女神官逆行 (使途のモノ)
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第一話

 好天の初夏の元、女教皇の皇都の広場には、皇国の臣民たちがひしめいていた。

 

 皇宮のバルコニーから出てくる人間を一目見ようと、国中から人々が詰めかけているのだ。

 

 期待と希望に満ち溢れた静寂の中、一人の老女がその姿を現した。

 

 金髪の、若かりし頃は澄み切った碧眼をくすませた、見るものすべての人間の心を穏やかにするような、かくも人は美しく老いることが出来るのか、と羨望と畏敬の念を抱く佇まいであった。

 

 ざわり、というざわめきが波のように群衆を駆け、そしてまた静寂が訪れる。

 

 誰もが皆、彼女の言葉を、今日の、建国の日を祝う言葉を待っているのだ。

 

「天にいます神々よ、今日の良き日を、皆さんと共に祝うことが出来る幸運を与えてくださいましたことを、感謝いたします」

 

 

近衛兵の内、精霊使いの者が使う拡声の風の魔法が静かで穏やかな彼女の声を隅々にまでいきわたらせていた。

 

「我々は、地母神の教えに従い、慈悲と独立を胸に今日まで過ごしてきました、平時には農具を振るい、日々の恵みに感謝し、子を産み育て、また、災厄が迫れば男は妻子を守るために槍と鎧をもって戦い、母は子を守るために剣を取る。その、平穏な日々を諦めない決断的不屈の精神により、この国の今と未来はあるのです」

 

 その言葉に、目頭を熱くし、感極まってすすり泣く声が広場から漏れ聞こえた。この国の古株であれば、奪われる悲劇を知らぬものは、誰もいないからである。

 

「よって、皇国の成長と発展を皆で祝い、そして未来への決意を新たなものとしましょう」

 

 そして彼女は背後にあった地母神の神像に振り向き、膝をついて祈りをささげた。無論、広場の国民も全て、同じように彼女に倣った。

 

「それでは、皆今日という日を楽しんでください」

 

 祈りを終えた後、彼女はそう皆に語り掛けた。その辺りで本心からか、サクラかはともかく、為政者を讃える喝采の声があがりそうなものであるが、ここにいる民は、誰もがこの後に続く言葉を知っているがゆえに、清聴の姿勢を崩さなかった。

 

 女教皇は、ふと、一息を付き、まるで当然の締めの言葉のようにこう言うのだ。

 

 

「ともあれ、ゴブリンは滅ぶべきであると考える次第である」

 

 

 その言葉を受けて、奇妙な顔をするものは居ない、何を絵空事を、と皮肉気に笑うものもいない。

 

 なぜなら、絵空事になったのはゴブリンであり、絵空事の存在にしてのけたのは、彼女に導かれた自分たちであるからだ。

 

「女教皇様万歳!! 皇国万歳!!」

 

「教皇猊下に永遠の忠誠を!!」

 

 人々は口々に女教皇を、皇国を讃える声を張り上げ、その声を受けて彼女は穏やかに手を振っていた。

 

 

 

 

 

「まったく、何時まで言うつもりなのよ」

 

「それはもちろん、死ぬまでですよ」

 

 呆れ顔の妖精宰相、かつては妖精弓手といわれて女性は、重々しい宰相服に身を包んで目の前の女教皇、かつて女神官と言われ、その後ゴブリンスレイヤーと呼ばれていた少女にケロリと返され、やれやれとかぶりを振った。

 

「ほーんと、世界を統べる征月の女教皇様が板についちゃって」

 

「あなただって、狂乱する魔人が思わず真顔になるような敏腕宰相様じゃないですか」

 

 くすくす、とベッドから体を起こした女教皇は柔らかく笑う。傍らには使徒である牡牛ほどの金毛碧眼の牧羊犬が我関せずといった様子でくつろいでいる。

 

 彼女たちはかつてある男を頭目とする冒険者の一党であった。

 

 女神官も、妖精弓手も、その男を憎からず、それ以上にほおっておけないと思っていた。

 

 そんな彼が、あっけなく死んだ。彼が憎み、殺戮することにおそらく人生の大半を費やしていた、妖魔、ゴブリンによって。

 

 

 ちょうど、一党のそれぞれに、やむにやまれぬ事情が重なり、仕方なく、かつてのように、独り、ゴブリンの巣穴に彼は赴き。

 

 そして、帰ってこなかった。

 

 彼女、女神官は泣き、叫び、絶望し、そして、ゴブリンを確実に滅ぼすことを神に誓った。

 

 一時は、身を削るようにゴブリン討伐に身を投じていたが、ある時に、ふと、啓示が下ったかのように、地方の寒村などに赴き、農作物の耕作指導や罠や柵の工夫、槍弓の使い方などを、彼女の道連れとなった妖精弓手や鉱人道士とともに指導して回った。

 

 周囲はその姿を見て何はともあれ喜んだ、人々を癒す日々が、彼女を癒すものであれば、と

 

 それと並行して、国に、国家を構成する村々を慢性的に脅かす小鬼禍は国家の成長を押しとどめる毒の箍である、と説き、ゴブリン討伐への国家介入を呼び掛けていた。無論、それよりも強大な災禍と戦うことが優先事項であった国々が、その言葉を聞き入れることはなかった。

 

 そして、女神官を旗印とする対ゴブリン専用の義勇軍が出来るようになったのは、ある意味で当然の流れであった。

 

 最初は女神官の呼び掛けに応じてその地方の村の次男坊、三男坊などが手弁当で参加する、単発的なものであったが、ケガをすれば女神官による献身的な介護ののちに五体満足で村に帰り、村に帰れば勇士扱いである。

 

 そして、女神官は子が生まれれば、祝福を施し、死すれば、丁重に弔う。

 

 もちろん、ゴブリンの害が減れば、村、ひいては地域の財政は安定し、男たちのモチベーションが高まり、女神官を仰ぐべき指導者と認識する地域はさらに広がっていった。

 

 女神官も単身での治療は限界を感じていたため、地母神の後輩などを後方の治療院などに詰めさせて、負傷兵が安定した治療を受けられるように体制を構築していった。

 

 そうして、村々の人間は、日々槍と剣と鎧、携行食を傍らに置いて、即座に出動できる、半農半兵の性質を強く持つようになり、また、義勇軍として出征していくことに慣れていくようになる。

 

 のちの歴史家は、この時期を女教皇による建国のための準備期間である、というものがいる。

 

 気づけば、村々の自立心は高まり、また武装も整っているため、民衆などただの従順な羊であってほしい国々からすれば頭の痛い所であった。

 

 そして、当時の国は軽率な行動に出る。

 

 女神官を反乱軍の首魁として、女神官の首と村々への武装解除を申し渡したのだ。

 

 英雄と魔神討伐にかかりきりの王国と、自分たちのために身を粉にして奮闘してくれた女神官、どちらの側に立つか、これも

また、火を見るよりも明らかであった。

 

「悲しい対立である、それはそれとして、ゴブリンは滅ぶべきであると考える次第である」

 

 この頃から、彼女の結びの口癖としてつぶやかれるようになった、と歴史書は伝えている。

 

 かくして、王国軍と彼女の義勇兵との決戦が……起こるまでもなく、王城は陥落してしまった。

 

 国王が兵の集結を呼びかけ、その夕方には義勇兵は全軍をもって王城を包囲していたのだ。

 

 そういうわけで、熱烈なる信徒から一国を差し出されることになった女神官は、決断的に玉座へと昇った。

 

 義勇兵の武威はゴブリンにおびえないでいい国、という国威となり、潜在的な建国は進められていたのだ。

 

 無論、これは女神官の謀略である、という説もある。彼女の首を求めた者がうやむやの内に雲隠れしていたり、不可解な点が多くあるからだ。

 

 貴族たちは国外に逃亡するか、彼女の軍門に下ることになっていった。

 

 そうして、慈善事業としてのゴブリン対策というシンパ作りからの国家転覆がころんころんとクリティカルし、あれよあれよというまに、女神官のもちたる国は一大列強国となり、他国の民がまず参陣し、城門は内側から開かれるような征服が進んでいくこととなり、それはそれとして、ゴブリンは滅ぼされていく事となった。

 

 気づけば大陸には未開の地は無くなり、船は世界の果てへ旅立ち、反対側から戻ってくるまでになった。

 

 即応性を何よりも重んじていた軍制から、国軍への専業化なども行い、緑の月へのゴブリン討伐と開拓事業も20年がかりで完結した。

 

 賢者の学院がゴブリンの絶滅宣言をだして、10年になり、それ以降、確かに小鬼禍に見舞われた民は居ない。

 

 

 

 

 

「それで、お久しぶりですね」

 

「おう、久しぶりじゃの!!」

 

 呵々大笑するのはかつてともに旅をした鉱人族長、鉱人道士だ。今では一族の元に戻り、氏族を束ねている彼が顔を出すのは珍しい。

 

 もう一人の冒険時代の蜥蜴人の友は念願かなって竜の位階へと昇り、海底にあるという竜の宮へと旅立ったため、彼女の若かりし頃を知る者は妖精宰相と鉱人族長の二人ぐらいだ。

 

「まったく、鉄の大山脈を取り仕切る大族長がちっとも変わらないんだから」

 

「なに、その永遠の金床にゃかなわんわ」

 

「あんたねぇっ!!」

 

 懐かしい掛け合いを見て、クスクスと笑い、横に来ていた使徒の頭をなでる。

 

 かつてたき火を囲んで笑いあった者たちの時間は、代えがたいものだ。

 

 世界はなんだかんだ物騒だったり、勇者があっさり片を付けたり、なんとかかんとかやっている。

 

「それで、どうされたんですか? いつもはもう使節なんかは若手に任せていたはずですよね」

 

 その言葉で、じゃれあっていた二人がぴたりと止まる。そして、鉱人族長がどこか居心地悪そうに、しかし、はっきりと言い切った。

 

「そろそろ、じゃろ」

 

「……かないませんねぇ」

 

 ふぅ、と息を吐いてベッドに横たわる。正直、先日のバルコニーでの演説でもかなり体力を消耗したのだ。

 

「そらそうよ、こちとらそっちの曽祖父位の時代の頃から生きとるしな」

 

「私なんかは馬鹿らしくなるくらい前から、ね、だから分かるものよ」

 

 寿命、である。

 

 むしろ、只人からすれば自分はむしろ高齢である。よくぞまぁ、生きているものだ、と目覚めるたびに毎朝思っていた。

 

 そして、今朝、分かった、今日だ、と。

 

「……お二人とも、なんのかんのいっても、皇国は若い国です、ゴブリンを殺すためと思って、作り上げこそしましたが、正直そのあとは考えていません。地母神の教えをある程度骨子に自衛意識の強い国民のメンタリティーを形成こそしましたが、旧来の貴族階級の粛清、鉄道、通信網の普及等、手がけ始めたことも山とあります……あとをよろしくお願いします」

 

 まさか、月にまで行くとは思いませんでしたけどね、と口元に手を当てて笑う。

 

「ほんっと、只人ってわからないわね、でもいいわ、あなたと国造りに奔走したのは楽しかった。月にまで攻め込むなんて、こんな冒険した森人、神代までみたっていないわ、だから、さよなら」

 

「ワシもいるうちは何となりにするさ、心配するな」

 

 建国メンバーの最重鎮の一人が大半の国家よりも長寿である上の森人である。彼女が最長老として君臨し続けれれば、皇国も安定するであろう。本人は弓一本の気ままな弓手に戻りたかろうが、500年や1000年位、皇国が安定するまでは手を貸してくれるらしい。

 

「……神官として、いえ、今では教皇ですね、教皇として……後の手本としてなら、神の元へついに至ることになった、とか、皆に幸福を、とでも言うべきなんでしょうが……」

 

 長く、長く嘆息する。

 

「できることであれば、また、彼と、皆と、冒険へと出かけたい」

 

 そうして、旧来の仲間に看取られて、偉大なる女教皇は静かにこの世を去った。

 

 

 

 

 

 世界は神々の盤上である。世界は、神々がサイコロを振って、結果が決まる。

 

 サイコロを振らせない所業こそできるが、神ですら、出来ないことがある。

 

 それは、終わったことを、巻き戻すことはできない、ということである。

 

 だからこれは、神すら超越した、本当の奇跡。

 

 ありえない、巻き戻しの、奇跡。

 

 

 

 

 

 生臭い風が鼻孔を満たした。

 

 天の国には不釣り合いな臭いである。

 

 我ながら、天の国に導かれるとは思っていなかったが、地獄とはこんなところだったのか。

 

 まるで、そう、若かりし頃、無数に潜ったゴブリンの巣穴のようだ。

 

 まさか、自分の説いた地獄そのままだったとは。

 

 私の国では、ゴブリンは殺して地獄へ叩き落した、だから、地獄に落ちるような罪人は、ゴブリンが手ぐすね引いて待ち構えている、と説いた。

 

 この教えが浸透して、犯罪率は目覚ましいほどに激減した。国民全てが、ゴブリンのことをよく知っているからだ。

 

 ゴブリンに死して、死ぬことも出来ず汚辱され続ける。なるほど、ゴブリンを滅ぼし、地獄へ落とし尽くし、地獄をゴブリンで満たした自分が落ちるにはこれ以上はあるまい。

 

 

 さて、それはそれとして、ゴブリンは滅ぶべきである。

 

 

 地獄にゴブリンが満ちているのであれば、ゴブリンをまた滅ぼさねばならないということだ。

 

 いや、ここが地獄ならば、つまり

 

 そこまで考え、ぞくり、と甘やかな快楽が、立ち上り、思わず笑みが浮かぶ。

 

 

 ゴブリンスレイヤー(私)がこうして地獄に落ちたのであれば、ゴブリンスレイヤー(彼)もいるかもしれない。

 

 

 それは、なんと素晴らしいことだろう。また彼と、私が、ずっとずっと、ゴブリンを殺して回る日々を送り続けることが出来るのだ。

 

 槍も剣も、それなりに使い方を覚えた、老境の頃であれ、体を衰えさせないためにも稽古は欠かさなかった。

 

 今度は、彼と一緒にホブに切りかかることもできる。かつては彼に任せきりだった、赤子のゴブリンを息の根を止めて回ることも、一緒に出来る。

 

 彼と一緒に、ずっと、ゴブリンの血にまみれて、未来永劫、地獄の中で、歩いていく事が出来る。

 

 なんと、素晴らしいことだろう。

 

「ほら、遅れてる。隊列を乱さないで」

 

 ぼう、としていたところで、目の前の者が話しかけてきた。彼女からすれば、いまさら気づいたことである。

 

 ゴブリン、ではない、人間だ。

 

「どうしたのよ? ほら、2人とも先に行っちゃうでしょ」

 

 目の前にいるのは、自分と一緒に最初の冒険に出た女魔術師であった。三白眼にとんがり帽子、豊満な体をドレスに包んで、まるであの日に戻ったようだ。

 

「あぁ、そうですね、すみません、行きましょう」

 

 見下ろしてみれば、自分の体はかつて最初に冒険に出たころの体になっていた。女魔術師の先には遠い昔、無残に殺された剣士と、汚辱された女武道家が和気あいあいと歩いている。

 

 どうやら、地獄では、若い頃の体になるらしい。

 

 とはいえ、前と同じように剣士が松明を持っているのはいただけない、一体死ぬ前に何を学んだのだろう。

 

「あの、私が松明を持ちますので、剣を抜いていてください」

 

「お、ありがとう! さあ、さっさとゴブリンを倒して攫われた女の子たちを助けよう」

 

 手渡された松明を持ちながら周囲をうかがう、終生の友人で会った彼女程度ではないが、それなりの目端は効くようになった。若く鋭敏な体であれば、より簡単である。

 

「そういえば、皆さんはいつ来たんですか?」

 

「何言ってるのよ、いま来たばかりでしょ?」

 

 なるほど、どうやら生前の記憶があるのは自分だけらしい、女武道家の言葉を受けて内心頷き、黙々と歩き続ける。

 

 歩いていると、横穴が偽装し、隠されている場所があった、どうやら、ゴブリンが奇襲するつもりらしい。

 

 となると、最低でもシャーマンはいるのであろう。頭の中で警戒度を引き上げ、松明を女魔術師に渡しながら前に出る。

 

「そこに、ゴブリンが潜んでいます、炙り出してしまいましょう《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたしどもに、聖なる光

をお恵みください》……っ!」

 

 言いながら錫杖を横穴へ突き込む、皇国騎士団長、かつての辺境最強、槍使い直伝の突きである。いかに鍛えていない頃の体であっても、ゴブリンの作った粗末な土壁など容易く貫く。

 

 そして、錫杖から閃光がほとばしり、目を焼かれたゴブリン達は悲鳴を上げながら転がり出てくる。

 

 どうやら、地母神の慈悲は地獄まで届くようだ。

 

「うわっ!?」

 

「ゴブリン!?」

 

「そんな、なんで!?」

 

 驚愕の声を上げる三人をよそに、引き抜いた杖でそのまま突き込み、一匹を仕留める。なるほど、地獄でもゴブリンを殺すことはできるらしい。

 

「呪文は温存! 突き殺して!」

 

 死んだばかりの、なんら習熟していない彼らに、自分程度の練度を期待してはいけない。内心舌打ちをしつつ、味方の戦力を下方修正しながら指示を飛ばす。

 

「わ、わかった」

 

「ええ!!」

 

 ともあれ、そんな戦力でも目を焼かれたゴブリンの止めを刺すぐらいはできた。一通り止めを刺して回り、残敵がいないのを確認し、一息つく。

 

「皆さん、ケガはありませんか?」

 

「あ、ああ……」

 

「あなた、かなりの腕の武僧だったのね、人は見た目によらないとは言うけれど……」

 

 いまだ荒い息をついている2人に「練習しましたからね」と返しながら周囲をうかがう。

 

「おそらく、奥に本隊がいます、魔法を使うシャーマンに、大柄なホブは居ると思われます」

 

 さて、今ある手持ちの戦力でどうするか、少し考えて、平押しで勝てる、と結論付ける。

 

 索敵を続けながら、自分の《聖壁》で相手を閉じ込めて、女魔術師のファイアボルトでシャーマンとホブを射殺。殺せないまでも、弱ったところを自分と剣士と女武道家で追撃すればいい。自分もさすがに最盛期の頃よりは使える呪文の数は少なかろうが、後三、四回ならば使えるであろう。

 

「では、隊列は剣士さんが先頭、私が次で索敵を行います、そして次が松明を持った女魔術師さんで、殿には女武道家さんでお願いします」

 

「別にあなたが索敵をするんであれば、私が最後尾でもいいんじゃないの?」

 

「光源は中心よりにあったほうがいいですし、隠れているのを見逃したり、他にも例えば、ゴブリンが外回りをしていないとも考えられません」

 

 やや反抗的な気配をにじませつつ女魔術師がそういうが、慈母の笑みを浮かべたまま切って捨てる。小娘のプライド等、いちいち取り合っても仕方ない。

 

 それと、と言いながら、ゴブリンが持っていた短く粗末な錆びだらけの剣やこん棒を拾う。

 

「剣士さん、その剣は長くて取り回しに苦労します、これぐらい短い方が、こういった狭い中では使いやすいです、片方が使えなくなった時のため、持っておいてください」

 

「あ、ああ」

 

 そういいながら、自分自身も手槍を一本と鉈を一振り持つ。防具がないのがネックだが、ないものねだりをしてもしょうがない。

 

 こきり、と首をひと鳴らしして、歩き出す。

 

 ゴブリンは、皆殺しだ。

 

 

 

 

 

 始末は、つつがなく済んだ。

 

 まさか、《聖壁》と洞窟の壁とで圧殺できるとは思いもしなかった。これが練度と若い体の合わせ技か。

 

 そして倉庫の奥に潜んでいた子供のゴブリンを始末しよう、というところで一悶着があった。

 

「なあ、さすがに子供を殺すのは止めた方がいいんじゃないか?」

 

 そう切り出してきたのは剣士だった、無残な姿ではあったが、村娘達の息はあった。

 

 悪いゴブリン退治も完了、救出も成功、だから、もういいんじゃないかな? ということらしい。

 

 ――なんて、お花畑みたいな考えなんだろう。

 

 あまりに牧歌的な提案に、思わず笑みが漏れる。

 

 クスクスと、ひとしきり笑い終えた後で、絶句している三人の内、女武道家と女魔術師を指さす。

 

「あなたと、あなたが」

 

 つい、と虚ろな目で座り込む村娘を指さす。

 

「ああなって」

 

 そして、子供のゴブリンを指さす。

 

「これを産んでいい、というなら」

 

 言いながら、鉈を女武道家に、こん棒を女魔術師に渡す。

 

「私を今ここで殺して、彼の前で、こいつらに犯されなさい」

 

 その言葉で、2人の瞳の中にあった、一握の温情が消える。

 

 歩を進める2人を戸惑ったように見やる剣士をよそに、言葉をつづける。

 

 その歩みを勇気づけるように。かつて、私が私の民に説いたように。

 

「ゴブリンに知恵を与えても、人にはなりません」

 

 ぐちゃり、と屠殺の音が洞窟に響く。

 

「ゴブリンに良き隣人になってもらおう」

 

 ぐちゃり、と屠殺の音が洞窟に響く。

 

「そんなありもしない望みを成そうとするぐらいなら、自らが愛する人との子を産みましょう」

 

 ぐちゃり、と屠殺の音が洞窟に響く。

 

「私の仕える地母神は、そう、望んでいます」

 

 ぐちゃり、と屠殺の音が洞窟に響く。

 

「それが、正しく、確実です」

 

 からん、と血の付いたこん棒が女魔術師の手から落ちる。

 

 引き攣った、一線を越えてしまった、と思っている顔だ。

 

 同じような顔をしている女武道家を、2人まとめて満面の笑顔で抱きしめる。

 

「よくできました、あなたたちは、正しいことをしました」

 

 そうして、落ち着くまで二人の頭をなでた。

 

 

 

 

 

 

「地獄でも、洞窟の外は青い空なんですね」

 

 村娘達に村に戻るかと尋ねたところ、神殿に入ることを希望したため、町へ(なんとそんなものまで有るらしい)連れていく事になった。

 

 私の言葉を何かの含蓄のあるモノととらえたのか、村娘達は虚ろながら笑みを浮かべた。

 

 日が沈む前にさっさと出発しよう。

 

 そうして声をかけたところで、ばったりとであった。

 

 薄汚れた鉄兜と革鎧に鎖帷子、一切の疑問の入る余地のない、決断的な歩み。

 

「無事か」

 

「はい」

 

 こくり、とうなずく、頬が赤くなっているのが、自分でもわかる。

 

「ゴブリンは」

 

「皆殺しです」

 

 少し、得意げな声になっている、だが、抑えろという方が無理だろう。

 

「そうか、ゴブリンの子供は」

 

「彼女たちが、ちゃんと殺しました」

 

 そう言って、2人を示す。認めてあげるように、彼女たちに、しっかりと笑顔を向ける。

 

「なら、いい」

 

 ぶっきらぼうな問答、それが、こんなにも嬉しい。

 

「はい、ありがとうございます」

 

「……攫われた娘達は」

 

「神殿に入るのを望んでいます」

 

「そうか……なら、帰りの護衛ぐらいなら、手伝おう」

 

 私たちが返り血で端々が汚れているのを見て取ってか、そう申し出てくれた。

 

 あぁ、変わってない、何も、変わってない。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、お久しぶりです。」

 

 そして、私は万感の思いを込めて、そう言い。

 

「……すまないが、誰だ」

 

 私は、私の勘違いを、知ることになる。

 

 

 

 

 

 全てが夢であったかのような気持ちで、私は冒険者ギルドのドアを開けた。

 

 懐かしいドアベルの音に、血まみれの自分たちの姿を見て事務的な、固い笑顔を見せる受付嬢。

 

 その笑顔が私の後ろにいるゴブリンスレイヤーを視界に収めると、ぱっと華やぐ。

 

「おかえりなさい!! 皆さん無事なようで何よりです」

 

「……俺が行った時には、もう終わっていた」

 

「……っと、そうでしたか、なるほど、ではまず、剣士さんたち、依頼達成お疲れ様でした。また、念のために急行していただいたゴブリンスレイヤーさんの報酬には、往復分の旅費等、正確な額はまたお伝えさせていただきます」

 

 そうして、書類にサインをして、報酬を受け取る。

 

 ささやかな、報酬である。なるほど、確かに、割の合わない仕事である。

 

 これをさらに人数分で割るとなれば、冒険者パーティーがすぐにゴブリン退治を卒業するのはもっともなことである。

 

「……ともあれ、お疲れ様でした」

 

 意識は、掲示板でゴブリンの依頼を探す彼に半ば以上を向け、なおかつ今の状態はいかなるものであるかを思索しながら、目の前の三人に声をかける。

 

「あ、ああ!! そうだ、何かメシ食わないか、ずっと動き通しだったろ」

 

「ごめん、私はちょっとパス、何か食べるって気になれない」

 

「私も、もう眠るわ」

 

 憔悴した様子で剣士の提案を断った二人がよろよろと自分の部屋へと戻っていく。私も失礼します、と言いながら、ふらふらと、どう近づいていいものか、戸惑いつつも、他の選択肢などないかのように、彼の元へと近づいていく。

 

「あの、すみません、ゴブリンスレイヤーさん」

 

 その言葉に、ふと、目を向け、そして、沈黙が続く。

 

 ――あ、なんとか思い出そうとしているんですね。

 

「……」

 

「……」

 

 最初に考えた仮説は、これまでが全て、夢であったのではないか、というものだ。

 

 ゴブリンの巣穴に入り、女魔術師に声をかけられるまでのわずかな間に見た、一瞬の、夢の中の一生。

 

 剣士たちが死んだのも、そのあと、彼に助けられたのも、彼女たちと出会ったのも、冒険をしたのも、彼が死んでしまったのも、そのあと自分が国を作り、世界のゴブリンを滅ぼしていったのも、全てが不安の中で見た、夢幻ではないのだろうか、というものである。

 

 だが、それはない。

 

 彼の姿を見たときに心が沸き立ち、世界に彩に満ちた衝動が、ただの夢のおかげ、などというのは、彼女にとって、とても認められるものではなかった。

 

 であれば、次に考えられるのが、なにがしかの原因により、老衰した自分の魂が、かつての自分に宿った、というものである。

 

 しかし、これもまた、ありえない話である、神はサイコロを振るが、時を戻すことはしない。出た目は、もう、出てしまったのだ、それが覆ることは、ない、はずなのだ。

 

 だが、しかしそれぐらいしか、考え付かないのも、事実だ。

 

 もしかしたら、これから過ごすうちに、第三の仮説というものが思いつくのかもしれないが、なんにせよ、実証する手立てはない。

 

 ともあれ、今何より考えるのは、再開の時の言葉を、どうつじつまを合わせるか、ということだ。

 

「……ゴブリンに攫われたのを助けたのだろうか?」

 

 熟慮に熟慮を重ね、配慮に配慮を重ねたような、彼にしてみれば珍しいほどに気を使った切り出し方であった。友人がもしここにいれば、耳をピンと逆立てているかもしれない。

 

「いえ、その、違います、その、私が、その一方的に、知っていただけで」

 

 自分で紡いだ言葉が、ざくりと刺さる。そう、この時点で、私と彼とは何の接点もない。

 

 であれば、目の前の彼は、自分と過ごした日々を知らないのだ。

 

 だから、まぁいいや、さようなら、という気になるわけもない。

 

 そんな、気楽に分かれる気になるんであれば、ともに過ごすことなど、なかったであろう。

 

「ゴブリン、殺しに行くんでしょう」

 

「ああ」

 

 その言葉には、一切の迷いがなかった。それが、なんとなく安心した。

 

「私も、ご一緒してよろしいですか?」

 

「……今の、一党はどうする」

 

「え?」

 

 そう言われて、あぁ、そういえば、と思い至る。一応、今自分は剣士の一党に所属している形になっていたのだ。

 

 失礼かもしれないが、彼らについては無残な殺され方をした人達、という印象が強すぎて、ともに冒険をする輩、という意識は、まったくなかった。

 

「一党からは、抜けさせてもらいます。彼らがゴブリン退治をすることは、もうないでしょうから」

 

「……そうか、もし、着いてくるのであれば、防具は着ろ、鎖帷子あたりなら着れるだろう、でないと死ぬぞ」

 

 武骨な物言いだ、だが、その言葉で、胸の中がぱっと、花開く。

 

「はいっ!!」

 

 久しぶりの、本当に久しぶりの、授業だ。それだけで、もうどうしようもないぐらいにうれしい。

 

「……俺は、ここで仕事を受ける、だから、ここにくればいい」

 

 ――あぁ、やっぱり、もう、そうなんですよね、私。

 

 言ってしまえば、惚れた弱み、なのだろう。

 

「わかりました!!」

 

 ふんす、と決意新たに心の中で腕まくりをする。

 

 ここが、過去で、もし、何かが、やり直すことを認めてくれたのであれば。

 

 今度こそ、彼から離れない、そして彼を失わない。

 

 何としても。

 

 

 

 

 

「おはようございます、ゴブリンスレイヤーさん」

 

 樹上に住まいを築くのは、終生の友人の、彼女から教わった技である。

 

 日が昇り、鶏が鳴き出す前、寝床を兼ねる、樹上の隠ぺいされた小さなスペースから遠眼鏡で牧場を一周する彼を眺めながら、一方的な朝の挨拶をする。

 

 柵などを点検しながらの二週目をするのを眺めながら、パンと干し肉を水で流し込む。

 

 いつもの神官服ではなく、外套を身にまとった、狩人のようないでたちである。

 

 満足げにうなずき、家へと戻るのを見て、私もうん、とうなずく。

 

 するり、と木から降りて、そのまま彼の知覚にかからないように大回りしつつ、町へと向かう。

 

 宿の寝床兼荷物置き場に戻り、神官服に着替え、一日の準備をする。

 

 鎖帷子よし、革手甲よし、靴よし、山刀よし、投げナイフよし、ロープよし、杭よし、薬各種よし。

 

 そして、朝の仕事の張り出しまで、のんびりとする。部屋にいても、視界は牧場には小さな牧羊犬の使徒を一匹伏せさせているので、そちらを脳裏に浮かべているので彼を見失うことはない。

 

 早く来ないかなぁ、と思いながら、ふと、彼と目が合った。

 

「!」

 

 いや、正確には使徒たる牧羊犬が彼の目に付いただけである。

 

 彼はいつも通りの歩みでこちらに近づいてくる。

 

 ――大丈夫、ゴブリンスレイヤーさんが知っているはず、ないもの。

 

 とはいえ、ずんずんとやってくる鎧姿の男は、牧羊犬の視点からすれば鎧をまとった巨人である。

 

「見ない犬だな」

 

 手は、いざという時は刃を抜き放つことが出来るように、構えられていた。当然の反応である。野犬は、ゴブリンほどではないが脅威だし、ゴブリンが使役する確率もある。

 

「……」

 

 しばらく、無駄な緊張の元、見つめあう。

 

 ――あ、ちょっと!!

 

 しかし、均衡を破ったのは牧羊犬であった。

 

 そもそも、牧羊犬は彼女の使徒なのである。

 

 使徒が主に似通うのは、むしろ当然であり、つまり、牧羊犬がゴブリンスレイヤーにじゃれつくのも、当然と言えた。

 

「ふむ……」

 

 そう、嘆息しながら、わしゃわしゃと頭をなでてきた。

 

「ふひゃいっ!?」

 

 思わず声を上げながら、寝床でもだえる。頭、首元、背中、そして横腹、手袋越しとはいえ、使徒ごしとはいえ、彼の手の感触である。

 

「あー、あー、うー、うん、うぅ、っん、あ」

 

 他の部屋の人に聞かれないよう、なんとか声を抑えつつ、至福の時間を過ごす。

 

「ずいぶん、人なれしているな」

 

「どうしたの?」

 

 第三者の声を、使徒が拾う。彼の幼馴染である、牛飼娘だ。確かに、犬と戯れる彼など、思わず寄っていきたくなるほどレアであるのは違いない。しかし、女神官としては二人の時間を邪魔されたようで、少々おもしろくない。

 

「迷い犬だろう」

 

「へー、すごい毛並みのいい牧羊犬」

 

 牧場に関することにかけては見る目は肥えている彼女が、いいこいいこ、と撫でてくる。

 

 牛飼娘の眼前に広がる豊満な胸元に、絶望的な敗北感を感じながら、されるがままにする。

 

 自分は結局、成長しても豊満とはいかなかったのだ。

 

「じゃー、うちで飼ってあげようか」

 

 いいこと思いついた、とニコニコと提案する彼女に、彼は「そうか」と答え立ち上がる。そろそろ日の明るさも増してきたころだ。

 

 使徒とのリンクを切りながら、彼が来るのをテーブルでお茶を飲みながら鼻歌交じりに待つ。

 

「~~♪」

 

 頭の中に浮かぶのはゴブリンを殺す計画である。どう燻し出すか、どう殺すか、頭の中で様々なシミュレーションを重ね、くるくると無為に指を回す。

 

 巣穴に入るには見張りを討たねば、臭い消しにはやっぱりゴブリンの内臓が一番だ、あぁ、脳漿もいいな、今日はどんなゴブリン退治になるだろう。

 

 はたから見れば、ただの初恋に浮き立つ少女である。

 

 その脳裏で、血の海が広げられていることを、おそらくは彼だけが知っている。

 

 そして、ドアのベルがなり、武骨でみすぼらしい装備の男を視界に収めると、その美貌はぱっと花開くのだ。

 

「おはようございます!! ゴブリンスレイヤーさん!!」

 

 そう、今日も、一日が始まる。

 

 

 

 

 

「~~♪ あれ、どうかしましたか?」

 

「いや、気にするな」

 

 ゴブリンスレイヤーは最近ともにゴブリン退治をする事となった少女からつい、と視線をそらした。

 

 穏やかに、まるで私室で繕い物をするかのようにゴブリンの内臓を山刀でえぐりまわして、鼻歌交じりで自らの身をゴブリンの内臓まみれにする少女とは、ゴブリンの巣の前で出会った。

 

 駆け出しの女神官、ということになっている少女だ。

 

 共にゴブリン退治に出てみれば、少なくともただただ神に祈りをささげてきただけの人間などではないことが、誰であろうと思い知るであろう。

 

 地母神の神官は争い事を好むべきでない、と教えられている。よって軍神や至高神の神官に比べて、武装は控えめになるのだが、この少女は最初の出会い以外、これでもかというほど丁寧に装備を整えている。無闇矢鱈に、ではなく、丁寧に、である。

 

 地味なことではあるが、自分の限界と、スタイルを熟知している者でないと逆立ちしても出来ない芸当である。

 

 毒薬や火の秘薬への知識も薬師や錬金術師顔負けで、一部の物は自作すらしている。

 

 身のこなしや、罠の仕掛ける地点の目利き、設置する慣れ、どれをとっても一級品だ。

 

 あえて聞いてはいないが、おそらくは、自分のような日々を送ったのだろう。

 

 むしろ、自分の師匠が彼女の師匠である可能性すら、ありえる。

 

 彼女を見ていると、まるで、鏡を見ているような気分にすらなる。

 

 ゴブリンに大切な物を奪われた、人であったゴブリン、根本的に破綻しているのに、それでも何事もなかったように動き続ける絡繰り細工。

 

 ゴブリンを殺すために生きるヒトの残骸。

 

 自分のように、壊れた少女。

 

 それが女神官へのゴブリンスレイヤーの感想であった。

 

 それゆえに、彼女を見て、胸の内かわ湧き上がる虚しさと悲しさと、目をそらしたくなる何かにどうしようもない戸惑いを受けるのだ。

 

 相手に聞こえないように、小さく息をつく。

 

 人手が増えて助かる、そう簡単に思うことが出来たら、どれだけ楽か

 

 

 

 

 

 ――まさかの人から、まさかの相談ですねぇ

 

 受付嬢はむっすりと腕を組むゴブリンスレイヤーの向かいに座りながら若干混乱しつつも状況を整理していた。

 

「ゴブリンではない、時間はあるか」

 

 そういって面談などで使われている個室で、彼と一対一で相対することとなった。

 

 部屋に入る前の同僚の小さな声で「ガンバ」という声と、親指と人差し指に反対の人差し指を使用した猥雑なジェスチャーに見送られて、である、後で〆る。

 

 一党内での人間関係相談、というものをギルドの人間が受けるのは、なかなか多い。

 というのも、冒険者はあちらこちら動き回ることはあるが、腰を据えて腹を割って話せる口の堅い人間、となると大体ベースにしている町の冒険者ギルドのなじみになるからである。

 

 有能な一党が無残な内ゲバや仲間割れからの全滅、というのは、残念ながら非常に多い。

 

 皆腕に自信を持っている冒険者という稼業で、大体がお互い気が合って一党になる。もとが感情的結成であるから、感情的対立が破綻を呼び寄せる。逆に完全にビジネスライクな集団のほうが、もめ事での解散は少ない。恋愛結婚よりお見合いのほうが離婚率が低いのと、似たようなものだ。

 

 人の感情は一緒に危険を潜り抜ければ、仲間意識が積み木のようにポンポンと積みあがる、というように、簡単にはできてい

ないのだ。

 

 なので、人間関係による一党の自壊を避けるのは、ギルドとしても関心を少なからず割いている事項である。

 

 今の一党で大事にされている気がしない、正直足手まといばかりでやってられない、取り分が少ない、馬車の中の空気が最悪です。

 

 まぁ十人十色、十党十色、冒険者の一党それぞれに悩みをかかえていたりするので、悩みを打ち明けられたものは愚痴を聞いたり、すこしアドバイスをして状況の改善を促したり、他の一党を紹介したりするのである。

 

「……それで、女神官さんのこと……ですよね?」

 

「ああ」

 

 何というか、現実感がない話だ。男がともに冒険する少女との悩み相談を顔なじみにする、字面でいえば何の変哲もないことなのだが、目の前の彼が、となるとやはり現実感がない。

 

「別に技術的、戦力的な不満があるわけではないんですよね?」

 

 地母神の神官は武装を嫌う、それはすなわち、戦闘力と生存率の低下を意味する。ヒヤリとする場面をくぐれば、致し方ない、と武装する者も出るのだが、そうすることすらできず、躯をさらすものも多い。

 

 話の主役である彼女も最初の冒険の後はしっかりと鎖帷子を買うなど装備に余念がない様子で内心安心していた。

 

「ああ、十二分、といってもいい、だが」

 

 そして、言葉に詰まる。自分の中に渦巻いている言葉をどう表現すればいいかわからない、そんな様子だ。

 

「ゴブリンを殺す、それで自分を支えているような、ところがある。俺が言えたものではないが」

 

 このままでは、いけない

 

 だが、彼女がそうならば、自分はどうなのだ

 

「……よく分からん、どうすべきか」

 

 彼女をはねのけて、無理に冒険者とは無関係の世界を勧める、それがいいのかもしれない。

 

 彼女の有する技術、知識は別に冒険にて命を危険にさらす必要もなく、彼女にそれ相応の経済的、社会的成功をもたらすことであろう。

 

 だが、自分がそうされて、従うか、無理だ、だから、彼女も無理だろう。

 

「心配、なんですね、危なっかしくて」

 

「……ああ、そうか、そうだな」

 

 ゴブリンスレイヤーさんに言われたくありません、とほほを膨らませる彼女が脳裏をよぎり、苦笑いが浮かぶ。

 

 これは、塩を送ることになるんでしょうかね? いや、仕事の内か。

 

 言うべきことを整理しながら、言葉をつなぐ。

 

「自分がほおっておいたら、どこかで殺されたり、もっとひどい目に合うかもしれない、自分に似た子が、自分に笑顔を向けて

くる子が」

 

「……ああ、そうだな、そうだ」

 

「ほおっておけない、なら一緒にいればいいじゃないですか」

 

「ふむ?」

 

「あ、いえ、別に一緒に住む、というわけではなくてですね、お互い単身では依頼を受けないとか、ですね。私も彼女が一人で

無理な依頼を受けようとしましたらちゃんと止めるように手を回しますので」

 

「なるほど、すまないが、そうしてくれ」

 

 武骨な言葉だが、肩の荷が下りた、と言っているようなものだ。その様子にクスリと笑みが漏れる。

 

「まるで、お兄さんみたいですね」

 

「…………そうか」

 

 何かを思い出すようなその声は、どこか柔らかかった。

 

 



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第二話

 

 

 

 今日も今日とてゴブリン退治を終えてギルドのドアをくぐる。

 

 そして、受付嬢の前でわいのわいのと騒いでいる三種の三人が目に飛び込んできた。

 

 ――ああ、今日だったんですね

 

 妖精弓手も鉱人道士も蜥蜴僧侶も、前世の頃と寸分たがわぬ姿で居た。

 

 この五人が、いまこうしている、それだけで胸の奥が熱くなり、鼻の奥がツンときて、視界が潤む。

 

「っ……」

 

「……」

 

 それをちらりとゴブリンスレイヤーは一瞥しつつ、受付嬢もこちらに気付いたのかぱっと笑みを浮かべる。

 

「おかえりなさい、ゴブリンスレイヤーさん! お二人とも、ご無事で何よりです!」

 

 受付嬢がぶんぶんと大きく手を振り、三つ編みが揺れる。

 

「無事に終わった」

 

「はい、大丈夫でした」

 

「あ、じゃあ後で報告聞かせてくださいね。今じゃなくていいので」

 

「そうか」

 

「ええ。お客さまですよ、ゴブリンスレイヤーさんに」

 

 そういって、三人を指し示され、ゴブリンスレイヤーも視線を向ける。

 

 あぁ、懐かしい、みんなみんな、初めて会った、このときのままだ。

 

 思わず泣きそうになるのをこらえながら、ゴブリンスレイヤーの後ろに控える。

 

「……少し待て」

 

 妖精弓手達にそういってゴブリンスレイヤーは女神官を見る。

 

「休んでいろ」

 

「え」

 

 前とは違うタイミングでの言葉、それに驚いているところで、いつの間にか回り込んだ受付嬢に後ろから両肩に手を置かれた、今どう動いたんだろう。

 

「お疲れ様でしたね、女神官さん、さ、行きましょうか」

 

「え、ちょ、あれ、あ、そんな、大丈夫ですから」

 

 体力的にも、前回のこの時とは慣れが段違いだ、そこまで損耗している自覚はない。

 

「いえいえ、女の子がゴブリン狩りで三日も過ごして何言ってるんですか、ささ、おいしいお茶がありますから、ほらほら」

 

 あれよあれよという間に椅子に座らされて、目の前には強壮の水薬が入れられた紅茶のカップとクッキーが置かれ、「それじゃ、ゆっくり休んでてね」というウインクと共に受付嬢は去っていった。

 

「はぁ……」

 

 紅茶をあおり、ため息を一つ。紅茶で割られた強壮の水薬の効果とクッキーの甘さががじんわりと心地よい。さて、そんなに辛そうに見えたのだろうか。

 

「あら、一人なんて珍しいわね」

 

 そういって同じテーブルの席についたのは女武道家である。手にあるのはハーブ水にレモンを一たらしした水だ。

 

「ええ、ちょっとお客さんが来たらしくって」

 

「そう」

 

「そちらはどうですか?」

 

「こっちは巨大鼠狩りで貯金をためて装備を整えているところ、貴女の代わりに新米聖女ちゃんと新米戦士が一党に入って……そうそう剣士のヤツいい鉄鉢兜(メット)がようやく買えそうだ、って私は革鎧と手甲が目標かしら」

 

 まぁしばらくは下積みよ、そういいながら水をあおる。今回の彼女たちとは時たま夕食を共にする仲だ。

 

 経験を積み、装備を充実させているのなら、何よりだ、と内心頷く。

 

「あ、終わったみたいです」

 

 そうこう雑談をするうちにゴブリンスレイヤーがすたすたと降りてきた。受付嬢と二、三受け答えをして報酬を受け取って外へと歩き出す。

 

 兜をこちらに向けたわけではないが、意識はちらりとこちらに向け、何事もないかのようにすたすたと歩いていく。

 

「今度女衆だけで飲みましょう、女魔術師も会いたがっていたわ」

 

 本人は照れ隠しで、そんなこと言ってない、とか言うでしょうけどね、とクスクスと笑った。

 

「わかりました、また今度」

 

 するすると駆け寄りゴブリンスレイヤーの後ろから声をかける。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、依頼、ですよね?」

 

「……ああ、ゴブリン退治だ、俺一人で行く」

 

 歩みを止めない彼の前にするりと先回りして、きっぱりと言い切る。

 

「わかりました、報酬を受け取ってきます」

 

 言わせませんよ、という思いを込めて兜の中の瞳をじい、と見つめる。

 

「…………好きにしろ」

 

「はいっ!」

 

 ため息をついて立ち止まった彼にぱっと微笑み、受付嬢の元に向かう。

 

 その姿を、三人は階段の踊り場から見下ろしていた。

 

「……こりゃたまげた、割れ鍋に綴じ蓋、というやつかの、なんにせよ、面白い」

 

 髭をいじりながら階段を下りていくのは鉱人道士であった。

 

「……ふむ、冒険者が冒険者に依頼してのうのうと帰っては、拙僧も先祖に顔向けできませぬな」

 

 妖精弓手に合掌一礼をして、同じように尻尾を揺らしながら階段を下る。

 

「…………」

 

 まったくもって、理解できない、そんなものが、二つもだ

 

 それを追い求めて、冒険者となった自分のやることはきまっていた。

 

 妖精も同じように階段を下っていった。

 

 

 

 

 

 瞬く間に三日が過ぎた。

 

 移動して、野営をする、ただそれだけの日々だが、女神官はこれまでにないほど上機嫌であった。

 

 二つの月の輝く星空の下、どこまでも続くような広野。

 

 その真中で、焚き火を囲う五人、だれもかれもが知った顔である。

 

「いただくわ!」

 

 差し出した豆のスープを耳をピコピコさせながら口に運ぶ彼女に女神官も頬を緩める。

 

 建国の際に、激務の中、お互いふと夜食で食べたくなったのはこの質素な豆のスープだったのだ。

 

「うっわ、おいしい、これは私も何かお返しを……」

 

 そういって彼女はごそごそと懐かしい保存食を出してきてくれた。

 

「……これは」

 

 森人の保存食と知っていてはおかしかろう、何といおうか、ふと戸惑っているところで妖精弓手が自慢げに語りだした。

 

「これは森人の保存食。本当は滅多に人にあげてはいけないんだけど、今回は特別」

 

 さくさくとした触感、しっとりと柔らかい内部、そして腹持ちの良さに、森の幸を丸ごと押し込んだような玄妙なる風味。

 

 彼女の作ってくれた、懐かしい味だ。

 

「……美味しい、本当に、美味しい……」

 

「……もしかして、食べたことある?」

 

 びくり、と不意打ちの言葉に肩が跳ねる。思わず顔を向けると、やっぱりね、とどこか納得したような顔の彼女がいた。

 

「珍しい味に驚くっていうより、懐かしい味を味わってるって感じだったし」

 

「あ、う、えーとですね」

 

「ほほう、嬢ちゃん森人と冒険したことでもあったのか」

 

「……」

 

 ――あれ、なんでそんなに興味津々なんですか!?

 

 無言で道具の手入れを止めてこちらを見るゴブリンスレイヤーに、なにか追い詰められているような気がして人知れず焦る。

 

 そうそう、実は前に一党を組んでいた森人が……無理だ、自分が一党を組んでいた面子を彼は全員知っている。そのあとはほとんど一緒にゴブリン退治の日々だ、つまり、自分が森人と絡んでいるシーン等ほぼない。

 

 ちょっとした知り合い、程度にこの保存食を渡すことがないのは、彼女やその故郷の森人との親交で知っている。

 

 つまり、当たり障りなく切り抜けることのできる嘘、というのはない。

 

 となれば、真実を小出しにして、誤解をしてもらうしかあるまい。

 

「……私に、いろいろなことを教えてくれた森人がいて、その人に食べさせてもらったことがあるんです」

 日々の振る舞いで彼にはただの教会育ち、とは思われていないのは感じている。だからこそ、こういえば不思議はないはずだ。

 

「……違ったか」

 

 ぼそりといった彼の言葉に、あぁ、彼の師匠が私の師匠でもあるとか考えていたんですね、と気づかされる。

 

「へー、そうだったんだ」

 

 納得してこくこくと頷く彼女に、ごめんなさい、貴女のことなんです、と心の中で手を合わせているうちに鉱人道士の出した火の酒で彼女は撃沈された。

 

 暖かいあぶりたてのチーズ、ろれつの回らない彼女の声、飄々とした鉱人道士の声に、蜥蜴僧侶のしたり顔、そして兜の中で寝息を立てる彼。

 

 あぁ、なんて、なんて幸せな時間なんだろう。

 

 一党の仲間たちを視界に収めながら、眠りに落ちるのは最高の幸せであった。

 

 

 

 

 どさり、と遺跡の入り口を見張っていたゴブリンが妖精弓手の絶技によって倒れた。

 

 それを見て、ゴブリンスレイヤーが周囲を警戒しつつもすたすたと何事もないような足取りで近づき、ナイフでゴブリンの腹をえぐる。

 

 何をするのだろう、と興味津々でのぞき込んでいた妖精弓手はギョっとして、おもわずゴブリンスレイヤーの手を引いた。

 

「ちょ、ちょっと! いくらゴブリンが相手だからって、何も死体をそんな……」

 

「奴らは匂いに敏感だ」

 

「……は?」

 

 両手を血まみれにしながら肝を引きずり出し、布で引き絞り、くるりと妖精弓手を見る。

 

「特に女、子供、森人の臭いには」

 

「え、ちょ、ちょっと……。ね、オルクボルグ。まさか、って、ちょっと貴女も!?」

 

 逃げ腰になっていた妖精弓手の後ろに回り、先日受付嬢にされたように肩を抑える。

 

「大丈夫です、慣れますから」

 

 その何でもないような透明な笑顔に、さあ、と彼女の美貌が蒼白になった。

 

 

 

 めそめそと長耳をしおらしくたらしながら罠を探索する彼女をフォローしつつ遺跡を潜る。

 

 警報、落とし穴、注意の散漫になったここぞというところである罠を、それでも彼女は着々と見つけていく。

 

「マメじゃのぉ」

 

 冒険者ツールに入っているチョークで床のトラップのキーに印をつける女神官に鉱人道士が感心したように声を上げる。

 

 遺跡探索は何があるかわからない、一つの罠のトリガーだと思って、うっかりかからないように発動させておこう、とあえてキーを作動させて、連動したもう一つの罠に命を刈られる、そういったこともあるから罠を見つけたからと言って、軽々と発動させるのは危険なのである。

 

 というか、はるか先の未来の話ではあるが、調子に乗った彼女がうっかり罠を見つけて発動させ、それで連鎖的にいくつも罠が発動して一転窮地に、ということがあったのだ。

 

 またはとっさの奇襲で撤退を余儀なくされる場合、行きではちゃんと見つけていたのに、焦って逃げかえる時にうっかりと……という話にも枚挙にいとまがない。

 

 あれは何のときだったかな、と思い出しながら落とし穴の発動キーとなっているタイルを丸で囲む。

 

 そうこうするうちに、T字状の通路へと出た。警報のトラップをパスしつつ、さてどちらがゴブリン共のねぐらか、という話になった。

 

 この先に待っていることを知っていればこそ、気持ちは落ち込む。同性の無残な姿、というのはいくら見ても心が痛むものだ。

 

「何か、心配事ですかな」

 

 それを気にしてか蜥蜴僧侶がぬう、と首を巡らしてこちらをうかがう。

 

「いえ……その、嫌な予感、というより予想? がありまして、外れてくれれば何よりなのですが」

 

「こちらの道を行くぞ」

 

 そうゴブリンスレイヤーが指し示したのはやはり、ねぐらとは逆の右の道であった。

 

 果たして、やはり、いたのは凌辱と暴力の傷跡の深い森人の少女であった。

 

 嘔吐する妖精弓手をそのままに、森人に近づく。息があるのを確認すると

 

「大丈夫ですか、今、癒しの奇跡を掛けます《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れ下さい》」

 

 その傷はみるみる内に治っていった、断たれた腱すら癒すその奇跡は、その体に掛かるゴブリンの汚濁以外はまるで時が巻き戻ったかのようである。

 

「おぉ、見事!! 天分の才と鍛錬の賜物ですな!!」

 

 同じく治療の技を使う蜥蜴僧侶だけが、銀等級の自分ですらたどり着けぬそれに、どれだけ高位の所業かを推し量ることができたため、それ故に目を見張り、快哉の声を上げた。

 

「水薬を水で薄めたものです、落ち着いて飲んでください」

 

 そうしてコップに水と治癒の水薬を薄めたものを作り差し出す。それを受け取ろうとして、ハッと気づいた森人の少女が部屋の一角を指さす。

 

「……あ、ありがとう、あ、じゃなかった、あそこにっ!」

 

 言うが早いか、森人の指さした汚物の山にゴブリンスレイヤーが躍りかかった。

 

「三」

 

 どさり、と崩れる躯。

 

 毒の短剣を握ったゴブリンが一刀の元に切り伏せられる。

 

「もう大丈夫ですよ」

 

 荷物から取り出した毛布を掛けて抱きしめる。水薬を飲み、少しも落ち着いたのか、ぽつり、としかし石に刻むように、感情の抜けた顔でつぶやいた。

 

「殺して下さい、あいつらを、ゴブリンを、全部」

 

 目の前にいるのは、薄汚れた鎧と兜をまとう、中途半端な剣と盾をもった男だ。

 

 だが、だからこそ答えは決まっていた。

 

「無論、ゴブリンは皆殺しだ」

 

「はい、殺しましょう」

 

 その言葉に女神官も笑顔で頷いた。

 

 

 

 ずぶり、ざくり、とゴブリンの寝首を掻いていく。

 

 捕まっていた森人は蜥蜴僧侶の作り出した竜牙兵を護衛に森人の里へ向かってもらうことにした。

 

 寝ているゴブリンを淡々と殺していく。

 

 まるで濡れた藁を延々切っているような気すらしてくる。故郷の里に居たころはいたずらをしては罰として農作業をさせられたものだ。

 

 そういえば、とゴブリンを殺しながら先ほどの受け答えをちらりと思い返す。

 

「呪文は幾つ残っている?」

 

「えっと……私は《小癒》を使ったきりなので……あと四回か、五回です」

 

 さらり、と女神官はそういった。無論、駆け出しの、いや才能のある熟練者ですらそうそう扱える量ではない。

 

 その《小癒》にしたって、あの蜥蜴僧侶が思わず快哉の声を上げるほどの技量である、白磁等級のできることではない。

 

 身のこなし、気の配り方、どれもこれも只人にしておくのが惜しいくらいの堂に入ったありさまだ。

 

 そして、先ほどの、ゴブリンスレイヤーを見る表情、あれは、ただの少女が出来る表情ではない。

 

 年を経た、老境の大樹のような、澄んだ殺意

 

 「はい、殺しましょう」珠のような、ころりとした言葉だった。

 

 だが、あそこまでつるりとした言葉になるには、どれほどに殺意が練磨されればなるのだ。

 

 二千年を生きた自分ですら、想像できない。

 

 わけのわからないものが好きで、冒険者になった。

 

 だが、暴き立てたくもないもの、というものに、初めて出会った。

 

 それが二十も生きていない只人の娘の胸の内だと聞いて、里の人間は笑うだろうか、もし笑うものは、人の深さを知らないものなのだろう。

 

 そんなことを考えているうちにゴブリンを皆殺しにし、術を維持していた女神官と鉱人道士が回廊から降りてくる。

 

 あのなんでもない、只の小娘のような笑顔が、怖い。

 

 

 

「ならば、その身をもってして我が威力を知るが良い!」

 

 青白い巨体、額に生えた角。腐敗臭の漂う息を吐く口。手には巨大な戦鎚。

 

 広間にやってきたのは、オーガ、強大な怪物である。

 

 その青白く巨大な左手が一向に向けて突き出された。

 

「《カリブンクルス……クレスクント……》」

 

 その掌に生まれた光がぐるりと裏返るように炎となり、その色を変え、

 

「《火球》が来るぞおっ!!」

 

「《――――ヤクタ》!」

 

 鉱人道士の胴間声で警告を叫び、オーガが呪文を投じ、同時に、女神官は前に出た。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 《聖壁》の不可視の壁はオーガの至近に展開された。

 

 燃え盛る火球が目の前で食い止められ、障壁が小ゆるぎもしない様子にオーガはほう、と息をつく。

 

 そのまま火球は《聖壁》を破ることなく炸裂し、オーガの視界を奪う。

 

 なるほど、狼藉者達はそれなり以上の面々らしい。

 

 どうやら楽しめそうだ、と戦鎚を握り、視界が晴れるのを待つ、無論、不意打ちには注意しつつ。

 

 そうして広間で粉塵がおさまり、視界が戻った時

 

「……何?」

 

 一党の姿は忽然と消えていた。

 

 

 

 策があります、転進しましょう。

 

 そう言ったのは、女神官であった。

 

 わかった、とゴブリンスレイヤーは頷き、他の者も半信半疑ながら続いた。

 

 広間からは怒号が響き、暴れまわる音が聞こえてくるが、彼女の《聖壁》を突破することはできないようである。

 

「それで! どうするのよ、逃げたまんまじゃどうしようもないでしょ!?」

 

 妖精弓手の声に、もっともだ、と鉱人道士も蜥蜴僧侶も女神官へと視線を送る。

 

 その視線を受けて、女神官も走る速度を落とす。

 

 そして、妖精弓手にくるり、と視線を向ける。

 

「脱いでください」

 

「え?」

 

 

 

 オーガは怒り狂っていた、ふざけた態度をとられ、開幕の一撃と思って放った火球も防がれ、もう用はない、とばかりに狼藉者達の姿は消えていた

 

 自分は魔神将より軍をあずかる将、そんじょそこらの武張ったオーガとは一線を画す、混沌の勢力の一翼を担う将なのだ。

 

 ………なんだ、ゴブリンではないのか

 

 興味のないつぶやきが耳に残っている。

 

 とても看過できるものではない、《聖壁》が掻き消えた瞬間、オーガは颶風のごとく駆けだしていた。

 

 オーガの足は速い、そもそものフィジカルが人類とは段違いに強靭であるからだ。

 

 鳴り響く足音を追い、床を踏み抜かんばかりの勢いで猛追する。角を一つ、二つ、三つ、そして、見えた。

 

 最後尾にはあの只人の女神官、そして他の者どもも自分から逃げようと走っている。

 

 ――ほう、あの森人か

 

 蜥蜴人の背には裸身を粗末な外套で包んだ少女の姿があった、ちらりとのぞく長耳は、ゴブリン共のおもちゃとなっていた森人のものだろう。

 

 ――なるほど、同胞の救助を優先する、か、いかにも秩序の者どもらしい軟弱な発想だ。

 

 舌なめずりをしながら、速度を上げる。追いつかれたことに気付いたのか、最後尾の女が止まり、振り返る。

 

 その目は、恐怖に震えていなかった。己を奮い立たせようと、燃え上がってもいなかった、ただ、オーガを眺めていた。

 

「貴様らっ!! この我を虚仮にしおって!! 楽に死ねると思うなよ!!」

 

 そう叫び、戦鎚を振り上げ、踏み込みと共にまずは手始めにこの小娘から肉塊にしてやろう!

 

「ぬぅっ!?」

 

 そう飛び掛かったところで、何かに躓いた。

 

 何もない、通路だったはずだ、まるで鉄の塊に躓いたような衝撃が脛に突き刺さり、オーガの体はぐい、と頭から床に突っ込むように倒れていく。

 

 

 とっさに、空いている左手が床に向けられる。速度が速度だ、頭を打つよりはいいだろう。

 

 しゃん、と錫杖が鳴り響き、その石突が床を突く。

 

 その音をオーガの耳が拾ったとき、パカリ、と床が開いた。ぽっかりと空いた穴、落とし穴(ピット)だ。

 

 まるで、水泳の飛び込みのような姿勢で落ちていくオーガ。

 

 ぞろり、と並んだ槍の群れ、それが、ぐんぐん近づいてくる。

 

「ぬわーーーーっっ!!」

 

 轟音が響いた。

 

 

 

「やったか……の?」

 

 立ち止まり、恐る恐ると女神官の元に一党が集まってくる。

 

 杖は、チョークで丸が書かれたタイルを突いていた。

 

 そして、一息をついて落とし穴の前の脛ほどの高さに展開された《聖壁》を解除する。ロープであれば気づかれかねぬが、不可視の壁も、躓く高さにあれば無色透明、不可視の足絡めになる。

 

 蜥蜴僧侶の背から降りたのは、無論妖精弓手である。

 

 オーガの注意を少しでもそらすための偽装であった。

 

 曰く『早合点させれば、それだけ注意力がなくなります』

 

 そして足絡めに、落とし穴、結果は、目の前の通りだ。

 

「すっごい! やった、オーガよオーガ!!」

 

 ぴょんぴょんとと裸身をちらつかせて喜びをあらわにする妖精弓手に他の面々も頬を緩める。

 

 金等級の冒険者でなければ相手にならない、とも言われる強大な怪物だ。

 

 知略、奇策で罠にはめて仕留める、鉱人や蜥蜴人としては正々堂々真向きって討ち取りたかったところであるが、勝ちは勝ちだ。

 

「……」

 

「……」

 

 ただ、2人の只人が、じ、っと穴をうかがっていた。

 

「くそどもがああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 地の底から響く、声であった。

 

 ぎょっとした三人が慌てて武器を構え、穴の底を伺うと怒髪天を衝く様子でオーガが気炎を上げていた。

 

 見れば、地面から生えていた槍が戦鎚一薙ぎ分、倒れていた。空中でのとっさの一薙ぎ、それで九死に一生を得(クリティカルし)たのだろう。それでもオーガの体のいたる所が槍に貫かれ、軽傷ではない様子だ。

 

「殺す! 殺す! 殺してやる!!」

 

 ぐいぐい、と体を動かし、今にも戒めから抜け出ようとするのを見て、臨戦態勢に入る。

 

「まさか、ここから死なないですむと、思っているんですか」

 

 一歩、そう言って前に出た女神官の顔を見たものは誰もいない、見たいと思うものも、居なかろう。

 

「女あああああああああああっ!! 四肢を削いで、手足を食いながら犯してやる!! 舌を削ぎ! 歯を抜き! ゴブリン共の汚物の山に捨ててやる!!」

 

 喚き散らすオーガを、女神官は淡々と見下ろす。

 

 その目に、オーガは見覚えがあった。

 

 かつて拝謁した魔神将、あのお方が塵芥の魔物を見る目と同じ、ただの小うるさい羽虫に向ける無機質な瞳だ。

 

 左手に錫杖を持ち、右手で、すう、とオーガを指さす。それだけで、背筋を冷たいものが吹き抜ける。

 

 何か知らないが、不味い。それだけはわかった。しかし、だからといって何が出来ようか。

 

「同士討ちなし、必中、後は、討つだけ……呪文の無駄なので、死んでいてほしかったのですがね、《雷、収束、貫通(ZAP)》、《雷、収束、貫通(ZAP)》、《雷、収束、貫通(ZAP)》」

 

 淡々とした声であった。

 

 六種類前後と言われる基本的な術の一つであり、同時に最も知られた魔術の一つ。

 

 敵を討つ雷光の術、それが三度爆音と共に閃き、女神官の指先から放たれた後にはオーガの肉片すら残らず、ただ焦げた地面だけが煙を上げていた。

 

 この世界に戻ってきたとしても、彼女は、女教皇(上級職)なのだ。

 

「……あなたなんかよりも、ゴブリンの方が、よほど手強い」

 

 そう、かすかに煙を上げる指先を、ふぅ、と吹き消して、皆に振り返り、思い出したかのように、にっこりと言った。

 

「それはそれとして、ゴブリンを滅ぼしましょう」

 

 まるで、花のほころぶような笑みであった。

 

 

 

 遺跡の入り口まで戻った彼らを待っていたのは、森人たちの用立てた馬車であった。

 

 逃がした森人の連絡を受け、大慌てで迎えをよこしてくれたのだ。

 

 見れば馬車に同伴する森人の戦士たちは、皆が一様に厳重に武装していた。

 

 それだけ、事態を重く見ての兵装である。

 

「お疲れ様でした! 中の様子、ゴブリンどもはどうなり――……?」

 

「あぁ、大丈夫、この子は疲れて寝てるだけだから」

 

 ゴブリンスレイヤーの背で眠る女神官を妖精弓手がそう説明し、言葉少なに馬車に乗り込む。

 

「ゴブリン共は皆殺しにした、討ちもらしはないはずだが、油断はするな」

 

「わかりました! 念のため我々は中の探索に入ります。どうぞ、街まではゆっくりお休みください」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に一礼して森人の戦士たちは遺跡の中へと潜っていく。

 

 一通り遺跡のゴブリンを殲滅し、それでもなお討ち漏らしがいないか探そうとする女神官に鉱人道士が《酩酊》の魔法を使ったのだ。

 

 呪文とは貴重なものである、だが、誰も抗議はしなかった。

 

 仲間に呪文を掛けられるとは思っていなかったのか、女神官はことり、と意識を手放した。

 

 体力的な消耗というのは、さほどではない、彼らとて、銀等級の冒険者である。

 

 だが、冒険の成功を騒ぎ倒して楽しもう、という気にはなれなかった。

 

「…………ねぇ」

 

「……どうした」

 

 自分の肩にもたれかかり、寝息を立てる女神官の頭を撫でつつ、ゴブリンスレイヤーに問いをかける。

 

「この子、いつもこうなの」

 

「少なくとも、俺が会った時からは、こうだ」

 

「……そっか」

 

 ふぅ、とため息をつく。万感の思いが詰まったものであった。

 

「だが」

 

「?」

 

 ゴブリンスレイヤーが妖精弓手へ視線を向ける。どこか、穏やかで、安心したかのような、暖かいものである。

 

「こうして、五人で旅をしていた時は、心から、楽しんでいた」

 

 少なくとも俺は、そう見えた。そう、付け足し、視線を女神官へ向ける。

 

「そっか」

 

 その声は、先ほどと同じ言葉であったが、明るく軽やかなものであった。

 

「それじゃ、またどこかに、ゴブリン退治なんか目じゃないくらい、楽しくて、ワクワクして、見たこともない、刺激的な冒険に出かけましょう」

 

 そう、穏やかに女神官の頭を撫でる妖精弓手の言葉に、ゴブリンスレイヤーは虚を突かれたようであった。

 

「…………そうか……そうだな」

 

 それは、ぽつりと、しかし、しっかりと、自分の中へも染み入るようなつぶやきであった。

 

 



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第三話

 

 

 ――彼女はゆっくりと目を覚ました。

 

 藁のベットから身を起こす。見慣れた、懐かしい天井。

 

 体を伸ばし、四肢の調子を見て、寝間着から着替える。

 

 飾り気のない、だが、清楚でかわいらしいワンピース。かすかな石鹸の香りが心地よい。

 

 鏡の前で身だしなみを整え、よし、と頷く。

 

 最近は、牧場近くで野営が出来ていない。

 

 使徒が彼の横にいるからいい、というのもあるのだが。体が休まるまで夜遊び禁止! と受付嬢から言い渡されたのである。

 

 夜遊び。

 

 まぁ、確かに、連日着替えに戻るだけで朝帰りの日々のようなものであった、そう思われていても仕方ない。

 

 どちらかというと真面目一徹な人生を送っていたので、女神官は素行不良で叱られることなど、初めてであった。

 

 ゴブリンスレイヤーや妖精弓手達からも絶対休養を申し付けられており、彼の退治や彼女たちの探索に付いていくこともできない。

 

 そういう訳で、降って湧いた休日の日々の過ごし方は牧場の様子は使徒任せにして、もっぱら使徒ごしに彼との生活を楽しむか、普通の女神官として教会に顔を出すかの概ね二択である。

 

 炊き出し、布教、懺悔室の聞き手、教導、それらの手が空いても経典の写本をしたりもする。

 

 また、教会を出ても女武道家や女魔術師、そして新米聖女と買い物に出かけたり、食事へとでかけたり。

 

 つまり、やるべきことは中々多くあるのだ。

 

「その、ちょっといいかしら」

 

 そう呼び止めてきたのは神官長である。

 

 ふわりとした長い黒髪とやや垂れ目ぎみの瞳、白い面に泣き黒子が艶めかしい。穏やかで包容力のある肉感的な妙齢の女性だ。

 

「はい、なんでしょうか、神官長様」

 

「……その、勤勉であることは、確かに美徳です、ですが……その、少しは、休みなさい」

 

 彼女は、自分にとって師で、孤児院の頃から目をかけてくれた、母親のような存在でもある。

 

 そんな彼女が、掛ける言葉に困っている、困らせてしまった。そのことに、罪悪感でちくりと胸が痛む。

 

「……はい」

 

「ええとですね、とはいえ、ほら、誰かのためになっていることは確かです、守り、癒し、救う、それは地母神様の教えにもかなうことです」

 

 しゅんとした自分に言い過ぎたとでも思ったか。慌てて言葉をつなぐ。

 

「――でも、あなたが倒れてしまっては、多くの人が悲しむの、それだけはわかっていてね」

 

 気遣わしげに、肩に手が置かれる。

 

「はい」

 

 肩に置かれた手を握り、強く頷く。

 

「―――それはそれとして」

 

「え?」

 

 肩に置かれた手が握られる、がしりと、逃げられないように。

 

 地母神の神官は、よく農作業に従事する、力、とりわけ握力は強いのだ。

 

 そして、張り付けられたような、青筋の立った笑顔。

 

 何か知らないが、不味い。それだけはわかった。しかし、だからといって何が出来ようか。

 

「連日朝帰り、だと聞きました。これはどういうことですか?」

 

「ひっ」

 

 ――――お、親は反則でしょう!? 親は!!

 

 脳裏でイイ笑顔をしている受付嬢にそう抗議の声を上げるが、もちろん届くことはなかった。

 

 

 

 女武道家は荒い息をついた。

 

 死屍累々、同じ一党の聖女も魔術師も、別の一党の巫術師もすでに倒れ伏している。

 

 残るは、自分だけだ、自分がやらねばならない。

 

 敵は強大、いや、それはもうわかっていたことだ。

 

 自分にあるのは四肢と技、それだけだ。

 

 武道家というのは、どこまでいっても、それだけだ。

 

 驚天動地の大魔術。

 

 世界を塗り替える奇跡。

 

 海断つ聖剣。

 

 月を射抜く魔弓。

 

 そんなものはない。

 

 鍛えた体で速く動き、速く打つ、それしかない。

 

 武器は二つ、拳、足。

 

 唯一の呪文は、がんばる、それだけだ。

 

 だが、だからこそ、生まれ落ちたときからずっと共にあってくれた拳足であるからこそ、もっとも心を乗せることが出来る。

 

 信頼をもって、命を預けることが出来る。

 

 だから、迷わない。

 

「ふっ!!」

 

 最高の跳躍、最高のタイミング、間合い、至高の一蹴。

 

 繰り出した本人の心さえ、驚きに染まるような一撃。

 

 話に聞く田舎者や小鬼英雄ですら、無事では済まないであろう飛燕の一撃。

 

「こんな広々とした場所で飛び蹴りなんて自殺行為ですよ」

 

 するりと横に回り込んだ女神官が、女武道家の股下から手を入れ、もう一方の手で後ろ襟をつかむ。

 

 世界が回った。

 

 

 

「いざという時のために、後衛とはいえ護身術訓練をしましょう」

 

 ギルドの新米女子組に、ふらりと、幽鬼のようにやつれた様子の女神官がやってきて、張り付けた笑顔でそう提案してきたのだ。

 

「ふふふ、今の私なら魔神王だろうが屠れる……」

 

 一人大地に立ち、なんかむやみにおどろおどろしいオーラを纏ってそんなことをつぶやく女神官。本当にしそうだ。

 

 ――ただのストレス発散だこれ!!

 

 女武道家は地面に叩きつけられ、大の字になってそう思う、実際には言えないけど。

 

 いや、勉強にはものすごいなったのだ、なったのだが、釈然としない。

 

 レモンがきつめのレモネードをあおりながら、皆で息を整える。

 

 最初は自分と女神官が二人で教師役として他の面々を手取り足取り教えていたのだ。

 

 しかし、気づけば言葉巧みに一対多の実戦形式での組み手に持ち込まれていた。

 

「というわけで、実戦では私たち後衛の呪文使いはいつでも安全とは限りません、無論、前衛顔負けの殴り合いの技術は必要ありません、せめて相手の奇襲を一撃、一撃でいいので凌ぐことが出来れば、一党の前衛がなんとかしてくれる、私たちは一党を組んでいる以上、そう思うべきです」

 

 私たち? 何言ってんのこの人、という視線を受けながらとつとつと語る女神官はかつての自分の国を思い出していた。

 

 ――骨の一本や二本、奇跡で治すから骨折位ありきの訓練でしたもんねぇ

 

 精鋭部隊の話ではない、一般兵の訓練でそれだ。

 

 往時の日々を懐かしみながら、彼女たちの様子を見る、とくに回復の必要はなさそうだ。

 

 ではもう一戦。

 

 

 

 そうして、のんびりとした明け暮れは一か月ほど続いた。

 

 そして、さっくりと勇者が魔神王を討ち果たしたという。

 

 そのため、この町で執り行われる祭典に駆り出されもした。

 

 とはいえ、平穏な日々であった。こんな日々がずっと続けばいい、そう思ったが、なんにでも終わりは来る。

 

「頼みがある」

 

 思いつめた顔の、彼が来た。

 

 

 

「わかりました、殺しましょう」

 

 こくり、と女神官は顔色一つ変えず、頷いた。

 

 全てを話した。自分が住まわせてもらっている牧場に、ゴブリンの物見の形跡があったこと。

 

 百匹程のゴブリンの群れを率いているのはおそらく小鬼王であること。

 

 自分では手が足りないこと。

 

 それでも、殺したい、――いや、守りたい、ということ。

 

 この娘であれば、首を横に振ることはない。

 

 何より最初に彼女の元を訪れたのは、そう、わかっていたからだろうか。

 

 彼女が、いかに強力な呪文使いであろうと、自分と二人で100匹を超えるゴブリンを野戦で滅ぼすのは無理だ。

 

 だから、彼女以外にも助力を請うのは、必要なのである。

 

 いや、もしかしたら彼女であればどうにかできるのかもしれないが、少なくとも術師というものに理解の浅い自分には、無理と判断するしかない。

 

 だから、むしろ最初に行くべきは冒険者ギルドであり、一人でも多くの協力者を募るべきなのだ。

 

 だが、自分はここに来た。

 

 不安、なのだろう。

 

 自分の時のように、誰も来てくれないかもしれない。

 

 ポツンと張り出されたゴブリン退治の依頼に、誰も見向きもせず、どうすることも出来ずに自分と、幼馴染と彼女の叔父さんが死ぬ。いや、幼馴染は死ぬよりも辛い目にあうことだろう。

 

 だから、せめて、誰か、自分の横に立ってくれる味方が欲しかったのだ。

 

 だが、それはつまり。最悪二人きりで死ぬよりも苦しい目に合う、分の悪い戦いに付き合ってくれ、ということだ。

 

 彼女であれば、それが、どれだけ勝算のない話か、分かっているはずなのにだ。

 

 そんなことを、おめおめと頼みに来たのだ、自分は。

 

 そんな自分が、情けなく、あさましい。

 

「そんなに、自分を責めないでください、ゴブリンスレイヤーさん」

 

 いつの間にか、目の前に来ていた女神官がゴブリンスレイヤーの兜を己のつつましい胸元へ抱き寄せる。

 

「私を、頼ってくれて、ありがとうございます」

 

 その言葉が、どれほどのものが込められているか、彼は知らないだろう。

 

「本当に……あなたが私を頼ってくれて、本当にうれしいんです」

 

「……」

 

「きっと……大丈夫です、諦めず頼めば、皆手を貸してくれます、あなたが、ずっと頑張ってきたのは、決して無駄なんかじゃないんです」

 

「それは……」

 

「ゴブリン達を殺して、牧場が助かって、牧場が無事だから、街も平和、きっと、そうなります」

 

 だから、勇気を出してください。

 

 

 

 長い夜が始まろうとしていた。

 

 二つの月が上り、その時は刻一刻と近づいてきた。

 

 思い思いにゴブリンを待ち構える冒険者達、その中に、剣士達の一党の姿もあった。

 

 鉄鉢兜に鉄板が打たれた手甲をつけ抜刀しているのは剣士だ、新米戦士も同じく、鉄鉢兜をかぶり、ショートソードを構えている。

 

 女武道家も手甲に革鎧、開けた場所ということで杖を携えている。

 

 女魔術師にしても、レザーのマントを羽織り、少しは防御力を上げている。

 

「いいか、今回、俺たちは無茶も無理もしない」

 

 その言葉に、一党は頷く。死んだらそれまでだ。

 

 なにせ今回の依頼で一番救いなのは、万が一の時、死体を拾ってくれる誰かがいる、ということなのだ。

 

 それ以外、命の保証すら、無い。

 

 とはいえ、そんなことは冒険者であれば、当然である。

 

「正直、銀等級がぞろりと参加した今回、俺たちが狙うのは田舎者や小鬼英雄なんかじゃない」

 

 それはそれとして、参加するだけ参加して、何も報酬を得ることなく終わっていい、というのであれば、冒険者になど、なってはいない。

 

「大物は、上の等級の人達が出張る、と思う」

 

 それに、一匹は一匹、報酬は変わらない。であれば、効率よく、手堅くいこう。

 

 拾った石で簡単な戦模様をシュミレートしてみせる。

 

「で、そういう大物と上の等級の人との大立ち回りってなると、巻き込まれないように、敵だろうが味方だろうと遠巻きになるから、つまりばらける」

 

 大きな石を二つ置き、小石をその二つから避け、散らす。そして、その一番外側あたりを指さす。

 

 そこに、襲い掛かる、ということだ。

 

「女魔術師は出来るだけ《矢避》を展開してもらって、切り込めそうなところに俺と戦士と女武道家、内二人で強襲、連携優先で、できるだけ切らないで突く。一人は念のため後衛の護衛として残る、面子はその都度、疲れている者が護衛として残る感じで、後、前衛後衛離れすぎないように、お互い注意する」

 

「うん」

 

「任せて」

 

 こくりと頷く女武道家に、女魔術師、新米戦士も新米聖女も緊張した様子だが、しっかりと頷く。

 

「癒しの奇跡は二回、だったよな」

 

「うん、無理すれば、もしかしたら三回いけるかもしれないけど、期待されると困る」

 

「よし、一応、いろいろ水薬は買ったけど、聖女の癒しの奇跡が切れたら、つまり、二回使ったら、もしくは女魔術師の《矢避》が切れたら、もう俺たちは撤収だ、いいな。でもって適当に傷ついた人とか、拾えそうなら拾って帰る」

 

 その言葉に、一党は頷く。

 

 そうこうしている内に、戦端は開かれた。

 

「よおし! 一党の初陣だ! せいぜい稼ぐぞ!!」

 

 気炎を上げて、少年たちは駆け出して行った、それが、駆け出し(ルーキー)の終わりと知らずに。

 

 

 

「ほうほう、まぁ、大体優勢、いや、勝勢、といったところかの」

 

 投石紐を振り回しながらゴブリンを撃ち殺して回りながら、鉱人道士は戦況を評した。

 

 手先が器用な鉱人の操る投石紐は、森人の弓に迫るほどに、精妙にゴブリンを倒していく。

 

「まぁ、そうだろうな、とはいえ、後から後からうじゃうじゃと」

 

 槍使いの視線の先には増援のゴブリン達が見えた。

 

 稼ぎ飽きた、とばかりに槍で肩をトントンとたたき、呼吸を整える。

 

 そうして待ち構えると、視界の端から金色の矢が増援のゴブリン達にもぐりこんだ。

 

「おぉっ!? ちょっと見ねえぞあれは!!」

 

 それは、一匹の牧羊犬だった。牧羊犬はなで斬りにするように、ゴブリンを一匹、二匹と、かみ殺し、ゴブリン達を蹴散らしていく。

 

「ここにいる、ということは、かみつき丸の飼い犬かの?」

 

「かもな、おいおい、おっさんぼさっとしてたら犬に手柄首の数で負けちまうぞ」

 

「はっ、そんな様になるんじゃったら髭を剃った方がましじゃい」

 

 そういいながら投石紐を仕舞い、手斧を引き抜く。

 

「いくか」

 

「いこう」

 

 そういうことになった。

 

 

 

「――――そう、考える事はわかっていた」

 

 必死に脱兎のごとく逃げるゴブリンロードの前に現れたのは、血まみれの冒険者、ゴブリンスレイヤーだ。

 

「間抜けな奴め。大軍は囮にこそ使うべきだ」

 

 吐き捨てるようなその言葉を聞きながら、目の前の男が何をしたうえで自分の前に現れたのか、それはわかった。

 

「お前の故郷は、もうない」

 

「ORGRRRRRRRRR!!!」

 

 ロードは雄たけびをあげて、ゴブリンスレイヤーに飛び掛かろうとした。

 

 しかし、眼前に白い網が広がり、無様に倒れる。《粘糸》の呪文である。

 

 ――何が!?

 

 じたばたともがけばもがくほど絡まってくる魔法の蜘蛛の糸にがんじがらめになったロードは思いつく限りの罵声を上げる。

 

「一」

 

 それも、いつも通りの、ただゴブリンを殺すカウントと共に、ゴブリンスレイヤーの一刀が振り下ろされるまでであった。

 

 完全に息絶えていることを確認し、視線を上げると、闇夜から溶け出るように女神官が姿を現す。

 

「帰りましょう、ゴブリンスレイヤーさん」

 

 そう言って伸ばされる手も、赤く染まっていた。その手を、ゴブリンスレイヤーも血に塗れた手で握る。

 

「ああ」

 

 聞こえてくる喧騒もだいぶ静かになってきた。

 

 夜も、じきに明ける。

 

 その朝の朝焼けの赤は、格別に赤かった。

 

 

 

「私たちの勝利と、牧場と、街と、冒険者と――……」

 

 冒険者ギルドでは祝宴が開かれていた。

 

「それから、いっつもいっつもゴブリンゴブリン言ってる、あの変なのにかんぱーい!!」

 

 妖精弓手の音頭にわっと冒険者たちが歓声をあげて、つぎつぎに盃を掲げ、中身を干す。

 

 完勝、である。

 

 負傷者こそ出たものの、冒険者側に死者は出ず、百匹の小鬼は全滅した。

 

 そして彼は、少々腑に落ちない様子で自分に渡された報酬を眺めていた。

 

 金貨五枚である。はて、ギルドが誰かと戦果を間違えたのだろうか、と内心首をかしげていたところで、受付嬢がやってきた。

 

「お疲れ様でした、ゴブリンスレイヤーさん」

 

「あぁ、この報酬についてなんだが」

 

「はい、ロード一匹、あとゴブリンスレイヤーさんの牧羊犬が仕留めたゴブリンが四匹」

 

「……すまない、もう一度言ってくれ」

 

 わけがわからない、という様子で受付嬢を見るも、あちらもきょとんとした様子だ。

 

「金の毛並みの牧羊犬はゴブリンスレイヤーさんの飼い犬と伺いましたよ? こういった場合、魔法使いの使徒と同じように、飼い主に報酬が行くんです」

 

「……いや、それはわかる、わかるが」

 

 すっごい頑張ってたって聞きましたよ、ちゃんとほめてあげてくださいね。

 

 そう言って、また忙し気に受付嬢は去っていった。

 

 何とも化かされたような気分で、しかしそういうことならば、と金貨を一枚、女神官に渡す。

 

「受け取ってくれ」

 

「ありがとうございます、ゴブリンスレイヤーさん、犬飼ってたんですか?」

 

 ニコニコと報酬を受け取りながらそう言ってくる女神官に頷く。

 

「ああ、先日拾ったんだが……」

 

「そんなに頑張ったんだったら、すっごく可愛がってあげるべきですよね」

 

「ああ……」

 

 なぜか、やたらと圧力のある声であった。もしかしたら犬好きなのかもしれない。

 

「よかったです」

 

 見れば、剣士は酔いつぶれた女武道家と女魔術師にもたれかかられており、戦士も聖女の膝枕の上だ。

 

「ああ」

 

 妖精弓手がいる、鉱人道士がいる、蜥蜴僧侶がいる、受付嬢がいる、牛飼娘もこちらをちらりとのぞいている、槍使いも、魔女も、重戦士も女騎士も、剣士達も、誰一人欠けずに、酒宴を広げている。

 

「大丈夫、だったでしょう?」

 

「ああ……だが、なぜわかったんだ」

 

「だって、私、ゴブリンスレイヤーさんに助けてくれって言われたら、助けますもん」

 

 そして、みんな、そうだったから、今こうしているんです。

 

 そう言って、誇らしげにその薄い胸をつんと張る。

 

「――だから、運なんかじゃないです。絶対」

 

 そう、思いを込めてつぶやき、そしていたずらっぽく言葉をつなぐ。

 

「もっと、ゴブリンスレイヤーさんは自分のことを誇ってください。受付嬢さんに銀等級なんですから。って怒られちゃいますよ」

 

 そう言って、両手の人差し指をこめかみ辺りの横に付け、上に向けてで角を模す。

 

「……そうか……怒られたくは、ないな」

 

 そう、言って、彼は微かに笑った。

 



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幕間 金貨四枚の行方

「それで、何見てたのよオルクボルグ」

 

 何気ない一日であった。

 

 ゴブリンロードとの野戦も数日前のこととなり、冒険者達はまためいめいに冒険へと出かけている。

 

 妖精弓手と女神官、女二人で街中をぶらぶらと、店々を冷やかして回っていたところで、食料品店の前で立ち尽くすゴブリンスレイヤーと出会った。

 

 粗末と言え、完全武装の鎧姿の男が店の前に立っているので、店員はどこか気味悪げな視線を向けてくる。

 

 さすがにこのままでは居心地がわるい、とゴブリンスレイヤーを連れて冒険者ギルドへと移動する。

 

「牧羊犬の報酬を考えていた」

 

 鉱人道士と蜥蜴僧侶を加えた一党総出で彼を囲む。

 

 そうしてゴブリンスレイヤーの言葉に、あぁ、と納得の声を漏らす。

 

「確かにまぁ、犬が金貨をもらってもしゃあないわな」

 

「俺の報酬ではないからな」

 

「それで、何を買ったものか、と」

 

 ふうむ、と蜥蜴僧侶が顎を撫でる。

 

 金貨四枚、これは結構な額だ。上等な餌でも年の単位でもつ。

 

「まぁ、エサはいいもん食わしてやりゃよかろう、あの働きぶりじゃったら世界中の牧場持ちの貴族が、喉から手が出るほどほしがるぞ」

 

 牧場防衛戦でその戦ぶりを見知っている鉱人道士の言葉に他の二名も頷く。

 

「上等な肉でしょうかな」

 

「魚も食べるって聞いたわよ」

 

 銀等級の冒険者が頭を突き合わせて悩んでいることが、犬へのプレゼントである。女神官は苦笑しながらその様子をみていた。

 

 ともあれ、自分(使徒)へのプレゼントで彼があれこれ悩んでくれているというのは、正直いい気分である。

 

 そして、鉱人道士がそうそう、とポン、と手をたたいて言った。

 

「お、そうじゃ、エサの内訳は置いておいて、首輪を買ってやったらどうじゃろうか、あれを野良犬と間違えた近所の人間がつっついたら、ちょっとした刃傷沙汰になるぞ」

 

 ――天啓だった

 

 そんな表情を浮かべてガタッ、と突然立ち上がった女神官に一党がきょとんとした表情を向ける。

 

 神官は正真正銘の《託宣》を受けてもおかしくないので、このような行動はそこまで奇矯な行動ではないのだ。

 

 だが、その後が奇矯であった。

 

「ゴブリンスレイヤーさん!!」

 

「……なんだ」

 

「首輪! 首輪がいいです! 首輪! 首輪で行きましょう!」

 

 若干のけぞりぎみに返事をするゴブリンスレイヤーにがしり、と肩をつかみ爛々と瞳を輝かせて熱く説き伏せる。

 

 取り残された三人も「お前飲ませたか?」、「いや、これお茶よ?」、「珍しいことですなぁ」と妖精弓手が女神官の飲んでいたティーカップに口をつけては顔を見合わせた。

 

 

 

 革細工、それもペット用のもの、となると冒険者ギルドの工房では作るわけにはいかないらしい。住み分けというやつだ。

 

 せっかくだし、とふらふらと一党連れだっての大所帯である。

 

 うち三名は間違いなくいつになく高揚している女神官見たさであろう。

 

 店の壁にずらりと並んだ首輪の数々に目を輝かせる女神官は、確かに滅多にみることのできないものである。

 

 自分の意見を言わないわけではないが、ゴブリンにかかわらない話であれば、基本は非常におとなしく、率先して前に出るということのある娘ではない。

 

「わぁ……、あっ、これも……」

 

 あれこれと目移りしている姿は、年相応の少女であり、とりあえずゴブリンゴブリン言いながら、時として眉一つ動かさずにオーガを消し炭にするような高位の呪文遣いには全く見えない。

 

 何ともほほえましい、気のせいか女神官へ向けるゴブリンスレイヤーの瞳も、優しげである。

 

「しかし本当只人って不思議なところに凝るわねー」

 

 馬具の鐙やら轡ならともかく、森人からすれば理解しがたいことなのであろう。店内を奇妙な目で見まわす。

 

「ま、拙僧もあまり理解はしがたいが、あれほどの忠勇の士、只の野良と間違われて弓矢を射かけられてはなりますまい」

 

 どうやら、お気に召したものがあったらしい。とてとてとゴブリンスレイヤーの元に笑顔で駆け寄ってくる様子は妹か、娘か、

 

「どうでしょう! 似合いますか?」

 

 飼い犬であった。

 

 ニコニコと自分の首に首輪をはめてコメントを求める姿に、全員が唖然としていた。

 

「お、お買い上げで……?」

 

「まて、いや、まて」

 

 今年一番の勇者を見てしまった、そういう目でゴブリンスレイヤーに確認を取る店員は、職務に忠実であったのだろう。

 

 それに対するゴブリンスレイヤーの言葉も、真に迫ったものである。なんというか、切実であった。

 

 残る一党も、「やっぱり酒かの?」、「なんかの《託宣》とか?」、「……気のせいか、今女神官殿に犬の耳が……」とやや現実を受け入れがたそうな様子である。

 

「……っ!?」

 

 三、四拍遅れて自分の奇行に気付いたのか、女神官の顔が真っ赤に染まる。

 

 慌てて首輪をはずし、それでも几帳面に元あった場所に戻して「失礼します!!」と脱兎のごとく逃げ出していった。

 

「……あれに、する?」

 

 ちらり、と妖精弓手が揺れる首輪を指さす。

 

「店を変えよう」

 

 決断的な声であった。

 

 

 

 一日も終わり納屋に戻り、やれやれ、と息を吐く。

 

 なんというか、どっと疲れた。

 

 やや投げやり気に兜を脱いで寝る用意をしていると、やたらおずおずと牧羊犬が寄ってきた。

 

 いつもは牧場に戻れば一目散に駆け寄ってくるのに、珍しい話である。

 

「……来い」

 

 手招きをすれば、牧羊犬はそろそろと近づいてきた。

 

 ごぞごそと雑嚢から取り出したのは、銀の金具の黒革の首輪であった。

 

 首輪にはこの牧場の名前と牧羊犬、という文字だけが刻まれていた。

 

 頭を一撫でして、その首輪をはめる。

 

 金の毛並みに、黒の首輪はよく映えた。

 

「後は……これはリードか」

 

 牧羊犬と顔を見合わせる。

 

「いらんか」

 

 賢い犬だ、それにただの愛玩犬でもない。そう思って棚の奥底に投げ込もうとしたところで切なげな鳴き声が聞こえる。

 

「……いるのか?」

 

 喜色満面の鳴き声、それを聞いてしぶしぶとリードを机の上に置く。

 

「朝の散歩ぐらいなら、つかう」

 

 今日は、振り回されてばかりだ。



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幕間 《幻想》が報われる日

 

 

 

「ゴブリンではないのか」

 

 ――あれ、乗り気なんですか?

 

 かすかに語尾の上がった乗り気な様子に女神官は目をぱちくりとする。

 

 ゴブリン退治が珍しく無い、いや、あるにはあったのだが、剣士の一党や他の新人たちによって依頼が取りつくされたため、ゴブリンスレイヤーの流儀により、手持無沙汰になったのだ。

 

「でしたら皆さんでこれのうち、どれかをお願いできませんか」

 

 そう受付嬢に頼まれたうちの一つが、今手に持っている依頼書である。

 

「へぇ、どんな依頼?」

 

 妖精弓手もいつもゴブリンゴブリン言っている少女が取ってきた依頼ということで、興味深げである。他の二人も似たような様子だ。

 

「ええ」

 

 まぁ乗り気であるのであれば何よりだ、とニッコリと依頼書を皆に見えるように広げる。

 

「――海ゴブリン退治です」

 

 ガクリ、と四人がうなだれた。

 

 

 

 青い海、白い砂浜。青い空、白い雲。視界に広がる水平線に、わあ、と声が漏れる。

 

 振り返れば低くとも横に長い山があり、これに遮られて一山を超えるまでは潮の香りすらしない。

 

 海だ、こちらでは人生初、前回から数えても久しぶりの潮の香りを吸い込む。

 

 蜥蜴人の言うところの全ての故郷、人々にとっての異境、それが海だ。

 

 うわあ、本当にしょっぱい、と靴を脱ぎ捨て波打ち際ではしゃいでいる妖精弓手に目を細め、ゴブリンスレイヤーに視線を移す。

 

「……その、蒸し暑くないですか?」

 

「暑いが、どこにゴブリンがいるかわからん」

 

 いつもの鎧姿でそう言う彼が、視界にある漁村へ向かって歩を進める。

 

「しかし、小鬼殺し殿、海ゴブリンとはどういうモノですかな?」

 

「知らん、だが、ゴブリンである以上殺す」

 

 蜥蜴僧侶の言葉にそう返し、すたすたと歩く。

 

 依頼は漁村の村長から出されたものである。

 

 浜風を受けることを想定してか、低く広い建物が多い。妖精弓手は興味深げにきょろきょろと辺りを見回すし、漂ってくる浜料理の香りに鉱人道士も気がそぞろだ。

 

 そうして、ひときわ大きな家へたどり着き、ギルドからの派遣であると伝えると奥に通された。

 

「いやあ、よく来てくださいました、私が村長です」

 

 そう村長が、ささ、どうぞ、と愛想よさげに野趣あふれる湯呑に入れられた、紫のお茶を出す。豆茶だ。

 

 食道楽の鉱人道士がほう、と興味深げにすすり、意外と香ばしい風味に、ふうむ、と頷く。

 

「それで、ゴブリンだが、数はわかるか? また、わかる限りで図体のデカイものや杖を持ったものなどいなかったか?」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に、ええと、と思案した村長は一人の新米漁師を呼び出した。

 

 浅黒く焼けた肌に短く切りそろえられた黒い髪、意志の強そうな瞳は、なるほど確かに新米であろうとも海で生きる漁師の風格だ。

 

「海ゴブリンは漁をしてる俺らに威嚇してきて、俺たちはさっさと逃げました。でも別の日ですけど漁に出て船ごと帰ってこないヤツもいて」

 

「……漁、というと海の上でゴブリンに出会ったということですかな?」

 

 蜥蜴僧侶の疑問に、新米漁師は頷く。交渉事であれば、一番頼りになるのは彼だ。

 

「はい、まぁあいつらよく泳ぐんで、つってもこっちの漁場にはそうはいってこないんですけど、今年は不漁でちょっとあいつらのいる辺りにまで出張ったんです」

 

「ほう、ということはゴブリンの巣穴が大分前から近くにあるということですかな」

 

「ええ、結構昔から……村長、いつぐらいでしたっけ?」

 

 そう伺ってくる新米漁師に村長も顎を撫で首をかしげる。

 

「そうさなぁ、かれこれあいつらが集落を作って十年ぐらいか」

 

「十年も!? それでとくに被害なくずっと居たのですか」

 

「ええあいつら見目は悪いですが、近寄らなけりゃ特に何も、つってもまぁ、被害も出たわけで、退治してもらおう、ということになったんです」

 

 これは何やら様子がおかしい、と一党が顔を見合わせていると、あぁ、と女神官が口をひらいた。

 

「海ゴブリンは半魚人の蔑称なんですよ、鱗とエラをもった亜人です」

 

 両手をパタパタと顎の付け根につけて魚を模している女神官の様子に新米漁師の目尻が下がる。

 

「……ゴブリンではないのか」

 

 振り上げた拳の下ろしどころに困ったような声であった。

 

 

 

 とりま、一晩明けてからその半魚人の集落の様子を見てみよう、ということになった。

 

 とりあえず泊まる場所として村長の離れを使わせてもらうことになり、魚料理が振る舞われた。

 

「ほうほう、こりゃたまらんの!」

 

 揚げたての白身魚のフライを塩をつけてハフハフとほうばる鉱人道士が白ワインをあおる。

 

 ザクザクとした触感とアツアツの身、それを白ワインで流し込めば、これはもう、いくらでも食えそうだ。

 

「こちらの鍋もいいものですな」

 

 ざく切りにされた野菜と同じくゴロゴロと大きな魚の切り身の入った大鍋を皆でつつく。浜料理特有の濃い目の味付けが、肉体労働を旨とする冒険者にとってはうれしい。

 

「あ、汁はあまりとらないでください、最後にお米とチーズを入れてチーズ粥にします」

 

「なんと!! そういうのもあるのですか!!」

 

 女神官の言葉に幸せな未来を想像してパタパタと尻尾を打ち付け、舌鼓を打つ。

 

「この海藻は初めて食べるけどいいものね」

 

 妖精弓手は妖精弓手で海鮮鍋を避けつつシャキシャキの海藻のサラダを気に入ったらしい。

 

「どうかしましたか? ゴブリンスレイヤーさん」

 

「ああ……」

 

 締めのチーズ粥を食べながらどこか思案気なゴブリンスレイヤーに声をかける。

 

「その海ゴブリンでなく……なんだったか」

 

 ああ、なるほど、思い出す、確かに一回聞いただけでは覚えるのは難しいであろう。

 

「ホモ・ピスケシアンですね。マーメイドが上下で人と魚が半々に分かれているのに対して、こちらは全体の形は人ですけど全身が鱗でおおわれた半魚人、みたいな感じです。理知的で高度な文明を築いた人たちもいるらしいです」

 

 蜥蜴僧侶さんの魚版、が一番イメージしやすいですかね? というとなるほど、と頷く。

 

「お互い刺激せず、やってきた、というのなら、今更なぜ襲われたものがでたのか、と考えていた」

 

「あぁ、確かに、あちらの縄張りに入った新米漁師さんにはちゃんと威嚇で済ましているみたいですし、集落の中でも過激派と穏健派で分かれているとかでしょうか?」

 

 ふうむ、と頬に指をあてて思案する。女神官の推論を聞いてゴブリンスレイヤーも頷く、ありえそうなことではある。

 

「あるいは、また別の要素があるか、だ」

 

 空になった器を女神官は受け取り、洗おうとしたところで戸をたたく音があった。

 

「昼の新米漁師よ」

 

 妖精弓手が見もせずに言うのを聞いて一つ頷く。

 

「はい、今空けますね、こんばんは」

 

「あ、ああ、こんばんは」

 

 はたして、戸の外にいたのは新米漁師であった。周囲をうかがうそぶりをしていたので中に入ってもらう。

 

「何かあのあと、気付いた事がありましたか?」

 

 何かあったら何でもいいから教えて欲しい、とは言っていたので来た事自体には不思議はない。

 

 豆茶を出して、新米漁師の言葉を待つ。

 

「俺、ガキの頃に溺れて、それをあいつらに助けてもらったことがあるんです」

 

 子供たちだけでの舟遊び、うっかり落ちて、波にさらわれ、気付いた時には海中から登ってきた半魚人に抱えられ、浜辺にまで運んでもらったという。

 

「最初は攫われて食われる、そう思って、でも怖くて声も出なかったんですけど、半魚人は普通に浜辺に運んでくれて、「もう無茶すんなよ」って言って海に戻っていって……村長は退治だ、って言ってますけど、村長はこの村の村長だし、そう依頼するのが仕方ないってのもわかるんですけど、その、俺」

 

 村の者として、表立って異議を唱えるわけにもいかず、だからといって何も言わずにすます気にもなれず、その葛藤を抱えたまま、戸を叩いたのだろう。

 

「わかりました」

 

「え?」

 

 己の膝の上に置いた拳を見ながら、少しずつ削り出すように語る新米漁師の手を女神官が取る。

 

 ふと、顔を上げた新米漁師の目の前には膝をつき、真摯な光を讃えた女神官の華奢で儚げな美貌がある。

 

「絶対、とは言えませんが、できるだけ、むやみな衝突にならないよう、頑張ってみます。半魚人さんだって、何か理由があるのかもしれません、ゴブリンじゃないんですから、話せばわかってくれることだってあります」

 

 女に手を握られた経験などなかったのだろう、精悍ながら純朴な新米漁師の顔が赤く染まる。

 

「頼りなく見えますが、こうみえても私も冒険者です、信じてもらえないでしょうか?」

 

 つい、と上目遣いで請う女神官に、がくがくと慌てて痙攣するように首を縦に振り、熱にうかされたように帰る新米漁師を見送り、ふんす、と気合を入れて一党に向き直る。

 

「皆さん、明日も頑張りましょうね!!」

 

「……魔性よなぁ」

 

「……たしかに」

 

 空恐ろしいものを見るかのように鉱人道士と蜥蜴僧侶がつぶやいた。

 

 

 

「んーそんなに殺気立ってるようには見えませんね」

 

 遠眼鏡を下ろして半魚人の集落の所見を述べる。

 

 わ、すごーい、と遠くの景色が間近に見える遠眼鏡にはしゃぐ妖精弓手を横にどうすべきか相談を始める。

 

「一匹位外に出ているのがいれば、そいつを浚って事情を聴くとかできるんじゃが」

 

「居ても海の中でしょうな」

 

「そうですねぇ」

 

 ふむ、さて、と頭をひねる。

 

「……戦う気は、見られないのだな?」

 

「うん、半魚人の戦いがどういうものかよく知らないけど、確かに戦の感じはしないわ」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に半魚人の集落を眺める妖精弓手が頷く。

 

「半魚人がどういう種族か、知らんか?」

 

「そうですねぇ、獰猛で動物的な氏族でなければ基本的に理知的な方々のはずです」

 

 新米漁師の話もある、その可能性は高いだろう、と女神官が答え、それならば、と頷く。

 

「普通に訪ねればいいだろう」

 

「あ、確かにそうですね」

 

 ギョッとした視線がまずゴブリンスレイヤーに集まり、そしてすぐさま女神官へ向いた。

 

 

 

『初めまして、地に生まれ、野を耕し、神に仕えしものです。海神に仕えし司祭の末裔よ、知りたいことがあります』

 

 ほう、と蜥蜴僧侶が目を見張る。女神官の口から出たのは人の身で話し、振る舞うには、おおよそ完璧といって良い、雅やかな鱗言葉(うろこことば)と所作であった。

 

 各氏族との親交も女教皇の仕事の内だ。

 

『へ、へぇ、こらご丁寧にどうも、そんで、聞きたい事っちゃなんだっぺ』

 

 村の入り口あたりにいた半魚人が面喰いつつも精一杯礼儀作法に則って対応する。確かに、理知的な氏族らしい。

 

「ねぇ、なに話してるかわかる?」

 

「拙僧の氏族の言葉とはまた別なれど原初は同じ、ある程度なら」

 

 好奇心の塊たる妖精弓手が興味深げに半魚人と女神官のやりとりを眺め、通訳を蜥蜴僧侶にねだる。

 

「女神官殿の話しているのは源流の鱗言葉、あれを修めているとなれば、鱗を持つ氏族であればほぼ全ての氏族と、また、竜とすら話せましょう」

 

「へぇ、なんでもよく知ってるのねぇ」

 

 それだけ格調高く、上位種でなければ話すことのない言語である。

 

「蜥蜴人であれば、嫁の貰い手に困ることはないでしょうなぁ」

 

 かすかに惜しい、という空気をにじませながらも話の行方を追う。

 

「族長に会わせてもらえるようですな」

 

 そうして、一党はつつがなく腰の低い半魚人に先導されて集落へ入っていった。

 

 

 

『そーなのよー、あたし達もアレには迷惑してるの!! それにあの漁村の人なんて襲ってないわよ!! ちょっと魚取りすぎだからって追い返しただけよ!!』

 

『そ、そうですか……』

 

 族長はずいぶんとフランクな御仁であった。

 

 というかオネエな御仁であった。

 

 筋骨隆々とした半魚人が大きな貝殻を扇代わりに揺らし、くねくねと身をくねらせながら話す様子に女神官と蜥蜴僧侶は内心引き気味であるが、他の三人は半魚人の族長の話し方とはそういうものなのであろう、とややのんびりと事の推移を見守っている。

 

『きぃー、もう、本当、失礼しちゃうっ!! ……あ、アレのことよね……実際アレはアナタたちでどうにかならない?』

 

『ええと、すみません、アレとは具体的にどういうことでしょう?』

 

 どうにも、訛りの強い言葉に必死に意味を拾いながら会話をする。

 

『あらっ? アナタたちまだ、アレを見てないの? アレに只人の乗った船もろとも食べられたのよ、それだけじゃなくって、この海域の魚を無分別に貪り食ってるのもアイツなの』

 

 ぶるり、と思い出して寒気を感じたのか自分の体を抱きすくめ、声を潜めるように話す、筋骨隆々とした半魚人が、である。

 

『――死して腐りながらも貪るサメよ』

 

 そう、つぶやいた。

 

 

 

「と、言うことらしいです」

 

 只人の言葉が分かる半魚人についてきてもらって村長に説明をする。

 

 つまり、原因はともあれ、死んだ巨大鮫がゾンビとなって、とめどない食欲に突き動かされこの海域を食い荒らして回っているというのだ。

 

「……うん、話は分かった……おい」

 

「はい」

 

 村長に声を掛けられた新米漁師が返事をする。

 

「お前、見届けて来い、それで、事が確かに本当だったら、改めて半魚人の集落に詫びを入れに行く」

 

 村長が息を吐く。はぁ、としみじみとしたため息である。

 

「まずは、すまん。あんたらが来てくれてから、うちの村で溺れる人間が減ったのは知っていた」

 

 この世界、魔窟である海に出てする漁は、まぎれもなく命がけの所業である。

 

 そんな稼業をせねばならない理由が、この漁村にもあるのだろう。

 

 それ故に、陰ながら助けてくれている者を、それでも手に掛けねばならない、と決断した村長の胸中はいかばかりか。

 

 そして、冒険者たちに向き直る。

 

「依頼が変わってしまいますが、お願いできないでしょうか、鮫退治を」

 

 答えは、決まっていた。

 

 

 

「しかし実際、どうしたもんかのぉ」

 

 鉱人道士が腕を組む。千年の巨木よりもなお大きい巨大鮫、しかもゾンビ化したものである。

 

 海上、海中で相手にするということは、ともすれば竜を相手取るよりも難しい相手である。

 

「そうですなぁ、投網と銛で村と集落あげての大捕り物……どれほど生き残るかわかりませぬな」

 

 はてさて、あれはどうだ、これはどうだ、と頭を悩ませて歩く、そして、最後尾で、あの、という声があがった。

 

「私の職業……お忘れですか?」

 

 

 

 それは飢えていた、なぜ、いつから、それは、わからない。

 

 ただ、飢えているから、貪る、目に付くから、牙を立てる。

 

 血の臭いを嗅ぐとき、肉が喉を通る時、その飢えは束の間ながら癒された。

 

 足りない、足りない、足りない、もっと、もっと、もっと

 

 身が崩れ落ちようとも、くねらせ、獲物を求める。

 

 食べたい、食べたい、もっと、食べたい。

 

 そうして、血の匂いが漂ってきた。

 

 追わぬ理由はない。

 

 海面だ、何か光っている。水の上だ。

 

 それはそれとして、いっぱい、肉があった、それを片っ端から貪る。

 

 光が強い、暖かい

 

 暖かい

 

 あぁ

 

 もう、いっぱいだ

 

 

 

 獲物を貪るのに我を忘れていたサメのゾンビは《聖光》を浴びて、ほろほろと崩れ去っていった。

 

 気を利かせた半魚人が海へ飛び込み、鮫の頭部の骨に縄をかけてくれたので、引きずりあげた。いい証拠となるだろう。

 

「すげぇ……」

 

 新米漁師の口から、感動の声が漏れる。その神々しい光景に自然と涙が流れ、手はおのずからあわされていた。

 

 行ったことは単純である。撒き餌をし、つり出された鮫を《水上歩行》で海上に待機していた女神官が《聖光》で浄化したのだ。

 

 一党の中では目つぶしの呪文扱いされているが、本来は神官がほぼ最初に習う、れっきとした浄化、退魔の奇跡なのだ。

 

 その光が収まるまで、彼は手を合わせていた。

 

 

 

 その後は、つつがなくことは進んだ。

 

 サメの大顎は漁村に運ばれ、全ての元凶はサメの亡者であること、新米漁師たちが半魚人に追い立てられたのは、サメから逃がすための警告であった、と村長が村人たちに説明を行った。

 

 村の中にいたらしい半魚人排斥派もこれでしばらくはおとなしくなってくれる、と胸をなでおろしていた。

 

 村長は村長で、いろいろとあったらしい。

 

 新米漁師は、何度も何度も女神官に礼を言っていた。

 

 そうして、今自分たちは帰り道、旅の空の下だ。

 

 なんていうことのない、普通の冒険の旅路は、歩きだ。

 

 だから、この一件は、正しく、冒険であったのだ。

 

「ゴブリンスレイヤーさん」

 

「どうした?」

 

「どうでしたか?」

 

 楽しかったですよね? とその瞳は雄弁に語っていた。

 

 困ってる半魚人さんと、漁村の漁師さんの間をとりもって、

 

 お魚をいっぱい食べてる悪い怪物をやっつけてミッション成功!

 

「……ゴブリンがいなかった……」

 

「物足りませんか?」

 

 くるり、と探るような瞳が向けられる。

 

「……いや、せっかくの冒険だ」

 

 ゴブリンが居ないに、越したことはない。

 

 その言葉に、女神官はわぁ、と大きく口を開けた。

 

 

 



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第四話

 

 

 

「それでさ、今回の冒険は、どうだった?」

 

 きらきらと目を輝かせて、牛飼娘は彼の傍へ身を寄せた。

 

 ふわりと、甘い牛乳のような香りが漂う。

 

 彼は殊の外素っ気ない声で、言った。

 

「ゴブリンは居なかった」

 

「へえ」

 

 珍しい、とまじまじと彼の横顔を眺める。

 

「あと、サメがいた」

 

「サメ」

 

「ゾンビだった」

 

「ゾンビ!?」

 

 なにそれもうちょっと詳しく! と彼女は彼に飛びついた。

 

 豊満な肉体に組み付かれ、彼はしぶしぶと作業の手を止めた。

 

 柔らかな香りで、辺りが満たされる。

 

「海の、漁村だった」

 

 武骨な語りだしであった。

 

「うん」

 

「近くには半魚人の集落があって、つかず離れずの距離で生活していた」

 

 一つ一つ、心の中に刻まれたものを改めて書き記すような声である。

 

「うんうん」

 

「不漁が続いていて、漁師が半魚人の縄張りに入った、そして追い散らされた」

 

「うわ、大丈夫だったの」

 

「死人はでなかった、だが、別の日には海に出て船ごと消えてしまう漁師もいた」

 

 ああ、よかった、と息をついたところで、うわ、と声が上がる。

 

「それで、村から半魚人の退治の依頼が出された」

 

「ね、サメは?」

 

 話すたびに、耳に息がかかる。その甘やかな匂いを振り払うように、言葉をつづける。

 

「もう少し先だ……それで、村長の所へ行って、村の若手に話を聞いて、次の日に半魚人の集落へ行った」

 

「え、大丈夫なの?」

 

 柔らかな重さの先から、鼓動が聞こえる、とくとくと早く脈打ち、彼の話に聞き入っているのが伝わってくる。

 

「女神官が、半魚人達の言葉を知っていた。それで半魚人の族長からサメが死んでなお彷徨っている、と聞かされた」

 

「……ふぅん」

 

 声が尖り、腕がさらに締め付け体が押し付けられる。

 

「後は、村長に事情を説明し、とにかく餌をかき集め、船からまいた餌でおびき寄せた、そうだな、この納屋二つ分ぐらいのサメを、女神官の奇跡で祓った」

 

「おぉ……」

 

 一転して素直な感嘆の声、もともと素直な娘なのだ。

 

「あとはそのサメの頭の骨を確保して、村人にサメが原因だったと村長が説明して……それで終わりだ」

 

「よかったー」

 

 めでたしめでたしだねー、と力を抜いてもたれかかる。腹を彼の背に付け、太ももを寄せ、肩に顎を乗せ、ちらりと彼の顔を見る。

 

 すう、と息を吸う、汗と埃と、いろいろな薬品の臭い、彼の匂いだ。

 

「ねぇ」

 

「なんだ」

 

「冒険、してるね」

 

 冒険者に、なりたいのだと、思う。彼の想いだ。

 

「……あぁ……そうだな」

 

「ふふー」

 

「……なんだ」

 

 頬を寄せ、わしゃわしゃと頭を撫でる。

 

「よかった」

 

 それは、彼女の心からの言葉であった。

 

 

 

「報酬は一人金貨一袋。来るのか、来ないのか、好きにしろ」

 

「行きます」

 

 どっかとギルド内の酒場の席に腰を据えたゴブリンスレイヤーは、そう言って締めくくり、女神官がやや不機嫌そうに、しかし即座に手を上げた。何故か、空いた手は薄い胸元をぺたぺたとしている。

 

 何やら昨日の晩ごろから機嫌が悪かったが、いくらかは朝になったら機嫌がよくなっていた、と思ったのだが、と長耳をピコピコさせながら、「全くこの二人は」とため息を吐く。

 

 蜥蜴僧侶は尻尾を振ってチーズに噛り付いて、ごきげんな昼食をとっており、

 

 鉱人道士もまた、チョッキの裏地に宝石を縫い付けるのに忙しい。

 

「放っておいたら、二人で行くでしょ?」

 

 「当然だ」、「ええ、まぁゴブリンですし」という言葉に、妖精弓手が顔に手を当てて、やれやれと息を吐く。

 

「ま、わしらに『相談』するだけ大分ましじゃろ、二人とも」

 

「甘露、甘露。……うむ。良き傾向でありましょうな」

 

 お互いの手元を勧めながら事の推移を見守る、といっても、決まったようなものだ。

 

 

 

 水の都

 

 辺境の街から広野を東へ二日ばかり行ったところに、その古い街はある。

 

 鬱蒼と茂った森の中、多くの支流を従えた湖の中州にそびえ立つ、白亜の城塞。

 

 神代の砦の上に築かれたこの町には、その立地から多くの旅人が集う。

 

 船が行き交い、商人と品物で溢れ、様々な言語が入り乱れ、混沌かつ華やか。

 

 ここは中央の西端、辺境の東端。水の街は近隣で最大の都市だった。

 

 法を司る神の象徴が、城門には刻まれていた。

 

「あー……お尻、いったーい……」

 

 長く馬車に揺られて強張った体を解すように、妖精弓手が大きく伸びをする。こっそりと自分も薄い尻をなでる。

 

 様々な料理が、鼻孔をくすぐる。

 

 様々な売り手が、思い思いの売り口上をあげている。

 

「さて、では依頼人のもとへ行きましょうか」

 

「ああ」

 

 そうして妖精弓手を先頭にして法の神殿へ向けて歩き出す。

 

 道行く人の洒落た衣服を見ながら、ふと自分の神官服をみて、ちらり、と彼に目をやる。

 

「居そうですね」

 

「ああ」

 

 そのやり取りに残りの三人が奇妙な顔をする。

 

「ゴブリンどもに狙われた村と、よく似た空気だ」

 

「……空気?」

 

 鉱人道士が訝しげに、その丸い鼻を鳴らした。

 

 彼には、都市の生活の匂いしか嗅ぎ取れない。ゴブリンの巣穴のような、刺すような刺激臭は感じ取れない。

 

 よぉわからん、と鉱人道士がいい、妖精弓手がからかう、それを蜥蜴僧侶がいさめる、いつものことである。

 

 そうして至るのは白亜の大理石をふんだんに使った壮麗な社。

 

 天秤と剣を組み合わせた意匠の掲げられた、法と正義、光と秩序の神殿。

 

 待つのは、剣の乙女、彼女だ。

 

 

 

 法の神殿を訪れる者は、多い。

 

 人の世で司法を兼ねる法の神殿が求め続けられるのは、致し方ないことである。

 

 そのため、どうしても古巣である地母神の神殿よりは、思いつめた人間や表情を曇らせた人間が多い。

 

 そうした人々で満たされている待合室を抜けて、神殿の奥へ奥へと歩いていく。

 

 礼拝堂は、神殿の最奥にあった。人影は粛々と祈りを捧げる一人の女性以外いない。

 

 どうしても、寂しいな、と玄関を開けてすぐに礼拝堂のある地母神の神殿と比べてしまう。自分はあちらのほうが神官と信徒が垣根無く交流できて好きだ。

 

 彼女が不意に顔を上げる。自分たちの到来を聞き取ったからだろう。

 

 豊満な肉体を覆い隠す薄い白衣。陽光にきらめく金の髪。

 

 その目元が黒い帯で覆われているが、それがまたなお神秘的な雰囲気を醸し出している。

 

「――――?」

 

「すみません、お祈りの所、突然に、ほら、ゴブリンスレイヤーさんも」

 

「急ぎの仕事だ。入って構わんのなら、待つ意味がない」

 

 思ってたけど、オルクボルグ、わりとせっかちよね、とわいのわいのと騒ぎ立てる一党へ女が顔を向ける。

 

「あら、まあ……どなた?」

 

「ゴブリン退治に来た」

 

 穏やかな微笑と凛とした良く通る声に、ゴブリンスレイヤーは淡々と言い放った。

 

 礼拝堂の陰から側仕えの女性が近づいてきて彼女に椅子を差し出し座らせる。高位司祭に付き従う随行神官であろう。

 

 肉感的な臀部が固い椅子に収まりきらず、形を変える。

 

 ふぅ、と息を吐くだけで、その肢体がなまめかしく姿を変える。

 

 相も変わらず、目に毒な姿である。

 

「お会いできて、光栄です」

 

 錫杖を立て、空いた手は腰へ、ぺこりと頭を下げる。

 

「戦士様に……それに、可愛らしい女神官様に……」

 

 眼帯を超えて、彼女の視線が撫でていく。

 

「そして、こちらの方々は?」

 

「うむ。一党の同胞でありまする」

 

 その独特の呼気で蜥蜴人と辺りを付けたのだろう、視線が少し上がる。

 

「恐るべき竜を奉じる身なれど、拙僧も及ばずながら、力をお貸ししましょうぞ」

 

 奇怪な手つきで合掌するしぐさは、堂々たるものだ。

 

 礼節を尽くす、その意思を見せる。これが大事である。剣の乙女は微笑を崩さぬまま宙に指を走らせ、十字を切る。

 

「ようこそ、法の神殿へ。歓迎いたしますわ。鱗の生えた僧侶様」

 

 一方、妖精弓手と鉱人道士はぺこりと黙礼すると、天蓋の絵図について、囁き合っている。

 

「ふふ。……冒険者らしい、方々ですね」

 

 五者五様の姿を大司教は薄い笑みを浮かべる。

 

 男であれば、ふと、一歩踏み出して、そしてその先にある底なし沼へ踏み外してしまうような、そんな笑みだ。

 

 その沼は、溺れる者に幸福な笑みを浮かべさせる、そういったものだ。

 

「――」

 

 その姿を、女神官は静かに眺めていた。

 

 

 

「もし……」

 

 事件のあらましを聞き、一党の仲間たちは先に出て行った。

 

 二人残される形となった所で、剣の乙女が女神官に声をかけた。

 

「なにか?」

 

 立ち止まった女神官が首をかしげる。

 

 どこか、戸惑った様子で、朱い唇に付けられていた指が離される。

 

「あなたは……どこかでお会いしたことが、あったかしら?」

 

 ぴくり、と体が動く。盲いたその目は時に、光を映す目よりも真実を映す時がある。

 

 彼の死後の彼女は、見るに堪えないものであった。

 

 救いの後の絶望、それは自分のように復讐に身を焦がすことが、まだ幸福である、と悟らされる有様であった。

 

 盛大に弔われる彼女の虚しさを知るのは、自分だけだ。

 

「……かつて、お姿を」

 

 《看破》を使用されていることを前提とした、どうとでも取れる受け答え。しかしそれは、隠していることがある、という証左でもある。

 

「――ごめんなさい、呼び止めてしまって」

 

 しとり、と布が水にぬれるような声であった。

 

「……失礼します」

 

 立ち去る少女を、女は静かに見送っていた。

 

 

 

 ――――水の街の地下は、もはや完全にゴブリンの巣窟と化していた。

 

「迷宮都市の冒険者なぞは、これが日常だと聞きますがな」

 

 延々と続く探索行に、蜥蜴僧侶が愚痴を漏らす。

 

 無理をしないことと、油断しないこと、それを延々と続ける日々。

 

 それにすら、慣れている様子の女神官を鉱人道士はちらりとみやる。底知れない少女だ。

 

 穴倉は自分たちの領域だが、あのか細いなりでよくもやる、と感心する。

 

 術も使えば、世辞にもたける、その上、右腰に指している山刀だって、いっぱしにつかう。

 

 柄を背の方に向けて指しているのは、一見使いずらそうであるが、何か理由があるのだろう。

 

 その首にある札も、まだ白磁だ、オーガ等、居なかったことにしてくれ、と頼まれた。

 

 どうやら、名声は欲しくないらしい。

 

 雨がこの地下の迷宮を打つ中、雨具を羽織って、円陣を組む。

 

「お腹、からっぽじゃ調子が出ませんから」

 

 簡単なものですけど、といそいそとカバンから出したのは堅く焼いたパンだ。噛むとふわりとした甘さ、これは蜂蜜か、砕かれたナッツに、干した果物、上等な料理だ。

 

 添えられたのは酢漬けの刻んだ青葉で、これも「疲れに効きますから、どうぞ」ときた。

 

 水で薄めた葡萄酒はさっぱりとして、口の中の粉っぽさ、酸っぱさを取り除いてくれる。

 

「やっぱりの。耳長娘よ。お前さんにゃ、こういうとこも足らんのだ」

 

「む、む、む……!」

 

 反論のしようもない。

 

 まぁ、とはいえ恋敵として、これはもう相手が悪いだろう、と耳長にめったにない同情を寄せる。

 

 気立てよく、胆力もある。地母神の加護に厚いとなれば、子宝にも恵まれよう。

 

 儚げな外見は守りたい姫でありながら、手間がかからない質実剛健。

 

 それこそ、ゴブリンゴブリン言っていることと、強い酒が苦手なことぐらいしか、弱点らしい弱点がない娘だ、いや、後者は只人からすれば、むしろ、それがいいのかもしれない。

 

 自分の横で、あの意思を秘めた表情が、赤い顔をしてとろり、と表情をとろけさせられて、もたれかかれでもしたら、目尻の下がらない男はそうそうおるまい。

 

「川魚の揚げ物、仔牛の肝臓と葡萄酒の炒め煮」

 

 かつて食べた料理の名前を先にあげられ、ゴブリンスレイヤーに視線をやる、他の者も珍し気に視線を向ける。

 

「ここへ行くと言ったら、教えてきた」

 

 はてさて、誰だろう、と答えの出ない謎に頭を巡らせ、

 

「む……」

 

 休憩は終わった。それとほぼ同時に、少女も荷物をまとめ始める。

 

 はたして、やってきたのは粗雑な船に乗って来たゴブリンである。

 

 こちらを見つけた小鬼どもはにやり、と醜悪な顔を更に歪ませ、めいめいに手製の弓を引き絞り、

 

「《雷、収束、貫通(ZAP)》」

 

 爆音とともに、白い光に飲まれた。

 

 一直線でのこのことやってきたら、そうもなろう。

 

 こりゃあ、浮気もできんわな。

 

 内心で首をすくめつつ、用意していた触媒をカバンに戻す。

 

「さて、お次は何かしらね」

 

 妖精弓手の言葉に答えるように、水音が近づいてきた。

 

「退くぞ」

 

「はい」

 

 只人二人がそう言った瞬間、濁った河をかき分けて、巨大な顎が飛び出した。

 

「AAAAAARRRIGGGGGG!!!!」

 

 沼竜、竜とはいうが、実態は蜥蜴の仲間。伝説に語られる類ではない。

 

 一党は蜥蜴僧侶と妖精弓手を先ぶれに、迷いなく駆けていく。

 

 只人二人が続き、種族的な手足の長さの関係で、どうしても速さでふるいをかけると鉱人が最後尾にくる。

 

「おい、耳長! お望みのおかわりじゃぞ!」

 

「冗談! 鱗づきあいがあるほうがいいでしょ!」

 

「さて、生憎と拙僧、出家してよりこちら、親戚づきあいもないもので」

 

「ええい、坊主ならたまにゃあ郷里に帰って先祖を供養せんか!」

 

「なにぶん、遠方でしてなぁ」

 

 そして長い尾を一はらいして鉱人道士を巻き上げ、担いで走る。

 

 蜥蜴人特有の瞳が、ぐるりと妖精弓手に向く。

 

「第一、あのような長虫は拙僧の親戚におらなんだよ、斥候殿」

 

「ほ! こりゃ楽で良いわ!」

 

 そうして、しばらく蜥蜴僧侶が地図を確かめながらするするとかけていく。

 

「前から来ます!」

 

 女神官の凛とした声、前から響いてくるのは先ほども聞いた水音だ。

 

「……またゴブリン?」

 

 やれやれ、と弓をつがえる妖精弓手に、ゴブリンスレイヤーは角灯の火を消す。

 

「……おい。この先に脇道はあるか?」

 

 

 

 白沼竜に襲われるゴブリン達の声を聞きながら、これからを相談する。

 

 術もある、矢もある、装備もさして損耗はない、体力だってさっき小休止したばかりだ。

 

 別段、一戦や二戦、まだまだいけるであろう。

 

 だが、それはもう危ないのだ。

 

「一旦撤退する」

 

 そう言い切ったゴブリンスレイヤーはこう続けた。

 

「この小鬼禍は、人為的なものだ」

 



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第五話

 

 

「ふぅ……」

 

 蒸し風呂で、冷え切った体を包む暖かな湯気に抱かれ、女神官は息を漏らした。

 

 美しい白亜石の大広間がまるごと蒸し風呂、という大浴場で、探索の疲れを体から抜き去っているところであった。

 

 浴槽神へ礼拝し、ほの甘い香りの湯烟りで満たされた広々とした浴場を独り占めにする。

 

「くぁっ……」

 

 せっかく誰もいなのだし、と巻かれたタオルをイスに掛けて床に膝をつき、両手を床にまっすぐ伸ばし、犬のように伸びをする。

 

 神官衣と鎖帷子で守られた透き通るように白い肢体が蒸気で湿らされ、疲れと汚れが溶け落ちていくのを感じる。

 

 湯桶に漬けられた白樺の枝(ヴィヒタ)で自分の体を一通りたたく。

 

「皆、来れば良かったのに……」

 

 妖精弓手はそもそも浴槽の空気、精霊のありようというものが苦手らしく、逃げられてしまった。

 

 鉱人道士や蜥蜴僧侶は夜の街に珍味と美酒を求めて繰り出していった。

 

 そして、ゴブリンスレイヤー。

 

 彼はといえば『手紙を送る』などと言って、早々に姿を消した。それを目ざとく見つけた妖精弓手は『あっ、私もついてく!』と消えていった。

 

 ため息をつき、くたり、と長椅子に寝そべる。

 

 ふとした時に、心に渦巻く不安は、こういう時にこそ、鎌首をもたげる。

 

 いくらかは、自分は上手くやれているのだろうか。

 

 かつての今にくらべ、力はある。だが、それだけだ。

 

 ゴブリンは滅ぼすべきだ、だが、彼をまた失ってまで、なすべきことではない。

 

 だが、彼が命を落とす前に、ゴブリンを滅ぼすのは無理だ。

 

 それでも、ああ、何とかしなければ。

 

 また、私は失う。

 

 そうしたら、今度こそ、耐えられない。

 

「どうすれば、良いんでしょう……」

 

「何が、ですの?」

 

「ひぁっ!?」

 

 そのつぶやきに、湿った柔らかな返事があり、思索の靄は吹き消える。

 

 思わぬ隙を突かれ、跳ね上がらんばかりに見上げた視界に飛び込んでくるのは――売れた果実のように豊満な、美しい肉体。

 

「ふふ、そんな風にしていると、のぼせてしまいますわよ? …………あ、あの?」

 

「うわぁ……」

 

 重い、そして柔らかい。

 

 目の前の弾力のある豊満なそれに思わず手を伸ばし、その感触を確かめることしばし、目隠し越しのとまどいげな視線と言葉に我に返る。

 

「す、すみません!? 考え事をしていて……」

 

 慌てて手を離し、目前に佇む剣の乙女に頭を下げた。

 

 彼女は「構いません」と、生娘のように胸元をかき抱くように細腕を巻き付け、首を横に振る。

 

「……ただ、少し驚きました」

 

 ですよね! と内心思いながらペコペコと頭を下げる。前回もこうであったろうか、と思い返すがおそらく違うはずだ。

 

 しっとりと蒸気に濡れた姿は、とろけるように甘やかで、女の自分であろうと心が吸われる。

 

「……可愛らしい女神官様、年月を経た司教様」

 

 ぴくり、とその言葉に動きが止まる。

 

「あなたと、また、お話をしたいと思っていたの」

 

 すらり、と女神官の横に座った剣の乙女がその繊手で女神官の肉付きの薄い太ももを撫でる。

 

「ひゃいっ!?」

 

 思わず逃げ出そうと思うも、すでに逆の手が腰に回されており、逃亡は失敗に終わった。

 

「……本当に、若くて瑞々しい体」

 

 その息を吸うだけで、のぼせそうになる。

 

「あ、あの、えっと?」

 

 その美貌が首筋に寄せられる、そしてまるで味見するかのようにその形のいい鼻を一鳴らしして、

 

「ひゃっ!?」

 

 本当に、舐められた。

 

 朱い舌が、朱い唇の中にしゅるりと収まる。蛇、いや、彼女は鰐か。

 

「私の見える貴女と、こうして感じる貴女とで、全然ちがうの、どうしてかご存知?」

 

「い、いえ……」

 

 悦楽の沼に巣食う白い沼竜。であれば、自分はその泥濘に溺れて蕩ける子犬か。そして、その鰐の口が開き、

 

「嘘」

 

 《看破》だ。

 

 ぴしゃりと言い捨てられたそれに、冷や水を浴びせられたような気持になる。

 

「不思議な方」

 

 太ももを撫でていた手が、するりと登り始める。

 

「私を、憐れんで下さる、でも、同情? 同病相憐れむ? きっと、私の身を知ったうえで、それとはまた、別の事なのですよね?」

 

 するすると動く手、多くの切り傷の浮き出たその体は、まるで鱗に覆われた蛇のようだ。

 

「……はい」

 

 これは、多頭の蛇だ。伝説に語られたそれが、全ての嘘を見抜く幾つもの目が、幾つもの口が、自分を取り囲んでいる。

 

 沼竜の主が、それよりも矮小なわけもない。

 

「優しい方」

 

 ぽつりと言い、腰に回された手が、ゆるゆると螺旋を描くように腹部を撫でる、いや、撫でているのはさらにその内、女の胎だ。

 

 それだけで、体の力が抜けて、彼女に身をゆだねたくなる。

 

「ゴブリンスレイヤー、と仰いましたか……。頼もしい、御仁ですわね」

 

 熱にまかれ、そして冷や水をかぶせられ、そしてまた熱で蕩かされる。耳へそっと舌で流し込まれるように囁かれた声に、また意識が靄に閉ざされる。

 

 彼の姿は、いつだって自分に勇気をくれる。

 

 それを見て、また彼女は嫣然と微笑む。

 

「好いて、いるのですね」

 

「はい」

 

 でも、と彼女は濡れた唇で、甘く呪うように前置きした。

 

「きっといつか、消えてしまうのでしょうね、彼も、貴女も」

 

 その言葉に、息が止まる。

 

 あの時が、フラッシュバックする。

 

 都合がつかない、でもゴブリンはいる。

 

 また、今度、いっしょに行きましょう。

 

 そう思って見送った姿が、最後だ。

 

 あっけない最期だった。

 

「……」

 

 過去の恐怖に竦む小娘、それは彼女にしても見慣れた姿であったのだろう。

 

 自分のような過去を、掘り当てた、それに蛇のような笑みを太くする。

 

「そうかもしれません」

 

 目隠し越しに、彼女を見返す。青い瞳が、鋼の意思を帯びる。

 

 そしてぐっ、と剣の乙女を引き離し、でも、とつぶやく

 

 自分でも、信じきれない、だが、心に抱かねばならない言葉を吐くとき、人は虚空に飛び込むような気持になる、今がそれだ。

 

「私は、彼を失いません」

 

 這いまわる蛇を噛み殺すように、誓う。

 

「何をしても、必ず」

 

「――怖い、方」

 

 

 

 地下墳墓、これまで探索していた都市下水とは様相を異にした、複雑にねじれ、折れ曲がり、分岐点も多く、さながら迷宮の様を呈しているものであった。

 

「怪物どもを迷わせ、死せる戦士たちが脅かされんように、という計らいじゃな」

 

 感嘆の息を吐きながら、鉱人道士は仲間たちにそう説明した。

 

 これほど見事な石造りの回廊は、鉱人の石工でも、容易に築けるものではあるまい。

 

「妄執にとらわれ、亡者となって徘徊するでは、実にむごい最期だからの」

 

「輪廻からも外れるわけでありますからな。しかしてすでに、ここは小鬼の手に落ちた」

 

「……」

 

「地図を描くのが生半な事ではない。各方、気を引き締めてかからねば……女神官殿?」

 

「あ、ごめんなさい、少し考え事を」

 

 思い出されるのは目の前に広がる毒ガスの罠のある部屋である。

 

 その罠自体は、どうとも凌ぐことが出来る。

 

 だがその後の流れを思い出すと、それだけで心の臓を握られるような思いだ。

 

 小鬼英雄の致命的な一撃を受けて、捨てられたような人形のように地面に倒れる。

 

 あの時は辛うじて九死に一生を得ることができた。

 

 だが、今もまた幸運が微笑むかはわからない。

 

 サイコロの目は、神ですらわからないからだ。

 

 意を決して、ゴブリンスレイヤーが蹴り開けた玄室の扉を潜る。

 

「あれ、見て!」

 

「……!」

 

 幾つもの石櫃が並ぶ、がらんとした玄室の中央。

 

 薄暗い中に、松明の光で辛うじて浮かびあがる影。

 

 晒し者にするように、大きく両手両足を広げた誰かが縛り付けられていた。

 

 ぐったりとうなだれたその人物は、長い髪をした女、の皮を被せられた死体だ。

 

 ゴブリン達の用意した餌である。

 

 であればこそ、女神官はあえてその餌に乗ることにした。

 

 機先を制して、小鬼英雄に退かれて潜まれても面倒である。

 

 ここで、始末する、そういった腹積もりであった。

 

「……行きますね」

 

「仕方あるまい」

 

 死体に駆け寄り、呼び掛ける。

 

 そして、奇跡を呼びかけるふりをしつつ、その死体に触れて、その偽装を示す。

 

「罠です!!」

 

 そう叫んだ瞬間に、勢いよく音を立てて進入路が閉ざされる。

 

 室内に放り捨てられた楔が、からからと小馬鹿にしたように転がる。

 

「ぬぅ……!」

 

 すかさず蜥蜴僧侶が突進し、方から体を叩きつけるが、びくともしない。

 

「これはいかぬ! 閂を掛けられたか!」

 

 それに無駄なあがきだと、石壁の向こう側から甲高い嘲笑が響き渡った。

 

「蜥蜴僧侶さん! 魔法で閂を開きます! その前に竜牙兵を!」

 

「心得た! 《禽竜の祖たる角にして爪よ、四足、二足、地に立ち掛けよ》」

 

「……挟み撃ちを避けたい、塞ぐ手立てはあるか?」

 

「そいなら土の精霊もそれなりにある。《霊壁》でも造るか」

 

 鉱人道士は触媒の詰まった鞄を探り、次いで足元の床を掌で撫でる。

 

「なら、それだ」

 

「では、私は出たところで《聖壁》を、後方の守りは任せてください」

 

「頼む」

 

 立て直しの早さは、なるほどまさに銀等級、手早いものだ。

 

 金糸雀が鳴き出し、なるほど、と一党も頷く。何の手立てもなければこれは一網打尽であったろう。

 

「《開錠》」

 

 錠とはつまり、絡繰り仕掛けの小型の閂である。つまりは、重厚な閂とて、この呪文の前には意味をなさない。

 

 がこり、と音がするなり、蜥蜴僧侶と竜牙兵、そしてゴブリンスレイヤーが飛び出し、妖精弓手が続いて飛び出す鉱人道士を助けるように、木芽の鏃を矢継ぎ早に射かける。

 

「《土精や土精、風よけ水よけしっかり固めて守っておくれ》!」

 

 念じて唱え、たちまち巻き起こる砂埃。

 

 鉱人道士は続けて子供の玩具のような石壁を床へと放った。

 

 と、それは見る間に大きく盛り上がり、堅固な土壁へと転じたではないか。

 

 土壁を背に躍り出た一党にゴブリン達の悲鳴が上がり、しかし、後方から浴びせられる怒号にゴブリン共は戦線を維持する、隆々とした筋肉をさらに鎧で覆った小鬼英雄だ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 地母神の加護は堅固な城壁となって戦場に現れた。その守りの堅さを知る妖精弓手と鉱人道士は城壁に陣取る弓兵のごとく、泰然と己の武具を振るう。

 

「派手に暴れろ」

 

「心得た!」

 

 一党の頭目の指示に従い小鬼の群れに飛び込むのは蜥蜴僧侶、その肉体を十全に生かし、旋風颶風のごとく縦横無尽にその四肢一頭一尾、これらが当たるを幸いと繰り出される様は、強烈だ。

 

 戦場の推移を見ながら、ポーチから毒の塗られた鏃を取り出す。

 

 ゴブリンスレイヤーが小鬼英雄の後ろまで回り込み、不意打ちをかける。

 

 しかし、敵もさるもの、間近に居たゴブリンを突き飛ばし、盾とする。

 

「OROAGA!?」

 

「む……!」

 

 ゴブリンスレイヤーはすかさず剣を引き抜き、次の攻撃へと備える。

 

 不意討たんとした冒険者の存在を、小鬼英雄の薄汚い黄色の目が捉え、口元に歪な笑みが浮かぶ。

 

「GROOORB!」

 

 そして下から掬い上げるように、その剛腕が棍棒を振り回し、

 

「《矢! 必中! 射出!(SCR)》」

 

 《聖壁》が消え、戦場を切り裂いて必中の魔の毒矢が延髄に突き刺さる。

 

 その巨体が、ふつりと糸が切れたようにどう、と倒れる。

 

 ゴブリンスレイヤーがその技をなした術者である女神官に目をやると、よかった、とこちらに微笑み、安堵の息を吐き、

 

「――っ!!」

 

 後ろの土壁から這い出てきたゴブリンの刃が、その身に突きたてられた。

 

 ほんの、一瞬の隙(ファンブル)であった。

 

 矢が小鬼英雄を射抜いた一瞬、最悪の未来を避けることが出来たという、彼女からすれば最高の安堵、ふと気の抜けた、常であれば存在しなかったであろう、一瞬。

 

 誰であれ、死ぬにはそれで充分だ。

 

 声にならぬ声をあげ、ゴブリンスレイヤーが手あたり次第切り付けながら駆け出す。

 

 訓練の賜物か、振り向きざまに繰り出された肘がゴブリンを殴り飛ばし、よろめくように前に二、三歩、何とか踏みとどまりきれず、どう、と倒れる。入れ替わるように、手斧を抜いた鉱人道士が下手人の首をはねる。

 

「何たることか……!」

 

 蜥蜴人ならではの膂力でもって奮戦しながら、蜥蜴僧侶は後衛の元へと戻っていく。

 

 すでに大勢は決した。小鬼英雄の倒れたことによる恐慌は広がっており、ゴブリン共の気勢は崩れている。

 

 女神官を守るように前衛が帰還して防陣を敷けば、ゴブリン共が逃げ出すのも、そう時間はかからなかった。

 

「状態は!?」

 

 妖精弓手の声にゴブリンの短剣を引き抜いた蜥蜴僧侶が声を漏らす。

 

「……まずは《解毒》……いや、これは執念か」

 

 女神官の手にはすでに空になった毒消しの瓶が一つ、訓練の賜物か、それこそ執念か、倒れつつも最低限の処置を施していたのだ。

 

 蜥蜴僧侶の施した《治療》は、女神官の傷を跡形もなく消し去る、しかし、その顔色はまだ青黒いままだ。

 

 いかな奇跡とて、流れ出た血まで作ってはくれない。

 

 ゴブリンスレイヤーがすかさず治療の水薬と強壮の水薬を開けて差し出し、蜥蜴僧侶がかたじけない、とすぐさまに流し込む。

 

「……ゴブリン、スレイヤーさん」

 

 浅い息、辛うじて死を免れた声だ。

 

 呆然と立ちすくむ彼を、鉱人道士がぐい、と押し前へ出す。

 

「よか、った」

 

 ――守れた。

 

 弱弱しく差し出された手をゴブリンスレイヤーが握り返し、女神官の意識は砂が手からこぼれるように闇に飲まれた。

 

 

 

 もーやだー!、と癇癪の声と共に執務室の天井に書類が巻かれる。

 

 かれこれ一週間、デスクワーク漬けの日々に、妖精宰相の我慢が爆発したのだ。

 

「ゴブリンの方がましー、どんだけあんのよー」

 

 と駄々をこねる姿は、臣民にはとても見せられないものだ。

 

 あわてて側仕えの侍従達が右往左往しながら書類を拾い集める。

 

「……一息、入れましょうか」

 

 ゴブリンの絶滅政策は順調である。

 

 緑の月への安定した門の維持、これには賢者の学院が総力を尽くして研究に乗り出しているが、まだ多くの時間か、あるいは天才の登場が待たれるところである。

 

 鉄の大山脈を取り仕切る鉱人族長からは安定した武器の供給がなされ、この四方世界のゴブリンはほぼ駆逐されたと言って良い。

 

 時たま訪れる蜥蜴僧侶の手紙や本人の土産話、それ以外はほぼほぼ、冒険という日々からは縁遠くなったものだ。

 

「なんじゃい、変わらんのぉ」

 

「あぁ、お久しぶりです」

 

「うげ、あんたこそ山を放り出して何しに来たのよ」

 

「うっせうっせ、使節じゃ使節、現場も儂が居なくて回らんのじゃあどうしようもなかろう」

 

 そうずけずけと突然入ってきてどかりとソファに座るのは鉱人族長だ。

 

「蜥蜴のが、こっちに寄ると連絡が来ての、ちょうど儂も来られると思って、合わせたのよ」

 

「まぁ、ありがとうございます」

 

 そう手を合わせて喜ぶ女教皇は老いとは劣化でなく成長である、と人に思わせるだけの円熟したものを感じさせた。

 

「おっと、遅れましたな」

 

 そう言って、また入ってくるのは蜥蜴僧侶だ、かつて冒険を共にした時よりも一回り大きく、その威容は二回りも三回りも増しているように見えた。

 

「おぉ、来たか!」

 

 最後の一人が来たのを見て妖精宰相が手馴れた様子で侍従たちに出るように指図する。

 

 食道楽と武者修行、それを今も悠々自適に過ごす蜥蜴僧侶は奇妙な手つきで合掌をした。

 

「いや、お久しぶりですなぁ」

 

 久しぶりの仲間たちとの時である。

 

「今はどのあたりで動かれているんですか?」

 

 紅茶を飲みながら話を聞く、蜥蜴僧侶の前に並べられるのは世界各地から取り寄せられたチーズの数々だ、これ目当てに皇宮に来ているのでは、と妖精宰相は冗談半分で言う時がある。

 

「今はまた、拙僧の故郷よりもさらに南の島々を動き回っていますな」

 

 南洋の島々、そこに住まう部族、跳梁跋扈する怪異、それらの冒険譚に三人は思わず身を乗り出して聞き入った、もともと、冒険好きな連中なんのだ。

 

「そこでは闇夜の帳は神々の帳(マスタースクリーン)、と言われておりまして、我々が夢を見る際にも、神々はサイコロを転がしている、と」

 

 ほほう、と鉱人族長が髭をしごきながら声を上げ、へー、と妖精宰相が蜂蜜のたっぷりかかった菓子をぽりぽりとかじる。

 

「そうそう、この前うちの山での……」

 

 幸せな時間だ。

 

 気心の知れた仲間、この視界にはいなくとも、忠勇溢れる世界中の臣民達、間違いなく幸せな身である。

 

 妖精弓手がいる、鉱人道士がいる、蜥蜴僧侶がいる、

 

 ただ、彼がいない。

 

 幸せで、それでいて虚しい夢から、女神官は醒めていった。

 

 

 

 ゴブリンスレイヤーは女神官の眠るベッドの横に座り、腕を組んでその寝顔を見つめている。

 

 幸い、彼女は持ち直した。

 

 あどけない寝顔である。

 

 細く、華奢で、今にも折れそうな体だ。

 

「………………」

 

 ゴブリンスレイヤーは溜息を吐いた。

 

 肉付きの薄い、繊細な硝子細工のような少女。

 

 こんな娘が冒険者、いや復讐鬼であることに、無論、彼も思うところがないではない。

 

 思うのは彼女が意識を失う前につぶやいた言葉。「よかった」そう彼女は言った。

 

 ゴブリンに大切なものを奪われた、それゆえの憎悪、そう思っていたのだ。

 

 そんな彼女が、自分を、身を挺して助ける。

 

 これではまるで、彼女が自分のためにゴブリンと戦うためにすべてを捧げてきたかのようではないか。

 

 いや、彼とて鈍くはあるが、彼女から向けられる好意を理解しないとは言わない。

 

 だが、それでも、彼女のそもそもの理由が、自分の思い描いていたものとはやや違うのではないか、そう思わされたのだ。

 

 そして、ふと、怖くなる。

 

 彼女は、自分のためであれば、笑顔で死ぬのではないか。

 

 ありえない、とは言い切れないそのことが、怖い。

 

 かつては、気楽だった。

 

 思考をつづけ、想像力のままにゴブリンを殺して回る。それだけでよかった。

 

 だが、ああ

 

 妖精弓手がいる、鉱人道士がいる、蜥蜴僧侶がいる、そしてもちろん、彼女もいる。

 

 それを、失う。

 

 自分が力及ばねば、容易く、仲間が死んでいく。

 

 ぽつん、と取り残されたような気分だ。

 

 それは、頭目故の孤独な重さだ。

 

「これは、教わらなかったな……」

 

「ふふ、よくお休みのようですわね」

 

 背に掛けられたのは、艶やかな声だ。

 

 担ぎ込まれた彼女を、手厚く治療したのは、彼女だ。

 

 枕元にするすると寄った白い女は、女神官の髪を撫でる。

 

 冒険で艶を失いがちなその金糸を愛おし気に手櫛で梳く。

 

「……あなたを、失いたくない、と」

 

「……そうか」

 

「慕われて、おりますわね」

 

 薄く笑う女に、頷く、苦く、重い首肯だ。

 

「こんなちいさな体に、どれほどのものを刻み込んで来たのでしょう」

 

 その薄い胸を撫で、手を離す。

 

 そうして、女は目隠しをはずす。

 

 どこかぼやけた、焦点の合っていない瞳。

 

 忠実なる神の従者として完璧な造形のただ中で、その一点。

 

 彼女の美貌は、残酷な手法によって破壊されてしまったのだ。

 

「ゴブリンか」

 

「ええ」

 

 応じる剣の乙女も、さして気にした風なく頷いた。

 

「もう、十年も前になりますか。私も、冒険者でしたから……」

 

 つい、とその瞳が動き、ゴブリンスレイヤーへと流し目をくれた。

 

「影のような人」

 

 艶やかな唇が、歌うように評した。指が、ゴブリンスレイヤーの輪郭を、中空で描く。

 

「どこにでもいる。けれど、目を離すと不意に、消え失せてしまうよう……」

 

 この子にも、そういうところがありますね、とまた頭を撫でる。

 

「ん、ぅ……」

 

「起こしてしまいますね」

 

 するりと、それこそ白い影のように、身を引く。

 

「人というのは、女というのは、弱いものです」

 

 どれほど、強いものであっても

 

 そう言い残して、彼女の姿は消えていった。

 

 

 

 



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第六話

 

 

 

 暖かな日差しと、涼やかな水辺の風。

 

 人々の楽しげなざわめき。賑やかな市場。

 

 異邦人や多種族が集う街にあって、冒険者風情は珍しくもない。

 

 だが、年若い神官の娘と、昼日中の街中にもかかわらず鉄兜で顔を隠した男。

 

 二人が連れ立って歩いているとなると、また話は変わってくる。

 

「晴れて、良かったですね!」

 

「ああ」

 

 わずかに頬を上気させ、ゴブリンスレイヤーと並び、女神官は歩く。

 

 気遣わし気に、ゴブリンスレイヤーの持つ包みをちらちらと眺めながら、おずおずと切り出す。

 

「……持ちますよ?」

 

「いや、いい」

 

 そっけなく言われ、ううん、と声を漏らす女神官。

 

 鉄兜を見上げ、様子を窺う。

 

 それはまるで、初めての散歩に喜ぶ、小さな子犬のような仕草だった。

 

 ちら、と牧場で飼っている牧羊犬を思い出し、芋づる式に先日の一件を思い出してふるふると首を振る。

 

 その不思議そうな視線から逃れるように、つい、と空を見る

 

 すると、皮袋が丸く縫われたものが空に浮かんでいるのが見て取れた。その下には冒険者向け、実際安い! とやたら勢いと説得力のある売り口上が書かれていた。

 

「あ、気球……というかバルーンですね」

 

「バルーン?」

 

「皮袋とか、獣の内臓をしっかりと閉じて……多分あれは錬金術師が水を分解して作った燃える気体が入ってますかね? ともかくそれは空気より軽くて、それを袋に詰めると浮かび上がるんです」

 

 結構危険なんですよ、と得意げに薄い胸を張る少女に、そうか、と返し、今度は視線を下に下げる。

 

 他の一党は地下だ。

 

 血になりますから、と濃厚で臭みのない、舌で押すだけで潰れるような、柔らかく煮られた仔牛の肝臓と葡萄酒の炒め煮を山盛り二皿も平らげた女神官が、止めとばかりに治癒の水薬を二本あおり、平然と次の日の探索に復帰するのを見て取った四人が、総がかりでベッドに押し込み、お目付け役として頭目たる彼が残される形となった。

 

 まだ、お前の方が言うこと聞くだろ、ということであるらしい。

 

 そんわけはないのだが、と内心ため息をつきつつ、道を歩く。

 

 今歩いているのは、ただの散歩ではない。

 

 女神官の鎖帷子の修理である。

 

 水の街の冒険者ギルド支部の工房は顧客が多いせいか、急ぎの修繕などの横入りはできないのだ。

 

 買い換えればいいではないか、と言うとものすごい目でにらまれ、「褒めてくれたじゃないですか」

 

 と、ぼそりと、寂し気にベッドで鎖帷子をかき抱く様子に他の一党の視線が突き刺さった。

 

 仲間しかいないはずなのに、彼に味方は居なかった。

 

 「男にとって、百点満点の出来は、女の子からすれば、十点が、いいところ、よ」とは、かつて受付嬢にすげなく扱われる槍使いを眺めながらつぶやいた魔女の言葉だったか。

 

 そういう訳で、体の調子を戻しがてら、武具屋を探すことになったのだ。

 

 

 

 そして、訪れた武器屋は、相応に繁盛しているらしかった。

 

 店の奥では釜が焚かれ、鎚振るう音が響き、薄暗い店内には雑然と武器に甲冑が並ぶ。

 

 そのいかにも! といった風情は、ギルドの工房にはないものだ。

 

「わぁ……」

 

 と女神官が目を輝かせてあれこれと武器を手に取る。どれもこれも、それなりに手馴れた様子であった。

 

「あ」

 

 と言いながら連接棍を手に取り、何か思い出したくないことを思い出した様子で、おずおずとまた棚に戻した。

 

「忘れてた……」

 

 と肩を落として、よっぽどな様子である。

 

「いいか?」

 

「あ、はい」

 

 話を変えよう、と店の店員を示し、若い男に気付いた女神官はととと、と店員らしき男へ向かった。

 

「あの、すいません」

 

「あン?」

 

 じろり、と見返してくる男にニコニコと愛想よく言葉をつづける。

 

「防具の修理をお願いしたいんですが、ここでしていただけますか」

 

 横からずい、と銀等級の冒険者から出された鎖帷子を、やや鼻白んだ店員は無造作にじゃらりと広げた。

 

「あ、これもう穴あいちゃってますね。買い換えた方がよかないッスか?」

 

 どこかけだるげに、そして無遠慮な視線を女神官に向け、その視線を改めてゴブリンスレイヤーが塞ぐ。

 

「修繕だ、急ぎで頼む」

 

 じゃらりと重たい音を立てて、落ちた袋の形が崩れる。金貨。

 

「修繕だ、いいな」

 

「あっはい」

 

 男はとことこと奥へと入っていった。

 

 

 

 店を出て、くすくすと機嫌よさげに『あいすくりん』を手に歩く女神官の横を歩く。

 

 食べながら歩くという非日常を楽しんでいるようであった。

 

「みんな、誰も、この足元にゴブリンがいるなんて、思ってない……」

 

「ああ……」

 

「ゴブリン、滅ぼしましょうね」

 

 ニコニコと決意も新たに語る少女に、何を返すべきか、迷った。

 

 ああ、とも、いや、とも言葉は出なかった。

 

「……手伝ってくれるのは、ありがたいと思っている」

 

 ゴブリンスレイヤーは、淡々とした、努めていつも通りの平静な声で言った。

 

「しかし、手伝う必要はないんだ」

 

 彼女の表情が、ぴたりと止まり、感情の色が抜ける。

 

 その青くがらんどうな瞳を見つめられると、今自分が本当に地面の上に立っているのか、不安になる。

 

 何かを間違えれば、真っ逆さまに落ちる場所で、長く、遠いところを目指して歩かされているような気になる。

 

「……私は、好きで、好きにしています」

 

「そうか」

 

 返答の声を上げるのが怖い、何かを間違えば、彼女が掻き消えてしまいそうで、喉の自由が奪われる。

 

「そうですよ」

 

「……」

 

「……ホント、仕方のない人ですね」

 

 安堵と懐かしさの苦笑であった。

 

 ようやく、呼吸が、出来る。

 

 大きく息を吐き、出すべき言葉を青空に求めるように、空に目を向ける。

 

 結局、彼が選んだ言葉は短い一言だった。

 

「すまん」

 

「そういうの、聞きたくないです」

 

 ぷい、と背けられる顔には、それでも少女らしく、拗ねた表情があった。

 

「……すまん」

 

 安堵と謝罪、どちらが濃いか、それを知るのは彼女だけだ。

 

「……べつに、良いです」

 

 ――あなたが、いるなら。

 

 その呟きは、彼の耳には届かなかったであろう。

 

「それじゃあ、行きましょうか。ゴブリンスレイヤーさ――……」

 

「ゴブリンスレイヤー、そこかぁっ!!」

 

 きょとん、と視線を向けた先には聞き覚えのある彼の声、青い甲冑に槍を携えた、精悍な顔立ちの冒険者――槍使いの姿。

 

「てめえ、人をわざわざ手紙で呼びつけといて……。受付嬢さんに言いつけるぞ!」

 

「何をだ」

 

「この子と遊び歩いてたことをだ!」

 

「買い物だ」

 

 辺境の街同様、ぐわっと食って掛かる槍使いを、ゴブリンスレイヤーは面倒そうに払いのける。

 

「ふ、ふ、ふふ」

 

 するり、と近づいてくるのは槍使いの横にいた魔女だ。

 

「あ、えと……」

 

「顔色……あまり良くないわ、よ」

 

 するり、と顎に手を当てられて、目を合わせられる。

 

 とろりと蠱惑的に細められた目にさらされ、所在なさげに視線がゆれる。

 

「無茶しちゃ、だめ、よ」

 

「あ、はいっ」

 

 そうしゃんと背を伸ばして返事をする様子を、何とも言えない様子でゴブリンスレイヤーは眺め、舌打ちした槍使いが何やら詰まった麻の袋を渡す。

 

 ――あ、そういえばここでしたね。

 

 小麦粉の袋を雑嚢に仕舞いこみ、槍使いの農へと鉄兜を向け、淡々と言った。

 

「すまん。助かった」

 

「……ぐ」

 

「俺の知っている限り、一番身軽で信用できる冒険者は、お前だからな」

 

「ぐぬぬぬぬ……!!」

 

「……ふ、ふ、ふふ」

 

 魔女が笑い声を転がすと、槍使いはじろりとそちらを睨む。

 

 それを柳に風と受け流した魔女に諦めた様子で視線をゴブリンスレイヤーへ戻す。

 

 その様子は、はるか未来でも、ずっとそのままだ。それが懐かしい。

 

 その時の視線が向けられる先は、自分であったが。

 

 そうでないことが、何よりうれしい。

 

「……手は足りてんのか? 報酬があるなら、やってやらなくもねえぞ」

 

「いや。何とかなる、これの出番は無くなってしまったかもしれんが」

 

「おい、ふざけんな、絶対使え!」

 

「わかった、使おう」

 

 ふふ、と魔女のように頬を緩める。

 

 男たちのじゃれあいを魔女と視線を通わせながら苦笑する。

 

 思うことは同じだろう。

 

 ほんとうに、仕方のない人達だ。

 

 

 

「こら、いかんわ!」

 

 地下墳墓のさらに奥の奥、礼拝堂のような場所。

 

 そこには名前を言ってはいけない大目玉が鏡を守っていた。

 

 大目玉の、その小瞳から放たれた、強力な《分解》を這う這うの体でしのぎ、一党は一旦退く。

 

「これはしたり、《解呪》に加え《分解》の邪眼とな!」

 

 蜥蜴僧侶も間合いをはかり、様子を見守るばかりだ。

 

 堂外へ逃げ出たところでぴたりと攻勢を止めて、またふわふわと漂い出した。

 

 さて、どうする。というところで口を開くのはこの男だ。

 

「試してみたい方法がある」

 

「……言っとくけど、火攻めとか、水攻めとか、毒とかはダメだからね」

 

「そういう約束だ、水は使うが、水攻めはしない」

 

 どうだか、とにらむ妖精弓手へ、ゴブリンスレイヤーは平然と言った。

 

 その謎掛けのような言葉に好奇心が刺激されたのか策を聞く体制になる。

 

「確認するが、ここはもう街の外でいいな?」

 

「と、思うがの」と、鉱人道士が聞き耳を立てるように小首をかしげた。

 

「結構歩いたし、感じとしてもだいぶ離れとるじゃろ」

 

「あと、術で水を玉なり槍なりにして打ち出す技はあるか」

 

 それには術者三人が顔を見合わせ、鉱人道士が手を上げた。

 

「魔法で作ったもんならともかく、自然の水ならいくらでもやれらぁ」

 

「……なら問題はない」

 

 そう言って雑嚢から取り出したのは《転移》のスクロールである。

 

「このスクロールで海水を出す、とにかく大玉を作って、投げつけるようにぶつけろ」

 

「投げつけるように、か、任された」

 

「頼む」とゴブリンスレイヤーは頷き、妖精弓手へと兜を向ける。

 

「水の大玉が大目玉に《分解》されたら、とにかくその辺りに火矢を打ち込め、出来るか」

 

「そりゃ、そんなの寝ててもできるけど……」

 

「頼む」次に見るのは女神官だ。

 

「火矢が射かけられる前にあちらの視界にかからないように《聖壁》を張る、出来るか」

 

「はい、でもその前に皆耳栓つけた方がいいです」

 

 何をするか察した女神官がそう提案し、適当に布切れを耳に詰め、他の者も同じく耳に詰める。

 

 この二人が以心伝心なのだ、何か起こるに違いない。

 

「よし、やるぞ」

 

 スクロールを無造作に解き放つと、どう、と磯の香があふれ、大海嘯が巻き起こる。

 

 それを待ち受けるのは鉱人道士だ。

 

「《渦巻け渦巻け海の精、転がって転がって、丸まって、ずっと向こうへ駆けていけ!!》」

 

 波が形を変えて大玉となり、それはそのままごろごろと転がる岩のように大目玉向けて、一跳ねして突進する。

 

「BEEHOHOHOOOOOLL!!」

 

 それを迎え撃つは《解呪》、しかしそれで魔法が溶けたとて、海水の質量は健在。それを見てとり《分解》の瞳が光を放つ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 入り口から少し横へ退いたところで《聖壁》を張る。そして、そこからでも火矢を容易く射るのが上の森人、妖精弓手である。

 

 その様子を全て見たのは大目玉だけである。

 

 自分へ飛び掛かってくる水の塊、それを《分解》で原子のチリと霧散させ、鏃を燃やした矢が一本飛び込んで来て、

 

 世界が、光に包まれた。

 

 

 

「っ、ぅ……」

 

 部屋の中が爆炎で満たされ、《聖壁》越しでさえ肌を焼くような熱風が通路を駆け抜けていき、遺跡全体が揺れ動くさまは、地上の者が地震と勘違いしたであろう。

 

 視界の端では妖精弓手が、長耳を必死になって抑えるのが見えた。

 

 やがて、もうもうと立ち込める煙が、いささか薄らいだ時、

 

「……見ろ」

 

 ぼそり、というゴブリンスレイヤーの声。身を屈めただけで、彼は平然としている。

 

 言われて妖精弓手が覗きこむと、礼拝堂の中に、果たして大目玉の姿は――あった。

 

 上だ。

 

 天井へと吹き上げられ、叩きつけられたのだろう。

 

 焼け焦げた怪物が、すでに息絶えているのだろう、ぐらり、と天井から剥がれ落ち、ぐしゃり、と。

 

 礼拝堂の中央から、文字通り、肉がつぶれる嫌な音が響く。

 

 焼け焦げた肉塊は粘液を飛び散らし、それで最後だ。

 

 混沌の怪物、異界より呼び出された『見つめる者』の、それが最期であった。

 

「――――……なにが、おこったんじゃ?」

 

 呆然と、鉱人道士が声を漏らした。自分が撃ち込んだのは水の玉であったはずだ、間違っても火球ではない。

 

 のそのそと身を起こした彼に手を貸しながら、蜥蜴僧侶が舌をちろちろと覗かせた。

 

「小鬼殺し殿は海水と言っていたが……何をしたのかね」

 

「女神官から聞いた」

 

 その視線が耳栓を取って辺りを見回す少女に向き、頷き返す。

 

「水は分解すると燃える、と」

 

 水素と酸素の混ざった気体、爆鳴気とも呼ばれる混合気体で礼拝堂は大目玉の目によって充満したのである。

 

 そこに火矢が飛び込めばどうなるか、それこそ火を見るよりも明らかだ。

 

 これほどとは、正直思っていなかったがな、という言葉を女神官が引き継ぐ。

 

「水と閉所、それと《分解》の魔法に松明一本があれば一網打尽にできます」

 

 立てこもる相手とかに、便利なんですよ、山ごと崩せて、と何事もないように語る。

 

「で、だ」

 

「はい」

 

「ゴブリンだ」

 

「ゴブリンですね」

 

 地の奥底から甲高い唸り声があがる。

 

 安置されていた鏡の様子をあれこれと調べていた三人が、またかという顔をする。

 

「迎え撃つかの?」

 

 そう聞いた鉱人道士に雑嚢から麻袋を取り出し、示す。

 

「使うんですか」とは女神官の言葉だ

 

「約束したからな、使うと」

 

 その日、二度目の爆発により水の街近くの一角が大規模に陥没した。

 

 そこにはいくつもの支流から水が流れ込み、小さな湖となった。

 

 

 

「終わった」

 

「わかりました、帰りましょう」

 

 剣の乙女の元から帰ってきたゴブリンスレイヤーを、女神官はただそう微笑んで頷いた。

 

 今は、辺境の街へと戻る馬車の上だ。

 

 女神官の手の中には錫杖と、鳥かごが一つ――金糸雀だ。

 

 新たに増える"同居人"に囁く。

 

「よろしく、お願いしますね、危なっかしい人なんです」

 

 金糸雀が、薄く目を開けてチチチと歌った。

 

 

 

 



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幕間 勇気の呪文

 

 

 

 その呪文を聞いたとき、いじめられっこの少年は口をへの字に曲げた。

 

 そんなの、格好悪いじゃないか、と呪文を教えてくれた、先日巫術師見習いとなった、黒尽くめの彼女に文句を言ったのを覚えている。

 

 彼女は苦笑いをして、いいのよ、と偉そうに大人びた風を装って胸を張った。

 

 この呪文はね、二つの約束があるの。

 

 一つ、口に出して唱えちゃいけない。

 

 二つ、このことを教えてくれた人以外に教えちゃいけない。

 

 どう、大丈夫でしょ、と彼女はニッカリと年相応に笑った。

 

 

 

 若草色の装いの双棍使いは目を覚ました。

 

 首には翠玉の身分証、中堅どころと言われる冒険者の証である。

 

 一仕事を終え、単身での、水の街の冒険者ギルドでもののついでに簡単な仕事でもないか、と帰り道がてらにできそうな仕事を探していたところで、ちょうどいいものがあった。

 

 辺境の街への手紙輸送。

 

 銀等級の冒険者からの依頼であること、急ぎであること以外、特に何も物珍しいわけではないそれを、軽い気持ちで手に取った。

 

 

 

 冒険者の単独行というのは、寂しいもの……というわけではない。

 

 街道を徒歩で行く人間というものは、夜が近づけばごく自然に身を寄せ合ってキャンプを作る、いざという時に安心であるし、大勢の夜営は襲われにくいからだ。

 

「あんちゃん、辺境に仕事か?」

 

 一緒にキャンプをすることになったくたびれた行商人がそう問いかけてきたので愛想良く返す。

 

「いえ、都からの仕事帰りです」

 

「へぇ!! あっちはどうだった?」

 

「そうですねぇ、やっぱ都って華やかだなぁ、ってのが第一ですかね」

 

「何か流行ってることとかあったか?」

 

「んー、あぁ、なんて言ったっけ、ハーブの精油が流行ってたような、ええと、ああ、これこれ」

 

 何とはなしにメモしていたハーブの名前を見せる。

 

 すると行商人に顔が破顔する。

 

「おっ! こりゃ辺境のとこで出回っているヤツじゃねえか! 兄ちゃんでかした! 何か目新しいモンでも新たに仕入れるかってところだったんだ!!」

 

 礼だ、飲んでくれや! と背を叩かれながら注がれた酒をあおる、鉱人の火の酒だ、けふ、と声が漏れる。

 

「いい酒です」

 

「そうだろうそうだろう! こいつは東の大険峻、あぁ、あれこそまさにくろがねの、鉱人達の王国ありし大山脈」

 

 歌うように盃を掲げ、

 

「その洞窟で熟成されたこの火の酒! ……今ならなんと一杯銅貨一枚」

 

 いたずら小僧のように笑いながら、他の者たちにも酒を注いで周る。その口上を気に入ったのか、皆が笑顔で男に銅貨を渡す。

 

 旅の空の、いい出会いだった。

 

 

 

 次の日も、旅は続く。水の街から辺境の街までは大体徒歩で二日、馬車で一日、といったところだ。

 

 何事もなければ、大体今日の夕方には着くだろう。

 

 双棍使いは急がないが、手紙は急ぐ、すこし歩く歩調を速めた。

 

 もう少しすれば秋の収穫祭、あれこれとやることの多い日々であるが、あのお祭りは楽しみだった。

 

「兄ちゃんは街についたらどうする? 何もないんだったら一杯いくかい?」

 

「すみません、ちょっと用があって」

 

 そう誘ってくれる行商人にはにかみながらやんわりと断る。その言葉に若干の照れを感じ取ったのか、行商人がニヤリと笑う。

 

「おっ、女か? いいねぇ」

 

 そう絡んでくる行商人に愛想笑いで対応し、照れ隠しに頭を搔く。

 

 自分は背丈は昔に比べればそれなりに伸びたが、それでもどこか年齢よりも若く見られる。

 

 冒険者の身分票を見せびらかしている訳でもないので、駆け出しと思われているかもしれない。

 

 さて、そろそろ昼飯時か、そう思ったところで。

 

 死に出会った。

 

 完全に、偶発的遭遇であった。

 

 森の中から大きな影が躍り出たのだ。

 

 奇妙にねじくれた関節、ヤギに似た頭部、人の体、青白い肌。

 

 混沌の者であることは間違いなく、見識豊かな賢者であれば、それが悪魔の尖兵とも言われる下位の存在である。

 

「DDEEMOMONNN!!」

 

 しかしそれは、この場においては、絶対的な死である。

 

「ひっ」

 

「デ、デーモン!?」

 

 人々が怖気にかられる、それはそうだ、本来であれば冒険者が相対して討ち果たす存在である。

 

 無力な自分たちに何が出来ようか。

 

 そうだ、冒険者!!

 

 人々の視線が向けられたのは当然、というべきか双棍使いであった。

 

 背に背負った二本の黒の棍棒、高い背に、それなりに付いた筋肉。

 

 しかし、その姿は震えていた。

 

 青ざめた顔、カチカチと歯の根の合わぬ震えは、見る者に失望と絶望を味合わせた。

 

 もともと、双棍使いは勇猛果敢、恐れ知らずという狂戦士、というわけではない、むしろちょっとした物音にもいちいち振り返り、視線を向ける臆病者だ。

 

 どだい、神に選ばれし聖騎士でもない単身の冒険者である。悪魔を単身で打倒することなど、到底できることではない。

 

 だが、彼はそれでも背の棍棒を引き抜き、悪魔に向けて構える。

 

 がちがちと震えるままに大きく息を吸い、がちり、と震えを噛み潰すように噛みしめ、青ざめたまま、長く息を吐く。

 

 その姿に近くの者たちが、おぉ、と希望の色が宿る。

 

 そしてもう一吸い、ヒュッ、と息を吸いながら、心の中で呪文を唱え、悪魔へ跳ぶ。

 

 幼馴染の少女が教えてくれた呪文。

 

 声に出して唱える必要もなく、また、他の呪文使いのように、体力が削がれることもない、魔法の呪文。

 

《臆病者の緑の小僧! 両手に棍棒携えて! 走って! 跳んで! 胸には勇気!》

 

 恐怖を置き去るように、双棍使いは悪魔へ棍棒を振り下ろした。

 

 

 

 どうやら、あの悪魔はある遺跡で湧き出た悪魔の群れの内の一匹であったらしい。

 

 銀等級の冒険者の一党が討伐に乗り出したところで逃げ出てきた一匹、ということだ。

 

 思わぬ副収入と、旅の同行者からのお礼の品々を抱え、ふぅ、と息を吐く。

 

 自分の運んだ手紙は受付嬢からちょうどテーブルに座っていた辺境最強の男に渡されていた。

 

 受付嬢から渡される手紙に喜色満面の笑顔であったが、差出人を見て渋面を晒していた、と思うと「ええい、しゃあない行くか!」とすたすたと外へと向かっていき、それを魔女がやれやれと追う。

 

 まぁ、自分の仕事はここまでだ。

 

 ギルドを出て、目的地に向かおう、として出会った。

 

「おかえり、なにそれ」

 

「ただいま、ちょっと、色々あって」

 

 胸に赤子を抱く、一党にして、伴侶にして、最愛の、黒尽くめの巫術師。

 

「都の方の悪魔退治、どうだった」

 

「なんとか、なったよ」

 

 肩を並べ歩き出す。

 

 その歩みは雑踏の中に消えていった。

 

 

 

 長きに渡る秩序と混沌の戦いの中

 

 数多の冒険者が生まれては消えていった

 

 この悪魔殺し(デーモンスレイヤー)がその後どうなったか

 

 記録は残されていない

 

 

 

 だが、その胸には

 

 ちっぽけでも、確かな勇気が輝いているであろう。

 

 

 



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幕間 《真理》が仕事をしている日

 

 

 

 ――畜生!!

 

 男は逃げていた。

 

 なぜこうなったのか。

 

 自分には才能があったはずだ、自分はツイていたはずだ。

 

 あてもなく逃げ続けることと、心の中でののしり声をあげる事しかできない。

 

 こんなはずではなかったのだ。

 

 畜生!! 畜生!!

 

 必死に走る。

 

 そして、ふと、足を緩める。

 

――なんとか、撒けた?

 

 そして、その希望はたやすく裏切られる。

 

 音が、聞こえるのだ。ずっと聞かされ続けた音が。

 

 あぁ、あの音が!! 耳に!! 耳に!!

 

 淡々と、何事もなく歩くように、淡々と、音が近づいてくる。

 

 まるで、友人の元に、何の気兼ねもなく向かうようなリズムだ。

 

 男は本当に久しぶりに両手を合わせて悲鳴を漏らした。

 

 

 

「……という訳らしくて」

 

「下着泥棒ねぇ」

 

 はぁ、とため息をつく女神官に、本当只人ってわからない、とのんきな顔を向けるのは妖精弓手だ。

 今テーブルにいるのはいつもの一党、男衆はどう反応していいやら、という様子である。

 

「ええ、地母神の神殿の寮で、あと倉庫のワインが盗まれまして」

 

 地母神のワイン、それは同じ町の酒神との共同事業でもある。なので正確には地母神のワイン、という表現は適切ではない。

 

 地母神の葡萄農園でとれた葡萄をワインにする際に、酒と聞いては黙っておれぬと馳せ参じたのが酒神の神殿である。

 

 一枚かませろ、そして飲ませろ、ということだ。

 

 かくして、この街では地母神の農園でとれた葡萄を両神殿の神官の乙女達が足踏みして作るわけである。

 

 その後の工程は酒神の神殿の妙技の限りを尽くして作られるため、単純に味自体も非常に良い。

 

 それはそれとして、神官の乙女たちの手ずからならぬ足ずから作られたワインというのは、かなりの熱心なファンがつく。

 

 両神殿の意匠が刻まれたワインは自然、値が吊り上がる。

 

 しかも、どちらかというと買い手の方が自己弁護のごとく、「これは徳が高いから……」と言いながら買いあさるので神殿側からすればどうしようもない。

 

 とまれ、その価値を知る者が盗みに入ったのであろう。

 

「同一犯なのか、別々なのか、わかりかねまして」

 

 頬に手を当てて困り顔の少女には悪いが、まぁ何にせよ神殿は彼女を担ぎ出すことに成功しているのであるから、解決は保証されたようなものであろう、というのが一党の共通見解である。

 

 少なくとも凡百の有象無象に後れを取る彼女ではなく、むしろ相手からすれば、地母神の神殿を選んだことこそが敗因ですらある。

 

「それで、どうでしょう。協力してはいただけないでしょうか。あまり部外者をむやみやたらに呼び込むという訳にもいきませんので」

 

 その視線の先にはもちろんゴブリンスレイヤーがいる。

 

「……」

 

 想像する。

 

 想像力は武器だ。

 

 神殿の寮、その洗濯物を干す場所、となると風通しはよかろう。

 

 居住区ということであれば、年若い神殿住まいの少女達の高く華やかな話声や、祈りの声等も聞こえよう。

 

 洗濯物を干すとなれば、晴れている。青い空、白い雲。

 

 この時期であれば、ふと吹く風も気持ちよかろう。

 

 洗濯紐にはためく下着……あまり想像がつかないが、寮ともなれば、幼馴染の履いている下着が、視界一面にはためいているのであろう、と記憶から勝手に拝借して想像する。

 

 女の園の、和やかな昼下がりだ。

 

 それを、物陰から息をひそめて見つめる鎧姿の自分。

 

「……」

 

 誰か来たらすぐに飛び掛かれるように、下着を見据えて少し腰を落とした体勢でいる物陰の自分。

 

 洗濯物を取り込みに来た少女達をみて、問題なし、と物陰で頷く自分。

 

「…………」

 

 ふと、気が遠くなっていた。

 

 想像力は武器だ。

 

 だが、諸刃の剣であった。

 

 深く、深く息を吐く。

 

 まさかここまで自分の姿がおぞましく感じるとは。一周回って自省や嫌悪感でなく驚きすら感じる。

 

 石を投げつけられても、《聖光》を打ち込まれても、すみません、と頭を下げてしまいそうな何かがある。

 

 同じようなことを想像したのだろう、他の二人も同じような表情をしていた。

 

「……どうでしょうか?」

 

 その視線から逃れるように、鉱人を見る。鉱人は、蜥蜴人を見る。蜥蜴人は見る人がおらず、ふと視線をさまよわせ、コルクボートへ向き、ガタリと立ち上がる。

 

 それを見て取って、二人も立ち上がる。乗るべきに飛び乗れずして、何が冒険者か。

 

「ゴブリンだ」

 

「ゴブリンでなくともよかろうよ!」

 

「しかり!」

 

 ろくすっぽに依頼内容も見ずに受付に投げつけ、「よ、よろしくお願いしますね?」という言葉を聞く間もなく駆け出していく。

 

 碌に依頼内容も見ずに駆け出した男たちがどのような冒険に飛び出して、いや、逃げ出していったか、いずれ、語る時も来るであろう。

 

 とまれ、男性陣に逃げられた女神官としては、確保できた人手が妖精弓手だけとなった。これは困った。二人で見張りの体制を回すのは難しい。

 

「あら、どうかしたの?」

 

「……あ」

 

 そう声をかけてきたのは女魔術師、後ろには女武道家と聖女が居る。水の街から帰ってからは初の遭遇だ。

 

「……ええと、おかげさまで」

 

「……何かしたかしら?」

 

 思い当たるところがなく、首をかしげる女魔術師に、貴女の死にざまのおかげでとっさに毒消しを飲めました、という訳にもいかず、適当にごまかしつつさしあたっての事情を説明する。

 

「なにそれ、許せない!」

 

 率直に怒りをあらわにするのは女武道家であり、残り二人も似たような表情である。

 

 薄汚い盗人の部屋。

 

 テーブルには戦利品が広げられ、それを見てニタニタと悦に入る盗人。

 

 呷る勝利の美酒は少女たちが手ずから摘み、その無垢な足で踏み作ったワイン。

 

 そしてその手は戦利品へと……

 

 考えれば考えるほどに、寒気と怒りがわいてくる。

 

 顔を見合わせ、頷く。

 

 少女たちの心は、一つになった。

 

 

 

 地母神の神殿の寮の裏庭は大和張りの板塀で囲われていた。

 

 一か所、裏の山と街へ至る扉があるが、それは内側から閂が掛けられている。

 

 そよ風に洗濯紐はふらふらと揺れて、役目の時を待っている。

 

「それで……」

 

 不安そうに尋ねる見習い侍祭達の手には洗われた洗濯物が籠に入っている。

 

「ええ、私たちがいます、大丈夫です」

 

 ぱぁ、と表情に光がさした少女たちはととと、と洗濯物を干しにかかる。

 

 たなびく衣類から香る石鹸の香りに目を細める。

 

「それで、具体的にどうするの?」

 

「基本は見張りです」

 

 錫杖を突きながらそう返す。周りの者も、まぁ、そうだろうな、ということで見張りの順番を話し合う。

 

 とりあえず、戦力の均一化ということで、裏庭とワインの倉庫のそれぞれに女神官と妖精弓手は別れることとなった。

 

 あとは残り三人が入れ替わりで交代するということで決まった。

 

 洗濯物を取り込んだ後はワインの収められた倉庫だけを見張る、ということになる。

 

 盗まれたワインの本数からして、居ても少数、おそらくは一人、というのが女神官の見立てだ。

 

「あー、まぁそうでしょうね」

 

 裏庭を眺めた妖精弓手が当然のように頷き、他の三人は興味深げにその視線の先を見てみるが、ただの裏庭があるようにしか見えない。

 

 野外は森人の領域だ、只人の見ることのできないことを見抜くのも、造作はない。

 

 しかし女神官が見抜いたとなると、これは技術でわかること、ということだ。

 

「男性の足跡が一種類、それも帰りの足跡がより深く沈んでいるのであれば、何かを運び込んだ商人、ということもないでしょう」

 

 ほら、と錫杖で指しながら言われても、最近斥候の修練をしだした女武道家だけようやく、あぁ、と感心の声が漏れる程度だ。

 

 とりあえず、各自場所に付き、見張りをする。

 

 昨日の今日で再犯はそうなかろうが、味を占めた阿呆は阿呆をする。

 

 来る確率も、それ相応にはあるであろう、ということになった。

 

「来たら、速攻でとっちめてやりましょう!!」

 

「いいえ」

 

「え?」

 

 そう気炎をあげる女武道家に笑顔で否定する。その時たま敵に見せる笑顔を見てうわ、と妖精弓手が声を上げる。

 

「少し、怖い目にあってもらいましょう」

 

 妖精弓手は女の身であっても、少しその盗人に同情した。

 

 

 

 月のない夜、全身薄茶色の男が木の柵を軽く揺らして一人、裏庭から忍び込んで来た。

 

 自分が盗みに入ったことで、夜回りの神官が回るようになったのか、しゃん、しゃん、と錫杖の音が灯りの消えた寮で響いている。

 

 最初は、幸運(クリティカル)で、不幸(ファンブル)な出来事であった。

 

 ある風の日、ふとこの板塀の近くに居た自分に、風に飛ばされた下着が一つ、舞い込んできたのである。

 

 期せずして手にはいったものに、らしくもなく浮かれながら風の神に祈りの言葉を捧げたのを覚えている。

 

 目撃者がもしもいたら、平謝りして返却して、ちょっと忘れることのできない珍事、ですんだであろう。

 

 しかし、目撃者は誰もおらず、辺りを窺った後、男は家へ帰りおおせた。

 

 完全な、成功である。

 

 そして、それで、(ハンドアウト)()差した(得た)

 

 いやダメだ、もしもばれたらおしまいだ、そう自制する心も、あるにはあった。

 

 だが、悲しいかな、冒険者でなくとも、彼にはささやかながらの盗賊の才能があったのであろう。

 

 神殿の少女達の目を盗み、忍び込み、風にたなびく下着を失敬して、さらに忍び込み、自分の安月給では一杯だけでも結構な贅沢であった地母神のワインを何本も持って逃げおおせることに成功したのだ。

 

 最高の気分であった。竜の巣穴から財宝を持ち帰ったらこういう気分か、と勝利の美酒に酔いしれた。

 

 そして、その美酒を飲み尽くして、またその酒を、成功を、味わいたくなった。

 

 成功は、失敗への入り口である。成功の体験が、破滅への道をいざなう灯という記憶となって、人を失敗まで歩ませてしまうことがあるのである。

 

 そういった成功は、どれほど成功を積んだとしても、向かう先は断崖絶壁なのだ。

 

 足音を立てないように、靴底の下に布を当て、何もつるされていない洗濯紐を残念そうに眺めながら、そろそろと建物へ向かう。

 

 しゃん、しゃん、という錫杖の音は、男の冒険がもう一段階難しいものになったことを示している。

 

 なあに、前も大丈夫だったんだ、いけるいける。

 

 簡単な話である。錫杖の音が近づけば隠れてやり過ごす、そういったルールが追加されただけである。

 

 むしろ戦意を高揚させ、運よく開いている裏口の扉を開けて、男は部屋へ入っていった。

 

 それが、竜の口に飛び込む方が、はるかに生易しいものであるとも知らず。

 

 

 

 女子寮の中の空気を、自分の体に染み込ませるように、深く鼻から吸い込みながら、鼻の下を伸ばしてそそくさと進む。

 

 目指すは倉庫である、だが、何か思わぬ収穫があるかもしれない、と他の少女たちの居住空間なども回るつもりであった。

 

 前回の"冒険"である程度、間取りは把握してある。

 

 一つ一つ、宝箱を開けていく気持ちで回るつもりである。

 

 先ず入ったのは食堂、である。さて、何かあるだろうか、と見回しているうちに、しゃん、しゃんという音が近づいてくる。

 

 物陰に隠れて、長柄を付けた小さな手鏡で出口の方を窺う。

 

「……」

 

 年若い女の神官である。左手に持つ錫杖が薄く光を放って、その胸元を幽かに照らしている。

 

 ちらり、と食堂を一瞥し、またしゃん、しゃん、と歩き出す。

 

 それを聞き、ふぅ、と息を吐き、そしてにんまり、と笑みを浮かべる。

 

――先輩が後輩に泣きつかれたか。

 

 自分の戦果におびえた少女たちが先輩たる今の女神官に泣きついている光景を想像し、悦に入る。

 

 まるで自分がおぞましい悪魔か、何かにでもなったような気分だ。

 

 争い事はなすべきではないと教え育てられた無垢で非力な少女達だ、さぞ心細かろう。

 

 漏れ出しそうになる笑い声を噛み殺しながら食堂を出る。手にはスプーンやフォークが握られていた。

 

 次は談話室だ、部屋の奥には小さいけれども本棚があり、読書好きな少女などはここを根城としていたりもするのだろう。

 

 ソファなどに寝転がったり、腰かけたり、そうしてとりとめないおしゃべりに花を咲かせているのだろう。

 

 さすがにクッションを盗むのは嵩がかさみすぎるか、と見送り、他に何かないだろうか、と胸中で鼻歌を歌いながら物色する。

 

――おお!!

 

 そこにあったのは籠だ、布が詰まっている。震える手で一つ広げれば、それは質素なワンピースであった。

 

 急いでそれらを全て背嚢に放り込み、世界の頂点に君臨したような気分になる。まるで、自分が世界を救ったとて、ここまで大業を成した気にはなれまい。

 

――勝った、自分は勝ったのだ。

 

 わけのわからない全能感に支配されながら、立ち上がる。

 

 後はこの勝利を完全なものとする美酒があればいい。

 

 

 

 倉庫への道も、また彼からすれば他愛のないものであった。

 

――あぁ、あの女神官は落ち込むだろう。

 

 自分がついていながら、とその表情を曇らせるだろう、後輩の少女達に非難されたりするかもしれない。

 

 そう考えるだけで胸中が愉悦で満たされる。

 

 格別の勝利だ。

 

 ワインを三本、厚手の布で覆ったうえで背嚢に仕舞い込む。割れてしまっては事だ。

 

 さあて、凱旋だ、と意気揚々と、しかし慎重に立ち去ろう、そう倉庫を出たところで

 

 

 

 しゃん

 

 

 

 ほとんど、真後ろでその音は鳴った。

 

 むわ、と生臭い匂いが流れてくる。

 

 びくり、と振りむく、横手にドアこそあるが、ドアが動く音のみならず、衣擦れの音、呼吸の音、何の音もしなかったのだ。

 

 自分と倉庫の間に、何者もいるはずがない。

 

 

 

 女が、いた。

 

 

 

 金髪の、小柄な少女だ。

 

 左手には幽かな光を宿した錫杖がある。

 

 ああ、だが、

 

 なぜ、彼女は、ようやく出会えた、というような穏やかな笑みを盗人へ向けてくるのだろう。

 

 なぜ、その神官衣が赤黒く汚れているのだろうか。

 

 なぜ、その右手にはぬらりと光る刃が握られているのだろうか。

 

 なぜか、相手の青い瞳の瞳孔が、きゅう、と広がるのがよく見えた。

 

 匂いの正体に、見当がついた。

 

 血と、臓物だ。

 

 しゃん、と一歩が踏み出される。

 

 男は逃げ出した。

 

 

 

――街へ逃げ込みさえすれば!!

 

 それが男の中にただ一つある思考であった。

 

 忍び込んだ時とは対照的に無遠慮に建屋の裏口から転げ出て、柵の裏口の閂を引き出す。

 

 しゃん

 

 その音が響くたび、男の思考の自由が削られる。

 

 どれほど男が走って逃げたとしても、淡々と歩くように、そのテンポが乱れることなく距離を保って音は追ってくる。

 

 目の前に広がるのは裏山と街へと至る道、無論街への道へと駆け出す。

 

 街へ、街へさえ、逃げ込めば、なんとか撒ける。

 

 何の保証もないことを、確信をもって男は行動していた。

 

 そして、駆け出し、壁にぶつかった。

 

「!? な、う、あ!?」

 

 取りすがるように、許しを請うようにその不可視の壁に手を這わせるが、鉄壁のごとし、とばかりに男の体が前へ進むことはない。

 

 目の前に、見えるのだ、街の明かりが、あそこへ、あそこにさえ行けば、

 

 殴りつけようが、押そうが、爪を立てようが、その不可視の壁が揺るぐことはない。

 

 しゃん

 

 ぬちゃり、と女の赤い唇が三日月を描く。

 

 しゃん

 

 音が、近づいてくる。

 

「!!!!!?????」

 

 男は、明かりも持たず、夜の山へと飛び込んでいった。

 

 

 

 途中、拾った棒切れに取りすがるように、男は逃げている。

 

 なりふり構わず、走り、跳び、しかしそれでも錫杖の音は淡々と近づいてくる。

 

 山の中に入り、直接その姿を見ることはないが、確かに錫杖の音はある。

 

 ひい、ひい、と声を漏らしながら、逃げる。全身くまなく泥だらけ、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 

 そして、錫杖の音が突如途切れる。

 

「ひっ? あ、う? あ……」

 

 言葉にならぬ声を漏らし、がくがくと震えながら、わずかな希望を持って、自分の来た道を振り返ろうとし。

 

 しゃん

 

 音が、前から近づいてきた。

 

 かくん、と膝から力が抜ける。

 

 しゃん

 

 音が、左から近づいてきた。

 

 しゃん

 

 音が、右から近づいてきた。

 

 しゃん

 

 音が、後ろから近づいてきた。

 

 しゃららららららん

 

 音が、呼び集めるように真上で鳴った。

 

 

 

「めでたしめでたし、でしたねー」

 

 そう朗らかに祝杯をあげる女神官。結局、使ったのは《沈黙》と《聖壁》だけであった。

 

「まぁ、私は正直木の上で錫杖鳴らしただけなんだけど」

 

 うわぁ、という表情を浮かべ、報酬の一環として得たワインをあおるのは妖精弓手だ、他の面々も所定の位置へと追い込まれた男へ向かい錫杖を突きながら歩いただけである。

 

「裁判、結局神殿ではできなかったそうですね」

 

 女武道家がそう言う。

 

 失神した盗人は正式に逮捕され、裁判が行われることになった。

 

 無論、至高神の神殿で、である。

 

 神殿に連れて行かれそうになり、男は半狂乱になって失禁しながら暴れたため裁判の予定は延期となった。

 

 もう適当に私刑して放り出せばいいではないか、と思う向きもあろうが、そうもいかない事情があった。

 

 不逞の輩が忍び込み、盗みを働いた、そこで何も知らずに就寝していた少女達の名誉である。

 

 不逞の輩に狼藉を働かれ、何人かの少女が泣き寝入りしているのではないか、と下種な勘繰りをするものは必ず出てくる。

 

 そういった、周囲の声をある程度断つための権威としての至高神の裁判である。

 

 《看破》を使用しての答弁は彼女たちの潔白を示すものであり、これに異を唱えるのは地母神のみならず、至高神の神官が偽りの裁判を行った、と弾劾するようなものである。

 

 下手をすれば、この街だけで収まることではならなくなる。

 

 正直、地方辺境において、農業系に支持者を多く持つ地母神と司法を司る至高神、これらにまとめて喧嘩を吹っ掛けたい、というのはただの狂人だ。

 

 とはいえ、神殿に入れようとするだけで自害しかねんほどに暴れられては手に負えない。殴り倒して気絶しているのを転がしておけばいい、という話でもないからだ。

 

 また、至高神の神官といえ、人間である。神殿に立ち入ることを嫌悪恐怖する、神殿に盗みに入った盗人。被害者で不安におびえるのは奉じる神こそ違えど、神に仕えし少女達、となれば、もちろん心証でいえば最悪である。

 

 裁判というものは、これが意外と感情的かつ主観的なことが多く、つまりは心証というものは非常に重要なのである。

 

 泣きじゃくり、力の限り暴れて抵抗する男にほとほと困り果てた至高神側は、それでも地母神側からのなんとしても裁判を執り行ってほしい、という請願と代替案を受け、神殿外に宗教色の無い法廷を作り、そこで裁判が開かれることになった。

 

 いっそのこと、広く大々的に、と街の公園の真ん中で行われたそれを、辺境の街の住人はこぞって見物にでかけた。

 

 最終的に、財産没収の上、神殿への侮辱的行為に対する罪と窃盗罪、住居侵入罪等で、盗品の返却あるいは賠償、そして晒し者にする恥辱刑の後、街からの追放、というスピード判決になった。

 

 余談であるが、地母神の男性神官から「いっそ、死をもって贖わせてあげては……」という非常に"残虐"な提案がなされたが、次の日には「慈悲深き地母神は無分別な刑罰を望まない」と意見を撤回した。

 

 それはそれとして関係のない話であるが、職場での保身というものは、非常に大事である。女性陣に死ねばいいのに、という視線にさらされながら座る職場の椅子は、座り心地が悪い。何の関係もない話であるが。

 

 また、どんな父親でも自分の娘にゴミを見るような目で見られ、娘の視界に入るだけで舌打ちを打たれる家庭生活を送りたい、というものは少ない。

 

 話がそれた、とまれ、円満に結論は下されたのだ。

 

「罪を犯せば……罰に肩を叩かれます、どんな形であれ」

 

 そういうのは、聖女だ。

 

 罪には罰。

 

 それが、世界の《真理》であり、盗人も、その《真理》から逃れることはできなかった。

 

 ただそれだけの事である。

 

 冒険者ギルドに、がちゃりと扉を開けて、くたびれた三者三様の男たちが帰ってくる。

 

 男たちの冒険も、また、なんとか無事に終わったようだ。

 

 女神官は何事もなく、笑顔で彼らを出迎えた。

 

「おかえりなさい、皆さん、いい冒険でしたか?」

 

 

 

 



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幕間 酔いどれ共が夢の前

 

 

 

「わぁー貴方達が依頼を受けてくださった冒険者様達?」

 

 ほわん、という言葉が浮かびそうな笑顔と動きで手を合わせるのは酒神の神官たる少女である。

 

 どこもここも柔らかそうで、それでいて少女らしくも引き締まった体が一党の少女とはまた違う装いの神官衣に包まれている。

 

 ここは酒神の神殿、礼拝堂の壁には天上の神々を讃える人々の酒宴が描かれている。

 

 そして天井へ目を向けると主たる神々が宴を開いている様子が描かれているが、礼拝に訪れた信徒たちが拝む先は人々の酒宴である。

 

 酒宴の人々の中の、男性とも女性ともつかない中世的な薄絹を纏い盃を持つもの、それが酒神である。

 

 酒の神が酒宴を嫌うはずもなく、賑やかな酒宴で見覚えのない人がもしいたら、それは酒神が来てくださったものだ、という俗説は酒神の神官のみならず信徒たちにも信じられている。

 

 なるほど、理にかなっている、とは鉱人の弁だ。

 

「それで、依頼だが……」

 

「ええ! 来る収穫祭のために、お酒のおつまみの材料を集めていただきたくって」

 

 どこか眠たげな羊のような少女がニコニコと笑みを絶やさずに説明する。

 

「収穫祭となれば、宴、宴となれば、酒、酒となればつまみ」

 

 であれば、とパンと一つ手を打つ。

 

「われら酒神の神殿が振る舞う酒とつまみ、収穫祭という宴を飾る大輪となりましょう!」

 

 つまりはまぁ、飲んで騒ぎたいのである。

 

「しかし、嬢ちゃんよ、酒神の神殿なら、酒のつまみにゃ困らんじゃろ」

 

 その鉱人の問いかけに、少女もええ、もちろん、と豊かな胸を張る。

 

 色んな酒を、色んなつまみを、ということで酒神は商行為や貿易を是としている。

 

 酒神の教義は何を説いていても根本のところは飲んで騒ぎたい、から端を発しているので、ある意味一番わかりやすい。

 

 酒神の神官が何か素っ頓狂な事をしだしても、どうせなんか酒の事だろう、というのが周囲の意見である。

 

 酒宴の間は全員、酒神の信徒だ、と酒神の神官は言ってはばからないが、周囲としてもうわばみやらざるのいう事だし、と聞き流してとりあっていない。

 

「もっちろん、収穫祭を祝うべく、とれたてのあっつあつのお芋を塩バターで食べたり、出来立てのベーコンとアスパラ炒めも鉄板商品ですね」

 

「時に、チーズはおありかな」

 

 すまし顔で問いかける蜥蜴人にこれまたにへらーと笑みを返す。

 

「チーズ! 蜥蜴人のお兄さんはわかってますねぇ、えぇ、えぇ、もっちろんですとも! チーズをカリッと上げたチーズ揚げ団子はサクッと噛めば口の中にアツアツのチーズがとろーっと、濃厚な臭いがふわーっと」

 

「ほほぅ!」

 

 喜色満面、尻尾が跳ねる。

 

「ぜひ、ぜひ来てくださいねー、お待ちしてます」

 

「承った!」

 

 快諾する蜥蜴僧侶にいいかげん脱線した話を戻そうとゴブリンスレイヤーが声を上げる。

 

「……それで、依頼は何なのだ?」

 

「あぁ、ええとそうでした、私どもも、もちろん、ちゃんとお酒、おつまみの貯蔵、準備は怠りありません」

 

 ですが、と前置きをする。

 

「私どもの慣例として、この収穫祭、定番のほかに、何か新しいメニューを、というのがありまして、各神官が創意工夫を凝らして新メニューを創り出しているのです」

 

 つまりは、神官達の新メニューのお披露目会でもあるらしい。酒もつまみも宴も好きな酒神の神官は誰もが料理人である。

 

「……つまり、あれか、その嬢ちゃんの考える新メニューのためには冒険者を駆り出す必要がある、っちゅーこっちゃな」

 

「はい、そうなんです!」

 

 その危機感のない笑顔に、一抹の不安を一党は感じた。

 

 彼らの旅立ちを、神殿の門前に植えられた白い酔芙蓉の花が見送っていた。

 

 

 

 迫りくる肉の槍、いや舌だ。

 

 跳びのくゴブリンスレイヤーのいたところを赤く太い舌が貫き、後ろにあった人の胴ほどまでもある立木をへし折る。

 

「FROOOG……」

 

「こりゃあ、難物じゃのぉ……」

 

「ですなぁ……」

 

 鉱人道士と蜥蜴僧侶の見上げる先には巨大な腹、四つの水かきのある四肢は地面につき、ぎょろりとした両の目玉が冒険者たちを睥睨している。

 

 蛙である。

 

 巨大蛙だ。

 

 その象の如き尋常ではない巨躯に、悠然とならされる喉の音は、おそらくこれこそがこの大湖沼の主であることを思わせた。

 

 途方に暮れるまなざしを向ける三人をよそに、少女は期待に満ちた瞳を輝かせている。

 

「あぁおいしそうだなぁ……しっかり練られた味なんだろうなぁ……」

 

 身の丈もある弩を歯車仕掛けで引き絞りながら、よだれをたらさんばかりである。

 

「只人の神官はみんなこうなのか!?」

 

「俺が知るか」

 

 言い捨てながら立ち回る。

 

 その巨躯の跳躍はそれだけで絶命を保証する突進であり、伸ばされる舌も同様である。

 

「少し動きを止めててくださいねー」

 

 のんびりとした口調で話しながら手馴れた様子で射撃姿勢に入る。

 

「FLOOOG!!」

 

 伸びた舌が振り回され、鞭のように周囲を薙ぎ払う。

 

「ええい! 南無三!」

 

 やけくそのように突進した蜥蜴僧侶が舌の鞭の嵐をかいくぐりそのどてっぱらぶち当たり、そのまま前足にとりつく。

 

 ゴブリンスレイヤーも雑嚢から取り出した何かが固められた玉をその大口めがけて投げつける。

 

 投擲は只人の領分である。その一投は吸い込まれるように投げ込まれた。

 

「レモネードなら……樽になるか」

 

 在りし日の思い出をふと重ねてつぶやきながら、万一のまぐれ当たりを警戒して盾を掲げつつ距離をとる。

 

「!?!?!?!!?」

 

「……何飲ませた?」

 

「目つぶしだが……食ってもまずい」

 

 苦悶の声を上げて頭を振る巨大蛙にズドンと人の腕ほどもある野太い杭のような矢が突き立った。

 

 

 

「~♪」

 

 鼻歌交じりに蛙の腹を裂き、臓物を取り出す少女に呆れ顔になりつつ、解体を手伝う。

 

「心臓食べましょう心臓! レバーも持ち帰れませんから! あぁ、この袋もなんかおいしいんですよねぇコクがあって……」

 

 専用の合羽に身を包んだその姿は血まみれの襤褸切れだ、その中から聞こえるのは少女の恍惚とした声であり、端的に言って怖い。

 

 帰りの荷台には彼女の《泥酔》によって、ついでとばかりに空から酔い落とされた巨鳥の死体である。

 

 酒神の神官の前で空を飛ぶとは、愚かなことである。

 

「この内臓の味は自分で仕留めないと中々……あぁ、これぞ冒険の味ですね!!」

 

 そう酒をあおりながら騒ぐ少女が調理する、パチパチと上がる焚火であぶられた蛙の内臓は、男たちが目をむくほどに極上の味であった。

 

 

 

 夕暮れ時に意気揚々と神殿へ凱旋した少女と荷馬車を赤い酔芙蓉が出迎えるのを見送り、男たちは帰途へ着いた。

 

 凱旋の酒宴に巻き込まれる前に逃げ出したのである。

 

「……のぉ」

 

「……なんですかな」

 

 髭をいじりながら歩く鉱人の声に蜥蜴僧侶が返す。

 

「祭りの日には、酒神(のんだくれ)神殿(巣窟)に行ってみるか」

 

 あの少女が信仰心と情熱のままに、思うがままに作り上げる渾身の料理というものには、確かに興味がわいた。

 

「お供しますぞ」

 

「……ふむ」

 

 夕暮れ時を、歩き、ギルドに戻る。

 

 ドアを開ければ、少女たちが祝杯を挙げていた、どうやらあちらの件も丸く収まったようだ。

 

 女神官が、笑顔で出迎えてくる。

 

「おかえりなさい、皆さん、いい冒険でしたか?」

 

 さて、何と答えていいやら、男たちは顔を見合わせた。

 

 



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第七話

 

 

 

 音もなく、蜘蛛のように低く速く、そして殺意に容赦なく。

 

 白と金の影が煙が漏れ出るように近づき、まとわりつく。

 

 ガラスのようながらんどうな青い瞳が敵を見据え、訓練を積んだ機械的な動きがゴブリンの頸椎に打撃を走らせる。

 

 出口で見張りをしていたゴブリン2体は《沈黙》を纏って滑るように忍び寄った女神官に絶命させられた。

 

「……よし」

 

 がさり、と物陰から出てくるのはみすぼらしい鎧姿の冒険者、ゴブリンスレイヤーである。

 

「結構使えますね」

 

 ニコリと笑みを浮かべ、ぬらり、と血に塗れた布でくるんだ金槌を満足げに眺める。

 

 無音、というものは見えにくい。いや、気取りにくい、というべきか。

 

 熟練の戦士であれば矢や礫の風切り音だけで見もせずに飛び道具を避けてのける。

 

 地を駆ける際に鳴る足音、呼気、装備の風切り音、全てが敵に自分の到来を知らせる。

 

 それが一切なく、死角から忍び寄られればどうなるか、答えは躯となったゴブリンが教えてくれる。

 

「では、残りのゴブリンを殺しましょう」

 

 色々試したいことがあるんです。

 

 乙女が胸に秘めた思いをそっと明らかにするように、そう窺うように彼女が打ち明けてきたのだ。

 

 いや、実際に乙女ではあるのだが、例えとして、である。

 

 無論、その胸に秘めたものは男への恋慕の情や恋をものにする妙案、などではない。

 

 もっと、陰惨で血に塗れた、そしてこれから多くのゴブリンを血の海に沈めるためのものだ。

 

 ゴブリンを使った、ゴブリンを殺す実験。

 

 自分も散々してきたことだ。

 

 彼女にするな、という筋合いは、無い。

 

 何より、試行錯誤をせず、それで危険にさらされるのは、彼女なのだ。

 

 自分にできることは、彼女の実験が、上手くいかなかった際のフォロー、バックアップだ。

 

 やるべきことをやり、備えるべきを備えれば、ゴブリンは死ぬ。

 

 今回は自分が手を下さずにも、済むであろう。

 

 だが、だからといって、楽で助かる、と前向きに思えるわけもない。

 

「…………」

 

 ふと、重いため息が漏れた。

 

 

 

 ゴブリンは憤っていた、見張りの奴達が戻ってこないのだ。これまで呼びに行った者もだ。

 

 捕まえた只人の女を玩具にすることも出来ず、くすぶっていた不満の炎は、しかし、嗅ぎつけたのその匂いに残虐に、いやらしく表情を歪ませるものになる。

 

 只人の、女の匂い、小水の匂いだ。

 

 それが漂ってくるということは、見張りの奴等が女を捕まえたということだろう。

 

 帰ってこないのも当然だ、たまりにたまったうっぷんを思う存分、偶然手に入れた女で憂さ晴らししているのだろう。

 

 小便を漏らし、ピイピイと悲鳴を漏らし、命乞いをする女、それを思うだけで足は早まり、股間はいきり、鼻はさらにならされる。

 

 洞窟を出て、見張りは居ない、当然だ、洞窟の中の同類にすぐ見つかるようなところで楽しみはしない。

 

 だが、漂ってくる臭いまでは隠せない。若い娘、只人の小水だ。

 

「GOBBBGB……?」

 

 俺も混ぜろ、と繁みに顔を突っ込み、首をかしげる。

 

 誰もいない、しかし、地面は濡れており、臭いは確かにする。

 

 小水で濡れた地面に鼻を近づけ、確認し、そしてそのゴブリンの意識は途絶えた。

 

 

 

「十二……結構釣れますね、妖精弓手(あの人)のだとどうなんでしょう」

 

 今度貰ってきましょう、とつぶやき心の中でメモをつける。

 

「…………やめてやれ」

 

 淡々とゴブリンの死体を引きずり移動して殺害の形跡を隠し、好奇心が鎌首をもたげた様子の女神官にその思い付きを実行しないように釘を刺す。

 

 していることは単純だ、彼女が草むらで小水をして、その匂いを《送風》でそれとなくゴブリンの巣穴に送り込み、釣れたゴブリンをその近くで潜んでいた女神官が流血しないように布を巻いた金槌で不意打ちし、殴り殺し、隠す。

 

 釣果は上々……といえばいいのだろうか。順調に彼女の小水の臭いに釣られたゴブリンを淡々と殺している。

 

 少なくとも、ゴブリンスレイヤーは今度から自分のことを自虐的に俺は奴等にとってのゴブリンだ、とは言わないようにしよう、と心に決めた。

 

「結構装備がそろっていますね」

 

 これまでのゴブリンの死体を見て頷く。

 

「後は……田舎者と取り巻きが何匹か、というところか」

 

「トーテムもないですし、英雄、ということもないでしょう」

 

 少女の言葉にこくり、と頷き、剣を抜く。

 

「準備は良いか」

 

「はい」

 

 見れば彼女も刃を構えている。次の実験は前に出た場合らしい。

 

 

 

 取り巻き共はあえなく殺された。

 

 押し入ってきた戦士と女の神官にそれぞれ一刀のもとに命を絶たれた。

 

 殺す、そして犯す、後は、後で決める。

 

 贄として攫った女どもを全部孕ませ、目の前の女も孕ませ、自分が一大勢力を築いてもいい、もしくはくらい尽くして、別の群れの用心棒に収まってもいい、なんにせよ、目の前の連中を殺してからだ。

 

「GBBBUU……?」

 

 戦士が一歩さがり、神官が前に出る。

 

 女の手で血に塗れた黒ずんだ毒の刃が構えられる。

 

 何かはわからないが、一人ずつかかってくるのであれば好都合だ、そう思い、こん棒を振り上げ、相手の斬撃がこちらの首筋めがけて放たれる。

 

 鋭いが、良く見える、受けても、避けても、何とでもなる。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたしどもに、聖なる光をお恵みください》」

 

「GBRINNN!!??」

 

 刀身から斬撃よりも先にほとばしる閃光に目を焼かれ、その刃の軌道を見失い、その刃をなすすべもなく喉元に受ける。

 

 かつて、本当の駆け出しのころですら、走って飛んで振り返って唱える、といった芸当が出来たのだ。一太刀と共に唱える事など、造作もない。

 

 ぱっくりと切り開かれた首、噴水のごとく吹き出る鮮血、返り血を浴びながらもつまらなそうにその迫りくる死にのたうち回る田舎者を見下ろす。

 

「動転して振り回した武器のまぐれ当たりが怖い所ですね」

 

 あまり使えませんね、これは、と言いながら返り血に汚れた神官衣を見下ろす。

 

 傷一つなく、ただ返り血に塗れたをふと見つめ、そして何事もない様子でゴブリンスレイヤーに微笑みかける。

 

「じゃあ、帰りましょうか、ゴブリンスレイヤーさん」

 

 攫われた女達は、無事であった。

 

 その純潔を証明するために、後日《看破》の使える至高神の所へ連れていき、至高神の神殿の印が押された証明書を発行してもらうい、もし故郷の村で生活し辛いのであれば、と地母神の伝手がきく遠隔の開拓村の紹介など、アフターケアにも奔走することになった。

 

 

 

 門を入ったところで、待ち構えたように近づいてくる影があった。

 

 すっ、と前に出たゴブリンスレイヤーの前に、うわわ、とたたらを踏んだのは女神官の後輩の一人である見習い侍祭である。

 

「あら、どうかしましたか?」

 

「せ、先輩、えっと、神官長様ができたら早くに神殿に来てほしいと」

 

 そろそろお戻りらしい、とギルドで聞きまして、とゴブリンスレイヤーにやや胡散臭そうな目を向けながら女神官に寄っていく。

 

――ええと

 

 ちらり、とゴブリンスレイヤーを見れば、好きにしろ、という様子だ。

 

「すみません、ゴブリンスレイヤーさん、神官長様にお話を伺ってからギルドに向かわせてもらってもよろしいでしょうか」

 

「構わない、俺は先に戻っておく」

 

「わかりました、では、また後で」

 

 そう言って別れる。

 

 薄汚れた神官衣を後輩の少女は痛まし気に見つめる。

 

「先輩……その、お疲れ様です」

 

「ふふ、ありがとう」

 

 笑顔を返し、しゃんしゃんと錫杖を突きながら笑顔で道を歩く。

 

 辺境の街は来る収穫祭へ向けて木組みの塔やのぼりに旗などがはためき、いつもよりも手狭で、街の皆がどこか浮ついたような様子だ。

 

 たどり着くのは地母神の神殿、親の顔より……親の顔など見たこともないが、見慣れた門構えだ。

 

 おかえりなさーい、という後輩たちの声に手を上げて答えつつ奥へと進んでいく。目指すは神官長室である。

 

「お久しぶりです、ただいま戻りました」

 

「はい、おかえりなさい、急ぎで呼び出してごめんなさい、早め早めに伝えておいた方がいいことだったから」

 

 女神官を見て目を細める。書き物をしていたのだろう、ペンを机のホルダーに立てて、女神官も座るように促す。

 

「……さて、前々から伝えていました通り、収穫祭の神事の舞手、お願いしますね」

 

「……はい」

 

 突かれたくないところを突かれた、という表情だ。確かに神事で纏う戦装束はかなり煽情的で、それゆえ貞淑な彼女からすれば羞恥心が掻き立てられ、抵抗も大きかろう。

 

「それに加えまして、せっかくですので、それ以外の差配などについても経験してもらおうと思います」

 

「それ以外、ですか?」

 

「ええ、収穫祭は地母神としても辺境の街としても、年に一度の行事です。それゆえ様々な仕事がありますし、この時でなければ積むことのできない経験というものも、多々あります。」

 

 神事、それはただ決められた動きをして祈りを捧げればできるということではない。

 

 場所取りに会場の設営、外部の街からの応援の受け入れに、仕事の差配。

 

 街の行政へ申請書を提出し認可をもらうのだって、手を合わせ、神に祈れば終わる話ではない。

 

 とかく神事は俗事の積み重ねでできる、水面に浮かぶ一角なのだ。

 

 とはいえお役所への申請などはもう終わっているため、実際に行うのは現場の設営指揮を少しと、ある程度の地位の客人の対応だ、あくまで今年の彼女の役割は舞手である。だが裏を返せば本番とそのための打ち合わせやリハーサル以外はほぼほぼ暇である。

 

 ゆくゆくは自分の跡目に、と目している少女に早いうちから様々な経験をしてもらいたい、というのは神官長が常々心に留めていることである。

 

「わかりました、精一杯務めさせていただきます」

 

 そして、さらり、とむしろ安心した様子で受ける娘。

 

 冒険に出れば、一皮むける、ということはままある。

 

 しかし、それにしもて、彼女の場合、人が変わったというか、何というか、一気に肝が練られ、据わったようだ。かつての初々しい神官姿はなく、一種の貫禄すらある。

 

 冒険者のなりたての頃は素行不良もささやかれたが、最近は落ち着いていると聞いて胸をなでおろしたものだ。

 

「ええ、よろしくお願いしますね」

 

 

 

 うわキツ

 

 鏡に映る自分の姿に思わず壁に手を付き、長く息を吐く。

 

 白い肌、昨日は休んだから髪の艶だって結構いい。

 

 凹凸は少ないが、それなりに肉付きもあるには、ある。

 

 問題は、そこではない。

 

 その体を覆う布だ。

 

 肌を覆う面積を削れるだけ削ったような布、端々の金具、自分の瞳と同じような青い石。

 

 以上、それだけ。

 

 戦装束といえば聞こえがいいが……つまりは下着鎧である。

 

 申し訳程度の追加である飾り袖は舞う際にその動きをより大きく映えるようにするための物である。

 客観的に見れば、年若い少女のあられもない姿である。嬉しいという男性陣はそれなりの数が居るであろう。

 

 はぁ、と息を吐く。

 

 精神的には80を超えてのコレは、正直キツいっていうものではない。

 

 一回こっきり、と思えばこそ、何とか着ることのできたものである。

 

――透けるんですよねぇ、これ

 

 白い布で、一舞いすれば、もちろん秋の夜とはいえ、汗ばむ、汗ばめば、もちろん透ける。

 

 動きによっては、普通に色々食い込んだり、ずれたりと男からすればうれしいアクシデントの博覧会だ。

 

 前回は、それを知らずに望むことが出来たからこそ、思い切り舞うことができた部分はある。

 

「どうだい、どっか直すか?」

 

 更衣室の外から掛けられる声は鍛冶場の老爺に、大丈夫です、と返して、意を決して外へ出る。

 

「うっわ、すっげぇ、ここで丁稚やっててよかった……」

 

 徒弟の少年が青臭い欲情のまま無遠慮な視線を投げかけてきて、それについ両手で体を隠す。

 

 それにさらに少年は猛り、

 

「ばっきゃろう」

 

 老爺の鉄拳制裁が下る。

 

「いでっ!?」

 

「丈はいいみたいだな」

 

「あ、はい、おかげさまで」

 

 気を取り直して返事をすると注文していたフレイルが手渡される。

 

「少し、動くといい、ぶっつけ本番、舞っている最中にばらけて脱げた、なんてことになっちゃあ、表歩けねぇだろ」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 しゃん、しゃらん、と振るわれる祭祀用のフレイル。鳴金が用いられた、美しい音を響かせるためのものだ。

 

 奇跡の発動体として使えなくはないが、直接の殴打には向かない。魔法使いの杖に近いものだ。

 

 それはそれとして、自分はこの収穫祭を機にフレイルを好んで使っていた。

 

 間合いを詰められるとその先端についた重りが振る動作の邪魔になって、使うのは自然と減っていったが、それでもかなり長く共に戦った武器である。

 

 さて、何かいいものがないだろうか、と棚を見回していると店の隅の方により分けられたようにいくつかの武器が置いてあり、その中に鎖分銅があった。

 

 愛着は思考の選択肢を狭めるのであるが、使い慣れた武器はそれはそれとして生存率を高める。

 

 いざという時のロープ代わりにも使える鎖分銅は一つぐらい持っていてもいいだろう。

 

 戦装束を畳み、ゴブリン退治の報酬で買い上げたそれを荷物に入れ、ギルドを後にした。

 

 

 

 神殿に戻れば、直前のリハーサルが待っていた。

 

「壇上への階段の上り下りは先ず右足から、そして左足で一段、しずしずと、厳かに」

 

「はい」

 

 女神官が頷く。

 

「四方の錫杖は舞手の足をよく見て、登壇の歩みとリズムを合わせて!」

 

「「「「はい!」」」」

 

「……そう、その後は小刻みになって消えていくように! そう、そう……」

 

 監督の中堅神官の声が飛び、侍祭たちが返事をしつつ女神官の歩みを見ながら錫杖を鳴らす。

 

 いくつかのパートを中抜きしたリハーサルではあるが、ほぼほぼ頭から終わりまで通しのものだ。

 

「お疲れ様です。先輩!」

 

 そう言ってハーブの香りのついた水を持ってきてくれたのは後輩の侍祭だ。

 

「ありがとう」

 

「頑張ってくださいね! あと神官長様がお呼びでした」

 

「わかったわ、すぐに向かいます」

 

 機嫌よさげに去っていく彼女もそろそろ十五。成人として孤児院を出て独り立ちを始める頃であろう。

 

 絶対に成功させよう、と決意を新たにしたところで、思い出す。

 

 彼女たちが来たのだ。

 

 

 

「こんにちは! あなたが舞手の神官の女の子?」

 

 そうにこやかに近づいて女神官の手を取るのは勇者、後ろには剣豪と賢者がいる。

 

 これが、初めての顔合わせだった。

 

 かつての未来では、挙兵した私へ差し向けられる暗殺者でもあり、私の祝福を受けて魔神討伐に旅立つ勇者でもあった。

 

 時に逃げおおせ、時にハメ倒し、よくもまぁ我ながらこの三人をあしらい抜いて生き延びたものだ。

 

――下手に誰か殺すと、復讐鬼になってもっと危険、とは言え、無理が過ぎましたよ、本当。

 

「はい、このたび舞手の重役を仰せつかりました神官になります。拝謁の機会を賜りましたこと、まことに感謝いたします、勇者様」

 

 本来は膝をついて礼をすべきところであろうが、手を握られていてはそうもできない。

 

 せめてそれなりに格式ばった口上を上げると、勇者はこそばゆそうに頭を搔いた。

 

「そんなー、固くならなくっていいのにー、っていったぁ!?」

 

「礼儀は大事、それにここは一応公式の場」

 

 するすると後ろに近づいていた賢者がぽかりと杖で勇者の頭を叩き、勇者が抗議の声を上げ、それをやれやれと剣豪がやり取りを眺める。

 

 変わらない三人である。

 

 ははは、と乾いた笑みを浮かべながら、三人の様子を見て、勇者はともかく他二人ならなんとか行けるだろう、と軽く戦力のあたりをつける。

 

 二度とやり合いたくない相手ではあるが、今の力量を見ない理由もない。

 

 常識からすれば今でも軽く逸脱している実力ではあるが、それはそれとして、自分が目にしたものはその超越的な存在がさらに数多の冒険を駆け抜けた末の出鱈目なまでの完成体であり、あの頃に比べれば勇者すら付け込みどころが満載のチーズチャンピオンに見える。

 

 だがまぁ、勇者は勇者である、正直すべての直感と推測と前準備があてにならないいんちき(チート)な存在だ。

 

「……当日は精一杯お役目を務めさせていただきます、何卒宜しくお願い致します。」

 

 そう、しずしずと頭を下げた。

 

 今度は、どうぞ敵となりませんように。本当に。

 

 

 

 部屋に戻り、神に奉げる祝詞をさらさらと書き上げたものを見直す。

 

 流麗な筆致で綴られるそれは、偽りない信仰と多大な慣れによるものだ。

 

 かつての未来では、自分の書く祝詞が一種のスタンダートですらあった。

 

 しかし、ふと、と視線が止まる。

 

 そんな、手に染み付いたものを手なりに書くよりも、思う存分胸の内を差し出したほうがいい。

 

 技術を捨てる事こそが信仰の一つの極致である、と気づいたのはいつの事であったか。

 

 世事は世事、信仰は信仰、いっそかぶくべきなのだ、思う存分胸の内を高らかに唱えるべきなのだ。

 

 ふと、彼を想う。

 

 筆は恐る恐る、しかし確実に動き始めた。

 

 

 

「ええ、そこはそう、後ろの列は半分横にずれるように……そうそう、そういった感じでお願いします」

 

 日が明け、席の配置指揮をしながら、自分の舞台を外側から下見する。

 

 彼も、見てくれたらしい。

 

 そう思うだけで、ぐ、と拳に力が入る。

 

「せんぱーい、幕持ってきましたー」

 

「ありがとう! えーと、こっちから、あっちへ、紐は足りる?」

 

 テキパキと指示を飛ばす、更に上流の仕事に慣れ過ぎて、現場の指示出しなどある意味久しぶりですらある。

 

 とはいえ、任された範囲を十二分にこなすぐらいはできる。

 

「えっとー……はいっ! 行けます」

 

「よろしくね」

 

 俗事を積み、後は神事が待つだけだ。

 

 そしてその後の一暴れ。

 

 夜が来る。

 



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第八話

 

 

 

 酒池肉林、狂喜乱舞

 

 それが目の前で広げられていた。

 

 ゴブリンスレイヤーとその幼馴染のデートを出歯亀するだけして、河岸を変えよう、と森人を連れて男二人が選んだ先は約束の通り、酒神の神殿であった。

 

「さぁさぁ、皆様方! 今宵は宴! おぉ兎角浮世は骰子(サイコロ)遊び! 何がどうなる、先々は! 神々だとて知らぬもの! されど酒は憂いの玉箒(たまははき)! 酔って歌って騒いでゆけば、何とかなるさ、時はゆく!」

 

 大きな扇を構え、盃をあおる酒神の神官長にワッショイワッショイそーれそれそれもう一杯、と歓声を送る神官信徒(飲んだくれ)共に東西南北の名酒奇酒妙酒、並ぶ酒の肴も山海珍味が軒を連ねている。

 

 盃の他に何を携えるかは各人の自由だ、大体先の偉人にあやかったものを持つことが多い。例えば遥か東方の島国では扇ではなく業物の槍を持ち、歌を吟じているらしい。

 

「あら! お二人とも来てくださったんですね!」

 

 ニコニコと寄って来たのはかつての依頼主にしてともに冒険を共にした酒神神官である。

 

 今日は料理人でもあるのだろう、柔らかそうな体の前面はエプロンに覆われ、その柔らかそうな髪もバンダナキャップの中にまとめられている。

 

「おうともさ、旨いものを食わずして鉱人やってられるかい」

 

「然り然り、約定通り御手前の逸品を頂戴しにまいりましたぞ」

 

「ええ! ええ! ございますとも! ございますとも! 皆さま楽しんでいってくださいね!」

 

「……すごい神殿ねぇ……」

 

 ぽかんと周囲を見渡す。

 

 料理に長けた神官が己の技の限りを尽くしてみたこともない料理が並んでいると思えば、飲み比べをしては死屍累々と潰れる者たちもいる、調子はずれな歌を肩を組んで歌っている者もいる。

 

「さあ私のこの一年の集大成! どうぞ召し上がれ!」

 

 テーブルに運ばれてきたのは巨大蛙のタンステーキにから揚げ、巨鳥のから揚げ。

 

 もちろん蜥蜴僧侶のためにとチーズの揚げ団子や盛り合わせも並んでいる。

 

「ほほう、ではまず難敵の舌の槍をば……ぬぅ!!」

 

 ざくり、と堅いタン特有の歯ごたえ、肉のうまみが濃い、いやこの深みは違う。

 

 いうなれば湖丸ごと食べているかのようだ。

 

 これは巨大蛙の舌が味わった全てだ。

 

 人里離れた大湖沼の魚や獣、鳥の味が全部染み込んでいると言っても過言ではない。

 

 大湖沼の王、その暴食故に練られた千変万化の味の波乱万丈。

 

 次に何の味がやってくるか、予想がつかないが、間違いなく旨い。

 

 これぞ食の冒険の旅だ。

 

「もう一枚!! こりゃあ命がけにもなるわい!!」

 

 鉱人が酒を後回しにしてお代わりをするなど、そうそうお目にかかることはないだろう。

 

「ほほう、こちらのチーズもまた、うむ、甘露、甘露」

 

「うわ、ほんとね」

 

 鉄板に無造作に転がされた蒸し野菜、それに贅沢にとろりとあぶられたチーズが削られかけられる。

 

 ラクレットだ。

 

 野菜をチーズで食べる、それが旨い。

 

 ブロッコリーが、アスパラが、ジャガイモが、いつもは静かな顔をしている野菜たちもラクレットという相方を迎えて、にぎやかに舌の上で踊っている。

 

 それ以外にも秋らしくヴァランセ等の旬のチーズが華やかに並ぶチーズの盛り合わせに蜥蜴僧侶の口元はだらしなく緩んでいる。

 

 さてでは巨鳥のから揚げは、と期待を胸に口に放り込めば、カラリと揚がった衣を突き破るように肉汁が舌の平原へ襲い掛かる。

 

 なるほど、これは空の王だ。

 

 どのような下味をつけたのか、香辛料の伴奏が鶏肉の雄姿を巧みに引き立てる。

 

 濃厚な味わいと香りは強く残り、雄大な肉を食べたという実感がいつまでも残る。

 

 舞台とされた舌と鼻が喜ぶ、手は自然に酒をあおる。

 

 するとまるで心得ている、とばかりに肉の余韻は消え去り、また新しい気持ちで次のから揚げ、別の料理へと心をいざなう。

 

 まさに飛ぶ鳥跡を濁さずだ。

 

 これもまた、逸品。

 

「これは皆二日酔いでしょうねぇ……」

 

「そういう時は神も一緒に二日酔いに頭を痛めてくださっている、と私たちは考えています」

 

 ちびちびと葡萄酒をあおりながら宴会場、もとい神殿を眺める妖精弓手に酒神神官がニコニコと語りかける。

 

「あら? 酒の神ともあろうものが、二日酔いになるの? うわばみのように思うのだけれど」

 

「いえいえ、酒の神なればこそ、酒の酸いも甘いも御存知でありましょう。酒とて時に苦い酒、涙の酒というものもございますれば」

 

 であれば、苦い酒を飲めば、神もまた苦い酒を飲んでくれる。

 

 涙の酒を共に飲んでくれる。

 

 悼む酒を共に飲んでくれる。

 

 そしてよく飲み、楽しんだ宴のあくる朝にも、神はともに苦しんでくれているはずだ、というのが彼女の弁だ。

 

「へぇ、いい神様ね」

 

 偽りのないつぶやきに酒神神官も笑みを浮かべる。

 

 興の乗った蜥蜴僧侶が竜牙兵を二体呼び出して躍らせたり、自分のバックダンサーにして自ら踊ったりしている。

 

 鉱人はその低く太い声とどこから出したか小さな鼓を叩き、その踊りの伴奏となっている。

 

「神官長の! ちょっといいとこ見てみたい!」

 

 そーれいっきっきっきっき! と万雷の手拍子とコールがかかり、ぐいぐいと大きな杯を空にしていく。

 

「それにしてもさすがにあれは神殿でいいの?」

 

 静謐な祈りの場なのに、とは今更言うまいが、と指をさす。

 

「あら、あれは神徳確かな呼び声ですよ、何せあれで我らが神がいらっしゃったこともございます」

 

「マジで!?」

 

 思わず目を剥いて酒神神官を見ると、当然のように頷く。

 

「何せ《降神(コールゴッド)》といいましょう……でも同じようにしても他の神々はいらっしゃることないようなのです」

 

 不思議ですよねぇ、と小首をかしげる少女にガクリと肩を落とす。

 

 そして妖精弓手も多くの者と同じ境地に至った。

 

 まぁ、酒神だし、もういいや。

 

「いい宴です」

 

 彼女の言葉は、目の前の全てを現していた。

 

「……あれ、でもこれって根本的な解決にもなってないんじゃないの?」

 

 首をかしげる森人の言葉に答える者は居なかった。

 

 

 

 迂闊だった。

 

 同僚の彼女は今頃デートなのだろうな、と、どこにいってもお一人様ご案内でーす、と扱われる自分に自嘲のようなため息を吐いて、祭りの夜道を歩いていたのだ。

 

 私も恋がしたいなぁ、と思えど、色恋沙汰は愛読書の中にしかない。

 

 とぼとぼとした独り歩きだ。

 

 そこを、狙われた。

 

 路地裏に引きずり込まれ、地面に押さえつけられている監督官は、自分を引きずり込んだ男たちを、それでも毅然とにらみつけた。

 

 ギルドの監督官、それはすなわち、ギルドで一番ろくでなしに逆恨みをされる危険性のある役職ということだ。

 

「へへ、へへへ、てめぇにゃぁ、俺たちの努力を台無しにされた恨みがあるんだ、楽に死ねると思うんじゃねえぞ」

 

 ニタニタと勝ち誇った様子で語る男は仲間にした冒険者を使い潰して利益を独り占めして町を放逐された戦士、見渡せば、見覚えのある、覚える価値のない連中(NPC)ばかりである。

 

 監督官になれば、こういった危険はあって当然だ、しかし、危機感が祭りの空気で緩んでいたのだろう。

 

 だから、こんな狭く暗い路地裏でろくでもないごろつきに組み伏せられている。

 

 実際、この役職で死亡する事例は、明らかに他の役職の者よりも多い。

 

 それでも、監督官が各都市のギルドにいるのは、至高神の神官、聖女が己が使命として行うからだ。

 

 だが、そんなことは男たちとって関係のない話である。

 

 彼らにとって大事なことは、どす黒く濁った恨みをぶつける先がうら若い少女である、ということだ。

 

 男の手が胸元に伸び、こんなのが、男の人との最初で最後なのか、とあきらめとも覚悟ともつかぬ思いで、それでも一声たりと楽しませてやるもんか、と目を閉じ歯を食いしばる。

 

「何してんだお前ら」

 

 ドガッ、と重い殴打音が響き、醜い悲鳴と共にのしかかっていた重さが消える。

 

「ひゃっ!?」

 

 おそるおそる目を開けようとしたところで、脇を持ち上げられ、引き立たせられる。

 

 精悍さを持ちながらも整った顔立ち、長身痩躯で鋭さを感じさせる佇まい。

 

 辺境最強、槍使いだ。

 

 彼女にのしかかっていた男を、文字通り一蹴したのだろう、もんどりうって倒れた男が白目を剥いている。

 

「あぁ監督官の、となると、なるほど」

 

 事情を察したのだろう、ずい、と監督官を後ろにやり、右腰に馬手差しに差していた短刀をするりと抜く。

 

「よりにもよっての日に、ろくでもねぇ」

 

 一瞬、槍使いの姿に怯んだ男たちではあったが、その手に愛槍が無いのを見て取ってそれぞれの手槍や長剣、ダガーといった得物を自慢げにちらつかせる。

 

「構わうんじゃねえ! 槍のねぇ槍使いなんぞ唯の優男……だ……?」

 

 勢いづけようと上げた声が、尻切れトンボに消えていく。

 

 鋼が迸り、男たちが崩れ落ちる。とん、とん、と、まるで、通り過ぎざまに友人の肩を叩くような何気ない動きであった。

 

 峰打ち、とはいえ、鋼で殴打されたのだ、軽傷ではない。

 

 残るは一人だ。

 

「馬鹿かお前らは、ものを知らんにも程がある。槍は間合いを詰められりゃ、後は短刀でのぶった切りのぶっ刺しあいの得物だぞ、そもそも」

 

 そして一打ち、それで男の意識は絶える。

 

「お前らじゃ物の数じゃねえよ」

 

 その一方的な立ち回りにポカンと半口を開けて、辺境最強の一部始終を見届ける少女。

 

「……」

 

「…あー、怪我はないか?」

 

「あ、は、はいっ」

 

「ちょっと待っててくれ」

 

 ぶわ、と今更ながらに震えがやってきて、ふら、と壁に寄りかかり、ずるずると座り込む、腰が抜けたのだ。

 

 さて困ったな、と頭を搔きつつ、倒れた男たちを無力化していく。

 

 縄もないので無造作に片足を踏み折って回るだけだ。治療すれば歩けるようになるし、有情なものだ。

 

 逃げられなくすれば、警邏の者を呼ぶには十分だ。

 

 彼らが逮捕され、闇人の陰謀の一端であることが知られるのはまた後の事である。

 

「よっと」

 

「わきゃっ!?」

 

 ひょいと抱え上げられ、妙な声が漏れる。

 

「ギルドの……職員寮でいいか? 祭りを楽しみたいとは思うだろうが、さすがに今日は帰っていた方がいい」

 

「は……はぃぃ……」

 

 顔が近い、無造作に抱き上げられ、良く鍛えられた胸板や腕が頼もしい。

 

 どうしようもなく顔が赤くなる、ばくばくとなる鼓動が聞こえてはいないだろうか。

 

 借りてきた猫のように腕の中で丸くなりながら、間近にある顔を見ていられなくなる。

 

 兎角、恋は突然に落ちるものなのだ。

 



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第九話

 

 

 

 戦場は街一つ、目標は防衛。

 

 つまりは、駆けずり回ってゴブリンを殺して回る。

 

 いつも通りの単純な話である。

 

 一先ず北方の連中を鏖殺にした後、二手に分かれることにした。

 

 着替えはともかく、その他の装備は妖精弓手に持ってきてもらったから術だろうが使いたい放題だ。

 

 南方の守りは牧羊犬が警戒してくれている。

 

 人目さえなければ、有象無象のゴブリン程度、自分の使徒が後れを取ることはない。

 

 確か闇人がいたはずであるが、まぁそれも込みで何とかなるであろう。

 

 つまり、大事なのは預けられた目の前の戦場を確実にこなすことである。

 

 ポンポンと錆びた鉄兜を撫でて、印を描きながら呪文を唱える。

 

「《インテンティオ(意思)……グラント(付与)……オペラティオ(操作)(I・G・O)》」

 

 鉄兜にずるずると土が流れ込み、兜をかぶった土人形が出来上がる。

 

「……」

 

 土人形だ。

 

 執念の籠った兜を触媒とする呪文。

 

 蜥蜴僧侶の竜牙兵よりも用意し難く、使えるときは中々ない。

 

 下手な兜であれば魔法の無駄打ちになってしまうからだ。

 

 小鬼殺しに執念を燃やす彼の兜であれば間違いはないし、骨のない土の体は前衛を任せるには最適だ。

 

「マントでも着せればオルクボルグそのままね」

 

 そのいでたちを見て妖精弓手が一つ頷く。

 

「ゴブリンスレイヤーさんの鉄兜ですし、そういったことから姿かたちは似通うんだと思います……行きなさい」

 

 術者の声に、人形は従う。意外と俊敏な動きで剣をもって、小鬼たちの元へと突進する。

 

「GOOB!?」

 

「GRBN!?」

 

 とっさに突き出した刃が土の体にぶすり、ドスリと突き立つが、人でない身がそれで死ぬわけもない。

 

 むしろ、埋め込まれた刃は抜け出ることが出来ず、至近で人形の振るう拳を受けることになる。

 

 刺された刃をそのまま引き抜き、それなりの技量で振り回される双剣は当たるを幸いにゴブリンの小隊を削っていく。

 

 真正面から奇怪な魔法の産物に乱戦に持ち込まれ、ゴブリン達は浮足立つ。

 

 それをのうのうと見逃す女達ではない。

 

 逃げる者には矢が、礫が降り注ぎ、次々とその貧相な体を地に伏していく。

 

「ま、こんなとこね」

 

「ええ、次に行きましょう」

 

 土に還る人形から兜を拾いあげ、少女たちは次の戦場へ向かった。

 

 

 

 闇人は言い知れぬ不安を感じていた。

 

 何か、はるか昔に何か一歩踏み外して今ここにいるかのような、今までの道のりを振り替えたくなくなるような、そんなうすら寒い何かにとりつかれていた。

 

 馬鹿なことを、と振り払おうとする。

 

 混沌の神々より下された託宣を疑うわけではない。

 

 川の流れ、風の流れに流されて、どうしようもない所にどうしようもなく行きつく、そういうことは、あるのだ。

 

 手には混沌の呪具があり、それがほんの少しであるが彼に勇気を与えてくれる。

 

 東西北に送り込んだ部隊と、何故か連絡が取れないこと。

 

 街中で混乱を起こさせようと雇った不逞冒険者たちが一向に行動していないこと。

 

 あるいは生贄を集めさせようとゴブリンに攫わせた女たちが、尽く奪われたこと。

 

 そもそもからして、この呪具を手に入れた事自体が謝りだったのでは――……。

 

「……否!」

 

 そんな己の不安を吹き消すように、闇人は声を荒げて叫んだ。

 

「賽は投げられたのだ。もはや、事ここに至っては前に進むより他ありえぬ!」

 

 そう言い切り、手勢のゴブリンに前進するようにさらに声をかける。

 

 目指すは混沌の勝利。

 

 百手巨人の目覚め。

 

 なんとか自分を酔わせようとしたところで、雨雲に黒い靄が混ざった。

 

「む……!」

 

 それが風に乗り戦場を覆うように漂い出し、ゴブリン達の悲鳴が上がる。

 

 そして、暗闇の中から跳び出してきた骸骨兵士と兜をかぶった土人形が小鬼共を薙ぎ払った。

 

 

 

「……ふむ、悪くない」

 

 戦場では竜牙兵と土人形が猛威を振るっていた。

 

 命のない魔法による兵に、呼吸は関係ない。

 

 特に泥人形の手当たり次第に武器を使う様は自分を見るようだ。

 

「それはもう、ゴブリンスレイヤーさんの執念がこもってますもん」

 

 えへん、とどこか誇らしげに語るのは女神官である。

 

「とりま、一旦は様子見ですかな、一通り暴れさせてから突っ込むで」

 

 その蜥蜴僧侶の算段に皆が頷き、さて、逃げ伸びる者がいないように妖精弓手が矢を手にかけて周囲を見回し、そこで、ふと女神官が前に出た。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 呼応するように戦場に響き渡ったのは、朗々たる古代の言葉だ。

 

「《万物……結束……解放》……!!」

 

 戦場を貫く白光が露を払い、竜牙兵、土人形を打ち砕く。

 

「っ………何いっ!?」

 

 しかし、それまでだ

 

 ――ぱぁん、とその猛進は不可視の防壁に阻まれる。

 

 そして防壁は何事もなかったかのように冒険者達を守るために戦場に君臨していた。

 

 自分をはるかに凌駕する呪文遣いの存在、その要素は闇人の頭になかったものだ。

 

 打ち合い、分かった。

 

 自分が及びもつかない敵手がそこにいる、ということを。

 

 ――この町の戦力、精々が銀等級ではなかったのか!?

 

 思わず狼狽し、辺りを窺う行動をした闇人を責められるものは居ないだろう。

 

 今の今まで存在を察知させない格上の存在が、乾坤一擲、さあゆくぞ、というところでぬぅ、と顔を表したのだ。

 

 いよいよ感じていた不安に押されて、闇人の脳裏に撤退の字が浮かんだ。

 

 竜牙兵と土人形、そして自分の呪文でも大分減ったが、それでも十五匹ぐらいの小鬼はまだ生きていた。

 

 せめて檄を飛ばし、逃げるための殿ぐらいにでもするか、というところで視界の端から飛び込んでくるものがあった。

 

 犬だ。

 

 目に付くものを矢のように跳び、かみ殺す。

 

 煙幕から逃げ出てこれである、泡を食ったゴブリンがまた煙幕に戻ろうとして、後続とぶつかり一悶着がおき、それを逃がす牧羊犬と妖精弓手ではない。

 

「ぐ、ぐぬう……くそがっ!」

 

 こちらが後手後手になにも出来ないままに冒険者の内、戦士がこちらに迫ってくる。

 

「おのれ、只人!」

 

 抜き放った刃は、銀光とも見紛うばかり、目にも留まらぬ刺突である。

 

 それをゴブリンスレイヤーは掲げた円盾で防いだ。

 

 そして、反射的なまでの速度で右手に握った棍棒を繰り出す。小鬼であれば致命傷は確実な一閃だ。

 

 しかし、闇人もさるもの、ザッと飛沫をあげて飛び下がる。

 

「ちぃっ、よもや私の計画を見抜くような手合が、この街にいるとはな…………」

 

「……ゴブリンではないようだな」

 

 距離を取ったゴブリンスレイヤーと闇人。二人はじり、じりと摺足で間合いを探った。

 

 獲物の差で言えば、闇人の突剣が棍棒に勝るのは明白。

 

 闇人は余裕も露わに対手へと問いかけた。

 

「貴様、何者だ?」

 

「…………」

 

「この街にいるのは銀等級止まりと聞いたが……。第三位が小鬼の棍棒を使うとは思えん」

 

「お前が頭目か」

 

 答えず、ゴブリンスレイヤーは問うた。淡々と。いつものように。

 

「いかにも」

 

 いささかのいらだちを覚えながらも闇人は答えた。胸を張り、口角をにぃ、と釣り上げて。

 

「我こそは混沌の神々より託宣を受けたる、無秩序の使徒よ!」

 

 右手に突剣。左手に呪具。身を低くし構えたまま、闇人は高らかに叫んだ。

 

「更に率いるは四方よりのゴブリン軍。貴様ら、楽に涅槃に行けると……」

 

「お前がなんだかは知らん。興味もない」

 

 その名乗りをゴブリンスレイヤーは一片の慈悲もなく切って捨て、踏み躙る。

 

「お前の口ぶりであれば、他にゴブリンを伏兵にしているわけでもあるまい」

 

 ゴブリンスレイヤーは、深々と息を吐いた。

 

「……ゴブリンロードの方が、よほど手間だったな」

 

「――――」

 

 闇人が、言われた意味を理解するまで、一拍。

 

「き、きさまぁあっ!!」

 

 ザッとその俊敏なつま先が、泥沼に幾何学的かつ洗練された歩を刻み、

 

 不可思議な足さばきから繰り出される、閃光のような突き、それが放たれるはずであった。

 

 他の者からの援護射撃も百手巨人の矢避けの加護があればこそ、問題はない。

 

 はずであった。

 

 無造作に背中に突き刺さる一撃さえなければ

 

「ごへぇ!? があっ!?」

 

 そしてその一撃はさらに足へと巻きつき、ぐい、と引かれ、体勢を崩す。

 

 視界がするすると下っていき、顔面が泥沼に打ち付けられる。

 

 術者の習性で呪具を手から落とさずいたが、それはつまり矢避けの加護が問題なく働いているということだ。

 

 じゃらり、と耳が拾うのは鎖の音だ。

 

 ぞぶぞぶ、とならされる音は倒れた自分に無造作に何度も突き立てられる刃の音と熱さだ。

 

「……飛び道具、とは言わないですよね」

 

 無造作に左手を蹴られ、呪具が戦士の足元に転がる、それを戦士は薪か何かでも眺めるような視線を向け、そして無造作に踏み折る。

 

「が……ぐ、あ?」

 

 のたうつ芋虫のように身をよじり、自分の足がようやく視界に収まる。

 

 鎖だ、先に何か重りがついている。

 

 鎖分銅。

 

 飛び道具では、ない。

 

 自分の背中を打ち、足を取ったものの正体がそれだ。

 

 ごり、と右手を踏む足は女のものであった。

 

 若い少女だ。薄布に身を纏い、売女でもしないような恰好で、虫でも見るような目でこちらを見下ろしている。

 

 その手にある血まみれの刃を見て、何も察せぬほど、愚鈍ではない。

 

 だが、それなりに周辺への注意は怠っていないはずだ、いかに手練れとはいえ、何も気取らせず、音もなく動く者がいるわけはない。

 

 その美貌がするすると降りてくる。

 

 首が抑えられ、刃が当てられる。

 

 そしてのその唇が、仲間に見えないように

 

 

 ありがとうございます

 

 

 そう動くのを見たのが闇人の最後であった。

 

 

 

 秋の陽光は夏に比べて弱まったとはいえ、春のそれに似て暖かくもある。

 

 だが、冬はそこまで迫っている。

 

 収穫を終えれば、冬支度が始まる、これをしなければこの新しい開拓村で命を落とすものも出てくるだろう。

 

 ようやくたどり着けたここで、準備不足なんかで死んでは浮かばれない、と籠を担ごうとしたところで、開拓村の村娘はしゃん、という錫杖の鳴る音を耳にして顔を上げた。

 

 そして冒険者の一党の中に、神官衣に覆われた少女の顔を見て、その表情がパッと明るくなる。

 

「神官様!! お久しぶりです!!」

 

 女神官へ駆け寄るのはかつてゴブリンの洞窟から救われた少女。

 

 故郷では居心地が悪いでしょう、という女神官の親身な勧めもあり、新しく立ち上げられた開拓村を紹介され、開拓村に飛び込み、なんとか下働きをさせてもらえている。

 

 ゴブリンに攫われた女、という故郷での腫れ物に触るような視線から解放された日々は、少し寂しいけれど、晴れやかであった。

 

 とまれ、何から何まで世話になった相手だ、野良仕事やらで薄汚れた身なりを少しも整えて背筋を伸ばす。

 

「この村に何か御用ですか?」

 

「いえ、ちょっと立ち寄ったもので、お元気にされているなら何よりです」

 

 自分の姿をみてニコニコと頷く少女に、孫の健康に目を細める祖母のような温かさを感じてなんとも面映ゆい思いを抱く。

 

「……他の場所に行かれた皆さまも元気にしているようです、貴女も気を取り直して新天地で頑張ってくださいね」

 

「はいっ! ありがとうございます!」

 

「種を撒くのは早い方がよい、それだけ早く芽吹く、撒かねばいつまでも種のまま……貴女のここでの日常は、貴女がすぐに踏みだしたからこそ、芽吹くのも早くなるでしょう」

 

「……ありがとうございます! また来てくださいねー! 何かおもてなしさせてもらいますからねー!」

 

 女神官の言葉に少女は涙を浮かべ、ぶんぶんと手を振り、女神官が見えなくなるまでずっと見送っていた。

 

 

 

 よかった。

 

 その感想が女神官は情と理の両面から得ることができた。

 

 今回は収穫であり、絶好の種蒔きの機会でもあった。

 

 同じ女として、彼女たちの再出発は無論、手放しで応援することである。

 

 また、女教皇として、こんなに自然に、かつ広い地域に自分の思想へなびかせやすい者を何人も潜り込ませるのは中々無い、絶好の機会である。

 

 彼女たちはゴブリンを恐れるだろう。

 

 殺すべしだ、と考えるだろう。

 

 誰だって攫われたくはない、犯されたくはない。

 

 そんな人間が、村のメンバーに居るというのは、それだけでゴブリンの被害を減らすのに役に立つ。

 

 そんな人間が、村のメンバーに居るというのは、それだけ私が手を伸ばしやすい村になる、ということでもある。

 

 別に、来月、来年に必要になることではない。

 

 前の時にだって、武装蜂起に至るまでには、それなりに時間を要したのだ。

 

 だが

 

「種を撒くのは早い方がよい、それだけ早く芽吹く」

 

 つまりはそういうことだ。

 

 使える道具の準備は、先に出来るならいくらでもしておいた方がいい。

 

 しゃん、という錫杖の音が、機嫌よく旅の空に響いた。

 

 



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幕間 冒険者になった日、冒険者になろうと思った日

 今日、冒険者(無職)になった。

 

 この街では生まれ育った地母神の孤児院から、私たちは四半年毎に外に出される。

 

 4月とか、9月とかに各孤児院が毎年まとめて一斉放出、となると人材の買いたたきにあう、という理由らしい。

 

 私としても超有能な先輩の方々と一緒に職の奪い合いからスタート、とかにならないだけこの制度は非常にありがたい。

 

 精々同月生まれの人間だけがライバルだ。

 

 そして、それぐらいならまだ、同期同士の生臭い職の奪い合いには今のところ発展していない。

 

 幸いなことに私は神の奇跡を行使する才能がいくばくかあった、一日一回、《聖光》か《小癒》ではあるが、ないよりはマシ。

 

 いやいや、大したものである、むしろ二回も三回もイケるのが天才児なのだ、一緒にされては困る。

 

 とまれ、私は冒険者になり……最初の冒険を探す前に、先輩の元を訪れることにした。

 

 どんな道であれ、先達のアドバイスというものは値千金、ツテがあるのであれば顔を出しておけば、損ということは殆どない。

 

 さてさて、と自分の先輩を探す。

 

 先日冒険者になる旨をそれとなく伝えていたら、何かわからないことがあったら何でも聞いてね、ということであったので、お言葉に甘えることにしたのだ。

 

「あ、いたいた……」

 

 居たには居た。

 

 横にいるのは上の森人であろうか、先輩も整った顔立ちであるが、本当にお話に聞く妖精のような顔だちで、首には銀の身分証がきらめいている。

 

 その向かいには鉱人だ、奇妙な衣に酒気を帯びた頬、ふっさふさの髭に、よくわからないものが詰まっている鞄がイスの背もたれに掛けられている。こちらも銀等級。

 

 さらに隣には蜥蜴人、奇妙な民族衣装を身にまとい、大きな口をあけて、バクリとチーズの塊をもっきゅもっきゅと咀嚼している。ちょっとカワイイ。こちらも銀等級。

 

 そして、最後には薄汚れた鎧姿の戦士、食事中だというのになぜか兜を被り、やたら器用に食事している。こちらも銀等級。

 

 誰もかれもがそれぞれ色んな意味で声をかけるのすらちょっとしり込みするお歴々に囲まれて自分の先輩が一緒にニコニコと食事をしている。先日ようやく黒曜等級になったらしい、おめでとうございます。

 

「あ、久しぶり、どうしたの?」

 

 こくり、と小首をかしげ、こちらを見つめる、そうすると他の面々もなんだなんだと自分へと視線があつまり、居心地が悪くなる。

 

「え、ええとですね、先輩、もし冒険者になったら一度顔を、と思いまして、それで今さっき登録がすみましたので」

 

 ああ、と得心いったようにポン、と手を叩き、おいでおいで、と手招きしてくる。

 

――ちょっとレベル高くないですか?

 

 そう思いながらも先輩の呼び出しにここからUターンする訳にもいかず、おっかなびっくりとお歴々の座るテーブルに近づいていく。

 

「あ、すみません、鉱人さん、ちょっと空けてもらえますか?」

 

「ほいよ、お、ちょっとその椅子借りていいかの?」

 

「おう、いいぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 鉱人が席をずらしながら近くの誰も座っていない椅子を拝借して先輩の隣に椅子を入れてくれる。

 

 座ってみれば、ずらり、と並ぶ銀等級の冒険者達、何かよくわからないけれど、皆すごそうだ、目の前の戦士の人はともかく。

 

 よく先輩と一緒にいる人だから、そんなに悪い人ではないのだろうけれど、だからと言って物凄い人に見えるかと言われれば、あんまり見えない。

 

 先輩と並んでいれば、正直なところ神官の旅のため護衛に雇われた人その一、ぐらいの感じだ。

 

「それで、冒険者になってまずどうすれば、みたいな感じでしょうか?」

 

「あ、はい、私、職の宛てがなくって」

 

 正直、何のプランもヴィジョンも無いところだ。

 

 とりあえず、ご飯に困らないように頑張りたい、ぐらいしか思うところがない。

 

 地母神の教えを広めて皆を救う!! とか目をキラキラさせて言うのも正直ピンとこない。

 

 私の祈りは、私の平穏な人生のために祈られているから、正直、世界やら民衆やらそういったことのために祈る、となると荷が重い。

 

「それで、ちょっと具体的な話になるけれど、あなた、今貯金どれぐらいあるの? もっと言えば装備に回せるお金、なのだけれど」

 

「ええっと、ひと月の宿代と食費と……となると残るとこれぐらいでしょうか」

 

 がま口を開き、おずおずとテーブルに出したのは銀貨が数枚、孤児院暮らしの見習い侍祭の貯蓄では、正直こんなものだ、仕方ないとはいえ、ちょっと恥ずかしい。

 

「んーこれだといい靴買うだけで足が出ちゃうわね」

 

「冒険者セットにも……ちと足りませぬな」

 

「駆け出しの定番となりますと、ドブ浚いか巨大鼠退治……となると」

 

 そう先輩の面々も予算の中で何とかならぬかと頭をひねってくれる、みんないい人達だ。

 

「長靴にシャベルか」

 

 ぼそり、と戦士の人がそう言い、先輩も確かに、と頷く。

 

「ええ、私もそう思いました。じゃ、ちょっと見に行きましょうか、皆さん、失礼します」

 

 そう話をまとめると、先輩は私を連れてすたすたと工房の方へと歩いていく。

 

 おうよー、良いの見つかるといいわねー、という声にペコペコと頭を下げて食堂を去る。

 

「な、長靴にシャベル……ですか?」

 

 何というか、正直、冒険者! という感じのしないものだ、神殿の納屋にだってある。

 

「あら、長靴はドブ浚いの後の巨大鼠退治にだって使えるし、それ以外にもあって困るものではないのよ。シャベルもこれ一本で結構色々できるんです」

 

「うわ」

 

 種々雑多なものが置かれた工房で手に取るのは長柄の、ハンドルの無い、槍のような剣先シャベルだ。先がよく研がれているのか冴え冴えとした光が目に飛び込んで来た。

 

 何となく、その光に吸い寄せられるように渡されたシャベルを眺める。

 

 刃とそん色ない輝きのそれが、テラテラと光を反射する様を心ここにあらず、といった様子で眺める。

 

 うん、綺麗だ。

 

「あとはこれね、作りは頑丈だし、マメに洗えば長く使えるわ」

 

 そう言って渡されるのは重く堅そうだが、それゆえに丈夫そうな長靴だ、これもまたドブ浚いの強い味方になってくれそうだ。

 

「とりあえずこれでドブ浚いの依頼なら問題なく受けられると思います。それでちょっとずつ貯金して、その後はまた装備の相談に来てくれるといいと思うわ。先ずは焦らずに軍資金をためて、縁があったら誰かと一党を組んで、かしらね。あまり性急にモンスターと戦おうとか思わないようにね」

 

「はい、ゴハンが食べられれば、まずはいいです」

 

「もう、でも無茶しないのよ」

 

 ありがとうございました、と頭を下げて二つの道具を買うことにした。

 

 工房のおじいさんが少しまけてくれた、正直助かります、ありがとうございます。

 

 

 

「お疲れー!」

 

 いやー働いた働いた、と一緒の区域を受け持った同じ白磁等級の冒険者と盃を交わす。

 

 ドブ浚いの日々は、正直意外と快適だった。

 

 依頼を受けて現地集合、自分と同じような白磁等級がたむろして、時間が来れば地区の代表のような人が来てどこどこに何人、と言い渡して、じゃ、俺はあっち、私はこっち、とお仕事スタート、後は夕方までえっちらおっちらドブ浚いをすれば、仕事終わりには「お疲れさん、また頼むよ」という言葉と共にいくばくかの対価が支払われる、という寸法だ。

 

 汗を流した後の夕食と晩酌は旨い。

 

 夕食はパンに薄くて具の少ないスープだし、晩酌は小さなチーズと仲間同士で頼んで水で割ったワインを各自一杯、というさもしいありさまだが、ささやかなりに貯金も出来る。なんと素晴らしい生活であろうか。

 

 将来とか先行きとか考えると、このままではいけないと不安にもなるのだが、寝る前にシャベルの手入れをしていると、また明日も頑張ろうとその刃の輝きが心を温かくしてくれるのだ。

 

 後は体力がいくらか残っていれば《聖光》をそこいらの石にでもかけて渡せば、使い捨ての角灯として小銭稼ぎになる。

 

 貯金はドブ浚いを始めた当初に立てた目標に着実に近づきつつあった。

 

 だが、どういう冒険者になりたいか、まだどうしても思い描くことが出来なかった。

 

 

 

 今日は下水道のドブ浚いになった。

 

 作業場所の近くの壁に角灯を掛けて、作業を始める。

 

 ドブ浚いは、単純にドブを浚う清掃作業だけが実入りではない。

 

 ドブの中のゴミ、ここに意外と金属片等が混じっていることがままある。

 

 ドブを浚って、手袋でもってドブを漁れば時には銅貨なんかが出てくることもある。

 

 まぁ、そんな大当たりがあることはそうはないが、それ以外にも収穫はある。

 

 金属はまとめておいて後で鍛冶屋に持ち込めば、これまた小銭に化けてくれる。

 

 そう思えば、ドブは宝の山だ。

 

「~~♪」

 

 鼻歌交じりにドブをぐるぐるとかき混ぜていると、大きな塊が引っ掛かった。

 

「おっ何かな、んっ、よっしょ! ……うえ……」

 

 見つかったのは冒険者の身分証だ。白磁のソレは久しぶりの光にさめざめと光を返した。

 

 身分証は見つけ次第ギルドに届けるのが冒険者の義務だ、届け出れば少しではあるが報奨金もでる。遺留品なんかも添えれば、その報奨金はさらに上がっていくらしい。

 

 つまりは、金になるものではある。

 

 だが神官の端くれとして、死者の遺品とご対面するのはうれしいことではないし、大っぴらに喜べることでもない。

 

 自分が見つけたから、正式に死亡認定されることであろう誰かに略式であるが祈りをささげ、気を取り直してドブ浚いを再開する、お仕事はお仕事だ。

 

 さーてはて、とざぶざぶとドブを漁って、中身をさらって、を続けて時間が過ぎる。

 

 角灯の残りの油の減り具合からそろそろ今日の仕事も終わりだ、と道具をまとめに入る。居残って仕事しても別段実入りが増えるわけではない。手早い仕事上がりは大事だ。

 

 そろそろ集合の笛か鐘でもなるか、とぶらぶらしているところで何やら騒がしくなった。

 

「行ったぞ!!」

 

「蹴れ! 蹴れ!」

 

「ちょっと!! こっち来ないでよ!!」

 

 なんだろ、と騒がしくなったところでギュ、とスコップを握る。

 

「!」

 

 正体はすぐに表れた。

 

 巨大鼠だ、中型犬ほどもある巨体の、興奮した様子の獣が自分の前に躍り出てきた。

 

「RAAAAT!!」

 

「ひっうあっ!?」

 

 一鳴きした巨大鼠が飛び掛かってくる。

 

 巨大鼠、その危険性は何よりその歯にある。げっ歯類の歯は不潔で、よく抉る。

 

 下手に噛まれれば出血多量、運が悪ければそのまま病気になって衰弱死だ。

 

 その病魔の歯牙が迫る。身がすくみ、そのため少し上がった右足が少し上がり、そこに巨大鼠がくらいつく。

 

「あ、い、…あ、長靴」

 

―長靴はドブ浚いの後の巨大鼠退治にだって使える―

 

 覚悟した痛みは、使い慣れた長靴が遮っていた。

 

「ふっ!!」

 

 憎々しげにくらいつくその巨大鼠のどてっぱらをスコップで殴る。

 

 担ぎ上げるような恰好からの、スイング

 

 

 

 よく手入れされたスコップの刃先は巨大鼠の毛皮を破り、背骨をへし折り、その胴体を裂いて真っ二つにしながら、駆け抜けた。

 

 命を奪い去る一太刀。

 

 それは己の体に電光が駆け抜けるような一打であった。

 

 美しく舞い散る血しぶき、くるくると臓物をまき散らしながら飛ぶ胴体。

 

 そして、血に塗れた切っ先。

 

 全部が世界が塗り替わって見えるほどきれいだ。

 

「……あぁ」

 

 危機が去った安堵すらなく、私は自分に下った天啓を見つめていた。

 

 

 

「おらよ、注文の品だ」

 

「ありがとうございます!! 親方最高!!」

 

 キャーキャーと歓声を上げて鍛冶屋の親方に抱き付く。

 

 いいから離れろ、と押しのけられて渡されるのは剣だ。

 

 鞘から抜き放たれたそれは長く厚い、剣鉈をそのまま長大にしたような代物であった。

 

 ぶつり、としたような切りごたえを味わうにはどうすればいいか、と考えた結論がこれである。

 

 さめざめとした光は命を奪う光だ。それを見れば自然と頬は緩む。

 

 鋼は、刃は、本当に美しい。

 

 大っぴらに言えないけれど、その鉱物の芸術が命を奪う姿は思わず見とれるほどだ。

 

 この刃でどんなものを斬れるだろう、そう考えるだけで心は浮き立ち、いそいそと刀身を鞘に納め一党の元に向かう。

 

 巨大鼠をスコップで退治して、その度胸を気に入って話しかけてきてくれた人たちが今の私の一党である。

 

 私が剣を欲しいと先輩に相談したら、先輩はやっぱりそうなのね、とばかりにやや呆れた様子で相談に乗ってくれた、もしかして昔からこんな気質があったのだろうか。

 

 今、別に私は将来への展望が開けた、というわけではない。

 

 でも、刃を振って、それで楽しい。

 

 それだけで、ただ食いつなげればいいや、平穏でいいや、という投げやりな私とはもう別物だ。

 

 どうなるかは、わからない、でも、前のままでは、いたくない。

 

 だからこの日々をずっと続けていくために、私は冒険者になろう。

 

 そう決意して、私は歩き出した。



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幕間 頭目の孤独

「聞きたいことがある」

 

 そう言われて、ぽかんとした顔を重戦士がしたのは、無理からぬことであった。

 

 何ということはない一日、悪魔の巣窟殲滅の依頼も終え、収穫祭も過ぎたところで、やれやれと休養期間を過ごしていたところである。

 

「……それで、何だ?」

 

 目の前にどかりと座ったのは使い込まれてこそいるが、貧相な装備に身を包んだ冒険者、ゴブリンスレイヤーだ。

 

 水の街でそれなりに大きなヤマをこなしてきたのだろう、他の面子は悠々自適な生活を送っている。

 

「お前は、お前の一党の、頭目だろう」

 

「ああ、まぁそうだな」

 

 他にやる奴がいなかったからなぁ、と頭をかく。

 

 あいつなら出来そうなもんだが、とぼやく重戦士の言うのは、女騎士の事だ、だがまぁ、実際の頭目は彼女ではなく、彼だ。

 

「一党の頭目は……何をすればいい」

 

「は?」

 

 言っていることはわかる、わかるが、まったくもって現実感のない相手から吐かれた言葉に、思わず聞き返す。

 

「今、俺は単身ではなく、組んでいる」

 

「ああ」

 

 黒曜の女神官以外、全員が銀等級の冒険者の一党である。

 

 森人、鉱人、蜥蜴人、なかなかにバリエーションが豊かな一党だ。

 

「それで、俺はどうやら頭目と目されているらしい」

 

「そうだな」

 

 なぜかは、わからんが、という言葉に、頷く、不思議な一党であることは、否定できない。

 

「であれば、頭目として、なすべきを成せねばならなない」

 

「なるほど、あぁ、うん、確かに」

 

 目の前の男が知りたい焦点をつかみ、やはり、物珍し気に目の前の男を見つめる。

 

「どうした?」

 

「いやまぁ、別にそんなに減るもんでもねぇ、まぁ酒の一本もおごってくれ、それでいい」

 

「わかった、好きに頼め」

 

 転がされるのは金貨が五枚、大盤振る舞いだ。四枚をはじき返して、一枚を掲げて酒を頼む。

 

「瓶でくれ……ええと、頭目としての、仕事か」

 

 そうだなぁ、と視線がぐるりと一回り、思考をまとめていたのだろう。

 

 あくまで、俺の考えだが、と前置きをして、届いた酒をあおりながら重戦士は話し出した。

 

「先ず、戦闘での指揮だな、仲間を死なせない頭目が良い頭目だ、と俺は考える。」

 

 その言葉にコクリとゴブリンスレイヤーも頷く。

 

 自分以外全員死んで、それでも目標達成、だからめでたしめでたし、など、御免だ。

 

「指揮に関しちゃ、仲間を信頼して、それはそれとして、過信しない、不幸は起こる、それはもうしかたない、と考えたうえで、状況を切り抜けられるよう、頭を巡らす、ぐらいだなぁ」

 

「なるほど」

 

 頭回すのは俺よりは向いているだろう、と言われ、むっつり、と黙る、良くわからないことだ。

 

「一党内での会計は……まぁ任せることのできるもんに任せりゃいい、ウチだと半森人だな」

 

 さて、と指を折りながら考える。

 

「あとは……必要な人材を確保する……これもお前のところは必要ないか」

 

 大半が呪文遣いで、しかも神官と僧侶がいるときた、贅沢な話だ。

 

「そうなりゃ……まぁそれなりに気を遣う、とかか、誰が何を求めているか、これがずれると一党が崩れる、って話はよく聞く」

 

「……善処しよう」

 

 最悪刃傷沙汰だ、ぞっとしねえ。

 

「一党で、これ、っていう規律とか掟とか、あるところもあるな、ウチは無いし、面子によりけり、だったりするが」

 

 お前んとこはない方がよさそうだがな、という言葉にうなずく、それは何となくわかる。

 

「最後が……まぁ、孤独、だな」

 

「……」

 

 単身が長かったから、大丈夫、とかはねぇぞ、と言いまた酒をあおる。

 

「むしろ、単身が長かったもんこそ、一党の中の頭目の孤独は堪えるやつが多い」

 

 仲間に囲まれ、それでいて仲間に泣きつくことのできない孤独。

 

 頭目が一党の面子以外に伴侶を求める傾向があるのは、何もただの偶然ではない。

 

 頭目として、背筋を伸ばし続けなければならない責任。

 

 これが、意外と堪える。

 

 家庭でくらい、力を抜きたい、という男は、多い。

 

「思うまま、剣振り回す、ってわけにもいかん、ピイピイ泣きつく訳にも、いかん」

 

「……そうだな」

 

 ま、一思いに泣きついて、丸く収まる場合もあるがね、と補足する。

 

「……そうか」

 

 話を自分の中で咀嚼したのだろう、一つ頷き、もう一枚金貨を渡す。

 

「いらねぇ、っつってんだろが」

 

「正当な対価だ、剣の安売りはしないだろう?」

 

 まぁな、と受け取り、懐に収める。

 

「……しかしまぁ、大事になったか」

 

「……そうだな」

 

 その返事に重戦士はにかり、と盃をあおった。

 



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幕間 太陽の騎士、西の辺境へ参る

 何事にも、不文律というものはある。

 

 それは、冒険者の依頼にも当然ある。

 

 例えばドブ浚い、これを黄金等級や銀等級が受けるということは無い。

 

 割に合わない、というのもあるが、それ以上に、新人たちの食い扶持を荒らさない、というのが先達のわきまえるべきマナーである。

 

 無論、ゴブリン退治のような慢性的に人手不足な依頼というのはあるが、その一人者であるゴブリンスレイヤーであっても、新人達の仕事を奪うということはしない。

 

 しかし、何事にも例外というものはある。

 

「お疲れ様でした」

 

「何、道中何事もなく、給料泥棒よ」

 

「いうても、この護衛はほとんど報酬でねぇべ」

 

 冬の近づく寒空の下に、黒く塗られた荷馬車から降りたバケツヘルムの騎士風の男がそう朗らかに返す。

 

 その首元には銀等級の身分証が光っていた。

 

 薄給の荷馬車の護衛、これもまた、銀等級が請け負う仕事ではない。

 

 しかし、この荷馬車の護衛は、たとえ黄金等級の冒険者が請け負ったとしても異論を挟むものは居ない。

 

 そういった依頼があるのだ。

 

 冒険者ギルドへ運び込まれる荷物は、丁重に、そして若干悲し気に人々が運んでいく。

 

 

 冒険者の――遺品の、輸送である。

 

 

 どこかの冒険者がもって帰ることのできた、道半ばで倒れた誰かの痕跡。

 

 何としても、故郷へ戻さねばならぬものである。

 

 故にこそ、遺品の輸送に関しては、むしろ腕利きの冒険者が捨て値といっていい報酬で請け負うのが冒険者ギルドの例外的な、それでいて不文律である。

 

「ねぇ、そろそろいこー」

 

 するり、と騎士の横に陽炎のように立つのは美しい少女だ。

 

 十二分に美しく華やかであるのに、影のような、風のような、猫のような、ふと目を離せば、消えてしまいそうな、動的な不確かさをもった少女だ。

 

「仲間、探すんでしょう?」

 

「うむ、そうだったな!」

 

 そう一つ頷き、騎士は冒険者ギルドの扉を開けた。

 

 

 

「太陽を探しておるのだ」

 

 金髪の偉丈夫はそう切り出した。

 

 横に置かれたバケツヘルムに太陽の意匠が施されたプレートメイル、腰には質実剛健なロングソードがごとりと、まさに、という太陽神に仕える神官騎士である。

 

 後ろで相方の盗賊の女性が顔に手を当てて苦笑いしている。

 

「私は太陽神に仕える騎士、自身も太陽のように熱く強く人々を照らすものなりたいと、己を鍛える旅をしている」

 

 その言葉に森人と鉱人と蜥蜴人は、ほう、と息を吐いた。

 

 

 まともだ。

 

 

 ものすごく、まともだ。

 

 

 地母神様に仕えています、ともあれ、ゴブリンは滅ぶべきであると考える次第である。

 

 酒神様に仕えています、それはそれとして、モンスターおいしい。

 

 太陽神に仕えています、皆を照らすような人間になりたいと修行の旅をしています。

 

 まともすぎて、戸惑うぐらい、まともだ。

 

 最初は窓の外を見て今日は曇りだったかと確認していた鉱人も、ほうほう、とテーブルに寄って来た。

 

 言動については、一番近しい只人の地母神につかえる神官である少女があれである。

 

 そう考えれば、太陽神に仕えているから太陽を求めているぐらい、まともに思えるから不思議である。

 

 変なの二人は仲良くどこかのゴブリンを退治して回っているようで、姿は見えない。

 

「これは、古い太陽神の神殿の地図、今はもう遺跡となっているものだ、そこにはおそらく神器が埋もれたままと思われる」

 

 テーブルに広げられたのは古い地図だ。おおよそこの辺境の街から南の地点をとんとんと指でたたく。

 

「場所はここから徒歩で三日、未回収の神器の回収は神に仕える者の務めだ」

 

 仲間の募集、むろんギルドの掲示板にはそういうモノもある。

 

 いつもいつも自分の属する一党でのみどんな仕事であろうが受けられる、というわけではないからだ。

 

 かくして、遺跡へと冒険者達は旅立つこととなった。

 

 

 

「~♪」

 

 鼻歌を歌いながら焚火をいじるのは女盗賊である。

 

 くすんだ短い金髪が焚火に照らされている。

 

「でーもぉーこの人に面喰わないってめずらしいねぇ」

 

 太陽騎士を指さしながら視線の先には妖精弓手達がいる。

 

「……神官ってそんな人種じゃないの?」

 

「……それは、初めて聞いたなぁ」

 

 やや予想の斜め上を行かれたようなキョトンとした顔をして狩った鳥を捌いて鉄串に刺していく。

 

 パラパラと振られた塩と胡椒、塩は岩塩をガリガリと削ったものだ。

 

 処置の仕方と料理の腕がいいのか、野鳥の粗野な味わいと岩塩と胡椒がよく合っている。

 

「ほほー、こりゃ酒にあうのぉ」

 

「卵巣は好き? 呑兵衛ねぇ」

 

「おうよ、こちとら鉱人、酒が飲めずに生きていられるかい!」

 

 けらけらと笑う少女に気分よく答える鉱人。

 

 舌鼓を打つのは蜥蜴僧侶も同じだ。

 

「うまいですなぁ」

 

「うむ! こやつは本当に頼もしいからな! それに何よりも美しく明るい!」

 

 まるで太陽のようだ! と絶賛する太陽騎士に女盗賊は面倒くさそうな視線を向ける。

 

「うるっさぁいなぁ……もぉ」

 

 そうは言いつつも手は丁寧に料理を続けている。女冒険者は料理に裁縫なんでもござれだ。

 

 その様子に目を細めた騎士ががぶり、と酒を一あおり。

 

「明日はいよいよ突入だな! 皆頑張ろう!」

 

 そう高らかに杯が掲げられた。

 

 

 

 寂寥とした風が吹いていた。

 

 荒れ野の小さな丘の頂に、その入り口はあった。

 

「……神殿っちゅーとらんかったか?」

 

「……むぅ」

 

 地図に記されていた地点、そこに地中へと降りていく階段が、たしかにあった。

 

 だが、地下へ降りていく神殿というのはなかなか聞いたことは無い。

 

「地上の部分は全部さっぱり壊れてて、ここだけ残ってた、とか?」

 

「かもしれませぬな」

 

 辺りを見回す蜥蜴僧侶も、仕事のしどころのない、という妖精弓手ややる気のなさそうな女盗賊は手持ち無沙汰だ。

 

「とりあえず、降りて様子を見てみよう」

 

 騎士の下した結論に一行は賛同し、角灯に灯りを点して降りることになった。

 

 

 

 静寂が、壁に染み付いていた。

 

 何らかの灯りを浴するのは何年ぶりであろう地下室は、思いのほか広大でり、かつて潜ったカタコンベを妖精弓手達に思い起こさせていた。

 

 何らかの神器があるのであれば、この奥であろう、という最奥の扉の前に五人は立っていた。

 

 石造りの、重厚な扉である。

 

 鍵は無く、これまで何もなかった通り、開けば中に入ることができるであろう。

 

 拍子抜けした一行は、やや気の抜けた様子でその扉を開けようとした。

 

「入るといい」

 

 そこで、声がかかった。

 

 扉の奥からだ。

 

 落ち着いている。

 

 声が、である。

 

 太く、低く、石柱のような、それでいてどこか気品のある声であった。

 

 一行は顔を見合わせ、妖精弓手は弓に矢を番え、鉱人と蜥蜴僧侶は手元に触媒を携え、女盗賊は両手に短剣を引き抜いた。

 

 それらを見て、騎士は扉を開けた。

 

 地下であってなお、冷たい風が、扉の中から吹いた。

 

 雪が降りそうな、冷たく極まった空気に、思わず妖精弓手は雪が降るはずもない天井を仰ぎ見た。

 

「目をそらすな、死ぬぞ」

 

 夢から覚めるように、今更ながら視線を戻せば、広間の最奥に座る黒髪の男がいた。

 

 簡素な椅子であるが、男の佇まいから、まるでそれは玉座のようだ。

 

 騎士も偉丈夫であるが、男のソレは、貴族や王族に類する風格を備えていた。

 

 かつて相対したオーガ以上の巨躯をもつ美丈夫だ。

 

 おそらく、これがどこかの貴族の邸宅であれば、騎士も膝をついて突然の来訪をわびたであろう。

 

 しかし、男の両側に侍るのは骨でできた従者であり、それらが捧げ持つ赤と青の魔剣の禍々しい光は尋常の秩序の者が持つものではない。

 

 男が混沌の勢力のものであることは明らかであった。

 

「その鎧の意匠、太陽神の僕か」

 

 立ち上がり、こちらに声を掛ける所作にすら、色気を感じさせるものがあった。

 

 武器を手に取っていなければ、見とれ、ため息をついていたであろう。

 

「やれやれ、あいつの懸念通りとはいえ……そうだ、お前たちの求めている物は、この奥にある」

 

 男の言葉に騎士は無言でロングソードを抜いた。

 

「事は単純だ。私を殺せねば、お前らは死に、災厄は世界に巻かれる」

 

 骨の従者から魔剣を受け取り、立ちふさがる威風堂々とした佇まいに、異形が混じった。

 

 角だ、赤黒い禍々しい二本の角が男の頭から生えてきたのだ。

 

 そして広間の物陰からも、何体かの悪魔が這い出て戦闘態勢に入る。

 

「さあ来るがよい! 秩序の守り手よ!!」

 

「ちょっと、後で説明してもらうわよ!?」

 

 騎士は何も言わず男へと突進し、妖精弓手の声をもって戦端は開かれた。

 

 

 

 右手に長剣、左手に盾。騎士の構えは、まさに騎士かくあるべし、という構えであった。

 

 それを、崩すことができない。

 

 両手の魔剣は、数えきれないほどの勇士を切り刻んで来た愛剣である。

 

 人類を凌駕する膂力、積み上げた剣技、それらをもってもなお、目の前の騎士を打ち崩すことができない。

 

 盾はまさに城壁のごとく斬撃の雨を押しとどめ、時に受け流し、一瞬の隙が出来れば容赦なく右手の長剣が閃き、こちらの命を刈り取りに来る。

 

 長大な刀身がまるで飴細工のように見えるほどの剣速、一太刀一太刀がまるで隆盛のようだ。

 

 その剣撃の重さたるや、体格の差などあってない、と言わんばかりのもので、一瞬でも油断すればこちらの剣が跳ね飛ばされるだろう。

 

「ほぅ……」

 

 惚れ惚れするような、武勇である。

 

 はるかに体格で劣る相手が、まるで巨大な巌のようだ。

 

 だが、いかんせん片手剣、その太刀筋にも慣れてきた。

 

 盾を持つと、どうしても強力な太刀筋というものは自然右側、相対する者からすれば、左側から打ち下ろしてくる形になる。

 

 いかに速く重い斬撃であろうとも、受け慣れ、テンポを覚えてしまえば対処は容易である。

 

 そして男と騎士とでは肉体の根本的なスタミナが違う。

 

 騎士の太刀筋に慣れてしまえば、もう騎士が男の命を絶つことはできないだろう。

 

 楽しくはあったが、いささか飽いた、他の者どもはどうやら劣勢らしい。

 

 このまま遊んで、全員を相手取るのも一興ではあるが、それでまかり間違ってまけて命を落としては意味がない。

 

「もうよい、死ぬがよい」

 

「死ぬのは、貴公だ」

 

 飛来するのは盾、奇をてらった一撃に、失望しつつ、打ち払い、本命の斬撃を、のこった刃で待ち構える。

 

 どのような斬撃でも、対応できる残心がある。

 

 打ち下ろし、突き、横薙ぎ、切り上げ、何だろうがするがいい。

 

 そう待ち構えているところに、ぽん、とまるでボールを渡すように刃が投げ込まれた。

 

 完全に虚をつかれたその一投に、それでも魔剣は素早く打ち払い。

 

 そして、もう切られていた。

 

「は?」

 

 宙を舞う、剣を握った己の腕。騎士の手には光り輝く、いや光そのものの刃があった。

 

 太陽の光だ、それが騎士の手の中で滅魔の光剣となっていたのだ。

 

「《遍くを照らす大神よ! その心臓より迸る稲妻で、我が行く道を拓き賜え!》」

 

 それを理解した時には、男の首はすでに胴体から断たれていた。

 

「《太陽万歳》!!」」

 

 迫りくる夜明けの如き極光を退けることなど、首だけとなった男にできようはずもなかった。

 

 

 

「本当に、偶然だったのだ」

 

「もういいわよ、楽しかったし、嘘じゃないみたいだし」

 

 神器、なにやら御大層な杯を背負った騎士と歩きながら妖精弓手が答える。

 

 曰く、上位悪魔の男が思わし気なことを言っていたが、騎士たちは別段身に覚えがないという。

 

 まぁ、それならそれで、どこかの悪だくみを偶然くじく、というのは無くは無いから不自然は無い。

 

 それに、目の前の騎士がぬけぬけと人をだませるような手合いでないことはなんとなくわかる。

 

 とりあえず、手に入れた神器を最寄りの大神殿に納めねばならない、ということで、分かれることになった。

 

「そいで、そっちはこれからどうするつもりなんじゃ?」

 

「そうねぇ、前まで一緒に冒険してた術師と癒し手がこのあたりに来てたはずだから、落ち合ってみるのもいいかなぁ」

 

「まぁ、縁があれば、また会いましょうぞ」

 

「うむ、また、どこかの空の下、新しい冒険で」

 

 風が分かれるように、振り返らず、こうして冒険者たちは別れた。

 

 いずれ、互いが互いの名声を耳にするのは、もう少し先の話。



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幕間 不良品にはご用心

 

 

 

 どれほどに事前に準備をしていたとしても不運、というものはある。

 

「つ、掴まされた……」

 

 地に跪いてうなだれるのは女魔術師である。

 

 その近くに転がるのは術師のよく飲む水薬の空き瓶が転がっていた。

 

 それが、三本。

 

 結構な額である。

 

 周りには気の毒気に彼女の様子を見守る一党の仲間たちがいる。

 

「ま、まぁ、ほら、ちょっと休もうか」

 

 場の空気を取り繕うように剣士が皆に声をかける。

 

「虎の子の……水薬……おいしいごはんがまんしたのに……」

 

 体育座りで己のとんがり帽子をつかんで目深にかぶり、ぶつぶつとつぶやく少女を励まそうと小休止の準備を始める。

 

 水薬、冒険者の必需品ともいえる消耗品である。

 

 これがあると無いとでは、まさしく天国と地獄、生きるか死ぬかの最重要アイテムと言っても過言ではない存在だ。

 

 決戦を前に一服、冒険終わりに一服、毒をくらって一服、飲み過ぎたときに一服、と冒険者のどのような場面においても活躍する必須アイテムである。

 

 今の彼女もそうであった、遺跡探索の最終局面、ここから下はおよそこの遺跡の主がいるであろう一角、そこに立ち入る前の安全地帯で回復してから突入しよう、そういうことになった。

 

 当然、これまでの探索で消耗していた彼女は日々の生活を切り詰めて準備した水薬をあおり、そして驚愕に目を見開いた。

 

 あわてて、もう一本、更に、もう一本、そして、ガクリと膝をついた。

 

 いつもであれば一本飲めば気力体力が沸き立つ水薬が、碌に効果を表さない。

 

 サラサラとして、水っぽく、気力は大して回復しない。

 

 具体的に言うと、三本飲んでも八点ぐらいしか回復した様子がない。

 

「変だと思ったのよ……二本分の値段で三本買えるって……誰だってお得だなー、って思うに決まってるじゃない」

 

 両側に座った女武道家と聖女がいいこいいこと頭を撫でてあやす。

 

 彼らにとって、水薬は、必須であるが、安い買い物ではない。

 

 なんとかもろもろの生活を切り詰めて確保したそれが、不良品、粗悪品であった絶望。

 

 わかり過ぎて掛ける言葉ないとはこのことだ。

 

 しかし、どうしたものか、というのが頭目である剣士の胸中でもある。

 

 皆の意気が完全に途切れてしまった。

 

 さあ、次で終局だ、というところで躓くと、どうにも張り詰めたところが抜けて、思わぬ失敗や痛手に繋がる。

 

 それに女魔術師の呪文が無いというのは、最後のダメ押し、いざという時の一凌ぎが無いということでもある。

 

 慎重を期すのであれば、ここで一旦帰還するというのも現実的な手である。

 

 さてはて、というところで近づいてくる足音があった。

 

「! 警戒、抜刀」

 

 その呟きだけで戦士と剣士は剣を静かに抜き、女武道家もすっと立ち上がる。

 

 過度な緊張は無く、それでいて油断もない。

 

 それは彼らの練度がそれなり以上にあることを示していた。

 

「……おっ、同業者かお?」

 

 はたして、暗闇から近づいてきたのは、奇妙な語尾のふくよかな銀等級のローブ姿の術師と、どこか冷たく尖った印象のある癒し手であった。

 

 

 

「……というわけで爺さんの残した手記を本にデーモンとの戦いに使われたものを色々探してるんだお、フォースと共に……ってもうちょっとかいつまんでくれてりゃよかったのに……」

 

 やれやれ、と大仰に手を上げる男とその横の人形のように愛想のない女。

 

 二人は剣士たちの円陣に加わって一休みしていた。

 

 悪魔を討つべく旅を続けている冒険者だという。

 

 育ての親にして師匠のかつての発言から、ふと気になることがあって故郷に戻って自宅を漁ってみれば、師匠、星辰の騎士と異界の悪魔達との壮絶なる戦いの記録が見つかった。

 

 これを解き明かせば悪魔との戦いも楽になるのではないか、と組んでいた一党から離れて探索の旅に出ようとしたところで、癒し手の少女が同行を申し出てきた。

 

 以来、彼女と二人で東奔西走南船北馬、世界を股にかけて師匠の足跡を追っていたのだ。

 

「……で、ここにもそんな一品がありそうだ、という訳なんだ」

 

「はー、すっげぇ」

 

 聞き入っていた戦士がため息を吐く。

 

 一つの遺跡踏破が一大事の自分たちとは居るステージが違う、と思い知らされたのだ。

 

「……で、そこのおにゃのこはなんであんなに沈んでいるんだお? 別にだれかお亡くなりってわけでもないんだお?」

 

 最初から最後まで沈んだ様子の女魔術師に術師の興味が向く。

 

「えーっと」

 

「ハズレの水薬をつかまされたのよ」

 

 横の女武道家があやしながらそう話す。それを聞いて術師もあちゃー、という顔をしている。誰もが通る道であるのだ。

 

 そして、その言葉でようやく術師の横の女性が反応を示した。

 

「……怪しい薬に手を付けるぐらいなら、砂糖水を良薬と思ってんだ方がましです」

 

「まー駆け出しのころは仕方ない、目利きも出来ないとなおさらだお」

 

 よっこいしょ、と言いながら荷物を漁って術師が出してきたのは上級水薬である。

 

「……なんです?」

 

 自分では手の届かない高級品を目の前に置かれてじろりと術師に視線を向ける。

 

「これから決戦なんだから使ってほしいんだお、それで、出来れば俺たちもそこにに加えてほしいんだお」

 

 視線を向ける先は一党の頭目たる剣士だ。

 

「後ろからノコノコ来て、虫のいい話だとは思う、でもこの遺跡にあるものは爺さんの遺したものなんだお、それをどうしても俺は欲しい。こちらから出せるのはこういった水薬といくらかの対価、後は戦力、それでこの遺跡の財宝の内、爺さんのモノを俺達に譲ってほしいんだお」

 

 むう、と頭の中で計算する。

 

 正直、そこまで悪い話ではないと思う。

 

 水薬が他人持ちで報酬も上乗せ、しかも銀等級の二人が戦力になってくれる。

 

 実入りが減る恐れはあるが、それにしたってタダでくれ、と言っている訳ではない。

 

「わかりました、よろしくお願いします」

 

 考えをまとめた剣士はそう言って手を差し出した。

 

 

 

 最奥の間は悪魔の巣窟となっていた。

 

 ギイギイと蝙蝠の群れのように天井の近くにはインプがおり、上から飛び掛かれるようにこちらを見ている。

 

「じゃ、まずは俺が雑魚を散らす。癒し手」

 

「ええ、討ち漏らしは私が」

 

「頼むお」

 

 ずるり、と重量感のある斧を構える癒し手に術師は一つ頷き、ポケットから鏃を取り出す。

 

 それを両手でパンと合掌し、ジャリッと180度回転させるとまるで手品のように16枚の鏃の花が咲く。

「《矢……必中……投射(S・C・R)》!」

 

 右手で頭上に掲げた鋼の花の花弁はそれぞれが意思を持った猟犬のように花開き、インプ達がバタバタと射抜かれて落ちる。

 

 《力矢》の雨だ、逃げられるものは居ない。

 

 ――ならば術師を潰す!

 

 そう悪魔達が考えるのは当然である。

 

「ふっ!」

 

 しかし、それを迎え撃つのは無情な斧の刃である。

 

 力いっぱい頭蓋を勝ち割る斧の一撃は女性の一打とは思えないほどに豪胆で決然としている。

 

「うっわ、流石ねぇ」

 

 聖女のつぶやき通り、初手で悪魔達は半壊している。術師の立ち回りと癒し手のフォローは噛みあっていた。

 

 あの二人だけでも、何の問題もなく悪魔達を駆逐できたのだろう。

 

「よし、じゃ、俺達も!」

 

 だからといって、棒立ちしていては、何が冒険者か。

 

 先陣は切ってもらった。

 

 準備は万端。

 

 剣士と戦士の刃に女魔術師の呪文による魔力の煌めきが宿り、二人の身を聖女による守りの加護が覆う。

 

 横には共に死線を潜った戦友、であれば、何も恐れることは無い。

 

「いくぞ」

 

「おう」

 

 横合いからの追撃に悪魔達は切り崩されていった。

 

 

 

「これから二人はどうされるんですか」

 

「んーそうだおね」

 

 街への帰途を歩く。

 

 術師は巨大な燭台を背負って答えた。

 

 女魔術師は水薬の目利きのコツを教えてもらって喜色満面だ。

 

「前まで一緒に冒険してた騎士と盗賊がこのあたりに居るはずだから落ち合って動こうかな」

 

「辺境の街まで来たら声かけてください」

 

「遠慮なくいかせてもらうお」

 

「では、また」

 

「ええ、また」

 

 冒険者の別れとは、あっさりとしたものだ。

 

 道が分かれるままに、彼らは別れた。



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幕間 冒険者以外が誰かを助けていたりする話

「いやぁ、疲れた!」

 

 巡回の医者は大きな鞄をドサリと置いた。

 

「はい、お医者様、お疲れ様だよ」

 

 そう言って自慢の逸品を差し出す店の女将の苦笑はねぎらいと感謝にあふれていた。

 

 旅の医者、というのはピンからキリまでいるものだが、この医者の腕前は本物であった。

 

 医者のいない集落、というものは辺境になれば珍しくない。

 

 この村もそうであった。

 

 さして豊かではない山間の村、的確な処方、信頼できる薬品、そういったことが、望むべくもない場末のうら寂しい、どこか曇り空の似合う村。

 

 自分の故郷の閉塞感に嫌気がさして冒険者となる故郷とは、こんな村であろう、というイメージを形にすれば、こんな村になる、そんな村だ。

 

 こんな村は流行り病一つで誰からも知られることなく村としてやっていけなくなることもままある。

 

 先日ゴブリン退治に村の資産を吐き出して、もう碌に余裕はない。

 

 しかし、それでも腕の確かな医者の作った薬、というものは確保せねばならないものなのだ。

 

 あまつさえ、乞われれば診察もしてくれるとなれば村人たちが列をなしたのも当然といえる。

 

 そして、その者たちをすべて診察し、いくらかの薬も作って、また、病人と診断したものには個別の薬草を処方した。

 

 ゴブリン退治に来た女神官が帰り際に作っていってくれた薬がいくらかあるが、それだけに頼るわけにもいかない。

 

 兎角神官は祈って奇跡を起こすものであり、薬師としての技量は未知数である。

 

「いや、その神官様の腕は相当なものかと思いますよ、ゴブリン退治ついでに摘んだ薬草で作ったとなれば、本当に、どこでだって薬師としてやっていけます」

 

 それはどこにいるともしれない神官へのリップサービスなどでなく、医者の本心であった。

 

 それほどに、どこかの神官の作っていった薬は出来が良かった。

 

 とはいえ、それで商売あがったりになるほど、無医村は少なくないのも事実だ。

 

 どこかの誰かの善行には素直に頭が下がる。

 

 ともあれ、細身の優男である医者はねぎらいの一品に舌鼓を打ち、これからの旅路を考える。

 

 この山間の村の先にも村はあるらしいので、そこまで足を延ばすのもいい。

 

 別に神官様ほど人を救済しようなどという御大層な志は無いが、困っている人間が居れば、食うに困らない因果な稼業である。

 

 さてはて、と思考を巡らせながら食事を楽しんでいれば、何やら外が騒がしい。

 

 そうこうするうちに、酒場に男が一人駆け込んで来た。

 

 その男を介抱する村人たちからの会話を察するに、どうやらいくかいかまいま迷っていた村の人間らしい。

 

 取り囲む人間の顔は一様に真剣で緊迫したものだ。

 

 近隣の人間が血相を変えて飛び込んでくる、それはつまり道中で何かがあったか。

 

「魔女が……村にぃっ……っ!!」

 

 その者の村で何かがあった時だ。

 

 

 

 魔女。

 

 ただ単に魔女という場合それは魔術師の女性名詞ではなく、混沌の勢力の走狗となった邪術師を一般に指す。

 

 名前の通り、魔道に長け、また、その身を守る魔物を随伴していることも多い。

 

 あるいは何食わぬ顔で街に紛れ、人々を不幸に陥れ、邪なる策謀を巡らしもする。

 

 それが、現れたという。

 

 最初は、体調不良の者が少しずつ増えだしたのである。

 

 高熱で寝込むものが出だし、誰か近場の都市に医者か神官を呼ぶべきでは、という話になった。

 

 そして、男性が妊婦のように腹が膨れ、ソレがでてきた。

 

 手と足の場所を逆にしたようなピンク色の肌をした人間、のようなモノ。

 

 本来生殖器のあるべき場所には鼠の尾のようなものがだらりとあった。

 

 ソレが、男の腹を食い破って出てきたのだ。

 

 まるでそれが号砲であったかのように、そこここで悲鳴が上がった。

 

 体調不良であった人の中から、同じように、同じようなことがおこったのだ。

 

 そして、ソレは周囲の人間に襲い掛かり、陰鬱だが、それ以外何もない村が、阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 

 街の中心に、まるで当然のように立つ煽情的な恰好をした妖艶な美女、その高笑いを耳にして男の本能は警鐘を鳴らし、逃げ出したという。

 

 男は村で一番足が速く、そしておそらくその時最も村で幸運であった。

 

 それ以外に、男がこの村にたどり着くことのできた理由は無い。

 

 男が命からがら、命がけで持ち込んで来てくれた情報、しかし、それでもこの村の人間としては、どうすればいいのか、わからない、いや、むしろどうしようもないモノを目の前に差し出されたような様子であった。

 

 無理もない話である。

 

 収穫の時はまだ遠く、村の資産はゴブリン退治と医者への薬代と謝礼で消え去ったようなものだ。

 

 半ば禁じ手じみた手段であるが、村の若い男手を近隣の村などに労働力として貸与する、という手段もあるにはある、しかしそれはこの村に脅威が迫って初めて切ることのできる切り札でもある。

 

 あくまで村同士の取り決めでの労働力の貸与は農奴程ではないが、男手の流出の危険性はある。

 

 出向いた村で女性と結ばれたり、そのままどこかへ逃げ出して冒険者となったり、何かに襲われてしまったり、となんにせよ帰ってこなくなる可能性も無視できるレベルではない。

 

 隣村に現れた魔女、それがもしこちらに来なければ冒険者を雇った費用は無論この村持ちだ。

 

 隣村の資産だって、魔物が荒らしているのであれば拾いに行けたところでたかが知れている。

 

 つまり、この村としても下手に冒険者を雇えば傾きかねない。

 

 いっそ、ただ魔女がこちらに来ないことを切に願うのが最善の手なのでは……

 

 そのような、静かで、それでいてどうしようもない諦めの雰囲気を察したのだろう、男の顔に絶望がよぎる。

 

 山間の、貧しい村なのだ。

 

 幼い頃、若い頃は、あの村を飛び出て、自分が英雄へと上り詰める、そんな妄想いくらしたか覚えていない。

 

 しかし、少しづつ成長し、背が伸び、老い、そして、諦めるように、現実を受け入れ、愛着がわき出したのだ。

 

 村の誰もが誰もを知っている。

 

 いつも仲良く喧嘩している親父にお袋。

 

 しわくちゃになっても夫婦仲の良いじいちゃんばあちゃん。

 

 妻は静かな女だった、面倒で貧しい暮らしを、ずっと一緒にしてくれた。

 

 子供たちだって、生き生きと春の芽吹きのような笑顔を向けてくれた。

 

 村の皆だってそうだ、偏屈な奴、一本気なやつ、色んな奴がいた、なんだかんだ、良い奴ばっかだった。

 

 誰もが、あんな邪悪で残虐な思いに踏みにじられる最後で、いいはずのない人達だったのだ。

 

 だが、自分にその現実を殴り倒す力は無い。

 

 ただ、逃げ出し、生き延び、そして絶望に浸るしかできない。

 

 なんで、俺は生き残ったんだろう。

 

 生き残った安堵はすでになく、虚ろな思いだけがこだましていた。

 

「あーちょっとよろしいですか」

 

 どこにも緊張感というものを聞くことのできない声に、男をはじめ村人たちも振り向いた。

 

 

 鳥頭人体の黒の異形

 

 

 つまり、医者の恰好である。

 

 鞄の中にあった服を着たのであろう、手には医者を表す職杖の短杖も持っている。

 

 あぁ、そうか、この駆け込んできた男を診察するのか、と村人たちが道を開ける。

 

 コツ、コツと近づいてくる男の姿に、なぜか、村で見た魔女の姿を思い出す。

 

 こちらを見下ろす視線は、その大きな鳥のマスクに遮られてよくわからない。

 

 カチャ、という音と共に、短杖が割れる。

 

 開かれた面に刻まれるのは刃を持った右手と、縄を持った左手。

 

 魔女狩りの証だ。

 

「実は私、副業でウィッチハンターもしているんです。悪い魔女とか、心当たりありませんか?」

 

 

 

 

 

 今こそ、秩序の世を終わらせる。

 

 雌伏の時は、終わりを告げたのだ。

 

 魔女の胸にはどす黒い愉悦とこれからの期待、歓喜が渦巻いていた。

 

 村の人間たちに寄生させた魔物たちは無事芽吹き、産み落とされていった。

 

 そして、一通り殺して、食らって回り、魔物たちも人心地ついたようだ。

 

 後はこれらを更に隣村へとけしかける。

 

 隣村の人間を貪り、そしてさらに増えて勢いを増して、先へ、さらに先へ、どこまでも、この魔物の波を止めることのできる者などこの世にいるはずもない。

 

 死を、絶望を、思う存分味わって、滅びればいいのだ。

 

 

「いえ、滅びるのも苦しむのも、あなた方だけでお願いします」

 

 

 (カン)

 

 

 見上げるほどの石壁が魔女たちのいる村を囲った。

 

 誰が、というのは壁の上にいる鳥頭の異形以外、ありえないだろう。

 

「あなたが、どのようにして、今に至るか、興味はありません、ただ、死んでください」

 

 そう言いながら無造作に懐から小さな壺を取り出し、村の中心へ投げつける。

 

 それを矢継ぎ早に手に持っていた短弓で射抜く。

 

 陶器の割れる音と、中空で沸き立つ黒い泉、油だ。

 

 実際の体積以上に物を収めることのできるマジックアイテム、そこに詰めるだけの油を詰め、打ち壊す。

 

 降り注ぐ油に、村が油まみれになるのにさしたる時間はかからない。

 

「さて、と」

 

 追いかけるように射かけるのは火矢だ。まるで森人のように、矢は瞬きするうちに二射三射と放たれ、村へ降り注ぎ、火の手を広げていく。

 

「いきますか」

 

 十分な火の海となった壁の中に、狩人は身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 何だこれは

 

 自分は、害する側だ、食らう側だ、あざ笑う側だ、だったはずだ。

 

 聖別された油の炎に巻かれ、のたうち回る悪魔達。

 

 火の海を、逃げ回る自分。

 

 出来の悪い夢のようだ。

 

 いや、これは夢だ。

 

 念願叶って、世界を陥れる直前に見た、一抹の不安がみせた悪い夢だ。

 

「くそっ、くそっ、なんなんだ、なんなんだよっ! これはっ!」

 

 そんな現実逃避も、押し寄せる炎を前にしては続けることもできない。

 

 毒づいても、何かが変わるわけではない。

 

 自分の手勢は、ただただ減る一方だ。

 

 ただ逃げ惑う自分、

 

 そして、火の海を野原のように闊歩するアイツ。

 

「いましたか」

 

 手には、おぞましい力を纏った魔剣。

 

 ぬらりと、影のように鳥頭人体の異形が立っている。

 

 この火の海でもいささかも苦しそうなところがないのは、その服に魔法の防護がされているからか。

 

 その歩みに、よどむところは無い。

 

 悪魔を殺して回った刃には、ぬらぬらとした悪魔の血が、そこここの炎の光を受けて輝いている。

 

「ウィッチハンター……!!」

 

「ええ、そうです」

 

 魔女を、悪魔を追い立て、殺し尽くすもの。

 

 村一つ、顔色変えず淡々と滅ぼす異常者にして超常者。

 

 ウィッチハンターが村を滅ぼす様を見た人間は感情の失せた様子でこう言った。

 

 ―お医者さんによって村は消毒されてしまいました―

 

 自分は、追いつかれた時点で、死の影を踏んでしまっているのだ。

 

「やだ、死にたく」

 

 それだけ言って、彼女の首ははねられた。

 

 

 

 

 

 鞄を携えた医者が、旅の空を行く。

 

 神官様ほど人を救済しようなどという御大層な志は無いが、困っている人間が居れば、食うに困らない因果な稼業である。

 

 さて、どこにいくか。

 

 いくままに、いけばいいか。

 

 足の向くまま、男の旅は続いていく。



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第十話 彼らと彼らが出会うお話

 初の冒険を終え、しばらく。

 

「うーん、実際どうしよ」

 

「神官無しだとやっぱり受けられる依頼が限られるよなぁ」

 

「そうよねぇ……」

 

 酒場の片隅で額を突き合わせる三人、剣士達一党である。

 

 ゴブリン退治を終え、しばし。

 

 自分たちの受けられる依頼の少なさに歯噛みをする日々が続いていた。

 

 掲示板にはいくつものゴブリン退治の依頼が張り出されているが、あのゴブリン退治を経験した今、神官がいずともゴブリン退治"程度"、俺達ならやってやれる、と息をまく気にはなれない。

 

 自然、下水道での巨大鼠狩りの日々だ。

 

 おっかなびっくり、一進一退、青色吐息。

 

 一歩間違えれば、自分は農奴、幼馴染と魔術師の彼女は娼婦として春を鬻ぐ日々へと堕ちて行ってしまうのだ。

 

 もう、彼女たちに会うことは無く。

 

 もし、会うことがあるとすれば、なけなしの小銭を握りしめて彼女たちのいる店へ足を運ぶ時だけ。

 

 彼女たちははした金で開き慣れた体を、客として来た己の間に、けだるげに、諦めと共に、投げやりにさらけ出し……ちなみに、なぜかその妄想には女神官までも登場していたりする。

 

 まぁ男の妄想というものは、そういうものだ。

 

 ……正直、その辺りを妄想して少々興奮した。

 

 ゴホン、ともあれ、現状は危ういのだ。

 

 一日金貨一枚のための綱渡り。

 

 なんとか、じりじりとではあるが、着実に貯金はできている。

 

 だが、その緩慢な積み上げに、焦りを感じるのもまた人の常だ。

 

 なんとか抜け出したい、だが、装備も、人手も、まるで足りていない。

 

 だからと言って、どぶさらいでは三人では横ばいな日々で精一杯だ。

 

「現実的に、前衛一人と、神官、あとは斥候……でもって前衛が飛び道具ある程度使えればもっと良くて……」

 

 無鉄砲では、後先知らず。

 

 頭目はそれじゃいけない。

 

 でも、無い無い尽くしだ。

 

 だが、冒険者のみならず、無いからやれぬでは明日が無い。

 

 嗚呼、兎角世の中世知辛い。

 

 何とかならぬか、なるといいな。

 

 そう思いながら、疲れた体を横たえる。

 

 彼らはそうして、日々を過ごしていた。

 

 

 

 

 

 息を整えて、水を飲んで、また一仕事。

 

 薄暗い下水道の中で、延々と巨大鼠を殺して回る。

 

 ときたまの、ちょっと贅沢な食事だけが日々の癒しだ。

 

 ひどい匂いの服をごしごし洗ったりして、はぁ、と息を吐く。

 

「あ、ども」

 

「お疲れさん、ちょっと待って」

 

 同じような臭い、抽象的な話ではなく、至極物質的な話である、を纏った新米戦士が服を持って水場に来た。

 

 水桶をがらがらと井戸の底に落とす。横着して自然落下させ、万一にでも桶が壊れたら、井戸が使えない。周囲から袋叩きの上に修理代も出さねばならない。

 

 水面に着いたのを確認したら、ロープをぐわんぐわんと躍らせ、桶に水を呼び込む。

 

 これをしないと、驚くほどに少ない量の水しか引き上げることができない。

 

 とはいえ、もうそろそろ夏で、雨が少なくなれば、井戸の中の水位も下がっていく。

 

 そうなれば、今のように服を洗う水にも事欠く。

 

 知ったことかとガンガン水を汲んで使えば、今度は自分勝手な奴、ということでギルドでの立場が危うくなる。

 

 そうならないためには、街の外の川まで行くか、本格的な夏が来る前にはぼちぼち巨大鼠退治からの卒業を目指さねばならない。

 

 できれば、後者がいいなぁ、と思いつつ、ふと新米戦士を見る。

 

 そういえば、たしか、いつも一緒にいるのは至高神の聖女だった気がする。

 

「……」

 

「何か顔についてるか?」

 

 そう頬を撫でる戦士の手をがしり、と握る。

 

「俺達と、一緒に組まないか」

 

 それは物語に語られるような、劇的(ドラマチック)な出会いなんかではない、切実な勧誘(スカウト)であった。

 

 

 

 

 

 言うなれば運命共同体。

 

 互いに頼り、互いに庇い合い、互いに助け合う。

 

 一人が五人の為に、五人が一人の為に。

 

 だからこそ冒険で生きられる。

 

 一党は兄弟姉妹、一党は家族。

 

 五人で注意し、五人で休む。

 

 五人で創意工夫し、五人で試行錯誤する。

 

 負担は五分の一、報酬は今までより多い。

 

 着実に増え方を増した貯蓄は、嘘ではない。

 

「棍棒に紐を?」

 

「ああ」

 

「剣でも使えそうだな」

 

「ありじゃないかな」

 

 これぞ我が愛棒つぶし丸、ならばこっちは愛剣ぶんぶん丸、などと言ってふざけ合う。

 

 ばかやってるわねぇ、と男たちを見る呆れ顔は三人分だ。

 

 今の目標は鍛冶屋の親方謹製の鉄鉢兜と手甲、それだって、手に届くのは近い未来だ。

 

 同じものを、戦士も欲しいらしい。

 

 振り返ってみれば、冒険者の一党の浮沈は、どうやら意外と腕っぷし以外が占める部分が大きいらしい。

 

 こうして、現状が上向いたのも、勧誘が成功したからだ。

 

 明日もまた自分たちは下水道に潜るのだろう。

 

 でも、その明日は、今日頑張った分だけ、ずっと良い明日だ。

 

 まだまだ、駆け出しの、はしっくれでしかないけれど。

 

 その速度は、そんなに早くないのかもしれないけれど。

 

 それでも、自分たちは前へと駆け抜けているのだ。



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第十一話 彼がサイコロを振る日のお話

「卓上演習?」

 

 ゴブリンスレイヤーは反芻するように呟いた。

 

「おう、監督官の嬢ちゃんがやってたらしくてな、懐かしいなー、やったやった」

 

 そうテーブルに道具を広げていくのは槍使いだ。

 

 ほうほう、と小さく頷くのは重戦士だ、やったことがないらしい。

 

 同じように蜥蜴僧侶や鉱人道士も興味深げに種々の道具を眺めている。

 

 ギルドの監督官の少女が、少し前に女同士で卓上演習をしたらしい。

 

 それを何とはなしに聞いた槍使いが、そう言えば駆け出しのころに少し触れたような……などと言い

 

 でしたら久しぶりにどうですか、と監督官の勧めにより道具一式が槍使いの手に渡った。

 

 まぁ、気になる人と同じ話題が共有できれば、なんていう打算も、なくはなかったのだが。

 

 ギルドの備品であるが、それはそれ、銀等級の信頼を考えれば少し貸すぐらい何も問題は無い。

 

「経験者は俺だけか? じゃあ、とりあえず取り纏め(ゲームマスター)は俺がやるか、ストーリーは……竜退治でいいな」

 

 たまにゃ、こんな酒のつまみもいいだろ

 

 そういいながら、どかりと連中の中心に座る。

 

 幾つもの登場人物の小さな人形があり、それを選ぶらしい。

 

 神事として、卓上演習を行う神殿もあったりするらしい。

 

 神々に扮した司祭達が、サイコロを投じ、神々に冒険を奉納する、コマとサイコロを使った神楽舞いのようなものだ。

 

「竜退治か、ちょっとした先取りと思えばいいか」

 

 そういいながら重戦士は女の神官戦士を手に取る。

 

 まるでいつかは竜の首級をあげるのが当然だ、とも言わんばかりだ。

 

「森人ですか?」

 

「おうよ、いっちょ鉱人の手並みみせちゃるわい」

 

 そういいながら鉱人道士は森人の魔術師に手を伸ばす。

 

「しかれば某は……ほ、これにしますぞ」

 

 どん、と大きな弩を携えた狩人の少女をその爪でつまみ上げる。

 

「ふむ……」

 

 癒し手が居ないな、そう考えぐるりと、卓上を見回し、聖印を握った老人と錫杖を握った少女が目に入る。

 

 ふと、一瞬手が止まり、そして錫杖を握った少女を手に取る。

 

 女ばっかじゃねぇか、と槍使いが苦笑する。

 

 かくして、冒険者が出揃った。

 

 凛々しい神官戦士、怪しげな森人の魔女、快活な狩人の少女に、清廉な聖女。

 

 銀等級の男どもが、そろいもそろって駆け出しの少女となって、

 

 この一党が世界を救うべく、巨大な竜へと立ち向かうのだ。

 

「さあて、酒もサイコロもいきわたったな、《託宣》を受けた神官戦士とその一党、って体でいいな?」

 

「おう、俺はいいが」

 

「かまわんよ」

 

「某も異論無く」

 

「ああ」

 

 槍使いの申し出に重戦士が仲間を見回し、同意が出揃う。

 

「それじゃ始めるぞ、お前らは冒険者だ、いずれ来る竜を討つために……」

 

 そうして、冒険が始まった。

 

 

 

 

 

 山があり、谷があった

 

 ゴブリンを一蹴し、迷宮に巣食う吸血鬼を滅した、峻険なる山脈に住まう巨人から竜殺しの魔剣を受け取り、偏屈な鉱人の鍛冶屋がその刃をさらに鋭いものとした。

 

 そうして挑んだ竜は、やはり竜であった。

 

 空を飛ぶのは厄介で、爪は鋭く、吐息は熱い。

 

 狩人の少女が射落として、魔女の呪文が吐息を凌ぐ、奇跡に守られた神官戦士に、重ね掛けだ、と守りの奇跡が後方から飛ぶ。

 

 誰もが満身創痍で、しかし、相手の息も荒い。

 

 もう一息、というところで、神官戦士に赤い目の蛇(ファンブル)が忍び寄った。

 

「ぐわっ、っちゃー死んだ、剣が使えるのは……最後の力を振り絞ったってことで大司教に魔剣を投げていいか?」

 

「おう、いいぞ」

 

 かくして、ちょこん、と追加の聖帽を乗せて初々しい聖女から大司教にまで上り詰めた少女に世界の命運は握られた。

 

 頼んだぞ、と一抜けした重戦士はつまみをばりばりと頬張り、エールをあおる。

 

 鉱人も蜥蜴僧侶も槍使いも、こちらを見る。

 

 盤面を見る。

 

 竜を見据える少女の目は、いつも通りの彼女の目だ。

 

 一つ頷いて、サイコロを投じた。

 

 

 

 

 

 かくして竜は討ち果たされ、世界に平和が戻った。

 

「神官戦士は竜の血を浴びていただろう、《蘇生》を試していいか?」

 

 というゴブリンスレイヤーの提案で振った重戦士とゴブリンスレイヤーのサイコロで一命をとりとめ(クリティカル)、《蘇生》が叶った神官戦士達は、駆けだしたときと同じく、四人で足並みをそろえて凱旋する。

 

「しかしこいつら婚期は遠そうだな」

 

「確かに」

 

 身もふたもないことを言って笑いあう。

 

 酒を飲んで、サイコロ振って、明日は自分たちが冒険へと出るだろう。

 

 その冒険が、彼女たちのごとく、全員で帰ってくるようにあろう。

 

 ゴブリンスレイヤーはそう思って、エールをあおった。

 



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第十二話 彼が頑張って選ぶ話

 

 

 

「おまっ、バカッ、いや、おま、お前なぁ……」

 

 思わず口を突いて出た、という様子の重戦士。

 

 その視線は愚行を通り越して、奇行をみる領域だ。

 

 誕生日プレゼントに金を渡そうとしていることを、ゴブリンスレイヤーが打ち明けた瞬間の出来事である。

 

 仮に、世話になっている、幼馴染の女の子へのプレゼントが金貨をボン渡しであった時の、自分に降りかかる惨状を想像したのだろう。

 

 槍使いと重戦士の表情のうすら寒そうな表情は当然のモノであろう。

 

「分かってねぇな、ほんと」

 

 あぁ、やだやだ、と槍使いが肩をすくめる。

 

「……むぅ」

 

「誕生日プレゼントだぞ? 冒険(デート)どころか、最終決戦(クライマックスフェイズ)じゃねぇか」

 

 そしてガブリと火の酒をあおり。

 

「竜の心臓を討つのに魔剣がいるように、女の子の心臓(ハート)を取るにゃ、花束とプレゼントってのが相場だろ」

 

 その言葉を聞いて、いい例えを思いついた、と重戦士が言葉をつなげる。

 

「お前の感覚でいえば、ゴブリンの巣穴に装備も買わず、金だけ持ってノコノコ入ってくようなもんだ、持ち込むもんは、丹念に選ぶだろ、手抜かりなんてあっちゃいかんだろう?」

 

 その例えになるほど、と頷く。

 

 確かに、その例えに則れば、自分の選択は正気の沙汰ではない。

 

 それに不誠実だ、というのもよくわかる。

 

 しゃん、と真横で音が鳴る。

 

 横を向く。

 

 とても、晴れやかな笑顔をした女神官がいた。

 

 そして、視線を戻す。

 

 槍使いと重戦士は消えていた。

 

「詳しく聞かせて下さい」

 

 

 

 

 

「と、いうわけで、ただお金を渡せばいい、というものではないのです、いいですね?」

 

「……」

 

 酒場の床に正座したゴブリンスレイヤーは目の前でこちらをビシリと指さす女神官にコクコクと頷くしかなかった。

 

 膝の前には何とか用立てた金貨の詰まった袋が一つ、ちょん、と有る。

 

 周りには露骨に盾をスイングする女騎士やら、これ見よがしに弓をつま弾く妖精弓手やら、まるで短剣のように万年筆を構えた笑顔の受付嬢やら、逃げ場はどうやらないらしい。

 

 ごく自然な流れで彼は囲まれていた。

 

 幼馴染の女の子への誕生日プレゼントを、金貨の詰まった革袋を渡す、それで済まそうなど、ただで済まされるわけもない。

 

「では、どうすればいい?」

 

「それを考えるのも、プレゼントです」

 

 ぴしゃり、と切って捨てられた。

 

 うんうん、と頷く周り。

 

 さらにその外側にいる男衆は、処刑される友人や、出荷される仔牛を眺めるような目でこちらを見ている。

 

 無論、助けの手が差し伸べられることは無い。

 

 自分だって、逆の立場ならそうだろう。

 

 

 

 

 

 すごすごと金貨袋をもって、背を丸めてギルドから出てきた。

 

 どうすればいいのだろう。

 

 途方に、くれる。

 

 あてどなく宵の口の街を歩く。

 

 そして、街の雑貨屋の前に差し掛かったところで、店から出てきた伯父さんとばったりであった。

 

「!………君か……あぁ……うん」

 

 手には何か包みが抱えられている。

 

 いくらかの逡巡のあと、時間はあるかい、と声をかけられた。

 

 はい、と頷き、共に歩く。

 

「あの子には、今日は会合があって、遅くなる、と言ってある」

 

「はい」

 

 今の子の流行りというのは、よく分からない。とひとりごちる男の言葉を待つ。

 

「君は、もう何か買ってあるのか」

 

 何が、と問い返す必要のない言葉である。

 

「途方に暮れていました」

 

 だから、正直に答えた。

 

「私もだ、まぁ、もう決めてしまったが」

 

 苦笑いし、そう言って、包み紙を掲げる。

 

「こんな時ぐらい、自分から、あれがほしい、これがほしい、言ってくれた方が、楽なんだが」

 

 そういう子ではないしな、という言葉に頷く。

 

「軽く一杯やってから帰る……頑張りなさい」

 

 そう肩を叩かれ、別れた。

 

「…………」

 

 これで、まさか、金貨を持ち帰るわけにはいかない。

 

 自分が悪いのだが、いよいよもってして、逃げ道が断たれた気分だ。

 

 輝き始めた星空を見上げ、ひとつ息を吐いた。

 

 

 

 

 

 雑貨屋、小物屋をうろつく。

 

 日が暮れると、露天商の数はぐっと減っていく。

 

 選択肢がどんどん狭まっていく。

 

 おろおろと行くべき場所がわからず迷子のように途方に暮れる様子はまさに彷徨う鎧(リビングメイル)だ。

 

 彼女が好きなもの、好きだったもの

 

 何か、あったろうか。

 

 彼女と屈託なく遊んだ日々は、はるか昔だ。

 

 彼女の笑顔を思う。

 

 帰る場所、と言われれば、最初に思い浮かぶのが彼女だ。

 

 自分が、鎧を脱いで一息ついている時、横にいるのは彼女だ。

 

 今になって思えば、周りにもさんざいわれた後であれだが、いいプレゼントが思いつかないから、金を渡そう、というのは非常に不味い気もしてきた。

 

「あ、いたいた」

 

 そう声をかけてくるのは新米戦士と見習い聖女だ。

 

 多分まだ迷ってるだろうな、ってこいつが言ってさ、という新米戦士の耳を、相方の少女が余計な事言わない! とつねりあげる。

 

「棍棒のお礼」

 

 ……って言っていいのかわかんないけど、と頭をぼりぼりと搔く。

 

「私も、そんなに知っているって訳じゃないですけど、牧場の人に、ですよね?」

 

 思わぬ援軍に、ふと、何もないのに左右を見回す。

 

 そして、二人に視線を戻し、頷く。

 

「ああ、そうだ、助かる」

 

 たった二人の援軍だ。

 

 だが、万の援軍よりも頼もしい、という言葉はこういう時に使うものなのだろう、とゴブリンスレイヤーは思った。

 

 

 

 

 

 いつもの扉だ。

 

 それを前に、これほどにためらいを覚えたのは初めてかもしれない。

 

 花束に、包みを一つ。

 

 戦士と聖女は根気よく付き合ってくれた。

 

 洒落た水晶の髪飾りが一つ。

 

 竜退治ではないけれど。

 

 それが、扉の向こうの決戦へ携えていく魔剣である。

 

 きっと、まず花束で彼女は目を丸くするだろう。

 

 何かお祭りかお祝いでもあったっけ? とか素で言ったりするだろう、ということがありありと想像できた。

 

 冒険であれば、なんとか準備万端にまでいきつけたところだろう。

 

 あとは踏み出すだけだ。

 

 そう思いながら、だが、扉の前に立つだけである。

 

 不意に、ガギャリ、と扉が開く。

 

 ほっとする、甘やかな料理の匂い。

 

 帰って来た、と心が勝手に和みだす。

 

 きょとんとした、彼女の顔は、花束を視界に収めて、さらに不思議そうな顔になる。

 

 さて、何といって渡したものだろうか。

 

 サイコロは振られている。



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第十三話 我が家への帰還

 

 

 

「気をつけろ、まだいける、はもう危ない、っつってな……どうした?」

 

 その辺境最強の言葉にクスリ、と笑みが漏れる。

 

 彼の言葉に、ゴブリンスレイヤーの言葉を思い出し、クスリと笑みが漏れる。

 

「いえ、ゴブリンスレイヤーさんもそんなことを言ってましたので」

 

 むう、と苦い顔をされ、それを見て魔女はクスクスと笑みを漏らした。

 

 

 

 

 

 ニコニコと十フィート棒で遺跡の通路を検める女神官と同じく緊張した様子もなく神代の時代の書庫とも言われる遺跡を歩く。

 

「あ、そういえば古代の文字分かるわよね?」

 

「ええ、大丈夫ですよ」

 

 "豊満なものに呪いを"という張り紙がおどろおどろしい呪符に見えるのだろう、妖精弓手が気味悪げに距離をとる。

 

 ――スライムがいましたよねぇ

 

 懐かしい、二人で出かけた遺跡だ。

 

 当時は古代文字が読めなかったからわからなかった事実に、苦笑いが漏れる。

 

 今になって訪れてみれば、確かに貴重な文献が山とある遺跡だ。

 

 これでろくな守護者が居ないというのはまったくおいしい話であると思う、今の自分であるからそこまで問題ではないが、それでもスライムは大半の冒険者にとっては強敵である。

 

「何かいいの無いかなぁ……」

 

「文献としては貴重なものも多いのですが……こういったのは術師でないと楽しめないものですし……」

 

 そういいながらポイポイと書籍を虚空へ収めていく。

 

 ――いつもはそんなことないのに私たちの前じゃ本当に術師なことを隠さないわよねぇ

 

 あまり深いことを考える口ではないが、自分たちは特別扱いということは何となくよくわかる。

 

 容易く《聖壁》でとらえたスライムを焼き殺してのんびりと探し物をつづける。

 

「でも急な話よね、水の街からもどってきて」

 

「《門》の巻物がなくなってしまいましたからね、あの呪文は私も使えませんし」

 

 そういいながら鍵を解除する。今回はあくまで自発的なプレゼントの形だ。

 

 出てくるのは《着火(ティンダー)》に《製図(マッピング)》そして《門》、さらにいくつかの巻物である。

 

 鑑定要らずだが、売りに出すには公的な鑑定を経ねばならないので結局は前回の時と実入りはさして変わらない。

 

「でも巻物って攻撃呪文ってないわよね」

 

「即座に使えなくては実践に使える呪文ではありませんし、そんなものをいちいち巻物にしよう、という人も少なかったんだと思います。巻物を作れるような時代では、作ってためておくより自分でその場で唱えた方が面倒くさくないですしね」

 

「そんなものかしら、まぁそうよね」

 

 飛んで跳ねて弓を射っての身からすれば、攻撃呪文は迂遠に思える。

 

 術師が一の呪文を唱えるうちに、自分たちならば十は矢を射ることができる。

 

 では呪いを解けるのか、傷を癒せるのか、となればそんなことは無いので、呪文の大事さはもちろんわかっている。

 

 さてはて、と今回のお宝を検めていて、ぽとり、と《製図(マッピング)》の巻物をおとしてしまった。

 

「あっちゃ、もったいない」

 

「もう発動してしまいましたね……」

 

 ぶわり、と巻物から広がった霧が、吸い込まれるようにまた巻物へ戻る。

 

 巻物に掛かれた呪文の文字が、宿っていた魔力により魚の群れのように蠢き並びを変えていく。

 

 最後の一片の動きが収まり、魔力が霧散したころには巻物は一枚の地図となっていた。

 

「……あれ、でもこれおかしくない?」

 

「……ええ、大きすぎます、ここの書架が、こことするならば……おそらくは下にもう二階層あるはずです」

 

 おそらく閉架書庫のようなものでしょう、というと妖精弓手は目を輝かせた。

 

「それって前人未到の遺跡ってことよね!? それにここよりもっと貴重(レア)なものがあったりして!」

 

 期せずして、冒険の扉は開かれた。

 

 女神官もニコリと頷く。

 

 しかし

 

「また、出直しましょう」

 

 まだいける、はもう危ないのだ。

 

 

 

 

 

 日を改めた、別の日。

 

「ま、実際そんときゃ、引き揚げてよかったの」

 

「鉱人のいう事にしゃくだけど、確かにねっ!!」

 

 更に下の階層を降りた広間には五体のゴーレムが居た。

 

 痛みを感じぬ堅牢な体に、手にはおそらく魔法のかかったメイスが一本。

 

 体のサイズが只人程度なのは、書庫に賊が逃げ込んだ際に追跡できるようにしたためであろう。

 

 いくら矢を射かけようと刺さるに任せて押し入ってくる戦法は森人が苦手とするものだ。

 

「膝を砕き、武器を取り上げる」

 

「まぁ、その辺りが手堅いでしょうなぁ」

 

 いうが早いかゴブリンスレイヤーは武器を棍棒に持ち替え、一気に踏み込み、抜き胴のような膝砕きを見舞う。

 

 振り下ろされたメイスは掲げるように構えた盾でいなし、一気に振り抜く。

 

 相手の左手へ駆け抜けていく一撃は居着きも少なく、離脱も盾を構えて残心を残す。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らに、破邪の鉄槌をお示しください》」

 

 女神官の手から放たれた《理力》の弾丸がゴーレムを二体まとめて粉砕するのをみやり、構えを解く。

 

「これで魔法のメイスが5本か、収穫じゃのぉ」

 

「でも、探索的にはここから、でしょ」

 

 ガコリ、と壁をの一つを押し込むと、最下層がゆっくりと口を開けた。

 

 

 

 

 

 最下層はやはり、閉架書庫でああった。

 

「確かに貴重なものが多いですね」

 

 他の者には見分けのつかないものであるが、一つ一つ書架を検める女神官には違いが分かるらしい。

 

「そいで、何かありそうかのぉ」

 

 とりあえず分かるものだけでも取り纏めておこう、ということになり家探しを始めることになった。

 

「そうねぇ、魔法の角灯、あたりなら分かるけど……」

 

「おまたせしました」

 

 とりあえず金目の物を一纏めにした頃に女神官の方も一段落したようだ。

 

「いくつかの巻物がありましたね《石雲(ペトロ・クラウド)》に《変化(ディスガイズ)》に《分解》と……《明かり》や《清潔》が多いですね、やっぱり籠り切りでものぐさな女性だったんでしょうか」

 

 一同の脳裏に、図書館の主のような、不健康そうで瘦せがちな魔女の姿が思い起こされる、それも仮の想像だ。

 

「ともあれ、これだけの収穫じゃ、さっさと帰って宴と行こうぞ」

 

「重畳重畳、一暴れ、一漁り、なればあとは酒と肴で一騒ぎ」

 

「そうねー、もうくったくた! 次は普通に矢で倒れる相手がいー」

 

「ゴブリンか?」

 

「……ゴブリンでもいいけど、もっと普通に冒険したいなぁ、すかっと駆け回って、飛び回って、化物倒してめでたしめでたし、な感じ」

 

「あはは、そうですねぇ」

 

 そう語り合いながら、冒険の成功を祝う宴に胸を躍らせながら冒険者は遺跡を出る。

 

 彼らは家路へ、着いたのだ。

 



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幕間 夫婦の形

 

 

 

「妻の目が……最近私を見る目が雄の野獣の瞳になってきて……」

 

 そういいながら顔を手で覆う男物の神官服を着た女性。

 

 その豊かな胸元には銀等級の証が輝いていた。

 

 なんと言えば良いのだ、と仲間に視線を送っても女神官をはじめ、ひきつった苦笑いしかない。

 

「まぁまぁ、私は私、あなたはあなた、それで、いいじゃない」

 

 そう優しく肩に手を置くのは武骨なロングソードを佩いた銀等級の戦士の男性だ。

 

 遠方からやって来た冒険者の遺跡探索の、人材応募にゴブリンスレイヤー達一党は手を上げた。

 

 戦士と神官の男女のコンビ。

 

 よく居る、と言えば、よく居る。

 

 先日自分のプレゼント選びを手伝ってくれた2人だって、今の一党に所属する前はこういったコンビであった。

 

 特徴と言えば、女性が男物の神官服を着ているのが珍しいと言えば、珍しい。

 

 とはいえ、旅の道中、女性というだけで、狙われやすくなるということはある。

 

 長旅をしてきた女神官が面倒ごとを嫌っての男装であったからといって、そこまで不思議に思うほどの事ではない。

 

 しかし、実際に遺跡の前にまで来て、その事情を聴いて、なるほど、と頷かされた。

 

「ここの遺跡と同系統の遺跡に、以前潜ったんです」

 

 遠い目をしてそう語る女神官の目は死んでいた。

 

 戦士の方はふんふん、と朗らかに鼻歌を歌いながら料理をしている。

 

 その手つきはこなれたものだ。

 

「まさか、まさか、戸棚の性別反転の水薬が私たち二人に掛かるなんて!!」

 

 

 

 

 

 つまりは、そういう事である。

 

 勝気な戦士の少女に連れられて村を飛び出してきた内気な神官の少年。

 

 冒険の日々を駆け抜けるうちに、幼馴染という関係が、恋人になるのは、自然なものであった。

 

 そして、「この遺跡探索を終えたら、結婚しよう」と臨んだ冒険で、喜劇は起こった。

 

 何気ない探索の一コマである。

 

 がさりと開けた隠し棚から、ゴトリと水薬が落ちた、それだけである。

 

 しかしそれで夫は女となり、妻は男になった。

 

 ともあれ、それで結婚はおあずけ、というわけにもいかない。

 

 各種の準備をキャンセルするわけもいかず、夫はウエディングドレスを、妻はタキシードを身にまとい、参列する者が目を剥き、神父が頭痛を堪えながら聖句を唱える中、誓いのキスはなされた。

 

 とりあえず、お互い元に戻るために手を尽くそう、ということになった。

 

 なんとか情報を集め、どうやら同系統の遺跡が遥か西方にあるらしい、という情報をつかむまで、それなりの月日がたっていた。

 

 そして、その月日は愛する妻が愛する夫を女としてみるには十分な時間であった。

 

「そんなに嫌? 私はあなたを愛しているし、貴方だって私の事、嫌いになった訳じゃないでしょ?」

 

「もちろんそうさ! 愛してる、それは神に誓ったっていい……でもね、なんていうか、それは、それ……な気がするんだよ、うん」

 

「それに、私が産むか、貴方が産むか、ただそれだけの話じゃない。愛する者同士にその証を神様が授けてくださる……ね? あなたの信仰する地母神様だって、なにも禁じていないじゃない」

 

 ね? と笑顔で両手を合わせ小首をかしげる戦士。

 

「神様だって想定外の事態ってあるんだよ、多分!!」

 

 そこで、多分、と言ってしまう押しの弱さが原因の一つなのだろう、と一党は思うが、あえて指摘はしない。

 

 なるほど、とつぶやく女神官のつぶやきは、聞こえなかったことにした。

 

 とまぁ、それはそれとして、元に戻る水薬を手に入れるのは異論はないという。

 

 まぁ、今更そこを揉められても困るのがゴブリンスレイヤー達の立場だ。

 

「ともあれ、行くか」

 

「そうじゃの」

 

 かくして、遺跡に冒険者たちは乗り込んでいく事になる。

 

 

 

 

 

 はるか大陸の向こうからやって来ただけはあって、二人の腕前は確かなものであった。

 

 襲い掛かる遺跡の守護者は先陣を切る勇猛な戦士(妻)はまさにばったばったと切り倒し、粛々と祈りをささげる女神官(夫)の奇跡は女神官をしても、ほう、と関心の声を漏らすほどのものである。

 

「敵自体は大したことないのよねぇ」

 

 そういいながら、またそれなりの位階の悪魔を切り伏せた戦士はコキリと首を鳴らす。

 

「お、ちょいとタンマ」

 

 そう鉱人道士が声をかけ、トントンと床を指でたたく。

 

 ふっ、と息をかければわずかなスキマがあり、それを押し込むとガコリと広間の中央に更に地下へ至る階段が現れる。

 

 さて、はて、何があるやら。

 

 

 

 

 

 中は研究室のようであった。

 

「お二人は、ここで待っていてもらえますか? 下手にまた事故が起きたとき、お二人の体がどうなるか……予測がつきませんし」

 

 一党に目配せをしてゴブリンスレイヤーと女神官、そして鉱人道士が入り、妖精弓手と蜥蜴僧侶が残される二人の相手をする。

 

 神官の身で魔術に深い知見を示してみせるのを、避けたがるのが彼女であると、一党は十分に承諾しているのだ。

 

「分かるか?」

 

 いくつか水薬は見つかったが、種類が様々だ。

 

「少し、調べる必要がありますね」

 

 そういいながら虚空へ向けて小さくつぶやき、その中空から自前の器具を引き出して並べる。

 

「若返り、老化、美白に痩身……美容に並々ならぬ関心があったようですねぇ」

 

 いくばくかの実験の後、何やら魔術のかかった眼鏡をくい、と中指で押してそう結論を下した。

 

「ちうと……今の所無い感じかの」

 

 そう髭をいじりながら書籍の類を積んでいく。引き揚げるときに彼女が自分の倉庫にいくつか収めるからだ。

 

「資料や研究のメモ書き、成果物のレベルからしてみれば、性別転換の水薬は、あってもおかしくないのですが……こればかりは、ないことには、ないですので」

 

「そうか……」

 

 そういいながらゴブリンスレイヤーは辺りを見回す。

 

 探すときは、使う側、隠す側の気になってみるのが基本だ。

 

「隠し棚、と言っていたか」

 

「ふむ、あんまり大っぴらに使う薬じゃなかったんじゃろ……となると、そこいらへんかのっ、っと」

 

 鉱人に容易く暴かれた隠し棚には、確かにこれまで見つかったものとは別の水薬があった。

 

「これか」

 

「………ええ、多分そうだと」

 

 性別転換の水薬を持つゴブリンスレイヤーに、妙に間をあけて女神官は頷いた。

 

 

 

 

 

「ありがとう! 皆、本ッ当にありがとう! 神よ! 慈悲深き地母神よ! おそらくこれまでで一番深くっ、ふかぁぁくっ! 感謝しますっ!」

 

 女神官(夫)の恥も外聞もない感謝の声が響いた。

 

 念には念を、ということで、辺境の街にまでもどり、水薬を魔女の鑑定に掛けた。

 

 結果として、それなりの本数の性別転換の水薬をはじめ、各種美容の水薬が手に入ることになった。

 

 これだけで、一財産。彼らも遠い故郷へ帰途に就く分の儲けが出たぐらいである。

 

 さあて、いよいよ水薬をひとあおり、というところで女神官(夫)の手元から水薬がひょい、と奪われた。

 

 え、と視線を向ければ、愛する妻が居る。

 

「よく、考えたのよ」

 

 水薬に栓をして、己の後ろへやる。

 

「な、何をかな……」

 

 やや笑顔を引き攣らせて女神官(夫)が及び腰になる。

 

「こんなに薬も手に入った訳だし、あなたも孕んで、次に私も孕んで、かわりばんこでいいんじゃないかって」

 

 救いを求めるような目で見られた、そして、爛々と目を光らせた歴戦の戦士(妻)を見る。

 

 そして、目をそらす。

 

「ゴブリンではないな」

 

「夫婦の営みの事ですし」

 

「民事不介入ってやつじゃな」

 

「めでたしめでたしということで」

 

「拙僧たちはこれにてごめん」

 

 そそくさと逃げ出した一党の後ろで悲鳴が上がる。

 

 十人十色。

 

 世界は広く。

 

 誰もかれもが手に手を取って、悲喜こもごもの手探りでの旅路。

 

 円満なれば、それでもう上出来。

 

 こんな夫婦も、世界には居るのだ。

 



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幕間 往って帰って来たお話

 蜥蜴人達の朝は早い。

 

 日が昇れば寝床から這い出て天と地を礼拝し、鍛錬に出る。

 

 蜥蜴戦士の鍛錬は狂気的である。

 

「シャアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 ひたすらに大地を四つん這いになって、吠えながら駆け抜ける。

 

 これにより四肢と尾は鍛え上げられる。

 

 強靭な肉体、前方へと一心不乱に駆け込む体と脳髄を作り上げる鍛錬である。

 

 これにより、指先は太く硬く一本一本が分厚い剣鉈の様になる。

 

 何よりも勇猛果敢、正々堂々とした戦を誉とする蜥蜴人達の気風はこの四肢疾駆によって養われるのである。

 

『チェストイケ! チェストイケ! きっさねこっすっな!(死に物狂いでいけ! 死に物狂いでいけ! 卑怯な真似をするな!)』

 

 卵から孵ってよりそう教えられるのが常である。

 

 一通り終われば次は水場に入り、潜れるだけ潜る、心肺を鍛え、また水場での戦闘に体を慣らすためでもある。

 

 この時に取った魚を一日の糧とする。

 

 無論、魚を取れぬ日もあるがその空腹と恥辱をもって次の日の鍛錬のための決意とする。

 

『やれい!!』

 

『おうっ!』

 

 その後は礫打たせである。

 

 里の若衆で川の水流に踏ん張る者に向けて一斉に礫を投げかける。

 

 礫打たせを行うものはこれをひたすらに受けねばならない。

 

 直立不動、守ってもならぬ。

 

 小動すれば惰弱である、やっせんぼ(腰抜け)と蔑まれ、里に居処がなくなる。

 

 姑息な飛び道具に負けぬ鱗、胆力。

 

 揺るがぬ粘り強く、当たり負けぬ足腰を作るための水流立ち。

 

 全てを鍛えることができる非常に理にかなった鍛錬法である。

 

『モノノケぞ!』

 

 そう聞きつければ男たちは遮二無二駆ける。モノノケはおおむね強敵であり、つまりは蜥蜴人達にとって何よりも待ち望んでいるものであるからだ。

 

 居たのは巨大な猿の魔物であった。

 

 一匹ではあるが、蜥蜴人よりも巨躯である。その毛皮は蜥蜴人の鱗の如き防御力をもつであろう。

 

『おいが』

 

『よか』

 

 全員でかかることは無い、一人だ。

 

 一人が攻めかかり、死ねば次の一人がいく、これが、相手が死ぬまで続く。

 

 強敵との戦いを邪魔してはならないのである。

 

 シャァッ、と息を吐き、飛び掛かる。

 

 あとはただ肉と骨と爪と牙の命じるままに暴れる、相手は死ぬ。

 

 これが蜥蜴人、野蛮にして強大なる種族である。

 

 

 

 

 

 

『おじゃったもんせぇ(ようこそおいでくだすった)』

 

 そう歓迎の言葉を述べたのは蜥蜴人の里の族長であった。

 

『忝い』

 

 そう奇妙な合掌で返すのは蜥蜴僧侶である。

 

 横ではゴブリンスレイヤーを除く女神官達が座っている。

 

 辺境の街の近くにある蜥蜴人の里に四人人はやって来た。

 

『南方の御坊とおみうけしもす』

 

『然り拙僧、南方にて出家したものにて、こちらは共に冒険する輩』

 

『あたやどしのぼんさあでぇ(私は友人の神官です)』

 

 そういって女神官はぺこりと頭を下げる。堂に入った蜥蜴人語であった。

 

 その後ろで妖精弓手と鉱人道士が「何言ってるかかわかる?」「鱗の言葉はさっぱりじゃ」と肩をすくめている。

 

『おぉ、てんがらもんなぁ(なんと、典雅な方だ)』

 

 ほう、と頷き、シャァと口を大きく広げて笑みを浮かべる。

 

『だいやめをすっど!(宴を開くぞ!)』

 

 と若手の蜥蜴人に宴の準備を呼びかけた。

 

 

 

 

 

「……それで蜥蜴僧侶さん、結局どういうことなんでしょうか?」

 

 どうか、一緒に来てほしい依頼がある、と一党の調停役である蜥蜴僧侶の頼みに頷き、同行した先は蜥蜴人の里であった。

 

 そこでなぜかそのまま宴会となり、その次の朝になってようやく事情を聴く時間ができた。

 

「いやぁ、失敬失敬、もろもろ抜けてしまいましたなぁ」

 

 飄々と、久方ぶりの同族との宴にいつになく気が高ぶったのか、そう言う蜥蜴僧侶は珍しく浮かれている。

 

 いや、そういえばチーズを前にすれば結構浮かれているから、あまり珍しいものではないのかもしれない。

 

「すこし、女神官殿と術師殿の手管と知見をお借りしたく」

 

「はぁ」

 

「ほうか」

 

 としか言いようがない。現在の所、他には何の情報もないのだ。

 

 とはいえ、前回には頼まれなかったことであるから、おそらく魔術に関する何かであろうか、と当たりをつけている。

 

 神官僧侶の技であれば、それこそ蜥蜴僧侶の腕前も人並み以上のものであるからだ。

 

「どうにも、あの里の近くを流れる川に病がまかれたようでしてなぁ」

 

「病、ですか」

 

 しかり、と苦みを滲ませながら蜥蜴僧侶は顎を撫でる。

 

「これが何やらの魔獣の仕業、となれば戦士を差し向けて、討滅、というのが蜥蜴人の作法ではあるのですが……」

 

「何もなかった、しかし、水の手ぐらいしか感染経路は考えられん。勘も働かんとなれば、ちっくら近場の同族の坊主に来てもらおう、と」

 

 そういうことですなぁ、と蜥蜴僧侶も頷く。

 

「先ずは」

 

「病に臥せっている者の治療ですね」

 

 そうつぶやきながら女神官は頷いた。

 

 

 

 

 

 

『……こげな、まこてげんねか(……このようなありさまで、本当に恥ずかしい)』

 

 病人を集めた小屋で、常であれば一角の勇士であろう蜥蜴戦士が弱り切った様子でそうつぶやく。

 

『そげな……きばいもんそ(そのようなことを……頑張ってください)』

 

『あいがと……あいがとさげもす……(あ、ありがとう……)』

 

 女神官もそう励ましながら奇跡を行使して雄も雌も区別なく癒していく。

 

 やることのない妖精弓手と鉱人道士は斥候として問題の水場を探索している。

 

「ふぅ……」

 

「一休みしましょうぞ」

 

 そういいながら、女神官へ水の入った盃を渡し、室外での一服を勧める。

 

「どう、見ますかな」

 

「人為的な病かと」

 

「その心は?」

 

「ああも頑健な体のままなれる病状ではありません」

 

「某も、そう思います」

 

 深く頷く蜥蜴僧侶に、とはいえ、対症療法的にあたるしか現状ではやりようはありませんが、とつなげる。

 

 緊急性の高い者から治療しているため、治療は追いつかないのが実情である。

 

「となると、お二人の調査待ちと」

 

「そうなりますねぇ」

 

 首をコキリと一鳴らし、本人たちは暇で出た、ぐらいの気持ちなのだろうが、こちらとしては一縷の望みである。

 

 

 

 

 

 

「まぁ地を見て水を見るなら鉱人と森人よな」

 

「私ら治療ってもやることないしねぇ、薬草取ってくるぐらい?」

 

「せやな」

 

 そう肩をすくめながら偵察に出ていた二人も小休止を取っていた。

 

 水筒の水を一あおり、旅糧を一かじり。

 

「しっかし、森人は木の上におらにゃ気が済まんのか?」

 

「いいでしょ別に、こっちの方が少ない人数なら見つかりにくいし、森人の英知ってやつよ」

 

「そんなもんかね」

 

 言葉の通り、二人は樹上に居た。妖精弓手が容易く巧みに作った樹上の場は二人で休憩をとるには十分快適であった。

 

「……」

 

 妖精弓手が耳をくるりと一ゆらし、それで鉱人もスリングに石をつがえる。森人のハンドサインならぬ耳サインだ。

 

 現れたのはフード姿のいかにも人目を気にしている様子の男たちであった。

 

 あたりを見回しながらおっかなびっくりと森の奥へと消えていくのを見送り、すとりと降り立つ。

 

「いくか」

 

「ええ」

 

 追えるか、などと今更聞く必要もない。森は森人の領域だ。

 

 

 

 

 

「ちゅーわけで、まぁ邪教団が邪教団らしくなんかやらかしているようじゃな」

 

「邪教団ですか……はぁ、世に尽きぬものではありますが、人々の不安をあおり、刃や毒薬にぎらせて……尽きてほしいものですねぇ」

 

 そうため息をつき、攻め込むこととなった。

 

 無論、前回で自分の率いる武装集団が己が玉座に座って何か国か併呑するまでは邪教団とかカルト扱いされていたことは一切合切心の中の棚に上げての発言である。

 

 邪教団だろうが世界を統べて人心に安らぎを与えれば聖なりし、と扱われるのだ。その結果ゴブリンはじめ敵対種族は絶滅したじゃないか? 結構なことではないか。

 

 まぁ自分はそんなに非道なことをしていない。

 

 せいぜいが、そろそろゴブリンも絶滅目前ですし、ゴブリン絶滅最優先よりも世界国家基盤の拡充を……と言い出した部下に「そういえばお孫さんも成人でしたね……ところで話は変わりますが、成人前の女性がゴブリンと檻の中で暮らすとどうなると思いますか? まだゴブリンはこの世に居るので試せますよね? ともあれ、ゴブリンは滅ぶべきであると考える次第である」と優しく諭すぐらいだ。

 

 歴史書にはきちんと「不確定要素を捨ておいては後顧の憂いとなろう(公式意訳)」と残して部下の自宅も彼らが外出した際に偶然火事にあって、日記の類が焼失してしまったから資料の不一致もなく後世の研究者としても安心だ。

 

 ちなみに彼は終生の忠誠を貫いてくれた。蒙昧を晴らすのも聖職者の役目である。

 

 だが、残念なことに、私のようなソフトで穏健な教団経営者ばかりでないのが世の辛い所である。

 ともあれ、邪教団は殲滅すべきであることも確かだ。やつらはよくよくゴブリンの如く地下に潜る者だから、見つけ次第根切にするのが人類社会のマナーだ。

 

 どうしようもない愚者悪人を救済するために賢者善人が浪費されるぐらいなら、もういっそ根切にして産めよ増やせよしたほうが人々の不公平感やストレスもなく世の中よく回るのである。

 

 敵味方を1ずつ救うぐらいなら味方を2救った方がいい、簡単な話だ。

 

 抜いた山刀の刃を爪の上を走らせて研ぎ具合を確認する。道具の準備確認はもう半分無意識の領域だ。

 

 邪教団の存在を説明すれば自分たちも行きたい、と蜥蜴人達は言い出すだろうが、使い潰すならともかく、戦意に満ちた病み上がりの死兵とは足並みを揃え難い。

 

 そのため、何も告げずに行くことにした。

 

「では、行きましょうか」

 

 

 

 

 

 虎の子の疫病のデーモンは森人の矢にさんざん射抜かれ、蜥蜴人の爪牙にかかった。

 

 鉱人の術によって同志達は次々と倒れ、かく乱され、今は何とか逃げているのは自分だけだ。

 

「ひぎっ!」

 

 風切り音が一つ、足に矢が突き立つ。

 

 刃を抜いた女神官が近づいてくる。

 

 特に語ることは無い、さっさとやるか。

 

 そういった淡々とした瞳だ。

 

 その目のまま、淡々と死ぬまで刺され続けるであろう。

 

 ガタガタと歯の根が合わず、股間があたたくなる。

 

 恐怖で気絶できたことは、男の救いであった。

 

 

 

 

 

 

 とりあえず首級と心臓を並べての事情説明で、話はついた。

 

 己の力で解決できなかったことを蜥蜴の戦士たちは悔しがったが、回復を待っては取り逃がす可能性が大きかった、と納得してもらった。

 

 真実を語る口で生きている者はもういない。

 

 病を治した蜥蜴人たちにぜひまた来てくれ、恩は忘れぬと言われ里を後にする。

 

「いや、よき戦でござった」

 

 ご満悦な蜥蜴僧侶は尻尾を機嫌よさげにゆらす。

 

 その様子に三人は苦笑しながらも帰途につく。

 

 辺境の街が見え、大門に至る。

 

 そうすれば、冒険者ギルドはもう目と鼻の先だ。

 

 ぎぃ、と自在扉を開けばだれもかれもが思い思いに騒いでいる。

 

「おまっ、バカッ、いや、おま、お前なぁ……」

 

 彼が呆れた様子で何か言われている。

 

 妖精弓手と顔を見合わせ、かるく耳を傾ける。

 

 さて、彼が何をやらかしたやら。

 

 



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幕間 牧羊犬の一日

 吾輩は牧羊犬である。名前は無い。

 

 神より遣わされた、主に仕える使徒。

 

 初めて会ったのは当然ながら主たる彼女だ。

 

 我が神に仕える少女……だが、見目とおりの手弱女などではなかった。

 

 むろん、吾輩が地上にあるのは久々である。吾輩が出張るとなれば、すわ混沌の神々との決戦の時か、と気をたぎらせたものだ。

 

 そう思って馳せ参じたところ、待っていたのは彼女とその冒険の仲間だけだ。

 

 しかし、後になってだが、彼女の領土たるこの地上と月に見合う使徒となれば吾輩でもなくば、務まらないのもまた事実である。

 

 呼ばれて最初の頃は、ゴブリンごときに戦いに投入されることに嫌気がさしもしたが、彼女に労われ、毛皮を撫でらるのは悪い気がしなかった。

 

 それが、こうも、と悪辣な手練手管を駆使して今ではもう二つの星の覇者だ。

 

 皇宮を歩けば、彼女の臣下は自分に道を譲る。

 

「お、行くところ? 乗せてって」

 

 返事も聞かずするりと腰かけるのは主の輩たる森人である。

 

 主に次ぐ身分であったはずだが、伝法な仕草だ。

 

 ――言っても聞かぬか。

 

 やれやれ、と思いながらも主のいる中庭へ向かう。

 

 中庭といっても、南側へ広々と開かれているために狭苦しさなどは別段感じることは無い。

 

 そこに、彼女は居た。

 

 椅子に座り、初夏の日差しに目を細めている老女、それが彼女だ。

 

「やってるー?」

 

 吾輩からするりと降りた彼女はすたすたと主に近づいていく。

 

「もう、あまり乗ってあげないでくださいね」

 

「やー、ごめんごめん」

 

 快活に笑いながら席に着く。給餌の者がしずしずと茶を入れる。

 

 カップを一口口に含み、ふぅ、と息を漏らす。

 

「少しは暇になるかしらね」

 

「なりそうですけどね、文官達が音を上げる前に一段落しそうでよかったです」

 

「はぁ、ほんと、ひどいときは書類がゴブリンに見えてきたわよ」

 

 ケラケラと、ねぇ、と水を向けられても犬である自分の知ったことではない。

 

 主の横に侍り、撫でられる。

 

「貴方にも苦労を掛けましたね」

 

 その言葉は、諦めと別れの色を含んでいた。

 

 クン、と寂しげに鳴けば、また頭を撫でてくれる。

 

 それで、わかってしまった。

 

 別れは近い。

 

 

 

 

 

 ふと、目を覚ませば皇宮の一室、などではなく、小さな木製の小屋が視界に映る。

 

 懐かしい、という程ではない、精々が数か月前の夢だ。

 

 彼が作ってくれた家だ。

 

 小屋から出れば広々とした牧草地が視界に入る。

 

 かつてに比べれば随分と小さな領土であるが、主に任された場所だ。

 

 鶏が鳴く前にふらり、と牧場を一周、様子を見て回る。

 

 終えたころに小屋の前の納屋から一人の男が出てくる。

 

 みすぼらしい装備の、主の想い人だ。

 

 とことこと近づけば慣れた手つきで首輪にリードをつける。

 

 わう、と一鳴きし、主の喜悦が流れ込んでくる。

 

 我が主ながら、正直どうだろう、と思う。

 

 まぁ楽しいのなら、なによりなのだが。

 

 一通り回れば、その後は点検をしながらのもう一周だ。

 

 それを眺めながらついて回る。

 

 それを終えれば次は朝食だ。

 

 彼とその幼馴染達が食事を終えた後に、彼が皿を持ってきてくれる。

 

 おぉ、と胸が躍る。

 

 ごろりとした鳥の肉、香辛料がかかりツンとした香りに、よだれがでる。

 

「食え」

 

 撫でられながらの食事、それでも喜ぶ我が主は、本当に我が主か正直不安になる。

 

 というか、そんなに嬉しいなら自分でしてもらえばいいではないか。

 

 主とはいえ、人間のことはよくわからない。

 

 まぁ、主は人間の中でも変わった方であるのは前の通りだ。

 

 時を超えて若返ってくる主、というのは神代からいる吾輩でも初めてのケースだ。

 

 しかし、主から流れてくる前の情景は、ただの妄想というわけではないであろう。

 

 こんな事もあるのか、と思いながら食事を終える。

 

 この後彼はいつもであれば街に出かける。

 

 今日も常の通り、彼は街へ向かった。

 

 自分はのんびりと牧草地を眺め、とことこと散歩をして回るぐらいだ。

 

「あ、いたいた」

 

 そう言って彼の幼馴染が歩いてくる。

 

 特にやることもないので一緒に日向ぼっこをする。

 

「いい天気」

 

 わふ、と声を上げて同意する。

 

 先日は2度ゴブリンが来たが、それも前の話となった。

 

「大丈夫かな?」

 

 誰が、というのはわかり切った話だ。

 

 心配するな、と身を擦り付けると、ありがとう、と返してくる。

 

 神は天に在り、世は全てこともなし。

 

 まぁ我が主の所業に我が神もたまに困り顔になるが、まぁそれも一興というものだろう。

 

 時が過ぎ、幼馴染が

 

「じゃ、戻ろうか」

 

 と家へと向かっていく。

 

 夕方になると彼が戻ってくる、戻ってこないときもある。

 

 基本的には我が主が一緒なので、無事は確認できる。今日は戻ってくる。

 

 納屋の近くで彼を待ち、姿が見えれば駆け寄る。

 

 夕食を終えた後、納屋に入る。

 

 彼は道具の点検準備に余念がない。

 

 横に転がり、ふむふむと一つづつ眺める。

 

「お、やってるやってる」

 

 そういいながら幼馴染が寄ってくる。

 

 その豊満な肉体をすり寄らせながら、雑談が始まる。

 

 ――主よ、妬んでもどうしようもないであろう。

 

「そうだな……今日は……」

 

 彼が記憶の戸棚から並べるように話し始める。

 

「男三人で塔を登った」

 

「へぇ、いつもの皆は?」

 

「居なかった、ゴブリン退治の依頼もなかった、それはそれとして別の仕事だ」

 

「塔……」

 

「六十階か、それ以上、とにかく高かった」

 

「へー、想像もつかないや、それ登ったんでしょ?」

 

「あぁ、外壁を楔で」

 

「なんで!?」

 

 そんな掛け合いを聞きながら時を過ごす。

 

 だんだん眠くなってきた。

 

 あくびをひとつ、目を閉じる。

 

 今日も平穏な一日であった。



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幕間 家路を創る

 

「お疲れ様でした」

 

 受付嬢のねぎらいの言葉を受けて、報酬を受け取る。

 

 一仕事を終えた男は陰気な晩酌にありついていた。

 

 死地に目覚めた己の健脚は、手紙の運搬という冒険者仕事で食いつなぐには不可欠なものであった。

 

 だが、だから何になるというのだ。

 

 故郷は魔女の手によって廃墟となり、長い時を過ごした隣人たちはすでに土の下だ。

 

 運搬役を率先して引き受けるのは、どこかでばったりと魔物にでも出会って死んでしまえないか、というやや投げやりな気持ちもあるのだ。

 

 とはいえ、飢えればひもじく、寒いままであればみじめで、金を稼いでそれらを避けたくなるのも人情だ。

 

 結局、仕事終わりの晩酌だけが彼の癒し、いや、何の癒しにもなっていない、だが、そう思わなければあまりにも虚しかった。

 

 故郷はもうないのだ、妻も、子も、もういないのだ。

 

 ただただ、過ごす日々以上を、求めようという気力が沸くことは無い。

 

 だから、悪魔と旅路の中で遭遇した時、ようやく死ぬときか、とすら思っていた。

 

 だから、恐怖に震えながらも歯を食いしばって棍棒を両手に握りしめて殴りかかった冒険者の雄姿に、永らく渇き止まっていた心が内側から勇気という光と、悲しいかな死なずに済んだという安堵により揺り動かされた。

 

 だが、だからといって、何ができるというのだ。

 

 疲れた体に、酒を流し込む、それぐらいしか、自分にはもうないのだ。

 

「あぁ、いたいた、お久しぶりです」

 

 そう飄々と近づいてきたのは鳥頭人躯の異形、つまり、医者である。

 

「あなたは……」

 

 かつて会った記憶は、わずかなものである。全貌を理解している、というわけではない。

 

 だが、おぼろげではあるが、彼が故郷の仇を討ってくれたというのは分かる。

 

 医者はするり、と席に着き、いくつか注文をする。

 

「えっと……」

 

「偶然では……ないんですよ、ちょっと用がありまして、まぁ、そちらにとっても悪い話ではないと思いますよ?」

 

 にこやかにマスクを脱ぎながら、男は語りだした。

 

 

 

 

 

 開拓村、と言われても男としては完全に他人事のような気持でその言葉を聞いた。

 

 俺に何をしろというのだ、という怪訝な視線を医者に向けた。

 

 医者はその声色と同じような飄々とした笑顔を張り付けたまま、ぼそりと手元のグラスに注ぎこむように言葉を紡ぐ。

 

「その場所は、貴方の故郷です」

 

「な!?」

 

 しかし、その場所が自分の故郷と聞いては目の色を変えざるを得ない。

 

「開拓村を何処に作るか、どう決められるかご存知ですか?」

 

 農村で暮らし、糊口をしのぐために冒険者をしている男に分かるわけもなく、素直にいや、と答える。

 

「そんなに、難しい話ではないんですよ」

 

 つい、と指を出す、先ず一つ。

 

「先ず、既存の村からそれなりに離れていて、それでいてそこまで離れていないこと。つまりはちょうどいい距離に村を構築できる地形があること。無闇に近くに作るのでは、既存の村や町を拡張した方が早いですし、中途半端に近いのではお互いの勢力がダダかぶりしてしまいます、そうなると水争いやら木材資源の取り合いやら、まぁもめ事が起こりやすいので、国としてはそれなりに離れていてほしいのです、あとは、離れすぎると今度は継続的な流通に支障が出る、というのがあります」

 

「お、おう」

 

 正直、わかりやすく言ってくれているのは分かるが、男の頭ではかなり難しい話だ。

 

 ただ、運搬の仕事をしているから、実感として言いたいことは何となく分かる程度だ。

 

 もう一つ、指が出される、二つ。

 

「次に、実績です。あまりに危険な地域にむざむざ人間や資源を投じるのは避けたい、無為に死地に送り続けるのは避けたい、となると比較的安全が見て取ることのできる場所、となります」

 

 それも、分かる。ドブに金を捨て続けるのは愚かというより狂人の行為だ。

 

 しかし、それなら疑問に浮かぶことが当然ある。

 

「だが、ウチの村は魔女に……」

 

 その言葉に、皆まで言うな、と医者は頷く。

 

「ええ、確かにあなたの故郷は魔女に滅ぼされた、これは確率の話になってしまいますが……正直、また同じような悲劇が起こる確率は、本当に少ないのですよ、それこそある一人の人間が何度も雷に打たれるようなものです」

 

 これが、ゴブリンに襲われやすいとか、竜の狩場、とかなると候補から外れるわけですよ、と言いながらもう一本の指が出される。

 

 三つ。揃えられた指先は男を指さしていた。

 

 まるで切っ先を向けるようなそれと、真摯な瞳がある。

 

「その土地をよく知る人間、やる気のある人材が居る事、開拓は難事です。折れぬ心をもって臨む者が居ればこしたことはない……無論、平坦な道ではないです、失敗に終わる可能性も、もちろん高いです」

 

 ですが、と手を下ろしてグラスを両手で包む。

 

 その瞳は、様々なものを湛えていた。空虚、無力感、残骸のような希望、長い人生が静かに煮詰まったような瞳だ。

 

 医者がグラスの水面に何を見たのか、男にはわからない。

 

「ゼロでは、ありません」

 

 顔を上げ、そう言いながら男を見つめる医者の瞳には誠実な、真摯な心があった。

 

「……帰れるのか」

 

 ぽつり、と漏れる、勇気に、無力感に、希望に、全てに震えた心に入った亀裂から、零れ落ちるような呟きであった。

 

「確実には、ではないですが……それに、開拓に名乗り出るような面子です、それなりに事情持ちの人間も多くいるでしょう」

 

「そんなもん、なんだ」

 

 あそこに帰ることができる。

 

 生まれ育った故郷に、人々の生活の火がまた灯る。

 

 誰かが生まれ、泣き笑い、死んでいく。

 

 それが、ずっと続いていく。

 

 その光景を見ることが出来る。

 

 それだけで、それ以外の全ては捨ておく理由になる。

 

 俺が、俺の家路を創る。

 

 そのためであれば

 

「何だって、してやる」

 

 必ず、故郷へ帰る。



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幕間 ゴブリンスレイヤーさんと行く! これで安心! 駆け出し一党のゴブリン退治!

 

 

 

「初心者随行?」

 

「ええ、お願いできないでしょうか?」

 

 そう受付嬢に持ちかけられた話に、ふむ、とゴブリンスレイヤーは腕を組んだ。

 

 ゴブリン退治等の初心者が臨む案件に経験豊かで見識に富むベテランが随行し、見落としや脇の甘さを指摘、場合によってはフォローをする、というものであるらしい。

 

 駆け出しが冒険へ出て、その勢いのまま命を落とすことは、よくある。

 

 珍しくもない、と言ってもいい。

 

 だが、このままでいい、とは思っていない。

 

 テーブルの向かいに座っている彼女は、そういう顔をしていた。

 

「……わかった」

 

「ありがとうございます!」

 

 凛とした表情がパッと華やぎ、三つ編みが揺れる。

 

「ただし、幾つか守ってもらうことがある」

 

 

 

 

 

「と、言うわけで今回ゴブリン退治の随行冒険者のゴブリンスレイヤーさんと、女神官さんです」

 

「……よろしく」

 

「よろしくお願いしますね」

 

 ゴブリンスレイヤーが監督役を引き受けた、ということでついてきた女神官は、新人たちにこやかに挨拶をした。

 

 戦士、神官、狩人、魔法使い、バランスは悪くない。

 

 それに知った顔もいる。

 

 ゴロリとした剣を宝物のように携えた後輩だ。

 

「は、はい、よろしくお願いします」

 

 やや緊張した面持ちで戦士が返事をする。

 

「よろしくお願いしますっ!」

 

 と元気よく後輩神官が挨拶を返す。

 

「お願いしますっ!」

 

 同じく快活に返すのは狩人。

 

「若輩ですがご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します」

 

 やたら折り目正しく返すのは魔法使いだ、フードで隠されているが森人の長耳がちらりと覗く。

 

 どぶさらいの時からの付き合いの一党だという。

 

「基本的に、お二人には随行冒険者、ということで後方で監督してもらうことになります、あなた方がアドバイスを仰いだりすれば答えてくれます、またお二人の撤退の指示には必ず従ってください。もし従わない場合、お二人は離脱します。その場合、その後のあなた方の安否について、お二人が責任を問われることはありません」

 

 受付嬢がそう説明を始める。

 

 戦士たちは真面目にその言葉を聞き、頷く。

 

「……先に決めておくことがある。呪文遣いは何ができて、何回使える?」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に後輩神官と魔法使いが手を上げる。

 

「私が《小癒》と《聖光》、どちらかを一回」

 

「私が《火矢》と《力矢》、私もどちらかを一回です」

 

 そう申告してくる。ごく普通の回数だ。

 

 それを聞いてゴブリンスレイヤーは頷き、質問を続ける。

 

「水薬、毒消しは持ったか」

 

「はい、強壮の水薬と毒消しを二本ずつ」

 

「……ならば、それらに加え、神官の《小癒》一回、こちらの女神官の《小癒》一回、それが使われたら撤退だ」

 

「……あと少しで、ゴブリン達を倒しきれる、としてもですか?」

 

 若干ムッとした様子の戦士がそう声を上げる。

 

「だとしてもだ。その状態で戦いを挑めば、半分死ぬぞ」

 

「呪文遣いの一回しか使えない、を一回使った後、というのは、正直頭数には入りません。その状態の呪文遣いは正直な話、足手まといです」

 

 とりなすように、女神官が言葉をつなぐ。

 

 むぅ、と不服そうだが、理屈は分かる、といった感じか。戦士は引き下がる。

 

 良い頭目だ、とゴブリンスレイヤーは内心頷く。

 

「基本、怪物退治(ハックアンドスラッシュ)は段取り・用意・準備で8割、現場2割だ、何も準備せねば、8割死ぬ」

 

 後輩神官と魔法使いはなるほど、と頷き、狩人はどちらでも一党の判断に従う、といった様子だ。

 

「では、次は道具だ」

 

 

 

 

 

「基本的に、ゴブリン退治をする場合、取り回しやすい刃渡りが望ましい。ゴブリンの洞窟は基本的に暗く、狭い」

 

 今で言うなら、この棍棒などが向いている。と指さす。

 

「後は冒険者ツールを買っておくといいですね、使わないことも多いのですが、意外と無くて困ることも多いんです」

 

 こちらになりますね、と女神官が指さす。

 

「お金……ある?」

 

「んー皆で出し合えば一つなら」

 

 会計役であろう魔法使いが戦士に返事をする。

 

「む、むむ……買っておこう!」

 

 断腸の思いの叫びであった。

 

「ならば、次は食料だ」

 

 

 

 

 

「ゴブリン退治であろうが、それ以外の退治であろうが、荷物は少ない方が望ましい。旅糧として売られている物は基本かさばらず、腹持ちがいい。だが、不味い。矛盾するようだが、長旅になる場合は何か美味いモノも少しは持っていけ」

 

「味気ない食事の日々では気分を奮い立たせる、というのも難しくなったりします。ちょっとしたお酒、甘いお菓子、そういったものがあればいいですね」

 

 ゴブリンスレイヤーが旅糧を指さし、女神官がドライフルーツなどを指さす。

 

「こ、今回はちょっと見送りで」

 

「そうね」

 

「ゴブリンを退治したら砂糖菓子めいっぱい食べてやる」

 

 砂を嚙むような言葉であった。

 

「では次は……」

 

 

 

 

 

 そうして、本当に、丁寧に入念な準備はなされた。

 

「今日の準備、忘れないでくださいね。この言葉を思い出す時が、あぁ、ちゃんと準備を怠らなければ! なんてならないように、日々気を付けてください」

 

 もう疲れました、といった様子の4人に女神官は苦笑しながら、語り掛ける。

 

「では、いくぞ」

 

「今夜は野宿ですね」

 

 なにせ、まだ、門すら出ていないのだ。

 

 

 

 

 

 パチパチと夜の街道に焚火が灯りを点す。

 

「明日にはゴブリン退治ですから、これを食べて元気を出してください」

 

 そういいながら女神官が出したのはドライフルーツだ、量はないが、それでも戦士達一党の顔色は明るくなる。

 

「……隊列をどうするか、ゴブリンの洞窟の前に行くまでに考えておけ」

 

 そうぶっきらぼうに言うとゴブリンスレイヤーは寝に入る、女神官と交代で見張りをする手筈になっているのだ。

 

「見張りは二人で、欲を言えば偵察に長けた人間が一人はついてやるべきです。お互い向かい合って、死角が無いように心がけましょう、下手に小高い所にいると意外な接近に気付かない、ということもあるので単純に高い所に陣取れば安全、というわけでもありません……まぁこの辺りは経験でしょうか」

 

「あの、質問いいでしょうか?」

 

「何かしら?」

 

 そう手を上げた後輩に目を向ける。

 

 後輩の視線は腰の山刀に注がれていた。

 

「その挿し方って何か意味あるんですか?」

 

 右腰の、柄を後ろに向くような、独特の挿し方。この挿し方をしているのは後輩の知る限り辺境最強ぐらいだ。

 

 刃物狂いらしい着眼点と言えよう。

 

 戦士もその質問には興味深げに女神官を窺っている。

 

「ああ、これ? ……そんなに難しいことではないのだけれど、ちょっと立ってもらえる?」

 

「はい、ええと?」

 

 すい、と近づかれ、お互いが息がかかる距離に先輩の笑顔がある。

 

「距離を詰められて、怖いこと、分かる?」

 

「え、ええと、あの、顔が近い?」

 

「もう、違うわよ」

 

 そういいながら、ぺたぺた、と剣の腹で頬を叩かれる。

 

「うひゃっ、そ、それ」

 

 見覚えのある剣、自分の剣だ。

 

「もみ合いになるとね、多いの、自分の腰の武器を相手に抜き取られて、そのまま刺されるって」

 

 あわてて距離を取り、自分の腰元を見れば鞘だけがある。

 

 うすら寒さに、心臓がバクバクと音を立てる。

 

 はい、と剣を返され、おそるおそると納刀する。

 

「で、こうすると、どうかしら?」

 

 はい、と無造作に女神官が立つ。

 

「え、あ……」

 

 構えてすらいない、ただの立ち姿だ。

 

 だが、

 

「すごく、遠いです」

 

 柄が、遠い。

 

 右手を伸ばせば、むしろ差し出されるようなところにある左腰とは違い、右腰奥に柄がある。

 

 利き手が右であれば遠く、左利きであろうが、とっさに相手の武器を盗ろうと伸ばしても、つかむのは鞘だ。

 

「馬手差し、運の悪い逆転が起こらないようにする、乱戦組み合い、殺し合いのための挿し方。小さいことかもしれないけれど、さっきみたいなことにならないようにするためね」

 

 まぁ、長剣じゃできないけれど、と言いながら腰を下ろす。

 

「……勉強になります……けど先輩はどこでこんなこと教わったんですか?」

 

「……色々?」

 

 素朴な疑問を純真な瞳で問いかけてくる後輩に、女神官は目をそらしながら答えにならない答えを返した。

 

 

 

 

 

「村を訪れたら地形の把握をしましょう、到着時刻によっては夜を明かしてからの朝駆けになります。また、もちろん防衛戦や単純な夜警、緊急の奪還依頼、どのようなことを要求されるか、様々です。ですが、見晴らしのいいところ、隠れて射かけることのできる場所、この辺りは確認しておいた方がいいですね」

 

「後は村長との交渉。大体は藁にも縋る、という塩梅だが、それはそれとして信頼されるにこしたことはない。契約内容は冒険者ギルドとの間で取り交わされている、その場で値切られることは無い」

 

 そう言いながらすたすたと進む二人に連れられて村の中をきょろきょろと見回しながら進む。

 

 そして特に何もなく、村長と会い、ゴブリンの居るであろう森の一角を教えられる。

 

 青々とした森の中を狩人が先頭に探索すれば、確かにゴブリンが見張りをしている洞窟が一つ見つかった。

 

 ここまで来て、一党の四人はなんとか行けるんじゃないか、と思うようになっていた。

 

 ゴブリンと言えばてんで弱い最弱の魔物だ。

 

 準備もこれでもかとしたし、随行できてくれた二人も特に気張っているところはない。

 

 あっさりと、押し入って殺して、それでおしまいめでたしめでたし、となるのではないか。

 

 そんな甘い考えは、狩人の少女が見張りのゴブリンを弩で射抜いた瞬間から、崩れていく事になる。

 

 影が踊るように、ゴブリンスレイヤーが飛び出す。

 

 矢を受けて倒れるゴブリンにそのまま斬り付け、引き倒してそのまま臓腑をかき回す。

 

「ちょ!? えっ!?」

 

 おもわず一歩さがってしまいそうになるが、その後退を女神官は認めない。

 

 とまどいげにこちらを窺う後輩たちに、にっこりと笑みを返す。

 

 どこかおびえたような引き攣った笑みを返してくれた。

 

「ゴブリンは臭いに敏感です」

 

 ぐちゃぐちゃとかき乱される臭いが届く。

 

 すう、と吸い込み、うん、と頷く、これならば大丈夫だ。

 

「大丈夫です、慣れます」

 

 家に帰りたそうな、くしゃくしゃな顔だった。

 

 

 

 

 

 おっかなびっくり、松明を手に薄汚れた冒険者達が洞窟を行く。

 

 列の並びは狩人、戦士、魔法使い、後輩神官、その後ろに女神官とゴブリンスレイヤーが続く。

 

 後方から不意打ちをしようともくろんで横穴に潜むゴブリンを狩人が見つけ、虱潰しに殺す。

 

 ゴブリンの手にある毒剣を見せられ、道具類を背負う魔法使いは一層その鞄を大事そうに握った。

 

「巣の規模で、どれぐらいのゴブリンがいるか目途をつけろ。少なく見積もれば、計算外の伏兵に討たれる」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に、一同は頷き、またおっかなびっくり洞窟の道を行く。

 

 五匹、十匹、会えば殺していく。

 

「シッ!」

 

 鋭い踏み込みで相手を突き殺す後輩神官、盾と剣で危なげなくゴブリンを討つ戦士に、逃げ延びようとするゴブリンを射抜く狩人、魔法使いは邪魔にならない位置取りで杖を構えている。

 

 良い連携だといえる。

 

「前衛は一応すぐに後方の護衛に戻れるように心を残しておいてください。今回は良いですけれど、気持ちよく暴れて、気付けば後衛が全滅、逃げ道無し、なんて笑い話にもなりません」

 

 ただまぁ、念のための御小言を一つ、言っておくならただだ。

 

 そうして、ひたすらに殺しては進む時間を過ごし、ようやく洞窟の奥へ着いた。

 

「大きい……」

 

 居たのは田舎者(ホブ)だけであった。

 

 手下には粗末な剣をもったゴブリンが2匹。

 

「《聖光》で目つぶし、その後《力矢》を田舎者(ホブ)に」

 

「はいっ《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたしどもに、聖なる光をお恵みください》」

 

「《矢! 必中! 射出!(SCR)》」

 

 目を潰され、田舎者(ホブ)の大口に必中の矢が飛び込む。

 

 同じく視界を潰された2匹を戦士と後輩神官が切り捨てる。

 

 攫われた娘もおらず、子ゴブリンを殺す必要もなさそうだ。

 

「……どうせなら経験しておいてほしかったんですが」

 

 やや口惜し気に言うが、四人の耳には幸いにか届くことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 結局の話、全体を通してみれば肩透かしなほどに順調に依頼は終わった。

 

 念のための洞窟周りの探索で討ち漏らしがいないかの確認を終え、村長にその旨を報告して帰途に着く。

 

 四人が辺境の街へ戻れば何をしよう、と仲良く語るのを女神官とゴブリンスレイヤーは微笑ましげに眺める。

 

「……でも、ずいぶん丁寧に教えてあげましたね?」

 

 若干不思議そうにゴブリンスレイヤーを見やる。

 

 面倒見のいい人ではあるんですけれど、それにしてもやや親切過ぎたような……

 

「……いずれ迷宮の吸血鬼を討ち、暴虐の竜を討ち倒すかもしれん」

 

「はい?」

 

 よもやまさか、と目を丸くして彼を見る。

 

 確かに、前回、そのようなことをしてのけた()()()()だ。

 

 でもそれをなぜ彼が、

 

「いや、ただの四方山話だ」

 

 それだけ言って、彼は歩いていく。

 

「あ、ちょっと、待ってくださいよゴブリンスレイヤーさん!」

 

 慌てて追いかける。

 

 視界に映るのは想い人と、四人で足並みを揃え、凱旋する少女達。

 

 武勇伝は、まだ語られていない。

 

 



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幕間 魔神王侵略戦線、多種族混合軍かく戦えり

 

 

「政治……ですか?」

 

「そうだ」

 

 将軍に呼ばれ指揮官は直立不動のまま、内心首を傾げた。

 

 来る魔神王討伐に向けた多種族共同戦線について自分は呼ばれたはずである。

 

「来る決戦は諸種族との共同戦線……ということになる。それで、声だけ掛けて森人だの、鉱人だの、蜥蜴人だのに、とにかく軍を出せ、場所はここだ、あとは適当に」

 

 というわけにはいかんだろ? と目で示され、得心する。

 

「つまり、その、多種族混合軍……というか、まぁそのあたりの連中を私がまとめて指揮する、ということでよろしいでしょうか」

 

 うむ、正確には各種族からの一部隊だけだがな、と頷く男に、さて、どうしたものか、と脳裏で状況を整理する。

 

 諸国の只人国家はそれぞれ只人の軍で行動する。

 

 そして他の種族にも声をかけている。

 

 自領の兵、多くはただの農民であれば、いい。

 

 領主からすれば、非情な表現ではあるが、自分の資産を使うというだけだ。

 

 だが、森人だの他種族に来てもらうだけ来てもらって適当に暴れてくれ、という訳にもいかない。

 

 一応、世界の歴史に残る秩序の者たちとしての共同戦線となるからだ。

 

 号するだけ号して、扱いに困って適当に居てもらうだけでした、となっては具合が悪い。

 

 特に森人やら鉱人やらは只人よりもはるかに長寿だ、10年20年経てば覚えている者はもういない……とはいかない。

 

 そうするには4,5桁以上の年数が必要であり、先に手を打てるのであれば、そんな禍根を残したくはないのは当然の帰結だ。

 

 そうなると、そこそこの重要な場所で、それぞれ小規模部隊同士であるが、種族の垣根を払って肩を並べて戦う、いや、戦った、という歴史的事実が後々を考えると必要になる。

 

 だが、まぁ、そんな面倒な事情の多種族混合部隊、自分で兵隊を都合できるものは率いたいとは思わない。

 

「……歴史に名を残せる、というだけの名誉欲で手を上げる無能に率いさせるわけにもいかん。蜥蜴人やら半馬人やら、見たことも無いし、話で聞いただけ、という街から出たことのない世間知らずの貴族の青瓢箪に務まるわけもない」

 

 そうなると、冒険者あがりで、世間の見識のあるお前になる。

 

「正式な任命は先になるが、頼むぞ」

 

「……はっ」

 

 そうとしか返せず、部屋を後にする。

 

 面倒なことになった。

 

 ため息をつき、自分の部隊へ向かった。

 

 

 

 

 

「で、何の話だったの?」

 

 ひょい、と圃人の少女、軍楽士が顔を覗き込んでくる。

 

 共に冒険の日々を過ごした少女は指揮官の気兼ねなく話せる数少ない相手だ。

 

「貧乏籤、あー……森人やら鉱人やら、共同戦線の総指揮……やれって」

 

 うわ、どうすんの? と言いながらくるくると回る少女に幾分心が軽くなりながら、自分の部隊の、水の街に設けられた詰め所に戻る。

 

「隊長おかえりなさーい、って何かまた面倒事押し付けられました?」

 

 部隊の半森人の副長が、自分の顔を見るなりにそう言ってくる。

 

「……そんな顔に出てるか?」

 

「そりゃわかりますよ、ねぇ」

 

 彼女がそう促せば、隊員たちはうんうん、と頷く。

 

「隊長はそういう腹芸やる口じゃないですしね」

 

「おぉ、んだんだ」

 

 わいわいと騒ぐ隊員と軍学士の様子に、むぅ、と口をとがらせる。

 

「とりあえず」

 

「とりあえず?」

 

 こちらを見てくる二人に、おほん、と咳払いをして言葉を放つ。

 

「旅に出る」

 

 

 

 

 

 カッポカッポと蹄の音を響かせながら青空の下、道を行く。

 

 急ぎの旅だ。

 

 お早いお戻りをお待ちしています、でも、ごゆっくり楽しんできてください、という副長のすらりとした笑顔が脳裏をよぎる。

 

「結局、先に顔を繋いでおこうってだけじゃない」

 

「戦場でどうも初めまして、じゃぁ指示に従ってくれ、よりはいいだろ」

 

「そうだけどさ……」

 

 音もたてず、馬に並走している素足の軍楽士が呆れ顔でそう語る。

 

 荷物は全部馬に乗せているから身軽なものだ。

 

「……ね、このままさ、逃げちゃわない?」

 

 そう、くるり、とつぶらな瞳をくるりと向けてくる。

 

「魔神王とかさ、世界の命運だとか、政治だとか、歴史の絡みだとかさ、どうだっていいじゃん」

 

「……」

 

「……そんなのよりさ、怪物倒して、焚き火囲んで。私は楽器、貴方は歌、街に戻ればお酒を飲んで、今日はリザードマン退治、明日の敵は、さて、何やら?」

 

 あの日々に戻ろうよ、という言外の言葉が、恐ろしく魅力的に聞こえた。

 

 ふと、部隊の皆の顔を思い浮かべる。

 

 色んな人種の居る、サラダボウルのような一団だ。

 

 ここが俺の居場所だ、という奴等も多い。

 

 そいつらの笑顔が浮かぶ。

 

 あぁ、とため息を吐く。

 

 もう、あの頃の気楽な精霊使いの戦士ではないのだ、自分は。

 

「……ありがとな」

 

「……なんだかんだ言って、やっぱ根っこが真面目よ、アンタ」

 

 そう苦笑いと共にため息をつき、また歩くスピードを上げた。

 

 馬の前に出て、後ろ歩きしながら共に冒険をした男を見る。

 

「ほんと、ばか」

 

 

 

 

 

「はじめまして、この度私が若輩ながら多種族共同戦線の指揮官に任命され、ついては共に戦場を共にする方と一先ずの友誼を交わそうと思いまして、寄せていただきました」

 

 やってらんねーなーもー、という先日までの様子をおくびにも出さず、今回一族の弓隊を率いるという上森人の美女ににこやかに挨拶をする。

 

 後ろから蹴りを入れたくなるのを堪えつつ笑顔を維持する。

 

「はい、ご丁寧にありがとうございます、私たちも決戦の時は存分に森人の弓を振るいましょう」

 

 対応に出た上森人の女性は月並みではあるが空前絶後の美貌であった。

 

 上森人は出会い頭に求婚される経験があるものは珍しくはない。

 

 家庭も、全て捨てますから! と言われた事も何百回と、という者も多いらしい。

 

 それにしても、という程の美貌である。

 

 加えて、森人らしからぬ肉付き、己の平原の如き体型を見下ろし、少女はため息をつく。

 

「ええ、魔法の如き技の冴え、狙いたがわぬ矢の閃きがあれば、たとえ悪魔の軍勢であろうと、物の数でありません」

 

「あらあら、ありがとうございます」

 

「正式な使節、というわけではないので、大したものではないのですが、まぁ一緒に武器をとる者同士、と思いまして、皆さまで召し上がって下さい」

 

 ドサリと馬に積んで来た荷を下ろす。中身は森人好みの甘味の類だ。ここら辺は自腹なのが悲しい所だ。

 

「まぁ、ご丁寧に、ええと、でしたら」

 

 そう言って何事か口ずさめば頭上の森から大きな木の葉が彼女の繊手へ舞い降り、続いてぽとりと木の実が落ちる。

 

 それをたおやかに包み、差し出してくる。

 

「どうか、こちらをお召し上がりください」

 

 そう渡されるのは森人の里の果実、錬金術師からすれば喉から手を出しても欲しい、長寿壮健の霊薬の材料の一つでもある。

 

 指揮官はそれを恭しく受け取った。

 

 

 

 

 

「やっぱ森人は話通じるわ」

 

「そうねーおいしー」

 

 むしゃむしゃともらったばかりの果実を二人でかじりながら、また別の道を行く。

 

「それにあの胸、っていってぇっ!」

 

 器用に飛び蹴りをくれた相方に、なんだよもーとぶつくさ言いながら歩を進める。

 

「次は……辺境の街に行って、物を受け取ってまた贈り物か」

 

 事前に辺境の街の商店へ手紙は出してあるので用意はあるはずだ、それを受け取って、また向かう段取りだ。

 

 受け取るのは香辛料。

 

 次の相手は蜥蜴人だ。

 

 

 

 

 

『ごめんなんし(ごめんください)』

 

『よう、ゆきたね、ま、あがらんか(やあ、よくおいでになった、まぁ、あがりなさい)』

 

『よす、ごあんすかい(よろしいでしょうか)』

 

『よか、よか(いいとも、さあ、さあ)』

 

『そいなあ、ごぶれさあごあんどん(それでは、失礼ではございますが、あがらせていただきます)』

 

 概ね、蜥蜴人の里は歓迎ムードであった。

 

 蜥蜴人は戦のお誘いだ! ヒャッホウッ! という単純でかつ快活でありがたい思考原理だ。

 

 香辛料も渡したら、それを使った料理を出してくれた。

 

 蜥蜴人式の返礼の作法である。

 

冒険者(ぼっけもん)なぁ(冒険者でしたか)』

 

『デーモンそっくびまくらかすて(デーモンの首を転がしてました)』

 

『よか!(それは素晴らしい!)』

 

 と、かつての冒険譚で話は弾んだ、彼らからすれば、武勇のある者でなければ戦友たりえない。

 

 蜥蜴人にはとりあえず自分の武勇伝を話して、相手の武勇伝を聞く、これが大事だ。

 

 どうやら、いくらかは気に入ってくれたらしい。

 

『またゆっさばでぇおあげもんそ(また戦場でお会いしましょう)』

 

 そう和やかに分かれた。

 

 

 

 

 

「あー、怖かった」

 

「そうか?」

 

「あったりまえでしょ、あのクワッとした顔! 」

 

 そう首をすくめながらいう彼女と、旅路を行く。

 

「お前だったら一呑みされちまうな」

 

 意地悪気に笑えば、むすっとした顔を返す、どうやら本当に怖かったらしい。

 

「街にもどったら甘いもんくうか」

 

「ほんとっ!? あたし林檎のパイがいい!!」

 

 その猫のような愛嬌は、なんというか、つくづく癒される。

 

「次は頼むぞ、あっちの言葉俺わかんねーし」

 

「まっかせて! 草原のモノ同士、ばっちりよ!」

 

 

 

 

 

 半馬人。

 

 人間の上半身と馬の四肢を持つ草原の民だ。

 

 獣人の一種ではあるが、大勢力を築いている。

 

 そういう場合、声をかけないと後々へそを曲げられる場合がある。

 

 蜥蜴人より俺らの方が話が通じないってのか!? と気分を害されれば、彼らの住む周辺地域の住民が困るのだ。

 

 その機動力は絶大な脅威であり、草原で半馬人と敵対することは竜のソレと同等とも言われる。

 

 基本、草原が我が家の彼らは定住する場所を持たない。

 

 まばらなテントが彼らの集落の証だ。

 

『よぉきたねし』

 

『はじまして』

 

 体重であれば子供のような圃人の10倍はある体格の半馬人に朗らかに話しかける。

 

 蜥蜴人にはあんなにおびえていたのに、面構えの厳つさの差だろうか。

 

『デーモンらおかげでえらいやたかしいん、許せねえっつごん、俺らも一緒の気持ちずら(デーモンのおかげで世の中が乱れて許せないのは私たちも同じ気持ちです)』

 

『よろしくおねがいじゃんねー(よろしくお願い致します)』

 

『おいらがデーモンらふんつぶしてやるじゃんよ!(我々の馬蹄にてデーモン共を蹂躙してくれる!)』

 

 そう雄々しく自らの胸板を叩く半馬人に塩気のある干し肉を馬の左右につるした二樽まるまる差し出し、二人は里を後にした。

 

 

 

 

 

 

「森人と喧嘩ぁ? はぁ、ったく」

 

 水の街に戻るなり部下が飛んできた、隊員の獣人が酒場で喧嘩を起こしたらしい。

 

 喧嘩自体は既に終わっているというが、本人はとりあえずその場所から動いていないらしい。

 

 残る挨拶先は鉱人で、会う場所はこの水の街だ、彼らの部隊もここに駐屯しているらしい。

 

「ええ、獣人のヤツが、帰って早々ですみません」

 

「しゃぁねぇ、まぁ行ってくらぁ……先に休んでてくれ」

 

「ん、そする、おやすみー」

 

 彼女は今も喧嘩の真っ最中であれば目を輝かせてついてきたのだろうが、後片付けとなれば興味はないようであるから、詰め所に帰すことにする。

 

 隊員に彼女の供をするように言い含め、酒場へ向かう。

 

 水の街は、当然水場の多い街で、夜風が水面に冷やされてむしろ寒い位である。

 

「あ、隊長……」

 

 酒場に行くと不満げに肉を頬張っていた様子の犬頭の獣人の女性が、びくり、と委縮する。

 

 ドスドスと近づき、ため息一つ、そしてポカリと一つ頭を小突く。

 

「すみません!」

 

「禍根が残るような喧嘩だったか?」

 

「い、いいえ」

 

「なら、まぁ、よし、亭主、迷惑をかけた」

 

 ごろごろと金貨を転がし、獣人を連れて夜道を歩く。

 

 こちらをちらりと窺っていた森人の少女が、先日会って来た女性に何となく面影を感じるも、森人のとてつもない美少女と美女だからか、と思い思考の隅に捨てる。

 

「なぁ」

 

「はい」

 

 しょんぼりとした声に、ふと苦笑が漏れる。

 

 彼女が森人嫌いなのは、姉貴分である副長が森人の里生まれの半森人である部分が大きい。

 

 ハーフを分け隔てなく扱ってくれる里ばかりではないし、ウチの隊に身を寄せているあたり、副長の生まれ故郷とそこでの扱いはそれなりに察することは出来る。

 

 となれば彼女を慕うこの娘が森人嫌いになるのは、また仕方のないことである。

 

「そんなに怒っちゃいないよ、ただ、お前が、ウチの隊員という立場の時に何かやらかすと、最悪ウチの隊がどうのこうの、って話になる、それだけは、忘れないでくれ」

 

「はい……ごめんなさい」

 

「これからの話は分かってるよな、都の方でそれなりに大きな戦になってる。相手は魔神王だか、魔神将だか、まぁ御大層な相手が率いる軍勢だ」

 

「そんなのに、あたい達は負けませんよ! 隊長に鍛えられたあたい達は、すっごく強いんですから!」

 

 どん、と毛並みに覆われた胸を叩く。

 

 あまりに率直な信頼と自負に、苦笑が漏れる。

 

 なんだかんだ、可愛い奴だ。

 

「うん、そうだな」

 

「わひゃっ、た、隊長……」

 

 くしゃくしゃと頭を撫でてやって、詰め所に戻った。

 

 

 

 

 

 どかり、と座る屈強な戦士。

 

 鉱人の戦士の隊長である。

 

 がぶり、と強い酒をあおる。

 

 渡した酒は、おそらく今夜には飲み尽くされてしまうだろう。

 

 厳めしい面構えを更に渋くしながら、顎髭をいじりつつ語る。

 

 別にこちらに不満があるという訳ではない。

 

 もともと職人気質の武骨寡黙な種族なのだ。

 

「この国が抜かれるわけにゃいかん」

 

「はい」

 

 大局図が相手の頭に入っているようで、内心安堵の息を吐く。

 

 勇猛果敢な鉱人の戦士だけでなく、東方の鉱人国家は良質な武具甲冑の供給源でもある。

 

 自分たちの部隊にも、鉱人の鍛え上げた装備を愛用する者は多い。

 

 そこが、状況を把握してくれている、というのは何よりもありがたい話である。

 

「本隊は、偉いさんが率いるが、あんたんトコに出向く隊は、こいつ、『盾砕き』が率いる」

 

 そう紹介される鉱人は椅子に使い込まれた戦鎚と引っ掛け鈎の『盾砕き』を立て掛けた禿頭の古強者、その突撃力は異名の通り『盾砕き』だろう。

 

「よろしくお願いします、次に会うのは戦場か出陣前の都か、でしょうか」

 

「ああ、そうなるだろう、よろしく」

 

 手を差し出して、太く厚い、ごろりとした岩のような手を握りしめた。

 

 

 

 

 

 ガリガリと地図を描く。

 

 王都周辺の陣幕での作業だ。

 

 明日には陛下の閲兵式の後、北へ向かうことになる。

 

 大事に挑む前に、状況を一度書いてまとめるのは指揮官の習慣であった。

 

 その様子を、軍楽士と副長が眺めている。

 

 図面の中央に王冠を被った都市マークを一つ、王都だ。

 

 スッ、と西へ街道を表す線を引き、都市を一つ、これには湖を描く、水の街だ。

 

 さらに西へ線を引き、都市を一つ、先日あいさつ回りで度々訪れた辺境の街だ。

 

 そして紙の右端、東方にざっくりと半円と共に鉱人国家と記し、下にも同じように南方、蜥蜴人連合と記す。

 

 辺境の街の南方に丸を描いて西方、森人地域と描く。

 

 そこからやや東方に会議開催地と注意書きを書いた都市を一つ。

 

 更に西にはざっくり海岸線を引いて、その西側に海、とだけ記す。

 

 そしてその会議開催地と森人地域の間に黒い点を一つ、"ゴブリンの巣窟→オーガ率いるゴブリン部隊、討伐済み"と記す。

 

 どうやら森人の女隊長と『盾砕き』はオーガを討伐した冒険者の縁者らしく、討伐の旨を知らせると若干誇らしげであった。

 

 水の街と辺境の街に北方に横長のゆるい楕円を描いて、そこに半馬人勢力圏、と記す。

 

 東北と東南にそれぞれ諸只人国家と描く。

 

 そして、王都へやや北北西から向かう太い黒塗りの矢印を描き、その根元に魔神王と記す。

 

 その矢印と東北の諸只人国家の間には逆三角形を描いて、山脈と記す。

 

 これが、現状の魔神王軍戦線の概略だ。

 

 北西の魔神王は、大してうまみの無い辺境の街を半馬人達を打通してまで攻めるつもりはないのか、やや迂回して王都に直接軍を差し向けている。

 

 水の街、辺境の街の後背を脅かし、西方の森人、南方の蜥蜴人に横撃を可能とするオーガの部隊が早期に討伐されたのは本当にありがたい話である。

 

 ここが健在であれば、こちらは西方の戦力を中央に差し向けることが難しかっただろう。

 

 聞けば魔神将直々に将と任命されたオーガだという、よほど強大であったことであろう。

 

 最初は政治的な理由があるとはいえ、ただのゴブリン退治に銀等級の冒険者一党を投入するというのは、やや過剰戦力ではないだろうか、と思っていたが、結果的に良い目に転んでくれた。

 

「つまり、まぁ、王都が落とされると、後はドミノ倒しだ」

 

 黒い矢印は留める者のいない濁流となり、秩序の人々をのみ込んでいくであろう。

 

「幸い、陛下の外交手腕で諸国の軍勢は集まっている。北方の難民なんかは故地奪還の義勇兵として入れられているし、連中もここで勝てなきゃ、西に流れて一か八かの開拓民になるしかねぇから士気は高い」

 

 ふむふむ、と二人が頷くのを確認して、自分以外の視点からも状況の漏れがないのを見てとり、もう1枚の紙を出す。

 

 今度は王都近郊の地図だ。

 

「で、まぁ、そういった大図面があって、俺らの仕事はその一角だ」

 

 ずらずらと各国の軍勢が並ぶ対魔神王戦線、その左端、そこが自分たちの戦場である。

 

「基本的に、これは序中盤の間は迎撃戦、という形になる」

 

 戦場の左手中段に丘が一つ、右手は切り立った崖だ。丘の西側は湿泥地となっている。

 

 あちらの軍勢が来る前に丘を城塞化、軍の一部をそこに布陣し、崖との間になる中央を通る敵軍を抑える、という形になるだろう。

 

「そうなると、敵さんの狙いは大きなもので3つ、奇策で1つ」

 

 ペンで交戦が想定される場所に剣が鍔迫り合いをするマークを記していく。

 

「まず、中央を押し通る、これが第一。次が丘の城塞を落とす、これが第二。そして次が丘の西側から回り込もう、ってのが第三」

 

「第三の方を第一に数えないってことは丘の西側は大軍は動きにくい、ということでしょうか?」

 

 ちらり、と副長が確認してくる。

 

 こちらも心得たもので、ああ、と頷く。

 

「物見に行かせたが、少数の騎兵とかで回り込むぐらいしか場所はない、のこのこ大軍突っ込んでくれれば大半泥濘に足が取られて丘から好き放題に射殺せる、その上こっちにゃ森人の弓隊もいるしな、そっちに大軍突っ込んでくれれば楽勝……だけどまぁ、相手が馬鹿なの前提で考えるもんじゃねぇしな」

 

 森人、という言葉に副長がぴくり、と幽かに反応するが、気付かないふりをする。

 

「そうね、隙をついて騎兵が流れ込んでくるかも、ってところか。んで、奇策は?」

 

 ざっくばらんに軍楽士が聞いてくる。

 

 それを受けてまた地図の右手を指さす。

 

「右翼山岳からの山越えだな、ってもこれも数は出せない。王都回りだから伐採も進んでるし、隠れるところはねぇから右手に気を付けてればそう被害はくらわねぇだろ」

 

 いざというとき踏みとどまる、というのであれば夜目も効く鉱人に受け持ってもらった方がいいだろうか、と考えをまとめながら一つ頷く。

 

 国境線や首都近郊、こういった場所はひそかに軍勢が集結できるような森林地帯、というものは国防上もちろん少なければ少ないほど方がよい。

 

 気付けば喉元に大軍が居ました、どうしようもありません、など笑い話にもならない。

 

 特に王都近郊はそういった観点から小規模な森林以上に成長しないように、厳しく伐採管理がされているのだ。

 

「だからまぁ、こっちは左翼で籠城、中央を空堀掘って、柵立てての迎撃。最左翼からの回り込みを警戒、右翼は奇襲に気をつけろ、って感じか、丘の軍は戦況見渡して防戦しながら中央に援護したり、情報発信だな」

 

 そこを、副長頼む。

 

 言い切り、彼女も当然、とばかりに頷く。

 

 彼女の率いる射撃と籠城に長けた隊員を100人ほども詰めれば、そうそう落ちることはあるまい。

 

「それで、終盤はどうなるの?」

 

「まぁ場合によっての侵攻だな、森人には広く横長に布陣してもらって全体の射撃戦の質を上げてもらう。でもって押し返して押し返して、潮目をみて、最左翼からも半馬人あたりに攻め上ってもらって丘からの援護射撃を受けつつ中央に横撃してもらう、んで中央からも逆襲だ、うっぷん溜まった鉱人と蜥蜴人に先陣切ってもらって攻め込んで……とうまくいけばいいんだがな、それに他の連中も何か気付いて意見だしてくれるかもしれん」

 

「まぁなんかあるでしょ、良い方か悪い方かわかんないけど、そら戦場だし」

 

 けろり、と言い切る軍楽士の様子は歴戦のそれだ。

 

「まぁな、そのために100人の予備隊一つ組んで、何らかの事態には対応してもらう。んでお前にゃ俺の部隊でどんちゃか騒いで、攻勢の時に気分を乗せてもらう」

 

「はいはい、つまりいつも通りね、わかったわかった、任せない!」

 

 そう自信満々にどん、とその平原のような胸を叩く。

 

 考えはまとめた、後は戦場に行くしかない。

 

 

 

 

 

「そいやーさー、ほいっ」

 

「そいやーさー、ほいっ」

 

 掛け声とともに円匙が地面にささり、猫車が空堀の土砂を後方や丘の土塁へとするべく運び出される。

 

 書き上げた図面を到着した『盾砕き』達鉱人に見せて意見をもらう。

 

「堀の幅をもう二フィート広く、深さは一フィート深く、じゃが、いい陣よの」

 

 一瞥してそう言い切った言葉を受けてガリガリと書き込み、近場にいる部下に改めて同じことを伝える。

 

 土木工事であれば、鉱人の目が頼りになる。

 

「ありがとうございます、勉強になります……堀の幅、現状から二フィート拡張、深さは一フィート深く、各現場に通達」

 

「わっかりました!」

 

 言うが早いか獣人戦士が駆け出していく。

 

「あいあい、お茶だよー、塩ッ気たっぷりだよー」

 

「おう、あんがと、一時小休止! 各自水採れ!」

 

 口風琴(ハーモニカ)を陽気に吹きながら、鍋一杯に沸かした茶に匙で塩を入れた香ばしい麦茶を軍楽士と隊員が手押し車を引いて現場を回る。幸い水が合わずに調子を崩す者が出ていないので、戦線の整備に遅延は出ていないが、とりあえず配給の水分は沸かして茶にしておくにこしたことはない。

 

「どんなもん?」

 

「丘の左手は掘り返したら水が出たな、西の泥濘から水が来てるっぽい。まぁそのまま半水堀にしちまうか、って言ってる。他はまぁまぁ」

 

 腰に下げておいたコップでお茶をもらい、ふぅ、と息を吐く。

 

 丘の上の方では副長が築城の指示を下している。

 

 森人は身軽な木工職人なので物見櫓はだいぶ早くに出来そうだ。

 

「後方に指揮所と救護テント張って、各現場の便所とその捨て先」

 

 ぶつくさとやるべき予定を呟きながら茶をあおる。ここまでの連合軍になると、便所ひとつとっても適当でいいという訳にはいかない。

 

 口に含む茶の塩気が仕事をしていた体にありがたい。

 

「夜営はどうするんじゃ」

 

「それぞれの部隊ごとって思ってたんですが、後方からの物資運搬は各軍に一纏めなんで、そこからあんまりこまごまと分配するのも兵站役の負担になって面倒だと思うんで、左右両翼中央、そんで丘の4か所がいいかと、兵糧の焼き討ち対策で置き場は分散せにゃならんですし」

 

 蜥蜴人もその馬力で方々でその力を発揮している。

 

 おおむね、現状上出来といったところか。

 

「敵さんはどんなもんだ」

 

「ウチの術師連中の航空偵察だとこのあたり来るまで四日らしいよ、ゴブリンライダーの騎兵アリ、遠距離観測だからそれぐらいしかわからないって。混沌の勢力っても軍勢だしね、そんな速度出ないよ」

 

 もう一杯お茶を汲んでくれながらそう言う。元々こっちに来たのはその報告の意味もあるのだろう。

 

 その日取りなら十分に陣地構築できることであろう。

 

「十分十分、つーかクソ遅いからな、混沌の軍勢」

 

 進軍速度、という点において、整列と行進がそうそうできない混沌の勢力は劣悪と言っていいだろう。

 

 また、整列と行進、そして方向転換、これができる軍と出来ない軍、同数でぶつかれば前者が必ずといって良いほど勝つ。

 

 てんでばらばらな大人数の歩みと軍の行進であれば、おおよその移動速度に3倍近い差が生じる。

 

 そして、行進ができるほどの精強な兵となれば、部隊を分けての機動戦も可能であり、一部隊が敵の攻勢を受け止めている間に横合いを突くということも可能だ。

 

 逆に碌に行進が出来ない軍というのは、組織的対応にかかる時間も多く必要になるので、わき腹を突かれると非常にもろい。

 

 沼地でもがくものを石畳の上から相手するような、つまりは、腰を据えて殴りたい放題なのである。

 

 とはいえ、どこに隠れていたのだと言いたくなるほど数が多いのが混沌の勢力の武器だ。

 

 数の優位で一か八かの大攻勢でもって優位をとられてそのままいいように蹂躙、ということがあり得るので一旦防戦できるならばするべきなのだ。

 

 それはそれで兵站が貧弱になるのでまた弱点ということになるのだが、まぁ今は良い。

 

 こちら側は比較的各自が種族的にもマイペースで軽快に戦うことが向いている森人が行進が苦手なくらいで、ウチの隊はもちろん、鉱人も蜥蜴人も半馬人も軍の進退の練度は高い。

 

 陣だ術だ、兵法好きはああだこうだと言葉を創るのが好きだが、合戦の要諦は畢竟進退だ。

 

 かかれと言ってかかり、退けと言って退くことのできる軍にそうそう負けは無い。

 

 後はどれだけこちらが傷つかずに相手を傷つけるかの嫌がらせ合戦だ。

 

「戦の話、ですか?」

 

 やや固い只人語で蜥蜴人が話しかけてくる。俺だけなら蜥蜴人語で話しかけてきたのだろうが、鉱人である『盾砕き』が居るからの配慮であろう。

 

「ええ、後の会議で改めて報告があるかと思いますが、大体4日後あたりで来るだろう、ということで」

 

「しからば、我らに一つ妙案がありましてな」

 

 クワッ、と広げられた獰猛な笑みであった。

 

 

 

 

 

 紙上が戦場。

 

 兵站役の前には早速書類の山が積まれていた。

 

「お疲れさん」

 

「お疲れです」

 

 ?せぎすの只人の男が眼鏡を直しながら声を返す。

 

 暗算用の灰盆にはペンで何らかの計算が刻まれている。

 

 計算が終われば灰を均せばいいので、大量の紙を持ち歩く必要もなく、また、紙を無駄にすることがない。彼の必須の仕事道具だ。

 

「後でやってくれ」

 

 そういいながら煙草の入った袋を置く。

 

 煙草がこの男の数少ない嗜好品であるが、仕事中は書類に火が点いてはならない、と煙管にも一切手を付けない。

 

「ありがとうございます……それなりに長期戦の構えですかね、これ?」

 

 くるくると内側の円盤が回転し、中心から金属針の伸びた奇妙な数字の羅列された円盤、計算尺を回し、また灰盆に何事か書きつける。

 

 物資の資料でおおよその目途を付けたのだろう、武器を握っての切ったはったでは足手まといにしかならい男だが、ウチの隊でコイツを軽んじるやつはいない、後方支援の鬼だ。

 

「さっさと勝たなきゃならん話ならともかく、現状先が見えん。その上ここは寄り合い所帯、消耗は少ない方がいい。とりあえず、なんぼか敵軍受けての様子見だ」

 

「分かりました、そのつもりで」

 

 当然のようにこの規模の軍勢の物資を差配してのける。

 

 本来であればウチのようなところではなく、それこそ大将軍のお抱えであってもまだその手腕には余裕があるであろう。

 

 それだってのに、どいつもこいつもなんだかんだ、ウチ以外行き場がないらしい。

 

 だからこそ、まぁ、やるか、と俺も奮い立つわけだ。

 

 

 

 

 

 準備は驚くほどに順調に日々は進んだ。

 

 さしてもめ事も無く、強いて言えば食事を共にした料理番の鉱人と蜥蜴人が言葉の違いで軽い諍いになったぐらいだ。

 

『め?(美味いか?)』

 

『め? ……お! 女々かねぇ(美味かねぇ)!(メって? ……あぁ! めめしいなんてとんでもない!/メって? ……あぁ!? 不味いなこれ!)』

 

「ファッ!?」

 

 蜥蜴人としては『戦場のうまか飯、宝じゃ(戦地での美味い食事は本当にありがたいものです)』という意志を込めていったのだが、言葉の壁でほぼほぼ真逆の意味にとられてしまった。

 

 偶然近くに両方の言葉を知る者がいたため、喧嘩にすら至らなかったが、その報告を受けて少なくともこの混合軍が解散するまでは共通語で話そう、ということが和やかに隊長同士の会議で決まった。

 

 あまりに平和すぎて、これが戦争の準備ということを忘れそうになる。

 

 しかし、現実は機械的である。

 

 期日になれば敵の姿が見えた。

 

 

 

 

 

「敵は、陣を築いたようですな」

 

「籠る種族は雑多、ということ」

 

「しかれば、突撃か、と」

 

「いや、それはないだろ」

 

 ガヤガヤと軍議とも言えない軍議が行われていた。

 

 それを眺めるのはどかりと樽を椅子代わりに腰かけるオーガである。

 

 背には揺らめきを纏った大剣が無造作に地に突き刺さっており、その尋常ならざる武威を放っていた。

 

 魔神王の一軍を自分たちが預かる。

 

 混沌の勢力としては最大の栄誉である。

 

 だからこそ、人狼の血気に逸る意見もむしろ可愛げがある。

 

 だが、自分は軍を預かる大将軍なのだ。

 

 若かりし頃のように、己の武勇頼みではいけないだろう。

 

 ごほん、と一つ咳払い、それで四人の将がこちらに視線を向ける。

 

「……とまれ、まだ初日、一当てして、敵陣の陣容と戦ぶりを見ようと思う……我らが混沌の時代をもたらすのだ!」

 

 それが鶴の一声となった。

 

 

 

 

 

 血で薄汚く染められた布が翻る。

 

 旗だ。

 

 思い思いに打ち鳴らされる太鼓と不揃いの足音はさざ波のように北方からにじり寄って来た。

 

「来たか」

 

 すっかり要塞化された丘の上の物見櫓から望遠鏡で敵陣を直接視認する。

 

 雲霞の如く、という表現がまさに当てはまるような軍勢である。

 

 殺意、食欲、おおよそ人を害する欲望が陽炎の如く立ち上り、その軍勢の威容をさらに大きく見せている。

 

「おおよそ三千」

 

 副長の言葉にうなずく、だいたいそんなものだろう。

 

「こっちは寄せ集めで千、まぁあっちはそれ以上の烏合の衆だけどな」

 

 新兵であれば呑まれかねないそれを自分たちはさして気張ることなく受け止める。

 

 敵は、敵でしかない。

 

「俺は下で指揮を執る、ここは頼む」

 

「はい、お任せ下さい」

 

 その言葉に一つ頷き、丘を降りる。

 

 一応の総指揮官である俺の言葉は、戦の前に必要なのだ。

 

 正直、俺の下に馳せ参じたわけでもない、政治力学の寄せ集めだ。

 

 それでも、俺の差配で殺し合いに身を投じる連中だ。

 

 ウチの隊、約四百、森人百五十、鉱人百五十、蜥蜴人百、半馬人百、それらの視線が集まる。残る百は丘の上に詰めている。

 

 錚々たる陣容に、?まれそうになるが、指揮官がそれでは下につくものが不幸だ。

 

『風の乙女よ乙女、私の口を、彼らの耳元へ』

 

 《拡声》の呪文を唱え、壇の上に立つ。ウチの隊の戦闘には軍楽士が戦装束に着替えて面白そうなものを見る目でこちらを見つめてくる。

 

 それで、ふと落ち着いた。

 

「皆、今更ながら、この戦いに身を投じてくれて、陛下に代わり改めて礼を言う」

 

 言葉は自然出てきた。

 

「魔神王だか、なんだか、そういった伝説が出てきて、俺らに不幸になれ、ということらしい」

 

 あまりに飾らない言葉に隊員達から苦笑が漏れる。

 

「ここであいつらを食い止め、ゆくゆくは逆襲に入る、でなきゃこの先あるのはあいつらによる蹂躙だ」

 

 ふぅ、というため息がもれる。

 

「これは聖なる偉業だとか、俺は神官じゃないから言ったりはしない。でも、あいつらを殺してくれ、と頼むことになる……俺やあなた達が殺されるより、あいつらを殺した方が俺たちにとって良い未来が来る、それだけは確実なことだと考えている」

 

 だけど、と言葉をつづける。

 

「それで死んだら、元も子もない。言ってしまえば穴から出てきた犬が噛みついてきたようなもんだ、それで死んじゃ、死にがいがないだろう?」

 

 伝説の魔神王の野良犬扱いに、また笑いが漏れる。

 

 渋い顔をされるよりは、いいだろう。

 

「家族との平和な生活、未知への冒険、まだ見ぬ好敵手、それぞれが生きるべき道へ戻ろう。そのために、ここには呼ばれたから来ただけだ、俺はただ連れてこられた兵だ、なんていう意識は捨ててくれ、皆が皆、自分はこの戦線の替えの効かない大黒柱だ、という意識を持ってほしい……おそらく、それが未来を創る。それでは、各員の奮闘を祈る!」

 

 そう言って壇を降りる。

 

 正直、演説は大の苦手だ、軍楽士がニヤニヤと近づいてくる。

 

「頑張ったじゃん?」

 

「からかうなよ」

 

 各隊長にはもう指示は出してある。

 

 すべてがうまく回れば、明日からはずいぶん楽な戦になることだろう。

 

 そのための、今日を頑張ろう。

 

 

 

 

 

 静と動。

 

 陣にこもる秩序の軍とそこに襲い掛かる混沌の軍勢、という形で戦端は開かれた。

 

 長大に築かれた空堀と柵は魔物たちの突進の勢いを殺し、隙間から繰り出される槍はモンスター達に手傷を負わせていく。

 

 丘からは中央へ向けて援護射撃が行われるとともに、自分の麓や左手の道にも矢の雨が降らされる。

 後方からは森人とウチの隊の射撃部隊、鉱人の投擲部隊が矢や礫を振らせていく。

 

 柵を引き倒そうとか、よじ登ろうという者から刺し殺し、乗り越えることができたものは、さらに最優先で殺される

 

 尖兵、というか敵軍の大半はゴブリンだ、洞窟で群がられるならともあれ、広々とした野戦では殺す時間がかかるだけの何ということは無い敵だ。

 

「こんな、楽で良いのかしら?」

 

 ふと、妖精弓手の少女はそう漏らした。

 

「とにかく森人の弓隊は騒がしく偉そうにしている者から射抜いてください」

 

 それが、指揮官の青年から下された指示である。

 

 三千の軍、となるとさすがに見渡すような軍勢だ。柵を超えさせまいと戦う人たちも手傷を負うものは居る。

 

 自分たちであれば、味方の間を抜いて、それらを射ることも決して難しいことは無い。

 

 最初に放たれた矢が指示通りの騒がしい敵を射抜く前に次の矢を番え、引き絞り、また放つ。

 

 動き回らず、射撃に専念して、時たまあちらから飛来する矢なり礫をかるくかわす。

 

 確かに自分たちは種族的にもみ合いに向いていないが、こうも楽だと前線で奮戦している人たちに気が引ける。

 

 初日はそうするうちに日は傾いた。

 

 攻めかかる時と同じか、さらに無様な退き方に追撃の声も出たようだが、それは指揮官によって却下された。

 

 

 

 

 

 その戦場は南北で明るさが明確に違うものであった。

 

 夜目の効かない只人の多い南方はかがり火が多く焚かれ、煌々としている。

 

 対して、混沌の軍勢は夜目が効くものが多いため、ほとんど松明の光は無い。

 

 見張りに立たされたゴブリンはつまらなそうにあくびを噛み殺しながら敵陣を眺めていた。

 

 何かわからないが引っ立てられてここにいるのだ、面白いことなど何もない。

 

 だが、前に街をこの軍勢で襲ったのは楽しかった。

 

 この軍勢だ、自分たちの群れであれば思いもつかないような大都市ですら蹂躙できたのだ。

 

 ここまで持ってくることは出来なかった、大きな街の奴等は食いでがあった。

 

 女どももいっぱいいて楽しかった、連れ歩くのも面倒くさかったので食ってしまったが、次の街はもっと大きいらしい。

 

 あくびを噛み殺していると、ゴンと不意に殴られた。

 

「さぼってるんじゃねぇ」

 

 反射的に睨みつけるが、ゾロリと生えそろった牙に、委縮する。

 

 野蛮な戦闘狂、蜥蜴人の一団だ。

 

 ひい、ふう、九人もいる。

 

「こっちの軍に来いっつわれたんだ、将、偉い奴はどこだ?」

 

 そう言われたのでズイと軍を率いている闇人たちの居る陣幕を手に持っていた槍で指す。

 

「何人いた?」

 

 特に興味もなかったが、三、四人、と答えると、ポンと干し肉を一つ投げてきた。

 

「さぼんじゃねえぞ」

 

 その言葉はもちろん干し肉をしゃぶるゴブリンの脳に残ることなどなく、次の日に弓矢で射抜かれても、この会話を何か疑問に思うことは無った。

 

 

 

 

 

「援軍? 聞いていませんね」

 

「つってもここより西の軍はねぇだろ? 無駄足かよ」

 

 中央の方から来た、という蜥蜴人の一団に闇人達はさして不審に思うところもなかった。

 

 急造の魔神王軍である。

 

 綿密な伝達など望むべくもない。

 

 むしろ、そういったことは大の苦手、という連中のほうが多い。

 

 蜥蜴人ならば、ヒャッホウそれより突撃だ、と勝手に突撃せずに援軍として来てくれただけ律儀な方なのかもしれない。

 

「まぁ、しゃあねえ、ていうか将はお前ら四人だけか?」

 

「ああ、私ともう二人が千の軍を、最後の一人、この人狼の彼がゴブリンの騎兵を三百率いて、ほかにオーガが一人、全軍の統括としているが……それがどうかしたか」

 

「……そうか、まぁなら別に困らんだろ」

 

 ぞろり、とした笑みと共に、鉈のような指の生えそろった手を差し出してくる。

 

 確かに彼の言う通りだ。優秀で勇猛な前線指揮官というのはいくらいても困ることは無い。

 

「あ、ああ、よろしく」

 

 まるで秩序の勢力のような振る舞いだ、と思いながらも手を取る。

 

 やや顔が近いような気がするが、まぁ一々ケチをつけても仕方なかろう。

 

 そんな具合に危機感無く――

 

「は?」

 

 だから、自分の首筋に蜥蜴人が食らいついてきても、むしろ不思議そうな顔をした。

 

「何を!?」

 

「貴様ら!」

 

 残る三人に蜥蜴人が逃すまいと飛び掛かる。

 

 とっさに抜いた剣で一太刀なんとか繰り出せた闇人がいたが、それでも多勢に無勢、蜥蜴人の爪牙に掛かっていく。

 

「……心の臓は捨ておけ、手筈通り、首級だけ抱えて湿原を抜けて帰る」

 

 騒ぎを聞きつけたオーガがその大剣を携えて陣に来た時にはすでに生きたものはおらず、首のない肢体だけが四つ転がされていた。

 

 

 

 

 

「というわけで、こちらが敵軍の主だった将になります」

 

 四つの首級が並べられ、蜥蜴戦士がそう事の経緯を説明する。

 

「ありがたい! これで敵軍は骨抜きの腑抜け! 蜥蜴人の軍略は正に音に聞こえし通りですな!!」

 

 やや大げさかもしれないが、それでも指揮官の快哉は悪い気はしない。

 

 混沌の軍勢に与する蜥蜴人は珍しくもない、秩序の者たちの方が敵にして戦いがいがありそうだ、というわけだ。

 

 それらに扮して敵陣に何食わぬ顔で入り、将を討つ。

 

 急造の(彼らなりの)駆け足で進軍してきたずさんな状態の軍であるからできるであろう、と蜥蜴人達は踏んだのである。

 

 単純な武勇だけでなく、必要と有れば武略謀略までこなす戦巧者、それが蜥蜴人という種族である。

 

「……しかし、オーガは取りそびれてしまいました、我ら玉砕すれば、とは思いましたが先ずは帥より将、ということでしたので」

 

「ええ、ええ、もちろん、将無き帥はもう無力化したようなもの、何の問題もありません。むしろ帥まで無くなっては目の前のゴブリン共は四分五烈して野に散ってしまいます。戦場ですりつぶしてしまった方が後顧の憂いとならぬ奴等ですから、帥には生き残って無様な戦を執り行ってもらう必要があります」

 

「しかしよ、それこそヨソの軍から追加の人員を送ってもらうんじゃねえのか?」

 

 あまりに楽観的な表現に鉱人が苦言を呈する。

 

「ええ、もちろん、いずれは要請を出すでしょう。ですが、敵の元帥はオーガとのこと、であればそれは近い話ではありません」

 

「ほう?」

 

「オーガは気位が高い、それに加えて伝説の魔神王の出現、一軍を預かった! という自負。そこでついにやって来た大決戦……さて、初日に部下を軒並み暗殺されましたので人員不足になりました、補充お願いしますと、すぐに言い出せますかね?」

 

「そらまぁ……なるほどな」

 

「加えて、森人の弓隊には隊長格をなるべく狙撃するように頼みました、明日からしばらくは楽な戦、せいぜい敵軍を減らしましょう」

 

「……あの、楽な戦、なのでしょうか?」

 

 決まりきったように言い切る指揮官に、森人も戸惑い気に声をあげる。敵将を討ち取った蜥蜴人はともかく、自分たちはそこまで大したことをした気はしない。

 

「ええ、明日も今日の調子でおねがいします……軍というものは、大きくなればなるほど、その力を振るうためにはここにこの人材がおらねば、という必要に駆られてくるものです。細かい役割分担はともあれ、軍というものである以上、軍令があり、全軍の頭である大将軍とか帥と呼ばれるものがいます。その下に将がおり、その指示を隊長が受け取って兵が動く、という具合です」

 

 いわゆる物語で英雄が軍を率いて剣を掲げればまるで大軍が手足の如く、というのは戦争を娯楽として謡った結果であり、実際は上の指示は下に至るまでそれなりの人数を経由する必要がある。

 

 今回であれば帥は四人の将に命令を下せばよく、将も百人長や十人長を集めて話せばよく、一兵卒たちはそれぞれの上司からああせいこうせい言われればそれでいい。

 

 そこの中間が丸々消えた、となれば組織体としてはおおよそ最悪の状態だ。

 

 帥の処理することは膨大になり、その指示も行ってこい、やってこいの粗雑なものになる。

 

 引き際の指示も全てが後手後手に回り、情報も碌に上がってこないであろう。

 

「そも、森人からすれば何の難事でもなかったことでしょうが、乱戦中の敵軍の隊長を息をするように射殺す、というのは間違いなく偉業です、本当にありがたい」

 

「え、ええ、ありがとうございます」

 

 がしり、と手を握られて謝意をあらわされ、きょとんとする。

 

 世事に擦れていない美女というおおよその男にとって理想といっていい様子に指揮官も人並みに男なので目尻が下がる。

 

「それでどうすんのよ、明日以降」

 

 軍楽士がそのわき腹を太鼓のスティックで突きながら据わった瞳を向ける。

 

「いって……お前な……まぁ基本は今日と変わりません、敵軍の迎撃、明後日明々後日になれば事態を重く見てオーガも陣頭指揮をとるか、追加の将を後方に支援要請するかもしれません、今オーガを討ってしまうと先に言ったようにゴブリン達が野に放たれますので、オーガが出てもそこまで気張って討ちにいかないようお願いします」

 

「ふむ、最終的には逆侵攻をかける、ということですが、今はまだ削り時、といったところですか」

 

「ええ、せっかく作った陣ですし、せいぜい削ります。打って出るときはおそらくあちらもゴブリンライダーの騎兵を出してくるでしょう、その時は半馬人の機動戦、見せていただきたい」

 

「おう、このままでは仕事のしどころがないと思っておった、むしろありがたい!」

 

 そのように半馬人が話を締めてくれた。

 

 

 

 

 

 何なのだこれは、どうすればいいのだ。

 

 オーガはそう内心頭を抱えた。

 

 気付けば配下の将はすべて討ち取られており、指示を下そうとすればその下の者も軒並み討たれたという状況把握をするまで、不眠不休で半日もかかった。

 

 とりあえずゴブリンを20匹程集めて伝令と隊長として取り立てることにする。

 

 魔神将に預かった軍だ。

 

 ここまでやってきた将たちだった。

 

 将無しで回すなど考えたこともなかった。

 

 追加の人員など、そうそういるものではないし、戦端が開かれて一日で救援を呼べるはずもない。

 

 昨日までは、我らが混沌の時代をもたらすのだ! と彼らと息巻いていたのだ。

 

 今居るのは自分だけである。

 

 そんな、昨日とはうってかわって暗澹たる思いに塗れながら、二日目の先端は開かれた。

 

 

 

 

 

「こりゃ、ほんに楽じゃ、のっ!」

 

 粗雑ながら統率の取れていた昨日とは打って変わって、今日は弱兵であるゴブリンは輪をかけた体たらくであった。

 

 右翼の鉱人隊は有利に戦闘を進めていた。

 

 さっさと引けばいいのに、と殺しながらでも気の毒に思えるほど、あちらの撤退の指示は下らない。

 

「そろそろ終わるか」

 

 ようやっと撤退の指示があったようだ、それが全体に伝わるまでにはまだまだ彼らの軍の出血は続くだろう。

 

 今日も今日とて森人達は隊長格をこともなげに射殺す、そうなればまた明日率いる隊長の質は悪くなっていく。

 

 なんとも味気の無い勝ち戦だ。

 

 だが、それをやってのける将、指揮官というのがいかにありがたいか分からないほど鉱人も戦場を知らないわけではない。

 

 ――まぁ、正義は我にあり! っちゅうて正々堂々突っ込めばイケるって息巻く馬鹿将軍じゃなくて幸運だったの。

 

 そう思いながら、またゴブリンを槍で刺し殺した。

 

 

 

 

 

「半数は削れたか、いや、ここまで楽とは」

 

 報告を受けて、指揮官はそううれしい悲鳴を上げた。

 

「あんま調子乗らないほうがいいんじゃないの? それで何回面倒ごとになったことか」

 

 やれやれとそういうの圃人の少女だ。

 

 寄り合い所帯でどうなるか、と戦々恐々していたが、そこまで内輪揉めもなくやってこれている。

 

 これも陛下の剛柔織り交ぜた平素の外交手腕のおかげだ、ありがたやありがたや、と内心不敬な拝み方をしつつ、明日の戦模様を描く。

 

「で、明日は攻め込むんでしょ?」

 

 その言葉にうなずく。

 

「おう、っつっても俺らじゃないぞ、今日の様子からして、やっぱり両翼への指示がグダグダしたもんになってる、まぁ両翼広がったワンマンの軍ってそんなもんだが、やめろよもう、って塩梅のひどさだ。だから左翼の引き際に半馬人に出てもらう、顔見世だな」

 

 地図上に騎馬隊の駒を置いて丘の左側、敵軍からすれば最右翼に半馬人の部隊を出撃させる。

 

「出撃の被害を少しでも減らすために、森人も多めにこっちに寄ってもらう、丘からの援護も出撃の時は左手に寄せてもらう」

 

「顔見世?」

 

「ああ、明日の追撃で左から半馬人隊を出せば遅くとも明後日には迎撃用のゴブリンライダーを備えで控えさせるぐらいするだろ、明後日はそれを料理してもらう」

 

「んーあんたがそう言ってるならうまくいくんだろうけど……」

 

 一抹の不安を感じた様子の声色であった。

 

 

 

 

 

 軍楽士の心配をよそに、次の日の戦模様は指揮官の思い描いたとおりになった。

 

 術師の使い魔による偵察でもゴブリンライダー達が西に寄せられていることを確認し指揮官は小さく拳を握った。

 

 そして、若干勝ち戦の空気に緩んだ四日目が始まる。

 

 

 

 

 

 それら全てを、オーガは泥をすするように見ていた。

 

 

 

 

 

 四日目の引き際を、丘の左手から半馬人は昨日と同じように戦場へ繰り出した。

 

 すると、見計らったかのように、ゴブリンライダーの一団が突撃してきた。

 

「教育してやるか」

 

「おう」

 

 鎧を纏い、サーベルを手に携えた半馬人の群れが二つに分かれ、後列の一団がやや右斜め後ろにつく。

 

「GAGAGAAAGU!?」

 

 両軍がぶつかる、その寸前に半馬人の前方の部隊がぐるり、と右へ舵を切る。

 

 鼻先の所で逃げを打たれたゴブリン達はその勢いのままに半馬人の後ろを負う。

 

 それらを見越して、左手に大きく回り込んだ後続の半馬人たちがゴブリンライダー達の後ろに着くまでの流れは、まるで水の流れるような滑らかな誘導であった。

 

 半円に包囲するように後方から追跡される形になったゴブリンライダーとしては、前進するしかない。

 

 殿の何人かが半馬人の馬蹄に蹂躙される覚悟で身を投げれば、後続の速度は落ちて部隊は離脱することが可能であったであろうが、そんな利他的な献身的戦術をゴブリンがするはずもなく、戦場を東へ東へと駆け抜ける。

 

「勉強になります」

 

 丘の上で、この機動戦の全てを見ていた副長はそうとだけ漏らす。

 

 先を行く半馬人達が左右に割れ、視界が広がる、いや、塞がれている、ゴブリン達だ。

 

 退き際の自軍に誘導されたのだ、だが、退けば殺される。

 

 だから、ゴブリンライダー達は自軍に突撃をした。

 

 無論、その背中を半馬人たちが討たぬ理由などあろうはずもなく、ゴブリンライダー達は自軍を盛大に巻き込みつつ壊滅した。

 

 しかし、それでこの日の戦争はまだ終わらない。

 

 ほぼ同時刻に戦場の右端でまた憎悪の炎に焼かれた鬼の咆哮が天を衝いたのだ。

 

 

 

 

 

 一太刀で、柵は切り払われた。

 

「愚かであった……」

 

 告解する様な、しかし周りにいる者すべての耳に届くような、声であった。

 

 ゴブリンに紛れて、ひそやかに敵陣の右翼にオーガは這い寄っていたのだ。

 

 半馬人の出撃援護のため森人が引き抜かれ、射撃の緩い右翼、それだけを探し、狙い、そして地を這って食らいついた。

 

 そこには、己を大将軍などと思いあがった驕りは一切なかった。

 

「所詮俺は戦鬼! 大将軍面で軍をうまく使おうなど! 浅はかにも程があった!」

 

 掲げるように、目の前の鉱人や蜥蜴人に見せつけるように禍々しい魔剣が天を衝く。

 

 その巨躯も相まって、天すら断つような錯覚に襲われた。

 

「《身体……強化……付与》!」

 

 その動きは、老練な鉱人の戦士達ですら追うことは出来なかった。

 

 何人もの鉱人が、その重厚な装備ごと両断されて宙を舞う。

 

 もとより強大な身体能力と武勇を魔道の力で更に増して縦横無尽に暴れ尽くす、それがこのオーガの古来からの必勝法であった。

 

「ゴブリン共よ! これより蹂躙に入る! 俺に続け!」

 

 その咆哮により、逃げ腰であったゴブリン達は狂喜の声を上げて濁流となって殺到する。

 

 しかし、その奇襲に面喰いこそすれ、それですべてを投げ出すほど、指揮官もまた悲観主義の絶望論者ではない。

 

「予備隊をゴブリンの進路に特急! 絶対に王都に行かせるな! 森人にもできるだけこっちに来るよう指示! 半馬人にゃ半分戻るように伝達! 残りは敵陣駆け回って残敵処理、できるだけ削れ! ここの隊は半数で戦線の監視! 残りは俺と来い! 」

 

 言うなりに駆け出し、右方、自陣後衛に控えさせた予備隊をちらりと見る。

 

「はい!」

 

 獣人戦士がそう返し、ぐい、と槍を握る。

 

 どん、という太鼓の音が予備隊から響く。

 

 いつのまにやら駆けつけたのか、先頭に居るのは軍楽士だ。

 

 口風琴(ハーモニカ)を専用のホルダーで頭の振りだけで吹けるようにし、残った手でスティックを握り軽快なマーチを一人で器用に奏でながら駆け出し、それに遅れまいと予備隊も速度を上げる。

 

 彼女の演奏で速度が乗った部隊は最速だ、おそらく間に合ってくれるだろう。

 

 ならば、自分のやる仕事はもう決まっている。

 

「指揮官が戦場で自前の呪文をぶっぱなすっちゃぁ、俺もまだまだ下の下だな《踊れ踊れ平原吹く牙、渦巻き、束なり、槍となれ》」

 

 先ずは遠距離からの一撃、こんな広々とした戦場では風の獰猛な精霊に困ることは無い。

 

「ぬぅっ!? 見事!」

 

 渦巻く鋭い風の槍は、オーガの肩に食らいつき、その左腕をえぐり去る。

 

 こちらとて、小なりといえ軍を預かる前、若かりし頃は黄金等級の精霊戦士、これぐらいはできる。

 

 しかし、オーガもそれで膝をつくぐらいであれば、こんなところに乗り込んでくるはずもない。

 

 剣を右手だけで握り、口から気炎を吐く。

 

 ギュウッと筋肉が収縮し、左肩からの出血が無理やりに止められる。

 

「もう、死兵だな」

 

 息を整え、槍を向ける。

 

 隊員たちはゴブリンの奔流に向かっていく、予備隊の展開も間に合うようだ。

 

 だから、目の前のオーガがこれ以上戦う必要はない。

 

 無理な特攻の、失敗。

 

 無駄死にだ。

 

 だが、ゴブリンの奔流を壁にして逃げに徹すれば、生き残る目もあろう。

 

「だろうな、だが、もう、いい」

 

 晴れ晴れとした、透き通った瞳だ。

 

 持っている物を無くしていって、奪われつくして、手に剣だけが残った顔だ。

 

 こんな顔で剣を振るう奴に、明日は無い。

 

 おそらく、奪いつくした俺達に、言うことはほとんどない。

 

 だから、それだけ言うことにした。

 

「じゃあ、死ね」

 

「お前らもだ」

 

 速力向上の魔法のかかった脚甲の突進力で突き込む。

 

 颶風を纏った魔槍は、オーガの首すら跳ね飛ばすであろう、しかしその一撃は魔剣で跳ね飛ばされる。

 

 その、腕に、引っ掻き鈎がかけられる。

 

「なら、鉱人の戦振り見てけやあっ!」

 

 禿頭の古強者が、自身の体を腕の力で引き上げて、残った手で戦鎚をその脳天に見舞う。

 

「……っ、ぐうっ、良し!」

 

 完全に血が上ったオーガはむしろ快哉をあげ、宙を舞っていた『盾砕き』をそのまま頭突きで跳ね飛ばし、鉱人の群れに飛ばされる。

 

 鉱人は頑丈だ、死んではいないだろう。

 

 だから、こちらも遠慮なく最後の一撃に踏み切る。

 

「《踊れ踊れ平原吹く牙、渦巻き、束なり、ここにあれ》」

 

 オーガの腕をえぐり、敵陣すら穿つ風を槍にまとわせ、一薙ぎ。

 

 それで、オーガの首は断たれた。

 

 

 

 

 

 生き残った、という気しかしなかった。

 

「はぁ、つっても仕事せにゃなぁ」

 

 疲れた体を水薬で無理やりに奮い立たせ、起き上がる。

 

「もっと寝てればいいのに」

 

 そう軍楽士が呆れた様子でこちらを見やる。

 

「まぁ、まだ戦は続くしなぁ、崩された陣の補修とか」

 

「補修はもう鉱人がやってるわよ」

 

 はぁ、とため息をつき、身を起こそうとする指揮官を押しとどめる。

 

「あの子達も心配してたんだから、無理しないでよ」

 

 半森人と獣人の顔が浮かび、しぶしぶ体を沈める。

 

「それは?」

 

「各隊からの差し入れ、良くなってくれって」

 

 見れば木の実やら酒やら香辛料の掛かった肉やらが部屋の一角に積まれている。

 

 何ともありがたい話だ。

 

「隊長、たいちょーっ! 急報! 吉報! あれ、どっちだっけ? まあいいやー聞いてくださーい!」

 

「あなたね、もうちょと静かに、ああ、もうでもまぁ確かに急ぎね」

 

 どかどかと獣人と半森人の副長が駆け込んでくる。

 

「……どした?」

 

 なんというか、二人とも狐につままれたような顔だ。

 

 軍楽士と顔を見合わせ、きょとんとした顔を向ける。

 

「魔神王、なんか討伐されちゃいました」

 

 あまりに唐突に、戦争は終結に向かっていた。

 

 

 

 

 

「ま、またどっかの戦場か、酒場での」

 

「ええ、またどこかで」

 

 握手して、振り向かずに鉱人達は去っていく。

 

「里においでください、歓迎させていただきます」

 

「ええ、そりゃもう是非に!」

 

 何度もこちらを振り返り、のんびりと森人たちは歩いていく。

 

「指揮官殿ほどの者であれば、敵でも味方でも、戦場で会いたいものですな」

 

「貴方達ほどの強者とは、味方だけでいたいです」

 

 呵々大笑した蜥蜴人は南へ尻尾を機嫌よさげにゆらし。

 

「また会おう」

 

 半馬人はからりと、風のように駆けていった。

 

 残ったのは、自分の隊員たちだ。

 

 さすがに、死者もいる。

 

 できる限り、死体は収容した、故郷に帰ることを希望していない者は、今回の戦線の合同慰霊碑にまとめて弔われるはずだ。

 

「まずは、帰るか」

 

「ええ」

 

「そうですね」

 

「帰ったら、王都でお腹一杯食べましょう!」

 

 また、俺たちはどこかの戦争に行くのだろう。

 

 でも、今だけは生き残ったことをただ祝おう。

 

 

 

 

 

 こうして、別の物語から見れば、一行で終わるような戦争が、幕を閉じた。

 

 だが、どこにでも、誰にでも、物語があり、戦いがあり、続いていく。

 

 しかし、今は、彼らにひと時の休息のあらんことを。

 

 

 

 

 

 



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幕間 ある幸福で不運な休日の過ごし方

 

 歴史

 

 人に歴史あり

 

 モノにも歴史あり

 

 唯の鉄の剣であろうと、例えば若かりし頃に王が使ったとでもなれば、同じ体積の黄金以上に丁重に扱われることが、ままある。

 

 人はどういうモノなのか、というより、どういった経緯のモノなのか、という点に比重を置くことがあるのだ。

 

 防具がある。

 

 紐でつながっている。

 

 防具が覆う面積は小さい。

 

 というか、きわどい。

 

 それが、籠の中にある。

 

 その筋で、下着鎧と呼ばれるものが、丁稚の少年の抱える籠の中にあった。

 

 これが、マネキンのものを取り外したものであっただけであれば、丁稚の少年がこれほどまで抜き差しならぬ状態になっていないであろう。

 

「……いやいや、ヤバイって」

 

 使用済み、である。

 

 脱ぎたて、ともいえる。

 

 豊満で快活な牛飼娘の肉体と平坦で清純な女神官の肉体を覆っていた下着鎧の胸部装甲部分と下腹部装甲部分、端的に言うとブラとショーツのようなパーツが籠の中にあった。

 

 彼女たちの居た試着室はものすごくいい匂いがした。

 

 マネキンに戻されたそれを取り外し籠に入れ、先ほどまで聞こえていた華やかな姦しい話し合いを思い出し、ドギマギしてしまう。

 

 いちおう、試着用のモノではないものを試着した場合は、次の試着希望の人間のために洗う必要がある。

 

 誰が? 親方? まさか、自分がだ。

 

 ごくり、と息をのむ。

 

 仕事だから、仕方ないから、と思いながら、鼻息を荒くしながら意を決して籠の中に手を伸ばし。

 

「おーっす、何してんの?」

 

「おっひゃああああああああああっ!!」

 

 不意に後ろから獣人女給に声かけられ奇声を上げてバネ仕掛けのように背筋を伸ばした。

 

 

 

 

 

「えーっと、な、なに?」

 

「どしたの」

 

 きょとんとした目、といえばいいのだろう。

 

 自分の奇行に首をかしげる彼女に慌てて籠を後ろ手に隠す。

 

「んーアジのエスカベシュ、いらない?」

 

 アジの揚げ物が酸味のあるソースに漬けられたそれは否が応でも食欲を掻き立てられる一品である。

 

「い、いるけど……」

 

 露骨に挙動不審な振る舞いをする少年に訝し気な視線を向け、すん、と鼻を一鳴らし。

 

 そして、ピタリ、と動きがとまる。

 

 獣人は嗅覚も鋭いのだ。

 

「……え、と、その」

 

「二人、女の子」

 

 ぽつり、とした感情の無いつぶやきであった。

 

 びくり、と体を震わせる少年に、料理の入った器をテーブルに置いてずかずかと近づく。

 

「ねぇ、それなに?」

 

「えっと、その」

 

「……おやか」

 

「ちょい待ち!」

 

 た、と言わせる間もなく、ぴょん、と獣人女給に飛びつき、口をふさぐ。

 

 籠がどさり、と落ちる音がする。

 

 ぎゅう、と抱き付き、その柔らかい肢体に組み付いているのだが、それを楽しむという余裕などない。

 

「ね? ちょっと話し合おう! ね、ね?」

 

「ふーん」

 

 苛立たし気に彼女の尻尾がゆれる。

 

 もう彼女の視界には転げ出た籠の中身が目に入っているのだろう、口元を抑えられながらも、そのまなざしは虫けらを見るような視線だ。

 

 だが、自分の職場での地位がゴミクズに落ちるかどうかの瀬戸際であるのだ、必死になる、。

 

 今更ではある、とは言ってはいけない。

 

 しかし、

 

「君じゃ話にならないからさー親方に話しよっかなー」

 

 敗北は決定していたのだ。

 

 かくなる上は

 

「すいません、それだけは! すみません許してください! なんでもしますから!」

 

 無条件降伏あるのみであった。

 

 その言葉を、待ち望んでいたのだろう。

 

「ん? 今なんでもするって言ったよね?」

 

 ぎらり、と輝く瞳は野獣のそれであった。

 

「はい……」

 

 少年には、そう息を吐くしかなかった。

 

 

 

 

 

「さあさ! 水の街行きの馬車が昼には出るよ~、今ならお安くしとくよ~」

 

 蒼天の下、馬車に乗ろうとする人たちに何か売りつけようとする者たちが小さな市場を形成する。

 

 それの中にはもちろん己の腕前を売りに出す者もいる。

 

 靴磨き、研ぎ師、そして代筆屋。

 

 目的地に手紙を運んでくれる馬車はある、伝えたいことがある、しかし字が書けない、あるいは形式ばった文を書く学がない。

 

 そういった者のために代筆屋が机とペン、インク壺に紙束を積んだ代筆屋が馬車の前に店を開くのはごく自然な成り行きであった。

 

 文房具と紙だけで小銭を稼ぐことのできる代筆屋を、学のある駆け出しの魔法使いや神官が副業とすることはままある。

 

 というわけで、女魔術師もまた、冒険の合間の休日に軽く小銭稼ぎするか、と店を開いていた。

 

 これでも都の学院に居た身、それなりに格式ばった文章だってお手の物だ。

 

 冠婚葬祭、様々な手紙を請け負い、最近のこの界隈ではちょっとしたものなのだ。

 

 しかも、代筆屋の場合。出ていく人間ではなく、街の人間に顔を売ることができるのがミソだ。

 

 冒険者ギルドにたむろしている魔術師その一、よりも手紙を書いてくれた魔術師の姉ちゃん、の方が顔が利くし、親しみも持ってくれる。

 

 悪いことは出来なくなるが、もとよりするつもりはないし、どこそこへ行く、となると

 

「お、そうなのかい、じゃぁ親戚の誰それが……」

 

 ということで代筆した上でついでに手紙の郵送も、とお願いされることもある。

 

 ちょっとした副業の積み重ねだが、それでも触媒を取りそろえておく必要のある術者という稼業をするにあたって、小銭稼ぎは使える呪文の種類に、つまり選択肢の広さに繋がるのだ。

 

 触媒にさして頼る必要もないような大魔術師とかならともかく、自分のような駆け出しは地道に隙あらば稼ぐのが大事なのだ。

 

「魔術師のお姉さん、田舎の妹に子供産まれたんだよ、ビシッとした祝いの手紙、お願いしたいんだ」

 

「まっかせなさい! 妹さんがうれし泣きするようなの書いて見せるわ」

 

 ちょっと奮発して買ったガラスペンをちょちょいとブルーブラックのインクが入ったビンに入れてサラサラと文章を書きあげていく。

 

 ちょっとしたハッタリだが、見た目にミステリアスだし、すっと水を入れた器にペン先を挿せばらせん状のインク溜めの溝が水面にインクの華を咲かせて、書きあがるのを待つ人間は、おぉ、とその水面に咲く儚い一輪に見ほれる。

 

「はい、ウチは差し出し代行まではしてないから、後は駅馬車さんに持っていってね」

 

「ああ、ありがとう!」

 

 そう言って書き上げた手紙を受け取った駅馬車の御者へ向かう男を見送り、いいことをしたなぁ、といそいそと財布に料金の銅貨を入れる。

 

「はへぇー」

 

 その様子を物珍し気に眺める丁稚の横には獣人女給がいる。

 

「……あら、ええっと、工房の丁稚の人と、ギルドの人じゃない、こんな日にデート?」

 

「まさか! ないない、おごらせてるだけ」

 

 からからと、獣人女給が手を振って否定し、しかしするりと逆の腕は丁稚の腕に絡んでいる。

 

 ――どうみてもデートにしか見えないけど……まぁいいか。

 

 じゃあ、搾り取らないとね、と不敵な笑みを交換して見送る。

 

 藪をつついて蛇を出す趣味はない、あと一人二人ぐらいなら代筆も請け負えるだろう、と女魔術師は客引きの声を上げた。

 

 

 

 

 

 見た目には、白く丸い筒のような料理である。

 

 す、とナイフを入れると驚くほど抵抗なくその筒は輪切りにできる。

 

「あ、そうすると断面が空気にさらされてどんどん料理の熱が奪われてしまうので、食べる分だけ切っていく方が料理の暖かさを楽しめるのですよ」

 

「ほほう、これは迂闊、食事作法も奥深いものですな」

 

 目の前の酒神の神官がそうおっとりというのを聞いて、ぺしり、と額を叩く。

 

 とまれ、それであればさっさと食べるが吉だ。

 

 白い筒、であるが中に芯のように別の白い何かがある。

 

 歯ごたえは柔く、下で押しつぶすだけで外側と内側のそれぞれがすりつぶされる。

 

 外側は淡白な白身魚、それを砕くと中からふわりと芳醇なバターの薫りを纏ったこれは……

 

「ぬ、ん?」

 

「ふふふ、南方出身でしたし、もしかして初めて召し上がりました? 舌平目に巻かれた内側の食材はホタテという貝の中身です」

 

「あなや! 貝にこれほど大きく美味な物が!?」

 

 しかも塩気とバターによく合う。全体をやや塩気の強いソースで覆っていたが、なるほど、海の物には塩気が合う。

 

 食い歩きの趣味があったのか、時たま二人はこうして舌を肥やすべくぶらぶらと歩くことが多くある。

 

 そして、それなりに位階の高い神官と銀等級の冒険者の道楽、つまり財布のひもを緩めて行くような店というものは概ね、お高い。

 

「んーおいしい」

 

「そ、そうだね」

 

 喜色満面で舌鼓を打つ目の前の少女に相槌を打ちながら、消え去っていく自分の貯金に笑顔の裏で泣く。

 

 まぁ、ため息をついても仕方ない、彼女の笑顔だって、見ていてうれしい。

 

 これはもう楽しむしかないか、と料理にナイフを入れた。

 

 

 

 

 

「……かくて魔神王は討ち果たされ、勇者は凱旋し、兵もまた家路へ着く、しかしてそれはまた新たなる物語の始まり……」

 

 弾き語りをする吟遊詩人におひねりが舞い込む。

 

 公園には自分たちだけではなく様々な人間が吟遊詩人を囲んでいる。

 

 酒瓶片手に話を聞くものも居て、どこか砕けた様子だ。

 

 小さな田舎の農村ならともかく、この辺境の街では吟遊詩人は珍しくなく、またそれゆえに腕が試されているのである。

 

 とはいえ、今は聞き手として楽しんでいる側だ。

 

 吟遊詩人が茶目っ気たっぷりに語る喜劇をクルクルと表情を変えながら聞いている彼女が何より見ごたえがある、なんていうことは出来ないけれど。

 

 ちょっとだけ、おひねりを弾むことにした。

 

 

 

 

 

 お祭りという訳でない平日でも辺境の街には様々な人々が流れてくる。

 

 事情ありげな風体の男たち、不安げに子を抱いた女、何かを売りさばきに来た商人、よりによってもこんなところにまで来ているのだ、やむにやまれぬことがあったのだろう。

 

 石畳を歩く足取りは、野心にあふれたもの、行くあてのないもの、儚く消えてしまいそうなもの、様々だ。

 

 そういったものが彼女の耳は余さず捉えるのだ、興味深げに雑踏に耳を傾ける獣人女給はこの街そのものを楽しんでいるようだ。

 

「んー楽しかったなぁ」

 

 コキコキと背伸びをする少女に、ほっと安どの息を吐く。

 

 一日おごり、と聞いて戦々恐々としていたが、何とか貯金消滅の憂き目は回避された。

 

「ま、これで勘弁してあげよう」

 

「ははーありがとうございます」

 

 そう仰々しく言って、二人して笑う。

 

「じゃ、私ここで」

 

 シュタッ、と手を上げてこざっぱりとした別れの挨拶。

 

 おやすみ、を言おうとしたところで、ふわり、と近づいて、彼女の薫り、としか言いようのないもので、鼻孔が満たされる。

 

「今度はアレ、私が着て見ていい?」

 

 目を白黒させているうちに、ケラケラと笑って彼女は去っていった。

 

 まぁ、良い一日だった。

 

 



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幕間 Go West Merchant

 ……かくて魔神王は討ち果たされ、勇者は凱旋し、兵もまた家路へ着く、しかしてそれはまた新たなる物語の始まり……

 

 

 

 西へ行け、冒険者よ、といったのは誰であったか。

 

 今となっては分かっていないが、野心を抱いて辺境の街へ赴く冒険者志望の者たちは多い。

 

 しかしこれは、その言葉を言った者が後悔する話ではない。

 

 砂煙を上げて西へ西へとひた走る一台の馬車。

 

 悪態をつきながら手綱を握る冴えない兄弟が今回の主役だ。

 

 

 

 

 

「ええい、畜生っ!!」

 

 毒づいているのは年長の兄だ。

 

 馬車の後ろにはこれでもかという程の槍、矢束がぎっしりと詰まっている。

 

 その横でどこか貧相な瘦せぎすの男が鶴の頭のような、孫の手のようなねじくれた短杖を握ってややうんざりとした表情をしている。

 

 その顔立ちは似通っており、男たちが兄弟であることを伺わせた。

 

「兄ちゃん、いくら言ったってどうしようもないって」

 

「くそっ、くそっ! 畜生っ」

 

 とりつく島もない、と弟はお手上げの様子で揺れる馬車の上で兄の様子から目をそらす。

 

 空は青く、雲は白い。

 

 ガタガタと揺れる馬車はまるで荷物を積んでいないかのような速度で西へ西へと進んでいく。

 

 弟術者の《軽量化》の魔術によるものだ。それがこの快速馬車を可能にしている。

 

 都の学院を出て、船付きの魔術師として航海を一つこなし一稼ぎ、さて、次の航海に声がかかるまで商人として身を立てている兄の顔を見に行くか、と海からほど遠い王都まで来て、そしてそのまま拉致されたのだ。

 

「畜生! 畜生! 勇者め! さっさと戦争終わらしやがって!」

 

 そして荷台には売るあてのなくなった槍や矢束、つまりは、そう言う事だ。

 

 これぞ商機! と買い込んだ絶賛高騰中の武具。なあに、それでも北方の戦地に持っていけば十分に高値で売り飛ばせる、と意気揚々と北へ赴き、そして魔神王討伐による終戦で戦線は解散、需要は消滅し、価格は暴落。

 

「あぁ、神様、乱れてください平和、今俺の行く先の売り先だけでいいから……」

 

「そんな縁起でもないこと言ったら神様のバチあたるよ兄ちゃん」

 

 王都では大商人がああだこうだと売りさばくだろう、となれば中小零細の辛うじて売ることのできる先となれば西方、冒険者達が多く活動し,また冒険へと旅立っていく辺境の街だ。

 

 同じように考える商人は大勢居る。よっていち早くたどり着かなければならない。

 

 いくらかは足元を見られるだろうが、それでも王都で捨て値で売るよりは良い。

 

 それでも、少なくとも兄はまだ運がいい。それが弟の存在である。

 

 本来であれば、積み荷が多ければ多いほど、馬車の速度は遅くなる。

 

 しかし、魔術師の技があれば話は別だ。

 

 おおよそ鉄の積み荷を綿の如く軽くして駆ける馬車の速度は他の者たちよりも稼ぐことのできる距離は速く、多い。

 

 これは、華々しい大成功なんてない、敗北をどれだけ小さくするかのレースだ。

 

 

 

 

 

 王都から水の街や辺境の街といった西へ向かう際に、死人の谷とよばれるおどろおどろしい最短ルートがある。

 

 とある未来ではある女教皇の指示の下敷設した鉄道の通ることとなるルートであるが、今はまだ薄気味の悪く何もない谷だ。

 

 鉄道が通る際には三人のペテン師が大立ち回りをする喜劇を繰り広げることになるが、それはまた別の話だ。

 

 未来がどうであれ、今はまだただの通り道でしかない。

 

 兄弟は道を急ぐために街道を離れ、このうらさみしい谷に入るつもりでいる。

 

 大幅なショートカットと言える。

 

 ここを無事に通り抜けることが出来れば、他の人間より一日二日は速く辺境の街へとたどり着くことができるであろう。

 

 無論、その危険性があるからこそこの土地は死人の谷とよばれ、街道となっていないのだが。

 

 神の慈悲は一切分け隔てなく注がれるわけではない。

 

 ここは死人の谷、アンデッド、ゾンビやスケルトンの巣窟だ。

 

 日中だというのに物陰からうめき声をあげてゾンビがはいずり出て兄弟を自分たちの仲間へと引きずり込もうとその崩れかけた手を伸ばしてくる。

 

 しかしここを乗り切らねば結局は破滅を待つ身だ。

 

 とはいえ、あえて夜に駆け抜けよう、という程兄弟も血迷っていなかった。

 

 谷の前の安全であろう場所で夜営をして早朝に弟が《軽量化》の魔術を荷台にかけて、一息に駆け抜ける。そういった算段である。

 

 ここが一番の難所だ、と気合を入れて臨むところだ。

 

 とまれ交代で野営をして夜を明かそう、となり焚火がパチパチと音を立てて光を放つ。

 

 念には念を入れて酒は無しだ、パンにはさまれたハムの塩気と水で英気を養う。

 

 さて、交代で寝につこう、という段になって、足音が近づいてきた。

 

 兄弟は顔を見合わせ、兄は御者台においてある短槍をひそかに確認しつつ、木につないでいた馬の手綱を解く、馬車持ちの一番の戦法は走って逃げることだ。

 

 弟も杖を構え、いざという時の備えをとる。見かけによらず船上で過ごした日々は兄以上に荒事への耐性をつけさせていた。

 

 果たしてやって来たのはどこか影を湛えた少女であった。

 

 手には神官ではないのだろうが敬虔な信者なのであろう、至高神の聖印が取りすがるように握られていた。

 

 しかし、火の光に安堵するどころか、まさか出くわすと、といった表情で小さく、失礼します、と言い残し、そのまま死人の谷へと向かおうとする。

 

「待った待った! 嬢ちゃんそっちは死人の谷ってんだ! こんな夜に行っちゃ死にに行くようなもんだ!」

 

 思わず呼び止めた兄の声に少女は立ち止まり、ペコリと礼儀正しく頭を下げる、どうやら育ちはかなりいいようだ。

 

「……すみません、ですが私が居たのではご迷惑をおかけしてしまいます」

 

「……何か、事情でも? 今夜は白い方のお月さんは新月でお隠れだ、こんな薄気味悪い緑の夜は独り歩きしない方がいい」

 

 弟の言う通り、常であれば青白い光を照らしてくれる白の月は無く、緑の月だけが我が物顔でその月の色の如く地上を緑に染めていた。

 

 こういった緑の夜は、おおむね縁起が悪いとされ、対して緑の月が新月の白の夜は縁起がいいとして、例えば結婚式後の初夜等は白の夜の方が望ましく、また子宝に恵まれるのも白の夜とされている。

 

「どうか、見捨ててください、ここに来たのも誰も巻き込むまいと思い立ってのことです」

 

 そうつぶやく彼女の肩は、不安と孤独で震えている。

 

 それを見捨てるほどには、兄弟は人情をすてていない。

 

「やはり、何か……追手でも?」

 

 弟がそう優しく問いかけると少女は意を決したように口を開いた。

 

「首なし騎士に宣告を受けたのです」

 

 

 

 

 

 首なし騎士、デュラハンとも呼ばれる魔物、あるいは悪魔の一種とされている亡霊だ。

 

 己の首を手に持ち、逆の手には剣、乗るのは首なしの馬や黒い馬、あるいはそれらに曳かれたチャリオットとも言われている。

 

 人の前に現れ、死を宣告し、その一年後に姿を現してその命を刈りとる、地方によっては一種の死神として扱われることもある。

 

 死神と違うのは物理的に打倒することが可能であることだ。

 

 よって、経済的に余裕のある者であれば、高位の冒険者を雇い、迎撃する、ということも出来なくはない。

 

 しかし、それだけの富裕層でないものがその宣告を受けた場合、待つのは恐怖に押しつぶされる一年だ。

 

 そして絶望の後に、命を刈りとられる。

 

 目の前の少女もまた、その残酷な運命に巻き込まれたのだという。

 

 それが、一年前の事。

 

 遠からず馬蹄の音は彼女の元に訪れ、その命を絶つであろう。

 

「どうするつもりなんです?」

 

「……ここで死んでしまおうと……お母さんやお父さんを巻き込んでしまうのは……そ、それに」

 

 心がひび割れたような、無理やりに作ったような笑みだ、ぎゅぅ、と聖印が握りしめられる。

 

「奇跡が、あるかもしれません」

 

 ここまで、虚ろな言葉を男たちはついぞ聞いたことが無かった。

 

 その言葉を、諦めを、吸い込むように弟は一息つき、兄へ向き合う。

 

「なぁ、兄ちゃん」

 

「行くぞ、奇跡の弟よ」

 

 胎の据わった声であった。

 

 その言葉に弟もニカリと返す

 

「だよね! 奇跡の兄ちゃん!」

 

 そう言って適当に夜営のために広げた荷物を荷台に放り投げて、少女に手を伸ばす。

 

「え、ええと?」

 

「ほら! 君も乗った乗った! 行こう!」

 

 彼女は奇跡に出会った。

 

 

 

 

 

 角灯に灯りが灯された。

 

 首なし騎士を迎え撃つのに腰を据えていては危険である。

 

 自分たちが銀等級の冒険者の一党であれば、むしろそれでいいのかもしれないが、少し荒事になれた魔術師と商人と小娘では死ぬだけだ。

 

 いっそのこと走って迎え撃つ、それが弟の出した提案であった。

 

 極論、走っていれば、機動力の暴力、高所からの攻撃はある程度無効化できる、できたらいいな、ということだ。

 

 死人の谷を夜に走破するとう暴挙は、首なし騎士を迎え撃つことを考えれば暴挙に数える必要はない。

 

 夜の死人の谷はアンデッドで溢れていた。

 

「矢束一つ解くよ」

 

「おう」

 

 弟が荷台の矢束をとり、短弓を構える、故郷の村では兎を射って兄弟で共に食べたものだ。

 

 鎧甲冑の騎士にどれほど通じるか、それは考えないことにした、どちらかというとこれ自体はゾンビ対策だ。

 

 進路に入ってきそうなゾンビを射抜き、夜を駆け抜けていく。

 

 気を緩めることのできない時間が過ぎる。

 

 もうすこしで、谷を抜けることができる、そう思い出したころに、蹄の音が後ろから迫って来た。

 

 漆黒の騎士だ。

 

「RAAAAAAAAAAAAAI」

 

 左手には憎悪に染められた表情の詰まった生首の入った兜があり、右手にはこれまた漆黒に染められた刃がある。

 

 弟が矢を射かけるが、馬体に刺さろうとお構いなしで追いすがってくる。

 

「どうだ!?」

 

「効いてない! 軍に売らなくて良かったね兄ちゃん! 訴訟されるところだったよ!」

 

「うっせえ! 俺の目は確かだ! お前の腕がへっぽこなんだろが!」

 

 騎士の速度が上がる。それを見て、いよいよ少女の表情に絶望が浮かぶ。

 

「呪文はつかえねぇのか!?」

 

「寝て起きれば使えるけどね!」

 

「DEEEERRR!!」

 

 朝に昼に《軽量化》を使い通しだったのだ、魔術はもう使うことは出来ない。

 

 じりじりと近づいてくる。敵影に、少女が男たちをこれ以上巻き込むまいと身を投げようとしたところで、弟がずいと少女を押しとどめる。

 

「まぁ、見てて」

 

 兄の短槍を拾い上げ、その穂先を見る。

 

 商人の長旅、アンデッドやゴーストにでも使えるように、という弟の言葉を受け入れたそれは銀の穂先であった。

 

 ねじくれた短杖をぐい、と棍棒で殴るかのように振りかぶる。

 

 そして、それに槍を番える。

 

 投槍器、通常よりも遠く強く正確に槍を投げることを可能とする武器だ。

 

 二十歩、十五歩、十歩、そこで、槍は投じられた。

 

 兜の中の生首を射抜き、そのまま首は闇夜に消え去る。

 

「RAIARAIARAIRAAAAAA!?」

 

「橋だ! 揺れるぞ!」

 

 苦悶の声を上げて消えていく首、身をくねらせる胴体、止めとばかりに荷台の槍を一本つかみ、また投じる。

 

 馬に刺さった槍は、その歩調を乱し、そのまま首なし騎士は川底へと落ちていった。

 

「やったよ! 兄ちゃん!」

 

「よっしゃぁっ!! よくやった! へへっ! ざまあみやがれ、泳いでろ!」

 

 兄がそう快哉の声を上げ、馬車は走り去っていく。

 

 そして、背後から明かりが昇る。

 

 夜は明けたのだ。

 

 

 

 

 

 少女を水の街で待たせる手元の余裕もなかったので、そのまま辺境の街まで駆け込むこととなった。

 何やらゴブリンロードの襲撃があったらしく、兄の考えていたほどには買いたたかれることは無く、なんとか破産の憂き目にあうことも避けられたようだ。

 

 都で流行りの精油やら手当たり次第に買い込んで、また一儲けするらしい。

 

 少女も帰り道で下ろしていくことになった。

 

「お前はここでいいのか?」

 

「うん、兄ちゃん、西の海の方に出る港町にでも行ってまた船暮らしで稼ぐよ」

 

「そうか……今回は助かった、またのときに礼は用意しておく」

 

「はは、なんか奢ってくれたらそれでいいよ、律儀だなぁ兄ちゃんは」

 

 餞別でもらった槍を一本携えて、別れる。

 

「あの、ありがとうございました!!」

 

 そう憑き物が落ちた明るい表情で礼を言ってくる少女に照れ照れと頭を搔く。

 

「気を付けておかえり、幸せにね」

 

 少女を乗せた馬車は東へ、男は更に西へ、何事もなかったかのように、また日々は続いていく。

 



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幕間 魔剣使いの戦場

 敵は見渡す限り、手元には剣が二振り。そして、後ろには二振りの内の一つ、魔剣に侍る剣の巫女。

 

 それが、俺の戦場だ。

 

 まったくもっての負け戦、阿呆の貴族のボンボンの突撃につき合わせれてのみじめな撤退戦だ。

 

 唯一の救いと言えば、そのボンボンが戦死してくれたことぐらいだろう。

 

 何が、正義は我にあり、だ死にやがれ、あぁ、もう死んでいるか。

 

『どうするのだ、主よ』

 

 脳裏に響くのは相棒の魔剣の声。

 

 一たび抜けば必ず三つの命を奪い、形あるものであれば全てを切り裂く鋭さを有した魔剣だ。

 

「おまえは、逃げろ、俺が死んだら、後で魔剣を拾いに来い」

 

「……かしこまりました、ご武運を」

 

 しずしずと、影のように去る少女をみやり、うむ、と頷き敵を見やる。

 

 うじゃうじゃと、敵がいる。

 

 まったくもって、碌に敵を殺せずに死にやがって、面倒くさい。

 

『……すまないな、こんな魔剣で』

 

 申し訳なさげな魔剣の声に首をかしげる。

 

 コイツに魅入られ、戦場を共にして不満などなかった。

 

「こんな? そりゃどういう意味だ?」

 

『この四方世界には、我以上の魔剣がある、長剣であれ、大剣であれ、もっといい魔剣はある、それが主の手にあれば……』

 

 ただ、切れ味だけの魔剣だ。

 

 ただ、三体だけ必ず殺してのけるだけの刃だ。

 

 身体能力を強化する、魔法を切り裂く、傷を癒やす、もっといろんな魔剣が山ほどある。

 

 それが、主の手にあれば、あるいはこの状況すら切り抜けることができたかもしれない。

 

 己が主として選んだほどの剣士なのだ、もし、もし、そうであったならば、自分でなければ……

 

「今更、そんなことをいうな」

 

 ポンポン、と頭を撫でるように柄頭を叩く。

 

 声が止む。

 

 晴れ晴れと、無人の地平線を見渡すような声であった。

 

「いろんない魔剣があっても、おれには関係ないさ」

 

 ぐい、と魔剣を鞘から抜き放つ。

 

「お前と、もう一振りの長剣が、俺にとっては最高の剣だ」

 

 すぅ、と息を吸い込む。

 

「お前たちは、世界一と信じているんだ……」

 

 両方の剣を掲げるように天に向ける。

 

「意地でも信じているから、ここで、一人で戦争するんだ、いいか、もし相手の軍にお前以上の魔剣があったってんなら」

 

 そういいながら刃を魔神王だかなんだかの敵陣に向ける。

 

 そして、確信を胸に言い放つ。

 

「なんでそんなの相手に戦争をおっぱじめる? 今更こんな魔剣なんて言われても手遅れだ!!」

 

 そして、自分と魔剣に言い聞かせるように叫ぶ。

 

「いいか、お前は!! お前はこの世界で最強の! 最高の! いちばんいい魔剣だ! 一番優れた魔剣なんだ!! 俺にはお前しかいないんだ! だから、お前が一番いいんだ!!」

 

『主……』

 

「だから、いくぞ」

 

 それだけ言って、駆け出す。

 

 敵の瞳孔が見える。

 

 オーガ、デーモン、それらを一太刀で仕留める。

 

 なんだ、やっぱりお前は最高の魔剣じゃないか。

 

『主! 後一体だけだ!!』

 

 そう悲鳴が聞こえる。

 

「お前は、一たび抜けば、三つの命を必ず断ってのける、それに嘘はないよな」

 

 淡々とした主の声に、万感の思いを込めて答える。

 

『当たり前だ! それだけは我は神代よりやり抜いてきた! あぁ最後の敵を討とうぞ!』

 

「よし、やっぱりお前は最高だよ」

 

『主!? いったい何を!?』

 

 鞘には戻さず、腰のベルトに魔剣を差し込む。

 

 そして、もう一方の剣を構える。

 

「すまんが、最後はお預けだ」

 

 敵陣に切り込み、誰彼となく剣で切り殺していく。

 

 敵もぞぶぞぶと剣士に槍、剣、矢がつきたつ。

 

 それをすべて食らったうえで、男は笑う。

 

「やっぱりお前は最高の魔剣だよ」

 

 本来であれば、死ぬだけの刃を受けて、刃を振るう。

 

 三つ目の命を刈らずに、剣士が倒れることは無い。

 

 それまで、男に死が訪れることは無い。

 

 だからこその、三命確殺の魔剣。

 

 それだけは、神代からやりぬいてきた。

 

 不死の剣豪に混沌の軍勢は切り裂かれる。

 

 火球が男を焼く。

 

 左手が吹き飛ぶ、わき腹が抉れる。

 

 それでも、男に死が訪れることは無い。

 

 右の肩口が炭化する。

 

 それでも、男は止まらない。

 

 折れた刀身を口にくわえ、暴れ続ける。

 

 そして、敵将らしいデーモンの首筋にその刃をねじ込む。

 

「DEEEEEDDEEMOOEOE!?」

 

 敵軍は、崩れた。

 

 

 

 

 

 戦終わって屍山血河。

 

 上半身だけになり果てた男は、眼球1つだけになったところどころ骨の見える顔で戦場跡を見渡す。

 

「……まさか、生きておられるとは」

 

「死んでないだけさ」

 

『巫女よ! さっさと主を癒せ!! 手足は拾ってきてるか!?』

 

「はい、ここに、拾えるだけは……他にも混ざっているかもしれませんが」

 

 ごろごろと並べられるのは自分の手足ということになっている肉片。

 

 それを、ちくちくと針と糸で縫い付けて、それなりに人型を縫い上げてもらって、癒しの奇跡を施してもらう。

 

 血が足りないが、致命傷からは抜けたようだ。

 

「血、くれ」

 

「はい……こちらを」

 

 適当に転がっている死体から血を集めてくる。それをのまされる。

 

 鉄さび味のしょっぱい液体が内臓を満たす。その内血肉になってくれるだろう。

 

 峠を越えたら三つ目の戦果をくれてやろう。

 

『主は………不出生の傑物よ』

 

「そうか? お前だからできてるだけだ」

 

 どこか陶酔したその声に返し、自分の足で立つ。いくつかはモンスターの肉も混じっているのか、前の体よりも剛健な様子だ。

 

 さて、死にぞこなったが、後はどうしたものか。

 

「結局、どうなった?」

 

「魔神王は突如現れた勇者に討たれたそうです」

 

 その予期せぬ吉報に、へぇ、と声を漏らす。

 

「なら、とりあえず報酬もらうだけもらって、しばらくのんびりしよう、観光とか」

 

「ほんっとうに、マイペースですね、貴方は」

 

『主は、主であるからなぁ』

 

 ややうんざりしたような巫女とあきらめた様子の魔剣の声にニシシと笑い、男は戦場を後にした。

 

 魔剣を使わない魔剣使いの名が世界に轟く日は、すぐそこまで来ている。



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第十四話

 かしこ、と。

 

 お付きの神官はため息をつきながらそう代筆の文を締めた。

 

――偽りは神の尊ぶところではないのですが……

 

 そう手紙を封しながら恨めし気に仕える主に視線を向けても、盲しいた双眸を眼帯に隠した主は艶やかに顎に手を当てている。

 

 手元の砂盆には何やら図形が描かれて、何かを構想している様子にも見える。

 

 どうせ、そう言ったとしてもしれっと『世が滞らないための言葉の装飾は必要なのです』とか言ったりするのだ。

 

 敬愛に値する、少し困った所のある主だ。

 

 最近言いつけられるようになった、ゴブリン退治の依頼の一覧が収集された紙束をみやる。

 

 ギルドの者から相談を受けた、ときた。

 

 西方の大都市、水の街、その司法を預かる至高神の神殿の主にして、国王陛下の冒険者時代からの戦友。

 

 陛下がこの街にみえらえる折には、領主と過ごす時間よりも長く、親しく過ごされる伝説に語られる剣の乙女、この街の実質的な第二の領主。

 

 ゴブリン退治のあてを聞かれるなど、される訳もない。

 

 主を良く知らぬ者であれば、そもそもゴブリン退治の依頼の相談など持ちかけることなぞ出来ず。

 

 また、良く知る者であれば、なおさらゴブリン退治の依頼の相談など持ちかけることなど出来ない。

 

 愛しの彼……いや、ちょっと違うのだろうが、多分似たようなものだろう。

 

 その彼に手紙を送る口実探しの一環ではあるゴブリン退治の依頼の収集を命じられるようになって、それなりの期間が過ぎた。

 

 ギルドにも幾人か顔見知りも出来て、ギルドの受付嬢とは私的にも飲んだりする仲である。

 

 無論、この行方不明の女性に救いの手が差し伸べられるのであれば、差し伸べられないよりずっといい。

 

 とはいえ、理解できてもちょっと納得がいかない、そういうことがある。

 

「では、ちょっと出してきますね」

 

 とはいえ、従わぬ理由は特にない。

 

 ため息一つ、神殿の蝋の印が押された手紙を持って出る。

 

 今速達で出せば明後日、健脚の者の手に、いや、足に、かかれば場合によれば明日の夕方には相手の元に届くだろう。

 

「ええ、おねがいします」

 

 そうして、言葉を背に受けて部屋を出た瞬間。

 

「……?」

 

 ふと、宙を仰ぐ。

 

 何事かの基点となった、そう感じたのだ。

 

 

 

 

 

 地の底から氷竜の息吹のように吹きあがるような吹雪が風をはらんで頬を打つ。

 

 雪の村落をゴブリンスレイヤーと共に駆ける。

 

 吐く息は白く、荒い。

 

 自然と口角が上がる。

 

 心躍る、甘やかな時間だ。

 

 全方位が危険、だが、横には彼が居る。

 

 ゴブリンスレイヤーが武器を投じ、屋根によじ登ろうとしたゴブリンが長い断末魔を上げながら落ちる。

 

 十字路で、敵を待つ。

 

 大きく息を吐き、来る戦闘にそなえる。

 

 雪影の中、騒がしく蠢くものがある。

 

「来ましたね」

 

「背中は、預ける」

 

「――っ! はいっ!」

 

 その言葉に、体の奥底からふつふつと熱が湧き立つ。

 

 錫杖の先端を抜くと、そこから簡素な穂先が現れる。

 

 かつて見た、地母神ではないが、旅をする神官の護身具としての仕込み槍だ。

 

 錫杖の芯にも鋼を入れて槍として使うにも申し分ない強度になっている。

 

 錫杖の先端は引っ掛かり、絡まりやすく、また蛮用に用いるには強度が足りない。

 

 この改造は当然の帰結であった。

 

 ……頼んだ職人の親方にはものすごく微妙な顔をされたが。

 

 長い木の杖と言うものは実戦で使うと意外と折れやすい。それに耐えようとすれば男性の腕の様な太さが必要になるが、さすがにそれを持ち歩く訳にはいかない。

 

 だが、鋼の芯があれば、思うままに振るうことができる。

 

「シッ!」

 

「GA!」

 

 鋭い呼気と共に、ゴブリンの首を槍の穂先で斬る。

 

 手元、肩口、足回り、幅広く狙いながらも隙を出さないことを旨とした、コンパクトな動きだ。

 

 鍬の打ち、大鎌の振るい、農作業は様々な技を教えてくれる。

 

「あ……!」

 

 ゴブリンスレイヤーの動きを感じて、くるりと体を入れ替える、そのついでに石突き側で足払いをしてゴブリンを転がす。

 

 そのゴブリンを踏み殺しながら、ゴブリンスレイヤーは目に付くゴブリンをまた一太刀。

 

 周囲は雪、貧しい寒村、武器によりさらけ出されたゴブリンの血や内臓。

 

 血に塗れ、死に近づき、しかし、胸に充実感が満たされる。

 

 彼と一緒にゴブリンを殺す。

 

 それは、とてもとても幸せな事だった。

 

 

 

 

 

 戦闘の後にはもちろん戦後処理がある。

 

 治療の術を持つものとしては、むしろこちらの方が本番、といって良いだろう。

 

「皆さんにも、協力していただきます」

 

 そう言って取り出したのは下半分が短冊状に切られ、色で塗り分けられた札、識別救急だ。

 

 未来、戦場や災害の現場で用いられるようになったそれを手製で作ったものだ。

 

「症状に分けて重症であればあるほど書いてある数字を減らしてください、その人間から優先的に治療します、大まかな基準ですが……」

 

 女神官の説明にふむふむと頷いて鉱人達も散っていく。

 

 村に居るのは代替わりしたての薬師の娘。熟達の産婆なども医療技術者ではあるが、この村には居ないらしい。

 

 となるとこの村は出来立てか地母神と縁の弱いところ、ということになる。薬師の娘がいる辺り後者なのであろう。

 

 産婆はなにもお産の手伝いをする老婆、という訳でなく比較的広範に医療技術を習得した者でもあり、直截なことを言ってしまえば地母神の有する利権の一端でもある。

 

 この神徳厚い世界において、産婆が地母神の神殿と無関係な事もなく彼女たちは地母神の傘下にある技能集団の色合いが濃い。

 

 はるか未来では産婦人科の病院は須らく地母神の聖印を掲げているものであった。

 

 今でも地母神と産婆達の関係は自分の知識とさして変わらないものであり、ゆえに産婆の居ない村や町というのは地母神の神殿とは縁遠い場合が多い。

 

 技能者の派遣は神殿と懇ろな集落の方が優先されるのは当然のことだ。

 

 場合によっては地母神側が産婆を引き上げさせるような、劣悪な酷使を強いたりすることもありえるが、産婆を迎えることができたような村がそんなことをするケースはほとんどない。

 

 出生率と死亡率にかかわる技能者が抜けられた村の末路など知れている。

 

 更には神殿の中では比較的温厚穏健な地母神の神殿とそこまで関係性が破綻した村へ行く医療技術者など殆どいない。

 

 どこだって有能な人材は不足しており、わざわざ地方での情報に明るい地母神のブラックリストに乗っている場所に差し向けたりはしないからだ。

 

 よって地母神の神殿との関係は将来的な人材の質ともかかわりのある重要なファクターであり、一番身近な窓口である産婆をおろそかな扱いをするところはほとんどない。

 

 そんな有能な女性に無体を働いたりすると地母神側が人材引き上げをするまでもなく原因の人員が"事故"にあう。

 

 また、妙齢の女性であれば、場合によっては村の男と夫婦になってくれるかもしれない、そんな人材なのだ。

 

 産婆技能の取得と開拓村への派遣と土着は私の推し進めたゴブリン被害者の社会復帰の一つの柱として晩年まで機能してきた。

 

 無論、内側からの働きかけのための人員でもあったが、私よし、被害者よし、開拓村よし、ゴブリンは滅ぶ、と四方得ばかりだ。

 

 村の若衆としても"事故"が起こるのはやぶさかではない。

 

 "事故"で一人ないし数人死ぬぐらいなら、はるか未来に至るまで各神殿のブラックリスト入りするよりマシだからだ。

 

 となればこの村は鉱業等が主産業なのかもしれない。

 

 かつては思い至らなかったことを思索しながらも、治療の手が止まることは無い。

 

 かつての時よりは多めに持ってきた薬草や軟膏は村人たちの治療に足りるようだ。

 

 術で多くの物を持ち歩くことができるようになったのは非常に助かる。

 

 一通りは、助かるだろう、だが、それでも死者はもう出てしまっている。

 

 慣れたことではある。

 

 だが、悲しいことなのだ。

 

 葬式は。

 

 

 

 

 重苦しく、それでいて虚ろな空気が流れていた。

 

 隣人、家族を埋葬すべく穴を掘る墓地はえしてそういうものだ。

 

 すすり泣く人々が、それでも手を動かし、土を掘る音が、いかに小さなものであろうが骨身に刻まれるように響いてくる。

 

「ふぅ……」

 

 鶴嘴を肩にかけた鉱人道士が一息をついて辺りを見回す。

 

 墓穴掘り。

 

 誰かがやらねばならず、治療にさして役に立たず、穴掘りが得意。

 

 となると鉱人がやらねばならぬことであった。

 

 森人は見張りで既に高い所に登って弓を構えている。

 

「お疲れ様です」

 

「おぉ……ま、の……」

 

 すたすたと疲れを感じさせない様子で歩いてくる一党の最年少の少女はいつもの柔らかな笑みを凛とした気品に変えてそこにいた。

 

 有能で、それでいて危なっかしい所のある娘っ子、などいない。

 

 そこに居るのは祭祀を執り行うべく招かれた聖職者であった。

 

「いくつか、葬儀の儀式に使うものをいただいてきました」

 

 一握りの穀物、死者の数だけの小さな地母神の聖印の記された布袋と蝋燭。それぐらい、一党の物資から出しても何の痛痒もないであろう。

 

「最期ですから、残される者も何かしてあげたいものですから」

 

「……そうじゃな」

 

 さすがにこの状況で死化粧は望めない。

 

 顔面の傷が酷い者は顔に布を巻かれ、嗚咽の漏れる人々の手によって掘られた穴へ収められていく。

 

「縁者の方が居るようであれば、手ずから渡してあげてください」

 

 彼女から渡された穀物と蝋燭の入れられた布袋を、女神官へしきりに感謝の言葉を述べて死者の胸元に縁のある者たちが備えていく。

 

 小さな村だ、家族が居なくとも友人ぐらいなら居る。

 

 死者の胸元に、供物は供えられた。

 

 飢えぬよう、穀物を、闇夜を照らし、暖を取る灯を。

 

 それが彼らに絶えぬように、祈る。

 

 しゃん、と錫杖の音が鳴る。神への一打ちだ。

 

「善なる神々よ、秩序に連なる神々よ、今日のこの日、守り、救うべく戦い散った勇士はその御許に向かうことでしょう」

 

 しゃん、と錫杖の音が鳴る。送られる者への一打ちだ。

 

「神々よ、この魂、善也、この行い、善也、されば神々よ、その御手にて彼らを導き給え」

 

 しゃん、と錫杖の音が鳴る。見送る者たちへの一打ちだ。

 

「神々よ、勇士に悠久の安寧を与えたまえ」

 

 しゃらららら、と長く錫杖を鳴らし、膝をつき、胸元に手を付ける。

 

 その様に、村人たちも倣う。

 

 それを見て、鉱人も鉱人の作法で勇士を讃えその鎮魂を願った。

 

 

 

 

「見張りはやる、消耗しているはずだ、休め」

 

 そう彼に言われて、半ば押し込まれるように疲れを癒すようにと温泉へと向かわされた。

 

「ふぅ……」

 

「いいものねー」

 

 体を自然の湯船につかりながらも、手の届くところには慣れ親しんだ女神官の山刀と妖精弓手の弓矢がある。

 

 入浴中の奇襲を警戒するのは基本だからだ。

 

「ねぇ」

 

「はい?」

 

 するり、と妖精弓手の手が女神官をかき抱く。

 

 突然の行動に、無防備にきょとんとした顔を向けてくる少女に森人はクスリと笑い、その頭に鼻を押し付ける。

 

 戦い血に塗れた臭い、だが、それでも女の子の臭いでもある。

 

「貴方のお師匠様じゃないけど、森人なんだからそんな変わりはないでしょ」

 

 いいこいいこ、とばかりに頭を撫でる。

 

 凛とした、人々にささやかながらも心に救いをもたらす聖職者であったとしても、こうして抱きしめればやっぱりか弱い小さな女の子なのだ。

 

「……ありがとうございます」

 

 常の様子のない、まるで溶けるように、母親に抱かれた幼子の様に安心して全てを委ねる様なその少女の顔だちに、森人は魅入りそうになり、ふと目をそらす。

 

 何か、はまってはいけない穴に自分から踏み外してしまいたくなる何かがあった。

 

 こんな子が、孤児院に預けられたのだ、"彼女の師匠"がただ理由もなく置き去りにしたりするような者でないとすれば、その別れはおそらく幸福なものではなかったのだろう。

 

 包容力だとか、色気だとか、あればあるに越したことは無いのだろうが、それが無いから目の前の彼女を癒やすことができているのであれば、あの生意気な鉱人のからかいも気にならない。

 

 そうして、二人は体の芯まで温まるまでそうしていた。

 



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第十五話

 

 

 

 第十五話

 

 

 

「そういえば、確か、あなた、位階を高めてドラゴンになるのが目的なのよね」

 

 雪中での、たき火を囲んでの一休み、めいめいが丁寧に体をもみほぐしながら、妖精弓手が蜥蜴僧侶へ話しかけた。

 

「いかにも」

 

「チーズ好きなドラゴン、ねぇ」

 

「きっと皆に大人気ですよ、街の上を飛ぶだけでチーズがお供えされたり」

 

 妖精弓手は両手で抱えたカップの中身を舐めながら、まるで見てきたかのように言う女神官の言葉にくすくすと笑った。

 

「なるほど、それはいいですな」

 

 チーズを頬張りながら、真剣そうな顔で頷く。

 

 あまりに真面目そうな様子に女神官もふと笑みを漏らす。

 

「私もチーズ持っていきますね、おっきなドラゴンでも楽しめる様な、出来るだけ大きいものを」

 

 巨大な竜が都に飛来し、その爪先には銀の札、私を先頭に馬車で運ばれる山盛りのチーズに町の郊外はお祭り騒ぎとなって、人々は露天で急きょ並べられたチーズを買って竜の元へお供えに行くのだ。

 

 チーズの龍神様、竜のおじいちゃん、と誰からも慕われていた。

 

 私の国でチーズ料理が盛んだった理由の9割は彼によるところだ。

 

「私も私も! っていうかそうしたら背に乗って遠くに行くのもいいかも!」

 

 そんな未来も、確かにあった。

 

 自分と彼女と竜となった彼で大陸を一跨ぎ、天には青空だけがあり、眼下には海と陸とがまるで精巧な地図のように広がっている、懐かしい思い出だ。

 

 ……そして家臣たちにはもうこれっきりにしてくださいと頼み込まれたものだ。

 

 そうかつての未来を思い出しながら歓談しながらも、さりげなく洞窟の前の冒険者達の遺体、いや森人の遺体を女神官に見せないように気遣う仲間たちに申し訳ない物を感じながら洞窟を進む。

 

 罠をいなしながら、"彼女"が囚われている場所へと向かう。

 

 広間に至り、女神官が一党を押しとどめる。

 

「目と耳と動きを奪います」

 

「いけるか」

 

「はい、《トニトルス……オリエンス……リガートゥル》《ホラ……セメル……シレント》」

 

 《雷縛》の呪文を《停滞》の呪文で固め、投げ込む。

 

 一拍の後の雷光、パンッ、という破裂音に空気とゴブリンの焼け焦げる臭い。

 

 ひゅう、という歓声代わりの森人の口笛だけが洞窟にしみこんでいく。

 

 視覚聴覚を奪い、なおかつ体の自由を奪う突入戦において便利な呪文である。

 

 ゴブリン相手の戦闘で、《稲妻》であると人質等が居た場合、巻き込んで死なせてしまう。

 

 そのため、人質も死なせずゴブリンも鎮圧できる術というのは多く開発された。

 

 これもその一つである。

 

 果たして17匹のゴブリンは汚らしく体液をまき散らしながらそここで転がることになり、その命を刈られていく。

 

 そして用があるのは一体のゴブリンだ。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、こちらのゴブリンなのですが……」

 

 止めを刺した弓を持っていたゴブリンをゴブリンスレイヤーに見せる。

 

 傷の手当てをされた、鏃の細工を学習したゴブリン。

 

 むう、と喉の奥で唸る彼に内心よし、と頷き探索をする。

 

 これでただの大規模なだけのゴブリンではない、と伝わるからだ。

 

 そして奥の礼拝堂へと至る。

 

「ふん」

 

 ゴブリンスレイヤーの一蹴りで蹴破られた扉から一党が飛び込む。

 

 あるのは記憶通りの掘って作った礼拝堂と石の祭壇、そしてその上に居る"彼女"。

 

 駆け寄り容体を見ると弱くとも確かに息がある。

 

 そしてその焼き印を痛まし気に一撫でし、一党に説明をする。

 

「外なる智恵の神、覚知神の印です」

 

 ふむ、と口元に手を当てて見聞と思索を形作る。

 

「……おそらく、呪われています、神への供物として」

 

「ほう」

 

 ぎょろり、と文字通り首を突っ込んでくるのは蜥蜴僧侶だ。

 

「……解けるか」

 

「ここでもできなくはないですが、落ち着いた環境の方がいいので村に戻った方が……」

 

 そういうことで、場は撤収へと流れた。

 

「小鬼聖騎士……」

 

 ゴブリンスレイヤーの声が一党の耳に重く染み入った。

 

 

 

「どうでした?」

 

「眼は覚めたようだ」

 

 妖精弓手との掛け合いの後に作戦会議に入る。

 

 故郷の山でもそうしていたのか、蒸留酒を瓶ごと雪に埋めてとろりと蜜状にしたそれをだけがつん、と香る。

 

「では、後のゴブリンをどうしましょう」

 

 女神官が口を開く。

 

 倒すか、そのまま帰るか、などと受け取る者はここには居ない。

 

「皿をのけろ」

 

「ほいきた」

 

 蒸し芋を鉱人が頬張り、森人が食器を片付け女神官が布で円卓を吹き清める。

 

「よし」

 

 そうして地図が広げられ、洞窟に墨鋏でくくられた炭でがりがりと×をつける。

 

「あの洞窟が、連中の居住区でなかったことは明白だ」

 

「礼拝堂か何かよね、まだ信じらんないけど」

 

 妖精弓手が、ちびりと葡萄酒を舐めながらつぶやく。

 

「しかし事実でありましょうや。それは認めねばならぬ、となれば……」

 

 蜥蜴僧侶は、シュゥッとしたとともに息を吐き出して目を閉じ、片目を開いて女神官を見やる。

 

 視線が交わり、彼女は頷く。

 

「神官殿はどう思われますかな」

 

「宗教で固められたゴブリン、無くはありません」

 

 ほう、と一同の視線が向く。

 

「邪なる神官や、今回で言えば小鬼聖騎士が儀式を執り行うにあたって、信仰心を少しでも足そうと配下に信仰を強いる、そういう事もありえます」

 

 何せゴブリンは数が多い、木っ端の様な信仰心でもないよりはあった方がいい。

 

 そういった場合、もちろん熱心な信者などは発生しない。

 

 しかし、それでもこれは信仰心の生産でもあり、放置すればゴブリンの教皇軍が発生し、往々にして大惨事に至ることでもある。

 

 自分の記憶でも、軍をもって対処せねばならないレベルのゴブリンの軍勢というものはそれなりに経験はある。

 

「しかし、なりたてで信者を増やそうとすれば宗教者は特に形にこだわります。そうであれば、宗教区画を居住区にはしません。場の特別化というのは初歩的な宗教化ですので。食料なども無かったですし、そもそも三十六匹も住める様子はありませんでした。別の本拠地があるでしょう」

 

 我ながら、と内心ひとりごちる。

 

 かつての未来、教団設立時期を思い出しながら言葉を紡ぐ、思えばあれやこれやと恰好を整えたがったものだ。

 

 宗教者として、言わんとするところが何となく掴める蜥蜴僧侶は深く頷く。

 

 信仰には薄い森人と鉱人は、一党のゴブリン狂いが口をそろえるのであれば、そうなのであろう、そういった様子だ。

 

 ともあれ、場の空気は納得に傾く。

 

「故に、連中の本拠地はここ、だろう」

 

 女神官の言葉を受けてゴブリンスレイヤーは地図の凸印を丸で囲む。

 

「地元民の話では、さらに登った高地に、古代の遺跡があるそうだ」

 

「……十中八九そこでありましょうや」

 

 蜥蜴僧侶が重々しく頷く。

 

「して、どのような?」

 

「鉱人の砦だ」

 

 種族を呼ばわれた鉱人道士が唸り、酒を一口呷る。

 

「神代の、鉱人砦か。正面から城攻めはちと厄介だの。かみきり丸、火でもかけるか?」

 

「燃える水は多少なりあるがな」

 

「あ、私の方も、それなりに、砦一つならなんとなり」

 

 雑嚢を一たたきするゴブリンスレイヤーに中空をくるくると指さす女神官に残りの三人はため息交じりに頷く。

 

 一体何と戦うつもりなのだ、まぁゴブリンだ、と返すのだろうが。

 

「しかし、岩の城だろう。外から火をつけて燃えるとは思えん」

 

「でしたら、中から、ですね火の海にしてから襲い掛かる」

 

 そう、女神官が言葉を継ぎ。

 

「良手かと」

 

 そう蜥蜴僧侶が締める。

 

 鋭利な爪が、地図を這い、行軍ルートを検め、頷く。

 

「古今東西、内に敵を入れた城の末路は、陥落と相場が決まっておりますれば」

 

「では、忍び込みますか」

 

 その女神官の言葉に、ぴこーんと妖精弓手が長耳を大きく立てて身を乗り出した。

 

「潜入ね!」

 

 喜色満面。

 

 うんうんと一人合点して頷いて、それに合わせて長耳が揺れる、揺れる。

 

 しかし、胸元はすがすがしいほどに、揺れない。

 

 ――まぁ、それがいいのですが。

 

 そんなことを思いながら、興の乗って来た彼女に便乗する。

 

「岩山の奥、切り立った高地、聳え立つ砦! 君臨する首魁! 忍び込んで、討つ!

 

 ふふん、と自慢げに拳を振って力説し、ゴブリンスレイヤーへ視線を向ける。

 

「ま、敵が大魔王とかじゃなくて……ゴブリン退治っていうのは、ちょっと違うけどね」

 

「潜入と言うのも、いささか違うがな」

 

 ゴブリンスレイヤーは、息を吐いた。

 

「敵は冒険者の存在を認知している。下手には近づけん」

 

「手ぇあるんかい」

 

 と鉱人道士。

 

「今考えた」

 

 そして、視線がぐるりと二人の聖職者へと向かう。

 

「偽装は協議に反するか?」

 

「さて、某は武略でありますれば」

 

 ぐるりと目を回してこちらを向く。

 

 彼の気遣いを楽しむ目だ。

 

「ゴブリンですし、問題は無いかと」

 

 そう、決断的に見返す。

 

「よし」

 

 そして取り出されるのは禍つ目を模した焼き印であった。

 

「せっかく奴らが手掛かりを残してくれた。のっかってやらん手はない」

 

「ははぁ、なるほど」

 

 我が意を得たり。

 

 ぽん、と分厚い鱗に覆われた手を叩く蜥蜴僧侶。

 

「邪教徒になれ、と。……ふぅむ、良ぉ御座いましょう」

 

 ニタリ、という彼にしては珍しい笑い方、共犯者の笑みだ。

 

「そうだ」

 

「拙僧が邪神に仕える竜人。その従者たる戦士、鉱人の傭兵――……」

 

「じゃ、私は闇人ってとこね!」

 

 妖精弓手が、にこにこと目を細め矛先を女神官へ向ける。

 

「墨を体に塗らなくっちゃ。ね、ね、あなたも付け耳つけない? おそろい!」

 

「……いいかもしれませんね」

 

 さっそく準備しましょう! ときゃいきゃいはしゃぎだす少女達を尻目に、男たちも話し出す。

 

 酒を飲みかわし、小鬼聖騎士へと思索の糸を伸ばす。

 

 そして、忍び込んだあと、どうするか、というところでぎしり、と音が鳴った。

 

 木のきしむ音に、冒険者達は即座に手元の武器を握った。

 

 やがて、軋みは軽い足音になり、階上より階段を下りるに至って、誰かが息を吐いた。

 

「………ゴブリン?」

 

 それは掠れた、粉埃の様な声だった。

 

 会談の手すりに縋るようにして、令嬢剣士が、ゆらり、ゆらりと降りてくる。

 

 その手の刃に、鉱人が目を細めるも、正体を見出せぬ。

 

「…………なら、わたくしも、行く」

 

「ダメよ」

 

 彼女の発言に、まっさきに声を上げたのは妖精弓手だった。

 

「私たちは、あなたの親御さんの依頼で、助けに来たの」

 

 妖精弓手は森人らしい率直さでもって、真っ直ぐに令嬢剣士の瞳を見る。

 

 暗く深い、彼女の様な瞳だと、そう思った。

 

 だからこそ、放ってはおけなかった。

 

「あなたが、もうこれ以上ゴブリンにはまり込むことはないの」

 

 誰に向けて言った言葉なのか、妖精弓手とて、分からない。

 

 そして、帰ってくる言葉も、誰に向けたとて、同じものが返って来たのだろう。

 

「…………そうは、いかない」

 

 ふるり、と。令嬢剣士が首を横に振ると、蜂蜜色の房がきらきらと揺れる。

 

「…………取り戻さないと」

 

 ふと、妖精弓手はどうしようもない無力感に苛まれた。

 

 目の前の少女も、彼も、彼女も、言葉で止める事なんて出来ない。

 

 縋りついても、泣いて乞うても、歩いていく。

 

 そういうモノに、なってしまった。

 

「……何を、ですかな」

 

 静かに、竜人が問うた。

 

「全てを」

 

 夢を。希望を。明日を。貞操を。友人を。仲間を。装備を。剣を。

 

 略奪されたのは、そういったこまごまと言い表しきれぬ、奪われなかったはずの未来全てだ。

 

 それを、復讐で、ただ殺して、取り戻すなんて無理だ。

 

 言うことは、出来る。

 

 しかしそれで、止めることは出来ない。

 

 それで人が止まるなら、あの二人はああなっていない。

 

 それが、しみじみと分るからこそ、森人は止めることができない。

 

 ここで、止めるべきだ、という確信と、それをどうこう出来ぬ歯がゆさと、それらがない交ぜになったまま、ただ推移を見過ごすしか出来ない。

 

「連れて、いきましょう」

 

 研ぎたての鋼の様に凛と光る奈落の様な瞳と視線が交わる。

 

「すぐそこに、怨敵がいる。どこかの誰かが、なんとかかんとか、殺してくれた、らしい」

 

 それで、いいじゃないか。

 

 ぐっすり眠って、故郷に帰って、両親に謝って、それでいいじゃないか。

 

 そう、返したくなる。

 

 叫びたくなる。

 

 でも、わかる。

 

 わかってしまう。

 

 だって、自分だって、もし彼女の立場ならいてもたっても居られないだろう。

 

 姉が無残に犯されたら、殺され――

 

 ――大変だったね、助けてあげるよ、寝てるといい。

 

 どんな親切であれば、自分に力が無いとしても――

 

 ――それは、優しい侮辱だ。

 

 一生、心に残る傷だ。

 

「救われません」

 

 そうなのだろう

 

「きっと、救われません」

 

 貴女も、彼も、そうだったのだろう。

 

 どこかの誰かが、どうにかしてくれたのが、今、そうなっている出発点だったのだろう。

 

 彼ら(復讐者)の側に立てぬ幸福が、歯がゆく、悲しい。

 

「…………自分も、行く」

 

 はらはらと切られて舞う金糸に、へたりこみ、泣きたくなった。

 

 

 

 

 

「《呼気》の術が封じてある指輪だ」

 

 そう言って幾つかの指輪が檻の床に放られる。

 

 魔女の手によるものだ。

 

――それにしたって、もうちょっとこう。

 

 せっかくの、指輪なのだ。

 

 彼がくれた、初めての指輪なのだ。

 

 自分が、そう思うのは、多分、きっと、仕方ないのだと思う。

 

 それで、ふと、思いだした。

 

 かつて未来で行った戦いと、この指輪。

 

 ピタリ、と歯車があったような感覚。

 

「……どうした?」

 

「いえ、ついて一段落したら説明します」

 

「そうか」

 

 幸い、指輪の数はそれなりにある。

 

 楽しい、ゴブリン退治になる。

 

 暗い愉悦に浸りながら、檻は砦へ進んでいく。

 

 

 

 

 

「ぅあああああああああっ!!!」

 

 格子の留め金が外され、令嬢剣士が飛び出る。

 

 その首筋の焼き印はすでにただの焼き印となり、呪いの用をなしていない。

 

 それを、檻から出てきた女神官は淡々と見やる。

 

 かつては迂闊に近づき、手傷をわずかなりと負ってしまったが、今回は大丈夫だ。

 

 吠え狂い、獣のように小鬼僧侶を殴りつける令嬢剣士。

 

 それでいい、と思う。

 

 そうでなくてはならない、と思う。

 

 吠え、猛り、怨敵の息の根を止める。

 

 そうすることでしか、腹の虫が収まらない、そういことは、ある。

 

 よくよく分かっていたから、するままにさせた。

 

 外へと仲間を呼ぼうとしたゴブリンは彼が始末した。

 

 しかし、その外の見回りのゴブリンが近づいてくる。

 

 であれば、かつての様に偽装が必要である。

 

「悲鳴を、上げます」

 

「成程」

 

「頼みます」

 

「えっ!?」

 

「い、いやああっ! やめてえぇええええぇえぇえっ!!」

 

 聖職者は良く読経をする、それはつまり喉が鍛えられているということだ。

 

 ゆえに、地上にも確かに届き、見回りをごまかすことに成功する。

 

「……まあ、予想はできたな」

 

「ええ」

 

 そう言って降りてきたゴブリンスレイヤーを迎える。

 

「では、先ほど道中で思いついたのですが」

 

「ほう、妙案が?」

 

 妖精弓手が令嬢剣士を小鬼僧侶から引きはがすのを尻目に思いだした作戦を伝える。

 

「ふうむ、わかる、わかるがの、そらちっと、なぁ……ええい、これっきりじゃぞ!?」

 

 嫌な仕事をさせる、それは術師として重々わかって、その上で頭を下げて頼んで来た少女を拒むほど鉱人は度量が狭くない。

 

「ありがとうございます……ごめんなさい」

 

 心底ほっとした様子で、またすまなそうに謝る少女にぱたぱたと手を振り、捕虜の生存者を探す。

 

 作戦通りと行けば、自分と竜人と森人はもうほとんどすることは無い。

 

 武器庫を潰し、捕虜の治療と連れての脱出、あとは細工を一つだけ。

 

 後は、復讐者の3人が事を成す。

 

 小鬼の野望が潰えるだけの話なのだ。

 

 

 

 

 

 錆びついたラッパのきしむように耳鳴りな音が、朗々と城址に響き渡った。

 

「形にとらわれる、か」

 

「神官殿の読み通りでしたな」

 

 滑稽なまでに威厳たっぷりの足取り。

 

 薄汚れた鉄兜。全身を覆うのは継ぎ接ぎの鉄鎧。

 

 小鬼聖騎士はガラクタと死体の寄せ集めの椅子に座り、己の兵団を睥睨する。

 

 叙勲式、今になってそれが執り行われるのは、おそらくその知識が外なる神ではなく、令嬢剣士の仲間であった知識神の神官から得たモノであろう。

 

 そして失われた贄がこの城址に戻って儀式の歯車は回り始めたのだろう。

 

 若干の論理の飛躍はあるような気がしたが、確かに彼女の言う通り事態は進行している。

 

「では、手筈通りに」

 

 そう健闘を祈るべく合掌した蜥蜴僧侶と共に鉱人と森人も捕虜を脱出させるべく影のように駆けていく。

 

「いくぞ」

 

 そういってゴブリンスレイヤーも女神官と令嬢剣士を連れて走る。

 

 目指すは門の上、開閉装置だ。

 

 

 

 小鬼僧侶も、贄も来ない。

 

「ORARARAGAGA!!」

 

 ゴブリンが叫び、ざわめきがさらに大きくなる。

 

「IRAGARAU!」

 

 小鬼聖騎士が奇っ怪な祝詞をあげるも、呪いは既に解かれている。

 

 それで、何か自分にとって不味い事態が進行している、そう感得したのだろう。

 

 小鬼聖騎士はふと、そらを見上げた。

 

 そこからは、偶然か、必然か、正門の上が目に入った。

 

 そこには、周囲を伺い警戒する鎧の只人の男と贄の女が二人。

 

 そして、一人の女の手から雷光が迸り、城門の開閉装置を焼き払った。

 

 鎧の男と、小鬼聖騎士の視線が交わる。

 

 次の瞬間。

 

「ORAGARAGARAGARA!!!」

 

「防げ!」

 

 小鬼聖騎士の号令一下、ゴブリンどもは嫌になるほど見事な動きで弓に矢を番え、放つ。

 

 しかし、もとより上への射撃、しかも鏃の固定が緩いとなれば、三人が掲げた木の板で作った急造の大盾でも十二分に防護の用をなす。

 

 大盾の便利なところは自分の手で掲げずとも立てられるところにある。

 

「さて、これを四方八方、もちろん城の内側に、特にあの兵の固まっているところには念入りに」

 

「分かった」

 

 床に並べられたのは燃える水の入った瓶。

 

 どこにこれほど、と事情を知らぬ令嬢剣士が現状を忘れて疑問に思う程の量がそこにはあった。

 

 そのうちの一つ、何やら魔法がかかっている様子の一瓶を腰に収めた女神官はテキパキとゴブリンスレイヤーと共に燃える水の入った瓶を投げ散らす。

 

 女神官の方はただの燃える水ではなく、更に凶悪に燃焼のための調合がなされた英知の火油であるが、まき散らす分にはさして変わらない。

 

 三人がかりであれば一通り見渡す限りに油をまくのはそう時間のかかることではなかった。

 

「後は、仕掛けが動くまで時間を稼ぐ」

 

「はい、ではこれを」

 

 そう差し出されたのは煌々と燃える炎を宿した松明だ。

 

 そして不安げに周囲を見回す。

 

「急造の砦で、籠城の、持久戦」

 

 令嬢剣士の言う通り、そこは砦であった。

 

「そうだ」

 

 開閉装置へ至る道は一つであり、中庭に向く大盾は防壁、道をふさぐのは横たえた扉や逆茂木代わりの椅子などで構築された防陣だ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 それが女教皇の《聖壁》で覆われれば、金剛不壊の城塞となる。

 

 小鬼聖騎士の指示によって攻め上がるゴブリン共もゴブリンスレイヤーたちの投石にもんどりうって倒れる。

 

 砦の中に、迎撃用の石なりなんなりを置いておくのは常道だ。それなりに残弾はある。

 

「GAGARARAGA!!」

 

「さあ、稼ぎましょう、時を」

 

 時間は、こちらの味方なのだから。

 

 

 

 

 

 その小鬼は、その三人を見つけた。

 

 騒ぎに乗じて地下牢へと向かう蜥蜴僧侶達だ。

 

 いや、わかりやすく音が立っていた。

 

 小鬼は彼らに見つけさせられたのだ。

 

 しかしそんなことに思い至ることもなく、己の優秀さと幸運を自尊し、小鬼は追いかける。

 

「しまった!! 見つかったぞ!!」

 

「最悪!!」

 

 途中、鉱人と森人がそう悲鳴を上げ、さらに気を良くする。他人の悲鳴は小鬼にとって美酒であるからだ。

 

「《土精や土精、風よけ水よけしっかり固めて守っておくれ》!」

 

 地下牢へ逃げ込む直前に、そう鉱人が唱えて何やら床に投げつけるともりもりと土壁が盛り上がり道をふさぐ。

 

 しかし、それとて所詮は土の壁、ゴブリンに掘れぬ道理はない。

 

 ニタリと邪悪な笑みを浮かべたゴブリン仲間を呼び、改めて土壁にとりついた。

 

 

 

 

 

 「さあて、これっきり、これっきりじゃから堪忍しておくれ!」

 

 そう悲鳴を上げるような声色で、鉱人が油を撒いた地下牢に火を点ける。

 

 《隧道》の術で他の者は既に退去している。

 

 これから使う術は、本来であればそこまで精神をすり減らすものではない。

 

 だが、そののちに起こることを考えれば、気は重くなる。

 

「《踊れや踊れ、火蜥蜴。来たりて存分に踊っておくれ》」

 

 そうして、締め切った部屋で、あえて火蜥蜴を呼んで火を点けた。

 

 

 

 

 

 もう少し、もう少しだ。

 

 小鬼たちは喜悦と共に土を掘る。

 

 蜥蜴人の肉は食ったことが無い、森人は犯しがいがある、ついでに死に掛けどもも食ってしまうのもいい。

 

 欲望に忠実で、利己的なゴブリンらしい思考だ。

 

 掘って、掘って、掘り抜いて。

 

 一番乗り、と思ったそのゴブリンは、炎と目が合った。

 

 

 

 

 

 火蜥蜴は飢えていた。

 

 油、大気、呼び出されて、燃やせるものはすべて燃やした。

 

 燃やして、燃やして、燃やすものが無くなって、でも燃やしたくて

 

 飢えて、飢えて、飢えて

 

 何か、振動が

 

 誰かが近づいている

 

 飢えて、飢えて、だから狂った火蜥蜴は、そちらに吸い寄せられるように向かう。

 

 それは静かで、壁の向こうの小鬼は知りえぬ現象の前段階。

 

 火災現場で往々にして発生しうるそれを。

 

 バックドラフト、と呼ぶ。

 

 

 

 

 

 三人がかりの防衛戦は、安定していた。

 

 なまなかな威力で女教皇の《聖壁》を崩すことも出来ず、柵にとりつこうとしても前衛二人のいい的である。

 

 しかし、それでも限界はある。

 

「GAGARARARA!!」

 

 ここだけを見れば、時間はゴブリン共に味方をしており、三人の命脈は何時尽きるともわからぬ。

 

 勝利を確信して小鬼聖騎士の声に力がこもるのも当然である。

 

 しかし、戦場はここだけではなく、時を待つのは三人も同じであった。

 

 ドンッ、という轟音と共に火柱が噴き出す。

 

 思いもよらぬ方角からの爆音に、小鬼たちの足並みが乱れ、戸惑いの声が起こる。

 

 火が、走り、跳び、鳴いたからだ。

 

「SALALALAAA!!」

 

 地底から這い出た狂える火精が歓喜の声を上げた。

 

 酸素も十分、そしておあつらえ向きのように、燃やすものには事欠かない。

 

 そして、眼の間に一つの瓶が投げ込まれた。

 

 潤沢な火の力を内包するソレに火蜥蜴は吸い込まれるように飛びつき、かみ砕いた。

 

 ――爆発

 

 女神官の手から投じられたその瓶はその体積以上の油を内包するものであった。

 

「さあ、燃やしなさい」

 

 爆発の中から生まれた火蜥蜴は巨大に成長していた。

 

 精々が人の腕程度の大きさだったそれが、今はもう蜥蜴僧侶ほどもある巨躯、さながら小さな火竜といった威容だ。

 

 その煮えたぎった油を吹きかける炎の吐息で、爪で、尾で広場のゴブリン達は無造作に火だるまにされていく。

 

 城中に巻かれた油はそこここで燃え上がり、三人を追い立てるだけであった小鬼たちは窮地に立たされた。

 

 だが、抗うのが騎士である。

 

 神の与える艱難辛苦を乗り越えてこその聖騎士である。

 

 まして、この城の兵たちは、聖騎士の軍である。

 

「IRAGARAU!」

 

 祝詞を唱え、剣を掲げ、兵の心を奮い立たせる小鬼聖騎士の姿は、まさに勇者のそれであった。

 

 落ち着きを取り戻した小鬼たちは、武器を構える。

 

「SASASALLLLAAA!!」

 

 

 地底から這い出た邪悪な狂える火竜。

 

 

 獰猛な狂気の瞳、吐く息は燃え滾り、その爪牙は何人たりとも焼き貫き、煮えたぎる尾は敵を焼きつぶす。

 

 

 対するは小鬼聖騎士。

 

 

 薄汚れた鉄兜。全身を覆うのは継ぎ接ぎの鉄鎧。カーテンのマントは脱ぎ去り、手に閃くは軽銀の剣。

 

 魔剣、聖剣の類ではない。

 

 されど勇者が振るうに相応しい名剣。

 

 そして後ろには付き従う小鬼の軍隊。

 

 今、邪竜を討伐せんと、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 

 

「……すごい」

 

 ぽつり、とその地獄絵図を見て令嬢剣士がもらした。

 

 見渡す限りの火の海と、それでもまだなお戦い火蜥蜴を倒さんとする小鬼聖騎士軍。

 

 無論、それに参加しないゴブリンも居る。

 

 それを、ゴブリンスレイヤー達三人は当たるを幸い殺して回っている。

 

 三人の体は燐光で覆われている。女神官による纏う形式の《聖壁》である。

 

 そして呼吸は指に光る指輪の《呼気》が確保している。

 

 ――四方を壁で囲み、火を放ち、しかる後に耐火装備で突入、制圧する。

 

 かつて未来で聞いたウィッチハンターの戦い方であり、私の軍の突入戦での戦法の一つだ。

 

 城も、街も、後を統治する気が無ければ、これが一番自軍の損害が少ない。

 

 こうなれば火の海でもだえ苦しむゴブリンを殺すだけであり、難しいことはさしてない。

 

「~♪」

 

 ゴブリンが立ち向かってくる、殺す。

 

 ゴブリンが命乞いをする、殺す。

 

 ゴブリンが逃げる、殺す。

 

 ゴブリンが隠れる、殺す。

 

 ゴブリンがただだた死んでいく。

 

 ゴブリンの焼ける臭い。

 

 ゴブリンの苦悶の声。

 

 ゴブリンの断末魔、

 

 焼けて崩れていく城。

 

 手には彼から貰った指輪。

 

 それが、血と炎でてらてらと光り、とてもきれいだ。

 

 それだけで、いつもよりもずっと楽しい。

 

 

 

 

 

 何匹死んだか、わからない。

 

 《狂奔》と《抗魔》の重ね掛けがなされた軍勢は火蜥蜴との戦争を一方的な虐殺からまっとうな戦いのレベルにまで状況を拮抗させていた。

 

 何匹も、吹きかけてくる火の息で火だるまにされた。

 

 何匹も、振るわれる爪で焼き切られた。

 

 何匹も、踊り狂う尻尾で吹き飛ばされた。

 

 しかし、相手も弱っている。

 

 どだいそもそも極寒の山地、氷精の踊り舞う場所であって、火蜥蜴にとっては場違いはなはだしい。

 

 加えて軍勢の力押しは、女神官によって補強された余力を吐き出すだけの物量があった。

 

「IRAGARAU!」

 

 そして、祝詞を叫んで突っ込んで来た小鬼聖騎士の唐竹割りによって、火蜥蜴は斬り散らされた。

 

 もはや立っている者は小鬼聖騎士だけといった有様だ。

 

 彼とて、どさり、と腰を落とす。

 

 剣すら投げ出し、疲労困憊といった様子。

 

 それほどの激戦であったのだ。

 

 ささやかに降り注ぐ雪が、わずかばかりとはいえ、聖騎士を慰撫するかのようであった。

 

 そして、降り注ぐものが増えた。

 

 拍手だ。

 

 枯葉の様な、ぱらぱらとした、感情の籠らぬそれが、聖騎士に向けられていた。

 

 いや、その拍手の主に対して敬愛の念を持っていれば、天使の羽根が降り注ぐ情景を見ることができたかもしれない。

 

 

 

「――見事」

 

 

 

 やや上段に位置どるのは、三人の只人であった。

 

 男が一、女が二。

 

 錫杖を肩にかけた女が、ぱん、ぱん、と乾いた拍手をしている。

 

 戸惑い気に、もう一人の女がそちらへ視線を向ける。

 

「貴方は、兵を率い、自ら先頭に立ち、貴方の城に押し入った火竜を討滅しました、それはまさしく、勇者の行いです」

 

 ぴたり、と拍手が止む。

 

 そこから紡がれる言葉を、小鬼聖騎士は理解できて、理解できなかった。

 

 意向は理解できた、言語としては理解できなかった。

 

 遥か彼方のかつての未来、誰もが知る言葉を、女教皇は当然のように告げたからだ。

 

 それは、血が静かに滴るような、花が散るような、風が流れる様な声であった。

 

 女の口から、死が洩れた。

 

 

「ともあれ、ゴブリンは滅ぶべきであると考える次第である」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十六話

 

 その言葉を聞いて、聖騎士は確信した。

 

ーー殺さねばらない。

 

 あれは絶望である。

 

 あれは悪逆である。

 

 あれは災厄である。

 

 あれは死である。

 

 人の形をした、無機質でありながら怒りと憎しみを宿した病魔だ。

 

 何をおいてもここで殺さねばらならない。

 

 己の命を賭しても。

 

 己は、浅はかであった。

 

 神の声を聞き、知恵を得て、奇跡を使い、ほかの凡百のゴブリンとは隔絶した存在であると、そう思っていた。

 

 鉄装備のゴブリンの軍隊を組織して自分の王国を作る、そう思っていた。

 

 違うのだ。

 

 全てはこのためであった。

 

 あの目の前の災厄を討ち果たさんがために、これまでの全てはあったのだ。

 

 今討ち果たしたあの火の化け物も、アレの差し向けたものであろう。

 

 理論としては破綻しており、しかし、正鵠を射貫いた確信が聖騎士の脳裏を貫いていた。

 

 それは神に仕えるもの、神の恩寵厚き者の思考であり、直感であった。

 

 鍛え上げた鋼に憎しみの炎を焼き付けたような男、災厄を人の形に押し固めた様な女、その前にいるかつて自分が陵辱した娘。

 

 鎧は炎の中では枷であり、すでに脱ぎ捨てている。

 

 刃も盾も、敵を斬るよりも己の手を焼いていたため投げ捨てた。

 

 軽銀はよく熱を通すからだ。

 

 だが、それでも殺さねばならぬ。

 

 故に、落ちていた石をつかみ取った。

 

 ずしりとした石の重み。

 

 拳よりも大きく、重く、固い。

 

 これを頭蓋に打ち付ければ、どのような人間であれ、死に至る。

 

 そういった凶器だ。

 

 それを、聖騎士は天に掲げるように振り上げ、鳴いた。

 

「GOOARAOORAAOOGA!!」

 

 その動作に、先のような戦術的な意味はなかった。

 

 だが、宗教的な意味はあった。

 

 あえてその叫びに、秩序の者の言葉を当てるのであれば、それはおそらく。

 

 神よ照覧あれ、そういうものであったであろう。

 

 ゴブリンスレイヤーは武器を構え、女神官は錫杖を構える。

 

 そして、しゃん、と錫杖がなる。

 

「行きなさい」

 

 引き絞られた弓から放たれる者がいた。

 

「あああああああああああっ!」

 

 令嬢剣士である。

 

 

 

 時はしばし遡る。

 

 火蜥蜴と聖騎士率いる軍勢との戦いは蹂躙から拮抗、そして逆転へと戦況を変えていった。

「貴女が、殺すんです」

 

「え?」

 

 改めて差し出された松明に、虚を突かれた声を上げる。

 

 目の前にある柄を、まるで焼けた鉄串を差し出されたように手を引っ込める。

 

 あれと、殺し合え、ということだ。

 

 おそらくは、一人で。

 

「よろしいですよね、ゴブリンスレイヤーさん」

 

 助けを求めるように男の方を向いても言葉少なに女神官の言葉に頷くだけだ。

 

「な、なんで」

 

 後ずさり、首をふるふると振る。

 

 負けて、汚されて、今ここにいて。

 

 でも、また負けるのは怖い。

 

 死ぬのだって、怖い。

 

「復讐しなさい」

 

「ひっ」

 

 死者の群れを、見た。

 

 女神官の後ろに、誰も彼もが地獄の底へ一番乗りで駆けていきそうな憎しみの火をその目に宿した人々を、見た。

 

 満足そうに、穏やかな笑みを浮かべ死へ向かう人の群れ。

 

 あれに、加われ、ということか。

 

「武器を取り、雄叫びを上げ、相手に死を振り下ろしなさい。」

 

 それは神の教えを授けるかのような静かな、しかし魂に焼き付けるような強さがあった。

 

「武器がなくなれば、拳を固めて殴りなさい、蹴りなさい」

 

 ゴブリンが焼け落ちていく。

 

「拳が砕ければ、噛み付きなさい、歯が抜け落ちたなら、頭突きを自分の目玉を相手の鼻の中に放り込むつもりでねじ込んでやりなさい」

 

 それでも武器を振るい叱咤する小鬼聖騎士が見える。

 

 それをあざ笑うかのように火蜥蜴がゴブリンをその怒りのままに殺していく。

 

 これ、を作ったのは目の前の少女だ。

 

「頭の鉢が割れたら、後は目です。睨み付けてやりなさい、一生の安眠を奪うほど、魂に傷をつけるぐらい睨みなさい」

 

 そして、改めて松明が差し出される。

 

「魂の一片まで使い果たして、ゴブリンから奪い尽くしなさい」

 

 取り憑かれたような、不気味に凪いだ心で手を伸ばし、松明を受け取る。

 

 ずしりとした木の重み。

 

 腕よりも長く、重く、固い。

 

 これを頭蓋に打ち付ければ、どのようなゴブリンであれ、死に至る。

 

 そういった凶器だ。

 

 それを、令嬢剣士は胸に抱いた。

 

「これ」

 

「もう少し、待ちましょう、おそらく火蜥蜴は倒されます」

 

 女神官の見立ては確かであろう。戦況は明らかであった。

 

「そして、殺しなさい」

 

 天の底の虚空に浮かぶ暗闇のような目であった。

 

 知れず、松明をギュッ、と握りしめる。

 

 なぜ、そうしなければならないか。

 

 それは、わかる。

 

 おそらくは、この全ては。

 

 自分が、復讐を成し遂げることができるように。

 

 そのためだけに、整えられた場なのだ。

 

 女神官は静かに語りかける、それをゴブリンスレイヤーは静かに聞く。

 

「幸せに上下があるとすれば、恐らく、これは最低も最低、下の下でしょう」

 

 だが、それでも

 

「己の怨敵を、己の手で縊り殺す、でもそれは、私たちにとってささやかな、そして得がたい幸せなのです」

 

 仇はゴブリン。

 

 となれば己の手で復讐を遂げる、それ自体非常に難しい。

 

 どこかで、誰かが、そのうちどうにかして殺してしまうからだ。

 

 彼も、自分も、己の手で殺したくてたまらないモノを殺し損ねた。

 

 もし、あの時、殺すことができていたならば、少しも違ったのだろうか。

 

 もう骰子の目は出てしまって、彼も自分もこう成り果てた後だ。

 

 だからこそ、見たい。

 

 己の手で復讐を果たして、一区切りつけることのできた人の歩む先を。

 

 倒錯した価値観かもしれない。

 

 だが、その根底にある情は、間違いなく善意と慈悲であった。

 

「もし、私が負けてしまったら」

 

「大丈夫です」

 

 ぎゅう、と言葉と共に抱きしめられる。

 

 それは、母に抱かれるよりも心が溶けそうな慈愛と寛容であった。

 

 それは、確約であった。

 

「貴女が死んでも、大丈夫です、必ず殺します」

 

 そのただただ誠実で真摯な言葉は毒である。

 

「あ……」

 

「絶対に、どこまでも追い詰めて殺します」

 

 後先なんか考えなくていい。

 

 それは、全部請け負う。

 

 貴女は全て投げ出して、目の前の復讐に専念していい。

 

 復讐が成し遂げられるかの成否すらおいて、囚われていい。

 

 なぜなら、自分が、自分たちが絶対に殺すからだ。

 

 だから

 

 

 お前は死んでもいい。

 

 

 ああ! なんていうことだろう!

 

 その無情な字面に、おぞましいほどの寛容を感じるなんて!

 

 その言葉は、驚くほどに令嬢剣士の心を軽くした。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 そう告げて、静かな鋼のような光を宿した令嬢剣士は、何も言わず眼下の戦場を見つめだした。

 

 それを見て、ゴブリンスレイヤーは思う。

 

 本来であれば、倒錯した話だ。

 

 情義倫理の話で言えば、邪悪だ外道だと唾棄されても文句はない。

 

 自分なり、女神官の手で、あるいは二人がかりで炎にまかれ、疲弊した小鬼聖騎士を討つ、それが確実だろう。

 

 だが、これは復讐だ。

 

 幼い自分に、どこかの誰かが手に刃を渡し、目の前に姉を使いつぶしたゴブリンどもを置いてくれて。

 

 ーーお前が殺せ、お前が死んでもゴブリンは殺してやるから安心しろ。

 

 そう言われて、刃を握らぬ選択肢はない。

 

 そうお膳立てをしてくれた者に、感謝をせぬはずがない。

 

 自分もそうだ、おそらく彼女達もそうなのだろう。

 

 復讐に魂を浸されるというのは、そういうことだ。

 

 

 

 

「あああああああああっ!」

 

 怒りの炎と、鋼の切っ先のようにギラついた決意。

 

 衝動に追い立てられたその松明の軌道は拙く、荒い。

 

 刃のついていない物で相手を撲殺するのであれば、当てればいいという話ではない。

 

 人型であれば、大体拳一つ分程奥に、殺意と共に打撃をねじ込まねばならない。

 

 それが、当てるのではなく打ち殺す打法。

 

 打ち込む殺意

 

 だが、それをくらってやる筋合いはゴブリンにもない。

 

 避ける動きはそのまま振りかぶる動きとなり、女の頭へ石が振り下ろされる。

 

「ああああああああっ!」

 

「GAROA!?」

 

 しかし、更に女が踏み込んでくる。

 

 体当たり。

 

 敵の狙い澄まされた打撃は効果が激減し、体重のそう変わらない二本足同士の戦いにおいて、体をぶつける事によるはね飛ばしの有用性は言うまでも無い。

 

 刃物無しの殴り殺し合いにおいて、大事なのは相手の体制を崩し、そこに一撃を見舞う事だ。

 

「ふぅっ!!」

 

「GAA!!」

 

 ギュルリ、と体の芯から回すような横薙ぎ、それが相手の脇腹をかすめる。

 

 だが、攻撃性においてはゴブリンの本能もまた侮れない。

 

 投げつけるようなオーバーハンドからの石の打ち下ろし。

 

「IRAGARAU!」

 

「しぃぇっあっ!!」

 

 鉄兜をつけていてなお致命傷に至るであろう祈りを込めた一撃を、積み上げた鍛錬による切り返しで迎撃する。

 

 木は爆ぜ、石は飛んだ。

 

 互いに無手。

 

 ゴブリンは蛮声をあげて、拳を振るった。

 

 女は目を見開き歯を食いしばり、拳を振るった。

 

 どちらの何の骨が折れたのか、それはどちらも知る余裕など無いだろう。

 

 フェイントや様子見など無い、ただただ相手への殺意と憎悪を己の肉体によって出力するだけのぶつけ合い。

 

 ゴブリンの拳が血に塗れる。女の美貌は見る影もない。

 

 女の拳が殴り崩れる。ゴブリンの体も痣だらけだ。

 

 おおよそ、路地裏の野良猫の喧嘩のように、見苦しさしかないような、だがどちらも骨の髄から本気の争いだ。

 

 だからこそ、その殴り合いが終わるのは唐突だ。

 

「ORAGAA!!」

 

「ぐっ、ぼっ!」

 

 腹に一発、そして顔面にも一発、それで女は殴り倒された。

 

 常であれば、ゴブリンは余勢を駆るように女に馬乗りになり、死ぬまで殴りつけて、さらには犯しもしたであろう。

 

 だが、ゴブリンは聖騎士であった。

 

 こちらの死闘をのうのうと観覧していた女を見上げる。

 

 水面の中の魚の喧嘩を見るような目でこちらを見下ろしている。

 

 手近にあった石を拾い上げ、一歩を踏み出す。

 

 鎧の男が合図もなく武器を構え、立ちはだかる。

 

 いいだろう、やってやる。

 

 聖騎士の体は、ゴブリンではわからない、何かに突き動かされていた。

 

 

 しゃん

 

 

 信仰心、あるいは使命感と呼んで良いかもしれないそれをもって突撃しようとした時、錫杖が鳴らされた。

 

「立ちなさい」

 

 淡々としたよく通る声であった。

 

 命ずる声であった。

 

「貴女は、生きています」

 

 その言葉は、立っている者に向けた者ではなかった。

 

「貴女の怨敵も生きています」

 

 それは、ごくごく当然のことを、まるで、ご飯を食べないと飢えて死んでしまいますよ、と教え、告げるような口調であった。

 

「そのまま蹲って、殺してもらって、どの面下げて、どうします?」

 

 聖騎士の後ろで、立ち上がる音があった。

 

 信じられない、薄ら寒い心地で、聖騎士は振り返った。

 

「立って、殺しなさい」

 

 幽鬼がいた

 

 復讐者がいた

 

 災厄の病にかかった残骸がいた

 

 女が、突っ込んできた。

 

「うぁあああああああああああああぁ!!」

 

「OGAGARA!!」

 

 腰に突っ込むようなタックルを受けて、地面に倒れる。

 

 これは、殺さないと止まらない。

 

 首を折って、心臓を刺して、決定的に殺めない限り、止まらない。

 

 そんな、モノだ。

 

 あの女の業だ。

 

 こんなものを、作り上げる女が尋常なものであるはずがない。

 

 殺さなければならない、誰も彼も。

 

 まずは、この女を。

 

 そんな、使命感がなければ、聖騎士が死ぬことはなかったであろう。

 

 なさねばならぬ大望などに意識を割いて、喉に軽銀の短剣が刺さることはなかっただろう。

 

「GAO! GOGA!」

 

 しかし、死ぬ。喉を突き殺されて、死なぬゴブリンはいない。

 

 痙攣し、穴という穴から糞尿を垂れ流し、死んだ。

 

 復讐の達成だ。

 

 そうして、聖騎士であったゴブリンの死体を見て、膝をついた女は、天を見上げた。

 

「あぁ」

 

 そう、産まれ直すかのように、令嬢剣士は息を吸った。

 

 感情は、置き去りにされたまま、ふらふらと立ち上がり、火蜥蜴が討たれた場所へ向かう。

 

 剣、己の剣。

 

 それを、手が焼けるのもかまわず持ち上げ、天にかざす。

 

 知れず、涙が流れた。

 

 仲間が死に、貞操も失い。

 

 手には剣だけがある。

 

 己の手によるちっぽけだけれど、確かな奪還。

 

 細やかな救いを残して復讐の熱は、既に去っていた。

 

 

 

 

 

「それでは、また、いずれ」

 

 令嬢剣士の目には力があった。

 

 首の跡も、女教皇の技量故か、いずれ消えるだろう。

 

 それでも、消えないモノの方が多いだろう。

 

 失うということは、そういうものだ。

 

 それでも、立ち上がって人は歩くことができる。

 

 手紙の約束も胸に秘め、凜と胸を張って故郷へ戻る彼女を一党は見送る。

 

 気づけば新年。

 

 彼女の新たなる門出に幸多からんことを、と女神官は祈った。

 

「まぁ、なんとかするだろさ」

 

「勝敗は戦う者の常なれば、折れず歩けば続きましょう」

 

 くい、と酒を一あおりしながら、鉱人が言う。

 

 人生とは戦いであり、晴れも曇りもなんともならず。

 

 それでも続いていれば、良くなるかもしらず。

 

 須く今の次は決まっていない。

 

「~♪」

 

「どうしたの?」

 

 珍しく鼻歌をする女神官に、不思議そうな目を森人が向ける。

 

「すこし、嬉しくて」

 

 大して何かを変えられたということは無いのかも知れない。

 

 でも、颯爽と歩いて去って行く彼女を見ることができたのはほんの少し、誇らしかった。

 

「……」

 

 その後姿をゴブリンスレイヤーは何も言わず眺めていた。

 

 



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幕間 神官の資質

 

「今、時間はあるか?」

 

「はい?」

 

 きょと、きょと、と後輩神官は当たりを見渡した。

 

 目の前には新人だってしないような使い古された薄汚い装備の男。

 

 ゴブリンスレイヤーである。

 

 ちょい、ちょい、と自分の顔を指さす。

 

「私、先輩じゃないですよ」

 

「お前に用がある」

 

 簡潔な返答。

 

 ――じゃあ、何でだろう

 

 世話にはなっている相手で、知らない相手でもない。

 

 だが、唐突な話である。

 

「ん……時間はあります、どういったご用でしょう?」

 

 とりあえず、軽く乗ってみることにする。

 

 まぁ無体はされまい、そう思いながらも無意識に剣の柄を一撫でする。

 

「話を、聞かせてほしい」

 

 そう言って、ついてこい、と言わんばかりに無造作に歩き出す。

 

 着いて行っても行かなくても、文句は言わないだろう。

 

 でも、心細く、来て欲しそうに見えた。

 

 それは、なんとなく分かった。

 

 

 

 

 

「それで、こんなとこで、何を聞きたいんですか?」

 

 酒場の、個室、しかも冒険者ギルドとは別の酒場の奥も奥。

 

 部屋には呼び鈴があって、それを鳴らさない事には給仕も来ないような一室。

 

 無造作に使われている明かりだって魔法の物。

 

 自分たちの一党ではそうそう来ることのできない価格帯(グレード)だ。

 

「好きに頼め」

 

 おごり、らしい。

 

 ちろり、と目を向ける。

 

 散々飲み食いしたんだから嫌とは……なんて人ではない。

 

「……どうした?」

 

 根っこがそもそもいい人なのだろう。内心頷きメニューを手に取る。

 

「んじゃ遠慮無く、ん、東の鉱人の国の酒と、これと、これと、あーこれも」

 

 ばっ、と目についたメニューを思うがままに伝法に頼み、ちらりと対面の男を見ると「それと、エール」とだけ簡潔に呼びつけた給仕に伝える。

 

 一通り、メニューが並ぶ。

 

 鉱人の酒には豪華にごろりと丸い氷が浮かび、出される料理もおしゃれに並べられている。

 きれいに並んだローストビーフにはとろりとした漆黒のソース、金の衣をまとったエビフライには雪化粧をした山のようなタルタルソースが添えられている。

 

「それで、何の話でしょうか」

 

 そう言いつつも頭の中に浮かぶ顔は決まっている。というか他の人間の名前を出されても驚く。

 

「あ、先に行っておきますが先輩のについては教えられないことは教えられませんよ」

 

 キンキンに冷えたお酒をくぴり、カッと熱くなる喉。

 

 後輩神官の言葉にゴブリンスレイヤーは「それで構わない」と頷く。

 

「んじゃ、私が話していいかなー、ってラインでしたら、ある程度は」

 

 助かる、と顎に手を当てるようにゴブリンスレイヤーは思索する。

 

 出てきた質問は月並みな物だ。

 

「お前にとってあいつは、どういった先輩だ?」

 

「そうですねぇ、面倒見の良い、温和な人? ただまぁ冒険者になってか、なんか、こう、凄みというか、そういうのはありますね」

 

 布のような薄く切られたローストビーフをもぐもぐと噛む、肉汁がソースと絡まって口の中で肉の華が咲く。

 

 うまい。

 

「そもそも、私らはお互い孤児院以前の事は詮索しない不文律なんです、冒険者だってそうでしょ?」

 

 そうだな、と頷く。

 

 何かあって、孤児院にいるのだ、冒険者になるのだ。

 

 自分のように、彼女たちのように。

 

 わけて、そういった者達が集団生活している孤児院で自然と己の境遇を明かさない土壌ができあがる事に不思議はない。

 

「だからまぁ、最近の振る舞いで言えばゴブリン憎しってのは、あぁ、そういう事あったんだろうなぁ……ぐらいですか。孤児院でゴブリンゴブリン言うわけにも行かないでしょうし」

 

 エビフライをざくり、衣の食感、エビの身のプリプリ感、タルタルソースの食感も一級品揃いだ。

 

「ただまぁ、そうですね神官の適正、ですかそういうのが高いのは……うーん」

 

 これはまぁ、一概には言えないのですが。と前置きしつつ口の中を酒で洗い流す。

 

「私たちは祈りを、こう、天上の神様に捧げて、それでもって奇跡を起こします」

 

 すっごい疲れるんですよ、と言うも、そうか、と実感はなさげだ。

 

 とまれ純戦士に理解を求めるものでもない、と気にせず話を続ける。

 

「多くの奇跡を起こすことができる者、というのは、ごく定型的な言い方をすれば“才能がある”者となります。では、才能とは何でしょう」

 

 ふむ、と腕を組んで考える。

 

 剣や槍の才能で考える。

 

 武具を振るう者で、優れている者、才能に恵まれている者、と言えば筋骨に優れ、またよい目を持っている者だったり、流派によっては技の組み立ての構築力といった思考速度なども挙げられるだろう。

 

「私たちは、多かれ少なかれ、経緯はともあれ切り捨てられた側なのです」

 

「だから等しく見ていてくれる天上への神への信仰心はひときわ強い、と?」

 

 誰か、何かで切り捨てられたから、孤児院に至った。

 

 経済的事情、政治的事情、色々あったのであろう。

 

 自分から、孤児院へと逃げ込んでくるのでなければ、それは他者の意向によるものだ。

 

 切り捨て“られた”のだ。

 

 だから、そういった世俗的な事情で切り捨ててこない神へ心を寄せる、依存的といってもいい、強い信仰心がある。

 

 なるほど、理に適っているように思う。

 

「厳密にはもっと、なんていうか味気ない話なんだと思います」

 

 そう言いながら、ポンと腰の一刀をたたいてみせる。

 

「不遜不敬な表現ですが、道具に魅せられる、といったら良いでしょうか? 病み付きになるのです、差し出せばその分対価をくれる、というのは」

 

 刃は振るえば、切り裂いてくれる。

 

 それと同じように、祈れば、縋れば、それだけ神は奇跡を起こしてくれる。

 

 祈ろうが、縋ろうが、為す術もなく独りになった者にとって、それは麻薬的な魅力だ。

 

「どうしようもなく、どうしようもなかった現実が、裏切られた経験が、才能を作ることがあったりします。先輩の才能の根源がそれである、とは断言しませんが」

 

 六回、彼女は奇跡を使える。

 

 尋常の領域では、もちろん無い。

 

 スッ、とナイフでローストビーフを切り裂く、鋼は当然に肉を切り裂く。

 

 それが、うれしい。

 

 刃が切り裂いてくれると言うことは、刃が応えてくれるということだ。

 

 彼女にとってそれは、神が祈りに応えてくれることに似ていた。

 

「私も、無くはないです。だから、独りでも立ち続ける人、というのは気になってしまいます」

 

 神に祈りを捧げ、応えてもらう人間にとって、己の覚悟によって立ち上がり、独り歩み続ける者は眩しい。

 

 荒野を独り行く、己の力に依って立つ頼もしさと荒涼とした決意に、目が離せなくなる。

 

「多かれ少なかれ、私達はそうなりたい、のかもしれません」

 

 祈りによらず、力を積み上げ自分の足で自分で立つ。

 

 令嬢剣士へ立て、と言い放つ、確信に満ちた彼女の瞳を思い出す。

 

 あの少女が、自分のよう(ゴブリンスレイヤー)になりたくて、なった。

 

 自分で立って、自分で殺せ。

 

 そして、それを、他者にそうあれ、とすることに抵抗がない。

 

 彼女の人生にとって、それは救いであり、憧れる、かくあれ、と二心無く言える生き様であるからだ。

 

 だから、ああなった。

 

 その言葉に、ゴブリンスレイヤーの胸中には静かな納得があった。

 

 彼女の向けてくる好意に、自分の生き様への憧憬など一つも無かった、と言えば嘘になるだろう。

 

 彼女には確信がある。

 

 狂信と言った方が、良いのだろう。

 

 自分の道の果てには、ゴブリンの居ない世界がある、と。

 

 それは、ゴブリンスレイヤーであるからこそ信じがたいものであった。

 

 ゴブリンの居ない世界。

 

 それは、きっといい世界なのだ。

 

 ゴブリンの居る世界より、ずっと、大分、マシな世界なのだろう。

 

 そんな未来のために、一切の不信もなく人を駆り立てることのできる彼女が、ふと、危ういものに思えた。

 

 それは、何にとってであろうか。

 

 誰にとってだろうか。

 

 彼女自身が危ういのか。

 

 彼女を放置することが危ういのか。

 

 ゴブリンスレイヤーはわからなかった。

 

「そう、か」 

 

 ゴブリンを狩り続け、老いて、どこかで冒険者を引退し。

 

 若かりし頃は、復讐心にとらわれていた、と思い返す。

 

 後進をみて、あの頃はゴブリン退治に明け暮れていた、と内心呟く。

 

 そういった、時期ではない。

 

 自分も、彼女も。

 

 それは、わかっている。

 

 その事実は、逃げることが出来ない、振り下ろされる棍棒のような物であった。

 

「別にそれで、完全に人間性が破綻するわけじゃないんです、それなりにどうにかこうにか、折り合いをつけて生きていけるものですし……破綻してしまうと、ひどいものですが」

 

 そう言いながら、彼女は料理を平らげた。

 

 皿の肉汁が、血の海のようであった。

 

 

 

「お役に立てたか分かりませんが……あ、言うまでも無いことですが、お互い他言無用で」

 

「ああ、助かった」

 

 視線を切れば、もう無関係の間柄のように振り返りもせずに二人は別れた。

 

 ただ、少女の歩みは食事の前と変わらず、男の歩みは重かった。



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幕間 鳥人記者グルメ紀行

「と、言うわけでゆきましょう! 新たなる食を求めて!」

 

 快活に宣言する酒神神官を前に蜥蜴僧侶と鉱人道士は顔を見合わせた。

 

 ここはいつもの冒険者ギルドの定位置、頭目である男と女二人は別件で出ている。

 

「で、そっちのはギルドの記者じゃったか?」

 

 そう鉱人が酒神神官の後ろにいた少女に水を向ける。

 

 服装は受付嬢のものに似ているが、下にはいているキャロットが活動的な印象を与える。

 

「はい! 今回は“実はおいしいモンスター”と銘打ちまして、モンスターを緊急時の非常食としても啓蒙いければ、と」

 

 そうハキハキと答え、バサリと烏の濡れ羽色の羽根が一打ちされる。

 

 羽根を敷き詰めたマントではなく、自前のモノ、鳥人の証だ。

 

「非常食……まぁ、言わんとすることはわからんでもない、食えるの知らずに飢え死にしちゃかなわんしな」

 

 そう顎髭をしごきながら鉱人も頷く。

 

 食料というものは、当然ながら自然にある内には、こうやって捕らえる、これが食える、こうすれば食える、という手引き書が添えられているわけがない。

 

 ある無人島に漂着した商人が飢えて死ぬ事があった。

 

 その島を知る者達は首をひねった。

 

 あれほどに山海の恵みの満ちあふれた島で、なぜ飢え死にしてしまったのだろう、と。

 

 その商人は野草を採った様子もなく、魚を獲った様子もない。

 

 商人は食える物を食えると知らず、獲れるモノの獲り方を知らなかったのだ。

 

「薬師は道端の草に薬効を見いだし、鉱人には石ころとて値千金の鉱石」

 

 そう蜥蜴僧侶がつぶやく。

 

 知は力なり、とは古くから言われる通りだ。

 

「ええ!! お二人とも話が早くて助かります!! ですが」

 

 そう、腰に手を当てて胸を張り、その豊満な肉体が強調される。

 

「食べるなら!! おいしく!! いきましょう!!」

 

 そうして、今回の珍道中が始まった。

 

 

 

「つーてもじゃ、何獲るんじゃ?」

 

 かつて訪れた湿地帯で、そう設営をしながら鉱人道士は改めて酒神神官に聞いた。

 

「色々とおいしいモンスターは居ますが、今回は記者さんの企画に従いまして、困窮したときでも捕獲と調理が可能なラインを攻めていきたいかと」

 

 試したんかい、と鉱人が苦笑いする。

 

 この少女のアグレッシブさは中々に見所がある。

 

「道理ですな」

 

 飯に困るような状態でドラゴンの食べ方を知っていても仕方ない、腹に収まるのは冒険者の方であろう。

 

 となると条件としては、そこまで強くなく、また、比較的どこででも見られるモンスターとなる。

 

「しかし、あんたも物好きよな」

 

 設営を終え、火酒をあおりながら鉱人が鳥人記者に話しかける。

 

 鳥人もそれなりにいける口なのかちびちびと酒をあおっている。

 

 野外においては鳥人の服装は森人の狩人衣装に近いものだ、時に羽ばたき空を飛ぶ彼女たちは風を受けやすいひらひらとした衣類を好まない。

 

 反転、自宅などではくつろぎを重視し、柔らかい衣や光り物を好む。

 

 腰にあるのは折りたたみ式の長柄の熊手の、鳥人独特の猟具である。

 

「そうですか? 楽しいモノですよ、あっちこっち行って聞いて回って見て回って、それでお給料出るわけですし」

 

 欲を言えば、自分の書く記事が受けてほしいのですが……、そう苦笑いする少女の羽根はややしんなり垂れている。

 

「まぁ、自分の作ったモノが受けるも受けぬも時の運、棍棒使いが客ならば、鉱人の剣だって選ばれん」

 

「さよう、己が世にはなったモノはどうなるかわかりませぬ故に、時として世界を転がすかもしれませぬ」

 

 そうチーズを頬張りながら大まじめに蜥蜴僧侶は語る。

 

「料理もお酒もそうですねぇ、合う合わないはどうしても、皆さんに楽しんでいただくとなると、道は遠くて」

 

 手際よく夕食を調理しながら酒神神官も相づちを打つ。

 

「あはは、ありがとうございます」

 

 周囲のとりなしに笑顔を浮かべまたちびりと酒をあおる。

 

 そうして、何事もなく一夜は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 一夜明けて、湿地帯にも朝日が降り注ぐ。

 

「まずは一品目です」

 

 そううきうきと指さす先には巨大な魚がいた。

 

 沼地で、獲物を狙う蛇のように下半分を水に沈めている。

 

 威嚇するときは大きな背びれを立てて、大口を開ける泥濘を這う異色の魚。

 

 神話にも語られる生物であるハゼより零落した種とも言われる魚。

 

 オオムツゴロウ(ビッグマッドスキッパー)である。

 

 しかしその大きさは大人が両手を広げた程もある。

 

 でっぷりとしたサイズであり、藻などを主食とするが、その巨体どおりにほかの川魚の食べる分も食い荒らしてしまい、また、下手に縄張りを荒らすと襲いかかってくるため、まれに討伐依頼が出される事もある。

 

 意外と高く飛び上がることもあり、油断をしていると食いつかれ泥中に倒れることもままある。

 

「さて、どう獲るかいの」

 

 ふむふむ、と酒をあおりながら鉱人が依頼主を向く。

 

 術使いに神官が二人、方法は色々選べる。

 

「今回の記事の趣旨からしますと、ごく普通の手持ちの装備での狩猟、ということで基本的には魔術の類いは無しでお願いします」

 

「ま、そうじゃろな」

 

 鉱人が頷く横で鳥人記者はサラサラとスケッチをとる、その早さの割に描かれる絵は正確だ。

 

 鳥人は目が良く、手先が器用だ。

 

「そういうわけで、今回はこちらです」

 

 そう見せられるのは矢だ。

 

「こちらをお宅の一党の森人の方から売っていただいた蜘蛛糸で鏃につなぎます、普通の場合でしたらただの紐に槍をつけたのがよろしいかと思います」

 

 なにやっとんじゃい、あいつ、と苦笑気味に鉱人が言う。森の妖精も町にあっては順調に貨幣経済にそまっているようだ。

 

「打ち込んで、あとは引くだけです」

 

 ひらり、と閃くように矢が射られ、オオムツゴロウに突き立つ。

 

「MUD!?」

 

「よろしくおねがいします」

 

「ほいきた」

 

「お任せを」

 

 渡された蜘蛛糸がピンと張る、男二人が引けばそれなりに大柄なオオムツゴロウも力負けし、ずるずると引き寄せられる。

 

 ずしりとした重み、抱えるほどのその巨体に酒神神官もニッコリとご満悦だ。

 

 手には包丁、よく研ぎ上げられたそれはまばゆい水平線のようだ。

 

 よぉ手入れしちょる、と鉱人は目を細める。

 

 鋼に真摯な者を鉱人が嫌いになることなどほとんど無い。

 

 そして用意したまな板の上に置き、笑顔のまま無造作に首を落とす。

 

「簡単で、食べられる調理法となりますと塩をかけて串で炙る形ですね、魚醤で切り身を生というのも、コリコリとした食感がいいのですが……」

 

 そう言いながら手際よく巨体の腹を開きワタを取る。

 

 それに塩を無造作に振り、たき火に並べる。

 

「さあどうぞ!」

 

 ほうほう、と興味深げに鉱人がぱくり、と食いつく。

 

 フワムチとしたウナギに近い独特の食感とやや淡泊な味わいに、無造作にまぶされた塩が夜空を彩る星々のように自己主張をする。

 

「ホホーッ! こりゃキツい酒が進むの」

 

「確かに……これは、あぁー甘塩っぱく煮るのもよさそうですね」

 

 そう息をつく鳥人記者の言葉に酒神神官も頷く。

 

「そうですね! 今回の記事の趣旨からは外れますがそういった食べ方も良いでしょう、揚げるのもいいですよ」

 

 もぐもぐと無言でむさぼる蜥蜴僧侶も尻尾の動きからは機嫌の良さがうかがえる。

 

 もとより故郷で魚はよく食べていた。

 

 美味な食材に料理の力、勇者に聖剣といった様であろう。

 

「……調理法は様々なれど、肉に臭みもなく、火を通して塩だけでも十分食べられる、何より毒無し、と」

 

 そう書き上げた物をまとめ腰の圃人の小指ほどの筒にくるくると巻いて入れる。

 

 そして何事かつぶやくと周囲にいた鳥の一羽が寄ってきて逃げる様子もなく従順にその筒を足にくくりつけられる。

 

「それじゃ、お願いしますね」

 

 代金代わりにオオムツゴロウの切れ端を渡して飛び立たせる。現地調達の伝書鳩のようなものだ。

 

 頭もそれなりに周り、手先が器用で目の良さは秩序の者としては上から数えた方が早く、更に伝書鳩に事欠かぬ、となれば鳥人程記者に向いた種族というのは居ないであろう。

 

「ふぅ、ごちそうさまでした」

 

 手を合わせて食事を終える。

 

「では、次行きましょう」

 

 まだ、日は昇ったばかりだからだ。

 

 

 

 やや小高い丘の平原、大湿原は広大であり、そんな場所もある。

 

「おーっと、あれは見事ですね」

 

 視力に優れた鳥人記者でなくとも丘から見下ろす一行にその姿は見て取ることができた。

 

「おうおう、きれいなもんじゃの」

 

「水草……ですかな?」

 

 大きな湖の中にそれはあった。

 

「私はこれを勝手に湖中の世界樹と呼んでいます」

 

 その表現を誇大であると感じる者はいなかった。

 

 一つの水草の作り出した偉容に感嘆のため息をついたのは誰であろうか。

 

 広大な湖。

 

 広く深いその中心から一つの湖に満ちあふれんばかりに巨大な水草が屹立していた。

 

「この世界樹を食べて、お魚がすーっごくおっきく、おいしくなるんです!!」

 

 冒険者には生まれや育ちにより、意外と魚の調理法を知らない者が居る。

 

 また、亜人の中には根本的に調理文化のない者も居たりする。

 

 都会生まれの術士をはじめ、それなりの人間が魚料理を調理を含めて苦手としている。

 

 魚はおいしいんだから啓蒙しよう、ということになった。

 

 普通の食材、とはいえ異文化からすれば食べられるとは到底考えられない物も、もちろんある。

 

 普通に魚の食べ方紹介をするんであれば、一番おいしい魚を食べよう。

 

 食べよう。

 

 食べよう。

 

 そういうことになった。

 

「とはいえよ、魚釣ってりゃかなり時間くっちまうんじゃねぇか?」

 

 そう鉱人が言うのも当然であった。

 

 中々思い通りにならないのが釣りだ。

 

 この食い道楽は楽しいが、ずっと時間を割くわけにもいかない。

 

「と、言うわけで私の出番です」

 

 バサリと鳥人記者の翼が広げられる。

 

 ぐいぐいと屈伸運動をして駆け出すような姿勢に入る。

 

「すぅっ……っ!」

 

 ダンッ、と駆け出す。

 

 健康的な太ももが躍動するたびにその速度は上がり、トップスピードに乗った瞬間に地を蹴る。

 

 跳躍からばさりと翼が広がり、風をとらえ飛翔へと移る。

 

 幾度か羽ばたけば、蜥蜴人達の遙か高みに彼女の姿はあった。

 

「器用なもんじゃのぉ」

 

「海より陸へ出でし命が空へ飛び立つ、まこと命の企ては果てのないもので」

 

 くるくると湖上で旋回して獲物を見定めているのだろう、狙いを定めた鳥人は、翼をすぼめて急降下体勢に入る。

 

 笛の音のような風斬り音と共にその身は矢となり、水面へ向かう。

 

 そしてシャキンと言う音と共に伸びた猟具が猛禽の爪のごとく水中の獲物を捕らえる。

 

 再び浮上したその姿には、水中にいた魚が添えられていた。

 

 

 

 

「ほう、ほう! なるほどの! これは! これは!」

 

 完全に語彙が死滅した様子の鉱人が焼き魚に舌鼓を打つ。

 

 それほどの、味であった。

 

 多弁な者が、食にうるさい者達が、無心に貪る。

 

 いっそ静かになる程の美味。

 

 それほどに、その魚は旨かった。

 

 淡泊でありながら、芳醇かつ豊満、極上の餌で育った魚とは、かくも隔絶した美味とは。

 

 塩だけの味付けが、なおさらに素材の格別を訴えてくる。

 

 これに舌が慣れてしまえば、他の魚など食えたものでは無いだろう。

 

「っはー、これだから酒神さんとの旅行はやめられないんですよ」

 

 そう幸福そのものといった笑みでさらさらと鳥人がまたスケッチとメモを取る。

 

「しかし、まぁ、これで」

 

 おなかもいっぱいか、という彼女の言葉に

 

「後は、メインディッシュですね」

 

 当然のように被せて言う酒神神官に、一行はきょとんとした顔の後、ニヤリと共犯者の笑みを浮かべた。

 

 

 

「無理、無理ですー!」

 

 絶叫をあげながらスピードをあげてツタの鞭とトゲの矢を鳥人の少女が機動回避する。

 

「植物がメインディッシュなぁ」

 

「まぁ、あの食い道楽の少女の言うことですし」

 

「腕も目も確か、となれば味は確か、か」

 

 それは、巨大な植物であった。

 

 見上げてもなお見渡せぬほどの大樹が軍勢のようにツタの鞭とトゲの矢を降らせてくる。

 

 プラントモンスター、それもとびきりだ。

 

 本来であればちょっとした木立程度の者だが

 

「まぁ、採り方は変わらないので、折角の面子ですし、おいしいのを取りに行きましょう」

 

 とまぁ、わかりやすく暴走した、記事のコンセプトどうした。

 

「鞭を振るわせて柔らかくして、トゲは撃たせて下ごしらえ、さーていきますよ」

 

 煮えたぎらせた油が入った瓶が投じられる。

 

 着弾と共に、鉱人が用意していた火矢を射かける。

 

 すると香ばしい匂いと共にモンスターの動きが目に見えて鈍る。

 

 植物系のモンスターはなべて火に弱く、これは攻撃でもあり、調理でもある。

 

「お、いけたんじゃないでしょうか」

 

 いままでぴいぴい泣き言を言いながら逃げ回っていた鳥人が喜色を隠さずに羽ばたき、くるりと方向転換、モンスターを見下ろし、そうつぶやく。

 

 それが、油断であった。

 

「いかん!」

 

「あっ、きゃっ!」

 

 蜥蜴僧侶の緊迫した声。

 

 苦し紛れの死に際の一暴れ、と振るわれたツタの一つは狙い澄ましたように鳥人記者を打ち払った。

 

「おお祖霊よ! 我が足に!」

 

 間に合え! と叫びながら飛びついた蜥蜴僧侶が鳥人記者を抱えごろごろと転がる。

 

 そのまま、するりと走行へと移行し、少女をかかえ地を駆ける矢のようにモンスターの攻撃圏から離脱する。

 

 テンションがおかしなところまで上っていた酒神の少女も血相を変えて駆け寄ってくる。

 

 手練れの神官射手とはいえ、プロの冒険者ではないのだ。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「え、ええ、蜥蜴さんの、おかげで、その、まぁ、全然」

 

 きょどきょどと視線のやりばに困る様子で、もぞもぞと蜥蜴僧侶の手から逃げ出す。

 

「肝が冷えましたぞ、それに、怪我を隠されるな」

 

 そう言って、すかさず《治療》で鳥人を癒やす。

 

 決断的に唱えられる詠唱に聴き入るように、己の傷が癒えるのを見やる。

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

「……とりあえず」

 

「調理しますか」

 

 馬に蹴られても仕方ない、と酒神神官と鉱人は植物のツタを切り出した。

 

 

 

 

 プランツモンスターのツタ、それは植物でありながら筋肉の塊のようなどう猛さをもっていた。

 

 深い緑、そういった味だ。

 

 なるほど、と酒をあおり、鉱人は頷く。

 

 噛めば、草原が広がる。

 

 もう一つ噛めば、森林が生える。

 

 大地の息吹を存分に感じられる、一品だ。

 

 うら寂しい山生まれからすればこの品は、なかなかに爽快な味だ。

 

 うむうむ、とマイペースに舌鼓を打ち、チーズを乗せたりしては快哉の声を上げる蜥蜴僧侶をちらちらとスケッチするわけでもなく見やる鳥人記者。

 

 ーー鳥人が惚れやすいとは聞くが、それこそ飛ぶ鳥が落ちるように惚れおった。

 

 まぁ、自分には関係あるまい、と鉱人は酒をあおった。

 

 

 

 結果としてできた記事は、結局色物の域を出るものでは無かったが。

 

 年にぽつぽつと感謝の手紙がくるのです、と鳥人記者が誇らしげに言うようになるのはまた後の話である。



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幕間 名探偵ゴブスレ~宿屋は二度、惨劇に染まる~

 

 

 事件は、朝に起きた。

 

 この事件に立ち会った者が、この事件を思い出すとき、まずこの言葉を思い起こすだろう。

 

 とはいえ、事と次第を理解するためにも順を追って話すべきであろう。

 

 

 

 

 ゴブリンスレイヤーと女神官、妖精弓手の三人はゴブリン退治の帰り道にある宿場町に立ち寄ることとなった。

 

 時刻は日暮れに近く、太陽も山へ隠れていく。

 

 いずれは星々も瞬き出すであろう。

 

 ゴブリンスレイヤー一党も、別段野宿の理由もなく、宿を取った。

 

「つっかれたぁ!」

 

 妖精弓手はそう大きく息を吐いた。

 

 連日連夜のゴブリン退治、それが一段落したとあってその気の抜けた様子は誰も責めることのできないだろう。

 

 女神官も同じく疲れているようだが、それでも他より早く荷物を下ろして気遣いに動き出している。

 

 とまれ、一足先に祝杯でもあげよう、という構えを森人がとり、ゴブリンスレイヤーもまぁよかろう、と酒場で注文を取ろうとしたところで女神官に話しかけてくる男性があった。

 

「その、神官様……」

 

「はい、何かご用でしょうか」

 

 女神官に地母神の聖印を見て、恐る恐る男性、この村の村長はその頼みを口にした。

 

「その、妊婦や村の子の無い妻や娘達に安産祈願と子授け祈願をお願いできませんでしょうか、ささやかですが、お礼はさせていただきます故……」

 

 あぁ、とゴブリンスレイヤー達は頷く。

 

 今夜は緑の月は新月で姿はなく、白の月の満月だけが大地を冴え冴えと照らしていた。

 

 夫婦の初夜、あるいは村長の言う通り安産祈願や子授け祈願などには最適の日だ。

 

 辺境を旅するにあたって、一番食いっぱぐれないのは地母神の神官である、とはよく言われることだ。

 

 安産、子授け、豊作祈願と村々で祈願を請われ、その謝礼はそれなり以上の収入となる。

 

「……よろしいでしょうか?」

 

 女神官がゴブリンスレイヤーに伺いを立てる。

 

 金銭目的で無くとも、宗教者として、求められている以上応えたい、そういった様子だ。

 

「俺は構わん」

 

「いいんじゃないの?」

 

 す、と森人を見やると森人も快諾する、自分自身が母となるイメージはさらさらないが、無理に引き留める程の理由も無い。

 

 それにこれが初めての経験というわけでも無い。女神官の祈願により笑顔を浮かべる女性達の事を考えれば、彼女の体を心配こそすれ、それ以外に止めることはない。

 

 そも、冒険の打ち上げは辺境の街に戻ってからでも遅くは無い。

 

 そう言ったわけで、女神官は村長に連れられて村の若い女衆が集められた集会所へ行くこととなった、そのまま一夜を過ごすらしい。

 

 そういった儀式とはいえ、求められれば涼やかに応じる様は年若い少女ではあるが、聖職者なのだなぁ、と気を取り直しつつ目の前の寡黙な男とサシ飲みを始める。

 

「……あの子って、なんて言うか凄いわよね」

 

「……そうだな」

 

 己の力と才覚で苦難を乗り越える冒険者であり、人々を慰撫する聖職者でもある。

 

 それをひっくるめて、冒険者の神官なのだ、という事なのかも知れないが冒険者一本の彼らからすれば二足のわらじをはきこなしているように見える。

 

「……指輪、寂しそうだった」

 

「そうなのか?」

 

「そうなの! ……何か買ってあげたら?」

 

 指輪、雪山の砦で使わせた“呼気”の魔法のかかった指輪だ。

 

 その魔法のこもった宝石は魔法の効力が尽きると共に崩れてチリとなって、今彼女の指にあるのは金属のリングだけだ。

 

 呪文使いである彼女が、その魔術具としては残骸に過ぎないそれに、装備としての効果が無いのは当然分かっているはずだ。

 

 それでも、その指に指輪がある。

 

 何の宝石も無い指輪だ。

 

 友人として、チクリと言うぐらいは当然だ、という顔を森人がしている。

 

 指輪は割る物だ、といっても通じるわけもなく。

 

 使い捨てる道具なんだから捨てればいい、などと言ったら間違いなく蹴られるだろう。

 

 ふむ、と腕を組む。

 

 借りが山ほどある女だ。

 

 放っておけないところのある女だ。

 

 言われて今更であるが、確かに、何かせねばならぬだろう。

 

 では何の石がいい、と聞こうとしてかつての幼馴染みの誕生日の一幕を思い出し、なんとか言葉を飲み込むことに成功する。

 

「街に戻ったら、見て回る」

 

「うん、それがいいんじゃない」

 

 姉貴面でしたり顔でうんうん頷く。

 

 内心、安堵の息を吐きながら、そしらぬ顔を兜の中でしてエールをあおる。

 

 寒いので妖精弓手は温石を宿の亭主から買いつけ、そろそろ部屋に戻るか、というところでパンッという音が酒場で響いた。

 

 二人が目を向ければ、精霊使いの森人、いや半森人か、の少女がその激情を抑えきれぬ、とばかりに平手打ちを相方の男性の戦士にたたき込んだのだろう。

 

 少女は振り抜いた姿勢から何も言わず、腰の細剣を揺らしてずかずかと二階へ上がっていく。

 

 叩かれた戦士もいくばくかは自分が非にあると思っているのか、彼女の姿が消えた後、「どうも、お騒がせしました」とばつの悪そうな笑みを浮かべて代金を置いて二階に上がっていく。

 

 痴話喧嘩、まぁよくあることだ、とその時は思った。

 

 自分たちの、男女別であり、女神官が泊まり込みになったため、森人は二人部屋から個室へ移ろうか、ということになった。

 

「あの子の荷物ぐらい、私一人でいいのに」

 

「自分のを持て」

 

 さて、部屋を移るか、とさして広げたわけでも無い荷物を持ち上げようとしたところで部屋のドアをノックする者がいた。

 

「あの半森人の子、かしら?」

 

 その言葉に無意識に腰の武器に手をやっていたゴブリンスレイヤーは構えを解く。

 

「はい、何か用かしら?」

 

 そう妖精弓手がドアを開いて見ると確かに先ほど酒場で喧嘩、というよりは一方的に起こっていた少女が居た。

 

「あ、あの……こちら、泊まられる人が一人減ったって聞いて……自分の分のお代はもちろん払いますので」

 

 喧嘩して、ばつがわるくて恋人と一緒に寝たくない。

 

 そういったところか、と当たりを付けた。

 

「私はいいわ、相方は泊まり込みだし、……オルクボルグ、あの子の荷物だけ貴方の部屋で良い?」

 

「ああ、構わない」

 

 そう言うわけで、半森人と共に妖精弓手は寝ることとなった。

 

 とはいえ、半森人は寝床に入ると旅の疲れもあってかすぐに寝息を立てだした。

 

 いつもであれば友人たる女神官とおしゃべりをしたりもするが、そうも行かない。

 

 軽く装備の点検だけして、彼女も床についた。

 

 

 

 

 事件は、朝に起きた。

 

 

 

 

 絹を引き裂くような悲鳴に、宿の住人達はたたき起こされた。

 

 妖精弓手も飛び起き、辺りを見回すと半森人の姿は無い。

 

 声の起こった場所は宿の個室、大体の当たりを付けつつ駆け出して急行する。

 

 半開きのドアを見つけ、そこに恐怖の精霊が踊り狂っているのを見やり、一瞬の確認の後に飛び込む。

 

 目に映ったのは赤。

 

 首を一太刀切り裂かれた男が、ベッドの上で事切れていた。

 

 壁際にはへたり込む半森人の少女、衣類はかすかに血で汚れている。

 

 悲鳴は彼女があげたのであろう。

 

「どうなっている?」

 

 数拍遅れてゴブリンスレイヤーが到着し、他の者ものそのそと悲鳴の起きた場所へと寄ってくる。

 

「昨日の、ほら、この子が喧嘩してた相手、殺されてた」

 

 ゴブリンスレイヤーも周囲を見やり、状況を検める。

 

 部屋の作りはどこも変わらない。入り口の扉と対面になるように窓があって、独り寝していて、もう一方のベッドは空。

 

 ベッドのサイドチェストには寝る前に消されたのであろう角灯があり、部屋の隅に男のものであろう荷物があるぐらいだ。

 

「ヒッ、な、な、何が?」

 

 そう声を上げるのは宿屋の店主だ。半森人が話せる状態では無いと見て取ったゴブリンスレイヤーは自分の分かる範囲で説明をする。

 

「この部屋で寝ていた男が殺されていた、俺たちは今駆けつけたところだ」

 

 ぞろぞろと他の者も扉の前にたむろし、ガヤガヤと騒がしくなる。

 

「役人への状況説明もあるだろう、この半森人を別の部屋で誰かを付けて休ませることはできるか」

 

「え、ええ、おい、お前」

 

 そう頷き、声を掛けられた宿屋の店主の妻が半森人を連れて行く。

 

「どうするのよ、オルクボルグ?」

 

「あの状態では話もままならんだろう、現場の確認だけして改めて聞けばいい」

 

 それもそうか、と気を取り直した妖精弓手があれこれ探ろうとするのを押しとどめる。

 

「まずは店主に了解を得ろ……それで、どうする?」

 

 そう聞けば店主も一人で何から何まで自分でしなくていいというのは渡りに船であったのだろう、快諾した。

 

 役人はこの村に駐在していないため、近隣の駐在所のあるところまで早馬をたてることになった。

 

 行って帰って半日ほどなので、夕方ぐらいには役人も来るであろう。

 

 冒険者とてモンスター相手に戦って死ぬのであれば簡単だが、町中で殺されていた、となるとそうもいかなくなる。

 

 前者が害獣相手に事故死するようなもので、後者は殺人事件だからだ。

 

 それまで死体はそのまま、ということになった。

 

 宿屋からすれば、数日にわたっての営業停止、大打撃だろう。

 

 改めて詳しく部屋を検分すると、どうやら物盗りの線ではないようだ。

 

 金品など換金のしやすいものは無くなっておらず、彼ら二人が遺跡帰りで何か小さく貴重かつ高価な宝物を持っていなければ、物盗り、ということは無いだろう。

 

 無論、可能性としてゼロではない。

 

 次に、鍵。

 

 これもごく普通の鍵であり、鍵開けの技能や《開錠》の呪文を使える者であれば解錠は可能、つまりはあってないようなものだ。

 

「状況的には、あの子ぐらいしか……ええと、容疑者?」

 

 被害者の直前に口論していたのは、酒場の誰もが見ている。

 

 何か自分たちが知らない事情が無ければ、彼女が容疑者と見て良さそうだ。

 

「そうだな、だが、決めつけるものではない」

 

「まぁ、昨日はすぐ寝ちゃったみたいだけどね、多分だけど夜の間部屋を出てはいないはずよ」

 

「確かか?」

 

「多分、ね」

 

 彼我の実力差、森人の耳、警戒力は確か、となればおそらく事実であろう。

 

 そして、殺された時刻についてはよく分からない。

 

 布団の中には温石があり、体温の喪われ方や死後硬直についても定かではない。

 

 使われた凶器は、男の得物の一つである短刀のようだ。枕元に無造作に転がっている。

 

 しかし、噴出した血が完全に乾いていた。

 

「……随分、乾いている」

 

「相当前に殺されたってこと? 確かに水の精霊がほとんど居ないわね」

 

 そう妖精弓手が宙を見やる。ゴブリンスレイヤーには分からぬ領域の視界だ。

 

 しかし、首の刺し傷、そこはゴブリンスレイヤーには親しみ深いものであった。

 

 事件の経緯、動機、そういったものは、分からない、だが、そこに関してはよく見知っている。

 

 状況を整理する。

 

 ベッドに入ってそのまま寝た半森人、完全に乾いた血痕、いつ死んだか分からない被害者。

 

 それらで、つじつまを合わせる。

 

 想像力は武器であり、真実というモノは、どれほど信じがたいものであってもそれ以外ないなら、それしかないものである。

 

 だから断言する。

 

「不自然だ」

 

 

 

「……その、何か分かりましたでしょうか?」

 

 恐慌も一段落したのか、別の個室で両手で抱え持つようにコップを心細げに握る半森人の少女がいた。

 

 腰には昨日も身につけていた細剣がある。

 

 間取りは先の部屋と大して変わりが無い。

 

 部屋に居るのは、半森人の少女、店主とその妻、妖精弓手とゴブリンスレイヤーだ。

 

 手短にすませるつもりなのか、扉は開いたままであった。

 

「幾つか、聞かせてほしい」

 

「……はい」

 

「現場を検めさせてもらった、その上で聞きたいのだが、何かよほど高価な品の運搬など、請け負っていたか?」

 

 まずは、物盗りの線。

 

「いいえ、私達はちょっとした依頼の帰り道で、そういった貴重なモノは……」

 

 その言葉は真実なのだろう、一つ頷く。

 

「次に……昨日、言い争いをしていたな、原因は、何だ?」

 

「それは、彼が……私のミスを蒸し返して、でも私もその時悪気があったんじゃなくって、本当になんて言うか、運の悪いミスで。でもその時に彼が前に組んでいた人のことを、アイツだったら、みたいに言うもんだから、つい、カッとなって」

 

 比べられ、激昂する、屈辱と思う、今は横に居るのは自分なのに。

 

 そう言った、様子だ。

 

「男の前の相方……そいつは」

 

「死にました、もう、いません」

 

 淡々とした言葉の中にも、どこか優越と怨嗟の色があった。

 

 ふむ、と息を吐く。

 

「昨日は、就寝した後はそのまま朝まで寝ていたか?」

 

「ええ、その、気は高ぶっていたんですけど、そのまま……」

 

 言われるままに答えていた少女が、ふと、気づく。

 

「……私、疑われているんですか?」

 

「……」

 

 沈黙は、雄弁である。

 

「違います! 私はずっと寝ていました! それに、その、そう! あの血痕! すっごっく乾いていた! 私は、喧嘩したけど、でもだって、彼が好きで!」

 

 その言葉に、嘘は無いのだろう。

 

 仮にここに至高神の神官が居て《看破》の奇跡を使っていても、彼女が嘘を吐いていないことは保証されたであろう。

 

 だから、嘘はそれ以外で組み上げられている。

 

「そうだ、血は完全に乾いていた」

 

「だったら!」

 

「乾かしすぎだ、術士」

 

「っ!?」

 

 その術をゴブリンスレイヤーはかつて見ていた。

 

 《風化》、その術を持ってすればたちどころに泥濘を完全に乾かすことも可能だ。

 

 それを、吹き出した血の海に使えばどうか。

 

 首を切りつけて、一晩中血が流れ出たものとは、明らかに違う。

 

 小鬼の首は、日頃よく斬る。

 

 返り血を浴びない立ち回りも、寝ている相手であれば、そこまで難しくないはずだ。

 

 だから、分かった。

 

「い、言いがかりです」

 

 明らかに動揺しつつも、それでも自分の優位は崩れていない、そういった目だ。

 

「じゃあ私が彼の死体を見て、叫び声を上げたのも演技って事ですか? それこそそこの上の森人だったら、あの精霊を見ているでしょう、恐怖の!」

 

「……そうね、部屋には恐怖の精霊が居たわ、一面そうだった、って言っても良い」

 

「俺には分からんが、そうだったのだろう」

 

 それに、ゴブリンスレイヤーは素直に頷く。

 

「だったら!」

 

 立ち上がり、ゴブリンスレイヤーに少女は詰め寄る。

 

 それを、一言で切って落とす。

 

「《恐怖》」

 

 それは、呪文の名前だ。

 

「っ」

 

「自分にもそれは使えるだろう」

 

 それは、断言だ。

 

 そして、使えない、と言うことに躊躇する、ということはそういうことだ。

 

 どこかで《看破》を使われているかも知れない、その警戒が、反応の鈍さにつながる。

 

「こいつと同部屋になって、一晩中寝床に居て、朝になって男の部屋に行き、鍵を開けて、あるいは、鍵は開いてなかったか、お前が戻ってくるかもと、開けたままだったかも知れない、それは分からないが、そして、お前が男を殺した」

 

「……」

 

「よく考えられている」

 

 それはゴブリンスレイヤーが素直に感じるところだ。

 

「答弁を工夫すれば、《看破》はくぐり抜けられるだろう。夜の内に部屋は出ていない、だから、そんな時間に殺してない、とも、言えるだろう」

 

 

 

 事件は、朝に起きたのだ。

 

 

 

「……」

 

 沈黙は、雄弁である。

 

 そこに、祈願を終えて帰ってきた女神官が通りかかった。

 

 一晩中祈願していたのか、やはり少し疲れて、眠そうな様子であったが、それでもゴブリンスレイヤー達の顔を見ると笑顔で挨拶をする。

 

「あ、おはようございます! すみません遅くなりまして、皆さん朝ご飯だけでも、と言われて引き留められまして……ところで、なんでこちらの部屋に?」

 

 とことこと事情を知らない彼女が笑顔を浮かべて部屋に入ってくる。

 

 ゴブリンスレイヤーと妖精弓手の意識も、一瞬だけではあるが、そちらに向く。

 

 その瞬間を、半森人は見逃さなかった。

 

 彼女は理知的であった。

 

 ――只人の神官を押しのけて逃げる、だめ、銀等級二人に背を向けることになる。

 

 ――なら、目の前の男に一太刀、殺せなくても別に良い、むしろその場合は森人に押しのけるようにすれば時間を稼げ、そのまま窓を突き破る。

 

 一瞬で、戦術を組み立てた。

 

 失敗したなら、もう、それはもう、運の尽きだ、だから、成功に賭ける。

 

 彼女は理知的であった。

 

 加えて、思い切りの良さもあった。

 

 だから、抜刀してゴブリンスレイヤーに斬りかかろうとして。

 

「――え?」

 

 ノータイムで後ろから刺し殺しにかかられるなど、考えてもみなかった。

 

 半森人を後ろから刺し、そのまま倒れ込む。

 

 女神官である。

 

 一切事情を理解せぬまま、しかし女が彼に突如として斬りかかる構えを見せた。

 

 殺さぬ理由は無い、だから刺した。

 

「ひっ!」

 

「なっ!?」

 

 部屋に居た店主やその妻からすれば、朝の挨拶とともに、朗らかに近寄ってきた少女が、そのまま水が流れ落ちるように、とくに事情も了承せぬまま人を後ろから刺した、そうとしか見えなかったろう。

 

 そしてそれは、現実その通りだ。

 

 体重を掛け、刃をえぐり、床に縫い付けるように刺し、細剣を奪い、投げる。

 

 そこでようやく顔を上げ、ゴブリンスレイヤーを見上げる。

 

「……殺しては、いけないでしょうか?」

 

 殺すなら、殺す、生かすなら、生かす。

 

 どちらでも、言うとおりに。

 

 まるで朝食を目玉焼きにするか、卵焼きにするか、そんな論調であった。

 

「……役人に引き渡す」

 

「分かりました、では」

 

 無造作に、半森人の両肩を外してから背中から刺した刃を引き抜く。

 

 無論血が大量に流れ出て、店主達はもう蒼白だ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 それだけで、完治。

 

「舌を噛んで自害など考えないでください、癒やすのが面倒です」

 

 高位の神官相手には、容易く死に逃げることすらできないのだ。

 

 

 

 

 

 事件は、朝に起きた。

 

 この事件に立ち会った者が、この事件を思い出すとき、まずこの言葉を思い起こすだろう。

 

 

 

 

「結局、男の前の相方の殺害も認めたんだって」

 

「そうか」

 

 どこかで聞きつけたのだろう、森人が宝石を見繕うゴブリンスレイヤーに事の顛末を語る。

 

「……興味、無いの?」

 

「痴情のもつれ、なのだろう?」

 

「そりゃま、そうだけどさ」

 

「……結局分からなかったことと言えば、なぜ、男を殺したか」

 

 サファイア、アメジスト、様々な宝石がある。

 

 恋人の座を簒奪するための殺人は、わかる。

 

 では、その恋人の座にずっと居ればよかったではないか。

 

「そりゃま、そんなに不思議なことはないでしょ」

 

 あっけらかんと森人はいう。

 

「ほう?」

 

「だって、半森人と只人よ? 永遠に一緒にいれないんだし、明日自分で殺すのと、百年後何かで死なれるの、そんなに違うこと?」

 

 心底不思議そうに首をかしげる少女は、やはり「只人って分からない」とつぶやく。

 

 それは身を焦がすような本当の恋や愛を知らぬゆえか、男にはわからない。

 

「……そういうものか」

 

 血のように赤いルビーを眺めながら、ゴブリンスレイヤーはそうつぶやいた。



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第十七話

 由々しき、事態であった。

 

 この深刻な問題を、いかに打開するか。

 

 とんがり帽子の下の彼女の明晰な頭脳はペットのネズミが遊具の歯車を回すように高速回転していた。

 

 空転するばかりであった、とも言える。

 

 かくなる上は、と彼女は部屋を出る。

 

 宿の中をつかつかと歩き、早足になり、最後は駆け足になっていた。

 

 そして、酒場に居た同期の中で最も泣きつけそうな相手の姿を見つけ。

 

「お願い、ちょっと知恵貸して!」

 

 恥も外聞も投げ捨てて泣きついた。

 

 

 

 女神官はこれからのことを考えていた。

 

 前との決定的な差異、女魔術師達の生存による分岐だ。

 

 復讐心に荒んだ彼女の弟、かつての未来で最高峰の術者となった彼。

 

 私の魔術の師の一人でもある。

 

 ともあれ、訓練所が襲われるのは確定した未来だ。

 

 令嬢剣士からの手紙を目に通す。

 

 今回の彼女は私の奨めもあり、冒険者の訓練所の他に、産婆教育のためにも寄進をしてくれた。

 

 自分のような苦い轍を踏まないために訓練所を、自分のような境遇の女性が一人でも多くまた顔を上げて人生を歩めるようにと、地母神の神殿にも寄進を。

 

 ありがたい、話である。

 

 産婆の育成促進は将来的な国家掌握後の税収の躍進に、ほぼ確実につながる。

 

 戸籍の精度が向上するからだ。

 

 村々は馬鹿では無い。税収が逃れられるのであれば、様々な手を尽くす。

 

 山中の隠畑、国境外の収益利権、そして戸籍の偽証だ。

 

 実は男なのに女として申告して兵役を逃れ、女性としての税金だけを納める。さらには産まれているのに死産と偽って税金の全くかからない労働力を村の中に抱える。

 

 他にも税金逃れの方法は山ほどあるが、それらを潰していけば税収は増え、政府が行うことのできることは増える。

 

 地母神ブランドで商売する産婆が圧倒的多数になれば、モグリの産婆による出生数は減少し、将来的には駆逐できる。

 

 さらにその前に、神官による子授け祈願や安産祈願なども絡めた二者のダブルチェックによって情報の精度を上げていけば、戸籍逃れの国民は減らしていくことができる。

 

 私達が最初期に国を奪取してゴブリン退治による国力躍進がある、などと謳った実情の大半は戸籍の精度向上からの税収の上昇が実情だ。

 

 それを、あなた方がごまかしていた分の税収を取り立てることができたから、税収が増えました、と嫌みったらしく喧伝する必要は無い。

 

 数字や効果を出す理由は国民にやる気を出させるためであり、よりやる気になる情報発信が大事であって、真実を伝える意味など無い。

 

 ゴブリンの群れが愚かに考え、愚かに行動するように。

 

 人間の群れは賢く考え、愚かに行動するものだからだ。

 

 群衆というモノは斜め上の行動力と斜め下の良識という凶暴な獣によって引きずり回される受刑者であって、分別を求めるものでは無い。

 

 もっといえば、こちらが望む方向にさえ暴走してくれればどうでも良い。

 

 この姿勢は終生一貫しており、作り上げた社会制度等からも、かつてのはるか未来においては女教皇は民を慈しみ、しかして信頼も信用もしていなかった、と言われる由縁の一つである。

 

 そんな、友人である森人などからすれば「なんか悪いこと考えてるなー」という顔をしていた顔が、横合いから飛びついてきた女魔術師の豊満な胸に埋まり、沈む。

 

「お願い、ちょっと知恵貸して!」

 

 その知恵が、今まさに男であれば誰もがうらやむような死に方で潰えようとしている。

 

 ギブギブと女魔術師の体を叩くが、この頃さらに豊満さを増した乳房がばるんばるんして非常に目の毒である。

 

 結局、森人が引きはがすまで女神官は地獄と極楽を同時に味わうことになった。

 

 

 

「弟?」

 

 女神官と同じテーブルにいたゴブリンスレイヤー一党はそう鸚鵡返しに女魔術師の言葉を返した。

 

「都の学園で嬢ちゃんみたく勉強しとって」

 

「春を前の休みになって」

 

「親に路銀を渡されて、辺境に飛び出てったっきりの姉の様子を見に来る、と」

 

 無造作に広げられた弟の手紙には、そっけない文体でそういった旨のことが描かれていた。

 

 それで、なぜ泣きつくのだろう。

 

 別に行き詰まって破産して春を鬻いでいる訳で無し。

 

 わざわざよく着たわね、父さん達も心配症ねー、私はこのとおり大丈夫、まぁ都に比べれば田舎とは思うけど、以外と良いところよ、貴方も勉強ちゃんとしてる? ちゃんと勉強するのよー、等とつつがなく迎えてまた送り出せばいいだろう。

 

 当然の疑問の視線を向ける一党に、えへへ、と何か牧歌的に裏がありそうなへつらいの笑みを浮かべ、両手の人差し指をのばしてつんつんと合わせる。

 

 その動きで豊満な乳房がより強調されるが、そこに反応する者は居ない。

 

「……それと大体同じタイミングで母さんから届いたんだけど……」

 

 そう言いながらもう一枚の手紙を広げる。

 

 《久しぶりです。便りが無いのは元気な証拠、とは思っていますが、やはり元気にしているのであればその旨の手紙を欲しいものです。冒険者とは危険な職業とも聞いています。父さんは「あいつは大丈夫だ」なんて言っていますが内心心配しています。何かあって、便りも送れないような事態になる事もあったりするかと思うので、まめに、とはいいませんが連絡を欲しいと思います……》

 

「連絡していないのか」

 

 ゴブリンスレイヤーの直截な言葉に女魔術師のみならず、女神官を除く一党全員も気まずげに視線をそらす。

 

 さて、家族に息災を伝えたのはいつ以来になるか。

 

「えと、その弟には、よく出していたんだけど、親には、その」

 

 家族に全く連絡していないわけでないあたり、三人組よりはまだマシだったらしい。

 

 鉱人は鞄からごそごそと便せんになりそうなものを探し出し、蜥蜴僧侶や森人もそそくさと分けてもらっている。

 

「そうか」

 

 その言葉が、やや柔らかであったのを気づいた女神官は微笑を漏らす。

 

「それで、何がまずいの?」

 

 砕けた口調で女神官が先を促す。

 

「ええと、その続きのところで」

 

 そして、手紙をまた指さす。

 

 《というわけで、今度のあの子の長期休暇に貴女の様子を見てきてもらいます、父さんは自分から出向く暇もないから、あの子に頑張っているところを見せて安心させてあげてね》

 

 何やら胸に刺さった様子で三人がペンやらインクやらを用意し出す。

 

「だから、別にいいだろうが、姉として出迎えれ……なるほど」

 

 《それと、あの子への手紙だとものすごく活躍しているようだけれど……あの子はものすごく真に受けてるわよ? 貴女の前ではそっけない態度するだろうけど昔っからお姉ちゃん大好きっ子だしね、貴女も父さんに似て話を盛りすぎてしまったのだと思うけど、お姉ちゃんとして頑張ってね》

 

 書いていた文章の盛り付けっぷりに三人が「ぬぐぅ」と声を漏らし、紙をくしゃくしゃに丸める。

 

 つまりは、そういうことだ。

 

 故郷の誰かへの手紙をさぁ書くぞ、となって。

 

 小銭稼ぎで代筆屋をしていて、文筆の腕前が上がっていたのも、あるのであろう。

 

 筆が乗る、話を盛る、どちらも、誰でもあることだ。

 

 倒したゴブリンが三匹から十匹になり、追い払ったやせっぽちの獣は何人か食い殺してそうな凶獣になり。

 

 初めての冒険で毅然とゴブリンを退治し、

 

 街を襲うゴブリンの軍勢をばったばったとなぎ倒し、

 

 遺跡に潜ってはその知識を持って謎を解き明かし、

 

 最奥のボスを前に水薬をあおってシャッキリポンと全回復で、事に当たっては見事撃破!

 

 小さな事やら大きな事やら、盛った話は数知れず。

 

 盛りに盛って、ふくれあがった姉の雄志。

 

 それを弟が見に来る。

 

 

 

 由々しき、事態であった。

 

 

 

「正直に言えば良いだろう、話を盛りすぎていたが、頑張っているのは本当だ、と」

 

 そう、一番穏当な解決法をゴブリンスレイヤーが提示するも

 

「できないわよ! 私はあの子のお姉ちゃんなんだもん!」

 

 感情的に返すその言葉に、ゴブリンスレイヤーの動きが、誰にも分からないほど一瞬、止まる。

 

「……そうか、そうだな」

 

 姉の意地、なのだろう。

 

 弟の見てる前で、情けない姿を見せたくない。

 

 かっこいいところを見せて、自慢のお姉ちゃんでありたい。

 

 なぜなら自分はお姉ちゃんなんだから。

 

 そのために、歯を食いしばって努力する、周りの者に頭を下げて頼る。

 

 ちっぽけなプライド、だが、それが尊いのだ。

 

 それを分からぬ、ゴブリンスレイヤーではなかった。

 

 さて、心情的に、協力するのは吝かではない。

 

 だが、どうやって。

 

 銀等級の面々が出張っては、彼らは添え物になり、活躍を奪う。

 

 サブパーティーとしてメインの的確なサポート、邪魔にならない立ち回り、そういうことができるとしても、それを凄いとか素晴らしいとか、学院で勉学に励んでいる少年が思えるとは考えずらい。

 

 となれば剣士一党を陰に日向に持ち上げる事のできる多芸かつ頭の回る階級の低い人材、そんな者は一人しか居ない。

 

 ちら、と視線を向ければ女神官はニコリと笑みを浮かべ頷いた。

 

 

 

 若干の人の動きにズレがあるようだ。

 

 そわそわと弟を待つ女魔術師を眺めながらそう胸中でつぶやく。

 

 前回彼がこの辺境の街に居たのは自分たちがトロル退治に赴く前であった。

 

 それは学院を飛び出してきたからであり、今の彼がここに居るわけも無い。

 

 そして、今回はすでにトロル退治は済み、彼の暴走も無く、事前の知識と自分の力。

 

 凍らせるなり、焼き潰すなり、どうとでもなった。

 

 つまり安定してゴブリン退治は行われた。

 

 ある程度予想通り、昇進はお流れであった。

 

「見る目無いわねぇ」

 

 と森人が言ったぐらいで他の一党がどうこう言うことは無かった。

 

 成り上がりたかったら、そもそもいくらでも上を目指せる少女だからだ。

 

 それをあえてせず、ゴブリン退治にあけくれている。

 

 特に落ち込んでいる様子もなく、掛ける言葉も、必要性も、大して感じない。

 

 その対応は自分の日々の振る舞いからすれば当然なのであるが、少し寂しかった。

 

 それはそれとして、しばらくしての今日、彼の到着予定日である。

 

「弟君ってどんな子?」

 

 どれどれと着いてきた女武道家が、そういえば、と問いかけた。

 

「すっごいいい子なの」

 

 ガンギマリの目であった。

 

 たまに、友人である女神官もしている目だ。

 

 多大な濁流のような愛情が、ごろりと丸く磨き上げられたような巨岩になった、そんな目だ。

 

 下手なことを言えば、戦いが始まる。

 

 そういう目である。

 

 女武道家は一瞬で理解した。

 

 ブラコンだこいつ。

 

「あっ」

 

 そう嬉しげな声が漏れる。

 

「あっ」

 

 返すのも同じような声。

 

 姉弟の声だ。

 

 姉は笑顔をさらに濃くして。

 

 弟は年相応の無垢な笑顔をあわてて押し隠し。

 

「久しぶり! 手紙はよく出してたけど一年ぶりよね?」

 

「あ、あぁ、久しぶり、姉さん」

 

 女神官や女武道家がいるのを見て、更に背筋を伸ばして取り澄ました顔をする。

 

「姉さん!? うわっ、お姉ちゃんお姉ちゃんって言ってたのに!! うわっ、うわっ」

 

「ちょ、待てよ!?」

 

 見たことの無いテンションであった。

 

 女武道家と女神官はどこか疲れた様子で顔を見合わせた。

 

 帰るか

 

 帰りましょうか

 

 そういうことになりかけた。

 

「あ、そうそう紹介するわ! 一緒に一党を組んでる武道家と神官の二人」

 

 逃げ損なった二人の前にうきうきと自慢げに自分の弟を押し出す。

 

 少年の視線はまず顔、そして胸。

 

 そして、視線は最終的に女武道家の胸に向かう。

 

 変わらないなこの野郎、と女神官は思った。

 

 未来の女房である圃人はもちろんまだ出会っていない。

 

 ムッツリ巨乳派の彼が、己の掌をやたら無駄に深い色の瞳で眺め「貧乳をブラの上から揉む楽しさを分からない奴には、何をやらせてもだめだ」とか堂々とのたまう嫁バカになるのはもう少し先の話だからだ。

 

 大体即座に嫁のフルスイングが入るおしどりバカップルである。

 

 ありえる予定は訓練場へのゴブリンの襲撃だけだ。

 

 はてさて、どうなることやら、と女神官は思考を巡らせた。



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第十八話

「しゃあっ!」

 

 裂帛の気合いと共に刃引きした剣を黒曜等級の識別表を付けた剣士が振り下ろす。

 

 それを女騎士が同じように訓練所の備品の盾でいなす。

 

 盾捌きというモノは、戦い続ける上で大事なものだ、と女騎士は考える。

 

 なにせ、死んだら終いだ。

 

 相手の攻撃を捌き、体勢を崩し、攻撃を見舞う。

 

 それでも、相手は崩れない。

 

 良い剣士だ、と女騎士は素直に思う。

 

 また、良い頭目だ、とも思う。

 

 諦めず、戦意を滾らせ、食い下がる。

 

 さらにその戦意の陽炎の奥にこちらを虎視眈々と伺う冷静さがある。

 

 田舎育ちの粗野とここまでやってきた冒険心に向上心、そして頭目の責任感が戦い方を形成している。

 

 前衛の資質、一党の頭目の才覚、共にあるとなれば、死にさえしなければ良いところまで行くであろう。

 

 技は、突きが多い。

 

 閉所で痛い目を見た者の太刀筋だ。

 

 失敗を下地に鍛えた太刀筋だ。

 

 失敗を努力の起点にできる者だ。

 

 強くなる。

 

 畳み掛ける、あるいは重みのある一撃としての振り打ちは覚えておいて損は無いが、新米にそれは求めすぎか。

 

 それに、技の連続はともかく、それの終わった瞬間の居つきがまだまだ致命的だ。

 

 まだ、力の底が浅い。

 

「うわっ」

 

 盾で突き飛ばしながら、足を払う。

 

 冒険者の技は剣術の比べあいではない。

 

 殴りつけて投げたり、二系統の攻撃を相手に畳み掛けるのは基本だ。

 

「くっ」

 

 苦し紛れ、なれど破れかぶれでは無い意思のこもった投擲。

 

 今まで振るっていた剣を投げつけたのだ。

 

 投げつける先は膝。

 

 避けるにせよ、盾で払うにせよ、こちらはワンアクションを支払わされる。

 

 と、思うだろう。

 

「うえっ!?」

 

 飛んでくる剣に、盾を構えて突っ込む。

 

 剣を弾き、そのままはね飛ばしに行く。

 

 そこに、剣士が盾を合わせてきた。

 

 吹き飛ばされる動きのまま後ろに転がり、起き上がる。

 

 左手は盾を構え、右手には鞘を握っている。

 

 鞘をいざというときの打撃武器としてベルトから抜き取れるようにしてあったらしい。

 

 盾の防御に専念しての一撃狙いだ。

 

 飛んでいった剣を一瞬確認するも追わない割り切りもいい。

 

 確認しておけば、場合によっては拾って使うこともできるからだ。

 

 ーーなにより、盾を頼みにするとは、見所がある。

 

 個人的嗜好であるが、気に入る気に入らないなんてそんなもんだ。

 

 こんな前衛はしぶとい。

 

 倒れない頭目は、良い頭目だ。

 

 歯ごたえのある若手に、女騎士は獰猛に口角を上げ、舌なめずりした。

 

 

 

「うぉ……」

 

 その殺伐さすら感じる試合に鼻白むように赤毛の弟魔術士は息をのんだ。

 

 雑多で、活気のある、武器と冒険心を持った者どもの訓練所である。

 

 どの依頼に連れて行くにせよ、護衛対象でもない者が冒険者登録無しで連れ回して万が一の事態があってはよろしくない、とは相談をした受付嬢の弁だ。

 

 とりあえず、冒険者として本格的に活動するかは未来の話として、登録させる必要があった。

 

 そういうわけで形式的ではあるが弟魔術師は冒険者となり、首元には白磁の認識票が下げられることとなった。

 

 かつてはゴブリン憎し、という姿勢であったが今は姉の活躍兼職場見学、といった様子だ。

 

 かつての未来では東方から来た人狼の戦士や嫁の圃人の戦士などと冒険を繰り広げ、魔法老師と呼び慕われる時代を代表する大魔道士となるのだが、今はまだ眼球が下半身に振り回されている青少年だ。

 

 たむろしている女性冒険者の胸やら腰やらにチラチラと目が行く。

 

 チラ見していると思っているのは男の勝手で、女からすればガン見である。

 

 さてさて、彼の嫁は、と見渡してみると、居た。

 

「一発撃ち込んだら二発目打ち込め、打ち込み時だ! 一撃で倒れてくれるなんて期待するな! 倒れるまで打て!」

 

「うすっ!」

 

「ひぃ、ひぃ、ひぃ」

 

「当てるときは拳を握り込め! 打ち込んだ瞬間、武器が暴れるっ! ねじ込まなきゃすっ飛ぶぞ!」

 

「はいっ!」

 

「ふっー、ふっー、んぐっ、りゃあっ!」

 

 ずしりと太く重い鶴橋の柄のような棍棒で重戦士と戦士と圃人戦士が人の胸元ぐらいにまで積まれた土塁相手に一列になってひたすらに叩いている。

 

 圧倒的質量差の相手を殴り殺しにかかる鍛錬だ。

 

 モンスター相手に自分と同じ体重に痩せてきてください、なんて言う者は居ない。

 

 ならば、この星で最も重いモノに全霊で打ち込む練習は、きっとどこかで活きる。

 

 体格と経験の差、それが一列に並んでいる。

 

 ドスンッ! ダンッ ドッ

 

 後を追うように打撃音が続く。

 

 土塁が打撃によって各自の前がえぐれていく。

 

 土塁の端には円匙と鍬があり、各人自分が使ったところを補修できるようになっている。

 

 視線を戻すと、剣士は盾捌きの巧妙さをもう何段階かあげた女騎士に攻撃を捌かれている。

 打点をずらして押し込む、そらす、引っかける、どっしりと受け止める。

 

 そこからの反撃も様々だ、盾の上下左右から巧みに攻撃を差し込んでいく。

 

 さまざまなバリエーションを惜しげも無く披露する。剣士を随分気に入ったようだ。

 

「ありがとうっ、ございましたっ!」

 

「うんっ! いいガッツだった、お疲れ様!」

 

 殺撃での鍔と刃の根元での足斬りと足払いの混合技で転がされて一区切りが着いたのか、お互い一礼をして飛んでいった剣を拾い、入れ替わりで順番待ちしていた他の組が円陣へ入っていく。

 

 重戦士三人組も一段落したのか後片付けをして近くで見学をしていた聖女とともにこちらへ向かってくる。

 

 こちらを認めて剣士がニカッと頼もしさのある笑みを浮かべ手を振る。

 

 こう、才覚が花開くことも、ありえたのだ。

 

 彼が頭目で、こうして幼なじみである女武道家と女魔術師と、私で。

 

 ゴブリン退治もすぐさま卒業して、盗賊退治だ、オーガだ、果てはドラゴンだ。

 

 そんなことも、あり得たのだろう。

 

 その笑顔が眩しくて、ふと視線をそらした。

 

 すると、やたら険のある目つきで弟魔術師が剣士を見ていた。

 

 睨んでいる、といっても良い。

 

「おつかれ」

 

「おつかれさま」

 

「ああ、でもやっぱり銀等級の人と打ち合うって勉強になるよ、あぁ、君が彼女の弟?」

 

「……初めまして」

 

「ああ、初めまして、俺が君の姉さん達の一党の頭目をさせてもらってる、まだまだ駆け出しだけどね、よろしく」

 

 差し出された手を、弟は取ろうとしない。

 

「なにしてんの! ほら挨拶なさい!」

 

「いでっ! やめてくれよ姉ちゃん!」

 

 すぐさま、ポンと姉の拳が弟の頭に降り注ぎ、渋々と弟は剣士の手を握る。

 

「そこの二人はもう紹介は済んでるかな? 地母神の神官の子は常時ウチの一党って訳じゃ無くって、正直久しぶりに組むんだけどね。いつもは銀等級の人達とかけ回ってる、同期じゃ一番の腕前だよ、あとは……おおいっ!」

 

「見えてるって、術師さんの弟さんだろ、俺は見て通りの戦士職、でもってコイツが」

 

「私は至高神に仕えています、コイツとは同郷の幼なじみ」

 

 さくさくとした紹介とともに、ふと申し訳なさが首をもたげた。

 

 前回とは違い、自分たちは全員が何事も無く生還した。

 

 そして、帰還して、私は勝手に一党から彼の元へと転がり込んだのだ。

 

 神官が抜け、大変な時期もあったはずだ。

 

 それを恨み言一つ言わずに居てくれる。

 

 今更、謝ってどうこうなる話では無い。

 

 だから、行動で返そう。

 

 そう思い直し、ギュゥと錫杖を決意も新たに握った。

 

 

 

 トロル付きのゴブリン退治を受けて、冒険者ギルドから訓練場周辺の再調査の依頼がいくつか張り出されることとなった。

 

 無論、訓練場建設が認可されるに至り、それなりの調査はされた。

 

 とはいえ、今まさにゴブリンどもが居たわけで、まだまだ建築作業などは続く。

 

 よって、再調査の必要がある、とされたわけだ。

 

 あくまで、再調査であり、モンスター等見つけ次第始末、ではない。

 

 ただ、事前調査で発見できなかった遺跡などがあった場合は、可能な限り情報を収集することも依頼内容に含まれていた。

 

 トロル付きの群れが居た場所が陵墓であったように、ここはおそらく辺境の街やその前身である古代都市の外郭の更に外にあたる場所であったのだろう。似たような形式の陵墓が点在していた。

 

 都市のど真ん中に大型の陵墓はなかなか作りづらい。

 

 逆に、このあたりにそのような陵墓があるという以上、このあたりの地域は陵墓群である可能性はそれなりに高い。

 

 石材の輸送等の都合上、作りやすい物は作りやすい場所にまとまるからだ。

 

 通路に玄室、よくある形式の陵墓と聞いた、と彼は言った。

 

 つまりそれを教えた人間、あるいはその周囲の知識人からすれば、その形式の陵墓はこのあたりでよくある、物珍しいものでない、と言うことだ。

 

 再調査用にもらった地図は、確かに数カ所の陵墓が記載されている。

 

 場合によっては、更にあることであろう。

 

 そういえば、自分のお墓はどうなっただろう。

 

 多分あの死に方だと遺体は十全に残っているから普通に埋葬されたはずだ。

 

 先日の陵墓のように荒廃し、何かのモンスターやゴロツキの巣窟には……なっていないといいなぁ、と思いながらも八人の大所帯で歩く。

 

 圃人の少女も暇していたらしく、小遣い稼ぎ兼勉強に着いてくることになった。

 

 友人たる妖精宰相が国に居る間はそうそう粗略に扱われるような事は無いであろうが、五百年から先は分からないし、そもそもあの国が五百年保つかもまた分からないところだ。

 

 もとよりゴブリンを殺し尽くすために手に入れた人類だ、目的を果たした以上、用は無いといえば、無い。

 

 とはいえ、ゴブリンを滅ぼして、ゴブリンが滅んでいない方がマシな乱世にしてしまっては元も子もない。

 

 だって、きっとそうなったら彼は悲しむ。

 

 手は尽くしたし、平和な国がそれなりに長持ちしてくれるといいのだが、とは思う。

 

 どもこもならんようなら、ウチらで金床はかくまっちゃる、と大族長たる鉱人や竜となった僧侶が誓ってくれたから、故郷なりどこへなりと行っているかも知れない。

 

 まぁ、なるようになるのだろう。

 

 気を取り直して周囲を見回す。

 

 基本陵墓群というものは大規模な一つ、その時の大王なり皇帝なりが入っている、の周りに小規模な物がいくつもある、というのが基本的な配置だ。

 

 稀に遠隔地にポツンと一つだけあることもあるが、今回の場合はいくつもあるようなので、逆に大きな陵墓がどこかにある可能性が無くは無い。

 

 訓練場近くの池等の湖沼、その他流れる川からざっくりとした過去の川の形を仮定して、現在分かっている陵墓の配置とその中心になるエリアの辺りを大型陵墓のありそうな位置か、と目星を付ける。

 

 先遣隊として牧羊犬を走らせてみて、さらにエリアを狭め。

 

 それらの情報、考え方を、牧羊犬周りは伏せつつこっそり女魔術師に渡す。

 

 流石ねぇ……というため息を吐いていたが、そんなことをおくびにも出さずに剣士達に地図を広げて説明をする。

 

 弟魔術師も姉の推理にご満悦である。

 

 本人は素っ気ない振りをしたがっているが「姉ちゃんやっぱすげぇや!」という瞳の輝きは隠せていない。

 

「まぁ必ずあるとは限らないけどね」

 

 と前置きしつつ、その辺りへ向かうこととなった。

 

「私はあっちのほうを探してみますね、反対側はよろしくお願いします」

 

 その頃には牧羊犬が入り口を見つけていてくれたので帰ってもらいつつ、さりげなく女武道家に水を向けて見つけてもらう。

 

「わっ、あった! あったわよー入り口!」

 

 そう歓喜の声を上げるのは日頃斥候の練習をして、それが報われたからだろう。

 

 以前潜った陵墓と似た様式の物だ。

 

 牧羊犬がゴブリンの臭いをはじめ特段モンスターの臭いを嗅いでいないので少なくとも体臭があるタイプのモンスターは居ないであろう。

 

 もし居るとすれば、ゴーレムやガーゴイルのような魔法生物が考えられなくも無い。

 

 陵墓の入り口に八人で集う。

 

「新規の遺跡かー、こう昂ぶるよな」

 

「そうね」

 

 戦士と聖女もうきうきと顔を見合わせる。

 

 新しい遺跡、そこに初めて踏み込む自分たち、気分が高揚するのは当然だ。

 

 どんな謎や罠、モンスターがいるのか、未知への冒険にみな浮き足立つ。

 

「とはいえ、とりあえずさわりだけ調査してみよう。ゴブリンとかが巣くっているかもしれないし、見てみないと分からないけど、かなり深くて本格的にここに潜るなら装備を整えてからにしよう」

 

 頭目として、水を差すのは剣士の役目だ。

 

 それに、ムッとした様子を隠さないのは弟魔術師だ。

 

 なんだよゴブリンぐらい、と顔に書いてある。

 

 折角自分の姉が見つけたのに、いけるだけいけばいいじゃないか、といった様子だ。

 

「了解」

 

「そういやここ地図上じゃどの辺りになるのかな?」

 

「んー山からの距離とかからすると……まぁ、この辺りかな」

 

 一党の面子はおとなしく従う、一番の冒険好きが誰か知っているからだ。

 

「それじゃ、これ、役目ね」

 

 そう言いながら女魔術師が松明を弟に押しつける。

 

「……わかった」

 

 ちら、と視線が女神官や聖女に向く。

 

 あいつらでいいじゃないか、といった視線だ。

 

 微笑ましい過信に、微笑を向けると不機嫌そうに視線を切る。

 

「むう、なーんか偉そうよね」

 

「まぁまぁ、自分の役目に自負があるのは良いことですし」

 

 やや腹立たしげな聖女を取りなしつつ、圃人の少女に目を向ける。

 

「ほらほら、隊列決めをしますよ」

 

「わっとと、はい」

 

 そういって、やや孤立気味の少女の後ろに回り集団へと押しやる。

 

 ちょっと意識的に、不機嫌そうな弟魔術師の横に彼女を立てて、自分も並ぶ。

 

「それじゃ、俺とコイツが先頭、間に術士組を、そんで殿は戦士と女神官と圃人の子」

 

 ナチュラルに神官戦士扱いだが、付き合いの長いもので異を唱える者は居ない。

 

「殿頑張りましょうね」

 

「はいっ」

 

 そう声を掛けて遺跡に潜る。

 

 石造りの、通路と玄室のシンプルな構造だ。

 

 古くに語られる牛人の迷宮のような脱出困難なモノではないだろう。

 

「あなたは何で冒険者になったの?」

 

 そう、くりり、と白磁級同士話しやすいと思ったのか弟魔術師へ圃人の少女が話しかける。

 他の面々はタイミングは多少のズレこそあれ今や黒曜等級だ。

 

「え!? え、ええっと……」

 

 お姉ちゃんの職場見学で……とは口が裂けても言えない。

 

 たとえ未熟で新米未満といえ、男の子だからだ。

 

 姉に似た聡明な頭脳を本人なりにフル回転させたのだろう。

 

 つまり、盛大に空転していた。

 

「りゅ、竜を倒す」

 

 女魔術師が顔に手を当てた。

 

 弟からは見えていないだろうが、その顔を振り返ってみた女武道家の顔を見れば姉の顔が真っ赤になっているのは容易に想像できた。

 

「ドラゴン! そっかそっか、うん! 倒せるといいね! よっ、未来の大魔道士様!」

 

 そうあけすけに声援を送られ、そのまぶしさに視線をそらす。

 

「そ、そっちはなんでなんだよ」

 

「私? 私は目指せ稀代の大戦士! 体格がなんだ! 私の一撃は竜だってコテンパンなんだ! いつかね!」

 

 スタートラインに立ったばかりの、まっすぐに上だけを見た言葉。

 

 それは一年とはいえ現実を駆け抜けてきた彼ら達にはまぶしさを感じるものであった。

 

 

 

 探索自体は非常に何事無く、順調であった。

 

 一室ずつの丁寧な探索も、もともとの依頼であるため弟も不満を漏らさない。

 

「罠の察知が苦手だって思うならあまり壁に不用意に近づくなよ、俺らが聞いた話じゃ隠し戸棚から落ちてきた水薬で……」

 

 そう戦士が忠告がてらもったいをつけて言葉を切り。

 

「み、水薬で……?」

 

「性別が反転する」

 

「なにそれ、何が怖いの?」

 

「そうだよ、ヒキガエルになっちまったとかじゃないんだろ?」

 

 拍子抜けした、という二人の様子に男二人が、無言で意味ありげに目をそらした。

 

 それはそれは、おそろしい話なのだ。

 

「はいはい、無駄口たたかない、さて、そろそろ奥ね」

 

 そう緩んだ空気を女魔術師が諫め、どうする、と視線を剣士へ向ける。

 

「そうだな、交戦も無し、術の消耗も無いし、中を覗いてみよう」

 

 最後まで行ってみよう、とは言わない。

 

 扉の向こうは、いつだって未知だからだ。

 

 下手に使命感を持たせては仲間達はずるずる引けなくなる。

 

 それは危険だ。

 

 感覚的にではあるが、剣士は頭目としての振る舞いを身につけつつあった。

 

 

 

 

 ギィ、と扉が開かれる。

 

 ひやりとした空気が、不気味だ。

 

 広々とした最奥の一室であった。

 

「まずは探索、いや、警戒。こいつと女神官の二人で見回ってもらう、他は何があっても二人を連れて逃げに入れるように」

 

 それは、言葉にするにはあやふやな圧迫であった。

 

 だが、無視するわけには行かない冷たさを感じた。

 

 故に、探索に関する技能を持った女武道家と女神官以外をまとめることにした。

 

 これは、どこで感じたか。

 

 あれは確か、銀等級の二人と遺跡の最奥に挑んだ時、

 

 頭上には天上一面といっていいような悪魔。

 

 

 上

 

 

「上にいます」

 

 そう静かに女神官の言葉に被せるように指示を打つ。

 

「二人とも引いて! 上に《聖壁》!」

 

 女神官が影が滑るように、女武道家が猫の跳ねるように、戻り、奇跡が一党の上を覆う。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 果たして、居たのは二体のガーゴイルであった。

 

 手には三つ叉の槍がまがまがしい。

 

 急降下しての一突きは、鳥人の戦士の一撃のごとくその身を矢とした一撃だ。

 

 巨獣すら一撃で大地に縫い止めるほどの威力がある。

 

 しかしそれは、女神官の賜った奇跡を抜けるものでは無い。

 

「せえっ! やたっ、当たった!」

 

 投石紐を用いた投擲、聖女の習いたてのソレは拙いなりに出目が良かったのであろう。

 

 ガーゴイルの翼に当たり、飛翔の力を奪う事に成功する。

 

「よし! 落ちたのから仕留める! 《聖壁》は?」

 

「大丈夫です、まだ保ちます」

 

 簡潔な問いに、簡潔に返す。

 

「なら落ちたのを倒してから残りを魔術で落とす! 呪文のタイミングは任せた! 聖女は俺らに《聖壁》頼む、いくぞ!」

 

「おう!」

 

 言うが早いか、至高神の力に包まれた剣士と戦士が突っ込む。

 

 それを見やりながら、女武道家は呪文遣いの護衛へと位置取りを変える。

 

 前衛二人は、連携も手慣れたもので着実にガーゴイルを打ち崩していく。

 

「《矢・必中・射出》!」

 

 一体目が崩れ落ちるのを見届け、女魔術師が《力矢》の魔術をみまい、またガーゴイルが地に落ちる。

 

「よっしゃっ!」

 

 快哉をあげた弟は、ガーゴイルが落ちた先を見て血の気が引いた。

 

 それは奇跡を嘆願している女神官のすぐ近くであった。

 

 地母神の神官が争いごとを好まないのは常識だ。

 

 腰の山刀だって、多分野山を行くためのモノとか念のための護身用なのだろう。

 

 女武道家は、姉と聖女の護衛で遠い。

 

 

 自分が、やらねば。

 

 

 そう、二人は思った。

 

 

「んっ!」

 

 剣を抜き放った圃人が担ぐような圃人の体格を生かした低い構えのまま突っ込む。

 

「頭下げてろ! 《火石・成長・投射》!」

 

「あいよ! りゃあっ!」

 

 頭上を火の玉が駆け抜けていき、炸裂。

 

 そこに、追撃の一撃をまっすぐ打ち込む。

 

 星を殴って鍛えられた戦士の一撃は、石像ごとき耐えられるものでは無かった。

 

 

 

「やっぱ、あれだな、俺の《火球》だよな、こうバシュッ、ドカーン!」

 

「なにいってんの、私の一撃あればこそよ!」

 

 わいのわいの、冒険終わって日が暮れて、街へ帰って宴会だ。

 

 大型陵墓の発見と探索で依頼料にはかなりの色がついた。

 

 金銀財宝や封印された大魔王、そんなのは無かったけど冒険だ。

 

 自分の活躍を大いに語り、相手もなにを自分だってと胸を張る。

 

 冒険の幕引き(ファイナルブロウ)は誰もが誇らしく語るものだ。

 

 ソレを肴に先達は酒を傾け、やはり己の武勇・活躍を舌に乗せる。

 

 戦士が調子外れな歌を始めれば、聖女がこうするのよ、とばかりに整った調べで続く。

 

 女魔術師が密やかに囁くように続けば、女武道家が凜とした声で応える。

 

 最後に出るのが剣士の勇ましくも頼もしい声だ。

 

 いつも、そうしているのだろう。

 

 彼らは彼らでもう、歴とした一党なのだ。

 

 それはとても嬉しいことで、少し寂しく、しかし爽やかに女神官の胸中にあった未練を晴らすものであった。



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第十九話

「何かいいことあった?」

 

 ふと気づいた、というようにこちらを見る森人に、ええ、ちょっと、と女神官が応える。

 

 ころり、と手にしたグラスには大きな氷。

 

 いつもはその小さく可愛らしい口でちびちびとワインを舐めて周囲を眺めながら飲むのが常だ。

 

 火の酒を氷だけで味わう、彼女らしくない飲み方だ。

 

 だが自分との二人っきりの酒では、彼女は懐かしそうにそうする。

 

 だから、それはそれでいいのだろう、と思う。

 

「そ、か、うん、よかった!」

 

 快活に森人らしく返し、自分もまた酒をちびり。

 

 女二人のちょっとした贅沢。

 

 ギルドの酒場は使わない、密やかな酒宴。

 

 みんなで大いに騒いでのんでというのも楽しいが、こういう時もあってもいい。

 

「何とかなって良かったわね」

 

「ええ」

 

 滑り出しがよければ、後もまたうまくいくものらしく。

 

 弟魔術師は剣士一党、というか剣士への姉を盗られたような嫉妬などもなりを潜め仲良くやっている。

 

 圃人の少女とも円満にやっているようで、訓練場できゃいきゃい騒いでいるのを見かける。

 

 後はまぁ、訓練所への襲撃の件を前もってこちらから攻め込めれば一通りめでたしめでたし、というところか。

 

 姉の術士としての威厳ということで、鉱人道士に同一真言重複詠唱の伝授を受けて、それをまた弟に披露していたので、後々の彼の技術向上の礎にもなってくれたように思う。

 

 最初にこちらに丸投げをするように泣きついてくれて、一党が積極的な協力体制に傾いたので、話が全体的にスムーズに進んだのが大きい。

 

 同一真言重複詠唱による多彩で独創的な魔力活用や《遅延》による魔術の同時起動、無詠唱起動などは彼の戦い方の基礎であるので、前の通り同一真言重複詠唱をここで覚えていってくれないと、どこで命を落とすか分からない。

 

 彼が育てた後進達が様々な魔術研究を支える人材になっていくことになる。

 

 将来的に皇都が月や世界各地との《門》の常設にこぎ着けたのは彼らの研究に依るところが大きい。

 

 利害関係だけで話をするわけで無い、長い付き合いとなる友人であり師でもある彼に死なれるのは単純に悲しい。

 

 とまれ、諸々の杞憂も過ぎた。

 

 昇級のタイミングはずれるかも知れないが、犠牲者の少ない方が、いいだろう。

 

 《看破》に関しては、監督官の彼女には悪いが《二枚舌》なり《幻聴》なり、かいくぐる方法はいくらでもある。

 

 私が嘘を言わず、相手が不審に思わない声が耳に入ればよいからだ。

 

 大規模国家の樹立には魔術や精霊、奇跡の詳細な解析が必要不可欠であったからだ。

 

 剣の乙女の協力やそれ以後の研究検証により、私一人が、不意を突かれていなければ、ではあるが、ちょこっと問答をくぐり抜けるぐらいどうとでもなる。

 

 しかし技術でくぐり抜けるのはどうしてもどこまで行っても運頼りになるので、水の街の彼女直々の見逃し免状でも監督官の彼女宛にもらえれば楽なのだが、現状そういう訳にもいかない。

 

 とりま黒曜等級に昇進した時のようにいけば問題なかろう。

 

 さて、とふと空を見上げる。

 

 双月がまるでオッドアイの巨人のように地上を見下ろしている。

 

「ままならないものですね」

 

 ーーなった。

 

 勇者になった。

 

 英雄になった。

 

 王者になった。

 

 歴史になった。

 

 伝説になった。

 

 数多の神代の武具を授け、数多の英雄に数多の邪悪を討滅させた。

 

 国という国を下し、竜に膝を突かせ、巨人を駆逐し、悪魔を狩り、世界を救った。

 

 隠された遺跡を探索させ、世界の神秘を研究させ、その真実を力に国を盤石なものとした。

 

 見渡すほどの忠臣、民衆に慕われ、万雷の拍手と喝采の声を浴び、世界の頂点に上り詰めた。

 

 現実という金床と憎悪という炎と宗教という水と正義という鎚で、人類をゴブリンを殺す刃へと打ち換え、手に取った。

 

 磨きに磨いた術で覇を唱え、その振るう錫杖には何千万という兵が一心に従い、後々にまで語り継がれるであろう武名をほしいままにした。

 

 志ある人たればかくあれ、と呼ばれる者になった。

 

「あぁ」

 

 ため息一つ、空を見上げる。

 

 双月が、こちらを見下ろしている。

 

 空の彼方のその向こう。とてもではないが手の届かないその高みの光を、手に入れた。

 

 天上天下、おおよそこの世界ができて、最も多くのモノを手に入れた女なのだろう、自分は。

 

 最も、強欲な女なのだろう。

 

 そんな自分が、彼を、取り逃がした。

 

 そんな自分が、この時に舞い戻った。

 

 まだ、彼は手に入らない。

 

 ゴブリンを滅ぼした世界を捧げれば、彼は手に入るだろうか。

 

 それは、今回分かる。

 

 

 

 ゴブリンどもは、慎重に、彼らなりに、ではあるが事を進めてきた。

 

 周到に伸ばしたトンネルは、四つに分岐し、多方面から冒険者達の作る“巣”を襲える。

 

 彼らの親玉である上位種はその“巣”を自分の城におあつらえ向きだ、と考えたのだ。

 

 どこに襲いかかるにもよし、おあつらえむきに武器も道具もしっかりある。

 

 その頭脳には訓練所を簒奪し、周囲の村々を好き勝手に脅かす、邪悪で陰惨な欲望だけがあった。

 

 別段防衛用に作られたわけで無い訓練所を占拠したとて、いざ人間達が討伐に乗り出せばたちまちに退治されてしまう、そんなことはゴブリンの頭が思い当たるはずも無く、襲撃と蹂躙の未来にその頭は占拠されていた。

 

 元気そうな女が多かった、男もそれなりに食えそうだ。

 

 楽しみな未来に、胸は躍る。

 

 だから、無造作に《隧道》でもって討ち入りされるとは夢にも思わなかった。

 

 流し込まれる毒煙に《呼気》の指輪を付けた冒険者達に頭を射貫かれ、腹を刺され、首を切られ、ゴブリン達は討伐されていく。

 

 なぜ、この隧道がばれたのか、正確に把握されたのか。

 

 《透視》の術に、ゴブリンが思い当たることなどついぞなかった。

 

 

 

 首元には鋼鉄製の認識票。

 

 久しぶりのそれを首元に街を歩く。

 

 向かう場所は駅馬車の乗り場、常であれば女魔術師の仕事場だ。

 

「手紙だすからさ、卒業したら追っかけてきてよね」

 

「あ、ああ」

 

「じゃ、また後で!」

 

 からり、と風のように圃人の少女は旅に出る。

 

 名残惜しげな彼を見るに学院を中退するのは、認められなかったようだ。

 

「卒業まであと少しなんだし、いっそ飛び級じゃ無いけど成績さえよければ繰り上げの卒業だってあるしね、女の子待たしてるんだから頑張るのよ」

 

「わ、わかったよ……うん、頑張る。父さん達には姉さん凄く頑張ってたって伝える」

 

「うん、お願いね、私も……前よりは手紙出すようにするからさ」

 

 彼女の一党が馬車で飲め食べろとあれこれと弟魔術師に土産を押しつけ、目を白黒させている彼に女神官もどうぞ、と砂糖菓子を渡す。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「竜、倒せると良いですね」

 

「うっ、ま、まあ」

 

 まさかいじられるとは、という苦笑いにそっと、言葉を添える。

 

 それは世界を駆け抜けた大魔道士の物語のほんの一端。

 

「《赤毛の魔術師、巧みの術士、圃人の少女と人狼と、西へ東へ大立ち回り、竜を討つか、巨人を討つか、圃人の忍びの助力を得ては真祖の吸血鬼を師と仰ぎ、弟子をとりて果ては月への門を開いたり》」

 

 その言葉に、弟魔術師は大きなハテナを浮かべた。

 

「それ《託宣》?」

 

 聖女が瞠目し、女神官へ問いかける。

 

「わかりません、ただ、お伝えをせねばと。ちなみに忍びの人は根性見せるのが大事なようです」

 

 そう言い切られては、それ以上問いかけることもできない。

 

 託宣はぶつぎりで分かったような分からないようなモノが多いからだ。

 

「凄いじゃないの! 竜に巨人に月! 大冒険よ大冒険!」

 

「わっ、ちょっ、姉ちゃん」

 

 弟の未来の勇姿に姉がはしゃぎ回る。

 

 姉をなんとかなだめて、弟の出発を見送る。

 

 弟の姿が見えなくなったところで、姉はこらえていた目元の涙をぬぐった。

 

「それじゃ! 姉としては弟に負けないような冒険しなくちゃね!」

 

 そう決意を新たにする女魔術師にあきれ顔を向ける一党達は、

 

「そうだな」

 

「でもまぁ」

 

「とりあえずは」

 

「お疲れ様で」

 

「一杯飲みに行きますか!!」

 

 剣士の締めの言葉で六人は酒場へ向かうこととなった。

 

 

 

 珍しい姿だ。

 

 くたり、と赤い顔でうつらうつらと正体をなくす彼女など、ゴブリンスレイヤーは見たことが無かった。

 

 いつも穏やかな笑顔を浮かべているか、凜としているか、ともあれ腑抜けている彼女は珍しい。

 

 年齢層も人種もまるでちがう一党での宴と同期飲みはまた違うといったことだろうか。

 

 こうみると、年相応な少女だ。

 

 剣士も聖女も相方の介抱ということで部屋に運ぶべく、ここに姿は無く、守りを頼まれた形だ。

 

 剣士に聞くに、何から何までたすかりました、と女魔術師は言っていたらしい。

 

 この娘の事だ、十全にやり抜いたのであろう。

 

 何か、してあべるべきだろう。

 

「うみゅ、ぁう、ん、ふふぅ」

 

 あどけない寝顔と寝言に、丸まるように添えられた手に指輪の銀光がチラリと光る。

 

 ふと、それを見て。

 

 全く以て彼らしくない衝動がわき上がってきた。

 

「ありゃ、めずらしいわねこの子が」

 

 それを見つけた森人が店に入るなり寄ってきて、はて、毛布でも持ってこようか、部屋に連れて行こうかと思案している。

 

 姉貴面できるまたとない機会に、その顔は静かに浮ついている。

 

「同期で飲んで潰れたらしく、守りを頼まれた」

 

「あぁ、まぁ同年代だとなんか気安いのかしらね、私達の時だとどうしてもみんなに気を遣ってて、まぁそれが楽しそうだからいいっちゃいいんだけど、それでどうするの?」

 

 部屋に連れて行くか、起きるまで待つか、そう聞いたつもりであった。

 

 だから、まるで童心に返ったような悪童そのものの声色のその返答に虚を突かれ、そして、しばらく彼女はこの件を大いに語り草にすることになる。

 

「驚かせるから一枚噛め」

 

 

 

「よ、っとと」

 

 ゆらり、ゆらり、昇っていく。

 

 自分の足では無く、誰かの足によって。

 

「う?」

 

 そして、ベッドに自分の体が沈む。

 

 うっすらと目を開けると姉のような穏やかなまなざしで自分に毛布を掛ける友人。

 

「ありゃ、おこしちゃった?」

 

「あ……ごめんなさい」

 

 慌てて起き上がろうとするも、押しとどめられる。

 

「いいのいいの、ほら、起き上がらなくて良いから、そのまま毛布にくるまって寝ちゃいなさい、ね」

 

 そう言って、肩までしっかり毛布を掛けて、そう念押しする。

 

 そのいたずらっ子のようにつり上がった口元を、女神官は気付けない。

 

 完全に心を許した相手には、彼女のガードはダダ甘なのである。

 

 とろけるように、再び襲ってきた眠気に、友人の言葉に甘えて、意識を手放す。

 

 それを見届け、森人はするりと部屋を出る。

 

「どうだ?」

 

「うん、バッチリ!」

 

 声を抑え、共犯者の笑みを密かに待っていたゴブリンスレイヤーに向け、そそくさと二人は立ち去る。

 

 部屋の中で眠りに落ちた少女。

 

 朝目覚めて、彼女は気づくだろう。

 

 己の指の指輪に輝く、彼女の瞳のように蒼い蒼いサファイアの輝きを。



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幕間 蜥蜴のグルメ

 

 香りが、キラキラと輝いていた。

 

 鼻腔が、幸福を感じている。

 

 小さな、肉片である。

 

 皿には、ささやかな野菜と小さな肉片があった。

 

 ほぅ、と吐息が漏れる。

 

 美しい肉だ。

 

 皿にしたたる肉汁を見て、あぁ、と声なき声が漏れる。

 

 それすら、惜しい。

 

 さて、と思わず背筋が伸びる。

 

 その肉をつい、とつまめば恐ろしいほどはかなく蜥蜴僧侶の爪を受け入れるように裂ける。

 

 こうも、従順な肉がこの世にありえるのか、静かな驚愕が胸を占める。

 

 恐る恐ると、その肉を口に含む。

 

 舌で押しつぶすだけでほどけるように崩れていく。

 

 肉はただただ磨き上げられた妖艶なまでの美味を献ずるように蜥蜴僧侶の舌を楽しませる。

 

 ――贄

 

 極上に磨き上げられた贄。

 

「おぉ……」

 

 戦きに近い声が漏れる。

 

 竜が美しい純潔の乙女を求めるのは、これゆえにか、と思わせる感動が蜥蜴人の胸を満たした。

 

 ふと、気づけば手を合わせていた。

 

 感謝。

 

 自ずから自然と手が合わさる、これを感謝というのだろう。

 

 それを、味を以て味わえるとは、思ってもみなかった。

 

「美味、也」

 

 それ以上の言葉は無粋だ、と分かる。

 

 余韻すら、かみしめ、感じ入る。

 

 それを、楽しげに少女二人が眺めていた。

 

 

 

「私もご一緒してよろしいでしょうか!」

 

 さて、ちょっと休日の食べ歩きに行こう、と蜥蜴僧侶と酒神神官の少女が待ち合わせの相談をして居たところに鳥人記者の少女が名乗りを上げた。

 

 先日の狩人のような装いではない、豊満な乳房のシュルエットがよくわかる、大きく背中の開いた柔らかなドレスの姿で歩く様は天使の如き幻想的な美麗さだ。

 

 ほのかに赤らんだ、頬が愛らしさすら感じさせる相貌に周囲の男共がうらやましそうな視線を蜥蜴僧侶に向ける。

 

 どちらも、呼んだわけでは無い。

 

 とはいえ、拒む理由も無い。

 

 いいですかな?

 

 いいですよ。

 

 そういうわけで、三人での食べ歩きとなったわけである。

 

 

 

 異文化の僧形の蜥蜴人、それが両手に花、となれば当然であるが目立つ。

 

 すれ違う者達がちらちらと三人に視線を向ける。

 

 しかし、三人とも他人の視線など知ったことでは無いかのように、気ままに街を歩く。

 

 ――舌を洗いますかな。

 

 それまでの高級店で浮ついた舌を落ち着かせる事ができる場所を探し、ちらちらと周囲を見やる。

 

 食とは戦、広い視界が

 

 酒、よりは茶。

 

 口の中をリセットしてくれるような、次の食事へ旅立てるようなもの。

 

 さてはて、と周囲を見やる。

 

 ふと目についたのは小洒落た喫茶店であった。

 

 黒く落ち着いたドア、店の看板は丁寧で精緻な木工、それこそ森人の手による物かも知れない。

 

 ――中々、良さそうですな。

 

「ここで、一服としましょうぞ」

 

「はい」

 

「わかりました」

 

 チリンチリンと可愛らしいドアベルの音が響き、店の奥から「はーい」と鈴のような声と共に半森人の女給服の少女が駆けてくる。

 

「三人、よろしいですかな」

 

「わ、はい、こちらにどうぞ、蜥蜴人の方は……」

 

「あぁ、拙僧は床に座らせていただいてよろしいか」

 

 ええと、と何か座れそうな物が無いかと見回すのを蜥蜴僧侶がとどめる。

 

 その方が他の二人と視線もまだ合う。

 

 たらり、と回された尾が少女二人を取り囲むように床を回り、その様子を見て半森人の少女がふふ、と笑みを漏らす。

 

「何にします?」 

 

「そうですねぇ」

 

 こじゃれたメニューを前にきゃいきゃいとはしゃぐ二人を見やり、「拙僧は何か茶を」と頼み少女達に「何か食べましょうよ」と誘われどれどれとメニューを二人の間からのぞき込む。

 

「甘みモノにはとんと勘働きが……何か良い物はありますかな?」

 

「うーん、となるとブルーベリーのタルトなどいかがでしょう? 甘みと酸味、タルトの土台の重量感なども食べ応えがありますよ?」

 

「いいですねぇ、となると私からは……ふむ、王道の苺のショートケーキで、スポンジにクリーム、フルーツ、何事もまずは王道を踏みませんと」

 

「なるほど、なるほど、目移りしてしまいますな……さて、はて」 

 

 奨められるがままに、というのもいいものではあるが、己で選ぶのもまたよし。

 

 食道楽は選ぶのもまた楽しみだ。

 

「……チーズ?」

 

 ふと、メニューの一行が目に飛び込んできた。

 

 どれどれ、と二人がのぞき込み、あぁ、と声が漏れる。

 

「チーズケーキですね、あれ、これ聞いたことの無いような……」

 

「あぁ、それはウチのオリジナルなんです、店長が凝り性で最近の氷菓子っていうか冷やすのから思いついたらしくって」

 

「ほう! では拙僧はこれを」

 

「では私達も折角ですし」

 

「そうしましょうか」

 

「はぁい、かしこまりました」

 

 パタパタと揺れる尻尾をニコニコと見やり半森人が裏に消える。

 

 機嫌よさげな堅物の様子に二人は笑みを浮かべ顔を見合わせた。

 

 

 

「お待たせしました!」

 

 白

 

 すらり、と優美さすら覚える扇情的な佇まいのソレ

 

「これが……ケーキですか?」

 

 どこから切り崩すべきか、途方に暮れるような静の形。

 

 だが、そこに途方も無い獰猛さを蜥蜴僧侶は感じ取っていた。

 

「レアチーズケーキって店長は言ってます」

 

「なるほど、なるほど、見れば竜の牙の如き冴え冴えとした美しさ、して、味は……」

 

 それを、口へ含む。

 

「!」

 

 こう、来たかぁ

 

 それは、閑寂とした感動であった

 

 太陽の日の出を見て、涙するのに近い

 

 口の中で、春が訪れた

 

 豊穣な春だ

 

 雪解けの様に、チーズがやってくる

 

 舌を休める? 洗う?

 

 何たる蒙昧!

 

 その美しい牙は容易く蜥蜴人の魂にドスリと深く刺さった。

 

「甘露!」

 

 幸福な完敗の叫びと共に残りが瞬く間に平らげられる。

 

 かくして、僧侶に新たな地平がもたらされた。



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幕間 見据える先

 しゃん、しゃん、と錫杖の音が響いていた。

 

「それで、これはどんな儀式なの?」

 

 現行の開拓村の更にその外縁部太古には村があったのか、砦があったのか、とんと見当のつかない丘の一つで女神官の指示に従い、一党は方々に鳥の羽や木の枝を地面に立てていた。

 

 女神官は女神官で丘をぐるりと回るように錫杖をついて歩いて回っている。

 

 その一突き一突きの度に目を閉じて、錫杖の音に耳を澄ませている様子を見れば只の散歩というわけも無いであろう。

 

「見てわからんのかい、ちゅーか嬢ちゃんがゆうとったろ、水探しってな」

 

 あきれた様子で鉱人が酒を一あおり。

 

「そりゃ、言ってたけどさ、こう湖とかにいる高位の水霊とかと直談判してここに水湧かせてー、それならば何何をすればやらんでもない……とか普通そっちを想像するじゃない、後は只人の伝説でいうと何か呪文とか祝詞とか唱えて杖を地面に突いたら水がドバーッ! とか」

 

「そういった事もあったりはしますが、神殿が行う調査の段階でいちいちそうするわけにもいきませんしね」

 

 地母神の調査、つまりこれは、これから開拓村が作られるあたって農地として良好な場所を探すためのものだ。

 

 開拓民を送り込みました、何にもならず死にました、人材も物資も全部無駄になりました、じゃあ次いってみよう。

 

 さすがに国にもそれほどまでに考え無しに財貨を無尽蔵にばらまくことはできない。

 

 故に、農業をはじめとした各種産業に適した場所を事前調査する必要がある。

 

 それらの実践的ノウハウと人材を持っている場所となると地母神の神殿である。

 

 古来から、錫杖を突いた地母神の神官が大地を突くとそこからこんこんと水が湧き出る、そういった伝説は各所にある。

 

 これはもちろん、錫杖に水をわき上がらせる奇跡であったりとか、水の精霊を服従させる魔術的効果があるわけではない。

 

「というわけで、お願いできますか」

 

「おうともさ」

 

 錫杖を鉱人道士に渡して改めての調査を頼む。

 

「何よ、宗旨替えでもするの? 神よここなる鉱人に恵みを~~って」

 

「何ゆうちょる、この“器具”は元々鉱人の知恵のもんじゃい」

 

 錫杖とは杖であり、獣除けの鈴であり、そしてある一説では地質調査の器具でもある。

 

 大地を突いて、音を鳴らす。遙か昔の鉱人は大地を突く度にその音色の機微を聞き取り地底の状態を読み取っていたという。

 

 それらの地質学や探査術を大地と鋼に長けた古き鉱人から地母神の神官へ伝授され、時の流れが下るにつれ宗教様化を受けて現在の錫杖へとなっていった、らしい。

 

 当事者の居ない遙か過去のことだ、森人でもなし、確実な証人というモノはなかなかない。

 

 とまれ、錫杖を突いて歩き回り井戸や温泉を探した地母神の技術集団の手腕を信心深い農村部の人間が目の当たりにして、それから何十年かすれば“地母神の神官様が杖を突いたところから水が湧いた”という伝説になっていくのだ。

 

 またこれはネームバリューのある偉人に業績が集約することもあり、私も晩年には世界中に“女教皇様が神から賜った神徳厚い、ありがたい名水・温泉”と銘打たれた名所があふれるのに苦笑を漏らしたものだ。

 

「ま、地のこと、鋼の扱い、できなきゃ鉱人の名が廃るってな」

 

 そういってしゃんしゃんと地面を突いて歩き回る、歩みが遅くなるのは自分が目星を付けた場所でもあるのでおそらくそのあたりで井戸を掘ればいいのだろう。

 

「お疲れ様です、ゴブリンスレイヤーさん」

 

「……守るに易い、良い場所だ」

 

 木の枝や羽根をさし終えたゴブリンスレイヤーに感謝の言葉を贈りつつ、周囲の地形を見やり同意の頷きを返す。

 

 できるだけ防衛に向いた開拓村候補場所の情報を挙げる、それがひいてはゆくゆくのゴブリンをはじめとしたモンスターによる被害を減らす一助となるのだ。

 

 それは、単純にゴブリンを退治するのとは別の視点のゴブリン対策である。

 

 開拓村というものは、非常に脆弱で、それこそゴブリンの襲撃で村として立ちゆかなくなる。

 

 もっと穿った言い方をすれば、国としては村々といったものはそれこそ“ゴブリンでも滅ぼせるぐらい脆弱”であった方が都合が良いのだ。

 

 武力を自弁できて、防衛籠城が可能な防衛力をもった村落が乱立する中央から遠く離れた広大な地域。

 

 そんな地域で反乱を起こされたら、とうてい鎮圧することなどできない。

 

 よしんばなんとかできたとしても、国としては甚大に疲弊する。

 

 だから、無力であって欲しい。

 

 多少は死んで良いから、無力のままでいて欲しい。

 

 だから、私はしてほしくないことをした。

 

 村々が武力と防衛機構、そして相互協力可能な軍事網を持った、地域全体を戦争装置とする統治方式。

 

 何より、この姿は感染力がある。

 

 羨ましがらせやすいのだ。

 

 憧れも、嫉みも、普通の人の感情というモノは地続きだ。

 

 寒さに震え何も持たぬ乞食が心を突かれて嫉むのは、ああなりたいと思うのは、王や大商人ではなく、暖かそうな襤褸切れをもった乞食の姿なのだ。

 

 あいつらは、自分らで武器を持って毅然と自分を守っている。

 

 自分たちは、身を削って出した金で守ってもらっている。

 

 この生活はいつまでつづく?

 

 本当に、楽になるのか?

 

 ほんの、どこかの誰かの振った骰子の出目一つで、潰えてしまう立場。

 

 自分たちなど遙か天上の誰かからすれば、ただの勇者に喝采と感謝を送るだけの書き割りなのかもしれず。

 

 あるいは、今日にでも、ただ悲劇を表すだけの舞台装置として潰えるかもしれない。

 

 不安の中に光明をちらつかせれば、これまで通りいつすり切れるか分からない日々を固持できる者は少ない。

 

 最低限の腕っ節ぐらいならあるものも、開拓村には幸いに多く居る。

 

 冒険者の破産者など、地母神の神殿からすれば地母神の農場でのいい労働力だ。

 

 地母神の神殿という看板があるから、そこまで過酷かつ劣悪な扱いはしない。

 

 せいぜいが小作農より少し下、教義的に結婚や出産を禁止するわけもなく、むしろ祝いの品なり金なども送られる。

 

 ある程度、返済も済んで完済の目処が立てば、神殿の口利きでどこかの開拓村の一員に、という線もある。

 

 夢破れた者の末路としては天国だ。

 

 だから、それなりに各開拓村の元破産者は親地母神派だ。

 

 そもそも何も悪の道に陥れているわけでは無い。

 

 ゴブリン退治の代金のために売り払われる女子供、子を飢え死にさせてしまう母親、薬が手に入らず迷信に縋って墓場を掘り返して遺体を、あるいは産まれた赤子を攫っては薬になる、とその体や内蔵を薬食する人々。

 

 それらを見ながらも、止めて何ができるわけでも無く心を痛めることしかできない神官は、自分を始め多く居た。

 

 地母神の声を聞くような者達だ、彼らに親しみと恩恵を受けた村人達だ、少しでも世の中をよくするのであれば、と良心と信心に従い協力してくれるようになった。

 

 ゴブリンが絶滅したということは、世界が統一されたと言うことは、凄惨でどんづまりな辺境が無くなっていったという事でもある。

 

「いい村になると良いですね」

 

「……ああ」

 

 見据えているものは違うが、それでもこの地に生きる人に幸いを願ったのは、確かに同じであった。



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幕間 真理の探究

 女は、本を着ていた。

 

 後で誰かに彼女の印象を聞かれれば、まずその言葉がよぎるだろう。

 

 それなり以上の美貌、よくよく見れば豊満な肉体、付けている聖印は知識神のものだし、観察すればまとう衣も盛大に改造されてこそいるが神官服だ。

 

 しかしそれ以上に印象に残るのが、隙あらば、とばかりに至る所のポケットに差し込まれた本の数々だ。

 

 大小何冊あるやら、他に何か持つ物は無いのかと不思議に思うほどに衣類が本棚のついでに服をしているような状態であった。

 

「失礼ね、本だけじゃ無くて筆記用具にノートもあるわよ」

 

 つまり、彼女が着ているのは書斎らしい。

 

「それで、ええと、神代文献の研究でしたか、その学会発表で王都へ行く、その護衛を頼みたい、ですね」

 

 通りがかった地母神の女神官の彼女が珍しくはしゃいだ様子でサインをねだっていたのだからこの街では実は知る人ぞ知る人なのかもしれないが、剣士達はとんと聞いたことの無い人物である。

 

「半分はそうなのよ」

 

「半分?」

 

 彼女の視線が女魔術師と聖女、そして女武道家へと写り、そのあと剣士と戦士をなぞる。

 

「読み書き出来る人ってそちらの二人以外で他に居るかしら?」

 

 女魔術師と聖女以外のメンバーに視線を送る。

 

「簡単な文章なら」

 

 一党の頭目として文盲はだめだと一念発起して女魔術師に文字を教わった剣士が答え

 

「私もあんまり難しい文章は」

 

「おれも同じくそんぐらいかなぁ」

 

 戸惑い気にそう続く二人の答えに、学者神官はにんまりと笑みを浮かべる。

 

 求めていたモノ以上のものに浮かべる、穏やかで決して逃がす気のない笑みだ。

 

 具体的に言えば貸しのある暇な友人が絵描きのアシスタントを出来る程度の腕前であると知った締め切り間近の絵描きの笑みに、それは似ていた。

 

「いえいえ、ありがたいわ、本当、ありがたいわ」

 

「……それで、その、結局護衛の仕事なんですよね?」

 

 妙に報酬も良いが知識神の神殿からの依頼の体裁をとっているし、変な裏もないだろう、と引き受けた仕事だ。

 

 王都など女魔術師以外行ったこともないし、帰りがけになんかの護衛の仕事を受ければちょっとした王都観光もできるんじゃないか、と仲間内でも好評で依頼人と会うことになった。

 

 もしかして、早まったかも知れない。

 

「実は学会で発表するものなのだけど、頭の中では整理されているのよ」

 

「は、はぁ?」

 

 ふぅ、と切なげに声を漏らす彼女に戸惑い気な声を上げる。

 

 女魔術師辺りはなんとなく察しがついたのか、戦場に臨む顔立ちになっていく。

 

「王都に向かう道中の馬車で、あと着いてからもしばらく、私がしゃべることをひたすら書き上げてもらえないかしら?」

 

 締め切りは刻一刻と迫っていた。

 

 

 

 筆記係(アシスタント)を乗せて馬車は行く。

 

 筆記係は剣士達三人いずれかが書いたモノを女魔術師と聖女のどちらか清書するという体制だ。

 

 元々辺境の街と水の街、王都をつなぐ西方の大街道は治安もよく、単身荷物を担いで歩く行商人もいるほどだ。

 

 神官様が何か重要なモノを運ぶのかなぁ、と剣士達はある意味気楽に構えていた。

 

 そんな彼らも容赦なく放り込まれた修羅場にずいぶん精悍な顔つきになっていた。

 

 朝に馬車に乗ってから夕方になるまで、学者神官はひたすらに己の論文をその着る書斎のあちこちから本を引っ張り出しては話すという芸当で話し続け、それを剣士達はひたすらに書き上げていく。

 

 それを受けて女魔術師か聖女が走り書きではあるがまだ見れなくはない文章に整えていく。

 

「でも、もっと堅い文体じゃなくていいんですか?」

 

 食事時にそう女魔術師が文献を見ながら言う。

 

 剣士達でも書き上げられる、というのはつまり非常に平易な表現で語られているということだ。

 

 学会、という話なら正直場にそぐわないモノだろう。

 

「いいのよ、後々出版して売るつもりだし。文字の読める庶民でも読める神代を扱った書って無いから……開拓地が広がって定住する人が増えて、人口が増えれば本を読む人も増えていく。だからこそ今、発表して出版にこぎ着けたいのよ」

 

「あー、じゃあ発表自体は箔付けみたいな?」

 

「聞こえは悪いけど、そうね。ここで先んじて他の学派に差を付けなくちゃいけないわ」

 

 そう情熱に燃える彼女の数少ない持ち物であるペンには銀の彫金で円と六芒星が描かれている。

 

 六面派の証だ。

 

 この世界は神の遊戯盤であり、神々が骰子を振っていることは広く知られていることだ。

 

 自分たちの命運を決めるモノだ、故に神の振る骰子はどのようなモノであろうか、という論議は四方世界で尽きることは無い。

 

 四面、六面、十面、二十面、百面、この世界でも様々な骰子はあり、各学派が我こそ真理に近い! と気炎を吐いているのだ。

 

「空に浮かぶ星々も球体、つまり円、円をその半径でコンパスで分割すればちょうど六分割できるの、そこから描くことが出来る形は六角形であり六芒星、ミツバチの巣だって六角形だし、氷が溶けるときもチンダル像が形成されるの、他にもこの形は世界に色々あって、つまり六という数字は世界を形作るにもっとも自然で整った美しい数、だから神の振るわれる骰子も自然と六面であるはずなのよ」

 

「は、はぁ……?」

 

「それなのに他の奴らは! 何よ四面派は最小の面の数で作れるからスマートだとか! 四面骰子は踏んだら痛いじゃない! 百面骰子だって手に入りづらい割に球体と大して変わりないし、コロコロどこ転がってくか分からないし! 二十面なんて二つあれば百まで表現できますって優等生面しちゃって! 六面が一番普及しててお求めやすくて親しまれてるんだから!」

 

 若干学者慣れしている女魔術師はあぁ六面派の人だなぁと懐かしげだが、その他の面子としては珍獣を見る視線だ。

 

 まぁまぁ、と女魔術師がとりなし、串焼きを一つ差し出し、学者神官はそれにガブリと噛み付く。

 

 体力が無ければ研究というのも難しいらしく、前にお願いをした神官仲間には今回の地獄への道連れ(アシスタント)の話は逃げられてしまったそうだ。

 

 旅としてはかなり順調だ。

 

 一回ゴブリンの襲撃こそあったが、学者神官が重装丁の本をベルトで縛って即席の鈍器にして「時間無いのよ!」と憂さ晴らしのように撲殺して剣士達が出るまでも無かった。

 

 最初は面食らったが、文章を書いて、勉強させてもらってお金をもらうなど、自分たちからすればメリットしかない話だ。

 

 この移動する修羅場を経て剣士達は前はつっかえつっかえ恐る恐る読んだり書いていた文章がスラスラと書けるようになっていた。

 

 旅程は結局王都まで何の問題も無く進み、剣士達は学者神官の論文と商品の間のようなナニカを完成させるべく何日か拘束されたらしい。

 

 そこには姉からの手紙によってホイホイとつり出された弟の姿もあったという。

 

 とまれ、現物はできあがり学者神官は己の戦場へ向かっていった。

 

 これが彼女が神代研究の権威へと上り詰める序章であり、手伝った論文の中身を聞いた女神官が盛大にうらやましがることとなる、後世における神代関連の鏑矢にして金字塔とも言われる名著の誕生の経緯となることを剣士達は知るよしも無かった。



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幕間 刻まれる経験

「海藻の養殖、ですか?」

 

 冒険者として活動し始めた子が産婆育成部門への寄進を取り付け、それとともにするりと書類をまとめてきた事案について神官長は小首をかしげた。

 

 凜とした妙齢の才女のどこかあどけない様子は男達からすればさぞ鼻の下が伸びることであろう。

 

 実際、ファンというか、神官長への信者というのはかなり居る。

 

 とまれ、真向かいに居る女神官としては予想通りの反応に暖めてきた企画をニコニコと説明を始める。

 

「基本作物以外にこの地方で交易に使うことの出来る利率と栽培意義の高い作物として、この一年見て回ったところ海藻類がいいように思います」

 

 地母神も寄進だけで運営しているわけでも無く、自前の手持ちで有用な商品作物があるのであれば栽培と販売をしておきたいのだ。

 

 どれどれ、と資料に目を通せば簡略な地図や数値を棒状の長さで表現している図など、とてもわかりやすい。

 

 わかりやすいというか革新的でありながらやたら洗練されている。

 

 宗教的に配慮した長文を読んで自分の頭の中で情報の一覧を再構築する必要が無いというのは非常に快適なものであった。

 

 むしろ、こうイメージすればよかったのか、と目から鱗が落ちる思いだった。

 

「こちらが内陸で生活する人間の食べる基本的な食品の一覧と沿岸部や比較的沿岸部と物流のある地域の一覧です、内陸での風土病が原因とされるモノの一部はどうやら海藻を食べることによって未然に防ぐことができるようです。どうやらこれは妊婦や幼児、はては家畜にも効果があるようです」

 

 令嬢剣士の寄進を得て、その功績が風化しないうちに案を挙げるだけ挙げておこうと思ったが中々好感触のようだ。

 

 何せ今の自分はあくまで冒険者稼業の神官でしかなく、神殿内での権力というモノは大して無い。

 

 発言できそうなときにしておいた方が良いだろう、ということだ。

 

「特にこの……昆布ですね、こちらの薬草がどうやら一番滋養があるようでして、この養殖が軌道に乗れば内陸での開拓のスピードも上がるかと思われます」

 

 内陸の風土病と開拓の戦いは昆布などの海の薬草を安定供給できるかどうかの生産と物流がかなりの比率を占めた。

 

 地図のサイズを世界に広げれば、人口の増加や平均寿命の延長、家畜の育成に関わる戦略物資である昆布の養殖には早めに着手しておきたいところだ。

 

「養殖法は?」

 

 その目は義姉でも義母でもなく、この地域の統括者であり宗教者の色である。

 

「それはこちらの古代の農業書になりますが、記載があります」

 

 そう取り出すのは私の国での昆布養殖法が書かれた本だ、何のことは無い、自分で執筆して魔術を使って古書に見えるように加工したものだ。

 

 私が知っているのをまとめました、というものよりは古代の書という触れ込みの方が信頼度が高いのだ。

 

「そう、後で見せてもらっても良い?」

 

「はい、一応ソレを現代語訳したものがこちらになるので併せてお渡しします、記述を見るに昆布の用法用量はおそらくこれくらいが適正かと」

 

「……薬効は幾つかの内陸で活動する産婆衆で使ってもらって確認するとして、その後の販売は?」

 

「借金で首が回らない何人かの吟遊詩人の借金をとりまとめて引き受け、恩を売って謳ってもらうのがいいかと。あまり縛り付けず、村を訪れたら一度は必ず地母神の神官の元を訪れるとか、村を出るまでには一曲は地母神を礼賛する曲を歌う……ぐらいでしょうか。ついでに薬について受け入れやすい噂を浸透させて土壌を作り、後は地母神が太鼓判を押した良薬、ということで内陸に売り込んでいけばゆくゆくは海を持たない国への貿易品に化けるかも知れません」

 

 ほう、と息を吐く。

 

 商魂、もっといえば欲深いだけの宗教者は珍しくない。

 

 商才のある神徳厚い宗教者、これは得がたい人材である。

 

「物流は交易神さんや酒神さんにお願いすればいいと思います、酒神さんなんかは酒のつまみが増えると聞けば喜んで買って出てくれるでしょうし」

 

 宗教的権威と古来からの実績は人々の信頼を得るのに有用だ。

 

 どこの誰とも知れぬモノがよく分からぬ妊婦向けの薬を売り歩くのと、産婆衆を抱え、農業ノウハウを内包する地母神が太鼓判を押した薬が神殿や産婆からもたらされるとでは信頼度が段違いだ。

 

「養殖場の目星は?」

 

「以前仕事で訪れた漁村が海藻食の風習があるところでしたので、そこに人を派遣するか……いえ、村の次男坊三男坊に打診してみるのか、あるいはそこは魚人と穏健な親交にある村でしたので、いっそ魚人に養殖してもらうのもありかとおもいます」

 

 少し前に食べた海藻のサラダを思い出しながら、つらつらと構想を述べる。

 

 かつての未来でも海藻養殖はあのあたりの主要産業だった。

 

 ノウハウを教えれば出来ないことは無いだろう。

 

「それに、地母神の神殿が儲けのタネをくれる、となればこれまで比較的力が及ばなかった沿岸部での影響力も向上していくかと」

 

 どうしても沿岸部は地母神の神殿の影響が弱い、生計を海で立てる者達はそれこそお産ぐらいでしか地母神に関わらないからだ。

 

「……そうね、うん、いいと思うわ。もしこの話を進めるときはその漁村との交渉お願いして良いかしら」

 

 女神官の話を聞いて神官長は内心で快哉をあげる。

 

 娘のように親しみを覚えている少女だ。

 

 この一年でかなりモノになっている。

 

 薬効の検証と試験的な養殖を進め、いけそうならある程度規模を拡大していけば良いだろう。

 

 一人勝ちせずに、他の神殿とも協調姿勢をとるところもいい。

 

 どうしても孤児院上がりの人間は世界が地母神の神殿を基本として視野が狭くなる。

 

 冒険者になることによって視界が広くなったのであれば、よい経験を積めたということだろう。

 

 いずれは、この西方地域の地母神の神殿を支える人材になってくれればと思う。

 

 教義的には地母神の枠内でありながら、あまり縁の無かった沿岸部への勢力拡張とも紐がついているのも嬉しい。

 

「はい、ありがとうございます!!」

 

 対する女神官も内心快哉をあげる。

 

 海藻が行き渡るということは、開拓のスピードがあがるということだ。

 

 それは、この国の西方開拓政策が早く終わることにつながる。

 

 国が、王が、どれだけ有能であろうが、幸運であろうが。

 

 この世が有限である以上、無限に開拓の余地のあるフロンティアと人的資源に余裕がある状態を用意しつづけることなど出来ない。

 

 開拓のスピードが上がれば冒険者に流れる割合は減る、開拓村が自衛できるならなおさらだ。

 

 しかし開拓する余地が無くなれば将来的にはこれまで開拓していった地域から本来の国の枠組みとしては冒険者に流れる者達が急増することにもなる。

 

 だが、その時にはもう今で言う辺境の街へ流れるという、フロンティアへ余剰人口をつぎ込むという芸当は使えなくなる、そんな場所は無いからだ。

 

 上手いこと侵略戦争でも仕掛けることが出来れば話は別だったのだろう。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 前回はそこらへんのあぶれた、どこかに行けるわけでも無いふわりとした閉塞感と不満を国に持つ跡継ぎになれない層を私の軍になるように持って行けたが、さて今回はどうであろうか。

 

 王とて革新的な改革など断行すれば“病死”や“事故死”がありうる身の上だ。

 

 かつての未来でも悲しいかな、有効な対策はとれなかった。

 

 フロンティアの枯渇からの閉塞感や体制への不満が湧くだろう。

 

 民衆は、これまでの上り坂が閉ざされて一切不満を漏らさないほどデキたものではない。

 

 どこか、矛先を求める。

 

 そこで、つい、と杖があるところを指せば、そこに向かう。

 

 だから、そうした。

 

 いずれ緑の月でのゴブリン駆逐と開拓、その後の軟着陸が待っているのだ。

 

 宰相となった彼女とこの星と月を一つの森と見立てた森人型の継続性重視型の運営を練っていたが、皇国のその後はどうなっていただろう。

 

 人が人である以上、どうしたって理想からの破綻が出る。

 

 森の中の虫のように我を捨てて生きることは出来ないのだ。

 

 できれば、多くの者が幸福であっては欲しいと思う。

 

 だが、ともあれ民衆の胸中にあるフロンティアへの過度な幻想は、この国と共に死んで教訓となってくれた方が助かる。

 

 多くの滅びを目にさせ、苦痛を経験させねば、民衆に経験を刻み込むことは出来ない。

 

 しゃん、と錫杖が鳴った。



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幕間 あるべき場所にあれ

「物を持つことのできる者、道具を使うことのできる者の繁栄の要訣、これは運搬にあります」

 

 女神官が海藻交易にあたって、交易神の神殿へ向かって対応に出てきた交易神の女性神官は女神官の話を聞いてそう返した。

 

 ちなみに酒神へ行ったら「美味しい新商品扱えるんですか! お酒に合うんですか! やった――!」とほぼ即決であった。

 

 首に下がったのは細鎖で結ばれた金の車輪。

 

「食料、物資、それらを運ぶことで、人は本来済むことができない場所に定住するこをと可能にしました、食料を取ることのできない鉄の山で鉱夫が採掘できるのは、鉄を売り、食料を買うことが、物流あってこそです。そして、鉄の無い地域に鉄がもたらされ、それは様々なことに使われます」

 

 己の足で歩き、はたまた馬を乗って駆ける交易神の神官の下半身は健康的に引き締められていた。

 

「求められるものを、求められる場所へ、無論、運ぶべきでないものを運ばないことも、とても大事です無節操な氾濫と適切にいきわたることは全く別のものであるからです」

 

「仰る通りです」

 

「今回の新薬は妊婦の安産や家畜の育成などに有意な効果がある、と伺いました」

 

「はい、育て作ることは我々で出来ましても、それをはるか大陸の彼方へ安定的に、となりますとやはり交易神の御力無しには」

 

「そちらの薬学の確かなるを今更疑うわけではありません、その効用は確かなのでしょう」

 

 その言葉は断定に近い。

 

 守り、癒し、救う、それを標榜する地母神が栽培を含む薬草学に一切関係が無いことなどあろうはずもなく。

 

 他の教団や魔術師などもそれなりに研究をしているのは分るが、ウチとでは母数と年期と体制のレベルが段違いだ。

 

 薬草作りのための土地改良から実際の人間や家畜への投与まで一気通貫の全てのノウハウ蓄積を自弁出来るのはウチの強みだ。

 

 

「一応、試供品として樽一つ粉にしたものをお持ちしました、検証は海から遠ければ遠いほどよろしいかと」

 

 交易神も酒神も手元の利権に物流がある教団であり、現代の陸上輸送は畜力が占める割合が大きい。

 

 現代で船と一部の魔術器具を除けば馬車が最速かつ最大の積載量を持つ。

 

 畜力の安定が陸上物流の安定につながると言ってもいい。

 

 それはつまり、彼らの利権がより確かなものになるということだ。

 

 かつても、最初の大口顧客は彼女たち両教団であった。

 

 もとより点である村々とそれらをつなぐ線である物流にそれぞれ勢力を持つ地母神と交易神そして酒神は仲が良い。

 

 ともすれば、どちらかが吸収されて従属的になることすらありえたであろう。

 

「……行き渡るべき薬を届けるべきところへ届ける、それは我々の信仰に殉じるものであります、喜んで、協力させていただきます」

 

「末永く、良い関係を築きましょう」

 

 そうして、互いが差し出した手は堅く握られた。

 

 

 

 

 

 時に、世には義賊の浮き名が流れていた。

 

「ふーん、あくどい商人の金庫がすっからかんね……いい事じゃない!」

 

 吟遊詩人の語りに、うんうんと頷く森人。

 

 わかりやすい懲悪はウケがいいのか彼女以外にも小銭を投げる者は居る。

 

「だぁほ、こっれだから森人は……その金が闇から闇へじゃ意味なかろうが」

 

「そりゃまそうだけどさ、悪人の手元にあるよかいいじゃない。悪人が悪事に使うんだったら善人から奪った方が一挙両得でしょ、そうじゃないんだから何か良いことに使われているわよ」

 

「……そらま、そのほうがええがの」

 

「暴虐な簒奪は、まぁ拙僧としては悪とはいきますまいが、巧みな簒奪も、また悪ではありますまい」

 

 只人の法と正義からややズレた彼らとしては単純なものであった。

 

 簒奪したものが、簒奪された、ただそれだけ、ということだ。

 

「ねぇねぇ、見て! 怪盗!」

 

 そう言って指さすのは己の美貌をぐるぐると適当な布で巻いた顔。

 

 覆面のつもりなのだろうが、適当が過ぎて架装の域を出ていない。

 

「そんな騒がしい怪盗がおるもんか」

 

 疲れたような鉱人の声が風に溶けた。

 

 

 

 

 

 闇夜を、影が走っていた。

 

 その足音が猫の如く静かであるのは、熟達の技であるのだろう。

 

 薄暗い、闇夜に溶けるための絶妙な衣を影は纏っていた。

 

 その引き締まった足が更に静かに速く稼働する。

 

 とん、と跳躍して、とんぼを切り、またすたりと、屋根に着地する。

 

 眼下に辺境の街の明かりを見下ろしつつ、その足が止まることは無い。

 

 影は、ある建物へたどり着いた。

 

 中庭のあるロの字型の建物であり、三方を別の建物にかこまれたその建物は前面からしか入ることのできないものである、本来であれば。

 

 猫の如く跳躍した影が中庭を見下ろす屋根の縁へ至る。

 

 そこからの動きも、まるで水が流れ落ちるかのようであった。

 

 するり、とまるで何でもないことの様に影は中庭へ身を投じた。

 

 壁を、手すりを、まるで自宅の階段でも下りるように、すたすたと足が、手が音もなく触れたかと思えば落下のスピードを制御され、やはり殆ど音もなく着地する。

 

 その様を見て居なければ誰も人一人が屋根から飛び降りたなどと信じることは出来なかったであろう。

 

「《巡り巡りて風なる我が神、我が旅路を示し給え》」

 

 ふわりと、風が巡り、影の脳裏に己が進むべき経路が啓示される。

 

 影は、音もなく屋敷へと入っていった。

 

 

 

 

 

 来た時の様に、影はするりと当然の如く屋根へ上った。

 

「見事なものですね」

 

 かけられた言葉に、投じるは貨幣。

 

 三枚の硬貨が声の下へ一切の遅滞なく投じられたのだ。

 

 どこに持ち歩いていても、落ちていたとしても、不審に思われない飛び道具としてこれ以上のものはそうそうない。

 

 迎えるも影。

 

 当然予測していた、とばかりにぬらりとした、速さではなく先読みでの避けの動きだ。

 

 自分の盗みを補足した相手に通じると思っていなかったのか、動揺した様子もなく右手には薄く長い刃が抜かれている。

 

 その刀身には墨をまぶしたのか、暗闇ではよりその間合いを図ることは難しいだろう。

 

 それを、無造作に真っ直ぐにつき込む。

 

 突きというのはわかりにくい技だ。

 

 そして、すぐさまに足切り、そして掲げるように刃を上げて

 

「シッ」

 

 はるか下の左足が魔性の蛇のように相手の膝を狙った。

 

 受けねば壊れる、そういう殺意があった。

 

 手厚い治療を受けねば杖無しの人生を送るのは難しい、といういった一撃である。

 

 熟達の者であればこそ、受けるか、避けるか、せねばならない攻撃である。

 

 だからまさか、平然と枯れ木を折るようにその膝を蹴り潰せるとは思っていなかった。

 

 ペキペキと骨を折り、体勢が崩れる。

 

 だというのに、相手はお構いなしにこちらをつかんで来た。

 

 掴む力は、強い。

 

「!?」

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうか我が傷に、御手をお触れください》」

 

 青い目が、こちらを射抜いている。

 

 即座に足を癒やした影が絡みついてくる。

 

 その首に腕が回り、交易神に仕える盗賊神官は意識を断たれた。

 

 

 

 

 

「魔法の袋、というのは便利ですねぇ」

 

 しげしげと、懐に収まる程の倉庫一つの容量を持つ魔法の袋を眺める。

 

 自分も自前の収納空間はあるが、出し入れに呪文を使うためそう頻繁に使うことは出来ない。

 

「……ずいぶん分厚い猫被ってたんだね」

 

「大して隠していませんよ」

 

 そう平然と言う狩人姿の彼女にため息をつき、出された水袋の酒をあおる。

 

「……で、衛士にでも突き出すかい?」

 

 盗賊神官の瞳に、怖いものが宿った。

 

 氷の刃の中に、青白い炎がどろどろとうずまいていた。

 

「まさか」

 

 そんなことなどどうでもいいと、けろり、と女神官は答える。

 

「取引を持ち掛けるにあたって、そちらの神殿を少し調べさせていただきました」

 

「あぁ、そうか、大分羽振りが良くなっていたろうね……分からないようにゃ、気を付けたんだがね」

 

「ちょっとした、ズルのようなものですよ、今の所他が気付くことは無いでしょうが、いずれは、でしょうね」

 

 未来での知人であったことなど、インチキもインチキだ。

 

「そうかい」

 

「個人的欲求で?」

 

「私情半分、信仰半分」

 

 自分の中で答えが出ている者の声色である。

 

「悪人の金庫にとらわれた、血と涙と怨嗟に塗れた財貨を救い出す。ハメられて売り飛ばされる世間知らずに掛けられた鎖を断ち切る。悪徳商人が気に入らないのはもちろんさ、でもそんな気概ってのもあるのさ、交易神の信徒にゃ」

 

「信心と行動力があふれていると、中々面倒なものですね」

 

「多分アンタにゃこの世界の誰にだって言われたくないんじゃないかね。勘だけどさ、神官の勘は当たるだろ?」

 

「そうですね、たまに働いてくれない時があるのが玉に瑕ですが、さて、では」

 

 どさり、と魔法の袋が二人の間に落ちる。

 

「このまま持ち帰っても、いずれは突き止められますよ」

 

「つまり、なんとかする方法があるってんだろ? もったいぶるねぇ、さっさと言っとくれよ」

 

「簡単なことですよ」

 

 すい、と親指と人差し指が輪を作る。

 

 金貨のように、円環のように。

 

「海藻交易が本格稼働すれば、後々元来の薬草栽培も増産を進言する予定です。そこで動く額はゆくゆく膨大なものとなります、そこまで話が育てば、義賊働きのお金の動きがちょこっと混ぜ込んでもほんの端数の誤差で誰も気づかない……ただ、そうするには元手が必要でしてね」

 

 令嬢剣士からの寄進はあくまで産婆の育成への金であり、そこから好き勝手に引っ張ることができるモノではない。

 

 海藻を栽培して、それで人に仕事を行き渡らせられるわけではない。

 

 神殿に入っているゴブリン被害者も全員産婆にさせることも現実的に難しい。

 

 だが、薬草園で薬草栽培と読み書きを教えれば、世界どこででも引く手あまただ。

 

 私の国で培った世界を収める為の書類編纂技術を持っていれば文官としてもどこでだってやっていけるであろう。

 

 社会が大きくなればなるほど、貧困と病と飢えはより狂暴な牙をむくのは嫌という程経験している。

 

 少しでも打てる手は早目にうっておきたい。

 

「なるほど」

 

 大体商売の青図面を書いたのだろう、盗賊神官に飲み込めた笑みが浮かんだ。

 

「ところで、地母神は()()()()()を、広く、広く受け入れております。実名でも、匿名でも、もちろん、そんな善意を一々疑って間者を放ったりなんか、しませんよ、はい」

 

「降りるなってか」

 

「義賊が救い出した血と涙と怨嗟に塗れた財貨が、つつがなく大手を振って世の人々を癒すために使われる。大規模な薬草園が運営され、それを運ぶのはあなた方……教義にもとりますか?」

 

 差し出された手に、にやりとした笑みを向ける。

 

「大歓迎だ」

 

「末永く、良い関係を築きましょう」

 

 そうして、改めて互いが差し出した手は堅く握られた。



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幕間 魔剣使いの旅路

 

 呼気と共に刃が奔る。

 

 素人は喉で息をし、達人は踵で息をする。

 

 古く強い刃が宙を舞う木の葉を両断しつつ、目前の大木へ迫り、切り込み、そして姿を現す。

 

 間違いなく両断された大木が、何事も無かったかのように佇んでいる。

 

 事実、大木は斬られたという認識すらなかったであろう。

 

 このまま大風が吹かなければその奇跡的な断面は何事も無かったかのように癒着して大木は成長をつづける。

 尋常からはほど遠い斬撃であった。

 

「ま、こんなとこか」

 

「私からするといつのまにか剣を抜いていたようにしか見えないのですが」

 

「そらぁ、簡単に見て取られちゃこっちも商売あがったりだ」

 

 言いながら布を接ぎ木するかのように大木に巻いていく。

 

『それで、この辺りに何か用でもあったのか、主よ』

 

 第三の声が響く、その声を聞くのは二人だけだ。

 

 それを聞きながら魔剣使いは水辺へ歩く。

 

 水面には魔剣使いの虎狼の如く野性味のある顔が写る。

 

「んにゃ、基本は観光。こちとらあの戦争のおかげで体が継ぎ接ぎ纏めたモンだし慣らし慣らし前の体のように使えなきゃなんめぇよ、っと」

 

 速さは無かった。

 

 その静かな太刀筋は水面に迎え入れられるように入り、出る。

 

 それで、水面の魔剣使いの姿は断たれていた。

 

 まるで、実際に体が両断されているかのような姿を水面の魔剣使いはしていた。

 

 時が過ぎ、その像も元の法則を思い出したかのようにふつりと繋がる。

 

「うし、虚が切れる。ずいぶん戻ってるな」

 

「……いよいよ人間なんですか、本当に?」

 

 不気味そうな巫女の視線を気にせず流して刀身を鞘に収める。

 

「実の刃をもって実を切れて当然、虚を切れて道半ば、虚すらないものを切れていよいよ……ま、訳分からんだろうさ」

 

 からからと笑う魔剣使いの姿は西にあった。

 

 今回と言い、十年前の騒動と言い、こういうときには冒険者が増える。

 

 世が乱れて身の立て時だ! と一念発起して田舎を飛び出る者は多い。

 

 農奴同然の扱いの三男坊以下など、世が乱れれば諸手を挙げて農具を捨てて家の金をかすめ取って都会へ駆け出すのが相場だ。

 

 前回は戦争が一通りあって、それなりに人死にがあったから、そこへの補填として冒険者であった人材が穴埋めする形で入り込み社会全体の動揺はなかった。

 

 しかし、今回は違う。

 

 盛大に乱れるか、否か、乱れるかも、あ、結構乱れるかも、こりゃぁやばいかもしれませんぜ。

 

 と思ったけどすぱっと勇者が解決しちゃいました。

 

 先の経緯で田舎を飛び出た者どもが、じゃぁ田舎に戻ってこれまで通りの人生に戻ります、となるかといえばそういうわけにもいかない。

 

 つまり、これはこれで、世の中は自然に乱れる。

 

 ある程度は、冒険者制度(セーフティ・ネット)がすくい取ってくれもするが、そうでない食い詰め者は当然略奪に走る。

 

 食い詰め者に、冒険者という札を付けた元食い詰め者をぶつけて何とかする。

 

 これまでやってきた対処法だ。

 

「ですが、存外乱れてないようですよ」

 

「みたいだな、国以外でも仕事と定住地を用意しているのがいる、羽振りが良いのが仕事を用意する。いいことじゃねぇか」

 

 故郷から離れたところで一旗揚げよう! という人間は本当に冒険をしたいわけではなく、あくまでこれまでの自分の人生から逃れたいという人間が大半である。

 

 だから、元気で気概があるならどうぞいらっしゃい! という道を用意してくれていれば、乗る。

 

 人は、安心が好きだ。

 

 筋道だった”あがり”、これに弱い。

 

 悪いことでは無い。

 

 むしろ好奇心と冒険心の両足で走り続ける方が、どちらかというと異端である。

 

 抱き寄せることの出来る伴侶、自分が主の家一軒、穏やかに寝息を立てる自分の子供、周囲に頼りにされる稼業、それが頑張れば手には入るかも知れない。

 

 身になるかも知れないが、どこで落命するか分からない冒険者稼業と、地母神の神殿が主導で手がける養殖事業。

 

 どちらにしたって、ここまでくれば冒険だ。

 

 でも、己の腕一つより、皆で取り組める事の方がまだ勝ちの目が……

 

 そう考えて武器を置くことは、臆病であろうか。

 

 しかし、それでもお行儀の良くない者どもというものは世に絶えず。

 

「なんにせよ段平振るってが食える、因果なもんさ」

 

 双剣を抜き放った魔剣使いは依頼のあった盗賊の砦へ駆けだした。

 

 これを”観光”というのか、とため息交じりに巫女は見送った。

 

 

 

 

 

「あい、ありがとさん」

 

 報酬を受け取り、冒険者ギルドの酒場を見渡す。

 

 ちらほらと、魔神王戦線で見かけた者達も居る。

 

「で、どんな用だい?」

 

 目の前の恰幅の良いふくよかそうな術士とどこか冷たくとがった印象のある癒し手の一党がいた。

 

 戦争の時に縦横無尽に働いていたのは後者で、その威名はあの戦争に身を投じた多くの者が知るところだ。

 

「あんたがこっちに流れてきててくれて助かった、探す手間が省けたお」

 

 癒やし手の横でひたすらに薬を作っていた男であるが、それはそれとして練達の術士であることを魔剣使いは知っていた。

 

 あちらの方がお待ちです、と言われ来たが何の用か。

 

 知らぬが、それはそれとして魔剣使いは難敵の匂いを嗅いだ。

 

「で、誰を斬るんだ?」

 

 面白そうに尋ねる男をじっと術士は見つめ、す、と蛇の目の紋が書かれた手袋で口元を覆う。

 

 この言葉をだれにも聞かれたくない。

 

 そういった仕草だ。

 

 それこそーー

 

 

「神」

 

 

 剣鬼は太く獰猛に笑った。



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第二十話

 知識神の文庫

 

 そこは既にゴブリンの手に落ちていた。

 

 すい、と目配せで仲間と意思を通じ、《沈黙》から次の奇蹟の行使へ移る。

 

 戦端はまさに開かれんとするところで、の呪文使いの一押しはまさに戦局を決定づけるものになりうる。

 

「GOOBUGOGOGO!!」

 

 小鬼達が醜悪な顔を更に歪め、それぞれの手には汚らしく作り上げられた毒の刃がねとねととした光を放っている。

 

 しかしそれも、無為に終わる。

 

「《慈悲深き地母神よ、どうかその御手で、彼の汚れをお清めください》」

 

「便利よね、毒にやられる危険がぐっと減るんだもん」

 

 敬虔な信徒の祈りに応え、天上より伸びた見えざる手が、この凶状を清める。

 

 かつてであっても広範な水域を浄化せしめ、神からの勧告こそあれ、体内の血液すら水へと変えるその奇蹟を持ってすれば、神殿内のゴブリンの手にある毒で汚れた刀身を清め、ただの粗末な刃にすることなど造作も無いことである。

 

「GOGOA!?」

 

 戦場の毒刃という利を潰えさせる、《浄化》とはとかく術者の想像力次第で猛威を振るう奇蹟であるのだ。

 

 毒刃の危険性は、言うまでもないことであり、そのリスクを潰すことが出来るならば、潰した方が良い。

 

 呪文や奇跡ならではの仕事、というやつだ。

 

 かつての未来では私の側近や友人たる宰相の彼女の近くには絶えず浄化や防護の専門神官が近くに侍っていたものだ。

 

 祭壇へたどり着いた私はそのまま少女を癒す。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 陵辱の傷跡深い少女の息がととのいゆくのを確認しながら戦況を見渡す。

 

 自分を抜きにしても、銀等級の冒険者が四名、わけてその一人はゴブリンスレイヤーだ。

 

 もはやゴブリンどもの進退はここに窮まっていた。

 

 

 

 むわとした夏の風が水面に鎮められて爽やかに頬を撫でる。

 

 慣れ親しんだ辺境の街とは違う風を感じながら、女神官は仲間の少女達と共に水の街を歩いていた。

 

 土産物やおしゃれ、といった平素は馴染みのない、でも心躍る品々を女四人で姦しく見て回る。

 

 件の古文書は前回と同様剣の乙女にゆだねられることとなった。

 

 知識神の神殿に預けるのが筋なのかもしれないが、この国において政治力があり中央への要請がもっとも早いのは彼女をおいて他にはない。

 

 そもそもあの文庫自体単立(宗派内の特定派閥に属していない事)のもののようだったようで確たる伝手も碌にないようであった。

 

「あら」

 

 ふらと本屋に訪れたのは船旅が長くなると聞いた受付嬢が手慰みとして書籍を求めた故である。

 

 魔術書などはない、あくまでの教養図書や物語が記された伝記、無論そういったものでもそれなりに高くつく。

 

「何か面白そうなものでもありましたか?」

 

「ええ、ちょうど今から向かう先の話でして」

 

 森人と交流が途絶えた時期が数百年、あるいは数千年と途絶えることはままある。

 

 深い山中にある森人の里は只人からすれば何千年と隔絶すれば完全に歴史から消え去った知られざる秘境だ。

 この本は彼女の故郷を"発見"した学者教授達一行の冒険譚である。 

 

 森人からすれば"たかが"数千年の断絶であろうが、男達は前人未踏の地を行くが如くその冒険心をもって森人と只人との交流の再開をもたらしたのだ。

 

 堂々たる体躯とどっしりした顔つき、まるで牡牛を無理くりに人にしたようなとかく自分の研究や発見には邁進する挑戦的な只人の教授。

 

 恋人が誇らしく歌い上げることの出来る武勇伝を求めてその教授の探索行へ同行することとなった鳥人の記者の青年。

 

 彼らがいまだ竜の営み続く南の密林へ乗りだし、森人とともに協力して戦う話がそこに記されている。

 

 本のタイトルが私の国が出来てからは宰相たる彼女の「いつ私の故郷が失われていたのよ」という言葉により改題されることとなったが、それにしてもロングセラーの名著である。

 

 道行きは整備され平穏な(ゴブリンの襲撃が確実なものではあるが)船旅での手慰みにはちょうどいいように思い、その本に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 年かさの待祭、随行(高位の神官などの側仕えの従者)長とともにゴブリンスレイヤーは至高神の神殿の中を行く。

 

 他の神官等も随行長が連れている客と言うことで自然道を譲る。

 

 無論ゴブリンスレイヤーの風采にぎょっとするものは多いが、それに気を止める男ではない。

 

 年若い随行神官達が、「あれが、あの……」とヒソヒソと秘やかに言葉を交えているあたり、それなりに話に登ることが多いのであろう。

 

 それほどに剣の乙女の様相は健やかに好転しているのだ。 

 

 大司教に永く仕える彼女にとってそれは何よりも喜ばしいことであった。

 

 祭壇の前で祈りを捧げる美しい女

 

「……ああ」

 

 その漏れる喜悦の声は女にまで成熟した、しかして少女の魂の声だ。

 

「来て、くださったのですね……?」

 

 しゃなり、と人間離れした滑らかな所作は蛇の蠕動に似ている。

 

 溢れると吐息は熱を帯び、隠された眼帯の奥には常に見慣れぬ浮ついた色が見える。

 

「大事はなさそうだな」

 

「はい。……おかげ様で」

 

 手で退席を促され、随行長はしずしずと退出する。

 

 待ち望んだ時を思う存分満喫してほしい、娘の恋路を見守るような暖かさを胸に抱えたまま随行長は席を外した。

 

 

 

 

 —―すごかった

 

 牛飼い娘は漠然とそう思った。

 

 いつもとは違う彼もそうだ。

 

 そして彼女。

 

 ゴブリンの襲撃を逃れ、一段落しての野営地で野営の準備も終わって水着姿のまま先程の戦闘をぼんやりと思い返す。

 

 ゴブリン達の投げ込む瓦礫により窮地に陥った一党の筏を救ったのは地母神の神官の彼女が行使した奇蹟であった。

 

 守りの奇蹟は傘が雨粒をはじくが如く石や棒きれをはね除け、しゃん、と錫杖と祝詞が響けば水面は晴れ渡る。

 

 人々が神官様、と自然敬称を添えるのはあの様を見れば誰もが納得するところであろう。

 

 だが、そのゴブリンを見据えるあの様相は、彼だ。

 

 兜に隠された彼の瞳と同じ錬鉄の重さと鋭さと深さ、いや、ともすれば更に深く淀んだその瞳は、彼女の脳裏に妙にこびりついたまま離れなかった。

 

 

 

 錫杖を手に、女神官は思索と祈念の海に沈んでいた。

 

 《浄化》

 

 かつての後悔が、今もなお頭をよぎる。

 

 神から賜った奇蹟を誤った行いに使ったあの背信と喪失感は今でも彼女の中に残る傷跡である。

 

 故にこそ、魔道に手を伸ばしたのだ。

 

 戦いの矛、それを魔術を学ぶことによって穴を埋めたのだ。

 

 そもそも《浄化》とはただ汚れを清めるだけの奇蹟であり、それ故に絶大な利用価値がある。

 

 《聖光》、《小癒》、その次となれば《聖壁》ではなく《浄化》を選ぶものの方が多い。

 

 俗な表現になるが地母神神官としての出世街道(キャリアパス)として《浄化》の取得はほぼ避けて通ることは出来ない。

 

 それは冒険者としての神官というより、社会や国家から求められる神官の奇蹟の事情がある。

 

 水の浄化の優位性はいうに及ばず、国家や地域が《浄化》を仕える地母神神官を相当数抱える利点は何よりに原因不明の疫病対策の面が大きい。

 

 地母神神官による浄化部隊を組織することが出来れば自国民と街を焼き殺し灰燼に帰する必要性が減る。

 

 村一つ、そこに住む住人、それらを焼き払い、そして再興するにかかる時間やリソース、焼却実働部隊、つまりそれなり以上に高度な軍事行動の出来る者達、の精神的苦痛を考えれば浄化部隊による強制的な正常化の能力はどのような為政者でも喉から手が出る程に欲しいものである。

 

 浄化部隊がある地域や国ではなにをか疫病が流行ったとしても問答無用で殺され、焼き払われる恐怖から免れることが出来る。

 

 その安心は人口の流入にも直結し、つまりは経済成長を大いに後押しする材料なのだ。

 

 国を栄えさせるには不潔よりも清潔、というのは単純でありながら達成するのは難しいものだ。

 

 故に、神殿でも取得は奨励されるところである。

 

 また他にも宗教儀式で奇蹟の行使を必要とする神事というものはそれなりにある。

 

《聖光》による照明を請け負う配役、《聖壁》だって使う儀式はあるし、《浄化》もまた場の清め役として使える者は儀式に出仕することが多くなり、つまりは神殿組織内で活躍しやすくなる。

 

 魔神の首級をあげるだけが神官の出世では、もちろんないのだ。

 

 前回はほぼほぼ善意で選択した奇蹟であるが、結果としてそれが最善手でもあったのだ。

 

 そうこうする内に表が騒がしくなり、それをかつての記憶と照らし合わせ、荷物を詰めた枕代わりの布袋をひょいと持ち上げ。

 

「星風の娘よ、いるぶぁっ!?」

 

 そう言いながら虫除けを引きはがしてきた婿殿の顔面に投げつけもんどりうたせることにより、女性陣の尊厳は保たれた。



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第二十一話

 レルニアン・ヒュドラ

 

 彼女たちの言う川を堰き止めるもの、の来襲自体は前回通りであった。

 

 術での手管はなくはないが、怪我に備えることで一党で最も得手となると自分であったため残されることになった。

 

 つつがなく捕縛までいきつけ、治療を施しての夜。

 

 男衆は花婿殿を連れだっての飲み会であろうし、友人たる彼女は姉との語らいがある。

 

 とまれ、客分の女三人が纏めて夜を過ごすことになるのだが。

 

「……」

 

 さて、ゴブリン退治の準備を、と荷物を広げ点検に入った自分を彼の幼馴染みである彼女が静かに、しかしじっとこちらを眺めている。

 

 前回はどうしたであろう、夜のおしゃべりに興じたのか、細やかな酒宴でも開いたか、定かなところではない。

 

「ええ……と……何か?」

 

「あ、ごめんね」

 

 戸惑いげに向けられる女神官の視線に牛飼娘はパタパタと手を振り、しかし視線は彼女の道具点検から外れることはない。

 

 ――彼と同じみたい

 

 粛々というよりは淡々と、当然すべき如くに広げられた武装を丹念に確認する様子は己の幼馴染みの平素の姿が重なって見える。

 

 そしてそれは的外れな感想ではないのだろう。

 

 彼女が赴くのはゴブリン退治であり、彼女は冒険者である。

 

 彼女や森人のように彼の横にいることが、彼女は出来ない。

 

 そのことに抱くのは軽率な憧れだ。

 

 それがあくまで手前勝手で、自分はもうすることのできない選択肢であると、分かっている。

 

 自分の人生は、粗方決まっているのだ。

 

 叔父の牧場を手伝い、そして、何事もなければどうしたって自分より叔父が先に天に召される。

 

 そうでなくとも牧場の仕事を十全にするのが難しくなる時は来る。

 

 そうすれば、牧場は自分が背負って立つ。

 

 あるいはどこかの、叔父からしても安心できる地に足の着いた職の者と結婚し、妻となる。

 

 婿に誰かを、となれば、叔父の後ろに何年と跡継ぎとしている姿を見せることも必要だ。

 

 寄り合いだったり、得意先だったりに、コイツが俺の跡継ぎで仕事を仕込んでいる、と周囲に認知させる。

 

 ――何をするにも先代の影に五年控える、というのは実際の所必要な下積み期間なのだ。

 

 そして、叔父の年齢から察して逆算するに、そのタイムリミットは遥か先、というものではない。

 

 今年、来年はまだかもしれない。

 

 でも、いつまでも、ではない。

 

 いつか来るのだ、それこそ彼が兜を脱ぎ、ゴブリン退治を、冒険者を辞めると心に決めねば。

 

 ――あの子に婿を取らせる、だから、出て行ってくれ。

 

 叔父さんが彼にそう言う日はいずれ来る。

 

 叔父さんだって彼のことが嫌いじゃない。

 

 だからもしかしたら、その話の前に、冒険者を辞めて婿入りしないか、と言うこともあるかもしれない。

 

 でも、叔父さんにとって私と彼の大事さは釣り合うものじゃない。

 

 それはそれ、これはこれ、で私の将来、幸せを考えて後見人としてやるべきはやる、という責任感のある人だ。

 

 だからこれは、誰が悪いという話ではない。

 

 皆年を取るし、森人でない自分たちにはその一刻みが大きい。

 

 当然の摂理を無視して生きることは出来ない。

 

 その時が来て、そうなれば、彼は兜を脱いでくれるだろうか。

 

 武器を置いてくれるだろうか。

 

 冒険者になるという夢を諦めてくれるだろうか。

 

 あるいは……分かりました、と言って荷物を纏めて立ち去るのだろうか。

 

 私はもうかわいそうな境遇の女の子ではなく、牛飼いの娘なのだ。

 

 彼の帰りを待つことは、今は出来る。

 

 でも、ずっとではない。

 

 まだまだ幼く、未来は白紙で、どんなところへいって何にだってなれる。

 

 そんな立場では、もうないのだ。

 

 

 

 彼女の懊悩は、どうしようもないのだ。

 

 かつての彼は牧場を立ち去った。

 

 ゴブリンスレイヤーは、ゴブリンの凶刃に倒れた。

 

 それが、かつて出た目だ。

 

 彼の訃報を聞き、泣き崩れ、それでも彼女は立ち上がり、生きた。

 

 もうその時には彼女は幼馴染みを失ったかわいそうな女の子ではなく、腕に子を抱く母親だったからだ。

 

 それはむしろ、健全なことなのだ。

 

 だが、ひっそりと、牧場に残された時を止めた納屋だけが彼女の中に癒えぬ傷が終生あった証なのだ。

 

 ──私が死んだら、彼の小屋を燃やして。

 

 それが、彼女の願いだった。

 

 彼が退去して、そこにはもう彼を思い起こさせる物は何も残っていなかったはずだ。

 

 それでも、彼女はあの小屋を残した。

 

 あの小屋に火を放ったとき、私はとても久しぶりに涙を流した。

 

 私はあの時、二人を自分の手で弔ったのだ。

 

 間違いなく同じ人を愛した友人の頼みは、粛々と果たされた。

 

 ふぅ、と回想を断ち切る息を吐くと、びくりと、彼女が居心地悪げに居住まいを正す。

 

 いよいよ私の我慢が限界にきたのか、と思ったのかとてもすまなそうな顔だ。

 

 道具の点検を中断し、彼女に向き直る。

 

「私が出来ることは、多くありません。最善を尽くして、生きて帰る、もちろん皆で」

 

「え、う、うん」

 

 当たり障り無く、お茶を濁す言葉を選ぶことはできた。

 

「……」

 

 だが、言葉を探す。

 

 私は、彼を手に入れる。

 

 それを諦めるつもりはない。

 

 それでも、何か彼女に言葉を掛けたい。

 

 らしくない、と思い、自分らしさなんてもう分からない所まで来ておいて、と自嘲して、

 

 でも、これは多分私の中に間違いなくある女の子の欠片が上げる声だ。

 

 貴女も、立ち上がって、と。

 

「貴女が、羨ましいんです」

 

「え」

 

「私は貴女にはなれないんです」

 

 私は、彼の帰るべき場所になれなかった。

 

 帰るべき場所のない彼は、帰ってこなかった。

 

 彼の歩んだ、もう彼の居ない道を追い、ゴブリンを根絶やしにすべき道を私は歩み、世界を統べた。

 

 行ったっきりで、そのまま時を超えて、いまここにいる。

 

「……すみません、多分これは八つ当たり、なんだと思います」

 

 彼にとっての唯一の場所であった彼女。

 

 自分はなることの出来なかった彼女。

 

 彼が私にそう、と望んだことはなかった。

 

 望まれれば、いくらでも、差し出したのに。

 

 望まれれば、どれほどでも、尽くしたのに。

 

 私は、望まれなかった。

 

 それは、私を彼女の代替品にしないための彼の誠意だったのだろう。

 

 そんな誠意、要らなかったのに。

 

 ぎゅう、と己の掌を、いや、彼が贈ってくれた指輪を握る。

 

 かつては無かった物だ。

 

 自分が戻ってきて手に入れることのできたものだ。

 

 それが、自分に勇気をくれる。

 

「貴女が羨ましくて、だけど、諦めません」

 

 それは恋敵への宣戦布告であり、発破だ。

 

 

 

 どれほど心の内を読まれたのだろうか。

 

「あ、え……」

 

 多分、全部。

 

 いやそれ以上を推し量られて、その上での言葉だ。

 

 だから、この胸の内からわき上がったのは、魂からわき上がるのは。

 

「やだ」

 

 怒りだ。

 

 ずっと止まっていた感情だ。

 

 悲しみに暮れ、彼に寄り添うことでほのかに脈動を始めた感情の、動かされるところのなかった所。

 

 怒ることの出来ない心は不健全なのだ、というのは誰に聞いたものだったか。

 

 久方ぶりに鳴動した怒りという感情は他の感情すらも喚起させる。

 

 目の前の女の子の言葉に、恥ずかしくて、怖くて、それでも思う。

 

 負けたくない、と。

 

「やだよ、うん、やだ」

 

 怒りとは、勇敢さをくれる物だったのか。

 

 怒りとは、決意をくれる物だったのか。

 

 そんなこと、始めて知った。

 

 へたり込んでいた魂が、みしみしと音を立てながら立ち上がる音を聞く。

 

 いままで、体は動いていても、心は座り込んだままだったのだ。

 

 だから、目の前に来た彼女が、まっすぐそう言って来て、思わず言葉を返した。

 

「私だって、諦めない」

 

 そう、お腹にぐっと力を入れて彼女に返し、

 

 

 私達は、きっと友達になれたのだ。

 

 

 ──後日、受付嬢はこの時ばかりは生きた心地がしなかった、と語った。



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