ギルガメスの小さな身体は、巨大な影とそれを作り出す長い顎と両手に覆われ、束の間の安全を保っている。だがそのすぐ外には悪魔が忍び寄っていた。魔人ビスマ。全身虹色の光沢で輝く得体の知れない人物は、人もゾイドもろくに見当たらないこの岩場に突如として姿を現したのである。まさしく神出鬼没。まさしく絶体絶命。
(どうしよう、どうすればいいんだ!?)
少年の後悔が止まらない。一応、彼もナイフを持っている。ゾイド猟用のナイフであり、相棒に秘められた力を引き出す鍵でもあるそれは、普段は相棒ブレイカーの胸部コクピット・座席の下に閉まっている。……取りに戻るのは極めて困難だ。
いやそもそも、今の少年にこのナイフを武器として使いこなすのは無理だ。最愛の女性に手ほどきを受けてはいるものの、経験が足りなさ過ぎるという。
〈武器があるからと軽率な行動に出るくらいなら、仕舞っておいた方が遥かに良いわ。今はゾイド乗りとしての腕前に磨きをかけなさい。
いつかゾイドでは解決できない局面に当たった時、こういうのの勉強をした意味がきっと、わかるから〉
そう、彼女は教えてくれた。
そこまで思い出した時、少年ははっと我に返った。
彼の優しい相棒は、少年を囲う両掌の親指に当たる部分(三本指の内、最も短い一本)を招くように動かしている。……額に指を当てる少年。疲れ切っているため刻印の輝きは大分弱いが、それでもしっかりと明滅できる。
(わかった、タイミングを図って、どちらかに掴まるから)
刻印の力によるテレパシーを受けて、相棒の親指は動きを止めた。かすかにでも鳴いて相槌など打ってしまったら悟られるから当然だが、確かな意思疎通は出来たに違いない。あとはタイミングだ、タイミング……。にわかに鼓動が高鳴るのがわかる。いつしか少年が右腕でTシャツの左胸辺りを鷲掴みして気持ちを張った、その時。
『待ッテクダサイ』
魔人ビスマの落ち着いた声が辺りに響き渡る。驚いた少年。相棒が作ってくれた両掌の囲いの隙間から、ちらり覗いてみる。
腕組みして仁王立ちの魔人がふと、右腕を上げた。
「[ギルガメス]サン、私ノ使命ハ『導火線の七騎』ヲ破リ、私自身ノ地上最強ヲ証明スルコト。
丸腰ノアナタヲ攻撃スルノハ、重大ナるーる違反デス」
少年は溜め息とも深呼吸ともつかぬ息を漏らしかけ、慌てて両手で口を覆った。
つまりどういうことなのか。彼自身、今まで度々命の危険に晒されてきた。我が相棒たる深紅の竜を破るには、パイロットであり主人であり、そして無二の親友でもある少年を始末するのが手っ取り早いのは誰の目から見ても明らかだ。それを敢えて避けるというのか。いやそもそも、この得体の知れぬ魔人の言葉を信用して良いのか。
ふと、己が吐息を耳にして悟る少年。自分の呼吸が少し早くなった。動揺し、混乱し掛けているのだ。努めて静かに深呼吸すると。
「つまり、僕がブレイカーに乗っていなければ戦わないってこと?」
両掌の囲いの隙間から言葉を投げかける。
魔人の全身は妖しく明滅した。
「ソウデス。生身ノアナタヲ倒スノモ、アナタガ乗ッテナイ[ジェノブレイカー]ヲ倒スノモ意味ガアリマセン。
万全ノ状態ニアル、アナタ達ヲ倒シテコソナノデス」
その有様を、少年は囲いの隙間から円らな瞳を凝らして見つめていた。
訪れた沈黙。一秒が十秒にも百秒にも感じさせられる。
「わかった。僕は連れと合流したい。
そちらはもう三歩、下がってくれないか?」
魔人は大きく三歩、さして躊躇もせず、表情も変えず後退した。
その間、少年は額の刻印に指を当てて相棒と交信する。
(ブレイカー、ごめん。少しでも情報を聞き出したいんだ)
深紅の竜は自らが囲う両掌をまじまじと見つめて溜め息を漏らした。……少年は勇気ある決断をした。竜にしてみれば非常に怖く、危険な決断である。この虹色の魔人の能力は依然不明だ。しかしこの場で即座の決着が見込めない以上、少年の決断以上の選択肢はあるまい。幸い、この若き主人も不意打ち対策のため、魔人に三歩の交代を約束させた。だから深紅の竜も決断した。有事の際は、必ず我が主人を守るのだ。
深紅の竜は両掌を、勿体つける位ゆっくりと開放する。
中から現れたボサ髪の少年。高鳴る心臓、乱れる呼吸、すくむ足。それでも胸だけは堂々と張った。
「向こうに、連れのビークルの反応を確認している。そこまで一緒に行こう」
遥か彼方で起きたこの邂逅は、エステルの想定を間違いなく超えていただろう。そんなことなどつゆ知らず、彼女はビークルのエンジンを吹かす。調整されたマグネッサーエンジンの起動音は地球で利用される電気自動車程度かそれ以下の騒音に過ぎない。それだけに、外界の静けさはコントロールパネルを睨む彼女の不安を強烈に駆り立てる。
彼女はコントロールパネルを手早く弄った。モニターに自動運転を告げるメッセージが表示されるのを確認すると、彼女は被っていたヘルメットを無造作に外して右の座席にそっと置く。そして襟元を少し緩めると、特大の溜め息。
腕組みしつつ右手で頬杖するいつものポーズで物思いに耽る。この間も無論、愛弟子と相棒たるゾイドの捜索はレーダーによって虱潰しに行なっている。当然のことだ。……だがそれはそれとして、彼女は彼女なりに、この僅かな時間を使ってでも心を整理させずにはおれなかった。
私は、愛する男と付き合いの長い友達が生き延びてくれさえすれば、それでいい。それで良かったし、そうするより他ない人生だった。
でも彼は、そうは考えそうにない。目の前で苦しんでいる人がいれば、できる限り助けたいのだ。
相反する気持ちが衝突には至らぬものの、ずっともやもやと淀み続けている。
出会って間もない頃は残酷な現実を突きつけて納得させることもしばしばあった。たった二人と一匹で生き延びる手段は限られていることをわかってもらいたかったからだ。……だが今や愛する男は、着々と実力を身につけつつある。多少の荒波に揉まれてもびくともしない心と身体を。
(要らないんじゃあないかしら、私)
何気ない一言が呪詛と化して全身を駆け巡り侵食していく。強烈な悪寒。
(いや、いやいやいや)
慌てて彼女は首を何度も横に振った。彼にも、自分自身にも嘘をついていることくらいわかるだろう。
だがそれだけに、彼女は思い悩む。どう接すれば良いのか。
自動運転を続けたままビークルは飛行を続ける。コクピット内部は依然、静かなままだ。
ふと、ビークルのコントロールパネルがアラームを鳴らす。
切れ長の瞳をカッと見開き長い両指でコントロールパネルを弾くエステル。
据え付けのモニターは鳥瞰図を浮かび上がらせ、はるか遠方に「人の反応」を捉えたという。……だが詳細を確認して、彼女は落胆のため息を付いた。
「ゾイドコアの反応は、ないのね。……ブロックスの、群れ? 尚更、違うわ」
言うまでもなく、愛する男は巨大なゾイドに搭乗している。目下の宿敵が操るブロックスも、分離して群れるほどの規模ではない。恐らく現地人だろう。
ビークルは虚空をそのまま直進して向かう。エステルは溜め息をつきつつ、次の反応を完治するまで背もたれにしなやかな身体を預けた。
同じように鳥瞰図を睨んでいた者がいた。マノニアだ。
彼もまた、橙色の蜂ブリッツホーネットを自動運転に切り替え戦況を睨んでいたのだ。A3大の板状端末を両手で握りしめてずっと凝視していたのだ。ところが人の反応を示す光点が横切っていくのを確認したところで、少々太ましい十本の指はワナワナと震え出した。そして遂に、堪え切れず伏せていた顔を持ち上げて高々と笑い始めた。しかしながらその笑い声には清々しさは微塵も感じられない。
「打って出るぞ!」
合図を受けて、橙色の蜂の群れは鮮やかに散開する。
さてマノニアは例の板状端末をコクピットにマウントさせてモニター代わりにすると一転、困難な実験に臨む科学者のように神妙な面持ちとなった。
「レアヘルツ砲、用意せぇ」
ボソリと呟く。
橙色の蜂達は、一斉に身体をくの字に抱え込むように曲げる。
蜂の胴部・先端より伸びる突起が何やら人の腕の長さほども延長。驚くべきことに、このくの字の姿勢のまま一切減速していない。搭乗する黒尽くめの機械人形は黙々と主人の指示に従い、曲芸的な飛行を継続中だ。マノニアの搭乗する蜂も同様に動作してはいる。事前に一連の動作をボタン押下数回程度で実現するよう仕込んでいたからだが、当の操縦者本人は大分顔が引きつっている。
さて板状端末の鳥瞰図が、白い光点を再び捉えた。画像拡大、更に拡大。……直に見たわけではないが、ゾイドバトルの試合映像で何度も目にしている。若き英雄ギルガメスを導く蒼き瞳の美女が搭乗する、あのビークルだ。
「よーしよしよし、狙い通りじゃ。
儂の長年に渡る研究成果を披露してやる」
マノニアの胸には去来するものがあった。一介の技術者に過ぎないこの小太りの中年にとって、のし上がるには「ゾイドを凌駕する研究」を積み上げるしかなかった。例えば安価且つ小型で人同様の細かな動作をこなすものとして機械人形を作り出した。彼らに限らず、ゾイドを持てない技術者は常にゾイドに対抗することを想定した技術の積み重ねが必要だったのだ。蜂達の異様な発射体勢でこれから解き放たれようとしている攻撃もその一環だ。
(儂の研究では古代ゾイド人……とりわけ額に「刻印」とやらが光る奴らの身体は極めてゾイドに近いことがわかっておる。ならば、こいつは効く。間違いなく!)
板状端末は全ての蜂達が準備完了したことを伝えた。ほくそ笑むマノニア。
「レアヘルツ砲、照射」
派手な爆音も、閃光もなかった。……だがマノニアは自らが搭乗する蜂の胴部先端から研究通りの音がすることを確認し、板状端末に映る配下の上方に異常が見当たらないことを確認し、不敵な笑みを浮かべるに至ったのである。
ところでレアヘルツとは、惑星Zi各地で確認されている電磁波のようなものだという。それを浴びればゾイドは例外なく身体に変調をきたし、やがて死に至る。その絶大なる効果故に、レアヘルツ発生地帯は惑星Ziの各大陸をものの見事に分断しているのだ(初出はアニメ「機獣新世紀ゾイド」)。
それほどのものが一介の民間技術者に過ぎないこの男よって遂に解き放たれたのだ。
我に返ったエステル。上半身はいつの間にか前のめりになって、コントロールパネルの上に倒れ伏していた。
ほんの数秒前、唐突に視界が暗転した。馬鹿な、失神したというのか。
すぐさま、両手をコントロールパネルの上について上半身を起こそうと試みる。……その時、猛然と襲いかかってきた後頭部の痛み。視界が何重にもブレる眩暈。そして強烈な吐き気。体を持ち上げたくとも、両腕に、胴体に、全く力が入らない。
座席の上で、身を捩らせながら悶える彼女。この間にも全身から冷や汗が噴出、悪寒が、痙攣が駆け巡る。パニックに陥る瀬戸際でも、彼女は懸命に思案した。健康体である彼女の全身を襲ったこの異常は、何か。
(……レアヘルツ!?)
口伝で。座学で。そしてコールドスリープ時の睡眠学習で。度々教わってきた症状に酷似している。
そこに気がついた時、彼女は一連の症状に至った原因にも即座に気がついた。……苦悶と共に彼女を責め立てる後悔の念。今の彼女は一つ、大事な装備を外していた。そう、ヘルメットだ。
レアヘルツによる攻撃は戦況を根本から崩しかねないから、彼女がよく着用する背広やパイロットスーツには防護処理が施されている。しかし幸か不幸か、ヘリック共和国によって惑星Ziが統一されてしまった今の時代において、こんな掟破りを働く者はいない。愛する男を二度も奪おうとしたあの宿敵でさえ使わなかった。悪夢のような時代の遺物として、忘却の彼方に放り込まれていたのだ。……ありはしないと思っていた、その結果がこの体たらく。
苦痛に歪む切れ長の蒼き瞳から、いつしか薄っすらと溢れる涙。歪む唇を、ぐいと噛み締める。
(どうにかしないと。……ああ、あなた!)
朦朧とする意識の中、彼女はどうにか長い指でコントロールパネルを弾く。自動操縦のまま、手近なところへの不時着。もはやそれしかあるまい。
有事には深紅の竜に先行、外周を固める支援兵器として活躍するこの時代がかったビークルは、木の葉を落とすように複雑な軌道で減速。岩場だらけだった辺りをさらに抜け出した平原に、滑り込むように不時着を果たした。岩を削り、砂を撒き散らし……最低限の安全対策以上のことは出来なかったと言って良い。
やがてビークルの外周に、次々に着陸する橙色の蜂ブリッツホーネットの群れ。搭乗する機械人形が次々に降り出しビークルを包囲していく。彼らの両腕にはショットガンほどの長さはあるが銃口の見当たらない得体の知れない筒が握られている。先程の蜂の群れが使ったのがレアヘルツ「砲」ならこちらはレアヘルツ「銃」である。
最後に到着した蜂の上からマノニアが飛び降りた。ここまでご覧の通りの小悪党ながら小太りであり凡そ戦いには向いていない体型の持ち主故に、一挙動ごとはスムーズなようでも必ず間が空く。例えば蜂から飛び降りたところで次にすべき行動を一寸考える妙な緩慢さが隠せない。それ故か、彼の周囲には常に数匹の機械人形が護衛する。この場でも彼らを伴いながら、先に包囲した機械人形達より外周からビークルを覗き込んでいるところだ。
マノニアの浮かべる笑顔は何とも悪辣。
「調べはついておる。
ギルガメスには常に付き従う女がいる。魔装竜ジェノブレイカーをもビビらせる怖い女じゃが、かのクソガキは女に惚れておる。ならば目指すは唯一つ!」
戦乙女の如き彼女の闘いぶりを知っていればこのような発想は中々生まれなかっただろう。マノニアは美貌の女教師エステルを人質にしようと考えたのだ。
ビークルの上部を覆うハッチ付近に数体の機械人形が群がる。いずれもしばらくはハッチの縁に両手をかざしていたが、ふとそのうち一体が動きを止めた。両掌から毛糸並みに細長い触手が十数本も伸び、鍵穴らしき部分に侵入を果たす。
十数秒程度で空気を漏らす音が聞こえた。ハッチが競り上がるように開いたのだ。
たちまち開いた箇所に機械人形が群がる。この一瞬のチャンスに乗じて、脱出や反撃に転じられるわけにはいかない。
だがそれは杞憂に過ぎなかった。ものの数秒で、機械人形の群れは左右に分かれ、マノニアを招くように道を作り出す。その先に見えるものを確認したマノニアは下卑た笑みを浮かべつつ、歩を早めた。
二体の機械人形に両肩を抱きかかえられ、引き摺り出された黒衣の美女。完全に気を失っており、項垂れている。いきなり殴られたり蹴られたりといった可能性はまずない。
真正面に立ったマノニアは意識のない彼女の顎をくいと持ち上げる。小太りなこの男の身長は決して高くはなく、この動作をするだけでも顔を見上げなければならない。だが意識の有無という絶対的優位の前にはさほど問題にならない。
「これがビスマでも勝てぬクソガキの『女』か」
面長の、白磁のような頬を軽く叩くが反応はない。すぐに鼻や口元に手をかざすが微かに息が漏れるのは確認できた。こそ泥が戦利品を眺めるかの如き下衆い笑みを浮かべる。
だがそれにしても、美しい顔立ちだ。いつしかマノニアは、黒衣の美女に魅入っていた。顔から、細長い首へ。そして……首元。強烈な苦しみ故にパイロットスーツを緩めたのだろう。ハッと、男は息を呑んだ。首から鎖骨、そして……胸元。深い谷間が下品な男の視線を盛んに誘っている。
一瞬の躊躇。だが咳払いすると「役得じゃ、役得」と呟き右手を伸ばす。
漆黒のパイロットスーツの上から軽く弄っただけで、男の面構えは親なら勘当を言い渡され友人なら絶交されるだろう、何とも下品な笑みを浮かべ、声を上げた。
「この役得、最高じゃ! ……いや、待てよ」
この程度で甘んじて良いのか。「導火線の七騎」にも選ばれるほどのゾイド乗りであるあのクソガキを精神的に破壊せねばなるまい。
「そうじゃ、マノニア! この程度で我慢してはならん! もっと、もっとじゃ!」
意を決して、依然気を失ったままの美女の胸元に手をかける。
だがそのずっと背後の方で、砂利を蹴る音が急速に近付いてきた。……すぐさま群がる機械人形。だがそのいずれもが払いのけられ叩き落され踏み台にされ、いつのまにか卑猥な笑みを浮かべたままの中年男性の背後に躍り出た。
直ぐ側の機械人形が反応しマノニアが振り向くよりも早く、メキと鈍い音が辺りに響き渡る。
天国に誘われていた男の脳裏を襲う衝撃は、まさしく地獄へ転落する激痛だ。ぎゃあと悲鳴を上げ、マノニアはその場に倒れ込んだ。
「な、な、何者……」
長髪の狂戦士、仁王立ち。上半身は素っ裸のまま、右手には鉄の棒が握られている。……マノニアはこの男こそ水の軍団暗殺ゾイド部隊の戦士であり「導火線の七騎」第四騎とも称されるケンイテンであることを知らない。ケンイテンは群がる機械人形に鉄の棒の先端を切っ先のごとく向けて牽制すると、倒れたままのマノニアの頭部を踏みつける。
「おぅガラクタ共、それ以上動いたらどうなるか、わかるよなぁ?
さて、このクソアマがギぃぃルガメスの女か。チビデブ、やるじゃあねぇか。
ギぃぃルガメスを倒すためにはやはり心をぶっ壊すしかねぇようだ。都合よく、最高の材料が置いてあったぜ。……おいチビデブ、こういうのを何て言うか、知ってるか?」
頭を踏みつけられたまま身体も起こせぬマノニアは恐怖に怯える表情しか浮かばない。
「何だ、知らねぇのか。『善は急げ』って言うんだよ!」
言いながら強く頭部を地面にめり込ませるほど踏みにじる。悲鳴を上げるマノニア。
だがそんな声になどお構いなしに、長髪の狂戦士は依然意識の戻らない黒衣の美女の胸元に傷だらけの手を掛けた。
延々と岩場が続く。打ち寄せる波と潮風によって長年に渡って削り込まれたようだ。その一方で人が歩ける程度の道も確保されている。成り立ちが気になるところだが、そこに興味を抱く心の余裕など今の少年にありはしなかった。
先行する虹色の魔人ビスマの背中をギルガメスはじっと見つめる。妖しい光沢がうねる皮膚。巨躯であることは間違いないが、体つきには強烈な違和感が感じられてならない。人体については義務教育で習った程度の知識しかない少年だが、骨格レベルでZi人とは違った作りに思える。
いや、そんなことより。責務を果たすのだ。言葉遣いをどうしようか一瞬は躊躇しつつ。
「教えて欲しい、ビスマ……お前は一体何者なんだ」
虹色の魔人は振り向かずに答えた。
「私ハ[ゾイド]デス。……不思議、デスカ?」
少年には俄には理解できないままだ。彼の学んだ範囲では等身大で人に近い体つきのゾイドなど、今まで聞いたこともない。……いや待てよ、待て待て。こういうゾイドも現存する、ということではないか。とにかく今は、そう考えることにした。少年は頭をフル回転させて、次に紡ぐべき言葉を慎重に選ぶ。
「お前は、どこからやってきたんだ?」
虹色の魔人はちらりと後方を一瞥。じっと少年の表情を伺うとふと立ち止まり、自分の腕を天に向けて伸ばすと、空に向けてまっすぐ指を突き出した。
「コノ空ノズット、ズット上デス」
魔人の告げた故郷に、少年も竜も奇妙な声を上げそうになり、慌てて我慢した。つまり宇宙から来たということなのか。少年主従は思わず顔を見合わせる。
ところで惑星Zi完全統一を果たしたヘリック共和国において、所謂「宇宙開発」はどの程度進んでいると考えられるだろうか? 筆者の想像では「何もしていないわけではないが、まだまだ重要度は高くない」といったところだ。油断のならぬ強国が大体消滅した以上、宇宙開発を通じて他国に力を誇示する必要性は薄い。だが一方で、共和国軍が団結するに足りる仮想敵も必要だ。宇宙空間を泳ぎ、彼方の星に余裕を持って着陸・開発するのは食いっぱぐれた軍人の矛先をかわすには丁度良い材料になるのではないか。
「カツテ私ハ、大キナ翼ヲ持チ、星ノ海ヲヒタスラ泳イデイマシタ。
アル時、私ハ流レ弾ニ当タッテシマイ、コノ星……[惑星Zi] ニ墜落シマシタ。
私ハコノ星ノ民ニヨッテ捕マッテシマイマシタ。
彼ラハ私ノ身体ヲ奪イ、他ノ沢山ノ[ゾイドコア]ト共ニ幽閉シマシタ。
……ソコニハ食料ナドアリマセン。私ハ他ノ[ゾイドコア]ヲ食ベ続ケテ、ドウニカ生キ残リマシタ。
遂ニ私ダケニナリ、飢エガ頂点ニ達シタ時、私ハヨウヤク助ケラレタノデス」
少年も竜も、魔人の話しに声を失ってしまった。
聞いたことがある。これは蠱毒という奴だ。宇宙空間らしきところを彷徨っていた一介の金属生命体がいきなり受けたこの仕打ちは何なのか。
すると少年の後方から深紅の竜がそっと鼻先を近づけてくる。彼はすぐに気がついた。竜は荒々しく乱れそうな鼻息をずっと我慢している。この魔装竜ジェノブレイカーと呼ばれた深紅の竜も、魔人ビスマの境遇に腹を立てたようだ。このゾイドにも心当たりが大いにある。ぶちまける当てのない怒りの矛先。少年は鼻先にキスをしてやり、そっとなだめた。
「そうだったんだ……。大変だったんだな。
それで、その助けてくれた人は?」
「コノ先ニ、イマス。私ハ彼ニ恩返シスルタメ、戦ッテイルノデス」
えっ、と少年は声を上げた。
「いや、ちょっと待って。まさか『導火線の七騎』を倒すのは、その人に依頼を受けたから!?」
「ハイ」
そいつが一番の悪党だ。少年は絶句した。
「それ、利用されているだけじゃあないか! 最初からそういう目的で解放されただけだよ」
「ハハハハハ」
虹色の魔人は笑い出すと立ち止まり、あとから続く少年の前に振り向いた。
「[ギルガメス]サン、人間ハ素晴ラシイ生キ物デスネ。
……[愛]ト言ウノダソウデスネ。アナタニハ愛スル者ガイル。
[友]モイルノデスネ。ソコニイル[魔装竜ジェノブレイカー]ハアナタノ大事ナ友達。
戦ワズニ済ム証シ、ソレガ[愛]ヤ[友]ダ。
シカシ[ゾイド]ハ、ツガウコトハナイ。友モ本来ハ持タナイ。生マレ落チテカラ死ヌマデ孤独デス。
ヨッテ[ゾイド]ガコノ世界ヲ生キ抜キ、ヨリ優秀ナ遺伝子ヲ遺スニハ、戦ウ以外ニ方法ハアリマセン。戦ッテ沢山ノ情報ヲ仕入レ、己ノ能力ヲ高メルシカナイ。……幽閉サレタ時、悟リマシタ。
『導火線の七騎』ヲ倒シ我ガ地上最強ヲ証明スルノハ、[ゾイド]トシテノ宿命デアリ、当然ノコトナノデス。ソシテ、最高ノ機会」
相対する少年は、二の句が継げない。同じ言葉を紡ぎ出す者なのに、まるで理解が出来ない。……唇を噛む。首をひねる。そして。
「でも……でも、僕とお前はこうやって会話できているよね。
戦わなくても、少し話すだけでも、色々なことがわかるよね。そこに人とかゾイドとか、関係ないだろう? 血みどろの戦いをしなくても済むことは一杯あるだろう!」
虹色の魔人は少年の言葉にひとしきり、耳を傾けるような素振りをしていた。
だがこの時、魔人と深紅の竜は一斉に、進行方向に首を傾けた。
「マズイ。先ニ行キマス」
そう告げるなり、虹色の魔人は全身を目映く輝かせる。瞬時に虹色の光球に姿を変え、猛然たる勢いで彼方へ飛んでいく。
少年もまた、魔人の有り様を見ている余裕などなかった。彼の小さな身体を、深紅の竜が巨大な爪で鷲掴みし、そのまま胸部コクピットへ放り込む。
わっと声を上げて尻餅をついたところに竜の爪が強引に押し込んできた。……少年は悟った。我が相棒はひどく焦っている。
「どうしたの、ブレイカー。教えて」
着席する少年の両肩にハーネスが降りると同時に、既に起動していた全方位スクリーンがウインドウを開く。……鳥瞰図に示された白い光点。これはビークルだ。そこに群がる無数の光点。そして、その外周から猛然たる勢いで近付いてくる赤い光点。
「これは……ブロックス!? そしてこの赤いのは、まさか……!」
左右から伸びるレバーを少年は力強く握り締める。
岩場に打ち捨てられたまま立ち上がるチャンスを見いだせぬ機械人形達が、一斉に首を傾けた。
まばゆい虹色の閃光が、辺りを真っ白に照らす。その明るさ、人ならば目くらましに等しい。
地表に弾ける放電。
長髪の狂戦士ケンイテンは既のところで背後に振り向き、両腕で鉄の棒を構えた。そこに叩き込まれる虹色の光球。放電に怯む素振りも見せぬ狂戦士。だがここがキリの良いところと悟ったのか、握りしめた鉄の棒でどうにか光球を横にそらすとトンボ返りで間合いを取る。
虹色の光球はすぐさま元の魔人の姿に戻るやその場で足蹴にされていたマノニアの襟首を両手で掴んで引き摺り起こす。
「[マノニア]! 貴様、何ヲヤッテオルカーーッ!」
助かったと思ったところから不意に浴びせられた怒涛の罵声に、小太りの中年は悲鳴を上げる。
「ひ、ひ、ひ、ひぇーーっ!?」
「貴様、[ギルガメス]ノ女ニ手ヲ出シタノカ!? 重大ナるーる違反ダロウガ!」
目前に迫る憤怒の魔人。
「ち、ちが、違う! 違うんじゃ! 手をかけようとしたのは、彼奴じゃ! さっきの奴じゃ!」
その有り様をじっと見つめたまま依然、地に伏したままの機械人形達に砂埃が襲いかかる。強風。吹き飛ばされたりどうにかしがみついたりして抵抗する中、微動だにせず立っている魔人の頭上からぬっと追い越す鋼鉄の三本指。……深紅の竜だ。先程の強風もこのゾイドが怒涛の勢いで急いだ結果、発生したのだ。
三本指は黒衣の美女を抱え上げた機械人形達をおはじきでもするように飛ばし、すぐさま美女の柔らかな身体を掴んだ。それが、右腕。残る左腕はすぐ側に打ち捨てられたビークルをがっちり掴み、そして一歩、大きく後方に跳ねて下がる。
竜の爪の中で、黒衣の美女エステルはうめき声を上げた。目を覚ましたのだ。が、レアヘルツ砲の後遺症は厳しく、切れ長の瞳を開けるよりも前に両手で額を抑える始末。
そこに、光が差し込む。どんなに薄汚れた現実でもこれだけは美しい陽射し。
美女を守る鋼鉄の爪は、竜の胸元の前で開かれたのだ。一方、竜の胸部コクピットハッチも開き、ギルガメスが躍り出た。
「先生!? エステル先生!」
ハッチから竜の爪まで伝うとしゃがみ込んだままの美女の前に、自らも膝を付ける。
愛する女性は呆然とも、朦朧ともした状態だ。少年はオロオロとし出す。どうすれば良いのかわからない。
「ギル、ちょっと」
小声でささやく。
何と言ったのか。思わず前に乗り出した少年。
その胸元めがけて、美女エステルはゆっくりと、狙いすましたように倒れ込んだ。
ハッと声を上げた少年。彼女の思いのほか華奢な身体を、両腕で抱きしめて受け止める。咄嗟だった。恥じらう余地など一瞬で失せた。
「……ありがとう。ごめんね」
ささやく美女。
少年が感極まったその時、二人の頭上で深紅の竜が威嚇の唸り声を上げる。
彼方で巻き起こる砂嵐。……いやその中心をよく見れば、砂が球状になって様々なものを引き寄せている。激しい放電。そしてその中に垣間見えるのは無数の、緋色の鉄塊。
一分はかからなかった。そこに姿を表したのは、さっきギルガメスとブレイカーを窮地に追い込んだ緋色の暴君竜、キメラゴジュラス。頭部コクピットから姿を表した長髪の狂戦士ケンイテンが大声で叫ぶ。
「ギぃぃぃルガメス、決着を付けてやる! 惑星Ziの、平和のために!」
少年はすぐさま抱きしめたままの美女とともに相棒の胸部コクピット内に戻る。……とにかく間合いを離さないと。そして、愛する女性を抱えたままでは強く戦えない。チャンスが欲しい、チャンスが。
その時、突如の飛来物は雲間から。深紅の竜の前に、防波堤のごとく姿を表したのは半人半馬の合成獣によく似た銀色の機体。上半身は暴君竜ゴジュラス、下半身は雷鳴竜ウルトラザウルス。背中には幻剣竜ゴルドスの背びれと大飛竜サラマンダーの翼を備えた銀色の機体。その名もケンタウロス・ワイルド。地響きを立て砂埃を巻き上げながら、雄叫びを上げて仁王立ち。
銀色の機体の頭部キャノピーに飛来した虹色の光球。内部に吸い込まれていくと共に、虹色の魔人が搭乗を果たした。
「[ギルガメス]サン、コレハ私ガ倒シマス。
サテ『導火線の七騎』第四騎……[ケンイテン]サン。マズハ私ノ相手ヲオ願イシマス」
挑戦の意思を耳にした狂戦士は舌打ち。すぐさま頭部ハッチを閉じた。
ケンタウロス対キメラゴジュラス。暴君竜の系譜にある異端の両者は、この青空のもとで構えるや否や。……耳をつんざく激突音。戦いの幕は既に上がっていた。