TCF本戦も、いよいよ佳境に入ってきた。トップグループは元より、各ポジション毎に激しいバトルを繰り広げていた。
このレースが人生の初レースとなる拓海は順調にラップを重ね、予選と変わらない12位をキープしていた。
その様子をピットで見守る、高橋と里奈。
モニターに映し出されたフェアレディZは、ダンロップコーナーを立ち上がった。
「……たくみん」
その奮闘する様子を見つめる里奈は、自然と握り拳を作っていた。
「……嬢ちゃん。今、あいつはあいつなりに必死に戦ってる」
「…………」
高橋の一言に、里奈は言葉を返せない。
「……お前さんがメッセージを送ってやりゃ、相当に背中を押せるんだぜ」
「でも……どうすれば良いぽよ?」
不安げに里奈が聞くと、高橋はニッと笑ってから、ピットウォールを指さした。
「こういうレースで、無線が無い時はな……サインボードって奴で、指示を送るのさ」
そう告げて、高橋は一つの言葉だけが記されたサインボードを、里奈に持たせる。あらかじめ、準備しておいたのだ。
「……わかった!!」
里奈は大きく頷いた。
最終コーナーを立ち上がったフェアレディZは、三周目に突入。拓海は目の前に走る、猛者達に死ぬ気で喰らいつく。
(……?)
ホームストレートを全開で駆け抜けていく時。不意に、自分達のピットが気になってしまった。
(……誰か立ってるのか?)
時速280キロで走りさる一瞬、ピットウォールに誰かが立っているのが分かった。
そして、里奈は拓海の乗るZへ向け、サインボードに書かれたメッセージを送った。
“GO↑”
たった一言のメッセージ。拳を振り上げて、里奈はアピールした。
(……おう!! わかってらい!!)
読み取った拓海は、前方を走るテールランプを睨みつけた。
トップを走る岩崎と、二位の久永。コントロールラインを通過した時点での差は、約1秒。集団を抜け出した久永は、一気にハードプッシュ。
コーナーを一つ抜ける度に、ライジングのR35を突き放していく。
(……は、速い)
遠ざかってゆくスープラのテール。これ程まで軽々とぶっちぎられる経験など、宮川の走り屋人生の中でも初めてだった。
(……何者なんだ!? あのスープラの男は!?)
全く無名の男に、ぶっちぎられる。
(……この俺も、まだまだという事か)
屈辱的とも感じる反面、若き頃の熱い気持ちも思い出していた。
そして、ライジングのR35を追走する美世。
(……あのモンスターを、完全に手なずけてる……。すごいね……)
久永の本気の速さに、美世は小さく笑みを溢してしまう。
(でも……あたしはあたしの走りをしなきゃね。まだ、レースは終わっていないんだ!!)
美世の次の標的、真紅のR35に狙いを定めた。
100R、ヘアピンと駆け抜け、岩崎のR34にジリジリと迫る久永。300Rでのスピードも、明らかにスープラの方が勝っていた。
セクター1、2だけで、その差をコンマ5秒近く縮めていた。
「すさまじい追い上げです!! 内藤自動車のスープラ!! 初エントリーでここまでの走りをするとは、誰が予想できたでしょうか!?」
実況席のボルテージも最高潮に達していた。
それは、ピットの中も同じだった。
「内藤さん。これなら、久永さんは絶対に優勝できますよね?」
夏樹は、興奮気味に聞く。しかし、内藤は首を横に振る。
「……どうだろうな。ちと、難しいかもしれねぇ……」
内藤は、誰よりも戦況を冷静に見定めていた。
「どうしてですか? 久永さんの方が、明らかに速いじゃないですか?」
夏樹は、内藤の言葉に納得できない様子だった。
「久永の方が、タイムは1秒近く速い筈だから、追いつくことは間違いなく出来る。
問題は……追いついてからだ」
「……追いついてから、ですか?」
その不気味な予言に、夏樹は首をかしげていた。
テクニカルなセクター3では、スープラは水を得た魚と同じ。コーナリング性能は、チューニングカーのレベルを超えていた。
(……近づいてきたな)
ミラーで見えるスープラのシルエットが、コーナーを抜けるごとに大きく映り込む。その様子を、岩崎はつぶさに観察していた。
(……あんまりこういうのは好きじゃないが)
岩崎は、ある事を決め込んだ。
(絶対に抑えさせてもらうぜ!!)
最終コーナーを立ち上がり、スープラはR34に肉薄している。
立ち上がりこそ離されるが、4速からの伸びはスープラの方が上回っていた。
(……よし!!)
久永はハイブーストに切り替え、スリップストリームの効く射程圏内に入った。ストレートエンドでのオーバーテイクを狙う。
ここで岩崎は、R34をイン側のラインにマシンを寄せるブロックラインを通る。
(……ここでは抜かせないぜ)
R34のテールにスープラのノーズが張り付いた。
二台がテールトゥノーズのまま、コントロールラインを通過。
「なんと、スープラのタイムは、1分41秒913!! 何という速さのファステストラップでしょうか!! 予選でも通用するタイムを、決勝で叩き出しました!!」
実況席の声に、観客もどよめきに似た歓声を上げた。
LAP4。
(……ガチガチのブロックラインだ)
岩崎は、インを全く開けないブロックラインで、久永を前に出させない。
(仕方ない……アウトからだ!!)
久永はアウト側からの、突っ込み勝負を試みる。もう一度、大外刈りを狙う。
(……甘いぜ!!)
久永も突っ込むが、岩崎もギリギリの超レイトブレーキングで前に出させない。
二台がサイドバイサイドのまま、1コーナーに飛び込む。しかし、インサイドをキープしたR34がラインでは有利。
(……だめか!!)
クリッピングポイントでは、R34のノーズが前に出る。更に、立ち上がりではアテーサの圧倒的なトラクションで、スープラにテールランプを拝ませる。
「すさまじい、1コーナーの攻防でしたが……ここは岩崎選手のR34が抑えました!!」
「……やはり、トラクションではR34が有利ですね」
ターボ佐藤のやかましい実況に、赤崎が静かに解説を添える。
「しかしですね……。恐らく、タイム自体はスープラの方が速いですからね。
抜く事が出来れば、間違いなく引き離せるでしょうね。もっとも……前に出られればの話ですが……」
「前に出られれば、ですか?」
不気味な菊地の予言に、実況は聞きただす。
「ええ……。コーナーリングはスープラの方が圧倒的に上回ってます。
ですが、ブレーキングからのコーナーへの突っ込み。つまり、クリッピングポイントまでのラインをブロックしてしまえば、GT-Rの武器である、立ち上がりのトラクションで引き離せるんです」
「なるほど……。こう言った場面での駆け引きやテクニックは、GTドライバーの真骨頂という事ですね」
「はい。
抑える事に徹した時のプロのドライバー程、手強い物は無いですよ。岩崎が、あそこまで徹底的にブロックする場面は、あまり見た事が有りませんから……」
菊地の言葉に、ターボ佐藤は思わず息を飲んだ。
カメラのワンフレームの中に、トップ二台が映り込む。
丸で、連結された列車の様に、テールトゥノーズでコカコーラコーナーを駆け抜けていく。
ピットのモニターを見ながら、内藤は呟いた。
「……やっぱ、こういう場面に持ち込まれたら、厳しいな」
「…………」
夏樹も、ジッとモニターから視線を離さない。
久永と岩崎。所謂、プロと呼ばれるドライバーとアマチュアのドライバー。両ドライバーの間で、一番大きな差になるのは“駆け引き”の上手さだ。
速さが求められる一発のタイムアタック等では、プロレベルの速さを披露するアマチュアドライバーも数多くいる。
しかし、実戦のレースとなると、速さだけではなく先行車を追い抜く技術も必要となってくる。
その場合、相手の速い部分、遅い部分を見極める事。そして、自分に一番有利な条件の揃った場面で、勝負を仕掛ける度胸。複合的に絡んだ要素を、一つづつ揃えなければならない。
久永は、あくまでも速いアマチュアドライバーであり、駆け引きよりも勢いで勝負できるストリートを主戦場としてきた。
プロレーサーと言う実戦で戦い続けてきた岩崎とは、天と地ほどの経験の差があるのだ。
事実、宮川や美世と言った実力者をあっさり抜き去った久永だが、岩崎には簡単に抑え込まれている。
タイムだけなら、久永の方が速い。しかし、例え相手より2秒速いタイムを出したとしても、抜けなければ負けなのだ。
100Rを抜け、アドバンコーナーのブレーキング。
ここでも、岩崎はインのラインを抑えて、久永を飛び込ませない。絶妙なブロックラインで、ブレーキング勝負になる事を封じ込めているのだ。
そして、立ち上がりでは、GT-Rのトラクションを生かし引き離す。
対して、スープラはテールが流れて、加速がワンテンポ鈍ってしまった。
岩崎の絶妙なバトルテクニックに、内藤は思わず舌を巻く。
「やっぱり、バトルとなると、あちらさんが上手だわな……」
「……って、感心してる場合じゃないですよ!!」
その言葉に、夏樹は思わず声を荒げていた。
「まぁ、焦んな……。駆け引きに関しちゃ、どう頑張っても久永に勝ち目はねぇ。
でもな……」
「……?」
「その為に、俺ら……チームクルーが居るんだろうが」
内藤は、ニヤリと笑った。
「内藤さん……」
「こっちだって、ただ見てるだけじゃねぇよ」
そう言い放ち、内藤は無線のスイッチを入れた。
「……久永、聞こえるか!!」
≪……聞こえますよ≫
「……良いか、兎に角プレッシャーはかけ続けろ。
ただ、無理に勝負を焦るなよ。下手に抜きにかかって、返って自滅したら意味がねぇ。特に、セクター3は抜き所が無いから、深追いはするな」
≪……そうかも知れないですけど……次で最終ラップですよ?≫
内藤の言葉に、久永は納得いかない様だった。
「だからこそだよ。
プレッシャーをかけ続ければ……オーバーテイクできるチャンスは来る。絶対にな」
≪……わかりました。やってみます!!≫
久永は、力強く答えた。
2台はセクター3の始まり、ダンロップコーナーに飛び込んでいく。
インを窺う久永のスープラに、抑え込む岩崎のR34。終盤にきての接近戦に、観客も関係者も、固唾を飲んで見守っていた。
「……多分、スープラはリアタイヤの限界は近い。今無理に仕掛けると、間違いなく自滅する。
もっとも、R34の方も、左フロントタイヤが相当に厳しいだろうけどな。
この最終ラップが、正念場になるぜ……」
内藤はそう言いながら、夏樹に無線用のヘッドホンを手渡した。
「内藤さん……」
「次にホームストレートに戻ってきたら、久永に声をかけてやれ」
内藤の狙いは、夏樹にはわからない。ただ、ほんの少しでも、目の前で戦っている久永の為になるのならと。
「……はい!!」
夏樹は、ヘッドホンを受け取った。
最終コーナーを立ち上がってきた、R34GT-Rとスープラ。二台とも、テールトゥノーズのまま、ホームストレートを加速していく。
岩崎は前の週と同様に、インのラインをガチガチに閉める。
(……手厳しいくらいのブロックラインですね)
しかし、久永もスリップストリームを狙って、同じ走行ラインをなぞる。
≪久永さん……聞こえますか?≫
無線から聞こえてきたのは、夏樹の声だった。
「……木村さん?」
≪……今の、久永さん。最高に……ロックです。久永さんだったら……絶対にトップになって、優勝できます!!
だから……。あと一周……カッコいい所見せてください!!≫
「木村さん……」
ワンテンポ呼吸を置いて、意を決した久永は断言した。
「絶対に……抜いてきます!!」
5LAP。
「TCF始まって以来の、激しいバトルが続いたまま、ファイナルラップに突入です!!
泣いても笑っても、最後の一周!! モンスターマシンを手懐けるドライバー達のラストスパートです!!」
ターボ佐藤の実況も興奮を抑えきれず、マシンガンの様に言葉が連射される。
「……岩崎が優勢だとは思いますが、スープラも勢いが有りますからね。この一周は目が離せませんよ」
「…………このまま、久永選手が引き下がるようには思えませんからね」
菊地も赤崎も静かに答え、チェッカーが振り下ろされる瞬間を見守るのみだ。
スリップストリームの恩恵を受け、ストレートでスープラがR34に迫る。
(……悪いが閉めるぜ!!)
しかし、岩崎はインを全く開けない。
(……もう一回アウトからだ)
久永は、前の週と同じように、アウト側に車体を振ってブレーキング。しかし、不利なラインでは、やはり前に出ることは出来ない。
(……ここは牽制)
もっとも、久永は承知だった。
2コーナーを全開で踏み切れるR34。ここはトラクションを生かして、トップをキープする。
しかし、岩崎はマシンの異変をつぶさに感じ取っていた。
(……やっぱり、フロントタイヤがタレてきてるな)
ハイパワーなチューニングカーは、基本的にタイヤには優しくない。まして、フロントヘビーなR34の場合は、フロントタイヤへの負担は非常に大きい。
(……ちょっと、ブレーキングで頑張りすぎてるからな)
続くコカコーラコーナー。
岩崎は、クリッピング付近で左足をブレーキペダルにスイッチ。左足ブレーキまでも駆使して、フロントに荷重を乗せる。
(こうなりゃ、なりふり構わない……)
なりふり構わず、使えるテクニックを全て使う。何が何でも、トップをキープするために、岩崎も必死だった。
ブレーキランプが頻繁に点滅する事を、久永は見逃さなかった。
(……おそらく、左足ブレーキを使ってる。やっぱり……向こうも苦しくなってきてるんだ)
久永のかけるプレッシャーは、確実に岩崎を追い詰めていたのだ。
(……リアタイヤがきつい。だけど……あと半周だけ持ってくれれば!!)
祈るような思いと共に、100Rに飛び込んでいくスープラ。
スープラの様なハイパワーFR。ましてや桁違いのパワーを得た代償は、ストレートの速さと引き換えにして、リアタイヤの消耗が極端に早いというデメリットも生み出す諸刃の剣だ。
そもそも、久永自身もタイヤのグリップをマネージメント出来るほどの、テクニックの引き出しは持ち合わせていない。
アドバンコーナー。ここのブレーキングで、二台が再び接近する。
半車身しか開けない、絶妙なブロックラインでR34がスープラを抑え込む。
(……くそ。どうやっても、インが開かない!!)
再三インを狙って仕掛けるものの、岩崎のインは全く開かない。これこそが、プロの妙技だ。
そして、ヘアピンの立ち上がりでは、再びR34が離れていく。
≪……久永!!≫
300R手前で、内藤から無線が飛んできた。
≪……いいか。俺からの最後のアドバイスだ。返事はしなくて良いぞ≫
そう言われた、久永は無言のまま聞き入れる。
≪……ドライバーが、一番油断する瞬間を狙うんだ。その場面で、奥の手も全部使い切るんだ……ブロー覚悟でな≫
内藤からの言葉に、久永はピンときた。
≪エンジンがブローしたら……また組んでやるからよ。覚悟決めて、アクセルを踏み切れ!!≫
内藤の言葉は、そこで終わった。
テールトゥノーズをキープして、ダンロップコーナーへ進入。
久永はインに振って牽制するが、やはりインが開かない。ここも岩崎が、ブロックラインで抑え込む。
立ち上がりの加速で、再びR34が離す。丸で、リプレイでも見ているかの様に、同じ展開で抑え込まれる。
しかし、内藤のアドバイスのおかげで、久永はある一点を狙いすます事に決めていた。
プリウスコーナー、ネッツコーナー。ここでも、テールトゥノーズのまま。糸でつながった様に、2台は連なってコーナーを立ち上がる。
残すは、最終のパナソニックコーナー。
(……次さえ抑えれば……勝てる!!)
岩崎は、イン側を抑えブロックラインでブレーキング。
(……ここだ!!)
しかし、久永は思いっきりアウト側から、コーナーに飛び込んだ。
ブロックラインをトレースする分、R34は立ち上がりでアウトに膨らんでいく。
そして、久永はあえて外からの進入で、クロスラインを取った。
交錯する2台のライン取り。立ち上がりで、初めてスープラが、R34のインに食い込んだ。
(……立ち上がりはこっちの方が上だ!!)
2速全開。アテーサETSが、リアだけで受け止めきれないパワーを、フロントタイヤに伝える。
そして、3速。岩崎は、ここで最大加給圧の2,0キロのスクランブルブーストを使用した。
クロスラインを取って、並びかけたスープラ。
しかし、2速の立ち上がり。トラクションはR34に敵わない。
(……頼んだよ……相棒!!)
そして、3速。
久永は、マックスブーストの2,5キロ。更に、ナイトロをフルショット。
「……ッ!!」
奥の手とは、内藤の言葉の如く、全て使い切る事。
美世が言っていた言葉が、不意に久永の脳裏にフラッシュバックした。
計算上は“1000馬力”を超える、と。
その加速は、丸で異次元にワープしているかの様だった。
強烈な加速Gが、久永の体すべてをバケットシートに押し付ける。
久永は、アクセルをべた踏みのままシフトレーバーを引っ張って4速へ。
(ドライバーが一番油断する瞬間は…………勝利を確信した時だ!!)
岩崎は、横目で右ウインドウに映る、スープラのシルエットを見た。
(……嘘だろっ!?)
950馬力のGT-Rに並びかけてくるそのマシン。
4速9000rpm。
岩崎もアクセルをべた踏みのまま、5速へシフトアップ。
久永も、全開のまま5速へ。
「最後で並んだ!! 最後でスープラがGT-Rに並んだ!!」
実況席で、ターボ佐藤は叫んだ。
両ドライバーの瞳に、コントロールラインが見えてきた。
2台が並走したまま、チェッカーが掲げられる。
(……頼む!!)
そして、6速へ。
RB26と3S-GTE。
2つのエキゾーストが共鳴しあったまま、チェッカーフラッグが振り下ろされた。
(……どっち!?)
無我夢中で踏み切った久永は、前なのか後ろなのか分からない。
(…………どうなんだ!?)
それは、岩崎も同じだった。
並んだままのチェッカー。どよめいていた観客たちが、一斉に静まり返った。
息を飲んで、その結果が出る瞬間を待つしかなかった。
「並んでゴールした2台ですが……その結果は……」
コントロールタワーから、モニターに正式な結果が映し出された。
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1st 内藤自動車 スープラ 8:46:138
2nd ファクトリーFUJI R34 +0.032
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「何と……その差は百分の三秒……僅かコンマゼロ3秒の差で……内藤自動車のスープラがTCFを制しました!!!!」
実況が勝者の名前を高らかに宣言した時、歓声と拍手が同時に沸き起こっていた。
≪久永ぁ!! 勝ったぞー!!≫
興奮した内藤の言葉が、無線から大声で聞こえた。
「……え? 勝ったんですか……?」
全く実感の無い久永は、半信半疑だった。
≪ああ……百分の三秒でな!!≫
百分の三秒。
「百分の三……ははっ……」
ほんの僅かな差が、天と地ほどの差を生み出していた。
「……勝った…………勝ったんだ」
クーリングに入ったマシン。コクピットの中で、久永は何度も何度もガッツポーズを繰り返した。
岩崎は、横に並んだスープラに視線を移した。
ガッツポーズを見せるドライバーの影が見えた時、その結果を理解した。
「負けたのか……」
その瞬間、大きくため息を吐き出すしかできなかった。
2台が並んだウイニングラン。
「最後の最後での大逆転……。劇的な幕切れでした。
しかし……ここまで熱くなれるバトルを見せてくれた両ドライバーに、心から拍手を送りたいです。
本当に素晴らしいバトルでした!!」
ターボ佐藤の言葉の通り、グランドスタンドは拍手が鳴りやまなかった。
「……本当にすごいバトルでしたね。きっと……今日の敗北は、岩崎にとっていい経験になったと思います。
そして……勝者となった、久永選手。彼は、本当に素晴らしいドライビングを披露してくれました。本当に、ありがとうと言いたいですね」
菊地は、賞賛を惜しまなかった。
「…………ここまで盛り上がるとは思いませんでした。
来年は……選手として参加したくなりましたよ……」
最後に、赤崎がそう言葉を添えた。
ウイニングランを終えて、スープラがピットに戻ってきた。その姿が見えると、夏樹と内藤が大きく手を振っていた。
ピットエリアにマシンを止めて、ドアを開けて右手を差し出すと、夏樹ががっちりと両手で握り返した。
「……久永さん。やりましたね!!」
「ええ……。でも、さすがに疲れましたよ……」
久永は疲労困憊していたが、バイザー越しに見えるその瞳は、満足感に満ちていた。
「……良い走りだったぜ。手間暇かけて、作った甲斐があったってもんだ」
内藤は、労いの言葉をかけながら、4点式のシートベルトを外す。手を貸りながらマシンから降りる久永は、一人では立てないほど疲れ果てていた。
やっとの思いでヘルメットとグローブを外す。
「でも……最高の気分ですよ」
久永は、晴れやかな笑みでそう答えた。
チェッカーを受けた、各マシンが続々とピットに戻ってきた。
拓海も、初レースを無事完走し、ピットにフェアレディZを滑り込ませた。
Zから降りると、まず出迎えたのは里奈だ。
「おつぽよ☆ たくみん、良い感じで走ってたじゃん!!」
興奮冷めやらぬ里奈は、拓海に駆け寄った。
「初レースで、ここまで走れりゃ十分だ。良い走りだったぞ」
続いて高橋にそう言われた時。拓海は深く最敬礼した。
「高橋さん……ありがとうございました」
しかし、高橋は何時もと同じ様に、飄々としていた。
「礼なんざ、言われるまでもねぇさ。
さて……仲間の表彰台でも、ゆっくりと見ようじゃないか」
高橋に言われ、拓海と里奈は隣のピットに視線を向けた。
そして、遠目から内藤自動車のピットを覗き見るドライバー。
「…………」
岩崎は、複雑そうな表情を見せていた。
「悔しそうですね?」
不意に後ろから声をかけられ、岩崎は振り返った。
「原田さんか……」
美世だとわかると、岩崎はそっぽを向いて自分のピットに戻っていった。
(……ま、負けず嫌いは皆一緒だもんね……あたしもだけどさ)
美世は、心の内を察したのか。それ以上は何も言わなかった。
(ちぇ……。次は負けねーぞ……)
小さくつぶやいた岩崎は、何処か晴れやかな表情を作っていた。