「それでだ、M‘s.篠ノ之。こんな遅い時間にどのような要件かな?」
私の目の前でソファに座り、湯気だったコーヒーを飲む男__クラウス・ハーゼンバインは不思議そうに私を見つめていた。
「あれー? この束さんが来ても驚かないんだ」
「あなたの神出鬼没なところには慣れていますからね。それこそ何年も見てきた訳ですし」
コーヒーカップをソーサーに置き、彼はソファからゆっくりと立ち上がった。
私は彼を、クラウスさんの事を以前から知っていた。10年近くも前から。そう、ISを開発し始めた時からだ。
大学の教授をしていた父の勧めで、私は会員なら誰でも参加できるという学会に参加した。
”研究というのは一人でやるものではない、知識のある人からのレスポンスも大事だ”。そう父に言われ、私の研究___IS
だが現実は違った。あの場にいた誰もが賛同をしてくれなかった。私のことを理解してくれなかった。それどころか、私の研究を……夢を否定された。
その時なんて言われたかは今でも思い出せない。いや、こんなことは思い出す必要もないだろう。ただ確かなのは、誰も私を対等な立場として見ていなかったことだけだった。
私の記憶にある中で初めて胆を嘗めさせられた直後の事。別室に呼ばれた私をある人物が出迎えた。それが、私と一緒にISを作り上げた人物と言っても過言ではない“先生”だった。正直言って、その時は誰にも会いたくなかった。自分の気持ちの整理がつかないまま、誰かとなんて会いたくなかったのだ。ロクでもない事を言われると思っていた私にとって、先生の第一声には耳を疑った。
『ぜひとも君の研究に協力をさせて欲しいのだが、如何かなお嬢さん?』
皺のある白髪交じりの、どこにでもいるような小綺麗な老人が何を言い出すのか。その時の私は、きっと何か失礼なことを口にしたのだろう。近くにいた先生の部下だというクラウスさんが私に怒った記憶がある。息を荒くするクラウスさんをなだめるように、落ち着かせた先生は、私の研究についての話をし始めた。
どうせ誰にも分かってくれない、そう思っていた私の研究に対して先生はあれこれと意見を言ってくれた。ISのエネルギー問題やコアの精製。更には当時まだ考えていなかった動力装置であるPICについても言及した。その時、隣で先生の話を聞いていたクラウスさんにはちんぷんかんぷんな言葉であっただろうが、私には先生の話す言葉が理解出来た。
初めてだった。私のことを分かってくれる人がいるなんて。私を誘った父でさえ、私の研究を理解してくれなかった。大学で教授をしている父が分からないならば、誰一人として私の研究を理解できる人はいない。そう思っていた私の目の前に、初めて理解者が現れたのだ。あの時程、嬉しい気持ちでいっぱいになった事はなかった。
『私にならお嬢さんの研究が理解出来る。そして、そのパワードスーツを作り上げる設備も予算も知恵も私は提供できる。どうかな、君のその有り余る才能を私に託してもらえないだろうか』
またとないチャンスだと、その時私は感じ取った。この人についていけば、前に進んでいけると。夢のままで終わらせずにできると。
『
『……ん?』
『このスーツの名前。インフィニット・ストラトス。絶対に間違えないでよね!』
私は夢のために彼らと協力をしてISの研究をし始めていくことにした。
それからの日々は毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。ドイツで研究をする先生とともにIS開発に精を出した。日本にいる私がアイデアを作り、そして先生の力を頼りに物を作製。先生の知識は私が思っていた以上に豊富で、私がISのシステムのアイデアを提案すれば、周りから『神様』と称される先生が一週間足らずでシステムを構築した。そんな先生の知識を吸収しながら時には欧州へと飛び、IS製作のための材料を視察したり、先生のいるドイツへと赴いたりした。
つまらない学校での授業も、大した面白いとも思わない行事もIS開発をしている間だけは苦痛に感じなかった。だってそれらが終われば開発に没頭出来たから。
最初は単なる空想でしかなかった。詳しいシステムも、素材もあるという前提で設計したIS。どう組みあげるか、資金はどうするか、そんな事を一切考えないでいたのだ。それがいつしか現実のものになっていったのだ。きっと先生に会わなければ作り上げられなかっただろう。今でも私はそう確信していた。
クラウスさんは、あの発表からずっと私の研究を支えてくれた人物だ。先生と私が研究を円滑に進められるように手伝ってくれた。そんな彼とも、
「そうそう、せっかくあなたがお見えになったのであれば一つ、私からMs.篠ノ之に聞きたいことがあるんだ」
彼はこげ茶の大きな机に寄りかかる。持っていたコーヒーカップを置き、両手を後ろに広げてソファの近くにいる私をじっと見つめながら。
「ここ最近……いやかれこれ数年ぐらいかな。私の知り合いに妙な現象が起きているんだ」
「ふーん。その話って束さんに関係ある話なの?」
「はは、気が早いね。まあ最後まで聞いてくれ。……その知り合いたちは私の仕事仲間でね、よく私のIS開発に協力してくれていたんだ。でも知り合いたちは今とてもではないが、仕事がままならない状態にあるんだ」
「それは大変だね〜。病気でも患ったの?」
「いいや、何の病気にもなっていないさ。健康そのものだ」
彼は目を閉じて、天井に顔を向ける。浅く深呼吸をして、何か思いふけるように間を取ってから口を開けた。
「あいつらは健康さ。どこも悪くしていないさ、
「……」
「何も覚えていないんだ。あいつらの記憶の一部分だけぽっかりと失われてしまった。全部を忘れたわけではないんだが、私たちと交わした契約や、酷い場合じゃ私の事でさえ忘れてしまっている。これじゃあ商売にならないよ」
「大変だね〜それは」
「ああ、本当に大変だよ。
彼は私の目を見て、にっこりと微笑みかけた。彼は確かに笑っていた。含みのある言葉を口にしたにもかかわらず、物柔らかな目つきであった。でも私には記憶があった。彼は人の目を見て会話はしないのだ。
「”ニューラライザー”。自由自在に記憶を操作できるあの機械、先生が残した最後の発明品を君が持っているのは知っているよ。これまでそれを使ってあいつらの記憶からあの過去を消し去っていたんだろう?」
「なーんだ知っていたのか。じゃあ束さんがここに来た理由も実は目星がついていたんじゃない、
この男はクラウス・ハーゼンバインではない。先生たちとIS研究の手を切ってから、先生の付き人をしていた彼は別のIS研究へと飛ばされていった。つまり、
あのレストランでクーちゃんを助け出した際、スコールっていう人が教えてくれた情報だ。
「おっと失礼。聞きたいことがあるのは二つあるんだった」
道化は笑顔を崩さず私へ笑いかけてきた。
あの研究を止めるべく、私はISによる襲撃を行った。結果は成功し、主犯格である先生の助手は行方知れずになった。あの攻撃を行った後だ、きっと跡形もなく姿はないだろう。そう思っていたのだ。
「なぜ君は、君を恨む人たちを殺さないんだ? 君のことだろう。人を一人や二人殺すことなど造作もない技術と力を有しているはずだ」
一瞬、私の頭の中に昔の記憶が走る。
私の、嫌いな記憶だった。
「人を殺すことなんてできないよ。ましてや、人を殺すなんて権利もない。神なんかじゃないよ、ただの人間さ」
「いいや、君はもう既に、何人もの人を殺しているよ。君の知らない所でね。君がISを発表して10年ちょっと。ISが世に出てきてから何億人もの人の人生を君は変えたんだ。いや、世界中の人々かな? 君も、私もその一人だ」
私の思い通りに良くも悪くも世界は変化した。それが決して小さな事ではないのも知っている。でもそれは私のせいではない。
「へぇ。そうなんだー。まあ、ISだけで人生が狂わされたっていうなら、それは違うね。そんなことで狂わされた方に問題があると思うよ。生活は変わっていくんだ。その変化に適応できなかったら生きていけなくなるのは、生物として失敗作だったっていうことだよ」
「弱肉強食。なるほど、世の中の構図だから私は悪くないってかい? さすがはISの生みの親。考え方が違うね。それとも、
まるで他人事のように、道化は言う。自分は関係ない、被害者だ、と言わんばかりに。
「人は殺せない。だけど、邪魔なものは排除する。だから君は、先生の遺した機械を使って私の知り合いたちを襲っていったんだね。行っているのは、自分に従わないものの浄化で、独裁者そのもの。君は、ただ世界を自分のものだと勘違いしているだけだ」
「独裁者だなんて言い方がきついなぁ~。違う違う。彼らに元の正しい生活に戻ってほしいだけだよ」
「戻ってほしい……?」
「そう、そもそもISには女性しか乗れない。それが世界の理であり、絶対の条件。それが私の作り出したISのコンセプトなんだ。他人が勝手にあれこれと手を加えていいものじゃないし、そんな歪んだ考えをなくそうとしただけ」
ISには女性しか乗らない。それは私が決めた決まりであり、変えることのできないこと。でもそれが、いつしか壊さなければならないもの、邪魔なものだという障害という存在になってしまった。
「ISの男性操縦者。唯一無二で、オンリーワンな存在はいっくんで十分なんだよ。男性操縦者を生み出すだなんて、他人があれこれと、私利私欲に塗れた手でISに触ってほしくないだけだよー」
「……なるほど。それが君の行う行為の理由ですか」
実にあなたらしい。
まるで私のことを知っているかのように男は理解した。私のことなんか知らないくせに。
「自分の思う考え以外を排除しようとするその行為、実にMs.束らしい。面白いですね」
男はケタケタと笑いながらわざとらしそうに言う。微かに助手の姿がちらつく。机に置いていたコーヒーカップを口に運ぶと、豪快に全てを飲み干した。
「私は君を否定しません。君が私の記憶をいじる、その運命は変えられないとは知っていた。ただ、私でなくなる前に、これだけは言わせてくれ」
道化は、コーヒーカップを元の位置に戻すと、地面に伏した。模様のある、塵一つない絨毯にそいつは首を垂れた。
「君はさっき、”ただの人間”だと言った。だが、君はそうでない。それは知っているはずだよ。Ms.束。どうか自分を卑下に思わないでほしい」
「……束さんは人だよ。神様でも何でもない」
だが、道化は否定した。
「いいや違う。君は、いや君たちは選ばれた人種なんだ。誇りに思っていただきたい。何せ初めての、ISに選ばれた