̄
「え?」
困惑した声が静寂に包まれた部屋に響き渡る。
その声が聞こえてしまい、不敬であると分かっていながらも頭を上げずにはいられなかった。
「どうか、なさいましたか?」
見れば、純白のドレスをまとった女性──階層守護者統括アルベドがこのナザリック地下大墳墓の支配者であるモモンガを覗き込み、話をしていた。
(先程の声。恐らくモモンガ様でしょうか……しかし、いったい何が──)
モモンガが視線を向けていたであろう場所へと向こうとして、声が掛けられる。
「セバス! メイドたちよ!」
『はっ!』
セバスとその横に並ぶメイド達──プレアデスが頭を上げてモモンガへと視線を向けた。既に頭を上げていたセバスに対してモモンガは何も言わず、ナザリック地下大墳墓の周辺地理を確認するよう命令を頂いた。即時、行動を開始する。
ふと、玉座の間から扉へ向かう途中、扉が半開き──といっても人一人が通れるくらいだが開いていた。
支配者の後ろを追従して玉座の間へと入った時、確かに閉まったはず。
「セバス様?」
「なんでもありません」
まずは与えられた命令を実行すべきであり、思索はあとにすべきである。
扉を潜り、玉座の間へと体を向ける。扉が自動で閉まる中、頭を下げて「失礼致します」と守護者統括と会話をしている支配者へと、会話を邪魔しない程度の声で言い、退室する。
扉が閉まって三秒程で頭を上げて九階層へ上がる《
本来であれば、急ぎの命令が無ければ後二秒は頭を下げていた。まずは第一階層へ行き、そこから外へと行かなくてはならない。
急ぎ足ではあるが気品ある足取りで歩を進めるが──すぐに歩が止まる。
セバスが止まったことで後ろに歩くプレアデスたちの歩も必然的に止まるが……種族、竜人であるセバスの聴覚にははっきりと聞こえた。後ろを歩くプレアデスの足音が
振り向き、後ろを見ればプレアデスの副リーダー、
「エントマ!」
セバスの視線を目で追ったユリがエントマが後をついてきていない事に気付いて、怒鳴る──とまではいかないが、叱るように呼ぶ。
しかし、エントマは此方を見て首を傾げるだけで来る様子がない。
様子がおかしい。
扉が半開きになっていた事といい、あの付近──エントマが居る付近に何かあると。セバス達では気づけない何か
もし仮に侵入者であるならば、支配者の命令は絶対。しかし、その御身に危険が及ぶようであれば命令違反など平気で犯そう。支配者の御身が無事であるならば、いかなる処罰も受けるつもりでいる。
まずはエントマが何を感じているのかを知るべきだ。
そう考え、口を開こうとした時にエントマからユリへ言葉が投げ掛けられた。
「ユリ姉様、良い香りがしますぅ」
『香り?』
幾人かの声が重なった。
「あ、確かに甘い匂いがするっすね……しますね」
だが、セバスも同じように甘い香りがするのを感じている。そして、嗅いだことがある。
「この香りは確か、あの御方の……」
記憶を手繰り、名を告げようとして、シズが先に気付いたその御方の名──ではなくアイテム名を言った。
「
「そうでしたね」
答えが分かれば何てことはない。侵入者などではなく、至高の41人が一人、ハンス・ヴルストの装備品である。
しかし、ならばその香りがするのにその発生源とも言うべき者は何処にいるのか?
「香りは扉の前で途切れてますぅ」
「9階層から下りて、扉の前で途切れてるっ……ます」
その言葉にセバスは頷き、扉へと視線を向けた。
“りある”という言葉がある。
時折至高の方々が話しているのを耳にする時、ほとんどの場合で発するからだ。
その“りある”とは何処かの世界であるとシモベ達は解釈し、セバスも例外ではない。ただ、その“りある”の言葉とセットというべきか、“ろぐあうと”と言う言葉も使われる。
恐らく、この“ろぐあうと”とはなんらかの転移系魔法ではないかとセバスは思っているのだ。なぜそうなったか、至高の方が“りある”なる場へ赴く時にそう他の方々へ言われるから。
「そろそろログアウトしますね。お疲れ様でした」と言ってその御方がその場より消える。転移系の魔法《
だからか、我々シモベは“ろぐあうと”と聞くと無意識に身を強張らせる。
しかし、我々の間では嬉しい言葉もあるのだ。
“ろぐいん”。
それは至高の方が来ると言う知らせだ。
「モモンガさんは20時頃にログインするってさ。メール来てた」と至高の方が言えば20時前後には必ずその御方が円卓へ現れる。“ろぐいん”とはかくも魔法の言葉である。
だからか、我々は“りある”と言う世界か都市名かは不明ではあるが、その場所が口には出さないが嫌いである。憎悪すら抱いていると言っても過言ではない。
至高の方々から発せられる“りある”に関する内容のほとんどは否定的だ。
「リアルで忙しくなりそうだから来れない」「リアルの方が……ね、うん、忙しいんだ、マジ死ぬほどに」「この間リアルで──」
至高の方々の身を危険にするほどの事が“りある”にはある。
我々はどうすれば良い?
我々はどうすればあの方々のお力になれる?
我々はどうすれば“ろぐあうと”の魔法を会得できる?
「───ス」
我々はどうすれば“りある”に行けるのですか?
我々はどうすれば『必要だ』と言っていただけるのですか?
我々はどうすれば……。
「─セ──ス」
我々は……
「セバス!」
怒鳴り声に我に返り、目の前の人物に驚愕と共に即座に返答できなかった自らへの怒りがこみ上げてその場に臣下の礼を取り、頭を下げる。
「申し訳ありません、モモンガ様」
「いや、気にするな。それで、どうしてまだここにいる? 地表の地理は確認できたのか?」
できている訳がない。
支配者の言葉には怒りのような感情は籠められてはいないようだが、先程の怒鳴り声といい、地表の確認といい、命令された事さえできないのでは執事として──いや、シモベとして最低限の仕事もできないとあっては……失望される。
それがどれ程の恐怖か。一瞬でも想像したなら──
「セバス」
返答をしていなかったと気付くには遅すぎた。
「も、申し訳ありません! 地表の確認はまだできておりません! また、遅れてしま──」
「セバス」
「はっ!」
「身体に異常はないか?」
「はっ! ……はい?」
耳を疑った。今、なんと言われた?
頭を上げて支配者を見てしまう。
「身体に異常はないか。では、疲れなどの疲労は?」
「は、はい。特にございません」
「そうか」
目に見えて、支配者で在らせられるモモンガ様が安堵した──ように見えた。
「いやなに、無理をさせているのでは、とな」
「む、無理など! その様な事はございません!」
「そ、そうか。では、地表の確認は頼んだぞ。戦闘になった場合は同行しているプレアデスを帰還させた後にセバスもなるべく墳墓内へ逃げ込むのだぞ? 墳墓内のトラップで侵入者共々巻き込まれないとは思うが注意はするべきだ。いや、シズを墳墓入り口で迎えるのもいいかもしれない。よし、セバス」
「はっ!」
「地表の確認はプレアデスを一人の共。は変わらないが、シズを第1階層入り口で待機させ、戦闘になった場合はセバスが
「はっ! 畏まりました」
「うむ、では頼んだぞ」
返答ではなく頭を下げて答えた。
それから、セバスは地表の確認へ向かった。
その背中を見えなくなるまで眺めていたモモンガは、気持ち的な整理を始めた。
(ビックリした。アルベドに守護者達を集めるように言って、ここ──レメゲトンのゴーレムの確認に出たらセバスとプレアデス達が居るんだもんな。しかも俺が近づくとプレアデス達は頭を下げたけど、セバスは微動だにしなかったし。疲れてたのかな? それとも……やっぱり俺の命令は聞けないとかそういうの!? はぁ……ゴーレムの確認は必須だな)
モモンガは肩を竦めながらレメゲトンに配置してあるゴーレム達を起動させた。
────────── 1
暗い。身体は移動阻害を受けているような、水中にいるような程重く感じる。
強制ログアウトしたのだから、ここは自宅のはずだが、「違う」と直感する。
ふと、ドンドンドンと地響きが聴こえた。それも、足下からではなく頭上から。
上に何かあるのかと思い、手を伸ばし──
──ずぼっ
水中から手を出したような感覚。
伸ばした腕からはそこが空洞だと感じ取れた。
(感覚がある? いや、それよりもさっさと出るか)
自分が何処かの中に居ることは感覚でわかった。しかし、暗視スキルがあるにも関わらず、暗すぎて目を開けているのか閉じているのかすら分からなくなっている。水の中であればここまで暗いということはない。では、何処か?
伸ばした腕を動かして這い上がる様に暗闇から出ると───
「眩しい……」
先程の暗闇とは打って変わって明るい。いや、明るすぎる。
何故ここまで明るいのか確認するために目が慣れないまま上を見る。
「……」
文字どおりと言うべきか、絶句した。
声が──いや、言葉が出ない。
頭上に広がるのは広大で青い天井。ホログラムかもしれない。「いや」と内心で否定した。この見渡す限り青い、何処までも続いていそうな、何処までも届きそうな──
「ブルー・プラネットさん。これが、『青空』と言うのですか?」
自然が好きと言っていたギルドメンバーが居た。
その人の話によれば、昔は空に灰色の暗雲が太陽を隠す事なくその光を地上に降り注いでいて、自然を育ててたらしい。しかも、太陽は赤ではなく白らしい。これは人の眼では直接見てはいけないらしく、光の加減で地上からは白く見えているとか。
さらには、空と海は青いと聞いた。あれには感動した。
「プラネットさん、なんで空は青いんですか?」
「えー……と?」
「ハンス君、ほんと君は面白いね」
「え? どういう意味ですか? 朱雀さん」
「そのままさ」
「?」
「結局、自分で調べてみたら、昔の、子供が大人に聞くような質問だったと知った時は一晩中悶えたなぁ」
その翌日にはギルドメンバー全員に知れ渡っていて、年齢偽装とか弄られた。
(オフ会で会っているから知ってるくせに、酷いよなぁ)
それでも、嫌じゃなかった。アインズ・ウール・ゴウンの皆が。
いつまでもこの空を見ていたいが、今はそれどころではない。
自分──ハンス・ヴルストが出て──というか這い上がって来た所を見れば、地面だった。
「……いや、確かに
遠くに視線を向けながら瞳から光が消えた。
(そういえば、
だからって、ハンス自身が実行することになるとは思いもしない。
現実逃避したいがそうもいかない。
背後から影が射したからだ。
振り向けば、体長二メートル程の二足歩行するライオン──ビーストマンが一体、そこに居た。
「オマエ、良い匂い、する」
片言で発せられた言葉の意味するところをハンスはすぐに理解した。が、ビーストマンが話してきた事実に少し驚いている。
(プレイヤーか? 片言って、そういうロールプレイ?)
「匂いって……亜人にも効果あったのか。
言いながら右手首にある腕輪を見せる。
『
動物系、植物系、蟲系のモンスターから狙われやすくなり、離れていても居場所を探知され、引き寄せる。──と言うモンスタードロップのアイテム狙いにはもってこいの装備品だが、それ以外の効果はなく、ステータス加算もない。更にはデータクリスタルを組み込めないある意味珍しい装備品である。腕の装備枠を消費してまで常時付けるプレイヤーはいない。しかも、静かなるとか名前にあるのにモンスターを引き寄せとか、どこが静かなのか不明だ。
この装備品──アイテムの説明文には「甘い香りを振り撒き──」等と書かれていたことから香水の分類だろうが……あいにくとユグドラシルには嗅覚の感覚はないので雰囲気出しだろう。
そう、
「ふるー、ふらわー?」
「いや待って、さっき匂いって言ったのか?」
ビーストマンは頷いた。
(ありえない。嗅覚の拡張なんてできるわけがない。そうでなくたって法律で──)
考えている時、存在するのが嗅覚だけでない事を察した。
地面から這い出た“感触”。
ゾッと背筋が凍るような、嫌な感覚。今がまずい状態だと確信してしまった時のようなすごく嫌な感じがして、心臓の鼓動が速く──
バッと手を左胸に押し当てて、鼓動がしない。その事実に不安と焦りが増して──なぜか冷静になれた。
「まぁ、
呟いて、異常なほど冷静になっている自分に驚く。
ハンスは今はまだ、気付いていなかった。
アンデットのほぼ全ての種族スキルに、精神に影響を及ぼす攻撃に対しての完全耐性がある。つまり、精神が大きく、一定以上に変動した場合にその完全耐性効果が働いて、精神が平坦なものへと抑圧されると言うべきか、変わる。そして、曲がりなりにも今のハンスはアンデットに分類される
「オマエ、アンデット?」
呟きが聞こえていたのか、ビーストマンが聞いてくる。
「ん? あぁ、そうだよ?」
「いらない」
「は?」
言うが早いか。ビーストマンの拳が眼前に迫っていた。
────────── 2
見上げれば、そこは暗く、小さな光の粒が点々と──まるで宝石のように煌めいていた。
川沿いで焚き火を挟んで二つの影が揺らめく。
その片方が焚き火に木の枝を放り投げながら、夜空を見上げる相方に質問した。
「そんなに見て、どうかしたのか?」
相方は上げていた視線を下ろして、何処か懐かしむように、それでいて寂しげに答える。
「ブルー・プラネットを思い出していた」
「あぁ。この空は綺麗だものな。アイツが好きだったのも、本当の意味で理解できる」
ブルー・プラネット。アインズ・ウール・ゴウンの仲間であり、自然を愛した者。
「6階層の空も良いが、なんというか……迫力?が違うな」
そう言って山羊の表情が綻ぶ。
「……焚き火の光の加減で悪役のそれにしか見えんな」
「なんだと?」
嬉しそうにするな。
「で、先程の話だが──」
ここに来るまでの経緯を目の前の、ウルベルト・アレイン・オードルと話し合う。
玉座の間へと続く扉をウルベルトと武人建御雷が衝突するような感じで押し開いた時、光が視界を覆い、眩しくて眼を閉じた。次に眼を開ければ、玉座の間ではなく森の中だった。
ウルベルトと一緒ではあった。しかし、ハンスが居ない。あの場、森の中でも少し探したが居なかった。
辺りが暗いこともあったが流石にどこが落ち着ける場所で話し合う事にして森を出た所にあったここの川沿いへと来た。
「しかし、ここがどこかも疑問だが、ハンスはどこに行ったのか」
「あの場には三人いた。だが、扉に触れていた俺たち二人は一緒となれば、アイツも此方に来てはいるだろうな」
知将とまではいかなくとも、頭の回転は早い。
(やはり、この場ではウルベルトが指揮を取るべきだな)
焚き火に木の枝を放り投げ入れて、ウルベルトの推測が正しいだろうと武人建御雷は同意する意味で頷く。
「夜明けと共にもう一度転移してきた場所を探る。それでいいか? 建御雷」
「あぁ。異論はない。ウルベルト」
今に至るまでで、いつの間にか互いに敬称がなくなっていた。
なんと言えば良いか。同族?のような、仲間だからと言う意味で何故か自然と敬称がなくなっていたのだ。
武人建御雷のギルド内でも特に仲の良い人はと聞かれたなら、間違えなく弐式炎雷とエンシエント・ワンと他の仲間は思うだろう。それに否定はない。しかし、最も気が合うのはウルベルトであることは間違いないと言える。
何故か? 何故だろう? 共に、二人だけでクエストに行くことも無ければ、長く会話することもない。自分では説明はできない何か、通じるものがあるのだろう。
「夜空を見ていて思ったが、俺たちが転移してきたのが0時であるとするなら、月の位置がおかしい気がするな」
言われて夜空を見上げる。
まるで宝石でも散り填めたかのような綺麗な空。そこに一際大きく丸い点が一つ。
「悪いが、天体観測などできんぞ?」
「そうじゃない。ここがユグドラシルであるなら、月の動き、速さが遅すぎる」
ここがユグドラシルではない可能性が大きいのは理解している。森で四時間ほど実感──というより、実験したのだから。
「そういうエリアの可能性は?」
実験し、実感しても、否定しきれないのは、まだ頭の中の整理ができていないからか。はたまた、単に否定したいだけなのか。
「エリアであれば……いや、確か四時間ほど、俺達は森に居たはずだな?」
「そうだな」
それがどうしたというのか。
「なぜ、まだ月のが真上にある?」
何を言っているのか、武人建御雷は疑問を投げ掛けようとして、ウルベルトが言いたいことの意味を理解した。というよりも、思い出したに近い。
ブルー・プラネットが言っていた月の位置。時間と共に移動し、東より太陽が出て西より月が沈む。
0時に転移したのであれば、あれから四時間経っているにも関わらず、なぜ月が真上にあるのか。
「時間がズレている?」
転移──いや、むしろあれは本当に転移だったのか? なにか、我々は見逃していないか?
「今が0時頃であれば、転移してきたのは19時前後になるな」
「まてまて、その推測が正しいのなら──」
「ハンスは俺達より先に此方に転移している事になるな」
言葉が出なかった。だが、ありえる可能性でもある。
同じく森に転移したのならば、ハンスは既に移動していた事になる。ではまた森に戻る必要はあるのか?
「どちらにせよ、転移場所に手懸かりがないか探る必要はある。何処へ向かっただけでも分かれば今後の方針は決まるからな」
「あ、ああ」
覇気のない返事に、ウルベルトは危惧した。
ここは未知の場所。ユグドラシルであったとしても、どの程度のレベルで、どんな種類のモンスターが出るか不明な地で途方に暮れるなど愚か者のすることだ。
今、この場には戦士職の武人建御雷と、魔法職のウルベルトしかいない。
ギルドの、アインズ・ウール・ゴウンの仲間はいないのだ。前衛がしっかりしてくれなければ後衛は、隊列は崩壊する。それに森で確認済みだが、
普段の武人建御雷であればそんなミスは犯さないだろう。しかし、今の彼は何処かおかしい。ハンスの話が出てからか?
「ハンスの事が気がかりか?」
「仲間を心配してはおかしいか?」
「そうは言ってないだろ」
「……すまん」
「いや、俺の方こそ悪い……」
その後に続く言葉がなく、二人は黙って焚き火の揺らめく火を眺めていた。
【追記】
名前の間違い、誤字を修正いたしました。