凪のあすから おもいのカケラ   作:柊羽(復帰中)

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今日で二話連続とかでアニメの一期部分を終わらせようとしましたが全然間に合わず……
来週の凪あす4周年の日にスッキリと二期部分のスタートをきりたかったのですが、その日に二話連続をまわす予定です


予定が崩れに崩れる人間ですが見捨てないでください


第三十六話 待って

その日は、あくまで1年というループの中のひとつであるのだが、しかし他とまったく違ったものに感じられる。

 

それはきっと、彼らが待ち望んでいた、けれど来てほしくなかったとも思える、運命の日だからだろう。その空はどこまでも澄んだ青空が広がる。雲はここ最近と比べると少なく、久しぶりに季節が戻ってきたよう。

 

優しく包まれるような潮の流れを肌で感じながら海遥はドアを開ける。後ろから洋斗も靴を履いて外へ出る。

 

「じゃあ、また夜にな」

 

「おう。ちゃんとサポートしてくれよ」

 

「はは、わかってるよ」

 

玄関のところで和洋に声をかけられる。海遥は柔らかな微笑を浮かべて拳を和洋に向かって突き出す。それに合わせて和洋も拳を突き出す。

 

2人はいつも以上にゆっくりとした歩調で階段を降りていく。朝の光は白いヴェールのようで、直に浴びているだけで既に心地よい。祭当日といっても、果那ノ海の朝には決して活気づかせるものではない。

 

祭があるのはあくまで陸。海ではもう冬眠の準備は終わっている。それが、今日なのだから。

 

小さい子どもに関しては、エナの成長が早いために冬眠の日を待たずに眠ってしまった。当然海遥たちも普段よりも異常なほどに眠気が襲ってきていた。大人たちも例外なく眠そうにしているのを幾度なく見た。

 

しかしそれも、今日のおふねひき次第で全てがわかる。海遥たち海の人間と、一樹たち陸の人間。両者の"おもい"が届くのか、それで冬眠を回避できるのか。真実は神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段と変わりなく、姿見の前に立つ。すぐ横の机に置かれている櫛を手にとって胸元あたりまで伸びた髪を梳かす。

 

澄澪は慣れた手つきで髪を三つ編みに結っていく。口にくわえていた愛用のゴムでとめてから右肩に垂れるようにする。そして前と後ろを鏡に映しながら髪型と服装をチェックする。昼間は大生の家で浴衣に着替えるのだが、おふねひきではそういうわけにはいかないので女子は制服を着ることになっていた。つまり朝は制服を着ている。

 

「よし」

 

小さく呟くと澄澪は財布などの最低限の荷物を入れた小さいバッグを肩にかけて、自室を出た。

 

リビングを通ると両親がテーブルに座っていた。澄澪に気づくとその顔はふわっと緩んだが、明らかに無理をしているように見えた。海村の住民は皆宴会以降何も食べていない。しかし澄澪たちは度々おふねひきの作業の合間に昼休憩や午後休憩で食事をしていた。その分だけエナの進行のズレがあるために、澄澪たちはある程度眠気が落ち着いている。

 

「いってきます。お父さん、お母さん」

 

「ああ。祭は楽しんでこいよ。おふねひきは父さんも頑張るから、澄澪も頑張れよ」

 

「無理しちゃダメだからね。気をつけて」

 

澄澪の母は席を立つと澄澪に近づいて、そっと両手で澄澪の手を包むように握った。

 

「もし……もし、海神様に気持ちが届かなかったら、ちゃんと陸のみんなに挨拶をして、戻ってきてね」

 

「うん、わかってるよ、お母さん」

 

澄澪の母は微笑を保ちつつも、今にも涙が零れそうな目をしていた。澄澪はいつものように笑って、元気に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5人はいつもの広場に集まった。心地よい朝の木漏れ日の下で互いに挨拶を交わす。楽しみもあり、緊張もあり、でもどの顔にも迷いは見られなかった。

 

「よっしゃ、行こうぜ」

 

航大を先頭にして果那ノ海から離れていく。肌を撫でる流れを感じながら海面を目指す。日差しを徐々に感じながら顔を出す。埠頭に上がってエナが海水を吸い取るまで少しだけ待つ。

 

「晴れてよかった」

 

「だな。祭日和だ」

 

広がる青空を見上げながら沙月が深呼吸する。航大も空をぐるりと見まわす。そして服が乾いたところで一行はまず大生の家に向かった。道順に関しては問題なく、漁協から近かったためにすぐ覚えられた。

 

大生の家の前に来ると、玄関の脇に見覚えのある自転車がとまっていた。これは隆広の使っているものだ。

 

「いらっしゃい。もうみんな来てるわよ」

 

中に入るとすぐに大生の母が出迎えた。前回と同じようにして大部屋を襖で隔てた一室に通すと、一樹たちが木製テーブルを囲んで座っていた。皆それぞれ挨拶を交わした。

 

「よし、これで全員集合ね」

 

大生の母が皆の顔を一通り見る。大家族の母親が子どもたちを見るような、温かい瞳で見まわしてからパンと手を叩いた。

 

「じゃあ、女子たちはこっちにいらっしゃい。私の姉さんも今日いるからおめかしを手伝ってくれるわよ」

 

そう言って後ろを振り向くともう1人の女性が顔を出して挨拶をする。髪はショートであるが、黒髪で目元などが大生の母とそっくりだ。

 

女子4人は2人に連れられて部屋を出て行く。その途端に隆広がテーブルに両手をおいて立ち膝になる。

 

「じゃあ、昨日はタイミングが悪くて言いそびれてたけど、俺が一番浴衣が似合うのは誰かを発表しよう」

 

「そうだっけ」

 

「ああ、確かいう前に終わったんだっけか」

 

昨日と同じように燃えるようなテンションで隆広がしゃべり出すが、他は今この瞬間まで忘れていたようだった。

 

「ああ、そうだぜ。俺だけ未発表だったのだよ。さて、語らせていただくぜ。俺独自の観点からあらゆる要素をまとめた結果、浴衣が一番似合うのは……」

 

「里実だろ」

 

「ぁあ!?」

 

高らかに宣言しようと若干の間を開けいたときに大生がポンと里実の名前を出した。唐突な事態に隆広の口から裏返った驚きの声が出てきた。

 

「え、あ、なんで」

 

「だって、お前好きなんだろ、里実が」

 

「は、はふぇぇ」

 

「あれ、なんか小学5、6年のときに言ってなかったっけ」

 

「ああは、ふぁふぁふぁ……」

 

驚きと焦りと様々な感情が隆広の顔を幾度も変えていく。それにはお構いなしに大生がカミングアウトした瞬間、隆広はオーバーヒートを起こしたように煙を出して倒れてしまった。

 

「大生の攻撃、容赦ねぇな」

 

「まあ、どうせ変わってないと思いましてねぇ。いやぁ、しかしどうせ言うくせにこんなに恥ずかしがるとは、彼もまだまだですなぁ」

 

しゅうしゅう煙が出る隆広を若干引きつった顔で幹大は見下ろす。そして大生は昨日の隆広のマネをして喋ると一気に笑いに包まれた。きっとこの重なった笑い声も澄澪たちにも届いているだろう。

 

その中で、笑っているようで少し陰りのある表情をする航大を、海遥は見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうじゃー、男子たち!」

 

少し経って、準備が終わったようで今度は男子たちがいる部屋の隣から大生の母が出てきた。そして姉と2人がゆっくり襖を開けると浴衣に身を包んだ4人がいた。

 

澄澪は白の浴衣に深緑の帯を締めている。普段の三つ編みではなく、頭の後ろで結んだ髪をねじってピンでまとめた髪型になっている。一輪の黄色の花がついたかんざしも付いていて、普段からは窺えない大人びた澄澪に感じられた。

 

沙月は紺色の浴衣に白の帯。髪の右の方を編み込みにして小さな花がついた髪飾りをつけている。こちらも少し違った髪型になるだけで驚くほどに印象が違う。

 

里実は赤紫の浴衣に黄色の帯を巻いて、ポニーテールから後ろで複雑に編まれてできた髪型に変わっていた。

 

茉紀は赤の浴衣に水色の帯、沙月とは逆の左を編み込みにしている。赤い薔薇の髪飾りをつけている。

 

「おおぉ……」

 

男子たちはその場で固まり、誰かが漏らした小さい声を残して黙ってしまった。それほどに、みんなが見とれていたのだ。

 

「……ねぇ、何か言ってよ。なんか、恥ずかしい」

 

無言で送られてくる皆の視線に耐えきれなくなった里実はすかさず感想を求めた。頬を少しだけ赤らめた里実を見て、特に航大と隆広がビクッと反応するが、彼らも頬を赤らめて何を言っていいかわからずにいると、

 

「うん、4人とも似合ってるよ」

 

大生が4人を見て一言。それで4人は別々の反応を示したが、いくらか安心したようで笑みがこぼれた。

 

「さっすが大生君。さりげない言葉、ポイント高いねぇ」

 

「そういうのを言えないタカボーはポイント低いな」

 

「うっ……!」

 

大生をおだてるようにして肩を叩く隆広だったが、幹大の不意打ちを食らって地に伏した。効果はばつぐんだったようだ。

 

「さてさて、祭ももう始まっているから、楽しんでらっしゃい。花火見終わったあたりからおふねひきの準備にとりかかるから、そのタイミングで4人はこっちに来てね」

 

大生の母による最後の確認事項を済ませて、一行は屋台などがあるスペースへと移動を始めた。移動中はやっといつも通りの会話が始まった。最初はどこからまわるのだとか、こういうイベントがあるからそこへ行きたいのだとか、昼は何を食べるのだとか。すべて、当たり障りない平凡な祭を楽しむ少年少女の会話だ。

 

「たしか、このあたりで神輿が通るんだってさ」

 

「そうだったね。今年は小林と手塚が神輿担ぐんだってさ」

 

「マジかよ!2人の勇姿を見ようぜ」

 

ここで一樹の思わぬ情報を受けて一行は神輿を見ることとなった。みんなのクラスの一員である小林と手塚は一樹たちにはそれなりの仲だったがしかし、海遥たちは特にこれといった絡みはなかった。クラスの中でも明るい生徒の部類に属しているその2人の知らない一面を見られるだけあって、海遥たちも楽しみだった。

 

「おおおお、来たぞ!」

 

「あいつらどこにいる?」

 

「あ、いたよ!小林君が一番前にいる」

 

「手塚は後ろの方だな」

 

時刻ももうすぐで昼を迎えようとしている。人は既に長蛇の列を成していて、それがまた神輿が進む道をも作り出していた。それをかき分けながら隆広が顔を出すと、ちょうど神輿が登場した。男性たちの野太い声が重なって町中に響き渡るようだった。その集団の中には小学生、中学生もいて、彼らが探していた小林と手塚もいた。

 

隆広たちが大声を出して手を振ったり名前を何度も叫んでいた。それに2人は気づいたのかどうなのか、後方にいた海遥たちにはわからなかったが、神輿を担ぐ人たちとまわりの人たちの一体感をびりびりと感じ取った。

 

それを見終わったあとはみんなで屋台巡りをしていった。ここは地元の人たちの他に外部からの人もそこそこいる。そのためにある程度の人数が利用できるテーブルと椅子が置かれるスペースがあっという間に埋まってしまう。そのために先に昼飯を済ませようと一行はまず席取りをした。

 

「じゃあ、何人かで焼きそばとか買ってこようぜ」

 

「じゃんけんとかする?」

 

「ああ、俺が買ってくるよ」

 

合計で11人のグループではあるがテーブルを2つ確保できた。何人かは席に腰を下ろしたところで幹大が提案をする。ここで数人がまとめて買ってくるのは無難な流れで、とりあえずでの公平を期してのじゃんけんが始まるのだが、海遥が手を小さく上げて立ち上がった。

 

「え、いいのか」

 

「ああ、ただ俺1人だとあれだから……、よし航大」

 

「え、ああ、わかった」

 

「とりあえず焼きそばと飲み物買ってくるわ。みんな何飲みたい?」

 

11人分は流石にひとりでは抱えきれないのでヘルプを求めた。くるりと見まわして目が合った航大を連れて、飲み物のリクエストを聞き終えてから屋台の方へ歩き出した。

 

その様子を半ばあっけにとられながら皆は見送った。

 

「さりげなく自分が率先して買い出しへ行く。ほぅ、ポイントが高いな」

 

「お前はそのポイント制どうにかならないのか」

 

顎に手を置きながらふむふむと頷き始める隆広を一樹が呆れた目で見る。その近くで、今は遠く人混みに揉まれていく2人の後ろ姿を澄澪は見つめていた。その目は普段とさして変わらないように見えるが、しかし幾分さらに温かさを含んだ優しい雰囲気が窺えた。口元も若干の違和感を感じる程度に緩んでいた。

 

「……澄澪?」

 

「え、あ、うん。なに、さっちゃん」

 

その様子を不思議に思って沙月が声をかけるが、引き戻したかのように元の明るい表情に戻ってしまった。

 

「澄澪、あんたなにかあった?」

 

「え……、い、いや、なにもないよ」

 

沙月が慎重に迫るように聞くと、澄澪は小刻みに首を横に振った。そして「焼きそばまだかなぁ」と視線を逸らして呟き始めた。

 

明らかに様子がおかしかったが、沙月は深く言及はしなかった。確かに様々な過去の要因が引っかかりもしたが、こんな時に追及するのはと躊躇った。

 

 

 

 

 

 

 

昼飯を終えたあと、一行はひたすら屋台の出し物で遊び尽くした。輪投げや射的、金魚すくいなどは当然で、そのほかにもスイカの種を口で飛ばし、距離に応じて景品がもらえるところもあった。さらには出張のど自慢のような企画も行っていた。歌はあらかじめCDがあるものだけに限られていたが、ノリで参加した幹大が見事な歌声で演歌を歌ったときには、会場中がどよめいた。

 

そのほかにもおやつ時には再び屋台のお世話になった。たこ焼きやチョコバナナ、杏飴などをそれぞれ買っては食べるを繰り返している。特に澄澪がその格好からは予想もできない食べっぷりを見せていた。あくまで甘い食べものに限るが……。本人曰く、甘い物は別腹だそうだ。

 

そんな、一夏の光景。

 

少年少女の在り来たりな日常。しかしそれが儚く、美しく、思い出の一部となっていく。

 

こんな生活が、笑いの絶えない日々が永遠には続かない。だから、この一瞬一瞬を楽しみ、噛みしめる。

 

躊躇はいらない。今だからこそできることだってある。感じることができるものがある。そして、言えることがある。

 

足踏みしてはいられない。いつこの日々が終わるなんて誰にもわからない。だから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「むむ-、当たらないなぁ」

 

「狙ってるはずなんだけどなぁ」

 

とある射的の屋台で澄澪と沙月が獲物を捕えるような顔でコルク銃を構える。人差し指で引いた引き金、それと同時に発射されるコルクの弾。しかしそれはむなしくも狙った的の横を通り過ぎる。それを繰り返していた。

 

「ほらほら、嬢ちゃんたち。むやみに打っても当たらないぜ」

 

「むむむー」

 

屋台の横で丸いすに座っているおじさんが笑いながら眼鏡をタオルで拭いている。ここで遊んでいく人々を端で見る、当たらなかったら残念で当たったらおめでとう、そんな光景を楽しんでいる様子だった。

 

なおも澄澪が再び構えると、

 

「お、こんなところにいたのか」

 

海遥が右手にペットボトルを持って近づいてくる。声に反応して澄澪が顔をそちらに向けるが、先に声をかけたのは沙月だった。

 

「あ、海遥。射的ぜんぜん当たらなくてさ」

 

「んあ?あー、貸してみ」

 

持っていたペットボトルをコルク弾の入った皿の近くに置き、沙月から銃を受け取る。急に手を伸ばしてきたために沙月はビクッとして一歩下がってしまう。

 

「……大丈夫か?」

 

「あ、大丈夫」

 

咄嗟の反応に沙月は頬を赤らめながらも、それを無理矢理隠そうと海遥に銃をさっと渡すと視線を逸らしてしまう。

 

その間に海遥はコルク銃に弾を入れる、そのまえにレバーを引いた。

 

「たしか弾入れる前にこれ引いた方がいいってテレビでやってたな。空気圧とかなんとか」

 

海遥は自分の記憶をゆっくり引き出すようにして準備を完了させ、銃を構える。狙いを定めて引き金を引くと、パンと音がして弾が飛ぶ。それはしっかりと景品のひとつにあたって倒した。

 

「うっしゃ」

 

「わぁ、すごいよ、みはっちゃん」

 

横で見ていた澄澪は目をまん丸にして飛び跳ねていた。おじさんはニッコリ笑って景品を海遥に渡した。するとすぐにそれを沙月に渡す。小さな猫のフィギュアだった。

 

「え、いいの?」

 

「おう。もともと沙月のでやったからな。それに、そういうの好きで集めてた、だろ?」

 

貴重品をいただくようにゆっくりと手に取るフィギュアと海遥とを交互に見る沙月。海遥は微笑んで両手を腰にあてている。

 

「うん。ありがとう」

 

「おう」

 

「ね、ね、みはっちゃん。私も欲しいのあるの!」

 

「ほう。どれだどれだ」

 

服の裾を引っぱられて澄澪の依頼を請け負った海遥は再びコルク銃を構えている。パンと乾いた音がしたあとすぐに景品が倒れて落ちる音がする。これでもかと澄澪ははねて喜んでいた。

 

沙月は視線を再びフィギュアにおとす。座っている猫であるが、表情がどちらかといえばリアルよりキャラクターの方に寄っていて、柔らかく閉じられた目に3を横にした口。それが愛らしく、沙月もまたふっと笑った。

 

射的をひとしきり打ち終わり、移動する。

 

「あ、私トイレ行ってくるね」

 

「おう。あっちのベンチの方に一樹たちがいるから、俺らもそっちにいる」

 

「りょーかい」

 

澄澪は右手で敬礼をするとぱたぱたとトイレがある方に向かっていった。その時に、これも微かではあるが、沙月は海遥の表情の変化に気づいた。勘違いかもしれない、だけれど、少しだけ違うような感覚が体を包み込んでくる。そしてなんだか怖くなってくる。

 

あの日、宴会の会場の2階で見てしまった瞬間が沙月の頭をよぎった。

 

そして今日の2人の雰囲気。微かな違和感。それが沙月の心臓を握ってくるようで、バグバグ鼓動をたてている。自然と手が胸のあたりに行っている。額からじんわりと汗がにじんできた。

 

沙月はあたりを見まわす。今は海遥と二人きりである。だから、だからこそなのか……、沙月は聞いてしまおうと頭が判断してしまったのだ。

 

「ねぇ、海遥ってさ、なんかきょう……」

 

しかしそれは途中で途切れる。はっと我に返って口を噤んだのではなく、目の前がゆらりと揺れたのだ。地震ではなく、自分だけが揺れて、前に倒れてしまいそうになった。

 

「お、おい。大丈夫か」

 

それを海遥は支えてくれた。一瞬の沙月の異変に気づいて両手を伸ばした。肩をつかんで体勢を保とうとする。

 

「もしかして、エナが乾いたか。よし、とりあえずこっちに」

 

海遥は沙月の腕を肩にまわして歩き出し、道から逸れていく。沙月は頭がまわらないためにただただ歩くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

古びた木製のベンチに腰を掛けて、下駄を脱いだ足をバケツに入れる。中に入っているのは塩水だ。これは陸に住んでいる海の人間のために用意されている。まさに、こういった場合に用いられる。

 

「ありがとう、ごめんね」

 

「かまわねぇよ」

 

沙月の横に海遥が座る。後ろの方でがやがやとした人々の声が薄らいでこちらにまで届く。木々があっていくらか暗いが、逆に落ち着くことができる。

 

「実際エナ厚くなってるからな。それに、そろそろこれ浴びた方が良いんじゃないかって航大たちにも言おうとしてたところだったし」

 

「うん」

 

海遥は腕を後ろに組んで背もたれに寄っかかる。沙月は足を少しだけ動かして塩水の水面を揺らす。ちゃぽんと音を立てて雫が垂れる。

 

「っとさ、さっき何か俺に聞こうとしてた?」

 

「え!?あ、いや、なんでもない」

 

「そうか?遠慮はいらんべ」

 

ふと振り向いた海遥にまた咄嗟に沙月は視線を逸らしてしまった。海遥は軽く肩をすくめるとまた顔を前に向ける。さらにここを奥に進むと海が見える。そこからわずかにくる潮風が肌を撫でる。

 

沙月は膝に置いた手をギュッと握った。

 

なぜか、なぜかもどかしかった。悔しさもあふれる。ここで立ち止まって、足踏みをして、躊躇する自分に喝を入れたくなる。唇を噛んで目を細めた。

 

自分の気持ちはわかっている。これほどかというほどにわかりやすいこの"想い"は、すぐにでも両手で取り出せる。でも、その手が出せない。震えて、前に伸ばせない。なぜなのかと自分に問いかけるが、返ってはこない。

 

でも、なんとなくわかる。自分だからわかる。

 

怖いのだ。言ってしまう怖さで動けない。意思よりも前に来てしまう恐怖でどうしようもなくなる。でも……。

 

「俺は航大たちにも一応行ってくるわ。もう大丈夫ならあのホットドッグのお店に塩水返しておけばいいから」

 

そういって海遥が立ち上がってその場を去ろうとする。それに沙月は強く反応して、そして心臓が破裂するほどに痛みを感じた。

 

行ってしまう、そう感じた。もう二度と近づけないほどに、もう会えないのだと思えてしまうほどに。

 

――その"おもい"は伝えられるときに伝えなきゃ、後悔するかもしれないんだ。

 

――その"おもい"を伝える相手がいるうちに。

 

それは、巴日のときに海遥が言っていた言葉。それは洋斗に言ったのだろうか、しかし沙月自信にも刺さるものがあった。伝えられる時に伝えなきゃ後悔する、それが今になって頭の中で幾度も反響する。

 

沙月は怖かった。自分の"想い"を伝えてみんなとの関係性を崩してしまわないか、そんな不安と恐怖があった。でも、言わずに後悔してしまうのは、言うことが出来なくなって後悔するのが、もっと怖いと感じた。だから……。

 

「待って!」

 

沙月は立ち上がり、塩水の入ったバケツを半ば倒しながら海遥に飛びつく。海遥の背中から体温を感じる。そして突然の行動に海遥も驚く。

 

「え、さ」

 

「待って。行かないで……」

 

海遥の背中に頭を埋めるようにして、ぎゅっと海遥を抱きしめる。海遥は動揺そのままに声をかけようとするが沙月の声にかき消される。

 

「待って、海遥」

 

「いや、わかったから。ちゃんとここにいるからさ……」

 

徐々に弱々しくなる声に海遥は驚きと不安で焦りながらもゆっくりと沙月の腕をほどく。その場で後ろを振り向くと、そこには大粒の涙が瞳からこぼれ落ちる沙月がいた。

 

「沙月……?」

 

「海遥、あのね」

 

もう沙月の声は嗚咽混じりに変わっていた。ぽろぽろと零れる涙は顎を伝って地面に落ちる。潤んだ目はしっかりと海遥を捕えている。だから、海遥は目を逸らすことができない。

 

「海遥にね、伝えたいことがあるの」

 

「……うん」

 

海遥は、だから沙月の言葉をすべて聞き取ると決意をする。沙月が涙ながらに語るということは、彼女が自分の気持ちを言葉にするという決意をしたからだからとわかる。ならばそれに耳を傾けないはずがない。

 

「私はね……」

 

ぐっと沙月は手に力を込めた。もうあとは口に出すだけだと沙月は涙を拭いつつ一呼吸置く。

 

胸の底からふっと現れた、知っている感覚。それはいつの日か、海遥を止めて言おうとしてしまった、あの感覚。でも、今は言える。沙月は口を開いた。

 

「私は、海遥が好き」

 

「……!!」

 

沙月の想いは何の嘘偽りもなく、ひとつのカタチとなって海遥の前に現れた。海遥はびっくりしているようで、目が見開かれる。

 

「その……、どう言っていいかわからなくて、うまく言葉にできなくて……。でも、これだけは言えるの。私は海遥が好き。幼なじみの好きよりも、ずっと好きなの」

 

沙月は、自分の中の想いは放たれた。言うか否かを迷い、まわりを気遣っていた辛さやもどかしさも、すべて取りはらった。だからだろう、彼女の最後の言葉は、優しい笑顔で口にした。

 

それを聞き遂げて、海遥は少しだけ目を閉じてから真一文字に結んだ口をほどいた。

 

「……俺は、やっぱり、すぐに返事をパッとは出せない」

 

「……!」

 

「自分と向き合って考えたいんだ。むやみに答えは出しちゃうのは、きっと沙月には失礼だから。沙月には、ちゃんとした答えを言いたい」

 

「……うん、わかった」

 

海遥も腕に力が入っていた。今すぐに内側から破裂してしまいそうな体をなんとか押さえようと、落ち着かせようとしてゆっくりと話す。一言一言大切に、丁寧に沙月に届ける。そしてちゃんと届けられた。沙月も、もう涙は止まっていつもの笑顔に戻った。

 

日は少しずつ傾き、青空から茜色へと変わり始めようとしていた。心地よい風が包み込むようにして2人の横を駆け抜けていく。




やっぱり、告白シーンはどう表現していいかわかりませぬな。難しいですが、日々成長したい
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