少女の決断。それを校長は、やっぱり微笑んで受けて止めてくれた。
ひとみは生徒寮を走る……と寮母さんに怒られるので、大急ぎで早歩き。絶賛授業中となれば寮は無人地帯と化すわけで、誰もいない静かで活気を失った廊下を歩いてゆく。
すぐに目的の部屋にたどり着く。ひとみに割り当てられた部屋。四人一組で割り当てられる共同生活空間はお泊り会でなければ同年代と床を共にしたことなどないひとみにとっては新鮮で、一ヶ月経った今でも慣れたかどうかは怪しいところだ。
部屋に入って、そして今日で別れとなる
……なら余計に、早く荷物を纏めてしまわないと。
そう思ったひとみは、迷うことなく自分の机にとりついた。引き出しの中や机の上に分散配置されている教科書やノート。数は多くないけれどやっぱりかさ張る着替え。その他諸々をとても大きなカバン――――たしか、ボストンバッグとかいったっけ――――に詰めてゆく。
寮の床に張り巡らされた木の板に窓から差し込む光が当たって、ほんのりと香りが漂う部屋。自分以外がいなくなってしまったんじゃないかってほど静か。何も感じないようにテキパキ作業を進めてゆく。
「あれ……?」
と、ひとみの手に見覚えのないノートが数冊あたった。表紙に薄くでかでかと『College』とプリントされたノートは、購買部で売っているいつものやつ。でも、ひとみにこの色を買った覚えはない。
ところが変なことに、表紙には「米川ひとみ」と書かれていて。きっと自分のものに違いなかった……なのにどうしてだろう。どこか違和感を感じる。
しかし気にしてる場合ではない。校長先生がなるべく早くといった通り、急いで身支度を整えねばならないのだ。書類を提出してしまえば、もう幼年学校に戻ってくることはない。全部の荷物を片付けなければならないのだ。
とりあえずノートは手提げ鞄に仕舞い、とにかく作業の続行を優先する。部屋の中を一通り片付ければひとみは一旦廊下に出る。普段なら部屋ごとにまとめて届くはずの洗濯籠に入っているのはひとみの洗濯物だけ。これを入れてしまえば、もう残す荷物はなくなる。背比べ相手のボストンバッグに、手提げ鞄。
「……寮母さん、ありがとうございました」
ここに寮母さんは居ない、だから声は届かない。でもきっと届くと思ったひとみは、そう小さく呟いた。
ひとみは学生寮の廊下を歩く。ぎしりぎしりと軋む床の音は今日はやけにうるさくて、そしてあっという間に出口にたどり着いた。寮母さんとは結局すれ違うこともなく、ひとみは校舎へと向かう。雨が降った日にはルームメイトと走った校舎へのあぜ道。今は太陽にさんさんと照らされて、雑草も気持ちよさそうに手を伸ばしている。伸ばす先には晴れ渡った空。被った帽子で見ないようにして、進む。
そしてあっという間に校長室の目の前。昨日はあんなに緊張していたはずなのに、どうしてだろう。もうすっかりここに立つのも慣れてしまった。
「83期米川ひとみ、参りました!」
入室許可。ひとみは重厚な木製の扉を押す。やっぱり扉は軽やかに動き、執務机に腰掛けた校長先生の姿。窓辺の国旗も学校旗も、さっきと変わらない。
でもなんでだろう。校長先生に、ちょっと違和感。しかしひとみが踏み出て中心へと進むと、校長先生は微笑んで、そしていつもの雰囲気に戻る。
「うん、準備はできたかな?」
「はい!」
校長先生は頷くだけで返す。そこでひとみは、窓際の扶桑国旗脇に立つ人影に気がつく。
その人は、海軍の高級将校制服に身を包んでいた。冬服の開襟と男性向けのスラックス。黒光りする革靴で全身を真っ黒にして、軍帽をしっかりと被っている。ひとみに背中を向ける形だから顔も略綬も見えないけれど、肩章が示す階級は大佐。ちょっと長いように感じる髪の毛が印象的に映った。
「……男の人?」
流れ的にはひとみの上司となる人なのだろう。でも、いやだからこそひとみは驚いた。ひとみはウィッチだ。運用方法は一味も二味も異なり、通常兵器により編成された部隊に慣れた指揮官ならその癖を理解するのに五年はかかると言われる特殊な部隊である。
だから、通例としてウィッチの指揮は元ウィッチ……EXウィッチが執ることになっているはずなのに。
「ああ、紹介が遅れたね……紹介しよう」
ひとみの困惑を察した校長先生が口を開く。それに応じるように人影が振り返った。
「あっ……」
開襟にはストライプの紺ネクタイ。軍帽のつばを彩る
「
大佐と呼ばれた影が軍帽を取った。そこから現れる細くしなやかな顔立ち。片翼の航空胸章なんてなくとも雰囲気で分かってしまった……この人、ウィッチなんだ。
校長先生は石川大佐の方に向き直る。
「石川大佐、彼女が横幼83期の――――」
「米川ひとみ」
遮るようように石川大佐。一瞬だけ部屋の空気が凍りついて、続けられる大佐の言葉で溶かされる。
「2004年生まれ、12歳と8ヶ月……校長、彼女は小学校からの飛び級組か?」
石川大佐が見定めるようにひとみへと視線を注ぐ。まるで鷹のような大佐の双眼。思わず足が竦んで、立っているのが精一杯になってしまう。
答えられないひとみに変わり、校長が口を開いた。冷静に、やけに平坦な声だった。
「いえ、今年度より入学した一年次です」
それを聞いた大佐は目を細めた。視線がひとみから校長へと移り、彼を貫く。
「ほぉ……これが横幼の『誠意』か」
「本学において、彼女が一番の適性を持っています」
間を開けずに校長が反論。そんな校長に大佐は僅かに口角を釣り上げて見せた……笑っているはずなのに、全然笑っていない。
「我々は実戦部隊だ。それは配備場所云々の話ではない、まさかあなたがそれをご存知ないとは思えない……彼女の『品質』の保証は、誰がしてくれるんだ?」
「準備室の方にも彼女の資料はお送りしたはずです。その上で承認が降りていることから、大佐もご承知の上で選抜されたものと本校では解釈しております」
「……ふん」
校長はそう答える。答えはするが、どこか空虚に響く言葉。それを大佐は鼻で笑う。
目の前で繰り広げられる会話。ひとみの胸には書類の束が握られていて、その中には大量の書類が詰まっている。なんどもなんども名前を書かされたのは大変だったけれど、この一枚一枚がひとみの人生を支えるわけで、この場ではまた自分の話が交わされている。
でも、でも、目の前でなにが繰り広げられているか分からなかった。これじゃ昨日と同じだ。また私の知らないところで話が進んでいく。
「くり返し尋ねておこう、初期訓練は済ませてあるんだな?」
「当然です……そうだろう、米川君?」
校長がきっと視線をひとみへ。ひとみは返答に迷ったが、考えてみれば迷ってはいけない問答なのだと気付かされる。
ひとみは、会話に参加していないのだから。
「はい……」
これは、確認でしかない。その事がひとみにもはっきりわかるぐらい、校長の声は色が抜けていた。昨日や今朝に感じた温かみはすっかり消え去り、なんの色も温度も残していない。
どうしてだろう。なんでこんなに、わたしは遠いんだろう。
校長と大佐。扶桑国旗を挟んだ二人の間に、静かな沈黙が流れる。
それを破ったのは、石川大佐であった。
「……そうか、では手続きを続け給え」
手続き? 一瞬ひとみの頭に疑問符が浮かび、そしてすぐに解消される。ひとみは昨日たくさんの書類を書いた。それは遣欧統合軍への編入手続きになるわけだが、ひとみの所属は幼年学校。このままでは二重所属になってしまう。
校長が立ち上がった。なにかを持ち上げ、ひとみの方へ寄ってくる。
「米川君、荷物を置きなさい」
「は、はい……」
言われてひとみは床に荷物を置く。校長の威厳を示すような絨毯に、支給品とも言えるボストンバッグが、手提げ鞄が着陸。
校長のほうを見やると、目の前に大きな影。背後からの光が差し、対する校長の顔は暗い。
「――――卒業証書」
読み上げられる文章、その声はただただ平坦で、なにも感じさせない。まるで機械に表示される文章を読まされている気分だ。
横須賀航空幼年学校――――関東の、最難関中学のひとつ。
あんなに頑張って勉強した。とっても緊張して試験に臨んだ。発表版の幕が下ろされた瞬間の、自分の受験番号を探す高揚感と、そして見つかった時のあの安堵。
たった一か月前なのに、まだ一か月しか経ってないのに。
「――――2017年5月19日、扶桑皇国横須賀航空幼年学校学校長……富永光政」
わたしの、幼年学校生活が終わってしまった。
小学校の時とは違って、校長は握手もせずに引き下がる。変わって前に進み出る石川大佐。
「書類を」
「は、はい」
ひとみは分厚い封筒を石川大佐へと手渡す。
「うむ、これにて君は正式に準備室の所属となった。士官候補生となるため階級は空軍准尉だ」
「……はい」
それは逆に言えば、もう引き返せないってこと。これでもう、ひとみは幼年学校の生徒ではなくなったのだ。石川大佐を見上げると、大佐はまっすぐな視線をひとみに注いでいた。
そしてひとみへと手を差し出される手。握手……ということでいいのだろうか? どぎまぎしながら握手に応じたひとみ。触れた石川大佐の手は予想よりもずっと柔らかくて、温かかった。
「よろしく、米川ひとみ」
「は、はい!」
手が離れる。石川大佐は軍帽を被り直すと、無言で扉の方へと歩き出した。もちろんひとみは追従する。
「……米川君!」
その時だった。校長先生が、絞り出すようにひとみの名前を呼んだのは。
振り返った先の校長先生は、執務机に両手をついていた。ただ両手をついていた。昨日まではあんなに遠かった校長先生。入学式のとっても長いお話しか印象になかった校長先生。あの丸眼鏡から守ってくれた校長先生。今日の冷たい校長。
「校長先生……」
「ここは君の母校だ。いつでも帰ってきなさい……顔を見せに、帰ってきなさい」
今ひとみの前にいる校長先生は、ひとみが知ってるどの校長先生とも違って。
「……はい」
だからひとみは、しっかりまっすぐ頷いた。
校長は石川大佐にも顔を向ける。
「うちの生徒を、何卒よろしくお願いします……」
校長先生は、そうやって大きく頭を下げたのだった。さっきまでのギスギスした会話が嘘のように、迷いのない言葉だった。
石川大佐は――――振り返りもしなかった。歩き続けて、扉に手をかけた。
ひとみは大佐の後ろに続いてゆく。目的地はもちろん校舎出口、そして正門だ。訪問者を想定しているとは思えない簡易さで、一応幼年学校旗だけが飾られている校舎出入り口。小学校ではここに下駄箱がずらりと並んでいたのだが、とかく即応性が求められる軍人を育てる幼年学校に上履きという時間を浪費するだけの概念は不要ということで校舎内も外履きというルールになっている。はじめはものすごい違和感を感じたものだが、それも懐かしい『思い出』になろうとしている。
そして校庭へ。トラックを迂回しつつ正門へと向かい、そこを出てしまえば……もう戻ることもないのだ。
耐えきれなくなって振り返る。頂点に昇った太陽が白い光を放ち、木造校舎後ろに控える緑の山並みが萌えている。空は限りなく青く、透き通っていて。
あぁ、振り返るんじゃなかった。昨日まで学んできた一年二組。その教室の窓は太陽の光で輝き、中は見えない。もう学友にも会えないのだ。まだずっと時間があるって思ってた、そんな昨日までの自分が恥ずかしい。
でも、このまま見ていても始まらない。ひとみが石川大佐の後を追おうとした、そのとき。
窓が、開いた。一つや二つじゃなくて、それこそ教室全部の窓が。
「よねかわさーん!!」
一番に叫んだのは誰だったのだろうか。そんなこともわからない。ひとみはただ驚いて、窓から身を乗り出す級友たちを唖然と見るばかり。彼女の名を呼ぶ声が十、二十、三十と増え、校庭に広がってゆく。
隣の一組も窓を開け始める。寮の同室や、実技の班仲間、たった一か月という短い間に結んだ友達が、ひとみの目の前で必死に叫んでいる。元気でね、頑張って、また会おうね……言葉はあまりに多種多様で、いちいち理解する余裕もない。
ひとみはとにかく叫んだ。
「うん! わたし、頑張るから――――絶対頑張るからっ!!」
それに皆が答え、静かな自然の中の幼年学校敷地が沸く。授業の間だろうに、教官たちが騒ぎを止めるどころか校舎を飛び出してきた。
「米川ぁぁぁ! しっかりやってこいよぉ!」
「はいっ!」
「米川! 向こうで死んだら殺すからなぁアア!」
「はぁいっ! 絶対に戻ってきまァす!」
いかつい男性教官たちが叫び、負けじとひとみも怒鳴り返す。騒ぎはやむ気配もなく、ひとみはこの故郷へと大きく背を向ける。泣き声すら聞こえる校舎で、誰かが歌い始めた。教官たちと学友たちは皆それに乗っかり、メロディーは雑だが力強い歌が聞こえ始める。すぐにまとまりを帯びたそれが、ひとみの背中を力強く押す。ひとみは振り向けないし、振り向かなくたって仲間が見えた。この大空へ、これから羽ばたくのだ。
校門を出ると、当然石川大佐が待ち受けていた。横須賀の街へと続く狭くて荒い舗装の道には見慣れない黒塗りの車。ナンバーは一般車と同じものだけど、間違いなく軍用車だろう。
大佐もひとみに気付いたようで、視線を手からひとみへと移す。手に握られていたのは……懐中時計。
しまった。ひとみの背中に冷や汗が走る。同級生たちの見送り、それはスケジュールにない行程。軍隊において遅刻は絶対に許されない。出会ったばかりの六つも階級が上の上司相手なら尚更だ。
「す、すみませんっ! 遅くなりました!」
パチリと軽やかな音を立て、大佐の懐中時計が閉じられる。あわせてひとみの肩もびくり。
ところが石川大佐は、僅かに微笑んでいた。
「いや……いい同期をもったな」
いきなりの言葉で、なんの脈略もない台詞。でも「同期」という言葉はストンとひとみの底へと落ちた。そうだ、ひとみと皆は「同期」という記号で結ばれているのだ。
「はいっ!!」
そんなひとみに、大佐は頷き……次の瞬間には口調も表情も、軍人のそれに戻った。
「出発だ、乗れ」
横須賀市街をすり抜け、幹線道路を駆け抜ける。併走する自動車の数はたちまち増え、脇に流れる建造物も、そこから飛び出る看板もどんどん大きく、騒がしく……どうやらいつの間にか横浜市街に突入していたようだ。
どこに向かっているか。ひとみは知らなかったけれども、大体の予想は付く。なんせ石川大佐は海軍。横須賀飛行幼年学校に一番近い海軍基地は横須賀にあるわけで、なのにここまで来たということは目的地は横須賀以外……となると、移動に使うのは飛行機か新幹線だ。
「そろそろ新横浜だ、降りる準備をしろ」
「ということは、新幹線に乗るんですよね!」
「そうだが……なんだその嬉しそうな顔は」
石川大佐は困惑。しかし父方の実家が東京で、母方の実家が北海道なひとみにとっては新幹線だって新しい経験である。頬の一つや二つ緩むというもの。
そろそろ、新幹線も通っている新横浜のターミナルも見えてくるはずだ。
駅。この漢字は常用外で「うまや」とも読むらしい。昔は電気もなかったから連絡には狼煙や早馬が使われていたようで、早馬が疲れてもいいように街道沿いに沢山の驛が設置されていたらしい。
そんな小学校の先生が自慢げに話していたうんちくを思い出しつつ、到着したのは新横浜駅……だったのだが。
「あの、石川大佐?」
「なんだ」
「ここって……改札じゃ、ないですよね?」
コンクリート打ちっぱなし。むき出しの蛍光灯。なぜかいる国防色に身を包んだ兵士。民営化とはなんだったのか。
「軍専用の搬入口だな」
広々とした地下空間にはFR貨物のコンテナに、軍の高機動車やらトラック……宇宙基地の撮影キットと言われても納得してしまいそうだ。
「すごい……まるで秘密基地みたい」
「ここは公表されてる場所だぞ」
水を差す石川大佐。そういうことじゃないと言いたげにムスっとなるひとみを無視して上がっていくのは
空を跨ぐ配線に、雨から守ってくれるひらべったい天井……どこにでもある駅としての設備に、ようやく現実に戻ってきたような気分になる。
「足元に気をつけろよ」
「えっ?」
意気揚々と踏み出そうとしたひとみは石川大佐に注意され、足元を見る……そこには、というかエレベータの周りにはびっしりと埋め込まれたレールが。
「貨物運搬用の軌条だ。蹴躓まづくなよ」
「あっ……はい」
その言葉に応じる様にせり上がってくるハーフコンテナ。係員が取り付いて、ホーム上を自由に動かされていく……なんだろう、やっぱり現実離れした世界だ。
ひとみは言われたとおり足を引っかけないよう気を付けながらエレベータを降りる。一部の新幹線駅では軍専用の民間人立ち入り禁止スペースがあるということは知っていたけれども、こうやって実際に入って設備を目にするのは初めて。大きな音がしたので振り返ってみると……今度は見たことのないコンテナがせり上がってきた。
太陽光を弾き返して輝く銀の塗装。もちろん他のコンテナ同様に少なからずの傷や汚れが付いているのだけれど、それを抜きにしても輝いているのだ。
……そしてなによりも、そこに張り付く警備。さっき地下で警備していた兵士が着ている国防色の制服は礼服の一つなのだけど、その銀のコンテナを守る警備は頭から足まで漆黒の完全装備。肩から吊るされた黒光りする短機関銃。それがなんと五名。
「……なんなんですか、あれ?」
若干引き気味のひとみが恐る恐る聞いてみると、石川大佐は至極簡単に、短く答えた。
「お前の機体だ」
「え?!」
「なんだ、五人じゃ足りないか?」
そんなことはない、というか五人は多すぎだろうに。
「あいえいえ、そういうんじゃなくて……」
「覚えておけ……お前と
なんせ何カ国での合同開発だからな。石川大佐はそう続ける。もしも開発に関わっていない国に情報が漏れれば、それこそ国際問題に発展しかねない訳だ。
そんな機体を――――わたしが履くんだ。ふわふわしていた『F-35パイロット』という言葉が文字になり、実体になり、胸に突き刺さり……そして突き上げられる。わたしが、わたしが『あの』航空ウィッチ……皆を守るために太陽輝く大空を守る……憧れの……
「軍人なら、気持ちは表に出すな。少なくともその緩んだ頬を引き締めろ、空軍准尉」
「す、すいません……」
と、そこで聞こえてくるアナウンス。乗客向けで分かりやすいはずなのによく注意しないと右から左に流れてしまいそうな音声情報の後に、颯爽と滑り込んでくる白と青。扶桑が世界に誇る鉄道の王様――――新幹線である。
しかしその様相も途中から急に変わる。青い線が消え、まっしろになってしまう車体。
ひとみにとっては初めて見ることとなる軍用新幹線。それはもうすっごいやつだ。
しかしそれが見え、そしてプラットホームに差し掛かった瞬間のことだった。
弾ける複数の破裂音。バコン! バコン! と響く非日常的な音。
「わ、わぁ!」
ひとみは思わず声を上げる。
破裂音といえば敵襲だ。石川大佐や駅長だけでなくその場にいた何名かがそう身構えた。さっきの完全武装五人衆が短機関銃を握り直し、減速して進む新幹線を背景に空気が張り詰める。
しかしすぐに、彼らはあっけにとられることになる。
「うおお、すげえええええ!」
レールが埋め込まれた軍用プラットホームのすぐ向こう、押せば倒れそうな簡易柵の向こうに見事な横列陣形で展開していたのは反政府組織とかそういうのじゃなく、ひとみと同じくらいの学生だったからだ。そして彼らが握るのは所謂「一眼レフカメラ」というやつ。つまり、破裂音はシャッター音だったのだ。
とはいえ問題は問題だ。なんせ彼らは
「おいキサマら! 何を撮ってい……」
石川大佐が注意しようとするが、しかしよく見れば彼らはひとみになんて目もくれていなかった。
「すげえ! あれ最新鋭の91Sコンテナだぜ!」
「うっそだろおい……あれって西の管轄でしか運用されないんじゃないの?」
「いや、あれと同種のコンテナが軍の研究機関に売却されたって噂を聞いたことがある。だからあれはきっと91SじゃなくってU91PかU92Sだ。塗り分けがネタ」
「ていうか、それよりもユニット見ろよ! Px5編成に軍用ユニット増結ってだけで相当珍しいのに、増結ユニットがXx91編成じゃん!」
「うわ! ネタじゃん! てことはなに? なんかネタなものでも積んでるの?」
繰り広げられる怒涛の会話。気づけば新幹線は完全に停車し、時間が止まってしまった石川大佐御一行の後ろで貨物の積み込みが始められる。
「えーと、本日の6217Aは変Px5編成、釜は前補機は915ー901、後補機は915-5、軍ユニットはXx91っと。目撃あげとこ」
「はーい、石橋鉄橋待機50Bでーす」
「え、えっと、彼らは何をしているんですかね……」
てっきり自分が撮影(というより襲撃)の対象になっていると思い込んでいたひとみは困惑を隠しきれなかった。
「……情報局に通報だな」
石川大佐はその問いには答えずに、表情を変えず言う。だが、大佐もかなり困惑しているのであろうことは気配で伝わってきた。
「てかなに、あの塗り分けのU93Dってどこの塗装?」
と、学生たちの会話の色が変わる。ちょうど今新幹線に飲み込まれようとしている例の銀色コンテナに気づいたらしい。
「あー、たしか研究所じゃなかったっけ?ウィッチ系の」
「あ、ほんとだ、ウィッチっぽいのがいる」
「ネタじゃん」
その言葉ひとつでひとみは身構える。石川大佐は守るように身体を動かした。
「女の子盗撮とか趣味悪すぎるわ」
「いや、さすがに撮んねえよ」
しかし学生たちの興味はそこには無いわけで。彼らはひとみには目もくれずにパシャパシャと車両の記録を再開してしまう。
撮られることはなかった。いや、それはいいことだと思う。大変結構……まぁしかし、引っかかるところはある。
「さすがに、これは……」
「女だからな、同情はする」
ひとみがポツリ。それに応じた石川大佐は苦しげな表情をして腕を組んだ。それを見たひとみは自分の胸元を見て、もう一度石川大佐のそれを見る。さらにもう一度自分の胸元に視線を戻して、ため息。
「どうした?」
「いえ、なんでもないです……」
そんな二人にもちろん興味の欠片もない彼らは、柵の向こうで会話に花を咲かせる。会話の内容はどうやら列車の具体的な仕様に関してらしいが、聞いたことのない文字の羅列で全く頭に入ってこない。同じ扶桑語なのかと疑いたくなるほどだ。
「……あ、広島で軍レの目撃上がった。定期便でも予定臨でもないし、交検と臨回のスジとも違うし広島で6127Aからの継走で間違いないね」
と、カメラから手を放して端末を弄っていた一人が声を上げる。即座に食いつく相棒らしき学生。
「え? 6127Aって京都止まりでしょ? キトで積み替え?」
「いや、キトからヒロまで回送扱いで流すはず。ていうか、6127Aは軍レ指定列車だから基本的に広島まで運転で、広島に行ったら二日間運用ないってパターンだったはず」
「確か軍A236運用だっけ? だから順当にいけば回送は明後日の6118Aのスジだね」
学生たちの会話。それはもう爽やかで嬉々としたものであったが、そこに散りばめられた用語がいろいろ不穏である。「軍レ」が何かは分からないが、言葉の響きから察するに軍事列車を指すのではないだろうか。会話の様子から
「あの、軍事機密漏れまくってる気がするんですけど大丈夫ですか!?」
思わず声をあげてしまうひとみ。これでいいのか皇国軍。
「……厳正に対処する」
まさかここまで漏れているとは思わなかった。少々垂れた肩がそう言っているようにも見える。柵の向こうで警備に勤しむ鉄道警察と思しき警官が学生たちを思いっきり睨んでいるが、効き目はない。
「――――じゃあ石橋が8時ごろか。 まあ、光線はそこそこかな」
「明後日の石橋なら5086レも一緒に撮れるじゃん。ほら、明後日なら横須賀ワムくっついてるし」
そして話は流れ、話題は撮影へと戻っていく。ついていけないというか、もう放って置くしかないのだろう。このヒトたち怖い。
「はいすみません、ちょっと通して」
そんなシャッターの砲火を掻い潜り、黒でまとめられた綺麗な制服を着た偉そうなおじさんがやって来た。柵前の警官と敬礼を交わす姿にひとみは違和感を覚える。なんせ、その敬礼は海軍式でも陸軍式でもなかったからだ。ついでに言えば肩章もない。
「ああ、どうも。本日この列車の運行をさせていただきます運転手の田浦です」
どうやら運転手らしい……あれ、運転手って先頭車両にいるんじゃなかったっけ? 記憶が正しければ新幹線は十六両編成。ここは十三両目。
田浦と名乗った人の後ろから、人がぞろぞろとやってきた。みんな同じように清潔な黒の制服だが、微妙にデザインが異なっている。
「こちらが運転助士の
胸に輝くエンブレム。そして帽子に入った金色の線。
軍人ではないけれど、まるで軍人みたいな力強さ。扶桑が鉄道大国と言われることがあるのは知っているけど、この人たちがその名前を支えているのだとひとみは感じた。
「ご苦労、よろしく頼む」
だから、石川大佐も敬礼で応じる。ひとみも倣う。
「車内の事に関しては、そちらの中乗り車掌の
名前を呼ばれた彼らは、一礼するとすぐに動き出す。広と呼ばれた車掌が車体に取り付きドアコックを扱い、ひとみの為にドアを開けた。
「えっ……」
これまでとは全然違う世界を見せつけられ、そしてそこに今自分がいるのだと自覚つつあったひとみであるが、これは全くベクトルの違う異世界だ。自分のためにドアを開けてくれるなんて、まるでVIPじゃないか。
「お前は准尉とは言え立派な尉官だ。
そう言う石川大佐。そんなこと言われたって。
「ほら、とりあえず乗れ」
「は、はい!」
とっとと乗るように促され、ひとみは新幹線の中へと飛び込んだ。