ゴールデンカイトウィッチーズ   作:帝都造営

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後編 「ユーフラテス 2003」

 結論から言えば、撤退作戦は至極順調に進んでいた。

 

 見事に鳩尾に一発を食らう形となった人類連合軍はそれでも可能な限りの地帯戦術を繰り返しながら後退を進める。入植者をひとしきり迎え入れては、ひたすら後送する。その繰り返し。

 

「……でも、もう限界だ」

 

「何言ってんのよオーちゃん。今日だって300人を救った。昨日なんて1000人だ」

 

 そんな実績(スコア)の話をしているわけではないのだろう。そんなことは分かっている。何人救おうと、現実は変わらない。

 

「聞いたでしょ、海兵隊の中隊がまた消えた」

 

「仕方ない。私たちがいなければ一個擲弾大隊が消えた」

 

 プランⅦC――メソポタミア共和国連邦からの撤退計画――が発動されてから一週間が経過した。その間の戦傷者は既に10000を超えた。作戦が実行に移されてから既に三ヶ月、つまり総作戦期間の一割にも満たない時間で軍は総兵力の約13%を損耗したことになる。

 単純計算でも、この時間があればネウロイはこの方面の人類連合軍を全て磨りつぶすことが出来たわけだ。

 

「それで、明日はどうなる」

 

「リファイに展開するリベリオン陸軍の撤退支援。明日中に七号線の撤退が完了すれば、私らもこの基地からおさらば――――また始まったか」

 

 その言葉が終わるのを待たず、残響のような爆炎が響く。今度は撤退する人類連合軍への抗議活動だったか。サイレンが鳴り響くのと同時に、窓の外を照明弾の光が覆った。差し込んだ光がマクファーレン中尉の顔を照らしだし、明日菜は逃れるようにカーテンを閉める。

 

「大丈夫よ。ここの基地には4000のリベリオン軍が張り付いてる。まだネウロイも来ない。大丈夫だ」

 

 どうすればいいのだろう。すっかり細くなってしまった肩に手を添える。とにかくここは安全だと、そう伝えるしかない。

 

「そりゃ、ここは安全でしょうよ……ここが落ちれば本隊は撤退もままならない。だから死んでも戦うでしょうね。彼らも……そして、私たちも」

 

 そんなことは分かってたことじゃない。そう、軽口のように言えたらどれほど良かっただろう。気持ちを晴らそうと電灯のスイッチを入れる。発電機の電圧は安定していないようで、何度か瞬いてからようやく部屋とマクファーレン、そして明日菜が照らされる。

 

「オーちゃん……」

 

 信じられない話だった。先週から変わらないのは小麦畑のような三つ編みの金髪だけ。いやそれすらも力を失ってしまったように見える。肌の張りも、艶も、まるで最初からなかったかのように抜け落ちてしまった。食べていないのだ。

 

「ねぇ、アスナ。あんたはスゴイよ」

 

「なにが」

 

「こんなになっても、あんたは301の戦闘隊長だ。中東の光だ」

 

 マクファーレン中尉はそう言う。明日菜は久々に口の中が乾くのを感じた。戦闘隊長になって以来、こんなことはなかったのに。

 

「なに、なに言ってんのさオーちゃん。中東の光は私たちのことでしょ、私たち11人のことでしょ」

 

 舌が巧く回らない。中東の光なんて呼ばれ出したのはいつからだったろう。そういえば、昔の301はそんな風には呼ばれていなかった。あの頃はまだメソポタミア共和国連邦も健在で、少女(ウィッチ)により構成される統合戦闘航空団は目の敵にされていた。

 何故こんなことを思い出すのだろう。明日菜のとりとめもない回想に従うことなく、目の前のマクファーレンは言葉を紡ぐ。

 

 それは、マクファーレンを追いかけて、追い抜いて来た明日菜が、初めて見る表情。

 

「へぇ。11人。中東の光にはサクラも入ってるんだ」

 

「……当たり前じゃない」

 

 

 

 

 

「――――――待って下さい!」

 

 時は一週間ほど遡る。まだ第301統合戦闘航空団はムサンナー基地にあった。そう、あの夜だ。クウェートの「暴徒」に鉄槌を下した夜。人類連合軍が負けを認めたあの夜。

 

「バグダード周辺の戦線維持ってことは、いつも通りってことですか?」

 

「そうだ。シフトも別段変えることはない。表向きは、だがな。近々、少なくとも一両日には人類連合軍は北部からの撤退を開始することだろう。要は、荷物は纏めておけと言うことだ」

 

 石川の質問は何か変わったモノではなかった。だから明日菜はかみ砕いた説明をしただけだった。その「いつも通り」という石川の言葉に、どれほどの意思が込められていたのかなどを考えることはなかった。

 

「じゃあ――――西部の部隊はどうするんですか」

 

「西部については全面的に撤退だ。生半可な戦力で抗戦しても血を増やすだけだろうからな。ひとまずはユーフラテス流域まで後退の後、再集結と戦線構築が――――」

「そうじゃなくて!」

 

 そう叫んでしまってから、「しまった」というように口を押さえる石川。これまで自分でも嫌になるくらい強く当たってきたのだ。石川が明日菜のことを恐れるのは当然だ。ましてや、上官の発言を遮るという明らかな落ち度を前にしては。

 

「いいよ。言いたいことがあるんでしょ? 私らの隊長はこのくらいじゃ怒りゃしないって」

 

 口を挟んだのはマクファーレン。石川はマクファーレンと明日菜を交互に見遣り、それからしっかりと背筋を伸ばして言った。

 

「き、霧堂戦闘隊長へ……直ちに西部の救援に向かうことを進言します!」

 

 笑おうなんて思わない。石川の意思はその言葉だけでしっかりと伝わっていたハズだった。明日菜だってそんなことは百も承知だ。

 

 だが、温度は。二人の言葉の温度だけは、見落としていた。

 

「少尉。脈絡のない進言は謹んで貰おう。プランⅦCというのは――――」

 

「――――プランⅦCが撤退作戦なのは知っています。私たちがもう戦えないから、下がるってことも。でも」

 

 明日菜の言葉を遮るように石川は続ける。石川と言葉を交わすのはデブリーフィングでの数言のみ。全てを正論で塗り固めてきたから、石川がそれに抗することは一度もなかった。

 

「でも。でもそれは、誰かが負けそうってことです。なら私たちは、今すぐにでもその誰かを助けに行かなくちゃいけない」

 

「司令部の命令に西部の救援は含まれていない。そもそも一四カ所での同時攻撃だ。対応できるならもう手を打っている」

 

 今日も、確かに正論で塗り固めたはずだ。

 

「でも! それでも誰かを助けに行かなくちゃ!」

 

「サクラ、分かるよ。でも西だって無防備じゃない。私たちが助けに行かなければいけない状況に陥るくらいなら、今から行ったって間に合わない」

 

 そうでしょアスナ? マクファーレンの視線を受けて、明日菜は小さく頷いた。

 

「そうだ。私たち301に求められるのは夜空に飛び出すことでも、こうして動転することでもない。それでは向こうの思う壺。今夜はしっかりと休み、明日からの戦いに備える。どうせ夜に撤退などはできないのだから」

 

 そう。闇夜の撤退戦などは存在しない。ましてや夜間の砂漠は氷点下を優に下回るというのに。

 

「……じゃあ」

 

 続く言葉を探す石川の、あの表情。

 

 多分それを、明日菜は忘れない。

 

「じゃあ――――――クウェート分遣隊はどうなるんですか!」

 

 

 

 

 

 あの時、西部の部隊は確かに貧弱だった。固定翼機などは皆々バグダード方面へ引き抜かれていたし、海軍による支援体制も決して万全ではなかった。

 

 それでも、人類連合軍は伊達ではない。これは《ペルシアの自由作戦》なのだ。この戦いは中東での、解凍戦争にケリをつける戦いなのだ。湾岸戦争以来メソポタミアには数え切れないほどの兵士とウィッチが動員されてきた戦いを終わらせる。

 装備に不十分なことがあっただろうか。ネウロイの襲撃を想定しなかったとでも?

 

 西側の部隊はネウロイと交戦に入った。その情報は正確に司令部へと伝達された。

 それこそが、西側が健在だった証拠ではないか。

 

 だが、それでも。例外は確かにあった。許されないはずの例外が。

 

「タイミングが悪ったんだ」

 

「タイミング? 運で片付けないでよ。あの日、あの時、暴徒はXデー(あのひ)を知って攻撃してきた。通じてたのよ」

 

 そう宣うマクファーレン。それが本当なら暴徒はネウロイと通じていることになってしまう。あり得ない妄想だ。

 

「なにを馬鹿なことを……」

 

「じゃあなに、アスナはアレがたまたまだって言うの? ネウロイの大攻勢が始まる日に、そのネウロイから身を護ってくれる軍隊になんで暴徒は銃を向けたの!? なんで私たちはクウェート分遣隊を爆撃したの?!」

 

「だから、タイミングが悪かったんだ。私たちはあの時あの場所で、最善の決断と行動をした」

 

 ダメだ。止めようもない。止められるはずがない。力を失ったように目の前に座り込むのは青春を費やしたこのクソッタレな軍隊で明日菜が唯一見た華などではない。ただ何処にでもいる、クソッタレな戦争に磨り潰されたウィッチの姿。

 もう、どんなに正しいことを言っても通じはしないのだ。

 

「ねぇ、明日菜。アンタ、なんでウィッチになった」

 

「……私が、ウィッチだからだ。力があるから、祖国があるから」

 

「違う。アンタはウィッチなんかじゃない。軍人だった。軍人だったんだよ」

 

「オーちゃん……いや、マクファーレン中尉。あんただって軍人だよ。魔女狩りの時代ならいざ知らず、怪異(ネウロイ)を倒すのはウィッチであり軍人だよ」

 

 魔女(ウィッチ)と軍人。果たしてなんの違いがあるというのだろう。同じく国家の、人類のために戦い、等しく血を流す。一体なにが違うというのだろう。

 

「違うよ、ぜんっぜん違う!」

 

「マクファーレン中尉、私は霧堂大尉だ、霧堂明日菜大尉だ。そしてあんたはオーガスタ・マクファーレン中尉だ。二人とも軍人だよ。今日までネウロイを倒し、一人でも多くを救ってこれたのは、私たちがウィッチで、そして軍人だからだ」

 

「だから――――それが間違っているっていってるのよ!」

 

 窓に掛けられたカーテンを、電球を、床を壁を天井を、マクファーレンの声が揺らした。

 

「違うでしょ、軍人になったほうがネウロイを効率よく倒せたからでしょ?」

 

「それは」

 

「否定なんてしないでよね。だって私たちが生まれる前からネウロイと戦ってるんだもん。そりゃあ効率よくなってなきゃ、洗練されてなきゃおかしいよ。私たちに戦い方を教えてくれた、私たちが戦い続けられる武器と作戦を与えてくれた」

 

 私たちは、一心同体のハズだった。

 

「それがいつの間にか、私たちは命令に従うだけになっていた。騙されてたんだよきっと。私たちは軍人になってた。軍人に仕立て上げられてたんだ。国の命令に逆らえない従順な犬っころになってたんだよ。私たちは魔女(ウィッチ)だったのに!」

 

「いい加減にしなさいマクファーレン中尉……私たちはそれでも、人類を護ってきた。何の役にも立たない勲章でも、それは私たちが護ったヒトの数だ」

 

 その言葉を聞いたマクファーレンは、嗤う。

 

「ほら、ほらそうだ。アスナ、やっぱりアンタ軍人だよ。アンタは正しい。まるっきり正しい。模範解答だよ」

 

 ――――――けど、それは軍人としての答えだ。

 

「アンタは確かにヒトを護ってきた。避難民を一人でも多く助け、友軍を導き。そして、私たち301の翼を支えてくれた。でもさ、それは軍人なんだ。私たちは魔女(ウィッチ)であらねばならなかったんだよ」

 

 その言葉は、301を、人類連合を、そして明日菜を導き護ってくれた全ての戦友達への冒涜だ。昨日までを否定しようとするマクファーレンを、明日菜は双眼で睨み付ける。

 

「じゃあ……聞かせて貰おうか。中尉の言う『魔女』っていうのを」

 

「うん。いいよ、教えたげる。魔女はね、護らなくちゃいけないんだ。全てを分け隔てなく護らなくちゃいけないんよ。軍人は結局、最後は国家の持ち物だ。たった一人の国民(かぞく)を守るためなら、何百何千だって他人(ヒト)を殺す。違うんだよ魔女ってのは、魔女には家族なんていない、一人の家族を捨てて――――万の命を救う!」

 

「そんなものは詭弁だ、マクファーレン中尉。人間に家族を見捨てることは出来ない」

 

「魔女なら出来るよ。アスナ……なんなら」

 

 試してみようか?

 

 小麦畑が解ける。これまでネウロイのビームを浴びることもなかったマクファーレンの三つ編みがバラバラに崩れる。崩れた一本一本の金色が、今にも消えそうな電球の光を受けて輝いていた。

 そしてようやく明日菜は気付いた。ああ、私はいつの間に――――――彼女(オーガスタ・マクファーレン)を哀れんでいる。

 

 先輩であり、301空最先任であり、明日菜が五年かけて追いつき追い越したマクファーレン中尉はもう、いなくなってしまった。

 

「……私は、万の他人なんかよりアンタを選びたい。それじゃダメなの?」

 

「ダメだよアスナ。ウィッチ(わたしたち)は英雄なんだ。ネウロイを倒して、人類を守る。例外(トクベツ)は許されない」

 

「英雄ならもっとマシな表情ってものがあるわよ。アンタだって軍法会議で経歴を終わらせたくない。そうでしょ?」

 

「軍法会議? 知らないわそんなもの。私はもう傀儡(ぐんじん)じゃない。私は魔女(ウィッチ)だ」

 

「軍人よ。悲しいほどにね。私たちはネウロイの倒し方を軍に、祖国に教わった。その拳銃の撃ち方だって――――そうだったじゃないですか! マクファーレン先輩!」

 

 明日菜の言葉に、怯えるようにマクファーレンは髪を揺らす。

 

「知らないよ、知ったこっちゃない。先輩なんて、祖国なんて! 帝國の秩序(ルール・ブリタニア)なんて知ったこっちゃない! 私たちは何のために戦ってるの? 人類を守るためでしょ!」

 

 そう言いながら、マクファーレンは一歩一歩下がり始めた。明日菜は身体を動かすことも許されず、必死に言葉を探す。

 

「どこに行くつもり?」

 

「魔女のところよ、私も早く軍人なんて辞めればよかった。今からでも遅くはないはず」

 

「止めてよ、アンタまで過去になるの? アイツはもう――――」

 

「サクラを勝手にMIA認定(ころした)のはアンタでしょうが、戦闘隊長」

 

「脱走よりはマシでしょ? それしかなかった」

 

「またそれだ、そうやってクウェートも殺したクセに! 殺させたくせに!」

 

 マクファーレンの眼に炎が灯る。

 クウェート分遣隊――アリ・アル・セーラム基地駐留の3800人――を護っていたのは70を超える航空ウィッチとその翼であるストライカー。軍事機密の塊であるストライカーを「暴徒」の手に渡すわけにはいかないとはいえ、格納庫ごと破壊したのは紛れもない301空――――更に言えば、石川桜花少尉だ。

 

「サクラは違った。彼女はちゃんと自分のしたことに気付いてた。だからそれを必死に償おうとしたんだ。すごいよサクラは、私がここまで追い込まれないと、手遅れにならないと気付けなかったことに、あの子はすぐに気付いたんだ。あの子が魔女だった証拠だよ。だから躊躇いなく飛び出せた」

 

 クウェート分遣隊は翼を喪った。陸戦ウィッチは無事でも、航空型ネウロイへの対抗は叶わない。301が格納庫を破壊してしまった時点で、クウェート分遣隊は空に対して無防備になった。

 

 だから、石川は飛んだ。飛んで行ってしまった。

 とんだ命令無視だ。軍の機材を持ち出して命令にない場所に飛んでいくなんて、とんでもない叛逆だ。

 

「無理だ。三個対地飛行隊に二個戦闘飛行隊が支えるべき戦線を、たった一人で保つ訳がない。もうとっくに、クウェート分遣隊は壊滅してる」

 

「ソレが嘘だって信じてるのはアンタでしょアスナ。アンタはサクラが死ぬなんて露ほども思ってない。だからアンタはそんな白々しい顔でここでそんなことを言えるのよ」

 

 真正面から明日菜を見つめ、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「私は助けにいくの。魔女として、魔女にしかできないことをしに」

 

「矛盾してる。万の他人を助けるために私を捨てるクセに」

 

「アンタよりかはしてないわ。私は魔女よ」

 

 さようなら軍人さん。その言葉と共にドアが閉まる。

 

 

 それが――――――彼女の最期の台詞になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 水の都、アレクサンドリア。

 

 大昔の大王の名前を冠するだけあってその土地は肥沃で、暮らしは荘厳だった。前線勤務続きだった301を労ってのご招待なのだろうが、等の本人達にとっては嫌味でしか無い。

 

 ディスティンギッシュト・サービス・オーダー。殊功勲章は武功を挙げた軍人に捧げられる上位の名誉。このためにわざわざブリタニアの王族がアレクサンドリアくんだりまでやってくるぐらいには、本当に名誉な事だ。

 

 ――――それを扶桑の軍人程度に付与するぐらいに、ブリタニアは切羽詰まっているらしい。

 

 控え室の椅子にどっかりと座り込む。態々シャンデリア風の明かりを下げたせいで薄暗い控え室では、もらった勲章も鈍く光って見えた。

 

「霧堂大尉……」

 

「もう少佐だよ」

 

 正装というのは本当に肩が凝る。無事に撤退が完了し、土地が瘴気に飲まれたというのに、晴れ着を着て勲章を受けるとはなんという事だろう。

 

「霧堂少佐」

 

 か細い声に顔を上げる。椅子に座ってもそこまで首を持ち上げなくても済む高さに、不安そうな顔をした部下が立っていた。

 

「英雄譚を聞かせに来てくれたのかい? それとも、私を笑いに来たのかい? 小さな英雄さん」

 

 結局、明日菜とマクファーレン、二人の見立ては正しかった。クウェート分遣隊を助けるために飛び出した石川は、見事に役目を果たして見せた。《ペルシアの自由作戦》全体での損耗が二割に迫り多くの部隊が再起不能な損害を被る中、クウェート分遣隊は見事に撤退を完了したのだ。

 

「そんなこと……」

 

 目の前の少女は、自らが身につけている制服と同じデザインの制服だった。自分のよりも大分小さいサイズのソレを見て、彼女は笑った。

 

「そんなことあるだろう、石川桜花少尉殿。ひと月にわたってたった一人でクウェートの空を護り続けた。どれだけ落とした? 30? 50? まさか。それだけの間飛び続けたのにそんな数で収まるわけがない。3ケタは落としたでしょ?」

 

 答えは返ってこない。明日菜も聞きたいわけじゃない。

 

「……0なのは、霧堂少佐がよくご存じのはずです。だって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あぁ……。そうだったね」

 

 興が醒めるね、と吐き捨てれば、石川はどこか悲しそうな顔をした。

 

「これを、返しに来ました」

 

 そう言って石川が差し出したのは、新品の箱。銀の箔押しには301st JFWと刻まれていた。今日渡された戦線への参加褒賞、その副賞だった。

 

「どういう洒落(ジョーク)だ?」

 

「わたしには、受け取る資格がありません」

 

「あるさ。なんせそれは人類連合軍の空を守った第301統合戦闘航空団に送られるものだからね。君が言ったことだぞ」

 

「それでも、です」

 

「あっそう。でも私も持っていて二つは必要ないんだ。捨てるなり壊すなり、好きにすればいいさ」

 

 心底興味ないね。そう言って霧堂明日菜は制服から煙草を取り出した。ガラスの灰皿があるからまさか禁煙だとは言われまい。

 

「41飛の加藤とかいう少尉から礼を言われたよ『一人でもウィッチを残してくれてありがとうございました。あの子のおかげで私達は生き残れました』だとさ」

 

 第41飛行隊と言えば、対地支援飛行隊としてアリ・アル・セーラム基地に配置されていた部隊だったはずだ。石川にとってはあまりなじみのない名前。明日菜にとってはなおさらのことだ。

 その翼はネウロイと戦う前に捥がれたのだから。

 

「笑えるよね。その子のストライカーは私達が焼き潰したはずなんだよ。それでもありがとうだとさ。ホント笑えるよ。笑っても良いんだよ。笑えよ」

 

 真一文字に口を結んだままの石川に投げかけても答えは返ってこなかった。その分も笑おうと明日菜は朗々と声を張る。

 

泣け(Howl)叫べ( howl)喚け( howl)嘆くがよい( howl)おぉ( O)貴様は石像か( you are men of stones)

わしにその(Had I your )舌と目があれば(tongues and eyes)それをおおいに奮い立て( I'ld use them so)

天を引き裂き(That heaven's vault)ご覧にいれよう( should crack)この子は逝った( She's gone)永遠に( for ever)

私は知っているのだよ(I know when one is dead)人が死ぬとき、生きる時( and when one lives)

 

 石川はそれを聞いても黙ったままだった。

 

「リア王はお嫌いだったかな? きっとマクファーレン中尉だったらちゃんと返してくれると思ったんだけど。手鏡は必要? って言ってくれただろうよ」

 

 後味が苦い沈黙だけが落ちる。

 

「石川」

 

「……はい」

 

「あんた、なんでウィッチになった」

 

 ひどく頭が痛い。まるでミキサーに掛けられたみたいに考えがまとまらない。

 

「……それ、は」

 

「憧れたかい? ウィッチの優越感に」

 

「わかりません。……それでも、私には魔力がありました。スカウトされて、それで……」

 

「……あまり考えずに、ここまできた、か?」

 

 明日菜はこめかみを押さえながら天井を仰いだ。シャンデリアの明かりが嫌に眩しい。

 

「成すべき者が成すべきを成す。昔の人はそれを持てる者の義務(ノブレス・オブリージュ)と言ったそうだ」

 

 明日菜はゴテゴテと装飾のついた椅子の背に体重を預けたまま、独白のように続けた。

 

「そうやって、褒め称えて、使い潰して、捨てていく。それがこの人類の正義だったらしい。私達の頑張りには値がついた」

 

 チャラリと音を立てて、彼女に授与された十字型の勲章が揺れる。

 

「君達にも授与されたんだろう? 石川には何が来た?」

 

「……僭越ながら、エアフォースメダルをいただきました」

 

「妥当なところだ。人類連合の兵士を上空で先導し、犬死にを避けさせた。私の命令に反したが、人道的には正しい」

 

 そういえば、石川は頭を下げた。

 

「すいません、でした」

 

「責めてないよ。むしろ救われたと思っている。嫌味でもなく、心の底からね。軍隊の中であんたはちゃんと人間だった。それは、あんたが強かった証拠だ」

 

「そんなこと……」

 

「私には無理だった。信じられなくなった。だれかの為に戦うことは、いつか無理が来ると思っている。それでもここまで登りつめ、部下を守って戦うリーダーシップとそれを成した事への正当な評価として、こんな重たい勲章を授与してくれる」

 

 自嘲して明日菜は続ける。

 

「私には夢があった。ネウロイ撃滅とかそういう大それた事じゃない。私はね、信じてみたかったんだよ。それでも人類は手を取れると信じていたかった。それが、このザマだ」

 

「このザマって……」

 

「アリ・アル・セーラム空軍基地を襲ったのは暴徒なんかじゃない。おそらくは、誰かがユーフラテス流域を手放させたかかったんだろう。人間の敵は人間だった。それだけだ。それを、私は理解していなかったんだろう。いや、理解したくなかったんだ」

 

 ずっと目元を押さえていた明日菜の手がだらりと垂れた。

 

「なぁ、石川。間違ってただろうか」

 

「なにが、ですか……?」

 

「私がさ」

 

「それ、は……っ!」

 

 石川が焦ったような声を上げる。

 

「そんなことありません! 霧堂隊長じゃなければ、みんなもっと……」

 

「死んでいた? まさか」

 

 そう言って明日菜は初めて石川と目を合わせた。いきなり怯えたように瞳を収縮させる石川。

 

「間違ってたとは思わないさ。それでも、最善は他にあった。そう思えてならない」

 

「そんなに、卑下しないでください。それをきっと、マクファーレンさんも望まないはずです」

 

「――――――――――――あんたにアイツの何が分かるのよ!」

 

 その声にとっさに首をすくめた石川、その動きすら癪に障る。

 

「オーガスタ・マクファーレンも! あたしも! こんなモノの為に死にたかったわけじゃない!」

 

 そう言って床にたたきつけられたのは、作戦参加褒賞だった。ガラスのケースが床で粉々になる。破壊的な音が響いた直後、明日菜の右手はもう一つの箱を掴んでいた。

 私が掴みたかったのはこんな箱なんかじゃない。

 

「やめてください!」

 

 その箱が地面に向けて振り落とされる直前、その手首を掴むようにして石川が割り込んだ。その手首を両手で押さえるようにして、それを必死に守ろうとする。

 

「それだけは! それだけはだめです! その銀時計はマクファーレンさんのです!」

 

 その箱に入っているのは、301のユーフラテス戦線参加褒賞の副賞。それぞれの名前と、飛行隊名が刻まれた銀時計だ。

 

「お前が止めるな石川! お前に何がわかるっ?」

 

「わかりません! それでも、それだけはダメなんです!」

 

 石川の足が払われた。背中をしたたかに地面に叩き付けた石川の視界に星が散る。その胸ぐらを掴んで無理矢理に引き起こす明日菜。制服が喉元に食い込んだ。

 

「あんたの身勝手のせいで、あんたのためにオーガスタ・ハリエット・マクファーレンは犬死にしたんだ!」

 

「そう、です……! 私が、マクファーレンさんを殺したんですっ!」

 

 石川の絶叫が部屋に乱反射する。双眸からあふれた水滴が彼女の頬を流れて落とす。

 彼女は確かに分遣隊を守った。しかし、最後の最後で彼女はネウロイに敵わなかった。

 

 ユーフラテス河を超えようとした分遣隊に襲いかかったネウロイを止めるには、殿が必要だったのだ。

 

「許してほしいなんて言えません。言うつもりもありません」

 

「当たり前だ!」

 

「それでも、みんなを守りたかった! 守れると信じています!」

 

「その結果がこれだろうが! 英雄気取りで死を美徳にするな! 石川桜花!」

 

 ぽろぽろと涙をこぼす石川が絞り出すように続ける。

 

「……英雄になれば誰かを守れるなら、私は英雄でも神様でもなってみせます。それで誰かを救えるのなら、私は空を飛び続けます。でも、どうしようもなく私は弱かった。だから、マクファーレンさんを、殺してしまった」

 

「お前、誰に向かってそれを言っているかわかってるの? 撃墜数196の英雄、中東の光、霧堂明日菜よ。この後ろを飛んでて英雄がどんなものかもわかってないの?」

 

「それでも、です」

 

 石川の瞳が、明日菜の瞳をしっかりと捉えた。

 

「ここはあなたの空だった、あなたが守った空だった」

 

 それを聞いて明日菜は石川の胸にその箱を叩き付ける。顔をしかめながらも石川は、跳ねたそれが地面に叩き付けられるよりも前にそれを両手で抱き込んだ。

 

「許さないわよ、石川桜花」

 

 それだけを残して、明日菜は部屋を出る。後には少女のすすり泣きだけが残される。

 

 

 

 

 

 ”Operation Persia Freedom”――――ペルシアの自由作戦。

 

 

 彼女たちは、中東に在った。

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