進撃の狂戦士 (パイマン)
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奴らは獲物、我らは狩人

注意! 展開が進むに連れて、原作漫画の伏線や展開などに関わる非常に重要なネタバレがあります。
なので、原作既読を強く推奨します。
原作未読の方は自己責任で読んでください。


 ――まずは自己紹介といこう。

 私の名前は『クラリス・ハンニバル』 しがない一兵士である。

 私は、自分が『異世界からの転生者』であることを知っている。

 

 私がその感覚を違和感として自覚するのには幾らかの時間が必要だった。

 周囲の人間の服装、生活風景、環境などを見ていて、私は常に『古臭い』と感じ続けていた。

 何を以って『新しい』と感じるのか、その基準を知らぬままである。

 

 ――井戸から水を汲み上げる時に私は不便だと感じた。

 ――石造りの家々をボロイと感じた。

 ――どんな料理を食べても、美味い不味いと感じる以前に『これは食べたことの無い味だ』といった新鮮さがあった。

 

 私は、幼い子供の時分から既に、どんな体験を下地にしているのかも分からない、この世界の『馴染みの無さ』を感じ続けていた。

 物心がつくと共に、自然と身に着けていく『常識』と、私が根底に抱いている『常識』には大きなズレがある。

 

 何より決定的だったのは『私達人間が巨大な壁によって守られながら生きている』という、この世界観そのものだった。

 

 人類は巨大な壁によって守られている。

 広大な大地を覆い尽くす、人智を超えた巨壁の内側で、外敵を阻みながら生活している。

 この領域以外に、人間の生息する場所は無い。

 人類は大地の支配者などではない。

 人間の世界は海に隔てられた数々の大陸ではなく、この巨大な壁の内側だけなのだ。

 世界は丸くは無く、平坦である。今いる場所の裏側に同じ人類は住んではいない。

 空を飛ぶのは鳥だけである。人は空はおろか、海さえ渡れない。

 ましてや『宇宙』という言葉は、その概念すら存在していないのだ。

 誰もが当たり前に知っている、誰もが当たり前に知らない――この世の常識を受け入れた時、私は自分の中の違和感を理解した。

 私の中には、全く異なる世界の観念が存在する。

 子供である私が、到底持ち得るはずの無い知識や概念。それらは体の成長が進み、世の中を知るごとにより明確に形を『取り戻して』いった。

 そして、今ならばもはやはっきりと分かる。

 理解し、自覚出来る。

 私の『前世』なるものは、この世界とは別の世界だった頃のものである。

 成長して、言葉や事象を知れば知るほど、形が曖昧だった前世の世界の知識も具体的にものとして理解出来るようになっていった。

 

 ――井戸が不便なのは、私が水道を知っているからである。

 ――コンクリートすらない建築素材を古く感じるのは当然である。

 ――発達してない調理方法や器具に加えて、主な調味料といえば塩程度だ。

 

 幸いなことに、成長に伴ってそれらの違いをより明確に理解すると同時に、感覚では慣れていった。

 なんだかんだで私はこの世界に生きる一人の人間である。

 住めば都――このことわざさえ存在しないが、とにかく人は適応する生き物である。

 当たり前のことを当たり前として受け入れ、日々こなし、生きていくことが出来た。

 前世の知識によって受ける、この世界での生活の弊害は、歳を経るごとに解消されていった。

 知恵遅れだの、意味不明なことを口走るキチガイだのと大人から敬遠され、同世代の子供から爪弾きにされることもなくなった。

 私は、この世界でこの世界の人間として生きていく。

 ……のは、いいのだが。

 ただ一つ。物心ついて、この世界を知れば知るだけ受け入れ難い事実がある。

 これもやはり、当たり前のこととして周囲の常識となっていることだ。

 

 ――世界は、巨人によって支配されている。

 

 先の述べた『人類が壁に守られながら生きている』という内容は、つまりこの巨人という外敵から守られているということなのだ。

 巨人は強力であり、人間を襲う。

 奴らは約百年前に人類の大半を食い尽くした。

 現在、人類が壁の内側で暮らしているのは、巨人に追い立てられた結果なのだ。

 私の前世の知識には、巨人が世界を支配しているなどという項目は存在しない。

 おそらく、これが私の前世の世界とこの世界との一番の違いなのだろう。

 私が単純な転生者ではなく、『異世界からの転生者』と自覚した理由がそこにある。

 ここは異世界だ。

 間違いない。

 

 

 

 ……っていうか、前振り長いけど、つまりここって『進撃の巨人』の世界じゃねぇかぁぁぁーーーっ!!!

 

 

 

 前世の知識にあった、かつての世界では漫画――フィクション――の中にあった世界観を理解した時、私は思わず絶叫していた。

 漫画の世界に転生した、という点に関してはこの際流そう。

 そこまでに至る過程は全く覚えていないし、理解も出来ないが、そもそも転生という概念の時点で人智を超えるものだ。

 私がこの世界で実際に生きており、そしていずれ死ぬだろうということは日々の生活が実感させてくれている。

 ただ、納得がいかないのは、何故にこんな危険な世界に転生したのかという点だ。

 いや、どんな理由や原因であっても、知ったところで納得なんぞ出来はしないが。

 もし、二次創作でありがちな無意味に軽い性格の自称『神』とやらがこれをやったというのなら、そいつが目の前に現れ次第私は殴る。いや、絞め殺す。

 だって、あの漫画だよ?

 人気のあった漫画だけど、その人気が何処から来てたか分かってんの?

 キャッチコピーの一つを上げてやろうか。『手足をもがれ、餌と成り果てようと、人類は巨人に挑む!!』だよ!

 文字通り、本当に手足をもがれる展開も珍しくない漫画だった。

 登場キャラ死にまくり。急展開ありまくり。その緊張感が人気の一因だったのだ。

 今でこそ、私の周りは平穏な日々が続いており、誰もが『壁に守られている』という安心感を持って生きている。

 そこに巨人という外敵への危機感はほとんど存在しない。

 しかし、私は知っているのだ。

 その平穏が、いずれ破られるということを。

 巨人が壁を破壊して、人類を再び蹂躙するということを知っている。

 絶望まみれの未来予知だ。杞憂であり、外れることを期待したい。

 だが、楽観など到底出来ない。

 ――唯一の希望は、漫画の展開とはいえ、巨人への反撃の糸口が存在するということだろうか。

 絶望的な世界だが、まだまだ足掻くだけの余地はある。

 私は、日々の平穏がこのまま続かないことを知っている。

 知っているからこそ、行動する。

 未来に絶望があるから恐れ、希望があるから諦めないのだ。

 座して待つことだけは到底出来ない。

 ……とはいえ、私に取れる選択は限られていた。

 原作知識無双して、私がこの世界の救世主となる! ――といった無謀な考えは、身の程を知る以前から存在しない。

 それは私の知る『進撃の巨人』への知識の限界が一番の理由だった。

 この漫画が人気の理由は幾つかあるが、その内のひとつが『多くの謎』である。

 私の知る限り、漫画の中の設定や張られた伏線は幾つか解明されているが、それ以上に増え続ける謎が先の読めない展開を生み出していた。

 例えば『漫画やアニメの世界に転生して、前世の知識でその世界の危機的状況を事前に読み、切り抜ける』といった行動は、割とありふれたものである。

 漫画の展開を未来予知として利用できるアドバンテージはかなりの有利だ。

 しかし、勘違いしてはいけない。

 二次創作でよく見られるこれらの物語の流れは、決して主人公の能力だけによるものではないのだ。

 原作のキャラ達が体を張って判明した情報を、モニター越しに受け取り、客観的な立場でいられる余裕の中で解析することが出来たからこそ得たアドバンテージなのである。

 そして、この『進撃の巨人』の世界にはそんなものは存在しない。

 何故なら、かの漫画は私の知る限り絶賛連載中であり、多くの謎が残され、新しい伏線も次々生まれていたからだ。

 漫画の展開とは意表を突くものである。

 その謎や伏線を、果たして予備知識も全くない状態で、現実として直面しながら先読みすることなど出来るだろうか?

 ……無理だッ! 少なくとも、私は無理!

 この世界の何が怖いって、そういった見通しの無さが一番怖いのである。

 ホント、緊張感半端無い。原作知識とかあんまり役に立たない。

 今日にでも壁が破壊されて、巨人が雪崩れ込んでくる展開が起こるのではないかと、一時期ビクビクしていたものだ。っていうか、今でもそうだ。ずっと緊張感が抜けない。

 故に、私に出来ることなど本当に限られている。

 反撃の糸口となるであろう、巨人の謎や本格的な対処などは、いずれ現れるだろう漫画の主人公やメインキャラに任せる他ない。

 私に出来るのは、予想され得る窮地に可能な限り対応することだけである。

 具体的には、巨人を殺す。

 死なない為に殺す。

 少しでも未来の展開に有利になるように殺す。

 絶対上位の敵キャラとして登場する他の巨人に対抗する為に殺しまくって、慣れる。

 多分、将来役に立つはずだから、それを繰り返し、経験を積み重ねておく。

 そんな脳筋じみた答えを導き出した結果、私は兵士となることを選んだのだった。

 

 

 改めて、今一度自己紹介しよう。

 私の名前は『クラリス・ハンニバル』 しがない一兵士である。

 物心つく前に両親を病気で失くし、貧困の子供時代を生き抜き、唐突に訓練兵団へ入ることを決意した。

 以来、私は巨人を殺し続ける日々を送っている。

 最後まで聞いてくれて、ありがとう。

 現在の立場に至る経緯と、その行動の発端となる原因は以上である――。

 

 

 

《現在公開できる情報》――主人公の『現在の』性別は女。前世は不明。

 

 

 

 ――人類の双璧。

 人類の活動領域を守る壁にちなみ、そう呼ばれる二人の兵士がいた。

 

「来たぞ! 調査兵団の主力部隊だ!」

 

 街道に人々の声がこだまする。

 それは巨人の襲来に怯え続ける人類にとって滅多に無い、力強さを秘めた声――歓声だった。

 人々の視線の先を、その希望の象徴が進んでいく。

 

「エルヴィン団長!! 巨人共を蹴散らしてください!」

 

 特に祭り上げられているのは、やはり兵団の中でも突出した英雄性のある者達だった。

 一般の人々は、誰もが分かりやすい外見や雰囲気、肩書きに注視する。

 戦歴、容姿、カリスマ性、そして戦闘力――。

 

「オイ……見ろ!」

「人類最強の兵士『リヴァイ兵士長』だ! 一人で一個旅団並みの戦闘力があるってよ!!」

 

 何処からそういった比較データを持ち出したものか、同じ兵団の訓練生である少年が声高に叫ぶと、それに呼応するように歓声が強まった。

 誰もが憧れと、期待を込めて声を張り上げる。

 絶望的な戦力差があり、恐怖の対象でしかない巨人を逆に駆逐する絶大なる刃――人々にとって、希望の形とはまさにそれだった。

 当の本人は表に出さずに面倒臭そうな様子だったが、その憮然とした表情も周囲の人々は好意的に解釈した。

 人類の双璧――その一方は、まさに彼、リヴァイのことを指している。

 そして――。

 

「ああ、すげえ……本物だ」

 

 リヴァイを称えた訓練兵の少年が、興奮を押し殺して声を洩らした。

 その兵士が視界に入った瞬間、歓声が僅かに収まった。

 そこにあるのは尊敬よりも畏怖の念。

 強力な刃は、見るものに頼もしさと同時に恐れという重圧も与える。

 

「あれが――ハンニバル分隊長。もう一人の人類『最凶』か!」

 

 誰かの言葉を皮切りに、抑えられていた興奮が限界を超え、静まり始めていた歓声はより大きさを増して爆発した。

 視線の先にいる、たった一人の兵士への尊敬、畏怖、信奉、期待――全てを込めて人々は熱狂する。

 人類の双璧と称えられる、リヴァイと並ぶもう一方の生ける伝説。

 その名前を『クラリス・ハンニバル』といった。

 

「……女の人だったんだ」

「おい、アルミン! 何失礼なこと言ってんだ!?」

「いや、だって……ハンニバル分隊長って言ったら、巨人討伐数100を超える『狂戦士』だよ。噂だけ聞いてたら、屈強な男だって想像しちゃうじゃないか」

「あんな綺麗な人を『狂戦士』なんて呼ぶんじゃねえっ!!」

「エ……エレン、声が大きいって……っ!」

 

 街道の真ん中を進む兵団に、訓練兵の少年二人のやりとりは聞こえていた。

 人々の歓声は雑多に交じり合い、それにいちいち反応するような初心な兵士はベテランの調査兵団にはいない。

 しかし、エレンと呼ばれた少年の声に反応して、クラリス当人が不意に視線を向けた。

 

「あ……」

 

 二人同時に息を呑む。

 歴戦にして伝説の兵士が、こちらを見た。

 遠巻きとはいえ、正面から向き合う形になった訓練兵二人がその時抱いた印象は、互いにまた違うものだった。

 馬に騎乗したクラリスは、当然見上げる位置にいる。

 しかし、それを差し引いても女性として長身の部類に入るだろう体格だ。服の上からでも鍛え込まれた体が分かる。

 第一印象として、まず『女性』ではなく『兵士』という認識が先に来る人物であった。

 艶のある黒髪を、一房の短い三つ編みにした髪型だけがほのかな女性らしさを感じさせていた。

 腰つきや胸など、女性らしい特徴的なラインは最低限しか目を惹かない。

 最初に彼女を見た時、何よりも一点がまず目に付くからだ。

 ――クラリスの顔には、口元から左頬にかけて裂けるような傷が刻まれていた。

 

(酷い傷だ……)

 

 アルミンは、ただ純粋に痛ましさを感じた。

 傷というよりも、もはや欠損と表現出来るほど醜い傷痕に対して、まず最初に嫌悪感でなく悲しみや同情を抱く彼の感性には優しさがあった。

 しかし一方で、隣のエレンは全く違った感想を抱いていた。

 

「……綺麗だなぁ」

「へぇっ!?」

「あ……っ、いや! なんでもねえよ!」

 

 アルミンが上げた間の抜けた声を聞いて、エレンは顔を赤くしながら誤魔化した。

 友人の様々な意味で意外な感想に、眼を白黒させながらも、アルミンは気付く。

 傍らのもう一人の友人であり、同じ訓練兵の少女であるミカサの眼つきが物凄いことになっていることを。

 

「あ、あのね、エレン……」

「あっ!」

 

 慌てた様子のアルミンを無視して、エレンが思わず声を上げる。

 彼の呟きが聞こえたのか、歩みは止めずに立ち去りながらも、視線を離す間際にクラリスは軽く手を振ったのだ。

 そして、エレンは確かに見た。

 彼女が、自分に小さく笑いかけたのを。

 

「……おい、見たか? アルミン、見たか!? あの人、今笑ったよな!? 俺に向かって笑い掛けたよな!!」

「いや、よく分からなかったけど……とりあえずさ」

「俺なんかを目に掛けてくれたんだぜ! やっべぇ、すげえ感動だ! 俺、あのハンニバル分隊長の笑顔を見ちゃったんだ!」

「とりあえずさ、エレン!」

「あぁ、なんだよ?」

「……ミカサが物凄い顔付きになってるから落ち着いて」

「あれ? 本当だ。どうしたんだ、ミカサ。そんな人殺しそうな顔して」

「……」

 

 エレン・イェーガー訓練兵。

 彼は正規の兵士に採用されて再びクラリス・ハンニバル本人と対面するまで、仲間内でこの時の体験を事あるごとに自慢するようになる――。

 

 

 

《現在公開できる情報》――主人公は特殊な能力を持たないが、身体能力においてこの世界の人間の規格を超えている。

 

 

 

「――ファンサービスとはらしくねぇな、クラリス」

 

 いつの間にかリヴァイが私の隣に並んで馬を歩かせていた。

 どうやら、原作の主人公であるエレンを見つけた興奮から、思わず手を振ってしまったのを見られていたらしい。

 潔癖症なのは知ってるけど、そこまで目敏くならんでもいいのに。

 いや、しかし。この世界にも馴染んで、最大の脅威である巨人との死闘を何度も繰り広げ、すっかりスレてしまったと思った自分にこんなミーハーな感情が残っていたとは驚きだ。

 エレンの他にミカサとアルミンという『進撃の巨人』のメインキャラとも言える三人を偶然見つけた時に私が感じたものは、純粋な喜びと興味だった。

 私は照れ隠しであることを悟られないように、表面上は平静を装いながら、リヴァイを先へ促した。

 

「隊列が乱れる」

「……ふん」

 

 リヴァイは不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、黙って元の位置へ戻っていった。

 まあ、神経質そうな仏頂面なのは普段からなのだが、今回は本当に不機嫌だったみたいね。

 それもこれも私が言葉少ないからだろう。

 私の顔には、巨人との戦いで立体機動中に頬を擦って負傷してしまった痕がある。

 これのせいで、私は普段から自然とあまり喋らないようになってしまっていた。

 表面だけの傷なので、滑舌に影響は無いのだが、口を動かすと当然傷の見え方も変化して目立つのだ。

 これが仲間内では非常に評判が悪い。

 目立つっつーか、要するに動く様が気味悪いらしい。私が女であるせいか、異性からはより痛々しく見えると気も遣われてしまう。

 私個人としては生活に支障は無いし、見た目に関してはトリコのゼブラみたいでむしろカッコいいとすら思っていのだが……。

 とにかく、この傷が原因で顔付きが恐ろしげに見え、どうも私は『冷徹にして寡黙な狂戦士』とか評されているらしい。

 余計なことを考えず、とにかく巨人をぶっ殺しまくる――この行動指針に従って、調査兵団に入ってから行動し続けた結果でもあった。

 気が付けば、こうして原作でも最強キャラであるリヴァイ兵士長と肩を並べている現状である。

 正直、気後れしてしまうような状況だ。

 いや、人類に逃げ場が無い以上、この立場から逃げようなんて考えは毛頭ないんだけどね。

 他の転生系主人公みたいに、事なかれ主義でメインキャラから遠ざかったり、目立たない努力したりする余地なんて無いんだから。

 それでも、なんつーか……過分だろ、今の立場は。私の器的に考えて。

 いつの間にか『人類の双璧』とかリヴァイ兵士長と同格に扱われてるし、否が応にもこれから始まるだろう『進撃の巨人』のストーリーのメインを突っ走らざるを得ない立場である。単純な一戦力として。

 

 ――既に、全ての『始まり』は終わっている。五年前に、三重の壁の内一枚が破られた。

 

 私達がこれから向かう先は、たった五年前まで人類の領域であった、そして今は巨人の支配地となった場所だ。

 目的は街の奪還。つまり、巨人の駆逐だ。

 致死率の高い任務に、周囲の兵士達の多くは緊張と恐怖に顔を強張らせている。

 誰もが恐ろしいのだ。

 それは、私も例外ではない。

 今回の任務に限らず、巨人の領域で活動する調査兵団に入って以来、私は幾度と無く戦った。

 そうして生き残った結果が数多くの巨人討伐数なのだが、だからといって戦いに慣れることは無い。

 ましてや、慢心や楽観など欠片も抱くはずがない。

 私は、いずれ壁を破った超大型巨人や鎧の巨人などの更に強い敵とも戦うはめになると知っているからだ。

 こんな普通の巨人を何百匹殺したところで、何の安心も得られない。

 常に緊張感は消えないのだった。

 ……と、まあ。これが世間から『恐れを知らぬ勇猛果敢な兵士』と称えられている女の実態ですよ。

 うん、やっぱ私の器じゃないよ。リヴァイと並べられるような評価とか。

 任務の前に毎度の如く自分を顧みて、決まって憂鬱になりながらも、私達調査兵団は門を潜った。

 シンキングタイムは終了である。

 ここから先は、文字通りの地獄だ。

 何処から巨人の襲撃があるかも分からない。そして、その死地へ自ら踏み込んでいかなければならない。

 

「各分隊に分かれろ」

 

 目標となる最初の市街地を視界に納め、リヴァイが指示を出した。

 視線が私の方を向く。

 

「切り込め、ハンニバル」

「了解」

 

 ――可能な限り巨人との戦闘は避ける。

 調査兵団が壁外調査を行う上での行動方針がこれであるから、リヴァイの指示がどれだけ残酷か誰もが分かっているだろう。

 しかし、これが無謀な命令ではなく、私とその部隊への信頼であることも理解している。

 これが私の任されている部隊の『特性』だからだ。

 

「各員、準備は完了しました。よろしいですか、分隊長」

 

 私の補佐をする部下の一人が尋ねてくる。

 振り返って顔を見るが、雑多に記憶に残っている名前と顔が一致しない。新しく編入された兵士のようだ。

 消耗率が激しすぎて、部下が次々と入れ替わる。

 酷なようだが、それらをいちいち最初から覚えていては苦労するし、私の精神衛生上もよろしくない。

 目の前の部下も、今回の任務が終わっても生き残っていたら改めて名前を覚えるとしよう。

 私はいつものように、実戦の恐怖と緊張感を消す為に、記憶の中からある人物像を引っ張り出して、それを顔に貼り付けた。

 

「よろしい?」

 

 私は、脳内に思い浮かべた人物に倣ってわざと訊き返す。

 

「よろしくないわけでもあるのか? 命令は出ている。我々は兵士なのだ。断然攻撃あるのみだ。粉砕してやる」

 

 凄む相手を間違えているんじゃないのって感じに、私はほとんど漫画から丸パクリした台詞を部下にぶつけた。

 しかし、巨人という常軌を逸した敵との戦いに際して、こちらもまた戦闘の狂気によって体を突き動かすのは効果的なはずだ。

 それは、長年この方法で戦いを切り抜けてきた私が一番実感している。

 普段の無口なキャラとのギャップが酷すぎると周りから不審に思われてるだろうとは思うが、私は自重しなかった。いや、出来なかった。

 脳裏に浮かべる人物像を『演じる』ことに没頭した私は、息を呑む部下の様子を無視して、既に人格を切り替えている。

 

「総員、突撃にぃ、移れェッ!」

 

 先頭を走る私に従って、分隊が鬨の声を上げて突撃を始めた。

 巨人と戦う際に最もネックとなる恐怖を、私の扇動する狂気によって塗り潰している。

 先にも述べたが、私は自分の立場が器に合っていないと自覚している。

 一兵士として単純に巨人を殺し回るだけの方が気楽でいい。しかし、現実として偉くなってしまった私は部下を率いなくてはならない。

 具体的な指示以外にも、恐怖に駆られる彼らを上手く操作する為に必要な話術やカリスマ性といったものを持たない私は、この方法を選んだ。

 すなわち、前世の知識にある実在や架空の中の優秀な指揮官達の言動を模倣するということである。

 幸か不幸か、その方法は成果を上げた。

 その結果得たものが、私自身の評価と、そんな分隊長に率いられる『調査兵団随一の戦闘力と勇猛さを備える突撃分隊』という周囲の認識だった。

 私の分隊の戦果が周囲に称賛されるたび、それを向ける相手が間違っていることに口を閉ざしながら、私はつくづく思うのである。

 フィクションの中の英雄は、他のフィクションの中でもやはり英雄足り得るのだと――。

 

 

 

《現在公開できる情報》――主人公が倣っている指揮官は『新城直衛』 小説およびそれを原作とする漫画『皇国の守護者』が出典である。

 

 

 

 リヴァイはクラリス・ハンニバルを任務外では『クラリス』と呼ぶ。

 しかし、任務中は必ず『ハンニバル』としか呼ばない。

 その違いの意味が何なのか、本人以外は知る由もなかった。

 

『総員、突撃にぃ、移れェッ!』

 

 真正面から巨人に突っ込むクラリスの部隊を見送りながら、リヴァイは回り込むように前進を続けた。

 複雑な思考を挟む余地も無く、これはクラリス達を囮にした作戦行動である。

 単純明快にして、冷徹無慈悲な戦法――しかし、そこには兵士達全員の『信頼』という下地があった。

 

(いつも通りだ――)

 

 死地に突っ込んでいくクラリスの背中を見送りながら、リヴァイは落ち着き払っていた。

 兵士長という立場ゆえに、多くの部下に様々な命令を下してきたが、その後でこうまで胸が騒がないのは彼女だけだった。

 

(絶対に死なない兵士など存在しねぇ。どんなベテランでも死ぬ時は死ぬ、巨人との戦いはそういうもんだ)

 

 先陣を切ったクラリスが最初の標的と接触した。

 生死を分ける一瞬。緊迫の頂点。

 しかし、リヴァイはその結果を見届けることなどしなかった。

 

(だが――)

 

 地響きが鳴る。

 見るまでもない、クラリスに瞬殺された巨人が地に倒れ伏した音だ。

 

(お前はそんな可愛げのある存在じゃねぇ)

 

 建物が死角となって、クラリスの分隊が戦っている様は見えない。

 しかし、声は絶えることなく聞こえていた。

 兵士達の雄叫びだ。

 勇ましく、狂気すら孕んだ凶暴な戦いの声が上がっている。

 戦力差において絶望的である巨人との戦いは、恐怖との戦いでもある。兵士達の叫びは戦場で常に絶えない。

 ただ、戦い慣れた者の耳には、この戦いの声は違和感のあるものとして聞こえているだろう。

 悲鳴が聞こえないのだ。

 断末魔の叫びこそ聞こえるものの、助けを呼ぶ者、無念を喚く者、悪態――戦意を喪失した兵士の声が一つとして聞こえない。

 誰も彼もが最期の瞬間まで戦いに挑んで、敵を殺し、そして殺されていく。

 

 ――調査兵団随一の戦闘力と勇猛さを備える突撃分隊。

 

 その実態は、恐怖を狂気で塗り潰したかりそめの狂戦士の集団だ。

 そして、そんな彼らを率いて死地に駆り立てるのがクラリス・ハンニバルだった。

 

(怖い奴だよ、クラリス。お前は――)

 

 リヴァイにとって、一目置く価値のある兵士は数人いるが、その中でも特に大きな存在の一つが彼女だった。

 単純な仲間としての信頼とは違う、畏怖があった。

 クラリス・ハンニバル――かつては調査兵団の団長だった女だ。

 自分よりも戦歴のある兵士である。順調に出世していけば、今頃こんな前線に立ってはいない。

 しかし、彼女は今でもこうして調査兵団に在籍している。

 戦果が無いわけでも、失敗を続けたわけでもない。

 むしろ、彼女自身は異常とも言えるほどの功績を残している。

 単体での巨人討伐数もさることながら、得体の知れない扇動力によって部下を巧みに狂気に駆り立てて、最大限の戦力を発揮させる。

 それまで高い死亡率を出していた調査兵団が、彼女が団長となることで幾らか生存率を上げ、それ以上に多大な戦果を叩き出した。

 欠点といえば、その指揮の性質上、兵士の消耗率をそれほど下げられなかったことだが、それさえも効率を考えれば十分過ぎるほどプラスとなる成果を出している。

 彼女は兵士を死なせるのが上手い――そう、陰口を叩く者もあった。

 しかし、リヴァイを含む一部の理解ある者達はそれらの評価を封殺した。

 巨人と戦ったことのある者だけが分かる。

 犠牲の避けられない戦いにおいて、最も忌むべきものは戦果無き犠牲であることだ。

 彼女の指揮下に入る者は皆、『この団長の下ならば、きっと生き残れる』といった希望ではなく、『この団長ならば、自分を無駄死にはさせない』という信頼を抱いていた。

 彼女の戦う姿には、一体何処から来ているのか分からない、奇妙な求心力がある。

 

(それだけの戦闘力を持ちながら、慢心しない。油断もしない。十分脅威である巨人を前にしても、更にそれ以上の脅威を想像しているように見える)

 

 クラリスの言動には、意図の読めない深遠さがあると感じていた。

 それはエルヴィン団長とはまた違う、得体の知れない感覚だった。

 巨人を殺す為に最大効率を発揮し続ける言動。

 まだ新兵に過ぎなかった自分が台頭し始めた時期に、あっさりと団長の座を降りて、当然のように兵団の指揮を譲った判断。

 経験で勝りながらも、全ての指揮において奇妙なほど向けられる自分やエルヴィンへの絶対の信頼。

 そして、それら全てが結果的に正しかったと現在まで証明し続けている事実――。

 

(お前は何を見ていやがる? 何処まで先を見通してやがるんだ、クラリス……)

 

 リヴァイがクラリスに抱く感情は、ただ信頼だけに留まるものではない。

 不審、畏怖、そして期待。

 ただ一つ確かなことは、彼女を肩を並べる仲間として認めていることだけだった。

 

(まあいいさ)

 

 そして、リヴァイはいつも同じ結論に達する。

 

(お前の持つ得体の知れない何かが、俺達人間の『武器』となっている内は、これ以上頼もしいことはない――)

 

 一際大きな音が響いた。

 急所を切り裂かれた巨人が絶命し、建物に倒れ込んだ音だ。

 しかも、一体だけではない。二体同時、そしてすぐさま三体目が続き、四体目が――。

 戦場を迂回していたリヴァイ達の部隊は、巨人の傍を人影が高速で飛び抜け、それがすれ違った瞬間に巨人が絶命していく様を目撃した。

 

「へ、兵士長……っ!」

「ああ、ハンニバルだ。いい位置を取ったみたいだな」

 

 まるでただの棒切れを倒していくように、瞬く間に巨人を葬るクラリスの姿を見た新兵が戦慄の声を洩らした。

 体格差のある巨人相手には、どれだけ早く、適切な急所までのルートを確保出来るかが重要になる。

 故意か偶然か、クラリスはその判断と行動を絶妙なタイミングで一致させ、最大の戦果を叩き出したのだ。

 一体の討伐にも必ず犠牲が出ると言われる巨人を、たった一人の兵士が次々と葬り去っていく。

 それは、エースと呼ぶにはあまりにも荒々しく、恐ろしい姿だった。

 

「怖いか?」

 

 初めて見るクラリスの戦いぶりに絶句する新兵へ、あえて尋ねる。

 

「俺は怖い」

 

 リヴァイは仏頂面のまま続けた。

 

「なら、きっと一番ビビってるのは敵対している巨人どもだろうぜ」

「は……ははっ」

 

 リヴァイの言葉を気の利いたジョークとでも受け取ったのか、新兵は引き攣った笑みを浮かべた。

 そして、その笑みはやがて獰猛な獣のそれへと摩り替わっていく。

 初の実戦に怯える心は、クラリスの勇姿によって強烈に鼓舞され、戦いの狂気へと駆り立てられていく。

 その様を確認すると、リヴァイは改めて自らの成すべき任務に意識を集中させた。

 

「横合いから奇襲を掛ける。各員、立体機動に移れ!」

 

 凶暴な牙を連想させるクラリスとは相反するように、冷酷な刃と化してリヴァイは巨人の群れへ切り込んでいった。

 

 

 

《現在公開できる情報》――主人公の分隊はその特性上最も隊員数が多く、最も損耗が激しい。しかし、最も戦果の大きな隊である。

 

 

 

(速い! 速すぎる……っ!)

 

 その兵士は、必死の思いでクラリスに追い縋った。

 彼は今回初めてこの分隊に編入された兵士だったが、自分達の分隊長のことに関しては、既存の隊員達から聞いていた。

 

 ――曰く、彼女に関する全ての噂は本当である。

 

 ハンニバル分隊長は狂戦士。巨人を恐れず、駆逐する。

 そして、戦場の彼女は、日常生活の中で見る姿からは想像もつかないような変貌を遂げる、と。

 

「分隊長、止まってください! 分隊長!!」

 

 進路上の巨人は、全て漏らすことなくクラリスが殺してしまっている。

 邪魔をする者は無く、ただ追いかけているだけだ。使用している立体機動装置にも性能の差など無いはずだった。

 それでも、追い着けない。

 制止の声も届いていないのか、結局ガス切れによってクラリスが屋根の上で止まった所で、ようやく彼は追いついた。

 

「分隊長、聞いて下さいっ!」

「ガスが切れた。予備は何処だ?」

「今、お渡しします。しかし、戦闘は中止です」

「まだ巨人が残っている」

「退却命令が出たんです!」

「殺す! まだ殺す!!」

 

 抗おうとするクラリスの肩を抑えた瞬間、振り返り様に激昂した彼女の視線が兵士を射抜いた。

 恐怖と共に、奇妙な納得が彼の中に生まれた。

 ――なるほど、これは確かに変貌だ。

 普段の静かな物腰からは想像も出来ない。彼女の異名の由来である狂気が溢れ出ているのが、今やはっきりと分かる。

 まるで別人だった。

 巨人との戦いに際して、恐怖を抱くどころか、一体何処からこれほどまでの戦意と殺意を湧き上がらせているのか。

 彼女は当たり前のように(・・・・・・・)巨人を恐れていない。

 まるで別世界の住人だった。

 彼女が自分達一般的な人間と同じ目線で物を見ているとは、とても思えない。

 それに対して畏怖を覚える。

 しかし、それ以上に――。

 

「巨人が街を目指して、一斉に北上し始めたそうです!」

 

 クラリスの狂気に圧し負けぬように、彼は腹の底から声を絞り出した。

 

「……壁が破壊されたか」

「えっ!? あ、いや……それは分かりません! とにかく、エルヴィン団長から、全隊へ退却命令が出ました」

 

 唐突に狂気が消え去り、理性的な反応が返ってきたことに兵士は動揺した。

 つい先程まで荒れ狂っていた狂戦士としての相貌は消え失せ、普段の冷静な物腰が戻っている。

 あまりのギャップに、一瞬ついていけなかった。

 

「あの……分隊長?」

「すぐに退却する」

 

 戸惑う間に、立体機動装置のガスの補充を終えてしまう。

 そうして退却のルートを進み始めるクラリスの行動に、躊躇いは一切見えなかった。

 先程まで漲っていた戦意や、巨人への執着は何処へ行ってしまったのか。

 冷静な判断力と言えば、それまでだが――。

 遠ざかっていくクラリスの背中を慌てて追いながら、彼は不思議な気分を味わっていた。

 

(……分からない人だ)

 

 巨人と共に戦う味方として頼もしさを感じる反面、その狂気は肩を並べる上で恐れにも繋がる。

 どう判断していいのか、人物像がイマイチ掴めない。

 しかし、ただ一つ確かなことは――。

 

(この人は、焦がれるほどに力強い。強烈なまでの存在感がある)

 

 次々と仲間が食われていく巨人との戦いの中。兵士としての義務感と人間としての恐怖の板挟みになってワケが分からなくなった状況で、ただひたすら眩しく輝いて、曇った瞳に焼き付く。

 それは希望の光などという生易しいものではなく、禍々しく燃える業火のようなものだった。

 その熱は、人の身でありながら巨人さえも飲み込んで灰にしてしまいそうなほど力強く感じる。

 恐怖も何もかも忘れて、その炎に身を焦がしてしまいたくなるような衝動に駆られてしまう。

 おそらくそれが、彼女が率いる兵士達が見せる『狂気に駆り立てられた姿』なのだろう。

 

(正気ではない。この人に率いられれば、誰も彼もそうして死にに往くのだ)

 

 ――しかし、それは他の兵士達のように、ただ巨人に貪り食われて死ぬよりも、はるかに上等なことではないか?

 

(そして、この人が持つものは狂気だけではない。ごく普通の一面も持っている)

 

 まるで人格を切り替えているのではないかと思えるような二面性。

 狂気の炎が消え去った後には、驚くほど穏やかな人柄が垣間見えるのだ。

 一体、どちらが本当の彼女の姿なのだろうか?

 疑問は尽きない。

 また、不思議と心配にもなってくる。

 

(この人が巨人に殺される姿など、想像することすらおこがましい。しかし、何だか妙に放っておけない気もしてくる)

 

 それが、二つの顔のギャップによるものなのかは分からない。

 ワケが分からないが、その分からなさが、彼に自然と笑みを浮かべさせていた。

 

(考えるのは無駄だな。とりあえず、この人を補佐していこう。この命尽きるまで)

 

 その兵士は、こうして結論に行き着いた。

 彼はその決意通り、最期の瞬間までクラリス・ハンニバルの補佐に尽くすことになる。

 彼女の部下達が、そうして死んでいったように――。

 

 

 

《現在公開できる情報》――主人公の分隊へは、調査兵団内から希望者を募って編入される。希望者は何故か多い。

 

 

 

 ……また、やってしまった。

 戦いの際に倣っている人物像にのめり込み過ぎてしまい、つい暴走してしまうのが私の欠点だ。

 今回も原作の新城さんよろしく、闘争の狂気に駆り立てられて、なんか凄い台詞を口走ってしまった。

 殺す殺す連呼しまくって、呼びに来てくれた兵士君がドン引きしていないか心配だ。

 まあ、指揮官として恐れられるのは間違いではないんだけどね。当の新城さんもやってたし。

 初めての実戦の時、巨人への恐怖を誤魔化す為に漫画のキャラの言動を模倣してみたのだが、これが存外上手くいき、実戦のたびに繰り返している内にすっかり定着してしまったのである。

 慣れた今では切り替えは完璧なのだが、代わりに倣ったキャラに没頭しすぎてしまう弊害も増えた。

 かといって、まともな神経では巨人と戦えないしなぁ。

 私だって生きたまま食われたくない。

 そんな無残な未来を想像するよりも、別のことを思い浮かべながら戦った方が精神衛生上も宜しい。

 

 ――例えば、巨人以外にもっと恐ろしい敵を思い浮かべること。

 

 他の漫画に出てくる『BETA』とか『バイド』とか、残酷さでは負けていない奴らは他にもいる。

 そういう奴らと戦うよりかはマシじゃないか――と、そんな感じに自分に言い聞かせながら戦っているのだ。

 どっちがマシもクソもねぇと思うが、巨人だけが怖い敵じゃないと思えば、幾らか余裕も出てくるものである。

 そんな感じに、あの手この手を尽くして巨人を殺すことだけに集中していたが、報告を受けて私は我に返った。

 突然の退却命令。

 普通ならば不可解に思うだろうが、私には一つの予想が浮かんでいた。

 この時期的に考えて、超大型巨人の再来が考えられる。

 だとしたら、これは事態の大きな転換期となるだろう。

 エレン・イェーガーを中心として、人類を取り囲む状況は大きく変化する。

 

「――! ハンニバル、来たか」

「すまない、遅れた」

「いや、十分速い。他の分隊がまだだ」

 

 街へ向かう途中でリヴァイ達とも合流する。

 

「私達だけでも先行して、街へ向かうべきだと思う」

「……お前の進言は珍しいな。まあ、いいだろう。その判断もありだ」

 

 リヴァイ自身も迷っていたらしい判断を、私の言葉が後押しする形で街へ向かうことが決まった。

 うーん、言ってみるもんだな。

 私からしてみれば、原作の功績を知っている分、自分よりもリヴァイやエルヴィンの判断の方が優先されるんだが。

 聞けば、私達の分隊がハッスルしすぎた影響で、予想以上にこの場の巨人は数を減らしていたらしい。

 分散しても退却は可能だと判断された。

 ならば、戦闘力の高い私やリヴァイが一刻も早く現場に向かうことも重要だ、と。

 指揮官のお墨付きももらった私達は、事態の展開する市街地に向けて馬を急がせたのだった。

 

 ――この先で、人類の希望なのか絶望なのか分からない物事が大きく動き出していることを、私だけが知っている。

 




非常に二次創作が書きづらい原作でしたが、あえて書きました。
あと、二、三話くらいは書いてみたいですけど、続くかどうかはわしにも分からぬ……。


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反撃の嚆矢

話数を表示していないのは故意です。
時系列はあまり考えずに、書きたいシーンを書こうと思うので、場面が飛んだり、回想挟んだりすると思います。


 調査兵団にとって馬というのは非常に重要な存在だったりする。

 機動力において人間の比では無い巨人相手に、戦うにしろ逃げるにしろ馬の脚力と持久力は絶対に必要になってくるからだ。

 だから、兵士は皆馬を大事にする。

 私もそうだ。

 特に、私の乗っている馬は赤い毛並みが特徴的で足も速い。

 名前をつけるほど愛着を持つ者は少ないが、私は密かに『赤兎馬』と呼んでいる。もしくは『松風』とかでも可。

 私の大切な相棒だが、唯一の欠点は気性が荒いってことだ。私の愛馬は凶暴です。

 

 ――具体的には、毎回走るのが速すぎんだよこえぇぇぇーーー!!

 

 街への退却命令を受けて馬を走らせる調査団の中で、私は先陣を切って突き進んでいた。

 マジ暴走気味のスピード。

 このアホ馬、私の命令はもちろんよく聞くのだが、手加減を知らないというか、今回みたいに全力疾走を命令した時の加速力が毎度半端ではない。

 おかげで巨人との戦闘開始時など、必然的に他を追い抜いて私が先頭になってしまう。

 それが『常に自ら先陣を切る勇猛な兵士』という評価に繋がっているのだ。

 誤解やねん……。本当はもっと様子見とか使って賢く立ち回りたいねん……。

 まあ、今回ばかりはどれだけ早く着けるかが重要になってくるので、都合はいいんだけどね。

 

「――見えてきた」

「ちっ、なんだよ。エルヴィンの予想通りじゃねぇか」

 

 私と並走しているリヴァイの悪態が聞こえてきた。

 視界に入り始めた、目的地である壁『ウォール・ローゼ』の一角には巨人達が集まりつつある。

 その大きすぎる人垣の更に先には、本来なら固く閉ざされているはずの門が破壊され、ポッカリと開いた穴があった。

 

「ま、また門が破壊されている……っ!」

 

 私の背後で兵士の誰かが絶望の滲んだ声を上げる。

 気持ちは分からなくもない。

 五年前に一度破壊されているとはいえ、人類を守る壁がこうも容易く抜かれているのだ。予想外の出来事だろう。

 五年前と全く同じことが起こりつつある。

 そして、本当に五年前と同じならば、その後に起こる悲劇もまた同じように引き起こされるはずだった。

 即ち、穴から侵入してくる無数の巨人と、それに追い立てられる人々。ますます狭くなった人類の活動領域内で起こる数々の問題。その結果死んでいく人間。貧困、軋轢、絶望――。

 彼らにとっては、突然襲ってきた状況である。

 まさにお先真っ暗という奴だ。

 しかし、私はその『お先』とやらで鈍く光る希望の存在を知っている。

 それを掴み取る為にも、絶望している暇は無い。

 

「とにかく、壁を越えて街へ入る必要がある」

「……ふん、言われなくても分かってる。門からは入れねぇ、迂回して壁を登る!」

 

 リヴァイの指示に従って、私達は門に群がる巨人達を大きく迂回する形で壁に接近した。

 当然、そこには中に入る為の入り口など無い。

 立体機動装置を使って、壁を登るのだ。

 巨人の襲撃さえなければ、それは簡単だった。と、いうか、立体機動を使った壁の乗り越えは調査兵団でなくても、壁の中で活動する兵士にだって必須のスキルである。

 全員壁の上に問題なく登り、街の中を見回すと、改めて状況の不味さが把握できた。

 

「既に、かなりの数の巨人が侵入しているね」

「駐屯兵団も無能じゃねぇ、こういう時の為の部隊だ。これだけ大事になったら、上の連中も出張るはずだしな」

「ピクシス司令かな?」

「多分な。何か作戦を立てているはずだ」

 

 原作の時系列を整理する為に、今はどういう段階なのか街の様子を探る私の傍らで、リヴァイとハンジが真っ当な兵士としての話し合いをしていた。

 リヴァイが引き連れる形で街への退却に先行した調査兵団の内、私以外にハンジの分隊が一緒に来ている。

 私の次に早く部隊に合流したからだ。

 残りの調査兵団は、本隊としてエルヴィンが率いて後から追ってきている。こちらの到着は、少し遅れることになるだろう。

 つまり、街の巨人を駆逐するにしても、現状では戦力不足は否めない。

 ……いや、穴からどんどん侵入てくる巨人の数からして、調査兵団が揃っても十分じゃない戦力差だけどね。

 やはり、あの穴をどうにかして塞がない限り、勝機は無い。

 そして、原作通りならば既に手段は講じられているはずである。

 つまり――巨人化出来るようになったエレンが岩を使って穴を塞ぐ。そして、それを兵団が支援する。

 事前の知識がなければ、発想など出来るはずが無い状況だ。

 もちろん、それを知らないリヴァイ達は常套手段として、駐屯兵団との合流を優先しようとしている。

 闇雲に巨人と戦ったところで意味の無い犠牲が増えるだけなのだ。

 理由がなければ無茶など出来ないことは当然だ。

 だからこそ、私はもどかしかった。

 今すぐにでもエレン達の戦っている場所へ向かいたい。

 あそこでは、今この瞬間も多くの兵士達が死んでいる。エレンを援護する為に、囮となって巨人どもに食われている。

 それは意義のある死かもしれない。

 しかし、同時に防ぐことの出来る死なのだ。

 原作通りに進める、なんて寝惚けた考えは私にはなかった。

 この世界のことを自覚した当初の私ならば、そう考えたかもしれない。

 あまつさえ、原作の『あの感動的な名シーンを弄らないほうがいい』などとイカレたことを考えたかもしれない。

 ――今は違う。

 勇気ある者達が、無慈悲に死んでいくこの世界で、ほんの少しでも命を救えるチャンスがあるのなら、そこに手を伸ばす。

 躊躇する余裕も、何かを考える余地も無い。

 状況をコントロールする能力も、謎を解明する知力も無い私が選んだ戦い方は、ただひたすら巨人を狩る為に走り続けることなのだ。

 足を止めた分だけ、人が死ぬ……!

 

「リヴァイ、私は――」

 

 何と説明すればいいのかも考えないまま、私は独断行動する旨を告げようとした。

 

「お前、壁を上がった時からずっと一つの方向を見ていたな」

 

 私の言葉を遮り、逆に鋭く切り込むようにリヴァイが言った。

 私の心の中を覗くように私の眼を見ている。

 

「状況もよく分からねぇ中で、お前があの方向に注目した理由は何だ?」

「……」

「何かあるのか?」

 

 リヴァイの口調は尋問するような厳しいものではなかったが、私は返答に窮していた。

 原作の知識がどうこうなんて、答えられるわけがない。

 いや、答えて状況が好転するなら幾らでも話すが、この世界が漫画の世界だとか何だかとかって話は、信用されるされないの問題以前に無駄な混乱しか生まないだろう。

 私が正気を疑われるだけならまだマシだが、得体の知れない私の知識に対する警戒や疑念を抱かれ、最終的に不穏分子などとして扱われてしまうかもしれない。

 そこから派生する事態が全く予想出来ない。

 私が処刑されて終わるならまだマシな方。仲間や部下、調査兵団自体がそういった混乱や不和に巻き込まれて被害を被るなんて最悪の事態にもなりかねないのだ。

 こういう人間の間での不信感から来る問題って、原作でもあったしね。

 結果的に事態を悪化させない為にも、迂闊な答え方は出来ない。

 しかし、事態を少しでも好転させる為に行動は起こしたい。

 黙り込む私の反応をどう受け取ったのか、しばらく私を見つめていたリヴァイは唐突に私から視線を外した。

 

「分かった。行け」

「……何?」

 

 思わず尋ね返す。

 

「あの場所に行きたいんだろ? 俺が正式に命令として下してやる。ハンニバルは分隊を率いて独自に動け」

「……いいのか?」

「うるせぇ、とっとと行動しろ。時間が経つだけ状況が悪化するぞ」

 

 思わぬ状況の好転に、私は一瞬混乱した。

 察してくれたリヴァイの判断は、実にありがたい。

 ありがたい……んだけど、不可解なのも確かだった。

 私の考えが分かったのなら、その意味や真意が分からないだけ不審にも思うはずだ。

 

「理由は聞かねえ。時間が惜しいからな。あとで話せるなら話せ。無理ならエルヴィンに報告する分の言い訳だけでも考えとけ、お前だったら『勘で思った』ぐらいでも通じるしな」

「……分かった」

 

 相変わらず一貫して不機嫌そうな仏頂面からリヴァイの考えていることは読めないが――本当に、ありがたいことに変わりはない。

 彼の言うとおり、状況は躊躇った分だけ悪化する。

 私は余計なことは考えず、得られたチャンスを活かす為に行動することにした。

 戦いの場は、破られた門の近くだ。

 当然、侵入する巨人達も加えて敵の密度も高い。接近することは危険だろう。

 しかし、行かなければならない。

 人間が生き残る為に!

 

「リヴァイ、ありがとう」

「うるせぇ。死ぬなよ」

 

 罵りながらも心配してくれるという、ちょっとしたツンデレ的な返答を貰った私は、迷いを振り切って壁から飛び出した。

 リヴァイ、マジ男前。

 結婚しよ。

 

 

 

《現在公開できる情報》――主人公が先行するよう進言したので、リヴァイ達は原作よりも早く壁に到着している。

 

 

 

 クラリスが壁を下りていく背中に、彼女の部下たちが追従していった。

 誰一人として躊躇する様子は無い。

 クラリスとリヴァイのやりとりは当然耳に届いている。

 この行動が、明確な作戦目的を下地にしたものではないと全員が理解してるはずであった。

 しかし、誰一人として異議は唱えない。

 

「よかったのかい?」

「誰も反論しなかった。だったら、問題ねえだろ」

 

 立体機動による高速移動によって、あっという間に小さくなっていくクラリスの背中を一瞥だけして、リヴァイとハンジも互いの部下を率いて移動を開始した。

 

「そうだね。私達はどうする?」

「よく見りゃ、街中の巨人を壁の隅に集めてやがる。何かの作戦行動だろう。だが、その作戦を聞きに行ってる余裕はない」

「確かに。こうして観察してみると、クラリスの判断は間違ったものじゃないのかもしれないね」

 

 二人は冷静に街中を占領する巨人達の動きを観察していた。

 大部分がこの街――トロスト区の隅に集まっている。

 いや、正確には誘導されているのだった。遠目からでも、巨人達の集まっている箇所には、その壁の上で多くの兵士が陣取って注意を引いている。

 しかし、その一角から離れた場所にいる巨人は、逆に遠ざかりつつあった。

 より多くの人間が集まる方へ向かうという一般的な巨人の習性を無視したかのような動きだ。

 それらが向かう先は、自分達が侵入してきたはずの門の方向である。

 

「クラリスが向かった場所――あそこで、何かが起こっている」

「ああ、間違いねぇだろ。何が起こってるかまでは分からねぇけどな」

「クラリスは知っているのかな?」

「さあな」

「実は、彼女には予知能力が備わってたりして。もしくは、私達も知らない極秘の任務や役職に就いているとか」

 

 クラリスの不可解な行動原理に対して、ハンジは茶化すように言った。

 突拍子もない発想だった。

 しかし、リヴァイには完全に否定することも出来ない可能性だった。

 それほどに、クラリスの判断や行動の真意が読めないのだ。

 それでいて目に付く点は多い。

 つい先程の様子もそうだ。

 ウォール・ローゼの門が破壊され、そこに巨人達が無数に群がる絶望的な光景を眼にして、一切動揺していなかった。

 表情に出ていなかったというだけではなく、躊躇無く次の行動へ移る決断の早さからも分かる。

 それだけ優れた兵士なのかもしれないが――リヴァイは納得出来なかった。

 彼女とは何度も共に死線を潜ってきた、長い付き合いだからこそ、そう思う。

 疑念は日々積み重なっていくが、信頼はそれ以上に大きくなっていった。

 

「もし、そうだとして俺は驚かないがな。別にあいつが超能力者でも。

 むしろ納得出来てスッキリするぜ。後者の方がまだ現実的な発想だが、組織絡みで面倒が増えそうだから前者の方が分かりやすくていい」

「冗談だったんだけどね……」

「あいつが俺達の知らないことを知っているのは間違いない」

「聞けばよかったのに」

「聞いただろうが。あいつが答えなかっただけだ」

 

 ハンジは呆れたように肩を竦めた。

 

「でも、追求はしなかったよね」

「必要ねえ」

「信用しているんだね」

「当然、疑ってもいるがな。オイ、俺をお人好しみたいに言うんじゃねえぞ」

「大丈夫だよ、君がそこまで人間が出来ているとは思ってないから」

「無駄口叩くんじゃねぇ、蹴落とすぞ」

 

 眼下の様子を伺いながら、壁の上を走って街を迂回する。

 やがて、巨人がまばらな地点でリヴァイは足を止めた。

 

「この辺りから手をつけるのが良さそうだ」

「巨人を駆逐しつつ、範囲を狭めていくっていうわけだね」

「そうだ。最終的には、あそこに集中する」

 

 リヴァイが指差した先には、破壊されたトロスト区の門があった。

 当然、そこへ近づくほど巨人の密集率も上がってくる。

 加えて、あの穴は外の巨人達の侵入経路だ。

 あそこを塞がない限り、敵の数は減ることがない。

 目処の立たない戦闘は、ただ闇雲に損害を増やすだけだが――。

 

「あの馬鹿がそれまで生きてれば合流出来るだろ。あとは、あそこで何が起こってるのか……状況を見定めて判断する」

「それまでは、クラリスの援護に徹するというわけだ」

 

 リヴァイはハンジの軽口に取り合わなかった。

 あの場所へ集まる巨人の数を減らし、少しでも挟撃や混戦となる状況を避ける――それが結果的にクラリスの援護になると分かっていても、あえて言葉にしなかった。

 クラリスが、自分達とは違うどんな世界を見ているのか――?

 その実態は分からない。

 それを見つめる彼女の胸の内も、想像すら出来ない。

 

(まるで巨人相手にしてるみたいだな。無駄にうすらデカイしよ……)

 

 リヴァイは感じていた僅かな苛立ちを、内心でクラリスにぶつけた。

 その苛立ちは、彼女への不信感から来るものではなく、ただ単純に『自分の尋ねたことに答えなかった』という不満によるものだけだった。

 

(いくら考えたって何も分からないって状況だ。巨人と戦っていれば、そんなもん珍しくもねぇ)

 

 リヴァイは部下達に命令を下し、自らも剣を抜き放った。

 

(ならば努めるべきは迅速な行動だな。これまで、そうしてきたように――)

 

「お前を疑うだけ時間の無駄になるだろうが」

 

 この場にはいない彼女の背中に小さく悪態を吐きながら、リヴァイは巨人達の討伐を開始した。

 

 

 

《現在公開できる情報》――クラリスはかつて調査兵団団長だったが、申請を繰り返して現在の地位に変更した。その真意を理解する者はいない。

 

 

 

 ――命を投げ打って、健気に尽くすことだ。

 

 イアンと、彼を含む精鋭の兵達は、今まさにその宣言通りのことを実行しようとしていた。

 巨人化によって暴走していたエレンが自我を取り戻し、破壊された門を塞ぐ為に巨大な岩を担いでゆっくりと歩いていく。

 それは、この絶望的な状況を覆す希望だった。

 穴を塞ぐことが出来れば、これ以上巨人は増えることがない。

 壁の中に閉じ込められた巨人達を全滅させれば、街は再び人類の手に戻る。

 それは『奪還』と呼ぶよりも遥かに大きな意味を持つ、人間が巨人に初めて『勝利』した結果となるはずだった。

 しかし、その希望を追い求めるには、あまりに壮絶な覚悟を彼らはしなくてはならなかった。

 

「――ッ、死守せよ!!」

 

 イアンの、文字通り決死の命令の下、彼の指揮下に入った全ての兵士達が行動を起こす。

 

「我々の命と引き換えにしてでも、エレンを扉まで守れ!!」

 

 岩を担いだまま歩き続けるエレンに向けて、まるで惹きつけられるように巨人達が集まってくる。

 迫り来る敵に対して、エレンの歩みはあまりにゆっくりとした悠長なものに映った。

 しかし、それが既に限界なのだ。

 元より、人間の比率で考えれば、持ち上げることすら出来ないはずの大岩だ。それを抱えて歩いているだけでも奇跡的な状況だった。

 もし、エレンが攻撃を受ければ――いや、体当たりの一つでも受けるだけで、その奇跡は崩れて消える。

 一匹として巨人を近づけてはならない。

 そして、巨人の密集したこの場においてエレンを守る為に必要なものは、多くの兵士の犠牲に他ならなかった。

 

「巨人共が俺らに食いつかないんだ!」

「食いつかれるまで接近するしかない!!」

 

 奇行種でもない巨人達が、明確な目的を持って行動するなど予測できない事態である。

 しかし、理由を解明している時間は無い。その意味も無い。

 兵士達は自らの使命を果たす為に、ただ行動するしかなかった。

 自身の命を囮にするという、無謀な行動を。

 

「そんな……! 地上に降りるなんて自殺行為だ! 馬も建物も無いんじゃ戦えない!!」

 

 アルミンはその光景を青褪めた表情で見ていた。

 エレンの向かう門の周囲には当然建築物など存在しない、開けた場所である。

 立体機動装置の使用できない環境なのだ。

 巨人に襲い掛かられれば、戦うことも逃げることも非常に困難な場所だった。

 更に複数の巨人が密集しているという最悪の状況である。

 目を付けられれば、ただ食われるしかない。

 

「イヤ……」

 

 しかし、それでも――。

 

「もう……あれしかない」

 

 現状唯一可能で、最も有効な、エレンを守り抜く為の手段は――それだけだった。

 囮となって、命を使った時間稼ぎをするしかないのだ。

 

「ミタビ班に続け! 無理矢理接近してでも目標を俺達に引き付けろ!!」

 

 その命令を聞いていたアルミンとミカサは、眼を剥いて死地へと向かう兵士達を見つめた。

 戦うことはおろか、抵抗することさえ出来ない。ただ、巨人に生きたまま食われる為だけに彼らは動き出していく。

 兵士達の壮絶な覚悟と、その先に待つ凄惨な未来に眼を覆いたくなる。

 しかし、そんな悠長なことはもはや許されない。

 アルミンとミカサも、エレンの元へ向かう為に動き出さなければならなかった。

 周りでどれだけの仲間が巨人達に食い殺されようが、ただお互いのすべきことに徹する――そうしなければ、勝利は在り得ない。

 

「ちくしょう……っ!」

 

 悪態を吐くことが無意味なことだと、アルミンは嫌と言うほど分かっている。

 しかし、吐かずにはいられない。

 犠牲が避けられないと分かっていても、受け入れることなど出来ない。

 縋るものなどないと知っているのに、望まずにはいられない。

 イアンが巨人達の方へ、二人がエレンの方へ向かおうと互いに一歩踏み出した時、アルミンの視界にそれは映った。

 

 ――地面を這うように逃げ回る兵士の一人を、無造作に捕まえる巨人。

 

 捕まった兵士の顔と名前を、アルミンは偶然覚えていた。

 確かミタビと言った、最初に囮になった兵士だ。

 イアンと話し合っている時に聞いた名前だ。

 何故、そんな些細な単語を覚えていてしまったのだろう?

 知らなければ、目の前で食われていくあの兵士に対して思うことを、少しは減らせたかもしれないのに。

 

(誰か――っ!)

 

 アルミンは、その時無意識に助けを呼んでいた。

 

「――AAAAlalalalalalaie!!」

 

 聞いたことも無い鬨の声が、雷のように轟いた。

 今まさに、その兵士を口の中に含んで噛み砕こうとしていた巨人の無防備な背中に、矢の如く飛来した一人の兵士が剣を一閃させる。

 急所であるうなじを斬り飛ばされた巨人は、糸の切れた人形のように力を失った。

 半開きの口の中からミタビを引きずり出すと、ゆっくりと地面に倒れ込む巨人の体を蹴って、その場から素早く離脱する。

 その一連の出来事を、アルミンはもちろんミカサも、イアン達他の兵士達も、信じられないものを見るように眺めていた。

 この混迷した状況で、全ての人間の耳に届くほど、その声は朗々と響き渡ったのだ。

 

「あれ、は……っ!」

 

 まさに稲妻のように巨人を強襲した兵士。

 アルミンには、その兵士に見覚えがあった。

 彼だけではなく、その場の兵士達が全員知っていた。

 

「ハンニバル……」

「クラリス・ハンニバル分隊長だ!!」

 

 あまりに突然で鮮烈なその登場の仕方に、兵士達は一瞬絶望を忘れた。

 そして、クラリスに続くように、彼女の率いる分隊の兵士達が次々と現れる。

 彼らは、この場の状況を分かっていない。

 しかし、判断は早く、的確だった。

 囮となった兵士を捕まえて食おうとしている巨人達を素早く見つけ出し、それらを優先して攻撃し始めたのだ。

 仲間を助けるという意味もあるが、それ以上に最も有効な攻撃方法だからこそ優先している。

 人間に対して攻撃ではなく、捕食を目的として行動する巨人は、その捕食の瞬間こそが最も無防備となるのだ。

 奴らに周囲を警戒するなどといった知性は無い。

 結果として、死を覚悟していた兵士達は次々と救出され、逆に巨人達は駆逐されていく。

 

「……チャンスだ!」

 

 呆気に取られていたアルミンは、すぐさま我に返った。

 

「ハンニバル分隊長と、その隊員です! 調査兵団の精鋭ですよ! あの人達と協力して、巨人を引き付けながら戦うんです! 生き残れます!!」

「私も戦闘に回ります!」

 

 アルミンの提案に、ミカサも賛同する形になった。

 当然、その考えは申告されたイアンも受け入れている。

 ただ犠牲になるだけではなく、生き残る希望が見えてきたのだ。

 しかし、経験の浅い二人とは違い、イアンは冷静だった。

 

「ああ、もちろんだ! しかし……拙い! 今は拙いんだ!」

「ど、どういうことですか?」

「たった今来たばかりの彼らは、俺達の作戦はもちろん、現状さえ把握出来ていない!

 巨人を殺してくれるのはありがたいが、彼らに巨人になったエレンとの区別がついているとは思えん! おまけに、あの『狂戦士』ハンニバル分隊長が率いる部隊だ!」

 

 彼の言わんとしていることを理解して、アルミンは息を呑んだ。

 クラリス・ハンニバルは、その『狂戦士』の異名の通り、巨人との戦闘において勇猛を超えた狂気染みた戦い方と指揮で知られる兵士だ。

 敵にも味方にも容赦はしない。

 彼女の戦場での変貌ぶりは、普段の姿からは想像も出来ない、と。そう噂されていた。

 

「このままでは、エレンも殺してしまうかもしれん……っ!」

 

 そう危惧する先で、巨人を次々と斬り殺しながら進み続けるクラリスの姿があった。

 偶然なのか、あるいは何かに気付いたのか、向かう先には巨人化したエレンがいた。

 

「――ッ! ぼ、僕が説明しに行きます!」

「アルミンを援護します!」

 

 イアンの反応も見ずにアルミンが駆け出し、すぐさまそれにミカサが続いた。

 クラリスの元へ近づく。

 ただそれだけのことなのに、アルミンは戦慄した。

 巨人が近くにいない。いや、正確には近くにいる巨人を片っ端からクラリスが倒してしまっている。

 実際に見て実感出来た。噂で聞いた、誇張や嘘を含むだろう彼女の武勇伝の数々が、全て事実だったのだという実感が。

 

(なんて人だ……本当に同じ人間なのか!?)

 

 友人のミカサも大概優秀な兵士だが、クラリスは更にその一線まで超えている。

 味方ならば、これ以上頼もしいものはない存在だ。

 しかし、今はあまりに強大すぎる刃が、エレンの命まで容易く刈り取ってしまうのではないかという不安の方が大きい。

 クラリスに近づいたアルミンは、必死の思いで声を張り上げた。

 

「ハンニバル分隊長!!」

 

 ――叫んでみたが、自分のようなちっぽけな人間の声など聞こえているのか?

 

 雰囲気に呑まれ、萎縮しかけていたアルミンはそんな不安を抱いていた。

 倒れ伏した巨人の上に立つクラリス・ハンニバル。

 それは、人間の身でありながら逆に巨人を喰らう、上位の存在であるかのように映った。

 アルミンの呼び掛けに反応して、狂戦士が振り返る。

 

「あ……あのっ」

 

 言い淀むアルミンに対して、クラリスはあろうことか歩み寄ってきた。

 劣化した刃を柄から外し、鞘から新しい刃を付け替える。

 兵士として当たり前の動作だったが、アルミンにはそれが恐るべきもののように思えた。

 新しくなった刃を二本、携えて近づいてくるクラリスが、間合いに入った瞬間自分を斬り殺すのではないかという無意味な錯覚すら抱いてしまう。

 完全に萎縮してしまったアルミンを庇うように、ミカサが一歩前に出た。

 

「ミカサ・アッカーマン。訓練兵です」

「ア……アルミン・アルレルトです! 同じく訓練兵です!」

 

 周囲は未だ戦闘中である為、敬礼をする余裕は無かった。

 無礼に思われるだろうか? というアルミンの不安に反して、クラリスは小さく頷いて返す。

 素っ気無いが、意外なほど穏やかな仕草だった。

 

「用件は何だ?」

 

 意外と綺麗な声なんだな、とアルミンは思った。

 

「……我々は、ウォール・ローゼの扉を塞ぐ為に作戦行動中です。詳しく話している時間はありませんが、とにかくあの巨人を守って欲しいんです!」

 

 説明する時間が惜しかった。

 周りにはまだ巨人が大勢いて、そいつらを相手に命懸けの戦いを兵士達は続けているのだ。

 しかし、細かな説明を省いてしまうには、状況はあまりに突飛なものだった。

 事情を知らないクラリスにとって、巨人化したエレンはやはり巨人以外の何物でもないはずだ。

 エレンの巨人化にまつわる一連の状況を見ていた他の兵士達でさえ、全ての事実が悪い方向へ働き、彼への大きな不信感と危機感を抱くことになったのだから。

 それを『攻撃するな』というだけでも無茶だというのに、『守れ』と言っているのだ。

 説明無しに――いや、説明されたところで到底納得のいくものではない。

 アルミンはもどかしく感じながらも、クラリスの冷たい瞳を真っ直ぐに見つめながら、必死で言い縋った。

 

「あの巨人が大岩を使って、穴を塞ぎます! あそこまで辿り着けば、人類の勝ちなんですっ!!」

「……」

 

 沈黙したまま自分を見つめるクラリスの視線が、酷く冷ややかなものに感じる。

 目の前の歴戦の兵士は、単なる訓練兵に過ぎない自分の常軌を逸した発言をどのように捉えているのだろうか?

 単なる頭のイカレた妄言だとでも思っているのだろうか?

 例えそうだとしても、アルミンは止めることなど出来なかった。

 

「あの巨人は、実は人間で……それで……っ!」

 

 傍らのミカサが警戒を強めているのが分かる。

 クラリスの対応によっては、無理矢理にでも押さえ込むつもりなのが分かった。

 戦闘力の高い二人が争うことになれば、どんな事態になるのか想像もつかない。

 ただ、最悪の状況にまで悪化することだけは確かだった。

 アルミンは上手く回らない頭で、必死に言葉を探して、それを吐き出した。

 

「あの巨人の名前はエレン・イェーガー! 僕の友達です!!」

「そうか。分かった」

「……え?」

 

 搾り出すように叫んだ言葉に対して、返ってきた答えは実にあっさりとしたものだった。

 思わず呆気に取られる二人を尻目に、背を向けたクラリスは大きく息を吸い込む。

 そして――。

 

「ァアアアアァアアアァアアアッ!!!」

 

 叫んだ。いや、吼えた。

 凄まじい声だった。

 空に向かって放ったものだったが、近くにいたアルミンとミカサが思わず耳を押さえ、肌でビリビリと感じ取れるほどの音量だった。

 現れた時の雄叫び以上に、その声は場の兵士達全員に届いた。

 あろうことか、巨人達の注意まで惹きつけてしまっていた。

 

「な……なんて声なんだ。あれが人の声かっ」

「うるさい……」

 

 顔を顰める二人の前で、クラリスは更に声を張り上げる。

 

「分隊各員へ告ぐ! あの岩を抱えた巨人を守れ! 死守せよ!! 命令終わァり!」

 

 まるでクラリスの言葉がこの場を一時支配していたかのように、事態は再び動き始めた。

 兵士達の動きが、明らかに変わる。

 クラリスの部下の誰一人として、不可解な命令を疑う者はいなかった。

 倒せる巨人を狙うのではなく、エレンに近い者から攻撃を始めていく。その結果、危険性が増したとしても躊躇わない。

 クラリスの近くにいた巨人達は、先程の声に引き寄せられるように標的を変更していた。

 それはつまり、エレンから狙いを外したということでもある。

 

「アルミン。ミカサ。戦えるな?」

 

 信じられないといった心境で見ていた二人は、クラリスの呼び掛けに我に返った。

 初対面であり、訓練兵という肩書きしかない自分達を、まるで馴染み深い戦友のように気安く呼んでいる。

 不快感はなかった。

 ただ、無茶苦茶な話をあっさりと信じたことといい、自分達に対するクラリスの無条件の信頼が不思議だった。

 不思議で、しかし心地良く、アルミンは先程とはまた別の意味で緊張していた。

 紅潮して熱くなる顔を、慌てて押さえる。心臓がドキドキしていた。

 

「続け。エレンを守る」

「……分かっています」

 

 言われるまでもない、と。ミカサがわずかに不機嫌そうに応える。

 さすがに格上の上官相手にあからさまな態度は見せない。

 しかし、クラリスはそんなミカサの内心を全て見抜いているかのように、小さく苦笑した。

 アルミンは、その笑顔を見てまた意外に感じた。

 

(エレンは、この人の笑顔を見たことをやたらと自慢していたけど……)

 

「行くぞ。これが人類の、反撃の嚆矢だ!」

「了解!」

 

 ――この戦いに生き残ったら、僕も自慢しよう。

 

 アルミンは駆け出したクラリスとミカサの背中を追いながら、そう思った。

 

 

 

《現在公開できる情報》――主人公の口癖は『結婚しよ』 本当に結婚願望があるのか自覚は無いが、性別は問わずに好きな原作キャラ相手に言う。(内心でのみ)

 

 

 

 一度チラッと顔を見たことはあったが、こうして対面するのは初めてだった。

 今、私の目の前にはアルミンとミカサがいる。

 しかも、明確に私を意識して見つめているのだ。

 やだ……アルミンってば、童顔なのに眼つき凛々しい。ミカサは普通に凛々しい。二人とも結婚しよ。

 

 ――って、浮かれてる場合じゃねえ!

 

 状況を思い出して、私は我に返った。

 ついさっきまで巨人との戦闘モードだったので、ちょっと混乱しているな。上手く意識が切り替わっていない。

 ちなみに、今回はとにかく突破力が必要だったので征服王イスカンダルを倣って、部下を率いていた。

 私がどれだけ頑張っても、巨人と集団で戦う場合犠牲は避けられない。全員が超人にはなれないのだ。

 作戦や指揮だって、どんなに素晴らしい案を練っても、実際に実行するとなると不運や予想外のトラブルは起こってしまう。

 命令する立場の者としては、もどかしい限りだ。

 無いものねだりだと分かっていても、部下の防御力とか攻撃力を上げる支援魔法があればなぁと思う。

 チートとまでは言わないからさ、スクルトとかプロテスとか欲しいよ。ホント。

 しかし、現実としてそんなものがあるわけない。

 しょうがないので、せめて士気だけは上げようと、私は毎回あの手この手を駆使して部下を鼓舞しているのだ。

 あのイスカンダル風の雄叫びも、その一環である。

 とりあえず、叫んでいれば私自身も含めて恐怖は紛れるので、腹の底から声を絞り出すようにしている。無駄に声がデカイみたいで、部隊の隅々まで届いてるしね。

 ……まあ、そんな私の凶行が『狂戦士』の評価に一役買ってるんだけど。

 いや、いいんだよ! それで兵士の生存率が少しでも上がるんなら!

 とにかく、例によって私のテンションは上がっていた。

 巨人化したエレンが見えたので、援護する為に巨人をぶっ殺しつつ近づいていったら、アルミンとミカサがやって来たのである。

 二人の説明を聞きつつ頭を冷やし、私はようやく状況を整理出来た。

 つまり、アルミンは私がエレンを殺してしまわないか心配しているわけだ。

 確かに、普通に考えて有象無象の巨人の中で一匹だけ『味方だ』と言われても分かるはずがない。

 他のキショイ巨人どもに比べて、エレンのそれはダークヒーローっぽいイケメンに見えるのだが、それも私の知識があってこその印象なのかもしれない。

 巨人の恐怖と脅威を知る兵士から見れば、岩を抱えているエレンの姿は単なる奇行種にしか捉えれないだろう。

 でも、安心してアルミン。私は、ちゃんと分かっているよ。

 分かっている――が、だからといって何も聞かずに頷くわけにはいかない。

 何故知っているのか? と、不審に思われてしまう。

 私は内心でもどかしく思いながらアルミンの説明を聞き、ある程度のキーワードを聞き取った段階で素早く頷いた。

 

「そうか。分かった」

 

 三行でおk。

 巨人どもが自重して動きを止めてくれるわけじゃないし、時間が勿体無いので巻いていこう!

 当然のようにアルミンの説明を疑う余地など無い私は、全てを了承して、すぐさま次の行動に移った。

 ドラゴンインストールならぬ、豊久インストール! もしくは妖怪『首おいてけ』

 部下への指示と、可能であれば巨人どもの注意を引くために声を張り上げた。

 うーむ、このデカイ声使ってボイスミサイルとか出来ればいいんだけどな。さすがにそれは非現実的すぎるか。

 詳しい説明を省いて、命令だけをシンプルに下した。

 普通に考えれば『何寝惚けたこと命令してんだ』となるだろうが、私の部下ならば問題ない。

 原作のリヴァイ班みたいな信頼で繋がっているからね。

 ……多分。

 本当のところは、何故にここまで私に無条件に従ってくれるのか分からん。入れ替わり激しいのに。

 まあ、その信頼には結果で応えよう。

 私自身も、エレンの傍で直接守る為に行動を始める。

 アルミンはともかく、ミカサの戦闘力を知っている私としては非常に心強い味方が傍にいると思う。

 

「続け。エレンを守る」

「……分かっています」

 

 私の台詞に、予想通り不機嫌そうな反応を返すミカサ可愛い。

 分かってますよ。エレンはミカサが守るんだよね。

 私、ミカエレ派だから安心して。

 でも結婚しよ。

 

「行くぞ。これが人類の、反撃の嚆矢だ!」

 

 調子に乗った私は、そんな格好つけた台詞までキメたのだった。

 嚆矢(こうし)って言葉、アニメのOP見るまで聞いたことも無かったわ。でも、カッコいいので良し!

 私の後にミカサが続き、その後にアルミンが続く。

 周囲には建物が存在せず、立体機動が使い辛い、厳しい状況だ。

 しかし、この戦いに絶望は無い。

 あるのは希望である。

 エレンは足を止めることなく、ゆっくりとだが確実に岩を運んでいく。

 それを邪魔する巨人どもに照準を定め、私は攻撃を仕掛けた。

 戦う私達を見て、エレンは何を思っているだろうか?

 やはり、原作と同じ、強い戦いの意思か?

 しかし、少なくとも――あの時よりも絶望的じゃないはずだ。

 安心しろ、エレン。お前の決意は分かっている。

 直接言葉で聞いたわけではないし、漫画の中で知ったなんてふざけた話だけど、それでも私には決意の一片くらいは伝わっているから。

 だから、共に戦おう。

 戦って、勝とう。

 私だってこの世界に生きる人間だ。

 巨人どもに対して思うことは一緒さ。

 

 

 

 ――いくぞ、くそったれの巨人ども。こいつが人類の反撃の第一歩だ。人間を舐めるな!

 

 

 

 その日、人類は初めて巨人に勝利した。

 原作を知る私にとって、ある程度予想できたこととはいえ、それが大きな快挙であることは実感出来る。

 何を比較していいものか分からないが、多くの兵士が死に、しかし決して少なくない数の兵士が生き残ることも出来た戦いだった。

 無事生き残ることが出来た私自身と、ミカサ、アルミン、そしてエレン。周囲を見渡せば、私の部下の他に原作で戦っていた見知った兵士達が生きて立っている。

 自己満足かもしれない。私の知らない兵士達は、何も変わらず死んでいったのかもしれない。

 しかし、急げるだけ急ぎ、伸ばせるだけ手を伸ばした結果なのだ。

 後悔は無い。

 リヴァイ達が援軍としてやってくるのを遠目で確認しながら、私は思った。

 私達、人間は巨人に勝った。

 だが同時に、これが新しい戦いの始まりであることを知っているのは、多分私だけだろう――。

 

 ……っていうわけで、まだ終わりじゃないぞい。もうちっとだけ(人類の戦いは)続くんじゃ!

 つまり、かなり長く続くフラグですね。分かります。

 はーっ、もう。本当にキッツイ戦いになりそうだなぁ……。

 




<次回予告>


リヴァイ「これは持論だが、躾に一番効くのは痛みだと思う」

 ――特に理由の無い暴力がエレンを襲う!

主人公(リヴァイ、マジドS……)

リヴァイ「俺でよかったな。クラリスが蹴ったら、歯どころか首から上が飛んでくぞ」

主人公(いや、それは流石にありえんって)
エルヴィン(ありえる……)
アルミン(ありえる……)
エレン(ありえる……)
ミカサ(あのチビ殺す)

 ――特に理由の無い勘違い系の展開がクラリスを襲う!

リヴァイ「クラリス、本当に掃除したのか? 全然なってない。やり直せ」

主人公(リヴァイ、マジおかん。結婚してくれ)

 ――特に理由の無い恋愛要素が展開を襲う!


<嘘です>


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戦う覚悟

この作品は、進撃の巨人の漫画やアニメを見て、各シーンで『俺が出ていってやっつける!』とか『お前に一言物申ーす!』とか『結婚しよ』とか思った時に衝動に身を任せて書いています。


 ゆっくりと、エレンの意識は覚醒していった。

 

(オレ……どうしたんだっけ? 岩を……そうだ。壁の穴は塞げたのか?)

 

 焦点の合い始めた眼に、辺りの光景が映り始めた。

 曇っている。そして、熱い。

 何故こんな熱気と湯気の中に自分がいるのか分からなかったが、周りの状況よりも、自分の近くにいる者達のことが気に掛かった。

 ミカサとアルミン。大切な友人達だ。

 二人が無事であったことに、思わず安堵を感じる。

 そして、三人目を呆然と見上げた。

 その兵士は背中を向けて、朦朧としたエレンとそれを案じる二人に代わって、辺りを警戒していた。時折、何かの指示を飛ばしている。

 エレンに見えるのは、背中ではためくマントとそこに刻まれた紋章だけった。

 

(――自由の、翼)

 

 調査兵団の所属を示す紋章だった。

 兵士が振り返る。

 

「気が付いたか?」

「……アナタは、クラリス・ハンニバル……分隊長」

 

 エレンの呟きに、クラリスは小さく頷いて返した。

 未だに頭の中は混乱している。

 作戦は成功したらしいが、そこに至るまでの経過が曖昧だ。

 一体いつの間に、クラリスがこの場に現れたのか、エレンには分からない。

 ただ、彼女と共に自分は戦ったのだという実感だけがあり、そしてそれに対して場違いながら感動する気持ちが湧き上がっていた。

 クラリス・ハンニバル――伝説の兵士。

 多くの恐れられる噂を持った人物だが、エレンにとってそれらは尊敬と憧れに繋がるものでしかなかった。

 エレンの持つ巨人への飽くなき憎悪と殺意。

 

 ――巨人どもを、一匹残らず駆逐してやる。

 

 その信念を現実に具現化し、極限まで極めた彼女の存在こそ、エレンにとっての理想像に他ならないからだ。

 クラリス・ハンニバルこそ、人間の身でありながら巨人さえ恐怖させる最高の兵士なのだ。

 

「あ、あの……っ!」

 

 纏まらない思考のまま、それでもエレンは何かを話しかけようとした。

 その『何か』が何であるか、全く考えていなかったが、とにかく言葉を交わしたかった。

 しかし、そんな熱に浮かれされたようなエレンの行動をミカサとアルミンが抑えるよりも先に、別の兵士が遮った。

 

「ハンニバル分隊長!」

 

 駆け寄ってくる兵士の顔を見て、ミカサとアルミンが喜色を笑みを浮かべた。

 

「イアン班長!」

「無事だったんですね」

「おおっ、二人とも! そちらこそ、無事でよかった!」

 

 一時期は、エレンを守る為の囮となることさえ覚悟したのである。

 結果的にとはいえ、無事に生き残れたことを三人は僅かな間喜び合った。

 

「……イアンといったな。どうした?」

「し、失礼しました!

 周囲の巨人の掃討が、たった今完了したところです。区内にはまだ多く残存していますが、リヴァイ兵長率いる部隊がそれらを駆逐しつつ、こちらへ間もなく到着するそうです!」

 

 イアンの報告に、クラリスは頷いて返す。

 何処までも冷静で、寡黙な態度だった。

 しかし、その不動の姿勢が、却って頼もしさを感じさせる。

 

「だが、何故それを君が報告する? 私の部下はまだ戦闘中か?」

「それなのですが……こちらに」

 

 クラリスの問い掛けに対して、イアンは言葉を濁しながら促した。

 少し離れた場所に、クラリスの部下が横たわっていた。

 本来ならば、彼が分隊長へと報告を伝える任を請け負っているはずである。

 しかし、もう彼にそれは出来ない。

 その兵士は、重傷で、死に掛けていた。

 

「先の巨人との戦闘で……もう、助からないそうです」

 

 イアンはクラリスにだけそっと伝えた。

 エレン達にはもちろん聞こえていない。

 しかし、眼に映る光景から、彼らの事情を察することは出来た。

 今や、戦況は人間側の優勢である。

 作戦の成功により兵士達の士気は上がり、戦いはもはや残った巨人の残党狩りとなった。

 精鋭であるハンニバルの分隊が加わったことで、単純に戦力も増している。

 

 ――しかし、それでも犠牲はなくならない。

 

 精鋭の兵士であるから生き残れる、などといった保証は何処にもないのだ。

 人類は勝利した。

 作戦は成功した。

 しかし、目の前の兵士は死ぬのだ。

 クラリスは無言で歩み寄った。

 

「分隊長」

 

 かすれた声で、その兵士は言った。

 

「勝ちました」

「ああ」

「人間が、勝ちました。自分も、巨人を多く殺しました」

「ああ。ご苦労だった」

「はい。しかし、これ以上貴女にお付き合い出来ないのは……無念です」

 

 声は力を失い、顔には明らかな死相があらわれている。

 誰の眼にも、彼の命が消えようとしている様が見えていた。

 

「許しは乞わない」

 

 部下の健気な言葉に表情を変えず、クラリスは淡々と告げた。

 

「だが、後悔だけはさせない」

 

 最期に掛ける言葉としては、あまりに暖かみのない、事務的な言葉。

 しかし、その言葉を受けた兵士は、これ以上無いほど満ち足りた笑顔を浮かべ、そしてゆっくりと眼を閉じた。

 眠ってしまったのかと錯覚するような穏やかな表情のまま、その兵士は息を引き取った。

 

 ――いや、本当にそうなのかもしれない。

 

 二人の兵士のやりとりを見ていたエレンは、ぼんやりとそんなことを思った。

 力を使い果たし、戦い抜いた一人の兵士が、ようやく心安らかに眠ることを許されたのだ、と。

 何一つ不安の残らない死に顔だった。

 自分が死ぬことで残される、巨人との今後の戦いなどの数々の懸念を、クラリスが全て請け負ってくれたのだ。

 きっと、あの兵士に後悔は無かったに違いない。

 

(ああ、そうか……)

 

 死を恐れぬ、調査兵団随一の戦力と勇猛さを誇る狂戦士の分隊――その秘密が、エレンには少し分かったような気がした。

 彼らは死を恐れぬのではない。

 きっと、死ぬことを後悔しないのだ。

 自分達の死をクラリスが無駄にしないことを知っているから。信じているから。

 

 ――『許しは乞わない。だが、後悔だけはさせない』

 

 彼女は『許してくれ』とも『せめて安らかに』とも言わなかった。

 そんなありきたりな言葉で、死に逝く兵士の魂を慰めようとはしなかった。

 

(だから皆、あの人の為なら死ねるんだ)

 

 エレンの中で、クラリスに対する遠い憧れが同じ兵士としての信頼へと変わっていた。

 

 

 

《現在公開できる情報》――ハンニバルの分隊は他の分隊よりも明確な捨て身の囮戦法を主に使っている。危険度は高いが討伐率も高い。

 

 

 

『後悔だけはさせない』

 

 ――本当にそうだろうか?

 

 この台詞を言った新城さんは、自分の言葉をそんな風に疑った。

 絶対の自信のある指揮官なんていない。

 いるとすれば、そいつは危険な奴だ。自分の無能を疑わない指揮官は、部下を平気で無駄死にさせる上に反省すらしない。

 私が部下を持ち、彼らが私の命令で死ぬことを経験するようになった時、その犠牲に対して常にこう考えるようにしていた。

 フィクションの中にあった新城さんの苦悩が、今は実感としてよく分かる。

 どれだけ繰り返しても、部下の死を完全に飲み込むことなんて出来ない。

 ましてや、それに対して不感症になることは無理だし、許されないことだ。

 結局、私は新城さんの考え方に倣って、部下の死を無駄にしない戦いを徹底することしか出来なかった。

 こんな上官の下で働いて、最期の瞬間に彼らは本当に後悔も無く逝けただろうか?

 分からない。

 死に際の言葉で伝えてくれた奴は何人もいた。

 だが、それを鵜呑みには出来ない。

 私はそんな彼らに、ただ上手く夢を見せたまま逝かせてやっただけじゃないのか?

 今の言葉もそうだ。

 私には分からない。

 分からないからこそ、それが正しいと信じて私は戦い続けるしかないのだ――。

 

「――分隊長。ハンニバル分隊長?」

 

 名前を呼ばれ、私は我に返った。

 えーと、誰だコイツ?

 あ、そうそう思い出した。

 初対面だ、こいつ。

 では、名前を『モブ』と仮称しておこう。

 

「どうされました? やはり、エレン・イェーガーとの面会は中止しますか?」

「いや、ただの考え事だ。彼とは会う」

「……分かりました」

 

 ウジウジと悩んでいた私は、今の状況を思い出して、意識を切り替えていた。

 トロスト区内での激戦から数日後。

 既に市街地の巨人の掃討は終了し、そう言っていいのならば事態が一段落していた。

 しかし、問題は山のように残っている。

 街自体の被害はもちろん、多くの兵士が死んだ。

 それは戦いの舞台となった壁内の駐屯兵団と、駆けつけた調査兵団にも言える。

 調査兵団は元より壁外調査任務の途中だったからしょうがない――『しょうがない』なんて思うようになった自分が嫌だ。死にたい――とにかく、兵員の補充や部隊の再編成など、やるべきことは多い。

 そんな中で、私は結構暇していた。

 仕事がないわけではないが、任務後は私には必ず一定期間の休暇が与えられるのだ。

 私の分隊が任務のたびに当たる戦闘の過酷さと、その結果の損耗率を考えて与えられた補給期間のようなものだった。

 要するに、ガーッと働いて、グーッと休む。

 私を含む、ハンニバル分隊の兵士には、そんな優遇が許されていた。

 これはエルヴィンの独自の配慮だった。

 調査兵団の中にある一介の分隊に、あまり特別な待遇をするわけにはいかないからだ。給金の割り増しとかね。

 本人は『君達の出してくれる成果に比べれば、到底釣り合わない気休めだ』と申し訳なさそうだったが、他の兵士はともかく私は十分にありがたいよ。

 っつか、正直私の場合、休息あんまイラネ。

 体力だけは有り余ってるからねー。

 休んでる間に何かする趣味もないし。

 これは前世の知識を持つ微妙な弊害だったりする。だってこの世界、漫画とかアニメとか娯楽要素が全然ないんだもん。

 暇な時にやることと言ったら、漫画では絶対に知ることの出来ない原作キャラの普段の動向を観察して内心でニヤニヤすることくらい。

 以前、それをリヴァイ相手にやってたら『邪魔だ。うぜえ』と邪険にされた。

 ちなみに、その時の私の心境は『やだ……リヴァイに罵られちゃった。結婚しよ』だった。

 原作キャラとの交流って、私にとってテレビの中の芸能人と一緒にいるようなもんなんだよね。基本、何されても許せる感じ。

 そんな私なので、今回も不意に思いついて、エレンに会いに行くことにしたのだ。

 巨人化して壁の穴を塞いだエレンは、当然のようにその後拘束されて、牢屋に送り込まれた。

 作戦を成功させた功労者には間違いないはずなのだが、不穏で不明瞭な部分も多すぎる。

 こればっかりは、どうしようもなかった。

 大人しく、原作通り公の場で周りを納得させるしかない。

 私も弁護しようとは思ったのだが、さすがに一人で喚いてたってどうしようもないし、逆に話が複雑になるだけなんで自重しておいた。

 しかし、だからといってこのまま放置っていうのも、さすがにエレンが不憫すぎる。

 ミカサとアルミンも別に連れて行かれて、どうしてるか分からない。まあ、多分事情を知る為の尋問くらいで、物騒なことにはなってないだろうけど。

 原作と違って、一緒に戦ったイアンとか生き残ってるから、フォローする人も多いと思うしね。

 色々考えた結果、私は一番不自然ではないエレンに会いに行くことにしたのだった。

 ちなみに、何故不自然ではないかというと――。

 

「この先の牢屋に拘束しています。今は大人しいですが、十分に注意してください」

「愚問だ」

「そ、そうでした。すみません!

 ……本当は、休暇だというのにハンニバル分隊長に来ていただいて、我々としても非常にありがたいです。奴が万が一巨人になった場合、どう対処すればいいのかずっと不安でした」

 

 まあ、要するに原作でリヴァイも使った『私ならこいつを殺せる』理論で面会許可を貰ったのである。

 会う理由はどうでもよかったが、とりあえず『興味を持ったから』にしておいた。

 巨人になる人間の存在に興味を持たない方がおかしい。

 ただ、それ以上にビビッて、誰もが会うのに腰が引けるだけなのだ。

 私は特に不審に思われることもなく――むしろ喜ばれて――エレンと会うことが出来るようになった。

 当然、私は不安も緊張感も抱いていない。

 漫画の情報とはいえ、エレン・イェーガーというキャラクターを知っているからね。

 むしろ、そんな私の平然とした対応を見て、周りの奴らもちょっとくらいエレンへの態度を軟化させて欲しいもんだ。

 私を連れてきた兵士も、そして今、ドアを開けて中に入った時に見た見張りの兵士も、皆眼が死んでる~♪

 

「おおっ、ハンニバル分隊長! 助かりました!」

 

 駆け寄ってくる見張り。

 助かりました、とか言うなや。エレンが傷ついちゃうでしょうが!

 

「え……っ!? クラリス・ハンニバル、ですか!?」

 

 私の突然の登場に驚いて、鉄格子の先のエレンが立ち上がろうとした。

 ジャラジャラッと鎖が大きな音を立てて、周りの兵士が一斉に息を呑む音が続けて聞こえた。

 ……いや、皆ビビりすぎだから。

 

「おいっ、動くな! 暴れたらぶっ殺すぞ、化け物め!」

「あ……す、すいません」

 

 理由のない言葉の暴力がエレンを襲う!

 ――茶化してる場合じゃないか。

 完全に化け物扱いだ。これじゃあ、エレンの心のダメージが甚大だよ。マジで不憫すぎる。

 人類の希望にして、主人公様になんという扱いか!

 まあ、そんなこと周りに言ってもどうしようもないんですけどね。

 分かってる私が、なんとかフォローに回るしかない。

 その結果、不審に思われようが、敬遠されようが、それはどうでもいいことなんだ。重要なことじゃない。

 

「牢屋の鍵は?」

「あ、はい。こちらです」

 

 差し出された鍵を無言で受け取る。

 こういう時、私の肩書きや強面が、相手に有無を言わせない効果を生み出す。数少ない利点だ。

 私は周りが止める前に鉄格子に近づき、素早く鍵を開けて、中に入った。

 

「な、何を……!?」

 

 周りの兵士に加えて、中にいたエレンまで驚いているが、その隙を利用して私は残りの行動を完了させた。

 エレンの両手の枷まで外して、最後に持っていた鍵を鉄格子の隙間から見張りの兵士に投げ渡す。

 ふっ、勢いに任せてやってやった!

 後は知らんふり、もしくは無言で凄んでやるだけで現状は維持されるだろう。

 

「何をなさってるんですか、分隊長!?」

「早く出てきて下さい! いや、それよりも早くその化け物に枷を――!」

 

 案の定、見張りの兵士達が泡を食って喚いているが、やっていることはそれだけだ。

 腰が引けてる奴ってのは、大抵消極的だからな。牢屋の中に入って私を連れ出そうと奴や、ましてエレンに近づいて枷を嵌め直そうとする奴など皆無だった。

 周りを無視して、私はエレンのいるベッドの端に腰掛けた。

 

「あの……よかった、んですか?」

 

 自由になった両手を擦りながら、エレンが恐る恐るといった感じで曖昧に尋ねてきた。

 よかった……か。

 やべえ、今更になって緊張してきた。

 ――だって、主人公様とこんな近くで顔をつき合わせてるんだよ!?

 やだ、あたしったら鼻毛とか出てないかしら? っていうか、顔面に馬鹿でけえ傷を刻んだ女とか不気味に思われてないかしら?

 

「枷のことか?」

「それもありますけど……」

「君が巨人化すれば、あんな物は意味がない」

 

 私は鉄格子の向こうにいる兵士どもにも聞こえるように、ハッキリと言ってやった。

 拘束してる、って事実だけで安心してるよね。想像が及ばないだけだろうけど。

 

「それに、中に入ってきたりとか……オレが、怖くないんですか?」

「近い方が君をすぐに殺せる」

 

 不安にだけさせて、騒いで大事にされても困るから、リヴァイの言い方にあやかって安心要素も付け加えておく。

 ……そしたら、今度はエレンが顔を青褪めさせて落ち込んでしまった件。

 ごめん。もう、ドSのリヴァイの真似なんてしないから。

 

「それに、なによりも君を信じている」

 

 慌てて、私は更なるフォローを付け加えた。

 本当だよ? 後付っぽく聞こえる理由かもしれないけど、こっちがメインだよ!

 エレンに疑われないように、私は真っ直ぐに眼を見つめた。

 届け、私の誠意!

 

 ――眼を逸らされた。死のう。

 

 

 

《現在公開できる情報》――戦闘時の苛烈な印象から、ハンニバルの異名は他の兵団にまで広く轟いている。また、当人も普段から目立つ。

 

 

 

 エレンは思わず眼を逸らしてしまった。

 

(顔、見られてないよな?)

 

 顔を背けたまま、気づかれないように深呼吸をする。

 急いで――というのも奇妙な表現だが、心臓の鼓動を落ち着けることに集中した。

 多分、真っ赤だろう自分の顔を、目の前の女性に見られたくはなかった。

 

(不意打ちすぎだろ……なんで、この人あんなことをハッキリ言うんだ? しかも、真っ直ぐにオレを見て)

 

 すぐ傍にいるクラリスの言動に対する感想は、悪態というよりも照れ隠しのようなものだった。

 やはり、歴戦の兵士という者は普通とは違うのだろうか?

 この牢屋に入れられるまで、あるいは入れられてから、向けられる視線はほとんどが怯えや嫌悪に染まったものだった。

 それも当然だ。

 忌むべき巨人――エレン自身にとっても全ての悪感情の対象である巨人に変身する人間なのだ。

 恐れ、疑うのは当たり前のことだった。

 当たり前――だが、しかしそれでもここ数日の出来事は堪えていた。

 周りの兵士達は、誰もが心の底から思って自分を『化け物』と呼ぶ。

 孤独で、不安だった。

 そんな時に、クラリスは不意に現れ、あの言葉をそれこそ当たり前のように口にしたのだ。

 

 ――君を信じている。

 

 自分自身でさえ、自分を信じられないというのに。

 自分を怖がらなかったのは、幼馴染であるミカサとアルミンだけだった。

 では、この人は何なんだ?

 この人の眼に、自分はどう映っているんだ?

 疑問や疑念は多く、そしてやはり気恥ずかしく――少しだけ嬉しかった。

 

「……あの」

「何だ?」

「あ、いえ……なんでもない、です」

「そうか」

 

 口数の少ないクラリスの対応に、エレンも話を切り出せなかった。

 どっしりと腰を降ろし、まるで瞑想でもしているかのように眼を瞑っているクラリスの横顔を、エレンが度々伺うという流れが繰り返された。

 間近で見る伝説の兵士の凛々しさ、刻まれた傷の凄惨さ、そして何よりも美しさに、エレンは気を取られていた。

 戦闘になれば変貌すると言われる狂戦士クラリスの、普段の姿。

 なるほど、戦いで畏怖される姿とは対比となる、落ち着いた姿だ。その静かな雰囲気には安心感と、女性としての包容力すら感じる。

 そして何よりも、この状況であまりに無造作な姿だと思った。

 いざとなればお前を殺せる、と――。

 そう断言しておきながら、そんな状況になることなど欠片も思っていないような、無防備な横顔だった。

 

(だったら、何でこの人はここに来たんだ?)

 

 自分を監視する様子もなければ、何か尋問するわけでもない。

 ただ、黙って傍に居る。

 ここに来てクラリスがやったことと言えば、枷を外して、自分と外の兵士達に警告しただけだ。

 その行動の結果、エレンの負担は減っていた。

 まるでクラリスが盾になっているかのように、牢屋の外の兵士達はエレンにあの視線を向けることを止めている。

 クラリスが来てくれたことで、随分と楽になっている自分に気がついた。

 

(……オレに気を使って?)

 

 エレンはふと、思い浮かんだ可能性を、すぐさま否定した。

 

(何、自意識過剰になってんだオレは!? この人がオレなんかの為に、そこまでするはずねえだろ!)

 

 内心で自分に言い聞かせながら、それでも淡い期待と喜びまでは否定出来ない。

 だが、いやしかし――一人悶々とするエレンと、その傍に居続けるクラリス。

 二人の様子を、牢屋の外の兵士は奇妙なものを見るような眼で見張り続けていた。

 そして、どれだけ時間が経っただろうか。

 新たに二人の兵士が、この場へ訪れた。

 

「――あ! クラリス、来てたの?」

「ハンジ。それに、ミケか」

 

 クラリスと同じ調査兵団の仲間であるハンジとミケだった。

 

「っていうか、勝手に檻の中に入ってるし」

「エレンを出しにきたんだろう」

「そうなんだけどね……」

「出してくれ」

「……はいはい、分かったよ。もう、君の行動には何も言わない」

 

 ハンジが呆れたようにため息を吐きながら、それでもすぐに苦笑を浮かべていた。

 今度こそ、正式な手続きの元エレンを閉じ込めていた牢屋が開放される。

 もちろん、エレンを拘束する為の手枷は再び嵌められてしまったが、それでも長い間様々な意味で圧迫され続けていた空間から出られることに、エレンは安堵した。

 クラリスを含めた数人の兵士に囲まれ、ただ促されるまま地下牢を出る。

 

「私は調査兵団で分隊長をやっている、ハンジ・ゾエ」

「あ、ハンニバル分隊長と同じ……?」

「彼女と同じレベルを求められても困るけどね。また別格さ。

 それと、後ろの彼も同じ分隊長のミケ・ザカリアス。そうやって初対面の人の匂いを嗅いでは、鼻で笑うクセがある」

 

 ハンジの説明と寸分違わない行動を取った無口な髭面の男を、エレンは戸惑った表情で見上げた。

 

「多分、深い意味は無いと思うね」

「はあ……あっ!?」

 

 エレンから興味を失ったミケは、次にクラリスの首筋へ鼻を近づけていた。

 探るように何度も小刻みに鼻を鳴らしていたエレンの時とは違い、静かに、深く深呼吸をする。

 そして、顔を上げた時には何故か誇らしげな笑みを浮かべていた。

 ここまでの一連の流れの中で、クラリスは全くの無反応である。

 エレンは呆気に取られたかのように、そのシュールな光景を眺めていた。

 

「――見ての通り、クラリスに対してはあからさまなんだよね。彼」

「は、はあ……」

「クラリスも嫌がる素振りを見せないから、毎回挨拶みたいにやってる。

 普通なら即死モノだと思うんだけどね、ミケの方が。クラリスも心が広いというか、無防備というか。

 まあ、こんな変態でも彼女は仲間として信頼してるし、実際に実力だけなら兵団でも肩を並べる精鋭さ」

 

 何か釈然としない気分のまま、エレンは廊下を進んだ。

 付き添いの兵士は何も話さず、クラリスとミケは無口である。

 ほとんどハンジだけが喋るまま、やがて一同は大きな扉の前に辿り着いた。

 

「ああ、ごめん。無駄話しすぎた。もう着いちゃったけど……大丈夫!」

 

 何の説明も受けないまま、目的地であるらしい扉の前に立ったエレンに、ハンジは言った。

 

「私達は、君を盲信するしかないと思っていた。けど、さっき牢屋にいたクラリスを見て、少し考えが変わったよ」

「どういうことですか?」

「彼女が君に何を感じたのかは分からないけど……クラリスは、君を信じたんだ。それだけで、私達も君を信じるに値する」

「――」

 

 思わぬ言葉に息を呑み、エレンは咄嗟にクラリスの方を見た。

 あの牢屋での時と同じ、真っ直ぐな視線が自分を見ていた。

 疑念も警戒もない。混じりッ気のない信頼の瞳だった。

 

「クラリスから、何か言うことはあるかい?」

 

 ハンジの方を一度見て、改めてクラリスはエレンを見据えた。

 

「……これから先、何を問われても、ただ思ったままを話せ」

「え?」

「お前が答えたことは全て、信じる」

 

 エレンは、これから先に何が自分を待っているかなど知らなかった。

 突然のクラリスの言葉に、戸惑ってもいた。

 しかし、ただ一つ。

 彼女の絶対の信頼だけは、確かに受け取っていた。

 疑問も、理由も、もうそれだけでどうでもいい。

 ただ、言われるまま、そうしよう。

 

「――はいっ!」

 

 エレンはその言葉にだけ、明確な意思を持って応えていた。

 

 

 

《現在公開できる情報》――原作知識を基準にした各キャラへの厚い信頼が、結果として好意的に受け止められている為、調査兵団内でのクラリスへの信頼もまた厚い。

 

 

 

 ――ハンジ。相変わらず性別不詳な体格と雰囲気がミステリアス可愛い。結婚しよ。

 ――ミケ。黙ってれば渋いイケメンなのに匂いフェチな変人ぶりがギャップかっこいい。結婚しよ。

 

 ふう、二人への挨拶を(内心で)済ませたぜ。

 親愛なる調査兵団の仲間達への挨拶は、いつも欠かせない。

 声に出してやったら色んな意味で破滅するからやらないけど。

 いやぁ、しかしハンジとは数日前の任務で顔合わせてるけど、付けているゴーグルと眼鏡の違いを楽しめて、二度美味しいな!

 ミケは相変わらずだけど、私の匂いなんて嗅いで楽しいかしら? 香水とか高級な物持ってないから、別に普通の匂いだと思うんだけど。

 まあ、気に入られているようなので良しとしよう。

 これがその辺の見知らぬおっさんだったら、即効張り倒しているんだが、ミケならオッケーさ。

 

「――いいから黙って、全部オレに投資しろ!!」

 

 ぼぅっと記憶を反芻していた私は、不意に響いたエレンの叫びに、内心でビクッてなりながら我に返った。

 おお、そうだったそうだった。

 今、私は審議所にいるんだった。

 エレンの今後を占う重要な場面である。

 といっても、原作知識を知っている上に、エルヴィンの考えを事前に聞いている私としては特に悩むところではない。

 エルヴィンはエレンの身柄を調査兵団で確保しようとしている。

 そして、その為の段取りは出来上がっているし、実際にその流れ通りになるはずだ。

 現実を見ていない憲兵団の偉そうな人とか、もう色んな意味でいっぱいいっぱいなニック司祭とかいう坊主ごときに、エルヴィンを出し抜けるはずがない。

 私は特に心配することもなく、またやることもなく、ただ観衆に混ざって事の成り行きを見守り続けるだけだった。

 ……うん、だから私はやることないんだって。

 何故に私が入室した瞬間に、周りの人間がさーっと道を開けて私を一番前に行かせたのか、分からない。

 何? 皆、何を期待してるの? 別にこんな所に立ってたって、何も特別なことしないよ?

 まあ、とにかく。今の立ち位置なら中央にいるエレンが良く見える。

 離れた位置にリヴァイとエルヴィン、ミカサとアルミンがそれぞれ集まっているのも見えた。

 ここに至るまで、完全に原作通りの流れである。

 途中でリヴァイが騒いだ保守派のおっさんに『豚野郎』発言をした以外は、特に意識を向けることもなかった。

 いいぞ、リヴァイ……もっと言ってくれ! 今度は私に向かって!

 そんな感じに駄目な思考をしつつ、表面上はキリッとした顔付きで前を向いていた。

 そして、ついに出た。先程のエレンの言葉である。

 主人公エレン様の名台詞の炸裂や!

 事前に言いたいこと言え、って助言したけど、本当に遠慮なく言うね。カッコいいぜ。

 感動する私を尻目に、周囲は静まり返る。

 当たり前といえば、当たり前か。得体の知れない力を持つエレンが、敵意とも取れる激情の発露を見せたのだ。

 誰の脳裏にも、エレンが巨人になって暴れ回る危険性が浮かび上がって当然の流れだった。

 咄嗟に憲兵団が銃を構えようとする。

 しかし、次の瞬間誰よりも早くリヴァイの蹴りがエレンの顔面を直撃していた。

 

 ――特に理由のない暴力がエレンを襲う!

 

 いや、もちろん十分すぎるほどの理由があるんだけどね。

 激発寸前だった状況に楔を入れ、エレンを痛めつけることで、彼に危機感と殺意を持つ者達の動きを一時的にだが沈静化させた。

 その上で、徹底的にエレンを痛めつけることで、別の危険性を周囲に自覚させる。

 もしもエレンが、自分に向けられる敵意に対して反撃しようとした場合、巨人化出来る彼を本当に殺せるのか?

 憲兵団を含めて、この場の多くの者達はエレンを油断無く警戒していたのかもしれないが、そういった具体的な部分に想像が及ばない程度に楽観はしていたのだろう。

 一通りエレンを嬲ったあと、リヴァイはそういった内容のことを周囲に言い示したのだ。

 この辺は、巨人討伐に実績と評価のあるリヴァイが言うと効果覿面だった。

 ……って言っても、さすがにエレンを蹴りすぎだと思うけどね。

 例の『躾に一番効くのは痛みだと思う』という名台詞は、多分周りをビビらす意図があってのものだと思うが、実はリヴァイが素で言ってた可能性も否めない。

 最後に『しゃがんでるから丁度蹴りやすいしな』って余計なこと付け加えている辺りが、ドSの本質を感じる。

 いいぞ、リヴァイ……もっと言ってくれ!

 

「――エレンの『巨人の力』は不確定な要素を多分に含んでおり、その危険は常に潜んでいます」

 

 そして、すかさずエルヴィンが意見を差し込む。

 完全に調査兵団側の主張が、場を支配していた。

 うーん、さすがだ。

 やっぱり、何の問題も無く話は進んでいる。

 

「そこでエレンが我々の管理下に置かれた暁には、その対策としてリヴァイ兵士長とハンニバル分隊長に行動を共にしてもらいます」

 

 ……ファッ!?

 ここでいきなり名前が出てきてビビる私。

 い、いや、別におかしなことでもないか。

 自覚薄いけど、私もリヴァイに並ぶ評価されてんのよね。エルヴィンが私の名前を持ち出すのも不思議ではない。

 

「この二人ならば、いざという時にも確実に対応できます」

「ほう……」

 

 なんか、原作よりも随分と強気な台詞に変わっているような気がしないでもない。

 とりあえず、その言葉でこの場の責任者であり兵団のトップであるダリス総統は興味を示してくれたようだ。

 

「できるのか、リヴァイ?」

「殺すことに関して言えば、間違いなく」

 

 ダリスに尋ねられたリヴァイは淡々と答え、次に私の方へ視線を送った。

 

「ハンニバルの協力があるなら、その中間も可能です」

「中間?」

「エレンを生きたまま無力化する」

「ほう、そこまで可能なのか」

 

 リヴァイの発言を受けて、ダリス総統を含む、この場の全員の視線が私に集中した。

 ……あれ? なんか予想外のプレッシャーがががが!

 いや、落ち着け私。有利な交渉の材料として、私を使ったというだけの話だ。

 ここで下手に自信の無い言動をしてしまえば、折角の二人の誘導が無意味になる。

 決然とした態度を見せ付けなければ!

 

「クラリス、君の意見はどうかね?」

 

 ダリス総統に、今度は私が尋ねられる。

 リヴァイとエルヴィンを見てみるが、二人は私を見るだけで何も口を挟もうとしない。

 わ、分かった……とりあえず、自信を持って請け負っておけばいいんだな?

 

「リヴァイの言うとおりです」

 

 私は出来るだけ迷いを見せないように、ハッキリと断言した。

 

「私がいる限り、エレン・イェーガーは確実に守り抜きます」

 

 断言した。

 その瞬間、辺りに奇妙な沈黙が走った。

 ……あれ?

 なんで、リヴァイってば小さく舌打ちしてんの?

 エルヴィン、私視力はいいんだよ。ちょっと眉を顰めたよね?

 ……な、なんだ……まさか。

 

「――バ、バカな! その化け物を守ってどうする!?」

 

 ド、ドジこいたぁぁぁーーーっ!!?

 上手く収まりそうだった場が、一気にざわつき始めた。

 叫んだのは、さっきまで大人しくしていたはずのニック司祭だった。

 

「そいつは神の英知である壁を欺き、侵入した害虫だぞ! 利用して殺すならばともかく、生かすなど! それでは話が違う!」

 

 そこを蒸し返すんかい! っつか、エレンが死ぬこと前提で話進めてんじゃねー!

 

「クラリス・ハンニバル。君が先程地下牢で取った行動は報告を受けている。

 随分と、エレン・イェーガーを信頼しているようだが、その根拠は何だ? 彼とは個人的な関係があるのか?」

 

 うおおっ、今度は憲兵団からの物言いまで!?

 私は一気に議論の矢面へ立たされていた。

 な、なんとかしないと! なんとかしないとぉ!

 

「クラリス・ハンニバル! 貴様のことは聞いているぞ!

 貴様はあの壁を……神の偉大なる御技であるあの壁を、不敬にも人の手で変えようとしたな! それも何度も! まさに神への不敬の顕れである!!」

 

 急に絶好調になるニック司祭。

 彼の言っている内容は、私が団長時代だった頃の話だ。

 畑違いとはいえ、それなりに権力を持っていた当時の私は、少しでも未来へ貢献するようにと、壁の武装案を何度も申請していた。

 他に立場の使い方なんて分からなかったし、本来よりも配備される大砲が一つ二つでも増えれば良かった。

 結局、眼に見えた効果は分からなかったが、少なからず壁の強化に役立ったと思っていた。

 そして、それは事実だったらしい。

 壁を神聖視するこの変な宗教団体に眼を付けられる程度には、私の発言は目立っていたのだから。

 

「人間風情が、神の所業に手を出すでない! ただ身を任せよ!!」

 

 ……アアァァ゛ーーーッ! もうっ、うっせえ!!

 

「黙れ」

 

 物凄く低い声が出た。

 本当は大声で叫んでやりたかったのだが、状況が悪化するだけだと思って必死に押し殺したら、なんか意図せずして凄い声が出てしまった。

 決して大きくはない音量だったが、妙に辺りに響き、一瞬周囲が静まり返る。

 多くの人間の息を呑む音が聞こえたような気がした。

 先程まで喚き散らしていたアホ司祭も、顔を青褪めさせている。

 私はまず、そのニック司祭を睨み、それから周囲の人間を見回した。

 あ、やべ。リヴァイやエルヴィンとかも見ちゃった。誤解しないでね、二人に敵意はないから。

 

「押し付けているだけだろう」

「な、何?」

「貴様も含めて、これだけ雁首揃えて、自分のケツに火がついてる時に、たった一人の異端者に押し付けているだけだろうが」

 

 この審議が始まってから建設的な意見は何一つ無く、エレンを殺せだの、挙句の果てに神がどうのこうの……喚いていた奴らを片っ端から睨み据える。

 ……なんか、言っててだんだんと腹が立ってきた。

 エレンを信用しろとは言わない。知らない奴からすれば、不安だろうしね。

 でも、現実として起こった出来事をちゃんと見ろ!

 エレンが何を思って岩を運んだのか。

 その周りで、多くの兵士がどんな思いで戦ったのか。

 そして何よりも――その為に何人の人間が死んでいったのか!?

 事実を見ろ。

 現実を、見ろ!

 

「これ見よがしに処刑してみせれば満足か? 危機感は消えるか?

 不安も恐怖も、エレン一人に押し付けて、吊るし上げ……生贄にしてるんじゃねぇ」

「そ……そいつは、神の威光を、け、け、汚し……っ」

 

 まだ、ニック司祭が何か言っているが、こいつの本性は分かっている。

 神という存在を信じているのではなく、ただ縋っているだけの駄目人間だ。

 自分の意思で語れない奴の言葉なんぞ、聞く耳持たない。

 

「その神の威光とやらが巨人を殺せないのならば、後は人間の手でやる。私がエレンを信用するのは、共に戦う人間だからだ!」

 

 多くの思惑があるのだろう。

 それらが錯綜し、事態を複雑にしている。

 原作でも、この世界は謎だらけだ。

 現実に生きる者として周りを見ていれば、それがより実感として分かる。

 ――だからこそ、エレンは何よりも信頼に値する。

 主人公だからではなく、隠された思惑や謎だらけの世界の中で、彼の想いだけはシンプルで力強く、何よりも偽りの無いものだからだ。

 だから、共に戦える。

 一緒に戦おうと思うんだ。

 暗闇に包まれた人類の未来は、他の誰でもないエレンを中心とした意思ある人間の手で切り開く!

 

「もしも、貴様が神に会えたら言っておけ――『ほっとけ』ってな!!」

 

 私は最後に、ニック司祭へ向けて叩きつけるようにそう言った。

 言ってやった。

 ……ふっ、さすがに効いたらしい。

 もはや神がどうこうとか何も言えず、ニック司祭は青褪めた表情でダラダラと汗を流す置物と化していた。

 狂信者にぶつける台詞は、やっぱりこれだな。さすがガッツさんだ。

 ふう、さて。

 言いたいことはいってやったが――。

 

 …………どう、収拾しようか? この事態。

 

 

 

《現在公開できる情報》――漫画『ベルセルク』の主人公『ガッツ』が狂信者相手に言った台詞。

 

 

 

 その部屋にいるのは、エルヴィンとリヴァイの二人だけだった。

 リヴァイは壁に背を預け、エルヴィンは机の上の書類に眼を通している。

 

「……クラリスの奴」

 

 おもむろにリヴァイが呟いた。

 書類に視線を落としたまま、エルヴィンは黙って聞いていた。

 

「必要なことは話さねえクセに、要らねえことばっかりベラベラ喋りやがって。デカイ声で」

「審議所でのことか」

「俺よりも言いたいことを言いやがった、クソが。スッキリするじゃねえか」

 

 なじっているのか褒めているのかよく分からないリヴァイの言葉に、エルヴィンは気づかれないように苦笑を浮かべていた。

 リヴァイはプライベートでは『クラリス』と呼ぶ。

 どういう意図があってのものかは未だに誰も分からないが、少なくとも彼女に親しみを感じているのは確かだ。

 普段から仏頂面のリヴァイだが、きっとあの審議所での一連の出来事には、笑みの一つも浮かべたかったのだろう。

 

「なかなか痛快な台詞だったな」

「アイツにあんな気の利く台詞が吐けたとは驚きだ」

「彼女が失言した際にはどうなるかと思ったが、結果的には良かった」

 

 審議は結局、調査兵団がエレンの身柄を預かるという結論に落ち着いていた。

 クラリスがあの発言をした後、辺りは静まり返り、反論する人間は一人として現れず、これ以上の進展は無いと判断したダリスによって、あの場は締められたのだ。

 必要以上にエレンを擁護するクラリスの発言も、結局有耶無耶のまま、それ以上指摘されずに終わった。

 誰もが何かを言いたかっただろう。

 だが、誰も何も言えなかった。

 強引な力技といえばそうだが、少なくともそれを行えるだけの力がクラリス・ハンニバルという兵士にはあった。

 王から与えられた権威ではなく、ただ個人の持つ圧倒的な迫力――カリスマ性と凶暴性を混ぜたような気迫が、周りの雑多な意思を飲み込んでしまったのだ。

 

「事態は我々の望んだ通りになった。そして、何よりもクラリスの本音が聞けた」

 

 エルヴィンは言葉の後半部分を強調するように言った。

 

「彼女は、間違いなく人類の味方だ」

「ああ。分かってるよ、そんなこと」

 

 エルヴィンの断言に、リヴァイが当然のように同意した。

 

「トロスト区の一件について色々悩んでいたが、これで決断出来たよ」

「そういえば、クラリスの報告書には何て書いてあったんだ」

「ああ、『勘で思ったから現場に急行した』と書いてあった」

「……あの馬鹿、少しは捻って書けってんだ」

「ハハッ、やっぱりリヴァイの入れ知恵か」

「俺の助言したまんまだよ」

「まあ、それを見ても分かるとおり、彼女は嘘を吐けるような人間じゃない」

「ああ。だからこそ、ハンジの言っていた、秘密の組織がどうのって話は現実的じゃない」

「ならば、クラリスには予知能力でもあって、状況を事前に知っていたから行動出来たとでも?」

「アイツが俺達の見たままの『アイツ』であるというのなら――そっちの方がまだ可能性が高い」

「……ああ、そうだな」

 

 リヴァイとエルヴィンは、クラリスと共に戦ってきた記憶を反芻していた。

 巨人と戦い続け、それを狩り続け、そして生き残り続ける――。

 何も複雑はことはない、単純なことだ。

 その最も難しいことを、最も長い時間続けてきた、まさに真の兵士だった。

 二人にとって、欠かすことの出来ない仲間だ。何度命を預け、何度命を預けられたか分からない。

 だからこそ、大きな信頼の中で日々深まり続ける彼女への疑念に、人知れず苦悩し続けてきた。

 クラリスは仲間だ。

 だが、彼女は自分達を欺いている。

 ならば――何だ?

 

「彼女は、我々の知らない『何か』を知っている」

 

 エルヴィンは確かめるように呟いた。

 

「そして、それを故意に黙っている」

 

 リヴァイは黙って聞いた。

 

「そして、それは――何らかの悪意や思惑からではない」

 

 最後にそう締めくくり、大きくため息を吐いて椅子に背を預ける。

 疲れたような仕草でありながら、表情は何処か安堵していた。

 実際に口にしたことで、心の中にわだかまっていた様々な考えが、全て綺麗に纏まった気分だった。

 

「これで、間違いないと思う」

「ああ。きっとな」

「たったこれだけの結論を出すのに、随分と気を揉んでしまった」

「全部、ハッキリ言わないアイツが悪い」

 

 エルヴィンは苦笑を浮かべた。

 今回ばかりは、リヴァイの軽口に同意したい気分だった。

 

「おそらく、彼女には不安があったんだろう。

 仮に予知能力の可能性が正しいとして、未来のことを見通せるということは、未来の流れを操れることとはまた別物だと考えられる。

 我々が彼女から未来の情報を知る――その段階で既に、その情報とは違っているという矛盾が起こる。起こり得る事態に対して対策を練り、その時点で未来は違う展開になる」

「アイツにも、選んだ結果は分からないってことか。俺達と同じように」

「そして、同じように迷い、後悔もするというわけだ」

「……ふん」

「安心したか?」

「うるせえ」

「私は安心したよ」

 

 エルヴィンの本音としては、ここまでの結論を推測ではなく、直に本人に尋ねることで確かめたかった。

 しかし、その結果彼女にどんな判断を強いてしまうのか分からなかった。

 クラリスは、それを切欠に自分達に知っていることを全て話してくれるかもしれない。

 その結果が良いものとなるのか、悪いものとなるのか、現状では全く判断がつかないのだ。

 クラリスのことは仲間として信頼しているし、よく知っている。

 そんな彼女が判断して、これまで黙っていたことなのだ。

 ならば、このまま自分達は何も知らないままの方が、少なくとも彼女の想定通りに物事は運んでいくはずだった。

 自分達だけ見通しの効かない状況に、不安はある。

 ただ、クラリスに対する信頼だけは、もはや揺るぐことはなくなっていた。

 

「彼女は人類の為に、ただひたすら巨人と戦っている――何よりも単純で力強く、そして偽りの無いものだ。だからこそ、彼女の全てが信頼に値する」

 

 エルヴィンの言葉に、リヴァイは無言の肯定を示した。

 

「クラリスへの追求は行わない。その上で、彼女には独自の判断に基づく行動権を与える。それでいいか?」

「お前の判断なら、俺は何も言わねえよ」

「リヴァイ。友人としての意見が欲しいんだ」

「……ああ。俺も賛成だ」

「我々は、我々なりに可能な人類逆転の為の布石を打つ。

 そして、もしクラリスにそれ以上の未来が見えているのならば――彼女には、我々を存分に踏み台にして跳んでもらおう」

 

 ――この日。

 クラリス・ハンニバルが未来を変える為の最も重要な決断が、当人の知らない所で成されていた。




サシャ、俺だ。放屁してくれ(静かな凄みのある顔で)
アニメのサシャマジ可愛い。特に八話は、原作からの予想通り神シーンだった。
何故、主人公の立ち位置を同期の訓練兵にしなかったのか超後悔。
この作品の最終話は既に考えてあるので、多分アニメが終わるまでにはこれも終わると思います。


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