SAO.DPver-Nightmare of Heathcliff- 作:千年鉱夫
それは無限に続く階段だった。騎士はその節々より血を流し、純白の階段をべっとりとした紅で染めていく。
息が上がる。肩を貫く矢や折れた右腕が神経を焼き尽くす。それでも騎士は帰郷への旅路のように、一切揺らぐ事のない眼差しで階段を上り続ける。
やがて騎士の前に荘厳なる青銅の両開きの扉が立ち塞がった。36匹の獅子と36羽の鳩、36人の騎士、そして中央には1体の巨大な悪魔のレリーフが施された、美術品と呼んでも差し障りのない扉だ。
騎士は震える左手で扉を押す。だが、いくら力を籠めようとも巨大なる青銅の扉は微動もしない。血溜まりが騎士の足下に広がるばかりだ。
『愚か者。愚か者。愚か者め!』
レリーフの1つ、悪魔がその口を歪ませる。騎士の血を啜って目覚めたかのように、その双眸は赤黒く光っていた。
『お前は鍵を持っていない。鍵を持たぬ者は先へは進めない。鍵はこの扉の先にしかない。お前は決して入れない!』
悪魔の高笑いが騎士を呪ったかのように、彼は片膝をついた。だが、その左手は決して扉から離れることない。
渇望だった。騎士はこの先にある『何か』、あるいは『誰か』を求めて旅を続けたのだ。
叫ぼうとした。だが、既に騎士の喉は血で固まり、声は失われていた。
誰かが肩を叩く。もう旅は終わったのだと。だが、騎士は振り返って否と答えようとした。まだ始まってすらいない、と。
「お客さん。着いたよ!」
またか。茅場はタクシー運転手の元気に溢れた掛け声で目覚める。
本来は眠りが浅く、惰眠などとは無縁のはずの茅場であるが、最近は気を抜けば異常な睡魔に襲われる日々を送っていた。
お世辞でも座り心地が良いとは呼べないタクシーの席であろうとも、一瞬でも油断すれば例の悪夢の世界に引き摺り込まれる。
騎士が岩と鉄の城を目指し、旅を続ける夢だ。必ず騎士の願いは成就せず、冷たい末路が訪れる悪夢だ。
タクシーの運転手に代金を支払い降りた茅場は顎を撫でた。今の彼は普段の彼らしくファッションを気にしない、ほぼ全てが凜子によってコーディネートされた服装である。そして伸び放題だった髪は整え、髭も綺麗に剃ってある。隈だけが唯一残っているのは、ようやく昨日を以ってSAOのβテストが終了した名残りだ。
まだβテスト終了にも関わらず偉業を成し遂げたかのような雰囲気のアーガスを抜け出し、自宅のマンションで身なりを整えた茅場は件の手紙の送り主との待ち合わせ場所へと急いだ。意図しての事だろう。待ち合わせの日付はβテスト終了の翌日だったのだ。
だが、どういうつもりだろうか? 茅場は彼らしくない程に眉を顰める。
「回転寿司か。長い事食べてないな」
待ち合わせ場所は全国チェーンの回転寿司屋だった。時刻は午後7時を過ぎている事もあり、子連れの家族客も多い。
緊張はない。だが、油断はしない。茅場は自動ドアを潜ると指定された席へと赴く。背もたれのない丸椅子が並ぶカウンター席、その1番奥が待ち合わせ場所だ。
「あれって茅場晶彦じゃない?」
「え? 誰それ? 有名人?」
恋人同士なのだろう。若い男女の客の内、男の方が茅場に気づく。だが、女の方の反応は薄い。それも当然だ。ゲーマーからは半ば崇拝にも近い認知を誇る茅場であるが、メディアへの露出はほぼ皆無であり、世間一般で言えば少しばかり名のあるゲームプログラマー程度である。
男が立ちあがって握手を求めるよりも先に茅場は早足で指定席に向かう。正直な話、SAOのアピールでもなければ雑誌のインタビューなど死んでも受ける気はなかったのだ。
と、そこで茅場は奇妙な事に気づいた。
現在、回転寿司屋は時間帯もあってか繁盛している。予約票は埋まり、駐車場は満席同然だ。席が空くのを待つ客で溢れている。
にも関わらず、茅場の足は自然と指定席に進み、そして目的地は他者を拒むかのような1つの空席があった。
「君か。私に手紙を送ったのは」
怒りでも憎しみでもない、純粋なる好奇心を胸に茅場は確認を取る。空席の隣に腰かける1人の男を見下ろす。
それは回転寿司屋よりも高級ホテルのレストランの方が相応しいだろう、金髪の青年だった。腰まである柔らかそうな長い髪を三つ編みにし、黒のスーツの青のネクタイをした、まさに現代の貴族といった風貌の男である。
外見は20代前半、あっても半ばだろう。だが、その雰囲気は悠久の美を誇る骨董品のように時間の概念が彼には存在しない事を嫌でも理解させる。
「《やあ、カヤバくん。時間ぴったりだね》」
今度はドイツ語か。まるで語学試験を受けている気分になりながら茅場は無言で空席に腰かけ、そして目前を通るマグロの皿を手に取る。
「《君が手紙の送り主か》」
「《肯定するよ。そして賞賛する。見事なフランス語だ。発音も綺麗だね。留学経験があるのかい?》」
「《SAO開発の際にヨーロッパは一通り旅したよ。実物から得られるインスピレーションは無視できない。写真や映像も悪くないが、やはり肌で感じれるものは別格だよ》」
「《ははは。仮想空間の生みの親が言うと重みが違うね。あ、そこの鯛を取ってくれるかい?》」
「《どうぞ》」
「ありがとう。カヤバくん」
鯛の皿を受け取った男は淀みのない、ネイティブ同然の日本語で感謝を告げる。それを日本語で会話する事の了承だと受け取った茅場はイクラを咀嚼し、何から会話を切り出すか思案する。
「君の事は何と呼べばいい?」
結局は妥当な自己紹介から始める事にした。相手は茅場について大よそ以上に把握しているかもしれないが、彼は男とは初対面だ。これだけ目立つ外見ならばまず忘れる事もない事からも、一方的な認知である事はまず間違いないと判断したのである。
だが、最も簡単な質問であるにも関わらず、青年は否定に手をやって唸り始めた。その表情は授業中に難問の解答を教師に命じられた学生のようであり、まるで子供の用だった。事実、彼は年齢より老けて見える事が多々ある西洋人にしては童顔の部類で間違いないだろう。
(人種まではさすがに判らないか。恐らくはアングロサクソンだとは思うが)
人間の外観に価値を見出せない茅場にとってみれば、そもそも人種など興味の枠外である。また彼は生粋の日本人だ。東洋系の顔の区別ならまだしも、それ以外は困難である。
「う~ん。そうだよね。やっぱりその質問だよね。いやね、ボクっていろいろな名前で呼ばれてたものだからさ」
「なら君が気に入っているので構わない」
「残念だけど、全部気に入ってないんだよ。厳つい名前ばかりだからさ」
贅沢な悩みだ。茅場はイカに手を出す。コリコリとした食感とヌルヌルとした舌触りは好みが激しいが、彼は特に嫌いではない。そして、好きでもない。要するに食べ物に対してあまり執着がなかった。
眼前に肉がある。ならば肉を食す。霜降りの和牛と格安のオーストラリア牛、どちらか選べと言われたら適当に選ぶ。
蛇足だが、以前1度だけ茅場は凜子に本気で殴られた事があった。彼女の手料理を冷凍食品と勘違いしてしまったのだ。脳震盪を体験したのはあれが生まれて初めてである。そして、その後になって初めて彼女が今まで作った料理全てが手料理だと知った。
味覚が異常ではなく、味にも食感にも固執しない。それが茅場が明確に己の欠点と認識している部分の1つだ。さすがに顎の骨にヒビが入れば学習するというものである。
「名前で苦労する人間なんて古今東西珍しくもない。世の中には黄色い電気鼠の名前の人間だっている」
「ああ、アレね。ボクも好きだよ」
「VRMMOで新シリーズを出すらしい」
「それ絶対買わないと」
話が逸れてしまった。茶を飲み、口内の醤油と魚の脂を流した茅場は息を吐く。
「埒が明かないので要件を話そう。何処で私の計画を知ったのかな?」
「いきなり核心だね。でも良いのかい? ここは人目も耳も多いよ?」
「構わない。どうせ聞こえていないのだろう?」
と、そこで初めて男の柔和な微笑が驚きに変わった。そこに勝利の感覚などなく、淡々と茅場は推測を述べる。
「君の容姿は目立つ。にも関わらず女性客の視線は集中していない。また、先程私を認知していた男性と何度か視線を合わせたが、まるで無反応だった。それこそ視認出来ていないかのように。他にもあるが、全ての要素は我々に対する認識が何らかの理由で阻害されている事実を示す」
「……なるほど。仮想世界の創造主は伊達ではないという事かな。まずは非礼を詫びるよ、カヤバくん」
素直に謝罪の言葉を口にする男は元の微笑を浮かべる。だが、それは先程までよりも遥かに濃い影が貼りついているようだった。
「君の疑問に答えよう。ボクが何処でキミの計画を知ったのか? 簡単さ。ボクは他人の願望や欲望を察知し、把握できる能力があるんだよ」
一般常識が備わった現代人ならば狂人と疑う発言であるが、茅場は黙ってようやく始まった彼の自己紹介に耳を傾ける事にした。
「ボクは多くの名で呼ばれている。でもキミたち人間はボクの事をこう呼ぶ。サタン……悪魔の王とね。他にもメフィストフェレスとドイツでは呼ばれていたし、日本では天狗とも呼ばれていたよ。でも、今はスミスって名乗ってるんだ。ありふれた名前の方が不要な誤解や不安を与えずに済むからね」
「……君は悪魔なのかい?」
「そうだよ。まあ、人によっては天使とか神様とか物の怪とか仙人とか呼ぶけど。でも悪魔で構わないと思うよ。ボクらの関係はビジネスパートナーに近いからね。なんせ契約は悪魔の特権だからさ」
肯定してウインクをする男は悪魔から程遠い存在に見えた。悪魔を想像させる赤ではなく、澄んだ水面を思わす青の瞳は無邪気に笑っている。
茅場がすんなりと彼を人外だと認めることが出来たのは、恐らくは最初に感じた違和感のせいであり、誰からの注目も浴びない不可解な現状のせいだろう。そして、彼もまた精神面では人間の範疇を超えつつあるからなのかもしれない。
「単刀直入に言おう。ボクと契約しないか、カヤバくん」
「拒否させてもらおう。叶えてもらう願いは持ち合わせていないのでね」
「えー。別に魔法少女になって欲しいわけじゃないんだよ? キミとボク、双方にメリットがあるビックチャンスさ」
「興味がない。10年前なら飛びついたかもしれないがね」
まだ10代の少年だった頃ならば自称悪魔のスミスの提案に飛びついたかもしれない。しかし、茅場は諦めることなく夢を追い続け、ついに実現の鍵を手に入れたのだ。
タクシーに揺られながら見た悪夢、あの青銅の扉を開ける鍵をようやく入手した。全ては幼き頃より魂を焦がす1つの願望の為に。
「へぇ。じゃあ妥協するのかい?」
「……何だと?」
不快感を露わにし、茅場はスミスを睨む。だが、彼の涼しげな笑みを崩す事は出来ない。
妥協? あり得ない。茅場は世界屈指のゲームプログラマーやデザイナーを集結させ、自分自身も身を削って制作指揮を執り続けた。確かにナーブギアの性能や仮想空間のオブジェクトのクオリティには限界もあるが、いずれも十分過ぎる程に合格点である。
間違いなく異世界は創造される。あとは命を……本物の命ある住人を与えるだけだ。
「ではどうして悪夢を見るんだい?」
「…………」
茅場に反論はない。直感であるが、この男が悪夢を見せるような搦め手を使って契約を結ぼうとするはずはないと確信していた。仕事でも趣味でも何でも構わない、純真に打ち込める者だけが持つ矜持、それをスミスから感じ取っていたからだ。
だからこそ、茅場は否定の言葉を持たない。今も悪夢の正体を探るからこそ、彼にはスミスの言わんとする事が嫌でも理解できてしまったのだ。
「異世界の創造、鉄と岩の城、その頂上で待つ者。キミは望んだ。幼き頃の夢の具現をね。でも、それは実に中途半端だ。確かに仮想世界という性能面を見れば完成度は極めて高い。SAOは間違いなく傑作だよ。でもそれだけだ」
「…………」
「これ以上言葉にするのは無粋というものだろう? ボクなら叶えられる。決してキミでは……いいや、人間では届かない領域の力を貸す事ができる」
スミスは指を鳴らす。フィンガースナップと呼ばれるそれは、まさに魔法の音だった。いつの間にか茅場の手には1枚のディスクが握られている。
ディスクの真っ黒な表面には白い文字で【SAO.Devil's Program】と印刷されている。
「ボクはね、これまで多くの人間の願望を叶えてきた。有名人ならカエサル、ヒトラー、ジャンヌ、スターリン、始皇帝、ジョージ・ワシントン、織田信長……他にも数多の人間と契約してきた。彼らは歴史に名を刻むか否かの違いだけで、等しく契約を待ち望んでいた。何故ならボクは望まれねば契約を結ぶ事はできない。契約を持ちかけることすらできない」
「つまり、君と対話してる時点で私は契約する他ないと? 君に」
「そうじゃない。そうじゃないよ、カヤバくん。ボクを歯車だと思えばいい。確かにキミはナーブギアの生みの親だ。そして今まさにSAOという一大仮想空間を生み出そうとしている。でも、それは全てが全てキミ個人の能力で生み出されたものではないだろう?」
その通りだ。茅場も全てが自分の功績だと言い張るつもりはない。少なくともアーガスの社員や付き従う部下、他にも無数の人間の努力と発想で以って支えられている。
ならばどうする? 茅場は手元にある記憶媒体に視線を落とす。スミスは間違いなく茅場の思い描くSAOに手を加えるつもりだ。それも根幹部分に至るまで深々と。それを許す事が出来るのか?
肯定も否定もない。茅場自身が何よりも今のSAOに欠けているものに気づいてしまっているからだ。故に葛藤が彼に1つの決断を下させる。
「……条件を訊いても構わないかな?」
「もちろん! 契約は内容が命だからね。それにボクも即断しろと無理を言うつもりはないさ」
猶予が欲しいという茅場の意図を読んでくれたのだろう。スミスは新しい玩具を得た無邪気な子供のように嬉々と右手の指を2本立てた。
「条件は2つ。1つはSAOの出荷数を増やしてもらいたい。具体的には倍にしてもらいたいんだ」
「もう1つは?」
「君の計画の実行を中止してもらいたい。もちろん悪いようにはしないよ。心配なら当日リンクして見守ればいい」
前者は生産ラインの関係上厳しいかもしれないが、社長に適当な理由で直訴すれば可能かもしれない。だが、後者は茅場個人として到底呑めるものではなかった。
ナーブギアを開発する以前から茅場は計画の実行を推し進めてきた。この計画は彼の生命そのものである。それを諦めろとは断じて呑める要求ではない。
しかし、裏を返せればスミスは代理で茅場が果たすべき役割を実行しようと申し出ているとも受け取れる。つまり茅場はGMとしてではなく、1人のプレイヤーとしてSAOに参加しろと要求しているのだ。
「ここの支払いはボクに任せてくれ。契約の受理は2つの条件の達成とそれのインストールで確認させてもらう。では楽しみに待っているよ、カヤバくん」
それは刹那の出来事だった。初めからスミスはこの世に存在していなかったかのように茅場の隣は空席となる。だが1つとして幻ではなかったと手元のディスクが訴える。
いや、むしろ幻で構わない。茅場は席を立ち、店外に出ると夜空を見上げる。都会の空は星々の輝きなどなく、虚しい黒色に染まっていた。
こんにちは、千年鉱夫です。
今回がSAO.DPver-Nightmare of Heachliff-の正式なプロローグのようなものです。
常に人外みたいに扱われる茅場晶彦の人間らしい面を強調していきたいと思います。また彼の過去はほとんど明かされていないので、「こんなことがあったかもしれないなぁ」と考えながらコメディチックだったりシリアスだったりしながら書きたいと思います。
※SAO前日譚はもう少し続きます。基本的に茅場中心ですが、他のキャラの視点も加えられたら良いなと思ってます。