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雪風?
なんで?
雪風?
なんで?
雪風の声がした。雪風の声がした。雪風の声がした。もうしない。
アンテナ、私のアンテナ。アンテナは宙を指して言った、電波あれ。電波は光を超えて届いて私の脳を突き刺して掻き回す。羊たちはその脳を掻き回し食材の贄となって煮えたぎる。私の脳も煮えている。贄。生贄。生贄はどこ?私の生贄は渡さない。渡さないんだってば。あの人が私のために生きるの、だから私もあの人のために生きるの。あの人の言うことは正しい。神様。神様だから私は従います。ああ、神様。神様。好き。神様。好き。違う、そうじゃない、そうじゃない、私、そうじゃない、死にたい、死にたい、死にたい、殺して、殺してよ、神様。そう、神様は生きろと言いました。だから私は生きます。幸せになりたい。生きて幸せにならなくちゃ。アンテナ売りはどこにいるのかな。いくじなしのアンテナ売り、私の無線機を探知して壊してよ。くり抜けないならば、私の無線を掻き消すくらいの電波をちょうだい。電波を、もっと電波を!強い力で消し去って!電波、電波、電波!光波、電波、音波、超音波、サイン波、オシレーション、ベンチレーション、私の左目に風を当ててこの無線機を乾かして、正体を晒してしまいたい。ああ、背中が、痛い、痛い、痛いぃ」
●
「やろうと思えば入り込めるもんですね、雪風も自分で驚きました」
そう言って、また私の知らぬ間にここに入ってきていた。
雪風。
何をしに来たのか分からない。来る理由が全く分からない。けれど、私の内心に答えた。その口で。
「なんの、こと?」
私は問い掛ける。その意味を。
「神様って、やっぱり本当にチンケで性格が悪いですよねってことです」
「わ、私、口に出してたの?」
「いえ、あなたの心にちょっとお邪魔していました」
私の、心に?どういう意味?この部屋にじゃなくて、私の心?
「意味が、わからないよ」
「だから言ったとおりです。心に入り込んでましたから、何考えてたかお見通しです。バレないもんですね」
心に、入り込む?それは話術の話を言っているのではなくて、物理的、あいや、物理じゃない。心は物理的なものじゃない。ともかく、心の中に雪風が入り込む?意味がわからない。それは、人の心を覗き込むどころの話じゃない。察するんじゃなくて、見ている。
「……うそ」
私の驚きにも、彼女は憮然としている。この間見たような、取り繕った子供らしさは皆無だ。大人というより、そう、これは化物だ。老獪が過ぎる。雪風はジトッとした目になると、
「なんとなくでしばらくじーっと見せてもらいましたが……仕事を退屈だと思っちゃいけませんよ?それしか出来ないんですから。それとなんですかアレ。やっぱり比叡さんクソッタレ神様と随分仲良しさんですねぇ。殺したくなります」
殺したくなる、その台詞のときだけ、彼女の気迫が増したように見えた。気迫、というのは曖昧が過ぎる。これは、多分殺気というやつだ。私はそれに怯えて、
「ひ、――――――――」
「ひえーっとか言って誤魔化すの禁止です」
そんなつもりはない、悲鳴を上げそうになっただけだ、なんて言えるはずもなく、私はコクコクと頷いて口を噤んだ。彼女はそれに溜息を吐き、
「それと、しれぇが救いようのない変態ということはまぁ分かりました。そんな個人の性癖のことよりも、問題は瑞鶴さんです」
「……瑞鶴さん」
提督自身も知らないはずの秘密を一蹴して、雪風はそう言った。
それは同様にお姉ちゃんのこともどうでもいい、と言っているようで、私は寂しい気持ちになった。
それに、右目だけを細めた怪訝な顔をしたけれど、すぐに彼女はまた憮然とした顔になり、
「アレ、体面は取り繕ってますけど完全に頭イッてますよ。脳内が毒電波でゆんゆんしてました」
「……毒電波?ゆんゆん?」
よくわからない言葉が出て来た。電波って毒があるものだったっけ?それにゆんゆん?どういう意味だろう。
それで首を傾げていると、
「とりあえずしっちゃかめっちゃかで狂ってると思っとけばいいですよ」
「はぁ」
説明が来た。やっぱり私はあまり長い時間生きてきたわけじゃないから、こういう表現でわからないところがある。私の使っているマニュアルだって子供でも出来るような懇切丁寧な作りになっている。だから今はこうして仕事をさせてもらえているけれど、”比叡”が居なければその辺の子供よりも学がないと思う。こういう点、必然ではあるのだけれど自分が不勉強だと思うし、それが不便だと思う。
「それで、狂ってるって、どういうことを考えてるの?」
「その意味が分かるような心なら正気ですよ。わかんない上にやたら思考が飛び飛び、結局何考えているか、見ているはずなのに理解できないんです」
「へ?」
「へ?じゃないですよ、全く。考えてることに筋が通ってないんです。壊れてるんですよ」
「壊れてる?」
「まぁ気が散ると考えていることの話題が飛び飛びになる、それはよくあることだと思います。でもアレはかなり違いますね。どんどん変な方向に展開していって戻ってこないんです。普通なら考え始めたことと結論がセットになるもんです。それが全く無い上に方向性が致命的に狂ってます。悪い意味で。――――――――というかさっきからずっと独り言と考えてることがおんなじみたいですよ。聞いてなかったんですか?おかしいでしょ」
へ?独り言も意味がわからないから聞き流してたんだけれど、あれが頭の中?意味がよくわからないし怖いこと言ってるから気にしないことにしていたんだけれど、あれが?あんなことを?
……意味が、分からない。私が馬鹿なだけじゃなかったのか。そうか、あれはそもそも意味がある独り言じゃないんだ。垂れ流しなんだ。そう、今も。何か聞こえてくる。電波という単語が目立つ。……無線機がどうとか、とも言っていたような気もする。
「なんだか、怖いな、と思ってあまり考えないようにしてたから」
「そうですか」
そう、恐ろしい。声の調子がおかしいのだ。泣いたり笑ったり突然怒ったり、わけが分からない怖さがあって。
ともかく、瑞鶴さんの状況は分かった。誰に相談すれば良いんだろう。だって、私達は提督に信頼されていない。瑞鶴さんの頭がおかしい、って言ったところで、仕事は何故か出来ているのだから。だから提督は多分、瑞鶴さんを隔離したりしない。差別しない。……そう、たとえ狂人でも使えるならば使う、それがこの大湊の提督の方針なんだ。だから私達はこうして働ける。文句を付ける資格も、ない。
「どうしよう……」
「瑞鶴さんはもうだめです。かと言ってしれぇに逆らうわけにもいきません」
「うん、そんなことしたら、私……行き場がない……」
私はここ以外で生きていけない。提督に使ってもらってようやく生きていける、人間らしくいられる。なのに、逆らって仕事の邪魔をしたと思われたら、今度は何もさせてもらえなくなる。きっと、お姉ちゃんのお世話もさせてくれない。罰として取り上げられるだろうと思う。
でも雪風は、なんてことないという顔で、
「世知辛いですねぇ」
「そんなんじゃ済まないってば」
「まぁ、雪風はなにがどう転んだところで死にませんからどうでもいいですけれどね」
「そんな……」
私が縋ろうと手を伸ばすと、彼女は後ろを向いてドアの方へ歩いて行く。
右手が空を切った。
「まぁ、どうやらしれぇが瑞鶴さんを隔離しないのは”使い物になる”からです。ですが、そのうちボロが出ると思いますよ。雪風も未来のことはさっぱりわかりませんが。――――――意味が無いので」
そう言って、ドアをバタンと閉めて出て行ってしまった。
……私は、どうすればいいんだろう。こんな、あまりに酷い事実を知って、何も出来なくて。
●
それからまたしばらく経った。
私は何も出来なかったけれど、お姉ちゃんは驚くことにだんだん回復していった。
もしかすると、提督と触れ合っているのが良かったのかもしれない。提督が楽しそうにしているから気が滅入らなかったんだろうか。だったら私は反省しなくちゃいけない。悲しい目でずっとお姉ちゃんを見つめてきたことを。だから余計にお姉ちゃんが悲しんだんだと。
……提督に愛されて、いや、遊ばれているお姉ちゃんは薄っすらと微笑んでいた。それに提督がもっと機嫌を良くする。儚い笑みを浮かべている、私からすれば不吉とも言えるはずの美しさは、今やどこまでも暖かいものだった。見ていて胸が締め付けられるものじゃなかった。見ていて、安心出来た。お姉ちゃんの暗闇も終わりが見えてきたのかもしれない、そう思って。
最近のお姉ちゃんは食欲があるみたいで、提督がスパムのサンドイッチを分けてあげると、それを口に含んで嬉しそうにする。提督が喜ばないはずがない。あんな塩っ辛くてすぐ飽きそうな味のものを毎日毎食食べるほどのフリークだ。良さが伝わったのかと思って、提督は次の非番の昼には自分の分までお姉ちゃんに食べさせようとした。その時は流石にお姉ちゃんも、もうお腹が一杯で辛そうだった。なのに、なんだか楽しそうだった。
一番驚いたことが、お姉ちゃんは話すことも、自分で食事を摂ることも、トイレに行くことも出来るくらいに回復したこと。提督はなんだか不満そうにしていたけれど、明石さんが急遽用意した車椅子で提督と肩を並べてトイレに行く様子は、なんだかほのぼのしていた。
なのに、気持ち悪い。提督が、気持ち悪い。
不気味というか、提督を見ているとお姉ちゃんが人形みたいで悲しい。お姉ちゃんだけを見ていればそんなことはないのだけれど、今度は逆のようにも見えてくる。提督もまた人形のようだと。それもまた悲しくて、私はお姉ちゃんの回復を喜ぶ一方でこの構図に痛みを感じていた。
このままで、いいんだろうか。
●
急速に回復しつつあるお姉ちゃんに対して、提督はもっとボロボロになっていった。今度は肋骨を折ったらしい。瑞鶴さんもついに右手を骨折した。そこで1日だけ、私が瑞鶴さんの代わりに提督の介護をすることになった。慣れているから。私達艦娘は”修復”で傷が治るのは早い。骨折もせいぜいそのくらいで治療はおしまいだ。
お姉ちゃんのほうは、榛名と霧島、体の調子が悪くないほうがやってくれる。二人共ダメになったら、休みを取っている艦娘に代休を出すことで埋め合わせてやってもらう。緊急でそういう取り決めになった。
それで、妹達の代わりが必要なときは、と夕張さんが買って出ようとした。けれど彼女は夜警部隊のリーダー格の一人だ。だから提督にそれは却下された。仕事量が多すぎる、と。夕張さんには多分、お姉ちゃんへの純粋な好意、それと下心があるんだと思う。彼女はきっと手を出したりしないだろうけれど。……何より、提督が多分ものすごく怒ってしまうと思う。あの人はお姉ちゃんを誰にも渡したくないから。お姉ちゃんを自分のモノにしていたいから。結局、昼戦がないときは暇を持て余している雪風が任されることになった。彼女も、それを拒むことはなかった。
……朝。提督の私室の前で、私はそんなことを考えている。
お姉ちゃん。大丈夫かな。榛名、霧島、雪風、大丈夫かな。
ノックを三回。
「失礼します……」
「入って」
返事のあと、私はドアを開けて入る。
包帯と湿布だらけでボロボロになった提督が、リクライニングベッドに背中を預けている。裸にそれだから余計に痛々しい。右手の指でタバコを挟んで茫漠としていた。痛いだろうに、日課なのかやめようとしない。
……煙草を吸う人とはあまり接してこなかったから、煙草の煙が少しつらい。臭うというか、多分私には合わないんだと思う。胸が少し重く感じた。
少し緊張しながら、私は
「おはようございます。じゃあ、その、始めます」
「おはよう、比叡、よろしく頼みます」
提督の挨拶で、私は提督の着替えの介助を始める。
一応正気のような、そうじゃないような瑞鶴さんから説明は受けている。本当に、よく取り繕っていると思った。最近の独り言の酷さを知っている私からすると、ものすごく不思議だった。気味が悪い。何かの前触れみたいで。
彼女は明石さんから指の骨の固定を受けて、それから”ドック”に向かうところだった。その前に、決まったことを伝えに私の仕事場、資料室に来て説明を受けた。明石さんとも相談して、簡単な絵を書いてもらったり練習もさせて貰ったりした。治す担当だから、どうすれば痛みが無いかをちゃんと考えてくれていた。それで、私は今日限りになると思う介護をこれから実行するわけだ。
手順はこう。
最初はリクライニングを平らに操作してもらって、それからベッドの縁に座らせてあげる。
今は左手が使えないからスカートだけじゃなくて下着から何まで服を着せるのには補助をする。湿布や包帯の貼替えは10時頃に明石さんが来てやってくれるそうだから、それに関して私は何もしなくていい。
スカートの着付けは一旦提督を寝かせてから、両足を持ち上げてから差し込むようにしてから巻いていく。
車椅子への移乗は俵を担ぐように腹周りを抱え、頭を右の脇に差し込むようにして支え、静かに持ち上げながら。左腕と肋骨が折れていて、提督本人が介護者に掴まれないからいつもとは少し違う方法なのだそうだ。どうしても多少胸が圧迫されてしまうけれど、そこはもう仕方ないから我慢してもらうことになった。提督は特に痛がったりしないだろうけれど、とも明石さんから言われているけど、わざわざ痛いようにする理由も私には無かった。
手順を総て実行して、車椅子に提督を乗せると、
「助かります」
提督は、そう言った。
……不思議に思っていたのだけれど、提督は仕事の時とそうじゃない時で口調が違う。軍人然として断定の多い語り口と、そうじゃない、まるでそう、女の子のような話し方……提督はそもそも女の人だけれど、それでもひどくギャップがある。可愛らしい、のだけれど。……子供のようだ。お姉ちゃんの食事の世話をする時にやりたがった時の強請る様などは、特にそうだったと思う。今考えてみれば。
人形で遊ぶ女の子。私は提督を、そういう風な目で見始めていた。けれど、お姉ちゃんは人形じゃない。たとえそれほどに綺麗だったとしても、人形じゃない。人間だ。提督は、お姉ちゃんを人間として見ているとは思えないのだ。
だから、
「提督。――――――お姉ちゃんは、人形じゃないんですよ。人形遊びのつもりなら……もう」
言ってしまった。
「え?」
それを聞いた提督は、たっぷりと間を持たせたあと、囁くような小さい声で。
「え?」
「ちがう」
ちょっと、待った。
この反応。私の言葉を明確に否定したこの言葉。
気付いて、居ないんだ。自分では分かっていないんだ。
こんな、ひどい、自分で自分が何をしているのか分かっていないんだ。
「気付いていないんですか」
「ちがう、私は、金剛を、あいしてる」
「人形として、なんですよ、それは……」
「ちがう」
やっぱり、分かっていない。でも、分かってほしい。この人が気付いていないならば、分からなくちゃいけない。この人が正直に言えと言ってきたならば、それは返ってこの人自身もこの人を知らなくちゃいけないということ。私は、言い続けることにした。
「提督、人形がお好きなんですよね。私、知ってしまいました。”お告げ”が来たんです」
「人形は、好き、好き」
提督はさっきから俯いていて、私の方は見ようともしない。
ぼそりと、私の言葉には答えたけれど。本当に、正直な人だ。隠していたというのに、もう隠そうともしない。
「それと、提督が、お姉さまを、お姉ちゃんを、人形として好きなことも」
「ちがう、ちがう、わたしは、金剛という人が好きなの」
首を振って、否定。それでも、私は正直に言う。
「そうじゃないんです、この”お告げ”は……未来予知じゃないです。ただの事実です。絶対なんです」
「ちがうの、愛してるの、金剛は、ひと、なの」
振る首は激しく、そして髪も振り乱して、右手で胸を掻き毟って。
それでも、言う。言わなくちゃ。
「あなたは、気付いていないだけです、気付かなくちゃいけないんです、あなたは、お姉ちゃんという人形で遊んでいるだけなんだって」
「ちがうの、いや、ちがう、ちがう、わたしは、ちがう」
「認めて下さい、そして、ご自分を知って下さい。あなたは、人を愛せないんです。人に優しくはできても、愛することは出来ないんだって」
「ちがう」
背を丸めて、右手で身を抱いて震えて、子供のようになって、彼女は声も立てずに泣いた。
そして、それっきり、黙った。すすり泣くだけ。
私は、正直に言っただけだ。……罰されることはないと思う。この人はそうしない。
提督は多分、言われて自分でも分かってしまったはずだ。痛いほどに、泣くほどに、理解してしまった。人形が好きな女の子が、人形のような人に見惚れて、それを手に入れただけなんだって。だから、きっとうまくいかない。きっと、おかしくなる。だから、私はそれを止めた。止めた。私は、正しいことをしている。こんなにも痛い胸がその代償なのだとしても。これは、きっと正しかった。真実、それは残酷なのだとしても。知らなくてはいけない。私はそう思う。
……提督はいつの間にか泣き止んでいた。
でも、何も言わない。
ただ俯いて、呆然としている。
だから、
「……提督?」
彼女を呼ぶ。
すると声に答えるように、彼女は顔を上げた。涙の伝う顔は、いつものように死んだ目で。
「仕事だ」
そう言って、私を置いて部屋を出て行った。
慌てて私も着いて出て行く。預かっていた鍵で提督の私室に鍵を掛けて。
執務室の前には、大淀さんが居た。瑞鶴さんから多分この役割を引き継いでいたんだろう。彼女は提督と私の顔を見て、少し怪訝な顔をすると、まずは敬礼。
「提督、おはようございます。提督の本日の業務は夜警部隊の報告の受理。これだけになります」
「分かった」
提督は淡々としてそれを受ける。私はもう用が済んでいるのだけれど、鍵を渡さなくちゃいけない。だから、まだここにいる。
「……どうか、されましたか?」
「何がだ」
「いえ、泣いてらっしゃったようですから、ほら」
提督は、右手で顔を一度拭うと、
「気にするな」
そう言って、執務室に入ろうとする。大淀さんはそれにドアを開けてあげた。私は、
「あの、提督、鍵です。鍵」
執務室に入っていく彼女の右手に、それを渡す。受け取ると、
「ご苦労」
そう言った。それだけ。大淀さんがドアを閉めると、私に話しかけてきた。こっそりと耳元で。
「……何か、あったの?」
聞かれて、私は思わず息を飲む。当然、聞かれるだろうとは思っていたけれど。私は、金魚みたいに口をパクパクさせて、それから息を吐いて、吸って、
「提督の、その、プライベートな問題に、触れてしまって」
「そう。……あまりここでは懸命なことではないと思いますけど。でも決してあなたは罰されることはないでしょうから。そこは安心していいでしょう。だから、もうそんなことしないように、ね」
「……はい」
私は、それだけ返事すると、彼女と別れた。
●
その夕方、治療の終わった瑞鶴さんは私に声を掛けてきた。
治療はもう終わって、提督の介護係に戻るということだった。様子は至極真っ当で、本当に恐ろしかった。なんであんなにも狂っているのに、こんなにも正気のふりをしていられるんだろう。そのあり方が、私には理解できなかった。雪風は言っていた。彼女の思考は壊れている。なのに、こんなにも真っ当だ。見る人が見ればおかしいと気付くのかもしれない、例えばお姉ちゃんとか、お医者さんなら。私の目で見る彼女は至極真っ当で、けれど冷たくて、でもそれだけだった。
多分、ものすごい精神力なんだろう。もはやおかしくなっている、そんな自分に気付いているはずだ。それを心の力だけで外側だけでも誤魔化している。……お姉ちゃんみたいな人だ。冷たさは提督に似ているようにも思うけれど、そういうところを見ると、まるで逆。でも、きっとそんなには持たない。
……私にはとても真似出来ない。私は言われたことをやるだけで精一杯。そんなに頑張れない。無理だ。でも、その無理を通している。だからきっと壊れてしまう。いや、もう壊れている。だから決定的にボロが出るのは近い。その前に手を打とうとしても、きっと提督の邪魔になるだけだ。
……提督は欠陥がある。提督は何かしら、人として重要なものが分からない。それが人を愛するということなのか、それともまた別のものなのか、それは私には判断できないけれど。ただ、欠けている。どうしようもないほど何かが欠けているのだ。
ここは欠けてしまった人たちで溢れかえっている。それらがどう巡り巡ったか、どうにか人らしくしていられるところがここだったのだ。それを作ったのは、お姉ちゃんであり、そして提督でもある。誰がそう差し向けたのかは分からないけれども、ここはそういう場所だったのだ。
提督もおかしかった。それでもう、私は理解できた。
私達は、ここしか居場所がない。提督も、お姉ちゃんも、瑞鶴さんも、私も、他の艦娘の皆も。
だから、叢雲さんは違ったんだと思う。だからここを出ることになった、出ることが出来た。
そうだ、ここでは逆に真っ当な人は生きてゆけないから。死んでしまうところから逃れたんだから、彼女は運が良かった。本当に良かった。別に居場所がある人はここに用なんてないのだから。
だから、きっとここはこのまま。
居場所がない人達の最後の生きる場所としてあり続ける。瑞鶴さんもここにあり続ける。タガが外れない限り。
提督も何一つ変わることなく、ここにいるんだろう。
……お姉ちゃんはこのまま良くなったら、どうなるだろう。もしかして、私達と離れ離れになるのかもしれない。だって元気なときはものすごく仕事が出来た。だから本当なら欲しい人材のはずなのだ。私達と違って。だからちょっと不安になった。
夕食の時間になっても、提督は食堂に現れなかった。お姉ちゃんのところにいるんだろうか、そんなことを考えていたのだけれど、多分その通りだと思う。……私があんなにも言ったのに、やっぱりお姉ちゃんで遊ぼうとしているのだ。相変わらずに。何一つ変わることなしに。
それに、むしろ私は安堵していたようにも思う。辟易していたとも言える。でも、どうだろう。
本当は、どう思っているんだろう。
なんだ。私だって、私のことが分かっていない。人のことは言えないな、と思った。
●
そして私が提督を介護した2日後の朝、明石さんから提督が自殺したと発表された。
お姉ちゃんの部屋で拳銃自殺。
その直前、ちょうど夕食の時間辺りに、食事が終わったら遺体を回収してほしいとの連絡が入っていたらしい。
そしてその体はもうすぐ運び出すとのこと。
私は、提督を――――――――死なせてしまった。
けれど、鎮守府は何も変わらず動いている。
権限を大淀さんと瑞鶴さんの二人で分け合って、手続きの不都合が起きないようにしている。
提督は全てを変えていった。
ここは確かに最後の居場所だ。掃き溜めだ。最終処理場みたいなところだ。
でも、それでも鎮守府が鎮守府として動いていけるように仕組みを作っていった。
皆それを理解しているから、何事も無かったかのように動くことにした。
そう、何事も無かったかのように。
居なくなったのが提督なら、居なくても大丈夫なようにしたのも提督だ。
……彼女は、役目を果たした。その期待するところに至ったのだ。やってきた理由の全てを果たして、そして、私にその愛を完全に否定されて、それを認めてしまって、死を選んだ。
なんてことをしてしまったのだろう。でも、鎮守府にとってなんてことでもないということに、私は驚いている。
これでよかったのかもしれないと、自分で自分を慰めているのかもしれない。
そして、横須賀ナンバーの車が遺体袋に入った提督の遺体を運び出した。
私達は全員で見送った。体面上、流石に提督の御遺体は見送る必要がある、そんな感じで。お姉ちゃんも久しぶりに制服を着て車椅子で出て来た。その時は私よりもうよっぽど顔色が良くなって、もうすぐ復帰なんじゃないかと思うくらいだった。
私達の誰ひとりとして彼女の最後の顔を見ることはできなかった。明石さんとお姉ちゃん以外は。私はその死に様については聞けなかった。お姉ちゃんは、ただ儚く微笑んでいただけだった。遺体にも、私にも。
優しい笑みだった。それが、不思議で仕方がなかった。
●
……で、10日も経たないうちに次の提督がやって来ることになった。
皆ビックリしていた。独り言が少なくなっていた瑞鶴さんも、ずっこけそうになっていた。一週間したら後任決定の連絡が来てしまって、その明後日にはもうその人が着くのだから。私達、執務室の片付けとか全然やってない。どうしよう。でも新提督からは『片付けの要ナシ』ということらしい。本当に放っといていいんだろうか、と思ったけれど。
昼頃に瑞鶴さんから連絡が入って、暇な私が正門まで迎えに行くことになった。居た。
新しい提督も長い黒髪。少し小柄な女の人だった。お姉ちゃんも提督も若かったけれど、それ以上に若そうだ。というか幼い気すらする。大きなスーツケースが体に不釣合いで、かなり苦労したんだろう。ものすごく疲れた様子。しかも私服だ。
「経費ケチるのも考えものねぇ。深夜バス、やっぱ地獄だわ」
複雑な顔になりそうなのを堪え、私はとりあえず敬礼して自己紹介をすることにした。
「金剛シリーズのタイプ2、”比叡”です、あの、あんまりお役に立てないと思いますけど……よろしくお願いします」
「あーはいはい、坂神中……じゃなかった、少佐でーす。これより大湊警備府に着任しまーす」
滅茶苦茶ダルそうな敬礼をしながら、彼女は名乗った。
「まぁ、前の提督の時みたくやっといてくれればいいから。マニュアル通りに」
そう言うと、彼女は煙草を咥えて火を着けて、司令部へとノシノシと歩き始めた。
……ここ、喫煙所と執務室以外禁煙なんだけどなぁ。
出戻り、出戻り、また出戻り!