ゴールデンカイトウィッチーズ   作:帝都造営

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第二話 「デリバリー~ふるさと~」後編

「この車両は600系新幹線といって、最新型ではないものの、高い信頼性と最新型に引けを取らない性能により今でも生産が続けられている形式になります。まさに、千里を走る馬と言ったところでしょうか……とても良い車両です。なにかありましたら、我々にお申し付けください」

 

 車内に案内されると、そこはドラマや映画に出てくる新幹線とは全く異なる光景だった。グリーン車以上のゆったりとした間取り。新幹線の型を説明してくれた警備主任さんによれば十三両目から後ろ四両が軍用車両となるらしい……ちなみにここは十三両目。士官乗り込みのスペースだ。

 

「あの、石川大佐。どこに座れば……?」

 

「適当なところでいい。今日は貸切状態だからな」

 

 石川大佐はそう言いながら座ってしまう。とりあえずひとみはその横へ。新幹線なんて早さも微妙で、将官クラスになると移動には飛行機を使うのが一般的らしい。だから軍事車両の運行は多くて隔日とのことだ。兵員輸送に特化したタイプもあるらしいけど……そんなの使うのだろうか。

 

 と、発車ベルの音が聞こえてくる。いよいよ出発だ。

 

「ほら、米川」

 

 石川大佐が窓の外を指し示す。

 

「あっ」

 

 窓の外、プラットホームにはたくさんの人が並んでいた。警官や作業員、任務を引き継いだのか完全武装五人衆までいる。みんなこちらへ敬礼している。ひとみを送り出そうとしてくれているのだ。

 

「――――ありがとうございました」

 

 ひとみは感謝を込めて答礼。石川大佐は「いい敬礼だ」と褒めてくれた。

 

 

 

 

 

 一発の警笛。列車は滑るように走り出す。不規則でお腹の底に響くような音が鳴りだして、窓の外の景色がどんどん流れていく。あっというまに加速されれば、電柱が、壁が、家が、全てが吹っ飛んでいるように見える。たちまち小田原を通過、街一色だった景色が移り変わり、急に景色が山に変わった。

 

 トンネルに入り、耳が痛くなる。飛行機で飛んだ時のアレと一緒だ。窓の外が真っ暗になると、石川大佐が口を開いた。

 

「もう見る景色もないな。そろそろ昼にしよう……従兵(ボーイ)!」

 

 数瞬も待たずに無音で進み出てくる男の人。警備兵とは思えない軽装だが、そのきっちりした制服はやはり軍人のもの。当たり前だがひとみよりもずっと年上だ。

 

「こいつに昼を出してやってくれ、俺の分も頼むぞ」

 

 ――――一人称、『俺』ですか?!

 

 ひとみは思ったが、いやしかしどうしてそんな言葉を放てたものだろうか。相手は上司である……そういえば、石川大佐はここまで徹底して一人称を使っていなかったっけ。

 ひとみがそんな風にフリーズしている中、従兵は気にかける様子もなく恭しく頭を下げた。

 

「かしこまりました。浜松うなぎ弁当、たこめし弁当、牛たん弁当、幕の内弁当などございますがいかがいたしますか?」

 

 その言葉と共に差し出される紙。食べ物の名前がずらりと並んでいて、もちろん金額は書いていない。

 

「ほら、なにがいい?」

 

 石川大佐にそう振られ、ひとみは今聞いた言葉を頭の中でぐるぐるまわす。うなぎ、たこ、牛、幕の内……幕の内って食べ物だっけ?

 

「え、ええっと……」

 

「こっちは幕の内で」

 

 大佐、幕の内ってなんですか……とは言えない。でも、どうしよう。全く決まらない。

 

「あの、大佐……わたし、その……これじゃダメですか?」

 

 そう言って指し示すのは小さく書かれた「ハムチーズ&たまごサンド」という文字列。サンドウィッチだ。

 

「何言ってるんだ、軍人ならもっと食え……こいつには牛たんを」

 

「えっ」

 

「かしこまりました」

 

「えっ、ええっ?」

 

 問答無用とはまさにこのこと。ひとみはなにも言えず、ただ従兵さんを見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 耳をふさいでいた手をどけたかのように開ける音がすると、一瞬だけ見える海。青一色の景色にほんの少しの地の緑と空の白。ところがすぐに見えなくなってしまう。またしてもトンネルに入ったのだ。

 

「あっ……」

 

「東海道は何度もトンネルが続くんだ、仕方ないさ」

 

「そうですか……あれ?」

 

 ひとみはもう一度窓を見て違和感を感じる。さっきまで窓の外はトンネル特有の黒だったはずだが、なぜか今は灰色だ。

 

「あぁ、それか……機密保護のための瞬間調光ガラス(UMU)だな」

 

 大方、何かしらの通報でもあったのだろう。気にする風もなく石川大佐は流す。でもひとみにとっては外が見えなくなるという以外の意味はない。

 

「そんなぁ……」

 

「諦めろ、機密ということはつまり、行動に不自由が付きまとうということだ」

 

 

 そしてまた駅を通過する。いつの間にか解除されていた曇りガラスの向こうに流れるカラフルな人だかり。一体何かと思えば、一瞬だけ見えた「あたみ」の駅名標。熱海といえば 熱い海……つまり温泉って聞いたことがある。きっと旅行客に違いない。車窓から、煙を上げている温泉街が見えた。時が止まってしまったような、古い街並み……感慨に囚われるより早く、列車は進んでいく。

 

「お待たせいたしました。幕の内弁当と牛たん弁当です」

 

 『朝摘み・会心の一滴』と書かれたお茶と一緒に弁当が出て来た。

 

「いただきます」

 

 石川大佐が食べ始める。

 

「い、いただきます」

 

 ひとみも食べ始める。

 

 カポッとふたを開けると、牛タンとその下に生姜ご飯。ちいさな玉子とガリみたいなものとよくわからない名状しがたい味噌みたいな物体X。

 

 試しに牛タンを一枚めくってみる。そして塩ダレがしみ込んだ生姜ご飯をひとくち、ぱくり。冷めたせいか何とも言えない不快感が口を埋め尽くす。かき消すように牛タンを食べてみれば、まあおいしい。けど噛み切れない。

 とにかく、牛タンと生姜ご飯を口の中に掻き込み、お茶で流すことにする。視線を戻せば弁当は全然減っていなくて、あと何回続ければいいのか……。ひとみは勝手に牛たんにした隣の大佐をちょっとだけ恨んだ。

 

 

 

 

 

「――――ところで、米川」

 

 出された駅弁をたっぷり堪能――――駅弁に蹂躙されたともいう――――したところで石川大佐は切り出してくる。ちなみに石川大佐はもちろん既に弁当を完食していた。それどころか新幹線名物と聞くアイスまで食べていた。とてつもなくカタイアイスだったらしく、プラスチックのスプーンがひん曲がっている。

 というかそんなことはどうでもいいのだ。石川大佐の声から真面目な話であることが予想できたひとみは、少し身構えた。

 

「は、はい」

 

「お前は、欧州についてどのくらい理解してるんだ?」

 

 欧州とは、多くの場合ウラル以西のユーラシア大陸のことを……という意味ではない。聞かれているのは欧州の戦局についてだろう。

 

「えっと……北はカールスラント・オストマルクのアルプス国家要塞、南はアドリア海……でしたっけ」

 

「それは中欧の話だな、東欧は? 中東のオストマンやペルシアはどうなっている?」

 

 それを聞いたひとみは一瞬固まった。ペルシア……それってどこだっけ。知識を引っ張り出そうとするが、しかし何も出てこない。おかしい、これでも一通りの国名は授業でならったはずなんだけど……いや、思い出した。ペルシアといえばペルシア湾、ペルシアといえばホルムズ海峡!

 

「ウルディスタンの隣! ペルシア湾北部に広がる国ですよね……たしか今は、亡命政府でしたっけ」

 

「そうだ、2012年に()()全国土を喪失したことにより亡命政府が樹立、現在はニューデリーに居を構えて徹底抗戦を指導している……最近は、ロンドンへの移転を検討しているそうだが」

 

「そうなん、ですか?」

 

 それはつまり、戦局が悪化しているということ。石川大佐はため息をつくように「そうだ」と認めた。

 

「もっとも、極東も悪いには悪いがな」

 

「新羅半島ですよね……漢陽(ハニャン)が落ちたのが、二か月前」

 

 1989年までの凍りついた戦争(Cold War)の『解凍』。そこから始まった数々の騒乱。それは全世界に波及し、欧州はまたしてもネウロイに侵略されようと――――いや現実に侵攻されている。再び、世界に危機が訪れているのだ。わたしがこれから向かうのは、そういう世界。

 

 少しばかり流れる沈黙。

 

「米川、見てみろ」

 

 ちょうど新富士の駅を通過したとの表示が出たとき、石川大佐は沈黙を破った。ひとみを席から立ち上がらせると、通路を挟んで反対……山側の席へと連れていく。

 

「ほら、もうすぐだ」

 

「え? なにも見えませんよ?」

 

「いいから見ていろ。ほら」

 

 

 

 次の瞬間、窓の外に見えていた建物が消えた。河川を通過するための鉄橋に突入したのだ。そしてひとみは目を奪われる……橋を構成する鉄骨の幾何学的な美しさにではない。その向こうに鎮座する存在にだ。

 

 何度も観てきたはずだ。晴れた日はいつも見えたじゃないか。幾度となくテレビでその映像を見たし、天気予報でも報じられている場所ではないか。観光客が増えてからはゴミだらけだって話もよく聞いている。扶桑で一番なんて言われても、三千数百メートルなんて、ヒマラヤの半分――――そんなことを一度でも考えたことを後悔した。ずっと大したことないと思っていたその数字が、自分の想像なんかよりずっと大きかったからだ。

 

 ひとみの前に佇むのは富士の山。

 

 あまりに綺麗で、ひとみは恐怖すらした。目の前にそびえ立つ三七七六メートルの活火山と一メートルちょっとしかない自分の違いを全身で感じて、畏怖の念を抱いたのだ。

 

 

 

「これが扶桑だ――――お前の、守るべきモノだ」

 

「私の……守るべき」

 

 

 しっくり来た訳じゃなかった。そんなこといきなり言われたって分からない。それでもただどっしりと大きく構える富士山を見上げていれば、なんとなくわかった気がした。

 

 わたしにも守れる。こんな感動を与えてくれる素敵なものを守れる――――それだけは確かだ、確かなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか眠ってしまったひとみ。石川大佐に起こされると、すでに広島駅に着いていた。

 

「……なにが乗り心地最高の千里を走る馬だ。一般客がいなくなって(きょうと)からはまるでロデオじゃないか……」

 

 そんなことを毒づく石川大佐と共に業務用エレベータで在来線へと向かう。切符を出そうとしてその必要は無かったことを思い出したり、初めて見るコンテナ積み替え用のカーゴに目を奪われている間に呉線の7番のりばに到着。

 

 駅はすごく賑わっていた。ちょうどそろそろ帰宅ラッシュだろうか?駅案内掲示板を見ると、安芸路ライナー、急行みよし三次行、普通下関行、特急しおじ京都行……行き先が多種多様なら、列車の名前も十人十色。

 

 その中に一つ、長距離列車の欄に、「東京行」という表示を見つけた。寝台急行宮島、という列車らしい。発車は線路を挟んだ向かい側の5番のりば。既に列車は入っているようで……ちょっと背伸びして探してみると、ちょっとくすんだ青い車体が見えた。あの列車が踏みしめる軌道は東京に繋がっているのだ。

 

 広島駅はかなり忙しい駅らしい。後ろをオレンジ色のディーゼルカーが通過していったと思ったら、珈琲(カフェオレ)みたいな色の電車がひとみとブルートレインの間を突っ切っていく。そうかと思えば、真っ黄色に塗られた電車が走り抜けていく。いちいち見ていたら石川大佐すら見失って迷子になってしまいそうだ。

 その後ろをトロトロと、茶色に染まった列車がゆっくり入ってきた。ひとみ達が乗り込む軍用列車。周りがカラフルな分、そのセピア色はかえって目立つ。ここだけ世界が染まってしまったかのようだ。

 

 うん、なんか……いかにも『歴史の教科書から飛び出してきました!』って感じ。果たしてこんなので大丈夫なのだろうか。

 

「随分と古いな……」

 

 石川大佐も同じ感想らしい。それを聞いた案内の駅員が、少し微笑みながら説明してくれた。

 

「確かに古く見えるかもしれませんが、もちろん規格は現行のものですのでご安心ください」

 

「だがそこに『1975年製』と書いてあるじゃないか……」

 

 石川大佐が指さす先には車体に貼り付けられたプレートが。『扶桑鉄道省 鷹取工場 1975年』……民営化以前の代物だ。

 

 とはいえ乗り込まない訳にはいかず、石川大佐はやれやれとため息をついてから乗り込む。さっきのロデオ云々とか、一体自分が寝ている間の新幹線で何があったのだろうか……ひとみは考えてみるが、もちろん答えは出てこなかった。

 

 

 

 

 車内に乗り込むと、どこか懐かしい青と緑の中間のような寒色に塗られた床がひとみを出迎える。椅子は青色の座席。先ほどと同じように石川大佐の隣に座る。

 ちょうどそのタイミングに合わせてやってきたのは鉄道の制服。運転手は忙しくて来れないと説明しながら挨拶してくれる列車の車掌さん。

 

「すみません。ちょっと山陽本線が遅れていますね。その影響で一部呉線にも遅れが出ています。こちらの列車を優先して発車させますので、余り影響はないかと思いますが……」

 

 そう言い終わらないタイミングで、ブルートレインとこちらの列車の間の線路を、貨物列車がすごい勢いで通過しようとして、ドンと大きな音が響き渡った。続いてギイイと耳障りな音……急ブレーキをかけたらしい。外を見れば砂煙が上がっている。

 

「これで当列車が先行できます。信号はもう変わっていますので、運輸指令より指示があり次第発車いたします」

 

 耳を塞ぎたくなるほどの騒音をものとせず、車掌はそれだけ言う。それだけ言うとさっさと車掌室に引っ込んで、それから何かを操作する音と共にドアが閉まる。軽い汽笛が鳴って車体に衝撃、それから走り出す。

 

「それにしても、すごい音でしたね……耳ふさいじゃいました」

 

「戦地に出れば嫌というほど聴ける音だ……それにしても、どうしてこんなに乱暴なんだか」

 

「遅延の影響ですかね?」

 

「知らん。遅延の影響が出ないよう頑張ってくれるのは結構だが、もう少し優しくやって欲しいものだな」

 

 石川大佐は不機嫌さを滲ませながら窓の外へ視線を投げる。つられて外を見ると、隣のブルートレインも動き出していた。やはりダイヤが乱れているせいか、両列車ともにトロトロと走っていく。それは広島駅を出ても続く。

 こんなにぴったり走っていれば寝台列車の乗客とじゃんけんでもできそうなものだが、あいにく列車に乗客はほとんどいない。しかも列車は止まったり動いたりを繰り返すのものだから景色は一向に変化しない。新幹線の後ということもあり静止画でも見せられている気分だ。

 

 退屈だ。まあ言っても仕方がないので、ひとみは雑に詰め込んでぐちゃぐちゃになってしまっている手提げ鞄の中身を整えることに。膝の上に乗っけて、金属製の留め具を開ける。

 

 もう使わない、大っきらいな地学の教科書。修身の授業で使いもしなかった『心のノート』。机に並んでいた教科書ノート類はボストンバッグの方に仕舞ってあるから、こっちに積め込まれているのはこういったしようがないものばかりである。持ってきたのはいいけど使う機会はあるのだろうか。あとで整理しなくちゃ……そんなことを考えていたとき。

 

「……あれ?」

 

 ひとみは数冊のノートに気付く。そう、寮で見つけた見慣れないノート。表紙に書かれた「米川ひとみ」という文字列……あの時は大急ぎだったから何も考えず放り込んでしまったけど、やっぱり自分の字じゃない。自分の書きクセに似せてあるけど、やっぱり違った。

 

 その表紙に「飛行脚整備演習Ⅰ」と書かれた黄色のノート。私の整備演習のノートは緑色のはずに何故か黄色になっているノートを開く。そこには並んでいたのは……自分の字よりもずっと几帳面な字。

 

『「飛行脚整備演習Ⅰ及びⅡ」の()()()()指南』

 

「これ……」

 

「どうかしたのか?」

 

 石川大佐がどこか怪訝な様子で問いかける。答えようと思ったのだけど、それは言葉にならなかった。代わりに漏れたのはこのノートを作った「犯人」の名前。

 

「秋葉……教官……」

 

 ノートにはペンでびっしりと書き込まれたイラストや図。しかも黒・赤・青の三色で見やすく書きこまれている。所々にあるアルファベットの羅列はおそらくオンライン教材のURL、教科書に書かれていない細かな注意事項(ノーティス)や、トルク等の数値管理の早見表なども手書きで書きこまれている。ノートにもページ番号が振られていて、関連するページをすぐ参照できるように工夫が凝らされていた。

 

「まさか……これ、全部?」

 

 震える手で他のノートに手を付ける。飛行技術演習Aには簡単な飛行技術から実戦的な戦闘技術まで丁寧なイラスト付きで書きこまれていた。この丸っこい字はおそらく二人乗りの練習機(T-7)で一緒に飛んでくれた飛行教官のもの。航空力学入門のノートに書かれた右肩上がりの癖の強い字はいつも白衣を着て授業をしていたあの理科の先生のもの。航空ブリタニア語基礎のノートに綴られたとても読みやすいブロック体のローマ字に比べ、どこか崩れた扶桑語の羅列は専門用語だけじゃなくて外国のことも教えてくれたリベリオン出身でノッポな先生のもの。

 

 書き方も内容も千差万別だけど、とにかく詰まっていた。

 

「先生……」

 

「お前のために用意してくれたのか」

 

 石川大佐が口を開いた。

 

「……はい」

 

 ひとみは辛うじて答え、もう一度ノートに向き直る。この文量をまとめるのにどれだけの時間がかかったのだろう。ひとみに欧州行きの声がかかってからまだ一日。事前に知っていたとしても、そんなに時間はなかったはずだ。その間に何冊分ものノートを用意してくれた。その一文字一文字がこんなにも暖かくて、溶けてぼやけ始める。耐えろ、わたしはもう軍人なんだって、熱い目頭へと言い聞かせる。

 

 最後に残った、まだ見ていないノートを手に取る。こんどはタイトルも、名前も何もないノート。それを開く――――直後、必死に耐えていたものが零れだしそうになる。

 

 寄書きだった。寝食を共にしたクラスメイト。とんでもない知識量(マシンガントーク)でひとみを制圧した飛行研究同好会の先輩。結局ジャージだけで道着に袖を通さなかったけどいろいろお世話になった合気道部の先輩や友達。いろんな人が寄書きを残してくれていた。あんまり顔を覚えて居ない人もいる。それでもみんなが寄書きを残してくれていた。

 

 欧州にいっても元気で。米川さんならゼッタイ大丈夫! ハンモックナンバー1が堕ちるなよ! 後から追いかけるから待ってて! 目指せトップエース! メールや手紙待ってるよ!

 

 一つ一つを指でなぞりながら読み進めていく。皆、ひとみのことを案じてくれていた。皆が思い思いに言葉を残してくれていた。似顔絵などを書いてくれている人もいる。

 

「みんな……」

 

 ページを進めていくと文字の雰囲気ががらりと変わった。イラストが減り、グッと字がキレイになり読みやすくなる。教官一人一人が言葉を残してくれていた。きっと机に向かってじっくりと時間をかけて書いてくれたのだとわかる。それに応えられるよう、一字一句見逃さないように読んでいく。

 

 難しかったり、簡単だったり。威勢のいい言葉もあるし、偉い人の言葉をいっぱい引用しているのもあった。そんな先生たちの言葉を一つ一つ読んでいくと……一番最後に筆ペンで綴ったらしい短い一文。添えられていたのは、校長先生の名前だった。

 

 

 

「『てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった』……?」

 

 

 そう言うと石川大佐が軽く笑みを浮かべたのが見えた。石川大佐には意味がわかっているらしい。

 

「これ……どういう意味なんでしょう……?」

 

 

 ノートを見せて聞くひとみに、石川大佐が口を開く。

 

「安西冬衛の『春』という詩だ。聞いたことはないのか?」

 

 素直に首を横に振る。

 

「もう90年近く前の作品だ。韃靼海峡……間宮海峡と言えばわかるか?」

 

「えっと……オラーシャと樺太の間の……」

 

「そうだ。そこを蝶が超えていくという詩だな」

 

「……?」

 

 詩の意味は分かったが、まだ、腑に落ちない。校長先生は何を言いたかったのだろう。そんなひとみに、石川大佐はゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「韃靼海峡はオラーシャ側から見た時の呼び名だ。この詩を読んだ安西は扶桑ではなく、オラーシャにいたとされている」

 

「その安西さんって……」

 

「あぁ、扶桑の人間だな」

 

 ひとみが息を飲んだのを見て、石川大佐は続ける。

 

「……蝶を見ている人間は扶桑へは行けない。自由に空を飛ぶことができないからだ。90年前じゃストライカーユニットもないし、安西は男で魔女ではなかったため尚更だ。海を渡ろうとも荒波砕ける韃靼海峡も通してはくれない。だけれども頼りなさげな蝶々が一匹、春の空の上を飛んで行きつきたい場所へと飛んでいく。弱々しくも健気な蝶は、海をも超える力を持つ。オラーシャから離れられないとしても、心だけでも蝶と共に約束の場所に託せたら。そんな解釈なんだろう」

 

「じゃぁ、校長先生は……」

 

「君を応援してくれている。海を渡った先から、ちゃんと海を渡って扶桑まで帰ってこいといいたいんだろう」

 

 

 優しそうな校長先生の顔が浮かんだ。嗚咽が止まらない。ここまで暖かくしてもらえたのに。わたしになにができるのだろう。わからない。でも、それを考えないことはできなくて。

 

「……この後お前は海を渡る。欧州に行くためだ」

 

 隣から声が聞こえてきた。石川大佐の声だ。空気が喉につっかえそうになり、それを飲み込んだようやくひとみは返事をする。

 

「はい……」

 

「海では真水は貴重だ。こんなところで水分を無駄に消費するな、准尉」

 

 そうだ。いつだってそうだ。わたしには、わたしにはできることがある。できることを精いっぱい、やり続けることができるんだ。それしかないんだ。

 

「はい……!」

 

 

 そう答えるのを待っていたかのように、列車は急にスピードを上げた。同時に、ブルートレインもスピードを上げる。

 

 急に目線があがった。呉線へと向かう線路が、東京へと向かう山陽本線の線路を大きくまたいだのだ。列車は一気に坂を駆け上り、そして駆け降りる。

 

 ブルートレインがひとみの目の前にせり上がってきた。「東京行」という文字がひとみの前にやってくる。

 

 これに乗れば、東京に行けるのだ。みんなの元へ、行けるのだ。しかしひとみは、その列車には乗れない。乗るわけにはいかないのだ。列車は更にスピードを上げ、揺れが一段と大きくなる。列車の連結器同士がこすれる音がけたたましく響き、軽く鋭い風切り音が鳴る。

 

 ブルートレインとひとみの間を、海田市駅のホームが遮った。通り過ぎると少しずつカーブし始める。ここで山陽線と呉線は別れるのだ。列車はブルートレインと離れていく。

 

 向こうから警笛が聞こえた。規格通りの甲高い警笛が、なぜか言葉のように聞こえて。

 

 ブルートレインが見えなくなる。ひとみの目は、もう窓の外を見ていなかった。

 





 ――――米川君

 今これに目を通している君は、まだに扶桑にいるだろうか。それとも、欧州に向かう艦艇に乗っているだろうか。もう欧州で活躍しているのだろうか。もうウィッチを引退しているだろうか。私にはわからないが、君に何か残せることがあればと、今これを書いている。
 遣欧統合軍への配属が告げられた時、未だ十三にも満たない君はどのような気持ちでそれを受けとったのか、私には想像もつかない。恐ろしいと見えたのか、光り輝いて見えたのか、はたまたピンとは来ておらず、その判断を持て余していたのか、わからない。それでもそれを選び取ったことは、君にとって大きなことだったということは容易に想像がついた。本当ならばそれは二年間という時間をかけて向き合い、自分の選択を探すものだ。それだけの時間をかけてたとしても、答えられる人は稀だろうと思う。それを君はたった一日で選ばなければならず、そして君はそれを成した。それは並大抵の人ではできないことだろうと私は考えている。それだけで、君は大きなことを一つ成した。その選択を我々横須賀幼年学校の教員一同はそれを認めて、それを全力で応援する。
 誰よりも早く海を渡り、誰よりも早く高空を飛ぶ君のために、我々教官ができることは少ない。私からは小さなアドバイスしか贈れないが、受け取ってほしい。
 ちゃんと人を頼りなさい。軍人たる君が飛ぶ空は決して希望だけが溢れる空ではないだろう。何度となく無力を嘆いて、何度となく悲しんで、何度となく泣きたくなるだろう。それを一人で背負うのは大の大人でも辛いことだ。軍人でも辛いことだ。だから大人は協力し合っている。協力し合って、辛いことを乗り越えている。周りの大人はその術を知っているから、しっかり相談して、頼りなさい。
 逃げることの大切さを知りなさい。どんなトップエースでも常に戦い続けることはできない。無補給で何日も空を飛び続けることができないように、戦うことができない時が必ず来る。その時は逃げられるだけ逃げなさい。逃げることは恥ではない。戦略的撤退は有効な国防手段であることが証明されている。国は退いていいが軍人が退いてはならないという道理はない。君が飛ばない間の穴は誰かが必ず埋めてくれる。信じて逃げられるようになりなさい。
 生きていなさい。これがなによりも大切なことだ。生きてさえいれば、どんな状況も拓ける。生きることをあきらめてはいけない。どんなに己を無力に感じても、どんなに辛く感じでも、君の帰りを待っている人がいる。隊の仲間が、基地の仲間が、学友が、家族が、友人が、君を必要として待っている。もちろん、私も君が顔を見せに横幼に来てくれることを心の底から待っている。だから、生きていなさい。
 まだ齢十二の幼い君の成長を、短い期間だったが大人の一人として見守らせてもらえたことを心から光栄に思う。いつか成長した君に会えることを信じている。
 武運長久と君の健やかなる健康を願っている。

扶桑皇国航空幼年学校横須賀校 第八十三期学年主任 秋葉大輔
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