凪のあすから おもいのカケラ   作:柊羽(復帰中)

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凪あす4周年ですぞ!!おめでたい!!
そしてこの物語を始めたのも去年の今日なのです。つまりこれは1周年!ひゃっほう
内容が明らかにあれですが笑……
これからもこの作品をよろしくお願いします
このあともう一話投稿予定です


第三十七話 おふねひき

日は落ちていき、茜色が徐々に紺色となっていく。空からの光が薄くなると町のいたるところに取り付けられている灯籠に明かりを灯す。それは空間が黒く黒く、自然の明かりが無くなるほど存在感を増し、まるで生きているかのように橙色の光をあたりに滲ませる。その光に人は照らされて、時に違った雰囲気をも作り出す。

 

人々はもう充分に遊び尽くしたようで、ぞろぞろと移動を始めている。向かうはこれから行われる打ち上げ花火を見られる場所だ。といっても確保されているスペースは小さいが複数ある。また場所を探せば立ったまま見られるので、皆は思い思いの場所を探して歩きまわる。しかし一行はこのあとにさらに待っているおふねひきのこともあり、造船所および大生の家に近い場所を選ぶ。幸いそこが設けられたスペースだったため、あらかじめビニールシートを置いてある。

 

「さて、そろそろ花火見る場所に行こうか」

 

一樹の言葉に皆が頷いてベンチから立ち上がる。澄澪は未だに綿菓子をおいしそうに頬張っている。彼女の別腹とはなんなんだ、とみんなが苦笑いで見つめる。

 

ゆったりと歩いて行くと様々な光景が目に映る。屋台の食べ物をおいしそうに食べる家族。両者とも微笑みながら歩いて行くカップル。久しい友に会ったようで声大きく喋っている男性たち5人。

 

皆がぼんやりとした明かりに照らされて、その独特な雰囲気に包まれながら存在している。普段からない空間だからこそ現実から離れた非現実さも出てくる。人々はそれにとろけるようにして一体となり、祭を楽しむ。それが終わるまで、そのヴェールが剥がされるまで。

 

流れる人の波をかき分けながら進むと屋台のない、開けた場所へとつく。一行が出てきた場所からずっと前方に若干弧を描くようにしてスペースがある。同じようにレジャーシートを引いている人がいるが、数はぜんぜんいない。これから集まり出すのだろう。一行は足下に気をつけながら自分らのスペースを目指す。

 

「お、あったあった」

 

「横取りされてなくて良かったな」

 

「流石に大丈夫だろうけど、たまに起こりそうだからな」

 

11人が全員入れるほどの大きさのものはなかったため、レジャーシートを3つ持ってきて繋げている。そして飛ばされたり、航大が言ったようなことの対策として鞄等を置いておいた。

 

「花火開始まであと20分か」

 

大生が付けている腕時計で時刻を確認した。時計は18時10分を示していた。

 

「んじゃ今のうちにトイレ行ってくる」

 

「ああ、俺も行くわ」

 

一樹を先頭に続々と立ち上がっていく。一樹と大生と隆広、澄澪と沙月が一旦離脱した。他の残ったメンバーたちから自然と会話が始まる。

 

「そういやお前らは花火見る時ってどこで見るの?陸に上がってくる?」

 

「いや、普通に果那ノ海で見るぞ」

 

「ああ。わざわざ上がらなくても海の底だからどこでも見られる」

 

幹大が唐突に浮かび上がった疑問をふっかける。それに航大が常識を聞かれて答えるような真顔で答えた。海遥も肩をすくめて若干優越さを滲ませながら幹大の顔を見る。

 

「へぇ、すげぇな。ってかそういうのは便利なんだな」

 

「まぁ場所によっては寝っ転がって見ないと首が痛くなってくるけどな」

 

「ああ、そうか。ほぼ真上だもんね」

 

航大の言葉に里実がポンと手を叩いて頷いた。確かに海からはどこでも花火は見られる。けれど、花火は海上から打ち上がるため、その下にある果那ノ海からはほぼ真上を向いて見ることになる。

 

「けど、やっぱり海からだと音がどうしても小さくなるんだよな。だから地上で見るのが一番だよ」

 

航大はうんと手を真上に伸ばしながら呟いた。その横顔を見ながら海遥は穏やかな笑顔になる。

 

「ほほう、さっすが花火師目指している人が言うとひと味違うねぇ」

 

「ちょ、バカ!」

 

「え、え!?航大君って花火師目指してるの!?」

 

海遥がさらっと出した航大の将来像を真っ先に食いついたのは里実だった。手を前について航大の顔ギリギリにまで里実が顔を近づけたために、航大は慌てて顔を逸らす。

 

「……え、まぁ、うん」

 

「そういうのって何かきっかけとかあるの?」

 

それを逃がすまいといわんばかりに幹大が反対方向から近寄ってくる。それに観念した様子で航大は話し出す。

 

「俺らがまだ小さいとき、小学校低学年くらいかな、俺らは地上でおふねひき見たんだよ。そのとき丁度早めに出てきてたから花火も間近で見れたんだ。そのときが多分初めて海から出て見たんだけど、それがすっごく綺麗だった。音の迫力も、花火ひとつひとつの光も、沸き起る観客の声も、何もかも覚えてる。んで、俺もこんな花火を打ち上げてみたいって思ったんだ」

 

「へぇ、そうだったんだ」

 

「澄澪はおふねひきの唄のところが気に入ってるらしいけどな。俺はもうその花火でお腹いっぱいって感じで……。まぁ、今のところなれたらいいなって感じだけどね」

 

「いいねいいね、そういうの。かっけぇよ」

 

最初は若干控えめではあったものの、航大は幼い頃の記憶を引き出しながら語る。その顔はまさに純粋な少年を思わせる、夜空を見据える微笑を浮かべていた。それを横で微笑みながら聞く里実に、腕を組んで何度も強く頷く幹大。

 

「俺はさ、家の関係で将来は決まっちまってんのさ。色々自分の道を考えて進みたいって思えるのは羨ましいわ」

 

「そっか、幹大の家は漁師だったもんね。って、そういう私もなんだかんだ、スーパー続けてそうだけど」

 

幹大は体から力を抜くようにしてレジャーシートに寝っ転がる。漁師の家に生まれた幹大だからこその羨ましいという気持ちがけだるげな顔に表れている。

 

「お前んとこは自分からやりたくてやってるだろ。俺はやりたくねぇよ、漁師」

 

「そう言わずにやってみろよ。今どんな感じでやってるのか俺はわからないけど、そういう生まれだからこそ学べることだってあるしさ。それに、将来大人になって果那ノ海と漁協との交流もあんだろ」

 

「ああ、そうか。海遥は宮司だっけか。そうだよな、将来大人になって小中から見知ったやつと仕事するってのもアリかもな」

 

「そう。そうなりゃゲリラでお前が船で出てきてるときに海に引きずり落とせるイタズラできるもん」

 

「それはシャレにならねぇよ……」

 

幹大の泣き目混じりのツッコミで一同から笑いが生まれた。海遥の言葉はもちろん冗談も含まれていたが、確かに真面目な部分もあった。

 

自分の今いる環境だからこそできることはある。それはその環境が特別であるが故に、その時にしかできない経験があるのだ。逆にその環境に立てない人には味わうことができない経験だ。それを良いものと捉えるかどうでもいいものと捉えるかは人次第だが、自ずとその答えは成長して行くにつれて痛感するだろう。

 

「それで、洋斗……君ってなにか将来の夢ってある?洋斗君ならこのまま大学行っていいところ就職しそうだけど」

 

「ああ、それわかるわ」

 

里実がひょこっと頭を前に傾けて幹大で隠れていた洋斗に話しかける。幹大も頷いて洋斗の方に向き直る。今いるメンバーで唯一将来について話していなかった洋斗。2人が気になってもしょうがない。けれど……。

 

「いや……それは」

 

「ああ、洋斗はまだ決まってないんだろ?むしろ俺らみたいに将来おおよそ決まってたり、幼い頃の夢を持ち続けてるのは少数派だろ」

 

「まぁ、そうだね。ごめんね、洋斗君」

 

話を振られた途端に洋斗の顔色がふっと暗くなり、言葉が詰まってしまう。それを見て瞬時に海遥がカバーに入った。それも急に用意した嘘ではなく、それも頷けるもの。中学二年生の時点で将来が既に決まっている、または希望職が具体的にあるなんてどれほどいるだろうか。大半はまだぼんやりとしていて、それ以前にまだ見据える先にはよくて高校生活だろう。

 

里実に謝られるが、洋斗は曖昧に頷いて視線を外側に逸らしてしまった。その反応に違和感を持った里実は首をかしげてさらに顔を前に出して洋斗の顔をのぞき込もうとするが、洋斗はそれに気づいて勢いよく立ち上がってしまった。

 

「……飲み物買ってくる」

 

「おい、洋斗」

 

「待ってくれよ、まぁ俺も一応将来決まってない組だからさ、話し合って共感しようぜ」

 

「お前はさっさと家業を継げ」

 

スタスタとその場を去る洋斗に幹大はタコのように腕を肩にまわしてついていった。その後ろ姿を先程より不安そうな面持ちで見ている里実に海遥は浅いため息をついてから話しかける。

 

「まぁ、あいつは怒ってるわけじゃないから心配するな。でも、洋斗も色々と悩んでるんだよな」

 

里実を安心させるように告げると海遥も洋斗たちの後を追うようにして歩いて行く。

 

里実は海遥が見えなくなるまで見続け、陰が消えると視線を膝元に落とす。

 

「……なんか、海の人って大変だよね」

 

「え?」

 

一瞬の間を置いてから里実が呟いた。それに航大は目を開いて里実の顔を見る。

 

「やっぱり一番にそう思ったのは、汐帆さんの件でさ。結局は無事解決したけど、普通はああならないんでしょ。海村から追放されちゃうって……。あるとき出会った人と恋に落ちて、結ばれる。そんなのが当然だって、そんなのは地上じゃ何の問題もないのに、海は違った。

それだけじゃない。海遥君は母親とお姉さんを亡くしてる。陸にトラウマがあったけど、今はもう立ち直ってる。沙月ちゃんは、もう既に退院してたみたいだけど、おばあちゃんが倒れて入院してた。学校ですっごく心配な顔してたんだよ。で、っていうわけじゃないかもしれないけど、私が今まで生きてきた中では経験したことない辛さを、海の人は知ってるなって」

 

「……」

 

「今回だって、もう地球規模の問題だけど、海村が冬眠に入っちゃうんでしょ。そんな状況でも航大君たちは必死になって抵抗しようとしてる。私たちだってできるかぎり手助けしてるつもりだよ。でも、怖いのは航大君たちなんだよね。自分らが眠ってしまったらいつ目覚めるかわからない、これが怖くないはずがないのに。私のお父さんは県外に単身赴任でここにいないけど、連絡はしようと思えばいつでもできる。でもみんなは、眠ってしまったら起きるまで会えない。そして目覚めても、他のみんなが起きているとも、そしていくつの年が経っているかも……」

 

「お、俺は!」

 

里実の消えてしまいそうな声を吹き飛ばすように航大が口を開いた。突発的に声を出したために里実は驚いて肩がビクッと上がった。

 

「俺は、その、別に大変な人生は今のところ歩んでないぞ!親父とお袋はいるし、何不自由なく生活できてる。……そりゃ、海花が死んじまったのは辛かったけど、海遥の方がもっと辛かったんだ。でも、言ってそれくらいだ。白風中に来て初日のあれも、振り返ればむしろいい思い出だ。俺は元気が取り柄だからな、ニカッと笑ってたまに馬鹿なこと言って、みんなといる。俺はそれだけでも充分に幸せなんだ」

 

「……!」

 

「それに冬眠なんて怖くねぇよ。なんたって、それを防ぐために俺らは今日汐帆ちゃんも乗せていくんだからよ。俺たちは決して海神様を忘れてなんかいないって気づいてもらうんだ。だから……」

 

航大の言葉は自信を纏っていた。彼が断言していた、彼の取り柄が元気だからこそ、そして仲間を大切に思って信じているからこそ、彼はそう言えるのだ。

 

航大は一旦視線を外してから、再び里実の顔を見る。

 

「何も心配することはない。そんな暗い顔しないでさ、いつも通りに笑ってろよ」

 

「……うん、わかった」

 

航大の言葉を受け取り、ゆっくりと体全体に溶け込ませるように頷いた。そして曇りのない暖かさのある笑顔を浮かべた。

 

ああ、そうだ、と航大はまさに感じた。

 

航大は自分の内なる"おもい"を見つめる。それは目の前にあるわけではなく、心の内側にひっそりと置かれている。それが生き物のように、少しだけ揺れ動いたような感じがした。いや、そうなのだろうとすぐに訂正した。

 

今みたいな、見てるだけでほっとするような暖かい笑顔に惹かれたのだ。里実の笑顔をもっと見ていたい、そうとも思った。今でもなにひとつ変わらない。その瞬間からずっと変わらず、確かな存在として心の中にある。ひとたび傷つければ消えてしまいそうな、その"想い"を今、解き放つべきなのではと直感的にそう結論づけた。

 

どうしてかは航大自身もわからない。けれど、そうするべきだと、まるでもうひとりの自分に言われたかのようだった。でもだからこそ、それを信じられる気がした。

 

ふと、記憶の一部からあの日の出来事がふわりと溢れ出してくる。

 

――――その"おもい"は伝えられるときに伝え無きゃ、後悔するかもしれないんだ。

 

――――その"おもい"が消えて無くなってしまう前に。

 

あの日、巴日で海遥が言っていた言葉だ。航大は、その言葉は洋斗に対して言っていたのかと思っていた。しかし、頭の中で反芻しているうちに、洋斗だけではなく自分にも当てはまることだったとやっと理解した。自分の心の中でしまっていた、この"想い"はいつか放たなくてはいけないのだ、と。ささいなことで傷が付かないように、里実への想いを勝手に大切に保とうとしていた。でも、それは永遠に置いておくようなものではないのだ。

 

なにもしなければ、大切にしまっておけば傷つかない。でも、どこかできっと後悔する。言えないまま残ったそれを見て、心残り以外にどうたとえようか。言えないままもし壊れてしまったら、もっと早くに出すべきだったと嘆くだろう。その残骸を見て、哀れ以外にどうたとえようか。

 

今日は店番してるかな、今日は作業中にさりげなく話せるかな、なんて考えていたちょっと前の自分を思いっきり笑ってやろう、航大は決意した。

 

「なぁ、里実」

 

「うん?」

 

前は恥ずかしがっていたはずの、彼女の名前を航大は口に出す。視線は真っ直ぐ遠くに広がる海に向けている。里実は再び航大の顔を見る。

 

「無理かもしれないけど、あまり派手に驚かないでほしいんだけど」

 

先程里実を元気づけた時とは打って変わって真面目な顔の航大を見て、里実は曖昧に頷いた。

 

航大にだけは見えた。()()が心から飛び出していく様を。

 

「俺は、里実が好きなんだ。ただ友達とかじゃなくて、ひとりの女の子として」

 

「……へ!?」

 

里実は航大からの告白を受けて一気に顔が赤く染まったまま固まってしまった。そのため裏返った声が転がるようにして出てきた。

 

航大もさすがに耐えきれずに頬を赤らめて少々言葉を詰まらせながらも続ける。

 

「あ、あー、別に今すぐ返事をしろとかじゃない。ただ、その……伝えておかなきゃって思ったんだ。後回しにしていたら、後悔する気がして」

 

「……」

 

「まぁ、もし答えを出してくれるなら、俺にちゃんと言ってほしい」

 

「……わ、わかった」

 

航大が大切に守っていた想いは解き放たれた。それは当然だが傷ついたものではなく、ただひとつのヒビもない綺麗で、純粋な想い。磨かれた輝きそのままに里実へと渡った。そしてそれをどう受け取るか、里実は航大をどう見るか、それは彼女自身で考えて自分を見つめ、そして答えを出すのだろう。頬は赤らめたまま航大に向けていたままだった視線を再び膝に落とす。

 

そして訪れる無言の間。まわりではちらほらと集まりだした人々が持参したレジャーシートを敷いたり、誰かと待ち合わせしていたり。徐々にざわつき始めるが、しかしこの誓い距離ではそれらをもってしても気まずさは埋められない。

 

「そ、そういえば、みんな帰ってこないな。海遥たちならまだしも、先に出た一樹たちとか遅くね?」

 

「あ、そうだね。誰も帰ってきてないし、それに……」

 

航大が断ち切るようにして話しかける。この間にも誰か帰ってきてあのやりとりを見られるのでは、と今更航大はハッと気づいて体が沸騰する感覚に襲われる。里実は自身が身につけていた腕時計に目をやる。その長針は既に6を示していた。

 

刹那、2人の目の前から光が溢れ出す。一瞬の、鼓膜を揺らす音と共に現れた巨大な花。それは見事に、2人を見入らせてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはあまりにも突然で、目を疑ってしまうような非現実さで、しかしそれは必然性さえも思わせるほどにそこに存在している。これは、やはり当然かと、一種のあきらめがつくほどにその光景は広がっていた。

 

それは一樹らがトイレへと向かったそのあと。一樹とほぼ同時に出た隆広がついでに飲み物を買いに行くと言ってぱたぱたと駆けていった。それを見送ると、2人よりも先に出た大生を探そうと辺りを見まわしてみるが、その姿は見つけられない。

 

「もう戻ったのかな」

 

徐々に彼らがシートを敷いた場所に人が流れていく。トイレは相変わらずの混みようだったが、あちらも混み出すのは時間の問題だった。もう一回見渡してから一樹は先程の場所へ戻ろうとした。

 

普段はきっと気にも留めないであろう、左の隅にある小道に目が行った。草木の隙間を縫うような小道が、なぜだか一樹を誘うようにして口を開いている感じがした。それを受け入れるようにして進んでいく。初めて通る道は靴を履いた足からでも感じる、不思議な感触。歩いている今でも、この先に待ち構えるものがいいものであるのか悪い者であるのか、少量の期待と不安が入り交じった変な心地。

 

ちょっと入ったところから開けた場所が見える。そしてそこに感じる気配。立ち止まって、今度は足音を立てないようにして木々に隠れつつ数メートル先を見てみる。すると……。

 

ああ、と一樹は薄い声を出した。今一樹の目の前に存在する光景が、彼にとって驚きであり衝撃であり、また悲しみもあり苦しみもあり憎しみもあり、しかしそれを納得してしまえる、ありとあらゆる感情が同時に飛び出してひとつの塊となった。それが一樹から放たれた今、彼の内側には一時的にであろうが、空白だけが残った。体に力が入らなくなったのを一樹は感じた。

 

そこには2人いた。片方は大生、もう片方は澄澪だった。2人は開けた場所でお互い向き合って立っている。なにかを話しているのが見えるが、ここからでは後ろから溢れ出す人々の喧噪とある程度の距離で聞き取れない。しかし……。

 

澄澪が目を閉じながらなにかを言っている。その顔は、遠目ではあるが決心をしたかのような必死さが窺えた。そして大生の方から言葉をかけられたのか、ぱっと目を開く。さっきとは違って意外そうな表情をしている。そして少しの間のあと、普段のような笑顔を見せていた。大生の方も安心したような、どこか柔らかい表情をしている。そしていくらか大生が話している。

 

また、ああ、とため息交じりに出た。一樹は動けなかった。今すぐにでも足を動かして、きびすを返して戻りたかった。でも、できなかった。目を動かすことすら叶わず、2人の無音の会話を見届けてしまった。そして澄澪と大生の様子。2人だけの空間。真剣な顔。ほころんだ笑顔。柔らかい表情……。ああ。

 

一樹はやっと戻ってきた感覚をゆっくり確認すると、くるりと元の道へと戻る。そして去り際に、

 

「お似合いじゃねぇかよ」

 

そう捨てるように言った。その重ったるい、そして諦めた言葉はしかし、背後から繰り出された音と光にかき消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局は全てではないが花火を全員で見ることができた。幹大と隆広が大声で「たーまやー!」と何回も叫んでいたが、まわりもそういった雰囲気のために彼ら全員で叫んで、笑って、楽しんだ。赤、青、緑、橙など色とりどりの刹那の花が咲き、散る。ときにはハートやとあるキャラクターを表した特殊なものも上がっていた。

 

黄金の滝のような怒濤のラッシュで花火の終了を告げる。それぞれは興奮した様子で花火の感想を言い合い、誰からともなくシートを片して、いよいよ準備に取りかかろうとする。

 

女子たちは駐車場にいる大生の父と聡太郎の車に乗り込む。女子たちの着替えも大生の家ではなく埠頭近くの建物に持ってきてあるそうだ。一行はそこを目指して車を走らせる。

 

大した長距離ではないのですぐに到着する。女子たちは制服に、男子たちははっぴへと着替える。見れば大人たちはやる気満々のようで、まさに男というより漢だった。その彼らがいる横にはおふねひき仕様に多くの旗をつけた船がずらりと横に並んでいる。一番中央にある船には、みんなで作ったおじょしさまが船の前部分に置かれている。ここまでの船が横並びになるだけでより壮大なものに映る。

 

しかしその間も、一樹は魂が半分抜けたような浮遊感を感じ、ときより視界に映る大生を目で追っていた。あれ以降澄澪個人との接触はなく、大人たちと話したり海遥などと話したりしている。至って普通の大生だった。しかし、しかし……。

 

「よっしゃ、集まれ」

 

大生の父のかけ声で一気に全員が集まる。

 

「今年のおふねひきは今までとは違う。今日で彼ら海村の子たちは冬眠についてしまう。俺ら全員の気持ちを海神様に届ける。それが届けばきっとこれからの地球の寒冷化も収まり、こいつらは眠らなくていい。だから、こいつらの、そして俺らのために、海神様に届ける、全力で。……成功させるぞ!」

 

『おう!』

 

両隣の人の手と手を繋いでひとつの円を作った。大人数故の円陣だ。大生の父の力の入った声に負けないよう、全員が声を重ねる。

 

それぞれが指定された船に乗る。海遥は若い漁協組合の人に大旗をもらう。ずっしりとした重みを直に感じ、海遥も決心した表情を浮かべる。

 

「みはっちゃん」

 

後ろから声をかけられる。振り向くと澄澪が海遥をしっかりと見つめて立っている。

 

「頑張って。旗、しっかり振ってね!そうすれば、誰も迷わない。気持ちも全て、海神様に届くよ!」

 

「……おう。まかせとけ」

 

澄澪の言葉を意外に思ってか海遥は一瞬驚いたが、すぐに笑みを浮かべる。

 

「そうよ。海遥、頼んだわよ」

 

「ああ。汐帆ちゃんも、頼むぜ。なんだかんだ、超重要ポジションだからな」

 

「ふふふ、そうね」

 

この日のために作った青と白の衣装を身に纏った汐帆ともお互いの健闘を祈った。汐帆の笑みからも緊張と決意どちらも窺える。

 

そして、おふねひきは始まった。時刻は20時丁度。

 

がたいのいい男性が太鼓を叩き始める。それを合図に海岸沿いに置かれた松明に火を付ける。それがいくつも灯り、闇夜に佇む一本線となる。灯火はゆらゆらとたゆたう海に映り、幻影の火を作る。和楽器隊による演奏も始まった。和を感じさせる笛と太鼓と琴の音が重なり合い、絶妙な音を奏でる。

 

船は2列に並び、前列の船にいる海遥が呼吸を整えてから大旗を振り上げる。それと同時に船は動き始める。真っ直ぐ2列だった船は一隻一隻違う速度で動き始め、ひとつの円を作る。その円の中央を陣取るようにおじょしさまと汐帆が乗った二隻が来る。

 

「よし、始めよう。ウロコ様」

 

それは地上ではなく、海の底から。渦波神社のまわりに和洋たち青年会、協力してくれた男性たちがしっかりと船が進んでいる場所を見上げる。

 

ウロコ様は静かに頷いて、手に持っている杖を振り上げて、下ろした。青い布で付けられた鈴が透き通るように鳴る。その刹那、町中の光となっていた御霊火が消え、船が進む道をなぞるようにして再び現れた。それと共に和洋たちが"おふねひきの唄"を歌い始めると、それがそのままゆがめられることなくウロコ様の力で地上へと届けられている。

 

混沌の海から現れた輝かしい青の光。そしてしっかりとした歌声。それはおふねひきを見に来た人たちを驚かせるには充分だった。そして海遥たちも動揺に驚き、そして安心感を得た。

 

「すげぇ……」

 

「これが、海の……!」

 

宝石のごとく輝く青の光を見つめて幹大たちも思わず見とれる。大生も、自身の憧れであるからこそ、余計に目を大きく開いてこの光景を焼き付けている。

 

陸からも負けじと全力の歌声を響かせる。陸と海がひとつになり、ともに歩んでいる。海の灯火に導かれ、彼らは進む。あてのない、けれど確かな"おもい"を乗せて。

 

果たして、海神様はこれを見ているのだろか。彼らひとりひとりでは無力に等しい存在かもしれない。海の広大さからすればもはやそうであろう。

 

けれど、彼らはひとりではない。みんな助け合い、声を掛け合い、ときにはぶつかり合いもするが、でも等しく生きている。心から大切に思える人たちと、ずっと。

 

だからこそ彼らは抗う。それが既に決まっていたのだとしても、運命だと言い渡されたとしても。彼らはその人たちと共に、並んで手を繋いで、生きたいのだ。

 

それが彼らの願い。彼らの繋がりを引き裂くものなら、どんなことをしてでもつなぎ止める。その厚い絆で結ばれた彼らは、海神様が求める世界の在り方とは違うのか。

 

どうか、どうか、聞いてあげてはくれないだろうか。彼らの、ちっぽけな人たちの集まった"おもい"。そのカケラだけでも拾ってくれると信じている。そう、信じていた。

 

 

『※※※※※※※※※※※※』

 

「……え?」

 

微かな、しかし囁いたようではない、そんな声を海遥は拾った。振り向くが、運転している大生の父は不思議そうに顔をしかめた。

 

海遥もすぐになにかの聞き間違いだろうと結論づけた。エンジン音や歌声が重なってそう聞こえたのだろう、と。

 

『※※※※※※※※※※※※!』

 

「……!!!」

 

違うと海遥はそう思った。いや、感じた。明らかにこれは、海遥の耳がしっかりと拾った声だ。最初のよりも少しだけ近く、感情がほんの少しだけ伝わってきた。

 

ばっと海遥は両サイドの船に目をやる。そこにいた航大と澄澪も、目を開いて驚いた顔をしている。しかし、陸の人たちは何も聞こえていない様子で船を操作している。

 

海遥は察した。急に体温を奪われていくような、ぞっとした感覚。鳥肌がたち、そして勢いよく後ろを振り返る。

 

「今すぐ止まれ!!引き返せ!!」

 

緊迫した様子の海遥を見て面食らった様子の大生の父。彼が理由を聞こうとしたときだった。

 

前方の海がさらに輝きだし、黒々とした海が水色になっている。それは御霊火の色ではなかった。そして徐々に海が荒れ始め、いくつもの口が姿を現した。巨大な渦だ。

 

「な!?」

 

「これは、まさか!!」

 

「海神様が、本当に……」

 

目の前に起きている現象に全員が驚き、目を見開いている。荒波により船は止まらざるをえなくなった。しかし……。

 

「きゃあぁ!!?」

 

「……っ、汐帆ちゃん!」

 

予想外の揺れにバランスを崩した汐帆が海に放り出される。澄澪はとっさに海に飛び込む。さらに荒波は多数発生して数名が海に放り出される。それを助けようと海っ子たち全員が海に入った。

 

「おい、みんな船にしがみついとけ!絶対に渦に巻き込まれないように操縦しろ!」

 

大生の父は喉がちぎれるほどに大声で叫びながら指示を出す。渦は7つ。しかも発生した場所が橋の近くのために、渦に飲み込まれるのと橋の支柱に接触することの2つの危険があった。各々が慎重に操縦しながら近くの海岸へと目指して進む。

 

 

 

 

「汐帆ちゃーん!!!」

 

渦によってどんどん底へと引きずり込まれていく汐帆を澄澪が追う。しかし渦も異常なスピードで汐帆を引き込むため、なかなか追いつかない。

 

「……ダメ!ダメなの!」

 

澄澪の力一杯込めた力でなんとか汐帆をつかむ。しかしこれだけは終わらない。未知なる力との引き合いは追いつく以上の困難さだった。

 

「ダメなんです!汐帆ちゃんは、辛くて痛くて泣いても、自分の想いをしっかりと持って、やっとそれが叶ったんです!汐帆ちゃんは、地上にいる人の大切な人になったんです!だから、それを引き裂かないで!誰かの好きを、みんなの好きを、壊さないでよぉぉおお!!!」

 

『※※※※※※※※※※※※!』

 

「みんなの"おもい"を……みんなが叫んだ言葉を、気持ちを、無しになんてできないんだから!!!だから……やめて……」

 

『※※※※※※※※※※※※!』

 

「……どうしても、どうしてもみんなの"おもい"を、好きを引き裂くのなら……」

 

徐々に汐帆ごと海の底へと沈んでいく澄澪。いくら叫んでも、喚いても、海神様は変わらない。いくらみんなの"おもい"があっても、何も変わらなかった。なら……と、あふれる涙を振り払い、澄澪は決意した。

 

「……私を、汐帆ちゃんの代わりにしてください」

 

 

 

 

 

 

「せぇーの!」

 

海遥たちが海に落ちた人たちの救援をしている。力を合わせて落ちた人を船に引き上げる。まわりは大パニック故に誰がまだ海にいるのかがわからない。しかし目の前にある命を優先するのは至極もっともな判断だ。

 

「あとは!?」

 

「わっかんねぇけど、汐帆ちゃんが上がってきてんのかわからん。でも息はできるから……、あークソ、見てくる!!」

 

海遥の言葉に半ば逆ギレのような返しで航大が海に再び飛び込む。洋斗も続けて飛び込んでいった。

 

「てか、この人息ある?」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

船にいた男性が心臓マッサージをすると、すぐに水を拭きだして意識を取り戻した。

 

「うし、よか……」

 

1人の命が吹き返したことに一安心した、その時だった。突如として押し寄せてきた大波に船が大きく揺らされる。立っていた人は危うく船に落とされそうだった。しかし、危険はもう一つ、支柱との接触があった。

 

「沙月ィ!!」

 

大波の力によって船が押されて支柱と正面衝突をしそうになる。そしてその接触面に一番近い場所に、恐怖で引きつった顔の沙月がいた。海遥は咄嗟に不安定な地面を蹴った。

 

必死に伸ばした手は沙月の腕をつかみ、勢いよく接触面とは反対側の方に沙月の体を引っぱる。駆け巡る展開に追いつけない沙月はそのまま船の床にたたきつけられる。

 

しかし、海遥はその勢いを殺すことはできない。沙月と位置が反転したのだ。そして体は振り投げたために支柱を背にしていた。

 

「……ガッ!!?」

 

受け身を取ることもままならず、船の一部と共に海遥は支柱に激突した。味わったことのない衝撃が海遥の頭を襲い、一瞬にして海遥の体の力を奪い去った。為す術なく、海遥は頭部からの出血を支柱に擦りつけるようにして海に落ちた。

 

「いや……いやぁあああ、海遥!!!」

 

沙月は狂喜乱舞のような叫び声を上げて海へと飛び込む。

 

「おい、待て嬢ちゃん!また波が……チクショウ!そっちに波行くぞぉぉぉぉぉお!!」

 

沙月を止めようとしたが間に合わず、さらに追い打ちをかけるようにして大波が襲いかかってきた。男性はなんとか操縦して避けたが、その波は勢いそのままに近くの船へと牙をむいた。そこには、一樹と隆広がいた。

 

「クソ、避けきれない。2人とも、こっちだ!!」

 

「……うおおおお!!」

 

男性が大声で2人を呼ぶ。しかしタイミング的にそれは無理だと、一樹は判断したのだ。一樹は咄嗟に隆広の体を押した。巨大な手で覆い被せてくるような波は船の前方部分だけを襲った。ギリギリ一樹によって避けられた隆広だったが、今さっきまでいた一樹が見当たらない。

 

「あ、あああ、一樹ぃぃぃぃ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「待って……待って!行かないで!」

 

沙月は必死に海の底へと落ちていく海遥を追う。足が痛くなるほど振って下へ、下へと向かうにもかかわらず、海遥との距離は縮まらない。彼の頭部から流れ出す血液が時折沙月の顔をかすめていく。その血が、黒々とした青に混ざる赤が、沙月の心を余計に痛めつける。

 

「まだ、まだ聞いてない……。海遥の答えを、まだ……!」

 

溢れ出てくる涙は止めどなく出てきては海と混ざり合っていく。伸ばした手にはただただ海水があたる。海遥の足にさえ触れられない。届かない。

 

「待って……」

 

今日の、あのとき。海遥がどこかへ行ってしまいそうな、心臓が破裂するほどの不安と恐怖が再び姿を見せる。それは、もしかしたら今この瞬間を予言していたのだろうか。そんな運命の悲痛さを嘆いても、沙月はやはり海遥には届かない。

 

そして、黒々とした渦の闇へと海遥が潜ってしまった。もう海遥の姿は見えない。彼の顔も、体も、体温も、声も。すべて奪われてしまった壮絶さと痛みに沙月は顔を歪ませて叫んだ。しかし突如として襲ってきた不規則な渦の波に叩きつけられ、彼女もまた意識を手放してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、動けない。

 

そんな薄っぺらい言葉しか思いつかない一樹は、渦の中にいた。きっと大抵の人間は知るよしもない渦の中の水圧に体は動くことすら許してはくれない。

 

情けない。そうも思えた。それは一樹にとって様々な感情を含めた、そんな言葉。それを捨てるようにしてぼやける視界をなんとか巡らしてみる。

 

すると、それは果那ノ海の町であろう風景が見えた。ぼやけているものの、きっとそうだろうとわかるシルエット。昔見たテレビなどの記憶が瞬時に蘇り、視界との照合させた。間違いなく、果那ノ海だ。

 

息ももう続かない。吐きだしてしまいたいもどかしさに勝てずに、息を吐いた。酸素を求めてもあるのは海水。ぼやけていた視界が遠のいていく。そして最後に見えたのは、誰か2人がこちらに近づいてくる光景だった。

 

「洋斗!早く行くぞ!」

 

「わかってるよ!」

 

航大と洋斗で一樹の両サイドをつかんで引き上げる。ひとりよりも2人の方が格段に早く上がることができる。そう、それだけなら。

 

渦の中で目まぐるしく荒れている流れ。それに2人は煽られてなかなか上に行けない。

 

「クソが!進まねぇ」

 

「早くしないと、一樹が」

 

もてあます力などないくらいに足を振っていくが、やはり左右、さらには下に押されてしまう。そうこうしているうちに、一樹のタイムリミットは刻一刻と迫っているのだ。

 

と、ここで航大が、

 

「なぁ、なんか2人に増えたのに1人で上げてたときより流れが強くないか?」

 

「ああ!?」

 

急に航大が疑問に思ったことを口にする。洋斗はこんな状況で、と航大を睨もうとしたが、彼自身もどこか感じる違和感があった。

 

「そうかも、しれないけど!今そんな……」

 

洋斗が言いかけたときに一段強い真上からの流れに2人は怯んでしまう。海で生きてきた2人でさえも苦痛に感じる流れ。知っている海なのに、知らない海にしか感じられなかった。

 

「もしかしたら、海神様は……」

 

航大が目を見開いてそう呟いた瞬間、再び襲いかかる強烈な流れ。それが2人に浴びせるようにして当たり、勢いに負けて航大が一樹の左肩から離れてしまった。

 

「航大!!」

 

「構うな!行け!一樹を死なせるな!!」

 

航大はみるみる海の底へと押し込められていく。洋斗は何度も航大の名前を叫ぶが、それに答えてくれる彼の声は、聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、こりゃ……」

 

果那ノ海では、誰かのかすれた声が転がる。目の前にあるのは御霊火の道でも、彼らの力強い歌声でもない。いくつもの渦。ぐるぐると回り続けるそれは猛獣の牙のようにして海を喰らう。誰もが口を開いてその光景を呆然として見ることしかできなかった。

 

「おい、ウロコ様、こいつぁいったい……」

 

そう誰かが振り向いてウロコ様に問いかけた途端、その男性の顔を覆うようにして青白い球のような膜が現れ、気を失ってしまった。それが疑問から驚愕に変わる前に次々と男性たちが意識を刈り取られていく。迫り来るそれに和洋は咄嗟に体勢を低くしてその場を回転して離れる。

 

「ほう、流石じゃの、和洋。やんちゃしてばかりの昔の姿を思い起こされるぞ」

 

「ウロコ様、あなたは……!」

 

和洋が顔を上げてウロコ様を睨み付ける頃には、他の全員が倒れてしまっていた。その彼らを悲しみのような細い目で見ながらウロコ様は口を開いた。

 

「のう、和洋よ。ワシは誰だか知っておるか?」

 

「は?」

 

この場からは明らかに外れた質問が来たため、和洋でも顔を歪めてウロコ様を睨み付ける。

 

「ワシは、ウロコ。じゃろ?あくまで、ワシは海神のウロコなんじゃよ」

 

普段とは変わらない口調に、どこか諦めた感情を和洋が感じ取った頃には、彼もまた青白い膜に覆われてしまっていた。

 

「……ゆるせ、和洋。そして子どもたちよ」

 

最後の1人の眠りを見届けると、ウロコ様は自信の杖をひと振りし、鈴を鳴らした。それは雫が水面に落ちたように瞬時に広がっていった。海でさえも揺らすその音色は町中に届き、そしてそれは光輝く膜となり、町を覆う。それと同時に渦はひとつとなり、膜以上の輝きを放って姿を変えていく。

 

それを、僅かに意識を取り戻した海遥は見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一樹ぃぃぃいいい!!!」

 

「待て!お前が行ってどうなるんだ!?」

 

涙は止めどなく流れ、狂喜乱舞のごとく叫んで海へ飛び込もうとする茉紀を大生が必死に抑える。

 

おふねひきは当然中止。もはや災害と化したそれは人々を興奮から一気に絶望へと引きずり込んでしまった。沈没してしまった何隻かを除いて全てが埠頭へ帰還した。怪我人もでている。そして、行方不明者も。

 

「どうしてそんな落ち着いてられるの!大生は心配じゃないの!?」

 

「心配だからこそ、俺らが喚いてもしょうがないだろ!」

 

怒鳴り散らす茉紀を必死に抑えようとする大生を助けるように里実も駆けつける。

 

「汐帆ちゃんは海の人だけど、一樹は陸の人なんだよ!エナもないのに呼吸なんてできないよ!!」

 

「だから落ち着けって!今みんなが探しているんだ。彼らに任せるしかないんだ」

 

現在、汐帆が海岸近くに浮かんできた。それをいち早く駆けつけて確認してみたが、気を失っているだけのようだった。しかしそれがただ本当に気を失っているのか、眠ってしまったのかはまだわからない。

 

「もし……もし一樹が……」

 

「おい、誰か上がってくるぞ!ライトこっちに向けろ!!!」

 

茉紀が泣き崩れたとき、一人の男性が叫んだ。他の人を大きくて招いてライトを動かさせる。そこには確かに誰かが浮かんでくるのが見える。それも二人。

 

「ぶはぁ……!」

 

顔を出したのは洋斗。そして力なく目を閉じている一樹だ。

 

「早く上げろ上げろ!!」

 

船がすぐに出て二人を引き上げる。そこに茉紀たちも乗船して二人に駆け寄る。大生の父が手早く一樹の右横に膝を突いて両手を合わせて心臓マッサージを開始する。その横で息が完全に上がって倒れ込む洋斗を大生と里実が看病をする。海の人間でさえここまでに疲労困憊となっている姿を見て、海の中で起こっていた惨劇が想像できる。

 

「……はぁ、はぁっ!……みん、なは?」

 

息が切れながらも洋斗は体を震えさせながら顔を上げる。彼の視界に映る里実は、涙を流しながらわなわなと震える姿だった。そしてゆっくりと左手を水平にあげてから指を指す。

 

それとほぼ同時に一樹が息を吹き返す。水を吐き出して微かに開いた目には、きっと茉紀の泣きじゃくる姿が映っているだろう。茉紀の叫びには目を向けず、洋斗は里実の示した方角に顔を向けた。

 

「……え?」

 

洋斗は、理解できなかった。今目の前にあるものが、果たして現実なのか、夢なのか、判断ができなかった。もしかしたら幻想なのかとも考えた。しかし、里実の顔を再び見るが、表情は変わらない。そこには、やはり彼女も感じていた、この世の物とは思えないという思いが表れていた。

 

ゆっくりと、また洋斗は()()を見る。現実ではないと、なにかの間違いだと、誰かにそう言ってほしかった。

 

そこには、闇に浮かぶ月に照らされた、巨大な氷の山があったのだ。

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