かに、ナザリックに新たに設けられた転移の間に向かう。

 

「大丈夫、姉さん?」

「ええ。マルコは軽いから、これくらい平気よ」

 

 マルコは他の赤子と比べて持ち上げるとあまり体重を感じない子なので、連れ歩くのにはそこまで苦労しないのだが、逆にいうと、体重が軽すぎるのは健康に悪影響がないか心配にもなる。デミウルゴスやペストーニャの管理には絶対の信頼を置いているので、二人ともあまり気にはしていないのだが。

 バスケットを携え、転移の間にたどり着いたニニャは、そこにいたメイドの一人に声をかけた。

 

「ナーベラルさん」

 

 ニニャの小間使い兼護衛兼魔法教師を務める黒髪の乙女は、相も変わらず見事なメイド服姿で三人を待っていた。他にも、ユリ・アルファとシズ・デルタ、二人の戦闘メイドの姿が。

 彼女たちは慇懃に腰を折ると、戦闘メイドを代表して長姉が声を発した。

 

「これより、城塞都市での警護には我々が付き従います。どうぞ良しなに」

 

 ニニャとツアレは、共に恐縮して腰を折り返してしまう。

 そんな遣り取りを終えると、赤金(ストロベリーブロンド)の髪の少女がツアレたちに近づいてきた。彼女は無言で手を突き出す。どうやら荷物持ちを代行すると言っているらしい。ニニャの荷物であるバスケットを半ば強引に受け取ると、勢い込んで赤ん坊の寝顔を見つめ出す。

 

「…………マルコ、触ってもいい?」

「こら、シズ」

 

 一番上の姉が(たしな)めるのにも構わず、シズは小首を傾げ許可を求め続ける。

 

「ええ、もちろん。でも、そっとですよ?」

 

 まるで小さい子に言い聞かせるようにツアレが許すと、シズは右目を輝かせながら、母に抱かれる赤子の頬に指を伸ばした。ぷにぷにとした感触がたまらないらしく、シズは表情こそ変えないが、その声音は蕩けたように柔らかさを増す。

 

「…………やっぱり、柔らかい」

「まったく、この子は。ごめんなさいね、ツアレ」

 

 謝られるツアレは、同輩であるメイドたちに微笑みを向けて応えた。

 

「さぁ、行きましょう」

 

 ユリのきびきびした口調と姿勢に導かれ、一行はひとつの転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)の中に歩を進めた。

 六人が転移した先は、城塞都市エモット。

 そこでアインズが待ちに待ったイベント、エンリ・バレアレの出産祝いの祭りが、盛大に催されるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城塞都市エモット。

 かつては100人程度の人口しかなかった地方の寒村に築かれた城塞を第一の要害として、魔導国の国土――ナザリック地下大墳墓の隠蔽と防衛のため――に編入された歴史を持つ、大陸最大最上最強規模の都。この都市の基盤となった村をアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下御自らが危機を救い、支援と助力を惜しむことはなかったが、その第一動因となったとある姉妹の存在に着目する者など、数年前はほとんどいるはずがなかった。

 だが、救われた少女らの姉は、とある魔法のアイテム――小鬼将軍の角笛を下賜されたことから、その運命を目まぐるしく流転させることになった。

 召喚したゴブリン軍団の主人として崇敬され、村の族長の役職に就き、オーガたちなどを傘下に加え、数々の難行と偉業の果てに、少女は普通の人間でありながらも亜人や異形と心を通わせ、その力は近隣諸国を攻め落とすことも容易な兵団を呼ぶまでに至った。

 

 5000人のゴブリンたちからなる大軍団。

 軍師、一人。医療団。重装甲歩兵団。聖騎士隊、十七人。騎獣兵団。長弓兵団。魔法支援隊。魔法砲撃隊、五人。暗殺隊。近衛隊――十三レッドキャップスが一人。軍楽隊。

 正直なところ、近衛のレッドキャップス一人だけでも小国の軍を打倒しうるという過剰戦力ぶりである。この軍団とまともに戦えるものなど、大陸内ではほとんど存在しないレベルであったのは言うまでもない。

 少女は、数国を滅ぼすに足る強大無比な軍事力を備え、その力を魔導国国主にして、救済者であるアインズ・ウール・ゴウンにより認められ、ナザリックの外、魔導国国土の一部を治める資格を持つ強者――「外地領域守護者」の役職を賜ることになったのである。

 

 そんな少女には、一人の恋人がいた。

 名は、ンフィーレア・バレアレ。

 

 現在、魔導国で広く普及している、まったく新しい水薬(ポーション)を開発し量産する技術を獲得した少年は、その生まれながらの異能(タレント)を狙われるなどの様々な苦難を乗り越え、多くの人々に祝福される形で、ナザリックの外地領域守護者に抜擢された恋人と夫婦の契りを交わし、そうして先日、二人は愛の結晶たる子()を産むに至った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニニャたち六人が転移した場所は、城塞内部の転移の間である。

 魔法都市カッツェと似たような構造であるが、この城塞は造形美というよりも機能美に特化した建造方式を採用されており、まさしく、ナザリックを守護する領域を鎮護する要塞の装いを設えていた。

 

「こちらです」

 

 ユリに先導されたニニャもそうだが、ツアレもまた、この城に赴くのは初めてのことだ。

 ツアレはかつての()城塞都市エ・ランテルの主席メイド長の職に就いているため、一応はこの現城塞都市エモットに所属していることになるのだが、この都市中央には赴いたことはなかった。この地はもともとが亜人と異形と親交を深めたカルネ村を基盤にしているため、彼女の主任務である『異種融和政策』を施す必要性が薄かったのだから、訪れる理由などなかったわけだ。

 転移の間を出たニニャは溢れる好奇心から、巨大な窓辺から眼下に見える光景に目を奪われる。

 

「う、わぁ……」

 

 ここがかつて、自分も訪れたことのあるカルネ村だと聞かされて知っていたが、それでも度肝を抜かれてしまう。

 あの魔法都市カッツェを数倍した裾野に広がる城下の光景。

 城内の修練場として開放された芝生の上を見る。鎧を着た人間たちの数倍の数に膨れた亜人たちの軍団が(たむろ)し、その亜人たちを数十倍にもした規模の死者たちの行軍が、野に丘に展開されている。二手に分かれた軍勢が弓矢と魔法を射かけ合い、軍事演習の雄叫びと号令が空を震わせる。別の方向を見れば、人が、森妖精(エルフ)が、山小人(ドワーフ)が、小鬼(ゴブリン)が、蜥蜴人(リザードマン)が、妖巨人(トロール)が、ビーストマンが、人馬(セントール)が、ミノタウロスが……他にも少女の知識からあぶれた多くの人間や亜人や異形が、一糸乱れぬ戦闘訓練を行い、演武の掛け声が「おう」と(こだま)する。人も亜人も異形も関係なく、そこに存在するものはすべて兵士であり、彼らは一個の戦団として、この地を治めるアインズ・ウール・ゴウンとナザリック、そして外地領域守護者エンリ・バレアレに忠勤を尽くす(ともがら)たちなのだ。

 分厚い黒壁の向こうに、やっと街の様子が見えた。魔法都市の壮麗な様にも負けない、ひとつの意志によって築かれた街並みは、やはりニニャの想像をはるかに超える規模で展開され、山を湖を呑み込んでいる。その全貌を推し量ることは、もはや不可能であった。

 驚いても、驚いても、尚足りない。

 ニニャは自分の認識がさらに打ち壊されていく感覚に、一種の慣れすら感じ始めていた。

 

「すごい……」

「話には聞いていたけど……」

 

 ニニャの隣にいつの間にか並んだツアレも、眼鏡の奥の瞳を見開いていた。

 

「二人とも、こちらへ」

 

 ユリら三人に呼ばれ、ニニャとツアレは転移の間を抜け廊下に出る。

 廊下は石畳の上に絨毯を敷かれており、六人はその上を進むのだが、その通りすがりに鉢合わせた亜人の集団が、通路の脇に寄って、敬服の姿勢として片膝をついていく様に、人間の姉妹は率直に驚嘆してしまう。ユリたちはまるで空気を見るかのように亜人たちの戦士たちを流し見ていく感じからすると、ここではこれが普通なのだなと納得するしかない。

 亜人たちは基本的に、人間種を劣等と蔑み、食料と見做して暴虐の限りを尽くすというのが、かつてニニャが教わった常識であった。

 しかし、屈強な獅子の頭が首を差し出し、膨れた巨体を屈める人喰鬼(オーガ)が僅かに震え、小さな亜人たちが一様に畏敬と畏怖の視線を差し向けている様を直視すると、自分が教わっていたことは何だったのだろうと思わずにはいられない。

 あれだけの戦士団に恐れられる魔導王の配下であるメイドたちの強さというのは、ニニャも僅かに知っている。ナーベラルに魔法の教練の一環として、第八位階魔法を披露された時のことを思い出せば、いやでも彼女たちの強さが異様であることを知らしめられるというものだ。ナーベラルの姉妹が、彼女と同等の力の持ち主であることなど想像する必要もないほどに必然的である。

 一行はやがて、大きな階段をひたすらのぼる。

 この城の主が待つだろう玉座か居室だかを思い浮かべて僅かにでも驚愕を減らそうと思案したニニャであったが、意外なことにユリたちは屋上にまで階段をのぼりきってしまう。どうしたことかと先導が道を間違えたかと逡巡する少女に構うことなく、ユリは屋上へ続く扉の前に待機していた小鬼(ゴブリン)二体に言伝を頼んだ。頼まれた小鬼(ゴブリン)は〈伝言(メッセージ)〉を唱えられる魔法詠唱者らしいが、剣と槍を携え、鎧を纏っている姿であることを考えると違う気がする。誰かとの念話を終えた途端、門番のごとき小鬼たちは一行を扉の奥に(いざな)った。

 一行は、城塞の屋上に建立された領域守護者たちの邸宅にたどり着いた。

 ニニャはその意外な光景に目を瞠る。

 そこにあったのは、まるで村だった。

 太陽の光を燦然と浴び、五つほど並んだ、城に比べれば圧倒的に小さな、しかし頑丈そうな造りの簡素な家の群。

 刈り込まれた芝生に、花々や樹木が植えられている。影には小鳥や小動物の姿もあった。

 その中でもとりわけ大きな二階建ての家にユリたちは迷うことなく進んだ。放し飼いにされているらしい牧畜のような有角の獣の視線が一行を追っている。

 ユリが、玄関に備えられたベル――どうやらマジックアイテムらしい――を鳴らして、そこに住まう者に来訪を伝えた。

 

「はーい。今、あけまーす」

 

 極めて平凡そうな少女の声が、家の奥から聞こえる。

 現れたのは、三つ編みを一房だけ結った、十代半ばくらいの愛くるしい少女。

 

「お久しぶりです、ユリさん、ナーベラルさん、シズさん、ツアレさん!」

 

 活発で人好きな笑みを浮かべる少女は、見知った者たちの他に、初対面だが初対面ではない(・・・・・・・・・・・・)少女をみとめて、丁寧にお辞儀した。

 

「はじめまして、ネム・エモットといいます!」

 

 彼女は外地領域守護者エンリ・バレアレの、旧名エンリ・エモットの妹である。

 

「は、はじめまして」

 

 ニニャは僅か気圧されるように声を絞り出した。ニニャと同世代と思しい背格好だったが、ニニャはかつて、カルネ村を訪れた際にも顔を合わせていた。

 冷静に考えれば当然だ。

 カルネ村を訪れたのは数年も前の話。

 おさげが似合っていた十歳前後の幼女が自分と同世代になっていても、考えてみれば不思議でも何でもない。……いや、十分不思議なのだが。

 記憶の齟齬を冷静に修正しつつも、ニニャはネムの活き活きとした様に面食らってしまっていた。

 

「ツアレさん、出産おめでとうございます! でも……何で教えてくれなかったんですか?」

「ごめんなさい。ちょっと事情があって」

 

 ツアレの懐妊と出産をアインズあたりから聞いていたのだろう。ネムは彼女が抱く赤ん坊を、興味津々な眼差しで見つめ笑みをこぼす。

 

「マルコちゃんも、はじめまして」

 

 潜めた声は実に涼やかで、しかも大人びていながら心地よく響く。

 少々混乱しながらも平静を取り戻すニニャの前で、ユリは無表情なメイドらを代表し、笑みでもって挨拶に応じた。

 

「お久しぶりです、ネム様――アインズ様とエンリ様は?」

「アインズ様とお姉ちゃんは、いま二階にいます。お義兄ちゃんたちも一緒ですね」

 

 すぐにお茶の準備をしてくると言って、快活な笑みは一行を二階に向かわせると、家の奥へ姿を消す。

 客人を案内する必要などないと判っていての行動なことは、言うまでもなかった。ユリは慣れた様子で家の中に進み入り、他のメイドも姉を追って木造の階段をあがっていく。ニニャとツアレもそれに続いた。まるで親戚か何かのような待遇だが、ここではこれが普通なようである。

 二階はほぼ全体がダイニングという開放的な構造になっており、目当ての人物たちは容易に発見できた。

 

「思ったよりも早かったな、おまえたち」

「アインズ様。ユリ・アルファ以下六名、御身の前に馳せ参じてございます」

 

 大きなソファにゆったりと体を預ける主人に、ユリたちは臣下の礼として片膝をついていく。

 マルコを抱いたツアレ、そしてニニャも、その儀礼に則った。

 続けざまにユリは、アインズと応接机をはさんで対面するようにカウチに腰掛ける女性に声をかけた。

 

「本日はご招待いただきまして、誠にありがとうございます。エンリ様」

「ご招待だなんて、とんでもない」

 

 長かった栗毛色を短めにカットした、一見するとただの村人の女性にしか思えない朴訥とした装いの女性は、ツアレと同じように乳飲み子を“一人”抱いて、慈母のような笑みを一行に差し向けている。

 彼女こそ、この城塞都市エモットを治める都市長にして、ナザリック外の存在で初めて外地領域守護者の地位を賜った女傑であり、ゴブリン兵団などの軍事力を掌中に握る比類なき軍団統治者――実態はただの村娘だったなんて、誰も信じないだろうが――なのである。その証として、彼女はアインズから下賜された角笛と共に、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインを彫刻した魔法のネックレスを首から下げていた。

 ナザリック訪問時、領域守護者就任式典時などで戦闘メイド三人とツアレは、エンリと面識を得ている。

 そして、ニニャもまた、“漆黒の剣”の最後の冒険の際に、彼女と、その夫である少年――今では立派な青年である――ンフィーレア・バレアレと、顔を合わせていた。

 ニニャは、“もう一人”の乳飲み子を抱きながら立ち上がる青年ンフィーレアに、目が釘付けとなる。

 

「お久しぶりです、ニニャさん」

 

 研究に没頭するあまり、長く伸ばされっぱなしになっていた前髪は、今では適正な長さにカットされており、その奥に潜めていた美貌を隠すことはなくなっていた。

 

「話には聞いていましたけど、あなたもアインズ様に助けてもらえたんですね。よかった」

「はい。あの、えと……おかげさまで?」

「あらためてご紹介します。僕の妻の、エンリ・バレアレ」

「あらためまして、ニニャさん。もう何年ぶりでしょうか?」

 

 健やかに笑う夫婦は、続けざまに腕の中で小さな手を伸ばして遊ぶ“双子の姉妹”に目を落とす。

 

「そして、この子は、アイ・バレアレ。エンリが抱いている子は、ンズ・バレアレ」

 

 アイ、そして、ンズ。

 ニニャは咄嗟に、その名づけの由来を把握することができた。

 

「アイ……ンズ?」

「ええ。アインズ様にお許しを頂き、この子たちの名前に付けさせてもらったんです」

 

 二人が結婚し、子をすでに産んでいることは伝え聞いていたが、まさか双子だったとは。

 驚きながらも微笑むニニャを見つめるアインズは、エンリたちの名づけを笑うに笑えない。

 アインズとしては。

 アインズの名は、かつての仲間たちと決めた思い出の結晶ではあるが、実際には仮の名だ。アインズ個人への恩義から子らにその名を受け継がせようとする二人の意思は尊重に値するが、つけられるのはやっぱり仮の名だ。しかし、アインズ・ウール・ゴウンという名には嘘も虚飾も偽りもない。であるなら、アインズは胸を張ってもいいのだろう。だからこそ、二人が我が子二人にアインズの名をつけることを許したが……なんというか……

 

「まったく、おまえたちは。

 私の名を使わずとも、もっと別の名をつけても良かったのではないか?」

 

 とりあえずの苦言を呈するアインズであったが、応じる二人の表情はどこまでも晴れやかだ。

 

「私たちは皆、アインズ様に命を救われ、こうして生きることができたんです」

「ゴウンさんがいなければ、この子たちも生まれることはなかったと思うと……やっぱり、この名前しかないだろうと思って。みんなで相談して、決めたことなんです」

 

 二人の気負ったところのない言葉に、アインズは面映ゆそうに頬を掻く。

 ニニャは理解する。

 アインズの顔面は、いつものようにアンデッドの骸骨のそれであるが、二人はまるで意にも介していないように微笑みの相を深めている。幻術対策が未だ整っていないニニャが見ている光景は、確実に現実のそれだ。二人は魔導国の国主が、自分たちの恩人にして強大な魔法詠唱者である彼が、アンデッドである事実を完全認識していることになる。

 人と異形が手を取り合える理想国家。

 その縮図が、ニニャの眼前に広がっているのだ。

 ふと、アインズは指先をこめかみに伸ばし、虚空に視線を彷徨わせる。

 

「アルベドか……わかった。皆を連れてすぐに会場へ向かう。〈転移門〉の用意を頼む」

 

伝言(メッセージ)〉を受け取り終えた魔導王は、一同を睥睨しつつ、階下から茶器を載せた盆をもって現れた少女に一早く謝った。

 

「すまない、ネム。向こうの準備が整ったようだ。悪いがユリたちへの茶は、向こうでいただこう」

「わかりました、アインズ様」

 

 ネムが勢いよく頷くのと同時に、ダイニングから外へと開放されたテラスに、黒い靄のような空間の裂け目が浮かび上がる。転移魔法の中でも最上級に位置する〈転移門〉からは、純白の悪魔がしずしずとした歩調で姿を現し、主人たちへ会釈を送る。

 アインズは朗らかな口調で全員を導いた。

 

「そろそろ祭りの時間だ。全員、会場へ向かうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正午を告げる鐘の音と共に、都市の噴水広場に特設された主会場にて、彼女は拡声器――マイクスタンドの前に姿を現す。傍らに夫のンフィーレアと妹のネムが従い、二人はそれぞれ、この祭典の主役たる双子を抱いていた。

 深く息を吸い込む女は、どこか子供っぽく、されど都市を治める長としての威厳に満ちた声を張り上げる。

 

「これより! 祝賀会を開催します! 皆さん、十分たのしんでください!」

 

 城塞都市エモットの都市長、外地領域守護者エンリ・バレアレが二子に恵まれたことを祝賀する祭りは、エンリ自身の短くも堂々とした宣言と共に、盛大に開催された。

 居並ぶ人が、亜人が、異形が、雲が割れんばかりの歓声を上げて、魔導王陛下御自らが下賜した魔法の乳児服を着せられた双子の誕生を祝う。

 わけても、エンリの側近として忠誠を誓う5000人のゴブリンたちの感激ぶりは突出していた。近衛隊隊長のジュゲムが同隊のレッドキャップスと肩を組み、軍師やコナー、ブリタやアーグたちがジョッキを打ち鳴らして快哉を叫ぶ。通りを練り歩く軍楽隊の演奏は、最初からクライマックスのような大音量だ。花火が盛大に打ち上げられ、魔法の花吹雪を会場どころか都市全体に降り注がせていく。

 

「すごい熱気だね」

 

 ニニャは感嘆の声をあげるしかない。

 

「本当ね」

 

 妹と共に貴賓席に座るツアレも、同意見だった。

 朝早くから訓練に勤しみ、演習を繰り広げていた兵士たちも皆一様に、パレードの大歓声に加わっていた。空を駆ける航空騎兵――実体を得ている蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)たちの編隊飛行も見事に過ぎる。魔導国の国旗を垂らした目抜き通りには、祝賀パレードを一目見ようと見物客が殺到し、その興奮の度合いは怖いくらいだ。

 ニニャは特設ステージで魔導王たるアインズ、そしてセバスをはじめ居並ぶ守護者各員と共に、各都市長や有力者らしい人や亜人や異形と簡単な挨拶や遣り取りを行うエンリを見つめる。こういう時の儀礼や作法にはとんと疎いただの魔法詠唱者のニニャから見ても、その様は堂に入った態度で、思わず尊敬してしまう。

 あれが数年前まで、ただの小さな村の村娘だったなんて、考えるだけで凄すぎる。

 エンリとアインズは、白銀の全身鎧を纏った奇怪な――こういった場で兜を脱がないというのは、さすがにニニャの目から見ても礼を欠いていると判る。否、もしかしたら魔導国ではあれが礼儀に適っている可能性もありえるが――人物と親身に何か話し込んでおり、その人物とは余程の友誼を交わしていることが推察できた。隣に立つ人物は、鎧の人の友人だろうか。

 ニニャの視線は、広場を埋め尽くし、目抜き通りを南へと進むパレードを眺める。パレードは、城塞都市全域を平等に練り歩くと聞く。かつてはモンスターに襲われる危険もあった街道は、いまではすべて都市内部に組み込まれており、北はアゼルリシア山脈の麓、湖上に築かれた新都市から、南は三重の城壁という堅固な守りを布いていたエ・ランテルに至るまで、すべてが城塞都市エモットに再編されているとのこと。

 その都市中央の草原――不可侵領域として、ほとんど誰の立ち入りも許可されていない場所の何処かに、ニニャが蘇生を果たしたナザリック地下大墳墓が存在しているのである。

 つまり、現在ナザリック地下大墳墓へ侵攻しようとするならば、広大な草原を守護する、さらに広大無比な城塞都市を突貫する必要に迫られるわけだ。大陸が魔導王によって平定された今では、敵対勢力など何処にも存在しないのだが。

 にも拘らず、魔導国は、アインズは再三再四にわたって軍拡を続ける旨を、ニニャに語って聞かせていた。

 ニニャは不思議でならなかった。

 これだけの力を、これだけの民を、これだけの魔法を、これだけの技術を保有する大陸国家が、さらなる軍備拡大に邁進する、その理由。

 

「ニ~ニャ~さんっ!」

「わっと!」

 

 思わず、肩を震わせるほどに驚いた。

 振り返った先には、活発な笑みを浮かべた少女の姿。

 

「ネ、ネム、さん?」

「一緒にお祭り、見て回りませんか?」

 

 同年齢――もしくは年上――に成長したネムは、同じ妹同士で親交を深めようと誘いに来たようだ。

 

「いや、でも今日は姉さんとマルコに」

「私たちのことは気にしないで」

 

 ツアレは妹の懸念を笑顔で否定した。

 

「私たちには戦闘メイドの皆がついているし、ネムちゃんにこの都市を案内して貰ったら?」

「……いいの?」

 

 遠慮がちに姉とネムを見比べる。

 ユリやナーベラル、シズの三人も微笑と瞑目、首肯を返してくれた。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 好奇心に負けて、ニニャは首を頷かせた。

 にっこりと微笑むネムに手を引かれ、喧噪渦巻く都市の祭りに駆り出される。

 露店巡りにパレード見学、亜人たちの異種格闘技に、エルダーリッチたちの魔法の人形劇が見所なのだとネムは語る。

 都市長の妹を護るように侍る屈強なゴブリンの護衛たちにどぎまぎしながらも、ニニャは新たな友人と共に、とても楽しい時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり、ネムに頼んでおいて正解だったな。

 アインズは内心で、自分の見事な差配ぶりにほくそ笑む。

 

「どうかしたのかい、アインズ?」

「いや、なんでもないさ。ツアー」

 

 それまでの戦歴を示すかのような、傷だらけなれど降り積もった年月の重みが美しい白銀に輝く鎧をアインズは見やる。がらんどうの奥から響くような声に、魔導王は内心を隠すことのない朗らかな口調で応えた。

 

「ああ……あの()が、君が話していた?」

「そうだ。君に創ってもらっている指輪を与える魔法詠唱者だ」

 

 全身鎧は納得したように首肯すると、兜のスリットの奥にはない、別の場所にある細い瞳を細めた。

 

「すまない、アインズ。友人の頼みはできる限り叶えたいけれど、指輪の製作はまだ――」

「難しいという事情は判っているとも、ツアー」

 

 だが、不可能ではないはずだ。

 そのために、アインズも協力を惜しむことはない。

 ツアーが創れる“始原の魔法(ワイルド・マジック)”製のアイテムは、聞くところによると八欲王との戦いの影響で製作は困難を極めるという。彼らによって竜王たちの扱ってきた、この世界本来の魔法は歪められ汚されてしまったのだとも。

 ツアーは同盟者たる魔導王の言に笑みの気配を声にした。

 

「まったく。君の要求は毎度、ぼくを驚かせてくれるね」

「そうかな?」

「死霊術師というのは、竜王を驚かせるのが生業だったりするのかな?」

「それは……ふふ、どうだろうな?」

 

 アインズは彼の言葉は否定しなかった。実際、自分の要求や提案が彼を驚かせたことは一度や二度ではない。

 二人は笑みを浮かべ、在りし日の戦いに、その時に犠牲となった者らを等しく思い起こしていた。

 亡き友人を思い起こす自分に苦笑しつつ、鎧は来た時と同じく軽い会釈を送る。

 

「そろそろ僕らは行くよ。都市をただ巡るというのは久しぶりだから、じっくり見ておきたいし」

「じっくりと見たいなら、宿をとらせようか? この都市最高の宿屋、バレアレ商会が誇る“小鬼たちの護り亭”に部屋を用意させるが?」

「気遣いには感謝するよ。けれど、ぼくも彼女も、休息の不要な体だ。君の手を煩わせるのも心苦しいし」

「それもそうだったな。要らぬ世話を焼こうとして、すまない」

「なんの。なんの。それでは友よ、僕らはこれでお(いとま)させてもらうよ」

 

 一週間後にまた会うことを確約しながら、ツアーの鎧と、鎧に同伴していた仮面にローブで全身を覆う娘は去っていった。

 アインズは彼らを見送った後、広場を、そして都市を眺める。

 少なくとも七日七晩は続けられるという祝賀祭は、まだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第2話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城塞都市エモットで開催されている祭りは、その主役たる双子を抱きかかえた夫婦、ンフィーレア・バレアレと、領域守護者エンリ・バレアレを巨大かつ壮麗な輿に担ぐ戦妖巨人――小鬼軍団の配下に編入されている――十数名を中心に構成した軍楽のパレード部隊が、各都市や街道を練り歩くことを主目的としている。

 無論、ただの人間である二人と双子を七日七晩不眠不休で乗せ続けることは不可能(アイテムで耐性を与えることは一応可能だが)。その為、もっぱら彼らを模した像を輿に担ぐことで、とりあえずの代行としている。ドワーフ謹製の大理石で出来た石像は見事な出来栄えで、この祭りが終わる頃には、都市中央の巨大広場に鎮座されることが確約されているのだが、モデルとなった夫妻は恥ずかしさのあまり像を直視できていないのは内緒である。人々は、像に見立てられた領域守護者とその夫、その双子への感謝として、花束や金貨を輿に投げ入れていく。輿はあっという間に花々で埋め尽くされ、戦妖巨人でも担ぎ続けるのが困難な量になる……ことはない。そういった贈り物は一定数たまった時点で、隠れて同乗している転移魔法が使えるシモベたちが転移させているわけだ。

 祭りには真の意味で多種多様な種族や存在が集まり犇めき、イベントの狂騒に花を添えていた。

 通りを並ぶ露店では商品と金銭が大量に遣り取りされ、軍楽隊の奏でる行進曲が喝采を浴び、広場では人と亜人の異種格闘技が白熱の度合いを深め、人々は公的に催されている賭場の熱に当てられているかのように選手たちへの檄を飛ばす。相も変わらず警邏のために遣わされた死の騎士(デス・ナイト)の肩に乗った子供たちが見つめる先で、普段は政務の補助を任されている死者の大魔法使い(エルダーリッチ)たちの操る人形たちが繰り広げるのは、魔導王とその配下の偉業を伝えるための冒険劇。特に、1000人を超える侵入者を撃滅した至高の四十一人の話は、子どもたちのお気に入りである。魔法によって派手な火球や雷光が小さな劇場内を迸り、わけても魔導王陛下が戦いに敗れた守護者たちを手厚く遇する様などは感涙ものである。

 

 

 

 

 

 そんな祭りの熱も、六日、七日も続けば沈滞していく――ことはありえなかった。

 むしろ、ここからが本番とも言うべき大イベント、魔導王陛下御自らが、第十位階を超えた奇蹟の領域、神すらも覆す最高位の魔法“超位魔法”をお披露目してくれる時が迫っていた。

 アインズは、誰一人として見たことのないような美しい魔法陣を展開する。

 一度として同じ形状や紋様を保たない流動性に富む蒼く澄んだ光の収束は、御身を中心とした十メートルほどの空間を埋め尽くす巨大なドーム状の魔法陣が展開され、魔法の知識の有無にかかわらずそれそのものが偉大な魔法のようにさえ思われるだろう。

 だが、アインズはさらなる奇跡を天上に向け解放する。

 唱えられた魔法は〈天地改変(ザ・クリエイション)〉という超位魔法。

 この魔法の効果は、フィールドエフェクトの変更というもので、これそのものに攻撃能力などは備わっておらず、また今回アインズがもたらしたエフェクトというものにも致傷性は絶無である。

 魔法は天を覆い尽くし、やがて地の彼方にまでという広範囲を包み込んだ。

 そうして、都市中の国民が固唾をのんで見守り続ける夜空の向こうから、それらは降り注いだ。

 

「……おお――!」

 

 誰ともなく息を漏らしてしまうそれは、星空を駆ける流れ星。それが、無数。

 雨のように、風のように、万華鏡のように夜空を覆い流れる流星群が、城塞都市を輝かせ、人々の瞳に魔導王がもたらした奇跡の大きさを実感させる。

 静まり返っていった群衆が、夜の闇を弾かせるような歓声を上げた一瞬、終わりなき感動と祝福が世界に轟いた。

 

 人が、亜人が、異形が、すべての魔導国の臣民が、魔導王万歳を斉唱し、領域守護者エンリへの万謝に熱狂した。

 

 この流星雨は、およそ一日以上、祭りが終わる七日目の夜に至るまで、人々の営みの頭上を駆け巡り、魔導王の偉業の歴史に加えられることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 盛大な祭りが都市中で催されて、七日目の朝。

 

 祭りの一日~三日目、アインズは礼賛に訪れるべく大陸各地より訪れた有力者や豪族ら――友誼を交わし傘下に加えた者たちから、一度は矛を交え滅びの恐怖を植え付けた者たちまで――を、平等に都市へと迎え入れていた。

 彼らから献上される贈り物や献上品というのは、名目上は祭典の主役たるエンリ・バレアレとその子らへの供物であるが、実際にはアインズ・ウール・ゴウン魔導王という超越者への恭順を新たに示すための贄の側面が大きい。無論、人間の赤子用に創らせた服飾や装身具はアイとンズ姉妹に送られるのだが、さすがに金塊の山やモンスターの剥製などは、エンリたち親子に処理できる物件ではないのだ。それらはとりあえず宝物殿のパンドラズ・アクターに鑑定させ、物によってはエクスチェンジボックス(シュレッダー)にブチ込み、物によっては保管させている。中には面白い魔法効果を秘めた薬草や新発見の珍獣などもあるため、彼らという献上者の存在を割とアインズは重宝している。

 四日目になってようやくアインズは、普段の通りに都市散策の幻術を張って、認識阻害のアイテムを身に着けたエンリたちと共に祭りを堪能し尽くした。すっかり友人関係を構築したネムとニニャも連れて。守護者複数が交代で護衛につきながらの散策を満喫したアインズは、一日中ご機嫌極まりない感じで、とある計画(・・・・・)の準備を進めさせていた。

 その下見も万全である。

 アルベドには衣装の製作を、シャルティアには衣装の材料を、エンリには土地と聖堂を、という具合に守護者たちにはアインズの企図する計画の一端を担わせている。実現までの期限は短かったが、皆の協力のおかげで、この時にはすでに準備は万端整えられていた。

 五日目と六日目もまた、城塞都市で祭りを楽しみつつ、大陸に散る各都市守護者の地位を与えた現地人や、アインズ謹製の上位アンデッドたちからの政務報告に目を通し、油断なく国の運営に邁進していく。ニニャへの魔法授業も忘れることはない。

 そうして、六日目の夜に流星雨という一大イベントを民らにプレゼントしたアインズは、城塞都市の屋上、バレアレ一家が住まう村のような邸宅の一角に造らせた一軒家――造りとしては、日本家屋のようなそこに寝泊まりしていた。

 朝の陽射しが部屋を満たすと共に、アインズは読んでいた本を閉じた。

 

「では、私はこれで御前、失礼いたします」

「うむ。ゆっくりと休め、インクリメント」

 

 アインズは正座の姿勢を取り続けていたメイドがお辞儀するのを見送りつつ、白黒のメイド服の少女が楚々とした仕草で物音も立てず開けた襖の奥へと消えていくのを確認する。

 思わず、息を吐く真似をする。

 メイドたちのベッド番は、数年たった今でも、相も変わらず続けられている。

 否、この場所ではベッド番というよりも布団番という方が適切だろうかなどと、どうでもいいことを考える。アインズが身に着けている寝間着も、日本文化を象徴する爽やかな浴衣着であるが、それにしても、男女がひとつの部屋で夜を共にするというのは、やはり公衆観念から考えるとよろしくない印象が拭えない。おまけに、インクリメントもそうだが、その前までのメイドたちも寝ずの番の間中、誰一人として正座の姿勢を崩すものはいなかった。数時間も正座をさせっぱなしにするなど酷い拷問のようにも思えるが、ここは畳の青い香りが似合う和室である以上、彼女たちが正座の姿勢をとることは不思議でも何でもない。これ以上の礼儀などないほどに、あたりまえな行為ですらある。

 彼女たちは一様に疲労や睡眠を感じないアイテムを与えているため、苦痛などありえないとわかってはいるのだが、部屋に二人きりな状態で正座をした少女に凝視され続けるというのは、ひどく心苦しい。かつてほどに辟易した感じをアインズが抱いていないのは、さすがに支配者としての振る舞いに慣れが生じてくれているおかげだ。

 しかし、それでもうら若く美しい乙女からの不動の視線というのは、何とも言えない罪悪感をアインズの胸中にわだかまらせる。自分のことは放っておいて寝てくれてもいいのだが、そんなことを彼女らが承服しないことは判り切っている。主人が休まないのに、その主人の前で休み寝入るなど言語道断だろう。いっそのこと「一緒に寝るか」なんて発言したらどうなるのかとも考えなくもないが、さすがにヘロヘロさんたちをはじめ、かつての仲間たちの創ったNPC(むすめ)たちと同衾するなど、あってよいことでは断じてない。

 この場所で寝泊まりと言っても、アンデッドであるアインズは、相変わらず睡眠や休息は不要であるため、あくまでこの都市での滞在場所として、最高の防御魔法を幾重にも張り巡らせた城の、さらに防御を重ねられた領域守護者たちの邸宅地が、一番安全であるからの選択に過ぎない。

 普通に考えれば城の屋上に、村にも似た家屋が建立されているだけの様子は無防備かつ無警戒に見える措置なのだろうが、領域守護者に任命されたエンリは、もともとが単なる村娘であった。都市長としての絢爛豪華な住宅よりも、こじんまりとした村に普通にある程度の住居を、彼女と彼女の家族は好んだ。二階建てという構造は、村ではなく都市ぐらいでしかお目にかかれないものであったが、さすがに領域守護者が住まうものとしての威儀として、あの巨大邸宅はひとつの妥協点であったのである。アインズとしても、とある理由からエンリの意見に肩入れしたため、守護者たちの反対意見は引く波のごとく静かになった。

 そうして、屋上の村において、その二階建てに唯一比肩するのが、アインズが特別に造らせた、この一軒家なのである。

 造りは平屋ではあるものの、坪面積で言えばエンリたちのそれとほぼ変わらない。

 それに何より、この場所はアインズの密かなお気に入りでもあった。

 

「……やっぱり落ち着くなぁ、ここは」

 

 アインズが仮の寝起きをしているそこは、高級旅館のような、広さ数畳程度の畳敷きの和室だ。

 干したてのようないい匂いの布団は柔らかく、アインズはその上に胡坐をかいて、ぼーっと開け放った障子の向こうの光景に見入っていた。

 中庭は、松の木や灯篭が立ち並び、古池に橋のかかる日本庭園の装いである。

 アインズはこういった和風の光景を見るのは初めてではない。ユグドラシルで遊んでいた時は勿論のこと、ナザリックにある露天風呂にも、これと似たような――しかし規模で言えばこちらの方が上である――光景は存在するのだ。さらに、図書館にある拠点内装用データを収録した建造物の参考資料があった為、この異世界で純和風な庭を再現することは不可能ではなかった。

 しかし、本当に落ち着く。

 日本人の原風景ともいえる中庭は朝日の薄明りに照らされ、慎ましく家主の視界におさまっている。

 エンリに肩入れして、この屋上に小さな邸宅を建てる際に、アインズが自分の宿泊用に準備させた住居のなじみやすさが、日々国政に携わるストレスフルな生活を強いられた一般人の心根に束の間の安らぎを与えてくれる。

 

「やっぱり和室を作らせて正解だったなぁ……おっと」

 

 次のアインズ当番が出入り口の襖の方から近づいてくるのを耳聡く察した。

 アインズが読んでいた本は、重厚感のある難解な題名のハードカバーにすり替え、部屋の始末をするメイドに見られても良い工作を万全整える。

 

「おはよう、デクリメント」

 

 無邪気に目を輝かせた瞳に、短い髪が特徴の活発なメイドが、やはり日本文化に則った姿勢で、襖の奥から現れた。

 アインズはゆっくりと、しかしはっきりと意識を切り替えていく。

 例の件の進捗をアルベドとデミウルゴスに確認せねばと思いつつ、デクリメントが用意した今日のコーディネイトに身を包むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祝賀祭七日目を迎えた城塞都市エモットの熱気は、留まるところを知らない。

 都市を練り歩いてきた軍楽隊のパレードが、都市中央の城下町に戻ってきた。

 いよいよ、七日続けられた祭りは、終局に差し掛かったのだ。

 祭りの最後を告げる花火が、都市の鐘の音と共に轟く。

 

「いよいよ! 祭りも終わりですが! みなさん、最後まで楽しんでください!」

 

 熱狂的な声の波濤にさらされながら、領域守護者は悠々と、己の役儀を務めあげる。

 市民らが残る一日の時間に歓喜と寂寥、等分の感慨を大音声に滲ませながら、そこに座する超越者にして頂上者たる者たちに喝采を送る。

 都市は、祭りの最後にふさわしい活気と共に、与えられた祝賀の時を甘受し、賛美の歌と、笑顔の花と、ここに存在する奇跡への感謝を謳い踊る。

 

 

 

 

 

 そんな民たちの熱を間近に感じつつも、魔導王と守護者たちはステージを後にする。

 各地より集った歌手(シンガー)音楽家(ミュージシャン)、戻ってきたゴブリンの軍楽隊の奏でる歌劇が催されるのだ。アインズ・ウール・ゴウンを讃える役者(アクター)吟遊詩人(バード)たちが舞台を舞い踊り、漆黒の英雄に扮するものらが、魔王ヤルダバオトの討伐戦を再現する。ナザリックのシモベたちで魔法の演出も加えられたそれは、街の端々で見られた人形劇よりも客たちの興奮を買う出来映えである。

 この祭りで通算七度目となる英雄譚の上演は昼過ぎまで続き、しかしその人気ぶりはすさまじく、広場は円形闘技場のように増設された観覧席では収まりきらないほどの人ごみに溢れ、立見席まで満員御礼の盛況ぶり。

 それもそのはず、この最後の劇は、『漆黒の英雄譚』の編纂者にして当事者――英雄モモンと肩を並べ、悪逆非道の魔王と戦い、世に平穏をもたらした至高の国主、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下も御出演されるのだ。これまでの上演では、演じることすら憚られる魔導王陛下の役を、当事者本人が演じることなど初めてのこと。

 

「――ああ、モモンよ! そなたらの名誉の死を、私は決して忘れはすまい!」

 

 随分と演技過剰に見える所作であるが、その演技っぷりは人気の役者や詩人すらも恥じ入るほどに洗練され、尚且つ語られる声音は聴衆の耳に心地よく、劇に見入る者らの種族に関わらず、その瞳に鮮烈な感動を描かせた。

 魔法、国政、叡智、軍略――カリスマのみならず、魔導王は“俳優”としても万能であることを知らしめられる国民たちは、一層以上の尊崇と敬愛を、魔導王陛下へと注ぎ込むことになるのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 そんな劇を、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)で鑑賞する守護者たちが、口々にステージ上で演じられる冒険劇を誉めそやす。

 

「へぇ、なかなかのものでありんすえ」

「マサニ、コレゾ御身ノ偉大サノ表レダナ」

「やっぱりアインズ様がいるのといないのとじゃ、全っ然、違うね!」

「う、うん。そうだよね、お姉ちゃん」

「先日までの漆黒の英雄譚も良かったですが、やはりアインズ様の登場されぬ劇というのは寂しいものであったと、再認せざるを得ません」

「珍しく意見が合うね、セバス。やはり漆黒の英雄譚において、アインズ様の存在は必要不可欠なもの。本当に惜しいものです。モモンとアインズ様の劇場での共演が、この一回のみというのは」

「仕方ないわ、デミウルゴス。漆黒の英雄モモン役を人間に代行させるのは、百歩、譲るとしても、至高の御身たるアインズ様を、低級な下等生物共が演じるなど。考えただけで……虫唾が走るわ」

「……」

 

 守護者たちの感想を、城塞都市の王城、その最奥にある玉座の上で無言のまま聞き入るのは、舞台の上にいるはずの魔導王――アインズ、その人。

 骨の指を泰然と組み、支配者の威厳溢れる佇まいで体を玉座に預けているが、その内実はもう羞恥に骨の顔面が茹で上がって赤面しているのではと錯覚しそうなほどである。

 ――言うまでもないだろうが、特設ステージの劇場で演技たっぷりに台詞を音吐朗々と紡ぐアインズの正体とは、彼の不肖の息子にして、宝物殿の領域守護者……パンドラズ・アクターの変身した姿に他ならない。

 それにしても。

 アインズの代役を務められるあいつだからこそ、今回の劇への登場を許したが、やはり早計だった気がしてならない。

 しかし、守護者たちの熱弁する『“真の”漆黒の英雄譚』にあれが必要だと言われ、この最終日での限定出演を認めざるを得なかった。普段から割と自分の我が儘を押し通してしまうアインズは、珍しく守護者たちが我を通す姿に屈してしまった。

 彼ら守護者としては、アインズが創り上げた英雄モモンが賛美されることに忌避感などないのだが、それ以上に礼拝され尊崇され敬服すべき御方を無為にしかねない中途半端な出し物――出演がほぼモモンだけで、アインズはほとんど姿を現さないように調整した脚本――を衆目にさらすことは許せなかった。しかし、この劇はアインズ本人の監修(という名のただの確認)のもとに完成された芸術である上、アインズの配役を務められるのは、アインズ本人か、アインズ謹製のパンドラズ・アクター以外にありえない。

 故にこそ、この祭りの最終日に、真に迫った冒険活劇の上映と相成ったわけである。

 アインズは微妙に精神が安定化するのを何とかこらえつつ、劇のクライマックスが終わったエンディングテーマの交響楽にまで耳を傾けていた時、とある企みを実行に移した。

 アンデッドには無用なはずの咳払いが合図となり、アインズは唐突に、玉座の傍近くに控える執事に声をかけた。

 

「ああ、うん……そうだ、セバス。ちょっと、忘れ物を思い出した。至急、ナザリックに戻り、とってきてくれ」

「承知しました」

 

 セバスはアインズが忘れたというエンリたちへの贈り物――ただの花束を取りに、城塞内の転移の間へと急行した。執事らしい落ち着いた足取りだが、その速度は疾風(はやて)のごとしである。

 

「……それでは、アインズ様。私も一度ナザリックに」

「ああ、頼んだぞ、デミウルゴス」

 

 主人の下知を得た悪魔は、セバスとは別ルートの、自ら転移を使ってナザリックに向かう。

 その左手薬指に、至高の御方々の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)をはめて。

 

「では、シャルティア。おまえも手筈通り」

「かしこまりんした、アインズ様」

 

 真祖の吸血鬼もデミウルゴス同様に指輪を与えられているが、彼女が向かったのは、ステージをもっとも良い位置で観覧できたナザリック配下の者たちのいる特等席である。〈転移門〉を開けた少女は、ほどなくして領域守護者の家族、ツアレとマルコ、さらにニニャと、彼女たちの護衛を務めていた戦闘メイド(プレアデス)六名を玉座へと連行してくる。領域守護者家族とメイドらは、訳知り顔でシャルティアに付き従ってきたが、状況を呑み込めていない姉妹は周囲を見渡して何事かと視線を彷徨わせている。

 

「さて」

 

 アインズはやってきたツアレを掌で招き寄せ、その腕の中の赤子を自分に引き渡させた。

 マルコは、アインズの骨の身体では慣れていない手つきに、しかし泣き声をあげるどころか起き上がる気配さえ見せない。まるで、そこにある気配に、死の顕現たる超越者の力に敬服しているかのような従容とした態度で、変わらず寝息を立て続けている。

 

「祭りも佳境に差し掛かっているが、ツアレよ。これより私からお前たちに、出産祝いの贈り物を授けよう」

 

 ツアレは主人のその申し出に驚き、目を瞠った。

 

「あ、あの、アインズ様……それなら、すでに妹を蘇生させていただいて」

「ふふ。何を言っているのだ、ツアレ?

 私がニニャを復活させたのは、おまえたちが子を生してくれたことで示してくれた、ナザリックの未来の可能性への礼だ。つまり……この子への、マルコ個人への贈り物は、まだ渡してはいないはずだが?」

 

 言われてみれば、確かにそうだ。

 アインズはエンリとンフィーレアの生んだ双子――アイとンズ――に贈り物を授けたが、生まれてきたマルコ本人への贈り物については未贈与のままだ。彼女への名づけを贈り物と見做せば贈り物と言えなくもないが、それをアインズ自身は認めていない。NPCの子らへの名づけは、彼らの主人であるアインズの義務であり、当然な摂理の一環とも言えたからだ。

 身内の幸福を何物よりも大切にする魔導王は、マルコ個人への贈り物を考えてきた。

 そして、数日前から、今日このタイミングで贈ることを画策してきた。

 

「私からマルコへの贈り物として、おまえとセバスの婚姻を認め、正式な夫婦の契りを交わす儀を贈ろう」

 

 アインズはツアレたちの傍に控えていた黒髪のメイドの名を宣した。

 ナーベラルは委細承知したように会釈をすると、どこからともなく簡素なローブを取り出した。かつて、彼女が冒険者として愛用していたものだが、その中身は今回に限り、ツアレ用に調整を加えられている。

 メイドが魔法のローブ……早着替えのローブをツアレの全身にかけた瞬間に、手品師のごとく素早い動作で布を取り払った。

 

「――ふわぁ……」

 

 布の奥から現れたツアレは、我知らず柔らかな声をあげていた。

 妹のニニャも、姉に起こった事象を見止め、感嘆の息をもらしてしまう。

 一瞬にして、彼女の身を包んだものは、純白のドレス。細い指先までを覆うレース地の長手袋に、華奢な胸元を飾る白薔薇の刺繍も豪華かつ繊細の極致だ。透けるヴェールを垂らしたティアラにも、ふんだんに、されど慎ましく配置された宝石の輝きも見事に過ぎる。

 美しいウェディングドレスに身を包んだ花嫁が、そこにはあった。

 

「これほどの仕立ては、都市最高の仕立屋でも、そう再現できないだろう。見事な働きだ、アルベド」

 

 宰相は微笑みを深めながら、恭しく腰を折った。その裁縫の腕を遺憾なく振るい、これだけの衣装を用意した自分を褒めるように、隠れて拳を握る。いつか来る自分の婚礼衣装には些か……ほんの些少ながら、劣る出来であったが、ツアレにとってはこれ以上ないほどに美しい白無垢の芸術であることは、言うまでもないだろう。

 感涙に口を両手で覆う花嫁姿のシモベに、アインズは堂々と宣言した。

 

「これより、セバスとツアレの婚儀を執り行う」

 

 異論の是非を問うアインズであったが、婚儀の主役たるツアレを始め、守護者たちの口から不満や意見など出てこない。ニニャも瞳を輝かせて頷いてしまっていた。

 

「では全員、準備にかかれ。新郎……セバスが戻ってくる前にな」

 

 主人の悪戯っぽい声に対し、承知という唱和が、都市の聖堂に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓にて。

 主人の執務室に無造作に忘れ置かれた豪奢な花束を恭しい手つきで取り上げたセバスは、部屋を出ると意外な人物に引き留められてしまっていた。

 自分とツアレに子を授けた世界級(ワールド)アイテムの現保有者にして、自分の娘マルコの成長に誰よりも関心を寄せて憚ることのない最上位悪魔、魔導国「参謀」にして、第七階層“溶岩”の守護者、デミウルゴス。

 忘れ物を届けるべく主のもとへと急ぐ執事を引き留めるというのは、ナザリックのシモベとしては失格な対応であるが、デミウルゴスは言葉巧みにアインズから忘れ物はゆっくりと届けてよい旨と、デミウルゴスが確認したいマルコについての事柄について答えよというアインズ本人からの命令修正を受け、彼と廊下で立ち話に興じることとなった。

 彼の愛児であるマルコの成長についての意見交換と言われては、無為にすることも憚られた。マルコは自分の愛する娘であると同時に、御方に偉大な未来を示した可能性であり、御方がその成長に些か以上の関心と期待を寄せている混血種だ。そんな我が子の成長について意見を求められたら、答えないわけにはいかない。けっして、親バカというわけではない……はずだ。

 

「ありがとう、セバス。参考になったよ。やはり父親からの視点というものも、母子の成長には欠かせないものだからね」

「こちらこそ。常々二人を見舞って下さり、感謝の念に堪えません。デミウルゴス様」

「それでは戻ろうじゃないか。アインズ様たち(・・)を待たせるのは心苦しい」

 

 セバスは彼の最後の言葉に違和感を覚えたが、とりあえず彼と共に転移の間へと向かった。

 指輪を持つデミウルゴスの転移であれば、転移の間を使う必要性は薄かったが、デミウルゴスの今回の目的は時間稼ぎに終始している。さらに雑談を交わしながらも、セバスの急ぎ足を鈍化させるなど、やることにはまったくそつがない。

 そうして、二人は城塞都市エモットへの帰参を果たした。

 二人が戻ってきたときには、都市は随分と陽が陰り始めている。

 花束を両手に抱え、玉座に急行しようとするセバスを、デミウルゴスは別の方向へと誘導する。

 疑念し、彼の行動を怪訝に思うセバスであったが、彼は仲がすこぶる悪いとはいえ、同じ主人を共に戴く仲間であり、その功績と実力は折り紙付きだ。自分を謀ることもなくはないが、直接的に危害を加えるような意図は――裏切りの疑いを持たれ、アインズの身の安全を確保した時以外――ただの一度も存在しない。もはや数年も前の出来事である。

 二人はデミウルゴスを先頭にして、城の屋上――エンリたちの邸宅とは別――にたどり着いた。

 

「ここは?」

 

 セバスの疑問は、瞬く内に悪魔が解消してくれた。

 

「見てわかる通り聖堂だよ?」

 

 悪魔は聖なるシンボルを掲げる神の御家に、何の躊躇も抵抗も見せずに近づいていった。

 まるでここに通うことに慣れ親しんだ信徒のように、行動には迷いや恐れは見えず、後続の執事を招き入れる所作もかなり堂に入っている。

 正面入り口から入った聖堂内は暗幕が締め切られているのか、ほとんど黒い闇でしかなかった。

 しかし、セバスというナザリックに仕えるシモベは、そこで蠢動の気配を見せる同族たちを、そして何より、主人の存在を確かに感じた。無論、セバスには恐れや疑いは一切抱いていない。ただ、何事だろうという戸惑いを覚えつつ、悪魔と共に通常よりも巨大な聖堂の中に歩み入った。

 途端、入口の扉を締め切られる。

 セバスの意識が完全な闇に包み込まれる刹那、

 

「な……なにを!?」

 

 自分の背後に回ったデミウルゴスが、まるで執事を羽交い絞めするように何らかの布を被せた。

 反射的に防御が遅れたのは、単純にデミウルゴスから敵意や殺意といった戦いの気配が絶無だったことと、布を被せるだけという行為を攻撃だと認識できなかったせいだ。無論、盲目や拘束といった状態異常をもたらす行為であれば難なく無効化されるのだが、この布――魔法のローブには、そんな攻撃性能は備わっていない。

 故に、セバスは次の瞬間、訪れた柔らかな光の只中で、自分の装備――執事服が変貌していた事実に気づくのに、数瞬の時間を要した。

 漆黒に彩られた執事の戦闘服が、今や完全に純白の燕尾服(タキシード)に取って代わられてしまっている。創造主より与えられた衣服を勝手に着せ替えられた事実に憤懣を抱くよりも先に、セバスはその光景に身を硬くしてしまう。

 

「こ……これは?」

 

 猛禽のごとく鋭い視線が、その景色を前に、瞠目することは避けられなかった。

 永続光(コンティニュアル・ライト)のみならず、外からの光を遮っていた暗幕も一瞬に取り払われた聖堂内は、輝かんばかりの白い内装と、これまた純白の花の環が信徒席の長椅子に飾られ、それ自体が輝いているかのよう。空気は磨かれたかのように静謐、新鮮な花の芳香をわずかに漂わせながら、薔薇のように色鮮やかな真紅の絨毯(ヴァージンロード)(あで)やかに映る。

 

「驚いたようだな、セバス」

「ア、アインズ様?」

 

 茫然自失の(てい)にあった老執事は、いつの間にか至近にまで接近していた御身の気配にようやく振り返った。

 アインズは執事が取り落とさなかった花束を受け取ると、とりあえずアイテムボックスに仕舞う。これで花束は役目を終えた。

 

「白のスーツも、なかなか似合っているじゃないか。やはりデミウルゴスにコーディネートを任せて正解だったな」

「恐れ入ります」

 

 主人に褒められた悪魔は、輝かんばかりの笑みを浮かべて腰を折る。セバスはようやくデミウルゴスの行動が、敬愛する主人の企図によるものであったことに気づき、しかし疑問せずにはいられない。

 

「アインズ様……これは、いったい」

「私から、おまえとツアレの生んだ娘――マルコへの出産祝いを贈ろうと思ってな。それで思いついたのが、おまえたちに正式な婚儀を挙げさせようと……」

 

 不満かと、やや不安を覚えるような口調で訊ねる主人に、執事は首を振って礼拝する。

 

「あまりにも勿体ないお言葉。甘んじて受け取らせていただきます」

「よかった。おまえのことだから、自分には過ぎた褒美だと言って断られるかとも危惧していたぞ?」

 

 確かに。これがセバス個人への贈り物であったのなら、その過分に過ぎる褒美の重さに、セバスは耐えきれなかったかもしれない。

 だが、これはセバスにではなく、生まれてきた我が子、マルコへの贈り物と聞かされれば、納得しないわけにはいかなかった。

 あの()もまた、至高の御身に存在を祝福してもらえる。

 生まれた瞬間から、否、生まれるよりも前から、アインズが竜人と人間の混血となった存在を言祝いでくれていたが、正式かつ正統な贈り物というものは未だ受け取ってはいなかった。この城塞都市にて催された出産祝いの祭典、アイとンズの双子の姉妹に贈られた御身謹製の魔法の乳児服と同じく、これがマルコへの祝いの品なのだと言い聞かされれば、抗弁する余地など何処にもない。

 

「して……ツアレはどちらに?」

 

 セバスの早着替えさせられた衣装が花婿の姿だということはわかった。

 であるなら、自分の妻となる人間の女をセバスは探すが、少なくとも聖堂内には見当たらない。

 信徒席――客席の長椅子にはすでに各守護者をはじめ、この大聖堂を提供してくれたエンリたちバレアレ夫妻に、その妹ネム。ユリやペストーニャ、一般メイドたち。アインズと親交のある白銀の鎧姿の竜王と、その友人である娘などが着席している。アインズ謹製の死の騎士(デス・ナイト)死の騎兵(デス・キャバリエ)蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)たちが警護として数体、屹立の姿勢を保って聖堂の壁際や柱の陰に列せられている。

 

「心配ない。彼女たちもすでに準備は万端だ」

 

 アインズが振り返り見た先で、聖堂の出入り口が音を立て開放される。

 扉を開け放った戦闘メイドのシズとエントマ、ナーベラルとソリュシャンを伴い、唯一の親族としてマルコを抱いたニニャの腕に僅か手をまわして現れた花嫁の姿に、新郎(セバス)は時を忘れて見入ってしまう。

 それはまさに花だった。

 純白の布で編まれた白薔薇に飾られ、白金の糸を織り込んだとしか思えないほどに穢れのないヴェールで(かんばせ)を覆った、無垢なる花の妖精。清廉かつ精美な女の姿は、強固かつ頑健な竜人の心臓を暴れさせ破裂させんばかりに魅力的であった。

 これまた純白のブーケを握る美の結晶は、愛しい人へ向けて愛嬌のある笑みを浮かべて応える。

 

「おお……」

 

 思わず感嘆の吐息を漏らしてしまう。

 ぺこりと可愛らしく頷く伴侶の愛くるしい姿に、セバスは頬が赤くなってしまうのを止められない。

 

「ではこれより、我が名の下に、セバスとツアレの婚儀を執り行う」

 

 すでに列席者に宣していた言葉を繰り返し、アインズはセバスを祭壇の方へと誘導する。

 祭壇には、ナザリックが誇る神官のメイド、ルプスレギナが待っているが、祭壇は僅かに脇へと寄せられている。

 魔導国での婚姻というのは、魔導王陛下の裁可のもとに公正なものという法が敷かれており、言うなれば、アインズこそが神の位置する正面に座することになるのが必然となる。ここ以外の通常の聖堂や教会では、アインズが玉座に座する姿をした偶像が備えられており、結婚するものたちはそのアインズ像に婚礼の報告と許可を求める構図となる。友人の子らの結婚式なのだから、大人しく客席に座っていたい気もしないでもないが、さすがに自分の立場では守護者や他の皆と同席同列になることはありえないとわかっているので、アインズはしぶしぶ祭壇の最上段に腰を落ち着けるしかない。

 そして、この位置で腰を落ち着けるとなると、通常の位置にある祭壇だとアインズの視界を遮ってしまうため、祭壇で婚礼の宣誓を確認する神官は、正面からわずかに脇へと寄せるしかなくなるのだ。

 何とも奇妙な婚姻の儀であるが、出席者たちは一様に真剣な様相で、新婦入場の聖歌に聞き入っている。

 白く透き通ったドレスの端をシズとエントマ、ナーベラルとソリュシャンが支え持ちつつ、ツアレの足運びはしずしずと、しかししっかりとした歩調で、一歩、一歩を前に踏みだしていく。彼女は己の右脇に、死した父の代行にして、新婦の娘を除いて唯一の親族である妹を伴い、新郎の待つ場所にまで至った。

 愛しき男は儀礼通り、祭壇まで至る中ほどで、新婦と新婦の介添えを務めた妹を迎え入れる。

 ニニャとセバスが互いにお辞儀をし、妹は新婦(ツアレ)新郎(セバス)へと引き渡す。

 二人は肩を並べ、真っ赤な絨毯の上を、さらに先へ進む。

 置いてけぼりになるようなニニャであったが、彼女は微笑みさえ浮かべながら、新たな夫婦の後ろ姿を見送り、席に戻る。姉を送り出す重大な役目という緊張から解放されて、ニニャは静かに、だが大いに息を吐いた。腕の中のマルコは、まるで場の雰囲気を察しているかのように大声でぐずりだすこともなく、叔母のぬくもりにしがみついてくれる。えらいねと姪の髪を梳いて褒め称える。

 新郎と新婦は腕を組み、一歩、さらに一歩を踏みしめ、アインズの待つ祭壇への歩みを止めることはない。

 既定の位置にまで辿り着いた二人は、しかし臣下の礼として膝を屈する。

 新郎と新婦は、脇の祭壇で宣誓の有無を確認する女神官の祝詞に聞き入りつつ、アインズへの敬服の姿勢を崩さない。

 

「ええ……セバス・チャン、ツアレニーニャ・ベイロン。

 汝ら、太陽の生まれる時も滅び行く時も、終生、愛し続けることを、至高の御身たるアインズ・ウール・ゴウンの威光のもとに誓うか?」

「誓います」

「誓います」

 

 二人の誓いの言葉を聞いたルプスレギナは、満足そうに、だが真剣な面持ちを崩すことなく、結婚の立ち合いができた事実を後背に座する御方に感謝しながら、次の手順に移る。

 結婚指輪を新郎に託し、新郎はそれを、新婦の薬指に――介添人役のシズに手袋とブーケを預けてから――はめこんだ。

 そうして、次なる儀礼を二人に促す。

 

「では、誓いのキスを」

 

 わずかに二人の肩が震える。

 セバスは覚悟を決めて立ち上がり、同じく立ち上がったツアレの方へと向き合った。

 白無垢の奥に隠された女の顔を見るべく、男は真摯な手つきでヴェールを頭の上に。

 純白と金糸の髪の中に映える、紅色の頬。

 きっと自分も、これくらい顔を赤らめているに違いない。

 そんな事実に目を瞑りながら、セバスは何度目とも知れぬ接吻を、愛しき者の唇に落とす。

 

「これをもって、二人は見事夫婦となった。アインズ様に、感謝を」

 

 喝采と拍手が聖堂の吹き抜けに響き渡る。列席していた守護者やニニャ、メイドや客人らは勿論、参列を許されていたアンデッドたちまで、すべて定められていたかのように手を叩き囃し立てている。

 その中にあって。

 最後まで続いた骨の掌の奏でる音色が、何ものよりも音高く新たな夫婦の誕生を祝福していた。

 

「私より祝福を贈ろう。セバス・チャン。そして、ツアレニーニャ・チャン」

 

 拍手をとりあえず終えて、二人を壇上から言祝ぐアインズ。

 新たな門出を迎えたシモベたちに、アインズは最後に結婚の証明書として、祭壇に準備していたとある書類に二人の名をサインさせる。書類を受け取ったアインズは、それをデミウルゴスへと手渡した。

 婚儀は滞りなく終了の時を迎える。

 

「おめでとう、二人とも」

 

 言ってアインズは悠然とした手ぶりで二人に退場を促す。

 最後の最後の儀式として、二人は並んで進んできた道のりを進む。

 そんな二人の背中を見送るアインズは、一抹の寂寥感を覚えつつも、その晴れやかな姿をじっくりと堪能する。

 何というか……本当に親になった気分だな。

 そんな感慨を抱く自分が、しかし、まったく不快ではない。

 

「アインズ様」

 

 いつの間にか傍らに立っている純白の悪魔が、そっと手を差し出してくれていた。

 列席していた者たちと共に、アインズ自身もまた、二人の進む道のりを歩みだす。

 外に出ると夕暮れの時はいつの間にか過ぎ去り、満天の星が都市を覆い尽くしている。

 そうして、アインズが昨夜行使した超位魔法の流星雨が、優しく世界を包み込んでいる。

 祭りは終わりを迎える。それでも命は続いていく。

 まるで二人を、そうしてアインズたちナザリック地下大墳墓を祝福するかのような輝きを瞳の奥に刻み込みながら、アインズは彼らの幸せを、その前途に幸多からんことを約束しようと、神などにではなく、己自身に、強く、固く、誓うのだった。

 

 

 

 

 

 アインズがセバスたちに記名させ、デミウルゴスに渡した書類。

 そこに書されているのは、セバスとツアレの名と住居役職など。

 

 その書類は、婚姻制度の根幹をなす書類――婚姻届に他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第3話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンリたちの生んだ双子たちの出産祝い、そして、セバスとツアレの正式な婚姻と結婚式を終えたその翌日、ナザリックはかつてないほどの緊張感に包まれていた。

 久方ぶりの、主人からの直接招集令を受け、ナザリック全階層に散るNPCは勿論、ナザリック外の外地領域を統治するうえで派遣されたシモベたちもまた、御身の指示に従い、神聖不可侵なる第十階層・玉座の間への集合を果たしていた。

 彼らシモベたちは、世界征服――大陸統一を成し遂げたアインズ・ウール・ゴウンに忠誠を誓うNPCたちばかり。外の世界にて獲得した新たな人員――エンリやツアレなど――は、一切含まれていない。この異世界に転移して僅か経過した時に「アインズ・ウール・ゴウンを不変の伝説とせよ」と命じられた時と同じ配置の他に、アインズが生み出し続けたアンデッド――死の騎士(デス・ナイト)死の騎兵(デス・キャバリエ)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)、御身と同じ種族と言える死の支配者(オーバーロード)の姿まで存在していたのが、あの当時との明確な違いらしい違いである。

 そうして、彼らは一様に戸惑いを覚えていた。

 至高の御方であられるアインズ・ウール・ゴウンは、滅多なことでもなければシモベたち一同を玉座の間に集結などさせないはず。

 そもそもにおいて、この第十階層と、直上に位置する第九階層は、神聖なるナザリック内でも聖域の中の聖域。アインズその人の許可によって警護任務の他に、休暇の際などは自由に開放されるようになった階層であるが、それでも「玉座の間」に入れるシモベというのは選び抜かれた精鋭ばかりであることに違いはない。

 アインズ・ウール・ゴウンを伝説とするための宣言をはじめ、シモベたちの賞与授受や、ナザリックの方針明示などの大きな――至高の御身の行動はすべてにおいて偉大なのだが――出来事でもなければ、アインズが全てのシモベたちを集結させることはなかった。

 であるならば、今回のこの招集の儀も、きっと何か巨大な意義が存在しているはず。

 だが、シモベたちの矮小な知識や判断では、御身の思索思考に追随することは難しい。例外としては最高の知能を持つLv.100の守護者たちなどであれば、御身の為すことにも一定の理解を示しているはずだろうが、畏れ多くもナザリックの最奥の地にして、至高の御身がおわしますこの玉座の間で、お喋りに興じる不敬者など、ただの一人も存在しない。

 静けさは一瞬の吐息どころか一拍の鼓動すら憚られるような、無言の結実。

 整列する大小強弱様々な異形の影たちは全員、(こうべ)を垂れて己の忠誠を示す。

 重い空気が、さらに重くなり、しかし飛び上がりそうな昂揚感をもたらしてくれる輝くような威光を背負うかの如く、御身は現れた。

 四十の幕旗が下がる玉座の間に、たった一人残られた至高の四十一人のまとめ役――ナザリック地下大墳墓の絶対支配者――異世界において歴史上類を見ない大陸制覇を成し遂げた魔導王――アインズ・ウール・ゴウンが、杖の音までも輝くかのように、その神々しい玉体を(あらわ)にした。

 玉座の間に集ったNPCの前で、この大陸の最頂点、現世に顕現した「死」そのものというべき至高の御方は、ナザリック最奥に位置する水晶の玉座に身を預ける。

 その隣には伴だって現れた元守護者統括、「宰相」のアルベドを引き連れて。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様の威光に触れる栄誉を与えます。

 (みな)、面を上げなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 面を上げる音が、意外にも大きく、静謐な玉座の間に轟く。

 階段の上の玉座から見下ろす光景に息を飲みそうになる。これだけの異形たち――死者に悪魔に竜に魔獣などが、一糸も乱れぬタイミングで動くだけで、広大かつ壮麗な玉座の内装を震わせる威力を伴うのだ。

 シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス、セバスに戦闘メイド(プレアデス)の六人――他にもたくさんのナザリック直轄の、この地を護るべく創られたものたちの忠誠は、この数年の間にもまったく陰りを見せたことはなかった。例外もいるにはいたが、今はどうでもいい話である。

 アインズはそんな彼らの忠義ぶりに少しばかり気圧されつつも、慣れた様子でNPCたちの思いに応え始める。

 

「皆の者、我が招集に応え集ってくれたことに、感謝を述べさせてもらう」

 

 感謝など勿体ないという言葉すらも聞き飽きるほどに繰り返された遣り取りだが、主人である自分が彼らへ抱く感情は隠しようがないし、隠す意味もない。

 アインズはとりあえず、先日催された祝賀祭――エンリたちへの出産祝いの式典が、無事に滞りなく終わりを迎えてくれた功を褒めちぎる。特に、都市全域の警備に回ったものたちや、国民たちへの興行に尽力してくれたものなどを優先的に褒めつつ、その者らのバックアップに終始した者たちも平等に賛辞を贈った。主からの賛美を受け取った者たちは、粛然とした無言で、毅然とした返礼で、混然とした喜悦で、主人からの感謝を恭しい態度をもって受け取っていく。

 儀礼としては、まずまずの進行ぶりだ。

 我ながら支配者の演技も板についてきている気がする。

 アインズは内心で気を良くしつつ、しかしその声音と外見には主人としての威厳を盛大にトッピングしたまま、今回の招集の目的を語り始める。

 

「おまえたちのおかげで、祭典は無事の終着を迎え、その途上にてセバスたちの婚礼を果たすことも叶った。皆のかかる苦労に、さらなる感謝を贈ろう。そしてさらに、今日この場において、私はおまえたちに、ひとつの新たな秩序と体制を布達しようと思う」

 

 シモベたちの大多数が、主人の進言に息をのんだ。

 ナザリック地下大墳墓に、新たなる秩序を盛り込むとは、いったいどのような内容であるかと思うよりも先に、その新秩序とやらを盛り込む“意味”の方が気にかかった。

 このナザリックは、至高の四十一人によって完成された究極の聖域。

 そのような場所において、秩序も体制もすでに完成されているはずなのに、御身は新たなる法を、則を、何かを加えようとしている。無論、主人の意思には絶対服従を誓うシモベたちに否も応もないが、現状の自分たちのありさまに御身は満足されていないのではないかという危機意識が、彼らの胸中を苛んだのだ。

 御身に不快と思われることは彼らを容易く自死に(はし)らせ、御身に不満を抱かせるのは何物にも耐えがたい悲しみである。

 

「心配には及ばないぞ、おまえたち」

 

 アインズは彼らの憂慮するような気概を抱いていないことを、至高の御身として高らかに宣言しておく。

 

「この新秩序と新体制は、私が現在のおまえたちに不平不満を抱いて()くような類のものではない。ただ、私がおまえたちの可能性を狭めていた不徳を是正するためのもの――責めを負うべきは私の方だろうな」

 

 シモベたちはさらなる驚愕に息をもらしていた。

 御身は自分こそが責められるべきだと、自分の不手際がシモベたちの現状にふさわしくない在り方を強いていたのだと謝罪してきたのだ。これは本来であればあり得ないようなこと。至高の御身たるアインズに、如何様な間違いや不徳が存在するものか、そう抗弁しようとするものたちに先んじて、アインズ・ウール・ゴウンはさらなる宣布をもって彼らの言を塞いでしまう。

 

「私は、アインズ・ウール・ゴウンの名の下に、このナザリック地下大墳墓に新たなる秩序『婚姻制度』を導入することを、ここに宣言する」

 

 御身が宣言したことは、アインズに比べれば粗雑極まるシモベたちの認識では、即座に理解することは不可能に近かった。婚姻制度という聞き慣れない言葉に、NPCは動揺と詠嘆――ある者らは感動にも似た声を漏らす。

 その中にあって、最前列の階層守護者の位置に侍ることを許され質疑も認められていた真祖の吸血鬼が、慄きに震える手を伸ばして質問する許可を願った。アインズは鷹揚にシャルティアを促し、彼女の問いを聞く。同時に、シモベたち全員からの質問を全肯定しておいた。

 

「アインズ様……その、コンイン、制度というのは、一体どういうシステムなのでありんしょうかえ?」

「ふむ。婚姻とは、男女の関係にある者たちが取り交わす契約のようなもので、その男女が様々な恩恵を獲得できるように、私などの上位者が働きかけるシステムのことだ」

 

 分かりやすい説明として妥当な表現を使ったアインズであったが、それでも大半のNPCたちから疑問の表情は拭いきれなかった。反面、シャルティアをはじめ一部の守護者やシモベたちはその意図するところを理解し納得したように深い沈黙を保ち始める。アルベドやデミウルゴスあたりは、そのための法整備や体制の拡充に奔走させていたのだから、当然知っていたわけだし。

 

「男女の、関係……?」

「あのー、それってつまり、どういう関係なのでしょうか?」

 

 そんな守護者たちの中で、ほぼ唯一理解が及んでいないアウラとマーレは恐縮した風に聞いてくる。

 

「二人にはそういったことは早い気もするが、そうだな……より分かりやすく言えば、一番仲のよい異性と共同生活を送る関係、といったところか?」

「それはつまり、私たちのような姉と弟の関係、では、ないのですか?」

「いいや違うぞ、アウラ……そう、これは……」

「愛し愛される関係の事よ、アウラ」

 

 アインズの傍らに侍る宰相にして女淫魔(サキュバス)の女神のごときたおやかな笑みが、シモベたち全員を言祝(ことほ)ぐように見つめている。

 

「男と女の関係とは、この世界で最も尊い“つながり”であり“絆”のひとつ。私がアインズ様を愛するように、アインズ様が私を愛してくださるように、それはとてもとても尊いことなの。先日婚礼が認められ御身に祝福されたセバスとツアレの関係こそが、今後ナザリックにおいて推奨されることは、ほぼ間違いないわ。

 ナザリックの戦力増強という意味でも、私たち配下の将来という意味でも、それに何より、外の世界との融和による“理想郷の完成”という意味でも」

 

 何だか急にアルベドの周囲が色めき立つような気配を、アインズは感じる。

 しかし、そのことを努めて意識の隅に置きながら、ナザリックの支配者らしい悠然とした口調のまま、アルベドの発言に乗りかかる。

 

「うむ……そういうことだ。今回の件で、セバスたちが果たした役割というのは絶大だ。その返礼として、セバスとツアレには私の方から特別に、婚礼という褒賞を与えてやったほどだと言えば、わかるか?」

 

 実態は、あくまで生まれてきた二人の娘、マルコ個人への贈り物という体裁を整えたが、やはり二人の想いを汲み取って式を準備した思惑は否定できない。

 瞬間、玉座の間がさらなる驚嘆の声に包まれる。

 至高の御方から直接賜る褒美など、これほどの名誉があるものか。それを今でこそナザリックに忠誠を誓う同胞としてみられる外の存在――人間の娘、ツアレに対してなどとは、破格の度合いを超えていた。

 アインズはさらにナザリックの配下たる者たちに言い聞かせていく。

 

「人と亜人、人と異形、そういった垣根を超えた種の在り方こそが、今後我が国土においてスタンダードな、基本的な命の営みに加えられることだろう。そのためにも、まずはおまえたち、ナザリック地下大墳墓を鎮護するおまえたちもまた、その手本となれるように励むことを、私から推奨させてもらう」

 

 厳命、とは言わない。

 愛情の有無や絆の在り方とは、命じられて初めて得られるようなものではあってはならない。

 彼らが自発的に、自由に、自儘に、自分の意思で、愛情を抱くようになってくれれば、これに勝る喜びなどないだろうと、アインズは確信を込めて立ち上がる。

 

「此度の『婚姻制度』の導入は、まさにその第一歩だと思ってくれて構わない。

 守護者たちを含めた全員に言っておこう。ナザリックに仕える、我が(いと)()たちよ!」

 

 主人から愛という単語を賜った栄誉と感激に、すべてのシモベたちが体の芯を熱くさせられる。

 

「このナザリックを愛するように、隣に並び立つものたちを愛せ!

 我がナザリック地下大墳墓の輝煌(きこう)を、アインズ・ウール・ゴウンの威名(いめい)を、遍く世界に伝え残す種子(しゅし)を創るのだ!

 おまえたちの手で!」

 

 臣下として、敬服の姿勢を新たにするNPCたちの唱和と万歳と熱気が、主の空っぽな胸を震わせる。

 

 ナザリックの未来は洋々として、今アインズの眼前に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえずの散会を命じられたシモベたちは、玉座の間を後にする。

 アインズの勅命により玉座に残ったNPCは、各階層守護者と宰相の、計六名のみ。

 セバスについては、例のごとく愛娘の夜泣き番を務めさせるべく、早々に帰室させている。本当は育児休暇中なのだからずっと休ませてやりたいところなのだが、さすがにアインズの今回の直接招集に参加させないでいるのは、婚姻制度の発祥を促した存在であるという点が大きいため、できなかった。

 

「さて、守護者たちのおまえたちには、早速これを渡しておくとしよう」

 

 デミウルゴスが楚々とした動作で取り出し配ったのは、真っ白な書類である。

 

「これはデミウルゴスに作成させた婚姻届。いわゆる契約書の類だ。これを専門の部署、あるいは私に提出し、認可されれば、その者たちは婚姻を結んだことが認められる」

 

 夫と妻の名前を記入する欄や、住所もとい住居や役職の欄。さらには婚姻を交わしたことを認める第三者――証人の存在を記入する欄などが空いている用紙である。当然のことながら、これは婚姻を結ぶ両者が完全に同意したことを示す血判、あるいは魔力を込めた押印がなされなければ不受理となる。同様に、二人の証人欄を埋めることができないものもまた、受理無効となる。一方的に名前だけを書き連ねて提出しても、婚姻を結んだことにはならないシステムが確立されていた。

 この婚姻届は、アインズ・ウール・ゴウンの名の下に、正当なものであることを宣誓する文言も、一番先頭に添えられていた。つまるところ、この夫婦はアインズの名の下に認められた清い関係であると認証されることを意味しているのである。

 そんな書類を不遜にも偽造したり、故意的に誤用したりすれば、シモベとして失格の烙印を押されることになるだろう。

 

「これが、婚姻届……」

「で、ありんすか……」

 

 宰相と元帥――アルベドとシャルティアは、ほぼ同時に呟いていた。

 二人の恭しい手つきは、まるで宝石を賜るかのように慎重そのもの。低位の武器やマジックアイテムではない為、カースドナイトのシャルティアが手に触れても、途端ボロボロに朽ちるようなことはない。まるで愛おしい者の肌をなぞるように、紙の薄い質感を指先にとらえなぞっていく。

 総監と導士――アウラとマーレも、好奇心をたっぷり滲ませたオッドアイで真っ白い書類の文面を読み込んだ。

 四人は、婚姻届を直接見るのは初めてのこと。セバスとツアレの婚礼の時は、アインズが直接回収し、デミウルゴスに渡してしまっていたし、この書類の作成者は体制面の拡充を任されていたデミウルゴスにほぼ一任されていたので、法整備に尽力していたアルベドも、実は完成されたものに直接触れるのは初だった。これは彼女たちが手抜きを行ったというわけではなく、セバスとツアレの婚儀に間に合わせるために、アインズが二人に急ピッチで作業を進ませたが故、アルベドはデミウルゴスの仕事を信頼し、御身の望む法体制の確立に力を尽くした結果であったわけだ。……決して、アルベドが婚姻届に細工をして、勝手に提出しても受理できるようなものを自分用に作るのを危惧したわけでは、一応、ない。

 守護者たちの興味深げな反応は、アインズにとっては喜ばしいものである。

 今頃は、玉座を辞したNPCたちも、部署に求めれば婚姻届が普及されている筈。

 NPC同士で結婚し、子を生すことが可能かどうかは不透明な状態だが、いざとなればヒュギエイアの杯の薬湯を使ってみるのもありだろう。少なくとも、セバスはツアレを孕ませることができたのだから、可能性は0ではない。むしろNPC同士の方が確率は高いのかもわからない。

 そうして、NPCたちが交わり生した子が、外の存在と同じくレベルを獲得し、戦闘を行えるだけの力量を備えることができれば、それは即ちナザリックの強化に繋がるだろう。マルコはすでに、その片鱗を感じさせてくれている。

 ナザリックの未来は明るい――アインズはそう確信しきっていた。

 故に、自分ですら予期せぬ事態が、この場で発生する可能性をまったく完全に失念していた。

 

「……コキュートス?」

 

 四人が書類を受け取っていく中で、何故だろうか、コキュートスはデミウルゴスから婚姻届の書類を受け取らなかった。というか、デミウルゴスも彼には婚姻届を供出しようとしない。二人は仲の悪い関係ではないので、イジメやそういったものでないことは確実だ。

 では、何故?

 

「どうした、コキュートス?」

 

 命令に忠烈な蟲の武人が膝をつき、何かを玉座に座すアインズの方へ差し出していた。

 

「私ハ既ニ、デミウルゴスカラ“婚姻”ト、種子ヲ造ルタメノ“交配”ノ許可ガ下サレルト聞キ、我ガ配下デアル雪女郎(フロストヴァージン)全員ト、婚姻ノ儀ヲ済マセテオリマス」

 

 そう言って、コキュートスが差し出しているのは、魔導国の参謀、デミウルゴスが作成した婚姻届に相違ない。

 すでに記入済みのそれが――六枚。証人欄には、彼の友たるデミウルゴスと恐怖公が名を連ねていた。

 何の非の打ちどころもないほど、几帳面に記入された書類を受け取ったアインズであったが、事態を飲み込むには数秒の時間を要した。

 

「え……………………待て。ということは、つまり」

「既ニ、六人全員ガ、私ノ子ヲ孕ンデオリマス」

 

 将軍様かよ!

 いやコキュートスは今の役職としては将軍なんだけどな!

 これで蜥蜴人(リザードマン)たちの嫁自慢とやらに参加できると、意気揚々と語って聞かせる守護者の姿に、アインズはひっきりなしに精神が安定化してしまう。それでも、玉座の肘掛けを殴りそうになるのを抑えるのは難しかった。

 そういえば、重婚とかそういったことは、考えていなかった!

 ……いや、……確かアルベドとデミウルゴスが作成した草案にもそんなことが書いていたような……難しい記述や見慣れない文言をスルーしてしまった弊害である。

 というか、雪女郎(フロストヴァージン)たち全員って!

 そりゃあ、この転移後の世界にも(めかけ)とか一夫多妻制はあったんだから、別にこれくらいのことは想定しておくべきだったのかも知れないけど。でも、まさか、いきなり六人の妻を侍らせるNPCが現れるなんて、さすがに予想できないから! 二人や三人ならいざしらず、まさかの六人って! ……もしかして、デミウルゴスも、それぐらいやっているのかな? ……やってそうだなぁ、あの笑顔。

 だが、いや、これはむしろ、祝福すべきこと、ではないか?

 守護者が子を作れることが判明した上、しかもNPC同士で子供を作れることは確定したようなものだろう。未使用でものがなくなってしまった身の上、羨ましいだなんて思ってなんて……いや、ちょっと妬ましいのが本音だけどさ。

 そんな内心を僅かにも吐露することのない骨の表情で助かった気がするのは、少し情けない。

 

「す、素晴らしい報せだ。め、めでたいぞ、コキュートス!」

「アリガタキ幸セ! コレデ、アインズ様ノ御嫡子ニ、胸ヲ張ッテ(ジイ)ト御呼ビイタダケルコトデショウ!」

 

 いや、子がいるかどうかで爺と呼ばれるかどうかは関係ないんじゃ……あるのかな?

 というか、御嫡子って……骨の自分がどうやって子供を産むと考えているのか、少し気になる。

 いずれにせよ。コキュートスはアインズが求める結果を、先回りして実証してくれたという見方もできるだろう。本当に、蜥蜴人(リザードマン)たちとの戦いから考えると、すさまじい成長ぶりである。

 

「えぇと……とりあえずアルベドたちも、コキュートスと同様、早く相手を見つけ……て?」

 

 何やら異様な雰囲気に、アインズは椅子の上でたじろいでしまう。

 視線を移して見た残りの守護者たちは、婚姻届を両手で握りしめつつ、自分たちの主の顔を、じっと見つめていた。

 昂然とした瞳。陶然とした瞳。毅然とした瞳。悄然とした瞳。

 合計八つの瞳は、まるでそれぞれが引力を発するかのように、アインズの意識を吸い込み放さそうとしない。

 思わず声を漏らした。

 

「ど……どうした。アルベド、シャルティア、アウラ、マーレ」

 

 言ってみたが、アインズは自分の失言をいまさら理解した。

 アルベドとシャルティアが自分の妃の座を巡り争っていることは周知の事実。その二人に相手を見つけろというのは、なるほど、これ以上ないほどの侮辱、もとい拒絶に思えたことだろう。それは判る。

 だが、残る二人――アウラとマーレまで顔を俯かせて震えているのは、本当に、訳が分からなかった。

 

「お…………おい?」

 

 その声を合図としたかのように、四人はほぼ同時に、声を張り上げた。

 聞く者の心を打ち震えさせるような――それは、魂からの言の葉。

 

「  アインズ様以外の(ひと)になんて抱かれたくありません!!   」

 

 唱和した声がアインズの頭蓋の内の空洞の空気を撹拌するかのように響き渡る。

 だが、言われた内容はちっとも脳内で処理できない。

 

「な……………………え?」

 

 あまりの威力に、存在しない心臓がもぎ取られそうな感覚をアインズは覚えた。

 守護者四人は互いに示し合わせた様子などなく、一心に至高の存在の眼窩の奥に灯るものを見つめている。彼女たち(+彼)の叫びは、まったく偶然の一致の、けれども見事に重なり合った一声であったのだ。

 そこに誇張や虚飾は一切なく、どこまでも真摯で純粋でまっすぐな想いが、剣のようにアインズの中心へ突き立てられる。

 どこまでも本気で本当で本物な愛情の発露。

 それが、四人の守護者の表情から投げかけられるすべてだと理解した。

 だが、アインズは思わず反射的に両手を顔の前で振っていた。あまりの事態に支配者としての振る舞いなど失念しきった様子で。

 

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待て! おまえら正気か! 私はアンデッドで、この体は骸骨の」

「   そんなこと関係ありません!!   」

 

 またも見事な唱和が玉座に轟く。

 あまりの剣幕に、ナザリックの最高支配者が完全に腰を引かせていた。

 元守護者統括の泣訴に近い声が、アインズの真っ白い顔の至近で響く。

 

「アインズ様。私はこれまで、御身の宣言された“そういった関係”になれる日まで、一日千秋の思いで過ごして参りました。――そして、今! アインズ様は! 私たちに“そういった関係”になられることを確約してくださったのですよね!」

 

 話が飛躍し過ぎじゃね!

 

「落ち着け……落ち着くのだ、アルベド」

「私は落ち着いております! 落ち着いているからこそ、今もこうして、御身の身体に覆いかぶさるような愚挙には及んでおりません!」

「いや、そういうことじゃなくて」

「アインズ様! アルベドの言っていることに間違いはございんせん!」

 

 真祖(トゥルー・ヴァンパイア)の紅く濡れた瞳が、ずいと迫る。

 いつもなら暴走する純白の悪魔を嘲弄し抑制にもなってくれるはずの吸血鬼が、今は完全に彼女の支援者と化して、アインズの膝近くに(はべ)っていた。

 

「この馬鹿も、ようやく御身の前で礼を失するような無様をさらすことを卒業し、御身の妻となる覚悟と矜持とを獲得しんした。御方の愛を無理やりもぎ取ろうなんて下賤(げせん)な行いに走ることもないでありんしょう。故に……どうか! どうか私共の愛を、御身の偉大な御心で受け入れて欲しいのでありんす! 私たちに御寵愛を――子を授けてほしいのでありんす!」

「いや、だから、そういうことじゃ」

「アインズ様! 二人の言っていることは、総監の私から見ても正しいと判断できます! 確かに、アインズ様の妻になるには不出来なところも残っているかもしれませんが、そこは私が、しっかりとフォローさせていただきますので、ご安心ください! そして、私も! アインズ様に愛されるに相応しい女として、今後精進に励みたいと思っております! アインズ様の御子(みこ)を賜るに相応しい妻として!」

 

 え、ええええ?

 何なの、これ?

 アルベドとシャルティアはいざ知らず、何でアウラまでこんなこと言うようになってるの?

 

「ちょ……ちょっと待ってくれ、おまえたち……」

 

 ナニのない身体で、一体どうやって女と交わり子をなせと言うのか!

 そりゃあ、性欲は微妙に残ってなくもないけど、さすがにこの骨だけの身体で子供なんて望めないだろうが!

 

「というか……アウラは百歩譲るとして、なんでマーレまでそっち側なんだよ!?」

「だ、だって、僕、ア、アインズ様のこと、だ、大好きですから!!」

 

 えええええええええええええええええええええええええええっ!?

 

「マーレ……それは男として、男のアインズ様が好きってこと?」

「え? いや、別に、男とかどうか関係なくて、ただ、誰の子供が欲しいって訊かれたら、や、やっぱりアインズ様との子が欲しいかなって」

 

 姉の質問に律儀に答える弟の様子に、アウラはとりあえず息を吐いた。

 マーレにそういう知識がないことが理解できたのは良かった――いや良くない――が、さすがにこんな状況は想定の範囲を大きく超えていた。視界の端でコキュートスとデミウルゴスが同意したように首を頷かせるのは、完全に無視するしかない。

 

「待て、待て待て……待つのだ、おまえたち。ここは、そう、冷静に、だな」

「アインズ様! 私たちは本気です!」

「アルベドの言う通り! 私共は、御身ただ一人にこそ、己の純潔を捧げたいのでありんす!」

「アインズ様は、私たちのこと嫌いなんですか? 大好きだって、あの時私に言ってくれたじゃないですか!」

「えと、その、あの」

「むう……」

 

 おかしい。

 どうしてこうなった?

 どうしてこうなった!

 もう自分は何度くらい精神が安定化しているのかも判然としないくらい混乱してしまう。

 何か自分は、とてつもない失敗をしでかしていたのではないだろうかと自省してみるが、絶えず安定化の波に揺られる精神では、常のように冷静な判断が出来ない。呼吸など必要のない身体なのに、酸欠にでも陥ったのかと思うほど視界が暗く閉ざされていく。

 

「   アインズ様!   」

 

 再び名を呼ばれながら詰問され、アインズは頭を抱えながら、天を仰ぐしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第4話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大海のように、大空のように、

 前途洋々(ぜんとようよう)という晴れやかな気持ちは、

 アインズの眼前から突如として消え失せてしまっていた。

 

「……はぁ」

 

 ナザリックに婚姻制度を導入したアインズは、導入早々、とんでもない事態に直面してしまった。

 コキュートスがすでに配下の雪女郎(フロストヴァージン)六人と結婚し、NPC同士で子を作ることが可能な事実を知らしめてくれたこともそう。

 デミウルゴスがすでに外の人間などの女――かつてナザリックに敵対した反抗因子らしいもの複数名――と子を生していたこともそう。

 そして、何より……NPC四名……アルベド、シャルティア、アウラ、さらにマーレからの、至高の御身であるアインズへの正式な求婚もそうであるが、

 

 それ以上に困惑してしまう事態が、今、目の前に平伏しているのだ。

 

 アインズは静かに、そこに控える二人の姿を確かめるような声色で話しかける。

 

「そうか……おまえたち、そういう、仲……だったのか……」

 

 この大陸を治める至高の王は、自分の目の前で片膝をつくNPC二人を見つめた。

 

「――申し訳ありません、父上」

 

 項垂れる表情は、創造主のアインズですら機微の掴めない卵頭に三つの黒円が空いているだけのもの。しかし、その口から漏れ聞こえる声に宿る感情は、ひどく後ろめたい告白をしなければならない者特有の、暗く沈んだ調子が多分に含まれていること自体は把握できた。

 パンドラズ・アクター。

 アインズが自ら創造したNPCもまた、婚姻制度導入の翌日、とある同族を伴って、父たる至高の御身に婚姻の許可を願い出てきたのだ。

 

「いや、謝る必要はない」

 

 必要はないのだが。

 

「少し……そう、少しだけ、意外ではあったが……」

 

 アインズは、不肖の息子(?)の伴侶となろうとする黒髪の乙女――戦闘メイド(プレアデス)が一人、ナーベラル・ガンマの平伏する姿を眺めた。

 

「ナーベラル・ガンマ」

 

 跪くパンドラズ・アクターの隣で、メイドの肩がビクリと跳ねる。

 

「本当に、その……いいのか?」

 

 問われたナーベラルは深く息を吸い、そして吐き出す間を(よう)した。

 

「アインズ様がお許しいただけるのなら、私はこの方と――」

 

 ナーベラルは紅い薔薇色に染まる頬をさらし、どこまでもまっすぐな瞳で言い放つ。

 

「パンドラズ・アクター様と、未来永劫、添い遂げたく思っております!」

「そ……そうか」

 

 見事なまでの覚悟に、アインズは気圧(けお)されたように声を詰まらせてしまう。

 

「パンドラズ・アクター……お、おまえも」

「はい。私も、彼女と同じ気持ちです」

 

 どこまでも真摯(しんし)な男の声。

 決意に満ちた二重の影(ドッペルゲンガー)たちの言葉は、聞いているアインズが羨ましくなるほどの意志が溢れていた。

 

「許す……許すとも、おまえたちの婚姻を」

 

 言って、アインズは二人がサインした婚姻届を受け取った。証人欄にはしっかりと、参謀デミウルゴスと、ナーベラルの姉であるユリ・アルファの名が記されている。魔力の含まれる血判も、二人の意思が本物であることを明確に示していた。

 御方の祝福を賜った二人は、仲睦まじく手を取り合い、意気軒高という表情でアインズの執務室を後にする。そんな二人の前途を祝福し終えながら、

 

「はぁ……」

 

 もう何度目とも知れぬ重い吐息が、骸骨の身から生じるはずのない溜息が、執務室を漂った。

 不肖の息子ですら結婚することを決意しているというのに、その生みの親たる自分は――

 

「うわぁぁぁ……どうしよぉぉぉ……」

 

 情けない大きな声が思わず漏れる。何だか頭がすごく痛い気分を錯覚する。

 アインズ当番の一般メイドや八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)などを、事前に人払いしておいてよかった。

 アインズは執務室に入るよりも先に、あの二人から呼び止められ、そうして室内に招いた。

 二人の尋常ならざる気迫というか、気配というか、とにかく「重大な話がある」という言から、余人に立ち聞きさせる話ではないと考慮した結果、小間使いや近衛たちを引き払っていたのだ。そして、アインズの読みは当たっていた。婚姻制度についてはナザリックの全シモベに知悉されているが、仮にも息子が、婚約者を紹介しに来る場面に、他人を侍らせておくのはマズいという、アインズなりの常識的な気遣いがそうさせたのだ。

 ……だが、

 

「あ、あいつまで、パンドラズ・アクターまで結婚するなんて……しかも、ナーベラルと……」

 

 弐式炎雷さんに、なんて報告すればいいのだ。

 報告のしようがないのを喜ぶべきか、悲しむべきか。

 何にせよ、二人の「婚姻したい」という意思は本物であった。

 であるなら、自分がとやかく言えることはない。

 ないのだが……

 

「結婚もしていないのに、結婚報告を受けるなんて……どんな罰ゲームだよ、これは?」

 

 結婚どころか交際経験もないアインズにしてみれば、これはあまりに想定外すぎる仕事であったと、遅まきながら気づかされた。

 やはり関連部署に任せっぱなしにして、アインズは事後報告を受けるだけという方式に、今から転換すべきではないのか?

 (いな)

 断じて、(いな)だ。

 彼らNPCは、かつての仲間たちが残した、言うなれば親友たちの子供たちなのだ。

 そんな子供らが、結婚という、人生(異形種の生というべきだが)において重大な決定を下すのに、主人にして親代わりとして君臨するアインズが何にも干渉しない――結婚報告を直接聞くくらいしないというのは、(いささか)か以上に薄情ではないか。無論、アインズを親だなどと認めない、仕えるに値しない存在と見ているのなら、報告など怠ってしまえという考えを抱くこともありえるだろうが、皮肉なことに、ナザリック地下大墳墓の主は、遍くシモベたちが深い忠誠と忠義を尽くすに相応しい人物像を健在させている。むしろ、彼らの信じるアインズ・ウール・ゴウンという存在は、忠烈を尽くしても尚足りぬほどの傑物として、日々崇拝と尊信の念を深め高めていっているのが現状なのだ。

 つまり、ナザリックのNPCはほぼ全員、結婚報告を直接アインズに届けようとするのは、半ば必然の事態とも言えたわけで。

 アインズは一度、深呼吸の真似事をする。

 空っぽな体に空気が満ちる感覚もなく、何の意味もない動作をした分だけの時間をアインズは消費した。

 

「……負けるな、俺。がんばれ、俺」

 

 これまでにないほど空疎な調べが、一人寂しく執務室にこだまする。

 そう言って気持ちを前向きに切り替える。微妙に芽生える嫉妬とか羞恥とかは、かなぐり捨てて。

伝言(メッセージ)〉ですでに、ナーベラルたちに次いで現れた結婚報告者たちの存在を待たせていた。

 次は、ルプスレギナだ。この世界で出会い、逢瀬を重ねた黒い人狼の彼と、彼の義妹も共に来るというが……もうここまで来たら腹を据えるしかない。据える腹なんて、骨の身体にはないんだが。

 嬉しい報告、言祝(ことほ)ぐべき出来事……そう自らに言い聞かせる“未婚”な支配者は、手元に用意された魔法のベル――執務室のオートロックを適正な人物に対し自動解除する効果も付属したそれを鳴らして、次なる来訪者の入室を許可する。メイドが不在な今のような状況ではアインズ自身が扉の施錠をあれこれする必要があるので、そういった手間を減らすための道具がこれなのである。

 一分の後、赤毛の三つ編みを二房垂らした戦闘メイドが、ノックと共に執務室に現れた。

 

「失礼いたします」

 

 いつもの軽い微笑みとは打って変わって、緊張と重圧をこらえるような、怜悧な表情を浮かべたルプスレギナ・ベータが姿を見せる。

 例の人狼――クスト・スゥと、その義妹である猫耳のリンク・スゥを伴って。

 

 ……二枚の婚姻届を(たずさ)えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらに、それから数日の間に、ナザリック内でアインズはそれなりの数の結婚報告を受け取ることになる。

 

 その一部を列挙すると、ソリュシャン・イプシロンと三吉くん、シズ・デルタとガルガンチュア、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータと恐怖公などが、それぞれ婚姻を結んだ。

 

 ナザリック始まって以来の、結婚ブームが舞い込んだのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うあああぁぁぁ……」

 

 アインズはナザリック内で午前の政務を終えた今、かつてないほどの精神安定化の連続に身悶えしながら、ナザリックの私室にあるキングサイズのベッド――アルベドの香水の香りはつけられていない――の上で、子どものようにゴロゴロと転げまわっていた。

 

「どうする……どうしよう……」

 

 どうするも、どうしようも、ない。

 

「割と皆、結婚願望、つよかったのかよぉ……あああ、自分だけなんかウジウジ考えてるみたいで……うぁぁぁ……あああ……」

 

 言っているそばから精神が安定化し、さらに思考が急降下していくのを止められない。

 そして急降下した精神が無理やり安定化の波によって浮上するが、すぐさま下降線を描き始める。

 もはや、ナザリックの主としての威厳も何もない。結婚という重大な選択を迫られた一人の男の、それは魂からの慟哭であり、心からの苦悶であった。

 

「ああ、いよいよ……なぁなぁで済ませてきた問題に直面しただけ、という見方もできるが、あああ……どうしよう……どうしようもないよなぁ、くそぅ……あああ……」

 

 アンデッドである事実が、これほど呪わしく思えることなど滅多にない。

 そもそもアンデッドの精神安定化という特性のおかげ(せい)で、こういった懊悩や焦燥というものを抱くこと自体が稀であったので、アインズはこういう自分の内側から湧き起こる劣等感や羞恥心には滅法弱いのだ。生きる黒歴史(パンドラズ・アクター)と顔を合わせるのは今も抵抗感が強いし、自分の失敗や怠慢によって望む結果を得られない事態に直面するのは、理解し納得できていても、キツいものがある。

 

「と……とにかく、落ち着いて、考えるんだ」

 

 ゴロゴロ転がるのにも飽きて、ベッドの上で体を起こし胡坐(あぐら)をかく。

 慎重に、冷静に、努めて四人から求婚された場面や、NPCたちからの結婚報告を思い出すことを避けながら、ただ一点――アインズ・ウール・ゴウン自身が、未婚であり続けることで生まれる評判や、何らかの弊害の有無に思いを致す。

 

「さすがに……王様が一生独身なんて、対外的に見てもいい格好じゃない、よなぁ?」

 

 不死身のアンデッドなのだから、別にそれが普通だと押し通してしまえばいい気もするが、そうするとアルベドたちの思いを踏みにじる結果に繋がってしまう。

 結婚しない王様というのも意外とレアな気がしないでもないが、そう思っているのはアインズだけという可能性は強い。というか、確実にアインズだけだろう。そもそもにおいて、レアであるかどうかが良い王様であるかどうかとは関りがない。

 

「何より……自分から結婚することを(すす)めておいて、自分は結婚しませんなんて――むしが良すぎるだろ」

 

 無論、これもアンデッドなのだから不要なものだと言い通せばいいのかもしれないが、アンデッドだから婚姻不要なんて差別発言をしたら、自分が言い出した融和政策と完全に背離する。ナザリックにはアンデッドのNPCが無数に所属しているのだから、彼ら彼女らの結婚意思を砕く事態にも陥りかねない。絶対にアンデッドだからうんぬんは使えない論理だ。

 第一、シモベたちに子供を作れとぬかした主が、自分だけ知らん顔でふんぞり返っているだけというのは、かなりつらい。従業員にはサビ残を強要しながら、自分だけ知らん顔で定時帰宅する上司や社長を想像すると、思い出しただけで吐き気が込みあがるくらいのクソっぷりだ。アンデッドに吐くものはない上、その社長というのは今の自分ということだから、もう何とも言えない。

 ……いや、主人たる者、泰然自若にふんぞり返っていてもバチは当たらないのだろうが、どうしてもアインズ個人としては、ただ偶像として玉座に座っているだけの自分という状況は忌避したいのだ。

 ナザリックのNPCたちのことは全面的に信頼しているし、守護者たちも六大君主として外の世界の統治に一定以上の貢献を果たしているのだから、疑う余地などまるでない。そうやって部下たちが担ぎ上げる神輿(みこし)にふんぞりかえっているだけの自分の姿を夢想すると、何とも言えない罪悪感にも似た苦悩を覚えてしまう。

 一般人の平会社員だった現代人・鈴木悟の感性からすれば、身体を動かして無心に働いている方が何かの役に立っているのだという実感を得られるというもの。だからこそ、大陸を完全統一した今でも、各都市を巡り、市井の様子を観察しながら、自分たちの国が平和的に治められている事実にほくそ笑むことができるのだ。

 

「会社の社長だって、ただ高級な椅子の上に座っているだけというのも、つらいんだろうなぁ……だからって、部下の仕事に一々口を挟むのもあれだし…………あれ?」

 

 いけない。

 論点がずれてきている。

 逃避のあまり、本来の議題から話が逸れるというのも珍しいことではないが、今はそういった時間さえ惜しい。

 何にせよ、自分もいつかは、そうやって身を固める時がくるかもとは思っていた。

 思ってはいた、のだが。

 

「ああ……アルベドたちと、その、結婚するとしても……一体、どうなるんだ?」

 

 六人の部下と婚姻した将軍(コキュートス)がいるのだから、四人と結婚するぐらい訳もないのだろうが、自分が彼女たちを同時に侍らせている場面を想像するのは難しい。

 いや、物理的に近づかれたり、太腿に乗せたり、一名に限ってはイス代わりに腰掛けてみたこともあるぐらいスキンシップは多いのだが、それだけだ。

 夫婦としての、その、男女の営みを、あの、想像するというのは――うあああ、なわけで。

 

「アウラとマーレはそれなりに成長して、もう80代だけど、ダークエルフ基準だとまだ子供……シャルティアも背格好でいったら変わらないし……魔導王ロリコン疑惑とか、そんな噂がたったらどうするんだよ?」

 

 勿論、守護者たちが見た目通りの年齢でないことは、魔導国の民で知らぬ者はいない。あくまでそれがNPCの設定であろうとも、アウラたちは自分の年齢を設定されたとおりに公表しているのだ。

 何より、魔導王の治世に反感を抱く者すら絶えて久しいのだから、今更アインズが外見子供な少女(一人は少年)と結婚しても、民らは祝福以外の感想を表出することはないだろう。だが、それとこれとは話は別なのだ。一般人的な感性の残るアインズにとって、幼女趣味など欠片もない。かと言って、彼女たちのことを拒絶したいくらい嫌いかというと、それは別なわけで。

 こうなってくると、対外的に、外面的に、アインズが妻――王妃として選ぶのにふさわしい者と言えば、アルベドをおいて他にないだろうという思考に至るのだが。

 

「アルベドは……設定を変えたままだからなぁ……うわぁ、やっぱりすごい罪悪感だぁ……」

 

 あの時の軽率な自分の行いは、いくら猛省しても、し足りない。

 仲間の、タブラさんの創ったNPCの設定をいじって、芸術作品ともいうべき存在に泥を塗ったのだ。

 今では取り返しのつかない事であるので、あまり気にしないようにしてきたが、こうしてふとしたきっかけで思い出されると、何とも言えない気持ちに苛まれる。

 

「いや……それを盾に逃げるのも、もう……ダメだよなぁ……」

 

 むしろ、アルベドを歪めた責任をとって、彼女からの想いを汲み取るくらいするべき段階に至ったのではないか。

 だが、いや、しかし、……懊悩は果てが見えず、飛行不可な迷宮の攻略に苛立ちを覚えるよりも忸怩(じくじ)たる思いが脳を数周する葛藤。

 アインズは空洞の頭蓋の中に痛みを覚えながら、髪の毛をわしゃわしゃする要領で頭をかいた。

 

「ああ、もう! 設定の書き換え、これは考えても(らち)があかない!」

 

 だから、難しく考えるのはストップだ。

 一種の諦観にも似た境地で、アインズは自分のなすべきことを思う。

 とにかく、魔導王として、彼らの主として、相応しいふるまいを取らないと。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王がするべき、理路整然とした――

 

「いや……それも、逃げか」

 

 アインズは首を振った。

 冷静に考えてみれば、魔導王としての立場や重責など、色恋に持ち出してよいものではないはずだ。

 彼女たちは真摯に、真剣に、アインズ個人への恋情や憧憬に焦がれて、アインズの(きさき)たらん存在になることを希求したのだ。魔導王としての地位や名誉など、そこには一切含まれていない。彼女たちはアインズとの絆を、つながりを、それぞれがそれぞれの形で熱望している。

 魔導王として仕方なくとか、ギルド長という最上位者なのだから是非もない――そんな決意に、一体どんな情や愛があるというのか。

 贖罪や代償行為としての婚姻など、人として――アンデッドだがそこは気にしてはいけない――あってはならない行動ではないか?

 それでは、無理やりに、仕方なく、嫌々で、アルベドやシャルティアたちと結ばれようとしていると言えるのではないか?

 その結果が互いにとっての幸福に繋がるとは言えないだろう。少なくとも、アインズには大きなしこりが残る。残ってしまうのだ。きっと。確実に。

 それがわかっていて、彼女らの思いに応えるなどと、笑止千万な不誠実ぶりである。

 何が至高の魔導王だ。

 罪悪感や義務感で、彼女たちを受け入れてみろ。

 これを逃避――逃げと言わずに、何というのだ?

 

「はぁ……やっぱり恋愛初心者以下の状態じゃ、どうしてもなぁ……」

 

 一人でぐるぐる考えていても(らち)があかない。

 その事実だけは、正しく認識できる。

 

「誰かに聞く……相談すべき、なんだろうが……」

 

 まさか、大陸を統一した魔導王陛下が、重婚の、というか結婚の相談を持ち掛けられる相手とは?

 

「とりあえず近場から探ってみる……か」

 

 アインズは迷走をやめ、瞑想に耽ってみる。

 まず、ナザリック内のシモベたちは却下だ。口封じを命じれば、アインズが一夫多妻制に抵抗を感じていること、アルベドらの求婚に悩みに悩んでいるという噂は流れないだろうから、そういった意味では信頼における。だが、それ以前に、親友たちの子供らというべきNPCに、アインズは絶対的支配者としての風格というものがあると認識されている以上、その認識を狂わせるような振る舞いや相談というものは回避すべきだろう。

 四人の求婚者たちへはアインズ個人としての決断を下すことにしたが、これはまた別の問題だ。下手な聞き方をして、万が一にでもアルベドたちに自分が懊悩し苦悶しているという情報が広まり、彼女たちの耳に届いて誤認でもされたら、彼女たちはきっと傷つくだろう。それだけは、どうあっても避けたいのだ。

 とすると、ナザリック外の存在しかいない。

 それも、アインズが絶対の信頼を置けるほどの相手。

 アインズは指折り、自分の知り得る既婚者の顔を頭に思い浮かべていく。

 

「ジルは……やめておこう」

 

 ジルクニフ・エル=ニクス交易都市長。

 彼はアインズと交流を持つ、帝国が属国になる以前から愛妾を囲っていたから、今回のアインズと状況的には符合する点が多いはずだが、

 

「あいつはあいつで、いろいろと苦労させてしまっているしなぁ」

 

 魔導国における一都市の運営管理は、帝国全土を治めていた鮮血帝をしても、気苦労が多い役職である。

 それこそ、帝国が属国化した当初は、神殿勢力や法国などから派兵された暗殺者などからの襲撃を受けて、幾度も修羅場をくぐりぬけてきた経歴の持ち主でもある(ちなみに。旧帝国四騎士にして、現二等冒険者である“重爆”との関係も、彼女に守られることが多くなったこの頃に改善を果たしたと聞いている)。そういった意味では、彼は本当によく働いてくれているし、その妾の中で最たるものにも感謝を述べねばなるまい。

 都市において、関税徴収や収支決済、都市内の治安維持などに派遣されている中位アンデッドたちが仕事の大部分を担っているのだから、その都市運営には心配などいらないと思われるだろうが、人間――生者の果たすべき役割というものは、当然ながらそこここに存在している。

 人間たち――人間種もまた、立派に魔導国の一員としての務めを果たせているのだ。

 

 有用な例としては、アンデッドにとっては無価値な動植物の新種や、新鉱石の眠る鉱脈などの鑑定や把握などは、魔法一辺倒の価値判断では計り知れない作用を及ぼすものもあることが挙げられる。

 

 たとえば、新しい薬草を発見したが、それ単体の薬効は魔法で鑑定すると、その価値は1だったとする。既存の薬草を10の価値と判断すると圧倒的に微妙なものに違いないが、実はその薬草というのは様々な条件――ある新種の動物やモンスターの食事消化を経て排泄・数年間の熟成や醸造期間を置く・既存の薬草などと絶妙かつ難解な配分で混合を果たすetc――をクリアすると、100や1000、10000の価値をもたらすとしたら? アンデッドの魔法鑑定では廃棄同然に処されるべきものが、あるいは人間や亜人たちの創意工夫によって、既存の何よりも価値ある霊薬に変貌を果たすとしたら、実に勿体ないことになり得る。

 そうならないためにも、人間の鑑定士や薬師、医師や専門家、研究者というものは必須なのだ。無価値の中から価値を拾い集める創造力というのは、アンデッドにはない彼らの重宝されるべき特質なのである。

 

 そうして、都市長というものは、そういった“生きる者”たちを治めるという大任を果たす為に、日々を忙殺されている。

 ここでアインズ個人の結婚相談など、胃に穴でも空くような効果を生み出しかねない。

 

「うん、やめておくか。今は妾なんて欲しくないし」

 

 そもそもにおいて、結婚していないのに妾を侍らせるというのが、一般人のアインズには理解不能な状況だ。直感として、参考にはならないだろうと結論付ける。

 何より、今回のアルベドたちからの求婚に対して、彼女たちのいずれか、または全員を“妾”として扱うことに、ささやか以上の抵抗感を感じている。誰か一人を特別視するというのはいただけない。ナザリック地下大墳墓の主として以上に、一般人・鈴木悟の常識として、アインズ個人の希望……願いとして、彼女たちからの求婚には、誠実に、応えねば。

 

「レエブンとヘジンマールは、一夫多妻じゃないし……ドラウディロンは女性だから、論外……」

 

 こうして改めて考えてみると、一夫多妻な知り合いがほぼいない事実に気づく。

 

「工芸都市エイヴァーシャーも、都市長は女性。工業都市の山小人(ドワーフ)はゴンドの知り合いが都市長だが、やっぱり一夫多妻じゃない。カルサナス領域にまで足を運ぶ……理由がないよなぁ。友人に気安く相談っていうノリじゃいけないだろうし」

 

 連中はビーストマンやミノタウロスの国などを容易く蹂躙した魔導国の国力――アインズ・ウール・ゴウンの力そのものを、完全に理解し尽くし、こちらが出征するよりも先んじて属国化を申し出てきた。

 おかげで無駄な手間が省けたと喜んだものだが、アインズ個人の友好関係としては微妙な感じである。

 それならば、まだジルクニフの方が地理的に近い上、それなりに友好的な関係を築けているくらいだ。

 

「いや――そもそもにおいて、ナザリックのNPCたちほどに信頼できる存在という前提が覆りつつあるぞ?」

 

 アインズは最後に残る可能性に思い至る。

 

「まともに相談するなら、やっぱり――おっと」

 

 とりあえずの方針が決定したところで、時計がアラーム音を響かせる。

 自分だけの時間は終わった。ここからは魔導王としてのターンとなる。

 

「婚姻については要相談……っと。次のスケジュールは……魔法都市か」

 

 ニニャの魔法授業って、ほんと癒しだ。

 めきめき上達してくれるから、教え甲斐もあるし。

 アインズはベッドから降りると、いつものように皴ひとつない魔法のローブの襟元を正した。

 指輪の転移を使って、アインズは勉強熱心な生徒の許へと急ぐ。

 行先は、魔法都市カッツェ。アインズの王城。

 

「アインズ様」

 

 城内の中庭で〈飛行(フライ)〉の練習に勤しむ少女は、宝石を先端にはめた杖に腰掛けながら、待ち侘びていた偉大なる魔導王の到着と共に空中を下降してくる。講師役を務めるナーベラルと共に、頭を下げる様も慣れたものだ。

 すっかり魔法の力を我が物とした少女の微笑みにつられ、アインズは少しばかりの間だけ、先ほどまでの懊悩を忘れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日後。

 アインズは政務や結婚報告、魔法授業や都市散策などの合間を縫う形で、一人の友の領地を訪ねていた。

 

「なるほどねぇ……それで、僕のところに来たのか」

 

伝言(メッセージ)〉でちょっとした相談を持ち掛けられていた盟友は、改めて聞かされた相談内容に、声を柔らかく綻ばせながら答える。

 白い巨岩か大樹にもたれるようにしている白銀の鎧は、その中身は完全ながらんどうだ。その内側にはいかなる力も気配も宿していない。

 ただ、鎧は巨岩か大樹が動くのに合わせて関節の可動部を軋ませる。

 

「すまないな。指輪の製作で忙しいところに」

 

 動いている岩か樹と思われていたのは、光を反射させた美しい鱗に覆われるしっぽである。

 巨大に過ぎる尾はその名残を惜しむように、鎧から一旦興味を失ったように波打ち離れた。

 アインズは、鎧を抱え込む作業を中断した鎧の保有者――その鎧を唯一駆動させることができる者の姿を見上げた。

 宝石のように(つや)めくのは、純白に輝く角と鱗。細い光彩や壮麗な牙は爬虫類然としているが、その身のこなしや体の休め方は瀟洒(しょうしゃ)な猫を思わせる。幾星霜、数百年という長い歳月をかけて伸ばされ鍛えられたという双翼と体長は、アインズをしても自らがちっぽけに思えるほどに巨大で悠々としている。

 ありとあらゆる叡智、秩序、歴史、伝説、神話、叙事詩に通暁しているような賢者の視線が、骸骨の瞳の炎をはっきりととらえていた。

 かつて父たる竜帝より受け継がれた二つ名“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”に恥じぬ、巨竜の偉丈夫。

 当代において数えるほどしか現存しない始原の魔法(ワイルド・マジック)の担い手。

 魔導王アインズ・ウール・ゴウンの盟友。

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオンが、そこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第5話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法都市カッツェは、アインズ・ウール・ゴウンによって僅か数年で建造された一大都市であるが、生産都市や交易都市、工芸都市や工業都市とは違って、主たる産物と言えるものはない。

 そもそもが荒涼とした、アインズが治める以前から低級アンデッドの跋扈(ばっこ)する土地であったことから、大地は生命を育む力が乏しく、鉱山のような希少金属というものも蓄えていない。通常の生者であれば、何の意味も価値もない茫漠とした地を与えられても何の益にも結びつくはずのない場所であったのだが、アインズはまがりなりにも己の領土となった場所がただの荒れ野のままであることを良しとするはずもなかった。

 マーレの魔法による土壌の活性化や、湧き出るアンデッドたちの実験場にするという案がある中で、アインズは大々的に現地の他勢力の度肝を抜く方策に打って出た。

 それこそが、魔導国の国力の喧伝もかねての、新都市の建造・造営事業である。

 

 周辺諸国が何の利益にもならない――だが防衛的観点から見て、失陥するのは痛い程度の――何もない土地に、アインズは一から都市を作り上げることで、己の力を誇示することにした。造営には数多の疲労しないアンデッドや動像(ゴーレム)が導入され、昼夜を問わず働ける重機としての力を発揮させ続けた。ナザリックの鍛冶師や生産職NPCだけでなく、ドワーフの匠やエ・ランテルに住む人間の建築家などの意見を参考に、人間も亜人も異形も、すべての存在が幸福に生きられるためのモデル都市――統治下においたエ・ランテルや都市化させたカルネ村での経験もふんだんに取り入れた大都市――水晶のような建物が整然と並ぶ魔法の都が、完成した。

 そういった歴史を経て誕生した新都市である魔法都市カッツェは、その歴史の浅さ故に、他の都市のような産業には恵まれていない。

 他の都市は、その都市の主要住人たちの特色に合わせた産業――ドワーフであれば鉱業や鉄工業、エルフであれば林業や芸術、そして人間であれば商業や農業(無論、アンデッドがその基底となる単純労働などを代行している)――を、アインズ・ウール・ゴウンへと献上することで、魔導国への恭順の証をたてているのだ。

 生産都市は穀物や肉類・農産物や畜産物、工芸都市は木工細工、工業都市は貴金属類、などといった具合に、魔導国内の各都市には使命的な役割が与えられ、大陸全土に住まう全国民の流通や需要の基礎を支えている。交易都市に関しては、それらを一旦集積し、適宜適分に都市や地方へと卸す役割を負っており(各都市による商品の独占を起こさせず、また交易都市そのものが独立した都市国家化をすることを防ぐ)、その商取引で生じた利益の一割ほどを税としてナザリックに納めることが義務付けられている。交易都市では、各都市とは比べようもないほどに大量の商品が拡充され、しかも他の都市に比べて格段に安く提供されており(無論、各都市の特製品――生産都市で売られる生産都市製食料や、工業都市で売られる工業都市産の鉱物や魔法機械に比べれば、さすがに負ける)、一度に大量の、さまざまな品物を買い込むのであれば、この交易都市を利用しない者は存在しないだろう。

 魔導国建国以前のような、モンスターや夜盗の集団などに襲撃される危険性も絶えて久しく、死の騎士(デス・ナイト)などのアンデッド軍に代表される街道警備も24時間体制で万全に保たれるため、国民は昼夜を問わず安全な街道を利用することができ、またアンデッドを活用した荷馬車による交通手段もあるおかげで、それ以前の世界とは比べるべくもない勢いで大陸中の文明は発展を遂げたのである。

 人種を問わず、数多くの人々が流入する関係上、交易都市は興行や嗜好の類も取り揃えられており、種族間交流も盛んであるため、他の都市のような種族の一極化というものも生じない。

 城塞都市エモットに関しては、ナザリックを防衛するという大義のため、これらの都市機能を複合併呑しており、大陸全土の都市が一斉蜂起を果たしたとしても、攻め落とすことは難しい要害と化している。この都市だけで数万の死の騎士(デス・ナイト)が駐留しているのだから、当然とも言えた。

 このように、魔導国が治める大陸中の都市はそれぞれの役目を、使命を、義務を負う。

 

 

 であるならば、

 魔法都市とは、魔導国においてどのような役割を与えられているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりとした下降により、王城の中庭に降り立つ魔法詠唱者(マジックキャスター)の姿が、二名。

 短い髪を揺らす少女は、自分の身体と、杖に込めた力を完全に消し去った。

 刈り込まれた芝生の感触を靴底に踏みしめ、確かな手応えと共に拳を握る。

 

「――昨日の授業より、持続時間を一時間十七分更新しました」

 

 お見事ですと評するメイド服姿の教師に、ニニャは疲労を感じさせない微笑みで応じた。自己ベストを一時間も更新できたのは初めてのことだったので、思わず笑みが深くなるのを止められない。

飛行(フライ)〉は肉体的疲労のない移動手段――魔法として有名だ。故に疲れは感じていない。

 いないのだが、

 

「魔力は、ほとんどカラッポなのは、相変わらずですけど」

 

 魔法詠唱者にとって、魔力を完全に失うことは戦闘力の完全欠如を意味する。この状態で唱えられるのは、第一位階魔法がせいぜい一、二発。ナザリックの戦闘メイド(プレアデス)基準で言えば、彼女の魔力量はすでに“英雄級”と言っても良い。にも関わらず、その魔力が尽きているというのは、そうなるほどに大量の魔法を使用したということではない。

 たったひとつの魔法を、数時間規模にわたり行使し続けた結果である。

 

「第四位階魔法の修得から、また魔力量が増えていらっしゃるご様子です」

「増えるのはいいんですけど、魔力がカラになる感覚は、あまり慣れませんね」

 

 これが戦闘中や冒険の最中などであれば、ニニャは完全に無防備な状態だ。彼女の身に着ける衣服は魔法的な防護に優れてはいるが、それだけである。

 おおよそ半日は、ただの人間――零位階の生活魔法くらいしか使えない存在に堕するのだ。

 故に、ナーベラルは終業のベル代わりに開いていた教本を閉じた。

 

「本日の授業はこれまでとします。十分、ご休息なさいますよう」

「ありがとうございます、ナーベラルさん」

 

 魔力がなくなってしまえば、魔法が扱えない。魔法授業を続けることは不可能である。

 ニニャは第三位階を修得してから程なくして、ナーベラルからの魔法授業を、常時〈飛行(フライ)〉の魔法を自身にかけた状態で行うことが義務化されていた。最初は教室の床から足が離れる程度だったものが、最近では王城の最頂点、塔の橋付近の高所にまで、自力で飛行した状態で教練を施すこともある。ちなみに、防衛上・魔導王陛下への礼儀として、何人であろうともそれ以上の高さを飛ぶことは禁じられている。

 魔法詠唱者の授業としてはスポ根気質に思えるやり方であるが、実際、この手法はニニャの成長を著しく助けた。もともとが、塾で座学に励むことよりも、実地で魔法を学び、実戦を積むことで彼女の能力は底上げされてきたのだから、魔導国の学園機構に預けるよりも余程、効果は覿面であったのである。

 さらに、この世界で二つとない魔法の力が充溢した拠点・ナザリック地下大墳墓で培われ養われた経験やナザリックにおいて最頂点とも言うべき魔法詠唱者、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下からの授業は、この世界の魔法詠唱者においては神からの啓示や最高級の魔導書とでも言うべき経験値を少女に与え、その身に宿る叡智を、魔力を、魂を、諸共に鍛え上げた。

 すでに、彼女は第四位階魔法を修めている。

 第五位階魔法にまでも手を伸ばしつつある。

 

「本日、お昼以降に予定されていたアインズ様の授業ですが」

「大丈夫です。昨日のうちに、〈伝言(メッセージ)〉で自主学習を仰せつかっていましたから」

「さようですか」

 

 アインズは“とあるやんごとなき事情”によって、アーグランド領域の信託統治者である竜王のもとを訪れている。

 だからこそ、ナーベラルはニニャの魔力ギリギリまでを消費させ尽くしたのである。

 アインズの授業では、ナーベラルの教練によって消耗した状態で、その時の魔力の許せる範囲での魔法行使を行うことが多い。ニニャが覚えた中でも派手な〈第四位階天使召喚(サモン・エンジェル・4th)〉や〈第四位階不死者召喚(サモン・アンデッド・4th)〉、〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉などを一度詠唱できれば御の字、悪くても〈魔法の矢(マジック・アロー)〉一発は発動してみせることにしている。これはニニャの意地であると同時に、極限状況下において己の魔力を的確に把握する余裕と能力を備えさせる意味を持っている。

 しかし、彼女の自習において、魔力はほぼほぼ意味をなさない。魔法理論の座学をすることもあるが、大抵は魔導国の歴史や内政、新編冒険者たちの知識や新たな世界事情、大陸全土の精巧な地図を併用した社会公文などの理解のための時間に自習時間が費やされる。ニニャはある意味、この世界でもかなりの智者としての情報量を詰め込まれつつあるわけだ。

 これは、アインズのちょっとした好奇心から与えたものではない。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)というものは、魔法以外の知識や情報が、魔法職のレベル獲得にも少なからず影響を与えている。それはそうだ。魔法の知識を増やしていくにしても、その根本にある魔法詠唱者自体の教養がなければ、立て板に水となる。魔力を錬成し運用するという絶対的な「才能」や「適性」は必要不可欠であるが、魔法の教育を施す以前に“言語”や“世界”というものを正しく認識し、適切に使用できる知性を獲得しないと、どれほどに素晴らしい教育機関に預けられようと無駄に終わる。父母を呼ぶ言葉すら未発達未習熟な乳幼児を、大学に通わせるはずがないことと同じように、魔法詠唱者は自己と世界を正しく認識し、理解し、掌握することによって、はじめて「世界との接続」を可能にする。

 一般教養としての知識を詰め込むというのは、実のところ魔法理論を暗記したり、新しい魔力公式を提言したり論文化したりすることよりも、遥かに意義深いものとなるのである。

 

「では、私は昼食の準備をして参りますので、ニニャさんは」

「あ、ナーベラルさん!」

 

 教師役を終え、メイドとしての本分に立ち返ろうとしていた黒髪の乙女を、ニニャは引き止めていた。

 

「えと……良ければ、今日は外で食べませんか。その、二人で」

「? それは、何故でしょう?」

 

 ニニャは以前よりも近しい位置で、ナーベラルに自らの企みを吐露する。

 

「ナーベラルさんの結婚を、お祝いしたくて」

 

 ニニャは、城内で魔法を使った手伝い――塩、砂糖、香辛料を生み出す生産魔法や、メイドらの清掃業務の仕上げに〈清潔(クリーン)〉の魔法を施すなど――を行い、小遣い稼ぎを続けてきた。これは、アインズ本人から認可、むしろ推奨された奉仕活動(という名のアルバイト)であり、ニニャの自活能力向上のためにも、アインズのための魔法を供与するという実感と実績を与えるためにも、非常に有意義なものであった。

 そうして蓄えた小金を資本として、ニニャは日ごろから世話になりっぱなしのメイドに、恩返しの機会を得ようと具申してきたのである。

 少女の言葉は、メイドには些か以上に意外なものだったらしく、

 

「あ、え……いえ、それは……」

 

 珍しくナーベラルは狼狽した風を見せるので、ニニャは我知らず微笑んでしまった。

 メイドは熱くなる頬を意識しつつ、自分の左手に視線を落とす。

 ナーベラルの左手薬指に煌く指輪――彼女個人に与えられた至高の御方の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)は、外に出る時の慣習として、ナザリックの宝物殿にいる“彼”に預けている――は、宝物殿の領域守護者にして、ナーベラル・ガンマの伴侶たる彼、パンドラズ・アクターからの贈り物であることは想像に難くない。

 これは、かつてパンドラズ・アクター個人が、至高の御身にして創造主であるアインズから賜ったものではない。

 純潔の輝きを灯す金剛石のはめられたそれは、ナザリックの鍛冶師であるサラマンダーたち謹製の結婚指輪である。彼が鍛冶長たちに頼み込み、花嫁(ナーベラル)と自分用に作ってもらったペアリングの輝きは、至高の御方の指輪に次いで大切な贈り物として、メイドの薬指を常に飾るようになって久しい。

 

「だめ……でしょうか?」

 

 若干以上の不安を瞳に宿す少女に情が移って――などということは微塵もない。

 ただ、主人であるアインズからは『ニニャの要望は可能な限り叶えよ』という指令を下されているので、無碍(むげ)にすることは(はばか)られる。提示された要望についても、別段問題らしい問題はない。さすがに魔法都市以外への移動や、ナザリックの不利益に繋がるような事態となれば断固阻止するところであるが、ニニャはアインズと共に都市内を散策したこともある上、城外へ出て都市で食事をとるということも初めてのことではない。

 ただ、ナーベラルを食事に誘うということは、実はこれが初である。

 たいていの場合、ニニャが食事に誘うのは育児休暇中の(ツアレ)一家やナザリックの一般メイド、あとは城内のメイドや女料理長くらいだった。

 ナーベラルはニニャの小間使い兼護衛(比重としては後者の方が重い)であるので、共に食事を楽しむことなどなかった。ニニャは自覚していないが、VIPと共に食事をとるなどというのは言語道断である。ボディーガードとしては非常識極まりない申し出に違いない上、ナーベラル個人としては、ニニャの存在価値というのはアインズの愛玩動物(ペット)程度の認識しかない。彼女に魔法の教練を与える教師役というのも、トレーナーが主人に代わって芸をペットに仕込んでいるようなものに思えているのが実情なのだ。

 だが、

 

「――(うけたまわ)りました」

 

 メイドは実直な表情と仕草で承諾した。

 お昼の休憩時間に、主人のペットとランチタイムを楽しむくらいのことをしても問題ないだろう。ほだされているとは、これっぽっちも感じていないし思っていない。

 ニニャは嬉しそうに、勢い込んで頷くと、すぐさま都市へ向かうための準備を整えに行く。

 その手伝いもしなければならない小間使い(ナーベラル)は、少女が走り去るのを呆れつつも眺め、仕方なしに転移魔法を使って先回りするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例のごとく、都市内のものに偽装した王城専用の馬車に乗り込んだニニャとナーベラルは、互いの首に下げられた装備を確かめ合い、御者の死の騎兵(デス・キャバリエ)へ出発するよう声をかける。

 金貨の詰まった財布を大事そうに握る少女の様に、ナーベラルは怜悧な表情を崩さない。

 彼女の表情が崩れない程度のことには、ニニャはすっかり慣れていたので特に気にすることなく、二人は中央市場のロータリーの手前、目抜き通りの一角で馬車を降りた。馬車が去るのを見送った二人の格好は普段通りのものである。つまり、ナーベラルはメイド服のままなのだが、行き交う人々はメイド姿の美女の姿に何の興味も感じていないかのように過ぎ去っていく。

 ナーベラルにも、都市を歩いたり、公的な場に姿を現したりする時には、正体を隠匿する例の魔法のネックレスが装備されているのだ。かつて、最高位の冒険者、漆黒の英雄にただ一人だけ仕えることを許された“美姫”の姿とほとんど変わらない出で立ちであっても、今は完全に市井に紛れることが可能となっている。

 当時は、アダマンタイト級冒険者としての評判を維持するため、さらには漆黒をつけ狙う不遜な影を(おび)き寄せる(えさ)としての役割のため、ナーベラルは下等生物たちからの鬱陶(うっとう)しい視線を集めねばならなかったのだが、それも今や昔である。

 

「こっちです」

 

 ニニャは慣れた様子で通りを覆う人ごみに溶け込み、ナーベラルを誘導していく。

 程なくして辿り着いたのは「小鬼たちの護り亭・魔法都市カッツェ支店」

 城塞都市にある本店とは規模も何もかも見劣りする宿屋であるが、ここで提供される食事は魔法都市では随一と謳われている。なんでも、あの魔導王陛下も御忍びで来店するという噂もあるため、その盛況ぶりは連日満員御礼といった具合である。

 本来であれば、予約のない客にはお帰りいただくこともあるが、幸運にもニニャたちは空いている一卓へと通されることが叶った。

 ウェイトレスは蠍人(パ・ピグ・サグ)の――人間の上半身に、蠍の下半身を持った――少女である。

 

「いらっしゃいませ、お客様。こちら“おしぼり”と“お(ひや)”になります。

 ご注文はお決まりでしょうか?」

 

 ナーベラルはニニャに一切を任せると、そのまま黙り込んだ。当然の対応とも言えた。この食事はニニャが誘い、ニニャが結婚の祝いとして用意したもの。であるなら、メニューの選定は、奢る立場にある少女が果たす義務がある。

 託されたニニャは、南方の地より輸入されたという「ワショク(和食)」メニューをいくらか頼み終え、蠍人(パ・ピグ・サグ)が立ち去るのを見送ると緊張を解いた。非常に可愛らしい顔立ちをしていたが、あの下半身――巨大な鋏や尾の先端にある毒針を見ていると、思わず警戒してしまう。いい()だと通い慣れているので理解しているのだが、まだまだ慣れていないのが現状なのだ。

 一息ついていると、近くの卓で食事をとっているアダマンタイト級冒険者チームの声が聞こえてくる。

 

「ウーズィ、そっちのショーユ取って」

「ほらよ。あまりドバドバかけんなよ?」

「人の味や好みに文句をつけないでくださーい」

「でも、ナキズさん。あまり塩分過多になるのは」

「…………………………………………」

「もう。カサミもマリドも、ウーズィの味方なわけ?」

「チームのリーダーなんだから、少しは体調に気を遣えって話だ」

「…………………………………………」

「ほら、マリドさんもこう言ってますし」

「はいはい。かわいく優しい仲間たちの忠告を、聞いてあげますわよっと!」

「うわ、何しやがる! 俺の最後の天ぷらっ!」

戦士(ふぇんひ)たる(ふぁる)もの(ほほ)――ゴクリ……油断大敵よ♪」

「テ……テンメェ、今日という今日は許さねぇ! 表出ろ!」

「やってやろうじゃないの! 蜥蜴の黒焼きにしてやるわ!」

「――仲がいいですよね、お二人とも」

「…………」

 

 人間に蜥蜴人(リザードマン)、ビーストマンと人馬(セントール)という、どこかで見たことがある気がする四人組だなと思いつつ、ニニャはナーベラルを振り返ってみた。

 あれだけ騒がしい人たちがいるのに、黒髪の乙女はどこかボーっとした視線で、テーブルの隅にある三個の穴のあいた木目柄の胡椒ビンを眺めている。まるで、誰かの顔を思い起こしているかのような、そんな輝きを瞳に宿して。

 

「ナーベラルさん?」

「……あ、何ですか?」

 

 普段の、打てば響くような声が遅れていることに、ニニャは静かな疑問を抱いた。

 

「どうかしましたか?」

「何でもありません」

 

 冷厳に告げる声は普段通りのメイドの口調である。

 

「そちらこそ、あのアダマンタイト級冒険者が気にかかりますか?」

 

 しっかり気づかれてた。

 

「あれは、ほうっておいても?」

「構いません。六等冒険者(アダマンタイト)同士の決闘喧嘩の仲裁は、都市警邏隊の仕事ですから」

 

 ナザリックに仕える者として、他のシモベの仕事を横取りするわけにはいかない。

 特に、警邏隊のアンデッドは、至高の御方が創り上げたシモベ。彼らの存在を無為にする行動は慎むべきなのである。

 ニニャは辺りを見回す。店の従業員や常連客なども、まるで慣れた様子で魔法詠唱者の娘と蜥蜴人の戦士、その連れ合いたちを店外にまで誘導し、双方それぞれへと野次を飛ばしてすらいる。都市の最高級宿屋直営の食事処でありながらも、割とこういう事への免疫は強いように思えたのは、少し意外でもあった。

 

「でも、魔法詠唱者(マジックキャスター)が、亜人の戦士と喧嘩って」

「この都市の、学園出身の魔法詠唱者であれば、特に問題はないでしょう」

 

 魔法都市には、魔導国が魔法学院の発展形として、新たなる教導機関と施設が創立された。

 冒険者組合のみならず、魔術師組合をも掌握したアインズは、冒険者の強化と共に、魔法詠唱者の教育と発展――量産化と高品質化を目指した。魔導王、魔を導く王として、アインズはこの方面でも確たる成果を成し遂げ、上質かつ大量の魔法使いたちを大陸中に供出する体系(システム)化された教育方式を拡充。魔導国内に籍を置く(つまり大陸の)魔法詠唱者の九割~十割は、この教育機関の恩恵に与っていると言っていいだろう。

 魔術師組合からの仕事の斡旋、

 さらなる魔法理論の構築編纂や独自魔法の開発、

 各種巻物(スクロール)やマジックアイテムの製作と研究、

 杖やローブなどの上質な魔法媒体や魔法職専門装備の生産と売買など、

 例を挙げればキリがない。

 この魔法都市は、アインズ自らが主導して創設した魔法教育機関、その第一期生の生まれた地にして、都市のおよそ半分が魔法詠唱者の教育機関――魔導学園、通称“学園”――の関係にあると言っても過言ではない。

 

 魔法都市とは、言うなれば「魔法詠唱者の量産」と、

 民らの生活水準を向上させる「新魔法を創出」することを産物とした都なのだ。

 

 ……曲がりなりにも、魔法詠唱者=人間などの”国民”を産物とするのはどうかということもある上、新魔法については他の都市へ送るものではなく、絶対原則としてナザリックへと直接奏上する関係上、やはり一般流通の産物とは見做さない方がいいだろう。

 

 故に、この都市にて教導を受け、鍛錬を積んだ魔法詠唱者は、旧態のような脆弱な魔法詠唱者とは比べようもないほど強健であり、その戦闘力は前衛の補助という範疇には収まらない。〈飛行〉による一撃離脱戦法(ヒット・アンド・アウェイ)、最強化・多重化した魔法による絨毯爆撃、様々な強化(バフ)弱体化(デバフ)を併用しての護身戦闘も、学園生であれば標準的に使いこなすようになるのだ。

 おまけに、安価かつ高い効能を示す水薬(ポーション)の流通や、魔化された魔法武器や防具も充実すると、ただの軽装にしか見えない魔法使いの方が、全身鎧を着込んだ戦士然とした存在よりも攻撃力や防御力に優れていることも十分以上にありえる。それ故に、ああいう異種格闘技じみた取り合わせの決闘というのは、魔法都市ではさほど珍しくもなく、また住人達もそれを楽しむ余裕すら持つようになるのだ。都市はありえないほどに魔法防備に秀でており、住人に被害が出る可能性は絶無。また、決闘法が広く布達されているため、決闘条件さえ整えてしまえば公共の場でPVPを開催しても、それほどの重罪とは見做されないのだ。

 実際、都市外にまで移動して繰り広げられる六等冒険者同士の決闘――という体裁を整えた喧嘩――も、両者一歩も譲らずという攻防が繰り広げられていたが、もはやニニャたちには関係のない話である。

 

「そういえば……あのビーストマンの女の人、会話らしい会話していませんでしたね」

 

 だが、それにしては仲間たち三人はまるで彼女と普通に話している感じなのが、不思議と言えば不思議であった。

 

「あれはおそらく、〈念話結合(テレパシック・ボンド)〉のマジックアイテムの効果です」

「〈念話結合(テレパシック・ボンド)〉?」

「声を出さずに、特定の相手と意思疎通を可能にする魔法です。見方によっては、常に魔法で仲間と緊密に通信連絡を取り合えるアイテムではありますが、一対一の会話に使うには不便、装備し続けていると魔力を勝手に消耗し尽くす、思ったことは完全に相手に筒抜けになるなど、あまり使い勝手の良いものではありません。場合によっては、声を出せない存在が意思を伝えるためのものとして利用することがある程度とか」

 

 声を出せないという不穏な響きがニニャの耳を撫でた。改めてみると、ビーストマンの女性は首をマフラーで何重にも隠していた。言うまでもないが、今は寒さの厳しい季節ではない。

 

「ただ、現在の魔導国において、声帯欠損程度の傷は治癒することは容易かつ安価ですので、声を出せないというものはほぼ存在しないはずです」

 

 それこそ、六等とは言え冒険者なのだから、それなりの依頼を達成すれば治療のための金を工面することは容易なはず。というか、あんなマジックアイテムを購う金があれば、それくらいの蓄えはあって然るべきだろう。

 可能性としては、遺伝的かつ先天的な欠損――生まれた時から盲目だったとか、手足が欠けていた場合――などは、生まれてきたその状態が「健康」「正常」と判断されるので回復することは不可能なのだとか。

 ごく低い確率だが、本人が何らかの戒めで治療を拒んでいるという可能性もある。

 

「お待たせいたしました」

 

 程なくして、二人の卓に料理が運ばれてきた。

 大きな木の板の上に整然と並べられた料理は、南方の国にて祝い事の席に供されることもあるという“スシ”――生魚の切り身を、コメという穀物を固めたもの上に置いたもの――で、これにショーユという調味料をつけると極上の味が舌の上に転がるのだ。

 湯呑という深緑色の陶器には、湯気のあがる茶が注がれている。

 それを、ビールジョッキで乾杯するかのように二人は持ち上げた。

 

「それじゃ……ナーベラルさん、改めて結婚、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

 ささやかな乾杯が交わされ、二人は昼食の場を借りた宴を愉しみだす。

 ナーベラルは、少女からの安くはない贈り物であるスシへと箸を伸ばす。スプーンやフォーク、ナイフ程度しか扱ったことがないニニャとは違って、黒髪の乙女は手慣れた様子で細い二つの棒を器用に扱い、口に新鮮な色艶を放つ料理を運んでいく。小皿に満たした黒い調味料につけるさまも見事だ。スシは手掴みで食べても問題ない(というか、他の卓についてる客の大半もニニャと同様の食べ方をしている)ものなのだが、ニニャは新鮮な驚きを胸に懐いてしまう。

 

「ナーベラルさんって、箸まで使えるんですか?」

「この程度、メイドの一般教養として当然です」

 

 そう言うが、和食文化が本格的にこの地域に流れてきたのは、割と近年――ここ二、三年の話と聞く。

 南方の地出身というわけでないと、彼女の正体を明かされていたニニャは、ナーベラルの示したメイドの(たぶん間違っている)常識に、ひたすら感心するしかない。

 

「すごいですね。やっぱりアインズ様に仕えるには、それぐらい普通でないといけないんですか?」

「当然です」

「……私も、練習した方がいいのかな? どうやって使うんです?」

 

 ニニャはナーベラルの手ほどきを受けながら、四苦八苦といった具合で棒っきれと格闘しつつ、何とかだし巻き卵の乗ったスシを口に運んだ。やはり、一筋縄ではいかない。

 

「……城内やナザリックでの食事も、和食のものを取り入れましょう。そうすれば、少しは慣れるはずでしょうから」

 

 少女は苦笑し、自分の世話を焼きつつ教師役まで務めてくれる乙女に、深い感謝と憧れを示した。

 同時に、以前から気になっていた――結婚した者であれば、避けては通れない事柄について、聞いてみる。

 

「結婚したということは、お名前は変わるんですか? ナーベラル・アクターさんになるとか?」

「いえ。アインズ様は、私たちの名称を変えることを()とはしません」

「夫婦別姓、ということですか?」

「一応は、そういうことになります。私たちの名は、至高の四十一人、それぞれの御方々が御授けくださったもの。それを無闇に変えることはありえないと、アインズ様が決定なさいましたので」

 

 しかし、だからといってナーベラルたち婚姻した者たちの絆が失われることにはなり得ない。

 彼女らの思いが不変不朽である限り、婚姻した者らの契りは未来永劫に渡って断ち切られないのだ。

 ちなみに、ツアレに関してはナザリック外の存在であるため、セバスと名を同じくすることができたのである。

 

「なるほど……じゃあ、式はいつ挙げるんです?」

「式については……とりあえず、考えておりません」

 

 ニニャは意外なことを聞いたように首を傾げたが、それ以上は何も言えない。

 

「あの方と……

 パンドラズ・アクター様と共に生きられる許しをいただけただけで、私は十分なのです」

 

 ナーベラルの薔薇色に輝く表情を見つめていると、何か言ってやろうという気概すらなくなるのだ。

 深く、深く。通じ合い、想い合えることの、歓び。

 それを知った――知り尽くした乙女の(かんばせ)は、本当に素敵であった。

 

「アインズ様には、感謝してもしきれません。あれほどの方を創造してくださった上、不肖な私を、あの方の妻に迎え入れることをお許し下さるなんて」

「よかったですね、ナーベ、ラルさん」

 

 思わず慣れた呼称で呼びつけてしまいそうになるが、瞬間、メイドの鋭く硬質化した視線を受けてどうにか修正できた。

 ナーベラルはさらに胸を震わせ、言い募る。

 

「アインズ様は、本当に素晴らしい御方です」

 

 ニニャは微笑みをたくさん浮かべて頷いてみせた。それは疑いようのない事実だったからだ。

 彼は魔導王という超絶の立場にある存在でありながらも、ニニャのような大したことのない小娘に魔法の偉大な力の一端を理解させ、週五日の魔法授業によって日々に充溢と活力をもたらし、こうして最高の美食に浴する時を与えてくれた。

 感謝してもしきれない。

 尊敬してもしきれない。

 海のように深く、空のように高い存在。

 だから、正直に言うと、今日の予定変更は残念でならなかった。

 魔導王としての政務が、多忙を極める事業であることは十分に理解している。

 だが、教え子に誠実な彼は、予定を遅れさせることはあっても、魔法授業の予定を完全にキャンセルしたことはなかった。

 

「アインズ様、今どうしてるでしょうか」

 

 海と空の色を宿す瞳は、窓の向こうの世界へ、至高の魔導王の行方を追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第6話

アーグランドの土地情報、評議国の記述などは、作者の独自設定です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニニャとナーベラルが、魔法都市でささやかな祝杯を挙げている頃。

 

 アーグランド領域にて。

 

 この世界の頂点に君臨するアインズ・ウール・ゴウンと、ほぼ対等な同盟・共生関係を結んだ“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアインドルクス=ヴァイシオンこと、ツアーは、アインズ・ウール・ゴウンの盟友として、この地を預かる信託統治者――外地領域守護者よりも階級で言えば上、役職としては階層守護者などとほぼ同格、アインズ個人としては気心の知れた相談役であり友人――として、大陸世界を平定し尽くした稀代の王者、魔導王の訪問を心から歓迎していた。

 しかし、これは公的な訪問ではなく、式典や礼典などを必要としない“友人同士”の語らいの場でしかない為、アーグランドの人々は誰一人として、アインズが真なる竜王の住居――清廉な、しかし朽ち果てたような、古代からの宮殿――を訪れていることを知らされていない。

 

「……それにしても」

 

 ふと、アインズは宮殿の外に広がる光景、蒼穹(そうきゅう)の断崖より望める大自然の偉大さに目を細める。

 

「ここは変わらないな」

「そうだね。竜が治める土地は、あまり変化とは無縁なものだから」

 

 彼と、彼の同胞である竜王――代表評議員らが治めるこの地、アーグランド領域(旧評議国領)は、魔導国の助力と、代表者である竜王による合議によって、目覚ましいまでの発展を遂げている――ことはなかった。

 これは、ツアーたちの手腕が著しく稚拙であることを示すわけでもなければ、魔導国がこの領域に対して然るべき労力を注いでいないというわけでもない。

 それどころか、この地は下手をすると、魔導国の如何なる都市よりも壮大なものと言っても、過言にはならないのかも知れない。

 地平線と山麓(さんろく)にまで広がる深緑(しんりょく)の輝き、白い尾根(おね)を煌かせる山々の稜線(りょうせん)は、その見渡せぬ先のすべてまでもが、アーグランド領域の都市に含まれているのだ。これは、ナザリックを防衛する役目を担う城塞都市エモットよりも、数倍以上に広大な領地であることを示している。

 

 竜は、非常に長命であることで有名な種族だ。

 100年単位の寿命は当然として、個体によっては1000年を超える時を生きる者もいるという。大空を無限に舞う“聖天の竜王(ヘヴンリー・ドラゴンロード)”や、巨大地下洞窟を永劫の()()とする“常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)”などがそれだ。

 ツアーは、600年前の八欲王との戦いが勃発した折にようやく幼年期を終えた身で、比較的若い部類に入る。彼の口調に幼さが残っているのは、その表れと言ってもいい。下位の竜――火竜や霜竜などで言えば長老(エルダー)を超え古老(エインシャント)以上とも言えるほどの時間を過ごしてきた“青年”は、自分たちの領地の不変ぶりを、朗らかに笑う。

 

「父の、いや、父の代以前から、ここはこういう場所だったようだから」

 

 軽い微笑みの声は、むしろ誇るような音色をそのうちに宿しているようだった。

 アーグランド領域は、非常に荘厳な都市と、広大に過ぎる自然とが見事に融合を果たした“自然都市”とも言うべき造りを成していた。大樹の上や中ほどに家々が建立され、浮遊する岩塊に下位の竜や鳥系モンスターが巣を作る。樹々の下にある広場では、魔導国の都市で開かれているような市場が営まれ、兵士とも冒険者とも見える人型の若者たち――人間や亜人が、互いの意思を持ち、連携を示しながら、教官の竜に向かって木剣を向け、魔法を唱える訓練をしている。

 これは、アインズが初めて訪れた時から変わっていない。

 多様な種族――人間、亜人、そして異形である“竜”――が共存共栄を謳歌する街並みは、平和そのものだ。

 魔導国がそうするよりも先だって、アーグランド評議国は完成された共存形態を確立していたことは、割と広く知られた情報であったのだから、当然の光景だとも言えるだろう。

 

 

 

 

 

 これは、種族間での差別や格差、文明の齟齬(そご)や誤解、食料とするものの違いや美醜の感性まで何もかも違いすぎるものたちが、一同に一個のテーブルに収まっていられないこの世界において、奇跡と評してもいいほどの光景であった。

 人間が他の種族に劣等感を抱くように、人間を軽蔑する種族、人間を不快に思う種族、人間を食料に見ている種族という具合に、たった一個の種を眺め見るだけでも、様々な思考や信仰、習慣が存在し、それらが複雑に入り組み作用しあうことで、各亜人種や異形種との間で――時には人間種同士でも――不和を生じさせる。

 誰も恐怖を隣人にできないように、殺戮(さつりく)の対象に見られることを忌避するように、各種族というものは互いに反目し、反発し、虚実や不満をなすりつけ合い、相互に理解を示すことは、ない。

それが、この世界における常識であった。

 だが、この大陸の北西に位置するアーグランドの大地は、いつの頃よりかは不明だが、そういった常識から相反した国家づくりが行われた。

 竜という最上位者による、圧倒的な支配権(カリスマ)実行力(カリスマ)のもとで、他種族が手を取り合い、多種族が一個の統一された国家の運営に携わることが“できる”という実例を、その地に住まう生命・存在は実証してみせていたのだ。それも、数百年の長きにわたって。営々と。

 

 その事実を前にして、アインズは疑問を――どうして、他の国家や土地で似たような運営がなされないのか?――抱いたものだが、答えは単純明快である。

 

 彼らアーグランド評議国の国民は、竜たちによる平和統治を()とする感性の持ち主であったが、当然ながら、すべての人が、生物が、存在が、それを受容することはできなかったのだ。

 肯定するものがいれば、否定するものも当然として存在する。

 ただそれだけなのだ。

 

 評議国の国是(こくぜ)を受容できなかったものたちは、思考的、信仰的、精神的、いかなる思想思案に関わらず、他種族との融和を、多種族との生活を、容認することができなかったのだ。

 人間は人間のみで団結せねばならないと信じた国があったように、亜人は亜人のみで団結せねばならぬと信じた国家も、当然ながら存在する。己と違う存在を、違いすぎる価値観を、許し、認めることができないという一点においては、人間も亜人も同質な気性気概の持ち主であったことは、何とも皮肉なことである。

 彼らが互いに向け抱いた感情とは、けっして快いものばかりではなかった。

 あるいは憎悪。

 あるいは嫌悪。

 悪意、悪気、悪業、悪習、悪声、悪徳、悪名、悪法――それぞれが抱くそれぞれへの悪感情が、種族間での抗争・対立・不和・軋轢を生じさせ、評議国が示した実例よりも意義深い“差別意識”を世界中に根付かせ育ませ続けた結果、人々は互いを尊重し互助し合うことよりも、互いを拒絶し否定し殺戮し食い破り合う関係こそが正しいという“一般常識”こそが()と……正しいと、された。されてしまったのだ。

 さらに。

 六大神による、八欲王による、十三英雄による、世界各地に残された「ユグドラシルプレイヤー」などの爪痕、100年周期で訪れる世界の擾乱(じょうらん)によっても、種族間での混乱や摩擦、浄化という名の暴力や、保護という名の改変が、発生した。一定の種のみを優遇する「神のごとき存在」や、世界を正しい方向に直そうと(歪曲)する「英雄」――単純に暴力の権化として君臨した「王」たちなどが存在したことによって、世界はさらなる混沌の坩堝(るつぼ)を形成していくことになったのである。

 

 

 

 

 

 無論、アーグランド領域が魔導国に編入されたことで、変わったこともある。

 大小、老若、色合いなども様々な竜種が空を舞うのは珍しくもないが、その横を競争するかのように人間の魔法詠唱者が杖や箒に乗って飛行している。

 魔導国の設立した“学園”や、魔導王の唱えた魔法普及政策(優遇制度)などによって、これまでの国家とは比べるべくもなく、魔法の力が広く、正しく、下々の民らにまで普及され配給された結果、魔法詠唱者への誤解や冷遇は消え去り、人々は様々な形で魔法の恩恵を甘受できるほどに生活レベルが向上していったのだ。

 さらに、魔法の恩恵を受けた人々は、自らもまた魔法の恩恵を他者へ施せる道を、魔法詠唱者(マジックキャスター)としての道を志す者が噴出し、魔法都市より発生した“学園機構”は、一年もたたずに魔導国内、大陸各地に建立設立される運びとなり、さらに多くの魔術師が生み出されることになり、さらなる魔法の恩恵を大陸の端々にまで行き渡らせる種子と化した。

 まさに「魔を導く王」の智謀が成し遂げた偉業によって、魔法を使う存在は、それまで以上の幸福を謳歌できるようになり、また彼ら魔法詠唱者という使徒によって、世界の人々に魔法の恩恵が行き渡るようになっていたのである。

 そうした結果として、このアーグランド領域にも魔法の良き恵みは供給され、竜と並んで飛行する存在がいる風景が、日常的に眺められるようになったのだ。

 

「ようやく――世界が対等になりだしてくれたわけだ」

「ツアー?」

 

 独り言を言ってしまった己を自覚し、ツアーは静かに首を振っていた。

 ちらりと、視界の端に剣と呼ぶには異様な形状の剣を眺め、ふいと逸らす。

 アインズは友人の「何でもないよ」という言を飲み込み、改めて竜と向き合うことに。

上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉によって生み出された椅子に腰かけ、深き叡智を宿した竜の瞳を見つめ返しながら、アインズはとりあえず、自分の置かれた状況――部下である四人からの求婚のことを説明し始めた。

 四人の名や特徴は、ツアーもある程度は知っている。というか、しっかりと面識も得ている。

 まがりなりにもツアーもまたナザリックに在籍しているような立場なのだ。役職上で言えば、今の竜王はすべてアインズの配下と言ってもいいのだから、当然ともいえる。

 だが、

 

「すまない、アインズ。人々に様々な助言をもたらしてきた僕でも、アンデッドの結婚相談は、やはり初めての出来事だからね」

「まぁ……だよなぁ」

 

 苦笑する竜に対し、アインズもまた自嘲するように笑みをこぼした。

 

 ツアーは厳密に言えば既婚者――婚姻を既に結んだ者ではない。

 だが、別に相手に恵まれていないという意味ではない。

 というか、むしろ恵まれすぎているといってもいいだろう。

 彼の数多い子供には、義理とはいえ人間の娘までいるというのだから驚きだ。

 彼は竜王(ドラゴンロード)――「竜」という種族であるため、結婚という概念自体が理解できないという話を聞いた。

 (いな)、子を()すための(つがい)という意味では理解はしているらしいのだが、結婚制度というものそれ自体が、彼ら竜種にとっては意味をなさない。人よりも遥かな悠久の時を生きる彼らにとって、人間の法制度や価値観については、どこか齟齬(そご)を感じているようなのだ。

 (いわ)く、結婚という形式(そんなもの)が本当に必要なのか。

 竜たちにとって、寄り添うのも離れるのも、一時の気まぐれ。あるいは、ただの成り行き。

 男か女、雄雌(おすめす)の別を問わず争い、殺し殺されもする竜たちの世界においては、結婚という繋がりに特別な感慨を抱く者は少ない。独り立ちすれば己の子どもすら敵として追い払わねばならず、親であろうとナワバリたる領地を巡り戦う種族なのだ。そも、家族や一族という団体でいることすらも珍しい、とさえ言われているのが現状である。

 彼らの結婚を無理やり定義化するのなら、事実婚というものがあてはまるのではないだろうか。

 無論、一般的な日本人――というか童貞――には、あまり馴染み深いものではないので、アインズをしてもあまり理解が及んでいないというのが実際なのだ。

 いずれにせよ、あの「事件」以来、ツアーと共闘せざるを得なくなった「一件」以来、アインズはツアーの人(竜)格者としての為人(ひととなり)には、全面的な信頼を寄せている。

 故にこそ、アインズは彼からの助言を受け取ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。

 何しろ、相手は“真なる竜王”、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”、この世界でもアインズたちと同等の力を保持しながら世界の安寧と均衡に尽力する調停者であり、永き叡智と歴史を集積した比類ない本物の賢者でもあるのだ。

 それに、アインズ個人としての盟友でもある。

 むしろ、頼らない方が礼を失すると言ってもいいだろう。

 

「だが、そうだね……結婚することで、何か君にとって困ることがあるのかい?」

「困ることは……たぶん、ないな」

 

 と、思う。

 思いたいだけかも知れないが。

 

「だったら、別にいいんじゃないかな。結婚しても?」

「……そう軽く言われてもな……」

 

 アインズは沈鬱な表情を浮かべかけるが、竜は無知なるものを諭す賢者としてではなく、気安く友人に提言する友人として、自らの言葉を補足する。

 

「あまり難しく考えても、(いたずら)に時を回すだけだよ。試しに結婚して、これはどうしても駄目だと思ったら離れてみる。それではいけないのかな?」

「あー、どうだろう。……離れることができるのか、どうか」

 

 というか、ナザリックのNPCたちなんだから、離れようと思ったらナザリックから出ることになるかも知れない。それはちょっと遠慮したい気がする。

 

「いや。というか、離れることを前提に考えて結婚するというのは、少し違う気がするぞ?」

「でも、それだけ真剣に考えているくらい、その求婚してくれた四人を思っているのだろう?」

「……それは、まぁ」

「彼女たちは君を求めている。そして、君はそれにどう答えるべきか悩んでいる。アインズは複雑に考えようとしているけど、結局のところは、君が彼女たちとどうなりたいのか――それだけなんだよ、問題は」

 

 アインズは、黙考する。

 アルベドたちの想いに応えたい。

 しかし、どう応えるのが正解なのか、わからない。

 経験のなさや自分の立場などを引き合いに出すことで、事態は混迷の様相を呈しているが、友である竜の眼には、違う問題こそが浮き彫りになっていた。

 

「誰だって最初から経験者でいられるわけじゃない。誰の気持ちや想いにどう応えるにしても、一度応えてみてからでないと、応え方なんてわかるはずがない。正解を導き出すにしても、間違った選択をするにしても、『やってみなければわかりはしない』のさ」

 

 彼は“転ばぬ先の杖”が必要なのではなく、“七転八起”を目指さねばならないと、そう告げた。

 人が立って歩くことを覚え学ぶ上で、転ぶことがないなんてことはありえない。

 転ぶことを恐れて歩みを止めていては、誰も前に進むことはできない。

 ツアーの言葉に、アインズは思わず呻く。

 

「覚悟が足りない――という奴なのかな、これは?」

「いいや。むしろ、覚悟という“道具”に頼ろうとしているだけだと思うけど?」

「ん……なるほど」

 

 アインズは目から鱗が落ちた気を味わった。

 しかし、それでも――

 

「小賢しく振る舞うのは、止めた方がいいということかな?」

「……そうだね。愛というのは、小賢しいままではいられないものだからね」

 

 遠い記憶を眺めるように、竜は瞳を細めた。

 

「アインズ。何故、僕たちのような異形が、永遠に近い時を生きる異形(モノ)らが、子を()すのか……考えたことはあるかい?」

 

 伏せた眼に射抜かれながら、魔導王は真実を口にする。

 

「いや、考えたことはなかったな」

「まぁ、アンデッドが(つが)うとかいう話は僕も聞いたことがないから、そう考えるのも無理はないね」

 

 ツアーは静かに、何か大切なことを思い出すような口調で、語り始める。

 

「長い寿命、途方もない時間、誰よりも先へと進むことができる存在なのに、どうして子を残す必要があるのか――」

 

 竜の口調が問いかける風であることに気づき、アインズは思った解答を口にしてみる。

 

「自分を継ぐ者が必要だから、じゃないのか?」

「半分、正解」

 

 竜は牙を剝き出しにする。微笑んでいる証拠だ。

 

「けれど、もしかしたら自分を継ぐ者が先に死んでしまえば、その子は無意味に生まれ、無意味に死んでいったことにならないかい?」

 

 確かに。

 しかし、アインズは疑問を深める。

 

「では、やはり異形種には、自分を継ぐ者を、子を生す必要はないのか?」

「自分を継ぐ者も、確かに僕たちには必要だ。それは異形種も違いはない。

 しかし、それ以上に、僕たちは“たった一人では、孤独ですらいられないもの”なのだよ」

 

 孤独。

 その言葉は、思いの(ほか)アインズの胸骨の奥にある空白を(えぐ)った。

 

(つがい)を、伴侶を、連れ合いを持つというのは、つまるところそういうことなのさ。僕らは一人でいても何も楽しくない。どころか、一人でいては何を思うこともできなくなる。一人だとつまらないと感じる以上に、一人でいることは、自分さえ存在しなくなることを意味すると、僕は考えている」

「……自分さえ、なくなる?」

「僕たちは、触れ合える他者がいてこそ、自分という者の存在を認識できる。語らえる誰かがいてこそ、僕たちの言葉は意味を持ち、言葉たりえるのさ。誰もいない場所に自分一人でいては、何もできない。世界に自分ただ一人でいたとしたら、それはもはや孤独ですらない。自分というモノすら意味消失して、孤独というありさまさえ、不適当に成り下がる。――変に聞こえるかもしれないけれど、孤独とは、他人が存在してくれるからこそ、はじめて孤独となりえるものなのさ」

「ふむ……」

 

 ツアーの思考は、アインズの想像を超えて余りある。

 しかし、だからこそ彼との語り合いは非常に有意義なのだ。

 

「では、普遍的な――他者のいる孤独とは?」

「他者を拒絶すること。自分は一人きりだと思い込むこと」

 

 ツアーの声は淀みなく、吹き抜ける風のように軽やかな口調で紡がれ続ける。

 

「他者を拒絶したところで、その他者たる人物が消えてなくなるはずがない。自分は一人ぼっちなのだといじけてみせても、世界を歩き回ればどうしたって誰かと巡り会う。巡り会えるものなんだ。ああ、そういう意味ではキーノもそうだったね。懐かしいな。

 市場の露天商から食べ物は買うし、組合に赴いて依頼をすることもある。他にも役人とか農夫、教官や冒険者、通りを行き交う親子連れとだって出会えるだろう。人は、生き物は、たった一個では、寝床の確保も、知識の収集も、飲食すら満足に事足りることができない、脆く儚く、とても弱い生き物だ。

 その事実を前にして、何をどう思うも個人の自由だけど、そんな状態を孤独だなんて言い募るのは、少し傲慢に過ぎるだろうね」

「確かにな。言うなればそれは、孤独ではなく孤立しているというべきかな?」

「ふふ……それは言い得て妙だ。けれど、確かに孤立しているというべきだね」

 

 竜の笑声(しょうせい)がアインズの言葉を受け入れた。

 

「僕は、こう考えている。自分は、誰かから受け継がれた存在である以上、自分に受け継いでくれた誰かのために、自分を継ぐものが必要なのだと。

 自分は、いきなり一人で生まれてきたわけじゃない。

 たくさんの命に支えられ、たくさんの命に育まれたから、僕という今が、ここにある。

 そこに、一年や十年、百年、千年の違いなんてものはない。命とは、巡るもの。贈り贈られ、送り送られ、その繰り返しを続けていく。

 命を生み、生まれ、生きて、そうして次を生んで――死んでいく」

 

 竜は朗らかに、しかし、積み重ねてきた年月に相応しい思いを含ませた声で言い募る。

 彼は竜帝の子として、国を治める者として、数多の同胞が戦い死んでいくのを見続けてきた。

 八欲王と戦った父や兄ら、始原の魔法の使い手であったかつての竜王たち――評議国の代表として、多くの民らの生き死にを看取り――十三英雄の一員として、リーダーや仲間たちと共に戦い、あのような最後を迎え――それから200年後に、思いがけない者との対面を果たし、

 そうして、今、

 大陸を制覇した、骸骨姿の友を見下ろしている。

 

「悲しいな……私は、ただのアンデッドだ。生きてもいなければ、死んでもいない」

「でも、君は今、世界(ここ)にいるだろう?」

 

 ツアーはおかしそうに、自らの存在を残念がる不思議なアンデッドに相好を崩した。

 

「命は、まったく悲しいもの。

 けれど、まったく不幸なものではないことは確かだ。

 同時に、アンデッドであるから不幸なものだということは違うだろう? 少なくとも、(アインズ)は、今、僕の目の前にいる。僕という友の目の前に、ね」

 

 アインズは微笑むように肩を(すく)めた。

 

「それで、肝心の結婚のことについては」

「いや、十分参考になったよ」

 

 椅子に体を預けていた魔導王は、居住まいを正すように背筋を伸ばす。

 

「ありがとう、友よ」

「礼には及ばないさ」

 

 軽く喉を鳴らす竜の姿に、アインズは胸のつかえが僅かに取れた気がした。

 

「至高の魔導王と呼ばれてはいるが、こうして見ると随分と不甲斐ないものだな、俺は」

 

 謙遜でも謙虚でもなく、実直にそう思考するアンデッドの様子は奇妙だが、とても好印象なもので。

 

「僕たちは神ではないからね」

 

 ツアーは考える。

 神ほど可哀(かわい)そうな存在はいないとさえ、思う。

 神はその完璧さ故、完全無欠であるが故に、何物も何者も、何一つとして受け入れる余地のない存在だ。失敗も敗北もなく、ただの一度も己を顧みることはない。そして、神と呼ばれるものたちの悲哀を、神を信仰するものたちは知らない。知ろうとさえしない。信奉者たちは助けを求め、救いを望み、己の窮状を陳情するだけの愚物であろうとする者の姿に他ならない。

 故に、ツアーは神を嫌う。

 同時に、哀れとさえ思う。

 それとは逆に、神などとは程遠い者――目の前のアンデッドなどがそうだ――を好ましく思う。

 彼個人への恩義もあるにはある。

 だが、それ以上に、彼個人は信頼に値するのだ。

 はっきり言えば、いい人なのだ。アンデッドではあるが。

 たとえ、神のごとく尊崇されていようとも、神のごとく超然とした存在として奉られようとも、本当の神とは程遠い彼のような存在なら、きっと…………“彼”や、“彼女”のようにはならないだろう。

 

「すっかり話し込んでしまった。すまないな、こちらの依頼した指輪の製作中だったというのに」

「……なんの。僕も久しぶりに、いろいろと語ることができて嬉しかったよ」

 

 少しばかり懐かしい顔を思い出してしまったことで苦笑を深める竜は、席を立つ魔導王への礼儀――というよりも敬意の証として、己の鎌首を会釈するように垂れてみせた。

 

「これぐらいのことなら、いくらでも相談に乗るから、気安く頼ってくれていいとも」

 

 勢い込んでそう受け合ってみせる“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”。

 ただ、

 

「ああ、っと……もうひとつ、相談したいことが、あるにはあったんだが」

「うん? 何だい?」

「…………アンデッドの俺って、どうやったら子どもをつくれると思う?」

 

 その相談には、ツアーをしても、さすがに口を(つぐ)まざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほぼ同時刻。

 ナザリックにて、主の留守を預かる元守護者統括にして、「宰相」の地位を与えられた女悪魔は、同じく留守を任されている第六階層守護者「導師」マーレを連れて、姉であるニグレドの協力の下、一つの会談の場を設けていた。

 

『何でありんすか、アルベド?』

『わざわざ〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉と〈全体伝言(マス・メッセージ)〉を併用しての会議なんて――そんな重要な話を、今からしようっていうの?』

 

 外の領地にて政務に励む守護者二人を呼び出したアルベドは、二枚の水晶板に映し出される少女らに、同胞であり恋敵であり、今では対等な妃候補たちに、静かに語りかけ始める。

 

「ええ、そうよ。シャルティア、アウラ、そしてマーレ。これは私たち四人にとって、もっとも重大かつ重要な会議となるわ」

 

 アルベドの傍近くに(たたず)むマーレは思わず息を飲んだ。

 宰相の横顔はいつになく重い緊張に覆われており、常のような女神の微笑は(なり)を潜めている。

 

『……わかりんした』

『……お昼休憩は残り四十分だよ。早いところ始めちゃお』

 

 二人はあっという間に、アルベドの語らんとする会議の内容に思い至ったらしい。

 アルベドは頷き、貴重な時間を割いて招集に応じた三人に感謝を込めながら、会談内容を(あやま)つことなく伝達する。

 

「ではこれより、私たち四人が、アインズ様の(きさき)として迎え入れられるための、第一回極秘会議を執り行います!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第三章へ続く】

 

 

 

 

 




ここまで読んでくれたあなたに、感謝の極み。

第二章”ナザリックの婚姻制度”は終幕となります。

いよいよ、完結が見えてまいりました。ラストスパートです。

続く第三章”アインズの決断”にて、お会いしましょう。

それでは、また次回。       By空想病



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第三章 アインズの決断
第1話


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツアーとの会談――結婚相談を終えたアインズであったが、問題は解決していない。

 ナザリック内に婚姻制度を敷いてから、つまり守護者四名からの求婚から、数週間が経過した。

 

「今日のカップルは……あいつとペストーニャ、か」

 

 これはまた意外な新婚さんの誕生だ。

 近しい役職同士だからか、はたまた他の者たちと同様、あの二人――二匹?――の間でも、何かしらの秘め事があったのかもしれない。少し気にはなるが、あまり部下の恋路を詮索するのは野暮というものだろう。それぐらいのこと、近頃のアインズはわきまえていた。

 というか、さすがに数週間もすれば、ある程度の慣れが生じてくる。

 さすがに驚きこそするが、婚姻制度導入直後のようなじたばたしたい衝動は薄れてきてくれている。

 慣れって、本当に大事だ。

 

「それにしても……」

 

 アインズは少し物思いに耽る。

 自分の執務室を見渡し、その視界にアインズ当番のメイドと不可視化している護衛、

 そして、とある人物の姿を見つめ出す。

 ナザリックのNPCたちが続々と婚姻し、絆を深めていく状況下で、奇妙な静寂を保っている者が、今アインズの傍らに控えている。

 

 魔導国「宰相」――白い女悪魔――アルベド。

 

 彼女をはじめ、あの四人が、アインズの妃に名乗りを挙げた者たちが、この数週間、深い沈黙を保っているのも、それとなくプレッシャーになりつつある。

 何か、裏で密約でも交わしているのかというぐらいに、互いが互いを警戒するそぶりを見せず、かつ独断専行的にアインズに迫ってくることは一切ない。

 役職の都合上、ほとんどアインズと行動を共にする“盾”――白い女悪魔の宰相ですら、あの求婚からほとんど通常通りの業務をこなし尽してくれている。それ自体は歓迎すべきというか、さすがに自分の役職や立場などを考えて自重してくれているのだろうが、ここまでくると、もはや却って不気味ですらある。

 だが、おかげでアインズは冷静に、かつ厳格に、彼女たちからの求婚に応じる心理的余裕を得られた。

 それこそ、かつてのように、思いを暴発させて貞操の危機に陥りかけたり、守護者同士で(いさか)い合ったりするような光景を見せられたら、アインズはその対応や解消に追われ、十分な気持ちの整理をつけることは不可能だったろう。

 最悪、彼女らの想いをすべて反故にしてでも、ナザリック内の平穏を選択したかもしれない。

 アインズは思う。

 それすらも考慮して……なのかも知れない。

 最近のNPCたちの成長ぶりは、アインズをしても目を――眼球などないのだが――瞠るものがある。シャルティアも、アウラも、マーレも、コキュートスやデミウルゴス同様に、外の領地を預かり、ナザリックへ貢献する「六大君主」としての役儀に邁進してくれている。アインズのような物見遊山な都市巡りではなく、ナザリックの利益につながる都市作りや生産体制の拡充に尽力してくれているのだ。

 本当に、頭が上がらない。

 

「では、本日の政務は終了とさせていただきます」

 

 最後の書類仕事をつつがなく終えた主人に一礼し、宰相は受け取った書類を手に部屋を辞していく。

 

「アルベド」

 

 ほとんど無意識に、アインズは女悪魔の背中を引き留めていた。

 こんな時に思うのもなんだが、本当に、アルベドの姿には感嘆を禁じ得ない。

 純白のドレスとは相反する黒絹の髪。左右のこめかみから突き出る悪魔然とした角と、これまた対照的な天使然とした一対の黒翼を、腰の辺りから広げている姿も美しい。金色に輝く瞳はあどけなさと妖艶さを共存させ、主人の瞳を切なそうに、けれども謹直な姿勢そのままで見つめ返している。

 彼女たちの想いに応えるべき時が来た――そう言い訳する自分を自覚しつつ、アインズはとにかく、振り返った宰相の女神のごとき微笑みに、問いを投げる。

 

「……その……おまえたち、四人は…………本当に、いいのか?」

 

 何が、とは聞かない。聞けるはずもない。

 ここまで来ておきながら、しり込みしてしまう自分が極めて情けない。

 穴があったら埋まってしまいたい気分だ。そのまま土葬された方がいいかもと下らないことを考える。

 

「私は……」

「御心配には及びません、アインズ様」

 

 未だに迷い、戸惑いの中にある主に対し、アルベドは応える。

 聖母のような、深い慈しみの表情を面に浮かべて。

 

「私どもは皆、アインズ様の御心のままに――」

 

 どこまでも玲瓏(れいろう)とした、一人の女の声。

 アインズは、存在しないはずの心臓を締め付けられてしまうように思えた。

 

「――すまないな。こればかりは、その……初めての、ことで」

「いいえ、そのよう、な…………」

 

 アルベドは聞き逃せない情報を耳にしたかのように口元を塞ぎ、唐突に愛すべき男へ背を向け直してしまった。

 

「ア、アルベド?」

「はじめて……ハジメテ…………初…………」

 

 何ごとかを呟きながら肩を揺らし、激しく呼吸を繰り返し始める宰相の後ろ姿に、アインズは少しばかり嫌な予感を覚えるが、アルベドは落ち着きを取り戻したかのように、かわいらしい様子で一つ咳払いをしてみせる。

 アインズは勿論、メイドと、不可視状態にある護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちも、ほっと胸を撫で下ろした。

 

「そ、そういえば、アルベド。もうひとつ、聞いておきたいことが、あったのだが?」

 

 咄嗟に思い出したような雑事を口にしてみる。

 白い女悪魔は薔薇のように輝く笑みを浮かべ、主人の問いに答える姿勢を見せてくれた。

 アインズは冷静に、先日デミウルゴスからもたらされたとある食材アイテムの資料を、手元に広げ見る。

 

「えと……に、二等冒険者チーム“重爆”が、東の海上都市から採取・回収したという……「アンデッドを受肉させる果実」なるマジックアイテムについて、なのだが」

 

 ものすごい笑顔を花開いたアルベドが、アインズの傍へと舞い戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓・第九階層・使用人室エリアの一角にあるツアレの私室。

 メイドに与えられたとは思えないほどに豪華な内装。慎ましくも煌く芸術のような調度品。来客をもてなすテーブルとティータイムセット。天蓋に覆われた、外の世界の何よりも柔らかく跳ねるベッド。エアコン……室内温度の管理維持のためのダクトまで完備されている、ただの使用人のものとは思えないような部屋の中に、この部屋の住人専用に、新しく設置されたものが、ひとつ。

 使用人たちが使うはずのない、純白の樹の囲いに覆われたベビーベッド。

 その中を定住地とする赤ん坊は、ナザリック地下大墳墓で、否、おそらくはこの世界において初めて誕生したと思われる“混血種(ハーフ)”――NPCと現地の人間との間に生まれた時代の寵児――アインズ・ウール・ゴウンが特に関心を寄せる奇跡の象徴にして、将来の萌芽――名を、マルコという、セバス・チャンとツアレニーニャ・チャンの愛娘(まなむすめ)である。

 

「あー」

 

 白い竜のぬいぐるみを掴み戯れるのは、近頃において、この赤ん坊のお気に入り(マイブーム)となっていた。

 このおもちゃを渡しておくだけで、マルコはほとんどの時間を――授乳をせがむ時、排便をした時、夜泣きの時以外――とてもいい子のまま過ごしてくれるのである。

 

「はーい、すっきりしましたねー?」

 

 娘のおしめを交換し終えたツアレは、専用のダストボックスの蓋を開け、娘の粗相の証たるものを捨て去った。娘のものであれば鼻水でも何でも啜れる母親ではあるが、神聖なナザリック内を汚物で汚すわけにもいかないのである。

 このダストボックスは各部屋に備え付けの物であり、ナザリック内の汚物回収の任を任されたモンスター汚穢喰いの女王(アティアグ・クイーン)に自動転送される優れものだ。

 

「はーい、もう大丈夫ですよー?」

「うー?」

 

 マルコはわかっているのかいないのかわからない返事を母に返すと、とてもふわふわな、けれどけっして壊れないという魔法のぬいぐるみに大いにじゃれつき始めた。

 マルコに与えられたオモチャというのは、無論、このぬいぐるみ一つきりではない。優しい音楽を奏で回る「メリー」や、「ガラガラ」などの音の出るものが多い。しかし、普通の人間の乳幼児であれば、この時期は目もそこまで発達しておらず、大抵は耳で感じ取れるものが大半を占める。ボールや手押し車、布絵本や積み木などは、今は無用の長物でしかない。

 しかし、マルコは普通の乳幼児ではない。

 竜人と人間の“混血種(ハーフ)”である影響からか、各種機能の発達具合が平均的な乳幼児の成長よりも微妙に、本当に微妙に違うのだ。これはおそらく、親離れをしやすい異形種の特性故なのだろうが、結論は今のところ不明だ。マルコ以外の混血が生まれてくれれば比較検証もできるはずだが、今のところ、ナザリックに属するNPCと現地人の女性との間に生まれた実例はマルコ一人きりなのだからしようがない。そのためにも、デミウルゴスあたりが一人頑張っているところなのだが、その辺りの事情はツアレたち親子には関係のない話であった。

 

「今日はこれからお散歩の時間ですからねー」

 

 ツアレはそういって、城塞都市へのお出かけの時のように、マルコを抱えるためのスリングや、替えのおしめなどをいれたウェストポーチなどを取りに向かう。

 マルコはアインズがその成長を楽しみにしている寵児ではあるが、部屋の中に閉じ込めっぱなしにするようなことはしていない。むしろ、マルコの将来に繋がればと、この母娘にはナザリックのほぼ全階層――無論、第八階層は閉鎖している――の訪問を許可している。叔母であるニニャと同様、彼女もひょっとすると魔法詠唱者としての才覚を発揮するのかもしれない。現地固有の魔法を扱う魔術師として、このナザリックに仕える未来を母親は幻視すらしてしまう。

 ツアレはまったくいつも通りに、娘とのお散歩の時間を楽しもうと、心を浮き立たせていた。

 昨日は、第六階層の大樹で、アウラ様やエルフたちと遊んでいただいた。

 今日は、第五階層の館にいるニグレド様に、ぜひにと招待を受けている。

 愛娘がナザリックの存在全てに祝福を受けている事実に微笑みを強くしながら、ツアレはベビーベッドのもとへ戻った。

 ……だが、

 

「マルコ?」

 

 応える声は勿論ない。

 生後ひと月もいかない乳幼児は、意味のあるのかないのか判然としない声をあげるくらいの会話能力しかないのだから。

 ――だが、

 

「マル、コ?」

 

 ツアレは、もう一度、我が子に声をかけた。

 そうせざるを得なかったというべきだろう。

 

 ベビーベッドの中は、もぬけの殻であった。

 

 つい先ほどまで、そこにいたはずの、そこに置いておいたはずの赤ん坊は、白い竜のぬいぐるみと共に、何の兆候もなく、母親の前から消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第九階層は、瞬く内に騒然の坩堝(るつぼ)と化した。

 

「マルコがいなくなったと!?」

 

 わけても、マルコの両親たる夫妻の動揺と狼狽のほどは群を抜くだろう。

 何しろ騒動の中心――いなくなった赤ん坊というのは、二人の愛する娘であったのだから。

 

「いつ、どうして! 一体、何があったというのです!?」

 

 夫は子守を務めていた妻を詰問した。その語気は比較的やわらかく穏やかといっても良いくらいのものに抑えられていたが、受け取る側にとって、今はそんなことは関係なかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、……ごめんな、さい」

 

 いなくなった娘を探し回る内に涙で溢れた母親の表情は、常のような愛嬌や謹直さは欠片も残っていない。夫の問いかけに応える声と表情は、罅割れた硝子よりも痛ましく、薄い氷の上を歩くよりも危うい印象に変じていた。

 

「セバス様」

 

 部下であるユリ・アルファに肩を掴まれ、セバスは自らの失態を恥じた。

 ツアレはしきりに謝辞(しゃじ)悔悟(かいご)を述べ立て続け、それ以上の意味ある言動をとれなくなっている。さすがに一般メイドたちも、その変貌ぶりには同情せざるを得なかった。

 セバスは、過日の彼女を幻視する。

 まるで、昔の、彼女を保護した時のような状態だ。ほうっておくと自らに刃すら突き立てかねない狂態である。

 

「ツアレ……申し訳ありません、私も少し、冷静さを失ってしまいました」

 

 妻は夫の励ます声に、何とか頷いてくれた。しかし、謝罪の言葉は相変わらず紡がれ続ける。

 

「安心なさい。マルコはきっと、無事に戻ってきます。ですから、あなたは部屋で休むのです。いいですね?」

 

 娘の大事だというのに休めるものかと抗弁しようとするツアレであったが、娘が目の前で消えた事態というのは、母親の精神を存外に疲弊させ尽くしていた。もはや、彼女は(セバス)が支え抱いていなければ、その場で立ち続けることすらできないほどの容態である。マルコを探しまわっているうちに、足腰にガタが来るほどの疲労が、母親の体力を削ぎ落とし尽くしていたのだ。

 セバスは一般メイドたち数人にツアレのことをくれぐれも頼み込むと、ペストーニャとユリたちに協力を願い出る。

 

「まず、マルコが何者かにかどわかされた可能性は?」

「ありえません。今週のナザリック防衛の責任者は、アウラ様。現在はナザリック上空を巡回飛行しておいでですが、侵入者などの報告は受けておりません……わん」

「だとするならば、アー……アウラ様や、アウラ様の魔獣たちの感知をすり抜ける強者の可能性が? しかし――」

 

 ユリの言葉にセバスは同意する。

 強者の可能性というのは、極めて低いだろう。

 今週のナザリック防衛の要たる闇妖精の少女、アウラは「群」に特化した階層守護者だ。

 彼女の率いる魔獣たちの強さは、アウラの能力で底上げすれば九十台にも届く。それだけの魔獣を百単位で運用指揮するアウラの感知網をすり抜けることは、この世界の存在程度では絶対不可能。無論、イジャニーヤをはじめとして、そういった隠形潜入能力を生業とする忍者(ニンジャ)であれば可能性は零ではないが、そういった力を発現できるとしたら、それはユグドラシルプレイヤー並みの存在でなければ説明がつかない。

 しかし、ユグドラシルプレイヤー単体(群れであれば、アウラの感知に絶対ひっかかるはず)だと考えるならば、第一から第七までの全階層を飛び越えて、いきなり第九階層の、しかもツアレの私室にいた赤ん坊を誘拐しようという企図を抱くはずがない。むしろ、さらに奥に控えているギルド長の寝首を掻きに行く方が自然だが、現在のところ、アインズの無事は確実である。

 マルコは現在、ナザリックに属する存在と、一部の外地領域守護者や信託統治者ぐらいにしか、その存在は知られておらず、外の世界にいたプレイヤーがその存在に気が付く道理がないのだ。外に出ている守護者やシモベの思考を読み取るなどの手段もなくはないだろうが、やはり、どうあってもマルコ一人を攫う理由には乏しいだろう。そのようなことを企み、実行し、無事にこのナザリックから逃げ果せることが可能だと、本気で思えるはずがない。

 もしも、仮に。

 そんなことを思う存在がいたとしたら、生きて帰ることは不可能だと知らしめねば。

 それは、ナザリック地下大墳墓に属するシモベたち、そして何より、この地を統治するアインズ・ウール・ゴウンへの侮辱に他ならないのだから。

 

「ペストーニャ。アウラ様とアルベド様、そしてデミウルゴス様に〈伝言(メッセージ)〉を」

 

 いつにも増して厳格かつ鋼のように硬質な声が、セバスの口から紡ぎ出される。

 

「アインズ様へは、私自らがお伝えに行きます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を少しだけ(さかのぼ)る。

 

 デミウルゴスは、第十階層図書館内にある、ちょっとした研究スペース――彼個人が実証し編纂した、『外の世界における実験記録』の保管庫――で、新たに判明した情報の執筆に勤しんでいた。

 これは業務ではなく、あくまで彼の趣味でしかない。言うなれば日記帳をつけているような気安さで、彼は新たに判明した情報の編纂と管理に情熱を注いでいるだけなのだ。

 

 彼は第七階層“溶岩”の守護者であると同時に、有事の際にはナザリックの防衛を一手に担う軍事においての指揮官という役職を賜っていたが、この世界に転移してから数年が経過するうちに、様々な役職を追加任命されている。「六大君主」の一柱にして、ナザリック空軍兵団を預かる総帥、アインズ・ウール・ゴウンの政務補助に徹する「参謀」などがそれだ。

 

 そして、デミウルゴスは至高の御身であるアインズへの忠義を尽くすべく、未知なる外の世界の研究と解明に明け暮れてきた。

 位階魔法を封じる巻物に必須な、羊皮紙などの材料供給。各種魔法の発動実験や応用技法などの開拓。異種交配実験にしても、その一環に過ぎなかった。

 すべては、アインズに宝石箱を――アインズ・ウール・ゴウンの名を全世界に轟かせる一大事業“世界征服”を成し遂げ、献上するために必要なことであった。

 そうして、現在。

 彼らの働きによって、この大陸世界はすべて、偉大なる御方の膝元に仕える臣民と成り果てた。

 しかし、まだだ。

 

「まだまだ、この世界のすべてを知り尽くせたわけでは、ありませんからね」

 

 思わず独り言を呟きつつ、悪魔は三日月のように鋭い笑みを口元に刻む。

 この世界のすべてを御身の下に。

 そう確約し宣誓した悪魔の手元にある資料には、ナザリックが誇る家令(ハウススチュワード)の異形種と、その伴侶となった外の人間の女の間に生まれた娘――マルコ・チャンについての特筆すべき項目が、整然と書き連ねられていた。

 竜人と人間の混血種(ハーフ)という、世界でも無二の存在。

 その成長速度、奇妙な特性、乳幼児らしい習慣や肉体能力。それらが一日おきどころか、一時間単位で鮮明に記録されている。その成長記録から採取された情報をもとに、今後生まれてくるだろう新たな混血種(ハーフ)――例を挙げれば、蟲王(ヴァーミンロード)雪女郎(フロストヴァージン)の子、最上位悪魔(アーチデヴィル)と人間or亜人or異形の子――の成長と比較研究する際に、大いに役立つことはまず間違いない。

 さらに、この間、とある冒険者チームより献上された、未知の食材――マジックアイテムの発見には、パンドラズ・アクターに鑑定と一時的な実験協力を願い出たことも、記憶に新しい。

 

「実に愉しみですねぇ」

 

 ナザリックの防衛については、アインズがこの世界で新たに生み出したアンデッド軍団のおかげで、万全以上の体制を敷かれている。あの「一件」によって、真なる竜王との盟友関係を構築したことにより、上位アンデッドの作成も軌道に乗ってくれたおかげで、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)や各種死の支配者(オーバーロード)の生産もある程度の規模で行えていた。ここまでを読み切って、竜王らを取り込んだアインズの手腕は、まさに端倪(たんげい)すべからざると評するより他にない。デミウルゴス一人では、完全な敵対と殲滅しか思考できていなかった評議国に対し、御身は世界最強である竜種――その中でも強壮な竜王たちまでをも、己の手駒に加えてみせるとは。

 主との力量差を自覚し、デミウルゴスは恥じ入ると同時に、強い尊崇と敬服を増大させていくのを止められない。止める必要など皆無なのだが。

 しかし、至高の御身はそれだけでは、ナザリックの戦力拡大には不十分だと思考されていた。

 その証明ともいえるのが、外の現地勢力に過ぎない有象無象の強化と支配――アインズを絶対的存在と仰がせ崇めさせた上での、戦力化と従属化だ。アンデッドら無限労働力の積極的投入、冒険者組合の完全掌握、魔導学園機構の設立、分業都市建設による生産力の向上と安定化、どれもが素晴らしい智謀の王の偉業に他ならなかった。もはやその叡智は、デミウルゴスの思惑や予定を超越し尽くして余りあるほどと言える。

 改めて、参謀たる悪魔は己の作成する書類に目を通す。

 新たに判明した情報――世界級(ワールド)アイテム“ヒュギエイアの杯”によっての、異種交配実験の可能性拡張などは、デミウルゴスの豪胆かつ熱狂なる鼓動を震え凍えさせるほどのもの。

 まことに。

 このアイテムを勝ち取った御方々の栄光は、とどまるところを知らない。

 ナザリックNPCと、現地勢力の将来的な融和――そして、その混血として産み落とされる子らを戦力として強化し、従属と化していけば、現在以上の軍を構築できることは確実な未来となるだろう。

 これより100年の後、この世界に現れるだろうプレイヤーが、どれほどに強大な勢力であろうとも、このナザリック地下大墳墓を、アインズ・ウール・ゴウン魔導国が保有する新たな現地戦力を前にして、一体どれほどの抵抗ができるものだろうか。

 そして、これより生まれるであろう、アインズの子ども――偉大な継嗣(けいし)の可能性。

 

「っと、いけませんね。油断は禁物です」

 

 デミウルゴスは緩みっぱなしになりそうな表情を引き締め、己の慢心を厳しく律する。

 プレイヤーが仮にも世界級(ワールド)アイテムなどで武装していれば、圧倒的な物量差をひっくり返されることも考慮する必要に迫られる。それこそ、ナザリックと同等規模の兵力を召喚するアイテムや、無限無尽にプレイヤーを強化し続けるアイテムなどが存在すれば、億が一、兆が一、京が一という事態に陥るやもしれない。

 それだけは御免被る。

 油断。慢心。それは己の身より生じる強敵に他ならない。

 故にこそ、デミウルゴスは尚一層の克己心を胸に(いだ)きつつ、作業に没入する。

 しようとした、瞬間、

 

「……んん?」

 

 奇妙な視線を感じた気がした。

 視線、というよりも存在感、というべきかもしれない。

 デミウルゴスは部屋の扉の方へ視線を向ける。誰もいない。いないのだが、

 

「はて、扉は閉めたはずですが?」

 

 気のせいだ、とは思えなかった。ナザリックでも最高位の頭脳を与えられた悪魔が、扉を閉め忘れていたなんてことはありえない。無論、栄えあるナザリック地下大墳墓の扉が、立て付け不良を起こすはずもない。

 誰かが開けたのでもない限り、扉は開いている道理などない。

 

「どなたでしょうか?」

 

 問いかけに応じる声はないと思われた。

 

「あー」

 

 彼の予測に反して、その声と呼ぶには薄弱な、言葉を全く構築できていない様が聞き取れた。

 デミウルゴスは扉の周囲を見渡す。だが、やはり、誰もいない。

 ナザリックのシモベ固有の気配も感じられない。

 何者かの潜入を想起するには十分な状況であるが、不思議とデミウルゴスには焦りや戸惑いという感情が発生することはなかった。

 そう、この声は、どこかで聞いたことがあるのだ。

 

「……まさか?」

 

 僅かなひらめきにも似た可能性を感じつつ、悪魔は己の背後を振り返った。

 そこにあったものは、母譲りの愛嬌のある赤子の顔立ち。父譲りの白銀髪(プラチナブロンド)を生やした、小さな命。

 この世界において初となる混血種(ハーフ)――マルコ・チャンが、デミウルゴスのデスクの上に浮かんでいた。

 片手には、最近お気に入りとなっている、白い竜のぬいぐるみを携えて。

 

「……え……ええ?」

 

 悪魔は思わず変な声を漏らした。

 見えない何者かの手に揺られながら、赤ん坊が宙に浮いて漂っている。

 ふよふよ、という擬音が実に似合いそうだ。

 しかし、デミウルゴスの知覚する限り、マルコを不可視化・不可知化した存在が抱えているということは、ありえない。そもそも、それだけの強者がナザリックの第十階層の図書館に誰にも気づかれることなく潜入できる道理がない(不可知化を専門に看破するシモベや、そういった特殊技術使用者に対するデストラップなどが存在している)し、仮に、それほどの強者たりえる唯一の例外――アインズであれば、このような魔法をナザリックで発動させる意味は薄い。というか、不可知化をかけた存在に抱えられていると仮定するなら、マルコだって不可知化の影響を受けているはずなのだ。

 思いがけない光景に、さすがのデミウルゴスでさえ息を呑むしかない。

 

「うー」

 

 マルコは、そんな炎獄の造物主の視線など知らん顔で、デスク上の書類に興味を示し、ぬいぐるみを抱えている方とは逆の手で触れ、ペタペタと戯れている。その間にも、彼女の身体はやはり宙を浮き、何かの意思ある力によって、空を漂っているような様相を見せつける。

 

「こ、これは、いったい……?」

 

 デミウルゴスは自分が作成した書類が汚される可能性すら失念して、マルコの異様な状態に目を瞠る。眼鏡を押さえる指に力がこもった。

 魔法の力、これは一切感じられない。生後間もない赤子が、未知の特殊技術(スキル)などを保有している可能性はありえない。彼女のレベルは現在、竜人・混血種がたったのLv.1しかないのだ。そういった検査は、すでにデミウルゴス主導で行われていたのである。では、これはどういう力のなせる業なのか――光の速さで脳内を駆け巡った可能性のひとつを、デミウルゴスは咄嗟に口にしてしまう。

 

「もしや……生まれながらの異能(タレント)?」

 

 口にした途端、己の全身に雷が奔るような激震を味わった気がした。

 

 この世界特有と言ってもいい異能力。

 アインズが魔法の教練を積ませている人間(ニニャ)が保有する“魔法適性”などをはじめ、この世界の存在は一定の確率で不思議な能力を身に着けて生まれることがあるという。これは、ユグドラシルには存在しなかったもので、ナザリックの存在では容易に看破することのできないもの。おおよそ200人に一人という割合でしか生まれない上、現出する異能というのは強い力や弱い力、使い物になるものとならないものなどで、その差は千差万別と言えるほどに多様だ。

 明日の天気を七割の確率で的中させる力、召喚モンスターを自動強化する力、穀物の成長を早める力、竜の魔法を使う力の他に、ニニャが持つ“魔法の習熟期間を半分にする=魔力系魔法職取得経験値に限り獲得量二倍”というものもあるのだが、現在に至るまで、ナザリックの力をもってしても未知の多い領域にある能力なのだ。

 そもそもにおいて、

 どのようなメカニズムによって、異能を保持するのか?

 同じ異能同士で子を生すと、子は異能を継承しないのか?

 異能を強化あるいは弱体化、封印、奪略する手段の有無は?

 そういった一切合切が不明瞭かつ不可解なままの異能力だ。ナザリックの、魔導国の力をもってしても、その解明には数十年、あるいは数百年単位の研鑽(けんさん)が必要だろうという見方もある。

 この異能の有無を鑑定するための現地特有の魔法があるにはあるのだが、ナザリックの全シモベ、全魔法詠唱者でも取得不能な魔法であるため、デミウルゴスをしても、マルコに異能の有無を鑑定しようという気は起きなかった。マルコはこの世界で発生した史上初の混血種として、ナザリックで純粋培養……養育することを確約されたような存在なのだ。それだけの宝玉の原石を、外の世界の有象無象に触れさせ周知させようという段階には達していなかったことも多分に影響していたのである。

 この子が異能を発現できたことは、無論、マルコの母たるツアレが、異能の現出に影響を与えたものと推察すべきところだが、ツアレは(ニニャ)とは違い、何の異能も持たない普通の人間であることは確定検証済み。単純な因子継承とは言えないはず。

 デミウルゴスは瞬時に、ありとあらゆる可能性を脳内に羅列していく。

 その作業までもが、彼には得難き祝福であるかのように感じられてならない。

 

「ああ……なんと……何という事ですか、これは!!」

 

 これすらも、御身の智謀のなせる業だというのか!

 セバスとツアレの関係を認め!

 その懐妊を祝福した段階から!

 これほどの奇跡の成就を予見していたに違いない!

 それを思えば、ニニャという現地において高位の魔法詠唱者を囲っている事実も、違う見方が出てくる!

 

「ああ、アインズ様! あなたという御方は!」

 

 デミウルゴスは己の戴く主の壮大さと偉大さに、感激の相を熱く、厚く、篤くしてしまう。

 両手で押さえた両目からは、溢れる熱が止めどなく流れ落ち、これより訪れるだろう歓喜と幸福に熱狂しているかのよう。

 身に宿る猛火のような感動を鎮めることに苦労しつつ、デミウルゴスは栄光の(きざはし)の第一人者となりえる赤ん坊の方へと視線を移した。

 

「さっ、マルコ。一刻も早く、アインズ様に、ご報告へ向かいま…………おや?」

 

 滲む視界、手を広げた室内のどこにも、銀髪の赤子は見えなくなっていた。

 咽ぶ声は途絶え、極めて冷静になりつつ、デミウルゴスはもう一度だけ、赤ん坊を呼ぶ。

 

「……幻術……じゃあ、ないですよ、ね?」

 

 思わず首をひねるナザリックの「参謀」閣下。

 実際としては、書類と悪魔に興味を失った赤ん坊が、すでに部屋を辞していただけなのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マルコ・チャンが発現させた生まれながらの異能(タレント)を名付けるなら、

 

『空中浮遊』――と、言うべきだろう。

 

 マルコは、この異能によって、「極めて宙に浮きやすい」性質を帯びており、適正体重であるはずの赤ん坊の彼女を、ツアレやニニャや、誰が抱きあげてみても割と軽い印象しか与えられなかったのは、彼女が常に宙に浮かぼうとするが故の現象に過ぎなかった。

 しかし、この異能は「宙に浮きやすい」というだけで、完全な飛行能力と呼べるものではない。

 今でこそ、ぬいぐるみをクッション代わりにして、無重力状態の宇宙飛行士よろしく、壁や床に竜人の混血としての腕力を当てた反動で浮かぶという技法を体得している(扉を開けることができたのは、ドアノブを彼女の身体が当たって偶然回せただけのことに過ぎない)が、この(のち)、彼女が修める父譲りの近接格闘能力との併用によって、マルコははじめてこの異能を純粋な飛行手段へと昇華することができるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第2話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捜索に駆り出されたメイドたちは、ツアレとマルコに与えられた私室を中心に、赤ん坊の姿を草の根を分ける勢いで探し続けた。

 部屋の天井やダクトの奥、果てはダストボックスから繋がる汚穢喰いの女王(アティアグ・クイーン)の住まう処理場にまで赴き、マルコがいる可能性のある場所――第九階層は詳しく調べ尽くしたが、どこにもマルコは発見できず、また彼女を連れ去っただろう存在の足跡を追うことも不可能であった。

 

 それはつまり、未知の侵入者――プレイヤーだろう存在の手がかりもないということを示していると思われた。

 

 まぁ、実際には。

 マルコがいなくなった時に、母親のツアレは可能性のある部屋の内部――ベッドの下は勿論、マルコが侵入できるはずのない風呂やトイレまで入念に調べ、クローゼットやキッチン棚、物理的に入り込めるはずのないタンスを、中の衣服や日用品すべてを床にブチ撒けてでも我が子の行方を捜し尽くしていたが、まさか赤ん坊が、天井の巨大なシャンデリアに浮遊して隠れているなどとは思うはずもなく、結果として「娘は何者かに連れ去られたのでは」と誤認してしまっただけなのだ。ツアレのレベルでは、不意な襲撃者には対処できない。そのため、マルコには専用の自己防衛としての魔法の道具が幾つも下賜されていた。それらがまったく発動する気配もなく、娘は母の前から消え去った。その事実はあまりにもツアレの精神状態を一挙に摩耗させるのに十分な威力を発揮したわけだ。

 そうして、マルコ喪失の恐慌のあまり、部屋を開けっぱなしにして外へ我が子を求め飛び出た母親の声につられ、マルコは自力で部屋の外へと赴き、宙を漂い、時に天井に張り付くようにし、時に警邏巡回中のシモベの死角に紛れ込みながら、ナザリック内を自由に行き来していただけなのである。

 そして、あろうことか。

 マルコは、第九階層の警備にあたるシモベの背後を通り過ぎ、メイドたちの本日の清掃ルートの外(この世界にてアインズが導入した休暇制度によって、清掃頻度はそれなり減少されていたのも影響している)を、偶然の中の偶然、奇跡の上の奇跡とも言うべき確率で漂っていってしまったのだ。誕生したばかりで、未だ脆弱な混血種の力は、ナザリック固有の気配や強弱の有無を推し量れるものでもなかったため、シモベたちは一様に、マルコを発見することがかなわなかった結果でもある。

 (のち)に、このことが判明した際には、マルコには捜索タグのような魔法効果を付与したメダルを首に下げられることになり、このような珍事が繰り返されることはなくなることになる。

 

 そうして、デミウルゴスから届けられたマルコ発見の一報により、とりあえず、ナザリック内への侵入者という不安は解決を見る。

 しかし、マルコは第七階層守護者の隙をつくという離れ業を駆使し(異能発覚に伴う彼の昂揚と興奮があったとはいえ)、また何処(いずこ)かへと姿を消してしまう。

 

 いなくなった赤ん坊はアインズ・ウール・ゴウンが庇護と養育を約束した、稀代の寵児。

 故に、マルコの捜索には、外へ巡回警備に出ていたアウラや、私室で何やらニヤニヤしていたアルベドなども緊急動員されることになり、ナザリック内は上から下までを揺るがす、前代未聞の“おにごっこ”と“かくれんぼ”――あわせた名称は“かくれおに”を、始めることに相なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荘厳にして壮麗、荘重にして壮大。

 一個の美術品と評しても不思議ではない、無数無尽の装飾と芸術が施されたそこは、ナザリック地下大墳墓の最下層、第十階層が誇る巨大図書館――名は、最古図書館(アッシュールバニパル)

 

「……うん?」

 

 その白い姿を目にしたのは、奇しくも同じく白色の顔に、対照的な漆黒の衣を纏った死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の一体、図書館に勤める司書であった。左手上腕のバンドには「司書J」という文字を戴いている。

 

「……あれは?」

 

 彼が見定めた白い姿は、デミウルゴスの資料室から興味を失い、次なる探求を求め彷徨を再開した異能持ちの赤ん坊――マルコ以外の何者でもなかった。

 至高の四十一人が建立し集積した叡智の場に、まったく似合わない無知なる命の灯が、溢れるほどの蔵書を抱え乱立している蔵書棚の迷路の上、煌くように微細かつ彩美なフレスコ画の天井の下を、重力のくびきを感じさせないような自由さで漂っている。

 宙を漂う程度は、特段に珍しい現象ではない。〈飛行〉の魔法を使えば司書も宙に浮けるし、死霊(レイス)系モンスターに至ってはそれ以外の移動手段がないくらいだ。

 しかし、魔法も特殊技術(スキル)もろくに扱えなさそうな、ただの人間の赤ん坊にしか見えないものが宙に浮いている光景というのは、アンデッドの司書から見ても、常識から乖離している光景に映る。無論、第八階層守護者・ヴィクティムのように、見た目とは相反して特別な力を秘めた個体というものもいるにはいるが……あの赤ん坊からは大した強さは感じ取れないのだ。一般メイドと同じレベルか、多くてもせいぜいLv.2が妥当なところか。正直、見つけられたのが不思議なくらいに弱い存在感しか、あの赤ん坊は保持していない。

 司書は、その矮躯と呼ぶのも憚るほどに小さな命を見るのは、実はこれが初めてだ。

 初めてであったが、噂の端には聞き知っていた。

 ナザリック内にて生まれた、シモベと現地人との混血という稀少な存在は、その誕生と共に、アインズ・ウール・ゴウンの庇護下に加えられ、ナザリックの存在は誰であろうとも、あの赤ん坊を傷付けることがないように厳命されている。

 その折に、周知徹底すべき情報として、母子の姿は映像として見知ってはいたが、生で見るのははじめてだったのだ。

 故に、司書は疑問に思う。

 

「どうやって、この図書館に?」

 

 この最古図書館(アッシュールバニパル)は、ナザリックに属するものすべてを受け入れる。そういう意味では、マルコもまた立派なナザリックの一員なのだ。門番にして開閉装置を務める巨人の動像(ゴーレム)たちも、彼女の訪問を歓迎した。中に入れてほしいという意思表明さえすれば、それがどのような言語――ラテン語、ドイツ語、エノク語だろうと、巨人たちは扉を開けてくれる。マルコが「あうー」と発音するくらいの能力しかなくても、入室の意思さえあれば、扉を開けること自体は簡単なのだ。

 また、そういう自動開閉システムであるため、司書たちは図書館への来客というものを逐一把握できるものでもない。この図書館に蔵された叡智の管理と保全、そして来客の要望に沿う事こそが彼らの絶対順守すべき任務(つとめ)なのだ。来客の中には司書たちにも内緒で本を読み耽りたいという存在もいるし、至高の御身にして叡智の結晶たるアインズなども――いかなる理由でかは不明だが――足繫(あししげ)く図書館を訪問する際に、司書たちの手を借りることはしないのも影響している。故に、司書たちは特に求め乞われない限りにおいて、たまたま行き会った時は挨拶する程度に留め、来訪者には過ぎた干渉などせず、至高の叡智に触れる静かな時間を来訪者に供与するという、暗黙のルールが制定されていたのである。

 司書の疑問は、マルコの入館方法ではなく、彼女をここへ連れてきただろう両親の存在だ。

 彼はアンデッドの鋭敏な視覚と、生命感知専用の魔法を発動。さらに、ナザリック固有の気配感知も併用する。

 しかし、図書館内に感じられるLv.100NPCの強大な気配は、デミウルゴスのそれひとつきり。ツアレもナザリックの人間メイド長として、それなりの修練を積み、ある程度のレベルを獲得できていた。その生命の気配も見当たらず。

 両親は不在。

 なれど、赤ん坊だけが図書館にいるという事実。

 司書は頭に浮かんだ可能性に困惑する。

 まさか、ひとりで来たというのか?

 

「そんなはずはない……」

 

 ない、はずだ。

 本来であれば。

 だが、現実として、吹き抜けの空間をふよふよと漂う赤ん坊の存在は覆らない。

 とにかく、確保してから考えるべきだ。事情はよくわからないが、両親が不在で、赤ん坊という脆弱な命をひとりきりにさせておくのは、その生命維持に大いに悪影響を及ぼすだろう。それくらいの常識を、司書はわきまえていた。

〈飛行〉の魔法を唱え、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はフレスコ画の煌きに魅入るような赤ん坊の視線に飛び込んだ。

 

「ぅ」

 

 途端、マルコが怯えるように表情を蒼褪(あおざ)めさせたが、理由は司書には判らない。

 どう考えてもフードの下にある屍蠟化(しろうか)したアンデッドの死相が原因なのだが、そんなことアンデッドの彼に判別できるはずがない。

 

「さぁ、下へ降りま」

「うぇええええええええええええええええええええ!!」

 

 赤ん坊のあげた絶叫が、異様なまでに死者の聴覚を(つんざ)いた。

 

「な、がぁ!?」

 

 司書はあまりの事態に朽ち果てた耳を、骨と皮だけの掌で覆った。

 彼は知らなかったが、これは竜人の、それも混血種(ハーフ)Lv.1の基本的な特殊技術(スキル)とも言うべきもので、マルコは泣き出すと〈絶叫(シャウト)〉の魔法に近い音波を放つことができるのである。これは成長……レベルアップと共に、マルコ本人の意思である程度の調整や加減が可能になり、彼女のあげる咆哮は、体調や環境などの条件さえ整えば〈上位絶叫(グレーター・シャウト)〉に匹敵するような攻撃を、自由自在に繰り出すことができるようになる。

 しかし、この時のマルコは赤ん坊であるため、今はほとんど本能的に繰り出すことしかできておらず、またそれ故に、その鳴き声には調整や加減などは一切ない。彼女の世話をする両親は、どういう理屈でか彼女の鳴き声によってダメージを負うことはないのだが、適切な防御や対策を施していないと、両親以外の誰にも宥めることができないほどの攻撃を、マルコは周囲にまき散らしてしまうのだと、最近になって理解され始めた。

 その様はまさに、ただの(ひな)と言えども、竜の血を継ぐ存在にふさわしい威力。

 突如として現れた化け物の凶相に怯え、わけもわからず愚図り出す赤ん坊からの意外な一撃につんのめり墜落しかける司書であったが、床に激突するよりも先に体勢を立て直す。

 

「ふ、不覚」

 

 自らの無知と無警戒を叱咤する司書であったが、彼の意中には不意の悲鳴あるいは攻撃を受けたことへの憤慨は一片もない。そもそもにおいて、彼我の実力差が歴然としている状態なため、司書は驚愕こそ受けたが、ダメージらしいダメージは皆無だった。

 だが、至高の御身が建造し集積した、静謐と沈黙こそが尊ばれる図書館の中で、大声をあげて喚き続ける存在に不快感を抱くのは無理からぬこと。

 一刻も早く、あの音源を止めなければ。

 

「ッ、〈麻痺(パラライ)

「よしたまえ」

 

 魔法を唱えるべく伸ばした手を横合いから優しく掴み押さえられる。

 

「デ、デミウルゴス様!」

 

 この図書館で執筆作業に勤しんでいた最上位者――マルコの鳴き声を頼りに転移してきた悪魔の介入に、しかし司書は拘泥(こうでい)と抗弁の気配を掠れた声に滲ませる。

 

何故(なにゆえ)、邪魔を?」

「邪魔ではないさ。これは君のためだよ、司書Jくん」

 

 デミウルゴスは泣き喚く音源――やはり幻術などではなく、異能によって宙を漂い続ける赤ん坊――と、その産着に視線をやった。

 

「あの赤ん坊、マルコはアインズ・ウール・ゴウン様の名において庇護を約束された存在。いかに無思慮かつ無礼極まる振る舞いを取ろうとも、その命にいかなる危険や災厄、攻撃を加えることを、今は良しとされていない。それでも、君はマルコに魔法を叩き込むのかね?」

 

 司書は戦慄に呻き声をあげてしまう。

 悪魔の口から語られた事実は、ナザリックの全存在に知悉された決定事項。

 それを反故にするような振る舞いをとることは、御身の下命に泥を塗り、御方の眼前に唾を吐くがごとき所業に他ならない。

 そんなこと、できるはずがない。

 司書は頷き、魔法を込めようとしていた手を下げる。

 

「さらに言えば、マルコに与えられた純白の産着――あれは低位の魔法を反射するという効果が付与されている。君の扱える魔法では、逆に君の方が危険に陥るやも知れない」

 

 デミウルゴスはまさに、ナザリックの存在が相撃つような状況を回避してくれたのだ。

 その思慮深さに司書は深い感謝を抱くが、赤ん坊は泣き喚き続け、同僚の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)死の超越者(オーバーロード)たちまでも頭上を見上げ集合し始めている。

 あれを、このまま放っておくわけにもいかなかった。

 

「心配はいらない。ここは私に任せてくれたまえ」

 

 ナザリックでも最高位に位置する悪魔がいてくれて助かったと、司書は安堵の礼を彼に送る。

 司書にかわって対処に向かうべく、デミウルゴスは飛行用の半悪魔形態への変貌を遂げた。

 一対の濡れた被膜の翼に、両生類のような造形と皮膚に覆われた異形の(かんばせ)

 赤子の絶叫など、Lv.100の存在であれば、そよ風ほどのダメージも通らない。

 

「さぁ、マルコ」

 

 今度こそ、アインズ様のもとへ報告に。

 歪んだ蛙のような顔をさらに歪め、悪魔は赤ん坊に手を広げた。

 悪魔にとっては何の気もない微笑でしかなかったはずだが、通常の人間の血が半分ほど流れる存在にとって、その表情はけっして安穏(あんのん)としたものとは思えないだろう。邪知陰謀の粋を凝らしたような魔の容貌が、赤子の生き血を啜り、小さな顔を丸呑みにせんばかりに近寄ってくる。

 その恐怖は、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の比であるはずもなく、

 

「うぁあああああああああああああああああああああああ!」

 

 さらなる悲鳴をあげて硬直するマルコの叫喚は、彼女の生命が著しく危険にさらされているような大音量となり、

 次の瞬間、

 マルコが固く抱きしめていたぬいぐるみが、強い光を放った。

 

「……おや?」

 

 デミウルゴスは失念していた。

 いかに異形の混血種であろうとも、その身に流れる血は普通の人間が半分であること。また、マルコは甲乙善悪上下左右の判断すらいまだつくはずのない無知な赤ん坊であること。

 そして、さらに。

 マルコに下賜されたぬいぐるみというのが、ただの“ぬいぐるみ”であるはずがないという認識を。

 

「しまっ――!」

 

 悪魔は与えられた衝撃と重量に、双眸をいっぱいに開いてしまう。

 図書館の書棚や長机を吹き飛ばす――ことは張り巡らされた魔法の防護によって不可能だったため、デミウルゴスはその上を、文字通り身を削られるように吹き飛ばされる。いかに、守護者の中でも身体能力(ステータス)的に劣る存在と言えど、Lv.100の最上位悪魔が見せていい姿ではなかった。その光景は、周囲で状況を見守っていたアンデッドたちの心胆をも寒からしめる。

 驚嘆の上に驚嘆を浮かべる司書たちは、そこに現れたモノを、見る。

 

 アインズがマルコ防衛のために下賜したぬいぐるみには、いくつもの魔法的なトラップが施されていた。

 発動条件は、保有者であるマルコの危機的状況を感知した場合。

 その条件を満たしたぬいぐるみは、まず第一の機能を発揮する。

 

『こぉああああああああああああああああああッ!』

 

 突如鳴り響いた蛮声は、竜王の怒りに濡れた轟音……をかろうじて真似た、かなり弱弱しく、なんとも間抜けで可愛らしい鳴き声。そこに立ち塞がる巨体は、バカみたいに膨らんだ、愛らしいぬいぐるみをそのままサイズアップした白竜だ。

 目は黒い宝石のようだが、実際は特大のボタンで縫い止められただけのもの。牙や爪、鬣や翼を(かたど)るのは極厚のフェルト生地。その身に纏い宿っているものは、幾百年の研鑽によって磨かれた鱗でもなければ、引き絞られた筋肉の砦でもない――ただの巨大な布と大量の綿の集合物に過ぎない。

 玩具の動像(トイズ・ゴーレム)

 普段はただのぬいぐるみでしかない白竜は、マルコの危難に際して、彼女を絶対守護する存在へと変身を遂げる機能をもったマジックアイテムなのだ。

 保有者に接近する敵性対象――この場合、マルコを泣かせた悪魔――を遠くに追い払うべく、真の姿を見せた赤ん坊の守護者は、守護対象を額に乗せて空を舞う。

 

「ぬ、ぐぅ……」

 

 己に降りかかった衝撃にめまいを覚えてしまうデミウルゴスは、壁に背を預け(あの白竜の攻撃は相手を吹き飛ばすだけのもの。ナザリックの第十階層の内装が、この程度の衝撃で破壊されるはずがない。実に素晴らしい場所だと感嘆してしまい)ながら、自らの失態を心から恥じる。助け起こしに来る司書たちに無事を伝える。あのぬいぐるみは、対象を容赦なく吹き飛ばすことに特化した魔法を発動させただけで、デミウルゴスでなくてもダメージらしいダメージを負うことはないが、彼の内心はそれどころではなかった。

 ぬいぐるみが、第一の機能を解放した。

 つまりそれは、続く第二の機能の発動を意味している。

 

「ま、待ちなさい、マルコ!」

 

 たまらず制止の叫び声をあげるデミウルゴスだが、もはやこうなっては、自我形成も未熟な、尚も泣き喚き続ける赤ん坊では止められるはずもない。

 白竜は、追撃してくる敵性対象がいないことを確認すると、また強い光を放つ。

 どうにかして、引き留めねば。そう思考し実行しようとする悪魔だったが、マルコへの魔法的な介入は攻撃とみなされ、あの竜の反射防衛を誘発する。それのみならず、アインズが庇護を厳命した存在に許可もなく攻撃や拘束の魔法をかけることは、大いに躊躇(ためら)われる。しかし、止めねば。

 その一瞬一秒の迷いが、すべてを決した。

 マルコは〈転移〉の光に包まれ、デミウルゴスたちの目の前から姿を消し、図書館には元の静寂が戻った。

 代わりに、マルコはまたしても、ナザリック内で行方をくらませることになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法都市から城塞都市の南にあるエ・ランテルを経由し、二人の魔法詠唱者が、この大陸の中枢――魔導国の首都にして聖域とされるナザリック地下大墳墓へ、向かっていた。

 

「ご苦労様です」

 

 傍らを並行していた都市防衛空軍の蒼褪めた騎兵(ペイルライダー)たちの編隊と別れ、二人は一直線に〈飛行(フライ)〉の魔法を行使し続ける。

 城塞都市の城の上空に到達し、そこに居合わせた領域守護者とその家族に手を振って挨拶すると、その城に守られる草原地帯――不可侵領域として、何人(なんびと)の立ち入りも禁じられた空域へと突入する。

 このエリアに許可なく入り込んだものは、まず警告の魔法音声が届けられ、さらに奥へ入り込もうとする者に、第一のトラップが発動。さらにそれを無視して入り込む場合、最後通告の魔法音声が発動し、侵入を続けるものを第二のトラップ……抹殺措置がとられることになる。

 だが、この二人の魔法詠唱者には、そういった魔法的な防衛措置は一切働くことはない。

 彼女たちは事前にナザリック地下大墳墓の空域への侵入を申請し許可された存在であり、また、ナザリック地下大墳墓に所属するアインズ肝いりの人間の少女と、その護衛兼教師兼小間使いのメイドなのだから、当然とも言えた。

 ニニャとナーベラルは、〈飛行〉訓練及びナザリックへの帰還のために、〈転移〉を用いずに魔法都市からナザリックへの飛行を敢行し、今や目的地とは目と鼻の距離にまで迫っていた。ナーベラルは相変わらず涼しげな表情をしているが、杖に乗ったニニャの表情も、随分と余裕のあるものを維持している。アインズとナーベラルからの教練によって、都市間移動程度の〈飛行〉にも手慣れていることは明白であった。ちなみに、この飛行距離は、魔導学園の卒業も十分可能なレベルに匹敵する。

 すでに、第四位階魔法の修得もあらかた済ませ始めているニニャは、もはや魔導国のどの都市でも、引く手数多だろう魔法詠唱者(マジックキャスター)に成長したことを物語っている。

 

「どうですか、ニニャさん?」

「はい。まだまだ大丈夫です」

 

 教師役を務めるメイドは、生徒の魔力切れを心配して声をかけるが、まだまだ十分な量をニニャは温存している。これならば、ナザリックの到達には問題ないだろう。

 問題が起こり得るとしたら、不慮の事故くらいのものか。

 

「それに、今日はナザリックでの教練ですから、少しは余力を残しておきたいですし」

「――良い心がけです」

 

 生徒の殊勝極まる意気込みに、教師は表情と声には出さないが大きな称賛の念を抱く。

 ナーベラルが油断なく警戒を続けていると、前方に巨大な影があるのを認めた。

 ちょうど、ナザリックの表装部、その上空を旋回するように。

 瞬間、

 

 ――ゾワリ。

 

 二人に身の毛もよだつような敵意が降りかかる。

 

「な……これは!?」

「ちょ、な、なにっ!?」

 

 一瞬、困惑し杖から転げ落ちかけるニニャだったが、さすがにナーベラルの助けを借りずとも、自分で体勢を立て直すことは可能だった。現れた敵意というものが、ほんの一瞬だけであったことも功を奏していたと言える。

 しかし、ナーベラルは疑問だった。

 

「やっぱり、二人だったか。ごめんね、驚かせて!」

 

 真正面から飛行してきた巨大な影は、一対の翼を広げた竜……というよりも蛇というべきモンスター。

 ケツァルコアトルにまたがった、第六階層守護者の片割れたる少女。

 歓迎するかのような突進から一転、翻ってニニャとナーベラルの横を飛行する竜の背に乗る闇妖精(ダークエルフ)の少女は、詫びるように笑みを浮かべた。

 ナザリック近郊の不可侵領域の巡回警備を自らが行っていたLv.100NPCの行動に、ナーベラルは己の抱いた疑問を率直に投げてみる。

 

「何かあったのでしょうか、アウラ様?」

 

 先ほどの敵意は、アウラが保有する特殊技術(スキル)によるもの。

 かつて、洗脳された守護者との戦闘に臨んだアインズを陰ながら助けた力。

 だが、ナザリックの同胞である自分たちに、アウラほどの存在が敵意を、特殊技術(スキル)を差し向ける理由とは何か?

 アウラは、ここ数年で若干膨らみの増した胸を張って説明する。

 

「うん。実は、マルコが!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、第十階層にある、アインズの私室には、午前の政務を終えたアインズが、難しい顔で――表情は変化しない骨のままだが――ひとつの実験を試みていた。

 実際には、試みるべきか否か、悩んでいた。

 

「……うーん」

 

 先ほど、政務を終えた直後にアルベドからこれ(・・)の仔細を問い質そうとしたのだが、彼女はしきりに「もうお試しになりましたか?」と聞き込んできたので、そのあまりの迫力に護衛たちが「またもご乱心!?」という感じになってしまい、本人が即座に否定しアインズから身を離してくれた結果として……今こうして再び、このアイテムを前に黙考する作業が続いている。

 

「……う~ん」

 

 アインズがアイテムボックスから取り出し手に持っているのは、数日前、デミウルゴスから献上された、とあるマジックアイテム。

 ここ最近になって献上され、効果はパンドラズ・アクターなどの協力で実証済み。

 しかしながら、一抹の不安を覚えて仕様がない。

 それは、黄金でできたような、奇妙な果実だった。

 大陸の東にあるという海上都市に赴いた二等冒険者チーム“重爆”が、入手したというものだ。

 黄金の果物は、現実世界でいうところの林檎に近い外見なのだが、その表面を覆う金色の皮はそのまま貴金属なのではと思わせるほどに硬く、煌きを放っており、しかも傷一つ付けられない。かと言って、インゴットのように十分な重みがあるということはなく、アインズは掌の上でポンポン放り投げて遊ぶことができるほど軽い。はっきり言えば、そこらの果実かそれ以下の重量しかないのだ。

 だが、これはただの食料などではない。

 普通の人間は勿論のこと、金属を摂取する亜人やモンスターの牙でも、まったく歯が立たないという異様な頑丈さを保持しているのだ。実際、アインズが指で弾くとキンとした反射音を奏でる。この程度の大きさの果物であれば、物理的に丸呑みにできそうなほど巨大なモンスターでも、飲み込もうとした瞬間に吐き戻してしまうという。

 ただの果実であれば、生物の腹に収まって当然なはずなのに、この果実はいかなる生物からの捕食対象にもなりえない。

 この果実を摂取――というよりも使うことができるのは、ある特定の種族のみ。

 

「アンデッドのみが……か」

 

 様々な鑑定と実験の結果、これは異形種――特にアンデッドの中でも骸骨(スケルトン)系列に属する種族にしか摂取できないという、あまりにも珍妙に過ぎる特性があることが分かった。

 異形種、特に骸骨(スケルトン)系列のモンスターキャラは、当然ながら飲食は不可能。

 不可能でありながら、この世界の海上都市とやらには、その骸骨しか摂取捕食できない(より厳密には使用できない)果実が群生していたという。さらにより詳しく言えば、奇妙な粘体(スライム)系モンスターに守護され、管理されていたとか。

 彼女ら(粘体たちは幼い少女の形をしていたらしい)との熾烈極まる戦闘を繰り広げて――ということは一切なく、意外にも対話交渉の結果として、この黄金の果実を数個ほど譲り受けたのだとか。

 

 では、本題。

 この果実を、アンデッドが摂取した時の効力とはいかなるものか。

 

「やはり……一度は、試してみるか?」

 

 虎穴に入らずんば何とやら。

 アルベドとまた会った際に、しつこく使用されたかどうか尋ねられるのも避けたい。

 七転び八起きの境地で、アインズはヌルヌルくん三世を喉から取り外すと、寝室とは別のダイニングスペースに設置された飼育ケースにしまった。彼を装備したままだと、彼が果実を捕食しようとするので、摂取不可な状況になるためである。

 あらためて、黄金の果実を見つめ、口を開け、一噛みだけ、歯を立てた。

 瞬間、サクリとありえない柔らかさでアインズの前歯を受け入れた果実の内側から、黄金の溶液と言える果汁がアインズの骨の身体を流れ込み、奇妙な現象を引き起こした。

 果汁は骨の全身を意思持つ粘体のように這いまわると、つま先から指の先、さらには肋骨や頭蓋の内側までを満たしていく。どう考えても掌サイズの果物の容量を超えた果汁であるが、これはそういう食材、マジックアイテムなのである。

 

「お……おお?」

 

 やがて数秒ほどすると、アンデッドの触覚に、奇妙な実感が与えられるようになった。

 指で突けば、ぷにぷに沈み込む肌色。

 首筋や手首を流れる、血の脈動。

 生きている人間に近い感覚。

 

「す……すごいな」

 

 アインズは、部屋に備え付けの姿見に己を映し出す。ローブなどの装備はそのままだったが、そこに映った顔は、自分が幻術で作ったものと寸分たがわぬ造形があった。しかし、今のアインズは魔法を使っていないし、使うこともできない。

 頬をつねってみる。肉をつまんだ感触は勿論、つままれた頬の痛覚も、ちゃんと感じられている。ゴムマスクなどの触覚では断じてない。胸に手を伸ばすと、興奮の鼓動を刻む音――心臓の感触が掌から伝わってくるのがわかる。

 そこにあった姿は、アンデッド種族の、死の超越者(オーバーロード)としての形はどこにもない。

 ただの人間のような存在が、そこに存在していた。

 

「ふむ。意外と、悪くないんじゃないか……これは?」

 

 言うなれば、このアイテムは、アインズのアンデッドとしての骸骨の身体を、限定的に「受肉」させるもの。

 人間種への転生ということではなく、あくまでこれは一時的な身体機能の入れ替えで、この状態だとすべての魔法が使えなくなる(スキルは使用可能)、アンデッドとしての種族特性を一部失う(精神安定化も微妙に効きにくい)、一旦使うと数時間はこの状態でいることを強制され解除は不可能というデメリットがあるものの、人間としての生態活動を、異形種のアンデッドが体感することが可能になるという、非常に使い道が限定された代物であるのだ。

 ユグドラシルにも、アンデッドなどの特性による耐性持ちを攻略するためのアイテムというのは存在していたが、アンデッドが受肉するなんてアイテムは、アインズの記憶する限り聞いたことがない。ナザリックの宝物殿にも存在しないことは言わずもがな。

 何故そのようなものが存在するのか、あのデミウルゴスですら研究検分に値すると息巻いていた。

 しかし、

 

「……疑問だ」

 

 この世界特有の果実だと考えるのは、大いに疑問を覚える。

 聞けば、海上都市にいたモンスターというのは骸骨(スケルトン)ではなく、幼女然とした粘体(スライム)種たち。対話交渉可能・アイテムを譲渡する・アイテムの効能を熟知していたという話から、かなりの知性を持っていることは明白。鑑定する限り、この果実が粘体種への変身や転生のアイテムではなく、あくまで骸骨に「人間」の身体を受肉させるものに過ぎない。実際、このアイテムを使っているアインズの認識にしても、中身がスライムのような感じは一切受けないし、そういった幻術でもないことは装備したアイテムの存在からして確実だ。

 ならば、その幼女たちは何故、アンデッドの、骸骨(スケルトン)系モンスターにしか使えないアイテムを管理していたのか? 自分たちの食料や利益となるアイテムであればいざ知らず、自分たちが使えないアイテムを産出・管理していた意図とは?

 抱いた疑問と疑念が胸の奥で渦巻いていくのを実感するアインズの耳に――この状態だとちゃんと耳もついている。普段の自分は本当にどうやって聴覚を発揮しているのだろう――ありえざるノック音が。

 

「どうした?」

 

 私室前の扉に待機させていた当番の一般メイドは、ナザリックの家令(ハウススチュワード)から急を報せる旨を伝えられる。今はアインズの私的な休息時間だ。それを知っていて何事かを告げに来るというのは、ただ事ではない。

 アインズは僅かに戸惑った。「しばし待て」と告げて時間を稼ぐ。

伝言(メッセージ)〉を使ってこなかったことから、かなりの出来事なのだろうと推察できるのと同時に、今の自分の状態は、普段の自分の姿からはかけ離れている。ひょっとすると、アインズだと気づかれずに敵だと認識されないだろうかと、一抹の不安すら覚える。

 仕方なく、アインズはローブの胸元を閉じ、両手に籠手(イルアングライベル)をはめ、最後に仮面で顔面を覆った。

 この世界に来て、はじめてカルネ村を訪れた時と同じ格好になるわけだが、まさかナザリックのものを対象にしてやることになるとは。

 

「よし、入れ」

「失礼します、アインズ様!」

 

 緊張と緊迫によって強張った執事の声が、無礼にも室内に響く。

 思わず、アインズは少し肩を揺らして動揺するが、セバスは主人のそんな挙動にも気づかずに捲し立て始めた。それほどの精神的高揚が、普段は冷静かつ沈着した老紳士の内より溢れ出ているのである。普段とは違う主人の姿――玉体をすべて装備で覆い隠す姿にも逡巡する暇さえ惜しむ。

 あくまで忠勤なシモベは、室内の中ほどまで来て膝を折り、礼節の姿勢を取ってみせた。

 

「恐れながら、アインズ様! 由々しき事態です!」

「セ、セバス。どうした? そ、そんなに慌てて?」

「我が娘、マルコが!」

 

 言い終える刹那、セバスはこめかみに手を当てた。

 

「デミウルゴス様、今はアイ――――なん、ですと!?」

 

伝言(メッセージ)〉を受け取ったらしいセバスの反応は、まるで水を浴びせられた火蜥蜴(サラマンダー)のようだ。

 

「わ、わかりました。それを聞いて安心、いえ、まだ安心とは言い切れませんが……はい。それでは」

 

 声を届けた送り主へよろしくお願い致しますと添えたセバスは、その場で崩れそうなほどの息を吐いた。主人であるアインズから見ても、猛禽じみた視線や表情は、かなり穏やかなものに変わっている。

 

「どうかしたのか、セバス?」

「はい。実は先ほど」

 

 執事の口から、ツアレの私室から消えた愛娘の件と、それと並行して今しがたデミウルゴスから届けられたマルコ発見の一報が、語られていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第3話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……マルコが、行方不明?」

 

 外の警戒を強め、ナザリック周辺に不穏な存在がいないか注意喚起を継続していたアウラからの説明に、ナーベラル――ナザリック第九階層を守る使命を帯びた魔法詠唱者と、ニニャ――この世界独自の魔法にも長じる魔法詠唱者は、揃って言葉を失う。

 ナザリックで保護養育されているはずの嬰児を(かどわか)すような存在の出現は勿論、その存在がアウラなどの監視網を潜り抜け、難攻不落と称される地下大墳墓の聖域の最奥に近い階層に踏み込んだような状況というのは、実にこれがはじめてのことだ。

 アウラが飛来してきたニニャとナーベラルに敵意を込めて目標視(ターゲティング)してしまったのも、あるいは侵入した敵プレイヤーの増援かと疑ったが故の安全策だ。しかし、ナザリックを守護するLv.100NPCが目視確認した二人は、間違いようもなくナザリックの同胞たち。

 ナーベラルは険を含ませた声で、実直な懸念を口にする。

 

「では、まさか今も、この下にユグドラシルプレイヤーが?」

「わからない。私の監視網を抜けて、尚且つナザリックの第一から第九階層までを、誰一人として気づかれずに侵入出来る強者(プレイヤー)なんて」

 

 アウラは傍らの有翼蛇の鱗を撫でつつ、憎悪と悲嘆を込めた声で、かつてナザリックに侵入してきた千人を超えるプレイヤーたちの侵入劇を思い返す。

 ナーベラルは侵入されていない第九階層に配置されていた為、加えて現地人のニニャは当然のごとく、アインズ以外の「プレイヤー」という存在と直接相(みま)えたことは、ない。

 だが、あの至高の御身にして、今や大陸唯一の魔導国を一手に担う魔導王が、今も尚、警戒と危惧を抱き続ける存在。100年周期という法則に従い出現する、世界を混沌と擾乱(じょうらん)、安定と均衡、双方どちらにも傾き揺れて引っ掻き回す要因となり得る、超絶的な不確定要素。

 

「アインズ様が、かねてより警戒していたプレイヤーの存在……もしもの時は」

 

 マルコの家族である少女の前で、嫌なことを口にしなければならないアウラの頭に、一人の同胞の声が響く。

 

「デミウルゴス? そっちで何か動き…………はあ?」

 

 アウラはしきりに頷き、〈伝言(メッセージ)〉相手に呆れかえったような微苦笑を浮かべ額を押さえる。

 

「うん。解った……こっちは予定通り、ナーベラルとニニャが着いたから……うん。連絡しといて」

 

 魔法の繋がりが断ち切れると、闇妖精(ダークエルフ)の少女は同胞の報告に安堵の吐息を吐きかけるが、それは少し遠慮すべきだろう。

 

「ごめん、二人とも。とりあえず安心して。まだ……問題は続いているけど」

「安心……ですか?」

侵入者(プレイヤー)の可能性は、とりあえず、ほぼなくなったみたい。マルコはついさっき、第十階層の図書館で見つかったから」

 

 二人は目に見えて――ニニャは家族としての情から、ナーベラルはナザリックが神聖不可侵を保たれたことへの歓びから――安堵の笑みを面に浮かべる。

 そんな二人からアウラは目をそらし、頬をポリポリ掻きながら、告げる。

 

「問題は……その図書館から、マルコは転移を使って、どこかに逃げたらしいのよね」

「――はあ?」

 

 二人の魔法詠唱者は、ほぼ同じタイミングで首を傾げてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アウラが、ニニャとナーベラルに、一連の騒動を説明している時、

 

「なるほどな。確かにそれならば、おまえがあれだけ取り乱すのも無理はない」

「し、失礼をいたしました。何卒、御容赦のほど」

 

 アインズはセバスの失態をすべて許した。

 実の娘が行方知れずになったとあっては、寸刻も心穏やかでいられるはずがない。

 マルコはナザリックに生まれた寵児にして、セバスというNPCの血と因子を受け継いだ希少な混血種(ハーフ)……さらには、主人であるアインズが保護と養育を確約した存在である以上、その喪失はあってはならない事態に違いない。誘拐されたとなれば、その下手人はセバスの善性でもってしても、億刑に値するほどの劣愚である。

 だが、そういった不安・懸念・激高・憤怒――いずれの感情も今や杞憂と化した。

 故に、

 父親の見せた意外に子煩悩な様子に頷く主人を、執事の瞳は冷静に見つめることがかなう。

 

「ところで、アインズ様――その御姿は?」

「え……あ、ああ。ちょっとした実験だ!」

「実験、でございますか?」

 

 嘘は言っていない。

 アンデッドの受肉化がどれほどの影響をアインズに及ぼすのかという経過観察中なのだから、これは実験中と言っても過言にはならない。

 セバスは未だに疑問符を頭上に浮かべているが、アインズはとりあえず直近の問題を解決することを急がせる。

 

「そ、それよりも、セバス。マルコが未だ行方不明というのは?」

「はっ。図書館で発見されたマルコは、あろうことかアインズ様より下賜されておりました、竜のぬいぐるみの転移機能を発動し、いずこかへと姿を消した、とのことです」

 

 デミウルゴスから受けた報告をそのまま(そら)んじた執事に、アインズは逆に疑問する。

 

「自己防衛用の第二機能が働いたのか? デミウルゴスや司書たちが、マルコに致命的な攻撃を加えるはずもなし……何か誤作動でも起こっているのか?」

 

 アインズは自分が魔法を込めた手前、己の失態を心配するが、まさかマルコがアンデッドや悪魔の形状に戦慄して恐慌してしまったなどとは思わなかった。これは仕方のないことであった。

 幼いながらも立派な命の火を灯すマルコ本人は、ここ数週間でそれなりの成長を遂げ、以前まではしっかりと見えていなかった化物の死相や蛙頭の悪魔という出で立ちに、生物的な危機意識、本能的な恐怖の感情を抱くようになっており、たとえそれが化物たち本人にとっては、悪意など欠片(かけら)もない善意からの行動であろうとも、見る側の赤ん坊にとっては知ったことではなかったのだ。自分の顔を覗き込むモンスターなんてものが現れたら、まともな命であれば失禁どころか、心停止すらしかねない状況に相違ない。そういう意味では、マルコはまだ幾分マシな耐性の持ち主であったと言えなくもないだろう。

 

「いずれにせよ、あのぬいぐるみの転移はせいぜいが階層内程度のもの。図書館から転移したとしても、第十階層付近にいることは確実だろうから、捜索チームは最下層に集中させれば問題あるまい」

「承知いたしました。それと、地表で警戒を強めておりますアウラ様から、魔法都市よりナーベラルとニニャ様が、ナザリックへの帰還を果たしたと、連絡が」

「うむ。思ったよりも早く着いたじゃないか」

 

 またニニャのレベルがあがっていることを実感し、アインズは相好を崩す。

 久しぶりにナザリック内を巡りながら、魔法談義に興じるのも悪くはない。

 

「二人の出迎えは後にしよう。とりあえず今は、マルコの捜索を急務とする。一応、全階層のシモベたちにも徹底させておけ。アルベド、デミウルゴスなどを玉座に集合させよ」

 

 アインズはセバスを伴い、転移を使わずに――というか使えないので――自分の足で玉座の間へ急ぐ。

 もしかすると、行く途中でマルコも発見されるかもしれない。

 わずかに危惧されたプレイヤーの出現はなく、マルコの異能によって発生した今回の騒動は、すぐにでも解決するだろうと、

 そう高を(くく)っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一時間が経過しても、マルコは見つけられなかった。

 捜索チームにはアルベドとデミウルゴスというナザリック最高の智者が加わり、第十、ならび第九階層での捜索には、勤務中の一般メイドをはじめ、巡回警備用のアンデッドや蟲の戦士たち、アウラのテイムモンスターに、デミウルゴス配下の魔将たちまで加わって、ローラー作戦が敢行されたのだが、

 

「これだけのシモベを動員して、赤ん坊一人も発見できないなんて……」

 

 元守護者統括はほぞを噛む。

 神聖かつ不可侵を約束された第十階層に大量のシモベを導入して虱潰しにしているというのに、混血(ハーフ)とは言え、脆弱に過ぎる赤ん坊の存在を確保できぬなど、前代未聞の珍事である。

 

「アインズ様のお与えになられたぬいぐるみの転移機能は、ナザリックの防御を突破できるものではありません。第十、ないしは第九階層にいることは確実です」

 

 悪魔はナザリックに帰還したニニャの方を何故かしきりに気にしつつ、マルコの状況を理路整然と語り始めた。

 赤ん坊を目前にして二度も見失ってしまった彼は、羞恥と責任感のあまり自死すら考えそうになっていたが、アインズの言葉ひとつ――「自分が与えた防衛用のアイテムが相手では仕様がない」――で、常のような忠烈に燃える臣下の様相を取り戻していた。しかし、三度目の失態などあってよいはずもない。

 アインズの招集によって、ナザリック最奥に位置する玉座の間に集った者は、アルベド、デミウルゴス、セバス、ユリ、ナーベラル、そしてニニャを含めた六名。

 アウラは感知に特化した魔獣やシモベを派遣した後、ナザリック防衛と侵入者の警戒に変わらず当たっている。ペストーニャはアウラの派遣したものとメイドたちを指揮し、今もマルコ捜索の陣頭指揮を執っている。

 マルコ発見の報を受けた母親・ツアレは、極度の緊張からの多大な安堵感という流れに耐えられず、自分の私室で寝込んでしまっている。付き添いには二人の一般メイドが付けられた。彼女は不調を押してまでこの場所に出席する構えを見せていたが、主人であるアインズから私室での休息を厳命されては是非もなし。シャルティア、マーレ、コキュートスは、外の都市で政務に明け暮れており不在だった。

 アインズが――仮面をかぶり小手を装備しているという――常とは違う装いにも関わらず、シモベたちはそのことを気にする様子などなく、敬愛する主の目の前で盛大に物議を醸し続けていく。

 

「間違って第八階層には、……封印閉鎖されているから行けませんか」

「しかし、そうすると第八を飛び越え、第七階層に上がった可能性が?」

「それが、現在のところ我が階層の守護を任せている紅蓮からの報告だと、下層階からの転移者はメイドたち以外、確認できていないとのこと。それ以外は、上から下への転移者しか見ていないという話で」

 

 セバスとユリの指摘を、最上位悪魔の謹直な声が否定する。

 無論、紅蓮の感知を何らかの手段や方法で素通りする可能性もあり得るが、さらに上層へと向かうための転移門はプルチネッラや魔将などのシモベが掌握済み。万が一に備え、他の全階層にいるシモベたちにも、マルコ捜索の指令が下っている以上、あの赤ん坊は上の階層には到達していないと見るべきだろう。

 ちなみに、上から下への転移者というのは、アウラが第六階層から連れてきた魔獣たちと、ナーベラル及びニニャのことだ。

 それ以外の誰も、第七階層には立ち入っていないということは、答えは一つ。

 

「間違いなく、マルコはこの二つの階層のどこかにいるはず」

 

 デミウルゴスは、ナザリックの地図――マスターソースを開ける玉座だからこそ、アインズはここを捜索部隊の本部に定めた――とも言うべき映像の二ヶ所を、はっきりと指差して示した。

 第十階層と第九階層は、大階段で構造的に繋がっており、転移用の門を使う必要なく行き来は可能な場所だ。それこそ、二つの階層の中間に位置する階段にでも転移してしまえば、マルコはどちらの階層にも自由に出入りが可能ということになる。そこで再び転移機能が発動していたら。

 だが、今や階段には、死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)をはじめ、多数のシモベたちが警備のため居並んでいるため、さすがに気付かれる可能性は高い。

 しかし、マルコはありえないような偶然と奇跡を拾い上げ、第九から第十階層の図書館にまで自力で赴いてみせた。警備を充実させるよりも早い段階で、再転移をしている可能性もゼロではない。

 ぬいぐるみの転移機能はさほど強力なものではないが、敵の追跡を攪乱(かくらん)するために、転移直前の危機的状況に合わせた回数分、マルコを連続転移させるという第三の機能を秘めているのだ。それこそ、一瞬だけ赤子の泣き声を聞いたようなとか、一瞬だけ白い巨大な影を見た気がするという報告が、第九と第十階層のそこここで発生している。

 

「……アルベド。ニグレドの探査状況は?」

 

 声が震えそうになるのを必死に抑えつつ、傍らに侍る宰相に問いかける。

 思うように事態が進展しないことに、普段よりも幾分不安の度合いを強めた主人の声に、アルベドは重い吐息を吐き出すしかなかった。

 

「姉さんの能力で探査も行っておりますが、何分、状況が状況ですので、今少しお時間が」

 

 アインズは玉座に体を預け、頷いてみせる。

 マルコがシモベたちに気付かれず、尚且つ階段を通ってナザリックの深部にまで潜ったことは驚嘆に値するが、その偶然と奇跡の所業は、そのままニグレドの探査にも引っかかりにくい対象であることを如実に示している。最弱レベルの赤ん坊、ナザリック固有の気配の薄さというのは、いくらニグレドと言えども探査魔法を発揮するのは困難を極める。ニグレドが一度でもマルコと相対し、その存在を直に記憶する機会があれば話は別だったはずだが、まさかよりにもよって、今日、彼女のもとへ訪れる前に、マルコが行方不明になるとは。

 しかも、マルコが存在するはずなのは、ナザリック内でも特に情報系魔法に対する対策や防御が拡充され尽くしている最下層。いくら調査系に特化した職業構成の高レベル特化型魔法詠唱者であっても、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が解禁されたこの世界では、下手に探査を強行するとニグレドがナザリックの防衛機能に引っかかり、爆死する事態にもなりかねない。それではいくら何でもバカバカしすぎる。

 何という運命の悪戯か。

 アインズは重い本物の嘆息を仮面の内側で吐き出してしまう。

 

「焦るな、おまえたち。マルコの無事は、あのぬいぐるみがある限り、絶対だ」

 

 アインズの、まるで自分に言い聞かせるような言葉に、そこに集う者たちは大いに頷いてみせる。

 あのぬいぐるみには、第一、第二機能の他にも、様々な魔法的な機能が充実されている。第三の連続転移についてもそうだ。さらに究極的な話、マルコが一度死んでしまったとしても、即座に蘇生させる〈真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)〉まで込められている為、敵に奪われたわけでもない限り、マルコの命は保障されているのも同然なわけである(混血種に蘇生が適用されればの話だが)。

 だが、この状況ではむしろ、マルコの位置を逐一知らせる情報系魔法の方が有用な事実に気づかされる。

 アインズは己に平静になるよう心の中で言い聞かせつつ、ひとつ確認を行う。

 

「もう一度、状況を整理しよう。

 第十階層はこの玉座の間をはじめ、「小さな鍵(レメゲトン)」も「図書館(アッシュールバニパル)」もすべて調べ上げた。第九階層は、「円卓の間」や様々な施設なども、すべて確認したのだろう?」

「はいっ……あ、いえ……」

 

 頷いた直後、何かを言い淀んだユリの挙動を、アインズは目敏く追及していく。

 

「どうした?」

「いえ、そんなはずありません……思い過ごしですので、どうかお気になさらず」

 

 粛然と俯く戦闘メイドが気にかかったアインズだったが、それよりも先んじて、デミウルゴスが主人に一つの可能性を示唆する。

 

「アインズ様、恐れながら我等シモベ風情では、侵入を禁じられている場所がございます。ユリはそこにマルコがいる可能性を思考したものかと」

「う、ん…………なるほど」

 

 馬鹿みたいに「うわ、そういえば、そうか」と呟きそうになるのを、喉の奥で必死に押さえ込む。

 

「第九階層にあるアインズ様の自室をはじめ、至高の御方々専用のロイヤルスイートルーム……よろしければ、これらの聖域捜索の御許可をいただきたいのですが」

「うむ。是非もない、か」

 

 至高の四十一人――ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのかつてのギルメンたちの私室は、定期的な清掃に赴く一般メイド以外には開放されることがない、いわば神の領域。そういう事情によって、今回のマルコ捜索においてもシモベたちが侵入するという選択はありえなかった。また、ギルメンたちのプライバシー保護のため、監視カメラのような外から部屋の中を覗くような機能も設備もなく、魔法による覗き見対策も充実している。万一、マルコがその中に逃げ込んだとしたら、たとえニグレドであっても探知は不可能なくらいである。

 現れた可能性に、アインズの胸中にはひとつの懸念事項が灯り始める。

 

「だが、そうなると……少々厄介だな」

「厄介、とは?」

 

 アルベドに対し、アインズは自身が懸念するロイヤルスイートルームの仕様を語り出す。

 

「ギルメンたち――我等の私室というのは、転移についてはそこまで制約があるわけではない。部屋の主が他のメンバーを自室に招く際に、指輪をいちいち装備していなくても転移ですぐにやってこれるようにした結果だ。だが、それ故に、部屋の持ち主が許可していない状態の部屋に転移すると――」

 

 アインズの説明したギミックの存在に、一同は表情を硬くしてしまう。

 今の時刻――マルコが行方をくらませてからの経過時間――を確認しつつ、仮面で人間の表情を隠した最高支配者は方針を定めていく。

 

「デミウルゴス。おまえはこの場にて捜索部隊の全容を掌握せよ。後ほど、補佐のメイドたちを遣わす」

「畏まりました。――我が配下を幾許か、この玉座の間に招集してもよろしいでしょうか?」

 

 許可を出さない理由がない。アインズは首肯でもって彼の申し出を許した。

 他にもアインズは二言三言、デミウルゴスに注意事項を添付しておく。

 

「では、急ぐぞ!」

 

 主人が立ち上がる姿に応え、デミウルゴス以外の部下たち――加えてニニャ――も、その背中を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘロヘロ様の私室、異常ありません!」

「たっち・みー様の私室も、異常はありません!」

「ぬーぼー様、死獣天朱雀様、源次郎様の御部屋にも、異常なしとのこと!」

「音改様、ばりあぶる・たりすまん様、武人建御雷様の御部屋、確認いたしました!」

「餡ころもっちもち様、ぶくぶく茶釜様、やまいこ様の私室、いずれも異常は確認できません!」

 

 玉座の間に集められた一般メイドたち数人は、いつにもなく緊張した面持ちで、己が受信した〈伝言(メッセージ)〉の内容を簡潔に、玉座の間に残ることを命じられた最上位悪魔に宣していく。

 彼女たちに加えて、デミウルゴスが己の階層から呼び寄せた嫉妬の魔将(イビルロード・ラスト)が、手にしたチェックリストにマークを加えていく。

 すでに、

 ペロロンチーノ、ぷにっと萌え、ブルー・プラネット、あまのまひとつ、ガーネット、ウィッシュⅢ、フラットフット、エンシェント・ワン、ベルリバー、タブラ・スマラグディナ、弐式炎雷、ク・ドゥ・グラース、ホワイトブリム、獣王メコン川、チグリス・ユーフラテス、テンパランス、スーラータン、るし★ふぁー、ウルベルト・アレイン・オードル――

 ほとんどの至高の四十一人の私室には、アインズたちのチームとは別に、メイドと幾人かのモンスターが調査に赴き(アインズが行使したギルマス特権による入室許可を一時的にもらって)、そこにマルコがいないことを……より厳密には、室内に施されたギミックが作動していないことを確認している。

 ちなみに、アルベドに私室として与えたものも含めた58室の予備部屋も、異常はないことは調べがついている。隣接する専用の主寝室やドレスルーム、キッチンや浴室、バーカウンターなどの部屋などにも、赤ん坊とぬいぐるみはいないと判明している。アルベドの部屋については、アルベド本人のお墨付き(かなり慌てていたが、すぐに確認して戻ってきた。なんという健脚)という具合だ。

 アインズが語るギミックが発動していれば、間違いなく何かしらの異常事態に見舞われていることは確実なため、普段部屋を開ける機会に恵まれたメイドたちは、部屋の解錠と内部の確認をこそ主任務としており、彼女たちとは別に、戦闘と〈伝言(メッセージ)〉を行えるシモベを大量投入している状況にある――故に、何かしらの異常事態(アクション)が室内で起こっていれば、そこにマルコは存在するという図式が成立するはず。

 だが、

 

「……デミウルゴス様。すでに、至高の御方々専用のロイヤルスイートルーム、99部屋の調査が、完了しました」

 

 魔将は困惑をわずかに含ませた声で、事実を告げる。

 ギルドの最大構成員数100人分の部屋がナザリックには用意されていたが、その半数は誰にも使用されないまま放棄され、四十一人それぞれ専用に与えられた部屋についても、この世界に転移する以前から、部屋主が現れなくなって久しい月日が流れていた。

 デミウルゴスは己の失態から混迷を深めた事態に対する責任感以上(・・)の懸念を抱く。

 

「御方々の部屋にはいないということでしょうか? だとすると、一体どこに?」

「いえ、まだ最後に残っている御方の部屋があります」

 

 魔将の呟く声に、そう炎獄の造物主がこぼした、直後、

 

「た、たった今! ア、アインズ様の部屋にて、異常を確認したと!」

「そ――そんな馬鹿な!?」

 

 メイドから最後に上がった絶叫じみた報告に対し、魔将は驚愕に黒い鴉の嘴を開いて大声をあげるが、デミウルゴスは全く動じない。その可能性をも彼は読んでいた。

 というよりも、すでに他の99部屋に異常がない時点で、残された御身の部屋はひとつ限りだったのだ。

 

「君たちはここに残っていなさい。他の者たちにも、アインズ様の私室への接近を禁じるように」

 

 デミウルゴスは早々に半悪魔形態の蛙頭を面に浮かべ、御身より下賜された指輪を左手薬指に煌かせる。

 

「御下命に従い、私はこれより、アインズ様達の助力に向かいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズの私室は、他のメンバーたち、四十一人のそれと規格はほぼ変わらない。

 ギルド長という地位にあるのだから、もう少しそれらしい差別化を図ってもバチは当たらないとメンバーから指摘されたことがあるにはあったが、かつてのアインズは「メンバーと自分は同格」という立場を貫徹していたので、あまり部屋の規格そのものをいじるのは好まなかった故だ。

 ギルメンの中には自分専用の内装や家具、そしてアイテムなどで部屋を飾るものも大勢いたが、アインズはそこまで部屋の内装にこだわりを抱いたことはほぼない。無論、それなりに長いユグドラシル時代に、アインズだって無数の内装や家具などを私蔵している。それらというのは、時に課金ガチャの外れ景品として、時に時期イベントやプレイヤーメイドの限定品という魅力につられて、時にギルメンたちとの買い物が楽しくて……無作為にそういったものを収集することもあるにはあったが、とりあえずそれらを使って自室を飾るようなことはしなかっただけなのだ。こういうのを、ペロロンチーノ曰く「使うかどうかは別として、とりあえず確保しておく現象」と言っていたか。

 それに何より、このロイヤルスイートそのものが、ギルメンたち謹製の作品でもあるので、その作り込みを尊重したいという思いが強かった。

 

 そんな一個の芸術ともいえるだろうロイヤルスイートルームの中にあって、

 

『こぉああああああああああああああああああ――ッ!』

 

 場違いなまでに可愛らしいぬいぐるみの竜の吠え声が、アインズたちの身を震わせる。

 

「うえぇ……」

 

 思わず小さな呻き声が、喉を滑るように吐き出されていく。

 ほとんど無意識に呟いた言葉だった上、目の前で吠える作り物の竜の一声にかき消され、そこにいる一同はアインズの仮面の内で行われている懊悩に気づく余地がなかったのは幸いだった。

 

「これが……アインズ様が与えた、玩具の動像(トイズ・ゴーレム)

「すごい。なんて、強大で、強壮な……」

 

 アインズはアルベドとニニャの言葉に疑問の声をあげそうになって、直前で飲み込んだ。

 確かにアインズの、一般的なプレイヤーの感性から考えると、目の前にいるぬいぐるみじみた巨竜というのは、かなり間が抜けている。布地で作られた光沢の一切ない身体もそう、顔面を構築する大きなボタンやミシン目というのもそう、そして何よりも、奇妙奇天烈に吠えたてる小動物のごとき貧弱な竜の蛮声というのもそうだ。ダンジョンのボスキャラでこんなものが出現してきたら、確実に気分が萎えることうけあいという出で立ちに相違ない。

 ないのだが、いかんせんこの世界での美的感覚については奇妙な齟齬(そご)が生じている。

 それこそ、ニニャはアインズとの冒険で出会った森の賢王ことハムスケを立派な魔獣と称し、ナーベラルにしても巨大なジャンガリアンハムスターの愛くるしいまん丸の瞳に、力を感じてすらいた。

 だとするならば、むしろアインズの方が少数意見なのかもしれない。アンデッドになったことで、一般的な美意識というものに対する感受性も変容した可能性もあるが、やっぱり総合して「この世界、変だ」という結論に達してしまう。

 それに彼女たちを弁護するなら……そう、例えばだが、オモチャをメインテーマにしたダンジョンやイベントであれば、あるいは?

 

「……って、現実逃避してる場合か」

 

 首を振り、思わず大きく呟いてしまい、数人の視線がアインズに集中するが構わない。

 相手はダメージこそ与えなかったが、Lv.100の存在を軽く吹き飛ばす機能をもった赤ん坊の守護竜。油断して、何かマルコに悪影響を及ぼすようなことになっては、セバスに、そしてツアレに申し訳が立たない。

 加えて、

 白竜が対峙している“アインズたち以外の存在”もある。

 

『――プライバシーを侵害するものを排除する! これは誅罰である!!』

 

 厄介な男の声が響く。マナー違反者に厳しい風呂場のライオン像と同じ口調で、その動像(ゴーレム)はぬいぐるみに組み付いて離れない。

 

「シルバー・ゴーレム・コックローチもそうだが、どうしてこういう方面にばかり……」

 

 弾劾するような意図が含まれかけた声を、アインズは中途で断ち切った。

 あの厄介な男……彼もまた、アインズ・ウール・ゴウンの仲間の一人なのだから。

 ぬいぐるみの膨れた巨体に拮抗する動像(ゴーレム)の姿は、かなり奇怪だ。身長数メートルの体躯は案山子(スケアクロウ)のように適当な、針金をより合わせて造った細長い人間の形をしているのに、手足はパンパンに膨れた白い手袋に長靴というのも、わざとらしいほどにミスマッチだ。さらに、その頭部に頂く造形は、人間のそれとは違い過ぎている。

「一眼レフカメラ」……というのだったか。

 技術の発展した未来の日本では骨董品(アンティーク)の部類に数えられる代物で、古ぼけた黒い筐体に銀色で丸く縁どられた巨大レンズが、ひっきりなしにシャッター音を奏でている。しかし、別に写真をデータとして保存しているわけではないらしい。一応、シズの記憶する情報を見た限り。

 あのゴーレムは、無人の室内に無断で転移したものを自動的に排除しようと召喚されてきた存在だ。普段は第九階層のどこかに格納・隠蔽されている存在で、そのひょろい見た目とは違って割と希少(レア)な金属で造られた関係から、かなりの強度と硬度を誇る。どう考えても体格や質量の差で負けそうなカメラ頭の棒人間が、見た目は巨大な白竜と拮抗することができている理由だ。(はた)から見ると巨大怪獣大決戦という印象を受けるが、これがアインズの室内で行われていることを思うと笑うに笑えない。

 無論、アインズとセバスが玉座へと向かった後に、マルコとぬいぐるみがこの場所へ現れたことは、ほぼ間違いないだろう。部屋主が許可を出していない状態でメンバーの私室へ転移を行ったものに対して発動するギミックの一つ〈転移遅延(ディレイ・テレポーテーション)〉、それが一定時間のタイムラグを転移使用者に与えるのも影響してしまったのかもしれない。

 

「このままでは、まずいな」

 

 二体のゴーレムは、互いに意思を持たない。それ故に、与えられた命令行動を厳格に順守しようとする存在だ。手加減も遠慮も一切ない。

 だからこそ、互いが互いに存在する限り、己の使命を忠実に(まっと)うするべく行動し続ける。し続けるしかないのだ。

 綿密な状況判断や戦況分析とは無縁。互いの事情も機能も力も慮外どころか、思考する能力さえない動き回る像であるが故に、このような拮抗状態に陥ってしまうのも必然でしかなかったわけだ。

 自分の部屋への侵入などは、この際だから構わない。

 マルコのためにも、早く手を打たなければならないが、

 

「アインズ様」

「来たか、デミウルゴス」

 

 ちょうど良いタイミングで最上位悪魔が私室前の廊下に、アインズたちの背後に、姿を現した。

 アインズの自室というのは色々想定外だったが、ナザリックの主人は手筈通りの号令を発する。

 

「よし。ユリとナーベラルは引き続き、カメラ頭から私とニニャを護れ。アルベド、デミウルゴス、セバスの三名は、ギミックをマルコたちから引き放すのだ。面倒にならぬよう、破壊も許可する」

「……よろしいのですか?」

「あれは、おまえたちでも手を抜いて戦える相手ではない。あのカメラ頭は修理費用を払えばいくらでも復元可能なもの。それよりも重要なのは――」

 

 言い終わる前に、白い竜が轟音と共に倒れ、ついに棒人間に組み敷かれた。内部に満載されていた白綿を、血飛沫のように溢れさせ始める。あのぬいぐるみはLv.100NPCすら吹き飛ばす機能を発揮するが、間抜けな見た目通り、膂力(りょりょく)はさほどでもない。デミウルゴスを吹き飛ばしたのはそういう魔法効果があったからこそだが、あのカメラ頭はこの部屋のギミック――どちらが有利なフィールドにいるかは、決定的に明らか。しかも、ぬいぐるみは安全な転移を行うために、自分に敵性対象が接触した状態での転移は行えない。ここでは圧倒的に、白竜が不利な戦況だと言える。

 

「では、ひとまず――〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉」

 

 ぬいぐるみが再転移するより先に、蛙頭のデミウルゴスが空間に鍵をかけた。

 続けて、三人のLv.100NPCたちが室内に歩み入ろうとした、

 瞬間、

 

「って、うぉ?!」

「アインズ様!?」

 

 NPCたちが一斉に驚愕の声をあげる。

 主人の視界、一同の頭上に、ぬいぐるみの上腕部の残骸が、かなりのスピードで吹き飛ばされてきたのだ。

 残骸自体はアルベドの特殊技術(スキル)で容易に弾き飛ばされ、主人には一切の災禍もふりかからなかった。至高の御身にはいかなる瑕疵(かし)もありえない。

 ……にも関わらず、アインズの身体は、前方から何者かに突き飛ばされたかのような姿勢をとっている。

 その姿に、NPCたちは、目を(みは)り、固まった。

 

「ちょ、大丈夫ですか、アインズ様!?」

「う、うむ……一応、大丈夫だ」

 

 最も至近にいたニニャに助け起こされ、気遣う戦闘メイドらを手で制しつつ、アインズは(つと)めてゆっくりと身を起こす。ここで慌てふためいては、常の魔導王然とした自分からは乖離(かいり)してしまう。それは少しまずい気がする。

 上位物理無効化の特殊技術(スキル)のおかげで物理ダメージなどはない。

 というか、今のは完全に、アインズが勝手に驚いて尻もちをついただけなのだ。

 受肉化の影響によって、普段のような精神安定が働きにくいことが悪影響を及ぼしているのだろう。予測はしていたが、受肉した状態での戦闘は慎むべきだな。アインズはそう結論に至った。

 ……なのだが、

 

「ゴーレムクラフト風情が――と、言いたいところだけれど」

「どうやら、“お見せしてもよい相手”のようですねぇ」

「我々の全力をもって、お相手をいたしましょう」

 

 その怒りの矛先は、腕の持ち主ではなく、腕を放擲した者に集中する。

 アルベドが、デミウルゴスが、そしてセバスまでもが、その身を完全なる異形へと変えていく。

 侵入者を未だ排除しきれていないカメラ頭は、突如湧き起こった憎悪と憤怒と敵意に対してまったく無力な存在だ。いくら希少金属で建造されていようとも、彼我の実力差、数の差は歴然としている。

 彼らの思い――言の葉は、ひとつきり。

 

「死になさい」

「死んでくれ(たま)え」

「死んでいただきます」

 

 三人同時、

 必滅の一撃が、

 棒人間然としたゴーレムの頭部を、身体を、存在を、砕き、捩り、焼き尽くす。

 

「うわぁ……」

 

 三人一斉の変化形態という光景に、アインズは少しだけうすら寒い感じを抱きそうになる。

 ただの人間でしかないニニャもまた、驚愕と畏怖に凍り付いたように表情を引きつらせる。

 対して、ユリとナーベラルは、むしろ清々しいような表情を浮かべ、蹂躙され蹂躙され蹂躙の限りを尽くされるカメラ頭を睥睨(へいげい)するだけ。彼女たちにしても、あの三人の激高には全面的に同意しており、あれが破壊されることに対して大いに溜飲が下がる思いだった。二人が大人しくしているのは無論、アインズとニニャを護衛する役割もあったからだが、あの暴風雨のごとき厄災の只中にいては巻き込まれるのは必至の事実だからに過ぎない。

 かくして、ロイヤルスイートルームのギミック動像(ゴーレム)であるカメラ頭は、数分もした蹂躙劇の末、跡形もなく消滅することとなる。

 一応、あれもナザリックの一部扱いなので復元にはそれなりのユグドラシル金貨を消耗する羽目になるだろうが、そんなことは些末な問題だ。

 問題なのは、白綿を大量にこぼしながらも駆動しようとするゴーレムの方である。

 

「今のうちに……行くぞ、ニニャ」

「は、はい!」

 

 三人は暴力に酔いつつも、しっかりと主命を果たしてくれていた。

 アインズとニニャは、カメラ頭の猛攻から引き離された白い竜へと歩を進める。

 ギミックに組み敷かれ、左右の腕や翼を千切り取られたぬいぐるみは、しかし今も尚、自分の守護対象を護る機能を発揮しようとしている。だが、デミウルゴスが発動した特殊技術(スキル)で転移は完全に阻害されているのだ。今、あの竜にできることは、敵を吹き飛ばす魔法と、マルコを絶対守護する鉄壁の護りを維持することだけ。

 

「マルコ!」

 

 叔母にしてマルコの肉親たる少女の声に、しかし白竜は威嚇するような蛮声をあげる。喉笛を握り潰され、ただでさえ弱々しかった声はさらに小さくなり、ただ「こはっ、こはっ!」という程度のかすれ声にしか聞こえなかったが。

 何とも痛ましい光景だ。

 しかし、自分が造らせ魔法を込めたゴーレムながら、見事な働きぶりではないか。

 

「……やむを得ない。少し下がれ、ニニャ」

 

 日頃からマルコの養育にかかわってきた叔母であれば、マルコを宥めることもかなうかと連れてきたが、マルコはもはや半狂乱じみた様態で泣きじゃくり続けている。並の赤ん坊では、泣きすぎて逆に体力を使い果たし、生命の危機に陥ってもおかしくはないほどであるが、やはりあの子は、小さいながらも竜の雛なのだと理解(わか)る。

 しかし、それでも油断はできない。今は一刻一秒を争う。

 父たるセバスは本気形態で戦闘を続けているので、こちらに急派させるのは躊躇われた。そもそもあの形態のセバスを父と認識できるか、大いに疑問である。

 故に、アインズは次善策に打って出た。

 

「アインズ様っ!?」

「お、お待ちください!!」

 

 ユリとナーベラルが制止する声を振り切って、アインズはマルコのもとへ靴の()を響かせながら足を踏み出す。

 

「おまえたちはそこから動くな」

 

 主人からの厳命に、戦闘メイドたちは身を硬くする。彼女たちの戦力では、Lv.100すらも吹き飛ばす魔法に耐えられる保証はないし、己の目の前で彼女たちとマルコが相撃つ光景など、見たくもなかった。

 新たな敵の出現を察知した竜が、無い腕のあたりから魔法の吹き飛ばし効果を発動する。

 

「ぐっ」

 

 上位魔法無効化の特殊技術(スキル)を持つアインズですら、その威力にはさすがに抗い難い。しかし、ぬいぐるみは今や正常な状態から逸脱しているため、十全に魔法を発揮することはかなわないらしく、何とかその場に踏み止まれる。

 ……だからこそ、暴走と暴発の可能性が憂慮されるのだ。

 最悪、マルコをその身に抱いたまま、機能不全を起こしたゴーレムが、自爆でもしたら……

 いやな汗を背筋にじとりと味わいながら、アインズは言葉を紡ぐ。

 

「――怖がらなくていい、マルコ」

 

 竜は血を噴く代わりに綿を撒き散らし、近づいてくる敵を排除する魔法を連発する。

 

「ぐ、がっ!」

 

 内ひとつが、アインズの身体を正確にとらえ、その肉体を後方に、

 ――吹き飛ばさなかった。

 僅かに疑問し、振り返ったアインズは、自分の背後にて屹立する存在に支えられていた事実を知る。

 

「ニ……ニニャ?」

 

 戦闘メイド二人にとって主の命令は絶対であったが、この少女だけは(・・・・・・・)別だ(・・)

 

「早く、アインズ様!」

 

 ニニャがこの時、ぬいぐるみの魔法が単数対象――魔法で有効捕捉可能な員数が一人だけだと“勘違い”し、誰かが支えさえすればアインズは吹き飛ばされないと“誤認”したからでは、ない。

 少女の後押しを受けたアインズは、おかげで何とか、竜の額でいまだ防御魔法に包まれたマルコを至近にすることに成功した。

 

「……マルコ」

 

 滝か豪雨のようでもあった赤子の泣き顔は、優しげな声を聞いて、僅かに鳴りを潜めていく。

 しかし、現れたのは、嫉妬する者たちの仮面をはめた存在。マルコはまた愚図りそうになる。

 マルコの危険を感じた竜が再び威嚇の声をあげ、魔法を放出しようと身構える。さすがにユリとナーベラルも、これ以上の座視はできかねると、主の名を呼んで命令の撤回を叫んだ。

 しかし、ナザリックの主は頑として、自らを矢面に立たせ続ける。

 

「何を怖が……って、ああ……この仮面じゃ、説得力がないよな」

 

 アインズは苦笑し、マルコが怖がる要因をすべて排した。

 泣いているような、怒っているような、形容のしようがない感情を(あらわ)にした、異様な造形のマスクをした怪しい相手では、さすがに安心しろというのは無理のある話だ。

 

 仮面を外したアインズを、マルコの瞳が、ついでニニャの瞳が、とらえた。

 

 そこにあったのは、アンデッドの、死の顕現たる顔ではない。

 どこまでも優し気な、男の微笑み。

 

「もう泣くな、マルコ」

 

 赤ん坊は、それまでの喚き散らす様子が嘘だったかのように、穏やかな表情(えみ)を浮かべ、その微笑(ほほえ)みの腕の中におさまっていく。

 その確かな男のぬくもりの中、ひどく安心しきったマルコが眠りに落ちるのと同時に、白竜もまた安堵の吐息を吐き出しながら、壊れた姿の小さなぬいぐるみへと戻っていった。

 

 よしよしと背中を優しく撫で、アインズは赤ん坊を(しか)と抱きしめる。

 

 こうして、ナザリック始まって以来の“かくれおに”、

 マルコの異能によって引き起こされた一連の事件は、落着した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




完結まで、あと三話かな?


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第4話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誠に――誠に、申し訳ございません。アインズ様、そして、皆々様」

 

 忠謹の限りを尽くすNPCの一人、セバスは、今回の件を平謝りしていた。

 その隣に立つ人間メイド、ツアレも、夫の姿にならい(こうべ)を差し出す。

 最敬礼の姿勢は、さらにもう少し、二人の頭を床面に近づけていった。

 

「頭をあげよ、セバス。そして、ツアレ」

 

 二度は言わないぞと、なるべく強い言葉を使って、主人は忠勤を尽くすシモベたちの姿勢を元に戻させる。

 今回の騒動で動員されたシモベの数と、消耗されたユグドラシル金貨――被害額を考えれば、セバスたちは何としても贖罪(しょくざい)しなければ気が済まないところであったが、さすがに主の意思こそが絶対である。

 

 一同が玉座の間に集合しているのは、アインズの私室が使えないからだ。

 白竜の撒き散らした綿の惨状もそうだが、あの三人の本気形態で行われた戦闘痕も凄まじく、その様子はまさに災害――というよりも、空間が熔けて融けて解け果てたような烈しさが、深々と刻まれていた。戦闘による損傷や破壊は、ギルドの運営資金で修復されるので問題はないが、あれだけの規模となると一分十分で片付くような損害ではない。メイドなどのNPCを動員して修復作業を速めさせたとしても、数時間は使い物にならないだろう。

 だが、アインズはそのことを憂えてはいない。

 むしろ、他のメンバーの部屋でなくて良かったとすら思考している。

 ちなみに、騒動の元凶たるマルコは、未だにアインズの腕の中にいる。

 随分と至高の御方のぬくもりを気に入ったのか、胸元のローブの裾を掴んで離そうとせず、無理に引き離そうとすると、起きて涙と絶叫の気配を漂わせるから、いかんともし難い。父母の声にすらなびこうとしないのだから、余程だ。しかし、アインズの腕の中にいる限りは、完全に安心しきった様子で寝息をたて続けてくれている。アインズ自身、これくらいのことで疲労を感じるほど惰弱なステータスを持ってはいないのだから、これくらいで良ければ別に構わなかった。

 アルベドやアウラはしきりに羨望の眼差しを差し向けてくるが、さすがに赤ん坊を相手に目くじらを立てるほど、彼女たちは幼くはない――はず。

 

 主と共に居並ぶアルベドやデミウルゴス、アウラやメイドやニニャたちにしてみても、アインズの言葉に反駁する理由はなかった。

 特に、マルコを図書館で逃がしたデミウルゴスについては、まったく別の意味で反駁できない。

 

「謝罪をするべきは私の方だよ、セバス。私がマルコを図書館で確保できていれば、こんな」

「いいえ、デミウルゴス様。そもそも休暇を拝領していた私が、二人から目を離してしまったことが――」

 

 互いが互いを気遣い、己にこそ非があると言い募る姿勢は、これ以上ないほどに誠実な光景だ。いくら普段は仲の悪い悪魔と竜人であろうとも、己の失態を他者へなすりつけるような愚行を見せるはずもない。

 二人の弁舌に、赤子を見失った母、ツアレまで加わろうとするのを、白い悪魔の声が未然に制する。

 

「双方ともに、それくらいにしておきなさい。事態はすでに終着しているのです。反省すること、自省することは美徳に違いないとしても、必要以上に己を卑下することは、己を生み出し「かくあれ」と定めていただいた創造主への不忠になると知りなさい。それも――アインズ様の御前(おんまえ)で見せるなど」

 

 宰相からの的確無比な掣肘(せいちゅう)によって、二人の自虐合戦は終結を見る。

 

「まったくだよ。二人とも、アインズ様に申し訳が立たないのは分かるけど、起こっちゃったことはどうしようもないでしょう?」

 

 巡回警備の休息がてら、第十階層にまで降りてきた総監・アウラもまた、苦言を呈する。

 さらに、ペストーニャ、ユリ、ナーベラル、ニニャにしても、彼女たちの意見に沈黙をもって同意する。

 アインズは皆それぞれの反応に相好を崩す。

 

「まさに、アルベドとアウラの言う通りだ。二人とも、そしてツアレ」

 

 その声音に宿る感情は、深淵のように底知れない慈しみ。

 

「マルコは無事な姿で、我々の前に舞い戻ったのだ。これ以上の結果など必要ないではないか」

 

 アインズの優しさ――ナザリックに仕える者たちへの情愛は、まさにとどまるところを知らない。

 

「本当に、気に病むことはない。今回の件は、むしろ起こるべくして起こったと言えるだろう」

「で、ですが」

「セバス――今回の件については、私がぬいぐるみに施した魔法、あるいは施していなかった魔法が、事態を混迷させた主な要因の一つだ。おまえたちを処断するというのであれば、私も同様に、罰を受けねばならない」

「そ、そのようなこと……」

 

 主人にここまで言わせた以上、シモベ風情にはそれ以上の抗弁は許されなかった。

 セバス、ツアレ、デミウルゴスをはじめ、マルコ喪失に関わったすべての者たちの罪は帳消しとされる。

 

「マルコには修理し再調整を加えたぬいぐるみを与えるとして、新たに探知しやすいビーコン……魔術師組合にも卸されている魔法のタグを付与しよう。そうすれば、マルコの位置は今回よりも容易に探査可能になるはず」

 

 他にも、もっとあらゆる事態を想定しておくべきだったと後悔している主人の姿勢は、シモベたちにはあまりにも眩しすぎた。

 セバスとデミウルゴスは、その瞼の端に光を宿しそうになる。

 ツアレもまた、大粒の涙を指先ですくい上げつつも、主人の瞳にしっかりと頷いてみせた。

 

「あの……ところで、アインズ様」

 

 だから、なのだろう。

 金髪の人間メイドは遠慮しがちに、だが確たる疑念に蓋を出来ずに問いを投げる。

 

「うむ? どうしたのだ、ツアレ?」

 

 疑問するツアレの視線に、アインズは疑問を返そうとして、

 

「その、御姿は?」

「んん? ……あ」

 

 自分の顔面が露になっていることに、遅まきながら気づかされる。

 頬を撫でる空気が、骨の顔や仮面を装備している時とは違い、はっきりと感じ取れる。

 そういえば、マルコを抱き上げる際にマスクを外した、あのままの状態で玉座にまで戻ってきていたのだと、ようやく思い至った。マルコをあやすのに夢中で、仮面をボックスにしまいっぱなしにしていたのだ。

 今更ながらアインズは、どう説明したものかと完全に迷子になる。

 

「こ、ここ、これ、これはその、あー、何というか」

「これは、アインズ様の受肉化した御姿よ、ツアレ」

 

 動揺しっぱなしの主より先んじて、傍に侍るアルベドの声が朗々と紡がれる。

 ツアレは納得の表情を浮かべるが、逆に、アインズは困惑を深めてしまった。

 

「え……アルベド?」

「あのアイテムを使われたのですね? 元の御尊顔も素晴らしいものに違いありませんが、(まこと)に、こちらも魅力的な御姿……さすがは、(わたくし)の愛する御方……」

 

 この世界基準だと、三枚目が五枚目程度にランクダウンしているはずだが、女悪魔は心底から主の顔にはりついた男の顔が好ましいと(のたま)う。

 陶然とした薔薇色の頬。パタパタと喜びに踊る翼。情愛に艶めく金色の瞳に射竦められるアインズは、他のNPCたち――アウラ、デミウルゴス、セバス、ユリ、ナーベラル――の表情を眺める。

 誰の顔にも、主の顔が人間然としたものであることに、疑念も戸惑いも抱いていないことが(うかが)い知れる。

 

「えと……全員、この姿が私だと、わかるのか?」

 

 アルベドをはじめ、居並んだシモベたち(ツアレとニニャは除く)は首を縦に振ってみせる。

 人間の移ろいやすい表情ながら、その表情筋が揺るがなかったのは、完全に偶然でしかない。それほどの脱力を、ナザリックの主人は味わわされてしまっただけだ。

 アインズは相変わらず知らないが。

 ナザリック地下大墳墓に住まうNPC、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに属するシモベたちは、揺らめくような気配というものを漂わせ、それによって仲間を感知し、同属か否かを判定する機能を保持している。その気配には強弱というものが当然存在し、わけてもナザリックの主人たる至高の四十一人――アインズの気配というものは、シモベ風情とは――最強たる階層守護者のものとも――比べようもないほどに絶対的な強い輝きを放っているのだ。いくら御身の造った至高の鎧で身を包み隠そうと、仮面で白磁の(かんばせ)を覆い隠そうと、アイテムによって受肉した姿に変わっていようと、アインズがアインズである限り、その存在を見違え、敵と認知するような愚考に彼ら彼女らが至るはずがない。アインズが抱いた懸念――間違って攻撃されるのではないか――というのは、完全に無駄な思考でしかなかったわけだ。

 アインズの胸の中から、盛大に本物の溜息が漏れてしまう。

 

「……まぁ、いいか」

 

 おかげでひとつの懸念事項が消え去ったと考えるべきか。

 今後はナザリック内で受肉した姿で歩き回る時に、装備を変更する手間もなくなるのだから。

 さらに言うと、このアイテムで受肉していたおかげで、マルコはアインズに怯えることなく、無事に保護されたのだとも言える。これをナザリックにもたらした”重爆”には、何か褒美をとらせるべきだろう。

 

「そういうことだ、ツアレ。納得したか?」

 

 金髪のメイドは深く頭を垂れて頷いた。

 

「さて……では、ツアレ。今回、マルコを一時的に喪失した時の状況を聞かせてほしい。ああ、勘違いするな。おまえを責め立てるつもりなどない。ただ、今回のような事件が頻発することにでもなったら面倒と言えば面倒だから、それ相応の対策を協議したいというのが実際だ」

 

 委細を承知したツアレであったが、彼女は言葉少なに、自分が目をはなした一瞬にマルコが消え去ったこと以上の情報提供ができないことを教えてくれた。メイドとしての修練を積み、母親としても成長過程にあるツアレであっても、今回の騒動については完全に彼女の認識を超えていたことだという事実。

 アインズは深く頷くと共に、そんな母親の失態を許した。

 マルコは竜人との混血種という、他に例を見ない存在――たとえ赤ん坊であろうとも、ただの人間の女程度では制御できない事態が発生しても、無理からぬことだと判じるしかない。

 

「しかし、そうなると今回、マルコが姿を隠した原因がわからないことには、再発の可能性も」

「そのことについてですが、アインズ様。私からひとつの仮説を申し上げたく」

 

 膝を折ったままの最上位悪魔が弁を振るう。

 

「許す。聞かせてくれ、デミウルゴス」

「ありがとうございます。――おそらくですがマルコは、生まれながらの異能(タレント)を保持しているものと、私は愚考いたしております。今回の騒動は、その異能が、顕著に現れてしまったがために発生したものではないか、と」

「……生まれながらの異能(タレント)、だと?」

 

 主人と同様、一同は言葉に詰まる。

 この世界固有の力と目されてきた異能力――ナザリックの存在では、習得はおろか、その全容の解明にすら至れていない謎の力を、マルコは発現してみせたという仮定は、それほどの威力を秘めていた。

 デミウルゴスは強く確信する。

 

「今回のマルコ一時喪失において、私、そして図書館に詰めるアンデッドたち複数名が、マルコが単独で、いかなる魔法や特殊技術も用いずに、宙に浮かんでいる姿を目撃しております。我々ナザリックの者では感知不能の異質な力が作用したとするのであれば、シモベたちがマルコの存在に気づけなかったのも」

「た、確かに――納得がいくな」

 

 ユグドラシルには存在しない力が働いたとなれば、魔法や特殊技術への対応に慣れた存在では、その事象に対抗対処することは難しい。おまけに、マルコはセバスの、NPCの血を半分しか受け継いでいない存在であるが故か――あるいは単純にレベルが低いせいなのか――ナザリック固有の気配感知にも、微々たるものにしか感じられない。

 デミウルゴスは思う。

 今後、生まれてくるナザリックと現地勢力の混血児たちは、マルコ同様に興味深い異能を獲得する。

「だろう」ではない。

 それはもはや、予感というよりも、神託と言っても良いほどだ。

 マルコは、セバスとツアレの営みの結果、想いの結実――それ以上に、とある世界級(ワールド)アイテムがもたらした、不可能とされていた混血をはじめて可能にした、大いなる可能性の萌芽。

 アインズたち至高の四十一人が創造しなければ存在するはずのなかったセバス、

 アインズが何よりも尊き御身の名の下に保護しシモベの末席へと加えたツアレ、

 アインズたちの栄光の象徴にして世界一つにも匹敵し得る“ヒュギエイアの杯”、

 これらすべてをひとつ所へと集約し、集積し、集束せしめたる御身の神をも超える智謀と展望が成し遂げた、奇跡の中の奇跡――

 それほどの存在を、自らの継嗣(けいし)同然に抱き、寝かしつける主を見つめるデミウルゴスは、玉座の間の端に控えるメイドの傍に立つ少女へと水を向ける。

 

「ところで、ニニャ」

 

 向けられた少女は意外な相手からの言葉に肩を揺らし、ナザリックの誇る参謀に応じる。

 

「は……はい?」

「おそらく君は、対象が“どのような異能を持っているのか鑑定する魔法”を、知っていますね?」

 

 アインズをはじめ、その場にいたほぼすべての存在が、目を瞠る。

 問われた方のニニャは、思い出したように笑みを浮かべてみせた。

 

「ああ。〈異能鑑定(アプレイザル・タレント)〉ですね。それでしたら、知ってます」

 

 一同の視線が魔法詠唱者の少女へと注がれる。

 

「というか、もう習得できています」

 

 さらに、驚愕の声が場を満たした。

異能鑑定(アプレイザル・タレント)〉は、第三位階に数えられる魔法だ。第四位階まで修めた今のニニャの力量であれば、習得しようと思えばすぐにでも習得可能な部類である。

 何とも準備の良い話であるが、ニニャはこの魔法によって、己に宿る“魔法適性”の異能を発見した過去を持つ。それ故に、この魔法には人一倍の関心を示し、習得できるものなら習得したいと考えていたのだ。

 これはむしろ必然とも言うべきだろう。

 

「ふ、ふふ」

 

 突如聞こえたそれは、悪魔の笑声ではない。

 

「ふはははは、はははははっ!」

 

 水晶の玉座に座する者――ナザリック地下大墳墓の主人にしては珍しい、大きな笑い声をこぼしていた。

 普段ならば抑制されるはずの激しい歓喜をそのまま言葉にして、アインズは己の恩人にして生徒たる少女を喝采する。

 

「見事! 見事だぞ、ニニャ!」

「あ、えと、ありがとうございます!」

 

 ニニャはほとんど初めて、己の師である魔導王の笑みに打たれ、数瞬の後に、恭しく姿勢を正した。

 彼女のおかげで、マルコに宿る異能の詳細も判明し――それだけでなく、今後生まれてくるだろうナザリックの血を継ぐ者らの発現する異能についても、彼女の手によって順次把握されていくことになる。

 デミウルゴスが見たニニャの可能性とは、まさにこれだったのだ。

 ニニャはアインズが予期した通り、このナザリックに、ナザリックには存在しない魔法の恩恵を授ける使者としての役割を果たすべく、御身からの教練を施されてきた――そして今回、彼女は完全に、ナザリックでも唯一無二の存在にまで昇華されたわけである。すでに完成された高レベル魔法詠唱者では不可能な、若く、才能に満ちたニニャだからこそ、多様かつ多彩な現地の魔法に習熟し、場合によってはこちらの希望する魔法を適時に修めていくことも可能だろう。彼女を蘇らせた時から、ここまでをアインズが読み切っていたことは、確実な事実。

 まさに、端倪すべからざるというより他にないというのが、デミウルゴスの抱いた絶対の信奉であったが、そんな悪魔の内実も知らず、アインズは陽気な声でニニャを手招く。

 

「では、ニニャ。早速ですまないが、マルコの異能を鑑定してくれ」

「わかりました」

 

 承知の声をあげた少女は、朗らかな調子で玉座からわざわざ降りてきたアインズの腕の中で眠り続ける姪っ子に手を差し伸ばし、ひとつの魔法を発動する。

 

異能鑑定(アプレイザル・タレント)

 

 魔法の輝きがニニャの掌を覆い、マルコが保持する異能――『空中浮遊』――を教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニニャはドタバタ騒ぎだったナザリック地下大墳墓から、転移の鏡で魔法都市への帰還を果たした。

 

「ふあ~、疲れた」

 

 湯浴みを済ませ、バスローブではなく自分で買い求めた緑色の寝間着(パジャマ)姿に身を包み、少女は真っ白でふかふかなベッドの感触に身をゆだねる。

 

「今日は、一段と、すごかったなぁ……」

 

 予定とは違ったけど、ある意味もっとすごいものを見た。ナザリック地下大墳墓の、外の世界とは比べるべくもない魔法技術の粋を凝らし尽した神聖な場所。未だにニニャの訪れていない場所が数多く点在し、今日の予定だと第九階層のしょっぴんぐもーるという場所を見学する予定だったのだが、それ並みに意義深い出来事を、今日という一日だけで堪能した気分を味わっている。

 子犬のような闇妖精(アウラ)が一瞬だけ見せた巨獣のごとき雰囲気。

 セバスやデミウルゴスやアルベドたちの“本気”の姿。

 ゴーレムたちによる物語に謳われるような闘い。

 宙に浮くという異能を発現した姪っ子の力。

 そして、あの人の――

 

「……何を考えてるんだか」

 

 おかしくなって笑みがこぼれる。

 自嘲するニニャの耳に、ノックの音とナーベラルの声が届けられた。

 

「はい。どうかしましたか?」

「アインズ様がお見えになりました」

「……アインズ様が?」

 

 はて、今日明日は魔法都市で政務を行う予定などなかったはずだが。

 ナザリックから鏡を使って転移してきたのだろうことは明白。ニニャは僅かに抱いた疑問に答えを見出すよりも先に、この城の主と対面するに相応しい姿を数秒で整えた。与えられた早着替えのローブはこういう時に重宝する。

 

「お待たせしました」

 

 扉を開けてダイニングに出ると、いつもと同じ格好の、しかしいつもとまったく違う様子の人物を迎え入れた。

 

「ああ、すまないな、ニニャ。せっかく休んでいたところを」

「いいえ、そんなこと。……マルコは?」

「さすがに、食事の世話は母親に頼るしかないからな」

 

 なるほどと少女は納得する。

 至高の存在と言っても、赤ん坊に授乳させるなんてことはできないのも無理はない。

 ニニャの見つめる先には、白骨の顔立ちではなく、幻術で作った時とほぼ同じ――しかし、あれは完全な人間の肉と皮――の、年嵩の積み重なった男の表情がはっきりと浮かんでいる。未だに、受肉化というものは続いているようだ。

 

「ニニャ……わざわざ着替えてきたのか?」

 

 気にしないでくださいという言葉を微苦笑に乗せながら、ニニャは首を振ってみせる。

 

「それでは、アインズ様」

 

 二人を引き合わせたナーベラルは主人に一言だけ語り掛けると、そのまま部屋の外の廊下へ。

 

「では、ごゆっくり」

 

 直角に腰を折った黒髪の乙女が、扉の向こうに消える。

 唐突に至高の魔導王陛下と二人きりにされるニニャであるが、これまでに魔法の授業や実地の教練でもこういった状況には慣れていた為、そこまでの狼狽や動揺はない。

 とりあえずニニャはアインズと向き合うように応接セットのソファに腰掛けた。無論、アインズを先に座らせてからだ。

 

「それで――どうして、こちらに?」

「……ああ、いや。ナザリックの外でも、受肉化はしっかり機能するのか、試したくてな」

 

 あと、今日の教練は結局お流れになってしまったことも、魔導王陛下はわざわざ詫びに来たという。

 

「そんな――お気になさらずに」

「ああ、いや……うん」

 

 まだ何事かを言いたげなアインズの態度を理解し、彼が話しやすいよう、ニニャは静かに、ただ笑顔だけはくっきりと深めつつ、紡がれる言葉を待つ。

 

「――それと、感謝せねばならない。君に」

「感、謝……ですか?」

 

 語られた内容は、僅かにニニャを困惑させる。

 自分は何か、こうアインズに感謝されるべきことがあっただろうかと首をひねる。

 

「あ、〈異能鑑定(アプレイザル・タレント)〉のことでしたら、別に感謝なんて」

「あ……ああ……それもなんだが」

 

 どうにも普段とは違い、羞恥というか、遠慮というか、とにかくそういった感情が強く表れていると判る。人間とまったく同じ受肉した顔ということもそうだが、それ以上に感情が浮き彫りになっているかのようなアインズの逡巡し懊悩する様が新鮮だった。

 何だか、すごくおもしろい気がしてならない。

 そんな生徒の内実に気づいたのかいないのか、アインズは咳払い――真似事ではない――を、ひとつ。

 

「マルコを止める時、私は君に助けられてしまった」

 

 言われて初めて、ニニャはあの時のことを思い出した。

 あれはほとんどニニャが咄嗟に、何も考えないで行動しただけなのに、あの時の礼を言っていなかったことを、アインズは気にしていたという。ニニャは、あの一瞬のことを鮮明に思い出す。

 その場に待機するよう厳命されたメイド二人を置き去りに、ニニャだけがアインズを支えに行くことがかなった。ニニャの後押しを受けた形で、アインズは半狂乱のごとき様態だったマルコを見事に鎮静化させることに成功した。……もっとも、ニニャ程度の力が加わった程度で、アインズの力に些少の助力にもならないとわかってはいるのだが。

 畏れ多くも。

 アインズはあの時、ニニャが支えに来てくれたことに感謝を告げに来たというのだ。

 思わず頬を緩めてしまう。

 アインズが自ら矢面に立つ形で、ニニャの姪のために働きかけてくれた。

 魔法によって吹き飛ばされる危険を顧みず、ただ一心に、幼すぎるマルコの命を案じてくれた。

 たとえ、マルコが稀代の寵児として期待され、アインズたちの将来にとって不可欠な可能性の具現化であるという、ただそれだけの価値しかないと判断されていたとしても、ニニャにとっては関係がない。

 

「助けただなんて。むしろ私の方こそ感謝しないと」

 

 マルコは(ツアレ)の愛娘であり、ニニャたちにとっては血の繋がった家族なのだ。

 ニニャたちは幼き頃に両親と死に別れている。それ以降、たった二人きりの家族として互いを支え合い、そうして今、こうして幸福な毎日を送ることができている。

 ニニャたちにとって、家族とは欠けてはいけないもの。

 両親が死んだことで強固に結び合わされた絆は、悪辣な豚によって引き剥がされはしたが、アインズたちのおかげで、ツアレは命を繋ぎ、愛する子を儲け、そうしてニニャもまた、蘇ることが叶ったのだ。

 家族の安寧。最高級の衣食住。大陸でも屈指の魔法の授業と好待遇。

 これでアインズから、さらに感謝の言葉などを贈られてしまっては、いくら何でも「貰いすぎ」というものだろう。

 それくらいの自覚はニニャにも存在していた。

 本当に気にしないで構わないと少女の様子に、アインズはさらに何かを言い足そうとして、ついで頭を振った。

 

「すまないな。どうにも私は我儘で」

「我儘……ですか?」

 

 意外なことを聞いたように、ニニャは疑問する。

 

「本当は。あの場で即座に、君に感謝をしておくべきだったものを……今回の件において、私は少々、いや、かなり迂闊だった」

 

 マルコを危険にさらし、ツアレに愛児喪失の恐怖を抱かせ、ニニャへは魔法を浴びる自分の背を後押しさせるなどという事態に追い込んだ――その責任のすべてが自分にあると、アインズは宣言する。

 

「そんな、アインズ様」

「いや、本当にすまないことだ。いくら謝ったところで、今回のことについては私一人が責められるべきだろう。ナザリックの主人たる者が、ナザリックに住まう者の力を見誤り、今回のような危険を呼び込んだというのは、叱責されて当然と言うべきだろう」

 

 アインズは、常のように精神が安定化しないから、このような弱音を吐き連ねているわけでは、ない。

 まったく当然の、彼自身の自己評価として、マルコが一時的に行方不明な状況になったのは、己の管理能力の甘さが露呈した結果だと認識していた。もっと有用な魔法を、もっと有効な対策を、もっと、もっと……何か方法があったはずなのだと、無限に続く思考の水底へ沈んでいく。

 彼は我が儘に、己の失態をあげつらい続ける。

 実に誠実な男の姿がそこにはあった……だが。

 

「だというのに、私は」

「アインズ様」

 

 伏せがちになっていた男の鼻先を、細い柔らかな指が、優しくつまんだ。

 

「ニ、ニニャ……?」

 

 若干ながら鼻声になるアインズに構わず、名を呼ばれた少女は小さなテーブル越しに、きっぱりした口調で、かの王を叱りつける。

 

「ダメですよ。王様は堂々としていないと」

 

 ニニャはアインズやナーベラルの魔法授業の一環として、この世界では類稀な量の“智”に触れる機会を得ていた。ナザリック最高位の智者三名や、不眠不休のアンデッドであるが故に膨大な勉強時間を得られた魔導王とは比べるべくもないが、少女はすでに、そこいらの学生や臣民では及びもつかないほどの識者の片鱗を宿していたのである。

 だから、彼女は彼の我儘の裏にあるものを理解する。

 

「あなたが言ったことです。“今回の件は、むしろ起こるべくして起こったと言えるだろう”って」

 

 もともと、モモンに化けていたアインズが人に在らざる様な感じを抱いていたことからも、ニニャの直感力・判断力は馬鹿にできたものではない。

 

「できなかったこと、やりきれなかったこと、どうしようもなかったことを、あげつらい後悔しても仕方ありません。

 それよりも、自分ができたこと、やりとげたこと、どうにかなったことを考えるべきです。完璧なんてことは、きっと神様にだってできやしないんですから」

 

 ニニャは知っている。

 この人が、アインズが、神などよりも余程、人間らしい事実を。

 いくら神のごとき超常の力を振るおうとも。

 いくら神の住まうような宮殿に座していようとも。

 彼は、共に笑い、共に嘆き、共に怒り、共に喜ぶことができる、そんな素敵な御方なのだ。

 それがわかっているから、少女は確信を込めて、目の前の人物をたしなめる。

 

「もっと、自分自身を褒めてもいいんです。

 少なくとも私には、アインズ様の成したことの千分の一、万分の一すら、出来っこありませんから」

 

 むしろ、こっちの方が羨ましくなる内容ではないか。

 だからこそ、彼は自分を我儘と言ったのかもしれない。

 

「もっと……自分を……か」

 

 ニニャの見つめる先で、彼の微笑に纏わりついていたものが、質感を失い始めた。

 まるで夢か幻のように、男の顔は普段通りの白磁のそれにとって代わる。

 彼自身もその現象を自覚できたのか、かすかに頬骨を撫でてみる。

 

「やっぱり、そっちの方が、アインズ様っぽいですね」

 

 ホッとしたように、ニニャは表情を綻ばせる。

 少女の笑みに釣られ、アインズもまた相好を崩してしまった。

 骨の顔面に変化などあり得ないが、それでもニニャは、目の前の王が朗らかに笑いかけてくれることを理解する。

 

「そうだ、ニニャ」

 

 魔導王は打って変わって堂々とした口調で、謝罪とは違う、もうひとつの“相談”を自らの生徒に持ち掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第5話

海上都市うんぬんについては、作者の独自設定です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 ナザリックの執務室で、魔導王アインズは、政務を遂行していた。

 アインズは海上都市への派遣調査要求に関する書類を、慎重に、かつ真剣に吟味する。

 大陸の東の彼方の海に存在するという、謎の都市。南方のエリュエンティウよりも情報に乏しい伝説にしか謳われない彼の地は、あの“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアーですら、詳細を把握していない。

 そこからの往還を遂げたという冒険者たちの存在は、魔導王の琴線に触れるに相応しいものである。

 アインズは傍らに立つ参謀に声をかけた。

 

「“重爆”……レイナース、と言ったか。彼女らへの褒美の件、よろしく頼むぞ」

「承知しております。すでに、冒険者組合を通してナザリックに招いております」

 

 これまで誰も真偽を確かめられなかった海上都市の存在。

 そんな土地からの生還を遂げたことが“真”にしろ“騙り”にしろ、レイナースたちが献上してきたマジックアイテムの効果は絶大の一言だ。ナザリックですら再現不能、かつユグドラシルには存在しなかったはずの「アンデッドの受肉化」という効力を秘めた果実は、何としても詳細を明確にしなければならない。

 この果実は、下手に使うと、アインズをいとも容易く滅ぼすことも可能な代物。

 アンデッドの特性破棄。数時間にも及ぶ魔法封印。人間としての肉体を得る代わりに失われるもの。

 あのツアーですら明確な情報を持っていないというのも厄介極まる。

 だからこそ、この都市の調査と、都市住民の確認は不可欠な事業に思われた。

 しかし、それでも。

 

「今は、こちらから仕掛ける必要もないか」

 

 聞けば、この海上都市は、ツアーがこの世界に生を受ける以前より存在していたとか。

 にも関わらず、この都市が大陸に暴虐の限りを尽くしたとか、逆に賢政を敷いて治めたという歴史は残っていない。であるならば、逆説的にこちらから手を出さなければ、大人しくしていてくれるはずだろう。話を聞く限りでは、レイナースたち冒険者と対話交渉も可能であり、マジックアイテムを三桁単位で贈与してきたというのだから、そこまで悪い相手ではないはず。むしろ、友好関係の構築をこそ目指すべきだ。

 南方の浮遊都市に強行偵察を送らなかったことが功を奏したように、今回も地固めを優先させる。

 アインズは書類に「不認可」の落款を押し、専用のトレーに納めた。

 これで、今日の政務は終了となる。

 

「さて……」

 

 予定だと、もうそろそろだ。

 久しぶりに守護者全員を、アインズはこの執務室に集めた。

 すでに、政務補佐として脇に立つ「参謀」デミウルゴスと、警護主任として仁王像のごとく直立する「将軍」コキュートスがいる。

 沸き立つ精神に煮られる感覚に辟易しつつ、アインズは気晴らしに傍らの蟲王(ヴァーミンロード)の近況を聞き出す。

 

「……そういえば、コキュートス。雪女郎(フロストヴァージン)……六人の奥方は、どうだ?」

「ハッ。母子トモニ壮健ソノモノ。予定デハ、半年モセズニ産マレルトノコト」

「半年もせずに、……って、早くないか?」

「異形種ハドウニモ、人間ナドヨリモ成長ガ早イトノ見解ガ」

 

 コキュートスは、友たる悪魔の見立てに信頼を置いている。

 その友は将軍の言を補足するために、恭しく言葉を発する。

 

「その代わり、異形種同士での交配は、子が著しく出来にくく、現在のところ子を産むことに長じた者たち――この場合、(ロード)女王(クイーン)男淫魔(インキュバス)女淫魔(サキュバス)系統に属するシモベたちでしか、懐妊の報告は届いておりません」

 

 異形種は寿命がなく不老。

 元来、子を残す必要性が他の生き物に比べ薄い存在たちだ。

 設定的に子を孕みやすい(または孕むことが大前提の)モンスターでもなければ、早々(そうそう)懐妊することはありえないというのが、デミウルゴスの調査結果でわかってはいた。

 だが、そんな問題も解決する世界級(ワールド)アイテムを、デミウルゴスは握っている。

 

「おまえの、デミウルゴスの実験……子供らについては?」

「“ヒュギエイアの杯”の賜物である我が子らも、順調そのものでございます」

 

 にっこりと微笑む悪魔はさらに進捗状況を正確に告げようとして、不意なノック音に遮られた。

 アインズの存在しない心臓が跳ねあがる。

 メイドが訪問者たちの到来を告げてきた。

 

「アインズ様、アルベド様たちが」

 

 来た。

 ついに来た。

 アインズはいつも通りを装いつつも、支配者らしい尊大かつ厳格な態度で、彼女らの入室を許した。

 

「四人とも、よく集まった」

 

 執務室に現れた女たち(一人は少年)は、アインズの目の前で一斉に膝を折っていく。

 

「第一、第二、第三階層守護者「元帥」シャルティア・ブラッドフォールン、御身の前に」

「第六階層守護者「総監」アウラ・ベラ・フィオーラ、御身の前に」

「お、同じく第六階層守護者「導師」マーレ・ベロ・フィオーレ、お、御身の前に」

「――「宰相」アルベド、御身の前に」

 

 今、ここに、ナザリックの「六大君主」が勢揃いした。

 この世界に転移した時と同じように、しかし、はっきりと、あの時とは違う感情と感覚に惑いながら、アインズは堂々と言葉をかける。

 

「面を上げよ」

 

 すっかり慣れたはずの支配者然とした言動にも関わらず、アインズはいつかの日と同じように漆黒に染まるオーラを垂れ流しにする。

 しかし、無理もない。

 これから告げることを、今回の全員招集の内容を思えば、テンパってしまっても仕様がないと、自分で自分に言い訳しておく。

 

「おまえたちを呼び出したのは他でもない、“あの件”について返答しようと思ってな」

 

 わざわざ含みのある言葉を使って、アインズは精神を安定化する時間を稼いだ。

 こんな時まで情けない気がしないでもないが、これは人として(アンデッドだが)、当然な反応だとも言える。

 

「……その前に、デミウルゴスやコキュートスにも礼を言っておく。おまえたちの実験や検証のおかげで、私は今回の決断に至ることがかなった。感謝する」

 

 強く、重く、告げられた賛辞を、二人は普段以上に忠烈な姿勢で受け取ってくれる。

 デミウルゴスによる“杯”を使った交配実験、そして、コキュートスが示したNPC同士による懐妊報告によって、ナザリックの軍拡は、さらなる段階へと飛躍することだろう。この場にはいない、育児休暇中のセバスにも、感謝は伝え終えている。

 彼らの示した可能性によって、アインズもまた、これまで先延ばしに先延ばしを続けてきた事柄に、ひとつの解答を示す時が来た。

 

「さて……アルベド、シャルティア、アウラ、マーレ……我が傍に」

 

 骨の指が平伏する者たちを招いた。

 その命令は、彼女たちにとっては何よりも優る褒美であり、感動だった。

 しかし、我先にと突貫し暴発する者は、いない。四人とも厳かに、かつ礼儀にかなう足取りで、主人の座する机に向かう……向かおうとして、意外な光景を見た。

 

「アインズ様?」

 

 四人は同時に声を震わせる。

 手招いたはずの主人が、椅子から立ち上がり、あろうことか今動いているシモベである者たちへと近づいていく。

 その行為自体は珍しいことではない。優しく優しいアインズは、いつもこうして、シモベでしかないはずのNPCたちに、驚くほどの厚遇を示すのだ。上位者として威厳と尊大に満ちた支配者としてではなく、創造者として恩赦や賛嘆を与える授与者としてでもなく、まるで親が子に接するかのように情愛と情感と情動に溢れたような、親しみの深い行為。

 だが、今回のこれは少し違う。

 アルベドたちは近づき、アインズもまた近づいていく。

 どこまでも優しく、なによりも優しい、そんなアインズが見せた気遣いに、判った宰相と参謀は黙したまま、判らない元帥と総監と導師と将軍も黙したまま、事の推移のまま行動する。

 アインズと四人は、互いに触れ合える位置にまで近づくと、アルベドたちはやはり跪き、アインズはそんなシモベたちに微笑みかけ、己の決定を語る。

 

「おまえたちからの求婚を、私なりに吟味し、四人全員を対等な妃として、我が妻に選定しよう」

 

 四人は目をいっぱいに開き、与えられた言葉の意味を、胸の奥深くにしまう。

 

「私は、かつて言った。『将来、そういった関係もあるかもしれない』と」

 

 しかし、あの時は状況がそぐわなかった。もっと言えば、悪すぎた。未知の世界に転移し、アインズ・ウール・ゴウンの名を世界に轟かせるという一大事業の最中、自分たちの置かれた状況が不確定で、かつ未知数な因子や法則が働いている、この異世界において、部下にして親友の子どもたちである者たちと、「そのような関係」を築くことは許されなかった。

 何よりも、アインズは許せなかった。

 彼女たちは、かつての仲間たちが残した至宝の存在。

 それほどのものを、己の勝手気儘に(もてあそ)(もてあそ)ぶことは、言語道断である。それこそ、タブラ・スマラグディナが創り上げたアルベドの設定を書き換えたままになってしまったことは、今も尚、アインズの罪悪感を刺激して止まぬ爆発物の様相を呈している。

 だというのに、友人たちが残した子らを、我がものとして占有し愉しむような無様をさらすわけにはいかなかった。できなかったとも言えるが。

 アインズは彼女たちとの関係が変節し変容し変貌することを恐れたのも事実だ。自分の気持ちに蓋するように、彼女たちが真摯に、真剣に、その心に確固として抱いた想いを、無視し続けた。

 しかし、もはや言い訳のしようなど、ない。

 世界は誇り高きアインズ・ウール・ゴウンの名の下に統一され、未だに、未知の部分や未解決な問題が残っていると言っても、アインズ・ウール・ゴウンに抗しきれる存在、アインズ・ウール・ゴウンに災いをもたらす要素は、可能な限りにおいて排除され尽くしている。(きた)る100年後の未来に現れるだろうユグドラシルプレイヤーなどへの対策も、つつがなく講じられ続けている、この現状。

 アインズと彼女たちの間に、障壁となるものなど無いに等しい。

「至高の御身」としてではなく、「四十一人のまとめ役」としてでもなく、「統一大陸の魔導王」としてでも当然、ない。

 彼女たちを愛する「ただの一人の男」として、ようやく彼女たちの本懐を、遂げさせる時が来たのである。

 男は弾むような声で、女らの名を呼んでいく。

 

「アルベド」

「くふー!」

 

 純白の女淫魔(サキュバス)が、

 

「シャルティア」

「我が君!」

 

 真祖の吸血鬼(ヴァンパイア)が、

 

「アウラ」

「はい!」

 

 闇妖精(ダークエルフ)の少女が、

 

「マーレ」

「は、はい!」

 

 闇妖精(ダークエルフ)の少年が、

 

「おまえたち四人を、我が妻、我が妃として迎え入れる。異論はあるか?」

 

 異論の有無など聞くまでもなく、全員一斉に承知の声を挙げた。

 感激に咽ぶ声。上気した頬や耳。清々しいほどに住んだ八つの瞳が、アインズの瞳をまっすぐにとらえる。

 背後からは祝福の言葉をデミウルゴスが奏で、歓喜の微笑をコキュートスが顎を鳴らして示す。アインズ当番のメイドと共に、隠形していた護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)らも、拍手を打って賛同の意を唱えた。

 

「さぁ、四人とも……」

 

 アインズは両手を広げ、意味を判じかねている妃たちに、命じるのではなく、願う。

 

「我が腕の中へ」

 

 膝を折っていた妃らは、激発するように駆け出した。

 戦士職のステータスに長じているアルベドとシャルティアが、夫たる者の胸、その肋骨に飛びつき、しかし愛おしむように、その感触を頬の上で優しく(たお)やかに撫でた。ステータスでわずかに劣るアウラとマーレは遅れをとったが、その雄々しい骨盤と太腿にしっかりと縋りつく。そんな小柄な(数年たって、それでもまだ十代程度の)体躯の二人を、アインズは骨の両腕で抱きかかえてみせる。

 アインズは努めて冷静に、冷厳に、だが愛情に身を焦がすような熱のある声音で、ひとりひとりに語って聞かせる。

 

「マーレ……おまえの魔法の力は、私と我がナザリックを幾度となく助けた。改めて、感謝するぞ」

 

 感謝なんて畏れ多いと、はにかむマーレ。

 

「アウラ……おまえの支援(サポート)は、いつだって私たち皆を影から支えてくれた。これからも、よろしく頼む」

 

 頷きつつも、子犬のように微笑むアウラ。

 

「シャルティア……おまえのおかげで、私は自らの過ちを知り、それを是正する機会を得られた。おまえがいなければ、私たちは大きな災禍に見舞われただろう。本当に」

 

 それ以上は過言だと、首を振るシャルティア。

 

「……アルベド」

 

 最後に残った女に、アインズは告げる。

 

「おまえには、つらい事ばかりを押し付けてきた。私の代わりにナザリックを運用し、日々を忙殺され、何よりも……おまえだけは、私が歪めてしまった過去もある。本当に、すまないことをしてきた。だが、これは、今回の我が決定は、けっしておまえを憐れむ意味も、おまえに贖罪する意図も、一切含まれていない。私はおまえを愛している。同時に、シャルティアも、アウラも、マーレも、等しく愛おしいと思っている。だから、おまえたち全員を、私の正妃として迎え入れる」

 

 深淵よりも尚深い声音に、アルベドは両目の端に熱を灯した。

 

「十分です」

 

 アインズを――モモンガを見つめる金色の瞳は、そこに佇む愛を見つめる。

 

「私のような不束に過ぎる者をお迎えくださっただけでも、私には過ぎた幸福です……」

「……それは違うぞ、アルベド」

 

 きっと、アインズは自分を卑下し、(せめ)を己一人に負わせるだろう。

 そう、彼女はこれまでの経験から予測していた――だが、違った。

 

「過ぎた幸福であるものか。

 おまえたちはこれより、これまで以上に幸福な時を過ごすのだ」

 

 私と共に――

 

「ああ……」

 

 呟く声に救われる。これまで幾度も救われてきた。

 溢れる想いが雫となって、女の薔薇色の頬を伝う。

 シャルティアが、アウラが、マーレまでもが、元守護者統括の懊悩を解かすように、微笑みを向ける。

 

「幸せになります」

 

 愛する者と共に――

 優しい彼と共に――

 ここにいる皆と共に――

 それだけで、アルベドは満たされていく。

 これ以上ないほどの幸せを感じつつも、これからきっと訪れる幸せに想い焦がれる。

 

「うむ」

 

 アインズは深く頷き、アルベドの頬をローブの袖で拭ってやる。

 柔らかく溶けるような微笑みを見て、ふと、彼の存在しない脳裏に、感謝の思いが過った。

 

「ツアーにもそうだが、ニニャには感謝しないとな」

「ニニャに……ですか?」

「ツアーはともかく、あの娘が何か?」

 

 アルベドとシャルティアは小首をかしげ、アウラとマーレも疑問符を頭に浮かべる。

 アインズは妃たちに、魔法都市でニニャに対し行った結婚相談のことを、訥々と語って聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日、魔法都市にて。

 ニニャに助けてもらった礼を告げた時に、アインズはひとつの相談を持ち掛けていた。

 

「実は、アルベドたち、四人と、正式に婚姻を結ぼうと思って……な」

 

 持ち掛けられた少女は、別段驚くでもなく、頷きを返してみせる。

 

「それは良い御話です」

「ただ……」

 

 とんでもなく気恥ずかしい感じを、精神安定化が抑え込んでくれる。

 それでも、言葉の歯切れが悪い印象が拭いきれない。

 

「私は、どうにも、その、結婚、というものは初めてのことで」

「あぁ…………」

 

 そもそも骨の身のアンデッドが結婚なんて、失笑ものだ。

 実際、ニニャは口の前で拳を握って、可笑しそうに肩を震わせている。

 しかし、アインズは大真面目に、一般大衆的な意見の参考として、現地の常識人たる少女に問いかける。

 

「率直な話――ニニャは、どう思う? アンデッドが結婚することについて」

「そう、ですね」

 

 ニニャは視線を宙に彷徨わせるほどの逡巡を見せるが、やはり朗らかな様子で笑みを深める。

 

「そこまで気になさることはないと、私は思います。

 確かに、アンデッドが結婚するというのは疑問かもしれませんけど、魔導王陛下であるアインズ様なら、むしろ王妃の一人や二人、いても不思議ではないのでは?」

 

 実に率直な言葉で、ニニャは現地人としての常識から、アインズの懸念を払拭していく。

 この異世界の王族というのは、正妃、側室、愛妾など、複数人の異性と関係を持つことは珍しくも何ともない。アインズの考えるように、正妃を“複数”用意するという制度はさすがにおかしいはずだが、下々の身分でしかない者たちにとっては、差したる違いなどないというのが本当のところだ。

 第一、アインズは、この大陸全土に覇を唱える統一国家を樹立した、至高の魔導王。

 その制度的な齟齬(そご)や違和に不満や疑義を申し立てる識者など、存在するわけもない。

 

「そうか……それを聞いて、ひとまず安心したぞ」

「そんな。これくらいのことで」

 

 照れくさそうにニニャは手を振った。

 

「でも、本当に……これくらいのことなら、もう誰かに聞くこともできているんじゃ?」

 

 無論、アインズはニニャに相談する以前に、ツアーなどにも相談を持ち掛けてはいたが、彼は現地の存在としては特異な出生と立場にある。

 竜王の末子にして、評議国の代表として君臨してきた、当代における始原の魔法(ワイルドマジック)の使い手。

 そもそもにおいて結婚制度という枠組みにとらわれない“竜”という生き物なのだから、人間の国民が抱く印象や情感などとかけ離れている可能性も否定できないと、彼本人から忠告を受けている。

 その点、ニニャは最後の相談相手としては適格な逸材と言えた。

 この世界の常識を知る魔法詠唱者、元銀級冒険者として市井で暮らしてきた平民、アインズたちの教育により教養を積みに積み重ねた知識人の存在は、これまで気づけなかったことが不可思議なほどに完璧な相談相手であったことに、アインズはようやく気付かされたわけだ。

 

「あくまで参考に、な」

 

 言って取り繕う魔導王は、さらに相談を続ける。

 

「だが、アンデッドである私が、果たして婚姻を結んで、相手となる彼女たちを幸せにできるかどうか」

「……失礼ながら、アインズ様はアルベドさんたち、皆を愛しているんですよ、ね?」

 

 恐縮した風に()いてくるニニャに、アインズは無論と宣する。

 

「私は彼女たち、皆を愛しているとも」

 

 それは未だに、親愛の情なのかもしれない。だが、アインズは確固たる意志をもって頷いた。

 彼女たちを失うことは、あってはならないこと。

 彼女たちに降りかかる災厄は、何一つとして看過できないこと。

 アインズが確信を込めて首肯する姿に、ニニャは目を伏せ、納得したように頷きを返す。

 

「彼女たちから愛され、彼女たちを愛しているのなら、それでいいのではないでしょうか?」

 

 簡潔に結論する少女に、アインズはさらに解答を追及する。

 

「だが、彼女たちは友人の子供みたいな立場で……、しかも一人は、おとこの()なのだが」

 

 などの事情も包み隠さず話してみたが、やはりニニャは「自分の気持ちに正直に」と譲らない。

 

「愛し愛されることに、細かい事情や損得なんて必要ありません。少なくとも私は、姉さんが異形の――竜人のセバスさんと結ばれ、マルコを生んで、ナザリックであんなにも笑顔でいられる姿を前にしたら、そう断言するしかありません」

 

 ニニャは閉じた瞼の裏に、確かな像を描き出す。

 愛する我が子を(いだ)き、寄り添い合う、一組の夫婦。

 あれだけの騒動を引き起こし、その渦中にいながらも、自儘に気儘に、赤子らしい沈黙を貫く、可愛らしい姪っ子の寝顔。

 あんなにも幸福な光景は、“愛”なくしては生まれるはずのないもの。

 故にこそ、ニニャは簡単に結論する。

 

「きっと、大丈夫です。アインズ様たちは、こんな私にも幸せを与えてくれた。この大陸に住む人々……だけでなく、亜人や異形も、存在するすべてに幸福を謳歌させている。それだけのことを成し遂げた人が、自分を、自分たちを幸せにできないなんてはずがありません。そうでなかったら、絶対におかしいです。

 アンデッドも、モンスターも、男の子も女の子も、そんなことは関係ない。

 そこに“愛”という、ただまっすぐな気持ちがある以上、問題なんてあるはずがない。

 正直に、ひたすらに、皆が幸せになれると、私はそう信じています」

 

 アインズは少しだけ、ほんの少しだけ、胸が痛んだ。

 

「私は…………そうは、思わない」

 

 切実なまでに自分を慕い、敬意と尊信を(いだ)く少女の健気な言葉は、王として、為政者として、ひとつの冷酷な現実を直視していないことを雄弁に伝えているかのよう。

 アインズは慈悲深い王だと思われている。

 だが、その内実はドス黒い――眼窩の奥に潜む闇よりも暗い、死の(おり)だ。

 

「君は知らないだろうが。私は、数えきれないほどの死を見てきた。死をもたらした。不和を、災禍を、混沌と無道を、時には正義そのものを、この手で裁き、侵し――殺してきた」

 

 正義と慈悲だけで国は成り立たない。政治は時として、あらゆる不正と無慈悲――犠牲を、敵も味方も問わず、民らに強要する。罪人への断罪に、敵国との戦乱に、あるいは復讐と報復に、アインズは多くの血を流した。それ自体は特段アンデッドの心には響いていない。無責任に忘れ去ろうとも思わない。だが、この目の前の少女が懐くような、純真無垢な憧憬の念を抱かれるようなことはあってはならないと、そう思うのだ。

 

「私は世界を救ったと、大陸に平和をもたらしたと、民は言う。だが、私が救えなかったもの、救わなかったもの、救おうとすら思えなかったものは、確かに存在している」

 

 アインズは骨の掌を眺める。

 ちっぽけな掌だ。すべてを救うには、あまりにも無力な己をアインズは(わら)う。

 至高の王と言われようと、アインズにも出来ないことはある。あまりにも多く存在する。

 ツアーが語ってくれた“彼”と“彼女”もそうだが、他にもいろいろな事柄において、アインズの力が及ばないことはまま存在する。

 罪を犯すものは発生するし、内乱を起こそうとする不穏分子は殲滅せねばならない。それらを悉く滅殺したとしても、(はま)真砂(まさご)が尽きることがないように、次から次へと愚物たちは湧き起こる。防犯をいくら施したところで、騒乱の芽を摘み取ったところで、連中は巧みにその上を行くのだ。いっそのこと浜の真砂を、世界の土台そのものをすべて消滅させるしかないだろうが、それではかつての仲間たちに顔向けできない。廃墟どころか、滅亡した世界の上に君臨しても、何の意味もないのだから。焦りは禁物だと、常に自分に言い聞かせている。

 そうして、そんな連中の犠牲となる者たちを、アインズは救えない。

 どんなに事後救済を施したところで、失われたすべてを取り戻すことはできないのだから。

 後悔はない。

 許しもいらない。

 嘆きも悲しみも存在し得ない。

 それでも、この少女からの敬意だけは――少し耐えられない。

 

「軽蔑したかな?」

 

 己の信じる者が、大したことのない偶像だったと知らされた少女は、

 

「いいえ」

 

 きっぱりと、柔らかい表情のまま、首を振った。

 何故だと疑問する魔導王に、ニニャは為政者の所業を、彼が己の罪に感じているものを、確かに認める。

 

「それぐらい知っています」

 

 誇るように、悪戯に成功した子供のように、少女は呆気にとられる王をくすりと笑う。

 

「犠牲を強いること、救えなかったものがいること……それぐらい、私にだってわかってます。けれど、あなたは王様なんです。そこはしっかりと自覚しないといけません」

 

 まるで教師が生徒を窘めるような雰囲気だが、アインズは不思議と悪い気はしなかった。

 

「言ったでしょ? 王様は堂々としないと、って。それが王様の義務(しごと)です。本当に、アインズ様は優しすぎます。でも、それはそれで酷いですよ?」

「……酷い?」

「自分が“救えなかった”人のことばかり考えて、“救ってあげられた”人のことを気にもかけないなんて」

 

 彼に救われた少女は、救われた者としての立場以上に、本気の本気で、アインズに怒っていた。

 吊り上がっていた眉を柔らかく緩め、淡い微笑みを浮かべる少女の変貌に、王の無い心臓が痛く弾んだ。

 

「私は今、幸せです。あのまま、あの場所で、死んだままでいるよりは、ずっとマシな人生を歩ませてもらっています。これは、他のどんな王様や、神様にだって無理なことです。あなたはすごいです。できなかったことを覚えておくことも結構ですが、自分にできたことも、ちゃんと考えてくれないと、救われた方はたまりませんから」

 

 それに、とニニャは言い募る。

 

「……覚えていますか? はじめて第三階層を案内されて、地下聖堂をたずねた時のこと」

 

 覚えていた。

 その時、蘇生して数日もないニニャは無自覚にも、魔導王陛下を困惑させる質問を投げかけてくれていたから。

 ニニャは、あの時にした質問を、その時に得られた解答を思い返す。

 

「私が、マルコの命名の理由を聞いた時、おっしゃっていましたよね?

『――人、その友のため命を捨てること、これより大いなる愛はない――』って」

 

 少女は少しだけ寂しそうに微笑み、物憂げな様子で視線をそらした。

 

「あの時、私はペテルたちのことを思い出してしまいました」

 

 アインズは唐突に、朝日が差し込むかのように、記憶の底に眠っていた冒険者たちを、“漆黒の剣”たちの死相と末路を、思い起こす。薬草の香りさえ添え物に成り果てるほどの血臭が充満していた屠殺場。狂気と殺戮を(ほしいまま)にした狂宴の光景。

 今では想像することも難しいが、この少女は、間違いなくあそこで、その命を終わらせていた。

 蘇った少女は言葉を続ける。

 

「ペテルにダイン、ルクルットの三人は、ンフィーレアさんを攫いに来た悪党に襲われた時、私を庇ってくれました……自分たちの命を捨てる覚悟で」

 

 ニニャという友のために、あの三人は命を捨てた。

 結果から言えば、彼らは一瞬のうちに殺されてしまい、少女はとんでもない責め苦を受けたわけだが。

 それでも、ニニャは彼らを恨むはずなど、なかった。一瞬にして突き殺された彼らの奮戦と勇気を讃えた。友たる自分を逃がすために、命を(なげう)つことに躊躇(ちゅうちょ)しなかった彼らを、勇者たちの死を、あの拷問と痛苦の最中に(いた)み、今でもこうして思い出してしまう。

 

「あの三人は、私の誇りです。

 彼らと出会えたことは、モモンさん――アインズ様に救われたことと同じくらいに、素晴らしい奇跡だったと思っています」

 

 ちょっと不敬かもしれませんねと、頬をかくニニャ。

 そんな少女の言を、アインズは頭を振って否定する。

 

「不敬であるものか。彼らはまさに、君にとっての、無二の仲間たちだったのだ」

 

 アインズの胸中にも、自分の仲間たち――ギルメンたちとの思い出は、鮮烈に、鮮明に、残っている。

 それを思えば、ニニャはまさに自分の同類とも言えるだろう。

 魔導王の言葉が慰めに聞こえたのだろうニニャは、海のように深く、空のように淡い瞳を潤ませて、しかし、涙は一滴もこぼさない。ただ実直な感謝と共に、大地色の(こうべ)を差し出した。

 

「――これより大いなる愛はない、か」

 

 アインズは、我知らず呟いた。

 少女の胸を打った言の葉を、今度は言った自分自身の奥底に響かせてしまう。

 急場しのぎの命名の儀が、こんな形で(かえ)ってくるとは、まるで予想もしていなかった。

 とんだ皮肉に相好を崩しつつ、アインズは頭を上げた少女を、一心に見つめ、見つめ返される。

 とても暖かな、そして心地よい時が、アンデッドと少女の間に流れた。

 最後に、ニニャは確信を込めて、告げる。

 

「失ったものは取り戻せないとしても、今ここから始めることができる以上に恵まれたことはないはずです。大丈夫ですよ、モモンさん……アインズ様は、こんな私ですら、救ってくださいました。蘇生させて頂いただけでなく、続く道を示してくれた。だから、きっと、彼女たちの気持ちにだって、答えを見つけられる――あなたの愛によって、幸せにしてあげられるはずです」

 

 でも、それでもダメだったら――

 

「私も及ばずながら、皆さんのために、力を尽くします。

 あなたに救われた者の一人として、あなたたちの力に」

 

 ニニャ一人の献身で、いったいどれほどのことができるというのか、それは分からない。

 だとしても、ニニャはアインズ・ウール・ゴウンに、自分を救ってくれた大恩人に、ただ報いる。

「報いたい」という意思ではなく、あくまで「報いる」という、ただそれだけを決定して、若い魔法詠唱者(マジックキャスター)の少女は、あらゆる魔を導く王に対し、誓う。

 彼からの(ほどこ)しを、(めぐ)みを、大いなる御心を――けっして、無為になどしない。

 ……だから、

 

「きっと、大丈夫」

 

 魔導王は少女の浮かべた蕾のような微笑みに背を押され、ひとつの決断を下す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そのようなことがありんしたか」

「いや~、本当にいい()だね、ニニャは」

「う、うん、そ、そうだね。お姉ちゃん」

「ニニャには個人的に、礼を言っておくべきかしらね……いえ、いっそのこと」

 

 正妃たちは口々にアインズの相談に乗ってくれた魔法詠唱者(マジックキャスター)の少女を誉めそやす。

 背後に控える参謀や将軍までもが、御身の相談役という大役を果たした存在を讃えだした。

 ただの現地の人間としては、これは破格とも言える高評価ぶりだ。

 アインズは自分が褒められたかのように面映(おもは)ゆくなる。

 

「うむ。……ここでひとつ、皆に伝えておくべきことがある――」

 

 彼女たちの反応を窺うように、魔導王はさらなる決定を、その場にいる者たちに語って聞かせた。

 異論反論を述べても良いと告げた夫に対し、妻たる者たちは静かに首を振るだけ。

 

「異論などありんせん」

「反対する理由もありませんし」

「ア、アインズ様が、決められたことですから」

「私も――むしろ、喜んで賛同させていただきたく思います」

 

 続いて水を向けられた参謀と将軍、メイドや護衛からも賛成意見しか上がらない。

 無論、アインズの決定が絶対的な強権を持っているにしても、「それほどの価値があるのだ」と、ここにいる全員が共通認識として知っていたおかげだ。

 意外な展開に気を良くしたアインズだったが、未だに不安要素は残っている。

 

「では、後日。我々の正式な婚姻報告を、シモベたち全員の前で行うとしよう」

 

 それまでは他言無用と宣した主の言葉に従い、全員が承知の声を奏で、頷くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次の、明日の更新で、完結予定です。


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最終話

予定通り、一応、完結。

昨日の更新を読んでいない方は、ご注意ください。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マルコ失踪事件が落着し、アインズの結婚相談を受けてから、数日が経った。

 

「姉さん、準備できた?」

 

 部屋の住人を()かすでもなく、ニニャは声をかけた。

 程なくして、新たにかわいらしいリボンを宿した純白の産着(うぶぎ)に包まれ、新調した白い竜のぬいぐるみと戯れる赤ん坊を抱いた女性が、奥から現れる。

 

「お待たせ」

 

 ニニャは(ツアレ)の付き添いのために、第九階層の使用人室の一角を訪れていた。ちなみに、ツアレの夫であるセバスは、アインズの供回りという最重要な使命により、一旦ながら休暇を返上しているのだ。

 一時間後、第十階層の玉座の間にて行われるという、アインズからの重要な宣布。

 その場に、マルコを含む彼女ら三人は呼び集められていた。

 

「今日は、大人しくしてるんだよ、マルコ?」

 

 姪っ子の頬をぷにぷに触りながら忠告を添える。

 赤ん坊はわかっているのかいないのか判然としない表情で、ただ「あー」としか返さず、叔母の指を軽く握り返す。

 悪魔や死者の凶相に怯え泣く赤子を連れていくのは、本来であれば(はばか)るべきところだが、ナザリックの最高支配者直々の御指名を受けては、マルコも臨席するしかない。いざという時――この間のような騒動の繰り返し――となれば、アインズの魔法が施された産着やリボンが、マルコの暴走を封印してくれるらしいが、やはり何事もなく終わってほしいと思うのが人情というもの。

 

「じゃあ、行きましょう」

 

 乳飲み子を抱く姉に促され、ニニャは使用人室の扉を開けた。

 すでに第九階層の広大な廊下には、直下にある最奥の地、玉座の間に集うべく招集されたモンスターの群れが、異形(いぎょう)人形(ひとがた)も、大も中も小もない無数(むすう)無尽(むじん)強者(つわもの)たちが、大挙となって溢れかえっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神聖不可侵なる巨城、第十階層の最奥に位置する玉座の間にて、再びアインズは全シモベたちの招集を行った。

 前回とほとんど同じ顔ぶれだが、居並ぶアンデッドやモンスターの列に、前回はいなかった者らも並んでいる。

 元守護者統括にして「宰相」として……“盾として”……アインズの身辺に侍るはずのアルベドが最前列にいることもそうだが、普段は宝物殿に詰めているはずの領域守護者の姿や、主席メイドとは言えただの人間でしかないツアレが愛娘を腕に抱いており、その妹のニニャまで、今回の招集を受けていた。

 はじめてのことに緊張の色を隠せない妹をツアレは気にかけてやるが、無理もない。

 ナザリック全階層、大陸世界に遍く散るほとんどすべてのNPCが広大な空間を満たしている。それ一体が容易く都市を落とし、国一つを亡ぼすことも可能な、一騎当万の百鬼夜行。いくら魔導王直々の教練によりレベルアップを果たした魔法詠唱者(マジックキャスター)であろうとも、その精神は十代の少女のそれなのだ。吐き出す呼吸までもが魔物を不快にさせはしないか、衣擦れひとつで巨竜の逆鱗に触れはしないか、そんな強迫観念に襲われそうになるが、無論、ニニャがナザリックにとって有益かつ、御身の優秀な徒弟として成長過程にある宝玉の原石であることを、遍く彼らは知悉している。瑕疵を与えるどころか恫喝することすらも、至高の御方への不忠不敬になりはてるだろう。そんな冒険とも呼べぬ愚考愚行を犯すものが、この神聖なる最奥の場に集うはずもない。

 

「ナザリック地下大墳墓最高支配者、アインズ・ウール・ゴウン様、および家令(ハウス・スチュワード)セバス・チャン様のご入来です」

 

 メイド長・ペストーニャの宣告が、朗々と響く。

 重厚な扉が開く。怜悧なほど研ぎ澄まされた靴の音。杖を突き叩く清らかな調べが奏でられる。さらにその後ろから続く、執事の足音。

 広間へ当然のごとく遅れて到着し、威風堂々と進む主人の姿を前にして、シモベたちは確固たる感動と敬服に痺れたように、体の芯を硬直化される。優しい主である彼は、主人に相応しい態度と速度で、一歩、また一歩を、けっして速くない、だが見るものを陶然とさせるほど峻厳な力の圧と共に、踏みしめ進む。

 世界を征服せしめた魔導王、アインズ・ウール・ゴウンが、背後に老執事を従えて現れた。

 呼吸することはおろか、一瞬の瞬き、光彩の運動、鼓動の一拍、意思を持つことすら躊躇われるほどの強大に過ぎる存在が、階段を上り、悠々とした態度で、集い集ったシモベたちを振り返り、そして座する。供回りを務めたセバスは例のごとく、アルベドの後ろに控え、部下の戦闘メイド(プレアデス)たち同様に、(ひざまず)く。

 

「皆、面を上げよ」

 

 言うが早いか、シモベたちは主の発した命令に準じた。

 僅かな動作が幾百となると、これほどに大きな音が生じるのだとニニャは思い知らされる。

 

「此度の招集に、さらに多くの同胞たちが集ってくれたことに、感謝を述べよう」

 

 まさに支配の権化とも称すべき、これ以上ないほど堂々とした王の風格を溢れさせながら、彼は宣言を続ける。

 

「此度、おまえたちを招集した理由は他でもない――前回の招集によって我がナザリックに敷かれた新たなる法――“婚姻制度”についてだ」

 

 ナザリック内外での自由恋愛――婚姻の推奨と、法体制の拡充による恩恵。

 

「まず、すでにセバスたちなどの先駆者によって、我がナザリックでも子々孫々に渡り、強大な力を持つシモベを新たに産出できる糸口が発見されていることは、周知の事実だろう――セバス・チャン、ツアレニーニャ・チャン」

 

 夫と共に突如として名を呼ばれたニニャの姉は、傍で驚く妹に一瞥もくれず、寝入る愛娘を抱いたまま、すべてが決められていたかのように迷いなく、老執事と肩を並べ玉座の傍へ。

 ただの人間では一段のぼることすら憚られて当然の場所、その一段あたりで歩みを止め、ツアレは夫に倣うよう、鋼鉄のような芯を身に宿すように振り返る。その動作によって、己の胸に抱くナザリックの寵児を披露する。

 

「今ここに存在する赤ん坊、マルコ・チャンこそ、その先駆けであり、未来の結晶そのものだ」

 

 アインズが手を振って示した先にあるのは、世界級(ワールド)アイテム“ヒュギエイアの杯”の効能によってもたらされた混血種という新たな生命。

 その場に居並ぶ化外の物たちですらも、御身の栄誉に与れることを渇望してしまう。

 

「しかし、焦る必要はないぞ、おまえたち。何も必ず婚姻し子を()せという話ではない。私はおまえたちそのままの姿や在り方を認めているし、おまえたちの忠誠と忠義を疑うことはない」

 

 シモベたちの狂熱と激情を看破するかのように、御身は優しく慈しみに満ちた声音で、未婚のままでいる者たちの不徳でも何でもないことを先に許しておく。

 無論、婚姻を結んだ者たちの存在も言祝(ことほ)ぐのを忘れない。

 

「デミウルゴス、そして、コキュートス並びに雪女郎(フロストヴァージン)

 

 さらに、アインズは婚姻制度で新たな命が育まれつつあることを、参謀や将軍たちをツアレの横に並ばせて示した。同時に、他のシモベたちの間で湧き起こっている問題についても話すことに。

 

「異形種であるおまえたちの間では子を生しにくいという報告を受けている。だが、安心せよ」

 

 また名を呼ばれたデミウルゴスが、懐から世界ひとつに匹敵するアイテムを取り出し掲げ、アインズの手元へと返納すべく段を上った。恭しく差し出された杯を片手に受け取ると、アインズはナザリックの栄誉の象徴たるそれを、頭上に捧げ示す。

 

「デミウルゴスの実験により、このアイテムは異形種同士での交配にも、“子を宿しやすい”特性を発揮することが判明している。希望する夫婦には、この“ヒュギエイアの杯”によって生成される薬湯を進呈しよう」

 

 複数人のカップルの瞳に熱がこもった。戦慄とも狂喜ともつかない声が幾つも空間を反響してしまう。

 飲みすぎには気を付けるのだぞと冗談めかして破顔する主人は、杯を参謀の両手に置いて返却する。

 

「これより後、おまえたちの産む子供たちは、我がナザリックにとって有益な存在へと成長を遂げるだろう。無論、我がナザリックの偉大さを存分に知らしめるべく、十分以上の教育を施す。力に酔い、智に驕り、才に溺れ、能に暗み、忠誠を覚えず、使命を省みず、――そのような悲劇を招かないためにも、な」

 

 アインズの視線は、ツアレに抱かれるマルコに注がれた。

 彼がここまで言った以上、マルコをはじめとしたナザリックの子供らは、絶対良い子に育つと容易に想像できる。

 

「――続けて、私はここに宣言する」

 

 重く、重く、そして尚重く響く支配者の声に、シモベたちは心の臓腑を握られる気を味わう。

 漆黒の後光が骨の玉体を輝かせ、根源的恐怖へと誘うようなオーラが刹那の間、少しだけ立ち込めたからだ。

 最後に重大な発表を残していたアインズは、水晶の玉座から身を離し、杖を宙に浮くよう放ると、高らかに宣言する。

 

「――ナザリックの主人たる私もまた、おまえたち同様に、我が継嗣となりえるものたちを生む機会を得ることを」

 

 つまり、

 

「――我が伴侶となるもの、魔導王の王妃となる存在たちを、今ここに選定すると、誓う」

 

 魔導王の妃を選定することを宣したアインズは、シモベたちの昂揚と驚嘆の波を受け取り、そのまま流す。

 

「――ただし、一番二番といった差別化は一切しない。全員を我が正妃として迎え入れる」

 

 慈悲深いアインズならではの試みであり、また妃となる者らへの配慮であることは、疑う余地もない。

 彼は長らくナザリック内で議論が紛糾していた問題――アインズの横に座するに相応しいものは誰か?――に対し、これ以上ないほど覿面(てきめん)な解決手段を講じてきたのだ。

 アインズの左右両隣に設けられるだろう、王妃の座を、シモベたちは瞬きの内に幻視した。

 

「これより名を呼ばれたものたちが、我が妃となるものたちだ」

 

 そんなシモベたちの思惑や期待通りに、彼の王者はあたりまえな人物らの名を、新たなひとつの号と共に告げ始める。

 

「最王妃・アルベド」

「はっ」

 

 応じた純白の女悪魔が、玉座の左側へと足を運ぶ。

 

「主王妃・シャルティア」

「はっ」

 

 答えた真祖の吸血鬼が、玉座の右側へと足を運ぶ。

 

「陽王妃・アウラ」

「はいっ」

 

 頷いた闇妖精の少女が、シャルティアの右隣へ。

 

「月王妃・マーレ」

「は、はい」

 

 慌てた闇妖精の少女……少年が、姉の右隣へ。

 

「 おおおおおおお 」

 

 あまりにも壮観な光景が出来上がり、どよめきともつかない歓声が、玉座の間に轟いた。

 栄光あるナザリックにおいても最上位に位置する力量を備えた、アインズに伍するシモベたちは、これまでの不和や軋轢、確執や因縁、喧嘩や口論などが嘘であったかのように、粛然と規律よく、己の夫となる者の隣へと並び立った。

 それ自体は不思議なことでも何でもない。ナザリックに存在するシモベは平等に至高の御方々に創造されたもの。役職や制度上の階級、力の強弱という違いがあるとしても、すべては至高の四十一人に「かくあれ」と創りあげられた尊き同胞(はらから)なのだ。設定上、仲が悪いようにふるまう必要もあるものもいるが、本音の本音、本質の中の本質、本気や本心としての領域においては、彼女たちはまったく互いに認め合える好敵手であると同時に、大切な親友同士でもあったわけだ。

 故に、彼女たちがこの場において、御身の決定に不服や不満を抱くはずもない。

 それを表明する意味すらも、もとから存在し得ないのだから。

 シモベたちが驚き(おのの)く中にあって、ニニャだけは、事前に相談されていた分、衝撃は少ない。

 ただ……何というか。

 どう言葉にしていいのか、わからない。

 

「そして――最後に」

 

 奇妙な懊悩にとらわれかけた少女の耳に、続く魔導王の声が触れる。

 アインズは、シモベたちが奇怪そうに首を頭を全身を傾げ、何事だろうかと互いに目配せするだけの時をかけて、告げた。

 

「――魔王妃・ニニャ」

「……………………ええぇ!?」

 

 少女の懊悩は吹き飛び、短く言われたことの内容を推し量る暇もなく、宣した魔導王は有無を言わさぬ語調で宣告を終える。

 

「以上、この五名を、我が継嗣(けいし)たる子を生むに値する存在に選定する。

 異論ある者は今ここで述べるがよい!」

 

 主人の決定には絶対的服従を誓うシモベたちに、否も応もなかった。

 最後に選定された王妃の存在で、多少の混乱はみられるが、全員が実直な答礼を己の姿形に相応しい様子で執り行う。

 

「ちょ、ちょっと待っ!」

 

 あまりにも急転直下な展開に、ニニャは礼儀も分別も忘れて、その場で立ち上がる。

 シモベたちの巨体や群体に埋没する小さな少女の身体だが、アインズはニニャの反応を当然のものと受け止め、その青い双眸(そうぼう)を見つめ返す。人間の、現地人のシモベとして、姉と共に最前列に近い位置取りにあった少女は、至高の玉座に踏み出すことも躊躇われたので、その場での異論抗弁を試みようとし、

 

「落ち着きなさい、ニニャ」

「ア……アルベド、さん?」

 

 意外な人物の口から紡がれた音色に、ニニャは射竦(いすく)められるように固まった。

 

「あなたはアインズ様に選ばれた。それは決定事項なのよ?」

 

 純白の女悪魔は玲瓏な響きで少女を叱咤しつつ、だが、その面差しには慈愛や情愛に満ちた聖母のごとき祝福の笑みを浮かべ、悠然と自分の左隣の位置が空いていることを手で示した。

 そここそが、ニニャの立つべき場所なのだと、彼女は教えている。

 しかし、ニニャは前に踏み出せない。

 踏み出せるわけもない。

 

「わ、わた……私は、ただの人間で」

「あら? 慈悲深いアインズ様が人間を妃とすることもない、狭量な御方だと思いんしたか?」

 

 白皙の面貌を薄く微笑ませる真祖の吸血鬼は、少女の狭い認識を嘲弄するように見据えるが、

 

「こ~ら~、シャルティア? ニニャを怯えさせたりするなんて、アインズ様が許すわけないでしょ?」

「べ、別に(おど)かしているわけじゃ!」

 

 親友を(たしな)める闇妖精(ダークエルフ)の少女が、ニニャの援護に名乗りを上げた。見れば、マーレも特段気にするでもなく、ニニャを段上へと招くように何度も頷き、同じ魔法詠唱者の少女を歓迎していた。

 さらに周囲を見れば、セバス、コキュートス、デミウルゴスの三人まで、ニニャが「魔王妃」に選定された事実を認め、頷いてみせる。唯一、知らされていなかったらしい(ツアレ)だけは、起こった出来事に対し、その場で右往左往といった状況にあるのは、かすかに笑えた。

 

「ニニャ」

 

 見れば、求婚してきた(状況的にそうとしか言えない)アンデッドの彼が、優し気な声をかけてくれる。

 だが、

 

「うわ、ちょ……あ、の」

 

 ニニャは逃げ出したい気分だ。

 しかし、ここはナザリックの最奥の最奥。

 居並ぶ魔獣や竜や屈強なモンスターたちが、逃走する道を示すはずもなく。

 無論、ニニャはアインズたちの教練によって、それなりの力を備えた魔法詠唱者(マジックキャスター)。正攻法では無理でも、与えられた魔法の装備や、姿を隠す魔法を使えば、あるいは。

 

「ア……アイン、ズ……様」

 

 なのに、ニニャはいずれの手段も見せなかった。

 玉座の位置に立っていたアインズは、あろうことかニニャのもとへと歩み降り始めているというのに。

 少女は眩暈を覚えながら、歩み寄ろうとする彼を、その骨の姿を、瞳を、一心に見つめ返してしまう。

 この場における最高支配者に対して礼を失するとか、自分を蘇生させ鍛えてくれた大恩人である魔法の師なのだからとか、そういった思惑や懸念は一切ニニャの胸中には存在しない。

 

「いきなり、こんな話をされて混乱してしまうのも解るが……聞いてほしい」

 

 もはや、互いに腕を伸ばせば触れられる位置にまで、二人の距離は迫った。

 しかしながら、ニニャは僅かに尻込むように、踵を後ろへ引いてしまう。

 痛いくらいに響く心臓が、今この瞬間が現実であることを告げてくる。

 幻術でも精神攻撃でもない、それはアインズの見せた、本気の本気。

 

「あ、いえ、その、あの……あ、いや」

 

 しどろもどろとはこのことだ。

 痛む胸を両手で必死に抑えるが、まるで期待通りの効果は発揮されない。

 

「ちょ……大丈夫か、ニニャ?」

「……だいじょうぶ、じゃ、ない、です」

 

 震える掌で口元を覆う。

 こんなことありえない。

 そう思うが、目の前の光景はどうあっても現実なわけで。

 

「――嫌、だったか?」

「…………」

 

 もう、何も言えない。

 アインズは、ニニャに言われた通り、堂々たる王の風格を(あらわ)に、語る。

 

「嫌なら嫌と、はっきり言ってくれて構わない。これは私の我儘なのだからな」

 

 片膝をつくアインズに顔を覗き込まれ、ニニャは不意に顔をそらす。

 周囲のどよめきは、アインズが膝をついたからなのか、ニニャが反抗的とも言える静寂を保っているからか、あるいは両方か。

 段上に並ぶ王妃たちや守護者各位などが沈黙の笑みを浮かべ、事の推移を見守っているので、他のシモベたちは何も言えない。

 至高の存在は、そういったすべてに構うことなく、少女の紅い頬を、表情を隠しきれない短い髪を、ちらりと睨みつけるような青い宝石を、ただまっすぐに見つめる。

 

「……い」

 

 ずるいと、そう言いそうになった。

 そんな瞳で求められては……とてもたまらない。

 彼は、アインズ・ウール・ゴウンは、ニニャの恩人だ。

 生き別れになっていた姉に幸福な家庭を与え、ただ一度だけ冒険しただけの仲でしかない少女(ニニャ)を死の(とこ)から蘇らせた、稀代の魔法詠唱者(マジックキャスター)。自分というちっぽけな存在を、一度は死に果て運良く蘇ることができただけの存在を、ここまで鍛え上げ、ここまで導き、連れてきてくれた偉大な偉大な至高の王様。

 

「…………いいえ」

 

 嫌なわけない。

 嫌なはずもない。

 嫌だなんてありえない。

 私は人間で、彼はアンデッド――だが、それが何だというのか。

 

 彼ほどに優しい存在を、私は知らない。

 彼ほどに優れた王様を、私は知らない。

 彼ほどに、実直で、誠実で、愛情深い男を、私は知らない。

 彼以上なんて、知りたくもない。

 

 ニニャは、確かに思ったのだ。

 アインズが結婚の相談をしてくれた時を思い出す。

 

 彼と共に歩めたなら、

 彼の隣に並べたのなら、

 それはきっと、これ以上ないほど、

 とても素敵なことなのだろうな、と――

 

「聞いてくれ、ニニャ」

 

 震える瞳で、熱く濡れた眼差しで、彼を見る。

 男が言わんとしていることを、思いの発露を、ニニャは焦がれるような気持ちで、待つ。

 そんな自分は、男の想いを受け取ろうと黙りこくる自分は、ひどく我儘(わがまま)に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 対するアインズは、真っ赤になりっぱなしの少女、愛すべき『術師(スペルキャスター)』――ニニャへ、ひとつ告白をする。

 一世一代の大告白を。

 

「その、私は、いや俺は、君という宝の原石に魅せられてしまったのだ。魔法でも何でもない、君という存在が持つ笑顔、言葉、思い、すべて……」

 

 歯の根が浮きそうになるくらいに恥ずかしい台詞だが、これ以外に言うべき言葉がないのだからしようがない。

 まったくもって情けないことだが。

 しかし、それでも、アインズが抱いた想いは本物だった。

 本気の本気の本気の部分で、アインズは目の前の少女を――ニニャという存在のすべてを、求めた。

 レアものを集める収集家(コレクター)ではなく、

 ペットを愛でる愛好家としてでもなく、

 至高なる統一大陸の魔導王としてでもない。

 ただ一人の男として、君のすべてに惹かれ焦がれている。

 

「どうか、俺のものになってほしい」

 

 嫌になるほどキザったらしい台詞を吐いてしまうが、ええいままよ。

 

「望むとあれば、この世界も、差し出してみせる」

 

 あまりにも法外な交換条件だ。さすがに周りのシモベたちが不審げに肩を揺らす。

 存在しない心臓がとんでもなく痛むような気がする。ひっきりなしに精神が安定化され、一体どうなっているのか、わけが分からないほどだ。

 

「いいえ」

 

 アインズの申し出に、確かに、首を振った少女(ニニャ)

 一瞬、本当に一瞬、やっぱりダメかと、思った。

 自分はアンデッドで、彼女は人間――それを思えば、答えは知れているはず。

 それでも、アインズは決めたのだ。

 少女に告白しようと――俺のものになってほしい、と――そう、決めたのだ。

 ニニャの震える瞳が、唇が、少女の心を吐露していく。

 

「世界なんていりません」

 

 どういうことかと疑問しそうになるアインズ。

 瞬間、骨の白い顔に降り注がれた、熱と接吻。

 気付けば、少女がここにあることを証明する、確かな両手のぬくもりに、アインズの頬骨は包まれていた。

 

「あなたさえいてくれれば、わたしは、もう、何もいりません」

 

 ニニャはこぼれる涙と共に、蕾ではない、笑みの花を咲かせていた。

 少女が棺の中で、死の眠りにあった頃は想像もしていなかった、彼女へと抱く真摯な思い――それは愛情。

 ああ、そうだ。

 そうだったのだ。

 アインズは彼女のおかげで、愛を知った。

 アンデッドになり果てた自分でも、人を愛せる事実を、知ることができた。

 

「――ありがとう、ニニャ」

 

 言って、そのまま少女を肩に抱いて包み込む。

 微笑みを深めるニニャにつられ、アインズもまた微笑んだ。

 

 

 

 四人の王妃をはじめ、守護者が、ツアレが、シモベたちすべてから、歓喜と祝福が湧き起こる。

 万雷の拍手喝采。ここにまた一つ、魔導国の歴史が刻まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音の飽和(ほうわ)のごとき喝采の最中、彼女たちは語り合う。

 

「……随分と大人しいでありんすね、アルベド?」

「もちろんよ、シャルティア。これこそが、アインズ様のご決断」

 

 いくら正妃に選ばれたとはいえ、この問題はアルベドたち一同にとって看過できるようなものではない。それを判っているから、アインズは事前に守護者たちに意思決定を示してくれたのだ。

 

 ……ニニャを正妃に迎え入れる。

 

 ただの現地の少女がナザリックの最高支配者の隣に並ぶというのは、驚嘆して余りある決定に違いないが、アルベドをはじめ、誰一人として、ニニャがアインズに相応しくない存在だとは思わなかった。思えなかった。アインズの教練によって逸脱者の位階寸前にまで到達しつつある、超級の術師(スペルキャスター)……ただの現地の有象無象と切って捨てるには、その才能は大きく、宿す力というのは果てがないように思われた。

 アインズの決定である以上、覆ることはない、どころか、覆す必要すらなかった。むしろ、ニニャとの成婚――現地人たる彼女との交配は、セバスとツアレ同様に、有意義な結果をもたらすに違いない。

 ――そう、アルベドやデミウルゴスらが予見した通り。

 現地勢力との融和政策を掲げるアインズが見初(みそ)めた魔法詠唱者(マジックキャスター)の少女は、その後、魔王妃として、確固たる存在として君臨しつつ、他の王妃たち――アルベド、シャルティア、アウラ。マーレ――と同様に、彼の御方の継嗣(けいし)となる愛子(あいし)の一人を……魔王の娘を……のちに賜ることになる。

 

「それに、不束(ふつつか)な私には、本来この場にあることすら」

「――それは言わない約束よ、アルベド」

 

 主王妃が語気を強め、弱音を吐き出す最王妃を掣肘(せいちゅう)する。

 

「今はただ、アインズ様の幸せにのみ、思いをいたしんすえ」

「そうね……シャルティア」

 

 嫉妬の炎など欠片も抱いていない悪魔の瞳が、ひとつの形となるアインズとニニャを言祝いだ。

 シャルティアも、そんな友と共に微笑みを深め、至高の御身の幸福を、ただ(よろこ)ぶ。

 傍らに立つ闇妖精(ダークエルフ)の双子もまた、声の限りに祝福を唱えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シモベたちの歓声と祝辞に包まれる二人は、抱き合ったそのままの形で、ひそかに言葉を交わす。

 

「ニニャ。頼みがある」

「……何でしょうか?」

「君の、本当の名を教えてほしい」

「……姉さんから、聞いていませんか?」

 

 言われるまでもなく、アインズは知っていた。

 ニニャという名は、姉のツアレニーニャという存在を忘れないために名乗っていたもので、良く言えば愛称、悪く言えば偽名に過ぎない。

 だが、

 

「君の口から、君の声で、聞かせてほしいんだ。君の、本当の名前を」

 

 おかしくなって、少女は笑う。

 相手の本当の名も聞いていないのに求婚してきた彼のことが、何だかたまらなく微笑ましい。

 魔王の妃は、空と海の瞳を潤ませ、大地の色に染まる髪をそよがせ、桜色の小さな唇を開き、そして、委ねる。

 

 己の本当の名を、

 自分のすべてを、

 愛する(かれ)(もと)へ。

 

 

 

「わたしの名前は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【終】

 

 

 

 

 

 







 まず、
 偉大なる原作『オーバーロード』と、
 偉大なる原作者・丸山くがね様(むちむちぷりりん様)に、心からの感謝を。


 そして、ここまで読んでくれたあなたに、感謝の極み。


 ようやくアインズ様が告白の上、結婚してくださいましたね、感無量です。
『魔導王陛下、御嫡子誕生物語~『術師』の復活~』は、これにて一応完結です。
 八月の頭から始まって、思い返せば長かったような短かったような道のりです。
 はじめての週刊連載は仕事やリアルの都合で慌ただしく、誤字脱字なども多く、読者の皆様にご不便をおかけし、ご不快にしたこともあったことでしょう。それでも、皆様のアクセスに支えられ、一時は日刊ランキングにも名を連ねることができたことは、感謝してもしきれません。本当に、これまで評価やお気に入り登録、誤字報告のみならず感想まで書いて下さった皆様に、この場を借りて篤く御礼を申し上げさせていただきます。ありがとうございました。


 セバスとツアレの子が生まれたのをきっかけに、ナザリック強化計画の最終段階にまで突入した拙作。とりあえずの大団円を迎えた魔導国と魔導王御一家ではございますが、彼ら彼女らの物語はまだまだ続いていくのです。アインズ様のハーレムルートはこれからだENDです。
 ……ひょっとすると後日談を、アルベドが生んだアインズの息子・御嫡子に関わるドタバタを一話ぐらい書くかもですが、あがるかどうかは未定ですね。


 それでは、あらためて最後に。
 評価や評価コメントをつけて下さったすべての方々、
 拙作をお気に入り登録していただいた1700名を超える方々、
 作者のミスへひとつひとつ誤字報告を送ってくれた親切に過ぎる方々、
 この物語に感想を残してくれた――

 九尾さん 無心人間さん なかたまんさん はぎわらしんぢさん もこなじみさん valeth2さん あくあむさんさん 21の目さん ロンピンさん ぴけ!さん kuroさん max299さん huntfieldさん 物語綴さん フェイスレスさん ALLOさん としさん 謎の人物MORさん シンクさん 後半へ続くさん ニドラーさん くろきしさん ありゃりゃ……さん 久遠@雷さん 首輪付きの保護者さん ロムさん なかじめさん みみみさん genx2さん アザトースさん タツマキさん こりぶりんさん あっきさん パルさん 山手線さん トックメイさん 大正義こしあんさん mukuroboneさん ノーネームさん はしばさん mmmさん 浅き者さん もぱさん ライナさん べっかんさん 溶けない氷さん たくぼさん 千夏さん もりもーりさん パルさん ミカン畑さん ハムスケ=忠臣さん ムラクモ555さん 炬燵猫鍋氏さん ディザスター◆0OEYGVrXeUさん シロイロさん kkmyyさん

 以上(最終話投稿時点)合計57名の読者の皆様方――



 本当に、ありがとうございました。



 それでは、また次回。      By空想病





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終章 魔導王の御嫡子
第1話


 総集編映画公開まで、残り一週間となりました。

 お久しぶりです。
 そして、お待たせしました。
 新連載を始める前に、御嫡子誕生の「後日談」をあげさせていただきます。
 ですが、予定よりかなり長くなってしまって……申し訳ありませんが、一話と二話に分割させていただきます。ご了承ください。


 後日談は、アインズ様の御嫡子誕生です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 至高帝、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。

 その居城にして、今では大陸を完全統一する魔導国の象徴にして、至高の四十一人と称される神をも超えた存在たちによって創造された聖域……ナザリック地下大墳墓。

 

 

 

 

 

 その最下層に位置する執務室で、アインズは午前の政務に没頭していた。傍には、彼の政務補佐を務める参謀・デミウルゴスと、参謀の補佐を務める魔将、及び行政担当の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)数体に、近衛にして暫定的にナザリック地下大墳墓全域守護の任を負う将軍・コキュートス。隠形中の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)と一般メイドたちの姿もある。

 

「これにて、大陸北部冒険者組合からの報告は終了いたします」

「ご苦労。デミウルゴス」

「勿体なき御言葉。

 続きましては、大陸極東にて新たに建造された、生産都市の情勢について」

 

 アインズはとある理由(・・・・・)から、ここしばらく外の都市の見回り……散策に赴くこともなく、ひたすらナザリックの執務室内での政務にかかりきりとなっていた。

 政務と言っても、デミウルゴスなどの守護者や、ナザリックのシモベたち、さらには現地勢力の政務官らが作成した新法の確認や国民からの嘆願、新たに冒険者組合から収集された知識、魔法都市などで開発・改造・実用に至った魔法など――不穏なものだと、今まさにデミウルゴスが語る、新造の都市で税が滞り反抗の兆しがあるとか、どこそこの小集落で違法薬物や賭場が蔓延しているとか――を認知し、同時に提案される対応方針を詳しく吟味(ぎんみ)する程度だが。

 とりあえずアインズの瞳は、目の前にある優先度の高い懸案事項に注視する。

 

「大陸の東……あそこはまだ、都市化して間もない地域だったな。少し負担が多すぎるのではないか?」

 

 アインズの都市建造は、アンデッドの労働力によって昼夜問わず稼働し続けることで、通常人類の二倍から四倍の速度で建造が可能だ。人間や亜人では休息が必要でも、アンデッドであれば無限に作業可能。一日の労働時間を八時間としても、アンデッドは二十四時間――つまり三倍も長い時間を働くことができるのだから当然である。

 

 もっとも、その早すぎる建造速度に、都市を管理運営する内実が伴わないというのは、痛い誤算だった。

 

 都市そのものは、アンデッドにとっては当たり前な速度で竣工から完成にまで至るが、その中で暮らす人々――生命の営みが円滑に順調に回り出すには、かなりの齟齬が生じることを覚悟せねばならない。

 例えるならこれは、中世で剣を扱っていた騎士に、いきなり現代の機関銃(マシンガン)を与えて戦地に立たせるようなものだ。引鉄(ひきがね)を引く程度は出来ても、空の弾倉を交換する方法や、弾丸が詰ま(ジャム)ったときの対処法を理解させずに、いきなり戦場で実際に使わせても、ろくなことにはならないのは目に見えている。どのようにして扱うべき代物かわからない連中に、ただ凄く完成された一品を貸し出しても、宝の持ち腐れにしかならないわけだ。

 実際に、完成した都市に人間種や亜人種や異形種が共存していくうちに、そのコミュニティ独特の障害や問題が発生し、結果的に無用な被害や痛苦が蔓延したこともある。本来であれば、都市の行政府がその歯止め役として機能するところなのだが、場合によってはその行政が、まったく役に立たないこともありえた。ナザリック産のアンデッドは、アンデッドであるが故に、人や生命にとって当たり前な常識というものに対し一定以上の欠如が見られ、“それ”専用の教育も拡充せねばならなかった。今現在、ユリの運営する院出身の優良生などが派遣されるまでは、都市の運用はその地に住まう部族や村落、人々の代表たちで賄うしかなかったが、当然、彼らは大規模な人々の集積である“都市”を治めることに、必ずしも長じているわけでは、ない。彼らの受け皿(キャパシティ)はせいぜいコップ一杯程度のところに、いきなりプール並の量を割り振られ注ぎ込まれたのだ。これでうまくいったら奇跡でしかない。手品と言ってもいいだろう。最悪なのは、現地にてアインズ・ウール・ゴウンより暫定的に与えられた地位に耽溺し、奢侈(しゃし)遊蕩(ゆうとう)乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)に至る愚物も湧いたのは、本当に悩みの種であった(無論、そんな馬鹿な連中は等しくナザリックの法の下に処されたのは、言うまでもない)。

 そういった失敗を教訓とし、アインズはエルダーリッチの行政官の拡充とともに、人間や亜人の子供らに対し、ナザリックの利に繋がる範囲での教育を施すことを確定していたわけだ。

 

「行政については、監視役のエルダーリッチも含めているから問題ないだろうが――そもそも、あそこを任されているのは、ユリの院を卒業したての、まだ十八の娘と聞くが?」

「はい。しかしながら、彼女は院内でも不世出の逸材と期待された才媛にございます」

「シカシ、デミウルゴス。ユリトナザリックノ名誉ノ為ニモ、税ノ滞納ニ伴ウ乱ノ可能性ハ、見過ゴスワケニハイカヌ。即刻、我ガ陸軍ニヨル武力制圧ノ用意ヲ」

「コキュートス……おまえにしては早計に過ぎるぞ。乱の可能性を逐一潰していても、問題は解決しない」

「デアレバ、反抗因子ノ集積ノ後、一挙ニ掃滅ヲ?」

「それは最後の手段だな。

 しかし、それよりも問題なのは、何故税が滞っているのか、何故乱の発生が起こりえるのかを考えねばならない。

 確かに、都市での反抗の兆しは不穏だが、まずは都市長らと会談なり、行政官を召還するといったことから始めるべきだ。報告を疑うわけではないが、まずは本当に反乱の兆候が存在するのか、存在しているのなら、その原因の究明と把握がなければ、今後も同じことは起こり得る。ユリと我々のためを思うなら、二度と同じ過ちを繰り返さないよう、全力を尽くさねば。廃墟の上に都市や国を築いても、何の意味もない」

「オオオオ――ナルホド!」

「まさに、アインズ様の仰るとおりかと」

 

 感嘆するコキュートスが理解の声をあげ、デミウルゴスが目の端に光を宿しながら賛同の声を紡ぐ。

 そんなに感動するような話だったか?

 

「ううむ……」

 

 しかし、魔導王は唸り声をあげ、軽い焦燥を覚える。

 最近のアインズは、ほとんどナザリックに籠りっぱなしだ。

 本来であれば魔導王自らが都市を訪問し、新米の都市長と意見を交換しつつ、その行政と国民の安寧のバランスを補う調停役を果たしてきたのだが、

 

「……産休制度は、やはり私には無用なんじゃないだろうか?」

 

 これが、アインズがナザリックに(こも)とある理由(・・・・・)である。

 自分でナザリックに施した新秩序のおかげで、アインズは我が家たるナザリックから外出することが、大いに(はばか)られていたのだ。

 産休というのは当然、“婚姻”の後に、めでたくも子を授かったものに与える恩賜――「出産に至るまでの休暇」を意味している。この異世界でもあまり例を見ない制度であるらしく、国民たちに布達した際にはだいぶ驚かれた。ナザリックのNPCたちは言わずもがなである。

 

 ……そう。

 アインズはすでに、子を授かった。

 アインズの寵愛を……例の受肉化によって、真っ先に受け取った、二人の女……最王妃と主王妃に与えたのだ。

 

 ちなみに。

 宰相であるアルベドが、アインズの傍にいない理由も、(くだん)の産休中だからに他ならない。

 彼女は今、大事な身である。ナザリック外に連れ出し、仕事を与えることはありえない。ナザリックが誇る“宰相”として、日々務めに励むことをこそ喜びとするシモベの筆頭として、アルベドは常にアインズの傍にあることが通常と化していた。そんな女には本当に申し訳ないことだが、それでもアインズは、彼女と、彼女に宿った新たな命のために必要な措置であると、疑うことはない。同様に、吸血鬼というアンデッドでありながら、新たな命を宿す真祖の王妃にも、アインズは強く言い含めた。

 

「どうか元気な子を産んでほしい」

 

 と告げただけで、アルベドとシャルティアの二人は、二つどころか三つ四つ五つ返事で了承してくれた。……ちょろい、とか思ってはいけない。

 大きくなったお腹を撫で労わる姿は、悪魔や化物というよりも、聖母や慈母のそれだ。

 本当に、あの二人の成長――母としてのありさまと美しさは、アインズの空洞でしかない胸中を、大いに弾ませるものがある。食事を共にするときも、二人は本当に睦まじい感じだ。アインズの妃の座を争って火花を散らしていた過去が嘘のようだ。

 そうして。

 大陸全土に「産休」や「育児休暇」なる革新的な秩序を布達し根付かせたアインズであったが、

 

「アインズ様は。我々、ナザリックのシモベたち、そして御身の統治する魔導国の民に対し、「休むべし」と布告してくださった。であれば、御身もまた休まれることが、当然の帰結かと考慮しますが」

 

 まさか、“自分(アインズ)だけ”を例外にするようなことを、目の前で政務補助に徹してくれるアインズ第一主義の参謀が、許してくれるはずもなし。

 

「う、うむ。そうだな、デミウルゴス」

 

 アインズがナザリックに籠る……というと語弊があるか……「家で休んで」もらわねば、休暇ということにはならない。おまけに、各都市を巡回し、散策するだけでも、その都市を治める長や官たちには、大きな負担を強いる。ならば隠れてこっそりと行けばとも考えたが、さすがにアルベドやシャルティアを家に詰め込んだまま、自分だけ外へ自由に出かけるなど論外だ。では、二人を伴って新婚旅行(ハネムーン)の続きでもなんて考えたりもしたが、せっかくの旅行で仕事にかまけるなど、どんなブラック企業だということでアインズ自身によって棄却されている。

 結果として、アインズはこの半年ほど、アルベドとシャルティアと共に、ナザリック内での産休を満喫しつつ、魔導国の公務と政務に没頭する日々を送っていた。

 こればかりは仕方がない。自分で定めた法を自分から破ってしまっては、国民に示しがつかない。アインズは暴君になどなりたくないし、なるつもりもないのだ。それに何より、休暇中の国務はデミウルゴスやコキュートスをはじめとしたシモベたちに任せている。ここでアインズが勝手をしては、彼らの働きを信用していないと表明するようなもの。そんなことで、大切かつ優秀なナザリックのNPCたちの働きに泥を塗るような身勝手はありえなかった。

 とりあえず、新造の都市については、都市長と行政監視役と面談して、実情の把握に努めることが採択される。

 デミウルゴスが次に提示した書類に、アインズは眼窩にある炎の輝きを強めた。

 

「……外洋への冒険艦隊の編成については?」

「ぬかりなく」

 

 悪魔が鋭くも愉快げに微笑む。

 アインズが眺める書類というのは、外洋への、つまりは大陸外の領域への進出に関するもので、より厳密には「大陸各沿岸部領域での、大型船舶の建造および補修工事拠点の拡充に伴う資材運用」についての意見陳述書である。

 

「……やはり、遠洋航海の技能は、船員(セイラー)たちが不可欠と見るべきか」

「しかしながら、我がナザリックには洋上を「航海」する特殊技術(スキル)保有者は存在しておりませんので、現状は現地の有象無象……主に人魚(マーメイド)海豹精(セルキー)などを雇用する他にありません。お許しください」

 

 アインズは無論、デミウルゴスたちを無能だと責めるはずがない。むしろ、彼らがいなければ、ここまでのことを――アインズ・ウール・ゴウンによる世界征服を成し遂げることは不可能だったのだ。感謝こそすれ、非難する理由などありえない。

 今や、大陸全土に覇を唱える魔導国においては、“海”の存在も等しくナザリックの下に平等だ。人魚(マーメイド)海豹精(セルキー)も、働きに応じた給金があって当然である。

 

「遠洋航海技術の教育も、今後は冒険者の必須課題となるか……」

 

 魔導国の治める大陸は、その全容を八割がた知悉したと言っても良い。都市国家連合や中央六大国という最列強国群も併呑・蹂躙し尽くし、彼らの保有する戦力や知識、魔法や文明などもアインズの保護管理下に置かれたのだ。さらにいえば、アインズの掌握する新・冒険者組合の働きによって、魔導国の版図は、限りなく完成に近づいており、ツアーなどの協力者も得られたことで、プレイヤーに関する伝承や噂話も、ある程度の確信や推論が形成されている。

 だが、まだ大陸全土を調べ尽くせたわけではない。

 国家単位では魔導国以外の存在は根こそぎアインズの手中に収められるに至ったが、国家に属さぬ個人や列強諸国すら進出不可能だった辺境に関しては、未だに調査が続けられている。アインズが新たに提唱し実現させた冒険者システムは有能であるが、無理をさせるわけにはいかない。隠れ潜んでいる未知の強者や、大陸の端や無人島で暮らすプレイヤーなんてものもあり得る。できれば穏便に、穏健に、ことを進めたいとアインズは願っている以上、調査には慎重かつ精密な働きが適う人材が投じられることになるだろう。

 そんなアインズが関心を寄せる、ツアーですら情報を持ち得ていないものが、この大陸の東にある。

 

 大陸の東の果てをさらに東へ進んだ先の大海にあると言われる、海上都市。

 

 二等冒険者チーム“重爆”のレイナース・ロックブルズらが偶然漂着し、そこに住まう異形の少女らより友好の証として持ち帰ったアイテムの件もある。

 この大陸の外に広がる海原に、アインズ・ウール・ゴウンも未だ知らない脅威や驚異が満ち満ちているだろう実例を示した――そんな彼女たちの功績は、絶大の一言でも尚足りない。

 

「……レイナースといえば、あの件については?」

「すでに、南方への手配は終えております」

「よろしい」

 

 これで、長らく妾しか侍らせてこなかった青年も、晴れて妻帯者になったというわけだ。

 実に喜ばしい。二人の友人として、彼らの前途を祝福するのは、当然な対応である。

 南方より取り寄せる婚礼調度一式――エンリたちを尻込みさせた祝いの品も、元皇帝のあいつであればきっと喜んでくれることだろう。

 そう内心でほくそ笑んだ、そのとき。

 

「失礼します、アインズ様」

 

 デミウルゴスが虚空を見つめ、指を側頭部に当てる。誰かからの〈伝言(メッセージ)〉を受信したようだ。

 アインズが見つめる内に、悪魔の参謀は喜悦に熱狂する面持ちを怜悧な面貌に溢れさせ、その報告を何よりも心待ちにしていたという涙声をあげかけ、主人の眼前であるということで、常の謹直さを取り戻す。

 

「……わかり、ました、っ。報告に感謝するよ、ペストーニャ」

 

 魔法の繋がりが断たれ、悪魔はアインズが思わず心配してしまうほどの雫を、目の端から滾滾(こんこん)と湧き流す。

 

「ドウシタ、デミウルゴス?」

 

 他の者では声をかけるのも躊躇われる変貌ぶりを参謀は顔面に構築する。友である将軍への返答はなく、即座の平伏が行われたことで、混乱は加速された。

 急遽平伏したデミウルゴスに触発されるように、コキュートスやその場にいたシモベたちも一斉に(ひざまず)く。

 そうして、朗報が届けられる。

 

「アインズ様――御慶(およろこ)び申し上げます」

 

 膝をついた姿勢のまま、デミウルゴスは〈伝言(メッセージ)〉で受け取った内容を(そら)んじる。

 

「このナザリック地下大墳墓にて、最王妃殿下――アルベドが、御身の御嫡子を、第一子を、たった今、――出産に至るとの報せが!」

「 オオオオオッ! 」

 

 感嘆が、その場を満たした。

 コキュートスが安堵の冷気を吐き出し、跪くままのシモベらが歓呼に沸き震え、メイドたちも快哉に表情を綻ばせてしまう。

 デミウルゴスからの報せは、待ち望んだ至高帝・魔導王陛下の世継ぎが――偉大なる支配者の後継が――アインズの子が――誕生する事実を、教えてくれたのだ。

 

「――うむ。わかった」

 

 湧き上がる歓喜のあまり、すぐさま鎮静化される精神のまま、アインズは頷く。

 

「シャルティアとセバスたちは?」

「準備が整い次第、参上するとのこと」

 

 シャルティアはアルベド同様に、ナザリック第三階層の玄室にて産休中。

 セバスは育児休暇として、自室でツアレと共にマルコの養育にあたっている。

 連絡すべき相手で他に残っているのは、五、六人ほどか。

 

「アウラは?」

「ビーストマン、ミノタウロス、セントールなどの再調教……もとい、大陸中央の監査取締を切り上げてまいります」

「マーレは?」

「魔法都市カッツェにて行われております、第三~第五位階魔法に関する大々的な講義授業を終えている頃合いかと」

「エンリたちとツアーには?」

「他の者が、各都市に連絡しておりますが、ツアー殿に関しては、遅れてくるものと思われます」

 

 外地領域守護者や信託統治者――アインズの友人らにも、等しく吉報は届けられる手筈である。

 最後に、アインズは一人の少女を思う。

 

「ニニャは?」

「魔王妃殿下も間もなく」

 

 デミウルゴスが淀みなく答えようとした瞬間。

 

「失礼します」

 

 ノックの音とともに、一人の少女が、黒髪のメイド(ユリ・アルファ)を引き連れ訪れた。

 

「ただいま戻りました、アインズ様」

 

 悪魔たちが一斉に、アインズに向ける敬意にほとんど近い思いを懐いて、現れた魔王の妃を礼拝する。

 

「ニニャ様。お早いお帰りで」

「そんな。かしこまらなくても……アルベドさんの御産ですから、絶対に立ち会いたいですし」

 

 歓迎の言葉を受け取った少女は頬を掻いて、全員の頭を上げさせる。

 アインズは思わず微笑んでしまう。参謀が「様」と呼ぶのも致し方ない。

 ナザリック外の、現地人でしかない少女とはいえ、ニニャは既にアインズの寵愛を賜る“魔王妃”の座を与えられた存在。アインズに臣従を誓うシモベであれば、もはや誰しもが、彼女を上位者の一員として扱わねばならないというわけだ。ならば他の王妃も「様」と呼んで然るべきだろうが、さすがに昔からの仲間であり、階級的に同じだった守護者たちに対し、彼が極端に(へりくだ)る必要もないというところが実情である。

 アインズは、自分の伴侶の一人に迎えた人間の少女を、心から迎え入れる。

 

「息災か、ニニャ」

「はい。おかげさまで」

 

 少女の穏やかな声を聞くだけで落ち着いてしまう。久方ぶりの再会を、その喜びを等しく分かち合う。

 ニニャは相も変らぬ男装(教練や私生活の時は、ほぼこれだ。ニニャが女の姿になるのは、アインズと共に公務を行う時くらい)だが、互いに気にすることなどない。これはこれで、ニニャの魅力の一つであるし、短い髪も、少女らしい柔らかな敬語も、すべてが珠玉に飾られた宝石箱のように思えてならない。

 ニニャの左手には、二つの指輪が贈られている。

 その感触を確かめるように、アインズは骨の掌で少女の指先を手にとる。

 

「第八階層の、桜花聖域での修業は、どうだ?」

「はい。とても素晴らしい経験を積ませてもらっています」

 

 末妹からの教練は、確実に着実に、ニニャの強さ(レベル)に加算されているようで、安心した。

 

「さ。はやく行きましょう、アインズ様」

 

 自分たちの新たな家族の誕生に立ち会おうと、ニニャは聖域での教練を一旦切り上げて馳せ参じてきたのだ。

 アインズは、少女に手を引かれる気がして、何だかくすぐったいくらいだ。

 

「うむ。久々に、全員集合、というわけだ」

 

 厳かに頷きつつも、立ち上がるアインズは昂揚感で胸の空洞がいっぱいだった。

 魔導王陛下は、割と簡素な――しかし、掘り込まれた彫刻や強度は、至宝の一品と言える――執務机の上に飾られた写真を眺める。

 

 そこに写るのは、アインズと、彼の家族。

 

 城塞都市エモットから、ナザリック地下大墳墓にまで及んだ、『魔導王婚姻の儀』の式典。大陸全土を巻き込んだ祝賀会は、およそひと月に渡って、魔導国の民すべてに、喜びを等しく分かち合った。

 全員で並んだ記念写真を撫で、()でる。

 中心に佇むアインズの周囲を仲睦まじく囲む、五人の花嫁。その純白のドレス姿。守護者や戦闘メイド(プレアデス)、ツアレやマルコをはじめ、他にも様々なシモベたちが一堂に会し、中には友人であるエンリ一家やツアーの鎧、あの仮面の吸血姫もいる。

 

「――ふふっ」

 

 思わず笑みがこぼれた。あの時のことが思い出される。

 王妃を選定するという決断。

 あの、一世一代の、大告白。

 ニニャへの求婚から、すでに半年以上が経過していた。

 

「いこうか」

 

 王妃の笑みに再び頷く。

 万事、抜かりない様子で、参謀と将軍はアインズたち夫妻の背後に随従する。

 政務はすべて中止され、アンデッドの行政官や魔将、護衛やメイドたちも、主人たちの移動に従った。積まれた書類を死者の大魔法使い(エルダーリッチ)らが片づけ、メイドが開け放った扉を、魔導王は突き進む。

 ひっきりなしに降りかかる幸せと喜びの(さざなみ)に揺られながら、アインズは心持ち急ぐ歩調で、アルベドのもとに、愛する最王妃のもとに、向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『偉大なる支配者の後継はあるべきだろう?』

 

 かつて、そうデミウルゴスが仲間たちに語り聞かせた、ひとつの可能性。

 誰しもが、至高の四十一人のまとめ役である最高支配者、アインズ・ウール・ゴウン、その人が妃を迎え、彼が生む子供というものを、一度や二度は幻視したもの。熱狂的なものになれば、百や二百ではきかないほどに、アインズの子と戯れ遊び、成長につれ智を技を力を教授し、迫り来る万敵を排する剣となり、そうして至高の御身の聡明さを受け継ぐ司令官として君臨し、ナザリックに属する全シモベを鼓舞し命令を下す光景すら夢見ていた。

 そうして、今。

 その夢は遂に、現実のものとなる。

 

「おめでとうございます、アインズ様」

 

 言葉には、暖かな光のような安らぎがあった。

 

「元気な御嫡子――男の子でございます」

 

 そう告げてきた助産婦――ペストーニャから受け取った赤子は、母親に似た黒髪の内に、紅顔の兆しを感じさせる結晶を内包している。頬の色は、人肌の温度。瞳の色は、不死者の焔を宿す金色。見た目には、さほど人間との違いを感じさせないが、頭を撫でれば悪魔の角の予兆が、わずかながらにはっきりとしている。また、純白の産着の下にも“異形”を内在させて、その鼓動の重さと力感を、つぶさに父の腕に響かせ奏でている。

 

「ああ、なんて美しい御子なのでありんしょうかえ!」

「さすがは! アインズ様とアルベドの御子だね!」

「うん、す、すごく、その……かわいい、です!」

「オオ……我ガ子ラヨリモ、遥カニ眩イ、戦者ノ輝キィッ! (ジイ)ニゴザイマスゾ、殿下!」

「まさに、至高の御方の後継に相応しい輝煌。(まこと)に御身のご子息は、我らに新たな可能性を、存分に御教授くださることでしょう!」

 

 そうして、悪魔の(はら)から産まれた子だとは思えないほど、その赤ん坊は、愛に恵まれていた。

 死の支配者(オーバーロード)の胸に抱かれる彼の継嗣(けいし)は、そこに居並ぶすべての存在に祝福され、室内には数限りない慈愛が満ち溢れている。

 小さな寝顔を、頬を、手を、アインズは骨の指で触れ、――その感触を、存在を、純粋無垢なぬくもりを、しっかりと感じ取る。

 アンデッドにはありえないもの……潤う水の気配が、熾火(おりび)の瞳に満ちる気がしてならない。

 

「ありがとう……アルベド」

 

 大儀であったと、感謝を紡ぐ。

 愛するものに言祝(ことほ)がれ、母たる女淫魔(サキュバス)は御産の疲労も見せず、薔薇色に微笑んだ。

 

「ありがとうございます、アインズ様」

 

 無事に出産を終え、寝台で上体を起こす女は、今こそ真の聖母と化した。

 統一大陸の魔導王陛下、至高の四十一人のまとめ役であった御方の、その継嗣を授かり、そうして今、愛する彼の胸の中へ届けてみせたのだ。

 

「おめでとうございます、アルベドさん」

「ありがとう、ニニャ」

 

 女悪魔と少女が微笑みを交わす。

 アルベドはいま、過分にも思えるほどの幸福に包まれ、そして守られている。

 そして、彼女の産んだ子もまた、この世界に、アインズ・ウール・ゴウンという光輝の中に守護されるのだ。

 

「……ほお、これは」

 

 アインズは、我が子の産着の襟元を指で下げ、その珠のように輝く布地の下を見つめる。

 

「こんな存在は、ユグドラシルにも存在しなかったろうな……」

 

 確信を込めて告げる。

 人であれば、胸があるはずのそこにあるのは、皮膚も肉もない、夜に瞬く星のように(しろ)い胸骨。さらに、その骨の色彩によく映える、アインズの眼窩のように伽藍洞(がらんどう)な、闇の色だった。

 無論、アインズの備える鋼よりも硬く強いそれとは、今のところは比べるべくもなく薄弱だ。異形同士の混血ということで、他の人間のような赤子よりも頑健であることは確かなので、そこに不安はない。

 さらに言えば、その子はアンデッドにはありえない、一点の臓器を宿している。他のモノは、一切見受けられなかった。

 火のように、真紅に煌くのは、魔の心臓。

 父であるアインズの保有する世界級(ワールド)アイテムにも似た輝きだが、この子のものは完全に、彼の体組織の一部に過ぎない。まるで小鳥が囁くのにも似た音色で、柔らかな心の臓腑が、トクン、トクンと、愛おしいほどに命を、今を、生きている。純粋なアンデッドであれば、ありえない現象だ。

 それは紛れもなく、この子はアインズとアルベドの血と因子を受け継いだ存在である証明(あかし)不死者(アンデッド)女淫魔(サキュバス)の混血たる姿、そのものであった。

 とても素晴らしい。

 並の人間では畏怖と恐慌すら覚えるであろう“異形”の様が、不死者の真の王には、まったく違う造形……遥かなる将来の可能性の結実にしか映らない。

 

 アンデッドの瞳に、その子はあまりにも輝かしく、愛しい微笑みを浮かべてくれた。

 

 

 ×

 

 

 事実。

 この御嫡子は、魔導国にさらなる安寧と繁栄をもたらす存在として、父である魔導王と守護者たちに、力と労と愛を尽くす、誠実にして賢知に富んだ王子となる。

 

 

 ×

 

 

 父子の微笑み合う様は、そのまま肖像画にしてしまいたくなるほどに、美事(みごと)だった。

 アルベドは一層、微笑みを深める。

 守護者たちも、それぞれが感激に涙し、感動に震え、ここに存在できることに感謝の念を募らせる。 

 身重のシャルティアをはじめ、アウラ、マーレ、コキュートス、デミウルゴス、セバスなどのシモベたち。セバスの妻と娘、ツアレとマルコ。アインズの友たる外地領域守護者、エンリとその家族。

 そして、ニニャ。

 

死の支配者(オーバーロード)永久(とわ)の栄光を!」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、万歳!」

 

 シモベたちの万歳の連呼が、アルベドに与えられた広い室内を響かせる。

 渦巻く熱気が充溢し、燃え盛るほどの歓喜と栄誉が肌を焼きそうなほどだ。

 誰の目にも、祝福と歓喜の思いが宿り、輝きに満ち溢れている。

 

「ありがとう……おまえたち」

 

 アインズは、そこに集うすべてに感謝の意を懐いて、仕様がなかった。

 

「ところで、アインズ様」

 

 唱和の波濤が一旦小康状態になると、アルベドは愛するものに問いかける。

 

「どうした、アルベド?」

 

 愛する妻の腕の中に子を抱き戻してやったアインズは、

 

 

 

「この子の……私たちの御嫡子の名は、どのようになさるのでしょうか?」

 

 

 

 己の時が止まったかのように、骨の身体を固くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁぁ…………」

 

 アインズは、自分の巨大な寝室の中で、哀れなほど大きなため息をひとつ。

 無事に嫡子が生まれ、魔導国の歴史に、新たな一ページが刻まれてから、数日。

 喜ばしい出来事に、必ずと言っていいほど現れる危難の時を、アインズは甘んじて受け入れるしかなかった。

 

「名前……子供の名前……ああ……ほんとに、どうしよう…………」

 

 自分とアルベドの子。

 魔導王陛下の御嫡子。

 その「命名」について。

 実の父親であるアインズは、本気の本気で、悩みまくっていた。

 今のアインズは、午前の政務を終えて、午後の休息時間を満喫している真っ最中。

 しかし、その空洞でしかない頭蓋の内で、いろいろな思いや考えが、浮かんでは沈み、閃いては消えて、数限りない可能性や想念で、完全に混沌化していた。精神も微妙に安定化の波に揺られており、すごく微妙な状態である。

 アインズの私室のダイニングには、戴籍浩瀚(たいせきこうかん)な蔵書がうず高く山積みされ、まるで本の城壁が築かれたようなありさまだ。

 これらは、名付け本やネーミング辞典、各種神話や外国語の大まかな一覧である。分厚いものだと広辞苑並みの書物まで、アインズは紐解き読み散らしている。

 無論、これらはアインズの私物ではなく、図書館から運び出させたもの。かつての仲間たちが残してくれた知識の集積に縋りつく形で、ナザリックの主は、我が子の命名に頭を悩ませていた。

 

「はぁ」

 

 短めの溜息をひとつだけ本のページに挟む。

 男の子の名前事典(2130年度・発行)なる書物を机に置いて、思わず首を回してみる。

 疲労など感じないアンデッドの身体だが、存在しないはずの脳髄が熱を帯びたような錯覚を覚えていた。鈴木悟の残滓が、休息を求めている。

 

「さて……どうするかな……」

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王の嫡子(ちゃくし)

 この世界で初めて誕生した、不死者(アンデッド)女淫魔(サキュバス)の混血児。

 その名前は、大陸全土に遍く存在する国民たちに宣布されることは確定的だ。

 故にこそ、決して適当に名付けて軽んじられることがあってはならない。

 だからこそ、この事態をアインズは十分想定し、事前に予期もしていた。

 しかし。

 実際に生まれた我が子を見ると、まだ、悩む。

 

「ああー……こうやって悩むのも、久しぶりだなー……」

 

 何だか、無性に婚姻制度導入直後の、自分が結婚することの是非について煩悶としていた時期を思い起こされる。

 懐かしさすら込み上がるが、今はそれよりも“名づけ”だ。

 我が子の名前。アインズがはじめて授かった実の子への、もっとも大切な贈り物について、想いを巡らせ続ける。

 

「とりあえず、アインズ・ウール・ゴウンに因んだ名は……やはり駄目だな」

 

 ひとまずは消去法だ。自ら率先して、ありえない可能性を排除していく。

 アインズ・ウール・ゴウンという自分のこの名は、かつての仲間たち全員を背負うという決意表明にも似た思いから名乗っているもの。おいそれと第三者に継承させて良いものではない。たとえそれが、自分の実の子どもだろうと。〇〇〇〇・ウール・ゴウンという存在は、今後も一切発生しない手筈だ。

 同じ理由で、アルベドをはじめとした王妃たちも、アインズ・ウール・ゴウンに因んだ名称の改変は行っていない。アルベドはアルベドのまま、シャルティア・ブラッドフォールンはシャルティア・ブラッドフォールンのまま、今も日々を送っている。アルベドは、“アルベド”・ウール・ゴウンなどにならずに済むわけだ。他に婚姻したNPCたちにも施している、「夫婦別姓」である。

 第一、アインズがこの名を名乗っていること自体、仲間たちの許可もなく行っていること。

 もしも仲間たちに「やめてくれ」と言われれば、すぐにでもモモンガに戻ることが確定している。いくら誉れ高い、万民に尊崇され敬服の念を集める至高の名前だろうと、我が子にまでその重責や改名の可能性を求めることは、アインズには許し難い冒涜であり、非道に思える行為だった。

 我が子にはせめて、アインズの想いを込めた、唯一無二の名をプレゼントしたい。

 これはアインズの、父親としての我儘(わがまま)であった。

 

「となると、モモンガに因んだ名前の方がいいのか?」

 

 ムササビとか、フクロ・モモンガとか、同じ齧歯類(げっしるい)で命名する可能性が、ちらりと脳裏を(よぎ)るが、

 

「ないかぁ……」

 

 自分の安直さに失笑し、即座に撤回する。

 さすがに自分のユーザーネームがモモンガだから、その子供に小動物の名を与えるのは、簡単すぎる。

 というか、魔導国王子・ムササビとか、どう考えても間が抜けているような気がしてならないが……逆に、逆に、だが、それもありだろうか?

 

「コキュートスの子供らや、デミウルゴスの娘のときも、さんざん悩んだのに……」

 

 アインズがこういった事典や書物などを山積みにしているのは、実のところ、嫡子が生まれる前からのこと。

 セバスとツアレの間に生まれた混血児――マルコの時には、簡潔に済ませた命名の儀だが、後にニニャから理由や(いわ)れを問われて困った過去があり、アインズは命名についての勉学にも、勤しむことを余儀なくされた。適当に名付けて後悔するようなことは絶対、絶対に、避けたい。

 おかげで、というべきか。

 アインズはコキュートスと雪女郎(フロスト・ヴァージン)六人が産んだ六人の子供ら……蟲王と雪女の混血児たちには、すでに名を与え終えている。父親に(ちな)んだ名づけで、“カイナ”“アンテノラ”“トロメア”“ジュデッカ”の男の子四人に、“ルチ”と“フェル”の女の子二人だ。

 男児四人に与えた名前は、コキュートス……地獄の最下層に存在する“四つの円”の名前を意味し、女児二人に与えた名前は、そこに氷漬けにされ封じられた“悪魔”の名を分けたものに他ならない。

 我ながら、安直な名づけになってはいないかと危惧(きぐ)したものだが、生みの父も母も、七人全員が納得し、アインズからの贈り物に感謝してくれたのは、記憶に新しい。

 そうして、コキュートスたち以外にも、ナザリックには種々様々な混血児――この世界で初めてと思われる強者の種子が、無事に生まれ始めている。有名どころだと、デミウルゴスが自分の正妻に産ませた子にも、アインズは名前を贈っていたのだ。ナザリック地下大墳墓に、ベビーブームが舞い込んだわけである。

 

「う~む……」

 

 いくら空いた時間で書物に目を通し、姓名判断や画数診断などの知識を深めようと、結論は変わらない。

 やっぱり、決められない。

 自分の息子なのだから、もっと我儘に言ってもいいとは思えなかった上、この大陸世界の唯一の魔導王の後継者……言ってしまえば、“王子”の名前を付けねばならない状況である。一般人・鈴木悟の精神でも、さすがに慣れようがない重責に相違なかった。

 

「真っ白、骨……黒の、髪……男淫魔(インキュバス)……う~~~ん……」

 

 何か……こう、あと一押しという何かが必要な気がする。

 だが、それが一体、何なのか。アインズは判然としなかった。

 

「うーん……悩んだときは、誰かに相談…………相談?」

 

 ふと呟いた瞬間――唐突に、光が差し込むような発想に至った。

 誰かに相談する。誰に相談する。相談するべき誰か。相談してみても良い存在。

 

「うん――そうだな」

 

 ナザリックの主から生まれた、唯一無二の存在。

 ならばこそ、このナザリックの者の意見を、参考にしても良いのではあるまいか?

 逆転の発想だ。政務や公務などで、アインズが決めなければならない案件というのは数多く存在するが、今では魔導国は順調に回り始めている。そのおかげで、アインズはかつてほど、実務的な役割を負う必要はなくなったと言ってよい。最終判断は無論、アインズが裁可を下さねばならないが、そこに至るまでの煩雑な業務は、優秀な守護者たちで十分補ってくれている。

 であれば。

 今回の魔導王の御嫡子の命名についても、彼らと意見を交換してもよいはず。

 

「……うん。こういうときこそ、皆の力を借りないとな」

 

 どうせだったら、そう。

 みんなの――王妃や守護者たちの意見も、聞いてみてもよいのではないだろうか?

 今更に過ぎる認識を得た魔導王は、思い立ったが何とやら、早速、全員に連絡を飛ばす準備を整えることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 明日の更新で、後日談も完結です。


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第2話

前回のあらすじ。
生まれてきた御嫡子の命名について、アインズ様は皆に相談することに。

昨日の更新、後日談の第1話を読んでいない方は、ご注意ください。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全体伝言(マス・メッセージ)〉によって複数人全員へ一斉に通達されたのは、アインズとアルベドの嫡子――魔導国の唯一の王子への名付けを、守護者各位などから公募するという内容であった。

 

「あくまで参考として、おまえたちに(たず)ねたい。

 この子の名は、どのようなものが相応しいと思うのかを」

 

 この〈伝言(メッセージ)〉を送られたのは、生みの母たるアルベドをはじめ、シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス、セバス、さらにニニャの、合計八人のみ。

 それ以外にも関係各所に連絡して、王子の名前を募集しようとも思ったが、第八階層守護者をはじめ、各領域守護者、戦闘メイド(プレアデス)、一般メイド、近衛、隠密……ただのシモベたちでは畏れ多すぎる大任として、声をかけた傍から辞退されてしまった。

 そして、アインズの不肖の息子、伴侶に迎えた戦闘メイド(ナーベラル)と共に、遅めの新婚旅行(ハネムーン)――休暇を満喫中なため、ナザリックを離れているパンドラズ・アクターは、予定を切り上げてでも父であるアインズの嫡子誕生――つまり義弟との対面を果たそうと上申してきたが、彼と、彼の伴侶である義理の娘(ナーベラル)の休みを取り上げるのをアインズ自身が遠慮して(というか、二人に新婚旅行へ行けと命じたのはアインズ本人だったのだ)、今回は参集させていない。ただ、参考意見として一応、パンドラズ・アクターの考える名づけを訊いておいたが、アインズの息子だけあって参考にはならなかった。「ドイツ語はやめてくれ」と言っておいたのに。

 エンリやネムたちも同様に辞退されて、ツアーにも頼ってみたが「信託統治者の立場として、あまり踏み込むわけにはいかない。私的には友人を助けたいところだが、公的には下の存在である僕が魔導王太子の名付け親になっては、他への示しがつかないからね」という理由で流さざるを得なかった。

 そうして選ばれた八人は、数日という期限を頂き、アインズとアルベドの間に生まれた第一子……御嫡子にふさわしい名前を考える栄誉に与り、それぞれがそれぞれで、「至高」にして「唯一つ」の名前を献上すべく、寝食を惜しんで考え抜いた。ちなみに、アインズが個人的に除外した名前案のひとつ――○○○○・ウール・ゴウンはナシという事情も説明済みである。

 

 そして、数日後。

 

 期限を迎えた魔導王の妃たちと守護者らは、それぞれが御嫡子に相応しいだろう命名を胸中に抱いて、ナザリック地下大墳墓の最下層、神域の中の神域である第十階層の“玉座の間”……ではなく、“会議室”に招集された。全員が晴れ晴れとした自信と自負に満ちた表情をして着席している中、ただニニャだけは、浮かない顔をしていた。

 この会議の主役たる肝心の御嫡子は、乳母役を務めるニグレドや、アインズ当番のインクリメント、御嫡子の遊び相手として選ばれ連れてこられた竜人と人間の混血児・マルコ、その母であるツアレに、身辺の世話を全面的に任されながら、この会議室内に健在である。特別に運ばせたベビーベッドに横たえられた御嫡子は、今日も輝く微笑みを浮かべつつ、この半年で歩けるまでに成長したマルコと、仲睦まじく遊び、転げ、そうしてすでに安らかな面持ちで寝入っている。

 

「皆、よく集まってくれた」

 

 アインズは議場に集った全員の忠烈と愛に、深く感謝する。

 

「かしこまった挨拶は省いて、早速始めるとしよう――我が子の命名に関する議を」

 

 誰もが自分の主にして大陸を統一した魔導王への尊崇と敬愛のまま、その建議への参加の意を表明し、厳かな答礼を座った姿勢のまま行ってみせた。

 ちなみに、今回の議会には特別に、戦闘メイドの長姉にして、ナーベラルに代わり魔王妃の世話役を任されるユリ・アルファが、書記を務めてくれた。首無し騎士(デュラハン)の背後に、大きなホワイトボード――黒いペンで『第一回・御嫡子様命名についての議』と書かれている――が鎮座していて、そこに守護者たちが考えてきた名付けが筆記される手筈である。

 

「さて。では、まず誰から発表していく?」

 

 長卓の上座に腰掛けたアインズは、堂に入った口調を無自覚に紡いで、会議を進行していく。

 それほどに、アインズは今回の議会に期待を寄せているのだと、そこに集った者たちは過たずに理解した。

 彼らは一様に決意する。アインズの期待に応えねばと。

 

「では、生みの母たる私から」

 

 主君にして夫の期待を一心に浴びて、嫡子の実母である女淫魔・アルベドは、音吐朗々、誇りに満ちた声色で、己が熟慮に熟慮を重ねた命名案を奏でようとして、

 

「……本当に大丈夫か、アルベド?」

 

 愛する夫に、僅かの間だが制される。

 産後から幾日しか経っていない母の労苦を思うアインズであったが、それすらも、アルベドにとっては恩寵以外の何物でもなかった。

 

「大丈夫です、アインズ様」

 

 ご安心くださいという宣言。

 穏やかに、(たお)やかに、微笑みを浮かべる母の姿で、悪魔は夫の期待に応えてみせる。

 

「そうか……では、頼むぞ」

 

 歓喜によって焔のごとく燃え上がる微笑を浮かべ、アルベドは今度こそ、己の愛を、天高く響かせた。

 

 

 

「私は、ここに提言します。アインズ様と私の子に託す御名は、

 ――“マグヌム・オプス・ザ・グレート・ワークス”!」

 

 

 

 自信に満ち満ちた大音声は、しかし、期待したほどの反応が得られず、一人舞台で踊っているような虚しい恰好に終わる。

 無理もない。

 そこに居並ぶほとんどすべてのものが、その命名の真意を掴み損なっていた。

 

「えぇと、マグヌ…………なんでありんす?」

「“マグヌム・オプス・ザ・グレート・ワークス”!!」

 

 頬を膨らませながら早口に友を(たしな)めるアルベドであったが、そこに集った者らのほとんどは、理解不能な音の羅列にしか聞こえていない。

 

「ごめん、なにそれ?」

「えと……ええ、と?」

「フム。訳ガワカランゾ、アルベド」

「浅学な身の上、アルベド様の意は量りかねます」

「すいません。私もよく意味が……あ、いや、図書館で読んだかな?」

 

 ほとんど全員が怪訝(けげん)そうに首をひねる様を直視して、アルベドは「ンも~!」と牛のように鳴いた。不満を表すように両の拳をブンブン上下させる。せっかくの一番槍が空振りに終わったような感じで、アルベドは涙すら浮かべかける。

 

「ア、アインズ様は、この名づけがどれほど素晴らしいものか、ご理解していただけますよね!?」

 

 思わず自分の意を汲んでくれるに違いない夫に縋りついた。

 

「ぇ……う、うむ。勿論だ、アルベド!」

 

 などと、その場を取り繕う魔導王であったが、当然ながら一般人的な知識量のアインズでは理解が及ぶはずもない。せいぜい、グレートなワークという単語だけは判読できる程度である。

 ただ、彼女と同等の頭脳を誇る参謀は、違っていた。

 

「……なるほど、そういうことですか」

「え、知ってるの、デミウルゴス?」

 

 アウラからの問いかけに、悪魔は悠然とした微笑と説明を返した。

 

「簡潔に言うと、“マグヌム・オプス”とは、錬金術における『大いなる業(ザ・グレート・ワークス)』……ニグレド、アルベド、ルベド=黒化、白化、赤化という“賢者の石”の生成過程……「完成」や「完全」へと至る三段階を総合した技法のことです。確かに、アルベドを含む三者の力をも超える存在、完全無二な存在になることを祈念しての名づけと考えると、なかなかに秀逸かつ、唯一的な名前と、言わざるを得ませんね」

 

 大いなる業を体現し得る存在。

 しかも、マグヌム・オプスに、ザ・グレート・ワークスという二重の名づけに込められた意図は、間違いなく我が子への愛情があればこそ。

 デミウルゴスが即座に反応しなかったのは、ひとえに母の命名の秀逸さと重厚さに戦慄し、感服していたがために過ぎなかったのだ。

 

「そ、そういうことでありんしたか」

「確カニ、アインズ様ノ御嫡子デアレバ、ソレホドノ存在ニモ至レルコトダロウ」

「うわぁ、アルベドの名づけ、ガチで良い感じじゃん? 二重の意味で完全かぁ」

「う、うん。す、すごいね、お姉ちゃん」

「真に、素晴らしき御名前かと」

「すっごいなぁ、アルベドさん」

 

 デミウルゴスという最高位の知恵者の援護射撃のおかげで、アルベドはあっという間に守護者各位や王妃らの一歩先どころか、四歩も五歩も先へと勇躍した気を味わった。

 アインズも感心の沈黙を貫いた。アルベドの命名の凄まじさに度肝を抜かれる。肝なんて、骸骨の身体にはないのだが。

 

「さぁ、生みの母たる私の名づけを超えることが、あなたたちに可能かしら?」

 

 ナザリック最高位の智者として、完璧(?)なスタートダッシュを見せた女淫魔。

 誰もが怖気(おじけ)づいてしまうのも当然という空気の中、勇ましくも挙手する悪魔の掌が。

 

「では、僭越(せんえつ)ながら次は、この私の案の発表を」

 

 ()しくもアルベドの援護を行ってくれた参謀は、迷うことなく、アルベドの命名に対抗する名前を用意していた。

 

「よろしいですか? 名づけというものは、見聞きするものすべてに対して明瞭に、かつ正確に込められた意味を教授できるものでなくてはなりません。アルベドの名づけは、その点のみがネックであったことからも、お理解(わか)りいただけることでしょう」

 

 ほぼ全員(アルベドを除く)が首肯してしまう。

 その様に悦に入るような語調で、悪魔は清らかな歌のように、御嫡子に相応しき調べを紡ぐ。

 

 

 

「卑小な我が身が提案させていただく、麗しきアインズ様の御嫡子様の御名前は、

 ――“プリンス・オブ・グレートオールライフメイカー”様!」

 

 

 

「おお!」という無数の感嘆が轟くのも無理はない。先ほどのアルベドのそれよりも、ここに居並ぶものらに等しく明快に、意味を理解させることができたのである。

 

「まぁ、説明の要もないでしょうが、この御名前は『至高にして(グレート)』『全てなる(オール)』『創造主の(ライフメイカー)』の『御子(プリンス)』という名前。このナザリック地下大墳墓の最高支配者にして、我々すべての産みの親たる至高の四十一人のまとめ役であられるアインズ様のプリンスに、まことに相応しい名となっております!」

 

 いつになく熱い口調で語り終えた悪魔は、意気軒昂という調子で両手を天に向けて捧げ広げている。

 一同は気圧されるように感動の吐息を漏らす。

 

「な、なかなかでありんすえ」

「サスガハ、デミウルゴストイウベキカ」

「確かに、さっきのマグ何とかよりもわかりやすいね」

「お、お姉ちゃん。マグヌム・オプスだよぉ」

「これもすごい名前だなぁ……」

 

 皆が口々に納得の表情を浮かべる様を、アルベドは爪を噛んで悔しがる。「その手があったか」と悔しがり、心底から難敵が出現したことを憂える戦士の相だ。

 

「いかがでございましょう、アインズ様?」

 

 自分の案を気に入っていただけたかどうか伺いを立てる悪魔の微笑に、アインズが応じようとした瞬間、

 

「――プリンスが名前というのは、些か問題があるのでは?」

 

 空気がキシリと軋む音がする。

 

「……どういうことだねぇ、セバスぅ?」

 

 表情はまったく優しげなまま、しかし、憤怒のマグマを内に滾らせる炎獄の造物主に、ただ一人だけ――セバスだけが、異を唱えたのだ。

 二人の仲の悪さは全員が知悉(ちしつ)している。しかし、セバスは仲が悪いというただそれだけの理由だけで、意見を述べ立てたわけではなかったことは、紛れもない事実。

 執事は淡々と懸念を口にする。

 

「アインズ様の御嫡子は、魔導国における王太子、つまりは“プリンス”の位を(いただ)く存在。それほどの御方の名がプリンスそのままでは、国民に宣布する際、プリンス王子(プリンス)となることに――」

 

 老執事の的確な言及に、デミウルゴスの熱狂は、氷瀑のごとく真っ白と化す。

 悪魔は膝から崩れ落ち、我が身一生の不覚と言わんばかりに落ち込み始めた。床面にめり込まんばかりに突っ伏す様は、実に憐れを誘うものがある。

 

「あ、が……で……ですが。これ以上ないほど、アインズ様の御嫡子に、相応しい名は、ないものと……っ!」

 

 血を吐かんばかりに述懐するデミウルゴスだが、今回ばかりは、セバスの指摘は正しかった。

 確かに、グレートオールライフメイカー……至高の四十一人全員を体現することを表明する唯一の御方の“子息”の名としては、これ以上ないほど明瞭かつ直截な名づけであったことは疑う余地がない。

 しかし、今回はそれが裏目に出てしまった。

 日本人的に考えてみれば、誰だって自分の子どもに「子ども」なんてそのままな名をつけようとは思わないだろう。アインズもそう考え納得してしまった。

 

「――確かに、セバスの言う通りだな」

 

 主より断言され、悪魔は血の涙すら流しそうな絶望を覚える。

 己の失態から首を()ねてしまいたい衝動に、刹那の間、射抜かれてしまう。

 

「しかし、デミウルゴス。素晴らしい名前であることには違いない。一考の余地はあるとも」

 

 悪魔は我が意を得たと言わんばかりに、膝を折った姿勢のまま、両の拳を高らかに突き上げる。その様は、まるで天からの啓示を受けたかのごとき光を幻視させられるもの。その一言を賜っただけで、デミウルゴスの溶岩のごとき熱狂が再燃してしまうほどであった。

 

「ああああ! ありがとうございます! アインズ様っ!!」

 

 感情の高低差をこれでもかというぐらいに表出する参謀に、アインズはとりあえず頷いてやる。

 

「あー、うん。では次に……セバス、おまえの名づけを聞かせてくれ」

「畏まりました――ですが、執事でしかない私ごときでは、あまり御子(おこ)に相応しい御名前ではないやもしれませんが」

 

 アインズは「構わない」と鷹揚に許しておく。

 

「ありがとうございます。では、ここに提言させていただきます」

 

 長卓の末席に座すセバスは、即座に感謝の念をもって応じた。

 

 

 

「私が思いますに、アインズ様の御子であれば、“森羅万象”の王太子となられる御方、ゆくゆくはあまねく世界に属するすべての頂点に君臨し、アインズ様の御傍において、必ずや御身の御力となれるはず。故に、万物を意味する“ユニヴァース”様という名が、よろしいかと」

 

 

 

 アインズは思わず復唱してしまう。

 

「ユニヴァース、か」

 

 確かに、簡潔かつ明晰な名前である。

 他の者たちも、アルベドやデミウルゴスですら、彼の提示した「森羅万象」というスケールには、全面的に同意しているらしい。

 

「良い名前だ。ありがとう、セバス」

 

 謹直に敬服の姿勢を見せる執事……という以上に、愛娘に頂いた名や、御身からの期待や歓心に応えようとする父の面が大いに感じられた。セバスも人並みに父親としての姿が板についてきていて、アインズには微笑ましかった。

 いい感じに議会は廻り始めている。

 アインズの背後にあるホワイトボードに、三つの名が書き込まれた。

 

「なれば。次は私が、ご提案させていただくでありんすえ」

 

 新たな命をその身に宿すアンデッド、真祖(トゥルー・ヴァンパイア)が名乗りを上げた。

 

「大丈夫かしら、シャルティア?」

「心配には及びんせん、アルベド」

 

 親友に二つの意味――膨らんだ胎と、御嫡子への命名――で心配される主王妃は、心から二人の愛の結晶たる存在を言祝(ことほ)ぐ姿勢を貫く。

 すでに、シャルティアもアインズの子を……娘を、その不死者であるはずの胎内に宿す身だ。

 

「此度の御嫡子誕生に際し、私が彼の方に贈る名は、ただひとつ……」

 

 まるで祈りを捧げる敬虔な信徒のごとき澄んだ音色で、吸血鬼は今世において最大級の祝詞(のりと)を紡ぐ。

 

 

 

「偉大なるアインズ様の力を受け継ぐ第一子! 輝かしい(かんばせ)! 美しき一個!

 その名は“ビューティフル・ワン”様、でありんすえ!」

 

 

 

 昂然とした様子で席を立った主王妃・シャルティア。

 最王妃であるアルベドをはじめ、皆口々に思うままを言い募っていく。

 

「い、意外とやるわね、シャルティア。ねぇ、ニニャ?」

「はい。私も、いいんじゃないかと」

「ぼ、ぼくもあの、す、すごく、いいと思います」

「シャルティアニシテハ、中々ニマトモダナ」

「確かに……シャルティアにしては、問題なさそうですね」

「シャルティア様も、やればできるという好例でございますな」

「ちょ、後半のおどれらぁ! どういう意味でありんすかっ!」

 

 白皙の面貌を真っ赤にしながら、約三名ほどを指差す主王妃。

 何だかんだ言って、シャルティアのイジられっぷりは相変わらずだと、アインズは相好を崩してしまう。彼女の命名案にしても、特に悪そうな印象は受け取ることはなかった。

 

「シャルティア……本当にその名前でいいの?」

 

 ただ、何故か――真祖の親友であるはずのアウラだけは、難色を態度に表情に示している。

 

「ど、どういう意味でありんすえ、アウラ?」

 

 さすがに闇妖精(ダークエルフ)の少女の言を(いぶか)しむシャルティア。

 気づいていない主王妃に、陽王妃は仕様がないという雰囲気で諭し始める。

 

「いや、ほんと……本当に、いい名前だよ? それは絶対に確かだよね。アインズ様の御嫡子なら、美しく生まれてくるのはアタリマエ。それはわかるよ? でもさ、そうなると、アインズ様と並ぶ美の持ち主が、唯一の存在(ワン)っていうのは、少し不敬だと思わない? アインズ様の美貌と、御子の美貌……「唯一無二」「一個の美(ビューティフル・ワン)」が“二つ”って、それ矛盾してない?」

「――はぅ!?」

「アインズ様の美しさがアインズ様の子に勝ってもダメ、アインズ様の子の美しさがアインズ様に勝ってもダメ……シャルティアの名前だと、アインズ様と御嫡子が喧嘩でも起こしかねない、要らない内紛を誘発するかもしれないんだよ……そこ、ちゃんと考えてる?」

「あ、あぅ……」

 

 小さく呻くシャルティア。

 アウラは、この場の誰もが失念していた可能性を案じていたのだ。アインズ・ウール・ゴウンが至上の美貌を備えるアンデッドであることは絶対の事実。しかし、その頂点に立つ者を蹴落とすかのように、新たな才美が君臨するという名前は、なるほどこれ以上ないほど不適格だと言える。

 アインズ個人としては「心配しすぎではないか」と言っても良い程度の問題であったが、主人であるアインズ・ウール・ゴウンの絶対性を信奉する彼らにとっては、これは無視し難い問題である。

 

「確かに……それは、憂慮せねばなりませんね」

「フム、ソウナルト、“一番(ワン)”デハナク、“二番(ツー)”アタリガ妥当ナノカ?」

「しかし。第一子が二番扱いというのは、対外的によろしくないかと思われますが?」

 

 参謀と将軍と執事が声を発し、議論が紛糾して熱を帯び始める。

 その間、縮こまって可哀そうな吸血鬼があんまりだったので、アインズは助け舟を渡すことに。

 

「シャルティア」

「は、はひ! も、申し訳ありんせん、アインズ様!」

「いや……謝る必要はないとも。我が子に美しく、健やかに育ってほしいというのは、私の願いと合致する。シャルティアよ、おまえの想いは、確かな“愛”の為せるものだ。誇ってよいのだぞ」

「ア、アインズさまぁん……」

 

 陶酔の朱色を頬に差し込むアンデッドの少女は、そのまま安堵の涙を零し始める。

 

「泣く必要などない。ほら、これを」

 

 言ってハンカチを取り出し、親が子にするように優しい手つきで、その涙を拭っていく。

 相変わらず、アンデッドなのにどうやって泣いているのか不思議である。

 

「……ごめんね、シャルティア」

「……いいでありんすえ、アウラ」

 

 アウラをはじめ、他の者たちもアインズの言を受けて、それ以上の論議は不要とばかりに、シャルティアの案を一応受け入れることに。

 

「さて、これで半分が出揃ったな」

 

 ペストーニャがボードに筆記した名は、四つ。

 残っているのは、アウラ、マーレ、コキュートス、そしてニニャの四人。

 

「じゃあ、次は私たちの番ね! マーレ!」

「は、はい!」

 

 シャルティアに負けず劣らずという語気を発露する姉に促され、弟は共に立ち上がるしかない。

 

 

 

「私たちの提案する御名前は、“ファンタジア”様!」

 

 

 

 アウラははっきりと、マーレはおどおどと紡いだ提言の重なりは、その場にいる者たち全員の理解を勝ち得ることは出来なかった。しかし、小首を傾げられても、アウラは全く動じない。

 

「ほら、マーレ、説明して」

「う、うん。あ、あの。ふぁ、ファンタジアという名は、ゆ、有名な物語というか、楽曲というか」

「『魔法使いの弟子』のことですね」

 

 しどろもどろな闇妖精(ダークエルフ)(おとこ)()に代わって、デミウルゴスが仔細を説明していく。

 

「正確には、交響的諧謔曲(スケルツォ)……クラシック音楽の中の物語のことで、『とある見習い魔法使いが、魔法使いの師匠の留守中に未熟な魔法を行使することで、大騒動を巻き起こす』というストーリーです」

 

 簡単な説明で、その名称に込められた意図をつまびらかにする参謀。

 それに触発されるように、将軍コキュートスが理解を深めるべく確認する。

 

「ナルホド。“魔法使イノ弟子”ト言ウコトハ、即チ“アインズ様ノ後継”トイウワケダナ?」

「まさに。マーレとアウラは、その意味を込めているのでしょう」

 

 悪魔の断言に、マーレは彼らしい頷きを返してみせた。

 アインズを含め、他の者たちにしても、魔法使いの弟子(ファンタジア)という言葉に込められた願いを受け取り、納得の表情を浮かべるが、ただ……ひとりは違った。

 

「……ところで、アウラ」

「ん? なに、シャルティア?」

 

 すっかり涙の気配が消え失せた真祖(トゥルー・ヴァンパイア)に、アウラは応じる。

 

「この名は、おんしとマーレの連名での提言ということでありんすかえ?」

「そ……そうだけ、ど?」

「しかし、この名はマーレからの説明しかありんせん。これは、どういうことでありんす?」

「あ、いや、えと」

 

 言い淀む恋敵(とも)の珍しい姿に、だが、シャルティアは激怒した。

 

「おんし! アインズ様の御言葉を忘れんしたかっ!?」

 

 シャルティアは無論、先ほどの意趣返しをしようという気概はカケラもない。

 自分の意見に物申された……“そんな些末な事”よりも重大な罪を、目の前の少女――ここ半年でさらに背丈が伸びて、胸の膨らみもダントツに差をつけられた親友が、犯さんとしているのだ。

 

「アインズ様は、私たち、全・員・に! 等しく意見を提示せよとお命じくださった! なのに、(マーレ)の陰に隠れて、己の意を示すことなく、この場を終えるつもりだと? おんしは、いつからそのような卑しい女になった!?」

 

 アインズの言葉に、反する。

 いくら彼に愛される妃の立場であろうと、そこにつまらない私情を挟むのは言語道断。アインズの意には絶対的服従を誓いつつも、時には主人の間違いを正すことも、一応今のシモベたちはあり得るが、今回の名づけ(これ)が、アインズの間違いや罪であることなど断じてない。

 であれば、アウラはまったく間違った判断によって、アインズの玉言に逆らおうというのだ。

 これを責めないでいることなど許されない。同じ男を愛する王妃として。

 

「いや……でも、そのぅ……」

 

 本気の怒気に諭され、呻くアウラの様子に、全員が「言われてみれば」という表情を浮かべる。

 ファンタジア……魔法使いの弟子という名称は、図書館で物語や小説に触れる機会が多いマーレならではの命名。

 だが、この名前には、連立提案者である姉・アウラの影響が、まったくと言っていいほど感じ取れない。

 そして、マーレもまた、姉に対して珍しく、反旗を(ひるがえ)す。

 

「お、お姉ちゃん。やっぱり自分の案も言った方が」

「でも……私の、は……その……」

 

 それ以上、アウラには言えなかった。

 全員からの視線が、シャルティアの叱咤する瞳が、何よりも、アインズが陽王妃に差し向ける愛情深い眼差しが、痛いくらいにアウラの胸を貫いた。

 

「アウラ」

 

 やはり慈しみと愛おしさに溢れた声で、アウラの夫は、彼女の失態を、許す。

 

「おまえに無理をさせることは、私の本意ではない。おまえがどうしても言いたくないというのであれば」

「い、いいえ! 言います!」

 

 アウラは怯懦(きょうだ)に勝る恐怖から、自分の名づけを披露する決意を固める。

 恐怖というのは、アインズに処され刑されることを恐れて――では、断じてない。

 アインズが――自分を妃に迎えてくれた男が、悲しみを抱くことを恐れたがためだ。

 

「えと、わ、私の案は、その……カ……カ……」

 

 いざ言おうとすると、喉が張り付いたように声が出てこない。

 いくら唾を飲み込んでも、激しい羞恥と抵抗感が、胸を塞ぐ。

 それでも、言わねば。

 

 

 

「カ……………………“カピバラ”、様」

 

 

 

 沈黙が音になって聞こえそうなほどに、周囲は反応を示さない。

 その理由が痛いほどに理解できるからこそ、アウラは言うのを躊躇っていたのだ。マーレの案に隠れたがったのも無理はない。

 かわいい見た目でありながらも、齧歯類(げっしるい)の中では最大の動物という王者の風格。

 動物好きな、アウラらしい命名だと言えるだろう。

 

「……素晴らしい名でありんすえ、アウラ」

 

 誰もが声に詰まって仕様がない雰囲気の中、アウラを糾弾していた親友が、真っ先に彼女の命名を“良し”と認めた。

 アインズのかつての威名――“モモンガ”に因んだ名前であることは、守護者たちであれば理解できて当然のこと。しかし、その名を目の前の御方は封じているという事実が、彼らの意識から、その名に関連する命名は、自然と回避されていたのである。何人かはその名は不敬に値するのではとすら思考しかねない状況であったが、シャルティアだけは、アウラの意を正確に読み取り、そこに込められた真意を“是”とする。

 そうして、また一人、アウラに賛同する声が。

 

「シャルティアの言う通り――良い名前だぞ、アウラ」

 

 ある意味において、アウラはアインズと通じ合っていたと言ってよい。主人にして夫である御方のかつての名前――モモンガという齧歯動物――から連鎖的に選択するというのは、アインズも逆に“アリ”かとも思っていたところだ。

 御方に認められた以上、他の者たちには抗弁する要などない。

 他の誰でもない、アインズその人から許され褒められ、アウラは涙ぐむ瞳を、ぐいと拭う。

 

「ありがとうございます!」

 

 途端、涙の雨は晴れわたった空のように眩しい笑みにとって変わって、輝いた。

 

「……ありがと、シャルティア」

「どういたしましてでありんす」

 

 二人はそう声を掛け合い笑い合う。

 思わず、アインズは微笑みを深めてしまった。

 

「さて、残るはコキュートスとニニャか」

 

 六人の発表を聞き終えた主人の確認する声に、二人は頷くが……蟲王の表情は分かりにくいにしても、ニニャのそれは明らかに沈鬱であった。会議が始まる前から、ニニャはすごく気まずい空気を一人で吸い続けているように見える。

 

「――魔王妃ハ、ニニャハ案ハナイノカ?」

 

 そんな魔王妃の異常を知ってか知らずか、将軍は声をかけていた。

 

「あ、……いや、でも、私の浅学な頭での名づけだと、相応しくない気が」

 

 ニニャは委縮したように肩をすぼめる。

 王妃に列せられはしたが、ニニャはまだ十代半ば過ぎの小娘。それを自覚しているからこそ、彼女は並みいる守護者たちの提示する命名案に、ただでさえ薄い自信を欠乏しているようであった。

 無理からぬことである。一般人のアインズですら恐縮して仕様がない、今回の会議。いくら王妃に列せられたとはいえ、ニニャの未熟性を(かんが)み、尚且つ、この世界の現地の一般人として、魔導王の御嫡子命名に参陣するなど、萎縮し謙遜することはむしろ必然とすら言えるだろう。

 しかし、アインズはそんな王妃の謙遜を、優しく包み込む。

 

「大丈夫だ。ニニャ」

 

 魔導王という覇者、恩人にして師であり、今では家族として時を共に過ごす夫の声音(こわね)に勇気づけられ、ニニャは口ごもりながら、自分が必死に考えてきた名前を喉元にせりあがらせる。

 

「えぇと、じゃあ……」

 

 仮にも。

 一国の王子に、大陸全土に覇を唱える王の太子に、相応しき威名。

 それを少しでも(おもんばか)れば、少女でしかないニニャが恐縮し、どれほど決意しても言葉を紡ぐことは難しいだろうと、容易に想像できる。

 それでも、アインズは聞きたかった。

 ニニャという愛しい娘が、どんな思いを、願いを、贈り物を、アインズの子に託してくれるのか。無論、他の守護者たちに対しても同じことを考えたからこそ、今回、このような議場を主催したのである。

 そうして、ニニャは告げてくれる。

 

「ダ、…………」

「ダ?」

 

 誰も彼もが、ニニャの声に耳を傾けた、瞬間、

 

「……………………“ダークウォリアー”、様」

「ブフォウ!」

 

 アインズは肺もないのに(したた)か咳き込んでしまった。

 

「な、何かございましたか、アインズ様!?」

「どこか、御身体の具合でも悪うございんすか?!」

「ゴホ、エホオホ……いや、何でもない……何でも、ないとも」

 

 あまりの珍事に全員がアインズを注視してしまう。

 とりあえず、彼らの不安を取り除くべく、アルベドやシャルティアを手で制しながら、即座に姿勢をただす。いきなりのことで不安に駆られるニニャにも同じように、微笑みを返そうとした時。

 

「ふむ――なるほど、そういうことですか、妃殿下」

 

 え、何が?

 全員(アインズ含む)の視線を浴びて、参謀は悪魔的な微笑みを鋭く輝かせる。

 

「妃殿下の提示された、ダークウォリアー……この名は「闇の戦士」という名を意味するのみならず、アインズ様がかつて、この世界に転移して直後の、いわばモモン時代に名乗られた御名に相違ありません!」

「え、ええええぇ!?」

 

 驚いた声の主は、しかし、アインズでは、ない。

 デミウルゴスに指摘されたニニャ本人が、意外過ぎる事実を知らされ身を硬くしてしまったのだ。

 そして、彼の解説により、卓上が騒然となる。

 

「アインズ様が名乗られたものでありんすか!」

「確かに! それなら文句ないね!」

「は、はい! か、格好いいです!」

「まさに、御嫡子に相応しい名かと思われます」

「フム。私ノ出番モナク、決定シテシマウカ……」

「ぐふーっ! そ、その名があったことを、こ、この私が、失念するなんてッ!」

 

 悲喜(ひき)混淆(こんこう)といった感じに場が盛り上がる。

 ホワイトボードにもしっかりと、厨二心溢れる名前が書き加えられていった。

 だが、

 

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待っておまえたち!」

 

 如何せん、この流れはアインズには看過できなかった。

 

「そ、その名は……やめておこう」

「ど、どうしてで、ありんすか?」

「……ニニャヲ通ジテ、御身ノ意ヲ示シタ、……トイウコトデハ?」

 

 真祖と蟲王が魔王妃を見やるが、

 

「い、いやいやいや! わ、私なにも知りませんでしたよ?」

 

 アインズを除く全員の声で「え……?」と意外に大きく奏でられる。

 

「そ、それは本当ですか、ニニャ様?」

「ま……まさか……偶、然?」

「そ、そんなこと、あるの、お姉ちゃん?」

 

 セバス、アウラ、マーレが不可思議な事態に目を丸くし、続けて将軍、参謀、宰相が論じていく。

 

「ウウム……アインズ様ハ、本当ニダークウォリアーノ名ニハ御反対トイウコトナノカ?」

「しかしながら、ダークウォリアーを……妃殿下は何故、この名を提言することが可能だったのでしょう?」

「あら、デミウルゴス。(ダーク)戦士(ウォリアー)は、戦士化したアインズ様を想起するのに、十分な調べがあるわ。ニニャはそこから、このダークウォリアーという名を口にしたのかも」

 

 議論が紛糾し、ニニャが唱えた名を連呼すらし始める守護者たちを抑えるために、アインズはすぐさま理由(という名の後付け)を説明していく。

 

「えーと、こ、この名は、そう。

 ……「漆黒の英雄」たるモモンのみに、許された、名でな。……い、今でこそ、我が魔導国では、モモンの存在は広く知られ、市井(しせい)でも流行の兆しを見せているが……彼という象徴を、殊更(ことさら)に想起させる名は、我が子にはあたえるべきでは、ない」

 

 結果的に、ではあるが。

 モモンの勇名や功績を、魔導王アインズが認め波及させることで、漆黒の英雄譚に謳われる超級の戦士・モモンの栄光は、そのまま彼という英雄を「認め」「許し」「讃える」という行為を示す魔導王の人格者という一面を、人々に植え付けることに成功した。

 世界救済のために倒れ、永劫の眠りに就くしかなくなった英雄。

 その英雄の名を広め残すべく手を尽くす彼の協力者であるところの魔導王は、彼の意思を汲んだ、あるいは彼と(くつわ)を並べ戦った世界の救済者というイメージが強く定着してくれたのだ。無論、裏の設定――英雄と魔導王が同一人物だという事実は、国民たちの知るところではない。またそれ故に、市井(しせい)の国民たちは、モモンという英雄と、新たに現れた漆黒の英雄(ダークウォリアー)とを比較する流れが生じるやも知れない。我が子に、過度な期待や重圧を与えることは、アインズの望むところではないのである。

 

「い……以上の理由で……ニニャには悪いが、その名は多分、却下だ」

「あ、はい」

 

 貞淑に頷く魔王妃に救われ、アインズは深く息をつく(真似を骨の身体でする)。

 守護者たちも納得の表情を浮かべてくれた。

 ――チラリと窺うと、少女は明言こそしないが、落ち込んでいる雰囲気を(かも)し出している。考えてみれば、当然だ。会議などで無理に「言え」と言われ、いざ発言して「却下」なんてダメだしを受けたら、誰だって落ち込むだろう。少なくとも発言は控えようとしていたのだから、ニニャの受けた印象はそれに近いものだと思われる。

 あとで何か、埋め合わせをしなくては。

 

「じゃあ……最後、コキュートス」

 

 主に促された将軍が、絶対零度の興奮を吐き出した。

 

「デハ、最後ハ私ノ出番トイウコトデ」

 

 まるで戦いに赴くような闘志をみなぎらせながら、コキュートスはトリを飾るに相応しい意気を込め、蟲の歪んだ口調で音吐朗々に、告げる。

 

 

 

「私ガ提案スル御嫡子ノ名ハ――“夜摩焔魔天(ヤマエンマテン)”様!」

 

 

 

 ホワイトボードに書くには難しい漢字表記であった為、コキュートスはユリに代わって、己の指先でペンを握り、器用に筆記していく。意外に達筆な将軍の示した日本語表記は、守護者たちには難なく、ニニャは翻訳魔法で読み取っていくことが可能だった。

 しかし、

 

「ヤマ……エンマテン? でありんすか?」

 

 シャルティアをはじめ、ほとんどの者には、その名の意味するところを解読できない。

 だが、ナザリックの最高知恵者は当然、例外である。

 

夜摩(やま)(てん)焔魔(えんま)(てん)……なるほど、実にコキュートスらしい名づけです」

「し、しし、知っているんですか、あの、デミウルゴスさん?」

「ええ、マーレ。仏教や道教における死後の世界、つまりは地獄の支配者として君臨する“閻魔大王”と同一とされる存在のことでしょうね。仏教における十二天――御仏(ミホトケ)の使徒として働く“天部衆”に属する存在の一つ――それが、焔魔天(えんまてん)という存在を表しており、この焔魔天の前身というのがヤマ、つまりは夜摩天と呼ばれ――」

「と・に・か・く。アインズ様の御嫡子に相応しい名前ってことだね?」

 

 アウラがそう言って、能弁かつ長文になりがちな参謀の言わんとしている事実を総括する。

 天上に存在するという死者の裁判官をルーツに持つ名前となれば、なるほど死の顕現であるアインズの息子にはぴったり符合する名前だと言える。

 

「さ……さすがね、コキュートス」

「やはり……我らが“将軍”というところでありんすえ」

「う~ん、死後の世界を司る存在かぁ」

「す、すごい名前、だね、お姉ちゃん」

「口惜しい限りですが……私の提案が霞んでしまいそうな壮麗さ。さすがは、我が友!」

「私の万物(ユニヴァース)という案も、この名には及ばぬやもしれません」

「――あの。皆さん、ほんとに、凄すぎません?」

 

 これといった反対意見もなし。

 名付けに関しては、コキュートスは守護者の中でも随一の才覚を誇る。

 何しろ、アインズ・ウール・ゴウンの国……魔導国を“魔導国”その名にしたのは、他ならぬ蟲の悪魔の提言あってこそ。

 何だか、凄すぎてアインズは頭がクラクラしそうになる。

 自分の考えてきたものが、かなり安直に思えて、その…………恥ずかしい。

 

「イカガデショウ、アインズ様」

「――素晴らしい名だ、コキュートス」

 

 感服した思いのまま告げるアインズからの賛辞に、コキュートスは凍てつく身体に、純粋な喜びの狂熱を湧き起こす。

 

「ハッ! アリガタキ幸セ!」

 

 吐息はさらに氷の結晶を形成する量を多くする。

 

「うむ――何はともあれ。これで、全員の案が出そろったな」

 

 アインズはホワイトボードに記載された名の総覧を眺める。

 

 

 マグヌム・オプス・ザ・グレート・ワークス

 プリンス・オブ・グレートオールライフメイカー

 ユニヴァース

 ビューティフル・ワン

 ファンタジア

 カピバラ

 ダークウォリアー(棄却?)

 夜摩焔魔天

 

 

 ……どれも凄いな。

 これは自分(アインズ)のを発表する必要もないか。

 などと思ったアインズの隣で、

 

「あの、アインズ様」

「どうした、ニニャ?」

 

 おずおずと訊ねてくる少女に、アインズは優しく声をかける。

 

「アインズ様は、どのような名を考えてこられましたか?」

「…………ぇ」

 

 ない心臓が握られるように錯覚した。

「おお、確かに!」と守護者たちが一斉に色めき立つ。

 

「そのとおりよ、ニニャ! 最初にお伺いしておくべきだったことだわ!」

「嗚呼! アインズ様の御考えがまだでありんしたなんて!」

「アインズ様は、どのような名を希望されるんです!?」

「あの、えと、お、教えてくださいアインズ様?!」

 

 王妃たちが身を乗り出してまで、上座に位置するアインズに問いかける。他の者たちも、静かに主人の瞳を正視するのみ。

 まずい。

 非常にまずい。

 言わねばならない。

 言わなきゃダメな感じだ、これ。

 いや、だが、でもなぁ…………

 

「アインズ様」

 

 かけられる声の先に、一人の少女の姿があった。

 大丈夫です。

 そう魔王妃に、ニニャに言われたような気を覚え、アインズは熟考に陥るよりも先に、この会議直前まで延々と考え続けていた名を、ひとつ、口にしてしまう。

 

 

 

 

「――――ゆうご」

 

 

 

 

 思わず、語尾が消え入るように声がこぼれていた。

 アインズが思わず呟いた声は、常人では完全に聞き逃すほどに微小であった。守護者たちの鋭敏かつ明瞭な聴覚をしても、確実にはとらえきれるものではないが、それでも全員、自分が聞き取れた韻律を、各々の口で唱えてみせる。

 

「えと……ユウ・ゴー様、でありんすか?」

「ウム? ユウゴウ様――デハナイノカ?」

「あれ? 私はユウコって、聞こえたけど?」

「え、ぼ、僕はユゴーって……あの、その?」

「君たち、何を言っているんだね? ユーゴー様だよ」

「……私も、デミウルゴス様と同じく、ユーゴー様とばかり」

「あなたたち……何を言っているの? アインズ様は“ユウゴ”と仰られたのよ? ねぇ、ニニャ?」

「は、はい。でも、私には意味がよく……」

 

 シャルティアが、コキュートスが、アウラが、マーレが、デミウルゴスとセバスが、アルベドとニニャが聞いたものは、それぞれ違うイントネーションを孕み、様々な発音と意味を想起させてしまった。こればかりは彼らの怠慢ではなく、アインズの弱気が招いた結果でしかない。

 皆、それぞれが受け取った調べのままに、アインズの名付けの意味を解説し始めた。

 

「こほん。いいでありんすか? アインズ様の仰られた御名前は、ユウ・ゴー……つまりはYou Go……「おまえは進む」「君は行く」という“前進する”意味を表す名でありんすえ?」

 

 詰め物で膨れた胸を突き出して鼻高々に主張するシャルティア。

 

「私ニハ“勇剛(ユウゴウ)”、アルイハ“雄豪(ユウゴウ)”、ソレニ加エテ「融合(ユウゴウ)」トイウ意ガ込メラレテイルト、思考シタガ?」

 

 勇武に優れた名や混血児らしい意を幾つか告げるコキュートス。

 

「私は熊虎(ゆうこ)って、クマとトラのように、勇猛果敢な意味だと思ったよ?」

 

 優秀な調教者として、獣に関連した名称を連想しているアウラ。

 

「あの、僕は、その、ユゴーっていう、えと、作家の名前に聞こえました、けど?」

 

 巨大図書館に足繁く通うことで文学への造詣を深めた、マーレ。

 

「ユーゴーとは、「知恵者」及び「洞察力に優れた聡明なる精神」という意味を持つ名前。ナザリック最高最上の知恵者にして、この大陸随一の叡智を誇るアインズ様の御嫡子に相応しい名づけかと思われますが?」

 

 その叡智を遺憾なく発揮し、朗舌を尽くしていくデミウルゴス。

 

「…………」

 

 そして、奇妙なまでに沈黙と微笑を浮かべたまま佇むアルベド。ニニャはそんなアルベドを眺めるだけ。

 一方のアインズもまた、自分の口から零れた命名に、様々な意図や志向が含まれていくのを、黙って見守るしかない。

 我ながら、安直すぎる名前だと戦々恐々となってしまっていたが、存外に皆の反応は良好だ。さすがに、アインズの考えに至れたものは、ほとんどいない。しかし、なるほど、イントネーションなどの違いだけでも、かなり良い意味を内包する名前なのだなと、奇妙なところで納得してしまう。

 

「アルベド? 何故(なにゆえ)、黙っているでありんすか?」

 

 そんな黙考に耽るアインズも、シャルティアの疑念する声に釣られるように、子の母親を見つめる。

 アルベドの輝かんばかりの笑顔を直視し、次の瞬間、彼女が(のたま)い告げる言葉に驚かされる。

 

「アインズ様。畏れながら、私の“マグヌム・オプス・ザ・グレート・ワークス”という名づけは、伏して、ここに撤回させていただきます」

 

 誠実に身を退こうとする最王妃の姿に、全員が疑問の声をあげてしまった。

 

「代わりといたしまして。たった今アインズ様の提案された“ユウゴ”という名づけに、強く賛同させていただきたく思います」

 

 あれほど果断かつ即行的に紡がれた名を、今回の会議の一番槍という栄誉を授かった案を、実母としての子に対する清愛の結晶を、彼女自らの手で棄却するとは。

 いくら至高の御身からの提言の前に、シモベたちの意見など百歩も千歩も及ばないとしても、アルベドの言動は奇怪ですらあった。()守護者統括のアルベドをはじめとする守護者たちは、この数年で御身の意見や思想に、盲目的に従属するような姿勢でいることはほぼなくなった。シモベ自らの意を表明し、思い想うことを包み隠すようなことこそが、ありえない。でなければ、アインズの間違った(ことなど一度もないが)思案や政策に“異”を唱えることはできず、それが転じて御身への不忠となり、アインズに危難と災厄を運ぶ事態にまで発展することになるのだ。主人の言を唯々諾々と受け入れるのではなく、共に考え、共に進み、共により良き方向を目指す真の忠臣として、魔導国の発展と進歩、ナザリック地下大墳墓の軍拡に貢献することが、今のアルベドたちの役割であり使命であったのだから。

 故に、アインズは、最王妃アルベドの姿勢を(いぶか)しむ。

 

「……アルベド。……私は、この命名の意味をおまえたちには未だ明かしていない。そんな状況にも関わらず、おまえの案を下げる必要が何処にある? 自らを卑下し、私に(おもね)る必要など」

「いいえ。アインズ様」

 

 きっぱりとアルベドは首を振った。

 

「私は思い知らされたのです。私の案は、私の身勝手そのものであったことを」

 

 アルベドの唱えたマグヌム・オプスという命名。

 そこに込められていた響きには、確かにアルベドの愛情が、溢れかえらんばかりに盛り込まれていた。それは事実である。

 しかし、マグヌム・オプス……大いなる業というのは、アルベドとその姉妹たちにのみ関連した称号。

 そこにはアインズ・ウール・ゴウンの、アルベドの愛する男の、御嫡子の実の父の意は、窺い取ることは不可能であった。「完全」や「完成」という意味になら、至高の四十一人のまとめ役であるアインズのことも含まれていると見られるかもしれないが、提案者であるアルベドは、そこまで考えは及んでいないことを、自分自身で理解できている。

 

「あの子は、アインズ様と私の子……それ故の、“ユウゴ”という御名前なのですよね?」

 

 魔導国が誇る聖母の微笑みに、アインズは即座に、しっかりと頷いていた。

 

 アインズが、思わず口からこぼした「ゆうご」という名前。

 命名者本人が安直で恥ずかしいとすら思い悩んだこの名は、

 

 漢字で表すなら……“有”と“悟”。

 ……“有悟(ゆうご)”。

 

 アルベドの“(アル)”に、アインズの本名:鈴木悟の“(サトル)”――二人の名前が、ひとつとなったカタチに過ぎない。

 母たる悪魔と父である不死者、アルベドとアインズ・ウール・ゴウン、その二人の血を受け継いだ子を表すのには、なるほどぴったりな名づけであることは、ほぼ間違いないだろう。

 しかし、アインズは己の本名を――鈴木悟という名前を、子に含ませるのはどうか、という思いが強かった。

 今の自分は、紛れもなく、アインズ・ウール・ゴウン。

 かつての仲間たちのすべてを背負うべき存在なのだ。

 このアインズ・ウール・ゴウンという名を、我が子に継がせることはしないし、したくない。だが、父に因んだ名称や音韻がまったくないというのは可哀そうな気がするし……しかし、魔導王として、アインズ・ウール・ゴウンとしての立場や存在のことを思えば、ただの鈴木悟に立ち帰ることは大いに憚られる。第一、この鈴木悟という名は、かつて人間であった頃の、現実世界にいた時の一般人然とした名でしかなく、今や名実ともに不死者の王、アンデッドの最高種族:死の支配者(オーバーロード)に成り果てた今では、名乗る機会などまったくなくなった、過去の遺物だ。他の者にもあまり知られてはいないし……だが、いや、でも……などなどと思い悩んだ結果として、アインズはアルベドたち全員に、参考意見としての「命名に関する会議」を招集したのである。

 しかし、アルベドの告げた、アインズの真意を聞いた者たちは、一様に納得する。

 

「この御名前以外にありえんでありんすえ」

「マサニ。御身ノ御嫡子ニ相応シキ名カト」

「私も! 異議なしです!」

「あ、あの、ぼ僕も、です」

「浅学非才な身の上、アインズ様の真意を一瞬ながら見誤るとは……平に御容赦を」

「私の提案も、やはりアインズ様の名付けにはかないませんでしたな」

 

 誰の顔にも、この名前ほど素晴らしい命名はないと主張する笑みが輝いていた。

 それは決して、己で熟考し、この場で発表した、それぞれの思いや願いを託したそれを卑下することではない。

 

「……ユウゴという名が、ここまで様々な意味を持つとはな」

 

 冗談めかして告げた言葉を、守護者たちは当然、「何を仰るのです」と額面通りには受け取らないが、それすらも愉快に思える。

 アインズは本当に、漢字そのままの意味で“悟りを有する”とか、そういう意味合いしか用意していなかった。しかし、勘違いとはいえ、守護者たちはこの短い名前に、響きに、アインズの代わりに多くの意味を見出してくれた。本当に、これは嬉しい誤算である。

 

「前に進む」というユウ・ゴー。

「勇武に富んだ」勇剛or雄豪、あるいは「血の混ざる」融合。

「猛々しい獣。勇敢な存在」という熊虎(ゆうこ)

「物語を紡ぐ作家の名前」であるユゴー。

「知恵者。聡明な魂」を意味するユーゴー。

 

 守護者たちは、誰からともなく理解に至ったのだ。

 

 御方の示した可能性。

 我が子への願いの深さ。

 名に秘められた思いの多様性と千変万化ぶり。

 そのすべてに感銘し敬服したが故の結果、これ以上の議は必要ないという無言の合意に、一同が達しただけのこと。

 

「いい名前です。アインズ様」

 

 ニニャも文句なしと言わんばかりに微笑みを浮かべていた。

 振り返れば書記のユリ・アルファをはじめ、嫡子たちを世話していたニグレド、インクリメント、ツアレたちも、アインズの命名に賛成の意を首肯することで示した。

 ふと、アインズは席を立ち、我が子らの寝入る……否、父の気配を感じたのか、薄く目を開けて手を伸ばす寝台に歩み寄る。

 

「おまえも、この名がいいか?」

 

 意味など(わか)っていないだろう微笑みで、嫡子は父の伸ばした骨の腕の中に納まった。

 愚図る気配など微塵もなく、子は王のローブを掴んで、頬ずりするように戯れる。

 ツアレの腕に抱かれていたマルコも目を覚ますと、アインズの姿を認めるや否や、竜のぬいぐるみを握っていない方の手を伸ばした。母の腕から解き放たれ、よちよちと己の思うままに、童女の最高速度で翔けてみせる。途端、至高の魔導王の足元へ倒れ込むように飛び込んできた。その子もアインズは即座に抱きすくめる。頑丈な竜人との混血である幼児は、よく見えている眼でアインズの骨の顔を覗き込み、そして微笑(わら)う。白金の髪がアインズの鎖骨をくすぐった。

 本当に、幸福な時間をアインズは実感する。

 この場に、コキュートスとデミウルゴスの子らがいないのが残念だ。あの子たちは、身体的な理由で己の住居外に出るのは半ば禁じられている。彼ら彼女らが無意識に、突発的に周囲へ発散する冷気や熱波は、並みの防護では役に立たない。子らの親を思えば当然な現象だが、万が一にも魔導王の嫡子やマルコに害があってはならないと、未だに子供らを引き合わせることは難しいのが現状である。赤ん坊の防護専用のアイテムの生産が軌道に乗るまでの辛抱だ。

 

「皆、本当に異論はないか?」

 

 最後に確認するアインズに、全員が肯定の動作で応じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、魔導王陛下の御嫡子――アインズ・ウール・ゴウンとアルベドの生んだ王太子――至高の御方のまとめ役の継嗣(けいし)の名は、“ユウゴ”と名付けられることに、相成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。そういうことだったんですね」

 

 その日の夕食を共にしたニニャは、アインズの今回の招集『御嫡子命名の議』の裏にあった、アインズの本音を聞かされ、納得の笑みを浮かべていた。

 

「皆さんはやっぱりすごいですね。何も知らされていなかったはずなのに、ユウゴという名前に、あれだけたくさんの意味を含ませることができるなんて」

 

 二人とも湯浴みを済ませ、寝間着に着替えている。

 共に寝る前のおしゃべりに興じている真っ只中だ。

 ひとつのソファに肩を並べて座り、久方ぶりのふれあいを満喫する。

 魔王妃は翌朝には、閉鎖されている第八階層に戻らねばならない。彼女の修行は、一日も無駄には出来ないほどに厳しいものであり、こうしてアインズと雑談する時間すら取りにくい。そういう事情を理解しているため、他の王妃四人は、久方ぶりの二人きりの時を堪能させるべく、それぞれが私室での休息や外の都市にある住居での政務に没頭している。魔王妃の現在の務めを思えば、これは当然の対応ですらあった。産後で子の世話にかかりきりなアルベドですら、「ニニャの傍にいて欲しい」と懇願したくらいだ。

 ニニャはそれほどまでに、アルベドたち王妃たちからも、大事に扱われているのである。

 

「本当に……私なんて、まだまだですね」

 

 そこまでナザリックの者に大事にされている魔王妃は、自嘲するように声を漏らす。

 

「ニニャ。おまえの、その……“ダークウォリアー”も、悪くはなかった、ぞ?」

「はは……あー、でも、あの子は“ユウゴ”の方がしっくりきます。本当に」

 

 ニニャは未だに十代の少女だ。それを思えば、キャラメイキングとして与えられた頭脳、設置上の長大無比な年齢の重み、何より……この異世界において数年もの間、至高の存在の助力に一命を賭す臣下たちの努力の密度に、蘇生から一年足らずというだけの少女では、追いつけない方がむしろ自然ですらある。

 だから、アインズは少女の自虐的思考を軽く叱る。

 

「あまり自分を小さく見る必要はないぞ、ニニャ」

 

 むしろアインズにとって目の前の魔王妃は、遥かなる可能性を身に宿す、希望の塊であった。

 

「おまえが今、このナザリックで挑戦してくれている事業は、おまえ以外の誰にも託せない事柄だ。そのおまえがまだまだというのであれば、この世界の人間すべてが卑小になってしまうぞ?」

「……そう、ですね」

 

 少女は照れるように頬をかく。とりあえずニニャは、夫に言われたとおり、己の小ささに恥じ入る言を撤回する。

 ニニャにしかできない事柄。

 アインズは少女と婚姻した直後あたりから、ニニャを第八階層、その中でも“聖域”と称される場所に連れていき、その地を守護する存在――戦闘メイド……六連星(プレアデス)末妹(まつまい)にして、チーム・七姉妹(プレイアデス)のリーダーを務める彼女に、ニニャへ教練を施すように頼んだ。

 プレイアデスの末妹。

 人間でありながらも、職業(クラス)による不老化を体現する彼女に師事し、彼女と同じ職業(クラス)を無事に獲得した場合――その人間は、末妹同様に不老になれるのかどうかを検証するというのが、“表向き”の理由だ。すでにこれ以上のレベルアップは見込めないLv.100NPCでは検証できない、“現地”の“人間”の少女だからこそ、ニニャは末妹の教練においても、それなりの成果を結実させてくれているのだ。

 ニニャを使っての、「人間種の不老化」実験。

 だが。

 本当のところを言えば、アインズはニニャと共に生きる時間を、アンデッドの寿命に追随できるほどの力を、魔王妃たる彼女に与えたかった。ただ、それだけに過ぎない。

 無論、この修行でニニャが永劫の時を渡れる保証にはなりえない。遥かなる時の重圧に、ニニャの体が、魂が、――心が、絶対不変にあり続ける確証など、どこにもない。現地の人間だからこそレベル獲得が見込まれる魔王妃であるが、いつかは破綻を迎え、彼女との破滅的な別離が訪れることも、十分ありえるだろう。それは理解し尽くしている。ツアーの友人、リグリットのように、最後の時が訪れる可能性の方が大きい。

 それでも、アインズはニニャに、出来る限りのことを、してやりたかった。

 こんなものは、ただの我儘だと理解している。理解していても、アインズはそうせずにはいられなかった。

 

「今の修行は、つらいか?」

「いいえ、そんなことは」

 

 ナーベラルの妹さんや、その配下の方々にも良くしてもらって、逆に申し訳ないくらいだと、ニニャは微笑む。

 

「ただ……やっぱりこうして、アインズ様や皆と会う機会が減ってしまうのは、さびしい、です」

 

 率直に言ってくれる少女に、アインズは静かに頷いてみせる。

 

「俺も……さびしかったぞ?」

 

 くすりと楽しげな吐息を少女がもらした。

 

「私は、もっと、さびしかったですよ?」

 

 握り合う掌の温度差も気にならないほど、暖かな心地が胸に灯る。

 そのぬくもりが、アインズが内々に進めている計画のひとつを、口腔から零すきっかけとなった。

 

「ニニャ……私は近いうちに、“漆黒の剣”の、三人の復活を行うつもりでいる」

「え…………それは」

 

 魔王妃が目を(みは)って見上げるのも無理はない。

 魔導王の口より告げられた内容は、少女の記憶の底に眠る、かけがえのない財貨。

 その復活の約束。

 少女は瞬く間に思い出していた。

 彼らという三人の仲間との出会い、冒険、そして、最悪な形での別れを思えば、ニニャが呻くような表情をとるのも無理はないだろう。

 漆黒の剣という、アインズが共に旅した冒険者たち。彼らの遺体は、蘇生されたニニャ同様に、宝物殿の中に保存・安置されて久しい。

 本当は、もっと時間経過を重ねてみたいところだったが、アインズは予定を少し早めたくなった。

 ニニャの働きは目覚ましく、その褒美を供しようという話をすると、必ずと言っていいほど、ニニャはその口を噤み、何も言わなくなった。

 少女は、自分がどれほどに恵まれた立場にあるのか理解している。理解しているからこそ、これ以上の幸福を……我儘を押し通す気概が湧かなかったのだ。

 何とも純粋で、敬服すべき心構えだ。しかし、それではアインズの気が済まない。

 どうあっても、ニニャには褒美を、恩賜を、アインズのために傍にいてくれるという奇跡への感謝を、与えたかったのだ。

 

 漆黒の英雄譚にも記載される、(ふる)い冒険者チーム“漆黒の剣”。

 ペテル・モーク。

 ルクルット・ボルブ。

 ダイン・ウッドワンダー。

 ニニャが嗜虐の限りを尽くされ死んだあの日に、目の前で殺され亡くなった、無二の仲間。

 (ニニャ)のために命を捨てた、かけがえのない勇者たち。

 

 彼らの最期を看取った少女は、彼らという友を悼み、惜しまない時などなかった。

 だが、今のニニャは、魔王妃として、アインズ・ウール・ゴウン魔導国が誇る最上位者として君臨せねばならない立場だ。自らの我儘に、伴侶である魔導王を振り回し、自分の思う儘に彼の国務や企図に、参画とも呼べぬ勝手な主張を持ち出すことは、あってはならない暴挙であった。その程度の教養と認識をニニャは修得できている。それらの事実を思えば、ニニャはアインズに、漆黒の剣三人の復活を具申するなんて、身勝手なまでに我を通すような真似は、許されるはずもなかっただろう。

 

 しかしアインズは、そこまで読み切っていた。

 いくらアインズでも、それくらいのことは理解できて当然であった。

 何しろ、この少女――魔王妃・ニニャ――は、アインズの伴侶、愛する者の一人なのだから。

 

「ニニャ。おまえは十分以上に働いている。新たなる現地魔法の開発、我がナザリック内の新生児に対する生まれながらの異能(タレント)の探査と看破、第八階層での修練による新たな可能性の啓示……そして、何よりもこの私、アインズ・ウール・ゴウンの魔王妃として、傍で私を支えてくれている事実を思えば、三人の復活はお釣りがくるほどだ」

 

 ニニャのもたらした恩恵に対し、至高の存在は報いたいと誠実に考えた結果、彼らを復活させることを半ば強引に決定していた。

 無論、この“実験”が必要な理由くらい幾らでも存在する。彼らはニニャとは違い、罠として動死体(ゾンビ)に――アンデッドモンスターに変貌した死体だ。最高位の蘇生魔法なら容易く蘇生できるだろうが、果たしてそれ以下の復活手段で、アンデッド化した死体の蘇生に支障はあるのか、ないのか。またはどの程度のレベルダウン……生命力の減衰が発生するのか。ニニャとほぼ同時に死亡した彼らだからこそ、ニニャに施した〈真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)〉以下の蘇生でどうなるのか検証するのは、実に意義深い試みである。それは、ほぼ間違いない。もしも、この世界でアンデッド化した死体が高位の魔法でも蘇生不可であるならば、その時は死体を加工し、生前の意識を保ったモンスターに転生させてみるというのも悪くないか。

 

 ……だが、叶うのなら。

 

 かつてのように、ニニャを加えた漆黒の剣四人とアインズに……ナーベラルは、さすがに連れ出せないかもしれないが、あの頃のように冒険者に扮して旅をしてみるというのも良いかもしれない。アインズは都市の散策は気兼ねなく行えるようになっているが、現在の冒険者たちの日常――未知を探求するべく“本物の冒険”を繰り返す彼らに対し、直接的に触れる機会は少ない。それを思えば、復活させる彼らを懐剣のごとく用いて、冒険者たちのあれこれな内実の調査や検証――何だったら彼ら冒険者の現体制の改善点などが発見できればなどと企んですらいる。

 勿論、王として君臨するべき存在が冒険の旅に出かけるなど、あってはならない行為行動であることは確実だ。安全な都市内を散策するだけならばまだしも、自ら率先して危険と困難に(まみ)れた冒険の最前線に赴こうとすれば、都市散策にすら異を唱えていたアルベドたちが、泣いて怒って制止するのが目に浮かぶ。ニニャですら、絶対に難色を示すだろう。

 おまけに、彼ら三人が無事に蘇生されても、ニニャのようにアインズへの忠義や敬意を持つかどうかは疑問が残る。蘇生にはニニャを立ち会わせるつもりでいるが、万が一にもアンデッドであるアインズを、彼らが拒絶することになれば……その時は仕方ない。適当に記憶をいじって、何処かの都市で平和に暮らせるよう手配することも考えている。いずれにしても、年単位の死亡者に対する蘇生実験は行わねばならないのだから。

 それでも、せめて彼らくらいは復活させてやりたいと、アインズは本気で思うようになっていた。

 この魔導国で、あの“漆黒の剣”が冒険に明け暮れる姿を、この目に焼き付けてみたくなった。

 だから、これは単に、アインズのただの我儘(わがまま)だ。

 

「ありがとうございます」

 

 そんなアインズの我儘に――愛しい者の優しさに、ニニャは淡く微笑む。

 そんな少女を、アインズは慣れたように胸の内に抱きしめる。

 ニニャも、アインズの胸の感触に手を添えて応える。

 二人の間に、とても幸福で、暖かな時が、流れた。

 

 

 

 

 

 翌朝。

 魔導王と魔王妃……アインズとニニャの二人は、ナザリック第九階層の上階へと至る転移門――円形の鏡の前で、別れの抱擁を交わしていた。見送りのために居並ぶ守護者やシモベ、アルベドたち王妃すらも、その光景に感じ入るまま、無言の笑みを浮かべてしまう。

 アインズは思う。

 いつまでもこうしていたいと、思い焦がれてしまいそうになる。

 だが、

 

「お二人とも。お時間です」

 

 黒髪のメイド、ユリが別れの時を……魔王妃が第八階層に戻る時を、口惜し気に告げた。

 ちょうどその時、ひとつの〈転移門(ゲート)〉が開く。

 現れた闇の奥から、桜色の花弁に囲まれる少女が姿を現す。

 

「それじゃ」

 

 お迎えが来たニニャは名残惜しそうに夫から身を離し、早着替えのローブで、男装から別の衣装に身を包む。

 門より現れたユリの妹――今のニニャの師――と同じ、紅と白に(いろど)られた和の装い。

 白無垢に鮮烈な緋袴の姿という修練の姿。何度目とも知れぬ少女が修行へ向かう後姿に、アインズは声をかけていた。

 

「ニニャ……」

 

 思わず引き留めてしまう癖がついている自分に、少しだけ笑ってしまう。

 ニニャが不思議そうに振り返るのも見慣れてしまった。アインズは少しだけ迷うように口ごもるが、

 

 

「     」

 

 

 柔らかな声で、彼女の――振り返るニニャの本当の名を、紡ぎ出す。

 

「待っているぞ」

 

 少女が魔導王に追いつき、悠久の時を歩める、その時を。

 いつでも。

 いつまでも。

 

「……はい!」

 

 名を呼ばれ、彼の思いを過たずに受け取った魔王妃は、いつものように、大地に根をはり空に向かっていく花のように、愛らしく微笑んだ。

 

 

「いってきます」

 

 

 復活した術師(スペルキャスター)――ニニャは歩み出す。

 彼と共に、魔導王アインズ・ウール・ゴウンと共に生きるための、その道のりを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン、統一大陸至高帝、魔導王陛下。

 大陸世界に覇を唱える、偉大にして至高にして絶対にして超然なる不死者の王。

 

 彼の物語は続いていく。

 彼と、彼の愛する者たち――すべてと共に――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【終】

 

 

 

 

 

 







 後日談は、これにておしまい。
『魔導王陛下、御嫡子誕生物語~『術師』の復活~』は、これにて本当に完結です。
 ですが、アインズ様たち、魔導王御一家の御話は続いていきます。
 この拙作の続きとなる物語は、空想病の次回の長編連載に、ご期待ください。


 それでは最後に、
 偉大なる原作『オーバーロード』と、
 原作者である『丸山くがね(むちむちぷりりん)様』に絶対の感謝を。

 完結後にも評価や感想を残してくれた方々、
 そして、



 ここまで読んでくれたあなたに、心からの感謝を。



 それでは、また次回。      By空想病





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