英雄を怪物が支えたいと思うのは間違っているだろうか 作:暇潰しと思いつきの人
僕らは日の沈みかけてすっかりと薄暗くなった道を歩いていた。
蒼い宵闇とうっすら輝く満月が空に君臨する中、数え切れない陽気な笑い声が聞こえてくる。
酒盛りの声だ。仕事を終えた労働者や、ダンジョンから無事に戻って来た冒険者のものだろう。
ほうぼうな酒場で景気良く大声が打ち上がり、後から怒声や大笑の声が続く。
ベルが言うには、夕飯に是非当店へ、という約束をしているのだとか。それは昼間に聞いたお弁当を渡してくれた女の人と交わしたもので、なんというか、多分、ヘスティアが怒っていた理由のひとつだろうと、僕は遅れて理解した。
(ヘスティアも、素直じゃないなぁ……)
つまりは嫉妬なのだろう。出て行ってしまった彼女を捜すことは出来ず、ああなったら多分見つけても逃げるだろうから、ほとぼりが冷めるまで僕は待つことを選択した。
ベルにそのことを伝えると、十中八九探しにいくだろう。でも、それで解決になるのだろうか? 本当にバイトの打ち上げに行っているとすれば、それはそれで周囲の迷惑になる。
だから、僕はベルが自分で気付いてくれるのを待つことにした。支えたいとは言ったが、なんでもかんでもというわけじゃない。自分でしなければいけないことは、自分でしてもらうに限る。そうでなければ、ベル自身のためにもならないからだ。
さて、僕はそんなベルに一緒に行こうと誘われた。今後こういうことがあった時、人目を気にして外食しないというのも情けなく思えたので、僕は人目に慣れるためにもその誘いを受けることにした。何事も挑戦しなければ始まらない。ベルやヘスティアにこういうことで気を使わせるのも嫌だし。
で、ベルは例の女の人が働いているお店を探しているのか、周囲をキョロキョロと見ている。
人の往来が絶えないせいで、昼頃と同じように注目されているのがわかるが、無視。気にするだけ無駄。そう自分に言い聞かせる。じゃないと、ベルの誘いに乗った意味がない。
すっかりと夜の顔に移り変わっているメインストリート。いい加減慣れろと自分に思うが、もう少しだけ時間が欲しいと言わざるを得ないのが情けない話だ。
「アステル、見つけたよ。……多分」
自信なさげに伝えてきたベルの指差す方を見てみると、そこには一件のカフェテラスがあった。
他の商店と同じ石造り。二階建てでやけに奥行きのある建物は、周りにある酒場の中でも一番大きそうだった。
ベルが知り合った女の人が働いているという酒場、『
僕でも中に入れそうな大きさのようで、胸をなでおろす。
「……な、か、はいら、ないの?」
来てしまったのだから、今更僕が遠慮するというのもおかしな話。なのだが、その誘ってくれた当人が入り口で店内を窺ったまま動かない。
僕も彼に倣って中を覗いてみると、そこにはたくさんの女性が忙しなく働いるのが見えた。
ドワーフ、
はぁ、とため息を吐きたくなったが、まぁ、仕方ない。
なんだか中からも外からも注目され始めているので、ベルの背中を押して一緒に入店することにした。
「ちょ、あ、アステル!?」
「ん……」
顔を真っ赤にさせているベルの戸惑う声を無視して、進むことを促す。ベルが覚悟を決めたような表情を浮かべると、カウンターの一番奥、二人並んで座ることが出来て、入り口からもあまり見えない席まで足を進めた。女将さんと向き合う形になるが、そればかりは仕方ない。
「アンタがシルのお客さんかい? ははっ、冒険者のくせに可愛い顔してるねえ!」
と、カウンターから乗り出してきたドワーフの女性――多分、女将さん――がベルに豪快な笑みを浮かべながらそう言った。
ベルは柄にもなく、半ば暗い視線をぶつけている。それはベルが気にしているところだ。いわゆる、コンプレックスというやつ。
「で、そっちの方がアンタのお仲間かい? デッカイねぇ。これは料理のしがいがあるってもんだよ!」
「えっ……あ、はい。あり、が、とう……ござい、ます」
真っ直ぐに顔を見られて、そして真っ直ぐな笑みを僕は見た。思わずお礼をいったが、頭の中はそれこそ混乱の渦だ。
僕を見たひとは大抵、困惑する。怖がることだってある。なのにこの人はそんなことも一切なく、笑って声を掛けてくれた。
嬉しかった。胸に温かい気持ちが湧き上がった。ベルと出会った時のことを思い出して、思わず目頭が熱くなりそうになった。さすがに、我慢した。
「さぁさっ! 何でもアタシ達に悲鳴を上げさせるほど大食漢なんだそうじゃないか! じゃんじゃん料理出すから、じゃんじゃん金を使ってくれよぉ!」
「「!?」」
だが、涙も次に告げられた言葉で引っ込んだ。
ベルが勢いよく振り返り、僕もそれに倣って後ろを向く。すると、いつの間にか側に控えていた女の人――多分、この人がシルさん――がベルからさっと目を横に逸らした。
可愛らしい人だった。薄鈍色の髪をポニーテールに似た髪型に結っていて、格好はこのお店のウェイトレスさんたちが着ているものと同じもの。僕とベルよりも少し年上の人かな……?
ヴァレンシュタインさんに続いて、こんな人と知り合うなんてさすがはベルさんだ。口には出さないけど。
「ちょっと、僕いつから大食漢になったんですか!? 僕自身初耳ですよ!?」
「……まぁ、ぼく、も、たべる、から」
「そういう問題じゃないよアステル!?」
だって、シルさんという人、いたずらに笑ってるし。あれは完全にこうなることをわかっていた仕草だ。今更引くことは出来ないだろう。
どうどうとベルの背中を撫でて落ち着かせて、僕はメニューを見た。……以外に高い。
一度の食事なんかは普通、50ヴァリスもあれば事足りる。僕は体格のせいもあって、もうちょっと欲しくなることの方が多いけれど。
まぁ、今日はいつもよりも稼げたしなんとかなるかな、と僕のお財布の中身を確認しながら思う。半分、共用資金に入れてあるので1500ヴァリス。半日とはいえ、よくこれだけ稼げたな……。
とは言え、だからと言って暴飲暴食をして良いというわけではない。冒険者の装備品やアイテムの相場なんか、かなり高いからだ。
そもそも、それが理由で僕はこの盾の新調を渋っていたわけだし、盾以外の防具を揃えられていない。
体力を回復するポーションだって最低でも500ヴァリスはする。ベルと僕の装備の整備費だってある。
というか、前まで使っていたカイトシールドや兜、ベルの短刀だっていい値段がしたのだ。支給品と言ってもタダではない。買う時も借金で購入した。その返済は既に済んでいるが、それにしたって足元を見られているようにしか思えない。
そういう諸々の事情もあり、お金は取っておくに越したことはないのだ。ベルだって同じような気持ちなはずだ。
「えっ、と……」
「シルです。シル・フローヴァ」
「じゃ、あ。し、る、さん。ぱすた、を、ふた、つ」
メニューとにらめっこしているベルがなかなか決めそうになかったので、無難なパスタを頼んでおく。それでも300ヴァリス。二人合わせて600ヴァリス。高い。
だが、この酒場の料理は見る限り洒落ているものが多い。こういう場所で食事をするのは初めてだが、手をかけている分、他のところより高いのかもしれない。
「酒は?」
「いい、です」
女将さんから尋ねられたので、すぐに断った。まだ子供だからとは言わないが、余計にお金をかけるようなことは避けるためだ。
だが、女将さんはそんな僕の言葉を無視してふたつの
人の話聞いてください。お願いします。
「……いただきます」
「はいよ、召し上がれ」
出されてしまったものを引っ込めてもらうわけにもいかず、渋々そう口にすればいい笑顔を浮かべられた。この人……強いなぁ。
「それで、ベルさんのお仲間さん。あなたのお名前は?」
「あす、てる、です」
エールを一口飲んで、特有の苦味に表情を険しくさせていると大盛りのパスタをカウンターに持ってきたシルさんが名前を尋ねてきた。
それに素直に返すと、苗字がないのかと聞かれたので、素直にないことを伝える。
僕のこの名前は、ベルのおじいちゃんにつけてもらった名前だ。元々、どことも知れない場所にずっと居て、それから流浪の旅をしていたものだから自分に名前がないことをベルたちと出会うまで考えもしなかった。
『バケモノ』と呼ばれ続けたせいで、そこらへんの感覚が麻痺していたのかもしれないが――兎も角、そういうことで僕には苗字と呼べるものがない。
ただのアステル。この名前だって、かけがえのない大切なもののひとつだ。
「……事情あり、なんですね」
「ええ、まぁ……」
この人もこの人で、今更ながら自然と僕と会話していることに気付く。女将さんと一緒で、まったく僕のことを気にしていないようだ。嬉しい。
それからベルと一緒にシルさんとこのお店のことについて少しだけ話をした。
女将さんのミアさんは、店員の人にお母さんと呼ばれていること。この『豊饒の女主人』はミアさんが一代で建てたもので、彼女は昔冒険者だったとか。所属する【ファミリア】からは半脱退状態で、それについては神様の許しももらっているらしい。
従業員が女性のみなのは、ミアさんが徹底してそうしているからだとか。何でも結構わけありな人が集まっているらしく、そんな人たちでもミアさんは気前良く迎え入れてくれているのだという。
……素直にすごい人だな、と。尊敬の念を感じざるを得なかった。ミアさんが僕を見ても驚かなかったのも、そういう懐の深さがあるからなのだろう。
「じゃあ、シルさんも?」
「いえ、私はその……働く環境が良さそうだったので」
隣で行われているシルさんとベルの会話を、パスタを食べながら聞く。
以外とこの人も強かなようだ。それはまぁ、ベルのことを『大食漢』だと伝えた時点で思ってはいたことだけど。
「このお店、冒険者さん達に人気があって繁盛しているんですよ。お給金もいいですし」
「……シルさんって、お金が好きな人、なんですか? もしかして」
「ジョークですよ、ジョーク。それに、ここには沢山の人が集まるから……」
そう言って、彼女はカウンターから店内を見渡す。
「沢山の人がいると、沢山の発見があって……私、目を輝かせちゃうんです」
その言葉に、僕は共感することは出来なかった。瞳を細めて楽しそうにする彼女の表情を、僕とベルはじっと注視する。
沢山の人――それがこの人達のようであれば、良いのに。
沢山の発見――それが出来る余裕が僕にもあれば、良いのに。
意味のない願望と少しの嫉妬。エールを飲んでいるから、少し酔ってしまっているのかもしれない。
でも、普段は絶対に思わないようなことを思っていると自覚した時、僕はシルさんから目を逸らしていた。
何で逸らしてしまったのかは、わかっている。
眩しかったのだ。彼女の言葉が、表情が、姿が。僕には、眩しく思えてしまったのだ。
(……良いなぁ)
と、それから知らない人と触れ合うのが趣味になってきているというシルさんの言葉に思う。
ベルもまた、それに共感しているのが聞こえてきて、目を伏せたくなった。
確かに、僕も新しい出会いや発見に興奮することもある。それはヘスティアとの出会いがそうだったように、エイナさんとの会話がそうだったように、ティオナさんとの接触がそうだったように。
それが喜ばしいことなのは間違いない。それに応えたい気持ちだって確かにある。それでも、情けないことに今の僕はそれを羨むことしか出来なかった。
「いらっしゃいませー!」
ふと、迎え入れる元気な声が聞こえた方へと釣られるように目を向ける。
そこには種族がてんで統一されていない冒険者の集団が居て、あらかじめ予約していたのか僕とベルの位置とちょうど対角線上にある、ぽっかりと席の空いた一角へと案内されていた。
見るに、全員が全員、半端のない実力を漂わせている。
(――っ!?)
その中に見つけたのは、知り合いの姿と――そして、隣に座っている友人が思いを寄せている存在だった。
ティオナ・ヒリュテ。ティオネ・ヒリュテ。アイズ・ヴァレンシュタイン。三人の姿を見て、確信するまでもなくあの集団が【ロキ・ファミリア】だと気付いた。
「べ、ベルさん?」
シルさんの声に隣のベルの方をみれば、真っ赤になった顔をカウンターに伏せているのが見えた。
どうやら【ロキ・ファミリア】の動向を窺っているらしく、狩人のように目を光らせている。
「ごめ、ん、しる、さん。ぼく、ちょっと、おくに、かくれ……させて」
「えぇ? アステルさんまでなんで……」
蹲ったところでカウンターから体がはみ出そうな気もするけど、何もしないよりはマシだ。
ベルが大人しく様子を見ている以上、僕が居るのをティオナさんにはバレたくない。自意識過剰かもしれないが、そういう種は摘み取っておくに限る。
もしかしたら、こっちに来るかもしれないのだ。彼女の性格なら――有り得なくはないと思っている。
ベルの居る壁際の方へ体を寄せ、カウンターに隠れるようにする。頭隠して尻隠さずとならなかったようで、頭だけをカウンターから出すと【ロキ・ファミリア】の動向がよく見て取れた。
「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなごくろうさん! 今日は宴や! 飲めぇ!!」
赤毛の人物が立ち上がって音頭をとれば、【ロキ・ファミリア】の人達が騒ぎ出す。
【ロキ・ファミリア】が宴会一色の雰囲気に突入すると、他の客も思い出したかのように自分達の酒をあおり始めた。
隣でシルさんがベルに耳打ちをして、それを聞いたベルの瞳が見開かれる。少し聞こえたが、どうやら【ロキ・ファミリア】はこの店のお得意さんのようだ。
ベルのことだから、どうせヴァレンシュタインさんと会える確率が高まるからこの店に通い続けようと思っているのだろう。
お金のこともあるが……僕もここが気に入っている。外食するならここが良い。なら、頑張ればいいだけ話か。
(……でも)
ふと、視界に入ったティオナさんの姿を目で追う。
(……楽しそうだ)
笑顔を浮かべたり、美形な獣人の青年とぶつかりあっているのか表情を険しくしていたり、料理が美味しかったのかまた笑顔を浮かべたり。
そんな彼女の姿を見て、羨ましくなる。僕ら――【ヘスティア・ファミリア】もいつか、ああいう風になれるのかな、と思った。
そろそろ良いかな、と席に戻ろうとしたその時だった。
「そうだ、アイズ! お前のあの話を聞かせてやれよ!」
そう言い放ったのは、ティオナさんとぶつかり合っていた青年だった。
「あれだって、帰る途中で何匹か逃したミノタウロス! 最後の一匹、お前が五階層で始末しただろ!? そんで、ほれ、あん時いたトマト野郎の!」
――心が急速に冷えていくのを、感じた。
「ミノタウロスって、十七階層で襲いかかってきて返り討ちにしたら、すぐ集団で逃げ出していった?」
「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上っていきやがってよっ、俺達が泡食って追いかけていったやつ! こっちは帰りの途中で疲れてたってのによ~」
ティオネさんの確認に、青年が調子よく答える。
嫌に冷静になれているのは、どうしてだろうか。
嫌に頭が冷え切っているのは、何故だろうか。
酔いなんて吹き飛んでいる。瞬きすらも意識しなければ忘れてしまいそうだ。
「その握った拳を解きなさい」
右から聞こえてきたのは、女の人の声だった。青年が言葉を続けているのが耳に入っているはずなのに、どちらとも素通りしていく。
体中が熱く燃えるようだった。なのに、心は冷め切っていた。嫌な気持ちだった。変な気持ちだった。苦しいし、そして歯を強く噛み締めるほどの思いだった。
「その握った拳を解きなさい」
「リュー、ちょっと」
「ダメです、シル。この人はきっと、このままだと【ロキ・ファミリア】に突撃します」
そんな馬鹿な、と思ったが――僕はその時ようやく、自分が何をしようとしているのか気がついた。
手からは爪が食い込んだのか、血が流れ出している。
そして、僕の右腕が女の人の手に掴まれていることにも気付いた。
「……ぼく、は」
「水です。飲みなさい」
女の人はエルフで、僕の眼前に水の入った容器を差し出してくる。
僕はそれを受け取って、ゆっくりと喉に流し込んだ。喉はまだ乾いたままだった。
「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」
その言葉が聞こえた瞬間、隣に居たベルが突然立ち上がって店の外へと駆け出す。
それに気付いた【ロキ・ファミリア】の面々がこっちを向いた。勿論、ヴァレンシュタインさんも、ティオナさんも。
「……あ」
そんな声が聞こえてきた気がするが、それに反応している暇はない。問題はベルだ。手を伸ばそうとしても、既に彼は持ち前の俊敏さでオラリオの街へと駆け出している。
僕は、それでも追いかけようとした時――。
「アステル君!」
背中にティオナさんの呼ぶ声が聞こえた。思わず足を止めて、振り返る。視線が僕へと集まる。
「ごめ、ん、な……さい。これ、おか、ね!」
「え、あ、ちょ、アステルさん!?」
急いで戻って、お金の入った財布を急いでシルさんに渡して、僕はベルを追いかけることにした。
ティオナさんの顔は見れなかったけど、関係ない。今はベルだ。ベルの向かった方角には、夜の帳に紛れるバベルの姿がある。
まさか、と思った時にはもう走り始めていた。
一瞬だけ見ることが出来たベルの表情が、今まで見たことがないくらいに悔しそうだった。
あの男が言っていた言葉が脳裏をよぎる。
「きみ、は、ざこ、じゃない。ざこ、なんか、じゃ、ない……!」
追いかける相手には決して聞こえないけれど、口に出さずにはいれない。悔しかった。悔しかった。悔しくて悔しくて、
口だけじゃダメだ。力だけでもだめだ。ベルもそう思ったのだろうか? ヴァレンシュタインさんの前で馬鹿にされてしまった君がどう思っているかなんて、僕が想像することも烏滸がましいかもしれないけれど。
それでも――せめて、なら、そういう選択をするのだとすれば、僕は今、君にその心を聞かせて欲しい。君を支えさせてくれ。それで自暴自棄ならば絶対に止めなければならない。そうじゃないなら、僕にだって出来ることがあるはずだ。
だから――。
「べる……!」
メインストリートに溢れた人ごみを掻き分けて、僕はバベルへと向かって走る。
それが正解であっても、間違っていたとしても、もしかしたらという勘に僕は今、従って走る。
◇
追いかけて、追いかけて、追いかけて、たどり着いたのはダンジョンの
一階層で見つけた、回収されていない魔石。他に
それを辿って、辿って、辿って、そして僕はここに来ていた。来てしまっていた。
装備をホームに置きっぱなしにしているせいで、僕にあるのはこの肉体だけだ。だが、それでも追いかけないという選択肢はない。
途中で襲ってきたコボルトを一蹴し、ゴブリンを叩き潰し、六階層に踏み入れた時に現れたフロッグ・シューターを引き裂いた。
だが、体は倒した敵に比例してボロボロになっていく。タワーシールドがないのだから当たり前だ。敏捷が低い僕が、敵の攻撃を避け続けるという芸当は出来ない。
体を庇うように使っていた腕には痣や切り傷が沢山刻まれている。だが、それでも進む。進み続ける。
「しね……」
襲ってくるモンスターを踏み潰す。
「しね……!」
邪魔だ、邪魔をするな。お前たちに構ってる時間なんてないんだ。
「しね……!!」
奥へ、奥へ、奥へ。魔石の回収なんてしていられない。そんな余裕なんてない。
ダンジョンに潜ってどれくらいの時間が過ぎたのか、時計を持っていない今の僕に確認するすべはない。
それはベルだって同じで、もしかしたらもっと下の階層へと行ってしまっているかもしれない。
だとしても、僕は彼を追いかけて下へ向かうだけだ。こんな時に、こういう時にベルの隣にいなくて何が支えるだ。何が一緒に戦うだ。
「べる……! べる……!」
大切な【
そう思いながら進んでいくと、道の奥から戦闘する音が聞こえてくる。
もしかしたら、ベルが戦っているのかもしれない。そう思った僕は、普段よりもずっと重く感じる足を動かして走り出した。
すると、部屋状の広い空間にたどり着いた。【ルーム】というものだろうか。初めて来たが、感慨に耽る余裕などない。
目の前で、傷だらけのベルが『ウォーシャドウ』と戦っているのだ。
「べ、る! すいっ、ち!!」
「ッ!!」
咄嗟に叫んだ僕の声に反応してくれたのか、ベルがバックステップをしてウォーシャドウから距離を取る。
ウォーシャドウは六階層から現れるモンスターだ。異様に長い両腕の先には三本の鋭利な『指』が備わっていて、それらはナイフの形状をしている。
ウォーシャドウの純粋な戦闘能力は、六階層のモンスターの中でも随一だと言う。
『新人殺し』と呼ばれるそのモンスターは、今の僕らで敵うかどうかもわからない相手だ。
「それ、でも……おッ!」
相手が何であろうと、今は倒さなければならない。ベルへ追撃しようとするウォーシャドウへと割り込んだ僕は、その攻撃を左手で握り締め、受け止めた。背中に刻まれている【
「やら、れ、ろぉお!!」
そのままウォーシャドウの体を引き込み、勢いと力任せに拳を胸に向けて打ち放つ。
体を貫通した拳が魔石を捉え、そのまま引き抜くとモンスターとして逃れえぬ末路を迎えた。
右手に魔石を握り締め、振り返ってベルの居る方を向く。そこには乱暴に息を吐き出し、天井を仰ぐ姿があった。
「はぁっ、はっ、は……っ!」
「べ、る……」
ウォーシャドウを倒した。それが僕らにとってどれだけの奇跡だったかは、計り知れない。そもそも、ベルがこの六階層で生き残っていてくれていた、というのもそうなのだ。
ベルは驚くべき速度で成長している。それこそ、物語に語られる英雄たちのように。そう思わずにはいられなかった。
だからこそ、僕はベルに聞かなければならない。彼の横に腰を下ろして、僕は口を開く。
「ねぇ、べる――」
「……どうして、来たんだよ、アステル」
僕の言葉を遮って、目に涙を溜めたベルが尋ねてくる。
「僕はやれた! やれたんだ! これからもっと強くなるために、僕は……!」
「べる。そうだ、きみは、やれる」
「だったら!」
「でも、それは、なん、の、ため?」
きっかけはもう、どうだっていい。彼は出来ることを証明して見せてくれた。部屋の中にはもう一つ、ウォーシャドウの死体がある。つまりはそういうことなのだろう。
ならば、僕が聞きたいのは彼がどうして、なんのためにここに居るのかだ。僕はその答え如何では、彼を怒るだろう。
「……なんの、って」
そう言ったベルは、歯を強く軋ませた。
「僕は、悔しい」
「なん、で?」
「あの時肯定してしまった自分が悔しい!」
「そ、れで?」
「何も言い返すことの出来なかった無力な自分が悔しい!」
「う、ん」
「彼女にとって路傍の石に過ぎない滑稽な自分が悔しい!」
そして、息を大きく吸った彼は最後に一際大きく叫ぶ。
「彼女の隣に立つ資格を、欠片も所持していない自分が、堪らなく、悔しい。悔しいんだ、アステル!!」
「……そっか」
「僕は強くなりたい……。僕は、変わりたい……!」
「……わかっ、た」
君がそういう思いを抱いたならば。君がそう言ってくれたのならば。僕に出来ることなんてきっと、本当に少ないだろうけど、僕はその言葉に応えたい。
僕も悔しかった。何も出来なかった。ただ怒りに身を任せそうになった。
友達を馬鹿にされたまま、終われない。終われるわけがない。僕だって、僕自身が許せない。
「たって、べる」
だから、生き残らないといけない。
モンスターはダンジョンの壁から産まれてくる。
ベルに手を差し伸べて立ち上がらせていると、その間に都合四匹、ウォーシャドウがダンジョンより生まれ落ちていた。
エイナさんが、不用意に下の階層へ近付くなと厳命していた理由の一つが目の前で起こっている。
六階層――否、五階層からはダンジョンによるモンスターの生出頻度が格段に上がる。
更に、『逃がさない』と告げるように僕の入ってきた出入り口の奥に沢山の獣の瞳が浮かび上がっていた。
「……アステル、行ける?」
「べる、こそ」
それでも、僕らは諦めない。言葉にして、それを理解して、戦う理由が僕らにはあるから。
生き残る理由も、そうしたい理由も、帰らなければならない理由もあるのだから。
先程屠ったウォーシャドウの死骸から発生したドロップアイテム、『ウォーシャドウ』の爪を僕は拾い上げる。
武器を使ったことはないけれど、少しでも生存率をあげるために僕は右手に装備する。
「やるんだ」
「う、ん」
「やるんだ!」
「う、ん!」
「たどり着きたい高みがあるから!」
「やろう、べる」
こんな場所で躓いている暇はない。
僕らは想いを新たに、踏み出す。背中が熱くなって、僕の背中を押してくれているような気がした。
そして僕らは、迫り来るモンスターたちと激突した。