前編 「インド洋 2017 / 2003」
「これが……海……!」
ティルトローター機の小さな窓に張り付いてそういうまだ幼い子を見て、
「ウルムちゃん、はじめての海とはじめての飛行機でご機嫌なところ悪いんだけど、ハーネスはちゃんと締めといてね。この空域は安全とはいえなにがあるかわからないから」
「はぁい」
赤いヒジャブを揺らして素直に返事をしたのは203空の最年少記録を更新した八歳のウィッチ候補生、ウルム・パフシュ・シャイーフ軍曹である。ヒジャブに光るバッジはウルディスタン陸軍のものだ。
「ウルム、はしたないですよ。あなたはもう少しで成人なのです。もう少し落ち着きをもちなさい」
「そういうナシームもそわそわしっぱなしのくせにー」
「ウルムっ!」
同じく陸軍軍曹に編入されたナシーム・パルヴィーンがウルムに対して怒鳴るが、ウルムは気にせず笑っていた。
「あ、米川少尉殿」
ウルムがそういうと、ナシームがぱっと窓の外をみる。その先では狙撃銃を担いだひとみがティルトローター機と並走するように飛んでいた。視線を機内に戻してウルムが口を開く。
「それにしてもきれいに飛びますね、米川少尉殿は」
「まともな訓練受けて入ったらあれくらいできるようになるわ。まともな訓練設備も時間もない状況だったら仕方がない……って、ひとみんについては時間はなかったか」
加藤中尉は苦笑いだ。けっこう大概な形でひとみは実戦投入されていることもあり笑えない。
「まぁ、ルクサーナ少尉はこれからしごかれるだろうし、ウィッチ候補生のあなたたちも麗しき加賀のエクスウィッチ隊が空き時間見つけて訓練つけてくからある程度覚悟しておいてね」
欧州まではまだまだあるから。そういって加藤中尉が肩をすくめたタイミング。ベルが一瞬だけなった。
「さて、そろそろ加賀に到着だ。新人諸君をご紹介しなきゃね」
加賀に向けてティルトローター機がアプローチしていく。203空にとっては約一月ぶりとなる、本拠地への帰還であった。
「おかえりみんなー! きりどうちゃんさびしかったよーう! そしてかわいこちゃんが増えてる――――――っ!?」
「帰還報告ぐらいまともにさせんか貴様っ!」
デッキに降りると同時に艦橋からメガホンで飛んできた挨拶に久々の飛行を終えたばかりの石川大佐が怒鳴り返す。
「いーじゃんいーじゃん! とりあえずウィッチ組とウルディスタンの子達連れて上がってきてー。5分後艦長室で!」
霧堂艦長はそれだけ言い残すと顔を引っ込めた。さっそく石川大佐の額に青筋が浮かぶ。
「あいつはまったく……!」
「えっと、賑やかな艦長さんです?」
ウルムが聞くと石川大佐がため息。
「お前たちはあれを反面教師とするように」
それだけ言い残して石川大佐がずかずかと艦の中へと入っていく。慌ててそれを追いかける203空メンバー。最後尾に続いたのはルクサーナたちだ。
「船ってこんなに大きいんですね……」
ナシームがすぐ前を進むひとみにそう声をかけた。
「加賀は大きい方だよ。私もはじめてみたとき驚いちゃった。でも、こんなに大きくてもカタパルトがないとわたしのF-35は発艦できないから大きいんだか小さいんだかわからなくなるんだけどね」
「そうなんですね……」
そういう間にも石川大佐は艦長室のドアをノックもなしに開き、中に怒鳴りこんだ。
「霧堂貴様! 初対面であの対応はどういうつもりだっ!」
「だから堅いってさくらんぼちゃん」
「誰がさくらんぼだ! 貴様は扶桑軍人たる自覚が足りん!」
「石川までのんちゃんになると艦内暑苦しくてたまらないからパス。そしてそれを言うなら、あんたこそ後ろの新米ウィッチを差し置いてあたしの説教に入っているあたりどっこいどっこいなんじゃないかしらー?」
にやにや笑みを浮かべてそう言う霧堂艦長はデスクから立ち上がり、石川大佐をひょいとかわすと、胸に右手を当て軽くお辞儀。
「アッサラーム・アライクム・ワロマツロー・ワバラカア-トゥ。はじめてお目にかかります。扶桑皇国海軍第五航空戦隊旗艦『加賀』艦長を務める海軍大佐、霧堂明日菜です。本艦の最高責任者としてあなたたちの乗艦を心より歓迎します」
その挨拶に顔をぱっと明るくしたのはウルディスタン組の三人だ。
「ワ・アライクム・サラーム。神の御心のうちに。歓迎ありがとうございます。ウルディスタン国防陸軍第三七八支援飛行隊派欧分遣隊隊長、ルクサーナ・アラン少尉です。こちらから付属整備隊のウルム・パフシュ・シャイーフ軍曹、ナシーム・パルヴィーン軍曹、以上3名が派遣団となります。これからよろしくお願いします」
イスラーム式の挨拶が交わされ、霧堂艦長もご満悦だ。石川大佐がなぜか苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「まずは貴様、その『してやったぜ』と言いたげなうるさい顔を仕舞え」
「あらご挨拶ね。いいけどさ。それじゃ、すこしばかり実務的な話といこうか」
「実務的な話、ですか」
ルクサーナがどこか不安げな表情を浮かべた。
「任務の遂行能力とかそういうところを疑っているわけではないし、歓迎していることに間違いはないんだけど、それでも問題がないわけじゃない」
霧堂艦長はそういってわざとらしく腕を組んで見せた。ルクサーナたちの表情が曇る。
「要は君たちの宗教的に充足した生活を保証できるかどうかというところにあってね。この船にはムスリムの方をのせた経験がない。取り急ぎ食堂を管轄する第四分隊にはハラール認証を受けた食材とそれを心得た調理アドバイザーの手配を指示しているし、こっちの石川には礼拝の時間等は戦闘配置時を除き配慮するように言うけど……」
「貴様に言われるまでもなくそこは最大限考慮するが、食事と部屋は加賀側で用意してくれるのか」
それを受けて霧堂艦長は肩をすくめた。
「部屋については三人ともウィッチ用の区画で用意する。ウルムちゃんとかナシームちゃんは整備班側でもいいんだけど、軍曹だからといって野郎と一緒に
それを聞いてこくこくとうなずくナシーム。若い男性兵士のただ中に放り込まれることを考えたのか、その反応は必死だ。
「あと食事は特別食になるから提供場所を限定せざるを得ない。ダーティシャツ・ワードルームのみで提供する形にする。ウルムちゃんとナシームちゃんには利用許可証を発行するよ。ルクサーナちゃん……長いからるーちゃんって呼ばせてもらうね、るーちゃんは士官食堂で食べることもできるけどそのときはダーティシャツから取り寄せることになるからよろしく」
「えっと……ダーティシャツ・ワードルームって……」
控えめに手をあげて質問したのはナシームである。それをいいことに会話に入り込んだのは石川大佐だ。
「作業服で入れる士官用食堂だ。場所については後で米川少尉に案内させる」
「というわけでかなり不自由な生活になると思う。祈祷室の用意もするし、うちの隊員には君たちの信仰の自由を守ることを徹底させるよう指示するけど、足りないところがたくさんありそうだから、そのときは遠慮なく言ってね」
「はい、ハラールを守れるだけでも十分です。よろしくお願いします」
ルクサーナの返事に霧堂艦長は満足そうだ。
「じゃ、ここから先は飛行隊にお任せかな。機体の方もそっちの管轄になるし。旅行の段取りも済んでるみたいだしね。じゃ、退出していいよ」
言うだけ言って追い出される形になり、石川大佐はものすごく不服そう。
「なんども言うがアレを反面教師とするように。米川、艦内を案内してやれ」
「了解しました!」
ひとみは敬礼してウルディスタン組をつれていく。それを見送ってから石川大佐はため息。それを聞いたのぞみが小さく笑みを浮かべる。
「どうしたんですか?」
「これから毎日アレを相手にしないといけないかと思うと頭が痛くてな」
「お疲れ様です。でもまあ、賑やかでいいじゃないですか」
「節度さえ守ればな」
加賀に賑やかな声が戻ってきた。セイロン島沖の海は穏やかだ。
「あ、米川少尉」
艦内を見て回っている間に声を掛けてきたのは整備隊の
「あ、左雨さん。どうしたんです?」
「後ろの方達、ウルディスタンからの派遣団の方であってます?」
そういってルクサーナに敬礼をしながら左雨が聞く。頷いて答えるひとみ。
「そうですけど、どうかしました?」
「えっと……ウルム・パフシュ・シャイーフ軍曹は」
「えっと、私ですけど……」
そう言っておずおずと手を上げたのは赤いヒジャブを被った一番背の低い少女だ。文字通り目を剥く左雨伍長。
「うおっ……失礼いたしました。F-35FA整備隊の左雨
「へ?」
きょとんとしたまま首を傾げたのは敬礼を受けたはずのウルムその人だった。
「えっと……私の指揮下って……え?」
「ウルム、答礼をなさい」
ナシームにそう言われ、慌てて敬礼をするウルム。この場にいる誰も状況をまともに把握出来ていない。ひとみが左雨に問いかける。
「左雨さん、F-35FA整備隊から異動なんですか?」
「異動というか……ウルディスタン機の整備隊が明らかに人手が足りないので私が応援に入ることになりました。米川機付き整備隊は比較的人員が豊富ですので……加藤中尉、図りましたね」
そんなことを苦々しげに言う左雨伍長だったが、ウルムを見て苦い顔を隠した。
「軍曹、機体整備について少し検討したいことがありますのでご同行していただいてもよろしいですか?」
「はい! よろしくお願いします」
ひとみの横を『マジかよ。この子が上官か……』と呟きながら左雨伍長が歩いて行く。
「私達はどうしましょうか?」
ルクサーナがひとみと左雨伍長を交互に見ながらそういった。ひとみが左雨伍長に目配せ。頷いたので笑って見せる。
「じゃあついていこうか。左雨さん。格納庫ですか?」
「はい。ルクサーナ少尉もできればご同行いただけると助かりますし」
左雨伍長に連れられてやってきたのは格納庫。今は遠征から帰ってきたストライカーの本格整備が行われており、ほとんどの機体から魔導エンジンが引き抜かれ、整備が行われていた。
「あ、加藤中尉!」
「ヤッホーひとみん。あとルクサーナさんたちもこんにちは。あとロリコン野郎もお疲れ様」
「 だ れ が ! ロリコン野郎ですか加藤中尉!」
そう言って叫び返した左雨伍長。それを受けて加藤中尉はケラケラと笑った。
「いやぁ、だって幼女の上司を持ててご満悦でしょ?」
「んなわけありますか。というより仕組んだの加藤中尉でしょう?」
「いやぁ、性癖的にも適任だと思ったし? つるぺたロリ好き左雨嗣人伍長?」
「事実無根の情報を流すのもいい加減にしていただきたい!」
そんな声の横でウルムが首をかしげた。
「ろりこん……? ってなんなのですか?」
「シャイーフ軍曹は知らなくていいことです」
「素性がばれるから?」
「加藤中尉そろそろ殴ってもよろしいですか」
「はっはっは」
加藤中尉は笑ってごまかしてひとみたちの方に歩いてきた。
「それよりも、あのミラージュの件で来たんでしょ。左雨君、案内案内」
「後で覚えておいてくださいよ。それで、ルクサーナ少尉のミラージュIIIVなんですけど……」
すごく不満げな左雨伍長に案内されたところにはいろいろとバラバラになったストライカーがあった。
「よくこれで飛べてましたねっていうのが正直なところなんですけど、これをどうするか少し考えないといけないわけでして……」
「あー……」
「とりあえず砂を落として洗浄してみましたが、どこもかしこも摩耗が激しくてですね」
「パーツ交換がほとんどできませんでしたからね……」
ルクサーナがそう言って苦笑い。その様子を見て左雨伍長はため息をついた。
「当たり前です。今じゃパーツ自体が存在しないんです」
「パーツが存在しない……?」
そう首を傾げて聞き返したのはナシームだ。
「それってどういうことですか」
「この機体、とっくに生産打ち切りどころか、VTOLジェットストライカーの実験機として二機製造されただけの代物の上に、一機は事故で喪失しているので、これが現存する最後のミラージュIIIVということになるんです。20年くらい前から所在不明になっていたもので、まさかここでお目にかかるとはというレベルですよ。設計図が開発元のゲッソー社に残っているかどうかすら怪しいです」
「ほへー、そんな貴重なモノをルクサーナは使ってたんですね」
感心しているウルムの横で、ひとみが手を上げた。
「あの、左雨さん」
「米川少尉、どうしました?」
「それって、このストライカーは飛ばせないってこと……ですよね?」
「え?」
ルクサーナがきょとんとした表情を浮かべた。頷く左雨伍長。
「はい。何時墜ちてもおかしくないほど疲労したパーツ群、しかもパーツを交換できないではどうやっても無理です。もう博物館に送っとけレベルの機体ですし……。それでなんですけど……」
ウルムの方にタブレットを渡す左雨伍長。ウルムはそれを受け取りまじまじと眺める。
「えっと……これって……」
「代替機の調達および整備計画についての原案です。機付長はパフシュ・シャイーフ軍曹ということなので、これを確認してもらって……」
「あ、あの……」
ウルムがすごく申し訳なさそうな顔をして手を上げた。
「どうしました?」
「ごめんなさい……私、字が読めないし、書けないんですけど……」
「…………………………………は?」
左雨伍長がフリーズした。周囲もあまりの事態に状況が飲み込めていない。
「えっと………英語が読めないってこと?」
「数字はなんとか………です」
「母国語はなんとかなりますか? ウルドゥー語は?」
「……ごめんなさい」
左雨伍長は呆然としたように天井を仰いだ。
「……わかりました。とりあえず代替機は私と加藤中尉でなんとかしますし、代替機整備についても私が指揮をとりますんで、軍曹は……読み書きの訓練から、はじめましょうか……」
「お願いします……ごめんなさい……」
「いえ、謝らないでください……なんとかします……」
前途多難。それ以外に言葉が見つからない滑り出しだが、とにかく203の新しい翼はこうして動き出したのである。
夕焼け空で赤く染まった加賀がのんびりと海上に泊まっている。その艦橋では紫煙がゆらりと真上に伸びていた。珍しく凪ぎの海だ。
「なーに難しい顔してんのよ、さくらちゃん」
「そう呼ぶなって言っているだろう、霧堂」
「いいじゃないの、今頃他のウィッチ達はウルディスタン組の英語トレーニングの真っ最中なんだしさ。聞かれる心配はないでしょ」
霧堂明日菜はそう言ってウィングの落下防止柵に体重を預け空を仰いだ。
「飛んだんだね、あの子達は」
「約束は守っただろう」
「約束…………あぁ、約束ね」
もう一ヶ月も前の約束。203が、あの混迷のインダス流域へと旅立つ前に交わした約束。
「そうだね、生きて帰ってきた。あんたも203も帰ってきた」
どこか寂しそうな笑みを浮かべてちらりと横を見た霧堂はしばらく躊躇するような間を空けた。
「大丈夫?」
「何がだ」
「あんたが」
「大丈夫だ」
それを聞いた霧堂が笑う。
「その即答が怖いんだけどな」
「意味がわからん」
石川大佐はそう言って霧堂の方を見た。
「大丈夫じゃないのは貴様の方じゃないのか」
「……バレた?」
首を傾げてみせる霧堂。石川は迷わず言葉を継ぐ。
「何を焦ってる?」
「…………ウルムちゃんがかわいすぎてつらい。『蛇口を捻ると水が出るって本当だったんですね!』なんてとんでもないこと言ったりするからなんというかかわいい。いろんな常識を教えてあげたい。ねぇさくらちゃん。英語教えてあげるから部屋においでって言ったらウルムちゃんたち来てくれるかな」
「ロリコンもいい加減にしろ阿呆」
石川大佐はそう言うがそれ以上の事は突っ込まなかった。二万トンの大型艦を率いる艦長は笑うだけだ。
「後悔してるのか?」
「なにを?」
石川の疑問に、霧堂は問いかけで返した。
「そんな顔をしていた」
「まさか。後悔なんてないさ。それでも、どこか引っかかりがないといったら、きっと嘘になってしまう」
霧堂の視線がわずかに下がった。
「中東は、どうだった」
「相変わらずだ。宗教と国境が入り交じる絶望の坩堝、とでも言おうか。そんな場所だ」
「石川、詩人の才能あるよ」
「それで救えるなら、いくらでも」
「ほんっとに……あんたは変わらないな、石川。そんなあんたがうらやましいよ」
霧堂はそう言って自分の両腕を見下ろした。
「中東の光、扶桑製エーリカ・ハルトマン、ユーフラテスの
「霧堂……」
「ままならないね、石川。あれだけネウロイを喰っても、あれだけ人を救っても、それでも必ずどこかで誰かが死ぬ。力が及ばず誰かが死ぬ。それはとうに理解していたはずなのに、わかって翼を畳んだのに、今更になって心がざらついてしかたない」
「飛びたかったのか?」
「当たり前じゃん。私達の空だったんだよ、ここは。数万人を数人で守り切らななければならない切迫した状況で、203が潰れるかもしれないという可能性は、恐ろしかったよ」
そう言って霧堂は石川の方を見た。
「もうウィッチじゃいられないか、私も。クソッタレな軍人に成り果てた」
「お前は知っていたのか、本国の方針を」
「知らなかったよ。だから203を無策で送り出せたのさ。203はお飾りだと本国は思っていた、あんたもひっくるめてね」
「だが203は勝ってきた」
石川はどこか誇るような、そしてどこか優しく目を細めた。
「そうね。勝ってきた。もうあの子達は引き返せない。あの子達がなんと言おうと、あの子達は英雄になってしまった。のんちゃんも、ひとみんもね。……地獄が幕を開けるぞ石川。もうあの子達は表舞台から降りられない。希望であり続けなければいけない」
「トップエースとしての勘か?」
「確信だよ石川。予言と言ってもいい。あの子達の望み通り、203は世界を守るための翼になる。もう憧れだけでは済まない。それでもきれい事を必死に抱えて飛ぶ世界の幕開けだ。……石川、あの子達を守れるかい?」
「何を今更」
石川が即答する。それを見て吹き出す霧堂。
「……まったく、あんたにはかなわないよ。完敗だ。ままならないな。ほんとにままならない。そうだろう?」
霧堂が見上げた空を、石川も見上げる。
「あぁ……まったくもって、ままならないよ。中東は」
インド洋が紅く染まっていく。間もなく、太陽と水平線は交わることだろう。
母なる海を押しのけつつ、大質量の軍艦が驀進してゆく。
軍艦の塗装は久々に見る扶桑海軍のそれで、どうやっても目立つ左右非対称の
《ほぉおう? あれがKagaですか》
外耳道に差し込まれた魔導インカムがその僚機の言葉を振動として伝え、鼓膜から耳小骨を通じて言葉に変換される。中東に送り込まれて以来散々聞いてきたブリタニア語だ。もう聞き取りに困ったりはしない。
「オーちゃん正解。私も見るのは初めてなんだけど、思ったよりも小さいわね」
そう言いながら改めて眼下を往く飛行甲板に目を落とす。インド洋を我がものと進む2万tの巨艦は複数の護衛艦による輪形陣の中心に位置しており、まさに空母機動部隊ここにありと言わんばかりの壮観である。
まあ現実には「加賀」の艦種は強襲揚陸艦。甲板長はもちろん整備能力の限界から固定翼機は運用不可能。
だからこそ護衛部隊として彼女たちがこうして派遣されているのだ。ペルシア領土の大半を奪還して以来ネウロイの動きは妙に静かで、テヘランを拠点にする彼女たちの部隊も最近はこうした『雑用』ばかり。
「ま、へーわなのはいいことなのだけれどさ」
そうやって目を閉じ、愛機であるF-15EFの振動だけに身を委ねる。幼年学校を出て以来の愛機としてこの傑作機を使い続けてきた明日菜にとっては、座禅並みに心の研ぎ澄まされる心地よい振動だ。こういうのを中毒ともいうのかも知れない。
《おや? あの細々と布にくるまれてるのは何ですかね?》
と、思考を中断する声が。先ほど言葉を交わした僚機……オーガスタ・マクファーレン中尉の声だ。明日菜はあれで会話が終わったと思っていたが、どうやら中尉の中では続いていたらしい。
改めて「加賀」に目を落すと飛行甲板の半分を何かが埋め尽くしている。控えめに、しかし確かに存在を主張する布でくるまれたそれは、よくよく見ると飛行機の形状。
「……アレはディブレークよ。あれだけ厳重に保護されてる感じを見るに、ペルシアにでも売りつけるんだろうね」
塩害を考えればもちろん露天駐機は悪手。それでも致し方ないといった様子で積まれたようにも感じられるそれは、現地につくまでは使う気ゼロと言わんばかりに丁寧に保護されていた。
《
F-73ディブレーク。本土防空を担うはずの国産要撃機がどうしてもリベリオンF-15に勝てず、それでも諦めずに扶桑が決死の覚悟で開発した何世代目かの
「そりゃあそう、だって失敗作だもの。ミサイル照準が出来ないわ整備性が最悪だわで使うのは海軍さんだけよ? 生産コスト抑えるためにあちらこちらに売りつけてるってわけ」
そう吐き捨てる明日菜。ディブレークの名誉のために言っておくとミサイル照準器の問題は既に解決されている。おかげで2003年の今では偏向ノズルを用いないことで堅実なSTOL機としての性能を達成、山岳地帯でも運用可能なそこそこ戦闘機動に秀でる機体。別にスペックとして問題があるわけではない。だからこそ中堅国には好まれてはいるのだが……。
「……ホント、胸くそ悪い話よね」
彼女にしてみれば扶桑がそれを売りさばくこと自体に不満があるのだ。吐き捨てるようなその台詞に僚機が不安そうに声をかけてくる。
《アスナ?》
「んーいや、ちょっち考え事してただけよ。気にしないでオーちゃん」
本当にクソッタレな戦争だ。人類の危機だなんだの言って、イマイチな戦闘機を国内産業のために海外に売り飛ばす。それを人類の協調だと言って憚らない国内メディアに軍上層部。
そしてなによりも――――
別の周波数で呼び出しがあると機械が教えてくれる。はて誰かと思えば、いつの間にやら「加賀」よりウィッチが飛び出してくるのが見えた。
《おや、お客さんのようですねぇ》
「大方扶桑海軍の直掩ウィッチってところかしらね……こちらは第301統合戦闘航空団、貴官の所属は?」
これでも明日菜は護衛部隊の隊長ということになっている。だから自分の名前を名乗って相手に名乗らせる。単純な作業だが、これと
《扶桑皇国第三航空戦隊所属、石川少尉であります!》
無線に息を吸い込む気配が乗るくらいの大きな挨拶。そんな気張らないでもいいだろうにと明日菜が苦笑する。
デカン高原でネウロイへの抵抗を続けるペルシア軍を支援すべく、行われている軍需物資の輸送。これの護衛が霧堂たち第301統合戦闘航空団の最近の主任務な訳だが、正直危険度は低い任務だ。そこまで肩を張るものではない。
「護衛ご苦労様、少尉。これより301空は貴艦隊の護衛に入る」
《あ、あのっ……小官は貴航空隊に合流するようにと辞令を受けておりまして!》
補充要員の話は聞いている。戦線は膠着状態だが、人類連合としてはこれからペルシアを奪還するべく大作戦が始まる間際。そのための軍需物資であり、そして補充要員。
「その件については聞いてる。私が戦闘隊長の霧堂大尉だ。よろしく」
それを聞いた石川少尉。彼女が顔色を変えたのを見て、霧堂は胸の中にマグマのようなわだかまりが湧き上がるのを感じた。
嗚呼。この子もか、と。
《霧堂大尉殿、お会いできて光栄です!》
《……ほおぉーう》
空中での引き締まった敬礼を見せつけてくる石川少尉。こりゃあ面白いネタを見つけたといわんばかりにこちらに視線を送ってくる僚機。一方の明日菜は表情を険しくして、それから答礼もせずに冷たく言い放った。
「少尉。現在は作戦中だ。私語は慎むように」
《あ……》
何かでガツンと殴られたように表情を変える石川少尉。明日菜はそれを無視するように大きく旋回。護衛対象の上空につく。
本当にクソッタレな戦争だ。明日菜はこの戦争が嫌いも嫌い。大嫌いであった。
人類の危機だなんだの言って、遠く離れた安全な自国で武器を作り、そして海外に売り飛ばす軍産複合体。被支援国の経済を破壊し、人類連合に依存せずにはいられなくなるように投入される様々な支援物資。それらを人類の協調だと言って憚らない国内メディアに軍上層部。
そしてなによりも――――こういう風に『ウィッチ』に憧れて、この来なくてもいい
遡ること14年の2003年。
今年で21歳となるベテランウィッチ、霧堂明日菜の姿は――――――中東に在った。