アニメ アイドルマスターシンデレラガールズ 3rd SEASON (完結) 作:栗ノ原草介@杏P
そこは、水の牢獄だった。
洞窟を思わせる、薄暗い空間が広がっている。
壁の近くだけ、水色に明るい。
「うわあ、お魚が一杯だねーっ」
満面の笑みを浮かべるみりあとは対照的に、みくは追い詰められた猫の顔で――
――うわあ、お魚が一杯にゃ……。
水族館に来るのは、久しぶりだった。
子供の頃、親に連れてこられて以来、意図的に避けていた。
なにせ、魚が嫌いなのだ。
好き好んでそれを見に行こうとは、思わない。
そんなみくが、魚の巣窟に足を踏み入れたのは、理由あってのことである。
――みく、お魚を克服するにゃ!
観光大使の宣伝すべき名物が〝魚〟であるという衝撃の事実に対し、みくが出した結論は――
お魚との全面戦争だった。
――じゃあ、慣れるために水族館へ行くのは、どうかな?
提案してくれたのは、美波だった。
一言に魚と言っても、色んな種類がいるから、ためしに色んな魚を見てみるのはどうかな? という提案に、みくはうなずいた。
敵に勝利するためには、敵を知らなくてはならない。
そして、シンデレラプロジェクトのメンバーと共に、水族館と言う名の魔境に足を踏み入れた。
「こいつ、カッコいいね。カブトムシみたい……」
水槽をじっと見つめる莉嘉。
その隣にいたきらりが、かがんで莉嘉と目線を合わせた。
「莉嘉ちゃんは、カブトガニさんがお気に入りなのかなぁ?」
「うん! あと、こっちのやつもかっこいい!」
「ねーねー、イルカさんのショーが始まるって! 行ってみようよっ!」
みりあがきらりと莉嘉の手を引っ張って、水槽の世界から走り去った。
残された空間に、3人の少女が並んでいる。
「ミスチェエリヤ、あー……、神秘的、ですね」
アナスタシアの視線の先に、無数の星が浮かんでいる。
まるで夜空の星のように、無数のクラゲが漂っている。
「これは、オワンクラゲね。ほら見て、発光するんだよ」
「ミナミ、詳しいですね? クラゲ好き、ですか?」
「うーん、好きっていうか、お父さんが海洋学者だから、それで自然と興味を持ったって、感じかな?」
「博識なる海のビーナス」
「ダー。ミナミは、海が似合いますね。エーリフ、あー……、海の精霊のようです」
「ちょっと2人とも、私じゃなくてクラゲを見ようよっ」
美波の声が届くギリギリの場所に、みくと李衣菜が並んでいた。
入り口からすぐの場所だった。
「ねえ、いつまでここにいるの? みんなもう行っちゃったよ?」
「……もうちょっと待つにゃ。今、心の準備をしてるところにゃ」
「さっきもそう言ってたよね。もう10分くらい経ってるよ?」
「李衣菜ちゃんはわかってないにゃ。この空間が、みくにどれほどのプレッシャーを与えているか……」
「プレッシャーって、大げさだな……。別に、水槽に魚がいるだけじゃん。鮫がいるわけでもないし、全然怖くないじゃん」
「別に、怖いわけじゃないにゃ」
「じゃあ、なんなの?」
みくは、薄目で水槽を見て、震える声で――
「キモいにゃ……」
「……まあ、ものによってはそうかもだけど、でもほら、かっこいいやつだっているよ! あそこの水槽のやつとか――」
「ひっ、ひっぱらないで! まだ心の準備が!」
「そんなこと言ってたら水族館終わっちゃうって。ほらもう、観念して――」
「嫌ったら嫌にゃっ!」
引っ張られる手を、荒っぽく振り払った。
みくと李衣菜の視線が交差し、火花が散った。
「せっかくみくちゃんのためにやってるのに、その態度はないんじゃない?」
「別に、みくは李衣菜ちゃんに、協力してって頼んだ覚えはないにゃ……」
「はあ! なにそれっ! だって、みくちゃんが魚を克服したいっていうから、付き合ってあげてるんじゃん!」
「だからって強引なのはノーセンキューにゃ。もっと、みくの歩幅に合わせてほしいにゃ……」
「そんなこと言って、みくちゃん全然動かないじゃん! だいたい、猫キャラのくせに魚が苦手ってのがおかしいんだよ」
「李衣菜ちゃんには言われたくないにゃ。エアギターの李衣菜ちゃんには」
「わっ、わたしのギターは関係ないでしょっ! もう、なにさっ! せっかく協力してあげてるのに! やってらんないよ! 解散だよ、解散っ!」
「望むところにゃ!」
二人は顔を近付けて睨みあって、そしてぷいっとそっぽをむいた。
みくはそのまま入り口へ戻り、水族館を後にした。
* * *
346プロの事務所に戻ると、香ばしい匂いに迎えられた。
「あっ、みくちゃん、帰ってきました」
笑みを浮かべる卯月は、エプロン姿だった。
厨房にならぶ他のアイドルも、エプロンをしている。
「みんな、どうしたの? 何かのお仕事?」
みくの問いに、アイドル達は答えない。
思わせぶりな笑みを浮かべ、厨房の奥へ視線を向ける。
「ちょうど、焼けたところですっ」
鼻のあたまに小麦粉をつけたかな子が、クッキーの乗った鉄板を持って現れた。
「少しでもみくちゃんを応援できたらって、みんなで作ったんです」
「みくのために……?」
鉄板の上に並ぶのは、魚の形をしたクッキーだった。
「こういうの初めてだから、結構楽しかった」
微笑む凛に、卯月が笑みを重ねて――
「凛ちゃん、すっごいこだわってたんですよ。魚の図鑑をじっと見て、何度もやりなおして」
「せっかくだから、ちゃんとしたの作りたいって、思っただけだよ」
凛が作ったそのクッキーは、確かにリアルで、見ていると嫌な汗が出てきた。
「いやほんと、あの時のしぶりんは、まるで陶芸家だったね。出来上がった作品をみて、こんなんじゃだめだーって、叩き割って」
「そんな事してないでしょ! 私のイメージ、おかしくしないでよ」
「えっへへ。でも、真剣なのは本当だよね。ねー、しまむー!」
「はいっ。すっごく凛々しくて、わたし、写真を撮っちゃいました」
「ええっ! いつの間に……。恥ずかしいから消してよ、そんなの」
「えー、よく撮れてますよ。携帯の待ちうけにしたいくらいです」
「それは絶対やめて」
ひとしきり笑ったあと、未央がきょろきょろと、みくの後ろへ視線を送って――
「ところで、他のみんなは?」
「えっ!」
みくは、あさっての方向へ視線をそらしつつ――
「えっと、その、はぐれちゃったにゃ! そのうち来ると思うにゃ……」
「喧嘩でもしたんじゃないの、李衣菜ちゃんと」
「にゃっ!」
真相を射抜いた言葉は、低空から飛んできた。
出所を探るべく視線を向けると、椅子を並べて横たわる杏を発見した。
「そうなんですか?」
心配そうに手を合わせる卯月に見つめられて、みくは一歩、後ずさった。
「いや、その、たいしたことじゃないにゃ。仔猫ちゃんがじゃれているようなものにゃ。そっ、それより、おいしそうなクッキーにゃ! 食べてもいい?」
みくは、クッキーの中から手ごろな一枚を取って、口へ入れた。
さくっと爽快な音がして、バターの風味が、口いっぱいに広がった。
その絶妙な甘さに、吐息がもれた。
「すーっごく美味しい! なんだか、お魚を克服できるような気がしてきたにゃっ!」
「よか心意気っちゃ、みくさん!」
厨房のすみで腕を組んでいた葵が、抜き身の包丁をきらめかせた。
「みくさんの気持ちに、うちも応えるっちゃ! みくさんにおいしいって言ってもらえるような魚料理を、絶対に作ってみせるっちゃ!」
反射的に、〝ノーセンキューにゃ!〟と言いたくなった。
しかしみくは、葵へ強い視線を向けて――
「望むところにゃッ!」
自分を応援してくれるシンデレラプロジェクトのみんなの気持ちに応えるべく、みくはお魚の克服をその猫耳に誓うのだった。