「ねぇ、何か言ってよ」
洋斗はまるで取調室で被疑者から情報を聞き出す検察官のようだった。汐帆は未だ口を閉ざしたまま俯いている。洋斗の追及から逃れるような、怯えている様子だった。
「もしあの人と結婚したいなんて思ってたらさ、いやでも明かさなきゃいけないんだよ、このことは。それに、途中でバレる可能性だってある」
洋斗は続ける。目線はそのまま、汐帆に向けたまま動かさない。航大たちは2人を見たまま、どうすることも出来ずにただ聞いていた。
洋斗のいうことは何も間違っていない。陸の人と付き合っていることを隠し続けても、結婚するとなればどうやっても双方の家族が対面する。その前でも、その時でも自己紹介でもすれば浮き上がってくるだろう。そうなれば特に海側の家族が大反対だろう。
また、陸で仕事をしているのは何も汐帆だけではないのだ。果那ノ海の中だけで村人全員が働けるわけではない。だから陸に上がって久里ノ上で仕事をする。そして終わったら果那ノ海に戻る。その時に汐帆が陸の男性と変に親しくしている姿でも見られたら、それこそ疑われるだけだ。
「思いを寄せる人物が陸の人間で、それが家族や村の人に知られて、それでも男の方を取るのか?あんたは二度とこの海に帰れなくてもいいのか!?」
「わかってるよ!!」
洋斗の言葉はより力強く放たれた。普段は何を見ているのかわからないような、ボーッとしている目からさえも警告を思わせる。彼から発する最大の警告。それは汐帆のためを思ってのものだとはわかる。しかし、いつもとはかけ離れた様子に一樹は驚くばかりだが、相手のため以外にも何か奥底に淀めく感情が感じられた。
ちらりと横を見てみる。航大たちもあっけにとられているが、きっと自分と同じような2つの違和感を感じているのだろうと勝手に思う。そして明らかに航大は狼狽しているようにさえ見えた。
だが汐帆も黙ってはいなかった。洋斗の警告をさらに上回るように声を張り上げる。今にも潰れてしまいそうな状態を必死に耐えながら。
「わかってる、わかってるよ……。洋斗の言うとおり、いつかはわかってしまう。村の掟も勿論知ってた。絶対うちの家族は全力で私を止めるだろうね。そう考える度に
徐々に声が震えてきていた。聡太郎というのは先程の男性の名前だろう。拳も一段強く握りしめながら自分の思いを叫ぶ。
「でも、私は聡太郎君のことが好き。聡太郎君といる瞬間瞬間がとっても楽しい。ずっと話していたい。ずっと見ていたい!掟があったとしても、誰が反対しようとも、私のこの気持ちは変わらない!変わるはずがない!」
瞳が潤み、すぅっと涙が零れる。汐帆の叫びがこの場を圧倒した。一樹たちは汐帆を見ていた。いや、見ざるを得なかった。
普段は優しく元気な彼女が、ここまで本音を露わにしたのを初めて見た。それに対する衝撃も凄まじかったが、何より汐帆が発した言葉にも一樹は衝撃を感じた。心に刺さった。
海と陸とでの大きな壁。それが目の前にあったとしても、それでも自分の思いは変わらない。1人の人間を好きになる。
今まで何となくで保っていたものとは全然比べものにならなかったのだ。それで十分ハッキリしたものだなんて勝手に思っていた。けれどそれは半端なものだった。
今日初めて知った海の掟。海と陸とでは決して交わらないボーダーライン。遙か上まで伸びる壁を見上げて、僕は後ろに数歩下がってしまった。ずっと俺は禁忌を犯していたのだ、と。
だが彼女は違った。下がらなかった。ただ上を見つめて、何も迷うことなく登り始めた。それが明るい未来を映しているわけでも、誰かが整備した確かな道なわけでもないのに。
汐帆のその姿に驚き、尊敬し、そして戸惑った。その揺るぎない思いは、自分にもあるのだろうか、と。一樹はすぐ近くに立って汐帆を見つめる澄澪を横目で見る。
僕は、彼女を……。
その時、澄澪は何かを決心したように僅かに頷いた。
「……そうだよ」
小さな呟きと共に澄澪は動きだし、汐帆の前に来てから振り返った。
「汐帆ちゃんは間違ってない!人を好きになる気持ちを妨げるなんて、意地悪だ」
澄澪のしっかりと見開いた目は洋斗に向いていた。洋斗は澄澪の発言に驚きの表情を見せるも、すぐに戻す。
「俺は、汐帆ちゃんが海から追放されないためにも……」
「ひろちゃんは、汐帆ちゃんは分かれた方が良いって言いたいの?」
ここで洋斗は黙ってしまった。きっと、彼だって汐帆のためを思って簡単に2人の仲を切れるわけではない。ただ彼女の行動に不安を覚えたからなのだろう。
「私は、絶対に秘密にする。誰にも喋らない!」
振り返って、澄澪は汐帆の両手をそっと優しく握った。汐帆はまた1つ、1つ、と涙を流す。
「汐帆ちゃんは私にとっても、きっとみんなにとっても大切だから。汐帆ちゃんの好きも大切なの。だから、絶対に守るから」
「澄澪……ちゃん」
一樹からはほとんど澄澪の後ろ姿しか見えないが、その表情は笑っているんだろうなとわかる。それくらいに彼女の声はしっかりとしながらも、優しかった。
「まぁ、澄澪の言ったとおりだ。汐帆ちゃんは男のことを好きのまんまでいていい。俺らはそれをバラさない。口は堅い方だからな」
航大はいつも通りの感じでそう宣言する。腕を頭の後ろで組みながら自慢げに話す様子は、ほんの少しいつも通りを演じているようにも感じた。けれど、その時はまだ一樹は特に気にもしなかった。
沙月の方というと、まだ心配そうな様子ではあったが彼女も汐帆の見方のようだ。
「……まあ、何というか巻き込んだ形になったんだけど」
今度は申し訳なさそうに航大がこちらに視線を移す。確かにこの話は海の人間での問題。陸の人間からすると追放も何もないのだが、一樹にとってはまた違う。
彼の抱える気持ち。これの最善の回答にたどり着くための何かを得られそうな、自分でもよくわからない感覚がしていた。きっとこれは、俺の問題でもあるんだ。
「勿論言う気はないよ。ベラベラ話すようなことはしねぇよ」
航大の表情に笑顔が戻る。澄澪たちで互いに頷きあい、最後の1人に皆の視線が向く。
洋斗は皆をチラチラ見る。表情が徐々に困ったものへと崩れていく。
「……ったく、後々めんどいことになっても知らねーぞ」
どうにもできず、呆れた様子で洋斗はため息をついた。彼以外が汐帆側にまわってしまっては折れるしかないのだろう。僕は自然と苦笑いが出てきた。
「みんな……ありがとうぅ」
「おいおい、まだ店番あるんだろ?こんなんじゃお客さん入ってこねーぞ」
「そもそも私たちがお客さんだけどね」
皆の彼女に対する思い。自分自身がいかに大切に思われていたかを改めて知った。それだけで彼女の心も少しは負荷が取れたことだろう。
止めどなく流れる涙が地面に落ちて染み込んでいく。航大が少々茶化しながらも場を和ます。その光景はとてもあったかいものだと、一樹はそう思った。
今日は簡単に眠ることができないだろうと、そう直感した。
一樹はベッドに寝そべりながら天井を見つめる。自分の部屋を持ってからずっと変わらない光景。木目が変則的に刻まれた天井はいつ見ても同じものだ。
今日は色々なことがあった。印象と言うよりやはり衝撃的と言った方が正しいだろうその出来事を振り返ってみる。
海の人間が陸の人間と結ばれると、海から追放される。結婚というとめでたいイメージがあるが、どうやらこのパターンだと喜ばれないようだ。その理由はわからない。洋斗はその理由には触れていなかったのでわかる手立てもない。
ともかくこれは嘘ではない、正真正銘の掟だ。破ってはいけない。となると、汐帆さんはあの聡太郎という人物と結婚したら海ではなく陸で生活する……のは普通か。なら、今後もう二度と家族とは海で会えない。陸では会えるのだろうか。会えないのだとしたら、孫の見せられないと言うことになる。何だか悲しい気持ちに襲われて一樹は目を閉じる。
そして、頭は勝手に連想し始める。
もし、俺が吉野川さんと付き合えて、行く行くは結婚して……。その時は家族の反対を押し切っても陸に来てくれたら……。
「って、何考えてんだよ-!!」
自分の勝手なる想像に途中で恥ずかしくなって一樹はゴロゴロとベッドを転がる。縁から落ちそうになってやっと止まる。
けれど、可能性は無くはないのだ。人間が生きている限り、ゼロパーセントではないのだ。
「でも、もし仮に海を離れてまで結婚する、いや、そもそも陸の俺と付き合うって言ってくれたなら……」
やはり嬉しいに決まっている。それに関しては海も陸も関係ないのだが、やはり今の自分が好きって思っている人からそう言われたら嬉しい他ない。
……好き、か。そう暗い部屋の中にポツリと呟いてみる。
『でも、私は聡太郎君のことが好き』
『私のこの気持ちは変わらない!変わるはずがない!』
汐帆の叫びが頭の中に浮かび上がる。空洞内にいるみたいで、何度も響く。
汐帆の思いの強さに改めて凄いと思う。彼女の強さがあってこそ、掟を知りながらも今を保っているのだ。
けれど自分はどうだろうか。経験の差、人生の差。今まで生きてきて一度も聞きもしなかった海の掟。これが、今の自分に掛かって外せない重りとなっていた。
見えていなかった以前の自分にあった素直な気持ちが、今現在も1ミリも変わらずにあるだろうか。澄澪が汐帆の様に海と陸とでの境目で悩んで苦しむ姿を想像してしまった一樹自身には、既に縮小が始まっているようだ。
俺は、吉野川さんが好きだ。けれど、この"好きは"本当の"好き"なのだろうか……。
そして、何故洋斗だけが掟のことを知り、あそこまで真剣に、且つ怒りさえも滲ませていたのか。それの理由を考える前に、一樹は眠りに落ちていった。
内心、焦っていたんだ。今日のことがあまりにもイレギュラーすぎて、自分でもなんとかいつもの感じを装わなくてはいけなかった。むしろ、そうしていないと自分が保てなくなっていたのかもしれない。
「な、なぁ親父」
「ん、なんだ?」
母親は夕食の片付けをしていた。皿を一通り台所に持って行ってあって、スポンジに洗剤を付けて洗い始めている。父親は今日の夕刊を見ていた。スポーツ面を見ていて、最近の野球チームについての記事のようだ。
航大の父親はいわば漁師をやっている。果那ノ海から離れた場所で漁業をして、年々漁獲量が減っている種に関しては稚魚から育ててもいるようだ。
そんな父に航大は恐る恐る聞いてみた。
「海の人と陸の人が結婚したらさ、ここから追い出されるの?」
「ああ、そうだが。……どうしてそれを?」
「え!?い、いや……今日洋斗がこれ知ってるみたいな感じで話してたからさ」
おそらく航大の父もこれについては話したことがないのだろう。教えたことのない知識の出所を知りたくなるのは当然だ。
航大はしまったとばかりに焦るが、なんとかそれっぽい出来事でその場を過ごした。まぁ、あながち間違ってはいないので良いだろう。
「ほう、洋斗君は頭がいいし物知りだからなぁ。……そうだ、そういう決まりになってる」
新聞を置き、右手をあごに付けながら父親は言った。いつもとはちょっと違う雰囲気に航大はこの掟の重要さを違う角度から知る。
「俺のダチの一人も、陸の女とデキて陸に行っちまったな。もうあいつしかいねぇんだ、とかなんとか言ってさ。もうあれ以来会ってねぇけど、また飲みてぇなぁ」
航大の父にもそういう人物がいたのは初めて知った。その友人について少しモノマネみたく説明したが、やはり大切な友人だったのだろうと感じ取れた。
「結婚だから盛大に祝ってやりたかったんだけどさ、まわりは反対だの無理矢理にでも分かれさせようだのしてたよ。まだ俺も若かったからまわりに逆らえなかったけど、本当は守ってやりたかった……。結局は押し切って行ったよ」
コップに入っていた残りの茶を飲み干した。父の話を真剣に聞いていた航大は、先程よりも益々心に引っかかりを覚える。
「まあ、結婚以外にも果那ノ海を離れた連中もいたよ。ただ単に陸で生活したいとか言うやつもいたし、……あの土砂崩れから逃げるやつらもいた」
「……やめろよ、その話」
徐々に声が小さくなっていったが、航大は後半のワードを聞いた瞬間に内側にまた違ったものがザワッとしたのを感じた。不快感だ。
すまんと父は頭をかいた。
「ま、まぁ別にこんなことはいつも気にする必要は無い。お前は海の女と結ばれて、元気な孫を見せてくれたら俺は大満足だ」
「おいおい、話飛躍しすぎだよ。そこまで何も考えられてねーし。……風呂入ってくる」
そう言い残して居間から退出する。出てすぐ近くにある階段を上って二階へ上がり、左にある自室に入る。
ドアノブを握ってドアを閉めた。しんとした室内には月明かりがユラユラと照らしている。数歩歩いて勉強机の前に来て、思いっきり握り拳で叩いた。
今日は、少し期待していた。というか、それはいつもだろうとすぐに訂正した。
『今日は用事があるから早めにあがらせてもらうね』
そう言い残して彼女は立ち去った。その用事とは概ねそうだろうなと思っていた。
あるときから、知らないうちに目で追っていた。自分でもわからなかった。生まれて初めての感覚に戸惑った。そのうちに話すだけで少し嬉しく感じた。やっと陸のみんなと打ち解けていたので、話す機会も最初の頃よりもぐーんと増えた。それに、これに気づいてからだったので少ないが、下の名前で呼ぶこともあった。全くもって訳のわからない位に口がモゴモゴしたのを覚えている。
改めて自分が元気なイメージを持っていて良かったと思っている。でなきゃ、雰囲気的に呼べなかった気がするから。
それから、あの店に寄ることもなんだかんだで増えた。もしかしたら、なんて思って。親にお使いを頼まれても断らずに行くようになった。母は大人になったねぇなどと関心していたので、それはそれで良かった。
おじょしさま作りが始まってからはより一緒に行動するようになった。澄澪たちと一緒に笑いながら話している姿をチラチラ見ていた。できたら、あんな風に楽しく話せたら……なんて俺に似合わないことを思ってもみたり。
今日の出来事は衝撃的だった。掟があったなんて考えたこともなかった。海と陸では、胞衣があるかないかとか、そんなことしか頭になかったのだ。そんな自分に苛立ちさえ覚えた。
海の人と陸の人とが結ばれたら、海から追放される。なんとも物騒なワードだ。
もし俺が、決心したら……
確かに、今日は給食をおかわりしたが、それでも何か買って家で食えば何の問題もなかった。だから行った。もしかしたら、今日も働いている姿が見れるかもしれないって。
汐帆ちゃんは今日もいる、なんて適当なことを言ってさ。きっと他の三人は知らないはずなのに、目的がわかってしまわないようにカモフラージュした。
結局いなかったが、その代わりにあんな話を聞かされてしまった。でも、ここで色々と考え直してみたら、なんだかんだ汐帆ちゃんみたいにきっとこれは変わらないんだと思う。だってそうさ。どういう感じの服着たら好印象を持ってくれるとか、どういう接し方の方が好まれるとか、さらにはどう言ったら親を説得できるかなんてことも考え始めていた。
俺は、里実が好きだ。たとえ、掟のことを知っても、今の気持ちは変わっていないのだから。
前回に引き続き、話をかなり進展させました
多分今までの話から何となくわかるようにはしてるんですけどねw