繰り返す度によく見るようになったあの夢。
登場人物はまだ背丈の小さい頃の昔の俺と見憶えの無い長い黒髪の女の子。
気にならない訳ではないが、それを一生懸命思い出そうとする時間は俺にはなかった。
瞼を開ける。見慣れた天井。この光景は俺にとっての始まりである。
そしてベッドの上で起き上がって、目の前に白い生き物がいることも、俺にとっての始まりと言っても良いぐらいに当り前になってきた。
『やぁ』
「よう」
そのネコとウサギが合わさったような存在が喋りかけてきたので、素直に返事をする。
『君はなかなかに興味深い存在だね。僕を知覚しているのにもかかわらず冷静に対応してみせるその態度。それにその身に宿る莫大な魔力には驚かざるをえないよ』
キュゥべえは自分の身体を同じくらいの大きさの尻尾をゆらゆらと振っている。なにやら機嫌が良いみたいだ。
「まぁ……俺にも色々事情ってものがあるもんでね」
魔力については知らん。だけれども、キュゥべえが目の前にいた程度で驚くことはない。
『そうだ。自己紹介をしないとね』
別にしなくて良い。もうお前の名前は知っている。
『僕の名前はキュゥべえ。実は僕、君にお願いしたいことがあるんだ!』
「……お願い?」
今までになかった事象。これまでキュゥべえは、俺と言う存在を興味深そうに観察するだけで、俺に対してアクションを起こすなんて無かった。
だから少し困惑した。
『そうさ、お願いだよ。だけどその前に君の名前を教えてもらっても良いかな?』
「あ、ああ……俺は向井キリトだ」
『キリトは魔法少女と言う存在を知っているかい? 彼女たちは僕と契約して魔女と戦う宿命を負った女の子たちなんだ』
「それは知ってる」
俺がそう返すと、キュゥべえは『やっぱりね』と言ってから言葉を続ける。
『僕が魔法少女を生みだすのには理由があるんだ』
それも知っている。だけれどもそれを言葉に出すことはしない。そうしたら、ほむらのためにならないし。
『全ては宇宙の寿命を延ばすために僕はお願いしてる』
「キュゥべえは宇宙人なんだな」
『そうだね。君たち人類から見れば、僕という存在は地空外生命体だ。君はエントロピーという言葉を知っているかい?』
「熱力学の第二法則だったか?」
言葉だけなら繰り返す中で何度も聞いた。しっかりと理解出来ているかは別として。そもそも中学二年の俺に期待してはいけない。
『簡単に説明すると生み出されるエネルギーと消費されるエネルギーは等しくないということだね。エネルギーは形を変換するごとにどうしてもロスを生じさせてしまうんだ。このままの状態では宇宙全体のエネルギーは目減りする一方だ』
「それはお前たちの責任じゃないのか。なぜ俺たちを巻き込んだ?」
お前たちさえこの地球へやって来なければ、ほむらが苦しむこともなかったハズなのに。
『キリトはなかなか面白い質問の仕方をするね。まだ僕は説明し終えていないのに』
キュゥべえは相変わらず無表情なのに、ニヤリと笑ったように感じた。
自分のバカさ加減が嫌になってくる。
『まぁ、今はおいておくことにしてあげようか。それよりも説明の方が先だ』
救われた……と言うわけではなく、問題が先延ばしになっただけだ。
『このままでは宇宙全体のエネルギーが枯渇してしまうということまでは説明したね。だから僕たちはその危機を回避するために、そして宇宙に飛び出した先駆者の責任として、僕たちはエントロピーに縛られないエネルギーを獲得するテクノロジーを発明したんだ』
それが俺たちを苦しめている契約システム。
『僕たちの文明が発明したのは知的生命体の感情をエネルギーに変換する技術なんだ。ところが生憎、当の僕らが感情というものを持ち合わせていなくてね、宇宙の様々な異種族の中から君たち人類を見出した』
さきほどの問いはここでするべきだった。自分の愚かさは反省するしかない。
というかそもそも、なぜキュゥべえたちの文明は自ら持っていない感情を資源とする技術を発明したのかが理解出来ない。もっと別の方法があるかもしれないのに。
『一人の人間が生み出す感情エネルギーは、その個体が誕生し成長するまでのエネルギーを凌駕する。君たちの魂はエントロピーを覆すエネルギーたり得るんだ。もっとも、とりわけ効率がいいのが第二次成長期の少女の希望と絶望の相転移というわけさ』
だから男の俺とは契約できない。
この繰り返しの中で、知ることになった真実。それがこの事実だ。
『ソウルジェムとなった魂は、燃え尽きてグリーフシードへと変わる瞬間に膨大なエネルギーを発生させるんだ。それを回収するのが僕たちインキュベーターの役割というわけさ』
「……まぁ、うん。お前が言っていることは一応理解出来た。それで、これがお前の言うお願いとどう関係するんだ?」
『そう急かさないでくれないか。もう少しキリトは落ち着くべきだよ』
自分では十分落ち着いているつもりだ。
これまでは起こることがなかったキュゥべえからのお願いという事象。俺としては早くそれを確認してワルプルギスの夜を倒すために役立てられるかが知りたい。
『さて、これからが本題だ。僕たちはエネルギーを欲している。それは理解出来たかい?』
「ああ」
宇宙の寿命を延ばす。表面上の平等な契約。
その二つを免罪符に、奇跡を対価に魔法少女を生み出し、魔女へと成長させ、エネルギーを回収する。そしてその魔女が絶望を撒き散らし、それによって不幸になった少女が奇跡に縋り魔法少女となる。
新たなエネルギーを生み出すための見事な循環が整った円環構造のシステム。
もはや驚嘆に値する。
『ならば、君にお願いするとしよう――』
続くキュゥべえの言葉に驚きを隠すことが出来なかった。
『僕と契約して魔法使いにならないか?』
キュゥべえの言っている事の意味がわからなくて頭が混乱した。
――俺と、契約……?
確かにキュゥべえはそう言っていた。俺の耳がおかしくなったか、俺の願望のせいで幻聴を聞いたとか、まだこれは夢の中だとかしない限り間違いないハズだ。
尻尾をフリフリさせていつもと変わらない円らな瞳で返答を待つキュゥべえ。だが、俺はコイツに対して即答してはいけないということを知っている。
なぜならキュゥべえは合理主義者だからだ。
筋を通すためなら、情報を制限して相手に誤認させたまま物事を進めてゆく。
その最たる例を上げるのならば、魔法少女という存在だろう。
少女たちは奇跡を対価にキュゥべえと契約し、魔法少女となり魔女を戦う宿命を負う。だけれどもキュゥべえは、少女の魂をソウルジェムへと変容させることや、魔法を使い過ぎてソウルジェムに穢れを溜め過ぎると魔法少女が魔女へと変貌を遂げることなどを、あえて契約の時には話さない。
おそらくそれを話せば少女たちが契約を結ぶことを躊躇する事を理解しているのだろう。だから情報を制限する。嘘の言葉を吐くのではなく、言葉の一部を隠すのだ。
「なぜ俺と契約しようと思った? それに俺は生物学上男に分類されているから、お前の言う最も効率の良い第二次成長期の少女はもとより女ですらないんだぞ」
そうなのだ。これもおかしい。
キュゥべえは別に誰もかれもと契約して人類を蔑ろにしようとしているわけではなく、損害を最小限に抑えるために契約対象を最も効率の良い第二次成長期の少女だけに絞った。
だとするならば、俺と契約するなんて言い出すなんて有り得ない。
何か思惑があるのではないかと疑ってしまう。
『なに、簡単なことさ。君のその身に宿る莫大な魔力は、決してエネルギー回収効率が良いと言えない第二次成長期の少年であるにもかかわらず、魔法少女一人が生み出すエネルギーとなんら遜色のないレベルでエネルギーを生み出すんだ。まぁ、もっとも君の合意を得られなければ、この例外的契約はなかったことになるんだけどね』
キュゥべえの言葉を聞いて考える。
その言葉に偽りはないハズだ。それがキュゥべえにとってのルールだから。だとしたら、隠された言葉はないか?
わからない。それが出された結論だ。
今の俺の状況で、真実を見つけ出す事は出来ない。そう結論付けた。
「俺はお前の言葉を素直にそのまま信じられることが出来ない。だから少し時間をくれないか?」
『もちろんだよ。僕は君を急かすつもりはないよ。でも、できるだけ決断が早いに超したことはないかな』
せっかく起こした上半身を再びベッドへと沈める。
「なぁ。気になったんだけど、なんで『魔法使い』なんだ? お前と契約した存在は『魔法少女』になるんじゃないのか」
契約のことばかりが頭の中を駆け巡っていて、頭がパンクしそうになったので別のことを考えて気を逸らそうとする。
結局種類は違うが系統は同じ。それぐらいにしか逸らすことに成功していないが。
『君はなぜ、彼女たちが『魔法少女』と呼称されているか知っているかい?』
キュゥべえは嫌な顔一つしないで説明してくれるようだ。感情がないのだから当り前なのかもしれないが。
「それは彼女たちが少女だからじゃないのか? お前と契約する時の年齢や肉体的な意味でも」
『ふむ。たしかにキリトが言ってる意味でもあるね。でも、それだけじゃないんだよ』
「どういうことだ?」
『この国ではキリトが言うように成長途中の未熟な女を「少女」と呼ぶんだろ? だったら、やがて浄化しきれなくなったソウルジェムが燃え尽き、「魔女」へと成熟する彼女たちのことは「魔法少女」と呼ぶべきじゃないか』
つまり、魔法少女とはやがて魔女へと成長する存在という意味なのだろう。
『だが君という存在はイレギュラーだ。僕と契約した末に絶望したからと言って、君が魔女になるかどうかなんて僕でも予測しようがない。魔王になるかもしれないし、そもそも君が絶望を撒き散らす存在になるかどうかすら現状では推測することは叶わない。だから君がなるべき存在を「魔法使い」と呼ぶことにしたんだ』
「じゃあ、なんで俺と契約しようとする。そんな不確定要素を受け入れるお前じゃないハズだ」
『やれやれ、キリトは勘違いしてやいないか? 君が願いの果てにどういう存在へと変貌を遂げるかなんて君たち人類の問題じゃないか。僕は君たちに奇跡を手にする手段を提示するだけで、契約に同意している時点で結果は君たち人類の責任さ』
あくまで対等に。それがキュゥべえが言っていることだ。
どんな奇跡でも叶えてやるから、代わりに宇宙の寿命を延ばすためにその結果から生じるエネルギーを貰っていく。
それが悪いことではないと理解出来る。愚かだったのはホイホイ真実も聞かず簡単に契約する人類の方なのだから。
だけど、納得は出来そうもない。
――どうすりゃいいんだよ、俺は……。
奇跡を手に入れる片道切符は入手した。
だけれども、その線路の先に待ち受けている未来は真っ暗で何も見通すことができない。
『僕はもう行くよ。契約する気になったらいつでも呼んでね』
見慣れた部屋の天井を仰ぎながら思考していると、キュゥべえがそんなこと言ってきた。それに俺は飛び起き、待ったをかける。
「俺との契約のことは誰にも言わないでくれないか? それが守れないのならば俺は絶対に契約なんてしない」
『わかったよ。それで君が契約してくれる気になってくれるなら安いもんだ』
今度こそ、キュゥべえは俺の部屋から出て行った。
胸中では契約について迷いに迷っている。
俺がこの繰り返しから解き放たれ得たいと願えば、きっとその通りになるだろう。だが、それではほむらが一人になってしまう。
もしくは他の願いを叶えてもらい、俺が魔法使いになってワルプルギスの夜との戦いの戦力になれば良いのだろうか。
他にもいくらでも選択肢が思いついていく。
それだけ、奇跡というものが魅力的なのだ。
だが、もしも契約して俺が絶望した時の未知のリスクを考えると、契約すること自体に尻込みしてしまう。
――もう、どうしたらいいかわかんねぇよ。
結局今日も、母親が起こしに来るまでベッドの上で考え事に耽るのだった。
どうれば……どうすれば良いんだ。
俺は考え続けた。
朝食を食べながら、中学への道程を歩きながら、授業を聞きながら……ずっと考え続けた。
だけれど、答えは出なかった。
ほむらに相談するのが一番良い選択肢だろうと思う。
俺よりもキュゥべえとの付き合いが長いのは彼女だけであるから、キュゥべえが隠しているかもしれない言葉の意味がわかるかもしれない。
それにもしかしたら、俺がほむらの魔法から脱出できることを喜んでくれるかもしれない。
全ては可能性でしかないが、これが一番の選択肢に俺は思えた。
しかし、俺はほむらに相談することに抵抗感があった。
やっと掴んだ奇跡を望む権利なのに、それを俺が手にしたことを知ったほむらの反応が恐かった。
さっきは良いイメージだけを想像したが、どちらかというと悪いイメージの方が簡単に想像出来る。
それに、俺がこの繰り返しから解き放たれたら、ほむらが独りになってしまう。
孤独は寂しい。悲しい。苦しい。
俺がほむらと出会うまで抱き続けてきた感情。きっと、ほむらも同じ感情を抱き続けてきたはずだ。
だから俺だけ途中で抜けるなんてとてもではないが出来ない。
「どうかしたかしら?」
思考の海に潜り過ぎていたようだ。ほむらの呼びかけで意識を浮上させる。
「ううん。なんでもない」
場所は見滝原中の屋上。時刻は昼飯時。
俺たちは昼休みということで二人きりの屋上で昼飯を食べていた。
手に持ったコンビニで買った食べかけの総菜パンに齧る。
「で、今後はどういう方針で動くんだ?」
ほむらも自分で作ったと思われる小さな弁当箱の中身を
「あなたが言った通り、巴マミ、美樹さやか、佐倉杏子の全員と協力してワルプルギスの夜に挑むわ」
「うん、まぁそりゃわかってるんだよ。これまでの経験から言って、それが一番成功率高そうだし。ただ問題はどうやって全員そろえるか……なんだよなぁ」
「その方法はあなたに任せる。あなたの存在を知るまで何度か試したことがあるのだけれど、全て失敗。私には無理だと判断したわ」
そんなことを言われてもなぁ……。
確かに、俺が加わってからは全員そろえようとはしてこなかった。それは俺が意図的にそうしてきたのだ。
最大戦力で向かって行って歯が立たなかったら、ほむらが絶望してしまいそうで恐かったからだ。ほむらが絶望してしまえば、時間を巻き戻す存在が消え、俺は繰り返しから解き放たれることになるのだが、今の俺には進んでその選択肢を取ろうとは思えなかった。
終わって欲しいという半面、ずっと続いて欲しいと思っていた。二律背反。
……そうか、俺はほむらと過ごすこの時間が終わって欲しくなかったのか。
だから、キュゥべえとの契約をこんなにも悩み、尻込みしている。
今さらそんなことに気づくなんて、本当に俺はどうすれば良いんだよ。
この俺が経験している状況が物語の中の事だったのならば、終盤も終盤。結末へ向けたラストスパートに入ったところじゃないか。
最後の手段を切るしかなくなったこの状況で、終わりたくないと望んだって、もう立ち止まることは出来ないんだよ。
「そう……だな、ほむらは今まで通り、鹿目に忠告し続けてくれ。あとは全部俺が何とかするから」
キュゥべえに「この時間を永遠に」とでも願うのか?
いや、そんなことは、ほむらの願いに反する。俺は一生懸命なほむらの隣で進み続ける今の状態が好きなのだから、それを邪魔するなんて考えられない。
俺に出来るのは、ほむらの願いを叶えるだけ。
考えた末、結局これしか答えは出なかった。
「あなた一人で大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫。ほむらは愚直に鹿目のことを想い続けてやれ」
そんな君の隣にいるのが好きだから。
だけれども、ずっとこの状態に甘んじてはいけない。この状態を積極的に望んではいけない。
だから、全てのことが終わって再び俺たちの時計の針が進み出した時に、ほむらの隣に居続けられるように頑張ろう。
――最高の結末を求めて。
昼飯を食べ終えて、教室に戻る。
ほむらとは彼女の教室の前で別れ、俺は自分の教室へとさっさと戻って俺に与えられた机に着席する。
「向井ィィィィイイイイイイイ!! 貴様どういうことだッ! なんでお前なんかが美人と噂の転校生と一緒に昼飯食ってんだよ!」
耳元で叫ばれてうるさかったので途中から耳を塞いでいたが、それでも友人の声は聞こえてくる声量だった。
耳がキンキンして頭が痛い。
しかも最悪なことに、友人が叫んだせいで教室中の視線が俺たちへと向けられた。
「どういうことだ向井! オイテメェ、俺に納得出来る説明してくれるんだよな!?」
友人は目尻に涙を溜めながら「向井だけは信じてたのによォォォ!!」と俺に詰め寄ってきている。
「とりあえず、うるさい。ほむらとは昔の知り合いだったってだけよ」
「な、なんだとぅ!? 下の名前で呼び合う仲だと……」
驚愕の表情を顔に貼り付ける友人。
というか、驚くところはそこなのか。普通は知り合いってところだと思うんだけどな。
まぁこれは、俺たちの関係性を訊かれた時の方便なんだが。おそらくほむらも壁数枚離れた教室で同じようなことを言っていることだろう。
「向井様! わたくしめを噂の転校生に紹介していただけないでしょうか!」
綺麗なお辞儀。腰を90度まで折り曲げた最敬礼。俺は天皇じゃないんだからそんなことをされても困る。
俺たちを見る視線も友人の女を求めるその姿に呆れていた。
「そんなこと言われても無理だ」
俺たちには時間がない。
こんな友人のために割いてやれる時間なんて、今こうして相手してやってる時間ぐらいだ。
友人はチャイムが鳴るまで「そんな殺生な、殺生な」と俺を説得し続けてきたが、教室に入ってきた担任に怒られることで渋々俺の席から離れて行った。
放課後。友人に掴まり、美少女転校生を紹介しろとウザかったが、一時間ほどでなんとか逃げ出すことに成功した。
あの下駄箱での靴の確保は一生忘れることが無いと思ってしまうほどの攻防だった。まぁ、伊達に魔女とやり合ってきたわけでないので俺が勝ったわけだが。
「なんで初っ端からこんなに時間を無駄にしてんだよ」
友人の飽くなき執着心には驚くしかなかった。
友人から逃れた俺は見慣れたショッピングモールにいた。
これまでの経験則から言って、ここで初めて鹿目や美樹はキュゥべえとの邂逅を果たす。別にそれを止めようとは思わない。そうしたら美樹が魔法少女となる可能性が消えてしまうかもしれないから。
「時間もちょうど良いくらいか」
どうやら友人に拘束されていた時間は無駄ではなかったらしい。携帯で時間を確認するといつもと同じくらいの時間だ。
書店やCDショップの目の前を横切り、固く閉ざされた改装中と張り紙が貼られている扉を開けて、立ち入り禁止のフロアへと足を踏み入れる。
日中であるのにもかかわらず最低限の照明だけの薄暗さ。すでに毛玉のように丸い髭の使い魔は倒されているようで、結界は見当たらなかった。
危険はないと判断し、つかつかと奥へ進んでいく。このフロアの構造は完璧に把握しており迷うことはない。
「こんにちはー」
開けた場所に彼女たちはいた。
魔法少女の衣装を身にまとった巴さんとほむらは睨みあう形で。鹿目は傷ついたキュゥべえを抱きしめながら美樹と事の成り行きを見守っていた。
「こんな時にそんなッ!? 君、危ないから早くこっちに来なさいっ!」
優しい優しい巴さんは、俺を何も知らずに迷い込んだ一般人であると勘違いしたらしい。この構図から考えるに、今回、ほむらは巴さんと敵対することにしたらしい。
「あー、ご心配なく。俺はコチラ側の人間なんで」
そう巴さんに告げてほむらの隣に並ぶ。
なっ、とほむらに言葉を投げかけるが、無視された。こんな巴さんみたいにベテランを相手に睨み合いの状況で、俺に意識を向けることの危険性を考えれば当り前なのだが、釈然としない気持ちになった。
「あら、そうだったの。それは残念なことだわ」
「俺としても残念でなりませんよ。あなたみたいな人とこういう状況になっていることは」
今はほむらの側についている。だがあの時、俺は巴さんの後ろで会話についていけずに困り果てている鹿目や美樹の隣にいた。
何も知らないわけではなかったが、それでもいきなり現れたほむらを心の奥の方で恐れていたのを憶えている。
なのに、全てを知った今では鹿目たちに恐怖を植え付ける側になってしまっている。
「そうだ。自己紹介がまだでしたね。俺の名前は向井キリト。で、こっちが暁美ほむらって言います。二人とも見滝原中の二年なんで学校で会った時はよろしくお願いしますね」
円滑な話し合いにはまずは自己紹介。ということで、ついでにほむらのことも紹介しておいた。勝手にしてしまった事なのであとで怒られやしないかと、ほむらの顔色を窺ってみたが大丈夫そうである。
これで少しでも警戒心が解ければ良いかなと思ったけれど、駄目だったようだ。出来る限り陽気に話しているつもりなんだけどな。
「私の名前は巴マミ。あなたの言っていることが正しければ、あなたたちと同じ見滝原中の三年生よ」
「あっ、酷いなぁ。見てくださいよ、この学ラン。ちゃんと見滝原中男子の制服なんですよ?」
「ごめんなさいね。現状ではあなたの言っていること信じられないの」
…………泣いてなんかない。何度も経験して予想をしていたことだけれども、これは心にグサリと突き刺さるんだよな。
人外であるキュゥべえを除いて俺の言葉を初めて聞いてくれた人は巴さん。そんな人にこうも拒絶の意思を示されることは何とも堪え難い。しかし、ほむらのために堪えなければならない。
「それは残念です」
表情を変えないように、あくまでも陽気に返す。
「それで、君たちの名前は?」
巴さんの後ろに控えていた鹿目と美樹に喋りかける。どうせほむらのことだからまだ名前訊いてないんじゃないかと思ってついでに訊いたが、そう言えば同じクラスだったと思い出して、自分の思慮の無さが露呈する。
だがまぁ、俺が彼女たちの名前を知る機会として考えれば問題ないか。結果オーライである。
「「え……わたし(あたし)たち!?」」
双子と見紛うばかりにシンクロする鹿目と美樹。二人は緊張した面持ちで顔を見合わせて頷き合う。
そして代表して傷ついたキュゥべえを抱える鹿目が口を開く。
「あの、わたし、鹿目まどか。それでこの子が美樹さやかちゃん」
「よろしく」
おどおどしながらも、自己紹介する鹿目。そして美樹は顔を強張らせながらも無愛想に挨拶をしてきた。
「おう、よろしくな」
友好的な関係を築くにはまずは笑顔だと俺は思う。キュゥべえやほむらみたいに無表情では人が寄り付かないと思うんだが。この二人の目的を考えたら疑問が浮かんでくるのは俺だけではないだろう。
「さてさて、一通り自己紹介も終わったし――」
スー、と斜め後ろに移動し、ほむらの両肩を掴む。巴さんと睨みあいの攻防を繰り広げていたほむらは反応できない。
「俺たちは帰ることにしますわ」
ほむらの背をぐいぐいと押し、元来た道を戻ることにする。
「あっ、ちょっと、まだ話がッ!?」
「良いから良いから。俺に任せてくれるんだろう?」
細い身体で抵抗するほむらを無理矢理説得する。
しかし、敵対していたハズの存在から待ったが掛かった。
「あなたたち待ちなさいッ!」
巴さんだ。まったく、せっかく引くというのだから見逃してくれたっていいじゃないか。
仕方ないので、首だけ向ける。
「良いんですか? そちらには何も知らない足手まといが二人。ですが、こちらにいる足手まといは俺一人。どちらに分があるか、巴さんなら理解できると思うんですが」
ここでほむらを戦わせるわけではないが、退散するために少し脅してみる。
「――ッ!?」
効果
さすがは魔女との戦いで長く生き残ってきている魔法少女だ。油断さえなければ状況判断は問題ない。
やはり巴さんには最終決戦の舞台に立ってもらわないと。
「それでは、また会いましょう。ほら、行くよ」
ぐいぐいとほむらの背中を押して改装中のフロアから退散する。ほむらは最後まで鹿目のことをチラチラ見ていた。
ショッピングモールへと出る前にほむらは変身を解き、見滝原中の制服へと戻る。そしてから、夕焼けの中ショッピングモールの中を歩く。
「本当に、アレで大丈夫なの?」
「ほむらこそ巴さんと対立してどうするつもりだよ。あの人に生きていてもらうためには、ケンカ売ってたら駄目だと思うんだけど」
「あなたこそ、最後にケンカ売っていたじゃない。それはどう言い訳するつもり?」
「ああ、早くあの場から退散したほうが良いからだよ。この後、鹿目たちは巴さんの住んでいるマンションで魔法について教えてもらうんだ」
ホント懐かしいな。あまり良い思い出ではないけれど。
「以前に、似たような経験があるから、今後の展開を予想しやすいように物事を進めようってわけだ。あのままグダグダとあの場に留まるのは得策じゃない」
俺とほむらの考え方には違いがある。
鹿目を救うために今までと違う展開を求めるほむらに対し、俺は展開を予想してその節々に介入することで鹿目を救おうとしている。
些細な違いだが、これは意外と大きい。
ほむらが立ち止まり、俺の顔を見てきた。だから俺も見つめ返す。
長時間見つめ続けていると紫紺の瞳に吸い込まれそうになる。
「考えがあるのなら良いわ。今回、私はあなたに全て任せてるから」
ほむらは俺の返事も待たず、プイッと顔を正面へと向け歩きだした。