かつて、とても強い気持ちで、俺はなにかを心に誓ったことがあった。
ふとしたときに思いに駆られる。しかし、いつ、なにを誓ったのかはもう分からない。
誰かに逢うためなのか、何かを見つけるためなのか、もしかしたら夢を叶えるためなのか。ぼんやり考えながら掌を眺めた。まるでそこに回答を求めるかのように。
もちろん、いくら凝視したところで何も見つけることはできなかった。目を離すと幾ばくかの寂寥感を覚えた。
就職し、社会人として忙しい日々を送る。このまま誓いのことも忘れてしまうのだろうか。
でも、もう少しだけ。
もう少しだけ、もがく。
これは、そんなある日に唐突に訪れた、珠玉の日々の物語。
彼女いない歴=年齢の俺に彼女ができた!
別に女性に興味がなかったわけではない。好みのタイプだってちゃんとある。べ、別にいないわけではなくてつくらなかっただけだし!
しかし何となく出会いの場を避けていたのも事実だ。大学時代はよく合コンに誘われたが、結局友人への義理で一度参加した程度である。特段潔癖なつもりもないが、はしゃいでいるようなあの雰囲気に馴染めなかったのだ。
気づけば周りからは、女と喋るのが苦手なんだろうとか、美人局に引っかかって女性不信らしいとか好き放題な言われようだった。果ては男に興味があるのではと昔からの友人に真剣に聞かれる始末で、そのときはもう怒りを通り越して泣きたい気分だった。友人曰くいつだったか妙にべたべたされたことがあったようなって、そんなことあるわけないだろ。
そんな来歴からか、彼女との出会いの経緯からか、彼女ができたことを話してもまるで信じてもらえなかった。まさかとは思いますがその宮水三葉さんとはあなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうかって何だよ。林先生じゃねえか。
とは言え確かにふたりで撮った写真もなかったし(撮ろうと提案するのが恥ずかしい)、何より付き合って2ヶ月近く経っているのにからだの触れ合いがまだ無いのである。そろそろ結婚する人間も出てくる年齢になってこれでは、彼らが俺のことを信じきれないのも分かる。そんなわけで俺は決意を新たにする。
俺は今日、三葉と手をつなぐ!………やっぱ、やめ!いや、違くてっ!
俺は今日、三葉とキスをする!
…あと、できれば写真も撮る。
運命の赤い糸なんて信じていないけれど、まるでお互い紐を手繰り寄せたかのように出逢ってからおよそ2ヶ月。十年ぶりに会った友人と話すようにぎこちなかった二人だったけど、今はずいぶんとほぐれてきたように思う。特にお互いを名前で呼ぶようになってからは、すごくしっくりくるようになった。話しているうちに住んでいるのがお互い四ツ谷ということも分かった。そのため、今日は三葉が選んだ四ツ谷の和食のお店でご飯である。
店員に名前を告げると板張りの廊下を通り、簡単な個室に通される。
「瀧くん!おつかれさま~」
スマホに目を落としていた三葉がコロリと表情を変え笑いかける。この屈託のない笑顔が一日の疲れを癒してくれる。
「おつかれさま、三葉」
別に挨拶だけでいいのに、つい名前を呼んでしまう。それだけで心がふんわりと温かい気持ちになるのだ。彼女もなんだか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「とりあえずビールでいい?」
「うん、三葉は?」
「ん~、じゃあカシスオレンジで!」
三葉は甘めのお酒が好きなようだ。ほかのお酒について聞いてみたところ、日本酒はわりと好みだが、ある銘柄にトラウマがあるらしく複雑なんだとか。きっと、美味しいからって飲みすぎて気分を悪くしたのだろう。なんてお酒だったっけ。-ああ、そうだ。
「前に三葉が言ってた日本酒もいつか飲んでみたいな。えっとクチカミザケだっけ?」
その言葉を聞いた途端、三葉の顔がみるみるうちに赤くなる。
「瀧くんの、ばか!」
ええ!?
三葉はけっこうお酒を飲める。しかしこのところ分かってきたが、楽しくなると加速して飲んでしまうようだ。今日も気分よく飲んでおり、はじめの不機嫌さはどこ吹く風でハリネズミの可愛さについて語っている。ハリネズミはわりとどうでもいいのだが、瞳を輝かせて熱心に説く三葉が可愛い。そもそも不機嫌さといっても身が凍るような緊張感を伴ったものではなく、表現するなら激おこプンプン丸とでも言えばいいか。つまり、怒っている姿も可愛い。ハリネズミはツンツンしているのに可愛いとか何とか拳をぶんぶんしながら力説しているが、いやそれむしろお前のことじゃね可愛いとか思っている俺やばいだいぶ酔ってる。
ふと時計を見れば店に入ってから4時間が経っていた。三葉と過ごすと時の流れが早く感じる。そんな様子に気づいた三葉がどうしたの?と首を傾げ、伺うように手を振っている。可愛い。じゃなくて。
「いや、ちょっと強烈なハリネズミ愛に当てられてさ。-そろそろ行こうか」
店を出てからも三葉のハリネズミトークは止まらない。ちなみに愛らしさについてはいくらでも語れるようだが、生態については特に詳しくはないようだ。そんな偏った愛情にくすりと笑いながら何気なく尋ねる。
「ハリネズミはいつからハマってるの?」
「いつからだったかなあ。たしか高校の頃からやったね」
あ、方言。これが出ると気を許してくれていると感じる。あと可愛い。
そんなことを考えながら、何気なく聞いた。
「三葉って出身はどこだったっけ?」
周りが暗いため表情はよく見えないが、どことなく困ったように彼女が答える。
「んー、岐阜のほうだよ」
岐阜と聞いてあの町を思い出す。何故だか郷愁の湧くあの町を。
「そういえば昔、糸守に行ったな。隕石が落ちたあとだけど」
はっと手を口に当てて三葉が問う。
「瀧くん、糸守に、来たの…?」
「え…?来た、って。じゃあもしかして…」
「うん、わたし…糸守の出身なの」
1200年周期で太陽を公転しているティアマト彗星。そのかけらが隕石として糸守町に落下したのがおよそ9年前。2013年10月4日20時42分のことだ。町の大半がその衝撃により消失したことで自治体としての存続はできなくなり、住民は散り散りになってしまったという。今はもう取り上げられることも少ないが、当時はテレビも新聞も大騒ぎだった。
思わぬ事実に戸惑う。こういうときは何を言えばいいのだろうか。ご愁傷様です、は違うか。誰か亡くなったわけでもない。
「瀧くんは、なんで糸守に行ったの?」
胸のうちのすべてを困惑と疑問でないまぜにしたような表情で、三葉が聞く。
いつのまにか三葉の住んでいるマンションの前に着いていた。こんなに近くに住んでいたのに、どうして今まで出会わなかったのだろうと場違いなことを考える。
なぜ、なぜ俺は、糸守に行ったんだっけ…。酔いと必死に戦いながら思い出す。
しかし-。
「ごめん、それが俺にもわからないんだ。」
マンションの玄関の灯りは、三葉のなぜだか不安な表情を照らしている。
「覚えているのは…高校の頃に友達と先輩と三人で行ったこと。なぜかひとりでどこかの山に登って夜を明かしたこと。あとはラーメン食べたな、確か…高山ラーメンだったか。店の前にさるぼぼの置物があった。美味しかった。」
どうでもいいことまで言ってしまったが、やはり三葉の表情は冴えない。どこか不安を拭えていないようだ。何を怖がっているのだろう。俺ができること-。
「たぶん全然納得できないだろうけど、俺にとって糸守は特別な町なんだ。俺が行ったときは」視線が落ちてしまう。しかし、勇気を持って三葉をまっすぐ見据える。
「隕石が落ちたあとだった。だけど、見たことがないはずなのに、俺は糸守の景色に懐かしさを感じるんだ。それは日本の原風景とかってことじゃなくて、まるでそこで暮らしていたみたいな。いや、暮らしたことはないんだけど。」
支離滅裂だ。焦って所在なく手が動くが何の意味も持っていない。
「本当に変なことばかり言っててごめん。だけど、俺は三葉が糸守出身だって知って、どこか嬉しいんだ。…こんなこと言ったら失礼だよな」
ぽかんと俺を見つめる三葉の瞳からは、涙がこぼれていた。これも最近知ったことだが、三葉はわりと涙もろい。
「瀧くん」呼びかけて三葉は俺の背中に腕をまわす。
「大好き」
耳元でそう囁き、唇が重なった。
初めての口づけは、柔らかくて熱くて脳みそがとろけそうだった。俺も三葉を愛おしさのまま強く抱いた。
ふと目を開けると、胡乱げな表情をした幼女、じゃなくて高校生らしき女の子と目があってしまった。気配を察して三葉も振り返る。顔を真っ赤にして気恥かしさを感じるのも一瞬。
「お姉ちゃん、わたし、きょう、遊びに来るって、言ったよね」
仁王立ちし、腰に腕をあて、やけに迫力のこもった声で三葉を問い詰める。
って、「お姉ちゃん」ということは-。
「瀧さん、はじめまして。三葉の妹の四葉です。」
慌てて予定を確認している三葉を尻目に、俺に挨拶をした。三葉が「あれ、ホントだ。今日だ…」とひとりごちているのを見ながら「ほんと、アホなひとやなあ」と呟いてから、
「瀧さんのことは姉から聞いています。こんな人だけど姉をよろしくお願いします。」
ずいぶんしっかりした妹だな、と思いながら、初めて会ったこの少女に、どこか三葉のときと同じような懐かしさを覚えた。
なお、三葉はこのあとたっぷりと妹に絞られたらしい。
糸守のことについて、改めて三葉から聞いた。
糸守出身の人たちはしばらくあいだ一部の人間の好奇の目に晒されていたそうだ。特に隕石落下の1時間前に町を挙げての避難訓練が行われていたことが注目されていた。確かに避難訓練は一般的には昼間に実施されることが多い。それがお祭りの日時と重なっていたこと、加えて隕石落下の数時間前に変電所が爆破事件にあっていたと思われることが人々の好奇心をかきたてた。テロだとか政府の陰謀だとか、あほらしい噂ばかりだったが、とりわけ堪えたのは「糸守の住民は神社を盲信している狂信者の集まり」という言説だった。避難訓練を強権的に指示した町長が、元は地域の有力な神社の神主であることが根拠だった。だからこそそんな時間に避難訓練の支持を出しても、みんなすぐに従ったのだ、ということらしい。三葉はその神社の跡取り娘(!)だった。信仰の対象となりうる存在であり、町長の娘でもあることから、週刊誌の記者に追い回されたこともあるらしい。時にはネットの噂を信じた輩に、露骨に気味の悪いのように見られたこともあったという。
今ではそんなこともなくなったが、自らを糸守出身と明かすことが怖くなってしまったと話す三葉は、寂しさと諦めとが入り混じった疲れた表情をしていた。それが原因であのときも、自分が糸守出身だと俺に知られたことで、もしかしたら蔑むような目で見られるのではないかと思ってしまったらしい。
「だから瀧くんが、糸守が懐かしいって。わたしが糸守出身で嬉しいって言ってくれて。わたし本当に嬉しかったんやよ。」
涙ぐみ、頬を紅潮させながら笑顔で話す三葉は切なげで。
俺はこいつを一生守る。そう、誓った。
ちょっとまとまりのない文章になってしまいました。。。
2話連続で三葉を泣かせてしまったので、次はもっといちゃらぶしたラブコメっぽい話にしたいなーと思ってます。
今回をきっかけに四葉ちゃんも出したいなあ。