「……え?」
汐帆から出た発言が、一室を静寂へと誘った。言葉を失った皆はただただ汐帆と海遥の方を見つめるしかなかった。やっと出たといえば、ひねり出したような聡太郎の唖然とした声だけだった。
海遥は顔色が悪くなり、汐帆と目を合わせようとしない。手は強く握られて震えている。呼吸も少し荒く見えた。
「お前さん、まさか……」
目を見開き、海遥に視線を合わせたまま大生の父が立ち上がった。
「あの、2号車に乗ってたのか」
海遥に対してというより独り言のように言った大生の父は、今度は聡太郎たちの方を見た。航大と洋斗は何も言わずに下を向いている。沙月は口を手で覆い、澄澪は今にも泣きそうな目で海遥を見つめる。
「……」
部屋の外の4人も、固まっていた。窓枠に手を置いたまま、目を離すことも出来ずに立ち膝のまま室内を見ていた。ひとり大生は振り返って自身が持ってきた鞄を開ける。
「やっぱり、そうだったんだ」
「え、どういうこと?」
その呟きが解除の呪文のように、3人は大生を見る。彼の手には透明のA4ファイルがあった。そこには何かコピーした記事が数枚挟まれている。
「これは?」
「おじょしさまとか倉庫に移動させた日、帰る途中でみんなと別れたでしょ?そのあと図書館に行ってたんだ。ここらで配られている新聞は1種類だけだし、5年分くらいは置いてあったと知ってたから」
「でも、どうして」
「前々から気になってたんだ。何故海遥が他の4人と同じように行動しないのか。と言っても行き帰りは一緒だったけれど、ただそれだけの関係じゃないって航大たちの話からもわかる。それなら今回のおじょしさま制作だって参加すると思うんだ。けれど、参加はしなかった。それに普段あいつは海を見ている。休み時間とか、気づいたらそうしてるんだ。
もっとも、決定的なのは海遥がおじょしさまを移動させている途中で体調不良で帰ったこと。その時に電車が通ったんだ。もし、あいつが意図的に陸を避けているのであれば今までの行動もわかる。その原因となったのが陸で起きたのだとすれば、これしかないと思った」
ファイルから一枚取り出す。新聞をコピーした紙には見るからにして一面の記事だ。記事の上あたりには発行された日付があり、今から2年前のものだとわかる。
「見てみたら早速みつけたよ。僕は果那ノ海の住人じゃないからわからないけど、名字被りじゃなければ、そういうことだろうねって。ま、今の汐帆さんの発言で確定だ」
3人は大生の手に握られた記事を見る。目的の記事だけが大きくコピーされていて、多少荒くても読むことは容易かった。だから、
"……。この土砂崩れによってすぐ近くを走っていた電車が巻き込まれた。それに乗車していた、この区の海村である果那ノ海に住む蔵本
海遥は底なしの闇に落ちていくような不快な浮遊感を覚える。目は開いているのにもかかわらず、目の前にいる汐帆さえ見えなくなった。これはきっと追想なのだと海遥は思った。あの日々の、あの時の。
「海遥ー!ほら行くよー」
「待てって海花!」
家のドアを勢いよく開けて飛び出していった。俺の言うことも聞こえていないのだろう。俺も必死に後を追う。
今日も天気は申し分ないくらいだ。海の流れでゆがみながらも青空が遙か彼方まで広がり、雲が所々に点在している。前を走る俺の双子の姉である海花は階段を駆け下りて町へ向かう。いつものメンバーで集まる約束をしているのだ。
「おっはよー」
濃い赤のショートカットの髪を揺らしながら着いた先には4人が既に集まっていた。
「おっす」
「おはよー。みっちゃん、みはっちゃん」
「はぁっ、はぁっ……」
少し遅れて俺は集合場所に辿りつく。朝から全力疾走とはさすがに疲れる。
「海遥。もう疲れたの?はやくない?」
「お前が朝から寝坊するの服がないない言って探させたので体力持ってかれてんだよ!」
海花は自分の思った通りに行動したいタイプなのだが、色々抜けているところもある。寝ぼすけなのは航大と、いや、航大以上かもしれない。
「えへへ、ごめんごめん」
「それよか、早速探検を始めようぜ」
航大は一回り大きな声でみんなを仕切始める。最近見つけた海藻の大群の奥にちょっとした洞窟を発見していた。今日はそれの奥に行ってみようとなっているのだ。
「今日は俺が最初に来たから隊長な!次に沙月が来たから副隊長を任命する。後はただの隊員な」
「えー、私が隊長やりたい」
「副隊長って何すればいいのよー」
恒例の隊長の取り合いが始まった。大体航大か海花がやるのだが、最近は航大が先に来たからという理由で隊長をやるという強引な方法で独占していた。
「いいじゃねぇかよ。今度は俺より早く来ればいいじゃんか」
「そういうので決めないでよって言ってんの」
「ねぇ海花。副隊長譲ってあげるからさー」
「ダメなの!隊長がいい!」
こうなってしまったらきりが無い。2人の間で澄澪は交互に顔を伺っては困った顔をしている。洋斗は呆れた様子で傍観している。俺はため息をついた。
「あー、もういい加減にしろ。これじゃ探検なんてできないで日が暮れちまう。決まらないならジャンケンで決めろ」
「でもさぁ、こい……」
「ジャンケン、な?」
俺が航大の言葉にかぶせるように強く促す。渋々2人は向き合って手を握る。今度はそのジャンケンに全てをかけるような面持ちで最初の合図で手を振るった。
海藻をかき分ける。ここらはビッシリと生えていて下手するとはぐれるほどだ。そこを抜けると以前と変わらない様子の洞窟が見えた。人が二人並んでギリギリ通れるほどの入り口から少し先は既に闇が満ちている。だからこその備えで家から懐中電灯2本を持参した。
「よーし、これから我らミカミカ探検隊はこの洞窟の奥底に眠る宝を探しに行くぞ!」
「ダッセェ名前」
「センスないなぁ、海花は」
結局ジャンケンの勝敗は言わずもがな。とびっきりの笑顔で俺ら5人を仕切始める。懐中電灯の1本を握りしめながら航大に向ける。これまたいつも通り航大はふてくされた顔をしている。
「ほらそこ!ミカミカ探検隊の悪口しなーい!」
「みっちゃん隊長!わたくしは早く宝を探したいであります」
澄澪がどこのテレビ番組を見たかわからないが、右手で敬礼をしながら隊員っぽい発言をする。それに海花は頷きながら早速入り口に向かって歩き始めた。もう一つの懐中電灯は光が持ち、途中途中で壁などを照らしていた。先頭の海花は正面の闇を指すように光を当てる。地面がゴツゴツとしているのが陰でわかった。
「って!」
わかっていながらも、それに俺は蹴躓いてしまった。両手をついたものの膝を擦りむいてしまった。ジリジリと痛みがやってきて、血も出てくる。
「海遥、大丈夫?」
「ほら、ちょいと見せてみ」
心配して沙月が声をかける。所詮ただの切り傷なので大丈夫だと手を出してアピールしたが、海花が懐中電灯を膝に当てながら近寄る。洋斗に懐中電灯を持たせると、肩から提げている小さいバッグに手を突っ込む。取り出したのは絆創膏だ。
「ここらに水道があれば洗えたんだけどね。絆創膏で我慢して」
手際よく俺の膝に張っていく。その姿はどこか母さんを思わせる。やっぱり、こういう時は自分の姉なんだなと感じた。
「これでよし」
「あ、ありがとう、海花」
海花はにこりと笑うと再び探検を始めた。次は気をつけて歩く。それから数十分くらいだろうか。大きく曲がった先から外の光が見えた。それに興奮して海花が真っ先に走り出す。それにおいて行かれないように続くと、一瞬で視界が開ける。出口からは果那ノ海を一望でき、俺らは少しの間その場から動けなかった。
そしてすぐに気づいたが、すぐ近くに渦波神社が見えた。案外知っているところに出てきてしまって若干の残念さはあったが、みんなで笑い合った。
俺と海花はいつも一緒だった。航大たちとこういう風に遊んだりもしたし、家族4人で出かけることもよくあった。それはほとんどが陸だった。
陸へと上がって少し歩くと見えてくる古びた壁、所々塗装がはがれ落ちた赤い屋根。いつも使う唯一の駅である久里ノ上駅である。父さんが切符を人数分買ってくれて一人一人に手渡す。ホームへ立つと俺らはいつも揃って電車が見えないか確認していた。母さんは笑いながら危ないよ、と声をかける。
電車に乗ると決まって俺らは窓際に座る。二席が向かい合った座席が並ぶ車内には、自然と家族の会話が聞こえてくる。俺と海花はあっという間に流れてく景色を見ながら今日は何をするのだろうかとか、何を食べるのだとかを話していた。それを微笑みながら母さんと父さんは見つめる。そんな、平凡であって、幸せな家族。
隣町に着くとショッピングやレストランでの食事、時にはさらに都会に出て遊園地などにも足を運んだ。はしゃぎすぎて胞衣が乾ききってしまいそうにもなった。有名な旅館に泊まって温泉や豪華な料理を堪能もした。備え付けられた卓球台やゲームセンターで海花とひたすら勝負したのは楽しかったな。疲れてすぐに寝てしまった。
こんな生活が、笑いの絶えない日々が、あればそれでいい。
でも、それが永遠に続くことはない。それは、このときの俺は気づかなかった。
いつこの日々が終わるなんて誰にもわからないって。
それが、すぐ先にまで来ていることさえも。
それが、今から二年前。この日もいつものように家族4人で陸に上がっていた。といってもショッピングしてランチをするという、至って普通な外出だった。
「あー、おいしかった!」
「ねー!やっぱり私の目に狂いはなかったぜぃ」
大型ショッピングセンターの近くにあったレストランで食事をした。4人がけの席に来てメニューを見るやいなや海花がオムライスをチョイスした。写真には見るからにふんわりとしたオムライスにケチャップがかかり、さらにサラダとコンソメスープが付いている。俺もそれを注文した。少ししてウェイターさんが持ってきたオムライスは、メニューと何ら変わらず、とても美味しそうだった。食べてみてもほっぺたが落ちそうだった。卵もふんわりしていて、終始俺と海花はそのおいしさに唸りがながらスプーンを動かした。
「あ、ネギとほうれん草買い忘れちゃったわ」
「じゃああそこのスーパーで買っていこうか」
母さんはたまに買い忘れる癖があった。父さんは笑いながら近くのスーパーを指さす。中に入ってみると様々な食材が並んでいて、気を抜くと母さんが無駄に買ってしまいそうになった。
「お母さん。これ買っていい?」
「いいわよ。ふふ、海花はこれ好きね」
父さんが持っている買い物かごに海花はそれを入れた。この時間帯は空いているようで待たずしてレジを済ませられた。俺はレジ袋に買った物を入れるのを手伝い、スーパーを後にする。程なくして海花が先程ねだって買った物を取り出す。パッケージから引っ張り出して口に入れ、噛む。ポキッと気持ちよく折れて鳴った音。いつも海花が食べている駄菓子だ。
「海花、いつも食べてて飽きないの?」
「これ好きなんだもん!シガレットはナンバーワンだよ」
さらに噛んでシガレットを折る。音を鳴らして食べるのが上手いようだ。
歩いて行くうちにこの町の駅である魚喰駅に着く。ここらは町と同じよに整備されいて、コンクリートでできた頑丈な壁に平べったい灰色の屋根。階段の横に車いすの人のための坂もある。
また父さんに切符を買ってもらい、少しして来た電車に乗り込む。帰りの電車も空いていて、他に何組かがここより前の駅から乗ってきているようだった。
「あ、そうだ」
俺は思い出したかのように声を上げると、今日のショッピングで買った物を袋から出した。ショッピングセンターで見つけて珍しくねだって買ったもの。デザインは白くて毛がふわふわして、三角耳が2つ並んでついてる。まん丸の黒いポッチが2つ、そして黒い大きな逆三角形にへの字の口。いわゆるシロクマを思わせるかぶり物だった。しっかりとした作りで被ると頭をふわふわの毛で守られている感覚だ。高そうに見えるが、驚くほどにお安い値段だったので家族4人分買った。
「これ被るから海花、写真撮ってよ。なんか面白い写真になりそうだから」
「ははは、確かに面白そう。待ってねー」
海花は母さんに向かって手を出す。それを笑って了解とすると、バッグに手を入れてカメラを取り出す。母さんは主に俺と海花のだが、写真を撮るのが好きだった。だからいつもバッグの中にカメラを入れている。そのカメラを受け取って海花は反対側の席に移動した。そこにはだれも座っていなかったので堂々と海花は席に寄っかかる。
「よーし、お父さんも被るか」
父さんもノってきて、袋から取り出してシロクマになる。それを母さんがクスクス笑ってみていた。俺と父さんはどういうシチュエーションにするか色々悩んで動いていたが、なかなか海花がシャッターを押さない。
「……あれ、どうした?」
「んーとね、これどうすればいいんだっけ」
「あぁ、それはね」
単に海花がカメラの使い方がわからなくて困っていたようだ。いつも母さんが撮るのでやり方を忘れてしまったのだろうか。まったく、少しは覚えてくれよと内心ツッコミを入れる。
……すると。電車が突然ぐらぐら揺れ始めた。初めてのことなので俺はビックリして変な声が出た。父さんもきょろきょろ辺りを見回す。この車両に乗っている人も驚いている様子で、母さんは海花が倒れないように両肩をつかんだ。
電車はすぐに止まった。車掌さんもこれにはビックリするだろう。すぐに無線かなにかで連絡を取るだろう。そう思って俺らは待機しようとした。
その時、海花と母さんがいた方の窓が曇った。現在時刻からしてまだ日が暮れるに早いし、そもそも一瞬のことだ。そしてカメラの使い方がわかったのか、海花がシャッターを押した。カシャッと音が鳴ったのが合図のように、2人の背後の窓から
「危な」
もう、そこからは記憶が無い。強い衝撃を受けたのはなんとなく覚えているが、ハッキリとしていない。
どこが上なのか下なのかすらわからない、果てしない闇の中を彷徨っていた。声が出ることは無く、ただ歩き続ける。でもなぜか感じたんだ。心の底から家族を心配する気持ちを。
籠もっておぼろげな音が徐々に近づいてくる。それが人の声だとわかるのにはほんの少しだけ時間を有した。意識はぼんやりとはしていたが、体全体に激痛が走った。それに顔をしかめると、目の前の男性が大きな声で話しかけてくる。
「大丈夫ですか?聞こえますか?」
それにどう反応していいのかわからなかった。手を挙げることはできなかったし、声も非常に出しにくい状況だった。
「ぅ……あ」
やっとの思いで出たのがこんな乏しい声だった。その人がこれを聞き取り、俺が生きていることを他の人に伝えているようだった。そして精一杯痛みを堪えて首をまわしてみる。
絶句だった。至る所に岩が転がり、その奥にはボコボコになって折れ曲がっている電車が見えた。そのまわりに多くの人が声を掛け合いながら作業している。みんなは救助隊なのだろう。
「三十代女性、意識レベル低下!」
反対方向から女性の救助隊員の声が聞こえた。もう首が動かせず、それが誰なのかが確認できなかった。けれど、俺の頭の中には最悪のビジョンしか映っていなかった。母さんは今年で35歳だからだ。
どうやら俺は担架の上にいるようで、救助隊員が一人加わって持ち上げた。きっとこれから病院へ行くのだ。これが初救急車だ。前は救急車に1回乗ってみたいなぁ、なんて言っていたけれど、いざそうなるとそんな笑っている状況ではない。
横になった状態で周りの様子を見ていたとき、同じく担架に乗せられている人がいた。その姿を見て、俺は目を見開いた。ボロボロで血だらけだったが、その服、髪色。海花だった。
それは奇跡なのか、はたまた残酷だったのか。今考えても、どちらにもはっきりと分けられないだろう。海花と目が合ったのだ。俺は精一杯手を伸ばした。痛くて、ギシギシきしむ音がする右手を、届くはずもない海花の方に。
「あぁ、ぁぁぁ」
やはり、声は出なかった。でも、言葉にならない俺の声が聞こえたのか、海花も精一杯の力をだして口を動かした。ハッキリと聞こえなかった。まわりの音に加えて、海花自身も声を出せる状況ではなかったのだろう。
けれど、いつも一緒に暮らしてきた。沢山会話してきた。だからこそ、勝手なる俺の思い込みなのかもしれないけれど、そう言ったのだとわかった。
「海…………遥」
担架に乗せられ、首を固定するための器具が俺に付けられた。もう天井しか見ることができない。痛みが激しく、再び意識が落ちそうになる。俺は、泣きたかった。
この日の、あの瞬間が、生きている海花を見る最期の姿だった。
誰だって、言いたくないことはあるのです。それを思い出すのが辛いから。
この海遥の双子の姉である海花の存在がいたからこそ、幼少期の海っ子たちがいるわけです。だから彼らの説明で、幼少期に『5人で』遊んでいたとは書いていません。多分……