俺の住む見滝原市は、近代的な都市開発によって地方都市化が進められた街だ。新興住宅地には人工的な景観の緑地や小川が整備され、郊外には風力発電施設や水門、工場などが置かれている。
そして病院もまた、都市開発によって最新鋭の医療機器が揃えられている。
だが、そんな医療機器があるにもかかわらず、助けられない病気や怪我は確かに存在するのだ。
上条恭介。交通事故によって自らの夢を諦めなければならなくなった俺の友人。
恭介とは中学に入学した直後からの付き合いだが、かなり親しく、彼が交通事故にあった時は俺も心を痛めた。
将来有望と資質を認められたヴァイオリニストであったのに、たった一つの交通事故で、夢を諦めなければならなくなった。
コンコンッ、と病室の戸を叩く。すでに時間は午後七時だ。面会の残り時間は一時間ほどしかないが中から恭介の返事を待って入室する。
まずベッドの上で起き上がっている恭介が見え、少し視線をズラすと……。
「なんであんたがここに……!?」
「そりゃまぁ、俺は恭介の友達だからな」
何を当然ことを、と恭介に視線を飛ばす。
「そうだよ、さやか。僕とキリトは中学に入学してからの仲でね。というか、君たち知り合いだったの?」
「知り合いってほどのモノじゃない。ただちょっと、昨日会ったばっかりって感じだな」
「へぇ、それは奇妙な廻り合わせだね。どうしたんだい、さやか。そんな顔して?」
明らかに警戒している美樹。
おいおい、そんな表情を恭介の前でするなよ。
「……ごめん、恭介。少し、アイツ借りてくね」
美樹は見舞客用の椅子から立ち上がって、俺の腕を服の上から乱暴に掴み、恭介の病室から強引に連れ出す。
恭介が呆気にとられていたので、俺が「大丈夫」と言い残しておいた。これで、恭介のことは心配ないだろう。
「どこまで行くんだ?」
ズンズンと進んで行く美樹に訊ねる。
さっきから入院患者や白衣の天使たちから、「青春ねぇ」みたいな視線を貰いまくって、非常に居心地が悪い。それもこれも、腕なんて掴んでどこかへ向けて一心不乱に早歩きで進み続ける美樹のせいだ。
ようやく美樹が止まったのはエレベーターの前。扉が開くと、中へ連れ込まれ、ここでようやく拘束が外れた。
美樹が押したのは屋上へと登るボタン。ウィーンと胃の内容物が競り上がる浮遊感が始まる。屋上へ上がるまで、いくら話しかけても終始無言で気まずいことこの上なかった。
「あんたどういうつもり?」
時間が時間なので、照明で照らされた屋上の中ほどまで進み、美樹がこちらへ振り返ってようやく口を開いた。先ほどと同様、俺を警戒している。
「どういうつもり、とは?」
「恭介のことだよ! なんであんたみたいのが恭介の友達なのよ!? それにあたしはあんたのこと知らなかったし、まさかあんた魔法を使って……ッ!?」
もう色々と勘違いをしているようだ。
「はぁ……、さっき恭介が言ってただろ。俺と恭介は中学に入学した時からの付き合い。んで、俺もお前のことは知らなかった。ただそれだけだ。それに俺には魔法なんて使えない」
「嘘だッ!」
真実だけしか喋っていないのに、真っ向から否定される。なかなかにツライものである。
本当に、この繰り返しが始まる前までは俺は恭介と美樹が幼馴染だったなんて知らなかった。何の因果の廻り合わせか、何度も病院に見舞いに来ていたハズなのに、病室でカチ会うこともなかったし、恭介自身が美樹の話をしてきたこともなかった。
「嘘じゃない。真実だ」
それだけ言って、近くにあったベンチに腰掛ける。物分かりの悪いヤツと話すのは想像以上に疲れるのだ。
「それで、美樹は魔法少女のことは聞いたか?」
ちょうど良いタイミングだったので、これ幸いと話題を振る。
「一応、一通りは……。でもあんたには関係ないことでしょ」
関係ないわけではない。むしろ、関係あり過ぎるほどだ。
「それでどう思った? 奇跡も、魔法もこの世に存在すると知って、美樹はどうしたいと思った?」
「そ、それは……あんたには関係ないじゃん!」
「ハハッ、恭介を助けたいとは思わなかったのか? キュゥべえに願えば、恭介の身体は元通りになるぞ」
俺は見てきた。
美樹が願い、そして恭介の指が治ってきた、その光景を。何度も、何度も。
「だけど……それは」
「魔女と戦うのが恐いか?」
「ちがうっ! ただあたしは、恭介の意思を無視してあたしだけの想いで、勝手にしちゃうのは駄目だと思うんだ」
「美樹は、幼馴染のくせに恭介の想いがわからないのか……? アイツはどこまでもヴァイオリンが好きなヤツだ。だから感謝こそすれ恨むことは絶対にない」
「そんなことわかってる。だけど……だけど、あたしは恭介を……」
それ以上、美樹の口から言葉が発せられることはなかった。自分の想いを上手く言葉に出来ないんだろう。
俺にも憶えがある。想いを伝えられなくて後悔したこともあった。
「迷うなら考えろ。そして答えが出たらそれに向かって一直線に進んで行け。それが俺から言えることだ」
幸い俺には時間だけはあった。だからずっとずっと長い時間の中で考え続け、答えを出した。
だけど、美樹には時間をかけて欲しくない。それが本心だが、彼女のためにそれはあえて言わない。
ポケットから携帯で時間を確認するともうすぐ午後八時。面会時間の終了だ。
「もうこんな時間か。俺は帰るぞ」
携帯を仕舞いつつベンチから立ち上がり、とぼとぼとエレベーターを目指す。
「待って」
「ん?」
呼び止められたので顔だけ向ける。
「あんたは恭介の友達なんだよね?」
「ああ、恭介が友達だと思ってくれているなら友達のハズだ」
訊きたかったのはそれだけらしかったので、さっさとエレベーターに乗り込み病院から出る。
夜道は街灯に照らされ、変なモノを踏んでしまうことも無い。
『感謝するよ、キリト。まさか君が契約の手伝いをしてくれるとはね』
「まー、俺にも事情があるんでね」
いつの間にか、隣を歩いているキュゥべえ。神出鬼没にも程がある。
『その事情について詳しく訊かせてくれると助かるな』
「まー、そのうちお前には話すかもな」
別に隠し立てするほどの事情でもない。
ただ単に、美樹さやかに早いところ契約してもらって、魔法少女としての経験を少しでも積んでもらいたいだけだ。
切り札を切ったのだから、最高の状態でワルプルギスの夜に挑みたい。
今日たまたま、恭介のお見舞いに行ったら美樹がいたから、契約を促したに過ぎない。少々強引過ぎた部分もあったが、まぁ良いだろう。
「そういや、恭介の病室に戻るの忘れたな……」
これは心配をかけたかもしれない。
ここは、美樹が病室に戻って説明してくれていることに期待しておくとしよう。
翌日。今日も今日とて、友人に美少女転校生を紹介しろと詰め寄られながらも、用があるの一点張りで教室から抜け出し昇降口までやって来ると、知ってる顔が二つ並んでいた。
玄関口の右と左にそれぞれ立って、誰かを待っているようだ。二人の間に会話はなく終始無言である。
右は長い黒髪のカチューシャ。左は短い青髪のヘヤピン。どうしてこうなっているのか事情が知りたい。
ギスギスしている雰囲気が流れていたが、美樹が俺のことに気づく。
「あっ――」
「遅いわ。いつまで待たせるつもり?」
何事か言おうとしてきた美樹にほむらが言葉を被せてきた。美樹がほむらを睨む。
あれ、君たちはいつからこんなに仲悪くなったの? そもそも、今回はそれほど接触してないハズなんだが。
「いや、待ち合わせなんてしてないだろ」
とりあえずツッコム。基本的に別行動。用がある場合は携帯に連絡。それがルールだったハズなのに、いきなりどうしたんだ。
「細かいことを気にする必要はないわ。それじゃあ、行きましょう」
美樹を完全に無視して話を進めるほむら。おいおい、最終的には美樹の協力が必要なんだぞ? 何をイライラしているんだ?
美樹の方もイライラにゲージが存在していたとしたら振り切れているだろうレベルで噴火寸前である。
「待ちなよ。あたしも向井には用があるんだけど」
精一杯の強がりだろう。魔法少女の戦闘能力を知った後では、ほむらを恐れるのは理解出来る。自分と敵対しているかもしれない存在が、自分では敵わない強さを持っていたら恐れるに決まってる。
巴さんみたいな、対抗出来る味方が傍にいてくれれば別だが、今美樹は一人。
魔法少女であるほむらに、その仲間といった俺。美樹が体育会系の女の子だからと言っても、その力は無力に等しい。
「そうだぞほむら。せっかく来てくれたんだ。話しぐらい訊いてやっても良いじゃないか」
そう言うと、ほむらは一瞬嫌そうな顔をしたが、すぐにいつもの無表情へと戻す。
「と言うわけで、場所でも移動して話すか」
これ以上ここにいて、明日、意外と情報通の友人が修羅場とか言いだしてきたら面倒なので、場所を移動する。
場所を近くのファミレスへと移す。
学校帰りの学生達で賑わっており、深刻な話をしても、他へ耳を傾ければ気分はそこまで沈まないだろう。
「向井は昨日言ったよね。恭介の友達だって」
「ああ、言ったぞ。それがどうした?」
俺の隣にはほむらが座り、対面には美樹が座っている。
「それじゃあ、恭介の身体が治ったら嬉しいんだよね」
「当り前だろ。友達なんだから」
美樹が魔法少女として戦う切欠になる願いはいつだって恭介の治癒だった。もっと他に、恭介が美樹のことを好きになるとか、彼女にとって都合の良い願い方はいくらでもあるのにも関わらず、彼女は恭介の指を治し続けた。
それがどれだけスゴイことだか、美樹自身は理解できるだろうか?
俺みたいに選択肢が一つ増えただけで悩んだり、やるべき道を踏み外しそうになったりせずに、いつだって美樹は一つの奇跡を願い続けた。
それが俺には眩しくて、嬉しくて。だから、俺は恭介の隣にいるべきなのは美樹であるべきだと思っている。
「昨日の夜ずっと考え続けたんだ。おかげで、授業中爆睡するハメになっちゃったけど、それでも答えは出たよ」
「それで、美樹は奇跡も魔法もあるって知ってどうしたいんだ?」
答えが出たと言ってきたのでもう一度問う。
「あたしは恭介が好きだ。だから恭介には夢を叶えてもらいたい。身勝手なこんな願いだけど、それでもあたしは恭介が好きだから」
「そうか……」
それで良い。今回の美樹も、俺が知る美樹さやかだった。それを確認できただけでも、応援したくなる。
「そう言えば、なんで俺にそれを話すんだ? 普通なら巴さんに話すべきじゃないのか」
どう考えても、二日前は軽く敵対関係になった感じだったし、あの後絶対に巴さんに俺たちのことを信用するなとか言い含められただろうに。そういう注意が出来るのが巴さんの優しさである。
「いや、だって、向井は恭介の友達って言ってたし…………でも、そこ転校生を信用したつもりじゃないけどね」
視線をズラし、ほむらを睨みつける美樹。まるで肉食動物に対して草食動物がビクビクしながら噛みついているようだ。
ほむらの方はと言えば、始めから終始無言で美樹にガン垂れまくっていた。
あの、だからさ……なんで君たちはそんなに仲が悪くなっちゃったわけ?
前回までは、こんなに急に仲悪くならなかったじゃないか。ほむらも自重してくれよ。君がちゃんと美樹と連携とれないと勝てるもんも勝てなくなっちゃうんだぜ?
……みたいなことを、もちろん言葉に出せる度胸を持ち合わせているわけも無く、仕方なく話を進めることにした。
「はははっ、まぁほむらとは追々仲良くなってくれたら良いけどさ。でも、いくら俺が恭介の友達って言っても、巴さんは危険だから俺たちには近付くなって言ってただろ?」
「うん、たしかに言われた。マミさんはあたしたちのことを心配して言ってくれたんだな、って思ったよ」
だったら何故? そう、問う前に隣に座ったほむらがようやく口を開いた。
「巴マミはそんな高尚な人間ではないわ。孤独になることに恐れを抱いている、人一倍臆病で可哀想な存在。それが巴マミという人間よ」
「おい」
言い過ぎだ。
もしもこの会話をキュゥべえに聞かれていた時はどうするつもりだ。アイツと敵対するのは得策じゃないぞ。そう思えるほどに、彼らの知力は凄まじい。
「え? それはどういう……」
反応して欲しくないのに、美樹は空気を読んでくれない。
「あー、もう。えぇっと、つまりアレだ。巴さんは魔法少女として後輩になる可能性のあるお前たちにお節介を焼いているだけだ。そうすれば最低限、お節介を焼いている間は独りではないからな」
独りは寂しい。経験しないと意外とそんなことでもわからないからな。
「それじゃあ、行くか」
「どこに?」
立ち上がる俺に美樹が疑問を口にした。
「病院に決まってるだろ。美樹が決意したんなら、少しでも早く恭介にヴァイオリンを弾かせてやりたいじゃないか」
俺にはこれまで他人を導いてやることしか出来なかった。だけど、奇跡を望む権利を手にした。だと言うのに、結局他人を導いてやることしか出来ない。
それで良いんだと思う。奇跡なんて忘れて、今まで通りにやっていけば。
ほむらはすでに立ち上がり俺の隣でスタンばっている。だからこれで恭介の身体が治ると呆けている美樹に言ってやる。
「ほら、行くぞ」
「うんっ!」
返事をする美樹の表情は、いままでの彼女との付き合いの中で一番の笑顔だった。
そして、一人の少女が戦いの宿命を背負い、一人の少年が再び夢を取り戻す。
何度となく行なわれてきた契約。それが今、病院の屋上で行なわれている。
俺の隣には、それを忌々しそうに見守るほむらがいる。
『覚悟は決まったかい。美樹さやか』
「本当にどんな願いでも叶うんだね……」
『大丈夫。君の願いは間違いなく遂げられる。じゃあ、いいんだね?』
キュゥべえが美樹に近寄り、最後の言質を取る。
「うん」
迷うことなく、美樹は答えた。
すると、彼女の胸元からソウルジェムが生み出される。
『さあ、受け入れるといい。それが君の運命だ』
ここに契約は成された。
契約後、俺たちは恭介の病室を訪れ、彼の指の痺れが取れていることを確認した。あまりの嬉しさで美樹が泣きだし、宥めるのがもの凄く疲れたことを憶えている。
その時に恭介が一緒にいたほむらのことを彼女と勘違いした時はキモが冷えた。そんな関係じゃないと恭介を説得するまで生きた心地がしなかった。
「ふぅ……」
「麦茶よ」
「おっ、さんきゅー」
美樹の邪魔をしては悪いので、早々に病室退散した俺たちは、ほむらの住むアパートへ場所を移していた。
その部屋は上から見れば時計盤のような内装をしており、真っ白でとにかく言葉で説明し難い内装をしている。魔法を使っているようなのだが、まったくよくわからない。どうして外から見るよりも中が広いんだ? まぁ、きっと魔法の力なんだろうが。
差し出された麦茶を口に含む。
「そういやさ」
「なにかしら?」
ようやく一息つけたのでかなり気になっていたことを訊くことにした。
「なんであんなにも美樹と険悪な雰囲気になってんだ? 滅茶苦茶ビックリしたんだけど」
繰り返しになるが、かなり気になっていた。
ワルプルギスの夜を倒すためには美樹の力が絶対に必要。であるのにも関わらず、ほむらがわざわざケンカ売る必要はないのだ。むしろケンカ売るのは連携の邪魔になる可能性が高い。
「だ、だって、美樹さやかがあまりにも愚かだったから……」
俺から顔をそむけ、ほむらは小声で呟いた。
「愚か?」
「危うくまどかに契約をさせてしまうところだったのよ」
つまりアレだ。こういうことらしい。
昨日、巴さんに連れられ、あの頭にバラが咲いており、背中には蝶の羽の生えている四足歩行の魔女と彼女たちは戦った。もちろん、ほむらは見届けていたらしい。
そこで美樹が軽率な行動をし、危うく死にかけたそうだ。そして仕方なく傍観していたほむらが助けに入ることになった。この時美樹が死ねば鹿目は契約する。それはわかっていたことだ。
だからほむらは助けた後、美樹にぐちぐちと色々言い聞かせたそうで、そこから犬猿の仲。もう少し自重はできなかったのかと俺は言いたい。まぁ、鹿目関連のことでほむらが自重するなんて難しいことだけど。
「まあ、アレだ。とりあえずこれからは最低限仲良くしてくれよ。別に仲悪くても良いけど、戦闘訓練とかはしときたいしさ」
美樹が俺たちの側に来るとは思えない。だけれども、今回の一件で気にかけてはくれることだろう。
基本的に美樹はほむらと同様で鹿目のことが好きだから、鹿目が巴さんの傍にいる限り、美樹もあちら側にいるだろう。
「わかっているわ、それぐらい。そうじゃないとまどかを助けられないもの」
時々だが、ほむらはこうして年相応の子供みたいな反応をすることがある。いつもは無表情の仮面を被っているのでわかりづらいが、付き合いの長い俺にはなんとなくわかるようになってきた。
「それなら良いんだけど、ホントにわかってるよな?」
「確認してこなくてもちゃんと理解しているから問題ないわ。私の方が付き合い長いのよ」
そりゃごもっとも。むしろ繰り返しの原因であるほむらの方が付き合い長いのは当たり前だと思うんだけどな。
「ただまぁ、結果から見れば、ほむらと美樹のケンカは意味あったな。まさかこの時点で美樹の契約に漕ぎ着けられるとは思ってもみなかった」
予想外と言っても良い。おそらく美樹は恭介の怪我を治すためだけではなく、ほむらへの対抗心が後押しになって契約に踏み切ったのだろう。もしも、巴さんに助けられていたら、“助けられて当り前”。そんな風に思ってしまうかもしれない。
麦茶の入ったコップを傾け、全て飲み干してテーブルの上に置く。
「おかわりはいるかしら?」
「いや、いい」
部屋の主の気配りに断りを入れる。
ほむらは、「そう」と言ってから、
「それじゃあ、昨日あなたは美樹さやかと何があったの?」
という爆弾を落としてきた。……別に爆弾でもないか。
訊かれたので素直に返す。
「ああ、昨日は恭介の見舞いに行ったら美樹が病室にいてな。たぶん、ほむらに助けられて気分が沈んでいたのを恭介と会って無理矢理上げようとしてたんだな。で、色々と言われたから、逆にこっちも色々と言った。そんだけ」
そして、結果的にそれが契約に結び付いた。
果たして今回の美樹は真実を知った時、どういう反応をするんだろうか。契約を促した俺を憎むんだろうか。それならそれでも良いんだけどさ。それでワルプルギスの夜を倒せるならな。
「ん? どうした?」
ざっくり説明し過ぎたのが悪かったのだろうか、ほむらからの返事がない。
なにやら難しそうな顔をして、何かを考えているようだった。
「なんでもないわ。少しあなたの言葉が本当か考えていただけだから」
「うわぁ、酷いな。俺はほむらには嘘はつかないぞ」
キュゥべえの姿勢を見習って、俺はほむらに嘘を言うことはやめようと思った。嘘をついて彼女を傷つけてしまうのならば、言葉を隠してしまえば良い。
ほむらにとって必要な真実の言葉だけを俺は彼女に言うことにした。それが彼女の笑顔に通じると思って。
「それじゃあ、詳しく説明してもらおうかしら」
「ああ、もう。仕方ないなぁ」
昨日のことを出来るだけ細かくほむらに説明していく。
まったく、メンドクサクないように簡略説明したと言うのに、彼女ときたら……。全てを疑っていたら疲れるだけだぞ。
そして美樹が契約してしばらくの時が経った。
予想通り美樹は鹿目と一緒に巴さんについて、魔法少女としての経験を順調に積んでいっている。巴さんが指導するのであれば、俺としても何ら心配ない。
ただ、一つだけ懸念事項が残った。
それは鹿目のことだ。美樹が契約したことで、鹿目が自分も契約しなければ、と焦り出した。これは予想外の出来事で、早急に対応しなければならないかもしれない。
「そろそろよ」
「りょうかい」
ほむらの声に思考を止め、視線を向けた先のグリーフシードが孵化しそうになっていることを確認する。
ここは恭介が入院していた病院。現在はリハビリのために通院してるとかなんとか。その病院の駐輪場の壁にグリーフシードはあった。
普通なら孵化前のグリーフシードは、発見次第すぐに回収するのだが、今はそうもいかない。この状況で回収しても穢れが溜まっている状態なので、これ以上ソウルジェムからの穢れの吸収が出来ない。だからワルプルギスの夜との決戦に備え、一度孵化させ、溜まりに溜まっている穢れを解放してから回収しておきたいところだ。
周囲の空間が歪み始め、魔女の結界の中に取り込まれる。
その時に俺たちが分断されないように、ほむらと俺は手を握っている。若干恥ずかしいが、もしも俺がほむらの近くから離れたらかなりの確率で死んでしまうので必要なことだ。
結界の内部に入り込んだ瞬間に握っていた手が離されてしまったのが、少し残念でならない。
結界の内部は、視界一面に巨大なケーキやらクッキーやらプリンやらが埋め尽くす、ある意味夢の空間ではないだろうか。しかし、だからこそこの空間には異質さしか存在しない。
周囲を確認するとグリーフシードは小さなテーブルの上にあった。それを囲むように背凭れの高い椅子が二つあったので、俺とほむらはそれに座って孵化を待つことにした。
「あとどれぐらいで孵化するかわかるか?」
五分ぐらいで待ち切れなくなったので、専門家のほむらさんに訊く。素人目には今にも孵化しそうとしかわからない。
ほむらは一度ソウルジェムへと視線を落としてから予想をする。
「そうね……あと十分ぐらいといったところかしら。こればかりは焦っても仕方のないことだわ」
「いやだって、もしかしたら巴さんが駆け付けてくるかもしれないじゃん。そうなって、もし巴さんが死ぬことになるのは絶対に避けたいからさ」
そう、今回俺たちが狩ろうとしている魔女は、俺の右上半身をバリバリと喰いやがったアイツだ。
今から生まれるこの魔女は、もしもあの時俺が巴さんを助けなければ、巴さんを何度も殺してきた凶悪な魔女だ。もちろん、巴さんの油断ということでもあるのだけど。
「そんなに暇であるなら、ソレの感触でも確かめておいたらどうかしら」
「コレ、ねぇ……」
テーブルの上に無造作に置かれている拳銃に視線を落とし、それを手に取り試しとばかりに構えてみる。
「重いな」
これが命を穿つ武器の重みか。
これからは俺も最低限身を護らなくてはいけない。ほむらが少しでも集中出来るように。
手始めに立ち上がって試し撃ちしてみる。
――パンッ
初めて体験する射撃の衝撃に手元から拳銃が吹き飛ぶ。
「――ッ」
よくもまぁ、ほむらの細腕でこんなことが出来るよな……とは思うことはない。魔法少女は身体能力が強化されているから当り前のことだ。
床に落とした拳銃を拾い、椅子に座り直す。
「うん、俺には無理そうだ」
肩が外れそうになったし、とてもではないが俺には使いこなすことが出来そうにもない。やせ我慢しているが、腕が痺れている。
「どうやらそのようね」
先ほどの俺の様子を見て、ほむらが溜め息をつきながら言った。
情けない限りだが、仕方ないことだと割り切る。男として拳銃には憧れてたんだけどな……。
「でも何があるかわからないから一応持っておいて」
「……そうするわ」
少し悩んでから返す。
さて、どうやって保管するかな。親にバレたら大変そうだ。
「キタわ」
そうこうしている間に孵化するとのこと。すぐさま椅子から立ち上がり、俺は後退する。
パキパキィ、と音を立てて、まるでヒヨコが孵化するようにグリーフシードに罅が入り半分に割れ、中から愛くるしいぬいぐるみのような魔女が飛び出してくる。
そして次の瞬間には爆発。こうして魔女はほむらの時間停止と爆弾のコンボで倒された。
「お疲れ」
待ち時間の方が長いとは、なんともやるせないが、わざわざ危ない橋を渡る意味もない。
爆発によって巻き上げられた粉塵が収まるのを待って、グリーフシードを回収してからほむらへ近寄った。
魔女の結界が崩壊する。
すると、目の前に巴さんに連れられた美樹とキュゥべえを抱いた鹿目がいた。
しかも彼女たちは魔女の結界の内部にいたらしく、巴さんと美樹は魔法少女の衣装を身に纏っている。
「早く変身解いた方が良いですよ」
人の気配が少ない病院の駐輪場だからと言って、誰かが来ないと言うわけでもない。今は偶々俺たちだけの姿しかないから良いものの、もしも誰かが来た場合、魔法少女の姿でいたら「コスプレです」という恥ずかしい言い訳をしなくてはいけない。
それがわかっているようで、すぐさま二人は変身を解いて見滝原中の制服へと戻る。ちなみにほむらは魔女の結界が崩壊する前にすでに変身を解いている。
「魔女はあなたたちが倒したようね」
見滝原中の制服に戻った巴さんが喋りかけてきた。
「ええ、今回の獲物はこれまでと訳が違うもの。あなたたちでは殺されるのがオチだったわ」
おいおい、本当のことだとしてもそんな挑発みたいなことを言うなよ。ほら、巴さんが睨んでくるじゃないか。
フォローするために口を挟む。
「なんでしたら、このグリーフシードいります? 良かったら差し上げますよ」
ほむらには一応十分なグリーフシードの蓄えがあるため、これ一つぐらい巴さんにあげたって問題ない。まぁ、魔法少女にとってグリーフシードの貯蔵量は魔法の使用回数とイコールで結ばれるので、多ければ多いほど良いんだけど。
「遠慮しておくわ。あなたたちからの施しは受けたくないの」
巴さんの後ろで美樹がごめんと手を合わせているのが見える。
別に巴さんの態度を気にする訳じゃない。あっ、いや、気にするべきか。このままじゃ、どうやって巴さんをコチラ側に引き込むか悩む結果になってしまう。
巴さんの命を助けた結果こうなってしまったので、プラスマイナスゼロといったところか。
「そうですか。それは残念です」
このグリーフシードで機嫌を直してくれたら最高だったが仕方がない。グリーフシードを俺のポケットへ仕舞いこむ。
「ああ、そうだ。もしも、何もかも嫌になったら俺のところに来てください。そこにいるキュウべえよりはあなたのチカラになれると思いますよ」
『酷いなぁキリト。僕だってみんなのチカラになれるんだよ』
「とのことよ。心配してくれてありがとう」
大きな溜め息を一つ。
「残念です……本当に残念ですよ。行こうかほむら」
「ええ」
巴さんたちに背を向けて俺たちは歩きだす。
とりあえずはほむらのアパートで反省会といったところだろう。