それでは、おやすみなさい。
良く晴れた夕焼けである。ぼぅ、と。夕焼けの空を眺めながら鹿目まどかはそう思った。西の方角にオレンジ色の塊が沈んでいく。高層ビルの影に沈んでいく。
少し離れたところでは、暁美ほむらが何やらカチャカチャと弄っていた。傍らには紅い髪の子――確か、佐倉杏子――もいる。2人は並んで、時折相談しながら、何やら弄っている。
3人がいるのは大型スーパーの駐車場だ。まどかはたい焼きを食べながら、2人の作業が終わるのを待っていた。
「思ったよりも難しいわね……」
「国産は何度かあったが、外車は初だからなぁ」
思ったよりも作業は難航しているらしい。ほむらの苛立ったような声がまどかの耳に届いた。
あの才色兼備で魔法少女のほむらちゃんでも苦手な事があるんだなぁ、と。そんな他愛のない事を考えながら、たい焼きの尻尾の部分を口に放り込む。手伝おうとは思わない。何をしているのかわからないのに手伝うも何も無いからだ。
「おっ、よし、これでオッケーだな」
「ええ、じゃあさっさと行きましょう」
再び夕焼け空を眺めて数分。
作業が終わったのだろうか。先ほどまでとは異なり、晴れ晴れとしたような2人の声が耳に届く。
顔を向ければ、達成感に溢れた2人の笑顔。そして車。黒塗りの、一目で高級車と分かる車。そのドアが開いている。
「さ、まどか行きましょう」
「う、うん」
「っしゃ、海行こうぜ、海!」
振り返り、名前を呼ぶほむら。どうやら海に行くらしい。意気揚々と杏子は車に乗り込むと、エンジンをかけた。ほむらに促されるまま、まどかは彼女の手を取り、後部座席に座る。初めて座る高級車の、それも革張りの座席に、若干の座り心地の悪さを感じた。
「ふふっ、楽しみね」
だが今まで見たことが無いような笑顔を浮かべるほむらを前に、そんな自分のちっぽけな感情は消し飛ぶ。釣られるように、まどかも顔を綻ばせた。何故だかとても嬉しかった。
「っしゃ、行くぜっ!」
慣れた手つきで車を発進させる杏子。僅かな振動とともに、3人を乗せた車が混みあった駐車場を出ようとし――――
「拙いわね、持ち主が戻ってきたわ」
「げっ、時間かけ過ぎたか」
持ち主、そして時間をかけ過ぎた。不穏な言葉と、珍しくも焦ったような2人の声。連れられて前を向けば、そこにはまどかたちに向かって走ってくる早乙女先生の姿が。……先生?
「せ、先生?」
「……杏子」
「ハッ、分かってるよ」
急加速でバックする車。だが早乙女和子は容易くついてくる。焦る杏子とほむら。だが3人の常識を容易く覆し、彼女はフロントガラスに張り付いた。
「かーなーめーさーん?」
ヒッ、と。情けない声がまどかの口から零れる。何故自分の名前だけが呼ばれるのか。何故自分だけを見ているのか。顔見知りだからか。顔見知りだからなのか。
フロントガラスに罅が入る。焦る杏子とほむら。滅茶苦茶に車を動かし始めるが、それでも引きはがせない。Gでまどかの身体が左右に揺れるが、それでも早乙女和子は引きはがせない。
「かーなーめーさーん?」
早乙女和子に名前を呼ばれる。心の底から冷えるような声。顔は笑っているのに眼は笑っていない。そしてその双眸がまどかを捉えて離さない。これを恐怖と言わずして何と言うのか。
「かーなーめーさーん?」
3度め。抑揚の無い声。もう無理だ。恐怖が全てを上回る。だが眼をそらせない。固定されたまま動かない。意識の片隅でほむらと杏子が何かを言っている。でも分からない。声も届かない。認識でない。狭まる視界。遠のく意識。そして――――
「かーなーめーさーん?」
■ まどマギ×Fate 9 ■
「ひゃあああああああああ…………あ?」
恐怖に耐えきれず、声を上げる。暗闇から逃れる様に身を起こす。
視界の切り替わりは一瞬のことだった。何も見えぬ暗闇が晴れ、まどかの眼が見覚えのある光景を映す。
明るい室内。
電子黒板。
クラスメートの視線。
呆けた顔のさやか。
心配そうな顔のほむら。
そして、
「かーなーめーさーん?」
「ひっ!」
耳元で聞こえた声に思わず反応する。さっきまで何度も聞いていた声だ。
錆びついたブリキの人形の如く、恐る恐るまどかは声の方向へと顔を向けた。
――――笑顔の、早乙女先生。
「かーなーめーさーん?」
「は、はい……」
「疲れているのかな? でも学生の本分は勉強ですよ?」
「はい……」
「次は反省文ですからね」
「分かりました……」
まどかの従順な態度に気を良くしたのか。じゃあ続けますよー、と。笑顔のまま早乙女先生は黒板前へと戻る。その後姿を眼で追いながら、まどかは静かに息を吐き出した。
「夢、かぁ……」
夢。そう、夢だ。アレは紛れもない夢だ。と言うか、友達とその知り合いが高級車を盗もうとしている夢っていったい何なんだ。
まさかの授業中に寝てしまうという失態に、まどかの口から溜息が零れる。いや、真面目なまどかからすれば大失態と言っていい。
ああ、やっちゃたなぁ、と。先生にはバレぬように頭を抱える。
そんなまどかの脳内に、大親友の声が響く。
『お疲れだねー、まどか』
『うん、ちょっとね……』
『もしかしてルビーのせい?』
『うーん……何て言うか、その……あはは……』
さやかからのテレパシーにまどかは言い淀む。が、それでは即ちルビーのせいであると言っているのと同じことだ。
だがさやかはまどかの真意を汲み取り、それ以上の追及は止めた。まどかが人の悪口を好まない、善良な人間であることを理解しているからだ。
『ま、無理はしないようにね』
『うん、ありがとう』
他愛もない言葉でテレパシーを占めると、もう一度まどかは溜息を吐いた。誰にも気づかれないように、静かに、小さく、ゆっくりと。
――――さやかは一つだけ思い違いをしている。
授業中に眠ってしまうほど疲れているのは事実だ。だが、その原因はルビーではない。いや、関係なくもないが、割合的には少ない方だ。
では何が疲労の原因なのか。
それは夢に出てきた、そして先ほど心配そうな表情でまどかを見ていた少女。
暁美ほむら。
彼女こそがまどかの疲労の大部分を占める原因なのだ。
――――ぶつかっていきましょう!
「……そんな簡単にぶつかっていけたら、苦労はしないんだけどなぁ」
喧嘩を売りましょう。挑発しましょう。ぶつかっていきましょう。相手を止めましょう。
昨日のルビーとの会話を思い返しながら、また誰にも気が付かれないように溜息を吐き出す。
つまりはまどかが悩んでいるのは。悩み過ぎてロクに夜を眠れなかったのは。眠れなかったせいで授業中に寝落ちしてしまったのは。
昨日のルビーの策を、どうやって実行するかについて考えていたからなのだ。
■
「はー、なるほどねー。まどかが寝落ちするなんて何事かと思ったけど、そう言う事情があったわけね」
昼休み。
見滝原中学校、屋上。
ベンチに腰掛け、まどかとさやかはお昼ご飯を摂っていた。
会話の内容は、何故まどかが授業中に寝落ちしてしまったのか。そして、その原因でもある昨日のルビーの案について。
「ぶつかっていくかー。なるほど、確かに良い案だね、それ」
さやかはまどかから聞いたルビーの案に、全面的に同意していた。ぶつかっていく、と言うのは盲点である。さやか一人では思いつかなかった。ルビーの案と言う割には、存外真っ当で、且つ正攻法と言えよう。
だがそんなさやかと相反して、まどかの表情は重い。
「うん。でもね……ほむらちゃんはそれで本当に答えてくれるかな、って思うの」
「あー……まぁ、確かにね……あのほむらの鉄面皮の具合じゃ、そう簡単に崩れるとは思えないしね」
少ない言葉で、しかしさやかはまどかの想いを的確に把握した。
2人が思い浮かべたのは、昨日のアーネンエルベでの一幕。一切の感情を排し、拒絶の意すら言外に滲ませて口論していたほむら。あの鉄面皮を崩すとなれば一筋縄ではいかない。馬鹿正直にぶつかっても跳ね返されるのがオチだろう。
では、どうしたものか。
2人仲良く案を練る。
「うーん……ぶつかる……ぶつかるねぇ……」
「……ルビーは挑発しちゃえって言ってたんだけどね……」
「挑発しちゃえ? どういうこと?」
「あのね、ほむらちゃんって、私たちが魔法少女になる事を嫌がっていたでしょ?」
「うんうん」
「だから、言うこと聞かないと私たち魔法少女になっちゃうぞ、って。そう挑発しちゃえ、って」
「あー……」
挑発の真意を知り、さやかは空を見上げた。そして同時に思う。それって挑発じゃなくて脅しじゃない?
まどかも同じことを思ってはいるのだろう。苦笑いがその証拠である。大方ルビーの勢いに押し通されてしまいその場は承諾したが、今頃になって方法に疑問を抱いた……と言ったところか。
そんなさやかの推測は、寸分の狂いもなく当たっている。
「もしも……ルビーの言う通りにしたら、確実に話は拗れるよね……」
「うん。多分、まどかも私もほむらもマミさんも……誰も得しないと思う」
2人が思い描いたのは、冷たい眼で見下ろすほむら。呆れた表情すら消し去った、鉄面皮。絶対的な拒絶。
そしてそんなほむらを見て、きっとルビーはこう言うのだ。あれー、おっかしーですねー? まどかさん、ちゃんと挑発しました?
ぶるり、と。2人は身体を震わした。
「やばいやばい、絶対やばいよ。まどか、それはやばいよ」
「うん。安請け合いし過ぎたみたい……」
今日何度目になるか分からない溜息を零す。思い描いたあまりにも残酷な想像に、キリキリと2人の胃が痛みを訴える。
ルビーの言葉に乗っかったらバッドエンド確定。
ぶつかっていくと言う案は一見良さげだが、背景に挑発の件がある以上、却下するのが当然の処置だろう。と言うか、元々はほむらとマミの仲を改善するための案の筈が、何故にこんな事になっているのか。
「良い手だと思ったんだけどねぇ……」
さやかの言葉が溜息と共に吐き出される。まどかは苦笑いと共に同意するように頷いた。
兎にも角にも、違う手を模索するしかあるまい。
■
幾ら違う手を模索するしかなくとも、ほんの数時間でそんな簡単に代替案が出れば苦労しない。
放課後の見滝原中学。オレンジ色に染まる教室。
まどかとさやかは仲良く机に突っ伏すと、諸々の想いを乗せた息を吐き出した。
「ああ……どうしよう……」
ここまで困り切ったどうしようもあるまい。沈み切ったまどか。首だけを動かしてさやかは慰めの言葉を掛けようとするが、上手く思いつかずに溜息を吐き出すだけで終わってしまう。この状況でまどかを鼓舞できるほど、さやかは口が達者なわけでは無いのだ。
目下のところ2人が悩んでいるのは、どうやってほむらとマミを仲良くさせるか、である。だが状況は、控えめに言っても芳しくはない。
「マミさんは気にしていないって言っていたけど……」
「そりゃあマミさんならそう言うよ、って話でしかないよ……」
マミからは気にしていない、とメールで返信が来ていた。諍いや争いなど魔法少女同士ならよくある事、とも。
だがそれが気遣いの言葉であることくらい、分からないほど2人は愚かではない。
ハァ、と。盛大に溜息を零して夕焼けの街並みを眺める。
2人の悩みなど知ることなく、無情にも陽は落ちていくし、人の営みは絶えることが無い。
「……とりあえず、今日は帰ろうか。残っていても仕方が無いし」
「そうだね……」
力なく頷くまどか。それを見て、これは重症だな、とさやかは思った。責任感の強いまどかの事だ。自分たちが原因で不仲になっている事を重荷に感じているに違い無い。そしてそのさやかの推測は、やはり寸分の狂いもなく当たっている。
とことこと自分の後ろをまどかがちゃんと付いてきている事を確認しながら、さやかは教室を、廊下を、階段を、下駄箱をと、先導するように進んでいく。
そして靴に履き替えようとしたところで、一つの名前が視界に飛び込む。同時に、さやかの脳裏に一つのアイディアが思い浮かんだ。
「……さやかちゃん?」
靴を持ったまま固まったさやかの事を不思議に思ったのだろう。先ほどまでの沈んだ表情とは異なり、首を傾げながらまどかはさやかの名前を呼んだ。
「……まどか」
「な、なに? どうしたの?」
一変したさやかの雰囲気にまどかは思わずたじろいだ。何と言うか、あまり良い予感はしなかった。何故だかそう思った。
だがさやかは。満面の笑みと共にまどかへと向いた。良いアイディアを思いついた言わんばかりの表情だった。
「恭介に訊けばいいんだよっ!」
「へ?」
全く予想していなかった発言に、まどかの時間が止まる。呆けたような言葉が零れるのも仕方が無い。いや、本当に。
だがさやかはそんな友人の事を気にすることなく、やや興奮した面持ちでまどかの肩を掴む。そして軽く前後に揺する。
「そうだよ、訊けば良かったんだ! 魔法少女のところは暈せばいいし!」
「へ、え、え?」
まどかはさやかの発言についていくことが出来ない。だがさやかの発言の文脈から、必死に彼女が何を言いたいのか頭を働かせる。主語や経過を通り越して結論が出てくる事には、残念ながら慣れているのだ。
恭介と言うのは、恐らくクラスメートである上条恭介の事。
魔法少女は暈せばいい、と言うのはそのままだろう。
訊けば良かったは……第三者目線で解決方法を模索する、という事だろうか。
たっぷり3秒の間で、情報を整理し、まとめ、推測する。
そして結論を。
「それって……上条君に、似たような状況を説明して、一緒に解決方法を考えてもらおう、って事?」
「その通りだよっ!」
どうやら大正解らしい。ああ、良かった、と。さやかには気づかれないように、まどかは心の中で小さく安堵の息を吐き出した。
だが考えようによっては、確かに良い方法である。第三者目線、それも価値観の全く違う人物からのアイディアを得るチャンス。このまま2人で悩み続けるよりかは効果的だろう。
「よし、そうと決まったらタイム・イズ・何とかだよ! 行こう!」
タイム・イズ・マネーって言いたいんだろうなぁ、きっと。
何だか締まらない残念な友人に、曖昧な笑みでまどかは頷いた。
■
幾ら人の密度が多かろうと、日常から明らかに線引きされた空間と言うのは存在する。
病院。
健康体であるまどかやさやかが、本来なら来るようなところではない。
だが見滝原市内で一番の大きさと機能を誇るこの病院には、まどかたちのクラスメートである上条恭介が、交通事故により入院している。
幸い重体と言う訳ではいらしく、お見舞いに行く分なら何の問題も無いのだ……が。
「やばっ、また赤信号……」
「お見舞いの時間って何時まで?」
「確か午後8時まで。でも、私たちは条例だか何だかで6時には帰らなきゃいけないから……」
「あと30分しかないね」
少しばかり時間を無駄にし過ぎた。放課後の悩んでいた時間とか、見舞いの品を選んでいた時間とか。
ダメだ、CDを買う余裕はないよ。じゃあ音楽系の雑誌は? いや、オーソドックスに果物に……あー、いや、果物じゃ味気ない、何か変わったものにしよう。ケーキとかどうかな。うーん……甘いものから離れよう、普段の入院生活では食べられないものにしよう。入院生活で食べられないもの……カップラーメンとかハンバーガー?
……思い返すまでもなく無駄な時間である。何だかんだで買い物だけで30分以上は費やした。実に本当に疑いの余地なく無駄な時間であった。
ちなみに見舞いの品については、途中のスーパーにて少しお高めのチーズのセットを買った。勿論2人で折半して。
「お見舞いの前に、来院理由を書かなきゃいけないからね。多分話せるのは15分くらいじゃないかな」
「来院理由なんて書くの?」
「そうだよ。しかもそれが混んでいたりして意外と時間がかかるの」
「そうなんだ……」
「それと身分が証明できるものが必要だね。学生証とか」
流石に何度もお見舞いに訪れているだけあって、さやかはシステムを熟知している。
熟知しているのならば、買い物に興じていないで早く連れてきてほしかった……と思わなくもないが、黙ってその言葉は飲み込む。楽しんでいたのはまどかとて同じことだったからだ。
「あ、青っ!」
「行くよ、まどか!」
青信号に変わるとともに、2人は誰よりも先に道路を渡る。そして駆け足で病院に敷地内へ足を踏み入れ――――
「まどかさんっ、さやかさんっ、ダメですっ、退いて下さいっ!」
どこからか聞こえるその忠告に足を止め――――るのは遅かった。
足は急には止まれない。走っている勢いを殺すことは出来ず、しかし素直に声に反応した2人は、やや勢いを失いながらも、数歩進んでしまう。
そして最後に。勢いを止めるために踏み出した足が、何か柔らかいものを踏みしめた。
「?」
柔らかいもの……そう、柔らかいものだ。アスファルトを踏んでいる筈なのに、何故か柔らかい。
いや、それだけじゃない。声の方向へと振り返った2人の眼前には、見滝原の街が映るはずである。だがその眼が捉えたのは、珍妙としか言いようが無い、奇天烈な建物の群像。
「……お菓子?」
そう、それはまるでお菓子の国。幼子が描くような、夢の国。或いはお伽噺の世界。
2人の鼻孔を甘い香りが擽る。スポンジの地面。積まれたマシュマロ。クッキーでできた壁。ゼリーの窓。クリームの屋根。チョコレートのタイル。ケーキの椅子。シロップの噴水。飴のオブジェ。ビスケットの塔。
そこに、見滝原の面影は一切無い。乱立するビル群も、行き交う人波も、はたまたすぐ目の前にあった筈の病院すらも。
何もかもが、無い。
「……え?」
ドサッ、と。何かが落ちる音がする。まどかのすぐ傍らからだ。
その音が自分の持っていた買い物袋を落としたことによるものであることに、まどかは気が付かない。気が付けない。
「嘘……でしょ。これって……」
震える声でさやかは言葉を零した。彼女にはこの奇妙な状況に心当たりがあった。
そしてまどかも。さやかと同じ言葉を脳裏に浮かべていた。なにせつい数日前に、彼女たちは似たような状況に巻き込まれたばかりなのだ。
「魔女の……結界?」
おまけ
Q.もしもまどかがルビーの策に従って、ほむらを挑発していたらどうなるの?
A.その場は煙に巻かれます。そしてほむらがルビーの抹殺を本格的に検討します。