凪のあすから おもいのカケラ   作:柊羽(復帰中)

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第四十五話 五年後の果那ノ海

「で、これを立てた後にこれをはめ込む。そして電源ボタンを入れれば、こういう風にランプが赤く点滅する」

 

「ほうほう、馬鹿な俺でもわかりやすい設計だな」

 

 果那ノ海に行けることを話した次の日。空には雲がまばらに浮いていて、この氷床と化した海のよう。

 

 一樹たち研究チームの拠点であるテントの近くに掘った穴の前で、一樹は航大に設置してもらう機械の説明をしていた。それを終えると肩掛けバッグに入れて航大に託す。

 

「こっちの機械から位置情報をタブレットに常時送ってるから、これを頼りにして進んでくれ。もし何かあったらここを長押しして。緊急用のもので、通知はこっちですぐ受信する」

 

「わかった。航大がそれしょってるから、私が持ってる」

 

 沙月は大生からタブレットを受け取る。

 

「その機械が作動したら自動でこっちに作動確認できるから」

 

「ああ。んでよ、設置した後は俺らで自由に果那ノ海を散策していいんだよな?」

 

「それは構わないけど」

 

 航大の問いに一樹は返答したものの、ちらりと横目で大生や徳島の顔を見る。徳島はそれに答えるように軽く頷いた。

 

「そうだな、それは問題ない。けど時間制限をつけておこうか。2箇所に設置してもらうから、2つ目の機械を設置してから1時間。あくまで保険だ。君たちの体のことを考慮してね。あと、ずっと闇雲に探索し続けてもらちがあかないはずだ。場所を絞って探すといい」

 

「1時間。うん、果那ノ海にさえ行けりゃ、今後いつでも探しに行ける」

 

「だね」

 

 航大と沙月が互いに目を合わせてから改めて一樹たちの方を振り返る。

 

「それじゃ、行ってくるぜ」

 

「頼んだぞ」

 

 一樹のその言葉には、様々な意味が込められているのが航大でもわかった。穴に入る直前、この場に茉紀がいるのが見えた。単に興味本位で来たのか、それとも一樹たちの研究の活動録を写真に収めようとしているのか。

 

 航大と目が合ったとき、若干気まずそうな表情を浮かべた。それはそのはずで、つい昨日航大と公園であんな会話をしてしまったからである。

 

 それは終わった。もういいんだ、忘れてくれ。俺は大丈夫だ。そういう思いで航大は笑顔を見せた。するとそれを察した茉紀もまた、笑って頷いた。

 

 航大と沙月の足下に口を開く穴。中は薄暗く、奥に行けば行くほど闇が覆い被さってくる。もしここに氷床なんてなければ、もっと綺麗であるはずなのに。

 

 どちらかが指示したわけでもなく、航大から先に入った。後から沙月も飛び込む。足から一気に全身へと伝わる水の冷たさ。空気の泡が晴れて、包み込まれるように体がゆっくりと浮遊する。あたりは暗く、時刻は午前を示すのにまるで夜に浸かった海だ。

 

「一応ライトはあるぞ」

 

「それは助かる。それじゃ、行こっか」

 

 これも一樹から受け取った小型携帯ライトを付ける。沙月はタブレットを見つつ水中を蹴る。並んで航大も進み始める。

 

 海の中を泳ぐ感覚。頬を海水が滑っていく。髪も揺れ、きっと空では鳥のように自由自在に進んでいく。

 

「なんだか、懐かしいな」

 

「うん、それわかる。一週間ちょっと陸で生活しているだけで、こんなに海が懐かしく思えるなんてね」

 

「ああ。この感覚をずっと、何年も手放して生活するなんて、俺には考えられない」

 

「航大は好きなんだね、海が」

 

「そうだぜ。生まれ育ったこの海が。でも」

 

 航大は一旦そこで句切ってまわりを見渡す。ここは久里ノ上の海で、果那ノ海のある海でもある。ここは自分の庭のように知っているのに、まるで別世界に見えた。泳いでいる魚などの生き物は確かにいるが、圧倒的に数が少ない。それどころか、不気味なほどの静寂があった。

 

 これが五年の月日が経った海。自分の知らない海なのだ。

 

「もうちょっとしたら例の流れの強い場所だよ」

 

 しばらく進んでいたとき沙月がタブレットを確認した。これ自身に取り付けられた位置情報を、地上の一樹たちが持ってきたものを介して反映している。進んでいる方向に二等辺三角形の先が向いている。そしてまもなく昨日と今日説明された不可解な潮の流れがあるポイントを通過するのだ。

 

 入ってしばらくは海藻などの緑が見えたが、もうこの地帯では氷床の間から入ってくる日光で岩陰が照らされるくらいで、見ていてつまらない。あの穴から入ったとしても、もう果那ノ海にはとっくに着いている頃合いだから、やはりかなりの遠回りをしているのが実感できる。

 

「着たことない場所だけど、だいたい渦波神社付近に向かって回り込んで行ってる感じか」

 

「そうだね。……っと、このすぐ先」

 

 泳ぐ体勢を変えて水の抵抗を受けて沙月が止まる。航大も同時に止まって先を見つめると、確かに海水の動きが妙だとわかった。

 

「これを突っ切って、どのくらいだ?」

 

「わっかんない。でも、ここをまっすぐ乗り切ればすぐ果那ノ海が見えてくるはずだよ」

 

 そう言うと沙月はタブレットを持ってきた小さい鞄に入れ込む。

 

「さすがに両手ふさがってたらキツイからね」

 

「もし流されていきそうになったら手、つかんでやるよ」

 

「……そういうことを言う相手は、好きな人だけにしたら?」

 

「お前さぁ、こんなときに茶々入れるなよ。……それは追々俺がきっちりけりを付ける。行くぜ!」

 

 体勢を戻して、足に力を思いっきり込める。沙月も一緒になって潮の流れに立ち向かう。これを実際に体感してわかる。これはあまりにも異常すぎる。

 

「なんなんだよこれ、俺らでもちょっとキツいぞ」

 

「これより激しいのばっかりなんて言うから、ゾッとするよね」

 

 右から左へと延々に続く激しい流れ。それに負けじと右へ右へと向きを修正しながら二人は進む。今度は手も使っていかないとあっという間に流れに持って行かれる。

 

「気持ち悪い。不自然すぎるよ」

 

「ああ。明らかに俺たちを歓迎してない。むしろ追い返してんだろ、これ……!」

 

 ある一定地点で起きている潮の流れ。これは沙月の言うとおり不自然。この場所で起きるはずもなく、そもそもある場所だけ激しい流れが起きるなんて明らかにおかしい。その"おかしい"感覚を、ふと航大は思い出した。

 

「この変な感じ。不自然だ。だから自然じゃない、意図的に誰かが作り出した流れ……。これ、おふねひきで起きた渦に似てる」

 

「!」

 

「これを生みだしてるのは、まさか海神!?」

 

 泡が弾けるようにそれは終わった。航大が記憶を遡り、あの日起きた出来事とそれに関連するなにか。それに辿り着いたのかもしれない。脳内で浮かんでは沈む様々なものがひとつに結合した。そんな感覚と同時に潮の流れが終わったのだ。

 

「抜けたのか」

 

「うん、そうみたい」

 

 二人は投げ出されるような状態から体勢を立て直す。再び穏やかな地点へと来たのだ。沙月はタブレットを取り出して現在地点を確認する。

 

「よかった。少しばかり左に逸れたけど、おおむね予定通りのコースを進めてたみたい」

 

「うっし。じゃあ果那ノ海はどこなんだ?」

 

「えっと、これが私たちだから果那ノ海は右の、方に」

 

「右?……え?」

 

 自身の位置を示す二等辺三角形と果那ノ海の位置を確認して、二人とも右の方に顔を向ける。しかし、その先には巨大な氷のドームのような壁が広がっていた。それはあくまで海の中まで氷が及んでいて、底へ近づくにつれてより広範囲が凍っているのだと、そう思いたかった。でも、違ったのだ。

 

 近づいていくとこれが現実だとわかった。うっすらと氷の先に果那ノ海の町が見えた。家々が並んでいる。宴会を行ったホールも遠くにある。見慣れた景色が、氷の中にあった。

 

「おいおい、マジかよ」

 

「凍ってる……んじゃなくて、氷で覆われてる?」

 

 航大は右手で氷の壁を触ってみる。瞬時に皮膚へと伝わる冷たさ、間違いなく氷だった。拳にして叩いてみるが、音や感触だけでかなりの厚さがあるようだ。

 

 沙月はその場を少し離れながら氷の壁に沿って見上げる。するとそこにあるのは……。

 

「航大、見て!」

 

「ああ!」

 

 航大も壁から離れて沙月が指さす方向に目を向ける。氷の壁は確かにドームのように町を囲んでいるように見える。けれど天井からは上へと一直線に巨大な氷の柱が伸びていた。その先端はここから確認することはできない。なぜならば、そこから先は氷床があるからである。

 

「この馬鹿デカいやつの先っちょが、地上にある氷山っていうことか」

 

「うん。この地図からしてそうだと思う」

 

「……とりあえず、どこか入れる隙間かなにか探さないと」

 

 航大は地面を蹴って氷の壁に沿って捜索を始める。沙月も後に続いて見てみるが、航大とは違ってこの氷の性質、どうやって作られたかなどを考えていた。すると、気づいた点があった。

 

「ねぇ、ちょっと見て」

 

「なんだ?」

 

 沙月が止まってまた指さす方を航大が見てみる。そこは氷の壁が岩盤と密着しているところ。けれど航大には観察して不明な点や不可解なものは見当たらない。

 

「これが、どうしたんだ」

 

「これね、よく見ると氷が岩盤に突き刺さってるようなの。だから氷は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「現れたんなら、いや、どっちにしろあの馬鹿デカいのが怪しいだろうな」

 

「うん。あそこから町全体を覆ってる。でも、距離からして」

 

「渦潮神社に近いな。ったく、余計に海神様とかウロコ様が怪しいぜ」

 

 この後もまわりに沿って進んでいくが、いつしか巨大な岸壁が天高くそびえ立ち、氷壁とぴったりくっつき合っている。町を覆う氷壁が、運悪くこの岸壁とかみ合ってしまっていたのだ。まるで木材建築の職人芸のように岸壁の凹凸部分にきっちりと氷が食い込んでいる。

 

「マジかよ……。こっから先ずっと岸壁だぞ」

 

「どうしよう、これじゃ捜索どころか町に入れない」

 

 二人が目の当たりにする状況がぐるりと一周しているのならば、氷に隙間が無い限り果那ノ海に一歩も入れずじまいだ。二人は一樹たちの研究機材設置という名目でここまで来たが、やはり気になるのが海遥と澄澪だ。二人を探すことも機械を設置することもできない。途方に暮れ、苛立ちも焦りも滲み出る。

 

「なんかこう、この壁ぶっ壊せないかな」

 

「無理だよ、こんな堅いのなんて」

 

「だよな……。クソッ、ここまで来たのに!」

 

 航大は苛立ちと悔しさで氷壁に拳を叩きつける。しかしそこに傷ひとつつくことなく、逆に航大の拳に痛みが残るだけだった。崩れるように航大は前傾姿勢になって額を氷壁につける。額からも感じる氷壁の冷たさ。それは二人を果那ノ海から突き放す、二人から希望を奪うような、絶対的な絶望を見せる冷徹さだ。

 

 それでも、航大は諦めなかった。冷やされた脳をフル回転させ、なにか突破口を考える。その言葉通り、この氷壁をどうにかしてくぐり抜けて果那ノ海に入れる。現時点でそんな方法は思いつかない。それでも、それでも、と頭は諦めない。

 

 なにか、なにかないのか?この壁を突破する方法が。ダイナマイト?そんなものは使えない。ここは海だ。ドリル?それをどこから、どうやってここに持ってくる。

 

 強引に壁を突破できなくてもいい。どこかないのだろうか。例えば地下から地上に出られるような通路かなにか……?

 

『※※※※※※※※※※』

 

「……あった」

 

「んえ?」

 

 航大の呟きを岸壁と氷との境目を必死に見ていた沙月が聞き取った。つま先立ちしたまま顔だけを航大に向けると、彼の目にはハッキリとわかるほどに希望の光に満ちていた。

 

「あったぞ、果那ノ海に行ける唯一の場所が」

 

「え!?どこにあるの」

 

「この岸壁の場所で壁の範囲ギリギリだとしたら、あそこにはきっと壁はない!行くぞ」

 

 航大は先ほどの絶望を蹴り飛ばすように目的の場所へ動き出す。沙月をそのまま通り越してさらに突き進んでいく。慌てて沙月も後を追う。

 

 やっと見つけ出した突破口。それが逃げるはずもないのに、岸壁に沿いながら航大は全速力で泳ぐ。まわりの景色を見ながら、自分の記憶とすりあわせていく。そうだ、それは最初からあったのだ。

 

「……ねぇ、もしかして」

 

「ああ。そうだよ。俺たちはもうその道を知ってたんだ!」

 

 少しして見えてきたのは海藻が生い茂る場所。そこをくぐって辿り着いたところで、航大は止まる。

 

「やっぱり、ここは大丈夫みたいだ」

 

 彼の先にあるのは岸壁に開いたひとつの穴。横幅は人二人ほどで高さは航大の身長より少しだけ低いが、問題は無いだろう。そしてここは、海花がまだ生きていた頃、六人で探検隊ごっこで奥へ入ってみたことがあった。この穴は航大が見つけた。結果、出口から見えたのは()()()()()()()()()()()()

 

「途中で氷が邪魔してなきゃいいんだがな」

 

「でも、あの岸壁との接合面からして、町を囲むように氷を張っているけど中の通路にまで貫通してるとは思えない」

 

「ま、行ってみなきゃ始まらねぇ」

 

 航大は再び小型ライトを取り出して穴の中へと入っていく。少しだけ屈むようにして歩く道のりは、やはり懐かしさがあった。たかだか数年前は普通に歩いていたのだから、自分の体の成長を改めて知ることができた。

 

 ここを使う人などほとんどいないだろう。だからだろうか、ここだけは時間が進んでいない、あの頃のままに思えた。

 

 曲がりくねってはいるが分かれ道はない。砂利を踏む音が洞窟内に響く。二人は足早に前へ前へと進み、言葉は交わさなかった。そしてまたひとつ曲がった先に光が差し込んでいた。二人は同時に駆けだし、ついに外へと出た。

 

「これが……」

 

「今の、果那ノ海」

 

 洞窟から出た途端にさらに体感温度が下がった。目の前に広がるのは果那ノ海の景色。けれど町から先に見えるのは氷壁だけで、巨大な空間に町を作ったような何とも言い難い圧迫感があった。

 

「あの氷の柱は……って、えええ!?」

 

 航大はその場から氷の柱を目指して左に歩いていくと、方向からして渦波神社があるのだ。しかし、

 

「神社が、潰れてる」

 

 ゴツゴツとした氷塊がちょうど神社に乗っかるようにあった。そんなものを支えられるはずもなく、神社は無残な姿になっていた。

 

「嘘、でしょ」

 

「神社がない。じゃあウロコ様はどこにいるんだ?」

 

 二人は恐ろしい現実にある果那ノ海に驚き、困惑しつつも当初の目的を果たすことにした。今出てきた場所にひとつ、そして一樹たちの観測場所から一番近い場所にひとつ、持ってきた機械を設置した。後者は航大たちがいつも白風中に通うときに集まっていた広場だった。

 

 どちらも赤いランプが点滅しているのを確認して、時刻を確認する。時刻はまもなく午後一時になろうとしていた。

 

「結構時間食ったな」

 

「まあね。潮の流れをくぐったり、穴を見つけて登ってきたりしたし」

 

「うん。それよか、あの馬鹿デカいののところに行って……」

 

「ねぇ、航大」

 

 目線はもう巨大な氷柱にある航大は、腰に手を当てながら沙月の方を見る。その声にはある種の緊張があって、それが気になった。

 

「その前にさ、自分たちの家に行ってみない?」

 

「……あ」

 

「その、別に航大はあのところに行ってもいいんだけどさ。私は、その、様子だけでも見たくて。お父さんとお母さん、おばあちゃんの顔が見たいんだ」

 

 確かにそうかもしれないと、航大は目を細めた。自分らの物差しで考えてはいけない。この世界は五年も年月が経っている。それまでずっと自分たちも冬眠に入っていて、そして他の人たちは今も眠っている。ちゃんとリラックスした状態で眠っているのか、また青年会の人たちはおふねひきで唄を歌っていたはずだ。そこに航大の父もいた。あの後どうしているのか。考えれば様々なことが浮かんできて、不安になった。

 

「俺も、やっぱり家に帰るわ」

 

「うん。じゃあ、時間とかどうする?」

 

 航大はバッグから海中用の小型時計を取り出す。これもまた一樹が持たせてくれた。とても用心深いやつだと、航大は改めて思う。

 

「そうだな……。三十分後にまたここに集まろう」

 

「了解」

 

 そう言うと沙月はふっと歩き出す。その方向とは逆の道を航大は歩き出す。一週間ちょっとしか経ってない、けれど五年も経ってしまったそれぞれの家を目指して。

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