ハンターズギルドは今日もブラック【未完】 (Y=)
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Ⅰ ボランティアは、報酬より心
プロローグ


 

 汗ばむ肢体。

 アルコールに上気した、滑らかな白磁の如き肌。

 暑くて熱い、夜。

 

 リーリーと外で鳴く虫が耳朶の奥の方を打ち、射し込んでくる月の光は満月の夜に相応しい明るさを帯びていた。

 

「止めてッ……レオンさ、いやっ……!」

 

 そんな拒絶の声さえ可愛くて、愛しくて、その裏にある本当の意図を読み取った気になって。

 ああ、意識の奥底を擽るこの声の、なんと麗しく可憐なことだろう。

 

 ボーッとする頭、停止した思考、本能のままに動く身体はまるで自分のものではないような気がして、その実、心の底から望んだ通りに動いている。

 上辺の言葉の裏にある、真理のような何かが、言葉にして伝えない思いが、確かにそこにある気がして、回らない脳みそが必死にその感触を確かめろと喚き立て、俺はそれを拒否しない。

 

 ぐるぐると空回りする熱い何か。

 

 喉元にせり上がってきては無理矢理に飲み下し、頭のてっぺんを殴りつける。

 それを飲み込んで、ああ確かにその通りだと納得して、ぼやけた視界越しに彼女の目を見て、ああ確かにその通りだと一人合点して。

 

 

「――……こんなの、うそだ……」

 

 

 そうして、()だるような蒸し暑さに包まれた暁の頃に、ようやく気付いたのだ。

 両手で顔を覆い、背中を丸めて泣きじゃくる彼女の、その目の色は――

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

「……はっ……はっ……はっ……はっ……」

 

 後ろを振り返らずに、泥沼地帯を走り続ける。

 ピチャピチャと音を立てる足元は緩くぬかるみ、長く走り続けるほどスタミナを容赦なく奪っていく。

 

 脚を前に出す度に、愛用の防具、EXレウスS一式装備が立てる音は、スタミナが尽きて倒れ込みそうになる体を叱咤してくれる唯一の存在だ。

 隠密行動の時には本当に厄介なガチャガチャと言う音が、今は自分の行動の道しるべとなってくれている。

 

 あるいは下らない茶番劇に出てくる道化のような今の自分を、道から踏み外さないように支えてくれる橋の欄干であった。

 だからといって、防具にありがたみを感じる瞬間は、今ではあり得ない。

 

 追っ手から逃げる者にとって、人の域を超越する強大な相手と刃を交えるための防具は、よく働く足枷(あしかせ)にしかならないのだ。

 精神面ではこれ以上ない味方であり、物理面ではこれ以上ない敵であった。

 

「……はっ……ひっ……はっ、あっ、はっ…………ああっ」

 

 胸が苦しい。

 喉を通る空気が、肺を刺しては引き裂いていくようだ。

 

 太ももが限界を迎えている。

 極度の疲労からくる、ギリギリとした締め付けるような痛み。

 あるいは、これ以上の脚の酷使を拒否するかのような、地面に引きずられているような痛み。

 

 身体中から悲鳴が上がる。

 汗を掻いた額に灰白色の髪がべっとりと貼り付き、不快なそれをかきあげる余裕もない。

 比例するように、レオンハルト・リュンリーの頭の中は冷静になり、思考がさえ渡っていく。

 

 ハンターとしての性だ。

 どうしたら生き延びられるか、どうすれば生き残ることが出来るか。

 どうすれば、喫緊の危険を取り除けるか。

 危険な状況に陥るほど、モンスターに対峙する矮小な人間は、なんとか創意工夫を凝らして生き延びようと足掻き、生来備わった知性(ぶき)を総動員させる。

 

 

 ハンター生活、苦節十二年。

 数々の命の危険に遭い、そのことごとくを独力で退け生き延びてきたが、これほどの窮地に立たされたことは一度もなかった。

 人生の半分以上を死と隣り合わせに生きてきたからこそ分かる。

 一種の防衛本能のような、或いは長年のハンター生活で身につけたハンター自身の(・・・・・・・)スキル、自分の命を守るための勘のようなものが、囁くのだ。

 レオンハルトの中には、一つの確信めいた予感が生まれていた。

 

 これは、もうだめかもしれない。

 

 

 臨死体験など、モンスターハンターなどという職業に就いて生き続けていれば、自ずとその数は数百にも、数千にも上るだろう。

 心臓が縮みあがるスリルなど、()り取り見取り、そこら中に転がっている。

 命を賭けたギャンブルを好んで味わいたい奴は、好きなだけ味わっていればいい。

 

 これまでは持ち前の闘争心と、体の奥底に染み着き、そこから湧き上がってくる自己完結したやる気を元手に、モンスターを殺す力へと変えることができた。

 討つべき敵への憎悪と生存本能の成す技によって、なんとか目の前に立ちふさがるモンスターたちを討ち破り、彼らとの生存競争に打ち勝つことができていたのだ。

 

 そう、ヤツら相手ならば、レオンハルトは『龍歴院』一の腕を持つハンターだった。

 

 モンスター相手ならば。

 

「…………くっ、…………は」

 

 赤茶けた土が剥きだしになっている崖下の、陰になっているところにレオンハルトは駆け込んだ。

 絶壁の上から小さな滝のように流れ落ちてくる水。

 シダ植物が垂れ下がり、目のいいモンスターだって滅多なことでは視認させないような、緑色のカーテンを作っている。

 モンスターの影がないことを確認してから、哀れな歩兵は静かに、水が地面一面を覆う原生林の湿地の一画、崖の下の陰の岩肌に、静かに腰を下ろした。

 

 同時に、背中に負っていたモノを下ろし、膝の上に座らせる。

 それは、白くて丸い、大きな卵、モンスターの卵であった。

 

 『原生林』は広く、豊かな自然と生態系が育まれている場所で、ギルド公認の狩猟環境だ。

 生態系が豊富であるということは、すなわちそこに生息する生物の“卵”の数も、種類も豊富であることを意味する。

 一般的に、普通の動物たちよりも身体が大きく、生命力の強いモンスターたちの卵には、他の動物の卵よりも巨大化する傾向にあり、総じて栄養価が高い。

 

 つまり、食べれば美味しい。

 メチャクチャ美味しい。

 加えて、日常的に口にするには、余りに希少価値が高い代物でもある。

 

 だからこそ。

 欲深い人間たちは、モンスターの卵を求めて、狩猟場を駆け回るのだ。

 

 

 当然、モンスターの卵の“親”だって、自分の直接の子孫たる我が子の卵を何の抵抗なしに譲ってくれるわけがない。

 そこには、ハンターとモンスターの親による、壮絶な駆け引きと熾烈な闘争が勃発する。

 

 人間は、勝てばモンスターの卵を食らうことが出来、負ければ子守り、子育てで腹を空かせた親モンスターの血となり肉となる運命だ。

 

 原始的な生存競争、単純化された食物連鎖の在り方が、美しく残酷なこの世界の縮図が、生命の尊厳を賭けた誇り高きの証明が、“モンスターの卵採集クエスト”には存在しているのだ。

 

 そのはずであった。

 

(――なんで同業者(ハンター)が、俺から卵を強奪しようとしてるんだよ!?)

 

 



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卵争奪戦

 ことの起こりは、今回のモンスターの卵の親、ガララアジャラの(つがい)をぶち殺した、その後だった。

 

 いつもの作法に従って、誇りを持って立ちはだかった立派な親たちに敬意を示しながら、地に倒れ伏したガララアジャラの素材を剥ぎ取り、ありがたく卵を頂戴していた。

 納品ボックスに2個を納め──クエスト達成条件は三個納品──、三個目の卵、番の最後の子供を引き取りに巣まで戻ったとき、ヤツらは現れたのだ。

 

 

「ハーッハッハッハッハッ! そのガララアジャラの卵、我々に渡してもらおうか!!」

 

「……!!」

 

「…………は?」

 

 原生林に斃れた巨大モンスターの遺骨の上から響いてきたアホみたいな叫び声に、つい声の主を仰ぎ見てしまった。

 

「とうっ!」

 

「…………!」

 

 それは、男性用のインゴットSシリーズに身を包んだ二人組の男たちだった。

 ガシャンガシャンとうるさい音を立てて着地する彼らの防具は、確かに上位ハンターのものではあるが、その立ち姿は隙が多く、防具に着られている印象が拭えない。

 

「…………おお、お前ら、ハンターか? 今、俺が、この狩場、う、受け持ってんだけど。ギ、ギルド規約違反だぞ。何しにきた? 依頼かぶりか、あ゛?」

 

 訝しげな視線と共に警戒態勢に入って、途切れがちな単文をまくし立てながら威嚇するレオンハルトに、

 

「まあまあ、そう慌てることはない。我々は、平時こそハンターを名乗ってはいるが、今ここにおいてはハンターではないのだ」

 

「…………」

 

 お喋りで大柄の男と、無言を貫き通す小柄な男。

 

「で? じゃあお前ら誰だよ。卵渡せってどういうことだ?

 …………もしかして、お前ら保護団体かモンスター調教の裏ギルドか? 俺は、その手の輩が大っ嫌いな訳なんだが」

 

「否! 断じて否!! 我々はモンスターの保護団体などという偽善者ではない! ましてや、卵から孵したモンスターを育てて見せ物にするようなクソどもと同列扱いをするんじゃない!」

 

「…………」

 

 暑苦しく叫び散らす大男と、首を縦に振って肯定を示す小男。

 レオンハルトはだんだん苛ついてきた。

 苛ついて、放っておけば良かったものを聞いてしまったのだ。

 

「じゃあ誰だよ」

 

 そう訊ねた瞬間、覆面に隠された男たちの目がキランと光った。

 

「よくぞ聞いてくれた!!

 聞いて驚け見て笑え!! 我ら、モンスターの卵に限らず、世界中の全ての卵をこよなく愛する秘密組織!!

 ――“卵シンジケート”であるッッ!!」

 

「……ッッ!!」

 

 二人組は、偉そうに腰に手を当てて仰け反りかえった。

 

「…………」

 

 笑えって言われてるし、ここは(わら)うべきなのかな、と思ったのも束の間、レオンハルトは打開策を打つべく次の行動に移った。

 

「…………ちょっと何言ってるか分かんない」

 

 呆然とした表情で紛れもない本音を呟くレオンハルト。

 相手の出方を見るべく情報収集をすべきだろうが、頭のおかしいことを口走り始めた彼らに対して、これ以上なんと言えば良いのか。

 こればかりは、自分のコミュ力の欠如に問題があるとは思えない。

 

「貴殿が驚くのも無理は無かろう! 我々は裏ギルドなどとは格の違う秘密組織、貴殿のような平凡極まりない一般ハンターには知る機会すらない崇高な組織なのだからなッ!」

 

「あっ、はい、そうですか。それじゃあ僕は忙しいのでここで」

 

「ふん、ちょっと待ってもらおうか」

 

「…………」

 

 と、卵を抱え直したレオンハルトの前に、インゴットSの大男が立ちはだかった。

 

 後ろに回り込んだ小男の気配、そして彼らの出し始めた不穏な空気が、『頭のおかしい人たち』というレオンハルトの脳内処理を、『危険分子』へと引き上げさせた。

 卵は、この一つしかない。

 下手に暴れて割れたとしたら、非常にマズい。

 せっかく大量のこやし玉をまいて、モンスターががら空きの巣に近づいてこないようにしていたのに、ここで割れたら終わりだ。

 クエスト失敗の文字がちらつく。

 しかも、その原因が“卵シンジゲート”なるアホどものせいだなんて、()()は絶対に信じてくれないだろう。

 

「……どけよ」

 

「ふっふっふ、そうはいくまい。貴殿が腕に抱えるその卵、ここに置いていってもらおう!」

 

「……!」

 

 二人に指を差される。

 

「……お前ら、本当に俺が誰だか分かって言ってんのか? 悪いが、俺のHR(ハンターランク)は龍歴院一の7だ。強いんだぞ? いや、マジで」

 

「ふっ、事前に貴殿のことはこちらで調べ上げているからな。その程度のことは知っているぞ?」

 

「……?」

 

「…………。じゃあ、ハンターの依頼に横槍入れるっつうのがどういう意味かも分かってるんだな?

 …………お前ら、殺すぞ?」

 

 途端、場を重くする殺気をレオンハルトは放つ。

 だが、

 

「クククッ、哀れなりレオンハルト!!」

 

「……!!」

 

 と笑い飛ばす。

 

「……あ゛?」

 

「貴殿のことは、既に調査済みなのだ。貴殿が人に手を出さないハンターだということも、貴殿が人間と一度も殴り合ったこともない、対人戦の素人だということもな!」

 

「……!!」

 

 大男の暑苦しい叫び声に合わせて、小男が防具の人差し指をビシィッと突きつけてくる。

 自信満々の彼らに対して、レオンハルトは肩をワナワナと震わせて、地面に卵をおき、

 

「……し、ししし素人じゃねーし? 俺様めっちゃ対人戦のプロだし? なんなら脳内シュミレートでお前らなんか三秒でフルボッコだからな? べ、べべ別に、組み手をやる相手がいないとか、友達がいないとか、そんなんじゃねーんだよ! つうか、むしろお前らの方がズブの素人なんじゃねーのか? ぜってーそうだ。お前らなんか、超絶最強ケンカサッポーで瞬殺してやんよ! バーカバーカ!」

 

「ば、バカって言う方がバカなんだよぉ! そんなことも分からないのか! 本当に貴殿はかわいそうなヤツだな! ワーッハッハッハ!」

 

「……!!」

 

 高らかに笑う大男に合わせて、小男が口元に手の甲を当てて笑う仕草をする。

 ……頭にきました。

 

「……あのさ、さっきから無言のお前、もしかしておちょくってんのか?ビシィッて指立てたり、小首傾げたり、うざったらしいから何か言えよ。あとそれ、その笑い方だ、(みやび)な女性専用の動作だから止めろ」

 

 忌々しげな表情のまま、レオンハルトは小男にどうでも良い注文をつける。

 

「レオンハルト氏、コイツはとある事情からしゃべることが出来なくてな、決して貴殿を馬鹿にする意図がある訳じゃないんだ」

 

 お前の方が人のこと馬鹿にしてるけどな、と心の中で呟いてから、レオンハルトは左手を腰のポーチへと静かに伸ばす。

 

「この件に関しては許してやってくれ。この通りだ」

 

 そう言いながら、頭を下げる大男。

 礼儀正しいんだかクソ野郎なんだか、レオンハルトはよく分からなくなった。

 卵の横取りをしようとしている時点で、クソ野郎であるのは確定的に明らかであるが。

 

「……ごめんなさい」

 

 と言いながら、小男も頭を下げた。

 以外と高い声だ。

 

「………」

 

「………」

 

「…………?」

 

 長い沈黙が降りた。

 小男が不思議そうに顔を上げて、首を傾げる。

 

「…………喋れるんかい!!」

 

 レオンハルトは今度こそ、左腕を振り上げながら心の底から絶叫した。

 

「お前、喋れたのか!?」

 

 大男が小男に驚愕の色を帯びた大声で訊ねた。

 

「お前も知らなかったのかよ!?」

 

 レオンハルトはそう叫びながら、ごく自然な動作で左手の手首にスナップをかけて、地面に腕を振り下ろした。

 

 ──ボフンッ、ビカッッッッ!!

 

 ハンターの常備薬こと閃光玉が、無防備な犯罪者たち(シンジゲート)の眼前で炸裂した。

 

「ギャァァッッ!? 目がッ! 目がぁぁッッ!?」

 

「…………ッ!?」

 

 もくもくと白い煙が立ち上り、卵を持ったレオンハルトの姿を余念無く隠していく。

 目潰しからの煙玉は、レオンハルトお気に入りのコンボである。

 

「レオンハルト工房特製閃光玉だ!! ギャハハハざまあみろ狂人どもめ!!」

 

「くっ、おのれレオンハルト・リュンリーッ!! 卑怯だぞ!!」

 

「卵横取り野郎が何言ってんですかね!?」

 

「……!!」

 

「お前はもう普通に喋れよ!? 無言キャラを続ける意味ないから!!」

 

 そう言いながら、煙の中で右往左往する馬鹿どもを置いて、レオンハルトは原生林に消えたのである――。

 

 

 

 

「……何だろう、何故か俺が一番賢くて悪党感あるね」

 

 辺りの様子を木々の隙間から伺いながら、レオンハルトはひとりごちた。

 

 あれから、まさかのハンターの武器を使った襲撃を仕掛けてきた犯罪者二人組から何とか逃げようと、無駄に体力を消費しながら原生林を駆け回ってきたのである。

 

「弓で狙撃してきたり、ランスで特攻かましてきたときは流石にあのアホどもの頭に卵投げつけてやろうかと思ったけど」

 

 人のケツをランスでぶち抜こうとしたり、人のケツを弓で射抜こうとしたり……何だか貞操の危機を感じる逃走劇であったことに違和感を拭えない。

 お前ら、人の後ろの穴ばっか狙ってないで、少しは真面目に追いかけてこいよ。

 少なくとも、人に対モンスター用の武器を使っていると言う時点で、ギルドの怖いお兄さんお姉さん方に即刻通報すべき事案であるからに、もう少し必死になった方が良いのではないだろうか。

 

 ここで捕まったら人生終了だぞ?

 卵泥棒で人生終了だぞ?

 あれくらいの追跡力があるなら、自分達で協力して卵を採集したほうが良いレベルだ。

 

「本気で意味が分からない…………」

 

 何がしたいんだ。

 卵泥棒か。

 

 

 

 

 持ち込んだ強走薬グレートは既に空、体力バカと名高いレオンハルトも、ガララアジャラの卵を抱えて原生林を走り回るのはそろそろ限界であった。

 ガララアジャラの卵は、親モンを狩る前に駆けずり回った原生林であの番の三個しか見つからず、更に納品依頼も三個ぴったり。

 つまり、この卵が最初で最後のクエスト達成チャンスとなる。

 割ったり盗られたりしたら、詰み。

 通常のクエスト失敗と違うのは、とある事情のせいで、クエスト失敗が己の社会的生命を奪ってしまうところか。

 

 どうしてこんなところで……。

 

 思わず頬を涙が伝ったが、二十歳もとっくに過ぎた男が泣いている場合ではないと、慎重にベースキャンプへと向かう。

 納品ボックスは無事なのだろうかと思いつつも、あそこは我らが頼れる兄貴分猫人族(アイルー)、樽転がしニャン次郎さんがいるから問題ないと踏んでいた。

 

「……アイツらみたいな武器使ってくる犯罪者に、閃光玉だけで対応している俺の神様っぷりは素晴らしいな」

 

 モンスター相手には余裕で刃を振り回すのに、いざ人間と向き合ったときに引いてしまうのは、やはり長年のぼっち生活が悪影響を及ぼしてしまっているとしか考えられない。

 

「……チッ、もしかしたら俺のハンター人生がかかってるかもしれないってときに……。よりによって、卵納品クエであんな馬鹿どもの相手をしなきゃいけないとは……」

 

 あのインゴットSのシンジゲート達は、間違いなくこのクエストを遂行するのに一番の邪魔であり、取り除くべき障害であるのは明らかである。

 

 言うなれば、三人パーティで受注した卵納品クエストで、トチ狂った二人が卵を抱える一人相手に武器を振り回し、卵の残数的に後がない状況下で全力で卵を割りに来ているのである。

 

 これはもうキレても良いんじゃないだろうか。

 ああ投げ出したい鬼畜クエ。

 

 だが、このクエストには、どうしてもクエストリタイアを選択できない理由が、どうしても成功しなければいけない理由がある。

 文字通り、社会的生命が懸かっているのだ。

 俺、ホントによく頑張ってるなと感心してしまうレオンハルトであった。

 

 

 

 

 

 

 ピチャピチャと足下から聞こえる水音を最小限に抑え、レオンハルトはベースキャンプ近くの冠水地帯を進んでいた。

 

 毒沼の広がるエリアに駆け込んでから、パタリと止んだ卵争奪戦。

 今後の展開として最も可能性の高い答えは、あの二人組がベースキャンプ近くで待ち伏せをしているパターンである。

 

「…………めんどくさいが、ヤツらの隠れている場所をコッチから見つけ出して、それからニャン次郎さんのとこに行くしかないな」

 

 長年のソロハンター生活ですっかり独り言が癖になってしまったレオンハルトは、ぼっちハンターの専売特許、『ステルスぼっち』と『視線感知』を発動させて、そろりそろりと足を進めていった。

 

 



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ブラックという名の自業自得

 

 結果的に、レオンハルトの予想は大きく外れることになった。

 

 ベースキャンプのすぐ近く、樽転がしニャン次郎さんの腰掛ける樽の下に、インゴットSシリーズの卵シンジゲート二人組が簀巻きにされていたのである。

 装備を着たままであるところを見ると、関節技か何かでもキメられたのだろうか。

 流石はニャン次郎さんである。

 

「…………杞憂とかそういうレベルじゃないんだけど」

 

「結果オーライだニャ」

 

 つまるところ、『もう面倒だから納品ボックスの卵盗っちゃえば良いんじゃね!?』とベースキャンプにノコノコとやってきて、卵を盗み出そうとしたところで『何してるニャ』とニャン次郎さんにシメられた、と言うわけである。

 

「は、運び屋アイルーがこんなに強いとか、き、聞いてないぞ…………うぅ」

 

「…………ぅぅ」

 

「お前らアホすぎるだろ……」

 

 ニャン次郎さんが、危険な狩り場で何年樽転がしアイルーやってると思ってんだ。

 

 

 

 アホの二人を後目に、ニャン次郎さんに犯罪者二人のギルドまでの護送を頼んだところ、明らかに容量が足りていない樽の中に人間二人(inインゴットS)を詰め込み、ギャーギャーと騒がしい樽をゴロゴロと転がしているのを見送ったのは、また別のお話。

 

 あの樽ホントどうなってるんだ。

 

 …………樽が転がっていった跡に、『何かキラキラとしたもの』が流れていたのも、また別のお話。

 徹頭徹尾、自業自得の姿勢を貫いた彼らには同情の余地が一切無いが、今回の件に懲りて大人しく反省し、もう卵に執着するのは()して欲しいと思う。

 

 人間の相手をするのは、どんなモンスターを狩るときよりも疲れる。

 卵クエで一番うざいのは、いつだってメラルーであって欲しいものだ。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

「――納品依頼完了、確かに確認しました」

 

「…………」

 

 龍歴院のハンターズギルド出張所にて、色々とあった卵納品クエストの達成報告に来ていた。

 

 ここまで精神的に疲れるクエストは久しぶりである。

 

 帰って寝たい。

 

「それにしても、“卵シンジゲート”ですか…………またアホっぽそうなことをしてる人たちが出てきましたねぇ」

 

「……ええ、お陰様で、こっちはものすごい迷惑を被りましたよ」

 

 龍歴院所属の研究員が着る青い制服に身を包むのは、艶やかな黒髪を背中に流した女性。

 青い上着の下の白のワイシャツを押し上げる胸は、慎ましやかながらはっきりとした自己主張をしており、ほっそりとした体躯は如何にも女性研究員然とした印象がある。

 整った鼻梁に、上品さを失わない程度の軽い化粧、黒の薄いストッキングに包まれたたおやかな足に、耳許を飾る控えめな金色のイヤリング。

 

 龍歴院に出張しているハンターズギルド所属のハンターの間で、相当な人気を誇る受付嬢である。

 

 片時も離さない分厚い本を脇に、スラスラとクエスト成功の報告書をほっそりとした指先に持つ羽ペンで書き上げ、後ろの棚から成功報酬の()()()()()()を取り出した。

 

「はい、今回の報酬です♪ 次も頑張ってくださいね!」

 

 アイルーのコックさんのお店で、何時もより美味しい料理を無料で食べられるというアレである。

 一枚につき、最大四名様まで有効というお得さ。

 彼女の襟元に付けられた赤いピンが、妙に太陽を反射して輝く。

 

 くっ、眩しすぎて涙が出てきたぜ…………ちくしょう…………。

 

「お疲れ様でした!」

 

 モミジは本当に朗らかな笑顔で、お食事券をお礼状と共にレオンハルトに手渡した。

 『よくできました!』の文字列は、事実上、個人依頼(・・・・)の報酬の二分の一になっている。

 

「これで、今夜は龍歴院の皆でモンスターの卵パーティです!」

 

 鈴の音のような天使の声がコロコロと彼女の唇を転がり、残酷なまでに優しく耳朶をくすぐった。

 

 ギルドを介して出された個人依頼。

 『ガララアジャラの卵を三個採ってきてください! 報酬はなんと! 豪華高級お食事券一枚です!』

 依頼主は勿論モミジさん。報酬は勿論高級お食事券一枚。

 当然、クエスト報酬には1ゼニーも含まれていない。

 書いていないもの、当たり前だね!

 

 え? 誰がこんなクエスト受けるのかって? レオンハルトさんに決まってるじゃないか。

 ……相変わらずの薄給ぶり、ぶっちゃけギルドとか関係ない。

 つまり、命懸けのボランティアである。

 あれ、俺、モミジさんの奴隷みたい……。

 

 思わず背筋が震え、乳首が勃ってしまった。

 

「では、次の依頼をご用意いたしますね!」

 

「え」

 

 天使な声のまま、人気受付嬢モミジさんは悪魔の一言をぶち放った。

 尚、卵納品クエストを丸二日かけて遂行して、たった今ベルナ村近くの龍歴院に帰還して直接クエスト達成報告をし、愛しのマイホームへ直帰せんとしていたところである。

 ついでに、俺の卵パーティー不参加が決定した瞬間でもあった。

 あれ? 卵採ってきたの誰だっけ?

 

「…………その、モミジさん?」

 

「どうしました?」

 

 恐る恐ると言った口調で切り出すレオンハルトに、モミジは彼の手を握って優しげな微笑みを返す。

 “天使”とも称される彼女の笑みに、クエストカウンターを遠巻きに眺める者たちから、男女を問わない溜め息が漏れた。

 

 ――その笑みが、天使の慈愛による笑みなどではないことを知っているのは、レオンハルトただ一人。

 

「そろそろ俺、ちょーっとクエスト続きで疲れてるっつうか、精神的な疲れが溜まってきたと言いますか、しばらくドンドルマの方に慰安旅行に行こうかなあって……」

 

「安心してください、レオンハルトさん」

 

 と、ぼそぼそと呟く彼の声をぶったぎって、ギルドの天使が言葉を紡いだ。

 

「――レオンハルトさんの社会的名誉は、()()堕ちてませんから!」

 

 その一言に、龍歴院最強と名高いハンターは見事に沈黙した。

 

 脅しである。紛れもない脅しである。

 依頼受けなかったら社会的生命は死ぬよ(アレばらすよ)!という神の声が聞こえた。

 はは、モミジさん、いつの間にか胸元の勲章がまた増えてるなあ……はあ……。

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 それは、不幸な事故だった。

 

 いや、事故と言うには余りに無責任で、実際のところ、最低な自分の辿るべき運命であり、最悪な過ちであった。

 

 

 生来の引っ込み思案だった少年は、十歳の誕生日を迎える前から、強い男になりたくてハンターの世界に足を踏み入れた。

 

 しかしながら、若干十歳にして友達など一人もいたことの無かった少年は、ジャギィにも劣る重度のコミュ障だったのである。

 自分に積極的に話しかけてくれたのは訓練所の教官だけ、圧倒的ぼっち臭とドン引きされるレベルのキョドりによって、彼はハンターズギルドの中でもずっとぼっちであった。

 

 一人でおしっこちびりそうなほど怖いモンスターを狩り、一人でどこが役に立つ部位なのか分からないままに素材を剥ぎ取り、一人でマジ泣きしながら古代林の奥地を彷徨い続け、一人で馬鹿みたいに難しいクエストをこなし続けた。

 ソロハンターで良かったと思ったことなど、ティガレックスの討伐後に“何故か”びちょびちょになっていたインナーを川で洗ったときくらいである。

 

 そんな感じのままドンドルマで過ごした七年間のハンター生活で、ぼっちのまま色々なことを経験した少年は、見事にぼっちであり続けた。

 

 孤高のぼっちハンターで定着した少年を見かねたドンドルマのギルドマスターが、彼を新天地に送り出してはくれたが、そんな気質は場所の変化で突然変わるはずもなく。

 

 自分だけの居場所である狩り場を求めて、狂ったようにクエストへと突撃し続ける日々。

 自分が強くなれば、いつか夢見た誰かが自分と仲良くなってくれる、自分を見てくれる。

 小さい頃に読んだ絵本の中の登場人物に、自分を重ね合わせて。

 

 ――そんな少年に、たった一人だけ優しくしてくれる女性がいた。

 

 ハンターとしての外面ではなく少年自身を見つめてくれて、面白くもない自分の狩猟話にコロコロと笑ってくれて、公私の隔てなく話しかけてくれて。

 

 

 未知の土地でもぼっちだった少年は、ものの見事に少女に惹かれ――結果、大きな勘違いをしてしまったのだ。

 

 ……俺ではない。決して俺の話などではないのだ……うう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――レオンハルトさん、貴方のクエストに対する情熱、確かに受け取りました」

 

「……え?」

 

 胸の前で両手を組みながら、キラキラした瞳と大きな声でそう告げる彼女に、周りの目が一斉に集まる。

 自分の今後の流れに暗い目を向け、完全にトリップしていたがために、目の前を流れるもっとヤバい何かに気が付かなかった。

 

「良いでしょう、レオンハルトさんの腕は十分に存じ上げております。どうしてもと仰るのなら、このクエストの受注を許可しましょう!」

 

「え、あ、ま」

 

 ちょっと待ってください。情熱ってなんですか、どうしてもってなんですか、このクエストってどれですか、そもそも俺まだ何も言ってない。

 ああ、言葉に出来ない、この役立たずコミュ障クソ野郎め。

 とりあえず、俺は今のところどうしても受けたいクエストなんて一つもない。

 そんなレオンハルトの心の声などつゆ知らず、モミジがクエスト板から剥がしたのは。

 

「ディノバルド二体が古代林で暴れていて手が付けられないので、討伐をお願いします!」

 

「え゛」

 

 勿論上位ディノバルドである。

 あっ、死んだかも。

 

「マジかよ……」

 

 と、周りにいた他のハンターや龍歴院関係者からのざわめきが伝わってきた。

 視線が自分に集中しているのを感じて、身体がガチガチに固まる。

 マズい、ヤバい、断りの言葉を告げなくては、ああこのコミュ障クソ野郎め、口が蝋で固められたかのように動かない。

 

「流石レオンハルトさん、狩場が家って感じだな。少しも休まずにクエストに出るなんて…………、俺らに出来ないことを平然とやってのける……!」

 

 全然平然としてないです、早く帰ってベッドにインしないと倒れそうです。

 

「しかも、正義感からあんなクエストに挑むなんて……」

 

 違います。

 

「レオンハルトさん、やっぱり格がちげえよ!」

 

 人権の話ですね、俺もそろそろ出るとこに出ないとヤバいかなって感じてた頃です。

 でも、出るとこに出たら負けるのは俺っていう理不尽。

 

「レオンハルトッ! お前に古代林の未来は任せた!」

 

 止めてください死んでしまいます、マジで。

 

 

 コミュ障ハンターはすべての返事を無言のまま済ませて、レオンハルト氏マジ孤高の風評被害を生んだ。

 涙を流しながら『ディノバルドの尾に体をぶった斬られる十の方法』をシュミレートしていると、

 

「レオンハルトさん、絶対に無事で帰ってきてくださいね…………」

 

 と言いながら、ハンター業でゴツゴツになった両手をきめ細やかな手で包みながら、モミジが顔を寄せてきた。

 

 

「……お食事券、必ず使うと約束してください。そして、早く社会的地位を向上させてください。

 あなたなら、無名獣竜種の討伐くらい、無事に完遂できるでしょう?」

 

 耳許で、純粋さとは程遠い、妖しさを纏った鈴の音が響いた。

 

 

「――私のことを汚した責任、ちゃんととって下さいね?」

 

 



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エピローグ

 古代林へと向かう熱気球から地上を見下ろせば、深山幽谷の向こう側に深い緑色の帯が見え始めていた。

 

 あそこにディノバルド(×2)がいるのか。

 

 確かに、長年のぼっち生活である程度の生命力は持っているつもりだが、それでもディノバルドである。二体同時狩猟である。

 

 気球の籠でも余裕で眠れるが、少しくらい家で寝かせてくれても良いんじゃないだろうか。

 

 どうでもいいが、マイホームに最後に帰ったのは今から二ヶ月前だ。

 

 いつもああやって、最後は自分の意志でこの道を選んでしまう。

 

 罪悪感、贖罪意識、期待されることの喜び、ハンターとしてのごく僅かな使命感。

 

 客観的に考えて、“責任”というのはどう考えても賠償責任的な意味の責任だ。

 

 それを断ったらどうなるか。

 

 か弱い人気受付嬢、現在の龍歴院内で最高ランクの腕を持つハンター、さらにコミュ障&ぼっちという根暗キャラ。

 

 ここから導き出される解は。

 

『私、レオンハルトさんに手込めにされていたんです! 話したら殺すと脅されていて…………』

 

『なんだと!? あのコミュ障根暗クソ野郎め!』

 

『我らがモミジさんに何てことを!! 許せない!』

 

『ぼっちでコミュ障で何しでかすか分かったもんじゃないと思っていたが、あんなヤツがここにいるのはもう耐えられない!』

 

『ぶっ殺せ!!』

 

 レオンハルトさんの社会的生命が一気に死ぬ。

 

 ついでに物理的に殺される。

 

 もちろんレオンハルトのレオンハルトは股間がヒュンッとなる事態不可避。

 

 

 やれあれが欲しいだの、やれあのクエストをこなして欲しいだの、ここに行きたい、これを食べたい、最初はビクビク怯えながらこなしていた償いだったが、思い返せば、最近はホイホイとモミジさんの財布をこなしている自分がいる。

 

 ふえぇ、レオンハルトくんの財布の口がガバガバだよぉ…………。

 

 しかしながら、『もしかしたら』と言う期待を性懲りもなく感じてしまう自分がいて、その一縷の望みに縋ってしまうのだ。

 

 ぼっちは人と関わってきた経験の少なさが(たた)ってすぐに勘違いをするアホの子だし、ちょっとでも褒められたり、否定しきれない可能性があったりすると勝手に舞い上がってはしゃぎ回るチョロインだし、なんなら勝手に奈落の底へ自分の身を突き落とすまでが一セットまである。

 

 これだからコミュ障ぼっちは手が着けられない、自意識過剰過ぎるんだ。

 

 自分が自分を縛りつけてきて、ろくな身動きもとれやしない。

 

 でも、それも悪くないと思ってしまったりもするのだ。

 

 慣れって怖い。

 

 

 ああ、ハンターズギルドは今日もブラックだ。

 

 …………自業自得? 知ってた。

 

 

 

 

 



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Ⅱ サービス残業不可避の模様
プロローグ


 

 

 ――そこは、久遠の時を生きる生が根ざす神秘の森の、その奥地。

 太古の空気を今に伝え、幾千万の年を不変のまま、ひっそりと静めた息づかいを連綿と繋げてきた、『古代林』の深層域。

 

 蒼白い燐光を発する(いにしえ)の菌類が、ふとした拍子に僅かな胞子を飛ばす。

 地を這う幾筋もの白き根が床や壁を形成し、更なる下層へと広がっていた。

 ふわりと立体的に広がった不思議な空間は、踊るように差し込む仄かな夜明かりが眩しく感じてしまうほどに静かで暗い。

 屋根を支える柱のように太く伸びる古代樹、その枝葉は、厚い雲の肩から顔を覗かせた蒼白い月見を喜ぶかのようにざわざわと揺れている。

 

 森の奥底の暗闇に、縦へ横へと走る数多の植物の根や身体が、古代林の地下で幾星霜の時を紡ぐ大迷宮を形作り、大昔に古代林を住処とした生き物の化石は、旧き面影を残しながらも流れ続ける時間の波から取り残され、寂しげに埋もれていた。

 

 

 露わになった断層の横縞から、ポロリと赤い砂が落ちて、灰色のパーツが幾つも結合したような形の雲が音もなく動き、中天の月を覆い隠す。

 ほわり、ほわりと浮かぶ胞子が、虫のいない草むらへと飛び込んだ。

 

 古代樹の枝から落ちてきた一枚の葉が、カサリと小さな音を立てる。

 厚い雲の上から再び顔を出す純白の月が、幾重もの暗い雲を青く照らし出し、そよ風が静寂に包まれる森の中を通り抜けた。

 

 何者にも侵される事なく、長い時間をかけて大自然の神秘が織り成した生態系の聖地に、無言の緊張が走る。

 

 そうして、舞台は整えられた。

 

 

 

「――グァァ……」

 

 太い筋肉と荒々しく重厚な甲殻に覆われた強靭な脚部が脈動し、柔らかな大地を踏みしめる足の鋭い爪が白く苔生した木の根をえぐり出す。

 吐き出す獣の息づかいは血に飢えて、巨躯が身動(みじろ)ぎするたびに鋭い体表が触るもの全てを傷つけた。

 紅蓮の体躯に走る幾つもの古傷には、自然界の絶対強者へ成り上がった者としての矜持がにじみ出る。

 ミシリ、ミシリ、グワシ、グワシと大地を(きし)ませ、古代林の深層へと入り込んできた彼は、やがて、ゴツゴツとした頭部で白い菌糸の壁を突き破りながら、木の葉の間を通って降り注ぐ木漏れ日のような月光の下に、その威容を堂々とさらけ出した。

 

「…………」

 

 せり出した甲殻の上、ギラギラと輝く鋭い眼光は油断無く辺りを警戒し、他者を威嚇するように尖った重厚な顔面は肉を噛み千切る顎が特に発達している。

 頭部に向かって反り返る黒々とした背熱殻――体温を調節する背中の部位――が青白い光の世界で陰影を作り、全身を支える蹄のような足は万物を砕かんとするかのような凶悪さを秘めている。

 

 何より目を引くのは、全長のおよそ半分に迫らんとする蒼色の尾。

 肉厚で幅広の刃のような鋭いそれは、彼が尾を武器に生存競争へ臨むのであろうことを否が応でも弱者(エサ)に認識させ、怯ませんとするかのような圧倒的存在感がにじみ出ており、雲間より差し込む月の光を受けて不吉に煌めいていた。

 古代林の奥地を侵し、ひっそりとした静けさに無言の騒がしさを、揺るぎなき自然の摂理を与えるそのモンスターを、人は研ぎ澄まされた極太の尾に畏怖を込め、“斬竜”ディノバルドと呼ぶ。

 

 熱帯地方や火山地帯などを主な生息域とするディノバルドは、太古の昔から噴火を繰り返す“ウガディング火山帯”の端に位置するここ古代林へと進出してきた、生態系ピラミッドの王者が一角。

 

「……ゴォ」

 

 しかしながら、月の光が照らす開けた空間へと侵入したディノバルドが帯びるのは、覇者が醸し出す驕慢(きょうまん)などではなく、むしろ、生態系の頂点を争う“敵”の様子を伺い、何時(いつ)如何(いか)なる襲撃を受けようと、万全の体勢で迎撃し、仇の首を噛み千切らんとする、勇敢なる戦士のそれであった。

 

 勝者の傲慢を成すは(おご)りに(あら)ず、真の勝者は、常に臆病且つ大胆に、敵の胸元を切り裂く者なり。

 歴戦の彼は、自然界の摂理を身を持って知り、それに従ってきたからこそ、王者の風格を持ち、今ここに立っているのだ。

 ディノバルドは一瞬の気の緩みをも見せず、必ずいるであろう、自らの相対すべき敵影を探る。

 臆病に神経を張りつめながら、大胆に大地を踏みしめ、本能に訴えかけてくる外敵の感覚に頭を僅かにもたげたとき。

 

 

 

「……なるほど、油断はしないのね」

 

 突然、潜めた息さえ大きく聞こえるような静寂を切り裂き、ディノバルドの背に向かって意味と意思を持つ声が投げかけられた。

 それすなわち、言語と頭脳という武器を持ちながらも、非力で()()()人間――恐らく成人男性――が、生きとし生けるものの王者に向かって、()が高くも接触してきたということ。

 

 弾かれたように振り向く王者ディノバルド。

 その視線の先にいたのは――

 

「……なぜ人は、俺が話しかけても反応してくれないのだろうか。

 個で生きていくモンスターは話しかければすぐに振り向いてくれるのだから、俺の声は聞こえているはずなんだが。解せぬ……。

 やはり、俺が個で生きる孤高の狩人であるからなのだろうか。

 あまりにも圧倒的な力を持ってしまった者は、常に集団から疎まれ、敬遠されてしまうのだから」

 

「もし旦ニャ様が人に話しかけて無視されていると思っているのなら、それは旦ニャ様が話しかけたつもりになってるだけニャんじゃニャいかと、あちきはそう思いますニャ。声ちっさいし。

 あと独白(モノローグ)が冗長ニャ」

 

 ――赤黒い岩に寝そべっているアイルーの背中に腰を下ろす、灼熱色の防具を身に纏った一人の狩人(ハンター)であった。

 

 

 

 

 

 




主人公装備
EXレウスS一式剣士装備
頭部のみキャップ、
スロ5 研磨珠×5

おまもり
攻撃+8広域+10スロ3 友愛珠【2】【1】サポーターなら神おま待ったなし(なお)

なるかみの音鈴の乙鳴
スロ1 友愛珠【1】

発動スキル
広域+2 攻撃【大】 痛撃 南風の狩人 研ぎ師

当小説では、楽譜入力はゲームの通りではありません。



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パーフェクト・コミュニケーション

「人間は、どうして話しかけても振り向いてくれないのだろう。彼らは意思疎通を図れる者同士でコミュニケーションを行い、コミュニティーを作って生きていくはずなのに。

 対して、ディノバルドは素晴らしいね。きちんと俺の独り言にまで耳を傾けてくれた。人間がいかに下等な生物かがよく分かる」

 

「旦ニャ様、しつこいニャ」

 

 白い毛並みのアイルーが、前脚の毛繕(けづくろ)いをしながらいたわりの色を含んだ声で自分の背中に腰掛けるハンターへ言葉を返した。

 

 ハンターは曲げた膝に肘をのせ、頬杖を突きながら悲しそうな顔で、

 

「ディノバルドは人間よりもコミュ力があると言うことだろ? それ、重要なことだから。二回言って強調しないと、コミュ力の低い人間どもは俺の言葉を無視するんだよ。

 あ、ディノバルドがこっち向かってきた」

 

 ハンターが背負う巨大な神楽鈴――の先端に和傘を取り付けたような鈍器――が僅かに揺れて、燐光と静謐で満ちた森に、シャリンと清らかな音を響かせた。

 

 中空の外身は妖艶な薄桃色の釣り鐘型で、末広がりになるように幾段かに連なるそれは、その身が揺れるだけで聖域を作り出す。

 

 座布団から腰を上げたハンターの動きに応じて、シャリン、シャリンと神性を帯びた音を出した。

 

 あたかも、古代林に潜む聖なる存在に捧げる祝詞のように、戦場に積み上がった屍を弔うように。

 

 戦に持ち出された鈴は、古代林の奥底を何者にも冒涜されることのない戦いの場へと整えていく。

 

「はー、可哀想な旦ニャ様だニャ。ここまでアホ過ぎる思考回路を持ってしまうまで周りに放っておかれてしまうとは。

 んニャ、あっちのディノバルドは経験豊富だニャ。すぐに吼えて飛びかかって来ないし、無駄に他のモンスターを殺して威嚇したりしてこないニャ」

 

 立ち上がり、腹や腕についた汚れを舐めとり毛繕いをするアイルーが、非情な現実を嘆きながらディノバルドを見つめる。

 

「そんなこと見りゃ分かるし。脚の筋肉が迎撃態勢のままだし。あんなにもりもりの筋肉だったら一目瞭然だし。なんで言葉にする必要があったんだよ、この駄ネコ」

 

「何ムキになってるニャ。周囲から放置されてた過去を思い出して泣きそうになっちゃったかニャ?」

 

「…………な、泣きそうになんてなってねーし」

 

 涙声になってるニャ、と呆れ声のアイルー。

 

 シャリン、シャリンと鳴る鈴の音は、緊張感ゼロの二人がぶち壊してくれた戦場の空気をなんとか元に戻そうと努力しているかのようで、心なしか少し湿っている。

 

「それにしても、あのディノバルドは優しいヤツだニャ。旦ニャ様のボソボソしてて聞き取りにくい声でも、ちゃんと耳に入れてくれるだニャんて。

 ……旦ニャ様、旦ニャ様、あのディノバルド、もしかしたらお友達になれるかもしれないニャ」

 

「ぐっ!? や、やめろッ、そんなこと言われると、期待してアイツを殴れなくなっちまう!」

 

「チョロいニャ」

 

「あ゛あ?」

 

 

 敵前で非常に舐めた態度をとり、生きるか死ぬかの場を、そして、そこで生きてきた自分の生き様をも侮辱されながら、なおディノバルドは冷静に、奇妙なハンターと一匹のアイルーを見つめて臨戦態勢を保っていた。

 

 否、彼が見つめているのは、アイルーではない。

 

 ハンターと、彼の足下に転がるかつてのライバル(同朋)の死骸だった。

 

 

 アイルーが腹をつけ、ハンターが腰掛けていた赤黒い地面は、血まみれになり、ぐちゃぐちゃになるまで叩き潰された()()()()のディノバルドの、尊厳を踏みにじられた哀れな末路。

 古代林での覇権を争い、同等の地位にあったはずの――隙あらば殺そうと狙っていた――同族個体の死は、目の前で脱力しているハンターの仕業であると、長年の闘争を経て培われた本能が確信し、これまでにないほど強く警鐘を鳴らしている。

 

 一瞬たりとも気を抜かない、抜いてはならない。

 溢れ出る闘争本能を、狂奔する殺意を、一瞬でも鈍らせた方が殺される。

 この静かな夜が明けるころには、どちらかが(たお)れているだろう。

 あるいは、すでに殺されたディノバルドとの縄張り争いよりも、凄惨で無慈悲な戦いになるかもしれない。

 

 

 互いの命と誇りをかけた殺し合いは、すでに始まっていた。

 何かのきっかけがあれば、両者共に動き出すだろう。

 

 狩人たちの赤い瞳の奥には、強烈極まりない殺意の火が今もギラギラと輝いているのだから。

 

 

 

 静寂の中で向き合う一人と一匹。

 

 白い毛並みの座布団アイルーはすでに戦闘区域を離脱して、せっせと採集に励んでいた。

 

「せめてオトモが戦闘職だったらソロハンター卒業出来るのに……ソロハン卒業前に童貞卒業したけど……酒の勢いで……うわ、マジで笑えない……クズ野郎が……」

 

 どんよりと、覇気のない表情でブツブツと独り言を呟くハンターは、話し相手がいないことに慣れてしまっているのか、独り言を発するのに何ら抵抗を覚えていない様子であった。

 しかし、その視線は相対するディノバルドの全身を隈無く這っていて、寸瞬の隙も見せていない。

 

 視線を目の前のモンスターに固定しながら、穏やかに足を踏み出した。

 エリアの端と端、向かい合う彼我の距離は四十メートルほど。

 星が雲に隠れた夜空、雲の向こう側から覗く蒼い月の光が、ひっそりと、静かに世界を照らし出す。

 

「まあいいや、人と呼吸合わせるのに手間取って、その間に殺されたら笑えないし。

 うん、俺にはコイツがいるし。武器は相棒、武器は友達、武器は恋人。

 なあ、ディノバルド。彼女の名前、“コトノハ”って言うんだ」

 

 突然、ブツブツと言葉が通じない相手に人の言葉で語りかけ始めた狩人は、てくてくと古代林の奥底の土を踏みしめて、相手を刺激しないように、しかし戦意を漲らせた瞳を爛々と輝かせながら歩いていく。

 脱力した腕がごく自然に背負う楽器(狩猟笛)へと伸ばされた。

 

「武具連合が付けたコイツの正式名称は【なるかみの音鈴(おんれい)乙鳴(おとめ)】って言う、水属性の狩猟笛なんだけど、コイツは【狐鈴コトノハナクテ】を強化して作った大切な武器なんだ。俺の半身。だから、コトノハ。いい名前だろ?

 ああ、そうだ。自己紹介がまだだった。ちなみに、本当にちなみにだけど、俺の名前は――」

 

 自信のなさそうな声で語りかけながら、愛しさのこもった手付きで狩猟笛の柄を触る。

 

 全く自然な動きで手の平の内へ狩猟笛を握り、

 

「――レオンハルト・リュンリー。ハンターだ」

 

 そう名乗りを上げながら、レオンハルトは狩猟笛の柄を括り付けていた武器ホルダーから【なるかみの音鈴(おんれい)乙鳴(おとめ)】――“コトノハ”を一気に引き抜いた。

 

「せっかくの話し相手を殺すのは惜しいけど、俺はお前を殺したい」

 



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生存本能全開クエスト

 シャリン!

 

 一際強く鳴らされた神楽鈴の雅な音が、緊張していた戦場の空気を一瞬にして闘争の迸る凛としたものへと変える。

 美しい桃色の蓮が花開くように、可憐で清らかな鈴の音は、天へと昇る魂の道を示し、慈悲無き戦の幕開けを告げた。

 

 

「ギャア゛ッッ!!」

 

 歴戦のディノバルドが短く吼えた。

 爆発した空気の波は、古代林を強く打ちながら広がっていく。

 ビリビリと防具を打ち据える咆哮。

 割れる静寂、古代林を満たしていた緊張が破壊され、かき乱される。

 

 弱肉強食、自然の因果の前には人の倫理など意味を為さず、ただそこにあるのは闘争のみ。

 目の前に立つ敵全てを屠る自然界の王者は、王の座す闘争の頂に侵入してきた愚かな人間を、全力を以て排除し捻り潰さんと、殺意に全身をたぎらせた。

 

「止めろよ、そんな大声いきなり出されたら、ちびっちゃうだろうが。マジで」

 

 大質量の音を打ち消すように、レオンハルトは“コトノハ”の手元の弦へ指を伸ばし、力強くかき鳴らす。

 

 シャン、リン、トンテンシャン――!

 

 “コトノハ”の鈴へと繋がる機構が動き、細く丈夫な弦とともに優雅な旋律を紡ぎ奏でた。

 瞬間、全身を浮遊感が包み込む。

 四肢に漲る力強さ、血液が沸騰するかのような興奮、それとは反対に研ぎ澄まされていく神経、鮮明になっていく視野、思考はよりクリアーになり、右肩に担いだ“コトノハ”の発する妖艶で苛烈な戦意に柄を握る両手で応えた。

 

 髪の毛の先から足の爪まで、身体中に張り巡らされた感覚が、古代林に流れる張り詰めた空気を、斬竜ディノバルドの荒々しい呼吸を、その力強き心臓の鼓動を感じ取る。

 

 そして、鋭敏に尖った知覚神経が、四十メートル弱の距離を一跳びで縮めて飛びかかってきたディノバルドの心臓の収縮を、下肢の動きを捉えた。

 

 踏みつけ、からの尻尾による斬撃――!

 

 ドンッッ!!と地面が蹴りつけられて、大質量が宙を跳ぶ。

 

 圧倒的な脚力によってなされる大跳躍。

 

 赤く染まったディノバルドの太ももをレオンハルトの眼前に寄せ、その速度と質量を以てちっぽけなハンターの身体を挽き潰そうとするが、レオンハルトはそれを紙一重の距離で身体を捻って避ける。

 狩猟笛を握る手に力を込めながら、大跳躍の勢いを目を見張るような脚部の筋力で殺すディノバルドに振り返ると、シャランシャランと優麗な音を立てる“コトノハ”を斜め上へ振り抜いた。

 

 至近距離の回避によって自然と詰められた彼我の距離。

 勢い良く振り回された“コトノハ”が、ディノバルドの脚裏を打ち据える。

 

 ガリッッ!

 

 赤黒い欠片が宙を舞い、鱗がバラバラと地面に落ちた。

 “コトノハ”から清らかな水が垂れる。

 

「いいね、削れる。このまま剥がしてやんよ」

 

 続けざまに“コトノハ”が右へ振られ、大上段に振り下ろされ、また左へと打ち抜かれる。

 “コトノハ”の一撃一撃は重く、ディノバルドの堅い甲殻を容赦なく削りとっていく。

 

「ギャアァッッ!」

 

 ディノバルドは火の粉を吐きながら吼え、足下で好き勝手に暴れる挑戦者を噛み千切らんと、振り向きざまに火炎を帯びた牙をレオンハルトへ迫らせる。

 

「っ!」

 

 その凶刃をまたも紙一重でかわすと、火の粉を掻き分けて前転したレオンハルトがアクロバティックな動きで身体を切り返し、ディノバルドの膝を打ち、太ももを殴りつけ、赤い喉元を打ち抜いた。

 

「ギッッ」

 

 ディノバルドの口元から漏れる僅かなうめき声。

 レオンハルトは素早く身体を転がしてディノバルドの眼前に躍り出ると、“コトノハ”をゴツゴツとした王者の頭部へ振り回す。

 

 ゴッッ、ガッッ、ゴンッ、ゴリッ、ガッッ!

 

 右へ、左へ、右へ、上から振り下ろし、ぐるんと体軸を回して、下へ伸びた顎を“コトノハ”で打ち抜く。

 尖った下顎に衝撃を受け、脳を揺らされたディノバルドが思わず空を仰いだその一瞬で、レオンハルトは狩猟笛の演奏に踏み切った。

 

 シャン、トンテンシャン――!

 

 鈴の旋律が夜の古代林を揺らすと共に、指先の感覚が研ぎ澄まされ、筋肉のない耳殻に力がみなぎった。

 “コトノハ”の紡ぎ出した不可視のオーラが、レオンハルトを守らんと防具ごと身体を包む。

 瞬間。

 

「ギャォアァッッ!!」

 

 古代林の空間を破壊するかのような大音量が解き放たれた。

 身体の弱い人間が至近距離で食らえば、鼓膜を破られるに止まらず、内臓と頭蓋を破裂させてしまうような破壊力を持ったその咆哮に、しかし、レオンハルトは耳を塞ぐ真似もせず、素早い身のこなしで瞬く間にディノバルドに肉薄した。

 

 狩猟笛に許された特殊な技巧の一つ、演奏は、体力の回復から神経の鋭敏化、気力(スタミナ)の底上げまで、多岐にわたってハンターをサポートする。

 “コトノハ”の流麗な音がもたらす演奏効果の一つ、“高級耳栓”は、モンスターによる音響攻撃を無効化してしまう力を演奏者や仲間に与えるものだ。

 憤怒の絶叫を夜空に向けて放ち、ディノバルドが顔面の向きをレオンハルトへと変える。

 

 交錯する憤怒と殺意の視線。

 剛き牙の生え揃った凶悪な口から火の粉が漏れ、今度こそレオンハルトを噛み砕かんと迫り、華麗な旋律を戦場に響かせた“コトノハ”がディノバルドの頭蓋を砕き割らんと振り下ろされる。

 

「ギャッ!?」

 

 果たして、レオンハルトが打ち下ろした“コトノハ”は、ディノバルドの頭を強く殴りつけ、容赦なく地面に打ち下ろした。 

 

 ぐらぐらと揺れる視界。

 脳に加えられた強烈な衝撃。

 

 いかなディノバルドと言えど、その巨躯に命令を下す最上位機関にダメージを与えられてしまえば、まともに抵抗する(すべ)を失ってしまう。

 

「ほら、隙あり」

 

 ちっぽけで孤独な人間(ハンター)は、目の前で身体を揺らし、ふらふらと致命的な隙を晒してしまったディノバルドに、ここぞとばかりにラッシュを決める。

 右から殴打、左から顎を打ち、回復しないうちに額を強かに殴りつけ、赤熱した喉元をぶち壊すように振り上げた。

 それが決定打。

 

 バキッッ!!

 割れてしまった喉の甲殻から、シュゴォォォッ!と高熱が漏れ、地面を這う下草を焼き払う。

 ディノバルドの口から溢れていた火の粉がかき消え、ディノバルドが身体をかち割られるという痛みと衝撃でようやく意識を覚醒させるが、

 

「遅い」

 

 目を回していたディノバルドが身を引こうと判断するよりも早く、足下へと回っていたレオンハルトが“コトノハ”をぶん回した。

 

「ギャア!?」

 

 ギャリリリリッ!と金属音が響き渡り、ディノバルドが悲痛な叫び声を上げて倒れ込んだ。

 ディノバルドの太ももを護る異常に硬いはずの甲殻が無惨に剥がされ、下に控える分厚い筋肉を露出させる。

 

「硬いな。流石は長寿個体。スタミナもありそうだ。もしかしたら、獰猛化個体か?」

 

 ブツブツと独り言を呟くレオンハルトは、身体を止めずに近くの草むらへ駆け込み、自身の胸ほどもある赤くて大きな樽をえっちらおっちらと転がしてきた。

 超重量を支える重要な脚部に打撃を加えられ、なんとか立ち上がろうともがくディノバルドの脚に、それは添えられる。

 

「ダメージはどうか知らないけど、甲殻剥がすならやっぱ爆破だね」

 

 そうして、地面を引っ掻き回し、傷つけるディノバルド(モンスター)を狩らんと走るレオンハルト(ハンター)は、手に握った石ころを、内部への衝撃で爆破する爆薬がこれでもかと詰められた樽型爆弾――大タル爆弾Gへと思いっきり投擲した。

 

 ヒュンッ、と風を切って飛ぶ小石。

 赤い樽の上面縁からひょこっと飛び出していた雷管に当たって、大タル爆弾Gの爆発に必要な衝撃が加わった。

 

 弾ける閃光、瞬時に広がっていく熱風。

 無音の衝撃の後に、ディノバルドの咆哮をも凌駕するほどの爆音と激震が古代林に走った。

 

 

 

 



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決着

 頭上の木の葉がざわめき、風に吹かれてなびく雲は西に傾き始めた月の光を遮ることを止め、太古の海を泳いだその遺骸が静かに趨勢を見守る。

 

「――おうおう、まだ立つのか」

 

 そう呟く鋭い眼光の男――レオンハルトの視線の先に、土煙を振り払って堂々と佇むディノバルドがいた。

 既に頭部へと反り返った背熱殻はその幾つかが粉々に砕かれ、威容を誇った顔には数多の殴打痕がこれでもかとつけられている。

 

 脚部を護る甲殻も見る影はなく、あちこちから血を流し、満身創痍と言うより他はない体の彼はしかし、王者たるの矜持を未だ失わず、眼前の敵を叩き潰さんとする意志と底なしの闘志を燃やして立っていた。

 

「名持ちでもおかしくないタフさと攻撃力だぜ。相変わらず、ギルドの調査の杜撰さが業務に支障を来す勢いだぜ。まあ、アイツ等にこいつレベルを正確に調査させんのはブラックどころの話じゃねえけどな」

 

 レオンハルトと“コトノハ”の連撃を全身に打ち込まれ、この戦闘が始まってから三度目の爆撃を食らって、尚も王者はその膝を折ろうとはしない。

 清められた水と鈴の音に翻弄され、儚げな朧月夜に捧げられた神楽舞のような連撃に全身を打ちのめされ、それでもディノバルドは自らの命を賭して立つ。

 対して、レオンハルトは掠り傷一つない防具を翻して、全身に傷を負い、完全な劣勢に立たされて尚もその闘志と殺意を失わないディノバルドに、敬意と殺意を以て相対していた。

 

 いくらダメージをモンスターに与えようと、彼らは個体としては、完全に人間のそれを上回るポテンシャルを秘めている。

 どこまで追い詰めようと、彼我の生物的な差は埋まらず、死は常に隣で笑っている。

 

 手負いの獣に見せる隙などどこにも存在しない。

 あるのは純然たる“狩り”の意志のみ。

 

 ぐっと“コトノハ”を担ぎ直すと、レオンハルトは重量のある物を背負っていることなど微塵も感じさせないような軽い足取りでディノバルドへと接近していく。

 その足取りは、僅かに右に傾いている。

 

「ほら、来いよ」

 

 彼我の距離二十メートルと言うところで、レオンハルトの挑発に誘われてか、間合いと判断したのか、ディノバルドが大地を揺るがす突進を行い――

 

「ッ、チッ!」

 

 ――レオンハルトの眼前で飛び上がり、バク転のような動作で鋭利な刃物のような尾を振り上げ、古代林の地面ごとレオンハルトを斬りにかかった。

 

「そう簡単には騙されないってことか。やっぱお前、他のハンターと戦ったことあるだろ」

 

 そうブツブツと呟きながら後退するレオンハルトの視線の先は、ディノバルドが跳躍した場所の少し手前──落とし穴を設置した場所。

 余所見をするなとばかりに叩き込まれてくる斬撃を後方に飛んで避け、身体を返してディノバルドへと迫り、“コトノハ”を振る。

 

 シャラン、シャリンと音を立てながら、ゴスッ、ガスッ、とディノバルドの傷をえぐっていく神楽鈴。

 差し込む月明かりを反射して、薄桃色の鈴は清らかな旋律を奏でる。

 音の刃に身を打たれ、ディノバルドの身体から血が吹き出すが、彼は構わずに尾の斬撃を繰り出した。

 

 横に転がり、後ろへと下がるレオンハルトと、つかの間にらみ合い、ディノバルドは自身の蒼い尾を牙へと当てた。

 死力を尽くして自分を殺そうと迫るディノバルドの意図を察して、レオンハルトは全身の力を抜いた。

 

「よし、決着といこう」

 

 なんでもないことのように呟くハンターは、中腰になって神経を研ぎ澄ませる。

 

 ギャリリリリィィッッ!

 

 牙の間に挟まれた尾から死の研磨音が奏でられ、金属質の堂々たる刃が、その鋭さを一層の高みへと昇華させる。

 飛び散るオレンジ色の火花は、刹那の生を駆け抜ける生き様そのものだった。

 その時間、僅か一秒足らず。

 必殺の斬撃が、熱と共に放たれた。

 

 

「――苦しまずに、死ね」

 

 ジャリィィィンッッ!!

 

 硬いものを斬るかのような、鋭い切断音。

 溜めに溜められたディノバルドの代名詞たる“斬竜の尻尾”の一撃が、彼の全力を以て炸裂した。

 空間ごと切り裂くかのようなその一撃に、レオンハルトは敢えてその必殺の剣へと突貫し、身を捻りながらの回避を決めて見せた。

 

 勢いを反転させて放たれる振り上げのカウンターがディノバルドの左側頭部を打つ。

 たまらず右側へと身体を倒したディノバルド。

 

 ズボッッッ!!

 

 その巨躯は、無慈悲なまでに計算されて、先ほど難なく飛び越えた落とし穴へと落とされた。

 

「ギャッ、ギィ、ゴァァァァッッ!!」

 

 怒りからだろうか、追い詰められた焦りからだろうか、己が命を燃やしながら、なんとか人間に陥れられたその穴から脱出しようと足掻くディノバルドに、レオンハルトは自らの全力を向けた。

 鈴によって加重された“コトノハ”を、まるで流れる水のごとく滑らかな動作で体軸を斜めに回転させながら、ディノバルドの身体を打ち据えた。

 

 ドゴッッ、ドゴッッ!!

 

 二撃、三撃と、“コトノハ”がディノバルドの頭部へと吸い込まれる。

 容赦のない攻撃は、せめてもの情けだ。

 

 ――――。

 

 一瞬、世界から全ての音が消えた。

 

 鈴の音も、虫の鳴く声も、木の葉の立てるざわめきも、ディノバルドの唸り声も、そよぐ風さえもが黙り込む。

 レオンハルトが大きく息を吸い込み、“コトノハ”の吹き込み口(マウスピース)へと口を添える。

 狩猟笛使いの狩技、“音撃震”。

 

 

 ジャラァァアアアッッ!!

 

 

 “コトノハ”が絶叫した。

 

 

 

 

 狩猟笛の狩技の一つ、音撃震は、ハンターがその精神力を振り絞って楽器たる笛に息を吹き込み、圧縮した空気の圧倒的な震動によって敵を討つ攻撃。

 

 熟練の狩猟笛使いが使用すれば、その威力は大タル爆弾Gをも凌駕するほどのものである。

 

 

 使用後はかなりの疲労感と賢者タイムのごとき虚無感とを抱き合わせて感じるために、使用どころを間違えると致命的な隙を晒しかねない。

 

 逆に、勝負所で持ち出すことで、一気に決着へと持ち込める大技である。

 

 

 果たして、レオンハルトが放った渾身の音撃震は、ディノバルドの頭蓋を見事に吹き飛ばし、古代林の王者に揺るぐことのない死を与えた。

 

 赤く染まった地面に飛び散る脳漿。

 

 力無く倒れ伏したディノバルドの全身から流れ出る赤い血液が古代林の地面へと染み込み、新たな命の糧へと成り変わっていく様を見つめながら、レオンハルトは静かに呟いた。

 

「……ああ、寂しいな」

 

 

 自然界の王者として君臨していたディノバルドの末路は凄惨であった。

 

 全身をズタズタになるまで砕かれ、威風堂々を誇った甲殻は跡形もなく、殺意と闘志に爛々と輝いていた瞳は力無く閉じ、その代名詞たる尻尾は刃こぼれして破壊されていた。

 

 だが。

 

 その死相は、完封と言っていいほどの狩り、屠殺と表されるような圧倒的な死を与えられてなお、憎らしさに歪んだものではなかった。

 

 堂々とした死に様。

 

 傷一つ負うことなく自身を殺した(ハンター)に対する恨み辛みも、己が生涯を掛けて磨いた戦闘技術の悉くを無に帰すかのようにあしらわれたことへの悔しさも、“名”を馳せることもなく死に逝く哀しみも、生態系の強者たるを保つしがらみも、何もかもから解き放たれた表情。

  

 心静かに、何も思い残すことなどないと、穏やかな矜持は静かに古代林に沈んでいった。

 

 

 

 どこからともなく、虫のなく声が聞こえ始めた。

 

 完全な勝利を背に、紅蓮のハンターは戦場を後にする。

 

 “コトノハ”の流麗な鈴の音が月光の差し込む道を祓い清め、古代林には殺し合いの騒がしさが消え、再びの静寂が舞い降りる。

 

 彼女の身体はすでに水で洗い清められていて、血糊一つ残っていない。

 

 燐光の仄かに漂う、黒洞々たる夜はさし曇り、やがて神楽舞に清められた月の道をも影に隠した。

 

 

 

 

 

 

 



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サービス残業、開始!

 ザアザアと降り出した雨は止む気配を見せず、闇夜と雨霧の向こうは見通しが利かない。

 

「……なあ、お前、傘持ってる?」

 

「アイルーに何期待してるのニャ。あちきらは雨に濡れたら身体をブルブルさせれば良いからニャ」

 

「便利だな」

 

「正直、旦ニャ様は雨が降ってるどころか海の中の狩り場に生身で飛び込んでいく人種ニャんだから、別に気にすることでもない気がするニャ」

 

 一人と一匹が歩く雨の小道は、ゼンマイ型の巨大な植物が生えるエリアを抜けて、古代林に訪れるハンター達の拠点、ベースキャンプへと繋がっていた。

 

「違うんだよね。なんだか、こう、雨の日はなんとなく嫌な予感がすると言うか、あー傘差したい気分だなー、みたいなさ。まあ、獣には分からないシックスセンスってヤツだよ」

 

「旦ニャ様、野生の勘を舐めてもらっちゃ困りますニャ」

 

「でもあれだよ、これでようやく家で休める。1ヶ月? どれくらい? とにかく久しぶりの我が家だ! マイホームだ! マイベッドだ! ヒャッホウ!

 いやあね、今回の狩猟はなかなかの難度だったし、慈悲深くないどころか熱烈なまでに邪知暴虐上司なモミジさんも、流石にお休みくれると思うんだよね!」

 

「傷一つ付かニャかったクセに、よくそんニャこと言えるのニャ」

 

 ハンター――レオンハルトはビチャビチャと泥を踏む。

 ふと、レオンハルトはアイルーの方に俯いていた首をあげて、辺りを見回した。

 

「……なんか、今、音がしなかった?」

 

 眠たげな目が細められ、注意深く周囲に視線をとばす。

 

「雨の音以外聞こえないニャ。アイルーに聞き取れない音を聞き取るってどう言うことニャ。旦ニャ様は人に(はニャ)しかけられたい思いが強すぎて、耳もおかしくなっちゃったかニャ?」

 

「シッ! 静かに」

 

 軽口を叩くアイルーに短く鋭い指示を出す。

 

 レオンハルトの目の色を見て取ったアイルーは、彼が本気で警戒態勢に入っていることを確認して、ニャゴニャゴと鳴らす口の端を引き締めた。

 

 土砂降りに打ちつける雨音。

 ジャージャーと流れる雨水。

 雨と闇の世界。

 

 柔らかな地面の水溜まりに次々と雨が突き刺さっては波紋を広げ、枝葉にぶつかっては飛び散っていく。

 ゴロゴロと遠雷が鳴り響き始めた。

 

 ビシャビシャビシャビシャ――

 

 バチャバチャバチャ――

 

 ピシャピシャ、パチャ、ゴロゴロゴロ――

 

 

 パシャッ。

 

 

「ッ!!」

 

 弾かれたようにレオンハルトは走り出した。

 

 刺すように降り注ぐ雨粒が視界を潰さんとするが、それを無視し、目を細めて暗闇の向こうを見渡そうとする。

 ガシャガシャと身にまとう鎧が音を立て、しゃらんしゃらんと“コトノハ”が笑うような鈴の音を奏でる。

 

「ニャ!? どうしたニャ!? 何かいるのかニャ!?」

 

「ああ! 馬車だ! 恐らくガーグァの竜車一つ、交易の人間だ! 何かに追われてる! モンスターだ!」

 

「なんでそんニャことが分かるニャ!? やっぱり旦ニャ様の耳はおかしいニャ!」

 

「どうしてこんな時期に!? ディノバルド二頭が古代林に出没している情報はギルドから出ているはずだろう!? それに、普通のモンスターなら気配を悟って近づいてこないはずだ!」

 

 ビシャビシャと泥を跳ねながら、先ほどの狩りの疲れなど微塵も見せず、全力疾走をしていくレオンハルトに追随しながら、雨音にかき消されないよう大声でアイルーが叫んだ。

 

「旦ニャ様が討伐に出たというのを聞いて安心した口に違いニャいニャ! ここ最近、近所の村がディノバルドの出現情報で孤立しているってのも有名ニャ! 食糧が足りてないってことらしいし、ニャるべく速く行きたかったって感じだと思うニャ! いい人だニャ!」

 

「クソッ、村々への救援かよ! ああチクショウッ、後は家に帰るだけじゃなかったのかよ!」

 

 食糧不足に喘ぐ村々への救援と言うことならば、なおさら放ってはおけまい。

 どうせ、強力なディノバルド二頭の力に怯えて、脅威になるモンスターの多くが別の場所に逃げていると考えたのだろう、多くの護衛をつけずに、拙速を尊んだのだろう。

 結果、脅威となるモンスターに遭遇し、必死に逃げているのだ。

 

 ガラガラガラガラ――!

 

「ニャ!あちきにも聞こえてきたニャ!」

 

 竜車の車輪が忙しく回転する音、ガーグァのグワグワと言う必死な鳴き声、金属質の物がカンカンと何処かにぶつかり、何かを必死に叫んでいる御者の声まで聞こえてきた。

 

「さて、何が出てくる?ディノバルドのことを考えれば、ドスマッカォか?足音がよく聞こえねぇし、もしかしたらホロロホルルって可能性も……、…………。…………ん?」

 

「…………ニャ?」

 

 そして、一人と一匹は気付いてしまった。

 

 バキバキバキバキバキバキ――ッッ!!

 

 にぎゃぁぁぁぁぁ!

 

「…………ん。なんかさ、木、折れてね?」

 

 ピカッッ!! ゴロゴロゴロ……。

 

「…………あちきもそんな感じがしますニャ」

 

「…………どっかにさ、雷とか落ちた?」

 

「…………んニャ、全然そんニャことニャいのニャ」

 

 

 つまり。

 

 竜車を追っているのは、竜車に刺激されて“木を折りながら”これを追うモンスター、ということになる。

 加えて、モンスターの跋扈する危険な場所をくぐり抜けなければならない交易商、それも竜車乗りとなれば、大型モンスターを下手に刺激して自分を窮地に追い込むようなことはしないはずだ。

 そうしない技術を持っているからこそ、交易商は成り立つのだ。

 

 つまり。

 

 モンスターの縄張りには人一倍敏感で、ハンターズギルドの出す情報に明るく、大抵のモンスターの食性や生息痕跡からどのルートが一番安全であるかを計画できる彼らが、出会わなければいけないようなイレギュラーが出現している。

 

 つまり以上より従ってそうするとつまり、

 

「下手な刺激をしなくても人を襲う。モンスターの息遣いに敏感な交易商が察知できない移動範囲を持つモンスター……」

 

「……嫌ニャ。あちき、おうちかえる。いつも戦わってないケド」

 

 ビカッッ!! 

 

 ドガガガガバギギィッッ!!

 

 凄まじい音を立てて、雨雲から降り注いできたその閃光に照らされて、レオンハルトたちの視線の向こう、木々の密集している辺り――ベースキャンプから、一頭のガーグァと、それに引かれた竜車が飛び出してきた。

 

 それを追うようにして、メキメキバギバギと太い木の幹をへし折るかのような音が近づいてくる。

 

「いやまさかそんなはずは、だって、おかしいでしょ、俺、今――」

 

 

 そして、それは古代林の狩人拠点(ベースキャンプ)を見事に踏み潰しながら、その姿を現した。

 登場の衝撃の余波でひっくり返る竜車、人影が竜車から投げ出される。

 

 ビカッ、ビカッ、と光る雷に照らされる深緑色は、余りの色の濃さに闇夜へ紛れる漆黒とさえ見紛うほど。

 巨大な顎、見るからに強靭な脚部、異様に太い尻尾、そして巨大な顎。

 

 ディノバルドが生態系の頂点であるならば、彼のモンスターは言わずと知れた生態系の破壊者にして蹂躙者。

 

 健啖の悪魔、“恐暴竜”イビルジョーである。

 

「――水属性笛、担いでるんですけれどもぉぉぉぉ!?」

 

 

 なお、イビルジョーには水属性を帯びた武器がとても効きにくい。

 

 

 

 

 

 

 

 圧倒的な絶望感である。

 

 帰宅、からのモンスターの脅威から遠ざかった安全な白シーツベッドへのイン、と言う素晴らしい希望をちらつかされ、さあ帰ろうとしたその矢先にこれである。

 あの、見るもの全てを自分の食糧だと思っているかのような、暴食の欲にまみれた眼光に、本能的な怖気が走る。

 

 鳥肌が立ち、乳首が硬く勃起する。

 インナーに擦れて軽く気持ちいい。

 すごくどうでも良い。

 

 最悪である。

 とてつもなく最悪である。

 全身を疲労感が包み込む。

 

 いかに無傷と言えど、さっきまでディノバルド二頭を討伐していたのだ。

 集中力なんてキレッキレである。悪い意味で。

 このままでは、死ぬ。

 

 と言うか、

 

「ねぇ、ベースキャンプ壊されちゃってんじゃん。あそこ、モンスターに侵入されないって謳い文句じゃないの? ねぇ、おかしくない?」

 

「嫌ニャ、あちきは食べても美味しくニャいニャ。おうちかえる。食べるならこっちのクソぼっちコミュ障ハンターを食べるニャ。きっと肉質最高で美味しいニャ」

 

「このクソドMアイルー、簀巻きにしてたこ殴りにしてやろうか?」

 

「それはむしろ是非ともお願いしたいところニャ!」

 

 チッ、と舌打ちしながら、レオンハルトはイビルジョーが咆哮を上げる態勢へ移行したのを見て取って“コトノハ”を引き抜き、ブンッ、ブンッと振って彼女に気力を送り込んでから旋律を奏でる。

 兎にも角にも、誇りある龍歴院の一ハンターとして、あのイビルジョーと戦う以外の道はない。

 

 シャリン、トンテンブーッッ!?

 

 そして、吹いた。

 

「は!??」

 

 レオンハルトが視線を差し向ける向こう側で、咆哮を上げるイビルジョーへと、竜車から投げ出された小柄な人影が走り寄っていったからだ。

 そのまま肩に背負っていた四角い箱型の物体を腕に抱え、吼え終えたイビルジョーに細長い筒状の物を向ける。

 

「護衛のハンターか!」

 

 バスンッ、バスンッ、と高い発射音を響かせながら、己の武器――恐らくライトボウガン――からイビルジョーに弾を撃つハンターは、イビルジョーの注意が自分に向けられたと見て取った瞬間に、武器を片手に右手の方向へと走る。

 

 すなわち、竜車とは反対の方向へ。

 だが。

 

「ッ、避けろ!!」

 

 レオンハルトが走りながら叫ぶ。

 それでは()()()()()()

 

 モンスターのヘイトを集める効果がある狩猟笛の音に、何故か反応しないイビルジョー。

 雨音にかき消されてしまったのだろう。

 

 二十メートル以上の距離――ボウガンの適正距離圏外――からの狙撃、ある程度は離れているという安心感、或いは経験不足による判断ミスからだろうか、イビルジョーの飛びつき攻撃が見事にハンターを襲った。

 

 強靭な脚の端に引っかかり蹴飛ばされる、ハンターの小柄な身体。

 玩具のように吹き飛ばされる彼、或いは彼女の飛んだ先へと、また一跳びで移動すると、上からのし掛かるようにしてハンターを見下ろす。

 

 硬直する小柄なハンター。

 近くに、胴の防具が転がっている。

 

 ――初心者用の防具の一つ、ジャギィレジストだった。

 

 ――ああ。

 

 

 腰のポーチから煙玉を取り出し、走りながら前方の地面に打ち付ける。

 雨煙に紛れる白煙が、辺り一帯に広がり始める。

 

 つまりは、イビルジョーのような、危険な大型モンスターと対峙したことがないのだ。

 砲身の先の震えは、未知の、圧倒的な強者に対する恐怖から。

 目の前のモンスターは、自分の力では対峙することすら遠く及ばないと知っていたのかもしれない。

 知らずとも、イビルジョーが発する捕食者の気配は、恐れるに余りある。

 

 知識がなくとも、見れば分かるようなヤバいモンスターなのだ。

 何でも――上位ハンターの堅固を誇る防具でさえも――溶かし、食べてしまおうとするモンスターなのだ。

 

 ここで逃げの一手を打てばいざ知らず、あれの目の前に立ってしまえば、自分がどうなってしまうかなど想像に容易いことだったろう。

 

 それでも、あの小さなハンターはイビルジョーに立ち向かった。

 

 大勢を救うための大切な一手を、その背に負っていたから。

 恐怖に打ち勝つ理由というのは、案外ありきたりなものであり。

 その勇気は、サービス残業をするに十分値する。

 

 

 

 

 走る勢いをそのままに、右腰に振り抜いた“コトノハ”を袈裟懸けに振り上げた。

 

 シャリンッッ!!

 

「ギャアッ!?」

 

 勢いよく“食事”を始めようとしていたイビルジョーのしゃくれた下顎を強かに殴りつけ、強制的に仰け反らせる。

 暴食の権化と言えど、手慣れた全力の隠密で忍び寄り、脳震盪を狙ってヒットさせた会心の一撃には流石に応えたのだろう、たたらを踏んで後退した。

 

 ジャジャジャッ、と砂利質の地面に足でブレーキをかけ、片手に握りしめた“コトノハ”を肩に担ぐ。

 頭を振るイビルジョーは、己が何よりも優先する食事タイムを邪魔した不届き者をその食欲に濁った目で探し、レオンハルトを捉えた。

 

「――え?」

 

 背後から、雨音に紛れて疑問の声が発せられた。

 

 甲高い声から察するに、どうやらハンターはまだ年端のいかぬ少女であったようだ。

 彼女にも任せられるような道中に遭遇してしまった悪魔、そしてそれに立ち向かった少女の勇気。

 

 どれだけ腕が立とうと、どれだけ未熟なハンターであろうと、その一歩は余りに危険で軽率で、そして、どんなモノよりも価値がある。

 

 何より、女の子の前で格好つけないわけにはいかない

 

「グリャァァァアアアアッッ!!」

 

 怒りに身を任せて吼え猛るイビルジョー。

 

 ピシャ!!ドガガ、バリバリバリッッ!!

 

 またも落雷。

 どうせこの雷雨だ、あのクソ猫の言うとおりで非常に遺憾ではあるが、俺の声など彼女の耳に届やしない。

 

「……君の勇気は、俺が確かに引き受けた」

 

 ここぞとばかりにボソボソとクサい言葉を吐く。

 後で思い出せば、あまりの恥ずかしさに軽く死にそうなくささである。

 これが独り言でなくて何だというのだ。

 いつか、可愛い女の子に正面きって言える日が来るといいなぁ。

 

 

 アイツは何でも食べる。

 

 古代林に生える貴重な植物も、長い年月をかけて生き延びてきた動物達も、根絶やしにするまで喰らいつくし、果てはあの力尽きた二体目(ディノバルド)までもその貪欲な腹に収めようとするだろう。

 

 それは、赦されない。

 

 かのディノバルドは、最期の瞬間まで、己の矜持と刃を以て、敵に立ち向かおうとしたのだから。

 その本能を凌駕する何かを持つ生き様を、死に様を、この世界に刻んだ誇り高きを、雅なる鈴の音が天涯へと導いた高潔な魂を、このようなものに汚させるわけにはいかない。

 

 なぜならば、そうしろと俺が、俺の中の声が強く訴えかけてくるからだ。

 

 

「俺は、レオンハルト・リュンリー。ハンターだ」

 

 

 ただの一度を除いて、この声が間違ったことはない。

 



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Ⅲ セクハラ、ダメ、ゼッタイ
知らない天井だ……


「――うわぁぁぁああああッッ!!」

 

「うひゃぁぁぁ!?」

 

 

 チチチチチ…………。

 

 金色の陽射しが開け放した右手の窓から射し込んできて、ガバッと勢いよく身体を起こしたレオンハルトの目を刺した。

 

 明るさに思わず寝ぼけ眼を眇め、今し方窓辺から飛び立っていったのだろう小鳥の鳴き声を追って、外の景色を見る。

 稜線に白化粧を残す山の端から顔を覗かせた朝日。

 緑色が覆う高台に点在するムーファの白い群れ。

 赤色や黄色の気球が空を飛び、今朝は爽やかな快晴であることを雲一つ無い空を見て知った。

 

 目に新しい景色。

 上を見上げれば、真新しくて見慣れない木製の天井。

 茶色の濃さを見るに、ユクモ村原産の木をふんだんに使用した家屋ではないだろうか。

 ああ、こういう時に言うべき言葉はただ一つ。

 

「知らない天井だ……」

 

「……自分の家なのにですか?」

 

 そうその通り、ここは愛しのマイホーム、長い間帰っていなかったせいで忘れていたのか、全く馴染みがないし懐かしさも感じない。

 

 なにそれつらい。

 

「……忘れてたんだよ。自宅のベッドから見える光景」

 

「うわぁ……なんて可哀想な人」

 

「やめろ、俺を哀れむな……はぁ」

 

 思わず溜め息が口をつく。

 気づかないフリでもしていようかと思ったのに、なぜそれを言ってしまうのだろうか。

 悪い夢を見ていたような気がするが、現実と悪夢との違いはさして存在しない。

 寝起きで凝り固まった首筋をマッサージしながら、グリンと首を左側に向ける。

 

「……あのさ。言いたいことはいっぱいあるんだけどさ」

 

「愛の告白とか?」

 

「違う。とりあえず、ここ、俺の家だって分かってるなら、なんでお前はここでそうしているわけ?」

 

「センパイ、溜め息吐くと幸せ逃げてくらしいですよ。ばっちゃが言ってました。それよか、急に叫び出さないで下さいよ。びっくりしちゃうじゃないですか」

 

 亜麻色の髪の毛を後ろで一つに纏め、クラシックドンドルマ風にアップした少女が、真面目な顔をして返事をしてきた。

 

 キャミソールにショートパンツという非常にラフな出で立ちもさることながら、プーギークッションを腹に敷いて『月刊 狩りに生きる』をうつ伏せになって読んでいるそのくつろぎ方は、どう見ても自分の家でのリラックスの仕方である。

 小麦色の肌の大胆な露出が艶めかしくて、思わずゴクリとのどが鳴った。

 

 傍にはドンドルマ名物のクッキーの入れ物。

 同じやつが、確かうちの戸棚にも入っていたはずだ。

 

 くりくりとした栗色の目は、いかにもレオンハルトのことを気遣ってますと言う風である。

 アドバイス、痛み入ります。

 

「おうおう、ばっちゃが言うなら間違いないな。ばっちゃの知恵袋はとっても役に立つからな、って違うわッ!」

 

「え、なに、違うんですか?」

 

「違うよ! お願いだから質問に答えてっ!? ここ俺の家だよね? お前、それはあまりにもくつろぎ過ぎじゃね? てか、なんでここにいるの? 何よりそのクッキーはどっから持ってきた? まさかうちのじゃねーだろうな?」

 

「んーと」

 

 少女は少し考えてから、口を開いた。

 

「私の名前は、お前じゃなくて、アナスタシアですよ?」

 

「聞いてねーよッ!?」

 

「えー、じゃあなに、なんですか、なんなのよ。はっきり言って下さいよセンパイ。矢継ぎ早に質問されても、どこから答えればいいのか全然分かりませんよ」

 

 最初からだよ。

 両頬に空気を溜めて、いかにも、私、不満です、というような顔をする少女、アナスタシア。

 

 あれぇ?

 俺また自分の中できちんと話していた気になっていただけなの?

 違うよね?

 ……違うよね?

 ちゃんとはっきり言ってたよね?

 たくさんって言われるほど話してないよね?

 …………大丈夫だよね?

 

 …………くっ、コミュ障として自分のした(と思っている)発言に自信が持てなくなってきたぞ。

 

「なんでお前は」

 

「お前じゃなくて、()()()()()()、ですよ? アナって呼んで下さいっていつも言ってるじゃないですか」

 

「……なんでアナちゃんはここにいるのかな?」

 

「え、アナちゃんって呼ぶの止めてくれません? センパイにちゃん付けで呼ばれると怖気が止まらないんで。主に不審者的な意味で」

 

 泣くぞ?

 アナスタシアは、腕をさすって怯える、といういかにもな仕草をして抗議してくる。

 

「……何この子、すごくイラッとくるんだけど」

 

「と言いつつも、センパイは奔放な後輩女子に振り回される休日の朝も悪くないな、と心の中でささやかな幸せを噛みしめ、日頃の疲れを癒すのでした、まる」

 

「変なモノローグを並べて閉めようとするんじゃない。追い出すぞ。あとそのクッキー、俺にも一つ寄越せ」

 

「全部食べちゃいました~」

 

 てへっと舌を出すアナのやんちゃっぷりには、もはや呆れるしかない。

 ガキだ。知ってたけど。

 

 そもそも、久方ぶりの休日だと分かっているのなら、少しはそっとしてあげようとか、休ませてあげようだとか、そういう気遣いとかしたらどうなのだろうか。

 公式休暇中のレオンハルトは、床に寝転がって雑誌を読む後輩ハンターに白い目を向ける。

 

 

 と、天国が見えた。

 

 

 …………おへそのあたりでクッションを下敷きにしているためか、突き出したお尻のぷりぷりっぷり。

 

 床に押し付けられた小ぶりなお胸、浅すぎず深すぎずの魅惑的な谷間。

 『キャミソールの胸元の隙間から見えそうで見えない、あ、でもあの陰ってる部分ってもしかして』というチラリズムの代表格たるアレ。

 

 総じて、朝から非常に目のやり場に困らない格好でいらっしゃる。

 お金も取られずに、十六歳の少女の春画のような艶姿が見放題である。

 

 本当にけしからん。

 ありがとうございます。

 さっきはあんなこと言ってたけど、ずっとこの家で暮らしてもらっても良いですよ!

 クッキーたくさん買ってきてあげるから!

 今ならお家賃は0z!身体で働いてもらう(意味深)、お家賃はそれでいいから!

 

 …………いやいや、こんなことを考えている場合じゃなかった。

 

 そういう下世話なことを考えているから、あんな悪夢を見るのである。

 ここ最近のハードワークで随分溜まっているものと思われる。

 おかしいな、身体の疲れはとれているのに、ベッドから起き上がれない……。

 ここからのアングルが絶景すぎて…………間違えた。

 

「重力が、重力加速度が強すぎる…………ッ!」

 

「何わけの分からないこと言ってるんですか」

 

 溜まっているだけです、お気になさらず。

 それにしても、肉体の疲労が拭われたこの感覚、やはり自宅のベッドと言うのは格別なようだ。

 朝から雄大な自然の景色を見れたり、むき出しになったすべすべの太ももを見れたり、つやつやのきめ細やかな少女のお肌を見れたり。

 

 我が家で自分の家にいるかの如く寛いでくれるほどの信頼を見せてくれる後輩を裏切るわけにはいかないのだから、見る以上のことは絶対しない。

 だが、寝起きにいただいた目の保養は、肉裂き血飛沫(しぶき)啜る地獄から戻ってきたこの身には、まさに天に昇るご褒美である。

 

 ひと月ぶりの我が家、最高だぜ…………!

 

 こんなガーグァの如く働くゴミ虫のような俺に休日を下さったモミジさんはマジ女神である。

 

『いくら人間じゃないレオンハルトさんでも、さすがに少しくらい休んだ方が、もっと効率よく仕事してくれますからね!今日から三日間はじっくり休んで下さいね!』

 

 下界の汚物を見る女神の如き慈愛に満ちた目、いただきました!

 感謝、敬礼、アーメンッ!

 

 …………するわけないだろ。

 疲れてるな、頭が。

 

 三日間も休日が貰えるというのは、『僕とモンスター達の楽しい野生生活~for One hundred days~』の予兆に過ぎないなんてことは、働くハンターにとっては最早常識の範疇である。

 死んだ。

 百日間は無理。

 

 

 

 

 

 狩り場への移動というのは、意外と心身への負担が大きい。

 

 いつモンスターに襲われるか分からない緊張感をぶつけられ続けるのはもちろんのこと、狩りの計画、イメージトレーニング、武器の整備など、やるべきことは沢山ある。

 

 そして、モンスターの討伐は言わずもがな、ろくな休息もとらずにこれを続けるのは、ハンターとしては非常に危険であるし、1ヶ月もやってしまえば、普通は体調を崩すか、狩猟に集中できずに失敗し、命を落とすことだってある。

 

 しかしながら、ハンター歴十一年、酒場や街に繰り出してみれば、『あ、アイツまたぼっちしてるぜ』と後ろ指をさされる気がし、近所付き合いの悪い若い男が何日も家を空けた後に戻ってくると『あら、あの人誰?何?不審者?嫌だわぁギルドに通報しなきゃ』と何もしていないのに事案に発展してしまうという苦い経験から、家に帰りたくない、だから帰らない、という選択をする現実に慣れてしまうハンターも、一定数存在する。

 

 結果、“狩り場は家”“武器は友達”とばかりにギル畜耐性をガンガン上げてしまい、クエスト受注に一切の間をおかない、やる気無限のソロハンターが完成するのだ。

 

 俺ことレオンハルトさんである。

 

 最近は近所付き合いが前ほど辛くないので、普通に家に帰りたいです。

 

 出来る限りの直帰希望。

 

 龍歴院に帰ってはクエスト受注して出撃、帰っては出撃をひと月余裕で続けるハンターというのは、流石に気持ち悪いなと、自分でも最近自覚し始めたところ。

 

 周りからの視線が日に日に遠くからのものになってしまっていっているのを感じ取れるのは、他人の視線に敏感なぼっちの面目躍如と言ったところだろうか。

 

 いやぁっ、レオンハルトさんの敬遠(ぼっち)化がさらに進んじゃうのぉ!

 

 しかしながら、社会的生命が死ぬ(レイプ犯として捕まる)くらいなら、ぼっち化を甘んじて受け入れるのがレオンハルト・クオリティ。

 

 いくらハンターであろうと、意を用いずして力を振るうモンスターが跳梁跋扈するこの地上で、人間社会から弾き出されてしまえば、コロッと死ぬか、食べられてしまうのがオチである。

 

 その前に、ギルドナイツに殺処分される可能性もある。

 

 何もかも、過去の自分のしでかしたことであるから、責任はとらねばなるまい。

 

 来る野生生活に向けて鋭意を養うため、この三日間は有意義に休まねば。

 

 

「朝ご飯作ろ…………」

 

 精神的に重い身体をギチギチと動かして床に足をおろし、立ち上がってうーんと伸びをした。

 パキパキと背中から音が立つ。

 質の高い寝具を使うのが久し振りだったためか、少し節々が痛い。

 睡眠時間を十分にとり、朝陽をしっかりと浴びたおかげで、頭はすっきりと快調だ。

 

 んあぁっ、全身が起きたくないって訴えかけてきてるのぉ!

 もうちょっと見せてぇっ!

 ……なんて、思っていない。

 全く思っていない。

 鎮まれ邪念! 

 

 

 

「……あ…………」

 

 しまった、とでも言う風に、アナスタシアが声を発する。

 

「なんだよ、なんかマズいことでもやらかしたのかよ」

 

「あ、いえ……その………」

 

 明後日の方向へ目をそらす彼女。

 

 思ったことはすぐに言うタイプのアナが見せる妙な態度に、少しばかりの疑念と緊張感が走る。

 

「ん?どうした?」

 

「だから、その、えっと…………」

 

 ちら、とこちらに視線を投げて、すぐに雑誌に目を落とし、また、ちら、とこちらに視線を投げては新しい朝の風景が広がる窓を眺めたりする。

 

「言いにくいことか?俺で良かったら相談相手になるし、男にはあまり言いたくない話題だったら知り合いを紹介するけど」

 

 くっ、我ながら完璧な対応、まさに『悩める後輩に優しく声をかけるできた先輩の図』である。

 コミュ障クソ野郎と定評のある俺ことレオンハルトさんではあるが、ことコミュ障ぼっち仲間のアナを相手にすると、自然と普通の人のように言葉が出てくるのである。

 

 普通の人のように喋れるのである!

 普通の人のように!

 重要なので三回言いました。

 

 

 やはり、ハンターとしての先輩・後輩関係と言うのがぼっち心理学的に効果的なのだろう。

 人間はしばしばhierarchy(ヒエラルキー)によって、その公的立場、私生活、果ては人間性までをも支配、判断してしまうことがある。

 

 アイツはぼっちだからハンターとしての腕も大したこと無いだろう、とか、アイツはぼっちだから彼女もいない童貞インポクソ野郎だ、とか、アイツはぼっちだからクズみたいな性格で話してもつまらないのだろう、とか。

 実際にその人間のことを深く知ったわけでもないのに、レッテル貼りをしてしまう。

 ソースは俺。

 

 だが、我々が人間である以上しょうがないことではある。

 相手より人間的・社会的・個体能力的な格が上か、下か、たったそれだけのことで、人間関係やコミュニケーションの形、相対したときの精神的余裕などに差が生まれるのだ。

 

 それが、人間の進化によって獲得した性質の一つなのだから。

 実際、例えぼっちであろうと、精神的優位、会話する社会的理由が存在していれば、日常会話などとは比べ物にならないほど舌がよく回る、なんてことはざらにある。

 

 と言うわけで、できた先輩であるレオンハルトさんは迷える後輩のアナスタシアちゃんを手取り足取りアレ取り導いて差し上げるのだ、ふふっ。

 

「ちが、その、女の人には言いにくいと言いますか、でも男の人にも言いにくいですし、あの、センパイに言わなきゃ駄目なんだろうなぁ、とは思うんですけれども、なんとなく躊躇われてしまうな~、と言いますか…………」

 

「俺に配慮してんの?大丈夫だって、俺、容赦なく言われるのにはある程度慣れてるから。俺、何も怒らないから。言ってごらん?」

 

 容赦なく色々言われるのは最早日常茶飯事なのだ。

 どうでも良いけれど、ドンドルマのハンターズギルドの受付嬢さんの、『怒らないから正直に話して下さい(にっこり)』が激怒不可避ルートだった率は異常。

 大量に湧いてしまったネルスキュラを生態系維持のために連続狩猟してこいって言われたから、軽く五十匹くらい狩っただけだろ!

 嘘偽り無く話したのに、どうして怒られるんだよぉ!?

 

 だが、それがいいッ!

 我々の業界ではご褒美ですッッ!

 

 …………それにしても、本人の聞こえない所で囁かれる悪口雑言の類は、なんでああも天井知らずに人の心をえぐるんだろうか。

 本人たちは聞こえないだろうと思って陰口を叩いていても、言われてるこっちは結構聞こえてる、なんてことはざらにある。

 別に気にしてないけどね。

 

 陰険ぼっちインポ野郎とか言われても、全然気にしてないけどね?

 

「えっと、それじゃあ、言いますよ?容赦なく()っちゃいますよ?」

 

「お、おう。どんとこい!」

 

 過去に紡がれた自分への陰口に心を痛めているレオンハルトの内心など知りもせず、すぅ、はぁ、と深呼吸をして気合いを入れるアナスタシア。

 

 …………待てよ?

 

 この流れ、もしかして、後輩女子による真正面からの罵倒という、我々の業界では特級のご褒美を賜っちゃうやつか!?

 それとも、ま、まさか、我が人生初の、あ、ああああ愛の告白!?

 おお神よ、私をハンターにしてくださってありがとうございますッ!

 アナスタシアという奇跡の聖美少女と巡り会えた幸運をありがとうございますッ!

 

「そ、その」

 

「おう!」

 

 意図せず、胸が高鳴っていく。

 

 それはあたかも、飯屋で素晴らしい料理を目の前にしたときの感動のようで。

 

「せ……センパイのセンパイが、狩り場から戻ってきてません!」

 

 そして、それがほかの客のテーブルに運ばれていったときのような喪失感を伴っていた。

 

「…………は?」

 

 あれ?罵倒、じゃないの?

 少なくとも愛の告白ではなさそうだ。

 今夜は月が綺麗ですね、はい、死んでも良いです、みたいな雰囲気ではない。

 

「……ごめん、意味が分からないんだけど」

 

 ずっとぼっちだったから、先輩と呼ぶべき人もいないし…………なんなら他の人が狩猟しているところすら一度も見たことがないくらいだ。

 

「だ、だからっ、センパイの、センパイが…………」

 

「俺の、俺?」

 

 レオンハルトさんのレオンハルトさんが、一体どうしたと?

 

「もうちょっとはっきり……」

 

 …………ん?

 

「そ、そんなの無理ですっ!」

 

 …………。

 Wait a minute(ちょっと待て).

 

 レオンハルトさんの、レオンハルトさん、だと?

 つつつつ――っと視線が下りていく。

 見るに耐えない生傷の多い胸板、密かに自信のある腹筋。

 

 そして。

 臨戦態勢になって下腹部のインナーを内側から押し上げ、立派に屹立したレオンハルトさんのレオンハルトさん。

 おはようございます、世界のみなさん。

 僕は今日も元気です。

 

 …………Oh.

 

 

 



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イレクション・エモーション

「今朝の主菜はベルナ産のベーコンと取れたてのサラダだよ!」

 

「…………はい」

 

 微かな朱を頬に浮かべたアナが、微妙に視線を逸らしながら頷いた。

 

「パンもフェルミンさんとこの焼き立てだし!目玉焼きは、なんと!最近発見されたガーグァの亜種、“コッケコーコ”の卵だ!片手で握れるお得サイズで味も良好!鶏の卵より栄養価も高い優れもの!」

 

 “チャブダイ”と呼ばれる丸い短足テーブルに並べる皿の説明を滔々と並べて、アナの反応を伺う。

 

「…………はい」

 

 しかし、彼女の反応は素っ気なく、目線も全く合わせてはくれない。

 

「サラダのドレッシングは、実はレオンハルト工房調合の自家製レシピだったりするんですが……」

 

「…………知ってます」

 

「…………お、美味しい、ですよ?」

 

「…………知ってます」

 

 我が家の食卓に何度かタカリに来ているアナは、そう言いながらまた目線を遠くへ投げて、気まずそうにしながら、

 

「……し、白いですよね、自家製ドレッシング…………あっ」

 

 と、やや控えめな大タル爆弾Gを投下してきた。

 

「…………うん。そうだね」

 

 言いにくいなら言わなくても良いのに……。

 

 “チャブダイ”をひっくり返したくなるほどの居たたまれない沈黙が降りた朝の一幕。

 

 レオンハルト特製、白いドレッシングだよ!

 

 少し粘り気があるけど、とっても美味しいよ!

 

 今朝搾りたてのミルクを使っているから、白くて新鮮なんだ……!

 

 

 …………全部真実であるところが、誤解を生む致命的な手助けをしている。

 いえ、別に材料がナニと言うわけではなく、普通のミルクを使っているのですが。

 

 ()()()()()ミルクですが。

 

「え、ええっとっ、なんか変な感じになっちゃいましたね! そ、それ、それじゃあ、いただきます!」

 

「あ、うん、じゃあ俺も、いただきます、しようかな?」

 

 レオンハルトはアナのやや強引な幕切りに感謝しつつ、それに賛同して手を合わせた。

 

 

 

 

 ――カチャ、シャキ、もぐもぐ、ゴクッ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 沈黙に包まれた朝餉。

 二人が咀嚼し、嚥下する音だけが妙に大きく聞こえる。

 遠くから、ムーファの首に付けられた鈴が立てる、カランカランと牧歌的な音が風に乗って窓辺から流れてきた。

 

 ……さて。

 どうしたものか、とレオンハルトは思案する。

 

 今朝方起こってしまった()()、レオンハルトさんのレオンハルトが力強く立ち上がってしまっていたことを一体どう釈明したものか。

 

 このまま放っておけば、自分の手で引き起こした強姦事件の二の舞になりかねない。

 

 レオンハルトはパンを千切る手を止めて、じっと目の前に座る少女を眺めた。

 

 静かに動く滑らかな手は、とてもハンターをしている女性のものとは思えないほど綺麗で、恥ずかしげに下を向き続けるつぶらな瞳は清らかな少女のもの。

 小さな口があーんと開けられて、柔らかく濡れた唇が焼いたベーコンをパクリとくわえ込んだ。

 きめ細やかな頬は処女雪のようにシミ一つ無く、もぐもぐと動かされる顎は非常に優美で繊細なラインを描いている。

 すっと通った鼻梁は言うにや及ばず、やがてベーコンを飲み下し、上下する喉の艶めかしさに、思わずごくりと唾を飲み込む。

 自然と視線が引きつけられる胸元、控え目ではあるもののしっかりとした自己主張をする双丘、すっと目線を上げれば、くりっとした栗色の瞳と目があった。

 ドキリと、心臓が音を立てる。

 

「……ど、どうかしたんですか?」

 

「え、あ、いや、そのだな……」

 

 思わず口ごもってしまった。

 

 頑張るんだ、コミュ障ぼっち!

 ここで男を見せなければ、過去の敗北を繰り返すことになるぞ!

 男の男は見せないけどな!

 

 いや、そもそもなんでぼっちが女の子を家に上げてるんだ。事案一歩手前だぞ。

 

「ええ、今朝方起こってしまったというか、起きてしまっていたアレの話なんだが」

 

「えっ!?あ、はい!」

 

「その、アレはだな、まあ、狩りに行くと、命が危険に曝されるわけだろう?そうすると、我が身に宿る生存本能が大変活動的になってだな。ハンターをやっていると、狩猟中に、その、(しゅ)を残せと身体の中から命令が出されるんだ」

 

「え、ええ、知ってます」

 

 ……こういうことは、普段の会話に増して言いにくい。

 

 伊達にコミュ障ぼっちを何年も続けているわけじゃないんだ。

 

 性的な話題なんて、異性との間以前に、同性の友達とさえしたことが無く、それどころか同性の友達すら持ったことがない。

 

 経験不足どころの話じゃない。

 

「だから、その、そう、例えば、お前がよく狩っているセルレギオスだが、あいつも俺たちの手で狩るとき、死の間際に股間部分の鋭刃鱗が興奮状態になっているだろう?」

 

 それでも、言わなければならなかった。

 

 自分に興奮したんじゃないか、そういう疑念があるからこそ、アナはいつもと違って舌の周りが鈍くなっていたのだろう。

 

 雄として、アナの女性的な側面に興奮したということで、モミジさんとのようなギクシャクした間柄になってしまうんじゃないかと、そればかりが恐ろしかった。

 

「あ、はい。セルレギオスの捕獲の際は、適切な攻撃を加えた後に、股関節部分にのみ集中している特別な鋭刃鱗が開いているかどうかで見極めをします。私の故郷では、それを見てセルレギオスを追い込む谷を決めていましたので……」

 

 こう言っては傲慢なのだろうが、アナには一人のハンターとしてのみならず、一人の人間としても、身に余る信頼を持ってもらっているという気持ちがあった。

 

「そう、生存本能なんだよ。ああ、違う、なんて言うかな……せっ、あ、いや…………せ、生殖本能?そうだ、生殖本能だ!」

 

 彼女もまた、周りからは一つ外れて、ポツンと一人で立っているハンターだった。

 酒場ではいつも隅の方に座り、酔っ払いでもして誰かの迷惑になったらコトだと酒は飲まず、ワイワイと狩猟成果に沸き、自慢話に花を咲かせながら杯を酌み交わす同僚達の眩しさに目を(すがめ)ながら、胸元に飾ったセルレギオスの反逆鱗を指先で弄る覆面のハンター。

 

「せ、生殖本能ですか…………なんか、生々しいですね……」

 

 ごくりとアナが喉を鳴らす。

 二席空いた向こうに座るその顔は見えずとも、彼女の表情は見えきっていた。

 それは、傾けた“龍ノコハク酒”に映る自分の顔でもあったから。

 

「そう、生殖本能だ。だから、つまり、外敵と命のやりとりをすると、生殖本能が存分に刺激されてだな、男の場合は、色々と溜まるのだ」

 

 トモダチ、ではないのだろう。

 どちらが声をかけたのが先だったのか、今ではよく思い出せないが、それは、モミジさんのように、仕事の上で知り合ったことが始まりではなかったのは確かだ。

 それは、同情心とか、ぼっち仲間意識だとか、そういった感情だったはずだ。

 

「た、溜まるんですね…………」

 

 それが、こうして家に入り浸って、朝食を振る舞ったり振る舞われたり――俺が振る舞われたことはないが――する関係に発展している。

 

 先輩・後輩の関係と言うことに落ち着いて、それなのに、ハンターとしての先輩・後輩であるのに、一緒に狩りに出向いたことはない。

 

 ハンターズギルドの集会所でよく見られるような、『一狩り行こうぜ!』すらも、俺達にとっては遠い世界の出来事だったのだ。

 

 それでも、他の同業者達とのものに比べれば、遥かに親しい関係で。

 

 何物にも代え難く、捨てられない。

 

 或いは、モミジさんにかけて貰っている期待のように俺の心を縛り付け、独りきりであるのに断ち切れない社会との縁のように無条件に縋ってしまいたくなるような、奇妙な関係。

 

「いや、別に、変な話とかではなくてだな! 俺は1ヶ月の間ほとんど狩り場にいたわけで、ずっと、その本能が刺激されていたわけなんだ」

 

 だからこそ。

 今の、心地の良いこの関係を壊したくなかった。

 もしかしたらそれは、ぬるま湯に浸かっているだけの、浅はかで表面的でしかないものなのかもしれない。

 余りにも脆く、他の人間だったら曖昧のうちに消滅させてしまえるような、それほど重要でもない関係なのかもしれない。

 それを判断するには、とてもじゃないが人生経験が足りていない。

 それでも、言葉に出来ない俺達の間にあるのは、男女の情だとか、ぼっち同士の傷口の舐め合いだとか、その程度のものではないと思うから、

 

「…………だから、朝のアレは、別に、アナに興奮したとか、そういうわけじゃないから!」

 

 躊躇いを断ち切って言い放った。

 

「……………え」

 

 瞬間、アナスタシアの顔が固まる。

 

「あれは本当にただの事故で、余りに忙しい中で生殖本能が刺激され続けた結果というか、なんというか…………とにかく!」

 

 レオンハルトは、恐れていた事態を避けんと必死で言葉を紡いだ。

 

「アナのことを性的な目で見てたわけじゃないしっ、女性らしさなんてちっとも感じてないから――ッ!」

 

 …………あ。

 

 そこまで言い切って、レオンハルトはようやく気が付いた。

 目の前でじっと座ってレオンハルトの言葉を聞いていたアナスタシアの目尻に、涙が浮かんでいることに。

 

 

 俺、今、なんて言った?

 アナに興奮したわけじゃない。

 性的な目で見ていたわけじゃない。

 女性らしさなんて、ちっとも感じていない?

 

 ――最低じゃないか。

 

「……ちが、これは違うんだ。そうじゃなくて、その……」

 

 自分のことしか考えていない。

 必死になって釈明をして、自分の発言によって傷付けられるかもしれない相手の気持ちなどお構いなしに好き勝手こじつけて言い訳をして。

 無責任な言動が人の心をいとも簡単に痛めつける事など、その身を持って理解していたんじゃなかったのか?

 

「…………なんですか?」

 

 焦って言葉を紡ごうとして失敗するレオンハルトに、アナスタシアは静かに問いかける。

 ジワジワとその体積を増やしていく涙は、もう決壊寸前であった。

 分かっていた。

 痛すぎるほどに分かっていたはずだ。

 発してしまった言葉はもう取り返せない。

 それが怖くて口を閉ざしていたはずなのに、それでも自分の側へ近付いてきてくれた人に対して、なんという仕打ちだろう。

 

 最低な裏切り行為だ。

 言葉が武器よりも人を傷つけやすい凶器であるということなど、互いに知り尽くしていた。

 だから、そう多くを語るわけでもない二人で、いい具合の関係を築けていたのではなかったのか。

 それを、よりによって自分を(かば)い誤魔化すために使うなど、裏切り以外の何物でもなかった。

 

 ああ、終わってしまったのだ、とレオンハルトは空虚な穴の空いた心の中でそう呟いた。

 必死になって守ろうとしたのは、砂の橋であった。

 自分で水をかけて落としてしまった、サラサラとした砂の橋。

 そら、見たことか。

 アナの目に浮かんでいるのは、いつか見たあの色ではないのか。

 自分はつくづく愚かな人間だ。

 少しでも仲良くなってしまえば、たちまちにその人を傷つけてしまうのだから。

 そして、性懲りもなく何度もそれを繰り返す。

 

 ぼっちであったのも、当然のことだった。

 これも全て、人とのコミュニケーションを恐れ、避けてきた弱い自分のツケだろう。

 ああ、ならば、せめて。

 目の前で泣いてしまいそうになっている人の、我が手で砕いてしまった笑顔を、その責任くらいはとらなければならない。

 

「……さっきの言葉は、ええと…………嘘なんだ」

 

 我が身を守るための言葉なんて、捨ててしまえ。

 

「嘘、ですか?」

 

「うん、あっ、勿論、全部嘘ってわけじゃなくて、その、アナの女性らしさを感じてないってところが。狩り場で、生殖本能…………性欲が溜まっちゃうのは、他のハンターに聞いたことはないからよく分からないけど、少なくとも俺は溜まっちゃうんだよね。

 マジで死にそうなときとか、本当にヤバいし。初めて名持ちリオレイアとやり合ったときとか、初火山でテオ・テスカトルにばったり出会っちゃったときとか、正直この目で相手が倒れるのを見るまで、ずっと、その……ぼ、勃起、してたから」

 

「…………そうですか」

 

 頬を赤く染めながらも、初心(うぶ)な少女の目は揺らぐことなく、まっすぐとレオンハルトを見続ける。

 

「だから、1ヶ月狩猟生活を過ごして、性欲が溜まってて、立ちやすくなっていたのもそうなんだけど…………やっぱり、キッカケというか、俺の男が立ち上がっちゃったのは、その……アナの刺激的な格好を見ちゃったからで」

 

 正直、恥ずかしさで死にそうだったし、年下の女の子にそんな告白をしている時点で男としてどころか人間としてどうかを問うべきレベルだろう。

 出るとこに出られれば、確実に事案として処理される案件だ。

 それでも、彼女を傷つけてしまった言葉の補完は、止めようとは思わない。

 

「今朝は、いつもなら普通に過ごせるようなアナの普段着に、俺のバカ息子が愚かしくも反応してしまいましたッ!」

 

 ガバッと姿勢を整えて、両膝を床について座り込み、上体を勢いよく倒して額を床へ叩きつけながら、

 

「申し訳ございませんでしたッ!!」

 

 誠意を込めて土下座した。

 

 

 メ゛ェェェェ、とムーファの鳴く声が窓から入り込んでくる。

 

「……センパイ、頭を上げてください」

 

 頭上から降ってきた言葉に、レオンハルトが恐る恐る顔を上げると、

 

「その……私も、なんと言いますか、お仕事が忙しくて、色々と疲れていたセンパイに配慮が足りてなかったですし」

 

 (つたな)いながらも、悩みながら必死に言葉を紡ごうとするアナスタシアの姿があった。

 

「センパイが喋るの下手くそなのは、私も一緒ですから分かっていますし。さっきの言葉も、流石に私も女ですから、ちょっと傷つきましたけど、でも、センパイに全然悪意がなかったのも知っていますから。少し驚いちゃっただけですから」

 

 それは、レオンハルトを気遣っている言葉と言うだけではなく、きちんと“ぼっち”のレオンハルトを見て言っているものであった。

 

「それに、狩りで、その、溜まっちゃうって言うのは、私も分かりますし……」

 

「へ?」

 

 つい、レオンハルトは呆けて口を半開きにしてしまう。

 

「あっ!? い、今の無しで!!」

 

「え、でも」

 

「とにかくっ!!」

 

 レオンハルトの言葉を無理矢理に断ち切って、アナスタシアは一気に言い切った。

 

「今朝のは時効ということで! 言い方はおかしいですけど、私は許しますから!」

 

 風に乗って空を飛んでいく気球が、窓の外から見える。

 

 ふわりと吹き込んだ風が、柔らかく二人の間を通り過ぎた。

 

「……許して、くれるの?」

 

「その、私に魅力を感じてくださったのなら、別にその事を責めようとは思ってませんし。なんなら、他の人に言うんじゃないかとか、センパイが一番思ってそうなことはしないと約束できます」

 

「うぐっ」

 

 図星のレオンハルトが思わず唸り声を上げる。

 

「何か、他に心配していることはありますか?」

 

 そんな彼の様子にクスリと笑ってから、アナスタシアは口下手な先輩へと問いかけた。

 

「じゃあ……」

 

 少しの間だけ悩んでから、レオンハルトは躊躇いがちに尋ねる。

 

「これからも、(うち)に来てくれる?」

 

 アナスタシアは一瞬、きょとんとしてから、「そんなこと」と言って少し笑い、

 

「勿論です。美味しいごはん、たくさん食べさせてくださいね!」

 

 

 家に招き、招かれる関係。

 

 ああ、実に奇妙なものだけれども、その言い方が一番しっくりくるかもしれない。

 

 

 



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エピローグ

「ザブトン! 朝ご飯出来たぞー! 生きてるかー?」

 

「ニャニャ! おはようございますニャ、旦ニャ様!」

 

 窓の外から四つ足で飛び込んでくる白い毛並みのアイルー、ザブトン。

 

 最近はザブトンのアイルーなのか、アイルーのザブトンなのか、自分のアイデンティティについて悩んでいるようだ。

 

 ザブトンはザブトンだろ、とは思うのだが、本人が納得する答えがでるまで、温かく見守ってあげるべきだろう。

 

「あ、ザブトンちゃん、おはよ~」

 

 アナスタシアの緩い挨拶に、ザブトンはキッと目をつり上げて二足歩行になり、

 

「ニャ、でたニャ自称後輩ハンター! 旦ニャ様の貴重な安息日を邪魔するんじゃニャい! 今日こそはおミャーを」

 

「はい、マタタビだよ!」

 

 アナスタシアがポケットから取り出したマタタビを、無造作にザブトンの顔へ投げつけた。

 瞬間、

 

「んほぉおおおおおッ! しゅごいニャぁあああああああッ!」

 

 ブルブルと腰を震わせ、とても猫とは思えないような、他人(ひと)様には見せられない淫欲に歪んだ表情を晒して、ザブトンはその場に倒れ込んだ。

 

 そんなアイルーに、アナスタシアは喜々とした表情で駆け寄る。

 

「ほら、今日もしっかり(しつけ)てあげる!」

 

「ニャッ!? そ、そこは駄目ニャ、お尻は、アッー!」

 

 ぞぷっ、とあまり聞きたくない音が響いた。

 ピクピクと痙攣するザブトンの身体は蕩けきっていて抵抗する力を完全に失っている。

 仲良くじゃれ合っている一人と一匹を尻目に、レオンハルトは食器を洗い続ける。

 ベルナ村は山から流れてくる清らかな雪解け水のおかげで、水にはほとんど困らない。

 水を貯めた桶の中から取り出した手を雫が伝い、ぽたりと流しに落ちた。

 

「ここが良いんでしょう?うりうり~」

 

「ひニャぁあああああっ! ら、らめぇぇぇ! し、しっぽはよわ、あへぇぇぇぇっ!」

 

「あはは、ザブトンちゃんは面白いなぁ!」

 

 爽やかなベルナ村の朝には相応しくない光景かもしれないが、“猫だからセーフ”だとレオンハルトは思い直して、仲良く遊んでいる彼らを放置する。

 食器を洗い終え、戸棚にしまってあるクッキーでも出そうかとユクモ製の木戸を開け、

 

「……おい、アナ」

 

「んー? なんですか?」

 

「やっぱりお前、ここに入れてあったクッキー、さっき食べてたな?」

 

「あ、バレた」

 

「…………はぁ」

 

 いつも通りの貴重な休日。

 この幸せが、ずっと続けばいいのに、と思う。

 だけれども、たまの休日の幸せは日常の厳しさあってこそなのだという陳腐なお題目も、今はストンと腑に落ちる。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 ――そして、大切な宝物のようにさえ思えた平穏が壊れるのも、一瞬の出来事なのである。

 

「レオンハルトさーん!おはようございま~す、龍歴院所属研究員のモミジです!」

 

「い゛っ!?」

 

 食後のお茶をゆっくりと飲み干したところで、玄関から天使のような悪魔の声が響いてきた。

 

「センパイ、また何かしでかしたんですか?」

 

「いや、心当たりが全くない」

 

 そう言いながら、レオンハルトは恐る恐る玄関の戸を開けに行った。

 

「おはよう。い、いらっしゃい、モミジさん」

 

「ええ、おはようございます。…………ところで、なぜアナスタシアさんはレオンハルトさんの家に?」

 

「別に?センパイに朝ごはんを貰っていただけですけど?」

 

「……本当ですか?」

 

 ぐるんと首を回して、長い黒髪を揺らしながら尋ねてくるモミジに、「い、いぇす、マム」と答えるレオンハルト。

 そんな彼をしばらくジーッと見つめてから、「まあ良いでしょう」と呟いて、

 

「今日はレオンハルトさんに、新しいお仕事のお話を持ってきて差し上げました!」

 

「え゛」

 

 悪魔のような天使(あくま)の爆弾発言を投下した。

 

「レオンハルトさんには、長年培ってきたそのハンターのノウハウを生かして、弟子を一人、育てて貰いたいのです」

 

「「…………え?」」

 

 二人分の疑問の声が発せられたのは言うまでもない。

 え?流石にそれは無理だよね?

 弟子をとるってことは、その弟子って人とめちゃくちゃコミュニケーションとらなきゃいけないってことですよね?

 俺のこと、コミュ障歴何年のプロぼっちだと思ってるんです?さっきもそれで失敗したばかりなんですよ?

 

 そんなレオンハルトの言葉は、『断るなんて微塵も想定していません』とばかりの慈愛に溢れた上品な笑みの前にさらけ出されることはなかった。

 

 人間、心の中を正直に吐けば上手くいくこともあるが、どうしたって上手くいかないこともあるのだ。

 

 今がそれ。

 断ったら社会的生命が死ぬ(強姦容疑でお縄)

 

 

 休日というやつは、俺を完全に置き去りにして海外旅行へと一人遊びに行ってしまったようである。

 

 ああ、今日もハンターズギルドはブラックだ。

 

 

 完全な自業自得だね、やったぜ。

 

 

 

 



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Ⅳ 休日に持ち込む仕事は趣味
プロローグ


「レオンハルトさん! 一流ハンターとして、新米ハンターの弟子をとってください!

 今日からしばらくの間は、レオンハルトさんが今まで培ってきた狩りのイロハを、ハンター業の後継者に伝授していただきます!」

 

 何十日ぶりなのかも判然としない久しぶりの休日、性別の違う後輩との、起こるべくして起きてしまった一悶着を乗り越えた矢先。

 ドアを開けたら顔を覗かせた鬼上司、もといモミジさんが、開口一番、コミュ障ぼっち歴十年の俺に向かって言い放った言葉がこれだ。

 いかにも面倒くさそうな話である。

 

 休暇初日の朝に飛び込んでくる仕事ほど嫌なものはない。

 クック先生狩りに出掛けたら、草むらからジョーが飛び出してきた時のような絶望感がある。

 弟子ってなんだよ。

 むしろ、俺が師匠(センセイ)を欲してるくらいだよ。

 

 とにかくも、本日のモミジさん朝一の命令、もとい依頼を要約すると、『他の人と一度も狩りに行ったことのないという点においては一流のソロハンターに、狩猟経験の浅い他人と一緒に狩りに行け』と言う業務内容のようだ。

 

 なるホモ。

 

 …………落ち着けレオンハルト。

 お前は強い子優しい子。

 

 よし。

 なるほど。

 

「…………つまり、俺に死ねと?」

 

「生きて帰ってこなかったら殺しますけど?」

 

 あ、今の“生きて帰って”くる対象は明らかに新米ハンターさんだ。

 モミジさんの俺を見る目が、ケチャワチャを前にしたクシャルダオラの目とそっくりだったもの。

 彼女の冷え切った瞳を見なくとも、“殺す”対象が誰かを考えれば、彼女の意図するところは確定的に明らかだけれども。

 つまり、俺に死ねと。

 

「…………ちなみに、いつからのご予定で?」

 

「今これからのご予定です!」

 

 Oh,my god(なんてことだ)!

 なんて素敵な笑顔なんだろう!

 あまりにも嬉しそうにキラキラと輝いている彼女の表情を見ていると、肩口から鳥肌が止まらない。

 まるで、ポポノタンの山を前にしたティガレックスの如き美しい笑顔。

 

 解せぬ。

 

「…………拒否権は?」

 

「なんですか、それ。聞いたことないです。食用ですか?」

 

 現在進行形でモミジさんに食われてます。

 清々しいくらいにさっぱりと拒否権を奪われ、休日を犯す理不尽の嵐に、レオンハルトは呆然として乳首を立たせている──とても気持ちがいい──と、耳元に口を寄せてきた人気No.1受付嬢が、後ろでアイルー(ザブトン)とじゃれ合っているアナスタシアに聞こえないような声量で、そっと囁いた。

 

「それに、そんなもの、アナタは認めないでしょう?

 ……私はあれほど、嫌だって言ったのに」

 

「…………ぅ」

 

 くっ、頭の奥がズキズキと痛む…………。

 さすがモミジさん、俺の攻め方を分かっていらっしゃる。

 乳首が勃っちまうぜ。

 だが、今日の俺はひと味違う。

 こちとら「はいはい喜んで」と二つ返事で承諾するわけにもいかない事情がある。

 今回の話は、本気で俺の生命が危険に曝されるものなのだから。

 

 

 ハンターを始めて十年ちょっと、いつか迎える予定である仲間が“武器の扱いに不慣れな新米であった場合”程度は、コミュ力高い系ハンターを目指す者として当然想定済みの事案である。

 何故ならば、相手がハンターとして日の浅い駆け出しならば、経験者として“話し掛ける理由”ができるからだ。

 

 勿論、駆け出しハンターに対して、自分が手づから教えを施し、後輩ハンターのハンター生命を切り開き導いてあげる、という対処をし、『やだ、レオンハルト先輩かっこいい!ステキ、抱いて!』となる予定である。

 そのために、一応ハンターズギルドで公認されているメジャー武器は一通り扱いを修めている。

 どんな武器を後輩が使っていようと、彼(あるいは彼女)よりもその武器の扱いに慣れていさえすれば、優しく指導する先輩ハンターとして振る舞える。

 これで、いつでも後輩ハンターと狩りに行ける、という寸法だ。

 名付けて、“レオンハルト先輩のコミュ力滅茶苦茶高くて頼りになるね!”作戦である。

 

 コミュ力とは、気遣う力であり、話しかけるわずかなキッカケでさえも逃さない狩人としての力である。

 だが、悲しいかな、現実は非常だ。

 仮に後輩ハンターを弟子にとり、一緒にパーティを組んで狩り場に行ったとして、この作戦の要となる部分が完膚なきまでに欠落しているのだ。

 すなわち、『武器の扱い方を教える』ということ。

 これが無理難題であるのだ。

 

 なぜか。

 

 それは、コミュ力が余りにも足りないお陰で、“気遣い”を発動するタイミングが全く想像出来ないからだ。

 もっと言ってしまえば、キッカケを狙うハンターとして、狙うべき獲物(キッカケ)がどこにあるのか、そもそもそれは何物であるのかが分からない。

 コミュ障プロぼっちにそのようなコミュニケーションを求めることは、言うなれば、ラージャンを見たことすらない新米ハンターに、「さあラージャン狩ってきて」と言い渡すようなものだ。

 後輩ハンターと同じ武器を担いで行って、狩り場で実戦がてら使い方を伝授する時に、当然その後輩ハンターとコミュニケーションをとる必要があるにも関わらず、いつ話し掛ければいいか、どういう語り口で教えればいいか、その会話の想定が出来ない。

 

 『レオンハルト先輩素敵!』となる結末は見えているのに、その過程となるコミュニケーションが完全に抜け落ちてしまっている。

 どうしたいかは明確であるのに、そこに至るまでの道のりが分からない。

 それこそがコミュ障である所以であり、これだからコミュ障であるのかもしれない。

 

 コミュ障であるから話せないのか、話せないからコミュ障なのか。

 コミュ障の発生は、まさに“ガーグァの卵”問題のようだ。

 

 

 残念ながら、アナにはこの作戦は使えない。

 彼女は、曲がりなりにも辺境の非公認ハンターの出自だ。

 すなわち、現場叩き上げのハンターなのである。

 他のハンターと狩りに行ったことが一度もないと、何故か自慢げに豪語する彼女は当然、一流ソロハンターということになり、そんな彼女に俺が教えることなど何もない。

 同じソロハンター同士、たまに意見交換をするくらいである。

 生粋のソロハンターであるというのは、生存率の観点から見ても、クエスト達成の観点から見ても、明らかに不利なのだが、コミュ障ならば致し方あるまい。

 むしろ、ソロの方が上手くやれる。

 

 ともかく、腕の立つ後輩は、『一狩り行こうぜ!』に誘う理由がないのである。

 理由もないのに、危険な狩りに誘うことが出来るだろうか、否、出来まい。

 それに、呼吸が合わせられなかったら、たとえどんなに簡単なイビルジョーあたりに喰われて死ぬか、ラージャンに撲殺される。

 アイツらは、こちらが苦しんでいるような狩りに、わけの分からない高確率で乱入してくるからだ。

 沸いてくる度に狩っているから、絶滅が心配されるくらいである。

 しかも、奴らの乱入は、大抵それが致命的なミスになりかねない瞬間を狙って行われる。

 

 酷いときには、(つがい)のリオレイアに手間取っている間に、狩る予定だったリオレウスをラージャンに文字通り狩りの横殴りをされて奪われたことだってある。

 あれはさすがにキレた。害獣(ラージャン)め。

 

 

 滔々(とうとう)とパーティ狩りをしたくない理由を並べ立ててきたが、パーティ狩りをしないのは、ぶっちゃけ『イヤだ』と断られるのが怖いだけだ。

 勇気を出して狩りに誘って断られるくらいなら、最初から諦めればよいのである。

 そうして、ソロに慣れすぎるが故に、自分の狩り場に他のハンターがいるという想像が出来なくなり、呼吸が合わなかったりしたらと怯えることになり、更に他の人を誘いにくくなる。

 こうして、悲しみに汚れちまった孤高のソロハンターは、負のスパイラルを積み重ねていくのである。

 

 ソースは俺。そしてアナスタシア。

 

 よって、彼女とは、あくまで暗黙の合意の上で狩りを共にしたことがないのだ。

 

 双方が、パーティ狩りにおいて、お誘いの段階から予想される恐ろしさを理解しているからこそ、狩りに誘い合わないのである。

 言い訳ではない。

 

 

 ともあれ、例えパーティを組んだとしても、お互いの息が合わなかったりすることがあれば、ただでさえ綱渡りのような繊細な駆け引きを求められる殺し合いの場ではそれが命取りとなる。

 腕の立つアナスタシアとだってそれは同じなのだから、ハンターになりたての新米であれば尚更のこと。

 自力のリカバリーを望めないのに、どうして新米と危険な狩りに赴ける?

 連れ立って狩りに行くことで気分が大きくなってしまい、自分たちの処理可能範囲外のモンスターの討伐へ赴き、そのまま帰ってこなかったパーティもたくさん見てきた。

 

 本当に、パーティ狩りは恐ろしい。

 

 したがって、弟子をとり、初パーティ狩りに挑戦なんてのは、断固拒否するのである。

 

 

 コミュ障が息の合わない即席パートナーとコミュニケーション無しで狩り場に赴けば、その先の未来は最早確定的に明らかだ。

 いくらソロ狩りと死なないことに定評のあるレオンハルトさんでも、そんな所業を犯せば軽く死ぬる。

 今までの人生、強大なモンスターと散々渡り合いながらも、なんとか生き延びてこられたのは、幸運であったことが大きい。

 

 それに、自己陶酔などではなく、ソロで狩りをすることにおける生存センスがあったのだろう。

 逆に言えば、こうしてパーティを組まずに一人で狩るというスタイルでなかったとしたら──固定パーティにせよ、マッチングパーティにせよ──、ここまで長くハンターライフを続けることが出来なかったかもしれないのだ。

 

 ハンターは危険を冒さない。 

 ハンターとして生きていくのならば、あくまで冷静に、自分が手を出せる限界を見極め、その一歩先に踏み出すか否かを決定する勘が必要だ。

 その勘が、パーティは危険だと告げているのだ。

 

 

 故に、今回の件は、どんな言い訳を弄してでも断らねばならない。

 さあ、孤高のハンター、レオンハルト一世一代の大勝負に打って出よう。

 モミジさんは基本的にドSだが、本気で人が嫌がることは無理に強いようとはしない。

 どこかの誰かとは違って。

 なんだかんだで、本気で抵抗すれば、無茶な要求は取り下げてくれることもあるのだ。

 

 

 



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上司と“相談”

「――モミジさん。大事な話があるんです」

 

「なんですか?」

 

「これから三日間、俺、休暇なんです。身体をゆっくり休めないといけないんです」

 

「ええ、知ってます。ですからお願いに来たんです」

 

「え?」

 

「え?」

 

 

 おかしいな。

 脈絡がつながってないというか、接続詞『ですから』の使い方が間違っているのに、彼女が何を言いたいかが伝わってきた。

 つまり、休日だから働けと。

 …………言葉の定義がやや崩れ気味ではあるが、一応の意思疎通(コミュニケーション)には成功した。

 つながりの社会性は保持できたのだ。

 

 そして、断るのには失敗した。

 

 双方の、“休日”という言葉に対する定義の与え方が違ってしまったのだ、本当はものすごくマズいが、この際諦めるべき事案である。

 だが、コミュ障クソ野郎がコミュニケーションに成功したというのは、大きな進歩であると考えて良い。

 次だ。

 一歩一歩、着実に努力を重ねて、勝利をもぎ取ろう。

 こういった苦境に立たされてこそ、プラス思考が大事になってくる。

 

 新米ハンターってことは、恐らく俺より若いのだ。

 

「俺、年下とコミュニケーションとるのにあんまり慣れてなくて」

 

「嘘はいけませんよ?あそこでアイルーと遊んで盛っている雌猫、あれは一体なんですか?」

 

 なかなか鋭い返しだ。

 

「盛っている雌猫って……あれって…………」

 

 確かにアナスタシアは気まぐれに家に入り込んでくるし――うちの鍵は本当に仕事ができない――、ころころと表情が変わるし、あまり人懐っこい方ではないから、少し猫に似ていると言えなくもない。

 だけど、アイルーのザブトンは猫で、猫とじゃれ合うアナスタシアは猫みたいだけど猫じゃないと思うんだ。

 

 あと、多分盛っている(わけ)でもない。

 むしろ盛っていたのは雄猫の方です、とは言わない。

 理由はよく分からないが、言ったら死ぬと、本能がそう叫んでいる。

 

「なんです?また女の子を連れ込んで、ご自分の欲望の捌け口にでもしようとしたんですか?」

 

 エスパーか!?

 

「違いますッ!ま、また、とか、人聞きの悪いことを言わないでくださいよ!?」

 

「『また』、ですよ?」

 

「ぐ…………」

 

 じとっ、とした視線に思わずたじろぐ。

 何故だろうか。今日はモミジさんの舌鋒がいつにも増して鋭い気がする。

 心なしか、断る余地を一切残していないように感じるのだ。

 この流れはマズい。

 

 長年培ってきた狩人としての勘が、生き死にのかかった戦いの悪い流れを悟っている。

 このままだと、俺は確実に狩られてしまう。

 ここは敢えて、直球勝負に出るべきか。

 

「モミジさん」

 

「なんでしょうか」

 

「俺は、今までずっとソロハンターとしてやってきました。他のハンターとパーティを組んで狩り場に出向いたことが一度もありません。この間、イビルジョーを狩ったときに、本当にたまたま、他のハンターと“初・一狩り行こうぜ!”をしたんです」

 

「ええ、存じ上げていますよ。レオンハルトさんは、コミュ障ぼっちのヘタレ野郎ですからね。他の方を狩りに誘うことなんて出来やしないでしょうから」

 

「グハッッ」

 

 …………なんだろう、自分でコミュ障ヘタレぼっちと称するのはちっとも苦しくないのに、他の人に指摘されると、その言葉が心にグサッと刺さってくる。

 他人に指摘される自分の欠点は、かくも痛いものなのか。

 しかしながら、こうして考えると、今まで互いのことを理解し合いながら、互いの内側に踏み入ったことを言い合える人がいなかったせいか、モミジさんに容赦なく心を踏みにじられるのも心地良く感じる気が…………しねーよ。

 

「……ええ、俺は確かに馬鹿阿呆クズ間抜けコミュ障ぼっちクソ虫ヘタレ野郎ですよ」

 

「いくら事実だからって、何もそこまで言わなくても…………」

 

 後ろから気まぐれ猫の憐憫に満ちた呟きが後頭部を殴りつけてきたが、人の言葉尻を気にしたら負けである。

 

「ですから、俺がハンター業の弟子をとって、後輩ハンターと一緒に狩り場に行くだなんて、危険極まりないんです」

 

「何故ですか?」

 

「そりゃ、コミュニケーションがマトモにとれないからですよ」

 

 自信満々に言い切る。

 ここで冷静になってしまって、相手に考えさせる時間を与えてはいけない。

 途切れさせないように、一気呵成に論破するのだ。

 数少ないコミュニケーション経験が、そう囁いている。

 

「ここ二、三年の間で俺が会話した人と言えば、モミジさんとアナスタシア、ザブトン、それから例の卵泥棒くらいですよ?

 そんな俺が、常に死の危険に曝される場所へ、いきなり見知らぬ人物と一緒に投げ込まれたらどうなるか、想像に(かた)くない。

 最悪、二人とも死ぬかもしれません。

 きちんとコミュニケーションがとれないのに、狩りの息を合わせられるわけもないですし、そもそも俺、後輩ハンターに、どう話し掛ければいいのか、何話したらいいのか、分かんないし……うぅ…………」

 

 ……必死にモミジさんに依頼の断りを入れていたら、何故か涙が出てきたぞ。

 

「確かに、モンスターならばいざ知らず、レオンハルトさんが初対面の人と普通に会話できないとは思えませんね。

 普通のハンターさんでも、顔合わせの一狩りは危険性の少ないモンスターの討伐を選ぶのが普通ですし」

 

 おお、モミジさんが必死の自虐に心を動かしてくれた。

 なけなしの自尊心(プライド)を傷つけたかいがあった。

 代償に、レオンハルトさんの精神力はもうゼロだ。

 うう、ベッドに身を投げ出して眠りたい……。

 疲れたよバトラッシュ…………。

 

 ああ、そうだ、今日は久しぶりに“ネアンデルタールの犬”を読もう。

 砂漠の国ネアンデルタールのオナニー狂いの暴君・ネロと、その愛犬ボルボロス(バトラッシュ)、彼らの心温まる交流は、人とモンスターという悲しい現実の差と、積み重なる悲劇によって引き裂かれ、やがて二人は共に愛してしまった一人のディアブロス(こいびと)の隣を賭けて、白濁液と鮮血に溺れた争いを繰り広げる…………。

 この大陸で今も広く愛されている不朽の名作だ。

 何回か読まないと、このお話の本当の良さは分からない。

 

「でも、初対面のハンターさん云々(うんぬん)なんて、レオンハルトさんには関係なさそうですね!どうせコミュ障ですし!」

 

 そして、今目の前で引き起こされた悲劇など、『ネアンデルタールの犬』に比べてしまえば大したことはないと、自分を慰められるのである。

 自慰(オナニー)だけに。

 本当に、オナニーのような人生でした。

 

 …………無駄撃ちされ、踏みにじられたプライドの弔いのためにも、ここは最後の攻勢に出よう。

 即ち、“このコミュ障ぼっち、話長いしマジキモい”作戦だ。

 ここまで来たら自棄(ヤケ)である。

 刮目せよ、これがプロぼっちの気持ち悪さの真骨頂だ!

 

「モミジさん、少しお話をしましょう。

 “ガーグァの卵”問題は、そもそもガーグァが卵生である何らかの種から進化しているという学説を採るか、胎生のガーグァ原種とも言うべき存在から卵生へ進化しているという学説を採るかという二択に行き着くのはご存知でしょう。

 これは、どこからがガーグァであるか、ガーグァとは何かという学術的定義の決定に帰着することの出来る問題だと思うのです。

 前者の説を採るとすれば、例えば卵生の何らかの種を“モンスターA”と名付けてみましょう。

 このモンスターAが産んだ卵、これがある日孵ります。

 しかし、形質遺伝の際に、何らかの異常があったのか、或いは親であるモンスターA自身の生存環境にこれまでとは違う何らかの変化があったのでしょう、モンスターAの卵から、新たにガーグァという種が産まれるわけです。

 こう考えれば、ただ“卵”と“ガーグァ”の二項を比較するならば、産まれるのは卵が先、“ガーグァの卵”と“ガーグァ”ということであればガーグァが先、ということになります。

 この説の場合は、完全にガーグァとモンスターAを別種として取り扱っていますから、モンスターAはガーグァの定義に当てはまらない、ということになります。

 即ち、ガーグァの定義によって、問題に前提を与えている形です。

 一方、後者の説では、そもそもガーグァは胎生と卵生の二種類があり、ガーグァは卵を産むことも出来る種であるとしています。

 この場合は、“卵”であろうが“ガーグァの卵”であろうが、この卵を産むのはガーグァですから、当然ガーグァが先、ということになります。

 つまり、ガーグァの卵問題は、単純に言えば、ガーグァの存在について、学術的定義をどう与えるかという問題である、というわけなのです」

 

 ニコニコ顔を崩さないモミジさんを、どうだ、と見据える。

 オタクぼっちが自分の得意分野の話を一方的にまくし立てる、これで普通の人間は皆気味悪がってどこかへ去っていくのだ。

 これで、こんな気色悪い人には、新人の指導を任せられるワケがないと諦めてくれるはずだ。グスッ。

 

「はい、それじゃあ、弟子にとっていただくハンターさんをお呼びしてきますね!」

 

 そう言って、モミジさんは(きびす)を返し、龍歴院の方へ立ち去っていった。

 

 ダメだったみたいですね。

 

 花の香りのようなモミジさんの残り香が、優しく鼻腔をくすぐっている。

 それは、いつの日か、オストガロアを討伐したときに狩り場の端っこで見た曼珠沙華を思い出させた。

 

 死んだ、な。

 

 長い間コミュ障ぼっちを続けていたから、分かり切っていたことではあるが。

 人との会話は、コミュ障ぼっちにとってはこの上ない地獄であるが、それは、無視されるときが一番つらい。

 

 何はともあれ、これで最後の抵抗の望みも断たれ、あとは休日返上の労働に身をやつして死ぬばかりである。

 本当に、オナニーのような人生でした。

 

 

 

「先輩って、いつもそんなどうでも良いことをネチネチ考えてるんですか……?」

 

 いつの間にやらザブトンとのじゃれ合いを止めていたアナスタシアが、後ろからモーニングスターで殴りかかってきた。

 ピクピクと痙攣するザブトンを尻目に、レオンハルトは死人のようにハイライトの消えた瞳でアナスタシアを見据える。

 ぐりんと首を回すその動作に、「うわっ」と小さく呻く後輩。

 

「コミュ障ぼっちは、思考をこねくり回す時間だけはたくさんあるんだ。人と会話する時間は無駄だよ。無駄なんだよ。そんなことよりも、自分の思考力を高めるために時間を有意義に使わなくちゃ、あははははは」

 

「うっわ、この人かわいそう」

 

「お前もぼっちだからね?話しかけ方が分からないとかいうコミュ障ぼっちだからね?」

 

「私は可愛げがあるのでたまに話しかけられます。先輩は見た目と雰囲気からして話しかけづらいのでなかなか人と話す機会がありません。

 よって、私の方がコミュ力高いと言うことになりますね。

 これが格の差ですよ。分をわきまえてください」

 

「なんか最近、後輩がモミジさんに似てきてしまった気がする」

 

 主に論理の飛躍と横暴度合いが。

 はぁ、と溜め息が口をついた。

 そんなことでは駄目だ。

 確定してしまったことはしょうがない。

 生き延びるために、今後の対策について考えなければ。

 死地での生存の極意は、とにかく悲観的にならないことである。

 

 後輩ハンターということは、パーティを組んでいくのは必須。

 ハンターのイロハを教えて欲しいと言うことだから、基礎の基礎から教えろと言うことだろう。

 採集、調合、肉焼き、大型モンスターからの逃走術、狩り場に赴く際に不可欠なこれらの要素を教えて、それから武器の扱いといくか。

 こちらも死にたくない。

 モミジさんのお願いを完遂するためにも、生き残るためにも、全力で指導にあたらねば。

 せめて、同性の後輩だったら良いのに。

 それか、アナのようにコミュ障ぼっちの後輩が望ましい。

 

 類は友を呼ぶというが、コミュ障ぼっちはコミュ障ぼっち同士でコロニーを作るのが必定だ。

 なんだかんだ言って、例え人生のソロハンターであるコミュ障ぼっちだって、厳しい人間社会から弾き出されてしまえば、生き残ることなど不可能なのだ。

 そうしてようやく、コミュ障ぼっちはただのコミュ障へとクラスチェンジするのだ。

 

 アナとの関係もそうしたところから始まったものだし、相手がコミュ障ぼっちであれば、とりあえずのコミュニケーションはとれるはずなのだ。

 コミュ障ぼっち系後輩男子募集中である。

 

 ゥメエェェ…………。

 

 ムーファの暢気(のんき)な鳴き声が、風に乗って聞こえてきた。

 人が乳首おっ勃てながら、(きた)拷問時間(パーリータイム)に戦々恐々としているというのに、ムーファ達はのどかに美味しい草をはんでいるのだ。

 ちくしょうめ。

 

 まあ、つい一昨日(おととい)のイビルジョー遭遇戦の時は、護衛のハンターとパーティ狩りを経験している。

 勢いが全てではあったが、一応“初・一狩り行こうぜ!”は済んでいるのだ。

 それを含めれば、俺も既に永年ソロハンター首席の座は卒業していることになる。

 

 クエストの討伐対象でないイビルジョーとの遭遇戦は、あの乱入で通算百回目だ。

 そんな記念すべき狩りの場で、脱ぼっちを成功させることが出来た俺には、もはやパーティ狩りにおける死角などないのではないか。

 あの時も、会話らしき会話はきちんとしていたのだから。

 

『君の勇気は、俺が確かに引き受けた』

 

『そこのアイルーからシビレ罠受け取って!』

 

『隠れて!』

 

『もう殺したよ。ギルドにも救援信号送ったから』

 

 …………返事はない。一方通行のようだ。

 



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金髪碧眼の美少女

 

 初めての弟子は、女の子でした。

 

「この子には調合の基礎から徹底的に教えてください!」とモミジさんが連れてきたのは、金髪碧眼の美少女。

 調合の基礎って、基礎中の基礎じゃないですか。

 月刊『狩りに生きる』にも載っている。

 

 つまり、ソロでも出来る初歩の初歩から教えなければならないし、少女はそれすらままならないというわけだ。

 人生ベリーハードモード過ぎて軽く死ぬる。

 やめて! 俺のコミュ力はもうゼロよ! 

 それは最初からだったか。

 

 「ね?大丈夫でしょ?」じゃないよ!

 ちっとも大丈夫じゃないんだよ!

 

 

「これから3ヶ月の休暇をとってもらいますから、その間、この子の教育のために頑張ってください!

 一人前の立派なハンターを育ててくださいね!」

 

「3ヶ月間の休暇、だと…………?」

 

 その一言で、モミジさんがこの世で最も慈悲深い女神に思えた。

 

 よく考えたら、全くそんなことはなかった。

 そもそも休暇ですらなかった。

 

 3ヶ月間で一人前って、どんなスパルタ教育を施せぱいいんだよ……。

 

 

 

 

「…………どうぞ」

 

 こと、とユクモ茶の入ったカップを卓袱台(チャブダイ)に置く。

 ぺこりと頭を下げた少女は、ぼんやりと開かれた半眼をジーッと深緑色のお茶に注いでいた。

 アナと自分の分も並べてから、三人で卓袱台を囲んだ。

 

 カラン、コロン、とムーファの首のベルが鳴っている。

 放牧されたムーファの一頭が、近くに来ているようだ。

 窓から吹き込んでくる風が涼しい。

 そう言えば、ベルナ村は後1ヶ月で冬に入るのだった。

 標高が高いと、短い夏はすぐに過ぎ去ってしまう。

 狩りに出ていると、ホームの季節の変わりの早さに驚いてしまう。

 

 こちとら、火山だの氷海だの、あちこちに飛ばされるせいで、季節感覚だってぶっ壊されるハンター様である。

 もう少しくらい、ゆっくりしていっていいと思うのだ、時の流れよ。

 

 でも、この無言の時間は早く終わらせてください、お願いします。

 

 

 

 改めて見ると、この少女はなかなかに美しかった。

 とてもハンターなどという荒事をやるようには見えない、きめ細やかな白磁の肌。

 ほっそりとした首もとや腕周りを見るに、あまり筋肉のある方とは言い難い。

 しっとりと艶めく唇や、精緻に作り込まれた人形のような目許からは、将来絶世の名に相応しい美人となる気配があふれ出ている。

 

 モミジさんやアナと言った美女美少女に日々なじられることで、顔面偏差値耐性及びドMレベルを順調に成長させてきたが、彼女に(いぢ)められでもしたら、冗談なしに新たな境地を開いてしまうのではないだろうか。

 

 金髪碧眼系美少女に、罵倒される。

 

 …………ふむ。

 

 

 よき、かな。

 

 

 

「……あの」

 

 口火を切ったのは、アナスタシアであった。

 救世主(後輩)のありがたい言葉に、脳内で愚かな妄想を繰り広げるだけであったレオンハルトは目を輝かせて反応する。

 

「取りあえず、自己紹介とか、しません?」

 

 あの女狐、名前すら教えない無能ですし、とトゲトゲしい独り言が呟かれた気がしたが、レオンハルトにはそんな些細なことを気にする余裕がない。

 

「そ、そうだな、事故紹介でもするか!」

 

「せ、センパイ、いくら事故った自己紹介しかしたことないからって!」

 

 察しのいいアナスタシアとアイコンタクトをとり、レオンハルトは“取りあえず場の空気を緩めよう”作戦を敢行した。

 

「あ、あはは、ま、間違えちまったなぁ!」

 

「もう、シャンとしてくださいよ~!」

 

「はっはっは……ぁ」

 

「…………」

 

 後頭部に手をやったレオンハルトが視線をずらすと、ジーッとこちらを見る少女の無感動な顔とぶつかった。

 事故った。

 両手を床について傍らに顔を寄せてきたアナスタシアが耳元で囁く。

 

「(どうするんですかこの子!? センパイ、成り行きで師匠になっちゃったんでしょ? いつも通りまともに会話できず流されちゃったんでしょ!? このコミュ障クズぼっち!)」

 

「(グハッ!?)」

 

「(てか、なんなんですか事故紹介って!? こんなアホネタ、すべるの分かりきってたでしょ!? これだからコミュ障は!)」

 

「(ご、ごめん! でも、話しかけ方が分かんないんだよ!お前、金髪碧眼系美少女への正しい話しかけ方、なんか知らないか!?)」

 

「(センパイの方が長く生きてるんだから、センパイが知らなきゃ私が知るわけないですよ!)」

 

「(その論理はおかしい!! コミュ障は何歳になってもコミュ障だろ!

 ……それよか、さっき、お前私の方がコミュ力高いとか言ってなかったか!? そのコミュ力生かしてくれよ!)」

 

「(嘘ですコミュ力高いとか言ってごめんなさい私は誇り高きコミュ障ぼっち)」

 

「(諦めんの早!?)」

 

 後輩ハンターは、同性の女子にさえ話しかけられない置物だったようだ。

 仕方なく、レオンハルトは沈黙したままの少女に向き合った。

 

「そ、そうだな、取りあえず、君の名前を教えてくれない、か……あれ?」

 

 そこで、妙な既視感に引っかかった。

 どこかで見たことがあるような。

 レオンハルトは脳みその引き出しを片っ端からひっくり返し始めた。

 会話のキッカケになりそうな何かを見つけたのだ。

 ダテに上位ハンターを何年も続けているわけではない。

 攻め入るときは、一気に攻め入る。

 

 この俺に、金髪碧眼系美少女の知り合いがいるわけがない。

 この村の人間?ベルナ村にいるこの年頃のハンターや子供は限られている、作戦上の必要から仕方なく(・・・・)集めた1ヶ月前のデータには該当者がいない、つまり最近この村に来たハンター。

 

 親戚の子?それならモミジさんの「ね?大丈夫でしょ?」発言と辻褄が合うが、ここ十年ほどは天涯孤独過ぎて親類縁者の顔など一度も拝んでいない。

 ドンドルマ時代に見かけた? 馬鹿言え、見た目からして十四、五歳の少女が、七年前と同じ容姿なワケがない。

 

 どこに引っかかるんだ……?

 

 レオンハルトが腕を組み、小首を(かし)げていると、

 

「……どうしたんですか?」

 

 とアナスタシアが目の前の少女に問い掛けた。

 レオンハルトと同じような角度で首を傾け、ちょうど鏡になるように腕を組む仕草。

 まるで、幼い子供が親や兄弟の真似っ子をするかのような、悪戯(イタズラ)心のにじむ行動。

 ジーッと見つめ合っていると、やはりどこか既視感のある少女だ。

 

 華奢な肩周り。

 本当に、この子が武器を担げるのだろう、か……?

 

「……つかぬことをお聞きするのだけれども」

 

「…………はい」

 

 ここで、レオンハルトに弟子入りしてきた少女は、本日初めて口を開いた。

 

「最近、荷車の護衛のクエストとか受けた?」

 

「はい」

 

 やはり、と確信を得たレオンハルト。

 長年ハンターをしてきたためか、観察眼と記憶力には自信があるのだ。

 

「もしかしてさ、一昨日(おととい)、俺と一緒にイビルジョー狩りした子?」

 

 そして、核心を突く質問を投げかけた。

 

「…………は?」

 

 いの一番に反応したのはアナスタシアだった。

 

「センパイ、とうとう頭がおかしくなっちゃったんですか? センパイが、イビルジョーを、この子と一緒に狩った?

 …………あ、あははははー、冗談は止めてくださいよセンパイ、センパイが他の人と一緒に狩りなんて出来るワケないじゃないですかー! やだなーもー、あのセンパイが、コミュ障プロぼっちのセンパイが、まままままままさか私より先に他の人と『一狩り行こうぜ!』出来るわけが……う、嘘ですよね?」

 

 黙ったままの二人に違和感を感じたのか、アナスタシアが少女に問う。

 

「いいえ、本当のことです」

 

 そして、少女はほとんど抑揚のない声で、淡々とアナスタシアの質問を否定し、レオンハルトの質問を肯定した。

 無感動な青色の瞳がレオンハルトを捉えた。

 この子は、どんな目でイビルジョーのことを見ていたのだろう。

 激しい雷の中、ボウガンを構えて雨と踊っていた小さな人影が()ぎる。

 

「私の名前は、ナッシェ・フルーミットと言います。

 ドンドルマのハンターズギルド本部が出している『プロハンター格付け』に六年連続トップ10入りを果たしていらっしゃいますこと、お慶び申し上げます。

 先日は、私にとって明らかに格上のモンスターであるイビルジョーの撃退及び討伐を代行していただき、ありがとうございました。

 あなたの圧倒的な強さを目の前にして、私は大きな感銘を受けました。

 私は、まだモンスターハンターというのがどういった職業であるのか、ほとんど知らない未熟者です。

 レオンハルト・リュンリーさん、どうか私に、ハンターとして生きる道をお教えいただきたいのです」

 

 



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昇進

 俺、こんな棒読みの長いお願いされたの初めてだよ。

 

「え、あ、うん…………その」

 

 あらかじめ考えておいた口上を全て言い終えたのであろう、ごくごく小さく口の端を緩めて、心なしか満足そうにしている目の前の少女は、あいも変わらずジッと視線を合わせてくる。

 

 とてつもないプレッシャーである。

 

 コミュ障ぼっちは視線を合わせられるのが苦手なんだよ。

 

 だけれども、明らかに自分より年下の女の子からぶつけられた視線を自分の方から外すというのは、なんとなく負けた気がして嫌だ。

 

 だって、俺、この子の師匠なんだよ?

 先生なんだよ?

 流されただけだけど、一応責任ある立場になったんだよ?

 

 川に突き立てた竿のままでは流れに流されてしまうという厳しい現実に、思わず窓の外に見える快晴へと視線がずれてしまった。

 

 一秒遅れて、視線合わせ勝負に負けたことに気づいた。

 

 これが、社会の厳しさか…………。

 

 だが、よく考えてみれば、同業者(ハンター)たちとまともな会話を経験した人数は、この少女で記念すべき五人目である。

 

 ようやく社交的なレオンハルトさんの評価を賜る機会に恵まれたのだ、脱コミュ障のチャンスが到来したのだ。

 

 この際プロぼっちとしてのプライドは放り出して、この子を一人前のハンターにするのに尽力するべきだろう。

 

 哀しいかな、訓練所を出てからハンター業の先生などという伝説の存在に師事したことがないせいで、何をすべきか全く分からないが。

 

 しかも、せっかく入った訓練所も、自分から教えてもらう姿勢でなくては教官殿の指導を貰えなかったのだ。

 

 当たり前のことではあるが、その当たり前すらレオンハルト少年には厳しいものだった。

 

 受動的な態度で臨んだことが災いして、教官殿に教わったのは倒したモンスターからの素材の剥ぎ取り方と砥石の使い方のみ。

 

 あとは全て教本頼みである。

 

 本は良い、あいつらは喋らないし、怖くない。

 

 生身の先生は、そんなこともあってほとんど希少種扱いである。

 

 ただ生きているだけでは(まみ)える機会がほとんどないというのが、先生という存在なのだ。

 

 なるほど、つまりレオンハルトさんは伝説の存在となったのか。

 

 生ける伝説…………カッコイイなそれ。

 悪くない。

 

 よし、まずは人とのコミュニケーションを円滑に進めるための第一歩“相手の目を見ながら話す”からやってみよう。

 

 なお、彼女くらいの年齢──U15──の女の子を怪しげな男が見つめていると、ドンドルマでは怖いお兄さんお姉さんが話しかけてきてくれる。

 

 経験者は語る。

 

 ちなみに、記念すべきハンターとの会話、二人目であった。

 

 よし、頑張れレオンハルト。お前はやれば出来る子だ。 

 

「と、とりあえず、俺の名前はレオンハルトです、あ、知ってたよね、てか知ってるんだよね、うん、まあ、その…………」

 

 マズい、言葉に詰まった。

 

 序盤は(俺にしては)まあまあな滑り出しを掴んだ気がしたけれども、自分の名前を伝える以外のコミュニケーションを初対面の人間ととったことなど殆どないことが仇となった。

 

 名前以外に、何を言えばいいんだ?

 

 しかし、ここで口を閉じてしまえば、コミュ障の烙印を消し去ることが出来なくなってしまう…………!

 

 言葉をひねり出せ!

 

「…………あ、あれだね、その服、かわいいね、似合ってると思う」

 

「……ぇ」

 

 …………固まっちゃったよ。 

 

 コミュ障のコミュニケーションあるあるその三“相手が返答に困る意味不明な言動”が発動してしまった。

 

 何か口を開くだけで人を困らせてしまうのは、コミュ障にとってはもはや日常茶飯事なのだ。

 

 これだからコミュ障は…………。

 

 師匠は弟子に何を話せば良いんでしょうか。

 

 教本にはそんなこと書いてなかった。

 

 誰か教えて!

 

 

 そもそも、初対面の美少女──しかも、思わず真正面から向き合うのをためらってしまうような──とマトモに言葉が交わせる人間なんて、ウェイ系ハンターくらいのものだろう。

 

 普通の人にも難しい会話が、コミュ障にこなせるわけがない。

 

 そんな中、油が足りていない口をついたのは、モミジさんに仕込まれた定番フレーズ“服かわいい、似合ってる”。

 

 数少ない会話経験からひねり出した、とっておきの必殺技だったのに……。

 

 なお、今の言い方とっても気持ち悪かったです、までが本来の定番フレーズ。

 

「いや、それ今言いませんよね?」

 

「ですよね」

 

 アナの言葉にも素直に頷くより他はない。

 

 しかし、よく見て欲しい。

 

 夏から秋にかけてベルナ村の皆が着ている、伝統的な模様の織物を使った青のワンピースに、白い羊毛のセーター。

 

 化粧っ気のない整った顔に、軽くウェーブのかかったブロンドの髪を留める白いカチューシャ。

 

 カチューシャの他にアクセサリーの類は一切付けていないが、素材の良さが全面的に押し出されていて非常に“イイ”服装なのだ。

 

 ドンドルマの街で歩いていたら、まず間違えなくナンパの嵐が吹くだろう。

 

 浮き世離れした美しい少女に、男共は皆貴賤の隔てなく恋い焦がれるのだ。

 

 そして俺は、その様子を遠くから眺めるだけ。

 

「…………」

 

 そんな美少女が目の前にいるのである。

 

 恐らく、もしかしたらこの先一生関わることすらなかった美少女が、弟子なのである。

 

 彼女が俺の初弟子なのである。

 

 

 

 

 …………浮かれるなレオンハルト。

 

 お前は強い子優しい子。

 

 下半身はきかん坊だけど。

 

 下心なんていらない。

 

 もし彼女が、本気でハンターを目指しているのであれば、俺がなすべきことはたった一つだ。

 

 彼女に、我が人生をかけて培ってきた狩猟技術を、狩り場で生き残るための(すべ)を、心構えを、残らず彼女に伝えることだ。

 

 もし彼女が、俺の実力不足、仕事怠慢のせいで、狩り場で命を落とすようなことになれば、恐らく死んでも死にきれない。

 

 モミジさんに何回殺されようと、その罪は償うことが出来ない。

 

 どんなに言い繕おうと、“違う”人間は違うのだ。

 

 彼女は、“違う”。

 

 彼女は、輝ける人間だ。

 

 さあレオンハルト、覚悟を決めろ。

 

 どんなにダサくても良い。

 

 お前は、自分が心から誇れるハンターになれ。

 

 この少女を、一人前のハンターにしてみせろ。

 

 

 …………よし。 

 

 気合い十分、この後の流れも計画の概要も組み立て終えた。

 

「…………オーケー、君の意気は十分伝わった。不肖レオンハルト、全力で君の指導にあたろうじゃないか」

 

 

 さしあたって必要なのは、コミュ障の人間にとって一番重要なこと。

 

 

 

 

「それじゃあまず、君の名前を教えて欲しい」

 

 相手の名前を聞こう。

 

「…………ぇ」

 

 プロのぼっちは、人の名前を覚えるのが苦手なのだ。

 

 だって、人の名前を覚えるような機会がないじゃないか。

 

 え?貴重な話し相手の名前なんて忘れないんじゃないかって?

 

 非ぼっち非コミュ障は皆そう言うんだよ。

 

 持っている奴が持っていない奴の立場に立つというのは、口で言うほど簡単じゃない。

 

「…………はぁ」

 

 初めての弟子と同性の後輩は、呆れたように溜め息をついているけれども、アナもこの子の名前を忘れてしまったのだろう、何も言わずに、再停止した少女の名乗りを大人しく待っていた。

 

 

 

 

 

 それじゃあ防具に着替えてきて、と空き部屋を貸し与え、ナッシェ・フルーミットちゃん──ようやく覚えた──が持ってきていたジャギィシリーズに着替えてもらった。

 

 ハンターとしてのイロハを教えるにあたって、防具の着こなしは必須である。

 

 モミジさんの話によれば、彼女はハンター訓練所を出たというワケではないらしい。

 

 そもそもハンター訓練所がギルドに付属した“任意の”──といってもハンターになる者の九割は経験する──施設、訓練所に行ったことが無くてもハンターになることは出来る。

 

 訓練所行きはギルドが強く推奨しているし、上位ハンターに教わったことがあるとか、生活がよほど切羽詰まっているだとかではない限り、普通は訓練所を経験するが、ナッシェにも事情があるのだろう。

 

 ハンターの資格をギルドから貰ってから、誰かの所へハンターとしての基礎を教えてもらうというハンターもいないわけではない。

 

 調合の基礎からというからには本当に基礎の基礎なのだろう、指導者ビギナーとして、ある程度の苦労は想定した上で事を進めなければなるまい。

 

 …………それでも、イビルジョーにボウガンの弾をぶち込めるくらいの度胸と力量はあるというのだから、ナッシェの持つハンターとしてのセンスはなかなかのものだろう。

 

 初めての弟子に、期待をかけてしまっている自分もいる。

 

 過度の期待もよくない。

 

 どこから教えればいいのか、詳細を聞き出すよりは実践してもらった方が、コミュ障としてもやりやすいし、そうでなくともどこか間違ったところがないかを指摘しやすい。

 

 不足している経験値をかき集めて察するに、指導にあたる時は、常に客観的な視点を持つべきではないだろうか。

 

 それに、知識は人に教わらず教本を丸暗記する系のハンターとしては、学術的な内容に関しては結構自信があるのだ。

 

 手づから基礎を叩き込んであげたいという気持ちもある。

 

 “先生”という存在は、こういった感覚を持つのだろうか。

 

 プロのぼっちとして普段感じているようなものとはまた違った人との折衝の緊張、不安。

 

 しかしこの胸の高まり、決して居心地の悪いものではない。

 

 もしかして、これが恋煩い!?

 

 生徒と先生の禁断の恋…………。

 

 ふむ、悪くな…………悪いわ。

 

 

「替えてきました」

 

 どうやら、この間の狩りで破損した部位についてはしっかり補修をしてもらったようで、ジャギィシリーズに大きな傷はついていない

 

「ん、オッケー。うん、ヘルムの中にしっかり髪入れてるね。アナ、女性ハンターは髪を防具にしまう、頭部防具が無いときはなるべく纏めておく、の方向で良い?」

 

「ええ、狩りの時は髪の毛が足を引っ張るとマズいので、ナッシェちゃんの着こなしであってます」

 

「と言うことだから、これからもそうやって防具を身につけてね」

 

 コクン、と頷くナッシェ。

 

 基本的に無口な方なのだろう、しゃべるのが苦手なのかもしれない。

 

 あの、明らかに事前に考えておいたかのような弟子入り志願のセリフ、プロのぼっちを長年続けてきた者には、それが人と会話する際の緊張や恐怖が当人を突き動かした結果なのだと察するにあまりある。

 

 ようは、勘違いかもしれないが、ナッシェは基本喋らないのだ。

 

 短時間で相手の情報を収集・分析する実戦訓練を積んできたハンターの経験が、プロのぼっちとしての長年の経験がそう囁いている。

 

 が、そんなことはこの場においては全く問題にならない。

 

 なにせ、プロのコミュ障二人が先生なのだから。

 

 アナにも、一応女性ハンターということで一緒に見てもらっている。

 

 男女で色々と差があるのは仕方のないことだし、彼女が進んで協力を申し出てくれたのは大変ありがたかった。

 

 「センパイ一人だと色々(・・)心配ですからねー」と言われて少しドキッとしたが、今回ばかりは真面目に全力を尽くそうと思っているのだ、変な下心とか皆無である。

 

 無いったら無い。

 

 一つ呼吸を置いて、最初の指導へ移った。

 

「最終的には、狩り場で周囲を警戒しながら調合を出来るようにしていくんだけど、まずは調合のリストを覚えてもらおうと思う。

 防具を着てもらったのは、その格好で素材を調合することに慣れて欲しいからなんだ。

 狩り場での調合は、周囲への警戒を同時に行わなければいけないから、それをするためにも、防具装着状態での様々な作業に慣れて欲しい。

 俺はこの通り、喋るのがものすごく苦手な師匠で、本当分かりづらかったりしたら申し訳ないんだけど、とにかく、まずは手先の器用さと知識の必要な調合から教えていこうと思う。

 長くなってごめん。でも、調合ってすごく大事だから、本当、狩り場で生死を分ける要因の一つだから。

 あ、手先の器用さって言っても、ハンター業は大体全部慣れることから始まるからさ、練習すればきっとナッシェにもできると思うんだ」

 

 うまく伝わっただろうか。

 

 コミュ障の癖が出て長く喋りすぎた気がするし、途中でいらないことを喋ってしまった気もする。

 

 師匠というのは、こんな感じでいいのだろうか。

 

 人にものを教えるのが、こんなにも緊張するものだとは思わなかった。

 

 

 

「……」

 

 無言で首肯するナッシェ。

 

 無表情の奥に潜んだ目の色の真剣さを見る限り、どうやら思いの一端はくみ取ってくれたようだ。

 

 数多のモンスター達との狩りで培ってきた、目の色を読み取る力が、コミュ力のなさを補ってくれる。

 

 それにしても、後輩に何かを教える先輩って、こんな気分なのか。

 

 誰かにものを教わった経験なんて十年以上味わったことはなかったから、人にものを教える立場というのが全く想像できなかったのだ。

 

 一生懸命に培ってきた自分の知識や技術を全て彼女に伝えられたら、それが彼女の成功につながるとしたら、それはどんなに嬉しいだろう。

 

 アナの知的好奇心のなさに慣れていたためか、ナッシェとの会話が、新鮮でキラキラしたもののように思えた。

 

 俄然、やる気も湧いてくる。

 

 

 

「それじゃあ、始めようか」

 

 レオンハルトは、リビングスペースとなっている部屋の本棚から、六冊の分厚い本を引き抜いて、ドン、と床の上に置いた。

 

 横積みにされた本の山を指さして、

 

「まずはこれを暗記してもらうね」

 

「…………ぇ」

 

 

 

 



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レッツ☆スパルタ!

 

 

 

 

 どうやら、初めての弟子は調合についてはまるきりの初心者ではあったが、幸運なことに覚えの良い子だったようだ。

 

「鬼人薬グレード」

 

「アルビノエキス5ml、鬼人薬を瓶八分目」

 

「クーラーミート」

 

「氷結晶少々、こんがり肉好きなだけ」

 

「素材玉」

 

「拳より小さい石ころにネンチャク草を拳大になるまで巻く」

 

「大タル爆弾G」

 

「大タル爆弾に、ホルムアルデヒド34パーセント溶液に漬けておいたカクサンデメキン200gを、タルの内部に詰める。作業は慎重を期すべし」

 

「回復薬作り方暗唱」

 

「回復薬の平均調合推奨量は、清潔な水を瓶九分目、薬草5g、アオキノコ7gです。大切なのは、心を込めて調合すること」

 

「狩り場では?」

 

「目分量、素材の質によっても効果は左右されるため、最大効果を見込める回復薬を作れる目利きを獲得するべし」

 

「よし。じゃあこの薬草とアオキノコの中から、“本物の”薬草とアオキノコを選んで作ってみようか」

 

 ドサッと山にされたのは、牧草と薬草を混ぜられた緑色の草と、アオキノコとドキドキノコが混ぜられたキノコたち。

 

「…………」

 

 無言で二つの山から正しいものを手早くより分けていくナッシェ。

 

 すり鉢で選んだ二つの山をズリズリとすり合わせ、出来た粉をハンター御用達のガラスビンに入れ、よく振って中の水に溶かしていく。

 

「…………できました」 

 

「じゃあ、その完成品を飲んで。ま、キノコ間違ってたらドキドキノコのびっくり効果が出るけど」

 

「ぇ」

 

 数分後、キノコの拾い食いをしてぶっ倒れたザブトンに完成品を飲ませた。

 

 

 

 

 

 

「うん、初心者にしてはなかなかの出来だ。さすがはナッシェ、俺は良い弟子を迎えることが出来て幸せだよ」

 

 無事に事なきを得たザブトンを撫でながら、初弟子の作った回復薬を笑顔で見つめるレオンハルト。

 

「…………」

 

「じゃあ、これからしばらく在庫が必要になるだろうし、こういうものは基本的に自給自足の方が狩り場で役に立つから…………そうだな、調合の感覚を完全にマスターしておきたいし、軽く(・・)二十五ダースくらい作ってみようか」

 

「ぇ」

 

 

 

 

 

 

 

「薬草の特徴は?」

 

 青みがかった緑色の薬品を詰めた小瓶が、百ほど並べられた箱を閉じ、同じマークの付けられた二つの箱の横に置きながら、レオンハルトは『公式調合書~素材系調合レシピ編~』を血眼になって読んでいるナッシェに問いかける。

 

「においと葉の形、葉の根本についている粒胞」

 

 ナッシェは調合書から一瞬たりとも目を離さず、片手間に答えを返した。

 

「解毒草の特徴は?」

 

「葉脈が平行有利型、それから表面のざらつき」

 

「よし。じゃあ、アナ、アイマスクをナッシェに」

 

「…………んぁ?」

 

 レオンハルトが横に声をかけると、『ネアンデルタールの犬』を開いたまま寝落ちしていたアナスタシアが、寝ぼけ眼をこすりながら疑問の声を上げた。

 

 寝返りでもうったのだろう、ピンク色のキャミソールが少しめくれて、白く滑らかなお腹がはだけていた。

 

 ほどよくくびれた腰つきといい、ショートパンツの上で慎ましげにしているおへそといい、まったく目に毒な光景──……ではあるが、レオンハルトは学んだのだ、『それ』は違うと。

 

 性の差というのは、存在して当然のものであり、しょうがないことなのだ。

 

 受け入れて、心を落ち着けるべし。

 

 あと、さすがに後輩に欲情しているところを、初弟子の美少女ハンターに目撃されたら、多分一生治らない傷を心に負う。

 

「…………まったく、まだ指導始めてから四時間しかたってないんだぞ?この程度でへばってちゃあ駄目だろ」

 

「センパイ、四時間のスパルタ指導は常識がなってないです。センパイとは違って、普通の人は四時間も集中できません」

 

「べ、別に俺が常識を知らないわけではなく、狩りの現場で半日越えの長丁場を集中し続けなきゃいけないこと想定してるんだぞ?」

 

 でも、そうか、普通は四時間も指導は続けないのか……確かに休憩入れた方がいいかもなぁ。

 

 初めて人を教える立場に立って、ようやくハンター訓練所の教官の大変さを理解できた。

 

 確かに、少し焦っている自分がいたような気もする。

 

 教えられる側のことを考えながら、出来るだけたくさんのことを教えてあげたいし、そうすべきなのだ。

 

 そういえば、あの頃から俺はぼっちだったなぁ……。

 

 社交性皆無な十歳のガキとか、教官殿はさぞかし扱いづらかっただろうし、面倒臭かったはずだ。

 

 それでも、あそこで得た経験がどれだけ大切だったかは、この身を持って実感している。

 

 ナッシェにも、訓練所の教官が積ませるような、実りある訓練を施していきたいものだ。

 

「…………あ」

 

 ふと、口の端についた(よだれ)の跡が目に入り、手近な布で拭いてやる。

 

「え」

 

 片目をこする動作のまま固まるアナスタシア。

 

「ちょ、せんぱ、ま……んむ」

 

「まったく、年頃の女子が(よだれ)垂らしながら寝ていてどうするんだ。

 そんなとこ見られたら、お前の孤高(偶像)を崇拝しているバカな男共が一瞬で幻滅するぞ?」

 

 アナスタシアを見ていると、どうも妹のことを思い出す。

 

 手の掛かる年下の親しい女の子で、少し面倒だけどどこか憎めない。

 

 ハンターを始めて十数年、二歳下の妹とは、ハンターになると家を飛び出してから全く会っていない。

 

 そういうこともあってか、アナとは──他の人々に比べれば──仲良くやってこれたのかもしれない。

 

 手の掛かる甘えん坊ではあったけれども、家出するまでは猫可愛がりしたものだ。

 

 あの子は元気でやっているだろうか。

 

 たまに、喧嘩別れしてしまった家族に会いたくなることがある。

 

 …………でも、お兄ちゃんが性犯罪者だって知られたら、多分一生立ち直れなくなる。

 

 今すぐに会うかと聞かれれば、きっとあの事の後ろめたさから再会を躊躇してしまうだろう。

 

 十歳までとはいえ、俺のことを育てるために一生懸命働いてくれた両親にも、息子が性犯罪者と知られるわけにはいくまい。

 

 …………モミジさんのお願い、なんとしてでも達成しなければ。

 

 思い新たに一つ呼吸を置いて、口を開いた。

 

「じゃあ、匂いだけで薬草か解毒草か、それ以外かを判別していくテストをしよう。狩り場の環境によってハンターに役立つ薬草の形状は様々だけど、回復薬の有効成分となるものの匂いは変わらないからね。

 何度も繰り返すようだけど、どんな狩り場でも回復薬と解毒薬さえあれば、例え武器が無くても生き延びることが出来るんだ。

 ここで回復薬の製作をマスターしておけば、今後狩りに出向いたときの生存率が格段にあがると思う。

 そう言うことだから、アナ、テストよろしく。

 俺も鬼じゃないし、100回連続で正解したら昼ご飯にしよう」

 

「ぇ」

 

「え゛」

 

 

 

 

 

 

「…………ぉ、終わりました」

 

 アイマスクを外しながら、ナッシェが台所に引っ込んでいたレオンハルトに声をかけた。

 

 大皿にサンドイッチを盛りつけ終えたレオンハルトが振り返ると、相変わらずの無表情ながら、ナッシェの顔にはさすがに若干の疲労がにじみ出ていた。

 

「お、お疲れ様。それじゃ、昼ご飯にしよう」

 

 大皿を持ったレオンハルトは、防具を付けたままね、と付け足して、ナッシェを連れて卓袱台(チャブダイ)の方へ皿を運ぶ。

 

 お肉大好きなハンターの食性を鑑みつつ、ナッシェがどれくらい食べるのか、どういった好みがあるのかが分からなかったため、照り焼きの鶏肉やハム&レタスを主とするサンドイッチにした。

 

 味に満足してくれたら良いのだが。

 

「アナ、ご飯だ。片付けを手伝ってくれ」

 

「ふぃー、やっとお昼ご飯が食べられるー」

 

「お前、寝てただけだよね?」

 

「ちゃんとお手伝いしてました!」

 

「嘘つく子はご飯抜きだよ?」

 

「ごめんなさい嘘つきました本当はぐうたら寝ころんでサボってました、本当のことを言ったのでご飯ください!」

 

「…………うん」

 

 この子は、自分が餌付けされてしまっている状態であることに気づいていないのだろうか。

 

 そもそも餌付けするつもりすら全く無かったんだけどなぁ…………。

 

 よく分からない種類の草や、七色に輝くキノコなどを元の保管場所に戻してから、三人は丸くチャブダイを囲んで座った。

 

「うわぁ、相変わらず美味しそうですねぇ。それじゃあいただきまーす!」

 

 さっそくサンドイッチの山に手を出すアナスタシア。

 

 レオンハルトも鶏肉の照り焼きを挟んだサンドイッチを一つ手に取り、口に運ぶ。

 

 口に入れた瞬間にパンの香ばしさがいっぱいに広がり、咀嚼のたびに肉の旨味が舌に絡みついてくる。

 

 ベルナ村で育った質のいい鶏を使っているため、味付けを軽く、素材としての味を十二分に引き出せるようにしているのだ。

 

 我らがベルナ村の鶏肉が、美味しくないわけがない。

 

 満足そうにサンドイッチを口に運ぶレオンハルトと、お淑やか系女子とはほど遠い食事を本能のままに堪能するアナスタシアの前で、ナッシェはサンドイッチに手を付けるのをためらっていた。

 

 ……なぜ手を出してくれないのだろうか。

 

 コミュ障ぼっちの経験が(あだ)となって、この質問の答え、及び適切な対応が全く想像出来ない。

 

 あれか、彼女の浮き世離れした雰囲気からして、ナッシェがどこぞのお貴族様だとか、まさかとは思うが王族様とか、そういった展開があり得ないとは言い切れない。

 

 そうなると、このような俗っぽい食事は手を付けようともお思いにならない…………?

 

 あるいは、毒が入っているかも知れないという警戒心の表れか?

 

「な、ナッシェ、毒とか入ってないから、食べても大丈夫だぞ?」

 

「どうしてそういう話になるんですか。ホントにこの人は…………。

 …………え、えーっと、な、ナッシェちゃん、センパイの作ったサンドイッチ、めっちゃ美味しいですよ~?いつもお相伴に預かっている私が言うのだから間違いありませんよ~?」

 

「お相伴と言えばさ、アナ、お前もそろそろ自炊できるようになった方が良いぞ。

 まともな食事を作れるようになれとは言わないから、せめて肉焼きくらいは出来るようにならないと」

 

「で、ででででで出来ますよお肉焼きくらい!!なな、何をおっしゃってるんですか、このアホんだらぼっち!わ、私だって、その気になればこんがり肉の一つや二つ…………ぅぅ…………」

 

「後輩の前だからって見栄を張らなくても良いんだぞ…………」

 

「み、見栄なんて張ってないし!いいもん、もう明日からセンパイに頼らず一人でお料理してみせますから!」

 

「そうか、頑張れ」

 

「でも、一日三食はセンパイかアイルーキッチンに頼る方向で」

 

「そうか、頑張れよ…………ってお前、一食も自炊してないじゃねーか!もうちょっと頑張れよ!!」

 

「私は無駄な努力をしないことに定評のある女ですから」

 

「…………そうか」

 

「あと、私は基本的に一日五食ですよ?計算上は一日二食を自炊することになります!」

 

「………………………………そうか」

 

 そんな二人のくだらないやりとりを見ていたナッシェは、サンドイッチへの見えないハードルが下がったのだろう、大皿へそろそろと腕を伸ばし、たまごサンドを選び取った。

 

 たまごサンド、好きなのかな。

 

 卵は、イビルジョーの飛び入り狩猟の帰りに採集したリオレイアのものだ。

 

 親の気配はなかったし、ありがたく頂戴したのだが、味のほどはどうだろう。

 

 丁寧な所作で口にサンドイッチを運んでいく彼女の指先に、二人の視線が集まる。

 

 柔らかそうな唇が小さく開き、白いサンドイッチを捉えた。

 

「…………」

 

 口に入れたたまごサンドをもぐもぐと咀嚼するブロンドの姫。

 

「…………ど、どうでせうか?」

 

 ごくん、とのどが上下するのを見て、レオンハルトがおそるおそる尋ねた。

 

 ナッシェは白い頬をほんのりと朱く染め、一瞬の沈黙を挟んでから、

 

「……………お、美味しいです」

 

 ────少しだけ頬をゆるめて、ふわりと微笑みながらそう答えてくれた。

 

 それは、ナッシェが我が家に来てから──もっと言えばイビルジョー討伐戦の時から──初めて見せてくれた、彼女の“生の”言葉。

 

 天窓から差し込んできた日差しの午睡を誘う心地よさと相まって、さながら、天使がもたらす癒やしに触れた気分だった。

 

 妹よ、お兄ちゃんは色々あったけど、後輩女子二人の胃袋を掴んだよ。

 

「そ、そうか、それは、良かった」

 

 天使というのは、人間の信仰が生むのかも知れない。

 

 思わず緩んでしまった頬を締めようと、手に取ったサンドイッチを大口でほおばった。

 

 

 頬の筋肉がつった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ

「極寒チェリーどうぞ。昨日買った奴だから新鮮だよ」

 

「あんたが神か」

 

「ついに敬語が外れたか…………」

 

 チャブダイに置いたデザートの皿に目を輝かせるアナスタシアが、順調に自分より偉くなっている現実に、レオンハルトは小さくため息をついた。

 

「それじゃあ早速いただきま──」

 

「あ、ちょっと待って」

 

 と、レオンハルトがアナスタシアを遮った。

 

「…………センパイ、一体なんですか?こんな美味しそうなデザートを前にして待てとか、私はあと少しでお腹空きすぎてイビルジョーになりそうですよ。これでどうでも良いことだったら、センパイの頭かじりますよ」

 

「断固拒否する。てか、お腹空きすぎって、さっきまでサンドイッチ食べてたよね?猛烈な勢いで食べてたよね!?……あ、だからイビルジョーなのか…………。

 …………はぁ、二人とも、午後から古代林の狩り場に行く予定だから、そのつもりで」

 

「…………はい」

 

 神妙な顔で返事をしてくれるナッシェ。

 

 師匠と弟子が板に付いてきたようで嬉しいけれども、慢心はいけない、後輩の指導は手を抜いてはいけない。

 

 それは、彼女の命を奪うかもしれない。

 

 そんな風に自分を高めていたレオンハルトに、

 

「午後は千刃竜狩りに行くのでパスでーす」

 

 打ち上げタル爆弾がヒットした。

 

「え」

 

「ぇ」

 

 固まる二人を置いて、アナスタシアは、じゃあいただきまーす、と極寒チェリーに手を伸ばし始めた。

 

 

 アナがついて来ない、だと?

 

 てことはつまりええと、どういうこと?

 

 ナッシェと二人きりで、狩り?

 

 突如、無様に波打ち始めた心臓であったが、そう言えばこの間一緒にジョーを狩ったじゃないかと思い出した途端に落ち着いた。

 

 それに、後輩に武器を教える算段なら十年以上かけて練ってきたのだ、今の俺に死角はない。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 そうして、武器と防具を取りにアナスタシアがあっさりと引き上げていった後。

 

「……………………」

 

「……………………」

 

 すっかり部屋を片づけ終え、午後の予定に必要と思われる道具も準備し終えたレオンハルトは、盛大に沈黙していた。

 

 それに返すのは、やや緊張したナッシェの沈黙。

 

 静まり返った部屋に、午後のけだるげな空気が降り、満腹と相まって昼寝を誘われる、そんな沈黙。

 

 あるいは、話すべきことはあるけどどう切り出したらよいのか分からない故の、または、あらかじめ用意しておいたセリフを、いざ言ってみようという段階にきて二の足を踏んでいる故の沈黙。

 

 そう、十年越しのあのセリフだ。

 

 

 

 君は、どんな武器を使うの?

 

 

 

「…………」

 

 “一狩り行こうぜ”の基本、初歩中の初歩、相手の武器種を尋ねる。

 

 十年間このセリフをずっと大事に温め、温めすぎた故の緊張だった。

 

 うたた寝に頷いてしまいそうな気持ちのいい空気の中で、レオンハルトは知らずゴクリとのどを鳴らしていた。

 

 嫌に心臓の音が強く響く。

 

 先ほどまでのアナスタシアがいる空間であれば、あっさりと出たかも知れないセリフ。

 

 後輩の前で見栄を云々と彼女に言っておきながら、自分だって知らぬ間に見栄に支えられていたようだ、とレオンハルトは心の中で自嘲した。

 

 そうして、そんなセリフを言うことを躊躇っている自分が改めて客観的に見えて、どうもかっこ悪いと思った。

 

 

 コミュ障でぼっちな自分を受け入れていた今までを、否定しようとは思わない。

 

 それこそが自分であり、レオンハルトという人間であった。

 

 人と話そうとして失敗した苦い経験なら、叩き売り出来るくらいにはたくさんある。

 

 ぼっちであることを、コミュ障であることを、後悔したことだっていくらでもある。

 

 だけれども、そのことを恥に思ったことは一度もない。

 

 ぼっちであることは、レオンハルトにとって数少ないアイデンティティでもあった。

 

 それは決して、誰かに認められるようなことではない。

 

 むしろ、後ろ指を指され、周りに嘲笑されるようなことだろう。

 

 それでも、誰に認められずとも、ここにいるこの自分は、ぼっちであることは嫌いではなかった。

 

 有象無象と群れずにいたことを、恥じたことはない。

 

 誰かと持つ人間関係は、確かに未知のことであり、未知とは好奇心と恐怖を同時に誘うものだ。

 

 しかしそれは、決して軽い気持ちで行っていいものではないように思われたのだ。

 

 モンスターと交えるのは殺意の視線と刃のみであっても、その関わりは、重く、そしてかけがえのないものだ。

 

 人と話すことを狩りにたとえるのは、端から見れば滑稽で下らないことのように見えるだろうが、主観的なハードルとしては同じくらいの高さにある。

 

 それに、コミュ障ぼっちのレオンハルトにも、人間のコミュニケーションが、時には相手を傷つけながらも、何かそれ以上のものを生み出す大切な行為であると思えるのだ。

 

 しかし、それは決して、今話すべきことを話さない理由にはならない。

 

 その子供じみてかっこ悪い拒絶は、コミュ障ぼっちの人生が生み出した失敗となる。

 

 それは、今まで壊さないようにと飾っていたガラス玉に唾を吐く行為であり、ぼっちとしての今までの人生を否定することだ。

 

 ぼっちにはぼっちなりの矜持がある。

 

 今とるべきコミュニケーションは、とるべきなのだ。

 

 それが、ナッシェの人生を左右する大事なコミュニケーションの第一歩であるならば尚更のこと。

 

 だからこそ、この一線は、大きい。

 

 断裂した崖の向こう側は、未知の大地であり、足元がもろく崩れ落ちるかもしれない地面であり、まだ見たことがない宝の山なのだから。

 

 さあ、一歩踏み出そう。

 

 たとえ昨日までコミュ障ぼっちであったとしても、そこを抜け出すのは簡単なのだと証明してみせよう。

 

 この少女を、一人前のハンターにしてみせよう。

 

「…………ナッシェ」

 

 深呼吸してから、調合素材で膨れたポーチを片手にレオンハルトが口を開いた。

 

 彼女の名前を呼んでしまえば、コミュニケーションとは、こんなに簡単なのかと拍子抜けしてしまうほどだった。

 

 まるで、泥沼の中から這い出て、青い空を仰いだかのような気分だった。

 

 育てるというのは、すごいことなのだとレオンハルトは思った。

 

 先生は、生徒よりもたくさんのことを学び、知っている存在だ。

 

 だけれども、先生というのもまた、生徒から学び、自分を成長させるものなのかもしれない。

 

「ナッシェは、どんな武器を使うんだ?」

 

 

 拝啓、家族様へ。  

 

 俺、先生になります。

 

 

 

 もしかしたら、モミジさんはこのことも考えてくれていたのかもしれないと、レオンハルトは勝手な想像をしていた。

 

 ムーファの首につけられたベルが、カランコロンと楽しげに鳴っていた。

 

 

 



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Ⅴ 研修といふ名の……
プロローグ


 

 

「弓と、ボウガンは使い方を知っているけど、ほかの武器も使ってみたい」

 

 そんなナッシェの要望に応えるべく、レオンハルトは遠近問わずマイホームの倉庫で眠っていた十四種の武器のうち、あまり腕力のない少女でも取り回せるような武器――弓、片手剣、双剣、ボウガン二種をそれぞれ二つずつ持ち出して竜車に積み、彼女を連れ立ってベルナ村のクエストカウンターへと足を運んだ。

 

 狩り場での野営訓練も含めて、今夜から古代林狩猟合宿である。

 

 ちょっとした予定変更はあったが、ナッシェに自分の持っている技術をなるべくたくさん伝えたいという熱意がレオンハルトを動かした。

 

 決して、可愛い女の子との初めての野外寝泊まりに心引かれた、というわけでは無い。

 

 そんな下心などカケラも存在しない。

 

 ないったらない。

 

 ハンターが狩り場で使う寝袋は、大きめのものを一つだけ用意した。

 

 

 

 

 ベルナ村を中心とする近隣の人里全てにおける様々な依頼を統括し、ハンターとの仲介をするのが、ベルナ村の受付嬢。

 

 その重要な仕事を担う少女フローラは、午睡の甘い誘惑を断れない昼下がり、うたた寝をしながらクエストカウンターに座っていた。

 

 ふと気配を感じて目を開けてみると、“村一番のクエスト消化ハンター”として名を馳せているレオンハルトが大量の武器を積んだ竜車を()いている。

 

 それを見て、一言。

 

「夜逃げですか!?」

 

「…………夜逃げするつもりはないよ。そもそも、今はまだ夜じゃなくてお昼過ぎだよね?」

 

 ド天然のフローラの言葉に、彼女との会話に気後れしがちなレオンハルトも思わずつっこんだ。

 

 逃げる理由はいくらでもあるが、逃げるに逃げられないため、夜逃げなんてしないのである。

 

 いつか夜逃げせざるを得ない状況に陥ってもおかしくはないな、とは思っているが。

 

「よ、良かったぁ…………」

 

 肩下まで下ろされた赤茶色のゆるふわヘアーが、胸をなで下ろすフローラの動作に合わせてふわふわと揺れた。

 

「レオンハルトさん、いいですか?例え生活が苦しくっても、どんなに辛くても絶対逃げちゃだめです。村にクエストをこなせるハンターがいなくなってしまいます」

 

「いるよね!?ベルナ村付近管轄の専属契約ハンターが俺以外に三人くらいいるよね!?」

 

「彼らには、村の産業の貴重な雑用係(働き手)という重要な使命がありますから」

 

「あっ、ハイ」

 

 どうだと言わんばかりのドヤ顔と、いっそ清々しいくらいに見え透いた本音に、どこの業界も労働環境は一緒かとレオンハルトは顔を青ざめさせた。

 

 この受付嬢が頭のいい村長さえ匙を投げるレベルのド天然で、人使いが荒いことはベルナ村の住民の多くが知っている事実だ。

 

 具体的には、『ハンターさんはみんなすごいし、これくらい余裕だよね?ねっ?』とばかりに申しつけられるお願いの数々。

 

 モミジさんが直々に育てた受付嬢であり、素のスペックも並のハンターを軽々と上回るこの天然少女は、普通の人との感性のズレが激しい。

 

 そのズレを認識するチャンスに恵まれなかったフローラは、なるべくして天使(オニ)のような鬼になってしまったのではないか。

 

 勿論、おしゃべり屋でゆるふわ系天然でどこかハズレている彼女と、まともな交信をとれるとは思っていない。

 

 しかしながら、フローラは、七年間の(ほぼ一方通行な)親交を通して、ようやくコミュニケーションがとれる段階まで来た知り合いの一人であった。

 

 ちなみに、レオンハルトがベルナ村で会話する十三人のうちの貴重な一人でもある。

 

 神が使わした十三使徒の内の一人だと思えば、フローラの無茶なお願いも聞き入れざるを得な…………ねーよ。

 

 今日も笑顔が素敵な受付嬢は、その笑顔のまま、

 

「あ、でも、あれですね!

 アツアツの(・・・・・)恋人同士ってウワサのモミジさんを一人ほっぽって、レオンハルトさんがどこか行ってしまうワケないですよね!」

 

 爆弾発言をぶちかましやがったよこの子。

 

 いつもの癖で思考停止のまま周囲を確認。

 

 今の発言を聞いた人間、ナッシェ一人。

 

 ナッシェにはあとで言い含めておこう。

 

 機能停止をしそうになる脳みそをなんとか再起動させて、レオンハルトは人命救護(自己保存)のためにフローラに尋ねた。

 

「ちょっと待ってね?そのウワサの出所教えてくれる?」

 

 一度そのウワサの発出源を締めておかないと、俺がシメられる。鶏のように。

 

 威勢よく鳴き続ける雄鶏を、モミジさんが素手でシメて永久に黙らせたあのワンシーンは、記憶に新しいトラウマの一つである。

 

 雄鶏が自分の姿に置き換わった場合をまざまざと想像して、思わず乳首が勃ってしまった。

 

 とても気持ちいい。

 

「ふふふっ、教えませ~ん」

 

 楽しそうに笑うフローラに、笑い事じゃないんだぞと言いたくなるレオンハルトであったが、

 

「あれっ!?」

 

 と目を丸くした彼女の反応に口を(つぐ)んだ。

 

 思わず身構える。

 

 勃ったままの乳首が伝える快感に、身体がゾクリと震えた。

 

 それにしても、転がるウラガンキンよろしく表情がコロコロと変わる少女だ。

 

 そして、レオンハルトはそう言った彼女の勢いに着いていけない。

 

 よくしゃべる相手を前に、出しかけた言葉を飲み込んで押し黙るのは、コミュ障にはよくあることである。

 

 そんなおしゃべりフローラは、視線を鋭くして、一言。

 

「まさか、浮気ッ!?」

 

「…………は?」

 

 レオンハルトの口から間の抜けた声が漏れた。

 

 二度目の爆弾発言を放ちながらフローラが見つめるのは、紫色のジャギィシリーズ防具に身を包んだナッシェ。

 

 ガンナー防具に付属するサングラスを額の上にかけているのと相まって、精緻に作り込まれた人形のような顔の可愛らしさがさらに強調されていた。

 

 そろそろこの子の口をふさいでおかないと、『寡黙だけどいい人』ともっぱら評判のレオンハルトさんにあらぬ(そし)りが入り始めそうだ。

 

 浮気、ダメ、ぜったい。

 

「ねぇちょっと待って?俺とこの子はそう言う関係じゃないし、そもそも『浮気』が成立するのに必要な本妻がいないからね?

 何度も言うけど、モミジさんとはそういう関係じゃないからね?ないからね?」

 

「またまた、照れちゃって~」

 

「だめだ、話が通じているのに聞く耳を持ってくれない……」

 

 これだから年頃の女の子は……と心の中でため息をつくレオンハルト。

 

 でも、可愛いから許しちゃう! ……ねーよ。

 

 可愛いからって何をしても許されると思うなよ!

 

 …………でもよく考えたら、可愛いは正義じゃないか。

 

 可愛いは正義、正義は勝つ!つまり可愛いは勝つ!

 

 理不尽な真理だ…………。

 

 どこか既視感のある理不尽の嵐に、条件反射でレオンハルトが乳首を勃たせて勝手に恍惚として満足していることなど知る由もないフローラは、好奇心に満ちあふれた瞳をきらきらと輝かせて、

 

「じゃあ、今カノ?」

 

「ねえ、今そういう関係じゃないって言わなかった?」

 

「えーと…………じゃあ、親しいガールフレンドの一人?いやん、レオンハルトさんのスケコマシ!」

 

「ひどい言いがかりだ……」

 

 プロのぼっちを捕まえて何を言ってるんだと思いながら、レオンハルトはクエストカウンターの採集ツアーチケットに手を伸ばして、

 

「モミジさんに今日からこの子の育成を頼まれたんだ。彼女はナッシェ。今から採集がてら武器の扱いを教えに古代林に行こうと思う。この採集ツアーの手続きを」

 

「あー……?

 ……えっと、つまり……レオンハルトさんは、尻にひかれる系の旦那さん、ということ?」

 

「色々違うからね?あと、正しくは『ひく』じゃなくて『しく』だから。全然敷かれてるとかじゃないけど」

 

 いつまで俺はモミジさんの彼氏扱いされるんだ。

 

 尻に()かれるとか、とんだ変態じゃないか。

 

 あ、そう言えば俺、変態だったな。

 

 確かにモミジさんのお尻は……。

 

 ……自分で自分のトラウマを刺激したときって、何故無性に叫びたくなるんだろうね。

 

「ほへー」

 

 心の中で絶望のシャウトをするレオンハルト。

 

 そんな彼に、分かっているんだか分かっていないんだかよく分からない返事をしながら、フローラはさらさらとクエスト発注書にサインをして、

 

「それじゃあ、行ってらっしゃい!たくさん採ってきてくださいね!」

 

 お決まりのセリフと共にクエスト出発を許可した。

 

 相変わらず仕事は早い。

 

「ああ。それじゃあ、ナッシェ、行こうか」

 

 なるべく笑顔を心掛けながら、後ろを振り返って爽やかに声をかけたレオンハルト。

 

「…………………はい」

 

 やや長い沈黙を置いてから、ナッシェは微妙に視線を逸らしながら返事をした。

 

 なに、目も当てられない感じの笑顔だったの……?

 

 普段根暗でコミュ障なぼっちが笑顔で口を開くとロクなことにならないな……。

 

 せめて見られるイケメン顔でありたかったよ……。

 

 ママンとパパンはどっちもまあまあの美形だったのに……ぐすっ。

 

 やはりこの世は顔が一番大事、はっきりわかんだね。

 

「あ、あはは、そ、それじゃあ、行ってきまーす、みたいな……?」

 

 心に負った傷を隠しながら、レオンハルトは出発のかけ声を上げた。

 

 何はともあれ、誰かとクエストに出発するのは、これが初めてである。

 

 最初くらい、良識の範囲内でテンションを上げてもいいだろう。

 

 ジクジクと涙を流す心中とは裏腹に、心浮かれるイベント――本来狩猟とは浮かれてはいけないものだが──の到来に思わずニヤケそうになってしまう。

 

 数瞬前の二の(まい)を踏むまい(・・)と表情筋を引き締めたところ、レオンハルトの顔はさらに気持ち悪いニヤケ顔を浮かべることになった。

 

 心の中でぶちかました微妙なダジャレがよくなかった、反省。

 

「あ、あのヘタレで非社交的なレオンハルトさんが、出会ったばかりの女の子を名前呼びですと……?」

 

 失礼なことをのたまう受付嬢はひたすらに無視である。

 

 先生となったからには、保ちたいメンツがある。

 

 

 

「旦ニャ様には、もともと保つべきメンツがないニャ」

 

 そんなレオンハルトに、横からザブトンが声をかけた。

 

「お前には言われたくないぞ、このドM猫……お前人の心を読むなよ!?」

 

「思っていることがすぐ顔に出る旦ニャ様の心を読むなんて、プロオトモのニャーには造作もニャいことですニャ」

 

「マジかよ…………、ん?てかお前、いつから俺の隣に!?」

 

 

 

 

 



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ドキドキ♡後輩美少女と秘密の合宿!

 古代林。

 

 それは、悠久の時の隔絶を思わせる、原始の森と草原の広がる場所。

 

 大陸の広範囲に渡って広がるウガディング火山帯の作り出す独特の地形と熱水蒸気に守られながら、今日まで旧きの面影を残す大フィールドだ。

 

「……ついに来てしまった」

 

 穏やかに立ち上る火山の煙を遠くに眺めながら、ベースキャンプの近くにある丘の上でレオンハルトは呟いた。

 

 首筋を吹き抜けていく暖かい風。

 

 古代林は、その地形的な要因もあってか、温暖な気候が特徴である。

 

 相も変わらず足下の土は固くなく、様々な狩り場に行くハンターにとって、“ベストとは言えない狩り場のスタンダード”であるこの古代林は、狩猟経験を積むのにいい場所なのだ。

 

 ベルナ村から気球を使って十五分針で来れる距離にある、というのも素晴らしい。

 

 植生の豊かさは言うまでもなく、それに集うモンスターの多様性や、厳しすぎず、けれども危険と隣り合わせの野営、ハンターとしての経験を培うのに、これ以上の場所はない。

 

 自分がハンターとしての経験を培った狩り場(森丘)は、初心者には確かに優しかろうが、経験を伝授するという点に関しては少しもの足りない。

 

 と言うわけで、ここ古代林が、心躍る『一狩り行こうぜ!』の初舞台である。

 

 ここからは、気を引き締めていかねば。

 

 移動の間は、ナッシェと一言も言葉を交わさなかったけどな。

 

 ……コミュ障はつらいよ。

 

 

 とにもかくにも、まずは野営訓練である。

 

 時には長距離の移動や、何十日にも渡る狩猟を行うハンターにとって、野営の技術は無くてはならないものだ。

 

「……『ドキドキ♡後輩美少女と秘密の合宿』!

 ……うむ、いいな」

 

 エロもあるよ、とかだったら、即買い不可避の娯楽本になるのに。

 

 ああ、誰かそう言う系の本を書いてくれないかな。

 

 家に置くのは侵入者(アナスタシア)諸々の関係で無理だけど。

 

「…………ぁの」

 

「夜はあの湖を使って……ふひひ…………」

 

「…………。……あ、あの」

 

「もしかすると、緊張のドキドキを一緒にいるドキドキと勘違いして──という例の都市伝説、“一狩り効果”に巡り会う可能性も……!」

 

「あのっ」

 

「うっひゃわぃぉうッ!?」

 

 すっかり妄想に夢中になっていたレオンハルトは、傍らからかけられた声に慌ててケチャワチャの鳴き真似で返した。

 言わんこっちゃないと呆れ顔のザブトンは、集めた薪を黙って竜車のそばへと並べていく。

 ベースキャンプ周りは、つい最近緑色の悪魔に破壊されたせいで急拵えの状態である。

 ベッドが新品なのはグッドポイント。

 

「な、な、ななな、ナッシェ、何かな?何か用事かな?問題発生?い、いきなり話しかけるのは無しだぞ?さすがのレオンハルトさんもびっくりだぜ、おうおう」

 

 ダラダラと冷や汗を流しながら、妄想という名の独り言を聞かれていたのではとナッシェの様子をうかがうレオンハルト。

 オットセイの鳴き真似は、焦ったときに出てくる少年時代からの癖である。

 どこまで聞いていたかとかは、怖くて聞けない。

 

 いつも独りで狩り場に来ているためについてしまった独り言の癖が、二人での狩り行きに慣れてきた矢先に出てきてしまった。

 隣に人がいる状況に慣れてしまうとは、思ってもみなかった事態である。

 慣れって怖い。緊張感ゼロ、ダメ、ぜったい。

 

「…………そ、その、えっと」

 

 口ごもるナッシェ。

 

「い、言いにくいことかい? 大丈夫、俺は大抵の酷い罵倒にはある程度耐性があるし、文句や罵声ならどんとこいだぞ!」

 

 むしろご褒美ですと続けそうになったが、なけなしのプライドと理性で抑え込んだ。

 なお、垂れ流していた妄想について一言もらった場合は、何もかも忘れるために近くの川に走って(みそ)ぎをする予定だ。

 人間誰しも、綺麗さっぱり洗い流したい汚点の一つや二つはあるものだ。

 

「いえ、そう言うことではなくて…………」

 

 目線を下に向けて言い(よど)むナッシェ。

 少し緊張しているのだろうか、筋肉に僅かな硬直具合が見てとれた。

 改めて、こうして向かい合ってみると、ナッシェの小柄な体躯に新鮮さを感じる。

 レオンハルトはドンドルマ時代から背の小さい方ではなかったし、周りにいるアナスタシアや昔馴染みのとある(・・・)クソハンターなども、ナッシェと比べれば大柄な方だろう。

 

 アナスタシアは大柄というよりも、すらっと長いタイプであるが。

 ナッシェの年齢を考えれば、まだまだ成長の余地はあるが、それにしたって彼女の細さとちっこさはハンター全体を見渡しても奇異に映る。

 まあ、ナッシェがドンドルマのギルドにいるような、ゴリラ型のハンターのようになってしまったら、それはそれで色々と死ねるが。

 

「こ、こうみえてレオンハルトさんのプライバシー保持能力はベルナ村一だ、何でも言ってくれて良い」

 

 思わず想起した巨大なナッシェの像を頭から振り払うように、レオンハルトは言葉を紡いだ。

 

「あ、でもあんまりセクシャルな話題だと、今はアナもいなくてアレだから、そこら辺は適宜判断ってことで」

 

 自分に出来る最大限のジョークを放ったレオンハルトに、ザブトンが「ニャんですと…………!?」と驚愕の視線を送っていたが、脱コミュ障を目指す当人は努めて無視した。

 

「秘密は守る主義だからな」

 

 先生らしく、胸を張っていようと見栄を張るレオンハルトに、

 

「…………ふ、へ」

 

 と、硬くぎこちないながらも、ナッシェがほんの少しだけ笑った。

 ユクモ村の近くで見られる八重桜(サクラ)の花が開くような笑顔に、レオンハルトは不覚にも目を奪われた。

 プロのぼっちとして培ってきたぼっち力──簡単にはオトされない力──がゴリゴリと削られていく感覚に、痛みのある既視感が伴った。

 同じ失敗はしまいと密かに身を引き締めるレオンハルトとは対照的に、彼の全力のジョークに多少気持ちがほぐれたのだろう、ナッシェは一呼吸置いてから、彼に尋ねた。

 

 

「…………その、なんとお呼びすればよいのかな、と」

 

 顔を赤らめながら、レオンハルトのことをなんと呼べばいいのかと聞いてくる少女。

 

 

 天使かと思った。

 

 

「…………そ、そうだね、狩りの時はサクッと呼べるような名前が良いだろうね、うん、レオンハルトはどう考えても長いし……え、ええっと………」

 

 なんとか思考を復帰させながら、ピンク色に染まりそうになる脳みそを正常軌道に戻そうと躍起になる。

 くっ、鎮まれ、レオンハルトの撃龍槍!

 

「まあ、俺は一応ナッシェの先生になったわけだし、先生とか、あ、師匠とかでもいいし」

 

 一応、十年間もの間修正をし続けてきた台本には、「俺のことはレオって呼んでくれ!(イケボ)」との書き込みがあったが、いざそれを言うとなると若干どころではない気後れを感じたために没案となってしまった。

 

「ナッシェが呼びやすければ、どんな呼び方でいいよ」

 

 結局、丸投げした。

 会話経験不足が祟って、自分を呼んでもらうその呼び方でさえ決められないとは……。

 

「…………じゃあ、先生、って呼んでも、いいですか?」

 

 そして、ナッシェの紡ぐ先生のフレーズは、レオンハルトの心の奥に深く染み渡った。

 

「……もちろん、いいね」

 

 ああ、これだよ、これ。

 

 エロエロとかえっちぃのとか、そういうもの無しで、自分の教え子に先生と呼ばれる感動。

 

 いいね、グッとキタ。

 

「分かりました。レオンハルト先生、改めまして、今日からどうぞ、よろしくお願いします」

 

 そうして、綺麗な角度のお辞儀をするナッシェに、

 

「もちろんだとも!」

 

 気力が120パーセントほど回復したレオンハルトであった。

 

 

 

 

「それじゃあナッシェ、さっそく調合の練習といこうか!」

 

「ぇ」

 

「古代林は色々な素材が採れるからね!さあ、出発しよう!」

 

 意気揚々と、素材が入るからっぽの背嚢を引っ提げて、レオンハルトは古代林へと踏み出した。

 

「…………せんせ、武器は…………?」

 

「あっ」

 

 

 

 

 



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先輩らしく、後輩らしく

 そうして始まった古代林でのハンター教習合宿。

 

「これが薬草、こっちは解毒草……」

 

 道に生えている様々な植物の中から、ハンターの調合に用いる素材の小さな群生を見分けていく。

 

「そうそう、あ、じゃあこれは?」

 

 レオンハルトが指した先には、ピンク色の葉を広げる小さな植物。

 

「漢方薬の素材の……落陽草、根っこが調合素材、です」

 

「あたり。葉っぱの部分は毒だから、気をつけて。教本には書いてなかったけど、食べると三時間くらいめまいと吐き気に襲われるから」

 

「ぇ」

 

 その知識は一体どこで?と思うナッシェであったが、怖くて聞けなかった。

 

「好奇心に駆られても、狩り場ではやっていいことといけないことがあるんだ。狩り場で持ってしまう好奇心は、ハンターをも殺す。いいね?」

 

「…………はい」

 

 聞かなくても、察してしまった。

 

「よし。…………それじゃあこっちのキノコは?」

 

 目に付いたキノコをプチッと採集して、ナッシェに手渡す。

 

 青紫色のかさは、所々ではじけた水玉のような白い線を描くキノコ。

 

 なんとも毒々しいそれは、毒テングタケにも見えるが、

 

「家で見たのとは模様が違うけど…………ドキドキノコ?」

 

 キノコをひっくり返しながら、そう答えた。

 

「そうだね。ドキドキノコは、基本的にはかさ下の胞子の付き方が特徴的だから、そうやって見ればいい。まっ、複数群生していたら、分からなくても食べれば良いんだけど」

 

「……………………」

 

 それがもし、強靱な肉体を持つモンスターにも効くような毒性のある毒テングタケとかだったら、この人は一体どうするんだろう。

 

 きっと、解毒草でも噛みながら狩りを続けるんだろうと、ナッシェは半分諦めた面持ちで黙った。

 

 この人は、回復薬と解毒薬さえあればどんな地獄からでも生還するバケモノだ。

 

 あの親切な(・・・)受付嬢が、楽しそうに笑いながらそう言っていた。

 

 理解すればするほど虚しく感じてしまうような、圧倒的で歴然とした差。

 

 その笑みの下に、どれほど血のにじむような努力を積み重ねてきたのか、想像すら出来ない。

 

 これがプロのハンターなのだと、ナッシェは密かに羨望と憧憬の念を強めていた。

 

 そこの誤解を解いてくれる人間は、この場にはいない。

 

「じゃ、そろそろここら辺で、回復薬と解毒薬だけ一瓶ずつ作っておこうか」

 

「……はい、せんせ」

 

 予想通りのレオンハルトの言葉に、ナッシェは短くうなづいて、手荷物を持ち直しながら彼のそばを離れ、採集を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 それにしても、とレオンハルトはひとりごちる。

 

 隣に座って、すり棒で素材をすり潰すナッシェの手つきは、今朝初めて調合の仕方を習ったとは思えないほどの上達ぶりだった。

 

 手渡した薬草とアオキノコをすり鉢の中に入れたナッシェが、餅つきよろしく鉢へすり棒を叩きつけた(・・・・・)ときの衝撃(笑撃)は、筆舌に尽くしがたい。

 

 いきなりの狂乱に、開いた口がふさがらなかったくらいだ。

 

 何が起こるか分からない狩り場でも、あれほどのドッキリは受けたことがない。

 

 真剣な表情で勢いよく振り下ろした陶器製のすり棒が、粋な音を立てて器と共に砕け散ったのを見たときの、ナッシェの呆然とした顔と言ったら…………。

 

 調合初心者とはいえ、さすがにそこまでとは思わなかった。

 

 え?そこから?どころではない。

 街を歩いていれば、薬草をする人間の一人や二人はいるだろうに。

 

 そんな今朝の惨状と比べて、どうだろう、この変わり様は。

 

 十数年間、独学で調合を修得し、自分なりに最良のやり方で素材を加工してきた。

 

 そのレオンハルトの手つきそのままを、ナッシェは見事に、完璧に再現してみせているのだ。

 

 今朝、すり鉢の使い方を教わったばかりの少女の調合は、レオンハルトがいつも見ている手先の動きと寸分も違わないものだった。

 

 …………この子は、ひょっとすると、人のやり方を見て、真似をするのが非常に得意なのかもしれない。

 

「…………出来ました」

 

 最初の頃とは比べものにならないほど巧みな手際で調合を済ませたナッシェが、青緑色の透き通った薬品を振りながら、レオンハルトに報告した。

 

 これほどの学習能力があるのならば。

 

「すごいじゃないか、ナッシェ。今日一日で、びっくりするくらいに成長した」

 

「…………へへ」

 

 整った鼻梁にほんのわずかな満足の色を乗せる少女を褒めながら、レオンハルトは先を急ぐように立ち上がった。

 

「それじゃあお待ちかね、武器の扱い方を教えよう」

 

 俺の初弟子は、この上なく強くなる可能性を持っている。

 

 その事実が、レオンハルトの背中を押した。

 

「…………はいっ」

 

 嬉しそうにうなづくナッシェ。

 

 二人の間には、最初の頃にあったような、遠慮を含んだ緊張感は既に無い。

 

 古代林の青い空に浮かぶ雲を、傾いた日差しがほんのりと黄金色に照らしていた。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

「────今みたいに、ハンターの使う武器としての弓は、矢を射るときに自分の気力(スタミナ)を消費するんだけど、それを武器に伝えているときは、普通の弓とは比べものにならないくらいの威力になる。それこそ、硬い鎧を持つモンスターにも手傷を負わせることが出来るようになるくらいにね。

 武器種としての弓が持つ最大の利点は、なんと言ってもそのピンポイントな攻撃性だ。人間よりも遙かに巨大なモンスターの急所を狙って、普通の近接武器だと届かないような位置にある急所だって狙えるのが、遠距離武器の特徴とも言えるけど。

 ともかく、普通の動物を狩るのであれば、強靭な生命力を持つモンスターの素材から作った弓を使わなくてもいいんだけど、やっぱりモンスターを狩るとなると、弦を引く段階から気力を消費して、矢を射ることになるんだ。

 その時、弓に伝わった気力は矢の射出直後に弓からすぐ消えてしまうんだけど、その気力が消えない内にもう一度矢をつがえて弦を引くと、ゼロから気力を弓に入れるよりも強力な一矢を放てるようになるんだ。これは、ハンターズギルドでも弓の扱い方として公式に認められている“剛射”という技術で、モンスターとの距離感に威力を左右される弓にとって、最も大事な撃ち方の一つなんだ。

 もちろん、剛射の時も気力は消費するし、連続で気力を消費してしまうと急激な負荷で身体が動けなくなってしまうのは既知の事実だけど。だから、自分の身体と相談しながら、より強力な一撃を、より正確にモンスターの急所に当てていく。これが、弓の極意なんだ。剛射は、ノータイムで気力十分の矢を放てるという点で、特に重要な技術なんだよ。

 弓は単純だ、矢をつがえて放せば攻撃出来る、それ故に難しい武器でもある。でも、ナッシェならすぐに上達して、うまく取り回せるようになると思うんだ。

 まあ、今やって見せたとおり、弓構えの段階で弓と手、身体の位置関係と、弓を握る手の力が、いつでもどんなときでも正確に再現できるようになれば、弓は簡単に使えるようになるんだけどね」

 

 だいぶ傾いてきた昼の日差しの中、相も変わらず長ったらしい説明を一方的にまくし立てるレオンハルト──当の本人はいたって真面目である──。

 

 二人は、開けた草原に来ていた。

 

 のん気に背の高い木の上に生えている葉を食べる草食竜、それを囲みながらも巨体を前に襲いかかるのをためらうマッカォたち。

 

 相変わらず細く白い煙を立ち上らせる火山は遠近感が掴みにくい。

 

 ナッシェは、ボウガンの知識は一通りあったが、弓に関しては引いて射ることくらいしか知らなかった。

 

 俄然、説明にも力が入る。

 

「じゃあ、さっきの溜めて射たところから剛射に繋げるから、よく見てて」

 

 と、自身が手にもつ弓に矢をつがえる。

 

 巨大な生物が動き回るのにちょうどいいような、だだっ広い草原で、白金色の弓は陽光を鋭く反射していた。

 

 その弓の名は、【THEデザイア】。

 

 混沌のただ中において圧倒的な光を帯びた秩序を生みだし、先の見えぬ狩り場に希望を与え、血みどろの闘争を制する弓だ。

 

 “黒触竜”ゴア・マガラや、“天廻龍”シャガルマガラといった危険なモンスターの素材を用いている分、並のハンターではまともに弦を引くことすら出来ない強力な武器になっている。

 

 なお、未だにとある病(・・・・)を密かに患っているレオンハルト愛用の弓でもある。

 

 半身姿勢で淡い金色の光を纏う右腕を引き、弓を構えるレオンハルトは、気力を纏った弓にキリリと力を加え、刹那の呼吸の後、

 

 ビンッ!

 

 放たれた四本の矢が、空気を切り裂きながら飛んでいき、負荷から解放された弦の立てる音が耳朶を叩く。

 

 その矢が狙った対象に当たるよりも早く、レオンハルトは背中の矢筒から“THEデザイア”の矢を引き抜き、腰を落としながら二の矢をつがえた。

 

 金色の光を纏ったまま、注がれた気力を保ったままの矢は、呻り声を上げながら“剛射”の矢を放った。

 

 ズバンッ!!

 

 再び放たれる四本の矢。

 

 四組、計八本の放たれた矢は、それぞれが八つの対象を正確に射止めていた。

 

 一本は、巨木の枝先に実っていたウチケシの実のヘタを射抜いて実を落下させ、一本は空中を舞っていたブナハブラを蹴散らして、一本はマタタビと戯れるザブトンの尻を掠めて地面に突き刺さった。

 

 ギニャーッ!?と悲痛な叫びが上がり、古代林の青い空に溶けこんでいく。

 

 残りの五本は、背の高い木の葉をはんでいた草食竜を囲む六頭のマッカォの群れに襲いかかり、その内の五頭を打ち砕いていた。

 

「…………ふっ、完璧だぜ」

 

 驚き逃げていくマッカォを尻目に、アンニュイな雰囲気を纏ったレオンハルトは呟いた。

 

「…………す、すごい」

 

「だろ?」

 

 純粋に神懸かっているとしか言いようのない射撃技術に、ナッシェは純粋な驚嘆の声を漏らした。

 

 と言うか、ある程度離れているマッカォの頭を五頭分一気に打ち砕いたり、ウチケシの実のヘタの部分だけを射抜いたりしているのは、すごいを通り越して若干ドン引きするレベルである。

 

 若干分かってはいたけれど、この人頭おかしい。

 

 得意顔になるレオンハルトは、そのまま足下に置いてあった“狐弓ツユノタマノヲ”──“コトノハ”と同じく、タマミツネの素材から作られる弓──をナッシェに手渡しながら、

 

「じゃあ、今みたいにやってみよっか」

 

「ぇ」

 

 うん、わかった、このひとあたまおかしい。

 

 

 

 

 

 

 いや、剛射のことだからね?と言うレオンハルトに、ナッシェは微妙な顔でうなづきながら弓を受け取る。

 

 さすがにあの人外っぷりは誰にも真似できない。

 

「うーん、あの草食竜にしようか。ほら、あそこの小さめのやつ」

 

 レオンハルトの指差す方向を見ると、龍歴院随一の人外ハンターに目を付けられているとも知らず、平和に草を食べている草食竜がいた。

 

 体格からして、まだ若い個体だ。

 

「今晩の夕飯と、明日の肉にしよう。狙うのは頭。脳幹をぶち抜けば、たいていの生き物は即死するからね。逃げられる前に仕留めよう」

 

 この人エグい。

 

 でも、それは人間も同じこと。

 頭をやられたら、死ぬ。

 

 これは、生きるか死ぬかを賭けた狩猟なのだ。

 

「…………はい」

 

 ナッシェは返事をしながら、張られた弦の調子を指先で確かめ、弓のしなりを確認して、矢筒の中から矢を引き抜いた。

 

「そういえば、ナッシェは弓とかボウガンとか、どこで教わったの?」

 

 しっかり自分の弟子と雑談がこなせるようになるまで進歩したレオンハルトが口を開く。 

 

「えっと、家で、弓の使い方とか、てっぽうの使い方とかを教えてくれて」

 

「そ、そうか」

 

 …………ナッシェが良家の出身説に、さらに信憑性が増してきた。

 

 ハンターの家に生まれたのなら、調合のやり方をあそこまで知らないということもないだろうし……。

 

 それとも、ナッシェの家では、あの叩きつけ(少々アグレッシヴな)調合がスタンダードだったのか?

 

 うむむ…………。

 

 

 悩むレオンハルトを放って、ナッシェは碧い目を閉じ、弓構えのイメージを始めた。

 

 今まで使ったことのあるどの弓よりも長くしなやかで、強力な気配を感じる弓。

 

 “狐弓ツユノタマノヲ”は、ナッシェよりも格上のモンスターだ。

 

 妖艶な雰囲気の中に潜む強者の気配に、弓を握る手にキュッと力を入れて、脱力した。

 

 自分が身につけてきた弓構えの姿勢は、すぐに思い浮かぶ。

 

 これに、先ほどの──いっそ惚れ惚れとするほど──綺麗な弓構えをしていたレオンハルトの姿を重ね合わせる。

 

 これ以上無いくらいに完璧な姿勢、弓を握る手の力加減や矢の向く先まで、一心同体となったプロのハンターの在り様。

 

 一射目を放った後の、流れるような動作は、今まで見たことのない異端の撃ち方であり、まぶたの裏に鮮烈に焼き付いた憧憬の集約点だ。

 

 彼我の体格差、弓の経験値、真っ直ぐと伸びた背中、真剣な視線。

 

 呑まれてしまいそうになるような緊張感の中、ふと、脳内のイメージがカッチリと身体に馴染む感覚があった。

 

 今――ッ!

 

 

 

 

 

 



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仕事に就く覚悟

 結論から言えば、ナッシェの“真似する才能”は素晴らしいものだった。

 

 スパン、と放たれた一矢目の軌跡に重ね合わせるようにして射られたナッシェの剛射は、一撃目で首元を射止められ、動きを封じられた草食竜の頭蓋を、見事に射抜いたのだ。

 

「お見事!」

 

 まるで自分のことのように喜びながら、レオンハルトはナッシェを褒めた。

 

「…………ぇ、え?」

 

 戸惑いながら、視線の先で一言も発さずに地面に倒れ伏す草食竜を眺める。

 

 多少腕の覚えはあったけれども、初めて使う弓でこうも上手くいくとは思っていなかった。

 

 レオンハルトに背中を押されて、だんだんと近づいていくにつれて、現実感がわいてきた。

 

 眼窩から侵入した矢が、長い首の先にある草食竜の頭を打ち抜いている。

 

 私が殺したのだ。

 

 この手で放った矢で、私が殺したのだ。

 

「…………ナッシェ、もしかして、モンスターを殺すのは初めてだったのか?」

 

 そんな言葉にぼんやりとうなづいてから、ナッシェはハッとしてレオンハルトを見る。

 

「ど、どうして?」

 

「どうして分かったのか、ってことか?そりゃ、ナッシェの目を見れば分かるよ」

 

 レオンハルトは、優しい目をしながら言った。

 

「悲しい気持ちと、純粋なショックとがぐちゃぐちゃになった目だ」

 

 目は口よりモノを言うから、と彼に似合わず少しだけ恰好いいことを言って、それからしばらくの間、口を噤んだ。

 

 なんだか気恥ずかしい気分になって、ナッシェは改めて草食竜に目を向ける。

 

 ピクリとも動かない四肢。

 

 緑色の身体は、先ほどまで目の前を悠々と歩いていた時と寸分も(たが)わない。

 

 初めて、自分の手で命を奪った生き物。

 

 苦しませずに、死なせてあげられただろうか。

 

「…………」

 

 じっと草食竜の身体を見つめるナッシェに、レオンハルトは一つ深呼吸してから再び声をかけた。

 

 

 ここが、ナッシェにとって、ハンターとして生きていく上での最初の難関だからだ。

 

 

「ハンターは、モンスターを狩る仕事だ。それは、この間のイビルジョーみたいに、人間や生態系に多大な悪影響を及ぼす危険なモンスターを狩ることもある。でも、それだけじゃない。今みたいに、穏やかに草を食べているだけのモンスターを狩ることだってある。

 その理由は、依頼だったり、狩り場での補給だったり。

 ハンターっていうのは、基本的には、その地域の生態系の維持と、人間の利益のためにモンスターを狩る仕事だからね、たくさんのモンスターを、自分の、自分たちのために殺す。どんなモンスターでも、刃を向ける理由があったら、容赦なく刃を向ける。そうして奪った命を、一片も無駄にしないように使い切る」

 

 だけどね、とレオンハルトは繋げた。

 

「もし、ナッシェが殺したくないって言うんだったら、ハンターなんて仕事は辞めていいんだ。この仕事は、人間社会で一番多く生き物を殺す仕事だからね。

 他にも、ナッシェに出来る仕事はたくさんある。受付嬢でも、ベルナ村の、村のお仕事でも良いだろう。どこだって、ナッシェみたいに良い子は大歓迎だ。なんなら、俺の希少な人脈をフル活用してでも仕事を探そう。…………この際、モミジさんのお願いがどうなるかとかは、か、関係ない」

 

 若干膝を震えさせて、顔を青ざめさせながらも、レオンハルトはそう言いきった。

 

 驚いたような顔をして、ナッシェがガバッと顔を上げる。

 

「生き物はみんな、他の生き物の命を奪いながら生きていく。これは、絶対に変えることが出来ない原則だ。生き物の命を頂くからこそ、生き物なんだ、とも言えるくらいだよ。

 きっと、ナッシェが今受けているショックは、イビルジョーみたいに明らかに(・・・・)危険なモンスターを殺したんじゃなくて、この無抵抗だった草食竜を殺したことが原因だと思うんだ。

 とは言っても、彼らだって巨体を生かして生き残ってきた種族だし、戦闘能力は低いけれど、種の保存には十分な力を持っている」

 

 レオンハルトは、腰に差していた幅広のナイフを抜いて、ナッシェに見せた。

 

 狩ったモンスターを解体したりするための、ハンターにとっての必需品であり、ナッシェが今まで持ったことの無かった種類の道具だった。

 

「俺は、ナッシェがどうしてハンターになろうとしているのか分からない。でも、それを聞くつもりはないんだ。自分の就職理由を話したくない、っていうハンターも多いからね。

 だから、今ここで聞こう」

 

 日の光を反射してぎらつくナイフは、丁寧に整備されていたし、それは、()()()()使()()()()()()道具である証だった。

 

 

「ナッシェは、奪った命に責任を持てるかい?

 このナイフは、見た目よりずっと重いんだ。

 もし君が、その重さを恐れるのならば、俺がナッシェの代わりにこのモンスターの肉を採ろう」

 

 そうして、数千もの命を刈り取ってきたハンターは言った。

 

「もし、これを手に取る勇気があるのなら」

 

 

 この(ナイフ)は、君のものだ。

 優しく残酷な声が、静かに囁いた。

 

 

 

 

 耳元をくすぐる涼しい風が、一日の終わりの近いことを告げる。

 

 西に傾いた太陽が、空に浮かぶ雲を淡い黄金色に染めて、せっかちな半月が東の中天に浮かんでいた。

 

 どこかから聞こえてくるモンスターの鳴き声。

 

 狩り場に溢れているのは、大自然の雄大さだった。

 

 悠久の時の流れはゆっくりと、けれど、確実に進んでいく。

 

 太古の時代から停滞しているように、何も変わらないようにも見える古代林だって、今を生き、今の時を刻みながら、少しずつ、ほんの少しずつ変化している。

 

 確かに、命を奪うのは恐ろしいことだった。

 

 イビルジョーと対峙したときは違った、もっと根源的な焦燥感から、必死で使い慣れていない“ハンターの武器としての”ボウガンの引き金を引いていた。

 

 それと比べてどうだろう、いくらか冷静な気持ちで、数瞬前まで生きていたモンスターを殺すのは、胸に鋭い刃を突き立てるような痛みを伴っていたのだ。

 

 レオンハルトの言う通り、受付嬢だとか、ベルナ村でのお仕事を手伝ったりだとか、そういう方が自分には向いているのかもしれない。

 

 (ムーファ)の毛を刈って、乳を搾り、チーズを作ったりして、たまにレオンハルトの所へ遊びに行く。

 

 そんな平穏極まりない人生を想像して、それがいかに魅力的であるかを改めて感じる。

 

 

 けれども、自分の隣で息づく自然の有り様を前にして、自分が、自分だけが変わらないのは、とても恥ずべきことであるように思えた。

 

 それに、自分の答えを何も言わずに待ち続けてくれているこの人は、同じこの道を通った人なのだ。

 

 その思いを、狩りの時間を、ハンターという仕事を、この人と共有出来たなら、それはどんなに嬉しいだろう。

 

 じっくりと長い時間をかけてから、齢十四歳の箱入り少女、ナッシェ・フルーミットは答えを出した。

 

 

 

 

 

 少女のか細い指先が、震えながらも、レオンハルトの手のひらに乗っていたナイフの柄を握った。

 

 彼女の出した答えに嬉しさと悲しさとを感じる自分を、レオンハルトはしっかりと自覚していた。

 

「その選択を、今の気持ちを、ずっと大切に持っていなさい」

 

 あー、こっちを選んじゃったか。

 

 ようこそ、モンスターハンターの世界へ。

 

 俺が、君の先生だ。

 

「それじゃあ早速、モンスターの解体方法を教えようか」

 

 手の中のナイフの感触を確かめるようにしているナッシェに、声をかける。

 

「返事は?」

 

 碧い双眸にはっとした色が浮かんで、それから、可憐な少女は、初めて満面の笑顔を浮かべてうなづいた。

 

「はい、せんせ!」

 

「よし。じゃ、やろうか」

 

 

 

 

 お尻近くの毛が抜けたニャーッ!と叫び散らすバカ猫が、レオンハルトの差し出したマタタビに誤魔化されてゴロゴロ言っていたのは、また別のお話。

 

 

 



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面接は入室前から始まっている

 夜。

 

 獣たちの声が響く古代林のベースキャンプで、レオンハルトとナッシェは焚き火を囲んでいた。

 

 途中、身体を綺麗にしようとナッシェを湖に案内したり。

 

 「……あの、あんまりヘンなこと、しないでください」とナッシェが顔を赤らめながら遠慮がちに言ったり。

 

 その言葉で全てを悟ったレオンハルトが近くの滝に素っ裸で飛び込んで精神を叩き直す修行をしたりと、色々なことがあった。

 が、些末事は忘れる主義のレオンハルトは、全く穏やかな気持ちで燃え盛る火を見つめていた。

 

 最初から聞かれてたかー。

 

 つらい。 

 

 それにしても、ナッシェの雰囲気は、ここに来る前とでは見違えるように変わった。

 

 オドオドとした、警戒心の強い子鹿のようであった少女は、物静かなところは変わらなくとも、年相応の明るさを見せる少女に変身していた。 

 

 いつもは屋内で本を読んでいるような深窓の令嬢系の美少女が、自分だけに魅せてくれるこの笑顔。

 

 うむ、悪くない。

 

 すっかり打ち解けた師匠と弟子の関係である。

 

 ここまで長かったけど、頑張ってきて良かったなぁ…………。

 

 そんなことを思っているレオンハルトであったが、冷たい滝に打たれていたとき、とあるひらめきを得てしまっていた。

 

 否、それは、疑念だとか、そういったものに近い考え。

 

 

 ナッシェの弓構え、あれは、確かに俺と同じ構えであったけれども、どこかで見たような構え方でもあった。

 

 まとわりつく既視感に、しかし他の人が弓を構えているところなど見たことがあっただろうかと、記憶を巡らせていく。

 

 

 ナッシェは人の真似が上手い。

 

 観察力もさることながら、他人の動作の特徴を的確に再現することが上手いのだろう。

 

 もしかしたら、弓の構えや撃ち方も、誰かの弓を射る姿勢を真似たものかもしれない。

 

 

「…………………………ん?」

 

 ────真似?

 

「?せんせ、どうかなさいましたか?」

 

 自分で狩り、その手で解体したモンスターの肉を、ありがたく、とても美味しそうに食べていたナッシェがお腹をさすりながら尋ねる。

 

「え、あ、いや、大丈夫」

 

 レオンハルトはそう答えながら、自分の中に存在している記憶のカケラを慎重に集めて、組み合わせていく。

 

 最近、真似というワードに関して、何か、直接的ではないにせよ、記憶に残るような出来事がなかったか。

 

 

 

 ──レオンハルトと同じような角度で首を傾け、ちょうど鏡になるように腕を組む仕草。

 まるで、幼い子供が親や兄弟の真似っ子をするかのような、悪戯イタズラ心のにじむ──

 

 ──大男の暑苦しい叫び声に合わせて、小男(・・)が防具の人差し指をビシィッと突きつけてくる──

 

 ──ワーッハッハッハッ、と高らかに笑う大男に合わせて、小男(・・)が口元に手の甲を当てて笑う仕草をする──

 

 ──…………ごめんなさい──

 

 

 ────俺は、卵を横取りしようとしていた頭のおかしい二人組と相対したあの時、むさ苦しい大男の陰にいた寡黙な方を、どうして小()と判断した?

 

 防具だ。

 

 インゴット系列の男性用の防具、あれを着ていたから、あの人物を男だと判断したのだ。

 

 唯一発した『ごめんなさい』の言葉も、金属製の防具越しで声質がよく分からなかった。

 

 フェイスも頭部防具に隠れているから、髪や顔の確認のしようがない。

 

 判断材料は、その防具のみ。

 

 そして。

 

 目の前でお茶の入ったカップを傾ける少女は、少し大きめな男性用の防具なら(・・・・・・・・)楽々と着こなせるくらいの小柄な体型だ。

 

 何より、あの小男(・・)以外に、他人が弓を構えているところを見たことはない。

 

 モンスターとの鮮血飛び交う触れ合いで培ってきた観察眼は、あの弓構えを今日も見たぞと、しっかりと答えてくれた。

 

 

 ……………つまり?

 

 

「────なあ、ナッシェ」

 

「はい、せんせ」

 

 レオンハルトの何気ない問いかけに、ナッシェは眠たげな声で返事をする。

 

「今日一日、疲れただろう。今日はどうだった?」

 

「えっと……その、とても楽しかったです。なんと言いますか、私の人生で、一番刺激的で楽しかったです。学んだことも、いっぱいありました」

 

 頭だけ防具を外して、ナッシェは嬉しそうにそう言った。

 

「そうか、なら良かった。俺、弟子とかとるのは初めてだからさ、どんなもんか、正直手探りだったんだよね。満足してもらえたなら何よりだよ」

 

 ホッとしたような顔で言うレオンハルト。

 

「はいっ。せんせ、本当に、今日一日ありがとうございました。いきなり押し掛けて、とてもご迷惑をおかけしてしまって、でも、私、先生に弟子入りすることが出来て、とても嬉しいんです」

 

「そ、そこまで言われると照れるぞ」

 

 本当によく喋るようになったなぁと思いながら、レオンハルトはまた何の気なしに口を開いた。

 

「ナッシェ、今後のために教えて欲しいんだけど、卵は好きかな?」

 

「はい、大好きです!」

 

「そっか。それじゃあ、ナッシェ、今日の昼の、卵サンドはどうだった?」

 

「あの、とっても美味しかったです!…………その、ま、毎日、作って欲しいくらい…………」

 

 俯きながらそう言うナッシェの顔は、オレンジ色の火に照らされて朱に染まっている。

 

「そこまでか!いやぁ、作ったかいがあったなぁ!」

 

 そんなに卵が好きだったなんて、とレオンハルトは笑った。

 

 それから一言。

 

「でもな、ナッシェ」

 

「はいっ」

 

 

 

 

 

「人の卵は、盗っちゃいけないと思うんだよね」

 

 

「…………ぇ」

 

 

 時が止まった。

 

 

 

 

 

 

 パチパチと、薪の爆ぜる音が響く。

 

 イビルジョーに破壊されてしまった拠点だが、そのうちまた龍歴院の研究員たちが訪れて、書物やら研究道具やらでいっぱいになるだろう。

 

「そう言えば、今日の昼に使ったのはリオレイアの卵だったんだよね。ほら、イビルジョーの討伐をしたときにさ、ギルドの救援が来るまでに拾ったやつ」

 

「…………はい」

 

「いやー、やっぱりモンスターの卵は美味しいね!」

 

「………………ソウデスネ」

 

 心なしか、長いブロンドの髪先が、プルプルと震えている気がした。

 

「あ、でも、ベルナ村の卵も結構美味しいんだよ。今度卵焼きを作ってあげよう!」

 

「………………あ、ありがとうございますぅ……」

 

 ガタガタと震える身体が、腰防具と胴防具をカチャカチャとぶつける。

 

 寒いのかな?水浴びで身体が冷えちゃったのかな?

 

 火に照らされるナッシェの顔は、暖色系に染まりながらも青白くなっている。

 

「でもなぁ、ナッシェ────」

 

 素早く身体を動かして、膝を抱え込んで座る少女の隣にドカッと腰掛けた。

 

 ビクゥッ、と身体を震わせるナッシェ。

 

 ああ、この子は可愛いなぁ、本当に。

 

「────卵泥棒は、ダメだよなぁ?」

 

 悪ガキほど可愛く見えてしまう先生の心理が、ようやく理解できた気がする。

 

「あの、センセ、私、ちょっと行きたいところが」

 

 そう言いながら、脱兎の如く素早く立ち上がったナッシェの手を、逃さないようにガシッと掴んで、レオンハルトはゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

「――師匠として、悪いことをした弟子には、キチンとお灸を据えてやらんとなぁ? えぇ?」

 

 

 その夜、神秘の息づく古代林に、圧倒的な暴虐を誇る化け物が降り立ったという。

 

 

 

 



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Ⅵ それでも少女は牙を剥く
プロローグ


捕食・失禁等の描写がございます。



 

 

 飛び交う怒号。

 

 セルレギオスではない大型モンスターの、聞き慣れず、そして聞くに耐えない破滅的な雄叫(おたけ)び。

 

 メキメキと音を立てながら倒れていく幾本もの木々。

 

 蹂躙され破壊された森は、温かくて大切な場所にとても近い。

 

 そこを守らなくちゃと、身の内側から、外側から迫られているのに。

 

「…………は、ひっ」

 

 それは、地獄のような光景だった。

 

 半ばから引きちぎられたかのような大木の生々しい傷痕が、柔らかな土を引き裂き(えぐ)りながら地を這う赤黒い雷が、上半身を置き去りにして転がっている誰かの下半身が、流れる血が染み込んでいく金色の防具が。

 

 視界に入る何もかもが、有無を言わせない優しさをもって、両脚を地面に縫い止めていた。

 

 ドクドクドクと、臆病な心臓がけたたましく胸をたたいている。

 耳が熱い。

 

 全身がプルプルと震えている。

 

 思わずへたり込んでしまった地面は、誰かの血でびちょびちょに濡れていた。

 

 座っているのに、大空を飛んでいるかのような浮遊感。

 

 ぐるぐると天地が廻り、巡って血飛沫が吹き出してしまいそう。

 

 自分の心臓の脈動は止まっていないかと、恐る恐る首筋に指を当ててみると、異常なくらいに脈打っていた。

 

 気持ち悪い。

 

「ぅ、おぇぇぇえええっ」

 

 自分をひっくり返されるような感覚、喉元を逆流していく内容物にようやく人心地がついて、ふと目線を上げれば。

 

「…………、あ」

 

 族長が、ちょうど()()()()にパクリとやられるところだった。

 

 ボーンメイルというらしい、()の防具を身につけていた、里で一番強かった族長。

 

 ほとんど喋らなかったけど、狩りの時と、仲間が死んだときには大声で叫んでいた族長。

 

 背が高くて、茶色の肌で、でもそれはみんなと同じで、右頬に引っかかれた傷があって、(こん)を振るう技術は里でダントツで、怖いけど優しい族長。

 

 頭に乗っけてくれた手は大きくて、温かくて。

 

 どこかで見たような赤黒い雷を纏った大きな口が、バリバリバリと三回動いて、族長はあっさりと呑み込まれた。

 

 食事完了。

 

 

 あ。

 今食べられたのって、私のお父さんじゃん。

 

 

「え、あ、え?」

 

 それでも、ヤツは止まらずに次を食らおうとする。

 

 私のお父さんを食べておいて、まだ食べようとする。

 

「へ…………、え?」

 

 口を開けて、空気以外の何かを噛んで、咀嚼もせずに飲み下す。

 

 族長が食べられて、動揺してしまった皆を、ひょいっと上に投げてはパクッとやって、ビュチュッと踏み潰しては木の幹に喰らいついた。

 

 視界が明滅する。

 

 こんなの、夢だ。悪い夢だ。

 

「嫌だ……いやだよ…………」

 

 何本もの棍が突き立てられ、何十本もの矢に射抜かれても、その暴食の勢いは一向に止まらず、傷口から垂れ流される赤黒い血を上回る量の血が、太く脈動する喉を流れている。

 

 また一人、噛みちぎられた。

 

 首だけが飛んで、赤い木の実のようにころころと転がった。

 

 木の幹になすりつけられた胴体がボロリと落ちて、嫌な音を立てる。

 

 あらかた皆を食べ尽くしてから、ソイツは私の方を見た。

 

 充血したのか破裂したのか、あれは瞳孔なのか、黒と白と赤とがグチャグチャになってよく分からなくなった瞳と、かっちりと視線が重なった。

 

 ズンズンと近づいてくる地響き。

 

 下腹部がキュッと動いて、温い液体が脚の付け根をじんわりと濡らして、お尻の方へ伝っていく。

 

 でも、それは全く恥ずかしいことじゃなくて、むしろ、生き物としてはごく当たり前の反応である気さえした。

 

 良かった。まだ食べられてないんだ。

 

 気がついたら、誰かの棍を拾って、アイツの元に駆け出していた。

 

 地を蹴るアイツ。

 

 吐き出される黒い雷霧。

 

 背中とお腹を同時に圧されるような浮遊感。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────わぁぁぁああああっ!」

 

「ビニャァァァァァ!?」

 

 

 ガバッと上体を起こしてみれば、風景は夕日の射し込む気球船内に変わっていた。

 

 バクバクと強烈に動く心拍に、思わず左胸に手を当てて、ドクドクドクドクと打ち続けるそれを感じて、これが現実なんだとゆっくり認識した。

 

 はぁ、はぁ、と荒くなった息。

 

 思わず手元に愛用の操虫棍を手繰り寄せていた。

 

 狩りに行く前だというのに、うたた寝でかいた寝汗のせいで下着がびっしょりだ。

 

 不快な気分を和らげようと、手元の水筒を開けて水を喉に流し込んだ。

 

 それから、ハッとなって内ももに手を当てる。

 

 …………内ももは微かに痙攣しているだけで、分泌もどうやら汗の範囲で止まってくれたようだ。

 

 ぐっじょぶ、私の身体。

 

 下着の替えは一組しかないのだ、非常にナイスプレーである。

 

「…………ニャー、ハンターさんハンターさん、いきなり大声出すのは反則ニャ、ビックリしちゃうのニャ。運転ミスしたらどうするのニャ」

 

「あ、ごめんね、アイルーくん」

 

 そう言えば、この気球船には同乗者がいたのだった。

 

 やってしまわなくて良かった。

 

 アイルー族は鼻が良いし、そもそも、ネコ達にそういうこと(・・・・・・)を気遣われるのは、人間として何か大切なものを失ってしまう気がする。

 

 逆立ってしまったしっぽの毛をなだめつけるアイルーに素直に謝って、アナスタシアは気球船の垣に背を預けて座り直した。

 

 本当、狩りに行く前の身には、ロクな夢見じゃなかった。

 

 汗で張り付いた前髪を右手でかきあげながら、武器の整備でもしようと、蒼い刃を煌めかせる赤い操虫棍を手に取る。

 

 ──手元に寄せて、砥石で研ごうとする刃の先が、プルプルと震動していることに気づいた。

 

「あ、あれ?」

 

 違った。

 震えているのは、私の手だ。

 

 アナスタシアはこぼれそうになるため息を飲み込んで、代わりに一つ深呼吸をした。

 

 セルレギオスではない(・・・・)モンスター(・・・・・)を狩りに行くというだけで、この()たらく、悪夢まで見る始末。

 

 ふと、今頃古代林で可愛い女の子と楽しくしていやがるであろうハンターのことを思い浮かべながら、ポツリと呟いていた。

 

「……気づいてない……かな……」

 

 こんな情けないところは、あの人には見せたくないし、見られたくないけれど。

 私のことは、見てくれないのかな。

 

 しばらくぼーっとしていたアナスタシアは、心配そうに声をかけてきてくれたアイルーに、「なんでもない」と返事をして、今度はキチンと操虫棍の整備を始めた。

 

 

 



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遭遇

 カサリ、カサリと腰丈の枯れ草をかき分けて、ゆっくりと進んでいく。

 

 霧のおかげで視界は不良、こういった環境では、大型モンスターはその図体が仇となって、ハンターに先手を打たれることが多い。

 

 時たま頭上を横切るブナハブラは、手持ちの毒けむり玉を焚いて適当に間引いておく。

 

 ランゴスタしかり、ブナハブラしかり、狩猟の邪魔になることが多い虫型の小型モンスターは、出来るだけ処理しておくに限る。

 

「…………っ」

 

 心臓が一つ跳ねる。

 

 左腕の肘先にしがみつかせた纏蟲(まといむし)──“エルドラーン”の、黄金に輝く甲殻を一撫でして、粟立つ背筋を無理矢理に落ち着かせた。

 

 大丈夫、この子がいる。

 

 右手の双眼鏡をポーチへこっそりとしまい、代わりに白い玉を一つ取り出して地面へ打ち付ける。

 

 ポフン、と柔らかな音がして、素材玉とネンチャク草から調合したけむり玉が白煙を出し、アナスタシアの全身を覆い隠した。

 

 背中の操虫棍を抜き、クルクルと手で回してからしっかりと掴む。

 

 感覚よし。

 

「…………ふぅ」

 

 全身の力を抜いて、最小音、最高速度を心がけて一気に前進する。

 

 敵は風上、灰緑色の草原をふわりと撫でていく風を遡上して、モンスターへと接近していく。

 

 目線の高さの草むらは少しくすぐったかった。

 

 太陽の光を受ければ黄金に輝くであろう、強力な千刃竜の個体から剥ぎ取った鱗とトゲを随所に用いて作成された防具、“レギオスXシリーズ”は、上手い具合に枯れ草の中へ溶け込んでいる。

 

 慣れた手順、物心付いたときから繰り返してきた日常、思考が洗練され、意識が鋭敏化していく。

 

 手になじんだ相棒と一体となり、意識は自然へと沈み、殺意の刃は泥沼より獲物の喉笛を噛みちぎらんと研ぎ澄まされる。

 

 そのモンスターのすぐ近くまで走り寄って、全身が目に飛び込んできた。

 

「っ」

 

 濃い藍色を纏うゴム質(・・・)の表皮が、霧に沈んでいた。 

 

 ビロンと伸びたしっぽは柔軟性に富み、今は向こうを向いている頭には強烈な閃光をもたらす生体鉱石があるのだろう。

 

 藍色の体躯に、赤紫色の翼膜のそいつは、毒を自在に操り、湿地帯を好む狡猾な鳥竜種。

 

 黄金に輝く千刃を纏いし竜とは、違う。

 

 アレは、狩り慣れたセルレギオスじゃない。

 

「────っ」

 

 額がかあっと熱を帯びて、纏まっていた意識が分散し、頭の中が真っ白になった。

 

 バクバクと恐怖に高鳴る心臓。

 

 誰もいない、自分の隣には誰もいない、目の前にいるのはセルレギオスではない。

 

 分かっているのに、何度も自分に言い聞かせたのに、今度こそ大丈夫だと思ったのに。

 

 怯えに食らいつかれた殺意がぬっと顔を出し、気が散ってしまったせいで足下が疎かになり、ガサリと大きな音を立ててしまった。

 

「しま────っ!」

 

 “しまった”なんて、自分で言ったのは初めてだなぁと、どこか冷静な部分がそんなことを考えていた。

 

 奇妙な形のトサカと共に、ずる賢さのにじむ双眸がぐるりとアナスタシアをねめつける。

 

 “毒怪鳥”ゲリョス。

 

 自然界のカーストでは、千刃竜に比べれば遙かに劣る鳥竜種の一。

 

 戦闘力だって、他の飛竜に比べてしまえば天と地ほどの差がある。

 

 だけれども。

 

 かち合った視線にぶわりと汗が噴き出し、踏み出していた右膝から力が抜けて、ガクンと身体が傾いた。

 

 怖い。

 

 アナスタシアを発見したゲリョスは、気持ちの悪い形をしたクチバシがガバッと開き、翼を大きく広げ、体全体で威嚇するようにしながら、

 

「ヒギャアァアッ!!」

 

 と怯えを多分にはらんだ威嚇を放った。

 

「ひっ」

 

 体勢を立て直しきれずに足がもつれて ゲリョスの前に倒れ込みそうになる。

 

 こわい。

 

 明らかに私の格下じゃない。

 

 下位のゲリョス?

 

 飛竜ですらない、こいつの毒なんて解毒薬で一発だし、攻撃力も大したことない、人の物を盗む手癖の悪さとかメラルーみたいで卑しくてロクでもないし、空中で他の飛竜に襲われたらまずもってたたき落とされる、弱いモンスター。

 

 “ハンターランク5”の狩人の相手じゃない。

 

 だけど、私は、こいつに殺されるかもしれない。

 

 ゲリョスが体勢を崩したアナスタシアを見て好機と悟ったのだろう、脚に力を溜めて、ザリッと枯れ草だらけの地を蹴った。

 

 ああ、ヤバい、踏み潰されて死ぬ?ひき殺されて死ぬ?食い殺されて死ぬ?毒死?それとも、あんなコトやこんなコトをされて、自分で死にたくなる?

 

 狩り場での思考速度が早くなる気質を持つハンターという職種からか、浮かんでくる悪い妄想は全てが一瞬の内に成された。

 

 こわい。

 

 本当に怖い。

 

 でも、こいつの目の前に倒れるのは、もっと怖かった。

 

「あ、へ、あへ」

 

 よく分からない呟きとともに、身体に染み着いた動作が思い出されて、腕に纏っていた虫を飛ばしながら、棍の根元をギリギリの所で地面に突くと、次の瞬間には無意識の内に身体を宙に浮かばせて、くるりと宙返りをしながら蒼色の刃を振り抜いていた。

 

 草の中から一転、開ける視界。

 

 思考するよりも早く空気を切り裂いた刃は、しかしてアナスタシアへと突貫してきたゲリョスのうなじへ易々と入り、弾力性のあるものを斬る時特有の手応えを手に伝えた。

 

 鋭い鎌型の腕を振るうエルドラーンに首下を斬られ、うなじを裂かれたゲリョスの体表から鮮血が吹き出し、白い薄霧を赤く染め上げる。

 

 ビャッ、という叫び声を背後に、アナスタシアはゲリョスの肉を斬る気色悪い感覚に身体を硬直させて、ドサッ!と背中から地面に不時着した。

 

 肺から空気が押し出され、衝撃に視界が明滅する。

 

 身体が動きを覚えていてくれたおかげで、いくらか落下の勢いを殺すことは出来たけれども。

 

 ケホケホと咳き込んでから、エルドラーンを回収する。

 

 モンスターの体液を少し吸い取って帰ってきた纏蟲(まといむし)は、アナスタシアの防具に覆われていない左腕をプツッと細い針で刺した。

 

 自身の体内で即精製した“強化エキス”を、飼い主であるアナスタシアに注入する。

 

 思考が加速し、全身の感覚がさらに鋭く研ぎ澄まされていく。

 

 纏蟲(まといむし)の強化エキスを取り込んで、多少の落ち着きを取り戻したアナスタシアは、背の高い草むらの中で起き上がりながら、幼い頃の記憶に意識を引っ張られていた。

 

 大空を自在に飛び回るセルレギオスを狩るために、棍を使って空中に飛び上がる、刃を振るう伝統的な狩りの方法。

 

 年長者から教わる子供達の中で、誰より早く、誰より若く、誰より上手く、宙を自在に駆けて見える光景に手を出したのは、他ならぬアナスタシアだった。

 

 棒を地面に突いて、下手くそな高跳びを繰り返す子供達。

 

 それを一人、高みから見下ろす景色。

 

 自分らを見下ろすセルレギオスと同じ場所にいるのだという爽快感────。

 

 

 ────唐突に、ぐらつく頭が意識を現実へと戻した。

 

 こみ上げてきた吐き気を飲み下す。

 

 “高い知性”と謳われるゲリョスの、稚拙で無謀な突撃に、慌てて飛び上がって恐怖のままに棍を振り、あまりに鈍くさい着地をして、涙目になりながら地に這いつくばる自分の姿は、どうしようもなく滑稽だった。

 

「へへ、はへ」

 

 思わずこみ上げてくる笑いを止められない。

 

 バカバカしいくらいに無様だ。

 

 ────恐れる者は、モンスターの前に立つな。(おそ)れる者が刃を振るえ。

 

「はは、あはは…………」

 

 ごめんなさい、 とと様。

 

 背後から、危機感と怒りに駆り立てられたゲリョスが阿呆のように嘶きながら再び駆け寄ってくるのが分かる。

 

 とろくさい、のろま、自由自在に宙を駆る黄金のセルレギオスに比べて、なんと矮小なことだろう。

 

 同じ空を駆るモンスターであるというのに、腹立たしくなるくらいのこの差は一体何だというのだろう。

 

「────情けなく、ないの?」

 

 弱さに濡れたその言葉は、誰に向けて放ったものだろう。

 

 棍から転げ落ちた彼らだろうか。

 

 チンタラと駆け寄ってくるゲリョスだろうか。

 

 泣き虫で弱い自分だろうか。

 

 惨めな私と、惨めなこのゲリョスの違いは、一体何だろう。

 

 恐れの心は常に隣にあって、にじむ視界は決して離れていかない。

 憧憬は、地面に這いつくばる自分を置き去りにして、どんどん見えない所に行ってしまう。

 嫌だった。

 

 でも、待ってもらうのは、もっと嫌だ。

 

 



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反攻

 ガクガクと震える腰が勝手に動いて身体を反転させ、すぐ目の前まで迫ってきていたゲリョスのひん曲がったくちばしへ、力の入らない腕に振られた操虫棍の刃が真っ直ぐに突き立てられる。

 

 つつ、と頬を涙が伝い、金色に鈍く輝くセルレギオスの防具へと落ちた。

 

 地面に座ったままのアナスタシアのことをつつこうとしたのだろう、彼女にくちばしを突きだそうとしていたゲリョスは、自分の頭を振る勢いのみによって刺さったカウンターの刃に、「ギッ!?」と首を振り上げながら悲鳴を上げる。

 

 炎属性の蒼い刃が抜け、紅蓮の火の粉が飛び散った。

 

 ああ、爆焔の方(・・・・)にした方がよかったかな、でもこの子――“灼炎のテウザー”の方がゲリョスにはよく刃が通るってセンパイが言ってたし。

 

 完全に抜けていた腰が息を吹き返し、それでも未だ震えの止まらない脚を無理矢理踏み込んで、飛び退いたゲリョスに袈裟懸けの追撃を仕掛けた。

 

 わき腹の震えるふわふわとした心地は、およそ勇気から来る感覚ではない。

 

 首元を浅く傷つけ、返す刀で切り上げ、勢いを利用して左手首を軸に棍を縦回転。

 

 刃先の抵抗が増したところで、右手で棍の背を押し、体重移動をしながら斬り込みを加え、たまらずくちばしを差し出してきたゲリョスの頭へすれ違いざまに一太刀、彼のわずかな抵抗をいなしきった瞬間に下から腹を切りつける。

 

 赤い血が飛び散り、沼地の湿った土へと染み込んでいく。

 

 手首の回内・回外運動で8の字を書くように刃を突き入れて、横にのけぞったゲリョスの差し出す尻尾を切りつけ、その先端が当たる前に前転、倒れまいと地に踏ん張った脚へ一太刀浴びせた。

 

 絶え間なく繰り出される、まとわりつくようなアナスタシアの攻撃を振り払おうと、翼を打ちつけ、あるいは走って退こうとするゲリョス。

 

 そんなゲリョスの抵抗を、紙一重の距離でいなしながら斬撃を加え続けていくアナスタシアの表情は、涙に濡れながら引きつったような笑みをたたえていた。

 

 「ギャッ!?」と叫ぶゲリョスの右わき腹へ、テウザーを真一文字に斬り、右足の先をゲリョスへ向けながら、腰を回転させる力で弾力のある身体へ重い一突きを入れる。

 

 紅蓮の炎が切り裂かれた肉を焼き、ジュゥゥゥッと生々しい音を立てた。

 

 刃の根本まで刺さったテウザーを抜く勢いで時計回り、振り子の要領で振り回した右足を、草原の中にザッと踏み込ませながら、火を吐く袈裟懸けを浴びせ、(かが)めた右膝を伸ばす勢いで棍を再び縦回転。

 

「はい、一周」

 

 震えた声でそう呟くアナスタシアは、垂れ下がったゲリョスの眼へとテウザーを差し入れ、苦痛に歪む瞳の真下を深く切った。  

 

 目の下を斬られ、反撃の隙を許さぬ怒涛の攻撃に怯み、のけぞったゲリョスの隙をついてさらに踏み込み、地面に棍を突き立て勢いにのって飛び上がった。

 

 物心ついたときには既に隣にあった浮遊感。

 

 十七年間連れ添ってきた世界で、アナスタシアは見下ろすゲリョスへ大上段に振りかぶった。

 

 翼爪を狙った一撃は、ゲリョスの翼へ一筋の浅くない傷を刻み込む。

 

 グニュリとした感触と共に鱗と火の粉と血飛沫とが飛んで、そこで気がついた。

 

 ゲリョスの翼爪って、ショボい。

 

 それもそうだ。

 

 セルレギオスの頑強で刺すような鋭さのある翼爪とは違う。

 

 警戒すべき対象じゃないのに、それでも翼爪に攻撃したのは、思考停止した頭の致命的なミス、無駄な一手。

 

 どうでも良いことを考えながら、無意識に翼の付け根へもう一太刀を素早く入れる。

 

 それをする暇があるくらいに、致命的なミスが致命的にならないくらいに、ゲリョスの反応は鈍重なのだ。

 

 ギャッ!?と叫びながら慌てて前に倒れ込むゲリョス。

 

 足元をぐらつかせながらも、今度はなんとか着地に成功したアナスタシアは、衝撃をいなすために屈めていた膝に力を込め、身体を反転させるように地面を蹴った。

 

 つらつらと流れていく景色を置き去りに、もう少し重心を前にしてしまえば転んでしまうくらいの前傾姿勢で草原を駆ける。

 

 もがくゲリョスの荒々しく力強い生命力を目の当たりにして、(はらわた)を鷲掴みにされるような怖気が走ったけれども、そんなことには構っていられない。

 

 無防備な背中に飛び乗るチャンスだ、背中にはゲリョスの身体が届かない。

 

 そんなことを思いながら、アナスタシアは腕から放ったエルドラーンと共にゲリョスへ棍の先を叩き込んだ。

 

 硬い鱗を纏わないことで得られる弾力性をもって、外敵の攻撃を無効化するゲリョスは、身を焼く炎に表面の皮が弾力性を失ってしまい、火属性の刃は易々と彼の身体を傷つける。

 

 痛みにゲリョスが激しく暴れ、そんな竜の頭へエルドラーンが火の粉を散らせる一撃を入れた。

 

 思わず頭を仰け反らせながらも、転げたゲリョスは必死に翼を大地へ打ち付け、ゴム質の尻尾を振り回している。

 

 こんなに暴れているモンスターの背中に乗る?

 

 冗談じゃない、だってコイツは、全然生き生きとしている。

 

 沼地の泥の上に、自分の血で真っ赤な池を作り、それでもなお、血の池の中で暴れ跳ね回るゲリョスの身体は、失った血を知らないかのように映った。

 

 背中に乗ったら、きっと噛みつかれ、地面や木の幹に叩きつけられて殺される。

 無自覚に想起される死のイメージを振り払うように、赤い身を輝かせる棍から、強烈な一撃が一瞬の猶予もなく放たれる。

 

 棍へ腕を巻き付け、コマのように左回転を二回見舞って、右手に持ち替えて切り下ろし、エルドラーンを回収しながら切り上げ、蒼く煌めく円弧が幾条にも空を斬り裂く中へ再びエルドラーンを滑り込ませ、棍虫一体の攻撃が若いゲリョスの柔軟な尾に無数の裂傷をぶち込み、畏怖さえ覚えるほどの生命力が溢れる翼を切り刻む。

 “斬竜”ディノバルドの身体から剥ぎ取った尾が放つ蒼い軌跡が、ゲリョスの翼膜を引き裂いた。

 

 死ね、死んで、お願い、死んでください。

 そんな思いが、アナスタシアの背中をぐいぐいと押していた。

 

 種として、ゲリョスよりも遥かに強大なモンスターの矜持か、己が唯一斬り捨てることの出来なかった主へ報いるためなのか、息つく間もなく振られる刃には、敵対する者悉くを屠った王者の遺志が宿っているかのよう。

 哀れ地に身体を倒してもがく藍色の鳥竜種は、無数の火の粉と切っ先から逃れんと、足で必死に地面を掻き、沼地のほとりでようやく立ち上がった。

 

 仁王立ちするゲリョスを前に、指先を震わせるアナスタシアは、エルドラーンをゲリョスへと放ちながら、棍を振るう勢いをもって後方に飛び退いた。

 地を征く獣竜種の中でも最強の一角に座すディノバルド、その代名詞たる尾から作られた刃に焦がされ切り裂かれ続ければ、いくら人間とは比べものにならないほど強靭な肉体を持つモンスターとはいえど、数刻を待たずに大地へ斃れ伏すのは必定。

 

 そんなことを本能的に悟ってか、ゲリョスは必死に翼をばたつかせながらアナスタシアへと威嚇を放った。

 

「グギャァ! グギャァ!!」

 

 この短い遭遇の間に全身から血を滴らせる運命を辿ったゲリョスは、傷だらけの翼を広げ、目の前の恐るべき敵を討たんと、逃げ腰だった眼光に初めて明確な殺意の火をともした。

 間断無く叩き込まれた連撃によって、脚や翼膜をやられたゲリョスは、満足に飛んで逃げることが出来ない。

 追いつめられたネズミは、反抗の牙を剥いたのだ。

 

「ぴっ……」

 

 爛々と輝くゲリョスの瞳。

 目があってしまったアナスタシアは、一本の棒を頭頂から背中へ通されたように、ガクンと動きを止めてしまった。

 心臓が見えない手に鷲掴みされたかのようにドクンと締め付けられる。

 

 あの目だ。

 どんなに切りつけても、どんなに刺しても、目の前に立ちふさがってくる圧倒的な生命力。

 

 なんで、まだ、そんなにつよいの?

 

 全身が恐怖に総毛立ち、ギリギリと臓腑が痛む。

 胸を流れる汗がいやにはっきりと感じられて、恐怖に(すく)んだ膝が笑い出した。

 ダメだ、足を止めちゃダメだ。

 

 ガンガンと警鐘を鳴らし続ける頭の言うことを聞かず、アナスタシアの身体は心の奥から縛り付けてくる恐怖にがらんじめにされて、前にも後ろにも横にも動こうとしない。

 それは、ゲリョスが傷ついたくちばしをガバッと開けて、喉元をプクッと膨らませたのを見ても、変えられなかった。

 

 蛇に睨まれて固まるカエルのことが、脳裏をよぎる。

 ああ、私はカエルなんだ。

 逃げることも、戦うことも出来ない、弱くてみじめなカエル。

 ……こんな私が、どうして狩りに来ちゃったんだろう。

 

 情けなくならないの?

 幾度目かも定かでない自問の声が、脳裏に虚しく響いた。

 

 ビシャッと降りかかる紫色の液体に、尻餅をつくことでしか抵抗できず、アナスタシアは全身にゲリョスの毒液を浴びてしまった。

 バシャッと音を立てて四散した毒液は、すぐに蒸発して空気に溶け込み、鼻から彼女の呼吸器へと侵入した。

 

 モンスターの中では比較的弱いゲリョスの毒――それでも、少女のか弱い身体を犯すには十分な毒性を持っている。

 ぐらりと傾いた頭が、地に座り込んだ少女の身体を右横に押し倒した。

 

「あ…………れ……?」

 

 ぐにゃぐにゃと曲がる視界。

 チカチカと明滅するのは、なんだろう。

 ぐるぐると身体が回転しているような気がして、背中が地面から離れない。

 意味をなさない思考が離合集散して、形にならない意識を砕いてはバラバラのまま寄せ集めて。

 

 嘔吐感? めまい? 頭痛? 分かんな――

 

 ――ピカッッ!!

 

 強烈な閃光に、ぼうっと空を仰いでいた瞳の裏が一瞬白く、次いで赤く染まった。

 あ、ヤバい、閃光、ゲリョスのとさかの。

 ぐるんぐるんと意識が揺さぶられる。

 立とうともがいても繋がらない手足の感覚、もどかしさに脳が溶けるよう。

 

 身体を動かしているのか、動かされているのか、そもそも今動いているのか、それさえ分からない。

 もしかしたら天と地がひっくり返ったのかもしれない。

 じゃあ今は空の中なのか。

 でも手に握るのは柔らかく湿った土の感触。

 

 ああ、やっと感覚が繋がった。

 起きなきゃ、ズンズン身体が揺れてる、逃げなきゃ。

 

 ――回復薬と解毒薬さえあれば、どんな狩り場でも生き残れるんだぞ!

 

 耳の裏に聞こえてきたのは、優しくて芯の通った声。

 支離滅裂な言葉と心の狭間で、思わず縋りたくなるような、暖かい光に手を引かれた。

 

 そっか。

 解毒薬、飲まなきゃ。

 耳元で囁かれたような、くすぐったい快感に唇を綻ばせたアナスタシアは、半ば夢見心地で口を開いた。

 

「…………センパイ?」

 

 きっと、振り返ったらあの人がいる。

 

 私、頑張ったんです。

 弱くて、みじめで、情けなくって、この歳になってもお漏らしするようなハンターで、全然ダメダメだったけど。

 頑張って、ようやくゲリョスと向き合えるところまで来たんです。

 もうすぐ、追いついてみせますから。

 その時は、ちゃんと、私のことを見てください。

 

 そうして、振り返って目を開けた少女の、ぼんやりとした視界に入ってきたのは、憤激に染まるゲリョスの瞳だった。

 

 懐かしい浮遊感。

 霧の中に尾を引く、黒くて赤い閃光が、まぶたの裏から離れない。

 

 



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トラウマ

 



 ゴィィィンッ!

 

 背中に強い衝撃が走り、弾き飛ばされるようにして、アナスタシアはゲリョスから距離をとった。

 

 そのまま、ゴロゴロと剥き出しになった地面の上を転がる。

 

 眼前まで迫っていたくちばしへ、脊髄に染み付いた対応が咄嗟(とっさ)に出た。

 ほとんど奇跡のような防御。

 

 どうしても避けきれないようなモンスターの攻撃を、身につけた防具で上手く流せるよう、幼少期から訓練を受けてきたお陰だ。

 

 いくら下位のゲリョス──比較的危険度の低いモンスターであると言えど、彼らの膂力は身体的スペックの劣る人間一人を殺すのに余りある。

 

 それに加えて、アナスタシアの猛攻に晒されたゲリョスは、怒り状態に移行している。

 

 精強を謳われるセルレギオスから作った防具であればこそ、ゲリョスの一撃はアナスタシアの身体に傷一つ与えなかったけれども、それでもあのまま、無抵抗にゲリョスの攻撃を受けていれば、どこかしら骨を折られていたかもしれない。

 

 げほっ、げほっ、と咳き込むアナスタシアはしかし、赤く染まった(まなじり)を決してバタバタと駆け寄ってくるゲリョスに対して怯んだように、脚が動かない。

 

 条件反射で背中に手を回し、【灼炎のテウザー】を掴もうと探って、空を切った。

 

 テウザーがない──!?

  

 どこかのタイミングで落としたのだろうが、落としたことにすら気付かなかった。

 

 アナスタシアは、情けなさに歯を噛みしめながら、足を踏ん張ったゲリョスが振り回す焼け(ただ)れた尻尾を、紙一重の距離で横に倒れて回避した。

 

 防具の表面を殺意の籠もった空気が撫でていく。

 

 駄目だ。

 逃げなきゃ。

 

 毒のダメージが残っているのか、身体が異様に重い。

 

 ふらつく足腰を叱咤しながら、何とか立ち上がったアナスタシアは、身体を沈める飛竜を見据えた。

 

 踏み込みの予備動作、翼で空気を叩く勢いを利用した飛びかかりか、空中に逃げてからの急降下、または鱗を利用した“飛刃”の攻撃。

 

 大丈夫、相手のやることは分かっている。

 予想外の攻撃を避けるのも苦手じゃない。

 

 “セルレギオス”の動きは、攻撃は、全身をしっかり見ていれば簡単に分かるんだ。

 

 目を開け。

 次の攻撃を避けて、その隙に回復して、テウザーを回収して、それから──。

 

 

 

 ────再びの閃光攻撃が、アナスタシアの瞳を強く灼いた。

 

 

 

 激痛が両目を支配する。

 

 赤色なのか、白色いのか、黄色なのか、黒色なのか、様々な色がぐるぐると渦巻いて、強烈な光源が何も映さない視界を強引に彩った。

 

 もんどり打って背中から倒れたアナスタシアは、近付いてくる大きな足音を全身で感じながら、諦念と後悔とがない交ぜになった冷笑を浮かべていた。

 

「あはは…………」

 

 私はどこまでバカなんだ。

 

 相手は誰?

 どのモンスターの動きを分かっている?

 

 ゲリョスを見ているつもりで、その実、その姿すら全く見えていなかった。

 

 ────我々が行う殺し合いは、生物として最も尊い闘争だ。何者も、その場を汚すことは許されない。

 

 だから、弱者が狩りに出ることは、許されていなかった。

 

 それは、こんなのは、命に対する侮辱行為だ。

 

 互いの生命と尊厳を懸けた余りに失礼だった。

 

 幾度も狩ったことがある、ただそれだけで、セルレギオスを自分より格下のモンスターとして見下し、いつでも勝てると慢心を抱き、あまつさえ、目の前で対峙しているゲリョスと、きちんと向き合おうともしないで、セルレギオスの幻に重ね合わせて。

 

 既に、誰に見せる、見られるの問題ではないのだ。

 

 そうして、目の前で煌々と燃やされているゲリョスの命を、セルレギオスの誇り高さを汚しているアナスタシア自身が、自分のことを許せない。

 

 だんだんと近づいてくるゲリョスの気配、アナスタシアの耳朶に、責め立てるような誰かの声が響いた。

 

 どうしてハンターなんてやってるの?

 

 どうしてハンターとして生きてるの?

 

 里を出てから、ずっと繰り返してきた同じ問い。

 

 誰にもその答えを聞くことが出来ず、心に置いていた素朴で純粋な輝きは黒い影に食い尽くされ、目の前に現れた新たな光はまぶしすぎて。

 

 混沌としたドロドロの思いはアナスタシアの身体を地面に縫いつけ、何も見えない中であがき続けてもまとわり付いてきたその問いが、いつの間にか、こうして自分の命すら脅かすモノになってしまった。

 

 

 だから、ハンターなんて、もうやめようって言ったのに。

 

 そんなんだから、死んじゃうんだよ。

 

 

 歪めた唇の端を、一筋の涙が撫でた。

 

 やりきれなさと悔しさ、自分への怒り、行き場のない恨み辛み、それら全てがない交ぜになって、アナスタシアの小さな胸中を押しつぶし、回避という選択肢を奪っていた。

 

 このまま、ゲリョスに踏み潰されて死ぬのだろう。

 

 それが、身体の大きなモンスターのとる、最も単純で、原始的で、最善の攻撃方法だ。

 

 脳裏に、潰れたシナトマトのような人の残骸が浮かんだ。

 

 髪の毛が乱れて広がって、顔や胴体は判別が付かず、折れ曲がった四肢の行き先は血の池から少し離れたところで、不思議なことに、金色の防具は傷一つなく、昇ってきた太陽の光を受けて、キラキラと輝くのだ────。

 

 自身を傷つけられたことに怒るモンスターを前に、好き勝手暴れた狩人が寝転がっている。

 訪れる結末は一つだろう。

 

 泥沼特有の、腐った水の嫌なにおいが鼻を突いた。

 

 こんなところで死んじゃうのかな。

 

 そう思って、すぐに、ハンターズギルドに登録をしてからの自分のことを思い出した。

 

 いや、死ぬのだ。

 死ぬ方がいい。

 

 震える刃先、怖かったら逃げる、辛くなったらすぐ逃げる、もう怖い狩りなんてしたくない。

 

 いつまでも逃げ続ける自分から目を反らして、たまに会える先輩狩人に甘やかしてもらって、そんな現状をどこか他人事のように見ながら、こんなもんでいいやと受け入れて。

 

 何となく、血みどろの戦場で、一人静かに頭を垂れていたハンターの背中が唐突に思い出されて、アナスタシアはようやく気づいた。

 

 “この程度の”モンスターなら、自分が危険にさらされずに殺せる。

 その殺しを積み重ねていけば、いつか、遠く向こうで独り立っているあの人に追いつけると、浮ついた心のまま狩りに赴いてきた。

 

 そんな、愚かな勘違い。

 

 レオンハルトが遙か彼方で佇んでいるのは、彼が自分の足下に積み上げた死体の、そのおびただしさ故ではなかった。

 

 

 奪った命の重みが、その一つ一つが違ったんだ。

 

 

 命を奪うのに、真剣でない人間なんて、人じゃない。

 

 それは、殺しを楽しむ、ただのクズ────。

 

 

 脳裏を焦がす黒い雷が、少女の心をへし折った。

 

 

 

 

 

 

 弾力性を失いつつも、十分に機能しているゲリョスの尾が、唸り声を上げながら、モンスターを調教する鞭のように、目を瞑ったままのアナスタシアを打ち据える。

 

 軽くひしゃげたくちばしが、何度も胸や鳩尾(みぞおち)に突き入れられた。

 

 

 予想していた痛みも、受けるはずの衝撃も特には感じない。

 

 内側と外側が揺らいでいくかのような、そんな不快感だけが堆積していく。

 

 頭を揺すられて、心地の悪い酩酊を覚え、天地がひっくり返るたびにシェイクされた中身がせり上がっては下りていく。

 

「う…………」

 

 身体をドシンと地面に叩きつけられ、衝撃にまぶたが上がる。

 

 ──いつの間にか回復していた視野に、瑕疵一つ無くキラキラと輝く黄金の防具が映った。

 

 なんてことだろう。

 

 自分をいたぶり続けるゲリョスは、この防具に掠り傷の一つも付けられないのだ。

 

 それくらいに、この防具の素体となったセルレギオスは、強大な力を持っていたのだ。

 

 そして、これほど素晴らしい防具を着ているはずの自分は、どこまでも愚かで弱くて、襲いかかってくるモンスターに目を閉じて、無抵抗になぶられるだけ。

 

 再び身体が持ち上がり、ブンと投げられた。

 

 もはや本能的に受け身の体勢を取り、衝撃を感じて、まだ死にたくないと思っている自分を見つけたアナスタシアは、ポロリと涙を零していた。

 

 このセルレギオスを狩ったときには、こんな立派な防具はつけていなかった。

 

 胸と腰、それから、申し訳程度に手足を覆う、セルレギオスの鱗を付けた革製(レザー)の防具。

 里はモンスターの素材を加工する技術に乏しく、得た鱗やトゲ、尻尾は、そのまま身につけたり、振り回したりするものだった。

 ハンターズギルド所属の鍛冶職人が作るような防具は、族長であった父しか着ていなかった。

 

 長老が作ってくれた耳飾りは、里がイビルジョーに襲われたときに壊れてしまったけれど、この防具の主を狩る時一番頼りにしていたのは、あの耳飾りだった気がする。

 

 族長も狩猟を諦めるくらいの、強力なセルレギオスの個体。

 

 結局、里に攻め込んできたセルレギオスを、一対一の状況に持ち込んで仕留めたのは、他ならぬ自分だった。

 

 ギリギリの戦いを辛くも収め、戦利品として獲得した彼の身体を、里を出るときに一緒に持って来たのだ。

 

 

「……ぅ…………」

 

 ようやく、死ぬのかもしれない。

 走馬燈だろうか、グラグラと揺らぐ意識の波の狭間で、色々な記憶が蘇ってきた。

 

 物心付いたときから、傍らには常に棒があった。

 

 ──アナ、棒を(いたずら)に振り回してはいけない。

 

 棒はやがて、ご先祖様の霊を(まつ)るための(コン)に変わった。

 紅と白の彩色が施された可愛いそれを、“おけいこ”で使っていいのが嬉しくて、友だちのいない遊びを、飽きもせずにずっと続けて。

 

 ──まだその振り方、教えてないのに!

 

 ──族長、この子は素晴らしい才を持っているぞ。

 

 ──あの子を巫女の身に収めるのはもったいない。

 

 

 ──そうだ、戦士にしよう。

 

 

 ──今まで例の無かったことではない。

 

 ──だが、もし身体を壊しでもしたら、子が産めなくなる。

 

 ──強きが戦う、それがこの里の掟だろう。

 

 ──両方教えておけばいい。戦士になればそれでよし、ダメならば巫女にすれば良いではないか。

 

 

 いつの間にか“おけいこ”に加わった茶色の棒も、なんだか格好良くて、夢中でとと様の振る軌跡を追っていた。

 それから、年上の男の子たちと一緒に棍の取り回しを教わって、素手で組み合うことも教わり、小さなモンスターを棍で狩るようになって。

 木の実拾いを覚えた。

 モンスターの囲み方を覚えた。

 泳ぎ方を覚えて、棍を使って飛ぶことを覚えた。

 猟虫の育て方を覚えた。

 命を奪うことの痛みを覚えた。

 

 それから。

 

 ──この子は里の大切な女子である以前に、そなたの娘。それでも戦場(いくさば)に出すのか?

 

 ──我が子はこの子一人だ。この子は“ナマ子”の中で一番出来が良い。強きが戦う、この子はそれを満たしている。

 

 男の子たちよりも戦いの上手かった私を、とと様が狩り場に連れ出してくれた。

 目の前に降り立ったセルレギオスの、見たこともないくらい鋭い眼光、飛んできた飛刃は恐ろしくて、それを狩るみんなの勇ましさと言ったら!

 

 あれから六年、里の皆と夢中で狩りに挑み、常に村を脅かす多くのセルレギオスを狩って、狩って、狩り続けて。

 

 生き物を殺す痛みには、(つい)ぞ慣れることはなかったけど、仲間が死んでしまう恐ろしさに駆り立てられて、必死で刃を振るった日々が、遠く昔の出来事のように思える。

 

 嫁の貰い手が居ないと苦笑するとと様の背中を、ただひたすらに追いかけて、私もいつかは結婚するのかなぁとぼんやり思ったりする、そんな毎日。

 そこが消えてしまうなんて思いもしなかった、大切な里。

 

 

 

 グラグラと頭が揺れる。

 まだゲリョスは攻撃をしてきているのだろう。

 

 愉悦の混じった遊び心が見え隠れするつつき攻撃。

 でも、もうじき、この苦しさからも解放される。

 

 毒を吐かれたのかも知れない。

 でも、そんなことはどうでも良かった。

 

 白と黒の混濁したような、不思議な感覚の中で、(だいだい)色の暖かい明かりに包まれた、いつかの情景を思い出した。

 お酒の席だった気がする。

 あのイビルジョーを討伐したのは、青いハンターと、白いハンターと、赤いハンター。

 逃げ出したくなるほど明るい雰囲気で、人が死んでいるのにどうしてそんなに楽しそうなんだって、一人だけ取り残されたような、暖かいのに、悲しい場所だった。

 

 赤いハンターだけが、一人離れたところで静かにお酒を飲んでいて、そんな彼が、いつの間にか隣にいて。

 

 私から話しかけたのか、彼から話しかけたのか、それは定かでなかったけれど、あの時は、確か。

 

 …………なんだったっけ。

 

 ああ、もう、無理かも。

 

 死んでしまった皆は、私が、あの場にいた中で、私だけが生き残ってしまったことを、恨んでいなかっただろうか。

 

 最期まで、自分の中に残っていたのは、結局、私を絡め捕ろうと、脚にしがみついてくる赤黒い何かだった。

 

 それは、皆から聞くことがなかった無言の怨嗟だったかもしれないし、運良く一人だけ生き残ってしまった“後ろめたさ”だったかもしれない。

 あるいは、あのイビルジョーが撒き散らした渇望だったのかも。

 

 でも、もうそれもおしまいだ。

 

 ハンターであることからも、嫌な思い出からも、全て消えて、あとは、すらっと死ぬだけ。

 

 生き物はみんな、最終的には死んじゃうんだ。

 それが早くなるだけの話。

 

 里から出てきてしまった私は、ご先祖様のところに行くことは出来ないだろうけど。

 

 ガンガンと頭に響く振動。

 

 お酒を初めて飲んだ日も、こんな感じだったなあ。

 

 バラバラだった自分が、熱くなって集まってくるような。

 

 守りたかったものも、欲しかったものも、やりたかったことも、全部曖昧になって、一体私は、何をしたかったんだろうと、そんな思いも、やがて雪のように溶けて、消えていく。

 

 “たからもの”という言葉が、どこからともなく出てきて、頭の中を一人歩きしていく。

 

 たからものって、なんだっけ。

 

 もう、なにも分かんないや。

 

 死ぬって、こんな感じなんだ。

 

 うん、意外と、悪くない人生だったかも。

 

 

 

 

 

 

 ────モンスターと人間の違いって、何だと思う?

 

 …………そんなこと、蛮族のアホ娘に分かるわけないじゃないですか。

 

 

 ────俺は、命を使えることだと思うんだよ。

 

 

 ────こんな時に、こんな話するなって感じだけどさ。生き物ってさ、どうせ死ぬわけじゃん?

 

 …………親家族みんな死んじゃった女の子に、そんなこと言いますか?

 

 

 ────俺は思うね。

 

 

 ────どうせ生きるなら、精一杯楽しく、穏やかに暮らしたい。けど。

 

 

 

 ────その上で、死ぬときは満足して死にたいわけよ。

 

 

 ────モンスターは、確かに強い。身体はデカいし、滅茶苦茶しぶといし、賢いくせにスペックも上々だ。

 

 

 ────でも、あいつらは、自分の命より大事なモノはない。別の言い方をすれば、あいつらは“命に創られて、使われる”だけだ。

 

 …………水の中を揺蕩(たゆた)うような感覚。

 何か、とても大切なことを忘れていた気がする。

 

 

 ────人間は違う。人間は、命より大切なモノのために、自分の命を懸けてでも奮闘しようとする。自分の宝物のために、己の人生を懸けて努力することが出来る。

 

 耳朶をくすぐる優しい声。

 酒気を帯びて熱くなった言葉が、真摯な響きを纏って身体の中に染み込んでくる。

 

 ああ、温かいな。

 音に聞くばかりの、暖かい地方にあるという“海”に入ったら、こんな感じなのかも知れない。

 

 お風呂よりは冷たくて、けれど、心地いい冷たさ。

 

 

 ────俺は、満足に生きたい。楽しく生きたい。人間らしく死にたい。そのためなら、命だって惜しくない。

 

 

 水底にバラバラになって沈んでいた自分が、急速に集まって、浮き上がってくる感覚。

 

 

 ────()()。せっかく拾った命だ。どうせなら、自分の一番大切なモノをとっとと見つけて、そのために人生懸けてみろよ。

 

 その方が、泣いてうずくまってるより、絶対幸せだから。

 

 

 

 今度は、忘れさせはしない。

 誰よりも疾くその刃を振るい、誰よりも強くあり続け、その身を狩りの中へ投じ続ける彼は、きっと己の中にある戦いにしか目がいかないのだろう。

 

 当然だ。

 彼の狩りは、彼の闘争は、誰の追随も許さない高みにある。

 ぼっちハンター、孤高の狩人、仲間なし、理解者なし。

 

 だからこそ。

 

 見せつけてやろう。

 レオンハルトというハンターが、ずっと忘れられなくなるような、そんな闘争を。

 

 

 センパイ、人の名前くらい、ちゃんと覚えといてくださいよ?

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 

 




Q.沼地に綺麗な水はない
A.そんなことより沐浴シーンだ。小麦色美少女の禊ぎタイムが泥パックでどうするんだ。
…………いや、それもありだな。


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サバイバル・ヒエラルキー

「…………ん?」

 

 ピー、ピー、ピー、と、長閑な鳥竜種の鳴き声が木霊する古代林の片隅にて、ドスマッカォの頭を手に持つ武器で串刺しにしていた男が、ふと空を見上げた。

 

 生い茂る木々の間から零れてくる木漏れ日は、微かな風に揺られて静かに揺れている。

 

 特に怪しい気配は無く、いつも通りの古代林は、今日も豊かな生態系と残酷な自然の摂理を間断無く刻み続けていた。

 

「…………気のせい、かな」

 

 誰かに話しかけられた気がしたんだけどなぁ、と、誰にともなく呟く。

 

 どうやら、“あれ? 今誰か、俺のこと呼んだ?”病が発症してしまったようだ。

 ぼっち固有の持病だ、仕方ない。

 話しかけられた気がしてしまって、つい周りを確認してしまう。

 そして、悲しいかな、お前なんかに話しかけることはないとばかりに過ぎゆく群衆の影。または雄大極まりない自然界。

 

 悲しみ背負ってるなぁ。

 

 

 

 今頃、可愛い弟子は、目隠しをしたまま、マッカォの群れを討滅し終えている頃だろう。

 

 群のリーダーは、今の時点でノールック討伐は厳しいだろうから、師匠として万難を排さねばと仕留めておいたのだ。

 

 下位のマッカォ程度、視線を飛ばさずとも気配を頼りに殲滅できるようにならなければ、将来的に狩りを行うに当たって色々と障害になることがあるだろう。

 

 例えば、ディノバルドの討伐をするクエストに行ったとして、殲滅の漏れ残しだったマッカォなんかに、ちょくちょく後ろから蹴りつけられる状況だったとしたら、ディノバルドの尻尾攻撃で斬り殺される可能性だってある。

 

 …………少し過保護すぎるだろうか。いやいや、少しばかり厳しい訓練を課しているのだ、なにも問題はあるまい。

 

 赤い頭蓋を上からぶち破り、ドスマッカォの頸椎まで貫通していた()()()()()を引き抜いた。

 

 機銃槍を引き抜かれたその身はビクンと大きく震え、辺りに真紅の血が撒き散らされる。

 後頭部破裂以外に目立った外傷のない所を見るに、このドスマッカォは苦しまずに死ぬことが出来たようだ。

 

 デロリと飛び出た脳漿は、緑色の体躯を自在に跳ね回らせる鳥竜種の無惨な最期に追悼の花を手向けるよう。

 

 レオンハルトは銀色の穂先を振って、槍の身に付いた血液を落とすと、統率者を失ってなお飛びかかる隙を伺うマッカォの残党たちへと足を踏み出した。

 

 

 ぐっと、宙を舞う感覚。

 ゆっくりと流れていく時間の中、浮遊感に身を委ねながら、慣れた空中動作で上下を確認。

 所々が赤黒く染まったゲリョスが、尻尾を振りきった体勢で立っている。

 

 調子に乗らず、さっさと逃げれば良かったものを。

 

 アナスタシアは、全く雑念の排された頭で、静かに思考する。

 

 あのゲリョスが必死になって揺り動かしてくれたお陰で、おこぼれを狙いにくるだろうゲネポスなどの小型肉食モンスターに食い散らかされずに済んだ。

 あのまま意識の海を揺蕩っていれば、そのまま死んでいたに違いない。

 

 栗色の瞳をキョロキョロと動かして、ゲリョスから十五メートルほど離れた場所に転がっている操虫棍を確認。

 腕には、五年以上苦楽を共にしてきたエルドラーンがしっかりとしがみついていた。

 

 お前も、一緒だったね。

 

 すっかり頭の中から飛んでしまっていた相棒に謝りながら、腰のポーチへ手を探らせる。

 

 手癖の悪いゲリョスにポーチの中身を荒らされたようだけど、必要な道具は粗方揃っていた。

 もちろん、回復薬も。

 

 最後に、身につける防具──“レギオスXシリーズ”の肩を守る、千刃竜の斬刃鱗で造られたプロテクターを一撫でした。

 

 守ってくれて、ありがとう。

 貴方のおかげで、私は生き残れる。

 

 

 落下と共に、引き抜いた投げナイフを、此方へ振り向いたゲリョスの身体へと投擲する。

 刃の表面に、薄く液体の塗布された投げナイフ。

 曲芸のような空中での軽業によって、緩い放物線を描きながら空を切り裂く銀色の刃は、棒立ちをする藍色の背中へ突き立った。

 

「ギャッ!?」 

 

 悲鳴を上げながら、身を飛び上がらせるゲリョス。

 

 少女の投げたナイフは、ゲリョスの身体に比べれば小さくとも、少女の正確な投射は身体の中心線──神経の集まるところを的確に穿っていた。

 

 そんなゲリョスの様子を見ながら、六メートルほどの放物線運動から、猫のように膝を曲げて静かに着地したアナスタシアは、その勢いのまま、身を丸めて横へと転がって、バネのように跳ね起きて、地面に落ちていた“灼炎のテウザー”へと駆け寄った。

 

 ゲリョスの方を確認しながらポーチを漁り、上級の回復薬──“回復薬グレート”の瓶を取り出す。

 

 藍色の身体を短く痙攣させるゲリョスを見るに、神経に作用する毒を塗っておいた投げナイフは、その一本で功を奏したようだ。

 モンスターの神経に侵入すると、その身体を麻痺状態に落とす神経毒に、ゲリョスは目を白黒させながら苦しんでいる。

 

 相手モンスターの晒した明確な隙を見て、アナスタシアは緑色の液体をぐっと呷った。

 

 里にはなかった、“回復薬”という魔法の薬。

 口に含むだけで、即座に全身のダメージを癒やす効果を発揮するというデタラメな薬だ。

 里の近くには調合の素材となる“アオキノコ”が全く繁殖していなかったために、ここまで突出した効果を持つ薬は無かったのだ。

 

 薬効成分特有の苦味を覆い隠す甘い蜂蜜(ハチミツ)の香りが口腔内を満たす。

 

 身体を癒やす痺れるような甘味と共に、全身へ一気に回復薬が回っていく。

 

 損傷を受けていた筋組織が急激な回復にプルプルと痙攣し、わずかに残っていたゲリョスの毒を一掃されたアナスタシアの身体は、重い倦怠感に包まれた。

 腹に入った回復薬が、強烈な異物感を刻みつける。

 

 武器を持つのも辛くなるようなそれを打ち払うために、アナスタシアは、ギルドに登録した時に教わった“ガッツポーズ”をとった。

 両腕を身体の真横に上げて、グッと胸を開く。

 途端、その身を蝕んでいた不快感は消え、残ったのは傷や痛みの癒えた狩人のみ。

 

 服用した人間に劇的な作用をもたらす回復薬は、飲みっぱなしにしてしまうと、様々な副作用と悪影響を及ぼす。

 それを打ち消すための画期的な対処法であるガッツポーズは、回復薬を服用した狩人にとって必須の動作であるが故に、受けたダメージから回復する一連の動作は、狩り場においては大きな隙となる。

 それでも、モンスターに受けた傷を、致命傷や欠損などでない限り完治させる回復薬は、半永続的な戦線維持を可能にする素晴らしい道具だ。

 

 アナスタシアは、濡れた口元を手の甲で拭って、テウザーの刃を確認する。

 

 燃え盛るように輝く火属性の操虫棍は、まだまだ暴れ足りないと訴えるかの如く、ギラリと強く煌めいた。

 

 セルレギオスの繁殖地という、生存競争の激戦区に迷い込んだ、ディノバルドの身体から作った操虫棍。

 その遺志の未だ消えざるを証明するかのようにぎらつくテウザーは、間違いなく相棒と呼べる一振りだ。

 

 口伝の中にしか存在しなかったモンスターを前に、怖じ気付く里の皆を前線から退かせて、初めて自分中心に立ち回ったモンスターだった。

 命の灯火の尽きる瞬間、自分を殺した一人の少女の勇猛なるを誉め称えるかのように、目の前で膝を地に突いたあのディノバルドの姿は、今もなお記憶の奥底に焼き付いている。

 

 元々里にあった独自の鋳造技術で彼の身体から作った棍を、ギルドの精錬技術で強化して作られた。

 

 自分に膝を屈したその日から、ずっと傍で支え続けてくれた、大切な武器。

 

 

「ギェェェッ!」

 

 ゲリョスが眼球を真っ赤に染めて怒りの雄叫びを上げた。

 麻痺から回復したのだろう、満身創痍ながらも、その身を震わせながら、一頭のゲリョスが討つべきハンターをギリと見据えた。

 

 ゲリョスの生態を考えれば、自らをここまで傷つけたハンターを相手にすれば、脚を引きずってでも逃げ去るもの。

 けれども、呆けていたアナスタシアに対する自分の圧倒的な攻勢に臆病を灼かれたのだろう、卑劣に姑息に生き延びることを本能に刻むゲリョスが、地面を踏みしめ、ハンターに向かって飛び出した。

 

 そしてそれは、ゲリョスと言うモンスターの未知の領域(負けパターン)であった。

 

 アナスタシアは、叫び声を上げながら走り寄ってくるゲリョスに視線を固定して、静かに腰を沈める。

 

 弱虫、泣き虫、取るに足らない狩人、無能、役立たず。

 同じ愚行を飽きもせず繰り返して、ようやく届きそうだった安寧をグチャグチャに放り出して。

 失敗ばかり、あれもこれもと言っては捨てて、結局何もかも無くなってしまって、それでも。

 それでも、棍を振ることは止められない。

 

 右腕を絡めるようにして構える操虫棍は、その刃先まで神経が通っているかのように馴染んでいる。

 

 バタバタバタバタッ!

 

 無残に引き裂かれた翼膜の切れ端をばたつかせながら、ドタドタと駆けてくるゲリョス。

 

 霧が音を吸い込んでいるかのように、雑音の聞こえない沼地のほとり。

 

 鼻を突く泥のニオイ。

 

 怒りで真っ赤に染まった目。

 

 今度こそ、失敗は出来ない。

 

 腕に緊張が走る。

 

 不自然な力み方はないか、繰り返した手順は忘れていないか、自分の身体に染み込ませた動きを頭でシミュレーションしようとして、無駄な思考は排さねばと、霧のように頭を真っ白にした。

 

 呆ける視界。

 

 近づいてきたゲリョス。

 

 だんだんと遅くなっていく世界。

 

 膝を沈める。

 

 懐かしい感覚だった。

 

 側には誰もいない。

 頼れるのは、己の棍と虫だけ。

 

 それでも、私は操るのだ。

 

 誰も追いつくことの出来ないスピード、速さと闘争心のみが支配する狩りの世界で。

 

 目前に迫った闘争へ、命を懸けてその名を刻むのだ。

 

 

 

 気付けば振り抜き終わっている刃。

 踏み込んで斬り捨て、藍色の首元へ一太刀入れた。

 

 真っ赤な血液が飛ぶ。

 指先で針の穴に糸を通すように、切り返した棍がゲリョスの足先へ迫り、爪先を裂く。

 

 つんのめるゲリョス。

 左手から飛び立ったエルドラーンが、白い吐息を出すゲリョスの頭へ迫り、鋭い爪でザクッと攻撃を仕掛けた。

 

 よろめいたゲリョスの無防備な背中。

 脊髄を持つ全ての生物に共通する弱点。

 

 地面を向いていた刃は、次の瞬間には湿っぽい地面に突き立てられて、大地を踏み切り高飛びするアナスタシアの身体を中空へと飛ばした。

 

 逆立ちの体勢から身を起こして、反り返る身体のバネを使って棍を引き抜き、頭の上で一回転。

 自由落下と共に、無防備な背後を曝すゲリョスへと急襲した。

 

 勢いそのまま、引き斬るようにザンッッと棍を振り回した。

 テウザーは深々とゲリョスの身体を引き裂いて、ピンク色の肉を顕わにする。

 

「ギャッッ」

 

 衝撃と痛みに泣き叫ぶゲリョス。

 地面に着地したアナスタシアは、振り返る反動でまた地面に棍を突き立て、大ジャンプ。

 

 枯れ草の中に倒れ込んだゲリョスの右側頭部を狙って、思い切り棍を振り下ろした。

 

 もがくゲリョスの首へ迫る赫い軌跡。

 それは、本能の為した業か、幸運故か、ゲリョスが頭を下げた瞬間に、その頭部を強撃して。

 

 バギィィッッ!

 

 火の粉をまき散らしながら、ゲリョスのとさかを粉々に打ち砕いた。

 

「ハギァッ!?」

 

 鉱質部位を砕かれたゲリョス。

 そこは、彼の本能が最も頼りにしていた起死回生の武器だった。

 故に、ゲリョスの中に臆病の心が舞い戻り、瞳に本来の逃げ腰(勝ちパターン)が戻ってきた。

 

 頭を襲った棍の軌跡に無理やり首を反らされ、暴れるその身は容赦なく振られるテウザーの刃に攻め立てられた。

 

 その首を一刀両断するつもりの攻撃は部位破壊に留まったけれど、ゲリョスの有効な閃光攻撃を封じることは出来た。

 左腕に帰ってきたエルドラーンが、ぷつッと針をアナスタシアに刺す。

 血が沸くような感覚に身を委ねて、思うがままにテウザーを振るった。

 

 瞬きの間の反撃も許さない。

 一気呵成、アナスタシアの身体に確かに戻ってきたあの頃の感覚が、狩人としての矜持が、棍を操る動きを加速させていく。

 

 右へ振り抜き、切り上げ、体重を乗せた回転切りで肉迫して、後方宙返りで一斬り、距離を取ったところで、再び切りかかると見せて地面に棍を突き立て、意識を右側に向けて反撃しようとしているゲリョスの意表を突いた飛び上がり、そして空からの急襲。

 ゲリョスの左半身へ降りたった瞬間に、振り向いて切り上げた。

 

 ドプッ!

 

 今までとは異なる感触が手に伝わった。

 

(入った!)

 

 弾力性に富んだその皮の内部、大事な内臓部位を切り裂いた感覚。

 

「ア、ギャ、ァ、アァァ……………」

 

 ゲリョスの瞳孔から光が失われて、地面を掴もうと足掻いていた全身が脱力した。

 ドサリと音を立てて、地面にその身を横たえる。

 

 アナスタシアが刻んだばかりの胸元の傷口から、ドクドクと大量の血が流れ出た。

 

 

「……ふっ…………ふぅ……」

 

 少し荒くなった息を整えながら、アナスタシアは半身の体勢を崩さなかった。

 

 ゲリョスは、それほど強力ではないモンスターであるにも関わらず、とある生態を持つモンスターとして、ハンターの間で知らない者はいないくらいに有名だった。

 

 それは、“死んだふり”。

 

 自らの生命にこれ以上ない危機が迫ったときに、気絶のようなものを本能的に引き起こし、仕留めたという油断を誘うゲリョスの生存術。

 

 自然界では、動くものに反応する肉食獣や天敵の目を欺くために、力の弱い生き物がよく見せる本能行動である。

 しかし、これがポテンシャルの高いモンスターに採用されるとなると、その危険性は格段に跳ね上がる。

 

 討伐したと思い込んでうっかり接近して、思わぬ反撃を喰らってしまえば、いかなハンターといえどその身に怪我、悪くすれば死を招く結果になる。

 

 だからこそアナスタシアは、他のハンターがそうするように、万が一の反撃に備えて警戒態勢を解かなかった。

 

 バクバクと心臓が強く脈動する。

 胸が苦しくなり、耳の後ろが不快に波打ち、脂汗が肌に浮かんだ。

 

 目の前で脱力する藍色の鳥竜種から、片時も警戒心を反らさない。

 

 たとえ“死んだふり”状態だとしても、こちらが追い詰めているのは確かなのだ。

 状況に即応する準備も出来ている。

 相手は目の前のゲリョス。

 ただ、目を離さずにいればいい。

 

 そうやって何度言い聞かせても、アナスタシアの心を鷲掴みにする黒い恐怖の手は(ほど)かれない。

 

 理由は明快だ。

 

 この期に及んで、脳裏に蘇ってくるあのイビルジョーの不吉な影が、自由な闘争の空に飛び立とうとするアナスタシアの脚に絡みついて離れないのだ。

 

 何度刃を突き立てられても決して倒れず、飽くなき暴食と暴虐を振りまき続けた健啖の悪魔。

 痛々しさがおぞましさを強調する腫れ上がった肉体に、幾本もの棍が突き刺さり、それでも立ち上がっては全てを喰らい尽くしていく、あの悪魔の落とす残映が、アナスタシアを縛り付ける。

 

 そして。

 

「ぁ…………」

 

 チカチカと光るゲリョスの頭。

 

 砕かれた発光部位は、ゲリョスの生体反応をしっかりと示していた。

 

 足が(すく)み、頬が恐怖に引きつって、嫌な汗が背中を伝った。

 

 だめ、止まっちゃだめだ、ここで逃げちゃだめだ、なんでゲリョスと戦ってるか思い出さなきゃ、震えてるだけじゃだめだ、うずくまってるだけじゃ何も変わらない。

 

 でも、無理だよ。

 

 だって、ほら、また起き上がった。

 

 

 ガバッと翼を広げながら起き上がったゲリョスは、空を勢いよく仰いで吶喊(とっかん)し、次いで頭を突き上げ、反撃の閃光攻撃に失敗した。

 

 それでも、ゲリョスの赤く染まった目には、死を目前にしたモンスターの、恐ろしいほどの生存欲求がありありと表れている。

 

 その双眸にあるのは、いつかの悪魔と同じ色。

 

 極限まで追い詰められて、逃げる場所もなく、いくら足掻いても救われず、それでも生を諦められないモンスターの、凄まじい執着心が。

 

 太ももを震わせながら固まるアナスタシアを見て、ゲリョスはもう攻め込むことを躊躇わなかった。

 

 ここしかないと、わき目も振らずにアナスタシアへ突進するゲリョス。

 

 モンスターの生命力の底無しさは、アナスタシアの心に強烈な重圧を与え、一度は持ち直したそれを、殆どへし折りかけていた。

 

 迫り来るモンスターの、文字通り命を懸けた突貫。

 

 じんわりと、生暖かいものが脚を濡らす。

 

 決して速くはないのに、どうしたって対処できないように思われるその突撃が、あの日の悪魔の一撃に重なって────。

 

 

 

 ────目の前に、赤色の背中が現れた。

 

 

 

 全てが、あの日と同じ状況だった。

 

 違うのは、自分が身につけている武具と、対峙しているモンスターと、自分を救ってくれる背中の有無だけ。

 

 駆け出したその大きな背中が、空を翔るまぶしい太陽のようにさえ見えて。

 

 

 置いていかれるのは、もうたくさんだ。

 ガシャンと、防具が音を立てた。

 

 肌に貼り付く下着(インナー)の感触を置き去りにするように、脚を踏み出し、慣れた取り回しで棍を一振り。

 勢いをつけて、空を飛んで。

 

 ブツンと、ゲリョスの首を真一文字に切り裂いた。

 

 

 



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エピローグ

 

 チカチカと白い月光を反射する小川の水面は緩やかに流れ、群影を成す稚魚たちが元気いっぱいに泳いでいる。

 

 浅く澄んでいる川の底は瑠璃色の石が散らばっているように美しく、青々と茂った木々に周りを囲まれていた。

 

 ベースキャンプ近くの、沼地では希少な『濁っていない』水。

 

 腰を(かが)めて、流れてくる川の水をすくっては、チャプチャプと肩にかけ、顔を洗う。

 

 自分の流した汗や涙、ゲリョスの返り血、色々な体液が、清らかな流水にさらわれ、少女の柔肌から落ちていく。

 

 夜空にかかる白雲の切れ間から青白い月が顔をのぞかせ、静かに身を清めるアナスタシアの顔をほのかに照らした。

 

 乱れた亜麻色の髪が緩やかな川の流れに乗せられて、ゆるゆると広がり、ほぐされていく。

 

 閉じていた目を開けて、ほっそりとした手で滑らかな腕をこすり、つるつるとした腕やわきの下を指先で丁寧に洗う。

 

 日に焼けた背中に手を回して、谷間となっている中心線に沿って手のひらで汚れを落とした。

 

 それから、栗色の瞳をキョロキョロとさせて、川底に横たわる丸い石を見つけると、ザプザプと水の流れをかき分けながら近づいて、影を作る石に腰を下ろした。

 

 水に浸かっていた胸の膨らみが顔を出し、プルリと小さく揺れて、薄桃色の先っぽから雫が飛んだ。

 

 武器を振れるのか怪しく思われるような、くびれのある細い腰を、優しく撫でるようにして洗いながら、徐々に手先を太ももの付け根へと近づけていく。

 

「ん……」

 

 小さな吐息が鼻を抜ける。

 

 鳴く虫もいない静けさの中、遠くの夜霧は微かな音も飲み込み、月夜はゆっくりと()けていく。

 

 首を大きく切り裂かれて息絶えたゲリョスの身体から剥ぎ取った皮は、水にさらして洗い終えていた。

 

 ようやく、あの幻影を振り切れた気がする。

 

 月を見上げる少女の顔は、全く憑き物が落ちたように晴れやかだった。

 

 アナスタシアの頬を伝った水滴が、ぽたりと川面に落ちる。

 

 小さな波紋は、緩やかな流れの中に沈み、少女の洗い落とした汚れと共に流れていった。

 

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 

 涼風が緑色の丘を駆け抜けて、(せわ)しなく移ろう秋と共に、頭に雪化粧をした山脈の方へと流れていく。

 

「────はい、クエスト達成確認しましたー」

 

 ベルナ村のクエストカウンターで、受付嬢のフローラが手元の羽ペンをサラサラと動かして、黄土色の羊皮紙にサインをしながら、暢気な声でそう言った。

 

「ありがと、フローラ」

 

「いえいえ。アナも、これでディノバルドも討伐だねぇ。びっくり大躍進じゃん!」

 

「それほどでも……ないかなぁ」

 

 ハンターランクは一応五だし、と苦笑するアナスタシア。

 

「それほどでもあるよ!こないだのゲリョスクエストを成功させるまでの討伐数分かってる?セルレギオス二頭、ドスジャギィ一頭、あとは小型モンスターかゼンマイ採り、以上!は!?って感じだからね!?」

 

「分かってるよ…………」

 

「そんなハンターがここ一ヶ月で、フルフル一頭、ガララアジャラ三頭、リオレイア一頭、ナルガクルガ一頭、ホロロホルル二頭、ナルガクルガ亜種一頭、ライゼクス一頭、タマミツネ一頭、ショウグンギザミ捕獲一頭!狂ったように狩りまくり!なんでやねん!なんでやねんっ!!」

 

「フローラ、どうどう。落ち着いて」

 

「これが落ち着いていられるかー!!アホじゃないの!?

 クエスト受注率メッチャ高いじゃん!レオンハルトさんという稼ぎ頭がいない今、ベルナ村の救世主はアナだけなんだよ!?これで私の評価もうなぎ登りね!」

 

「おい」

 

 赤茶色のゆるふわヘアーをブンブンと振り回すフローラを宥めながら、アナスタシアはクエスト掲示板に貼り付けられた依頼書に目を通す。

 

「実際さー、あのゲリョス討伐でなんか変わったんでしょ?」

 

「…………分かるもんなのね」

 

「分からなかったら、受付嬢なんてできないよ!私、こう見えても、ハンターの調子とか見て色々アドバイスする立場だからね?」

 

 えへんと胸を張るフローラ。

 悲しいかな、まな板の上で強調されるのはドヤ顔だけである。

 

「そう…………。はぁ、ほんと、フローラが受付嬢で良かったよ。龍歴院の方はあの女ギツネがやってるから、クエストを受けようにも受けられないし」

 

「え、なんで?紅葉(モミジ)さんだとだめ?」

 

「それは、だって、ほら、私こないだまで全然ダメダメのハンターだったじゃん?そう言うこと知られるとさ、何というか、こう、アレじゃん?」

 

「あー、レオンハルトさんを巡る恋愛戦争に不利だと」

 

 したり顔で頷くフローラ。

 

「そ、そんな事は言ってないでしょ!?」

 

「でもそうでしょ?『ライバルのあいつにこのことを知られると、あの人に私のダメなところを言わない代わりに~、とか言われちゃう!』みたいな」

 

「ち、違うし」

 

 日に焼けた頬を僅かに赤く染めながら、アナスタシアは否定した。

 

「『ああ、私のことをもっと見て欲しいけど、こんな私は見られたくないの! どうしよう!』」

 

「そろそろ口閉じて? 殴るよ?」

 

「はいはい、乙女乙女」

 

 襟元を開けて、ヒラヒラと手を扇ぐフローラに、アナスタシアは溜め息を吐いた。

 里にいた頃は、同年代の友だちなんていなかった。

 今は、こうして気を許して話し合える友だちがいる。

 その変化は、少なくとも悪いものではないはずだ。

 

「大丈夫だよ。アナがダメダメハンターだってことは、多分紅葉(モミジ)さんも知ってるし」

 

「え、なんで?」

 

 まさか、と顔色を変えるアナスタシアに、違う違うと手を振って、

 

「私が告げ口したってことじゃないよ。

 ほら、アナって“クルマルの里”から引き抜かれたハンターなわけじゃん? 十五の女の子が、精強(バケモノ)揃いで知られてる辺境から送られてきた“最高の戦士”って言うんだから、ギルドも当然注目するし。

 その子がG級の、しかも極限化個体のセルレギオスを一頭討伐してそれっきりだって言うのは、アッチでも確認済みだと思うよ。

 G級の極限化セルレギオスは、あの“白雪姫”が倒したっきりだったから、結構騒がれてたもん。

 アナが積み上げてきた大量のクエスト失敗とか、それも含めて、あの人が確認してないとは思えないよー」

 

 抜け目ないんだよねぇ、と感心するように頷くフローラ。

 

「でも、私のこと、そんな風に言ったことなんて一度も…………」

 

 困惑するアナスタシアに、

 

「だって、ほら、あの人、わりとウソツキだし」

 

 と、こともなげにそう言った。

 

「…………そうなの?」

 

「まっ、悪い人じゃないし、レオンハルトさんを除いて八方美人貫く人だけど、優しいよ。弟子だった私が言うんだから間違いないよ」

 

 そう言って、またドヤ顔をするフローラ。

 この少女は、どうしてここまでドヤ顔が似合うのだろうか。

 

 顔馴染みの、けれど一度もクエストの斡旋をしてもらったことはない受付嬢の営業スマイルを思い浮かべながら、アナスタシアは依頼書の一枚に手を伸ばした。

 知られていたなら知られていたで良い。

 今となっては、そんな小さなことに拘って、一歩踏み出すことを躊躇っていた自分さえ、可愛いものだと思える。

 あの時前に出した足は、少なくとも間違ってはいなかったと、確かにそう思えた。

 

「ところで、レオンハルトさんのことなんだけどさ」

 

「…………何?」

 

 “ティガレックス一頭の討伐”と書かれた依頼書を手に取り眺めながら、何でもないことのように話を振ってきたフローラに、何でもないような顔をしながら聞き返すアナスタシア。

 

「今日辺りに古代林から帰ってくるって、さっき紅葉(モミジ)さんが嬉しそうな顔して言ってたよ。なんか、資材運びの護衛ついでらしいけど」

 

「ふーん…………、…………そう」

 

 カランコロンとベルが鳴る。

 ムーファの間延びした鳴き声。

 耳元を吹き抜ける風が、亜麻色の髪をサラサラと流した。

 

 今日もベルナ村はのどかだ。

 風が心地良い。

 

 少しの間沈黙を守ってから、アナスタシアは事も無げに口を開いた。

 

「…………うーん、今日はちょっと、お仕事休もうかな。最近、連日クエストに出てたし、疲れも溜まってきてる気がするし、そろそろゆっくりお風呂に浸かって、一眠りくらい入れなきゃかなぁと思ってたんだよね」

 

「ふーん。そーなんだー。それじゃあしょうがないねー」

 

 独り言のような棒読みをするアナスタシアに、フローラはニヨニヨと笑いながら相づちをうつ。

 もちろん棒読みである。

 

「そう言うわけだから、じゃあまたね」

 

「うん、またねー」

 

 背を向け、手を振りながらスタスタと歩いていく黄金のハンターの後ろ姿を身ながら、フローラはひとりごちた。

 

「みんな分かりやすいなぁ、もー」

 

 

 上がる口の端を手で隠しながら、ホームに戻る少女の腕から、狩りに赴けなかったことに文句を言うように、エルドラーンが空に飛び立つ。

 

 金色の翼が、太陽の光をキラキラと反射した。

 

 

 

 

 そんな様子を建物の陰に背を預けながら見ていた男が、ぽつりと呟く。

 

「みんな面倒だなぁ、もー」

 

 白化粧の施された頬を小さく歪めながら、青いマントを翻して、静かにその場を去っていった。



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Ⅶ 少女調教ノススメ
プロローグ


 

 

 

「――これでよし。そう言うことだから、ナッシェにはまず野営の基礎から教えていこうと思うんだ」

 

 パチパチと薪の爆ぜる音が、古代林のベースキャンプに響いている。

 オレンジ色の暖かい炎が闇夜を明るく照らし、近くに佇む二人の人間を浮かび上がらせていた。

 

 一人は、灼熱色の防具――“EXレウスシリーズ”と呼ばれる防具に身を包んだ背の高い男だ。

 頭部防具を付けていない状態でも圧迫感のある上背は、強大なモンスターを狩るハンターの職が、彼にとってこの上ない天職であることを物語っている。

 

 火の移ろいが揺れる灰色の髪は、お世辞にも整えられているとは言い難いが、とあるギルド受付嬢をもって「将来禿げなさそう」と言わしめる程に丈夫で豊富な髪である。

 

 もう一人は、初心者ハンター向けのガンナー用防具、“ジャギィシリーズ”を着込んだ少女だった。

 男と同じく、頭部防具だけを外して立っている。

 あどけなさを色濃く残した童顔は、精緻に作り込まれた人形のように綺麗で、絹糸の如く輝くブロンドの髪は、凡そ荒くれ者の集う狩り場に相応しくない美しさを保っていた。

 

 抜けるような白い頬は、焚き火の光を受けているにも関わらず、心なしか白を通り越して青ざめているかのようだった。

 

「…………せ、先生」

 

 冷えるのだろうか、プルプルと震える唇を動かしながら、鈴鳴りのような可愛らしい声を紡ぐ少女。

 寒気を感じている様子とは裏腹に、その額にはうっすらと汗を浮かべている。

 

 人、それを冷や汗と呼ぶ。 

 

「どうした?」

 

「あの、野営の練習だということは分かります」

 

「うむ。俺は物分かりの良い弟子を持つことが出来て幸せだなぁ」

 

 恐る恐る口を開く少女に、先生と呼ばれた男は「ハハハハ」と快活に笑って満足そうに答えた。

 

「それで、その…………」

 

「なんだ?」

 

 言い淀む少女の顔をのぞき込んで、男が先を促した。

 俯いていた少女はやがて、意を決したように男と目を合わせて、本題を切り出した。

 それは、ずっと気になっていた重要なこと。

 

 

 

「どうして、私の腰に生肉が括り付けられているのでしょうか…………?」

 

「うん?」

 

 それは、“少女の腰に生肉が括り付けられている”などという生易しいモノではなかった。

 

 正確には、“生肉の中に少女を入れ込んでいる”ような状態である。

 

 “切らなければ絶対に解けない”ことで有名な、『ギルド式超堅固結び』という特殊な結び目が血の滴る生肉に食い込み、少女の腰防具の一部となっていた。

 

 『ギルド式超堅固結び』は、現在ハンターズギルドに十名しかいないG級ハンターの一人、【城塞】オイラーが自分のために考案した、上位ハンター秘伝の縛縄方法である。

 

 ちなみに、生肉の新鮮なことを強調する要素として、肉をぎゅうぎゅうと締め付けるロープには、今も血が染み込み続けている。

 狩りたてホヤホヤのお肉が放つ血生臭さに、ナッシェはすでに涙目だ。

 

 揺れ動く火の影は、腰回りが四倍ほどに膨れ上がった少女の脚がプルプルと震えている事実を隠していた。

 

「どうしてって、そりゃお前────」

 

 そんな少女の健気な姿に、男は眉一つ動かすことなく、逆に口の端をニイッと上げて、愉しそうに言った。

 

 

「──コッチからモンスターをおびき寄せるために決まってんだろ」

 

 その声には、燃え盛る薪の火よりも熱い何かが含まれていた。

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 龍歴院所属の上位ハンター随一の腕を持つレオンハルト・リュンリーにも当然、駆け出しハンターだった時期がある。

 

 当時、駆け出しのソロハンターとして狩りの腕を磨くべく、来る日も来る日も狂ったように狩り場に出かけていたのだが、仲間を持たない彼にとって、討伐クエストの対象となっているモンスターを見つけ出すというのは、少々骨のいることだった。

 

 手分けをして探し、見つけ次第信号を発して、仲間と共にモンスターへ挑む。

 初心者熟練者問わず、全てのハンターが討伐クエストにおいて踏むべきその手順と全くの無縁だった少年はある日、とある秘策を思いついた。

 

 

「つまり、『モンスターも大好きなお肉を、消臭効果のある保存袋から取り出して俺にぶら下げておけば、モンスターの方から俺に向かって勝手に集まってきてくれるんじゃね?』ってことだ。名付けて、モンスターフィッシング作戦!」

 

「根本的に何かが間違っていると思います…………」

 

 ドヤ顔でそう言うレオンハルトを、どこか諦観の入った眼差しで見つめるナッシェは、自分が弟子入り先を間違えてしまっていたことを、遅まきながら理解したのだった。

 

 お目当てのモンスターだけがおびき寄せられるならばまだしも、この作戦を本気で実行すれば、お呼びでないモンスターもたくさん集まってきてしまうはずだ。

 

「まあ、ドスジャギィを釣るはずがリオレウスを呼んじまったり、ベリオロス亜種を呼ぶつもりがディアブロス亜種を呼んじまったりしたことはあるが、概ね大丈夫だったし」

 

 やっぱりか。

 前科持ちの作戦であった。

 

 楽しそうに話しているが、事態はそんなに面白いものではない。

 

「……全然大丈夫じゃないですぅ…………」

 

 頭のおかしい加重に加えて、狂った男が狂ったことを本気で実行しようとしている現実に、ナッシェは涙目になりながら腰を震わせていた。

 

「そんなに泣くなって。俺が非道いことしてるみたいになるだろ?」

 

 むしろ非道くない要素がないくらいだ。

 

「何もいきなり古代林の深層に行くってわけじゃないんだから。

 せいぜいマッカォの群れとか、ドスマッカォ辺りしか寄ってこないよ。運が良かったら、イビルジョーとかが釣れるかもな」

 

「ぇ」

 

 “運が良かったら”?

 どう考えても最悪じゃないですか。

 

 もうダメかも知れない。

 このハンターに付いていったら、命がいくつあっても足りない気がする。

 きっと今夜で、“ナッシェ・フルーミット”は死ぬのだ。

 

 ナッシェは、朝日を受けながら血の池に沈む自分の身体に、たくさんのマッカォたちが群がっている様を幻視した。

 思わずポロリと涙がこぼれる。

 

「安心しろよ。俺も肉巻いて一緒に寝てやるから」

 

 安心できる要素が迷子になっている。

 

 何が嬉しいのか、楽しいピクニックにでも出かける少年のような笑顔で自分の腰に生肉を巻きつけるレオンハルトに、ナッシェは羨望の念すら抱き始めていた。

 いっそ、この人のように頭がおかしくなれたら、その方が幸せかもしれない。

 

 この人は、卵泥棒という私の前科(正体)に気付いてから、配慮の枷をすっかり取りさらってしまったようだ。

 軽い気持ちで手を出してしまった、遊びのつもりだったアレが、ここまで重い刑になるなんて想像がつかなかった。

 私にかけられた縄は、牢屋ではなく地獄に繋がっている。

 もう殺される未来しか見えない。

 

 思わず背筋がプルリと震えると同時に、未知の何かの一端を掴んでしまった気がした。

 ここまできてしまえば、もう何かに目覚めてしまった方がずっと良い気がする。

 目の前でロープの感触を満足そうに確かめている大人は、きっと大切なものと引き換えに手に入れた何かで、今こうして嬉々とした表情をしながら死地に赴こうとしているのだ。

 

 ああ、こんなはずじゃなかったのに。

 家を飛び出してまで手に入れたかった自由のはずだった。

 モンスターに食べられてしまうとか、誘拐されて一生を牢屋の中で過ごすとか、予想できる厳しい現実はある程度覚悟していたけれど、ここまで死の恐怖を煽る嫌がらせが訪れるなんて、一体誰が想像していただろう。

 何もかも忘れてしまって、楽になりたかった。

 

 結局、自分は騙されたのだ、とナッシェは思った。

 いかにも腹に一物ありそうなあの受付嬢に、いいように騙されてしまった。

 誰が「龍歴院で一番頼れるハンター」だろうか。

 目の前にいるのは、一番頼れるハンターなんかじゃない。

 ぶっち切りで一番危険なハンターだった。

 この場に付いて来てくれなかったアナスタシアに、心の中でつらつらと恨み言を吐き出す。

 悪い夢でも見ればいいです、この裏切りもの。

 

「よっし!この肉の感触は久しぶりだぜ!

 それじゃあナッシェ、今日は東の森エリアで一晩明かすぞ!武器は持って行くからな!」

 

「…………はぃ」

 

 ああ、終わった。色々終わってしまった。

 

 意気揚々と歩き出したレオンハルトの背中を、半ば呆然とした心持ちで眺めながら、ナッシェはそう悟った。

 

 私だって、本当に格好いいハンターになってみたかった。

 御伽噺(おとぎばなし)の中の英雄みたいに、強くて恐ろしいモンスターと命懸けで戦うハンターになりたかった。

 どんなに怖くても、その背中で守る大切なもののために、死力を尽くして戦うような、そんな英雄に憧れて。

 そうやって、普通の女の子のように夢を見ていただけなのに、辿り着いた先がこれだなんて、あんまりにも酷すぎる。

 

 世界がこんなに厳しいなんてことは、誰も教えてくれなかった。

 家を飛び出したときはこの上ない覚悟を持っていたつもりだった。

 今となっては、あんなに軽い気持ちで脚を踏み出してしまったことをこの上なく後悔している。

 ああ、道を踏み外す一歩のなんと軽いことか。

 

 ワケの分からない展開に次々と流され流され、巡り巡ってこんな地獄に来てしまった。

 膝はバカみたいに震えるし、もう全力で泣きたい気分だ。

 気付いたら涙が出ていた。

 

 それでも、ナッシェは竦んでしまった足を一歩前へ踏み出した。

 

 ここであの人に置いていかれてしまっては、その死の運命はどうしようもなく確定してしまう。

 生肉を自分に巻いてモンスターをおびき寄せるだなんて狂気的な状況下で、アホほど強いあのハンターの側から離れるという選択肢は存在しない。

 

 どうしたって死ぬ運命であっても、どうにかして回避したいと思う。

 迫り来る絞蛇竜(ガララアジャラ)の背よりも、目の前に垂らされた影蜘蛛(ネルスキュラ)の糸に縋りたくなるのが人情というものだ。

 

 人生十五年。お父様、お母様、お兄様、お姉様、親不孝で愚かな私をお許しください。

 あ、十五歳の誕生日はついに迎えられなかったなぁ。

 やんぬるかな。

 

 笑っているのか泣いているのか、怒っているのか悲しんでいるのか、自分でもよく分からない表情を浮かべながら、ナッシェはとぼとぼとレオンハルトのあとを付いて行った。

 

 





・ディアブロス亜種を生肉で釣ったネタについて。
ディアブロスはサボテン主食で生肉には寄ってこないだろ!
とのご指摘を多数頂いたので、ちょっと解説入れときます。

ディアブロス亜種は繁殖期の雌で、そうとう気が立っているという裏設定がありました。
そんな自分の縄張りに、血の滴る新鮮な生肉を抱えて踏み込んできた一人の狩人。
血のニオイをプンプン漂わせている。
ブチ切れ不可避。

つまり、ディアブロス亜種は生肉に釣られたと言うより、血のニオイに闘争本能及び母性本能が働いて、外敵を駆逐しようと飛び出してきた、というワケです。
ぶっちゃけ、主人公はモンスターであろうと雌を引き寄せる、というネタでした。 


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やろうと思えばどうとでもなる

 結果から言えば、少女の心配は杞憂に終わった。

 昨晩は、()()()を持参したレオンハルトが、近づいてくるモンスターを()()()ところで片っ端から狩り尽くしたからだ。

 

 具体的には、ナッシェがライトボウガンで撃ち漏らしたマッカォなどの小型肉食モンスターや、生肉には寄ってこないハズのホロロホルルなどを。

 

 月夜に照らされた瑠璃色の巨大(ふくろう)を目にしたとき、ナッシェは朝日を拝むことを諦めた。

 

 そのフクロウの最期が、眼窩からブッスリと突き入れられたガンランスの竜撃砲たった一発などという事実を前にして、ナッシェは自分が覚めない悪夢を見ていることに気が付いた。

 ガンランスって、盾を持たずに使うものなんだなぁ…………。

 

 

 

 そうして、ほとんど寝付けなかった夜を明かして。

 

 念願の朝日を背に、少女は希望の朝を謳歌していた。

 

 

 

「――五百八十!五百八十一!五百八十ニ!」

 

 レオンハルトには、自分の立てた“一流ハンター育成計画”がこれ以上なく完璧なものに見えていた。

 

「あはははははははっ!」

 

 生きている幸せを噛みしめながら、心から楽しそうに笑うナッシェを見て、今回の特訓を組んで良かったと思える。

 

 太刀“骨刀”を同じ型で振るう彼女の太刀筋は、今日初めて太刀という武器を握った少女のものとは思えぬほど冴えたものだ。

 

 朝日を受けて煌めく汗や涙は、少女のみずみずしさと幼さの見せる倒錯的な官能を以て、生命の尊さをこれでもかと見せつけている。

 やはり、自分の見立てに狂いはなかった。

 

 

 当初は、『女の子&か弱そう』という情報に惑わされ、ハンターズギルドが発行している『初心者ハンターの心得(先月発行)』や『ハンター育成ノススメ(三週間前改訂)』などの本を暗誦し直したりしてしまったが、さすがにこれでは甘過ぎるのではないかと言う懸念もあったのだ。

 

 ギルドはこんな生易しいガイドブック(モノ)でハンターを育成しようとしているのだろうか。

 著者には申し訳ないが、これでは見通しが甘いとしか言いようがない。

 

 “回復薬を一つ調合してみよう!”だの、“こんがり肉を焼いてみよう!”だの、“ドスマッカォを一頭狩猟してみよう!”だの、ハンターを舐めているとしか思えないのだ。

 

 普通、調合というものは二百ほど繰り返して初めて実践でモノになるものだ。

 自然の素材には、その質や大きさ、色や匂いについて大きなバラツキがある。

 狩り場で採集した素材は、一つとして同じモノがない。

 故に、それらを調合させて我々狩人に必要な薬や道具を作り出すには、ひとえにその経験値がモノを言うのだ。

 ユクモ農場で生産されるような、似た性質を持つ規格品とは勝手が違うのだと言うことが何故分からないのだろうか。

 

 こんがり肉だって同じ。

 誰だって、肉焼きに関する勘が無ければ、レウス肉とベリオ肉とホーミング生肉を同じように美味しく焼くことなど出来ない。

 火の通し方が甘ければ生焼け(レア)になってしまうし――中にはそれを好むヤツもいるが――、念を入れて火をくべれば普通に灰が生まれる。

 

 酷いのは、武器訓練の指南において、ドスマッカォやドスジャギィの、たった一頭の狩猟で済ませようとしている所だ。

 たったの一度、実戦に立たせて武器を扱いさえすれば、その後もなんとか武器を扱えていけると信じているのだ。ありえない。信じられない。

 

 

 普通、全武器種素振りから入るだろ。

 

 

 『どれが自分に合っている武器かを考えるのには実戦が一番!さぁ皆でレッツ闘技場!』だなんて、どこの脳筋だよって感じだ。

 

 G級ハンターの“【眈謀】のオウカ”が書いているというから暗誦していたが、あの程度でG級になれるということだろうか?

 やはりそこは、才能がモノを言う世界ということか。

 

 G級には“ずば抜けている人”が多いと聞くからなあ。

 最初が肝心なハンター業で、才能というのはハンター人生全体に響いてくるからな。

 

 

 

 

「九百九十一! おっとマッカォ一頭発見!」

 

「あはははははははっ!」

 

「ギャァギャァッ! ……ァ?」

 

「ずっぱーん! はい討伐! 九百九十六! 九百九十七!」

 

 『切り下ろし、突き、切り上げ』の型を、ピュン、ピュン、ピュン、とテンポよく繰り返していくナッシェ。

 傍らで、氷属性の太刀――“白猿薙【ドドド】”についた紅い飛沫を振り払いながらカウントをとるレオンハルトは、延々と素振りを続けるナッシェを温かい目で見守っていた。

 

「九百九十八! 九百九十九! 千!

 太刀振り方止めィ!!」

 

「はいっ!」 

 

 朝の古代林をビリビリと震わせるような掛け声に、元気いっぱいに返事をするナッシェ。

 キラキラと美しく少女を飾る透明な水滴は、いっそ神々しささえ感じさせるほどだ。

 

「先生!」

 

「どしたぁ!」

 

「眠いです!」

 

「そうか! それなら今すぐに次の素振りを始めよう!」

 

 寝落ちは人生の大敵だからな!

 

 碧色の瞳から、透き通った滴がはらはらとこぼれ落ちた。

 すまない、ナッシェ。

 だが、世の中には深夜テンションという名のブースターが存在するのだ、許して欲しい。

 

 この子は恐らく、慣れない野営で余りよく眠れていないはずだ。

 それに加えて、断続的に死の危険も訪れていた。

 睡眠不足とアドレナリンの強力なコンボによって、彼女の頭は常ならぬ興奮に冴えているはずだ。

 

「今日の内に、軽めの前衛武器は一通り覚えてもらうぞ!

 さあ、次は太刀の応用、“気刃斬り”だ! 今からやって見せるから、俺の真似をしろ!」

 

 そう。

 ナッシェは、“見て真似る”ことに天賦の才を持っている。

 なれば、自分の太刀振りを見せて、それを真似させ、素振りを繰り返すことによって技術を覚えさせればいい。

 

 彼女は決して、肉体的に強い少女ではない。

 だが、卵泥棒の一件の時に目撃した、痺れるような射撃技術、あれは素晴らしいものだった。

 本人の言うところによれば、レオンハルトには当たらないように、着実に退路を塞ぐ射線を選んでいたとのこと。

 しかも、流れのハンターの射撃技術を見て真似ただけだというのだ。

 

 つまり、ナッシェの今後のために、今最も強化すべきところはフィジカル面となる。

 こいつは、いわゆる筋トレだとか、効率良い身体の動かし方などによって解決できる。

 深夜テンションのまま一日を乗り切れば、あとは惰性と慣れでなんとかなるだろう。

 

 後は、レオンハルト十数年の蓄積を披露して、彼女にそっくりそのまま伝授してしまえばいい。

 持てる狩猟技術をそっくりそのまま注ぎ込むことが出来る弟子、それも命を懸けて培ってきた戦い方をほぼ完璧に再現させられるのだ。

 

 こちとらダテに十何年もハンターをやっているわけではない。

 モミジさんのいう『一人前のハンター』のハードルには十分だろう。

 

 

 つまり、俺の素振りを延々と真似させればよいのである。

 

 

 勿論、血のにじむ努力の末に獲得した技術は、そう易々と真似できるようなものではなかった。

 故に、型を覚えるまで、“ぼくのかんがえたさいきょうの”太刀筋を完璧に覚えるまで、繰り返させなければならない。

 『俺はこんなに頑張ってきたのに、こいつは一瞬で……』などという思いを弟子に抱くような、恥曝しな師匠にならずに済んだことを喜ぶべきだろうか。

 否、そのような思いは、人間である限り抱いてしまう可能性を常に持っている。

 そして、俺が何を思おうが思うまいが、ナッシェがいかにして強くなるか、今はそのことだけに全力を尽くすのみだ。

 

 兎にも角にも、俺は狩り場でナッシェに死んで欲しくなかった。

 弟子をとると、こういう感覚になるのだろう。

 なんとしてでも、この子を死なせないようにしたいのだ。

 

 素振りで鍛えた下地は、必ず実戦で役に立つ。

 本当に価値があるのは、その身につけた技を本番でいかに昇華させていくかと言うことにある。

 

 すなわち、武器の素振りはいくらやってもし過ぎという事はないのである。 

 

 ナッシェのためだ。

 レオンハルト、お前は心を鬼にしろ。

 容赦は敵だ。

 良心の呵責は、今この状況下においては偽善と成り下がる。

 

 言い訳を作ってでも厳しくしろ。

 

 

「先生っ!」

 

「どしたぁ!」

 

 涙声のナッシェが、惚れ惚れとしてしまうような純粋な笑みで口を開いた。

 

「身体がいたいです! 腕があがりません! むり! もうやだぁぁぁ……」

 

 ガシャンと“骨刀”を取り落としたナッシェが、そのまま地面にへたり込んだ。

 頬をつり上げたまま、ぽろぽろと涙を流している。

 

 ……ついにこの時が来てしまったか。

 

 自分の経験とナッシェが力の弱い少女であるという事実から判断して、彼女の肉体的な限界はそろそろ越えただろうと思ってはいた。

 まだ片手剣と太刀しか振らせていないが、ナッシェは元々の筋力が低いのだ、彼女は確かに自分の限界を越えて頑張っていた。

 証拠に、白魚のような手は限度を越えた酷使にぷるぷると震え、手のひらは武器の握りすぎで擦り切れ、赤い血がにじんでいる。

 昨日までボウガンしか使っていなかった十四の少女に、これ以上を望むことが出来るだろうか。

 

 素振りは、肉体を鍛えるのに最も効率のいい方法だ。

 それは同時に、最も効率よく筋肉や身体を疲労させ、痛めつける方法でもある。

 ナッシェは、既に十分頑張った。

 

 

 ――そんなことは、痛いくらいに分かっている。

 

 

 誰よりこの俺が通った道だった。

 俺は、自分以外のハンターの在り方を知らず、自分以外のハンターがいかにして強くなったかを知らない。

 当然だ、十人十色、人は皆違うのだ、皆違って皆良い。

 ナッシェには、他の人間が持っていないような、素晴らしい才能があった。

 目で見た他人の行為行動を、その根幹から枝葉末節まで、あたかもその当人であるかのように再現する才能が。

 

 この子は女の子だ、可愛い女の子だ。

 自分とは違う、幸せな未来を歩むことが出来る。

 自分とは違って、傷物にすることは許されない。

 それでもハンターをやるというのだ、ナイフを握った震えるあの手は、確かにこの道を選んでしまった。

 ここに来て、他のハンターのことをあまり知らない自分の無知が、どうしようもなく邪魔だった。

 彼女には死んで欲しくない、傷ついて欲しくない。

 そして、大きな怪我もなく、無事に十何年も狩人として生き続けて来れた人間を、俺は自分しか知らない。

 

 この道は、十分な努力()()では足りないのだ。

 強大なモンスターたちを前にして、並みの思いと才と力では、どうしようも無くなってしまうかもしれない。

 だから、そういう状況に陥って欲しくないから、一切の妥協は許されなかった。

 あの時ナイフを握った手を支えられるのは、俺しかいないのだ。

 

 許せ、ナッシェ。

 これしかないんだ。

 

「……ナッシェ」

 

 静かな歩みで、地面に座り込む少女へと近づくレオンハルト。

 

「…………はい、せんせ」

 

 涙を流しながら顔を上げる少女は、その美しさが痛ましさに拍車をかけていた。

 思わず怯みそうになる足を、意志の力で前に進ませる。

 ともすればそれは、強大なモンスターに立ち向かうよりもよほど恐ろしい一歩だった。

 

「……飲め」

 

 言葉少なにレオンハルトが差し出したのは、オレンジ色に濁った液体が入っているガラス瓶だった。

 

「レオンハルト特製の“強走薬グレート・戒”だ。ギルドで公表している強走薬グレートのレシピに、ハチミツと秘薬、それから元気ドリンコを混入させて作った、まあまあ危ないクスリだ。

 だが、お前の感じている痛みと疲労を必ず打ち払ってくれる。保証しよう」

 

 淡々と話しながら、どう考えても危険な飲料を少女の手に握らせる。

 かつてハンターになったばかりの自分が、限界を超えて無茶を犯すために作り上げた、レオンハルト工房の作品の中でもぶっち切りでヤバい薬品、それが“強走薬グレート・戒”だった。

 

「飲め。それから、素振りを開始しろ」

 

「…………っ」

 

 温度を感じさせないレオンハルトの声に、ナッシェはピクリと肩を震わせた。

 

「うぅ、うぅぅ……」

 

「辛いときには泣いても良い、怖いときには恐れても良い。だが、その脚を止めることだけは許さない。

 常に脚を動かし続けろ。生きるために足掻き続けろ。ソイツを飲んで、立て。太刀を握れ。

 ……それが出来ないというのなら、もう止めろ。お前にはハンターなんて向いていない。破門してやるから、諦めて他の所に行け。お前なら、どんな仕事だってすぐに出来るようになる。無理してハンターになる必要なんてないんだから」

 

 拳を固く握りながら、レオンハルトは突き放すように訥々と言葉を続けた。

 

「先に言っておくが、そのクスリはヤバい。

 逃げるか、飲むか、道は二つに一つだ。俺はお前の選択を尊重しよう」

 

 サァァァァ……。

 

 一陣の涼しい風が吹き、二人の間を吹き抜けていく。

 

 ギャアギャアと威嚇声を上げながら近づいたきたマッカォ三匹を、レオンハルトは視線もくれずにナイフを投げて処理した。

 それは、本当に“処理”としか言いようがないものだった。

 座り込んだまま動かないナッシェを余所に、マッカォ討伐十五匹の依頼書に、討伐完了のサインをする。

 ベルナ村の受付嬢が送ってよこした古代林関連のクエストの一つだった。

 

 ふと、レオンハルトは視線を上げた。

 遠くの空を飛んでいる小さな影は、飛竜だろうか、それとも普通の鳥だろうか。

 大空に悠々と羽ばたく彼は、悠大な自然の脈動を感じさせる。

 

 眼下に広がる古代樹の森は、生命の神秘が集まった秘境だ。

 もし、十歳のあの日に家を飛び出していなかったら、この美しい自然には、その自然の中で闘争に身を投じる人生には、一生出会うことが無かっただろう。

 

 これだから、ハンターは辞められないのだ。

 ちっぽけな人間である自分が、自然と共にあることを感じられるこの瞬間が堪らない。

 

 

 やがて、きゅぽんとフタを外す音が響いた。

 振り返ればそこで、ペタンと地面に座り込んでいたナッシェが、んくっ、んくっと勢いよく強走薬グレート・戒を飲み下していた。

 

 ぷはぁ、と息をつがえて、そのままぷるぷると震える身体を立たせようとするナッシェの腕を掴んで、グイッと引き上げた。

 

「ガッツポーズを教えてやる。身体に直接強く作用する薬を飲んだら、こうするんだ」

 

 一人でナッシェを立たせると、レオンハルトは胸を開いて腕を水平に持ち上げ、ぐっとガッツポーズをして見せた。

 

「これを忘れると、自分のことも忘れたバカになるぞ」

 

 そんな言葉に、ナッシェは慌てて、見よう見まねのガッツポーズをしてみせた。

 華奢な身体、細い腕、初めてとは思えないほど完璧なガッツポーズの構え。

 

 それで良いと、レオンハルトは心の中で頷いた。

 

 泣き笑いのような顔。

 相変わらず、涙は止まっていない。

 それでも、その碧眼の中に見える炎は、確かに狩人のものだった。

 

「武器を取れ、ナッシェ。ついて来れなくなったら、そこで置いていってやる」

 

 そう言いながら、レオンハルトは太刀を振り上げた。

 

「まずは気を太刀に込めろ」

 

「…………気?」

 

「そうだ。自分の中にぼんやり流れている力だ。血液みたいなもんだ。自分の血管の中を通っている液体くらいは感じられるだろう? それと同じ感じのヤツだ。それを引き出せ」

 

「ぇ」

 

 

 



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快楽螺旋の中の

 ――そこは、暖かい場所だった。

 

 どうして暖かかったんだろう。

 暖炉の火で暖かかったのか、目に入るオレンジ色の明かりが暖かく感じたのか。

 はたまた、布団の持つ暖かさだったのか、暖かい人肌に触れていたからか。

 

 そんな些末事はよく覚えていなかったけれど、それでもそこは、確かに暖かいと感じられる場所だった。

 これまでの人生の中で、一番の暖かさ。

 

 

「止めてッ……レオンさ、いやっ……!」

 

 どこか他人事のように口から漏れ出る拒絶の言葉を、すぐ横から傍観しているような気分だった。

 

 それまでずっと、嘘を()きつづけた人生だったからか、こんな時にも薄っぺらい言葉を平気で発することが出来る自分がいて、そんな自分をどこか冷めた目で見ている自分もいて。

 

 自信のあった演技は、結局何のためのものだっただろう。

 

 欲しかったもの、守りたかったもの。

 大切だったもの、汚したくなかったもの。

 

 私はいつも、逃げてばかり。

 自分が傷つかないように、相手を傷つけるばかり。

 

 真っ赤な血に汚れきったその手でこの人の身体に触るなと、どこかでそう叫び続けている自分を、そっと胸の中に仕舞い込んで。

 

 

「――……こんなの、うそだ…………」

 

 

 嘘でなければならなかった。

 その痛みの中に、ひどく独善的で醜く歪んだ、奪ったことへの幸せを感じてしまった自分の感情は、まがい物にしてしまわなければならなかった。

 

 そうやって、どこへ逃げようとしているのかも分からないまま、誰かを傷つけなければいられないのかと無意味に自分をなじる声だけを聞き続けて。

 

 

 

 

 チュン、チュン、チチチチ……。

 

「……起きなきゃ」

 

 『龍歴院一仕事が出来る』と評判の高い受付嬢は、窓辺から差し込む初秋の朝日に目を(すが)め、それからベッドの横に掛けられたカレンダーに目を通した。

 

「……【我らの団】、三週間の滞在予定」

 

 枕元のナイフを引き抜きながら寝台を離れ、化粧台へと向かう。

 

 

「……さて、うまく乗り切らなきゃ」

 

 自嘲気味に、そう呟いた。

 今日も、終わりのない逃げ道を模索しながら。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 どうしてこうなったと、私はそう言いたい。

 

「……ぐー」

 

「…………気持ちよさそうに寝て……人の気も知らないでぇ……っ」

 

 ナッシェは、計五日間に及ぶ素振り地獄を乗り切った。

 それはもう、筆舌に尽くしがたい五日間であった。

 起きては異常な筋肉痛に全身を軋ませながら武器を取り、寝ては身体に巻いた肉から漂う血臭に誘われた肉食獣としのぎを削る。

 

 まともな睡眠なんてとれなかった。

 最後の方は、素振りによって培われてしまった技術がキチンと生かされていることに気付いて喜びすら覚えてしまった。

 自分の中にあった何か大切なものを、一つか二つは失った気分だ。

 

 そして迎えた六日目。

 

 

「今日は休みな!一日身体をゆっくり休めとけ!俺はちょっとイビルジョー狩ってくる!」

 

 

 ナッシェは、目の前が真っ暗になった!

 

 

 

 

 

 チカチカと星が瞬く夜。

 パチパチと薪の爆ぜる音を聞きながら、ナッシェ・フルーミットは師匠の身体を座布団にして、地面に座り込んでいた。

 彼の頭には、ザブトンが枕代わりに敷かれている。

 座布団の枕にザブトン…………非常にややこしい。

 

 むむむと唸るナッシェの小さなお尻が、呼吸に合わせて上下するレオンハルトの腹の上でもぞもぞと動く。

 

 すっかり身に馴染んでしまった防具の胸を撫でながら、ナッシェはポツリと呟いた。

 

 

「…………眠れない」

 

 

 そう言って、そっと腰に手を当てる。

 

 そこには、五日間、五十時間以上を共にしてきた()()()の感触が無かった。

 

 

 そう、鉄臭い血のニオイが香る生肉(ぼうぐ)の感触が。

 

 

「…………うぅ」

 

 喉が渇く。

 ナッシェは手に持っていた水筒から喉に水を流し込む。

 

 …………満たされない。

 

 潤いが足りないのだ。

 喉が、乾く。

 

 

 既視感のある赤いアイマスクを装着して熟睡するレオンハルトの身体の上で、ボスンボスンとトランポリンよろしく跳ねてみる。

 

「うっ…………ふぅ…………うっ………………ふぅ…………がー」

 

「…………」

 

 起きない。

 何故。

 

 モンスターの接近には異常なくらいにキチンと反応するのに、敵意が必要なのかと、その顔をじーっと見つめてみるが、気持ちよさそうな寝顔は心がほっこりとするだけで、特段何も変化がない。

 

 私がこんなに苦しんでいるのに…………。

 

 

 レオンハルト工房謹製の“強走薬グレート・戒”には、とある致命的な副作用があった。

 

 それは、調合の相乗効果によって強化された元気ドリンコの効果と、竜人族の生み出した“秘薬”によって強化された強走薬グレートの効果。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 それは、ギルドの()()()()()が喉から手を出して欲しがるほどの素晴らしい副作用を持つ、耐ブラック用のクスリであった。

 

 

 眠れない夜、ナッシェは手持ち無沙汰に双剣を弄っていた。

 何もしていないのは落ち着かないと、昼間あれだけ素振りをしていたのに、いざ夜になってみれば、物足りなさとでも言うべき独特の倦怠感が、眠ろうとする意識を妨げて不快感を煽るのだ。

 アグナコトルの身体から作られた双剣──“フレイムストーム”。

 手に握る柄の感触が、眠ろうとする身体の感じる物足りなさを補ってくれる気がして手離せない。

 

 …………これじゃだめだ。

 なんとかしなきゃ。

 明日からまた、地獄のように忙しい日々が始まるんだから、今寝ておかないと酷いことになっちゃう。

 

 …………早く夜が明けないかと願う自分に気づき、ナッシェはぶんぶんと頭を振った。

 

 頭では分かっているのに、あのクスリがまだ消えずに身体の中で働いているせいで、眠気が飛ばされてしまっているのかもしれない。

 この師匠の悪影響を受けて、自分の中に望ましくない自我──戦闘狂的観念──が芽生えてしまった可能性もある。

 

 どうするべきか、一端素振りをして身体を疲れさせて…………と考えたところで、それはおかしいと思い踏みとどまった。

 それではまるで、あの辛く厳しかった毎日を恋しがっているようではないか。

 

 全てはこの、幸せそうに眠っているレオンハルト先生が悪いのだ。

 

 双剣を地面に置き、体勢を変えてレオンハルトの腹に(また)がり、八つ当たり気味に師匠の頬をむにむにと抓る弟子。

 

「…………うー」

 

 うー、だって。

 

「…………ふふ」

 

 柔らかくて、面白い。

 あと、ほんの少しだけ可愛い。

 

 眠れない夜の素晴らしい暇つぶしを見つけたナッシェは、仲の良かったドジメイドのことを思い出しながら、レオンハルトの頬を引っ張って遊んでいた。

 

 …………あの子は、私のことを心配しているかもしれない。

 

 メイドだけじゃない。

 何の断りもなく家を飛び出してしまった私を、家族みんなが心配しているはずだ。

 

 そうじゃなかったら、少し寂しいかも。

 

 それでは家に戻りたいかと自問して、それはちょっと嫌だなぁと、矛盾した思いに気がついて、ナッシェはむぅと眉をひそめた。

 

 …………この人は、どうしてハンターになったんだろう。

 

 うにうにと頬を弄られるレオンハルトの安らかな寝顔を見ながら、ふとそんなことを思った。

 

 大した理由は無かったのかもしれない。

 

 自分の先生はそう言う人だと、ナッシェは遠い目をしながら思う。

 理由があって行動する人じゃないのだ。

 やりたいことをやるだけの自由人、わがままな人。

 そういうところに、少し憧れもしている。

 

 それでは、何が彼を強さへと駆り立てたのだろう。

 彼をこれだけ強いハンターにするには、『だだなんとなく』では足りない気がした。

 

 自分がやってきた中で一番効果のある方法だと言って、レオンハルトはナッシェに素振り地獄を課してきた。

 つまり、このハンターはそうやって、或いはそれ以上のことをして、こんなデタラメなハンターになったのだ。

 

 うまく成果が得られなかったこともあっただろう。

 たった一人でハンターをしてきたという孤独感もあっただろう。

 

 ナッシェは、その支えとなったもの、彼の刃に込められているもののことを知りたかった。

 

 今の自分は、中身の無いまま刃を振るっているような気がしていたのだ。

 家を飛び出したばかりの頃と比べれば、今の自分はずっとハンターらしいハンターになれているはず。

 

 ただ、それだけでは()()()()のだ。

 彼が見せてくれた武器の振り方は、今まで見たこともないくらいに綺麗なものだった。

 色々な人の色々なことを真似してきたからこそ、その技術が完成するまでに辿ってきただろう艱難辛苦も、ぼんやりと感じ取ることが出来た。

 

 けれど、あの刃の軌跡を辿るだけでは、その“真似っこ”が完成していないことも分かるのだ。

 実際の経験や年季、身体的能力差、それらの要素すべてを取り除いた先にある、中身たり得る何かが、彼我の刃を隔てていると、ナッシェは何となくそう思った。

 

 斬撃の軌跡をなぞるだけでは届かない、神懸かった強さの秘密は、一体何だろう。

 磨耗した心の中を、その疑問が占めていた。

 

 月の見えない夜、静かな古代林に、薪の爆ぜる音が響く。

 

 あの受付嬢だろうか。

 彼らの関係は少しギクシャクしているようだけど、どこかで信頼し通じ合っているような所も見えた。

 

 愛、という言葉が出てきて、ナッシェは少し嫌な気持ちになった。

 けれど、今まで読んだ本の中には、英雄とお姫様の恋愛を描いたものもたくさんあった。

 『愛は人を強くするのだ』とお父様も仰っていたし、そういうことなのかな。

 

 それとも、何か、別の……──。

 

 

 

 

 

「…………うむむ、モミジさん、勘弁してくだしあぁ…………」

 

 頬を弄られて夢でも見ているのだろうか、その口から漏れた寝言は、あの受付嬢の名前を含んでいた。

 

 つまり、あの受付嬢の手を自分の手と勘違いしているということだ。

 

「…………むむむむ」

 

 失礼な人である。

 女の子と二人きりでいる男の人は、他の女の人のことを考えてはいけないのだと、そうメイドが力説していたのを思い出す。

 

 ナッシェは、胸にかかった()()のようなものに再び眉をひそめながら、彼の頬から手を離した。

 そんな夢を見る必要は無いのである。

 すでに、ここには立派なレディがいるのだから。

 そのレディを意識していないというのは、全く失礼な事態であり、早急な改善を求めなければならない事案である。

 

 ナッシェは、何日間も引きずっている深夜テンションをフル稼働させたまま、とある名案を思いついた。

 

 つまり、“きせいじじつ”を作ってしまえばいいのでは。

 

「…………おぉ」

 

 天啓を得たとばかりに、満足げに頷くナッシェ。

 

 少女はしばらく考えてから、えいっとレオンハルトの掛けていた毛布を捲って、その中に潜り込んだ。

 

「んん?…………ごー……」

 

 身じろぎしながら寝息を立てるレオンハルトの懐に顔をつけるナッシェ。

 うん、暖かい。

 

「…………ん?」

 

 ふと、漂ってきたとあるニオイに、ナッシェは鼻をひくつかせる。

 

 それから、ニオイの元を辿って、見つけた。

 レオンハルトの大きな手、そこから漂ってくる、芳醇なチーズのような香り。

 

 自分の手のニオイを確認してから、もう一度彼の手に鼻を当てる。

 

「…………」

 

 ……これだ。

 求めていた潤いが、ナッシェの身体を満たしてくれた。

 

 あれほど苦しかった渇きが薄れ、まぶたが急速に重くなっていくのを感じる。

 その感覚へ抵抗せずに身を委ね、ナッシェはレオンハルトの腹を枕に、そのまま寝息をたて始めた。

 

 

 積み重ねてきた闘争(つみ)の香りが、優しく少女を包み込んだ。

 

 



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殺戮の天使

『特産ゼンマイ二十個の納品』

 

 依頼書の受付承認欄にサラサラと二人分のサインをして、傍らに置いた羊皮紙の上に乗せる。

 

 重ねられた七枚の依頼書の表題には、『深層シメジ二十個の納品』『上位イャンガルルガの討伐』などと書かれている。

 

 受注者の名義は全て『レオンハルト・リュンリー』、受理者は『モミジ・シャウラ』、目的地はどれも古代林だ。

 

 彼に承諾させた初心者ハンターの育成。

 与えた三ヶ月という短い期間、あのハンターならばきっと、ほとんど村に滞在せずに弟子の教育へ費やすだろうとは予想していたけれども、『狩り場専属契約』を要求してきたのは期待以上のことだった。

 三ヶ月の間、古代林とその周辺地域を目的地とするクエストは、全てかの地に滞在するレオンハルトへと回される。

 

 古代林は、ベースキャンプを破壊されたこともあって、狩猟環境が安定するまでは立ち入りを規制することになっていた。

 ギルドのバックアップも心許ない中、絶対的にクエストを完遂しながら、ベースキャンプ復旧のために狩り場に長期間張り付けるハンターが必要だったのだ。

 

 そういう意味で、この時期にベースキャンプを壊されてしまったのは、()()()()()()タイミングだった。

 

 龍歴院所属のハンターには、ベースキャンプが復活するまでの間、他地域のギルド支部との交流や、幅広い種類の狩り場にて経験を積ませることなどを指示している。

 その理由付けに、ベースキャンプ全壊というのはまさにうってつけの事態だ。

 

 あの少女──“ナッシェ・フルーミット”も、それなりに腕のいいハンターになって帰ってくるはず。

 何しろ、レオンハルトというハンターの狩猟技術を、ほぼ丸ごと写し取れる逸材なのだから。

 

 彼は、こと狩猟という面においては類い希な才能を持つハンターではあるけれど、中身はまだ子供のそれだ。

 その目は人を映しているようで、その実、どこまでも己の闘争にしか向いていない。

 純粋すぎる闘争心は、時に人を、彼自身さえも傷つける。

 

 教えるという行為が、レオンハルトというハンターをも成長させてくれることを、龍歴院No.1受付嬢のシャウラ・モミジは願っていた。

 かねてから計画していた、レオンハルトの弟子育成。

 初めての弟子をとらせるのに、願ってもない素材とチャンスが同時に舞い込んできたのだ。

 

 風は、確実に彼女の追い風となっている。

 後は、この機を上手く扱うだけ。

 

 大丈夫、不自然なところは何もないし、憂慮すべきことには出来る限りの対処をした。

 

 あとは、事が運び終えるのを待つのみ────。

 

 

 

 

 

「────シャウラさん、【我らの団】の皆様が到着なさいました」

 

 部下の声に返事をして、論文を書く手を止めたモミジ・シャウラは、身嗜(みだしな)みを軽く整えてから外へ出た。

 

 

 

 吹き抜ける高原の涼しい風に、秋の香りが混じっているのを感じる。

 

 風下へと目を向ければ、そこには“勇敢なモンスター”の意匠が施された、巨大な気球船が着陸していた。

 

 そこから降りてくる数名の人影。

 

 彼らの方へと歩み寄りながら、モミジはそっと彼らの顔を照合していく。

 

 先陣を切って降りてきたのは、赤いウェスタンハットを被った、壮年の男性──上級キャラバン【我らの団】の団長をしている書記官殿、ロック・モーガン氏だ。

  

 その後ろから付いてくるのは、竜人族の加工屋さん──確か、ディアルク氏──と、彼の弟子だという黄色いフードを被った少女──セナちゃんだったはず──。

 

 それから、立派なヒゲをたくわえた竜人族の商人と、台所道具をえっちらおっちらと運ぶアイルー。

 【我らの団】専属受付嬢のソフィアが分厚い本を開きながら歩き出てきて、彼女の横で軽薄そうな笑みを浮かべて喋る、青色の防具“ホロロシリーズ”に身を包んだハンターが続いた――G級の“【蒼影】のアーサー”だ、どうでもいい――。

 そして――。  

 

 

 そのハンターは、一言で言い表すならば“白”だった。

  

 太陽の光を受けて燦然と輝く白銀の鱗が至るところに施された一級防具――“EXフィリア”を身につけている、女性のハンター。

 歩みを進めるたびに、処女雪のような純白さを持った白髪がふわりと揺れた。

 極光色に煌めく悪魔の翼や、遠目にも分かる美しい顔の造形は、さながら天を(めぐ)る龍の化身の如き気高さを感じさせる。

 

 古龍の一種として数えられる“天廻龍”シャガルマガラの素材をふんだんに用いたその防具は、彼女がどれだけ腕の立つハンターであるかを端的に示していた。

 

 背中に背負うのは、煮えたぎるマグマの如く明滅を繰り返す巨大なガンランス、“燼滅銃槍ブルーア”。

 彼女の細腕と、携えるブルーアとのアンバランスさは見る者の目を引くが、このガンランスはギルド所属のハンター達に、()()()()()()()()()()()知られている。

 

 “【白姫】ラファエラ”。

 二十四の若さで『トップハンター格付けランキング』序列二位に叙されている、紛うことなき当代最強のハンターだった。

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 どうしてこうなったと、私はそう言いたい。

 

 

「……先生?」

 

「ん?どうした?」

 

 爽やかな朝を迎えた古代林の一角、小さな岩場の陰になっている所で、ナッシェ・フルーミットは愕然とした面持ちを隠さずに、狂人レオンハルト先生へと問いを発した。

 少女の発した言葉のわずかなニュアンスに、ミス無く対応できるようになったレオンハルトは、確実にコミュニケーション能力が上がっていた。

 

「…………い、一体、何をなさってるんですか?」

 

 彼に師事する運命を受け入れて幾日か過ぎ、ようやくレオンハルト流狩猟理論に身体と心が慣れてきたナッシェであったが、そんな彼女でも、声をわずかに震えさせながら事実確認をせねばならないほどの、トチ狂った事態が滞りなく進行していた。

 さすがに、何が起きているのか、理解の許容範囲を超えている。

 これを何の待ったも無しに受け入れてしまえば、今度こそ死が確定する。

 

「何ってお前────」

 

 片手剣の刃を研ぎ終えたレオンハルトは、ナッシェの方を()()()振り返りながら、こう言った。

 

「見ての通り、狩りの準備だけど」

 

 その顔には、どこかで見たことのあるアイテムがしっかりと装着されている。

 

「…………とりあえずですね、先生」

 

「ん?」

 

 ここが、私の人生の分岐点だ。

 一歩間違えたら、地獄に真っ逆さまだ。

 一発、常時狂っているこの師匠に言ってやるのだ。

 

 お前は頭がおかしいアホだと。

 そこは気付けよと。

 

 

「その()()()()()、外した方がいいと思います」

 

 手元を全く見ないで正確に刃を研いでいくのは、職人芸だと褒めるべきだろうか。

 

 

 そんな弟子の常識的なアドバイスに、レオンハルトはキョトンとした顔をして、

 

「なんで?」

 

「アイマスクを付けたままでは、狩りが出来ないからです」

 

 ナッシェのもっともな言葉に、レオンハルトはますます不思議そうな顔をして、

 

「何言ってるんだよ。アイマスクしてても狩りは出来るだろ」

 

「ぇ」

 

 その答えを聞いて、ナッシェは悟った。

 つまり、そういうことなんだ。

 

「いいか? 目で見ていなくても武器は振るえるし、モンスターはそこにいる。そして、モンスターを刃で傷つければ、彼らはいつか倒れる。つまり、見えていなくてもモンスターは狩れるんだよ」

 

 その理屈はおかしい。

 

 レオンハルトの論理は全く理解できなかったが、ナッシェには彼が次に発する言葉を完全に読みきっていた。

 

 

「じゃあ、今からモンスターを見ないで狩るやり方を見せるから、こいつを真似してね」

 

 無理だ。

 

「ハンターとして、気配だけを頼りにモンスターを殺すのは基本中の基本だからさ。そんなに難しくはないよ」

 

 嘘だ。

 

「どうしたんだよ、そんなに震えて…………。あ、分かった。安心しろって。素振りよりも楽だからさ!」

 

 鬼だ。

 

 朗らかに笑いながら、アイマスクのままポンポンとナッシェの肩を叩くレオンハルトに、ナッシェは涙を流しながら頷いた。

 

 見てもいないし触ってもいないのに、どうして震えているのが分かったんだろうとか、安心できる要素をどこに見出しているのだろうとか、素朴な疑問が尽きることは無かったけれども、ただ一つだけ理解できた。

 

 私はどうやら、ここまでみたい。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

「書記官殿、遠路はるばるご足労様でした。お久しぶりにございます、龍歴院担当受付嬢の、モミジ・シャウラです」

 

 非の打ち所がない営業スマイルを浮かべた彼女が、赤いウェスタンハットを上げる壮年の男──書記官殿に一礼をして挨拶した。

 

「ハッハッハッ、シャウラ嬢、そうかしこまることもないだろう!」

 

 人の良い笑みを浮かべた彼の言葉に、モミジは苦笑しながら礼を解いた。

 彼は間違いなく人格者だ。

 表面的な接し方ではすぐに見透かされる。

 

「事前にご連絡いただいたとおり、私から【我らの団】の方々に、三週間のベルナ村滞在をサポートさせていただきます」

 

「ウム、頼んだぞ!キャンプ復旧のための資材は船の中だ、あとで運ばせよう」

 

「ありがとうございます」

 

 さァて、と書記官殿は後ろを振り返って、自らの団員たちへと声を掛けた。

 

「みんな!今回は休息のためにこの村を訪れたんだ、ゆっくりと身体を休めてくれ!何かあったら、彼女を頼るんだぞ!この子は龍歴院で一番仕事の出来る受付嬢だからな!」

 

 

 

 

 …………めいめいに動き始める彼らをよそに、ずっと感じていた視線の方へと目を向ける。

 リオレウスの吐く炎よりも赤い瞳と目があった。

 

 “【白姫】ラファエラ”。

 

 彼と同じ()をしたその目が、モミジの目を射抜いた。

 まるで、自分と彼女、たった二人きりで世界から取り残されたかのような錯覚に陥る。

 

 ラファエラは、なんの感動もない表情を一切変えずにこちらへと歩み寄ってくる。

 

 同じなのだ。

 血を望むかのような真紅の瞳も、人を見ているようで、その実その人を透かしたところに見える何かを見つめる純粋な視線も、人を惹き付け、畏怖させるような、無機質ささえ感じさせる一途な目の色も。

 近付いてくるG級ハンターに、モミジは知らず身構えていた。

 

 彼女と彼に、血のつながりは無いはずだった。

 ラファエラ=ネオラムダは、腕のいい狩人を多く輩出している名門・ネオラムダ家出身の血統書付き(サラブレッド)で、一方のレオンハルトは、なんと言うこともない片田舎の出自。

 互いに仲がいいというワケでもない。

 

 だというのに、あの二人の目を見ると、彼我の間に横たわる深い谷のことを思わずにはいられない。

 『ここから先は違う世界だ』と、彼岸に立つその目が告げるのだ。

 

 彼らは昔から、明らかに互いを意識していた。

 彼らが恐らく共通して抱いていただろう感情の正体を、“部外者”たちは誰も知らないし、理解できない。

 たった二人の同類は、一種の孤独に身を置きながら、二人だけの世界の中にいたのだ。

 

 私はそれについて何を感じただろうと、モミジはそんなことを思った。 

 

 

 見る者が無意識に警戒心を抱いてしまうほどの存在感をまき散らしながら、ラファエラはモミジの前に立った。

 

 世界から音が消えた、そう思ってしまうような静寂に包まれる。

 或いは、周囲の音を全て遮断してしまって、目の前のハンターの一挙手一投足に集中したがる恐怖心。

 

 背中をつつ、と冷や汗が伝う。

 営業スマイルが引きつっていまいか、その確信も曖昧になってしまうような緊張感に、モミジは知らず両手を固く握っていた。

 

 彼らに抱いてきた感情のことを考える。

 自分にはないものを持っていることへの嫉妬だろうか。

 自分にはあるものを持っていないことへの羨望だろうか。

 彼らだけが分かり合えるその世界への憧憬だろうか。

 それら全てをごちゃ混ぜにした気持ちだったようにも思えるし、そのどれもが的を外れたものだったような気もする。

 

 名状しがたきその気持ちが、モミジの両手に無意識な力みを与えていた。

 右肩の古傷がジクジクと痛む。

 

 黄金の冠を模した防具を小脇に抱えるラファエラは、愛想も挨拶もないまま、薄桃色の唇を開く。

 話し出すまでの一瞬が、十数秒もの長い時間に感じられ…………十数秒?

 

 それは、本当に奇妙な沈黙だった。

 何かを言い掛けて口を開いたまま、一言も言葉を発しないラファエラと、そんな彼女の真っ赤な瞳にじっと見つめられて固まるモミジ。

 表情に一切の動きを見せない【白姫】の醸し出す独特の威圧感に、その場にいた誰もが黙り込んで、彼女の次の動きへと注意を引きつけられた。

 

 涼やかな風が、固まりあう二人の間を吹き抜けていく。

 その風に背中を押されたのか、ラファエラは一言だけ、

 

 

「…………どこ」

 

 

 本当にただ一言だけ、謎の言葉を発した。

 

 

「…………へ?」

 

 何の脈絡も見えない唐突な言葉に、若い男の間の抜けた声が続いた。

 龍歴院で長い間受付嬢をしてきたモミジは、およそ理解しがたきG級ハンターの一言を、人の場所を聞く()()として正確にくみ取り、その意図しているところを明確に察した。

 

 それは、ハンターたちが発する言外の意図を読み取る受付嬢の手腕と言うよりは、ほとんど予想がなされていた故のことだった。

 

 人、それを“女の勘”と呼ぶ。

 

 

「『どこ』とは、一体どちら様についてのことでしょうか?」

 

 そう、淀みなくとぼけるモミジに対して、ラファエラは細く白い首をわずかに──本当に少しだけ──傾けて、今度は間を置かずに、ほとんど抑揚のない声で問いを発した。

 

 

()()()、“【灰刃】レオンハルト”はどこ?」

 

 

 




よく訓練されたコミュ障は、自分の考えや言いたいことの重要なところを飲んでしまって、どうでもいいところだけ抽出して話してしまうんです。
結果、何が言いたいのか分からないと人に思われてしまう。
ソースはY。

我らの団の皆さんの名前、『事前に調べ上げてある』受付嬢さんの有能さアピールのために勝手に決めちゃいました。公式設定見つかんなかった…………。


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足跡をなぞらえて

 

 

 

 目隠しをしたまま太刀“骨刀”を持って佇む少女の周りを、ギャアギャアと鳴き交わすマッカォたちが、好機とばかりに囲んでいく。

 

 彼女の持つ太刀の先は若干震えてはいたけれど、その構えを見るに、五日間の間でみっちり教え込んだ武器の扱いを身体が覚えているようだった。

 

 危なくなったらアイマスクを取るように指示しているし、問題はないだろう。

 レオンハルトは訓練が安全なものであるとしっかり判断した上で、大きな岩の上から辺りを見回した。

 

 四頭のマッカォの群れは、大型モンスターとの狩猟において障害となるだろう、いわゆる『雑魚モンスターの処理』を覚えるのにちょうど良かった。

 

 危険な大型モンスターたちと対峙するにあたっては、彼らから視線を外すことは自殺行為そのものだ。

 自然界は、獲物の晒す隙や、ライバルの見せる油断を見逃すようにはできていない。

 

 いざとなったら気配を頼りに攻撃を避ければいいのだろうが、正確なカウンターや的確な攻撃を仕掛けない限りは、ポテンシャルで劣る人間に勝ち目はない。

 モンスターに限らず、命ある者は皆、刃で斬られればいつかは倒れる。

 つまり、攻撃を受けなければ彼らを倒すことなど出来るわけがないのだ。

 

 大型モンスターを前にすると、リノプロスやマッカォを代表とする小型モンスターたちのことは、どうしても意識の外に追いやってしまいがちになる。

 しかし、一瞬の攻防が互いの生死を決定付ける過酷な狩り場においては、彼ら小型モンスター自身の生存競争行動が、致命的な結果を招くこともあり得るのだ。

 

 小型モンスター、討伐対象外モンスターを舐めてはいけない。

 ずっとソロで狩りをしてきたからこそ言える、絶対の掟だ。

 

 かといって、彼らに気を取られすぎては全くの本末転倒になる。

 

 だから、小型モンスターたちには視線を与えず、その気配だけを頼りにノータイムで殺せるようになる必要があるのだ。

 

 

「うーむ、我ながら完璧な育成計画だな」

 

 幸い、ザブトンが仲介役として持ってきたギルドからのクエストは一通り消化し終えている。

 今日は、ナッシェの鍛錬を全力でサポートしよう。

 

 “アスリスタシリーズ”と呼ばれる蒼銀の防具に身を包むレオンハルトは、頭防具を被った。

 顔全体を覆う青と黒の覆面が、古代林の緑の中へと溶け込んでいく。

 

 長く鋭い槍の形状を持つ、銀色のガンランス──“ガンチャリオット”が日の光を反射して、血に飢えた獣のように砲身をギラリと輝かせる。

 

 シダの葉の下、腰を低くして足を忍ばせながら、遠くから近付いてくるドスマッカォの頭上へと狙いを定めた。

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 暗い。

 

 何も見えない。

 

 光のない場所は、怖かった。

 嗅いだことのないニオイや、聞いたことのない音が聞こえてきて、それが堪らなく怖かった。

 

 自分の服や汗のにおいが不気味だった。

 ドクドクと音がする耳が気持ち悪かった。

 でも、いくら手を伸ばしたって、暗い世界は変わらない、閉じこめられたまま変わらない。

 

 私はただ、“フルーミット”を驚かせようとしただけなのに。

 

 かくれんぼして、フルーミットはおバカだからきっと慌てて、そんなあの子に後ろから抱きついて驚かせよう─────。

 

 こんなこと、しなければよかった。

 誰かの後ろを歩いていないと、私はすぐに失敗してしまうのだから。

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 カタカタと震える腕は、繰り返し続けた太刀の構え方をしっかり覚えていた。

 どうすれば重い武器を振り回せるのか、重心の使い方や力の入れ方、武器の握り方まで、レオンハルトの全てを踏襲して、たまに入る彼のアドバイスを元に、ナッシェ自身の“太刀”を覚えたのだ。

 

 大丈夫、私はだいじょうぶ、わたし、こわくない。

 暗闇の中で幻視出来るくらいに身体が覚えた“骨刀”にしがみついて、ナッシェはブルブルと震え続けていた。

 

「ギャアッ、ギャアッ!」

 

「ひっ…………」

 

 聞き慣れていたはずのマッカォの鳴き声が、突然悪魔の囁きの如く恐ろしいものに感じられた。

 

 そんな危ないものは手放して、こちらへおいでよ。

 

 四方八方から聞こえてくるその声に、ナッシェはあちこちに身体を向けなおしながら、いつ襲いかかってくるとも分からないマッカォに恐怖する。

 

 風の音が聞こえる、木々の枝葉が揺れる音が聞こえる、地面のカビ臭いニオイが分かる、マッカォたちの獣臭さが分かる、鉄臭い血のニオイが分かる。

 でも、何も見えない。

 

 月のない晩だって、こんなに見えないことはなかった。

 見える相手に、見える軌跡を重ね合わせて、そのままあの美しい弧を追いかけるだけ。

 今は、何も見えない。

 

 こんなのは一秒だって耐えられなかった。

 

 ナッシェは、そばから見守ってくれているというレオンハルトの言葉を信じていた。

 

 だいじょうぶ、だめになったら、先生がたすけてくれるから。

 

 呼吸を落ち着けようとして、ふと意識の端に、飛びかかってくる“もや”を()た。

 

「っ!?」

 

 どうしよう、きたんだ、きっく?かみつき?跳んでるの?はしってきてるの?なにをされる?なにをされる?

 

 いやだ、死んじゃう。

 

 アイマスク、さっさと取ってしまえば良かった。

 

 永遠にも感じられるような一瞬の中で、ナッシェは真っ暗な自分の心の中に、アイマスクを取りたがらなかった自分を見つけた。

 

 何も見ていないはずなのに、全てが見えているかのようにマッカォの群れを殲滅していくハンターの勇姿。

 降り注ぐ血と臓物の雨の中、必殺の刃を振り続けるあの人のような、圧倒的な英雄の偶像に、どうしようもない憧憬を覚えていた。

 

 

 もしかしたら、自分もあの場所にいけるかもしれないと、そんな欲が出てしまったのかもしれない。

 

 もう、どうにもでもなれ。びば、人生。

 

 目を閉じても変わらない暗闇の中で、太刀を振るう英雄(ヒーロー)の動きをなぞるように、自分の身体を動かした。

 

 太刀を縦にして、襲ってくる衝撃を後ろに流し、反動をそのままにカウンターの一撃。

 

 

 

「────ギッッ」

 

 肉を断つズブリとした感触が手に伝わってきて、あとは目の前のお手本通りに身を引くだけだった。

 

 跳びかかりの勢いのまま、ドシャリとマッカォの身体が地面に落ちたのを感じる。

 

 やった…………?

 

 “もや”のようなものが消える。

 代わりに、はっきりとした白い何かが、真っ暗闇の中に三つ現れた。

 

 その中を、誰よりも速く縦横無尽に動き回る憧憬の背中を、ナッシェは夢中になって追いかけた。

 

 正確な突きで腹部を切り裂き、斬り払いで一匹を掠めて牽制しながら、後ろへと振り抜き、頭を飛ばす。

 動揺する足音の主へと方向を転換して、押し切るようにもう一頭。

 

 

 気づけば、古代林に吹き渡る風の音だけが聞こえてきた。

 

 その風に乗って、遠くからヒタヒタと走ってくる獣の気配が流れてきた。

 一、二、三…………五頭。

 風の髪を弄るに任せ、神経を集中して心を落ち着かせる。

 

 大丈夫、私なら出来る。

 

 今の太刀筋は、これ以上ないほど完璧だった。

 すなわち、たった今、あの刃の軌跡に最も近い場所に立っていたのだ。

 

 心が(おど)った。

 

 あの人の隣に、自分がいる。

 

 「いけるか?」と背中合わせに聞いてくる英雄の声に、

 

「うんっ!」

 

 と答えて、ナッシェは前方へと走り出した。

 

 もう止まることは出来ない。

 塔の上で救済を待つ“囚われお姫様”の夢より、英雄の隣に立てる夢を見る方が、ナッシェは好きだった。

 

 誰が何と言おうと、レオンハルトというハンターは、ナッシェにとって最高の英雄だった。

 

 雷雨の中で壊れた暴食を叫ぶイビルジョーを、完膚無きまでに叩き潰したその背は、すぐ目の前に立っている。

 

 目の前ではダメなのだ。

 その隣に、私は立ちたい。

 

 

 

 存分に教え込まれた太刀の振り方を遺憾なく発揮する。

 

 飛びかかってくるマッカォを飛び込みながら避けて、すぐさま方向転換、“ブーンてなって、バーンみたいな”気刃斬りの一文字斬りを繰り出し、後ろに回り込んだ()()()マッカォを巻き込みながら、目の前のマッカォへと縦に振り下ろす気刃無双斬り。

 残り二匹。

 

 逃げ腰になった肉食モンスター。

 (のが)さない。

 

 “ブゥゥゥン”と気を溜めながらバックステップ。

 全力の踏み切りで前に跳び、回転斬りを二連続で叩き込んだ。

 

 緑色の胴体と泣き別れするマッカォの頭を、暗闇の中から見る。

 

 心臓の高鳴りが、今は心地良い。

 きっと、足りていなかったのはこれだったんだと、ナッシェは陶酔の思いで悟った。

 血沸き肉躍るような、真っ赤で熾烈な闘争の中、レオンハルトの剣を作るモノの一端にナッシェは手を伸ばして────。

 

 

 違和感に気づいた。

 それは、視界に頼っていた常ならば分からなかっただろう、ほんの小さな違和感。

 

 どこがおかしいんだろう。

 手?耳?鼻?────足?

 

 ()()に気が付いたとき、ナッシェの頭はフリーズした。

 

 こちらへと近付いてくる()()()

 

 理解の埒外を突き進んでくるそれは、ここ最近で最も自分に向けられた意志──明確な殺意をもってナッシェへと接近していた。

 

 それはまるで、大地そのものが彼女へと牙を剥いているかのような、恐ろしい感覚だった。

 お前は、足を踏み入れてはいけない場所に来てしまったのだと、大いなる何者かが怒号を上げて迫り来る。

 

 ガクガクと揺れる身体は、地面の動きによるものだった。

 恐怖からくるものではないことにひとまず安心する。

 

 全身から余計な力が抜けて、とりあえず太刀を構えた。

 それは、ナッシェにとって全く自然な行動になっていた。

 真っ白になる頭の中に、得体の知れない感情がわき上がってくる。

 

 

 そうして、アイマスクをつけたまま血の海の上に立つ少女は、真下から飛び出してきたブラキディオスの爆砕拳に、小さなお腹を防具ごと殴り上げられた。

 

 

 

 



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エピローグ

 

 身体を突き抜けた衝撃と唐突な浮遊感は、ナッシェがそれを理解するよりも早く彼女の身体を傷つけた。

 

 強制的に止められた呼吸は、地面に叩きつけられてからも再開できず、わけの分からない閉塞感だけが少女の感じる全てであった。

 

「かっ…………ぁ?」

 

 見えていないのに明滅する視界。

 何が起きたんだろう。

 よく分からないけど、全身が熱い。

 

 おなか、いたい。

 

「う、ぁ」

 

 チカチカと光る脳裏に、レオンハルトの振るった狩猟笛(どんき)によって腹部を割り砕かれたイビルジョーの無惨な死体が浮かんだ。

 

 直感的に、お腹に強烈な攻撃を受けたんだと悟る。

 ジャギィシリーズの防具では受け止めきれないような、そんな一撃だったはず。

 同時に、得体の知れない何かによって殺されるのだと思った。 

 それはまさに、不気味なもの(モンスター)の影であった。

 

 漠然としていた死の影が少女の身体を包み込む。

 だけれど、これはしょうがないことだろう。

 自分が今まで斬り殺してきたマッカォの数を数える。

 

 強くなるために、自分の幼い夢のために、たくさんの生き物をおびき寄せて殺した。

 この世界は、殺し合いの原理が働くところなのだ。

 所詮箱入りだった自分には、()の残した鮮烈な幻影を追うことなど無理な話だったと言うだけ。

 格が違う。世界が違う。

 

 一瞬でも、あの偶像の隣に並んだような幻想を抱いた自分が愚かしく思える。

 あの時感じた違和感をキチンと受け止めて、アイマスクを外して逃げれば良かったのだ。

 

 私も、あの人みたいに。

 

 そんな夢を持ってしまったのが、いけなかったのだ。

 

 

 急に、喉元に異物感がせり上がってきた。

 軋む身体を起こしたナッシェは、慌てて口元に手を当てたが、

 

「こぷっ」

 

 奇妙な音がして、たくさんの生暖かい液体が口から漏れ出てきた。

 

 体内からごっそりと大切なものが抜けていく。

 ふわふわとしていた死の感覚が、少女の胸を鷲掴みにした。

 

 ああ、本当にここまでなんだ。

 

 穏やかに笑う父の顔が思い出される。

 日だまりの中でのんびりと紅茶を飲む母の横顔、楽しそうに劇を観る兄の後ろ姿、変なことばかり言い続ける姉の退屈そうな歩み、大好きだったメイドの困ったような笑顔。

 貼り付けた笑みを片時も崩さない受付嬢、男の人の家に入り浸っている踊り子みたいなハンター。

 私の王子様の、大きくてかっこいい背中。

 

 結局、後ろ姿だけしか見れなかったなぁ。

 

 

 暖かくて幸せな家庭に生まれて、何一つ不自由なく暮らして、物語を求めて家を飛び出して、寒い夜空の下で泣いて、美味しい卵料理を作ってくれたお姉さんに助けてもらって、卵欲しさに狩り場に足を踏み入れて、あっさり捕まって、私史上最悪のばっちぃ思い出を手に入れて。

 「ハンターになるんだったら」と護衛クエストを斡旋してもらって、いるはずのないイビルジョーに遭って、王子様に助けてもらって。

 

 なかなか、悪くない人生だったんじゃないでしょうか。

 刺激的で、物語みたいで、結局人間は死ぬわけで、それがちょっぴり早くなっちゃっただけで、こうして振り返ってみると、

 

 

 

 

「…………いやだ」

 

 

 口の端から血を流す少女は、アイマスクをしたまま、地面に這いつくばりながら、土を掴んで逃げようとした。

 何から?どこへ?

 無駄なあがきだと分かっていた。

 どうせ死にそうだと、そんなことは分かっていた。

 

 劇的な展開は物語の主人公にしか許されていなくて、「現実は物語じゃない」確かにその通りで、事実私は死ぬわけで。

 

 それでも、こんなのってあんまりだ。

 

「死にたくない、よぉ…………」

 

 ジャリジャリという音。

 音の蘇った耳をつんざくような雄叫び。

 

「ガァァアアアアアッッ!!」

 

「ひっ…………」

 

 見えない恐怖を拭いたくて、ナッシェは目を覆っていたアイマスクを取り払う。

 

 まず、赤い血だまりが見えた。

 

 次に、それが自分の身体から流れ出て出来ていると知った。

 キリキリと鋭い痛みを発しているお腹は、相当ひどい傷になっているのだろう。

 

 それから、咆哮を上げていたモンスターのいる方向へと目を向けた。

 

 群青色の体躯を見せつけるそのモンスターは、血に飢えた赤い瞳を爛々と輝かせてナッシェを睨みつけてきた。

 突き出した頭と異形の腕には、黄土色とも緑色ともつかないコケのようなものが付着している。

 

 “砕竜”ブラキディオスの太ももが縮められる。

 跳びかかりだ。

 さっきまで見ていたマッカォの動きと全く同じ彼の行動に、ナッシェは歯を食いしばりながら、涙を流して見つめていた。

 

 視線がかち合う。

 このモンスターが、自分を殺すのだ。

 

 自分を殺す者から、目を離したくなかった。

 このブラキディオスから視線を反らしたら、自分の中にある大切な何かが失われてしまう気がしたのだ。

 

 命が失われる直前に何を言っているのだと、わずかに残った理性が呆れ顔で指摘する。

 なりふり構わずに逃げろと本能が警鐘を鳴らす。

 命より大切なものなど、あるはずがないのだと。

 

 それでもナッシェは、怒れるブラキディオスとじっと見つめ合った。

 

 それは、つかの間の時のことであったが、少女は確かに、死の間際で本当に欲しかったものを手に入れたのだと思えた。

 

 ドンッッ!

 

 巨大が地を蹴り、一瞬で宙へと躍り上がった。

 太陽を背に、圧迫感のある死の影が降りてくる。

 

 ナッシェの視線は変わらない。

 その碧眼は、美しい人魚の浮かべる涙と、獣のような激しい闘争心とが混ざって、片時もブラキディオスのゴツゴツとした身体を睨み続けた。

 死ぬ寸前まで目を離さない。ずっと見続けてやる。

 

 真っ直ぐに少女へと飛びかかってくるブラキディオスは、勇ましく吠え猛りながら、死神の如き右拳を限界まで振り上げ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ナッシェの背後から()()()()ガンランスが、ガバッと開けられていた口腔内へと勢い良く突き刺さった。

 一瞬遅れて、ガンランスが白い閃光を放って爆発した。

 

 遠隔起動式竜撃砲、炸裂。

 

 

「……………………ぇ」

 

 

 口から煙を吹き上げながら、勢いよく頭上をすっ飛んでいくブラキディオスの巨躯を、呆然と見送るナッシェの耳に、聞き慣れた足音が近づいてきた。

 

「ナッシェ!!」

 

 振り返るとそこには、頭防具を外して青ざめた表情のレオンハルトが。

 

「ぇ、せ、先生?」

 

 自分が助かったという事実が理解できず、半ば夢見心地で言葉が漏れた。

 

「ああそうだ、レオンハルト先生だ。…………すまなかった」

 

 駆け寄ってくるレオンハルトの姿に、まだ現実感が湧かない。

 

「大丈夫、じゃねぇよな。ほら、秘薬だ。飲め」

 

 そう言って、懐から取り出した茶色い丸薬を二粒、ナッシェの赤く濡れた唇を指で割って突っ込み、舌を引っ張りながら顎を上げて、血液と共に無理やり飲み込ませた。

 

「んむっ!?」

 

 ズボッと指を突っ込まれたことに目を見開いていた少女は、舌先にに当たる彼の手の感触が現実だと悟る。

 ほんわりと心に暖かな熱が灯った。

 ちゅぷっという音を立ててレオンハルトの手が引き抜かれ、朱の混じった唾液がつつと糸を引いた。

 

 されるがままに嚥下したものが秘薬だという認識を持ったのは、あまりの痛みで麻痺していた全身が急速に感覚を取り戻して、同時に身に覚えのある薬効が回り始めたのを感じてからだった。

 

「とりあえずの応急処置だ。立て」

 

 レオンハルトに肩を抱えられて、覚束ない足で立った。

 反射的にガッツポーズを取るナッシェ。

 秘薬の牙が身体からすうっと抜けていく。

 

 身体の芯にまで擦り込まれたガッツポーズの動作は、副作用に犯される寸前の強烈な痛みと吐き気とに調教された結果のものだった。

 人、それを“パブロフの犬”と言う。

 

 ズキンッ!

 

 秘薬によって回復したはずのナッシェを襲ったのは、強烈な腹部の痛みだった。

 痛いところにそっと手を当てると、べっとりと温かい血に濡れた防具の感触が。

 

 刺さっている。

 なんとなくそう感じて、ナッシェはビクッと手を引っ込めた。

 頭がぼうっとする。

 

 突然視界が暗くなり、力の抜けた身体がぐらりと傾いて、慌てたレオンハルトに支えられながら地面に座り込んだ。

 

 あれ、やっぱり、死んじゃう感じ?

 そんな思いをぼんやりと抱きながら、ナッシェはそっと彼の顔を見た。

 

「……どうしてブラキディオスが古代林にいるんだ、聞いてないぞ、クエストも来ていない、お呼びじゃねぇんだよ、ふざけんなよ…………」

 

 そこには見たこともない表情をしたハンターがいて、なんとなく、身体が熱くなったような、そんな心地になった。

 

「…………しばらく横になっていてくれ。腹の傷が酷い。秘薬じゃ治らない。後で俺が看る。……俺は、先にやらなきゃいけないことがあるから。ほんと、すぐに終わらせてくるから」

 

 途切れ途切れになる意識の中で、一瞬、優しさに溢れた目と視線があった。

 

「ガア゛ア゛ア゛ァッ!!」

 

 ブラキディオスの、しゃがれて耳障りな咆哮が響く。

 だけど、そんなことはどうでも良かった。

 

 

「…………うるせえなぁ」

 

 ナッシェの視界には、()()()()()()ブラキディオスなど入る余地がない。

 

 

「俺、今、過去最ッ高に怒ってるんだよね」

 

 

 爛々と輝く真紅色の瞳、血に飢えて剥き出しになった犬歯、獲物(てき)を睨みつけて獰猛に笑う横顔。

 

 もはや、一片の悔いもなかった。

 

 

 ああ、私の王子様。

 

 ヒロインの窮地に颯爽と現れて、圧倒的な力で敵をなぎ払い、お姫様()を助けてくれる王子様。

 

 夢見るハンターの少女は、お腹からドクドクと血を流しながら、全く幸せな気持ちで眠りについた。

 

 

 



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Ⅷ 前兆
プロローグ


ヤンデレの新境地開拓を頑張りました。




「――【灰刃】、ですって?」

 

 言ってしまってから、自分の声に含まれていた霜があまりに冷たすぎることに気が付いた。

 ハンターにはいつも笑顔で接しなければいけない受付嬢として、これはあるまじき失態だ。

 

 だけれど、これは聞き逃せない。

 

 コクリと頷いた“白雪姫”に、モミジは声の温度を上げることなく問い詰める。

 もはや相手がG級であるだとか、そんな些末事に気を配っている余裕はない。

 

「“当院所属の”レオンハルト・リュンリー氏は、HR7のハンターです。龍歴院のギルド統括代理である私は、彼のG級許可証を発行しておりません。どうして彼に称号(ふたつな)が当てられているのですか?」

 

 普段から顔に張り付けている営業スマイルも今は引っ込められ、代わりに浮かぶ無表情の奥には、確かな怒りの火が灯っていた。

 

 そんな受付嬢の憤激に、“【白姫】ラファエラ”はなんという感動もなく、ただ短く、

 

「……ハルは、“いしんでんしん”だから」

 

 と、謎の言葉を放った。

 

「…………は?」

 

 その短いフレーズの中に不穏な響きを感じ取り、思考が急加速した。

 

 閉じこめていた心の奥から、変に熱いものがこぼれだしてきた。

 

 いしんでんしんって、“以心伝心”のことよね。

 意味は?さあ暗誦して。

 以心伝心。言葉に頼らず、互いの心から心に意思や感情を伝えること。また、言語による説明がつかないような、深遠の事柄や意図の微妙な稜線を、相手の心に直接伝えてわからせること。ハンターズギルド発行『広毘苑(こうびえん)』より。

 

 彼女は『ハルは以心伝心』だと言った。

 

 ハルとは?前後の文脈関係から言って『レオンハルト・リュンリー』のことを指しているのだろう。

 つまり、レオンハルトとは以心伝心だから言葉を尽くさなくてもお互いの気持ちを伝え合えると。

 なるほど。

 ラファエラとレオンハルトは、いやレオンさんは、そんな風に互いのことを愛称で呼ぶような仲ではなかったはず、というか、その『自分だけしか使っていないニックネームなのよ』アピールはいったいどういう了見なのかしら、私の許可も得ずにそんな男女の深い仲に至っているなんておかしいわ、あの人は――。

 

 レオンさんとあんたが以心伝心なワケないでしょう!?

 

 マタタビに飛びついたアイルーがラリるよりも早く脳内討議で結論を出し終えたモミジ・シャウラは、目の前で微かに――本当に微かに――ドヤ顔をしているラファエラへと、その事実を叩きつけてやろうと決意した。

 

 レオンさんと私の間に、貴方の入る余地はありません。

 

「いやぁ、アハハハハハッ!」

 

 そんなモミジの狂乱が炸裂する寸前、二人の間に一人の人影が笑いながら割り込んだ。

 

「お二人とも、再会を喜び合っていただいてるトコ申し訳ないッスけど、とりあえずはその辺にってことで!」

 

 ギルドから【蒼影】の称号を受けたG級ハンター、アーサー・クラットマンである。

 日の光を受けてオレンジ色に輝く短髪をポリポリかきながら、

 

「荷物の確認とか今後の予定とか、()()話さなきゃいけないこととかもあるッス! ね?」

 

 ニコニコと笑う彼の笑顔を、氷点下の瞳でじっと見つめていたモミジであったが、ようやくいつものペースを取り戻した。

 

「ええ、そうですね」

 

 “同僚”にいつもの営業スマイルで頷いてから、【我らの団】の気球船へと歩み寄っていく。

 

 いけない、少々取り乱してしまった。

 少し落ち着こうと、モミジは静かに息を吐いた。

 

 大丈夫、私が抱いている気持ちに間違いはない。

 エゴでも、計算尽でも、何でも良い。

 今度こそ、逃げたことへの後悔はしたくない。

 

 正念場はここからだ。

 

 

 

 

 

「時にモミジさん」

 

 龍歴院の建物内にある小会議室の一つに、ピエロ化粧を顔に施した【蒼影】のアーサーと、龍歴院受付嬢のモミジが、机越しに向かい合って座っていた。

 

「“卵シンジケート”ってグループに、聞き覚えはないッスか?」

 

 彼の問いかけに、受付嬢は営業スマイル全開の表情で、

 

「卵シンジゲート、ですか? ……うーん、私は()()()()()()()ね。……ギルドの方で、何か問題でも?」

 

「いやぁ、それが、ギルドの組織内に潜伏している構成員がかなりの数見つかったんッス」

 

「まあ」

 

「なんでも、卵、特にモンスターの卵を至高のものとして信奉している犯罪集団紛いのヤツららしいッス。今回の発覚もどうやら氷山の一角のようだと、エイドスさんが()()に通達を出してきたッス。…………ほんとに聞いたことないッスか?」

 

「ええ、ごめんなさい。私の方でも調べてみるわ」

 

 モミジの言葉に「秘密裏にお願いするッス」と笑い返すアーサー。

 

「……それで?」

 

「『それで?』って何ッスか、モミジさん」

 

 人懐こそうな笑みを浮かべて、アーサーが身を乗り出す。

 

「分かっているんでしょう?」

 

 冷ややかな視線をぶつけるモミジには、常の接客業務における愛想が完全に欠けていた。

 

「彼の……レオンハルト氏の称号のことよ。どういう了見なのって聞いてるの。

 【灰刃】なんて名前、私は聞いていないわ。そもそも、彼はG級に昇格してすらいない。私が認めていないんだもの。どうせ、ギルドの長老衆かG級会議で勝手に決めた名前でしょう?」

 

「いやぁ、今回お話に参ったのは、ズバリそのことについてなんッス」

 

 我が意を得たりとばかりに語尾を弾ませるアーサーに、モミジはふんと冷笑を浮かべて、

 

「G級許可証を書くつもりはありません」

 

「まだ何も言ってないのに……にべもないッスねぇ。ちなみに、理由をお聞きしても?」

 

「ハンターを観ることが専門の受付嬢としての判断よ。彼はG級に上がるにはまだ早いわ」

 

「それ、本気で言ってるッスか?」

 

 今度は、アーサーが表情を消した。

 冷たく熱せられた視線がぶつかり合う。

 

「アイツにG級ハンターたる実力が足りないと?」

 

 その問いに、モミジは少し言いよどんでから、

 

「……ええ、そうよ」

 

 しばらく見つめ合う二人。

 

「…………ハハッ。アンタも目が曇ったッスね。一体何に曇らされたのか」

 

 噴き出したアーサーは、椅子に腰を落ち着けた。

 

「相変わらず失礼ね。それに、昔よりずっと不躾で嫌な奴になったわ。筆頭ルーキーの看板を背負っていたとは思えないくらいに爽やかさがない」

 

「それは申し訳ないッス。自分でもかなり擦れちった自覚があるッス」

 

 頭をポリポリとかく彼は、ニヤニヤとした笑いのままで、軽口を叩いて油断したモミジに言葉を投げかけた。

 

「でも、ハンターの実力評価に自分の都合を混ぜちゃダメッスよ?」

 

 遠回しなその物言いに、ドキリと心臓が跳ねた。

 大丈夫、ボロはでていないはず。

 表情筋を平常に意識して、言葉を返す。

 

「何のこと?」

 

「レオンハルトの実力が足りていないなんて、そんな事を本気で考えているようなアンタじゃないはずだ。そんな受付嬢は普通に外される。そして、その程度の目しか持っていないその他大勢は、龍歴院の統括受付嬢になんてなれるわけがない」

 

「……それは、脅しかしら」

 

 声を押し殺して問いかけるモミジに、アーサーはにへらと笑って、

 

「そんなんじゃないッスよ。……ただ、これだけは伝えておくッス。上は、レオンハルト・リュンリーのG級昇格を期待してるッス。今のメンバーでは()()()()()()

 

「……それは――」

 

「もちろん」

 

 何か言おうとしたモミジの言葉を遮って、アーサーは続ける。

 その口調には、いくらか底の知れない感情が宿っているのを、モミジははっきりと感じていた。

 

「アイツには、それ相応に厳しいクエストが割り振られる可能性もあるッス。言葉を選ばずに言えば、死ぬ危険だって勿論高い。

 けど、アンタも()()()()()はずだ。アイツの実力は、すでにG級の域、いや、それ以上の所にある」

 

 身を乗り出したアーサーのオレンジ色の短髪に、白髪が数本混じっているのを見て、モミジは口を噤んだ。

 

「アイツはバケモノだ。“白雪姫”と同じ場所にいて、俺たちにも分かるくらいに、ラファエラたんよりバケモノだ」

 

「…………」

 

「今年の更新された『格付けランキング』、見ただろ?ラファエラたんが一位と僅差の二位で、レオンハルトが()()なんだよ。G級のクエストを受注していない奴が、どうしてG級のハンターを六人も押し退けてランキング入りしてるんだって話だ」

 

「…………」

 

 なおも押し黙るモミジに、アーサーは構わず言葉を紡いだ。

 

「昔から、アイツはどこか外れていた。今でこそこうして数字に出ているけど、狂っているとしか思えなかったくらいだ。俺たちの世代の中じゃ、ラファエラたんを一等、次点で俺、その後にレオンハルトを持ってくる奴もいるけど、それは違う。

 二つ名ディノバルドと獰猛化イビルジョーを連日で狩る奴なんて、どう考えたってキチガイだ、脳味噌が沸いてる。あのラファエラたんだってそんなことはしない。

 ……あの出撃を許したのも、いや、あれをやらせたのもアンタだろ?」

 

「……成功すると、分かっていましたから。受注を許可しました」

 

「そうだろうな。アイツにはそれが出来る」

 

 彼女の簡潔で完璧な自白を、アーサーは何と言うこともなく受け入れた。

 

「あの“【剛槍】ヒヒガネ”が、ラファエラたんに抜かれるのも時間の問題だってそう言うんだよ。俺たちの二個上世代でダントツのバケモノだったあの人が、狩りの累計で迫られている。そんなあの人も、ラファエラたんへの指導そっちのけで、レオンハルトのことを熱心にG級へ引き入れたがっている」

 

「……そうですか」

 

「ヒヒガネさんだけじゃない。【暴嵐】のゲンさんも、アイツのイビルジョー討伐数を評価してるし、男に全く興味を示さない【眈謀】の桜花(オウカ)ちゃんまで、レオンハルトについての会議で口を開いたんだ。

 G級会議では、賛成五、反対〇、棄権六でレオンハルトのG級昇格が既に承認されてる」

 

 半分以上が棄権してるんですけれども、とモミジは心の中で思ったが、G級会議ではよくあることなので気にしてはいけない。

 少なくとも、それが上の総意だと言うことだ。

 

 アーサーは席を立ち上がって、カツカツと小会議室の中を歩きながら、核心を突く問いを発した。

 

「なぁ、どうしてアイツをG級に昇格させない?」

 

 




筆頭さんたちについては、ゲームでの扱いがあんまりに酷かったので多少の上方修正あり。


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執着

「…………」

 

「だんまりかよ。じゃあ、俺の得意な勘で勝負しようかな。師匠にも認められてる勘だ、きっと答えを当ててみせよう」

 

 彼は、机に手を突いて、

 

「手元に置いておきたいのか?」

 

 そう切り出した。

 

「……それに私が答える義務は?」

 

「義務はないッスよ。これは()()()()()()()()で、仕事も関係なしッス」

 

 アーサーは、ひょうきんな顔のまま続けた。

 

「アイツは昔から、ずっと遠くにいる奴だった。手綱を操っていないと、すぐにどこかへ飛んで行っちまいそうだったもんな。正解?」

 

「さて、どうでしょう」

 

 モミジはいつも通りの微笑を浮かべて応じる。

 

「うーん、良い線行ってると思ったんだけどなぁ。それじゃあ……あ、他の女の子のところに行ってしまわないようにしたかったとか! アイツ、女性耐性低そうだからなぁ」

 

「それはどうかしら」

 

「あ、酒飲んだら違うかもな。アイツは微妙に絡み酒だし、酔うと口数多くなるし」

 

 ウンウンと唸るアーサーは、あっとわざとらしく声を上げて、

 

「今、アイツ古代林にいるんだっけ」

 

「ええ、そうよ」

 

「弟子をとらせたって?」

 

「ええ。彼の成長を促すためにも、頃合いだと思って」

 

「一ヶ月も狩り場の専属契約」

 

「ええ。拠点復興のためもあったから」

 

「偶然?」

 

「ええ」

 

「本当に?」

 

「……何が言いたいのかしら」

 

 目を細めて笑う受付嬢に、アーサーは不思議そうな顔をして、

 

「いやね、どうして、“【白姫】ラファエラ”の到着を待たなかったのかなぁって思って」

 

 会議室に、一瞬の静寂が降りた。

 

「狩り場を設定するときは、大抵ギルドがG級を派遣するじゃん。G級の彼女に応援を頼むのが普通だと思うんだけど」

 

「今回の件における適任者は、古代林のことを熟知しているハンターでしょう。今はまだ、古代林は龍歴院の管轄下にありますから、彼女は古代林での狩りになれていない」

 

 間髪入れずモミジが反論するが、

 

「じゃあ、弟子を連れて行くことを許可したのはどうして?」

 

「……それは」

 

「わざわざ環境の不安定な狩り場に行くんだ、でも足手まといになる可能性のある新米を連れて行っても大丈夫だと貴方は判断した。つまり、慣れ不慣れはあんまり関係なくて、今の古代林も環境が比較的安定してるっていう理解があったんじゃない?」

 

「……彼ならばという信頼の上です」

 

「あのさぁ」

 

 アーサーは腰掛けるモミジのすぐ横に立って言葉を続けた。

 

「それは、万全を期した上でG級を送る必要性を感じていないってことじゃん。それ、レオンハルトがG級の、しかも並みのG級ではないくらいの実力を持ってるって考えてるのと同じだよな?」

 

「…………」

 

「……もしかして、ラファエラたんとレオンハルトを会わせたくないとか?」

 

「彼女は関係ないでしょう」

 

 モミジの怜悧な視線がアーサーを射抜くが、男はどこ吹く風というようにひょうきんな笑みを止めない。

 

「うーん、やっぱり()()()()()()なの?」

 

 「恋は勝負(かけひき)ってか」と小さく呟いて、アーサーは窓の外へと目をやった。

 

「受付嬢はハンターの実力を判断するプロだから、アンタがレオンハルトをG級に昇格させないと言うなら、俺はそれに従う他ないわけで。……でも、分かってるよね?」

 

 アーサーは、青空の下に広がる牧歌的な風景に目を細めながら、こっそりと呟いた。

 

()()()は、身内以外と勝手に深い仲になっちゃダメだぜ?」

 

 その言葉に、モミジは眉一つ動かさずに、

 

「…………分かっています」

 

「ん? ……あ、あー!」

 

 アーサーは突然、大きな声を出すと、モミジの背中に向けて、

 

「もしかして、それ狙い? たとえ上級のままでも、実力が伴っていればいいんだ。G級レベルのハンターなら、ギルドも引き止めたがるはずだよな。搦め手を使ってでも」

 

 ニヤニヤと笑うアーサーの発想に、モミジはようやく苛立ちの籠もった表情を向けて、

 

「貴方、本当に擦れたわね」

 

「褒め言葉として受け取っておくよ。それで?」

 

「貴方の憶測を仮に採用するとしたら、私が彼をG級に昇格させない理由にはならないわ。お話はそれだけ? ならもう良いでしょう、私にも仕事があるの」

 

 すっと席から立ち上がり、スタスタと歩き出したモミジの横に慌てて並んで、アーサーは媚びを売るような笑みで話した。

 

「ご、ごめんね? 絶対怒ったよね?」

 

「…………」

 

「煽るようなことを言って、本当に申し訳なかった。

 でも、上は本当に彼を必要としているんだ。アンタを煽ったのも、俺が色々急かされているからなんだよ。なぁ、ゴメンって。俺もさ、人の気持ちのどうしようもないことは分かってるつもりだから。俺に出来ることなら協力するから!」

 

「…………彼は」

 

 会議室の扉の前で止まったモミジは、追随して足を止めたアーサーへと振り返って言った。

 

「G級は格別に危険だから、昇格させたくない。例え彼でも、死ぬかもしれないから。それだけです」

 

 ぽかんとした表情を浮かべたアーサーにニコリと微笑んでから、モミジはガチャリと扉に掛けていた鍵を開けた。

 

「…………師匠は」

 

 そんな彼女に、アーサーはポツリと呟いた。

 

「仲間だった筆頭ガンナー(あねさん)と結婚して、一緒にG級を辞めた。ギルドが定めた『上位ハンターの弟子を五人育成する』って規定を満たしていたからだった。俺で五人目だったんだ。今も、あの人たちは弟子をとって生計を立ててる。ハンターを辞めたのは、姐さんの意向だった」

 

 どこか伺えぬ感情に押されるようにして、アーサーは文脈の繋がらない言葉を続ける。

 そこには、彼自身の複雑に絡み合った心情が混じっているようだった。

 

「…………アンタは、そのために弟子をとらせたのか?」

 

 憤りとも、悲しみともつかないそんな彼の言葉に、モミジはちらりと流し目を送ってふわりと微笑み、

 

「……情で押そうとしているのですか? 残念ながら、私の決心はその程度では動じませんよ?」

 

 

 

 

 

 

 会議室にポツンと残ったアーサーは、椅子に座ったまま、しばらく考え込んでいた。

 

「……うまくいくわけないだろ、そんなの」

 

 何だかんだで詰めが甘いと師匠に何度も言われてきた通り、自分はやっぱり甘いハンターだったようだ。

 私情は切り捨てることこそ、()()()()()()が任務を遂行する極意だ。

 これ以上は流されちゃいけない、ただの昔馴染みなだけだ、一番に考えるべきは()ではなく()だ。

 

 当然、色々と工作して彼女の思惑を外させるのが正解だ。

 モミジのやり方は、綱渡りどころの騒ぎじゃない。

 ネルスキュラの垂らす糸か、背面のガララアジャラの鳴甲か、どちらか一つが生き残るための選択肢で、どうみても彼女のやり方はうまくいきそうにない。

 アーサーの知る彼女は、そんな思い切ったことが出来る人間ではなかった。

 

 絶対に成功するはずのない勝負だ。

 下手をすれば、ギルドを敵に回すような、そういう危険な賭けなのだ。

 

 彼女だって、自分の置かれている状況が、アイツの周りのことが、どんなものかはよく分かっているのだ。

 今日の話しぶりからも、それは確かだった。

 追い詰められたからか、得意の人誑しなのか、狂言なのか、本当に狂ってしまったのか。

 ギルドナイトにあるまじき自分勝手さ。

 

 

「――面白くなってきたッスねぇ」

 

 

 鼻歌を歌いながら会議室を出るアーサー。

 その顔には、泣き笑いする道化師の化粧をし終えていた。

 

 エイドスさんも人使いが荒い。

 この状況で、どうやってアイツをG級に上げさせると言うのか。

 それを俺に押しつけてきたところもたちが悪い。

 友だちとしても、アーサーという人間としても、この上なく嫌な仕事だった。

 

 

「ま、アイツはG級に上げるけどね」

 

 

 情だけでは動かないような決心で動くのが、俺たちギルドナイトなのだから。

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 

 一方、ベルナ村の武具屋へ()()()()()()()()訪れていたモミジは、武具屋の主人と物影で言葉を交わしていた。

 

「ポワレ、首尾は?」

 

「バッチリです、お嬢。先方も満足頂けたようでした。まあ、今回は上位ガララアジャラの卵でしたからね。ウヘヘ」

 

「そう」 

 

 書類への記入をする手を止めずに、モミジは短く、

 

「当然だけど、くれぐれもギルドにはバレないようにして。一部の活動が露見してるから」

 

「ヘヘッ、分かってまさぁ。ギルドナイトに感づかれると厄介ですからね。あいつらの()()()()はギルドの利益を第一にかんがえてますからね、引き込もうにも引き込めない」

 

 【我らの団】が運んできた資材をロープで括り付けながら、ポワレは愉しそうに言った。

 

「……()()()については?」

 

「それが、裏ボスのことは本当に情報が少なくて、存在している噂があるという情報しか……」

 

「……そう、いいわ。ありがとう」

 

「ウヘヘ、申し訳ねぇです……」

 

 

 これでいいのかと自問して、これ以外の道はないと自答した。

  

 どう言い繕おうと、この気持ちには抗えないし、消去してしまうことも出来ない。

 いきなり弟子を押しつけたことは失策ではなかったか、常識から逸脱している彼をあの少女にあてて、何も問題はなかったのか、彼に踏み込んでしまったことは間違いではなかったのか。

 

 倫理は、首尾は、職務責任はどうだっただろう。

 後悔することはたくさんある。

 それでも、何故かは分からないけれど、ここで逃げてしまおうとは思えなかった。

 

 大丈夫、あの人の強さは人外の域にある、少女一人を守るくらいはワケないはず。

 むしろ、狩り場においては、彼の後ろが一番安全な場所なのだ。

 あの子はハンターになりたいんだと、強い眼差しでそう言った。

 どんなに苦しくても、格好いい英雄になりたいんだと。

 自分を重ねたんじゃない、一人の少女の将来を奪ったんじゃない、大丈夫。

 

 ギルドナイトの職に就いてから捨てていたはずの良心に、大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。

 

 

 今日、【白姫】と会うことが出来たのは、もしかしたら自分にとってプラスだったかもしれない。

 自分の中の、一番奥から沸き上がってきたこの感情は、捨てることなど出来やしない。

 

 彼女には、少しきつく言い過ぎた。

 ラファエラさんは分かりにくい人だけど、よくよく見れば彼女の人となり、感情なんかは分かるのだ。

 同じ土俵にいない人には全く興味を示さないけど、根っこの部分は心優しくて、今日は私の言葉に明らかに傷ついていた。

 

 訓練所にいた頃は、いつも独りでいた彼女に近づこうと努力していた。

 もしかしたら、私を友達か、そうでなくてもそれなりに親しい存在だと思ってくれていたかもと、モミジは夢想した。

 【白姫】ラファエラは、ほとんど人に話しかけないことで有名だし、初対面の人間には絶対に目も合わせない。

 少なからず、私という人間を覚えてくれていたのだ。

 そのことが、少し嬉しくもあり、心苦しくもあった。

 

 でも、とモミジは心の中で呟く。

 

 彼女に遠慮して、彼の横に立つことを諦めるなんて無理だ。

 

 どんなに逃げようとしても、この気持ちからは逃げられない。

 どんなに悲しくても、彼の横を誰かにとられてしまうかもしれないことを思えば、何と言うこともない。

 

 フルフルを模した人形を抱いて、静かに涙を流す。

 彼がくれた初めてのプレゼントだった。

 訓練所にいた頃、「フルフルが好きだ」と言って周りをドン引きさせていた彼のことだ、きっとそれが一番のプレゼントだと思って贈ってくれたのだろう。

 こんなに近くに来たのに、どうしてこれほど遠いのだろう。

 でも、その痛みすらも心地良い。

 

 

「もう二度と、置いていかないで」

 

 ああ、なんて。

 なんて苦しくて、幸せな気持ちだろう。

 

 その気持ちを抱くことに、後悔は覚えなかった。

 



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知りたくなかった現実

 ――深い水の底で揺蕩(たゆた)うような、不思議な心地だった。

 胸に重い圧が掛かっていて息苦しく、同時に、水に揺られる心地よさについつい身をゆだねてしまう。

 

 (かすみ)がかったような思考はまるで判然とせず、杳とした意識の海は快感と不快感を同時に運んできた。

 

 ここは、どこだろう。

 

 私、何をしていたんだっけ。

 

 閉じているのか、開いているかも分からないまぶたの裏に、ピンク色の壁が浮かんできた。

 

 図鑑で見たことがある、輪っか付きの星や、黄色のお月様、流れ星が描かれている。

 

 後ろを振り向けば、天蓋の下のふわふわとしたベッド、数え切れないほどたくさんあるぬいぐるみの贈り物、梯子付きの本棚、丸いテーブルとティーセット、人の何倍もある大きなガラス窓、その向こうに広がるのは、手が届かないくらいに高くて蒼い空と、たくさんの家、羽のついた人や馬が飛んでいる天井────。

 

 いつも一緒にいてくれた人は、どうしてか姿が見えない。

 寂しくて、退屈な部屋だった。

 

 ふと、足元に一冊の本が落ちているのに気がついた。

 

 茶色の分厚い表紙に、金色の文字で刻まれている題名は、“狩人叙事詩”。

 

 この狭い部屋の中に持ち込まれた、広い世界が詰まった本だ。

 

 あの子が、秘密で持ってきてくれた本。

 

 しゃがみ込んで、本の中ごろを開いてみる。

 

 何度も読み込んで、すらすら暗誦できるほどに覚えてしまったその一節は、“ジンオウガ”というモンスターに囚われていた姫とハンターの物語だった。

 

 朱い紅葉の降る川の底は綺麗なエメラルドの宝石を敷き詰めたようで、よく晴れた月夜の晩に、ハンターと狩人は血に飢えた獣のように吠え猛り、悲鳴一つ上げずに見守る若き姫君の眼差しの向こうで、命を削って殺し合うのだ。

 

 浮かんでは消えていく不思議な文字列を目で追っていく。

 

『ああ、生きるとはまさにこのことだ。お前を討たんと心が叫ぶ。この身捨てんと脳が震える。何物にも賭けぬ命など死んだにも等しい。たとい我が命が尽きようと、貴様の喉笛を引き裂いてやろう』

 

 かぁっと身体の芯が熱くなるような感覚。

 同時に、ここではないどこかへ飛び出してしまおうと、どうしようもなく心が疼く。

 

「ああ、姫よ。私はあの気高き狩人を殺せれば、それで良かったのだ。もう何も思い残すことはない。貴方はもうお帰りになればいい。私はここで死ぬのだから」

 

 見えてる世界の向こう、ここじゃない場所に行きたいのなら。

 

 文字列が浮き上がって、自分の周りを走り始める。

 ぐるぐると廻ってキラキラ光る文字たちは、やがて一羽の白ウサギになった。

 ぴょんぴょんと跳ぶウサギが、傍らから勢いよく跳ね出して行く。

 

 待って!

 

 慌てて立ち上がり、揺れる長耳を追いかけながら、ナッシェは英雄譚を口ずさむ。

 

「私を置いていかないで、王子様。私は貴方の隣にいたいの」

 

 不可視の入り口をくぐり抜ければ、そこに広がるのは満天の星の海だった。

 再びひとりぼっちの場所。

 けれど、ここは寂しくない。

 花開く無数の星の瞬きをかき分けながら、ナッシェは急いで前に進む。

 

『ナゥシエルカ様、足下にお気をつけください!』

 

 大丈夫よ、じいや。私は転ばないわ。

 

『ナッシェ様の頭の中は、お花畑みたいですね』

 

 そうよ、フルーミット。

 私の中には、まだ見たこともないたくさんの花があるの。

 咲いては散って、こぼれて、また咲いて、そうして私の手を引いて、見たこともない場所に連れて行ってくれるのよ。

 

 いつの間にか、星の花園を跳ねていたウサギはいなくなっていて、代わりに蒼く輝く蝶たちが、一羽、二羽とナッシェの周りを飛び始めた。

 

 可憐に輝く蝶々たちは、やがて星の花畑の中からたくさん飛び出してきて、まとまって、ナッシェの前にキラキラと光る道を作り上げた。

 

 群青色の空の彼方へと続く道の向こうには、白く輝くものがある。

 

 蝶の階段が導くのは、白銀の太陽のような場所。

 

 さあ、行こう。

 あの場所を目指して、走り出そう。

 

 

 ブロンドの髪が揺れて、夜明けの入り口へと駆けていく少女。

 

『私、貴方から一生────』

 

 それから、視界は白一色に包まれた。

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 

 まどろみの泡が弾けるような、唐突な目覚めだった。

 

 夜空に瞬く幾つもの星は、夢の中で見たものよりも、少しだけ少なくて、それでもこの上なく綺麗な輝きを持っている。

 

 パチパチと爆ぜる薪の音は、すっかり聞き慣れた野宿の声だ。

 火にかけられた小さな鍋から、ほんのりと良い香りが漂ってきた。

 

 ふと、身体に毛布が掛けられているのに気がついた。

 誰が、と考えて、思い当たる人物は一人しかいない。

 

「……お、起きたか」

 

 暗闇の向こうから届いた声に首を向けると、アスリスタシリーズの蒼い防具に身を包んだ一人のハンターが、薬草の塊を抱えながら歩いてきた。

 

「…………おはようございます、先生」

 

「ああ、おはよう。まあ、夜だけど」

 

 きっとクエストで依頼された品だろう、古代林の上層に生えている緑色の山を地面に落としたレオンハルトは、木と木の間に吊した洗濯物をくぐって、ナッシェの枕元に寄ってきた。

 

「痛むところはあるか?」

 

 そう聞かれてから、ナッシェは眠る前のことを思い出した。

 初心者防具でブラキディオスに殴り飛ばされるなんて、私はなんて貴重な経験を積むことが出来たんだろう。

 

「大丈夫です。どこも痛みません」

 

 ナッシェはほんのりと笑みを浮かべて答えた。

 横になったままお腹にそっと手を当てると、そこには服の感触があり、中を触れば、かさぶたや傷痕一つ感じない肌を感じた。

 記憶には残っていないけれど、きっと朦朧とした意識の中で、レオンハルト先生の手当てを受けて、身体に侵入した秘薬に反応してガッツポーズでもとったのだろう。

 

 無意識にガッツポーズを取れるようになったら一人前のハンターだそうだ。

 一人前のハンターになる前に、ブラキディオスにぶん殴られて死にかけるなどという体験をするハンターは、世界広しといえども私くらいのものだろうと、ナッシェはよく分からない満足感を覚えていた。

 何にせよ、推定世界初である。

 

 数日間に渡るレオンハルト式詰め込み学習の中で学んだ、ハンターとして最低限身につけておくべき基礎知識の中に、“砕竜”ブラキディオスのこともあった。

 

 曰く、全身が黒曜石を含む群青色の硬い外殻に覆われている獣竜種のモンスターであること。

 曰く、『殴る』ことに特化した柱の形状の腕と頭角を持ち、種として非常に獰猛で攻撃的な性格を持っていること。

 曰く、衝撃によって爆発する『粘菌』なる生物と共生関係にあり、唾液腺から分泌する液体に大量に含まれている成分が粘菌の爆発作用を増加させると言うこと。

 曰く、腕には小さな爪があり、その爪によって地面を掘って、地中を進むことも出来るモンスターであること。

 曰く、環境への適応能力が非常に高く、餌となる肉が存在すればどんな狩り場にも出現する可能性があるということ。

 曰く、獣竜種であるその骨格から、大型モンスター全体を見ても類い希なほどの強靭な脚力を持っており、フットワークは極めて俊敏で厄介なこと。

 

 上記の理由から、ブラキディオスを殺すときは、尻尾に気をつけながら後ろ脚の腱を狙い、ズタズタにして動きを封じてからなぶり殺しを開始する、または、口腔内にある唾液腺を破壊すべし。

 

 

「…………唾液腺破壊のためにガンランス投げたんですね」

 

「ん? …………ああ、ブラキディオスのことか? まあ、あれはナッシェが危なかったし、正直に言うと、咄嗟にガンランスを投げちったんだよ」

 

 ガンチャリオットもぶっ壊れたし、と、レオンハルトは後ろを指差した。

 そちらへ目を向けると、黒や紫、群青色のモンスターの素材と共に、ガラクタになったガンランスのなれの果てが転がっていた。

 

 確か、あれってリオレウス希少種の素材から作ったガンランスだったはず…………。

 

 貴重な武器を意図せず破壊させてしまったことに申し訳なさを覚えながら、ナッシェは同時に、そんな貴重な武器を投げ捨ててまで自分を守ってくれたことに、気恥ずかしさと嬉しさを感じていた。

 

 やだ、私、すごく愛されてる…………。

 ブラキディオスに殴られたかいがあったというものだ。

 

 そこで、ナッシェは一つの疑問にたどり着いた。

 

「あの、先生」

 

「ん、どうした?」

 

「あのブラキディオス、どうやって倒したんですか? ガンランス、壊しちゃったのに……」

 

「ああ、それか」

 

 アレを使ったんだよ、と彼の示す先には、赤く燃えさかる炎のような、いっそ禍々しいくらいの外見を持つ一振りの大剣が木に立てかけられていた。

 

「すまなかったな。イャンガルルガが出てな、ディノバルドの大剣の、燼滅剣アーレーって武器を使って斬り殺してたんだが、爆破属性でな。ボカンバカンと斬っていたら、ブラキディオスが地面を掘る音が聞こえなかったんだ。

 さすがに、ナッシェにブラキディオスは重すぎた。俺のミスだ。ブラキディオスは、アレで尻尾と両腕両脚を切り落として、眼窩から脳天を一突きだったからな。唾液腺潰していたこともあったけど、あのブラキディオス、他のモンスターとの縄張り争いに負けたのか、弱っててさ。動きも遅かったし、ダイナミック田植えのキレも悪かったし、怒りで視野が狭まってたのもあったのかな、討伐の時間はそんなにかからなかったよ」

 

 相変わらず、要領を得ないトークである。

 

「…………?」

 

 まだ完全には回転していない頭に、ペラペラと容赦なく流し込んできたレオンハルトの話を噛み砕くのに、ナッシェはしばしの時間を要して、

 

「ぇ」

 

 待って、ダイナミック田植えって何?

 ブラキディオスの目に大剣突っ込んだの?

 

 彼の話からブラキディオスの最期を想像して、とてつもなく惨たらしい死体がナッシェの頭の中に現れた。

 強靭な後ろ脚と脅威的な腕をもがれ、尻尾を引きちぎられて、抵抗の出来ないブラキディオスの脳髄へと無慈悲に突き入れられる爆破属性の大剣…………。

 

 

「…………なるほど、さすがは先生です」

 

 少女は思考を放棄した。

 言いたいことはたくさんあるが、とりあえずは納得しておくのだ。

 世の中には、知らなくていい未知もある。

 今晩は、仰ぐ星空が綺麗です。

 

「いや、助けるのが遅れてしまった。本当にごめんな。いや、報告では地中から出現するモンスターは確認されていなかったワケだけど、自分のいる場所以外に気を配るって意識が足りなかったのかも知れない。うん、これは言い訳だな。とにかく、本当にごめん」

 

 申し訳無さそうに謝罪を繰り返すレオンハルトに、ナッシェは大丈夫ですよと微笑んで、

 

「助けてくださって、ありがとうございました」

 

「…………いやぁ、まあ、ね? 俺、先生だし、助けるのは当然と言いますか? いや、本当に起きてくれて良かった。俺、かなり心配したよ。なにしろ、自分以外の怪我を治すのは初めてだったし、なかなか起きないからさ。うん、鍛えた身体は嘘をつかないね」

 

 視線を反らして照れるレオンハルトの横顔に、ナッシェは心が温かくなるのを感じた。

 思わず頬が弛む。

 

 レオンハルトのレオンハルトによるナッシェのための訓練は、彼女の身体を大いに鍛えてくれたはずだ。

 あの地獄のような毎日のおかげで、ブラキディオスの会心の一撃を浴びてなお生き残ることが出来たのかも知れない。

 

 そう思うと、ナッシェは無性に素振りをしたくなってきた。

 そう言えば、アナスタシアさんはレオンハルト先生から教わったことはないのだろうか。

 もしそうだったら、あの人にもこの『レオンハルト式』を教えてあげたい。

 レオンハルト宅に入り浸っているようなハンターだし、きっとあの人も相応に強いのだろうけど、私が初弟子なら、この鍛練のことを知らないかもしれないし、『レオンハルト式』を実践すれば、絶対にもっと強くなれる。

 少し──思い出せる限りでは本当に僅かだけど──お世話になった間柄だし、帰ったら教えてあげるべきだ。

 

 少女は、人生最大の命の危険を回避した反動で、帰ってからのことに思いを馳せ始めていた。

 

 いつか、ブラキディオスの狩りにも挑戦してみたいと思った。

 あのブラキディオスとは、本当の意味で人生初の敗北だったのだ。

 やられっぱなしではいけない。

 きっと、ブラキディオスを惨殺できるこの人のような、強いハンターに――。

 

 

 くぅぅ……。

 

 

「…………」

 

 頬が弛んだついでに緊張も緩んだおかげで、小さくて可愛らしい音が、完治した少女のお腹から響いてきた。

 

「お、腹減ったのか。うん、良い傾向だ。腹が減るのは元気な証拠だからな。待ってろ、食べやすいものはもう用意してあるんだ」

 

 嬉しそうにそう言うレオンハルトの脳みそには、悲しいかな、女子の恥じらい心に関する情報が致命的に欠けている。

 

「…………ぃ、いえ、これは違います」

 

「ん?」

 

 「どうした?」と彼女の方を振り向くが、ナッシェはその様子を見て諦めの境地に達した。

 どうやら、あの受付嬢はそういった隙を晒さない人のようである。

 教育がなっていない。

 

「なにしろ、一日半くらいずっと寝てたんだからな。そりゃあ、腹も減るよな。人間だもの」

 

「一日半も…………」

 

「ああ。まあ、血を失っていたからな」

 

 そんなに寝込んでいたのかとナッシェは驚き、一日半であんな怪我も治ってしまう秘薬の素晴らしさに感心して。

 

 ()()()()()

 

「…………ぇ?」

 

 遅れて、致命的な事実に気がついてしまった。

 

 小さな鍋におたまを突っ込んで味見をして、「うん、美味い」と頷くレオンハルトは、小さな金属のお椀にとろっとした粥状のものをよそって、目を見開いたまま固まるナッシェへと歩み寄ってくる。

 

 ピシッと、心のどこかから音が聞こえた。

 

「…………せ、先生」

 

「なんだ? あ、これか。これはな、ブラキディオスの肉を一晩じっくりと煮込んで、トロトロになるまで溶かしたお粥だ。美味しいぞ?」

 

「そ、そうではなくて」

 

 嫌だ、これ以上はいけない。

 これ以上の場所に踏み込んだら、確実に大切な何かを失ってしまう。

 

「…………そ、その」

 

「どうした。…………まさか、どこか調子が悪いのか?」

 

 ピシッ。

 

 自分の懸念とは的外れなところを聞いてくる師匠に、また一つ、大切な何かにヒビが入る。

 

「…………あの」

 

 言い淀む少女は、毛布の下でそっと腰回りに手を当てた。

 大丈夫、穿いている。穿いているんだ。

 これ以上いけない。コレイジョウイケナイ。

 

「…………お、お…………、ぉ…………」

 

「“お”? …………お腹が痛むのか」

 

 ペシッ。パキッ。

 

 違う、違います、ちがうんです。

 

 心配そうに顔を寄せてくるレオンハルトに、少しドキッとする自分がいて、そんな自分を冷めた目で見つめる自分もいた。

 今はそんなこと考えている場合?

 今だからこそ、だよ。

 今は緊急事態よ?

 今、私は一歩踏み出せるんだよ。

 どこに?

 

 ――新たな世界に。

 

 視界の隅でちらつく洗濯物、あそこにちょうど一日前に着ていたはずのズボンと、ぱ……下着があるように見えるのは気のせいだ。うん、キットソウダ。

 

 視界がぐらつく。

 寝ているのに、大地が揺れているかのような揺れを覚えて、世界がぐにゃりと歪みながら、音を立ててヒビ割れていくかのような、悪夢の如き刹那の時間。

 

 

 コレイジョウイケナイ。

 

 

「ぉ……ぉ…………」

 

「お?」

 

 

 

「ぉ…………()()()()()……」

 

 パシッ。

 

 ああ、言ってしまった。

 

「お花摘み? …………ああ、トイレのことか。大丈夫だって、行ってくればいいよ。まだ熱いし。あ、立てるか?」 

 

 パリッ。

 

 デリカシーの欠片もないその返答に、ナッシェは一筋の光を見いだした。

 

 それは、今まで見たことも、見ようとしたこともなく、これからだって見るはずもなかった世界から射し込む、邪悪な光。

 

 この人だったら、多少の羞恥心があってもやりかねない。

 

 だって、この人は頭がおかしくて格好いいんだもの。

 

 

 そうだよね、しょうがないよね、人間だもの、そう言うことだってあるよ、誰しも必ず経験している道だし、王様も、お母様も、美人なメイドも、老執事も、レオンハルト先生も、アナスタシアさんも、澄まし顔なあの受付嬢も、みんな絶対にやってしまっているのだ。

 

 寝たきりの状態で致してしまったことに、何の恥じらいを覚えることがあろうか。

 

 だって、下腹部に()()()()()()()()()()

 

 ある程度のことを察してしまったナッシェは、到ってしまった悟りの境地の中で、どもることなく質問を発した。

 

「私が寝ている間、お手洗いのお世話をしてくださったのは、どちら様でしょうか?」

 

 いたいけな少女が汚れちまった悲しみと共に紡ぎだした言葉は、さしものレオンハルトをして動きを止めざるを得ない悲壮感が込められていた。

 年頃の少女である。

 異性に対するそれらの反応は、人一倍に強いはずだ。

 

 レオンハルトは、珍しくそれらの背景をしっかりと読み取って、視線をナッシェと合わせながら、安心させるようにこういった。

 

 

「大丈夫、俺、そういうのは妹ので慣れてるから」

 

 

 パリィィィン…………。

 

 ああ、違うんです、レオンハルト先生……。

 

 

 この夜、純粋なまま遥か高みを目指していた少女は、大切な卵の殻を突き破って、新たなステージへと到達した。

 その確かな萌芽を、少女は笑顔を浮かべて受け入れたのだった。

 

 人はそれを“大人になった”と言う。

 そして、歳をとってから気付くのだ。

 アレは、間違ってしまった最初の一歩だ、と。

 

 ああ、これが、『好き』という感情。

 さようなら、昨日までの私。

 こんにちは、新世界。

 

 



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エピローグ

「ふー、ふー…………はい」

 

「ふふ、あーん」

 

 少女が目覚めを覚えてから、少しして。

 一悶着の末に、ナッシェは腰を下ろしたレオンハルトの身体に寄りかかり、彼の主体性をそのままに『ふーふー&あーん』を敢行させたのである。

 動けないことを逆手に取った、ナッシェ渾身の一撃だ。

 レオンハルトほどのチキン(ナッシェ推定)になれば、控えめに言って容姿の悪くない自分(ナッシェ推定)にこういうことを要求されれば、そのまま気分が高ぶってベッドイン一直線なのだ。

 

「はは、こうしていると、妹のことを思い出すなぁ」

 

「…………むぅ」

 

 が、しかし、盛大な空振りを決めていた。

 

 この間まで、喋ることすら覚束なかったレオンハルトは、師匠と弟子という心理的優性に置かれたためか、ナッシェという少女に慣れたためか、完全に以前のコミュ障っぷりを喪失していた。

 

「…………妹、ですか」

 

「え、ああ、妹だよ。二歳下の妹なんだけどさ。親は共働きで、手の掛かる妹の世話は、大体俺の仕事だったんだよ。いや、ほんと、おしめを換えることから風邪の看病まで、幼少期の人生のほぼ全てだったからさ。今でも思い出すんだよね」

 

 ペラペラと喋るレオンハルトは、片手間にさじですくった粥に息を吹きかけ、はい、とナッシェの唇に差し出す。

 

「…………私のおしめ交換は、先生の思い出作りに貢献できましたか?」

 

 異性としては見てくれないのですか、という言葉の代わりに、ナッシェは人生初の皮肉を吐いた。

 

「いや、ホントごめんって。うん、よく考えたら、さすがにまずかったよな。師匠と弟子ならいっかな、とおもったんだけど、俺は師匠いなかったし、歳が十歳くらいしか違わない師匠に下のお世話をされたら、割と本気で落ち込んだと思うし。反省してるよ。想像力が足りてなかった」

 

 拗ねる弟子は何も言わず、茶色の粥をたたえたさじをパクッと咥える。

 大いに反省してくださいとばかりの流し目に、レオンハルトはハハハと笑うだけ。

 

 え、エッチな仕草も空振りですか。

 

「ふーふー…………はい」

 

「……あーん」

 

 実のところ、レオンハルトも最初は迷っていたのだ。

 いくら弟子とはいえど、年頃の少女、それもとびっきりの美少女なのだ、コミュ障ぼっちを何年も続けているレオンハルトからしたら、その壁はとてつもなく高かった。

 すでに手首に鉛の輪っかが付いていてもおかしくはない。

 

「ふー、ふー……はい」

 

「…………あー」

 

 しかしながら、どことなく雅な気品があるナッシェの安らかな寝顔は、侵犯しがたき天使の聖なるに似ていて、“おねしょ”などという事故によって壊されてしまうだろうその未来を思えば、行動に踏み切らざるを得なかったのだ。

 

 一番の理由は、おねしょを放置するのは衛生的によろしくないということであったが。

 

 しょうがないのだ、清潔な布に含ませた砂糖水をナッシェの唇に当てていたのだから、出てしまうのは当然のことである。

 むしろ、それがなかったら今すぐに龍歴院へ帰らなければいけないほどの異常事態である。

 

「……終わりっと。ちょっと多かったか?」

 

「いいえ、大丈夫です。先生、とても美味しかったです」

 

 そう言って、花が開くように頬を綻ばせる少女の笑顔を見ていると、頑張ったかいがあったと、レオンハルトはそう思うのだ。

 

「そうか、それは良かった」

 

「…………むしろ、これからもずっと、私のために作って欲しいです……」

 

 勇気という名の大ジャンプに踏み切って、精いっぱいの告白を敢行したナッシェであったが

 

「それ、アナにも同じなこと言われたなぁ」

 

「…………むむ」

 

 のん気にぼやくレオンハルトは、それが特別な言葉であるということすら理解していなかった。

 ナッシェは不満そうに唇を尖らせながら、心の中でアナスタシアの名前を要注意人物のリストに載せた。

 

 鍋からおたまで直接お粥をかき込むレオンハルトを後目に、ナッシェはうんうんと頭をひねって、次善の策を考える。

 ライバルは多く、自分は女性としてすら見られていない。

 一緒にいられることにあぐらをかいている暇はないのである。

 

 『攻めこそ闘争の全てである』と、先生もそう言っていたではないか。

 

 そして、少女は捨て身の作戦を思いついた。

 手段は選んでいられない。

 

「せ、先生」  

 

「む? …………どうした?」 

 

 美味しそうに夕餉を啜っていたレオンハルトが、口の中のものを嚥下してから返事をした。

 

「その、私、狩りの練習をしてたままです」

 

「あ、まあ、そうだな」

 

 若干頬を染めて、俯きながら切り出した少女に、レオンハルトは訝しさを覚えながら相づちを打つ。

 

「それで…………私、汗くさいです、今…………うぅ」

 

 恥じらいと涙ながらのナッシェの告白に、

 

「そうか? そんなに気にすることはないと思うけど…………」

 

 レオンハルトは、正直に返した。

 

「女の子は気にします。覚えておいてください」

 

「あっ、はい」

 

 冷えてハイライトの消えた瞳に射抜かれ、レオンハルトは思わず頷いた。

 なんだろう、どこかモミジさんを想起させる剣幕だったぞ…………。

 

「それで、その、身体を清めたいのですが…………」

 

「…………ん?」

 

 レオンハルトは、再び下を俯くナッシェの言葉に違和感を覚えた。

 

 そして、ナッシェは核心を切り出した。

 

「私は、ようやく身体を起こせるようになったくらいで、身体がうまく動きません。だから…………」

 

 以前にも増して、年頃の少女に相応しい輝きを放つようになった碧眼が、レオンハルトをじっと見つめる。

 ほんの少し、熱の籠もったナッシェの視線に、レオンハルトは嫌な予感を抱いた。

 

 

 ハンター界には、こんな格言がある。

 

『嫌な予感を的中させる。これが、一人前のハンターになった証だ』

 

 

「わ、私の身体、綺麗にしてください!」

 

 

「えっ」

 

 

 

 

 

 

 

 ナッシェのぶつけた全力の一撃はしかし、プロハンターの奥義『慣れた』を発動させたレオンハルトが、涼しい顔をしてこなしてしまったがために、少女の羞恥心をイタズラに刺激するだけに留まったのはまた別のお話。

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 ――パリーンと皿の砕ける甲高い音が響き、続いて壮年男性の怒鳴り声が白亜の城から飛び出した。

 

「フルーミットォォォッッ!?」

 

「ご、ごめんなさぃぃっ」

 

 バラバラに砕け散った白い皿の破片たちの傍らで、それは見事な熟練の土下座を決め込むのは、ロングスカートの青いメイド服に身を包んだ、おさげ髪のメイドだった。

 

 その土下座を受けながら、なお怒りに身を震わせ立派な顎髭を逆立てるのは、老境に差し掛かったのであろう、白髪の執事だ。

 

「お前はッ、何度言ったらッ、皿割りの仕事を辞めてくれるんだ!?

 お前、皿は来月分の皿まで割り切ったんだぞ!?」

 

 ブルブルと肩を震わせる執事は、もはやこれ以上の怒りはないとばかりに憤激を爆発させている。

 

「えっ…………?」

 

 そんな彼の言葉に、フルーミットは顔を上げ、不思議そうな顔をして、

 

「私、お皿割りの仕事を仰せつかっていたのですか?」

 

 ぶちっ。

 

 何か大切なものが切れる音がした。

 

「────こンの、大馬鹿者がァァァァッッ!!」

 

 執事の咆哮が、メイドの能天気な頭を直撃した。

 

「ヒィィッ、ご、ごめんなしゃいっ、すみませんっ、ごめんねっ、フルちゃん大失敗っ、てへぺろっ!」

 

 必死で土下座して謝罪の言葉を繰り返すメイドは、自分が無意識に執事を煽りまくっていることに、ちっとも気がつかない。

 

「あっ…………」

 

 執事はそっと声を漏らした。

 

 あまりの怒りに、憤怒が頭を三周ほどして、どこか遠くへと飛んでいってしまったのだ。

 無我の境地に到った執事は、諦観と絶望の入り混じった声で、

 

「もう、お前は食器関連の仕事に関わるな…………」

 

「…………あの、一昨日もそう言われました」

 

「…………じゃあ、どうしてお前が、その皿を触ることになったんだ?」

 

「その、お掃除に邪魔だったから、運んでしまおうと…………」

 

「それで、何もないこの廊下で転んだのか…………?」

 

 戦慄して問う執事に、フルーミットは何が嬉しいのか、「はいっ」と元気よく返事をした。

 

「…………もういい。お前は、ナゥシエルカ様の部屋専属に戻すから、あの部屋以外で仕事をするな」

 

「…………えっと、あの」

 

「黙れッッ!!」

 

「はぃぃ…………」

 

 何かを言おうとしたフルーミットを一喝した執事は、本当に疲れ切った顔で、

 

「いいか、分かったな。これ以上、儂を怒らせないでくれ…………。王宮に就職してから、ここまで怒ったのはお前が初めてだ…………」

 

「わ、私が初めてですか…………なんだか、恥ずかしいですね…………」

 

「お願いだから、もう止めてくれ……フルーミット、お前はもう二十二だろう。この仕事に就いてから十年目なんだ。後輩にも示しがつかん。いい加減にまともなメイドになってくれ……儂は限界だから……頭の血管切れる…………」

 

 フラフラと歩み去っていく老執事は、はっとして振り返り、

 

「その残骸は、しっかり片付けておくんだぞ。それから、言葉遣いを直せ。ナゥシエルカ様がいつお帰りになられても良いように。フルーミット、お前の言葉遣いが姫に移ったら、儂は今度こそ死ぬからな…………ストレスで…………」

 

 ブツブツと呟きながら去っていく執事の背中を眺めなから、フルーミットは申し訳無さそうに皿の残骸をほうきで集め始めた。

 その手つきは、割れた皿の処理に慣れた熟練のメイドのものである。

 

 大理石の床でよかった。

 絨毯が敷かれていると、お片付けが大変だもの。

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

 部屋の主はいないと分かっていながら、フルーミットは扉をノックして、一礼してから部屋に入った。

 手に持つ花は蕾を硬く閉じていて、鉢植えに入っているにもかかわらず、フルーミットは珍しく、その花を床に落とさなかった。

 

 青白い蕾が開けば、きっと美しく可憐な青紫色の花が咲くだろう。

 夜空から落ちてきた星のような、儚く輝く美しい花が。

 

「今回は、青紫色の“星見の花”です、ナゥシエルカ様」

 

 誰もいない部屋で、フルーミットはそっと呟く。

 

 鉢植えをいつもの窓辺に置いて、フルーミットは入ってきたときと同じ扉を押し開け、腰を折って、

 

「失礼しま…………あっ」

 

 胸元に付けていた名札を落とした。

 

 “()()()()()()()()()()()()”と書かれた名札を拾って、胸に付けなおし、改めて一礼する。

 

 顔を上げたフルーミットは、チラリと窓辺の花を振り返った。

 

 “星見の花”ナゥシエルカの花言葉は、『堕ちた一等星』、『儚き夢に焦がれる』、そして、『永久に輝く初恋』。

 

 

「…………ナッシェ様、早く帰ってこないかなぁ」

 

 

 寂しそうに呟くメイドは、重厚な造りの扉をそっと閉めた。

 

 火がついたままの燭台を落としたメイドが、顔を真っ青にさせるまで、残り三十秒。



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Ⅸ 走れナッシェ
プロローグ


真面目な顔してアホなこと言ってます。



 

 

 

 チチチチ…………。

 

 目を閉じても、見えてくるのはどこまでも続くお花畑。

 目を開けても、そこに広がるのは綺麗な花束の海。

 

 

 

 ベッドから身を起こすと、白くて長い髪が見えた。

 髪を切らなくちゃ。

 寝起きの頭でそう思った【白姫】ラファエラ・ネオラムダは、とりあえず一房持ち上げた前髪に、()()()()()()()解体用ナイフを当てた。

 

 邪魔。

 なんと言うこともなく刃を滑らせようとして、ふと、ラファエラはフリーズした。

 

 

 

『か、か、かみ、髪、のっ毛が、長いと、かっこいいくて美しいと思いました、長い髪を結っているの、いいですよね、あ、小並で、す、すまま、すみませ、あ、は、話しすぎて、ご、ごめんなさいねん、ふ、フひっ』

 

 

 

 チチチチ…………。

 

 花園の中で、ただ一人()()()()()男の子は、その目と同じくらいに顔を真っ赤に染めながらそう言っていた。

 

「むむ」

 

 髪が長いというのは、どれくらいのことだろう。

 髪の毛は雑草のように伸びてくる、お花を摘むのに髪の毛が邪魔になってしまうくらいに伸びる、邪魔な髪の毛を切るのはお花を摘むようなもの。

 だって、わたしの髪の毛は白くて綺麗だもの。

 

 伸ばして育てたら良いかもしれない。

 うん、良いこと思いついた。

 昨日も思いついた気がする。

 だって、白くて素敵だもの。

 

「小さなフルフル、白くて可愛いフルフル。…………もしかして、わたしのベイビー? ハルはフルフル、首をふるふる。調合ふるふる。雪が降る。雪は白い。だけどわたしは春がすき。だってハルだもの。おはよう、ハル。うん、いま起きたの」

 

 ぶつぶつと呟きながら、ラファエラは髪の毛をかき上げて、すくっとベッドの上に立った。

 モミジに髪を結ってもらおう。

 きっと可愛い。

 だってモミジは髪が長い。

 髪を結ったら可愛い。

 ハルも大好き。

 かんぺき。

 わたしって天才。

 さて、ここはどこかしら。

 

 ウサギのような赤い瞳をキョロキョロと動かして、小さな顔に空腹の二文字を浮かべながら状況を整理していく。

 ベルナ村の外来ハンター用ホーム、綺麗に整頓された──中身のない──お道具箱、壁に立てかけられた燼滅銃槍ブルーア(ぷりりん)、お花の絵、お花の絵、お花の絵。

 つまり、ベルナ村。

 

 ホームの外に立っている、お花の顔じゃない人。

 団長さんとみた。

 

 ポンポンとテントの壁がノックされる。

 

「おーい! 我らがハンター、起きているかー?」

 

 スチャッ、と床に降り立ったラファエラは、足取り軽くのれんのような入り口へと歩み寄って、バサッと開けて答えた。

 白い髭をたくわえた、壮年の男性。

 団長さんだ。

 

「おはよう」

 

「ああ、おはよう。今日はご機嫌じゃないか。何か良いことでもあったのか?」

 

「うん。ハルが来たの」

 

「春? …………アーッハッハッハッ、さては夢の話だな? お前さん、春はまだ来ないぞ? ちと気が早いな」

 

「…………そうなの?」

 

「ああ。もう少し待てば春が来るさ」

 

 団長さんは、言葉で話をしないと分からないのだ。

 “でりかしー”が足りていない。 

 でも、お花の顔の人ではない。

 

 団長はニコニコと楽しそうにしながら、

 

「それはそうと、お前さんよ、もうすぐ【我らの団】はベルナ村を離れるぞ。明日にはドンドルマに向けて出発するから、やり残していたことがあったら今日のうちにやっておくといい」

 

 それを聞いて、ラファエラは少し考えて、

 

「…………明日?」

 

「ああ、明日だな」

 

「…………ハルは来ないね」

 

「うん? 春はまだ先だなあ」

 

 それを聞いて、ラファエラは手に握るナイフの刃を指でなぞりながら、また少しだけ考えてから団長に向き直り、

 

「うん、それじゃあばいばい」

 

「…………ん?」

 

「がんばってね」

 

「…………んん?」

 

 団長は、白くたおやかな手をフリフリと振るラファエラのことを不思議そうに見て、

 

「お前さんは、この村に残るのか?」

 

「うん。ハルが来るまで待ってる」

 

「春まで!?」

 

 一冬をベルナ村で越すつもりだったとは、と団長は普通に驚いていた。

 元からその予定だったのだろうか、なら一言言ってくれても良かったのに、まあこの子はそういう子だからなぁ、突然決めたという可能性もある。

 全く、誰に似たのやら。

 

「じゃあ、がんばってね。わたしは寝るので」

 

 一方的にそう言い残すと、きびすを返したラファエラは、白く長い髪をふわりとたなびかせながら家の中に戻ろうとして、

 

「そうだ。モミジに髪をやってもらうんだった」

 

 そう言って、一転龍歴院の方へとてくてく歩いていった。

 秋だからだろうか、上は白い長袖のシャツを着ているのに、下は太ももを大胆に露出させたショートパンツだ。

 肌寒さの中に舞い降りた天使に、ベルナ村の人々の目が、男女問わず釘付けになった。

 ショートパンツから伸びる白い美脚が、緑色の草原に映えて眩しく輝いている。

 腰まで届く長い髪は、なるほど【白姫】の称号に相応しい美しさだった。

 

 そんなG級ハンターの不思議な後ろ姿を眺めながら、団長はふむと暫し考えて、ようやくポンと手を打った。

 

「なるほどな、“白雪姫”にも(ハル)が来たのか。雪解けだなぁ、うん」

 

 変なところで察しの悪い団長は、ウムウムと娘の巣立ちを見送る親のような心地で、周りの視線など存在しないかのように歩くラファエラを見送った。

 

 実際に、彼女は周りの人間など見ていないのだろう。

 道行く野菜運びの(あん)ちゃんの見とれている顔も、ムーファから刈った毛を抱える少女の羨望の表情も、彼女には“花”に見えているのだそうだから。

 

「ククッ、ルーキーの奴が聞いたらさぞ慌てるだろうな。…………ここは一つ、アイツには黙っておくか」

 

 いたずらっ子の笑みを浮かべて企む【我らの団】の団長は、早速団のみんなに根回しをしようと行動を開始したのだった。

 

 

 







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走れナッシェ〈1〉

 ナッシェは奮闘した。

 必ず、かの鈍感の王子様を堕とさなければならぬと決意した。

 

 約三週間前に。

 

 あれから二十日あまり、男女としては何の進展も無いまま、レオンハルトと師弟の絆を深めたナッシェは、ハンターを始めて一ヶ月の少女とは思えないほど卓越した狩猟技術を修めていた。

 

 ディノバルドの若い個体ならば単独(ソロ)で討伐することが出来るくらいには腕を上げた。

 今度龍歴院に帰ったら、HRランクを上げてくれるらしい。

 

 

 いくらか犠牲にしてしまったものもあったけれど、代償の対価はどれも素晴らしい宝物だった。

 『レオンハルト式ストレッチ』やら、『レオンハルト式マッサージ』やらを伝授されたおかげで、身体の整備もバッチリである。

 

 後悔などない。

 あるのはただ、モンスターを狩って師匠の後を追うだけの、単純で楽しい狩猟生活だ。

 

 彼女は今、好き合う(予定の)レオンハルトが掛けてくれた期待に応えるべく、悠久を生きる古代林の中を駆けていた。

 

 

 ナッシェがここ最近特に心待ちにしているのは、憧れの師匠と呼吸を合わせてモンスターを狩る一時(ひととき)だ。

 彼の技術をコピーした少女の狩りは、レオンハルトという人外の紡ぐ殺戮舞曲(スローターロンド)に合わせてステップを踏むことが出来る。

 

 それは、何より心が踊る時間だった。

 邪魔する者のいない空間で、二人きりの踊りに興じるのは、きっとどんな舞踏会よりも素敵に輝いている舞台なのだから。

 ある時は挟撃したイャンガルルガの身体を切り刻み、またある時は木々の間に誘い込んだホロロホルルと二人とで血みどろの曲芸(サーカス)を演じたりもした。

 

 

 そう言うこともあって、最近は狩猟に対する精神的な耐性も上がってきた。

 ハンターとしての度胸が身についてきたのだろう。

 あるいは、頭のネジを幾つか飛ばしてしまったのか。

 仕方がない、強さとは他との比較で上に立つことであり、それはどこかしら“おかしい”と言うことなのだから。

 

 永遠に終わらない地獄の中で、それでも己の理想を追いかけ続ける英雄を目にしたような恍惚が、苦しみと悦びの区別も付かない無垢の少女に、穢れと興奮に満ちた闘争の美酒を覚え込ませたのだ。

 

 自分たち人間を(あなど)り、一瞬前まで意気揚々と吠え猛っていたモンスターが、涙を流しながら逃げようともがく姿を見たときなど、得も言われぬ快楽の螺旋に飲み込まれてビクビクと身を震わせた。

 

 そんな中で、地べたに這いつくばるモンスターへと、容赦なくトドメを刺すレオンハルトの横顔を見つめるその刹那は、まさに至福の一言に尽きる。

 

 愛しき官能の坩堝の中で夢見るナッシェは、血塗られたバージンロードをしずしずと歩んでいく。

 その道の先に、おとぎ話のように綺麗な花畑があると信じて、少女は古代林の柔らかな土を蹴って進むのだ。

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 ナッシェには常識が分からぬ。

 

 ナッシェは、ハンターになった元姫である。

 童話を読み琴を弾き、メイドと遊んで暮らして来た。

 本当はそんな箱入り娘のまま、現実味のない夢など捨てて、会ったこともない高貴な御方と結婚するはずだったのだろう。

 けれども、自分の夢については人一倍の憧れと衝動とを抱いていた少女に、諦めの二文字が浮かぶことはなかったのだ。

 

 欲しいモノは手に入れる、やりたいことを成し遂げる、才ある支配者に相応しき性質は、王族の血筋によるものだろう。

 一応の公務はこなしながら、無茶苦茶な横暴を申しつけて押し通してしまう、乱暴者の姉の背中を見て育ったというのもまた、ナッシェの踏み出した一歩の足場となっていた。

 

 そうして今、背中に負っていた色々なものを脱ぎ捨てた少女は、たった一つのゴールを目指して森の中を走っている。

 

 

 今日明け方、ナッシェは仮ベースキャンプを出発し、草食竜の闊歩する草原を駆け抜け、足場の脆い谷を越えて、十キロ離れたここ古代林深層へとやって来た。

 足元はぬかるんでいて、所々で地面から顔を出している木の根が歩きにくさに拍車をかけている。

 

 けれど、およそ一ヶ月に渡る古代林での狩人生活は、少女の足腰を十二分に鍛え上げていた。

 時には新鮮な血と臓物が人為的に捲き散らされた地獄絵図の中で踏み込み、または苔蒸して湿った岩場の上でマッカォたちと組み合ったりと、熾烈な訓練を耐え抜いてきたのだ。

 この程度の環境など、今さら何と言うことがあろうか。

 その足取りは一定の速度を保っており、筋肉質とは程遠い華奢な身体からは、すぐにでもモンスターとの戦闘を始められるような殺気が放たれていた。

 

 周りには人影も、モンスターの気配もない。

 争いの形跡もない。

 シンと静まり返った森の中を、ナッシェは定まった方向を目指して進んでいた。

 強い意志の宿ったその瞳が映すのは、一振りの盾と片手剣──“金狼牙剣【折雷】”だ。

 

 金狼牙剣【折雷】に駆け寄ったナッシェは、地面に刺さっていた盾と片手剣をずぶりと引き抜き、刃の状態を確認しながら、近くの岩に腰を下ろした。

 

 手に取った片手剣には多少の汚れや菌糸が付着していたけれども、二週間近く放置していたにも関わらず、少し整備すればすぐに使えそうだ。

 ナッシェはポーチから取り出したタオルを盾の縁に当て、丹精と愛を込めて整備を始めた。

 

 この片手剣は、もしものことがあった時のためにと、レオンハルトが隠し置いていた武器だった。

 つまり、世にその名を聞く“金雷公”ジンオウガの身体から作り出した一級武器を、こんな森の奥に放置するというトチ狂った思考が、古代林へと持ってきていた武器の大半を整備のために龍歴院へ送ってしまっている今、初めて役立つことになったのだ。

 

 砥石で刃の曇りを磨いていく。

 

 ナッシェは自分の映り込む銀色の武器を見つめながら、コミュ障な先生の言葉を一語一句違えずに思い出していた。

 

『俺は一度、渓流っていう狩り場で受けた、たくさんのモンスターを一度に狩る大連続狩猟ってクエストで武器を折られたことがあってさ。たまたまその時、渓流の奥の方にあった神社みたいな所に『お供え物しとこ』って思って隠し置いていた武器があってな。それを使って、なんとかしのげたんだ。あれ以来、長丁場の時は、神秘的な雰囲気のある場所に武器を隠しておくようにしてるんだ。そうすれば、武器を壊されても狩りが続けられるからな』

 

 その理論はおかしいと思ったナッシェだったが、何と言おうと結果が全て、今日この時ばかりは、彼の思考が一応は役に立っていることを認めなければならない。

 

 ナッシェはそれ故に、黄金の狩人の爪を抜かんと、砥石を携えはるばる古代林の深層へと分け入って来たのだから。

  

 刃と盾を研ぎ終え、表面をじっと見つめて仕上がりを確認するナッシェ。

 この一ヶ月で、血飛沫と血煙の舞う狩り場で砥石を使うことにすっかり慣れたナッシェの目は、すっかり一人前の狩人のものだった。

 

 うん、完璧。

 レオンハルト先生が振るうのに相応しい刃。

 

 時間をかけてじっくりと剣の仕上がりを確認をしていた少女は満足そうに頷いて、剣を腰に佩き、盾の裏にあるベルトに右腕を通して紐を閉めた。

 

 さて、武器の準備は完了した。

 跳ね起きるように立ち上がって、淡い燐光の舞う菌類の森を置き去りにするように、矢の如く走り出した。

 

 

 

 

 ナッシェは駆けた。

 ヒラヒラとゆっくり舞い降りてくる木の葉を吹き飛ばし、ふかふかの腐葉土をぴょんぴょんと駆け抜けて、止まることなく走り続けた。

 

 ナッシェの姿を見て喜んで飛びかかってきたマッカォの群れに、彼女は表情一つ変えることなく、腰に佩いた片手剣も抜かずに飛び込んだ。

 

 飛びかかってきたマッカォの着地点を予想して急停止、腰を落としながらタイミングを合わせて足を蹴り上げ、小柄な肉食獣の跳躍の勢いを利用して彼の顎を強く打ち据えた。

 白目を剥いて倒れ込む一匹のマッカォ。

 息する間もない一瞬の攻防で、倒れた仲間を見て群れに走った一瞬の動揺を突き、ナッシェは包囲網をスルリと抜け出した。

 

 無駄な殺生はしなくていい。

 小型の肉食獣だって、ハンターが守り守られる生態系の一部だ、必要以上に殺すべきではない。

 

『モンスターだって生き物なんだ。傷つければ血が出るし、脳を揺さぶれば意識がトぶし、普通に殺せば普通に死ぬ』

 

 その通りです、先生。

 

 どんなに強大に見えるモンスターだって、酸素や栄養を運ぶ血を流し続ければ倒れるし、身体を支える腕や脚を失えば、文字通り手も足もでず、地面をただのたうち回るしかなくなる。

 相手を見て、どんな攻撃が今必要なのかを判断する。

 そんなことも、ナッシェはレオンハルトから学び取った。

 

 それに、今は手に持つたった一つの武器(片手剣)を使いたくないのだ。

 自分の思う完璧な仕上げを施した“金狼牙剣【折雷】”は、レオンハルトに使って欲しい。

 自分の愛をいっぱいに込めた武器を振るってくれるレオンハルトの背中を想うだけで、ナッシェは天を翔るように走りながら、腹の奥がじゅんと熱くなるのを感じていた。

 

 開けた緑の草原に辿り着いた。

 折り返しの三分の一ほどを過ぎて、残りは全体の三分の一。

 

 きっと、レオンハルトも刃の先に込められた思いを汲み取ってくれるはず。

 驚いたことに、彼は人と話すより武器と話す方が得意なのだ。

 そして、ナッシェの込めた想いに、レオンハルトは爽やかな笑みを浮かべて、「殺してくるよ」と耳元で囁いてくれるのだ。

 それはつまり、“両想い”ということなのでは。

 

「…………あぁ」

 

 恍惚の表情を浮かべて、ナッシェは空を仰ぎ見た。

 開けた視界いっぱいに広がるのは、どこまでも青く高く、掴み所のない澄んだ空。

 

 ああ、なんて綺麗なのかしら。

 吸い込まれて溶けてしまいたくなるような、甘い空。

 

 けれど、とナッシェは思う。

 私は行かなければならない。

 私のことを待ってくれている先生の元へ、私を信じて戦ってくれている殺戮王子の元へ。

 

 待ってと無言で手を引いてくる誰かを振り解くように、ナッシェはグンと速度を上げる。

 

 

 ふと、ナッシェは強烈な腹部への締め付けを感じた。

 不思議そうな顔をした少女は、新調した防具──“マッカォSシリーズ”のお腹を撫でる。

 防具の紐を強く締めすぎたのだろうか。

 

 くぅぅぅ…………。

 

 否、これは空腹故の違和感だと気づいて、そう言えば今朝は食事を摂り損ねたのだったと、無意識にアイテムポーチを漁りながらそう思った。

 

 

 

 朝食前の一運動にと、繁殖しすぎたドスマッカォの群れへ掃討作戦を仕掛けていた二人を襲撃したのは、一頭の飢えたイビルジョーだった。

 

 満たされぬ狂気を振り撒く健啖の悪魔は、餌となる肉に事欠かぬ魅力的な古代林へと引き寄せられやすい。

 そのままイビルジョーを放置してしまえば、腹のくちくなった雄雌が交尾を始めて、あっという間に古代林にイビルジョーが繁殖し始めることだろう。

 待っているのは、古代林の生態系崩壊だ。

 

 古代林の生態系を守りたい龍歴院は、レオンハルトに名指しで度々討伐クエストを発注していたし、ここ一ヶ月ほどで六頭ものイビルジョーと対峙したナッシェにとっても、彼のモンスターはさして珍しくもないモンスターへと変わっていた。

 

 ああ、また貴方ですか(おまえか)

 そんな感慨を共有しながら、二人はいつも通り、冷静に臨戦態勢に入った。

 

 レオンハルトが武器を失うまでは。

 

 くきゅぅぅぅ。

 

 血の臭いを嗅ぎつけたのだろう、森の奥から突進してきたイビルジョーは、足元に散らばっていたマッカォの死体には目もくれず、レオンハルトの“白猿薙【ドドド】”を背中に突き立てられていたドスマッカォへ飛びかかったのだ。

 間一髪で離脱したレオンハルトに怪我はなかったものの、強酸性の唾液で急速に酸化されて錆となった【ドドド】は、犠牲になったドスマッカォと共にバキバキと音を立てて噛み砕かれた。

 

 レオンハルトの【ドドド】と、ナッシェが持っていた片手剣──“ボーンククリ”を除いて、古代林に持ち込んでいた武器を整備のために龍歴院に送っていたタイミングで起きた、痛恨のミス。

 ナッシェはこの日、武器を失うという恐怖と絶望感を知った。

 

 『こんな事もあろうかと、予備の片手剣を隠してあるんだ!』とドヤ顔で言い切った彼の、何と頼もしかったことか。

 

 一瞬後に、『ここから十キロくらい離れてるとこなんだけどな』と付け足したレオンハルトはこの日、弟子にぶん殴られる痛みを知った。

 

 くるるるるる。

 

 ぐーは良くなかったかも。

 ぱーにしてあげれば、鼻血出なかったかな。

 

 ナッシェはキノコの森を駆け抜けながら、初心者用の片手剣(ボーンククリ)でイビルジョーを相手しているだろうレオンハルトのことを思って、ほんの少しだけ反省していた。

 無意識に手が出てしまったのだ。

 自分でもびっくり。

 

 くきゅるるるぅぅぅっ。

 

 ふと、ナッシェは腰のポーチに目をやった。

 確か、この中には薬草が数種類入っていたはず。

 トウガラシ、ネムリ草、落陽草の根…………それから、食べてからがお楽しみのドキドキノコが一本。

 口に入れても、空腹感を紛らわせるどころか永遠に空腹を感じなくなりそうなアイテムが揃ってしまっている。

 なんて役立たずなアイテムポーチ。

 

 くきゅうくきゅうぅぅぅぅ…………。

 

 最近自重を忘れてしまった腹の虫が、食べ物を寄越せと盛んに叫んでいる。

 毎日激しい運動をしているせいか、はたまた大きなこんがり肉を日頃から大量に食べているせいか、家出する前と比べて明らかに燃費が悪くなっているのだ。

 

 幸い、お腹の肉が出てきてしまうような大事には到っていないけれども、心なしか、二の腕やふとももが柔らかくなってしまっているような気がしなくもない。

 『必要なところにはいなくて、要らないところで付いてくるのは、先輩メイドと柔らかお肉』だと、フルーミットがよくこぼしていたけれど、つまりはそう言うことなのだろう。

 

 くぎゅるるるるる…………。

 

 だんだん、腹の虫の鳴き声がえげつないものになってきた。

 心なしか、頭がぼーっとしている気がする。

 

 上の空で全力疾走を続けるナッシェは、自分が無意識に噛む動作を行っていることにも気がつかなかった。

 

 

 



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セリヌンティウスの戦い〈1〉

「ギャオァアアアアッッ!」

 

 飢えた恐暴竜のけたたましい咆哮が古代林を揺さぶった。

 その叫びは、満たされぬ渇望に苦しみ、怒り狂うように血肉を貪り続ける運命への慟哭を思わせる。

 刺々しい顎をよだれが流れ、地面に(したた)り落ちてはジュウジュウと音を立てて幾本もの下草を枯らせた。

 

 モンスターに見られるような硬い甲殻のない筋肉質な巨躯には無数の傷が刻まれており、強力な抵抗を見せた“(ライバル)”を幾頭も打ち破り喰い殺した勲章として、このイビルジョーの強さを示している。

 

 生態系の頂上戦争の如き幾多の生存競争に打ち勝ってきたイビルジョーはしかし、自分をこれでもかと攻め立てる飢餓感と()の存在に、烈火の如く憤っていた。

 自らの憤激によって疼き開いた古傷の口からジクジクと血が滲み、赤い涙のように緑色の体表を流れている。

 

 しかし、傷は古いものばかりではない。

 彼の怒りをその身に縫い止めんとするかのように、筋肉の盛り上がる背中へと、数本の木の槍が深く突き刺さっていた。

 

 周囲を油断無く警戒しながら、血眼になって肉を探すイビルジョー。

 その暗緑色の巨躯が見下ろせるほど高く伸びた巨木の頭に、一人の狩人が潜んでいた。

 

「…………ギャアギャア喚きやがってよー。耳が痛いぞ。どうして狩り場にいるのに耳が痛くなるんだ。耳を痛めるのはモミジさんの前だけでお腹いっぱいだよ、ホント」

 

 枝葉の陰からイビルジョーの様子を伺いながら、手元のアイテム製作を淡々と続ける彼は、龍歴院で断トツの期間内クエスト達成率を誇る歴戦のハンター、レオンハルト・リュンリーだ。

 

 ジョッ、ジョッと音を立てて、ハンター必携の万能道具“解体用ナイフ”が、彼の筋肉質な腕周りほどもある太い木の枝を、鏃のように尖った槍の形に削っている。

 

 強大なモンスターに対抗するための、ハンターの必需品である武器を失ってしまった彼は、こうして物陰に隠れながら即席の“森の武器(ネイチャーウェポン)”を作りだしては、タイミングを見計らってイビルジョーへと奇襲を仕掛けているのだった。

 

「ちっくしょー、なんでこんなサバイバルしてるんだよ……俺ェ…………」

 

 “狩りもピクニックの内”系人間のレオンハルトは、美少女な弟子ハンターとの楽しい狩猟生活が、木の槍を作り出して獲物を狙うプリマティヴでラリホーな原始人生活にすり替わってしまったことへ悪態を吐いていた。

 

 本来ならば、一ヶ月も狩り場に籠もっている時点で十分なくらいのサバイバルである。

 しかし、平時から狩り場へ引きこもるようにしてクエストをこなすレオンハルトにとっては、サバイバルでもなんでもない。

 むしろ、なんと言うこともない自分の生活サイクルに、金髪碧眼の美少女が転がり込んできているというワクワクドキドキなピクニックだったのだ。

 

 時折、ドスンドスンと地面を踏みならすイビルジョーの暴虐の余波で木が揺れた。

 さすがは、あらゆる生命を糧として理不尽を振りまき続ける危険生物だ。

 空腹に対する怒り方が尋常ではない。

 何が悲しくて、こんな進化を辿ってしまったのか。

 お陰で非モテぼっちの密やかな楽しみ(美少女観察会)が台無しじゃないか。

 

 穂先の鋭角を確かめながら、孤独な狩人は現実を嘆いていた。

 

「あーもー、普通武器ごと喰うモンスターなんかいねーよ。足元に美味しそうな肉ちりばめといたのに、なんでそっちに見向きもしないんだよ。たくよー。いや、別に油断してたワケじゃ無いんだけどね? ちょっとした手違い、みたいな? うん、これはこれでワクワク感あるよねっていうか、ナッシェに武器無しで狩り場を歩かせる訓練にもなったので結果オーライというか。だいたい、変な風に筋肉が締まっていたあのドスマッカォたんが悪い。そうだ、ドスマッカォたんのせいだ。俺は悪くない」

 

 話す相手がいないという状況も久しぶりであったため、誰かに言い訳しているかのような独り言にも熱が入る。

 

 個体差というものはどうしても存在する。

 当然、モンスターの肉質なんて、目の前にいる彼を突き刺して初めて分かるもの。

 同じ肉質を持つ個体など、小型モンスターの一匹としていないのだ。

 と、偉そうに言い訳をする自分に気がつき、レオンハルトは少し情けなくなった。

 

 残しておくと色々面倒くさくなるからと、ドスマッカォの背中へ上から奇襲を仕掛けたまでは良かったものの、ブッスリ刺さった【ドドド】が変な場所に入ってしまったのか、突き刺した後にノータイムで抜けなくなってしまったのが運の尽き。

 弟子の危険を少しでも減らそうと思って手間を省いたのがいけなかった。

 普段ならば、背面の弱い方(ドスマッカォ)強い方(イビルジョー)に頓死させられるのを待つだけなのに、まさか武器を奪われる事態になるとは。

 少し過保護だっただろうか。

 

 ふと、お手製の木の槍がちょうど手頃な具合に仕上がってきた。

 先端の仕上げをして、解体用ナイフを腰に差す。

 

「はー、ナッシェー、早く帰っておいでー。ボーンククリはもう折れちったよー。早くしないと、レオンハルト先生がジョーのお腹の中だよー」

 

 ブツブツと呟きながら、未だにキョロキョロと辺りを見回しながら暴れ回るイビルジョーは、すっかりレオンハルトに釘付けだ。

 時々、やりすぎない程度に突っついておけば、彼はある程度引き止められる。

 このままあのジョーを足止めしておけば、古代林に余計な被害が出ることもない。

 

 問題は、イビルジョーが他の場所へ肉を探しに行き始めたときだ。

 その時は、自分の身を常に曝して対応するしかあるまい。

 いわば、やたらめったら人を殺そうと暴れまわるシリアルキラーの前に躍り出て、“殺してごらーん、ペンペーン”と挑発をして他の人を助ける自己犠牲の精神だ。

 真面目な警邏も真っ青の労働環境、まるで物語のモブ役のようだ。

 

 主人公のために裏方で命懸けの頑張りを見せるのに、読者の視線もストーリーの焦点も自分からはズレていて、ヒーローの引き立て役か死に役になるのがせいぜいのモブ。

 やだ、レオンハルトさんの例えが的確すぎィ!

 

 なお、労災は下りない模様。

 

 死んだら死んだでそれまで。

 可愛い弟子を残して死ねまい。

 

「さーて、もういっちょ!」

 

 今度は真上からお邪魔しますよー。

 

 太い枝の根元を離れ、幹を滑るように降りていく狩人の視線の先には、肉を求めて飢餓地獄を彷徨う悪魔が一匹。

 

 トン、と全く何気ない風にして木の幹を垂直に蹴ったレオンハルトは、自作の槍を片手に、宙へひらりと飛び出した。

 

 

 

 

 



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社宅は誰のモノ?

 

 

 

 

「ふーんふーふふーん」

 

 レオンハルトの家で風呂掃除を兼ねた入浴を終えたアナスタシアは、鼻歌交じりで家を出た。

 

 そんな彼女の肩に、ガシッと手が置かれる。

 ビクッと振り返ると、そこには日頃の営業スマイルすらも浮かべていない受付嬢の姿が。

 

「…………な、なんですか、シャウラさん」

 

「どうしてアナスタシア氏が、レオンハルトさんの家掃除をして、お風呂に入っているの?」

 

 瞳からハイライトの消えた彼女は、冗談抜きで殺気を放っている。

 

「ど、どうしてって、それはもちろん、センパイが帰ってきたときに、お家が綺麗だった方が良いじゃないですか?」

 

「そういうことはいつも私がやっているので結構ですよ?」

 

「えっ?」

 

「何か?」

 

 それは掃除の方なのか、お風呂の方なのか、あまり聞きたくはないけれど、少し気になるアナスタシアだった。

 

「…………まあ、それは別に良いんです」

 

「いいんだね…………」

 

 それじゃあそろそろ、肩から手を離して下さると嬉しいです。

 なんか殺されそうで怖い。

 

 

「貴方は、子守りには自信がありますか?」

 

 

「へっ?」

 

 そして、受付嬢が妙なワードを突然繰り出した。

 子守り?

 

「…………もしかして、シャウラさんって子持ちの方?」  

 

 想像したくはないけれど、それってセンパイとの…………。

 

「そんなワケないでしょう。これからですよ」

 

 一瞬、つらい現実を想起したアナスタシアであったが、彼女の言葉にほっと胸をなで下ろした。

 アナスタシアは、元々辺境の村出身なのだ。

 実の兄弟姉妹はいなかったけれど、他の家族の子供を観ることなら慣れて、

 

「ちょっと待って、これから?」

 

「そんなことはどうでも良いんです」

 

「待って、どうでもよく────」

 

「────モミジ、髪やって」

 

 突然、スズランの花が咲いたような声が割り込んできた。

 受付嬢は──本当に驚いたことに──心底うんざりとした顔をして、後ろを振り返って言った。

 

 そこに立っていたのは、絵本の世界から切り抜かれたような、真っ白で綺麗な髪の毛の女性。

 

「えっ」

 

 雪の華みたいなハンター。

 “白雪姫”。

 

「どうして貴方がまだここに残っているんですか? 【我らの団】はとっくに出発したでしょう?」

 

「置いてってもらった」

 

「はぁ!?」

 

「まだ髪結ってもらってない」

 

「…………アホなの? それともバカなの?」

 

「えっ、えっ」

 

 戸惑うアナスタシアを余所に、モミジが会話し始めた相手は──【白姫】の称号を受けたG級ハンター、ラファエラ・ネオラムダ。

 ハンターの名門ネオラムダ家の才媛にして、ネオラムダの門下で歴代最高の腕を持つと評される“ほんまもん”の化け物だ。

 

「えっ、えっ、えっ」

 

 どうしてG級ハンターがここに、え、昨日雑誌で読んだばっかり。

 

「…………アナスタシア氏」

 

「えっ、えっ」

 

 うわ、雑誌に乗ってた肖像画と瓜二つじゃん、こんなお姫様みたいな人がいるワケないって思ってたのに、え、こんなお花みたいな人ホントにいるんだ。

 

「この人の子守りをしていたアーサー(無能)が仕事放り出してどっか行っちゃったの」

 

「えっ」

 

「モミジ、わたしは子供じゃないの。知らなかったのでしょう? ふふ、かわいい」

 

 花が咲くように、ふわっと笑った。

 あ、今のは多分ドヤ顔だ。

 

 えっ、何この人かわいい。

 

「私はレオンハルトさんが急に帰ってくるからその仕事をしなくちゃいけないんだけど、この人の面倒まで見ていられないから。お願いできるかしら」

 

「え、ハル、かえってくるんだね。…………あれ? 団長さん、そんなこと言ってたっけ?」

 

「え、お願いって、ぐ、具体的に何を」

 

「この人の子守りよ」

 

「…………え?」

 

 G級ハンターの子守り?

 何それ無理そう。

 その前に意味が分からない。

 

「あれ?」

 

 と、ラファエラの真っ赤で純粋な瞳が、アナスタシアを真っ直ぐ射抜いた。

 

「ふぇっ」

 

 するりと吸い寄せられるように近づいてきたラファエラの動作は、アナスタシアが気づかないくらいに自然で、接近に気づくことすら遅れたほどだった。

 小動物のように目を丸くするアナスタシア。

 身長の高い彼女を見上げる形で、ラファエラは不思議そうに呟いた。

 

「あなた、お花の顔じゃないのね」

 

「…………はい?」

 

 アナスタシアはこの日、G級の真髄を垣間見ることになる。

 

 

 

 



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走れナッシェ〈2〉

長め


 

 

 お腹へった。

 

 頭がまわんない。

 

 おなかへった。

 

 よくわかんない。

 

 肉。

 

 おいしいおにく。

 

 おにくはどこ……────。

 

 

 

 

 

 

 

「…………て」

 

 無心に古代林を駆け続ける飢餓状態のナッシェの意識に、突然妙な声が入り込んできた。

 

「…………う?」

 

 耳を澄ませても、何も聞こえてこない。

 空耳だっただろうか。

 どこかで聞いたことがあるような、とても耳に慣れている誰かの声だったような、そんな音を聞き取った気がしたけれど…………。

 

「…………お待ちになって」

 

「…………ッ!?」

 

 今度ははっきりと聞こえた。

 耳元で囁くようなその声に、はっと急停止して振り返ったけれども、ナッシェの視線の先には苔蒸した岩場しかない。

 透き通った水が湧き出て、ピチャピチャと流れる小川が近くを通っている。

 耳を澄ませても、清らかな水音と遠くの木々のざわめき以外に聞こえてくる音はなく、静けさの満ちた森があるだけだ。

 

「…………こちらです」

 

「ッ!?」

 

 はっきり聞こえた声に、バッと右肩を振り返ると、小さな滝のようになっている小川の流れの上に、一人の少女が立っていた。

 湧水にも劣らぬほど清らかな碧眼に、綺麗なブロンドのボブヘア、簡素で高級感のある純白のドレス、深窓の令嬢の如く華奢な身体。

 まるで、現世(うつしよ)の者とは思えぬような雰囲気を纏っている彼女に、ナッシェはすぐにでも飛び退けるように脱力して身構えた。

 

「…………だれ?」

 

 僅かに目を細めて、短く問う。

 どこかで見たことがあるようで、話したことはない誰か…………。

 

「お忘れですか?」

 

 いたずらっ子のような表情を浮かべて、問いに問いを返す少女。

 

「…………分からない」

 

 警戒を緩めずに、ナッシェはジリと右足を引いた。

 声の在処が、見える彼女とは別の所にあるような違和感が、ナッシェの警戒心を強めていた。

 

「……ふふ、(わたくし)(わたくし)です。ナゥシエルカ。私は貴方で、貴方は私」

 

 金髪の少女は口元に手を当てて、くすくすと上品に笑う。

 

 ナッシェははたと気がついた。

 それで、変な既視感があったのだ。

 疲労と極度の空腹の果てに、ついに幻覚まで見るようになってしまった。

 やんぬるかな。

 

「つまり、(わたし)の幻の作った嘘、ということかしら」

 

 だって、私は一人しかいない。

 

 確かに、空腹感が危険水域に突入しているのは事実だ。

 最近は、寝ても覚めても真っ赤な景色が広がっていて、夢と現が混じってしまうこともある。

 この状況で、現実を幻に侵蝕されてしまうというのは致し方ないことかもしれない。

 だけれども、何にせよタイミングが悪かった。

 

「私はナッシェよ。貴方が私なら、分かるでしょう? 貴方はもう捨てられたの。ナゥシエルカはいないわ」

 

 暇だったらお茶でも淹れたのに。

 今急いでいるから、と白いドレスの幻から視線を外したナッシェに、

 

「貴方だって、御承知のことではございませんか? 貴方はナゥシエルカです。貴方の根幹から、ナゥシエルカは消えません。貴方はどうしたってナゥシエルカです」 

 

 “ナゥシエルカ”が丁寧に返した。

 自分に対しての発言だからだろう、その慇懃無礼な物言いがしゃくに障る。

 が、所詮は幻覚の戯言だ。

 ナッシェは苛立ちを抑えながら、自分に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「…………レオンハルト先生に、一刻も早くこの武器を届けなければいけないの」

 

「まさか。そんなことはないでしょう」

 

「…………どういう意味?」

 

「貴方がこのまま、すんなりと戻れるはずがありません」

 

 一瞬、森の静けさが大きくなった。

 お腹をさすりながら、幻はナッシェをジッと見つめて続けた。

 

「貴方はもう、お腹がすき過ぎてしょうがないのでしょう。私は貴方ですから、食べ盛りになった貴方の限界も分かります。

 例え全ての気力を振り絞ったとしても、朝食を食べていない貴方が全力で二十キロを走りきれるハズもありません。それ以上動いたって、途中で倒れてしまうでしょう」

 

「…………それで、どうしろと言うの?」

 

 確かに、空腹感がラージャンの如くナッシェのメンタルをぶん殴りに来ている現状、先ほどまでのように走り続けることは難しいかもしれない。

 現に、脚は疲労に震え、ナッシェが見ている幻覚は、これ以上走ることを拒絶する身体の防御反応であるかもしれないくらいだ。

 

 ナッシェのぶっきらぼうな問いに、幻は上品に笑って、

 

「少し食べものをお召し上がりになっては?」

 

 そう言って幻覚が指し示したのは、朽ちた木に群生しているニトロダケだった。

 

「こんなもの食べたら普通に死ぬんですが」

 

 レオンハルト先生ともなれば、ニトロダケくらいは余裕で飲み下せると思うけれども。

 

「…………あら?」

 

 口に手を当ててすっ惚ける幻覚は、うふふと面白そうに笑う。

 

 カッチーン。

 頭にきました、ええ。

 ナッシェは空腹もあいまって苛立ちが募っていく。

 そんな少女の様子を見て微笑む性格の悪い幻は、

 

「では、こちらはどうでしょう」

 

 と、木々の隙間の向こう側に見える、ピンク色の翼竜──“イャンクック”を指し示した。

 

「…………ぁ」

 

 クック先生──レオンハルトがそう呼ぶよう指導した──の肉は、確かに高級な鶏肉のようなうまみがあって、とても美味しいのだ。

 クック先生肉のソテーを食べたときの感動が蘇ってきて、ナッシェの口の中が潤った。

 食欲の泉が氾濫して、身を苛む飢餓感が脳髄へ染み込んでいく。

 大丈夫、クック先生なら狩りなれている。

 この【折雷(さくいかずち)】なら、一分くらいで屠殺して切り分けるまで出来るはず。

 

 丸まったクンチュウをコロコロと転がして戯れる、可愛らしいクック先生。

 

 脚の肉を少し頂戴して、下処理して、ポーチの中の肉焼きセットで焼いて…………。

 

 クック先生肉。

 

 “ナゥシエルカ”の声が響く。

 

 クック先生肉。

 

 無意識にその言葉を繰り返した。

 

 クック、せんせい、にく。

 

 なんて甘美な響きだろう。

 

 くっく、にく。

 

 視野が狭まっていく。

 明るい日だまりの揺れる金色の森の中で、無邪気に生態系ピラミッドの煉瓦を積んでいるクック先生が、ピクニックで猟銃片手に追い回した白ウサギにしか見えない。

 だって肉だし。

 

 あるいは、台所でシェフの火入れを待つステーキ肉のようだ。

 だってピンク色だし。

 

「…………ハッ……ハッ……ハッ…………」

 

 獲物を見定めるその青い瞳は、どこか焦点を失ったように揺れ動いていた。

 

 目が回りそうだ。

 クック肉、美味しそうなお肉、先生は肉。

 滴る血の芳しき香りが想起されて、憎いくらいに苦しい。

 頭が痛い、全身が熱い。

 クック肉、だめよ、落ち着いて。

 

 ……ああっ、もう辛抱堪らない!

 

 クックに駆けて、クックに飛びついて、クックに刃を立てクックに歯を立て、クック肉!

 

 

 

 

「…………はっ!」

 

 食欲の海へと投げ出されていたナッシェは、ギリギリの所で踏みとどまった。

 

 片手剣の柄に手をかけていたナッシェの頭には、よだれを撒き散らしながら満たされない飢餓感を満たそうと暴れるイビルジョーと、イビルジョーを狩るレオンハルトの姿が浮かんでいた。

 

「…………食べません、私は食べませんよ」

 

 今のナッシェなら、クック先生を狩ってしまうことなんて造作もない。

 お腹が減ったと、理性もなく強大な力を振り回して、命を奪ってしまっては、イビルジョーと何も変わらない、それは悪しきモンスターなのだ。

 

 先生から受け継いだ技は、自分の暴食を満たすための器ではない。

 

「行かなければ」

 

 そう呟いて歩き出したナッシェの背中へ、純白の悪魔が妖しく囁く。

 

「まだ早いのでは?」

 

「早くない。時間をたくさん無駄にしてしまった」

 

 耳を貸してはいけない。

 

「いいえ、まだ早い」

 

 聞きたくないとばかりに、ナッシェはだんだんと歩みを加速させていく。

 そんな少女に、つかず離れずの位置で幻覚は囁き続けた。

 

「先生は、イビルジョーと戦っている。ピンチなんだ。私が行かなきゃ」

 

「先生は、()()()()()()()()()

 

「ピンチに陥るはずがないわ。だって先生は強いもの」

 

「矛盾してる」

 

「それでもいい。レオンハルト先生はいつだって勝者。真っ赤で綺麗な武器を瀟洒な太刀筋で振るい続ける。それで、必ず勝つの。絶対に負けない。それが全てだもの」

 

「信頼しているのね。でも、信頼されてるの?」

 

「当たり前でしょう…………っ!」

 

 ナッシェは煩わしさを振り払うように駆け出した。

 それでも、しつこい幻はナッシェの頭に直接響くような声で少女を誘惑する。

 

「本当に信頼されているのかしら。分からないわ。人に頼られたことなんてないもの。本当はもっと私を頼って欲しい。先生は私をちゃんと見てくれるわ。

 だけど、それだけじゃ足りない。もっと私を頼って、私を見て、私を好きになって欲しい。これってどんな気持ちなのかしら。

 恋? 恋は一方的に想いを懸けるだけ。もっと強い気がする。

 愛? そう、愛。ええ、愛が良いわ。この気持ちにぴったり。愛は、お互いに想いを懸け合うことを、期待し期待されるものですもの」

 

「うるさいっ!」

 

 思わず叫んで、両耳を塞いだ。

 その言葉の奔流は、まるでナッシェの心の奥から湧き上がってきた水のように、自然と馴染んできたのだ。

 聞きたくない、本当に聞きたくない。

 まるで、自分の汚い所を曝されているような、そんな苦しさが胸を締め付けた。

 けれど、“声”は変わらずナッシェの脳髄に侵蝕し続ける。

 

「フルーミットがくれた愛。懐かしいわ。あの子はいつも私のために頑張ってくれた。お父様の愛。あまりお話ししたことが無かったからよく分からない。でも、私をお城に住まわせて下さっていたのだから、愛されていたのかもしれないわ。そうしたら、私はお父様を裏切ってしまったのかしら。ああ、ごめんなさい、お父様。愛を裏切ることは、何より重く人を傷つけると、悲しい物語に書かれていたわ。本当にごめんなさい。どうか、親不孝な娘を許して下さい。

 けれど、どうしようもなかった。愛されているなんて、遠くに離れてしまうまでは気がつかなかったんですもの。お父様の愛を感じられなかったのはどうしてかしら。

 愛を知ったから? いいえ、私はフルーミットのことを姉のように慕っていたわ。では、何故? 

 愛が見えなかったから? ええ、愛は形じゃないもの、お話もお手紙も無かったら、見えるはずがない。愛は、相手に伝わらなければ愛にならないのね。だって、相手を愛して相手に愛されることを期待するのが愛なんだから。知らなかったわ。でも、今分かった。

 たとえ愛を定義できなくても、感じられるのならば愛になる。

 それなら、相手に気付いてもらえる愛でなくては。それなら、おとぎ話で読んだ愛の告白は、愛の実存証明だったということかしら。ああ、愛はアピールから始まるのだわ。貴方を愛しています、そうやって相手に伝えて、相手の気持ちを確かめてないと。言葉でなくてもいいわ。だって、どんなアピールも愛を成立させるもの。

 そうね、よく考えてみたら、私にはアピールが足りていないのかもしれない。私が愛しているというアピールが足りていない。貴方は先生に頼ってばかり。手の掛かる後輩の席はもう取られているわ。逆らえないような女王様の席も埋まっている。あの人の気を引くにはどうしたらいいのかしら。好きなんでしょう? ええ、好きです、好きですとも。大好き、愛してる、泣きたいくらいに好きで、苦しいくらいにお慕いしているわ。私の王子様。素敵な人、貴方を助けてくれた人、私を導いてくれた人。ずっと私の隣にいて欲しい。どんなに辛くても一緒に居られる。そうなるように努力出来る。誰にも盗られたくない。愛はお互いの幸せを想うものよ。利己的な所なんてどこにもない。家族愛、親子愛、仲間愛、師弟愛、恋愛。どんな物語も、互いを、互いの幸せを想っていたでしょう? だけど、恋慕の情から生まれた愛はそれだけじゃないわ。誰にも奪われたくないの。私が、この私が彼を幸せにしたいの。いいえ、彼を幸せにするのは私だけよ。それが愛よ。他の人じゃダメ。私が、私だけが、彼を愛して、彼に尽くして、彼に愛される。他の人は関係ない。ただ私と先生、ナゥシエルカとレオンハルトがたった二人の王国で、幸せに暮らしていればそれでいいの。ええ、欲しいのはその場所なの。あのブラキディオスの時みたいに、王子様の凱旋を待つ特等席。あのディノバルドを狩った時みたいに、二人だけでワルツを踊る広間。あのイャンガルルガを討伐した時みたいに、頑張って練習したダンスをお披露目する舞台。彼の隣にずっといられる、そんな場所よ。ええ、彼の隣なら、レオンハルト先生の隣ならそれでいいの。誰にも埋められていない彼の隙間で、私がすっぽり占領出来て、誰にも邪魔されることのない、彼に最も近い場所が欲しいわ。それはどこ? どこにあるの?」

 

 景色は後ろへと過ぎ去っていくはずなのに、ナッシェはどうしてか、その場から一歩も動けていないような錯覚に陥っていた。

 頭が動かない。今、走っているのかどうかも、この声の主が誰かも分からない。

 今喋っているのは幻覚(ナゥシエルカ)?それとも私?

 

 ジャリと踏み込んだ先に木の根っこが飛び出していて、足元が疎かになっていたナッシェは受け身をとることも出来ぬまま、どしゃ、と深い落ち葉の絨毯へ身を投げ出した。

 

「あうっ」

 

 顔から突っ込んでしまった。

 フルーミットのことを思い出す。

 痛くはなかった。

 柔らかな地面が優しく受けとめてくれたのだ。

 ほのかに湿った土の香りがツンと鼻を突く。

 

 くきゅるるるるる…………。

 お腹が減りすぎて、起き上がろうとしても力が出ない。

 今の今まで、ふらふらの状態で走っていたことに初めて気がついた。

 それくらいに、少女は消耗していた。

 

 陶然と語り続ける幻覚は、反論する気力もつきたナッシェへ、最初から知っていたかのような確信を持って結論を下した。

 

「そんなの決まっています。仲間です。頼れる仲間。いつもレオンハルト先生の隣にいて、彼と背中を預け合うんです。死と隣り合わせの戦いの中で、真にお互いの心を通わせながら、(ほつ)れることのない愛の糸を絡め合っていく。固く複雑に絡まり合った糸は、ほどけない。死が二人を分かつまで、私たちは永遠に一緒。たとえ死が訪れようと、私たちは離れ離れになりはしない。これ以上なく強い絆で結ばれるんだもの。これ以上ないくらいに素敵な場所」

 

 仲間。

 

 そっか、仲間か。

 

 一度聞いてしまった言葉は、まるで最初からそこにあったかのように、ナッシェの心の中を占めてしまった。

 

 ゴロリと身体を返して、空を仰いだ。

 青い空を広く覆うのは、無数の葉をつけた森だった。

 音もなく舞う落葉、二十メートル以上はありそうな緑の天井から降りてくる優しい木漏れ日。

 動きを感じずとも、古代林の静かな鼓動は確かに聞こえてきて、ナッシェの小さな胸いっぱいに広がった。

 

「そうです、休んでしまいましょう。先生がピンチになるまで、少し時間が必要ですから。ほんの少し休んでしまえば、体力も回復します。そうしたら、また走り出せばいいんです。あの日のように。私をおとぎ話の世界へ導いてくれたあの日のように、ちょうど良いタイミングで介入して、彼の一太刀を代わればいいんです。仲間のために前に出て仲間を守る。

 ええ、あの日私に恋心の芽生えがあったように、先生だってきっと貴方のことを気にせずにはいられなくなる。これ以上ない強烈なアピールになる。さあ、目を閉じて。少しだけ、幸せな夢を見て、それから先生のことを想って走れば良いのです。大丈夫。誰も、十四の女の子が二十キロを走破できるなんて思わない。これはちょっとした悪戯よ。貴方のことを見てくれない先生への、かわいい悪戯」

 

 言葉もなく空を見つめ続けるナッシェの耳元に顔を寄せて、甘くて残酷な呪詛を紡いだ。

 

「だって、愛されたいのでしょう? 愛されたかったのでしょう?」

 

 その言葉に、肯定も否定もせず、ナッシェは感情の凪いだような青い瞳を静かに閉じた。

 

 とくん、とくんと、小さな心臓が脈打っている。

 

 耳に聞こえてくるのは、古代林の密やかで雄大な息づかい。

 どこか遠くでモンスターが嘶き、色鮮やかな鳥が飛んで、木の実が地面に落ち、今寝転がっている地面の下で芽吹きを待っている。

 

 なんて大きいんだろう。

 優しい涼風が汗ばんだ額を撫でて、ふわりと消え去っていく。

 全く静かな場所で、何も脅威のない穏やかな空間。

 大切な人に見守られているような、心地良い場所だった。

 ああ、もしも、私の隣で先生が寝ていてくれたら。

 

 ゾクリと、背筋が震えた。

 それは、狩りで感じる恐怖でも、冷たい水に浸った反射でもない。

 見てしまった夢の、心地良く気持ちいい味を感じた故の震えだった。

 

 どんなに幸せな物語にも負けない、天国のような夢。

 ああ、先生、待っていてください。

 

 

 ナッシェの心は、一点の曇りもなく澄み切っていた。

 

 背中に大地の鼓動を感じながら、ゆっくりと息を吸って、呼気の代わりに言葉を吐き出した。

 

 

 

「好きなんて言葉じゃ、ぜんぜん足りない」

 

 

 プチンと儚い音がして、ナッシェはパチリと目を開いた。

 

 

「私の想いは、どうしたら伝わるの? 『愛してる』? 『貴方のためなら死んでも良い』? 『この世の誰よりも好き』? 『私とちゅっちゅペロペロして』? 全部ダメ。全部()()()()()

 

 幻覚の言うとおりにすれば、もしかしたら上手くいってしまうのかもしれない。

 けれど、そんなことではダメなのだ。

 

「仲間? そんな生易しいものじゃダメ。本当に愛し合っている二人なら、仲間なんかじゃ満足出来ない。本物の愛よ。本当に心の通じ合った二人が、死に分かたれようと消えない絆で結ばれる、そんな愛が欲しい。

 今のままではいけない。

 分かっているわ。分かっているの。

 私はこんなに好きなのに、先生がちっとも気付いてくれないのはどうして?」

 

 ギュッと手を握り、身を起こしたナッシェは、レオンハルトがいると思われる方向を向きながら、はっきりと言い切った。

 

「私の愛が足りていないから。それだけ」

 

 幻覚のことなど見なくても良い。

 口に出さなくてもいいけれど、言葉にして言ってしまいたかった。

 

 あの人の目は、いつもどこか遠くを見つめている。

 小さな愛では、あの人の視界に入らない、足りていない。

 足りていないなら、足してしまえばいいんだ。

 

 だって、こんなにも好きなのだから。

 

 どんどん心が溢れてくる。

 空腹で倒れてしまいそうだった身体の奥底から、山奥の泉のように活力が湧き上がってきた。

 全身の疲れはすっかり取れてしまっていて、酷使に震えていた両脚には底なしの(ちから)が漲っている。

 

 そういえばと腰のポーチに手を入れると、そこにはあるべきキノコの感触がなかった。

 

「貴方は、ドキドキノコの幻だったのね」

 

 ナッシェは全く晴れやかな気持ちで、“ナゥシエルカ”に向き合った。

 一点の曇りもなく、恍惚とした面持ちで頷く彼女は、きっと自分と同じ顔をしているのだろう。

 

 私は私、想う人は一人、見ている者もただ一人。

 抱く心が、違うはずもない。

 

「貴方はもう用済みよ。“ナゥシエルカ”は捨てられたもの」

 

「…………私は、また捨てられてしまうのね」

 

 ええ、とナッシェは心の中で頷いた。

 きっと、お城に帰っても居場所は存在しない。

 他の人が入る隙間も、私の中に存在しない。

 

 ナッシェはポーチから、手探りで薬草の束を掴み出した。

 

「愛を始めるのに、アピールなんて必要ない」

 

 ドキドキノコのびっくりな薬効(幻覚作用)を打ち消すには、トウガラシでも噛めばいい。

 ナッシェは、さようならと前を向き、レオンハルトがそうするように、ワイルドに薬草を噛み千切った。

 

「先生は絶対に私を愛してくれる。そうに決まっている」

 

 ダッと駆け出したナッシェの頭の中には、これから訪れるであろう素敵な未来予想図が描かれていた。

 

「私は、レオンハルト先生の腕の中にいられれば、それでいい」

 

 血が全身を駆け巡る。

 トウガラシの辛さはほとんど感じなくて、むしろ、薬草独特の甘さと苦さが喉元を過ぎ、ナッシェの胃へと消えていった。

 

 空腹は未だ感じているけれど、そんなことは問題ではない。

 何かを狩っている暇なんて無いし、山菜採りをして調理する暇もない。

 真っ直ぐ、愛する先生の元へ。

 

「私を、褒め、て…………?」

 

 そして、違和感に気がついた。

 唐突な、それでいてこの上なく強烈な眠気がナッシェを襲ったのだ。

 全身に巡った毒のような睡魔が、一瞬で少女の意識を暗がりへと落としていく。

 

 モンスター?

 毒?

 

 待って、おかしい、そんな、こんなの。

 

 わたし、まだ、先生に褒められてない。

 

 ふと、手元を見下ろすと、右手に握っていたのは青白い薬草。

 トウガラシじゃない。

 

「ネム…………」

 

 抗うことも叶わず、ドサッと地面に倒れ込んでしまった。

 起き上がろうにも、投げ出された四肢が動こうとしない。

 強大なモンスターさえ一瞬で昏倒させる薬草、“ネムリ草”を生で咀嚼した少女は、黒く落ちていく意識の中で、ピンク色の怪鳥が舞い降りてくるのを見たような気がした────。



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幕間

 

 

「――一、足す、一、は?」

 

「……二」

 

「千、引く、七、は?」

 

「…………え、えっと、きゅ、きゅう……」

 

「九百九十三だよ」

 

「きゅ、急に難しすぎるんですよ!」

 

 外来ハンターを泊めるために、龍歴院が提供するホームで、アナスタシアは、理不尽なG級ハンターの話し相手をしていた。

 もちろん、娯楽のための本やマンガも置いてある。

 少女向け漫画を開いたままのラファエラは、まごうことなき無表情であるにもかかわらず、微妙に愉しそうな雰囲気を出して、

 

「じゃあ、千引く七割る七引く七引く七引く七引く七引く七引く七引く七引く七引く七引く七割る七引く七引く七引く七引く七引く七引く七割る七引く七引く七引く七割る七引く七引く七引く七割る七引く七引く七引く七引く七引く七引く七引く七引く七引く七引く七割る七、は?」

 

 七が頭の中を埋め尽くして、どうにかなりそうだった。

 七、え、七、え、わる?

 (ワル)

 

「…………無理! ゼッタイムリ!」

 

 紙に書いたって一生分からない気がする。

 そもそも、『引く』は計算できるけど、『ワル』は計算じゃなくてただの性格なんじゃ…………。

 

「アナ。ムリって言うからムリなの。ムリって言わなかったらムリじゃない」

 

「センパイみたいなコト言わないで下さい………」

 

 人外はもうたくさんだとばかりに首を振るアホの子。

 

「ヒントはね、七の倍数だよ」

 

「人の言葉で喋って!?」

 

 バイスウなんて言われても、何かの料理の名前にしか聞こえないアナスタシア。

 ナナノバイスウ?

 なにそれ、美味しいの?

 

「うん、でもこのマンガはおもしろいね」

 

「そしてこの話の飛びようですよ」

 

 ペラペラとページをめくるラファエラに、アナスタシアは絶望的な表情を浮かべた。

 彼女との会話はどうも疲れる。

 さっきからコミュニケーションが成立している気がしない。

 もしかして、G級ってみんなこんな感じなのかな……いや、それはさすがに…………。

 

「ねぇ、ここもおもしろいね。笑える」

 

「はい?」

 

 ふと、ラファエラが無表情のまま、開いていた漫画の一コマについて感想を言った。

 今まで漫画について一言も発していなかったから、漫画は彼女の尋常でない嗜好に合わなかったのかと思っていたけれど、意外と普通の感性も持ち合わせているのかもしれない。

 白魚のような指が示す場所には、主人公の女の子が好きな男の子と再開する場面が。

 

 

『…………久しぶり』

 

 そっぽを向きながら頬を染める女の子に、男の子はドキリとして…………。

 

 

「……そんなことで心が動いてくれたら、どんなに楽なんだろう…………」

 

 レオンハルト基準の色恋沙汰しか知らないアナスタシアは、遠い目をしながら一人で悲しくなっていた。

 故郷では基本的にお見合いだったし、戦える女性は自分を倒せる男性と結婚するのが習わしだったのだ。

 

 それにしても、彼女は一体何に笑ったのだろうか。

 少なくとも、表情はピクリとも動いていないが。

 

 人外は基本的に感覚がズレているのだろう。

 この人達って、恋愛感情とは無縁の存在なのかも。

 

 あ、でも、せ、性欲はあるんだよね…………。

 

「良いなぁ」

 

 だから、ポツリと漏れたその呟きは、アナスタシアにとって意外なものだった。

 

「……ラファエラさんって、恋愛に興味とかあるんですか……?」

 

「うん。ハルはまだかなぁ」

 

「……春って……」

 

 出逢い的な意味の春という意味だろうか、それとも季節の方の春に話が飛んだのだろうか。

 聞こうと思ったけれど、彼女がまともな答えを返してくれる気がしない。

 

 日頃から、察しの悪さのせいで孤立(ぼっち)気味になっているアナスタシアは、見当違いの二択にうむむと唸っていた。

 

 G級ハンターの真意を察するまで、残り三時間。

 

 








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セリヌンティウスの戦い〈2〉

 人間もモンスターも、大きな力を持っている。

 それは、過酷な生存競争に曝され続けるこの世界で、何とか生き残ろうと果敢に進化を続け、戦い続けた結果だった。

 時には、その力を何気なく使っただけで、自分たちが所属している生態系バランスを崩してしまうことさえある。

 

 だけれども、人間は理性を持っている。

 巨人の如き力を制御して、自分と自然を、時に対岸に置き時に隣に置いて、自分の位置を確かめながら生きていくことが出来る。

 

 もしも人間が、自分もまた自然の一部であることを忘れてしまい、生態系の外側へはみ出してしまったら。

 人間と自然を全く対照的なものと捉えて、自然保護の名の下に動き始めてしまったら。

 それは、理性なく自然を喰らう暴食の王(イビルジョー)と何ら変わる所もない。

 傲慢で、自分勝手な進化は、いつか生態系を滅ぼし、生態系に滅ぼされてしまうだろう。

 “恐暴竜”イビルジョーのように。

 

 彼らの進化は、あまりに異端だった。

 あまりの飢餓感からその巨躯を怒りのままに踊らせ、目につく肉を片っ端から喰らっていくイビルジョーは、とにかく食べ過ぎる。

 

 “食べ過ぎる”なんて、普通の進化では有り得ない。

 

 満たされない飢餓は進化先の飢える種を絶やすものだ。

 悲しき進化は、その先に終止符を打たれるように出来ている。

 

 物足りなさを常に抱えて、生存ギリギリの所を生き延び、それを繰り返すために進化を行い、また物足りなさに出会う。

 生態系バランスに合わない進化をしてしまったら、そこで終わり、生き延びることが出来ずに、絶滅するしかない。

 それは、太古の昔から──古代林の生まれるよりもずっと前から──続いてきた、残酷で美しい自然の営みであり、進化の在り方だった。

 

 イビルジョーがギルドに特別に危険視されているのは、その営みから離れてしまっているモンスターであるということからだ。

 

 普通、生物は生態系システムから逸脱するようには進化しない。

 生命とは、互いに相関しながら奪い奪われる平衡を保つ、一種の化学反応だ。

 その平衡を崩すことは、生態系からの離脱に他ならない。

 その逸脱は、速やかなシステムの破綻を招く。

 崩された生態系はその中身を完全に変性させ、または、崩壊に耐えようと柔軟に変化し、全く別の形をとるだろう。

 

 異端者の存続を受け入れて、彼らに共依存する形になるかもしれない。

 異端者(イビルジョー)に対する牙を持とうと、対抗するように特異な進化を遂げた種が現れて、彼らを根絶やしにするかもしれない。

 或いは、“生態系の消失”といえ形で存続し、異端者ただ一種が存在する生態系に変わるのかもしれない。

 

 ただ一つ明らかなのは、生態系の一員である人間にとって、生態系自体の終焉を招きかねないイビルジョーは絶対的な敵であるということだけ。

 彼らは、受け入れられない運命を背負った、悲しきモンスターなのだ。

 

 願わくば、人間が自然から飛び出してしまいませんように。

 

 

 つまり、何が言いたいかというと。

 

 

 

「ナッシェェッ!?(はよ)ぅ戻ってきてぇぇぇ!?」

 

 

 

 雲一つ無い蒼穹を見上げて、レオンハルトは涙を流しながら絶叫していた。

 

 前方に広がるのは開けた大地。

 地平線の辺りに火山を見る緑色の大平原だ。

 

 後方に控えるのは暗緑色のイビルジョー。

 立ち上る湯気のような黒い雷を撒き散らしながら、食欲全開でレオンハルトを追い回しているのだ。

 

 かわいい。

 

「ほんとキモい! コッチくんなッ!!」

 

 過去言われたセリフの中で最も凶悪だったものを吐いて威嚇してみるも、双眸を爛々と輝かせながら迫り来るイビルジョーに効果はなかったようだ。

 

 レオンハルト史上最高速度に近いダッシュで暴食の権化から逃げようとひた走るけれども、そこは狂った脚力に定評のあるイビルジョー。

 

 ドンッ!!

 

「…………ん?」

 

 大地を揺らす振動に嫌な予感がして、ふと後ろを振り返ると、そこには大地を踏み切り宙を舞い、人間(エサ)の方へ一直線に飛びかかってくるイビルジョーの姿が。

 

「あでゅぅぅッ!?」

 

 間一髪、身体の舵を全力で真横に切って地面に倒れ込み、口から突っ込んできたイビルジョーをいなしきった。

 

 ガリガリと大地が削れる音。

 地面もかじっちゃうってどうなんですかね。

 

「死ぬッ、死ぬるッ、死んじゃうのぉぉ!」

 

 涙やら汗やらよだれやら、色々なものを垂れ流しながら跳ね起きて駆け出すレオンハルトに、「ギャオォォォッ!!」と怒りの咆哮を浴びせるイビルジョー。

 

 こちらから襲いかかったり立ち向かったりする分には、まだ人間にだって勝機はあるし、武器さえあれば、レオンハルトも立派な死神にジョブチェンジできる。

 しかしながら、こと自然界において、何もない平原を自分の足で逃げ続ける人間というのは、モンスターにとって格好の餌にしかならない。

 いくら全力で走っても、強靱な体躯を誇るモンスターからして見れば、ただの新鮮な生肉である。

 

 森の中でイビルジョーを引き留めたまでは良かったものの、そこは健啖の悪魔イビルジョー、コスパの悪いレオンハルトよりも、他の肉を探しに行こうと舵を切ってしまったのだ。

 必死で追いかけたレオンハルトを待っていたのは、龍歴院が“大平原”と呼ぶフィールドでのデスレースだった。

 

 本当に、今回ばかりはダメかも分からない。

 途中で拾った厳選キノコを生で頬張りながら──良い子は絶対に真似してはいけない──、レオンハルトは涙を流して走っていた。

 こんなもの、命がいくつあっても足りな…………。

 

「おっふ」

 

 乳首がこれまでにないほどビンビンに勃起して、背中に強烈な悪寒が走った。

 涙を拭きつつ、長年培ってきた勘に後ろをチラリと確認したところ、

 

「おっ────」

 

 アホみたいな存在のイビルジョーが、馬鹿みたいな咬合力でもって地面から岩をすくい上げて、ブンと勢いをつけてこちらに投擲していた。

 

「────ァァァモォォォォレッッッ!?」

 

 身体を捻りつつダンと跳躍、無様なトリプルアクセルを決めて頭から地面に突っ込み、すんでの所で直撃を免れた。

 “アスリスタシリーズ”の肩に岩の角が掠って、肩を外されそうな衝撃に何度も地面を転がる。

 

「ぐぉぉ…………」

 

 普通のハンターなら死んでたな。

 オラってマジ天才。

 乳首気持ちいい。

 舌噛みそう。

 死んじゃいそう。

 

 痛みに呻く暇もなく、血走った目と目があってしまったレオンハルトは、脱兎の如くその場を離脱した。

 

 食欲に任せて追いかけるイビルジョー。

 全力で逃げの一手を打ち続けるレオンハルト。

 極めて致死率の高い鬼ごっこだ。

 

 ナッシェはまだか。

 これだけ暴れていれば、場所が移動したことも流石に気がつくはずだろう。

 悪いものでも拾い食いして行き倒れになっていたらマズいな。主に俺が。

 

 レオンハルト基準で起こりうる様々な事態を想定して、別行動をとる弟子を案じながら、ジグザグに走って飛んで跳ねて、一世一代の逃走劇を繰り広げ続けた。

 

 

 さしものレオンハルトだって、弟子が生ドキドキノコを丸かじりして食中(しょくあた)りを起こした上、睡魔に理性を奪われてクック先生を上手に焼いていることなど知る(よし)もない。

 

 

 そうしてレオンハルトは、岩石砲二射目を上手く避けきれず、背中を突き飛ばされて、微妙に大きな方を漏らしながら宙を舞うのであった。

 

 

 あ、これ死んだかも――。

 

 

 

 

 



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走れナッシェ〈完〉

 ――変化のない湖に身を任せて揺蕩うような意識の中に、芳醇な野生の旨味がじんわりと広がるのを感じた。

 

「――?」

 

 そっと目を開けて見ると、手元にはジューシーなこんがり肉があった。

 一口分くらいかじってある。

 舌の上に、とろけそうなくらいに濃厚な旨みが残っている。

 

 思わずかぶりついた。

 口の中に肉汁天国が生まれた。

 うん、おいしい。

 

「……ぇ」

 

 雑草たちの上にちょこんと座ったまま、きょろきょろと辺りを見回す。

 背の高い落葉樹の木々が生い茂る森の中、見覚えのある落葉の景色、放り出された肉焼きセット、地面に倒れ伏したイャンクック先生、懇々と湧き出る鮮血の泉。

 

 特筆すべき所も特にない、ごく普通の狩り場で、古代林は今日も平和だとありきたりな感想を抱き、

 

「ぇ」

 

 それはおかしい。

 落ち着いて整理しよう。

 

「悪い夢を見て、トウガラシとネムリ草を間違えて、今……?」

 

 ちっとも整理できなかった。

 

 どうしてクック先生の死体がそこにあるのか。

 どうして自分はこんがり肉を持っているのか。

 

 そもそも、誰がクック先生を…………?

 私は確かに、イャンクック狩りを我慢したはず。

 では、どこからが夢…………?

 

 

「…………」

 

 

 ナッシェはごくいつも通りに思考を放棄した。

 考えても仕方のない不可思議なことは、往々にして存在するものだ。

 大抵の場合、どこかしらに人間の錯覚が存在しているが故に不可思議なものになる。

 錯覚の正体が分からない以上、解明の思索は無駄なのだ。

 

 ふと、目覚めの衝撃で忘れかけていた空腹感を思い出したナッシェは、手元のこんがり肉に目が釘付けになった。

 ジュージューという美味しそうな音を小さく立てながら、こんこんと湧き出る肉汁。

 

 お肉を食べて、気持ちを切り換えよう。

 それがいい。

 

 食べかけのこんがり肉に、吸い込まれるように歯を当てた。

 ガブリと噛み千切って、一口分のこんがり肉を咀嚼し、飲み込んだ。

 

「…………おいしい」

 

 ほうと出た溜め息と共に、思わず感嘆の声が漏れる。

 コクのある硬めの肉は、噛めば噛むほど旨みが口の中に広がって、一口をゴクリと飲み下すまでのひとときは、夢から覚めるような心地だった。

 

 肉体の疲労が駆逐されていくような感覚と一緒に、果たすべき使命を成し遂げることへの前向きな希望が生まれてきた。

 頭上を見上げれば、太陽は天頂まであと二時間の所に来ていて、燦々と輝く光が落葉を照らし上げ、ふかふかの地面に黄金の斑点を映し出している。

 

 ゆらゆらと揺れる光のヴェールを破り捨てるように、お姫様を覆い隠す白い夢を壊してしまうように、ナッシェは勢いよく駆けだした。

 

 お昼ご飯までには、まだ時間がある。

 私を、私の到着を待ってくれている人がいるのだ。

 少しも弟子の成功を疑わず、貪食の王と冷静に対峙している人がいるのだ。

 

 私は、信じられている。

 私がどんな立ち位置にあるかなぞ、問題ではない。

 私は既に、レオンハルト先生にとってかけがえのない弟子であり、仲間であるのだ。

 

 アピールしなくては、などと言ってはいられない。

 私は信頼されている。  

 つまり、私は愛されているのだ。

 私は、彼の仲間という唯一無二の愛を託されているのだ。

 

 私は愛されるのだ。

 私は愛されたいのだ。

 待っていて下さい、先生。

 

 耳をこそばゆい風が駆け抜ける。

 耳朶を穿った姫の声はもう聞こえない。

 ナゥシエルカは、自分の夢に自分を捧げられる女の子だ。

 

 私は信頼に報いなければならぬ。

 私は愛に応えなければならぬ。

 何故なら、私がそう望むからだ。

 

 走れ、ナッシェ!

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

「────そぉい!」

 

 気合いの入った掛け声と共に、マッカォがブンと投げ飛ばされた。

 

 緑の矮躯が飛んでいく先は、暴食の王の口の中。

 

「ギャァッッ!? ア゛ッ」

 

 バキボキと嫌な音を立てて咀嚼されていくマッカォ。

 目の前で展開される悲惨なスプラッタを前に、マッカォの群れは一も二もなく逃げ出していく。

 

 そんな彼らを後ろから追いかけるのは…………。

 

「オラオラオラァ! 逃げるんじゃねぇゴルァ!?」

 

 マッカォの肉を、自分の代わりにイビルジョーに捧げてはオラつくレオンハルトだった。

 血赤色の瞳孔は逃げ惑うマッカォ達から離れず、充血した目は完全にキテしまっている人間のそれだ。

 

 端的に行って、レオンハルトの背中を追い回すイビルジョーの瞳とあまり変わらない。

 

 古代林の平原で、神様も真っ青な極限の生存競争が行われていた。

 マッカォからしたら、突然襲いかかってきた悪魔達によるただの殺戮劇である。

 

 猛然とマッカォを追い立てたレオンハルトは、群れの最後尾に位置していた一頭の尻尾をガッチリ掴み、人外の膂力を以て回転運動を始め、ハンマー投げの要領でイビルジョーに投げつけた。

 

 飛び込んできた肉を容赦なく喰らうイビルジョー。

 喰われるマッカォ。

 逃げ惑うモンスターたち。

 追いかけるモンスターたち。

 

 まさにこの世の地獄だ。

 

 レオンハルトにとっては、武器なしでイビルジョーから逃げ続けることが出来、更に増えすぎたマッカォ達の討伐も出来るという、一石二鳥のアイデアである。

 

 インナーの中が久しぶりの悲劇に見舞われそうなのだ、手段を選んでいる暇はない。

 自業自得とはこのことだ。

 

 兎にも角にも、今は、

 

「ナッシェ! まだ!?」

 

 この一言に尽きる。

 本当に、早く来てくれないと残機(マッカォ)が絶滅してしまう。

 やはり何かあったのではないだろうか。

 

 送り出すときも心配ではあったのだ。

 ここ最近は特に、弟子の雰囲気が普段と違っている様子であった。

 一人で狩りをすることにはある程度慣れさせてきたのだから大丈夫だろうという判断をしたのだが…………。

 

 師匠というのは、想像以上に気配りの大変な立ち位置だった。

 自分の体調ではないから判断がつきにくかったりもする。

 自分以外のハンターのことをよく知らないのだ、判断材料の乏しさというのは全くよろしくない。

 

 人生経験の少なさが一番響くのは、誰かと一緒に過ごすときであると日々実感しているレオンハルトである。

 

 彼女の具合を判断しようにも、もしかしたら“女の子の日”とかなのかもしれないと思ったり、ただの風邪かもしれないと思ったり。

 女の子の日だったら激しい運動は控えた方がいいのかとか、ただの風邪なら普通に狩りが出来るとか、色々考えてはみた。

 

 しかしながら、全力で可愛がっている女の子──しかも金髪のお姫様みたいな美少女──に、「女の子の日来たの?」と尋ねるのは、デリカシーの無さに定評のあるレオンハルトにも少しばかり難易度が高い。

 色々なベクトルでコミュ障歴を積んできた彼を以てしても、この質問は繰り出せない。

 

 そんなこんなで、マッカォ九匹をイビルジョーの胃袋に送り終えたレオンハルトは、緑の草原を全力で疾走していた。

 

「ッ、このッ、爽ッ快ッ感ッ!!」

 

 舌を噛みそうになりながら、人生の浮き沈みを謳歌するレオンハルトは、背の高い木々の生い茂る森へと駆けている。

 イビルジョーは、やはり空腹感を満たすことが出来なかったようで、レオンハルトを追いかけていた。

 

 本当に迷惑な怪物(モンスター)たちである。

 

 ドンッ!!

 

「ヒエッ」

 

 背後の地面を押し潰した落石の衝撃に、レオンハルトは悲鳴を上げながら飛び上がった。

 そこにあるのは、常日頃のハンター然とした姿勢ではなく、ガーグァのように潔い逃げの姿勢だ。

 

「イヤァァァァァ!!」

 

 空中を踊る巨躯をジャンピング土下座で回避し、カタパルトの如き岩の雨をかいくぐり、地面を総嘗めにする黒い雷のようなブレスをベリーロールで飛び越えて、とうとうレオンハルトは大きな森の一角へと辿り着いた。

 

「ヒャッホゥ、待ってたぜぇ!?」

 

 怖い地上はもう嫌だとばかりに、先祖返りした猿の如く、ババコンガも顔負けの木登りテクニックで樹上へと登っていく。

 道具を失った人間(さる)の安住の地は、やはり木の上である。

 古代林の木々が木材として出荷されていなくて良かったと、本心から思ったレオンハルト。

 わずかな引っかかりに足をかけ指をかけ、ヌルヌルと枝を掴んで上に行くその様は、ヘビかゴキブリのようである。

 

 遅れて森の端へと到着したイビルジョーが、憎きエサを揺すり落とさんとばかりに、木への全身タックルを仕掛けたのはその時だった。

 

 ドォォォン!!  

 メギメギメギィッッ!!

 

「あ、この木折れそう」

 

 事も無げに呟いたレオンハルトは、申し訳ないなと思いつつ、シュッと首を横に傾ける。

 刹那、レオンハルトの顔があった場所へ、ドスッと一振りの刃が突き刺さった。

 

 レオンハルトが止まる木の幹へと飛来したのは、“雷狼竜”ジンオウガの中でも二つ名を受けたほどの強力な個体、“金雷公”から剥ぎ取った素材をふんだんに使った一級片手剣、『金狼牙剣【折雷】』だった。

 研ぎ澄まされた刃は鋭く、その身が易々と木の内側へと入り込んでいるほどだ。

 

「待ってたぜぇ、ナッシェ! だけどな!」

 

 レオンハルトは右手で枝の根本を掴み、突き立てられた剣を抜きながら、ブーメランの如く回転して飛んできた盾を両足でバシッとキャッチして、背後にいるであろう弟子へと叫んだ。

 

「武器を投げたら危ないだろ!!」

 

 モンスターと対峙しているときに、武器を投げてしまったら危なくなるのは自明。

 それが出来るということは、一人前のハンターの証なのだ。

 レオンハルトはそう思う。

 つい三週間前にガンランスを投擲して破壊した男は、嬉しそうに弟子の成長を喜んだ。

 

 器用に全行程を終了したレオンハルトは、両脚を枝の上に回して引っかけると、コウモリのようにぶら下がりながら盾を右腕に装着した。

 

 勿論、イビルジョーによるタックル攻撃のせいで、木全体かものすごく揺れている。

 

「あー、もー、気持ち悪いなー」

 

 その顔に、先ほどまでの情けない泣きっ面はもう浮かんでいない。

 あるのは、本能に身を任せて暴れ回る、獰猛な獣の闘争心だ。

 

 あと、せめて弟子の前では格好をつけたい。

 

 腹筋の要領で枝の上に起き上がったレオンハルトは、木が折れる前に飛んでしまおうと、大した感慨もなく自由落下へ踏み切った。

 

「よっしゃ、反撃開始ィ!」

 

 風がビュンビュンと頬を切り、地獄絵図の鬼は歓喜と憤怒の咆哮を浴びせてくる。

 

 ああ、やっぱり、追われるより追う方が好きだわ。

 

 真紅の血飛沫が舞い、蒼と黒の雷が入り乱れる。

 

 血に飢えて爛々と輝く赤い瞳は、早くコイツと殺し合おうと、一途な視線を向け続けた。

 

 

 

「やっぱり師匠(せんせい)はすごいなぁ」

 

 頭上からイビルジョーを急襲し、斬撃の嵐を生み始めたレオンハルトを見つめながら、ナッシェはうっとりと呟いた。

 常識をつける前に失ってしまった箱入り少女は、近くの岩に腰掛けて、新鮮な肉の丸焼きを食べながら、一番大好きな演劇の舞台を一等席で観覧し始めるのだった。

 

 ピリリと辛みの効いたトウガラシが美味しい。

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 ────ベルナ村へと続く地中を、一匹のオトモアイルーが掘り進んでいた。

 

 プルプルと毛に付いた土を払う事もなく、アイルー族が誇る地下潜行力を遺憾なく発揮して、真っ黒に汚れたアイルーは全力で土を掻き続ける。

 

 つぶらな瞳には、被虐を追求する普段のだらしなさが微塵も映らず、ひたむきに目の前の土を掘り進め、耳を常にそばだてて地上の様子を確認しながら、どんどん先へ進んでいく。

 

 旦ニャ様のピンチニャ。

 一世一代の大ピンチニャ。

 こんなこと、これまでは全然無かったのニャ。

 ニャーがオトモし始めてから、初めての大ピンチニャ。

 

 

 ザブトンは、オスのアイルーだ。

 レオンハルトとはとある狩り場で偶然出会った。

 彼の腕に惚れ込んで、勝手にお供し始めたのだ。

 

 オトモアイルーを始めて八年、レオンハルトの武勇伝(多少の誇張有り)を聞いたって、ここまでの窮地に立たされたことがあっただろうか。

 

 ザブトンは悲しいほどに変態で、アイルー仲間の中にすら彼の性癖を理解する者はいなかったが、彼のご主人様は完璧だった。

 ドMというものを理解し、的確な責めを与えてくれて、尚且つ見るだけでも絶頂を覚えるような絶技でモンスターを屠っていく。

 最早神域にすら手を伸ばさんとするそのレオンハルトが、これまでにない窮地へ立たされている。

 

 いかなザブトンが認めた最強のハンターといえど、素手で立ち向かえるモンスターには限度がある。 

 

 さあ、急げ、もっと掘れ、もっと早く。 

 

 己に出来る全てを尽くして、旦ニャ様に奉公せねば。

 

 

 



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登場人物
登場人物一覧


可愛いなぁ…………(幼女を目で追うY)


 ロリは性欲の対象に非ず、愛の対象である。
                 Yの言葉



登場人物紹介

必要のない方は、読まなくても問題ありません。
次話へお進み下さい。




・コミュ障ベクトルについて
(会話の)意味不明度、人見知り度、察しの悪さ(=共感能力の低さ)の三成分で評価しております。レベルは0から5です。

・ブラック耐性について
レベル0から5までで評価しております。レベルが高いほど優秀なギルドの家畜、つまりギル畜です。現実と照らし合わせております。


意味不明度 目安
   0  分かりやすい!
   1  大衆前で緊張するとテンパる。
   2  アドリブの会話でテンパる。
   3  話が分かりにくい。
   4  モンスターなら会話できる。
   5  生きてる世界が違う。

人見知り度 目安 
   0  コミュ力高きことリア充の如し。
   1  初対面の人はちょっと緊張。
   2  必要なかったら話しかけない。
   3  親しい人としか話せない。
   4  むしろモンスターに話しかける。
   5  人? お花のこと?
 
察しの悪さ 目安
   0  言葉に出さなくても分かるよ。
   1  分かんない、ちゃんと言ってよ。
   2  え、それどういう意味?
   3  解説のない会話は無理。
   4  自分の察しは絶対に正しい。
   5  いしんでんしん()。

ブラック耐性 目安
   0   友達とのお喋り頑張る。直帰。
   1   一時間頑張ったから帰ります。
   2   定時までは全力で頑張る。
   3   残業イケます。
   4   残業手当て? 美味しいの?
   5   人生=仕事


レオンハルト・リュンリー (24)

容姿:灰色の髪の毛、ぼっち、赤い瞳、身長もデカい。いつも狩人みたいな真顔、笑うと気持ち悪い。

多分イケメン。モテるヤツがイケメンじゃなかったら、それは嘘だと思う。

 

性格:内向的、思春期男子(但しコミュ障)、軽いM。

コミュ障ベクトル

意味不明度:3

人見知り度:4

察しの悪さ:2

 

ブラック耐性:5

 

ステータス

 HR7、孤高の上位ハンター。白雪姫世代を代表するハンターの一人でもある。

 人生経験の殆どを狩り場に依存しているため、人との折衝について精神的にやや未熟で内向的。

 累計狩猟ポイントを元に算出される『トップハンター格付けランキング』にて、六年連続トップ10入りを果たしている。

 数年前、ドンドルマのハンターズギルド本部から、龍歴院とハンターズギルドの提携を機に異動。

 今までまともに人と狩りをしたことがない、孤高のぼっち。

 一狩り行こうぜって言う前に、一狩り行こうぜの定義を考え始める系ハンター。

 身の危険を感じると乳首が勃つ。

 狩りの腕は人外級。

 黒歴史をかなり抱えている。

 女の子のパンツを脱がせるくらいは余裕だけど、頭を撫でるのはハードルが高い。

 対人関係において、重度の察しの悪さを発揮する。

 

愛用武具

 EXレウスS剣士一式、なるかみの音鈴の乙鳴、アスリスタ剣士一式、白猿薙【ドドド】、ガンチャリオット、テオ=オルフェス、覇笛ハウカムトルム、金狼牙剣【折雷】。

 

性別:男

 

 

 

モミジ・シャウラ (24)

容姿:濡れ羽色のロングヘアー、受付嬢の中でも特に色白美人、目とか黒い。傾城みたいなお胸をお持ち。

性格:嫉妬深い、度を超えたS、元純情、精神的にちょっと病んでいる。

 

コミュ障ベクトル

意味不明度:0

人見知り度:0

察しの悪さ:0

 

ブラック耐性:5

 

経歴

 

五歳   シャウラ家の養子に引き取られる。

十歳   ハンターズギルドのハンター養成所、“訓練所”に入る。白雪姫世代の中で育つ。

十二歳  モンスターとの戦闘で右肩を負傷。

十三歳  訓練所を卒業、受付嬢養成コースに進む。

十四歳  ハンターを見る目が買われ、ドンドルマ・大老殿にて受付嬢を担当。

十七歳  ギルドと折り合いの悪かった龍歴院との交渉に成功、ギルド出張所龍歴院支部の統括受付嬢に就任。

二十四歳 現在。

 

愛用武具

 よく切れる包丁、よく切れるナイフ。

 

性別:女性

 

 

 

アナスタシア (17)

容姿:健康的に日焼けしたデカい少女(180弱くらい)、亜麻色の髪、栗色の瞳。ふともものラインとか二の腕とか絶対エロい。お胸は控えめ。

性格:天然、優しい、深く考えない、人見知り、軽度のS、精神的に健全。

コミュ障ベクトル

意味不明度:1

人見知り度:3

察しの悪さ:2

 

ブラック耐性:2

 

ステータス

 ハンターズギルドとは独立した辺境の村で、独自の狩猟体系を確立してきた部落の族長の娘。

 セルレギオスを主とした、殺伐とした生態系を生き抜いてきたため、生存能力はかなり高い。

 天性の狩猟センスと類い希な運動能力を持ち、潜在的にはハンターズギルドでもトップクラス。

 勉強とは無縁の暮らしをしてきたため、数量計算がとても苦手。

 頭で考えるより身体が感じる。

 最近、トラウマであった狩猟行為を克服した。

 なお、料理を始めとする家事全般スキルは壊滅状態の模様。

 

愛用武具

 キーラアルティール、灼炎のテウザー、レギオスS剣士一式。

 

性別:女性

 

 

 

ナゥシエルカ(ナッシェ・フルーミット) (14)

容姿:金髪碧眼、妖精みたいな少女。最近表情が豊かになってきた。

性格:頭の中お花畑、お姫様脳、ポジティブ。愛が重い。

 

コミュ障ベクトル

意味不明度:2

人見知り度:3

察しの悪さ:0

 

ブラック耐性:4

 

ステータス

 実家のお城を飛び出した生粋のお姫様。

 物質的には甘やかされ、精神的には寂しめに育てられたため、常識の欠如が激しく、やや現実離れした思考と妄想癖を持つ。

 お伽話の中の世界を現実のものと信じ込み、それを実現してしまう非現実的な英雄(化け物)に出会ってしまったせいで、家出をして世間の荒波にさらわれた後も空想の世界で生きている。サンタさんはいるんだよぉ!

 なお、家事全般はアナスタシアより出来る。上手に焼くことと、失敗せずに調合するくらい。

 レオンハルトによって調教済み。

 

愛用武具 

 全自動対モンスター兵器(レオンハルト)

 彼が使った武器。防具は無くても良い。レオンハルトがいる。

 

性別:女性

 

 

 

 

ラファエラ=ネオラムダ (24)【白姫】

容姿:処女雪のような白い髪の毛、白い睫、真紅の瞳。モノブロスの角より赤い。(実はYのプレイヤーハンターがモデル。)

性格:世界がお花畑、自分の世界から出てこない。輝きのない人間の顔は、彼女の無意識が作り出した花のモザイクで識別することが出来ない。愛が別次元。

 

コミュ障ベクトル

意味不明度:5

人見知り度:5

察しの悪さ:5

 

ブラック耐性:5

 

とある秘密文書

 コード“サリエル093”に関する報告。

 『いかなる環境をも生き抜き、あらゆる生物に打ち勝つハンターの育成』を掲げる血塗られた名門・ネオラムダ家が生み出した、歴代最強の女性G級ハンター。

 有望株の多い白雪姫世代のトップを走っている。

 ネオラムダ家は同門で過去最高の傑作であるとしている。

 同時に、ネオラムダ家は彼女のコントロールを放棄した。

 

 十年前に発生した甲虫種大量発生の鎮静化に始まり、記録上初の極限状態セルレギオスの討伐、クシャルダオラの討伐、ゴグマジオスの討伐、ミラボレアスの討伐など、数々のめざましい武勲を上げて、G級ハンターに歴代最年少17歳で昇格。

 以降、現在までクエスト成功率百パーセントの実績を誇る天才ハンターとして活動を続けている。

 

 極めて独特の感性を有しており、常人では意思疎通をとることが不可能である。

 観察対象(G級ハンター)の中でもその実力と自我は飛び抜けており、現段階ではこちらの指示に従っているものの、完全な管理は絶望的である。

 

 特筆すべきは、文字通り『あらゆる生物に打ち勝つ』その強さである。

 通算古龍討伐数は二十一体とギルド史上最高記録を保持しており、ここ十年間で討伐された古龍の七割を彼女一人が受け持っている。

 『ブラキディオスと素手で殴り合い、これの討伐に成功』『ラージャンの調教に成功』などの噂が流れているが、真偽の程は不明。

 

 殺害人数は十歳時点で二十七人。

 累計モンスター討伐数は二十四歳現在で九千二百四体。

 危険性はレベルⅤとする。

 “サリエル093”の観察にあたるナイト諸君は、相手が古龍と同等の化け物であることを常に心得よ。

 

愛用武具 

 燼滅銃槍ブルーア、EXフィリア、シルバーソル。

 武器になるなら何でも良い。

 

性別:女性

 

 

 

 

フローラ (16)

 ベルナ村の受付嬢。女性。赤茶色のゆるふわヘアー。

 人をこき使う女王様タイプ。ベルナ村のハンターはだいたい彼女の言いなりになっている。

 押しが強い。

 意外と怖がり。

 受付嬢の仕事を教えてくれたのはモミジ。

 

アーサー (24)

 G級十位。称号は【蒼影】。元筆頭ルーキー。オレンジ色の短髪。ギルドナイトになってから結構擦れてしまった。金銭感覚が緩い。最近の悩みは若白髪。白雪姫世代のトップと言われるくらいには優秀だが、【白姫】がバケモノ過ぎてあまり目立たない。レオンハルトと面識はあるようだが…………。

 実は男性。我らの団のお嬢と深い仲になりたげだったから、てっきり公式が百合ワールド展開してくれたのだと思っていたのに…………。

 

お師匠さん (36)

 元G級、筆頭ハンター。男性。名前はまだない。称号は【金星】。名のある双剣使いで、ラファエラの才覚を公にした仕掛け人の一人でもある。現在は後続の育成に力を注いでいる。姐さんと結婚したらしい。チッ

 

姐さん (38)

 元G級、筆頭ガンナー。女性。名前はまだない。称号は【妖美】。ボウガンに造詣が深く、弟子の一人が19の若さでG級入りを果たしている。その知謀と慧眼は今もハンターズギルドに貢献している。お師匠さんと結婚したらしい。子供は四人。

 

ポワレ (33)

 ベルナ村の武具屋の主人。男性。後ろめたいことをしているようだが…………。

 

フルーミット・リュンリー (22)

 妹。お城のメイド。皿割りの達人。兄譲りの土下座の達人。お皿が無くても皿割りが出来る。兄と違って運動能力は絶無。お城にいる一部の紳士に絶大な人気を誇るドジッ娘メイド。そして絶壁。

 

 

執事 (71)

 百戦錬磨の執事。名前はランスロット。お茶を淹れるのがとても上手。血圧高め。

 

 

 




本編で間違っているところあったら、ご一報頂けると助かります(おい


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Ⅹ 伝説の残業マン
プロローグ


 合宿、もとい遠征の態勢建て直しのため、レオンハルトとナッシェの師弟二人は、ギルドから派遣された気球船で龍歴院へと向かっていた。

 

 ベースキャンプが破壊された関係もあるのか、今日は一段と、古代林に集まるモンスターの数が多かった。

 

 古代林には本来生息していないようなモンスターまで目撃されたために、イビルジョーを討伐した後も、肉を片手に一時間ほど狩猟を続けていたレオンハルトは、久しぶりに骨の髄まで疲れ切っていた。

 

「――先生、私をぶってください!」

 

「…………はい?」

 

 そんな中で放り込まれた弟子の爆弾発言に、レオンハルトは整備していた【折雷】を思わず取り落としてしまった。

 ゴリッとケツの骨が動いて、尻に敷いていたザブトンが「フギャッ!?」と悲鳴を上げる。

 

「…………ごめん、よく聞こえなかったわ。もう一回言ってくれる?」

 

「私を叩いてください!」

 

 大きい声で言われても分からなかった。

 これは、耳がおかしくなったんじゃなくて、頭の方がおかしくなったんですかね、俺の。

 

「ごめん、意味が分からないや」 

 

 今日の気球運転手さんは我らがフローラちゃんなので、余計にそういうことは小声で言って欲しい。

 現に、彼女の視線が氷点下を下回っているのだ。

 その「うわぁ……」って言う目は止めて欲しいなー。

 ああ、レオンハルト株が下がっていく……。

 

「私、先生にお仕置きしてほしいんです!」

 

「ワケがわからないよ……」

 

 美少女にお仕置きを頼まれて、いけない妄想しか浮かばなかったレオンハルトは悪くない。

 

「いつもみたいにお仕置きしてくださいってことです」

 

「その言い方はらめぇぇぇ!」

 

 語弊がある言い方をされて困るのは、いつだってコミュ障とぼっちである。

 つまり、両方兼ね備えた俺は最強。

 

「うわぁ……」

 

 フローラの目には、性犯罪者に対する侮蔑の色が浮かんでいる。

 あ、終わった……。

 龍歴院帰ったらこの子にチクられて袋叩きや。

 チクられるトコ想像して乳首勃ってきた……。

 

 もういっそのこと、ナッシェにお尻ペンペンでも仕掛けてやろうかと自棄になってきた。

 しばらくナッシェと二人で共同生活だったため、色々と溜まっているのだ。

 

 うーん、屹立。

 何がって、そりゃあナニか。

 

 ……落ち着け、俺の俺よ。

 物事には必ず原因がある。

 メッチャ良い子のナッシェがこんなことを言い出すからには、何か大きな理由があるはずなんだ。

 まずはそれを聞いてから判断しよう。

 

「……ナッシェ、一度落ち着こうか。急にそんなことを言われても、俺は困惑することしかできない。どうして叩いて欲しいなんて言うんだ。出来れば、俺は可愛い弟子を殴りたくはない。俺は一度もナッシェをぶったことはないぞ?」

 

 さり気なくフローラちゃんへとアピールをしながら、レオンハルトはしっかりナッシェへとカウンセリングを始めた。

 カウンセリングをしてもらった経験はない。

 もちろん本の知識から練り上げた“後輩が悩んでいる時のカウンセリングをするイメージトレーニング”の賜物である。

 

「それは、ですね…………」

 

 もじもじと言いよどむナッシェ。

 ほっぺたを赤くして、正座のまま太ももをスリスリする仕草は最高に可愛いと思います。

 

「おう、なんだ。とりあえず言っちゃえよ。俺は怒らないから」

 

 ここぞとばかりに株上げを断行するレオンハルト。

 不自然な笑みがフローラにキモがられていることなど知る由もない。

 

 しばらく口を噤んで俯いていたナッシェは、やがて意を決したように顔を上げて、

 

「実は、先生がイビルジョーと対峙している間にですね」

 

「うん? ああ、【折雷(さくちー)】取りに行ってくれた時か」

 

「はい。実は…………」

 

「実は?」

 

「…………お腹が減って、クック先生食べてました」

 

「何してんの!?」

 

 怒らないと言ったことも忘れて、レオンハルトは思わず叫んだ。

 ザブトンが「あっ、ソコぉ!」と気色の悪い嬌声を上げたが、それどころではない。

 

「ごめんなさい、どうしてもお腹が減っちゃって」

 

「その理論はおかしい!!」

 

 俺がウ○コ漏らしかけながら地べたを駆けずり回っていた時に、と続けそうになって、慌てて言葉を切った。

 

「ぽ、ポーチに何か入ってただろ!?」

 

「はい、ドキドキノコと、ネムリ草と、トウガラシが入ってました」

 

「ろくなモン入ってねぇな!?」

 

 弟子の女子力ならぬハンター力に、レオンハルトはやや心配になった。

 いつもポーチにアオキノコが入っているレオンハルトは格が違う。

 イビルジョーから逃げながらでもキノコを厳選できる彼は、食に関して人一倍うるさいのだ。

 

「それで、ドキドキノコを生で食べてしまって……」

 

「キノコの生食は慣れるまでやめなさいと死ぬほど言っただろ!? 危ないんだって、マジで! てか、お腹とか体調とか大丈夫なのか!?」

 

「食中りで、軽く意識が途切れたくらいです」

 

「それ食べちゃいけないキノコだよ…………」

 

 “キノコの毒性は食べてから判断する系ハンター”のレオンハルトは、弟子の将来が不安でたまらない。

 ナッシェはきっと、ドキドキノコに似たナニか、もとい何かを食べてしまったのだろう。

 普通、ドキドキノコを食べたくらいで、意識を失うなんて有り得ない。

 

「あ、それでですね、色々あって、気が付いたらクック先生を食べてたんです」

 

「本当に一体何があったの!?」

 

 ギャアギャアと叫ぶレオンハルトを余所に、曇天はゆっくりと動いている。

 

 それにしても平和である。

 こういう日は、火種を作らないようにとっとと釈明の弁を述べるに限る。

 

「そういうわけだから、フローラさん」

 

「ナンデスカ、リュンリー氏」

 

「やめて! その目は地味にクる!」

 

 妙な心地よさにブルリと身を震わせながら、レオンハルトは彼女が冗談で応じてくれているのを理解した。

 お仕置きの件が事実とは異なるものであると察してくれたのだろう。

 

 ああ、俺、コミュ障から脱しつつある…………。

 察しの悪さは、会話経験の乏しいコミュ障にとって越えがたい難所なのだ。

 これも、ナッシェとキチンとコミュニケーションをとってきたお陰だろう。

 ビバ、師弟関係。

 

「…………あ、そう言えば。

 最近、この辺りの航路をとっている気球船が、何隻か行方不明になってるんですよねー。モンスターの仕業かも! レオンハルト先生、一丁よろしくお願いします!」

 

「…………あの、フローラさん? そういう不吉なことは無しにしよう? 俺もう今日は無理だよ……。これ以上仕事よくない。今日は業務終了の方向でお願いします…………」

 

「またまたぁ。レオンハルトさん、モミジさんがよく言ってました。『無理と言うときは、途中で止めちゃったり、最初からチャレンジしないから無理なんです。最後まで諦めずにやり通せば、無理も無理じゃなくなります』って」

 

「フローラさん、彼女の言葉を鵜呑みにするのは良くない。特にそれはあかんヤツや」

 

 いや、本当にもう動けそうにない。

 一体何日分働いたのか分からないくらいだ。

 今日だけで三十頭くらいはモンスター殺めてるし。

 

 ああ、さっきから乳首の勃起が止まらねー…………。

 なんか変なものでも食べたかな…………。

 

 インナーに擦れて気持ちいい乳首は、なかなか鎮まらない。

 

「…………ん?」

 

 そして、よく訓練された優秀な乳首は、だいたいヤバい危険を察知していたりするのだ。

 

 ゾクリと悪寒が駆け抜ける。

 

「――伏せろ!!」

 

 叫んで、近くにいたナッシェを何も考えずに押し倒す。

 

 目を白黒させる弟子を腹に抱えて、レオンハルトは衝撃を覚悟し、

 

 

 バンッッ!!

 

 

 深紅の砲撃が、気球(バルーン)の中心を貫いた。

 

 

 

 



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社畜=人生ゲームの縛りプレイヤー

 龍歴院のクエスト窓口にて。

 

「シャウラさん、無理です。お話がさっぱり分かりません。てか、コミュニケーション出来ないです」

 

「貴方ね…………」

 

 かなりキテるG級ハンターとの交信に失敗したアナスタシアは、頼れる受付嬢に泣きついていた。

 

 泣き言を言う彼女の後ろで、アナスタシアが結わえた髪に、ラファエラがどこからか持ってきた一輪の花を挿している。

 どうやら、辺境の髪結いは気に入ってもらえたようだ。

 

 手元の書類から視線を上げたモミジは、一つ溜め息を吐いてから、小麦色のハンターに向き直って、

 

「ハンターの心得を教えてあげるわ。

 一つ、危険を見抜くこと。ハンターにとっては、自分の命が資本なのだから、ダメそうな状況であれば、無理をせず撤退しなさい。勇気と無謀を履き違えないでってことね。

 二つ、ギルドの言うことをちゃんと聞くこと。規定を破ったり犯罪に及んだりすると、ギルドから恐ろしい制裁を受けることになります。

 三つ、絶対に『無理』って言わないこと。最初に無理って言うから無理なのよ。どんなに難しそうなことでも、諦めずに挑戦してみればきっと無理じゃなくなるわ」

 

「最初と最後でものすごく矛盾してる気がするんですが、それは…………」

 

「何? ギルドに逆らう気? 恐ろしい制裁が待っているって言ったでしょう?」

 

「理不尽!!」

 

 ワーキャーと騒ぐアナスタシアに、「静かにしなさい」とラファエラが注意した。

 

「宇宙のこえが聞こえないでしょ」

 

「ごめんなさい、全然意味が分からないです……」

 

「そうなの?」

 

 真っ赤な瞳をキョトンとさせたラファエラは、華やぐような無表情でアナスタシアに詰め寄り、

 

「じゃあ、一緒に『お花摘み』しよう?」

 

「おはなつみ? トイレ?」

 

 世界線のあまりにも違う単語にクエスチョンマークしか浮かばず、淑女レベルの低さを露呈しているアナスタシアへ、モミジが横からアドバイスした。

 

「狩りに行こうって誘っているのよ」

 

「はい!?」

 

 何で分かるの!?

 

 思わず受付嬢へと振り返って、それからラファエラのことを見ると、彼女の頭で白いナゥシエルカの花が咲いていた。

 あれ、星見の花(ナゥシエルカ)って、さっきお花屋さんで見た気が…………。

 いつの間に買っていたの……?

 

「そう、いっしょにお花摘みすれば、アナもあたまが良くなるよ。わたしはこれからハルと一緒にお花摘みする予定だけど、アナは友だちだからいっしょでいいよ」

 

「…………え、ハルって人の名前……?」

 

 会話が成り立たない二人。

 受付嬢は「分かったら、(レオンさんが帰ってくる前に)さっさと狩りに行きなさい」と言って、仕事に戻ってしまった。

 無情の女である。

 

「アナは友だち、友だちには名前を呼んで欲しいな。わたしのことは、ララって呼んで。ファーラって呼んでいいのは、お父様とハルだけなの。ごめんね?」

 

「いえ、別に謝るほどのことでは……あれ、ハルってご兄弟?」

 

 頭の中が混沌とし始めたアナスタシアは、ううんと頭を抱えてしまった。

 せっかく壁の分厚かった受付嬢が、デレ(仮)を見せて、個人的なお願いをしてきてくれたのに……。

 嬉しくはないけれども。

 

 G級ハンターとまともに狩りなんて出来るとは思わないし、こうなったら『最終兵器・センパイ』を発動するしか…………。

 

 と、俯いた彼女の視線の先、カウンターの真下の地面がモコっと盛り上がって、ピョコンとグレーの猫耳が飛び出した。

 

「……ぷはぁ、ようやくたどり着いたニャ…………」

 

 それは、レオンハルトの座布団兼オトモアイルーをしている、ザブトンだった。

 

「あれ? ザブトンくん、どうしたの?」

 

「ニャニャ! おミャーは自称後輩ハンター! それと、(怖い)美人受付嬢の! 良いところにいたのニャ!」

 

 えっちらおっちらと地上に這い出てきたオトモアイルーは、本当に焦ったような身振り手振りで、火急の事態を伝えた。

 

「旦ニャ様が────!」

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

「…………いてて」

 

 土ぼこりの上がる谷底で、レオンハルトはゆっくりと起き上がった。

 腕の中には、気絶しているナッシェが。

 どうやら、落下の衝撃が予想以上に強かったようだ。

 

「…………ち、ちか……ま、まだ……ここ、じゅん、び、が…………」

 

「…………ひとまずは大丈夫そうだな」

 

 うなされてはいるけれども、見たところどこにも怪我は無いようだ。

 『準備』ってことは、さっきのイビルジョーの夢だろうか。

 

「ちっくしょー、なんか既視感のある光景だなぁ、おい」

 

 足元を見れば、カラカラと音を立てる無数の骨が散らばっている。

 おびただしい数の骨が転がっているせいで、地面が見えない。

 

 ナッシェを骨の上へ静かに寝かせてから、レオンハルトは辺りを見回した。

 散乱した気球船の船体は、修復という言葉が浮かばないレベルの残骸になっている。

 積み上げられた骨の山の頂上に、気球(バルーン)だった布のなれの果てが引っかかっていた。

 

 代わりの武器も望めない、か。

 幸い、右腕に盾を装着していたものの、【折雷】の剣の方が見当たらないのだ。

 

 空を仰げば、ドーム型のテントのような地形が視界を遮り、中央から覗く空に暗い雲が蓋をしている。

 よく見てみれば、地形のように見えていたものも、巨大なモンスターの骨から出来ているようだ。

 どうやら、モンスターの巣のような場所に落ちてしまったようだ。

 先ほどの攻撃行動を鑑みて、捕食対象にされたのは明らかだろう。

 

「ヤバいなー。どっかで見たことある気がするんだよなー、ここ。さっさと【折雷(さくちー)】見つけねーと。

 なんか、さっきから乳首がビンビンに立っていやがるし、やけに大きなモンスターの気配がするんだよなぁ…………。

 あっ! フローラさん!」

 

 ふと、先ほどまで運転手をしてくれていた受付嬢の姿が見当たらないことに気がついた。

 マズいな、早く見つけないと…………。

 

「旦ニャ様ー!」

 

「っ!」

 

 フローラ捜索のために歩き出していたレオンハルトの耳へ、ザブトンの呼ぶ声が聞こえてきた。

 声を辿って、骨の山の向こう側へと迂回すると、そこには、涙目になってレオンハルトを呼ぶザブトンと、足を押さえて崩れる赤毛の少女がいた。

 

「ザブトン、でかした!」

 

「大変ニャ! 受付嬢さんの足が!」

 

 その言葉に骨を蹴って急いで駆け寄り、ザブトンの指す彼女の足を見ると、

 

「…………マジか」

 

 スカートから出ている膝下の足の向きが、おかしな方向を向いていた。

 

「…………フローラさん、痛むところはここだけか?」

 

 レオンハルトが声をかけると、フローラは涙目になりながらも無理やりに笑みを浮かべて、

 

「そっ、そうです、でも、ひ、膝がヤバくて、それ以外とかよく分かんない」

 

「だよな。スマン、応急処置だけしようと思うんだけど、滅茶苦茶痛いかもだ」

 

「……お、お願いします。こんな仕事やってるんですから、痛いくらいは我慢します」

 

「よし、よく言った」

 

 気丈で若い受付嬢の浮かべた表情に頷いて、レオンハルトはポーチから秘薬を取り出してフローラに握らせ、

 

「飲めって言った瞬間に、口に入れろ」

 

「わ、わかりました」

 

 次いで、腰に差していた解体用ナイフを抜き、鞘を地面に置いてから、フローラを仰向けに寝かせて、彼女の膝を触診する。

 

 膝の向きと身体の芯を見比べて、だいたいの修正見当をつける。

 

 くっそ、人の骨折とか治したことないぞ。

 やっぱ、こういう時のために妄想トレーニングしといて良かった。

 妄想力の高いぼっちは最強ってはっきり分かる。

 

「よし、力業(ちからわざ)でいくからな。力抜けよ?」

 

 パッとスカートの裾を上げて、患部に手を当てる。

 

「…………え、力業?」

 

 こういうものは、痛みへの心構えをさせないうちにやってしまった方がいい。

 本に書いてあった。

 

 ポカンとした表情になったフローラに、レオンハルトは事も無げに頷いて、

 

「ああ、力業だ」

 

 メ゛リッ。

 

「い゛ッ」

 

 膝の向きが調整された。

 うん、完璧だ。

 やっぱり俺って天才だった。

 

「飲め!」

 

「か、ふ…………うぐっ」

 

 痛みに思考を停止させたフローラは、言われるままに秘薬を口に入れて飲み込み、ガッツポーズをとった。

 受付嬢でもガッツポーズをとれるように教育しているとは、さすがモミジさんである。

 

「うっ…………ふぅぅ…………」

 

 痛みが引いているのだろう、フローラは息を吐いて落ち着きを取り戻そうとしている。

 たとえ秘薬でも、骨折の完治には、ハンターでも半日、普通の人だと一日ほどを要してしまう。

 

 フローラの足は、しばらく安静にさせておく必要があるのだが。

 

「────先生ッ!」

 

 ナッシェの鋭い声にバッと振り向き、走り寄ってくる彼女の表情から、何かを発見したのだろうと読み取った。

 モンスターか。

 間違いない、胸元のセンサーがこちらに近づいてくるモンスターの気配を察知している。

 マズい。

 まあ、仕方がないだろう。

 

「…………俺が出る。

 ナッシェ、フローラさんを頼む」

 

「はい、先生」

 

 少女に短く指示を与えて、レオンハルトは骨山へ走り、元いた向こう側へと顔を出した。

 イビルジョーを武器無しであしらい続けたのだ、大抵のモンスターはなんとかなるだろう。

 

 果たして、そこには――。

 

 

 

 目に付くのは、捕食したモンスター達のものであろう、大量の骨がびっしりと纏わりついた一対の触腕だ。

 双頭の龍を思わせる腕の先には、飛竜のような顎を持っている。

 

 骨の隙間で明滅する青白い光は、冥界を彷徨う亡者の魂を想起させ、腕を生やす本体はと見れば、奈落に落ちてきた不吉な妖星を思わせる燐光を帯びていた。

 剣山の如く刺々しい死骸の鎧に、ゆっくりと動く足元に漏れる黒い粘液。

 骨に囲まれたその姿は、墓所で財宝を守る双頭龍の伝説を思わせる。

 

 

 古龍、オストガロア。

 通称“骸龍(がいりゅう)”。

 イビルジョーをも凌駕する危険な貪欲さと、高い知性とを併せ持った、強力極まりないモンスターだ。

 

 レオンハルトにとって三度目の遭遇で、飛行船を落とされたのは二回目で、武器無しで挑むことになるのは初めてである。

 

「アイエエエエエ!? コリュウ!? コリュウナンデ!?」

 

 過去戦った古龍の中で最も強かったのが炎王龍(テオ・テスカトル)であったとするならば、最もヤバかったのはオストガロアである。

 

 過去と違う点は三つだ。

 

 一点目、今回は武器がない。

 二点目、武器がない代わりに、過去倒したオストガロアから素材を剥ぎ取って作った防具“アスリスタシリーズ”を着込んでいる。

 三点目、背中には、守るべき人と念願の弟子を背負っている。

 

 

 うん、どこにも死角がないな。

 身体はボロボロ、身も心も疲れに疲れ切っている。

 けれど、守りたいものがある。

 お陰様で、心臓バクバク、胸元ビンッビンだ。

 今なら、若かりしあの頃の気持ちのまま、全力で狩りを楽しめる気がする。

 

「最ッ高にハイってヤツだぜぇぇぇぇ!? ヒャッハアァァァァァァ!!」

 

 後に引けない孤立無援のハンターは、世紀末の雄叫びをあげながら、たった一つの盾を掲げて突貫した。

 

 

「――旦ニャ様が、武器を持たニャいで古龍に突撃しちゃったのニャ!」

 

 

 ここに、因縁の古龍へ盾一つで戦いを挑んだ英雄の伝説が始まる。



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徒花

予防接種の時の話。
前の席に座っていた幼女が可愛すぎて死ぬかと思った。
マジで。

ロリを性的な目で見る奴、そこに正座。




 分かっていたはずだった。

 

 彼を派遣したのは、危険な狩り場だった。

 最近、飛行船が航行途中に消失する懸案が龍歴院で二件報告されていたし、危険性の高いモンスターが古代林に住み着いた可能性もあった。

 

 モンスターから寄ってくるような彼の近くにいれば、あの少女も同様に危険にさらされると言うことも、承知の上であったはずだ。

 

 どこで間違えたのだろう。

 

 彼なら何とかしてくれる。

 どんなハンターよりも信頼出来る彼の腕ならば、どんなモンスターと遭遇しても切り抜けられる、そう確信していた。

 その考えに、間違いはなかったはずだ。

 

 けれど、これは──。 

 

 

 打開策を立てようと考えて、俯いたまま目の前のハンターのことを思い出す。

 

 虹天を思わせる“EXフィリア”を纏う、純白のハンター、ラファエラ=ネオラムダ。

 この十年で二十一体の古龍を討伐し、当代きっての“古龍キラー”と目される彼女なら、確実にこの窮地から彼を救い出す事が出来るだろう。

 

 ラファエラとレオンさんを会わせる?

 

 吐きたくなるような、黒い感情が沸き立ってくる。

 意志を持った汚泥のように身体を縛り付けてくるその化け物は、どろどろと視界を暗く染め上げ、一寸先も見通せぬ闇夜のような絵の具が思考を塗りつぶしていく。

 舌の上に嫌な苦みが走る。

 

 会わせたくない、この人達は私を置いてどこかへ行ってしまう。

 嫌だ、私を置いていかないで、見捨てないで、こっちを見て、私のことを見てよ、無視しないで、寂しい、苦しい、暗い、私しかいないここは暗くて怖い、独りぼっちは嫌。

 彼女を、会わせたらダメだ。だって、彼を盗られてしまう。

 そうしたら、私には何も残らない。

 

 ぐらりと傾きそうになる自我は、まるで駄々を捏ね喚き散らす童子のようで、そうであるならどうしたらいいと傷ついた理性がうずくまる。

 

 この白きハンターは、こちらが許せばきっと彼の元へ行こうとするだろう。

 そうなれば、レオンさんの安全と引き替えに、レオンさんを失うことになる。

 

 今までは仕事中だからと、ここで待っていることを納得させてきた。

 役立たず(アーサー)がキチンと彼女を連れ帰っていれば、このまま()()()()()もなく終えられていたのに。

 

 アナスタシアをクエストに派遣すべきなのか。

 否、盛った雌猫を勝手に彼とくっつけさせるワケにはいかない。

 この猫は油断できない。レオンさんとの距離が近すぎる。

 アナスタシアに懐いているラファエラがついて行こうとする可能性もある。

 

 私が行って、レオンさんに武器を届けるのはどうだろう。

 この人達が黙って待っているかしら、そんなことはありえない。ついて来る可能性が高い。

 

 レオンさんを信じて動かないようにするのはどうか。

 絶対にダメ、武器を持たないでモンスターに挑んだら、いくら彼でも勝ち目は薄い。

 

 それならば、どうしたらこの親愛なる邪魔者と彼を引き合わせずに済んで、尚且つ彼を迎えに行ける?

 

 …………そうだ。

 対人能力は未知数なアナスタシア、ネオラムダ家の作り出した殺戮兵器ラファエラ。

 けれど、彼女達は今、()()()()()()()()()()()

 

 制服の袖の端をキュッと握る。

 毒針は四本、ナイフは二本。

 いける? 

 ヤるのは久しぶりだけど、鍛錬は怠ってない。

 自分より格上を相手するのは茶飯事。今さら、恐れるようなことではない。

 

 ()()()()なら、彼女達なら、言い訳をする事は容易い。

 

 レオンさんに武器を届けることが出来て、且つあの人を横取りされないように、この人達が、消えてしまえば────。

 

 

 

「────シャウラさんッ!!」

 

 

 ビクッと肩が浮く。

 反射的に指が刃を手繰り寄せてしまい、その声がアナスタシアのものであることを思い出して、モミジはギリギリの所で踏みとどまった。

 

 下に向けていた視線を上げると、嫌になるくらいに真っ直ぐで純粋な色をした栗色の瞳と目があった。

 細くたおやかな指が、モミジの肩をガシッと掴んだ。

 

「何、ためらってるんですか?」

 

「…………」

 

 真正面からの問いに、モミジは答えられなかった。

 何を考えていたか、それを実行してしまおうとした自分を恥ずかしく思ってしまうほどに、彼女の言葉が胸の中で響いている。

 目の前にいるハンターは、こんなに力強かったのだろうか。

 何故、彼女は私につかみかかっているの?

 

 心臓がドキドキと脈を打っている。

 動揺しているんだ。

 一体何に?

 レオンさんの窮地?

 それとも、他の…………。

 

「…………シャウラさんは、人と話すのにいっつも壁を作ってますよね? 一歩引いて人と話しているアレです。

 でも、センパイと話すときだけ、シャウラさんの作っている壁は薄くなる。それって、普通にセンパイのことがすごく好きだからですよね? ラブの意味で。マンガにそういう人が出てきたことがあります」

 

 遅れて、モミジはようやく気が付いた。

 彼女は怒っているのだ。

 焦燥感だとか、悲しみだとか、そういう感情を一緒くたにして怒っている。

 

 肩を掴む手の力が強くなって、指先がギリと食い込んだ。

 

「不快でした。

 なんでセンパイはオッケーで私はダメなのかとか、どうしてセンパイは楽しそうに振り回されてんのとか、どうしたら私もセンパイに言うこと聞いてもらえんのとか、仲の良い人同士な日常見せつけられて、すごくイライラしました。

 雌猫とか蛮族娘とか淫乱とかビッチとか、最初は褒め言葉だと思ってたのに、実は悪口だったりして。

 正直に言います。共通語を教わってたときから、シャウラさんは本当に怖くて苦手な人で、モンスターみたいだと思ってました。

 …………だけど、いつの間にか、嫌な人じゃなくなってたんです。こういうの、共通語で“ほだされる”って言うんですよね?

 出来の悪い私みたいなおバカを、最後まで見てくれました。

 センパイのことを信頼してたし、センパイのことを邪険に扱ってるようで、実はとっても大切にしてた。あの人のためにっていつも頑張ってた。あの人を一番に考えてた。なのに……」

 

 ギリリと歯を噛みしめたアナスタシアは、自分の内側にある感情を爆発させるように叫んだ。

 

「なのに、どうして迷ってんですか!!

 面倒なことは後にして、取り敢えずセンパイのことを助けてよ!!」

 

 ピシャリと冷水を打たれたような、そんな気持ちだった。

 その言葉は、自分に従順であった子供の言葉にはっとさせられるのに似て、受付嬢の曇っていた心を叩いた。

 

 それで、モミジはようやく気がついた。

 そういう風に怒ってくれる人に対して、自分が陳腐で無意味な殺意を向けていたことに動揺していたのだ。

 

 二年前、泣いてばかりだった彼女に吐いた言葉は、決して嘘などではなかった。

 何十頭ものセルレギオスを狩ってきたとは思えないほど心優しい少女は、自分という芯のないハンターだった。

 年の割に成長したその身体に、心が追いついていなかった。

 誰かのためだけに生きようとする人間は、どこかで折れてしまう。

 彼女はきっと立ち上がれないだろう。

 そして、そんな彼女をレオンさんが気にかけることもない。

 取るに足らない、どうでも良い人間。

 そう思っていた。

 

 けれど、どうだろう。

 自分をジッと見つめてくるこの少女は、見違えるほどに成長していた。

 自分という核があって、レオンハルトという一人のハンターのことを想っていて、一点の曇りもない目で私のことを見つめてくる。

 その瞳の色は、十年以上焦がれてきたそれと強く結びついているように見えた。

 

 私は、誰かを想う気持ちのことを、いつの間にか忘れていた。

 醜い独占欲に大切な想いを食われて、愚かなくらいに焦っていた。

 二兎を追う者は一兎をも得ず、だ。

 最優先事項は何か、今とるべき選択肢は何か。

 

 ジンジンと痺れる心とは裏腹に、頭の中で思考が速やかに構築されていく。

 

 古龍“オストガロア”の出現。

 七年前、古代林深層に住み着いたオストガロアを討伐したのは、他ならぬレオンハルトであった。

 同じように飛行船を落とされ、一度は撃退し、改めて彼のモンスターの巣へと赴き、これを討伐したのだ。

 

 その時は、彼の手元に武器があった。

 

 嫌な記憶が蘇る。

 武器を持たぬ人間など、モンスターの餌にしかならない。

 圧倒的なポテンシャルの差に打ちのめされ、その巨躯の前に膝を折ることしか出来ない。

 跡形もなく消えたはずの古傷がジクジクと痛む。

 たとえどんなに強くても、死んでしまうかもしれないのだ。

 

 ────それだけは、許せない。

 心は決まった。

 後は、足を踏み出すだけだ。

 

 

 

「…………()()

 

「なに?」

 

 昔のように名前を呼べば、間髪入れずにラファエラが返事をした。

 彼女は、興味がない人と興味を失った人には、イエスとノーの応答すらしない。

 つまり、彼女にはまだ見捨てられていないのだ。

 穢れを知らぬ天使の如きこのハンターの前で、これ以上醜い自分を曝すことなど耐えられない。

 

「緊急クエストをお願いします。

 狩り場は竜ノ墓場、種別は討伐と救援、対象モンスターは古龍オストガロア。報奨金は三万z。救援対象は、HR1のナッシェ・フルーミット、ベルナ村統括受付嬢のフローラ。

 現地でHR7のハンター、レオンハルト・リュンリーと合流し、該当モンスターを討伐してください」

 

「わかった。よく聞いてなかったけど。ハルとお花摘み、してくるね」

 

 表情をわずかも変えず、あっさりと古龍討伐クエストを引き受けた彼女は、やはりどこか嬉しそうな無表情だ。

 ラファエラは、昔から変わっていない。

 狩りか、レオンハルトか、純粋すぎるくらいにその二択なのだ。

 

「よろしくね」

 

「ふふ、ハル、待っていてね。お仕事から帰ってくるお婿さんを待つのはお嫁さん、お嫁さんと一緒にお花摘みするのはお婿さん。わたしは白いお花を希望」

 

 …………話が通じたかと思えば、早速トリップしていた。

 古龍の事が頭にあるのか、それすらも定かではない。

 その純朴な真紅の瞳には、既に彼の背中が映っているのかもしれない。

 

 武器を取りに行くためだろう、身体を反転させた彼女は、パッとこちらを振り返って、

 

「モミジ、お花の中に埋もれたらダメだよ」 

 

 それだけ言い残して、龍歴院管理下のハンターホームへと風のように駆けていった。

 処女雪のような髪がたなびき、人の出払っている龍歴院の庭に白い光の残滓がちらつく。

 今なら、理解しがたい彼女の言動が指すところを理解できるような気がした。

 

「ええ、気をつけるわ」

 

 その耳に届くかは分からないけれど、伝える必要もないだろう。

 彼らは、私が落ちこぼれて花の中に埋もれてしまえば、そのまま私を置き去りにする。

 

 

「…………はぁぁぁ。ようやくいつも通りに仕事しましたね、この鉄面皮」

 

 ぎゅっと手の内を握るモミジに、アナスタシアは大きなため息を吐いて戯れた。

 

「……貴方ね、鉄面皮っていうのは、“恥知らずで厚かましいこと”を言うのよ?」

 

「まさにシャウラさんのことじゃないですか」

 

「急にズケズケと物を言うようになったわね……」

 

「もう遠慮しなくても良いですし。言いたいこと言ってやりましたし。これでシャウラさんとも()()()ですよ。やったぜ」

 

 ドヤ顔で言い切る少女を見つめて、この子の心は幼いままだとモミジは心の中でそっと息を吐いた。

 

「…………ベルナ村で何人目?」

 

「……えと…………。…………よ、四人目ですよっ。アイルーちゃんいれたら四人目ですよ! 悪いですか!?」

 

 正確には、三人と一匹である。

 

「いいえ? 子猫ちゃんの成長が嬉しいなぁ、って思っているだけよ? 見栄を張らなくて偉いのね。」

 

「ぐぬぬ…………」

 

 歯ぎしりをするアナスタシアに、モミジはクスクスと小馬鹿にするように笑って、

 

「それで、貴方は準備が終わっているの?」

 

「…………はい?」

 

 唐突な言葉に、栗色の目をぱちくりと瞬かせるアナスタシア。

 そんな彼女に、モミジは親愛の情を込めて、

 

「だって、貴方は初めての()()()()でしょう? しっかり準備なさい」

 

「…………、……………………えっ」

 

 ピシリと固まるアナスタシアに喧嘩をふっかけるように、モミジはいつもの営業スマイルを浮かべてこう言った。

 

「行きたくないの? それなら、喜んで置いていってあげるけど」

 

 

 

 

 若干涙を浮かべながらホームへと戻っていくアナスタシアの後ろ姿を見送って、モミジは急いで気球船の準備へと走った。

 

 つまらない独占欲で、危うく大切なものを失うところだった。

 私は、多くは望まないから、レオンさんの一番近くで一緒に生きていきたい。

 誰かがあの人の隣で笑っているのを眺めるのは、とうてい我慢できるものではないけれど、彼女たちだけは、彼の近くにいることを許してあげても良いだろう。

 

 いつの間にか、自分中心の衝動を省みるくらいには“(ほだ)され”ていたみたいだった。

 心の門を自由にすればするほど、自分の首を絞めるだけだと、ずっとそう思っていた。

 けれど、アナスタシアが言うところの“友だち”というのも、悪くない気がする。

 

 他ならぬ自分のために繰り返してきた殺人(プロセス)を、彼女たちに適用しようとする思考を忌避する自分がいるのだ。

 夢の実現にとって明らかな障害であるのに、それを受け入れようとする奇妙な感覚は、すっぽりと違和感なく心に落ち込んだ。

 それを枷としないように動けるかどうかは、私の手腕如何だ、無理に拒絶する必要はない。

 

 レオンさんの隣は、私のもの。

 それ以外の場所なら、譲ってあげても良い。

 

 

 

 

 

 その頃、主人の大事を伝えた忠臣アイルーは、

 

「…………ニャ、ニャヒィ……」

 

 伝達した情報の真偽を確かめるための尋問──という名の拷問──にかけられて、そのまま放置されていた。

 

 




誤字脱字等ございましたら、ご一報いただけると幸いです。


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奮闘

 

 唸りを上げて迫ってくる竜の牙。

 ヒビの入った部位を狙い、ギュッと脚を踏み込んだ。

 身体の芯を意識しながら、腰を捻って一息に跳躍、渾身のアッパーを目標へと突き挿れる。

 

「────俺の思いッ、君に届けッ!」

 

 ガンッ! 

 

 すれ違いざまの“昇竜撃”が、吸い込まれるように決まった。

 自在に宙を舞うブナハブラを相手に修行を積んだ、百発百中を誇る自慢の一撃である。

 

「ふっ……決まった、な」

 

 華麗な着地と決め顔も忘れない。

 いつ仲間との狩りに赴いても恥ずかしくないよう、他人からの見え方を常に注意することが重要なのだ。

 ナッシェとの初狩からはや十数日、俺はもう、昔の俺とは違うのだ。

 

 右手に伝わる確かな衝撃と共に、触腕の片方が跳ね上がって、纏っていた骨の鎧を剥がすことができた。

 黄ばんだ骸頭骨の中に潜んでいたのは、海で穫れる軟体動物のような、気色の悪い触腕の先端。

 

 「ギシャァァァッ!」とおぞましい声を上げながら、鎧代わりにしていた竜の頭蓋骨を失ったオストガロアの触腕が、細かく痙攣しながら地面に潜っていく。

 

 

 剣が無くとも、古龍と戦える。

 この通り、俺が証明した。

 

 

 当然、俺レベルの優秀なハンターともなれば、片手剣の盾のみでモンスターを討伐するくらいの想定と対策はしているもの。

 そのために編み出した攻撃法が、名前も見た目もかっこいい昇竜撃だ。

 他のハンターの片手剣の使い方は見たことすらないが、()()()こんな攻撃方法があるとは思いもしないだろう。

 

「『防御のための盾を、連撃のサポートとしてだけでなく、攻撃のための主力武器として使うとは……。』『レオンさん、ステキ! 抱いて!』……。

 未来のお嫁さんが目に浮かぶぜ……、うぉっと!」

 

 背後から迫ってくる気配を乳首が察知して、身体を捻りながら左前方へと飛び出した。

 一瞬前まで立っていた場所を、竜の頭が通り過ぎていくのを視認する。

 

 ガラガラと骨の鳴り合わせる音を聞きながら、牙を剥いてきた触腕の頭部を睨みつけた。

 思考のスイッチが入り、だんだんと時間の流れが遅くなっていく視界の中、思考ははるか高みヘと到り、全身の毛先から乳首まで、隅々までを完全にコントロールしているかのような全能感に包まれていく。

 

 動作後の反動で触腕が止まっている、攻め時は今。

 曲げていた膝の力を爆発させるように発進して、空を切った噛みつき体勢の頭へと肉迫、右腕のバックラーでタックルをかまし、衝撃でヒビの入った骨の間に、そこら辺で適当に拾った骨を突っ込む。

 

 てこの原理を用いて、粘液質で留められた鎧を身から引き剥がし、盾で殴りつけて完全に壊してからバックステップ、ブルリと身を震わせた触腕のリーチ圏外ギリギリまで退避した。

 

「ガラガラガラガラ────」

 

 骨の立てるモンスター達の怨嗟の声が鳴り響く。

 攻撃体勢へ移っていく触腕から目を向けたまま、腰へと手を回し、指先の感覚を頼りに素早くポーチを漁って目当てのアイテムをつまみ出した。

 

「いでよ、偉大なる打ち上げタル爆弾!」

 

 青色に塗られた樽状のそれは、大空からの自由落下という衝撃を受けても爆発しなかった有能な武器である。

 もし破裂していたら、我が身が爆発四散していた所である。

 栓を抜き、付属の着火薬を擦って導火線に火をつけ、樽の頭の向きをオストガロアの触腕へと調整し、

 

「発射ー!」

 

 シュボッという小気味いい音を立てながら、ぴゅーっと飛んでいったタル爆弾は、触腕の先端に着弾して小爆発を起こした。

 バラバラと崩れる骨の鎧。

 ガラガラガラと、オストガロアが腕を震わせて怒りを示す。

 

 やはり、爆破はロマンである。

 伊達に二十四歳児と揶揄されているわけではないのだ。

 少年の心を忘れないこと、これが、危険な修羅場をくぐり抜けるコツである。

 

 刃こぼれしやすい剣には真似できず、己の肉体的ポテンシャルと、巨体を動かすモンスターの慣性力を見極める観察力とで勝負をかける、これが盾による狩猟。

 

 対峙するモンスターの攻撃を捌きつつ、剣による連撃と多彩なアイテムを駆使した攻撃を挟みつつ、ここぞと言うところで昇竜撃を叩き込む、これがレオンハルト自慢の盾戦法。

 

 一瞬の隙も見せずにモンスターを攻め立て続けることも出来る、画期的な攻撃法なのだ。

 子供の創造力を存分に発揮した気分だ。

 惜しむらくは、それを見てくれる人がこの場にいないことくらい。

 

 それにしても、まさに天才の思考、これぞ“俺の考えた最強の片手剣”といったところか。

 

 効率的に身体を動かせば、防御する事を目的に装備する(バックラー)が、撲殺のための武器にもなる。

 本物の剣があれば、オストガロアといえども恐るるに足らず、盾と狩猟アイテムのみというのはハンデとするにはちょうどいい。

 

 盾がなかったら、腐った骨を拾っては叩き、砕けては拾い……を、救援が来るまで延々と繰り返すしかなかった。

 それはさすがに軽く死ぬる。

 

 骨の鎧を骨だけで砕くのは、物理的に厳しい。

 何しろ、適切な処理をされずに雨ざらしになった死骸の骨だ、即席の武器とするには少々心許なさすぎる。

 俺のコミュ力並みに役に立たない。

 

 

 

 ゴロゴロゴロゴロ――。

 

 遠雷のような音を立てながら、骨に覆われた地表をかき分け、この巨大なすり鉢の主たる骸龍が、その巨大な本体を現した。

 盾と己の機転で触腕の攻撃をいなし続けるレオンハルトに業を煮やしたオストガロアが、餌を本気で食らう判断を下したのだ。

 

 先ほど剥がされた骨の鎧を再び纏って、十メートルほどの触腕二本が、その身をうねらせながらレオンハルトを睨みつける。

 竜の身体に似せた腕を操るのは、骨の鎧で自身を守りつつ、青く明滅する龍属性のエネルギーを帯びた凶暴な古龍、オストガロアの真の姿だ。

 

 身体の奥で黄色く光る双眸が餌の姿を捉え、数多のモンスターの骨を噛み砕き肉を引き裂いてきた、“喰砕牙”と呼ばれる歯が蠢いた。

 

「うーん、金冠(ラージスト)かな。あの歯、硬いんだよなぁ。やっぱりヤバいかなぁ」

 

 対するレオンハルトは、足元の手頃な骨を拾って、手の内の感触を確かめながら、攻めたてるルートを思案していた。

 転がして弱点を突くか、無理をせず持久戦を展開するか、アイテムのストックはまだある、無くなっても気球船に在庫を取りにいける。

 ナッシェ達の隠れている窪みの位置に攻撃の余波が届かないような立ち回りをしながら、オストガロアをどう討伐すべきだ?

 

 辺りを見回せば、骨と死肉で構成された地獄谷が広がり、目の前のモンスターは食らってきた餌達の骨を身に纏う異形の古龍だ。

 ザブトンを救援要請に向かわせたが、今の龍歴院にはオストガロアを相手取ることができるようなハンターは所属していない。

 HRだけを考えても、一ヶ月前の時点で、7のランクにいるレオンハルトの次に並ぶのは、HR5で止まっているアナスタシアだけだったのだ。

 

 アナスタシアは来てくれるか。

 彼女に古龍の狩猟経験は無かったはずだ。いくらモミジさんとはいえ、彼女を無理に派遣してくることはなかろう。

 

 武器を送ってくれるだけでもいい。

 そして、モミジさんは優秀な受付嬢だ。

 彼女ならば、こちらの期待に応えてくれる。

 

 まともな武器を持てば、このオストガロアは倒せる。

 少なくとも、この個体は図体が他の個体よりも大きいだけで、狩猟の技術と経験値が足りていない。

 海底から地上に進出してきて、まだ日が浅い個体なのだろう、触腕の動きもどこかぎこちない。

 

「食べ物に困らない、それでいて、自分の身に危険が及ぶことはほとんどない。そんな生活を幼生の頃から続けてたら、そりゃあ図体が大きいだけの個体になるよなぁ」

 

 つまり、モミジさんの送ってくれる救援が到着するまで持ちこたえれば、こちらの勝利だ。

 

 粘性を持つ体液をとぷとぷとこぼしながら、オストガロアが近づいてくる。

 

「海の中じゃあ楽だったかもしれないけど、カタツムリの歩みじゃあ、俺は捕まえられないぞ、オスガロちゃん」

 

 吐き気を催すような腐臭が漂う墓場を踏み荒らしながら、古龍攻略の作戦を立て終えたレオンハルトは、左手で掴んだ骨をオストガロアへ思い切り投げつけた。

 

 耐久戦は、最も得意な戦い方の一つだ。むしろ、チーム狩り以外はみんな得意だ。

 三日三晩走り続けるくらいはやってみせよう。

 

「おにーさーんこっちよー。挿入(いー)れたーいほーうへー」

 

 久しぶりに人目を気にせず吐き出せる独り言を盛大にまき散らしながら、レオンハルトはジャリリと足元の骨を蹴飛ばした。

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

「──竜ノ墓場は、古代林の深奥部に位置しているありふれた鍾乳洞で、過去に二度、オストガロアが侵入して巣を作ったことがあるの。洞窟内の地底湖が海につながっている可能性が調査で報告されているから、かの古龍は海から来ていたのかも。

 どちらもレオンさんが撃退、討伐しているけどね。

 あの時は、骸龍が餌として捕まえたモンスターから出た骨の量も、山になって積まれるほど多くはなかった。

 アイルー君の話だと、今回の個体は相当“食べてきている”可能性がある。気をつけて」

 

「……………………はい」

 

 古代林へと向かう気球船の上で、アナスタシアは優秀な受付嬢による講義を延々と聞き続けていた。

 舵を取りつつ、受付嬢としてハンターを支えるための情報を与えているモミジ。

 

 その視線の先では、

 

「はーるがきーたー、はーるがきーたー。あー、でーもー、これから冬でしたー、ちゃんちゃん」

 

 白く長い髪を一つに纏めたラファエラが、身体を揺らしながら不思議な旋律の歌を口ずさんでいた。

 緊張感は全く感じないが、ああして歌っているのは、彼女の機嫌が最高にいいだけなのだ、その調子でサクッとオストガロアを討伐してくれればいい。

 

「……それで、オストガロアの狩猟についてだけど。その巨体と危険性から古龍に分類されている“骸龍”オストガロア。このモンスターは、その名の通り、今まで食べてきたモンスターの骨で全身を覆っているわ。粘性の極めて高い体液を垂れ流していて、その粘性で、吐き出した未消化の骨を纏っているの。だから、対象に接近したときは、その粘液で足を取られたりしないように注意して。あと、攻撃の時は、骨の鎧の脆いところ、隙間になっているところ、そこを突くように。ハンマーや狩猟笛で砕くことが出来ればベストだけど、オストガロアを効率的に討つのであれば、骨の下に隠れている肉部分を斬ればいいのだから。

 体構造については、さっき教えた通り、蛸足のような一対二本の触腕、飛竜の骨を噛み砕く鋏状の巨大な歯、高密度の龍属性エネルギーを放出する口、この三点の動きを特に注意する必要があるわ。それから、オストガロアは基本的に、龍属性のエネルギーを、胴体の部分、タコの身体に置き換えると、内臓が詰まっている部分から垂れ流しているから、立ち回りには十分注意して。近づくだけで全身、特に呼吸器系にダメージを受けてしまうから、適宜回復薬を使えるような状況を保つように」

 

「…………ヴぁい」

 

「それから――」

 

「広がったー隙をー、何でーうーめーてしまーえばいいのー? 埋まらないーなら、お花をー植えて、橋にーしーちゃおう!」

 

「あとは――、聞いてる?」

 

「はい、聞いてます」

 

 もういっそのこと、空から槍が降ってきて、オストガロアを討伐してくれればいいのに。

 アナスタシアは、パンクした頭の片隅で、そんなことを思っていた。

 

 

 




祝! レオンハルト爆発!
誤字脱字等ございましたら、ご一報頂けると幸いです。


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件名:同僚に殺されそうです。たすけて

 

 …………マズい。

 

 レオンハルトは、人生最大の危機に陥っていた。

 

 中々捕食を受け付けないレオンハルトに業を煮やして、本体を地表に現したオストガロアが本格的に暴れた余波で、ナッシェとフローラの隠れていた洞穴を暴いてしまったのだ。

 

 抵抗するための武器をほとんど持たない丸腰の少女と、脚を負傷して動くことが出来ない少女。

 

 それに気づかぬほど、古龍の神経は鈍くない。

 

 ちょこまかと動く餌よりも、彼女らを狙った方が楽に食事が出来ると、暴食を極めてきたオストガロアの思考が判断した。

 結果。

 

 

 

「らめぇぇぇ! アッチ行っちゃらめぇぇぇ!」

 

 ガンガンガンガンッ!

 

 ゆっくりと二人のもとへ進攻していくオストガロアの歩みを止めんと、レオンハルトは古龍の身体をやたらめったら殴り続けていた。

 

 鉱脈で採掘する炭坑夫の如き振りかぶりでバックラーを振るい、左手に持った解体用ナイフで古龍を刺身にせんと躍起になる。

 だいぶ扱いに慣れてきてしまった触腕をいなし、六時間にも及ぶ戦闘の疲れを強走薬グレートと素早いガッツポーズでごまかして、ガンガンバキバキと骨の鎧を砕き、オストガロアの身を削っていく。

 

 しかし、その程度の足掻きは、オストガロアにとっては痛くも痒くもない。

 街に進撃してくる巨大古龍を討伐せんと躍起になったハンターたちの話を思い出しながら、レオンハルトは半泣きで必死の攻勢をさらに強めた。

 

 盾の方も、予想以上の消耗に見舞われていた。

 一時間ほど前、このオストガロアが捕食し、ストックしていたモノと思われるケツ顎モンスター、“爆鎚竜”ウラガンキンの頭骨を触腕に装備して、レオンハルトを叩き潰しに来たのだ。

 

 当然、オストガロアの注意を自分から逸らさないようにするため、武器(ケツ顎)を破壊せん、と盾と爆弾で立ち回ったのだが、モンスター界屈指の硬度を誇る驚異的なケツ顎に何十回何百回と叩きつけられた【折雷】の盾は、既に大掛かりな整備を要求すべきところまで損耗していた。

 

「チクショウが……。誰が好き好んでモンスターのケツなんぞシバかなきゃならねぇんだよクソが……。俺だよ……。しかも顎っていう……。ハチミツ舐めてぇ……」

 

 しかし、最早なりふり構っている余裕はない。

 腹を空かせた古龍から漏れ出てくる龍属性エネルギーのせいで、水分を奪われる目からはボロボロと涙が出てくるし、鼻水は止まらないし、なんなら口の端を垂れる涎も止まらない。

 

 脚力全回で骨を蹴り折り、露出した身に刃渡り二十センチほどのナイフを突き立て、オストガロア特有の青い血も滲まぬ肉を切り裂いては切り分け、歩みを止めない古龍の体側面にべったりとくっついて切り落としていく。

 

「ギシャァァァァァ……」

 

 煩わしそうに身を捩らせ、オストガロアが無造作に触腕で地を凪いだ。

 

「おぶしっ」

 

 腕の死角に滑り込んで避けるも、悪化の一途を辿る現状は、レオンハルトにとって最も忌むべき事態だった。

 十数年間、人を守りながらの狩りは何度も経験してきたことだけれども、ここまで追い詰められたことは一度もなかった。

 

 武器を持たないハンターは、これほどまでに無力なのだろうか。

 感じたことのない絶望感と苦しさが胸を鷲掴みにする。

 

「ええい、ままよ! このまま殴り殺してくれる!」

 

 散々フラグを立てたら、このざまである。

 独り言で己を鼓舞して、レオンハルトは盾を掲げて、起死回生の一手を打とうと、オストガロアの顔前へと飛び出した。

 

 かくなる上は、ヤツの喰砕牙を壊して、ブチ切れを狙うしかない。

 文字通り目の前で動かれれば、さすがの古龍も歩みを止めざるを得ない。

 喰われたり噛まれたりしたら即死確定の状況だが、選ぶ道は他にない。

 

 獲物を求めてグイグイと動く喰砕牙を視界の真ん中に見据える。

 骨を“へし折る”ことに特化した、ハサミ型の歯だ。

 触腕の根元にある頭部に、裂け目のように開いた口、爛々とイエローの光を発する二つの眼。

 

 モンスターの捕食口の目の前に出るなど、通常の思考で考えればただの自殺行為だが、そんなことを気にしている場合ではない。

 生き物を殺すときは、自分の命を懸けるくらい当然なのだ。

 

 黄色の双眸が焦点を自分へと合わせたことを肌で感じながら、古龍の放つプレッシャーへと真正面から飛びかかった。

 

 軽快なステップで、モノを水平に切断する喰砕牙の真下をくぐり抜け、ポーチから取り出した投げナイフを死の鎌の根元へ投擲、上手く突き刺さった小さな刃の柄目掛けて、右手の盾をフルスイングした。

 

 バキッッ!

 

「あっ」

 

 衝撃で砕け散る盾。

 

「ジャシャシャシャ…………」

 

 湿っぽい悲鳴が、オストガロアの口から漏れる。

 

 加工屋のオヤジに言われて、はるか遠い火山から掘り出してきた鉱石を使って、当代最高級の逸品と保証されたバックラーは、銀色の破片をまき散らしながら、その武器生涯を閉じた。

 

 新品が逝った時って、減価償却の再評価が必要なのかな。

 

「マズ……」

 

 目論見通り、喰砕牙を動かすオストガロアの腱へナイフを突き立てることには成功した。

 いくら硬い古龍の歯と言えど、それを動かす重要な腱にナイフを突き立てられれば、正常な動きは不可能となる。

 

 だが、経験と勘とを照らし合わせても、人の二倍ほどはありそうな喰砕牙を壊すためには、少なくともあと十本ほどはナイフが必要だ。

 

 そしてそれらを、古龍の丈夫な腱へと差し込む手段は、既に奪われてしまった。

 

 オストガロアと殺意の視線が交錯する。

 ヤツの意識を引きつけることは、一応成功した。

 けれど、目下の脅威は過ぎ去っていない。

 盾は死んだが、残りの手持ちで何とかしなければ。

 

 次の手段を、と思考を巡らせ、ポーチに手を伸ばすレオンハルトは、自分を狙って動く牙のリーチ圏外へ離れようとバックステップの一歩目を踏みながら、オストガロアを睨みつけて。

 

 

 

 ――ズドンッッッ!!

 

 

 

「……えっ」

 

 ――それは、冥府へと降り注いできた紅い彗星が、地獄の時を止めた瞬間であった。

 

 ギルドが独自開発した砲撃機構を備える、銃槍。

 地上へと流れ出てきた熔岩を想起させるような、真紅の灯火を明滅させる槍身が、喰砕牙の根元へ正確に突き立っていた。

 

 並み居るモンスターたちの中でも、屈指の戦闘力を誇る“燼滅刃”ディノバルドの死体から剥ぎ取った素材をふんだんに用いた一級武器、燼滅銃槍ブルーアだ。

 『月刊:狩りに生きる』で特集された、ただ一人のハンターのための武器。

 その持ち主は、この世でただ一人、その持ち主の名を思い出す前に、レオンハルトの乳首は今生最大級の勃起を行っていた。

 

 砲撃機構の、主に砲撃エネルギーを司る機関が空気へと完全開放され、中に覗く動力炉がウンウンと回転している。

 アレは、ギルドがガンランスのために開発した超高出力の砲撃、“竜撃砲”を放つための予備動作だ。

 いっそ黄金と形容すべき輝きを放つ動力炉には、瞬間的に莫大なエネルギーが蓄えられているのが目に明らかだった。

 

 砲撃準備が整った瞬間であることを、頭が考える前に、本能が察知していた。

 

 なお、竜撃砲は、火竜のブレスを再現していると謳われるほど、威力が高い砲撃である。

 

 

 それは、悟りを開いた聖人のごとき、非常に穏やかで澄んだ心地であった。

 

 非常に緩慢な時の流れの中、ゆっくりとオストガロアから背を向け、人生最高のアルカイック・スマイルで逃走を始めたレオンハルトの目に、瞠目しながら立ち尽くす弟子の姿が映った。

 

 

 なんだよ。来ちゃったのかよ。

 

 もうちょっと、格好良く撤退すれば良かったかな。

 

 

 レオンハルトは、爆発した。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 二次被害を避け、竜ノ墓場の近くで着陸した気球船。

 

『この辺りには、私だけでは対処できないようなレベルのモンスターは残っていません』

 

 そう言って気球船に残ったモミジを置いて、ラファエラとアナスタシアの二名は、オストガロアの巣へと近づいていた。

 

 

 すり鉢状に形成された骨の巣の縁から、恐る恐る中を覗き込むアナスタシアと、EXフィリアの裾についた砂を払うラファエラ。

 

「うわぁ…………あれがオストガロア…………聞きしに勝る骸骨っぷりですね……。

 ……うわぁ…………センパイ、ホントに素手で古龍と戦ってる…………。さすがにドン引きするくらいの非常識さですね……」

 

「武器なら、盾があるじゃない」

 

 顔をしかめるアナスタシアに、ラファエラが不適切なツッコミを行った。

 

「盾は武器じゃないですよ、ラファエラさん」

 

「ララ」

 

「…………はい?」

 

 脈絡不明な返答に、首を傾げるアナスタシア。

 

「ララって、呼んで」

 

 ラファエラは、淡々と、しかしキチンと言葉で、アナスタシアと会話した。

 

「え、はい、ララ、さん?」

 

 まともな会話だ!

 困惑と喜びをない交ぜにした感情を顔に出しながら、ラファエラの要望に答えたアナスタシアに、白髪の美女は無表情で微笑みながら、無邪気な少女へ、ごく自然な動作ですっと手を伸ばし、

 

「はい、いってらっしゃい」

 

 トン。

 

「えっ」

 

 予想外に強い力で肩を押され、グラッと体勢を崩したアナスタシアに、ラファエラは淑やかな仕草で足払いを仕掛け、彼女をすり鉢の中へと転がした。

 それは、ブロの犯行だった。

 栗色の目をまん丸に見開き、宙に手を伸ばすも、指先は虚しく空を切り、アナスタシアは本当に呆気なく巣に落ちた。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」

 

 情けない断末魔の叫びを上げながら、ゴロゴロガラガラと骨の坂を滑り落ちていくアナスタシアを見送って、ラファエラは背中に吊したガンランス、“燼滅銃槍ブルーア”を引き抜いた。

 

 ラファエラのために作られた、オーダーメイドの一級品。

 このEXフィリア(ドレス)も、センスのある“友だち”に作ってもらったものだ。

 

 ヒョイッと巣の中をのぞき込めば、レオンハルトがうぞうぞと動くオストガロアの顔の前へと走り込んでいく所が見えた。

 狙いは、頭か、目か、歯か。

 ナイフを目に投げ込むか、あの巨大な歯の機能を停止させるか。

 

「私とハルは、以心伝心」

 

 明滅するブルーアよりも紅い双眸が、期待される()()()()()()()を見据えてキラキラと輝いた。

 

 ――いいか、ファーラ、良く聞け。誰が何と言おうと、ファーラは可愛い女の子だ。ファーラは将来、好きな男と結婚すればいいんだ。

 

「『心が繋がっているから、距離なんて関係ない』」

 

 槍投げの体勢で大きく振りかぶったラファエラは、つい先刻読んだばかりのマンガのセリフをなぞりながら、紅色の愛の橋を一息に投げ渡した。

 



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件名:同僚に殺されそうです。助けて! 

「……ゴホッ、ゲホッ」

 

 竜撃砲の衝撃によって舞い上げられた砂煙をかき分けて、レオンハルトはヨタヨタ歩きながら秘薬を一粒口に突っ込み、気力でガッツポーズをとった。

 

「救援、かな。救援、だったのかな? 攻撃とか、暗殺とかじゃないよな? もう無理ぃ……」

 

 モンスターの前であるが故、へたり込むこともできないが、足腰は疲労でガクガクだった。

 ぶっちゃけ、至近距離でガンランスの竜撃砲にやられる想定はしていなかった。

 

 ガンランスが竜撃砲起動状態でオストガロアにぶっささったということは、どこかからガンランスを攻撃目的でぶん投げたということだ。

 俺以外にも、竜撃砲ガンランスをモンスターに投げつけるハンターがいようとは……。

 ……俺狙いだったとか、たまたまオストガロアに刺さっただけとか、そういうワケじゃないよね…………?

 

「先生っ!」

 

 切羽詰まった声に顔を上げると、ナッシェがこちらへ駆け寄ってくるところだった。

 ……可愛い女の子の弟子が、俺を心配して走ってくる……。

 十代も終わりの頃、怒れるラージャンの頭をハンマーで必死に殴りつけながら夢見ていたシチュエーションだ。

 生きてて良かったよ……グスッ。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「もちろんだ。ガンランス程度、何ということはない」

 

 キリッと顔を引き締めて、何も心配することなどないと、師匠らしく肩を張らせてもらった。

 最高である。

 頑張ってきて良かった。

 もう大剣が降ってきても片手で受け止められる気がする。

 

「フローラさんは?」

 

「別の場所に移しました。あ、これ、補充の小タル爆弾です」

 

「あ、ああ、助かったよ」

 

 ナッシェがポーチから取り出した黄色い樽型の爆弾を受け取る。

 弟子が有能で何よりだ。

 だが、問題はまだ解決していない。

 

 振り返って見れば、煙の晴れた先で喰砕牙を破壊された痛みに呻くオストガロアの巨体があった。

 抉るようにして引き抜かれた牙の根元は、ズタズタに引き裂かれたオウムガイのような凄惨な傷口になっていて、竜撃砲の威力をまざまざと物語っていた。

 ドクドクと流れ出る濃青色の血が、黄ばんだ骨の大地へと染み込んでいく。

 何より、オストガロアに刺さったままのガンランスが、事態の珍妙さを際立たせている。

 

「あのガンランスは一体……」

 

 何か、とても大切なことを忘れているような気がする。

 今は一体、どういった行動をとるべきなんだ?

 あのガンランスの持ち主が、モミジさんの送ってくれた救援だとして、俺は喰砕牙を壊されて怯んでいるオストガロアに畳みかけるべきなのか、それとも、戦闘を任せてフローラさんとナッシェを連れて撤退すべきなのか。

 判断材料が少なすぎる。

 

「――センパイ! ナッシェちゃん!」

 

 ふと、耳に懐かしい声が飛び込んできた。

 驚きと共に振り返れば、カチャカチャと賑やかな音を立てながら、黄金の防具に身を包んだアナスタシアが駆け寄ってきていた。

 片手には抜刀した操虫棍“灼炎のテウザー”を握っていて、その刃の輝きは、これまで見てきたどの武器よりも頼りがいがあった。

 

「あ、アナ!?」

 

 アナが救援に来てくれたということは、彼女は古龍と戦うだけの技量とセンスを持っていると、モミジさんが判断したということだ。

 彼女も、一カ月見ない内に大きく成長したのだろう。

 

「助けに来てあげました! 大丈夫ですか? ケガとかしてませんか? どうせしてませんよね!?」

 

「おい、言い方。ケガはしてないけど、お前、言い方」

 

「時間は稼ぐので、その間に態勢立て直してくださいよ! 私、古龍とかマジで無理ですからね!?」

 

 いつも通り、少し高めのテンションで叫びながら、わあわあとまくし立てる彼女だが、その視線はとても冷静にオストガロアの動向を伺っていた。

 

「……よし、そいじゃ、行ってきまーす! 見せ場作りますよー!」

 

 攻める道筋を立て終えたのか、彼女は自分を鼓舞するようにかけ声をあげると、そのまま勢いよく突貫していった。

 

「いや、それがな、武器が……俺、盾だけなんだけど」

 

「あ、武器なら()()()()()と思います! たぶん!」

 

「そうか、降ってくるのか。なら安心だな。

 …………ん?」

 

 おいちょっと待て。

 

「え、降ってくるって、お前」

 

「とうっ!」

 

 話が終わる前に、アナスタシアは棍を前方の地面へ突き立てて、回転運動の要領で勢いよくオストガロアの頭上へと飛び上がっていった。

 彼女の急な接近に、オストガロアは対応に遅れ、慌てて触腕を動かすも間に合わず、上空からの一撃をモロに食らった。

 なるほど、確かに腕は上がっているな。

 

 違う、そうじゃない。

 武器が降ってくるってどういうことだ。

 「今日は刃物が降ってくるでしょう」なんて天気予報を聞いたら、普通に死を覚悟するんだが。

 

「さっきのガンランス、じゃ、ないのか……?」

 

 しかし空を見上げても、灰色の分厚い雲が広がるだけで、気球船の影もない。

 

「たぶん、別の武器だと思うんですけど……」

 

「だよな」

 

 降ってくると言うことは、恐らく空から飛来すると言うことだろう。

 さっきのガンランスの投擲者が、俺のための補充武器を投げてくると考えるのが妥当か。

 巣の円周上を見回しても、人の形をとるものすら存在しない。

 ……あれは確か、ギルドが“燼滅刃”と呼称している特別なディノバルドの個体の中でも、一際強力な個体から素材を剥ぎ取って作る武器、“燼滅銃槍ブルーア”だ。

 

「いや、まさか……」 

 

「……?」

 

 アレを持つハンターは、俺の知る限りではただ一人。

 だが、()()がこんな場所にいるはずは――、

 

 ぶわっ!

 

 ――首は急所、急所はキンタマ、即ち乳首はキンタマ。

 頭が知覚するよりも先に、ぞわりと全身を襲った死の気配に、ナッシェを突き飛ばしてから、全力で飛び退いた。

 次の瞬間。

 

 

 ゾンッッ!!

 

 

 俺とナッシェの間に、空から降ってきた大剣がぶっ刺さった。

 

「…………、…………、……………………えっ」

 

「…………、…………、……………………ぇ」

 

 本当に大剣が降ってきやがった。

 

 キノコ型の処刑具を模した、黒一色の異形の大剣。

 不吉な死の香りを漂わせるソレは、邪龍の身体から作り上げた“ブラックミラブレイド”と呼ばれる一級品の業物だ。

 ブルーアに、ミラブレイド。

 これは、もう間違えようがない。

 大剣の飛来元の方角に、バッと目を向けた。

 

 ――竜ノ墓場へとせり出した崖の上、ほぼ垂直の斜面を滑り降りてくるハンター。

 虹に輝く“EXフィリア”を纏い、巨大な赤黒い盾を右腕に装備した女性のハンター。

 線の細い身体、こちらを確かに見つめてくる紅蓮の双眸、頭防具から飛び出した、一房の純白の髪。

 

「あ、れは……」

 

 崖を滑り降りきって、足場の悪さを微塵も感じさせない足取りでこちらに歩み寄ってくる。

 カツカツ、という足音だけで、否応なく胸は砕かれ、俺の感覚器官の全てが引きつけられた。

 

 近づいてくる異様な雰囲気のハンターに、ナッシェが震えながら俺の前に立った。

 

 見間違えようもない。

 神々しいまでの美しい容姿は、その白色は、どうしようもないくらいに死と憧憬の象徴だった。

 

 俺よりも小柄なまま、二年前と全く変わらないその容姿からは、とてもガンランスや大剣を正確に投擲するようなシーンは想像もつかない、想像したくない。

 しかし、俺は彼女が武器をダーツ感覚でモンスターに投げつけるシーンを、実際に目にしてしまったことがある。

 彼女なら、百メートル離れた眼下の古龍の身体に、正確にガンランスを投げ込むくらいのことは、日常動作の延長上であるかのように成功させてしまうだろう。

 

 カツン、と足を止めた彼女と、しばし無言で見つめ合う。

 何を言えばいいのか、俺はどうして彼女に見つめられているのか。

 めちゃくちゃ逃げ出したい衝動に駆られながら、弟子の後ろに回って情けない師匠にはなりたくないと、ナッシェを背後に下がらせながら、俺は毅然と言葉を発した。

 

「……あ、あのー。失礼を承知でお伺いするのですが、あ、あなた、は、ラファエラ=ネオラムダさんで、お、お間違えないですか……?」

 

 温度のない真紅の瞳に、吸い込まれるような感覚を覚えて、その懐かしさに引き寄せられた在りし日の記憶(くろれきし)が、鮮明に脳裏を穿ってきた。

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 ガヤガヤと喧騒と酒気が積もる集会所に入ると、熱せられていた煩わしさが一気に引いていった。

 

「し、【白姫(しろひめ)】……」

 

「どうしてこんな所に――」

 

「……ホンモノだ」

 

 萎れた花、膨らんだ蕾、大きく開いた花、どれもつまらない、白黒の花。

 花は人ではないし、人は花ではない。

 花は花でなくてはいけない。

 見てても面白くない花は、萎れる所を見ても心が動かない。

 

「おっかねぇな……」

 

「本当に白い……」

 

「アレ、“破滅と災厄の”なんとか、って名前の、ミラボレアスの弓だぜ」

 

「マジで邪龍を殺ったのか……」

 

 カサカサと重なり、耳障りな音を立てる花弁。

 いらない葉を落としてしまわないと、花は綺麗に育たない、落とすべき葉もない、それでいて綺麗じゃない花は、見る価値もない。

 

 人の花も、花の花も、私に喋りかけてくる、私を見てくる。

 花の花は、楽しくて素敵なお話を聞かせてくれる。

 摘んで、一緒に歩きながらお喋りをして、それはとても楽しいこと。

 人の花は、本当につまらない。

 邪魔なら摘んでも構わない、摘んでも持ち歩こうとは思わない。

 

 三年経っても変わらないこの場所は、本当につまらない白黒の花畑だった。

 

 邪魔な花が近付いてこないか、本当に煩わしい、自分で動いて私を邪魔する花なんて、本当に煩わしい。

 綺麗な花に群がるアブラ虫のよう。

 ラージャン討伐(お花摘み)がつまらなくて、ブラキディオスっていうパンチのモンスターと組み手をして、それもつまらなくて、いい加減嫌な気分になっていたのに、余計に嫌な気分になった。

 

「…………美人、だな」

 

 私がこんな花畑に来たのは、あなた達のような花を眺めに来たからではないというのに。

 ふつふつと沸いていた怒りは、そのことを思った途端にどこかへ消え去った。

 

 代わりに、春の陽射しが差し込んできた時のような、ぽかぽかとした心地で胸がいっぱいになった。

 

 胸は膨らまない。

 けれど、期待に胸は膨らんだ。

 

 きっと、私が帰ってきたことを、“ハル”は気付いている。

 そのために、私はつまらないお花摘みを繰り返したんだから。

 

 きっと、私のことを見つけようと焦っているはずだ。

 デートの待ち合わせに遅れると、男の人は女の人に謝って、女の人は男の人にぷりぷりと怒る。

 オーカがそう言ってた、まちがいない。

 

 わたしは、怒っているのだろうか。

 ちがう気がする。

 

 うれしい、うれしいのだ。

 お花がさく瞬間をずっと眺めていたときのような、そんな気持ち。

 待つのは、ぜんぜんつまらなくなかった。

 怒るのは、当然なのだ。

 怒って、男の人が女の人にごめんなさいをして、女の人は男の人に甘える。

 これは、罠なのだ。

 わたしの“つんでれ”は、わたしの大剣よりもずっと強い。

 オーカがそう言ってた、まちがいない。

 

 

 だって、鼻に届いたこの香りは、私をこんなにも幸せに蕩けさせてくれる。

 ずっと溺れてしまっていたいくらいに、甘い香り。

 

 

「ひ、ひさしぶり、ラファエラさん。じ、G級、昇格って、聞いたよ。おめでとう。あ、お、俺は、一応同期のレオンハルト・リュンリーだけど」

 

「……マジかよ、アイツ、逝きやがった……」

 

「ヤベェ、また怪我人が出るぞ……」

 

「え、てか、アイツ誰? 新入り?」

 

 ――白黒の花を掻き分けて、ハルは三年ぶりに顔を見せてくれた。

 

 どんな相手と剣を向け合ったときでも、こんなに心臓がドキドキと高鳴ることはなかった。

 思わず顔に血が上ってくる。

 赤くなってはいないかな。私は白いからすぐにバレちゃう。久しぶりのハルは本当に良い匂い。少し格好良くなった? 身長伸びたね。私と同じ真っ赤な目。私と同じ、目。唇が素敵。指がゴツゴツしてる。筋肉がすごく大きくなった。武器は狩猟笛のままなのね。良かった。ハルとお花摘みに行くために、私は弓を頑張って練習したの。でも、大剣も、ガンランスも、何でも使えるよ? ハルがお願いしてくれたら、私は何でもするから。ハルは私をちゃんと見てくれる。目があったことはないけど、ハルはとても素敵。キラキラして見えるの。ああ、やっぱりハルが大好きなの。私はあんまりお勉強しないから、ハルにどうやってこの気持ちを伝えればいいのか分からない。ねぇ、私はお花摘みしかできないけど、ハルはそんな私でも許してくれる? ああ、本当に好きなの。三年間、ずっと離れていて、すごく寂しかった。お仕事が嫌になったの、初めてだった。でも、今はとっても嬉しい。あなたがこんなに近くにいて、私はこんなに幸せで、こんなにも苦しくて、これだけ好きなのに、私の気持ちはどうしたら伝わるんだろう。

 握手? ハグ? キス? キスはダメだ、キスをすると子供が出来ちゃう。子供は結婚してから、将来の旦那さんは、まずはお付き合いして彼氏になる、その前は、ちゃんと“幼なじみの親友ぽじしょん”を握らなくては!

 そう、ハルのはーとを仕留めるのが先。ラファエラじゃなくて、ファーラって呼んでもらうのだ。そのためには、私が遅刻を怒って、「ごめん、なんでもするから!」ってハルが言って、それで「許すけど、代わりに私のことを『ファーラ』って呼んで」。大丈夫、団長さんと、お話の練習はいっぱいやった。作戦は完璧。つまり――、

 

「そ、それで、ああ、あの、ものは相談って言うか、ラファエラさんに、お、お、ぉ願いがあるんスケド!」

 

 ――今から“つんでれ”を実行すればいい!

 

「……い、一緒に、狩りに行きませんか…………?」

 

 目があった! 今目があった! 三年二日十三分五秒ぶりに目があった! 目があったよ! もういい! 許す! 許しちゃう! もうプライドとか全部捨ててお花摘み行くしかない! 表情筋崩して、何百回も死んじゃうくらいに隙を見せて、お花摘みして、お姫様だっこして、お星様が見えるお花畑の中で握手して、キスして、子供が産まれて、私は結婚する! 幸せな家庭! 証明終了!

 

 …………それじゃだめ、ダメなのよ、ファーラ!

 ()()()()()()、全力で挑むの!

 

「あ、いや、そのですね。……お、俺、なんつーか狩りとか別に苦手な訳じゃ無いんスけどやっぱり実力的に上の人と一回くらい狩りに行ってもっと強くなってもっと強いモンスターと戦いたいって言うか、いや、もちろんラファエラさんのお手を煩わせるまでもなくモンスターの十匹や二十匹殺してご覧に入れますが、いや、ホントラファエラさんの技術だけを見たいとか狩りが終わったらおしまいちゃんちゃんことかそういう傲慢ではなく、狩りが終わった後とかお疲れ様会的な所ではもちろん俺が奢りますし、ていうかラファエラさんのお手伝いが出来るのであれば例え火の中水の中、どこへでもお供しますし、俺は足手まといにはなりませんし、もう露払いは本当に俺に任せて欲しいと言いますか、いえもちろんラファエラさんに頼りきりというわけでは全くなく――」

 

 

 ――ぷいっ。

 

 

「……あっ」

 

「…………振られたな……」

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 ぷいっ。

 

 それは、奇しくもあの日と寸分違わない返答だった。

 

 俺は、相当彼女に嫌われているようなのだ。

 ま、まあ、こんなへっぽこなコミュ障クソ野郎なんか言葉を交わしたくもないよね、そうだよね。

 うん。俺は強い子、大丈夫。

 

「カハッッ」

 

 胸の中の思いを全て吐き出すつもりで、思いっきり吐血した。

 

「せ、先生!?」

 

 思わず地に伏せ、ゲホゲホと咳き込む俺には見向きもせず、ラファエラ=ネオラムダさんは、アナスタシアと刃を交えるオストガロアへと歩んでいった。

 

 その背中は、在りし日に追いかけた死神のものと、寸分も違うものではなかった。

 

 




『破滅と災厄の紅蓮弓』は、紅龍ってモンスターの武器です。


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エピローグ

「――アナ、背中に登って。蕾がある、そこにまち針を刺してきて。私はちょっと、ぷるりん抜いてこないと」

 

「無理ぃ! 何言ってるか分かんないけど! ララさんに絶対無理な要求されてるのは分かる!」

 

 ……ララ、さん?

 

「ドレス作りは楽しいから大丈夫」

 

「人間に通じる言葉で話して!! お願い!!」 

 

 ……そうか。

 アナは、いつの間にか、ラファエラさんとあだ名で呼び合うほどに親密な仲になっていたのか。

 そうだったのか。

 この一ヶ月で、本当に成長したんだなぁ……。

 

 レオンハルトは、四つん這いの姿勢のまま、オストガロアに刃を突き立てる二人のハンターを眺めていた。

 長身のアナスタシアが、長いリーチを生かした多彩な攻撃で触腕を翻弄し、淀みのない連撃をオストガロアへと叩きつけていく。

 攻撃を予測し、よりオストガロアにダメージを与えられる部位はどこかを見定め、命を懸けて全力で立ち向かい続ける。

 その動きはまさに天賦のものであり、人の賞賛を受けるに十分値する、英雄の如き戦い方だ。

 

 だがそれ以上に、ラファエラは、アナスタシアの輝きを押し隠すような存在感を放っていた。

 見た目は小柄であるものの、顔面の近くに刺さったガンランスを引き抜こうと、盾を最小限に動かして喰砕牙を弾きつつ、悠々と接近していく。

 

 どうあろうと敗北を想像できない、絶対強者の小さく白い背中。

 あそこに追いつき、並ぶために、どれほどの努力を重ねてきただろうか。

 一体どれくらいの憧憬を抱き、崇拝と嫉妬から生まれた執念を燃やしてきただろうか。

 どれほどの人間が、彼女に絶望させられたのだろう。

 

「……グスッ。無視されたよ。ガン無視だったよ。辛いなぁ……」

 

「せ、先生……」

 

 ポタポタと地面に落ちる涙は、どこかで期待していた自分の残滓だ。

 だが、これでいいと思っている自分もいる。 

 もう、少年時代の淡い夢を追いかけなくてもいい。

 俺には、もっと叶えたい夢があるのだから。

 

「……ナッシェ」

 

「……帰還ですか?」

 

「いや、違う」

 

「え?」

 

 弟子の前で、敗北した己を見せるわけにはいかない。

 過去の自分(黒歴史)如きに敗北するような、無様な師匠でいてはならないのだ。

 立ち上がって、雨晒しの墓場の地面に突き刺さった大剣“ブラックミラブレイド”を引き抜く。

 手に伝わるずっしりとした重みと、それ以上に呪怨めいて重い何かが宿った、古龍“ミラボレアス”の大剣。

 最硬の甲殻から時間をかけて削り出した黒の剣は、邪悪なプラナリアのようだ。

 プラナリア・ブレイド、か。

 可愛いじゃないか。

 

「グスッ。アイツは、G級ハンターの頂点の一角に立っているハンターだ」

 

 どんな醜態を曝していようとも、関係ない。

 この身が燃え尽きるまで、誰も知らない世界をこの目に収め続けてやる。

 

「……グスッ。正直、俺より強い。狩りの才能もある。体型もナッシェと同じ感じだし、お手本としては、これ以上ないくらいナッシェの為になる。

 だけどな、ナッシェ」

 

 勝利への一歩を踏み出した者こそが、真の勝者なのだ。

 俺も、【白姫】ラファエラ=ネオラムダという天才に追いつけなかったハンターの一人だった。

 だが、それも昨日までのこと。

 

 可愛い弟子にサムズアップして、精一杯の決め顔を作った。

 

「俺の狩り方を一番よく見ておけ。アイツより、俺の方が百倍上手くモンスターを狩れる。

 ……『本当の』古龍の狩り方ってヤツを教えてやるよぉ。覚えて、俺の場所に来い。グスッ」

 

 この子が一流のハンターになること、ナッシェの将来に最高の光を当てるのが、レオンハルト・リュンリーの現在の勝利条件だ。

 ナッシェは、見たものをそのまま学び取り、最適解を出力する才能を持っている。

 この子は、強さを覚えることができるのだ。

 

 つまり、俺は、“白雪姫”よりも強いハンターになればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 ナッシェは、動けないフローラの元に戻ることも忘れて、濃紺の血の海に沈んだオストガロアの亡骸を、暴食の古龍を仕留めたハンターたちを、ずっと眺めていた。

 ぺたんと地面にへたり込んで、そっと呟く。

 

「どうして……」

 

 どうして、私はあの場所に立てないのだろう。

 ナッシェには、今の自分が彼女らと共に狩りをする姿を想像することが出来なかった。

 オストガロアが死に際に空へと放ったブレスが、鈍色の曇天を裂いて、覗いた空から竜ノ墓場へ橙色の斜陽が射し込んできている。

 空は明るくなったのに、目の前に広がる断絶は、圧倒的な闇に包まれていた。

 

 分かっている。

 殺し合いの技術は、一朝一夕で身に付くものではない。

 お城勤めの騎士が、どれだけの鍛練を積んでいたのか、師匠のレオンハルトがどれだけ長い間武器を振るっていたのか。

 ひよっこの自分には、彼らのような狩りが出来ない。

 

 それが、どうしようもなく悔しかった。

 

 先生の横で自由自在にガンランスを操っていたラファエラというあのハンターは、これ以上ないくらいに息のあった相棒(パートナー)であった。

 狩り場を縦横無尽に飛び回っていたアナスタシアさんは、先生の洗練された一撃を支えるよう鋭く尖った攻撃を繰り出し続けて、先生はアナスタシアさんに適宜指導を飛ばしつつ、彼女の援護を含めて主体的にオストガロアを狩っていた。

 

 先生は、誰かと一緒に狩りをしたことがないなんて言っていたけど、そんなの嘘だ。

 そうでなきゃ、あんなにピッタリと息のあった狩りができるわけがない。

 

 純粋な、ハンターとしての才能。

 彼らは、まさに一流のハンターで、狩りの中で唯一無二の役割を担っていた。

 

 私は?

 よろよろと立ち上がったナッシェは、フローラの足になろうと隠れ場所に向かう。

 

 私は、先生の劣化コピーでしかない。

 あの人たちの隣に立てなかった自分が、これ以上ないくらいに憎らしくて、私を置いて、綺麗な女の人と狩りをしに行った先生が、嫌になるくらいに腹立たしかった。

 

「……でも、そんなところも、好きかも」

 

 あの人の隣は、貴方の隣は、ずっと私だったのに。

 どうして私に“見ている”ことを言い渡して、他の女の人とペアーを組んでしまったの?

 私が弱いから、武器を持っていないから。

 頭では分かっていても、全く納得できない。

 私は、貴方の背中を後ろから眺めているだけでは、絶対に満足できない。

 貴方の隣に立たなければ、本物の狩人(ハンター)にはなれない。

 貴方の隣に他の人がいることを思うだけで、胸が引き裂かれそうなくらいに痛い。

 だけど、

 

「…………それも、いいかも」

 

 今まではずっと、レオンハルトというハンターを、おとぎ話に出てくる孤高の英雄と重ね合わせて見ていた。

 彼はたった一人で戦い続ける孤独なヒーローで、私は彼の心を支える茨の城の姫。

 それも、今日までのこと。

 先生が英雄の一人であるのではない。

 レオンハルトという人間の中に、英雄の姿があっただけ。

 彼の周りに、彼を英雄的なハンターたらしめる人間がいただけ。

 私は、その彼の隣の場所を、すぐに奪うだけでいい。

 

 モンスターたちの悔恨と怨念の残る、白骸のバージンロードを歩く少女の目には、既に悲しみの色はない。

 青い瞳の見つめる先には、笑顔で手を振る受付嬢の姿があった。

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 地に伏したオストガロアの前で、三人は沈黙し続けていた。

 アナスタシアは初の古龍討伐を終えて緊張の糸が切れたのか、骨が敷き詰められた地面の上に寝転がって寝息を立て始めていた。

 

 ラファエラは、感情の動きを一切感じさせない真紅の瞳でレオンハルトをじっと見つめ続け、レオンハルトはあまりの気まずさに、オストガロアの触腕に腰掛けながら空を眺めていた。

 

 ナッシェ。

 どこに行ったんだ。早く帰ってきてくれ。

 早くこの居たたまれない空気をどうにかしたいんだ。

 帰りたいから船の場所を教えてくれとか、そういう話のきっかけが欲しいんだ。

 アナスタシアは返事がないただの(しかばね)になってるし、もう俺にどうしろって言うんだよ。

 

 そんなことを延々と心の中で思い続けているレオンハルトに、ラファエラがゆっくりと近付いてきた。

 新たな動きに、レオンハルトはビクッと肩を跳ねさせて警戒する。

 なんだ、何を言われる、狩りは上手くやったはず、事務連絡、救援関係、船のことか?

 

 レオンハルトから一メートルほどの距離まで近づいて、そこで止まったラファエラは、長い沈黙を経てから、

 

「…………口に出すことも大事って、モミジが言ってた」

 

「……はい?」

 

「だから、あなたとは喋らなくても良いけど、喋ってもいい」

 

「…………」

 

 その言葉に、レオンハルトは思わず涙を一筋流した。

 

 …………心が死にそうだ。

 『あなたとは喋らなくても良い』って言われた。

 もう帰って飯食って寝る……今日のことは忘れよう……。

 

 そんなレオンハルトの千々に乱れた心情などつゆ知らず、ラファエラは渾身の笑顔を浮かべ、親愛の情を込めながら、二年越しのデート相手に言葉を掛けた。

 

「ハル、ひさしぶり」

 

 本人の努力をよそに、人形のような顔はピクリとも動かず、声の温度は全く変動を見せなかったが、レオンハルトには、ラファエラが笑っているつもりであることが、何故か伝わってきた。

 周りに散らばる無数の白骸と相まって、まるで花園に佇む死神のような美しさであった。

 

 …………もしかして、俺。

 

 今、人生で初めて、ラファエラさんから声をかけられました?

 

 単細胞は、たった一滴のエッセンスを垂らしただけで、簡単にバラ色に染まった。

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

「…………ったくよぉ、なんなんだよもー」

 

 龍歴院の船着き場のベンチで、G級十位、【蒼影】のアーサーは、空を仰ぎながらブツブツと愚痴をこぼしていた。

 

「ラファエラたんはいつの間にかキャラバンの船から消えてるしよー。あの娘は元々キテるけど、団長も人が悪すぎる。何が『愉快だ!』だよ、ガキ書記官殿め。こっちはちっとも面白くねーんだよ、ホント。ラファエラたん、ろくに買い物も出来ないからなぁ。

 エイドスの糞やろーは人使いが荒いしよー。何だよ、まだお目見えしてなかった第四王女が行方不明だから探して来いって。頭おかしいだろ。どうやって見たこともないお姫様を見つけるんだよ。アイツ絶対自分で人捜ししたことねーだろ。お姫様のお守りは大変なんだぞ。

 どーせ、第三王女みたいなやんちゃに決まってる。城から出てきたことがないとなると、アレをぷくぷくにした感じのワガママお姫様なんだろうな……テンション上がらないなぁ……いや、第一王女みたいな女の子の可能性も……お城を抜け出すようなおてんばじゃあ、無理か」

 

 周りには人っ子一人いない。

 まごうことなき、立派な独り言である。

 

「うーん、お城の人も困ってるんだろうなぁ。執事さんの苦労が少し分かった気がするぞ。王様に怒られたりしてさぁ。監視が行き届いていない! どう言うことだ! みたいなね。いやぁ、上司が理不尽で部下がワガママ、中間管理職は辛いねぇ。分かります。

 ラファエラたんは可愛いから絶対正義なので仕方ないとして、問題はあのバカ議長エイドスの野郎だ。何もかもアイツのせいだ。エイドスのクソ、アホ、バカ、トンチンカン、エイドス。ヤになるなぁ……。

 てか、古龍討伐とか嘘でしょ? またピクニック感覚で古龍討伐したんだろうなぁ、うちのお姫様……。ヤになるなぁ……。これだから天才は……心折れそう……。

 レオンもレオンだ。どういう良識の乗り越え方したら、オストガロアに素手で殴り込むようになるんだよ。キチガイ野郎め…………ん?」

 

 ふと、アーサーは首に掛けた双眼鏡を手に取り、青い空の向こう側を覗いた。

 

「……おっ、戻ってきた。あの気球船だよな? つーか、モミジさんが行ってどーすんのよ。いやまぁ、龍歴院の抱える公式の大仕事なんだから、受付嬢が出っ張ることには何のおかしな点も無いわけだけどさ。少しはギルドナイトとしての自覚というか、公私混同は良くないなぁとお兄さん思うなぁ。思うだけで、自分がやらないとは言っていない」

 

 ポリポリとオレンジ色の頭をかきながら、アーサーはとても楽しそうに独り言を続けた。

 

「うーん、うちのお姫様は元気そうだなぁ。

 …………おっ、あれはもしかして、二年前のエキゾチックなお姫様じゃね? うーん、蛮族の姫君って響きがヤバいな。族長の娘だよな。顔結構可愛かったんだよな。なんか、守ってあげたくなるような、危うい雰囲気だったよなぁ。ぶっちゃけ俺もそうだけど、レオンもああいう娘は滅茶苦茶タイプだよな。でも、俺はソフィさんにぞっこんラヴだからなぁ。

 あ、レオンのヤツ、完全に固まってやがるぞ。まあアイツは女子慣れしてねーし、コミュ障クソぼっちだしな! あんな可愛い子に囲まれていれば、そりゃあドモリまくりのしくじりまくりなんだろうなっ。ククッ、早く弄りてぇ!

 …………ん?」

 

 ふと、アーサーは目に飛び込んでくる景色に違和感を覚えた。

 レオンハルトの左腕に、誰かが抱きついているような幻覚が見えたのだ。

 

「…………あれ?」

 

 よく見ると、幻影の人物がエキゾチックな顔作りの少女と言い争っているようにも見える。

 …………おや?

 モミジさんが、あれ? お姫さんが、あれぇ?

 これは、つまり?

 

「………アイエエエ!? シュラバ!? シュラバナンデ!?」

 

 レオンが、女の子を、しかも複数人たらし込んだと!? 修羅場!? 修羅場ってなんだよ!

 

 ……いや、待て、落ち着けアーサー、お前は優秀な子だ。

 冷静に状況を分析するんだ。

 あのコミュ障チキン野郎のレオンに限ってそんなことがあるハズは……。

 

 ……じっと目を凝らすと、レオンハルトの腕に抱きついているのは、金髪の女の子だった。

 レオンハルトは慌てている。

 あれは、ドンドルマでよく見るヤツだ。

 浮気した旦那が、奥さんに必死に言い訳をしているアレだ。

 いや、ちょっと待て。

 

「……どうして、金髪碧眼の美少女が、レオンハルトに抱きついてんの?」

 

 なるほど。

 一周回って冷静になった。

 アイツは、一回死ぬべきクソ野郎だ。

 

 

 …………あ、我らが団ハンターが、レオンハルトに抱きついた。

 

 

 

 

 レオンハルトは鼻血を吹いて死んだ。

 

 




 
国立前期も受け終えたし、とりまランキングを漁るかと思ってページ開いたら、日間三位にモンハンssがあった。
題名見ずにメッチャ期待して開いてみた。
拙作だった。
Yはそっとブラウザを閉じて寝た。

ありがとうございます。
何がありがたいかと言いますと、読者様がいてくださることがありがたい。


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ⅩⅠ Two Years Later
プロローグ


オストガロア討伐から二年後……。
こらそこ、ONE PIECE方式とか言わない。

今夜は二話投稿


 

 

 

 かつて、ハンター養成所で講義をしてくれた教官は、HR(ハンターランク)について説明するとき、こんな話をしてくれた。

 

『G級は魔窟だ。普通の人間では到達できない。ごく一握りの、本当に才能あるハンターのみが届く場所。それが、G級だ』

 

 俺は昔、そこを目指して、一度挫折した。

 俺には、何においても才能がなかった。

 調合のセンスもなく、教官に叩き込まれた素振りもまるでだめ、筋が通っていない、センスがない、生き残りそうにない、ない、ない、ない、ないもの尽くしのガキだった。

 

 そんな俺も、同い年のラファエラ=ネオラムダが放っていた、純白の輝きに魅せられて、彼女の隣に立ちたいと必死でもがいて、苦節十六年。

 俺は、G級ハンターになっていた。

 その心境は、若輩者の俺には言葉で表すことは難しい。

 一言で語るにはあまりにも多くの出来事と苦難と葛藤があった気もする。

 言葉を尽くして説明しようとすれば、水中を漂う泡沫のように立ち消えてしまう気がする。

 だけど、G級昇格の許可を得て、【灰刃】の称号を貰って、その気持ちを強いて言い表すのならば、この言葉が適当だ。

 

 

 こんなハズではなかった。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 ブーツが土を削り、照りつける日差しを反射した武器が、風を切って飛竜の頭を強打した。

 

「ギャァァァ!?」

 

 禍々しくも悲痛な叫び声と共に、身体の黒ずんだリオレイアが地面へと倒れ込む。

 手に伝わる、頭蓋を砕いた確かな感触。

 ギリギリの状況で、命を懸けて正々堂々戦い続ける、最高の闘争がここにはある。

 

 黒紫色の尻尾が砂山へと勢いよく突き刺さり、びっしりと生えた毒棘が周りに散った。

 

 

 

 “紫毒姫リオレイア”。

 ハンターズギルドが二つ名を与えたリオレイアは、爪や鱗に劇毒を仕込んだ、特別な個体だ。

 通常種を遙かに上回る凶暴性と、強力な火炎や毒による攻撃から、並のハンターでは到底太刀打ちできる相手ではない。

 

 通常のリオレイアは、全身が緑色の空飛ぶトカゲである。

 陸の女王と称されるだけあって、その力は人間を遙かに上回るが、こちらから余計な刺激を与えたり、繁殖期の個体に近づかない限り、積極的な攻撃をしかけてくることはあまりない、比較的温厚なモンスターである。

 飛竜を狩れるハンターというのは、よっぽどのことがない限り、このリオレイアやフルフルの若い個体を狩ることに慣れたハンターを指す。

 

 それに対して、この紫毒姫は、全身に返り血を浴びたような錆びた赤の体色を持ち、体中に猛毒を仕込んで獲物を執拗に追い立て回す、獰猛なハンターである。

 繁殖期だろうがそうでなかろうが、リオレウスのような強い縄張り意識を持ち、同族でない生き物は皆敵とばかりの闘争心に身を焦がす。

 

 下位のハンターは当然、ギルドが許可を出さなければ、上位ハンターも挑むことを禁じられるほどの危険なリオレイア。

 その毒は、通常種のものよりも遙かに強く、ギルドが調合法を公表している解毒剤を服用しなければ、毒を体内に入れてから二分ほどで成人男性が死に至るほど。

 食欲も旺盛、抵抗されようが何しようがお構いなし、旅の竜車も空の高いところを飛ぶ気球船も、紫毒姫の目に入ったが最後、危険極まりない毒の餌食となる。

 

 そんな危険なモンスターが、十数頭にまで繁殖している地域が旧砂漠に存在していることが判明して、ギルドからG級ハンターへクエストが下された。難易度はとても高い。

 複数体の危険な個体を狩るクエストであり、古龍討伐に匹敵する危険性があるとして、熟練したパーティー狩猟が出来るハンターたちを派遣することを、G級会議総議長のエイドスさんが決めた。

 これが、昨日の話。

 

 

 現在。

 

「グ、ァオオォォ……」

 

 ズシン、と身体の芯に響くような地響きを起こしながら、一頭の二つ名リオレイアが地に倒れ伏した。

 闘争心に酔って充血した真っ赤な瞳に生気はなく、ドクドクと流れ出る血は完全な致命傷を負ってしまったことの証。

 この個体も、もうまもなく死ぬ。

 

 周りには、五体分のリオレイアの亡骸が転がっている。

 ここから半径二十キロ圏内ほどを縄張りとしていた彼女たちは、辺りの生態系における揺るぎない王者だった。

 個体で生きるより、群れで生きることを選んだ、厄介なリオレイアたちだった。

 幸か不幸か、リオレウスの姿は見当たらない。

 リオレイアだけが群れとなって生きているところを見る限り、カマキリ型の生態系を持っていたのかもしれない。

 哀れな雄である。

 どこか、親近感を覚えざるを得ない。

 

「ふぅ……」

 

 気を抜かないよう気をつけながらも、思わず安堵の息が漏れた。

 G級に昇格したと言っても、人間の体は脆く弱い。

 このリオレイアの毒を喰らえば、いくら解毒薬があるとは言えど、どうなっていたか分からない。

 辺りに生き物の気配はなく、俺と彼女のワルツに怯えて逃げてしまったものと思われる。

 

 しかし、このリオレイアも運がなかった。

 いくら強かろうと、孤高の最強ハンターである俺に出会ってしまえば最期、死の運命を逃れることなど出来やしない。

 不運(ハードラック)(ダンス)っちまったってやつだな。

 

 

「…………なんて、二年前の俺なら言ってたよなぁ、きっと……」

 

 あの頃は、俺も若かったし、ケツの青いガキのままだった。

 今でもそうだろうと言われればそうなのかもしれない。

 

 当時は、ディノバルドみたいに正々堂々とやり合えるモンスターならばまだしも、紫毒姫みたいな厄介さを併せ持つ強力なモンスターは相手にするには大きすぎた。

 毒持ちモンスターなど、ソロハンターの大敵。

 解毒薬を飲む暇さえ自分で作り出さなければならない。

 モンスターは、特に上位種になって長く生きている個体ほど、自分の毒をいかに効果的に運用するかに熟知している。

 当然、解毒の隙など作るはずもない、動きが鈍ったところをガブリだ。

 ネルスキュラこわい。

 

 ソロハンターは、毒持ちモンスターと戦うときは、一度も毒を食らってはならないのだ。

 その点、紫毒姫などは最悪だ。

 瞳を覗けばキマってる赤紫色のリオレイア、地面に毒びしを撒き散らし、体に触ってしまえば不揮発性の猛毒が肌から侵入して、フラついた瞬間を丸焼きか噛みつきで仕留める。

 そんなモンスターを狩れるまでに強くなったのだ。

 これも、毎日毒テングダケの蒸し焼きや、ニトロダケの味噌汁といったキノコ料理を食べた努力の賜物である。

 人間、頑張れば案外伸びるものだ。

 決して、小麦色の女の子が鍋の中の加熱調理で生み出してしまった混沌茸を食べたからではない……うっ、頭痛が……。

 

 

 

 思えばこの二年間、本当に色々なことがあった。

 ラファエラが家に住み着き、ナッシェが家に住み着き、アナスタシアの家が原因不明の火事で焼けて、そうかと思えばモミジさんにドンドルマギルドへの転勤を命じられ、ドンドルマに来たと思ったらマイホーム予定地にナッシェ達三人が住み着いていた。

 

 ようやくモミジさんの奴隷から解放され、罪を許されたのだと喜んでいたら、ドンドルマの担当受付嬢はモミジさんだった。

 カウンターで再会したあの時ほど背筋に怖気が走ったことはないと思う。

 女性の微笑みというのは、どうしてこう、乳首を心地よく刺激してくるるのだろう。

 

 そんな感じで色々あって、G級ハンターになって約二年が経ち、俺はモミジさん専属奴隷のG級ハンターとして、今日も元気にギルドの家畜(ギル畜)生活を送っている。

 俺も四捨五入したら三十代の男になったが、幸運なことに、体の衰えはそれほど強く感じない。

 

 何を言っているのか分からないと思うが、俺にもさっぱりだ。

 安定の暴虐ぶりに悦んでなどいない。そんなことは断じてありえない。

 クエストの内容が鬼畜になったおかげで、毎日元気に働けているとか、そんなことがあるワケない。

 

 

 俺の周りの人間も、随分と変わった。

 

 あれだけ手の掛かっていたアナスタシアは、涙がでるくらいに献身的な真面目キャラにジョブチェンジして、本当によく俺を支えてくれるようになった。

 素直に師匠の指導を聞き入れてくれていたナッシェは、先生の言うことを聞かない反抗期に突入してしまった。

 そして、訓練所を卒業してから11年もの間、こちらからの問いかけにすら一言も応じなかったラファエラは、かえって困惑するほど俺に甘くなった。

 それは、ある意味ではいい変化だったのだろう。

 変わらなかったこともある。

 ナッシェは相変わらず可愛いままだったし、アナスタシアはアホの子っぷりを遺憾なく発揮する時があるし、ラファエラは未だに意図の読めない行動に踏み切ることがある。

 それらは、状況によって判断は違ってくるが、概ね大した問題ではないのだ。

 

 厄介なことは、俺ことレオンハルトくん、ラファエラ、アナスタシア、ナッシェのG級四人で組んでいるパーティーの中にある。

 戦力の都合上、レオンハルトと別れてリオレイアの“サーチ&デストロイ”に勤しんでいる彼女ら三人は、俺に対する明確な好意を示してくれている。

 俺は、オストガロア討伐からの二年間で、自惚れや勘違いなどではなく、人生最大のモテ期に突入していたのだ。

 これが、目下最大の案件なのである。

 

 最初は喜んでいた。

 俺の努力が報われた、俺の魅力がようやく理解された、そうやって喜んでいた。

 端から見れば、世の男が羨むべきハーレムだった。

 G級ハンターのハーレムとか聞くだけで怖い。

 ぶっちゃけ、美人四人に囲まれ、一人は僕の女王様、三人は僕を好いてくれている、とても調子に乗っていた。

 もうそれはそれは喜んでいた。

 

 最初のうちは。

 今は、最高に頭が痛い問題になってしまっている。

 

 …………断じて、手のかかる案件に悦んでなどいない。

 

 




大連続狩猟って、たぶんこんな感じ。


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コミュニケーション、大事、絶対。

変態オジサン回。

今夜は二話投稿。


 鱗の少ない腹部へと、操虫棍の幅広の刃がサクッと吸い込まれるように入った。

 引き裂かれる柔らかな腹肉から鮮血が吹き出し、痛みに思わずのけぞった“紫毒姫リオレイア”の右目へと、飛来してきた三本の矢がこれ以上ないほど正確にこの突き刺さる。

 脳髄に届かんとする鏃の、眼窩を抉る強烈な痛みに、警戒が疎かになった彼女の背中へ、崖の上から降りてきた彗星が直撃した。

 延髄か、脊髄か、一級ガンランスに背中を文字通り砕かれたリオレイアは、悲痛な声を上げながら、どうと地面に倒れ込み、あっさりと息絶えた。

 

 手分けして捜索していた討伐対象のうち、最後の一頭だろう十三体目を手際よく殺し終えた三人は、特に言葉を交わすでもなく、汗を拭くでもなく、ラファエラを先頭にして、レオンハルトのもとへ向かった。

 

 

 百メートルほど離れた岩の陰で見守っていたレオンハルトであるが、目印も出していないのに、ラファエラ達がこちらに向かってきているのを見つけた。

 それについては、もう何も言う気はない。

 【白姫】の嗅覚は、モンスターを凌ぐレベルに研ぎ澄まされているのは、G級ハンターの間では有名な話。

 消臭玉を使っても、ニオイを辿られるのだ。

 色々思うところはあったが、潔く諦めた。

 『ニオイが……』と呟かれた二十代後半の男性は、なけなしのプライドを砕かれる前に引き下がったのである。

 合流できればそれでよし。

 のろしを上げる手間が省ける。

 加齢臭を気にするのは、まだ先の話なのだ。

 

 

 

 

「……お疲れ。一人?」

 

 砥石でギター状の狩猟笛、“巨獣弦琴”を整備しながら、日陰になった岩場の向こうから姿を現したアナスタシアに声をかけた。

 弦楽器なのに笛とは、これいかに。

 

「お疲れ様です、師匠。ララさんとナッシェちゃんは水浴び、私は先に報告です」

 

 頭防具を脱いだアナスタシアが、ふぅぅと深いため息をつく。

 顎のラインで綺麗に切りそろえられた亜麻色のボブカットを揺らしながら、ガチャガチャと音を立てて俺の隣に座り込んだ。

 上気した頬を、つつ、と透明な汗が伝った。

 ほんのりと、芳しい乙女の香りが漂ってきた気がするが、それは口にしてはいけない。

 静かに鼻の神経を集中させるのみである。

 

「……アナ、大分疲れてるね」

 

「それは、まあ、二つ名持ちのリオレイアを七頭も連続で討伐していたら、疲れもします。彼女たち、絆の強い大きな家族だったんでしょう、コッチが縄張りに踏み込んだ瞬間、囲んで襲ってきましたから」

 

「ああ、俺の方もそんな感じだったかな。最初の二頭のうちの、俺が受け持った一頭を倒したら、一度にやってきた五頭の紫毒姫に囲まれちゃってさ。息ピッタリに連携したサマーソルトでしばかれまくったり、放火魔の如くブレスを放たれたり……足の踏み場もないくらいに燃えて燃えて、危うく死にかけたよ」

 

「むしろどうやって生き残ったんですか、それ……」

 

「よく分かんないけど、俺、モンスターを引き寄せる才能はあるみたいなんだよね」

 

「答えになっていないんですが、それは……」

 

「いや、真面目に答えると、落陽草の根を口に含みながら、姫の背中に乗ったんだ」

 

「……は?」

 

 あれ、おかしいな。

 武勇伝を披露したら、アナスタシアに喋るゴミを見る目で見られたぞ?

 純真無垢の形容に相応しい日焼けした童顔、クリッとした瞳、そこから放たれる侮蔑の視線がこれほど胸に突き刺さるとは……。

 生物学的な本能で鳥肌とか乳首とか勃っちまったぞ……。

 

「……ああ、あれは中々刺激的だった。チクチクしたけど、楽しい空中遊泳だったよ。アナも一度、死なない程度にやってみるといい。棍使いとして、良い経験になると思うぞ」

 

「……そのままふり落とされて一回死ねば、師匠のアホさ加減も治っていたのでは?」

 

「なんてことを言う弟子なんだ……」

 

 だが、それがいい……。

 ……なんて、決して思っていない。

 興奮してなどいない。

 レオンハルトさんのレオンハルトさんは未だ沈黙を保っているのがその証拠。

 よし、いい子だ息子よ。そのまま家までステイ!

 

「別に、()()()()()を本当に師匠だと思ったことは一度もないですし。師弟関係は箔付けと建て前のためだって、モミジさんも言ってたじゃないですか」

 

 アナスタシアはそう言いながら、脚防具のブーツを脱ぎ始めた。

 カチ、カチと留め具が外され、長時間防具の中で蒸された長い脚が、スルスルと姿を現した。

 マイサンもスルスルと隆起した。

 アナスタシアの美脚には勝てなかったよ……。

 ブーツから解放されたおかげだろう、鼻腔をくすぐるアナスタシアの汗の香りが一段と強くなった。

 湿っぽく熱っぽいこのニオイ、ツンと鼻の奥をつく汗の強い香り、だが悪くない。

 香水をつけているワケでもなかろうに、オスの本能を刺激するかのような、尖った薫香が近くにいるだけで俺の肺を満たしていく。

 

「そ、そうか……」

 

 クニクニと動く足の指、しなやかな筋肉にふっくらと覆われているひざ下、滑らかな関節のラインを描く膝、太いはずなのに細身に引き締まったふともも、黄金の腰防具。

 黄金の防具君。

 いつも可愛いアナスタシアの大事な腰回りを守ってくれてありがとう。

 でも、邪魔だからそこをどいてくれないかい?

 ちらりズムは難しい概念だ、完全に見えなくては意味がないのだよッ!!

 

 ……ふぅ、よし、俺、落ち着け。

 これも、レオンハルト工房特製の強走薬グレートと、戦闘後の高ぶりのせいだ。

 ご存知だろうか。

 ふくらはぎの語源は、『()()()としているひざ下()()』からきているのだそうだ。

 大丈夫、俺は視線をそっと外せる紳士。

 

「…………先輩、視線が中年のエロ親父みたいですよ」

 

 アナスタシアが低いトーンでそう言った。

 むむ、どうやら俺の目は言うことを聞いてくれなかったようだ。

 ここはスマートに紳士らしく、大人な対応で釈明をしなければ。

 

「そそそそ、そんなワケがないこれは違う俺は中年違う。アナスタシア君の師匠だ、君の大切な脚腰に怪我がないかを確認していただけだ。冤罪だ、俺は何もしていない」

 

 あれ?

 

「悪いことした人に限ってそういう言い訳をするんですよ……」

 

 どうやら、弁明に失敗してしまったようだ。

 アナスタシアの視線の温度がさらに下がった。

 対照的に、彼女の頬に先ほどまでの赤みとは異なった朱が乗り、瞳の奥にギラリとした光が宿った。

 マズい、これはマズい傾向だ。

 

「……ま、まあ、俺はそんな感じだったかな。アナたちはどうだった?」

 

 仕上げのコーティングをかけながら、話題転換のために何気なく尋ねたレオンハルトであったが、

 

「…………それ聞きます? 当然、最悪に大変でしたけど、何か……」

 

 急な話題転換を非難することすらしないまま、必要以上に目の中から輝きが消えたアナスタシアの様子を見て、レオンハルトは色々と察した。

 

「あ、だよねー……」

 

 頬や額の汗をタオルで拭き取りながら、アナスタシアはどんよりとした表情で呟いた。

 

「……師匠がいないと、あの人達の手綱を握るのはかなりの重労働ですからね……。ナッシェちゃんは途中で『先生のトコに戻る』とか言い出すし。ララさんはララさんで、私たち二人に狩りをさせて、自分はあまり手を出さないし……」

 

「え、ファーラがそんな、狩りの指導みたいなことを……?」

 

「ええ、必要なところでサクッとトドメさしてくれたりしましたけど、基本的には立ち回りとかを教えてもらいました。私たち二人が一頭と戦っている間、残りのリオレイアたちを留めてもらいましたし……」

 

「そっか。あの子も成長したなぁ……」

 

 昔、初めて見たときは“目があったヤツから殺す”みたいな雰囲気さえあったのに、人は変わるものである。

 

 感慨深さに一人感じ入りながら、“巨獣弦琴”の弦を調整し終えた。

 本当は愛笛の“清純の乙女(フロイライン)”――正式名称は“憂悶ナル笛星ディエヴ”――を担いできたかったのだが、アナが『真面目にやれ』と言うので巨獣弦琴を担いできたのだ。

 フロイライン嬢は、蒼く魅力的なボディーに、天使の翼のような音響管が素敵な狩猟笛だ。

 オストガロアの素材から作った笛で、今では“コトノハ”と並ぶ愛笛になっている。

 が、武器としては“巨獣弦琴”の方が取り回しやすく、残念ながら今回はワルツの相手に選ぶことが出来なかった。

 最近、アナがオカンみたいに思える。

 家事が出来れば完璧なのになぁ……。

 

 チラッと隣を見やると、艶やかな唇を尖らせながら、嬉しそうに笑うアナスタシアの横顔が目に入った。

 日焼けして汗に濡れた首もとが、何とも妖しげな感じである。

 ……くっ、これでは先ほどの二の舞だ。

 

「……そうだ、ファーラの狩りから少しは盗めたものあった?」

 

「……アレは、通常の人間が真似を出来る領域ではないと思うんです。どうして二十メートルくらい上の崖から飛び降りてモンスターを仕留めようとするんでしょうか。あんなん真似したら体が一発で砕けますよ」

 

「…………ま、まあ、そうだね」

 

「あ、でも、リオレイアを何頭も自分に引きつけるあのヘイト管理は流石でしたし、私は操虫棍しか使えませんけど、守りの堅いモンスターの関節をどう攻撃するのか、モンスターにどう動いてもらうかとか……考えることはいっぱいありました」

 

 嬉しそうに話すアナスタシアに、崖から飛び降りて、勢いをつけてモンスターをぶっ殺すのは昔からある殺し方だよ、と言ってやりたかった。

 少なくとも俺は、結構な頻度でヤっている。

 

「……うん、アナが真面目な子になってくれて、本当に助かっているよ」

 

「…………な、なんですか、藪から棒に」

 

「いや、うちのパーティーは、自分で言うのもおかしいけれども、ストッパーになりうる人材がアナ以外にはいないからね。本当に助かっているよ」

 

「いや、まぁ、えへへ……」

 

 頭に手を当てて照れるアナスタシア。

 彼女は基本的に、素直でいい子だ。

 

「そうだな、今日の狩りでは、他に学べたことはあったか? 連携とか、攻めの引き際とか」

 

「え、ああ、他には――」

 

「どーん!」

 

 さらに話そうとしたアナスタシアが吹っ飛んだ。

 

「へぶっ」

 

 アナスタシアを後ろから突き飛ばしたのは、足音もなく忍び寄っていたナッシェだった。

 こやつ、また無駄にハイクオリティーな技術を身につけおって……。

 顔面から綺麗に地面へ突っ込んだアナスタシアには見向きもせず、俺の隣にナッシェが座り込んだ。

 

 女性用の“白疾風シリーズ”に身を包むナッシェは、小柄で“控えめ”な体躯であるが、大胆に露出した腹部から腰回りにかけてが妙に艶めかしい。

 小さなおへその穴を見ると、指を突っ込みたくなる衝動に駆られる。

 ナッシェは最近、この肌色面積が妙に広い防具を好んでいる。

 動きやすいのならば、それで良いだろう。

 俺も白疾風シリーズは大好きだ。

 

「先生、お疲れ様です」

 

「え、ああ、うん、お疲れ?」

 

 先生はお疲れだから、ちょっと目の保養で忙しいんだよね。

 

「先ほどは、私の妹弟子がとんだご無礼を。水浴びもせず、汗を拭きながら先生の隣に座るなんて、本当にアホな妹弟子です。乙女力マイナスですね。教育が行き届いていなくて、本当にごめんなさい」

 

「え、あ、いや、大丈夫だから。全然気にしなくて良いよ? ホントに。むしろ、体を綺麗にする前に報告に来てくれるなんて、ありがたいくらいだよ。安心できたし」

 

 決して、汗の芳しき()()()に惑わされてなどいない。

 

「…………先生、アナの臭いに興奮してたりとか、してませんよね?」

 

「してないよ?」

 

 にっこりと笑って即答した。

 

「そんなワケないじゃん。そんな変態みたいなことを、俺がするワケナイジャンアハハハハハ」

 

「…………そうですよね。あんなじゃじゃ馬の雌臭いニオイに興奮するワケないですよね」

 

「もちろんさ!」

 

 爽やかに答えた俺の膝に、ごく自然に乗っかってきたナッシェは、俺と向き合う形で座って、じっと俺の顔をのぞき込んできた。

 思わずピクリと体が動く。

 嘘かどうかを見られてる気がする。

 首の後ろに回された手が、どうにも恐ろしい。

 汗のニオイは感じない、代わりに、最近ナッシェが好んで使っている香水の微かな香りか鼻を突いた。ご褒美ごちそうさまです。

 良い匂いに意識を向けながら、精一杯誠意のこもった笑顔を作って対応する。

 

「…………もし、あの発情猫のニオイに興奮したりなんかしたら……」

 

 青い目を逸らさないナッシェが、視線を一ミリも動かさずに言葉を漏らす。

 精緻に作り込まれた人形のように動かない、美しい顔の少女に見つめられて、思わずゴクリと喉が鳴った。

 

「……私が一日中履いた靴下のニオイで興奮するようになるまで、先生を()()しますから」

 

「なぜ……」

 

 愛らしい弟子よ、それは訓練ではなく、調教と言うのだよ。

 それに、俺は訓練されるまでもなく、すでにナッシェのニオイに興奮できている一流のハンターだ、舐めないで欲しい。

 絶対に言わないが。

 

 ナッシェはペロリと唇を舐めながら、どこで学んできたのか問いただしたいほど巧みな上目遣いで、

 

「まあ、良いんです。あの発情期の雌猫のことは忘れて――」

 

「おい」

 

 ぐわしと、ナッシェの頭が鷲掴みにされた。

 

「おや、どうしたのです妹弟子アナよ。私は今ちょっと先生とのむつみ合いで忙し」

 

 彼女の小さな頭を掴んだ手が、グッとナッシェの体を引き上げて、俺の膝の上から無理やり剥がした。

 アナスタシアに片手で持ち上げられるナッシェは、その激痛に顔色をせわしなく変化させている。

 ギリギリとナッシェの頭蓋骨を圧迫する細い指には、少女一人分を持ち上げるのに必要な握力が込められているのだ。

 こうして見ると、アナスタシアとナッシェの身長差は大きい。四十センチくらい違うんじゃないか。

 

「痛い痛い痛い痛いっ!! 髪の毛!!」

 

 空中で手足をばたつかせながら悲鳴を上げるナッシェの顔を、アナスタシアが無表情でのぞき込んだ。

 

「一体誰が、発情期の雌猫ですって?」

 

 その言葉に、ナッシェがアナスタシアの方から目をそらしながら、引きつった余裕の笑みで、

 

「あ、あら、自覚があるんじゃないの? アナ、貴女は私の妹弟子なんだから、少しは先輩に対する態度とか敬い方を――」

 

 ゴッ!!

 

 問答無用で近くの岩に額を打ち付けられたナッシェが、両手をだらんと降ろして完全に沈黙した。

 あれは落ちた。

 気絶した金髪少女の首根っこを掴んで引きずって行くアナスタシアの背中に、一応声をかけておく。

 

「……おい、アナ、やりすぎるなよ?」

 

「大丈夫です。立場というものを分からせてやるだけですから。まずはアナ先輩と呼ばせるところからですよ。それから敬語」

 

 回復薬グレートの瓶を振りながら返事をするアナスタシアに、ひとまず安堵の息を吐く。

 彼女は激怒しているが、キチンと越えてはいけない一線を弁えている。

 なんだかんだ言って、根は優しい子なのだ。

 

「――ハルぅ」

 

 と、安心している間に、このパーティー一番の問題児が帰ってきた。

 両手に大きな袋を持ったラファエラが、ゆっくりと踊るようなステップで歩み寄ってきた。

 

「ファーラ、お疲れ様」

 

「疲れてないよ?」

 

「ですよねー、知ってた」

 

 ラファエラをファーラと呼ぶのは、俺が彼女の手による“訓練”を受けた賜物だ。

 決して、淀まずにファーラと呼べるようになるまで無言でボコボコにされ続けたワケではない。

 そんな記憶はなかった。

 

「それより、その袋は?」

 

「熱帯イチゴの実」

 

「おいちょっと待て」

 

「何を?」

 

 彼女は今、何と言った? 

 リオレイアの頭が入りそうな袋二つ分にいっぱいに詰めたものが、手のひらの上で転がせるほど小さい熱帯イチゴの実だと?

 

「…………全部?」

 

「あたりまえー、あたりまえー」

 

 謎の旋律を口ずさみつつ、ラファエラが袋の中から一粒取り出した。

 太陽の光をいっぱいに浴びて育った真っ赤な熱帯イチゴは、“荒野のルビー”と賞賛されるほどに美しく、甘くて美味しい。

 これが、リオレイアの頭二個ぶんか。

 

「嘘だろ……」

 

「ほんとだよ?」

 

「ですよね……」

 

 思わず天を仰いだ。

 彼女は、だいたいいつもそうだが、こと採集において手加減というものを知らない。

 一度、十個だけでいい深層シメジを百個くらい回収してきてしまったときは、さすがに絶望感を覚えた。

 ギルドにばれないよう、キャンプで焼いて食べたのだが、アレは本当に辛い体験だった。

 数日の間、キノコで腹を破裂させる悪夢を見る羽目になるくらい辛かった。

 

「…………ファーラ、採集はこの袋のぶんだけだと、狩りに行く前にも言っただろ? 聞いてなかったのか?」

 

 レオンハルトは、ポーチから取り出した小さな袋の穴を広げて、白髪の美しいハンターに講義を始めた。

 

「聞いてないよ?」

 

「……そっか…………」

 

 十秒経たずに絶望した。

 いつも通りだもんね。

 

「…………良いかい? 次からはこの袋に入れなさい」

 

「分かった。じゃあ食べよ?」

 

 そう言って、ラファエラは無邪気に笑いながら、熱帯イチゴがはちきれそうなほど詰められた袋を掲げた。

 今、真剣な注意をサラッと流された気がする。

 …………この子、もしかして、多めにとってくればたくさん食べられるとか思っていないだろうか……。

 

 今日は旧砂漠で夜営して、明日の朝は然るべき場所で排便しよう。

 少しは、熱帯イチゴも実を結んだかいがあったようにしなくては……。

 

 

 

 自分で言うのもなんだが、このパーティーは、現在G級で最も戦力の整った集まりである。

 そして、幸か不幸か、G級の中では()()()()()()()人間が揃ったパーティーなのだ。

 

 




主人公の爆発フラグ建造が止まらない……


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会議は踊った方がマシ

「……ふやぁ……おはよう」

 

 ――ブズッッ!

 

「こっ」

 

 床から浮き上がる脚、宙を飛ぶ体。

 身体の芯を下から上へと走り抜けていった衝撃に、アナスタシアは目をあらん限りに見開いていた。

 

「……え? ……へぶっ」

 

 アナスタシアの長身が、薬草を床に広げていた俺の方へ飛び込んでくる。

 眼前で起きた悲劇に寝起きの頭が反応出来ず、顔面でアナスタシアを受け止める俺。

 柔らかい薄地のパジャマに包まれたふとももに挟まれ、ふ、ふ、ふともも、ふとももが頬をぎゅうぎゅうと挟み込んでくる。

 目の前の薄い布の向こうには、お、女の子の花園が……いい匂いだ、とても興奮する、性的にとても興奮する、あ、ヤバい死ぬステイ!

 

「か、ぁ、あ」

 

「……お、おい? 大丈夫か?」

 

 張りぼての理性を総動員しながら声をかけるが、お尻に手を当てて震えるアナスタシアからは返事がない。ふとももすりすり。成熟した女の子の香り。ずっとこんな風にクンカクンカしていたい。

 

「ぁ、ぁ、あ……」

 

「お、おい!? ……ナッシェ! 何してるんだ!?」

 

「え、何って」

 

「だめ……」

 

 何かを耐えるように全身を震わせながら呻くアナスタシアに、本能が警鐘を鳴らし始める。

 

「ダメ!? おい、え、え? こ、こう言うときは、ど、どうすればいいんだ!? ちょ、も、モミジさん来てぇ……ッ!?」

 

「どうしたんです!? …………レオンさん? その雌猫と、一体何をしていらっしゃるんですか……?」

 

「いや、これは違うんです、誤解です」

 

 混沌を深める場の雰囲気をよそに、顔を真っ赤にして俺の頭に乗っかっていたアナスタシアは、プル、プルと痙攣しながら、

 

「だめぇ、だめぇぇ…………ぁ……」

 

 そして、悲劇は起こった。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 大陸屈指の大都市、ドンドルマの中心部にある大老殿は、人類の繁栄と自然の調和のために、日々奔走するハンター達を統括するハンターズギルドの総本山だ。

 

 地政学的な観点から言えば、ドンドルマは人間にとってなくてはならない要所である。

 交易の中継地点としての顔から、高度に政治的な中立地域としての側面、周辺都市の盟主都市としての面子など、ドンドルマには様々な役割が期待されている。

 長い歴史を人類と共に歩んできた大都市ドンドルマは、今や人類繁栄の要とまで言われるほどに成長した。

 

 当然、人間とは違った摂理を持つモンスター達にとって、人間の都合など知ったことではない。

 東、北、西の三方を山脈に囲まれたドンドルマは、地形学的な要因や古龍を含む大生態系図の関係からも明らかなように、ドンドルマは様々なモンスター達が襲来する危険な街なのだ。

 過去、“鋼龍クシャルダオラ”や“老山龍”などの代表的な古龍を筆頭に、大移動中のセルレギオス達による襲撃や、山から下りてきたゲリョスの大群など、時にはドンドルマを壊滅させるほどの被害を受けたこともある。

 

 そこにハンターズギルドの本部を置くのは、一つに戦力の集中を容易に実現できるからであり、ギルドによる自治都市的性格を持つドンドルマが、他の政治勢力――例えば西シュレイド王国の貴族――に手出しをされないようにするためである。

 

 人類が自然の脅威に抗いつつ、国や貴族の介入を跳ねのけるまでに成長したドンドルマは、人類の進化の象徴たる様々な施設を都市内部に擁する。

 例えばそれは、蓄積した叡智の結晶たる古龍観測所や、手懐けたモンスターを人々に見せることによってドンドルマの“強さ”を内外に示すアリーナと言ったモノだ。

 西シュレイド王国内に存在する学術研究所なども含め、ハンターズギルドに関わりのある研究施設の殆どは、近年までハンター達を独自に雇っていた龍歴院を中心とした学界に所属しているが、それはまた別の話。

 とにもかくにも、ドンドルマという都市は、政治的に見ても、対モンスターの最高戦力という観点から見ても、人類の繁栄という目標達成を目指す立場から見ても、非常に重要な場所であるのだ。

 

 

 つまり、何が言いたいかというと。

 

 

 都市の未来を左右するような重要な会議“G級会議”に、腰布一枚の全裸で出席するような人間が顔を出していたり、そもそもメンバーの三分の一が安定して会議を欠席しているような現状は、大都市ドンドルマにとって非常に危険なモノである。

 常識的に考えれば。

 

「ドンドルマは大丈夫なのか……」

 

 【灰刃】レオンハルト・リュンリーは、大老殿へと続く長い階段の下で力なく呟いた。

 無論、大丈夫ではない。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 “武力は権力”を地で往くハンターズギルドの今後を決定する“G級会議”は、各都市に派遣されるギルドマスター達の長たるハンターズギルド総議長、名実共にハンター達の頂点たる大長老、十三名のG級ハンター、計十五名から構成されている。

 最終的な決定権は大長老にあるが、G級ハンターという名の“武力の権化”たる者達の発言力はとても大きい。

 それは時に、ハンターズギルドの運営権力におけるトップの地位にいるギルド総議長はおろか、前線を退いた大長老さえ凌ぐほどだ。

 

 ハンターズギルドは、力こそが法なのだ。

 脳髄が筋肉で構成された化け物達の手綱をいかに握るか、ハンターズギルドはそのようにして、長い間対モンスターの最高戦力組織として機能してきた。

 

 

 そんなブラック組織のG級ハンターにおける頂点は、というと。

 

「…………」

 

 円卓に枕代わりのぬいぐるみを載せて、絶賛睡眠中だった。

 ドンドルマを一望できる議場に柔らかな朝日が差し込み、彼女の白髪を美しく輝かせている。

 

 G級序列一位、【白姫】ラファエラ=ネオラムダは、この場で最も重要な地位にいるにも関わらず、G級会議でマトモ()発言をしたことがない。

 お気に入りの真っ白な巨大ぬいぐるみ――ウルクススEX――の背中に抱きつき、静かに惰眠を貪るラファエラ。

 白い睫毛(まつげ)が呼吸に合わせて上下し、「うにゅぅ」という呻き声と共に柔らかなぬいぐるみに擦り付けられる頬は、人形に負けず白かった。

 

 しかし、触れれば壊れてしまいそうなほどに美しく儚げな寝顔は、何者も侵すことの出来ない聖域の象徴だ。

 彼女がこの場で眠っている限り、G級ハンター達が暴れ出すことはない。

 万が一にも死神の眠りを乱し、彼女の不況を買って暴虐の嵐を呼ぶようなようなことがあれば、例えG級ハンターが勢揃いしているとしても、生きて帰れる保証はない。

 まさに、名実共にした「ドンドルマの守護神」なのだ。

 

 それにしても。

 新雪のような髪が背中から腰まで流れ落ち、可憐な少女の午睡を思わせる平和の情景は、いつ見ても心が潤う。

 ラファエラは、本当に俺と同じ二十六歳なのだろうか。十年くらい前と比べても、容姿に全くの変化が見られない。

 首から下に、骸骨を模した“骸装甲シリーズ”の防具を纏っていなければ、人が羨む平穏の風景そのものであっただろう。

 これが、純真無垢の乙女というものか。

 彼女は俺とは比べものにならないほど(物理的に)強いが、守ってあげたいという父性本能が、ついつい働いてしまう。

 歳をとった、“オジサン目線”になったと言われても、俺は笑って受け入れるだろう。

 なぜなら、

 

「…………可愛いは正義なのだ」

 

「そこの無精髭の不審者、ララ様に手ぇ出したらぶち殺しますよ」

 

 思わず口をついて出た言葉に、真っ先に反応したのは、レオンハルトの真向かいの席に座る女性ハンター、序列九位の【眈謀】桜花(オウカ)・シムラだ。

 目の下まである薄緑色の前髪の奥から、浅葱色の鋭い眼光をぶつけてくる。

 とても怖い。

 

「……髭は剃ったよ、オウカさん」

 

「あら、ごめんなさい。私、てっきり髭だと思っていました。貴方のフンだったのですね?」

 

「どうして自分のフンを顔に付けているように見えるんだ……」

 

「だって、レオンハルト=クソ≒モンスターのフン、でしょう?」

 

「女の子がなんて事を言うんだ」

 

「その、根暗で見るからに不審者な出で立ちのイメージが先行してしまって。

 ごめんなさい、不審者ならば、自分の顔に自分の糞を塗りつけていてもおかしくはありませんよね」

 

「滅茶苦茶おかしいよ!」

 

 彼女は、特に作戦立案などにおいてとても優秀なG級ハンターであり、二年前、十九歳の若さでG級に昇格した才媛だ。

 しかし、ほんの少しだけ、同性のラファエラに関して熱くなりすぎる傾向にある。そして、男に対して妙に毒舌が激しい。

 そんなオウカに対して、右隣の席に座る覆面の少女が口を開いた。

 

「おーかさん、失礼です。先生はララさんに手なんて出しません。先生は極度のチキンで古今無双のヘタレなんです」

 

「おいナッシェ止めろ」

 

 弟子からまさかの口撃を加えられて、俺のガラスハートにヒビが入った。

 ナッシェはこうした人前に出るとき、黒地に白で線や点を描き、星座を表している仮面を外さない。

 顔を見せないその出で立ちは、G級の名に相応しい変人っぷりだ。普段から少しズレた所があるから、奇人っぷりに拍車がかかっている。

 弟子じゃなかったら、まず関わり合いになりたくない人種だ。

 たとえ美少女であっても、あまりお近づきになりたくない人というのはいるものだ。ぼく学習した。

 目と口元以外はマスクに覆われているが、僅かに上がっている口の端を見るに、さっきのは天然発言じゃない、確信犯だったのだ。

 本当になんて弟子だろう。

 

「チキン? どうやら我々G級ハンターの間で認識の齟齬があるようだな」

 

 と、俺の左隣に座るオウカの兄、【剛槍】ヒヒガネ・シムラが渋い声で口を開いた。

 

「G級序列二位、【灰刃】レオンハルトは、三人の強く美しき戦乙女(ヴァルキリー)達に囲まれ、まさに多くの妻を娶る好色の英雄として世間に認知されている。つまり、生粋の女誑しだな」

 

「え?」

 

 マジで?

 思わず浅黒い肌の男に目を向ける。

 

「クズですね」

 

「え?」

 

 シムラ妹が的確に毒の入った援護射撃を放ってきた。

 思わず涙ぐみそうになるが、そこはぐっと顔に力を入れてこらえた。

 ヒヒガネは、構わず続ける。

 

「しかし、彼らの組む狩猟パーティーは、こと生死の関わる現場において禁忌とされる恋愛的な測面について、何ら致命的な問題を発生させていない」

 

「いや、まぁ、確かに問題になるようなことは……ない、ない?」 

 

「しかも、【灰刃】一人に対して、三人の女性が明確な好意を示しているにも関わらず、彼は性的興奮や発情といった反応を示さず、また交際交尾結婚出産の過程を進むに至っていない。つまり、一切の進展がない」

 

 交尾ってなんだ。

 せめて、セッ○スって言えよ。

 いや、言うな。

 

「おい、黙れ。人の話を聞け」

 

 嫌な予感を抱き、思わず椅子から立ち上がるが、ヒヒガネは妙に熱くねっとりとした視線を俺に向けて、堂々と言い放った。

 

「それは、レオンハルト君がホモ・セクシュアルだからだ」

 

 …………何かあるとすぐこれ(ホモ)だ。

 レオンハルトは議場の天井を仰いだ。

 G級三位、四十一歳男性、ヒヒガネ・シムラは、尋常ならざる怪力のホモである。

 襲われたらまず助からないというのが、我々男性ハンターの常識だ。

 最悪だ。

 

「んなわけあるかッ!!」

 

 ドンッ、と机を叩きながら抗議するも、ヒヒガネは汚れた熱視線を向けてくるばかり。

 

「な……ッ!?」

 

「ナッシェ!? 真面目に受け取るな!」

 

 仮面の下で瞠目するナッシェに必死で叫ぶ。

 

「ヒヒガネ兄さん、そのホモ男のケツを早く○って」

 

「オウカさん、本当にやめてください、お願いします」

 

「フッ。オウカ、俺は無理やりというのは好まんのだ。お互いが合意の上でセ○クスをする、というのは、理性ある人間に生まれた者として当然のことなのだよ」

 

「やった! 勝った! 俺の後ろの貞操は永遠に守られる!!」

 

「彼の方から俺を求めてくれるようになるまで、俺はずっと待っているよ!」

 

「一生待ってろ!」

 

「レオンハルト君。君が我慢できなくなったら、いつでも僕の家においで。アナ○処女の君は、まずア○ル拡張から始めよう」

 

「誰が行くか!!」

 

 マズい、ヒヒガネの暴走が止まらない。

 

「『切ない吐息を漏らしながら、赤い瞳を少女のように潤ませたレオンハルトは、星降る冬の夜、インナーを脱いで――』」

 

「ギャァァァァアアアアア!!?」 

 

 ついに妄想の垂れ流しが始まった。

 髭面の厳つい男が、麻布の服を盛り上げる筋骨隆々の体をくねらせながら、熱っぽくボーイズラヴを語る姿には、怖気と寒気しか感じない。

 どうしてこの人は防具を着てこないんだ。

 鳥肌が立ち、インナーの下の乳首が本能的な危険を察知して勃起するが、全く気持ち良くない。

 

「『――外気に触れて高ぶったフルフルベビーを撫でながら、狩り場を駆け回って引き締まった禁足地を僕の目の前へと晒し、「ヒヒガネさん、俺、もう……ッ!」と湿った声で呟いて、僕の剛槍を物欲しそうにねだったのだ。思わず、桃色の皺が寄った窄まりに人差し指をさし入れてしまった。すると、ギギネブラの如く指に吸い付いたハプルポッカが』」

 

「もう止めろぉぉぉおおぉぉぁぁああああッッ!!」

 

 頭を抱えて絶叫するレオンハルト。

 物理的に口を塞ぐべきか、いやアイツに近づくなんて貞操の危機を感じる。

 

 いつもなら、こうしたヒヒガネの暴走を止めてくれるのは序列十三位の筆頭ランサーなのだが、今日は来ていない。

 ヒヒガネの隣に座る“【暴嵐】のゲン”は腕を組んで呪文のような何かをブツブツと呟いているだけ。

 天井からぶら下がった全裸の変態も沈黙を貫いているが、たとえ何かを言ったとしても視界に入れたくない。

 ナッシェは目元に光る涙をハンカチで拭いながら、笑い声が出ないように必死にお腹を抱えていた。

 救いはない。

 アイツ、後で覚えておけよ……。

 

 

「……ホモ談義はそこまでにしろ」

 

 ――聞いたこともないくらいに酷い静止の声を放ちながら、混沌渦巻く議場に入ってきたのは、ハンターズギルド総議長のエイドス・アッチェレランドだった。

 黒い髪が、ワカメのように禿げ上がった頭に健気にしがみついている。

 まだ四十代前半であるというのに、運命は残酷だったようだ。

 

「いやぁ、ホモの道は大変そうだねぇ」

 

 そのハゲの後ろに、人を馬鹿にしたような笑みを浮かべて、【蒼影】アーサー・ニコラスも続いてきた。

 オウカの左隣に座ったアーサーは、ニマニマとしながらレオンハルトに声をかけた。

 

「で? いつヒヒガネさんとファックすんの?」

 

「殺すぞ」

 

 赤い瞳に明確な殺意の火が灯り、アーサーは「冗談ッス」と慌てて目を逸らした。

 

「挙式は明日でもいいぞ? その代わり、今晩で浣腸脱糞絶頂まで訓練しないといけないが。披露宴で貫通式というのも悪くない」

 

「もうやだ、おうちかえる……」

 

 本気トーンで話すヒヒガネに、レオンハルトは口で説得する事を諦めた。

 体を開くとは一言も言っていない。

 G級のハンターとまともに会話しようとしても、精神的に消耗するだけだ。ヤツらに常識は通用しない。

 

「…………会議を始めてもいいか?」

 

 大長老の左隣に座ったエイドスの言葉に、反対意見を述べる者はいない。

 

 大長老は、レオンハルトが円卓の置かれた議場に到着する前から、沈黙不動のまま鎮座していた。

 座っているというのに、その巨体は六メートルの高さにまで届いている。

 薄く開けられた瞳の奥の色は伺いしれず、目の前で繰り広げられていたホモ騒動に眉一つ動かさぬその威様は、まさに大長老と言うべきものだった。

 

 大長老に視線を送り、無言の肯定を得たエイドスは、少し肩を張って口を開いた。

 

「……うむ。では、これよりG級会議を始めよう――」

 

 



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G級ハンターの世界

「……うむ。では、これよりG級会議を始めよう。

 と、思うのだが…………」

 

 そう言って、エイドスは暖かな日差しの入り込む円卓を見回した。

 若干悲しそうな視線が、寂しい空席を撫でていく。

 

「……【不動】のマクスウェル殿は?」

 

 大長老の右隣の空席を見て、エイドスが疑問の声を発する。

 

「あ、マクスウェルさんは、我らが団の団長と昨日の宴会で飲み比べをしたせいで、酷い二日酔いに遭ってダウンしたッス」

 

「なんてことだ……」

 

 アーサーの言葉に、エイドスは頭を抱えた。

 G級()()()()()()常識人であり、混迷しがちな会議の方向をコントロールしてくれるベテランの筆頭ランサーがいないとなると、G級会議は酷いことになるのだ。

 しかも、あのマクスウェルが、よりによって二日酔いとは……。

 

「……まあ、いい。書記官殿とマクスウェル殿には、後でキツく言い含めておこう。それで……」

 

 エイドスは次に、G級序列十二位の空席に目をやった。

 

「……【千姫】アナスタシア嬢は、一体どうしたのだ? 彼女が休むのは、珍しいが」

 

「あ、いや、その……」

 

 エイドスに真面目な顔で尋ねられたレオンハルトは、どう伝えるべきかと口ごもった。

 そう、真面目になったアナスタシアがG級会議を休むのは、初めてのことなのだ。

 総議長が心配そうな顔を作っているのも、彼女への信頼あってこそだろう。

 俺達のパーティーでは、俺の次に常識人なのだ。

 

 しかしながら、とレオンハルトは思案する。

 これは、アナスタシアの名誉と沽券に関わる、極めてデリケートな話題なのだ。

 彼女は、名目上とはいえ、俺の大切な弟子なのだ。

 真実を話すべきか、アナスタシアのために口ごもるべきか、風邪ですとでも言っておくべきか……。

 

「……アナスタシアは、その、臀部に星の矢を受けて……」

 

「星の矢?」

 

 レオンハルトの苦し紛れの曖昧な供述に、エイドスは首を傾げて詳細を促す。

 そんな彼らに、ナッシェが座ったまま、無邪気な声で(むご)い真実を告げてしまった。

 

 

「アナちゃん先輩は、今朝方私のカンチョーを受けて倒れました」

 

 

「ナニィ!?」

 

 オウカがガタンと音を立てながら立ち上がる。

 レオンハルトの印象操作工作は失敗に終わった。

 アナ、すまなかった…………不甲斐ない俺を許してくれ……。

 

「ナッシェ……」

 

「……か、かんちょー、だと?」

 

 困惑するエイドス総議長。居心地悪そうに、尻を下ろす位置を調整した。

 戸惑うのも無理もない。

 俺も、今朝目の前で悲劇が起きた時、頭の理解が追いつかなかった。

 

「はい。私は先日、アナちゃん先輩に酷い仕打ちを受けたのです。私はそれに対して、(寝ているアナちゃん先輩に)正当な抗議を入れたのですが、アナちゃん先輩は全く聞く耳を持ちませんでした。私は姉弟子として、(寝ている)アナちゃん先輩に正々堂々と決闘を申し込み、(起き抜けを狙って)必殺の一撃を、こう、ブスッと」

 

 金髪の仮面少女は、小さな手を組み、両手の人差し指だけを立てて、獲物に狙いを定めるハンターの目をしてから、腰に捻りを加えながら腕を真っ直ぐと突き出した。

 臀部の大事な穴を突き上げられ、五十センチほど浮き上がったアナの姿を思い出す。

 

「ぶぼっ」

 

「オウカッ!」

 

 ナッシェの解説に興奮したあまり、ブシュッと鼻血を吹いたオウカが、ふらつきながら椅子に座り込んだ。

 ドクドクと血を流し始める妹に、ヒヒガネが慌てて駆け寄っていく。

 

「そ、そうか……。

 ……【星姫】ナッシェ嬢よ、よほどの事があったのだろうと推察するが、G級ハンター同士の決闘は、できる限り控えていただきたいのだ。人類の存亡に直結しかねない」

 

「ごめんなさい」

 

 素直に頭を下げるナッシェはしかし、机の下で必死にお腹を抱えていた。

 うちの子は、どうしてここまでやんちゃに育ってしまったのか……。

 

「……【灰刃】レオンハルト殿。彼女達は貴殿の弟子なのだろう? 指導は怠らないよう、重々承知していただきたい。【星姫】、【千姫】、共にG級に属する重要かつ貴重な戦力なのだ」

 

「……申し訳ございませんでした……。以後、このようなことが起きぬよう、よくよく叱っておきます……」

 

「ところで、その負傷は、どれくらいで治るのかね?」

 

「彼女を看た受付嬢によれば、幸い目立った外傷もなく、一日で痛みも引くとのことです」

 

「そうか。大事なく済んだか」

 

「ええ。…………たぶん」

 

 ナッシェとアナスタシアの小競り合いは、最近過激の一途を辿っている気がする。

 胃が痛くなる問題だ。

 モミジさんによれば、幸いアナスタシアのお尻には大事なかったようだが、一歩間違えれば悲惨な結果になっていた。

 あんなに綺麗なカンチョーを、一体どこで覚えてきたのだろうか。

 ナッシェには、久しぶりにお灸を据えてやらねば……。

 

 

 ……扉の陰に潜んでいたナッシェのカンチョーを、起床直後の無防備な状態でモロに受けてしまったアナスタシアの末路は、誰にも語るべきではない。

 そこのところはナッシェも分かっていたようで、少し安心した。

 彼女のためにも、あの現場の記憶は墓まで持って行こうと思う。

 ……聖水は天上の幸福だった。

 

 

「……よろしい。頼んだぞ。

 それでは……“【博愛】のロットン”は……」

 

 ラファエラの向かいの空席を見ながら尋ねたエイドスに、今度は天井に足を引っ掛けてぶら下がっている変態全裸男が答えた。

 

「ロットン殿は、五日前に遺跡平原の方で報告が上がったリオレイアの希少種との逢瀬に赴いたまま、今日まで戻っていないでゴザる」

 

 ユクモ村出身のG級六位、“【天迅】のサスケ”は、筆頭ファイターに叙されている優秀なハンターであり、G級随一の情報屋である。

 本人は“ニンジャ”を自称しており、その素早い身のこなしと圧倒的なクエスト達成率は、筆頭ファイターの名に相応しい。

 

 が、ユアミスタイルのまま天井からぶら下がるという狂行に走る生粋の変態である。

 腰に巻いたタオルの下には、当然のように何も穿いていない。

 つまり、汚いブツがポロンと飛び出ているのだ。

 強い、速い、変態、と三拍子揃った最悪の露出狂である。

 

 タオル一枚で“嵐龍アマツマガツチ”を討伐した変態ハンターは、何を隠そうコイツなのだ。

 ついでに、ヒヒガネに尻穴を狙われる男性ハンター筆頭でもある。当然の報いだ。

 

「……ロットンめ、またか…………」

 

 エイドスが忌々しそうに悪態を吐いた。

 レオンハルトはG級に上がってから、ロットンとは一度だけ会ったことがある。

 黒髪黒目の若い優男、という風体であったのだが、感情の動きをまるで感じない穏やかすぎる雰囲気は、妙に不気味に映った。

 なんというか、嵐の前のイビルジョーという感じだったのだ。

 

「……まあいい。良くないが、この際ヤツのことは諦めよう」

 

 エイドスは深いため息の後に出欠確認を切り上げ、円卓全体を見回して話し始めた。

 

「この場に集まってくれたハンター諸君、ギルドを代表して、まずは礼を言いたい。本当にありがとう。今日は十名ものG級ハンターが出席してくれた。多忙の中、よくぞ足を運んでくれた。特に、【白姫】と【灰刃】の両名は、狩り場にいる場合の方が多いにも関わらずよく来てくれた。本当に感謝している」

 

 総議長の言葉に、レオンハルトはとりあえず首肯で返した。

 隣で今も眠っているラファエラの分も含めて、若干深く頭を下げる。

 そんなレオンハルトの仕草に、エイドスは満足そうに頷いて続けた。

 

「G級相当のクエストは多いが、それらをこなす適切な人員は常に不足している。君たちには苦労をかける。だが、理解して欲しい。君たちが、ハンターズギルドの最後の砦なのだ」

 

 総議長はそこで一旦言葉を切ると、手元に置いた羊皮紙の束に目を落とした。

 

「【千燐】ガル殿は、辺境の村々を巡回中、【城塞】オイラー殿は、アルコリス地方のココット村近く、シルクォーレの森で確認された“霞龍オオナズチ”の討伐に“キチンと”当たってくれている…………ハズだ。

 勿論、この場に集まってくれた君たちの武功も、ギルドは大変高く評価している。これからも、人類の繁栄と自然の調和のため、誇り高きハンターであり続けて欲しい」

 

 満足そうな表情で話すエイドスは、羊皮紙を一枚後ろに送って、一転真剣な顔つきになった。

 

「今日集まって貰った君たちには、ギルドに寄せられた情報とクエストの中から、特に緊急性の高いものと重要なものについて、受注の振り分けをしてもらう。

 いずれも難易度の高いクエストになることが予想されるが、君達を除いて他に達成する事のできるハンターはいないと判断されているものばかりだ。

 どうか、真剣に聞いて欲しい。

 本当に、真剣で頼む」

 

 二回も真剣という言葉を繰り返したのは、それだけ重要なことであるからだ。

 【天迅】を念頭に置いた発言であるとレオンハルトは考察していた。

 一つ咳払いをして、エイドスは羊皮紙に目を落とす。

 

「まず、大陸南部のデデ砂漠付近のオアシス都市から、近くに“荒鉤爪ティガレックス”が出没するようになったとの報告があった。しかも、二頭だ」

 

 二つ名ティガレックスの二頭狩猟クエスト、と言うことか。

 議場からは特に反応が出なかったが、レオンハルトは内心、かなり厄介な話だと思っていた。

 

 爪から翼膜、肩にかけてが異常発達したティガレックスの個体を、ギルドは“荒鉤爪”と呼称している。

 縄張り意識が強く、同種であろうと、近くに生息する他の個体には積極的に攻撃を仕掛ける。

 

 二対の荒鉤爪が一つの狩り場にいるという事は、彼ら、もしくは彼女らが共存関係にある可能性も高い。

 同士討ちは誘えない、ということだ。

 (つがい)であった場合、クエスト自体の危険度が跳ね上がる可能性も否定できない。

 

「彼らの凶暴性と狂気的な攻撃性、他のティガレックス種の中でも抜きん出たポテンシャル。

 君達も知っての通りだろうが、今回集めた情報を分析する限りでは、荒鉤爪の中でも相当の上位個体にあたると見られている。

 比較的長く生きている個体だ。それが二頭。

 互いが争わずに行動している所を見たという証言もあり、既に多数の被害と死者が確認されている。

 前回の会議からの三ヶ月間で、最も危険なクエストの一つに数えられるだろう」

 

 荒鉤爪ティガレックスは、その名の通り、通常種や亜種とは比べものにならないほど硬く強靱な爪を持つ。

 褐色の体がサファイアブルーに変色したその異様は、数多くのハンターを畏怖させ、またその荒々しい爪がたくさんの人間を切り裂いてきた。

 

 二十年ほど前から報告が上がり始めた極めて危険なモンスターだが、特に最初に確認された荒鉤爪は賢い上にとても強力な個体で、十年もの間、数々の腕利きハンターたちを打ち破り、血祭りに上げ続けた。

 巷では、“蒼の悪魔”とまで囁かれるほど悪名高いモンスターだったのだ。

 

 その特別な荒鉤爪、“蒼轟竜”が討伐されたのは、今から十年前のこと。

 討伐したのは――、

 

「――今回は、十年前に例の蒼轟竜を討伐した経験を持つ、【白姫】ラファエラ嬢にクエストを担当して貰おうと思う。が……」

 

 そこで、エイドスは自身の隣席で眠り続ける白の狩人を一瞥し、

 

「……()()()()()()、【灰刃】、【白姫】、【星姫】【千姫】の四人に頼みたい。

 今回の二頭は、共に十年前の蒼轟竜に匹敵するものと見られている。

 君達は、現在の我々が打てる最高の一手だ。各々に荒鉤爪の狩猟経験があり、何より複数のモンスターを同時に相手取るのに必要な連携力を持っている。

 ……【灰刃】、頼めるな?」

 

 そう、レオンハルトに尋ねた。

 質問というよりは、確認に近かったが、事実、強力なモンスターが二体以上の群れで暴れている場合、ソロでの狩りは推奨されないし、ここにいるメンバーの中で最もパーティー狩りに長けているのは、俺達四人なのだ。

 

 ラファエラ一人でも恐らく狩猟できるだろうが、万が一ということもあるし、今は戦力の分散を迫られるほどの事態にはない。

 それに、【白姫】はG級ハンターの中でも一、二を争うほど素行に問題のあるハンターだ。

 なまじ実力がある分、監視の役目を兼ねた付き添いを同行させるのは、ギルドの総意でもある。

 

「もちろんです」

 

「うむ。では、“英雄の槍”の四人に、荒鉤爪二頭の討伐を担ってもらう。

 【千姫】、【星姫】の直接的な戦闘参加はできる限り避けていくのがベストだが、臨機応変な対応をお願いする」

 

 アナスタシアとナッシェの二人は、他のモンスターの迎撃やサポートを挟みつつ、経験を積むための特等席にいてもらおう。

 そこで、レオンハルトは一つ、計略を思いついた。

 

「……総議長、少し」

 

「どうした?」

 

「今回のクエストは、俺とラファエラの二人で受注します」

 

「……ほう」

 

「――先生!?」

 

 気色ばんでナッシェが立ち上がるが、レオンハルトは彼女を手で制しつつ話を続けた。

 

「ナッシェとアナスタシアは、贔屓目を抜きにして、G級ハンターとして十分な力をつけてきていると思っています。

 ですが、彼女達はまだ、俺達二人のいない環境でG級のクエストを受けたことがない。そろそろ二人には、自分たちだけのクエストを受けられるようになってもらいたいと考えています」

 

 

 

「……先生……」

 

 と、ナッシェが今にも消え入りそうなほど悲しみのこもった声を出した。

 思わず目を向けたレオンハルトの視線の先で、星座の仮面の奥に涙を溜めたナッシェが、わなわなと震える唇が涙声を紡ぎ出した。

 

「私は、ナッシェは、いらない子、ですか……?」

 

「……何を言ってるんだ。今後のG級戦力強化のための話をしてたんだぞ?

 それは、ナッシェ達が十分に成長したと俺が判断したからだ。違うか?」

 

「……その通りですが、しかし」

 

 優しい声で語りかけるレオンハルトに、ナッシェは反対の意見を述べようとするが、

 

「ナッシェ。俺はナッシェのことを信じている。師匠として、誰よりもお前の強さを知っているつもりだ。ナッシェは、俺の自慢の弟子だよ」

 

「先生……ッ!」

 

 レオンハルトの言葉にあっさり反旗を下ろした。

 

「そして、最も信頼できるパートナーの一人だ。ナッシェには、アナスタシアの姉弟子として、二人だけで受けるクエストにおいてきちんと連携をとり、かつ討伐対象のモンスターを大過なく狩ってきて欲しい。

 いざという時、ナッシェやアナスタシアが懸念なく力を発揮できるようにしたいんだ。二人には完璧な連携・協力が出来るくらいには仲良くなってもらいたいし、仕事も楽になるし」

 

「も、最も信頼できる、伴侶(パートナー)……」

 

 最後にポロッと漏れた本音は、自分の世界にトリップしていたナッシェの耳には届かなかった。

 

「やれるか?」

 

「もちろんです! 私は先生の剣です! 

 どんなクエストでもこなしてみせましょう! かわいい妹弟子の面倒だって朝飯前です! 

 先生の自慢の一番弟子として、不肖ナッシェ、どんなクエストも頑張ります!」

 

「ほう」

 

「よく言った」

 

「あの男、やっぱり最低じゃない……」

 

 自信満々に答えたナッシェに、エイドスは頼もしいと満足そうに頷いて、羊皮紙を数枚めくり、闘志に満ちた仮面少女にクエストを言い渡した。

 

「それでは、【星姫】、【千姫】の両名には、ロックラック地方の火の国周辺に出没した、獰猛化アグナコトル・ヴォルガノス・ブラキディオス、この三頭を狩猟してきてもらおう」

 

「……ぇ」

 

 ナッシェは固まった。

 よりにもよって、獰猛化モンスターである。しかも、あのブラキディオスである。

 少女は寒気にブルリと背筋を震わせ、仮面の下で静かに涙を零した。

 

「総議長、その三頭は、共存関係にあるのですか?」

 

 そんなレオンハルトの問いに、エイドスはちらりと紙面に目を落としてから、

 

「いや、彼らは互いの縄張り争いの最中だ。他の土地に移動する素振りはないらしい。

 勢力の拮抗と、寄せられたブラキディオスの粘菌の情報を総合するに、比較的簡単なクエストだろう。

 ……あくまで比較的に、だが」

 

「ぇ、え、いや、ちょっと」

 

「分かりました。

 ……ナッシェ、バラバラに生きている獰猛化モンスター三体を討伐するだけの簡単なクエストだ」

 

「え、で、でも」

 

 それは簡単とは言わないのです。

 この場の誰もが口にしない常識的な判断を述べようとしたナッシェだったが、

 

「それに、獰猛化ブラキディオスと言えば、二年前のリベンジ・マッチだ。そのことを意識し過ぎる必要はないが、俺はナッシェならやれると信じている」

 

「…………と、当然です。私はやれます。私はレオン先生の一番弟子、レオン先生の伴侶(パートナー)です」

 

「できるか?」

 

「できます!」

 

 少女は簡単に堕ちた。

 恐怖より、目の前に吊された幻想の方が打ち勝ってしまった。

 

 エイドスは、仮面の下で自信に満ちた表情を浮かべているだろうナッシェに頷いて、羊皮紙に胸元から取り出したペンでサラサラと文字を書き込んだ。

 ナッシェは静かに諦めた。

 仕方ないのだ。先生の一番であるこの私が、まさか先生のお願いを断れるはずもない。

 問題は、アナスタシアに一体どう言い訳をすべきなのかということだけだ。

 

「では、【星姫】、【千姫】には、明日の朝、火の国へと出発してもらおう。

 ……それでは、次に、南エルデ地方のラティオ活火山にて、G級相当個体のイビルジョーが発見されたという情ほ」

 

「――ィィイビィルゥジョォォォオオオアアアッッ!!」

 

 突然、腕を組んで鎮座していた血赤色の男が奇声を発しながら立ち上がった。

 イビルジョーの凶悪な爪と牙に飾られ、不吉の象徴たる厚黒鱗が強烈極まりない威圧感を生み出す血染めの防具、“グリードZシリーズ”。

 首から下にグリードZを纏った、G級序列四位のハンター、“【暴嵐】のゲン”は、凶相を浮かべながら絶叫した。

 

「あっあっあっあっあっあっあっ、あぇ、あぇ、あぇ、うぉわぁぁああぁぁぁああぁぁああぁぁッ、ぁああぁぁぁああぁぁぁああッ、!? おっおっ、おっおっおっおっ、おぶりかるちゅある!? って何だ!? ぼ、ボージョレ、イッ、イビッ、イビッビッビッビ、ガガ、アガ……………アガァァァアアアアッッ!! や、やや、ヤヤぁヤぁヤぁヤヤらせろッ!! ヤらせろぉぉッッ!! 俺にイビルジョーを殺らせろッッ!! 

 …………い、今、すぐにだァ、うん、それが良い」

 

 ビリビリと頬を震わせる狂気的な大音声に、議場はシンと静まり返った。

 それはまさしく、歓喜の哄笑だった。

 引きつった笑みを作り、ギリギリと歯ぎしりを立てながら、ゲンはエイドスに脅迫、もとい懇願をした。

 どうやら、今日は相当()まっていたらしい、頭がかなりキテいる。

 端的に言ってキモい。

 

 背中に背負う暴食の太刀“カラミティペイン”が、彼の激情に呼応してカタカタと揺れた。

 暴食の遺志が宿るとされる、マジでヤバい太刀だ。

 さしものレオンハルトも握ったことがない。

 

「も、勿論だ、【暴嵐】よ。貴殿がここに来ると聞いて、今日取り寄せた情報なのだか」

 

「ならば、俺にクエストを寄越せ」

 

「あ、ああ。受注処理は、大老殿受付に依頼している。後は貴殿が赴けばい」

 

「そうか、感謝する。俺は帰る。失礼した」

 

 逃げ腰の総議長の言葉を最後まで聞くことなく、【暴嵐】のゲンは言葉少なに、白く太い柱の建ち並ぶ議場の端まで駆けていき、吹き抜けのそこからサッと()()()()て去っていった。

 遅れて、ズゥゥンという重い地響きが聞こえてくる。

 

 ……大老殿の塔、今降りたところから下まで、四十メートルくらいはあるんですが…………。

 

 レオンハルトは、いつものことだと割り切りつつも、釈然としない思いで右隣をちらりと見やった。

 …………この騒ぎにもかかわらず、【白姫】ラファエラは微動だにせず惰眠を貪っていた。

 大長老も、泰然自若の面もちで腕を組んだまま、微かな反応さえ示さない。

 大丈夫か、ここ。

 いや、いつも通りではあるけれども。

 

「…………うむ。この件は片付いた」

 

 エイドスは、あからさまに安堵の表情を浮かべながらそう言って、次の羊皮紙に目を落とした。

 ゲンは、人として大人として、やや欠けたるところのある人物ではあるが、ことイビルジョー討伐に関しては全ハンター随一であることに間違いはない。

 

「……それでは、次の案件に移ろう。次は……お、これはフラヒヤ山脈の調査依頼だな。

 こちらは、大長老から指針を表明して貰おうと思う。この地域の生態系と()()()()に関して、()()()()懸案している事項なのだが、念のため、G級ハンターの諸氏にお願いしたいのだ。

 ……では、大長老」

 

 そう言って、エイドスが大長老へと発言のバトンをパスした。

 七人分の視線が、巨大な椅子に腰掛ける大長老の口へと向けられる。

 

「…………」

 

 蓄えられた豊かな白髭が、ゆっくりとした呼吸に合わせて上下する。

 

「……………………」

 

 グッと遠くを見据えるような厳めしい視線の先には、一体どんな景色が見えているのだろうか。

 レオンハルトは、大長老の持つ数々の伝説を想起しながら、彼の言葉をジッと待った。

 

「…………………………………………」

 

 そのまま、数分が経過した。

 

「……大長老?」

 

 エイドスの問いかけに対して、大長老の出した答えは――、

 

「……………………ぐぅ」

 

 異様に長い頭部が、こっくりと頷いた。

 

「…………――」

 

「寝てやがる」

 

「さすがは大長老殿。人間としての格が違うでゴザる」

 

「これだから男は……ッ」

 

「…………ふにゃぁ?」

 

「あっ、違うんですララ様、寝ていることは全く悪いことではなくむしろ最高に可愛い寝顔のご褒美ありがとうございますっ!」

 

「わ、私は伴侶(パートナー)、先生の唯一……」

 

 …………忘れていた。

 大長老も、立派な元G級ハンターだ……。

 



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幕間 ドンドルマの酒場にて

街の人のご意見


 ドアの隙間から橙黄色の明かりが漏れる“かがり火亭”は、ドンドルマ有数の大きな酒場だ。

 ドンドルマギルドの側に建てられた酒場の一つで、出される飯が美味いと評判の店である。

 提供される酒の種類も、店オリジナルの格安ビールからはるか東方のシキ国より輸入した幻の地酒まで幅広く、連日賑わいが途切れることはない。

 

 客も、クエスト仲間を待つギルド所属のハンターから、街の住人、近郊都市からやってきた職人、果ては旅の竜人族まで、一杯やろうと“かがり火亭”に集まってくる。

 雑多な人々が口の軽くなる酒場に集まっているため、行商人やドンドルマ周辺の情勢を気にする流れのハンターも、この店へと足を運ぶ。

 そのため、かがり火亭では酒とつまみだけではなく、ドンドルマの一般的な食事も提供される。

 

 日もすっかり落ちた時間帯ではあったが、夜はこれからとばかりに店内は騒がしくなっていく。

 一フロアだけの酒場ではあるが、スペースを詰めれば優に二百人は収容できるくらいの広さがある。

 

 若い男がクエスト達成を祝して乾杯の音頭をとり、周りからやんややんやと合いの手が入った。

 溢れる蜂蜜酒の琥珀色の奥で、三人のハンターが静かに杯を傾けている。

 クエストに失敗したのか、仲間を失ったのか。

 そういうハンターは、酒の輪に加わるまでそっとしておくのが、かがり火亭の暗黙のルールだ。

 大きな酒樽が並ぶカウンター席の隅で、店内を眺めて眩しそうに目を細める黒髪の女性ハンターが、寡黙な店主にタンジアビールを一杯注文した。

 

「カラちゃん! 一万zで飲めるだけの“かがりビール”を持ってきてくれ! 今夜は俺のおごりだぁ!」

 

「よっ! お大尽ボジョマン! 飛竜殺しは羽振りが良いねぇ!」

 

「テメェはさっさと上位ハンターになりやがれ! この万年下位ハンター!」

 

「違ぇねぇ!」

 

 上品さとはほど遠いが、血の気の多いハンター達の活気と上質の酒が漂わせるアルコールが、“かがり火亭”一番の売りなのだ。

 あちこちで器をぶつける音が響き、カリッと揚がった肉が香ばしいニオイを撒き散らした。

 音と光の洪水の中、酒樽を運ぶアイルー達が、テーブルの間を縫っていく。

 

「そうだ、ボジョマン。今回のお前の武勇伝を、貧乏くさい顔したコイツらに語ってやれ!」

 

「お、いいねぇ」

 

「えぇ……?」

 

「おら、もったいぶってねぇで聞かせろや」

 

「……仕方ねぇなあ。村娘の可愛い子ちゃんを助けた英雄様の話でも聞かせてやるとするか!」

 

 仲間の一人におだてられた髭面の男――ボジョマンが、テーブルの上にガンと立ち上がった。

 「テーブルの上に乗るな、この馬鹿ふんたー!」と給仕の女性が叫ぶが、男は一向にお構いなしだ。

 十人ほどの仲間達が囲う席で、既にいくらか飲んだのであろう、顎ヒゲの特徴的な顔をアルコールで赤くしたボジョマンは、もったいぶった割にはノリノリで話し始めた。

 

「それは、俺が蒼火竜の討伐クエストで、森丘近くのココット村に立ち寄ったときだった。辺りは平穏そのもので、見える生き物も若いケルビが二頭ほど、仲良さそうに戯れているくらいだった――」

 

 

 

 

「――って感じで、穴に嵌まったリオレウスの頭を、俺の大剣の一撃で叩き潰したんだ」

 

 すっかり出来上がったボジョマンは、ふぅと一息つきながら、どっかりと椅子に腰を下ろした。

 

「……かーっ! ボジョマン、お前ってヤツは大した男だよ! リオレウスのブレスなんざ、大剣で受けきれるもんじゃねぇだろ!」

 

「今回はたまたま運が良かっただけだよ。アレは怖くてもうやれないね」

 

「ささ、お大尽、もう一杯」

 

「もう飲めねぇよ、クソが……」 

 

「じゃあ、次はリング、お前の番だな」

 

「クエスト行ってなくて話すネタがねぇよ! 武器を整備に出してるからな!」

 

 こうして酒の席で、お互いが持ってきた土産話を披露して、大なり小なりの武勇伝を褒め称えることで、“かがり火亭”に集うハンター達は性別やHRの差を越えた交流を深め、モンスターの跋扈する危険な狩り場から生還したことを祝うのだ。

 それは同時に、生きる気力を十分に養うことに繋がり、狩り場で苦境に立たされたときに、己を鼓舞する心の支えにもなりうる。

 歴史に残る英雄の紡ぐ伝説にはほど遠けれど、彼らには彼らの生活と、それに対する誇りがあるのだ。

 

 日が暮れてから三刻ほど、かがり火亭も一番忙しい時間を乗り切り、酔いつぶれた仲間を背負って店を出ていく客も見え始めた。

 とは言っても、まだまだ店に訪れる客足も途切れたわけではなく、酔っ払いの増えた店内は依然賑やかなまま。

 前払いで好き勝手飲み食いできるため、心行くまで酒気に浸れるのも、かがり火亭に人が集まる理由の一つだ。

 

 店の扉を押す二人組の酔っ払いとすれ違いに、一人の小柄なハンターがかがり火亭へと入ってきた。

 キョロキョロと店内を見回す小さき狩人に、ボジョマン達の座る席から声がかけられた。

 

「おう! コナーちゃん、こっち来いよ! クエスト帰りか?」

 

 赤髪の男――リングの誘いに、“インゴットシリーズ”を着たラムは、手を挙げて応えた。

 わずかに上気した白い頬はシミ一つなく、艶やかな茶髪が酒場の明かりを受けて光る。

 

「コナーちゃんって呼ぶなっ。ボクは男だぞ」

 

 変声前と言われれば納得できるハスキーボイスでリングに噛みつきながら、コナーは彼らのテーブルを囲む椅子の一つに腰を下ろした。

 コナーは誰が見ても可愛らしい女の子のような見た目であるが故に、かがり火亭に集まるハンター達の間ではちゃん付けで呼ばれている。

 

「はいはい、コナーちゃんは男ですねー」

 

「……む……うわっ、酒臭っ」

 

 頬を膨らめて抗議しようとしたコナーは、まだアルコールを口に含んだことがない。

 薄い唇が歪んで、酔った男の口息に不満を述べた。

 

「ほら、注文は? ドンドルマ定食だけでいい?」

 

 少女然としたハンターの後ろから、店員のカラが注文を促す。

 

「…………うん」

 

「まったく、もう少しくらい食べるようにならないとチビのまんまだよ? 男なんだろ?」

 

「だ、大丈夫だ。ボクはまだ十三だし、これからが成長期だ。そ、それに、そのうちたくさんご飯を食べれるくらいに稼げるハンターに……」

 

 そこまで言って、はたと、妙に静かになったかがり火亭の様子に気が付いて、酒場のハンター達の視線が刺さる入り口付近へと目を向けた。

 そこには二人組の男達がいて、ごく普通にかがり火亭に入ってくるところだった。

 それに反応した店の客達が、波を打つように口を閉ざし始めたのだ。

 

 一人は青と黒の防具“アスリスタシリーズ”を纏い、背中に燃え盛る翼を模した狩猟笛を担いでいた。

 もう一人は、“ギルドガード蒼シリーズ”と呼ばれる特徴的な防具を身に着けているだけで、一見武器は見あたらない。

 

 不思議そうに二人の男達――防具を着ているので、恐らくハンターだろう――を見つめるコナーの横で、ハンター仲間達がひそひそと言葉を交わし始めた。

 

「……“英雄の槍”の、【灰刃】レオンハルトだ」

 

「“狩り場に棲んでるG級ハンター”か? 酒場にも来るんだな」

 

「狩り場にって話は眉唾モンだが、確かにあの武器はヤバそうだ」

 

「あの青いのは、音に聞く“アスリスタシリーズ”か?」

 

「古龍殺しの証ってことか」

 

「……誰?」

 

 カウンターで料理を作る店長の方へと歩み寄っていく二人を後目に、コナーはボジョマン達へ尋ねた。

 

「知らねえのか? ……ああ、そういや、コナーちゃん、ユクモの養成所からこっちに来たばかりだったな」

 

 ふむふむと頷きながら顎ヒゲをかくボジョマンを引き継いで、リングが声を潜めながら口を開いた。

 

「簡単に言うとだな、俺らハンターの中で、二番目に強いヤツだ」

 

 その言葉に、コナーの目が少し輝く。

 

「……じゃあ、ボジョマンより強いのか?」

 

「おいおい、止せよコナー。G級ハンターと俺ら上位ハンターを比べたら、俺らがあんまりにもカワイソウだぜ」

 

 グフグフと声を押し殺して笑うボジョマンに、コナーはなるほどと頷く。

 近くのテーブルから、別の声が上がった。

 

「…………おい、あれ、よく見たら【蒼影】じゃねぇか?」

 

「おお、マジだ。総議長の忠犬だぜ?」

 

「しっ! ……アイツはギルドナイトだって噂、忘れたのか?」

 

「デマかもしれねぇだろ?」

 

「万が一を考えろ。つつかなくて良い藪は放置だ」

 

 やがて、店長に案内された二人が店の奥へと入っていくまで、店内は妙に静かな状態が続いた。

 

 

 

 

「――【灰刃】と言えば、こないだ、《黒龍》を一人で倒したってのはガチなのか? ほら、あの煉黒龍征伐戦の時の」

 

 しばらくして活気の戻ってきた店内では、かがり火亭に訪れたG級ハンターの話題で持ちきりだった。

 

「タンジアのか。ハンターが何人も死んだな。お前ら、確かタンジアのだろ? ……気を悪くしないで欲しいんだが、正直、興味本位で聞きたい」

 

「……気にするな、話すよ。

 ……ソロ討伐の話はガチだ。背中に狩猟笛背負ってただろ? あれは“煉黒龍グラン・ミラオス”の素材から作った武器だ。アイツと、グラン・ミラオスに殺されたハンターの遺族だけにしか素材は行ってないはずだ」

 

 ハンターの間では、強大なモンスターを討伐した証として、その体の一部をアクセサリーにして首や耳に下げたり、武器や防具にして縁起を担ぐ風潮が強く根付いている。

 古龍の体から剥ぎ取った素材ともなれば、そのハンターの武威は一目瞭然だ。

 

「俺もタンジアで遠目に見ちゃいたんだが、米粒に見えるくらい小さいハンターが、小山くらいはある災害級の古龍をアホみてえに殴り殺したんだよ。こう、グラン・ミラオスの頭が右に左に揺れて、脚から崩れ落ちてさ。

 ありゃあ、【灰刃】っつうよりは、死神か廃人かって言った方が正しいな」

 

「アイツはドンドルマからタンジアに出張だか何だかで来ていたんだがな。G級ドボルベルクを狩って、港に戻って、とんぼ返りで古龍を狩りに行きやがったんだ」

 

「港が潰れる寸前だった。

 ……俺らのダチも、何人か殺された。相手は自然災害級の古龍だと、頭じゃあ分かっているんだが……。

 アイツが仇を討ってくれて……まあ、俺達の手でやりたかったから、横取りされたみたいな悔しさもあったが、ホッとした気持ちの方が大きかったし……」

 

 ボジョマン達のテーブルでも、【灰刃】の話題に花が咲いていた。

 

「さすがはG級二位だ。あれで、“白雪姫”にも並んだんじゃねぇか?」

 

「いやいや、【白姫】の方が腕利きだって専らの噂だぜ?」

 

「なら、“英雄の槍”のリーダーが【灰刃】なのはどうしてだ?」

 

「【白姫】は目を疑うくらいの別嬪で、歴代最強のG級ハンターなんて言われるだけあって完全にキテるらしい。【灰刃】はまだマシってことだろ」

 

「お前、それを言ったら“英雄の槍”のメンツはどうなるんだよ。あの【星姫】って覆面は、まあ見た感じヤバいから無いとして、【千姫】ちゃんはどう見てもマトモだろ。可愛いし、エロいし、人当たり良いし、おっぱいデカいし」

 

「ばっかお前、セルレギオス十数頭の群れに突っ込んで全滅させるようなハンターのどこがマトモなんだよ。ネジ外れてんに決まってんだろ。必要以上に近づいたら殺されるぞ」

 

「古龍に独りで立ち向かう奴はどうなんですかね……」

 

 そんな彼らに、ドンドルマ定食を食べ終えたコナーが、少しばかりの逡巡を見せてから質問した。

 

「……なぁ、“英雄の槍”って人たちは、そんなに強いのか?」

 

「強いってもんじゃねぇよ。G級はバケモノ揃いだが、“英雄の槍”は別格だ。あそこのパーティーのメンバーは全員G級なんだが、マジでヤバい。何しろ、G級序列の一位と二位が所属してるからな」

 

「結成して二年だが、クエスト達成率百パーセントを保っている。

 そこのリーダー張ってんのが、あのレオンハルトって男さ」

 

 それを聞いて、コナーは更に身を乗り出して尋ねた。

 

「じゃあさ、じゃあさ。あの人は、古龍も簡単に倒せるのか?」

 

 目を輝かせてそういう少年(しょうじょ)の姿にどこか感じるものがあったのか、苦笑したボジョマンが楽しそうに答えた。

 

「だからそう言ってんだろ。何より、“英雄の槍”の十八番は古龍殺しだからな」

 

「確か、あそこのメンバーじゃ、G級一位の【白姫】ラファエラってハンターが二十六体、さっきのレオンハルトが二十一体、残りの二人も八体と七体、古龍を仕留めていたはずだ。

 普通のハンターは、そこまで古龍にお目にかかることなんてほぼ有り得ない。パーティーで受けたクエストを含めての数字だってことを考えても異常だ」

 

 盛り上がっていくメンバーに、コナーは随分躊躇してから、恐る恐る質問を重ねた。

 

「…………あのさ、もし、さっきの人みたいな、強いG級のハンターさんに狩りを教えて貰ったら、ボクも、G級ハンターになるくらい、強くなれるかな?」

 

 その言葉に、テーブルを囲んでいたハンター達は沈黙した。

 英雄に焦がれるルーキーに、ベテランは何を言えばいいのだろう。

 彼らと自分達の間に広がる断絶を、どう表現すれば良いのだろうか。

 ややあって、かがりビールをグイッと呷ったボジョマンが、沈黙に戸惑い始めたコナーに告げた。

 

「……なあ、コナーちゃん、悪いことは言わねぇ。G級ハンターに近付くのは止めとけ。特に、“英雄の槍”はダメだ」

 

「な、ど、どうして?」

 

「どいつもこいつも、俺らとは別格の天才なんだ。養成所で言われたかもしれねえが、G級は努力だけじゃ到達できない領域だ。

 それに、G級に上がれるようなハンターは、話が通じない“キテる”奴らさ。コナーちゃんはそのままで良いんだよ」

 

 彼の言葉に、他のハンター達も口を開き始めた。

 

「G級ハンター達は、私たちでは太刀打ちできないような、“普通”の枠を越えてしまったモンスター達にも恐れずに挑んで、完璧な勝利をもぎ取って来なきゃいけない。

 見たことも聞いたこともないモンスター、初めての狩り場、そんなことは一切関係無しに、自然の調和や人類に対して甚大な被害を及ぼすモンスターを確実に討ちとらなければいけないの」

 

「“英雄の槍”のハンターは、そういうG級のハンターでも手に余るような高難易度のクエストを受け持つんだ。

 言い換えると、頭のおかしいG級の中でも、ヤツらは特別に強くて、それだけ頭がおかしくなってるってことだ。

 厳しいが、G級に上がるくらいのハンターになると、くぐり抜けた修羅場の質も量も俺らとは比べ物にならないし、そういう場所では頭がヘンになっちまうくらいの

経験を乗り越えたヤツくらいしか生き残れねぇ。

 G級ハンターには序列があるんだが、基本的にはその位が高くなるほど、狂ってる度合いがおおきくなっていくんだ」

 

「…………ハンターとしての先天的な才能だけじゃ足りない。……努力と、運と、当人に適切な環境、そして、化け物じみた精神力が必要だな」

 

「志半ばに散っていく仲間、生き残ったのは自分だけ、来る日も来る日も鮮血の雨……。G級ハンターは、修羅の国の住人さ」

 

「それでも折れずにモンスターとの戦いに勝利し続けて、色々なモノを捨て去った先にG級の称号があって、“英雄の槍”みたいな本物の英雄の領域に手が届くんだよ」

 

「そこのリーダーをやってるG級二位の【灰刃】は、まあまず間違いなく狂ってるハズだぜ。

 “煉黒龍”っつうデカくてヤバい古龍を、たった一人でぶち殺すくらいだからな」

 

 あいつらは、俺達ハンターの中で一番多く生き物の死と接してきているんだ、と赤ら顔の男は少し複雑そうな顔でしめた。

 一通り話し終えたテーブルに、しんみりとした空気が降りた。

 すっかり意気消沈してしまったコナーに、ボジョマンはからっと声の調子を上げて、

 

「……まっ、難しく考えすぎるなよ、お嬢ちゃん。俺らはお嬢ちゃんが長くこの酒場にいてくれることを願ってるぜ? 狩りなら俺らが教えてやるさ!」

 

「おっ……」

 

「いやいや、待てよボジョマン。コナーちゃんは早くいい男と結婚して幸せな家庭を築くべきだろ。俺みたいないい男とな!」

 

「ダリー、お前のどこがいい男なんだ? 私にも分かるように説明してくれ」

 

「ノルタみたいな野蛮な女性には分からんのさ……イダダダダダッ!?」

 

「ぼ、ボクは女じゃないぞ! お嬢ちゃんなんて呼ぶな! ほ、ホントはちゃん付けも嫌だけど!」

 

 その言葉に、今度はリングが反応した。

 

「ほうほう? コナーちゃんは女ではない? 

 …………ならば、証拠を見せて貰わねばなぁ?」

 

「しょ、証拠だと?」

 

「そうだ! フルフルベビー見せろ!」

 

「ふ、フルフルベビー?」

 

「フルフルベビーってのはな…………、チン○の隠語だ。これ、ドンドルマの常識な?」

 

「ちっ………」

 

 顔を紅潮させて絶句するコナー。

 彼らは普段は気前が良い紳士だが、酒を入れすぎると面倒くさくなるキライがある。

 

「だ、誰が見せるか!」

 

「止めろ! コナーちゃんは女の子だろ!? 男でも全く構わないがな!」

 

「ボクは男だ!」

 

「…………ほほほーう?」

 

「男ならぁ?」

 

「チン○見せなきゃ始まらない!」

 

「「「「「それチン○ッ、チン○ッ!」」」」」

 

「ひっ……」

 

 酷いコールが始まってしまった。

 女性のハンターまで混じって盛り上がっているせいで、とてもではないが鎮まりそうにない。

 

「ちょっと! アンタ達うるさい! 下らないことで子供虐めんじゃないよ!」

 

「カラちゃん、こりゃイジメじゃねぇ。コナーちゃんの、男としての度胸を試してんだよ」

 

「そうだそうだ! 女はすっこんでろ!」

 

「……んだと? このクソふんたー、テメェの男様は一体どれくらい偉いんだ? あ?」

 

「ヒッ、待って、それは痛ギャィィィィィッ!?」

 

 カラの右手がしっかり握られてボジョマンの股間へと飛び、大男が断末魔の叫び声を上げた。

 そんな馬鹿騒ぎをよそに、酔っ払い達はさらに過激になっていく。

 

「ほら、コナーちゃん、ここは男らしく、防具放ってグイッとインナーを下ろしちまえ!」 

 

「なんなら手伝ってあげましょうか?」

 

「や、止めろ! ボクに触るな……!」

 

「ほれほれぇ、遠慮するこたぁねーだろうよぉ」

 

 リングの太い腕がコナーに伸びていく。

 そんな髭男の肩に、ポンと手が乗せられた。

 

「楽しそうだな。俺も混ぜてくれ」

 

「おうとも兄弟! これから神秘の美少年の正体を暴こうってんだから、ハンターとして心おど…………ん?」

 

 意気揚々と振り返ったリングの目に入ったのは、浅黒い肌をした坊主頭の男。

 

「ひ、ヒヒガネさん!?」 

 

 貞操の危機を感じたリングが、悲鳴を上げながら両手でサッと臀部を隠した。 

 G級序列三位、【剛槍(スーパーホモ)】ヒヒガネその人である。

 

「おうよ、ヒヒガネさんだよ、バカ兄弟ども」

 

 彼の登場に、酔っていたハンター達の顔が急激に青ざめていく。

 

「どうやら、G級ハンターってのは相当頭がおかしいらしいな? それも、強くなるほど頭がおかしいと。

 ……つまり、G級三位の俺は、ハンターの中で三番目に気が狂った野郎だと、お前らはそう言いたいわけだな?」

 

「ま、待ってくれよヒヒガネさん。あれは言葉のあやっつうか……」

 

 焦りと共に言い逃れの道を模索するリングだったが、

 

「アヤ? お前なぁ、俺らの会話で他の女の名前を出すんじゃねぇよ。俺とお前の仲だろ?」

 

「……えっ」

 

 ヒヒガネ理論の前には無意味だった。

 

「まあ実際、お前が男か女かよく分からんしな。お前が男っつう証拠が欲しいな。とりあえずお前のフルフルベビー見せろ」

 

「ヒィィィ!? か、勘弁してくださいよぉ!?」

 

「ついでにケツの穴も見せろ。男か女かは、服の上からでもケツを見りゃ一発で分かんだよ。ほら、()くしろよ」

 

「それ、ケツの穴出す必要なくないっすか!?」

 

「なんだ、パンツ下ろすの手伝って欲しいのか」

 

「ギャァァァッ!」

 

「ん? そうかそうか、酒が足りないのか。ほら、遠慮するな。俺の酒だぞ。たんと酔って理性を無くしてしまえー」

 

「ちょ、待っ、ゴボ、ガボボボボ」

 

「酒の勢いはノーカンだって、とある受付嬢がそう言ってたぜ。お前も楽になっちまえよ。俺も今日は、少し熱い夜風に当たりたいんだ。

 ……ほら、お嬢ちゃん、今夜はもう帰りな」

 

 大男の胸ぐらを掴んでビールを顔面から浴びせるヒヒガネが、コナーに振り返って爽やかな笑みでそう言った。

 

「は、はい! ありがとう、ございます?」

 

 彼の正体をよく知らぬまま、コナーは慌ててかがり火亭を飛び出した。

 

 

 

 こうして、コナーは酔っ払いの魔の手から逃れることが出来たのだが、後日、リングからの視線が妙に熱っぽくなっていることに悩まされるようになる。

 

 

 



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仕事終わりの一杯()

アワビとナマコが交尾していたため、更新が遅れました。
申し訳ないです。




 

 

 G級序列二位、【灰刃】レオンハルト・リュンリー、二十六歳独身男性。

 家族は妹が一人。今は何をしているのか分からない。

 四人の女性と同居している。

 うち三人から愛の告白を受けてしまった。

 あろうことか、全員の返事を保留にして早一年以上が経過した。

 

 

 現在、女王様(モミジさん)からの帰宅禁止令により、同僚とドンドルマの街をうろついている。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 昔はこういう場所が苦手だった。

 来たとしても、いつも辛気臭く一人飲みをするばかり。

 見知らぬハンター達の輪に入っていくような勇気など欠片もなく、そもそも俺はアルコールに耐性が強くて中々酔えない。

 何もかも忘れるまで酔いたいと思って飲んでも、次の日の依頼に響くのが嫌だった。

 ジョッキ片手に楽しそうに語らう彼らが、一人酒場の隅っこで飲んでいる俺を肴に笑っているような錯覚さえ抱くほどだった。

 何より、酔っても楽しくない、介抱してくれる人もいない、そもそも客と認知されない。誰がパッとしない店員さんだ、コラ。

 

 結果、酒場には行かなくなった。

 客の一人が言ったように、狩り場に棲むことにしたのである。

 やっぱりぼっちってクソ。

 

 それが今はどうだろう。 

 

 中皿に盛られたデルクスの唐揚げ、なみなみと注がれた透き通るアンバーの酒、アルコールで温めたくなる適度な肌寒さ、酒の席で愚痴を言い合う相手、女性の目から逃れた解放感。

 一応は友人関係にある同僚の男と、酒場の奥の小部屋で乾杯しているのだ。

 独り言で乾杯ごっこをする必要に駆られることもない。

 最高だ。俺は今、最高に幸せだ。

 G級会議の後、日帰りのネルスキュラ討伐ツアーに出掛け、心地良いくらいの疲労感と達成感を味わいながらの美味い一杯、最高である。

 そして、褒められたおかげで気分もいい。

 人間、自分の頑張りを誰かに認めてもらえたら嬉しいものなのだ。

 

 G級ハンターはあまり人の集まるところに行かない方がいいというアーサーの助言もあったが、なるほど、G級と言うのは案外人の話題の中心になるらしい。

 扉の向こうから、俺を褒めそやす声が聞こえてきて、口元がニヤケるのを止められない。むふふ。

 

「聞こえてるんだよクソが……何がエイドスの犬だ……誰がギルドナイトやねん……俺だよちくしょうが、えぇえぇ忠犬アーサー公ですよ、おいぬ様ですよ、名誉あるギルドナイトですとも。お望み通りぶち殺してやんよぉ……」

 

「……ああいう場所で、改めて褒められると照れるよな。G級ハンターになって良かったよ」

 

 机に突っ伏してぶつぶつと恨み辛みを吐くアーサーの横で、木箱の上に腰掛けたレオンハルトは嬉しそうに呟きながら杯を傾けた。

 カンテラの光が照らす薄暗い部屋の中、淡い黄金色の液面を見つめる。“アヤノモリ”というシキ国の地酒だそうで、なかなかの美味だ。

 シキ国は、極東の大陸の南海に浮かんでる島国だという。一度行ってみたいものだ。

 一体どんなモンスターがいるのか、と想像する自分は、ようやくG級ハンターとしての自覚を持ち始めたところなのだろう。

 

 レオンハルトの空気を読まない呟きを聞いたアーサーは、苛立ちも露わに木製の机をドンと殴って立ち上がり、

 

「俺は褒められてない!! 俺の方がマトモな人間だろ、G級ハンターなのに真面目に働いてんだろ……。

 なんでだよ……! どうして俺は犬呼ばわりなんだ!

 グラン・ミラオスに一人で突っ込むキチガイ野郎の方がモテるのはなんでだよぉぉぉ!!」

 

 おいおいと泣きながら木箱の椅子に座り込んだ。

 

「うるせぇ……」

 

 この男はいつもテンションが高めだが、今日は随分と鬱憤が溜まっているようだ。

 やはり、昼間のG級会議が尾を引いているのか。

 今日は一段と頭がおかしかったからなぁ……特にゲンさんとか。

 なみなみと注いだ酒を大口開けて一気に流し込み、ブハァと息継ぎしたアーサーは再び机に突っ伏して、レオンハルトに愚痴をこぼし始めた。

 

「ったくよぉ……【不動】先輩は二日酔いだから休むとか言うし……そうだ、聞いてくれよ! あの人、今日付けでG級引退するって言い出したんだ……」

 

「え? 筆頭ランサーさんが?」

 

「称号返還はないけど、龍歴院の方に異動して、事実上の隠居だと。学術研究に没頭したいって……。いくら新G級入りハンターの話が出てきたからって、いくら何でもさぁ、手順とかさぁ、もう少しさぁ……」

 

「そうか…………。あの人は、G級の中で数少ないマトモな人だったのにな……。また、俺の話の通じる人が減るのか……。

 新人の子は、俺が指導に当たりたいものだ。少しでも感染(G級菌)が拡大しないように」

 

 その言葉に、オレンジ色の頭をかきむしるアーサーは眉をひそめて、

 

「何、その『俺は狂ってません』みたいな言い方」

 

「いや? 実際、G級は頭おかしいからレオンハルトさんも頭おかしい、みたいな風評被害に遭ってるだけで、俺は結構常識人だと思うぜ?」

 

「は? なかなか酔えないからって、タンジアビールの()を一晩で十個くらい空けるような某キチガイのどこが常識人なんだ?」

 

「え? 酔った勢いのまま、夜中の大通りで裸踊りをするどこぞのG級変態(ヘンター)よりはマシだろ?」

 

「…………」

 

「…………」

  

 二人はしばらくにらみ合っていたが、事態の不毛さに気がついて、共に手元のアルコールをのどに流し込んだ。

 お互いに、相手の方が狂っていると確信しているのだ、余計な言い争いは無意味なのである。

 

「……っぷぁ。いやぁ、ホント困ったわ。ランサーさんには、昔から頼り切りだったからさ。困ったときにはあの人に泣きついて……。もう、俺が筆頭ルーキーだった頃の先輩達は、みんな引退しちまってさ……もう俺を引っ張ってくれる大人はいないんだなぁと思うと、時の流れを感じるって言うか、俺もまだ子供なのかなぁと考えさせられるっていうか、ホントもう毎日大変だよ……」

 

 しみじみと胸中の言葉を吐き出しホロリと涙をこぼすアーサーに、頼れる先輩がいるなんて羨ましいヤツだとレオンハルトは心の中で呟いた。

 

「俺だって頑張っているのに……エイドスのオッサンがよぉ、G級のハンターが来ないのは、お前の根回し不足だって言うんだぜ……無茶言うなよ……。

 アナちゃんがカンチョーで欠席とか、どうやって予測するんだよ……。聞いたことねぇぞそんな酷い理由。そうだよ、てめーの教育は一体どうなってやがる」

 

「いや、ホントごめん」

 

 怒りの矛先を向けられたレオンハルトは素直に謝った。

 今朝のナッシェの暴挙が予測不可能だったのは紛れもない事実だ。

 ゴン、と頭を机にぶつけたアーサーは、なおもボロボロと泣きながら愚痴をこぼす。

 アーサーは酒を入れると泣き上戸になるのだ。

 本当に面倒くさいヤツだが、コイツがまた問題を起こして謹慎処分になったりすると、厄介な仕事を回される危険性が高まる。

 今日は、この男が酔いつぶれるまで付き合ってやろう。

 そのまま日付が変わったら、こっそり帰宅してしまおう。

 裸踊りの尻拭いはもう嫌だ。

 

 朝まで一人飲み?

 そんなことは悲しくて出来ません。

 

「ウラガンキン狩りに行ったらアカムトルムに出くわしました、レベルの予想外だよクソが……」 

 

「……それくらいなら想定できるな。実際にあったし。殺ったし」

 

 真面目くさった顔で返した灰色のハンターに、アーサーは色々な思いのこもった深いため息をついて、

 

「…………もうお前黙れ」

 

「酷くないですか?」

 

「知らねーよ……。人外は人外でよろしくヤってろよクソが……。

 誰か努力家の俺を褒めるべき、そうすべき……」

 

 再び机に崩れてシクシクと泣くアーサーに、レオンハルトは意外そうな表情をした。

 

「お前も褒められたいとか思うんだな。影から人を操ったり、笑顔で他人を騙して陰険そうに笑ってるイメージあるけど」

 

「よっしレオン、てめーが俺のことをどう思っているのかよく分かった。ぶち殺してやる、このクソモテホモ男」

 

「俺はホモではない。それに、クソと言われるほどモテてるワケじゃない」

 

「…………ホントに殺すよ?」

 

 アーサーの殺意みなぎる視線をさらりと避けて、レオンハルトは樽から酒を注ぎ足した。

 とぷとぷと跳ねる水滴、流れる黄金色の“アヤノモリ”の勢いを見るに、もうそろそろ空になりそうだ。

 まったくアルコールというのは不思議なもので、飲んだ量と腹に入った量が一致しないように思える。

 どこ吹く風といった表情のレオンハルトに、アーサーはギリリと歯ぎしりをして、

 

「……家に奥さん四人いる男がモテてなかったら、世の男達は一体何をモテている状態だと判断すればいいのだね?」

 

「奥さんじゃない。俺はまだ誰とも結婚していないぞ」

 

「……なんだコイツ、ホントの屑じゃね? 

 ……旦那ァ、何だかんだ言って、ぶっちゃけ、女の子達に気を持たせたまま手は出してるんでしょ? 真性の屑じゃん」

 

「俺の名に誓って出してないぞ。そこまで屑になるつもりはない」

 

 胸を張って答えるレオンハルトに、

 

「そんな安っぽいモノに誓われてもなぁ」

 

「殴るよ?」

 

 今度はレオンハルトが殺意のこもった視線を、ひょうきんな笑みを浮かべるアーサーにぶつけてから、すっと席を立った。

 その動作に、アーサーは思わずファイティングポーズで身構える。

 

「な、なんだ。喧嘩か?」

 

「トイレだよバカ野郎」

 

 

 

 

 

 

 度数の高い地酒の樽を一つ空けたとは思えないほど確かな足取りで厠から戻ってきたレオンハルトに、アーサーは小皿に乗せられた唐揚げを一つ放りながら、恐る恐る尋ねた。

 

「……お前、あのレベルの女の子に迫られて何もしないとか、マジでホモなのか?」

 

「ギルドの名に誓ってホモではない」

 

 誓う名前先を変えたレオンハルトが、パシッとキャッチした唐揚げを口に入れながら断言する。

 

「嘘吐けよ。据え膳食わぬはホモって言うだろ!」

 

「言わねーよッ!!」 

 

「だって、四人だぞ、四人。なかなかお目にかかれないレベルの女の子四人に言い寄られてそれはさ、端から見ると、男としてアレなのかなぁとか思うじゃん? 常識的に考えて」

 

「どんな常識だよ……」

 

 酔っ払いの戯言にどんよりとした表情で答えたレオンハルトは、どっかりと椅子代わりの樽に腰を下ろして、

 

「……それに、うちのパーティーの三人は、まあ、そうだとしても、モミジさんは俺のことをそういう目では見ていない」

 

「…………、…………はい?」

 

「だから、奴隷か小間使い程度にしか見てないよってことだよ。それか、出来の悪い弟。分かるだろ?」

 

「何一つわからないよ……お前は一体何を言ってるんだ?」

 

 アーサーの困惑した顔に、

 

「だってお前、会議で緊急招集がかからない限り、俺の受けるクエストから三食の献立まで、日常のほとんどがモミジさんの意志決定に左右されるんだ。俺の選択権とかどこにも存在してないんだぜ?」

 

「……………………そうか」

 

 レオンハルトの言葉にどう返そうか悩んだ末に、アーサーは諦念と共に相づちを打つに留めた。

 本人がそうだと思っているなら、もうそれで良いような気もする。

 他人のノロケなど、耳に入れても毒にしかならない。

 

「食材の買い出しとかも、アナやナッシェに任せるワケにはいかないしな。お使いはほぼ俺の役目だ。ご飯作るのを任せっきりにするのも悪いから、モミジさん監修の下で料理してんだよ」

 

「……そうか」

 

「最近は、肩揉み腰揉みの腕も上がってきてる気がするんだよな。そうそう、この間、『日頃の努力にご褒美を』って言って、モミジさんがマッサージをプレゼントしてくれたんだよ。こう、腰の上に乗って、丁寧な感じでな。それがまた上手くてね。なんでも、育ての親で訓練したとか言ってたっけ」

 

「……ああ、腰の上に乗って、丁寧なマッサージね」

 

「そうそう。…………な? 俺の弟分的な下働きっぷりが分かるだろ?」

 

「ああ、そうだな」

 

「今日もさ、お前と酒飲みに来たのは、『今夜はかがり火亭辺りで飲んできなさい』って言われてな……俺の決定権なんてないんだよね……飲むとこまで指定とか、もう、ね」

 

「……そうか」

 

 奥さんも大変ですね、とアーサーはひとりごちながら、やけ酒をグイッと呷った。

 

「たぶん、今頃はアナのカウンセリングみたいなことをしてるんだよ。アイツ、相当ショック受けてたみたいでな」

 

「まあ、カンチョーはね。さすがにね」

 

「ああ。ナッシェも困ったものだ。女の子にカンチョーはよくない」

 

「まあ、アレは(肛門関係とか)大変だからな」

 

「そうなんだよな。今朝も、(聖水が)止まらなくてな……」

 

 それを言って、ハッとした顔になったレオンハルトは、話を止めようとタンジアビールの酒樽に手を伸ばした。

 今夜は樽二つで程よく楽しもう。

 

「そ、そうか……」

 

 多少の誤解はあれど、デリケートな話題であることには変わらず、よく口の回るアーサーも口を噤まざるを得なかった。

 それきり、二人の間にはしばらくの沈黙がおりた。

 

 

 

 

 後日、復活したアナスタシアのところへ、すり潰して塗ると痔に効く薬草が届けられたが、本人は回復薬の素材となる薬草と勘違いして生食してしまったが、それはまた別のお話。

 




もう少しお酒回が続きます。


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仕事終わりの一杯(続)

 食べ終えた皿を厨房に返してきたレオンハルトが、アーサーに声をかけた。

 

「…………新人たちと言えばさ」

 

「おう」

 

「その、頭は大丈夫なのか?」

 

「頭?」

 

 ボリボリと頭をかくアーサーに、「ハゲの話じゃないぞ」とレオンハルトが()れた。

 

「俺はハゲ型じゃない。白髪型だ」

 

「どっちでもいい。それで、白髪型のギルドナイトさん的にはどうなの? なんか知ってんだろ? エイドスさん経由みたいな感じで」

 

「テメェ……まあいい。そうだな……、まあ、G級に上がるハンターっていうのは、だいたい元からヤバいヤツが多い。人格的な意味でも、戦力的な意味でもな。

 そういうわけで、G級レベルのハンターにはギルドナイトの目が光ってる。今回の新人四人のうちの一人はたまたま俺が担当したんだ。

 ……つまり、総議長経由ではなく俺自身の努力が成果を出した情報なのだから俺はもっと褒められても――」

 

「え、俺も監視されてんの?」

 

「……チッ。当然だろ灰色(ネズミ)野郎が。ちなみに、ギルドナイトの中だと俺が一番偉くて強い」

 

「どうでもいいや。それで、期待のルーキーは?」

 

「……くっ。耐えろアーサー、お前は強い子……」

 

 苛立ちと共にタンジアビールをゴクゴクと流し込んで、元筆頭ルーキーは話を続けた。

 

「俺が見てたのは、当代の筆頭ルーキー、サヘラ・キルトだ。愛用防具はカイザーS、普段使いの武器は太刀。二十二歳女性独身で、ハンター格付けでは今年十五位に」

 

「それは会議で聞いた。人柄は?」

 

「……まあ、悪くはないぞ。姉御肌みたいな女の子だ」

 

「……微妙な物言いだな、おい」

 

「重度のアルコール中毒で、酒気が遠ざかると()()暴れん坊になることを除けば、極めて優秀な新人だな」

 

「そっか……」

 

 察してあまりある新人の危険性に、レオンハルトは静かに諦めた。

 G級ハンター級の暴れん坊は、下手なモンスターよりよほど厄介だ。

 暴虐を象徴する白く輝く背中を思い出して、レオンハルトは背筋に走った寒気に静かに乳首を勃てていた。

 あまりお近づきにはなりたくないものだ。

 新世界の扉は締まっていてしかるべき、そうすべき。

 

「安心しろって。アルコールがキレた腹いせに、G級相当のテオ・テスカトルを一方的に屠るくらいには有能だ」

 

 超テオ・テスカトル級のアルコール中毒、だと……?

 

 ゾクゾクと鳥肌が立ち、陰嚢の中の睾丸がわずかに膨らむのを感じる。

 いかにもG級ハンターといった感じだ。

 生存本能が刺激されるな……。

 悦ぶべき情報か否か、判断に迷うところである。

 

「…………ま、まあ、G級の人数が増えることには変わりない。

 ……他の三人は? ゲンさんの弟子って言ってたけど……その、本人は会議を早々に出て行っちゃったし……」

 

 かすかな期待も含んだ不安を乗せて、レオンハルトはアーサーに問いを重ねた。

 

「……言いたいことは分かるぞ。あの人の弟子のうちの二人は、まあお察しの通り、イビルジョーを中心に狩猟するハンターだ。だが、もう一人はすごいぞ。格付け十四位のナギちゃんって女の子のことだ。年齢は二十歳。彼女はな……」

 

 カンテラの明かりに顔を寄せた赤ら顔のアーサーが、一呼吸溜めてから言葉を続けた。

 

「……普通の、良い子だ」

 

「なん、だと……?」

 

 衝撃の一言を聞いて、レオンハルトの赤い目が驚愕に見開かれた。

 ワナワナと腕を震わせて、望んでいた吉報に喜びを露わにしている。

 

「驚くこと無かれ、ゲンさんとその弟子たちのクエスト受注処理はほとんどそのナギちゃんがやってるんだ。かなりの人格者で、街の人からの覚えもいい。とても【暴嵐】が育てたハンターとは思えない聖女っぷりだそうだ」

 

「二十歳になったばかりだって言ってたよな?

 腕も確かで、人格者で、若手、しかも仕事ができる有能? …………これは、レオンハルト氏の負担が減る大勝利宣言を行っても良いのでは……?」

 

 タンジアビールの樽を振って、空になっていることを確認したレオンハルトが、来る明るい未来を想像して表情を明るくした。

 

「どうやら、ゲンさんの実の妹らしいぞ」

 

「十八歳差の兄妹か。そりゃあまたすごいな……」

 

「ただ……」

 

「…………ん?」

 

 そうしてふとこぼれたアーサーの不穏な呟きに、レオンハルトは恐る恐る振り返った。

 

「……ナギちゃんは、イビルジョーの討伐数が十頭()()なんだよ」

 

「十頭、だけ?」

 

「しかも、全てのイビルジョーがパーティー討伐で、彼女自身のソロ討伐経験はゼロだ」

 

「…………なんだか、不穏な感じがしますが」

 

「だよなぁ。()()【暴嵐】門下の人間が、イビルジョー十頭だけって言うのは、やっぱ違和感あるよな」

 

 “【暴嵐】のゲン”と言えば、イビルジョー討伐数四百六十頭をマークする、生粋の対イビルジョーハンターだ。

 ギルドが最も危険視する数種の生態系破壊モンスター――イビルジョーが筆頭――に対する異常なまでの執着と実績から、筆頭執行者(イグゼクター)の名を受けてもいる。

 その弟子ともなれば、師匠には及ばずとも、特にイビルジョーに対して突出したソロ討伐数記録を保持していてもおかしくはない、むしろ、その方が自然なのだ。

 なんせ、あのジョー狂いのG級ハンターは、イビルジョーを狩り尽くすためにハンターをやっている、正真正銘の対イビルジョースペシャリストなのだから。

 

「他の弟子は?」

 

「十七位のトラマルは八十七、十八位のミヤコは八十一、うちパーティー討伐は共に七十頭だ」

 

「…………なんだろうね、この嫌な予感。トラウマかな」

 

「まあ、格付けで筆頭ルーキー抜かして十四位にいるっていうことは、腕は確かなんだろうし、普通のモンスターの討伐経験はかなり豊富だぞ。古龍もテオ・テスカトルをソロで狩ってるからな。イビルジョーが無理だって言うなら、ナギちゃんがジョーに当たらないように配慮することも、まあ出来なくはないし」

 

 彼の言葉に頷きながらも、レオンハルトはどこか不安を拭いきれなかった。

 幸か不幸か、乳首にはあまり反応がないが、人生どんな要素がどう関わってくるのか、死ぬまで分からないものである。用心に越したことはない。

 

 今まで通り、人には不必要に近づかないようにしよう。G級新人の指導は諦める。

 君子、危うきに近づかず。

 ぼっち一人勝ちの未来が見える……。

 

 

 

 

 一人で見えない壁を作る練習に勤しむレオンハルトを見ながら、【蒼影】の名を受けたハンターは感慨深げに呟いた。

 

「それにしても、あの人嫌いのレオンが、いくら自分に回ってくる仕事を減らしたいからとはいえ、見知らぬ他人に興味を持ち始めるとは……」

 

「……俺は人嫌いじゃない。ちょっと他人に話しかけるのが苦手なだけだ」

 

「そうですか……」

 

「それに、仕事を減らす目的だけでお前の意見を聞いたワケじゃないぞ」

 

「と、言いますと?」

 

「俺は風評とか噂とかを聞いて、他人の人格や個性にいらない偏見を持つのが嫌なだけだ。だが、自分の判断、第一印象だけではどうしても取りこぼしてしまうところもある。

 これは、俺の人生経験の浅さが問題だ。実際、今でも自分に話しかけてくる相手に対してどういう態度をとればいいのか、判然としないときがある」

 

「ほうほう?」

 

 以前よりは多少マシになった自己分析に、アーサーは少しだけ目を細めて続きを促した。

 その空色の真剣な瞳に、アルコールの熱はもう見えなくなっている。

 

「……俺にとって、他人の人に対する目の向け方を聞くのは、十分価値のある行為なんだ。ハンターとしての成長にもつながるし、他人への対応方法を考えるときに役に立つ。……お前の人を見る目は、一応、その、信頼しているからな」

 

 少し頬を赤らめながらそんなことを言うレオンハルトに、アーサーは純粋に気色悪さを覚えて、

 

「え、なに、ホモ?」

 

「違う」

 

「すいません、俺ノンケなんで」

 

「奇遇だな、俺もだ」

 

 くつくつと二人でしばらく笑い合ってから、再びアーサーがぽつりと呟いた。

 

「それで、どうして気づかないかなぁ」

 

「え?」

 

「いや? それにしても、お前、口数多くなったよな」

 

「まあな、自分でもそう思うよ。会話訓練とかいうワケの分からないことを、ホームにいる間ほぼずっとやらされてるからな、顎の関節に油が効いてんだよ。

 これで俺も脱コミュ障だ。何せ、狩り場以外で独り言以外の会話をしているんだからな!」

 

 独り言は会話じゃないよと教えてあげるべきか否か、アーサーの中でわずかな逡巡があったが、憎き友(ハーレム野郎)へのささやかな復讐を遂行する義務感に駆られて飲み込んだ。

 それよりも、少し気になったことがある。

 

「……モミジさんの発案?」

 

「そうだ」

 

「家にいる間、ずっとおしゃべり?」

 

「まあ、寝ているとき以外は、ほぼおしゃべりだ。狩り場にいる間はファーラ達三人と話してるけど、ホームにいるときは専らモミジさんと話してる。

 おかげで、モミジさんが今何を求めてるのかとか、異性の友人と仲良くする秘訣とか、そういうことも学べているんだ。

 そうなんだよ、俺には異性の友人が出来たのだよ! 喜べ親友! あのモミジさんが、俺を同居してる友達と認めてくれたんだ! 『まあ、レオンさんは、一応友人として扱ってやらなくもないですよ?』って!

 これは快挙だ! あのモミジさんが、俺を友達と! しかも、一緒に住んでいるんだぞ!? これはもう親友と考えても良いんじゃないか!?」

 

「…………あっそう、良かったな我が親友よ」

 

 色々納得がいかずに苛立ちだけが募ったアーサーは、そっぽを向いて酒樽の山を眺め始めた。

 

「……何だ? 嬉しそうじゃないな」

 

「別に? そうだ、お前、獰猛化ブラキディオスのクエスト受けるか? ドカーンと一発爆ぜて、どうぞ」

 

「あれはナッシェ達に任せることになってるが」

 

「そうじゃねえよクソが。男女間の愛的な話だよ」

 

「……何度も言ってるが、モミジさんは俺に対してそういった類の感情はない。本人がそう明言しているんだ。『友人という地位が貴方の王者のエリマキ(一番上、てっぺんの意)ですよ』って」

 

「…………まあ、百歩譲ってお前の言うとおりだとしよう。

 そうだとしても、アナちゃんたち他の三人は? ストック?」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

「にしても不誠実過ぎでしょ、さすがに。一回死ぬ? 殴られたかったら任せろ?」

 

「容赦ないなぁ、おい……。……殴らなくて良いからな? その拳は引っ込めろ。

 ……誠実じゃないのは分かっている。ただ、自分の中でどう整理をつければいいのか、よく分からないんだよ」

 

 みんなのことは好きだけど、ラブ的な意味ではないと思う、と深刻そうな顔で話すレオンハルト。

 

「……みんな、俺のことはラブ的な意味で好いてくれてる。それは分かっているんだ。だけど、俺はそれにどう答えればいいのか、今一つ分からない。誰か一人を選ぶなんて傲慢なことをしていいのかと思うし、お前が言うように、ストックしているととられても仕方ない現状を続けている自分が間違っていることも分かっている。

 ただ……」

 

「ただ?」

 

 一呼吸おいて、緋色の目を閉じたハンターは素直に心の内を吐露した。

 

「ぶっちゃけ、性欲の対象にはなってる。けど、それをぶつけてはいないし、愛とは違うのかもとか思って、まあウジウジ考えているワケで」

 

「贅沢病で死ね」

 

「でも、お前だって分かるだろ? 

 …………アイツら、意識無意識関係なく誘惑してくるから、一緒に狩り場行くときとかも、愚息が反応しちゃって大変なんだよ……」

 

「うん、ギルドナイト呼ぼう。可愛い女の子独占禁止法違反で処刑してもらおう。あっ、そう言えば、俺がギルドナイトだっ…………あっ」

 

 迸る怒りの奔流に従って、ナイフを差した腰に手を回したところで、アーサーは顔色をさっと青ざめさせた。

 『男の友人との猥談』という、ぼっち時代の夢を現在進行形で叶えているレオンハルトは、アーサーの様子の変化に気づかず一方的な話を続ける。

 

「アナは、健康的に日焼けしたふとももとか肘先とか膝下とかがエロくてなぁ。脚防具だけ外して水遊びしてるときに、戯れに水かけられたときなんかもう……。あと、うなじな。髪の毛の先が遊ぶ滑らかな首。もう見てるだけで幸せになれるね。狩り終わった後とかに見ると、もう汗とかで光ってて、ああ俺頑張って良かったって思えるっつうか」

 

「あ、いや、ちょっと」

 

「ナッシェはさ、喜んでいいのかどうか分からないけど、最近誘惑が過激になってきていてな。この間なんか、ベッドにインナーだけで潜り込まれて、いつの間にそんな潜入スキル身につけたんだっていうか、相変わらず子供っぽい感じに安心したというかな。でも、俺はおっぱいが小さくてもいいと思うんだよ。抱きつかれると、控えめに自己主張してくるそのいじらしさがまたたまらんというか……」

 

「待て、待つんだレオン。それ以上いけない」

 

「一番ヤバいのはファーラだ。彼女は、なんというかアッチ関係の知識がほとんどないんだが、その分本能的というか天然というか、すり付けられてしまうというか。所作に隙があってな、そこがまた……。たまに、たまにだけどな、ふとした拍子に谷間が覗いたり、白いふとももとか、臀部が見えたりとかするとな、もう自分を抑えるのが大変で……。あ、いや、決して自慢のつもりはないんだが、本当に純粋に、俺はよく頑張っているなぁと」

 

「そうか、レオン、お前は酔ってるんだな!? そうなんだな!?」

 

「……さっきから何を言っているんだ?」

 

 情熱的に己のリビドーを語り続けていたレオンハルトもさすがに、アーサーとの会話が噛み合っていないことに気が付いた。

 陶酔の世界から帰還した灰色のハンターは、同僚の意識が向いている先に何気なく首を巡らせて――、

 

 

 ――天使のような笑みを顔に貼り付けた受付嬢が、自分のすぐ後ろに立っていることに気が付いた。

 



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エピローグ

 キョトンとした顔をしていたレオンハルトは、次の瞬間にはにへらとだらしなく相好を崩して、

 

「あれ、モミジさん? いつの間に来てたの? 早く声掛けてくれたらよかったのに」

 

 顔を青ざめさせていたアーサーは、のんきな彼の返事を聞いて、重ねて血の気の引くような思いを抱いていた。

 

 G級二位のこの男は、危険察知という点において他のG級ハンターの追随を許さない、レオンハルトをG級たらしめる力だ。

 地中に潜って攻撃を仕掛けてくるようなモンスターはもちろん、視認の難しいはるか高高度を飛ぶモンスター達の視線にさえ気づき、果ては砂塵舞う一面砂海の船上で、遠く水平線の下を泳ぐ敵意のない古龍(ダレン・モーラン)の存在にさえ気付くほどだ。

 いくらこの受付嬢がギルドナイトであるからとは言え、コイツの警戒網をくぐり抜けられるはずはない。

 

 彼女は今、アーサーにさえ明らかに感じられるほどの強い感情を抱いているのだから。

 

 他の生命体の存在に人一倍敏感なレオンハルトがモミジの接近に気付かなかったのは、明らかな異常事態だった。

 レオンハルトの危機察知能力が低下しているのか?

 それとも……。

 

 ……ちょっと待てよ?

 

 そもそもこの人は、どのタイミングでどうやって、“かがり火亭”の奥のこの部屋に入ってきた?

 

 脂汗を浮かべながらゴクリとのどを鳴らすアーサーを、冷えた濡れ羽色の瞳で一瞥して、興味なさそうに視線を外すと、モミジはレオンハルトに優しげな表情を作って尋ねた。

 

「どうしてこの男と飲んでいるの?」

 

「いや、そりゃ、たまたまアーサーを見かけて誘っただけですけど」

 

「……です?」

 

「さ、誘っただけだけど?」

 

「……ふぅん?」

 

 穏やかな光に照らされた、簪の紅葉が揺れて煌めく。

 

「……私、一人で飲んでいてって、言わなかった?」

 

「い、いや、言ってなかった、よ?」

 

「……そう」

 

 ねぇ、とレオンハルトの肩に両手を乗せたモミジが、ようやく冷や汗をかき始めた彼の耳元に口を寄せて、

 

「レオンさん、貴方は公的に力があると認められたG級ハンターなのだから、軽々しく他の人と飲みに行ったりしてはダメって、ちゃんと教えていたでしょう? 忘れたの?」

 

「いや、でも、アーサーは俺の唯一の男友達だし」

 

「『でも』じゃありません。人間が聞かれたことに返事をするときは、はいかイエスなのだと教えたでしょう?」

 

「……は、はい」

 

 アーサーは遠くの壁を見つめて空気と化した。

 いくら違和感を覚えるような発言があったとしても、絶対にツッコミを入れてはいけない。

 

「まったく、これだからG級に上がるのはダメだと言っていたのに。貴方は他の人と比べて人間関係における経験がゴミみたいに不足しているから、簡単に騙されやすいの。頭を揺らせば鈴の音が聞こえるハンターだってこと。

 それでも、一応はギルドに所属する全ハンターの中で二番目に強いのだから面倒になるのよ」

 

「ご、ごめんなさい?」

 

「いい? ほいほい人に付いていってはダメよ。悪い虫がついたら大変になるのは私なの。貴方みたいな脳味噌ケチャワチャのお気楽さんは、用済みになったらすぐにポイなんだから。

 どんな人と接するときも、モンスターと対峙するときの心持ちを忘れないでって言ったでしょう? そんな薄い危機感では、いつとって食われるかも分からないわ。決定的な所で騙されて利用されたらどうするの? 後始末も簡単ではないのよ? 少しは力を持っている自覚を育ててくれないかしら、この人間筋肉」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 グサグサと刺さる毒の刃に、レオンハルトの肩はどんどん下がっていく。

 そんな彼に、モミジは一転穏やかな声で優しく絡め取るように言葉を紡いだ。

 

「……そんなに落ち込まなくてもいいわ。貴方は一応、私の()()の一人なのだから。友人が危険な目に遭いそうになっていたら、それを正してあげるのが道理でしょう? これはお小言と言うよりも、友人としての心からのアドバイスよ。

 ……そうね、今度からは、お酒を飲みに行くときは、原則として一人、相手がいるのであれば、私に一言伝えてからお酌しなさい。胸にキチンと刻んでおいて? これでも私、長いこと受付嬢をやっているの。貴方よりも人を見る目があるのは確かなのだから」

 

「あ、ありがとう、モミジさん。助かるよ……」

 

 彼女の言葉に、表情を明るくして心からの礼を述べたレオンハルトを見て、アーサーは静かに悟った。

 よく調教されていらっしゃる。

 経験云々の話は、この人が原因だったのだ。

 道理でらしくもなくまともそうな話をしていたワケだ。

 

 口を噤んで戦慄しているアーサーを放置して、モミジとレオンハルトは会話を重ねた。

 

「それと、周りにはもう少し注意を払うようになさい。私が後ろに立つまで気付かないなんて、いくらお酒を飲んでいるとはいえ、貴方らしくない油断よ?」

 

「ああ、それは……」

 

「……それは?」

 

「その、なんて言うかな、俺的には、見知らぬ他人の視線とか呼吸とか存在とかはかなり敏感に感じるんだけど、モミジさんはそうでもないって言うか」

 

「……どういう意味?」

 

 温かみが唐突に消失した声に鼓膜を撫でられ、アーサーは怖気にぶるりと震えた。

 しかしながら、当のレオンハルト本人はなんともないといった表情で、

 

「いや、悪い意味じゃないんだよ。ほら、俺たち友達じゃん? モミジさんのことはすごく信頼してるし、本能的に警戒網に引っかからないって言うか」

 

 二十代後半男性の率直な言葉に、受付嬢はしばし唖然としていたが、すぐに表情を消して、若干の苛立ちを声色に乗せ、

 

「……レオンさん? 『信頼してるから』とか、『友達だから』とか、そう言う甘い言葉で他人を惑わしたり、誘惑したりするのは人としてどうかと思うの。それに、そうやってどこかのアホ娘みたいなチョロくてガバガバの貞操観念だと、さっきも言ったように悪意ある人間に騙されて――」

 

「大丈夫だって」

 

 まくし立てる受付嬢を遮って、レオンハルトは自信満々の笑みで続けた。

 

「モミジさんは特別なんだよ」

 

「んぅ」

 

 黒髪の受付嬢は、表情一つ変えないまま小さく呻いて、カンテラの暖かい明かりに照らされていた顔に、鮮やかに赤い一条の線を描いた。

 鼻血だ。

 

「ちょ、モミジさん! 鼻血出てる!」

 

「…………え?」

 

 細い指先で上唇をこすったモミジは、さらりと赤く濡れた爪を見て、

 

「……あら、ごめんなさい。これは、興奮したとかそういう俗物的な話などではなく、さっきラージャンに顔を少し殴打されたからであって」

 

「大怪我だよ!! 何言ってんの!?」

 

 おっ、とアーサーはにやついた。

 完璧仕事人の受付嬢が、滅多に見せない隙を晒している。

 可愛い女の子をこうやって誑し込んだのかと、レオンハルトに軽い殺意を覚えたものの、これは面白いことになってきたぞ。

  

 …………良いこと思いついた。

 

「えっと、鼻血はどうやって止めるんだっけ? 鼻腔に回復薬グレート突っ込むのかな、いや、秘薬を詰めれば……」

 

「違うわ。貴方が膝枕をするのよ。顔が心臓より上にこなくてはいけないもの。でも、変則的な膝枕でいいわ。貴方はその椅子に座ったまま、少しだけ脚を開いて。私がその間に入って床に座り、貴方に頭を預けるわ。鼻血を止めるために」

 

「え? いや、でも」

 

「大丈夫、鼻血を止めるために、特別に私の頭に触れることを許すわ」

 

 わいわいと話す二人に、ポリポリと腰の辺りをかいていたアーサーは、立ち上がって木箱を払い、

 

「モミジさん、床に座らなくても良いッスよ。コッチの椅子、つうか箱だけど、どうぞッス」

 

 その言葉に、レオンハルトの脚に座っていたモミジはすっと眉をひそめ、

 

「あら、アーサー、まだいたの?」

 

「なんだか今、大変失礼なことを言われた気がするッス。別に良いッスけど。俺はこれから()()()()()()()()()()()()()()()()んで」

 

 その言葉に、モミジは少し思案して、それから、

 

「分かったわ。貴方はもう帰って良いわ」

 

「ッス」

 

 アーサーは一つ頷いて立ち上がり、入れ替わりに木箱へ歩み寄ったモミジは、表面をさっと撫でてからレオンハルトの机の方に箱を動かして、アーサーに真剣な表情で向き直り、

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あ、なるほど」

 

 くるくると進行する会話に、レオンハルトは困惑顔で、

 

「え、いや、でも」

 

「レオンさんには何も言ってないでしょう?」

 

「あっ、はい」 

 

「それに、久しぶりに二人でお酒、飲みたいし。レオンさんも、私と一緒に外飲み、したいと思うでしょう?」

 

「え、あ、いや」

 

「飲みたい?」

 

「飲みたいです」

 

 黒い瞳に射抜かれて、レオンハルトはすばやく白旗をあげた。

 こういった時は、逆らわないが吉なのだ。

 そんな彼の様子にアーサーはくつくつと笑って、

 

「じゃあな、レオン。俺はこれから、可愛い子と飲みだから!」

 

「あれ? お前、さっきはクエスト探しに行くって」

 

「言葉の綾だよ。じゃあな!」

 

 そう言い残すと、アーサーはさっさとかがり火亭の店内へと戻っていった。

 呆然とした顔でアーサーを見送るレオンハルトをよそに、店の奥からジョッキ片手に酒樽を一つ転がしてきて、

 

「さあ、レオンさん。飲みますよ。今夜は黄金芋酒です。お会計は先週のクエスト達成報酬から出しておきましたので」

 

「えっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だいたいあなたは近づいてくる女の子に対して甘すぎるんです、もう少し節度をもってですねぇ」

 

「いや、モミジさん、もう分かったから、そろそろお酒は止めた方が」

 

「なんにも分かってないですぅ! ちゃんと聞きなさい、ばかぁ」

 

「あ、いや、うん、でも、ほんとにもう飲み過ぎじゃ」

 

「なにいってんですか、あ、さては、レオンさんはまだ酔っていませんねぇ?」

 

「いや、俺も結構キテるっていうか、もう頭が痛いし……ちょっ、顔近い!」

 

「どんだけ飲ませれば酔いつぶれてくれるんですかぁ? どんどんアルコール耐性つけてくれて、コッチはもう初回サービスからすっかりご無沙汰で溜まってるんですよぉ。目を離した隙にどこかへ行ってしまうのではないかと、私は気が気でないというのに、イチャイチャいちゃいちゃ」

 

「え、ちょっと、何の話?」

 

「……ああ、そうそう、これはとあるホモ野郎から聞いた話なんですけどね。お尻からお酒を飲むと、アルコールが良く回るんですって」

 

「それヒヒガネさ……え、ちょっと? モミジさん? その手に持っているモノは一体な」

 

「えいっ」

 

「うっ」

 

「…………寝ました? 寝ましたね? 

 まったく、世話が焼けるんですから」

 

 

 

「…………イキますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガンガンとうるさい頭痛に意識が鈍く覚醒していく。

 窓から射し込む朝日に馴染みある煩わしさを覚えながら、レオンハルトはぐったりとした気分で身体を起こした。

 ドンドルマによくある宿の一室のようだ。

 白い毛布がはらりと落ちて、筋肉で覆われた上半身が目に入る。

 

 ハンターになりたての頃とは比べものにならないほど盛り上がった胸筋、筋の張った腕、力を入れずとも浮き上がる腹筋。

 子供心に憧れた自分の姿だ。

 それは、掛け値なしに嬉しいものだ。

 よくここまで生き残ってきた。

 よく頑張ってきた。

 

 寝台から立ち上がって、鈍痛の走る頭を抑えながらインナーを拾う。

 酒が入りすぎた、今日は昼からクエスト対象地域へ出る気球船に乗るから、それまでに体調を整えなければ、ラファエラが失踪したときの対処法はどうすべきか、そういえば、どうして翌朝に支障を来すほどに飲んだのだろうか。

 ふと、昨晩は何をしていたのかということに思いを巡らせて、

 

「…………あれ?」

 

 俺は、いつここに来た?

 

「確か、昨日はアーサーのやつと飲みに行って、モミジさんが来て、二人で一緒に飲んで……あれ?」

 

 部屋の中を見回しても、この場所にきた記憶はない。

 腕に鼻を近づけると、かすかにフローラルな香りが漂ってきた。

 昨晩は風呂に入ったのだろうか。

 記憶を失うほどに飲んでいたとは…………。

 

 

「……あれ?」

 

 ふと、今し方身を起こしたベッドの枕元に、見覚えのある髪飾りが落ちているのを見つけた。

 拾ってみるとそれは、オレンジ色の葉っぱを模した飾りの付いた、銀色の簪だった。

 

 …………。

 

 

「え?」

 

 

 

「え?」

 

 



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ⅩⅡ モンスターハンター
プロローグ


ストーリーを進めろ?
そんなことより一狩り行こうぜ!

お久しぶりです。
新年度ですね。皆さん元気よく頑張っていきましょう。すべては幼女のために。

更新遅れました、ホントごめんなさい。
ダブルクロスその他諸々やってました。
四月からYも諸事情により働きに出ますが、更新速度低下しないよう努めて参ります。


 

 

 突き抜けるような青い空。包容力のある白い雲。

 大空はいつだって優しくて、残酷で、無慈悲で、誰にでも平等だ。

 クルクルと飛行船のプロペラが回転して、地上のリノプロスの群れを遙か下に見据えて飛び越えていく。

 耳朶をくすぐる風が心地良く、汚れた精神に清らかさを与えてくれるようだ。

 そんな天の柔らかな抱擁の中で、レオンハルトは一人、頭を抱えて力なく横たわっていた。

 

「あれぇ……どうしよう……あれぇ……? 俺、またヤっちゃったのか……?」

 

 ヒーローの意匠で知られる“アスリスタXシリーズ”のマントを勇敢にはためかせつつも、仮面の下の赤い瞳はさながら死んだ魚のよう。

 彼の視線の向こうでは、蒼い鱗を全身に纏った()()()()()()()が、透き通るようなスカイブルーの中を気持ちよさそうに飛んでいる。

 

「全然記憶がないぞ……トぶまで飲んだの何時ぶりだよ……前回のヤっちゃった日以来だよ……このちんぽこ野郎……」

 

 背中を丸めてぶつぶつと呟くその様は、到底腕のいいハンターには見えない。

 さながら、ヒーローのコスプレをしたマダオ(まるでダメなおっさん)だ。

 そんな彼の耳に、平坦さの中に確かな歓喜を乗せた涼やかな声が聞こえてきた。

 

「ハルぅー、一緒に乗ろー? 気持ちいいよー」

 

 背景に溶け込むかのように優雅に羽ばたくリオレウス亜種の背中に、女性版の“鎧裂シリーズ”を身に付けたハンターが乗り、意気消沈のレオンハルトへとしなやかな手を振っている。

 強力なショウグンギザミの誇るコバルトブルーの腕“斬鉄鎌“と、堅牢な甲殻を素材に作りあげた防具だ。

 目に鮮やかな青色のそれは堂々とした風格と気迫を漂わせていて、なるほどトップハンターが着るに相応しいものだ。

 ラファエラの声に、レオンハルトは「落っこちるなよー」と返してから、この世の理不尽に疑問を投げかけた。

 

「どうしたらG級のリオレウス亜種を手懐けるところまで行くんだよ……」

 

 舵取ってるアイルーなんか、涙目で本能的な逃げ腰なのに、脚踏ん張って頑張っている。

 ギルドだって、ラファエラでなかったらあのような行為を許すことはない。

 

 G級序列の一位“【白姫】ラファエラ”と、G級序列二位の“【灰刃】レオンハルト”。

 その差はたった一つでしかない。

 頂点に座す彼女に最も近いハンターは自分だ。

 だというのに、どうしてこんなにも遠いのか。

 

 

 処女雪のような長い白髪をたなびかせながら、何一つ束縛するもののない青空を自由に舞うラファエラは、さながら夢の中ではしゃぐ乙女のようだ。

 その心の汚れなきこそが、彼女と自分との差なのだろうか。 

 

「汚れちまった、悲しみに……」

 

 レオンハルトは虚ろの瞳に悠久の空を映しながら、久しぶりの自作ポエムに挑み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「――どうしてこうなったんでしょうか……」

 

 同じ頃、“火の国”へと向かう気球船の上で、四つん這いになったアナスタシアが、この上ない絶望感に打ちひしがれて、虚空観察にせいを出しながらしくしくと泣いていた。

 

 床に置いた三枚の羊皮紙の一枚目には、『獰猛化アグナコトル等の狩猟』の文字が踊っている。

 詳細を見れば、アグナコトルやブラキディオス、ヴォルガノスが縄張り争いをしている余波に、火の国は恐怖のどん底に落ちているといった内容が叙情的につらつらと書き並べられた後、『ハンターズギルド所属のハンターならば云々』と、やや上からの目線を感じさせる調子で討伐依頼が綴られている。

 報酬金は、依頼の難易度に比べてかなり塩辛い。

 

 一枚紙をどければ、切羽詰まった感じで、『早く腕のいいハンターを云々』と書かれている。

 報酬内容は一枚目よりも随分上がっていて、相場より少し高いくらいか。

 

 最後の羊皮紙を見ると、『お願いします早く助けて姫様がなんでもしますから』とだけ書かれている。

 報酬は『言い値』だ。それでいいのか火の国。

 ここまで酷いクエストは見たことがない。

 これでクエスト達成者がいないというのだから、状況はさらに悪化している可能性もある。

 

 G級ハンターに上がってくる依頼というのは、上位ハンター二人以上が大怪我を負うか、行方不明または死亡確認となってからというものが大半だ。

 残りは、現地の被害があまりにも甚大である、または甚大になる可能性が大いに高く、早急な対応が求められる場合だ。

 今回は前者である。

 控えめに言って最悪だ。

 

「いったいどうして、こんな危険なクエストに、私とナッシェの二人で行かなきゃいけないんですか……」

 

「アナ先輩、それは私たちが誉れ高きG級ハンターだからですよ。自覚が足りてませんね。しっかりしてください」

 

 ふと、床にひざを突くアナスタシアの横で、簀巻きにされた星座仮面のハンターがやれやれといった風に言葉を発した。

 

「……お前がワケの分からない意地を張らなければ、こんなことにはならなかったでしょう」

 

「別に? 私が先生にこの上ない寵愛を受けているという事実に依拠した行動をとったまででございますのよ、痛い痛い痛い!」

 

 ナッシェの仮面を引っ剥がして得意げに膨らむ小鼻をつまみあげていたアナスタシアは、次には何もかもどうでもいいという目で仰向けに寝転がった。

 ああ、この気球船のバルーンぶち割ったらどうなるかなぁ……。

 

「……あのー、アナ先輩? 私、先生になら縛られてもいいというか、むしろ縛られる推奨なのですけれども、さすがにアナ先輩に縛られても何も感じないというか、まあ少しは興奮しますけれども」

 

「黙りなさい、この変態。お前など“【城塞】オイラー”の所に逝ってくればいいんです」

 

「止めてください何も発展しません」

 

「変態同士、好きなだけ語り合ってくればいいんです」

 

「それはもう済んでますので」

 

「…………」

 

 アナスタシアは、ナッシェの顔から奪った星模様の仮面を見つめる。

 古龍ダラ・アマデュラがイメージ元とされる『邪蛇座』の星座が描かれたそれは、元々はナッシェが顔を隠すために使い始めたものだけれども、こんなものを装着していれば、かえって奇異の視線を集めるだけではないだろうか。

 

「……今回はどうしてこれなんですか?」

 

「それは当然、生贄なんて野蛮な風習を今でも続けてるような辺境に行くんですから、そういう不吉な星座の仮面ハンターが来たら、『アイツには手を出したくない』みたいな風になるでしょう。簡単に言うと脅しですね」

 

「おいハンター、人々の安寧を守りなさい」

 

「それは無理な相談ですねー」

 

 のんきに笑う少女に深いため息をついて、アナスタシアは再び虚空観察に戻った。

 この問題児と二人での狩り。

 嫌な予感しかしない。

 

 

 

 

 

 そよ風が重なって茂る木の葉を優しく揺らして、カサカサとのどかな音を立てた。

 森のさざめきに身を委ねるように、ナギは静かに目を閉じて、肺からすべての空気を押し出すように息を吐いた。

 心臓の鼓動を見つめるような感覚。脈は速い。

 自分の中にある緊張の糸を静かに手繰り、蜘蛛の巣を解いていくような感覚でまぶたを上げた。

 緑色の森の奥で蠢く暗緑色の巨体を見据える。

 風を読み、空気の流れをそっと嗅いだ。

 自然界で最も成功したハンターの一種であるクモの生態をモデルにして作り上げられた弓、“スキュラヴァルアロー”を構え、右手の指先に摘まんだ矢をつがえる。

 褐色の強靱なフレームがしなやかにしなり、クモの糸を加工した弦が静かに張り詰めた。

 滲む汗の感覚も、狭まっていく視界も、今は全く意識に上らない。

 思考もなく、雑念もなく、あるのは必中と討伐の念のみ。

 

 大丈夫、私は独りじゃない。

 

「——ッ」

 

 ビンッ、シュッ、と矢が森の中を駆け、ちょうど標的のモンスターの眼窩へと吸い込まれていく。

 計算され尽くした狩人の鏃が、イビルジョーの飢えに血走った目を穿った。

 

「グギャォォォォッ!?」

 

 痛みへの悲鳴と怒りが混じった咆哮があがる。

 ()()が此方へと向く前に、その巨体に向かって三人の影が飛び掛かった。

 過去に狩ってきたイビルジョーから剥ぎ取った、大量の素材から厳選して製作した一級品の防具と武器。

 血に飢え憎悪の込められた一撃が、盛り上がった筋肉へと吸い込まれていく。

 

「……よし」

 

 大丈夫、私はハンターだ。

 今まで散々に経験を積んできた。

 いくつもの修羅場をかいくぐってきた。

 どれだけの研鑽を、この日のために積んできただろうか。

 恐れることは何もない。

 私は、全力で皆のサポートをすればいい。

 

 “()()()()()()()()”と呼ばれる銀色の全身鎧を木漏れ日の中に踊らせながら、ナギは次の矢をつがえて走った。

 




強気の女は尻が弱い(ボソッ


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V.S. ティガレックス

エタらせたくない……
と思いつつ、変態小説を読み漁る日々……。
(怒られないうちにそっと投げておきます)



 

 

 砂塵が地上で遊ぶ蒼穹の下、角張った黒褐色の巨岩の上で、一頭の飛竜が目の前の広大な砂漠すべてを見通すように居座っていた。

 挙動に緊張感はないものの、背の高い岩の頂上から大地を睥睨するその体躯は、生態系の王者に相応しい風格を纏っている。

 蒼く強靱な前脚に持ち上げられた筋肉質の胴体に、太陽の光を反射して鈍く輝く赤銅色の鱗を纏うそのティガレックスは、“荒鉤爪”と呼ばれる特別に強力な個体だ。

 前脚の付け根から広がる翼膜には、激しい生存競争を勝ち抜いてきた強者に相応しい、しなやかな逞しさが宿っている。

 

 不意に、その鋭い双眸に獰猛な野生の光が灯り、鋭い牙がグイッと剥き出しになった。

 

「グォ……」

 

 太陽の方角へゴツゴツと首を向ける。

 ゴツゴツとした赤黒い岩肌、水面のように滑らかな砂原、地平線の向こうまで続く砂漠の織り成す白と黄土の斑模様の中をじっと見つめて、

 

「…………グルル」

 

 低く唸ったティガレックスは、地を這うトカゲのようにググッと体勢を沈めた。

 にわかに膨張する四肢の筋肉、サファイアのように蒼い翼膜がすっと閉じられ、

 

 ボンッ!!

 

 ギラギラと照る太陽へと大跳躍したティガレックスは、瞬きの内に大きく広げた翼膜をはためかせながら、灼熱地獄の上を滑空していく。

 湖のように凪いだ砂原の中で、カジキに似たデルクスの群れが飛び跳ねた。

 王者の座した巨岩には、渇いた砂埃が舞っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギラギラと照りつける日射しから逃れた岩場の陰で、

 

「……うひゃー」

 

 鋭い刃で力任せに引きちぎられたその残骸に目を落として、レオンハルトは小さく身震いした。

 岩石砂漠の岩場の陰に遺された埃まみれの赤兜に、粉々に砕けた紅い手甲の破片。

 少し離れたところで力無く転がっている、()()()()()の青い防具の隙間から、小さな多肉植物が緑色の頭を出している。

 

 自然の中へと還っていくその防具は、“岩穿”と称される特別なテツカブラの体から剥ぎ取った素材から作られるものだ。

 すなわち、この元ハンター達は“岩穿”テツカブラを討伐するだけの技量があったことを示している。

 土色に変わった腕の骨が、旧砂漠の環境の厳しさを示している。

 彼らがギルドでクエストを受注したのは、つい十日前のことなのだ。

 無惨にかち割られた“叛逆銃槍ロドレギオン”——強力なセルレギオスの体を素材にして作られるガンランスだ——の盾を後目に、レオンハルトはゆっくりと立ち上がった。

 

「……あと二人分、かな」

 

 丁寧に汚れを削ぎ落とした茶色の骨片をポーチにしまい込んだレオンハルトは、それを手近な岩の隙間にそっと置いて、顎に垂れた汗を拭った。

 背中に負った狩猟笛——“真滅笛イブレスノヴァ”が鈍く明滅する。

 灼けた大地の枯れたニオイ、風に乗って舞う砂塵の静かなざわめき、砂漠を覆う奇妙な静寂の中から、レオンハルトはかすかな揺れを嗅ぎ取った。

 

「…………始める前に知らせるべきなのでは……」

 

 ホウ・レン・ソウが大事ですよと呟きながら、レオンハルトは硝煙の香りが流れてきた岩山の向こう側へと駆け出した。

 それにしても、今日の旧砂漠は一段と暑い。

 

 

 

 

 

 

 

 その“荒鉤爪”は、この地に生まれ落ちて以降最悪の“敵”との殺し合いに身を投じていた。

 全身を沸騰するように血が巡り、青かった腕は赤黒い血管が幾条にも浮き上がってはちきれんばかりに膨らんでいる。

 本能が雄叫びをあげる死線を暴れ回りながら、なお掠り傷一つ許さない白いハンターを、ティガレックスは襲い続けていた。

 

 蛇のような動きで接近した噛み付きは軸ずらしでいなされ、突き上げられた槍が硬い鱗をガリッと剥ぎ取った。

 二度と同じ動き方をしないラファエラに、“荒鉤爪”の肉迫が空回りする。

 剛腕が狙う一撃は衝撃を逃がすように構えられた盾によってすべていなされ、カウンターとばかりに叩きつけの一撃が加えられる。

 鈍い殴打音に続けて、ガチリとガンランスの機構が動いた。

 

 ボムッッ!!

 

 砂漠の炎天下の下で、体表からうっすらと蒸気を立ち上らせながら攻め立てるティガレックスに、ガンランスの穂先から放たれた爆発がふりかかった。

 体表を抉り取る砲撃に、しかし“荒鉤爪”は動じずに爆炎をくぐり抜けて迫る。

 蒼く脈動する剛腕がガリガリと岩肌を削りながら、ハンターを狙って鋭く振るわれた。

 

 火煙の中から飛び出してきた爪の表面を、盾で撫でるように受け流しつつ、ラファエラは弾丸のリロードをして、半身に構えて頭上に振り上げた左腕の銃槍を打ち下ろした。

 

 ズムッ!

 

 前脚の関節へと吸い込まれるように叩きつけられた“鬼神大銃槍ドラギガン”の衝撃が、軋みをあげていた筋肉へと直撃した。

 歪な黄色の閃光が弾ける。

 ガクンと停止した身体、メギャ、と鈍い音を立てて押し潰されたティガレックスの右前脚に、

 

「……まろやかな体……」

 

 と小さく呟いた。

 銃口を兼ね備えた穂先が青い鱗の隙間に食い込む。

 黄金のガンランスの引き金に指をかけたラファエラの紅い瞳が、“荒鉤爪”の橙色の瞳とぶつかった。

 

「……」

 

 ボッッッ!!

 

 ティガレックスに突きつけられたラージャンの角が、容赦なく火を噴いた。

 弾倉に装填されていたすべての弾が使われるフルバースト、途轍もないエネルギーが拡散する。

 

「ギャッッ」

 

 覇者のうめき声が響いた。

 ゼロ距離のフルバーストを食らった“荒鉤爪”の体から、ジュウジュウと肉の焼ける音が立つ。

 灼熱の太陽の下で輝いた閃光は、一瞬で蒼い翼膜をズタズタに切り裂いた。

 右前脚の中頃の筋肉が剥がれ落ち、噴き出す鮮血の隙間にツルツルとした太い骨が顔を覗かせた。

 

「……」

 

 反動に流されて後退したラファエラが、ザッ、と地を蹴って、強烈な痛覚と衝撃に仰け反ったティガレックスへと迫る。

 砲撃直後の熱い穂先が抉れた右腕の付け根にゾプッ、と突き立刺さった。

 短く呻くティガレックス。

 だが、その熱せられた橙黄色の瞳に宿る闘争心は微塵も揺らぐ気配を見せず、冷えた赤色の双眸をギロリと睨みつける。

 

「…………来た」

 

 直後、ラファエラはガンランスごと左腕を引っ込めて、盾を構えたままトンットンッとバックステップを踏んだ。

 ラファエラがぬらりと体の位置を下げ終えた瞬間、

 

「——ゴァァァッッ!!」

 

 ガリガリガリッ!!

 

 ゴツゴツの岩肌に三条の深い溝が刻み込まれた。

 蛮力が飛ばした砂粒を盾で防ぐ。

 が、

 

 ゴッ!!

 

 そのまま振り抜かれた刃が、防塵用に構えた盾をも抉った。

 ラファエラは身を引き裂き得る衝撃に抵抗せず、回転しながら宙を舞った。

 

 一瞬前までラファエラの立っていた場所に、もう一頭の“荒鉤爪”が、予想外の勢いで特攻してきたのだ。

 直前で位置をずらしたにも関わらず、巧みな滑空技術で爪を当てられた。

 恐らく、前にガンランスを使うハンターと戦ったことがあるのだろう、単調な動きを見切った動作だった。

 

 ゴロゴロと地面を転がり、何事もなかったように跳ね起きたラファエラは、右手に持つ盾をチラリと確認した。

 損傷具合の激しい表面、芯となる部分にも僅かに、しかし致命的な横方向のヒビが入っている。

 

 なんて素敵な爪なのだろう。

 まさか、この子がダメになるなんて。

 

 しかし戦えないわけではない。

 お花摘みに必要なのは(ジョウロ)ではなく(ハサミ)なのだから。

 もう一度くらいは攻撃を防げる。

 あとはすべて避ければいい。

 ハンター慣れした二頭の“荒鉤爪”、明らかな協力関係、しかも練度の高い連携。

 間違いない、彼らが今回のクエストのターゲットだ。

 摘み取ってしまっても怒られない。

 

 よし、名前をつけてあげよう。

 

 前方に視線を戻した真紅の瞳が、手負いの“荒鉤爪”による追撃を捉えた。

 前方仰角四十五度からの必殺の叩きつけ、まともにくらえば自分が綺麗な紅い花を咲かせる未来は想像に難くない。

 この子は『イチゴちゃん』にしよう。

 白くて硬くて綺麗な(ほね)が素敵だもの。

 

 迫り来る赤黒い凶爪、ここでの有効な選択肢は、銃槍のカウンターで迎え撃ち口腔から貫くか、盾を犠牲にして攻撃を凌ぐか、砲撃で脳天を撃ち抜くか、盾と右腕を犠牲にしてティガレックスの鼻頭を叩き潰すか。

 左腕を突き出しの姿勢に持ってくるには間に合わない。

 盾でガードしたとして、一瞬で胴体に頭が埋め込まれる大惨事になる。

 砲撃もリロードが終わっていない。

 ここで腕一本を見捨てたとして、攻撃は続けられても手数が足りなくなる可能性が捨てきれない。

 何より姿勢が崩される。

 

 よって、ここでの最善策は。

 

 ラファエラを潰し砕かんと振り下ろされた左腕に、纏わりつくようにしながら飛んだ。

 

 ドゴォォォッ!

 

 剛腕は蛮力に砕かれた地面に埋もれ、宙に逃れて亀裂と衝撃をラファエラは、穂先の下がった銃槍に、ガチャガチャと弾を流し込むように装填する。

 攻撃は最大の防御。

 

「えぃ」

 

 凸凹の岩肌へ着地したラファエラは、ガンランスを大きく振りかぶり、大地に食い込んだ“荒鉤爪”の爪を狙って大上段に叩きつけた。

 ゴン。ガチリ。

 

 ボッッッ!

 

 再びフルバーストが炸裂。

 巨大な爪に直撃した火炎が、“荒鉤爪”のシンボルを二本、根元からもぎ取った。

 弾けた鋭爪が爆風に飛ばされて宙を舞う。

 

「ゴォッ!?」

 

 手負いの『イチゴちゃん』が痛みに跳ね上がって離れていくのを見送りながら、ラファエラは銃槍にジャラジャラと弾を送り込んだ。

 まだ育ち具合を観てない方がいる。

 

「ゴァァァァァァッ!!」

 

 咆哮を上げながら突進してくる新手の“荒鉤爪”に、ラファエラは嬉しそうに凍てついた顔を向けて振り返った。

 鮮やかな青に染まった前脚に、大地を砕く膂力を備えた特別なティガレックス。

 見る限り、今は全力の六割ほどだろう。

 橙黄色の瞳には捕食者特有の冷静さがある。

 先ほどの一撃を考えれば、力も技術も、さっきまで相手していた『イチゴちゃん』より上。

 

 ガンガンガンと地面を殴りつけるように迫るティガレックス。

 その隙間残り三メートルほどに縮んだ瞬間、ラファエラは穂先を視線の先の“荒鉤爪”に向けて、ガチッと引き金を引いた。

 

 ボッ!

 

 発射とともに分裂・拡散した弾が、バチバチと“荒鉤爪”の頭や体を叩いた。

 オーバーヒート直前まで熱せられた砲身が煌々と輝く。

 足は止めなかったものの、さすがに反射的に目を瞑ったティガレックスの右脇へ、ラファエラは接触スレスレの体を紙のようにひらりと動かし、鋭い爪のリーチ圏外へと逃れた。

 うん、この子は『スモモちゃん』にしよう。

 きっと綺麗なピンク色の花になる。

 

 僅かに口の端を上げたラファエラは、体を反転させると共に照準を『スモモちゃん』に向けた。

 ガシャン、と不気味な音を立てて、力に憧れた人類が作り出した兵装が動き出し、ブォォォと唸りながらエネルギーが蓄えられていく。

 地面をかち割るように突進の勢いを殺してラファエラを叩き潰さんと振り返ったティガレックスの瞳に、穂先を青白く輝かせたガンランスが映った。

 『スモモちゃん』と勝手に名付けられた“荒鉤爪”の左目を狙って、竜撃砲が放たれた。

 

 ズゴォォッッ!!

 

「ィギア゛ッッ!?」

 

 反応しきれなかったのか、『ラファエラ』というハンターを侮ったのか、竜撃砲に左目を眼窩ごと焼き飛ばされた“荒鉤爪”は、平衡感覚すら失う衝撃と痛みに横から倒れ込んだ。

 

「……」

 

 ラファエラは短く息を吐いた。

 彼女は、久しぶりに抱いていた期待を裏切られて、酷く傷ついていた。

 『イチゴちゃん』も『スモモちゃん』も、闘争心とポテンシャルは十分だけれども、技術が今一つだ。

 決定打になりうる手は幾らでもあるのに、まるで単調な狩りしかできない。

 死力を尽くしているつもりになって、暴れているだけのモンスター。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 前に“荒鉤爪”を討伐した時は、こんなモノでは無かったはずなのに。

 起き上がろうと地面を掻き毟るようにもがくティガレックスの体が、白と桃色の花に覆われて見えなくなっていく。

 もういい。

 早く仕事を終わらせて帰——。

 

 ダンッ!!

 

「……」

 

 大地を強く蹴る音。

 左脚を軸にしながら振り返ると、両前脚に重傷を負った『イチゴちゃん』が、血走った両目に殺意を滾らせながら、ラファエラのもとへと一跳びに跳んできていた。

 

 横に飛んでいなしたラファエラが、反撃の一発を放つためにガンランスを構えて。

 

 

 

「ゴアアァァァァァァァァッッッ!!」

 

 

 

 衝撃。

 

 

 

 




ちょっと短かったかもですね。
全然書いてないのに疲れた……半年前はこんなこと無かったのに……歳かな……。



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V.S.  ティガレックス 2

近況報告
社畜になりました。元気にやってます(白目





 ——宙を舞う感覚は、久しぶりの痛みだった。

 

「……」

 

 耳をつんざく大音響の後、ラファエラの世界からすべての音が消失した。

 砂漠を吹き荒ぶ乾いた風の声も、大咆哮の反動で地に埋まった両腕を引き抜くティガレックスの身じろぎも、殴るような一撃を受けてバウンドしながら転がる自分の体の軋みも、あらゆる音が聞こえなくなった。

 

 どれくらいの距離を飛ばされたのだろう。

 『イチゴちゃん』の捨て身の一撃で壊れた盾を手放し、右腕で地を突きパッと跳ね起きて、しかし、平衡保持能力を失った体幹がそのまま立つことを許さなかった。

 とと、とたたらを踏んでその場に留まる。

 思った以上に自分の身体が脆い。

 それとも、思った以上に『スモモちゃん』の地力があったのか。

 

 とても合理的な攻撃選択だった。

 確かにあの時、『スモモちゃん』の視界を半分奪っていた。

 そして、戦闘ポテンシャルの高いティガレックスが視界を奪われたときの、外敵に対する最も広範囲且つ有効な攻撃法は、他の種族の追随を許さず、ともすれば古龍すら凌駕する圧倒的な咆哮だ。

 攻め立てられる片方のカバーをしようと特攻をしかけ、それを囮にもう片方がうまく大音量を放ってくる。

 こんなに精度の高い連携を成功させるなんて、尋常のことではない。

 

 顔の五分の一ほど——重要な感覚器官——を抉られてから、攻撃に復帰するまでのスパンが、モンスターにあるべき本能的な反応にあらず早いものだった。

 もしかしたら、片目を奪われて痛みに倒れるフリをしたのかもしれない。

 

 “荒鉤爪”の個体は、その代名詞である凶悪な鋭爪の一撃を実現するため、超然的な力を手に入れる代償として、竜鱗の下には似つかわしくない脆弱性を隠し持っている。

 事実、はちきれんばかりに膨らんだ青い静脈の透けて見える彼らの肉体は、ラファエラの——一撃の威力は人外のものとしても——攻撃で惨憺たる裂傷を白日の下に晒しているのだ。

 だが、人間の体は彼ら以上に脆く弱い。

 

 回復薬、持ってきてない気がする。

 銃槍の穂先を突いてなおフラつくラファエラに、隙を見て取らないほど“荒鉤爪”は甘くない。

 青い腕を赤黒く血走らせながら、『スモモちゃん』がガンガンガンガンと大地を殴りつけるように突進してくる。

 白い花びらが散った後には剥き出しの骨格が露わになり、赤い花吹雪はまき散らされる血飛沫へと姿を変えた。

 距離はまだ三十メートル以上離れている。

 隻眼となった右目に灯す殺意は、もはや砂漠の陽炎のごとく揺らいでいた。

 

 あの動きには見覚えがある。

 全身の筋肉を興奮させて、岩盤をも砕く渾身の振り下ろしで、獲物をミンチにする一撃だ。

 あまりの威力に両腕が地中へ埋まってしまい、大きく致命的な隙をさらすことになるが、今のラファエラにそこを突く余力は残っていない。

 避けるだけで精一杯だろう。

 近くの岩場に残された、およそ一週間前の滅茶苦茶になった戦闘痕を見るに、“荒鉤爪”に特徴的なこの攻撃法を繰り出そうとしていると見て良いはずだ。

 あるいは、全力の咆哮を放つための予備動作か。

 人間(ラファエラ)に対して初めての明らかな有効打であり、形成をひっくり返した咆哮でもう一度攻めようとするのは、単純ながら正しい選択だ。

 どう防ぐべきか。

 

 ラファエラの遥か後方に飛んでいった『イチゴちゃん』をチラリと確認した。

 両腕を砕かれたにも関わらず特攻の跳躍を仕掛けてきた“荒鉤爪”は、勢いをいなせずに転がって着地したために、ようやく起きあがってこちらを振り返ったところだった。

 立ち上がるので精一杯と言ったところか。

 とは言っても、『スモモちゃん』の脅威が大きすぎる。

 

 対して、ラファエラは耳を塞がれ、身体ポテンシャルが著しく減少している。

 感覚受容器官を一つ潰されると、どんな人もモンスターも厳しく戦闘能力を制限されるものだ。

 ティガレックスもラファエラも同じ条件だが、傷の治癒は彼らの方がずっと早い。

 早々に片を付けて離脱して——。

 

 ボゴッ!!

   

 それは、正確には音ではなかった。

 皮膚に、足元に伝わってきたその異質な“破砕音”は、硬く結合した物体から、乱暴に一部分を取り出した時に、岩盤が感じるような喪失感であった。

 

 『スモモちゃん』との接触には早すぎる、相手が跳躍してくるようなコンディションでないことは明らか——ということは。

 

 瞬きの間もない内の予測と反応の後、振り返ったラファエラの視界に飛び込んできたのは、自身の十倍はあろうかと言うほどの巨岩を頭上に掲げて後ろ脚で屹立したティガレックスの姿だった。

 

 顔の一部が抉られ、鱗の下から細く鮮血の噴き出しているのは、その行為が彼の体にとっての許容範囲を越えているからだろうか、それでも漲る闘志と殺意が滔々と溢れてくるかのようなその出で立ちは、さながら瀕死に追い込まれてなお暴れ続けるラージャンのよう。

 浮き出た肋骨、ギチギチに膨れた四肢の筋肉、何より自分を死の淵まで追いやったラファエラを未だ喰らうべき獲物として睨みつけるゾッとするほどの眼光。

 深手をものともしない王者の姿に、ラファエラは思い出した。

 

 “荒鍵爪”ティガレックスは、攻撃こそを最大の防御としているモンスターだ。

 その破壊力は抜群だが、反面自分のポテンシャルを凌ぐ密度の攻撃を受ければ容易く狩られる側へと転落する。

 いくら人類の最高峰に座すハンターとはいえど、ラファエラの数度の攻めで鱗は剥がれ、肉体には穴があいた。

 相手がモンスターであればなおのことだろう。

 そして、彼らは自然界に生き、生き残ってきた個体だ。

 故に、彼らは勝者であり王者であったのだ。

 

 ブオン、と重い風切り音と共に、巨大な影が太陽の光を遮った。

 彼らは、死にかけなれている。

 自然界の絶対王者たるティガレックスとしてではなく、捕食者たることに挑み続けるティガレックスとして生きてきたのだ。

 

 宙に浮いた赤茶色の岩塊、遠近感覚が狂ったかのような質量感の前に、か弱いラファエラは回避行動以外の選択肢を持たなかった。

 急速に近づいてくる大岩、かわすために身を倒すも、平衡感覚の損なわれた体はうまく動かない。

 当たる——。

 

 ガリッッ!

 

 全力の跳躍でギリギリ直撃を避けたものの、“鎧裂シリーズ(防具)”の肩が掠れてしまい、吹き飛ばされたラファエラは枯れた大地を鞠のように跳ねた。

 大岩がずうぅんと地面を殴りつけ、しばらく奇妙な沈黙を熱射が照らしていた。

 ガシャン、ガシャンと音を立てて“鬼神大銃槍ドラギガン”が地面に転がる。

 

 埃の舞う中で人形のように横たわって動かないラファエラ。

 やがて、大岩を投げた反動から立ち直った“荒鉤爪”はむくりと体を起こし、のそりのそりと慎重な足取りでラファエラへと近づいてきた。

 

 静まり返った荒野の真ん中で、二頭と一人は死闘の終幕に近づきつつあった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 捨て身の一撃の反動からいまだ動けずにいる相方を視野に入れながら、『スモモちゃん』は人をはるかに凌駕する巨躯には似合わず、さながら獲物を狩る狡猾なハンターのように、ひっそりと足音を消した接近を続ける。

 その姿は、『王者』というより『挑戦者』と称すべき、慎重さと猛りをにおわせた。

 

 銃槍の炎に焼け爛れた肉片がポタリと地面に落ちる。

 彼らの距離は十五メートル、十四、十三とだんだんに縮んでいき、やがてその距離が5メートルほどになったところで、ティガレックスは傷ついた四肢にゆっくりと力を込め始めた。

 “荒鉤爪”たるシンボルのいくつかを根元から抉り取られていたものの、残りを地面に食い込ませて、静かにゆっくりと息を吸い、

 

「ゴアアァァァァァァァァッッッ!!」

 

 渾身の裂帛が放たれるのと、ラファエラが耳を塞ぎながら飛び退くのはほぼ同時だった。

 “荒鉤爪”の咆哮のキルゾーンから離脱したものの、重い衝撃が体の内部に届いて動きが鈍ったラファエラは、なんとか愛用の銃槍に手を伸ばす。

 その隙に、ググッと姿勢を沈めたティガレックスが、体からミシリと音を立てながらラファエラへと飛びかかった。

 

 前転して凶爪をいなすラファエラ。

 埃にまみれた白髪がふわりと踊る。

 爪と突き出た骨でガリガリと地面を削り勢いを殺した“荒鉤爪”は、地面を殴りつけながら反転してラファエラへと突進を始めた。

 その勢いは死力と言うにふさわしく、猛者の進撃に地面が小さく震え、乾いた壁から小石がパラパラと落ちた。

 対して、静かに槍を引いて半身の姿勢をとったラファエラは、ティガレックスの一挙動をも見逃さない冷徹な目を離さない。

 そこにはそれまでの無意味で茫洋とした赤はなく、純然たる殺意のみがまっすぐに光っている。

 殺気を溢れさせる血走った黄金の片目と、余計なものすべてを削ぎ落として透徹した真紅の視線が交差した。

 

 血液混じりの唾液が垂れて、鋭くぎらつく牙が近づく。

 銃槍のみを左腕にとって構えるラファエラは動かない。

 群青色の鎧に包まれたその身体をボロボロの右腕が叩き伏せようとしたその瞬間、白い尾を引いてラファエラは身を翻し、それでも食らいつこうと伸びた首に、口角を狙って鋭く横振りを当てた。

 口の端を切って咆哮や噛みつきのたびにダメージを与える痛覚の強い一撃だが、ぱっと飛び散る血漿にティガレックスは微塵も怯まない。

 

 そのまま飛びずさって離れるラファエラ。

 一瞬の交叉の後、“荒鉤爪”は再び勢いを殺して反転し、ラファエラに向かって突進していく。

 減速はしない、おそらく噛みつくか、大きな体でぶつかってひき殺す算段なのだろう。

 すれ違いざまに一発撃ち込んでみよう。

 迎撃姿勢を取ったラファエラ目掛けて、“荒鉤爪”は全く速度を緩めずに突き進んで、

 

「——っ!」

 

 彼我の距離が二メートルほどになって、ティガレックスは唐突に地面を掴んだ右前脚を刹那の内に異常に肥大させた。

 極太の血管が浮き上がり、鱗がピッと跳ね飛ぶ。

 ラファエラが回避行動に入った瞬間の動きだ。

 読まれていたのだろう。

 何をしてくるか。

 

 桁外れの筋力が実現する自分への反動を省みない無理矢理な身体の動かし方は、手足の一挙動、筋肉の伸縮から行動を予見するラファエラにとって非常に厄介なものだった。

 とにかく避けるしかない。

 

 ラファエラが銃鎗を縦に構えて身体を隠したところで、張り裂けるほどに筋肉を膨張させたティガレックスは、大地に刺した右腕をブレーキにして、全身を鞭のようにしならせながら横に広がる当て身の一撃を見舞った。

 

 ドッッ!!

 

 大質量の衝突に、ラファエラの身体はいとも容易く宙に飛ばされた。

 盾代わりに使った銃鎗では衝撃を殺しきれず、一瞬意識が途切れていたラファエラは、普段モンスターからの攻撃を受け慣れていないせいで、あることに気が付くのが遅れた。

 

 もう一頭の“荒鉤爪”は、『イチゴちゃん』はどこに?

 

 平衡感覚の崩れた世界で、肌に刺さる殺気と直感で、巨岩を持ち上げ投擲する荒技でダウンしていたはずのティガレックスの存在と次の行動を読んだ。

 その蒼い爪で獲物を屠る必殺の一撃。

 このままなら、防具ごと確実に我が身を二つに切り裂くであろう、会心の一手。

 

 今まで、これまでのハンター人生で、狩りの間は絶対に離すことの無かった左手の銃槍が随分重く感じられる。

 それでも空中でしっかりと握り直し、体軸から直角に構えて、受け流しの技術のすべてを以てティガレックスの凶爪を受けた。

 

 二本しか残っていない血塗れの爪が“鬼神大銃槍ドラギガン”の銃身を滑っていく。

 それでも流しきれなかった爆発的な勢いがラファエラの身体を簡単に押して、彼女はその身を小山になった岩肌に叩きつけられた。

 

 “鎧裂シリーズ”越しに強打した背中が痛む。

 頭にぽろぽろと小石が降ってきた。

 衝撃にまた飛びそうになる意識を捕まえて、ぱっと目を開いた。

 瞬間、内臓が持ち上がるような異物感と脳をかき乱されるような不快感が襲ってきて、立ち上がることができなかった。

 地面に無様に着地したティガレックスが、妄執を感じさせる勢いで振り返り、崖の下で崩れるラファエラを視野に収めた。

 

 グラグラと揺れる視界の中、砂漠の天は高く、こうして地面に膝をついたのはいつ以来だっただろうと記憶の糸をたどった。

 そう、あの日だ。

 忘れもしない、自分に初めて殺すか殺さないか以外の選択肢を与えてくれたあの日。

 昼夜夢に見る走馬燈のような幻の光が流れていく。

 

 ふと、揺れる地面に視線を投げれば、視界の隅にこちらへと迫ってくる『イチゴちゃん』の姿を見つけた。

 殺せる。

 言葉のない歓喜が漏れ出るかのような突進、そのティガレックスの妄執の籠った接近に、ラファエラは愛おしさすら感じていた。

 普段ならその慢心ともとれる油断と隙だらけの単調な直線攻撃に三太刀は入れていただろうけど、今はそんな些末事に意識を割いている場合ではなかった。

 この瀕死のティガレックスの目にもまた、自分の姿しか映っていないのだろうとどうでもいいことを考えて、ラファエラはまた一人悦に浸った。

 

 ああ、なんていい日だろう。

 どこかで獣のなく声が聞こえた。

 遠くへ行ってしまう誰かを引き留めようとする、悲痛な叫び声。

 

 仰ぎ見れば、いつの間にか虹色の円を描いていた日暈があって、珍しいなあと思い、そんな日暈をティガレックスの体が隠した。

 それでも、ラファエラの目には燦然と輝く太陽しか見えない。

 その瞬間を待ちきれずに漏れ出した快感に押されて、そっと呟く。

 

「いいよ、来て」

 

 

 そして、赤黒く染まった青色の死が振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 大質量と速度が集中したエネルギーに大量の血が飛び散り、破裂した頭が骨と脳髄をまき散らせる。

 勝利と栄光の下を突き進んで名を成したその身も、死んでしまってはただの肉塊にしかならない。

 

 自然界の生存競争はいつだって熾烈だ、油断も隙も見せてはいけない。

 強さとたくましさと、それからずる賢さ、相手を殺すためのすべてをより多くつぎ込めた方が生き残れる。

 負けたら最後、勝者の血となり肉となるだけ。

 

 だから言ったのだ。

 狩りを始める前に、せめて何か合図をくれと。

 “荒鉤爪”、しかも連携度の高い——おそらく番の——二頭を前に、正面から油断しきって突っ込むからこういうバカを見る羽目になるのだ。

 

 

 俺が。

 

 

「し、死ぬかと思った……」

 

 脱力とともに、思わずそんな言葉が漏れた。

 そんな俺に、彼女は短く、

 

「ありがとう、ハル」

 

「それだけ!? 崖から飛び降りて“荒鉤爪”を上から一撃でぶち殺す偉業を成し遂げた俺への言葉はそれだけ!?」

 

 “真滅笛イブレスノヴァ”を握る両手がまだ震えています。

 飛び降りって、自殺するより勇気がいりますね。

 

「それよりファーラさん、あなたどうして無抵抗に攻撃受け入れようとしてるの? その手に握るガンランスは飾りか何かですか?」

 

「だってハルが助けてくれるし」

 

「わあ嬉しいな、信頼の証……」

 

 ……さて、仲間の熱いエールも受け取ったところで、死にかけのモンスターでも狩りますか!

 

 よく考えたら、今日まだ何もしてないしね!

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでクエストを達成して、ふと砂漠で日暈なんて珍しいこともあるもんだと空を仰ぎ見れば向こうに雨雲が見えて。

 ああ、これは激しく一雨きそうだ、この地域の雨季はそろそろかな、とか思って、ふと、クエスト後の大雨って単語に妙な既視感がある。

 

「……」

 

 案の定、乳首が立っている。防具の下から指を突っ込んで弄ってみる。気持ちいい。

 

「……」

 

 いい加減にしてほしいな、もう今日はお仕事って気分じゃないんだよな、そう思いつつ振り返ってみれば、岩山の向こうから元気よく走ってくる緑色の悪魔。

 

「ハル、私、しばらく動けそうにないかも」

 

 そんなことを言いながら、のんきに僕のポーチの回復薬を漁っているG級一位のハンターが一人。

 あのね、君には日常の出来事かもしれないけど、僕にしてみれば、イビルジョーなんて大ごとなんですよ。

 

 仕事しない日が一日くらいあっても怒られないよねとか思っていた自分がいました。

 泣いていいかな。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 イチゴちゃんもスモモちゃんも、最期の一瞬までハンター達を殺し生き残ることに執着していた。

 強い闘争心は、どうしてこんなにも綺麗に咲くのだろう。

 幻の花びらをかき分けて本当の姿を見せた彼らは、なんと美しく散ったことだろう。

 

 美しい花は美しく摘まれてこそ。

 

 

 

 

 

 ゾクゾク、と背筋が震え、真紅に喜悦の色が混じる。

 

「——……なーんて、ね」

 

 

 

 舞うように笛を吹く彼と、緑色の愚者。

 守られながら見つめるその背中の、なんと愛おしいことか。

 





G級のハンターは手に持つ武器どころか自分のいる環境の広範囲も自分の体の延長のように感じているのではないでしょうか

更新は続けていく所存ですが、何分書きためもなくリアルが死なない程度に忙しいので、完結するまで相当の日数を要すると思われます。
読者様には申し訳ないのですが、今しばらくお時間を下さいませ。

誤字脱字その他、ご容赦ください。


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受付嬢のお仕事

 受付嬢の朝は早い。

 

 日が昇る前に起き出して、軽くものを口にしてから身なりを整える。

 ドンドルマの街から見上げる空は薄暗い群青色で、西の城壁に座る月が、独りで寂しそうに映った。

 

 大通りを歩きながら、モミジは考える。

 龍識船からG級運用効率化の名目でナッシェとアナスタシアを下ろしたのは失敗だっただろうか。

 否、レオンハルトの目を猫の皮を被ったラファエラから分散させるのに効を奏しているのは事実だ。

 

 G級二人の後任に、龍歴院時代に見つけていた有望株を龍識船に乗せた。

 彼らの実力・実績は【星姫】【千姫】の二名と比べてやや劣るものの、こちらの期待以上に働いてくれている。

 ついこの間会ってみた限りでは、彼らのほとんどがG級昇格の申請も可能な実力にあると見えた。

 それに、龍識船の運用が安定してきた今は、限られた生態系しか知らないことの多い龍歴院のハンター達に、多くの経験を積ませる良い機会だろう。

 縄張りに侵入しないことだけ注意していれば、ギルドがマークしていて、問題も特に発生していない強力なモンスター達を刺激することも無いはずだ。

 隊長に推薦した龍歴院時代の後輩は、彼は若いが知性と機転に優れているから、その辺りのことも含めてしっかり船の舵を取ってくれるはずだ。

 

 この件でギルド内の発言力が低下することは無いはずだけれども、多少なりとも色眼鏡越しの視線を受けることには変わりない。

 万事上手くいっている時こそ、足元を救われないよう気をつけなければ。

 

 やがて、朝日が顔を覗かせる頃、ドンドルマのギルド本部に着いたモミジは、事務所——といっても、服を着替えるくらいの用途しかない部屋——で最近新しいデザインになった、帽子が特徴的な学者風の青い制服に袖を通し、クエストカウンターにいて夜の部の受付嬢と交代する。

 

「ハミル、お疲れ様」

 

「あ、おはよー……。ええとね、夜は特になんも無かったよー……。一つクエストリタイアしてきたパーティーがあったけど、特に酷い怪我もしてなかったし……」

 

 黒い半目で応答するのは、夜の部で長く仕事をしているハミルだ。

 彼女が眠そうなのは、夜間業務の疲れで眠くなるからではなく、そういう気質だからだ。

 昼間は揺すっても叩いても起きないくらいに深く寝てるし、昼夜逆転した夜もあくびばかりしている。

 昼の部はモミジを含めた十人の受付嬢が下位、上位、G級の三つのカウンターを回して担当しているが、夜は基本的にハミルともう一人だけの担当だ。

 

 昨日までの受注者の中で、クエストリタイアで夜に帰ってくるのは……。

 

「……んー、帰ってきたのは、『マルメ村の集い』が受注した、氷山のベリオロスの討伐クエストかしら?」

 

「大当たりー……。さすがだねぇ、ハンターさんたちのこと、よく見てるねぇ」

 

「あの人達には、個体差もあるけどベリオロスを狩るのは結構な挑戦だし、潔く退く判断ができたのは良かったわ。様子を聞いて、問題なければ他のHR6のパーティーに回しましょう」

 

「んふふ、その調子で今日も頑張ってねー……」

 

 手をひらひらと振りながら事務所へと去っていくハミルを見送って、モミジは今日こなすべき仕事を頭に思い浮かべた。

 受付業務を並行しながら、前日の夕方から今朝にかけて届いたギルド向けの依頼を引き継ぎ、クエスト内容、対象地域のモンスター情報、天候、生態系、報酬等々を羊皮紙にまとめてから貼り出す。

 それが終われば、緊急の用事がない限りは、モンスターの目撃情報や各狩り場の生態系実態の把握をしつつ、ドンドルマのハンター達を送り出し、迎える。

 午前中は下位のクエストカウンター、午後は狩り場から帰ってきたハンターたちへの対応、いわゆる精算業務だ。

 

 願わくば、今日も何事もない一日でありますよう。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……」

 

 笑顔でカウンター業務をこなしつつ、データを一通りまとめながら過去のものを参照して、ふぅ、と一つため息を吐いた。

 今日だけで、イビルジョーの討伐依頼が三件来ている。

 推定される適正HRも、上位が二頭、G級が一頭と、十年前であればドンドルマギルドが大騒ぎになるくらいのクエストだ。

 このひと月、イビルジョーの討伐依頼が二日に一回は届いている。

 はっきり言って、異常事態なのだ。

 

 イビルジョーだけではない。

 他のモンスター達も、十数年前に比べて、G級個体相当とされるものを含め、明らかに総数が増えている。

 当代のG級ハンターは、“英雄の槍”の面々を始め、腕のいいメンバーが揃っているため何とか回っているが、実際のところ、G級を含めたハンターランキング上位十九位までとそれ以降では、実力にかなりの隔たりがある。

 正直なところ、現在のG級ハンター達の内の一人でも欠けてしまうと、現状は一気に悪い方向に傾く。

 ハンター格付け十九位までに入っている上位ハンター達六人——正確には五人と一匹——はG級昇格圏内に入っているため、早い段階で申請を行いたいところだが、そこは本人達の意向もある。

 実状はともかく、今の状態を保つためには、危険な狩りを強いられるG級ハンターには、少しのケガも離脱も許されていないのだ。

 

 そう言うわけで、G級ハンターは連日連夜狩り場に赴いている。

 恐らく、生態系に何らかの変化があり、このような事態に至っているのだろう。

 もう少し辛抱すれば、多少環境も改善されるのではないか——。

 

 ふと近づいてくる足音に顔を上げて笑顔を作ると、仏頂面のエイドスが歩み寄ってくるところだった。

 

「お疲れ様です、総議長」

 

 うむ、と一つ頷くと、エイドスは短く、

 

「後で話がある」

 

「分かりました。では業務後に」

 

「うむ」

 

 それだけ言って、彼はスタスタと去っていった。

 強引で汚いやり方が多いが、ハンターズギルドの長老格を若くして束ねているだけあって、エイドスはこと政治的なやりとりにおいてかなりの辣腕を誇っている。

 各地の王侯貴族や海千山千の商人達を相手取ってきたからか、取引に長け、また権力も大きく、ギルドナイトの三分の一ほどは、彼の私兵と言っても過言ではない。

 一つ面倒事が増えたと、モミジは心の中でそっと呟いた。

 自分が、行き遅れと言われる年齢に差し掛かってきたといっても、老獪と呼ばれる者達に未だ及ばぬ小娘であるのは事実だ。

 彼には注意せねば。

 明日は長老会議があるから、その仕度もしないと。

 

 頭の痛いことは、他にもたくさんある。

 最近、【博愛】ロットンの素行が日に日に悪くなってきている。

 鳴り物入りでG級ハンターになった彼は、どんな危険な狩り場でも安定した討伐を成功させる一方で、モンスターに対する異常な言動や行動が見受けられると問題視されてきた。

 少し前までは、それを補ってあまりあるポテンシャルと、何よりクエスト失敗無しという経歴があったため、長老衆やギルドナイトも何も口出しをしていなかったけれども、ここ数ヶ月の間にいくつものクエストで討伐対象モンスターと必要以上の接触を試み、あまつさえ狩り場でモンスター相手に性的行為に及んだという。

 ロットンをつないでおける鎖を見つけなければ、手遅れになる可能性さえ出てきている。

 

 そんなことを考えながら、指名依頼や緊急クエストなどの受注処理をしつつ、また蓄積したデータと自身の勘から、カウンターの仕事を切り盛りしていく。

 G級のカウンターはハンターの総数の関係からそれほど忙しくないが、下位の受付ともなると、たくさんのハンターの受注処理や要望、取り留めもない世間話等々をすべて高速かつ正確かつ笑顔で裁き続けていく必要がある。

 受付嬢十三年目は伊達ではない。

 手慣れた作業をそつなくこなしていくモミジは、ふと流れた日々のことに思い至った。

 

 手ずから我が子を外つ国の船へ棄てた親の背中。

 顔も覚えていない彼らのことが一番古い記憶であるのは、当時の自分がそれを衝撃的なこととして受け止めたからだろう。

 しばらく流されるような旅をして、二人の腕のいいハンター達が、ボロ雑巾みたいな自分を拾ってくれた。

 家事がてんでダメだった二人の身の回りを見てきたからだろうか、人の狩猟の腕だとかコンディションだとかいったものが、何となく見えるようになった。

 飽きることもなく狩りに出る二人を見て我慢できず、自分もハンターになりたいと反対を押し切って乗り込んだ訓練所。

 誰もが夢しか目に入らず、元気を通り越して生き急いでいて、同期にはレオンハルトやラファエラをはじめ、輝かしい功績と名声を誇るトップハンターがいる一方で、多くが狩り場で消息を絶ち、モンスターの餌食となり、または復帰不能のケガをして引退を余儀なくされた。

 訓練所でのケガで夢を絶たれた者もいる。

 無意識に自分に限ってはそのようなことにならないと、彼らに同情していた私もその一人になった。

 今でも覚えている。

 腕を伝う血に、地面に落ちた刃の欠片、飢えた生臭い吐息、体が芯から冷えていくような絶望感の前に躍り出た、泥だらけの鈍い刃。

 瞼の裏にこびりついたその瞬間が忘れられなくて、意地でも狩猟業界にしがみつこうと志した受付嬢の道。

 わき目も振らず仕事に打ち込み、よそ見も出来ずに走り続けて、気づけば二十代を折り返す立派な行き遅れになっていた。

 

 育ての親は結婚に執着しない人たちだから特に何も言わないけれど、彼といつまでも今の関係でいられるわけではないのは明らかだ。

 自分よりも若く魅力的な同業者の異性がいる。

 ハンター達からの好意的ながら少々不躾な視線を受け、まだ自分は魅力のある女性として見られていると、後ろ向きな安心を得た。

 

 あの夜以降、彼と私の間にあった、あるいはお互いがそれぞれ勝手に作り合っていた壁のようなものが消えたような気がする。

 まさに若さ故の焦りが生んだ過ちから何年も経って、ようやく一歩前に進めた気がするのだ。

 それでも後ろめたさを感じて怖じ気づく自分がいるのは、きっと自分に自信がないからだ。

 私がハンターでないからだ。

 

 

 

 

 

 彼らは予定通り、五体満足で帰ってきた。

 狩り場での敗者となった“荒鉤爪”の、規定量分だけの鱗や爪を載せた荷台に、イビルジョー一頭分の尻尾を載せて。

 ……またイビルジョーの乱入があったのだろうか?

 デデ砂漠の方ではイビルジョーの確認はなかったはずである。

 

 近年のイビルジョーの出没報告は、異様な増加傾向を見せている。

 イビルジョー専門のハンターと【暴嵐】の名と栄誉が確固たるものとなった十年前、彼はイビルジョー討伐六十頭という数字を持っていた。それは、史上またとない快挙であると共に、この十年で討伐数は五倍の三百頭を越え、その超人的な、現実味の欠けた記録は今も本人が更新し続けている。

 本来、イビルジョーはこれほど棲息個体が見つかるような繁殖力はないとされていたはずだ。

 イビルジョーは、私が生まれる前ならば、発見されるだけで大騒ぎになるようなモンスターであったのに。

 

 【暴嵐】率いるハンター達がいなければ、イビルジョーの討伐経験が二十頭を越える狩人はレオンハルトただ一人だ。

 イビルジョーというモンスターの凶暴性、危険性というのは、初めて遭遇するハンターにはかなりの脅威となる。

 彼らがいなければ、今のギルドにはイビルジョーに対応することができないだろう。

 いかなG級ハンターと言えども、イビルジョーとの連戦に耐えうる者は本当にごく一部なのだ。

 

 最近は運悪くイビルジョーと出会ったハンターがハンターとしての、または人としての生命を絶たれるというような件が数多く報告されるようになった。

 それは、ハンターズギルドの情報網を以てしても把握が追いつかないほどに、モンスターが人と接触することが増えているということを意味する。

 それはやはり、イビルジョーに限ったことではないのだが。

 

 レオンハルトが回収してきた狩り場での遺品——今回の“荒鉤爪”による死者は、ハンターだけで八人に上る——を預かり、剥ぎ取られたティガレックスの身体を素材に加工する手続きをしていると、レオンハルトが泣きついてきた。

 

「モミジさん! ファーラが全身何ヶ所も骨折れてんのに狩りに行くって言って聞かないんだ! 何とか言い聞かせてくれ!」

 

「……本人は何と?」

 

 モミジの問いかけに、レオンハルトの後ろから現れたラファエラが、G級の通常討伐依頼書を片手に淡々と報告した。

 

「大丈夫、もう治った」

 

「こんがり肉とお昼寝一時間だけで治るわけないでしょうが!」

 

「あなたがそれを言うんですか?」

 

「いやそれはモミジさんが無理矢理俺を改ぞ」

 

「なんです?」

 

「いえナニモ?」 

 

「本人が大丈夫って言ってるなら大丈夫でしょう」

 

「いや!? そういう問題じゃないと思うけど!?」

 

「あ、ちょうどここにG級イビルジョーの討伐クエストが」

 

「ちょっと待てぇぇ!

 ボク、モミジさんが腕の骨を折ったハンターさんに三週間の休養とリハビリを笑顔で強要してたの知ってますからね!?」

 

「少なくとも貴方じゃありませんね。だいたい、ほとんどのケガを一日寝て治すような人が何をごねているんですか。騒いでないでさっさと次のクエストに行きなさい」

 

「……ぐすん」

 

「冗談ですよ。ファーラは今日はもうお休みです」

 

「えー、じゃー休む」

 

「ほんと、パーティーリーダーの僕の言うことは聞いてくれないのに、モミジさんの言うことはよく聞くのね……」

 

「さあ、レオンさん、お仕事ですよ。イビルジョー、お好きでしょ?」

 

「え、あ、それ俺? 」

 

「ええ。ファーラを行かせたくないのでしょう?」

 

「いや、でも、俺ちょっと帰りにイビルジョー一匹狩ってきたばっかだし」

 

「そうみたいですね。お疲れ様でした。ちなみに、どれくらいの強さの個体でした?」

 

「そりゃあもちろんメチャクチャでっかくて悪魔みたいに強くて、もうワタクシ、身も心もボロボロでして」

 

「そうなんですか。それで、どれくらいの強さでした?」

 

「いや、だから」

 

「ええ」

 

「……下位の、ラギアクルスくらい?」

 

「そうですか、では次のイビルジョークエストの受注を許可しますね」

 

「ひぇぇぇ……許可って哲学的な言葉だなぁ……」

 

 泣き言を言う彼に、モミジはクスクスと笑って言った。

 

「冗談です。お疲れ様でした」

 

 

 

 彼がハンターであり、私が受付嬢であるならば、私は受付嬢としての仕事を全うしなければならない。

 そんなことを思いながらエイドスを訪ねたモミジが聞いたのは、古龍があちこちで活発化しているという話だった。

 

「フラヒヤ山脈では古龍級モンスターの崩龍ウカムルバスが目覚め、付近の村々を襲撃したが、ヒヒガネとオウカの二名によって事なきを得たそうだ。再び彼らによって撃退されたウカムルバスは山奥へ逃げ、現在二人はこちらに帰還中、今夜にはドンドルマに到着する。

 それに関しては解決ということで、後日調査団を派遣する。手配を頼む」

 

「分かりました」

 

 頷きながら、モミジはある違和感に目を細めていた。

 “崩龍ウカムルバス”は、ヒヒガネによって十年前に撃退され、深手を負って永い眠りについていたはずだ。

 抗いようのない自然災害に対抗するために人類が蓄えてきた伝承に基づいて考えれば、むこう百年ほどはウカムルバスの逆鱗が人里に降ってくることはないはずだとされていた。

 分類上は飛龍とされる崩龍だが、その脅威は並の古龍を凌駕する。

 本当に、古龍が活発化しているのか。

 ただそれだけのことなのか。原因は……?

 

「問題は、ガル・ガ殿から送られてきた、ラオシャンロンの進路変更の報告と、龍歴院の管轄下で報告が上がった天彗龍バルファルクだ。

 ラオシャンロンはまだいい。ヤツは、性懲りもなくドンドルマの方へ歩いて来ているが、ドンドルマギルドにはラオシャンロンへの対応ノウハウが蓄積されている。途中で通過するシュレイド城で迎撃する予定だ。手筈はオイラーに整えさせる。

 だが、バルファルクは違う。ハンターズギルド創設以来、生態についての調査どころか、観測経歴すらない未知の古龍だ」

 

 両手を組んで机に肘を突き、険しい顔つきで話すエイドスには、G級会議の時の苦労人然とした様子はなく、細められた目の奥にはぎらついた光が宿っている。

 

「龍歴院のハンターの、未確認生態モンスターに対する対応力は高く評価しているが、今回ばかりは彼らにも荷が重かろう。伝承が正しければ、相手は災厄級の古龍ということになる。G級ハンターの派遣を検討している。【灰刃】を送って以降、態度を軟化させている奴らに、また恩を売ることが出来る。

 何より……」

 

 一呼吸おいて、エイドスは格子窓の外をじっと見つめ、言葉を絞り出した。

 

「何より、ここでバルファルクを討ち果たすことが出来れば、人類は災厄に打ち勝ち超越する力を得た、何よりの証明になる。ずっと竜に支配されてきたこの空を奪うのだ。

 この大空は、ついに人類のものだ」

 

 古来、人はモンスターと言う名の外敵によって常に生存領域を浸食され続けていた。

 草食モンスターであっても、怒りを買えば集落一つ潰すのは造作もない。ましてや、肉食モンスターともなれば、人間はよく逃げる美味い餌に過ぎなかった。

 古龍が姿を現せば、もうひとたまりもない。

 どんなに知恵を絞っても、彼らに対抗する手段を人は持たず、ただ自然の無慈悲のなすがままに流され、翻弄されてきた。

 

 その状況は、ここ数十年で一気に覆った。

 ココット村の英雄による黒龍討伐に始まり、ヒヒガネの覇竜・崩龍撃退、ラファエラが果たした伝説的な古龍大量討伐、レオンハルトの“煉黒龍グラン・ミラオス”単騎討伐など、伝承にある「災厄」が次々と人の手によって打ち破られた。

 自然の力の具現たる古龍を倒した後の人類の手に握られたのは、燦然と輝く自由だ。

 人類の悲願であった黒龍討伐が成し遂げられたことにより、シュレイド地方の安寧と発展が保証され、黒龍が姿を消したことにより動き始めた各地の古龍が一掃されたことで、これまで考えられなかったほどの地上の広範囲が人類の手に渡り、グラン・ミラオスの討伐はタンジア港近海の生態系を安定させた。

 

 残るは、翼を持つ者達が統べる空のみ。

 

 独白と形容すべき話を終えて、エイドスはモミジに改めて切り出した。

 

「これは先ほど龍歴院に御遊覧中の大臣から入ってきた情報だ、君は知らないだろう? 君が手塩を掛けていた龍歴船の調査隊が、バルファルクの領域の空を侵して奴を刺激し、かの災厄が地上に降り注ごうとしているのだ。これは、ギルド側の責任者である君の咎でもある」

 

 その言葉に、モミジはかすかに目を細めて、

 

「……はい」

 

 と答えた。

 まさか、あの子がそのようなミスをするとは。

 ミスというよりは事故に近いが、これは手痛い誤算だった。 

 

「しかしまた、『赤い彗星』の正体を暴いたことには違いないし、バルファルクを人類の手の届く範囲にまでおびき寄せたことは大きな功績だ。龍歴船の調査隊にはバルファルクの件から手を引かせるよう通達を出せ。これは君が方を付けろ」

 

「分かりました」

 

「ヤツはかなり標高の高い場所に住処を置いているらしい。現状最善の古龍殺しのハンターたちを選んでバルファルク討伐に向かわせるんだ。今は誰が使える?」

 

「……英雄の槍は【千姫】、【星姫】の両名が、現地でトラブルに巻き込まれたようでまだ帰還していません。【灰刃】、【剛槍】、【城塞】、【眈謀】の四名を向かわせます。古文書にある災厄が王都やドンドルマを直撃すれば、大変なことになります。船を飛ばせば、バルファルクに攻撃される危険性がありますから、接近から討伐の計画についての一切は【眈謀】に一任します」

 

「うむ。彼女ならば安心だ。彼らをしっかり動かせよ」

 

 そう言って、さも万事滞りなく過ぎ去ったかのような満足げな顔をしたエイドスは、ふと今思い出したという風に問いかけた。

 

「ところで、君、【白姫】の制御はできているのか?」

 

 その質問の意図が分からず、モミジは正直に答えておくことにした。

 エイドスに隙を見せてはならないが、不必要な隠し事をして切り捨てられるようなことがあれば、危うくなるのは自分の立場だ。

 

「ええ、【灰刃】ありきではありますが、【白姫】の制御は彼を通せば至極単純です。彼らのパーティーは、共依存と言って良い状態にあります。彼がいなくならない限り安泰でしょう」

 

「はは、そうか。君もなかなか悪い」

 

 エイドスはそう言うと、モミジに顔を寄せるように前のめりになって、小声で、

 

「【灰刃】自身はどうなんだ?」

 

 と聞いた。

 どう、とは、なるほど、彼は人の力を恐れているのだ。

 エイドスは根っからの人類主義者であると同時に、モンスターの恐ろしさ、人間の恐ろしさというものをそれぞれ熟知し弁えている。

 エイドスの関心は、人格的にやや問題のあるG級ハンター達の鋭い刃が自分達に向かないか、そこにあるのだ。

 レオンハルトのような優しいヘタレが、どうしてエイドスの恐れるようなことをするだろうか。

 モミジは少しムッとして答えた。

 

「何も問題ありません。対人戦に慣れていませんし、そもそも彼はこちら側の人間です。レオンハルトさんがハンターズギルドを裏切ることはありませんし、英雄の槍は彼が手綱を握っています。貴方が心配するようなことはありません」

 

「はは、そうかそうか」

 

 モミジの返答を聞いて、鷹揚に頷いたエイドスは、どこか含みのある笑みを湛えて、

 

「君の目は信頼している。これからも……いや」

 

 少し言葉を切って、こう言った。

 

「君に良い縁談が来ているんだ」

 

 




新作出る前に完結をと思ってましたが無理でした……_(∅p∅_)


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