第一話 『始まりの章』
1.
月の見えない夜だった。
その中心にいるのは、眼鏡をかけたリクルートスーツ姿の太った男だった。その男の顔は紅潮しており、酔っていることが容易にわかる。おまけに足元も若干フラついていた。
「テメェ、五千円しか持ってねぇじゃねぇか!!」
金髪の少年はそう言って、太った男に財布を叩きつけた。その言葉とは裏腹に、財布を持っているのとは逆の手には一枚の五千円札がしっかりと握られている。
「……」
財布を投げつけられた男は何も言わずに、アルコールで紅潮していた顔をさらに真っ赤に染めて震えだす。
「なんだ?何か言いたいことでもあんのか?」
金髪の少年はその態度が気に入らなかったのか、太った男の胸倉を掴んだ。男は胸倉を掴まれたまま何も言わずに、ただ少年の目をジッと睨みつける。
「なんだよその目は!金もロクに持たねぇデブが!酔っぱらって図に乗ってんじゃねぇぞ!」
少年はさらに声を荒げ、目の前の男を右腕を振り上げた。
───殴られる!
太った男は咄嗟に目を閉じたが、彼に少年の拳が振るわれることはなかった。
「……?」
太った男は目を閉じたまま、胸倉から少年の手が離れたのを感じ、恐る恐る目を開ける。
すると目の前に金髪の少年の姿はなく、代わりに二本の青いワイヤーのようなものが伸びていた。
「……!」
青いワイヤーには一定の間隔で黒い節がついており、その見た目はどこか生物的な印象を与える。
さらに太った男の真向いでは、金髪の少年の取り巻き達が、青いワイヤーの先を凝視していた。
太った男もそちらに目を向ける。すると、先程まで自分の胸倉を掴んでいた金髪の少年が、建物の壁に寄りかかっている。
それだけではない。太った男の目の前を通っている二本のワイヤーが、金髪の少年の胸を突き刺していた。
ワイヤーが突き刺さった胸部からは、どくどくと少年の血液が流れている。
「……!!」
その光景に太った男は戦慄した。
金髪の少年はわずかに痙攣しており、瞳孔は開ききっている。他の若者達は足を震わせながら、屍となった少年から身を引いた。
「なっ、なんなんだよっ!?」
後ろで黙っていた若者たちが驚きの声を上げると、少年の胸を突き刺していた青いワイヤーがモゾモゾと動きだす。ワイヤーは鞭のようにしなり、反り血を撒き散らしながら、少年の身体から離れていった。
「……っ!?」
その場にいる全員が、二本のワイヤーが消えていった方向に目を向ける。
本来建物の壁があるはずのところに、ファスナーのようなモノで型取られた楕円型の空間が空いている。その先には薄暗い森のような世界が広がっていた。青いワイヤーはその森の中に消えていく。その光景に、若者の一人が声を漏らした。
「嘘だろ……?」
さらに森の先を見てみると、カミキリムシのような人型の「怪物」が佇んでいる。その怪物の体の色は二本のワイヤーと同様の配色で、先ほどまで若者たちの目の前にあったワイヤーは怪物の頭部に収まるように戻っていく。
若者を突き刺したワイヤーは怪物の触覚だったようだ。
「あれって、まさかインベスじゃ……」
太った男のこの一言は他の若者たちの心情を代弁していたが、誰もその意味をすぐに受け入れることはできない。
―インベス―それはかつて、沢芽市の若者たちの間で流行ったクリーチャーゲームのキャラクターであり、三年前に「フェムシンム」と名乗る異世界の侵略者が地球に差し向けた破壊の使者だ。
彼らはファスナー状の空間の裂け目「クラック」を通って、地球にやって来た。
そして、この沢芽市を拠点に地球の侵略を開始したのだ。
しかし、ある日を境にフェムシンムは忽然と姿を消した。その数日後には、世界中に現れた大量のインベスも宇宙に吸い上げられるように、地上から去っていった。
事態の終息から3年が経過した現在でも、日本の沢芽市に本部が設置された「地球外生命体被害対策復興局」による支援が間に合わないなど、フェムシンムとインベスが世界中に残した傷痕は大きい。
今自分たちの目の前にいるのがそのインベスだと分かると、若者たちの行動は早かった。
「にっ、逃げるぞ!」
彼らは太った男が立っているのとは反対側の大通りに、一目散に逃げていく。
その場に残った人間は金髪の少年の屍と、腰を抜かして尻餅をついたまま立つことができないリクルートスーツの男だけだ。取り残された男は恐怖に顔を歪ませている。
そこに追い打ちをかけるように、「クラック」からは灰色の巨大な頭部を持ったインベスが現れる。
このインベスは通称「初級インベス」。動きは鈍いがその腕力は人間のそれをはるかに凌駕している。
「シェッ……」
初級インベスは太った男に顔を向ける。彼を獲物と捉えたようだ。
さらに2体のインベスが、クラックを潜ってこちらの世界に現れた。
一体は先ほど金髪の少年を仕留めた青いカミキリムシのインベス、もう一体は赤いライオンのようなインベスだ。
全てのインベスが太った男をじっと観察する。そしてついに、先頭の下級インベスが男に向かって動きだした。
「ビェェェエ!」
下級インベスが奇声を上げて走り出すのと同時に、太った男の頭上からまた別の声が響いた。
「変身ッ……!」
次の瞬間、初級インベスは火花と断末魔の叫びを上げて倒れた。
倒れたインベスの後ろからは、一本の槍を構えた黒い鎧の戦士が現れる。
漆黒のその姿はまるで暗い影がそのまま身体を持ったようだ。頭部にある半円形ゴーグルは黄色く光っており、腰に巻かれた黄色い蛍光色のベルトが異様に目を引く。
漆黒の戦士の姿を見ると、太った男は目を大きく見開きポツリと呟いた。
「黒影……初瀬さん……?」
倒れた下級インベスが爆散すると、「黒影」と呼ばれた黒い戦士は後ろの二体のインベスに向き直る。
「ビヴェェ~」
一瞬の静寂の後、二体のインベスは奇声を挙げながら黒影に襲い掛かる。黒影は漆黒の槍「
影松による牽制と、長い足を活かした蹴り技で距離を取りながら、黒影は二体のインベスに着実にダメージを与えていく。
インベス達の動きが鈍くなってくるのを確認すると、黒影は影松を振り上げながら右足を軸に全身を回転させ、二体のインベスを一気に薙ぎ払った。
「消えろ……」
黒影はそう呟くと、ベルトのバックルについた日本刀のようなブレードを3回倒す。
『マツボックリスパーキング!』
ベルトから甲高い電子音声が鳴り響く。影松を構えた黒影の周りには竜巻が吹き荒れ、黒影を包み込むように収束していく。竜巻は次第にその勢いを増し、ついには黒影の姿を完全に覆い隠した。
「うおぉりゃぁあ!」
小型の台風となった黒影は、インベスに向かって凄まじい速さで突進した。
その突進を受けたインベス達は倒れる間もなく爆散し、攻撃を終えた黒影の周りからは竜巻が消えていく。
黒影はインベスを殲滅したことを確認すると、大通りに向かって歩き出した。
「待ってよ、初瀬さん!」
黒影を見ていたリクルートスーツの男はハッとして叫んだ。男は血だまりを避けながら黒影を追いかけて大通りの曲がり角を曲がる。しかし、もう目の前に黒影の姿はなかった。それでも男は黒影の姿を求めて必死に駆けずり回る。
走ったせいでアルコールの成分が頭に回ったのか、男の視界は次第にぼやけ歪んでいく。
男はそのまま歩道の真ん中にへたり込み、意識を手放した。
2.
「朝か……外真っ暗だけど……」
城乃内は寝室から這い出て、冷蔵庫に残っていたイチゴのムースをもそもそと食べ始めた。冷蔵庫の匂いが多少移っているが、それでもイチゴの爽やかな酸味が気だるい身体を元気づけてくれる。
イチゴのムースを食べ終え、身支度を済ませる。城乃内は今日も午前5時に、自宅のワンルームマンションを出て、職場に向かって歩き出した。
2月の半ばということもあってか空には薄暗さが残り、寒さが身に堪える。寒さを和らげるために、肩をすぼめて大きめのダウンコートに少し顔をうずめながら職場に向かうのが最近の習慣になっている。
職場に向かってしばらく歩くと、目の前にリクルートスーツを着た太った男が倒れていた。顔を覗き込むとその男は城乃内の知り合いだ。
城乃内は注意も兼ねてその男に声をかける。
「おーい、そんなトコで寝てると爆弾投げられるぞ」
「ばく、だん……?」
この沢芽市では半年前に、「黒の
そんな悲惨な事件を不謹慎にも軽口に使う城乃内だったが、言われた当の本人は言葉の意味があまり理解できていないらしい。
倒れている男は通称「デーブ」。沢芽市で活動しているダンス集団、ビートライダーズ「チーム・レイドワイルド」の元メンバーだ。一部では「レイドワイルドのデブ」という愛称で親しまれ、カルトな人気を獲得していた。
城乃内も3年ほど前まではビートライダーズ「チーム・インヴィット」のリーダーをしていた。そのツテで、デーブが最近ビートライダーズを辞めて就職活動を始めたということは城乃内も知っている。
実際にデーブを見てみると、それも上手くいっていないらしい。デーブの頭には白いものが混じり、肌もあれている。ストレス解消のために相当酒を飲んだのか、全身からアルコールの匂いを放っていた。
見苦しく路上で寝転がる元ダンサー仲間に城乃内は手を差し出す。
「ほら、いいから起きなって。通行人の邪魔だよ」
「初瀬さん……?」
未だ泥酔状態のデーブのその言葉に、彼を起こそうとしていた城乃内の手が止まる。
「えっ……?」
「初瀬さんどこ行ってたんですか~」
「おいっ、なにいってんだよデーブ!」
デーブは瞳孔を広げて妄言を放ちながら城乃内に抱き着いてくる。恐怖と危険を感じた城乃内は彼をなんとか引き剥がすと、自分の職場に向かって一目散に走っていった。
「初瀬ちゃんか……」
酔っぱらいから逃げきった後も彼の言葉がまだ頭に残っている。今は亡き友人を思い浮かべながら、城乃内は自分の職場へと向かった。
3.
城乃内は朝6時に自分の職場である洋菓子店「シャルモン沢芽市2号店」に到着した。「シャルモン」のオーナー、凰蓮・ピエール・アルフォンゾは洋菓子の国際大会「クープ・デュ・モンド」で優勝経験もある実力者だ。凰蓮がオーナーを務める「シャルモン」には、その高い値段設定にも関わらず国内外から連日多くの客が詰め寄せ、様々なメディアからの取材のオファーも後を絶たない。
城乃内は若干25歳にして、そんな名店の唯一の支店で店長を任されている。彼が凰蓮の下でパティシエ修行を始めたのは3年前だ。城乃内はビートライダーズ間の抗争で勝ち残るため、フランス軍での傭兵経験がある凰蓮の腕っぷしを頼りに、彼に弟子入り(利用)を試みた。しかし、なぜか強制的にパティシエとして凰蓮に弟子入りすることとなり、今に至る。当初は勤務態度も良いとは言えなかった城乃内だが、今では全国規模のパティシエ国内大会で優勝するほどにまで成長した。
毎日他のパティシエが出勤する一時間前には厨房に立ち、ケーキの下準備に取り掛かる。
「さてと……!始めますか……」
まずは大量の小麦粉と砂糖、生クリームをボールに流し込む。
水分を吸った小麦粉の重さは相当のものだが、城乃内はそのか細い腕からは想像のできないスピードで生地を一気にかき混ぜる。かき混ぜすぎてもいけないが、手早くかき混ぜないと生クリームの鮮度を落としてしまう。ケーキ作りでは小さな妥協がすべてを台無しにしてしまう。
そういう妥協をしない。客に出す商品は常に最高のものでなければならない。それが本物のプロの仕事だと凰蓮は城乃内の身体に叩き込んだ。最近はとある事件の収束のため店を空けることの多い師匠の教えを、城乃内は今日も守り続けている。
「おはようございます!」
「おっ!おはよう」
時刻が進むにつれて、この店の従業員が出勤し始める。開店時間の30分前には店先に行列が出来ていた。店のショーウインドウを眺めるとき、テーブル席でケーキを食べるとき、持ち帰りのケーキの箱を受け取るとき、客は様々な顔をする。ほほ笑んでいるような顔の人も、目に見えてはしゃいでる人も、一見能面のように無表情な人もいる。
しかし、この店にいる人はみな共通して何かに救われたような顔をしているのだ。それにどんな価値があるかはわからないが、自分の仕事が誰かの笑顔に繋がっている。
それが今、城乃内の働く理由だ。
4.
3時過ぎ、客も減り落ち着いてきたシャルモン沢芽市二号店に一人の女性客が入店した。彼女は
「こんにちは、城乃内君。今日は持ち帰りでいい?」
「大丈夫ですよ。彼氏とその弟の分ですか?」
晶の交際相手は復興局局長、
ニヤニヤしながら下品な軽口を飛ばすこの若い店主に苦笑する晶だが、案外まんざらでもないらしい。
「違うよ。友達への手見上げ。城乃内君だって、貴虎さんが東南アジアに行ってるの知ってるでしょう?あんまりデリカシーのないことばっかり言ってると、陰で女の子から嫌われるよ?」
「……えッ!?」
晶の切り返しに、城乃内の脳裏に3年前の苦い記憶が甦る。
当時、城乃内が一人休日を持て余して街中を徘徊していると、女友達が自分のことを、メガネが似合ってない、それでも男か、城乃内ヤバイ!と陰で言い合っている現場に遭遇してしまったのだ。
「お、おれは顔もイイし、仕事もできるし?女の子に嫌われたりなんかしませんてっ!」
城乃内は必死の形相でまくしたてた。その様子に晶も思わずたじろいでしまう。
「そういえば、凰蓮さんも、貴虎さんの手伝いに行ってるのね?」
城乃内の剣幕に押されながらも、晶は強引に話題を変える。
「ええ……ここんとこ、ずっと貴虎さんの手伝いしてますから。凰蓮さんは」
なんとか機嫌を直した城乃内は晶の話に相づちを打った。晶はホッと胸を撫で下ろして会話をつづける。
「城乃内君は凰蓮さんのこと、心配だったりしないの?」
「心配なんて、そんな……凰蓮さんも貴虎さんも強いですから」
「いくら強くてもさ、急に遠くに行かれちゃうと…もう帰ってこないんじゃないか、とか最近不安になるのよね……」
城乃内は晶の言葉にハッとして、彼女の顔を凝視した。晶の瞳はここではない、どこか遠くを見つめている。
城乃内は晶のその目を見て、嘗ての戦友の顔を思い出す。この世界の危機を何度も救った
「戻ってくるって信じてますから。多分……アイツもいつかは……」
城乃内は晶の顔から目線を外しながらも、しっかりとした口調で答える。
「そっか、そうだよね……」
晶は少しだけ晴れやかにほほ笑むとメロンとマスカットのタルト、フルーツロールケーキを注文し、商品の包みを受け取ると店の出口に歩いていく。
晶と入れ違いにまた別の女性が店に入ってきた。背がすらりと高く、色白の透き通るような肌が印象的だ。
城乃内がそんなことを考えていると、その女性はまっすぐに城乃内のほうに向かって歩いてくる。彼女は城乃内の目の前で足を止めると、遠慮がちに尋ねた。
「あの、城乃内秀保さんはいらっしゃいますか?」
「城乃内は私ですが……」
城乃内がそう応えると、女性は少し息を呑み、何かを決心したように口を開いた。
「私は、
というわけで、第一話でした。いかがでしたでしょうか?
初瀬ちゃん役の白又さんのインタビューで「初瀬には亮一という兄がいるはず」という発言がありました。この発言が一葉の元ネタなのですが、一葉が一体どんな人間なのかはまだ私のなかでも固まっていません。(ごめんなさい)
更新がいつになるかまだわかりませんが、気長に待っていただければと思います。
PS.細部を何度か修正しています。