次の日にはぬくみ雪は止んでいた。空はそれでも薄灰色の雲が一面に広がっていて、夏の日差しがどこにも見当たらない。その代わりに家々から見える景色といえば、まさに冬景色そのものだった。屋根にはぬくみ雪が積もり、庭や道路などそこら中に塗りたくったように白くなっている。朝早くから大人たちが出番が来るとは思っていなかったシャベルを倉庫から取り出して雪かき作業に追われている。子供たちは家から飛び出して雪だるま作りや雪合戦に夢中だ。足跡があちらこちらに残っている道の上に、一樹は立っていた。
「……なんじゃこりゃ」
昨日から降ったぬくみ雪について今日のニュースは持ちきりだった。なにせ久里ノ上だけでなく、日本全土で降ったのだから注目はこちらに注がれるだろう。一週間前までの気象予報によると、今年は例年よりも気温が低い傾向と言われていたのだが、特に目立った乱れも無く晴れるそうだったようだ。だがしかし、午前中は晴れていたが午後から曇り始め、ぬくみ雪が降り注がれた。結果、気象予報士総出で今後の予報を見直さなければならなかった。また予想だにしない積雪によって電車の運休や遅延等も発生し、都会などはバタバタしている。幸い今日は日曜のため、通勤ラッシュなどと重ならなかった。
この異常気象をみた一部の人間が人類の滅亡だのなんだの言い始めた。それは状況が状況なだけに案外そうなのかもしれないという不安定ながらも広まり始めている。無論、そんなのは事実無根だと国から発せられていたが、海村ではそうではなかった。
「おいおい、地上にぬくみ雪が降ったってよぉ」
「俺らはさぁ、何も海神様を怒らせるようなことはやってないぞ?」
「今年はやけに気温が上がらないし、もしかしたら……」
「ま、まさか、あの言い伝えみたいに……」
朝から青年会の小ホールに大人たちが集まって話をしている。宮司である和洋から連絡が入ったため、ここに集合しているのだ。普段ゴツいからだで働く者も、負けん気の強い者も、今日に限っては小さな声で縮こまっていた。
「やぁ、遅くなりました」
入り口の方から大きな杯を持った和洋がゆっくりと入ってくる。その杯には青白く燃え上がる御霊火がある。
「宮司様!」
「地上にぬくみ雪が降ったって……原因はわかったのですか?」
一目散に和洋の前に集まってくる。両手で杯を持つ彼のことはお構いなしに質問をふっかけてくる。彼らをなんとか落ち着かせようとしていると、
「ほらほら、騒がしいぞ。静まれ」
ウロコ様がのそのそと入ってくる。頭をかきながら小ホールの中へと進む。
「ウロコ様!」
「落ち着け言うとるじゃろ。説明するから席に着けい」
ウロコ様が床に座ると彼らもそちらに集まり、ウロコ様と向かい合うようにして正座する。和洋は杯をウロコ様の横に置いてから正座する。
「では、ウロコ様。お願いします」
「うむ。今日お主らに集まってもろうたのは他でもない。この先訪れる、禍事についてじゃ」
表情は一切変えず、部屋の奥にある掛け軸を見つめるようにして、ウロコ様は口を開いた。淡々と語る様子を大人たちは一切聞きもらさんと集中する。ウロコ様の話の意味が大体わかってくる頃には大人たち全員が恐ろしいものを見ているかのように引きつっていた。
「ほ、本当にそうなってしまうのか」
「信じられねぇ……」
「とにかく、
サクッ、サクッ、と音を鳴らしながら歩いてみる。一樹は家で特にすることはないので気分転換に散歩に出かけた。ぬくみ雪が降った影響なのか、今日は肌寒い。しょうがなくタンスから長袖長ズボンを引っ張り出して着た。
時刻は午前11時頃。あちらこちらで子供たちが遊んでいる。今日は元気な子たちは雪で遊び尽くすことだろう。中には半袖短パン小僧がちらほら窺えたので、流石だなと変に関心した。目的を決めずに出てきたのでなんとなくで道を曲がったりしてみる。すると偶然にも茉紀と会う。
「おっす、一樹」
「よお」
茉紀も気ままに散歩なのだろう。そう思う理由は容易い。彼女の首に自慢のカメラがかけられていた。
「流石カメラマン。こういうのは逃さないねぇ」
「あたりまえじゃん。こーんなに雪が降るなんてここじゃありえないし。それに雪景色も綺麗だしね」
茉紀は無邪気な笑顔を浮かべる。カメラを持ったときはいつもそうだった。普段は一樹に対してはやけにキツイというか、負けん気が強くなるというか。そんな彼女の趣味が、これである。父親がカメラマンをやっている関係で興味を持ったらしい。父親の撮ってきた写真を見て、自分もこんな綺麗な写真を撮りたいと幼き茉紀は思った。
「んで、いいの撮れたか?」
「勿論」
茉紀は一樹の隣に来て撮った写真を見せてくれた。茉紀が撮った写真一枚一枚興奮しながらポイントを語っていく。若干早口になっているため一樹は苦笑いしたが、どの写真も綺麗だった。ぬくみ雪が乗った木の枝や花などは、どこか生命の力を感じる。とある住宅地の道にある自転車もいい味が出ている。また高台に登って撮った久里ノ上全体の写真は、パンフレットとかそういったものに載せられているような、そんな綺麗なものだった。
「へぇ、いいの撮れてんじゃん」
一樹は感心しながらもっとよく見ようと茉紀の方に近づいた。それが近すぎたのか茉紀は咄嗟に少しだけ離れる。
「ま、まあな!昔っから色々撮ってるし、パパに教わってるし」
照れているのか、茉紀の頬が赤い。特にそれは気にせず一樹は相づちをうちつつ、空を仰ぐ。
「……にしてもさ、変だよなぁ」
「あー、この天気でしょ?夏に雪ってビックリだよね。テレビでも世界滅亡とか言ってたし」
「まぁ流石にいきなりそれはないだろうけどさ……。でも、なんか怖いな」
「あ……えっと、蔵本先輩、だっけ?」
一樹は小さく頷く。一面に覆われた雲。昨日、漁協を出たときに見た空と同じだ。そこから無数の小さな粒が落ちていた。その様子を見て、皆が驚いた。きっと無邪気な子供だったのなら、興奮してそこら中駆け回るのだろう。
『そんな……馬鹿な』
前代未聞の事態に一番困惑していたのは海遥だと一樹は思った。そのこわばった表情が印象に残っている。それは、まるで起こってほしくない事態が来てしまった時のような、絶望。
「胸騒ぎがするんだ。こんなの普通じゃないし、これから何かが起こるんじゃないかって」
「んー、それはわかるけどさ。考えすぎかもよ?」
「でも、でもさ……。それにあいつ、海村の宮司の息子だし、もしかしたら何か知ってたのかも」
「いやいや、ほんと一樹どうした?頭打ったか?そんなに気にするなって」
茉紀は相変わらずの調子で一樹の肩を少し強めに叩く。一樹の方はまだしっくりきてないものの、考えすぎだとは自覚している。
「……そうだな、すまん」
「いいってことサ」
まだ写真を撮っていくようで、茉紀は住宅街の奥へと向かった。その後ろ姿を見届けた後、一樹は元来た道を引き返した。そうだ、変に考えすぎだと頭の中で反芻しながら歩く。来たときの自分の足跡を潰すようにしてみる。それでも、引っかかるものは消えなかった。
それは当然だった。いや、当然というのも何かおかしいと一樹は思ったが、この状況を見てそう思わざるを得なかった。
次の日、朝のチャイムが鳴ってホームルームが始まる。先生が入ってくると手に持った日誌を教卓に無造作に置くと、あることに気づいた。
「あれ?海っ子揃って休みか。何も連絡来てねぇんだけどな」
一樹の他多数がパッと後ろを向いた。海遥たちが座っている一番後ろの席全部が空席となっていた。今まで皆が皆勤賞だった。一昨日だって、誰か具合が悪かった者はいない。でも、もしかしたら昨日隊長を崩したのだろう、と一樹は結論づけた。一向に胸騒ぎは治らないが、そう自分に言い聞かせた。
だがそれは悪性腫瘍のように、放っておけば自然と無くなるものでは無く、日に日に少しずつ大きくなっていく。次の日も来なかったのだ。5人のうち、1人も。2日連続で無断欠席には流石に大塚も疑問や不安を抱き、ホームルーム後に連絡を入れた。が、5人とも応答がなかったのである。
「……マジかよ。いったいどうしちまったんだ?」
一足先に幹大と隆広が先生に連絡した結果を聞きに行っていた。その残念で、さらに不可解な結果を一樹たちに伝えた。
「明らかに何かあったよな、これ」
「今更5人揃ってサボりとか……期末が嫌になったか?」
「それは隆広、お前だろ」
昼休みの中、席の後ろにあるスペースに集まって話し合う。とはいっても原因がなんなのかさえわからない状態で、進展するはずも無く。
と、ここで一樹は先日見た海遥の狼狽について思い出した。少しでも何かあるのではないかと引っかかっていたそれは、まさに手がかりになるのではないかと一樹は思い、皆に話した。
「ほう……。確かあれだろ、海遥って宮司の息子なんだろ?なら事情くらいは知ってそうかもな」
「でも、私たち誰も海に潜れないんだよ。海遥くんに聞こうとしてもあっちから来てもらわないと……」
「まぁ、そうなっちゃうよなぁ。誰かさ、海にいた人いねぇかなぁ」
「……あ」
海遥が何か知っていたとしても、そもそもあの5人が揃って学校に来ないところから始まっているので、結局はスタートに戻ることとなる。頭を抱え、隆広が何気なしに言った言葉のほんの数秒後、大生が何かを閃いたようだ。
「どうした、大生」
「いや、思ったんだけどさ。汐帆さんってもうこっち上がってきてんのかなーって」
「「それだ!」」
幹大と隆広が同時に食いつく。一樹もそれには一応気づいていた。先日のあの話し合いに出ていればいやでも記憶に残っているはずだからだ。しかし……。
「まだ、ダメかな」
2人の興奮した様子と対になるような、控えめな声で里実が呟く。
「……と、言いますと」
「まさか委員長……」
「うん。まだ上がってきてないの。上板さんから聞いてる。でもね、果那ノ海で手続きがあるとがどうとかって連絡をくれたの。それに、やっと上板さんと結ばれるんだもん。絶対に来るもん」
汐帆と聡太郎の話し合いに幹大と隆広は来ていなかったが、一樹と大生と里実はその場にいた。彼らの固い約束があるからこそ信じられる。
「そうだね。絶対に、だ。そして上がってきたら、今海の中で何が起こっているのかを聞こう」
大生の言葉と共に締めくくられる。彼らには共通した思い、信じる気持ちが表情から窺える。必ず現れるその存在を待つことにした。
帰り道。ここでは至ってありきたりな会話をする。茉紀も加わって一層盛り上がり、ある程度雪かきを済ました道に声が反射するよう。
一行はスーパー・マツシゲへと向かっていた。今日は里実が店当番を行うわけではない。彼女もお客としてマツシゲに入る。
「あら、おかえりなさい」
彼らに声をかけてきたのは里実の母である。肩まで伸ばした髪に、里実と似た笑顔が特徴的だ。商品の陳列作業中をしながら里実の帰宅をその笑顔で迎える。
「ただいま、お母さん」
「よっしゃ、これを夜につまむわ」
「隆広、これもオススメだぜ」
隆広と一樹が菓子コーナーに行く。いつもの夜食として隆広はポテチを買うのだ。一樹は最近ハマったというものを勧めている。
「あ、里実。さっき汐帆ちゃんから連絡があったの。明日の午前中に上がってこれるって」
「ホントに?!」
それは里実だけじゃなく、皆が喜んだ。と同時に引っかかる謎がいよいよ解かれる期待感もこみ上げてきた。
「これで海の状況がわかるぜ」
「あいつらもどうしてるかわかるな。本当にすっぽかしてるってだけのオチは止めてほしいけどね」
「……でも、そこのところは教えてくれないかもね」
彼らが盛り上がる中、里実の母が口を開く。その意味をはかりかねる一行は、里実の母を見る。
「え、どういうことですか」
「えっとね、汐帆ちゃんが上がってきたとしても、果那ノ海の状況については教えてくれないと思う。口止めされてそうだから」
先程と同じことしか言っていないため、余計に理解が追いつかない。皆が首をかしげている、里実ただ一人を除いて。
「……え。でも、お母さん。だって、もう」
里実はどうやら何かに気づいたようだ。それがしかし、彼女自身でも完全に納得は出来てない様子だった。1つの可能性が出てきても、それが完璧にハマらない、そんなもどかしさ。
「ううん。今となってはこうなってもね、一応通知は来るみたい。何せかなり大ごとだから……かな。あ、でもこれは言う必要は無いね。
その最後の言葉で皆がやっと理解した。そして里実がなぜ困惑していたのかも繋がる。まさか、こんなところにもいたとは、と一樹はそう感じた。
「みんなには言ってなかったけどね、私は海から来たの。そして陸の男性と結婚したから、里実は陸と海のハーフなの」