ゲームのカードを落としてしまったのですが!! 作:足の裏膝太郎
水田駅のホームに降り立つと、僕とえすちゃんはすぐさま駆け出した。
定期券を取り出して、速度を落とさずに改札を抜ける。ここからはえすちゃんと別行動だ。とりあえず僕が目指す場所はバス停。いつも乗って帰るバスが発車する乗り場だ。
乗り場には並んでいるひとはいたけれど、兄の姿はない。電話をかけても出なかったから、もしかするとまだバイトが終わっていないのかもしれない。そうであることを願う。
周りを見渡そうとして後ろを見たとき――見慣れた肥満よりの男を遠くに捉えた。十中八九、僕の兄だ。こちらに向かって歩いているが、手元のスマホから視線を外さない。歩きスマホである。……いや、それよりも問題なのは、
「あのやろう。僕がかけた電話は無視か」
普段からどうでもいい内容で電話をかけるせいだと、このときの僕はまだ知らなかった。
僕は「おにいちゃーん」と手をメガホンの形にして声を飛ばす。兄が顔をあげ、僕を見た。暗さと距離で表情はわからないけど、こちらに気づいてくれたのは確かだ。
が、その時。
どこから現れたのか、兄より一回りも二回りも小さな影が、小動物めいた速さで兄に接触した。兄はのけぞると、足をよろめかせて倒れた。遠目に片腕をかばっているように見える。小さな影の一部分がキラリと光を反射した。それが刃物だと確信を得る前に、僕は駆け出していた。
「おにい……」
兄は左腕を押さえてゆっくりと片膝立ちになる。兄を再び襲おうと、小さな影は足を踏み出した。兄は咄嗟には動けないようで、どう考えてもニ撃目は確実に当たる。僕は間に合わない。
「あ――」
目を細めた――刹那、小さな影は兄に攻撃を加える前に、更に現れた大きな影によって、弾き飛ばされた。大きな影が小さな影を拘束するように、のしかかるのが見えた。
やっと兄のもとへ駆けつけた頃には、小さな影――細身の小汚いおっさんは、大きな影――警備員のような格好をしている屈強な男性によって押さえつけられていた。ふたりとも初めて見る顔だ。
「クソッ! 俺にあのクソデブをやらせろ!!」
抵抗しようとするおっさんから離れたところにナイフが転がっている。さっき光ったものはきっとこれだ。
警備員らしき男性は「じっとしろ」と低い声で言う。
「大丈夫っ?」
兄に声かける。兄は驚いたような顔を僕に向けた。
「何がどうなってんだ?」
彼の左腕を見ると、長袖の服がスパッと切れている。肌までナイフは届いてしまったようだが、軽症そうではある。
「お兄さん、この人に見覚えありませんか」
いつの間にそこにいたのか、えすちゃんが脇に立っていた。兄は捕まっている小柄のおっさんを見据えた。
「……先週、おれが撃退したひとだ」
そして、もう一度、視線をえすちゃんに移した。
「もしかして君は……」
「その通りです。先週、この男の人から――」
えすちゃんは諦念からか身動きを取らなくなった男を目で示し、
「――あなたに助けていただいた者です。すみませんでした」
と、ニコリともせずに答えた。
*****
僕の頼れる同級生、えすちゃんの推理を兄の説明で補完したのが以下である。
兄がバス内でカードゲームを落としたという嘘をついたのは、例の小柄のおっさんから逃げるための口実だ。
この小柄のおっさんというのは、先週の金曜日にえすちゃんを守るため、兄が投げ飛ばした怪しい男性で、運悪くバイト終わりの兄は男に見つかってしまった。
「いくら怪しいとはいえ、女の子に危害を加えてないのですし、もし女の子が自分は実被害がなかったからと斟酌したのなら、『知り合いだと勘違いした』とか言い訳の仕方次第で男性はそんなに長いこと拘束されずに解放されるでしょう」
とは、電車内でのえすちゃんの台詞だ。
解放された男は、バイト終わりの兄と遭遇し、自分を邪魔した彼を追いかけた。すぐに反撃にでなかったのは体格差と、駅前が人目のある場所だからだろう。
兄も兄で、つけられていたことはわかっていた。
例の動画でもわかるように、兄は死角の少なくなるバスの一番後ろの端の席に逃げ込んだ。おそらく男もバス内のどこかにいたのだ。兄は考えた。このままだと何をしでかすかわからない男に家を特定される。それまでに何か手を打たなければならない。
そこで兄が思いついた作戦が、バス停ではないところで急遽、途中下車するというもの。そして嘘の落とし物をして、バスを降りようと試みた。わざわざ騒いだのは奴の監視もある上に一番奥の席という移動しづらい位置から運転手に状況を説明したかったから。ここで財布などの貴重品ではなく、カードゲームというよくわからないものを選択したのは、一般的な価値は不明瞭だが、拾わずに諦めるかといえば必ずしもそうではない、という微妙なラインであるから。カードゲームが脳裏に浮かんだのは、認めたくはないけれど、自身の姿がオタクそのものだと自覚していたからと本人が言っていた。
兄曰く、
「お金などでなければ、運転手もそこまで真剣に取り合わないだろうと予測をたてた」
らしい。騒ぎをそれ以上に大きくしたくなかったのだろう。
まあ、実際は全く真剣に取り合ってもらえなくなって、軽くあしらわれたようになってしまったが、かえって幸運なことに、車庫まで乗っていってもおかしくない状況を作れた。終点を過ぎれば、つけている男も、降りざるをえなくなる。兄の作戦は成功したといえよう。まあ、作戦を実行する上で、よっぽど緊張してしまったのか。言葉はカミカミだし、何を言っているのかわからない叫び声まであげてしまっていたが。
翌日。土曜日。えすちゃんはおみやげをもって我が家にやってきた。
「別に見舞いなんていいのに」
僕がいうと、えすちゃんは真剣な顔をした。
「いえ。私の行動がもう少し早ければ、お兄さんは怪我をしなかったかもしれませんし。でも、いないんですね」
「うん」
残念なことに、兄は元気にどこかへ出かけてしまっていた。タフなところが兄の長所ではあるが。
せっかく訪ねてきてくれたので、彼女を僕の部屋に招き入れる。
「電車が駅に到着する時間は早められないし、あれが限界だったよ。兄は電話にでなかったし」
「そう言ってくれると楽になれます」
「むしろ、えすちゃんじゃないとあの推理は出てこなかったはずだし」
「そうですかね……」
「誉めて遣わすよ!」
「やけに上から目線じゃないですか」
笑ってくれた。
昨日、えすちゃんはひとつの可能性として、あの男に兄が襲われるかもしれないと予想していた。
自分に恥をかかせた男を追尾し、今度は煙に巻かれてしまった。バスまで追っていくような粘着質な性格なら、兄を待ち伏せて駅を張ることも平気でしそうだ。特に、兄のことを大学生だと山勘を張っていれば、学生の生活スタイルなんてどの週も似たようなもので、だいたい同じ時間帯同じ場所で遭遇できる。
決まったバス停を利用することがわかっているのだから、男が張り込む場所はバス停が見える位置だろうとは予測できる。あとは男に襲われかけたえすちゃん本人が駅員に駆け込み、応援を呼ぶ。被害者が言うのだから説得力は抜群だ。
「あ、そうだ。えすちゃん」
「はい。なんでしょう」
ひとつ、気づいたことがある。
「昨夜、動画を観てすぐ、僕と兄の関係がきょうだいだと見抜いたときのこと。目がそっくりなんて比にならないほど、本当はほとんど確信とも呼べる拠り所があったんでしょ?」
「と、言いますと?」
「あの動画はスマホで撮ったものだろうからか、あまり画質の良いものじゃなかった。なのに目が似ているからきょうだいだと決めるのは、いくら目が良くても、限度があるよ。
先週の金曜日、兄が財布を落としたことは言ったよね? あの財布を拾ったのは、えすちゃんじゃないの? 中の学生証を見て、兄の名前を知った。あとは、僕の苗字が一緒だと気づいたんでしょう? 実際に兄と会っていて、僕と似ていたから、きょうだいだと確信を得たんだ」
僕が言いきると、えすちゃんは驚いたような顔を一瞬見せて、それから、微笑んだ。
「褒めて遣わします」
ありがとうございました。