SAO.DPver-Nightmare of Heathcliff- 作:千年鉱夫
Prologue
1人の騎士が遥か地平線の彼方、青き天空と白き雲海の果て、世界の王が座すかのような鉄と岩の城を望んでいた。
彼は馬で野を駆け、城を目指す。しかし、幾多の夜を越え、太陽と月が巡り続けようとも城に赴く事は叶わない。
やがて騎士は息絶え、その甲冑は錆びつき、盾は砕け、剣は折れた。愛馬は主の死を嘆く。
「……嗤えないな」
覚醒。茅場晶彦は闇を裂く稲光、大気を震えさせる雷鳴、そして窓をたたく豪雨で目を覚ます。
軽い仮眠のつもりが思いの外に夢の世界に囚われてしまっていたのだろう。暗闇の休憩室のソファにて寝そべっていた茅場を同僚が見かねたのか、彼の体には薄い毛布がかけてあった。
酷い悪夢だった。普段の彼を知る者ならば目玉が飛び出す程に憔悴し、また動揺した茅場はふら付く足で立ち上がる。
休憩室とは名ばかりで、実質は泊まりの社員用の寝室だ。寝袋や食料が詰め込まれ、足の踏み場などないに等しい。洗い場には山のように食器が積まれ、冷蔵庫はカロリーが高い飲料水が占領している。隅にはもはや腐敗が始まったかのような洗濯物の塊がある。
現在、アーガスは社運をかけた、そしてナーブギアの未来を担うVRMMORPGである『ソードアート・オンライン』のβテストの真っ最中である。本サービス開始に向け、日々を調整に追われる社員たちは精根尽きる寸前だ。それでも夢にまで見た、真なる仮想世界の完成へと向けて欠片の妥協もしない。
休憩室から1歩出れば、茅場は仮面を被らねばならない。仲間と共にSAOの完成の為に万進する『萱場晶彦』に戻らねばならない。
膝から力が抜け、茅場はソファに座り込んだ。その瞳に生気はなく、まるで亡者のように虚ろである。
「私は……迷っているのか?」
あり得ない。そう断言できる自信が茅場にはある。
この世の誰も知る由がない計画を茅場は生涯をかけて、まるで王将をじわじわと歩で嬲り殺しにするように進めてきた。両親を含めた彼本人以外は1人として知らない、赤の他人からすれば狂気の沙汰としか思えない計画だ。
SAOの本サービス開始、その初日に茅場は約1万人の無実のプレイヤーを仮想世界に幽閉し、100層にも及ぶ巨大な仮想世界にして彼の夢の形である『アインクラッド』という世界を完成させるのである。
その理想、あるいは妄執に何故憑かれたのか、それは茅場本人にも解らない。だが、彼には少なくとも法や道徳にも勝る願望であることは間違いない。
しかし、茅場も人間だ。また他人の命を虫けら同然に扱う冷血漢でもないのである。心があるのだ。
今現在、茅場は間違いなく死力を尽くしてくれている同僚たちを、仲間を裏切っている。彼らの夢はあくまでSAOという仮想世界の創造であり、茅場が望む『もう1つの世界』とは異なる。あくまで現実の延長線にある、データ上の世界を彼らは生み出す事に躍起になっているのだ。
そして1万人以上の人間の運命を狂わせる。それがどれ程の大罪であるのか、茅場は十二分に自覚している。その上で計画を遂行する事に微塵の躊躇いもない。
ならばあの悪夢は何を意味するのか? 雷鳴が轟き、雷光が茅場を照らす。まるで茅場を愚者だと嘲うかのように。
「考えてもしょうがないか」
もう何日も剃っていない顎には無精髭が生えている。目の下にも酷い隈がある。髪もボサボサだ。今の茅場は浮浪者と見間違われても仕方ない姿である。
βテスト終了まで間もなくだ。そうなれば1度心身をリフレッシュすれば良い。茅場は強引にそう己を納得させ、休憩室から出た。
次の瞬間には茅場はナーブギア開発者にしてSAOをプロデュースする天才として皆の前に登場する。名声にも富にも興味がないが、少なくとも肩書きは絶対なる信頼と尊敬を集めてくれる。そうなれば計画の遂行も容易い。故に茅場は『萱場晶彦』という人間を演じねばならない。
「茅場さん。もう大丈夫ですか?」
「ああ。悪いな。私だけ休ませてもらって」
「構いませんよ。というかちゃんと寝てください。もう4日も寝てなかったでしょう? 茅場さんに倒れられたらSAOは終わりなんですから」
「……ああ。せいぜい自愛させてもらうよ。それよりも報告を頼む」
休憩室から出るなり、痩身の青年が茅場に駆け寄ってくると挨拶し、現状を伝える。
βテスト中にするべき事は山ほどある。前代未聞のVRMMORPGだ。ソードスキルの威力、アイテムのリポップ率、難易度調整……いずれもβテスターから得られる貴重なデータを元に改善・改良を進めるのだ。
「まず第1層のボス、イルファング・ザ・コボルトロードについてですが、バーサーカー状態時の武装はタルワールから野太刀に変更すべきという案が出ています」
「理由は?」
「はい。この時点ではまだエクストラスキルの『カタナ』は出現しません。あえて第1層のボスに使用させ、新規プレイヤーにエクストラスキルの存在に触れさせ、また興味を惹かせるのが狙いです」
「なるほど。その案でいこう。難易度調整はキミに任せる」
痩身の青年にゴーサインを出し、茅場は現場で今にもオーバーヒートしそうな社員たちの顔を眺める。現時刻は深夜2時だが、βテスターの過半数がリンクしている状態である。もちろんβテスターには社会人も過分に含まれている為、昼間は仕事、夜間はゲームという生活スタイルも別に珍しくはない。だが、それらを抜きにしても異常であると言えるだろう。
中毒状態。茅場は顔を合わせた事もないβテスターたちの心理状態を正確に把握する。
あらゆる意味で精神性を失い、色彩を失った現代において、SAOのような仮想現実は現実よりも現実らしい、生きた実感を与えてくれるに違いない。彼らは既に何時間、下手すれば何十時間も仮想世界に潜り続け、自分の生を認識するのだ。
尤も、それは帰るべき現実があるからこそとも言えるかもしれない。
「それと手紙が届いてましたよ」
「手紙?」
思い出したかのように書類とファイルで埋め尽くされたデスクの引出から痩身の青年は封筒を取り出す。
これまでファンレターを貰ったことは多々ある茅場は特に驚きもしなかったが、同時に違和感を覚えた。今の主流は電子メールだ。ファンレターにしてもアーガスのホームページに送られるはずである。また、茅場の激務に配慮すれば、わざわざ1通のファンレターを手渡ししたりするだろうか?
封筒を受け取った茅場は面を食らう。それは蝋封された、まるでヨーロッパ貴族が送るような昔ながらの封筒だったからだ。
(筆記体の英語か。使用したのは羽ペン。本格的だな。貴族のつもりか)
ペーパーナイフを手に、茅場は痩身の青年を見送ると封筒を開封する。
(今度はロシア語か)
思わず唇の両端が吊り上がる。日本にロシア語を淀みなく解読できる人間は数える程しかない。英語や中国語よりも圧倒的に日本では使用価値が薄いからだ。
この手紙の送り主は茅場以外に内容を知られる事を警戒している。そして、彼ならば問題なく手紙を読むことが出来ると確信している。
事実として茅場はロシア語を習得していた。言語に興味があったわけではなく、ナーブギア開発の息抜き程度の気持ちで学んだものだ。彼のちょっとした特技でもある。
茅場がロシア語を習得している事を知る者は限られている。そうなると手紙の送り主は存外親しい知人だろうか? あるいは彼女……神代凜子が何かしらの見当違いなユーモアを働かせたのだろうか?
途端に茅場は僅かに瞳に暗い色を宿す。
繰り返すが、茅場は冷血漢ではない。確かに興味の対象外と必要以上の関係や接触を持つ事に積極的ではなく、またメディアへの露出も極力控えるなど世間を疎ましく思う傾向はある。だが、少なくとも殺人や虐殺を肯定する程に精神が狂っているわけではない。少なくとも生命の重要性や最低限の常識や情緒は備わっている……と本人は自己評価している。
神代凜子。世間一般で言えば茅場にとって恋人と言える存在であり、彼自身にとっては数少ない真に気が休まる人間だ。愛情があるのかと問われればフェルマーの最終定理に挑んだ数学者並みに一生をかけて頭を悩ませねばならないだろうが、彼女は自分を愛しくれているのかと問われれば即座に肯定できるだろう。
茅場の計画によって運命を狂わされる人物、その中でも特に加害者の立場となる危険性が高い、唯一彼がこの計画の上で安全の配慮をしている女性。それが神代凜子だ。
茅場の計画通りに進めば、必ず凜子は彼の居場所を突き止めるはずである。それだけの関係が彼女との間には構築されている自信がある。
殺しに来るはずだ。そして、彼女に自分は殺せないはずだ。自分でも滑稽に思えるほど、あるいは自惚れも過ぎると自嘲したくほど、茅場は彼女の行動を予想できる。
思えば、どうして自分は彼女と付き合う事になったのだろうか? 異世界の具現化という狂気に魅入られ、食欲や物欲も性欲も半ば存在しないに等しかった青春で、彼は何を彼女に求めていたのだろうか? あるいは何も求めていていなかったからこそ、彼女が傍にいる事に何ら感慨を抱かなかったのだろうか?
考えても仕方ない事である。もはや計画は最終段階だ。茅場の生涯の目的は間もなく果たされる。この渇望が満たされるのだ。諦める理由はなく、また諦めるに足る要因もない。
だからだろう。茅場は手紙の内容に、恐らくは生涯初めての確固たる恐怖を覚えた。死すらも自身の精神を揺るがすに値しないと言い切れる男が僅か数行の文字列に血の気が引いた。
『私は貴方の計画を知る者です。是非とも会って話がしたいのですがいかがでしょうか、ヒースクリフ殿?』
ヒースクリフとは茅場が計画の為に準備しているアバターの名前だ。もちろん彼以外には知る由もない情報だ。また、計画の事も誰にも喋っていなければ、明文化もしていない。計画書は彼の頭の中以外には存在しない。
いや、計画を察知する方法は1つだけある。SAOからのログアウトを不可にし、HPがゼロになった時にアバターの消滅と同時にプレイヤーの脳を破壊するマイクロウェーブをナーブギアに放射するプログラムだ。アーガスの職員は優秀だ。不自然なプログラムがあれば必ず見つけ出す。そこで茅場は計画実行直前にインストールすればいいと判断し、まだ件のプログラムは厳重に保管している。暗号化はもちろん、パスワードも多重にかけられている。無理に開示すれば即座にプログラムはデリートされ、なおかつ彼お手製のコンピュータウイルスが解き放たれる。物理的にも電子的にも入手は困難のはずだ。
手紙には待ち合わせの日付と指定時間と場所が書かれている。脅迫の類は一切なく、また拒絶しても計画について漏洩する意思はないと文章が宿す雰囲気が語っている。そもそも証拠でもなければ茅場の計画に信憑性などない。せいぜいネットで1日話題になれば良い方だ。
だが、茅場はこの手紙を無視するつもりはなかった。それは計画を確実に遂行する為ではなく、手紙の送り主がいかなる手段で彼の計画を知るに至ったのか興味があるからだ。
後に茅場晶彦はこの選択こそが自分にとって大いなる分岐点だったのだと理解する。
そして後悔したのかもしれない。
この手紙を無視ししてれば、
選択さえ誤っていなければ、
自分の夢は叶い、アインクラッドを舞台にしたデスゲームが開始され、いつの日か英雄に倒される日が来ることを待ちわびることが出来たかもしれない。
そう……後悔したのかもしれない。
こんにちは、千年鉱夫です。
この二次創作ではSAOの核心部分を担う重要キャラクターの茅場晶彦を主人公にしたものです。原作でも彼の内面や思考、本音を語る部分は極めて少ない彼を救済するわけでも断罪するわけでもない、純粋に彼をメインに据えた物語を展開したいと思います。
誤字脱字の指摘、感想、要望などがありましたら、遠慮なくどうぞ。
※原作キャラクターは一通りだす予定です。特に男前なクラインさんを早く出したいですね。