あれから、澄澪は陸の女子と少しずつ会話ができるようになった。
特筆するべきではない、大したことない会話だが、澄澪にとってはそれだけで嬉しいものがあった。また、それによって澄澪といつも話していた沙月にも会話を振られるようにもなった。
その一方、依然男子は両者とも歩み寄ろうとはしていなかった。むしろ距離が開いていっているようにも見えた。
「なんだかなぁ」
「ん、どしたの?」
放課後、特にやることも無く下校をする2人、幹大と隆広がいた。
下駄箱で靴に履き替え、玄関を出る。そんなとき、幹大は何かやるせない感じでため息をつく。
「あいつら、海のやつらが来てから、俺の権限が無くなっちまった的な」
「権限って、おいおい幹大さ。……ま、そう言えなくもないけどね」
幹大はクラスの中心的人物であった。クラスは学年一クラスずつしかないため、クラス替えなんてものは無い。故に三年間同じメンバーで過ごす。
中学1年の頃から、幹大はその明るい性格を活かしてクラスの人気者となっていた。またはじめの頃から隆広や一樹とも仲良くなっていた。
冗談を言って周りを笑わせることもあったけれど、隆広のボケをツッコむ役としてもいた。このコンビは誰からも人気で、度々この頃から委員長の里実を困らせることもあった。
だが、2年のはじめの出来事で周りの反応が少し変わった。
確かに初対面の人たちにあんなことを言ったら怒るだろう、と後々考えれば幹大にでもわかる。航大の怒りの引き金を引いたのは隆広だが。
それでも、航大の怒りもそうだが、海遥に言われたことには少し腹を立てた。上から目線で、まるで使い物にならなくなって捨てられたかのような、自分の存在がちっぽけなものだと決めつけられた感じだった。
後日、それについて他の男子に少し愚痴として言ったが、彼らは「あれは流石に俺らが悪い」、「そう言われて当然だ」などと同感の言葉は返ってこなかった。
それからというもの、去年のように授業中にふざけた言動は極限に減った。
別に幹大は興味を失った訳ではないが、やる気になれない。やれないのだ。
座ってる後ろから彼らが、海の5人が座っていると考えると、なんだかやることに抵抗感が生まれ始めた。
決して海の5人がクラスの上位に立った訳でも、他のクラスメートを仲間にして幹大だけが独りぼっちになった訳でもない。
けれど、どこからともなく沸いてくる劣等感、自分が勝負に負けたという感覚に襲われる。
そして、幹大自身が、"自分はクラスの人気者、中心人物。だから、クラスで一番上"と
「……そういえばさ、明日長距離のタイム測定あんじゃん!そこで一位取ればいいんじゃね?」
「ああ、そういえばそんなのあったな」
2年になってから初めての体育の授業は長距離走だ。
最初は少し長めの距離を二回ほど走ったくらいだったが、そのうちタイムを計るようになった。明日の体育は長距離走の授業最後なので、タイムは成績にしっかり反映される。
「一位になれば、それとなく幹大の権限も回復する的な!」
「んー。海のやつらは3人固まってちんたら走ってたから実力は知らないけど、クラスの中ではかなり速いほうだしね、俺」
「そうそう。大生も結構長距離タイプだけど、多分幹大の方が上やろ」
何故か隆広の方が自慢げに話す。幹大は再び「んー」と曖昧に返事してから
「別に俺の信頼が無くなった訳じゃないんだけどねー」
どこかヘンテコな喋り方をすると、突然走り出す。隆広も追うように走り出す。
「俺はそれよりも長距離の後のサッカーが楽しみだな!」
そう、
翌日、体育の授業。
大半の生徒がこの日を楽しみにしてこなかったことか。長距離を走りたがるやつなんてそういないだろうと思っていたことだろう。
だが、中にはこの日を待っていた人もいる。その内に、一樹もいた。
――――少しでも、自分をアピールしていかないと。現段階では自分の存在は認識されてるはず。あとは俺のイメージを……!
一樹はなんだかんだでスタミナはあるほうだ。彼は運動は出来る方で、前々から幹大たちと放課後日が暮れるまでサッカーをずっとしていた。
現在は夕方頃に海沿いや山の道をたまにランニングしている。
これで1着にでもなれば、『スタミナがある→運動できる系男子』という一樹の頭の中で方程式ができあがっていた。
しかもクラスの人数の関係上、男子のタイムを女子が見て、女子のタイムを男子が見ることになっている。これなら確実に速い生徒に注目がいくだろう。
授業の始めの体操が終わり、誰が誰のタイムを見るかのペアが組まれた。
男子が13人、女子が12人なので男子が1人余るのだが、何故か見事にそれが一樹になった。
結局一樹は先生が見ることになり、海は皆バラバラに分かれた。洋斗は里実とペアになり、澄澪は隆広とペアになった。残りの海っ子はそれぞれ陸の生徒と。
隆広は澄澪に「よろしくねー!」と笑顔だったが、彼女の方は一応、うんと答えたが、まだぎこちなさが取れていなかった。
「んじゃ、男子はスタートラインにつけーい!女子はちゃんとペアの男子の回った回数数えとけよー」
体育の先生、
長距離走れる組(一樹や幹大たち)は前の方に、と走れない組(隆広や洋斗たち)は後ろの方に集まる。
阿波先生はグラウンドの外に置かれた横長のタイマーのボタンを押した。
「スタート!」
阿波先生の声と同時に、一斉に走り出す。走り出す音が、靴の底で細かい砂や砂利を蹴る音が何層にも混ざり合う。
ここで割とスピードで差が出てきた。トップ組に出たのは大生、幹大。そして、まさかの航大、少し後に海遥だった。さらにその集団を一樹が追う形となった。
「え、海っ子速くない?!」
「泳ぐだけじゃなくて足も速いんだ」
グラウンドの内側で固まって座っていた陸女子一同が驚く。走っている陸男子もこれには驚いただろう。
やはり、海の人間というと"泳ぐのが得意"というイメージが強いわけで、"速く走れる"というイメージはあまりにも薄い。
けれど今目の前で起こっている光景は、それを覆すものだ。海の人間だからって、足が速くない訳ではないのだ。
今回は、勿論足の早さではなく、長距離を走れるスタミナの有無が問われる。が、前回までちんたら走っていた2人がここまでスピードをあげ、尚且つ失速せずに走り続けていたので『足が速い』と言われてもおかしくは無い。
「でも、二軒屋君はそうでもないね」
「そうだねー。遅い組にいるね」
まあ、無論、個人差はあるわけで。洋斗は運動が苦手である。
――――くっそ……!みんなペースが速いな。しかも、海の2人がここまで速いなんて予想外だ。
――――思ってたとおり、大生はペース落ちないな。……ていうか、こいつら走れんのかよ。
一樹と幹大はそれぞれ、なかなか追い越せない苦しみと同時に驚きを感じていた。
トラック1週が約200メートル。今日男子が走るのが1500メートルなので、7週半走ることになる。
これも大詰め。残り2週くらいになったところで、航大と海遥が互いにアイコンタクトと取ったかと思えば、ラストスパートのようにさらにペースを上げた。
幹大はさらに驚くが、それどころではなかった。少し前から息が切れ始め、スピードが落ち始めていた。
大生とはかなり差が開いていた。それを少しずつ2人が縮めに行った。
――――このままじゃダメだ!まだ巻き返せる!
幹大は苦しい呼吸をなんとかしながら、段々重くなってきている足を懸命に動かす。
――――いやー、追い付けね-。無理ゲーやわ。
一方、一樹は諦めていた。半分終わった頃から既に呼吸が苦しくなっていた。足も痛くなってきて、体全体が怠くなっていた。
もうしょうがない、とりあえずこのペースを維持して走りきろう、と妥協して緩めたペースにした。
「大生君、あと1周!」
大生のペアの女子が、大生に聞こえるように伝える。
それを聞くと、ここでラストスパートをかける。
続けて航大と、少し遅れて海遥もあと1周コールを受けた。彼らもまた加速を試みる。
「あの2人、あんなに走れたのね」
「……え、あー。そうだね、ビックリ」
沙月も2人に感心していた。それに曖昧に反応する澄澪。彼女も嘘はついていないが、今しっかりと目に映っているのはもう少し先にいる……。
「ねーね、澄澪ちゃん。あの2人ってなんであんなに走れんの?」
1人の女子生徒が疑問を投げかけてくる。いくら海の人間だとはいえ、泳ぐことしかしてない訳ではないと知っているが、基本海で生活しているという概念がある彼女としては気になったのだ。
「んー。こうちゃんとみはっちゃん、小さい頃からずっと一緒だったけど、至って普通だったけどなぁ。……でも、たまにナイショで陸に上がって遊んでたみたい」
「えー!?!」
彼女以外にも、周りの女子何人かも驚いて目を大きく見開く。
これもまたイメージだが、海の人間は小さい頃は海の中でのみ遊ぶ、と思われてきた。それは、だけれど間違いではない。
果那ノ海ではルールとして、小学校に入るまでは陸に上がるのは禁止、小学校に入ってからは親の許可なしで出るのは禁止。
それを破って2人は陸でも遊んでいたのだ。さりげなく陸の子供と鬼ごっこやらサッカーやら。それ故なのかはなんとも言えないが、もはやそれはどうでもよくなったようだ。
「幹大、ラストー」
ペアの女子の声が聞こえた。幹大も残り1周となった。
もうそのまま寝っ転がりたいが、それは自分自身が許さない。
――――大生ならまだしも、あの2人にさえ負けるのは、いやだ!
歯を食いしばり、足にさらに力を込める。地面を蹴る音のテンポが早くなる。
苦しいけど、どうしても自分のプライドが許さない、その一心で駆ける。
「……らあああぁぁ!」
速さの違いで何周と差が開いた生徒たちを追い越す。その途中、誰かと接触したが、それどころではなかった。
――――追いつける!
手を伸ばせばあの2人に届きそうな距離まできた。ゴールはまもなく。それまでに、と幹大は最後の力を振り絞る。
ここで先頭の大生がゴールした。大生もかなり疲れている様子で、ゴールすると少し歩いたところでグラウンドの内側に入り、その場に座り込む。
最後の直線に入った。2人も全力を出す。幹大も食らいつく。
迫り来る瞬間。
2人と1人が、3人の集団に変わる。
そして、ゴールした。
結果は、航大の次に幹大がゴール。その次に海遥。
「くっはああああ」
一気に力が抜け、その場に倒れる。全身でなんとかやりきったと感じれる。
――――吉成には負けたけど、蔵本は抜かせた。
幹大の中では、達成感と謎のうれしさがあった。
これはきっと、あの日海遥がクラスに、いや幹大たちに言った言葉に対しての仕返しができたのか、と思った。
実に自分勝手で、よく考えるとよくわからない発送だが、彼にとってはこれで少し満足できたのだろう。
しかし、簡単には吹っ切れることはできなかった。
「おーい、二軒屋!大丈夫か?」
ふと、阿波先生の声が聞こえた。誰かを心配してタイマーから離れ、その生徒のところへ近づいた。
「いえ、大丈夫ですので」
「いやいや、けど結構血出てるぞ。洗って消毒した方が」
「いや、本当に大丈夫ですので。また後日走るのは勘弁です」
会話の聞こえる方を見ると、スタート時と変わらないペースで走っている洋斗と、それにあわせながら心配そうにする阿波先生。
洋斗の足からは、出血があった。臑から膝までを擦りむいていた。さらに、腕にも擦りむいた後があり、そこからも出血していた。
ダイナミックに転んでいたのか、気づかなかった、と人ごとのように思っていたが、すぐに何か頭のなかで引っかった。
それを目の前に突き出すように、
「幹大さぁ、ラストのとき二軒屋君を突き飛ばしたでしょ。しかも後ろから」
「自分のタイムが気になるのはわかるけど、そういうのは良くないよ」
ああ、とその違和感を思い出した。
あの時、接触したのは洋斗だった。
かなりスピードを出していた幹大が洋斗の後ろからぶつかれば、転倒してしまうはずだ。
疲れと、傷の、2つの辛さに耐えながらも走る洋斗の姿を見て、そう思った。