エリート警察が行くもう一つの幕末   作:ただの名のないジャンプファン

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第9幕 劣勢

 

 

 

 

 

 

 

仙台にて、榎本武揚率いる旧幕府海軍と合流した大鳥率いる旧幕府軍と土方率いる新撰組は軍艦にて、蝦夷の地へと向かった。

蝦夷の地、北海道にも当然新政府軍の守備隊は居た。

明治維新時には松前・江差周辺の松前藩領を除き蝦夷地の大部分は幕府が直轄し、箱館奉行が置かれていたが、新政府はこれに代わり、箱館府を設置した。

幕府直轄時代には奥羽諸藩が蝦夷地に兵を派遣していたが、東北戦争に伴い悉く撤兵し、防備兵力は僅かな箱館府兵と松前藩兵のみとなっていた。

そんな中、榎本達旧幕府軍の北行が判明したため、箱館府は援軍を要請、一番近い弘前藩から4小隊が10月19日、秋田に入港していた福山藩兵約700名および大野藩兵約170名が野田豁通に率いられ10月20日に箱館に到着、これらで旧幕府軍を迎え撃つこととなった。

旧幕府軍は北海道上陸後、大鳥率いる隊が峠下・七重方面から、土方率いる隊が鹿部・川汲峠を経て湯の川方面からと、二手に分かれて箱館へ向けて進軍するが、無用な戦闘は意図しておらず、まずは箱館府知事・清水谷公考に使者を派遣した。

新政府への嘆願書をたずさえた人見勝太郎・本多幸七郎ら30名が先行するが、10月22日夜、峠下に宿営中、箱館府軍の奇襲を受け、戦端が開かれた。

10月24日、人見達と合流した大鳥軍が大野村と七重村で箱館府軍を撃破し、土方軍は川汲峠で箱館府軍を敗走させた。

各地の敗戦を受けて清水谷公考は五稜郭の放棄を決め、新政府軍は25日に秋田藩の陽春丸とチャーターしたプロシアのタイパンヨー号に乗船し青森へ退却した。

旧幕府軍は10月26日に五稜郭へ無血入城し、五稜郭を拠点に新政府軍を迎え撃つ事になり、艦隊は箱館へと入港した。

10月30日、旧幕府軍による箱館占拠の通報が東京に届き、新政府は直ちに津藩兵・岡山藩兵・久留米藩兵計約1,000名を海路で青森に送った。

そして、11月19日には旧幕府軍追討令が出された。

11月27日、青森に避難していた箱館府知事・清水谷公考が青森口総督を兼務することとなった。しかし、冬季作戦等の準備は全くないので、箱館征討は翌年の雪解けを待って開始することとして青森周辺に冬営した。

2月に新政府軍は陸軍の準備を整えると共に海軍の準備も整え始め、アメリカの局外中立撤廃を受けて、品川に係留されていた最新鋭の装甲軍艦甲鉄を購入。

3月9日、新政府軍艦隊(甲鉄・春日・陽春・丁卯)の軍艦4隻と豊安丸・戊辰丸・晨風丸・飛龍丸の運送船4隻は、甲鉄を旗艦として品川沖を青森に向けて出航した。

旧幕府軍は、新政府軍艦隊が宮古湾に入るとの情報を受けると、旧幕府軍としては北海道と青森間の制海権確保が急務となった。

そこで旧幕府軍は甲鉄を奪取する作戦を立案した。

 

「蟠竜と高雄を甲鉄の左右に接舷させて、甲鉄へ切込みを掛けて、甲鉄を強奪する‥‥なお、回天はその作戦の後方支援‥‥随分と無茶苦茶な作戦ね‥‥」

 

 

 

信女は土方から今回の甲鉄艦強奪作戦の作戦書を見ながら、呆れる様に言う。

現在信女は、斎藤が会津で別れ際に言ったように、土方の荷物持ちとして彼の小姓を務めており、その殆どの時間を土方の傍に身を置いて、土方を支えていていた。

 

「そう言うが、此処まで追い詰められた幕府軍としてもここいらで大きな戦果を得なければ、体勢の維持が難しいんだろうよ」

 

「そうね」

 

「今井、この作戦、失敗は許されねぇぞ」

 

「じゃあ、当分は陸じゃなくて、船の上での生活ね」

 

「ああ、早速明日からは強襲訓練を始める。今井、やるからには勝つ気でやるぞ」

 

「勿論よ‥ただ、土方、最近ちゃんと寝ているの?」

 

「あん?どういうこった?」

 

「休める時にはちゃんと休まないとだめよ‥貴方、ここ最近、全然休んでいないでしょう?」

 

「そうでもねぇ」

 

「夕べも夜遅くまで、部屋の明かりがついていたわよ」

 

「消し忘れだ」

 

「嘘ね」

 

「本当だ」

 

「嘘よ‥貴方の言っている事が嘘か本当かくらい分かるわ」

 

「‥‥ふっ、敵わねぇな、お前らには」

 

「だったら、今夜くらい早く寝なさい。足でまといはごめんだから。.....それとも1人で寝るのが寂しいのであれば、一緒に寝る?」

 

「そう願いたいが、そんな事されたら、総司の奴が化けて出てくるから、止めるわ」

 

信女は土方を寝台へと送った。

こうして土方らは、作戦実行日まで甲鉄艦強奪作戦の訓練を行った。

 

3月20日、海軍奉行・荒井郁之助を指揮官として、陸軍奉行並・土方歳三以下100名の陸兵を乗せた回天と蟠竜、箱館で拿捕した高雄の3艦は宮古湾に向けて出航した。

3月23日、暴風雨に遭遇した3艦は統率が困難となり、集結地点である山田湾には回天と高雄が到着したが、蟠竜は現れなかった。その上、高雄は蒸気機関のトラブルで速力が半分に落ちており、このままだと勝機を逸してしまうため、回天だけで作戦を決行することになった。

回天の甲板には土方の隣に信女の姿もあった。

 

「ついていないわね‥‥予定されていた兵力の半分以下なんて‥‥」

 

「ああ、全くだ‥だが、このまま何もせずに戻る訳にはいかねぇ、何としてでも甲鉄艦を手土産に持って帰るぞ」

 

此処で甲鉄艦を手に入れることが出来れば、新政府軍の進撃を大きく鈍らせることが出来ると土方達はそう思っていた。

 

3月25日 早暁、回天は、アメリカ国旗を揚げて宮古湾へ突入すると突如、アメリカ国旗を降ろし日章旗を揚げて、全速力で甲鉄へと向かった。

新政府軍はアメリカ国旗を掲げていた回天を当初、援軍かと思い、攻撃をせず、完全に騙されていた。

しかし、突如、アメリカ国旗を卸し、日章旗を掲げた回天に敵襲だと判断した頃には既に遅く、回天は甲鉄のすぐ傍まで迫っていた。

 

「白兵戦闘用意!!接舷と同時に乗り込むぞ!!いいな!?」

 

『おう!!』

 

「敵襲!!」

 

回天の奇襲は成功したが、外輪船の回天は甲鉄に横付けできず、甲鉄の側面に艦首を突っ込ませて『丁字』の形という不利な体勢になり、また甲鉄より船高が3m高いこともあり、兵が甲鉄へ乗り移りにくく、思うように迅速な動きが取れなかった。

そんな中でも土方と信女は甲鉄の甲板に乗り移り、斬り込みをかけるが、甲鉄に装備されていたガトリング砲の前に次々と味方は撃ち倒され、戦闘準備を整えた宮古湾内の他の艦船や反撃が始まった。

土方は斬り込み隊に予想外の犠牲者が多く出たため、作戦を中止したが、問題は撤退方法であった。

甲鉄よりも船高が3m高い回天へ戻るには、回天から通された縄に捕まり、回天の甲板へ戻らなければならなかったがその間、撤退者は完全に無防備になるため、絶好の的になる。

土方は甲鉄の遮蔽物を利用し、ガトリング砲へと接近し、砲手を斬り、甲鉄の乗組員へと発砲し、味方撤退の援護に回る。

 

「土方、残っているのはもう貴方と私だけよ!!」

 

「そうか!!では、俺達も逃げるぞ!!」

 

土方はガトリング砲の弾を撃ち尽くし、回天からも援護射撃を受けながら、信女と共に脱出した。

 

この作戦で旧幕府軍は、回天の艦長、甲賀源吾、旧新撰組の隊士、野村利三郎など19名が戦死した。

また、機関故障のため速力が出ない高雄も新政府軍の春日に追撃され、田野畑村羅賀浜へ座礁させた後、艦に火を放ち、乗組員は盛岡藩に投降した。

後に宮古湾海戦と呼ばれるこの戦いで、旧幕府軍は新政府軍から軍艦を奪うどころか、反対に軍艦を失う結果となった。

 

「劣勢な戦力の中、お前らはよく戦った‥」

 

「す、すみません。我々が非力なばかりに‥‥」

 

「作戦を成功できずに、無念です‥‥」

 

箱館へ戻る回天の船上で土方は生還した兵達を労った。

 

「今井‥‥」

 

「はい」

 

「今回の作戦が失敗し、じきに箱館は戦場となるだろう‥‥それでもお前はまだついてくるか?」

 

「それは愚問よ、土方」

 

信女は箱館で土方達と共に新政府軍を迎え撃つ覚悟でいた。

土方もこれ以上は信女に何も言わなかった。

 

 

宮古湾海戦に勝利した新政府艦隊は、3月26日には青森に到着。

兵員輸送用にイギリス船オーサカとアメリカ船ヤンシーをチャーターし、4月初旬には北海道への渡海準備が完了した。

そして、4月9日早朝、新政府軍は北海道の乙部に上陸した。

旧幕府軍は新政府軍の上陸を阻止すべく江差から一聯隊150名を派遣したが、上陸を終えていた新政府軍先鋒の松前兵によって撃退された。

4月12日には陸軍参謀・黒田清隆率いる2,800名、4月16日にも増援が江差へ上陸し、松前口、木古内口、二股口、安野呂口の四つのルートから箱館へ向けて進軍を開始する。

 

「政府軍はいよいよ五稜郭を目指して進行して来る。俺達は二股口で奴等を迎え撃つ。五稜郭には近づけさせるな!!」

 

土方達新撰組は二股口の守備を担当した。

 

「いいか、此処が正念場だ!!弾丸は山ほど、用意した。敵が来たら、無駄弾を気にせず、撃ちまくれ!!ただし、命だけは無駄にするなよ」

 

『はい!!』

 

「戦が終わったら、たらふく酒を飲ませてやる!!だから、死ぬんじゃねぇぞお前ら!!」

 

『おう!!』

 

土方軍は、天狗山を前衛として台場山周辺の要地に16箇所の胸壁を構築し、新政府軍を待ち構えた。

 

「政府軍の目的地は旧幕府軍の拠点、五稜郭だ」

 

兵達を鼓舞した後、土方は地図を取り出して、睨む。

 

「いよいよ、後がなくなったわね」

 

「その割には、お前は相変わらず、気楽そうだな」

 

「私達、前線の兵にとっては目的が単純だからよ、五稜郭に閉じこもっている上の連中はどうやったらこの戦に勝てるのか? 負けた時、自分はどうなるのか?色々考え込んでいるみたいだけど、私は仲間を守る為に敵を斬るだけ‥‥斎藤の言っていた、新撰組の正義、悪・即・斬の名の下にね」

 

「‥‥」

 

「最近になって、総司の事をよく思い出すわ」

 

「あいつは、いつでも気楽そうだったからな‥‥」

 

「此処に居れない事をきっと悔しがっているでしょうね。でも、だからこそ、私は総司の分まで戦うのよ」

 

「そうか‥‥」

 

「さあ、お客さんを出迎えましょう」

 

(総司...私は貴方の分まで...新撰組を守る...貴方も私に...私に力を貸して...総司)

 

信女は抜刀して、二股口へと迫る新政府軍をその冷たい目で見下ろした。

 

24日、滝川充太郎率いる伝習士官隊が新政府軍陣地に突撃を敢行した。

滝川充太郎は馬上のまま敵中に突進し、隊士達も一斉に抜刀して滝川に続いた。

不意を付かれた新政府軍は混乱し、自軍の敗走を単身食い止めようとした指揮官、駒井政五郎は銃弾を受けて戦死した。

指揮官を失いながらも新政府軍は新しい兵を次々に投入するが、土方隊を打ち破るには至らず、25日未明、ついに撤退した。

敗戦続きの旧幕府軍にとっては、久しぶりの勝利であった。

 

「政府軍、退却!!」

 

撤退していく新政府軍を見て、二股口からは歓喜の声があがる。

信女もホッとした表情となる。

 

「どうやら、守り切った様だな」

 

「そうね‥でも、連中の事だから、兵力と物資を整えてまた来るでしょうね」

 

この勝利はあくまで、一時的なものだと信女は土方に進言する。

 

「そうだな‥‥」

 

(何とか、連中の物資の集積所を潰すか、奪うかをする事が出来れば‥‥)

 

土方は新政府軍の物資集積所の強襲の必要性があると思った。

二股口が久しぶりの勝利で湧き上がっている時、

 

「ご報告いたします!!」

 

伝令兵が飛び込んできた。

 

「どうした?」

 

「政府軍、木古内、松前口を占領いたしました!!」

 

「っ!?」

 

「なっ!?」

 

この二股口で勝利することは出来た土方達であったが、新政府軍に他の五稜郭の進撃ルートを新政府軍に確保された。

 

「土方、まずいわ。木古内、松前口を占領されたら‥‥」

 

「ああ、五稜郭からこの二股口までの間を分断されるかもしれないな‥‥」

 

もし、ここで五稜郭への退路を断たれて分断されれば、自分達はこの二股口で孤立し、二股口方面と五稜郭方面からの敵の挟み撃ちにあうかもしれない。

 

「今井、此処は撤退するしかない‥‥全軍に撤退命令を出せ」

 

「‥‥はい」

 

折角この二股口を死守出来たにも関わらず、土方達は退路を断たれる前に五稜郭へと撤退した。

 

その後、5月3日夜、新政府軍・遊軍隊のスパイ、斎藤順三郎により弁天台場の大砲が使用不能にされ、急遽、箱館湾に綱を敷設したものの、5月6日に新政府軍により切断され、軍艦を箱館湾に進出された。

5月7日の箱館湾海戦で回天が蒸気機関を破壊され、意図的に浅瀬に乗り上げ、浮き砲台となる。

5月11日の海戦ではただ1隻残った蟠竜が新政府軍の朝陽を撃沈し、旧幕府軍の士気は大いに高まったが、砲弾を撃ち尽くした蟠竜も浅瀬に座礁し、乗組員は上陸して弁天台場に合流した。

旧幕府軍の敗色はいよいよ濃厚なモノとなっていった。

 

 

 

 

・・・・続く




ではまた次回。
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