ゴールデンカイトウィッチーズ   作:帝都造営

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第四話 「ホールド~にちじょう~」前編

「――――出雲級強襲揚陸艦、設計は1990年。設計は海軍艦政本部で製造は石垣島播磨重工。一番艦の「出雲」の就役が1994年なあたり……典型的な解凍戦争型の艦だよねぇ」

 

 

 

 艦内の照明は昼も夜も同じだ。隔壁が開いているとは言えここは外部から隔絶された密閉空間な訳で、ひとみとのぞみの足音もよく響く。

 

「基準排水量は1万と9500トン。ウェルドックもないし収容能力は歩兵400名とイマイチ。ベースになった日向級ヘリ母艦の艦載機(ウィッチ)運用能力に陸軍の輸送(ゆそうかん)随伴艦への補給(ほきゅうかん)という役割を下手に持たせようとした割には排水量が増えてないから……まあ強襲揚陸艦を名乗るのにはちょっと能力不足な感じになっちゃったんだね――――でも考え方を変えるなら、出雲級は難民400名を収容しつつ航空ウィッチ一個編隊&ヘリ八機分の整備能力を持ち、さらに随伴艦三隻への水燃料供給が可能という超多目的艦(エキサイティングな)仕様! カタパルトもジャンプ台なく空母としては能力不足とか言われてるけど、はっきり言ってこいつと随伴艦だけで一海域は任せられるね」

 

「そ、そうなんですか……」

 

 正直、1万と9500トンで小柄と言われても十二分に重いと思うし、ウェルドックという言葉は初耳だ。ウィッチ一個編隊を運用できるのはすごいと思うけど……。

 

「ま、次代の河内級3万2000トンは出雲級の拡張に加えて何故かVLS復活で多目的艦化し(おかしいことになっ)てるんだけどねー」

 

「は、はぁ……」

 

 話についていけないひとみに、のぞみはくるりと振り返ってため息をついてみせた。

 

「あんたねぇ、これから何ヶ月もお世話になる船のことに興味ないの?」

 

「そんなことは……」

 

 ないのだ。ないのだけど……どこがどういう風にすごいのか分からないのである。多分これをいうと目の前の先輩は怒るだろうから言わないけど、実は「強襲揚陸艦」という単語自体、なにそれ強そうといったレベルの認識だ。

 

「まー、ストライカーほど直接命を預けるわけじゃないけどさ。とりあえずこの艦だけでもマスターしよ? そのための艦内旅行でしょ?」

 

 もうストライカーのことだけでいっぱいいっぱいだと言うのに、このヒトはまだ知識を叩き込めというのか。艦内旅行って部屋の配置が覚えられればいいんじゃなかったっけ? いろいろ言いたいことはあったけど……今のひとみにとっては一つの言葉で十分だ。

 

「……というか先輩、「加賀」広すぎじゃないですか?」

 

 初日からさっそくひとみが迷子になってしまったのを受け、もう道に迷わないようにと始まった艦内旅行。案内してくれるのは「ひとみを放置した罰」としてのぞみ。罰という割には喜々として案内してくれる先輩の解説も聞きつつ、先程からずっと歩いているのだが……これがなかなか終わらないのである。

 

 

「横須賀や佐世保の正規空母(スーパーキャリア)様と比べてみりゃ小さい小さい」

 

「比べる対象おかしくないですか!?」

 

「でも大和とかだとほぼ同じ大きさになっちゃうしなぁ……」

 

「え……そんなに「加賀」って大きいんですか」

 

「出雲級の全長は248m、全幅38m。戦艦大和は263mに39m……さっき言わなかったっけ?」

 

「えーと……言ってなかった、と思い、ます」

 

 少なくとも大和の全長は聞いていない。というかそんな数字を川みたいにさらさら流されても覚えられるわけがない。

 

「まあ結構時間かかっちゃたけど、そろそろ終わるから……終わったら夕食の前に航空脚整備の復習でもしよっか」

 

 そう言いつつのぞみは歩いてゆく。ひとみは続こうとして……ふと、扉が少しだけ開いていることに気がついた。ここは兵士や難民の収容に使う区画だから普段は使わないはずなのに、なぜか電気がつけっぱなしになっている。掃除の人が消し忘れたのだろうか。

 

 電気を消そうと思ったひとみは扉を押す。普段は強固にロックされている扉も、開いていれば軽い。すうっと扉の向こうの視界が開けた。思ったよりも部屋は広くて、壁にいくつも取り付いた小さな丸窓から夕日が差し込んできている。

 

 

 そこに、ひとつの影。

 

 

 見たことのない制服だった。石川大佐のでもないし、のぞみ先輩のでもない。もちろん加藤中尉のそれとも違った。見る限り正装ではなさそうだから作業服か戦闘服だろうその制服に、少しくすんだようで、うねりのある銀髪が首筋あたりまで伸びている。そんな後ろ姿を見たひとみには、その影がどこか遠くを見ているように感じられた。まるで存在しない世界を見つめているような、不思議な雰囲気。

 

「米川、どした?」

 

「あ、のぞみ先輩……その、あれ」

 

 なかなかついて来ないひとみに気がついたのぞみも戻ってくる。彼女もまた扉から顔を出すと、急に真面目な顔になった。

 

「あれ? いや、なにも見えないけど?」

 

「……え?」

 

 ひとみは慌てて視線を部屋の中に戻す。すると影がかき消えていた――――なんてことはない訳で。

 

「ほ、ほら、あそこに影が……」

 

「いやだから、なにも見えないって……米川まさか」

 

 のぞみはぐっとひとみに顔を近づけると、離した。

 

「……艦内旅行の行程追加だね、こりゃ」

 

「え?」

 

 困惑するひとみ。対するのぞみは部屋の中を見る……彼女の視線は影を捉えていない。

 

「米川あんたさ、幽霊って……信じる?」

 

「え……」

 

 なにを言ってるんだ、この人は。ひとみはそんな横目でのぞみを見たが、しかし彼女の眼はまっすぐひとみへと注がれている。

 

「加賀の怨霊――――どうやら、あんたにはそれが見えるらしいね……」

 

「そんな……」

 

 その時だった。影がこちらにゆらりと向いた。静かに一歩ずつ歩んでくる……ひとみの方へと。

 

「あっ先輩、こっちにやってきm」

「目を逸らしちゃ駄目!」

 

 いきなり叫ばれ、ひとみは肩を縮こませる。

 

「せ、先輩?」

 

「軍艦加賀は特に怨念の強い子だ。先代の加賀は栄光の戦艦、世界最強の戦艦と叫ばれつつも軍縮条約で殺され、関東大震災で二度殺された……そして、今世に強襲揚陸艦として生を受けようと、その怨念は少しも収まらないどころか、余計に増えていると聞く」

 

 そうこう言っている間にもどんどん近づいてくる影。夕日にその白髪がなびく。あと八メートル。

 

「え? え?」

 

 七メートル。

 

「気をしっかり持ちなさい米川……」

 

 五メートル。口を結んだ影は無表情のまま、テレビで見た幽霊みたいに肌は青白くないけど、でも真っ白な肌。扶桑人のそれとは似てもに似つかない。あぁもうダメだ。わたしのほうにまっすぐ向かってくる。きっと食べられちゃうんだ。頭を首ごとがしっと掴まれて、手足を拘束されて、身体中から魔法力と血がなくなるまで吸い尽くされてしまうに違いない。な、なにかしなくちゃ……!

 

「あっ、悪霊退散っ!」

 

 わたしにできること。それがこれだった。一応航空幼年学校の制服は巫女服がモデルだし、効果はあるはず……たぶん。

 

 しかしあと一メートル。両手がすうっと伸ばされてきた。気だるげな視線は焦点があっていないように見え、それが此の世の存在でない証拠にもなる。

 

「きゃっ……」

 

 ひとみは耐え切れず、目をギュッと瞑ってしまった。世界が暗闇に堕ち、感覚がなくなっていく。

 

 

 

「いたた”った”た”た”あ”た”た”っ――――!!」

 

 

 

 切り裂くように聞こえてきたのは、()()()()悲鳴だった。

 

「のっ、のぞみ先輩っ!」

 

 目を開く。差し込む赤い太陽光に照らされたひとみ視界に入ってきたのはのぞみがその影の手に絡められている光景だった。首に手が回され、かっちりと締め上げている。影とのぞみの体格差はおおよそ20cm。のぞみの抵抗は無意味だ。気道を絞められたのか、悲鳴すら聞こえなくなる。

 た、助けなくちゃ……そうは思うのだが、身体はセメントでも張り付いたかのように動かない。でも固まってたらのぞみ先輩がやられてしまう。いやそれどころか先輩がやられたら次の標的は間違いなく自分だ。動け、動けわたし!

 

 その次の瞬間だった、影が喋ったのは。

 

「……幽霊じゃ、ない」

 

「え?」

 

 ひとみは別の意味で動けなくなる。そりゃ幽霊が「アイ・アム・ゴースト」なんて言うことはあり得ないのだが、問題は次に続いたのぞみの発言だ。彼女は首に回された細い腕をぺちぺち叩いてから、喘ぐように言った。

 

 

「――――わかった分かった! 悪かったってПрасковья(プラスコーヴィヤ)!」

 

 

 その言葉を受けるとのぞみはその影にもたれ掛かるように全身から脱力。大きく息を吸ってるあたり、相当キツく絞められていたようだ。

 

「あ、あれ? のぞみ先輩? 先輩は、見えてなかったんじゃ……」

 

 しかし目の前の光景はそれを否定する。のぞみは思いっきりその影にもたれ掛かっているし、その影もしっかりとのぞみを支えていた。

 

「……いやー、私もここまできれいに引っかかるとは思ってなかったよ」

 

 掌を団扇にしながら笑って見せたのはのぞみだ。

 

「ひ、引っかかる……?」

 

「『よく分からないもの』の象徴であった魔法力ですら科学で解明される時代だよ? 幽霊が実在するにせよその次元はこの世界と絶対違うんだから物理的に干渉されるわけないじゃん」

 

 目の前の先輩から放たれるのはさっきまでのとほぼ真逆の意味を持つ言葉。いや確かに、こうして聞いてみるとこっちのほうが断然説得力あるけど!

 

「つまり……のぞみ先輩、わたしのこと騙したんですか?」

 

「そ、一芝居打ったってわけ。これぞ大村劇場の面目躍z……まってやめてもう一度絞めようとしないで」

 

 するりと首に手が回されたのを見て慌てるのぞみ。ひとみはそのさっきまで戦艦加賀の幽霊だと思っていた影を見やる。というかよく考えたらこんなに扶桑人離れした雰囲気の人が扶桑の幽霊な訳がないわけで……とするとこの人は誰なんだろう。

 その問いに答えるように、人影が前に出てきた。

 

「……Прасковья(プラスコーヴィヤ)  Павловна(パーヴロヴナ) Покрышкин(ポクルィシュキン)

 

「ぷ、ぷらこびゃぱーぶろぷら……?」

 

 これは……名前? 名前を言っているのだろう、多分。しかしそれにしたって長い。とても長い。覚えられる自身がないひとみ。

 

「コーニャ」

 

「え?」

 

「……コーニャで、いい」

 

 そして沈黙。ひとみもコーニャと名乗った人影も黙ったまま。この時間の意味を考えたひとみは、目の前のコーニャはこちらが名乗るのを待ってくれているのだということに気づいた。

 

「よ、米川ひとみです」

 

「……」

 

 するとコーニャは、そのままクルリと振り返って……通路へと出ていってしまう。

 

「え?」

 

 ひとみも慌てて通路へと出る。その頃にはコーニャは思ったよりもずっと早いペースですたすたと歩いていってしまった。

 

「まあま、コーニャはああ見えて無口だから、どうか勘弁してやってよ」

 

 後ろからのぞみの声。勘弁もなにもさっきまでの一連の騒動はだいたいこのヒトのせいなのだが、今のひとみにそれを咎めるほどの気力はない。

 

「先輩、コーニャさんってどこの人なんですか? 制服も扶桑のじゃなかったですし……」

 

「オラーシャだね。ハバロフスクあたりの基地から来たって聞いてるよ」

 

「お、オラーシャですか……ということは」

 

 ひとみは石川大佐の言葉を思い出す。第203統合戦闘航空団は扶桑とオラーシャによる多国籍部隊。

 

「そ、我らが203の大事な僚機ってわけ」

 

「そうだったんですか……」

 

「なに? うまくやれるか不安?」

 

 のぞみがひとみを覗き込んでくる。

 

「いえ、そういうことではないんですが……」

 

「あ、ちなみに中尉だよ」

 

「え?!」

 

「じゃあ私らもいこうか」

 

 ちゅ、中尉ってことはわたしより二階級も上ってこと? というかのぞみ先輩、上官にあんな態度とっていいんですか?! そのひとみの困惑をすべて無視してのぞみは通路の先へと行ってしまう。

 

「ま、まってくださいよう!」

 

 

 ひとみは後を追いかける。なんというか、いろいろ不安であるが……とにかく、頑張らなくちゃ。その思いでひとみは後を追いかける。あやうく走りそうになったのは内緒だ。

 

 

 

 

 

 そんなわけで長い艦内旅行も終わり、スタート地点であるハンガーへと戻ってきたひとみ。既にストライカーユニットはきれいに収納されており、オスプレイの加藤中尉は何かの部品の前で作業していた。今日の復習を少ししているうちに、すぐ夕食の時間が迫ってきてくる。時間の流れはいつも早い。

 

「……ところで、のぞみ先輩」

 

「なに、米川?」

 

 ロッカールーム代わりになっていたハンガーすぐの待機室で、幼年学校の制服に着替え直して荷物を持ったひとみ。ひとつだけ気になることがあった。

 

「わたしの部屋って、どこですか?」

 

「……気になる?」

 

「はい」

 

 そう言えば、のぞみは一秒ほど静止。それから僅かに視線を逸らした。

 

「一応私と同室。まあ下士官だからね」

 

「じゃあなんで案内してくれなかったんですか?」

 

「え、それはあれだよ、どうせ後で行くでしょ? そん時は私も一緒に行くし……」

 

「……のぞみ、隠してる」

「わわっ」

 

 真横からぬっと現れたのはさっきの影、コーニャだ。

 

「いつも通りの神出鬼没ね……で、何しに来たの?」

 

「……隠してる」

 

「隠し、てる?」

 

「ん」

 

 ひとみがそう聞くと、コーニャはうなづく。冷や汗をかくのはのぞみだ。

 

「い、いいや? 別になにも……」

 

 それにしても不思議な反応である。のぞみ先輩らしくもない……そう考えてみると、ひとつの可能性が導き出された。そういえばこういうヒト、幼年学校にもいたよね。

 

「……も、もしかして、先輩の部屋ってきt」

「違う! 愛国心に溢れてるだけ!」

 

「え、それってどういうことですか?」

 

「……ん」

 

 うなづくだけのコーニャ。のぞみは一度床を見てから、キッとひとみコーニャ両名を見据えた。

 

「なるほど、米川は私の部屋が汚いと考えてるわけね……わかった。なら私の部屋になんの非もないことを証明してあげよう……」

 

 そう言うと、のぞみは振りかぶって……脱兎の如く駆け出した。

 

「三分、いや三十秒ちょうだい!」

 

「やっぱり片付けるつもりじゃないですか!」

 

 ひとみの声も聞かずにハンガーから消えてしまうのぞみ。残されたのはひとみとコーニャだけ……あとついでに、肝心の「ひとみの部屋の場所」は分からず終いだ。

 

「ど、どうしよう……」

 

「……ついて来て」

 

 それだけの言葉が聞こえる、ひとみが振り返るともうコーニャは歩き出している。

 

「え、コーニャ中尉?」

 

「ひとみの部屋……となり」

 

 それってつまりひとみの部屋の隣がコーニャの部屋という意味だろうか? とりあえずついて行くひとみ。

 

「あの、コーニャ中尉……ありがとうございます」

 

「……よびすて」

 

「え?」

 

「よびすてで、いい」

 

「そ、そんな!」

 

 ひとみは准尉。コーニャは中尉だ。軍組織において最も重要なのは規律。即ち縦方向の関係である。幼年学校では小学校と違って先生に気安く話しかけてはならないと言われていたし、やっぱりそこはしっかりした方がいいような気がする。ひとみが抗議すると、コーニャは振り返った。

 

「気にしない、のぞみもそうしてる」

 

 確かに……のぞみ先輩はコーニャ中尉のこと、呼び捨てにしていたっけ。というか幽霊扱いしたり呼び捨てよりもひどい扱いしてたよね。

 

「分かりました……コーニャさん」

 

 でも呼び捨てはどうかと思ったのでさん付けだ。コーニャさんは「ん」とだけ返してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食の後は石川大佐と一緒にブリタニア語の授業。

 

 第203統合戦闘航空団は人類連合の部隊であり、その公用語は基本的にブリタニア語なので、書類などは全てブリタニア語で扱われる。あとついでに言えば航空管制もブリタニア語。世界はブリタニア語で溢れている。203だって、参加する国と人員が増えればブリタニア語での会話を求められるようになるだろう。

 そんな訳でブリタニア語の授業だったわけだが……まさか「扶桑語禁止」の授業だとは思わなかった。普段は使わない脳細胞まで動かした気分で、もうクタクタだ。そして部屋に帰るとのぞみ先輩が

 

「じゃあ授業の復習もかねて、航空史クイズ大会でもしよっか。もちろん全部ブリタニア語で」

 

 ……なんて言ったもんだからたまったもんじゃない。専門語はみんな表意文字である漢字に置き換えてしまう扶桑語と違い、表音文字なブリタニア語の専門用語なんて覚えてないと分からない。というかのぞみ先輩ってブリタニアと扶桑のハーフなんですか。確かに茶髪にしては明るめだと思ってたけど……語学力でもこのヒトに勝てそうになかった。

 

 ともかく先輩に航空ブリタニア語をみっちり叩き込まれたひとみ。クタクタにクタクタを積み重ね……ひとみは就寝時間になると同時に眠りに落ちてしまった。

 

 

 

 それがいけなかったのだ。ベッドの上でひとみは目を開ける。昨日眠った皇国ホテルよりかはずっと硬いけど、眠るのには十分なベッド。寝心地が悪いなんてことは全くなかったし、むしろやっと「らしい」場所に戻ってきた気分だった。

 そう、だからついうっかり、寝る前に行きそびれてしまったのだ。

 

 ベッドから起き上がり、部屋の中を見回す。もちろん就寝時間を過ぎているので電気は落とされている。上段で眠っているのぞみ先輩を起こさぬよう、静かに扉へと向かって……開けた。

 

 失念していたわけではないのだ。通路を明るく照らしてくれていた照明は落とされていて、かといって常夜灯があるから真っ暗な訳ではない……。

 

「……ど、どうしよう」

 

 無理だった。ひとみの体は小さい。背の順で並ぶと小学校では常に最前列。幼年学校でもそうだった。見た目と心は異なるものだと先生は言ってくれたが、やっぱり心も身長に比例して小さい。どうしてこの前人未踏の夜の通路に踏み出せというのだろう。「加賀」は精密機械の塊だ。そこに存在するのは効率化を目指したが故の機能美のみ。のっぺりとどこまでも続いている通路の天井や側面に蛇みたいな配管がうねっているのがなんだというのだ。常夜灯が妖しくひとみを誘うのがなんだというのだ。艦内旅行はちゃんとした。お手洗いまでの距離、必要な処置を施すのに必要な時間、往復にかかる時間。今ならそれらをレポート用紙にまとめ、そこからリスクを算出して審議会にかけてやってもいい。絶対にひとみは無事に帰って来れると証明できr

 

 

『軍艦加賀は特に怨念の強い子だ』

 

 

「……!」

 

 ごめんなさい……やっぱり無理です。

 

「のぞみ先輩、のぞみ先輩」

 

 ベッドの梯子に登って、上で寝ている先輩を起こしにかかる。

 

「のぞみ先輩……」

 

 小さく呼びかけても起きる気配はなく、夢を見ているのか何事かを呟くだけ。

 

「攻撃目標はぁ……赤坂表町、大蔵大臣邸……」

 

 先輩、なんて物騒な寝言を言ってるんですか……大きな声で呼べば起きてくれるのかなとは思ったけれど、そんなことをする勇気もないわけで。

 

「やっぱり、ひとりで行くしか……ない、のかな」

 

 石川大佐の部屋はむしろ遠いし、他に頼れそうなヒトなんて……そこまで考えたとき、ひとみの脳裏に浮かんだのは隣の部屋だった。

 

 

 

 自室は安全圏だ。だとすれば、すぐに逃げ込めるようにしておけばいい。ボストンバッグで扉を開いた状態にしておいて、隣の部屋の前に立つ。もし、もしだ。もしもノックして誰も返事しなかったら、自分ひとりで行こう。大丈夫。ひとりでだっていけるはず……多分。

 

 鉄の扉を叩く。木の扉をノックするのとはまた違う感覚と音。ひとみは二回しか叩かなかったのですぐに静かになる。そりゃあ寝てるよね、こんな時間だし。そう思いながら腕時計を見ると……ちょうど丑三つ時。時計なんか見るんじゃなかった。

 

 ガチャリ。扉が開いて、ぬっと出てきて見下ろすのは白い顔。

 

「ひゃっ……」

 

 自分でノックしたくせに、いきなり開いたので驚いてしまう。

 

「……」

 

 もちろん相手はプラスコーヴィヤ・ポクルィシュキン……コーニャだ。

 

「えっと……コーニャさん」

 

「……なに」

 

 首を傾げるコーニャ。対峙するのはひとみ。

 

「あの……一緒に、その……」

 

「……わかった」

 

「え?」

 

 まだ何も言っていないのにコーニャはうなづく。それから部屋を出てひとみの手を取った。雪みたいに白いと思ってたその手は、思ってたよりずっと温かい。

 

「……」

 

 無言でコーニャはひとみの手を引いてく。歩幅の違いもあって、あれよあれよと引っ張られる間にたどり着いてしまった。

 

「……ここ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 パチリとスイッチを押して照明を付ける。ここから先は大丈夫だ。

 

「あ、あの……コーニャさん」

 

 待っててくれますか? そう言おうと思ったとき、先手を打つように放たれる一言。

 

「……おやすみ」

 

「……えっ? あっ、あのっ……」

 

「……」

 

「そ、その……」

 

 なんというべきか。臆病なのは恥ずかしいことだ。でもコーニャさんはどうやらわたしがトイレの場所を知らなかったと思っているようで、このままだと帰っていってしまう。そんなことされたらひとみは朝まで漂流を余儀なくされてしてしまうというのに……でも、言い出しづらい。

 思いっきり顔に出ているのだがなかなか言い出せないひとみに、オラーシャ人が一言。

 

「……こわい?」

 

「は、はい……」

 

 そう言うとコーニャさんの無表情が、少しだけ柔らかい無表情になった気がした。

 

 

 

 

 

「……いいんですか?」

 

「ん」

 

 手を洗って出ると、コーニャさんがなにかの缶を差し出してきた。見てみるとそれは缶ジュース。そこの自販機で買ってきたらしい……艦内旅行の時は一風景としてスルーしてたけど、よくよく考えてみると軍艦に自販機が積んであるのはおかしな話だと思う。今度のぞみ先輩に聞いてみよう。

 

 そんなわけでひとみとコーニャ、二人は「加賀」の飛行甲板へと出てきていた。もちろん暗い艦内や食堂をひとみが嫌ったからだ。甲板に椅子とかはないのでそのまま座る。のぞみ曰くF-35Bの垂直離着艦に対応した耐熱加工が施されている飛行甲板は、冷たくて気持ちいい。

 

 まだ呉の岸壁に係留されている「加賀」。そんな飛行甲板からは呉の街並みがよく見えた。空には東京よりもたくさんの星が瞬いているけれど、いかんせん幼年学校が山奥だったせいで星が少なく見えてしまう。

 

「じゃ、じゃあ……乾杯?」

 

「……ん」

 

 アルミ製の缶が触れ合って、それから二つのプルタブを開ける音。そういえば炭酸水を飲むのなんて本当に久しぶりだ。舌の上で泡が弾ける感覚を味わう。

 

「そういえば、コーニャさんって」

 

「ん」

 

「とっても扶桑語、上手ですよね……どこで習ったんですか?」

 

 扶桑語の習得は外国人にとっては相当に難しいと聞いたことがある。島国であるが故に、言語がかなり独自に発展したのが原因らしい。コーニャさんの母国語はオラーシャ語だから……発音だって簡単じゃないはずだ。

 

「……ひとりで、勉強してる」

 

「すごいですね……わたしなんて、一対一で教えてもらってもブリタニア語とかよく分からないのに……」

 

「……ひとみは、ブリタニア語好き?」

 

 その問いにひとみは少し困った。他の中学と違って幼年学校では英語の試験がある。どれほど苦労させられたものか……その苦労が蘇ってくる。わずか三ヶ月前の話だからすごい鮮明だ。

 

「好きじゃ、ないです」

 

「……好きになったら、覚えられる」

 

「そ、そういうものですか?」

 

 外国語は勉強しなきゃいけないもの。そう考えているひとみにとってはよく分からない言葉だった。

 そして流れる少しの沈黙。ひとみはコーニャを横目でじっと見る。甲板に座った彼女がどこを見ているのかは分からなかったけど、なにかわたしの知らない、大事なものを見つめているような気がした。

 

「コーニャさんの、好きなものってなんですか?」

 

「……コンピュータ」

 

「こ、こんぴゅーたー……」

 

 コンピュータって好きなもの? ピンと来ないひとみに、コーニャは表情を変えずに続ける。

 

「ん……プログラムとか、つくる」

 

「へ、へぇ……すごいですね」

 

 コンピュータープログラミングなんて雲の上の言葉なひとみは、それ以外に言葉の返しようがない。

 

「……ひとみは?」

 

「へ?」

 

「ひとみの好きなもの」

 

 それを言われたひとみ。もちろん即答できる問題だ。

 

「――――もちろん、501空です!」

 

「……どうして?」

 

「どうしてって、どうしてもです!」

 

 もちろん原稿用紙に書けと言われれば書けるし、それこそ何十枚も書いてやろう。でもここならそんな言葉はいらない。それで伝わるって思ったら、ひとみはそれだけ言った。

 

「わたし、欧州にいったらいっぱい活躍して、それで501空みたいな大活躍をしたいんです! だからここに来たんです!」

 

「ん……頑張ろ」

 

 そう言ったコーニャは、頬を緩ませて……小さく笑った。無表情よりずっと素敵な表情が、夜空に映える白い肌が輝いた。

 

「はい! 頑張りましょうコーニャさん!」

 

「……さん」

 

「へ?」

 

 ひとみは目を丸くした。さん? Sun?

 

「さん、やめて」

 

 それだけ言われれば分かる。「コーニャさん」のさん付けのことだ。

 

「え、でも……」

 

「そらでは、みんな一緒……違う?」

 

「あ……」

 

 昼の空を思い出す、わたしの新しい空。わたしたちは203という一つの大きな翼。その空を、ひとみはコーニャやのぞみと一緒に飛ぶことになるのだ。

 

「ん」

 

 ひとみはコーニャに向き直る。もう無表情に戻っていて、目も気怠げだったけど……しっかりひとみを見据えている、ような気がした。

 

「じゃあ……コーニャ、ちゃん?」

 

「ん、ひとみ」

 

「うん……コーニャちゃん、よろしくね!」

 

 

 帰り道の通路を、もう怖いとは思わなかった。

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