新月の悪魔(かごの悪魔三次創作) (澪加 江)
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序章

夜でも明かりを失わない帝都・アーウィンタール。

その街灯りの届かない貧民街との境。

オンボロの一軒家の、これまたオンボロなベットの上にその少年は居た。

 

ありふれた、冴えない顔。貧しさのわかる身なり。

埃まみれの家の中でお腹を空かせた彼は、家族3人で使う大き目のベットに一人で丸まっていた。

 

「父さんも母さんも嫌いだ。すぐ帰ってくるって言ったくせに」

 

ぐうとなるお腹の音。不満を零す声には覇気が無い。

少年ーーカシュバはもう3日も水以外の物を口にしていなかった。

それもこれも、ワーカーである両親の帰宅が遅れて居るためだ。今までも何度かこういう事はあった。しかし今回はーー。

 

「寝よう。起きててもお腹減るだけだし」

 

月の光でもあれば、まだぼんやり外を見ていたかもしれない。しかし今日は新月。月すらも顔を出さない暗闇の日だった。

 

「早く帰って来ないかなぁ。お腹すいたなぁ」

 

少しづつ強くなる眠気。それを受け入れるようにカシュバは眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

ウルベルトにとって三度目の覚醒となるその日は今までで最も頭を抱える事になった。

自身の宿主ーーと言っていいのか謎だが状況と実態から言ってあっているはずーーのカシュバの両親が戻ってきていない。

カシュバの記憶を一方的に共有しているウルベルトからすれば事態は明白。カシュバの両親は残念ながら仕事の途中で死んでしまったのだろう。

 

「あー! どうする? つーかこれどうにもできないんじゃね?!」

 

目覚めたままベッドの上で転がるウルベルト。

彼はできるだけ冷静に今の自分(とカシュバ)の状況を考える。

 

ろくな教育も受けてないカシュバ。

両親の残したささやかな蓄えは、既にパンに変わって胃の中だ。

働く事を知らないカシュバ。

せめて後2年後だったら、奉公先や両親と同じワーカーの道もあったかも知れない。

両親の帰りを待つ哀れなカシュバ。

心の何処かでは両親の死を感じているのに、それを受け止めれずに目を逸らし続ける姿は哀れ以外の何者でもない。

 

そして自分はそんな彼に取り付く悪の大魔法使いにして偉大なる悪魔。

問題といえば新月の晩の、カシュバが寝ている時間にしか動けない事だろう。

 

「あーあ。魔法使いとしての自分の力は確かに感じるんだけどなぁ。どーすれば良いんだ……」

 

手を開いて、閉じて。

本能のように自覚する自分の有様。

日本に住む下層階級の人間ではなく、ユグドラシルで使い慣れた悪魔としての自分。事実今もこうして、光ない夜なのに全く視界に困っていない。

しかし魔法を唱えても、アイテムを取り出そうとしても何も起こらない。なんの変化も無いのだ。

一度目の目覚めは今の自分の状態に驚きすぎて何もできず、二度目の目覚めは色々試したがダメだった。しかし、三度目の今日はそうはいかない。カシュバの死が自分にどういう影響を及ぼすのかわからない以上、何とかして彼を生きさせねばならなかった。

 

「とりあえずなんか食うか」

 

狭い台所の戸棚を開ける。

両親が戻ってきた時に共に食べようと、カシュバがとっていた果物が一つあった。カシュバには悪いがどう考えても両親は戻らない。ならば今はこれを食べて空腹から逃れたい。

 

悪魔であるのに空腹を感じるのはやはりこの少年に取り付いているからなのだろうか?

 

刃物を使う時にそんな馬鹿な事を考えていたからだろう。刃こぼれが酷く、切れ味の悪いナイフを滑らせて指を切ってしまう。

 

「くっそ! 痛ぇ!」

 

もしここにポーションがあれば!

とくりと鼓動に合わせて血が溢れ出す。つい反射で切った指を口に入れた時、足元でコトリと音がした。

下をみるとそこには透き通ったガラス容器入れられた赤い液体。ポーションが落ちていた。

 

「なんでポーションがこんなところに……?」

 

カシュバの頼りない知識量でもこの世界でポーションが高額だという事は分かっている。

昔、ワーカーである両親からたまたま話を聞いていたのだ。

だからこそわからない。なぜポーションがこんなところにあるのかが。

 

しかし指を切って痛い今、あるものを使わない手は無い。店に売ればそれなりの値がつくだろう事など忘れて、ウルベルトはそれを指に垂らす。ゲーム時代だったら一瞬で体力ゲージが回復するのだが、そういったものが表示される事は無く、また、傷がふさがる様子も無い。

 

「あああ? なんだこりゃ。不良品か?」

 

引くことの無い痛みに不良品のポーションを投げて果物を剥くことに集中する。傷の痛みも血も止まってはいないが、これ以上空腹に耐えられなかった。

リアルで果物の皮を剥くなんて機会はウルベルトには無い。ギクシャクとナイフと果物に苦労しながら皮と種をとる。その行動の結果は歪な仕上がりの果物という形で現れた。

形で味が変わるわけでは無いと自分に言い聞かせたウルベルトは一番形の良い一欠片を口に運ぶ。

シャクリ。

少し柔らかくなっていたがまだ瑞々しい。口に広がる甘みにウルベルトは泣きたくなる。

美味しい。

今まで食べたどんなものよりも、美味しい。

ひどく惨めな気持ちになる。もしも自分のリアルがこの世界で、カシュバが自分だったのならば、あんな最期を迎えなかったのではと思ってしまう。あんな、使い捨ての部品として使い潰される事なんて無かったはずだ。

 

苦い気持ちが胸の中に広がる。それは口の中の甘さと混じり合い胃へと落ちる。

ウルベルトがこの世界に来て最初の食事はなんの変哲もない、歪に剥けた果物。そしてどうしようも無い自分への気持ちだった。

 

 

果物を食べ終えて人心地ついたウルベルトはこれからの事を真剣に考え始める。

使いかけだがポーションがある。運が良ければ買い手がつくかも知れない。

しかしそれでも宿主であるカシュバのこれからを考えると不足だろう。

 

「せめて手に職があればいいんだがな……」

 

若いだけでなんの取り柄も無い痩せっぽっちの少年なんて奴隷としての買い手がつくだろうか? ついたとしてもその後ちゃんと生きていけるのか?

ウルベルトは強く思う。

このままではいけない。

このままでは底辺のまま、上のやつらに使い潰されて終わりだ。そんなのはもう二度とごめんだった。

必要なのは教育を受けれるだけの金だ。カシュバが自分の力でのし上がれるだけの金が必要なのだ。

 

チャリン。

 

澄んだ金属の音。

見ると今度は金貨が2枚落ちていた。

 

「なんなんだ?! さっきまでこんなもの無かったぞ!」

 

周りを見回すがやはりそうだ。こんなものは無かった。あったとしたらカシュバがそれを見過ごすはずが無い。

金。

欲しいといった金。

 

再びの金属音。

 

その時ウルベルトの目に映ったのは未だ血の止まらない指から垂れるその赤い液体が、指から離れて床につく前に姿を黄金に変える様子だった。

ゴクリ。

喉を鳴らせて傷口を自分の爪で抉る。鈍い痛みとともに血が溢れ、それが金貨へと変わる。

 

やはりだ。なぜこんな事になっているのかはわからないが、これでカシュバは助かる!

 

ウルベルトは近くに置いたままだったナイフを振り上げ、それを自らの腕に突き立てる。激痛に顔をしかめながらも前後に刃を動かして引き抜く。

指を傷つけた時とは比べものにならない量の血が、金貨が溢れた。

 

「は、ははは、はははははは! あはははは!」

 

金貨の冷たい感触。それをナイフを捨てた手で味わいながらウルベルトは床に崩れ落ちる。満足だった。これで俺はまだ生きれる。

空腹に果物を一つだけ。そしてその後間を空けずにこんなに血を流したのだ。貧血で意識が遠のいていく。

 

「これでお前は大丈夫だカシュバ! 生きろ、生き残れよ! そして次も俺を起こしてくれっ! ははは、ははははは!」

 

床に倒れたまま悪魔は笑う。

我が宿主たるカシュバに幸いあれと。

我が人生に続きあれと。

 

 

 

翌朝起きた少年は腕の痛みと頭痛、そして床一面の金貨に途方にくれるのだった。

 



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かくて少年は門戸を叩く


キャプション必読です。




昼の日差しの中を勇壮な馬に引かれた馬車が通る。整備された街道とは言え、小さな段差が無いわけでは無い。しかしそれすらも無いかのように走るそれは、この国で最も尊い者だけが使うことを許された紀章を掲げていた。

 

 

流れる景色を見ながら若き皇帝は思案する。

美しく過酷なこの世界に生を受け、血で血を洗う争いの末に手に入れたこの豊かな国。

どのようにこの国を繁栄へと導くのか。どの様に民の暮らしを楽にするのか。

国を繁栄させる事、それが皇帝たる者の務めなのだ。

 

「そういえばじい、期待が持てそうな後継者は見つかったか?」

 

今回の帝都外への視察に同行した帝国随一の戦力にして居なくてはならない存在。

大魔術師、フールーダ・パラダイン。

 

「はてさて。いくつか目星はつけておりますが、正直私と比べましたら戦力の低下は免れぬでしょうな」

 

顎髭をしごきながら飄々と答える老人。彼こそ100年を優に生き、多くの知識を蓄え魔導を極めた人物である。

彼はゆっくりと瞬きをする。

自分の後継となり得るものは育てた。自分の知識を注ぎ、目をかけて育て上げた。

しかし、ついに自分を超える者は現れなかった、と。

長くを生きる為に止め、歪めた時間は綻びが多くなってきた。自分ももうすぐ死ぬのだろう。

結局、魔導の深淵を覗くことなく。

 

「そうか。……じいが居なくても、私が居なくても、この国には安泰でいてもらわねば困る。今のうちから常に最善を尽くして行動しなければな」

「何を言いますか陛下。言っておきますがこのフールーダ、貴方を看取ると決めているのです。まだまだ現役でございますぞ」

 

悪戯な光をたたえた瞳に見つめられ、ジルクニフも顔に笑みを浮かべる。

 

「ははは! そうでなくては困る! 是非私の子も看取ってもらいたいものだな!」

 

笑い声の響く車内。皇帝の紀章をつけた馬車は滑らかに進み、あっという間に帝都アーウィンタールへと着いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……い、ってぇ」

 

その日のカシュバの目覚めは最悪だった。

まず窓から入る強烈な朝日に目を焼かれ、冬間近の寒さに体を縮こませた。

そして走る激痛。

一気に覚醒したカシュバは飛び起きて、改めて自分の状態を確認した。

 

辺り一面は赤と金で埋まっている。赤は血、金は見たことは無いがおそらく金貨と呼ばれるものだろう。

そして痛みの原因である左腕は固まりきれてない傷口から滲むように血が出ていた。

右手にはべったりと血が着いたナイフ。

 

何が起こった?

強盗か? そんなわけが無い。強盗が金貨を置いていくだなんて話は聞いたことが無い。

寝てる間に寝ぼけて腕を切った? まさか誰かに操られた訳ではあるまいし。そんな馬鹿な事があってたまるか。

 

貧血で回らない頭を必死に動かすが答えは出ない。

確かなのは今、自分はふらふらで、自分の眼の前に大金があるということだけだ。それも、人生をやり直せそうな程の大金が。

 

(これがあればパンが買える。肉も。国の役人がやってきて言っていた税金ですらも払えるはずだ)

 

床に散らばる金貨のうちの一枚を手に取る。意外と重い。それに凝った作りの模様が彫ってあった。

 

ぐう。

 

派手にお腹が鳴る。

取り敢えず床に散らばったままではダメだ。急いで隠さないと。こんなもの近所の連中に見つかったら殺されて奪われる!

 

そこでカシュバは背筋が凍った。

 

そうだ、こんな大金を突然手に入れたら怪しまれる。銅貨やぎりぎり銀貨なら兎も角、金貨なんてものをこの貧民街に近い家の、それも子供が持ってるなんてわかっただけですぐに衛兵を呼ばれるだろう。

そして投獄。

さらによくわからない罪をでっち上げられて殺されるかもしれない。

 

「どうしよう。どうすればいいんだよ……」

 

八方塞がりだ。

よたよたとベッドに乗り上げ、外をぼんやりと眺める。昼のここ辺りは人通りもまばらだ。

日雇いの労働者が多いのでみんな生活の為に働きに出ているのだ。

その中に目を引く服を着た二人連れが見えた。

魔法学院の制服。

この貧しい人々が寄り添い暮らす中にもいる、恵まれた才能を持つ奴ら。

拳を握る。

俺だってチャンスさえあればああして笑顔で居られるのだ。チャンスさえあったら!

 

カチリと思考のピースがはまる。

あるじゃないか! 今! ここにチャンスが!

カシュバは急いでベッドのシーツに金貨を包む。山盛りの金貨はシーツの生地の方が負けそうな程の重さだった。

それをなんとか持ち上げてカシュバは嗤う。

俺は掴んでみせる。幸せを掴むんだ。偉い奴ら、生まれが恵まれている奴らになんか負けない位に幸せになってやる……!

 

一歩進むごとに背中の金貨が揺れてふらりと体が傾く。

塞がりかけの傷口は開き、一筋の血を流しているが気にしない。

そんなことは些細なことだ。

 

蝸牛の歩みでカシュバは帝国魔法学院。自らの運命に立ち向かった。

自らの道を切り開くために、彼は過酷な道への一歩を踏み出した。

 

 

 

 

帝都でも有数の大通りは今、一人の少年に釘付けになっていた。

その少年は貧相な身なりでひどい怪我をしていた。そしてそんな状態で粗末で大きな袋に重たい物を入れて運んでいるのだった。

人々は奴隷使いが荒い主人もいたものだとヒソヒソ声で話をする。

普通だったらそれに気づくだろう少年は自分のやっている事に手一杯なのだろう、全くなんの反応も示さない。

鬼気迫るその姿は衛兵すらも遠巻きにさせ、道の真ん中を歩いているというのに馬車の方が道を譲る。

 

しかしそこへ先触の騎兵がやってきた。

皇帝陛下が馬車で通られるというのだ。

そうなると道の真ん中にいる少年は当然退かなければならない。一平民が皇帝の馬車を遮るなどあってはならないのだ。

 

立派な身なりの騎兵が近づき少年は顔を上げる。

その顔には驚きがあった。

騎兵が退く様に理由もつけていう。それは奴隷だろう少年を慮った優しい口調であったのだが、少年はそれを気に入らなかった様だった。

激しい口論というよりは少年が一方的に喚き散らす声。しばらくは好きにさせていた騎兵も、通りの遥遠くに見えた勇壮な馬を認めて少年を急かす。すると少年は更に激昂する。

 

「なんで貴族なんかの為にどかなきゃなんねぇんだ! 俺を助けもしなかった奴にしてやる事なんざ爪の先ほどもねぇよ!」

 

少年がそう言いながら騎兵の手を解こうとした時に少年が背負っていた袋がとうとう重みに耐え切れず裂ける。

中から現れたのは金貨。

それをジャラジャラと石畳の上にこぼしながら少年の顔は真っ青になる。

 

「違う! これは俺んだ! 盗んだんじゃねぇっ! 返せ! 返せよっ!」

 

奴隷に対する同情的な目線から一転、犯罪者を見る冷たい視線を少年は敏感に感じ取る。

そして転がってきた金貨を拾い上げた男につかみかかると金貨をもぎ取ろうと暴れる。

辺りは巻き散らかされた金貨に騒然となり、それは皇帝の乗る馬車がつくまで続いた。

 

 

 

 

 

「騒がしいな」

 

テノールで紡がれる耳障りの良い声。

それに一同は顔を上げる。

馬車の窓から顔を覗かせたその美青年を、この国で、この街で知らない者はいないだろう。

皇帝、ジルクニフ。

あんなに騒がしかった辺りは静まり返った。

この皇帝の不興を買えばどうなるのか。それは彼の二つな”鮮血帝”が示している。

 

「何があったのか説明しろ」

 

おずおずと、先触の為に一番最初にここにきた兵士が手を挙げて簡潔に説明する。

 

「ほう? それで、私の道を遮った愚か者はどこだ?」

 

ジルクニフの目から既に体温はない。

たかが平民に情けをかけては皇帝としての格に傷がつくだろう。絶対者としての皇帝は道を遮った平民を許さない。実によくある話だ。

もっともジルクニフならたとえそれが大貴族だろうと同じだろうが。

 

「くっそ! 放せよっ!」

 

乱暴に突き出されたのは酷い身なりの少年だった。ジルクニフは冷めた目つきのまま思案する。

本当にこの少年が大量の金貨を持っていたのか? と。

 

「君、その金貨はどうしたんだい?」

「しらねぇよ! ……でも俺の家にあったんだから俺のものだ! これで学校に行って偉くなるんだ!」

「学校に? 一体どこの学校に入る気なんだ?」

「そんなの魔法学院に決まってんだろ! あそこ行けば偉くなれるんだ! 偉くなったら威張りくさってる貴族なんか目じゃねぇ! その為に行くんだ! 幸せになる為に!」

 

本来ならば、皇帝と平民はこうして直接言葉を交わす事すら出来ない身分の差がある。しかしジルクニフに背後から小声で話しかけるフールーダ。その言葉はジルクニフの興味を強く引いた。

普段だったらすぐに殺していただろう相手に言葉を続ける。

 

「君がもし十二分に優秀ならばそれを受け入れよう。皇帝として約束するよ」

「約束なんかいらねぇよ! こんだけの金さえあったら学校なんか入れるんだからな!」

「それは無理だろう」

「ああっ!?」

「君は字は書けるのかい? それとも読めるだけかな? まさか全く読み書きができないなんて言わないだろうね?」

「そ、それはーー」

「結構。では数学は? せめて図式を使った簡単な計算位はできるだろう? それとも教養の方が得意かな? どうして作物は実をつけるのかなんかは基本中の基本だしね」

「ーー」

 

少年から言葉が失われる。

当たり前だ。身なりのから言って平民というより貧民と言った方が正しい少年が、教養や数学、そもそも字の読み書きができるわけがない。

ジルクニフはそれでも顔に貼り付けた笑顔は外さない。フールーダの話が本当ならば、是非欲しい人材であるからだ。

 

「さて、君。君は私の力添えが必要という事で間違いないね?」

 

ここで立場の上下をはっきりさせる。そうでないと後々が面倒だ。

 

「……はい」

「ならば君の持つ金貨を全て貰おう。衣食住と勉強の手配位はしてあげるよ。期限は、そうだな。再来年の春にある入学試験にしようか。一年と三ヶ月程度だが、なに、君ほどの気概があれば大丈夫。試験には合格するだろう。もし合格できなかったら金貨の半分は君に返すよ」

 

やや一方的だが話を進める。

相手は見た目通り頭の回転は速くない。ならば畳み掛けるように今後をこちらの有利なように決めるのが交渉で大事なことだ。

 

ジルクニフは散々喋った後にパンパンと手を叩く。すると意を汲んだ護衛の兵士が通りに散らばっていた金貨を集める。

少年もそれに気がついて自分の持っていた袋を慎重に兵士の一人に渡した。

中々に気がきく。

ジルクニフは兵士が集めた金貨のうち、一枚を手に取り眺める。それはジルクニフが知らない模様が描かれていた。

 

「この金貨はどこで手に入れたんだ?」

「信じてもらえないかもしれないけれど、本当に気がついたら家の中に散らばってたんだ」

 

少年に嘘をついている様子はない。

ふーんと適当に流してその一枚をポケットに入れた。後で誰かに鑑定させれば何かわかるかもしれない。

 

「この少年を責任を持って魔法省の方へ連れてこい。それまでには君を預かってくれる家を探しておこう。勿論教師もな」

 

先触れを任せていた騎兵に命令すると馬車へ再び乗り込む。

 

御者が扉を閉めたところでジルクニフは少年に目を留めたフールーダに詳しい話を聞いた。

 

「見た目は凡人だったが、一体あれは爺の何に触れたんだ?」

 

フールーダのタレントのことならば知っている。おそらく強大な力が見えたのだろう。

そうたかをくくっていると、驚くべき答えが返ってきた。

 

「それがジル、何も見えなかったのです。あの少年は底が見えない。どれだけの高みに登れるというのか」

「何も見えなかった? それは魔力がないということか?」

「いいえ、それは違います。魔力は確かにある。確かにあるのです。ですが、無い。矛盾しているようですが、こればかりは同じタレントを持ったもので無いとわからぬ感覚でしょう」

 

あのフールーダが頭を抱えている。

事は思ったよりも大変かもしれない。

 

「という事は、将来、爺と同じ領域に足を踏み入れる可能性があると?」

「あるいはそれ以上かもしれません」

「第六階位以上か……英雄の領域だな。それならば無下にはできまい。こちらに忠誠心が向くように手配しなければな」

「その方がよろしいかと」

「貴族ではなく皇帝である私に忠誠を、か。先ほどの様子を見る限り一筋縄ではいかないだろう」

 

あの少年の行動を思い出す。

今の様子では、まずこちらに敬意を示させることからして難しいだろう。フールーダの話を聞くまで適当な商家に押し付ける算段だったのだが、もう少し慎重に彼の身の振りを考えなければならないようだ。

 

「陛下。私が最近注目している若い才能がございます。その者の家に預けるのはいかがでしょう?」

「ほう? 貴族か?」

「名前は貴族ですが……さてはて」

「ははは。なるほど、名前を教えてくれ。検討しようじゃないか!」

 

フールーダの言った名前は家名を残した者の中にはいなかった。おそらくは貴族位は剥奪されているだろう。しかし、そうだというのなら好都合だ。

自分の記憶にも残らない貴族など帝国貴族の中でも底辺、そして無能であるのだから。

 

(フールーダの教え子だという者には悪いが、貴族を嫌い皇帝に好意を持たせる為には十分有用だな)

 

最重要候補としてその名前を頭に残す。

詳しい事はあの少年が魔法省へと着くまでに調べさせておけばいい。

 

緊急をようする議題に結論が出たところでジルクニフは馬車の背もたれに体を預ける。

この国の皇帝となってからまだ日は浅く、今が大事な時なのだ。

 

(しかし、幸先は悪くない)

 

諦めかけていたフールーダの後継となるかもしれない少年。

凡庸な見た目に反して眼はギラギラと燃えていた。その光をジルクニフは好ましい気持ちで迎える。

わかりやすい者は好きだ。こちらでいかようにも操れる。

 

カラカラと馬車は進む。

その車輪は運命を回すかのように、静かに、しかし確実に先へと進んでいた。

 



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星明かりと林檎

 

 

「なんとかあの後、カシュバは首尾よく事を進めたみたいだな」

 

一月ぶりの目覚め。

体感としては昨日の事のなのだが、窓から覗く空に月はない。間違いなく新月。つまりあの時から一月は経っている事になる。

 

「しかしーー」

 

部屋を見渡す。

調度品は絢爛。ウルベルトの美的感覚からいうと些か成金趣味の目に痛いものだが、前に目覚めたカシュバの家と比べると雲泥の差だ。

体の様子を確認しても確実にこの間の目覚めより肉がついている。

 

「しかし、困ったな。貴族の家に厄介になるなんて。まあ人柄は兎も角、ちゃんと世話にはなってるみたいだしなぁ」

 

カシュバの記憶を辿ると色々と問題のある貴族のようだ。カシュバは分かって居ないが、貴族位を剥奪されたのに数々の散財、それに矜持の高さは毒以外にはならないだろう。

ウルベルトとしては最も嫌悪する類の人種だ。

 

しかし記憶を辿ったウルベルトを最も困惑させたのは、自分がこの元貴族に厄介になるきっかけとなった人物、”鮮血帝”についてだ。

評判を聞くには好感が持てる。ウルベルトの嫌いな特権を貪るだけの貴族を次々と粛清していっているという話を聞くだけで、胸がすくというものだ。

しかしウルベルトが警戒しているのはこの不自然な厚遇についてだ。

一国の国王が不審で身なりの貧しい少年になぜこんなにも良くするのか?

自分の存に感ずかれたかとも思ったが、どうやら違う様だ。

 

答えが出ない問題で悶々としているとお腹が鳴る。そういえば今夜のカシュバは夕飯を食べて居なかった。我が宿主の事ながら勉学に入れ込みすぎているようだ。元社会の底辺であるウルベルトにはその必死さに共感できる。最底辺の人間が成り上がるためには並大抵の努力では駄目なのだ。が、こうしてあまりの空腹感に襲われてはまともな考えの一つも持てないし、勉強の効率はすこぶる悪いだろう。

お腹が空いている現状にウルベルトは一つの決定をする。

 

(食堂に行けば何か食べるものがあるだろう)

 

食べ物の味を思い出し、口の中に唾液が溢れる。

リアルでは決して味わう事のできなかったあの瑞々しさ、優しい甘さ。

思い出すだけで口元が緩んでしまう。

 

(ひと月前に食べたあの果物があるといいな。それ以外にも色々とあるはずだし)

 

足は自然と食堂の方へ向かう。

館の主人にバレるとかという考えは今のウルベルトには無かった。だから食堂に行き、運良く見つけたお目当の果実に齧り付いて、呑み込んで、ひと心地ついてから、ウルベルトは冷や汗をかいて焦った。もっとバレにくいものを食べるべきだったと後悔した。

 

そして焦っていたから、そこにやって来た人物に気付いたのは声をかけられてからになってしまった。

 

「そこで何をしているの」

「うわぁっ!?」

 

ウルベルトは飛び上がって振り返る。手に持っていた齧りかけの果物が鈍い音をたてて床にぶつかり、そのまま転がって声の主の方へと向かう。

閉められた窓から差し込む微かな星明かり。

ウルベルトの暗闇でも見通す目に映ったのは、この屋敷の持ち主の娘の一人。長女のアルシェだった。

 

「アルシェ、様……」

「勝手に食べたのを咎める気はない。それよりも食べ物を粗末にするのは良くない」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

名前をなんとか思い出し、敬語を取り繕う。宿主と少女は親しい仲という訳ではないので、そこまで言葉や態度に注意は必要ないだろうが、用心するに越したことはない。違和感を持たせないように言葉を少なめに返す。

足元まで転がって来た果物を拾ったアルシェはそのままウルベルトに渡す。それをペコペコと頭を下げながら受け取り服の袖で良く拭く。

ウルベルトとしてはここを早く立ち去りたいのだが、先ほどからアルシェがじっと見てくる。気まずい思いを隠しながら、笑顔を貼り付けて声をかけてみる。

 

「お腹が減ってしまったもので、すみませんアルシェ様」

「好きなの?」

「え……?」

「その……林檎、好きなの?」

「え、ええ、まあ」

「私も好き」

「へ?」

 

話が見えない。

というかそうか、これが林檎なのか。リアルの世界で最底辺であったウルベルトはしげしげと手の中の果物をみる。みどり色の皮のそれはウルベルトが知識で知る林檎とは似ても似つかない。赤でも金でもない色の林檎があるなんて……。

 

(あのリア充だったら食べた事があるかもしれないな)

 

白銀の騎士が脳裏をよぎる。自分で思い出しておいて酷く腹が立った。

ふと視線をあげるとアルシェがむすくれた表情になっていた。少し沈黙が長すぎたかもしれない。

 

「えっと……」

「…………。私にも頂戴。両親には上手く誤魔化しておくから」

「……ああ。そういう事か。いや、でしたか」

 

我ながら気が利かない。むしろこうして女性と二人で喋る事など人生の中で一体何度あっただろうか。

女性の扱いを学ぶ機会がなかったのだから仕方がない。そう自分に言い訳をする。

果物の籠がのった机の上にあった小さなナイフをとると、慎重に皮を剥く。前回の出来ではとても人に食べさせれない。丁寧に丁寧にと注意をしてナイフを滑らせる。

暫くは室内にしゃりしゃりと林檎を剥くナイフの音だけが響く。

長い時間をかけて、なんとか不恰好ながらも人に出せるものが出来上がった。それを恐る恐るアルシェに差し出す。アルシェはありがとう、とお礼を言って受け取ってくれた。

 

「ん。美味しい」

 

一口それを齧り、それまで表情の乏しかった顔に笑みが生まれる。その笑顔を自分の剥いた林檎がつくったのだと理解したウルベルトの頰に赤みがさす。整った顔立ちの少女の笑顔は、ウルベルトの少ない女性経験では受け止めきれなかった。

 

(ああ、笑うと可愛い)

 

ぼんやり見ていたらかなりの時間見つめ続けていた様で不審な顔をされる。

それにハッと気づき、ウルベルトは慌てて頭を下げた。

 

「あ、と。それじゃあ俺はもう戻るんで、林檎の誤魔化しお願いします」

「ん。安心していい。それと、もう遅いから寝たほうがいい。あんまり頑張りすぎると体を壊す」

「ありがとうございます。お休みなさい」

 

わたわたと自分の部屋へと引き返す。

本当はもう少し屋敷内を見て回りたかったが、アルシェが起きている以上不審に思われてしまうだろう。それに体の疲労を強く感じる。

あくまでこの体の持ち主はカシュバであり、この疲労をどうにかするためには休息としての睡眠が必要なのだ。

 

(ああでも、アルシェについてメモくらい残さないと……流石に不審に思われるよな)

 

ベットへ向かう足を机へと向ける。

机の上にあるメモ用紙にペンをとって走り書きをする。

やっと文字をかける様になったカシュバと同じ程度の知識しかないウルベルトはなんとか『林檎 つまみ食い アルシェ お礼』と単語を連ねて残した。

カシュバも馬鹿ではないから、メモ書きにきっと不審に思いながらも寝ぼけて自分が書いたものだと勘違いするだろう。

そして次にアルシェに声をかけられた時、上手く察してくれるはずだ。

 

メモを残して安心したせいか先ほどよりも強い眠気が襲ってくる。

いそいそとベットに潜り込むと、ウルベルトは深い眠りへと落ちていった。

 



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順調な道のりと彼女の決断

 

 

カシュバは自分がアルシェの後輩として帝国魔法学院での4年を過ごすものだと思っていた。

それはアルシェの実家でありカシュバの寄宿先であるフルト家が、斜陽の元貴族であったからだ。アルシェの父親は未だに貴族であった頃の浪費癖が抜けずに、屋敷に商人を呼びつけては高価な買い物をする。既に貴族の特権を取り上げられ、収入はカシュバを預かるという名目で皇帝から金銭的支援をされている分だけ。にもかかわらず、その散財は減る事はなく、借金が膨らむ。

だからアルシェはそんな両親の為に稼ぎのいい、身分の保証された職につくべく魔法学院に進学し、優秀な成績を修め、ゆくゆくは国の高官になるのだと思っていた。

アルシェと、そしてこの屋敷に偶に顔を見せるジェット、そしてその幼馴染の少女。きっと人生で一番楽しくて素晴らしい学校生活がおくれる。

しかし、それはカシュバの魔法学院入学が決まり、ささやかなお祝いの席が設けられた席で崩れた。

 

 

煌々ときらめくシャンデリア。

いつもの三割増しで豪華な食事。

綺麗な飾り付けのされた室内はフルト家の家人と居候のカシュバの為に用意されたものだ。

そんな立派な祝いの席は既に終わりに近く、ゆっくりと寛ぎ食後の葡萄酒で口元を湿らせるフルト夫妻や、眠い目を擦って寝室へ向かう末の娘達の姿がある。

 

肝心の主役はというと、一番上の娘であるアルシェと共に綺麗に整えられた庭の、その中央にある東屋に居た。

東屋もきちんと手入れがされており、近隣の貴族の家と比べても遜色ない。もっとも、夜の月明かりだけではその見事さを十分に楽しむには心許ない。

そんな幻想的な雰囲気の中、声変わりを迎えた少年の声が響く。

 

「ワーカーになるって! 本気なんですか? 考え直して下さい!」

 

カシュバはアルシェに告げられた言葉に悲鳴の様な叫びを返した。

ここが誰も居ない庭とはいえ、流石に母屋の方まで聞こえるのではないだろうかと心配になる声量だ。

 

「私は本気。それにカシュバが心配する必要はない。これは結局、私の家の問題なんだから」

「心配する必要はないって……! 心配するに決まってるじゃないですか! せめて冒険者じゃあダメなんですか? 組合がある分まだそっちの方が……」

「カシュバ、私はお金が欲しいの。それもとても沢山。カシュバだったらわかってると思うけれど、うちの家計はもうどうしようもない。私が卒業するまでもてば、なんて甘い考えだった。冒険者の稼ぎじゃあもうダメなの」

「でも……。そうだ! ジェット! ジェットにも言ったんですか!? あいつなら俺と同じに反対するはずだ!」

「ん。カシュバ、それ以上はやめて。……大丈夫。私は第三位階魔法まで使えるし、チームはもう決まってる。皆んな優秀な人達ばかり」

「アルシェ様……」

「お祝いの日にこんな事言いたくなかったけど、カシュバにどうしてもお願いしたいことがあって」

「叶えられるならどんな願いでも聞きます! だからーー」

 

カシュバの言葉は唇に添えられたアルシェの指に遮られた。

柔らかい指だ。

苦労を知らない、いや、苦労は知っているが働いたことの無い人間の手だ。

この元貴族の令嬢としての手を捨てて、魔法省への道も捨てて、彼女はお金を稼ぐ為に危険へと身を投じるのだ。

(なんて愚かなんだ。きっと使い捨てられる。俺のように)

ふと、そんなおかしな考えが頭をよぎった。

その考えに疑問が湧く前に、アルシェはカシュバへ可愛いお願いをする。

 

「妹達を両親から守って欲しい。妹達だけが気がかりなの。カシュバに任せられるなら、私はどんな事があってもちゃんと戻って来られる」

 

それだけを貴方にお願いしたい。

 

アルシェの宝石の目がきらめく。

強い瞳だ。何を言っても、きっとアルシェは考えを変えないだろう。

そんな事は一年に満たない付き合いでもカシュバにはわかっていた。しかし同じワーカーであった両親の事を思うとだめだった。どうしてもカシュバはアルシェの言葉に頷けなかった。

 

「ありがとう、カシュバ」

 

頷かないカシュバに一方的にアルシェはそう言った。

カシュバの目から知らずに涙が溢れた。

カシュバがアルシェの妹達を放って置けない事なんてアルシェはわかりきっているのだ。それでもきちんと言葉にして頼む。なんて尊い愛だろう。

 

「生きて帰ってきて下さい。何があっても」

「勿論。カシュバも、大変なのは入学してからなんだから、勉強はしっかりとやること」

 

くるりとドレスの裾をはためかせてアルシェは一足先に母屋である屋敷へと戻る。

白いフリルが月明かりに反射してとても綺麗だった。

華奢な肩に一家の命運を背負おうとする少女。

胸に湧き上がる感情の意味を知る事なく、ぼんやりとその後ろ姿を見つめていた。

 

一体どれほどの時間をそうしていただろうか。カシュバも見えなくなった後ろ姿を追うべく、ゴシゴシと少し乱暴に目元を擦って立ちがった。

 

肥え太った月が照らす庭は明るく浮き上がる。しかしそれはすぐに厚い雲に隠れて一気に暗くなった。

それに嫌な予感を感じながら、それでもアルシェの決めた道なのだと、カシュバは見守る決意を固めた。

 

 

 

 

魔法学院での生活はあっという間に過ぎて行った。

少しでも自立したい、アルシェの足しになりたいとジェットに紹介してもらった仕事をこなしながらの毎日は、睡眠不足と疲労との戦いだった。

大変な生活だ。それでも2、3日おきに帰ってくるアルシェと話す時間は幸せだった。

 

それに、魔法学院での講義を通してカシュバに魔法の才能があった事がわかった。

理論も実験も、他の全ては貧民育ちのカシュバでは赤点ギリギリ。なんとか食らいついている状態だが、魔法の実技では既に第三位階まで使えるという非凡さを見せた。

一部の選民意識の強い貴族の子弟からの風当たりは強くなったが、自分の取り柄を見つけれた事でカシュバは更に自分の中で自信がついていくのを感じれた。

 

そして自分の中でアルシェに対する思いも高まっていた。

胸が詰まるような息苦しさ。

帰ってくる日を胸を高鳴らせながら待つ時間の焦ったさ。

 

カシュバはアルシェに恋をしていた。

 

彼女を幸せにしたかった。

 

 

 

 

「…………」

 

ウルベルトは自分が随分と長い間目覚めていなかった事を自覚した。

既に季節は冬。純度の低いガラスの嵌められた窓からさす星明かりは、その冴え冴えとした空気のせいもありとても明るかった。

芯まで冷えた体を震わせ、白くなる息をゆっくりと吐きながら体を大きく伸ばす。

痛む頰にはきっとインクと紙の跡が付いているだろう。

今回のカシュバは机で居眠りをしていた。あたりには勉強の跡が見える紙片。それに分厚い参考書。

最後にウルベルトが目覚めたのは入学したその月の新月の日。それは夏の終わりだったので、ゆうに三ヶ月は時間が経っていた。

 

(宿主の体調次第では外に出る事もできない……か)

 

それまで以上に睡眠時間と体力を削って勉強に打ち込んだカシュバでは、自分がこうして表に出る事も出来ないのだろう。

まるで籠の鳥だ。

自分ではどうする事も出来ない事に自由を制限され、囚われる。

 

いや、そもそも勝手にこの少年に取り憑いているのはウルベルトの方なのだ。

見当違いの不満をかき消し、ウルベルトは長い眠りの間にあったカシュバの身の回りの出来事を覗き見る。

順風満帆といったその学校生活に軽い嫉妬を覚える。

 

「魔法の才能なんて勝ち組コースかよ……。いや、ここは嬉しく思うところであって嫉妬するところでは無いのはわかっているが! くそ、どこぞの聖騎士じゃああるまいし! アルシェとも良い感じになりやがって」

 

一方的な不満を声に出すとスッキリした。

ガシガシと髪をかいたところでふと思ってしまった。

 

もうカシュバに自分の助けは必要無いのではないか?

 

いや、そもそも。最初の大金を出したきっかけ以降自分はカシュバに直接何かを働いた事はない。

それはその必要がなかったからだ。

全てはたまたまあった皇帝がお膳立てしてくれ、そしてそれにカシュバが応えた。

そこにウルベルトがした事なんてかけらもない。ただ知らない間にきっかけを与えただけの存在。

それがカシュバにとってのウルベルトだった。

 

「参ったな。これじゃあ俺は何の為にいるのかわかんねぇ……。ははは。この世界でも所詮は替えのきく、無くてもいい部品ってことかよ!」

 

自嘲のかわいた笑い声。

それに重なるように控えめなノックの音がした。

 

「え? あ、はい」

 

突然の事に間抜けな声で返事をする。

日が落ちた時間に行動するなど、この世界の住人では考えられない事だ。

魔法があるとはいえ夜の灯りは貴重品。とても高価なものであり、だから正直この時間起きている家人がいるとは考えなかった。

 

「カシュバ。起きてるなら少し話ししてもいい?」

 

アルシェの声だった。それも酷く弱々しい。

急いで扉をあける。

開けた先にはボロボロの姿をしたアルシェだった。

 

「アルシェ……様! どうしたんですか!」

「少しヘマをしただけ。大丈夫だから」

「とりあえずこっちに座ってください!」

 

マントは焦げ、顔は煤け、杖を握った手には火傷がみえた。

異臭とまではいかないが、若い女性からあまり臭って欲しくない臭いもする。

カシュバの記憶でアルシェを最後に見たのは一昨日。きっと困難な依頼を達成したのだろう。

水差しからグラスに水を入れてアルシェに差し出す。

 

「ありがとう」

 

両手でもったグラスから一気に水を飲み干すとアルシェの掠れ気味だった声に艶が戻る。

それに安堵を覚えながら改めてアルシェの様子を見た。

やはり記憶のアルシェよりも元気がない。それにこの時間にやってくるのは今までどのアルシェでは考えられない非常識だ。若い女が、男の部屋に、夜にやってくるなんて夜這いと思われても仕方がない。

もっとも、この姿をみて夜這いだと思う輩などいないだろうが。

 

「あの、カシュバ、灯りつけてくれると嬉しい」

「あ、すみません。暗かったですよね」

 

カシュバが勉強中につけていた灯りは寝ている間に消えていた。

今ウルベルトは夜目が利く自分の目のおかげでアルシェを見ているので、アルシェにしたら何も見えないだろう。

曇った窓では星明かりも不十分。アルシェには殆ど何も見えないだろう。

小さな灯りを出せる生活魔法を唱えると、ウルベルトにとっては眩しいほどの灯りに照らされる。

 

「その魔法、使えるようになったんだね」

「ええ。まあ、自分には階位魔法が向いてるみたいで、生活魔法を覚えるのは大変でした」

「珍しい。生活魔法が使えても階位魔法は使えないことが多いのに」

「はは。教師からは俺がタレント持ちでそのおかげじゃ無いかって言われましたよ」

「タレント……。確かにそうかも。……そういえば学校での話あんまりしてないね。どう、楽しい?」

「ジェットもいますし、楽しいですよ。最近やっと慣れてきたんで、少し勉強の量を調節しようかなって。授業中に酷い眠気に襲われるんですよ。そういうアルシェ様はどうなんですか? ワーカーの仕事は大変じゃありませんか?」

「ん。今日も少し仲間を危険な目に合わせちゃった。でも大丈夫。クーデリカとウレイリカもさっき寝顔をみたけれど、元気みたいで良かった。これもカシュバのおかげ」

「そんな、大袈裟ですよ」

 

カシュバを真似ての会話にウルベルトは嫉妬が湧き上がるのを覚えた。

アルシェが会話をしているのはウルベルトではなくカシュバなのだ。

(カシュバに嫉妬するなんて、俺は相変わらすのバカだ。自分をこの世につなぎとめる宿主にこんな感情を持つなんて無様だ。これで悪の大魔法使いなんて笑っちまう)

そんな事を思いながらも会話は弾む。

アルシェの仕事での話を聞いたり、ウレイリカやクーデリカの話をしたり。時間はあっという間に過ぎていく。

 

魔法の灯りが効果時間に差し掛かり、少し陰りを見せた。それに気づいたアルシェは満足したのかおやすみ、とウルベルトに別れを告げて出て行った。

 

 

「よし」

 

ウルベルトはゆっくりと立ち上がると机のペンたての横にあったペーパーナイフで自らの指を切る。垂れた血で床に大きな丸を描く。更に指を握って血を出す。

 

(お湯とうーん。ワーカーだから防具かな……後衛は特に紙装甲だから。いや、でも防具は流石に目立つから装飾品でそれっぽいのと、あとはーー)

 

血で描かれた円が輝きその中央にウルベルトが望んだものが現れる。

無限にお湯がでる瓶。ゲーム時代に気まぐれで作った魔法と物理攻撃に対する守りの首飾り。そして不死鳥の羽で作られたペンと無くなる事の無いインク壺。魔法ので限られた者しか読めないようにされた白紙の本。

 

「いい加減カシュバに俺の事を伝えなきゃな。困った時は頼れって。それに、うん。過労死なんてして欲しくない、しな」

 

ユグドラシル時代に参加していたギルドのギルド長との他愛ない会話の一つを思い出す。

確かあれは、どうして自分が特権階級を憎むのかといった話題だったか。

(たっちとの喧嘩のあとだったっけ)

モモンガさんの親や俺の親みたいにはなって欲しく無い、よなぁ。ここもくそったれな世界だけど、俺の身近な奴に過労死なんて、本当に。

部屋にある桶にお湯を注ぎながらなんとカシュバに自分の事を伝えようかと悩む。

アルシェの部屋にそのお湯を差し入れた後、部屋に戻ってゆっくりと内容を吟味しながら綴った。

最後の一文を書き終えた後、強い眠気に襲われウルベルトはそのまま机に突っ伏した。

 



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悪魔からの贈り物

 

「うー。さみい……」

 

その日のカシュバの目覚めは最悪のものとなった。

痛い体に痛い頬。冷め切って震える手足。カチカチと鳴る歯。そしてまだ夜明け前の真っ暗な室内。

ゆっくりと立ち上がり窓を開ける。

更に身を切る冷たい風が吹くが、時間を確認する方法をカシュバは他に知らない。

 

「ん? そうか、今日は月無いのか……」

 

都会の狭い空とは言え、明るく光る月が見当たらないのを卓上の日付表を見て納得する。

以前のカシュバだったらここでお手上げだったろうが、学校に通って一流の知識を詰め込んでいる今のカシュバはこの程度ではめげない。

 

「お。バジリスクの赤い右目が天頂って事は……夜中の3時ってとこか?」

 

時間の指標になる星座を即座に見つけて大体の時間を導くと、魔法で灯りを呼び出して机に戻る。

途中で寝てしまったがまだもう少しやりたい事があったのだ。その続きをしようとしたところで、カシュバは見知らぬ本が自らの机に開かれていることに気づく。

しかもその本には読みづらい文字で自分宛のメッセージが書かれていた。

カシュバの目は自然とその文字を追う。見逃してはならない重大な何かがそこに書かれている。そう心のどこかで確信があった。

驚くほど白い紙にコントラストの強い黒。滑らかなその紙面はペン先が引っかかりインクが滲んだ跡など一つもなく、上質な紙である事がわかった。

しかし、重要なのはそんな本の価値ではない。その本に書かれた内容は、カシュバに頭を石で殴られたような衝撃を与えた。

 

 

 

ーー初めまして。仮初めの宿主よ。

愚かなる人間にして、私に選ばれた憐れなる人間、カシュバよ。

我が名はウルベルト。

ウルベルト・アレイン・オードル。

悪の華と呼ばれたアインズ・ウール・ゴウンに名を連ねた悪の大魔法使い。

 

まずは私のくれてやった金貨でここまで見事に生き抜いたことに賞賛を贈ろう。何、私も宿主に死なれる訳にはいかないので感謝の言葉は必要ない。

 

今回私がこうして君に接触を図ったのは他でもない。私もこの世界を楽しみたいと思ったからだ。

おっと、悪魔の宿った身を嘆いて死ぬなんて愚かな真似はしてくれるなよ。君が今ここで死ねばどうなるか、それをよく考えることだ。

少なくとも君の大切なアルシェと、その妹達は酷い目にあうだろう。

私も昨晩話したが、なかなか素敵なお嬢さんだ。君が惚れるのも仕方がない程にな。

言っておくがこれはけして脅しではない。ただ私は事実を書き記しているだけだ。

 

さて、本題に入ろうか。

先ほどもここに書いたが、私はこの世界を楽しみたいと考えている。

だが安心したまえ、人間に害をなそうなど今はかけらも思ってはいない。君の貢献次第だが、今後も可能性は低いと思ってくれて構わない。

私の今の欲はただただこの世界に向けられている。興味があるのだ、この世界に。

ああ、けして支配しようだとかと言った意味ではなく、ただ純粋に見知らぬこの世に興味があるのだよ。

そして、この好奇心を満たす手伝いを君にして欲しいのだ。とても簡単だろう? しかも、私の魔の手から世界を救える。君の協力が必要不可欠なのだよ、宿主殿。

 

さて、では具体的な話に移ろう。

私から君にお願いしたい事はいくつもあるのだが、先ずは重要な事から。

第一。まずは君が健康に過ごし、しっかりと睡眠をとること。君の体は私の体でもあるのだ。大切にしたまえ。

第二。私は知識に飢えている。なので君が寝る前に興味深い本を置いておく事。内容はよく吟味したまえ。つまらない内容は嫌だからね。ああ、読み終わったらその旨をこの本に書いておくから、勝手に引っ込めないでくれよ。

第三。まあ、急に必要なものが出てくるかもしれないので、毎日この本を確認したまえ。気まぐれにしか君の体を使えない歯痒い身ではあるが、危機は突然やってくるものだからね。

 

さて、私のお願いはどうだったかな? 実に簡単、実に寛容ではないかね? その気になれば世界を滅ぼせる力をもつ大魔法使いが望むものがたったこれだけだなんて!

さて、私の要求はそんなものだが、勿論君にも私にお願いをする権利がある。

君が望むのならば、私が君の欲望を叶える手助けをしようではないか! 素晴らしい利点だろう? 持ちつ持たれつ、共に有意義な時間を過ごそう! まあ、対価と言ってはなんだが、その時には君の血を少しばかり頂戴することになると思うがね。

 

この私の提案を読んでくれた一先ずの見返りはそうだな。愛しの彼女にでもこのペンダントを渡したまえ。

彼女は随分と危険な仕事に身を置いているようだったのでね。私が加護を与えた首飾りだ。たいした物ではないが、無いよりはましだろう。

 

他に欲しいものがあるならばこの本に書くといい。

この私に出来ないことはないだろうが、まあ力の及ぶ限り君の願いを叶えよう。ーー

 

 

 

 

 

なんとか全ての文字を読み終わったカシュバは顔を青くした。

 

悪魔が! 自分に! とり憑いている!!

 

信じられない、いや、信じたく無い話だった。

しかし。

しかし思い返してみればそれは当たり前の事なのかもしれない。

 

“治癒拒否体質”ーーそれがカシュバのタレントらしい。

この世界の人間がごく僅かな確率でもつこのタレントと呼ばれる力は、発現した個人により千差万別である。役に立つものからどうでもいいものまであるなかで、カシュバが授かったのは“負った傷を治す行為”全般が無効化され、自らの回復力以外で治らないという負の力だった。

このタレントを知ったのはつい最近だった。学校で行われる魔法の実技授業はかなりの危険を伴う授業である。信仰系の魔法詠唱者がクラス毎に必ず一人付き、万一の事態に備えている程危険なものだ。

カシュバはその中で軽い怪我を負った。

共に授業を受けていた隣のクラスの貴族ーー確かランゴなんとかという名前だったーーがからかい半分にこちらに<魔法の矢>もどきを打ち込んできたのだ。

本人もまさか本当に打てるとは思っていなかったらしく、教師を含め様々な意味で混乱が起きた。そして怪我を負ったカシュバにかけた治癒魔法が不発に終わるという混乱もそこに追加された。

後日、薬草と包帯という原始的な治療で完治したカシュバに示されたのがこの“治癒拒否体質”というタレント名だった。

 

「きっと悪魔に取り憑かれた罰だったんだ。このタレントは! くそ! くそ! この悪魔の言った通り俺にはなんにもできない! 何もできない!!」

 

悔しさに頭が沸騰する。机を強く叩くが、感情は収まらない。頭をかきむしりながらカシュバは無力な自分を歯痒く思った。

 

何度目かの拳を怒りに任せて机に叩きつける。その時に指先に痛みがある事に気付いた。

利き手とは逆の指が切れていた。

そういえば悪魔が何かマジックアイテムを用意したと言っていた。この傷はそれの対価なのだろう。

カシュバはある考えを閃いた。悪魔の用意したマジックアイテムを壊して、この本にこう書いてやればいいのだ。

 

“お前の好きになんかさせない”

 

名案だ。すごく、すごく名案だ。なんて胸がすく事だろう!

カシュバの気持ちがいくらか軽くなり、冷静になれた。

 

そしてその少し冷静になった頭は、悪魔の用意した首飾りを見た時に驚愕に塗りつぶされる。

 

軽く机を漁ると、その首飾りは簡単に見つかった。本の下敷きにされていたそれはどうやらオリハルコンでできているようだった。

カシュバにとってはこれだけでもその価値の高さに手が震えるが、しかもそれはとても美しい意匠が施されていた。

細く編み込まれたチェーン。磨き上げられた丸い飾り部分には何かの模様が鋳造されていた。そしてそこだけ加工の仕方が違うのか光を反射しない。恐る恐る手にとって裏を返してみると、細かい赤の宝石で同じ模様が銀縁で描かれている。

極め付けはその宝石にかけられた魔法だ。

マジックアイテムは学校に通いだしてからよく見るようになった。それは授業の終わりに音を出す箱であったり、日がささない程の曇りの日につけられる灯りであったりだ。

しかし、この首飾りにかけられた魔法は根本が違う気がする。

それこそこの国の皇帝だけが持てる至高の一品ではないだろうか?

先ほどまでの怒りはすっかり消え失せ、視線は悪魔の書き残した文字をなぞる。

 

(これをアルシェ様に渡せばきっと喜んでくれるはずだ。それにあんなにひどい怪我をする事もーー?)

 

一瞬。

火傷を負ったアルシェが頭に浮かんだ。

そんなはずはない。だって、そんな姿のアルシェは見た事のがない。仕事の後に会うアルシェは確かに汚れた格好が多いが、殆どの怪我は仲間の神官に治療してもらっていた。酷い怪我をした想像のアルシェを頭から消して、カシュバは幸せそうに笑うアルシェを思い浮かべる。

二人の妹に向けられる暖かな笑顔。

これを渡したら自分もそんな顔で笑いかけてもらえるだろうか?

パチリと自分の頰をたたく。

思ったよりも疲れが溜まっているのだろう。こんな変な考えをするなんて。

予定とは違うが、カシュバはもう寝ることにした。

冷え切った布団に体を震わせながら、もう一度笑顔のアルシェを思い返す。

 

 

その日の夢はひどい悪夢だった。

 



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初めてのお願い


プロットをお借りした内容から少し外れる内容を含みます。



 

「これ」

 

学校から帰ってきたカシュバからアルシェに贈られた首飾りは、アルシェでもわかる程に高価な品物だった。

 

「これ! ……カシュバ、こんなのどうしたの?」

「いや、知り合いの人がくれたんだ。俺よりアルシェ様の方がいるでしょ? いつも頑張って働いているアルシェ様の助けになれば良いなって」

「ただの知り合いがこんな高価なものくれるはずない! 一体何があったの。正直に話してほしい」

 

アルシェは問い詰める口調を崩さない。

退かない彼女にとうとう根負けしたのか気まずそうにカシュバは話し始めた。

 

「俺がここでお世話になるきっかけの話はしましたよね?」

「覚えてる。金貨がなぜか家にたくさんあってそれを元手に学校に通おうとしたところを皇帝に見初められたって」

「この間、その金貨を渡したって人から連絡が来たんです」

「え?」

「で、その人にアルシェ様の事を話したらこれを渡されたんです。役にたつだろうから渡してあげなさいって。だから怪しいものじゃないです! どうか受け取ってください! 俺、アルシェ様が心配で……」

「わかった。カシュバからの気持ちなら受け取る。その人はなんていう名前? お礼の手紙を書くから渡してほしい」

「えーと。ウルベルトさんです」

「なんでカシュバに良くしてくれるのかはわかる? 理由もなくそんな事してくれるなんて信じられないから」

「多分、俺の血がいるんじゃないかって思うんです」

「血?」

 

貧民であったカシュバに無条件に優しくしてくれる存在を信じれるほどアルシェは人を信じる性格はしていない。そこでカシュバが変なことに首を突っ込んでいるのではないかと心配したのだが、それはある意味正解だったようだ。

 

「ほら、俺のタレント。それを調べるのに使うんじゃないかって思うんです」

「タレントの調査の為にカシュバに近づいたってこと?」

「想像ですけど、多分」

 

スッキリとはしないがそれなら筋が通らないこともない。

 

「強力な魔法詠唱者らしいですし、何かに使うのかも」

「強力な魔法詠唱者……それはフールーダ様よりも?」

「それはわからないですけど。でも、自分にできないことはないって」

「ウルベルトって名前なら冒険者? でもアダマンタイトにも聞かないし……。ワーカー? それとも他の国の人間かも。何か招待のヒントになりそうなこと思い出せる?」

「あ、名前はもっと長いです。アインズ・ウール・ゴウンのウルベルト・アレイン・オードル。そういってました」

「アインズ・ウール・ゴウン? ウルベルト・アレイン・オードル……。……どっちにしろ知らない名前。でも、その人には気をつけること。危ない目に遭わない為には心構えと前準備が大切」

「はい。気をつけます」

 

話が一区切りついたところで屋敷に時間を知らせる鐘がなる。

アルシェの父親が最近見栄目的で買った魔法式の時計だ。一時間ごとに鐘がなるという実用性があるので父親の買ったものとしてはアルシェは認めている品だった。

(勝手に買ったことは許さないけど)

カシュバはその音にはっと時計の方へ顔をむける。そして慌てた様子でペンダントをアルシェへ押し付けると仕事の時間だから、と出て行った。

それに「行ってらしゃい」と声をかける。

手のひらに感じる冷たい首飾りの感触を少し楽しんだ後、アルシェはそれを首に通すと服の中へと隠す。両親に見つかると面倒だ。

 

「少し期待しちゃった……」

 

日に焼けて少し赤くなった頬に更に赤みがさす。気丈に振る舞っていてもアルシェはまだ少女。好意を持つ男の子からの贈り物は、少し特別なものなのだ。

赤みが引くまでカチコチと音を出す時計を見つめる。その近くに設えてある姿見で顔を確認した後、何事もなかったかのように自らの部屋へとむかった。

 

 

 

 

 

 

ーー首飾りを受け取ったアルシェ様は嬉しそうだった。礼を言っておく。

 

ところで、こちらのお願いを聞いてくれるっていう話は本当に叶えてくれるのか? どんな非合法なものでも叶えてくれるのか? もしできるならば、どうにかしてほしい事がある。ーー

 

 

 

 

 

 

「2年前のカッツェ平原における騎士の人員減少に対する補給はほぼ完了いたしました。今年からは以前の編成で開戦を迎える事ができます」

「そうか、ご苦労。次の報告はーー」

 

物理的、魔法的、ありとあらゆる最高峰の護りに固められた執務室には、この帝国でもっとも権力を持つ皇帝ーージルクニフとその側近達が平時の仕事をこなしていた。

内政、外交。様々な重大事項をサクサクと手際良く捌いていく姿は鮮血帝ではなく賢帝という肩書きの方が似合うだろう。

その部屋の唯一の扉がノックもなしに開く。姿を見せたのは帝国一の魔法詠唱者にして人類が誇る逸脱者、帝国の魔法主席であるフールーダ・パラダインだった。

 

「急ぎではないなら少し待て」

「では待ちましょう」

 

短く言葉を交わした後、ジルクニフは他の秘書があげた案件についての確認をする。

いくつかの許可を出し、詳しい報告をさせ、いくつかの案件を却下した後、一息つくために紅茶を口に運ぶ。

そうしてやっとフールーダへと視線をよこす。

それだけで長い付き合いのフールーダはジルクニフの意をくみ話をはじめた

 

「以前陛下が目をかけて魔法学院へ入学した者が目覚ましい才能を持っていたことを報告いたします」

「そんな奴もいたか? 名前はなんだったか……」

「カシュバです」

「ふむ。しかし、報告にお前が直接来ることもなかろう。そこまでの逸材なのか?」

「はい。十代の半ばにして既に第三位階の魔法を習得しております」

 

言葉にした事で改めてその事実を噛み締めたのだろう。フールーダの目が充血する。

ジルクニフもその言葉に目を見張る。

第三位階。一流の才能をもった天才が、血の滲む努力をして到達できる魔法の領域。そう知識としてジルクニフは知っている。帝国は魔法詠唱者の育成に力を入れている為、フールーダをはじめとして何人かはその先の第四階位を使うものもいる。しかしそれは皆高位の魔法を習得するに相応しい年齢である。

そこに満足に教育を受けていなかったものがたった二年足らずで到達した。

 

「十二分以上の成果だな。いい拾い物をした」

「はい。これで私の後継者問題も目処が立ちそうです」

「ははは。じいは気が早すぎる。……これからは一月毎に成績や身辺での出来事をまとめてこの私に忠誠を誓うように仕向けろ。折角取り入れた人材だ。しっかりと手綱を握っておけ」

 

ジルクニフは人事関係をまとめる秘書にそう指示を出す。

そしてその後は先ほどまでの続きをするべく周りの秘書に次の案件についての質問をはじめた。

それを見届けたフールーダは入ってきた時と同じように退室した。

 

フールーダは夢想する。

彼ーーカシュバがもし自分以上に魔法の才能を見せ、自分以上に魔法の深淵を覗く事ができる存在であったら、と。

教育者としてのフールーダは、それを喜ばしく微笑ましい気持ちで見守るだろう。

しかし、魔法を探求する者としての自分は妬ましく思い、嫉妬の炎に身を焦がすだろう。

 

もしも彼が魔導の道を切り開く先達で、私が彼の道を受け継ぐ後継だったら、今以上に深く魔法と関わり合いになる事ができたはずだ。フールーダは自らに残された時間が既に少ないことを知っている。

全ては生まれた時期が悪かった。

その言葉はただの慰めでしか無い。

しかし過ぎた時間は巻き戻せない。

人類における逸脱者の一角。三重の魔法を唱える大魔法使いにおいても、時の流れを支配するのは不可能な事であった。

 

 

 

 

 

 

ーー旦那様……アルシェの父親の放蕩がいよいよ止まらなくなってきた。

最初はアルシェ様に学院をやめて薄汚いワーカーなど家名に泥を塗る、と言っていたのに、今じゃあその娘の稼いだ金を使い込んで、更に借金をして、……もう限界だ。

あんたにはこのフルト家の問題を解決して欲しい。俺じゃあどうにもできないんだ。頼む。ーー

 

 

 

 

 

借金取りが家に押しかける。

そんなことはとっくの昔に日常になっていた。

最初は元貴族だからと。次は娘が優秀な魔法詠唱者だからと。家人であるアルシェに支払い能力があったことが災いした。あっという間に貸し可能な金額は転がる雪だるまのように増え、それを限度額まで使い込むアルシェの両親。ついにアルシェの潤沢な稼ぎでも借りた総額を減らすどころか利子を支払うのにやっとという有様になった。

それだけなら、カシュバは我慢できた。

多少情は移っているが貴族は嫌いだ。アルシェが家と縁を切る決意をした時に自分もこの家を出る気でいたからだ。

肉親の情でなかなか決断ができないアルシェにほんの少し歯痒い気持ちを持ちながらも、それでこそ自分が好ましいと思うアルシェだと思う。

 

しかし、とうとう借金取りの奴らはカシュバのお世話になっている仕事先にも姿をみせた。さらに同居人なのだから少しは支払いを手伝ってはどうかと言ってきた。

カシュバはそれを無視した。当たり前だ。元からカシュバの稼いだお金は一家の家計に加えられている。

言うなれば今のフルト家は生活費をカシュバが、借金の返済をアルシェが賄っている。取立て人の提案なんて今更だし、そんなに返済が不安ならば貸し出しをしなければいいのだ。それでも貸し出しを続け、こうして取立てにやってくるという点で彼らは金づるから最後の一滴まで搾り取る気なのだろう。

カシュバはここに至って決断をした。この問題をカシュバが解決するのだ。アルシェには任せてられない。フルト夫妻は論外。これ以上心身ともにこちらが疲弊する前に片付ける。

(悪魔に力を借りるしかない。皇帝は……学校に通わせてもらってるのにこれ以上は無理だろうし。そもそも俺のこと覚えてるかもわからないし)

悪魔に頼るというのにはかなりの不安があるが、カシュバ自身に打てる手は限られている。

 

「幸せになりたい。俺も、アルシェ様も、クーデリカ様とウレイリカ様も、みんなで幸せになりたい」

 

その為に他の誰かが不幸になろうと、それはカシュバにとってはどうでもいいことだった。

 

 

 

 

 

 

カシュバがウルベルトの本に綴った話にウルベルトは頭を抱えた。

一体どうしろというのか。

借金取りを殺す? それともアルシェの両親を?

どちらもウルベルトには簡単にできる。だがそれで本当に良くなるのか? さらなる厄介ごとに巻き込まれる気しかしない。

しかしあれだけ見栄をきってしまった以上なんらかの動きは見せるべきだろう。

 

(カシュバの時みたいに金を出すか? いや、ユグドラシルの通貨はこの国で使われているやつとは違ったはずだ。それに下手に金がある事がわかる方が奴らをつけあがらせる)

 

ウルベルトは全てが面倒になった。正直、貸し出し業者を脅した上でフルト夫妻にはこの世からご退場願った方がみんなの幸せだ。

 

「俺は心や考え方まですっかり悪魔になったのか」

 

人間であった頃、自分はここまで非人道的な人間では無かったはずだ。しかし今はなんでもないことのように危険な考えまで浮かぶ。

もし、カシュバという枷がなかったのならば、ウルベルトはこの世界に恐れられる悪魔となっていただろう。強大な力を持つままに振る舞い、自らの享楽を優先していたに違いない。

ともあれ、やる事は決まった。

まずはアルシェの両親にご退場願うことにしよう。

 

フルト夫妻の寝室に<静寂>の魔法をかけて忍び込む。

ウルベルトは現在、ユグドラシルで習得していた魔法の他にカシュバが習得した魔法も使える。ウルベルトの魔法は代価が必要だが、カシュバの魔法は無くても使えるので、ウルベルトは重宝していた。

深く眠り込んでいる夫妻の顔を確認した後カシュバは手を切ってアイテムを取り出す。

取り出したのは“白百合の安らぎ”と呼ばれるマジックアイテムだ。これは一定の条件を満たせば対象を毒殺する事ができる。

その条件は、無風である事。対象者が寝ている事。そして時間である。100秒の間眠ったままでいる事が求められる。それを夫婦が眠る寝台の枕元へ置く。

ゲーム時代は安価に手に入れる事ができる上に毒耐性を確立で貫通するという理由でギルド拠点や狩場の保護に使われていたものだ。癖の強いこういったアイテムは期待しなければ予想以上の結果を残してくれる。ウルベルトもゲーム時代に何度か痛い目にあった事がある。

 

昔の記憶を思い出しているとあっという間に100秒という時間は過ぎていく。先ほどまでの聞こえていた呼吸音は聞こえなくなっていた。

口元に手をかざし呼吸を確かめる。念の為、首から脈もはかるがどちらも止まっている。

それを確認したウルベルトはそのまま部屋を後にする。

後一つ、するべき事がウルベルトにはあるのだ。

 

 

 

「今日も大量大量!」

 

下卑た笑いを出しながら、男は袋から出した金貨を数える。

その周りには似たような男たちがそれぞれ別の机で金を数えていた。

男五人がいるその部屋は書類やものが散乱していて男所帯の適当さがよく出ている。その中でも机の周りだけは綺麗に片付けられている。重要な作業がされる場所なのだろう。

 

「親分が考えた、没落貴族への貸付は大正解っすね! 奴ら見栄の為にどんどん金使ってくれてどんどん借りてくれて、こっちは万々歳っすよ」

「やっこさんたち昔の良い生活が忘れられないのさ! まあ、ちゃんと相手見て貸せよ? 金を払えるところにはじゃんじゃん貸して、やばそうなところはさっさと取り立てる。この商売で難しいのはそこの見極めだからな」

 

軽口を叩きながらもしっかりと金勘定はする。ゴロツキといった身なりの男の、その器用に動く手が突然止まった。

 

「おい、誰だ? この宝石を取り立ててきやがったのは?」

「すいません! 極太客からの取り立てで足りないぶんがあったんで強請ったら渡されたんでさぁ!」

「っち。今度からちゃんとそういう事は言っとけ! 明日にでも鑑定に出さなきゃなんねーじゃねぇか」

「お前の極太客って事はフルトか? あそこそろそろやばいんじゃねぇか?」

「まさか! 上の娘が稼いできてますし、居候の奴も魔法学院に通ってるエリートですぜ。せいぜい生かさず殺さず搾り取りますよ」

「へぇ? それはまた、搾り取りがいがあるな」

 

きぃ。

会話に水をさすように扉が開かれる。誰か来たのかと扉に目を向けても誰もいない。

 

「……立て付けが悪くなったのか?」

「結構ボロいですからねぇ」

 

扉を閉めようと一番の下っ端が入り口に近づくーー事ができずに固まる。

その異変は扉に注視していた部屋の全員が感じた。

 

「おい、どうしーー」

 

言葉は形にならず部屋に吸い込まれていく。

部屋の中にいる全員が、時が止まったように固まっていた。

そんな誰もいないはずの部屋に物音がたつ。それだけではなく、何かの魔法のようにものが動いたり浮いたりした。

目に見えない何かがこの部屋にいる。

もしその光景を見る者がいたならそう考えるだろう。

その見えない何者かは目的のものが見つかったのか、また音を立てながら部屋を出ていく。

 

再び静かになった部屋には、5つの白く凍った男達の死体だけが残った。

 




書き溜め分が無くなったので、しばらく更新に時間がかかると思います。月末から来月頭にかけて再開予定です


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巣立ち

 

帝国魔法学院には定期的な休日がある。

平時は週に1日。そして秋と春、それに夏に1、2週間程だ。これは生徒の為ではなく、教員の為の休みである。

この学校で教鞭をとっているといっても、本来彼らは帝国における優秀な魔法詠唱者であり、有事の際には前線に立つ。それだけではなく、魔法のさらなる発展の為の研究も行う。

その為に週に一度の休日と、生徒の半数以上が貴族ということもあり、社交界シーズンである春と夏にまとまった休みがもうけられている。

秋の休みは春と夏に比べると短く、それは隣国である王国との戦争で、教員のうちの何人かが出兵する為のものである。

 

何が言いたいのかというと、その日、カシュバは週に一度の休みの為、日が高くなるまで眠る予定だったということだ。

 

しかし、彼のそんな予定など御構い無しに災難はやってくる。

 

 

 

 

その日。朝からフルト家は上に下にの大騒ぎだった。家長であるフルト氏と、その奥方であるフルト夫人が遺体で発見されたのだ。

貴族位を取り上げられたとはいえ、フルト家は身の丈に合わない生活を送っており、未だその家は帝国の高級住宅地にあった。そんな場所での不審死ということで衛兵がフルト家に専属の魔術師を連れてやって来た。そして二人の死因を調べ事になった。

それに伴い家人や使用人にも聞き込みをするということで、関わり合いのある者は皆呼び集められ、個別に話を聞かれた。

カシュバはそれに混乱しながら答えた。いきなりの出来事に、嫌な想像をしてしまう。

夫妻の死は自分のせいではないだろうか?

そんな思いを抱きながら、寝ていたという答え以外出せないカシュバは隣の部屋で同じく聴き取りをされているだろうアルシェを想う。

死体の発見者であり長女であるアルシェへの尋問は長く、日が暮れるまで延々と続いた。

 

 

 

 

「こんな事になるなんて……」

 

ペンで書いたような細い月が昇った夜遅く。実の親の不幸に泣き疲れた妹達を抱えたアルシェは、疲れた表情で小さくこぼした。

向かいの椅子には同じく疲れた顔のカシュバ。いつも以上に顔色は悪く、アルシェはもうしわけない気持ちになる。

 

「カシュバ、明日学校でしょ? 先に寝ていいよ。妹達は私が運ぶから」

「いえ。寝れそうにないんでまだここにいます」

 

そういってカシュバはグラスに水を入れてアルシェに差し出す。アルシェがお礼とともに受け取ると、カシュバは次に自分のぶんを入れた。

 

「アルシェ様、今後、どうするつもりですか?」

 

カシュバの言葉にアルシェの瞳が揺らぐ。

アルシェの両親はいい親では無かったが、こうして居なくなると彼らが背負って居たであろう重圧に負けそうになる。今、妹達を守れるのは自分で、そして彼女達の命に責任があるのも自分なのだ。

 

「まだ決めてないけれど、この家は処分するつもり。物も全部。それで借りたお金を返して、残ってくれていたみんなにお給料と心付けを渡せたらと思っている」

「アルシェ様は優しいですね」

「そんな事ない。酷い娘だと思う。二人が居なくなって寂しいけれど、どこかほっとしてる。もう、ずっとずっとお金の事ばかり考えてきたけれど、それをしなくていいんだって思ったら、ほっとしちゃった」

 

ポタリとアルシェの頰から涙がつたい落ちる。

言葉にしたら止まらなくなってしまった。自分の中にいる醜い自分。それを認めてしまったのだ。なんて自分は親不孝なんだろう。二人の葬儀もまだなのに。

 

「……実はですね」

 

カシュバは息をゆっくりと吸って吐く。

 

「実はですね。俺も、ほっとしちゃったんです。旦那様と奥様がこうなったのに。もう、アルシェ様が無理に働く必要はないんだって思ったら。……お世話になってたのに、薄情ですよね」

 

力なく笑うカシュバを腫れぼったい目で見つめる。

アルシェは確かに、カシュバのその言葉に救われた。

 

「あのね、カシュバ。カシュバはどうするの? 皇帝陛下がカシュバを預けたのはお父様で、そのお父様はもう居ないから、どこか他のところにいくの?」

「それはまだわからないです。皇帝陛下が俺のことを覚えてくれているかもわからないですし。でもですね、アルシェ様さえよかったら、これからも一緒に暮らしたいです」

「えっ?」

「いいですか? アルシェ様」

 

カシュバに真剣な目で見つめられてどきりとする。色恋に疎いアルシェだったが、カシュバに抱くこれが家族愛とは違うものだということはなんとなくだがわかった。

そんな相手からの、このプロポーズのような言葉。

言葉につまり、不思議そうな目を向けられる。

 

「ーーう。うん。大丈夫。そうしてくれるとウレイリカもクーデリカも喜ぶと思う」

 

自分が一番に嬉しいのに妹達が喜ぶとからと誤魔化す。そんな自分の気持ちを隠したのに、カシュバは嬉しそうに笑った。

 

「よかったです。これからもよろしくお願いしますね。アルシェ様」

「アルシェでいいよ。お父様とお母様はもう居ないから。もう“元貴族”のアルシェじゃなくて、ワーカーのアルシェだから。名前は捨てれないけれど、貴族じゃない。あなたと私はもう対等だよ」

「わかりましたアルシェ。ただ、もうしばらくはアルシェ様とお呼びします。落ち着くまではこの家の当主、ですから」

 

カシュバの言葉にもう一度気を引き締め直す。

そうだ、全てが片付いたらだ。

とりあえずは仲間達に事情を言って何日か休暇をもらわないと。それに父達がお金を借りていた所に連絡をしてーー。

アルシェの頭の中はこれからの事で一杯になる。

 

「アルシェ様。今日はとりあえず寝ましょう。俺はクーデリカ様を運ぶのでウレイリカ様をお願いできますか?」

「うん。そうだね」

「根を詰めるのは良くないですよ。さあ、上に行きましょう!」

 

やるべきことからは逃げない。ならば少しでも休んでおかないと。

ウレイリカを抱きかかえたアルシェはその重さに頰を緩める。

かわいい自分の妹達はもうこんなに大きくなっている。それが嬉しかった。そしてそれを守って行かないとと改めて決意する。

 

 

それは雛鳥の巣立ちに似た感動的な光景だった。

慈愛の微笑みで妹をみる彼女は神聖で、それ故になんと欲望を駆り立てるのだろう。

その感情の流れに違和感を覚える事はなく、カシュバはアルシェをじっと見ていた。

 

 





「カシュバを預けていた家で不審死?」

場所は魔法省内にあるフールーダの研究室。
彼は己の組み立てた魔法論理を書いた紙片を見たまま報告にやって来た部下に驚きの声をあげた。

「はい。とは言っても原因は分かっています。毒です。しかも極めて強力な。夫妻の寝室にあった百合の置物が発生源でした。家人に確認した所、そのような置物はこの家には無かったと言っていました」
「では何者かが家に侵入してそれを置いていったということか?」

普通に考えてそれは酷く非効率的だ。折角侵入したのならそのまま殺せばいい。

「毒を発生させるマジックアイテムなどという高級品を何故回収しなかったのか、という疑問も残る。それに他に気になる点があるということだな?」
「はい。死んだフルト氏は良く商人を家に招いて美術品や衣服を買っていたそうです。そこで最近フルト家に出入りした者を調べた所、全く同じ日に商会丸々一つ無くなった所がありました」
「どういうことだそれは」

フールーダは初めて部下に視線を寄越した。
フールーダとしては魔法の研究に没頭したいところではある。しかしこの件は皇帝であり可愛い孫のようなジルクニフに頼まれている。
何より自分を超えるかもしれない優秀な人材についてという事で雑事としてはフールーダは熱心に取り組んでいた。

「は。商会ーーと言ってもそう名乗っているだけの破落戸の集まりなのですが、全員殺されていました。それもおそらく未知の魔法を使われて」
「未知の魔法だと?!」
「は、はいっ! あの。まだ確定ではないのですが、氷結系の高位階では無いかと。後日報告書を製作してフールーダ様の耳にも入ると思われます!」
「氷結系の高位魔法……ふむ。では報告を待つか。しかし、ということはーー」
「未知の魔法詠唱者。それもフールーダ様と同じ英雄級の者がこの事件となんらかの関わりがあると推測されます」
「目的はーーカシュバか? という事は法国か、それ以外の何者かか? とはいえ高位の魔法詠唱者で私が知らない者がいる可能性が出てくるとは……! その件は特に詳細に報告するように!!」

血走った目で見つめられた憐れな部下は裏返った声で返事をした。
と、大きく話が逸れていた事に気づき慌てて軌道修正をはかる。

「兎も角でございます。この商会とフルト夫妻を殺害した者が同一人物である可能性が極めて高いと当局は判断いたしました。そこでフールーダ様には近々いくつか探知系の魔法を使って手がかりを探して頂きたいと」
「もちろん協力しよう! しかし、地道な捜査も手抜かり無く行うように」
「はっ!」

部下は深々と頭を下げて出ていく。
それを見送った後、フールーダは夢見心地であった。長い間探していた。十三英雄と並び語られる自分と近しい存在を。それがこうも簡単に。
いい事はまとめてやってくるというが、これはきっとそれなのだろう。
フールーダにとって今回死んでいった者たちの命などどうでも良かった。期待を寄せているカシュバなら兎も角、それを預けていた家の主人などは所詮、替えがきくもの。むしろ今回の事でこちらに取り込めるようにジルクニフに取り計らうように進言するつもりだ。

長くを生きる老魔法使いは、自らの後継者候補と未知の魔法詠唱者に胸を踊せながら再び自らの研究に埋没した。



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侵食と遭遇


登場する原作キャラクターの能力を一部拡大解釈しています。




 

別の存在に蝕まれていく感覚。

嗜好の歪み、認識の変化。

転んで泣いている子供に憐みではなくおもしろさを覚え、死を悼む葬列に胸が踊った。

なんと許されざる悪徳だろうか!

清廉に生きているものが穢れる姿が愉快でたまらない。

なんと歪んだ情動だろうか!

これが人間の感性だとは思いたくない。

 

しかし、この心が塗り替えられた事に気づいた時には、既に取り返しのつかないところまで来てしまった後だったのだ。

 

 

 

 

石で作られた大きな建物を見上げ、少ない荷物を持ったフルト一家とカシュバは目を細めた。

フルト夫妻の葬儀後、家財を売り払い、方々にしていた借金はほぼ返し終わった。借金元が潰れていた為にすぐに払わなくてもいい金銭があったため、それを使いフルト一家は生家である家を離れてこの立派な集合住宅に住むこととなった。

 

「今日からみんなでここに住む事になったから。二人とも今まで以上にお利口さんにしていてね」

 

アルシェは二人の幼い妹達に言い聞かせると、両手一杯の荷物を運ぶ。それに続いてカシュバもアルシェ以上に大きな荷物を運ぶ。

荷物は主に皿やスプーンなどの生活用品と衣類、そして本も何十冊か。ほとんどはカシュバに必要な参考書で、それ以外は換金して借金や使用人達の給料に当てた。残っているのは本当に必要なものだけだ。

クーデリカとウレイリカは自分の下着と絵本の入ったカバン、それに二人に手を繋がれた大きめの縫いぐるみを運んだ。デフォルメされた熊の縫いぐるみは二人の一番のお気に入りで、寝る時はいつも一緒だった。

丸一日かけて荷解きをして部屋を整えたカシュバ達は夕食をパンとチーズで簡単に済ませる。以前だったら考えられないほど質素な夕食だが、誰一人として不満を言うものはいない。カシュバは貧民の出であるし、アルシェも仕事中はもっと簡素な食べ物を口にする。心配していたアルシェの二人の妹は、皆で囲む夕食が楽しいのかいつになくご機嫌だった。

 

「少し早いけれどそろそろ寝るね」

 

日が暮れて数時間。

魔法で出した灯りが2回程きれた時にアルシェはそういって二人の妹を寝室へと連れていった。

ここは中流以上の帝都民が住む部屋で、それに合わせて部屋の作りもカシュバが生まれ育った場所とは比べものにならないほど豪華である。勿論フルト家と比べると雲泥の差ではあるが。

兎も角、この部屋は中流家庭の住処として十分だった。応接間はないが、大きな居間。それに隣り合う小さな台所。それに体を洗う専用の部屋までついている。

カシュバとフルト一家がともに暮らすと言う事で寝室は主寝室、客室が一つとなっている。アルシェ達は主寝室、カシュバは客室で寝る事で話はついていた。

しかし、最初はカシュバは自分が客室を使う事に最初難色を示した。来客があった時に困るからだ。フルト邸では度々客室を使う事があった。なのでもう少し大きな場所を、とカシュバは思っていたのだ。

結局はアルシェの「来客はもう来ない」「お金がもったいない」と言う言葉でこの場所に決まったが、その徹底した倹約にカシュバはたまに不満に思う。

 

(ちゃんと魔法省で働くようになったらアルシェ達には贅沢をさせてあげよう)

 

カシュバはフルト夫妻の事件以降更にその才能を開花させていた。

今では第四位階の魔法もいくつか使える。どれも攻撃魔法な為、目をかけてもらっている教師には補助魔法など広い魔法の知識を身につけるよう言われている。

それでもやはりカシュバにとっては攻撃魔法の方が覚えやすい。まるで最初から使えるかのようにほとんど苦労をせずに使える。カシュバにとって高位階の攻撃魔法を使う事よりも歴史学や数学の方が難解なのだ。

しかし、他の成績にいささか以上の不安があるとはいえ、カシュバが優秀な魔法詠唱者である事には違いがない。最近では学院長の方から飛び級をして来年の春には魔法省に、との話もでた。カシュバとしてもはやく一人前として働きたいと思っているので渡りに船だった。とりあえずは他の心配な部分の成績を見つつ折をみて飛び級、卒業という流れになる事で話が落ち着いている。

カシュバがそんな有望な若者であったからこそ、ここの家も紹介され、そして少なくない援助金とアルシェの稼ぎで今彼らは生活できている。

 

(アルシェには早めにワーカーから足を洗ってもらって、安全な生活をさせたい。それに二人の妹達にはちゃんとした教育をしなきゃ)

 

ここまでなり上がれたのはあの日皇帝に目をかけられたからだ。その事に感謝しつつ、そもそもの原因に事を考える。

 

(ウルベルト……あの悪魔をどうにかしなきゃいけない。きっと一番幸せな時に現れてめちゃくちゃにする気だ。そもそもーー)

 

自分の中にいるという悪魔の事を考えると最近胃に石を詰められたかのように気分が重くなる。

このところ、少しずつカシュバは自分に違和感を感じていた。

それは道端で転んだ子供の泣き顔に心が安らいだ時だったり、隣家の旦那が浮気をしたと傷害沙汰になった時に面白い見世物だと感じた時だったりだ。最初は小さな違和感だった。

きっと疲れているから。

きっとフルト夫妻の事件で気が滅入っているんだ。

きっと新しい生活に慣れなくて気がたっているんだ。

きっとみんなからちやほやされて傲慢になってきているんだ。

 

しかし日をおうごとに、月を経る毎にそれが心のあり方の変化だという事に気付いた。

気付いて恐ろしくなった。

 

自分はきっと、悪魔になるのだ。人の皮を被った悪魔に。

それがカシュバにはとても恐ろしかった。

 

悪魔に感謝がないわけではない。あのきっかけの金貨の山。それが悪魔のおかげであり、そこから自分の人生がこんなにいい方へ変わった事には何度頭を下げても下げたりないだろう。

しかし、今のカシュバには守りたいものが沢山できてしまった。

それはアルシェであり、その二人の妹達であったり、今の生活であったり、将来の約束された地位であったり様々だ。

そしてそれは、ウルベルトと名乗った悪魔によって簡単に壊される可能性があるのだ。

 

自分がまだ正気であるうちになんとかしなければ。

 

月のない夜空を見上げて広げていた参考書を閉じる。

とてもではないが勉強が手につかなかった。予習も復習も学校の図書館で終わらせているので、これはいわば趣味の勉強なのだが、そんな気分転換すらもわずらわしい。

 

ベットに横になって目を瞑る。きっと疲れていていい考えが浮かばないのだ。今日は早く寝て頭をスッキリさせよう。そうすればいい考えが浮かぶはずだ。

 

地面に水が吸い込まれるように、カシュバの意識は吸い込まれていった。

 

 

 

 

ゆっくりと客間の扉を開ける。

今日は早めに寝たのか既にベットの上にカシュバの姿があった。

アルシェはその姿をみて安心する。

今日の仕事は朝方に出没するという魔獣捕獲の為に今から他のメンバーと“歌う林檎亭”であう。

最近思いつめた表情が多かったカシュバの寝顔を見る為にゆっくりと近づく。覗き込むと眉間にしわが寄せている。

 

「いつもありがとうカシュバ」

 

眉間のしわに口づけをしてそっと離れる。少し表情が和らいだカシュバの顔に微笑みアルシェは出て行いった。

 

 

 

「〜〜〜〜っ!!」

 

(爆ぜろリア充慈悲はないっ!!)

 

言葉にならない気持ちそのままベットの上を転がる。しかし一人用のベットでは狭く、間抜けな音を立ててベットの下に落ちてしまった。

 

「ぐぬぬ。許さん。許さんぞ……俺の宿主の癖に! いい思いしやがって!!」

 

ギリギリと歯噛みしながらベットの端を握りしめる。女性となかなか縁がなかった人間の自分と比べてカシュバのなんと恵まれた事か!

ウルベルトは握り潰して変形したマットをならしながらひとりごちる。

 

「なんでだ。くそう。アルシェみたいな美人となんでカシュバが……。カシュバが付き合えるんだったらリアルの俺にだってチャンスあっても良かっただろ? そうだろう!? 何が駄目だったっていうんだ? 格好にはそれなりに気をつかっていたのに……!」

 

きっと自分の周りにいた女には見る目がなかったんだ。きっとそうだ。

なんとか気持ちに整理をつけたウルベルトはゆっくりと立ち上がる。色々と引きずる思いはあるが、折角動き回れる貴重な時間を無駄にはしたくない。

 

「とりあえず、そうだ。街のなかを今日こそみて回ろう」

 

不可視化のマジックアイテムを指を切って呼び出して玄関に向かう。

フルト家での生活では使用人の目もあった為できなかった家の外の散策。それに胸を躍らせたウルベルトは音を立てないように気をつけて家をでた。

 

 

 

繁華街の方に歩を進めたウルベルトは未だに明るい帝都に感嘆のため息をだす。

前回は周りを見回す余裕なんてなかったのでその整えられた街並みをゆっくりとみて回る。

舗装された石畳。ゴミの少ない清潔な大通りには夜でも衛兵が見回っている。

まだ明かりが灯っている店は酒屋らしく静かな喧騒が聞こえる。

 

「ん?」

 

ふと感じた誰かの視線と明確な違和感。それに視線を巡らせると、見知った顔の少年が驚いた顔でこちらを見ていた。

あちらもこちらと視線があった事に気がついたのだろう。一目散に裏路地へとかけていく。

確かカシュバの学友だったはずだ。なぜ不可視化のマジックアイテムを見破ったのか、そして見破ったからとどうして逃げるのかは謎だが、ほっておくのは得策ではないだろう。

ウルベルトも急いで少年の後を追った。

 

少年の後を追ったウルベルトは少年を見失っていた。肩で息をして石壁に手を付いて息を整える。体育の成績はあの少年の方が上だった事を思い出したのは少年にまかれた後だった。

 

「遠くには行っていないはず。道が複雑に入り組んでいるから見失っただけで、距離は近いだろうし。……じゃあ使う手は一つだな」

 

“飛行”の魔法で高く飛ぶ。月の出ていない真っ暗な夜だが、暗闇でも見通せるウルベルトの目はすぐに少年を見つける。

キョロキョロと周りを注意しながらゆっくりと歩く不審な様子の少年は、暗闇でなかったらさぞや目立つだろう。

先回りをして曲がり角の先におりたったウルベルトは突然現れた事に驚いた少年を捕まえる。

 

「いきなり逃げ出すなんてどうしたっていうんだ?」

「っ!」

 

カシュバの普段の口調を真似て話しかける。振りほどこうとする腕を強化した筋力で押さえつけ逃げ道を塞ぐ。

カシュバが使えない魔法を使う為に新しい傷跡の増えた指に気をつけながら、しっかりと腕を掴んだまま話しかける。

 

「姿を消してるはずなんだけど、なんでみえてるんだ? なんかタレントを持っていたのか?」

「……」

「つれないじゃないか、ジェット。たまたま夜に知り合いにあったくらいでそんなに緊張しなくてもいいだろ?」

 

無言を貫いていた少年ーージェットが名前を呼んだ瞬間に睨みつけてきた。

 

「お前みたいな化け物の知り合いなんて居ない!」

「……」

 

今度はウルベルトの方が黙る番だった。

化け物? 一体彼は何を言っているのだろうか。

確かに自分の意識はユグドラシル時代の悪魔のものだが、この体はこちらの人間であるカシュバのもののはずだ。

それなのに化け物?

 

「なんでお前みたいな化け物がこの帝都にいるんだ? それに、なんで俺の名前を知っているんだ」

「お前には俺が化け物に見えるのか?」

「何を言っているんだ! この! ……獣の頭の化け物め! こ、ここには偉大な魔法使いがいる。さっさとここを出て行くのが身のためだぞ」

 

震えた声で告げられた偉大な魔法使いという単語に対抗心が燃えるが、これ以上関わって自分の体がカシュバだと気づかれた方が面倒だろう。何故かはわからないがジェットが見ているのはカシュバではなくユグドラシルでの自分のアバターの姿らしい。

カシュバの体だという正体がばれなければそれで良かった。カシュバの直接の知り合いを殺すのは後が面倒だと思っていたところだったからだ。宿主の心証を悪くするなど以ての外なのだから。

 

「……なるほどなるほど。そこまで見通せるとは、貴重な意見をありがとう。もちろんそのつもりだとも。君のような存在もいるここに長居は無用だ。それでは夜ももう遅い。夜道には気をつけて帰るがいい。化け物よりも怖い人間が多いからな」

 

本当は記憶を操作したかったが、流石にここで更に魔法を使うのは気が引けた。それはカシュバの知識に忘却の魔法は大量の魔力がいるとあったからだ。もしここでジェットの記憶を弄ろうものならこっちが貧血で倒れてしまうだろう。それに夜とはいえ、他に一目があるかもしれないし、戦闘特化のウルベルトは情報操作系の魔法を取得していない。スクロールがあるにはあるが、こんな少年の為に使うのは気が引けた。これから必要になる場面もあるかもしれない。こんな所で無駄遣いはしたくなかった。

 

(カシュバの顔を見られていないのなら問題ないし。でも今後外を出歩くときはこいつに気をつけなければいけないな。他にも似たタレントの持ち主がいるかもしれない事を考えると、顔を隠せるアイテムが必要だな)

 

ジェットに言いたい事を一方的に言うと、残っていた“飛行”の効果で空に飛ぶ。そしてそのままウルベルトは転移魔法で家に戻った。

 

 

予定よりも早い帰宅にゆっくりとベットの上へ座る。

外に出た事による幾つかの収穫があった。今日は残りを家でゆっくりと本を読んで過ごす事にした。ついでに今夜の出来事をカシュバに伝えるかどうかを迷い、伝える事にした。宿主との関係は良好でいたい。その為には誠実さが必要だろう。

隠し事をしないーーそれが誠実さの現れだろうと信じて。

 

帝都散策は途中で終わってしまったが、それよりも興味深い情報が手に入ったことが気になる。

幻覚を暴くというジェットの目に映ったウルベルトが、彼にはユグドラシルの姿に見えていた。

これはとても興味深く、重要だ。

 

「人の皮を被った悪魔か。幻覚を暴くのではなく本質を見るタレントと言った方が正解じゃないのか?」

 

そうひとりごちながらウルベルトはペンをとった。

 

 

 



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少女の独白

 

 

最近カシュバの調子が良いみたいだ。

両親が死んで、これからの事で不安に思っていたけれど少しだけ気が楽になった。

借金もかなり返せたから少しお金に余裕ができた。装備を新調して今まで以上にチームに貢献できそう。

 

 

 

カシュバに魔法省からの引き抜きの声がかかっているらしい。「これでアルシェに恩返しできる」と言ったカシュバの笑顔に胸が詰まった。

恩返ししたいのはこっちなのに。

魔法省に入ったらもう少し裕福な生活をさせてあげられるといったカシュバにうまく笑えていただろうか?

 

 

 

 

良い装備が市で売っていたから一通り揃えてみた。一緒に行っていたイミーナも「掘り出しものが見つかった」と喜んでいたから本当にいいものだと思う。

カシュバにもらった首飾りとは少し合わないけれど、頑丈で魔法の威力が少し上がる杖に冷気耐性の上がるローブ。かなりの出費になってしまったが、命とは比べられない。

家に帰って妹達に自慢したら褒めてもらえた。

本当はカシュバにも見せたかったが、まだ学校から帰ってきていない。それにそろそろ夕ご飯の準備をしなければ。また今度みてもらおう。

 

 

 

 

 

昨日からカシュバの様子がおかしい。

一昨日の夜の自分に変なところは無かったかと家族全員に聞いている。ベットでちゃんと寝ていたと言っても一応は頷いてくれているが心からではない。

一体なにがあったのだろうか?

 

 

 

 

 

ヘッケランが気になる噂を持ってきた。

何でもこの間の新月の晩に帝都で獣人が現れたらしい。それも珍しい山羊の頭をした獣人で、第三階位の魔法<飛行>を使ったそうだ。

フールーダ先生の名前を出したら逃げ帰ったそうだが、魔法の使える獣人なんて油断ができない。今度目撃されたら大規模な討伐隊が組まれる事になったらしい。

新月の晩と言えばカシュバの様子がおかしくなった前の日だ。ひょっとしたらカシュバは何か知っているかも知れない。

ふと。肌にあたる首飾りの冷たさを感じた。

そう言えばこの首飾りをくれたというウルベルトという魔法詠唱者の事をよく知らない。今回の事と一緒に聞いてみよう。

 

 

 

 

 

カシュバから離れて暮らそうと言われた。

いつかはと覚悟していた言葉なのに声が震えてしまった。

「本当は一緒に居たいけど、アルシェを危険な目に合わせたくない」と言われたが、きっと自分と妹達が重荷になったのだ。

いつこの家を出ればいいかと聞いたら「ここは使ってくれ」「いや、この国から逃げてくれ」と言われた。

ひょっとしたらこの間聞いた獣人の魔法詠唱者の事で帝国に危険があるのかも知れない。だから自分を遠ざけようとしているのではないだろうか。

そう思ったら言葉が見つからなくなってしまった。

カシュバを安心させたくてできるだけ早くこの国から出ると言った。それを聞いたカシュバは心から安心した様子だった。

 

臆病な私は結局カシュバに理由を聞けなかった。

その日から二日後、カシュバは小さな荷物をまとめて家を出て行った。

 

 

 

 

 

カシュバが居ない生活に慣れた頃、私はフォーサイトのメンバーに相談した。

個人的な内容だったから最初は躊躇ったけれど、もしも獣人の事が予想した通りだったら生死を共にした仲間に対して不誠実だと思ったからだ。

強大な力をもった獣人が帝都の街に前から潜み、何かを企んでいる。そんな話を最初は眉唾だと笑っていた仲間達も何か思うところがあったのか次第に真剣な顔になった。

 

リーダーのヘッケランが持ってきた仕事。

それは新たに見つかった国境近くの遺跡調査だった。

冒険者と違ってワーカーには非合法な依頼がくる。その代わり報酬はとてもいい。

その高い報酬が妥当であるかなどは既に軽く調べがついているそうだ。国境近くーーそれも毎年戦争をしている王国との間の遺跡。依頼主の方は少し疑問は残るが問題はないだろうとのことだ。遺跡自体については少し調べた程度では全く何もわからなかった。

 

「相談して前向きに検討していたんだがーー」

 

みんなの顔が曇る。

確かに遺跡調査など最上位の冒険者ですらめったに依頼として回ってこない。それがこんなワーカーに回ってくるなど。国境近くという外交的に繊細な場所とはいえ些か不自然に思える。冒険者は国家に組しないという建前があるのだ。王国の冒険者組合と協議すれば、時間はかかるだろうが十分冒険者で解決可能だろう。にも関わらずワーカーに依頼が来るというのならば時間的余裕がないか、それとも依頼主に後ろ暗いところがあるかだ。それを加味すれば、獣人の魔法詠唱者の住居の可能性は限りなく高い。依頼主のその裏にいるのは帝国だろうか。

報酬はいいが今回の依頼は見送る。

 

そう決まりかけた時に外で騒ぎが起こった。

騒ぎの原因はどうやら魔法詠唱者が街中で暴れているとのことだった。しかも第三階位の使い手らしく、<火球>で街中に火の手があがっている。煙の臭いに厄介ごとの気配を感じた。

歌う林檎亭の外に出て野次馬に紛れると、どうやら既に運良く近くにいたアダマンタイト級の冒険チームが対処しているらしい。王国と違い帝国のアダマンタイト級冒険者は頼りないというイメージが強いが、チームとしての能力は一流だ。近々騒ぎはおさまるだろう。

お金にならない事なのに下手に巻き込まれてはたまらないと、その日はその場で解散になった。

 

 

 

 

 

件の獣人が殺されたという話はすぐに広がった。

日が沈む前になんとか帝都の外に追い出すことに成功したが、それからなんと討伐には三日三晩かかったらしい。

話を持ってきたローデバイクがいうには、今回一番の手柄は獣人が帝都から龍の様に連なった<電撃>で追い出したという魔法学院の生徒ということだ。

アルシェはすぐにそれがカシュバだと直感した。そしてカシュバを心から誇らしく思った。

 

「つーことは、だ。例の遺跡は今主人が居ない可能性が高いってことになる訳だ」

 

少しの話し合いの後、フォーサイトは遺跡の調査を受ける事にした。

遺跡の主人と思われていた獣人は既に居ない。残党しか居ないだろう遺跡の調査というのは少し気が抜けてしまうが、美味しい報酬は欲しい。アルシェもこれに賛成した。もしもう獣人の心配がないのならばきっとカシュバはまた一緒に暮らしてくれるはずだ。

 

未来の甘い生活を夢見て、アルシェは踏み出してははならない一歩を踏み出してしまった。

 

 

 

 

 



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首飾り


長らく更新できずにすみませんでした。
今回は少し短めですが、ストックがあるので近日中に続きをお届けできると思います。





人類の新しい英雄、アダマンタイト級冒険者“漆黒”のモモンは、うちに燃える密かな焦燥の炎を消せないでいた。

それは今回の自らが仕向けた“遺跡調査”の任務だけではない、突発的に現れたある、考えたくもない可能性のせいであった。

 

「それにしても、この間の帝都でも獣人の事件は驚きだったな!」

 

ナーベと自分しかいない馬車ではあったが、ワーカー達の乗った馬車はすぐ隣を走っている。

王国と違って帝国は街道整備がきちんとされており、とりわけ帝都にほど近いこの街道は馬車が二台並走しても余裕があるほど整備されていた。なので安全面も考えてモモン達が乗った馬車は陣形を組んで目的地である国境近くの遺跡へと現在向かっている。

そんな事情もあり、意外と馬車同士の距離は近い。なので種族として聴覚に恩寵がないモモンであっても他の馬車の会話が漏れ聞こえてくるのだ。

 

「モモンさーーん。あの蛆虫どもの口に熱した鉛でも流しましょうか?」

「……いや、その必要はないナーベ。そして仮にも共に依頼に臨むのだ、もう少し言葉を選べ」

「はっ。申し訳ありません」

 

聞こえてきた話題にこちらの機嫌が悪くなったのを察したナーベ。その気遣いは些か以上にずれたものだったが、その心だけでモモンは苛立った気持ちが落ち着いた。

 

 

“漆黒”のモモンことアインズ・ウール・ゴウンことモモンガは、先日、かつての仲間に繋がるかも知れない情報を逃してしまったのだ。

モモンガが帝都に来る数日前、帝都を脅かしたという獣人。その獣人の頭が山羊のものであり、第三階位の魔法を使ったと聞かされた時の違和感。そしてそれが討伐されたと知った時の焦り。

モモンガは自分が何に心を動かされたのかをわかっている。山羊の頭をしている。その一点だけで心がざわつくのだ。それはかつて共に歩んだ仲間、ゲームの世界とはいえ心を通わせた友人を思い起こさせる特徴であった。

もちろんモモンガはわかっている。冷静に考えてその山羊の頭をもったものが彼の筈がないのだと。しかし、この異世界に来た時から夢に見ていたギルドメンバーとの再会。その可能性を感じてしまった。だからそれが叶わない事がーー確かめる術すらもない事が歯がゆい。

 

「ウルベルトさん本人ではなくともスキルで召喚した下位悪魔かも知れない。いや、その可能性は高い。少なくともプレイヤーが関わっていると考えて慎重に行動するよう心がけなければな」

 

モモンガはそう自分に言い聞かせる事でなんとか平静を保っていた。帝都周辺に今まで以上に僕を置くこと以外の具体的な手立てを立てれないことが、予想以上にモモンガの心を翳らせていた。

それにも増してこれからナザリックをこんなコソ泥連中に好きにさせる。自分で決断した事とはいえ気が滅入る。

 

「はあ。気がすすまないな」

 

故郷の空を思い出すこの胸のうちは、いっこうに晴れる事はなく、モモンガの内心とは別に一行はナザリックへの道を進んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

アルシェはただただ逃げていた。

 

心臓はうるさいくらいになっていて、口の中はカラカラで。

 

でもこの夜空の彼方にはきっと、人類の希望である漆黒の英雄がいるのだと。

 

自分を逃す為に残った仲間達の行動を無駄にできないのだと。

 

<飛行>の魔法が続く限り、この悪夢のような所から逃げ果せるまで。

 

首から下げた大切な人からの贈り物を握りしめて、アルシェはひたすら進んだ。

 

 

 

<飛行>の魔法が切れる。

夢中で逃げていたアルシェはそれに気づかず地面に落ちる。

進んでいた慣性のままになんとか受け身を取りながら転がる。顔は守れたが、木々が鬱蒼と繁るこの場所の土はぬかるんでいて度重なる戦いに汚れたアルシェを更に泥まみれにした。

 

「うっ、……」

 

地面に手をついたまま、立つこともできずにアルシェは嗚咽をもらす。

こんなはずじゃなかった。

こんな事になるなんて思わなかった。

 

「う、え。うぅ」

 

両親が死んで色々と苦労したが、これから妹達と、カシュバと、みんなで幸せになるはずだった。この依頼が終わったら、そうしたらーー。

ぎゅっと首飾りを握りしめたままのろのろと立ち上がる。

そうだ。まだだ。まだ、まだ希望はあるはずだ。

 

口から漏れそうになる音を飲み込んで顔を上げる。

 

そこにはとても美しい少女がいた。

 

「……え?」

 

月の光の様に白い肌。夜の森に溶け込む様な黒のドレス。艶やかな髪は上品にまとめられて結い上げれていた。

それがもし、有力な貴族の舞踏会ならば違和感など無いだろう。アルシェはそういったものとは縁の遠い日々を送っていたが、最低限そういった場所に赴いた事はある。美しい少女だとは思うし、見惚れてしまうだろうがそれだけだ。

しかしここはあの化け物達の巣。

ならばこの少女もーー。

 

「逃げるのはもう終わりでありんすか?」

 

 

少女はニンマリと笑う。

アルシェはそれに本能的に恐怖を感じてその場にへたり込んでしまった。

 

「存外つまらない幕引きでありんすが、まあ、このナザリックを汚した愚か者の最期としては納得といったところでありんしょう」

 

口に裂けたような笑みを浮かべておきながら、少女の目は凍えるように冷たい色をしていた。

それに我慢できずに尻餅をついたまま後ずさる。

 

「もっと楽しもうかとも思いんしたが。こんな泥まみれじゃあ乗り気になりんせんし、アインズ様のお言葉通りの慈悲を与えんす」

 

少女の顔からも瞳からも表情が消える。

アルシェは直感した。次の瞬間には自分は殺される。

殺される。

こんなところで。

こんなところで、死ぬわけにはいかない!

 

気がついた時には手の中のものを投げつけていた。

そんな抵抗に一切の驚きを見せる事なく、少女の姿をした化け物は投げられたものをはたき落とす。

 

その直前に、なぜかその化け物は目を見開いた。

 

「なんで!?」

 

少女の見た目に相応しい悲鳴は、しかし投げつけられはたき落とされた首飾りの壊れる音に隠される。

高く響く澄んだ音と、浮かび上がる奇怪な模様。それに何故か見入り、口元をわなわなと震わせる化け物。一瞬、アルシェの頭に逃げるのならば今では無いのかという考えが浮かぶ。しかしそれは行動に移す前に激痛によって遮られた。

 

「ぃっ! い、いたいいぃ」

「答えろ小娘 っ! 今のものをどこで手に入れた!?」

 

肉のひしゃげる音は自分の両の腕から聞こえた。それに伴う痛みでアルシェは獣のような唸り声を上げる。

 

「何故お前が至高のお方の品を持っている!? 嘘だったはずだ! アインズ様にお前達は嘘を言っていたはずだろう!!」

 

追求の言葉は激しさを増し、それに比例して痛みも増す。

とうとう痛みに耐えきれなくなったアルシェは糸の切れた人形のように意識を手放した。

 

残されたのは白蠟の肌を更に白くさせ、相手の意識がない事に気づかずまくし立てるシャルティアだけだった。

 

 






懐かしい匂いだ。
アルシェは揺らめく意識の中でそう思う。
それはまだアルシェが幼く、父が役人として帝国に仕え、貴族だった頃、包まれていた香りだった。
清潔なシーツの香り。
アルシェはそれだけで酷く幸福な気持ちになった。ここは安心できる。だって自分はまだ幼く、貴族として立派な両親に愛されている。
そうだ。きっとそうだ。歯車が歪んだのは父が貴族ではなくなったからだ。その頃の父は確かに、帝国貴族として正しいあり方の男だった。そしてその頃の自分はそんな帝国貴族の娘として愛を受けていた。
だから。
だからこの匂いに包まれているのならば自分は何も心配いらない。

ずっと遠くから声が聞こえる。
無機質な、感情の温度が感じられない声だ。
アルシェはその声聞き馴染み無いが、彼は安心できる人物だ。だって親友なのだから。
その声がこちらに質問をする。アルシェは当然それに答える。
だって親友なのだから。


声は聞く。


お前が持っていた首飾りはどこで手に入れた?


「あれは貰い物。家族からの贈り物」


声は尋ねる。


その家族はどこで手に入れたと言っていた?


「人から貰ったと言っていた」


声は問う。



その者の名前は?


「…………。……」


声は繰り返し問う。


名前は?


「カシュバはアインズ・ウール……。ウルベ……・アレイン……ドル? と言っていた」



……カシュバ、というのは?


「私の家族。言ったこと無かったっけ?」



声は言葉を投げかける。



どこにいる?


「きっと魔法省。優秀な魔法使いだから入省が決まったって手紙が来た」



私は声に答え続けた。
親友なんだから当たり前だ。家族の話をするのも自然な事だ。
何よりここはとても安心できる。



そうか。
もう良いぞ、私はこれから帝国へ行く。
後はお前達に任せる。もうしばらくは苦痛なく生かしておけ。


甲高いガラスの割れる音。
それが頭に響くとアルシェの視界は開け、そして目の前の存在と自分のやったことに青くなる。
どうしてこの化け物を親友だなんて思っていたのだろう。きっと強力な魔法を使われたのだ。そうでないと自分があんな、家族を売る事を言うはずがない。
叫び、暴れ、涙を流しながら今の言葉は嘘だと喚く。
腐った死体の様な腕が口に絡みつく。それでも音を出そうと震える喉。暴れ気を引こうとする手足。
それに一瞥すらもなく、墳墓の主は部屋を後にした。






「カシュバという人間は、ついこの間あったばかりなのだ」

<異界門>が開くまでの待ち時間、アインズは側で控えるアルベドにそうこぼした。
万一のことを考えて<異界門>が使えるシャルティアを先行させ、帝都にある魔法省へと乗り込む算段となっている。その為、シャルティアが帝都へ着き、安全が確保されるまでの短い時間ではあるが空いた時間ができた。
至高のお方の盾として久々の出番に張り切っていたアルベドは、そのいつにも増して感情の薄い声色に寒気を覚えた。

「報告を受けております。例の山羊頭の魔法使いの重要参考人として“漆黒のモモン”としての立場で面会をされましたね」
「そうだ。そうなのだ! にもかかわらず!! 私は……! 俺は! ウルベルトさんの気配を! もっと早く見つけられた筈なのに!!!」

激昂と沈静。いつにもましてその振り幅が顕著であり、そんなアインズの様子はアルベドの心を掻き立てる。
深い叡智を持ち、端倪すべからざる御方のその乱れた心を癒して差し上げたい。貴方様は何も悪くはない。そう言ってかき抱きたい。
不敬な心を抑えて、表面を取り繕う。アルベドはアインズが今自分にそんな事は求めていないのだとわかっている。だから自分は求められている言葉でそのお心をお慰めする。

「アインズ様、ウルベルト様は強いお方です。きっと何か考えがお有りになっての行動だと推察されます。私の不十分な考えでは到底及ばない事ではございますが、この状況こそウルベルト様の求めたものではないでしょうか?」
「……どう」

アインズの言葉の途中で目の前の空間に揺らぎがおきた。
シャルティアの準備が整ったのだろう。
折角の時間を邪魔されたアルベドの眉間に深い皺が刻まれる。兜の下のそんな表情の変化など気づくはずもないアインズ。そんなアインズの行くぞという短い声かけに返事をしてアルベドは盾としての役割を果たす為、先に<異界門>をくぐった。


転移先はフールーダが所有する研究用の部屋の一室だった。そこには刺々しい雰囲気のシャルティアとひれ伏すフールーダ。そして何が起こったのかわからずに目を見開く人間がいた。
アルベドは外見は知らないが、この人間が今一番自分の愛しい人の興味を引いている存在なのだろう。この特別美しくもない、ただの人間が至高の存在である御方の興味を引くなどおこがましい。見ればれるほど凡庸なその存在はなるほど、こちらの人間にしては多少は強い様だった。

「な、なんなんだあんたら。フールーダ様、これはーー」

人間ーーカシュバの言葉は途中で止まった。息すらできない殺気がカシュバを襲い、言葉が出なかったのだ。
その殺気を叩きつけてきたのは全身鎧に身を包んだ騎士だった。手には身の丈程もある斧を持っている。これ以上下手な言葉を言えばその手にある斧でカシュバの首は胴体と別れを告げる事になるだろう。

「躾がなってないのではない、フールーダ」

殺気がほんの少しだけ弱まる。カシュバなんとか眼球だけ横に動かすと、頭を床に擦り付けていた稀代の大魔法使いが脂汗を流しながら小さくなっていた。
それにカシュバは絶望的な思いを抱いた。
フールーダが逆らえない人物。つまりは英雄より上位の、魔神などと称される存在が目の前にいると言う事だ。
カシュバの心は黒い墨で塗りつぶされた。よくわからないが致命的にまずい事態な事だけはわかる。緊張で張り付いた喉。止まらない汗。呼吸は自然と早く、浅くなっていく。

そして闇が現れた。

「よい、アルベド。シャルティア、苦労をかけたな」
「いいえ。アインズ様の為でしたらこの位のことなんでもありんせん」

数分前、フールーダから引き合わされた美少女はその闇と言葉を交わす。カシュバはその光景に一気に現実感がなくなるのを感じた。

カシュバの目の前には豪奢な服装の異形がいた。生者を憎む不死者。そんな本来狩られるべき対象が圧倒的な力と共にカシュバの目の前に現れた。

「少し待たせてしまって悪かったな、人間。私はアインズ。アインズ・ウール・ゴウンという者だ」

その圧倒的な存在はそう名乗った。
その声と音の響きは懐かしく、カシュバの喉は自然と声をこぼした。人生で初めて紡いだはずの音なのに、それはひどくカシュバの唇によく馴染んだ。


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準備

 

 

 

「モモンガさん……?」

 

 

唖然と紡がれたその音はアインズの精神を激しく揺らした。

と同時に混乱。そしてそれが潮の様に引く。

 

「何故お前が……!」

 

極めて冷静な頭とは裏腹に衝動的に体は動いた。それを押しとどめたのはアルベド。その目には警戒と憎悪が渦巻いていた。

 

「アインズ様、迂闊に近寄っては危ないかと。私より決して前に出ないで下さい」

 

盾として連れてきた者にそう言われてはアインズはそれ以上近寄れない。

いつになく動揺している。アインズはそう思いながらもその人間から目が離せなかった。聞きたいことは山ほどある。だが、何よりも知りたいのは一つ。

 

「お前は何者だ、人間」

 

横柄に、威厳を持って尋ねる。どんな返答が来てもやる事は変わらない。仲間へと繋がる手がかりを掴んで、そして会うのだ。そして取り戻す。あの輝かしい青春の、光り輝いていたーー

 

「貴方は、ウルベルトの知り合いか?」

「よい!!」

 

静止の声はアインズから放たれた。

それにすんでのところで動きを止めたのはシャルティアとアルベド。

 

「よい。……。人間、私を怒らせたく無いのならばその名前には敬意を払え。でなければ次こそお前の首が無くなるぞ?」

「あ、ああ。いえ、はい」

「それで、お前はウルベルトさんに会ったことがあるのか?」

 

カシュバの首に添えられていた禍々しい二つの凶器は一旦ひかれた。しかし、もし先程の様な失言をしようものなら次は喋ることすらできなくなるだろう。

 

「その前に質問が……」

「……許そう」

「貴方はウルベルトさ……まとはどんな関係なんですか?」

 

「ウルベルトさんとは……盟友、だ」

「盟友」

 

カシュバは絶望的な顔付きにかわる。

その変化に最悪の事態を想像したアインズは、しかし、続く言葉で救われる。

 

「ウルベルト様は、生きています。直接会ったことは無いですが、俺の恩人です」

「今どこに?」

「それは……」

 

アインズは声に喜色が滲むのを自覚する。

ウルベルトさんもここに来ていた!

その感動がアインズを支配する。一人ではなかった。自分はもう独りの墳墓の主ではない。

過去の栄光は蘇り、今から新しい栄光が始まるのだ。

 

「ここに」

 

「俺の中に、ウルベルト・アレイン・オードル様は生きています」

 

 

「は?」

 

その疑問の声は誰のものだったのだろうか。

この世界で最も頂点に近い強さを持つものが集まるこの空間には似つかわしく無い空気が支配した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし、この日記よ読むことになる日本人がいたのならば幸いだ。

俺はユグドラシルというゲームのプレイヤーだった。しかし気がついたらこの世界にいた。もしも似た境遇の人が居たら、これを参考にして欲しい。

 

俺は現実の世界で死んだ。そして気がついたらこの世界の住人の意識の一部を借受ける様になった。月に一度の新月の夜だけ自分の意識が持てる。正直不便な生活だ。これを読んでいるあなたもそうなのか? それともちゃんとした自分を保てているのか?

 

どうやら俺の意識は徐々に宿主である少年の意識を蝕んでいる様だ。共有されている記憶でこちらの思考に引きずられている様子があった。同時に、こちらの意識も宿主に同調しようとしている様だ。

 

一つ疑問があるとすれば、今の俺の意識は人間ではなく、ゲーム内での自分のキャラクターに引きづられていることだろうか。悪魔としてキャラメイクしていたのだか、自分の見た目が人間な事に強烈な違和感と、思考が邪悪に歪んでいるのが自覚できる。もし、あなたが同じ状況なら気をつけて欲しい。そして理解して欲しい。ゲーム内でのキャラクターの種族に引きずられているとはいえ、元は人間なんだ。だから話し合える筈だ。だからどうか、俺を許して欲しい。人間を殺しても何とも思えない俺を。むしろ楽しいとすら感じてしまう罪深い俺を。

 

最後に。もしも懐かしいユグドラシルの仲間が居たらまた会いたい。馬鹿らしい願いだけれど、もし俺の名前に心当たりがあるのなら訪ねて欲しい。

俺のプレイヤー名はウルベルト。

ウルベルト・アレイン・オードル。

 

誰か俺の話し相手になってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カシュバに渡された本。

この世界の言葉で書かれた日記のそれは、中身のほとんどが読めない字で書かれていた。しかし、その中でもアインズが読める部分があった。本の裏表紙の内側に書かれたそれは、間違いなく日本語だった。

悪筆と言っていい筆致だったが、それは仕方ないだろう。リアルでは基本字を書かない。キーボードに慣れきった人間が書いただろうそれはその乱れきって読みにくい字も、間違いだらけの漢字も内容を知った今では愛おしい。

 

「カシュバの言った事はどうやら本当の様だ。間違いなくウルベルトさんは彼の中にいる」

 

本を優しく撫でる。

場所は帝国ではなくナザリックに移っている。

階層守護者全員を集めた中でカシュバが差し出した日記を改め、その結果を言う。打ち消されても打ち消されても湧き上がる喜び。アインズは今この世界にやってきて一番幸せだった。

 

「しかし、これを読んで別の問題が出てきたわけだがーー」

 

アインズはそう言って自分の前に跪く守護者達を見回した。

カシュバは別室で休ませており、ここに居るのはナザリックの者達だけだ。アインズは自分の考えに自信がない。なのでどうやって見つけたウルベルトにナザリックに戻ってきてもらうかの作戦会議として招集した。

 

「私は我が盟友ウルベルトさんにここナザリックに戻ってきてほしいと考えて居る。しかしーー」

 

問題はいくつもある。

まずはウルベルト自身のことだ。

現在ウルベルトはカシュバという人間の体に宿って居る。しかも体を自由に使えるのは月に一晩だけと言う事だ。ウルベルトの依代となって居るとはいえ、人間をナザリックで生活させるのは抵抗がある。何よりも引っかかるのは“同調”という言葉だ。もしウルベルトとカシュバの意識が今後完全に同化した場合どの様な弊害が起こるか計り知れない。既にカシュバの身体能力について何人かのものに見せたが、レベルはユグドラシルで言う所のは大凡30代。年齢と本人から聞いた境遇を考えると異常な値だ。これにウルベルトが関係しているとするのならばいずれカシュバはレベル100になるのだろうか。

次は宿主のカシュバの事。

現在彼は半ば強引にナザリックに滞在させている。

帝国の魔法省に入る事が確定している彼を長時間こちらに滞在させるのは帝国との関係を悪化させる。戦力としては帝国に負けることはまずないが、まだ姿を見せないプレイヤーがいる可能性はウルベルトの件で確実にいる事がわかった。他のプレイヤーを不快にさせない為にもカシュバと帝国の扱いは慎重に考えるべきだろう。

最後はこのナザリックの面々だ。

アインズ自身も含めて今とても浮き足立っている。更には他にも来るだろうギルドメンバーの事を思うとない胸が引き裂かれそうだ。軽い気持ちで言った“世界征服”という目的を可及的速やかに果たし、ユグドラシルからのプレイヤーを探し、ギルドメンバーを集めるべきではないだろうか。

それに今回の件でわかったように下手に人間を殺すのは良くない。ナザリックの者達は忌避感を抱いているが、人間を蔑視する意識も早めにどうにかするべきだろう。

 

「僭越ながらアインズ様。ここはアインズ様が前々から温めておられたあの計画に組み込んでは如何でしょうか?」

「あの計画、か……」

 

デミウルゴスの言葉にアインズは動きを止める。

考える時の癖で顎に当てていた手は、もし骸骨の体では無かったら手汗ですごいことになっていただろう。

(わー。久しぶりに来たよこのデミウルゴスのこれ。全くわかんない。あの計画ってどの計画? )

ちらりと目線をあげる。

デミウルゴスとアルベド以外の守護者は例によって上手く理解できていないようだ。となれば言うことは一つ。

 

「ふむ。では答え合わせといこう。デミウルゴス、他の者達にもわかるように説明する事を許そう。勿論わかりやすく説明するのだ。ひょっとしたら私の考えが間違っているかもしれないからな」

「はい。かしこまりました。しかし、智謀の神とでも言うべきアインズ様に間違いなどあるはずがありません」

「そうとも限らん。事実ウルベルトさんの件は私の計画外であったのだ」

 

デミウルゴスはアインズの言葉に口を開き、噤む。丸眼鏡の奥の宝石の輝きをもつ瞳は何処を見ているのか他の者にはわかりづらい。が、きっと自らの造物主に思いを向けているのだろう。

 

「ーーそれでは僭越ながら私がアインズ様のお考えを代弁させていただきます」

 

声は何時もの調子であった。そして理論整然とした説明もアインズを感嘆させるものであった。これならば。これならばきっとウルベルトさんもナザリックに戻って来てくれるだろう。

そして人間の依代をもつウルベルトさんがナザリックに滞在することになれば、ナザリックの僕たちの意識も変わるはずだ。

 

「流石はデミウルゴス。完璧な読みだな」

「お褒め頂きありがとうございます」

 

「この計画はナザリックの全ての者に伝えよ。そして少なくともカシュバの身の安全を確保するのだ!」

 

「は!」

 

素晴らしい返事の声の余韻が消えるとそれぞれの守護者が己の担当区分を目指して出て行く。その後ろ姿を見送ってから、アインズもまた自分の仕事の為に部屋を移した。

 

 

 

 

 

 

「アインズ様。あの人間の件でお話があります」

「どうしたアルベド」

 

場所はアインズの私室。広い机の上で溜まっていた報告書を処理し、ひと段落した時に側で控えていたアルベドは静かに話を切り出した。控えていたと言ってもただ立っていたわけでは無く、アインズの振り分けた書類をまた細かく分類している。

 

「あのウルベルト様の依代となっている人間をナザリックに置く為の策ですが、もう一つ楔を打ち込む準備がございます」

「もう一つの楔か?」

「はい。デミウルゴスの計画では今回の侵入者をダシに帝国に同盟を持ちかけ出向員としてカシュバをナザリックに置くという事でしたが、それだけではナザリックに対する忠誠心に疑念が残ります」

「そうか? 確かに人類の為にという程正義感に溢れた人間だとは思わないが、帝国にとっては破格のポストだ。出世欲があるのならば問題はないのではないか?」

 

出世欲が強く貴族を嫌う下層階級の出身。でありながら非凡な魔法の才能によって最年少での魔法省入りが約束されている英雄級の人物。拾ってもらった恩からか皇帝にはそれなりの忠誠心を見せている様に見える。

 

ナザリックでそれなりの地位を用意し、出向員として帝国から引き離すーーフールーダに聞いたカシュバの人となりから導いた懐柔策ではあるが、あの弟子が間違った情報をよこすとは思えない。ならばこの楔は十分有効ではないか。

勿論、ナザリックで最高の待遇を持って迎え、ナザリック自体に良い印象を持ってもらうつもりである。

 

「確かに、ですが人間は利益だけでは動かないものでございます。ですからカシュバに個人的に恩を売ります」

「ふむ。どうやってだ?」

「侵入者の一人、あのアルシェという女を使います」

 

ばさり。

純白のドレスから覗く濡羽色の羽が音を立てる。

顔はその種族に相応しい官能をたたえた色が乗っていた。その場違いな顔にアインズは疑問に思う。

 

「どうやら二人は浅からぬ仲のようです。なので、取り引き材料には申し分ないと思われます」

「確かに情でも縛って置くのがいいか。アルベド、お前に任せよう」

「はい。お任せください」

 

アインズの許しを得たアルベドはしずしずと部屋を後にする。

 

アインズの部屋の扉が閉まった直後に聞こえた雄叫びを、アインズは聞かなかった事にして溜まっていた仕事の続きに手をつけた。

 

 

 

 

ナザリックに来て2日後、カシュバは麗しい人外の美女アルベドに連れられ、腐臭漂う一区画へと案内される。

そこに繫がれた想い人を助ける為にカシュバは悪魔との取引に応じた。

 

それが戻れない道への一歩だとしても、カシュバはアルシェを愛していた。引き返せない程に愛していた。

 

 



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再会

覚醒したウルベルトがまず最初に見たのは変わり果てたアルシェの姿だった。

動揺。驚愕。そして流れ込むカシュバの記憶。

ぎりりと歯を鳴らした時、ウルベルトの心は現実世界の空の色に潰されていた。

 

「カシュバ?」

 

ソファーでうたた寝をしていたカシュバに布をかけようとした姿勢で固まった彼女は、一つ瞬きをすると小首を傾げる。煽情的な格好と容姿も相待って文字通り“小悪魔”的仕草だ。それに合わせて縦に割れた瞳孔が細くなる。目は透き通る青空では無く血塗られた夕日を映している。

大きく開いた胸元から控えめな乳房が覗き、最低限の面積を光沢のある素材がピッチリと隠していた。

そんな胸元はゆっくりとウルベルトに近づく。胸を隠すのと同じ素材で作られた手袋に包まれた華奢な手が顔に添えられる。鉤爪の様にのびた爪が顔をなぞり、鼻と鼻が触れ合う距離になって数瞬。

アルシェは跳びのき平伏した。

 

「申し分ございません偉大なるウルベルト様!! 私は貴方様の宿主カシュバ様と番う事になったーー」

「いい。事情はわかっている。それよりも話がしたいからモモンガさんーーアインズさんを呼んでくれるか?」

 

すぐにっ、と言葉を置き去りにして部屋からアルシェは出て行く。尾骶骨が見えそうなギリギリの位置で履かれたスカートはとても短く、走る度、鞭の様な尻尾が揺れる度下にある太ももと黒のコントラストが見える。

ゲーム時代でも中々お目にかかれない痴女ファッションをリアルで知り合いがしている事実はウルベルトの受入許容量を超えている。

そんな中でもしっかり目で追ってしまう自分に寂しさを感じながらしばらく待つと、扉が吹き飛ぶのではないかと心配になる勢いで開いた。

と同時に黒くて硬い物体がウルベルトを押し倒す。ウルベルトは座っていたソファーごとひっくり返り、頭を強打する。

 

「ウルベルトさん!? 本当にウルベルトさんなんですか?!!」

 

遠のく意識は耳元で聞こえる懐かしい声に呼び戻される。

 

「ええ、モモンガさん。悪の中の悪。ナザリックの大魔法使いウルベルト、確かにここに帰参しました」

 

カッコつけた言葉もこの骸骨に押し倒された状況では台無しだが、それでも我らがギルドマスターは確かに喜んでくれた様だ。

 

「ウルベルトさん!!」

 

体に回された手はその言葉とは裏腹に緩い。

その拘束をゆっくりと手で外し、改めて顔を合わせる。

 

「モモンガさん」

「ウルベルトさん!」

 

「カシュバとアルシェの扱いで言いたいことがあるので、取り敢えずそこに座れ」

 

カシュバの声帯を使ったドスの効いた声は赤い目を明滅させた骸骨を正座させる威力を持っていた。

 

 

 

 

 

 

ウルベルトが目覚めたという一報を受けたナザリックの僕達は上に下にの大騒ぎとなった。一先ずは至高の御方同士で話をされるということで僕に対する顔見せは後にまわされた。

そんな帰って来られた至高の御方に近しい僕の中でもウルベルトの被造物であるデミウルゴスには先に会える様にとアインズから知らせが届いていた。しかし、現在ナザリックの外に重大な仕事を抱えるデミウルゴスはウルベルトが目覚めるだろう夜までスケジュールを詰めていた。

だが、不運にもーーあるいは幸いにもウルベルトがカシュバの意識の表面に出たのは正午過ぎ。一刻も早く自分の主人と会いたいという気持ちと、至高の御方から任された仕事を途中で放り出すわけにはいかないという責任感に板挟みになり、決死の形相で取り敢えずの仕事を片付けていた。

 

そんな仕事を邪魔する様にデミウルゴスが使っている部屋の扉が叩かれる。その形相だけで気の弱い人間ならば心臓が止まるだろうという顔を上げることなく入りなさいと声を上げる。

その瞬間にも全神経はやるべき書類に向けられており、ゆっくりと扉を開けて入って来る存在には注意を払っていなかった。

 

 

急ごしらえだと聞かされていた割にはその部屋はとても見栄えが良かった。磨かれた床に落ち着いた青の絨毯。漆喰の白さに浮かぶ黒い机は白い紙で塗りつぶされている。

その机の中央には存在を主張する様な赤いスーツの悪魔。

子供の趣味は親に似るのだろうか。

ウルベルトは一目でこの部屋を気に入った。

 

「邪魔をしてすまないな、デミウルゴス」

 

その言葉に部屋の主である悪魔は顔を上げて固まった。

それまで目で追うのもやっとな速さで滑らせていた手を止めたせいで紙にインクの染みができている。室内の灯りに照らされ反射する眼鏡からはみ出すほど開かれた目は美しい宝石の光を宿している。

 

「う、う……」

 

急に立ったせいでインク瓶が倒れ書類の束が崩れる。床に落ちた書類を踏みながらデミウルゴスはウルベルトの前まで歩を進めると深々と頭を垂れて跪く。

 

「あ、……御見苦しい所をお見せし、また、出迎えることができずに、申し訳ございません」

 

ゆっくりと、何度も息を吸いながら紡がれる言葉は平時のデミウルゴスと比べると精彩にかける。しかしそんな事をウルベルトは気にしなかった。それよりも、こうして自分の作ったNPCが目の前で動き、喋り、一個の生命として行動している事に言葉では言い表せない感動があった。

 

「ーーーー気にする事はない。些細な問題だ。それよりも、長くナザリックを空けたな。その間、ナザリックの僕として良くナザリックを守り良く働いてくれた。先ほどモモンガさんからお前の働きぶりは聞いたよ。ここを案内してお前の仕事ぶりを見せてくれるか?」

「喜んでお引き受けいたします!」

 

立ち上がったデミウルゴスはウルベルトを先導して案内する。この牧場の経営はデミウルゴスとしても渾身のできだ。きっとウルベルト様のお眼鏡にも叶うだろう。

いつもの悪魔的な笑みではない笑顔のデミウルゴスは嬉々としてウルベルトに牧場を案内する。

 

舞い上がっていたデミウルゴスは自らの創造主であるウルベルトの顔が徐々に引きつっていくのに気がつかない。日が傾き、夜の帳がおりた頃、後でまたナザリックで会おうと別れを告げられたデミウルゴスは上機嫌で机にまとめられた書類を片付ける作業に戻った。

 

 

その頃ナザリックでは人間の非力な拳で骸骨に殴りかかった事により怪我をしたウルベルトが殴りかかられた被害者に心配されるという悲しい出来事が起こっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に大丈夫なんですか? ウルベルトさん、今貴方はカシュバという弱い人間の体なんですから気をつけて下さいね」

「…………」

 

拗ねてそっぽを向くという子供の様な姿にアインズはゆっくりと息を吐く。

最悪だ。ウルベルトさんの信用を失ってしまった。

目覚めた直後はカシュバとアルシェという人間の扱いに対して、そして先程はその気分転換にと送り出したデミウルゴスの牧場での羊の扱いに対して。既にアインズはウルベルトの地雷を2個も踏み抜いている。

(やっぱり、異形種になってからだいぶ人間性無くなってたんだなぁ)

ウルベルトの地雷はそのどちらもこちらの倫理に関わる部分だった。もっと正確に言うのならば人間の扱い方だ。

ウルベルトは日記で悪魔の価値観に染まってきていると書いていたが、体が人間な為だろうかまだ随分と人間的な感性を持っていた。

 

「ウルベルトさんが不快に思わない様にこっちとしても努力します。だからどうかナザリックに戻ってきてもらえませんか?」

「……」

 

ウルベルトの視線は手当をするペストーニャの継目に固定されている。ウルベルトの隣で虚しい声かけを続けるアインズは吐きそうになるため息を飲み込む。

 

「別に」

 

視線はそのままでウルベルトは言う。

 

「別にモモンガさんに当たるつもりはなかったんだ。ごめんな」

 

「本当に殴りたいのは自分なんだ」

 

「でもそんな事したら痛いのはカシュバになっちまう」

 

「だからモモンガさんに八つ当たりしちまった」

 

ぽつぽつと言葉を区切りながらゆっくりとウルベルトは自分の気持ちをこぼす。

アインズはそのウルベルトの態度に胸を締め付けられる懐かしさを感じた。

それはたっち・みーと喧嘩したウルベルトが仲直りをする時に良くした事だからだ。

犬猿の仲と言われていた二人だが、その仲直りの方法はまるで子どもの様だった。片方が片方の側に来て視線を合わせずに軽く謝った後で端的に理由を言う。そしてもう一方の言い分を聞いて、そして謝る。

 

「いいんです。俺も確かに軽率だったと思います。ウルベルトさんが怒るのも無理ないです。すみません」

 

最後に目線を合わせて笑顔のアイコンをだす。

ウルベルトの浮かべる困った顔の笑顔を見ながら、自分がその儀式の最後を飾る笑顔を作れない事にアインズは悲しさを覚えた。

 

「はぁ。ここ、本当にゲームの中じゃないんだな」

「そうですね」

「モモンガさんは本物の骸骨で殴ると痛いし」

「はい。スキルのお陰で一ミリもダメージないです」

「……。……俺、正直人間はどうでも良いんだって思ったんです。さっきのデミウルゴスの牧場」

「そうなんですか?」

「カシュバとアルシェはほら、知り合いだから情があるみたいなので、二人の事については早急になんとかして下さいね。本当に」

「はい……」

「でも、牧場の羊は違ったんです。ああ、いい悲鳴だな、なんて事も思っちゃって」

「ああ」

「でも、人間の倫理観も勿論残っているわけなんですよ、このカシュバの体の中に。だから、もしここが人間に見つかったらデミウルゴスが人間達の矢面に立たされるんじゃないかって」

「そんな事しませんよ! みんなの子どもであるNPCにそんなひどい事する訳ないじゃないですか!」

「ははは。そうですよね。モモンガさんにならそう言ってくれるって信じてました」

 

ウルベルトは深々と椅子に体を預ける。

治療が終わったペストーニャが一礼をして部屋を出ると、部屋にはウルベルトとアインズの二人だけになる。

 

「ああ、なんだか安心したからか酷く眠い。モモンガさんがモモンガさんで本当に良かったです。なんか今日は色々あって疲れちゃいました」

「え!? ちょっと待って下さいウルベルトさん! もうちょっと、せめて後一時間は起きてて下さいよ! ウルベルトさんが本当に帰って来たってナザリックの者達に伝えなきゃなんですよ!?」

「あー。すみませんモモンガさん。俺もデミウルゴスに後でまた会おうって言ったんですが、ちょっと本当に睡魔やばいんで今日落ちます……」

「そんなゲーム時代みたいに!! って、あー!!」

 

アインズの大きな声にも体を揺すってもウルベルトは起きない。

 

「まずい。今後の事ちゃんと相談していないぞ……」

 

あの計画を伝える前に寝てしまったウルベルト。夜が明けないうちならば起きてもまだウルベルトのままなんじゃ、という淡い期待は、30分後に目覚めたカシュバによって砕かれた。

 

 



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真夜中の交渉

 

帝都アーウィンタール内にあるカシュバの家は近々与えられる地位に相応しい豪華なものだ。既に何名かの使用人を雇い入れ手入れがされているそこは、元は鮮血帝に取り潰された貴族の館だった。それに相応しい大きさにふさわしくなく、中の調度品はやや華美に劣る。どちらかというと騎士が好む実用性が押し出された内装は今回ここに集った人物達に完全に負けていた。

 

皇帝ジルクニフ。金の髪に似合う衣装はお忍びという事を差し引いても美しく、その容姿を引き立てている。それは護衛として控える二人の騎士にも言えた。

しかしそんな庶民が見たらため息を吐くほどの美しい衣装ももう一方に人物には勝てない。

アインズ・ウール・ゴウン。骸骨の体を覆う布はほぼ黒一色だというのに恐ろしい程の存在感を出している。色味と言えばその両手にある様々な魔法が込められた色とりどりの指輪位のものだがその一つ一つの価値が帝国の一年の国費よりも高くつくだろ事は間違いない。

本物の審美眼を持つジルクニフにとって、アインズはただ相対しただけで自分とは格の違う存在なのだと感じることのできる相手であった。

 

しかしだからと言ってジルクニフは些かの気後れもしていない。今回のこの会談はアインズの方からカシュバを通してジルクニフに持ちかけられたものだ。それだけでこの場の主導権はジルクニフにある事は明白だ。ならば相手の見た目や持ち物がいかに常識外だろうと関係ない。

 

「皇帝陛下、ご紹介いたします。こちらの御方が偉大なるナザリック地下大墳墓の主人であられるアインズ・ウール・ゴウン様です。アインズ様、こちらバハルス帝国の皇帝陛下であらせられるジルグニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス様です」

 

カシュバの紹介の元、アインズとジルクニフが握手を交わす。

手袋ごしではない直に感じるその骨の感触に流石のジルクニフも怖気が走るが、決して顔にはださない。相手はこちらの失態を手ぐすね引いて待っているのだ。絶対に思い通りになどなるものか。

 

「ジルクニフ陛下とこうして会うことができて光栄だな。カシュバには本当に感謝しなければ」

「ええ、優秀な部下を持てた喜びで胸がいっぱいだ」

「本当に。羨ましくなる程得難い人材です。ああ、忘れる所だった。陛下には手土産があるのだ。ーーここに」

 

アインズの連れてきた従者は皆言葉にできないほど美しいメイド達だった。その内の一人、金髪の美しいメイドがその手に箱を持って前に出た。ジルクニフが見た時は確か手ぶらであったと記憶していたが、どこに箱をしまっていたのだろうか。

アインズの直ぐ近くまできたメイドはアインズに跪くとその箱を捧げる。アインズは何気ない仕草でその箱の蓋を開けた。

そこにあったのは人間の生首だった。

微かな血の臭い。既に処理をされているのか血自体は見えない。

 

「私の墳墓を荒らした賊の親玉らしいのだがね、ジルクニフ陛下に見覚えは?」

 

黒い眼窩の奥にある赤い光が強く光る。

バレている。ジルクニフは首から下の、相手に悟られない場所に汗が滲むのを感じる。こちらに主導権があるなどとんでもない。これは向こうの罠だったのだ。

 

「私の国の貴族だ。とんだ迷惑をかけた様ですまない」

「いや、いいとも。幸いこちらに被害は無かった。しかし無法者とはいえこちらの国民だ。やはりどんな姿でも返した方がいいかな?」

「大事がない様だったら良かった。確かに無法者とはいえ国民な事には変わりない。しかしそちらにはそちらのやり方があるだろう? それを尊重するよ」

「ふむ。そうかね」

「しかし今回の騒ぎはこちらの落ち度な事に変わりはない。もし頼みがあるのならば努力するよ」

「そう言ってもらえると助かる。実はちょっとした願いを聞いてもらいたくてね」

 

ジルクニフは内心でほくそ笑む。どうやら相手は腹芸のできない見掛け倒しらしい。こうもあっさり腹の中を見れるとは。やはり化け物は化け物。多少知恵はあるようだが骸骨の中に脳みそは詰まっていないようだ。軽くなった心のままにジルクニフはアインズに話を続けるように促す。

(金には困っていないだろうが、となると要求はなんだ? 武力? 人材? それとも土地か? 建国の手伝いをして欲しいといったものならば盛大に恩を売れるのだがな)

油断なく相手の様子を観察しながらジルクニフは出方を伺う。

 

「実は私の墳墓を中心として国を作りたいと考えているのだがーー」

 

やはり建国か。帝国としてはその事に賛成はできない。アインズが国を作りたいと思っているだろう場所は王国と帝国の国境。つまり帝国にとっての要所であり、何年もの時間をかけて王国から奪い取ろうとしている部分だ。ここで簡単に手放せるものではない。

ジルクニフはナザリックの戦力の予想を立てる。ジルクニフの力を持ってねじ伏せられるものだろうか?

オリハルコン冒険者を4パーティ。その全てを無力化し、帝都にいる貴族を騒ぎにする事なく片付ける事ができる力は侮れない。

しかし、ジルクニフに同じ事ができるかと言われた場合は“できる”と答えるだろう。フールーダを始め帝国の戦力は法国ほどではないが人間国家としては高い水準にある。こうして向こうから出向いた事から考えるに今回送り込んだ者達を抑え込むのでやっと、と言った所ではないだろうか。

でなければこんなに下手に出るはずがないのだ。

瞬時にそこまで考え、ジルクニフはある考えに至る。

(協力すると申し出つつ王国を通じお互いに潰し合わせたあと漁夫の利を得るのが一番だな。いや、むしろそれ以外にない)

ジルクニフの目が欲に濡れて光る。相手に気づかれないよう事を運ぶのは難しいが、とても魅力的である。

 

「ーーその為に帝国にはナザリックの配下に加わってもらいたいのだ」

 

「ーーーーは?」

 

アインズの言葉にジルクニフの口から間抜けな声が漏れる。と同時にとてつもない違和感がジルクニフを襲う。

いや、違和感ではない。確実な異変が屋敷を包んだ。壁と言わず床と言わず全てを覆う黒い影から何十体もの化け物が出てきたのだ。ジルクニフが護衛として連れてきた騎士ーー四騎士の内二人はすぐさまジルクニフを囲う様に剣を構えた。突然の事態の急変にジルクニフはここへ連れてきたカシュバへ憎悪の目を向ける。そんな視線を受けているカシュバもまた予想外の事態に驚き、アインズへと詰め寄る。

 

「アインズ様! これはどういうーー」

「落ち着くのだカシュバ。安心しろ、無闇に命を奪ったりなどしない。これは脅しだよ」

 

「さて、皇帝陛下。こちらとしても話をあまり荒立てたくはない。素直にこちらの軍門に下るというのであればいい共栄関係を築けると確信している」

「断れば?」

「残念だがバハルス帝国は本日をもって滅亡だ。運が悪かったと諦めてくれ」

 

なんでもないという風に手をひらひらとさせる。

 

「陛下。ご命令を下さればこの無礼なエルダーリッチなんて一太刀の元に切り捨てますぜ?」

 

護衛として連れてきた四騎士のうちの一人、“雷光”バジウッド・ぺシュメル。自らの獲物である長い幅広の剣を既に手にしている。

それに合わせて動いたのはアインズが連れてきたメイドのうちの一人。艶やかな黒髪を夜会巻きにした美しいメイドだ。特に武器を持っているわけではないが足を前後に開き軽く握った拳を胸の位置まで上げている。

他のメイド達もそれぞれに警戒した様子だ。

ジルクニフは限界まで頭を使って考える。

どうするべきだ。どうしたらいい。

何時もならば直ぐに正しい答えを導く優秀な頭脳もこの時ばかりは答えを出せない。仕方なくジルクニフはイエスでもノーでもない第三の答えをだした。

 

「下がれバジウッド。すまないゴウン殿、不快な思いをさせてしまった」

「いや、気にしないとも。こちらの方こそ突然こんな事を言って驚かせしまった」

「返事は今日返した方がいいのかな?」

「できればすぐにでも欲しい、が、考える時間も必要だろう。一晩悩んでくれて構わない。答えは明日の日の出に聞くとしよう」

「ああ。心遣い感謝する」

 

話が終わったと同時に応接間の一部に黒い空間ができる。なんらかの魔法である事は間違いないが、ジルクニフも初めて見るものだ。その黒い空間にアインズが片足を踏み入れた所で、やっとなんらかの転移魔法なのだとあたりをつける。

 

「アインズ様」

 

そのまま闇に消えようとしていたアインズを呼び止めたのは未だ伯爵の首を持ったままの金髪のメイドだった。

 

「この首はいかがいたしましょうか」

「それはジルクニフ皇帝に渡したものだ」

 

アインズの言葉でメイドはジルクニフに向き直るとそれを上に上げた。

ジルクニフとしてもいらない。そんな考えが珍しく顔に出ていたのだろう。メイドは恐れながら、とジルクニフに話しかけてきた。

 

「もし処分にお困りでしたら私が処分いたします」

 

その提案にジルクニフは頷いた。伯爵の家族にも首だけ帰ってくるよりも失踪としておいた方が何かと便利だ。

するとメイドはその首を箱から出し持ち上げ、自らの胸に抱いた。それを見ていた者全員が怪訝に眉をひそめる。するとジュワジュワという音と共に首が少しづつメイドの胸に埋もれていく。そしてついに髪の毛一本の痕跡も残さず、伯爵の首は消えてしまった。

 

「ごちそう様でした」

 

そう言って金髪のメイドは微笑むと主人であるアインズの後に続いて黒い空間の中に消えていく。全員が居なくなり、黒い空間が無くなってもしばらくジルクニフは呆けたようにそこにいた。正気に戻ったのは壁にかけられた時計が真夜中の鐘を鳴らした時だった。

 

 



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蹂躙前夜

俗に言うエタるの危機から脱しました。
再開を早めたいと思って書いたそばからの投稿です。
使わせていただいたプロット的にも大詰めですし、お話も収束なので次回投稿はさくさくできるといいなと思っております。








 

「どういうおつもりなのですか!?」

 

放心状態から戻ったジルクニフを見送った後、カシュバの前に現れたのはナザリックからの迎えだった。その迎えに着いて行き、案内された部屋にいたアインズに詰問した。カシュバはアインズが皇帝と好意的に知り合いたいと相談されたので二人を引き合わせたのだ。

決して帝国がナザリックの属国になる手引きの為ではない。

 

「俺に嘘をついたんですね」

 

恨みがましい気持ちと悲しい気持ちとがせめぎ合う。カシュバはアインズの事を信じていたのだ。

手酷い裏切りにあったというのに今でもアインズを信じたいという気持ちがある。それに歯痒さを感じる。

 

「嘘?」

 

至極不思議といった言葉遣いで首を傾げる姿はアンバランスで不気味だ。

 

「ああ! お前には計画の変更を確か伝えていなかったな」

 

納得だ、と頷きこちらを見据える死の支配者。改めてその重圧に挫けそうになる。生者を模倣する動きに吐気がする。しかし自分の中に確かにある何かがその仕草を“変わってない”と感じる。それはきっとウルベルト様がそう感じているのだろう。

このナザリックで自分は今れべりんぐというものを行なっている。それの影響なのか以前より強くウルベルト様を感じる。限界まで強くなってしまったら、そうしたらきっと自分はーー

 

「時間がないのでな、帝国と、ついでに王国を使った大規模な作戦を行う事にしたのだ。主役はウルベルトさんでな。勿論お前にも協力してもらう。その分の報酬もきちんと用意しよう」

「報酬?」

「ああそうだ。ーーなあカシュバ、お前が本当に大切に思うのは人類ではあるまい?」

「!!」

 

例えるならばそれは背骨を冷たい手で撫でられる感触だろうか。

寒気と怖気が同時に走り、そして自分が気づいていなかった核心に気付かされた狼狽。それはアルシェが人でなくなった時から感じていたずれだ。

 

「お前は自分の手の届く周りが幸せならば、それで十分だと思っているのではないか」

 

はくはくと口がただ開閉する。

いや、そんな事は無い。

その言葉が出てくると思っていた喉は詰まったように動かない。

 

「舞台は収穫期真っ最中の、何と言ったか、毎年戦争をする平野だ。その新月の晩にウルベルトさんに簡単な魔法を打ってもらう。演出は大事だからな。存分に盛り上がる舞台を作らなければ」

 

 

世界中に我が名を響き渡らせる。

 

 

子供ですら言わない夢を語る強大な不死者の姿は、それが実現するのでは無いかという恐ろしさをはらんでいた。

真に人類の事を思うならば反対するべきなのだ。

なの、だがーー

 

「お前は元人間の娘とその家族と幸せに生き、私は我が友とその愛し子達と幸せに生きる。その世界を共に作ろうではないか」

 

カシュバの想い人であるアルシェは人間から悪魔になった。

その事を恨む気持ちは十分にある。しかし、同時にアルシェと自分が幸せに過ごすには、余りにもこの世界は居心地が悪い。

元人間をはいえ、悪魔に堕ちた人間を心から迎え入れる国などない。一瞬帝国の鮮血帝が頭をよぎったが、彼が受け入れてくれるのは見返りや利用価値があるからだ。自分はそれで良かった。しかし、アルシェをそんな相手に任せたくは無い。今まで必死に頑張って生きてきたアルシェに、これ以上苦労や苦悩をさせたくなかった。

そしてここにきて、やっと気づいた。

そう、全ては遅く、自分の力では覆せない所まで来てしまっていたのだ。

もうカシュバはナザリックで生きていくしかないのだ。

 

だが、幸いな事に今の自分は踏みにじられる立場ではない。他の人間と比べるべくもない圧倒的な力を持っている。

成り上がってみせるとあの日、ボロ布に包んだ金貨を引きずった少年の行く末としては上出来では無いだろうか。

 

 

 

顔を上げたカシュバにはギラついた欲が滲んでいた。

その肉欲すら喚び起させる顔を見て、モモンガの側に控えていたアルベドは楽しむ。やはり人間は堕落させてこそだ。心の寄る辺にしていた少女を悪魔に堕とし、保護する名目でナザリックでの滞在を促した。決断にキレは無かったが、最後にはその少女の為に頭を垂れた。その時以上の愉悦が背筋をのぼりゾクゾクと身を震わせる。完全にこの人間を落として見せた。至高の御方の依り代も他愛がない。むしろ唯一崇めるべき対象は隣におられる死の支配者ただ一人。それ以外など何者であろうが虫ケラだ。

だと言うのに、何故モモンガ様は他の方々をこうも必死に探されるのか。このナザリックには唯、貴方様だけがいらっしゃればいいのに。

 

(いっそ気づかれない様にこの人間を殺してしまおうか?)

 

甘美な誘惑にアルベドの瞳は揺れる。しかしすぐに思い直す。全くもって悲しい事だが、モモンガ様はそれを望まれていない。

それにナザリックの僕など及びもしない程の叡智を持つお方に気づかれないなどという事はないだろう。

何よりも、何よりも確信としてある。もしモモンガ様の目の前にナザリックと、至高の御方々があり、どちらかしか選ばなくてはいけなかったら。

しばし迷って下さるかもしれない。けれど、最後に選ばれるのは私達ではない。

 

(私達を、私を一番に愛して下さい。何でもしてみます。全てを、全てを貴方様に捧げ、けして傷つかない様に守ってみせます)

 

頭で描いたままのやりとりがアインズとカシュバの間で行われる間、聖母の微笑みで見守る悪魔はその愛憎が渦巻くままに思考を巡らせる。

全ては愛する事を許していただけた、ただ一人の心を手に入れるために。

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

やられた。

 

 

ウルベルトが一月ぶりに目覚め、その間の出来事を知った瞬間に思ったのはそんな言葉だった。

 

発案は誰だろうか。モモンガさんだとは思いたくはない。何というかこれは彼にしては悪魔的すぎる。きっとナザリックのNPCに何か言われてこうなったのだろう。そう信じたかった。

どうするべきか、そう悩んでいると高いノックの音がする。カシュバの部屋として割り当てられたここは第六層の森の中にある小屋で、他に人間の女達が暮らしている筈だ。誰かが何かの用だろうか? そう思って扉を開けると目の前に居たのは戦闘メイドの一人。夜会巻きにされた艶やかな黒髪を見下ろし名前を思い出そうと苦戦しーー

 

「ユリか」

「はい。お目覚めをお待ちしておりました」

 

カシュバの記憶の方が自分の記憶よりも探りやすい。いや、戦闘メイドの名前をすっかり忘れてしまってたのもあるだろう。が、自然に記憶を探った時にカシュバのものも思い出せる。その事に少しの恐怖を味わいながら要件を聞く。

 

「モモンガ様がお呼びでございます」

 

そう言ってユリは服を掲げる。それは懐かしいものだった。デミウルゴスの服のデザイン、その没案の中で気に入ったものを自分用に残しておいたものの一つだ。自分のアバターに合わせた落ち着いた色合い。それをユリに促されるまま着る。

最後にワンポイントのアクセントに派手なスカーフをまく。おかしいところは無いかと見た姿見の中には、垢抜けた青年がそこそこに似合ったスーツを着ていた。

そして案内されるまま第九層にあるモモンガさんの部屋まで行く。指輪があれば良いのだが、基本部外者であるカシュバに持たせるものでは無いのだろう。

まるで偉い身分になったかの様なやり取りの後、モモンガさんの許可を得て部屋に入る。

 

こちらを見たモモンガさんは破顔した。

 

骸骨の、動かない顔に対しておかしな表現だが、確かにモモンガさんは笑った、と思う。ゲーム時代だったら笑顔のアイコンで迎えてくれただろう。

しかし、そんな空気と裏腹に、支配者ロールをしている彼の声は落ち着いている。いっそ人間味の無い冷淡な声だ。

もし、中身がモモンガさんと知らなかったら、見た目通りの人外として不信感を抱いただろう。

 

「待ってましたウルベルトさん。知ってるとは思いますが、来月、起きたらやって欲しい事があります。カシュバとの記憶の繋がりがどの程度かわからないんですけど、もう一度説明した方がいいですよね?」

「……いや、大丈夫ですよモモンガさん。計画は全部知ってます。王国と帝国の戦争に割り込めば良いんですよね。でもそれ、本当にモモンガさんのやりたい事ですか? 数万人単位を使ったパワーレベリングなんて、倫理に反しますよ?」

 

そう。カシュバの記憶から読んだ今回の作戦ーー建国とギルドの名前を広げるのと、そして、カシュバーーウルベルトのパワーレベリング。ウルベルトの悪魔的部分はその無駄の無い邪悪な計画に拍手を送っているが、カシュバの人間的な部分は隙のない邪悪な計画に非難の声を訴えてくる。

 

「何を言ってるんですかウルベルトさん」

 

そんな非難混じりのウルベルトの訴えを、至極不思議だという様にモモンガは首を傾げた。

 

「貴方に早くナザリックに戻ってきてほしくてみんなで考えたんですよ。それにレベルの低いままだと不安でしょう? だから手っ取り早くレベル上げてた方がいいと思ったんですよ! ウルベルトさんもそう思うでしょう?」

 

声を弾ませた彼は、もう人間的な良心や倫理とは程遠い場所にいるのだろう。もう自分の知る彼では無いのではないか。

そう思ってしまった。

でも、ーー

 

『今日は今のところ俺とウルベルトさん二人だけなんで久しぶりに二人で狩りに行きませんか? 確か前ウルベルトさんが欲しがっていたドロップある所今いい感じに過疎ってるらしくて。超位魔法撃ってパパッと集めちゃいましょうよ!』

 

内容は邪悪だが彼にとってはかつてのあの日と同じ感覚なのだろう。ウルベルトの人生の中でも楽しいと思えた、そして思い出の箱に入れてしまった日々の続きができると、このギルド長は純粋に喜んでいるのだ。

 

 

結局、ウルベルトはナザリックの計画に参加するしかない。埋め込まれた楔は頑丈で、人間の情が邪魔をしてウルベルトにはちぎれない。アルシェもその妹達も、帝国の運命を背負ったも同然のカシュバは身動きが取れない程雁字搦めだ。

そして自分も。仮初めの世界に置いてきた居場所と、好ましいと思う友人を見限れない。

 

少し一人になりたいからと断って、一人墳墓の地上部分に出て考える。

かつての自分と仲間達が作ったNPCはなんと悪辣で頭が良く、そして容赦が無いのだろうか。ウルベルトはそう設定した側ではあるが、実在して動き出すとなるとここまでなのか。少ない情報からではあるが、モモンガさんも自分と同様種族であるアンデットに引きづられて元の倫理観とかけ離れた存在になっているのだろう。そして、それに拍車をかけるのはギルドメンバーの残した遺産。NPCの存在だ。言ってはなんだが、モモンガさんにここまでの行動力は無い。ギルド時代やその前を考えても積極的にだいそれた行動を起こす人じゃなかった。にもかかわらず、何万人もの他人を巻き込んだ作戦を実行するのは周りのNPCによる影響が大きい筈だ。

いかに穏健で慎重派なモモンガさんでも、周りを過激な行動派で囲まれればそれに引きづられる。人数の少ない時の活動で、たまたま、るし☆ふぁー以下アインズ・ウール・ゴウンの過激派代表が集まった時は出来るだけ穏便になる様に調整しつつもはっちゃけた行動をしていた。今回のこれも、まったくもって遺憾な事だがそういう事なんだろう。

 

「ウルベルト様」

 

甘い声。目を向けた先には予想した人物。

守護者統括アルベド。

アルシェを悪魔に変え、アルシェとその妹達の安全と引き換えにカシュバを手の平で転がした敏腕悪魔。

 

「そろそろお戻りになられてください。モモンガ様が心配されております」

 

隙のない美しい所作は荒れ果てた外装になっているこの地表部分では違和感が強い。

 

「そうだな。いつ急な眠気が襲うかわからない」

 

モモンガから疲労無効の指輪を渡されたが、結局つけれなかった。おそらくカシュバのタレントと関連していると思われる。なのでウルベルトは今までと同様眠りに落ちたらカシュバと意識が変わるのだろう。そして目覚めたら作戦日当日だ。朽ちた墓石の一つに座っていたウルベルトは立ち上がるーー前に考え直す。

 

「せっかくだから少し話さないか、アルベド」

 

自分の目の前にある墓石だったものを指す。それに一瞬の躊躇いを見せて、しかし断るのは不敬だと思ったのだろう、大人しくアルベドは座った。

 

「今回の俺のパワーレベリング、成功したらどうなると思う?」

「ウルベルト様の力が増して体の持ち主を乗っ取るのではないかというのが我々の見解です」

「なるほど、興味深い意見だ。それに現実感がある」

 

カシュバがこのナザリックで生活する様になって一ヶ月。この一月でウルベルトは自分とカシュバの意識が混じるのを感じ取っていた。それはカシュバに課されたレベル上げの効果だろう。生活環境の変化を鑑みたとしても、これ程の急激な変化は今までなかった。

 

「アルベドは確か戦士職だったな。今の俺は何レベルくらいに感じるんだ?」

「今のウルベルト様は40程でしょうか? 掴み所がない部分もあるのではっきりとは申せませんが」

「40ね。そんなものか」

 

100に近づくほど意識が混ざると仮定すれば、あと10レベルもすれば新月の晩だけ体の支配権を手に入れることができるというのも変わるかもしれない。そこまで考えて、どうしてモモンガが強硬に自分を強化したがるのかがわかった気がした。

 

「アルベドはモモンガさんをずっと見ていたのか?」

「ナザリックのものは皆、至高の御方々が一人、また一人とナザリックを去って行かれたのを知っております。最後に残られた慈悲深きモモンガ様が、長い時間を一人で過ごされていたのも知っております」

 

「……ナザリックにとって俺は邪魔だ、と、思っているんだな」

 

カシュバに対するアルベドの態度、そして今のやりとり。それを総合的に判断して出した結論をウルベルトはあえて口に出した。

この優秀な守護者統括は、自分が来たことによる不和を憂いている。その目が、取り繕えない苛立ちと憎しみを覗かせる。

それは決まってウルベルトがモモンガと話をしている時だったり、ウルベルトがモモンガの話題を出した時だった。そして今の発言。少なくともアルベドは“最後に残ったモモンガこそがナザリック地下大墳墓の支配者である”と考えている。それを他の僕に躊躇わせるウルベルトの存在が邪魔なのだろう。

 

「モモンガさんと対立する気はない、と言っても駄目だろうな」

「ええ。口先ではなんとでも言えます」

「ナザリックの為に俺が戦うという証が欲しいのか? だから帝国の為でも、自分の為でもない、モモンガさんとナザリックの為の作戦に参加しろと?」

「……」

 

返事はない。つまりこれはアルベドの思いとは違うという事だ。ならば、ーー

 

「そうだな。俺がナザリックに帰ってくるのは問題が起きそうだ。今は人間の体だしトップが二人いるのは良くない」

「わかっていただけたのでしたら嬉しいです。ウルベルト様、随分と話し込んでしまっています。モモンガ様のところへお戻りください」

「機会を見てカシュバごと殺す……はモモンガさんからの信頼を失うから嫌なんだろう? アルベド、お前の欲望はなんだ?」

「……」

 

アルベドの警戒心が高まるのが手に取るようにわかる。

ウルベルトにとっては自分の種族はビルドの為のものであり、自分の趣味とあった見た目からのものだ。だからウルベルトが真に悪魔的思考になったのはこの世界に来てから。合計時間で考えても二週間もない。しかし、アルベドにとっては違う。邪魔な存在であると思いながらも“至高の御方”である自分はナザリックを作った造物主であり“生まれながらの悪魔”自分よりも高位の存在として見ている事がうかがえる。

そんなものが自分の望みを聞き出そうとしている。

悪魔に悪魔の取引を持ちかけるのはどうかと思うし、正直新米悪魔の自分には荷が勝ちすぎているがしょうがない。自分の為だしカシュバの為だ。だから、今まで観察した中での対アルベド最高の切り札を初手で使う。

 

「ところでアルベドは結婚式に憧れは?」

「は?」

「前々からモモンガさんはギルメン以外に興味がなさすぎて心配だったんだ。アンデットとは言っても一生を添い遂げてくれる伴侶が、盤石な支配には必要だと思う」

 

突拍子もない発言に眉を寄せて訝しんでいたアルベドも、ウルベルトが言葉を重ねる度にその真意を見抜く。

信じられないと目を開き、顔を赤らめ、わなわなと口を動かし、でもそんな中で必死に頭を回転させて最善の道を探している。

 

「俺は正式にアルベドをモモンガさんの正妻に押そうと思っているんだけど、アルベドとしては他に想い人がいたりするのかな?」

「それ、は!」

「モモンガさんは俺らに甘いからなー。言えば何だかんだ折れてくれると思うんだよね。今でも結構アルベドの事意識してるみたいだし。まあ、アルベドの自由意志を尊重するよ。答えは次の新月の日にでも聞かせてくれ」

 

百面相のアルベドを残して指輪を起動させる。目指すは第九階層、ギルドマスターであるモモンガの私室。さっきは結構感情的になりすぎていたので正直気まずいが、モモンガさんだったら気にしないだろう。いつでも彼は嬉しそうに迎えてくれていた。

それが変わることなど考えずに、ノックをして入室の許可をまつ。大仰な事だが仕方がない。ウルベルトとしてはなれないが、カシュバとしてはすっかり習慣付いてしまっている。許可と共に中のメイドがゆっくりと扉を開けて中へと促す。

促されるまま中に入って、徐々に眠さを覚える体で、本日二回目のモモンガとの対談が始まった。

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

ウルベルトにあしらわれた後、しばらくして我に返ったアルベドは今日の分の自分の仕事を終わらせてからモモンガの私室を訪れた。

ウルベルトの方は既に体を元の持ち主に返した後の様でいなかった。それに胸を下ろしつつ、本日の仕事の成果と報告をモモンガへする。ふむふむと顎に手を当てて頷くモモンガの手に自分と交換した指輪がはまっている光景を想像して、くふーとアルベドは声をもらす。それに優しい主人はどうしたのかと聞くが、なんでもありませんとかわす。まだ決まった訳ではない。そもそもウルベルトに返事をしていないし、本当に彼をナザリックに迎えることがいいことなのかを真剣に検討するに至っていない。その事を考えれば考えるだけ、頭にちらつく正式に夫婦となった後のモモンガとの生活にアルベドは悶えてしまう。

子供用の服の準備はばっちりである。後はモモンガ様からーー

 

「今日は随分と上の空だなアルベド。疲れている様なら明日一日ーーはお前の仕事が重要なので無理だが、半日程度休める様にするが?」

「申し訳ございません。勿体無きお言葉ありがとうございます。しかし作戦の決行日まで日もございません。疲労無効のアイテムも頂いておりますし、ゆっくりするのは終わった後で十分でございます」

 

貞淑に頭を垂れてモモンガを見つめる。

ウルベルトのあの発言以降流石に気を抜きすぎていた。自分の自由時間はあるのだから検討するのはその時で十分だろう。

 

恋に溺れる少女の様なアルベドは、既に自分の意志が決まっている事から目をそらして任されている仕事に没頭した。

 

 



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大災厄

 

リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国、そしてスレイン法国の境にある広大な平野。

普段アンデットのわき出る霧に覆われたそこは、定期的になされる王国と帝国の戦争の日は綺麗に晴れる。

その日もまた、普段は見えない秋の蒼天から覗く太陽が肌寒くなった空気を温めていた。

その晴天のもとで、今回の戦争を仕掛けたバハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは深い深いため息をついた。

ジルクニフはバハルス帝国の悲願、王国併呑の為、そしそのことでより帝国を発展させるために人生を費やしてきた。それが今日この日を持って無意味になる。それを知るのは帝国でも極一部の者であるし、王国ではあの化け物の“黄金”くらいのものだろう。

ジルクニフとてただこの日を迎えた訳ではない。周辺の国々ーー特にスレイン法国ーーに救援を要請したが、その度に邪魔が入り、脅され、今日に至ってしまった。何回か行われた協議で少なくない要求のんだ果てになんとか自治権は手に入れたが、そうで無かったら国民も貴族も皇族も、全て関係なくあの化け物たちに蹂躙されることになっただろう。

それもこれもジルクニフが目をかけたある男がきっかけだった。自分とそう年の離れていない男は、なんととんでもない化け物を飼っていたのだ。そしてその化け物の仲間が男を通じて脅してきた。

奴らは生き物という生き物を蹂躙する気だ。

ぶるりとジルクニフは体を震わせる。不死の王を嘯くあの化け物には逆らえない。あれは王ではなく神の域に達している。あれを制御しようなどできない。天からもたらされる災いを、只人の自分はどうすることもできないのだ。

ジルクニフは自分の無力さを思い知らされる。今日のこの場にいるジルクニフの育てた兵士達ですら、あれらにとってはただの贄なのだ。

 

「陛下」

 

今回連れてきた将軍二人のうち一人が天幕の外から声をかける。今回の主力であるカシュバがついたのだろう。

なんだ、という短い言葉の後に続くいくつかのやりとり、そしてしばらくしてやってきた人物をジルクニフは簡易玉座から立ち上がって迎える。

 

「お久しぶりーーいえ、はじめましてになりますな、ジルクニフ陛下」

 

現れたのは目を見開くほど豪奢な装備に身を包んだカシュバ、の体を使う悪魔だ。

貴族的というよりは商人など裕福な市民が好む服装。黒を基調とした服は差し色の赤と金が良く似合っていた。派手な羽のついたシルクハットは見たこともない鮮やかな鳥の羽が取り付けられている。顔の半分を覆う仮面は赤い革製で、同じ色のベルトで顔に固定されている。

華美ではないが知識層の落ち着きを感じさせる服装から、改めてジルグニフは相手の好みや価値観をはかる。あの化け物が友と呼んでいるが、形が人に近いだけ価値観が同じ事を知っている。帝国が手に入れた自治権の後押しを彼がやってくれたのだ。そこは信用できる。

 

「ジルクニフで結構だよ。私は貴方のことをなんとお呼びすれば?」

「私のことは是非、カシュバ=ウルベルトと」

 

ウルベルトの後ろについてきていたカエル頭の化け物が赤い目でジルクニフ睨みつける。一瞬視線をやり、ウルベルトに対して緩く首を振る。

 

「それでは貴方の友人であるアインズ陛下に示しがつかないと思われますので。……ウルベルト様とお呼びしても?」

「ふむ。……それもそうだな。ではそれで良い。いつ始めるのだ?」

「ウルベルト様の準備が整いましたら今からでも」

「結構。それではこの砂時計が落ちきる頃に頼みましょう。こちらも少々時間がかかるものでね」

 

同じ形の砂時計2つをひっくり返すと片方を従者らしきカエルの化け物に持たせる。化け物は恭しく受け取ると、主人が出やすいように天幕をめくる。

 

「これからが大変だとは思うが存分に励んでくれ。君たちの働きが素晴らしいものであれば当然それに酬いよう。我が盟友も我が宿主も、それを望んでいる」

 

マントを翻しながらゆっくりとした歩調で出て行くウルベルトを見送って、知らずに詰めていた息を吐き出す。なんとかなった。そう思いたい。

そこでふと、彼が上げるだろう戦果にどのように報いるかを考えていないことを思い出して頭を抱える。表向きはカシュバの働きという事にしているため、ウルベルトの戦果はカシュバの戦果となる。

なので、確実に多大な戦果を上げるだろうカシュバに対して、皇帝であるジルクニフは報いなければならない。

しかし何ができるというのか。

金銭や美術品など、半端なものはあの服を見ただけで意味がないだろう。あの帽子一つとっても帝国の国家予算なん年分なのか予想ができない。

では女か、というとカシュバには意中の相手がいる。にもかかわらず女などを贈っては、相手に付け入る隙を与えるだけになってしまう。

いくつかぐるぐると悩んでいたが、一人で悩むものではない事にきづいた。後で他のものも集めて決めれば良い。狭くなっていた己の視界に深いため息をつく。これではこれから始まる隷属生活でどれだけ胃を痛めることになるだろうか。

未だ不調は無いはずの胃がキリリと痛んだ、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

遥か眼下で人間共が陣形を組んでいる。そして地続きの荒野の果てには更に多くの人間が整列している。

10万に近い数の人間の命をこれから奪う事になるというのに、ウルベルトの心は凪いでいた。ユグドラシルでレアドロップ狙いで雑魚敵をなぎ払っていた事が思い出される。あの時に敵が固まってくれていたら楽だと笑いながら言っていたが、本当に、こんなに固まられると楽だ。

 

「沢山集まりましたね。これだけ居ればウルベルトさんのレベルも一気に上がりますよ」

 

横から声をかけてきたのはローブ姿の骸骨。その見慣れた姿にウルベルトは困り顔を向ける。

 

「モモンガさん、いつも以上に楽しそうですね」

「ええ、まあ。ウルベルトさんの魔法が久しぶりに見れるわけですし。前から言ってますけど、俺、ウルベルトさんの魔法詠唱者としての技術好きなんですよ! もしかしてウルベルトさんは楽しく無いですか? 活動時間が増えるかもしれないですし、そうしたらもっとナザリックのみんなと一緒にいれますよ?」

「それは……まあ。でもこの世界はカシュバの世界ですから、俺は余所者って思っちゃって」

「それは! この間話したじゃないですか。この世界は何なのか未だにわからないですけど、この世界にいる以上ウルベルトさんもこの世界の一部なんです! だから後ろめたく思う事なんてないですよ」

「すみません」

「謝る必要もないですって」

 

じゃあ見てますからね、とモモンガは離れて行く。入れ替わるように側に傅くのはデミウルゴス。自らの制作した渾身の出来のNPC。それが設定そのままに動き喋る。感動しないはずがない。その手袋のはめられた手にはウルベルトがユグドラシルで使っていた杖。最高装備である神器級の装備をモモンガが保存していたと言った時も思ったがーー

 

「我らのギルマスは本当に」

 

デミウルゴスの差し出す杖は無視する。代わりに最大MPを底上げする効果のある短剣を取り出す。ユグドラシルの初期によく使っていた装備だ。レベル的には今のカシュバにぴったりだろうそれを胸に突き立てる。

 

「ギルドメンバーに甘いと思わないか?」

 

短剣を引き抜いた瞬間に大量の血液が傷口から噴き出す。

デミウルゴスの悲鳴を愉快な気持ちで聴く。異形の顔の出す声は姿に似て耳障りな音だ。カエルのギョロリとした目が驚きに溢れんばかりに見開かれている。人間から遠くて表情は分かりづらいが、驚愕という言葉が思い浮かべられる。いつも余裕げな態度を崩せた事に満足を覚えつつ声を張り上げる。

 

「この地の人間よ! 我が偉大なる力を見よ!」

 

噴き出した血が空中に留まり複雑な模様を描く。それが禍々しく光る。

ぶつけるのは勿論、自分の持つ最高の魔法だ。モモンガさんもそれを望んでいるだろう。この広範囲に広がる目標に攻撃を加えるには魔法職最強のみに許された最高の魔法が良いだろう。なんといってもこれからのナザリックの礎になるのだから。モモンガさんでは無いが演出は大事だ。ロールプレイをするならなおさら。

 

「〈魔法効果範囲拡大〉さあ、目を見開き焼き付けろ! その心に! その魂に! 世界を蝕む我が心。世界を害する我が力! 唸れ最大最強の大魔術!〈大災厄〉!!」

 

言葉に応えるように魔法陣が弾ける。太陽の光よりも激しい光に目を向けた人々。そのどよめきが広がる前に消失する。

〈大災厄〉

魔法職最強であり“世界”の名を冠したワールド・ディザスターを極めた者のみが使える最強の攻撃魔法。最大MPの六割を使い、複数人が徒党を組めばそれだけでGvGに勝てる。100レベルの相手にすら無双できる魔法を、1レベル相手に使う。

結果など見るまでもないだろう。

王国軍が陣を敷いていた場にあるのはただの穴。正中にある太陽すらも底を照らすことができない大穴。

自分の国の魔法詠唱者がおこなった偉業に、しかし目の前で起こった事が信じられないのかざわめき一つ、身じろぎ一つしない。

そんな人間たちを尻目に、その偉業をおこなった魔法詠唱者は死に瀕していた。胸に短剣を刺したのだから当たり前ではあるが、血が出すぎている。何よりもカシュバの体に回復魔法、回復薬などは効果が無い。

 

「〈ジュデッカの凍結〉!」

 

側にいたデミウルゴスはすぐさま己のスキルでカシュバに流れる時間を止める。

 

「ニューロニスト! ニューロニストはどこですか!? 早くウルベルト様の傷口の縫合を!!」

 

デミウルゴスの叫び声に呼ばれたニューロニストが駆け寄る。念のため控えていたペストーニャも同じく駆け寄り、時間が一時的に止まったウルベルトの処置へ当たる。

創造主の危機に何もできないデミウルゴスは自分の至らなさに崩れ落ちそうになる。もっと早く、それこそ魔法を発動する前に止めていれば……!

そんなデミウルゴスを支えたのは精彩を欠いたもう一人の主人、モモンガだ。

 

「モモンガ様、申し訳ございません! 側にいながらこの様な失態! もっと早くお止めしていれば! 処分はいかようにもお受けします!!」

「よい。デミウルゴス。お前の全てを許そう。それに止められなかったのは私も同じだ」

 

何重もの結界が張られた空間の中にいるのは真っ青な顔色をしたウルベルトだ。スキルの持続時間が切れたのだろう、肌蹴られた胸元は痛々しい傷が未だ血を流しながら存在を主張している。ニューロニストの素晴らしい手さばきで綺麗に縫われているが、失った血の量は致死量といって良いはずだ。

 

「ウルベルトさんは心配だが、契約だからな。面倒だがジルグニフとの約束を果たすために私は離れる。任せたぞ」

 

デミウルゴスから離れるモモンガに、ウルベルトへ向けていた視線を無理やり剥がして後ろを歩く。現在ウルベルトの側にはペストーニャとニューロニストが居るがモモンガの側に従う者はいない。従者無しで主人を歩かせる訳にはいかない。自分が側に行くのは当然だろう。

 

「お前はウルベルトさんについていてやってくれ。アルベドに共はさせる」

「お気遣いありがとうございます。しかしーー」

「目覚めた時にウルベルトさんだったらお前がいた方が安心するだろう。私がいない間ウルベルトさんを頼む」

「……承知致しました。お心遣い、感謝いたします」

 

モモンガに深い礼をし、姿が見えなくなるまで見送る。その姿が消えた後にウルベルトへと近づき様子を伺う。処置が終わったとニューロニストとペストーニャが伝え、意識のないウルベルトの側で跪く。

 

「ウルベルト様……」

 

即席で作られて寝台の上に横たえられた体を恭しく持ち上げてナザリックにいるシャルティアに〈伝言〉を繋ぐ。〈異界門〉を繋ぐように伝え、他のナザリックのモノを引き連れて戻る。目から溢れ出す液体が、主人を濡らさない様に空を見る。

真上に君臨する太陽。

その眩しさはデミウルゴスの宝石でできた目をいつも以上に輝かせた。

 

 



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月は満ち欠けを繰り返し、月日は巡る

 

神聖な空気が支配するナザリック地下大墳墓の第九階層にあるギルドメンバーの居室。その中の一室は今、扉が全開にされ、部屋の中にいる者たちの楽しげな声が廊下にまで聞こえていた。

そんな普段は静寂を良しとする空間に響く無作法な音に、守護者統括であるアルベドは眉根を寄せる。あの平原でのウルベルトの活躍後、モモンガと共に同席した人間との建国に関わる打ち合わせも終わり、ナザリックを母体とした国は建国された。後は周辺にある国に反感を抱かせない様慎重に、しかしシャルティアを洗脳した愚か者共には相応の制裁をくだしながら他のメンバーを探すだけ。という計画になっている。

アルベドはその愛するモモンガの計画に賛同しかねるが、彼の悲願だというのならば軋む心を押さえつけて支える。

それが良い妻というものだからだ。

 

扉が開放されているのは至高の41人の居室の一つ、最強の魔法詠唱者であるウルベルトの部屋だ。その部屋の前には高レベルなコキュートスの部下が門番がわりに詰めている。その間を一般メイド達が入れ替わり立ち代り出入りしているのを見て、アルベドは何が起こっているのかと眉をひそめる。

メイド達の手には宝物庫から取り出されただろう幾つものデータクリスタル。色とりどりの生地に宝石類。果てはレアメタルのインゴットまで。何事かと少し歩調を早めたところで、最古図書館から普段出ないはずのNPCが大きな紙を持ってやってきた。

 

「丁度良かったわ、ティトゥス。一体ウルベルト様の部屋で何が行われているのか教えて貰えるかしら?」

 

自分がここに呼ばれた意味が解らず、疑問形の言葉に最大限の圧力を込めて問う。圧力をものともしない司書長のティトゥスはその骸骨の顎をカタカタと震わせる。嘲りなどの負の感情見えないので、きっと軽快に笑ったのだろう。

 

「これは守護者統括殿。残念ながらその様な無粋な真似はできません。是非、中にお入りになってモモンガ様から直接お聴きください」

 

失礼いたします、と軽く頭を下げて図書館の方に向かう背中を見送り、改めて部屋に注意を向ける。部屋の中に感じる至高のお方の気配はふたつ。待ち望んでいた盟友の帰還に喜んでいたモモンガがウルベルトの部屋にいる事は不思議でもなんでもない。

しかし、改めて意識するとその事に心中が穏やかではなくなる。

やはりあのお方にとってはNPCなどよりも、ナザリックを捨てた仲間の方が大切なのだと見せつけられている気分になる。メイド達の邪魔にならない位置で開かれた扉を叩く。いくら開放されているとはいえ、ノックも無しで入るのは守護者統括として礼がなっていないだろう。すぐに部屋の持ち主であるウルベルトの声で入室の許可がおりる。失礼します、と言葉だけは丁寧に中に入った。

部屋の中に居たのは予想通りウルベルトとモモンガ。そして今日の至高の御方当番である一般メイドの二人。そこまではいつも通りなのだが、今日はそれに追加して他の一般メイドも三人。ウルベルト──正しくはカシュバの伴侶であるアルシェ、そして重要な仕事を何件も抱えているはずのデミウルゴスまでいた。

 

「よくきてくれたアルベド」

 

真っ先に声をかけたのは部屋の持ち主であるウルベルトだ。先日の一件以降、カシュバとウルベルトの力関係は完全に逆転し、今では主人格がウルベルトになっている。それでも、見た目は人間だし、強さは戦闘メイドの域を脱していないので強さだけを考えてもかつてとは程遠い。今ならば赤子の首を捻るくらい簡単に相手にできるだろう。

 

「ウルベルトさん、アルベドも呼んだのか」

「当たり前だろう。彼女に関係のある大事な事だ」

「それは……そうなんだがな」

 

弱った風なモモンガに軽い調子で声をかけるウルベルト。二人はそれぞれウルベルトの部屋にある革張りのソファーでくつろいでいる。肘置きの正面部分に幼体のサラマンダーの頭蓋骨があしらわれたそれは、最近デミウルゴスが自分の創造主の為に作ったものだ。最も好む建材は骨と言っていた彼だが、現在の主人の体に合わせて座面は柔らかいクッション製だ。それを快く受け取って貰えたのだとこの間、自慢気に言われたのを思い出して歯が軋む。アルベドも自慢の裁縫技術で作ったクッションの一つでも献上したら……と、思考が明後日の方向にずれていく。

 

「んん! まあ、とりあえずこちらに来いアルベド」

 

モモンガの声で意識を戻したアルベドは周りを見回す。他のしもべ達はそれぞれ布やら宝石やら本やらを開いて二人の至高の御方々の側に跪いていた。アルベドは自分がどうするべきなのかと悩んだ後に、モモンガの側に膝をつく。

 

「それで、ウルベルト様達は何をなされているのですか?」

 

わかりきっている答えではあるが一応尋ねる。

色とりどりの布や宝石から考えられるのは服だろう。それも今では入手が困難とされているデータクリスタルまで使うのだ、きっと今回の建国に関わる式典で使う衣装を新調するのだ。と、アルベドはあたりをつけた。ということは自分はそのアドバイザーだろうか。そういったスキルは残念ながら持っていないが、良妻として修めるべき一通りの家事裁縫は嗜んでいる。

家令であるセバス・チャンではなく自分が意見を求められたという事に優越感を抱きながらも、モモンガに相応しい服のデザインを考える重圧に緊張する。

 

「ああ、建国も終わったし、思い切って式を挙げようと思ってな」

「…………式、ですか?」

「そうだ。未だナザリック内で反感があるとは言え、アルシェを正式に妻に迎えなければ立場も定まらない。宙ぶらりんな立場ほど居づらいものは無いからな。それに、……約束もあるしな」

「約束?」

 

ばちん。とウインクが返ってきてアルベドは一つの結論に達する。アルシェとウルベルトの式……しかし約束とは? と、一つの事を思い出したアルベドは風切り音をたててモモンガの方へ顔をむける。表情筋を動かさず、出来るだけ清楚に見えるように努力してモモンガの言葉を待つ。

モモンガはバツの悪そうに指で顎の骨を掻きつつ、黒い眼窩に浮かぶ赤い光を明後日の方向に向けながら喋る。

 

「ウルベルトさんに言われてだな、アルベド、お前の設定を書き換えた責任を取るべきだと考えた」

「男の甲斐見せるときだぞ、モモンガさん」

「うう……。だからな、アルベド」

 

じっと力のある視線に縫いとめられる。

その視線に胸が強く波打つ。

今現在、世界で一番幸せなのは自分だろう。

 

「アルベド、私の妻になれ」

 

快感が尾骶骨から背骨を通り脛骨まで伝わると、頭を包む様にゆっくりと広がる。何度も妄想の中で告げられた言葉も、今この時の刺激には及ばない。

 

身体中に広がった幸福感を堪能した後、アルベドはその美しい唇から一言、とろける様な肯定の返事を返した。

 

 

 

 

 

 

言った。

言ってしまった。

 

モモンガの胸中は荒れ狂う波であり、叩きつける雨であり轟く風であった。

(まさかNPC相手に自分が結婚を申し込むなんて……!)

精神の安定化が連続で働いている為に見た目は変わりないだろうが、胸中はてんやわんやだ。もういっそ全てをウルベルトさんに任せたい。むしろ今の言葉は嘘だと言いたい。

それを助長するのは妻になれと言ってから驚きの表情で固まったアルベドの姿だ。やっぱり言い方上からすぎたかなぁと、自分のロールプレイに後悔し始めた頃にアルベドの腰から生える羽が震えだす。

それに合わせて固まった表情がまさしく溶ける様に変わる。

 

「はい……!」

 

顔を染めて真っ直ぐにこちらを見つめる金の瞳に浮かぶのは純度の高い欲望。その強い光を不覚にも綺麗だと思ってしまったモモンガはアルベドを引き寄せる。

しなだれ掛かるアルベドの顔を見つめ、結晶化して飾っておきたいほど美しい瞳に満足のため息をつく。その美しい顔に、視線に、囚われた様に引き込まれる。

モモンガは人差し指でゆっくりとアルベドの頬をなぞる。そして腰に回していた手を緩めると鼻からゆっくりと息を出す、真似をした。沈静化はされない程度の気分の高揚が続き、いつぶりかの多幸感を味わう。それがゆっくりと、ゆっくりと落ち着き胸には今までとは質の違う安定した気持ちになった。

結局リアルで経験することは無かったが、恋に落ちるとは、愛する者を持った人間とはこういった心持ちなのかもしれない。種族特性からくる沈静化ではない落ち着きに戸惑いつつ、未だに自分へ視線を向ける愛しいものからなんとか目線を外し、自分たちを見守る悪魔を見る。

 

「……さて、話もついた事だ、早速準備の打ち合わせに戻ろうか。ナザリック始まって以来のWウエディングだ」

「ウルベルト様、それならばセバスも呼んだ方がよろしいかと」

「そうだな、デミウルゴス。モモンガさん、セバスも呼んで日程とか会場とか色々詰めないといけないんで、〈伝言〉飛ばしましょうか」

「そうだな。こう言った仕事こそ家令の出番だろう」

 

キラキラとデミウルゴスの目が眼鏡越しに輝く。それは感極まって泣いている様だった。

モモンガが〈伝言〉を使いセバスを呼ぶ。

駆けつけたセバスに事情を話すとすぐにテキパキと準備を始める。

 

 

ウルベルトとアルシェ、モモンガとアルベドの挙式はナザリックに城塞都市エ・ランテルが開け渡されて三ヶ月後、静まり返った街中で厳かに執り行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悍ましい形をしたゴーレムの並ぶ霊廟はゲーム時代のまま不気味な雰囲気を残している。そこに再現されて居なかったひんやりとした気温や古い石壁のカビた臭い、何よりもそこを自分の足で歩いているという臨場感がそれまでとは違った。

側に控える自分の被造物は不気味な程のしおらしさで、ゆっくりと歩く自分に合わせて歩いている。

通路の両脇に並ぶゴーレム。その殆どに一目で凄まじい力が込められているとわかる装備品がつけられている。そのうちの一つ、ボンテージを象ったレーザークロースを着た不気味な蛸頭の像の前で止まる。

 

「我らがギルマスには本当に頭が下がる。そう思いませんか、アルベド」

「はい。そう思います」

「初めてここに来た時には無かったのですよ。これらの像は。私たちがここを去った後にモモンガさんが作ったのでしょうね。貴女にちょっとしたサプライズでワールドアイテムを持たせたあの日、その時に気づいたのですよ。フィールド名が霊廟となった時にはゾクゾクとしたものですが、真に背筋が凍ったのはこの像を見た時です。ああ、我らが大墳墓の盟主殿は去って行った者たちを弔うのかと。形を残し、面影残し、そして身にまとった装備を残し。霊廟というなの墓標はまるで志し半ばで倒れた者に対するそれで。その執着心に正直──」

 

 

「マジうちのギルマス天然愛され骸骨と見せかけた執着心の塊とか最高。物腰柔らか去る者追わずの影でヤンデレ拗らせすぎてるとかギャップ萌えで萌え殺してくるぜ!! って思ったものです」

 

最初はしみじみと、途中から聞き取るのが難しい程の早口でまくしたてる人間に、アルベドはかつて殺意を抱いていた事など感じさせない従順さで微笑み返す。かつての炎のような激情は長い時間をかけて自分を伴侶として選んで下さった方が消し、その傷痕もゆっくりと癒していただいている。そうで無かったら、この二人っきりになった時点で首をねじ切っていただろう。ゆっくりと自らを落ち着ける様に指にはめたペアリングを撫でる。

人間を依代とした創造主は余りにも脆く、戯れに殺してしまえるのだから。

 

「モモンガ様はこの像をアヴァターラと呼んでいらっしゃいました」

「アヴァターラ! ふむ。なるほどなるほど。実に奇妙だ。これも運命の巡り合わせか」

「どういう事でしょうか。タブラ・スマラグディナ様」

「アヴァターラとは不死の存在の化身の事です。それもただの化身ではなく、完全である神が不完全な人間の姿で現れる事を意味する言葉でね、……どこかで聞いたことがある現象だとは思いませんか?」

 

アルベドは息をのむ。だって、それは──。

 

「人間を善なる方向へ導く者として現れると言うものですが、まあ、たっち君なら兎も角、僕にそんなつもりはさらさらありませんがね。それは僕たち異形種の領分では無い、それこそブラフマンの職業を持っている方々に託しますよ。けれどせっかく今生を得たのですから、魔を導く国、ですか。建御雷君のコキュートスも中々どうしていいセンスをしている。僕もそれに恥じないように導いていくつもりです」

 

ゴーレムから外された装備品を身にまとったタブラ・スマラグディナはゆっくりと振り向く。異形種だった頃は気にならなかったが、やはり人間だと些か際どい格好になってしまう。現在の宿主が10歳程の少女な事もあり、街中に居ては目のやり場に困ってしまう姿だ。

最初に来たウルベルトからわかった事だが、どうやらレベルが70を超えたあたりからどんどん元のアバターに身体が近づくらしい。それまでの辛抱だと自分に言い聞かせて来た道をもどる。

 

「ああ、そういえば」

 

高いヒールの音を響かせて歩いていたタブラ・スマラグディナはもう一度振り返り、アルベドの目を見てしっかりと告げる。

 

「結婚おめでとうアルベド。貴女の晴れ姿を見れなかったのは残念ですが祝福だけでもさせてください。モモンガさんをよろしくお願いします」

 

言いたいことは言ったとすぐさま振り返り再び歩き出す。

素っ気ない言い方しかできない不器用な父親の背中がアルベドの目には映っていた。

 

 

 

 

 

 

自分とアルシェの描かれた小さな肖像画に指を這わせながらウルベルトとなったカシュバは目を細める。

あれ以降、ウルベルトの盟友達は次々と発見され、未発見者は両手で数えられる程だ。

その事にカシュバは素直に嬉しいと思ってしまう。

もう人間だった頃の感性は失って久しく、元皇帝からは最期の時に苦笑されてしまった。あれは最後の最後に漏れた彼の恨み言だったのかも知れない。

「お前を拾った時から私の人生は狂ったのだろうな」

とは。運命の歯車がいつ狂ったのか。それはカシュバも何度も考えた事だ。生まれた時? 両親を亡くした時? 金貨を担いで魔法学院を目指した時? それとも、悪魔が宿っているのに自ら死ぬ勇気を持てなかった時だろうか。

未だ着慣れない上質な部屋着は、カシュバに疎外感を与える。きっと、完全に意識が一緒になるその時までこの感覚は変わらないのだろう。

 

この時のアルシェは綺麗だった。

今でも綺麗だが、この時は本当に、こんな綺麗な人と結ばれていいのかと思ったのだ。

 

「カシュバ……?」

「ああ。アルシェ、随分と大きくなったね、その。お腹」

「うん。双子だってペストーニャさんは言っていた。元気な兄弟だって」

「そっか。覚えてる? この絵の時。この時のアルシェは世界で一番綺麗だった」

 

近くの椅子でうたた寝をしていたアルシェが目を覚まして喋りかける。それに考えていた事をそのまま伝えた。

伝えられたアルシェは顔を赤く染めて縮こまる。

 

「そんな。私よりアルベド様の方が……」

「俺には一番綺麗だったよ。今でもそうだけどね」

 

かつては山の様にあったカシュバの時間は、今ではほんの一握りに減っている。今この瞬間も、偉大なる悪魔であるウルベルトの物になっても不思議では無い。けれど、ウルベルトの方も気をきかせてか、それともたまたまか、こうしてアルシェとの細やかなひと時にふとカシュバに体と意識の主導権が移る。

アルシェに軽くキスをする。

親愛と愛情をたっぷりと込めて。

お腹にも。

 

 

顔を上げたカシュバはウルベルトになっていた。

アルシェはそれに下唇を噛んで耐える。

アルシェの愛する男はとても儚い。蝋燭の炎のように意識がすぐに揺らぐ。それが悲しかった。

 

「りんご、久しぶりに食べるか?」

 

アルシェの夫であるこのウルベルトという悪魔はこうして良くアルシェを気遣う。それは確かにカシュバを感じる気遣いであり、彼もまたカシュバなのだと思える。でも違うのだ。理性と感情のバランスがとても不安定になる。カシュバと話した後は特に!

 

「悪魔に飲食は不要ですよ」

「でも食べられるだろ?」

 

どこからか真っ赤なりんごを取り出して、そしてまたどこからか取り出したナイフで不器用に剥いていく。その危な気な手つきはかつての夜を思い出させる。

 

「6階層で取れた自慢のりんごなんだ。品種改良も進んでとっても甘い。今度これを使ったジュースを持ってこよう」

 

ほら、と差し出された手には無骨に剥けたりんご。机に落ちる皮には多くの身の部分が付いている。

 

「初めてお会いした時を思い出します」

 

後で告白された初邂逅は新月の夜。食べ物を漁りに来ていたウルベルトとだったそうだ。その時にもこうしてりんごを剥いてくれた。

 

「あの時よりは上手いだろ?」

「さあ? どうでしょう」

 

くすくすと笑いあう。

もうすぐ臨月を迎えるお腹を撫でて、アルシェは小さな幸せを感じていた。

 



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