凪のあすから おもいのカケラ   作:柊羽(復帰中)

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第三十話 希望はその拳に

ホール内に今だ響き続ける人々の喋り声の五重奏。始ってからもう1時間以上はとっくに経過していた。これはあくまで自主解散というかたちのため、既に帰っている者も多くいた。まだ残っているのは主に大人の男性たちで、ほかに若かりし頃を語る男女もちらほらいた。彼らは酒を飲み交わし、総菜を食べ、そして話す。皆が笑って、楽しんでいる様子を見て、沙月はどうにも違和感を覚えてホール内から出た。最初はみんなに合わせて総菜を食べつつ話に参加していたが、そのうち皆の話に相づちを打つだけになっていた。そして場を離れて澄澪の方に移動した。澄澪も沙月と同じようなことを感じていたようで、いつもよりも少しだけ暗い印象を受けた。しかしそれ故に二人の会話も普段よりも乏しいものだった。澄澪の方が先に立ってほかの場所で世間話をした後、ホールから出て行ってしまった。

 

「いいの、かな。こんなに楽しんで」

 

すぐに吹き飛ばされてしまいそうな、そんな小さな声で呟く。素足が床に着く度にぺたぺたと音がする。

 

今日をもって冬眠の日まで食を絶つことになる。そう思っただけで胸が苦しくなった。知らぬ間にこうも時は来ているのだと、沙月は感じざるをえなかった。それなのに、まわりの大半はどんちゃん騒ぎを繰り広げていて、それに対する違和感と少々の不愉快さもあった。

 

「そういえば、澄澪どこいったんだろう」

 

ホールを出てからの澄澪の行方を知らない。といっても今の状況からして彼女はキッチンの方にいるんじゃないかと沙月は考えた。その方向へ足を進めると、目的地のキッチンから光が漏れ出していた。中に入ると若い女性が2人いるだけで、澄澪はいなかった。

 

「あの、すみません」

 

「あ、沙月ちゃん。どうしたの?」

 

「澄澪、見ませんでしたか?」

 

「あー、私さっき手巻き寿司持って行ったんだけどね、その時はまだ皿洗いしてたの。だから多分トイレとかじゃないかな」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

そう礼を述べてキッチンを後にした。ここよりも奥の方に確かトイレがあったはずだと記憶を遡り、廊下を進む。そして青と赤に塗られたドアが一枚ずつ見えてきた。赤い方を開けて中を覗いてみたが、誰も使っていなかった。静かにドアを閉める。

 

「どこだろう。もしかしてホールに戻ったのかな」

 

沙月は元来た道を戻ろうとした。その時、上から微かに何かが倒れたような音がした。自分の聞き間違いかとも思ったが、トイレの近くに階段があることに気づいた。トイレの真正面にあるために来るときには見えなかったのだ。上にはベランダ等があったことも思い出した。もしかしたらそこに澄澪もいるかもしれない……。

 

足裏から伝わってくる冷たさを感じながらゆっくりと階段を上がっていく。途中で踊り場に出て180度曲がってさらに上に続いている。その踊り場に着いたとき、

 

「どうしたの?どこか打った?」

 

小さいが、確かに澄澪の声が聞こえた。やっぱりここにいるのか、と思って少し上るスピードを速めた。そして階段を上りきった、その光景が沙月の目の前に飛び込んできた。

 

月明かりを遮る天井の下。月光と陰が混ざるそのところで、人が2人重なって倒れていた。そしてすぐに、海遥と澄澪だとわかった。わかったけど、わからなかった。いったい今どういう状況なのか、沙月には突然すぎてわからなかった。2人に何か声をかけていいかすらもためらわれた。沙月が絶句していたその最中、その言葉がぽつんと現れた。

 

「綺麗、だ」

 

綺麗。確かに、今日の月は満月で、雲も無いためくっきりと見える。誰が見ても、綺麗な月だ。しかし、海遥の目の前には月はない。澄澪がいるのだ。その澄澪に向かって、綺麗と言ったのだ。それ以外なんてない。最早ドラマでしかあり得ないような、男子が女子を押し倒している状況。これは、やはり海遥に関してならかなり大胆な行動だけれど、いやしかし、そんなことをいうものなのだろうか……。頭の中でそれがあり得るのか否か、これは夢なのか現実なのか、沙月は頭の中で様々なものが急に出現して絡まり合って少しふらつきそうになった。でも……と、混乱の中でも這い出すようにして、出した答えがあった。つまりそうなのか。

 

海遥は、澄澪が好き……?

 

「あ。さ、さっちゃん!」

 

澄澪が階段近くに沙月がいることにやっと気づいた。彼女の体勢と力では海遥を押し上げることは到底できないが、それでもめげずに力一杯腕に力を込めていた。

 

「大変なの。みはっちゃん、河内さんに飲まされちゃって、酔っ払っちゃってるの」

 

「……え?」

 

「酔っ払っちゃって自分じゃ立てなくなってるの。ちょっと助けてくれない?」

 

我に返った沙月は現実なのか違うのか、そんな曖昧なところに止まっている浮遊感のまま澄澪たちの側まで近づく。見ると、海遥の顔が赤くなって目が虚ろになっているのがわかった。2人の力でなんとか海遥をまず澄澪から退かす。海遥は人形のように腰を突いてだらりと横になってしまった。つぎに海遥の両腕をそれぞれの肩にまわして立たせる。2人とはいえ、どちらもまだ中学生の女子だ。さらに言えば背丈は海遥の方が上であるため、立たせるだけで一苦労だった。そして階段を降りてホールまで運ぶとなると、2人は自然とため息が出た。

 

「人って酔っ払っちゃうと、別人みたいだねぇ」

 

やっとこさ階段を降りたとき、澄澪がそう零した。海遥にはまだ辛うじてではあるが意識はあり、よたよたしながら歩けている。普段、というかこんな海遥を澄澪も沙月も見たことはない。まさに別人だ。そう、そして先程の言葉も……。

 

「河内さんって自分もすぐに酔っ払うのに、他人に酒をどんどん飲ませようとするよね」

 

「……うん」

 

「みはっちゃんは優しいから、多分きっぱり断れなかったんじゃないか」

 

「うん」

 

廊下を歩いている間、澄澪は変に明るく振る舞って沙月に対して話しかけていた。しかし沙月は曖昧に返事をしつつ少し下を向いていた。天井に付けられた小さなライトの光が仄かに廊下の床に映る。それはまるで、今の自分の心を表しているような気がした。

 

ついにホールの入り口に辿り着いた。中に入ると先程まで行われていたお祭り騒ぎはほぼ静まっていた。集まっていた住民もだいぶいなくなっていた。入り口から見て左奥に大人たちの塊があった。2人はそこに向かって進むと、これまた知っている人物がこちらに気づいて振り返る。

 

「はは、お二人さん……に、酔っ払い一名追加だァ」

 

「航大」

 

タンクトップに膝が隠れる程度の半ズボン姿の航大がいた。しかし彼の顔は赤く、なんだか口調も普段とは違う。

 

「まさか、あんたも飲んでたの」

 

「まぁ、当然やろ。こんな機会じゃなきゃ普通飲めぇだろ」

 

「こうちゃんも、酔っ払ってるね」

 

「ん?いやいや、でもなんか楽しいってゆーか、気分はいいねぇ。ま、洋斗の方がひでぇけどな」

 

航大はしゃきっとしない軟体動物みたいに笑うと、自身の後ろに目を向けた。その視線の方を2人は見た。座布団を枕にして、右腕で目を隠すようにしている洋斗がいた。彼の顔ももれなく赤くなっているため、餌食にされたようだ。

 

「ったくよぉ、1杯でこれは弱すぎるぜ、洋斗。まぁ、2杯でそれの海遥も、まだまだかな」

 

「個人で体質は違うんだから、しょうがないでしょ」

 

海遥を寝かせて頭のところに座布団を敷かせる。体の怠さからか唸りつつ寝返りをしている。その横で2人は腰を下ろした。まわりを見渡すと、近くで大の字に寝転んでいる河内を発見した。その横で大人3人も倒れ込んでいる。

 

「あ、どこに行ってたんだよ」

 

今度は澄澪たちが入ってきた入り口とはまた違う方から和洋がよろよろと歩いてきた。彼も相当飲んでいるようだと、見ただけでわかる。

 

「2階のベランダの方に上がってたんですよ」

 

「そうなのか。いやあ、すまないね」

 

そのまま海遥の側に座って顔をぺちぺちと叩いてみる。無論こうなってしまえばしばらく起き上がれないだろう。反応も鬱陶しそうに手で和洋の手をどけただけだった。

 

そしてしばらく航大と航大の父のなんともくだらない、お互いの普段ダメなところを言い合うのを2人は見ていた。時には笑い、そして呆れて首を振った。

 

「すみません」

 

3人がここにきて10分ほど経った時だった。しっかりした、そして且つ凜とした女性の声が聞こえてきた。これはホールの正面出入り口からだった。皆の視線の先には1人の男女がこちらに歩いてくる。

 

「洋斗はこちらにいますか?」

 

女性が皆に向かって問う。ショートの黒髪と鋭い目が印象的なこの女性は、洋斗の母だと皆がすぐに気づく。

 

「ああ、それなら」

 

近くにいた1人の男性が寝ている洋斗の方を見下ろした。それを見るなり、

 

「ほら、起きなさい」

 

しゃがみ込んで洋斗の額あたりを手の甲で叩いた。その衝撃と彼女の声で洋斗はびくりと体を縮こまらせる。まどろみから突然引き戻された目はすぐに驚きの目に変わった。

 

「いつまで寝てるの。まったく、未成年のくせに飲むんじゃないわよ。それに来週期末でしょ?だらけてるってことはちゃんと点数取れるって事なの?」

 

洋斗の一方的に言葉を浴びせながら洋斗の体をぐいっと引っ張って起こす。

 

「あの、二軒屋さん。確かに未成年飲酒はあまり良くないことですけど、いくら何でも」

 

「洋斗はうちの子ですので、皆さんには関係ありません」

 

なるべく柔らかく話そうと和洋が声をかけるがぴしゃりと跳ね返した。洋斗は怠そうであまり顔色も良くはないが母に捕まれているためどうにもできない。

 

未沙(みさ)、そろそろ行こう」

 

そう言って男性は洋斗の母、未沙を顎で出入り口を指して帰宅を促した。背丈は未沙よりも少し高い位の男性は、ほぼここで見かけない顔だが、おそらく父親だろうと沙月は思った。

 

「では、失礼します」

 

「おい、まてや祐治(ゆうじ)

 

洋斗を回収して足早に退散しようとするところを、一人の男性が呼び止めた。空になったジョッキを持ったままテーブルに寄っかかるその人物は、航大の父だった。

 

「お前、今日のこれ、来なかっただろう」

 

「ああ。なんなら、さっき来たばかりだ」

 

「宴をやるってよぉ、割と前から通知送っておいたはずだが?」

 

「は、そんなの二の次に決まっているだろう。仕事が詰まっているんだよ。数週間ではどうにもならないんだ。たまたま空いたから来たが、これでもかなり無理をしているんだ」

 

祐治は航大の父を睨み付けるように目を細める。

 

「まったく、さあ来てみればいい大人が酔いつぶれて寝ている。さらには未成年まで酒を飲んで。冬眠だのなんだので変に浮かれてるのか?」

 

「浮かれている?そんなわけないだろう。それに、お前だって眠ることになるんだぞ」

 

「ははは!眠る?阿呆か。俺は明後日にでも戻るぞ。言ったはずだ、仕事が詰まってんだ」

 

航大の父を、いやその場にいた者までもあざ笑うかのように顔を歪めた。澄澪は肩を少しだけ震わせて沙月にひっつく。

 

「そもそも、俺は冬眠なんかしないぞ。そんなことで今まで積み上げてきた実績が下手したら無くなっちまうなんて、ごめんだね」

 

沙月たちでも、洋斗の口から聞いたことがあった。彼の父親は有名な弁護士をしているのだ、と。ほとんど果那ノ海に帰ってくることはなく、全国で活躍しているらしい。

 

「後々に未沙と洋斗も陸に上げたいものだがね。こればっかりは洋斗の意思だからここに止まらせているんだけど。でも、この二人にも冬眠はさせない方針だ」

 

吐き捨てるようにして航大の父を一瞥してホールを去って行った。未沙も洋斗をつれて歩き出す。その姿を睨み付けてから航大の父はテーブルを軽く拳で叩く。

 

「ったく、あの両親はどうにかならねぇかな。洋斗がかわいそうでしかたがねぇ」

 

「前にも何回か言ってみたんですけどね、今と同じように言われてしまいましたよ」

 

和洋もため息をついて首を振った。あの2人はどちらもまわりの意見を受け付けない、頑固者として少し有名なのだという。

 

「俺らと同じベクトルなのに、中身がまるで違ぇ。仕事仕事、それしか頭にないのかよ」

 

顔をしかめて航大がどかりと座った。

 

「俺らはこの異常事態をどうにかして防ぎたい、そういう思いで色々やってきたんだ。海村全員とはいかないけど、それでも俺らだけでもやるしかないんだって。でもあいつらはあくまで仕事をするというためだけに眠りたくないんだ。まわりのことはどうでもいいんだ。しかも洋斗まで引っ張ってこうとする」

 

「だな。昔っから頑固者で仕事中心って感じだったが、()()()()()があってから、さらに悪化したようだな」

 

航大の父も手を大きく広げてため息を零す。世間的にはあまり高評価とはいかない家族像を見せつけられて皆の雰囲気が全体的に黒塗りされたように重くなっていた。

 

「ひろちゃん、どうするんだろう」

 

澄澪が涙目になりながらの言葉を漏らす。

 

「どうするも何も、簡単に渡すわけないだろ」

 

澄澪と沙月の後ろから、だった。重い体を起こして海遥が言った。その背中を和洋が優しく支えた。海遥はテーブルにあったグラスに水を注いで半分ほど飲み干した。

 

「確かに地上で実績を上げているのは悪いことじゃない。優秀な弁護士だ、それまでに色々苦労したんだろうが、だからといって何でもかんでも勝手に決めて言い訳でもない。洋斗がここに残るという意思をわかっていても、結局ここから出て行こうとさせている。そこら辺、洋斗はどうしたいのかを無視している」

 

「ああ、まったくそうだよ」

 

航大が大きく頷いた。

 

「父親のような優秀な弁護士か、そういった人物にしたいんだろうな、多分。それは洋斗の意思なのか、それとも両親がそうさせたい、そういう息子にしたいという一方的な理想像の押しつけなのか。いずれにせよ、おふねひき前に洋斗を出させようなんてたまらねぇよ」

 

「みんなと協力しておじょしさまだって作った。それに洋斗も当然含まれてる。あいつが欠けちゃいけないんだ。それに、俺らは思いを1つにって、今日誓い合ったばっかだしな」

 

「誓い?」

 

航大の言葉に沙月は疑問に思って首をかしげた。航大は自慢げに両手を腰に当てた。

 

「ああ、そうさ。俺らは皆と一丸になって冬眠を、地球の寒冷化、つまり人の絶滅を止める!その誓いで杯を交わしたのさ」

 

「ああ……」

 

沙月は自分の頭の中でやっと理解した。航大たちが行った誓い。そこで杯を交わした。つまりはそのための飲酒だったのだ、と。

 

「初めての飲酒は未知で色々馬鹿騒ぎをしたけど、本番はこれからだぜ」

 

「ああ。みんなは宴会でも、俺らにとってはこれは、ある意味決意の宴だ。やるんだ、俺たちで。陸のみんなも一緒に」

 

ゆっくりと立ち上がった海遥は右手を突き出して拳を握った。航大もニッと笑って拳を出す。

 

「俺たちだってよ、眠りそうになっても目ん玉開けて、おふねひきの唄を全力で歌うぜ」

 

航大の父も勢いよく立ち上がって拳を突き出す。まわりにいた大人たちも、青年会に属したものばかりだ。皆が立ち上がって拳を出す。それを見て沙月と澄澪も、そして和洋も同様に拳を出す。皆の腕が1つの円を描くように向けられる。その心を、思いを、そして御霊火のように強く揺れる希望を、その円に託すように。そして、海遥たちの中では、様々な"想い"も胸に秘めて。

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