女提督は金剛だけを愛しすぎてる。   作:黒灰

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Q.92分のFOXの映画って?
A.コ マ ン ド ー

2019/07/08
再軍備という描写ミスがありました。軍拡に訂正しています。


生きてあげようじゃない

 指の傷は、4つだった。四本の指、握ったときにノブの裏に全て刺さった。

 毒針……間違いなく致死性。

 あれは意地悪はしない。悪戯もしない。なら、これをするなら殺意以外にない。

 

 なら時間はもうほとんど無い。暇乞いの時間くらいしか残っていない。するつもりは全く無いけれど。

 ……解体を願い出ないと。

 それで退職金だけは手にしなければ、私の生きてきた意味がない。

 

 私は金剛の部屋をすぐに出る。

 これ以上刺さらないように、端を摘むようにノブを下げて。

 金剛なんて知るものか。世話はした。仕事はした。いる理由なんて全く無い。

 

 廊下を走り出す。こんなこと久しぶりだ。昔は学校の廊下を走って怒られたこともある。

 ……何を考えているんだ。のろい走馬灯だ。それにまだ早い。過去を懐かしんでいる暇すら惜しいのに。

 走ればすぐの距離が、あまりに遠い。まだ全然体は動くのに、こんなにも。

 木造の廊下がガタガタと煩い。私の心臓の音も、それに負けず劣らず。

 早鐘は私の死を早めるだけなのに、鼓動は走っていく。

 

 ……解体届を書いている暇なんてない、と気付いた。駆逐艦寮に戻る時間も惜しい。

 そのままエントランスを通過して、私は執務室へと向かう。

 そして、執務室のドアノブを躊躇わず下ろした。

 油断じゃない。あの女は私だけを殺すつもりだ。こんなところに罠を仕掛けるはずはなかった。

 入る。いや、踏み込む。

 

 ●

 

「何か用か」

「解体願よ」

「……何故だ」

 

 ……何か用か、何故だ、じゃない。冗談じゃない。

 

「何だ、じゃ、何故だじゃないわよ!……そっちこそ何のつもりよ!」

「私は君を信用しないことにした」

「……なんで!」

 

 なんで、じゃない。分かってはいる。私がこの女を恐喝したからだ。

 でも、それを受け入れて金を私に積むとも言ったはずだ。

 嘘はつかないとも私は知っている。だからこそ、解せないのだ。

 なぜ私を謀る。

 私を、殺す。

 

「金剛は私のものだ、誰にも渡さない、私はどこにも行かない。ならばーーーーーー君が消えるべきだと判断した」

「は?」

 

 この女が?こんなに他人に執着するのか?

 あり得ない。絶対に。この人間らしくない女が。

 でも、それがあり得るとしたら、癇癪のように、爆発のようになることも予想していた。

 でもそれはおもちゃを見つけたようなものだ。代わりのあるもののはずだ。

 諦めて次の遊び道具を探しに行く、そんな当たり前を実行する、そうでなくてはいけない。

 そのはずなのに、

 

「なんでそんなに金剛に拘るのよ!私を、この私を殺してまで!?」

「そもそも、私に翻意を見せた時点で排除されないと発想しないのか」

 

 しないはずなかった。

 でも、だからこその脅しだった。そもそも脅すのは目的じゃなくて、手段だった。

 金を得るための。要するには方便だった。でも、だったら、

 

「だ、だって、あんた、私の要求を受け入れたはずじゃ」

 

 私の問いに、あの女はなんてことはなく、

 

「あれは、”ダメだ”という意味だ。私は知っているジョークしか言わない、言えない。繰り返す。”OK”は”嫌だ”と言う意味のジョークだ。本当ならズドンとショットガンを撃つ」

 

 嘘でしょ、それこそ、嘘でしょう。あれがジョークだって?どこにそんなジョークがある。聞いたことが無い。

 

「……あ、あんた、イカれてるわ、ジョークで人を殺すって……アンタ、完全に、この、この」

 

 イカれている。

 ここにいる奴らは全員イカれている。

 ならばコイツもイカれていて当然然るべきだった。

 そうだ、コイツは、わかっていた、私は知っていた。この女は、

 

「ヒトデナシっーーーーーー!」

 

 その言葉に、

 

「ああ、”アレ”の答えとは、そうだったか」

 

 そんな、場違いなほど感動した顔をして、私の言葉を受け入れた。

 そうだろう。慣れている。絶対にこのイカれは慣れているに決まっている。

 20ウン年生きてきたこの女は度々言われたに違いない。

 ヒトデナシと。

 

「君もそう思うか。言われ慣れてはいるが、言われなくては分からない」

 

 すぐに表情を戻すと、いつもと何も変わらない調子で、私にただ答えを機械的に返した。

 条件反射に近い。あまりに流暢すぎる。

 コイツは考えていない。あまりに軽率だ。

 人の反応なんて、全く考えていない。

 ……そうだ、この女には話が通じない。他の人間の言葉は、意志は伝わらないのだ。

 ようやく理解した。置物だ。本当に、本当のただの置物だった。

 この女は人間じゃない。

 

 だから、私はそんな置物に対して、ありったけの言葉を叩きつけた。

 意味がないから。だからこそ。

 

「金が必要なのよ!金が!金、金、金!……金剛なんて、あんなお荷物なんて何の興味もない!あんたの立場なんかにもね!銭ゲバなんて言われたって構わない、私には金が必要だった!私には、守る場所があったから!アンタみたいな、ヒトデナシと違って!」

 

 明かす必要のない過去だって、今は意味がない。死にゆく私の癇癪は膨れ上がっていくばかりだ。息を切らしながら続ける。

 

「ブルース・ブラザーズみたいだなんて笑ってみなさいよ!映画狂い!私は孤児院出身よ!私設のね!冗談みたいよ、国の補助なんてとっくに打ち切られた!そんな世の中で、どうやって個人の孤児院がやっていけるってのよ、バカみたい、やっていけるわけ、ないじゃない!」

 

 ヒステリックな感情に任せて、そう言ってしまった。

 

 

 ●

 

 

 私には親がいない。実の親が。

 育ての義父、それが一人だけ。お人好しの父さんだ。

 一人で寂しい教会を切り盛りする、しがない牧師だ。

 戦争の影響で親が死んだり、親に捨てられたりした子供を集めて出来た、そんな孤児院の院長だ。

 だから家族はたくさんいた。

 深海棲艦はまだ出てきていなかったけれど、世界情勢の悪化に伴う軍拡のゴタゴタで、国の予算から補助が降りてこなかった。国はそれだけ切迫していた。福祉に回す金も惜しいほど。

 一時は金が降りてきていたけれど、今はまた深海棲艦のせいで滅茶苦茶だ。

 

 格差は広がるばかり。貧乏人は死んでいく。

 だから、私は貧乏が嫌だった。覚えてもいない産みの親達も、きっと私を貧乏に耐えかねて放り出したんだと、そう信じていた。私は捨て子だったから。

 

 高校の時にそんな孤児院を出たくて、これ以上金を食いたくなくて、金持ちの彼氏を作って操まで捧げた。

 完全な財産目的だ。

 そのためなら惜しくなかった。孤児院のためなら、家のためなら、家族の、弟、妹たちの為なら。

 それでも、私はうっかりと惚れてしまった。でも冷めた彼とは付き合えなくなって、そのまま振って別れた。

 ……彼のお古のゲーム機はまだ家で動いているはずだ。感謝している。私の送り続ける金で、なんとか次の世代のゲーム機を買えるといいなと思っていたけれど、多分ずっと財政が逼迫して買えないだろうと思う。頑張れ旧世代機。私がこの世からいなくなっても。

 

 ……彼と別れたとき、父さんが何故別れた、何故付き合ったのかと聞いてきた。それまでは自由にさせてくれて、なにも聞かなかった父さんが。その時初めて理由を告げると、父さんはわんわと泣いた。情けない、情けない、すまんのう、すまんのう、と。私も泣いた。なんで父さんがそんな、情けないなんて言う必要があるんだと。そんなことを言わせた自分が、悔しかった。

 

 

 高校までは行かせてもらえた。けれど、高卒で働こうとは思わなかった。

 この世の中、頭が良くなければ、学がなければ生きていけない。強いだけではダメだ。

 でも、大学に行くには金が無い。なのに稼ぐ必要はある。

 私は、軍学校を選んだ。

 海軍経理学校。民間人に戻ったとき、覚えたことが役に立つかもしれないと思って。

 

 死ぬ気で勉強した。

 一年も無駄にしていられない。

 一瞬も油断出来ない。

 学びながら稼ぐ。そうしないと家族を守れない。そんな覚悟を決めて。

 

 海軍経理学校に受かって入学するとき、父さんはまたわんわと泣いた。

 皆からすればほとんど泣かない剛毅の人だったけれど、私にとって父さんは泣く人になっていた。

 私は、笑顔で家を出た。慣れない海軍式敬礼で。

 あの日から、もう泣かないと決めていた。

 

 

 海軍は厳しかった。イビリも受けた。女はまだそんなに多くなかったから、セクハラも富に受けた。

 賭けだったけれど、非処女をカミングアウトすると、仕掛けてくる人間の傾向が見事に変わった。

 ナンパ野郎の中でも童貞が引き下がって遊び人ばかりになったから、あしらい易くはなったけれど。

 

 給金は出たけれど、家に送ってばかりで手取りのほぼ全てが消し飛んだ。生きて行くだけなら不都合は無かったけれど、娯楽は何も買えなかった。

 だから同期から借りる本や漫画、タカリで飲む酒、たまに見る映画とか音楽……貧乏くさい楽しみで生きていた。

 今はもう慣れたものだけれど、少し情けない。

 いつかはたっぷり稼いで、家を助けても余裕のあるような、そんな暮らしをしよう、そう思っていた。私は父さんほどいい子になれなかったから、贅沢をしたかった。

 聞こえのいい清貧という言葉も、私は好きじゃなかったから。

 

 そして高い席次で卒業して、父さんはまた泣いていた。

 私は誇らしかった。でも、私は泣かないと決めていたなら泣かなかった。

 

 着任から一年くらい経つと、私は幹部候補だったからすぐに主計の主力として認められ、昇進した。

 自負はある、それだけの能はあると。だからこそ、いつしか得ていた中尉の肩書も怖くなかった。

 ……怖いもの知らずの男達からセクハラは喰らったけれど。でもまあ、アレくらいならコミュニケーションだ。別になんてことない。

 

 

 そんな中、深海棲艦が現れた。

 孤児院は、また絶望的に逼迫した。

 軍備増強のために予算が組み変わって、福祉に回す手が切れたのだ。

 

 馬鹿らしい。深海棲艦に通常兵器は通用しない。いくら普通の軍備を整えたって敵いっこなかったっていうのに。おかげで何隻沈んだと思っているのか。私の乗っていた駆逐艦だって、為す術もなく沈められた。お陰で死ぬかと思った。

 

 ともかく、私は色々あって、艦娘になることにした。”艦娘のレプリカ”に。

 “とある方法”で、”女性だけで実行される極秘の長期任務”が”艦娘化”のことだと知っていたからだ。

 それには莫大な手当も前金で出るということも。

 

 私は改造を受けた。

 痛みに耐えた。変わっていく自分の姿も受け入れた。

 そして、”叢雲”になった。

 性格は、ほとんど変わらなかった。元の”本物の叢雲”とは性格が近いから。彼女はもっと気高く尊いけれど。

 私は、それも知っていた。

 本人を知っていたから。本人に助けられた者の一人だったから。

 

 受け取った”死亡見舞金”は、全て孤児院に送った。私が“生きている”という体裁で。

 いくらか税金で目減りしたけれど、それで孤児院は一旦救われた。借金、税金で首が回らなくなった状態は脱したのだ。少し誇らしかったし、安心した。

 でも、それでも、私の家は貧乏だ。

 たくさんの家族がいる。もう働いている兄弟達もいるけれど、それが私だけ楽をする理由にはならない。私は、父さんの自慢の娘だ。そうでありたい。もっと父さんには泣いて欲しい。けれど、それは私を、誇って泣いてほしいのだ。

 私の死なんて、知らないままでいてほしい。永遠に私が生き続けるために。足長おじさんは、死んじゃいけない。

 

 

 そうだ。私は過去を捨ててなどいない。

 甘く懐かしい過去のために生きている。

 家族のために。

 そして、今でも人間のつもりだ。私は、父さんの娘だから。

 だったら私は。

 

 

 ●

 

 

「……解体。私を解体しなさいよ!手続きだけでいいから!早く、“退職金”が必要なのよ!解体より前に死んだら出ないんでしょ!?こうしている暇も惜しいのよ、早く!もう死んだって別に構いやしないわ!私の負けよ、いいわ、消えてあげるわよ!アンタが、金を出すならね!」

「ぇ」

 

 何よ、何で、何であんたは、頬に涙を伝わせる。なんで、そんな困った顔で、ひくつきもせずに、ぐずるでもなく、なんで。このヒトデナシは涙を流す。

 

「何、泣いてんのよ泣きたいのはこっちよ!バッカみたいね、ヒトデナシのくせに、人間のふり!?」

「金が、欲しかっただけ?」

 

 何を。今更。金剛なんて方便だ。丁度いい理由があっただけだ。

 私にこのヒトデナシをどうこうする気はさらさらなかった。

 

「アンタは金を出す、私は何もしない、それだけよ!アンタの立場なんて、最初っからどうでも良かった、そういうことよ!」

「言われなくては、分からない」

 

 人一人殺すのに何も考えてなかったのか。考えたんだろうな、考えたなりに殺すことを選んだんだろう。それくらい分かる。わかっているけれど、殺される側としては溜まったもんじゃない。

 

「それで人ひとり殺してちゃザマァ無いわね、ああ!?」

「言ってくれなきゃ、分からないのに」

「っ」

 

 何で泣いてる。そんな困った顔で、なんで、お前は、人間のつもりでいる。

 私はこの人もどきに右から詰め寄り、左の襟元を掴む。

 

「っ」

 

 目を見ろ。目を逸らすな。殺される私の目を見ろ。

 それも出来ないくせに、なんで殺す。

 殺したくないとでも言うみたいに。お前は、なんでそんな顔をする。

 それが更に神経を逆撫でる。

 

「ヒトデナシが、人間のふりを、してんじゃ、ないわよ!」

「言われなければ、分からない」

 

 それしか言えないのか。とんだポンコツだ。壊れたロボットか、おまえは。

 本当に私の気に障ることしか出来ないのか。

 もう何もかも、私の逆鱗に触れるばかりだ。

 

「くそ、この、うるさい、分からない、分からないって、ムカつくわね!」

「明石を、呼ぶ。医務室に行け。人工呼吸器を用意させる」

「……は?」

 

 人工呼吸器?なんで。今更何を。殺す気でいたくせに、ナメてるのか。

 出任せを。反射でしかものを言えないくせに、このクソが。

 

「なんのつもりよ」

「……人工呼吸器があれば、死なない」

「……、なによそれ」

「ツボクラリン、神経毒だが呼吸さえ確保できれば、死なない」

 

 そう言って、コレは一番上の引き出し、机の右側のを開くと、後ろ手にコルク栓をしたガラス瓶を取り出した。

 どれがどれだか見えていないから、適当に。

 ラベルには、H。HB。B。そして、何も書いていない。コイツはそれを見て、

 

「……いわゆる、クラーレ、だ」

 

 中にはシャープペンシル芯と同じような長さの針が入っている。そして、底には液体が溜まっていた。

 

 クラーレ、知ってる。雑学はたくさん知っている。教会中の本を読み漁ったから。読書にはそれで飽きた。

 神経毒だ。どこかの先住民だかが矢毒として使って狩猟に使っていたらしい。

 それで、毒だけれど経口摂取には問題ないから狩りに使うのに都合が良かったことも。

 食べられる毒だ。……致死性の毒にも色々あるけれど、針に塗れてかつ隠滅が”飲むだけ”となると、たしかに都合がいい。

 そして、毒の中身に思い至らなければ死ぬ。思い至り、その質が分かれば生きる手段が浮かぶ。

 

 ……生きる方法を明かしたということは、コレは、私に生きろと言ったに等しい。

 

「アンタ、何がしたかったのよ!死ねと言ったり、生きろと言ったり、一貫性がまるでないわ……!」

「君が、私と金剛を引き離さないなら、死なせる意味がない」

 

 意味が、ない?なんだそれは。意味が無いことのために殺されるところだったと?

 許せない。こんなクソみたいな殺され方、認められない。

 

「……私が、どう思うかわかってる!?こんな仕打ちを受ければ今度こそアンタを本当に脅迫―――――」

 

 突然、足から力が抜けた。掴んでいた指からも。まぶたもが突然に落ちていく。

 そして、私は屈辱的に、このヒトデナシの前で膝を折って座り込んでしまった。

 

「――――――――っ、クソがァ!」

 

 口汚く罵る言葉、それへの反応は分からない。けれど、アレの声は淡々としていて、

 

「早く、明石を呼ばなければ」

「ああ、そう、好きにしなさいよ!解体はそのまま進めてもらうわ、私がアンタを信用出来ないものね!」

「そうしよう、そのほうが、いい」

 

 そう言うと、スマートフォンの操作音が聞こえだした。

 明石に連絡しているのか。でも、それなら明石が気づかなかったらどうする。想像するだに恐ろしい。

 

「返事がなかったらどうするのよ、私を殺す気!?」

「そんな、つもりは、ない」

 

 その意図を否定する。声は、やはり感情に薄い。

 リアクションの弱さに、私は焦れてまた叫ぶ。

 

「ああそう、瑞鶴でも呼べばいいじゃない!」

「そう、だな」

 

 もう一度操作し、電話を掛ける。

 

「……瑞鶴。執務室に来てほしい」

 

 それだけ、一言で通話は終わったらしい。

 コイツは嘆息。

 こっちがため息したい。今にも死にそうなこっちがだ。

 艤装さえあったならこのままここで殺してやるところだ。

 

 ●

 

 すぐに、二人共が来た。そして、私を明石のほうが担いで医務室に連れて行く。

 その頃にはもう悪態を吐こうにもろれつが回らず、もうすぐ自分で息が出来なくなることもわかった。

 だが、すんでのところで明石が人工呼吸器を装着してくれた。

 痛かった。……容赦なく口から突っ込まれて喉が剥がれるような思いをしたけれど、明石の手際は良かった。確かに医務室を任されているだけはある。私達のバックアップ役たる特務艦の面目躍如といったところか。医学はともかく、応急処置ということならばセミプロくらいか。いや、医療行為にプロ以外は不味いと思うけれど、生死の懸かる状況なら仕方ない。

 

 喉の違和感、ひいては吐き気、痛みに苦しみながらも、体は動かない。でも酸素は潤沢だから窒息はするわけもない。

 呼吸を無理やりさせられる、という珍しい体験の中、私は妙に落ち着いていろいろなことを考えた。

 命がある安心というものは、血の気が引くほどに人を落ち着かせるものだと思う。

 さっきまでヒスってたのが嘘みたい。

 

 ……クラーレ。神経毒。

 体の端から内側まで、自分で動かせる筋肉の尽くから力を奪われ、息も出来なくなり死ぬ。

 そう、今こうして私が起きて考えているように、意識があるままに、何も出来なくされて死ぬ。

 惨めな死に方だ。今の私も、悔しくて仕方がない。悔しくて、悔しくて。

 本当に殺されるところだった。

 私があの女に本気の悪意がないことを伝えると、あの女もそれに対する敵意をいとも簡単に収めた。

 あの女は、私が本気で告発すると考えていた。私は、そんなつもりは毛頭なかった。

 信用していたから。なにか言い訳があれば、金をくれるだろうという。

 

 でも、あの女にとってはそうじゃなかった。大前提が違うんだろう。

 私の言葉を鵜呑みにした。いや、これは私が悪かったんだろう。

 ここまで金剛に執着していると見抜いていなかった私、そして言葉を選ばなかった、もとい選んだ私が。

 

 

『とりあえず、叢雲さんは提督にはちゃんと言うべきことを言わなきゃいけないと思います!』

 

 

 そうか、こういうことか。意図の誤解、間違いを解けと。

 さもなくば、

 

『叢雲さん、あなたは―――――このままだと死にます』

 

 こうなる、と。

 笑える。いや、笑うにも体が全く動かないから無理だけど、内心で。

 何もかも、あの二人のお見通しか。

 しかも、死を覚悟してあんな、恥ずかしげもなく金、金、金、って言ったのに、それが私を救うなんて。いらないと言ったはずの命が手元に残るなんて。

 

『叢雲さん、あなたも“生きる”といいと思うよ』

 

 そうしよう。私は、生きよう。命を拾ったんだ。わざわざ捨てるような真似はしたくない。

 あとは、もうここにはいられない。提督とは仲違いどころじゃすまないことになった。確執でも余りある決裂だ。

 転属する気にもならない。艦娘でいるのにもなんだか懲り懲りになってしまった。

 

 

 ……帰ろう。家に。

 うちに帰ろう。

 大阪に帰ろう。

 帰るんだ。

 恥ずかしながら、帰ってまいりました、って。

 敷居をまたぐときの第一声はよっこい庄一だ、これでも大阪人、ユーモアあってこそ。

 他には何がいいだろう、間違えて陸軍式敬礼もいいかもしれない。

 お前どこ行ってきたねん、って。極秘任務って陸軍のことやったんかって言われたい。

 他には、ああそうだ、自分で自分の遺骨の箱持って帰るのもいいかも。白い風呂敷に荷物包んで。沈痛な面持ちもセットだ。

 ……やめよう、悪い夢の幽霊みたいだ。笑えないジョークはジョークじゃない。雰囲気が変になったらどうしよう。よく考えたら本当に死にかけたんだから、私も嫌だし。

 

 

 だから、笑ってよ、父さん。

 もう泣かなくていいの。

 会いたい。父さんに、みんなに、だから、帰る。

 私、帰る。

 

 

 ありがとう、”叢雲”。そして、ごめんなさい。

 私は生きます。陸の上で。

 

 頬を伝う涙が、暖かかった。まるで父さんに撫でられているみたいで、切なかった。

 

 空は、もう私の空じゃないのね。

 

 見えないけれど、叢雲の空は眩しかっただろう。




つまりあの女業務時間中に玄田版コマンドー見て笑ってたんだぜ
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