「あ、あれ?どうしたの?」
沙月は予想外の先客に目を丸くした。事前に知らされていなかったし、それよりも来ていた人物に驚いていた。
いつもはおじょしさまの準備に不参加のために一足先に帰っていた海遥がいったい何をやっていたのかなんてわからなかったが、こうも突然目の前に現れると思いの外ビックリするものだ。
でもその場に海遥だけではなく彼の父親もいることを考えれば、案外その理由がわかった。
「明日退院なんでしょ?僕は宮司でもあり果那ノ海の村長的なポジションだから、様子を見に来てるんだよ」
和洋はこちらに顔を向けて優しく笑った。昔からのなじみだから父親も昔から見てきたが、この普段感じる優しさは相変わらずのものだった。
寄っかかっていた海遥がこちらに歩いてきた。病室なので大した距離はなく、あっという間に近づいた海遥は沙月に手を伸ばす。
「!?」
「いや、その持ってるやつに入れるから」
自然とドキッとしてしまった。海遥の視線の先には今日のためにと持ってきた着替えを入れる袋。看護師さんかがもう既に家に持ち帰る分を、一回り小さい袋にまとめてくれていたようだ。それを海遥が沙月から受け取った袋に入れた。
「え、なんでこれに入れるって知ってるの?」
「さっきまでいた看護師さんが言ってた。今日持って帰るからって」
そうだったのか。まるで海遥が何でも知っているようで少し驚いたが、それなら納得いった。なおさらビクついた自分が恥ずかしくなってきた。
「今日までお見舞いありがとうね、沙月」
「ううん、当然だよ」
沙月は首を横に振る。入院したときは心配でどうにかなってしまいそうだったけれど、今はもう安心だ。明日退院できる。またおばあちゃんと家で生活できるのだ。
「おばあちゃんが元気になってくれるなら、私は嬉しい」
沙月の笑顔を見て、おばあちゃんも笑う。
「そうかい、そう言ってくれるとおばあちゃんも嬉しいよ。今日も色々お話ししたいところだけど、明日の楽しみにでもしとくよ。日が暮れるし、今日はお帰り」
窓から窺える空はもう茜色に染まっていた。どこか心が落ち着くような光は病室にまで届いている。
「うん、わかった。明日は家族みんなで来るからね」
そう言って手を振りながら沙月は荷物を持って病室を後にする。海遥と和洋も退出した。
陸と海の境界線をくぐる。なんてことないことだけれど、今日は何だか違う感覚を肌が覚えた。夕日で染められた海の中もそれは美しい。
和洋は用事があるとのことで途中で分かれる。残った2人でいつも使っている集合場所のところを目指して泳ぐ。そういえば、この2人で帰ることなんて初めてかもしれない。
体勢を変えて、地面に着地する。いつもはここで方向が分かれる。
「んじゃ、また明日」
海遥はこちらを振り返って手を振る。それに答えて手を振り返すのが常だろう。
けれど。
「ねぇ、海遥」
返したのは、言葉だった。勿論腕の振り方を忘れたとかそんなトンチンカンな理由じゃない。無意識というか、そう自分が勝手に声を出したのかもしれない。
「ん、どうした?」
手を下ろして海遥はこちらの用件を待つ。下ろした反対側の手を七分丈のズボンのポケットに入れている。上は黒のポロシャツ。なんだか海遥の私服姿を見るのは久しぶりな気がする。
「……ううん。何でもない」
今はその時じゃない気がしてきた。わかっている。わかっているからこそ、今は違うんだ。
「んだよ。今日は何か変だぞ。変なモンでも食ったか?」
「もう、違うってば-」
海遥は期待外れの回答に少し呆れながらも、笑って沙月に冗談をふっかける。そのニヤッとした表情さえも久しぶりだ。陸では決して見たことがない。変に懐かしさが浮き出る。
海遥はまた手を振って帰って行く。沙月も手を振って自分の家へと目指そうとしたときだった。
「なぁ」
海遥は立ち止まっていて首だけこちらを見ていた。
「何か迷ってんだったらさ、誰かを頼ってもいいんだぜ」
「……ご心配なく」
ここはあえて振り返らずに海遥に聞こえる位の声で返した。持ってきた袋を後ろに回して両手で持つ。気持ち少し早歩きで立ち去った。
さっきのでまたもや少しドキッとしてしまった。やはり何もかも知っているように感じた。
昔から海遥はみんなを見てきて、私でも気づかないことにも気づいていた。何か心配事があっても、解決出来るようなアドバイスももらった記憶がある。
いつでも頼れる。頼ってしまっていた。そしてそれは時に甘えにもなっていたんだ。自分を、少しでも見てほしいなんて思ってたりしていた。あの時のような、笑顔で。
小さい頃はただ頼れる凄い存在だったのが、いつしかそれは違うのだと気づいた。自分がどうもしていないのにそれは膨らむばかりだった。
今ではもう確信している。そうであるほかに、いったい何が当てはまるだろうか。
私は、海遥が好きだ。幼なじみとしての好きよりも。
それから、順調におじょしさまの制作が進んでいった。あの時は変な方向に話が行ったが、特にみんなは気にしている風でもなくいつも通りの賑やかなムードだった。
主に男子組がふざけていたが、そのうち彼らも集中して取り組んでいた。みんな協力して何かを作り上げるその様は誰が見ても清々しいことだろう。
その頑張りのおかげで、6月の第4週にはおじょしさまの形がもう見えていた。
「サマになってきたな」
「だな」
と、一樹と航大は腕を組みながらまじまじと見る。まだ完成ではないものの、今まで頑張って作り上げてきたのが目に見えるとなんだか嬉しくなってくる。
「よし、今日は片付けて撤収するぞー」
パンパンと手を叩いて大塚が指示を出す。みんなそれぞれ使った道具等を片付けたり、掃除ロッカーからほうきとちりとりを出す。
この一体感でてきぱき掃除をこなす姿を見て、普段の教室掃除とかの方も頑張ってもらえないかなぁと思う大塚がいた。
掃除も終わり、1カ所の机に置いておいた各自の荷物を持って退出する。誰もいないことを確認して美術室の部屋をしめる。
帰って行く生徒に「気をつけて帰れよー」と声をかけて職員室に戻る。鍵を指で回しながら歩いていると、フフッと笑った。
「でも、こういう風にみんな頑張ってる姿を見るのもいいねぇ」
今日の大塚は変に上機嫌だったとか、何かいいことでもあったとか、もしかしたら女でもできたか、などなど職員室で噂になったのはまた別の話。
「6月終わる頃には完成できそうだな」
帰り道でもこの話題は尽きない。航大は腕を頭の後ろで組みながら歩く。
「そうだね。塗装も明後日くらいには入れそうだし」
澄澪ももう既にワクワクしていた。頭の中では祭でおじょしさまが船の上で堂々と立っている姿を想像しているようだ。
「ホントね。でもここまでスピーディーに来れたのは大生君のおかげかもね。ノコギリの使い方もそうだし、おじょしさまの組み立てとか服装とか色々率先して教えてくれたし」
沙月の発言に納得と言わんばかりに皆頷いた。大生の父も仕事の都合であまり来られていないが、大生自身が代わりに指導側にたって作業をしていた。これには大塚や阿波も頼りになると評価していたほどだ。
「大生君って、凄いね。本当に」
澄澪は半分呟きのように言って笑う。そして若干顔を隠すように下を向く様子を洋斗は見ていた。
「なぁ、マツシゲ寄ってかね?何だか腹減ってさ」
「こうちゃんってば、あんなに給食おかわりしてたのに?」
航大の提案に澄澪は先程とは違う風に笑いながらも、彼女は賛成のようだ。2人も言わずもがな。
4人は途中の道を曲がって町の方へと歩いて行く。
時間は大してかからず、角を曲がるとスーパー・マツシゲの店が見えてくる。まだこの時間帯はやっているはずだ。
「今週くらいは汐帆ちゃん、いるって言ってた気がするんだよなぁ」
徐々に見えてくる入り口を見ながら航大は頭を軽くかく。店内を入り口から見てみるが、探している人物の姿を確認することはできない。
「てか誰もいなくね」
「いないね」
「裏にでもいるのかな?」
沙月は一回外に出て、店の横とブロック塀の間を見てみる。そこには一見して大した物はないが、突き当たりから人の気配がした。
壁から頭だけ出して覗いている風に見える沙月。それから察したのか、航大もゆっくりとを見ながら抑えめの声で喋る。
「誰かいるのか」
「わからないけど、話し声は聞こえる」
2人の様子に気づいて残りの2人も覗いてみる。まわりには通行人もなく、車も通らない。ドンチャカ音を立てているような店などもっとないので、静かだ。それ故に奥で誰かが話しているのがわかった。
「行ってみる」
航大は忍者さながらの忍び足で奥へと進む。それに澄澪たちも続く。途中にあるビール瓶ケースを蹴飛ばさないように注意を払う。
突き当たり亜まで来た。航大が見る前に、後ろから来る3人に掌を出してストップの合図を出す。
それを読み取って3人はその場に立ち止まる。
航大は慎重に角から顔を出してみる。そこにいた者は……。
「ねぇ、汐帆。明後日は空いてるよね?」
「もちろんだよ」
「じゃあお店終わったらさ、近くの駐車場に来てよ。あの場所に車止めて待ってるから」
1人はこの4人が知っている人物。汐帆で間違いない。そして汐帆と話している相手が問題だった。後ろ姿で顔は確認できないが、男性なのはわかる。身長は汐帆より少し高い位で、髪はさらさらしていて少し短い。
角を曲がったらある程度広い場所になっていた。ブロック塀は途中で切れ、裏の道がそこから見える。そこにその男性のものらしき車が止めてある。4人乗りの白色である。
話が終わったようで、男性は汐帆に手を振りながら車に乗る。その時に見えた男性の顔は、いわば草食系のようで細目だった。
汐帆が手を振りながら見送る。その姿を航大の後ろから皆が見つめる。その目線は驚き一色だった。昔の頃から世話になった汐帆が陸で男とデキていたとは……。
「何してんの」
「「「うわあああああ!!!」」」
目の前の出来事に気を取られていたため、不意に後ろから声をかけられてビックリしてしまった。洋斗を除く3人から裏返った声で悲鳴がでた。
声の主は一樹だった。彼も学校の帰りに寄ったのだろうか、制服姿のままだ。ということは帰りがけに食材を買ってこいと親に頼まれて……。
待て待て、今はそれについて考える場合ではない。今さっきまで汐帆が男と秘密の会話をしていた。そのあと男は車で帰って、汐帆が見送っていた。今その真っ最中。その一部始終を隠れて見ていた。
つまり今ので叫んでしまったということは……。
一同が改めて店裏を方へ視線を向けると、汐帆が顔を真っ赤に染めて大きく目を見開いていた。
「……あ、ははは。ごめんなさい、見てました」
もうこうなったら観念するしかない。こんな顔をされてしまってはどう言っていいかわからず、謝りながら航大たちがゾロゾロと出てくる。
「な、なんかワリィな」
一樹は4人とは別のことで謝る。奥の方でジッと固まって何かを見ていたら、それが何なのか気になるのが人間なのだ。だが、それが彼らの努力を水の泡にしてしまうなんてわかるわけもなく。4人は特に一樹を咎めなかった。
「ど、どこから……見てたの?」
汐帆は自分自身を抱きしめるように腕をまわしていた。頬は未だ赤く、目線はチラチラと向くが基本逸らしていた。
「えっと……さっきの男の人と会う約束……してたところ、かな?」
澄澪が申し訳なさそうに答える。なんとか笑顔を作ろうとしているが、罪悪感でうまくいっていない。
そう聞くや否や、汐帆はこちらに近づいてきた。目線はしっかりと彼らに向いていた。
盗み聞きしていたことに対するお叱りを受けるのかと思い、航大は目をギュッと閉じた。
しかし、汐帆が近づいてくる足音が止まっても何も起こらない。不思議に思って目を開けると、そこには頭を下げている汐帆の姿があった。ぶたれるのかと思っていた航大たちにはまた違う衝撃を受けた。
どう声をかけていいかわからず、戸惑っているところにやっと汐帆が口を開く。
「……どうか、お願いだからこのことは黙っていてください。お願いします!」
これまた衝撃を受けた。全くもってどういう訳なのかわからずに余計戸惑った。
「このことって……汐帆ちゃんがさっきの人と付き合ってること、ですか?」
やっとの事で沙月が絞り出すようにして言う。その確認に汐帆はゆっくり顔を上げて頷く。表情は頬の赤さはまだあるものの、恥ずかしさの様なものから真剣さに変わっていた。
「どうして……」
「どうしても!お願いだから、とにかく……」
航大の疑問を強引に押し込むように汐帆が声のボリュームを上げた。ここまでムキになる姿を4人は見たことがなかった。余計に疑問が残る。
きっと、どこかで彼女は高をくくっていた。この状況においても、彼らをまだ小学生の時のような、無邪気な頃のままだと。だからお願いすれば通せると思っていた。
けれど、もう違う。彼らは成長している。少しずつだけれど、一歩一歩前へと進んでいる。身体も、知識も。
「いつまでもお願いすれば守るって思ってるの?」
皆の視線が集まる。口を開いたのは洋斗だった。
「今会っていたのは、陸の人間だよね」
洋斗の確認の言葉に航大たちには理解が出来なかったが、汐帆の表情がみるみる驚きへと変わっていった。
「洋斗、何言って……」
「お前ら、知らないのか」
困惑のままの航大たちに洋斗は少しため息をつく。汐帆はいつの間にかまた視線を逸らしていた。一樹は、少なくとも洋斗が知っていることは汐帆の他に、この場にはいないと瞬時に悟った。
目を合わせない汐帆を洋斗は一回深呼吸してから見る。その目は明らかな敵視。隠そうとしていた罪を目の前に突き出すかのようだった。
「海の人間が陸の人間と結ばれると、果那ノ海から追放されるんだ」
「「えっ」」
航大と一樹の声が重なる。澄澪は目を大きく見開き、口を手で押さえていた。
衝撃だった。海の3人と一樹は知らなかった。知る機会すらなかったのだ。汐帆は手をギュッと握っている。
「汐帆ちゃんは、このことを知ってるよね。まさかそうならないと思って、付き合ってるの?」
洋斗の言葉はいつもとはかけ離れた、一種の怒りにさえ聞こえた。