凪のあすから おもいのカケラ   作:柊羽(復帰中)

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第四十話 月夜の囁き

二人は懐かしむ目であたりを見まわしながらそれぞれの家に戻った。

 

「そういえばね、みんなで巴日を見ようって、漁協に集まってるんだ。はやく行こうよ」という茉紀の提案で、一樹たちは一旦家に荷物を置くことにした。

 

たった数ヶ月経っただけなのに家のドアが少しだけ懐かしく見える。家には母親がいて、笑って出迎えてくれた。それに申し訳なさを感じたが、すぐにみんなのところに集まると告げた。

 

「そっか。うん、みんなも会いたがってるだろうし、行ってきな」

 

しょげる様子もなく、ばんと背中を叩いてきた。一樹は痛がる素振りだけしてから荷物を自室に置き、家を出た。

 

一樹の母は、自分のことはいいからと言う意味で背中を叩く。そのときの力は、やはり五年前よりも、弱かった。

 

大生の家に行って合流し、二人は漁協についた。ここはいつのまにかなにかしらで集まる集会所と化していた。それは五年前からそうなった。そう、あの決断も、ここで。

 

「おー、久しぶりだなァ、一樹に大生!」

 

「隆広も元気そうで何よりだ」

 

二人に一番に速く駆け寄ってきたのは隆広だった。彼は中学卒業後、高校には通わずバイトをいくつか始め、後に免許を取って運送業関連の仕事に就いた。最近あたりからスーパー・マツシゲに野菜や総菜等を運ぶようになったという。一樹が高校に入ってからはなかなか顔を合わしていなかったので、まったく変わらない姿に安堵した。

 

「ただ帰ってきたってわけじゃなくて、研究のためっていうのが、いかにもエリート大学生って感じだな」

 

「ふふ、そうだね。私たちもなんだか誇らしいよ」

 

二人を見て幹大と里実も懐かしむように微笑んでいる。幹大は家業を継いでいる。けれどこの異常気象のためにここから遠く離れた地点で漁をしたりと、苦労をしているらしい。

 

里実は、一樹たちの予想通りといったかんじで、祖父の後を継いでスーパー・マツシゲで働いている。そこには汐帆も店員としている。近々感じる過疎によって売り上げが伸び悩んでいるのだという。

 

大生はそこにいた父親と話をしている。ふたりとも笑っている様子から、こちらも和んだ空気に変わっていくのがわかる。

 

そして、ふと一樹は部屋の中を見まわしてしまった。その視線が探すものを、里実はいち早く察した。

 

「……あ、洋斗、いないよ」

 

里実の一言で、場が一気に静かになっていくのがわかった。

 

「ちゃんと事前に言っておいたんだけどね、やっぱりこないみたい」

 

「そう……なんだ」

 

里実は言葉を並べるうちに、徐々に萎んでいくように声が小さくなる。それを見て一樹は顔を背けるように呟いた。

 

一樹も、里実も、この場にいる全員はすでに知っている。知らないはずがなかった。今の洋斗は、五年前の四月のように、いやそれ以上に一樹たちから距離を置いていた。もう、底が見えぬ深い谷を挟んでたっているような、圧倒的な距離。誰もが、どうにか解決したくてもできない、そんなもどかしい状態。

 

そうなってしまった原因は、明確ではないけれど、おそらくあの……。

 

「あー、あー、えっと、とりあえずみんな揃ったんだし、そろそろ移動しません?大生の家で早めの夕飯を食べようってなってるはずで」

 

「そう、だったな。うん、そろそろ行こうか」

 

「俺と一樹は教授を迎えに行かないと」

 

またしても静まりかえった場を断ち切るかのように茉紀が口を開く。それに付いていくかのように一樹もうなずき、大生とともに徳島と落ち合う場所へと向かう。残りは大生の家に向かった。

 

徳島の車を目視できたのは集合場所に二人が着いてから十分後くらいだ。乗り込んで道案内をして漁協まで案内をする。残っていた大生の父たちと挨拶や調査手順等などを話し、機材運搬のために大きめのソリをのせた軽トラも一緒に海まで目指す。

 

分厚い氷面の、薄い部分を探し出し、海中の流れを測る装置を入れたりするために穴を開けてある。その近くに臨時調査所という体のテントを立てる。ソリに乗っけた機材を並べ、一段落する。このあと巴日の観測がてら、調査を開始することとなっている。

 

手伝ってくれた漁協組合の人に感謝の言葉を述べ、そこでわかれる。一樹たちは大生の家へと向かった。

 

いつの間にか日は傾き始めている。午後六時頃に夕食会が開かれた。この異常気象は気温だけが下がっているので、日の長さは普通の夏と変わらないのだ。

 

二人が帰ってきたというだけあってかなり豪華な食材が使われている。中でも鍋は沢山の具材が入っていて、染みた味とアツアツさが体の内側に浸透していくのがわかった。

 

夕食をさらに彩ったのは、やはりこの中では少数派という大学生活についてだった。大学は大きくて綺麗なのだとか、授業はどういったかんじなのだとか、研究はどういったのをやっているのかだとか、綺麗な女の子はいないのかだとか、狙っている女の子はいないのかだとか、主に幹大と隆広が女の子情報をほしがった。相変わらずだなと一樹は笑い飛ばしながら、そんな出会いは起きないと一刀両断した。

 

逆に一樹と大生の知らないみんなの三ヶ月の出来事を聞いた。幹大が船の上で朝食を取ることが増えてきたとか、自分で魚の捌くのは朝飯前になったとか、隆広が四苦八苦した隣町のバイトの話だとか、茉紀の出会った面白い小学生の話だとか、これもまた様々で場が盛り上がった。おまけに徳島の教授に就くまでの人生を聞くこともできた。

 

夕食を終えて、一行はテントを張った場所に戻ってきた。余分に長いすは持ってきてあるので、みんなが来ても冷たい表面に直で座ることは免れた。

 

月下に照らされる氷山。そこから伸びる影が一樹たちをいつかは飲み込んでしまいそうに感じる。

 

いよいよだね、と茉紀たちが巴日について期待を膨らましているとき、なんとなく一樹は今朝見た夢の内容を大生に話した。二人ですっかり空気で冷やされた機械にビックリしながら自然と小声になりながら話す。

 

「お知らせ……そのときはよろしく、か」

 

大生は慎重に言葉を並べるように反復する。

 

「今までは、その、おふねひきの夢を見ていたんだよな。前にも言ってたろ」

 

「ああ。だけど、今日のは違う感じだった。あんな、教室が出てきたりとかなかったんだ」

 

一樹は今でも今朝の夢の内容を鮮明に思い出せた。寝るときに見る夢なんて、ほとんどは起きるときに内容を忘れてしまっていて、なにか面白いことや怖いことだったのに、とそれくらいしか残っていない。よほど衝撃的なことじゃないと覚えていない。

 

まあ、と少しの間をおいてから大生がぽつりと言った。

 

「今日がたまたま巴日が地上で観測できる日で、それが海の中でしか見れない現象で且つ吉野川と連想してしまったがゆえに、そういった夢を見たのかもな」

 

「……」

 

そうかもな、とは思ったが口にはしなかった。確かに、そう頭が関連づけてしまっているのかもしれない。けれど、やはりこれはただの夢ではないと、一樹はそう思っている。これは、どういう方法かは見当もつかないが、澄澪が一樹にこれから起こるなにかを伝えようとしてきたのではないか。

 

それを大生は感じ取ったかのように続けていった。

 

「でも、俺もなんか感じるんだよな。一樹みたいに夢は見てないけど、なにかが起こる」

 

 

 

俺の見た意味深な夢と、大生の感じたなにか。これが、大生が提示した頭が関連づけて見せた幻想などということではなく、まさに第六感とも表されるべきものだったと痛感するのに、そう時間はかからなかった。

 

「……、これは!」

 

徳島が操作していたパソコンで見ていた潮の流れを数値化、色別に表したグラフに、変化があった。

 

「皆さん、始まりますよ」

 

徳島が後ろを振り返ってみんなに巴日の始まりを告げる。それを聞いてより一層歓声を上げた。それとなく場の空気が徐々に変わっていくのもわかった。引き締まっていくような、温度を奪っていくような、なにかが動くような。

 

それは、彼らの下の、深い深い海の中。キリキリと擦れ合う音がして、まるでビー玉のように光の欠片が集まって球体を成す。凍った水面が宝石のように輝く。そして虚像がふたつ、彼らの空に姿を現した。それが透き通った夜空を照らす満月の下に並び、線で結べば三角形になる。月の虚像からでる光が虹色に輝いて、月をも覆い隠す円のシルエットのように伸びる。これが、地上で観測できる最初の巴日だ。

 

「綺麗……」

 

「これが、巴日か」

 

始まる前に沸いていた歓声も消え、みんなじっと巴日を見つめる。その目には巴日から放たれるオーラを浴び、巴日に魅了されている。ぽつぽつとでる巴日への言葉も、その力を物語るには充分だ。茉紀は巴日を見つめながらも自身のカメラを操作し、シャッターを切る。

 

「……ん?」

 

巴日が現れてからすぐ、徳島がパソコンに映し出されたデータを見て目を細めた。

 

「なんなんですか、急に潮の流れが……」

 

「これは……いや、エラーが出てる。どうして」

 

大生が徳島のパソコンを覗いて、驚いた顔になる。一樹も慌てて椅子から立ち上がり、パソコンの画面をのぞき込んだ、そのときだった。

 

――――一樹君。

 

「……!!!」

 

一樹は体温が一気に抜かれ、肌をざらざらとした指で撫でられるような、けれど彼の耳が受け取った暖かい声と重なって、ただただ驚くしかなかった。一樹はばっと顔を上げてまわりを見まわす。その行動に茉紀たちは不思議がり、「一樹?」と声をかけてくる。

 

けれどそれは一樹の耳には入ってきていない。それよりも、今聞こえたこれは……。

 

――――一樹君。こっちだよ。

 

「……吉野川さん」

 

「え?」

 

再び聞こえてた声。やはり間違いない。あの頃、五年前の日常で聞こえてきた彼女の声。今朝見た夢で聞こえてきた彼女の声。聞き間違えるはずがない。

 

「どこだ、どこにいるんだ!」

 

「おい、一樹!」

 

「どうしたの」

 

あたりを見まわして、五年前に冬眠に入った澄澪を呼ぶ一樹を心配し、皆が駆け寄ってくる。茉紀は一樹の体を揺する。

 

「一樹……まさか」

 

「まさかって、大生はなにか知ってるのか」

 

その光景を見ていた大生はハッとなって目を見開く。徳島はパソコンと大生を交互に見ながら説明を求めた。

 

――――一樹君。こっちだよ。こっちにいるの。

 

「……そっちか」

 

今度は、一樹は聞き逃さなかった。いや、どこから聞こえてくるのかわかるはずが無いけれど、あの方向からすると直感で判断した。

 

みんなの静止を気にもせずに、走り出した。それを大生たちが追いかける。

 

「……はぁ、はぁ」

 

息が切れる。ろくに運動してこなかった上に、大学に入ってからは体育すら疎遠となった。それでも、彼女の声を聞いたことで一樹の体を動かし続ける。そして今一樹が走っている方向にあるのは、かつておふねひきの最中に巨大な渦がいくつも発生した、まさにそのポイントだということは、一樹は気づいていない。

 

「おい、待てよ一樹!」

 

日頃の労働で体力がついていた幹大が追いつき、一樹の肩をつかんだ。そして徳島一人をテント前に残して皆が追いつく。彼らとしては、突然澄澪の名前を出す一樹が心配でたまらなかった。この巴日が彼の心の奥にしまってあった辛い記憶を開けてしまったのではないかとも考えてしまった。

 

「いきなりどうしたんだよ!急に吉野川さんって、おまえ」

 

「幹大には聞こえないのか!?吉野川さんの声が……」

 

肩で息をしながら幹大に向かって言葉を投げつけようとしたとき、凍った水面が一層輝きを増した。それは彼らの立っている場所を中心に、急激に広がり始める。目を隠さずにはいられない光量に一行は怯んだ。

 

その輝きは一瞬にして落ち着きを取り戻した。目から腕を離す。なにが起きたんだと皆が顔を合わせていた。すると……。

 

「!! ねぇ、あれ!」

 

里実がわなわな震えながらある方向を指さす。その先を皆の視線が動いた。そして、目を疑った。

 

そこには、人が二人、倒れていた。二人とも衣服はなにも身につけていなかった。体格からして、中学生くらいだ。そして髪型、髪色を確認した。間違いない。

 

「航大君、沙月ちゃんだよ!」

 

里実が叫ぶ。大生と茉紀が駆けだしそれぞれ着ていたジャケットを被せた。

 

「……ああ、こんなことが」

 

「二人とも、五年前と、なにも……」

 

彼らの前にいる二人は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。突然の出来事になかなか頭が追いつかない。

 

「おい、とりあえず二人を運んで」

 

大生が航大を抱えようとしたとき、航大の瞼がピクッと動いた。それに気づいたのもつかの間、若干震えながらもその瞼が開き、瞳が現れた。

 

「……あ、ああああ!」

 

まどろんだ目は急に意識をはっきりと持ち、航大が大声を上げながら体を起こす。

 

「一樹は!洋斗は!」

 

「大丈夫だ、一樹は大丈夫だ」

 

「ああ、俺はここにいるぞ」

 

両手を動かしてばたつく航大を落ち着かせようと大生はゆっくりと話しかけた。一樹もしゃがんで航大の顔をしっかりと見る。

 

けれど、少し落ち着いた航大の目には、それはいかにも目の前の人物が誰なのかつかみきれていないような、もやもやとしたものがあった。

 

「おまえ……一樹なのか?」

 

「!!」

 

「……海遥!海遥!!」

 

航大に気を取られていたが、沙月も目が覚めたようだ。航大と同じように勢いよく起き上がり、海遥の名前を呼んだ。目には真珠のような涙がいくつも零れ始めて、退化してしまったかのように四つん這いで動こうとする。

 

「待って、待ってください、沙月先輩!」

 

「沙月ちゃん!」

 

茉紀と里実が沙月を手で押さえ、抱きしめた。沙月は今いる状況がいまいちつかめず、焦点がうまくあわない。それでも、視界に航大が映ったときだけは、意識もはっきりとしたようだ。

 

「航大……」

 

「俺は……俺らはいったい」

 

航大はゆっくりとあたりを見まわし始める。やはりその目は未知なる世界に迷い込んだ、いわば恐怖に怯える目だ。そして、沙月とほぼ同時にあるものをとらえた。

 

「なん、なんだよ。あれ」

 

「ねぇ、ここ、地上……なの?」

 

夢かうつつか、その狭間で浮かぶような二人は、ある一点を見て動かなくなってしまった。その先にあるのは、言うまでも無く、巴日と氷山だ。

 

航大には,沙月には、自分らが冬眠している間に起きた、彼らの知らない現象は、どう見えているだろうか。一樹たちは、どう見えているだろうか。二人の目から落ちる涙は、美しくもあり、心を削るほどの鋭さもあったように思えた。いや、二人を同情することも、気持ちをそばで寄り添って考えることすら、断罪されることなのかもしれない。

 

止まった時が、軋みながらも動き出した。その軋みは、現在との差で起こるのだとしたら、このさきにあるのは、破滅だろうか。

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