凪のあすから おもいのカケラ   作:柊羽(復帰中)

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第二十一話 孤独な答え

それから俺が目を覚ましたのは2日後のことだったようだ。頭は冴えているわけでもないので、ここがどこだかわからなかった。近くから定期的に聞こえてくる電子音。微かに感じる消毒液のにおい。白いタイルを張り巡らせたような天井。そのあたりで病院にいるのだとわかった。

 

首ですら動かせない状況で、俺は思い出した。あの時見た光景を、地獄絵図のような、あの災害現場を。そして聞いてしまった、母さんかもしれない人物の危機を。海花の、変わり果てた姿を。

 

そのうち、医者たちが来た。大体は予想がつく。俺の現状を言いに来るのだろう。そしてここでわかったが、すぐ隣の部屋に父さんがいることだった。父さんは生きていた。けれど、母さんと海花については触れなかった。

 

あの日、土砂が丁度俺らが乗っていた電車の2号車に激突。それによって車両は押し出されて横に転がった。俺と父さんは中に入ってきた土砂がさらに窓を破り、奇跡的にそこから放り出されたようだ。ある程度の遠心力をついていたし、車両内でかき回されたので即死の可能性だってあった。というかその方が大だった。けれど、俺と父さんはシロクマのかぶり物を頭に付けていた。柔らかく、それでいてしっかりと頭を覆っていた。あれがクッションとなって頭へのダメージを軽減できたのだという。そして、そうなるのであればもう言うまでも無い。最初に土砂がなだれこんだ場所に一番近いところにいて、なにも被ってもいない2人が、何事もないわけがなかったのである。

 

数日がたったある日、俺は聞いた。定期的に来る医者の顔をしっかりと見た。きっとまだ俺は幼いからもう少し黙っておくべきだろうと思っているのだ。ふざけるなよ。あれを見て、なおかつ今2人はどこにいるのか言わない時点で、わかりきったことじゃないか。

 

「……残念ながら、亡くなったよ。遺体の方はこちらで管理している。君らの状況を見計らって、葬儀を行う予定だと君のお父さんと相談させてもらった」

 

 

俺は暴れたかった。裂いて、握りつぶして、放り投げて。何もかも壊してやりたかった。でも、できない。大けがでまともに動けない身体に、俺は苛立ちを覚えた。

 

でも、毎晩のこと、あの光景がフラッシュバックした。いやに響く隊員たちの声。巻き込まれた人たちのうめき声。そして、海花の姿。聞こえない最期の声。目を閉じても無駄だった。誰かが俺を狂わせるように映像を流す。苦しかった。辛かった。あの時の痛みさえも思い出してくる。俺はただ、歯を食いしばって泣くことしかできなかった。

 

そうして一ヶ月を過ぎた頃に、俺らは退院をした。まだリハビリが残ってはいるが、なんとか歩けるようにはなっていた。事故以来帰れていなかった家に到着する。ここまで留守にすることはなかった。鍵を入れ、ドアを開けた。けれど、そこには俺と父さんを出迎えてくれる母も、海花も、誰もいなかった。静寂が、俺らを出迎えた。

 

後日、葬儀が執り行われた。母さんと海花の遺体が今目の前にある。人が何十人も入れる位の貝殻の上で、2人は永遠の眠りについている。貝殻の中には多くの珊瑚礁が2人を包み、まわりを囲むように置かれた御霊火が明るく照らす。光り輝くそれは、この場で言うのはおかしいと思うのだけれど、とても美しかった。まわりからすすり泣くのが聞こえた。中には抑えきれず、泣き崩れている人もいた。澄澪たちもいた。皆一様に泣いている。それなのに、俺は……。正直不思議な気持ちだった。あれだけうなされて涙を流していた俺だけど、このときは涙が流れなかった。まるで2人が本当にただ寝ているだけで、きっとすぐに起き出すのかと思っていたのだろうか。

 

いや、違う。でも俺にもわからない。悲しいはずなんだ。辛いはずなんだ。今だって胸の奥が締め付けられる。ふと横にいる父の顔を見た。父さんも、泣いていなかった。ただ、その目には光がなかった。

 

「慈悲深き海よ、たゆたう波よ、さざめく光よ。あらゆる命を育む海よ……」

 

ウロコ様の声が聞こえる。葬式で唱える言葉だろうか。その一定したテンポの言葉が、妙に腹立たしかった。コイツはどう思っているのか。2人が死んで、悲しいと思っているのか。下手したら、何も思っていないのだろう。結局は、海神のウロコだ。

 

そのとき、2人が眠る貝殻の側の壁に自分の顔が映っていた。そして、わかった気がした。

 

ひどい顔をしていた。やせ細ったその顔に、黒く淀んだ自分の三白眼がこちらを見つめている。まったく、ひどい顔だ。父さんとそっくりじゃないか。そう、そういうことだ。俺も、父さんも、涙は枯れ果てた。精神が削られボロボロになった身体。外面の傷は治っても、内側のそれは治らない。もう、最低まで来てしまっているのだ。これ以上下がれない。そして、なかなか上がらない。

 

葬儀も終わり、帰ることとなった。父さんはまだやることがあるようで、今回手伝ってくれている役所の方たちと話している。独りで歩き出す。すると俺の視界にはあの4人がいた。こちらをただ見つめる。澄澪と沙月はまだ泣いていた。航大も、洋斗も、俺を心配してくれているようだが、どう声をかけていいのかわからない様子だった。

 

「海遥」

 

皆とは反対の方から声をかけられる。微かに震えた声。汐帆ちゃんがいた。彼女は無理矢理に笑顔を作っている。既にぎこちない。

 

「海遥、ごめんね。辛いよね……悲しいよね」

 

「……なんで汐帆ちゃんが、謝るのさ」

 

「ごめんね……何もしてあげられなくて、ごめんね」

 

汐帆ちゃんは俺を抱きしめた。それは強く、しっかりと俺を包み込む。まだ治ってない傷が痛かった。いや、それは心の傷だったのかもしれない。汐帆ちゃんは俺を抱きしめたまま泣いた。その涙は俺の喪服に染みていく。

 

父さんから渡されていた鍵を使って家へ入る。電気をつけると、確認したポストの中に入っていた封筒を見る。こちらの住所、父さんの名前が達筆で書かれている。裏返すと、そこには果那ノ海のカメラ屋の店主の名があった。主に撮った写真の現像をやってくれる。そこからのものとなると、この封筒の中身は想像がついた。

 

十数枚の写真があった。先日、母さんが持っていたカメラが現場から見つかった。もう使えないが、なかのフィルムは全てではないが現像できるかもしれないと頼んでいたのだ。それが、この十数枚。俺と海花が一緒にアイスを食べている写真。誰かに撮ってもらった4人の写真。俺と海花が2人揃って図工で描いた絵を広げている写真。父さんがテーブルに突っ伏して寝ているところを映した写真。母さんと海花が一面花畑のところに立ってる写真。いろんな、けれど時期が飛び飛びになった写真たちをゆっくりと見ては後ろにまわす。

 

そして、最後の2枚。俺と父さんが映っていた。頭には白いものが乗っかっている。しっかりと構えてシャッターを切らなかったせいか、少しブレている。父さんは列車の後方を見ている。動揺でこわばった横顔だ。そして、正面を向いた俺。窓ガラスに土砂が見えたまさにその瞬間だろう。もう1枚は、はっきり言ってわからない。動いたものを撮ったためブレブレで、カメラ屋さんも渡すか否か迷ったことだろう。でも、送った。日付は事故当日。だから、という理由だろう。その1枚には、俺は母が映っているのだと感じた。当時の服の色に似ているし、これを持った海花を庇おうとした。その時に海花がまたシャッターを切ってしまったのだろう、と。

 

俺は写真を持ったまま立ち尽くす。目線を写真に落としたまま、動かなかった。母の最期の写真。海花のはもっと前のものになってしまう。けれど、俺の脳にあの惨劇がしっかりと焼き付いている。レンズを覗いてシャッターを切ったように。俺は、写真を封筒に戻した。

 

俺は、決めた。俺なりにみんなをまとめる役をやっているつもりだった。でもそれは海花がいたからこそだったんだ。さりげない、でも確かな自分の姉としての存在がいたからこそ、俺はいる。笑って、楽しんで、無邪気にみんなと遊べた。今はもう、いない。母さんもいない。残された父さんは、これからも変わりなく宮司を続ける。辛い思いを必死に押さえながらも。その父さんを俺は支えることができるのか。きっと、自分の思いを支えるのが精一杯で、父さんの思いまでは無理だろう。そう思っている時点でダメだ。なら、どうする。母さんがいなくても、海花がいなくても、俺はひとりで充分やっていけるところを見せつければいい。俺は大丈夫だから、父さんは自分のことだけを心配してくれ、と。それが、俺の答えだ。

 

 

それからは徹底した。何日ぶりかにみんなと会ったときはきっと、驚いただろう。海花にたまに振り回されながらも、にこにこしていた俺は、もうどこにもいなかった。事故後だから、ということと思ったのだろうけれど、今現在まで俺はあの頃の無邪気さを出したことはない。代わりに、今まで以上にみんなをサポートした。困っていることを解決に導き、時には果那ノ海に貢献などもした。

 

そして、あの土砂崩れの影響による人工減少で、久里ノ上の学校に通わざるを得なくなった。正直胸が張り裂けそうだった。あの悲劇が起きた場所に俺は上がりたくなかった。ずっと海の中にいたかった。それでも、義務教育と言うことで渋々従った。それに、みんなが楽しみにしていたのだ。澄澪なんか、ピョンピョン跳びはねて嬉しがっていた。そんな姿を見て、反対なんかできなかった。

 

俺は、この4人を守る。傷つけさせない。悲しい思いをさせない。俺は大切な存在を2人も失った。この悲しみ、辛さを超えるものはないだろう。だからみんなに同じ思いをさせたくなかった。みんなも俺には大切な存在だから、そして海花がいない今、俺しか守るやつはいないのだ。

 

あの日から、俺にとって陸は忌避たる場所になった。だから、俺は、久里ノ上を避けた。みんなからもできるだけ避けさせた。そして、汐帆ちゃんからも、避けさせようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……全部、俺のワガママなんだ」

 

俯き、未だ視線を合わさない海遥から語られた言葉で、汐帆は口を閉じた。まわりのみんなも言葉に詰まった。彼の本音には確かなる思いやりがあった。辛い現実から這い上がるように生きてきた彼だからこそ、この問題に強く反発してきた。けれど、これは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。掟を破ってでも汐帆は聡太郎と結婚するのかどうかの話であって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「どう頑張っても、思い出しちまう。久里ノ上での学校生活が始まってからも、この場に海花がいたら、もっと楽しめるのかなって。もっと陸のやつらと仲良くやっていけるのかなって!いつもちらつくんだ。もういないのはわかってても、俺には忘れられないんだ。その度に、辛くなった」

 

海遥の拳は強く握られる。

 

「そんな状態で、おじょしさま制作なんてやれるわけなかった。ただでさえ苦しい陸に、長くいたくなかった。そこでも海花のことを考えちまう。でも、澄澪たちが楽しそうで嬉しかった。この4人が笑っていられることに、俺は安心した。それこそ、俺をおふねひきに誘ってくれたときも、凄く嬉しかった。俺を必要としてくれている、俺をちゃんと仲間だと思ってくれている、それだけで充分に」

 

少しではあるが、海遥の表情が和らいだ。仲間の温かい思いを知ったからこその顔だった。

 

「……でも、俺はダメなやつだ。こうなってみないとわからなかった。俺は、こうまでしてくれる仲間に大きな迷惑をかけていた。気づかず、自分のことばかりで。何も守れていなかった。汐帆ちゃんのことだって、すべては果那ノ海のためとか言ってさ、何も話さなかった。リークすることをずっと悩んだあげく、ただ突き放しただけだった。あの時俺を抱きしめて、泣いてくれた汐帆ちゃんに、俺は何もしなかった」

 

強く握った拳はついに小刻みに震えだした。徐々に言葉も震えて、彼の瞳から一粒の涙がこぼれ落ちる。それを見た汐帆からも、涙がすうっと落ちる。

 

「たまに夢だって見る。母さんと、海花が立ってるんだ。でも、笑ってない。生きている俺を憎み、恨んでる。当然だよ。こんな俺が、どうしようもない俺が、生きていることに腹を立てるのはあたりまえだ。自己中人間だ。裏切り者だ。……ったくさ、もうどうすればいいかわかんねぇよ」

 

消えるような、寂しくて、弱い声。静寂に溶けてしまうような状態の海遥に、ある人か話しかける。

 

「そんなことないよ」

 

ふと、顔を上げる。汐帆も振り向く。全員の視線の先には、聡太郎の母がいた。

 

「海遥くん。そんなに自分を責めないで。私はね、君の辛さには遠く及ばないけれど、少しならわかるのよ」

 

「……え?」

 

聡太郎の母の、ゆったりとした優しい声に、海遥は戸惑った。

 

「私ね、見たとおり足が動かないの」

 

聡太郎の母はゆっくりと自分の両足をさする。微笑しているが、目からは寂しさが窺えた。そして、目線を海遥に戻し、こう告げた。

 

「いたのよ、あの時。2年前の、あの電車の2号車に」

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