「海遥っ!どうした!?」
航大は慌てて自分の幼なじみの元に駆け寄る。突然様子がおかしくなり、ついには崩れ落ちて嘔吐し始めた。吐瀉物は無く、何回か嗚咽だけ出る。体は震えているようで、駆け寄ったはいいがどうすれば良いかわからないかった。こちらもパニックである。
澄澪は小さく悲鳴を上げ、沙月は駆け寄って背中をさすっている。が、彼女の表情からも驚きと困惑が見て取れる。
こちらの騒ぎに気づき、前方を歩いていた一樹たちが気づいてこちらに近づいてきたとき、海遥は震えながらも立ち上がった。
そして、海へと飛び込んだ。
「おい、海遥!」
航大が手を伸ばしたが、指先が服に掠った程度だった。すぐに続こうとして航大は手すりを掴んだが、
「航大は先にこれを片づけてろ!俺が見に行く」
それよりも早く身を乗り出したのは洋斗だった。こういう状況だからか、あの洋斗がやけに頼もしく感じた。
航大が何か言おうとして口を開けようとしたが、それを待たずに洋斗は海へ飛び込む。
その部分が揺れ、幾重にも波紋が重なり、泡が小さく出ては消える。そんな海を呆然と眺めている航大たちのところに一樹たちが集まる。
「お。おい。いったいどうしたんだ?」
その場にいた3人は皆、海の方を見て固まっていた。澄澪は口を押さえたまま、航大と沙月は口を開けたままの状態。
「なぁ、海遥が飛び込んで、その後に洋斗が続いて行ったけど……何があったんだ?」
大生が一樹の言葉に重ねるように彼らに問いかける。そして航大がやっとこちらを振り返った。
「え、いや……何か急に気分悪くなったんだってさ」
そう言う航大だったが、表情がどこか無理に作ったようなものに感じる。
「そ、そうなのか?」
「そうそう。で、洋斗が一緒について行ったんだ」
目には見えない違和感を持つ一樹だったが、航大は依然としてそのまま気にしないでくれと言わんばかりの態度を示す。
「大丈夫、これ持って行ったら俺らも様子を見に行くからさ。みんなは気にしないでくれ」
その言葉に若干の疑問は出ていたものの、皆はそれぞれのリアカーに戻って再出発する。それに航大たちも参加する。
「こうちゃん……」
一気に3人に減ってしまった。けれどモノは大した重さではないので3人でも問題なかった。リアカーの左横について押す澄澪が不安そうな声で航大を呼ぶ。
「大丈夫……だ」
最早それは自分に言い聞かせてもいるようだった。
引き金は、アレしか考えられない……。
倉庫はここからもう見えていた。全体的にさび付いたような赤茶色の壁に、同じ色の平べったい屋根。昔ここで漁船の乗り場だったと聞いたことがある。
彼らが到着する頃には倉庫の前に大塚の乗っていたトラックが止められていた。荷台にはおじょしさまが無くなっていたので、もう中に入れているのだろう。
「おい、来たな。こっちだ」
案の定、倉庫の大きな入り口から大塚が顔を出す。それを確認すると、生徒たちはリアカーからそれぞれの荷物をおろして運ぶ。倉庫の中は電気が無いため薄暗い。入って奥のあたりに置かれたおじょしさまが不気味に見えてくる。
「あれ、蔵本と二軒屋は?」
「え、あ、海遥が体調不良で。洋斗が付き添って行きました」
「え、大丈夫なのか?」
学校から出発したときにいた人物2人が消えていたのだから、大塚でも気づいた。その理由を航大は先程と同じように説明する。その姿を一樹はやはり何か変だと感じながら見ていた。
「……やっぱ気になるか?」
大生が話しかけてくる。彼の表情は相変わらずだが、でもやはりただの体調不良なのだとは思っていない様子だ。
「まぁ、何か引っかかるな、とは感じるけど。でも体調不良なのかなって」
「この季節だし、感染症も考えにくいし。それに出発前までそんな気分悪そうには見えなかった」
それを無理して我慢していた、と言いかけるが止める。それならそもそもこれに参加する必要は無い。家に帰って安静にするのが適当だ。それに、自分は気分が悪いからこれに参加できないんだと言えるような仲ではないのか?それも違う。そんなわけがない。
そこまで考えていたが、茉紀に手伝えと軽く蹴られてしまったので作業を再開した。その間は考えていたことは一旦頭の隅に置いておくことにした。
全て倉庫に移し終わった。これでひとまず祭前までの作業は今日で終了となった。やってみてみると案外あっという間ではあったが、こういう共同作業は楽しかったと皆口をそろえて言えるだろう。
「よし、あとは学校に戻るだけだ。俺はこれから倉庫の鍵返したりとか色々あるから、みんなでリアカーを戻しておいてくれ。場所は幹大と隆広が知ってるから」
そういうと大塚はトラックに乗って1人先に倉庫を後にした。
「航大たちは先行ってていいよ。リアカーは俺らで片付けとくからさ」
幹大が3人に言う。親指を自分に向けて、俺に任せとけと言わんばかりに胸を張る。
その気遣いに感謝して、3人はその場を離れた。自然と全員が走り出す。
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。
今ある全力で進む。足をこれでもかと上下に動かして。
どうやっても、目を閉じて念じても、あの光景が何回も再生される。もうフラッシュバックはうんざりなのに。
視界がぼやけている。少し遠くの方に果那ノ海の町並みが見えるはずなのに、ゆがんで何かわからないものに見える。目を擦ってもすぐに涙が出てくる。
歯を食いしばって一段強く足を動かそうとすると、
「海遥!」
突然自分の名前を呼ばれ、咄嗟に振り向いた。するとそこにはこちらへ向かってくる洋斗の姿があった。こちらもゆがんでくっきりとは見えないが、声で誰だがはハッキリとしている。
だが、俺は止まらなかった。止まりたくなかった。前を見てただただ進む。けれど、洋斗との差は大したものではなく、あっという間に追いつかれてしまった。
洋斗に腕を捕まれる。振り放そうとしたが、どうにも離してはくれないようだ。その時に洋斗の方を向いていたのだが、間もなく地面までの距離が縮んでいたことを忘れていた。
2人が重なるようにして地面に転がりながら着地した。
街から少し離れているこの場所周辺で稚魚を人工的に育成したりする建物や墓地などがある。2人が着いた場所はそれらもない、ただの道だった。
双方滅多に出さない本気で泳いだため、息が乱れている。上に被さった状態の洋斗が目を細めながら俺を見る。
「……海遥」
その言葉には、様々な感情が入り交じったものだと感じた。彼の表情からも同等のものに見える。
「お前……やっぱり」
「やめろよ。……大丈夫だから」
「大丈夫って、アレがか?そんなわけないだろ」
洋斗にしては珍しく声を荒らげて俺に反論する。
「やっぱりダメだったんだ。移動はあの場所を通るからって航大たちには言ったけど、海遥なら多分多分大丈夫だろうって。でも俺らは何にもわかってなかった。お前は」
「だから、もう大丈夫だって」
洋斗の発言を遮るように俺は制して、彼を手で退かした。俺は立ち上がって今度は俺が洋斗を見下ろす。洋斗の表情からは俺への心配が窺える。でも、そんな必要はないさ。
「俺のことは気にするな。お前らだけでおふねひきをやって、成功させてくれ。それに、今日はこれから用事があるから」
そう言い残して俺は進行方向へと向き直る。洋斗の視線を背中で受けながら斜め上へと泳ぎ出す。ここからなら学校の近くあたりに出られるだろうから。
「俺はこっから潜るから、2人は学校に向かって俺らの荷物を持ってから来てくれ。もしかしたらあいつ学校に行った可能性もなくはないし」
手短に、且つ早口で航大は澄澪と沙月に指示すると、いつも果那ノ海から出てくるあたりに飛び込む。その姿を横目で見ながら2人はなおも走り続ける。
学校へ着いたときには流石に息が切れていたが、それでもなんとか美術室のドアを開ける。手前に見える机の上に皆の荷物が置かれている。
「あ、あれ?」
澄澪はすぐに異変に気づいた。
「さっちゃん。みはっちゃんの荷物がないよ」
「うそ!?まさか、もう来てたってこと?」
沙月は自分らの予想よりも早く海遥が来ていたことに驚くが、そのまま立ち尽くしているわけにもいかなかった。
沙月が航大の、澄澪が洋斗の鞄をもって玄関へと走る。幸い、今日は教科書類を多く使わない科目が多かったので鞄は重くはなかった。それに、恒例の"置き勉"でさらに容量が少なかった。
校門を出て坂を下り、海を片側から見つつ歩道を走る。とは言え、2人は女子だ。ここまでよく走ってきたものだ。走るといっても早歩きほどになっている。
「どうしよう……私のせいでみはっちゃんが」
「澄澪だけのせいじゃないよ。私も……ううん。誰のせいでもないのかもしれない」
振り返らずに澄澪を励ます。いや、それは励ましなのではないかもしれないが、今現在の沙月のやれるだけの台詞だった。
やっと航大が入っていった地点に着くと、2人は一斉に飛び込む。走って火照った肌をすっと一気に水が撫でる。腕がしびれてきて、度々鞄を持つ手を変える。
程なくしていつも朝集合する場所に降り立つと、そこには航大と洋斗が座っていた。
「どうだったの?」
「洋斗が追いついたらしいけど、大丈夫の一点張りだ。止められず学校に向かったようだけど」
「うん。海遥の荷物だけ無くなってた」
それを聞いて航大はため息をつきながら手を額にやる。
「一応あたりを探したけどさ、見つかんねぇわ。家にもいなかったし」
「すまん」
「洋斗が謝ることじゃないよ」
4人に沈黙が訪れた。澄澪は俯いたまま。航大も腕を組んで黙ったまま。
海遥のあんな状態を見てしまったら、どうしようにも心配になってしまうのは当然だ。幼い頃から共に育ってきたのだから。一緒に遊んで、時にはケンカもしたけれど、それを納める役割を海遥が行うことは多々あった。
頼れる存在だからこそ、今まで慕ってきたからこそ、心配になる。
「……でもまさかねぇ、汐帆ちゃんが」
「そうよね。でも陸に上がったから、そうなっちゃうのかもねぇ」
ふと、近くで話す2人の主婦らしき女性が彼らの目にとまった。その話の中のワード、"汐帆"に皆の注目がいった。
「汐帆ちゃんに、何かあったんですか!?」
駆け寄って澄澪が2人に話しかける。突然だったので少し驚いていたが、相手が澄澪だとわかると表情はだいぶ緩まる。
「それがね、さっき聞いた話なんだけど、汐帆ちゃんが陸の男性とお付き合いしていたみたいなの」
「えっ!?」
澄澪は口を手で覆う。3人も驚きを隠せなかった。陸の男性と付き合っていたことではなく、
「それでね、今さっきあたりかしら。大人たちに連れられてウロコ様のところに行ったらしいわよ」
澄澪はさらに目を見開いた。その後すぐにその場から駆け出す。沙月が2人に礼を言って3人も走り出す。その姿を不思議そうに2人は見ていた。
道を駆ける。何人かがこちらを見ていたが、気にせず進む。階段を上って、また道を進んで。そうして見えてきたウロコ様のいる神社へと続く階段。その上からだろうか、誰か女性の声が聞こえてくる。
「この声、汐帆ちゃん!」
澄澪たちは階段を駆け上がる。先程からずっと走ってきたせいか、足全体に痛みがじんわり伝わってくる。が、それどころではない状況で痛みを気にせず進む。
階段を登りきると、神社前でまさに汐帆が大人2人に腕をがっちり挟まれている。そのまわりにも数人大人がいて汐帆を黙らせようと怒鳴っていた。
「汐帆ちゃん!」
「おい、あんたら何やってんだよ!」
走って彼らの前に出る。澄澪は両手を広げて通せんぼをしている。
「お前らには関係ない。どいてろ」
「いや、こいつらにもそろそろ教えといてやらなきゃならないだろう」
大人の一人が手で制して航大たちの前に出てくる。
「いいか、俺ら海の人間は陸のやつらと結ばれる、つまり結婚するとな、ここから追放されるっていう掟がある。だから」
「だから何だってんだよ!そんなの知ってんだよ。でも、だからこそ……」
そう言いかけたとき、航大は先程まで項垂れていた汐帆と目が合った。そして、首を左右にふった。
「……ごめんね。黙っててなんて言ってごめんね。でも、いいの」
それを聞いて航大は言葉を詰まらせた。沙月も、澄澪も、洋斗も。苦虫を噛むように表情をゆがませる。
大人たちも、汐帆に移っていた視線を航大たちに戻す。そこをどけ、というのだろう。
「でも、誰がこれを……」
「俺だよ」
苦し紛れに言った航大の言葉にあらぬ方向から返答が来た。それは、航大たちの後ろからだった。神社の戸が開かれ、その人物は出てきた。
そこには、海遥が立っていた。先程の苦しむ様子はどこかへ行ってしまっている、いつもと変わらない姿の海遥だった。