誤字報告反映。
あの女、提督さんに呼び出されて執務室に向かうと、彼女は柄にもなく泣いていた。べそをかくでもなく、ただ涙を頬に伝わせて。昨日の晩のような不思議な態度と似ていて、なるほど、やはり叢雲を、と思った。
殺しにかかったのだな、と。
けれど、
「瑞鶴、明石は、来ているか?」
「……今、司令部に入りましたけど」
「……そうか。机で見えないだろうが、叢雲がそこにいる。明石と協力して担いで、医務室に連れて行ってくれ」
そう言われて右から回り込むと、知っていたとおりに提督の足元にはタコになった叢雲が転がっていた。
繰り返し何か言っているようだけれど、ろれつがまるで回っていない。
生きている。
死なずに、生きている。
何をどうやったのかは、針らしい。私は見ていたから。叢雲が突然駆け出して、少しエントランスで減速して、それから執務室に踏み込むところ。あの女に身の上と目的をはっきり叫ぶところ。そして、毒で崩れ落ちたところ。私は見ていた。だから、電話をかけてくるところも見ていた。すぐに出ることが出来た。呼ばれなければ、行くつもりなんてなかったけれど。だって、叢雲は死んでいいから。死んでもかまわない、死んでほしいから。私の幸せのために不幸になればいい。
「……!」
続いて明石が駆け込んできた。それを、体ごと振り向いて右目で見る。ドアは開け放しにしていたから、ドタドタとした足音も聞こえていた。明石が私の顔を見る。
「叢雲、ここにいるから」
簡単な言葉で伝える。
彼女は私の唇を読み取ると、すぐに私の元、叢雲の転がる足元に近づいてきて、すぐさま左肩に俵みたいに担ぎ上げた。私は必要ないらしい。私とあの女に一瞥、頷いて部屋を出て行く。敬礼を一度。そしてまたドタドタとした足取りで出ていった。うるさい。自分で聞こえないからって。五十鈴の前では随分と慎重なようだけれど。
「死ななかったんだ」
私がそう呟くと、あの女は俯いたままで、
「死ななかった」
それだけ。そうか。死ななかったね。殺してしまえと思ってたのに、叢雲が思ったのと違ったのね。あいつは貧乏で、金にうるさくて、そのくせ他人にタカるみみっちいやつ。それをあなたは知らなかったのね。それの意味を知らなかったのね。金が欲しいから金にうるさいって。金が欲しいから他人にタカるって。貧乏だから金が欲しいって。
わからないんだ。
わからないんだね。お笑いだよ。
わからないんだね。お笑いだよ。
わからないんだね。お笑いだよ。
わからないんだね。お笑いだよ」
「そうだよ、わからないんだ」
私の方も見ずに、またそれだけ。
わからないんだ。わかってるんだ。わからないってわかってるんだ。
そう。
かわいそうに。
一生分からないままに悩んで苦しんでよ。
私が愉しいから。
「仕事に戻ります」
「……ああ、邪魔をした。手間をかけた」
その言葉を受けて、私は執務室を出て行く。
出るときに敬礼もそこそこに。
どうせ見ていない。
●
叢雲の意図は、私の誤解だった。
給金について不満があった、あるいは一時的に金が必要だったということらしく、私への敵意はほぼ無かったと分かった。
私は、それに全く気付けなかった。機微を読み取ることができなかった。
情けない。私に出来ることなど、金を積むこと、待遇を極限まで引き上げること、それくらいしか出来ることなど無かったと言うのに。それすら徹底することが出来なかったというのだ。部下に不満を持たせてしまった。
また、人を誤解させた。誤解してしまった。理解できなかった。それがただ悲しくて、私は涙を流してしまった。
ヒトデナシ。言われ慣れたその言葉通り、私はそうなのだろう。ならば、涙を流してはいけないはずなのに。
それでも、私は泣いてしまった。情けない。浅ましい。
すんでのところで叢雲の本当の要求を知らされた私は、命を奪うことを避けることが出来た。
意味がない。私の敵意には、全くの意味がなかったのだ。空振りもいいところだ。それすら、今になって気付いたのだ。陸軍で演じた失態に続いてのこれだ。私には、洞察力というものが欠けている。
分かっていた。
だからこそ、嘘を伝えられること、解釈に要すること、それを無くしたかった。情報に固執した。
私には、嘘を嘘と見抜く力が、まるで備わっていないから。
どうすれば良かったのか、それは自明だ。叢雲が私と金剛のことなどどうでも良かったというのなら、ただ金を積むだけで済んだのだ。言うことを聞いていればよかった。何も考えずに、ただ。そうすれば、私は叢雲と決定的に対立してしまうことなどなく……いや、そもそも私からの一方的な敵視だったのだが。
ジョークだって下手だ。他人の知らないそれを、自慢げに振りかざす、それがどうなるかなど今までの経験で分かっていたのに。下手な冗談を言うから事態がこじれた。自分で誤解を加速させていた。
すべて他人のジョークの受け取り方を知らないから悪い。
すべて、私が悪い。私が、愚かだから。
私に人の心がわからないから。
何故人は、人の心が分かるのか、それが理解できないから。自業自得だ。苦しい。人の心が分からないことが、ただまた苦しい。今までもそうだった、だから諦めていた。だのに、こんなにも今、苦しいのは何故だろう。
彼女が親孝行娘だからか?全くの善人だからか?人の道を征く立派な人だからか?脛に傷一つないブルース・ブラザーズだからか?捨て子だということを哀れんだからか?それとも、彼女の真っ当さを、私が妬んだからか?
……違う。彼女の話を聴けないからだ。聞いただけだから。その心を理解できないから。
それすら、また分かっていなかった。私は、私がこんなにも分からない。20年といくらかを生きたというのに私は。何故、人は人を分かることが出来るのだろう?自分で自分を分かることが出来るのだろう?他人を、分かることが出来るのだろう?どうにも理解できなくて泣いて暮らした記憶を思い出すばかり。そうして、結局諦めたのに。
それでも。
私には、愛が分かる。愛が分かると理解できた。
私には、金剛がいる。私が初めて愛した人が。愛せると分かった人が。
金剛。
会いたい。
ただあなたに会いたい。
あなたに話をしたい。あなたは何も言わないでほしい。
何も言わないで私を聞いてほしい。
●
2時間後、昼前。
ツボクラリンが効力を失って、叢雲がまたこちらに来た。ノックはなし、いきなりドアを開いて。
私は、彼女を見れなかった。
「ねえ」
彼女は、平坦な声で私に呼びかける。
「ああ」
私には、そう言うことしか出来ない。”なんだ”じゃない。私はそれで他人の神経を逆撫でるらしいから。だから、分かっていないとも、分かっているとも言わず、ただ相槌を打つだけで返事をする。そうすれば、相手から話してくれる。そういうものだと思う。けれども、叢雲は何も言わない。私は、彼女を見ることが出来ない。目を見ることが出来ない。目を見て話すということは、私が目に囚われて何も言えなくなるからだ。だから、彼女を見ることが出来ない。怖いならば、見ればいい。顔色を窺えばいい。でもそういうことじゃない。それが出来ないのだから。ただ、私にとって他人の目を見ることがマイナスになるから。目を見て話す意味と言われる誠意とやらが、嘘になるから。目を見ることしか出来ないから、話が聴けない。
叢雲は、何も言わない。
だから、私はただ謝った。私にとって、謝罪とは便利な救済措置だ。すみませんと言えば、失礼しますと言えば、それで話が始まるから。
「すまなかった」
「すまないじゃすまないわよ」
「ごめん、なさい」
「ごめんで済んだら警察いらないじゃない」
「申し訳、ない」
「そういうことじゃないっての」
足音が近づいてくる。叢雲がこっちに来る。私は彼女を見れない。
「目を見なさい」
「できない」
「どうして」
「目を見れば、目を見ることしか、出来ないから」
「……ふーん」
それだけ言うと、叢雲は一度黙った。
「……ああ、あんた、私の兄弟に似たようなのがいるわ」
似たような?そうだろう。いるはずだ。この世に私に似ていない人間なんて、いないはずがない。人間誰しも誰かに似るものだ。親だけじゃなく、赤の他人とも。何を当然のことを、と思った。
「目は見れない、人の機微に気付けない、話が噛み合わない、変にこだわりが強い、色々あるけれど、そういう特徴だけ見れば、そっくりよ」
「……そういう人間も、いるだろう」
「そうね。かわいそうって言ってほしい?その子にはかわいそうだって思ったこともあるけれど」
「いや。必要ない。私と同じような人間もいる、それだけだろう」
「そうね。そりゃそうよ。人間、そうそうオンリーワンなんてあり得ない。そんなもんよね」
一度溜息。
「針は外しておいたから。明日、辞表書いてくるわ。転属する気もない。……引き継ぎは必要?」
「ない。元より私の作成したマニュアル通りにシフト管理等は実施されている。そのまま退職で構わない。私が大本営と連絡を取る。工廠送りとなったあと君は解体され、除隊となる」
「そう」
叢雲が続ける。
「……やっぱり、私とあんたは相容れないわ」
「そうだろうな」
「……ここにいる誰も彼も、他人が怖くて仕方ない。色々あったのは知ってるわ。身の上からそうなるでしょう。それなら別にやりようはある。でも、あんたは少し違う。……正直言うわ。私からするとあんた、宇宙人だった。あんたにとっても、私がそう思えるでしょうし、そうならここの外は宇宙人の国みたいでしょうね」
「そうか」
「だから、さよなら。その方がいいわ。あんたもそうしたいでしょう」
「それが、いい」
私がそう言うと、叢雲は私に背を向けて、こう言った。
「下ネタはちょっと頂けないけれど……モンティ・パイソン。あれ、面白かった。悪いセンスじゃないと思うわ」
それだけ言い残して、執務室を出る。
だから、私はそれを見届けることにした。顔を上げる。
「……あんた、可愛いのね」
「え?」
「笑った顔とか、泣いた顔とか、子供みたい」
一度敬礼し、そして彼女は去っていった。
優秀な軍人らしく、居住まいは美しかった。
●
その夜。
寝る前に金剛に会いに行った。
瑞鶴には遅れてくるように言ってある。湯上がりにガウンとポンチョを着せてもらって。
素材は綿で肌触りが好きだ。
色は灰色。明るい色は好きじゃないから。
夜の薄暗い廊下を、司令部の端から端へ、車椅子のモーターを低く唸らせて進む。
寂しく廊下の板が軋む。タイヤが擦れる音が耳につく。風が窓を叩く音が、すぐにかき消したが。
エントランスは広々として寒い。秋も深くなってきた。けれども嫌いではない。暑いよりは寒いほうがいいから。
天井の豆電球がひとつ、ふたつだけ明かりを灯していて、それが余計にうら寂しい。
窓に月はない。まだ見えるところには登ってきていないから。
金剛の部屋の前に来た。
ノックはゆっくりと3回。
「金剛」
返事はない。金剛は返事なんて出来ない。
ノブを下ろして、車椅子を軽く後退。ドアを開いて入る。入ったらターンしてノブを握り、ドアを閉じた。
がちり、と音がする。
金剛の方に視線を向けると、外を見ていた。
昨日見たまま、そのままの姿勢、そのままの姿で。同じように。今夜も同じように。
「金剛」
近づいていく。車椅子を、ベッドに横付けにした。
金剛の手を、私は握った。冷たい手を。白い肌が夜の藍色で染まって蒼白く、まるで人形のように美しい。
「金剛」
呼ぶ声に、金剛はなにも返さない。
「金剛」
四度呼んでも、何も返って来ない。
だから、私は話し始めた。独り言だ。
「話をしたいの。聞いてくれるだけで、聞いてくれなくてもいいの。金剛」
そう言うと、金剛が少しだけ、手を握り返してきた。
違うの。
そういうことじゃないの。
だから、私はもう一度金剛の手を握り直した。手首を両手で包むように。
「私は、誰とも上手くやっていけなかった。誰とも」
そうしてから、私は私を話し始めた。
●
幼い頃から、一人だった。
家族は居た。同級生も居た。先生も居た。上司が居た。部下が居た。同僚が居た。
けれど、私は独りだった。望んだのか、望まずしてか、私にはそれすら分からない。いつのまにか周りから誰もが居なくなって、いや、私が誰も彼もを遠ざけたのかもしれない。私には、何も分かっていない。
周りが騒いでいても、私はただ静かだった。何が楽しいのだろう。何に怒っているのだろう。何に笑っているのだろう。何に泣いているのだろう。それが、その場ではいつも分からない。私は独りになると感情を取り戻して、何が楽しかったのか、何が腹立たしいのか、何が面白いのか、何が悲しいのかを理解した。一人で笑い、一人で怒り、一人で喜び、一人で泣いた。だから、周りはそのたびに気味悪がった。ひとりでに感情が動くから。私に感情がないわけじゃないのに、分かってくれなかった。どうしてその場ではわからないのか、それを気持ち悪がった。私の愚かさを責めた。私も、私の愚かさに耐えかねた。
人形が好きだ。人形といると、一人でも寂しくないから。人形は何も言ってこないから。人は何かを話さなくてはいけない。人は、人と理解し合わなくてはいけない。けれど、人形は何にも言わない。気持ちも分からない。だけど、それが私にとっては何より心地よかった。それに、人形は可愛かった。誰といても笑顔を見せない私が、人形といるときだけは笑うから、みんなして私を笑い、そのうち気持ち悪いと言い出した。どうして恥ずかしいのか分からないけれど、恥ずかしいものは隠すべきだから、二十歳を過ぎる前に人形趣味を隠すようになった。
モンティ・パイソンが好きだ。英国人の父が教えてくれた。パイソンズは言葉遊びが巧みで、論理の巧みさ故に芸術的なほど不条理で、私はそれが好きだった。彼らの音楽も好きだった。彼らの真似をした。所構わず。好きだったから。マネーソング、シリー・ウォークの歌、ランバージャック、シット・オン・マイ・フェイス、オールウェイズ・ルック・オン・ブライト・サイド・オブ・ライフ、どれも素敵な歌だ。人生は最悪だ。だから、少しでもマシなところがあればそれだけを見て生きよう。私の好きな言葉だ。救いだった。私の望みは木こりじゃないけれど、お金は欲しかった。私があげられるものは、きっとお金しかない。だから、せめてお金が欲しかった。誰かのお嫁にいくことがあるとして、差し上げられるものはきっとお金しかないから。操を失って、歩くことを失って、誰とも上手くやっていけなくて、そんな不良物件が貰って頂くためには、お金を持っていることしか出来ないから。子供が欲しい。せめて、親に果たす義理として。子供には、申し訳ないけれど。
けれど、私は誰も愛せなかった。愛がわからなかった。どうしても。
いろんな人に思いを告げられた。でも、何がしたいのかわからなかった。手をつなぐ、キスする、髪に触れる、胸を触る、愛撫する、セックスする。恋人同士はそういうことをするとは聞き及んでいたけれど。他にもデートなんてものもあったと思う。でも、私はデートになんの意義があるか分からない。何処かに行くときは一人がいい。きっとお付き合いする男性にしても、私と行くべきじゃないと思う。私は楽しめないし、それを気取らせるのも忍びないから。だから、私はセックスが愛なんだろうと思った。私が差し出せる愛はセックスだけなのだと。
だから、高校生の時、適当に誰かと付き合った。愛せるかどうか、挑戦した。
すぐにセックスをした。咥えた。飲んだ。縛らせた。縛った。色々禁忌的なこともした。暴力を伴うことも色々と。けれど、私にはわからなかった。愛が何なのか、分からなかった。こんなことは愛していなければ出来ないはずなのに、私はひとかけらの情もなくそれを遂行できた。顔に跨ったとき、跨がらせたとき、あの歌の意味がわかると思った。それさえあれば人生は最高だと覚えたから。けれど、信じた意味はなかった。わからなかった。
セックスは、私にとって体を触られること以上の意味は無かった。触ること以上の意味は無かった。
そして、体を触ること、触られることは、好きじゃなかった。
絶望した。
●
「彼を振って、女の子とも付き合って、それでも駄目で、本当に誰も愛せないことに気が付いて、そうしてしばらく、部屋に閉じこもった。若かった」
私は泣いていた。悲しいからなのか、嬉しいからなのか分からない。
「こうして、今のようになった。……ねぇ、金剛。どうして私はあなたを愛しているのかしら」
分からない。それこそが分からない。けれど、私は胸が痛んだから、それが真実なのだと理解した。
「分からないの。どうしても、私には分からない。人間を愛せなかった私が、なんであなたを愛しているのか。でも」
ならば、きっとそれは。私にとっての救い、救済措置、そしてロマンティックに言えば、
「運命だと思うの」
そう。
運命。
運命だと。金剛に出会うために、私は生まれたのだと、そう信じることくらい、させてほしい。
だから、後生です。お願いです。私の女神様。私の懸想を許して下さい。お願いします。
「愛しています、金剛……愛しているの、好きなの、金剛……」
私は一方的に彼女に、彼女の手に縋って、泣き続けた。子供のように。
本編-1『Awake to Love』はこれにて投稿終了です。
読者の皆々様方へ、お付き合い頂いたことに多大な感謝を。
ありがとうございました。
ここから本編-2へ続きます。
番外編2つと合わせて、どうぞ宜しくお願い致します。
留意していただきたいことがありまして、
『死んだフラミンゴ』と同じく瑞鶴の台詞のカギ括弧が終わりしかないのは”途中から口に出ている”という意味です。
どこから出ているのかは想像にお任せします。自分自身特に意識はしていませんし、瑞鶴自身がどこから口に出しているか認識していないということでもあります。