目を覚ますと、俺は暖かな布団に包まれていた。
「あ…朝か」
カーテンの隙間から漏れ出る青白い光を見て、俺は目覚めたことを自覚した。
「ってことは、あれは夢か…」
頭の中に残る微かな夢の断片が何度も同じ場面の再生と停止を繰り返し、俺は現実世界にいるのだと確信した。手のひらには手汗がこびりつき、寝間着のジャージは汗だらけだった。
あれからというもの、俺は時々変な夢を見続けていた。きっと電脳世界に行くっていう滅多に体験しないことをしたせいなのかもしれない。現実とは異なる世界を行き来したためか、夢を見ているとこれも現実なのではないかと考えてしまう。朝になれば忘れてしまう夢の中で俺は無駄に精神と神経をすり減らしていた。そのため朝の目覚めというのは決して心地よいものではなかった。
ひとまず安心した俺はベッドの中にラウラが潜り込んでいないかをチェックする。千冬姉の指示の下、俺の部屋の扉が特注品になってからラウラが来なくなっていたが、これまでの癖が残っており今なお無意識に確認してしまう。
そして、俺は寝汗をかいた体を洗うべくシャワールームへ足を運んだ。
「にしても、なんの夢見ていたんだっけな」
寝間着を脱ぎながら、俺は先程まで見ていた夢の断片を思い出そうとする。
いつもそうだが、どんな夢を見ていたのかは全くと言っていいほど覚えられていない。そもそもストーリー構成なんてめちゃくちゃだ。夢なんだし。始まりは唐突であり、肝心なストーリーの締めなんかあったようなものじゃない。でも、何があったのかは不思議と気になっていた。
確かさっきの夢にはラウラが出ていたっけ。立派な軍服を着て、千冬姉の口調を真似て偉そうに俺に何かを伝えようとしていた。その言っていたことは全くと言っていいほど覚えていない。たしか、”諦めろ”だかなんとかって言っていたな。そうそう俺は白式を部分展開して雪片二型を持って、見覚えのない敵と戦っていたんだ。んで、途中で応援に楯無さんが…。
あれ…?
ふと全身の汗を流していたシャワーの蛇口を閉めた。
今日って何曜日だっけ。
たしか昨日は半日授業があったから…。
ってことは!!
俺はそのままシャワールームから飛び出し、壁掛け時計を確認する。日時のわかるその時計は7時40分という表示と、日曜日であるという表示がされていた。
日曜日。つまり今日は9時から楯無さんと出かける約束の日でもあった。
あれはそう、千冬姉を怒らせた鈴が殺される夢を見ていたときだった。
「わぁぁぁ!?」
俺はその場で飛び起きた。全身が汗だくになり、着ていた服がぴったりと体にくっついていた。
鬼の形相、いや阿修羅とも言うべき恐ろしい形相をする千冬姉に怯える鈴という光景が非現実の夢であった事に一安心した俺は、嗅ぎ覚えのある場所にいることに気づいた。
白く染められた医務室は窓から光る夕日色に染められていた。空気がより一層澄んでいるこの場所に、なぜいるのか。記憶を辿るまでもなく、自然とこの状況になっている訳は寝起きの俺にもすぐに分かった。
「そっか…皆助かったか」
電脳世界。
そんな非現実空間から脱することが出来なくなった皆を俺は救い出すことが出来た。
少しだけ俺は嬉しかった。
別に自惚れているわけではないが、俺の大切な友人を、仲間を救い出すことが出来た事に満足していた。まだまだ皆には負んぶに抱っこの所があるのは重々承知している。しかし、少しでもその状態から抜け出し、皆を守る強い存在になるという自分自身の目標にまた一歩近づいたのだ。他人から見れば、その一歩が足を振り上げただけに見えていたとしても、俺はそれでも充分だった。
そして俺はふと、人の気配を感じた。
それは何気ない行動だった。近くに誰かがいる。ただ疑問に思ったことの真意を確かめるべく、俺は人のいるはずの右へと顔を向けたのだ。
…だが、この行動を俺は取るべきではなかった。
「あっ…」
「…」
そこには楯無さんがいた。
普通は再会を喜ぶ場面だったのだろう、しかし俺たちは互いに喜ぶことはできなかった。
なぜなら、彼女は着替えの途中だったのだ。
上半身には衣服をまとわず、手に上着を持っていた。夕陽に照らされ、丸みを帯びた肩や、ほっそりとした腰、そして垂れずに形を保つ豊満な胸に反射した光が俺の瞳に入ってくる。
はたしてどれくらいの時間が過ぎたのだろうか、今思ってもあの時間は長く感じる。互いに目を合わせてしばらくし、彼女は思い出したかのように素早く手に持った上着をそのまま羽織った。
すぐさま俺は布団に覆いかぶさる。というか、俺にできる最大限の行動はこれしかなかった。穴があったら入りたいのは、彼女自身だっただろうに。
そして、あの緊迫した空気の中最初に言葉を発したのは楯無さんだった。
「
布団越しに彼女の声が聞こえてくる。生徒会室で雑務をこなしている俺にちょっかいをかけている時のような、いつもの楯無さんの声だった。
「…すみません」
背中を向けながらの、ましてや顔を向けずの謝罪になんて品のかけらもなかった。いや、きっと謝罪になんてなっていなかったのかもしれない。でも、あの時の俺にできる精一杯のことだった。
そして、ふとなぜ楯無さんがこの医務室にいるのかを俺は思い出した。
彼女はIS学園に侵入した謎の集団に襲われ、怪我をしていたのだ。彼女の怪我の具合が心配になった俺はちらりと顔を彼女の方へと向けた。
「その…怪我は」
振り向くと、楯無さんは俺の目の前にいた。いや、正確には楯無さんは隣のベッドからたった数秒で俺のベッドに入り込んでいたのだ。
「ってなんで俺のベッドに入ってきているんですか!」
「んふふ♪怪我人だからよ」
楯無さんはいつもの笑みを浮かべていた。毎度俺にからかいに来る、いつもの楯無さんそのものだった。
「そういう問題ですか…」
「そういう問題よ。…一夏君がさっきしたことに比べたら」
「あー、その、俺が悪いです!完っ全に俺に非があります!本当に…」
「申し訳なく思っている?」
「思っています思っています!」
「本当に?」
「本当です!」
「ふーん…」
楯無さんはジト目で俺の顔を窺う。
彼女にはいつも迷惑をかけていた。生徒会での仕事に不慣れだったときは特に。その時も、こんな風に誘導尋問のように謝罪をしていた。そして、彼女がジト目で俺を見たときは毎度のようにすることがあった。
「なら私の言うことを聞いてくれない?」
いつもの彼女からのお願いに俺はためらいもなく、彼女のお願いを受け入れた。
「はい、実現可能な範囲であれば何でも…」
「その…ね」
楯無さんは視線を俺から外し、少しだけもじもじする。顔がほんのりと赤みを帯びているが、風邪だろうか?
「私と、二人だけでお出かけをしましょ」
朝9時前。
待ち合わせ通り、大型ショッピングセンター『レゾナンス』の最寄りの駅で楯無さんを待っていた。
改札近くの柱に寄りかかり、腕時計をチラチラ見ながら集合時間が間違っていないかを確認していた。
俺はいつぞやの時のように変装をしていた。変装と言っても度のない眼鏡をかけているだけだ。後は普段着ているような服装である。意外と眼鏡をかけるだけでぱっと見別人に見えるらしい。
あんまり自覚がないのだが、世間では俺はかなりの有名人らしい。それこそ、デビューを果たしたばかりのアイドル並みの注目が集まっているようだ。一度、7月の臨海学校のためにシャルと買い物に行った際は、普通のお店に入っただけで軽くパニックになったくらいだ。後で目立つような格好をするなと千冬姉にこっ酷く怒られた。
俺からしてみればそれほど騒ぎたてるほどか、と疑問に思っているものの皆に迷惑をかけるような事はしたくない。実際、そのような事が起きてしまっている。なので外に出かける時は渋々変装をするようにしているのだ。
長針が12時の文字から1時の文字へ移動し始めた頃。
右肩を誰かに叩かれる感覚がした。俺は無意識に右を向くと、俺のほっぺたに細い指先が食い込んだ。もはや誰がやっているのかは言うまでもない。
「おはようございます。楯無さん」
俺は何事もなかったかのようにそのまま振り向き、にやけていた楯無さんに挨拶をする。
「むう、反応がつまんない。他に何か、私に言うことがあるでしょ?」
「こんな小学校の時に流行ったようないたずらに、どう反応すれと言うんですか…」
ずっと俺のほっぺたをぷにぷにと押し続けていた彼女の手を持ち、引き剥がす。
「そうじゃなくて…」
彼女は少々、名残惜しそうに俺の手から自分の手を抜け出すと、少しだけ後ろに下がりその場でくるりと回った。
すると彼女の着ている水色のワンピースの裾が少しだけ膨らみ、見えていなかった太腿の黒いタイツがさらに露わになる。そして何かのいい匂い___俺の鼻によれば何かの花の匂い___が周囲に漂った。
「どう?この格好?」
楯無さんはいつもよりも言葉を弾ませて、俺に問いかける。
彼女の様子はこれまで一緒にいた中でダントツにはしゃいでいて、そして何より可愛らしく見えた。
「そうですね…そのなんだか新鮮に感じます」
「えー、それくらい?」
彼女は被っている、黒い小さめのハットに手を当ててむすっと頬を膨らませる。
「うんと…可愛いと思います」
「本当に?」
「本当ですって!」
彼女は俺が答える度に、少しずつ俺に詰め寄る。
「…
そして遂に俺のすぐそばまでやって来た彼女は、上目遣いで俺の顔を見つめてきた。彼女の大きな紅い瞳は、俺を見逃さなかった。素直に私を褒めて、私だけしかいないのだからと。
「そうですよ。その…大人の女性って感じで、俺は好きです」
「そ、そう…」
彼女は何かを呟くと、俺から顔を背けてぶつぶつと独り言を喋りその場で右往左往する。
「…楯無さん?」
「…!なっ何でもないわ。気にしないで」
俺の声で気が付いたのか、彼女は我に返り黒いヒールから奏でていた音を鳴り止めた。
「それじゃ、とりあえず」
そう言うと、彼女は俺の手を握り締めて強く引っ張る。
「買い物に行きましょ♪」
『いいか、一夏。女の買い物に付き合うときは覚悟しておけよ?』
それは、いつの日かの電話で話をしていた時だった。
五反田弾。俺の中学のときの友人だ。俺がIS学園に入ってからも、ちょくちょく休みの日に弾の家に遊びに行ったりする間柄である。俺がシャルと買い物をしに行くことになった、という話題をしていたときあいつはため息をついて俺にそう言ってきた。
自身の妹である蘭に買い物に付き合わされた時のことを弾は苦労の連続だったと言った。なんでも、散々な目に遭ったとかなんとか。やれ荷物持ちだの、やれ財布のお金が足りないから少し資金援助してほしいだの、やれ何時間も同じような店を見に行かないといけないだのエトセトラエトセトラ。
要は、女と行く買い物において男は楽しめないと言いたいらしい。常に主導権を握られ、召使いかの如く扱う。そんな一日だったとあいつは振り返っていた。
まあ、そんな風に愚痴を俺にこぼしている弾だが、あいつは筋金入りな蘭大好きっ子である。中学時代では、隙あらば蘭のことを自慢していたのはよく覚えている。何せ、孫を可愛がる祖父のように、弾は蘭と買い物をしているときのことを楽しそうに話していたのだから。
あれ、それって弾の祖父の厳さんと同じじゃね?まあそりゃ家族なんだし似ている部分はあるか…。
とにかく俺は、楯無さんと買い物に行くと約束をされてある程度は覚悟をしていた。あの楯無さんのことだ、何かしらの無理難題が俺に襲いかかるのだろうと前日まで心のどこかに思いを留めていた。あくまでそう思っていたのは前日までだった。
「んん!このポテト美味いですね!特にこのかかっている白いソースがなんとも…」
「でしょう?クリスタちゃんが絶対に食べなさいって念を押していたのよね」
俺は再び、白いグラスに入っているポテトを掴み、口に放り込んだ。
”ハッピーアメリカン”
近頃有名だと聞くファストフード店で俺たちは昼食を食べていた。
気づけば、時間というのはあっという間に過ぎていた。
最初は俺たちの着る新しい服を探し、互いに似合いそうな服を選んだ。こういうのにはあまり慣れていなかった俺だったが、俺の選んだ服を試着した楯無さんは満足そうに微笑み、ありがとうと言ってくれたところを見るに悪いチョイスをしてはいないようだった。そして私の奢りだと俺の反対を押し切り、全ての会計を彼女に委ねてしまった。
私を誰だと思っているの?と国家代表であると強く言っていた彼女だが、俺も今や暫定的な日本の代表候補生。服を奢るくらいの資金は持ち合わせていたが彼女は首を縦に振らなかった。こうして買い物を楽しんだ俺たちが次に向かったのはなんとゲームセンターだった。楯無さんはこういう場所には行ったことがなかったらしく、俺の腕をつかみとてもはしゃいでいた。
最初に選んだゲームはなんと、ゾンビを倒していくシューティングゲーム。本人曰く、銃の扱いは慣れているらしく宣言通り一発で全クリをしてしまった。それからはお昼まで、思う存分遊びまくったのだった。
「…楯無さんもクリスタからよく食事処の話を聞かされるのですか?」
食べていたハンバーガーを飲み込み、このお店を指定した楯無さんにクリスタのことを聞き出す。
「まあね…。あの子の
「はは…。確かに言えています」
彼女は飲んでいたシェイクから手を放し、視線を窓ガラスへと向けてどこか遠い目をする。その表情には見覚えがある。それは俺も体験させられたものでもあったからで…。
しばらくして、楯無さんはそうだ、と言い話の話題を変えた。
「そういえば彼女、最近学園で見かけないけどどこかに行っているの?」
「ああ、クリスタは確か本国に戻って専用機を受け取りに戻っているはずですよ。確か3,4日前には既に」
「なるほどねぇ。あの子のISは自爆していたし…」
楯無さんは何か思うところがあるのか、ぼんやりと外を眺めながらポテトを頬張る。俺もつられて外を見ると、空は雲に覆われていた。確か、午後には雲で覆われるって言っていたっけ。
この後の予定を聞こうと楯無さんの方を向くと、彼女は何か独り言をしゃべっていた。
「ええ…。ええ。そう…わかったわ。今すぐに向かいましょう」
「…楯無さん?」
俺の言葉に耳を傾けることなく、彼女はその場で立ち上がる。
「ごめんね、一夏君。お姉さん、急用ができちゃったの。だから、お出かけはこれまで!」
彼女は笑いながら、俺に謝る。だが、その笑顔は嘘だった。いや、作り笑いなのだ。
「…俺も行きます」
「え…?」
「何か事件とかが起きたんですよね?俺も手伝います。何だか、今の楯無さんを一人にしておけません」
俺の言葉で彼女の笑顔は消える。
今の彼女はどこか危なっかしく、放って置けないのだ。さっきもこのお店に行く途中、横断歩道で危うく車にひかれそうになっていた。その時は近くに俺がいたから助かったものの、今の楯無さんなら何が起こっても不思議ではない。
「ありがとう。そう言ってくれるのは、嬉しい。でも…」
そして、彼女は目を閉じ胸に手を当てる。
「これは、私の…いえ
「だから、ごめんね」
楯無さんはそう言い残し、俺に背を向けてお店を後にした。
「さてっと、始めましょうかね」
ISスーツ姿の楯無は、遠くの海を見据えた。
アメリカ国籍の秘匿空母。それがここから数十キロ先に停泊しているという。日本にアメリカ軍の基地は多く存在し、港にアメリカ軍の戦艦がやってくるというのは珍しい話ではない。だが、その船が
彼女のIS
「まさか、亡国機業の関係者がアメリカ軍に所属していたなんてね」
ISが登場して以降、反社会的な活動をする組織の中には軍から追い出された兵士たちがいるという噂はよく聞く。だが、実際にこのような形で知ることになったのは初めてであった。
”アメリカ軍の空母から亡国機業の幹部の個人情報を手に入れる”
それが彼女に課せられた極秘任務であった。亡国機業などの反社会的勢力に関わっているかもしれないという人物のリストは既に存在している。だが、あくまでそれは憶測。事実に基づく情報ではないのだ。
「さってと一泳ぎしましょうか」
夕陽に照らされた海を見つつ、彼女は軽くストレッチをし始めた。
「艦長、全ての準備が整いました」
「うむ、そうか」
艦長と呼ばれた白髪の男は、顎髭に手を当てて満足そうにうなずく。
「
ちなみに私は肌からがきゅうりが生えてくる難病を患うという変な夢を見ました。
怖かった(小並感)。