拓海は、納車からわずか二日間で1000キロという距離を走破した。一晩中走り回って、気が付けば日本海側までたどり着いていた。
地名もわからない所で温泉に入り、ついでにおいしい寿司を食べ、そして箱根に戻ってきたというわけだ。
「……って訳です」
拓海は高橋にそう伝える。
「はっはっは。そりゃ、随分と思いっきり走ってきたな」
「んで、ついでにそこの地酒をお土産に買ってきました」
「お~、気がきくね~。あんた、良い嫁になれるぜ」
そのまま、地酒を受け取る。ラベルには、遠く離れた地名が刻印されていた。
「……随分と遠い所まで走ってきたんだな」
「ええ、さすがにちょっと眠たいですね……」
あくびをかみ殺しながら、拓海は答えた。
「だったら、そこのソファーで少し横になっておけ。一時間くらいなら、仮眠できるだろうからな」
「……そうさせてもらいます」
拓海がソファーで横になると、気が付けば意識は遠くなっていた。
「……ふぁ~……ん?」
次に拓海が目を覚ますと、きっちり3時間も経過していた。
「おー。ようやく起きたか」
作業は完全に終わっている様で、高橋はスポーツ新聞を読んでいた。
「やっとお目覚めじゃん。随分と寝てたね」
そして、もう一人の来客。講師役の山田も、ここに訪れていたのだ。
「……あれ? なんで山田さんが?」
拓海は目をパチクリさせる。突然の登場で、一気に目が覚めたようだ。
「俺と高橋さんは、古い知り合いなの。原田さんから色々聞いてたから、ここに来てるじゃんか」
山田は、当然とばかりに答える。
「……意外と世間は狭いんだな」
そう呟くと同時に、拓海は裏で色々手を回す美世に、心の内で感謝した。
「じゃ、ちょっと試走して貰っていいかな?」
「わかりました」
山田の提案に、拓海の首は縦に動いた。
軽く近所を一周してくるだけだが、ここで助手席の山田がちょっとしたトレーニング方法を教える。
「普段乗りの時でも、出来るトレーニングがあるじゃん。それをまず教えるよ」
「そんなのあるのか?」
「あるのさ。普段乗りから特訓。ダラダラ運転しない事が、ドラテク向上の秘訣じゃん」
山田は言い切った。
「……まず、そこの交差点で止まるんだけど。車を止める時に、ブレーキの動力を一定にして、停止線ぴったりに止めてみようか」
山田の指示に従い、拓海は一定の動力で止まる様にする。
しかし、Zは停止線から車体半分はみ出した。
「これくらいで良いとおもったんだけどなぁ……」
拓海は、そうぼやく。
「ま、最初はそんなもんさ。
でも、車が止まった後でも、特訓は続くよ。次は、エンジンの回転数をタコメーターを見ないまま、狙った回転数に合わせる」
「見ないまま?」
「そうそう。じゃあ……3000rpmにぴったり合わせてみようか」
言われた通り、拓海はメーターから視線をそらす。そこから、アクセルを少し踏んで、回転を合わせようとする。
「……これでどうだ?」
拓海は3000rpmと確信しているが。
「……3800rpmだね」
山田はそう言った。
拓海は同じアクセル開度のまま、メーターに視線を戻す。その結果は、山田の言ったとおりだった。
「あれ……?」
「俺の答えが正解じゃん」
山田は得意げに言い放つ。
「でもさ……。これ、何の為の特訓になるんだ?」
思わず拓海は聞いた。
「これは、正確なアクセルワークやブレーキングの為の特訓じゃん。
ハイスピードで走ってる時なんかに、メーターはいちいち見てらんないし、考えながらブレーキを踏む事もしてない。そういう時は、感覚に任せてペダルを踏んでコントロールしてるんだけどね。その感覚を養うためのトレーニングになるじゃんか」
「へぇ……」
拓海は、まだイマイチピンと来ていない。
「んじゃ、次に交差点を曲がろうか」
教習所の教官の様に、山田が指示を出す。
普通に交差点を曲がるだけなのだが、この動作でも特訓できる方法がある。
「まずね、ハンドルを切って曲がるんだけど、その後は目線を遠くに持っていくんだ」
「……目線を遠くに?」
「そうそう。車の運転は目で走らせるのさ」
「……目で?」
「運転って不思議なもんで、見た方向に車は動いていくんだ。だから、常に先を見るように視線を持っていく事。これが、意外と出来ないもんなのさ」
「そういえば、単車の乗り方教わった時、先輩も同じこと言ってたな……」
「そうそう。バイクでも車でも、運転する時は目線を先に持って行くのが鉄則じゃんか。目線を遠くに持って行けば、ステアリングの操作も自然とスムーズになっていくしね」
交差点を抜けても、続けて山田は次のトレーニング方法を伝授する。
「次だけど……あそこのマンホールの蓋を、左のタイヤで踏んでみよう」
拓海は言われるまま、左の前輪でマンホールの蓋を狙うが。
「……少し外れたね」
蓋の数センチ横をタイヤが通り抜けた。
「ちっ……外したか」
拓海はちょっと不満気だ。
「ある程度までは、車幅感覚はつかめてるみたいだね。
タイヤの通る位置がわからないって事は、車の幅が掴めて無いのと同じだからさ。もっと言うと、曲がりながらリアタイヤだけで踏めるようになれば、その車の車両感覚は完璧になるね」
山田はそこまでの解説を加えた。
「へぇ……思ったより地味なトレーニングですね」
拓海の感じた印象だった。
「まあね。特訓っていうと、峠や首都高何かをガンガン走りそうなイメージだけど、そんなトレーニングじゃ免許の点数が足りなくなるじゃん。
普段から、いかに上手く車を走らせるかを考える事も大事なのさ」
そう山田は語った。
近所一周を終えて、Zは戻ってきた。
「ま、ざっとこんな感じかな。他にも色々あるけれど、一般道でできるトレーニングはこんな感じかな」
「こんな風に走ってるだけでも、出来る特訓があるんですね」
拓海は感心しきりだ。
「まぁ、若い時に先輩に教わったやり方さ。運転の基礎を疎かにしてたら、絶対に上達はしないよ」
「……そういや、18の頃のお前の運転は酷いモンだったからな」
山田が答えると、高橋は横やりを入れた。
「高橋さん、それは言わない約束じゃん……」
バツが悪そうに、山田は言った。
「そうだったんですか?」
「…………まあね。
元々、俺は横浜で走り屋してたんだけどさ。高校の時のスタンドのバイト仲間でチーム作って、そこに入ってたじゃんか。
速い人も勿論居たけど、俺なんか全然遅くてさ。それこそ、今の向井さんの方が、全然上手かったよ。
車の知識も対して無い上に、お金も全然無い。そんで、初めて買った車は、解体寸前の10万円のシビックだった。SIRだからV-TECは付いてるけどオートマでさ、色々直しながら乗ってた。
でも、元が悪すぎて、結局半年後にはエンジンがぶっ壊れたんだ」
「へぇ~……。レーシングドライバーで活躍してるのに、最初は車はオートマのシビックだったんだ」
「ま、その時は車を手に入れる事が最優先だったからね。
次にもう一回シビック買ってさ。今度はちゃんとマニュアルでね。でも、シビックにある程度手に入った頃に、そのチームのリーダーが走り屋を引退したんだ。
元々、その人の人望で集まってたから、リーダーが居なきゃチームは成立しないって事で、結局チームはそのまま解散したんだ。
最後の方はメンバーも結構居たけど、そのまま走り屋を辞めた人もいるし、違うチームに移籍した人もいる。
俺は色々考えた末に、レース雑誌の編集部のアルバイトを始めたんだ。これが19の時かな」
山田は懐かしい思い出を語りながら、空を見上げた。
「そこから、どうやってレーシングドライバーになったんですか?」
「それは、成り行きで競技を始めたからかな。
編集部員になってから、シビックに乗ってるからって、ジムカーナに出る企画を始められたじゃんか。そこで、B級ライセンスを取って、ジムカーナの関東選手権に参戦し始めた訳さ。
そしたら、予想以上にのめりこんじゃって、編集部員で働きつつ24歳位までジムカーナを続けてた。
そうすると、他の競技にも出たくなってさ。ワンメイクレースに出たり、富士チャンピオンレースに出たりしてたら、本職が疎かになって左遷させられたじゃん。ま、自業自得だけどさ。
そんな時に、チームKSの菊地さんに声をかけられたんだ。スーパー耐久に出てみないかってね。俺自身も仕事の方で不満があったし、編集部員を辞めてレース活動に専念する事にしたんだ。
上手くいくか分からなかったけど、編集部員時代に作ったコネもあったし、レースの他にモータージャーナリストの方も始めたんだ。
最初は仕事が無くて大変だった時もあるけど、レーシングドライバーに専念してよかったと思ってる。
やっぱり車が好きだからさ。例え失敗してても、俺はこの選択が絶対に正しかったと思ってる」
晴れやかな笑顔で、山田は自分のシビックを見つめた。
「山田さん……。もしかして、そういう経験があるから、あたしにドライビングを教えてくれるんですか?」
拓海はそう聞くが。
「まぁ、それもあるけど……。男って基本は、女の子に甘いじゃんか」
「なんだそりゃ……」
山田にそう言われると、拓海は半分呆れた様子だ。
「ま、こいつも色々と経験してる訳よ。
こいつがレーサーとしてやっていけるなんざ、当時の仲間からすりゃ信じられねぇことだもんな」
高橋は、そうおちょくった。
同じ頃。
内藤自動車のガレージで、スープラは着実に作られていた。
「やっと終わったぜ……」
そう呟いた内藤。溶接用の遮光面を外したその顔には、疲労の色が濃く出ていた。
スポット増しをする時、溶接をしたい箇所の塗装をサンダーで落として、二枚重ねの鉄板の一枚だけに穴を開ける。その穴をアーク溶接機で塞いで、二枚の鉄板を張り付ける。
この作業工程で、スポット溶接一発分になる。これを延々と繰り返していたのだ。
「お疲れ様です。あとは、全塗すればボディは完了ですね」
補強の終えたボディを見ながら、美世はそう言った。
「そうだな。しっかし、2500発も打つと体にくるぜ……俺も年だな」
無精髭が蓄えられたあごを撫でながら、内藤はつぶやいた。
「これ、ロールゲージもワンオフですよね?」
「おう。クロモリ鋼のパイプを買ってきて、全部曲げたり切ったりして、現物で合わせて作った。大体16点式くらいじゃねぇか?」
内藤お手製のロールバーは、図面すら無い。
有効に剛性を確保する為に、現物で合わせながら組み上げたのだ。当然、モノコックとロールバーの隙間は、当て板が溶接で張り付けられている。
「さすがですね。それに、下で止めてるパイプと、天井のパイプの径が違ってますよね」
「ああ。上と下でパイプの径を変えて、なるべく天井側を軽くするようにしてみた。可能な限り、重心を下げる様にしたかったからな。
実際コンピューターでシュミレートした訳でも無いし、強度計算もしてない。ただ、コーナーウエイトが均一になる事と、ボディの歪みが均等になる様には考えて作った。
どれくらい上手くできてるかは、正直分らんけどな」
そう語りながら、内藤は胸ポケットからタバコを取り出した。
「んで、エンジンの方はどうよ?」
内藤は、火を点けていないタバコをくわえながら、美世に聞く。
「とりあえず、全バラシは完了です。あとは、メタルとパッキン類とガスケット類の新品を組むだけなんで……二週間あればベンチテストはできると思います」
ベンチテストとは、エンジンだけを始動させて慣らしをしたり、燃調のセッティングを行う事。エンジン単体の試験運転とも言える。
レーシングエンジンは当然として。一般に流通する市販エンジン等の試作品でも、同様のテストが行われる。
美世に進行具合を聞き、内藤は次の作業工程を模索する。
「そんなら、エンジンを載せるのはそいつが終わってからだな。
だったら、塗装して先にインパネ周りを作ってくか。ドラポジも、久永に全部合わせて全部調整する」
「……まるっきり、レーシングカーの製作ですね」
「そうだな……。俺のFCよりも、よっぽど考えて作ってる。迅帝に勝つためなら、このレベルで作るしかない」
内藤はそう言い切る。
翌朝。
久永は、事務所内でひたすら業務をこなしていた。企画書の作成に、得意先へのプレゼン用のデータの作成など、プロデュース業務は多岐に渡る。
事務室でパソコンを叩いていると、事務員の千川ちひろが出勤してきた。
「おはようございます、千川さん」
ちひろを見て、久永は笑みを見せて挨拶する。
「……お、おはようございます。久永さん、随分早いんですね」
ちひろは驚いた様子だった。何せ、一番に出勤してきたと思いきや、他の社員がすでに業務を始めているのだから。
「早くはありませんよ。単に帰っていないんです」
「…………」
久永の回答に、ちひろは言葉を見失う。
「あ、それとですね。
これが、営業先のプレゼン用のデータの入ったメモリーです。ユニットごとに分けておきました。
こっちが、テレビ出演用のオファーの企画書です。それと、こっちが雑誌のグラビア用の資料で、このファイルがファッション雑誌のモデルのオファーをまとめた物で……」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……。貴方、いくつ仕事を抱えてるんですか!?
これ、他のプロデューサーの倍の量は有りますよ!!」
ちひろは思わず声を荒げた。いくら久永が有能な人材とはいえ、出来る限度は限られている。
「良いんですよ。もっと増やしても良いくらいです」
久永は言い切った。
「で、でも……」
ちひろも、さすがに戸惑ってしまう。
「僕は、体が頑丈なんですよ。だから平気です」
久永は、まっすぐにちひろを見ていた。笑みを作りながらも、その眼光は剃刀の様に鋭かった。
時間とは、すべての人間に対して平等に分けられる。限られた時間の中で、他の人間の倍の仕事量をこなすという離れ業を、久永はやってのけているのだ。
ここ何日かは深夜まで事務所に居座り、仮眠室で三時間程度の仮眠。食事とシャワー以外の時間は、仕事と向き合うだけ。家にもろくに帰っていない。
「……ふぅ」
一つの仕事を一段落させて、久永は背筋を伸ばした。何時間も座りっぱなしで、体中の筋か強張っているのがよく分かった。
「……いて」
節々の軋みで、つい口から言葉が出ていた。
「相変わらず、無茶をする人ですね……」
呆れた様に声をかけたのは、真奈美だった。
「おはようございます、木場さん。今日も良い天気になりそうですよ」
全く内容の無い話題を返す久永に、真奈美はお手上げのポーズを見せてしまう。
「……他のアイドルや、プロデューサーの方々も言ってますよ?
久永さんが相当に無茶してるから、止めれないかってね。もっとも、物理的に手を出せば止めれなくも無いと、答えましたけどね」
「それは手厳しいですね」
久永は押し殺すように笑う。
「そこまでして無理をする理由を、聞かせて貰えませんか?」
真奈美は問い詰める。
「……そうですね。それでは、そこに隠れてる方にも出てきて貰いましょうか?」
久永は、ドアの方を見ながら言った。
「バレてましたか……」
そう言いながら入ってきたのは、夏樹だった。実に、バツの悪そうな顔をしている。
「やはり、久永さんは誤魔化せないか……」
真奈美は、ちょっぴり苦笑いを浮かべていた。
少し咳払いして、久永はゆっくりと口を開く。
「……単純に言えば、お金が必要なんですよ。
あのスープラを仕上げるためにね。もう、先行投資で貯金はほぼ残っていませんね」
「…………」
「……もちろん、それだけでは全然足りないですし、いくら必要かもわかりません。だけど、自分自身の目標が見つかったんです。その為だったら、いくらでも用意しますよ。
よく、口先だけで覚悟が出来ているなんて言葉を耳にします。ですが……本当に覚悟があるなら、言葉で出すよりも先に、行動に移すのでは無いかと。少なくとも、僕はそう思っています」
「……以前に話していた、伝説の走り屋の事ですか?」
夏樹の問いに、久永は頷いた。
「ええ。そうは言っても、僕自身のわがまま……自己満足ですよ。
一度でもスピードという麻薬にのめり込んでしまえば、二度と戻れないんです。
そして、女々しく未練を捨てきれない。辞めようとしても、結局は戻ってきてしまってるんです。
良いか悪いかと言う判断基準は無いんです。己の欲求を満たすためだけに、時間をお金を犠牲にしてる……。
結局のところ、僕はどうしようもないバカなのかもしれませんね」
久永は、あらぬ方向を見つめながら言った。
数日の間に、3S-GTEベースのレーシングエンジン、503Eはきっちりフルオーバーホールされていた。
(……ピストンやコンロッドは、百分の一グラム単位で重量が揃ってる。吸気ポートだって、綺麗に研磨されてる。インジェクターはシーケンシャル式だし、カムもバルブもバルブスプリングだって、高い精度が出てる。
大型のボールベアリングタービンだって、ガタの一つも無いし、ウエイストゲートの錆びだってない。保管状態は、極めて良好……。
さすが、ワークス仕様のレーシングエンジンだね……)
エンジンを組み上げた美世曰く、メタル類やパッキン類の補修部品を組んだ以外は何一つとして、手を出す部分がなかったとの事。
トヨタの3S-GTEをベースとしたレーシングエンジンは、幾つかの派生モデルが存在する。WRC用に転用された物や、JTCCで使用されたNA仕様。あるいは、F3専用に開発された物等、多岐に渡る。その中でも特にパワーを追い求めたのが、グループC様に開発された、社内通称コード“503E”である。
WSPCに参戦したグループCカーに搭載されていた3S-GTEでは、予選時のフルブースト仕様では700馬力近くを発揮。2.1リッターの4気筒エンジンとしては、驚異的なパワーを絞り出してた。
しかしその後、WSPC参戦車両はV8ツインターボが主流となり、3S-GTEはアメリカのIMSAに参戦したプロトタイプマシン、イーグルトヨタに搭載される事となった。
特に有名なエピソードとしては、1992年のデイトナ24時間レース。日産のR91CPが、制覇したこの一戦。日産の活躍が大きく取り上げられる事が非常に多いのだが。
実はこのレースでポールポジションを奪取したのは、503Eを搭載したイーグルトヨタマークスリーだったのだ。
その後、イーグルトヨタが参戦を取りやめた後、このエンジンは日本のJGTCに参戦したスープラに転用されたのである。
きっちり組み上がった503Eは、ファクトリーFUJIへと持ち込まれた。
あくまで一介の車屋である内藤自動車では、エンジンのベンチテストは出来ない。本格過ぎるテストは、きちんとした設備のあるレーシングガレージに持ち込むしかない。そこで、美世はファクトリーFUJIの代表、藤巻に協力を依頼したのだ。
「すいません、お手数おかけします」
美世は、藤巻に頭を下げる。
「なに、気にすることは無いさ。
俺自身もレース屋のはしくれだ。この手のレーシングエンジンは気になっちまってね。結構、興味があるんだよ」
藤巻は快くベンチテストを承諾していた。
「では……始めますね」
エンジンを始動すると、ベンチ室で3S-GTEが唸りを上げる。
ベンチテストでは、ある回転数で一定時間回して負荷をかける。その後、その回転数でもっともパワーの出る燃調を探し、そのデータをECUに記録させる。
このエンジンの場合のそれは、8500rpmまで500rpm刻みでセッティングを出していく。使用するECUはレーシングカーではお馴染みのモーテック製を選択した。
意外と地道で、時間もかかる。根気の必要な作業だ。
何時間かエンジンを回し続け、最終的にセッティングも決まったのだが。
「……こりゃ、大したもんだな」
データロガーを見て、藤巻は舌を巻いた。
「フルブーストでのピークパワーは、8000回転で799,2psか……」
美世も、その数値には驚きを隠せないが、同時に不安も覚えた。
「とは言え、かなり高回転型だな。パワーバンドが6500から8000までだから、ちょいと狭すぎる。これで乗りこなすのは、まず無理だろう。
ただ、どう頑張っても排気量の小ささからくる、低速トルクの不足は補えないな……」
藤巻は断言した。
排気量の小ささを補うために、高回転まで回してパワーを絞り出す故の、エンジン特性が出ている。俗に、ドッカンターボと言われる代物の特徴を強く示している。
「……いえ。これで、行きます。あたしに考えがあります」
鋭い視線で、503Eを見つめながら、美世はそう言った。