「...で、あの暴力教師の言っていた勝負っつーのは一体何なんだ」
平塚女史が奉仕部へ乗り込んできて少し経った現在。
既に平塚女史は帰っていったが、その話していった内容の一部に疑問を生じたため、俺は二人へと質問した。
「あれ?お前勝負のこと知らなかったっけ」
「...知らねぇよ、一体お前と雪ノ下の間で何が起きたんだよ。柏と松戸か、お前ら」
「いや、そこまで苛酷な関係じゃねえよ。つうか俺、総武線使ってるからその例えはよく分からねぇし」
「...じゃあ千葉と埼玉の関係か?」
「あぁそれが近いな。勿論、千葉役は雪ノ下の方だろ?」
「あなたたちの会話が千葉過ぎて全くついていけないのだけど...」
雪ノ下が千葉内状を語る俺たちの会話を聞いて、理解不能なのか頭を押さえる。しかし柏と松戸は相変わらず大変みたいだ。柏なんて自衛隊の駐屯地があって騒音がひどく、それどころじゃないだろうに。(しかしなぜか問題にならない)
「...で、結局お前らなんで勝負なんてすることになったんだよ」
「まぁ、色々とあったのよ...」
「今考えたらまんまと平塚先生に嵌められたような気がするな...」
達観するように二人が遠い目をすると、事情を説明し始めた。
簡単に言えばより多くの人助け(奉仕活動)をした方が、もう一方に何でも要求していいと勝負らしい。
そして俺はこれを聞いたあと、雪ノ下雪乃の身に危機感を感じた。
「...まだ遅くない、頭下げてでも勝負を辞退すべきだと思うが」
「なんで俺を犯罪者を見るような目で見てんだよ。違うよ、俺がそんな卑猥なことしか考えてると思うなよ」
「私も不本意ではあるけど...心配ないわ、勝てばいいだけだもの」
「...相変わらずすげえ自信だな」
そんな雪ノ下の強気な発言に腐った魚の方を見てみると、こちらも相も変わらず死んだ魚の目をして憮然に本を読んでいた。
...まぁこの勝負、行う前から結果が見えてるな。
この男の性格から考えられることを思い付き、一つため息をつく。
「そんなことより今は人員補充のことが重要よ」
話を変えるように雪ノ下がそう言うと、腐った魚が疑問を感じたのか本から顔をあげた。
「人員補充って言ってもどうすんだ?俺の方は当てなんてないぞ」
「...誰も最初からお前に期待なんてしてねぇよ」
「ぐっ...」
腐った魚が目をそらすと、今度は顎に手を当て考え込んでいた雪ノ下が顔をあげた。
「私の方は入ってくれそうな人に心当たりがあるわ」
「誰それ?戸塚?戸塚か。戸塚だよな?」
「...お前、どんだけあいつが好きなんだよ」
「いや違うよ?他に思い付かないだけだからな。なんなら戸塚のこと以外考えていないぐらいまである」
「...結局そいつのことしか考えてねぇじゃねぇか」
腐った魚の中で何かが目覚めようとしていることが分かり、少し距離を取った。確かに中性的な顔立ちではあるが、そこまで行くとただの変態である。
そうしていると雪ノ下がため息をはいて呆れていた。
「違うわ、もっと簡単な方法があるでしょ。由比ヶ浜さんよ」
「は?いや、でもやめるんでそ?」
雪ノ下がそう言うと隣のこいつは想像もしていなかったのかポカンとした表情を浮かべた。
しかし俺は大分予想がついていた。平塚女史との会話から由比ヶ浜の話題が多かったし、何より人員補充の名目であったなら、既に俺がいるのだから。
「やめるのならもう一度入り直せばいいのよ。それにあなたもすれ違ったままなんて嫌でしょう」
「いや、別に。避けられたり遠ざかったりし慣れてるし、今更すれ違ったところで...」
「壊れた関係なら仕方ないかもしれないけど、あなたたちの関係はまだ繋がっているわ。それに、私はこの2ヶ月間の時間をそれなりに気に入っているのよ」
「「.........」」
雪ノ下の突然の発言に俺と隣のこいつは口を開けて呆然としていた。
あの冷血にして冷徹の天上天下唯我独尊女、雪ノ下雪乃がこんなことを言うとは全く思っていなかったのだ。
「な、なに?二人して変な顔して」
「...おい、変な顔はこいつだけだ」
「ちょっ、なにお前自分だけ矛先から逃れようとしてんだよ。あと別に変な顔じゃねぇよ」
「えぇそうね、変な顔は比企谷くんだけだったわね」
「いやだから変な顔じゃねぇって」
「「(...)現在進行形で変な顔よ(だ)」」
そういうと雪ノ下は歩き出していった。
それを見送れば俺も鞄を持ち奉仕部を出る。
最後に視界の隅で部室に残った人物を見ると、そいつは複雑な表情をしていた。
ーーーーーーーーーーー
部室を出て昇降口に向かうと、携帯がないことに気づいた。
部室に忘れたかと思ったが、部室では携帯など使っていないため違うだろう。
だとすれば考えられるのは...
「...教室だな」
思い立ったらなんとやらで歩く先を教室へ変える。
時間はもうすぐ下校時間になる頃。夏に近づいているためか、日はまだ辛うじて残っている。
生徒は運動部以外残っていないだろうと思っていたため教室に向かった先で会った人物には俺も少し驚いた。
「あっ、や、やぁ瀬谷。まだ学校に残ってたんだ」
「...お前も、なんでこの時間にまだいるんだよ。バイトはどうした?」
教室にいたのはテスト前の川崎沙希の依頼で世話になったクラスメイト、茅ヶ崎千賀だった。
「いや、実はあのバイト、クビになったんだ」
「...そいつはまた唐突だな」
若干デジャヴのあるその言葉に、俺はまた驚いた。
「川崎さんが年齢偽って働いていたことに気付いてたのに報告しなかったからって...」
なるほど、言うなれば道連れでクビにされたということか。それはなんとまぁ、気の毒なことだ。
「でも悪い気はしてないよ。川崎さんも事情が事情だけに嘘ついても働かなくちゃいけないのは俺も分かるし」
「...でもそれでクビになってりゃ世話ねぇけどな」
「うっ...それもそうだね」
茅ヶ崎の言葉に核心を突けば苦笑いを返される。
まぁ茅ヶ崎自身がこの結果に満足しているのなら、俺はなにも言える立場ではないが。
「...で、なんでお前はこんな時間に学校にいるんだ?」
「うぐっ、せっかく話剃らしたのに...」
話をたち戻り、俺は茅ヶ崎に当初の疑問を吹っ掛けた。
「じ、実はその...テストの点数があまり良くなくて、補習を...」
「...クラス唯一の赤点者ってお前のことだったのか」
「ハハハハ...」
乾いた笑いをこぼす茅ヶ崎に少し呆れを覚える。
バイトの先輩は自分の学費のために働いていたっていうのに、こいつは何をやっているのやら。
思わずため息をつくと茅ヶ崎もつられて頭を垂らした。
「...川崎に勉強でも教えてもらったらどうだ?」
「いや、それは...川崎先輩容赦ないだろうから御勘弁を」
俺の提案に苦笑いと否定の意を茅ヶ崎は返したが、後輩が赤点を取ったことに気づいた川崎が、期末テストでしっかり喝をいれることをこのときまだこいつは知らなかった。
その後机に入れっぱなしだった携帯を回収すると俺と茅ヶ崎はいっしょに昇降口へと向かった。
その途中思い出したかのように茅ヶ崎は口を開いた。
「そういや、瀬谷のあの男子の先輩、名前は...なんだったっけ?」
「...大体誰かわかったから本題を言え」
「いや、あの先輩にお礼したいなって。あの人が川崎さんにスカラシップをアドバイスしてくれたし」
そういやあいつが川崎にアドバイスしてたのか。
あのあと確かそのスカラシップとかいう予備校にある学費免除のシステムにより、川崎は金銭問題を解決し、あのバイトを辞めたのだったな。
だとすれば今日聞いたあの雪ノ下と腐った魚の勝負は現在、腐った魚がリードしているということになるのか。
憐れ雪ノ下、途中経過であれど腐った魚ごときに負けるとは。
「...そのアドバイスが元凶でバイト辞めさせられたのに、人の良いことだな」
「ハハハ...まぁ、川崎さんが救われたことだし、俺は別に構わないよ」
そういう茅ヶ崎はやつれてはいるが確かに、今回の結果に満足しているようであった。
「...確かに誰かが救われるなら、少しのとばっちりも受け入れられるのかもな」
「?どうしたんだ、瀬谷?」
ふと口からでた言葉に茅ヶ崎が反応する。
だが俺はそれを気にせず、茅ヶ崎に質問した。
「...なぁ茅ヶ崎。もしよかれと思って取った行動が、実はもっと悪い方向へ進ませてたら、お前ならその罪悪感に耐えきれるか?」
「瀬谷...?」
俺の問いに茅ヶ崎はさらに困惑している。
俺も気づいていた。こんなことをこいつに聞くのはお門違いだと。
だが、俺は感じてしまっていたのだ。今回のことで。
誰かが救われて、そして俺は救われなかったことに対する、嫉妬を。
気付けば既に昇降口へと辿り着いていた。
茅ヶ崎はバスで俺は自転車のため、ここで別れることとなる。
「...悪い、変なこと聞いたな。今の忘れろ」
それは丁度よく、このまま質問の意図をうやむやにして俺は帰ろうとすれば...
「よく分かんないけど、もしそれが自分のせいで悪くなったんなら、俺は誰かに助けを求めると思うよ。今回のことのように」
突如後ろより投げ掛けられた茅ヶ崎の言葉に足を止めた。
ーー助けを求めるーー
あの時、俺はそれをしたのだろうか、それを思い付けたのだろうか。
それを思い返すことはできない。思い出すことすらしたくない。
ただそれが出来ていたなら、俺はもっと幸せにーーー
「...あっそ」
回していた思考を中断し、茅ヶ崎には素っ気ない言葉で返す。
過去を振り返ったところで今が変わるわけではない。だったら近い未来のためにやるべきことを為す方が得だろう。
俺はそう自分に言い聞かせ、昇降口から出ていった。
茅ヶ崎にも嫉妬してしまったこの情弱な心を必死に抑えるために。
ーーーーーーーーーーー
そそくさと逃げるように駐輪場へと駆け込んだ俺は、まず世にも奇妙な光景を見かけた。思わずグラサンかけたおっさんが出てくるほど奇妙だった。
「...あの腐った魚が女といっしょにいやがる」
思いがけず、思いもよらず、思いもつかない光景だった。
小学校の頃など通学路が同じだった女子よりストーカー扱いされて、クラスで吊し上げられたあいつがまさか女子といっしょに下校するとは...
俺は先ほどまでの葛藤を忘れ、共学と動揺のみが心を満たした。そして気付いたことは...
「...あれ戸塚彩加だな」
遠目で勘違いしてしまったが、あの白髪は戸塚彩加だろう。
と、いうよりそれ以外誰も思い付かない。あの男がプライベートで女となか良くできるわけもないし、何よりしようとしていない。
要らんことで惑ってしまった自分が急に恥ずかしくなってしまい、盛大にため息を吐く。
「...てかあいつ、本当に戸塚を勧誘するつもりかよ」
あの言葉がなぜか今になり信憑性を増してきた。いや、平塚女史が普段回せない気を回してきたのだ、空気ぐらい読むだろ。あいつ自身空気みたいなもんだし。
「...もうどうでもいいな、帰ろ」
由比ヶ浜が部室に来ない理由も、茅ヶ崎がバイトを辞めさせられたことも、あいつがなぜ戸塚彩加といっしょに下校しているかということも、俺には全くどうでもいいことだ。
だから、深く考える必要がない。
「...そういや今度東京わんにゃんショーやるな」
小町でも誘うかと予定をたてながら、俺は先ほどよりも軽い心持ちで帰路へついた。